杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

杜少陵集 巻十六

766年-461杜甫 《16-16昔遊二首之二(昔者與高李)》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲 <1052> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6940

766-461杜甫 16-16昔遊二首之二(昔者與高李)》 杜甫詩index-15-767年大暦256 <1052 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6940 


 
  2015年11月19日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(25)李白344 巻三35-《妾薄命》(漢帝寵阿嬌,)#1 344Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(25) <李白344> Ⅰ李白詩1678 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6938  
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  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 766年-461杜甫 《16-16昔遊二首之二(昔者與高李)》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲 <1052> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6940  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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766年-169杜甫 《1619 奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡》579 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-169 <1041> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6885 

杜甫  奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡

秋日蕭韋逝,淮王報峽中。少年疑柱史,多術怪仙公。 

不但時人惜,祇應吾道窮。一哀侵疾病,相識自兒童。 

處處鄰家笛,飄飄客子蓬。強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

(漢中王から手紙をいただいた、それによると、韋侍御、蕭尊師が亡なったということである、よってこの詩を読んだのである。)秋の日に、韋侍御、蕭尊師が亡なったということを淮王というべき漢中王から峽中の自分のところに手紙で報知してくださった。長寿であったかの老子と同じ地位である柱下史である韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられないし、いろいろな長生の術を熟知している仙人である蕭尊師がなくなるというのも奇怪なことだとおもうのである。このお二人がなくなったことは、ただ、同時に世の人々が惜しむというのではなく、我々にとって、同じ目標を持っていた同志であり、その道が行き詰まってしまうということなのである。自分は今執秒に侵されていているものの、この一哀の禮を尽くさねばならないと思うのは、我々が知り合ったのは子供の頃であったということである。処処におこる隣家の笛の音にお二人のことを思い、飄々と轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことをつらく思うのである。だから、すでに白頭の翁になってしまった自分としては、せめて精いっぱい力強く、潘岳のように〈懷舊の賦〉を吟じようとするだけである。

766-169杜甫 1619 奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡》579 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-169 <1041 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6885 

 

 

 
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  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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杜甫詩1500-1041-1539/2500

年:766年大暦元年55-169

卷別: 卷二三一  文體: 五言古詩 

詩題: 奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡 

交遊人物/地點: 漢中王 李瑀  詩文提及

韋侍御     詩文提及

蕭尊師     詩文提及

 

 

奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡

(漢中王から手紙をいただいた、それによると、韋侍御、蕭尊師が亡なったということである、よってこの詩を読んだのである。)

秋日蕭韋逝,淮王報峽中。

秋の日に、韋侍御、蕭尊師が亡なったということを淮王というべき漢中王から峽中の自分のところに手紙で報知してくださった。

少年疑柱史,多術怪仙公。 

長寿であったかの老子と同じ地位である柱下史である韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられないし、いろいろな長生の術を熟知している仙人である蕭尊師がなくなるというのも奇怪なことだとおもうのである。

不但時人惜,祇應吾道窮。 

このお二人がなくなったことは、ただ、同時に世の人々が惜しむというのではなく、我々にとって、同じ目標を持っていた同志であり、その道が行き詰まってしまうということなのである。

一哀侵疾病,相識自兒童。 

自分は今執秒に侵されていているものの、この一哀の禮を尽くさねばならないと思うのは、我々が知り合ったのは子供の頃であったということである。

處處鄰家笛,飄飄客子蓬。 

処処におこる隣家の笛の音にお二人のことを思い、飄々と轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことをつらく思うのである。

強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

だから、すでに白頭の翁になってしまった自分としては、せめて精いっぱい力強く、潘岳のように〈懷舊の賦〉を吟じようとするだけである。

 

(漢中王の手札を奉ず 韋侍御、蕭尊師が亡するを報ず)

秋日 蕭、韋逝けりと,淮王 峽中に報ず。

少年柱史を疑い,多術 仙公を怪む。 

但だ時人の惜むのみならず,祇だ應に吾が道の窮するなるべし。

一哀 疾病に侵さるる,相識 兒童自りす。 

處處 鄰家の笛,飄飄 客子の蓬。 

強いて吟ず〈懷舊の賦〉,已に白頭翁と作りぬ。 


 

詩文(含異文) 秋日蕭韋逝,淮王報峽中。少年疑柱史【小年疑柱史】,多術怪仙公。不但時人惜,祇應吾道窮。一哀侵疾病,相識自兒童。處處鄰家笛,飄飄客子蓬。強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

 

 

 

『奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡

秋日蕭韋逝,淮王報峽中。

少年疑柱史,多術怪仙公。 

不但時人惜,祇應吾道窮。 

一哀侵疾病,相識自兒童。 

處處鄰家笛,飄飄客子蓬。 

強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

(下し文)
(漢中王の手札を奉ず 韋侍御、蕭尊師が亡するを報ず)

秋日 蕭、韋逝けりと,淮王 峽中に報ず。

少年柱史を疑い,多術 仙公を怪む。 

但だ時人の惜むのみならず,祇だ應に吾が道の窮するなるべし。

一哀 疾病に侵さるる,相識 兒童自りす。 

處處 鄰家の笛,飄飄 客子の蓬。 

強いて吟ず〈懷舊の賦〉,已に白頭翁と作りぬ。 

(現代語訳)
(漢中王から手紙をいただいた、それによると、韋侍御、蕭尊師が亡なったということである、よってこの詩を読んだのである。)

秋の日に、韋侍御、蕭尊師が亡なったということを淮王というべき漢中王から峽中の自分のところに手紙で報知してくださった。

長寿であったかの老子と同じ地位である柱下史である韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられないし、いろいろな長生の術を熟知している仙人である蕭尊師がなくなるというのも奇怪なことだとおもうのである。

このお二人がなくなったことは、ただ、同時に世の人々が惜しむというのではなく、我々にとって、同じ目標を持っていた同志であり、その道が行き詰まってしまうということなのである。

自分は今執秒に侵されていているものの、この一哀の禮を尽くさねばならないと思うのは、我々が知り合ったのは子供の頃であったということである。

処処におこる隣家の笛の音にお二人のことを思い、飄々と轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことをつらく思うのである。

だから、すでに白頭の翁になってしまった自分としては、せめて精いっぱい力強く、潘岳のように〈懷舊の賦〉を吟じようとするだけである。


(訳注)

奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡

(漢中王から手紙をいただいた、それによると、韋侍御、蕭尊師が亡なったということである、よってこの詩を読んだのである。)

