杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
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杜少陵集 巻十九

767年-141#18 秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九#18§6.-3注(1155) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9162

767-141#18 秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九#18§6.-3注(1155)

 

 

2017102

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745年 n-52 鳴皋歌送岑徵君(卷七(一)五○六) #6漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9174

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745年-08 【字解集】008 A鳴皋歌送岑徵君  B對雪奉餞任城六父秩滿歸京Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8975

孟浩然

李白詩

謝霊運

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楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-144 先生-巻八-06納涼聯句【案:韓愈、孟郊】-#11 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9140

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806年-集17-133 韓昌黎集字解集秋雨聯句【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9064

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-141#18 秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九#18§6.-3注(1155) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9162

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767年-集-19 【字解集】 ・H提封 I鸚鵡 J孤雁 K鷗 L猿 M麂 N雞 O黃魚 P白小  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8998

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

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花間集 訳注解説 (255)回目毛文錫巻五30訴衷情二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9156 (10/02)

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花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

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●魚玄機全詩

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八、2.46 薛濤 《十離詩十首 燕離巢 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9165

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-141#18 秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九#18§6.-3注(1155)  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9162

いくら首をふりむけてみても富貴などがくるわけはないし、またくるとしたところが小人どもとがやがや利益を争うて先鞭をつけるなどはじゃまくさいことだ。

兵乱のために塵挨ははてしなくびろく横たわっている。この江漢の地方では月のみがうつくしく照る。

狭いところに縮こまりながら秋の燕がたち去るのを看て、しみじみと夕蝉のなくのをじっときく。

こんな生活をしている今の自分だ。それをあなたがたはわたくしがわかい時から詩賦に雕蟲の技をもてあそんだことを御記憶くださって、お手紙を寄せてちかごろの病状をおたずねくださった。

秋雨 02 

767-141§5-1 

  秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻

(卷一九(四)一六九九)§5-4 #15

杜詩詳注巻19-41

全唐詩卷二三○ -#15

767年大暦256  (141) -

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の杜詩ブログ9141

 


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767年-141#15 秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九#15§5.-4注(1155) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9141

767-141#15 秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九#15§5.-4注(1155)

 

 

2017928

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745年 n-48 鳴皋歌送岑徵君(卷七(一)五○六) #2漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9146

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謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

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漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

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806年-140 先生-巻八-06納涼聯句【案:韓愈、孟郊】-#7 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9112

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806年-集17-133 韓昌黎集字解集秋雨聯句【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9064

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

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index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

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index-13 821年~822年 22

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韓愈 哲学・儒学「五原」

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-141#15 秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九#15§5.-4注(1155) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9141

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杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

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杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (252)回目毛文錫巻五27月宮春一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9135 (09/28)

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花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

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玉-巻二38 悼亡詩二首其二 皎皎窓中月 -#4〔潘岳〕 Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9150

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玉集-015【字解集】  雜詩五首 【字解集】    Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8932

●薛濤の全詩

●花間集(1

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●花間集(3

●花間集(4

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●魚玄機全詩

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八、2.43 薛濤 《十離詩十首 筆離手 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9144

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767-141#15 秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九#15§5.-4注(1155)  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9141

また宮廷の秘書典籍を集める蓬莱閣は唐の大明宮の宮殿に連なっていて、そこに秘書少監の鄭審は宮中の重臣となっている。

李之芳君は気が向くと夔州の東、夷陵の家の壁に詩を書きつけているだろうし、鄭審君は江陵の自宅のそばの湖に舟を浮かべて悠然と舷を叩きつつ歌っていることだろう。

両君は興に乗じては人里離れた絶景の地まで足を伸ばし、見事な句を作って美しい詩箋に書き留めているに違いない。

秋雨 04 

767-141§5-1 

  秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻

(卷一九(四)一六九九)§5-4 #15

杜詩詳注巻19-41

全唐詩卷二三○ -#15

767年大暦256  (141) -

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秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九)

§1-1 #1

塞烏蠻北,孤城白帝邊。飄零仍百里,消渴已三年。

雄劍鳴開匣,群書滿繫船。

§1-2 #2

亂離心不展,衰謝日蕭然。筋力妻孥問,菁華月遷。

登臨多物色,陶冶賴詩篇。』

§2-1 #3

峽束滄江起,巖排石樹圓。拂雲霾楚氣,朝海蹴天。

煮井為鹽速,燒畬度地偏。有時驚疊嶂,何處覓平川。

§2-2 #4

鸂鶒雙雙舞,獼猿壘壘懸。碧蘿長似帶,錦石小如錢。

春草何曾歇,寒花亦可憐。獵人吹戍火,野店引山泉。』

§3-1 #5

喚起搔頭急,扶行幾屐穿。兩京猶薄四海隨肩。

幕府初交辟,郎官幸備員。

§3-2 #6

瓜時猶旅寓,萍泛苦夤緣。藥餌虛狼藉,秋風灑靜便。

開襟驅瘴癘,明目掃雲煙。

§3-3 #7

高宴諸侯禮,佳人上客前。哀箏傷老大,華屋豔神仙。

開元曲,常時弟子傳。法歌聲變轉,滿座涕潺湲。』

§4-1 #8

弔影夔州僻,回腸杜曲煎。即今龍水,莫帶犬戎羶。

耿賈扶王室,蕭曹拱御筵。

§4-2 #9

乘威滅蜂蠆,戮力效鷹鸇。舊物森猶在,凶徒惡未悛。

國須行戰伐,人憶止戈鋋。

§4-3 #10

奴僕何知禮,恩榮錯與權。胡星一彗孛,黔首遂拘攣。

哀痛絲綸切,煩苛法令蠲。

§4-4 #11

業成陳始王,兆喜出於畋。宮禁經綸密,台階翊戴全。

熊羆載呂望,鴻雁美周宣。』

§5-1 #12

側聽中興主,長吟不世賢。音徽一柱數,道里下牢千。

鄭李光時論,文章並我先。陰何尚清省,沈宋欻聯翩。

§5-2 #13

律比崑崙竹,音知燥弦。風流俱善價,愜當久忘筌。

置驛常如此,登龍蓋有焉。雖云隔禮數,不敢墜周旋。

§5-3 #14

高視收人表,虛心味道玄。馬來皆汗血,鶴唳必青田。

羽翼商山起,蓬萊漢閣連。

§5-4 #15

管寧紗帽淨,江令錦袍鮮。東郡時題壁,南湖日扣舷。

遠遊凌境,佳句染華牋。

§6-1 #16

每欲孤飛去,徒為百慮牽。生涯已寥落,國步乃迍邅。

衾枕成蕪沒,池塘作棄捐。

§6-2 #17

別離憂怛怛,伏臘涕漣漣。露菊班豐鎬,秋蔬影澗瀍。

共誰論昔事,幾處有新阡。

§6-3 #18

富貴空迴首,喧爭懶著鞭。兵戈塵漠漠,江漢月娟娟。

局促看秋燕,蕭疏聽晚蟬。雕蟲蒙記憶,烹鯉問沈綿。』

§7-1 #19

卜羨君平杖,存子敬氈。囊虛把釵釧,米盡坼花鈿。

甘子陰涼葉,茅齋八九椽。

§7-2 #20

陣圖沙北岸,市瀼西羈絆心常折,棲遲病即痊。

紫收岷嶺芋,白種陸池蓮。

§7-3 #21

色好梨勝頰,穰多栗過拳。敕廚唯一味,求飽或三鱣。

兒去看魚苟,人來坐馬韉。

§7-4 #22

縛柴門窄窄,通竹溜涓涓。塹抵公畦稜,村依野廟壖。

缺籬將棘拒,倒石賴藤纏。』

§8-1 #23

借問頻朝謁,何如穩醉眠。誰云行不逮,自覺坐能堅。

霧雨銀章澀,馨香粉署妍。

§8-2 #24

紫鸞無近遠,黃雀任翩翾。困學違從眾,明公各勉旃。

聲華夾宸極,早晚到星躔。

§8-3 #25

懇諫留匡鼎,諸儒引服虔。不逢輸鯁直,會是正陶甄。

宵旰憂虞軫,黎元疾苦駢。雲臺終日畫,青簡為誰編。』

§9-1 #26

行路難何有,招尋興已專。由來具飛楫,暫擬控鳴弦。

身許雙峰寺,門求七祖禪。落帆追宿昔,衣褐向真詮。

§9-2 #27

安石名高晉,昭王客赴燕。途中非阮籍,上似張騫。

披拂雲寧在,淹留景不延。

§9-3 #28

風期終破浪,水怪莫飛涎。他日辭神女,傷春怯杜鵑。

淡交隨聚散,澤國繞迴旋。

§10-1 #29

本自依迦葉,何曾藉偓佺。爐峰生轉眄,橘井尚高褰。

東走窮歸鶴,南征盡跕鳶。晚聞多妙教,卒踐塞前愆。

§10-2 #30

顧愷丹青列,頭陀琬琰鐫。眾香深黯黯,幾地肅芊芊。

勇猛為心極,清羸任體孱。金篦空刮眼,鏡象未離銓。

秋雨 06 

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩

卷二三○ -#12

文體:

五言古詩

杜詩詳注

19-41

§2-2 -#12

詩題:

秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九)

序文

【鄭審官祕書少監,時謫貶江陵,李之芳留吐蕃歸,拜禮部尚書,改太子賓客。】

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:

夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城

興慶宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:南

杜曲 (京畿道 京兆府 杜曲)

 

下牢鎮 (山南東道 峽州 下牢鎮)

 

崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)

 

青田 (劍南道北部 括州 青田)

 

商山 (山南東道 商州 商州) 別名:南山、地肺山、楚山、商顏

 

天祿閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:漢閣

 

夷陵 (山南東道 峽州 夷陵) 別名:東郡、彝陵

 

岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山

 

雲臺 (京畿道 京兆府 長安)

 

香爐峰 (江南西道 江州 廬山) 別名:鑪峰、爐峰

 

橘井 (江南西道 郴州 馬嶺山)

 

 

交遊人物:

鄭審

書信往來(江南西道 袁州 袁州)

李之芳

書信往來

 

 

 

103. 華牋 美しい詩箋 (詩を書き記す紙)。

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767年-141#6 秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九#6§3.-2注(1155)夔州詠物八首の絕塞烏蠻北 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9050

767-141#6 秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九#6§3.-2注(1155)

 

 

201794

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Ⅰ李白詩

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745年 n-34 大庭庫(巻二一(二)一二一三)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9048

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-130 先生-巻八-05秋雨聯句【案:韓愈、孟郊】-#8 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9042

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806年-集15- 韓昌黎集字解集城南聯句 【字解集】【上】

806年-集16- 韓昌黎集字解集城南聯句 【字解集】【下】

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

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767年-集-19 【字解集】 ・H提封 I鸚鵡 J孤雁 K鷗 L猿 M麂 N雞 O黃魚 P白小  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8998

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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花間集 訳注解説 (219)回目張泌 《張泌【字解集】 ―2 a. 臨江仙 b. 女冠子 c.河傳二首 D.酒泉子二首 E.子 F.思越人 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8882 

 

 

 

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767-141#6 秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九#6§3.-2注(1155)夔州詠物八首の塞烏蠻北  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9050

ところが就任時期が来たのに持病が相いも変わらずひどくて旅の空にあり、いつまでも浮き草のように流されている。

薬が効きもしないのにたくさん散らかっているが、秋風が吹いてくるころにはずいぶん体調もよくなった。

襟を開いて蒸し暑さを追い払い、空を見れば掃き清めたように雲がなくなっている。

宮島 001 

767-0141 -

  秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻

(卷一九(四)一六九九)§3-2 #6

杜詩詳注巻19-41

全唐詩卷二三○ -#6

767年大暦256  (141) -

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の杜詩ブログ9050

 

秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九)

§1-1 #1

塞烏蠻北,孤城白帝邊。飄零仍百里,消渴已三年。

雄劍鳴開匣,群書滿繫船。

§1-2 #2

亂離心不展,衰謝日蕭然。筋力妻孥問,菁華月遷。

登臨多物色,陶冶賴詩篇。』

§2-1 #3

峽束滄江起,巖排石樹圓。拂雲霾楚氣,朝海蹴天。

煮井為鹽速,燒畬度地偏。有時驚疊嶂,何處覓平川。

§2-2 #4

鸂鶒雙雙舞,獼猿壘壘懸。碧蘿長似帶,錦石小如錢。

春草何曾歇,寒花亦可憐。獵人吹戍火,野店引山泉。』

§3-1 #5

喚起搔頭急,扶行幾屐穿。兩京猶薄四海隨肩。

幕府初交辟,郎官幸備員。

§3-2 #6

瓜時猶旅寓,萍泛苦夤緣。藥餌虛狼藉,秋風灑靜便。

開襟驅瘴癘,明目掃雲煙。

§3-3 #7

高宴諸侯禮,佳人上客前。哀箏傷老大,華屋豔神仙。

開元曲,常時弟子傳。法歌聲變轉,滿座涕潺湲。』

§4-1 #8

弔影夔州僻,回腸杜曲煎。即今龍水,莫帶犬戎羶。

耿賈扶王室,蕭曹拱御筵。

§4-2 #9

乘威滅蜂蠆,戮力效鷹鸇。舊物森猶在,凶徒惡未悛。

國須行戰伐,人憶止戈鋋。

§4-3 #10

奴僕何知禮,恩榮錯與權。胡星一彗孛,黔首遂拘攣。

哀痛絲綸切,煩苛法令蠲。

§4-3 #11

業成陳始王,兆喜出於畋。宮禁經綸密,台階翊戴全。

熊羆載呂望,鴻雁美周宣。』

§5-1 #12

側聽中興主,長吟不世賢。音徽一柱數,道里下牢千。

鄭李光時論,文章並我先。陰何尚清省,沈宋欻聯翩。

§5-2 #13

律比崑崙竹,音知燥弦。風流俱善價,愜當久忘筌。

置驛常如此,登龍蓋有焉。雖云隔禮數,不敢墜周旋。

§5-3 #14

高視收人表,虛心味道玄。馬來皆汗血,鶴唳必青田。

羽翼商山起,蓬萊漢閣連。

§5-4 #15

管寧紗帽淨,江令錦袍鮮。東郡時題壁,南湖日扣舷。

遠遊凌境,佳句染華牋。

§6-1 #16

每欲孤飛去,徒為百慮牽。生涯已寥落,國步乃迍邅。

衾枕成蕪沒,池塘作棄捐。

§6-2 #17

別離憂怛怛,伏臘涕漣漣。露菊班豐鎬,秋蔬影澗瀍。

共誰論昔事,幾處有新阡。

§6-3 #18

富貴空迴首,喧爭懶著鞭。兵戈塵漠漠,江漢月娟娟。

局促看秋燕,蕭疏聽晚蟬。雕蟲蒙記憶,烹鯉問沈綿。』

§7-1 #19

卜羨君平杖,存子敬氈。囊虛把釵釧,米盡坼花鈿。

甘子陰涼葉,茅齋八九椽。

§7-2 #20

陣圖沙北岸,市瀼西羈絆心常折,棲遲病即痊。

紫收岷嶺芋,白種陸池蓮。

§7-3 #21

色好梨勝頰,穰多栗過拳。敕廚唯一味,求飽或三鱣。

兒去看魚苟,人來坐馬韉。

§7-4 #22

縛柴門窄窄,通竹溜涓涓。塹抵公畦稜,村依野廟壖。

缺籬將棘拒,倒石賴藤纏。』

§8-1 #23

借問頻朝謁,何如穩醉眠。誰云行不逮,自覺坐能堅。

霧雨銀章澀,馨香粉署妍。

§8-2 #24

紫鸞無近遠,黃雀任翩翾。困學違從眾,明公各勉旃。

聲華夾宸極,早晚到星躔。

§8-3 #25

懇諫留匡鼎,諸儒引服虔。不逢輸鯁直,會是正陶甄。

宵旰憂虞軫,黎元疾苦駢。雲臺終日畫,青簡為誰編。』

§9-1 #26

行路難何有,招尋興已專。由來具飛楫,暫擬控鳴弦。

身許雙峰寺,門求七祖禪。落帆追宿昔,衣褐向真詮。

§9-2 #27

安石名高晉,昭王客赴燕。途中非阮籍,上似張騫。

披拂雲寧在,淹留景不延。

§9-3 #28

風期終破浪,水怪莫飛涎。他日辭神女,傷春怯杜鵑。

淡交隨聚散,澤國繞迴旋。

§10-1 #29

本自依迦葉,何曾藉偓佺。爐峰生轉眄,橘井尚高褰。

東走窮歸鶴,南征盡跕鳶。晚聞多妙教,卒踐塞前愆。

§10-2 #30

顧愷丹青列,頭陀琬琰鐫。眾香深黯黯,幾地肅芊芊。

勇猛為心極,清羸任體孱。金篦空刮眼,鏡象未離銓。

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767年-(12)-#2杜少陵集 《雨》19-23 杜甫詩index-15-1169 <1619> 767年大暦2年56歲-(12)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7492

杜甫  雨#4

浮俗何萬端,幽人有獨步。龐公竟獨往,尚子終罕遇。

宿留洞庭秋,天寒瀟湘素。杖策可入舟,送此齒髮暮。

世間の俗人はどうしてあの様にさまざまの人生を進もうとするのだろうか。それとちがって幽人はひとり、高尚な人生、生き方をするものである。例えば、東漢の末の龐德公は三顧の礼で請われても城内に入らず結局、ひとりでそのゆくべき鹿門山へ往ってしまったし、後漢逸民傳にみえる、尚長は、五岳名山に遊び、誰とも会わず、竟に終る所を知るものはいなかった。だから自分はここを去って素晴らしい景色の洞庭湖の秋に、漢の武帝が宿し留まったいう故事のようにして、天空が寒く凍り付き、瀟湘の水の神二女が濁水を白水となるのをみとどけたいのである。だから、策をついてでも舟のなかへはいり、此処を立って洞庭湖の舟を泛べ、痩せて歯が白いのと髪の毛が白いこの晩年を仙人のように送るがよろしいと思っているのである。

杜少陵集19-23- #3・#4

  #3・#4

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7492 

杜甫詩index-15-

767年大暦256 20 #3・#4

1169 <1619

 

 
  2016年3月16日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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韓愈142-#8《 巻02-16送文暢師北遊 (昔在四門館,)-#8》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(14)8分割-#8<1703> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7491  
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  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(12)-#2杜少陵集 《雨》19-23 杜甫詩index-15-1169 <1619> 767年大暦2年56歲-(12)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7492  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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 杜甫詩1500-1169-1619/2500

 767年大暦256-(12)-#34 19-23 雨 (山雨不作埿,)

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二一 

文體:

五言古詩

杜少陵集 

19-23

 

 

詩題:

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

  卷221_46 《雨》杜甫 

  山雨不作泥,江雲薄為霧。晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。 

  明滅洲景微,隱見岩姿露。拘悶出門遊,曠經目趣。 

  消中日伏枕,臥久塵及屨。豈無平肩輿,莫辨望路。 

  兵戈浩未息,蛇虺反相顧。悠悠邊月破,鬱鬱流年度。 

  針灸阻朋曹,糠對童孺。一命須屈色,新知漸成故。 

  窮荒益自卑,飄泊欲誰訴。羸愁應接,俄頃恐違迕。 

  浮俗何萬端,幽人有獨步。龐公竟獨往,尚子終罕遇。 

  宿留洞庭秋,天寒瀟湘素。杖策可入舟,送此齒發暮。 

 

 

雨 #1

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

山雨不作埿,江雲薄為霧。

瀼西の山にふる雨は石地の土地のため泥とはならないし、長江の雲はうすく霧にそまる。

晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。

晴れ間には、嶺のなかごろに鶴が飛ぶ。風が吹くと沙はらの樹木ががさがさと騒ぎ乱れる。

明滅洲景微,隱見巖姿露。

中洲のあたりをてらす日光は明るくなったり消えたりし、巌石の姿は見えたり隠れたりする。

拘悶出門遊,曠經目趣。

こんなことで門外へ出てあそぶことが限られるので気が滅入ってしまう。こんなことで幾日もはればれとした眺望をしたことがない。 

(雨)#1

山雨埿を作さす、江雲薄く霧を為す。

晴には飛ぶ半嶺の鶴、風には亂る平沙の樹。

明滅洲景微なら、隠見巌姿露る。

拘せられて悶す出門の遊、曠なり曠目の趣

#2

消中日伏枕,臥久塵及屨。

自分は糖尿病など持病で日日枕に伏しており、それも、ながながしく臥せっているので履にも塵が厚く及んでいる。

豈無平肩輿,莫辨望路。

肩輿がないわけでもないが、それで、出かけてみても故郷への道路をながめても、歸る路がわきまることもできないのである。

兵戈浩未息,蛇虺反相顧。

久しく兵乱が終わらないので、家族の消息はとどかないけれど、そのかわりに、蛇やまむしがたずねできてくれる。

悠悠邊月破,鬱鬱流年度。 

いたずらに、長長とこの邊境の月の欠けてゆくのをみるばかりであって、思い沈んでさかんに多く流れる年がすぎ去ってゆく。

#2

消中 日びに枕に伏し,臥 久しくして 塵 屨に及ぶ。

豈に 平肩輿無らんや,辨ずる莫し 望路を。

兵戈 浩として 未だ息まず,蛇虺【だき】反って相い顧る。

悠悠 邊月破り,鬱鬱 流年度る。 

#3

針灸阻朋曹,糠對童孺。

針灸治療をしてもらいながらともだちとはへだたり、糠や麦くずをたべながら子供等とうちむかっている。

一命須屈色,新知漸成故。

天子の一命の郎官を辱くしながら他人にはこちらの顔色を屈しなければならす、新知己と一時は喜ばれてもやがて故いものとして棄てられる。

窮荒益自卑,飄泊欲誰訴。

辺鄙な荒れ果てた土地でますます自分を卑くしてゆかねはならないのである。この漂泊の生活に於いてだれに自分の心中を訴へるべきであろうか。

羸愁應接,俄頃恐違迕。

らだがよわくつかれているから人と応対するのはめんどうである。ちょっとした時にでも相手の心にさからいはせぬかと気遣われるのである。

#3

針灸に 朋曹阻る,糠 童孺に對す。

一命 須らく色を屈すべし,新知 漸く故と成る。

窮荒 益ます自ら卑くし,飄泊 誰にか訴えんと欲す。

羸【おうえい】應接を愁い,俄頃 違迕せんことを恐る

#4

浮俗何萬端,幽人有獨步。

世間の俗人はどうしてあの様にさまざまの人生を進もうとするのだろうか。それとちがって幽人はひとり、高尚な人生、生き方をするものである。

龐公竟獨往,尚子終罕遇。

例えば、東漢の末の龐德公は三顧の礼で請われても城内に入らず結局、ひとりでそのゆくべき鹿門山へ往ってしまったし、後漢逸民傳にみえる、尚長は、五岳名山に遊び、誰とも会わず、竟に終る所を知るものはいなかった。

宿留洞庭秋,天寒瀟湘素。

だから自分はここを去って素晴らしい景色の洞庭湖の秋に、漢の武帝が宿し留まったいう故事のようにして、天空が寒く凍り付き、瀟湘の水の神二女が濁水を白水となるのをみとどけたいのである。

杖策可入舟,送此齒髮暮。

だから、策をついてでも舟のなかへはいり、此処を立って洞庭湖の舟を泛べ、痩せて歯が白いのと髪の毛が白いこの晩年を仙人のように送るがよろしいと思っているのである。

#4

浮俗 何ぞ萬端なる,幽人 獨步有り。

龐公 竟に獨り往き,尚子 終に遇うを罕【まれ】にす。

宿留さん 洞庭の秋,天寒くして 瀟湘素し。

策を杖き 舟に入り,此の齒髮の暮れなんとするを送る可し。

 

『雨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

針灸阻朋曹,糠對童孺。

一命須屈色,新知漸成故。

窮荒益自卑,飄泊欲誰訴。

羸愁應接,俄頃恐違迕
#4

浮俗何萬端,幽人有獨步。

龐公竟獨往,尚子終罕遇。

宿留洞庭秋,天寒瀟湘素。

杖策可入舟,送此齒髮暮。

(下し文)
#3

針灸に 朋曹阻る,糠 童孺に對す。

一命 須らく色を屈すべし,新知 漸く故と成る。

窮荒 益ます自ら卑くし,飄泊 誰にか訴えんと欲す。

羸【おうえい】應接を愁い,俄頃 違迕せんことを恐る

#4

浮俗 何ぞ萬端なる,幽人 獨步有り。

龐公 竟に獨り往き,尚子 終に遇うを罕【まれ】にす。

宿留さん 洞庭の秋,天寒くして 瀟湘素し。

策を杖き 舟に入り,此の齒髮の暮れなんとするを送る可し。

(現代語訳)
#3

針灸治療をしてもらいながらともだちとはへだたり、糠や麦くずをたべながら子供等とうちむかっている。

天子の一命の郎官を辱くしながら他人にはこちらの顔色を屈しなければならす、新知己と一時は喜ばれてもやがて故いものとして棄てられる。

辺鄙な荒れ果てた土地でますます自分を卑くしてゆかねはならないのである。この漂泊の生活に於いてだれに自分の心中を訴へるべきであろうか。

らだがよわくつかれているから人と応対するのはめんどうである。ちょっとした時にでも相手の心にさからいはせぬかと気遣われるのである。

#4

世間の俗人はどうしてあの様にさまざまの人生を進もうとするのだろうか。それとちがって幽人はひとり、高尚な人生、生き方をするものである。

例えば、東漢の末の龐德公は三顧の礼で請われても城内に入らず結局、ひとりでそのゆくべき鹿門山へ往ってしまったし、後漢逸民傳にみえる、尚長は、五岳名山に遊び、誰とも会わず、竟に終る所を知るものはいなかった。

だから自分はここを去って素晴らしい景色の洞庭湖の秋に、漢の武帝が宿し留まったいう故事のようにして、天空が寒く凍り付き、瀟湘の水の神二女が濁水を白水となるのをみとどけたいのである。

だから、策をついてでも舟のなかへはいり、此処を立って洞庭湖の舟を泛べ、痩せて歯が白いのと髪の毛が白いこの晩年を仙人のように送るがよろしいと思っているのである。


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767年-(12)-#1杜少陵集 《雨  (山雨不作埿,)》19-23 杜甫詩index-15-1168 <1618> 767年大暦2年56歲-(12)-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7487

杜甫  雨 #1

山雨不作埿,江雲薄為霧。晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。

明滅洲景微,隱見巖姿露。拘悶出門遊,曠經目趣。

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

瀼西の山にふる雨は石地の土地のため泥とはならないし、長江の雲はうすく霧にそまる。晴れ間には、嶺のなかごろに鶴が飛ぶ。風が吹くと沙はらの樹木ががさがさと騒ぎ乱れる。中洲のあたりをてらす日光は明るくなったり消えたりし、巌石の姿は見えたり隠れたりする。こんなことで門外へ出てあそぶことが限られるので気が滅入ってしまう。こんなことで幾日もはればれとした眺望をしたことがない。 

杜少陵集19-23-#1

  #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7487

杜甫詩index-15-

767年大暦256 12  #1

1168 <1618

 

 
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杜甫詩1500-1168-1618/2500 767年大暦256-(12)-#1 19-23 雨 (山雨不作埿,)


作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二一 

文體:

五言古詩

杜少陵集 

19-23

 

 

詩題:

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

 

雨 #1

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

山雨不作埿,江雲薄為霧。

瀼西の山にふる雨は石地の土地のため泥とはならないし、長江の雲はうすく霧にそまる。

晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。

晴れ間には、嶺のなかごろに鶴が飛ぶ。風が吹くと沙はらの樹木ががさがさと騒ぎ乱れる。

明滅洲景微,隱見巖姿露。

中洲のあたりをてらす日光は明るくなったり消えたりし、巌石の姿は見えたり隠れたりする。

拘悶出門遊,曠經目趣。

こんなことで門外へ出てあそぶことが限られるので気が滅入ってしまう。こんなことで幾日もはればれとした眺望をしたことがない。 

(雨)#1

山雨埿を作さす、江雲薄く霧を為す。

晴には飛ぶ半嶺の鶴、風には亂る平沙の樹。

明滅洲景微なら、隠見巌姿露る。

拘せられて悶す出門の遊、曠なり曠目の趣。 

#2

消中日伏枕,臥久塵及屨。

自分は糖尿病など持病で日日枕に伏しており、それも、ながながしく臥せっているので履にも塵が厚く及んでいる。

豈無平肩輿,莫辨望路。

肩輿がないわけでもないが、それで、出かけてみても故郷への道路をながめても、歸る路がわきまることもできないのである。

兵戈浩未息,蛇虺反相顧。

久しく兵乱が終わらないので、家族の消息はとどかないけれど、そのかわりに、蛇やまむしがたずねできてくれる。

悠悠邊月破,鬱鬱流年度。 

いたずらに、長長とこの邊境の月の欠けてゆくのをみるばかりであって、思い沈んでさかんに多く流れる年がすぎ去ってゆく。

#2

消中 日びに枕に伏し,臥 久しくして 塵 屨に及ぶ。

豈に 平肩輿無らんや,辨ずる莫し 望路を。

兵戈 浩として 未だ息まず,蛇虺【だき】反って相い顧る。

悠悠 邊月破り,鬱鬱 流年度る。 

#3

針灸阻朋曹,糠對童孺。

一命須屈色,新知漸成故。

窮荒益自卑,飄泊欲誰訴。

羸愁應接,俄頃恐違迕。

#4

浮俗何萬端,幽人有獨步。

龐公竟獨往,尚子終罕遇。

宿留洞庭秋,天寒瀟湘素。

杖策可入舟,送此齒髮暮。

 

長江三峡 

『雨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

雨 #1

山雨不作埿,江雲薄為霧。

晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。

明滅洲景微,隱見巖姿露。

拘悶出門遊,曠經目趣

2

消中日伏枕,臥久塵及屨。

豈無平肩輿,莫辨望路。

兵戈浩未息,蛇虺反相顧。

悠悠邊月破,鬱鬱流年度。
 

(下し文)
(雨)#1

山雨埿を作さす、江雲薄く霧を為す。

晴には飛ぶ半嶺の鶴、風には亂る平沙の樹。

明滅洲景微なら、隠見巌姿露る。

拘せられて悶す出門の遊、曠なり曠目の趣。 
#2

消中 日びに枕に伏し,臥 久しくして 塵 屨に及ぶ。

豈に 平肩輿無らんや,辨ずる莫し 望路を。

兵戈 浩として 未だ息まず,蛇虺【だき】反って相い顧る。

悠悠 邊月破り,鬱鬱 流年度る。 


(現代語訳)
(雨)#1(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

瀼西の山にふる雨は石地の土地のため泥とはならないし、長江の雲はうすく霧にそまる。

晴れ間には、嶺のなかごろに鶴が飛ぶ。風が吹くと沙はらの樹木ががさがさと騒ぎ乱れる。

中洲のあたりをてらす日光は明るくなったり消えたりし、巌石の姿は見えたり隠れたりする。

こんなことで門外へ出てあそぶことが限られるので気が滅入ってしまう。こんなことで幾日もはればれとした眺望をしたことがない。 

#2

自分は糖尿病など持病で日日枕に伏しており、それも、ながながしく臥せっているので履にも塵が厚く及んでいる。

肩輿がないわけでもないが、それで、出かけてみても故郷への道路をながめても、歸る路がわきまることもできないのである。

久しく兵乱が終わらないので、家族の消息はとどかないけれど、そのかわりに、蛇やまむしがたずねできてくれる。

いたずらに、長長とこの邊境の月の欠けてゆくのをみるばかりであって、思い沈んでさかんに多く流れる年がすぎ去ってゆく。

紅梅201
(訳注)

 #1

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

雨のときの感をのべたる詩。峡を出でて荊州・瀟湘の地に入らんと欲する意をいったもの。大暦二年秋の作。この年、吐蕃が冦し、邠州、靈州、京師は戒嚴する。これによって、云兵戈が浩して未だ息むことがない。

 

山雨不作埿,江雲薄為霧。

瀼西の山にふる雨は石地の土地のため泥とはならないし、長江の雲はうすく霧にそまる。

2 不作埿 石地の土地であること。

 

晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。

晴れ間には、嶺のなかごろに鶴が飛ぶ。風が吹くと沙はらの樹木ががさがさと騒ぎ乱れる。

半嶺 嶺の中腹をさす。

唐、太宗《秋日,二首之一》

菊散金風起, 荷疏玉露圓。 將秋數行雁, 離夏幾林蟬。

雲凝愁半嶺, 霞碎纈高天。 還似成都望, 直見峨眉前。

菊は散る 金風起きる, 荷は疏る 玉露の圓。 將に秋 數ば行雁し, 離夏 幾ぞ林蟬。

雲は凝す 半嶺を愁い, 霞は碎る 高天に纈す。 還た似る 成都の望, 直に見る 峨眉の前。

 

明滅洲景微,隱見巖姿露。

中洲のあたりをてらす日光は明るくなったり消えたりし、巌石の姿は見えたり隠れたりする。

3 洲景微 景は日光。中洲のあたりをてらす日光。

 

拘悶出門遊,曠經目趣。

こんなことで門外へ出てあそぶことが限られるので気が滅入ってしまう。こんなことで幾日もはればれとした眺望をしたことがない。 

4 拘悶出門遊 遊びを拘せらるるにより悶えるをいうのであろう。

5 曠 ひさしく絶つ。

6 經目趣 目を經る趣とは、晴れた景色を眺望するさま。

 

 

#2

消中日伏枕,臥久塵及屨。

自分は糖尿病など持病で日日枕に伏しており、それも、ながながしく臥せっているので履にも塵が厚く及んでいる。

7 消中 消渴病。糖尿病の三徴とは多尿、多飲、口渇の症状があった。この時期の詩から、これに、喘息、リュウマチの症状がうかがえる。

 

豈無平肩輿,莫辨望路。

肩輿がないわけでもないが、それで、出かけてみても故郷への道路をながめても、歸る路がわきまることもできないのである。

8 平肩輿 肩で担ぐみこし。杜甫《》「我有平肩輿,前途猶準的。」(我に平肩の輿有り,前途 猶お 准的なり。)役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

767年-5-#6杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-5-#6 <1068 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7020

9 辨 辯/瓣 [訓]わきまえる① 是非・善悪を区別する。わきまえる。② けじめをつけて処理する。 弁当。④ 理屈

 

兵戈浩未息,蛇虺反相顧。

久しく兵乱が終わらないので、家族の消息はとどかないけれど、そのかわりに、蛇やまむしがたずねできてくれる。

10 浩 はるかに、久しく。

11 蛇虺 蛇、虺もへび、まむしの類。

 

悠悠邊月破,鬱鬱流年度。

いたずらに、長長とこの邊境の月の欠けてゆくのをみるばかりであって、思い沈んでさかんに多く流れる年がすぎ去ってゆく。

12 邊月破 邊月とは邊境の月、夔州の、この地の月をいう。破とは満月の後にかけてゆくことをいう。時が過ぎてゆく場合の表現、葉が落ちる、などと同じ。蔡琰 胡笳 夜夜吹邊月三沈。漢魏・蔡琰(蔡文姫)の『胡笳十八拍』(の十拍)

城頭烽火不曾滅,疆場征戰何時歇。

殺氣朝朝衝塞門,胡風夜夜吹邊月。

故鄕隔兮音塵絶,哭無聲兮氣將咽。

一生辛苦兮縁別離,十拍悲深兮涙成血。

城頭の烽火 曾て滅えず,疆場の征戰 何れの時にか 歇まん。

殺氣は朝朝 塞門を衝き,胡風は夜夜 邊月に吹く。

故鄕隔てて 音塵絶え,哭けど聲無く 氣將に咽んとす。

一生の辛苦は 別離に縁り,十拍 悲しみ 深くして涙は血と 成る。

城頭の烽火は、消えたことがなく。辺疆での征戦は、いつやむのだろうか。

殺気は、朝ごとに要塞の門を衝き。胡地を吹き渡る風は夜毎に辺疆の月影に吹き。

故郷とは隔たってしまい、世間との交際は絶えてしまった。声に出して泣こうにも、声は出なく、息もつかえようとする。

一生の苦労は別離に起因する。十拍、悲しみが深いあまり、涙が血になってしまった。

13 鬱鬱 1 心の中に不安や心配があって思い沈むさま。「―として日を過ごす」2 草木がよく茂っているさま。さかんなる貌。

14 流年度 流れゆく年月が経過する。

 

 

  

鶴注此當是大厯二年作時 欲下峽入湘也年吐蕃冦邠靈州京師戒嚴故云兵戈浩未息

山雨不作泥、一作/江雲薄為霧。晴飛半嶺鶴、風亂平沙樹。

明滅洲景微、隱見/巖姿露。拘悶出門遊、曠絶經目趣。

首從雨景發端言三四承雨五六承霧本以拘悶而/看雨。故下文皆 悶意 禽經云鶴愛陽而惡隂因晴暫飛見雨中止故飛在半/ 唐太宗詩雲凝愁半嶺

消中日伏枕、卧塵及屨。叶去/豈無平肩輿、莫辯望路。

一作/戈浩未息蛇虺反相顧。悠悠邊月破、鬱鬱流年度。

此旅人流落而悶也/ 既不可見而且阻兵戈近侵蛇孽則託處荒山亦空伴月耳詩/趙曰王子猷聞顧辟疆有名園乗平肩輿而徑入維虺維蛇月 蔡琰 胡笳 夜夜吹邊月三 沈佺期詩/頻破月破月殘也公詩二月巳破 月來 王筠詩握髓駐/流年

針灸/阻朋曹糠、胡骨切/一作覈對童孺。一命須屈色、新知漸成故。

窮荒益自卑。飄泊欲誰訴、尫羸愁應接、俄頃恐違一作/迕。

此人情浮薄而悶也知對一命而屈/色則自卑不可為新 久而厭故則有懷將誰訴况疎於應接又易遭違忤所以阻朋曹而/對童孺也 杜臆一命指他人舊云公受郎官之命非是也漢書陳平傳亦食糠覈耳孟康曰覈麥糠中未破/ 晉灼曰覈音紇京師人謂粗屑為紇頭 窮荒猶云絶塞規曹植白鶴/賦傷本 之違忤

浮俗何萬端、幽人有高一作/歩。公竟獨徃、尚子終罕遇。

宿先就/力就/洞庭、秋天寒瀟湘。素杖策可入舟送此齒髮暮

末欲出峽以豁拘悶也/ 澆俗難與處唯追步幽人彼洞庭瀟湘之問扁舟送老是所願也明年/公果下峽而去 此章四段各八句 阮瑀書情巧萬端細左思詩高步追許由逸淮南子江海之士山谷之/ 萬物而獨徃 後漢 民傳尚長字子平隱居不仕敕斷家事與禽慶俱遊五嶽名山竟不知所終秋漢/郊祀志宿留海上注宿留謂有所須待也 洞庭 瀟湘素此拆用素秋二字言左思詩杖策/招隱士説文杖持也方 木細枝曰策

767年-24 #5杜少陵集 《19-38 狄明府〔寄狄明府博濟〕#5》 杜甫詩index-15-1154 <1604> 767年大暦2年56歲-24 #5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7417 

杜甫詩1500-1154-1604/2500狄明府【寄狄明府博濟】#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。蛟之橫,出清泚。早歸來,黃土泥衣眼易眯。

それなのに、あなたはなんで岷漢の間に点々と彷徨うて(杜甫は、1年半の間、蜀中輾転)地方の長官などの門を歴訪して面会をしてたのみごとなどしておられるのであるか。そればかりではない、ここは山が高くて水には波があり、秋風はさびしく吹いて露はしとどにおくとこるである。そして、虎の腹をへらしたやつは高い巌から下りてくる。そして、蚊は、ほんとうにきままなやつであり、それは清らかな水から出てくるというところなのである。だから、こんなところに居るのは無用のことである、早くかえりなんいざ、黄いろい塵土は衣をきたなくするし、眼はごみにはいりこまれてまどわされやすいものである。

杜少陵集19-38-#5

狄 明 府  #5(5分割)

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杜甫詩index-15-

767年大暦256 24 #5

11541604

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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年:767年大暦256-24 #4     

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    狄明府【案:博濟。】【寄狄明府】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:房陵 (山南東道 房州 房陵)              

交遊人物/地點:   狄博濟    書信往來

詩文:

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

#2

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

在汝更用文章為,長兄白眉復天

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

汝門請從曾翁太后當朝多巧詆。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

#3

狄公執政在末年,濁河終不清濟。

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

これで太宗の建てられた社稜は一朝にして正しくなり、漢官の威儀は汚れをきよめられてふたたび光明をはなつようになった。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

時世が危くなってはじめて不世出の人才というものが出てくるもので、梁公の如きはそれで、梁公は「如何なる艱苦をも甘し」とされたのである。《詩経》に「だれが苦菜を苦いというぞ、苦菜は甘くて薺のようだ」というてあるが梁公の気持はそんなものであったのだ。

汝曹又宜列土食,身使門多旌棨。

かかる梁公の子孫であってみれば、あなたがたは鼎をつらねて御馳走をたべ、自身にはおのが門戸に旌棨をたくさんならべて建てるほどのいい地位にのぼるが至当なのである。

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

それなのに、あなたはなんで岷漢の間に点々と彷徨うて(杜甫は、1年半の間、蜀中輾転)地方の長官などの門を歴訪して面会をしてたのみごとなどしておられるのであるか。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

そればかりではない、ここは山が高くて水には波があり、秋風はさびしく吹いて露はしとどにおくとこるである。
虎之飢,下巉巖。

そして、虎の腹をへらしたやつは高い巌から下りてくる。
蛟之橫,出清泚。

そして、蚊は、ほんとうにきままなやつであり、それは清らかな水から出てくるというところなのである。

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

だから、こんなところに居るのは無用のことである、早くかえりなんいざ、黄いろい塵土は衣をきたなくするし、眼はごみにはいりこまれてまどわされやすいものである。

(狄明府)【狄明府博濟に寄す】

染公の曾孫我が姨弟、十年にして官濟濟たるを見ず。

大賢の後竟に陵遅す、浩蕩古今同じく一體なり。

此ごろ看る 伯叔四十人、才有り命無し 百寮の底。

#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮をる。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁よりかむ、太后 朝に當るとき巧詆多し。

#3

狄公 政をる末年に在り,濁河 終に清濟をさず

國嗣の初將 諸武に付し,公 獨り廷諍して丹陛を守る。

禁中 冊を決して房陵を請う,前朝の長老 皆 流涕す。

#4

太宗の社稷 一朝に正し,漢官の威儀 重ねて昭洗す。

時危くして始めて識る不世の才,誰か荼を苦しと謂う甘きこと薺の如し。

汝が曹 又た 宜しく土を列して食し,身 門をして旌棨多からしむべし。

#5

胡為れぞ岷漢の間に漂泊して,王侯に干謁して頗る歷抵するや。

況んや乃ち山高くして水に波有り,秋風 蕭蕭として 露 泥泥たり。

虎の飢うる,巉巖より下る。

蛟の橫【ほしいまま】なる,清泚より出づるをや。

早く歸り來れ,黃土衣を泥し 眼 眯【まよ】わされ易し。

 

 長江三峡

『狄明府』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。

蛟之橫,出清泚。

早歸來,黃土泥衣眼易

(下し文)
#5

胡為れぞ岷漢の間に漂泊して,王侯に干謁して頗る歷抵するや。

況んや乃ち山高くして水に波有り,秋風 蕭蕭として 露 泥泥たり。

虎の飢うる,巉巖より下る。

蛟の橫【ほしいまま】なる,清泚より出づるをや。

早く歸り來れ,黃土衣を泥し 眼 【まよ】わされ易し

(現代語訳)
#5

それなのに、あなたはなんで岷漢の間に点々と彷徨うて(杜甫は、1年半の間、蜀中輾転)地方の長官などの門を歴訪して面会をしてたのみごとなどしておられるのであるか。

そればかりではない、ここは山が高くて水には波があり、秋風はさびしく吹いて露はしとどにおくとこるである。

そして、虎の腹をへらしたやつは高い巌から下りてくる。

そして、蚊は、ほんとうにきままなやつであり、それは清らかな水から出てくるというところなのである。

だから、こんなところに居るのは無用のことである、早くかえりなんいざ、黄いろい塵土は衣をきたなくするし、眼はごみにはいりこまれてまどわされやすいものである。


(訳注) #5

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)767大暦二年夔州での作。

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

 

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

それなのに、あなたはなんで岷漢の間に点々と彷徨うて(杜甫は、1年半の間、蜀中輾転)地方の長官などの門を歴訪して面会をしてたのみごとなどしておられるのであるか。

46 岷漢 岷山・長江、漢水の水、蜀地にある。岷山山脈を水源とする流域。中国,四川省北部,甘粛との省境にあり,北西から南東にのびる山脈。〈びんざん〉とも読む。西は黄河をはさんでアニエマチェン(アムネマチン)山脈に連なり,東は嘉陵江をはさんで米倉山と接する。

47 千謁 求める所あって謁する。

48 侯王 地方の長官などをいう。

49 歴抵 抵の字はもと誌に作る。銭氏は抵に改める、諸本はこれによる。抵の字が正しい。歴抵とは二その門に至って謁することをいう。

 

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

そればかりではない、ここは山が高くて水には波があり、秋風はさびしく吹いて露はしとどにおくとこるである。

50 泥泥 蕗の濡うさま。

 

虎之飢,下巉巖。

そして、虎の腹をへらしたやつは高い巌から下りてくる。

51 巉巖 たかいいわお。

 

蛟之橫,出清泚。

そして、蚊は、ほんとうにきままなやつであり、それは清らかな水から出てくるというところなのである。

52 清批 池は水の清らかなこと。

 

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

だから、こんなところに居るのは無用のことである、早くかえりなんいざ、黄いろい塵土は衣をきたなくするし、眼はごみにはいりこまれてまどわされやすいものである。

53 歸來 《楚辭.宋玉.招魂》「魂兮歸來,南方不可以止些。」(魂よ歸り來れ,南方は不可以て止まるべからず。)陶潜「歸去來辭」

 

夔州三峡 


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767年-24 #4杜少陵集 《19-38 狄明府〔寄狄明府博濟〕#4》 杜甫詩index-15-1153 <1603> 767年大暦2年56歲-24 #4漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7412

杜甫詩1500-1153-1603/2500 狄明府【寄狄明府博濟】#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

汝曹又宜列土食,身使門多旌棨
これで太宗の建てられた社稜は一朝にして正しくなり、漢官の威儀は汚れをきよめられてふたたび光明をはなつようになった。時世が危くなってはじめて不世出の人才というものが出てくるもので、梁公の如きはそれで、梁公は「如何なる艱苦をも甘し」とされたのである。《詩経》に「だれが苦菜を苦いというぞ、苦菜は甘くて薺のようだ」というてあるが梁公の気持はそんなものであったのだ。かかる梁公の子孫であってみれば、あなたがたは鼎をつらねて御馳走をたべ、自身にはおのが門戸に旌棨をたくさんならべて建てるほどのいい地位にのぼるが至当なのである。

杜少陵集19-38-#4

狄 明 府  #4(5分割)

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杜甫詩index-15-

767年大暦256 24 #4

11531603

 

 

 
  2016年2月29日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(90)李太白集930巻二十四41長門怨二首 其一  409Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(90) Ⅰ李白詩1774 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7410  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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韓愈138 #2《 巻01-22秋懷詩,十一首之九 #2》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(10)#2<1687> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7411  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-24 #4杜少陵集 《19-38 狄明府〔寄狄明府博濟〕#4》 杜甫詩index-15-1153 <1603> 767年大暦2年56歲-24 #4漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7412  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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年:767年大暦256-24 #4     

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    狄明府【案:博濟。】【寄狄明府】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:房陵 (山南東道 房州 房陵)              

交遊人物/地點:   狄博濟    書信往來

詩文:

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

#2

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

在汝更用文章為,長兄白眉復天

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

汝門請從曾翁太后當朝多巧詆。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

#3

狄公執政在末年,濁河終不清濟。

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

これで太宗の建てられた社稜は一朝にして正しくなり、漢官の威儀は汚れをきよめられてふたたび光明をはなつようになった。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

時世が危くなってはじめて不世出の人才というものが出てくるもので、梁公の如きはそれで、梁公は「如何なる艱苦をも甘し」とされたのである。《詩経》に「だれが苦菜を苦いというぞ、苦菜は甘くて薺のようだ」というてあるが梁公の気持はそんなものであったのだ。

汝曹又宜列土食,身使門多旌棨。

かかる梁公の子孫であってみれば、あなたがたは鼎をつらねて御馳走をたべ、自身にはおのが門戸に旌棨をたくさんならべて建てるほどのいい地位にのぼるが至当なのである。

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。

蛟之橫,出清泚。

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

(狄明府)【狄明府博濟に寄す】

染公の曾孫我が姨弟、十年にして官濟濟たるを見ず。

大賢の後竟に陵遅す、浩蕩古今同じく一體なり。

此ごろ看る 伯叔四十人、才有り命無し 百寮の底。

#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮をる。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁よりかむ、太后 朝に當るとき巧詆多し。

#3

狄公 政をる末年に在り,濁河 終に清濟をさず

國嗣の初將 諸武に付し,公 獨り廷諍して丹陛を守る。

禁中 冊を決して房陵を請う,前朝の長老 皆 流涕す。

#4

太宗の社稷 一朝に正し,漢官の威儀 重ねて昭洗す。

時危くして始めて識る不世の才,誰か荼を苦しと謂う甘きこと薺の如し。

汝が曹 又た 宜しく土を列して食し,身 門をして旌棨多からしむべし。

#5

胡為れぞ岷漢の間に漂泊して,王侯に干謁して頗る歷抵するや。

況んや乃ち山高くして水に波有り,秋風 蕭蕭として 露 泥泥たり。

虎の飢うる,巉巖より下る。

蛟の橫【ほしいまま】なる,清泚より出づるをや。

早く歸り來れ,黃土衣を泥し 眼 眯【まよ】わされ易し。

 

京兆地域図002 

『狄明府』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

汝曹又宜列土食,身使門多旌棨

(下し文)
#4

太宗の社稷 一朝に正し,漢官の威儀 重ねて昭洗す。

時危くして始めて識る不世の才,誰か荼を苦しと謂う甘きこと薺の如し。

汝が曹 又た 宜しく土を列して食し,身 門をして旌棨多からしむべし

(現代語訳)
#4

これで太宗の建てられた社稜は一朝にして正しくなり、漢官の威儀は汚れをきよめられてふたたび光明をはなつようになった。

時世が危くなってはじめて不世出の人才というものが出てくるもので、梁公の如きはそれで、梁公は「如何なる艱苦をも甘し」とされたのである。《詩経》に「だれが苦菜を苦いというぞ、苦菜は甘くて薺のようだ」というてあるが梁公の気持はそんなものであったのだ。

かかる梁公の子孫であってみれば、あなたがたは鼎をつらねて御馳走をたべ、自身にはおのが門戸に旌棨をたくさんならべて建てるほどのいい地位にのぼるが至当なのである。


(訳注) #4

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)767大暦二年夔州での作。

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

 

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

これで太宗の建てられた社稜は一朝にして正しくなり、漢官の威儀は汚れをきよめられてふたたび光明をはなつようになった。

38 太宗 唐朝の第2代皇帝。高祖李淵の次男で、隋末の混乱期に父の李淵を補佐して主に軍を率いて各地を転戦、群雄を滅ぼし、後に玄武門の変にて兄の李建成を殺害し皇帝に即位した。貞観の治と言う、唐王朝の基礎を固める善政を行い、中国史上最高の名君の一人と称えられる。

39 社稷 古代の天子・諸侯が土地の神である「社」や五穀の神である「稷」を祭ったことから,後には「社稷」が「国家」を表わすようになった.

40 漢官 漢は借りて唐をいう。

41 威儀 1 いかめしく重々しい動作。立ち居振る舞いに威厳を示す作法。2 仏語。㋐規律にかなった起居動作。また、その作法・規律。㋑袈裟 (けさ) につけた平ぐけのひも。袈裟をまとうとき肩にかける。

42 昭洗 席昭の倒用、けがれをあらいさり光明を復することをいう。

 

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

時世が危くなってはじめて不世出の人才というものが出てくるもので、梁公の如きはそれで、梁公は「如何なる艱苦をも甘し」とされたのである。《詩経》に「だれが苦菜を苦いというぞ、苦菜は甘くて薺のようだ」というてあるが梁公の気持はそんなものであったのだ。

43 不世才 不世出の才、三十年ごとぐらいにきっと出るとはきまらぬほどの人才。

誰謂荼苦甘如薺 《詩経、邶風、(谷風)》「誰謂荼苦、其甘如薺。」(誰れか謂う荼【と】は苦しと、其の甘きこと薺【なずな】の如し。)人々は荼をとても苦いものだと言っているが、荼の苦味などは人生全体の苦味と比べれば、薺のように甘いものである。

『荼』とはニガナ(苦い菜っ葉)の事、『薺』とはアマナ(甘い菜っ葉)の事を意味している。この部分は食べ物である荼の苦さ・まずさを大げさに言う人は多いが、実際にはそんな荼(ニガナ)などよりも、人生や世間のほうがもっと何倍も苦くて大変だということ。梁公が艱難辛苦をいとわないことをいう。

 

汝曹又宜列土食,身使門多旌棨。

かかる梁公の子孫であってみれば、あなたがたは鼎をつらねて御馳走をたべ、自身にはおのが門戸に旌棨をたくさんならべて建てるほどのいい地位にのぼるが至当なのである。

列土食/列鼎食 鼎を多くならべて煮炊きして食べるとは美食することをいう。

旌棨 旌ははた、何かをそれによって表草する。棨は赤黒の繒をつけた棨戟をいう。三品以上の官は門に棨戟を列する。

長安城図 作図00 

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】【宇解】

 

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

2 梁公 狄仁傑なり。武后の朝に天下を保持した功あり。仁傑は聖暦三年に卒し、中宗位に即位するや司空を贈り、宗之を梁國公に封ず。因って梁公という。

3 曾孫 ひまご。

4 姨弟 母の姉妹の子をいう、作者よりいへば母方のいとこである。

5 十年 乾元元年より大暦二年までにて十年なり。【六】 済済

6 濟濟 高官の威儀多き貌をいう。《詩經: 大雅: 文王之什》「濟濟多士、文王以寧。」(濟濟たる多士、文王 以て寧し。)立派な群臣が盛んに多くあったので、文王はこれら多くの賢士を善く用い、これらの賢士の輔翼によって、文王は安らかに国を治められたのである。

7 大賢 梁公をさす。

8 之後 この血筋の子孫。

9 陵遲 次第に低くなってゆく陵線。血筋が衰退していることを言う。

10 浩蕩 大いなる貌、時間の長さを言う。

11 同一體 いつもかはらぬすがた

12 叔伯 伯叔父の列にあたるもの。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

13 兄弟一百人 伯叔父の列にあたるものの兄弟を入れて百人いる。百人は詩的表現。

14 秉周禮 周の禮にのっとり守られる施政を行うこと。左傳「魯猶秉周禮,未可動也。」(魯猶お周禮を秉り,未だ動かる可からずなり。魯国では周の禮にのっとり守られる施政を行い、これを移動したりすることはない。

15 汝 書簡の相手、狄博濟のこと。

16 更用文章為 文章をよくもちいる人である。よく文章を働かす人であること。

17 長兄 名前は不詳である狄博濟の長兄。

18 白眉 優れたものを言う。蜀の馬良で、字を季常は兄弟五人(皆“常”の名がつく)、皆、才人であり、そろって、眉が白かったことで、諺に謂う、馬氏の五常は「白眉最良」と。

19 天 天之をひらく、天賦に基づくことを言う。

 

20 汝門 汝の家門のこと。

21 曾翁 狄博濟の曽祖父である梁公(狄仁傑)のこと。

22 太后當朝 則天太后が朝政にあたるもので、唐の國号を周に改めたことを言う。

23 多巧詆 多くの功績を残したもののよそから非難するものが多かつたという意。杜甫は太宗の施政を継承した則天武后を一定の評価をしていたということ。

24 則天武后の時期 武皇后は自身に対する有力貴族の積極的支持が無いと自覚していたため、自身の権力を支える人材を非貴族層から積極的に登用した。この時期に登用された人材としては狄仁傑・姚崇・宋璟などがいる。これらは低い身分の出身であり、貴族制下では宮廷内での出世が見込めない人物だった。武皇后は人材の採用に当たっては、身分のみならず才能と武皇后への忠誠心を重視した。姚崇と宋璟は後に玄宗の下で朝政を行い、開元の治を導いた。

出自を問わない才能を発掘する一方で、武皇后は娘の太平公主薛懐義張易之昌宗兄弟といった自身の寵臣、武三思武承嗣ら親族の武氏一族を重用し、専横を招いた。また佞臣許敬宗などを任用し、密告政治により反対者を排除、来俊臣索元礼周興ら「酷吏」が反対派を監視する恐怖政治を行った。この状況に高宗は武皇后の廃后を計画するが、武皇后は計画を事前に察知し皇帝の権力奪還を許さなかった。

25 則天武后の功績 長年の課題であった高句麗を滅ぼし唐の安定化に寄与した事実は見逃せない功績である。また、彼女が権力を握っている間には農民反乱は一度も起きておらず、民衆の生活は安定していたとされる。加えて、彼女の人材登用能力が後の歴史家も認めざるをえないほどに優れていたことは事実であり、彼女の登用した人材が玄宗時代の開元の治を導いたことも特筆に値する。

26 狄公 狄人傑

27 末年 則天武后の末年期。

28 濁河・清濟 濁れる黄河、清める濟水、濟水は山東兗州にながれる。

29 國嗣 唐國を嗣いだ周をいう。

30 初將 その周の最初の将軍。 

31 諸武 則武天の一族一門のものをいう。

32 公 梁公。

33 廷諍 朝廷で諌諍することをいう。武則天の治世において最も重要な役割を果たしたのが、高宗の時代から彼女が実力を見い出し重用していた稀代の名臣、狄仁傑である。武則天は狄仁傑を宰相として用い、その的確な諫言を聞き入れ、国内外において発生する難題の処理に当たり、成功を治めた[13]。また、治世後半期には姚崇・宋璟などの実力を見抜いてこれを要職に抜擢した。後にこの二名は玄宗の時代の開元の治を支える名臣と称される人物である。武則天の治世の後半は狄仁傑らの推挙により数多の有能な官吏を登用したこともあり、宗室の混乱とは裏腹に政権の基盤は盤石なものとなっていった。

34 丹陛 あかぬりのご殿に通じる階(なかの台のきざはし)。殿前の庭は丹庭があり、丹陛(階段)となっており、丹陛(階段)には龍彫の装飾がある。

《巻八26兩當縣十侍禦江上宅》「餘時忝諍臣,丹陛實咫尺。」(余 時に諍臣を忝うす、丹陛 実に咫尺。)自分はその時、左拾遺の官をかたじけなくしていたわけで、天子の丹陛の間近にお仕えしていたのである。

兩當縣十侍禦江上宅 杜甫 <320-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1508 杜甫詩 700- 467

35 禁中 朝廷のうち。

36 決冊/決策 はかりごとをきめる。

37 請房陵 房陵は中宗をいう。武后は唐を革めて周となし、中宗を廃して盧陵王となして房州に遷し、武三思(后の姪)を太子となそうと欲した。狄仁傑はしばしば諌めていうのに、子母と姑姪とどちらが親しい関係にあるか、もし三思を立てるならば廟には姑を祔(木主を合祭すること)するわけにはゆかぬと。武后は悔悟して即日中宗を迎えて宮中に還らせたという。

767年-24 #3杜少陵集 《19-38 狄明府〔寄狄明府博濟〕#3》 杜甫詩index-15-1152 <1602> 767年大暦2年56歲-24 #3漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7407

杜甫詩1500-1152-1602/2500  狄明府【寄狄明府博濟】##3

狄公執政在末年,濁河終不清濟。國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

杜少陵集19-38-#3

狄 明 府  #3(5分割)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7407

杜甫詩index-15-

767年大暦256  24  #3

1152 <1602

 

 
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:767年大暦256-24 #1     

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    狄明府【案:博濟。】【寄狄明府】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:房陵 (山南東道 房州 房陵)              

交遊人物/地點:   狄博濟    書信往來

詩文:

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

#2

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

在汝更用文章為,長兄白眉復天

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

汝門請從曾翁太后當朝多巧詆。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

#3

狄公執政在末年,濁河終不清濟。

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

汝曹又宜列土食,身使門多旌棨。

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。蛟之橫,出清泚。

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

(狄明府)【狄明府博濟に寄す】

染公の曾孫我が姨弟、十年にして官濟濟たるを見ず。

大賢の後竟に陵遅す、浩蕩古今同じく一體なり。

此ごろ看る 伯叔四十人、才有り命無し 百寮の底。

#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮をる。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁よりかむ、太后 朝に當るとき巧詆多し。

#3

狄公 政をる末年に在り,濁河 終に清濟をさず

國嗣の初將 諸武に付し,公 獨り廷諍して丹陛を守る。

禁中 冊を決して房陵を請う,前朝の長老 皆 流涕す。

#4

太宗の社稷 一朝に正し,漢官の威儀 重ねて昭洗す。

時危くして始めて識る不世の才,誰か荼を苦しと謂う甘きこと薺の如し。

汝が曹 又た 宜しく土を列して食し,身 門をして旌棨多からしむべし。

 