○漢中王 名を璃といい譲皇帝(寧王)の第六子で汝陽王璡の弟である。玄宗が蜀に幸したときに従って漢中に至り、漢中王に封ぜられ銀青光禄大夫・漢中郡太守を加えられた。のち粛宗を諌めて帝の怒りにふれ蓬州の刺史に貶せられた。ここには漢中王と称しているが蓬州の刺史として何かの事によって梓州に訪れて、梓州に滞在していた杜甫とあっていた。その房琯グループである、漢中王からの手紙が来たのである。

<これまでの漢中王の詩>

作時:762 寶應元年 杜甫51

639五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之一》 蜀中転々 杜甫 <544  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2945 杜甫詩1000-544-783/1500

640 五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之二》 蜀中転々 杜甫 <545  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2950 杜甫詩1000-545-784/1500

641五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之三》 蜀中転々 杜甫 <546  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2955 杜甫詩1000-546-785/1500

643 《玩月呈漢中王》 蜀中転々 杜甫 <548  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2965 杜甫詩1000-548-787/1500

作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 

701 《章梓州水亭〔自注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。〕》蜀中転々 杜甫<608 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3350 杜甫詩1000-608-864/1500

702 《戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕 蜀中転々 杜甫 <609  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3355 杜甫詩1000-609-865/1500

703 《戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕 蜀中転々 杜甫 <610  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3360 杜甫詩1000-610-866/1500

作時:766年大暦元年55-61

766年-61杜甫 《1556奉漢中王手札》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-61 <930 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6225

766年-61杜甫 《1556奉漢中王手札 -#2》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-61 <931 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6230

766-61杜甫 1556奉漢中王手札 -#3》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-61 <932 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6235

韋侍御 房琯グループである、侍御史の韋某。

蕭尊師 房琯グループである、幼馴染であった道士蕭某。

 

秋日蕭韋逝,淮王報峽中。

秋の日に、韋侍御、蕭尊師が亡なったということを淮王というべき漢中王から峽中の自分のところに手紙で報知してくださった。

 

少年疑柱史,多術怪仙公。 

長寿であったかの老子と同じ地位である柱下史である韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられないし、いろいろな長生の術を熟知している仙人である蕭尊師がなくなるというのも奇怪なことだとおもうのである。

少年疑柱史 韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられなくて疑問であること。この時代の少年は今の青年。柱史は秦の柱下史で御史とおなじ、ここでは、老子が柱下史であったことから、その地位にいた老子は長生きを下ではないかという疑問を言うのである。

多術怪仙公 この句は、道士であった蕭尊師についていうのであり、仙人である同氏は、不老長寿の業を知っているはずで、自分より早く死ぬはずがないと思っていたのでこの詩は怪しいというのである。

 

不但時人惜,祇應吾道窮。 

このお二人がなくなったことは、ただ、同時に世の人々が惜しむというのではなく、我々にとって、同じ目標を持っていた同志であり、その道が行き詰まってしまうということなのである。

時人惜 同時に世の人々が惜しむというのではなく(自分にとって特別に惜しむ人であった、それが下句の理由である。)

吾道窮 幼馴染であり、同時に房琯のサロンで、房琯グループとして、朝廷の刷新を図ろうとしていた同志であった。

 

一哀侵疾病,相識自兒童。 

自分は今執秒に侵されていているものの、この一哀の禮を尽くさねばならないと思うのは、我々が知り合ったのは子供の頃であったということである。

一哀 哀悼の意を表すこと。

 

處處鄰家笛,飄飄客子蓬。 

処処におこる隣家の笛の音にお二人のことを思い、飄々と轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことをつらく思うのである。

鄰家笛 晉の向秀、竹林の七賢の一人。字は子期。三国時代の魏および西晋の文人。河内郡懐県の人。『晋書』に伝があるほか、『世説新語』「言語篇」注と『太平御覧』巻四〇九に『向秀別伝』なる伝記の逸文が残る。ここは、向秀の文学作品に『思旧賦』があって、その中に、ある寒い日の夕暮れに昔の住まいを通り過ぎた際、どこからともなく笛の音が聞こえてきたため、嵆康・呂安と過ごした旧事を思い出し、感傷に堪えず作ったということを念頭においている。

客子蓬 轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことで、次の句の〈懷舊賦〉につながってゆく。

 

強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

だから、すでに白頭の翁になってしまった自分としては、せめて精いっぱい力強く、潘岳のように〈懷舊の賦〉を吟じようとするだけである。

懷舊賦 死を悼む哀傷の詩文を得意とした晉の潘岳は、愛妻の死を嘆く名作「悼亡」詩をかき、以降の詩人に大きな影響を与えた。ただ、潘岳の作る文章は修辞を凝らした繊細かつ美しいものであった。潘 岳(はん がく、247 - 300年)は、西晋時代の文人。字は安仁。中牟(河南省)の人。

766年-168杜甫 《1621存歿口號,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-168 <1040> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6880

杜甫  存歿口號,二首之二

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

鄭公粉繪隨長夜,曹霸丹青已白頭。

【自注:高士滎陽鄭虔善畫山水,曹霸善畫馬。】。

天下何曾有山水,人間不解重驊騮。

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:曹霸、鄭虔)この詩篇毎に、まず死没した人、次に生きている一人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。鄭公は玄宗から「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞されたが、既に没して長い夜を過ごしておられる。曹霸はよい絵を描くには「丹青不知老將至」と没頭してかくものだと言っていて白頭になってしまっている。【自註:人格高潔な人であり、滎陽の生まれの鄭虔は、よく山水の書画を書く。曹霸はよく馬の絵を描いている】鄭公が死没されてから、真の山水を天下に描ける人が、かつてのようにいるだろうか、曹霸は今も生きているが、世の人というもの、彼の描いた駿馬の素晴らしさを重んじ、本当の理解をすることができないのである。

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杜甫詩1500-1039-1537/2500

年:766年大暦元年55-167

卷別:    卷二三一              文體:    七言

詩題:    存歿口號,二首之一【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

交遊人物/地點:鄭虔          詩文提及

 

 

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)之一

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】

(存歿口號,二首の一)

【案:每篇 一存一歿なり。是の時 席謙、曹霸は存り、畢曜、鄭虔は歿す。】

席謙 見ず 近ごろ 棋を彈ずる,畢曜 仍ほ傳う 舊小詩。

玉局 他年 無限に笑う,白楊 今日 幾人か悲しむ。

杜甫詩1500-1040-1538/2500

年:766年大暦元年55-168

卷別:    卷二三一              文體:    七言

詩題:    存歿口號,二首之二【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

交遊人物/地點:鄭虔          詩文提及

 

 

1621存歿口號,二首之二

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:曹霸、鄭虔)

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

この詩篇毎に、まず死没した人、次に生きている一人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

鄭公粉繪隨長夜,曹霸丹青已白頭。

鄭公は玄宗から「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞されたが、既に没して長い夜を過ごしておられる。曹霸はよい絵を描くには「丹青不知老將至」と没頭してかくものだと言っていて白頭になってしまっている。

【案:自注:高士滎陽鄭虔善畫山水,曹霸善畫馬。】。

【自註:人格高潔な人であり、滎陽の生まれの鄭虔は、よく山水の書画を書く。曹霸はよく馬の絵を描いている】

天下何曾有山水,人間不解重驊騮。

鄭公が死没されてから、真の山水を天下に描ける人が、かつてのようにいるだろうか、曹霸は今も生きているが、世の人というもの、彼の描いた駿馬の素晴らしさを重んじ、本当の理解をすることができないのである。

 

 

(存歿口號,二首の二)

【案:每篇 一存一歿なり。是の時 席謙、曹霸は存り、畢曜、鄭虔は歿す。】

鄭公は粉繪し 長夜に隨う,曹霸は丹青にして 已に白頭なり。

【自注:高士 滎陽の鄭虔は善く山水を畫く,曹霸は善く馬を畫く。】。

天下 何ぞ曾て山水有らむ,人間 解せず驊騮を重んずるを。

 

 

1621『存歿口號,二首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

存歿口號,二首之二

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

鄭公粉繪隨長夜,曹霸丹青已白頭。

【自注:高士滎陽鄭虔善畫山水,曹霸善畫馬。】。

天下何曾有山水,人間不解重驊騮。


(下し文)
(存歿口號,二首の二)

【案:每篇 一存一歿なり。是の時 席謙、曹霸は存り、畢曜、鄭虔は歿す。】

鄭公は粉繪し 長夜に隨う,曹霸は丹青にして 已に白頭なり。

【自注:高士 滎陽の鄭虔は善く山水を畫く,曹霸は善く馬を畫く。】。

天下 何ぞ曾て山水有らむ,人間 解せず驊騮を重んずるを。


(現代語訳)
(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:曹霸、鄭虔)

この詩篇毎に、まず死没した人、次に生きている一人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

鄭公は玄宗から「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞されたが、既に没して長い夜を過ごしておられる。曹霸はよい絵を描くには「丹青不知老將至」と没頭してかくものだと言っていて白頭になってしまっている。

【自註:人格高潔な人であり、滎陽の生まれの鄭虔は、よく山水の書画を書く。曹霸はよく馬の絵を描いている】

鄭公が死没されてから、真の山水を天下に描ける人が、かつてのようにいるだろうか、曹霸は今も生きているが、世の人というもの、彼の描いた駿馬の素晴らしさを重んじ、本当の理解をすることができないのである。


(訳注)

存歿口號,二首之二

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:曹霸、鄭虔)

 

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

この詩篇毎に、まず死没した人、次に生きている一人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

 

鄭公粉繪隨長夜,曹霸丹青已白頭。

鄭公は玄宗から「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞されたが、既に没して長い夜を過ごしておられる。曹霸はよい絵を描くには「丹青不知老將至」と没頭してかくものだと言っていて白頭になってしまっている。

鄭公 国子監博士で玄宗から「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞された人物で滎陽の人

粉繪 ごふん、絵具と書をいう。

隨長夜 死んでしまって黄泉の世界に長夜している。

曹霸 唐の左武衛将軍曹覇をいう、覇は魏の曹髦の子孫〔曹操の曾孫・高貴郷公と呼ばれ、後に司馬昭に殺されたが、文学を好み、ことに絵画に巧みであった。〕である。特に馬をよく書く。曹霸(704770郡人,唐沛国(今亳州市)人,魏武王曹操后代、曹魏高贵乡公曹髦后人,官左武。唐玄宗期画家,能文善画,人甚至以其祖先“三曹”比之,有“文如植武如操字画抵丕流” 之美誉。

丹青已白頭 《巻十三69 丹青引、贈曹将軍覇》「丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。

○不知老將至、富貴於我如浮雲 これもまた「論語、述而」に本づく、以上は曹覇の家世と書画の能事とを叙する。《論語注疏述而》子曰:「女奚不曰,其為人也,發憤忘食,樂以忘憂,不知老之將至云爾。」・・・「不義而富且貴,於我如浮雲。」に基づいている。

 

【案:自注:高士滎陽鄭虔善畫山水,曹霸善畫馬。】。

【自註:人格高潔な人であり、滎陽の生まれの鄭虔は、よく山水の書画を書く。曹霸はよく馬の絵を描いている】

高士の用語解説 - 1 志が高くりっぱな人格を備えた人物。人格高潔な人。「高士世に容()れられず」2 世俗を離れて生活している高潔な人物。隠君子。

 

天下何曾有山水,人間不解重驊騮。

鄭公が死没されてから、真の山水を天下に描ける人が、かつてのようにいるだろうか、曹霸は今も生きているが、世の人というもの、彼の描いた駿馬の素晴らしさを重んじ、本当の理解をすることができないのである。

有山水 曾ては山水画の三筆は,王維、畢宏()、鄭虔とされていて、そろっていた(が、いまは三人とも死没して、あれほどの滻水を描ける者はいないということ。)

不解 本当の理解をすることができない

驊騮 周の穆(ぼく)王が天下巡幸に用いた,一日千里を走るという駿馬の名。転じて,駿馬、名馬。

 

○鄭 虔(生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭州の滎陽の出身。地理や地形、地方の物産、各地の兵の数について詳しかった。高官であった蘇挺と年齢を越えた交わりを結び、その推薦を受けた。天宝元年 742年、協律郎に就任し、80以上の著書を書き上げたが、その著書に国史を私撰した部分があるという上書が出されたことで、10年間地方に流された。長安に戻ってからも、玄宗からその才能を愛され、広文館の博士に任命され、国子司業の蘇源明と交流があった。山水画、書道、詩作に長じ、玄宗にそれを献上し、「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞され、著作郎に移った。

天宝14載(755年)、安史の乱が勃発すると、燕の軍に捕らえられて洛陽に移され、安禄山側の水部郎中に任命された。密かに粛宗の唐側に通じたが、至徳2載(757年)、安慶緒の洛陽逃亡の際に、張通と王維とともに、燕に降伏した罪で宣陽里に閉じこめられた。3人とも画に長じていたため、崔圓によって、壁画を描かせられ、死罪を免れ、台州の司戸参軍事に落とされた。その数年後に死去している。

官職に就いた時でも貧困のままで、紙に不足することもあった。そのため、杜甫の詩に、「才名四十年、坐客寒にして氈(敷物)無し」と詠まれている。杜甫、李白ともに詩酒の友であったと伝えられる。

その画について、王維、畢宏とともに三絶と呼ばれた。晩唐の朱景玄も『唐朝名画録』において、第七位「能品上」に評価している。

 

 