8世紀唐と周辺国00 

『狄明府』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

狄公執政在末年,濁河終不清濟。

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

(下し文)
#3

狄公 政をる末年に在り,濁河 終に清濟をさず。

國嗣の初將 諸武に付し,公 獨り廷諍して丹陛を守る。

禁中 冊を決して房陵を請う,前朝の長老 皆 流涕す。

(現代語訳)
#3

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)

当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。

それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

隋末群雄割拠図00
(訳注) #3

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)767大暦二年夔州での作。

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

24 則天武后の時期 武皇后は自身に対する有力貴族の積極的支持が無いと自覚していたため、自身の権力を支える人材を非貴族層から積極的に登用した。この時期に登用された人材としては狄仁傑・姚崇・宋璟などがいる。これらは低い身分の出身であり、貴族制下では宮廷内での出世が見込めない人物だった。武皇后は人材の採用に当たっては、身分のみならず才能と武皇后への忠誠心を重視した。姚崇と宋璟は後に玄宗の下で朝政を行い、開元の治を導いた。

出自を問わない才能を発掘する一方で、武皇后は娘の太平公主薛懐義張易之昌宗兄弟といった自身の寵臣、三思武承嗣ら親族の武氏一族を重用し、専横を招いた。また佞臣許敬宗などを任用し、密告政治により反対者を排除、来俊臣索元礼周興ら「酷吏」が反対派を監視する恐怖政治を行った。この状況に高宗は武皇后の廃后を計画するが、武皇后は計画を事前に察知し皇帝の権力奪還を許さなかった。

25 則天武后の功績 長年の課題であった高句麗を滅ぼし唐の安定化に寄与した事実は見逃せない功績である。また、彼女が権力を握っている間には農民反乱は一度も起きておらず、民衆の生活は安定していたとされる。加えて、彼女の人材登用能力が後の歴史家も認めざるをえないほどに優れていたことは事実であり、彼女の登用した人材が玄宗時代の開元の治を導いたことも特筆に値する。

 

狄公執政在末年,濁河終不清濟。

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)

26 狄公 狄人傑

27 末年 則天武后の末年期。

28 濁河・清濟 濁れる黄河、清める濟水、濟水は山東兗州にながれる。

 

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。

29 國嗣 唐國を嗣いだ周をいう。

30 初將 その周の最初の将軍。 

31 諸武 則武天の一族一門のものをいう。

32 公 梁公。

33 廷諍 朝廷で諌諍することをいう。武則天の治世において最も重要な役割を果たしたのが、高宗の時代から彼女が実力を見い出し重用していた稀代の名臣、狄仁傑である。武則天は狄仁傑を宰相として用い、その的確な諫言を聞き入れ、国内外において発生する難題の処理に当たり、成功を治めた[13]。また、治世後半期には姚崇・宋璟などの実力を見抜いてこれを要職に抜擢した。後にこの二名は玄宗の時代の開元の治を支える名臣と称される人物である。武則天の治世の後半は狄仁傑らの推挙により数多の有能な官吏を登用したこともあり、宗室の混乱とは裏腹に政権の基盤は盤石なものとなっていった。

34 丹陛 あかぬりのご殿に通じる階(なかの台のきざはし)。殿前の庭は丹庭があり、丹陛(階段)となっており、丹陛(階段)には龍彫の装飾がある。

《巻八26兩當縣十侍禦江上宅》「餘時忝諍臣,丹陛實咫尺。」(余 時に諍臣を忝うす、丹陛 実に咫尺。)自分はその時、左拾遺の官をかたじけなくしていたわけで、天子の丹陛の間近にお仕えしていたのである。

兩當縣十侍禦江上宅 杜甫 <320-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1508 杜甫詩 700- 467

 

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

35 禁中 朝廷のうち。

36 決冊/決策 はかりごとをきめる。

37 請房陵 房陵は中宗をいう。武后は唐を革めて周となし、中宗を廃して盧陵王となして房州に遷し、武三思(后の姪)を太子となそうと欲した。狄仁傑はしばしば諌めていうのに、子母と姑姪とどちらが親しい関係にあるか、もし三思を立てるならば廟には姑を祔(木主を合祭すること)するわけにはゆかぬと。武后は悔悟して即日中宗を迎えて宮中に還らせたという。

 

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】【宇解】

 

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

2 梁公 狄仁傑なり。武后の朝に天下を保持した功あり。仁傑は聖暦三年に卒し、中宗位に即位するや司空を贈り、宗之を梁國公に封ず。因って梁公という。

3 曾孫 ひまご。

4 姨弟 母の姉妹の子をいう、作者よりいへば母方のいとこである。

5 十年 乾元元年より大暦二年までにて十年なり。【六】 済済

6 濟濟 高官の威儀多き貌をいう。《詩經: 大雅: 文王之什》「濟濟多士、文王以寧。」(濟濟たる多士、文王 以て寧し。)立派な群臣が盛んに多くあったので、文王はこれら多くの賢士を善く用い、これらの賢士の輔翼によって、文王は安らかに国を治められたのである。

7 大賢 梁公をさす。

8 之後 この血筋の子孫。

9 陵遲 次第に低くなってゆく陵線。血筋が衰退していることを言う。

10 浩蕩 大いなる貌、時間の長さを言う。

11 同一體 いつもかはらぬすがた

12 叔伯 伯叔父の列にあたるもの。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

13 兄弟一百人 伯叔父の列にあたるものの兄弟を入れて百人いる。百人は詩的表現。

14 秉周禮 周の禮にのっとり守られる施政を行うこと。左傳「魯猶秉周禮,未可動也。」(魯猶お周禮を秉り,未だ動かる可からずなり。魯国では周の禮にのっとり守られる施政を行い、これを移動したりすることはない。

15 汝 書簡の相手、狄博濟のこと。

16 更用文章為 文章をよくもちいる人である。よく文章を働かす人であること。

17 長兄 名前は不詳である狄博濟の長兄。

18 白眉 優れたものを言う。蜀の馬良で、字を季常は兄弟五人(皆“常”の名がつく)、皆、才人であり、そろって、眉が白かったことで、諺に謂う、馬氏の五常は「白眉最良」と。

19 天 天之をひらく、天賦に基づくことを言う。

 

20 汝門 汝の家門のこと。

21 曾翁 狄博濟の曽祖父である梁公(狄仁傑)のこと。

22 太后當朝 則天太后が朝政にあたるもので、唐の國号を周に改めたことを言う。

23 多巧詆 多くの功績を残したもののよそから非難するものが多かつたという意。杜甫は太宗の施政を継承した則天武后を一定の評価をしていたということ。

767年-24 #2杜少陵集 《19-38 狄明府〔寄狄明府博濟〕#2》 杜甫詩index-15-1151 <1601> 767年大暦2年56歲-24 #2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7402 

杜甫詩1500-1151-1601/2500  狄明府【寄狄明府博濟】#2

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。在汝更用文章為,長兄白眉復天

汝門請從曾翁,太后當朝多巧詆

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

杜少陵集19-38-#2

狄 明 府  #2(5分割)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7402

杜甫詩index-15-

767年大暦256  24  #2

1151 <1601

 

 

 

年:767年大暦256-24 #1     

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    狄明府【案:博濟。】【寄狄明府】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:房陵 (山南東道 房州 房陵)              

交遊人物/地點:   狄博濟    書信往來

詩文:

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

#2

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

在汝更用文章為,長兄白眉復天

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

汝門請從曾翁太后當朝多巧詆。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

#3

狄公執政在末年,濁河終不清濟。

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

汝曹又宜列土食,身使門多旌棨。

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。蛟之橫,出清泚。

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

(狄明府)【狄明府博濟に寄す】

染公の曾孫我が姨弟、十年にして官濟濟たるを見ず。

大賢の後竟に陵遅す、浩蕩古今同じく一體なり。

此ごろ看る 伯叔四十人、才有り命無し 百寮の底。

#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮をる。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁よりかむ、太后 朝に當るとき巧詆多し。

#3

狄公 政をる末年に在り,濁河 終に清濟をさず

國嗣の初將 諸武に付し,公 獨り廷諍して丹陛を守る。

禁中 冊を決して房陵を請う,前朝の長老 皆 流涕す。

大明宮 作図011 

 

『狄明府』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。

在汝更用文章為,長兄白眉復天

汝門請從曾翁,太后當朝多巧詆
詩文(含異文)

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。在汝更用文章為,長兄白眉復天。汝門請從曾翁【汝門請從曾公】,太后當朝多巧詆【太后當朝多巧計】。


(下し文)
#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮を秉る。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁よりかむ、太后 朝に當るとき巧詆多し

(現代語訳)
#2

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。


(訳注) #2

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)767大暦二年夔州での作。

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

 

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

13 兄弟一百人 伯叔父の列にあたるものの兄弟を入れて百人いる。百人は詩的表現。

14 秉周禮 周の禮にのっとり守られる施政を行うこと。左傳「魯猶秉周禮,未可動也。」(魯猶お周禮を秉り,未だ動かる可からずなり。魯国では周の禮にのっとり守られる施政を行い、これを移動したりすることはない。

 

在汝更用文章為,長兄白眉復天

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

15 汝 書簡の相手、狄博濟のこと。

16 更用文章為 文章をよくもちいる人である。よく文章を働かす人であること。

17 長兄 名前は不詳である狄博濟の長兄。

18 白眉 優れたものを言う。蜀の馬良で、字を季常は兄弟五人(皆“常”の名がつく)、皆、才人であり、そろって、眉が白かったことで、諺に謂う、馬氏の五常は「白眉最良」と。

19 天 天之をひらく、天賦に基づくことを言う。

 

汝門請從曾翁太后當朝多巧詆。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

20 汝門 汝の家門のこと。

21 曾翁 狄博濟の曽祖父である梁公(狄仁傑)のこと。

22 太后當朝 則天太后が朝政にあたるもので、唐の國号を周に改めたことを言う。

23 多巧詆 多くの功績を残したもののよそから非難するものが多かつたという意。杜甫は太宗の施政を継承した則天武后を一定の評価をしていたということ。

長安城図 作図00 

 

狄明府【寄狄明府博濟】【宇解】

 

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

2 梁公 狄仁傑なり。武后の朝に天下を保持した功あり。仁傑は聖暦三年に卒し、中宗位に即位するや司空を贈り、宗之を梁國公に封ず。因って梁公という。

3 曾孫 ひまご。

4 姨弟 母の姉妹の子をいう、作者よりいへば母方のいとこである。

5 十年 乾元元年より大暦二年までにて十年なり。【六】 済済

6 濟濟 高官の威儀多き貌をいう。《詩經: 大雅: 文王之什》「濟濟多士、文王以寧。」(濟濟たる多士、文王 以て寧し。)立派な群臣が盛んに多くあったので、文王はこれら多くの賢士を善く用い、これらの賢士の輔翼によって、文王は安らかに国を治められたのである。

7 大賢 梁公をさす。

8 之後 この血筋の子孫。

9 陵遲 次第に低くなってゆく陵線。血筋が衰退していることを言う。

10 浩蕩 大いなる貌、時間の長さを言う。

11 同一體 いつもかはらぬすがた

12 叔伯 伯叔父の列にあたるもの。

767年-24 #1杜少陵集 《19-38 狄明府【寄狄明府博濟】-#1》 杜甫詩index-15-1150 <1600> 767年大暦2年56歲-24 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7397

狄明府【寄狄明府博濟】

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

杜少陵集19-38-#1

狄 明 府  #1(5分割)

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杜甫詩index-15-

767年大暦256  24  #1

1150 <1600

 

 
  2016年2月26日 の紀頌之5つのBlog  
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-24 #1杜少陵集 《19-38 狄明府【寄狄明府博濟】-#1》 杜甫詩index-15-1150 <1600> 767年大暦2年56歲-24 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7397  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  杜甫詩1500-1150-1600/2500

年:767年大暦256-24 #1     

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    狄明府【案:博濟。】【寄狄明府】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:房陵 (山南東道 房州 房陵)              

交遊人物/地點:   狄博濟    書信往來

詩文:

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

#2

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。

在汝更用文章為,長兄白眉復天

汝門請從曾翁太后當朝多巧詆。

#3

狄公執政在末年,濁河終不清濟。

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

汝曹又宜列土食,身使門多旌棨。

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。蛟之橫,出清泚。

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

(狄明府)【狄明府博濟に寄す】

染公の曾孫我が姨弟、十年にして官濟濟たるを見ず。

大賢の後竟に陵遅す、浩蕩古今同じく一體なり。

此ごろ看る 伯叔四十人、才有り命無し 百寮の底。

#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮をる。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁よりかむ、太后 朝に當るとき巧詆多し。

 

 

『狄明府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

狄明府【寄狄明府博濟】

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

(下し文)


(現代語訳)
狄明府【寄狄明府博濟】(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。


(訳注)

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)767大暦二年夔州での作。

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

 

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

2 梁公 狄仁傑なり。武后の朝に天下を保持した功あり。仁傑は聖暦三年に卒し、中宗位に即位するや司空を贈り、宗之を梁國公に封ず。因って梁公という。

3 曾孫 ひまご。

4 姨弟 母の姉妹の子をいう、作者よりいへば母方のいとこである。

5 十年 乾元元年より大暦二年までにて十年なり。【六】 済済

6 濟濟 高官の威儀多き貌をいう。《詩經: 大雅: 文王之什》「濟濟多士、文王以寧。」(濟濟たる多士、文王 以て寧し。)立派な群臣が盛んに多くあったので、文王はこれら多くの賢士を善く用い、これらの賢士の輔翼によって、文王は安らかに国を治められたのである。

 

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

7 大賢 梁公をさす。

8 之後 この血筋の子孫。

9 陵遲 次第に低くなってゆく陵線。血筋が衰退していることを言う。

10 浩蕩 大いなる貌、時間の長さを言う。

11 同一體 いつもかはらぬすがた

 

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

12 叔伯 伯叔父の列にあたるもの。

 

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】【宇解】

 

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

2 梁公 狄仁傑なり。武后の朝に天下を保持した功あり。仁傑は聖暦三年に卒し、中宗位に即位するや司空を贈り、宗之を梁國公に封ず。因って梁公という。

3 曾孫 ひまご。

4 姨弟 母の姉妹の子をいう、作者よりいへば母方のいとこである。

5 十年 乾元元年より大暦二年までにて十年なり。【六】 済済

6 濟濟 高官の威儀多き貌をいう。《詩經: 大雅: 文王之什》「濟濟多士、文王以寧。」(濟濟たる多士、文王 以て寧し。)立派な群臣が盛んに多くあったので、文王はこれら多くの賢士を善く用い、これらの賢士の輔翼によって、文王は安らかに国を治められたのである。

7 大賢 梁公をさす。

8 之後 この血筋の子孫。

9 陵遲 次第に低くなってゆく陵線。血筋が衰退していることを言う。

10 浩蕩 大いなる貌、時間の長さを言う。

11 同一體 いつもかはらぬすがた

12 叔伯 伯叔父の列にあたるもの。

767年-19-#4杜少陵集 《19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目》#4 杜甫詩index-15-1131 <1581> 767年大暦2年56歲-19-#4 7302

杜甫  暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #4

一步再流血,尚經矰繳勤。三步六號叫,志屈悲哀頻。

鸞皇不相待,側頸訴高旻。杖藜俯沙渚,為汝鼻酸辛。

一歩進んでは二度も血を流し、そのうえまだ他人からせっせと「いぐるみ」仕掛の仕掛けを射かけられるのも経験して驚いている。それからまた、三歩進んでは、六度もなきさけんで、飛ぼうと思っても飛べず、頻りに泣き悲しんでいる。鸞鳳の様な鳥は、この傷ついた鶴をみてほったらかして、待たずに飛んでいった。だから鶴は頸をそばだてて高い空に向ってなにか訴えるのである。自分はあかぎの杖をついて沙のなぎさにうつむきながら、おまへ(鶴)というもののためには鼻をつまらせて悲しい思い、つらい思いをするのである。

杜少陵集19-22

暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #4

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7302 

杜甫詩index-15

767年大暦256

19  #4

1131 〈1581

 

 
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年:-767年大暦256-19作目。

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目

【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              荊山 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

交遊人物/地點:  

 

 

暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #1

(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

不愛入州府,畏人嫌我真。

自分が城内へはいらないのは他人がじぶんの天真のままなのを嫌うのではないかとおそれるためだ。

及乎歸茅宇,旁舍未曾嗔。

ここに茅屋へかえりついてみると近所の人人はだれも自分の態度に対しておこる様なものはいないのである。

老病忌拘束,應接喪精神。

自分は年よりの上、病気で他から拘束されることは禁物だと考え、人に応対をこまめにすることなどしようと思うだけで、元気がうせてしまうのである。

(暇日小園に病を散ず,將に秋菜を種えんとして,耕牛を督勒し,兼ねて觸目を書す) #1

州府に入ることを愛せず,人の我が真を嫌うを畏るればなり。

茅宇に歸るに及びて,旁舍 未だ曾て嗔らず。

老病拘束せらるを忌む,應接するは精神を喪わむればなり。

#2

江村意自放,林木心所欣。

之に反して江ぞいの村にいれば勝手気ままで林の木曽みることはひごろうれしくおもう所のものである。

秋耕屬地山雨近甚勻。

そこで秋の耕作をしようとするとちょうど折よく近ごろは雨が一様にふって地面がしめりのあるときである。

冬菁飯之半,牛力晚來新。

冬菁は、御飯の半分に匹敵する値打ちのものだ。昼寝をしておきて、夕方までには耕牛の力もあらたにでてきた。

深耕種數畝,未甚後四鄰。

それで土地をふかくたがやして、菁を數百歩(20アールくらい)ばかり植え付ける。植え方は近所にくらべて、ひどくも後れているようではない。

#2

江村 意自放し,林木 心の欣【よろこ】ぶ所。

秋耕 地のうに屬し,山雨 近ごろ甚だ勻し。

冬菁は飯の半ばなり,牛力は晚來新なり。

深耕して 種うること 數畝,未だ甚しく 四鄰に後【おく】れず。
#3

嘉蔬既不一,名數頗具陳。

その他いろいろよい野菜があるが、さまざまの名のものを可なり揃えて並べて植えた。

荊巫非苦寒,采擷接青春。

これで、この楚の國、巫山地方はひどい寒さのところではないから、この野菜をとってたべることで、來年の春できる食物まで、つなぎあわせて飢えることはないだろう。

飛來兩白鶴,暮啄泥中芹。

あそこの田圃に、一対の白い鶴が飛んできた。鶴は夕暮れになるのに泥のなかの芹を啄んでいる。

雄者左翮垂,損傷已露筋。

その雄鶴は左の翮が垂れさがっている、どうやら、傷をうけて筋があらわれて見えて、痛々しい。

#3

嘉蔬 既に一ならず,名數 頗る具【つぶさ】に陳【なら】べん。

荊巫 苦寒に非らず,采擷【さいけつ】 青春に接せん。

飛來の兩つながらの白鶴,暮に啄む 泥中の芹を。

雄者は 左翮垂れ,損傷 已に筋を露す。


#4

一步再流血,尚經矰繳勤。

一歩進んでは二度も血を流し、そのうえまだ他人からせっせと「いぐるみ」仕掛の仕掛けを射かけられるのも経験して驚いている。

三步六號叫,志屈悲哀頻。

それからまた、三歩進んでは、六度もなきさけんで、飛ぼうと思っても飛べず、頻りに泣き悲しんでいる。

鸞皇不相待,側頸訴高旻。

鸞鳳の様な鳥は、この傷ついた鶴をみてほったらかして、待たずに飛んでいった。だから鶴は頸をそばだてて高い空に向ってなにか訴えるのである。

杖藜俯沙渚,為汝鼻酸辛。

自分はあかぎの杖をついて沙のなぎさにうつむきながら、おまへ(鶴)というもののためには鼻をつまらせて悲しい思い、つらい思いをするのである。

#4

一步 再び流血し,尚お矰繳の勤めらるるに經る。

三步 六たび號叫す,志屈して悲哀頻りなり。

鸞皇 相い待たず,頸を側てて 高旻に訴う。

藜を杖いて 沙渚に俯す,汝が為に 鼻酸辛なり。

 

 

『暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

一步再流血,尚經矰繳勤。

三步六號叫,志屈悲哀頻。

鸞皇不相待,側頸訴高旻。

杖藜俯沙渚,為汝鼻酸辛。

(下し文)
#4

一步 再び流血し,尚お矰繳の勤めらるるに經る。

三步 六たび號叫す,志屈して悲哀頻りなり。

鸞皇 相い待たず,頸を側てて 高旻に訴う。

藜を杖いて 沙渚に俯す,汝が為に 鼻酸辛なり。

(現代語訳)
#4

一歩進んでは二度も血を流し、そのうえまだ他人からせっせと「いぐるみ」仕掛の仕掛けを射かけられるのも経験して驚いている。

それからまた、三歩進んでは、六度もなきさけんで、飛ぼうと思っても飛べず、頻りに泣き悲しんでいる。

鸞鳳の様な鳥は、この傷ついた鶴をみてほったらかして、待たずに飛んでいった。だから鶴は頸をそばだてて高い空に向ってなにか訴えるのである。

自分はあかぎの杖をついて沙のなぎさにうつむきながら、おまへ(鶴)というもののためには鼻をつまらせて悲しい思い、つらい思いをするのである。


(訳注) #4

19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】》#3

(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

 

一步再流血,尚經矰繳勤。

一歩進んでは二度も血を流し、そのうえまだ他人からせっせと「いぐるみ」仕掛の仕掛けを射かけられるのも経験して驚いている。

27 矰繳 《「射()(くる)み」の意》飛んでいる鳥を捕らえるための仕掛け。矢に網や長い糸をつけて、当たるとそれが絡みつくようにしたもの。

 

三步六號叫,志屈悲哀頻。

それからまた、三歩進んでは、六度もなきさけんで、飛ぼうと思っても飛べず、頻りに泣き悲しんでいる。

 

鸞皇不相待,側頸訴高旻。

鸞鳳の様な鳥は、この傷ついた鶴をみてほったらかして、待たずに飛んでいった。だから鶴は頸をそばだてて高い空に向ってなにか訴えるのである。

28 不相待 こちらを待ってくれない。

29 側頸 鶴が首を横にする。

30 高旻 空の高いところ。

 

杖藜俯沙渚,為汝鼻酸辛。

自分はあかぎの杖をついて沙のなぎさにうつむきながら、おまへ(鶴)というもののためには鼻をつまらせて悲しい思い、つらい思いをするのである。

31 汝 鶴をさす。

32 鼻酸 (悲しくて)鼻がじんとする.

 

 

 


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杜甫  暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #3

嘉蔬既不一,名數頗具陳。荊巫非苦寒,采擷接青春。

飛來兩白鶴,暮啄泥中芹。雄者左翮垂,損傷已露筋。

その他いろいろよい野菜があるが、さまざまの名のものを可なり揃えて並べて植えた。これで、この楚の國、巫山地方はひどい寒さのところではないから、この野菜をとってたべることで、來年の春できる食物まで、つなぎあわせて飢えることはないだろう。あそこの田圃に、一対の白い鶴が飛んできた。鶴は夕暮れになるのに泥のなかの芹を啄んでいる。その雄鶴は左の翮が垂れさがっている、どうやら、傷をうけて筋があらわれて見えて、痛々しい。

杜少陵集19-22

暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #2

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杜甫詩index-15

767年大暦256

19  #2

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  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
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743年(74)李太白集605巻十八12金門答蘇秀才  393-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(74) Ⅰ李白詩1751 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7295  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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年:-767年大暦256-19作目。

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目

【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              荊山 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

交遊人物/地點:  

 

 

暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #1

(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

不愛入州府,畏人嫌我真。

自分が城内へはいらないのは他人がじぶんの天真のままなのを嫌うのではないかとおそれるためだ。

及乎歸茅宇,旁舍未曾嗔。

ここに茅屋へかえりついてみると近所の人人はだれも自分の態度に対しておこる様なものはいないのである。

老病忌拘束,應接喪精神。

自分は年よりの上、病気で他から拘束されることは禁物だと考え、人に応対をこまめにすることなどしようと思うだけで、元気がうせてしまうのである。

(暇日小園に病を散ず,將に秋菜を種えんとして,耕牛を督勒し,兼ねて觸目を書す) #1

州府に入ることを愛せず,人の我が真を嫌うを畏るればなり。

茅宇に歸るに及びて,旁舍 未だ曾て嗔らず。

老病拘束せらるを忌む,應接するは精神を喪わむればなり。

#2

江村意自放,林木心所欣。

之に反して江ぞいの村にいれば勝手気ままで林の木曽みることはひごろうれしくおもう所のものである。

秋耕屬地山雨近甚勻。

そこで秋の耕作をしようとするとちょうど折よく近ごろは雨が一様にふって地面がしめりのあるときである。

冬菁飯之半,牛力晚來新。

冬菁は、御飯の半分に匹敵する値打ちのものだ。昼寝をしておきて、夕方までには耕牛の力もあらたにでてきた。

深耕種數畝,未甚後四鄰。

それで土地をふかくたがやして、菁を數百歩(20アールくらい)ばかり植え付ける。植え方は近所にくらべて、ひどくも後れているようではない。

#2

江村 意自放し,林木 心の欣【よろこ】ぶ所。

秋耕 地のうに屬し,山雨 近ごろ甚だ勻し。

冬菁は飯の半ばなり,牛力は晚來新なり。

深耕して 種うること 數畝,未だ甚しく 四鄰に後【おく】れず。
#3

嘉蔬既不一,名數頗具陳。

その他いろいろよい野菜があるが、さまざまの名のものを可なり揃えて並べて植えた。

荊巫非苦寒,采擷接青春。

これで、この楚の國、巫山地方はひどい寒さのところではないから、この野菜をとってたべることで、來年の春できる食物まで、つなぎあわせて飢えることはないだろう。

飛來兩白鶴,暮啄泥中芹。

あそこの田圃に、一対の白い鶴が飛んできた。鶴は夕暮れになるのに泥のなかの芹を啄んでいる。

雄者左翮垂,損傷已露筋。

その雄鶴は左の翮が垂れさがっている、どうやら、傷をうけて筋があらわれて見えて、痛々しい。

#3

嘉蔬 既に一ならず,名數 頗る具【つぶさ】に陳【なら】べん。

荊巫 苦寒に非らず,采擷【さいけつ】 青春に接せん。

飛來の兩つながらの白鶴,暮に啄む 泥中の芹を。

雄者は 左翮垂れ,損傷 已に筋を露す。
#4

一步再流血,尚經矰繳勤。

三步六號叫,志屈悲哀頻。

鸞皇不相待,側頸訴高旻。

杖藜俯沙渚,為汝鼻酸辛。

00大豆畑 

 

『暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

嘉蔬既不一,名數頗具陳。

荊巫非苦寒,采擷接青春。

飛來兩白鶴,暮啄泥中芹。

雄者左翮垂,損傷已露筋。

(下し文)
#3

嘉蔬 既に一ならず,名數 頗る具【つぶさ】に陳【なら】べん。

荊巫 苦寒に非らず,采擷【さいけつ】 青春に接せん。

飛來の兩つながらの白鶴,暮に啄む 泥中の芹を。

雄者は 左翮垂れ,損傷 已に筋を露す。

(現代語訳)
#3

その他いろいろよい野菜があるが、さまざまの名のものを可なり揃えて並べて植えた。

これで、この楚の國、巫山地方はひどい寒さのところではないから、この野菜をとってたべることで、來年の春できる食物まで、つなぎあわせて飢えることはないだろう。

あそこの田圃に、一対の白い鶴が飛んできた。鶴は夕暮れになるのに泥のなかの芹を啄んでいる。

その雄鶴は左の翮が垂れさがっている、どうやら、傷をうけて筋があらわれて見えて、痛々しい。


(訳注) #3

19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】》#3

(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

 

嘉蔬既不一,名數頗具陳。

その他いろいろよい野菜があるが、さまざまの名のものを可なり揃えて並べて植えた。

19 嘉蔬 めでたい、よい、作物野菜。

20 既不一 すでにある、その他いろいろのもの。

21 名數 さまざまの名のもの

22 頗具陳 可なり揃えて並べて植える。ならべる。 陳列. 考えをのべる。 陳述、陳謝、陳情 · ふるくさい。古くて悪化した。 陳腐、陳貨、新陳代謝。具陳:くわしく述べること。細かに報告すること。《文選.古詩十九首第四首》:「今日良宴會,歡樂難具陳。」(今日の良宴會,歡樂 具【つぶさ】には陳べ難し。)今日の良き宴会における歓楽のさまは、詳しく述べがたい。杜甫〈奉贈韋左丞丈二十韻〉:「丈人試靜聽,賤子請具陳。」(丈入試に静に聴け、賤子請う具さに陳ぜん)あなたは試みにその次第をしずかにおききください 私は以下委しくそれをのべましょう。 

 

荊巫非苦寒,采擷接青春。

これで、この楚の國、巫山地方はひどい寒さのところではないから、この野菜をとってたべることで、來年の春できる食物まで、つなぎあわせて飢えることはないだろう。

23 荊巫 荊は楚の國、巫は巫山、巫峽をいう。巫峽のある三峡(瞿唐峽、巫峽、西陵峡)は夔州の瞿唐峽から-歸州-峽州-荊州の一部までつづくものである。

《卷一六18  遣懷》 「不復見顏鮑,繫舟臥荊巫。臨餐吐更食,常恐違撫孤。」(復た 顏鮑を見ず、舟を繋いで荊巫に臥す。餐に臨みて吐て更に食す、常に恐る 撫弧に違はむことを。)ふたたび、顔延之ともいうべき高適と、鮑照というべき李白の二人を見ることはできず、じぶんは舟をつなぎとめて荊巫の地にうち臥している。

自分の身体はガタが来て、食事の際にも吐きだしたり、また食べたり、すこしもおちついたきもちになれないのである、それはいつも両君の遺児のお世話をしてあげたいとの念に違ってしまっていることが心配で仕方がないからである。

杜甫 1515 遺懷-#5》【5分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-51 <915-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6040

19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目》「嘉蔬既不一,名數頗具陳。荊巫非苦寒,採擷接青春。」(嘉蔬 既に一ならず,名數 頗る具【つぶさ】に陳【なら】べん。荊巫 苦寒に非らず,采擷【さいけつ】 青春に接せん。)

24 采擷 采:とる。指でつかんでとる。のち、広く、手でとり入れる、えらびとる意に用いる。いろどり。えらびとった色。まじった色 えらんだ色の意から転じて、色あいや、ようすの意。 えらびとって与えた領地。擷:(1) 摘み取る,もぐ采摘み取る.(2) 上着のすそで物をくるむ.

25 接青春 

 

飛來兩白鶴,暮啄泥中芹。

あそこの田圃に、一対の白い鶴が飛んできた。鶴は夕暮れになるのに泥のなかの芹を啄んでいる。

26 兩白鶴 この鶴は、杜甫自身を比喩している、旅の途中、持病が悪化し苦しみながら、農作物を植えて、食べることに不安をなくし、また、それを売ることで長安に帰る資金を作るということを例えるものである。

 

雄者左翮垂,損傷已露筋。

その雄鶴は左の翮が垂れさがっている、どうやら、傷をうけて筋があらわれて見えて、痛々しい。

 

(一歩進んでは二度も血を流し、そのうえまだ他人からせっせと「いぐるみ」を射かけられるのに驚いている。)

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

 

19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】》  【字解】

 

767年大暦256の時、この年19作目

1 小園 瀼西の果樹園、ミカン園より近く、草堂に隣接した農園。

2 散病 病気を退散させるということで、病気の保養をしながらという意。

3 種秋菜 初秋に植えると晩秋までに大きくなる野菜で、此処では“菁”である。

4 督勒 菁を植えるための農作業、耕牛作業をかんとくする。

5 耕牛 

6 【解説】

杜甫が畑作にたずさわっている詩のひとつである。しかし、杜甫みずからが土にまみれたり、牛のたづなを引いたりしているわけではないが、ここまで農事の現場に接近した詩人もまた極めて稀であるのは間違いない。去年の秋、チシャを植えて大失敗に終わっので、今年は農業経営ともいえる、畑のうち「数畝」に牛を入れて耕し、菁(冬菁)を植え付けた。さて、去年の席数枚分の萵苣作りとは違ってうまくいったのであろうか。故郷、長安に帰る資金になったのであろうか。この詩だけではわからないが、一定の成果を収めたようだ。

 杜甫はこの時期元気を取り戻して、菁作りのことを書いたのが《1922_暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目》(暇日小園に病を散じ、将に秋菜を種えんとして耕牛を督勒(トクロク)し、兼ねて目に触るるを書す)の詩である。

  秋耕屬地濕、 秋耕は地の湿(うるお)うに属し

  山雨近甚勻。 山雨は甚だ勻(ひと)しきに近し

  冬菁飯之半、 冬菁(かぶ)は飯の半ばにして

  牛力晩來新。 牛の力は晩より来(このかた)新たなり

  深耕種數畝、 深く耕して種()うること数畝(スウホ)

  未甚後四鄰。 未だ甚だしくは四隣に後れず 

 

秋になっていい雨が降り畑の土も潤った。周辺の畑では牛耕、そして秋野菜の植え付けが一斉に始まり、杜甫の畑でも、遅れじとカブが植え付けられた。

 ここで使われている牛は呉の牛であろう。東屯の水田の春の牛耕を詠じた《1916_秋、行官張望、督促東渚耗稻、向畢。清晨、遣女奴阿稽・豎子阿段、往問》「牛力容易,並驅動莫當。」(牛 力 容易なり,並驅 動として當る莫れ。【並驅 紛として場に遊ぶ。】)“呉の水牛を飼って、これに鋤を付けて引かせ、それも二匹一緒につないで耕場にはたらかせたのだ。”と述べていた。

767年-13-#1杜甫 《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-13-#1 <1103 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7163

 

 四句めの「牛力晩来新」、牛の力が日暮れになってから新たになったというのは、日中は暑さを避けるために牛を使わず、日没以後に牛耕を始めている。元の王禎の『農書』に「若し夫れ北方なれば、陸地は平遠にして、牛は皆な夜に耕し、以て昼の熱を避く」(農桑通訣五、畜養篇、養牛類)とある。

 しかしこの句には無視できない文字の異同があり、十世紀半ばの官書本では「晩」を「曉」に作っていたことが伝えられている。それによると「牛力曉来新」、つまり牛の力は夜明けから新た、となる。農家の常識はちがわないはずである。宋の『陳旉農書』巻中「牛説」には「五更の初めに至り、日未だ出でず、天気涼しきに乗じて之を用うれば、即ち力は常より倍し、……日高く熱く喘げば、便ち休息せしむ」とある。

 牛の力が夜明けがたに強くなるのか、日没後に力強くなるのか、テキストの異同の面でも内容の面でも、どちらとも定めがたい。ここではそういう意味のたゆたいを楽しみたい。

 この詩は、まだ暑さの残る初秋から遅くとも中秋のころの作である。

『斉民要術』巻三、蔓菁の項に「七月の初めに之を種う」とあり、『四時纂要』秋令巻四、七月の条に「蔓菁を種う、地は須らく肥良なるべし、耕すこと六、七遍、此の月の上旬に之を種()う」とあって、六世紀から十世紀ころの農書にはカブの植え付けはいずれも初秋の旧暦七月上旬となっているからである。そして初秋に植えられたカブは晩秋には大きくなっている。そんな情景が中唐の劉禹錫の『劉夢得文集外集』巻八「歷陽書事七十韻并序」の詩に、

  場黄堆晩稻、 場は黄にして晩稲を堆()

  籬碧見冬菁。 籬(まがき)は碧にして冬菁を見る              

と描かれている。晩稲種の稲刈りが終わって脱穀場に積まれるのは、晩秋の農村風景で、その中にカブが緑になって大きくなっている。とはいえこれは杜甫より五十年ほど後の事情で、しかも同じ長江流域とはいえずっと下流の和州(安徽省)での風景ではあるが。

 五句目にいう「深耕」は深く耕すことで、すでに春秋戦国時代から提唱されている耕作の仕方である。牛耕もその時期から同時に始まっている。この詩では農事に熱心に取り組んでいる姿を伝えようとしている。

 その畑を「数畝」からいうと日本の二、三反、五十メートル四方の広さを想像すればよい。ただ、詩では「数畝の宅」「数畝の居」「数畝の田」などとしてよく用いられる。それは元来は、周代の井田法で定められた五畝の園宅地に根ざす言い方だろうが(『孟子』梁恵王上、尽心上、『荀子』大略篇)、唐代では、隠遁的雰囲気の濃い質素な住まいかたを象徴する言葉となっている。

 六句目では、農作が近隣に遅れていないかどうかを杜甫は気にしている。これには、近隣に負けないようにという気持ちもあったのかもしれないが、むしろ野菜作りが失敗しはしないかと心配しているのではないかと思う。去年はチシャ作りは失敗したし、旱魃で夔州全体の野菜が被害を被った。今度の秋野菜が失敗すれば翌年の春まで野菜不足におそわれてしまうのではないか、野菜好きの杜甫の頭にはそんな不安が過ぎる。しかし今は近隣と同じ作業をしているのだから大丈夫と杜甫は自分に言い聞かせ、その不安をかき消そうとしている。

7 州府 夔州城内、城内の市場。

8 我真 自分の思ったことをありのままに、気づかいしないで喋ることをいう。天意のままに喋る。

9 茅宇 茅葺きの屋根、瀼西の杜甫の住まい、草堂。

10 應接 他人と応対する。

11 喪精神 思うだけで、元気がうせてしまう。

12 江村 江ぞいの村。ここでは、村人も少ない瀼西の村。杜甫成都での“江村”詩。

成都(2部)浣花渓の草堂(2 -8) 《0930江村 杜甫》 <371  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1791 杜甫詩 1000- 547

765年永泰元年54-15 《1436-1春日江村,五首之一》 杜甫index-15 杜甫<815 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4810 杜甫詩1500-815-1133/2500

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13 自放 勝手気ままにすごすこと。

14 近甚勻 ちょうど折よく近ごろは雨が一様にふること。耕すのにちょうど具合の良い雨の量が降ってくれたというほどの意。

14 冬菁 晩秋から初冬に採れる菁。

15 飯之半 御飯の半分に匹敵する値打ちのもの。市場で売れることを言う。

16 牛力晚來新 昼寝をして夕方近くに起きて動き出すことを言う。

17 畝 中国の伝統的な面積の単位で、6000平方尺(60平方丈)にあたる。現在の市制においては、1 = 1/3メートルなので、1畝は 2000/3 m2(約6.67アール)にあたる。唐代以降は5尺を歩としたため、1 = 240平方歩 = 6000平方尺になった。

18 四鄰 東西南北の隣人。ご近所。杜甫「三吏三別」《0706無家別》「四鄰何所有,一二老寡妻。」(四隣は何の有る所ぞ,一二の老 寡妻【かさい】。)とある。

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1055 杜甫詩集700- 316 

767年-19-#2杜少陵集 《19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目》#2 杜甫詩index-15-1129 <1579> 767年大暦2年56歲-19-#2 7292

杜甫  暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #2

江村意自放,林木心所欣。秋耕屬地,山雨近甚勻。

冬菁飯之半,牛力晚來新。深耕種數畝,未甚後四鄰。

之に反して江ぞいの村にいれば勝手気ままで林の木曽みることはひごろうれしくおもう所のものである。そこで秋の耕作をしようとするとちょうど折よく近ごろは雨が一様にふって地面がしめりのあるときである。冬菁は、御飯の半分に匹敵する値打ちのものだ。昼寝をしておきて、夕方までには耕牛の力もあらたにでてきた。それで土地をふかくたがやして、菁を數百歩(20アールくらい)ばかり植え付ける。植え方は近所にくらべて、ひどくも後れているようではない。

杜少陵集19-22

暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ72872 

杜甫詩index-15

767年大暦256

19  #2

1129 〈1579

 

 

 
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年:-767年大暦256-19作目。

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目

【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              荊山 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

交遊人物/地點:  

 

 

暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #1

(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

不愛入州府,畏人嫌我真。

自分が城内へはいらないのは他人がじぶんの天真のままなのを嫌うのではないかとおそれるためだ。

及乎歸茅宇,旁舍未曾嗔。

ここに茅屋へかえりついてみると近所の人人はだれも自分の態度に対しておこる様なものはいないのである。

老病忌拘束,應接喪精神。

自分は年よりの上、病気で他から拘束されることは禁物だと考え、人に応対をこまめにすることなどしようと思うだけで、元気がうせてしまうのである。

(暇日小園に病を散ず,將に秋菜を種えんとして,耕牛を督勒し,兼ねて觸目を書す) #1

州府に入ることを愛せず,人の我が真を嫌うを畏るればなり。

茅宇に歸るに及びて,旁舍 未だ曾て嗔らず。

老病拘束せらるを忌む,應接するは精神を喪わむればなり。

#2

江村意自放,林木心所欣。

之に反して江ぞいの村にいれば勝手気ままで林の木曽みることはひごろうれしくおもう所のものである。

秋耕屬地山雨近甚勻。

そこで秋の耕作をしようとするとちょうど折よく近ごろは雨が一様にふって地面がしめりのあるときである。

冬菁飯之半,牛力晚來新。

冬菁は、御飯の半分に匹敵する値打ちのものだ。昼寝をしておきて、夕方までには耕牛の力もあらたにでてきた。

深耕種數畝,未甚後四鄰。

それで土地をふかくたがやして、菁を數百歩(20アールくらい)ばかり植え付ける。植え方は近所にくらべて、ひどくも後れているようではない。

#2

江村 意自放し,林木 心の欣【よろこ】ぶ所。

秋耕 地のうに屬し,山雨 近ごろ甚だ勻し。

冬菁は飯の半ばなり,牛力は晚來新なり。

深耕して 種うること 數畝,未だ甚しく 四鄰に後【おく】れず。
#3

嘉蔬既不一,名數頗具陳。

荊巫非苦寒,采擷接青春。

飛來兩白鶴,暮啄泥中芹。

雄者左翮垂,損傷已露筋。

#4

一步再流血,尚經矰繳勤。

三步六號叫,志屈悲哀頻。

鸞皇不相待,側頸訴高旻。

杖藜俯沙渚,為汝鼻酸辛。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

江村意自放,林木心所欣。

秋耕屬地,山雨近甚勻。

冬菁飯之半,牛力晚來新。

深耕種數畝,未甚後四鄰。

(下し文)
#2

江村 意自放し,林木 心の欣【よろこ】ぶ所。

秋耕 地のうに屬し,山雨 近ごろ甚だ勻し。

冬菁は飯の半ばなり,牛力は晚來新なり。

深耕して 種うること 數畝,未だ甚しく 四鄰に後【おく】れず。

(現代語訳)
#2

之に反して江ぞいの村にいれば勝手気ままで林の木曽みることはひごろうれしくおもう所のものである。

そこで秋の耕作をしようとするとちょうど折よく近ごろは雨が一様にふって地面がしめりのあるときである。

冬菁は、御飯の半分に匹敵する値打ちのものだ。昼寝をしておきて、夕方までには耕牛の力もあらたにでてきた。

それで土地をふかくたがやして、菁を數百歩(20アールくらい)ばかり植え付ける。植え方は近所にくらべて、ひどくも後れているようではない。

三峡 巫山十二峰001
(訳注) #2

19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】》#2

(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

 

江村意自放,林木心所欣。

之に反して江ぞいの村にいれば勝手気ままで林の木曽みることはひごろうれしくおもう所のものである。

12 江村 江ぞいの村。ここでは、村人も少ない瀼西の村。杜甫成都での“江村”詩。

成都(2部)浣花渓の草堂(2 -8) 《0930江村 杜甫 <371  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1791 杜甫詩 1000- 547

765年永泰元年54-15 《1436-1春日江村,五首之一》 杜甫index-15 杜甫<815 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4810 杜甫詩1500-815-1133/2500

765年永泰元年54-16 《1436-2春日江村,五首之二》 杜甫index-15 杜甫<816 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4815 杜甫詩1500-816-1134/2500765年永泰元年54-16

765年永泰元年54-17 《1436-3春日江村,五首之三》 杜甫index-15 杜甫<817 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4820 杜甫詩1500-817-1135/2500

765年永泰元年54-18 《1436-4春日江村,五首之四》 杜甫index-15 杜甫<818 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4825 杜甫詩1500-818-1136/2500765年永泰元年54-18

765年永泰元年54-19 《1436-5春日江村,五首之五》 杜甫index-15 杜甫<819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4830 杜甫詩1500-819-1137/2500765年永泰元年54-19

13 自放 勝手気ままにすごすこと。

 

秋耕屬地,山雨近甚勻。

そこで秋の耕作をしようとするとちょうど折よく近ごろは雨が一様にふって地面がしめりのあるときである。

14 近甚勻 ちょうど折よく近ごろは雨が一様にふること。耕すのにちょうど具合の良い雨の量が降ってくれたというほどの意。

 

冬菁飯之半,牛力晚來新。

冬菁は、御飯の半分に匹敵する値打ちのものだ。昼寝をしておきて、夕方までには耕牛の力もあらたにでてきた。

14 冬菁 晩秋から初冬に採れる菁。

15 飯之半 御飯の半分に匹敵する値打ちのもの。市場で売れることを言う。

16 牛力晚來新 昼寝をして夕方近くに起きて動き出すことを言う。

 

深耕種數畝,未甚後四鄰。

それで土地をふかくたがやして、菁を數百歩(20アールくらい)ばかり植え付ける。植え方は近所にくらべて、ひどくも後れているようではない。

17 畝 中国の伝統的な面積の単位で、6000平方尺(60平方丈)にあたる。現在の市制においては、1 = 1/3メートルなので、1畝は 2000/3 m2(約6.67アール)にあたる。唐代以降は5尺を歩としたため、1 = 240平方歩 = 6000平方尺になった。

18 四鄰 東西南北の隣人。ご近所。杜甫「三吏三別」《0706無家別》「四鄰何所有,一二老寡妻。」(四隣は何の有る所ぞ,一二の老 寡妻【かさい】。)とある。

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1055 杜甫詩集700- 316 

 

 

19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】》  【字解】

 

767年大暦256の時、この年19作目

1 小園 瀼西の果樹園、ミカン園より近く、草堂に隣接した農園。

2 散病 病気を退散させるということで、病気の保養をしながらという意。

3 種秋菜 初秋に植えると晩秋までに大きくなる野菜で、此処では“菁”である。

4 督勒 菁を植えるための農作業、耕牛作業をかんとくする。

5 耕牛 

6 【解説】

杜甫が畑作にたずさわっている詩のひとつである。しかし、杜甫みずからが土にまみれたり、牛のたづなを引いたりしているわけではないが、ここまで農事の現場に接近した詩人もまた極めて稀であるのは間違いない。去年の秋、チシャを植えて大失敗に終わっので、今年は農業経営ともいえる、畑のうち「数畝」に牛を入れて耕し、菁(冬菁)を植え付けた。さて、去年の席数枚分の萵苣作りとは違ってうまくいったのであろうか。故郷、長安に帰る資金になったのであろうか。この詩だけではわからないが、一定の成果を収めたようだ。

 杜甫はこの時期元気を取り戻して、菁作りのことを書いたのが《1922_暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目》(暇日小園に病を散じ、将に秋菜を種えんとして耕牛を督勒(トクロク)し、兼ねて目に触るるを書す)の詩である。

  秋耕屬地濕、 秋耕は地の湿(うるお)うに属し

  山雨近甚勻。 山雨は甚だ勻(ひと)しきに近し

  冬菁飯之半、 冬菁(かぶ)は飯の半ばにして

  牛力晩來新。 牛の力は晩より来(このかた)新たなり

  深耕種數畝、 深く耕して種()うること数畝(スウホ)

  未甚後四鄰。 未だ甚だしくは四隣に後れず 

 

秋になっていい雨が降り畑の土も潤った。周辺の畑では牛耕、そして秋野菜の植え付けが一斉に始まり、杜甫の畑でも、遅れじとカブが植え付けられた。

 ここで使われている牛は呉の牛であろう。東屯の水田の春の牛耕を詠じた《1916_秋、行官張望、督促東渚耗稻、向畢。清晨、遣女奴阿稽・豎子阿段、往問》「牛力容易,並驅動莫當。」(牛 力 容易なり,並驅 動として當る莫れ。【並驅 紛として場に遊ぶ。】)“呉の水牛を飼って、これに鋤を付けて引かせ、それも二匹一緒につないで耕場にはたらかせたのだ。”と述べていた。

767年-13-#1杜甫 《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-13-#1 <1103 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7163

 

 四句めの「牛力晩来新」、牛の力が日暮れになってから新たになったというのは、日中は暑さを避けるために牛を使わず、日没以後に牛耕を始めている。元の王禎の『農書』に「若し夫れ北方なれば、陸地は平遠にして、牛は皆な夜に耕し、以て昼の熱を避く」(農桑通訣五、畜養篇、養牛類)とある。

 しかしこの句には無視できない文字の異同があり、十世紀半ばの官書本では「晩」を「曉」に作っていたことが伝えられている。それによると「牛力曉来新」、つまり牛の力は夜明けから新た、となる。農家の常識はちがわないはずである。宋の『陳旉農書』巻中「牛説」には「五更の初めに至り、日未だ出でず、天気涼しきに乗じて之を用うれば、即ち力は常より倍し、……日高く熱く喘げば、便ち休息せしむ」とある。

 牛の力が夜明けがたに強くなるのか、日没後に力強くなるのか、テキストの異同の面でも内容の面でも、どちらとも定めがたい。ここではそういう意味のたゆたいを楽しみたい。

 この詩は、まだ暑さの残る初秋から遅くとも中秋のころの作である。

『斉民要術』巻三、蔓菁の項に「七月の初めに之を種う」とあり、『四時纂要』秋令巻四、七月の条に「蔓菁を種う、地は須らく肥良なるべし、耕すこと六、七遍、此の月の上旬に之を種()う」とあって、六世紀から十世紀ころの農書にはカブの植え付けはいずれも初秋の旧暦七月上旬となっているからである。そして初秋に植えられたカブは晩秋には大きくなっている。そんな情景が中唐の劉禹錫の『劉夢得文集外集』巻八「歷陽書事七十韻并序」の詩に、

  場黄堆晩稻、 場は黄にして晩稲を堆()

  籬碧見冬菁。 籬(まがき)は碧にして冬菁を見る              

と描かれている。晩稲種の稲刈りが終わって脱穀場に積まれるのは、晩秋の農村風景で、その中にカブが緑になって大きくなっている。とはいえこれは杜甫より五十年ほど後の事情で、しかも同じ長江流域とはいえずっと下流の和州(安徽省)での風景ではあるが。

 五句目にいう「深耕」は深く耕すことで、すでに春秋戦国時代から提唱されている耕作の仕方である。牛耕もその時期から同時に始まっている。この詩では農事に熱心に取り組んでいる姿を伝えようとしている。

 その畑を「数畝」からいうと日本の二、三反、五十メートル四方の広さを想像すればよい。ただ、詩では「数畝の宅」「数畝の居」「数畝の田」などとしてよく用いられる。それは元来は、周代の井田法で定められた五畝の園宅地に根ざす言い方だろうが(『孟子』梁恵王上、尽心上、『荀子』大略篇)、唐代では、隠遁的雰囲気の濃い質素な住まいかたを象徴する言葉となっている。

 六句目では、農作が近隣に遅れていないかどうかを杜甫は気にしている。これには、近隣に負けないようにという気持ちもあったのかもしれないが、むしろ野菜作りが失敗しはしないかと心配しているのではないかと思う。去年はチシャ作りは失敗したし、旱魃で夔州全体の野菜が被害を被った。今度の秋野菜が失敗すれば翌年の春まで野菜不足におそわれてしまうのではないか、野菜好きの杜甫の頭にはそんな不安が過ぎる。しかし今は近隣と同じ作業をしているのだから大丈夫と杜甫は自分に言い聞かせ、その不安をかき消そうとしている。

7 州府 夔州城内、城内の市場。

8 我真 自分の思ったことをありのままに、気づかいしないで喋ることをいう。天意のままに喋る。

9 茅宇 茅葺きの屋根、瀼西の杜甫の住まい、草堂。

10 應接 他人と応対する。

11 喪精神 思うだけで、元気がうせてしまう。

767年-19-#1杜少陵集 《19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目》#1 杜甫詩index-15-1128 <1578> 767年大暦2年56歲-19-#1 7287

杜甫  暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #1

不愛入州府,畏人嫌我真。及乎歸茅宇,旁舍未曾嗔。

老病忌拘束,應接喪精神。

(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

自分が城内へはいらないのは他人がじぶんの天真のままなのを嫌うのではないかとおそれるためだ。ここに茅屋へかえりついてみると近所の人人はだれも自分の態度に対しておこる様なものはいないのである。自分は年よりの上、病気で他から拘束されることは禁物だと考え、人に応対をこまめにすることなどしようと思うだけで、元気がうせてしまうのである。

杜少陵集19-22

暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ72872 

杜甫詩index-15

767年大暦256

19  #1

1128 〈1578

 

 
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年:-767年大暦256-19作目。

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目

【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              荊山 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

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暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #1

(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

不愛入州府,畏人嫌我真。

自分が城内へはいらないのは他人がじぶんの天真のままなのを嫌うのではないかとおそれるためだ。

及乎歸茅宇,旁舍未曾嗔。

ここに茅屋へかえりついてみると近所の人人はだれも自分の態度に対しておこる様なものはいないのである。

老病忌拘束,應接喪精神。

自分は年よりの上、病気で他から拘束されることは禁物だと考え、人に応対をこまめにすることなどしようと思うだけで、元気がうせてしまうのである。

(暇日小園に病を散ず,將に秋菜を種えんとして,耕牛を督勒し,兼ねて觸目を書す) #1

州府に入ることを愛せず,人の我が真を嫌うを畏るればなり。

茅宇に歸るに及びて,旁舍 未だ曾て嗔らず。

老病拘束せらるを忌む,應接するは精神を喪わむればなり。
#2

江村意自放,林木心所欣。

秋耕屬地山雨近甚勻。

冬菁飯之半,牛力晚來新。

深耕種數畝,未甚後四鄰。

#3

嘉蔬既不一,名數頗具陳。

荊巫非苦寒,采擷接青春。

飛來兩白鶴,暮啄泥中芹。

雄者左翮垂,損傷已露筋。

#4

一步再流血,尚經矰繳勤。

三步六號叫,志屈悲哀頻。

鸞皇不相待,側頸訴高旻。

杖藜俯沙渚,為汝鼻酸辛。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #1

不愛入州府,畏人嫌我真。

及乎歸茅宇,旁舍未曾嗔。

老病忌拘束,應接喪精神。
詩文(含異文)

不愛入州府,畏人嫌我真。及乎歸茅宇【及歸在茅宇】,旁舍未曾嗔。

老病忌拘束【老病恐拘束】,應接喪精神。


(下し文)
(暇日小園に病を散ず,將に秋菜を種えんとして,耕牛を督勒し,兼ねて觸目を書す) #1

州府に入ることを愛せず,人の我が真を嫌うを畏るればなり。

茅宇に歸るに及びて,旁舍 未だ曾て嗔らず。

老病拘束せらるを忌む,應接するは精神を喪わむればなり。


(現代語訳)
暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #1(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

自分が城内へはいらないのは他人がじぶんの天真のままなのを嫌うのではないかとおそれるためだ。

ここに茅屋へかえりついてみると近所の人人はだれも自分の態度に対しておこる様なものはいないのである。

自分は年よりの上、病気で他から拘束されることは禁物だと考え、人に応対をこまめにすることなどしようと思うだけで、元気がうせてしまうのである。

tanbo955
(訳注)

1922_暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目》(暇日小園に病を散じ、将に秋菜を種えんとして耕牛を督勒(トクロク)し、兼ねて目に触るるを書す) #1

(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)-#1 767年大暦256の時、この年19作目

1 小園 瀼西の果樹園、ミカン園より近く、草堂に隣接した農園。

2 散病 病気を退散させるということで、病気の保養をしながらという意。

3 種秋菜 初秋に植えると晩秋までに大きくなる野菜で、此処では“菁”である。

4 督勒 菁を植えるための農作業、耕牛作業をかんとくする。

5 耕牛 

6 【解説】

杜甫が畑作にたずさわっている詩のひとつである。しかし、杜甫みずからが土にまみれたり、牛のたづなを引いたりしているわけではないが、ここまで農事の現場に接近した詩人もまた極めて稀であるのは間違いない。去年の秋、チシャを植えて大失敗に終わっので、今年は農業経営ともいえる、畑のうち「数畝」に牛を入れて耕し、菁(冬菁)を植え付けた。さて、去年の席数枚分の萵苣作りとは違ってうまくいったのであろうか。故郷、長安に帰る資金になったのであろうか。この詩だけではわからないが、一定の成果を収めたようだ。

 杜甫はこの時期元気を取り戻して、菁作りのことを書いたのが《1922_暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目》(暇日小園に病を散じ、将に秋菜を種えんとして耕牛を督勒(トクロク)し、兼ねて目に触るるを書す)の詩である。

  秋耕屬地濕、 秋耕は地の湿(うるお)うに属し

  山雨近甚勻。 山雨は甚だ勻(ひと)しきに近し

  冬菁飯之半、 冬菁(かぶ)は飯の半ばにして

  牛力晩來新。 牛の力は晩より来(このかた)新たなり

  深耕種數畝、 深く耕して種()うること数畝(スウホ)

  未甚後四鄰。 未だ甚だしくは四隣に後れず 

 

秋になっていい雨が降り畑の土も潤った。周辺の畑では牛耕、そして秋野菜の植え付けが一斉に始まり、杜甫の畑でも、遅れじとカブが植え付けられた。

 ここで使われている牛は呉の牛であろう。東屯の水田の春の牛耕を詠じた《1916_秋、行官張望、督促東渚耗稻、向畢。清晨、遣女奴阿稽・豎子阿段、往問》「牛力容易,並驅動莫當。」(牛 力 容易なり,並驅 動として當る莫れ。【並驅 紛として場に遊ぶ。】)“呉の水牛を飼って、これに鋤を付けて引かせ、それも二匹一緒につないで耕場にはたらかせたのだ。”と述べていた。

767年-13-#1杜甫 《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-13-#1 <1103 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7163

 

 四句めの「牛力晩来新」、牛の力が日暮れになってから新たになったというのは、日中は暑さを避けるために牛を使わず、日没以後に牛耕を始めている。元の王禎の『農書』に「若し夫れ北方なれば、陸地は平遠にして、牛は皆な夜に耕し、以て昼の熱を避く」(農桑通訣五、畜養篇、養牛類)とある。

 しかしこの句には無視できない文字の異同があり、十世紀半ばの官書本では「晩」を「曉」に作っていたことが伝えられている。それによると「牛力曉来新」、つまり牛の力は夜明けから新た、となる。農家の常識はちがわないはずである。宋の『陳旉農書』巻中「牛説」には「五更の初めに至り、日未だ出でず、天気涼しきに乗じて之を用うれば、即ち力は常より倍し、……日高く熱く喘げば、便ち休息せしむ」とある。

 牛の力が夜明けがたに強くなるのか、日没後に力強くなるのか、テキストの異同の面でも内容の面でも、どちらとも定めがたい。ここではそういう意味のたゆたいを楽しみたい。

 この詩は、まだ暑さの残る初秋から遅くとも中秋のころの作である。

『斉民要術』巻三、蔓菁の項に「七月の初めに之を種う」とあり、『四時纂要』秋令巻四、七月の条に「蔓菁を種う、地は須らく肥良なるべし、耕すこと六、七遍、此の月の上旬に之を種()う」とあって、六世紀から十世紀ころの農書にはカブの植え付けはいずれも初秋の旧暦七月上旬となっているからである。そして初秋に植えられたカブは晩秋には大きくなっている。そんな情景が中唐の劉禹錫の『劉夢得文集外集』巻八「歷陽書事七十韻并序」の詩に、

  場黄堆晩稻、 場は黄にして晩稲を堆()

  籬碧見冬菁。 籬(まがき)は碧にして冬菁を見る              

と描かれている。晩稲種の稲刈りが終わって脱穀場に積まれるのは、晩秋の農村風景で、その中にカブが緑になって大きくなっている。とはいえこれは杜甫より五十年ほど後の事情で、しかも同じ長江流域とはいえずっと下流の和州(安徽省)での風景ではあるが。

 五句目にいう「深耕」は深く耕すことで、すでに春秋戦国時代から提唱されている耕作の仕方である。牛耕もその時期から同時に始まっている。この詩では農事に熱心に取り組んでいる姿を伝えようとしている。

 その畑を「数畝」からいうと日本の二、三反、五十メートル四方の広さを想像すればよい。ただ、詩では「数畝の宅」「数畝の居」「数畝の田」などとしてよく用いられる。それは元来は、周代の井田法で定められた五畝の園宅地に根ざす言い方だろうが(『孟子』梁恵王上、尽心上、『荀子』大略篇)、唐代では、隠遁的雰囲気の濃い質素な住まいかたを象徴する言葉となっている。

 六句目では、農作が近隣に遅れていないかどうかを杜甫は気にしている。これには、近隣に負けないようにという気持ちもあったのかもしれないが、むしろ野菜作りが失敗しはしないかと心配しているのではないかと思う。去年はチシャ作りは失敗したし、旱魃で夔州全体の野菜が被害を被った。今度の秋野菜が失敗すれば翌年の春まで野菜不足におそわれてしまうのではないか、野菜好きの杜甫の頭にはそんな不安が過ぎる。しかし今は近隣と同じ作業をしているのだから大丈夫と杜甫は自分に言い聞かせ、その不安をかき消そうとしている。