○畢宏

木と石の画に長けており、松石図を門下省の壁に描き、杜甫など多くの詩人に詩で称えられた。当代において、その画の名声は高く、樹木の画法に変革を行ったと伝えられる。

大歴2年(767年)、給事中となり、その後、京兆少尹に移り、太子左庶子となった。

その画は、「唐朝名画録」において、第七位「能品上」に評価されている。

 

○曹霸

《巻十三69 丹青引、贈曹将軍覇》

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

#2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

#4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

#5

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

 

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

○丹青引 丹青は画をいうが基本の色である丹の赤と青とでかかれたことからくる、引は歌の一種である。

○曹将軍覇 唐の左武衛将軍曹覇をいう、覇は魏の曹髦の子孫〔曹操の曾孫・高貴郷公と呼ばれ、後に司馬昭に殺されたが、文学を好み、ことに絵画に巧みであった。〕である、髦は画を以て魏の代に称せられた、覇は玄宗の開元中にすでに有名になり、天宝の末には詔によって御馬及び功臣の像を写した。官は左武衛将軍に至った。

この一代の名人も、安史の乱後は、おちぶれて蜀の地に流れて来ていた。作者はこの人の不遇に同情し、あわせて自身の感慨を托したのである。

 

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

○将軍 曹覇をさす。左武衛将軍曹覇(そうは)は、三国志に登場する曹操の曾孫で、文学を好みことに絵画に才能を発揮した。唐の時代、度々宮中に呼ばれ、建国の功臣たちの肖像画が歳月と共に色あせてきたのでその修復を命じられた。曹覇がひとたび筆を下ろすと、たちまち生き生きとした相貌をあらわした。勇将たちは毛髪も動き出すかと思われ、その颯爽とした英姿は、たった今、戦場から出てきたかのように思われた。また名馬を描いては真の名馬が再現され、古来描かれてきた平凡な馬を完全に一洗した。それはその絵に魂がこもっているからだ。また立派な人物に出逢ったら、きっとその真の姿を写しだすだろう。(落詩選杜甫、目加田誠訳)“必逢佳士亦写真”これが文献に出て来た最初の「写真」で、今から1250年前なのだ。

○魏武 魏の武帝曹操をいう、操の後商が髦となり、髦の後商が覇となったのである。

○於今為庶 「左伝」(昭公三十二年)に、晋の史墨が璃簡子に答えたことばに、「三后の姓、今に於て庶たるは、主の知る所なり」とみえる。三后は虞・夏・商の君である、昔三王の姓であったものも其の子孫となれば耗簡子の時代には庶人となったというのである、庶人は普通の人民をいう。玄宗の末年に覇が罪を得て籍を削られ庶人とされたことを引いているが、それまでを引くのはどうであろうか。作者の意は曹覇は昔ならば国姓の家すじにあたるはずの人であるが、唐の今では同姓は「李」であるので、ただの人民であるというにとどまるであろう。

○清門 上品の家がら。

 

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

○英雄割拠 魏の曹操は蜀の劉備、呉の孫権と天下を三分して相い争ったことをさしていう。

○文彩風流  曹操は武人でありながら、詩賦をよくし、風流の心がけがあった。その子曹丕・曹値もみな一流の詩人であった。

 

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

○学書 書は文字の書法。

○衛夫人 晋の衛鑠、字は茂猗、廷尉展の妹で恒のめいにあたり、汝陰の太守李矩に嫁した、隷書にはなはだすぐれ魂の鍾繇を手本とした、王右軍は若いとき嘗て彼女を師としたことがある、永和五年(西紀349年)に卒した。

○王右軍 晋の右軍将軍・会稽内史王義之をいう。義之、字は逸少、家より起こって秘書郎となり、のち右軍将軍に至った。古今の書聖として知られる。義之の父は王曠といい王導の従弟である、曠は衛氏と親戚の関係によって衛鑠より蔡邕の書法を得て、これを子の義之に授けた。

 

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

○不知老將至、富貴於我如浮雲 これもまた「論語、述而」に本づく、以上は曹覇の家世と書画の能事とを叙する。

《論語注疏述而》子曰:「女奚不曰,其為人也,發憤忘食,樂以忘憂,不知老之將至云爾。」

《論語注疏述而》「不義而富且貴,於我如浮雲。」
746廣徳2764年―3-1 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <652  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3590 杜甫詩1000-652-912/1500 7461 

766年-167杜甫 《1620存歿口號,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-167 <1039> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6875 

杜甫  存歿口號,二首之一

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)之一

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】

766-167杜甫 1620存歿口號,二首之一【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-167 <1039 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6875 

 

 
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杜甫詩1500-1039-1537/2500

年:766年大暦元年55-167

卷別:    卷二三一              文體:    七言

詩題:    存歿口號,二首之一【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

交遊人物/地點:鄭虔          詩文提及

 

 

存歿口號,二首之一

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)之一

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】

(存歿口號,二首の一)

【案:每篇 一存一歿なり。是の時 席謙、曹霸は存り、畢曜、鄭虔は歿す。】

席謙 見ず 近ごろ 棋を彈ずる,畢曜 仍ほ傳う 舊小詩。

玉局 他年 無限に笑う,白楊 今日 幾人か悲しむ。

 

『存歿口號,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

存歿口號,二首之一【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。
詩文(含異文)     席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。玉局他年無限笑【玉局他年無限事】,白楊今日幾人悲【案:自注:道士席謙善彈棋,畢曜善為小詩。】。


(下し文)
存歿口號,二首之一

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

席謙 見ず 近ごろ 棋を彈ずる,畢曜 仍ほ傳う 舊小詩。

玉局 他年 無限に笑う,白楊 今日 幾人か悲しむ。

(現代語訳)
(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)之一

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。

往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】


(訳注)

存歿口號,二首之一

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙 生卒年待考,乃是一個道士,人,善彈棋。

<道士席謙>

《卷一二49  章梓州水亭》

    原注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。

    城晚通雲霧,亭深到芰荷。吏人橋外少,秋水席邊多。近屬淮王至,高門薊子過。

 

曹霸 曹霸(704770郡人,唐沛国(今亳州市)人,魏武王曹操后代、曹魏高贵乡公曹髦后人,官左武唐玄宗期画家,能文善画,人甚至以其祖先“三曹”比之,有“文如植武如操字画抵丕流” 之美誉。

《巻13-69丹青引贈曹霸將軍》

746廣徳2年764年―3-1 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <652  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3590 杜甫詩1000-652-912/1500 746-1

746廣徳2年764年―3-2 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <653  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3595 杜甫詩1000-653-913/1500746-2

746廣徳2年764年―3-3 丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <654  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3600 杜甫詩1000-654-914/1500746-3

746廣徳2年764年―3-4 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <655  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3605 杜甫詩1000-655-915/1500746-4

746廣徳2年764年―3-5 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <656  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3610 杜甫詩1000-656-916/1500746-5

 

畢曜 詩人。杜甫が長安で士官活動をしているとき、近所に住んでいた。二人とも、貧乏生活の中でわずかな金を出し合い酒を酌み交わしている。

<畢四曜>

《卷六20  偪側行贈畢四曜》

《卷六21 贈畢四曜》

《巻八19 秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻》

 

鄭虔 鄭虔も、安史軍に捕らえられ、脅迫されて偽政府の水部郎中に任じられていたが、このころひそかに長安に逃げ帰った。そうして杜甫と再会し、互いにその無事を喜びあい、久しぶりに杯を交わしている。鄭虔との再会を喜びながら、杜甫の心の中には長安脱出の決心が固まりつつあった。そうして四月に入ってのある日、長安西城の金光門から鳳翔に向かって脱出した。一説によれは、脱出の前に、朱雀街の南の懐遠坊にある大雲経寺に僧の賛公を訪れて決意を打ち明け、そこに数日間滞在して安史軍の目をくらました

 

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廣徳2年764-88 《奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<789-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4635 杜甫詩1500-789-#2-1098/2500廣徳2年764-88

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766年大暦元年55-46-#1奉節-37-#1 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1 杜甫index-15 杜甫<909-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5795

766年大暦元年55-46-#2奉節-37-#2 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -2 杜甫index-15 杜甫<909-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5800

766年大暦元年55-46-#3奉節-37-#3 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -3 杜甫index-15 杜甫<909-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5805

766年大暦元年55-46-#4奉節-37-#4 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -4 杜甫index-15 杜甫<909-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5810

766年大暦元年55-46-#5奉節-37-#5 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -5 杜甫index-15 杜甫<909-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5815

766年大暦元年55-46-#6奉節-37-#6 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -6 杜甫index-15 <909-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5820

766年大暦元年55-46-#7奉節-37-#7 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -7 杜甫index-15 杜甫<909-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5825

766年大暦元年55-46-#8奉節-37-#8 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -8 杜甫index-15 杜甫<909-#8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5830

 

 

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。

彈棋 駒をはじいて陣地を競う遊戯。四角い中高の盤の両方に6個または8個の白黒の石を並べ、対座した二人が交互にその石をはじいて、相手の石に当たれば取り、当たらなければ取られる。指石。いしはじき。古代的一種棋戲。二人對局,白黑棋各若干枚,先放一棋子在棋盤的一角,用指彈擊對方的棋子,先被擊中取盡的就算輸。

仍傳 死後の今なお世に伝えている。

舊小詩 生前に作った詩篇。絶句、律詩、など樂府古詩の場合も四句、六句というたんぺんであった。

 

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

玉局 玉の棋盤にたいすること。

他年 往年。

無限笑 無限について、心おきなく笑い転げたというように笑いに対しての場合と、仕事にも影響が出るほど棋盤遊戯をしたというように理解もできる。肅宗測位間もないころのある時期、房琯グループはサロンに集まって論議ばかりしていた時期がある。そのことが賄賂事件の引き金になった。ここではそのことを示唆するものと解釈できる。

白楊 墓陵の周り主に西側に植えるものである、葉の裏側が白い柳である。

幾人悲 幾人が悲しんでくれるだろうか、だれもいないだろう、私だけであるということ。

 

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】

766年-141#10杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#10 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-141 <1004> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6700

杜甫  夔府書懷四十韻 #10

賞月延秋桂,傾陽逐露葵。大庭終反樸,京觀且僵尸。

高枕虛眠晝,哀歌欲和誰。南宮載勳業,凡百慎交綏。

そして、今は秋の桂花の咲くところに月を迎へて賞したり、露を帯びたヒマワリのあとを追ってじぶんの心も、太陽に向かって傾けるという生活を送っているのである。(忠君の心は忘れたことはない。)今は、各地で謀叛あり、異民族の侵略ありで、戦はたえず死んだ遺骸に土を盛りあげて記念塚など建てて嬉しがっているのかとおもえるようであるが、結局は「大庭氏の治世」のごとく質樸な施政にもどってもらいたいとおもっているのだ。だから、自分は高枕をしていつもむなしく昼寝をしていて、それでこのような哀歌を歌っているが、こんな自分を誰が和してくれるのだろうか。百官在位の諸君、勲業を建てることである、そうすれば、諸君の像は前漢明帝の「南宮雲台の図画に載せられた二十八将」のようにされるのである。だから、百官在位の諸君、「慎みて交綏爲す勿れ」であり、国害を除くためさらに進んで戦ってもらわなければならないのである。

766-141#10杜甫 1614夔府書懷四十韻》#10 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-141 <1004 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6700

 

 
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766年-140#9杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#9 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-140 <1003> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6695

杜甫  夔府書懷四十韻 9  

釣瀨疏墳籍,耕巖進弈棋。地蒸餘破扇,冬煖更纖絺。

豺遘哀登楚,麟傷泣象尼。衣冠迷適越,藻繪憶遊睢。

自分は隠遁しているものの、川瀬に釣を垂れて書物を読むことにはうとくなってきたが、巌のもとに耕して時としては碁盤をもちだしてたのしむ。

土地がむしあつくてまだ破れ団扇がころがっており、冬も暖いのでさらにかたびらを着るありさまだ。

身は王粲のごとく豺虎に遭遇して、楚の道に登るほどの哀れさであり、吾が道、窮して孔子が麒麟を見て心を傷ましめたようなありさまである。

衣冠を着けてはどうして野蛮国に適けるものかと迷い、そこへゆけば藻繢錦綺を織るがよくできるといわれている睢水に遊んだ昔のことをおもいだす。

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766年-139#8杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#8 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-139 <1002> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6690

杜甫 夔府書懷四十韻#8

即事須嘗膽,蒼生可察眉。議堂猶集鳳,正觀是元龜。

處處喧飛檄,家家急競錐。蕭車安不定,蜀使下何之。
一朝、叛臣が起こったときそれを擒にしようとしても、漢の高祖が韓信を擒にしたような先例には追い付くことがむつかしい、当局たるものは眼前のでき事に即して嘗胆の念を失ってはならぬ、人民のこころもちは眉根をみただけで察知してやる様にせねはならぬということである。今、朝延の政事堂には、鳳凰のような賢臣が集っておられる、だから、貞観の治世を、よきお手本として施政をしなければならないのである。天下処処に、急を告ぐる飛檄をとばされて、やかましいことこの上ないが、そうした中で、下々のものは、どの家家もわずかな利益を争うことに急である。檄をどんなに飛ばしても、前漢の蕭育の車が民心を安定せんとでかけるが、民心は安定しなかったという故事があったではないか、また、いくら司馬相如の如き蜀使を発しても行くべきところが無数にあるのに、彼能見は一つ、そもそもどこからさきにゆこうとするのであるか。