 

不愛入州府,畏人嫌我真。

自分が城内へはいらないのは他人がじぶんの天真のままなのを嫌うのではないかとおそれるためだ。

7 州府 夔州城内、城内の市場。

8 我真 自分の思ったことをありのままに、気づかいしないで喋ることをいう。天意のままに喋る。

 

及乎歸茅宇,旁舍未曾嗔。

ここに茅屋へかえりついてみると近所の人人はだれも自分の態度に対しておこる様なものはいないのである。

9 茅宇 茅葺きの屋根、瀼西の杜甫の住まい、草堂。

 

老病忌拘束,應接喪精神。

自分は年よりの上、病気で他から拘束されることは禁物だと考え、人に応対をこまめにすることなどしようと思うだけで、元気がうせてしまうのである。

10 應接 他人と応対する。

11 喪精神 思うだけで、元気がうせてしまう。

767年-18 #4杜少陵集 《19-21 甘林》#4 杜甫詩index-15-1127 <1577> 767年大暦2年56歲-18 #4 7282

杜甫  甘林 ##4

盡添軍旅用,迫此公家威。主人長跪問,戎馬何時稀。

我衰易悲傷,屈指數賊圍。勸其死王命,慎莫遠奮飛。

これが、「みんな軍の御用のたすけとなるのである、このようにせよと朝廷からの権威によぎなくされていることなのである」と。そこでこのあるじの長老は膝まづいて自分にまた問いかけていう、「いったい戦乱はいつ、少なくなるのでありましょうか」と。「自分は老衰になってもうじき、もの悲しくなるのである。指をりかぞえるると自分もたびたび賊に囲まれている。」そんなわけだから自分は長老をなだめた。おまえはお上の御命令なら、そのために死力をつくせ。気を付けてここを離れて遠方へ逃げだす様なことをしてはいけないのだ」と。

杜少陵集19-2

甘林  #4

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杜甫詩index-15-

767年大暦256

18  #4

1127 <1577

 

 
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杜甫詩1500-1126-1576/2500

年:767年大暦256-18 

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    甘林

 

甘林

(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)

舍舟越西岡,入林解我衣。

自分は大瀼水左岸に舟をのりすてて西の岡を越え、林のなかにはいって自分の禮服をぬぐ。

青芻適馬性,好鳥知人歸。

それから馬に青草をたべさせると、馬はよろこんでたべる。またよい鳥も人が帰ってきたことを知るとそれにこたえるようにさえずってくれる。

晨光映遠岫,夕露見日晞。

朝日の光が遠方の山にうつろうと、昨夕からかけての露は太陽がでるとまもなく乾いてしまう。

遲暮少寢食,清曠喜荊扉。

自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。

(甘林)

舟を舍てて西岡を越え,林に入りて我が衣を解く。

青芻 馬性に適【かな】う,好鳥 人の歸るを知る。

晨光 遠岫に映ず,夕露 日を見て晞【かわ】く。

遲暮 寢食少し,清曠 荊扉を喜ぶ。
#2

經過倦俗態,在野無所違。

富貴の家などへ立ち寄って世俗なみの付き合いをすることにはあきてしまったし、こうやって林野に住居しておれば、自分の本性に違うことがないのである。

試問甘藜藿,未肯羨輕肥。

自分は試みに我と我が身に問いかける。「汝はあかざ、まめの粗食をうまいとおもっているか」と。自分はこれに答える。「自分はこれまで軽裘肥馬の生活を羨んだことはない。」と。

喧靜不同科,出處各天機。

そして「にぎやかと静かとはもと種類のちがったものだ。世のなかへ出るも遅くもそれはめいめいの生まれ持った自然の妙用というものである。」と。

勿矜朱門是,陋此白屋非。

「朱門の富貴が必ずよいと矜持し、白屋の貧賤が必ずわるいことであるとして貶してはならないものである」と。 

#2

經過 俗態に倦み,野に在りて 違う所無し。

試問す 藜藿を甘しとする や,未だ肯えて輕肥を羨やむ や。

喧靜は 科を同じゅうせず や,出處 各おの天機たる や。

朱門の是を矜り,此の白屋非なりと陋する勿れ。と。
#3

明朝步鄰里,長老可以依。

翌朝、自分は近所をあるいて長老にであったので、自分は長老にいったのである、「長老はわたしを頼りにしてもらっていいのです。」と。

時危賦斂數,粟為爾揮。

続けて「今の時代は、世が危いために、税金の割り付け負担が厳しく、それに取たてが再三再四されるのであるから、お困りのときには、わたしが貴方のために玄米を用立ててあげましょう」と。

相攜行荳田,秋花靄菲菲。

ということで、それから二人で手を携えて長老の管理する豆ばたけにゆき、あたりをめぐると、秋の豆の花がたくさん咲き、菲菲と匂ってくるのである。

子實不得喫,貨市送王畿。

長老がいふに、「この豆は、実になってもわたくしはそれをたべることができない、これは市へだして餞にかえて、税金として京師の方へおくるのである。」と

#3

明朝 鄰里に步す,長老 以て依る可し。

時 危くして 賦斂 數しばなり,粟 爾が為に揮わん と。

相い攜えて 荳田を行る,秋花 靄として菲菲たり。

子實 喫するを得ず,市に貨して王畿に送る。

#4

盡添軍旅用,迫此公家威。

これが、「みんな軍の御用のたすけとなるのである、このようにせよと朝廷からの権威によぎなくされていることなのである」と。

主人長跪問,戎馬何時稀。

そこでこのあるじの長老は膝まづいて自分にまた問いかけていう、「いったい戦乱はいつ、少なくなるのでありましょうか」と。

我衰易悲傷,屈指數賊圍。

「自分は老衰になってもうじき、もの悲しくなるのである。指をりかぞえるると自分もたびたび賊に囲まれている。」そんなわけだから自分は長老をなだめた。

勸其死王命,慎莫遠奮飛。

おまえはお上の御命令なら、そのために死力をつくせ。気を付けてここを離れて遠方へ逃げだす様なことをしてはいけないのだ」と。

#4

盡く軍旅の用を添う,此の公家の威に迫らる。

主人 長跪して問う,戎馬 何れの時か稀ならむ、と。

我 衰えて 悲傷し易し,屈指すれば 數しば 賊に圍まる。

其れに勸む 王命に死せよ,慎みて遠く奮飛すること莫れ、と。

 

『甘林』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

盡添軍旅用,迫此公家威。

主人長跪問,戎馬何時稀。

我衰易悲傷,屈指數賊圍。

勸其死王命,慎莫遠奮飛。
詩文(含異文)#4

盡添軍旅用,迫此公家威。主人長跪問【主人長跪辭】,戎馬何時稀。

我衰易悲傷,屈指數賊圍。勸其死王命,慎莫遠奮飛。


(下し文)
#4

盡く軍旅の用を添う,此の公家の威に迫らる。

主人 長跪して問う,戎馬 何れの時か稀ならむ、と。

我 衰えて 悲傷し易し,屈指すれば 數しば 賊に圍まる。

其れに勸む 王命に死せよ,慎みて遠く奮飛すること莫れ、と。

(現代語訳)
#4

これが、「みんな軍の御用のたすけとなるのである、このようにせよと朝廷からの権威によぎなくされていることなのである」と。

そこでこのあるじの長老は膝まづいて自分にまた問いかけていう、「いったい戦乱はいつ、少なくなるのでありましょうか」と。

「自分は老衰になってもうじき、もの悲しくなるのである。指をりかぞえるると自分もたびたび賊に囲まれている。」そんなわけだから自分は長老をなだめた。

おまえはお上の御命令なら、そのために死力をつくせ。気を付けてここを離れて遠方へ逃げだす様なことをしてはいけないのだ」と。


(訳注) #4

甘林

(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)

瀼東から帰ろうとして、長雨であえることができずにいた(《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14漢詩ブログ7187)が、瀼西の柑林にかえったことをよんだ詩。大暦二年秋の作。

 

盡添軍旅用,迫此公家威。

これが、「みんな軍の御用のたすけとなるのである、このようにせよと朝廷からの権威によぎなくされていることなのである」と。

36 添軍旅用 律令時代の租庸調・唐代の均田法下の税法。給田を受けた丁男(2159歳)に課したもので、租は粟(あわ)2石、庸は年20日(閏年は22日)の労役、または代納として1日当たり絹3尺、調は絹2丈と綿3両、または布2.5丈と麻3斤。その均田制が崩壊し、大土地所有の進行の一方で、本籍から離れ小作人となる農民が増えるようになると、制度の維持が難しくなり、地税・青苗税・戸税などの弥縫的な税に移行した。

37 公家威 官家、朝廷府縣官、すべて公家という。

 

主人長跪問,戎馬何時稀。

そこでこのあるじの長老は膝まづいて自分にまた問いかけていう、「いったい戦乱はいつ、少なくなるのでありましょうか」と。

38 主人長跪問 主人はちょうろうのこと、長跪は両ひざをつき、ひざまずく。「跪坐(きざ)・跪謝/拝跪」あるじの長老は膝立ちして自分にまた問いかけていう。

39 戎馬 戦争に使用する馬。軍馬。

 

我衰易悲傷,屈指數賊圍。

「自分は老衰になってもうじき、もの悲しくなるのである。指をりかぞえるると自分もたびたび賊に囲まれている。」そんなわけだから自分は長老をなだめた。

40 我衰 杜甫のからだが衰えたこと。

41 數賊圍 何度か、指をりかぞえるると自分もたびたひ賊に囲まれている。

 

勸其死王命,慎莫遠奮飛。

おまえはお上の御命令なら、そのために死力をつくせ。気を付けてここを離れて遠方へ逃げだす様なことをしてはいけないのだ」と。

42 勸其 長老に勧める。其は長老のこと。

43 死王命 天子の命、税を納めること、兵役に出ることを至上命令とする。

44 奮飛 鳥の様に飛び去ること。

 

 

《甘林》 【字解】

 

1 甘林 晩春に果樹園(蜜柑園)を丸ごと買い入れ、四十畝の果樹園を所有した。後で取り上げるが《2066_寒雨朝行視園樹》(寒雨に朝行きて園の樹を視る)の詩には「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあり、千本にも近い蜜柑の木(千橘)が、瀼西の草堂に具わっていたとはっきり述べている。

2 舍舟 大瀼水左岸に舟をのりする。

3 青芻 青草のまぐさ。

4 適馬性 上陸後に馬にのって草堂に帰り、馬に草をたべさす。草は馬の好む餌である。

《巻十九04 歸》

束帶還騎馬,東西卻渡船。林中才有地,峽外無天。

虛白高人靜,喧卑俗累牽。他鄉閱遲暮,不敢廢詩篇。

束帶して還た馬に騎る,東西卻って船を渡す。林中 才【わずか】に地有り,峽外 えて天無し。

虛白 高人靜なり,喧卑なるは 俗累牽かる。他 遲暮をし,敢えて詩篇を廢せず。

5 遠岫 洞窟のある山が遠くに見える。岫は穴のあるやま。

6 夕露見 昨日の夕刻からの夜露。

7 日晞 太陽の日明かりで乾くことを言う。

8 清曠 すがすがしく広い気持ちになる風景。

9 荊扉 瀼西の草堂の棘で造った扉、隠遁者の棲む柴門。

10 經過 富貴のものなどの家に立ち寄ること。

11 俗態 俗世間の人波の付き合いを言う。

12 在野 林野に住居すること。

13 無所違 自分の本性にたがわぬこと。

14 試問 自ら問いかけること。策問、推問と以下の詩文もある

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首Q-1 -(1) 杜甫index-14 764年(1)Q-1-#1 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4230 杜甫詩1500-765-1017/2500index-21

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(4) 杜甫 琯関連 1-(4) 杜甫<1502-4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4360 杜甫詩1500-1502-4-1043/2500

15 甘藜藿 あかざ、まめの粗食をうまいと食すること。

16 未肯羨輕肥 試問に対してここから下句に答えることを“”で示す。輕肥は軽裘肥馬、《論語、雍也》「乗肥馬衣軽裘」(肥馬に乗り、軽裘を衣ふ)に基づく。軽く暖かい皮ごろもと肥えた馬。富貴な人が外出するときのいでたちにいう。軽肥。

17 喧靜 にぎやかにするのと静かなことが好きであること。

18 不同科 同じ種類、性質のものではない。

19 出處 喧の進出と静の退席するところ。

20 天機 1 造化の秘密。天地自然の神秘。2 生まれつきの才能。3 天子の機嫌。天気。

21 矜 ほこる。矜持。

22 朱門是 富貴の家に生まれること、富貴の家に住まいすることが良いこととする。

23 陋 みすぼらしい。いやしいとする。さげすむ。

24 白屋非 白茅の茅葺屋根の貧しい暮らしの家を悪いこととする。

25 鄰里 瀼西には、東屯に比べ住居が少なく、近所とは少し離れた位置関係にあった。

26 賦斂數 税金の割り付け負担が厳しく、それに取たてが再三再四されるということ。この杜甫詩の紹介で再三取り上げている。粛宗と賀蘭進明、第五琦の経済政策の誤りから極度のインフレが進んでいたのである。それは、代宗に代わっても継続されていた。にだから農民は、物納せずに、貨幣に変えて納税すようになったが、必ずしも公平な商売ではなかった。

756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1) 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯 房琯関連 1-(2) 杜甫index-5 756年 房琯関連 1-(2) 杜甫<1601-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4350 杜甫詩1500-1601-2-1041/2500

27  杜甫は、《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢・・・》詩で「西成聚必散,不獨陵我倉。豈要仁里譽,感此亂世忙。」(西成 聚まれば必ず散ぜん,獨り我が倉を陵【たか】くするのみならず。豈に仁里の譽を要めんや,此の亂世の忙わしきに感ず。)じき秋になり豊作になれば、自分は自分の倉をたかく積みあげるばかりでなく、集まった穀物をきっと散じてひとびとにもわけてやろうとおもっている。

これは自分のいるこの村が、仁者の里だなどいわれてほめられることを求めるわけではない、まのあたりみる乱世の人民のあわただしさをみて感にたえないためだ。

767-13-#1杜甫 19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-13-#1 <1103 漢文委員会kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ7163

28 為爾揮 長老のために、玄米を用立ててあげようということ。

29 荳田 この二句は、老人の豆畑の様子。

30 秋花 豆の花。

31 靄菲菲 豆の花が盛んに咲いて、もやもやとした空気間の中に、まめの花の匂いが漂っている。

32 子實 豆の実が熟すこと。

33 不得喫 それをたべることができない。

34 貨市 市場で売ってお金にする。物納したのでは、インフレで不足となるので貨幣で納税することを、奨励していたのである。

35 送王畿 王畿は、長安のことを言い、此処では朝廷をさす。

767年-18 #3 杜少陵集  《19-21 甘林 》 #3杜甫詩index-15-1126首目 <1576回>767年大暦2年56歲-18 #3漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7277 

杜甫  甘林 #3

明朝步鄰里,長老可以依。時危賦斂數,粟為爾揮。

相攜行荳田,秋花靄菲菲。子實不得喫,貨市送王畿。

翌朝、自分は近所をあるいて長老にであったので、自分は長老にいったのである、「長老はわたしを頼りにしてもらっていいのです。」と。続けて「今の時代は、世が危いために、税金の割り付け負担が厳しく、それに取たてが再三再四されるのであるから、お困りのときには、わたしが貴方のために玄米を用立ててあげましょう」と。ということで、それから二人で手を携えて長老の管理する豆ばたけにゆき、あたりをめぐると、秋の豆の花がたくさん咲き、菲菲と匂ってくるのである。長老がいふに、「この豆は、実になってもわたくしはそれをたべることができない、これは市へだして餞にかえて、税金として京師の方へおくるのである。」と。

767-18  #3 

杜少陵集  《19-21 甘林 》 #3

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7277 

杜甫詩index-15-

1126 <1576

767年大暦256

18  #3

 

 
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杜甫詩1500-1126-1576/2500

年:767年大暦256-18 

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    甘林

 

甘林

(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)

舍舟越西岡,入林解我衣。

自分は大瀼水左岸に舟をのりすてて西の岡を越え、林のなかにはいって自分の禮服をぬぐ。

青芻適馬性,好鳥知人歸。

それから馬に青草をたべさせると、馬はよろこんでたべる。またよい鳥も人が帰ってきたことを知るとそれにこたえるようにさえずってくれる。

晨光映遠岫,夕露見日晞。

朝日の光が遠方の山にうつろうと、昨夕からかけての露は太陽がでるとまもなく乾いてしまう。

遲暮少寢食,清曠喜荊扉。

自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。

(甘林)

舟を舍てて西岡を越え,林に入りて我が衣を解く。

青芻 馬性に適【かな】う,好鳥 人の歸るを知る。

晨光 遠岫に映ず,夕露 日を見て晞【かわ】く。

遲暮 寢食少し,清曠 荊扉を喜ぶ。
#2

經過倦俗態,在野無所違。

富貴の家などへ立ち寄って世俗なみの付き合いをすることにはあきてしまったし、こうやって林野に住居しておれば、自分の本性に違うことがないのである。

試問甘藜藿,未肯羨輕肥。

自分は試みに我と我が身に問いかける。「汝はあかざ、まめの粗食をうまいとおもっているか」と。自分はこれに答える。「自分はこれまで軽裘肥馬の生活を羨んだことはない。」と。

喧靜不同科,出處各天機。

そして「にぎやかと静かとはもと種類のちがったものだ。世のなかへ出るも遅くもそれはめいめいの生まれ持った自然の妙用というものである。」と。

勿矜朱門是,陋此白屋非。

「朱門の富貴が必ずよいと矜持し、白屋の貧賤が必ずわるいことであるとして貶してはならないものである」と。 

#2

經過 俗態に倦み,野に在りて 違う所無し。

試問す 藜藿を甘しとする や,未だ肯えて輕肥を羨やむ や。

喧靜は 科を同じゅうせず や,出處 各おの天機たる や。

朱門の是を矜り,此の白屋非なりと陋する勿れ。と。
#3

明朝步鄰里,長老可以依。

翌朝、自分は近所をあるいて長老にであったので、自分は長老にいったのである、「長老はわたしを頼りにしてもらっていいのです。」と。

時危賦斂數,粟為爾揮。

続けて「今の時代は、世が危いために、税金の割り付け負担が厳しく、それに取たてが再三再四されるのであるから、お困りのときには、わたしが貴方のために玄米を用立ててあげましょう」と。

相攜行荳田,秋花靄菲菲。

ということで、それから二人で手を携えて長老の管理する豆ばたけにゆき、あたりをめぐると、秋の豆の花がたくさん咲き、菲菲と匂ってくるのである。

子實不得喫,貨市送王畿。

長老がいふに、「この豆は、実になってもわたくしはそれをたべることができない、これは市へだして餞にかえて、税金として京師の方へおくるのである。」と

#3

明朝 鄰里に步す,長老 以て依る可し。

時 危くして 賦斂 數しばなり,粟 爾が為に揮わん と。

相い攜えて 荳田を行る,秋花 靄として菲菲たり。

子實 喫するを得ず,市に貨して王畿に送る。
#4

盡添軍旅用,迫此公家威。

主人長跪問,戎馬何時稀。

我衰易悲傷,屈指數賊圍。

勸其死王命,慎莫遠奮飛。

 

tanbo955 

『甘林』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

明朝步鄰里,長老可以依。

時危賦斂數,粟為爾揮。

相攜行荳田,秋花靄菲菲。

子實不得喫,貨市送王畿。

(下し文)
#3

明朝 鄰里に步す,長老 以て依る可し。

時 危くして 賦斂 數しばなり,粟 爾が為に揮わん と。

相い攜えて 荳田を行る,秋花 靄として菲菲たり。

子實 喫するを得ず,市に貨して王畿に送る。

(現代語訳)
#3

翌朝、自分は近所をあるいて長老にであったので、自分は長老にいったのである、「長老はわたしを頼りにしてもらっていいのです。」と。

続けて「今の時代は、世が危いために、税金の割り付け負担が厳しく、それに取たてが再三再四されるのであるから、お困りのときには、わたしが貴方のために玄米を用立ててあげましょう」と。

ということで、それから二人で手を携えて長老の管理する豆ばたけにゆき、あたりをめぐると、秋の豆の花がたくさん咲き、菲菲と匂ってくるのである。

長老がいふに、「この豆は、実になってもわたくしはそれをたべることができない、これは市へだして餞にかえて、税金として京師の方へおくるのである。」と


瞿塘峡・白帝城・魚復(訳注) #3

甘林

(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)

瀼東から帰ろうとして、長雨であえることができずにいた(《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14漢詩ブログ7187)が、瀼西の柑林にかえったことをよんだ詩。大暦二年秋の作。

 

明朝步鄰里,長老可以依。

翌朝、自分は近所をあるいて長老にであったので、自分は長老にいったのである、「長老はわたしを頼りにしてもらっていいのです。」と。

25 鄰里 瀼西には、東屯に比べ住居が少なく、近所とは少し離れた位置関係にあった。

 

時危賦斂數,粟為爾揮。

続けて「今の時代は、世が危いために、税金の割り付け負担が厳しく、それに取たてが再三再四されるのであるから、お困りのときには、わたしが貴方のために玄米を用立ててあげましょう」と。

26 賦斂數 税金の割り付け負担が厳しく、それに取たてが再三再四されるということ。この杜甫詩の紹介で再三取り上げている。粛宗と賀蘭進明、第五琦の経済政策の誤りから極度のインフレが進んでいたのである。それは、代宗に代わっても継続されていた。にだから農民は、物納せずに、貨幣に変えて納税すようになったが、必ずしも公平な商売ではなかった。

756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1) 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯 房琯関連 1-(2) 杜甫index-5 756年 房琯関連 1-(2) 杜甫<1601-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4350 杜甫詩1500-1601-2-1041/2500

27  杜甫は、《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢・・・》詩で「西成聚必散,不獨陵我倉。豈要仁里譽,感此亂世忙。」(西成 聚まれば必ず散ぜん,獨り我が倉を陵【たか】くするのみならず。豈に仁里の譽を要めんや,此の亂世の忙わしきに感ず。)じき秋になり豊作になれば、自分は自分の倉をたかく積みあげるばかりでなく、集まった穀物をきっと散じてひとびとにもわけてやろうとおもっている。

これは自分のいるこの村が、仁者の里だなどいわれてほめられることを求めるわけではない、まのあたりみる乱世の人民のあわただしさをみて感にたえないためだ。

767-13-#1杜甫 19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-13-#1 <1103 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7163

28 為爾揮 長老のために、玄米を用立ててあげようということ。

 

相攜行荳田,秋花靄菲菲。

ということで、それから二人で手をたずさへて長老の管理する豆ばたけにゆき、あたりをめぐると、秋の豆の花がたくさん咲き、菲菲と匂ってくるのである。

29 荳田 この二句は、老人の豆畑の様子。

30 秋花 豆の花。

31 靄菲菲 豆の花が盛んに咲いて、もやもやとした空気間の中に、まめの花の匂いが漂っている。

 

子實不得喫,貨市送王畿。

長老がいふに、「この豆は、実になってもわたくしはそれをたべることができない、これは市へだして餞にかえて、税金として京師の方へおくるのである。」と

32 子實 豆の実が熟すこと。

33 不得喫 それをたべることができない。

34 貨市 市場で売ってお金にする。物納したのでは、インフレで不足となるので貨幣で納税することを、奨励していたのである。

35 送王畿 王畿は、長安のことを言い、此処では朝廷をさす。

 

 

《甘林》 【字解】

 

1 甘林 晩春に果樹園(蜜柑園)を丸ごと買い入れ、四十畝の果樹園を所有した。後で取り上げるが《2066_寒雨朝行視園樹》(寒雨に朝行きて園の樹を視る)の詩には「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあり、千本にも近い蜜柑の木(千橘)が、瀼西の草堂に具わっていたとはっきり述べている。

2 舍舟 大瀼水左岸に舟をのりする。

3 青芻 青草のまぐさ。

4 適馬性 上陸後に馬にのって草堂に帰り、馬に草をたべさす。草は馬の好む餌である。

《巻十九04 歸》

束帶還騎馬,東西卻渡船。林中才有地,峽外無天。

虛白高人靜,喧卑俗累牽。他鄉閱遲暮,不敢廢詩篇。

束帶して還た馬に騎る,東西卻って船を渡す。林中 才【わずか】に地有り,峽外 えて天無し。

虛白 高人靜なり,喧卑なるは 俗累牽かる。他 遲暮をし,敢えて詩篇を廢せず。

5 遠岫 洞窟のある山が遠くに見える。岫は穴のあるやま。

6 夕露見 昨日の夕刻からの夜露。

7 日晞 太陽の日明かりで乾くことを言う。

8 清曠 すがすがしく広い気持ちになる風景。

9 荊扉 瀼西の草堂の棘で造った扉、隠遁者の棲む柴門。

10 經過 富貴のものなどの家に立ち寄ること。

11 俗態 俗世間の人波の付き合いを言う。

12 在野 林野に住居すること。

13 無所違 自分の本性にたがわぬこと。

14 試問 自ら問いかけること。策問、推問と以下の詩文もある

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首Q-1 -(1) 杜甫index-14 764年(1)Q-1-#1 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4230 杜甫詩1500-765-1017/2500index-21

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(4) 杜甫 房琯関連 1-(4) 杜甫<1502-4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4360 杜甫詩1500-1502-4-1043/2500

15 甘藜藿 あかざ、まめの粗食をうまいと食すること。

16 未肯羨輕肥 試問に対してここから下句に答えることを“”で示す。輕肥は軽裘肥馬、《論語、雍也》「乗肥馬衣軽裘」(肥馬に乗り、軽裘を衣ふ)に基づく。軽く暖かい皮ごろもと肥えた馬。富貴な人が外出するときのいでたちにいう。軽肥。

17 喧靜 にぎやかにするのと静かなことが好きであること。

18 不同科 同じ種類、性質のものではない。

19 出處 喧の進出と静の退席するところ。

20 天機 1 造化の秘密。天地自然の神秘。2 生まれつきの才能。3 天子の機嫌。天気。

21 矜 ほこる。矜持。

22 朱門是 富貴の家に生まれること、富貴の家に住まいすることが良いこととする。

23 陋 みすぼらしい。いやしいとする。さげすむ。

24 白屋非 白茅の茅葺屋根の貧しい暮らしの家を悪いこととする。

767年-18 # 2《 杜少陵集 19-21 甘林  》#2 杜甫詩index-15-1125 <1575> 767年大暦2年56歲-18 #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7272 

杜甫詩  甘林 #2

經過倦俗態,在野無所違。試問甘藜藿,未肯羨輕肥。

喧靜不同科,出處各天機。勿矜朱門是,陋此白屋非。
富貴の家などへ立ち寄って世俗なみの付き合いをすることにはあきてしまったし、こうやって林野に住居しておれば、自分の本性に違うことがないのである。

自分は試みに我と我が身に問いかける。「汝はあかざ、まめの粗食をうまいとおもっているか」と。自分はこれに答える。「自分はこれまで軽裘肥馬の生活を羨んだことはない。」と。

そして「にぎやかと静かとはもと種類のちがったものだ。世のなかへ出るも遅くもそれはめいめいの生まれ持った自然の妙用というものである。」と。

「朱門の富貴が必ずよいと矜持し、白屋の貧賤が必ずわるいことであるとして貶してはならないものである」と。 

767-18  # 2

杜少陵集 19-21

甘林  #2

杜甫詩index-15-1125 <1575 767年大暦256-18  #2

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晩春に果樹園(蜜柑園)を丸ごと買い入れて、収穫を終えた翌春早々には、もう他人に譲渡している。ワン・サイクルの収穫を終えただけでは、経営と呼ぶには値しないかもしれない。したがって、一定の成果しか上がらず、故郷に帰る軍資金づくりの足しにならないか、あるいは、その軍資金に達する売り上げがあったので、早いうちにやめないと、菱州を旅立つことができないと思ったのかもしれない。しかし、収穫作業の他にも除草や施肥や土寄せなどの作業、また除虫や防寒対策(さらに蜜柑泥棒からの防護策)などの若干の必要な農事は行われたであろうし、この時期に突出して現れる蜜柑に対する並々ならぬ杜甫の関心などを考えると、杜甫の農的営為の一つとして蜜柑園経営をあげてもよいのではないかと思う。それに、杜甫は、蜜柑に関する詩を作ること、その詩を関係者に見せることで、蜜柑を得ることに成功したと考えられる。杜甫に生活を進める手段としても杜詩はうまく活用されたのである。

 とはいえ、さして具体的な農作業が歌われているわけではないので、杜甫の蜜柑関連の詩の中で、どのように蜜柑が登場し、どのように詠じられているかを、時代順に追記していくと以下の通り。

夔州における杜甫の蜜柑に関する詩

《杜少陵集   詩題   》( 下し文 ) 767年度の作順

767年~夏

  《1917_阻雨不得歸瀼西甘林》(雨に阻まれ瀼西の甘林に帰るを得ず 14

    767年~秋

  《1921_甘林》 18

  2068_即事》 61

  1858_暮春題瀼西新賃草屋,五首之二》(暮春に瀼西の新たに賃せる草屋に題す、五首》其二 74

  《1925_樹間》 84

  《2066_寒雨朝行視園樹》(寒雨に朝に行きて園樹を視る) 88

  《2064_季秋江村》(季秋の江村) 89

  《2054_從驛次草堂復至東屯茅屋,二首之一》(駅従りきたりて草堂に次(やど)り、復た東屯の茅屋に至る、二首其一)99

  《1945_峽隘》 104

  《1940_秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻》六段目(秋日に夔府にて懐いを詠じ鄭監と李賓客に寄せ奉る、一百韻)106

  《1926_白露》 154

  2033_十七夜對月》 (十七夜に月に対す)179

767年~正月

  《2075_孟冬》 198

   768年~

  《2137_將別巫峽,贈南卿兄瀼西果園四十畝》 (将に巫峡に別れんとして南卿兄に瀼西の果園四十畝を贈る) 27

 

 

 

年:767年大暦256-18 

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    甘林

 

甘林

(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)

舍舟越西岡,入林解我衣。

自分は大瀼水左岸に舟をのりすてて西の岡を越え、林のなかにはいって自分の禮服をぬぐ。

青芻適馬性,好鳥知人歸。

それから馬に青草をたべさせると、馬はよろこんでたべる。またよい鳥も人が帰ってきたことを知るとそれにこたえるようにさえずってくれる。

晨光映遠岫,夕露見日晞。

朝日の光が遠方の山にうつろうと、昨夕からかけての露は太陽がでるとまもなく乾いてしまう。

遲暮少寢食,清曠喜荊扉。

自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。

(甘林)

舟を舍てて西岡を越え,林に入りて我が衣を解く。

青芻 馬性に適【かな】う,好鳥 人の歸るを知る。

晨光 遠岫に映ず,夕露 日を見て晞【かわ】く。

遲暮 寢食少し,清曠 荊扉を喜ぶ。
#2

經過倦俗態,在野無所違。

富貴の家などへ立ち寄って世俗なみの付き合いをすることにはあきてしまったし、こうやって林野に住居しておれば、自分の本性に違うことがないのである。

試問甘藜藿,未肯羨輕肥。

自分は試みに我と我が身に問いかける。「汝はあかざ、まめの粗食をうまいとおもっているか」と。自分はこれに答える。「自分はこれまで軽裘肥馬の生活を羨んだことはない。」と。

喧靜不同科,出處各天機。

そして「にぎやかと静かとはもと種類のちがったものだ。世のなかへ出るも遅くもそれはめいめいの生まれ持った自然の妙用というものである。」と。

勿矜朱門是,陋此白屋非。

「朱門の富貴が必ずよいと矜持し、白屋の貧賤が必ずわるいことであるとして貶してはならないものである」と。 

#2

經過 俗態に倦み,野に在りて 違う所無し。

試問す 藜藿を甘しとする や,未だ肯えて輕肥を羨やむ や。

喧靜は 科を同じゅうせず や,出處 各おの天機たる や。

朱門の是を矜り,此の白屋非なりと陋する勿れ。と。
#3

明朝步鄰里,長老可以依。

時危賦斂數,粟為爾揮。

相攜行荳田,秋花靄菲菲。

子實不得喫,貨市送王畿。

#4

盡添軍旅用,迫此公家威。

主人長跪問,戎馬何時稀。

我衰易悲傷,屈指數賊圍。

勸其死王命,慎莫遠奮飛。

 

『甘林』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

經過倦俗態,在野無所違。

試問甘藜藿,未肯羨輕肥。

喧靜不同科,出處各天機。

勿矜朱門是,陋此白屋非。

(下し文)
#2

經過 俗態に倦み,野に在りて 違う所無し。

試問す 藜藿を甘しとする や,未だ肯えて輕肥を羨やむ や。

喧靜は 科を同じゅうせず や,出處 各おの天機たる や。

朱門の是を矜り,此の白屋非なりと陋する勿れ。と。

(現代語訳)
#2

富貴の家などへ立ち寄って世俗なみの付き合いをすることにはあきてしまったし、こうやって林野に住居しておれば、自分の本性に違うことがないのである。

自分は試みに我と我が身に問いかける。「汝はあかざ、まめの粗食をうまいとおもっているか」と。自分はこれに答える。「自分はこれまで軽裘肥馬の生活を羨んだことはない。」と。

そして「にぎやかと静かとはもと種類のちがったものだ。世のなかへ出るも遅くもそれはめいめいの生まれ持った自然の妙用というものである。」と。

「朱門の富貴が必ずよいと矜持し、白屋の貧賤が必ずわるいことであるとして貶してはならないものである」と。 

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注) #2

甘林

(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)

瀼東から帰ろうとして、長雨であえることができずにいた(《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14漢詩ブログ7187)が、瀼西の柑林にかえったことをよんだ詩。大暦二年秋の作。

 

經過倦俗態,在野無所違。

富貴の家などへ立ち寄って世俗なみの付き合いをすることにはあきてしまったし、こうやって林野に住居しておれば、自分の本性に違うことがないのである。

10 經過 富貴のものなどの家に立ち寄ること。

11 俗態 俗世間の人波の付き合いを言う。

12 在野 林野に住居すること。

13 無所違 自分の本性にたがわぬこと。

 

試問“甘藜藿,未肯羨輕肥。”

自分は試みに我と我が身に問いかける。「汝はあかざ、まめの粗食をうまいとおもっているか」と。自分はこれに答える。「自分はこれまで軽裘肥馬の生活を羨んだことはない。」と。

14 試問 自ら問いかけること。策問、推問と以下の詩文もある

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首Q-1 -(1) 杜甫index-14 764年(1)Q-1-#1 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4230 杜甫詩1500-765-1017/2500index-21

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(4) 杜甫 房琯関連 1-(4) 杜甫<1502-4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4360 杜甫詩1500-1502-4-1043/2500

15 甘藜藿 あかざ、まめの粗食をうまいと食すること。

16 未肯羨輕肥 試問に対してここから下句に答えることを“”で示す。輕肥は軽裘肥馬、《論語、雍也》「乗肥馬衣軽裘」(肥馬に乗り、軽裘を衣ふ)に基づく。軽く暖かい皮ごろもと肥えた馬。富貴な人が外出するときのいでたちにいう。軽肥。

 

“喧靜不同科,出處各天機。”

そして「にぎやかと静かとはもと種類のちがったものだ。世のなかへ出るも遅くもそれはめいめいの生まれ持った自然の妙用というものである。」と。

17 喧靜 にぎやかにするのと静かなことが好きであること。

18 不同科 同じ種類、性質のものではない。

19 出處 喧の進出と静の退席するところ。

20 天機 1 造化の秘密。天地自然の神秘。2 生まれつきの才能。3 天子の機嫌。天気。

 

“勿矜朱門是,陋此白屋非。”

「朱門の富貴が必ずよいと矜持し、白屋の貧賤が必ずわるいことであるとして貶してはならないものである」と。 

21 矜 ほこる。矜持。

22 朱門是 富貴の家に生まれること、富貴の家に住まいすることが良いこととする。

23 陋 みすぼらしい。いやしいとする。さげすむ。

24 白屋非 白茅の茅葺屋根の貧しい暮らしの家を悪いこととする。

 

三峡 巫山十二峰001 

 

《甘林》 【字解】

 

1 甘林 晩春に果樹園(蜜柑園)を丸ごと買い入れ、四十畝の果樹園を所有した。後で取り上げるが《2066_寒雨朝行視園樹》(寒雨に朝行きて園の樹を視る)の詩には「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあり、千本にも近い蜜柑の木(千橘)が、瀼西の草堂に具わっていたとはっきり述べている。

2 舍舟 大瀼水左岸に舟をのりする。

3 青芻 青草のまぐさ。

4 適馬性 上陸後に馬にのって草堂に帰り、馬に草をたべさす。草は馬の好む餌である。

《巻十九04 歸》

束帶還騎馬,東西卻渡船。林中才有地,峽外無天。

虛白高人靜,喧卑俗累牽。他鄉閱遲暮,不敢廢詩篇。

束帶して還た馬に騎る,東西卻って船を渡す。林中 才【わずか】に地有り,峽外 えて天無し。

虛白 高人靜なり,喧卑なるは 俗累牽かる。他 遲暮をし,敢えて詩篇を廢せず。

5 遠岫 洞窟のある山が遠くに見える。岫は穴のあるやま。

6 夕露見 昨日の夕刻からの夜露。

7 日晞 太陽の日明かりで乾くことを言う。

8 清曠 すがすがしく広い気持ちになる風景。

9 荊扉 瀼西の草堂の棘で造った扉、隠遁者の棲む柴門。

767年-18 # 1 《杜少陵集 19-21 甘林 》#1 杜甫詩index-15-1124 <1574> 767年大暦2年56歲-18 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7267 

甘林  #1

舍舟越西岡,入林解我衣。青芻適馬性,好鳥知人歸。

晨光映遠岫,夕露見日晞。遲暮少寢食,清曠喜荊扉。

(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)

自分は大瀼水左岸に舟をのりすてて西の岡を越え、林のなかにはいって自分の禮服をぬぐ。それから馬に青草をたべさせると、馬はよろこんでたべる。またよい鳥も人が帰ってきたことを知るとそれにこたえるようにさえずってくれる。朝日の光が遠方の山にうつろうと、昨夕からかけての露は太陽がでるとまもなく乾いてしまう。自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。

767-18  # 1

《杜少陵集 19-21 甘林 》#1

杜甫詩index-15-1124 <1574 767年大暦256-18  #1

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杜甫詩1500-1124-1574/2500

晩春に果樹園(蜜柑園)を丸ごと買い入れて、収穫を終えた翌春早々には、もう他人に譲渡している。ワン・サイクルの収穫を終えただけでは、経営と呼ぶには値しないかもしれない。したがって、一定の成果しか上がらず、故郷に帰る軍資金づくりの足しにならないか、あるいは、その軍資金に達する売り上げがあったので、早いうちにやめないと、菱州を旅立つことができないと思ったのかもしれない。しかし、収穫作業の他にも除草や施肥や土寄せなどの作業、また除虫や防寒対策(さらに蜜柑泥棒からの防護策)などの若干の必要な農事は行われたであろうし、この時期に突出して現れる蜜柑に対する並々ならぬ杜甫の関心などを考えると、杜甫の農的営為の一つとして蜜柑園経営をあげてもよいのではないかと思う。それに、杜甫は、蜜柑に関する詩を作ること、その詩を関係者に見せることで、蜜柑を得ることに成功したと考えられる。杜甫に生活を進める手段としても杜詩はうまく活用されたのである。

 とはいえ、さして具体的な農作業が歌われているわけではないので、杜甫の蜜柑関連の詩の中で、どのように蜜柑が登場し、どのように詠じられているかを、時代順に追記していくと以下の通り。

夔州における杜甫の蜜柑に関する詩

《杜少陵集   詩題   》( 下し文 ) 767年度の作順

767年~夏

  《1917_阻雨不得歸瀼西甘林》(雨に阻まれ瀼西の甘林に帰るを得ず 14

    767年~秋

  《1921_甘林》 18

  2068_即事》 61

  1858_暮春題瀼西新賃草屋,五首之二》(暮春に瀼西の新たに賃せる草屋に題す、五首》其二 74

  《1925_樹間》 84

  《2066_寒雨朝行視園樹》(寒雨に朝に行きて園樹を視る) 88

  《2064_季秋江村》(季秋の江村) 89

  《2054_從驛次草堂復至東屯茅屋,二首之一》(駅従りきたりて草堂に次(やど)り、復た東屯の茅屋に至る、二首其一)99

  《1945_峽隘》 104

  《1940_秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻》六段目(秋日に夔府にて懐いを詠じ鄭監と李賓客に寄せ奉る、一百韻)106

  《1926_白露》 154

  2033_十七夜對月》 (十七夜に月に対す)179

767年~正月

  《2075_孟冬》 198

   768年~

  《2137_將別巫峽,贈南卿兄瀼西果園四十畝》 (将に巫峡に別れんとして南卿兄に瀼西の果園四十畝を贈る) 27

 

 

 

年:767年大暦256-18 

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    甘林

 

甘林

(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)

舍舟越西岡,入林解我衣。

自分は大瀼水左岸に舟をのりすてて西の岡を越え、林のなかにはいって自分の禮服をぬぐ。

青芻適馬性,好鳥知人歸。

それから馬に青草をたべさせると、馬はよろこんでたべる。またよい鳥も人が帰ってきたことを知るとそれにこたえるようにさえずってくれる。

晨光映遠岫,夕露見日晞。

朝日の光が遠方の山にうつろうと、昨夕からかけての露は太陽がでるとまもなく乾いてしまう。

遲暮少寢食,清曠喜荊扉。

自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。

(甘林)

舟を舍てて西岡を越え,林に入りて我が衣を解く。

青芻 馬性に適【かな】う,好鳥 人の歸るを知る。

晨光 遠岫に映ず,夕露 日を見て晞【かわ】く。

遲暮 寢食少し,清曠 荊扉を喜ぶ。

經過倦俗態,在野無所違。

試問甘藜藿,未肯羨輕肥。

喧靜不同科,出處各天機。

勿矜朱門是,陋此白屋非。

 

明朝步鄰里,長老可以依。

時危賦斂數,粟為爾揮。

相攜行荳田,秋花靄菲菲。

子實不得喫,貨市送王畿。

 

盡添軍旅用,迫此公家威。

主人長跪問,戎馬何時稀。

我衰易悲傷,屈指數賊圍。

勸其死王命,慎莫遠奮飛。

 

『甘林』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

甘林

舍舟越西岡,入林解我衣。

青芻適馬性,好鳥知人歸。

晨光映遠岫,夕露見日晞。

遲暮少寢食,清曠喜荊扉。

(下し文)
(甘林)

舟を舍てて西岡を越え,林に入りて我が衣を解く。

青芻 馬性に適【かな】う,好鳥 人の歸るを知る。

晨光 遠岫に映ず,夕露 日を見て晞【かわ】く。

遲暮 寢食少し,清曠 荊扉を喜ぶ。

(現代語訳)
甘林(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)

自分は大瀼水左岸に舟をのりすてて西の岡を越え、林のなかにはいって自分の禮服をぬぐ。

それから馬に青草をたべさせると、馬はよろこんでたべる。またよい鳥も人が帰ってきたことを知るとそれにこたえるようにさえずってくれる。

朝日の光が遠方の山にうつろうと、昨夕からかけての露は太陽がでるとまもなく乾いてしまう。

自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注)

甘林

(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)

瀼東から帰ろうとして、長雨であえることができずにいた(《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14漢詩ブログ7187)が、瀼西の柑林にかえったことをよんだ詩。大暦二年秋の作。

1 甘林 晩春に果樹園(蜜柑園)を丸ごと買い入れ、四十畝の果樹園を所有した。後で取り上げるが《2066_寒雨朝行視園樹》(寒雨に朝行きて園の樹を視る)の詩には「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあり、千本にも近い蜜柑の木(千橘)が、瀼西の草堂に具わっていたとはっきり述べている。

 

舍舟越西岡,入林解我衣。

自分は大瀼水左岸に舟をのりすてて西の岡を越え、林のなかにはいって自分の禮服をぬぐ。

2 舍舟 大瀼水左岸に舟をのりする。

 

青芻適馬性,好鳥知人歸。

それから馬に青草をたべさせると、馬はよろこんでたべる。またよい鳥も人が帰ってきたことを知るとそれにこたえるようにさえずってくれる。

3 青芻 青草のまぐさ。

4 適馬性 上陸後に馬にのって草堂に帰り、馬に草をたべさす。草は馬の好む餌である。

《巻十九04 歸》

束帶還騎馬,東西卻渡船。林中才有地,峽外無天。

虛白高人靜,喧卑俗累牽。他鄉閱遲暮,不敢廢詩篇。

束帶して還た馬に騎る,東西卻って船を渡す。林中 才【わずか】に地有り,峽外 えて天無し。

虛白 高人靜なり,喧卑なるは 俗累牽かる。他 遲暮をし,敢えて詩篇を廢せず。

 

晨光映遠岫,夕露見日晞。

朝日の光が遠方の山にうつろうと、昨夕からかけての露は太陽がでるとまもなく乾いてしまう。

5 遠岫 洞窟のある山が遠くに見える。岫は穴のあるやま。

6 夕露見 昨日の夕刻からの夜露。

7 日晞 太陽の日明かりで乾くことを言う。

 

遲暮少寢食,清曠喜荊扉。

自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。

8 清曠 すがすがしく広い気持ちになる風景。

9 荊扉 瀼西の草堂の棘で造った扉、隠遁者の棲む柴門。
夔州東川卜居図詳細 002 

767年-17 杜少陵集19-23 雨 -#3 杜甫詩index-15 1122 <1572> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7257 

杜甫  雨 #3

針灸阻朋曹,糠對童孺。一命須屈色,新知漸成故。

窮荒益自卑,飄泊欲誰訴。羸愁應接,俄頃恐違迕。

針灸治療をしてもらいながらともだちとはへだたり、糠や麦くずをたべながら子供等とうちむかっている。天子の一命の郎官を辱くしながら他人にはこちらの顔色を屈しなければならす、新知己と一時は喜ばれてもやがて故いものとして棄てられる。辺鄙な荒れ果てた土地でますます自分を卑くしてゆかねはならないのである。この漂泊の生活に於いてだれに自分の心中を訴へるべきであろうか。らだがよわくつかれているから人と応対するのはめんどうである。ちょっとした時にでも相手の心にさからいはせぬかと気遣われるのである。

767-17

杜少陵集19-23

 -#3

杜甫詩index-15

1122 <1572

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  孟郊 張籍          
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杜甫詩1500-1122-1572/2500

年:767年大暦256-17  #3

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:   

作地點:              目前尚無資料

及地點:              洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭      

 

雨 #1

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

山雨不作埿,江雲薄為霧。

瀼西の山にふる雨は石地の土地のため泥とはならないし、長江の雲はうすく霧にそまる。

晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。

晴れ間には、嶺のなかごろに鶴が飛ぶ。風が吹くと沙はらの樹木ががさがさと騒ぎ乱れる。

明滅洲景微,隱見巖姿露。

中洲のあたりをてらす日光は明るくなったり消えたりし、巌石の姿は見えたり隠れたりする。

拘悶出門遊,曠經目趣。

こんなことで門外へ出てあそぶことが限られるので気が滅入ってしまう。こんなことで幾日もはればれとした眺望をしたことがない。 

(雨)#1

山雨埿を作さす、江雲薄く霧を為す。

晴には飛ぶ半嶺の鶴、風には亂る平沙の樹。

明滅洲景微なら、隠見巌姿露る。

拘せられて悶す出門の遊、曠なり曠目の趣

#2

消中日伏枕,臥久塵及屨。

自分は糖尿病など持病で日日枕に伏しており、それも、ながながしく臥せっているので履にも塵が厚く及んでいる。

豈無平肩輿,莫辨望路。

肩輿がないわけでもないが、それで、出かけてみても故郷への道路をながめても、歸る路がわきまることもできないのである。

兵戈浩未息,蛇虺反相顧。

久しく兵乱が終わらないので、家族の消息はとどかないけれど、そのかわりに、蛇やまむしがたずねできてくれる。

悠悠邊月破,鬱鬱流年度。 

いたずらに、長長とこの邊境の月の欠けてゆくのをみるばかりであって、思い沈んでさかんに多く流れる年がすぎ去ってゆく。

#2

消中 日びに枕に伏し,臥 久しくして 塵 屨に及ぶ。

豈に 平肩輿無らんや,辨ずる莫し 望路を。

兵戈 浩として 未だ息まず,蛇虺【だき】反って相い顧る。

悠悠 邊月破り,鬱鬱 流年度る。 

#3

針灸阻朋曹,糠對童孺。

針灸治療をしてもらいながらともだちとはへだたり、糠や麦くずをたべながら子供等とうちむかっている。

一命須屈色,新知漸成故。

天子の一命の郎官を辱くしながら他人にはこちらの顔色を屈しなければならす、新知己と一時は喜ばれてもやがて故いものとして棄てられる。

窮荒益自卑,飄泊欲誰訴。

辺鄙な荒れ果てた土地でますます自分を卑くしてゆかねはならないのである。この漂泊の生活に於いてだれに自分の心中を訴へるべきであろうか。

羸愁應接,俄頃恐違迕。

らだがよわくつかれているから人と応対するのはめんどうである。ちょっとした時にでも相手の心にさからいはせぬかと気遣われるのである。

#4

浮俗何萬端,幽人有獨步。

龐公竟獨往,尚子終罕遇。

宿留洞庭秋,天寒瀟湘素。

杖策可入舟,送此齒髮暮。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『雨』  現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

針灸阻朋曹,糠對童孺。

一命須屈色,新知漸成故。

窮荒益自卑,飄泊欲誰訴。

羸愁應接,俄頃恐違迕

(下し文)
#3

針灸に 朋曹阻る,糠 童孺に對す。

一命 須らく色を屈すべし,新知 漸く故と成る。

窮荒 益ます自ら卑くし,飄泊 誰にか訴えんと欲す。

羸【おうえい】應接を愁い,俄頃 違迕せんことを恐る


(現代語訳)
#3

針灸治療をしてもらいながらともだちとはへだたり、糠や麦くずをたべながら子供等とうちむかっている。

天子の一命の郎官を辱くしながら他人にはこちらの顔色を屈しなければならす、新知己と一時は喜ばれてもやがて故いものとして棄てられる。

辺鄙な荒れ果てた土地でますます自分を卑くしてゆかねはならないのである。この漂泊の生活に於いてだれに自分の心中を訴へるべきであろうか。

らだがよわくつかれているから人と応対するのはめんどうである。ちょっとした時にでも相手の心にさからいはせぬかと気遣われるのである。

tanbo955
(訳注) #3

 #3

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

雨のときの感をのべたる詩。峡を出でて荊州・瀟湘の地に入らんと欲する意をいったもの。大暦二年秋の作。

 

針灸阻朋曹,糠對童孺。

針灸治療をしてもらいながらともだちとはへだたり、糠や麦くずをたべながら子供等とうちむかっている。

針灸阻朋曹 鍼灸治療は血の巡りをよくすることにより治癒力高めること。血の巡りは良くなるのに、友人とは音信など滞ってうまくゆかないという意味。

 糠や麦くずをたべること。杜甫《巻19-20 驅豎子摘蒼耳 -3》「亂世誅求急,黎民糠窄。(亂世 誅求 急なり,黎民 糠【こうけつ】窄し。今、世は乱れて人民は上から誅求されることが多く、それも急を要す徴兵、調達であり、糠とか麦といったものでさえ、たらふく食べることができない。

・誅求急 租税などを厳しく取り立てられ、そのうえ急を要す徴兵、調達であること。・ 糠とか麦といったものでさえ、たらふく食べることができない。

766年大暦元年55-37-#3奉節-20-#3 《巻19-20 驅豎子摘蒼耳 -#3 杜甫index-15 杜甫<892-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5465

對童孺 子供(宗武らの三人と同年配の下僕の子供)のことであるが、夔州に来て二年目の夏、杜甫は虎の防御用の垣根が壊れているのを修理しようとして、三人の使用人に仕事を与えた。朝早くから遠く山越えをして、谷間から一日一人四株の木を切って、担ぎ出してくるのをノルマとした。彼らはその仕事を誠実にこなした。ほかにも竹を切り出したりしながら、垣根そして恐らくは壁や屋根などもきれいに修繕してくれたのである。暑い中、細かな注文を聞きながら、よく辛抱して働いてくれたことに杜甫は感激して、《1907_伐木を課す》「作詩示宗武誦。」という詩を作った

下僕の子供は、伯夷、幸秀【辛秀】、信行、阿段・阿稽が杜甫の詩から確認できる。

 

一命須屈色,新知漸成故。

天子の一命の郎官を辱くしながら他人にはこちらの顔色を屈しなければならす、新知己と一時は喜ばれてもやがて故いものとして棄てられる。

一命須屈色 天子の一命の郎官を辱くしながら他人にはこちらの顔色を屈しなければならない旨を言う。《巻18-69 晚登瀼上堂》「衰老自成病,郎官未為冗。」(衰老 自ら病を成し,郎官 未だ冗なりを為さず。)自分は衰老で自然病気にもなっているが自分の辱くも頂戴してなる郎官の職は決してむだなものではない、その職責を果さなければならないのだ。

新知漸成故 他人が自分を始めは新知としてめづらしがり、後に故いものとして棄てるをいう。

 

窮荒益自卑,飄泊欲誰訴。

辺鄙な荒れ果てた土地でますます自分を卑くしてゆかねはならないのである。この漂泊の生活に於いてだれに自分の心中を訴へるべきであろうか。

窮荒 辺鄙な荒れ果てた土地、夔州、特に、瀼西の杜甫草堂付近。

自卑 上の「一命須屈色」を承け、この地において、長安に帰る資金を作るために、農作物を売るために作ることを示している。

欲誰訴 漂泊の旅の中にあって、長安に帰ることに関しての協力者を言う。

 

羸愁應接,俄頃恐違迕。

からだがよわくつかれているから人と応対するのはめんどうである。ちょっとした時にでも相手の心にさからいはせぬかと気遣われるのである。

羸 からだがよわくつかれていることをいう。

應接 人と応対する。農作物を上手に売るための応対を言う。

違迕 他人の情意に違い、さからうことを言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

杜甫  《雨》 【字解】

 

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

雨のときの感をのべたる詩。峡を出でて荊州・瀟湘の地に入らんと欲する意をいったもの。大暦二年秋の作。

 

1 夔州での“雨の詩”

766年大暦元年55-32奉節-23 《巻15-48 雨 -#1 杜甫index-15 杜甫<896-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5500 杜甫詩1500-896-#1-1271/2500766年大暦元年55-32

766年大暦元年55-33奉節-23 《巻15-48 雨 -#2 杜甫index-15 杜甫<896-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5505

766年大暦元年55-33奉節-24 《巻15-49 雨,二首之一》 杜甫index-15 杜甫<897 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5505

766年大暦元年55-34-#1奉節-25 -#1 《巻15-50 雨,二首之二 -#1 杜甫index-15 杜甫<898-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5510

766年大暦元年55-34-#2奉節-25 -#2 《巻15-50 雨,二首之二 -#2 杜甫index-15 杜甫<898-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5515

767年大暦二年56-35奉節-26 《巻15-55 雨》 杜甫index-15 杜甫<899 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5520

767年大曆二年56-36-奉節-27 《巻15-60 雨》 杜甫index-15 杜甫<900 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5530

766年-69杜甫 《1502船下夔州郭宿,雨不得上岸,別王十二判官》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-69 <932 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6295

766年-70杜甫 《1553雨不》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-70 <933 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6300

766年-74杜甫 《1713西閣雨望》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-74 <937 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6320 杜甫詩1500-937-1435/2500

766年-153杜甫 《1552雨晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-153 <1025 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6805

766年-154杜甫 《卷一四82雨 (冥冥甲子雨,) 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-154 <1026 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6810

767年-14-#1杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14-#1 <1108 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7187

767年-14-#2杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#2 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14-#2 <1109 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7192

767年-14-#3杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#3 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14-#3 <1110 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7197

767年-14-#4杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#4 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14-#4 <1111 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7202

2 不作埿 石地の土地であること。

3 洲景微 景は日光。中洲のあたりをてらす日光。

4 拘悶出門遊 遊びを拘せらるるにより悶えるをいうのであろう。

5 曠 ひさしく絶つ。

6 經目趣 目を經る趣とは、晴れた景色を眺望するさま。

7 消中 消渴病。糖尿病の三徴とは多尿、多飲、口渇の症状があった。これに、喘息、リュウマチの症状がうかがえる。

8 平肩輿 肩で担ぐみこし。杜甫《》「我有平肩輿,前途猶準的。」(我に平肩の輿有り,前途 猶お 准的なり。)役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

767年-5-#6杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-5-#6 <1068 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7020

9 辨 辯/瓣 [訓]わきまえる① 是非・善悪を区別する。わきまえる。② けじめをつけて処理する。③ 弁当。④ 理屈

10 浩 はるかに、久しく。

11 蛇虺 蛇、虺もへび、まむしの類。

12 邊月破 邊月とは邊境の月、夔州の、この地の月をいう。破とは満月の後にかけてゆくことをいう。時が過ぎてゆく場合の表現、葉が落ちる、などと同じ。

13 鬱鬱 1 心の中に不安や心配があって思い沈むさま。「―として日を過ごす」2 草木がよく茂っているさま。さかんなる貌。

14 流年度 流れゆく年月が経過する。

767年-17 杜少陵集19-23 雨 -#2 杜甫詩index-15 1121 <1571> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7252 

杜甫  雨 #2

消中日伏枕,臥久塵及屨。豈無平肩輿,莫辨望路。

兵戈浩未息,蛇虺反相顧。悠悠邊月破,鬱鬱流年度。 

自分は糖尿病など持病で日日枕に伏しており、それも、ながながしく臥せっているので履にも塵が厚く及んでいる。肩輿がないわけでもないが、それで、出かけてみても故郷への道路をながめても、歸る路がわきまることもできないのである。久しく兵乱が終わらないので、家族の消息はとどかないけれど、そのかわりに、蛇やまむしがたずねできてくれる。いたずらに、長長とこの邊境の月の欠けてゆくのをみるばかりであって、思い沈んでさかんに多く流れる年がすぎ去ってゆく。

767-17

杜少陵集19-23

 -#2

杜甫詩index-15

1121 <1571

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7252 

 

 
  2016年1月28日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(67)李太白集卷十六18-2-《送外甥鄭灌從軍,三首之二》(丈八蛇矛出隴西,) 386Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(67) Ⅰ李白詩1742 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7250  
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  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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韓愈128 巻01-13 南山詩 #8(27~30) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7251  
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  孟郊 張籍          
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1121-1571/2500

年:767年大暦256-17  #2

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:   

作地點:              目前尚無資料

及地點:              洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭      

 

雨 #1

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

山雨不作埿,江雲薄為霧。

瀼西の山にふる雨は石地の土地のため泥とはならないし、長江の雲はうすく霧にそまる。

晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。

晴れ間には、嶺のなかごろに鶴が飛ぶ。風が吹くと沙はらの樹木ががさがさと騒ぎ乱れる。

明滅洲景微,隱見巖姿露。

中洲のあたりをてらす日光は明るくなったり消えたりし、巌石の姿は見えたり隠れたりする。

拘悶出門遊,曠經目趣。

こんなことで門外へ出てあそぶことが限られるので気が滅入ってしまう。こんなことで幾日もはればれとした眺望をしたことがない。 

(雨)#1

山雨埿を作さす、江雲薄く霧を為す。

晴には飛ぶ半嶺の鶴、風には亂る平沙の樹。

明滅洲景微なら、隠見巌姿露る。

拘せられて悶す出門の遊、曠なり曠目の趣

#2

消中日伏枕,臥久塵及屨。

自分は糖尿病など持病で日日枕に伏しており、それも、ながながしく臥せっているので履にも塵が厚く及んでいる。

豈無平肩輿,莫辨望路。

肩輿がないわけでもないが、それで、出かけてみても故郷への道路をながめても、歸る路がわきまることもできないのである。

兵戈浩未息,蛇虺反相顧。

久しく兵乱が終わらないので、家族の消息はとどかないけれど、そのかわりに、蛇やまむしがたずねできてくれる。

悠悠邊月破,鬱鬱流年度。 

いたずらに、長長とこの邊境の月の欠けてゆくのをみるばかりであって、思い沈んでさかんに多く流れる年がすぎ去ってゆく。

#2

消中 日びに枕に伏し,臥 久しくして 塵 屨に及ぶ。

豈に 平肩輿無らんや,辨ずる莫し 望路を。

兵戈 浩として 未だ息まず,蛇虺【だき】反って相い顧る。

悠悠 邊月破り,鬱鬱 流年度る。 

#3

針灸阻朋曹,糠對童孺。

一命須屈色,新知漸成故。

窮荒益自卑,飄泊欲誰訴。

羸愁應接,俄頃恐違迕。

#4

浮俗何萬端,幽人有獨步。

龐公竟獨往,尚子終罕遇。

宿留洞庭秋,天寒瀟湘素。

杖策可入舟,送此齒髮暮。

 