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766年-138#7杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#7 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-138 <1001> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6685

杜甫  夔府書懷四十韻7

使者分王命,群公各典司。恐乖均賦斂,不似問瘡痍。

萬里煩供給,孤城最怨思。綠林寧小患,雲夢欲難追。

このごろ中央から使者がでて天子のご命令を分たれている、節度使、及び藩鎭、地方長官にいたる役人もその命によるそれぞれの職司をしておられる。それがじぶんのみる所ではその仕方は恐らくは賦斂を公平にするということそむいたものではあるまいか、また民をいたわってその疾苦を問うてやるといふ態度にも似ていないのである。すなわち、萬里の遠地に於で種種煩瑣な供給をさせられるのであって、ここ夔州の孤城では人民が最も怨みの念をもっている。緑林の小盗がはびこっているのも決して小さな恩とはいえない、楚の昭王が雲夢へでかけたとき盗賊に攻められたようなことできてからは追いつかないことである。

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韓愈91-#5《 巻二12 縣齋有懷》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1540> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6684  
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766年-137#6杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#6 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-137 <1000> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6680

杜甫  夔府書懷四十韻6   

不必陪玄圃,超然待具茨。凶兵鑄農器,講殿闢書幃。

廟算高難測,天憂實在茲。形容真潦倒,答效莫支持。

では、この天下を治めるにはどうすればよいかということで、吾が君にはわざわざ周の穆王をまなんで崑崙の玄圃へ西王母の宴に陪するためお出ましにならずともよろしいのであって、超然として、黃帝をまなんで具茨の山に大道を聞くことを待望あそばされるがよろしいと思うのである。それから《荘子》のいう凶器である兵具は溶かして農具を鋳造し鏡、御講書の御殿には帷をひらいて儒臣をおいれになるがよろしいのである。自分はそれがよいと思うけれど、廟堂のはかりだとは肅宗からの宦官や、諸侯(賀蘭進明・第五琦)らがどういふものかあまりに高いところに在るので臆測することすら難しいし、このままでは、天が墜ち、国家危難に陥りはすまいかとのしんはいは実にここに在るのである。そうはいっても、自分のこととなると形容はほんとうに元気がなくなってしまい、いくら君国に報效の念があってもだれもじぶんを支持してくれるものが無いということになっている。

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 杜甫詩1500-1000-1502-#6/2500

年:766年大暦元年55-137 

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    夔府書懷四十韻

作地點:              目前尚無資料

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)  

灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)         

恒山 (河北道南部 定州 恒山(恆山)) 別名:恆山    

(都畿道 河南府 ) 別名:具茨山           

綠林山 (山南東道 荊州 當陽)         

青草湖 (江南西道 岳州 巴陵) 別名:巴丘湖、雲夢大澤           

             

 

夔府書懷四十韻 #1

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1

昔罷河西尉,初興薊北師。

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

不才名位晚,敢恨省郎遲。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

扈聖崆峒日,端居灩澦時。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。

夔府書懷四十韻#1

昔 河西の尉を罷,初めて薊北の師 興る。

不才名位 晚し,敢て恨まむや 省郎の遲きを。

聖を扈す 崆峒の日,端居す 灩澦の時。

萍流 仍お汲引せらる,樗散 尚お恩慈せらる。

#2

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。

それ以来は朝廷において疎まれて、宿直を申しあげることもかなわなくなったが、《詩經、小雅 湛露篇》にいう、天子が諸侯を宴するということで、御宴に倍したことをいつも胸に思っている。

翠華森遠矣,白首颯淒其。

あの翠華の影は遠くになってしまったし、この白髪頭にはただつらい風がつめたくふきつける。

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。

儒者の世渡り下手であるため、今このように林泉に留滞させられているのである。じぶんといふ者は生れてからこのかた、酒と賦とのためになぶりものにされているような気がしている。

文園終寂寞,漢閣自磷緇。

じぶんの今は司馬相加が文園の令となって病臥していたように寂寞であり、揚雄が漢の天祿閣で書を校したようにすべきであるが、もはや才力が消耗し、鋭気は衰えて、身、塵土に汚されてしまっているのである。#2

遂に雲臺の宿を阻つ,常に懷う〈湛露詩〉を。

翠華 森として遠し,白首 颯として淒其なり。

拙にして 林泉に滯っせしめらる,生れて逢う〈酒賦〉の欺るに。

文園 終に寂寞たり,漢閣 自ら磷緇【りんし】。

#3

病隔君臣議,慚紆德澤私。

病気の身で御政治向きの議論とかけはなれているが、自分のごときものにまでご恩沢をおし及ぼしてくださっていることで喜んでいるだけということは、恥ずかしいことである。

揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

自分は、わが気味が、衣的に辱められ賜うと聞いては、驚いて轡を上げて馬を飛ばそうと思い、年の衰えかかるのをのぞくためには剣を抜いて勇気をはげましている。

社稷經綸地,風雲際會期。

その所は、天下の経綸を施すべき地であり、時は豪傑風雲に際会し、肅宗の宰相十六人としたる時であった。

血流紛在眼,涕灑亂交頤。

ところが、それからも、どこをみてもなまなましい血が流れている、これをみては涕がそそがれておのずと“おとがい”にみだれかかるのである。

病みて隔たる君臣の議,慚づらくは德澤の私を紆らさるるを。

揚鑣 主辱に驚き,拔劍 年衰を撥く。

社稷 經綸の地,風雲 際會の期。

血流るるは 紛として眼に在り,涕灑ぐは 亂れて頤に交わる。

#4

四瀆樓船汎,中原鼓角悲。

汚濁を海に流す四大川があるが、そこには今もおおきな盗賊のような樓船がうかんでいるし、中原には鼓角の音が悲しそうに響いている。

賊壕連白翟,戰瓦落丹

反乱者や、異民族の侵略者、盗賊どもの設けた塹壕は白の方まで連り、戦に焚かれた屋根瓦は御殿の丹塗の土塀にまで落ちているという。

先帝嚴靈寢,宗臣切受遺。

これが近頃の戦乱の状況である。先帝である粛宗の御陵殿はいかめしく立っているし その先帝から一代の宗臣、郭子儀が直に国事について御遺託を受けたのだ。

恆山猶突騎,遼海競張旗。
これからは、かくしぎが、恒山にはまだ安史軍の残党の騎馬軍を、衝突して粉砕せねばならないし、遼東の海以北にも安史軍の藩鎭、異民族軍が旗を立てていて、勢いを残しているのを奪い返してもらうのである。

#4

四瀆 樓船汎び,中原 鼓角悲し。

賊壕 白翟に連なり,戰瓦 丹墀に

先帝 靈寢に嚴なり,宗臣 切に遺を受く。

恆山 猶お突騎,遼海 競うて旗を張る。

 

5

田父嗟膠漆,行人避蒺藜。

田野の老人でさえも弓など武器を造るために膠漆を採らねばならないことを嘆き、道ゆく人にあっては、銭條網を避けて通らねばならない。

總戎存大體,降將飾卑詞。

総大将であった僕固懐恩にたいして、朝廷は体裁上、細かなことはみぬふりをしているが、敵軍の大将が降参したといっても、表面的なもので、謙遜らしい詞をかざっていっているに過ぎないのである、というのも、奴らは、本心から降参するつもりではないからである。

楚貢何年堯封舊俗疑。

叛乱の意をはかるに「楚からの貢はいつの年から絶えた」という故事がある。だから、堯の舊領地だなどいうてもその舊俗があるのかないのか疑うべきものだ。

長吁翻北寇,一望卷西夷。

北寇の回紇の翻覆は、日常化していることにはため息をつくばかりである。見渡すかぎり西方の夷、吐蕃が席巻してきているではないか。

田父 膠漆を嗟く,行人 蒺藜を避く。

總戎 大體を存し,降將 卑詞を飾る。

楚貢 何の年かえたる堯封 舊俗 疑わし。

長吁す 北寇に翻えるに,一望 西夷を卷く。

 

6

不必陪玄圃,超然待具茨。

では、この天下を治めるにはどうすればよいかということで、吾が君にはわざわざ周の穆王をまなんで崑崙の玄圃へ西王母の宴に陪するためお出ましにならずともよろしいのであって、超然として、黃帝をまなんで具茨の山に大道を聞くことを待望あそばされるがよろしいと思うのである。

凶兵鑄農器,講殿闢書幃。

それから《荘子》のいう凶器である兵具は溶かして農具を鋳造し鏡、御講書の御殿には帷をひらいて儒臣をおいれになるがよろしいのである。

廟算高難測,天憂實在茲。

自分はそれがよいと思うけれど、廟堂のはかりだとは肅宗からの宦官や、諸侯(賀蘭進明・第五琦)らがどういふものかあまりに高いところに在るので臆測することすら難しいし、このままでは、天が墜ち、国家危難に陥りはすまいかとのしんはいは実にここに在るのである。

形容真潦倒,答效莫支持。

そうはいっても、自分のこととなると形容はほんとうに元気がなくなってしまい、いくら君国に報效の念があってもだれもじぶんを支持してくれるものが無いということになっている。

6

必ずしも玄圃に陪せず,超然 具茨を待たん。

凶兵 農器を鑄じ,講殿 書幃を闢かん。

廟算 高くして測り難し,天憂 實に茲に在り。

形容 真に潦倒,答效 支持するもの莫し。

7

使者分王命,群公各典司。

恐乖均賦斂,不似問瘡痍。

萬里煩供給,孤城最怨思。

綠林寧小患,雲夢欲難追。
7

使者 王命を分つ,群公 各の典司。

恐らくは乖かん 賦斂を均しくするに,似ず 瘡痍を問うに。

萬里 供給煩らわし,孤城 最も怨思す。

綠林 寧ぞ小患ならんや,雲夢 追い難からんと欲す。

 

 

『夔府書懷四十韻』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
6

不必陪玄圃,超然待具茨。

凶兵鑄農器,講殿闢書幃。

廟算高難測,天憂實在茲。

形容真潦倒,答效莫支持。


(下し文) 6

必ずしも玄圃に陪せず,超然 具茨を待たん。

凶兵 農器を鑄じ,講殿 書幃を闢かん。

廟算 高くして測り難し,天憂 實に茲に在り。

形容 真に潦倒,答效 支持するもの莫し。

 

(現代語訳)
6

では、この天下を治めるにはどうすればよいかということで、吾が君にはわざわざ周の穆王をまなんで崑崙の玄圃へ西王母の宴に陪するためお出ましにならずともよろしいのであって、超然として、黃帝をまなんで具茨の山に大道を聞くことを待望あそばされるがよろしいと思うのである。

それから《荘子》のいう凶器である兵具は溶かして農具を鋳造し鏡、御講書の御殿には帷をひらいて儒臣をおいれになるがよろしいのである。

自分はそれがよいと思うけれど、廟堂のはかりだとは肅宗からの宦官や、諸侯(賀蘭進明・第五琦)らがどういふものかあまりに高いところに在るので臆測することすら難しいし、このままでは、天が墜ち、国家危難に陥りはすまいかとのしんはいは実にここに在るのである。

そうはいっても、自分のこととなると形容はほんとうに元気がなくなってしまい、いくら君国に報效の念があってもだれもじぶんを支持してくれるものが無いということになっている。


(訳注) 6

夔府書懷四十韻

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)大暦元年秋の作。

 

不必陪玄圃,超然待具茨。

では、この天下を治めるにはどうすればよいかということで、吾が君にはわざわざ周の穆王をまなんで崑崙の玄圃へ西王母の宴に陪するためお出ましにならずともよろしいのであって、超然として、黃帝をまなんで具茨の山に大道を聞くことを待望あそばされるがよろしいと思うのである。

56陪玄圃 陪は天子が開く宴、玄圃は崑崙山の圃、周の穆王、西王母に会し宴することを用いたもの。別に、代宗の陜州への出奔を取り繕ってこのような表現にしたともいえる、 

57超然 (世俗的な)物事にこだわらず、そこから抜け出ているさま。世俗をはなれるすがた。

58待具茨 待は天子が、至道を開かんすることを待望するという意。具茨は山の名、《荘子、徐無鬼篇」にいう、「黃帝將に大隗を具茨の山に見んとす、襄城の野に至りて七聖皆迷ふ、牧馬の童子に遇ひて塗を問ふ」と。具茨は許州陽翟縣にありと。

陪玄圃,超然待具茨 

 

凶兵鑄農器,講殿闢書幃。

それから《荘子》のいう凶器である兵具は溶かして農具を鋳造し鏡、御講書の御殿には帷をひらいて儒臣をおいれになるがよろしいのである。

59凶兵 「老子」に兵は凶器なりとみえる。凶兵とは凶器たる武器の意。

60講殿 書籍を講する御殿のこと。 

61闢書幃 書幃は書を講ずる室のとばり。闢とはひらきて儒臣を出入りせしむるをいう。肅宗は、房琯を筆頭とした、杜甫ら儒者グループくを排斥した。

「不必」以下の句は皆作者希望の辭である。 

 