DCF00004 

『雨』  現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

消中日伏枕,臥久塵及屨。

豈無平肩輿,莫辨望路。

兵戈浩未息,蛇虺反相顧。

悠悠邊月破,鬱鬱流年度。

(下し文)
#2

消中 日びに枕に伏し,臥 久しくして 塵 屨に及ぶ。

豈に 平肩輿無らんや,辨ずる莫し 望路を。

兵戈 浩として 未だ息まず,蛇虺【だき】反って相い顧る。

悠悠 邊月破り,鬱鬱 流年度る。 


(現代語訳)
#2

自分は糖尿病など持病で日日枕に伏しており、それも、ながながしく臥せっているので履にも塵が厚く及んでいる。

肩輿がないわけでもないが、それで、出かけてみても故郷への道路をながめても、歸る路がわきまることもできないのである。

久しく兵乱が終わらないので、家族の消息はとどかないけれど、そのかわりに、蛇やまむしがたずねできてくれる。

いたずらに、長長とこの邊境の月の欠けてゆくのをみるばかりであって、思い沈んでさかんに多く流れる年がすぎ去ってゆく。


(訳注)  #2

 #2

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

雨のときの感をのべたる詩。峡を出でて荊州・瀟湘の地に入らんと欲する意をいったもの。大暦二年秋の作。

 

消中日伏枕,臥久塵及屨。

自分は糖尿病など持病で日日枕に伏しており、それも、ながながしく臥せっているので履にも塵が厚く及んでいる。

7 消中 消渴病。糖尿病の三徴とは多尿、多飲、口渇の症状があった。この時期の詩から、これに、喘息、リュウマチの症状がうかがえる。

 

豈無平肩輿,莫辨望路。

肩輿がないわけでもないが、それで、出かけてみても故郷への道路をながめても、歸る路がわきまることもできないのである。

8 平肩輿 肩で担ぐみこし。杜甫《》「我有平肩輿,前途猶準的。」(我に平肩の輿有り,前途 猶お 准的なり。)役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

767年-5-#6杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-5-#6 <1068 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7020

9 辨 辯/瓣 [訓]わきまえる① 是非・善悪を区別する。わきまえる。② けじめをつけて処理する。③ 弁当。④ 理屈

 

兵戈浩未息,蛇虺反相顧。

久しく兵乱が終わらないので、家族の消息はとどかないけれど、そのかわりに、蛇やまむしがたずねできてくれる。

10 浩 はるかに、久しく。

11 蛇虺 蛇、虺もへび、まむしの類。

 

悠悠邊月破,鬱鬱流年度。

いたずらに、長長とこの邊境の月の欠けてゆくのをみるばかりであって、思い沈んでさかんに多く流れる年がすぎ去ってゆく。

12 邊月破 邊月とは邊境の月、夔州の、この地の月をいう。破とは満月の後にかけてゆくことをいう。時が過ぎてゆく場合の表現、葉が落ちる、などと同じ。

13 鬱鬱 1 心の中に不安や心配があって思い沈むさま。「―として日を過ごす」2 草木がよく茂っているさま。さかんなる貌。

14 流年度 流れゆく年月が経過する。

 

 

 

杜甫  《雨》 【字解】

 

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

雨のときの感をのべたる詩。峡を出でて荊州・瀟湘の地に入らんと欲する意をいったもの。大暦二年秋の作。

 

1 夔州での“雨の詩”

766年大暦元年55-32奉節-23 《巻15-48 雨 -#1 杜甫index-15 杜甫<896-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5500 杜甫詩1500-896-#1-1271/2500766年大暦元年55-32

766年大暦元年55-33奉節-23 《巻15-48 雨 -#2 杜甫index-15 杜甫<896-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5505

766年大暦元年55-33奉節-24 《巻15-49 雨,二首之一》 杜甫index-15 杜甫<897 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5505

766年大暦元年55-34-#1奉節-25 -#1 《巻15-50 雨,二首之二 -#1 杜甫index-15 杜甫<898-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5510

766年大暦元年55-34-#2奉節-25 -#2 《巻15-50 雨,二首之二 -#2 杜甫index-15 杜甫<898-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5515

767年大暦二年56-35奉節-26 《巻15-55 雨》 杜甫index-15 杜甫<899 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5520

767年大曆二年56-36-奉節-27 《巻15-60 雨》 杜甫index-15 杜甫<900 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5530

766年-69杜甫 《1502船下夔州郭宿,雨不得上岸,別王十二判官》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-69 <932 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6295

766年-70杜甫 《1553雨不》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-70 <933 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6300

766年-74杜甫 《1713西閣雨望》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-74 <937 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6320 杜甫詩1500-937-1435/2500

766年-153杜甫 《1552雨晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-153 <1025 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6805

766年-154杜甫 《卷一四82雨 (冥冥甲子雨,) 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-154 <1026 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6810

767年-14-#1杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14-#1 <1108 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7187

767年-14-#2杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#2 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14-#2 <1109 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7192

767年-14-#3杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#3 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14-#3 <1110 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7197

767年-14-#4杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#4 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14-#4 <1111 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7202

2 不作埿 石地の土地であること。

3 洲景微 景は日光。中洲のあたりをてらす日光。

4 拘悶出門遊 遊びを拘せらるるにより悶えるをいうのであろう。

5 曠 ひさしく絶つ。

6 經目趣 目を經る趣とは、晴れた景色を眺望するさま。

7 消中 消渴病。糖尿病の三徴とは多尿、多飲、口渇の症状があった。これに、喘息、リュウマチの症状がうかがえる。

8 平肩輿 肩で担ぐみこし。杜甫《》「我有平肩輿,前途猶準的。」(我に平肩の輿有り,前途 猶お 准的なり。)役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

767年-5-#6杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-5-#6 <1068 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7020

9 辨 辯/瓣 [訓]わきまえる① 是非・善悪を区別する。わきまえる。② けじめをつけて処理する。③ 弁当。④ 理屈

10 浩 はるかに、久しく。

11 蛇虺 蛇、虺もへび、まむしの類。

12 邊月破 邊月とは邊境の月、この地の月払いふ。破とは満月ののちにかけてゆくことをいう。鬱鬱さかんなる貌。

13 流年度 流れゆく年月が経過する。

767年-17 《19-23 雨》-#1(4分割) 杜甫詩index-15 1120 <1570> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7247

杜甫  雨 #1

山雨不作埿,江雲薄為霧。晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。

明滅洲景微,隱見巖姿露。拘悶出門遊,曠經目趣。

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

瀼西の山にふる雨は石地の土地のため泥とはならないし、長江の雲はうすく霧にそまる。晴れ間には、嶺のなかごろに鶴が飛ぶ。風が吹くと沙はらの樹木ががさがさと騒ぎ乱れる。中洲のあたりをてらす日光は明るくなったり消えたりし、巌石の姿は見えたり隠れたりする。こんなことで門外へ出てあそぶことが限られるので気が滅入ってしまう。こんなことで幾日もはればれとした眺望をしたことがない。 

767-17

19-23 雨》-#1(4分割)

杜甫詩index-15

1120 <1570

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7247

 

 

杜甫詩1500-1120-1570/2500

年:       大曆二年

寫作時間:           767

寫作年紀:           56

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:   

作地點:              目前尚無資料

及地點:              洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭      

 

雨 #1

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

山雨不作埿,江雲薄為霧。

瀼西の山にふる雨は石地の土地のため泥とはならないし、長江の雲はうすく霧にそまる。

晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。

晴れ間には、嶺のなかごろに鶴が飛ぶ。風が吹くと沙はらの樹木ががさがさと騒ぎ乱れる。

明滅洲景微,隱見巖姿露。

中洲のあたりをてらす日光は明るくなったり消えたりし、巌石の姿は見えたり隠れたりする。

拘悶出門遊,曠經目趣。

こんなことで門外へ出てあそぶことが限られるので気が滅入ってしまう。こんなことで幾日もはればれとした眺望をしたことがない。 

(雨)#1

山雨埿を作さす、江雲薄く霧を為す。

晴には飛ぶ半嶺の鶴、風には亂る平沙の樹。

明滅洲景微なら、隠見巌姿露る。

拘せられて悶す出門の遊、曠なり曠目の趣。 

#2

消中日伏枕,臥久塵及屨。

豈無平肩輿,莫辨望路。

兵戈浩未息,蛇虺反相顧。

悠悠邊月破,鬱鬱流年度。

#3

針灸阻朋曹,糠對童孺。

一命須屈色,新知漸成故。

窮荒益自卑,飄泊欲誰訴。

羸愁應接,俄頃恐違迕。

#4

浮俗何萬端,幽人有獨步。

龐公竟獨往,尚子終罕遇。

宿留洞庭秋,天寒瀟湘素。

杖策可入舟,送此齒髮暮。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『雨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

雨 #1

山雨不作埿,江雲薄為霧。

晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。

明滅洲景微,隱見巖姿露。

拘悶出門遊,曠經目趣
(下し文)
(雨)#1

山雨埿を作さす、江雲薄く霧を為す。

晴には飛ぶ半嶺の鶴、風には亂る平沙の樹。

明滅洲景微なら、隠見巌姿露る。

拘せられて悶す出門の遊、曠なり曠目の趣。 

(現代語訳)
(雨)#1(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

瀼西の山にふる雨は石地の土地のため泥とはならないし、長江の雲はうすく霧にそまる。

晴れ間には、嶺のなかごろに鶴が飛ぶ。風が吹くと沙はらの樹木ががさがさと騒ぎ乱れる。

中洲のあたりをてらす日光は明るくなったり消えたりし、巌石の姿は見えたり隠れたりする。

こんなことで門外へ出てあそぶことが限られるので気が滅入ってしまう。こんなことで幾日もはればれとした眺望をしたことがない。 

扁舟 00
(訳注)

 #1

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

雨のときの感をのべたる詩。峡を出でて荊州・瀟湘の地に入らんと欲する意をいったもの。大暦二年秋の作。

 

山雨不作埿,江雲薄為霧。

瀼西の山にふる雨は石地の土地のため泥とはならないし、長江の雲はうすく霧にそまる。

不作埿 石地の土地であること。

 

晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。

晴れ間には、嶺のなかごろに鶴が飛ぶ。風が吹くと沙はらの樹木ががさがさと騒ぎ乱れる。

 

明滅洲景微,隱見巖姿露。

中洲のあたりをてらす日光は明るくなったり消えたりし、巌石の姿は見えたり隠れたりする。

洲景微 景は日光。中洲のあたりをてらす日光。

 

拘悶出門遊,曠經目趣。

こんなことで門外へ出てあそぶことが限られるので気が滅入ってしまう。こんなことで幾日もはればれとした眺望をしたことがない。 

拘悶出門遊 遊びを拘せらるるにより悶えるをいうのであろう。

 ひさしく絶つ。

經目趣 目を經る趣とは、晴れた景色を眺望するさま。

 

夔州での“雨の詩”

766年大暦元年55-32奉節-23 《巻15-48 雨 -#1 杜甫index-15 杜甫<896-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5500 杜甫詩1500-896-#1-1271/2500766年大暦元年55-32

766年大暦元年55-33奉節-23 《巻15-48 雨 -#2 杜甫index-15 杜甫<896-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5505

766年大暦元年55-33奉節-24 《巻15-49 雨,二首之一》 杜甫index-15 杜甫<897 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5505

766年大暦元年55-34-#1奉節-25 -#1 《巻15-50 雨,二首之二 -#1 杜甫index-15 杜甫<898-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5510

766年大暦元年55-34-#2奉節-25 -#2 《巻15-50 雨,二首之二 -#2 杜甫index-15 杜甫<898-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5515

767年大暦二年56-35奉節-26 《巻15-55 雨》 杜甫index-15 杜甫<899 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5520

767年大曆二年56-36-奉節-27 《巻15-60 雨》 杜甫index-15 杜甫<900 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5530

766年-69杜甫 《1502船下夔州郭宿,雨不得上岸,別王十二判官》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-69 <932 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6295

766年-70杜甫 《1553雨不》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-70 <933 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6300

766年-74杜甫 《1713西閣雨望》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-74 <937 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6320 杜甫詩1500-937-1435/2500

766年-153杜甫 《1552雨晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-153 <1025 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6805

766年-154杜甫 《卷一四82雨 (冥冥甲子雨,) 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-154 <1026 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6810

767年-14-#1杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14-#1 <1108 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7187

767年-14-#2杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#2 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14-#2 <1109 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7192

767年-14-#3杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#3 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14-#3 <1110 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7197

767年-14-#4杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#4 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14-#4 <1111 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7202

767年-16 #5杜甫 《19-19 又上後園山腳》#5 杜甫詩index-15-1119 <1569> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7242 

杜甫  又上後園山 #5

秋風亦已起,江漢始如湯。登高欲有往,蕩析川無梁。

哀彼遠征人,去家死路旁。不及祖父塋,纍纍冢相當。

たしかに秋風は起ったのだが、『蓴羮鱸膾』か、この國を憂い、悲愁するのか、それでも長江は「朝宗」支流渓流が全て注ぎ込み、「江漢湯湯,武夫洸洸。」と流れてゆくのである。

ここにきても、重陽には、高いところにのぼって故郷を望み、そのに往きたいとおもうが船橋はこわれてしまって川にはそれがないという。彼の遠征の人人のことをかんがえると、気の毒なことであるとしか思えず、彼等の末路は遠く故郷の家からはなれて、路傍で死にたえてしまうのである。先祖伝来の墳墓にたどりつくことはできず、他郷での無縁のものの塚と、向き合って埋葬されてしまうのである。

767-16 #5杜甫 《19-19 又上後園山#5 杜甫詩index-15-1119 <1569

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  2016年1月26日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(65)李太白集卷十六13-《送張遙之壽陽幕府》(壽陽信天險,) 384-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(65) Ⅰ李白詩1740 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7240  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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韓愈128 巻01-13 南山詩 #6(19~22) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7231  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-16 #5杜甫 《19-19 又上後園山腳》#5 杜甫詩index-15-1119 <1569> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7242   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1119-1569/2500

年:767年大暦256-16 #4

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    又上後園山

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)              

龜山 (河南道 兗州 兗州)    

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙             

交遊人物/地點:  

 

 

又上後園山 1

(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

昔我遊山東,憶戲東嶽陽。

むかしじぶんは山東に遊んだ。あのとき戯れに東嶽(泰山)におぼり、その南、南池などに戯れたことをおもいだす。

窮秋立日觀,矯首望八荒。

あのときは秋の末であったが日観峯のうえに立って首をあげて八方のはてをながめたものだ。

朱崖著毫髮,碧海吹衣裳。

その南のはての方、珠崖の地は、一髪のごとくであり、東のかたに広がるのは東海であり、その碧海の風は衣裳を吹きあげたものだった。

(又た 後園の山上る) #1

昔 我れ山東に遊び,憶う 東嶽の陽に戲れしことを。

窮秋 日觀に立ち,首を矯げて八荒を望む。

朱崖 毫髮を著く,碧海 衣裳に吹く。
#2

蓐收困用事,玄冥蔚強梁。

時候は秋の神がやつと勢力を失ひかけて、冬の神があばれだすときであった。

逝水自朝宗,鎮名各其方。

東にながれゆく水は自然にあたりまえのこととして海へとそそぐ、天下九州の山鎭はそれぞれ其の方位に於てその地方の鎮めしつめとして聳えている。

平原獨憔悴,農力廢耕桑。

しかるに中原の地方だけは民力、生産力が窶れ、農民は耕桑の業をやめてしまったり、やめさせられたのである。

非關風露凋,曾是戍役傷。

これは風露などの天地の気候のためにしぼまされたのではなくして征戊や賦役力役に人力がとられるために生産力が損傷したのである。

#2

蓐收 用事に困しみ,玄冥 蔚として強梁たり。

逝水は 自ら朝宗し,鎮名す 各の其の方を。

平原に獨り憔悴し,農力 耕桑を廢す。

風露の凋ましむるに關するに非ず,曾【すなわ】ち是れ 戍役に 傷ましむるなり。
#3

於時國用富,足以守邊疆。

それ以前は、生産力が絶頂であり、史上最高の国力を誇るに至ったので、国内施政はもちろん、それで十分に国境を守れたのである。

朝廷任猛將,遠奪戎虜場。

ところが朝廷は蕃人出身の猛将に事をうちまかされ、遠く北狄の地方を奪取することをなされた。

到今事反覆,故老淚萬行。

その結果が、あのとき、安禄山の乱から今日まで軍事の形勢反覆常なく、老人たちをして萬行の涙を流させているのである。

龜蒙不復見,況乃懷舊

今じぶんは泰山のそばの亀山蒙山などをみたいとおもうがそれは見ることができない。ましてやいくら故郷をおもうても、故郷が見られるわけのものではない。

#3

時に國用富めり,以て邊疆を守るに足れり。

朝廷 猛將に任ず,遠く奪う 戎虜の場。

今に到る 事 反覆す,故老 淚 萬行。

龜蒙 復た見るなし,況んや乃ち舊懷うをや。


#4

肺萎屬久戰,骨出熱中腸。

十年に及ぶながきにわたって安史の乱という戦乱にあたってじぶんの肺はしぼんで活発でなくなってしまい、激やせで、骨はとびだして腸のなかが熱して落ち着かない。

憂來杖匣劍,更上林北岡。

しんぱいの心を落ち着かせるのに剣をついてさらに林の北の岡にのぼってみる。

瘴毒猿鳥落,峽乾南日黃。

すると瘴癘の悪気のために猿や鳥も上から落ちるようにしてくる、峡谷に目をやれば、乾ききっており、南方の日色が黄ばんで渓谷をそめる。

#4

肺 萎む 久戰に屬す,骨出でて 中腸熱す。

憂來 匣劍に杖り,更に上る 林北の岡。

瘴毒に 猿鳥落つ,峽 乾きて 南日黃なり。

#5

秋風亦已起,江漢始如湯。

たしかに秋風は起ったのだが、『蓴羮鱸膾』か、この國を憂い、悲愁するのか、それでも長江は「朝宗」支流渓流が全て注ぎ込み、「江漢湯湯,武夫洸洸。」と流れてゆくのである。

登高欲有往,蕩析川無梁。

ここにきても、重陽には、高いところにのぼって故郷を望み、そのに往きたいとおもうが船橋はこわれてしまって川にはそれがないという。

哀彼遠征人,去家死路旁。

彼の遠征の人人のことをかんがえると、気の毒なことであるとしか思えず、彼等の末路は遠く故郷の家からはなれて、路傍で死にたえてしまうのである。

不及祖父塋,纍纍冢相當。

先祖伝来の墳墓にたどりつくことはできず、他郷での無縁のものの塚と、向き合って埋葬されてしまうのである。
#5

秋風 亦た已に起る,江漢 始めから 湯の如し。

高きに登りて 往く有らんと欲し,蕩析して川に梁無し。

哀しむは 彼の遠征の人を,家を去りて 路旁に死すを。

祖父の塋に及ばず,纍纍として 冢 相い當る。

 

 

『又上後園山』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

秋風亦已起,江漢始如湯。

登高欲有往,蕩析川無梁。

哀彼遠征人,去家死路旁。

不及祖父塋,纍纍冢相當。

(下し文)
#5

秋風 亦た已に起る,江漢 始めから 湯の如し。

高きに登りて 往く有らんと欲し,蕩析して川に梁無し。

哀しむは 彼の遠征の人を,家を去りて 路旁に死すを。

祖父の塋に及ばず,纍纍として 冢 相い當る。

(現代語訳)
#5

たしかに秋風は起ったのだが、『蓴羮鱸膾』か、この國を憂い、悲愁するのか、それでも長江は「朝宗」支流渓流が全て注ぎ込み、「江漢湯湯,武夫洸洸。」と流れてゆくのである。

ここにきても、重陽には、高いところにのぼって故郷を望み、そのに往きたいとおもうが船橋はこわれてしまって川にはそれがないという。

彼の遠征の人人のことをかんがえると、気の毒なことであるとしか思えず、彼等の末路は遠く故郷の家からはなれて、路傍で死にたえてしまうのである。

先祖伝来の墳墓にたどりつくことはできず、他郷での無縁のものの塚と、向き合って埋葬されてしまうのである。

(訳注) #5

又上後園山 

(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

 

秋風亦已起,江漢始如湯。

たしかに秋風は起ったのだが、『蓴羮鱸膾』か、この國を憂い、悲愁するのか、それでも長江は「朝宗」支流渓流が全て注ぎ込み、「江漢湯湯,武夫洸洸。」と流れてゆくのである。

30 秋風 秋風が吹けば、①『蓴羮鱸膾』「晉書・張翰傳」の原文には「(張)翰因見秋風起,乃思呉中菰菜、蓴羮、鱸魚膾,曰:『人生貴得適志,何能羈宦數千里以要名爵乎!』遂命駕而歸。」とある。②宋玉の九弁にいう、「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰。」(悲しいかな秋の気たるや、蕭瑟たり草木揺落して変衰す)と。1735詠懷古跡,五首之二》「搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。」(揺落深く知る 宋玉が悲しみ、風流 儒雅も亦た吾が師。千秋を帳望して 一に涙を濯ぐ、蕭条 異代 時を同じくせず。)むかし宋玉は「悲愁」といい、秋風揺落に対して悲しんだというが自分もいま深く彼の悲しみの意味を知った。また彼は風流儒雅の人物であるがこの点もまた吾が師とすべきものだ。彼と我とは千年経ており、代を異にして時を同じくして生まれあわさぬことはまことにさびしい、自分はただ千年のむかしをうらめしくながめてもっぱら涙をそそぐのである。

31 江漢 蜀の江をいう。《詩經大雅蕩之什江漢》「江漢湯湯,武夫洸洸。」(江漢 湯湯【しょうしょう】たり,武夫 洸洸たり。)江漢の水は盛んに流れゆく。武夫はいずれも武勇であり、勢い盛んである。

32 如湯 「如湯湯」詩經「江漢湯湯」江漢の水は盛んに流れゆく。前句に「逝水自朝宗」とあったのと同じ支流渓流の水が長江に注ぎ込み、長江の流れが滔々となるというほどの意。無ことを言う。

 

登高欲有往,蕩析川無梁。

ここにきても、重陽には、高いところにのぼって故郷を望み、そのに往きたいとおもうが船橋はこわれてしまって川にはそれがないという。

33 登高 重陽には高い丘に登ることを言う。この園の高処にのぼるをいう。

《卷一二58  九日》「去年登高縣北,今日重在涪江濱。」(去年 高きに登る 縣の北,今日 重ねて在る 涪江の濱。)

《卷一七25 九日(登高)諸人集於林》 「登高明朝是,相要舊俗非。」(高きに登る 明朝 是なり,相い要うるも舊俗非なり。)

卷一九18又上後園山》「秋風亦已起,江漢始如湯。登高欲有往,蕩析川無梁。」(秋風 亦た已に起る,江漢 始めから 湯の如し。高きに登りて 往く有らんと欲し,蕩析して川に梁無し。)      

《卷二○49九日五首其四》「 故里樊川菊,登高素滻源。」(故里樊川の菊,高きに登る 素滻の源。)

《卷二○九日五首其五登高》「風急天高猿嘯哀、渚清沙白鳥飛廻。」(風急に天高くして 猿嘯哀し、 渚清く沙白くして 鳥飛廻る。)

34 蕩析 梁が波にうごかされて裂開する。

35 川無梁 梁は船橋なり。

 

哀彼遠征人,去家死路旁。

彼の遠征の人人のことをかんがえると、気の毒なことであるとしか思えず、彼等の末路は遠く故郷の家からはなれて、路傍で死にたえてしまうのである。

 

不及祖父塋,纍纍冢相當。

先祖伝来の墳墓にたどりつくことはできず、他郷での無縁のものの塚と、向き合って埋葬されてしまうのである。

36 不及 及とはゆきつくをいう。

37 祖父塋 父祖の墓。

38 纍纍 盛衰かさなる鋭。

39 冢相當 無縁の塚にむきあうことをいう。

 

 

 

 

 


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杜甫   又上後園山 #4

肺萎屬久戰,骨出熱中腸。憂來杖匣劍,更上林北岡。

瘴毒猿鳥落,峽乾南日黃。
十年に及ぶながきにわたって安史の乱という戦乱にあたってじぶんの肺はしぼんで活発でなくなってしまい、激やせで、骨はとびだして腸のなかが熱して落ち着かない。しんぱいの心を落ち着かせるのに剣をついてさらに林の北の岡にのぼってみる。すると瘴癘の悪気のために猿や鳥も上から落ちるようにしてくる、峡谷に目をやれば、乾ききっており、南方の日色が黄ばんで渓谷をそめる。

767-16 #4杜甫

 19-18 又上後園山#4

杜甫詩index-15

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杜甫詩1500-1118-1568/2500

年:767年大暦256-16 #4

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    又上後園山

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)              

龜山 (河南道 兗州 兗州)    

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙             

交遊人物/地點:  

 

 

又上後園山 1

(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

昔我遊山東,憶戲東嶽陽。

むかしじぶんは山東に遊んだ。あのとき戯れに東嶽(泰山)におぼり、その南、南池などに戯れたことをおもいだす。

窮秋立日觀,矯首望八荒。

あのときは秋の末であったが日観峯のうえに立って首をあげて八方のはてをながめたものだ。

朱崖著毫髮,碧海吹衣裳。

その南のはての方、珠崖の地は、一髪のごとくであり、東のかたに広がるのは東海であり、その碧海の風は衣裳を吹きあげたものだった。

(又た 後園の山上る) #1

昔 我れ山東に遊び,憶う 東嶽の陽に戲れしことを。

窮秋 日觀に立ち,首を矯げて八荒を望む。

朱崖 毫髮を著く,碧海 衣裳に吹く。
#2

蓐收困用事,玄冥蔚強梁。

時候は秋の神がやつと勢力を失ひかけて、冬の神があばれだすときであった。

逝水自朝宗,鎮名各其方。

東にながれゆく水は自然にあたりまえのこととして海へとそそぐ、天下九州の山鎭はそれぞれ其の方位に於てその地方の鎮めしつめとして聳えている。

平原獨憔悴,農力廢耕桑。

しかるに中原の地方だけは民力、生産力が窶れ、農民は耕桑の業をやめてしまったり、やめさせられたのである。

非關風露凋,曾是戍役傷。

これは風露などの天地の気候のためにしぼまされたのではなくして征戊や賦役力役に人力がとられるために生産力が損傷したのである。

#2

蓐收 用事に困しみ,玄冥 蔚として強梁たり。

逝水は 自ら朝宗し,鎮名す 各の其の方を。

平原に獨り憔悴し,農力 耕桑を廢す。

風露の凋ましむるに關するに非ず,曾【すなわ】ち是れ 戍役に 傷ましむるなり。
#3

於時國用富,足以守邊疆。

それ以前は、生産力が絶頂であり、史上最高の国力を誇るに至ったので、国内施政はもちろん、それで十分に国境を守れたのである。

朝廷任猛將,遠奪戎虜場。

ところが朝廷は蕃人出身の猛将に事をうちまかされ、遠く北狄の地方を奪取することをなされた。

到今事反覆,故老淚萬行。

その結果が、あのとき、安禄山の乱から今日まで軍事の形勢反覆常なく、老人たちをして萬行の涙を流させているのである。

龜蒙不復見,況乃懷舊

今じぶんは泰山のそばの亀山蒙山などをみたいとおもうがそれは見ることができない。ましてやいくら故郷をおもうても、故郷が見られるわけのものではない。

#3

時に國用富めり,以て邊疆を守るに足れり。

朝廷 猛將に任ず,遠く奪う 戎虜の場。

今に到る 事 反覆す,故老 淚 萬行。

龜蒙 復た見るなし,況んや乃ち舊懷うをや。


#4

肺萎屬久戰,骨出熱中腸。

憂來杖匣劍,更上林北岡。

瘴毒猿鳥落,峽乾南日黃。

十年に及ぶながきにわたって安史の乱という戦乱にあたってじぶんの肺はしぼんで活発でなくなってしまい、激やせで、骨はとびだして腸のなかが熱して落ち着かない。

しんぱいの心を落ち着かせるのに剣をついてさらに林の北の岡にのぼってみる。

すると瘴癘の悪気のために猿や鳥も上から落ちるようにしてくる、峡谷に目をやれば、乾ききっており、南方の日色が黄ばんで渓谷をそめる。

#4

肺 萎む 久戰に屬す,骨出でて 中腸熱す。

憂來 匣劍に杖り,更に上る 林北の岡。

瘴毒に 猿鳥落つ,峽 乾きて 南日黃なり。

#5

秋風亦已起,江漢始如湯。

登高欲有往,蕩析川無梁。

哀彼遠征人,去家死路旁。

不及祖父塋,纍纍冢相當。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『又上後園山』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

肺萎屬久戰,骨出熱中腸。

憂來杖匣劍,更上林北岡。

瘴毒猿鳥落,峽乾南日黃。

(下し文)
#4

肺 萎む 久戰に屬す,骨出でて 中腸熱す。

憂來 匣劍に杖り,更に上る 林北の岡。

瘴毒に 猿鳥落つ,峽 乾きて 南日黃なり。

(現代語訳)
#4

十年に及ぶながきにわたって安史の乱という戦乱にあたってじぶんの肺はしぼんで活発でなくなってしまい、激やせで、骨はとびだして腸のなかが熱して落ち着かない。

しんぱいの心を落ち着かせるのに剣をついてさらに林の北の岡にのぼってみる。

すると瘴癘の悪気のために猿や鳥も上から落ちるようにしてくる、峡谷に目をやれば、乾ききっており、南方の日色が黄ばんで渓谷をそめる。


(訳注) #4

又上後園山 4

(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

前回は夏の盛りであった。《19-10 上後園山

 

肺萎屬久戰,骨出熱中腸。

十年に及ぶながきにわたって安史の乱という戦乱にあたってじぶんの肺はしぼんで活発でなくなってしまい、激やせで、骨はとびだして腸のなかが熱して落ち着かない。

25 屬久戰 長かった安史の乱によって、杜甫は餓死寸前まで経験し、敵の捕縛され、長手を辞して各地を流転した。その間に、持病喘息、糖尿、リュウマチは悪化したのである。

26 骨出熱中腸 骨皮状態にやせ細ることを言う。

 

憂來杖匣劍,更上林北岡。

しんぱいの心を落ち着かせるのに剣をついてさらに林の北の岡にのぼってみる。

27 杖匣劍 剣の鞘を抜かないままで杖にすること。箱型の鞘におさめられた釼を言う。

 

瘴毒猿鳥落,峽乾南日黃。

すると瘴癘の悪気のために猿や鳥も上から落ちるようにしてくる、峡谷に目をやれば、乾ききっており、南方の日色が黄ばんで渓谷をそめる。

28 瘴毒 瘴癘の地の毒気。この時の空気の漢字を言うのであろう。

29 峽乾南日黃 南国の夕陽が、乾ききった峡谷を黄色に染める様子を言う。

 

 

杜甫像0012 

又上後園山 【字解】 

(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

1 遊山東・憶戲 736年開元24年杜甫25~740年開元2829歳頃の5年間を言う。儒教、孔子の生まれ育ったところであり、竹林の七賢のいわれ、関連の多いところ。。山東・河北(魯、斉・趙)蘇源明らとに遊ぶ。そのころの詩は下記のとおりに示す。

杜甫 4 與任城許主簿游南池 (青年期の詩)

杜甫 5 封雨書懐走邀許圭簿 (青年期の詩)

杜甫6 兗州城楼(青年期の詩)

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 

杜甫 8 巳上人茅粛 (青年期の詩)

2 東嶽陽 東嶽は泰山、泰安府にあり、陽は南。

李白313-#1 《巻十九07泰山,六首之一【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#1> Ⅰ李白詩1620 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6648

李白313-#2 《巻十九08遊泰山,六首之一》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#2> Ⅰ李白詩1621 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6653

李白313-#3 《巻十九09遊泰山,六首之一》#3Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#3> Ⅰ李白詩1622 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6658

李白314 《巻十九08遊泰山,六首之二【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白314> Ⅰ李白詩1623 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6663

李白315 《巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》315Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白315> Ⅰ李白詩1624 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6668

李白315-#2 《巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》315-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白315-#2> Ⅰ李白詩1625 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6673

李白316#1 《巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》316#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白316#1> Ⅰ李白詩1626 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6678

李白316#2 《巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》316#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白316#2>Ⅰ李白詩1627kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6683

李白317-#1 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白317-#1> Ⅰ李白詩1628 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6688

李白317-#2 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白317-#2> Ⅰ李白詩1629 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6693

李白318-#1 《巻十九12遊泰山,六首之六【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》318-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白318-#1> Ⅰ李白詩1630 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6698

李白318-#2 《巻十九12遊泰山,六首之六》318-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白318-#2> Ⅰ李白詩1631 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6703

遊泰山,六首之一:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

遊泰山,六首之二:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)

遊泰山,六首之三: (道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清晨の光景の感慨を述べたもの。)

遊泰山,六首之四:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

遊泰山,六首之五:(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。)

遊泰山,六首之六:

(この詩は、伝説に基づき、仙人と仙女を昼に見、夜、恍惚の間に多くの出来事を見て、帰る気持ちが全くなくなった。朝になって五色の彩雲が飛舞をただ見るだけだと詠う。)純然たる遊仙の詩である。

 

3 日觀 泰山頂上の東南嶽の名称、日觀峰 (河南道 兗州 泰山)をいう。《水經注汶水》引漢應劭《漢官儀》「泰山東南山頂名曰日觀。  日觀者, 雞一鳴時, 見日始欲出, 長三丈許, 故以名焉。” (《水經の注汶水》漢の應劭《漢官儀》に引く:泰山の東南山頂 名づけて日觀と曰う。 日觀は, 雞 一たび鳴く時,日の始めて出でんと欲するを見ん, 長さ三丈許, 故に以て名づく。)

4 矯首 高く首をもたげたことを言う。

5 望八荒 八方の果てを望む。

6 朱崖 珠崖ともいう。漢の武帝の時、おかれた郡の名。今の広東地方。

7 著毫髮 珠崖が遠い南の果てにあるので、髪の毛一本ほどの微かなものであることを言う。

8 碧海 東海を言う。泰山日観峰から180度に大きく広がる太平洋である。

9 蓐收 古代漢民族の伝説中の秋神であり,その姿かたちは、人面、虎爪、白毛、執戉,左耳は蛇が有り,双頭の龍にる。これは、三皇五帝の一人で、白帝とか少昊といわれた紙を補佐する神である実在の人物であるとされる。

10 困用事 権力をほしいままにしていたものが衰えることを言う。

11 玄冥 冬の神。歴代王朝は雨師廟をまつってきた。古書に〈屛翳(へいえい)〉〈玄冥〉などの雨師の名が見える。〈畢宿(ひつしゆく)〉という星が雨を降らすとも信じられた。

12 蔚強梁。秋の神に変わって冬の神が大暴れすることを言う。

13 逝水自朝宗 中國の常識として、流れてゆく水は東に流れ、支流の川も自然に奔流に灌がれ、東海に流れてゆくこと。天子の御威光は自然に人民に徳として注がれること。朝宗:1 《「朝」は春に、「宗」は夏に天子に謁見する意》古代中国で、諸侯が天子に拝謁すること。2 多くの河川がみな海に流れ入ること。3 権威あるものに寄り従うこと。

杜甫《卷一四65 長江二首其一》「眾水會涪萬,瞿塘爭一門。朝宗人共挹,盜賊爾誰尊?孤石隱如馬,高蘿垂飲猿」(衆水 涪 万に会し、瞿塘 一門を争う。朝宗 人 共に拇り、盗賊 爾をば 誰か尊ばん。孤石隱れて 馬の如し、高蘿に飲猿垂る。帰心は 波浪に異なり、何事ぞ即ち飛翻するや。)“(この蜀という地には一時でも居たくない、中央の暗躍で四六時中権力闘争をしている、何とか三峡を早く下るようになりたいと詠う。)多くの水が涪州万州に会合し、それらの水が更に瞿塘峡が一門に向かって争いながれる。この大江は、諸侯の天子に拝謁するように江水が朝宗し、東海に流入することは、万人の共に取る常識なのである。此の義を解せざる汝ら盗賊どもをだれが尊敬するものがあろうか。瞿塘では灔澦のひとつ石がかくれてわずかに馬のごとく、高処のひめかつらから水をのもうとする猿が垂れさがっている。自分はそこをとおって荊州の方へゆこうとするのだが、自分の帰郷をおもう心は波浪ならいざ知らず波浪でもないくせに、いかなるせいかびっくりかえりつつあるのである。とある。

14 鎮名各其方 基本に五岳があり、東南揚州は会稽山、正南は荊州山。ここにいう山は、南嶽衡山をいう。

15 平原獨憔悴 中原地方は疲弊し、憔悴しきっているということ。

16 風露凋 気候により、つまり、天災によって凋み衰えること。

17 曾是 曾はすなわち、是は凋み衰えるている現状。

18 戍役傷 戦争、叛乱、謀叛による世情不安、賦役が増大、戦死による労働力不足、逃散による村落崩壊、山賊、盗賊の横行、私物化、賄賂等々に倚る人民の生産力が著しく減少したことで、社会の再生産体制が傷ついたということ。

19 於時國用富 玄宗の開元の治の時期のことを言う。国民総生産が最高であり、領土も最大の時期であった。

20 守邊疆 積極的な防衛をしなくても、消極的に防備をして守れたことを言う。

21 任猛將 蕃人出身の安禄山、史忠明などの猛將、武将をいう。

22 戎虜場 夷狄の地をいう。

23 事反覆 河北の節度使が再三朝廷に叛く。

24 龜蒙 魯の國の亀山と蒙山のことで、泰山に近い。《詩経、魯頌》「奄有龜蒙、遂荒大東。」(龜蒙を奄有し、遂に大東を荒【たも】つ亀山・蒙山をも奄い有ち、延いて大陸の極東のはてまでも覆い保有し、東海に臨む迄に至っている。

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杜甫  又上後園山#3

於時國用富,足以守邊疆。朝廷任猛將,遠奪戎虜場。

到今事反覆,故老淚萬行。龜蒙不復見,況乃懷舊

それ以前は、生産力が絶頂であり、史上最高の国力を誇るに至ったので、国内施政はもちろん、それで十分に国境を守れたのである。ところが朝廷は蕃人出身の猛将に事をうちまかされ、遠く北狄の地方を奪取することをなされた。その結果が、あのとき、安禄山の乱から今日まで軍事の形勢反覆常なく、老人たちをして萬行の涙を流させているのである。今じぶんは泰山のそばの亀山蒙山などをみたいとおもうがそれは見ることができない。ましてやいくら故郷をおもうても、故郷が見られるわけのものではない。

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杜甫詩1500-1117-1567/2500

年:767年大暦256-16 #3

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    又上後園山

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)              

龜山 (河南道 兗州 兗州)    

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙             

交遊人物/地點:  

 

 

又上後園山 1

(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

昔我遊山東,憶戲東嶽陽。

むかしじぶんは山東に遊んだ。あのとき戯れに東嶽(泰山)におぼり、その南、南池などに戯れたことをおもいだす。

窮秋立日觀,矯首望八荒。

あのときは秋の末であったが日観峯のうえに立って首をあげて八方のはてをながめたものだ。

朱崖著毫髮,碧海吹衣裳。

その南のはての方、珠崖の地は、一髪のごとくであり、東のかたに広がるのは東海であり、その碧海の風は衣裳を吹きあげたものだった。

(又た 後園の山上る) #1

昔 我れ山東に遊び,憶う 東嶽の陽に戲れしことを。

窮秋 日觀に立ち,首を矯げて八荒を望む。

朱崖 毫髮を著く,碧海 衣裳に吹く。
#2

蓐收困用事,玄冥蔚強梁。

時候は秋の神がやつと勢力を失ひかけて、冬の神があばれだすときであった。

逝水自朝宗,鎮名各其方。

東にながれゆく水は自然にあたりまえのこととして海へとそそぐ、天下九州の山鎭はそれぞれ其の方位に於てその地方の鎮めしつめとして聳えている。

平原獨憔悴,農力廢耕桑。

しかるに中原の地方だけは民力、生産力が窶れ、農民は耕桑の業をやめてしまったり、やめさせられたのである。

非關風露凋,曾是戍役傷。

これは風露などの天地の気候のためにしぼまされたのではなくして征戊や賦役力役に人力がとられるために生産力が損傷したのである。

#2

蓐收 用事に困しみ,玄冥 蔚として強梁たり。

逝水は 自ら朝宗し,鎮名す 各の其の方を。

平原に獨り憔悴し,農力 耕桑を廢す。

風露の凋ましむるに關するに非ず,曾【すなわ】ち是れ 戍役に 傷ましむるなり。
#3

於時國用富,足以守邊疆。

それ以前は、生産力が絶頂であり、史上最高の国力を誇るに至ったので、国内施政はもちろん、それで十分に国境を守れたのである。

朝廷任猛將,遠奪戎虜場。

ところが朝廷は蕃人出身の猛将に事をうちまかされ、遠く北狄の地方を奪取することをなされた。

到今事反覆,故老淚萬行。

その結果が、あのとき、安禄山の乱から今日まで軍事の形勢反覆常なく、老人たちをして萬行の涙を流させているのである。

龜蒙不復見,況乃懷舊

今じぶんは泰山のそばの亀山蒙山などをみたいとおもうがそれは見ることができない。ましてやいくら故郷をおもうても、故郷が見られるわけのものではない。

#3

時に國用富めり,以て邊疆を守るに足れり。

朝廷 猛將に任ず,遠く奪う 戎虜の場。

今に到る 事 反覆す,故老 淚 萬行。

龜蒙 復た見るなし,況んや乃ち舊懷うをや。
#4

肺萎屬久戰,骨出熱中腸。

憂來杖匣劍,更上林北岡。

瘴毒猿鳥落,峽乾南日黃。

#5

秋風亦已起,江漢始如湯。

登高欲有往,蕩析川無梁。

哀彼遠征人,去家死路旁。

不及祖父塋,纍纍冢相當。

 

泰山002 

『又上後園山』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

於時國用富,足以守邊疆。

朝廷任猛將,遠奪戎虜場。

到今事反覆,故老淚萬行。

龜蒙不復見,況乃懷舊

(下し文)
#3

時に國用富めり,以て邊疆を守るに足れり。

朝廷 猛將に任ず,遠く奪う 戎虜の場。

今に到る 事 反覆す,故老 淚 萬行。

龜蒙 復た見るなし,況んや乃ち舊懷うをや。

(現代語訳)
#3

それ以前は、生産力が絶頂であり、史上最高の国力を誇るに至ったので、国内施政はもちろん、それで十分に国境を守れたのである。

ところが朝廷は蕃人出身の猛将に事をうちまかされ、遠く北狄の地方を奪取することをなされた。

その結果が、あのとき、安禄山の乱から今日まで軍事の形勢反覆常なく、老人たちをして萬行の涙を流させているのである。

今じぶんは泰山のそばの亀山蒙山などをみたいとおもうがそれは見ることができない。ましてやいくら故郷をおもうても、故郷が見られるわけのものではない。

戦国時代(紀元前350年頃)東方地図


(訳注) #3

又上後園山 3

(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

前回は夏の盛りであった。《19-10 上後園山

 

於時國用富,足以守邊疆。

それ以前は、生産力が絶頂であり、史上最高の国力を誇るに至ったので、国内施政はもちろん、それで十分に国境を守れたのである。

19 於時國用富 玄宗の開元の治の時期のことを言う。国民総生産が最高であり、領土も最大の時期であった。

20 守邊疆 積極的な防衛をしなくても、消極的に防備をして守れたことを言う。

 

朝廷任猛將,遠奪戎虜場。

ところが朝廷は蕃人出身の猛将に事をうちまかされ、遠く北狄の地方を奪取することをなされた。

21 任猛將 蕃人出身の安禄山、史忠明などの猛將、武将をいう。

22 戎虜場 夷狄の地をいう。

 

到今事反覆,故老淚萬行。

その結果が、あのとき、安禄山の乱から今日まで軍事の形勢反覆常なく、老人たちをして萬行の涙を流させているのである。

23 事反覆 河北の節度使が再三朝廷に叛く。

 

龜蒙不復見,況乃懷舊

今じぶんは泰山のそばの亀山蒙山などをみたいとおもうがそれは見ることができない。ましてやいくら故郷をおもうても、故郷が見られるわけのものではない。

24 龜蒙 魯の國の亀山と蒙山のことで、泰山に近い。《詩経、魯頌》「奄有龜蒙、遂荒大東。」(龜蒙を奄有し、遂に大東を荒【たも】つ亀山・蒙山をも奄い有ち、延いて大陸の極東のはてまでも覆い保有し、東海に臨む迄に至っている。

 

 

 

 

 

又上後園山 1

(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

1 遊山東・憶戲 736年開元24年杜甫25~740年開元2829歳頃の5年間を言う。儒教、孔子の生まれ育ったところであり、竹林の七賢のいわれ、関連の多いところ。。山東・河北(魯、斉・趙)蘇源明らとに遊ぶ。そのころの詩は下記のとおりに示す。

杜甫 4 與任城許主簿游南池 (青年期の詩)

杜甫 5 封雨書懐走邀許圭簿 (青年期の詩)

杜甫6 兗州城楼(青年期の詩)

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 

杜甫 8 巳上人茅粛 (青年期の詩)

2 東嶽陽 東嶽は泰山、泰安府にあり、陽は南。

李白313-#1 《巻十九07遊泰山,六首之一【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#1> Ⅰ李白詩1620 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6648

李白313-#2 《巻十九08遊泰山,六首之一》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#2> Ⅰ李白詩1621 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6653

李白313-#3 《巻十九09遊泰山,六首之一》#3Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#3> Ⅰ李白詩1622 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6658

李白314 《巻十九08遊泰山,六首之二【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白314> Ⅰ李白詩1623 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6663

李白315 《巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》315Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白315> Ⅰ李白詩1624 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6668

李白315-#2 《巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》315-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白315-#2> Ⅰ李白詩1625 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6673

李白316#1 《巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》316#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白316#1> Ⅰ李白詩1626 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6678

李白316#2 《巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》316#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白316#2>Ⅰ李白詩1627kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6683

李白317-#1 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白317-#1> Ⅰ李白詩1628 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6688

李白317-#2 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白317-#2> Ⅰ李白詩1629 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6693

李白318-#1 《巻十九12遊泰山,六首之六【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》318-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白318-#1> Ⅰ李白詩1630 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6698

李白318-#2 《巻十九12遊泰山,六首之六》318-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白318-#2> Ⅰ李白詩1631 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6703

遊泰山,六首之一:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

遊泰山,六首之二:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)

遊泰山,六首之三: (道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清晨の光景の感慨を述べたもの。)

遊泰山,六首之四:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

遊泰山,六首之五:(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。)

遊泰山,六首之六:

(この詩は、伝説に基づき、仙人と仙女を昼に見、夜、恍惚の間に多くの出来事を見て、帰る気持ちが全くなくなった。朝になって五色の彩雲が飛舞をただ見るだけだと詠う。)純然たる遊仙の詩である。

 

3 日觀 泰山頂上の東南嶽の名称、日觀峰 (河南道 兗州 泰山)をいう。《水經注汶水》引漢應劭《漢官儀》「泰山東南山頂名曰日觀。  日觀者, 雞一鳴時, 見日始欲出, 長三丈許, 故以名焉。” (《水經の注汶水》漢の應劭《漢官儀》に引く:泰山の東南山頂 名づけて日觀と曰う。 日觀は, 雞 一たび鳴く時,日の始めて出でんと欲するを見ん, 長さ三丈許, 故に以て名づく。)

4 矯首 高く首をもたげたことを言う。

5 望八荒 八方の果てを望む。

6 朱崖 珠崖ともいう。漢の武帝の時、おかれた郡の名。今の広東地方。

7 著毫髮 珠崖が遠い南の果てにあるので、髪の毛一本ほどの微かなものであることを言う。

8 碧海 東海を言う。泰山日観峰から180度に大きく広がる太平洋である。

9 蓐收 古代漢民族の伝説中の秋神であり,その姿かたちは、人面、虎爪、白毛、執戉,左耳は蛇が有り,双頭の龍にる。これは、三皇五帝の一人で、白帝とか少昊といわれた紙を補佐する神である実在の人物であるとされる。

10 困用事 権力をほしいままにしていたものが衰えることを言う。

11 玄冥 冬の神。歴代王朝は雨師廟をまつってきた。古書に〈屛翳(へいえい)〉〈玄冥〉などの雨師の名が見える。〈畢宿(ひつしゆく)〉という星が雨を降らすとも信じられた。

12 蔚強梁。秋の神に変わって冬の神が大暴れすることを言う。

13 逝水自朝宗 中國の常識として、流れてゆく水は東に流れ、支流の川も自然に奔流に灌がれ、東海に流れてゆくこと。天子の御威光は自然に人民に徳として注がれること。朝宗:1 《「朝」は春に、「宗」は夏に天子に謁見する意》古代中国で、諸侯が天子に拝謁すること。2 多くの河川がみな海に流れ入ること。3 権威あるものに寄り従うこと。

杜甫《卷一四65 長江二首其一》「眾水會涪萬,瞿塘爭一門。朝宗人共挹,盜賊爾誰尊?孤石隱如馬,高蘿垂飲猿」(衆水 涪 万に会し、瞿塘 一門を争う。朝宗 人 共に拇り、盗賊 爾をば 誰か尊ばん。孤石隱れて 馬の如し、高蘿に飲猿垂る。帰心は 波浪に異なり、何事ぞ即ち飛翻するや。)“(この蜀という地には一時でも居たくない、中央の暗躍で四六時中権力闘争をしている、何とか三峡を早く下るようになりたいと詠う。)多くの水が涪州万州に会合し、それらの水が更に瞿塘峡が一門に向かって争いながれる。この大江は、諸侯の天子に拝謁するように江水が朝宗し、東海に流入することは、万人の共に取る常識なのである。此の義を解せざる汝ら盗賊どもをだれが尊敬するものがあろうか。瞿塘では灔澦のひとつ石がかくれてわずかに馬のごとく、高処のひめかつらから水をのもうとする猿が垂れさがっている。自分はそこをとおって荊州の方へゆこうとするのだが、自分の帰郷をおもう心は波浪ならいざ知らず波浪でもないくせに、いかなるせいかびっくりかえりつつあるのである。とある。

14 鎮名各其方 基本に五岳があり、東南揚州は会稽山、正南は荊州山。ここにいう山は、南嶽衡山をいう。

15 平原獨憔悴 中原地方は疲弊し、憔悴しきっているということ。

16 風露凋 気候により、つまり、天災によって凋み衰えること。

17 曾是 曾はすなわち、是は凋み衰えるている現状。

18 戍役傷 戦争、叛乱、謀叛による世情不安、賦役が増大、戦死による労働力不足、逃散による村落崩壊、山賊、盗賊の横行、私物化、賄賂等々に倚る人民の生産力が著しく減少したことで、社会の再生産体制が傷ついたということ。

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杜甫  又上後園山#2

蓐收困用事,玄冥蔚強梁。逝水自朝宗,鎮名各其方。

平原獨憔悴,農力廢耕桑。非關風露凋,曾是戍役傷。

時候は秋の神がやつと勢力を失ひかけて、冬の神があばれだすときであった。東にながれゆく水は自然にあたりまえのこととして海へとそそぐ、天下九州の山鎭はそれぞれ其の方位に於てその地方の鎮めしつめとして聳えている。しかるに中原の地方だけは民力、生産力が窶れ、農民は耕桑の業をやめてしまったり、やめさせられたのである。これは風露などの天地の気候のためにしぼまされたのではなくして征戊や賦役力役に人力がとられるために生産力が損傷したのである。

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杜甫詩1500-1116-1566/2500

年:767年大暦256-16 #1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    又上後園山

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)              

龜山 (河南道 兗州 兗州)    

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙             

交遊人物/地點:  

 

 

又上後園山 1

(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

昔我遊山東,憶戲東嶽陽。

むかしじぶんは山東に遊んだ。あのとき戯れに東嶽(泰山)におぼり、その南、南池などに戯れたことをおもいだす。

窮秋立日觀,矯首望八荒。

あのときは秋の末であったが日観峯のうえに立って首をあげて八方のはてをながめたものだ。

朱崖著毫髮,碧海吹衣裳。

その南のはての方、珠崖の地は、一髪のごとくであり、東のかたに広がるのは東海であり、その碧海の風は衣裳を吹きあげたものだった。

(又た 後園の山上る) #1

昔 我れ山東に遊び,憶う 東嶽の陽に戲れしことを。

窮秋 日觀に立ち,首を矯げて八荒を望む。

朱崖 毫髮を著く,碧海 衣裳に吹く。
#2

蓐收困用事,玄冥蔚強梁。

時候は秋の神がやつと勢力を失ひかけて、冬の神があばれだすときであった。

逝水自朝宗,鎮名各其方。

東にながれゆく水は自然にあたりまえのこととして海へとそそぐ、天下九州の山鎭はそれぞれ其の方位に於てその地方の鎮めしつめとして聳えている。

平原獨憔悴,農力廢耕桑。

しかるに中原の地方だけは民力、生産力が窶れ、農民は耕桑の業をやめてしまったり、やめさせられたのである。

非關風露凋,曾是戍役傷。

これは風露などの天地の気候のためにしぼまされたのではなくして征戊や賦役力役に人力がとられるために生産力が損傷したのである。

#3

於時國用富,足以守邊疆。

朝廷任猛將,遠奪戎虜場。

到今事反覆,故老淚萬行。

龜蒙不復見,況乃懷舊

#4

肺萎屬久戰,骨出熱中腸。

憂來杖匣劍,更上林北岡。

瘴毒猿鳥落,峽乾南日黃。

#5

秋風亦已起,江漢始如湯。

登高欲有往,蕩析川無梁。

哀彼遠征人,去家死路旁。

不及祖父塋,纍纍冢相當。

 

安史の乱当時の勢力図 

『又上後園山』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

蓐收困用事,玄冥蔚強梁。

逝水自朝宗,鎮名各其方。

平原獨憔悴,農力廢耕桑。

非關風露凋,曾是戍役傷。

(下し文)
#2

蓐收 用事に困しみ,玄冥 蔚として強梁たり。

逝水は 自ら朝宗し,鎮名す 各の其の方を。

平原に獨り憔悴し,農力 耕桑を廢す。

風露の凋ましむるに關するに非ず,曾【すなわ】ち是れ 戍役に 傷ましむるなり。

(現代語訳)
#2

時候は秋の神がやつと勢力を失ひかけて、冬の神があばれだすときであった。

東にながれゆく水は自然にあたりまえのこととして海へとそそぐ、天下九州の山鎭はそれぞれ其の方位に於てその地方の鎮めしつめとして聳えている。

しかるに中原の地方だけは民力、生産力が窶れ、農民は耕桑の業をやめてしまったり、やめさせられたのである。

これは風露などの天地の気候のためにしぼまされたのではなくして征戊や賦役力役に人力がとられるために生産力が損傷したのである。


(訳注) #2

又上後園山 2

(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

前回は夏の盛りであった。《19-10 上後園山

 

蓐收困用事,玄冥蔚強梁。

時候は秋の神がやつと勢力を失ひかけて、冬の神があばれだすときであった。

9 蓐收 古代漢民族の伝説中の秋神であり,その姿かたちは、人面、虎爪、白毛、執戉,左耳は蛇が有り,双頭の龍にる。これは、三皇五帝の一人で、白帝とか少昊といわれた紙を補佐する神である実在の人物であるとされる。

10 困用事 権力をほしいままにしていたものが衰えることを言う。

11 玄冥 冬の神。歴代王朝は雨師廟をまつってきた。古書に〈屛翳(へいえい)〉〈玄冥〉などの雨師の名が見える。〈畢宿(ひつしゆく)〉という星が雨を降らすとも信じられた。

12 蔚強梁。秋の神に変わって冬の神が大暴れすることを言う。

 

逝水自朝宗,鎮名各其方。

東にながれゆく水は自然にあたりまえのこととして海へとそそぐ、天下九州の山鎭はそれぞれ其の方位に於てその地方の鎮めしつめとして聳えている。

13 逝水自朝宗 中國の常識として、流れてゆく水は東に流れ、支流の川も自然に奔流に灌がれ、東海に流れてゆくこと。天子の御威光は自然に人民に徳として注がれること。朝宗:1 《「朝」は春に、「宗」は夏に天子に謁見する意》古代中国で、諸侯が天子に拝謁すること。2 多くの河川がみな海に流れ入ること。3 権威あるものに寄り従うこと。

杜甫《卷一四65 長江二首其一》「眾水會涪萬,瞿塘爭一門。朝宗人共挹,盜賊爾誰尊?孤石隱如馬,高蘿垂飲猿」(衆水 涪 万に会し、瞿塘 一門を争う。朝宗 人 共に拇り、盗賊 爾をば 誰か尊ばん。孤石隱れて 馬の如し、高蘿に飲猿垂る。帰心は 波浪に異なり、何事ぞ即ち飛翻するや。)“(この蜀という地には一時でも居たくない、中央の暗躍で四六時中権力闘争をしている、何とか三峡を早く下るようになりたいと詠う。)多くの水が涪州万州に会合し、それらの水が更に瞿塘峡が一門に向かって争いながれる。この大江は、諸侯の天子に拝謁するように江水が朝宗し、東海に流入することは、万人の共に取る常識なのである。此の義を解せざる汝ら盗賊どもをだれが尊敬するものがあろうか。瞿塘では灔澦のひとつ石がかくれてわずかに馬のごとく、高処のひめかつらから水をのもうとする猿が垂れさがっている。自分はそこをとおって荊州の方へゆこうとするのだが、自分の帰郷をおもう心は波浪ならいざ知らず波浪でもないくせに、いかなるせいかびっくりかえりつつあるのである。とある。

14 鎮名各其方 基本に五岳があり、東南揚州は会稽山、正南は荊州山。ここにいう山は、南嶽衡山をいう。

 

平原獨憔悴,農力廢耕桑。

しかるに中原の地方だけは民力、生産力が窶れ、農民は耕桑の業をやめてしまったり、やめさせられたのである。

15 平原獨憔悴 中原地方は疲弊し、憔悴しきっているということ。

 

非關風露凋,曾是戍役傷。

これは風露などの天地の気候のためにしぼまされたのではなくして征戊や賦役力役に人力がとられるために生産力が損傷したのである。

16 風露凋 気候により、つまり、天災によって凋み衰えること。

17 曾是 曾はすなわち、是は凋み衰えるている現状。

18 戍役傷 戦争、叛乱、謀叛による世情不安、賦役が増大、戦死による労働力不足、逃散による村落崩壊、山賊、盗賊の横行、私物化、賄賂等々に倚る人民の生産力が著しく減少したことで、社会の再生産体制が傷ついたということ。

 

汜水関などの地図 

又上後園山 1

(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

1 遊山東・憶戲 736年開元24年杜甫25~740年開元2829歳頃の5年間を言う。儒教、孔子の生まれ育ったところであり、竹林の七賢のいわれ、関連の多いところ。。山東・河北(魯、斉・趙)蘇源明らとに遊ぶ。そのころの詩は下記のとおりに示す。

杜甫 4 與任城許主簿游南池 (青年期の詩)

杜甫 5 封雨書懐走邀許圭簿 (青年期の詩)

杜甫6 兗州城楼(青年期の詩)

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 

杜甫 8 巳上人茅粛 (青年期の詩)

2 東嶽陽 東嶽は泰山、泰安府にあり、陽は南。

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李白313-#3 《巻十九09遊泰山,六首之一》#3Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#3> Ⅰ李白詩1622 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6658

李白314 《巻十九08遊泰山,六首之二【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白314> Ⅰ李白詩1623 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6663

李白315 《巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》315Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白315> Ⅰ李白詩1624 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6668

李白315-#2 《巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》315-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白315-#2> Ⅰ李白詩1625 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6673

李白316#1 《巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》316#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白316#1> Ⅰ李白詩1626 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6678

李白316#2 《巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》316#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白316#2>Ⅰ李白詩1627kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6683

李白317-#1 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白317-#1> Ⅰ李白詩1628 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6688

李白317-#2 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白317-#2> Ⅰ李白詩1629 kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ6693

李白318-#1 《巻十九12遊泰山,六首之六【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》318-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白318-#1> Ⅰ李白詩1630 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6698

李白318-#2 《巻十九12遊泰山,六首之六》318-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白318-#2> Ⅰ李白詩1631 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6703

遊泰山,六首之一:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

遊泰山,六首之二:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)

遊泰山,六首之三: (道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清晨の光景の感慨を述べたもの。)

遊泰山,六首之四:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

遊泰山,六首之五:(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。)

遊泰山,六首之六:

(この詩は、伝説に基づき、仙人と仙女を昼に見、夜、恍惚の間に多くの出来事を見て、帰る気持ちが全くなくなった。朝になって五色の彩雲が飛舞をただ見るだけだと詠う。)純然たる遊仙の詩である。

 

3 日觀 泰山頂上の東南嶽の名称、日觀峰 (河南道 兗州 泰山)をいう。《水經注汶水》引漢應劭《漢官儀》「泰山東南山頂名曰日觀。  日觀者, 雞一鳴時, 見日始欲出, 長三丈許, 故以名焉。” (《水經の注汶水》漢の應劭《漢官儀》に引く:泰山の東南山頂 名づけて日觀と曰う。 日觀は, 雞 一たび鳴く時,日の始めて出でんと欲するを見ん, 長さ三丈許, 故に以て名づく。)

4 矯首 高く首をもたげたことを言う。

5 望八荒 八方の果てを望む。

6 朱崖 珠崖ともいう。漢の武帝の時、おかれた郡の名。今の広東地方。

7 著毫髮 珠崖が遠い南の果てにあるので、髪の毛一本ほどの微かなものであることを言う。

8 碧海 東海を言う。泰山日観峰から180度に大きく広がる太平洋である。

767年-16 #1杜甫 《19-18 又上後園山腳》#1 杜甫詩index-15-1115 <1565> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7222 

杜甫  又上後園山 1

昔我遊山東,憶戲東嶽陽。窮秋立日觀,矯首望八荒。

朱崖著毫髮,碧海吹衣裳。

(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

むかしじぶんは山東に遊んだ。あのとき戯れに東嶽(泰山)におぼり、その南、南池などに戯れたことをおもいだす。

あのときは秋の末であったが日観峯のうえに立って首をあげて八方のはてをながめたものだ。

その南のはての方、珠崖の地は、一髪のごとくであり、東のかたに広がるのは東海であり、その碧海の風は衣裳を吹きあげたものだった。

767-16 #1杜甫 《19-18 又上後園山#1 杜甫詩index-15-1115 <1565

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19-10 上後園山

朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。

曠望延駐目,飄颻散疏襟。潛鱗恨水壯,去翼依雲深。

勿謂地無疆,劣於山有陰。石遍天下,水陸兼浮沈。

自我登隴首,十年經碧岑。劍門來巫峽,薄倚浩至今。

故園暗戎馬,骨肉失追尋。時危無消息,老去多歸心。

志士惜白日,久客藉黃金。敢為蘇門嘯,庶作〈梁父吟〉。

(後園の山上る

朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。

曠望 駐目を延く,飄颻 疏襟を散ず。潛鱗 水の壯なるを恨み,去翼 雲の深きに依る。
謂う勿れ 地 疆【かぎ】り無しと,山の陰有るよりも劣れり。石
【せきげん】天下に遍し,水陸 兼て 浮沈す。

我が隴首に登りしより,十年 碧岑を經る。劍門より 巫峽に來る,薄倚 浩として今に至れり。
故園 戎馬暗し,骨肉 追尋を失す。時危くして 消息無く,老去って 歸心多し。

志士 白日を惜み,久客 黃金に藉【よ】る。敢て蘇門の嘯を為さんや,庶わくば 〈梁父の吟〉を作さん。

 

 

杜甫詩1500-1115-1565/2500

年:767年大暦256-16 #1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    又上後園山

作地點:              目前尚無資料

及地點:              泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳         

日觀峰 (河南道 兗州 泰山)              

龜山 (河南道 兗州 兗州)    

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙             

交遊人物/地點:  

 

 

又上後園山 1

(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

昔我遊山東,憶戲東嶽陽。

むかしじぶんは山東に遊んだ。あのとき戯れに東嶽(泰山)におぼり、その南、南池などに戯れたことをおもいだす。

窮秋立日觀,矯首望八荒。

あのときは秋の末であったが日観峯のうえに立って首をあげて八方のはてをながめたものだ。

朱崖著毫髮,碧海吹衣裳。

その南のはての方、珠崖の地は、一髪のごとくであり、東のかたに広がるのは東海であり、その碧海の風は衣裳を吹きあげたものだった。

(又た 後園の山上る) #1

昔 我れ山東に遊び,憶う 東嶽の陽に戲れしことを。

窮秋 日觀に立ち,首を矯げて八荒を望む。

朱崖 毫髮を著く,碧海 衣裳に吹く。
#2

蓐收困用事,玄冥蔚強梁。

逝水自朝宗,鎮名各其方。

平原獨憔悴,農力廢耕桑。

非關風露凋,曾是戍役傷。

#3

於時國用富,足以守邊疆。

朝廷任猛將,遠奪戎虜場。

到今事反覆,故老淚萬行。

龜蒙不復見,況乃懷舊

#4

肺萎屬久戰,骨出熱中腸。

憂來杖匣劍,更上林北岡。

瘴毒猿鳥落,峽乾南日黃。

#5

秋風亦已起,江漢始如湯。

登高欲有往,蕩析川無梁。

哀彼遠征人,去家死路旁。

不及祖父塋,纍纍冢相當。

泰山案内図01 

 

『又上後園山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

又上後園山 #1

昔我遊山東,憶戲東嶽陽。

窮秋立日觀,矯首望八荒。

朱崖著毫髮,碧海吹衣裳。
詩文(含異文):#1           

昔我遊山東,憶戲東嶽陽。

窮秋立日觀,矯首望八荒【矯首望北荒】。

朱崖【案:在南海中。】著毫髮,碧海吹衣裳。


(下し文)
(又た 後園の山上る) #1

昔 我れ山東に遊び,憶う 東嶽の陽に戲れしことを。

窮秋 日觀に立ち,首を矯げて八荒を望む。

朱崖 毫髮を著く,碧海 衣裳に吹く。

(現代語訳)
又上後園山 #1(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

むかしじぶんは山東に遊んだ。あのとき戯れに東嶽(泰山)におぼり、その南、南池などに戯れたことをおもいだす。

あのときは秋の末であったが日観峯のうえに立って首をあげて八方のはてをながめたものだ。

その南のはての方、珠崖の地は、一髪のごとくであり、東のかたに広がるのは東海であり、その碧海の風は衣裳を吹きあげたものだった。

泰山絵図
(訳注)

又上後園山 1

(再び、瀼西の北園の山麓にのぼったこと詠んだ詩。)

前回は夏の盛りであった。《19-10 上後園山

 

昔我遊山東,憶戲東嶽陽。

むかしじぶんは山東に遊んだ。あのとき戯れに東嶽(泰山)におぼり、その南、南池などに戯れたことをおもいだす。

1 遊山東・憶戲 736年開元24年杜甫25~740年開元2829歳頃の5年間を言う。儒教、孔子の生まれ育ったところであり、竹林の七賢のいわれ、関連の多いところ。。山東・河北(魯、斉・趙)蘇源明らとに遊ぶ。そのころの詩は下記のとおりに示す。

杜甫 4 與任城許主簿游南池 (青年期の詩)

杜甫 5 封雨書懐走邀許圭簿 (青年期の詩)

杜甫6 兗州城楼(青年期の詩)

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 

杜甫 8 巳上人茅粛 (青年期の詩)

2 東嶽陽 東嶽は泰山、泰安府にあり、陽は南。

李白313-#1 《巻十九07遊泰山,六首之一【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#1> Ⅰ李白詩1620 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6648

李白313-#2 《巻十九08遊泰山,六首之一》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#2> Ⅰ李白詩1621 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6653

李白313-#3 《巻十九09遊泰山,六首之一》#3Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白313-#3> Ⅰ李白詩1622 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6658

李白314 《巻十九08遊泰山,六首之二【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白314> Ⅰ李白詩1623 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6663

李白315 《巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》315Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白315> Ⅰ李白詩1624 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6668

李白315-#2 《巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》315-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白315-#2> Ⅰ李白詩1625 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6673

李白316#1 《巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》316#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白316#1> Ⅰ李白詩1626 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6678

李白316#2 《巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》316#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白316#2>Ⅰ李白詩1627kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6683

李白317-#1 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白317-#1> Ⅰ李白詩1628 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6688

李白317-#2 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白317-#2> Ⅰ李白詩1629 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6693

李白318-#1 《巻十九12遊泰山,六首之六【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》318-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白318-#1> Ⅰ李白詩1630 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6698

李白318-#2 《巻十九12遊泰山,六首之六》318-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白318-#2> Ⅰ李白詩1631 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6703

遊泰山,六首之一:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。)

遊泰山,六首之二:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、洞中の選任に出逢ったが一巻の書を残してくれたが読めないのでここに残って研究するというもの。)

遊泰山,六首之三: (道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:この詩は日觀峰にのぼって、日の出(御来光)を見て、清晨の光景の感慨を述べたもの。)

遊泰山,六首之四:(道教の友人と泰山に上って南天門に到着するまでを遊仙の詩として記した。:幻想の中、緑黒髪の仙童に出逢ったが、その風姿は脱俗しているが、仙学を学んで間もないというが、たちまち見えなくなったが、感慨に堪えないことであった。)

遊泰山,六首之五:(峭絶なる形容の日觀峰に上ってみた景色を述べ、高山植物の縮図のような表現をしている。)

遊泰山,六首之六:

(この詩は、伝説に基づき、仙人と仙女を昼に見、夜、恍惚の間に多くの出来事を見て、帰る気持ちが全くなくなった。朝になって五色の彩雲が飛舞をただ見るだけだと詠う。)純然たる遊仙の詩である。

 

窮秋立日觀,矯首望八荒。

あのときは秋の末であったが日観峯のうえに立って首をあげて八方のはてをながめたものだ。

3 日觀 泰山頂上の東南嶽の名称、日觀峰 (河南道 兗州 泰山)をいう。《水經注汶水》引漢應劭《漢官儀》「泰山東南山頂名曰日觀。  日觀者, 雞一鳴時, 見日始欲出, 長三丈許, 故以名焉。” (《水經の注汶水》漢の應劭《漢官儀》に引く:泰山の東南山頂 名づけて日觀と曰う。 日觀は, 雞 一たび鳴く時,日の始めて出でんと欲するを見ん, 長さ三丈許, 故に以て名づく。)

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朱崖著毫髮,碧海吹衣裳。

その南のはての方、珠崖の地は、一髪のごとくであり、東のかたに広がるのは東海であり、その碧海の風は衣裳を吹きあげたものだった。

6 朱崖 珠崖ともいう。漢の武帝の時、おかれた郡の名。今の広東地方。

7 著毫髮 珠崖が遠い南の果てにあるので、髪の毛一本ほどの微かなものであることを言う。

8 碧海 東海を言う。泰山日観峰から180度に大きく広がる太平洋である。

 

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767年-14-#4杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#4 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-14-#4 <1111> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7202

杜甫  阻雨不得歸瀼西甘林 #4

焉得輟兩足,杖藜出嶇嶔。條流數翠實,偃息歸碧潯。

拂拭烏皮几,喜聞樵牧音。令兒快搔背,我頭上簪
雨足があがってくれたらどうしようか、まず、あかぎの杖をつきながらけわしい山からでてゆく。それから、枝のさきになっているミカンの青い実を数え、碧水のほとりにかえってきて休息をする。つぎは、黒皮の脇息のほこりをふきとつてきれいにし、きこりや家畜飼いの歌をうれしくきこうとおもう。そうして、頭の冠の簪をぬき去って楽にし、こどもにきもちよく背をかかせることをできたらいいなと思うのである。

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杜甫詩1500-1111-1561/2500

瀼西に移り住んでからの、杜甫の蜜柑に対する関心は、果木の美しさを観賞するという立場ではなく、あきらかに経済的、経営的な立場からのそれである。《1850_暮春題瀼西新賃草屋五首其二》(暮春に瀼西の新たに賃せる草屋に題す、五首其の二)である。767(大暦二)年、作者五十六歳の作。「此邦千樹橘、不見比封君。養拙干戈際、全生麋鹿羣。 畏人江北草、旅食瀼西雲。萬里巴渝曲、三年實飽聞。」(此()の邦(くに)の千樹の橘は、封君に比せらるるを見ず。拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿(ビロク)の群。人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。みやこより万里のかなたのこの巴渝の曲、三年 実に聞くに飽く)この詩と《1916_雨に阻まれ瀼西の甘林に帰るを得ず》の詩について「よって蜜柑を植えることが杜甫の瀼西における重要な仕事となった」、「この二首の詩からみて、彼の蜜柑園もまた商品作物であり、また即ちいわゆる封殖(土寄して栽培)することである。どのように言おうとも、彼は蜜柑園をとても重視していた」(『杜甫夔州詩現地研究』二八六頁。第Ⅲ部第一章参照)と述べているとおりである。蜜柑が商品作物だから当然お金で売り買いされる。

 

年:767年大曆二年           56

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    阻雨不得歸瀼西甘林

作地點:              目前尚無資料

及地點:瀼西 (山南東道 夔州 奉節)              

草堂 (劍南道北部 益州 成都) 別名:一室、西郭茅舍  

 

 

阻雨不得歸瀼西甘林#1

(雨にじゃまされて瀼西のみかんばやしへかえることができなかったことをよんだもの。)

三伏適已過,驕陽化為霖。

三伏の炎熱がすでに過ぎて、これまで威張っていた陽気は、長雨にかわった。

欲歸瀼西宅,阻此江浦深。

自分は瀼西の宅へ帰ろうとおもうが、江浦の水の深いのにじゃまされているのである。

壞舟百版坼,峻岸復萬尋。

こわれた舟は多くの板が開けてしまったし、嶮しい岸は、萬尋の高さほどある。

篙工初一棄,恐泥勞寸心。

船夫は、初めから渡ることなどしようともしないのである。自分はいくとなれば、途中でぐずついて目的地へはゆきつけぬのではないかと心をいためているのである。

(雨に阻れて 瀼西の甘林に歸えるを得ず)

三伏 適たま已に過ぎたり,驕陽 化して 霖と為る。

瀼西の宅に歸らんと欲すれども,此の江浦の深きに阻てらる。

壞舟 百版坼く,峻岸 復た萬尋なり。

篙工 初めより一棄す,恐泥 寸心を勞す。
#2

佇立東城隅,悵望高飛禽。

それで夔州城の東にある白帝城の隅にたたすんで、高く飛ぶ鳥をうらめしく眺めている。

草堂亂懸圃,不隔崑崙岑。

崑崙山に隔てられたわけではないが、じぶんの瀼西の草堂が玄圃かなにかのようにめったたに往けぬ場所のようになってしまった。

昏渾衣裳外,曠同層陰。

じぶんの着ている着物以外は真っ暗で、非常に遠方まで、一様に陰気が重なっているのである。

園甘長成時,三寸如黃金。

果樹園のみかんが大きくなったときは実の大さは直徑三寸ほどあって黄金色をしている。

#2

佇立す 東城の隅,悵望す 高飛の禽。

草堂 懸圃に亂る,隔てず 崑崙の岑。

昏渾なり 衣裳の外,曠 同じく層陰。

園甘 長成せし時,三寸 黃金の如し。
#3

諸侯舊上計,厥貢傾千林。

もとは此地の長官は千林のみかんを傾けつくして中央への貢物とし會計吏とともにたてまつらせたものだ。

邦人不足重,所迫豪吏侵。

それなのに、いま土地の人人がそれを重んずるに足らぬものだとしているのは、みかんをつくっても豪吏の侵奪に迫られるからのことである。

客居暫封殖,日夜偶瑤琴。

じぶんは旅住居でしばらくみかんの木を植え付け、昼も夜も瑤琴同様に愛撫した。

虛徐五株態,側塞煩胸襟。

そのなかで五株ばかりは弱った態をしているので、それをおもうと心も轉倒し塞がって胸のなかがむしゃくしゃしてくるのである。

#3

諸侯 舊 計とともに上【たてま】つる,厥の貢 千林を傾く。

邦人 重んずるに足らずとす,迫らるる所は豪吏に侵さるることになり。

客居 暫く封殖し,日夜 瑤琴に偶す。

虛徐なり 五株の態,側塞 胸襟に煩なり。
#4

焉得輟兩足,杖藜出嶇嶔。

條流數翠實,偃息歸碧潯。

拂拭烏皮几,喜聞樵牧音。

令兒快搔背,我頭上簪。

雨足があがってくれたらどうしようか、まず、あかぎの杖をつきながらけわしい山からでてゆく。

それから、枝のさきになっているミカンの青い実を数え、碧水のほとりにかえってきて休息をする。

つぎは、黒皮の脇息のほこりをふきとつてきれいにし、きこりや家畜飼いの歌をうれしくきこうとおもう。

そうして、頭の冠の簪をぬき去って楽にし、こどもにきもちよく背をかかせることをできたらいいなと思うのである。

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『阻雨不得歸瀼西甘林』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

焉得輟兩足,杖藜出嶇嶔。

條流數翠實,偃息歸碧潯。

拂拭烏皮几,喜聞樵牧音。

令兒快搔背,我頭上簪

(下し文)
#4

焉得輟兩足,杖藜出嶇嶔。

條流數翠實,偃息歸碧潯。

拂拭烏皮几,喜聞樵牧音。

令兒快搔背,我頭上簪

(現代語訳)
#4

雨足があがってくれたらどうしようか、まず、あかぎの杖をつきながらけわしい山からでてゆく。

それから、枝のさきになっているミカンの青い実を数え、碧水のほとりにかえってきて休息をする。

つぎは、黒皮の脇息のほこりをふきとつてきれいにし、きこりや家畜飼いの歌をうれしくきこうとおもう。

そうして、頭の冠の簪をぬき去って楽にし、こどもにきもちよく背をかかせることをできたらいいなと思うのである。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注) #4

阻雨不得歸瀼西甘林

(雨にじゃまされて瀼西のみかんばやしへかえることができなかったことをよんだもの。)

1 阻雨 長雨により河川の流量が増し、東屯から、瀼西の草堂に帰られない。

2 瀼西  杜甫が(西閣または赤甲から)瀼西へ引っ越した。

 

焉得輟兩足,杖藜出嶇嶔。

雨足があがってくれたらどうしようか、まず、あかぎの杖をつきながらけわしい山からでてゆく。

33. 焉得輟兩足 雨足があがってくれたらどうしようか、この句の “焉得” は、これより最後の句までにかかる。

34. 出嶇嶔 ミカン畑の裏山の険しい様子を言う。

 

條流數翠實,偃息歸碧潯。

それから、枝のさきになっているミカンの青い実を数え、碧水のほとりにかえってきて休息をする。

35. 條流 ミカンの木の小枝に青い実がなっている枝ぶりを言う。

36. 數翠實 ミカンの青い実を数える。得ることを考えているので凡その数が知りたいということだと思う。一枝何個か、一本の木に何個か、・・・・・。故郷に帰る資金を作るためである。

37. 偃息 寝転がって休息をとる。

38. 歸碧潯 緑色に住んで流れる大瀼水のほとりの草堂に帰る。

 

拂拭烏皮几,喜聞樵牧音。

つぎは、黒皮の脇息のほこりをふきとつてきれいにし、きこりや家畜飼いの歌をうれしくきこうとおもう。

39 烏皮几 黒皮の脇息の汚れ、ミカンの木の間を歩いたら汚れるのでその汚れを取る。

40 樵牧音 長雨が止んで晴れれば、樵、牧童、家畜の世話や作業も楽しいので、歌いながら作業をしたりするのを聞くことを言う。

 

令兒快搔背,我頭上簪。

そうして、頭の冠の簪をぬき去って楽にし、こどもにきもちよく背をかかせることをできたらいいなと思うのである。

 

 

 

 

【字解】阻雨不得歸瀼西甘林

(雨にじゃまされて瀼西のみかんばやしへかえることができなかったことをよんだもの。)

1 阻雨 長雨により河川の流量が増し、東屯から、瀼西の草堂に帰られない。

2 瀼西  杜甫が(西閣または赤甲から)瀼西へ引っ越したことは、いろいろな詩から総合的に判断できることであるが、より直接的には以下の詩からわかる。

それは1813_瀼西寒望》の詩に、瀼西への引っ越し計画を、

瀼西寒望

(瀼西の寒望)

【夔人以澗水通江者為瀼,大昌縣西有千頃池,水分三道,其一南流奉節縣,為西瀼水。】

【夔人 以て澗水江に通ずる者は瀼と為し,大昌縣 西に千頃の池有り,水 三道に分れ,其の一 南に奉節縣に流る,西瀼水と為す。】

水色含群動,朝光切太虛。

水色 群動を含む、朝光 太虚に切なり。

年侵頻悵望,興遠一蕭疏。

年侵して 頻りに帳望す、興遠くして一に蕭疏たり。

猿挂時相學,鷗行炯自如。

猿挂かりて時に相学ぶ、鴎行く 炯として自如たり。

瞿唐春欲至,定卜瀼西居。

瞿唐 春 至らんと欲す、定めて卜せん瀼西の居。

と述べており、そして実際に1850_暮春に、瀼西の新たに賃せし草屋に題す》の五首連作の詩を作っているからである。

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一                   久嗟三峽客,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之二                   此邦千樹橘,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之三                   綵雲陰復白,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之四                   壯年學書劍,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之五                   欲陳濟世策,

3 甘林 瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していたと考えられる。その証拠となる詩は、次の四首である。大暦二年の秋、その住宅を杜甫の娘婿の呉郎に、貸し与えることを述べた2043_呉郎司法に簡す》の詩に、

郎司法

郎司法に簡す

有客乘舸自忠州,遣騎安置瀼西頭。

客有り乘舸にじて忠州よりし,騎を遣わし 安置せしむ瀼西の頭り。

古堂本買藉疏豁,借汝遷居停宴遊。

古堂 本と買いしは 疏豁に藉る、汝に借して居を遷さしめ 宴遊を停めしめん

雲石熒熒高葉曙,風江颯颯亂帆秋。

雲石熒熒たり 高葉の曙,風江 颯颯たり亂帆の秋。

卻為姻婭過逢地,許坐曾軒數散愁。

卻て姻婭 過逢の地を為し,曾軒に坐して數しば散愁をずることを許さんや。

と述べ、その年の晩秋の767年 《巻20-65小園》の詩には、

小園

 

由來巫峽水,本自楚人家。

由來 巫峽の水,本自り楚人の家。

客病留因藥,春深買為花。

(たび)に病んで 留まるは薬に因る,春深くして 買うは花の為なり。

秋庭風落果,瀼岸雨沙。

秋庭 風果を落す,瀼岸 雨 沙を

問俗營寒事,將詩待物華。

俗の問いて 寒事を營む,詩を將て物華を待つ。

とあって、詩題にいう小園を晩春に買ったと述べているからである。この小園については浦起竜も「瀼西の果園なり」「買うとは園を買うにして、花を買うには非ざるなり」(巻三之六)というように、瀼西の四十畝のそれであったろう。そしてその果園が瀼西宅に附属していたものであることは、《20-66寒雨朝行視園樹寒雨に朝行きて園の樹を視る)の詩に「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあることからわかる。千株は「千橘」の典故を意識した千本にも近い蜜柑の木を意味する。

寒雨朝行視園樹

柴門雜樹向千株,丹橘黃甘此地無。

江上今朝寒雨歇,籬中秀色畫屏紆。

桃蹊李徑年雖故,梔子紅椒豔復殊。

鎖石藤稍元自落,倚天松骨見來枯。

林香出實垂將盡,葉蒂辭枝不重蘇。

愛日恩光蒙借貸,清霜殺氣得憂虞。

衰顏更覓藜床坐,緩步仍須竹杖扶。

散騎未知雲閣處,啼猿僻在楚山隅。

さらに翌年正月、夔州を去るに当たって、その家屋と果園の不動産を南卿兄という人物に贈ることを詩題にした2138_将に巫峡に別れんとして南卿兄に瀼西の果園四十畝を贈る》の詩が作られている。果園が何ヶ所でどこにあったかなどについては異説があるが、全体としてこの通説は正しいであろう。「瀼西宅」(《1917_阻雨不得歸瀼西甘林》による)に住んだのは、東屯に一時移り住み呉郎に貸し与えた時期を考慮外とし、多く見積もったとしても大暦二年の暮春三月から翌年正月まで十ヶ月足らずである。

 大暦二(七六七)年、五十六歳の杜甫が、野菜作りや稲田・蜜柑園の管理経営に力を入れるのが、この瀼西(東屯)に住んでいた一時期である。

4 三伏 三伏(さんぷく)とは、陰陽五行説に基づく選日の1つで、初伏(しょふく)・中伏(ちゅうふく)・末伏(まっぷく)の総称。火性の最も盛んな夏の時期の庚の日は凶であるとする。そこで、夏の間の3回の庚の日を三伏とする。夏至以後の3回目・4回目と立秋以後の最初の庚の日をそれぞれ初伏・中伏・末伏とする。

5 驕陽 威張っていた陽気。

6 霖 長雨。

7 瀼西宅 杜甫の瀼西の草堂。

8 江浦深 大瀼水が長雨によって増水して流れが速くなり、水深が深くなったこと言う。

9 百版坼 船の多くの板材が裂する。

10 篙工 船頭、船夫。

11 恐泥 泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。詩の思恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。《19-09 .槐葉冷淘》「路遠思恐泥,興深終不渝。」(路 遠くして 恐泥を思う,興 深くして 終に渝らず。)「論語」子張篇に、枝葉末節の技芸にこだわらず本質的な大義を果たすことの重要性を述べた部分で「子夏曰、雖小道必有可観者焉、致遠恐泥、是以君子不為也」(子夏曰わく、小道(しょうどう)と雖も(いえども)必ず観るべき者あり。遠きを致さんには泥(なず)まんことを恐る、是(ここ)を以て君子は為さざるなり。子夏が言った。『小さな技芸の道であっても、見るべき部分はあるものだ。しかし、究極まで道を極めようとすれば、小さな技芸は邪魔になる。だから、君子は小さな道を行かないのである、とある。泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。詩の思恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。

767年-9-#2杜甫 《19-09 .槐葉冷淘》#2 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-9-#2 <1086 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7110 

12 佇立 じっと佇んで待つ。

13 東城隅 夔州城の東にある白帝城のすみ。

14 悵望 心をいためて思いやること。うらめしげに見やること。

15 亂懸圃 山頂にかかる屋上庭園がまぎれる。東屯側から見れば赤甲山が崑崙山であり、杜甫のミカン園がその山の懸圃であり、大瀼水を間に挟んで対岸から見て乱れていることを表現している。

16 崑崙岑 中国古代の伝説上の山岳。崑崙山・崑崙丘・崑崙虚ともいう。中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるとされた。仙界とも呼ばれ、八仙がいるとされる。 崑崙奴とは、アフリカ系黒人に対しての呼び名であるが、伎楽の崑崙〔くろん〕面の名称も、そもそもは黒人のことをさした。岑とは、みね。山が切りたった高い所。また、鋭く切り込んだように険しいさま。 高くて先がとがる。けわしい。するどい。

17 昏渾衣裳外 雨空がどんよりとし、谷合は暗くなっていることを表現している。

18 曠 非常に遠方までをいう。

19 層陰 雲が重層し、靄が覆うほど、重なった陰気。

20 園甘長成時 果樹園のみかんが大きく成長すれば。

21 三寸 ミカンの直径。

22 黃金 ミカンの色を言う。

23 諸侯 地方長官。

24 舊上計 計は会計報告吏。上計とはその会計計報告吏が中央に帰ってゆくときに朝廷へたてまつるならいをいう。

25 厥貢 其の土地の貢、夔州の土産品を貢ぐこと。

26 傾千林 たくさんのミカンの木からミカンを取りつくす意。

27 邦人 この土地の人人。

28 豪吏侵 勢力のある官吏である豪吏がその役目をかさに着て農民が作ったミカンを侵奪すること。杜甫には、地方役人の横暴を詠ったものに三吏三別の作品がある。

石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブロ1028 杜甫詩集700- 307 : 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩 杜甫詩1000

29 封殖 土を盛り植える。

30 偶瑤琴 偶は偶匹、匹敵することを言う。“瑤琴に偶す”とは、瑤琴をとても愛撫するごとくミカンの木を愛撫するをいう。

31 虚徐 虚邪とおなじで、《詩經・邶風、北風篇》「其虛其邪?既亟只且!」(其れ虛 其れ邪?既に亟【すみや】かなり!)に基づく虚邪(邪の音は徐)である。虚邪にゆるやかなる貌。蓋し柑樹の衰弱したさまをいうのである。

32 側塞 かたむき、ふさがる。平正を失い、開散することができない。ミカン畑のことが心配でならないことを言う。
夔州東川卜居図詳細 002扁舟 00 

767年-14-#3杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#3 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-14-#3 <1110> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7197

杜甫  阻雨不得歸瀼西甘林 #3

諸侯舊上計,厥貢傾千林。邦人不足重,所迫豪吏侵。

客居暫封殖,日夜偶瑤琴。虛徐五株態,側塞煩胸襟。

もとは此地の長官は千林のみかんを傾けつくして中央への貢物とし會計吏とともにたてまつらせたものだ。それなのに、いま土地の人人がそれを重んずるに足らぬものだとしているのは、みかんをつくっても豪吏の侵奪に迫られるからのことである。じぶんは旅住居でしばらくみかんの木を植え付け、昼も夜も瑤琴同様に愛撫した。そのなかで五株ばかりは弱った態をしているので、それをおもうと心も轉倒し塞がって胸のなかがむしゃくしゃしてくるのである。

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杜甫詩1500-1110-1560/2500

瀼西に移り住んでからの、杜甫の蜜柑に対する関心は、果木の美しさを観賞するという立場ではなく、あきらかに経済的、経営的な立場からのそれである。《1850_暮春題瀼西新賃草屋五首其二》(暮春に瀼西の新たに賃せる草屋に題す、五首其の二)である。767(大暦二)年、作者五十六歳の作。「此邦千樹橘、不見比封君。養拙干戈際、全生麋鹿羣。 畏人江北草、旅食瀼西雲。萬里巴渝曲、三年實飽聞。」(此()の邦(くに)の千樹の橘は、封君に比せらるるを見ず。拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿(ビロク)の群。人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。みやこより万里のかなたのこの巴渝の曲、三年 実に聞くに飽く)この詩と《1916_雨に阻まれ瀼西の甘林に帰るを得ず》の詩について「よって蜜柑を植えることが杜甫の瀼西における重要な仕事となった」、「この二首の詩からみて、彼の蜜柑園もまた商品作物であり、また即ちいわゆる封殖(土寄して栽培)することである。どのように言おうとも、彼は蜜柑園をとても重視していた」(『杜甫夔州詩現地研究』二八六頁。第Ⅲ部第一章参照)と述べているとおりである。蜜柑が商品作物だから当然お金で売り買いされる。

 

年:767年大曆二年           56

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    阻雨不得歸瀼西甘林

作地點:              目前尚無資料

及地點:瀼西 (山南東道 夔州 奉節)              

草堂 (劍南道北部 益州 成都) 別名:一室、西郭茅舍  

 

 

阻雨不得歸瀼西甘林#1

(雨にじゃまされて瀼西のみかんばやしへかえることができなかったことをよんだもの。)

三伏適已過,驕陽化為霖。

三伏の炎熱がすでに過ぎて、これまで威張っていた陽気は、長雨にかわった。

欲歸瀼西宅,阻此江浦深。

自分は瀼西の宅へ帰ろうとおもうが、江浦の水の深いのにじゃまされているのである。

壞舟百版坼,峻岸復萬尋。

こわれた舟は多くの板が開けてしまったし、嶮しい岸は、萬尋の高さほどある。

篙工初一棄,恐泥勞寸心。

船夫は、初めから渡ることなどしようともしないのである。自分はいくとなれば、途中でぐずついて目的地へはゆきつけぬのではないかと心をいためているのである。

(雨に阻れて 瀼西の甘林に歸えるを得ず)

三伏 適たま已に過ぎたり,驕陽 化して 霖と為る。

瀼西の宅に歸らんと欲すれども,此の江浦の深きに阻てらる。

壞舟 百版坼く,峻岸 復た萬尋なり。

篙工 初めより一棄す,恐泥 寸心を勞す。
#2

佇立東城隅,悵望高飛禽。

それで夔州城の東にある白帝城の隅にたたすんで、高く飛ぶ鳥をうらめしく眺めている。

草堂亂懸圃,不隔崑崙岑。

崑崙山に隔てられたわけではないが、じぶんの瀼西の草堂が玄圃かなにかのようにめったたに往けぬ場所のようになってしまった。

昏渾衣裳外,曠同層陰。

じぶんの着ている着物以外は真っ暗で、非常に遠方まで、一様に陰気が重なっているのである。

園甘長成時,三寸如黃金。

果樹園のみかんが大きくなったときは実の大さは直徑三寸ほどあって黄金色をしている。

#2

佇立す 東城の隅,悵望す 高飛の禽。

草堂 懸圃に亂る,隔てず 崑崙の岑。

昏渾なり 衣裳の外,曠 同じく層陰。

園甘 長成せし時,三寸 黃金の如し。
#3

諸侯舊上計,厥貢傾千林。

もとは此地の長官は千林のみかんを傾けつくして中央への貢物とし會計吏とともにたてまつらせたものだ。

邦人不足重,所迫豪吏侵。

それなのに、いま土地の人人がそれを重んずるに足らぬものだとしているのは、みかんをつくっても豪吏の侵奪に迫られるからのことである。

客居暫封殖,日夜偶瑤琴。

じぶんは旅住居でしばらくみかんの木を植え付け、昼も夜も瑤琴同様に愛撫した。

虛徐五株態,側塞煩胸襟。

そのなかで五株ばかりは弱った態をしているので、それをおもうと心も轉倒し塞がって胸のなかがむしゃくしゃしてくるのである。

#3

諸侯 舊 計とともに上【たてま】つる,厥の貢 千林を傾く。

邦人 重んずるに足らずとす,迫らるる所は豪吏に侵さるることになり。

客居 暫く封殖し,日夜 瑤琴に偶す。

虛徐なり 五株の態,側塞 胸襟に煩なり。
#4

焉得輟兩足,杖藜出嶇嶔。

條流數翠實,偃息歸碧潯。

拂拭烏皮几,喜聞樵牧音。

令兒快搔背,我頭上簪。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『阻雨不得歸瀼西甘林』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

諸侯舊上計,厥貢傾千林。

邦人不足重,所迫豪吏侵。

客居暫封殖,日夜偶瑤琴。

虛徐五株態,側塞煩胸襟。

(下し文)
#3

諸侯 舊 計とともに上【たてま】つる,厥の貢 千林を傾く。

邦人 重んずるに足らずとす,迫らるる所は豪吏に侵さるることになり。

客居 暫く封殖し,日夜 瑤琴に偶す。

虛徐なり 五株の態,側塞 胸襟に煩なり。

(現代語訳)
#3

もとは此地の長官は千林のみかんを傾けつくして中央への貢物とし會計吏とともにたてまつらせたものだ。

それなのに、いま土地の人人がそれを重んずるに足らぬものだとしているのは、みかんをつくっても豪吏の侵奪に迫られるからのことである。

じぶんは旅住居でしばらくみかんの木を植え付け、昼も夜も瑤琴同様に愛撫した。

そのなかで五株ばかりは弱った態をしているので、それをおもうと心も轉倒し塞がって胸のなかがむしゃくしゃしてくるのである。


(訳注) #3

阻雨不得歸瀼西甘林

(雨にじゃまされて瀼西のみかんばやしへかえることができなかったことをよんだもの。)

 

諸侯舊上計,厥貢傾千林。

もとは此地の長官は千林のみかんを傾けつくして中央への貢物とし會計吏とともにたてまつらせたものだ。

23 諸侯 地方長官。

24 舊上計 計は会計報告吏。上計とはその会計計報告吏が中央に帰ってゆくときに朝廷へたてまつるならいをいう。

25 厥貢 其の土地の貢、夔州の土産品を貢ぐこと。

26 傾千林 たくさんのミカンの木からミカンを取りつくす意。

 

邦人不足重,所迫豪吏侵。

それなのに、いま土地の人人がそれを重んずるに足らぬものだとしているのは、みかんをつくっても豪吏の侵奪に迫られるからのことである。

27 邦人 この土地の人人。

28 豪吏侵 勢力のある官吏である豪吏がその役目をかさに着て農民が作ったミカンを侵奪すること。杜甫には、地方役人の横暴を詠ったものに三吏三別の作品がある。

石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1028 杜甫詩集700- 307 : 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩 杜甫詩1000

 

客居暫封殖,日夜偶瑤琴。

じぶんは旅住居でしばらくみかんの木を植え付け、昼も夜も瑤琴同様に愛撫した。

29 封殖 土を盛り植える。

30 偶瑤琴 偶は偶匹、匹敵することを言う。“瑤琴に偶す”とは、瑤琴をとても愛撫するごとくミカンの木を愛撫するをいう。

 

虛徐五株態,側塞煩胸襟。

そのなかで五株ばかりは弱った態をしているので、それをおもうと心も轉倒し塞がって胸のなかがむしゃくしゃしてくるのである。

31 虚徐 虚邪とおなじで、《詩經・邶風、北風篇》「其虛其邪?既亟只且!」(其れ虛 其れ邪?既に亟【すみや】かなり!)に基づく虚邪(邪の音は徐)である。虚邪にゆるやかなる貌。蓋し柑樹の衰弱したさまをいうのである。

32 側塞 かたむき、ふさがる。平正を失い、開散することができない。ミカン畑のことが心配でならないことを言う。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

【字解】阻雨不得歸瀼西甘林

(雨にじゃまされて瀼西のみかんばやしへかえることができなかったことをよんだもの。)

1 阻雨 長雨により河川の流量が増し、東屯から、瀼西の草堂に帰られない。

2 瀼西  杜甫が(西閣または赤甲から)瀼西へ引っ越したことは、いろいろな詩から総合的に判断できることであるが、より直接的には以下の詩からわかる。

それは1813_瀼西寒望》の詩に、瀼西への引っ越し計画を、

瀼西寒望

(瀼西の寒望)

【夔人以澗水通江者為瀼,大昌縣西有千頃池,水分三道,其一南流奉節縣,為西瀼水。】

【夔人 以て澗水江に通ずる者は瀼と為し,大昌縣 西に千頃の池有り,水 三道に分れ,其の一 南に奉節縣に流る,西瀼水と為す。】

水色含群動,朝光切太虛。

水色 群動を含む、朝光 太虚に切なり。

年侵頻悵望,興遠一蕭疏。

年侵して 頻りに帳望す、興遠くして一に蕭疏たり。

猿挂時相學,鷗行炯自如。

猿挂かりて時に相学ぶ、鴎行く 炯として自如たり。

瞿唐春欲至,定卜瀼西居。

瞿唐 春 至らんと欲す、定めて卜せん瀼西の居。

と述べており、そして実際に1850_暮春に、瀼西の新たに賃せし草屋に題す》の五首連作の詩を作っているからである。

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一                          久嗟三峽客,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之二                          此邦千樹橘,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之三                          綵雲陰復白,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之四                          壯年學書劍,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之五                          欲陳濟世策,

3 甘林 瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していたと考えられる。その証拠となる詩は、次の四首である。大暦二年の秋、その住宅を杜甫の娘婿の呉郎に、貸し与えることを述べた2043_呉郎司法に簡す》の詩に、

郎司法

郎司法に簡す

有客乘舸自忠州,遣騎安置瀼西頭。

客有り乘舸にじて忠州よりし,騎を遣わし 安置せしむ瀼西の頭り。

古堂本買藉疏豁,借汝遷居停宴遊。

古堂 本と買いしは 疏豁に藉る、汝に借して居を遷さしめ 宴遊を停めしめん

雲石熒熒高葉曙,風江颯颯亂帆秋。

雲石熒熒たり 高葉の曙,風江 颯颯たり亂帆の秋。

卻為姻婭過逢地,許坐曾軒數散愁。

卻て姻婭 過逢の地を為し,曾軒に坐して數しば散愁をずることを許さんや。

と述べ、その年の晩秋の767年 《巻20-65小園》の詩には、

小園

 

由來巫峽水,本自楚人家。

由來 巫峽の水,本自り楚人の家。

客病留因藥,春深買為花。

(たび)に病んで 留まるは薬に因る,春深くして 買うは花の為なり。

秋庭風落果,瀼岸雨沙。

秋庭 風果を落す,瀼岸 雨 沙を

問俗營寒事,將詩待物華。

俗の問いて 寒事を營む,詩を將て物華を待つ。

とあって、詩題にいう小園を晩春に買ったと述べているからである。この小園については浦起竜も「瀼西の果園なり」「買うとは園を買うにして、花を買うには非ざるなり」(巻三之六)というように、瀼西の四十畝のそれであったろう。そしてその果園が瀼西宅に附属していたものであることは、《20-66寒雨朝行視園樹寒雨に朝行きて園の樹を視る)の詩に「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあることからわかる。千株は「千橘」の典故を意識した千本にも近い蜜柑の木を意味する。

寒雨朝行視園樹

柴門雜樹向千株,丹橘黃甘此地無。

江上今朝寒雨歇,籬中秀色畫屏紆。

桃蹊李徑年雖故,梔子紅椒豔復殊。

鎖石藤稍元自落,倚天松骨見來枯。

林香出實垂將盡,葉蒂辭枝不重蘇。

愛日恩光蒙借貸,清霜殺氣得憂虞。

衰顏更覓藜床坐,緩步仍須竹杖扶。

散騎未知雲閣處,啼猿僻在楚山隅。

さらに翌年正月、夔州を去るに当たって、その家屋と果園の不動産を南卿兄という人物に贈ることを詩題にした2138_将に巫峡に別れんとして南卿兄に瀼西の果園四十畝を贈る》の詩が作られている。果園が何ヶ所でどこにあったかなどについては異説があるが、全体としてこの通説は正しいであろう。「瀼西宅」(《1917_阻雨不得歸瀼西甘林》による)に住んだのは、東屯に一時移り住み呉郎に貸し与えた時期を考慮外とし、多く見積もったとしても大暦二年の暮春三月から翌年正月まで十ヶ月足らずである。

 大暦二(七六七)年、五十六歳の杜甫が、野菜作りや稲田・蜜柑園の管理経営に力を入れるのが、この瀼西(東屯)に住んでいた一時期である。

4 三伏 三伏(さんぷく)とは、陰陽五行説に基づく選日の1つで、初伏(しょふく)・中伏(ちゅうふく)・末伏(まっぷく)の総称。火性の最も盛んな夏の時期の庚の日は凶であるとする。そこで、夏の間の3回の庚の日を三伏とする。夏至以後の3回目・4回目と立秋以後の最初の庚の日をそれぞれ初伏・中伏・末伏とする。

5 驕陽 威張っていた陽気。

6 霖 長雨。

7 瀼西宅 杜甫の瀼西の草堂。

8 江浦深 大瀼水が長雨によって増水して流れが速くなり、水深が深くなったこと言う。

9 百版坼 船の多くの板材が裂する。

10 篙工 船頭、船夫。

11 恐泥 泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。詩の思恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。《19-09 .槐葉冷淘》「路遠思恐泥,興深終不渝。」(路 遠くして 恐泥を思う,興 深くして 終に渝らず。)「論語」子張篇に、枝葉末節の技芸にこだわらず本質的な大義を果たすことの重要性を述べた部分で「子夏曰、雖小道必有可観者焉、致遠恐泥、是以君子不為也」(子夏曰わく、小道(しょうどう)と雖も(いえども)必ず観るべき者あり。遠きを致さんには泥(なず)まんことを恐る、是(ここ)を以て君子は為さざるなり。子夏が言った。『小さな技芸の道であっても、見るべき部分はあるものだ。しかし、究極まで道を極めようとすれば、小さな技芸は邪魔になる。だから、君子は小さな道を行かないのである、とある。泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。詩の思恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。

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12 佇立 じっと佇んで待つ。

13 東城隅 夔州城の東にある白帝城のすみ。

14 悵望 心をいためて思いやること。うらめしげに見やること。

15 亂懸圃 山頂にかかる屋上庭園がまぎれる。東屯側から見れば赤甲山が崑崙山であり、杜甫のミカン園がその山の懸圃であり、大瀼水を間に挟んで対岸から見て乱れていることを表現している。

16 崑崙岑 中国古代の伝説上の山岳。崑崙山・崑崙丘・崑崙虚ともいう。中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるとされた。仙界とも呼ばれ、八仙がいるとされる。 崑崙奴とは、アフリカ系黒人に対しての呼び名であるが、伎楽の崑崙〔くろん〕面の名称も、そもそもは黒人のことをさした。岑とは、みね。山が切りたった高い所。また、鋭く切り込んだように険しいさま。 高くて先がとがる。けわしい。するどい。

17 昏渾衣裳外 雨空がどんよりとし、谷合は暗くなっていることを表現している。

18 曠 非常に遠方までをいう。

19 層陰 雲が重層し、靄が覆うほど、重なった陰気。

20 園甘長成時 果樹園のみかんが大きく成長すれば。

21 三寸 ミカンの直径。

22 黃金 ミカンの色を言う。

767年-14-#2杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#2 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-14-#2 <1109> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7192

杜甫  阻雨不得歸瀼西甘林 #2

佇立東城隅,悵望高飛禽。草堂亂懸圃,不隔崑崙岑。

昏渾衣裳外,曠同層陰。園甘長成時,三寸如黃金。

それで夔州城の東にある白帝城の隅にたたすんで、高く飛ぶ鳥をうらめしく眺めている。崑崙山に隔てられたわけではないが、じぶんの瀼西の草堂が玄圃かなにかのようにめったたに往けぬ場所のようになってしまった。じぶんの着ている着物以外は真っ暗で、非常に遠方まで、一様に陰気が重なっているのである。果樹園のみかんが大きくなったときは実の大さは直徑三寸ほどあって黄金色をしている。

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  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
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杜甫詩1500-1109-1561/2500

瀼西に移り住んでからの、杜甫の蜜柑に対する関心は、果木の美しさを観賞するという立場ではなく、あきらかに経済的、経営的な立場からのそれである。それについては簡錦松氏も、この詩と《1916_雨に阻まれ瀼西の甘林に帰るを得ず》の詩について「よって蜜柑を植えることが杜甫の瀼西における重要な仕事となった」、「この二首の詩からみて、彼の蜜柑園もまた商品作物であり、また即ちいわゆる封殖(土寄して栽培)することである。どのように言おうとも、彼は蜜柑園をとても重視していた」(『杜甫夔州詩現地研究』二八六頁。第Ⅲ部第一章参照)と述べているとおりである。蜜柑が商品作物だから当然お金で売り買いされる。

 

年:767年大曆二年           56

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    阻雨不得歸瀼西甘林

作地點:              目前尚無資料

及地點:瀼西 (山南東道 夔州 奉節)              

草堂 (劍南道北部 益州 成都) 別名:一室、西郭茅舍  

 

 

阻雨不得歸瀼西甘林#1

(雨にじゃまされて瀼西のみかんばやしへかえることができなかったことをよんだもの。)

三伏適已過,驕陽化為霖。

三伏の炎熱がすでに過ぎて、これまで威張っていた陽気は、長雨にかわった。

欲歸瀼西宅,阻此江浦深。

自分は瀼西の宅へ帰ろうとおもうが、江浦の水の深いのにじゃまされているのである。

壞舟百版坼,峻岸復萬尋。

こわれた舟は多くの板が開けてしまったし、嶮しい岸は、萬尋の高さほどある。

篙工初一棄,恐泥勞寸心。

船夫は、初めから渡ることなどしようともしないのである。自分はいくとなれば、途中でぐずついて目的地へはゆきつけぬのではないかと心をいためているのである。

(雨に阻れて 瀼西の甘林に歸えるを得ず)

三伏 適たま已に過ぎたり,驕陽 化して 霖と為る。

瀼西の宅に歸らんと欲すれども,此の江浦の深きに阻てらる。

壞舟 百版坼く,峻岸 復た萬尋なり。

篙工 初めより一棄す,恐泥 寸心を勞す。
#2

佇立東城隅,悵望高飛禽。

草堂亂懸圃,不隔崑崙岑。

昏渾衣裳外,曠同層陰。

園甘長成時,三寸如黃金。

それで夔州城の東にある白帝城の隅にたたすんで、高く飛ぶ鳥をうらめしく眺めている。

崑崙山に隔てられたわけではないが、じぶんの瀼西の草堂が玄圃かなにかのようにめったたに往けぬ場所のようになってしまった。

じぶんの着ている着物以外は真っ暗で、非常に遠方まで、一様に陰気が重なっているのである。

果樹園のみかんが大きくなったときは実の大さは直徑三寸ほどあって黄金色をしている。

#2

佇立す 東城の隅,悵望す 高飛の禽。

草堂 懸圃に亂る,隔てず 崑崙の岑。

昏渾なり 衣裳の外,曠 同じく層陰。

園甘 長成せし時,三寸 黃金の如し。
#3

諸侯舊上計,厥貢傾千林。

邦人不足重,所迫豪吏侵。

客居暫封殖,日夜偶瑤琴。

虛徐五株態,側塞煩胸襟。

#4

焉得輟兩足,杖藜出嶇嶔。

條流數翠實,偃息歸碧潯。

拂拭烏皮几,喜聞樵牧音。

令兒快搔背,我頭上簪。

 

16shisenseitomap瞿塘峡・白帝城・魚復 

『阻雨不得歸瀼西甘林』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

佇立東城隅,悵望高飛禽。

草堂亂懸圃,不隔崑崙岑。

昏渾衣裳外,曠同層陰。

園甘長成時,三寸如黃金。

(下し文)
#2

佇立す 東城の隅,悵望す 高飛の禽。

草堂 懸圃に亂る,隔てず 崑崙の岑。

昏渾なり 衣裳の外,曠 同じく層陰。

園甘 長成せし時,三寸 黃金の如し。

(現代語訳)
#2

それで夔州城の東にある白帝城の隅にたたすんで、高く飛ぶ鳥をうらめしく眺めている。

崑崙山に隔てられたわけではないが、じぶんの瀼西の草堂が玄圃かなにかのようにめったたに往けぬ場所のようになってしまった。

じぶんの着ている着物以外は真っ暗で、非常に遠方まで、一様に陰気が重なっているのである。

果樹園のみかんが大きくなったときは実の大さは直徑三寸ほどあって黄金色をしている。


(訳注) #2

阻雨不得歸瀼西甘林

(雨にじゃまされて瀼西のみかんばやしへかえることができなかったことをよんだもの。)

1 阻雨 長雨により河川の流量が増し、東屯から、瀼西の草堂に帰られない。

 

佇立東城隅,悵望高飛禽。

それで夔州城の東にある白帝城の隅にたたすんで、高く飛ぶ鳥をうらめしく眺めている。

12 佇立 じっと佇んで待つ。

13 東城隅 夔州城の東にある白帝城のすみ。

14 悵望 心をいためて思いやること。うらめしげに見やること。

 

草堂亂懸圃,不隔崑崙岑。

崑崙山に隔てられたわけではないが、じぶんの瀼西の草堂が玄圃かなにかのようにめったたに往けぬ場所のようになってしまった。

15 亂懸圃 山頂にかかる屋上庭園がまぎれる。東屯側から見れば赤甲山が崑崙山であり、杜甫のミカン園がその山の懸圃であり、大瀼水を間に挟んで対岸から見て乱れていることを表現している。

16 崑崙岑 中国古代の伝説上の山岳。崑崙山・崑崙丘・崑崙虚ともいう。中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるとされた。仙界とも呼ばれ、八仙がいるとされる。 崑崙奴とは、アフリカ系黒人に対しての呼び名であるが、伎楽の崑崙〔くろん〕面の名称も、そもそもは黒人のことをさした。岑とは、みね。山が切りたった高い所。また、鋭く切り込んだように険しいさま。 高くて先がとがる。けわしい。するどい。

 

昏渾衣裳外,曠同層陰。

じぶんの着ている着物以外は真っ暗で、非常に遠方まで、一様に陰気が重なっているのである。

17 昏渾衣裳外 雨空がどんよりとし、谷合は暗くなっていることを表現している。

18 曠 非常に遠方までをいう。

19 層陰 雲が重層し、靄が覆うほど、重なった陰気。

 

園甘長成時,三寸如黃金。

果樹園のみかんが大きくなったときは実の大さは直徑三寸ほどあって黄金色をしている。

20 園甘長成時 果樹園のみかんが大きく成長すれば。

21 三寸 ミカンの直径。

22 黃金 ミカンの色を言う。

 

 

 

 

 

 

 

【字解】阻雨不得歸瀼西甘林

(雨にじゃまされて瀼西のみかんばやしへかえることができなかったことをよんだもの。)

1 阻雨 長雨により河川の流量が増し、東屯から、瀼西の草堂に帰られない。

2 瀼西  杜甫が(西閣または赤甲から)瀼西へ引っ越したことは、いろいろな詩から総合的に判断できることであるが、より直接的には以下の詩からわかる。

それは1813_瀼西寒望》の詩に、瀼西への引っ越し計画を、

瀼西寒望

(瀼西の寒望)

【夔人以澗水通江者為瀼,大昌縣西有千頃池,水分三道,其一南流奉節縣,為西瀼水。】

【夔人 以て澗水江に通ずる者は瀼と為し,大昌縣 西に千頃の池有り,水 三道に分れ,其の一 南に奉節縣に流る,西瀼水と為す。】

水色含群動,朝光切太虛。

水色 群動を含む、朝光 太虚に切なり。

年侵頻悵望,興遠一蕭疏。

年侵して 頻りに帳望す、興遠くして一に蕭疏たり。

猿挂時相學,鷗行炯自如。

猿挂かりて時に相学ぶ、鴎行く 炯として自如たり。

瞿唐春欲至,定卜瀼西居。

瞿唐 春 至らんと欲す、定めて卜せん瀼西の居。

と述べており、そして実際に1850_暮春に、瀼西の新たに賃せし草屋に題す》の五首連作の詩を作っているからである。

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一                          久嗟三峽客,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之二                          此邦千樹橘,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之三                          綵雲陰復白,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之四                          壯年學書劍,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之五                          欲陳濟世策,

3 甘林 瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していたと考えられる。その証拠となる詩は、次の四首である。大暦二年の秋、その住宅を杜甫の娘婿の呉郎に、貸し与えることを述べた2043_呉郎司法に簡す》の詩に、

簡呉郎司法

郎司法

 

有客乘舸自忠州,遣騎安置瀼西頭。

 

古堂本買藉疏豁,借汝遷居停宴遊。

古堂 本と買いしは 疏豁に藉る、汝に借して居を遷さしめ 宴遊を停めしめん

雲石熒熒高葉曙,風江颯颯亂帆秋。

 

卻為姻婭過逢地,許坐曾軒數散愁。

 

と述べ、その年の晩秋の767年 《巻20-65小園》の詩には、

小園

 

由來巫峽水,本自楚人家。

 

客病留因藥,春深買為花。

(たび)に病んで 留まるは薬に因る,春深くして 買うは花の為なり。

秋庭風落果,瀼岸雨沙。

 

問俗營寒事,將詩待物華。

 

とあって、詩題にいう小園を晩春に買ったと述べているからである。この小園については浦起竜も「瀼西の果園なり」「買うとは園を買うにして、花を買うには非ざるなり」(巻三之六)というように、瀼西の四十畝のそれであったろう。そしてその果園が瀼西宅に附属していたものであることは、《20-66寒雨朝行視園樹寒雨に朝行きて園の樹を視る)の詩に「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあることからわかる。千株は「千橘」の典故を意識した千本にも近い蜜柑の木を意味する。

寒雨朝行視園樹

柴門雜樹向千株,丹橘黃甘此地無。

江上今朝寒雨歇,籬中秀色畫屏紆。

桃蹊李徑年雖故,梔子紅椒豔復殊。

鎖石藤稍元自落,倚天松骨見來枯。

林香出實垂將盡,葉蒂辭枝不重蘇。

愛日恩光蒙借貸,清霜殺氣得憂虞。

衰顏更覓藜床坐,緩步仍須竹杖扶。

散騎未知雲閣處,啼猿僻在楚山隅。

さらに翌年正月、夔州を去るに当たって、その家屋と果園の不動産を南卿兄という人物に贈ることを詩題にした2138_将に巫峡に別れんとして南卿兄に瀼西の果園四十畝を贈る》の詩が作られている。果園が何ヶ所でどこにあったかなどについては異説があるが、全体としてこの通説は正しいであろう。「瀼西宅」(《1917_阻雨不得歸瀼西甘林》による)に住んだのは、東屯に一時移り住み呉郎に貸し与えた時期を考慮外とし、多く見積もったとしても大暦二年の暮春三月から翌年正月まで十ヶ月足らずである。

 大暦二(七六七)年、五十六歳の杜甫が、野菜作りや稲田・蜜柑園の管理経営に力を入れるのが、この瀼西(東屯)に住んでいた一時期である。

4 三伏 三伏(さんぷく)とは、陰陽五行説に基づく選日の1つで、初伏(しょふく)・中伏(ちゅうふく)・末伏(まっぷく)の総称。火性の最も盛んな夏の時期の庚の日は凶であるとする。そこで、夏の間の3回の庚の日を三伏とする。夏至以後の3回目・4回目と立秋以後の最初の庚の日をそれぞれ初伏・中伏・末伏とする。

5 驕陽 威張っていた陽気。

6 霖 長雨。

7 瀼西宅 杜甫の瀼西の草堂。

8 江浦深 大瀼水が長雨によって増水して流れが速くなり、水深が深くなったこと言う。

9 百版坼 船の多くの板材が裂する。

10 篙工 船頭、船夫。

11 恐泥 泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。詩の思恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。《19-09 .槐葉冷淘》「路遠思恐泥,興深終不渝。」(路 遠くして 恐泥を思う,興 深くして 終に渝らず。)「論語」子張篇に、枝葉末節の技芸にこだわらず本質的な大義を果たすことの重要性を述べた部分で「子夏曰、雖小道必有可観者焉、致遠恐泥、是以君子不為也」(子夏曰わく、小道(しょうどう)と雖も(いえども)必ず観るべき者あり。遠きを致さんには泥(なず)まんことを恐る、是(ここ)を以て君子は為さざるなり。子夏が言った。『小さな技芸の道であっても、見るべき部分はあるものだ。しかし、究極まで道を極めようとすれば、小さな技芸は邪魔になる。だから、君子は小さな道を行かないのである、とある。泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。詩の思恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。

767年-9-#2杜甫 《19-09 .槐葉冷淘》#2 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-9-#2 <1086 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7110 

767年-14-#1杜甫 《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-14-#1 <1108> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7187

杜甫詩  阻雨不得歸瀼西甘林 #1

三伏適已過,驕陽化為霖。欲歸瀼西宅,阻此江浦深。

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  2016年1月15日 の紀頌之5つのBlog  
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杜甫詩1500-1108-1560/2500

767年巻1917 阻雨不得歸瀼西甘林

 夔州の地に着いて二年目の春、瀼西に引っ越してから蜜柑の詩が突如として多くなる。その最初の詩は五言律詩の《1850_暮春題瀼西新賃草屋五首》其二(暮春に瀼西の新たに賃せる草屋に題す、五首其の二)である。767(大暦二)年、作者五十六歳の作。「此邦千樹橘、不見比封君。養拙干戈際、全生麋鹿羣。 畏人江北草、旅食瀼西雲。萬里巴渝曲、三年實飽聞。」(此()の邦(くに)の千樹の橘は、封君に比せらるるを見ず。拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿(ビロク)の群。人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。みやこより万里のかなたのこの巴渝の曲、三年 実に聞くに飽く)この詩は、瀼西に引っ越した経済的理由を明らかにしたものである。引っ越した理由の一つは蜜柑園の経営のためであったようである。司馬遷が“本来なら、千株の蜜柑園があれば大富豪になれる”といっているのだが、たとえそれぐらい所有していたとしても、輸送費に掛かりすぎ、この地ではとてもむりで、せいぜい生計を維持していけるぐらいだろうと、杜甫は言いたげである。

 杜甫は瀼西に移ってから、或いは移ると同時に、どういう経緯によってかはよくわからないが、四十畝の果樹園を所有した。後で取り上げるが《2038_寒雨に朝行きて園の樹を視る》の詩には「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあり、千本にも近い蜜柑の木(千橘)が、瀼西の草堂に具わっていたとはっきり述べている。またこの年の、まだいくばくかの暑さが残る初秋の頃の五言排律《1939_秋の日、夔府にて懐いを詠じ鄭監と李賓客に寄せ奉る、一百韻》に、この瀼西の居宅を概括して、「甘子陰涼葉、茅齋八九椽。」(甘子(みかん)には陰涼の葉あり、茅斎(あばらや)は八九の椽(へや)のみ。)と詠じている。このことも、瀼西の草堂と蜜柑園がワン・セットになっていたらしいことを思わせる。また《1850_暮春題瀼西新賃草屋五首》其三の詩に「乾坤の一草亭」、すなわちこの草屋にあって「細雨に鋤を荷って立つ」とあるから、畑なども同時に付属していたらしいことがわかる。

 この詩の詠じ方からすると、瀼西に移り住んでからの、杜甫の蜜柑に対する関心は、果木の美しさを観賞するという立場ではなく、あきらかに経済的、経営的な立場からのそれである。それについては簡錦松氏も、この詩と《1916_雨に阻まれ瀼西の甘林に帰るを得ず》の詩について「よって蜜柑を植えることが杜甫の瀼西における重要な仕事となった」、「この二首の詩からみて、彼の蜜柑園もまた商品作物であり、また即ちいわゆる封殖(土寄して栽培)することである。どのように言おうとも、彼は蜜柑園をとても重視していた」(『杜甫夔州詩現地研究』二八六頁。第Ⅲ部第一章参照)と述べているとおりである。蜜柑が商品作物だから当然お金で売り買いされる。

 

年:767年大曆二年           56

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    阻雨不得歸瀼西甘林

作地點:              目前尚無資料

及地點:瀼西 (山南東道 夔州 奉節)              

草堂 (劍南道北部 益州 成都) 別名:一室、西郭茅舍  

 

 

阻雨不得歸瀼西甘林#1

(雨にじゃまされて瀼西のみかんばやしへかえることができなかったことをよんだもの。)

三伏適已過,驕陽化為霖。

三伏の炎熱がすでに過ぎて、これまで威張っていた陽気は、長雨にかわった。

欲歸瀼西宅,阻此江浦深。

自分は瀼西の宅へ帰ろうとおもうが、江浦の水の深いのにじゃまされているのである。

壞舟百版坼,峻岸復萬尋。

こわれた舟は多くの板が開けてしまったし、嶮しい岸は、萬尋の高さほどある。

篙工初一棄,恐泥勞寸心。

船夫は、初めから渡ることなどしようともしないのである。自分はいくとなれば、途中でぐずついて目的地へはゆきつけぬのではないかと心をいためているのである。

(雨に阻れて 瀼西の甘林に歸えるを得ず)

三伏 適たま已に過ぎたり,驕陽 化して 霖と為る。

瀼西の宅に歸らんと欲すれども,此の江浦の深きに阻てらる。

壞舟 百版坼く,峻岸 復た萬尋なり。

篙工 初めより一棄す,恐泥 寸心を勞す。
#2

佇立東城隅,悵望高飛禽。

草堂亂懸圃,不隔崑崙岑。

昏渾衣裳外,曠同層陰。

園甘長成時,三寸如黃金。

#3

諸侯舊上計,厥貢傾千林。

邦人不足重,所迫豪吏侵。

客居暫封殖,日夜偶瑤琴。

虛徐五株態,側塞煩胸襟。

#4

焉得輟兩足,杖藜出嶇嶔。

條流數翠實,偃息歸碧潯。

拂拭烏皮几,喜聞樵牧音。

令兒快搔背,我頭上簪。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『阻雨不得歸瀼西甘林』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

阻雨不得歸瀼西甘林

三伏適已過,驕陽化為霖。

欲歸瀼西宅,阻此江浦深。

壞舟百版坼,峻岸復萬尋。

篙工初一棄,恐泥勞寸心。

(下し文)

(雨に阻れて 瀼西の甘林に歸えるを得ず)

三伏 適たま已に過ぎたり,驕陽 化して 霖と為る。

瀼西の宅に歸らんと欲すれども,此の江浦の深きに阻てらる。

壞舟 百版坼く,峻岸 復た萬尋なり。

篙工 初めより一棄す,恐泥 寸心を勞す。

(現代語訳)
阻雨不得歸瀼西甘林#1(雨にじゃまされて瀼西のみかんばやしへかえることができなかったことをよんだもの。)

三伏の炎熱がすでに過ぎて、これまで威張っていた陽気は、長雨にかわった。

自分は瀼西の宅へ帰ろうとおもうが、江浦の水の深いのにじゃまされているのである。

こわれた舟は多くの板が開けてしまったし、嶮しい岸は、萬尋の高さほどある。

船夫は、初めから渡ることなどしようともしないのである。自分はいくとなれば、途中でぐずついて目的地へはゆきつけぬのではないかと心をいためているのである。


(訳注)

阻雨不得歸瀼西甘林

(雨にじゃまされて瀼西のみかんばやしへかえることができなかったことをよんだもの。)

1 阻雨 長雨により河川の流量が増し、東屯から、瀼西の草堂に帰られない。

2 瀼西  杜甫が(西閣または赤甲から)瀼西へ引っ越したことは、いろいろな詩から総合的に判断できることであるが、より直接的には以下の詩からわかる。

それは1813_瀼西寒望》の詩に、瀼西への引っ越し計画を、

瀼西寒望

(瀼西の寒望)

【夔人以澗水通江者為瀼,大昌縣西有千頃池,水分三道,其一南流奉節縣,為西瀼水。】

【夔人 以て澗水江に通ずる者は瀼と為し,大昌縣 西に千頃の池有り,水 三道に分れ,其の一 南に奉節縣に流る,西瀼水と為す。】

水色含群動,朝光切太虛。

水色 群動を含む、朝光 太虚に切なり。

年侵頻悵望,興遠一蕭疏。

年侵して 頻りに帳望す、興遠くして一に蕭疏たり。

猿挂時相學,鷗行炯自如。

猿挂かりて時に相学ぶ、鴎行く 炯として自如たり。

瞿唐春欲至,定卜瀼西居。

瞿唐 春 至らんと欲す、定めて卜せん瀼西の居。

と述べており、そして実際に1850_暮春に、瀼西の新たに賃せし草屋に題す》の五首連作の詩を作っているからである。

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一                          久嗟三峽客,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之二                          此邦千樹橘,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之三                          綵雲陰復白,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之四                          壯年學書劍,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之五                          欲陳濟世策,

3 甘林 瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していたと考えられる。その証拠となる詩は、次の四首である。大暦二年の秋、その住宅を杜甫の娘婿の呉郎に、貸し与えることを述べた2043_呉郎司法に簡す》の詩に、

簡呉郎司法

郎司法

 

有客乘舸自忠州,遣騎安置瀼西頭。

 

古堂本買藉疏豁,借汝遷居停宴遊。

古堂 本と買いしは 疏豁に藉る、汝に借して居を遷さしめ 宴遊を停めしめん

雲石熒熒高葉曙,風江颯颯亂帆秋。

 

卻為姻婭過逢地,許坐曾軒數散愁。

 

と述べ、その年の晩秋の767年 《巻20-65小園》の詩には、

小園

 

由來巫峽水,本自楚人家。

 

客病留因藥,春深買為花。

(たび)に病んで 留まるは薬に因る,春深くして 買うは花の為なり。

秋庭風落果,瀼岸雨沙。

 

問俗營寒事,將詩待物華。

 

とあって、詩題にいう小園を晩春に買ったと述べているからである。この小園については浦起竜も「瀼西の果園なり」「買うとは園を買うにして、花を買うには非ざるなり」(巻三之六)というように、瀼西の四十畝のそれであったろう。そしてその果園が瀼西宅に附属していたものであることは、《20-66寒雨朝行視園樹寒雨に朝行きて園の樹を視る)の詩に「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあることからわかる。千株は「千橘」の典故を意識した千本にも近い蜜柑の木を意味する。

寒雨朝行視園樹

柴門雜樹向千株,丹橘黃甘此地無。

江上今朝寒雨歇,籬中秀色畫屏紆。

桃蹊李徑年雖故,梔子紅椒豔復殊。

鎖石藤稍元自落,倚天松骨見來枯。

林香出實垂將盡,葉蒂辭枝不重蘇。

愛日恩光蒙借貸,清霜殺氣得憂虞。

衰顏更覓藜床坐,緩步仍須竹杖扶。

散騎未知雲閣處,啼猿僻在楚山隅。

 

さらに翌年正月、夔州を去るに当たって、その家屋と果園の不動産を南卿兄という人物に贈ることを詩題にした2138_将に巫峡に別れんとして南卿兄に瀼西の果園四十畝を贈る》の詩が作られている。果園が何ヶ所でどこにあったかなどについては異説があるが、全体としてこの通説は正しいであろう。「瀼西宅」(《1917_阻雨不得歸瀼西甘林》による)に住んだのは、東屯に一時移り住み呉郎に貸し与えた時期を考慮外とし、多く見積もったとしても大暦二年の暮春三月から翌年正月まで十ヶ月足らずである。

 大暦二(七六七)年、五十六歳の杜甫が、野菜作りや稲田・蜜柑園の管理経営に力を入れるのが、この瀼西(東屯)に住んでいた一時期である。

 

三伏適已過,驕陽化為霖。

三伏の炎熱がすでに過ぎて、これまで威張っていた陽気は、長雨にかわった。

4 三伏 三伏(さんぷく)とは、陰陽五行説に基づく選日の1つで、初伏(しょふく)・中伏(ちゅうふく)・末伏(まっぷく)の総称。火性の最も盛んな夏の時期の庚の日は凶であるとする。そこで、夏の間の3回の庚の日を三伏とする。夏至以後の3回目・4回目と立秋以後の最初の庚の日をそれぞれ初伏・中伏・末伏とする。

5 驕陽 威張っていた陽気。

6 霖 長雨。

 

欲歸瀼西宅,阻此江浦深。

自分は瀼西の宅へ帰ろうとおもうが、江浦の水の深いのにじゃまされているのである。

7 瀼西宅 杜甫の瀼西の草堂。

8 江浦深 大瀼水が長雨によって増水して流れが速くなり、水深が深くなったこと言う。

 

壞舟百版坼,峻岸復萬尋。

こわれた舟は多くの板が開けてしまったし、嶮しい岸は、萬尋の高さほどある。

9 百版坼 船の多くの板材が裂する。

 

篙工初一棄,恐泥勞寸心。

船夫は、初めから渡ることなどしようともしないのである。自分はいくとなれば、途中でぐずついて目的地へはゆきつけぬのではないかと心をいためているのである。

10 篙工 船頭、船夫。

11 恐泥 泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。詩の思恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。《19-09 .槐葉冷淘》「路遠思恐泥,興深終不渝。」(路 遠くして 恐泥を思う,興 深くして 終に渝らず。)「論語」子張篇に、枝葉末節の技芸にこだわらず本質的な大義を果たすことの重要性を述べた部分で「子夏曰、雖小道必有可観者焉、致遠恐泥、是以君子不為也」(子夏曰わく、小道(しょうどう)と雖も(いえども)必ず観るべき者あり。遠きを致さんには泥(なず)まんことを恐る、是(ここ)を以て君子は為さざるなり。子夏が言った。『小さな技芸の道であっても、見るべき部分はあるものだ。しかし、究極まで道を極めようとすれば、小さな技芸は邪魔になる。だから、君子は小さな道を行かないのである、とある。泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。詩の思恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。

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767年-13-#5杜甫 《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#5 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-13-#5 <1107> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7182

杜甫詩  秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問#5

西成聚必散,不獨陵我倉。豈要仁里譽,感此亂世忙。

北風吹蒹葭,蟋蟀近中堂。荏苒百工休,鬱紆遲暮傷。

じき秋になり豊作になれば、自分は自分の倉をたかく積みあげるばかりでなく、集まった穀物をきっと散じてひとびとにもわけてやろうとおもっている。これは自分のいるこの村が、仁者の里だなどいわれてほめられることを求めるわけではない、まのあたりみる乱世の人民のあわただしさをみて感にたえないためだ。(仁者のむらといわれれば管理者であるものが高い評価を受けるのである、だからしっかり除草の指示をせよということを言う)この暑い時期に大切な除草作業をしっかりしなければ、すぐに北風が葭葦を吹きたて、こおろぎは堂中にちかづく頃にはすぐなってしまう。寒さが音づれるにつけて、そのまま何もせず時を過ごして、野外の諸仕事も休みになってしまったとしたら、かかるを乱世により、窮民が多く出ており、彼らの事をかんが得てやることが大切であり、この時期しっかりと除草作業をやらないと、晩年の自分のこころに傷むこと、稲が成長せず不作にでもなったら年も暮れかかってさらに心を痛めることになってしまうでしょう。

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杜甫詩1500-1107-1559/2500

年:767年大暦256-13

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問【秋行官張望督促東渚刈稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              茅堂 (山南東道 夔州 夔州) 別名:東渚、東屯             

荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門       

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海    

交遊人物/地點:阿稽          當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

阿段         當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問#1

(農作業の管理を一部代行してもらっている行官の張望という州の役人がいるのだが、杜甫は彼に対して今ひとつ信頼が置けなかった。というのも、最後の除草を前に、役人の張望が好い加減で、配慮があまり行き届かないのを心配して、そこで使用人の阿稽と阿段に言伝てを持たせて、わざわざ行官の張望のところまで行かせたのである。)

東渚雨今足,佇聞粳稻香。

東瀼水のなぎさ(東屯の水田)では、いま雨が十分で、やがて粳稲が香しくみのるであろうとかまえて、まっているのだ。

上天無偏頗,蒲稗各自長。

天には偏頗はないはずであるから稲が育つとともにガマや稗もそれぞれが背を伸ばしてくる。

人情見非類,田家戒其荒。

こうした水田では、人の情で、稲の間に生えて来るやくざな草をそのままにして田地を荒してしまうことは、耕作者としてやってはならないことである。

(秋に行官の張望、東渚の耗稲を督促し、畢るに向(なんなん)とす。清晨に女奴の阿稽と豎子の阿段を遣(つか)わして往()きて問わしむ)
東渚 雨 今足る,聞かんと佇つ粳稻の香しきを。

上天 偏頗無し,蒲稗 各自 長し。

人情 非類を見れば,田家 其の荒るるを戒む

#2

功夫競搰搰,除草置岸旁。

だから競うように力を用いて努力する、草とりをして、抜いた草を土手や岸のわきにおいておくのである。

穀者命之本,客居安可忘。

穀物は人の生命の基本であるから、旅をしている身だとしても、その基本を忘れていいものではない。

青春具所務,勤墾免亂常。

春から務めるべきことはみんなつとめて、土壌をほりかえすことにつとめたし、農家の守るべき決まりをみださぬようにしてきた。

牛力容易,並驅動莫當。

水牛を飼って、これに鋤を付けて引かせ、それも二匹一緒につないで耕場にはたらかせたのだ。

#2

功夫 競いて搰搰たり,除草 岸旁に置く。

穀は 命の本なり,客居 安んぞ忘る可けん。

青春より 務むる所を具う,勤墾せば 亂常を免る。

牛 力 容易なり,並驅 動として當る莫れ【並驅 紛として場に遊ぶ。】
#3

豐苗亦已雲水照方塘。

そうした作業の成果で、ふさふさした苗がたくさんでき、雲影を写したきれいな水は貯水池にかがやいている。

有生固蔓延,靜一資堤防。

雑草もそこに生える、生えたやつは頑固にはびこり、はびこらせず苗をよく成長させるには、専心して草の伸びるのをふせがなくてはならないのである。

督領不無人,提攜頗在綱。

草とりの監督者としては、人がないわけではなく、(張望がいるのであるが)他のものをひきつれて大綱をしめくくってやっているのである。

苗を豐にし亦た已に,雲水 方塘を照す。

生有れば 固く蔓延し,靜一 堤防を資る。

督領 人無きならず,提攜 頗る綱に在り。
#4

荊揚風土暖,肅肅候微霜。

こちらは風土があたたかで、つめたい霜がおく頃に稲刈りをするのを待っているのだ。

尚恐主守疏,用心未甚臧。

そんな場合だから草とりの監督は人を得ていてそれでよさそうではあるが、自分はそれでもまだ責任者(張望)がうっかりして心のくばりがひどくいいこともなかろうかときづかわれるので、

清朝遣婢僕,寄語踰崇岡。

今日はあさから婢僕(阿稽と阿段)をつかわして高い岡をこえで先方へこちらのこころもちを伝言させた。

荊揚は風土暖なり,肅肅 微霜を候【うかが】う。

尚恐る 主守の疏するを,用心す 未だ甚だ臧からざらむことを。

清朝 婢僕を遣わし,語を寄せ 崇岡を踰えしむ。
#5

西成聚必散,不獨陵我倉。

じき秋になり豊作になれば、自分は自分の倉をたかく積みあげるばかりでなく、集まった穀物をきっと散じてひとびとにもわけてやろうとおもっている。

豈要仁里譽,感此亂世忙。

これは自分のいるこの村が、仁者の里だなどいわれてほめられることを求めるわけではない、まのあたりみる乱世の人民のあわただしさをみて感にたえないためだ。(仁者のむらといわれれば管理者であるものが高い評価を受けるのである、だからしっかり除草の指示をせよということを言う)

北風吹蒹葭,蟋蟀近中堂。

この暑い時期に大切な除草作業をしっかりしなければ、すぐに北風が葭葦を吹きたて、こおろぎは堂中にちかづく頃にはすぐなってしまう。

荏苒百工休,鬱紆遲暮傷。

寒さが音づれるにつけて、そのまま何もせず時を過ごして、野外の諸仕事も休みになってしまったとしたら、かかるを乱世により、窮民が多く出ており、彼らの事をかんが得てやることが大切であり、この時期しっかりと除草作業をやらないと、晩年の自分のこころに傷むこと、稲が成長せず不作にでもなったら年も暮れかかってさらに心を痛めることになってしまうでしょう。

西成 聚まれば必ず散ぜん,獨り我が倉を陵【たか】くするのみならず。

豈に仁里の譽を要めんや,此の亂世の忙わしきに感ず。

北風 蒹葭に吹けば,蟋蟀 中堂に近づく。

荏苒 百工休し,鬱紆として 遲暮に傷まん。

DCF00004 

『秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

西成聚必散,不獨陵我倉。

豈要仁里譽,感此亂世忙。

北風吹蒹葭,蟋蟀近中堂。

荏苒百工休,鬱紆遲暮傷。

(下し文)
#5

西成 聚まれば必ず散ぜん,獨り我が倉を陵【たか】くするのみならず。

豈に仁里の譽を要めんや,此の亂世の忙わしきに感ず。

北風 蒹葭に吹けば,蟋蟀 中堂に近づく。

荏苒 百工休し,鬱紆として 遲暮に傷まん。

(現代語訳)
#5

じき秋になり豊作になれば、自分は自分の倉をたかく積みあげるばかりでなく、集まった穀物をきっと散じてひとびとにもわけてやろうとおもっている。

これは自分のいるこの村が、仁者の里だなどいわれてほめられることを求めるわけではない、まのあたりみる乱世の人民のあわただしさをみて感にたえないためだ。(仁者のむらといわれれば管理者であるものが高い評価を受けるのである、だからしっかり除草の指示をせよということを言う)

この暑い時期に大切な除草作業をしっかりしなければ、すぐに北風が葭葦を吹きたて、こおろぎは堂中にちかづく頃にはすぐなってしまう。

寒さが音づれるにつけて、そのまま何もせず時を過ごして、野外の諸仕事も休みになってしまったとしたら、かかるを乱世により、窮民が多く出ており、彼らの事をかんが得てやることが大切であり、この時期しっかりと除草作業をやらないと、晩年の自分のこころに傷むこと、稲が成長せず不作にでもなったら年も暮れかかってさらに心を痛めることになってしまうでしょう。


(訳注) #5

秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問

(農作業の管理を一部代行してもらっている行官の張望という州の役人がいるのだが、杜甫は彼に対して今ひとつ信頼が置けなかった。というのも、最後の除草を前に、役人の張望が好い加減で、配慮があまり行き届かないのを心配して、そこで使用人の阿稽と阿段に言伝てを持たせて、わざわざ行官の張望のところまで行かせたのである。)

 

西成聚必散,不獨陵我倉。

じき秋になり豊作になれば、自分は自分の倉をたかく積みあげるばかりでなく、集まった穀物をきっと散じてひとびとにもわけてやろうとおもっている。

48 西成 西風が吹き、秋が来ると、五穀豊穣となり、この調子だと稲も豊作である。前の「肅肅候微霜」の句より、もう一歩進んだことを言う。《尚書、堯典》「平秩西成。宵中、星虛,以殷仲秋。」(平に 西成を秩す。宵中、星虛,以て殷として仲秋なり。)

49 聚必散 夏の作業をきちんと行えば豊作になるであろう、そうすれば収穫してそれらを、従事してくれたものはもちろん苦しんでいるものにも必ず分け与えたいというほどの意。

50 陵我倉 わが倉に丘のごとく高く積み上げることで満足する。

 

豈要仁里譽,感此亂世忙。

これは自分のいるこの村が、仁者の里だなどいわれてほめられることを求めるわけではない、まのあたりみる乱世の人民のあわただしさをみて感にたえないためだ。(仁者のむらといわれれば管理者であるものが高い評価を受けるのである、だからしっかり除草の指示をせよということを言う)

51 仁里譽 人に、収穫したコメを分け与えるという仁の人がいる村里は誉である。《論語、里仁第四》「子曰、里仁爲美、擇不處仁、焉得知。」(子曰わく、仁に里すは美しと為す。択【えら】んで仁に処らずんば、焉んぞ知なることを得ん。)《論語里仁第四》講要選錄.“子曰:里仁為美;擇不處仁,焉得知。 居於仁者所居之里,是為美。不擇處仁者之里,隨意而居,安得為有智者。古語,千金置宅,萬金買鄰,又如孟母三遷,皆是擇仁之意。廣義而言,交友,求配偶,皆須擇仁。”とあるに基づく。

 

北風吹蒹葭,蟋蟀近中堂。

この暑い時期に大切な除草作業をしっかりしなければ、すぐに北風が葭葦を吹きたて、こおろぎは堂中にちかづく頃にはすぐなってしまう。

52 兼葭 ひめよし、あしくさ、枯れ始めた陰暦九月の候をいう。蒹とは。・蒹葭アシやヨシの類.葭 片葉の葦(かたはのあし)。『詩経・秦風・蒹葭』「兼葭蒼蒼,白露為霜。 所謂伊人,在水一方。 溯洄從之,道阻且長;溯游從之,宛在水中央。」とある。河の向こう岸にすむ美しい娘がいる。訪ねようと上流に行くと道が険しく、川を渡るには水が多い。不遇で志を得られぬ、果たせない男、やるせない気持ちを歌ったものである。杜甫の秦州抒情詩《巻七74 蒹葭》の詩も最終句「蹉跎」という語でそのすべてを表している。

兼 葭

けんか)

摧折不自守,秋風吹若何?

暫時花戴雪,幾處葉沈波。

體弱春苗早,叢長夜露多。

江湖後搖落,亦恐蹉跎。

 

摧折【さいせつ】自ら守らず、秋風吹くも若何【いか】にせん。

暫時【ざんじ】花雪を戴【いただ】く、幾処【いくつのところ】か葉 波に沈む。

体弱くして春苗【しゅんびょう】早く、叢【そう】長うして夜露【やろ】多し。

江湖【こうこ】搖落【ようらく】に後【おく】るるも 亦た恐る歳に蹉跎【さた】たらんことを

この「片葉あし」というものは、くだかれ折られ、しっかり自己を保つことがないのであるから、秋風に吹かれたとしてもどうかなるというのか。(どうにもならない、それは自分のせいなのだ。)

「片葉あし」は穂花をだすときしばらくの間、花が雪をいただいて立っているが、そこ処処でその葉は波間に沈んでいるのだ。

「片葉あし」は春の苗が早くでるがその体質は弱くて、群がって生え背は高くなり、夏にはたくさんの夜露をうけるのである。

「片葉あし」は南方の江湖の地方では他の草木が枯れ、葉がおちるよりかおそいのだけれど、それはまるで時機を逸して、適時にできず、不遇で志を得られぬ状態なのだと気づかわれるのである。

兼葭 杜甫 <298> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1361 杜甫詩 700- 418

53 蟋蟀 《詩經 豳風·七月》篇雲:“七月在野,八月在宇,九月在,十月蟋蟀入我床下。”七月野に在り,八月宇に在り,九月在る,十月には蟋蟀 我が床下に入る。)8月からは軒に居り、それ以降は“在堂”であるということ

54 近中堂 詩經·國風·唐風·蟋蟀 「蟋蟀在堂,聿其莫。(蟋蟀 堂に在り, 聿【ここ】に其れ莫【く】れん。コオロギが座敷で鳴くようになるとその年もくれようとする頃である。農事も終わるころであることを言う 

杜甫詩《巻七72 促織》

促織甚微細、哀音何動人。

草根吟不穏、牀下意相親。

久客得無涙、故妻難及晨。

悲糸与急管、感激異天真。

促織 杜甫 <296> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1355 杜甫詩 700- 416

 

荏苒百工休,鬱紆遲暮傷。

寒さが音づれるにつけて、そのまま何もせず時を過ごして、野外の諸仕事も休みになってしまったとしたら、かかるを乱世により、窮民が多く出ており、彼らの事をかんが得てやることが大切であり、この時期しっかりと除草作業をやらないと、晩年の自分のこころに傷むこと、稲が成長せず不作にでもなったら年も暮れかかってさらに心を痛めることになってしまうでしょう。

55 荏苒 なすことのないまま歳月が過ぎるさま。また、物事が延び延びになるさま。

56 百工休 諸事の力役をすべておわること。《禮記•月令》:「季秋之月,霜始降,則百工休。」(季 秋の月,霜始めに降りて,則ち百工休す。)前の句「肅肅候微霜」とある。

57 鬱紆 心がはれず、くよくよするさま。

58 遲暮傷 杜甫自身が晩年であること、舟を停泊して、旅費を作るために農業を懸命にしたこと、しかし、故郷方面の世情は落ち着いていないというのが杜甫の心が痛むことであるが、この詩は、張望にあてたものであるから、このたびの水田の除草作業をしっかりやらないと収穫の時のことが心配でならないというように訴えたのである。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復夔州東川卜居図詳細 002 

 


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杜甫詩  秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問#4

荊揚風土暖,肅肅候微霜。尚恐主守疏,用心未甚臧。清朝遣婢僕,寄語踰崇岡。

こちらは風土があたたかで、つめたい霜がおく頃に稲刈りをするのを待っているのだ。そんな場合だから草とりの監督は人を得ていてそれでよさそうではあるが、自分はそれでもまだ責任者(張望)がうっかりして心のくばりがひどくいいこともなかろうかときづかわれるので、今日はあさから婢僕(阿稽と阿段)をつかわして高い岡をこえで先方へこちらのこころもちを伝言させた。

767-13-#4杜甫 19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#4 杜甫詩index-15-767年大暦256-13-#4 <1106 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7177

 

 
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杜甫詩1500-1106-1562/2500

年:767年大暦256-13

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問【秋行官張望督促東渚刈稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              茅堂 (山南東道 夔州 夔州) 別名:東渚、東屯             

荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門       

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海    

交遊人物/地點:阿稽          當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

阿段         當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問#1

(農作業の管理を一部代行してもらっている行官の張望という州の役人がいるのだが、杜甫は彼に対して今ひとつ信頼が置けなかった。というのも、最後の除草を前に、役人の張望が好い加減で、配慮があまり行き届かないのを心配して、そこで使用人の阿稽と阿段に言伝てを持たせて、わざわざ行官の張望のところまで行かせたのである。)

東渚雨今足,佇聞粳稻香。

東瀼水のなぎさ(東屯の水田)では、いま雨が十分で、やがて粳稲が香しくみのるであろうとかまえて、まっているのだ。

上天無偏頗,蒲稗各自長。

天には偏頗はないはずであるから稲が育つとともにガマや稗もそれぞれが背を伸ばしてくる。

人情見非類,田家戒其荒。

こうした水田では、人の情で、稲の間に生えて来るやくざな草をそのままにして田地を荒してしまうことは、耕作者としてやってはならないことである。

(秋に行官の張望、東渚の耗稲を督促し、畢るに向(なんなん)とす。清晨に女奴の阿稽と豎子の阿段を遣(つか)わして往()きて問わしむ)
東渚 雨 今足る,聞かんと佇つ粳稻の香しきを。

上天 偏頗無し,蒲稗 各自 長し。

人情 非類を見れば,田家 其の荒るるを戒む

#2

功夫競搰搰,除草置岸旁。

だから競うように力を用いて努力する、草とりをして、抜いた草を土手や岸のわきにおいておくのである。

穀者命之本,客居安可忘。

穀物は人の生命の基本であるから、旅をしている身だとしても、その基本を忘れていいものではない。

青春具所務,勤墾免亂常。

春から務めるべきことはみんなつとめて、土壌をほりかえすことにつとめたし、農家の守るべき決まりをみださぬようにしてきた。

牛力容易,並驅動莫當。

水牛を飼って、これに鋤を付けて引かせ、それも二匹一緒につないで耕場にはたらかせたのだ。

#2

功夫 競いて搰搰たり,除草 岸旁に置く。

穀は 命の本なり,客居 安んぞ忘る可けん。

青春より 務むる所を具う,勤墾せば 亂常を免る。

牛 力 容易なり,並驅 動として當る莫れ【並驅 紛として場に遊ぶ。】
#3

豐苗亦已雲水照方塘。

そうした作業の成果で、ふさふさした苗がたくさんでき、雲影を写したきれいな水は貯水池にかがやいている。

有生固蔓延,靜一資堤防。

雑草もそこに生える、生えたやつは頑固にはびこり、はびこらせず苗をよく成長させるには、専心して草の伸びるのをふせがなくてはならないのである。

督領不無人,提攜頗在綱。

草とりの監督者としては、人がないわけではなく、(張望がいるのであるが)他のものをひきつれて大綱をしめくくってやっているのである。

苗を豐にし亦た已に,雲水 方塘を照す。

生有れば 固く蔓延し,靜一 堤防を資る。

督領 人無きならず,提攜 頗る綱に在り。
#4

荊揚風土暖,肅肅候微霜。

こちらは風土があたたかで、つめたい霜がおく頃に稲刈りをするのを待っているのだ。

尚恐主守疏,用心未甚臧。

そんな場合だから草とりの監督は人を得ていてそれでよさそうではあるが、自分はそれでもまだ責任者(張望)がうっかりして心のくばりがひどくいいこともなかろうかときづかわれるので、

清朝遣婢僕,寄語踰崇岡。

今日はあさから婢僕(阿稽と阿段)をつかわして高い岡をこえで先方へこちらのこころもちを伝言させた。

荊揚は風土暖なり,肅肅 微霜を候【うかが】う。

尚恐る 主守の疏するを,用心す 未だ甚だ臧からざらむことを。

清朝 婢僕を遣わし,語を寄せ 崇岡を踰えしむ。
#5

西成聚必散,不獨陵我倉。

豈要仁里譽,感此亂世忙。

北風吹蒹葭,蟋蟀近中堂。

荏苒百工休,鬱紆遲暮傷。

 

 DCF00004tanbo955

『秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

荊揚風土暖,肅肅候微霜。

尚恐主守疏,用心未甚臧。

清朝遣婢僕,寄語踰崇岡。

(下し文)
#4

荊揚は風土暖なり,肅肅 微霜を候【うかが】う。

尚恐る 主守の疏するを,用心す 未だ甚だ臧からざらむことを。

清朝 婢僕を遣わし,語を寄せ 崇岡を踰えしむ。

(現代語訳)
#4

こちらは風土があたたかで、つめたい霜がおく頃に稲刈りをするのを待っているのだ。

そんな場合だから草とりの監督は人を得ていてそれでよさそうではあるが、自分はそれでもまだ責任者(張望)がうっかりして心のくばりがひどくいいこともなかろうかときづかわれるので、

今日はあさから婢僕(阿稽と阿段)をつかわして高い岡をこえで先方へこちらのこころもちを伝言させた。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注) #4

秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問

(農作業の管理を一部代行してもらっている行官の張望という州の役人がいるのだが、杜甫は彼に対して今ひとつ信頼が置けなかった。というのも、最後の除草を前に、役人の張望が好い加減で、配慮があまり行き届かないのを心配して、そこで使用人の阿稽と阿段に言伝てを持たせて、わざわざ行官の張望のところまで行かせたのである。)

 

荊揚風土暖,肅肅候微霜。

こちらは風土があたたかで、つめたい霜がおく頃に稲刈りをするのを待っているのだ。

38 荊揚 長江流域、蜀地を含めて南土をいう。蜀三巴、荊州、湖南、淮河流域揚州。

39 肅肅 冷たくて引き締まる霜の形容。

40 候微霜 つめたい霜がおくのを待っているというほどの意。

 

尚恐主守疏,用心未甚臧。

そんな場合だから草とりの監督は人を得ていてそれでよさそうではあるが、自分はそれでもまだ責任者(張望)がうっかりして心のくばりがひどくいいこともなかろうかときづかわれるので、

41 尚恐 「督領不無人,提攜頗在綱」(草とりの監督者としては、人がないわけではなく、(張望がいるのであるが)他のものをひきつれて大綱をしめくくってやっているのである。)を受けて、そうであるから、なお心配で仕方がないという意。

42 主守疏 他の責任者、監督者の主守が用意が足らない、目配りがない、うっかりしているという意。

43 未甚臧 張望が雑草を抜いて取らなければ、稲の生育、稲穂の実りが悪くなるという自覚が足りないこと、何時まで経っても是正されないことを言う。臧は善し。

 

清朝遣婢僕,寄語踰崇岡。

今日はあさから婢僕(阿稽と阿段)をつかわして高い岡をこえで先方へこちらのこころもちを伝言させた。

44 清朝 清清しい朝方。

45 遣婢僕 阿稽と阿段を使いにやる。

46 寄語 張望に伝言する。

47 踰崇岡 行く道すがらが、高い丘を越えてゆくことを言う。

 

1915_秋行官張望督促東渚耗稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問》【字解】

 

1 行官張望 ・行官:稲田を管理する吏官。・張望:行官の姓名。

㋐ 767年-10-#1杜甫 《19-15 行官張望補稻畦水歸》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-10-#1 <1088 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7120

㋑ 767年-8-#1杜甫 《19-06 園人送瓜》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-8-#1 <1082 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7090

㋒ 767年-11-#1杜甫 《19-05 園官送菜》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-11-#1 <1091 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7135

2 東渚 西瀼水の川向こうの水田。

3 耗稻 稲の間に生えて来る雑草をぬきとってなくすこと。

4 向畢 除草作業が終わりかける。

5 清晨 はれたあさ。

6 女奴 女婢

7 豎子 奴。

8 女奴阿稽と豎子阿段 大暦二年、春から始まった東屯での米作りが、夏の除草、灌漑など幾多の農作業の過程をへて、秋に入り最後の除草が終わろうとしていた。米作りには、干害や水害や虫害などの天災がつきものであるが、この年の東屯での米作は大きな災害にも見舞われず、うまくいきつつあった。この取り入れが首尾よく行けば、杜甫にとっては南下する旅費の一部が工面できることになる。秋の収穫は目前であり、杜甫はこの詩で、「西(あき)の成(みの)りは 聚(あつ)まれば必ず散じて、独り我が倉を陵(おか)のごとくたかくするのみならず」などと、もう秋の豊作を夢見てその後の計画をたてている。杜甫の今次の稲作への期待が想像できるというものである。

 だから彼は、いっそう最後の除草の仕事を好い加減にはしなかった。もともと農作業の管理を一部代行してもらっている行官の張望という州の役人がいるのだが、杜甫は彼に対して今ひとつ信頼が置けなかった。そこで使用人の阿稽と阿段に言伝てを持たせて、わざわざ行官の張望のところまで行かせたのである。そのことをきっかけに作ったのが1915_秋に行官の張望、東渚の耗稲を督促し、畢るに向(なんなん)とす。清晨に女奴の阿稽と豎子の阿段を遣(つか)わして往()きて問わしむ》という長編の五言古詩である。その詩の中ごろに次のように詠じていることが重要である。

有生固蔓延、靜一資隄防。 督領不無人、提攜頗在綱。 

荊揚風土暖、肅肅候微霜。 尚恐主守疏、用心未甚臧。

清朝遣婢僕、寄語踰崇岡。 西成聚必散,不獨陵我倉。

(いのち)有るものは固(もと)より蔓延すれば、静一に隄防するを資()

(ひき)い領(おさ)むることは 人無きにあらず (して行官張望なるものあり)、 かれと提携することは 頗(すこぶ)る綱に在り。

荊揚は風土暖かく、 粛粛として微霜(の降りる収穫のとき)を候()たん。

尚お恐る (行官張望の)主(つかさど)り守ることの疏にして、心を用いること 未だ甚だしくは臧()からざらんことを。

ゆえにわれは清朝(あけがた)に婢と僕とを遣(つか)わして、 語を寄せて崇(たか)き岡を踰()えさす。

西(あき)の成(みの)りは 聚(あつ)まれば必ず散じて、独り我が倉を陵(おか)のごとくたかくするのみならず。

1915_秋行官張望督促東渚耗稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問》

 

 この詩は農業詩としてみた場合様々な興味深い事柄を含んでいるのだが、それについては別の機会に譲ることにして、ここでは二つの点のみを指摘しておきたい。

 この詩もまた今までの詩と同様、詩題の中に使用人の名前がみえる。豎子の阿段というのは②《巻15-06 示獠奴阿段》に出てきた獠族の少年阿段である。女奴の阿稽というのは、この詩でしか登場しないが、阿夷、阿等などの言い方との類似性を考えれば、阿段と同じ獠族の女性である。行官の張望という人物はこの詩より少し前の、㋐《19-15 行官張望補稻畦水歸》の詩に登場する。張望という人物も、行官という官も、どれほどのものか具体的にはわからないが、いずれにしろ「婢僕」の身分の阿稽と阿段が、行官の張望と同じレベルで並べて述べていることに関しては何の抵抗もないのは、杜甫の心根の問題である。

 杜甫がこの詩を書くに当たっての動機は、先にも述べたように、最後の除草を前に、役人の張望が好い加減で、配慮があまり行き届かないのを心配して、使用人の阿稽と阿段に言い付けを託す、ということであった。この婢僕の二人は単なる杜甫の走り使いということではあるまい。張望がちゃんと除草の仕事をなし終えるかどうかは、杜甫にとってはその後の旅程にも影響するきわめて重要な事であった。杜甫は張望の仕事をきちんと見極めることのできる人間として、阿稽と阿段を使いに送ったものと思われる。行官の張望に対してよりは、むしろ現地の異民族の二人の「婢僕」に信頼を置いていたと言ってもいいくらいである。

 この詩と、前出の《巻15-42 信行遠修水筒》の詩とをくらべて「『信行修水筒(ママ)』の詩は其の奨賞を極め、此の詩には乃ち『尚恐主守疏、用心未甚臧』の語有り。則ち二人の賢否見えたり」(巻二)と述べるかいせつもあるし、使用人の信行と行官の張望とを比較して、おのずと賢なる信行と、賢にあらざる張望とが見えてくると言っているが、これはそのまま阿稽・阿段と張望との関係にも当てはまるであろう。

 このように杜甫が、詩題の中に社会の最下層の人たちの呼び名を書き込み、その人たちへの信頼を示すのは、杜甫指示通り、あるいはそれ以上の作業するという実績の中で生まれた信頼関係であり、一方、それとは対照的に、出来の悪い役人への不信をあらわにしているという詩の書き方も、杜甫の人間性を表している。

 

杜甫が下僕に指示をしたもの、あるいは、息子の宗文に指示して下僕に作業させたもの。

    15-05引水》②《巻15-06 示獠奴阿段》③《巻15-42 信行遠修水筒》④《巻19-20 驅豎子摘蒼耳》⑥《巻15-43 催宗文樹雞柵》⑦《巻19-02豎子至》 ⑧《19-07 課伐木 幷序》⑨《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》

 

    引水

月峽瞿塘雲作頂,亂石崢嶸俗無井。雲安酤水奴僕悲,魚復移居心力省。

白帝城西萬竹蟠,接筒引水喉不乾。人生留滯生理難,斗水何直百憂寬。

 (引水)

月峽 瞿塘 雲頂と作し,亂石 崢嶸【そうおう】俗 井無し。雲安 水を酤うて奴僕悲しむ,魚復 居移して心力省く。

白帝城 西萬竹 蟠【わだかま】る,筒を接し水を引きて喉を乾かず。人生 留滯 生理難し,斗水 何ぞ直【あた】らん百憂の寬なるに。

766年大暦元年55-9 《引水》 杜甫index-15 杜甫<872 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5170 杜甫詩1500-872-1205/2500766年大暦元年55-9

 

 

杜甫が下僕に支持をしたもの、あるいは、息子の宗文に支持して下僕に作業させたもの。

   766年大暦元年55-36 奉節-29 《巻15-06 示獠奴阿段》 杜甫index-15 杜甫<900-01 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5565

    766年大暦元年55-29-#1奉節-19 《巻15-42 信行遠修水筒 -#1 杜甫index-15 杜甫<891-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5445 杜甫詩1500-891-#1-1260/2500766年大暦元年55-29-#1

   766年大暦元年55-37-#1奉節-20-#1 《巻19-20 驅豎子摘蒼耳 -#1 杜甫index-15 杜甫<892-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5455 

   766年大暦元年55-30-#1奉節-20 《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#1 杜甫index-15 杜甫<892-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5455 

   767年-7-#1杜甫 《19-07 課伐木 序》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-7-#1 <1075 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7055 

   767-65杜甫 《巻19-02豎子至》 杜甫詩index-15-767年大暦256-65 <1155> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7422 杜甫詩1500-1155-1611/2500

とある。

9 粳稻 一種稻米、うるち米。葉片較狹くして短い,色は深綠,莖稈は堅硬である。穀粒はわりあい短く圓形であり,外の穎には上細毛が多くして長い,煮起すると較軟である。粳稻は一般學術上、「日本型稻」或「中國型稻」というよびかたをし,其の米粒は直鏈性をもっていて、澱粉含量は18%~25%である。炊きあがりの香りがよく、味もよい。

10 偏頗 えこひいき。

11 蒲稗 がま、ひえ。

12 非類 同類でないもの、此処では稲以外の雑草をいう。

13 田家 東屯の農家。

14 戒其荒 東屯の水田を耕さず荒れたままにすることを戒める。

15 功夫 ①手段や方法。②手間と暇。③物事を行なう素地となる教養や才能。④今までにない新しいものを生み出す

16 競搰搰 競うように力を用いて努力する。《莊子.天地》:「搰搰然,用力甚多,而見功寡。」(搰搰然として,力を用うること甚だ多く,而して功を見ること寡し。)あくせく身体を動かしているけれど、効果はすくない。

17 除草置岸旁 抜いた草を土手や岸のわきにおいておく。

18 穀者命之本【穀者令士本】 穀物は人の生命の基本である

19 青春 盛春、春の盛りからずっと。

20 具所務 すべきことはすべてやってきた。

21 勤墾 みんなつとめて、土壌をほりかえすことにつとめる。

22 亂常 常道が乱れる。春先、春に土地を耕し、種を植え付けることは、農家の常道であるが、これをしないければ、農家そのものが成り立たないことを言う。①破杯綱常;違反人倫。 〈馬王堆 墓帛書〉《經法國次》「變故亂常, 擅制更爽。」  ②異常;不正常。

23 牛 呉地方の牛、水牛のことで水田を耕すのに使われる。

 24 力容易 力をださせることがたやすい。

25 並驅 【案:去聲。】二匹を並べて鋤をひかせること。

26 動莫當【紛遊場】 粘土質の水田であることで二頭の牛を自由抜動けないように一帯化すること、圃場が掘り起こされることをいう。

28  禾稻種が苗として密集して生えている。《漢書.卷三十八.齊悼惠王子傳》「深耕29 種,立苗欲疏。」 

30 雲水 雲影を写したきれいな水。

31 有生 雑草を生じさせる。

32 靜一 静かに心を専一にする。雑草を抜き取ることに専心するという意。

33 資堤防 堤防とは、雑草の蔓延を食い止めることを言い、資はそれによって恩恵を受けることを言う。

34 督領 草取りの作業員を監督するもの。

35 不無人 居てもいなくても同じような人がいる。何のためにいるのかという人物がいる。ここでは、張望を言う。

36 提攜 協力し合って働くこと。

37 在綱 大綱を張って管理する。空威張りをすること。

767年-13-#3杜甫 《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#3 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-13-#3 <1105> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7172

杜甫詩  秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問#3

豐苗亦已雲水照方塘。有生固蔓延,靜一資堤防。督領不無人,提攜頗在綱。

そうした作業の成果で、ふさふさした苗がたくさんでき、雲影を写したきれいな水は貯水池にかがやいている。

雑草もそこに生える、生えたやつは頑固にはびこり、はびこらせず苗をよく成長させるには、専心して草の伸びるのをふせがなくてはならないのである。

草とりの監督者としては、人がないわけではなく、(張望がいるのであるが)他のものをひきつれて大綱をしめくくってやっているのである。

767-13-#3杜甫 19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#3 杜甫詩index-15-767年大暦256-13-#3 <1105 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7172

 

 
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杜甫詩1500-1105-1561/2500

年:767年大暦256-13

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問【秋行官張望督促東渚刈稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              茅堂 (山南東道 夔州 夔州) 別名:東渚、東屯             

荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門       

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海    

交遊人物/地點:阿稽          當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

阿段         當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問#1

(農作業の管理を一部代行してもらっている行官の張望という州の役人がいるのだが、杜甫は彼に対して今ひとつ信頼が置けなかった。というのも、最後の除草を前に、役人の張望が好い加減で、配慮があまり行き届かないのを心配して、そこで使用人の阿稽と阿段に言伝てを持たせて、わざわざ行官の張望のところまで行かせたのである。)

東渚雨今足,佇聞粳稻香。

東瀼水のなぎさ(東屯の水田)では、いま雨が十分で、やがて粳稲が香しくみのるであろうとかまえて、まっているのだ。

上天無偏頗,蒲稗各自長。

天には偏頗はないはずであるから稲が育つとともにガマや稗もそれぞれが背を伸ばしてくる。

人情見非類,田家戒其荒。

こうした水田では、人の情で、稲の間に生えて来るやくざな草をそのままにして田地を荒してしまうことは、耕作者としてやってはならないことである。

(秋に行官の張望、東渚の耗稲を督促し、畢るに向(なんなん)とす。清晨に女奴の阿稽と豎子の阿段を遣(つか)わして往()きて問わしむ)
東渚 雨 今足る,聞かんと佇つ粳稻の香しきを。

上天 偏頗無し,蒲稗 各自 長し。

人情 非類を見れば,田家 其の荒るるを戒む

#2

功夫競搰搰,除草置岸旁。

だから競うように力を用いて努力する、草とりをして、抜いた草を土手や岸のわきにおいておくのである。

穀者命之本,客居安可忘。

穀物は人の生命の基本であるから、旅をしている身だとしても、その基本を忘れていいものではない。

青春具所務,勤墾免亂常。

春から務めるべきことはみんなつとめて、土壌をほりかえすことにつとめたし、農家の守るべき決まりをみださぬようにしてきた。

牛力容易,並驅動莫當。

水牛を飼って、これに鋤を付けて引かせ、それも二匹一緒につないで耕場にはたらかせたのだ。

#2

功夫 競いて搰搰たり,除草 岸旁に置く。

穀は 命の本なり,客居 安んぞ忘る可けん。

青春より 務むる所を具う,勤墾せば 亂常を免る。

牛 力 容易なり,並驅 動として當る莫れ【並驅 紛として場に遊ぶ。】
#3

豐苗亦已雲水照方塘。

そうした作業の成果で、ふさふさした苗がたくさんでき、雲影を写したきれいな水は貯水池にかがやいている。

有生固蔓延,靜一資堤防。

雑草もそこに生える、生えたやつは頑固にはびこり、はびこらせず苗をよく成長させるには、専心して草の伸びるのをふせがなくてはならないのである。

督領不無人,提攜頗在綱。

草とりの監督者としては、人がないわけではなく、(張望がいるのであるが)他のものをひきつれて大綱をしめくくってやっているのである。

#4

荊揚風土暖,肅肅候微霜。

尚恐主守疏,用心未甚臧。

清朝遣婢僕,寄語踰崇岡。

#5

西成聚必散,不獨陵我倉。

豈要仁里譽,感此亂世忙。

北風吹蒹葭,蟋蟀近中堂。

荏苒百工休,鬱紆遲暮傷。

DCF00004 

 

『秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

豐苗亦已,雲水照方塘。

有生固蔓延,靜一資堤防。

督領不無人,提攜頗在綱。

(下し文)
#3

苗を豐にし亦た已に,雲水 方塘を照す。

生有れば 固く蔓延し,靜一 堤防を資る。

督領 人無きならず,提攜 頗る綱に在り。

(現代語訳)
#3

そうした作業の成果で、ふさふさした苗がたくさんでき、雲影を写したきれいな水は貯水池にかがやいている。

雑草もそこに生える、生えたやつは頑固にはびこり、はびこらせず苗をよく成長させるには、専心して草の伸びるのをふせがなくてはならないのである。

草とりの監督者としては、人がないわけではなく、(張望がいるのであるが)他のものをひきつれて大綱をしめくくってやっているのである。

denen03350
(訳注) #3

1915_秋行官張望督促東渚耗稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問

稲田の係りの張望に東田の草とり督促させておいたところ、秋になってそれが終わりかけたので、晴れた朝、女婢の阿稽と、奴の阿段とをあちらへやって様子を尋ねさせた。そのことを詠んだ詩。

 

豐苗亦已雲水照方塘。

そうした作業の成果で、ふさふさした苗がたくさんでき、雲影を写したきれいな水は貯水池にかがやいている。

28  禾稻種が苗として密集して生えている。《漢書.卷三十八.齊悼惠王子傳》「深耕29 種,立苗欲疏。」 

30 雲水 雲影を写したきれいな水。

 

有生固蔓延,靜一資堤防。

雑草もそこに生える、生えたやつは頑固にはびこり、はびこらせず苗をよく成長させるには、専心して草の伸びるのをふせがなくてはならないのである。

31 有生 雑草を生じさせる。

32 靜一 静かに心を専一にする。雑草を抜き取ることに専心するという意。

33 資堤防 堤防とは、雑草の蔓延を食い止めることを言い、資はそれによって恩恵を受けることを言う。

 

督領不無人,提攜頗在綱。

草とりの監督者としては、人がないわけではなく、(張望がいるのであるが)他のものをひきつれて大綱をしめくくってやっているのである。

34 督領 草取りの作業員を監督するもの。

35 不無人 居てもいなくても同じような人がいる。何のためにいるのかという人物がいる。ここでは、張望を言う。

36 提攜 協力し合って働くこと。

37 在綱 大綱を張って管理する。空威張りをすること。

 

1915_秋行官張望督促東渚耗稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問》【字解】

 

1 行官張望 ・行官:稲田を管理する吏官。・張望:行官の姓名。

㋐ 767年-10-#1杜甫 《19-15 行官張望補稻畦水歸》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-10-#1 <1088 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7120

㋑ 767年-8-#1杜甫 《19-06 園人送瓜》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-8-#1 <1082 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7090

㋒ 767年-11-#1杜甫 《19-05 園官送菜》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-11-#1 <1091 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7135

2 東渚 西瀼水の川向こうの水田。

3 耗稻 稲の間に生えて来る雑草をぬきとってなくすこと。

4 向畢 除草作業が終わりかける。

5 清晨 はれたあさ。

6 女奴 女婢

7 豎子 奴。

8 女奴阿稽と豎子阿段 大暦二年、春から始まった東屯での米作りが、夏の除草、灌漑など幾多の農作業の過程をへて、秋に入り最後の除草が終わろうとしていた。米作りには、干害や水害や虫害などの天災がつきものであるが、この年の東屯での米作は大きな災害にも見舞われず、うまくいきつつあった。この取り入れが首尾よく行けば、杜甫にとっては南下する旅費の一部が工面できることになる。秋の収穫は目前であり、杜甫はこの詩で、「西(あき)の成(みの)りは 聚(あつ)まれば必ず散じて、独り我が倉を陵(おか)のごとくたかくするのみならず」などと、もう秋の豊作を夢見てその後の計画をたてている。杜甫の今次の稲作への期待が想像できるというものである。

 だから彼は、いっそう最後の除草の仕事を好い加減にはしなかった。もともと農作業の管理を一部代行してもらっている行官の張望という州の役人がいるのだが、杜甫は彼に対して今ひとつ信頼が置けなかった。そこで使用人の阿稽と阿段に言伝てを持たせて、わざわざ行官の張望のところまで行かせたのである。そのことをきっかけに作ったのが1915_秋に行官の張望、東渚の耗稲を督促し、畢るに向(なんなん)とす。清晨に女奴の阿稽と豎子の阿段を遣(つか)わして往()きて問わしむ》という長編の五言古詩である。その詩の中ごろに次のように詠じていることが重要である。

有生固蔓延、靜一資隄防。 督領不無人、提攜頗在綱。 

荊揚風土暖、肅肅候微霜。 尚恐主守疏、用心未甚臧。

清朝遣婢僕、寄語踰崇岡。 西成聚必散,不獨陵我倉。

(いのち)有るものは固(もと)より蔓延すれば、静一に隄防するを資()

(ひき)い領(おさ)むることは 人無きにあらず (して行官張望なるものあり)、 かれと提携することは 頗(すこぶ)る綱に在り。

荊揚は風土暖かく、 粛粛として微霜(の降りる収穫のとき)を候()たん。

尚お恐る (行官張望の)主(つかさど)り守ることの疏にして、心を用いること 未だ甚だしくは臧()からざらんことを。

ゆえにわれは清朝(あけがた)に婢と僕とを遣(つか)わして、 語を寄せて崇(たか)き岡を踰()えさす。

西(あき)の成(みの)りは 聚(あつ)まれば必ず散じて、独り我が倉を陵(おか)のごとくたかくするのみならず。

1915_秋行官張望督促東渚耗稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問》

 

 この詩は農業詩としてみた場合様々な興味深い事柄を含んでいるのだが、それについては別の機会に譲ることにして、ここでは二つの点のみを指摘しておきたい。

 この詩もまた今までの詩と同様、詩題の中に使用人の名前がみえる。豎子の阿段というのは②《巻15-06 示獠奴阿段》に出てきた獠族の少年阿段である。女奴の阿稽というのは、この詩でしか登場しないが、阿夷、阿等などの言い方との類似性を考えれば、阿段と同じ獠族の女性である。行官の張望という人物はこの詩より少し前の、㋐《19-15 行官張望補稻畦水歸》の詩に登場する。張望という人物も、行官という官も、どれほどのものか具体的にはわからないが、いずれにしろ「婢僕」の身分の阿稽と阿段が、行官の張望と同じレベルで並べて述べていることに関しては何の抵抗もないのは、杜甫の心根の問題である。

 杜甫がこの詩を書くに当たっての動機は、先にも述べたように、最後の除草を前に、役人の張望が好い加減で、配慮があまり行き届かないのを心配して、使用人の阿稽と阿段に言い付けを託す、ということであった。この婢僕の二人は単なる杜甫の走り使いということではあるまい。張望がちゃんと除草の仕事をなし終えるかどうかは、杜甫にとってはその後の旅程にも影響するきわめて重要な事であった。杜甫は張望の仕事をきちんと見極めることのできる人間として、阿稽と阿段を使いに送ったものと思われる。行官の張望に対してよりは、むしろ現地の異民族の二人の「婢僕」に信頼を置いていたと言ってもいいくらいである。

 この詩と、前出の《巻15-42 信行遠修水筒》の詩とをくらべて「『信行修水筒(ママ)』の詩は其の奨賞を極め、此の詩には乃ち『尚恐主守疏、用心未甚臧』の語有り。則ち二人の賢否見えたり」(巻二)と述べるかいせつもあるし、使用人の信行と行官の張望とを比較して、おのずと賢なる信行と、賢にあらざる張望とが見えてくると言っているが、これはそのまま阿稽・阿段と張望との関係にも当てはまるであろう。

 このように杜甫が、詩題の中に社会の最下層の人たちの呼び名を書き込み、その人たちへの信頼を示すのは、杜甫指示通り、あるいはそれ以上の作業するという実績の中で生まれた信頼関係であり、一方、それとは対照的に、出来の悪い役人への不信をあらわにしているという詩の書き方も、杜甫の人間性を表している。

 

杜甫が下僕に指示をしたもの、あるいは、息子の宗文に指示して下僕に作業させたもの。

    15-05引水》②《巻15-06 示獠奴阿段》③《巻15-42 信行遠修水筒》④《巻19-20 驅豎子摘蒼耳》⑥《巻15-43 催宗文樹雞柵》⑦《巻19-02豎子至》 ⑧《19-07 課伐木 幷序》⑨《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》

 

    引水

月峽瞿塘雲作頂,亂石崢嶸俗無井。雲安酤水奴僕悲,魚復移居心力省。

白帝城西萬竹蟠,接筒引水喉不乾。人生留滯生理難,斗水何直百憂寬。

 (引水)

月峽 瞿塘 雲頂と作し,亂石 崢嶸【そうおう】俗 井無し。雲安 水を酤うて奴僕悲しむ,魚復 居移して心力省く。

白帝城 西萬竹 蟠【わだかま】る,筒を接し水を引きて喉を乾かず。人生 留滯 生理難し,斗水 何ぞ直【あた】らん百憂の寬なるに。

766年大暦元年55-9 《引水》 杜甫index-15 杜甫<872 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5170 杜甫詩1500-872-1205/2500766年大暦元年55-9

 

 

杜甫が下僕に支持をしたもの、あるいは、息子の宗文に支持して下僕に作業させたもの。

   766年大暦元年55-36 奉節-29 《巻15-06 示獠奴阿段》 杜甫index-15 杜甫<900-01 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5565

    766年大暦元年55-29-#1奉節-19 《巻15-42 信行遠修水筒 -#1 杜甫index-15 杜甫<891-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5445 杜甫詩1500-891-#1-1260/2500766年大暦元年55-29-#1

   766年大暦元年55-37-#1奉節-20-#1 《巻19-20 驅豎子摘蒼耳 -#1 杜甫index-15 杜甫<892-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5455 

   766年大暦元年55-30-#1奉節-20 《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#1 杜甫index-15 杜甫<892-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5455 

   767年-7-#1杜甫 《19-07 課伐木 序》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-7-#1 <1075 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7055 

   767-65杜甫 《巻19-02豎子至》 杜甫詩index-15-767年大暦256-65 <1155> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7422 杜甫詩1500-1155-1611/2500

とある。

9 粳稻 一種稻米、うるち米。葉片較狹くして短い,色は深綠,莖稈は堅硬である。穀粒はわりあい短く圓形であり,外の穎には上細毛が多くして長い,煮起すると較軟である。粳稻は一般學術上、「日本型稻」或「中國型稻」というよびかたをし,其の米粒は直鏈性をもっていて、澱粉含量は18%~25%である。炊きあがりの香りがよく、味もよい。

10 偏頗 えこひいき。

11 蒲稗 がま、ひえ。

12 非類 同類でないもの、此処では稲以外の雑草をいう。

13 田家 東屯の農家。

14 戒其荒 東屯の水田を耕さず荒れたままにすることを戒める。

15 功夫 ①手段や方法。②手間と暇。③物事を行なう素地となる教養や才能。④今までにない新しいものを生み出す

16 競搰搰 競うように力を用いて努力する。《莊子.天地》:「搰搰然,用力甚多,而見功寡。」(搰搰然として,力を用うること甚だ多く,而して功を見ること寡し。)あくせく身体を動かしているけれど、効果はすくない。

17 除草置岸旁 抜いた草を土手や岸のわきにおいておく。

18 穀者命之本【穀者令士本】 穀物は人の生命の基本である

19 青春 盛春、春の盛りからずっと。

20 具所務 すべきことはすべてやってきた。

21 勤墾 みんなつとめて、土壌をほりかえすことにつとめる。

22 亂常 常道が乱れる。春先、春に土地を耕し、種を植え付けることは、農家の常道であるが、これをしないければ、農家そのものが成り立たないことを言う。①破杯綱常;違反人倫。 〈馬王堆 墓帛書〉《經法國次》「變故亂常, 擅制更爽。」  ②異常;不正常。

23 牛 呉地方の牛、水牛のことで水田を耕すのに使われる。

 24 力容易 力をださせることがたやすい。

25 並驅 【案:去聲。】二匹を並べて鋤をひかせること。

26 動莫當【紛遊場】 粘土質の水田であることで二頭の牛を自由抜動けないように一帯化すること、圃場が掘り起こされることをいう。

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杜甫詩  秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問#2

功夫競搰搰,除草置岸旁。穀者命之本,客居安可忘。

青春具所務,勤墾免亂常。牛力容易,並驅動莫當。

だから競うように力を用いて努力する、草とりをして、抜いた草を土手や岸のわきにおいておくのである。穀物は人の生命の基本であるから、旅をしている身だとしても、その基本を忘れていいものではない。春から務めるべきことはみんなつとめて、土壌をほりかえすことにつとめたし、農家の守るべき決まりをみださぬようにしてきた。水牛を飼って、これに鋤を付けて引かせ、それも二匹一緒につないで耕場にはたらかせたのだ。

767-13-#2杜甫 19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#2 杜甫詩index-15-767年大暦256-13-#2 <1104 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7167 

 

 

 
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杜甫詩1500-1104-1560/2500

年:767年大暦256-13

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問【秋行官張望督促東渚刈稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              茅堂 (山南東道 夔州 夔州) 別名:東渚、東屯             

荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門       

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海    

交遊人物/地點:阿稽          當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

阿段         當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問#1

(農作業の管理を一部代行してもらっている行官の張望という州の役人がいるのだが、杜甫は彼に対して今ひとつ信頼が置けなかった。というのも、最後の除草を前に、役人の張望が好い加減で、配慮があまり行き届かないのを心配して、そこで使用人の阿稽と阿段に言伝てを持たせて、わざわざ行官の張望のところまで行かせたのである。)

東渚雨今足,佇聞粳稻香。

東瀼水のなぎさ(東屯の水田)では、いま雨が十分で、やがて粳稲が香しくみのるであろうとかまえて、まっているのだ。

上天無偏頗,蒲稗各自長。

天には偏頗はないはずであるから稲が育つとともにガマや稗もそれぞれが背を伸ばしてくる。

人情見非類,田家戒其荒。

こうした水田では、人の情で、稲の間に生えて来るやくざな草をそのままにして田地を荒してしまうことは、耕作者としてやってはならないことである。

(秋に行官の張望、東渚の耗稲を督促し、畢るに向(なんなん)とす。清晨に女奴の阿稽と豎子の阿段を遣(つか)わして往()きて問わしむ)
東渚 雨 今足る,聞かんと佇つ粳稻の香しきを。

上天 偏頗無し,蒲稗 各自 長し。

人情 非類を見れば,田家 其の荒るるを戒む

#2

功夫競搰搰,除草置岸旁。

だから競うように力を用いて努力する、草とりをして、抜いた草を土手や岸のわきにおいておくのである。

穀者命之本,客居安可忘。

穀物は人の生命の基本であるから、旅をしている身だとしても、その基本を忘れていいものではない。

青春具所務,勤墾免亂常。

春から務めるべきことはみんなつとめて、土壌をほりかえすことにつとめたし、農家の守るべき決まりをみださぬようにしてきた。

牛力容易,並驅動莫當。

水牛を飼って、これに鋤を付けて引かせ、それも二匹一緒につないで耕場にはたらかせたのだ。

#2

功夫 競いて搰搰たり,除草 岸旁に置く。

穀は 命の本なり,客居 安んぞ忘る可けん。

青春より 務むる所を具う,勤墾せば 亂常を免る。

牛 力 容易なり,並驅 動として當る莫れ【並驅 紛として場に遊ぶ。】
#3

豐苗亦已雲水照方塘。

有生固蔓延,靜一資堤防。

督領不無人,提攜頗在綱。

#4

荊揚風土暖,肅肅候微霜。

尚恐主守疏,用心未甚臧。

清朝遣婢僕,寄語踰崇岡。

#5

西成聚必散,不獨陵我倉。

豈要仁里譽,感此亂世忙。

北風吹蒹葭,蟋蟀近中堂。

荏苒百工休,鬱紆遲暮傷。

瞿塘峡・白帝城・魚復

 

『秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

功夫競搰搰,除草置岸旁。

穀者命之本,客居安可忘。

青春具所務,勤墾免亂常。

牛力容易,並驅動莫當
#2功夫競搰搰,除草置岸旁。穀者命之本【穀者令士本】,客居安可忘。青春具所務,勤墾免亂常。牛力容易,並驅【案:去聲。】動莫當【並驅紛遊場】。


(下し文)
#2

功夫 競いて搰搰たり,除草 岸旁に置く。

穀は 命の本なり,客居 安んぞ忘る可けん。

青春より 務むる所を具う,勤墾せば 亂常を免る。

牛 力 容易なり,並驅 動として當る莫れ【並驅 紛として場に遊ぶ。】

(現代語訳)
#2

だから競うように力を用いて努力する、草とりをして、抜いた草を土手や岸のわきにおいておくのである。

穀物は人の生命の基本であるから、旅をしている身だとしても、その基本を忘れていいものではない。

春から務めるべきことはみんなつとめて、土壌をほりかえすことにつとめたし、農家の守るべき決まりをみださぬようにしてきた。

水牛を飼って、これに鋤を付けて引かせ、それも二匹一緒につないで耕場にはたらかせたのだ。

夔州東川卜居図詳細 002
(訳注) #2

1915_秋行官張望督促東渚耗稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問》

稲田の係りの張望に東田の草とり督促させておいたところ、秋になってそれが終わりかけたので、晴れた朝、女婢の阿稽と、奴の阿段とをあちらへやって様子を尋ねさせた。そのことを詠んだ詩。

 

功夫競搰搰,除草置岸旁。【穀者令士本】

だから競うように力を用いて努力する、草とりをして、抜いた草を土手や岸のわきにおいておくのである。

1.    功夫 ①手段や方法。②手間と暇。③物事を行なう素地となる教養や才能。④今までにない新しいものを生み出す

2.    競搰搰 競うように力を用いて努力する。《莊子.天地》:「搰搰然,用力甚多,而見功寡。」(搰搰然として,力を用うること甚だ多く,而して功を見ること寡し。)あくせく身体を動かしているけれど、効果はすくない。

3.    除草置岸旁 抜いた草を土手や岸のわきにおいておく。

 

穀者命之本,客居安可忘。

穀物は人の生命の基本であるから、旅をしている身だとしても、その基本を忘れていいものではない。

4.    穀者命之本【穀者令士本】 穀物は人の生命の基本である

 

青春具所務,勤墾免亂常。

春から務めるべきことはみんなつとめて、土壌をほりかえすことにつとめたし、農家の守るべき決まりをみださぬようにしてきた。

5.    青春 盛春、春の盛りからずっと。

6.    具所務 すべきことはすべてやってきた。

7.  勤墾 みんなつとめて、土壌をほりかえすことにつとめる。

23 亂常 常道が乱れる。春先、春に土地を耕し、種を植え付けることは、農家の常道であるが、これをしないければ、農家そのものが成り立たないことを言う。①破杯綱常;違反人倫。 〈馬王堆 墓帛書〉《經法國次》「變故亂常, 擅制更爽。」  ②異常;不正常。

 

牛力容易,並驅動莫當。【案:去聲。】【並驅紛遊場】

水牛を飼って、これに鋤を付けて引かせ、それも二匹一緒につないで耕場にはたらかせたのだ。

24. 牛 呉地方の牛、水牛のことで水田を耕すのに使われる。

25. 力容易 力をださせることがたやすい。

26. 並驅 【案:去聲。】二匹を並べて鋤をひかせること。

27. 動莫當【紛遊場】 粘土質の水田であることで二頭の牛を自由抜動けないように一帯化すること、圃場が掘り起こされることをいう。

 

1915_秋行官張望督促東渚耗稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問》【字解】

 

1 行官張望 ・行官:稲田を管理する吏官。・張望:行官の姓名。

㋐ 767年-10-#1杜甫 《19-15 行官張望補稻畦水歸》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-10-#1 <1088 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7120

㋑ 767年-8-#1杜甫 《19-06 園人送瓜》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-8-#1 <1082 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7090

㋒ 767年-11-#1杜甫 《19-05 園官送菜》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-11-#1 <1091 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7135

2 東渚 西瀼水の川向こうの水田。

3 耗稻 稲の間に生えて来る雑草をぬきとってなくすこと。

4 向畢 除草作業が終わりかける。

5 清晨 はれたあさ。

6 女奴 女婢

7 豎子 奴。

8 女奴阿稽と豎子阿段 大暦二年、春から始まった東屯での米作りが、夏の除草、灌漑など幾多の農作業の過程をへて、秋に入り最後の除草が終わろうとしていた。米作りには、干害や水害や虫害などの天災がつきものであるが、この年の東屯での米作は大きな災害にも見舞われず、うまくいきつつあった。この取り入れが首尾よく行けば、杜甫にとっては南下する旅費の一部が工面できることになる。秋の収穫は目前であり、杜甫はこの詩で、「西(あき)の成(みの)りは 聚(あつ)まれば必ず散じて、独り我が倉を陵(おか)のごとくたかくするのみならず」などと、もう秋の豊作を夢見てその後の計画をたてている。杜甫の今次の稲作への期待が想像できるというものである。

 だから彼は、いっそう最後の除草の仕事を好い加減にはしなかった。もともと農作業の管理を一部代行してもらっている行官の張望という州の役人がいるのだが、杜甫は彼に対して今ひとつ信頼が置けなかった。そこで使用人の阿稽と阿段に言伝てを持たせて、わざわざ行官の張望のところまで行かせたのである。そのことをきっかけに作ったのが1915_秋に行官の張望、東渚の耗稲を督促し、畢るに向(なんなん)とす。清晨に女奴の阿稽と豎子の阿段を遣(つか)わして往()きて問わしむ》という長編の五言古詩である。その詩の中ごろに次のように詠じていることが重要である。

有生固蔓延、靜一資隄防。 督領不無人、提攜頗在綱。 

荊揚風土暖、肅肅候微霜。 尚恐主守疏、用心未甚臧。

清朝遣婢僕、寄語踰崇岡。 西成聚必散,不獨陵我倉。

(いのち)有るものは固(もと)より蔓延すれば、静一に隄防するを資()

(ひき)い領(おさ)むることは 人無きにあらず (して行官張望なるものあり)、 かれと提携することは 頗(すこぶ)る綱に在り。

荊揚は風土暖かく、 粛粛として微霜(の降りる収穫のとき)を候()たん。

尚お恐る (行官張望の)主(つかさど)り守ることの疏にして、心を用いること 未だ甚だしくは臧()からざらんことを。

ゆえにわれは清朝(あけがた)に婢と僕とを遣(つか)わして、 語を寄せて崇(たか)き岡を踰()えさす。

西(あき)の成(みの)りは 聚(あつ)まれば必ず散じて、独り我が倉を陵(おか)のごとくたかくするのみならず。

1915_秋行官張望督促東渚耗稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問》

 

 この詩は農業詩としてみた場合様々な興味深い事柄を含んでいるのだが、それについては別の機会に譲ることにして、ここでは二つの点のみを指摘しておきたい。

 この詩もまた今までの詩と同様、詩題の中に使用人の名前がみえる。豎子の阿段というのは②《巻15-06 示獠奴阿段》に出てきた獠族の少年阿段である。女奴の阿稽というのは、この詩でしか登場しないが、阿夷、阿等などの言い方との類似性を考えれば、阿段と同じ獠族の女性である。行官の張望という人物はこの詩より少し前の、㋐《19-15 行官張望補稻畦水歸》の詩に登場する。張望という人物も、行官という官も、どれほどのものか具体的にはわからないが、いずれにしろ「婢僕」の身分の阿稽と阿段が、行官の張望と同じレベルで並べて述べていることに関しては何の抵抗もないのは、杜甫の心根の問題である。

 杜甫がこの詩を書くに当たっての動機は、先にも述べたように、最後の除草を前に、役人の張望が好い加減で、配慮があまり行き届かないのを心配して、使用人の阿稽と阿段に言い付けを託す、ということであった。この婢僕の二人は単なる杜甫の走り使いということではあるまい。張望がちゃんと除草の仕事をなし終えるかどうかは、杜甫にとってはその後の旅程にも影響するきわめて重要な事であった。杜甫は張望の仕事をきちんと見極めることのできる人間として、阿稽と阿段を使いに送ったものと思われる。行官の張望に対してよりは、むしろ現地の異民族の二人の「婢僕」に信頼を置いていたと言ってもいいくらいである。

 この詩と、前出の《巻15-42 信行遠修水筒》の詩とをくらべて「『信行修水筒(ママ)』の詩は其の奨賞を極め、此の詩には乃ち『尚恐主守疏、用心未甚臧』の語有り。則ち二人の賢否見えたり」(巻二)と述べるかいせつもあるし、使用人の信行と行官の張望とを比較して、おのずと賢なる信行と、賢にあらざる張望とが見えてくると言っているが、これはそのまま阿稽・阿段と張望との関係にも当てはまるであろう。

 このように杜甫が、詩題の中に社会の最下層の人たちの呼び名を書き込み、その人たちへの信頼を示すのは、杜甫指示通り、あるいはそれ以上の作業するという実績の中で生まれた信頼関係であり、一方、それとは対照的に、出来の悪い役人への不信をあらわにしているという詩の書き方も、杜甫の人間性を表している。

 

杜甫が下僕に指示をしたもの、あるいは、息子の宗文に指示して下僕に作業させたもの。

    15-05引水》②《巻15-06 示獠奴阿段》③《巻15-42 信行遠修水筒》④《巻19-20 驅豎子摘蒼耳》⑥《巻15-43 催宗文樹雞柵》⑦《巻19-02豎子至》 ⑧《19-07 課伐木 幷序》⑨《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》

 

    引水

月峽瞿塘雲作頂,亂石崢嶸俗無井。雲安酤水奴僕悲,魚復移居心力省。

白帝城西萬竹蟠,接筒引水喉不乾。人生留滯生理難,斗水何直百憂寬。

 (引水)

月峽 瞿塘 雲頂と作し,亂石 崢嶸【そうおう】俗 井無し。雲安 水を酤うて奴僕悲しむ,魚復 居移して心力省く。

白帝城 西萬竹 蟠【わだかま】る,筒を接し水を引きて喉を乾かず。人生 留滯 生理難し,斗水 何ぞ直【あた】らん百憂の寬なるに。

766年大暦元年55-9 《引水》 杜甫index-15 杜甫<872 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5170 杜甫詩1500-872-1205/2500766年大暦元年55-9

 

 

杜甫が下僕に支持をしたもの、あるいは、息子の宗文に支持して下僕に作業させたもの。

   766年大暦元年55-36 奉節-29 《巻15-06 示獠奴阿段》 杜甫index-15 杜甫<900-01 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5565

    766年大暦元年55-29-#1奉節-19 《巻15-42 信行遠修水筒 -#1 杜甫index-15 杜甫<891-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5445 杜甫詩1500-891-#1-1260/2500766年大暦元年55-29-#1

   766年大暦元年55-37-#1奉節-20-#1 《巻19-20 驅豎子摘蒼耳 -#1 杜甫index-15 杜甫<892-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5455 

   766年大暦元年55-30-#1奉節-20 《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#1 杜甫index-15 杜甫<892-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5455 

   767年-7-#1杜甫 《19-07 課伐木 序》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-7-#1 <1075 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7055 

   767-65杜甫 《巻19-02豎子至》 杜甫詩index-15-767年大暦256-65 <1155> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7422 杜甫詩1500-1155-1611/2500

とある。

9 粳稻 一種稻米、うるち米。葉片較狹くして短い,色は深綠,莖稈は堅硬である。穀粒はわりあい短く圓形であり,外の穎には上細毛が多くして長い,煮起すると較軟である。粳稻は一般學術上、「日本型稻」或「中國型稻」というよびかたをし,其の米粒は直鏈性をもっていて、澱粉含量は18%~25%である。炊きあがりの香りがよく、味もよい。

10 偏頗 えこひいき。

11 蒲稗 がま、ひえ。

12 非類 同類でないもの、此処では稲以外の雑草をいう。

13 田家 東屯の農家。

14 戒其荒 東屯の水田を耕さず荒れたままにすることを戒める。

767年-13-#1杜甫 《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-13-#1 <1103> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7163

杜甫  秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問 #1

東渚雨今足,佇聞粳稻香。上天無偏頗,蒲稗各自長。人情見非類,田家戒其荒。

(農作業の管理を一部代行してもらっている行官の張望という州の役人がいるのだが、杜甫は彼に対して今ひとつ信頼が置けなかった。というのも、最後の除草を前に、役人の張望が好い加減で、配慮があまり行き届かないのを心配して、そこで使用人の阿稽と阿段に言伝てを持たせて、わざわざ行官の張望のところまで行かせたのである。)

東瀼水のなぎさ(東屯の水田)では、いま雨が十分で、やがて粳稲が香しくみのるであろうとかまえて、まっているのだ。天には偏頗はないはずであるから稲が育つとともにガマや稗もそれぞれが背を伸ばしてくる。こうした水田では、人の情で、稲の間に生えて来るやくざな草をそのままにして田地を荒してしまうことは、耕作者としてやってはならないことである。

767-13-#1杜甫 《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-13-#1 <1103> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7163

 

 
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 杜甫詩1500-1103-1559/2500

年:767年大暦256-13

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問【秋行官張望督促東渚刈稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              茅堂 (山南東道 夔州 夔州) 別名:東渚、東屯             

荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門       

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海    

交遊人物/地點:阿稽          當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

阿段         當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問 #1

東渚雨今足,佇聞粳稻香。

上天無偏頗,蒲稗各自長。

人情見非類,田家戒其荒。

#2

功夫競搰搰,除草置岸旁。

穀者命之本,客居安可忘。

青春具所務,勤墾免亂常。

牛力容易,並驅動莫當。

#3

豐苗亦已雲水照方塘。

有生固蔓延,靜一資堤防。

督領不無人,提攜頗在綱。

#4

荊揚風土暖,肅肅候微霜。

尚恐主守疏,用心未甚臧。

清朝遣婢僕,寄語踰崇岡。

#5

西成聚必散,不獨陵我倉。

豈要仁里譽,感此亂世忙。

北風吹蒹葭,蟋蟀近中堂。

荏苒百工休,鬱紆遲暮傷。

 

秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問 #1

(農作業の管理を一部代行してもらっている行官の張望という州の役人がいるのだが、杜甫は彼に対して今ひとつ信頼が置けなかった。というのも、最後の除草を前に、役人の張望が好い加減で、配慮があまり行き届かないのを心配して、そこで使用人の阿稽と阿段に言伝てを持たせて、わざわざ行官の張望のところまで行かせたのである。)

東渚雨今足,佇聞粳稻香。

東瀼水のなぎさ(東屯の水田)では、いま雨が十分で、やがて粳稲が香しくみのるであろうとかまえて、まっているのだ。

上天無偏頗,蒲稗各自長。

天には偏頗はないはずであるから稲が育つとともにガマや稗もそれぞれが背を伸ばしてくる。

人情見非類,田家戒其荒。

こうした水田では、人の情で、稲の間に生えて来るやくざな草をそのままにして田地を荒してしまうことは、耕作者としてやってはならないことである。

(秋に行官の張望、東渚の耗稲を督促し、畢るに向(なんなん)とす。清晨に女奴の阿稽と豎子の阿段を遣(つか)わして往()きて問わしむ)
東渚 雨 今足る,聞かんと佇つ粳稻の香しきを。

上天 偏頗無し,蒲稗 各自 長し。

人情 非類を見れば,田家 其の荒るるを戒む

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問 #1

東渚雨今足,佇聞粳稻香。

上天無偏頗,蒲稗各自長。

人情見非類,田家戒其荒。

(下し文)
(秋に行官の張望、東渚の耗稲を督促し、畢るに向(なんなん)とす。清晨に女奴の阿稽と豎子の阿段を遣(つか)わして往()きて問わしむ)
東渚 雨 今足る,聞かんと佇つ粳稻の香しきを。

上天 偏頗無し,蒲稗 各自 長し。

人情 非類を見れば,田家 其の荒るるを戒む。


(現代語訳)
秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問 #1(農作業の管理を一部代行してもらっている行官の張望という州の役人がいるのだが、杜甫は彼に対して今ひとつ信頼が置けなかった。というのも、最後の除草を前に、役人の張望が好い加減で、配慮があまり行き届かないのを心配して、そこで使用人の阿稽と阿段に言伝てを持たせて、わざわざ行官の張望のところまで行かせたのである。)

東瀼水のなぎさ(東屯の水田)では、いま雨が十分で、やがて粳稲が香しくみのるであろうとかまえて、まっているのだ。

天には偏頗はないはずであるから稲が育つとともにガマや稗もそれぞれが背を伸ばしてくる。

こうした水田では、人の情で、稲の間に生えて来るやくざな草をそのままにして田地を荒してしまうことは、耕作者としてやってはならないことである。

denen03350
(訳注)

秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問 #1

稲田の係りの張望に東田の草とり督促させておいたところ、秋になってそれが終わりかけたので、晴れた朝、女婢の阿稽と、奴の阿段とをあちらへやって様子を尋ねさせた。そのことを詠んだ詩。

(農作業の管理を一部代行してもらっている行官の張望という州の役人がいるのだが、杜甫は彼に対して今ひとつ信頼が置けなかった。というのも、最後の除草を前に、役人の張望が好い加減で、配慮があまり行き届かないのを心配して、そこで使用人の阿稽と阿段に言伝てを持たせて、わざわざ行官の張望のところまで行かせたのである。)

1.    行官張望 ・行官:稲田を管理する吏官。・張望:行官の姓名。

㋐ 767年-10-#1杜甫 《19-15 行官張望補稻畦水歸》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-10-#1 <1088 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7120

㋑ 767年-8-#1杜甫 《19-06 園人送瓜》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-8-#1 <1082 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7090

㋒ 767年-11-#1杜甫 《19-05 園官送菜》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-11-#1 <1091 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7135

2.    東渚 西瀼水の川向こうの水田。

3.    耗稻 稲の間に生えて来る雑草をぬきとってなくすこと。

4.    向畢 除草作業が終わりかける。

5.    清晨 はれたあさ。

6.    女奴 女婢

7.  豎子 奴。

8.  女奴阿稽と豎子阿段 大暦二年、春から始まった東屯での米作りが、夏の除草、灌漑など幾多の農作業の過程をへて、秋に入り最後の除草が終わろうとしていた。米作りには、干害や水害や虫害などの天災がつきものであるが、この年の東屯での米作は大きな災害にも見舞われず、うまくいきつつあった。この取り入れが首尾よく行けば、杜甫にとっては南下する旅費の一部が工面できることになる。秋の収穫は目前であり、杜甫はこの詩で、「西(あき)の成(みの)りは 聚(あつ)まれば必ず散じて、独り我が倉を陵(おか)のごとくたかくするのみならず」などと、もう秋の豊作を夢見てその後の計画をたてている。杜甫の今次の稲作への期待が想像できるというものである。

 だから彼は、いっそう最後の除草の仕事を好い加減にはしなかった。もともと農作業の管理を一部代行してもらっている行官の張望という州の役人がいるのだが、杜甫は彼に対して今ひとつ信頼が置けなかった。そこで使用人の阿稽と阿段に言伝てを持たせて、わざわざ行官の張望のところまで行かせたのである。そのことをきっかけに作ったのが1915_秋に行官の張望、東渚の耗稲を督促し、畢るに向(なんなん)とす。清晨に女奴の阿稽と豎子の阿段を遣(つか)わして往()きて問わしむ》という長編の五言古詩である。その詩の中ごろに次のように詠じていることが重要である。

有生固蔓延、靜一資隄防。 督領不無人、提攜頗在綱。 

荊揚風土暖、肅肅候微霜。 尚恐主守疏、用心未甚臧。

清朝遣婢僕、寄語踰崇岡。 西成聚必散,不獨陵我倉。

(いのち)有るものは固(もと)より蔓延すれば、静一に隄防するを資()

(ひき)い領(おさ)むることは 人無きにあらず (して行官張望なるものあり)、 かれと提携することは 頗(すこぶ)る綱に在り。

荊揚は風土暖かく、 粛粛として微霜(の降りる収穫のとき)を候()たん。

尚お恐る (行官張望の)主(つかさど)り守ることの疏にして、心を用いること 未だ甚だしくは臧()からざらんことを。

ゆえにわれは清朝(あけがた)に婢と僕とを遣(つか)わして、 語を寄せて崇(たか)き岡を踰()えさす。

西(あき)の成(みの)りは 聚(あつ)まれば必ず散じて、独り我が倉を陵(おか)のごとくたかくするのみならず。

1915_秋行官張望督促東渚耗稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問》

 

 この詩は農業詩としてみた場合様々な興味深い事柄を含んでいるのだが、それについては別の機会に譲ることにして、ここでは二つの点のみを指摘しておきたい。

 この詩もまた今までの詩と同様、詩題の中に使用人の名前がみえる。豎子の阿段というのは②《巻15-06 示獠奴阿段》に出てきた獠族の少年阿段である。女奴の阿稽というのは、この詩でしか登場しないが、阿夷、阿等などの言い方との類似性を考えれば、阿段と同じ獠族の女性である。行官の張望という人物はこの詩より少し前の、㋐《19-15 行官張望補稻畦水歸》の詩に登場する。張望という人物も、行官という官も、どれほどのものか具体的にはわからないが、いずれにしろ「婢僕」の身分の阿稽と阿段が、行官の張望と同じレベルで並べて述べていることに関しては何の抵抗もないのは、杜甫の心根の問題である。

 杜甫がこの詩を書くに当たっての動機は、先にも述べたように、最後の除草を前に、役人の張望が好い加減で、配慮があまり行き届かないのを心配して、使用人の阿稽と阿段に言い付けを託す、ということであった。この婢僕の二人は単なる杜甫の走り使いということではあるまい。張望がちゃんと除草の仕事をなし終えるかどうかは、杜甫にとってはその後の旅程にも影響するきわめて重要な事であった。杜甫は張望の仕事をきちんと見極めることのできる人間として、阿稽と阿段を使いに送ったものと思われる。行官の張望に対してよりは、むしろ現地の異民族の二人の「婢僕」に信頼を置いていたと言ってもいいくらいである。

 この詩と、前出の《巻15-42 信行遠修水筒》の詩とをくらべて「『信行修水筒(ママ)』の詩は其の奨賞を極め、此の詩には乃ち『尚恐主守疏、用心未甚臧』の語有り。則ち二人の賢否見えたり」(巻二)と述べるかいせつもあるし、使用人の信行と行官の張望とを比較して、おのずと賢なる信行と、賢にあらざる張望とが見えてくると言っているが、これはそのまま阿稽・阿段と張望との関係にも当てはまるであろう。

 このように杜甫が、詩題の中に社会の最下層の人たちの呼び名を書き込み、その人たちへの信頼を示すのは、杜甫指示通り、あるいはそれ以上の作業するという実績の中で生まれた信頼関係であり、一方、それとは対照的に、出来の悪い役人への不信をあらわにしているという詩の書き方も、杜甫の人間性を表している。

 

杜甫が下僕に指示をしたもの、あるいは、息子の宗文に指示して下僕に作業させたもの。

    15-05引水》②《巻15-06 示獠奴阿段》③《巻15-42 信行遠修水筒》④《巻19-20 驅豎子摘蒼耳》⑥《巻15-43 催宗文樹雞柵》⑦《巻19-02豎子至》 ⑧《19-07 課伐木 幷序》⑨《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》

 

    引水

月峽瞿塘雲作頂,亂石崢嶸俗無井。雲安酤水奴僕悲,魚復移居心力省。

白帝城西萬竹蟠,接筒引水喉不乾。人生留滯生理難,斗水何直百憂寬。

 (引水)

月峽 瞿塘 雲頂と作し,亂石 崢嶸【そうおう】俗 井無し。雲安 水を酤うて奴僕悲しむ,魚復 居移して心力省く。

白帝城 西萬竹 蟠【わだかま】る,筒を接し水を引きて喉を乾かず。人生 留滯 生理難し,斗水 何ぞ直【あた】らん百憂の寬なるに。

766年大暦元年55-9 《引水》 杜甫index-15 杜甫<872 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5170 杜甫詩1500-872-1205/2500766年大暦元年55-9

 

 

杜甫が下僕に支持をしたもの、あるいは、息子の宗文に支持して下僕に作業させたもの。

   766年大暦元年55-36 奉節-29 《巻15-06 示獠奴阿段》 杜甫index-15 杜甫<900-01 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5565

    766年大暦元年55-29-#1奉節-19 《巻15-42 信行遠修水筒 -#1 杜甫index-15 杜甫<891-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5445 杜甫詩1500-891-#1-1260/2500766年大暦元年55-29-#1

   766年大暦元年55-37-#1奉節-20-#1 《巻19-20 驅豎子摘蒼耳 -#1 杜甫index-15 杜甫<892-#1 文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5455 

   766年大暦元年55-30-#1奉節-20 《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#1 杜甫index-15 杜甫<892-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5455 

   767年-7-#1杜甫 《19-07 課伐木 序》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-7-#1 <1075 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7055 

   767-65杜甫 《巻19-02豎子至》 杜甫詩index-15-767年大暦256-65 <1155> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7422 杜甫詩1500-1155-1611/2500

とある。

 

東渚雨今足,佇聞粳稻香。

東瀼水のなぎさ(東屯の水田)では、いま雨が十分で、やがて粳稲が香しくみのるであろうとかまえて、まっているのだ。

9.    粳稻 一種稻米、うるち米。葉片較狹くして短い,色は深綠,莖稈は堅硬である。穀粒はわりあい短く圓形であり,外の穎には上細毛が多くして長い,煮起すると較軟である。粳稻は一般學術上、「日本型稻」或「中國型稻」というよびかたをし,其の米粒は直鏈性をもっていて、澱粉含量は18%~25%である。炊きあがりの香りがよく、味もよい。

 

上天無偏頗,蒲稗各自長。

天には偏頗はないはずであるから稲が育つとともにガマや稗もそれぞれが背を伸ばしてくる。

10.  偏頗 えこひいき。

11.  蒲稗 がま、ひえ。

 

人情見非類,田家戒其荒。

こうした水田では、人の情で、稲の間に生えて来るやくざな草をそのままにして田地を荒してしまうことは、耕作者としてやってはならないことである。

12.  非類 同類でないもの、此処では稲以外の雑草をいう。

13.  田家 東屯の農家。

14.  戒其荒 東屯の水田を耕さず荒れたままにすることを戒める。

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杜甫  上後園山 #3

故園暗戎馬,骨肉失追尋。時危無消息,老去多歸心。

志士惜白日,久客藉黃金。敢為蘇門嘯,庶作〈梁父吟〉。

それに、故郷は戎馬の濛塵により暗いままであり、兄弟親族のものも尋ねるすべを失ったままなのである。社会が混乱していて、危くてすこしも消息が無いのでどうしようもないというのに、老いゆくままに歸郷の念ばかり多くなってゆくのである。志士は白日の去るのを惜むというものであるというけれど、こうして長ながの旅人としているものにとっては、人から黄金をみついでもらってやつとこの日をすごしているのである。だからといって、決して、道家の導氣之術などを学んで孫登がした様な「蘇門長嘯」をして、道教の隠遁者のまねをしようとはおもわぬが、願うことなら、畑を耕し、諸葛亮が鍬を担いで「梁父吟」を歌っていて、「三顧の礼」出迎えられたようなことはできればそうなりたいとは願って居るところである。

767-12-#3杜甫 19-10 上後園山#3 杜甫詩index-15-767年大暦256-12-#3 <1102 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7159

 

 

 
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杜甫詩1500-1102-1558-#3/2500

年:767年大暦256-12-#2

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    上後園山

作地點:              目前尚無資料

及地點:              隴首山 (隴右道東部 秦州 秦州)       

劍門山 (劍南道北部 劍州 劍門) 別名:蜀門  

蘇門山 (河北道南部 衛州 蘇門山)    

交遊人物/地點:  

 

 

上後園山  #1

(瀼西の居宅の北にある農園の山麓にのぼったときの詩。)

朱夏熱所嬰,清旭步北林。

真夏は熱気にとりつかれるのでたまらぬから自分は朝日のすずしいときに北の林に散歩する。

小園背高岡,挽葛上崎崟。

小さな庭園の背後に高い岡がある。自分は葛の蔓につかまってそのけわしいところへのぼる。

曠望延駐目,飄颻散疏襟。

そこには、遠方のひろいながめがあり、そのなかでも自分の注視を呼んでくれる景色があり、いい気持ちでふわふわと襟もとを風に吹かせる。

潛鱗恨水壯,去翼依雲深。

淵にひそんでいる魚は水勢のさかんなせいで泳ぎだせないのを恨んでる様だし、飛び去る鳥はおくふかい雲に依りそうように飛んでゆく。

#2

勿謂地無疆,劣於山有陰。

天下の地面には際限がないなどと謂うものではない。いま、この天下は広いといってもここの山にこの山陰の園が有ることそのものがもっとわるいのではなかろうか。

遍天下,水陸兼浮沈。

安史の乱から、いわば天下じゅう、隅々までが穀物のできない石原みたいなものになってしまい、人民は水にも溺れ沈み、陸ながらも沈没しているとおなじことになっている。

自我登隴首,十年經碧岑。

自分は西の辺境、隴山の首にのぼりだしてから、もう十年ばかり、青山を経歴し、旅客している。

劍門來巫峽,薄倚浩至今。

隴から剣門・成都へ、剣門・成都から巫峡へ、拙と疾とにとりつかれてあのときからすっと今日におよんでいるのである。

#3

故園暗戎馬,骨肉失追尋。

それに、故郷は戎馬の濛塵により暗いままであり、兄弟親族のものも尋ねるすべを失ったままなのである。

時危無消息,老去多歸心。

社会が混乱していて、危くてすこしも消息が無いのでどうしようもないというのに、老いゆくままに歸郷の念ばかり多くなってゆくのである。

志士惜白日,久客藉黃金。

志士は白日の去るのを惜むというものであるというけれど、こうして長ながの旅人としているものにとっては、人から黄金をみついでもらってやつとこの日をすごしているのである。

敢為蘇門嘯,庶作〈梁父吟〉。

だからといって、決して、道家の導氣之術などを学んで孫登がした様な「蘇門長嘯」をして、道教の隠遁者のまねをしようとはおもわぬが、願うことなら、畑を耕し、諸葛亮が鍬を担いで「梁父吟」を歌っていて、「三顧の礼」出迎えられたようなことはできればそうなりたいとは願って居るところである。

 

(後園の山上る

朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。

小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。

曠望 駐目を延く,飄颻 疏襟を散ず。

潛鱗 水の壯なるを恨み,去翼 雲の深きに依る。
#2

謂う勿れ 地 疆【かぎ】り無しと,山の陰有るよりも劣れり。

【せきげん】天下に遍し,水陸 兼て 浮沈す。

我が隴首に登りしより,十年 碧岑を經る。

劍門より 巫峽に來る,薄倚 浩として今に至れり。
#3

故園 戎馬暗し,骨肉 追尋を失す。

時危くして 消息無く,老去って 歸心多し。

志士 白日を惜み,久客 黃金に藉【よ】る。

敢て蘇門の嘯を為さんや,庶わくば 〈梁父の吟〉を作さん。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『上後園山』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

故園暗戎馬,骨肉失追尋。

時危無消息,老去多歸心。

志士惜白日,久客藉黃金。

敢為蘇門嘯,庶作〈梁父吟〉。


(下し文)
#3

故園 戎馬暗し,骨肉 追尋を失す。

時危くして 消息無く,老去って 歸心多し。

志士 白日を惜み,久客 黃金に藉【よ】る。

敢て蘇門の嘯を為さんや,庶わくば 〈梁父の吟〉を作さん。


(現代語訳)
#3

それに、故郷は戎馬の濛塵により暗いままであり、兄弟親族のものも尋ねるすべを失ったままなのである。

社会が混乱していて、危くてすこしも消息が無いのでどうしようもないというのに、老いゆくままに歸郷の念ばかり多くなってゆくのである。

志士は白日の去るのを惜むというものであるというけれど、こうして長ながの旅人としているものにとっては、人から黄金をみついでもらってやつとこの日をすごしているのである。

だからといって、決して、道家の導氣之術などを学んで孫登がした様な「蘇門長嘯」をして、道教の隠遁者のまねをしようとはおもわぬが、願うことなら、畑を耕し、諸葛亮が鍬を担いで「梁父吟」を歌っていて、「三顧の礼」出迎えられたようなことはできればそうなりたいとは願って居るところである。


(訳注)#3

上後園山

(瀼西の居宅の北にある農園の山麓にのぼったときの詩。)

 

故園暗戎馬,骨肉失追尋。

それに、故郷は戎馬の濛塵により暗いままであり、兄弟親族のものも尋ねるすべを失ったままなのである。

23 故園 故郷。

24 暗戎馬 安史の乱によるものと、それが収まって、謀叛、叛乱、叛起等が増加したことを言う。

25 骨肉 兄弟、肉親の消息。

 

時危無消息,老去多歸心。

社会が混乱していて、危くてすこしも消息が無いのでどうしようもないというのに、老いゆくままに歸郷の念ばかり多くなってゆくのである。

26 時危無消息 社会が混乱していて、特に駅伝制に乱れが起こったことで、書簡の往復がむつかしい状況が続いているのである。死んでしまったから消息がないのか、社会の混乱によって消息が取れないのか、この時杜甫はわかっていない。

 

志士惜白日,久客藉黃金。

志士は白日の去るのを惜むというものであるというけれど、こうして長ながの旅人としているものにとっては、人から黄金をみついでもらってやつとこの日をすごしているのである。

27 藉黃金 金は金銭で、月給といえるものをもらっていたようで、この時杜甫は柏中丞から月ごとに金銭をもらっていたことをしめすものだ。

 

敢為蘇門嘯,庶作〈梁父吟〉。

だからといって、決して、道家の導氣之術などを学んで孫登がした様な「蘇門長嘯」をして、道教の隠遁者のまねをしようとはおもわぬが、願うことなら、畑を耕し、諸葛亮が鍬を担いで「梁父吟」を歌っていて、「三顧の礼」出迎えられたようなことはできればそうなりたいとは願って居るところである。

28 蘇門嘯 蘇門長嘯の故事のこと。魏の阮籍が薊門山にのぼり、孫登に遭遇、ともに古今のこと、道家の導氣之術などを談義しようとしたが、孫登はこれに答えようとはしなかった。阮籍は 長嘯して、その場を退き、山を下り始めた。半ば下りかけたころ、天空に声がした。それは鸞鳳の声かとおもったが、孫登の長嘯であった。ここでは、孫登の隠者風なことを形容するものである。また、この頃までは、隠者を訪ねて逢えないものというものというのが隠者の形容であった。「隠者不遇」と「蘇門長嘯」とは同類の語である。

《晉書·卷四十九·阮籍傳》「阮籍曾於蘇門遇孫登, 談論道家導氣之術, 登皆不應答, 籍因此長嘯而退。 行至半嶺, 聞山谷中傳出有若鸞鳳的聲音, 乃是孫登之嘯。 」( 阮籍 曾て於蘇門に孫登遇,道家の導氣之術を談論す, 登 皆 應答せず, 籍此因にり長嘯して退く。 行きて半嶺に至り,山谷に中って傳出する 鸞鳳の聲音の若く有るを聞き, 乃ち是れ孫登の嘯なり。)にみえる。 後 以て蘇門長嘯を形容するのは高傲或は嘯傲 不羈とする態度をいう。

29 梁父吟 梁甫吟は古楽府題の一つ。相和歌楚調曲に梁父吟行とあって、その由来は戦国の武侯が好んで詠ったものといわれる。梁甫は、梁父とも書き、むかしの斉の国、いまの山東省の、泰山のふもとにある、570mの小さな山の名である。そこは、古代の迷信では、死者のたましいの帰る場所とされていた。「梁甫吟」はもともと、葬いの歌であったという。また、骨子(孔子の弟子)の作ったものであるという。骨子が泰山のふもとに耕していたところ、天が大雪をふらし、凍ること旬日、帰ることができず、その父母を思って、巣山歌を作ったと、「琴挽」という本に見える、それが「梁甫吟」の起源であるという。現在「楽府詩集」に収められている一首は、「三国志」の立役者である諸葛亮(孔明)の作と伝えられている。それは次の歌である。
諸葛亮(孔明)「梁甫吟」
歩出斉城門、遥望蕩陰里。里中有三墳、塁塁正相似。
問是誰家墓、田疆古冶子。力能排南山、文能絶地紀。
一朝被讒言、二桃殺三士。誰能為此謀、国相斉晏子。
歩して斉の城門を出で  遥に蕩陰の里を望む 
里中に三墳有り  塁塁として正に相似たり
問う是れ誰が家の墓ぞ  田疆古冶氏
力を能く南山を排し  文を能く地紀を絶つ
一朝 讒言を被りて  二桃 三士を殺す
誰か能く此の謀を為せる  国相斉の晏子なり
現代訳
梁甫の歌;
斉の城門を歩いて出て、遠くに蕩陰(地名)の村を眺めるとそこにお墓が三基ある 並んで立っていて、よく似ていた。
これはどちらのお墓ですかと聞いてみた。
これが有名な公孫接・田開彊・古冶子のお墓です。
三人は南山を動かすほど力が強く、大地の四隅を繋ぐ紐を切るほど学問もできる人たちでした
ところが、ひとたび、讒言を言われ、二つの桃でもって三人を殺してしまった。
誰がこんなはかりごとをしたのですか? それは斉の宰相の晏嬰です

これは、詭計をもちいて人を殺した、斉の量子の故事をうたったものである。「力排南山三壯士。齊相殺之費二桃」参照。李白のこの詩は、その故事をふくみつつ、主題を少しかえ、不遇の志士の時機到来を待つ気持をうたいあげる。

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

・諸葛亮 (181234)字は孔明、陽都(山東折水県の南) の人。蜀漢の名臣で、三国時代第一流の人物。劉備三顧の礼に感激して襄陽(湖北省)の隠居を出で、曹操を赤壁に破って丞相となり、劉備の死後はその千割禅を助けて幾を討ったが、陣中に病没した。その 「出師表」は赤誠の発露と文品の高いのによって称せられる。

李白も同様に作っている。

155-#1 《巻02-04 梁吟 -#1》(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <155-#1> Ⅰ李白詩1355 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5323

155-#2 《巻02-04 梁甫吟 -#2》(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <155-#2> Ⅰ李白詩1356 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5328

155-#3 《巻02-04 梁甫吟 -#3》(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <155-#3> Ⅰ李白詩1357 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5333

155-#4 《巻02-04 梁甫吟 -#4》(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <155-#4> Ⅰ李白詩1358 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5338

杜甫  《1347》登樓

花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。

錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。

北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。

可憐後主還祠廟,日暮聊為梁甫吟。

(楼に登る)

花 高楼に近うして 客心を傷ましむ、万方 多難 此に登臨す。

錦江の春色 天地より来たり、玉塁の浮雲古今 変ず。

北極の朝廷は終に改まらず、西山の寇盜 相い侵すこと莫れ。

憐む可し後主 還た祠廟、日暮 聊か梁父の吟を為す。

廣徳2年764-94 巻13-47登樓》 杜甫index-14 764年登樓 杜甫<766 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4415 杜甫詩1500-766-1054/25001

杜甫 《巻14-24初冬》初冬

垂老戎衣窄,歸休寒色深。漁舟上急水,獵火著高林。

日有習池醉,愁來〈梁甫吟〉。干戈未偃息,出處遂何心。

(初冬)

垂老 戎衣窄【せま】し,歸休すれば 寒色深し。漁舟 急水を上り,獵火 高林に著く。

日に 習池の醉有り,愁い來れば〈梁甫吟〉をす。干戈 未だ偃息せず,出處 遂に何の心ぞ。

廣徳2年764-90 巻14-24初冬》 杜甫index-14 764年 杜甫<791 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4645 杜甫詩1500-791-1100/2500廣徳2年764-90

1917諸葛廟》

久遊巴子國,屢入武侯祠。竹日斜虛寢,溪風滿薄帷。

君臣當共濟,賢聖亦同時。翊戴歸先主,并吞更出師。

蟲蛇穿畫壁,巫覡醉蛛絲。欻憶吟梁父,躬耕也未遲。
(諸葛廟)

久しく遊ぶ巴子の国、屡々入る武侯の祠。竹日 虚寝に斜めに、渓風薄唯に満つ。

君臣 共済に当たる、賢聖 亦た時を同じくす。翊戴 先主に帰す、併呑 更に師を出す。

虫蛇 画壁を穿つ、巫覡 蛛糸に酔う。欻ち憶う 梁父を吟ぜしを、窮耕するも 也た 未だ遅からず。

766年-98杜甫 《1917諸葛廟》五言古詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-98 <961 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6440

 

 

 

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杜甫  上後園山#2

勿謂地無疆,劣於山有陰。石遍天下,水陸兼浮沈。

自我登隴首,十年經碧岑。劍門來巫峽,薄倚浩至今。

天下の地面には際限がないなどと謂うものではない。いま、この天下は広いといってもここの山にこの山陰の園が有ることそのものがもっとわるいのではなかろうか。安史の乱から、いわば天下じゅう、隅々までが穀物のできない石原みたいなものになってしまい、人民は水にも溺れ沈み、陸ながらも沈没しているとおなじことになっている。自分は西の辺境、隴山の首にのぼりだしてから、もう十年ばかり、青山を経歴し、旅客している。隴から剣門・成都へ、剣門・成都から巫峡へ、拙と疾とにとりつかれてあのときからすっと今日におよんでいるのである。

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杜甫詩1500-1101-1558-#2/2500

年:767年大暦256-12-#2

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    上後園山

作地點:              目前尚無資料

及地點:              隴首山 (隴右道東部 秦州 秦州)       

劍門山 (劍南道北部 劍州 劍門) 別名:蜀門  

蘇門山 (河北道南部 衛州 蘇門山)    

交遊人物/地點:  

 

 

上後園山  #1

(瀼西の居宅の北にある農園の山麓にのぼったときの詩。)

朱夏熱所嬰,清旭步北林。

真夏は熱気にとりつかれるのでたまらぬから自分は朝日のすずしいときに北の林に散歩する。

小園背高岡,挽葛上崎崟。

小さな庭園の背後に高い岡がある。自分は葛の蔓につかまってそのけわしいところへのぼる。

曠望延駐目,飄颻散疏襟。

そこには、遠方のひろいながめがあり、そのなかでも自分の注視を呼んでくれる景色があり、いい気持ちでふわふわと襟もとを風に吹かせる。

潛鱗恨水壯,去翼依雲深。

淵にひそんでいる魚は水勢のさかんなせいで泳ぎだせないのを恨んでる様だし、飛び去る鳥はおくふかい雲に依りそうように飛んでゆく。

#2

勿謂地無疆,劣於山有陰。

天下の地面には際限がないなどと謂うものではない。いま、この天下は広いといってもここの山にこの山陰の園が有ることそのものがもっとわるいのではなかろうか。

遍天下,水陸兼浮沈。

安史の乱から、いわば天下じゅう、隅々までが穀物のできない石原みたいなものになってしまい、人民は水にも溺れ沈み、陸ながらも沈没しているとおなじことになっている。

自我登隴首,十年經碧岑。

自分は西の辺境、隴山の首にのぼりだしてから、もう十年ばかり、青山を経歴し、旅客している。

劍門來巫峽,薄倚浩至今。

隴から剣門・成都へ、剣門・成都から巫峡へ、拙と疾とにとりつかれてあのときからすっと今日におよんでいるのである。

#3

故園暗戎馬,骨肉失追尋。

時危無消息,老去多歸心。

志士惜白日,久客藉黃金。

敢為蘇門嘯,庶作〈梁父吟〉。

 

(後園の山上る

朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。

小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。

曠望 駐目を延く,飄颻 疏襟を散ず。

潛鱗 水の壯なるを恨み,去翼 雲の深きに依る。
#2

謂う勿れ 地 疆【かぎ】り無しと,山の陰有るよりも劣れり。

【せきげん】天下に遍し,水陸 兼て 浮沈す。

我が隴首に登りしより,十年 碧岑を經る。

劍門より 巫峽に來る,薄倚 浩として今に至れり。

#3

故園 戎馬暗し,骨肉 追尋を失す。

時危くして 消息無く,老去って 歸心多し。

志士 白日を惜み,久客 黃金に藉【よ】る。

敢て蘇門の嘯を為さんや,庶わくば 〈梁父の吟〉を作さん。

 

 

『上後園山』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

勿謂地無疆,劣於山有陰。

遍天下,水陸兼浮沈。

自我登隴首,十年經碧岑。

劍門來巫峽,薄倚浩至今。

(下し文)
#2

謂う勿れ 地 疆【かぎ】り無しと,山の陰有るよりも劣れり。

【せきげん】天下に遍し,水陸 兼て 浮沈す。

我が隴首に登りしより,十年 碧岑を經る。

劍門より 巫峽に來る,薄倚 浩として今に至れり。


(現代語訳)
#2

天下の地面には際限がないなどと謂うものではない。いま、この天下は広いといってもここの山にこの山陰の園が有ることそのものがもっとわるいのではなかろうか。

安史の乱から、いわば天下じゅう、隅々までが穀物のできない石原みたいなものになってしまい、人民は水にも溺れ沈み、陸ながらも沈没しているとおなじことになっている。

自分は西の辺境、隴山の首にのぼりだしてから、もう十年ばかり、青山を経歴し、旅客している。

隴から剣門・成都へ、剣門・成都から巫峡へ、拙と疾とにとりつかれてあのときからすっと今日におよんでいるのである。


(訳注) #2

上後園山

(瀼西の居宅の北にある農園の山麓にのぼったときの詩。)

 

勿謂地無疆,劣於山有陰。

天下の地面には際限がないなどと謂うものではない。いま、この天下は広いといってもここの山にこの山陰の園が有ることそのものがもっとわるいのではなかろうか。

1.   地無疆 広大な地面には際限がないということはない。

2.   劣於山有陰 山の北斜面の農園の後ろ側の農園よりも劣る。

 

遍天下,水陸兼浮沈。

安史の乱から、いわば天下じゅう、隅々までが穀物のできない石原みたいなものになってしまい、人民は水にも溺れ沈み、陸ながらも沈没しているとおなじことになっている。

3.  遍天下 は食糧難で木の皮を食べて原っぱになることを言い、安史の乱により,世が乱れ、石ころだらけの原野になることという意。

 

自我登隴首,十年經碧岑。

自分は西の辺境、隴山の首にのぼりだしてから、もう十年ばかり、青山を経歴し、旅客している。

4.   十年 759年乾元二年七月秦州に入ってから足掛け9年である。

5.   碧岑 青いとがった山。

 

劍門來巫峽,薄倚浩至今。

隴から剣門・成都へ、剣門・成都から巫峡へ、拙と疾とにとりつかれてあのときからすっと今日におよんでいるのである。

6.   薄倚 失敗と病気がちであること。

7.   浩至今 ずいぶん遠くはるかな感じの時が過ぎたことを言う。

 

 

上後園山

朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。

曠望延駐目,飄颻散疏襟。潛鱗恨水壯,去翼依雲深。
勿謂地無疆,劣於山有陰。石遍天下,水陸兼浮沈。

自我登隴首,十年經碧岑。劍門來巫峽,薄倚浩至今。

故園暗戎馬,骨肉失追尋。時危無消息,老去多歸心。

志士惜白日,久客藉黃金。敢為蘇門嘯,庶作〈梁父吟〉。

 

杜甫 『上後園山【字解】

 

 

1.    後ろ側、地形的に北征に険しい山があるがその山裾は、居宅からは北側になる。

2.  園 都督の管理の農園 

3.    赤甲山の山懐のような小高いところ。

4.   朱夏 《五行思想で、赤色を夏に配するところから》夏の異称。《爾雅釋天》:夏為朱明。” 三國 曹植 《槐賦》:在季春以初茂, 踐朱夏而乃繁。” 《舊五代史梁書末帝紀下》:況青春告謝, 朱夏已臨。” 唐孫華 《夏日園居雜詠》之十二:三年客裏逢朱夏, 一月天邊盼素秋。”

5.    とりつかれる。

6.   清旭 朝日の清清しい時。

7.   挽葛 葛の蔓を手で引っ張る。

8.   上崎崟 山の険しいところに登る

9.   曠望 眼前の悵望が広く望める。

10. 延駐目 延はこちらを呼んでくれる、駐目は注視すること。

11. 飄颻 風にひるがえるさま。隨風に飄動する。

文選.曹植.《雜詩六首其二》

轉蓬離本根,飄颻長隨風。何意回飆舉,吹我入雲中。

高高上無極,天路安可窮。類此遊客子,捐軀遠從戎。

毛褐不掩形,薇藿常不充。去去莫復道,沈憂令人老。

轉蓬は本根より離れ,飄颻として長く風に隨う。

何んぞ意わん回飆【かいひょう】の舉がり,我を吹きて雲中に入れんとは。

高高と上りて極り無く,天路 安んぞ窮む可かんや。

類たり此の遊客の子,軀を捐てて遠く戎に從う。

毛褐 形を掩わず,薇藿【びかく】常に充たざるに。去り去りて復た道う莫れ,沈憂 人をして老わしむ。

転びゆく蓬は、もとの根より離れ、ひらひらと、遠く風の吹くまにまにひるがえってとばされる。

ところが、思いがけなくも、つむじ風が巻きおこったとすると我々蓬は雲中高く吹きあげられてしまうのだ。

高く高く吹き上げられると、どこまでも限りなく飛ばされるのだ。しかし、天の路こそは、どうしてその窮極の先まで行くというのか。

これはさすらう旅人に似ているというものであり、その身を犠牲にして、遠く従軍するというのはこのことをいうものなのだ。

その旅人が冬にきる短い皮ごろもは、身体を全ておおうことにならないし、食べるものも、わらびや豆の葉などで、いつも腹をみたすことはできないのである。

こんな話はやめなければ、そうだもうもうやめよう。二度とこのような言葉は繰りかえすことはしない。こんな深い憂愁な気分でいることは人をふけさせるものでしかないのだ。

12. 疏襟 襟元を緩くして風通しをよくするという意。

13. 潛鱗 淵の深いところに潜んだ魚。

14. 恨水壯 水の流れの勢いが盛んであるため泳ぎだせないでいる。

15. 去翼 飛び去って行った鳥。

 

 

杜甫 『園官送菜 并序』【字解】

 

園官送菜 并序:園官送菜把,本數日闕。矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,傷小人妒害君子,菜不足道也,比而作詩。

清晨蒙菜把,常荷地主恩。守者愆實數,略有其名存。苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。

青青嘉蔬色,埋沒在中園。園吏未足怪,世事固堪論。嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。

乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。小人塞道路,為態何喧喧。又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。

點染不易虞,絲麻雜羅紈。一經器物永挂粗刺痕。志士采紫芝,放歌避戎軒。

畦丁負籠至,感動百慮端。

 

 

1 園官 菜園を管理する吏官。

2 菜把 野菜束

3 本 本来。

4 數日闕 数日間、中止されていた。

5 苦苣 キク科の一年草で、野菜である。和名はキクヂシャ。ニガチシャという別名もある。同じキクニガナ属の多年生野菜チコリーと同様に独特の苦みがあるが、見かけはチコリーと違い非結球レタスに似ている。又称苦菊,菊科菊苣属的植物,是一种栽培菊苣。

6 馬齒 五行草の一つ。葉が青く、梗は赤く、花は黄色、根は白く、実は黒く、食べると少し酸味が強い。スベリヒユは、スベリヒユ科スベリヒユ属の多年生植物。 同属にはマツバボタンなどが知られる。

7 掩乎嘉蔬 良い野菜で覆い隠す。

8 比 たとえることをいう。

9 地主 土地の主人、夔州の都督柏茂琳をさす。柏茂琳ほ大暦元年八月には卭南節度であったが、其の夔州に到りしは、元年と二年の交にあるようである。

10 守者 番人、即ち農園の管理官をいう。

11 其名存 野菜の品名と実物。

12. 埋沒在中園 園の中にある他のよい野菜の中に埋もれていた野菜であるが、此処で見るととても良さがわかるというほどの意。

13. 固堪論 反語である。論ずるに堪えられない。

14. 苦苣輩 人間界でも苦チシャの様なもの、朝廷内で、宦官と結託して策謀する者たちをさす。

15. 為態 態をなす。

16. 何喧喧 ががやがやとなんとさわがしくすることか。

17. 氣 馬齒の気勢。

18. 葵荏昏 葵は葉ワサビの類。桂荏紫蘇のことであるが、エゴマの古名でもある。《爾雅·釋草》蘇,桂荏。《揚子·方言》關之東西或謂之蘇,或謂之荏。《後漢·馬融傳》桂荏、鳧葵。《本草》荏子可壓油。

19. 點染 善いものに悪いものをうまいぐあいにまぜてあしらうこと。

20. 不易虞 おもいもよらないこと。

21. 絲麻 木綿糸と麻。絲と麻があれば衣服ができる、千から学ぶことができれば士官しようなどとは思わない、自らをしめればよい。《莊子·讓王》: 孔子謂顏回曰:「回來!家貧居卑,胡不仕乎?」顏回對曰:「對曰:不願仕,回有郭外之田五十畝,足以給𩜾鬻,郭十畝,足以為絲麻,鼓琴可以自,所學夫子者,足以自樂也。」(回來れ!家貧にして卑しきに居る,胡ぞ仕えざるや?」顏回對えて曰く:「對えて曰く:仕を願わず,回 郭外の田五十畝,以て𩜾鬻に給するに足り,郭十畝,以て絲麻を為るに足る有り,琴を鼓すれば以て自らしむ,夫子に學ぶ所の者は,以て自ら樂しむに足れり。)

22. 雜 まざる。

23. 羅紈 羅紈うすきぬ。精美的絲織品。 《戰國策齊策四》:下宮糅羅紈, 曳綺縠, 而士不得以為緣。”(下宮糅羅紈, 曳綺縠, 而士不得以為緣。) 《淮南子齊俗訓》:有詭文繁繡, 弱緆羅紈。” 高誘 注:羅, 縠;紈, 素也。” 《淮南子・説林訓》「有羅紈者は必有麻蒯。」(羅紈ある者は必ず麻蒯【まけい】あり。) 美服を着る者は、必ず粗服を着るときがある。栄える者は必ず衰えるときがある。

 

 

 

園人送瓜

江間雖炎瘴,瓜熟亦不早。柏公鎮夔國,滯務茲一掃。

食新先戰士,共少及溪老。傾筐蒲鴿青,滿眼顏色好。

竹竿接嵌竇,引注來鳥道。沈浮亂水玉,愛惜如芝草。

落刃嚼冰霜,開懷慰枯槁。許以秋蒂除,仍看小童抱。

東陵跡蕪楚漢休征討。園人非故侯,種此何草草。

 

杜甫 園人送瓜【字解】

 

1 園人 都督の管理の農園の係の吏人。

2 柏公 柏茂琳。

3 鎮夔國 夔州の軍務の長官となることをいう。

4 滯務 事務の仕事が溜まっている。

5 食新 初物、旬のものをたべる。

6 共少 数の少ないものを衆人とともに分け、分配する。

7 溪老 渓居の老人、杜甫のこと。

 

8 傾筐 目を細かく編んだ竹かご。堅間(かたま)。勝間(かつま)。「花筐」傾とあるのは背中に背負うのにいいようにしたが凋んでいる畚であろう。

9 蒲鴿 あおはと、であるが、杜甫が此処で使ったことから、こののち青瓜をこう呼ぶようになっている。

10 接嵌竇 岩の間から染み出ている水に差しこんで水を竹竿で接続して引水する。

11 來鳥道 高いところへ続く人が歩く道ではなく、鳥が通るほどの水が作ったの道のようなもの。

12 水玉 引水が傾筐や、水だまりに落ちて飛び散るときの水の玉。

13 芝草 靈芝や薬草、杜甫は成都ではこれを集めて南市に売りに行っていたこともあって詳しい。

14 落刃 瓜を刃物できること。

15 嚼冰霜 瓜に肩の葉を入れた時の果肉の切れるときの表現。

16 慰枯槁 自分のような枯れかかったものにはそのみずみずしさが胸にしみこみ開かれるようで老境をなぐさめてくれるというほどの意。

 

17 許以 園人が杜甫に対して(瓜を持ってきてあげることを)予約することを言う。

18 秋蒂除 秋になって熟して来たら蔓に帯びてなっている瓜を切りとる。

19 仍看 瓜が熟したその時、また今回の様に瓜を見ることができる。

20 小童抱 管理園の下僕に抱きかかえて持ってこさせる。

21 東陵 東陵の五色の瓜の故事。長安城の東に出る南斗第一の門を霸城門という。民間では、門が青いことから青城門と呼んでいる。 門外には佳い瓜がなっている。廣陵の人、邵平が秦の東陵侯になったが、秦が滅亡すると 一般人になった。そこで彼は瓜の種を青城門の外に植えた。この瓜は美味である。 この瓜は五色有り、その邵平の故事に因んで東陵瓜と呼ばれている。『廟記』曰く、霸城門は青綺門とも呼ばれている。

22 楚漢休征討 楚漢戦争の終結を言う。この戦争終結を以て秦が滅亡したことで、邵平が一般人になり、五色の瓜を作り、青綺門で瓜を売ることができた。この句は、瓜についての勿体、嬉しさ、などを表現するための二句で、杜甫の人間性を表した句といえるのである。

この二句は、諸説あって、評価されなかった二句であるが、この二句こそ杜甫研究をするものにとってその研究の深さ、度合いを測る重要な二句なのである。杜甫は、戦争から逃げ回ってこの菱州にたどり着いている、平和の象徴のように思えて瓜をこのように表現解釈するということが杜甫の人間性を理解するうえでも大切なことである。杜甫の詩を何度も何度も読み返したものでこそこの二句が理解できるというものである。

 

23 故侯 秦の東陵侯、邵平をいう。

24 種此 瓜を植えること。

25 草草 心労する顔つきをいう。《詩經、小雅、巷伯》「驕人好好、勞人草草。蒼天蒼天、視彼驕人、矜此勞人。」(驕人は好好たり、勞人は草草たり。彼の驕人を視よ此の勞人を矜【あわれ】め。)高ぶって悪口いって有頂天、悪口いわれてしょんぼりと。悪口いった奴をよく見張れ、悪口言われた人を不憫がれ。

767年-12-#1杜甫 《19-10 上後園山腳》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-12-#1 <1095> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7155 

杜甫  上後園山  #1

朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。

曠望延駐目,飄颻散疏襟。潛鱗恨水壯,去翼依雲深。

(瀼西の居宅の北にある農園の山麓にのぼったときの詩。)

真夏は熱気にとりつかれるのでたまらぬから自分は朝日のすずしいときに北の林に散歩する。小さな庭園の背後に高い岡がある。自分は葛の蔓につかまってそのけわしいところへのぼる。そこには、遠方のひろいながめがあり、そのなかでも自分の注視を呼んでくれる景色があり、いい気持ちでふわふわと襟もとを風に吹かせる。淵にひそんでいる魚は水勢のさかんなせいで泳ぎだせないのを恨んでる様だし、飛び去る鳥はおくふかい雲に依りそうように飛んでゆく。

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杜甫詩1500-1095-1558-#1/2500

年:       大曆二年

寫作時間:           767

寫作年紀:           56

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    上後園山

作地點:              目前尚無資料

及地點:              隴首山 (隴右道東部 秦州 秦州)       

劍門山 (劍南道北部 劍州 劍門) 別名:蜀門  

蘇門山 (河北道南部 衛州 蘇門山)    

交遊人物/地點:  

 

 

上後園山  #1

朱夏熱所嬰,清旭步北林。

小園背高岡,挽葛上崎崟。

曠望延駐目,飄颻散疏襟。

潛鱗恨水壯,去翼依雲深。

(瀼西の居宅の北にある農園の山麓にのぼったときの詩。)

真夏は熱気にとりつかれるのでたまらぬから自分は朝日のすずしいときに北の林に散歩する。

小さな庭園の背後に高い岡がある。自分は葛の蔓につかまってそのけわしいところへのぼる。

そこには、遠方のひろいながめがあり、そのなかでも自分の注視を呼んでくれる景色があり、いい気持ちでふわふわと襟もとを風に吹かせる。

淵にひそんでいる魚は水勢のさかんなせいで泳ぎだせないのを恨んでる様だし、飛び去る鳥はおくふかい雲に依りそうように飛んでゆく。

#2

勿謂地無疆,劣於山有陰。

遍天下,水陸兼浮沈。

自我登隴首,十年經碧岑。

劍門來巫峽,薄倚浩至今。

#3

故園暗戎馬,骨肉失追尋。

時危無消息,老去多歸心。

志士惜白日,久客藉黃金。

敢為蘇門嘯,庶作〈梁父吟〉。

(後園の山上る

朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。

小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。

曠望 駐目を延く,飄颻 疏襟を散ず。

潛鱗 水の壯なるを恨み,去翼 雲の深きに依る。
#2

謂う勿れ 地 疆【かぎ】り無しと,山の陰有るよりも劣れり。

【せきげん】天下に遍し,水陸 兼て 浮沈す。

我が隴首に登りしより,十年 碧岑を經る。

劍門より 巫峽に來る,薄倚 浩として今に至れり。
#3

故園 戎馬暗し,骨肉 追尋を失す。

時危くして 消息無く,老去って 歸心多し。

志士 白日を惜み,久客 黃金に藉【よ】る。

敢て蘇門の嘯を為さんや,庶わくば 〈梁父の吟〉を作さん。 

 

 

『上後園山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

上後園山

朱夏熱所嬰,清旭步北林。

小園背高岡,挽葛上崎崟。

曠望延駐目,飄颻散疏襟。

潛鱗恨水壯,去翼依雲深。
詩文(含異文):#1           

朱夏熱所嬰,清旭步北林【清旦步北林】。小園背高岡,挽葛上崎崟。

曠望延駐目,飄颻散疏襟。潛鱗恨水壯【潛鱗恨川壯】,去翼依雲深。


(下し文)

(後園の山上る

朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。

小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。

曠望 駐目を延く,飄颻 疏襟を散ず。

潛鱗 水の壯なるを恨み,去翼 雲の深きに依る。


(現代語訳)
上後園山(瀼西の居宅の北にある農園の山麓にのぼったときの詩。)

真夏は熱気にとりつかれるのでたまらぬから自分は朝日のすずしいときに北の林に散歩する。

小さな庭園の背後に高い岡がある。自分は葛の蔓につかまってそのけわしいところへのぼる。

そこには、遠方のひろいながめがあり、そのなかでも自分の注視を呼んでくれる景色があり、いい気持ちでふわふわと襟もとを風に吹かせる。

淵にひそんでいる魚は水勢のさかんなせいで泳ぎだせないのを恨んでる様だし、飛び去る鳥はおくふかい雲に依りそうように飛んでゆく。


(訳注)

上後園山

(瀼西の居宅の北にある農園の山麓にのぼったときの詩。)

1.    後ろ側、地形的に北征に険しい山があるがその山裾は、居宅からは北側になる。

2.   園 都督の管理の農園

3.   赤甲山の山懐のような小高いところ。

 

朱夏熱所嬰,清旭步北林。

真夏は熱気にとりつかれるのでたまらぬから自分は朝日のすずしいときに北の林に散歩する。

4.   朱夏 《五行思想で、赤色を夏に配するところから》夏の異称。《爾雅釋天》:夏為朱明。” 三國 曹植 《槐賦》:在季春以初茂, 踐朱夏而乃繁。” 《舊五代史梁書末帝紀下》:況青春告謝, 朱夏已臨。” 唐孫華 《夏日園居雜詠》之十二:三年客裏逢朱夏, 一月天邊盼素秋。”

5.    とりつかれる。

6.   清旭 朝日の清清しい時。

 

小園背高岡,挽葛上崎崟。

小さな庭園の背後に高い岡がある。自分は葛の蔓につかまってそのけわしいところへのぼる。

7.   挽葛 葛の蔓を手で引っ張る。

8.   上崎崟 山の険しいところに登る

 

曠望延駐目,飄颻散疏襟。

そこには、遠方のひろいながめがあり、そのなかでも自分の注視を呼んでくれる景色があり、いい気持ちでふわふわと襟もとを風に吹かせる。

9.   曠望 眼前の悵望が広く望める。

10. 延駐目 延はこちらを呼んでくれる、駐目は注視すること。

11. 飄颻 風にひるがえるさま。隨風に飄動する。

文選.曹植.《雜詩六首其二》

轉蓬離本根,飄颻長隨風。何意回飆舉,吹我入雲中。

高高上無極,天路安可窮。類此遊客子,捐軀遠從戎。

毛褐不掩形,薇藿常不充。去去莫復道,沈憂令人老。

轉蓬は本根より離れ,飄颻として長く風に隨う。

何んぞ意わん回飆【かいひょう】の舉がり,我を吹きて雲中に入れんとは。

高高と上りて極り無く,天路 安んぞ窮む可かんや。

類たり此の遊客の子,軀を捐てて遠く戎に從う。

毛褐 形を掩わず,薇藿【びかく】常に充たざるに。去り去りて復た道う莫れ,沈憂 人をして老わしむ。

転びゆく蓬は、もとの根より離れ、ひらひらと、遠く風の吹くまにまにひるがえってとばされる。

ところが、思いがけなくも、つむじ風が巻きおこったとすると我々蓬は雲中高く吹きあげられてしまうのだ。

高く高く吹き上げられると、どこまでも限りなく飛ばされるのだ。しかし、天の路こそは、どうしてその窮極の先まで行くというのか。

これはさすらう旅人に似ているというものであり、その身を犠牲にして、遠く従軍するというのはこのことをいうものなのだ。

その旅人が冬にきる短い皮ごろもは、身体を全ておおうことにならないし、食べるものも、わらびや豆の葉などで、いつも腹をみたすことはできないのである。

こんな話はやめなければ、そうだもうもうやめよう。二度とこのような言葉は繰りかえすことはしない。こんな深い憂愁な気分でいることは人をふけさせるものでしかないのだ。

12. 疏襟 襟元を緩くして風通しをよくするという意。

 

潛鱗恨水壯,去翼依雲深。

淵にひそんでいる魚は水勢のさかんなせいで泳ぎだせないのを恨んでる様だし、飛び去る鳥はおくふかい雲に依りそうように飛んでゆく。

13. 潛鱗 淵の深いところに潜んだ魚。

14. 恨水壯 水の流れの勢いが盛んであるため泳ぎだせないでいる。

15. 去翼 飛び去って行った鳥。

 瞿塘峡・白帝城・魚復

 

上後園山

朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。

曠望延駐目,飄颻散疏襟。潛鱗恨水壯,去翼依雲深。
勿謂地無疆,劣於山有陰。石遍天下,水陸兼浮沈。

自我登隴首,十年經碧岑。劍門來巫峽,薄倚浩至今。

故園暗戎馬,骨肉失追尋。時危無消息,老去多歸心。

志士惜白日,久客藉黃金。敢為蘇門嘯,庶作〈梁父吟〉。

 

杜甫 『上後園山【字解】

 

 


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杜甫  園官送菜#4

乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。小人塞道路,為態何喧喧。

又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。點染不易虞,絲麻雜羅紈。

してみれば人間界でも苦チシャの様なものどもが蕙草の根をうちまかしてその勢を奪っているのである。小人たちというものは、誰もが通る道路をふさいで、ががやがやとなんとさわがしくい態をすることか。その様子はまた馬歯莧の気勢が盛んで葵荏などの善菜を抱き抱えて昏くはびこっている様なものである。おもいもよらぬところに善いものに悪いものをうまいぐあいにまぜてあしらっておもいもよらない手品がほどこしてある、それはあたかもそれだけでも満足するという絲や麻を羅紈の織物にませである様なことである。

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杜甫詩1500-1094-1557-#4/2500

年:767年大暦256-11-#1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    園官送菜

詩序:    并序:園官送菜把,本數日闕。矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,傷小人妒害君子,菜不足道也,比而作詩。

 

園官送菜 并序

(菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた)

園官送菜把,本數日闕。

都督の菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた。本来その送り方は二三日のあいだ中止されていたのである。

矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,

その上でいま送ってきたのをみると苦苣だの、馬齒だのがよい野菜のうえにかぶせられてある。

傷小人妒害君子,

自分は之を見て小人が君子を妬み害うことを傷み悲むのである。

菜不足道也,

野菜ごときは言うに足らぬのである。

比而作詩。

それでたとへて此の詩を作った。

園官菜把を送る幷に序

園官菜把を送る,本 數日 闕かぬ。

矧んや苦苣、馬齒,嘉蔬を掩うや,

小人の君子を妒害するを傷む,

菜は道うに足らざる也,

比して詩を作る。

 

#2

清晨蒙菜把,常荷地主恩。

朝早く野菜を束にして、送ってきてくれた。というのも自分はいつも土地の主人たる都督の御恩を荷なっているからである。

守者愆實數,略有其名存。

ところでどうしたのか管理官が実際の野菜の数をまちがえて、自分の手許へきた野菜をみると品物の名だけがあって実物がすくないのである。

苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。

苦チシャは葉先に針の様な刺をしているし、スベリ莧の葉があり、それもよくしげるほどの物である。

#2

清晨 菜把を蒙る,常に地主の恩を荷う。

守者 實數を愆【あやま】る,略【ほ】ぼ 其の名の存する有り。

苦苣 刺 針の如し,馬齒 葉 亦た繁し。
#3

青青嘉蔬色,埋沒在中園。

青青としたよい野菜の色は園内で恵菜のなかに埋没していたと同じ様にほとんどあるかなしである。

園吏未足怪,世事固堪論。

園吏がこんなことをしたとてそれはまだ怪むに足らない、世上の事はどうして論ずるに堪えられることができようか。

嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。

ああ、戦伐がながくつづいて荊棘が遠き原野に暗く生い茂っている。

#3

青青たる嘉蔬の色,埋沒して中園に在るがごとし。

園吏は未だ足怪むに,世事 固より論ずるに堪えんや。

嗚呼 戰伐久し,荊棘 長原に暗し


#4

乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。

してみれば人間界でも苦チシャの様なものどもが蕙草の根をうちまかしてその勢を奪っているのである。

小人塞道路,為態何喧喧。

小人たちというものは、誰もが通る道路をふさいで、ががやがやとなんとさわがしくい態をすることか。

又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。

その様子はまた馬歯莧の気勢が盛んで葵荏などの善菜を抱き抱えて昏くはびこっている様なものである。

點染不易虞,絲麻雜羅紈。

おもいもよらぬところに善いものに悪いものをうまいぐあいにまぜてあしらっておもいもよらない手品がほどこしてある、それはあたかもそれだけでも満足するという絲や麻を羅紈の織物にませである様なことである。#4

乃ち 苦苣の輩を知り,傾 蕙草の根を奪す。

小人 道路を塞ぎ,態 何ず喧喧たるを為さん。

又た馬齒 盛んにして,氣 葵荏を擁して昏きが如し。

點染 虞り易からず,絲麻 羅紈に雜う。#5


#5
一經器物
永挂粗刺痕。

志士采紫芝,放歌避戎軒。

畦丁負籠至,感動百慮端。

 

denen03350 

 

 

 

 

『園官送菜 并序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。

小人塞道路,為態何喧喧。

又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。

點染不易虞,絲麻雜羅紈。

(下し文)
#4

乃ち 苦苣の輩を知り,傾 蕙草の根を奪す。

小人 道路を塞ぎ,態 何ず喧喧たるを為さん。

又た馬齒 盛んにして,氣 葵荏を擁して昏きが如し。

點染 虞り易からず,絲麻 羅紈に雜う。

(現代語訳)
#4

してみれば人間界でも苦チシャの様なものどもが蕙草の根をうちまかしてその勢を奪っているのである。

小人たちというものは、誰もが通る道路をふさいで、ががやがやとなんとさわがしくい態をすることか。

その様子はまた馬歯莧の気勢が盛んで葵荏などの善菜を抱き抱えて昏くはびこっている様なものである。

おもいもよらぬところに善いものに悪いものをうまいぐあいにまぜてあしらっておもいもよらない手品がほどこしてある、それはあたかもそれだけでも満足するという絲や麻を羅紈の織物にませである様なことである。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注)

#4

乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。

してみれば人間界でも苦チシャの様なものどもが蕙草の根をうちまかしてその勢を奪っているのである。

5 苦苣 キク科の一年草で、野菜である。和名はキクヂシャ。ニガチシャという別名もある。同じキクニガナ属の多年生野菜チコリーと同様に独特の苦みがあるが、見かけはチコリーと違い非結球レタスに似ている。又称苦菊,菊科菊苣属的植物,是一种栽培菊苣。

14. 苦苣輩 人間界でも苦チシャの様なもの、朝廷内で、宦官と結託して策謀する者たちをさす。

 

小人塞道路,為態何喧喧。

小人たちというものは、誰もが通る道路をふさいで、ががやがやとなんとさわがしくい態をすることか。

15. 為態 態をなす。

16. 何喧喧 ががやがやとなんとさわがしくすることか。

 

又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。

その様子はまた馬歯莧の気勢が盛んで葵荏などの善菜を抱き抱えて昏くはびこっている様なものである。

17. 氣 馬齒の気勢。

18. 葵荏昏 葵は葉ワサビの類。桂荏紫蘇のことであるが、エゴマの古名でもある。《爾雅·釋草》蘇,桂荏。《揚子·方言》關之東西或謂之蘇,或謂之荏。《後漢·馬融傳》桂荏、鳧葵。《本草》荏子可壓油。

 

點染不易虞,絲麻雜羅紈。

おもいもよらぬところに善いものに悪いものをうまいぐあいにまぜてあしらっておもいもよらない手品がほどこしてある、それはあたかもそれだけでも満足するという絲や麻を羅紈の織物にませである様なことである。

19. 點染 善いものに悪いものをうまいぐあいにまぜてあしらうこと。

20. 不易虞 おもいもよらないこと。

21. 絲麻 木綿糸と麻。絲と麻があれば衣服ができる、千から学ぶことができれば士官しようなどとは思わない、自らをしめればよい。《莊子·讓王》: 孔子謂顏回曰:「回來!家貧居卑,胡不仕乎?」顏回對曰:「對曰:不願仕,回有郭外之田五十畝,足以給𩜾鬻,郭十畝,足以為絲麻,鼓琴可以自,所學夫子者,足以自樂也。」(回來れ!家貧にして卑しきに居る,胡ぞ仕えざるや?」顏回對えて曰く:「對えて曰く:仕を願わず,回 郭外の田五十畝,以て𩜾鬻に給するに足り,郭十畝,以て絲麻を為るに足る有り,琴を鼓すれば以て自らしむ,夫子に學ぶ所の者は,以て自ら樂しむに足れり。)

22. 雜 まざる。

23. 羅紈 羅紈うすきぬ。精美的絲織品。 《戰國策齊策四》:下宮糅羅紈, 曳綺縠, 而士不得以為緣。”(下宮糅羅紈, 曳綺縠, 而士不得以為緣。) 《淮南子齊俗訓》:有詭文繁繡, 弱緆羅紈。” 高誘 注:羅, 縠;紈, 素也。” 《淮南子・説林訓》「有羅紈者は必有麻蒯。」(羅紈ある者は必ず麻蒯【まけい】あり。) 美服を着る者は、必ず粗服を着るときがある。栄える者は必ず衰えるときがある。

 

 

 

杜甫 『園官送菜 并序』【字解】

 

園官送菜 并序:園官送菜把,本數日闕。矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,傷小人妒害君子,菜不足道也,比而作詩。

清晨蒙菜把,常荷地主恩。守者愆實數,略有其名存。苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。

青青嘉蔬色,埋沒在中園。園吏未足怪,世事固堪論。嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。

乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。小人塞道路,為態何喧喧。又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。

點染不易虞,絲麻雜羅紈。一經器物永挂粗刺痕。志士采紫芝,放歌避戎軒。

畦丁負籠至,感動百慮端。

 

 

1 園官 菜園を管理する吏官。

2 菜把 野菜束

3 本 本来。

4 數日闕 数日間、中止されていた。

5 苦苣 キク科の一年草で、野菜である。和名はキクヂシャ。ニガチシャという別名もある。同じキクニガナ属の多年生野菜チコリーと同様に独特の苦みがあるが、見かけはチコリーと違い非結球レタスに似ている。又称苦菊,菊科菊苣属的植物,是一种栽培菊苣。

6 馬齒 五行草の一つ。葉が青く、梗は赤く、花は黄色、根は白く、実は黒く、食べると少し酸味が強い。スベリヒユは、スベリヒユ科スベリヒユ属の多年生植物。 同属にはマツバボタンなどが知られる。

7 掩乎嘉蔬 良い野菜で覆い隠す。

8 比 たとえることをいう。

9 地主 土地の主人、夔州の都督柏茂琳をさす。柏茂琳ほ大暦元年八月には卭南節度であったが、其の夔州に到りしは、元年と二年の交にあるようである。

10 守者 番人、即ち農園の管理官をいう。

11 其名存 野菜の品名と実物。

12. 埋沒在中園 園の中にある他のよい野菜の中に埋もれていた野菜であるが、此処で見るととても良さがわかるというほどの意。

13. 固堪論 反語である。論ずるに堪えられない。

14. 苦苣輩 人間界でも苦チシャの様なもの、朝廷内で、宦官と結託して策謀する者たちをさす。

15. 為態 態をなす。

16. 何喧喧 ががやがやとなんとさわがしくすることか。

17. 氣 馬齒の気勢。

18. 葵荏昏 葵は葉ワサビの類。桂荏紫蘇のことであるが、エゴマの古名でもある。《爾雅·釋草》蘇,桂荏。《揚子·方言》關之東西或謂之蘇,或謂之荏。《後漢·馬融傳》桂荏、鳧葵。《本草》荏子可壓油。

19. 點染 善いものに悪いものをうまいぐあいにまぜてあしらうこと。

20. 不易虞 おもいもよらないこと。

21. 絲麻 木綿糸と麻。絲と麻があれば衣服ができる、千から学ぶことができれば士官しようなどとは思わない、自らをしめればよい。《莊子·讓王》: 孔子謂顏回曰:「回來!家貧居卑,胡不仕乎?」顏回對曰:「對曰:不願仕,回有郭外之田五十畝,足以給𩜾鬻,郭十畝,足以為絲麻,鼓琴可以自,所學夫子者,足以自樂也。」(回來れ!家貧にして卑しきに居る,胡ぞ仕えざるや?」顏回對えて曰く:「對えて曰く:仕を願わず,回 郭外の田五十畝,以て𩜾鬻に給するに足り,郭十畝,以て絲麻を為るに足る有り,琴を鼓すれば以て自らしむ,夫子に學ぶ所の者は,以て自ら樂しむに足れり。)

22. 雜 まざる。

23. 羅紈 羅紈うすきぬ。精美的絲織品。 《戰國策齊策四》:下宮糅羅紈, 曳綺縠, 而士不得以為緣。”(下宮糅羅紈, 曳綺縠, 而士不得以為緣。) 《淮南子齊俗訓》:有詭文繁繡, 弱緆羅紈。” 高誘 注:羅, 縠;紈, 素也。” 《淮南子・説林訓》「有羅紈者は必有麻蒯。」(羅紈ある者は必ず麻蒯【まけい】あり。) 美服を着る者は、必ず粗服を着るときがある。栄える者は必ず衰えるときがある。

 

 

 

園人送瓜

江間雖炎瘴,瓜熟亦不早。柏公鎮夔國,滯務茲一掃。

食新先戰士,共少及溪老。傾筐蒲鴿青,滿眼顏色好。

竹竿接嵌竇,引注來鳥道。沈浮亂水玉,愛惜如芝草。

落刃嚼冰霜,開懷慰枯槁。許以秋蒂除,仍看小童抱。

東陵跡蕪楚漢休征討。園人非故侯,種此何草草。

 

杜甫 園人送瓜【字解】

 

1 園人 都督の管理の農園の係の吏人。

2 柏公 柏茂琳。

3 鎮夔國 夔州の軍務の長官となることをいう。

4 滯務 事務の仕事が溜まっている。

5 食新 初物、旬のものをたべる。

6 共少 数の少ないものを衆人とともに分け、分配する。

7 溪老 渓居の老人、杜甫のこと。

 

8 傾筐 目を細かく編んだ竹かご。堅間(かたま)。勝間(かつま)。「花筐」傾とあるのは背中に背負うのにいいようにしたが凋んでいる畚であろう。

9 蒲鴿 あおはと、であるが、杜甫が此処で使ったことから、こののち青瓜をこう呼ぶようになっている。

10 接嵌竇 岩の間から染み出ている水に差しこんで水を竹竿で接続して引水する。

11 來鳥道 高いところへ続く人が歩く道ではなく、鳥が通るほどの水が作ったの道のようなもの。

12 水玉 引水が傾筐や、水だまりに落ちて飛び散るときの水の玉。

13 芝草 靈芝や薬草、杜甫は成都ではこれを集めて南市に売りに行っていたこともあって詳しい。

14 落刃 瓜を刃物できること。

15 嚼冰霜 瓜に肩の葉を入れた時の果肉の切れるときの表現。

16 慰枯槁 自分のような枯れかかったものにはそのみずみずしさが胸にしみこみ開かれるようで老境をなぐさめてくれるというほどの意。

 

17 許以 園人が杜甫に対して(瓜を持ってきてあげることを)予約することを言う。

18 秋蒂除 秋になって熟して来たら蔓に帯びてなっている瓜を切りとる。

19 仍看 瓜が熟したその時、また今回の様に瓜を見ることができる。

20 小童抱 管理園の下僕に抱きかかえて持ってこさせる。

21 東陵 東陵の五色の瓜の故事。長安城の東に出る南斗第一の門を霸城門という。民間では、門が青いことから青城門と呼んでいる。 門外には佳い瓜がなっている。廣陵の人、邵平が秦の東陵侯になったが、秦が滅亡すると 一般人になった。そこで彼は瓜の種を青城門の外に植えた。この瓜は美味である。 この瓜は五色有り、その邵平の故事に因んで東陵瓜と呼ばれている。『廟記』曰く、霸城門は青綺門とも呼ばれている。

22 楚漢休征討 楚漢戦争の終結を言う。この戦争終結を以て秦が滅亡したことで、邵平が一般人になり、五色の瓜を作り、青綺門で瓜を売ることができた。この句は、瓜についての勿体、嬉しさ、などを表現するための二句で、杜甫の人間性を表した句といえるのである。

この二句は、諸説あって、評価されなかった二句であるが、この二句こそ杜甫研究をするものにとってその研究の深さ、度合いを測る重要な二句なのである。杜甫は、戦争から逃げ回ってこの菱州にたどり着いている、平和の象徴のように思えて瓜をこのように表現解釈するということが杜甫の人間性を理解するうえでも大切なことである。杜甫の詩を何度も何度も読み返したものでこそこの二句が理解できるというものである。

 

23 故侯 秦の東陵侯、邵平をいう。

24 種此 瓜を植えること。

25 草草 心労する顔つきをいう。《詩經、小雅、巷伯》「驕人好好、勞人草草。蒼天蒼天、視彼驕人、矜此勞人。」(驕人は好好たり、勞人は草草たり。彼の驕人を視よ此の勞人を矜【あわれ】め。)高ぶって悪口いって有頂天、悪口いわれてしょんぼりと。悪口いった奴をよく見張れ、悪口言われた人を不憫がれ。

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杜甫  園官送菜 #3

青青嘉蔬色,埋沒在中園。園吏未足怪,世事固堪論。嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。

青青としたよい野菜の色は園内で恵菜のなかに埋没していたと同じ様にほとんどあるかなしである。

園吏がこんなことをしたとてそれはまだ怪むに足らない、世上の事はどうして論ずるに堪えられることができようか。

ああ、戦伐がながくつづいて荊棘が遠き原野に暗く生い茂っている。

767-11-#3杜甫 19-05 園官送菜》#3 杜甫詩index-15-767年大暦256-11-#3 <1093 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7145

 

 
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杜甫詩1500-1093-1557-#3/2500

年:767年大暦256-11-#1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    園官送菜

詩序:    并序:園官送菜把,本數日闕。矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,傷小人妒害君子,菜不足道也,比而作詩。

 

園官送菜 并序

(菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた)

園官送菜把,本數日闕。

都督の菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた。本来その送り方は二三日のあいだ中止されていたのである。

矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,

その上でいま送ってきたのをみると苦苣だの、馬齒だのがよい野菜のうえにかぶせられてある。

傷小人妒害君子,

自分は之を見て小人が君子を妬み害うことを傷み悲むのである。

菜不足道也,

野菜ごときは言うに足らぬのである。

比而作詩。

それでたとへて此の詩を作った。

園官菜把を送る幷に序

園官菜把を送る,本 數日 闕かぬ。

矧んや苦苣、馬齒,嘉蔬を掩うや,

小人の君子を妒害するを傷む,

菜は道うに足らざる也,

比して詩を作る。

 

#2

清晨蒙菜把,常荷地主恩。

朝早く野菜を束にして、送ってきてくれた。というのも自分はいつも土地の主人たる都督の御恩を荷なっているからである。

守者愆實數,略有其名存。

ところでどうしたのか管理官が実際の野菜の数をまちがえて、自分の手許へきた野菜をみると品物の名だけがあって実物がすくないのである。

苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。

苦チシャは葉先に針の様な刺をしているし、スベリ莧の葉があり、それもよくしげるほどの物である。

#2

清晨 菜把を蒙る,常に地主の恩を荷う。

守者 實數を愆【あやま】る,略【ほ】ぼ 其の名の存する有り。

苦苣 刺 針の如し,馬齒 葉 亦た繁し。
#3

青青嘉蔬色,埋沒在中園。

園吏未足怪,世事固堪論。

嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。

青青としたよい野菜の色は園内で恵菜のなかに埋没していたと同じ様にほとんどあるかなしである。

園吏がこんなことをしたとてそれはまだ怪むに足らない、世上の事はどうして論ずるに堪えられることができようか。

ああ、戦伐がながくつづいて荊棘が遠き原野に暗く生い茂っている。

#3

青青たる嘉蔬の色,埋沒して中園に在るがごとし。

園吏は未だ足怪むに,世事 固より論ずるに堪えんや。

嗚呼 戰伐久し,荊棘 長原に暗し。
#4

乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。

小人塞道路,為態何喧喧。

又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。

點染不易虞,絲麻雜羅紈。

#5

一經器物永挂粗刺痕。

志士采紫芝,放歌避戎軒。

畦丁負籠至,感動百慮端。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『園官送菜 并序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

青青嘉蔬色,埋沒在中園。

園吏未足怪,世事固堪論。

嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。

(下し文)
#3

青青たる嘉蔬の色,埋沒して中園に在るがごとし。

園吏は未だ足怪むに,世事 固より論ずるに堪えんや。

嗚呼 戰伐久し,荊棘 長原に暗し。

(現代語訳)
#3

青青としたよい野菜の色は園内で恵菜のなかに埋没していたと同じ様にほとんどあるかなしである。

園吏がこんなことをしたとてそれはまだ怪むに足らない、世上の事はどうして論ずるに堪えられることができようか。

ああ、戦伐がながくつづいて荊棘が遠き原野に暗く生い茂っている。


(訳注) #3

園官送菜 并序

(菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた)

1 園官 菜園を管理する吏官。

 

青青嘉蔬色,埋沒在中園。

青青としたよい野菜の色は園内で恵菜のなかに埋没していたと同じ様にほとんどあるかなしである。

12. 埋沒在中園 園の中にある他のよい野菜の中に埋もれていた野菜であるが、此処で見るととても良さがわかるというほどの意。

 

園吏未足怪,世事固堪論。

園吏がこんなことをしたとてそれはまだ怪むに足らない、世上の事はどうして論ずるに堪えられることができようか。

13. 固堪論 反語である。論ずるに堪えられない。

 

嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。

ああ、戦伐がながくつづいて荊棘が遠き原野に暗く生い茂っている。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

 

 

杜甫 『園官送菜 并序』【字解】

 

園官送菜 并序:園官送菜把,本數日闕。矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,傷小人妒害君子,菜不足道也,比而作詩。

清晨蒙菜把,常荷地主恩。守者愆實數,略有其名存。苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。

青青嘉蔬色,埋沒在中園。園吏未足怪,世事固堪論。嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。

乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。小人塞道路,為態何喧喧。又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。

點染不易虞,絲麻雜羅紈。一經器物永挂粗刺痕。志士采紫芝,放歌避戎軒。

畦丁負籠至,感動百慮端。

 

 

1 園官 菜園を管理する吏官。

2 菜把 野菜束

3 本 本来。

4 數日闕 数日間、中止されていた。

5 苦苣 キク科の一年草で、野菜である。和名はキクヂシャ。ニガチシャという別名もある。同じキクニガナ属の多年生野菜チコリーと同様に独特の苦みがあるが、見かけはチコリーと違い非結球レタスに似ている。又称苦菊,菊科菊苣属的植物,是一种栽培菊苣。

6 馬齒 五行草の一つ。葉が青く、梗は赤く、花は黄色、根は白く、実は黒く、食べると少し酸味が強い。スベリヒユは、スベリヒユ科スベリヒユ属の多年生植物。 同属にはマツバボタンなどが知られる。

7 掩乎嘉蔬 良い野菜で覆い隠す。

8 比 たとえることをいう。

9 地主 土地の主人、夔州の都督柏茂琳をさす。柏茂琳ほ大暦元年八月には卭南節度であったが、其の夔州に到りしは、元年と二年の交にあるようである。

10 守者 番人、即ち農園の管理官をいう。

11 其名存 野菜の品名と実物。

12. 埋沒在中園 園の中にある他のよい野菜の中に埋もれていた野菜であるが、此処で見るととても良さがわかるというほどの意。

13. 固堪論 反語である。論ずるに堪えられない。

 

 

 

園人送瓜

江間雖炎瘴,瓜熟亦不早。柏公鎮夔國,滯務茲一掃。

食新先戰士,共少及溪老。傾筐蒲鴿青,滿眼顏色好。

竹竿接嵌竇,引注來鳥道。沈浮亂水玉,愛惜如芝草。

落刃嚼冰霜,開懷慰枯槁。許以秋蒂除,仍看小童抱。

東陵跡蕪楚漢休征討。園人非故侯,種此何草草。

 

杜甫 園人送瓜【字解】

 

1 園人 都督の管理の農園の係の吏人。

2 柏公 柏茂琳。

3 鎮夔國 夔州の軍務の長官となることをいう。

4 滯務 事務の仕事が溜まっている。

5 食新 初物、旬のものをたべる。

6 共少 数の少ないものを衆人とともに分け、分配する。

7 溪老 渓居の老人、杜甫のこと。

 

8 傾筐 目を細かく編んだ竹かご。堅間(かたま)。勝間(かつま)。「花筐」傾とあるのは背中に背負うのにいいようにしたが凋んでいる畚であろう。

9 蒲鴿 あおはと、であるが、杜甫が此処で使ったことから、こののち青瓜をこう呼ぶようになっている。

10 接嵌竇 岩の間から染み出ている水に差しこんで水を竹竿で接続して引水する。

11 來鳥道 高いところへ続く人が歩く道ではなく、鳥が通るほどの水が作ったの道のようなもの。

12 水玉 引水が傾筐や、水だまりに落ちて飛び散るときの水の玉。

13 芝草 靈芝や薬草、杜甫は成都ではこれを集めて南市に売りに行っていたこともあって詳しい。

14 落刃 瓜を刃物できること。

15 嚼冰霜 瓜に肩の葉を入れた時の果肉の切れるときの表現。

16 慰枯槁 自分のような枯れかかったものにはそのみずみずしさが胸にしみこみ開かれるようで老境をなぐさめてくれるというほどの意。

 

17 許以 園人が杜甫に対して(瓜を持ってきてあげることを)予約することを言う。

18 秋蒂除 秋になって熟して来たら蔓に帯びてなっている瓜を切りとる。

19 仍看 瓜が熟したその時、また今回の様に瓜を見ることができる。

20 小童抱 管理園の下僕に抱きかかえて持ってこさせる。

21 東陵 東陵の五色の瓜の故事。長安城の東に出る南斗第一の門を霸城門という。民間では、門が青いことから青城門と呼んでいる。 門外には佳い瓜がなっている。廣陵の人、邵平が秦の東陵侯になったが、秦が滅亡すると 一般人になった。そこで彼は瓜の種を青城門の外に植えた。この瓜は美味である。 この瓜は五色有り、その邵平の故事に因んで東陵瓜と呼ばれている。『廟記』曰く、霸城門は青綺門とも呼ばれている。

22 楚漢休征討 楚漢戦争の終結を言う。この戦争終結を以て秦が滅亡したことで、邵平が一般人になり、五色の瓜を作り、青綺門で瓜を売ることができた。この句は、瓜についての勿体、嬉しさ、などを表現するための二句で、杜甫の人間性を表した句といえるのである。

この二句は、諸説あって、評価されなかった二句であるが、この二句こそ杜甫研究をするものにとってその研究の深さ、度合いを測る重要な二句なのである。杜甫は、戦争から逃げ回ってこの菱州にたどり着いている、平和の象徴のように思えて瓜をこのように表現解釈するということが杜甫の人間性を理解するうえでも大切なことである。杜甫の詩を何度も何度も読み返したものでこそこの二句が理解できるというものである。

 

23 故侯 秦の東陵侯、邵平をいう。

24 種此 瓜を植えること。

25 草草 心労する顔つきをいう。《詩經、小雅、巷伯》「驕人好好、勞人草草。蒼天蒼天、視彼驕人、矜此勞人。」(驕人は好好たり、勞人は草草たり。彼の驕人を視よ此の勞人を矜【あわれ】め。)高ぶって悪口いって有頂天、悪口いわれてしょんぼりと。悪口いった奴をよく見張れ、悪口言われた人を不憫がれ。

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杜甫  園官送菜 #2

清晨蒙菜把,常荷地主恩。守者愆實數,略有其名存。苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。

朝早く野菜を束にして、送ってきてくれた。というのも自分はいつも土地の主人たる都督の御恩を荷なっているからである。ところでどうしたのか管理官が実際の野菜の数をまちがえて、自分の手許へきた野菜をみると品物の名だけがあって実物がすくないのである。苦チシャは葉先に針の様な刺をしているし、スベリ莧の葉があり、それもよくしげるほどの物である。

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杜甫詩1500-1092-1557-#2/2500

年:767年大暦256-11-#1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    園官送菜

詩序:    并序:園官送菜把,本數日闕。矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,傷小人妒害君子,菜不足道也,比而作詩。

 

園官送菜 并序

(菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた)

園官送菜把,本數日闕。

都督の菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた。本来その送り方は二三日のあいだ中止されていたのである。

矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,

その上でいま送ってきたのをみると苦苣だの、馬齒だのがよい野菜のうえにかぶせられてある。

傷小人妒害君子,

自分は之を見て小人が君子を妬み害うことを傷み悲むのである。

菜不足道也,

野菜ごときは言うに足らぬのである。

比而作詩。

それでたとへて此の詩を作った。

園官菜把を送る幷に序

園官菜把を送る,本 數日 闕かぬ。

矧んや苦苣、馬齒,嘉蔬を掩うや,

小人の君子を妒害するを傷む,

菜は道うに足らざる也,

比して詩を作る。

 

#2

清晨蒙菜把,常荷地主恩。

朝早く野菜を束にして、送ってきてくれた。というのも自分はいつも土地の主人たる都督の御恩を荷なっているからである。

守者愆實數,略有其名存。

ところでどうしたのか管理官が実際の野菜の数をまちがえて、自分の手許へきた野菜をみると品物の名だけがあって実物がすくないのである。

苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。

苦チシャは葉先に針の様な刺をしているし、スベリ莧の葉があり、それもよくしげるほどの物である。

#2

清晨 菜把を蒙る,常に地主の恩を荷う。

守者 實數を愆【あやま】る,略【ほ】ぼ 其の名の存する有り。

苦苣 刺 針の如し,馬齒 葉 亦た繁し。
#3

青青嘉蔬色,埋沒在中園。

園吏未足怪,世事固堪論。

嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。

#4

乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。

小人塞道路,為態何喧喧。

又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。

點染不易虞,絲麻雜羅紈。

#5

一經器物永挂粗刺痕。

志士采紫芝,放歌避戎軒。

畦丁負籠至,感動百慮端。

tanbo955 

 

『園官送菜 并序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

清晨蒙菜把,常荷地主恩。

守者愆實數,略有其名存。

苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。

(下し文)
#2

清晨 菜把を蒙る,常に地主の恩を荷う。

守者 實數を愆【あやま】る,略【ほ】ぼ 其の名の存する有り。

苦苣 刺 針の如し,馬齒 葉 亦た繁し。

(現代語訳)
#2

朝早く野菜を束にして、送ってきてくれた。というのも自分はいつも土地の主人たる都督の御恩を荷なっているからである。

ところでどうしたのか管理官が実際の野菜の数をまちがえて、自分の手許へきた野菜をみると品物の名だけがあって実物がすくないのである。

苦チシャは葉先に針の様な刺をしているし、スベリ莧の葉があり、それもよくしげるほどの物である。


(訳注) #2

園官送菜 并序

(菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた)

1 園官 菜園を管理する吏官。

 

清晨蒙菜把,常荷地主恩。

朝早く野菜を束にして、送ってきてくれた。というのも自分はいつも土地の主人たる都督の御恩を荷なっているからである。

9 地主 土地の主人、夔州の都督柏茂琳をさす。柏茂琳ほ大暦元年八月には卭南節度であったが、其の夔州に到りしは、元年と二年の交にあるようである。

 

守者愆實數,略有其名存。

ところでどうしたのか管理官が実際の野菜の数をまちがえて、自分の手許へきた野菜をみると品物の名だけがあって実物がすくないのである。

10 守者 番人、即ち農園の管理官をいう。

11 其名存 野菜の品名と実物。

 

苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。

苦チシャは葉先に針の様な刺をしているし、スベリ莧の葉があり、それもよくしげるほどの物である。

5 苦苣 キク科の一年草で、野菜である。和名はキクヂシャ。ニガチシャという別名もある。同じキクニガナ属の多年生野菜チコリーと同様に独特の苦みがあるが、見かけはチコリーと違い非結球レタスに似ている。又称苦菊,菊科菊苣属的植物,是一种栽培菊苣。

6 馬齒 五行草の一つ。葉が青く、梗は赤く、花は黄色、根は白く、実は黒く、食べると少し酸味が強い。スベリヒユは、スベリヒユ科スベリヒユ属の多年生植物。 同属にはマツバボタンなどが知られる。

 

denen03350 

 

杜甫 『園官送菜 并序』【字解】

 

園官送菜 并序:園官送菜把,本數日闕。矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,傷小人妒害君子,菜不足道也,比而作詩。

清晨蒙菜把,常荷地主恩。守者愆實數,略有其名存。苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。

青青嘉蔬色,埋沒在中園。園吏未足怪,世事固堪論。嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。

乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。小人塞道路,為態何喧喧。又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。

點染不易虞,絲麻雜羅紈。一經器物永挂粗刺痕。志士采紫芝,放歌避戎軒。

畦丁負籠至,感動百慮端。

 

 

1 園官 菜園を管理する吏官。

2 菜把 野菜束

3 本 本来。

4 數日闕 数日間、中止されていた。

5 苦苣 キク科の一年草で、野菜である。和名はキクヂシャ。ニガチシャという別名もある。同じキクニガナ属の多年生野菜チコリーと同様に独特の苦みがあるが、見かけはチコリーと違い非結球レタスに似ている。又称苦菊,菊科菊苣属的植物,是一种栽培菊苣。

6 馬齒 五行草の一つ。葉が青く、梗は赤く、花は黄色、根は白く、実は黒く、食べると少し酸味が強い。スベリヒユは、スベリヒユ科スベリヒユ属の多年生植物。 同属にはマツバボタンなどが知られる。

7 掩乎嘉蔬 良い野菜で覆い隠す。

8 比 たとえることをいう。

9 地主 土地の主人、夔州の都督柏茂琳をさす。柏茂琳ほ大暦元年八月には卭南節度であったが、其の夔州に到りしは、元年と二年の交にあるようである。

10 守者 番人、即ち農園の管理官をいう。

11 其名存 野菜の品名と実物。

 

 

 

園人送瓜

江間雖炎瘴,瓜熟亦不早。柏公鎮夔國,滯務茲一掃。

食新先戰士,共少及溪老。傾筐蒲鴿青,滿眼顏色好。

竹竿接嵌竇,引注來鳥道。沈浮亂水玉,愛惜如芝草。

落刃嚼冰霜,開懷慰枯槁。許以秋蒂除,仍看小童抱。

東陵跡蕪楚漢休征討。園人非故侯,種此何草草。

 

杜甫 園人送瓜【字解】

 

1 園人 都督の管理の農園の係の吏人。

2 柏公 柏茂琳。

3 鎮夔國 夔州の軍務の長官となることをいう。

4 滯務 事務の仕事が溜まっている。

5 食新 初物、旬のものをたべる。

6 共少 数の少ないものを衆人とともに分け、分配する。

7 溪老 渓居の老人、杜甫のこと。

 

8 傾筐 目を細かく編んだ竹かご。堅間(かたま)。勝間(かつま)。「花筐」傾とあるのは背中に背負うのにいいようにしたが凋んでいる畚であろう。

9 蒲鴿 あおはと、であるが、杜甫が此処で使ったことから、こののち青瓜をこう呼ぶようになっている。

10 接嵌竇 岩の間から染み出ている水に差しこんで水を竹竿で接続して引水する。

11 來鳥道 高いところへ続く人が歩く道ではなく、鳥が通るほどの水が作ったの道のようなもの。

12 水玉 引水が傾筐や、水だまりに落ちて飛び散るときの水の玉。

13 芝草 靈芝や薬草、杜甫は成都ではこれを集めて南市に売りに行っていたこともあって詳しい。

14 落刃 瓜を刃物できること。

15 嚼冰霜 瓜に肩の葉を入れた時の果肉の切れるときの表現。

16 慰枯槁 自分のような枯れかかったものにはそのみずみずしさが胸にしみこみ開かれるようで老境をなぐさめてくれるというほどの意。

 

17 許以 園人が杜甫に対して(瓜を持ってきてあげることを)予約することを言う。

18 秋蒂除 秋になって熟して来たら蔓に帯びてなっている瓜を切りとる。

19 仍看 瓜が熟したその時、また今回の様に瓜を見ることができる。

20 小童抱 管理園の下僕に抱きかかえて持ってこさせる。

21 東陵 東陵の五色の瓜の故事。長安城の東に出る南斗第一の門を霸城門という。民間では、門が青いことから青城門と呼んでいる。 門外には佳い瓜がなっている。廣陵の人、邵平が秦の東陵侯になったが、秦が滅亡すると 一般人になった。そこで彼は瓜の種を青城門の外に植えた。この瓜は美味である。 この瓜は五色有り、その邵平の故事に因んで東陵瓜と呼ばれている。『廟記』曰く、霸城門は青綺門とも呼ばれている。

22 楚漢休征討 楚漢戦争の終結を言う。この戦争終結を以て秦が滅亡したことで、邵平が一般人になり、五色の瓜を作り、青綺門で瓜を売ることができた。この句は、瓜についての勿体、嬉しさ、などを表現するための二句で、杜甫の人間性を表した句といえるのである。

この二句は、諸説あって、評価されなかった二句であるが、この二句こそ杜甫研究をするものにとってその研究の深さ、度合いを測る重要な二句なのである。杜甫は、戦争から逃げ回ってこの菱州にたどり着いている、平和の象徴のように思えて瓜をこのように表現解釈するということが杜甫の人間性を理解するうえでも大切なことである。杜甫の詩を何度も何度も読み返したものでこそこの二句が理解できるというものである。

 

23 故侯 秦の東陵侯、邵平をいう。

24 種此 瓜を植えること。

25 草草 心労する顔つきをいう。《詩經、小雅、巷伯》「驕人好好、勞人草草。蒼天蒼天、視彼驕人、矜此勞人。」(驕人は好好たり、勞人は草草たり。彼の驕人を視よ此の勞人を矜【あわれ】め。)高ぶって悪口いって有頂天、悪口いわれてしょんぼりと。悪口いった奴をよく見張れ、悪口言われた人を不憫がれ。

 

 

 

 

詩文(含異文)     清晨蒙菜把【清晨送菜把】,常荷地主【案:即送〈瓜詩〉柏都督。】恩。守者愆實數,略有其名存。苦苣刺如針【褊苣刺如針】,馬齒【案:莧類。】葉亦繁。青青嘉蔬色,埋沒在中園【埋沒自中園】。園吏未足怪,世事固堪論【世事因堪論】。嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。小人塞道路,為態何喧喧。又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。點染不易虞,絲麻雜羅紈。一經器物【一經氣物】,永挂粗刺痕。志士采紫芝,放歌避戎軒。畦丁負籠至,感動百慮端。

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杜甫  園官送菜 并序

園官送菜把,本數日闕。

矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,傷小人妒害君子,菜不足道也,比而作詩。

(菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた)

都督の菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた。本来その送り方は二三日のあいだ中止されていたのである。その上でいま送ってきたのをみると苦苣だの、馬齒だのがよい野菜のうえにかぶせられてある。その上でいま送ってきたのをみると苦苣だの、馬齒だのがよい野菜のうえにかぶせられてある。自分は之を見て小人が君子を妬み害うことを傷み悲むのである。野菜ごときは言うに足らぬのである。それでたとへて此の詩を作った。

767-11-#1杜甫 19-05 園官送菜》#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-11-#1 <1091 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7135

 

 
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 朝廷で員外郎の官に就くため、成都の浣花草堂を去った杜甫は、三峡の町雲安で長い病の床に臥せった。ために雲安滞在は実質八、九ヶ月にも及び、ようやく雲安を出ることができたのは永泰二(七六六)年(以下便宜上大暦元年の年号を用いる)の暮春であった。成都を去ってからもう一年近くたつ。杜甫五十五歳の春も終わろうとしていた。

 ほどなく夔州に着いた杜甫は、だからといって旅先を急いでいる風にも見えない。《1501_移居夔州郭》の詩は夔州到着後の最初の作だが、杜甫はすでにこの中で、三峡でもいくらか平地の多いこの夔州にしばらく落ち着こうと述べている。

 

移居夔州郭(居を夔州郭に移さん)

伏枕雲安縣,遷居白帝城。春知催柳別,江與放船清。

農事聞人,山光見鳥情。禹功饒斷石,且就土微平。

枕に伏す 雲安縣,居を遷す 白帝城。春は知る柳を催して別れしむるを、,江は放船を與【ため】にして清し。

農事 人のくを聞く,山光 鳥情を見る。禹功 斷石饒し,且く就かん 土の微平なるに。

旅程を急げば雲安から真っ直ぐ夔州を通過して江陵に下ってもよかったはずなのに、むしろ当初から夔州にしばらく滞在するつもりだったのである。しかも、夔州入りの初めから杜甫は農事への関心を示している。今掲げた句の直前で、「農事は人の説くを聞く」とし、

19-07 課伐木》でも

城中賢府主,處貴如白屋。蕭蕭理體淨,蜂蠆不敢毒。

虎穴連里閭,隄防舊風俗。泊舟滄江岸,久客慎所觸。

城中 賢府の主,貴に處ること白屋の如し。蕭蕭 理體 淨し,蜂蠆【ほうたい】敢えて毒せず。

虎穴 里閭に連りも,隄防 舊風俗をもってす。泊舟 滄江の岸,久客 觸す所を慎む。

虎、熊羆の防御壁を作るのも竹木舞を組んで土塀を作ること、を夔州の舊風俗に随って作用をするように述べている。

夔州一年目の晩秋(初冬)、柏茂琳が夔州の長官としてやってきた。二人の関係は「城中賢府主」といっており、良好で柏茂琳は杜甫にあれこれ援助している。その援助の一つとして、杜甫が夔州の役所直属の菜園から、野菜などを提供してもらっていたことは、《1905_園官送菜(園官より菜を送らる)》や《1906_園人送瓜(園人より瓜を送らる)》の詩からわかる。

 

園人送瓜

江間雖炎瘴,瓜熟亦不早。柏公鎮夔國,滯務茲一掃。

食新先戰士,共少及溪老。傾筐蒲鴿青,滿眼顏色好。

竹竿接嵌竇,引注來鳥道。沈浮亂水玉,愛惜如芝草。

落刃嚼冰霜,開懷慰枯槁。許以秋蒂除,仍看小童抱。

東陵跡蕪楚漢休征討。園人非故侯,種此何草草。

(官園の係りの者が瓜を送ってくれたことを詠ったもの)

長江のこのあたりでは、炎瘴の気配があるほどの暑さだけれど,瓜が熟すのはまだ早いようだ。ここ夔州都督である柏公はこの地に赴任され把握されて、前任のこれまで滞っていた軍務・事務をすべて片づけられた。初物を食べるといえば、必ず兵卒を先にするし、数が少ないときには、衆とともにせられて、なおかつ、その賜物をこの老人にまで及ぼしてくれる。

こうしてみれば、傾いた籠に瓜が蒲鴿のような青色をして,自分の眼中で見て誠によい色をし、好い形をしている。そこで川沿いの岩穴に竹竿を差し込んで、鳥道の高いところから引水して瓜を冷やすようにした。水が注がれると水玉が飛び、瓜は浮いたり沈んだりしているのを見ると、靈芝や薬草を愛惜するかのような気持ちになってくる。それでもこの瓜に、刀を使って両断すると、氷か霜かを切るような感じであり、食べてみると自分のような枯れかかったものにはそのみずみずしさが胸にしみこみ開かれるようで老境をなぐさめてくれる。

園人が杜甫に対して秋になって熟して来たら蔓に帯びてなっている瓜を切りとってもってきてあげると予約することを言ってくれ、管理園の下僕に抱きかかえて持ってこさせるというので、また今回の様に瓜を見ることができる。瓜というのは、楚漢戦争によって、宋度と化していた邵平の東陵の瓜畑をその戦争の終結によって、瓜を作り、青綺門において五色の瓜を売れるようになった、いわば平和の象徴のようなものなのである。この管理園の担当係りの者は、秦の東陵侯、邵平という人ほどの人ではないはずである、にもかかわらず、この平和の象徴というべき瓜を心労、苦労、骨を折って植えてくれるというのはどうしてなのだろうか、この人も安史の乱以来長く続いた兵乱が嫌なのであろう、この園人に感謝するところである。

(園人 瓜を送る)

江間 炎瘴ありと雖も,瓜 熟する亦た早からず。柏公 夔國を鎮し,滯務茲一掃。

新を食うには戰士を先にし,少きを共にして溪老に及ぶ。傾筐 蒲鴿青く,滿眼 顏色好し。

竹竿 嵌竇に接し,引注して 鳥道より來らしむ。沈浮 水玉亂る,愛惜すること芝草の如し。

落刃 冰霜を嚼む,開懷 枯槁を慰む。許すに 秋蒂の除かるをて以す,仍お看ん 小童の抱かんことを。

東陵 跡に蕪,楚漢 征討休む。園人は故侯に非ず,此を種うる何ぞ草草たる。

 

 

杜甫詩1500-1091-1557-#1/2500

年:767年大暦256-11-#1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    園官送菜

詩序:    并序:園官送菜把,本數日闕。矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,傷小人妒害君子,菜不足道也,比而作詩。

 

園官送菜 并序

(菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた)

園官送菜把,本數日闕。

都督の菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた。本来その送り方は二三日のあいだ中止されていたのである。

矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,

その上でいま送ってきたのをみると苦苣だの、馬齒だのがよい野菜のうえにかぶせられてある。

傷小人妒害君子,

自分は之を見て小人が君子を妬み害うことを傷み悲むのである。

菜不足道也,

野菜ごときは言うに足らぬのである。

比而作詩。

それでたとへて此の詩を作った。

園官菜把を送る幷に序

園官菜把を送る,本 數日 闕かぬ。

矧んや苦苣、馬齒,嘉蔬を掩うや,

小人の君子を妒害するを傷む,

菜は道うに足らざる也,

比して詩を作る。

 

#2

清晨蒙菜把,常荷地主恩。

守者愆實數,略有其名存。

苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。

#3

青青嘉蔬色,埋沒在中園。

園吏未足怪,世事固堪論。

嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。

#4

乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。

小人塞道路,為態何喧喧。

又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。

點染不易虞,絲麻雜羅紈。

#5

一經器物永挂粗刺痕。

志士采紫芝,放歌避戎軒。

畦丁負籠至,感動百慮端。

 

denen03350 

『園官送菜 并序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

園官送菜 并序

園官送菜把,本數日闕。

矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,

傷小人妒害君子,

菜不足道也,

比而作詩。

(下し文)
園官菜把を送る幷に序

園官菜把を送る,本 數日 闕かぬ。

矧んや苦苣、馬齒,嘉蔬を掩うや,

小人の君子を妒害するを傷む,

菜は道うに足らざる也,

比して詩を作る。

(現代語訳)
園官送菜 并序(菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた)

都督の菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた。本来その送り方は二三日のあいだ中止されていたのである。

その上でいま送ってきたのをみると苦苣だの、馬齒だのがよい野菜のうえにかぶせられてある。

自分は之を見て小人が君子を妬み害うことを傷み悲むのである。

野菜ごときは言うに足らぬのである。

それでたとへて此の詩を作った。


(訳注)

園官送菜 并序

(菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた)

1.    園官 菜園を管理する吏官。

 

園官送菜把,本數日闕。

都督の菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた。本来その送り方は二三日のあいだ中止されていたのである。

2.    菜把 野菜束

3.     本来。

4.    數日闕 数日間、中止されていた。

 

矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,

その上でいま送ってきたのをみると苦苣だの、馬齒だのがよい野菜のうえにかぶせられてある。

5.    苦苣 キク科の一年草で、野菜である。和名はキクヂシャ。ニガチシャという別名もある。同じキクニガナ属の多年生野菜チコリーと同様に独特の苦みがあるが、見かけはチコリーと違い非結球レタスに似ている。又称苦菊,菊科菊苣属的植物,是一种栽培菊苣。

6.    馬齒 五行草の一つ。葉が青く、梗は赤く、花は黄色、根は白く、実は黒く、食べると少し酸味が強い。スベリヒユは、スベリヒユ科スベリヒユ属の多年生植物。 同属にはマツバボタンなどが知られる。

7.    掩乎嘉蔬 良い野菜で覆い隠す。

 

傷小人妒害君子,

自分は之を見て小人が君子を妬み害うことを傷み悲むのである。

 

菜不足道也,

野菜ごときは言うに足らぬのである。

 

比而作詩。

それでたとへて此の詩を作った。

8.     たとえることをいう。

 瞿塘峡・白帝城・魚復

 

 

 

杜甫 『園官送菜 并序』【字解】

 

1 園官 菜園を管理する吏官。

2 菜把 野菜束

3  本来。

4 數日闕 数日間、中止されていた。

5 苦苣 キク科の一年草で、野菜である。和名はキクヂシャ。ニガチシャという別名もある。同じキクニガナ属の多年生野菜チコリーと同様に独特の苦みがあるが、見かけはチコリーと違い非結球レタスに似ている。又称苦菊,菊科菊苣属的植物,是一种栽培菊苣。

6 馬齒 五行草の一つ。葉が青く、梗は赤く、花は黄色、根は白く、実は黒く、食べると少し酸味が強い。スベリヒユは、スベリヒユ科スベリヒユ属の多年生植物。 同属にはマツバボタンなどが知られる。

7 掩乎嘉蔬 良い野菜で覆い隠す。

8 比 たとえることをいう。

 

 

 

 

杜甫 園人送瓜【字解】

 

1 園人 都督の管理の農園の係の吏人。

2 柏公 柏茂琳。

3 鎮夔國 夔州の軍務の長官となることをいう。

4 滯務 事務の仕事が溜まっている。

5 食新 初物、旬のものをたべる。

6 共少 数の少ないものを衆人とともに分け、分配する。

7 溪老 渓居の老人、杜甫のこと。

 

8 傾筐 目を細かく編んだ竹かご。堅間(かたま)。勝間(かつま)。「花筐」傾とあるのは背中に背負うのにいいようにしたが凋んでいる畚であろう。

9 蒲鴿 あおはと、であるが、杜甫が此処で使ったことから、こののち青瓜をこう呼ぶようになっている。

10 接嵌竇 岩の間から染み出ている水に差しこんで水を竹竿で接続して引水する。

11 來鳥道 高いところへ続く人が歩く道ではなく、鳥が通るほどの水が作ったの道のようなもの。

12 水玉 引水が傾筐や、水だまりに落ちて飛び散るときの水の玉。

13 芝草 靈芝や薬草、杜甫は成都ではこれを集めて南市に売りに行っていたこともあって詳しい。

14 落刃 瓜を刃物できること。

15 嚼冰霜 瓜に肩の葉を入れた時の果肉の切れるときの表現。

16 慰枯槁 自分のような枯れかかったものにはそのみずみずしさが胸にしみこみ開かれるようで老境をなぐさめてくれるというほどの意。

 

17 許以 園人が杜甫に対して(瓜を持ってきてあげることを)予約することを言う。

18 秋蒂除 秋になって熟して来たら蔓に帯びてなっている瓜を切りとる。

19 仍看 瓜が熟したその時、また今回の様に瓜を見ることができる。

20 小童抱 管理園の下僕に抱きかかえて持ってこさせる。

21 東陵 東陵の五色の瓜の故事。長安城の東に出る南斗第一の門を霸城門という。民間では、門が青いことから青城門と呼んでいる。 門外には佳い瓜がなっている。廣陵の人、邵平が秦の東陵侯になったが、秦が滅亡すると 一般人になった。そこで彼は瓜の種を青城門の外に植えた。この瓜は美味である。 この瓜は五色有り、その邵平の故事に因んで東陵瓜と呼ばれている。『廟記』曰く、霸城門は青綺門とも呼ばれている。

22 楚漢休征討 楚漢戦争の終結を言う。この戦争終結を以て秦が滅亡したことで、邵平が一般人になり、五色の瓜を作り、青綺門で瓜を売ることができた。この句は、瓜についての勿体、嬉しさ、などを表現するための二句で、杜甫の人間性を表した句といえるのである。

この二句は、諸説あって、評価されなかった二句であるが、この二句こそ杜甫研究をするものにとってその研究の深さ、度合いを測る重要な二句なのである。杜甫は、戦争から逃げ回ってこの菱州にたどり着いている、平和の象徴のように思えて瓜をこのように表現解釈するということが杜甫の人間性を理解するうえでも大切なことである。杜甫の詩を何度も何度も読み返したものでこそこの二句が理解できるというものである。

 

23 故侯 秦の東陵侯、邵平をいう。

24 種此 瓜を植えること。

25 草草 心労する顔つきをいう。《詩經、小雅、巷伯》「驕人好好、勞人草草。蒼天蒼天、視彼驕人、矜此勞人。」(驕人は好好たり、勞人は草草たり。彼の驕人を視よ此の勞人を矜【あわれ】め。)高ぶって悪口いって有頂天、悪口いわれてしょんぼりと。悪口いった奴をよく見張れ、悪口言われた人を不憫がれ。

767年-10-#3杜甫 《19-15 行官張望補稻畦水歸》#3 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-10-#3 <1090> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7130

杜甫  行官張望補稻畦水歸 #3

秋菰成黑米,精鑿傳白粲。玉粒足晨炊,紅鮮任霞散。

終然添旅食,作苦期壯觀。遺穗及眾多,我倉戒滋蔓。

そこで自分がおもには、秋の菰米が黒米になったら、よく搗いた白米とそれを附け合わせるのがよい。朝飯をたくときには白玉の米粒は十分ではあるが、それに紅色の米を霞のように散らして炊くのもそれもよかろう。結局はここの旅中での食糧を増加し、増やすのであり、どうか骨折って耕作して秋の収穫の壮観をみたいと期待するのである。若し米が非常によくできたときは、自分の米倉ばかり有り余ってもしかたがないので、そのようにはならないようにすべきであり、おち穂などは多くの人人に拾わせて、わけてやりたいとかんがえているのである。

767-10-#3杜甫 19-15 行官張望補稻畦水歸》#3 杜甫詩index-15-767年大暦256-10-#3 <1090 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7130

 

 
  2015年12月27日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
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 杜甫詩1500-1090-1556-#3/2500

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    行官張望補稻畦水歸【案:行官是行田者,韓愈書有「行官自南來」。】

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              茅堂 (山南東道 夔州 夔州) 別名:東渚、東屯             

 

 

行官張望補稻畦水歸 #1

(田地掛りの張望が東屯の稲田の畦の水を補ってから、帰ってきて報告したことをよんだ詩。)

東屯大江北,百頃平若案。

東屯は大江の北にあって、百頃ばかりの地面が几案の様に平らかである。

六月青稻多,千畦碧泉亂。

六月には青い稲が多く、干すじの畦には碧い泉がみだれている。

插秧適云已,引溜加灌。

その中には、いまちょうど田植がすんだところもあり、落ち水を引いて潅漑を加えている。

更僕往方塘,決渠當斷岸。

そのために何度も下僕を貯水池と水路を往復させて、灌漑用水路を整備し、そして貯水池の土手を掘削して排水をできるようにした。

(行官の張望が稻畦の水を補うて歸る) #1

東屯 大江の北,百頃 平かなること案の若し。

六月 青稻多し,千畦 碧泉亂れる。

插秧 適たま云【ここ】に已む,引溜して 灌をう。