廟算高難測,天憂實在茲。

自分はそれがよいと思うけれど、廟堂のはかりだとは肅宗からの宦官や、諸侯(賀蘭進明・第五琦)らがどういふものかあまりに高いところに在るので臆測することすら難しいし、このままでは、天が墜ち、国家危難に陥りはすまいかとのしんはいは実にここに在るのである。

62廟算 廟堂のはかりごと。

63高難測 あまりに高いところに在るために臆測するのもむつかしいこと。これは婉曲な表現といえる。

64天憂 天がくずれおちそうであると心配すること。国家の危難に陥るをいう

 

形容真潦倒,答效莫支持。

そうはいっても、自分のこととなると形容はほんとうに元気がなくなってしまい、いくら君国に報效の念があってもだれもじぶんを支持してくれるものが無いということになっている。

65形容 自己のからだの様子。

66潦倒 元気の衰へしすがた。

67答效 君国の恩に答得て、力を效す。

68支持 ささへる、答效の志は有れども自己を支持してくれるものがいないことをいう。この時期には、房琯の儒者グループは壊滅している。

以上、「不必」からの八句は治世の根本道をとき自己の微力を嘆ずるものである。

766年-136#5杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#5 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-136 <999> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6675

杜甫  夔府書懷四十韻5

田父嗟膠漆,行人避蒺藜。總戎存大體,降將飾卑詞。

楚貢何年,堯封舊俗疑。長吁翻北寇,一望卷西夷。
田野の老人でさえも弓など武器を造るために膠漆を採らねばならないことを嘆き、道ゆく人にあっては、銭條網を避けて通らねばならない。

総大将であった僕固懐恩にたいして、朝廷は体裁上、細かなことはみぬふりをしているが、敵軍の大将が降参したといっても、表面的なもので、謙遜らしい詞をかざっていっているに過ぎないのである、というのも、奴らは、本心から降参するつもりではないからである。

叛乱の意をはかるに「楚からの貢はいつの年から絶えた」という故事がある。だから、堯の舊領地だなどいうてもその舊俗があるのかないのか疑うべきものだ。

北寇の回紇の翻覆は、日常化していることにはため息をつくばかりである。見渡すかぎり西方の夷、吐蕃が席巻してきているではないか。

766-136#5杜甫 1614夔府書懷四十韻》#5 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-136 <999 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6675

 

 
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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杜甫詩1500-999-1502-#5/2500

年:766年大暦元年55-133 

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    夔府書懷四十韻

作地點:              目前尚無資料

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)  

灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)         

恒山 (河北道南部 定州 恒山(恆山)) 別名:恆山    

(都畿道 河南府 ) 別名:具茨山           

綠林山 (山南東道 荊州 當陽)         

青草湖 (江南西道 岳州 巴陵) 別名:巴丘湖、雲夢大澤           

             

 

夔府書懷四十韻 #1

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1

昔罷河西尉,初興薊北師。

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

不才名位晚,敢恨省郎遲。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

扈聖崆峒日,端居灩澦時。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。

夔府書懷四十韻#1

昔 河西の尉を罷,初めて薊北の師 興る。

不才名位 晚し,敢て恨まむや 省郎の遲きを。

聖を扈す 崆峒の日,端居す 灩澦の時。

萍流 仍お汲引せらる,樗散 尚お恩慈せらる。

#2

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。

それ以来は朝廷において疎まれて、宿直を申しあげることもかなわなくなったが、《詩經、小雅 湛露篇》にいう、天子が諸侯を宴するということで、御宴に倍したことをいつも胸に思っている。

翠華森遠矣,白首颯淒其。

あの翠華の影は遠くになってしまったし、この白髪頭にはただつらい風がつめたくふきつける。

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。

儒者の世渡り下手であるため、今このように林泉に留滞させられているのである。じぶんといふ者は生れてからこのかた、酒と賦とのためになぶりものにされているような気がしている。

文園終寂寞,漢閣自磷緇。

じぶんの今は司馬相加が文園の令となって病臥していたように寂寞であり、揚雄が漢の天祿閣で書を校したようにすべきであるが、もはや才力が消耗し、鋭気は衰えて、身、塵土に汚されてしまっているのである。#2

遂に雲臺の宿を阻つ,常に懷う〈湛露詩〉を。

翠華 森として遠し,白首 颯として淒其なり。

拙にして 林泉に滯っせしめらる,生れて逢う〈酒賦〉の欺るに。

文園 終に寂寞たり,漢閣 自ら磷緇【りんし】。

#3

病隔君臣議,慚紆德澤私。

病気の身で御政治向きの議論とかけはなれているが、自分のごときものにまでご恩沢をおし及ぼしてくださっていることで喜んでいるだけということは、恥ずかしいことである。

揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

自分は、わが気味が、衣的に辱められ賜うと聞いては、驚いて轡を上げて馬を飛ばそうと思い、年の衰えかかるのをのぞくためには剣を抜いて勇気をはげましている。

社稷經綸地,風雲際會期。

その所は、天下の経綸を施すべき地であり、時は豪傑風雲に際会し、肅宗の宰相十六人としたる時であった。

血流紛在眼,涕灑亂交頤。

ところが、それからも、どこをみてもなまなましい血が流れている、これをみては涕がそそがれておのずと“おとがい”にみだれかかるのである。

病みて隔たる君臣の議,慚づらくは德澤の私を紆らさるるを。

揚鑣 主辱に驚き,拔劍 年衰を撥く。

社稷 經綸の地,風雲 際會の期。

血流るるは 紛として眼に在り,涕灑ぐは 亂れて頤に交わる。

#4

四瀆樓船汎,中原鼓角悲。

汚濁を海に流す四大川があるが、そこには今もおおきな盗賊のような樓船がうかんでいるし、中原には鼓角の音が悲しそうに響いている。

賊壕連白翟,戰瓦落丹

反乱者や、異民族の侵略者、盗賊どもの設けた塹壕は白の方まで連り、戦に焚かれた屋根瓦は御殿の丹塗の土塀にまで落ちているという。

先帝嚴靈寢,宗臣切受遺。

これが近頃の戦乱の状況である。先帝である粛宗の御陵殿はいかめしく立っているし その先帝から一代の宗臣、郭子儀が直に国事について御遺託を受けたのだ。

恆山猶突騎,遼海競張旗。
これからは、かくしぎが、恒山にはまだ安史軍の残党の騎馬軍を、衝突して粉砕せねばならないし、遼東の海以北にも安史軍の藩鎭、異民族軍が旗を立てていて、勢いを残しているのを奪い返してもらうのである。

#4

四瀆 樓船汎び,中原 鼓角悲し。

賊壕 白翟に連なり,戰瓦 丹墀に

先帝 靈寢に嚴なり,宗臣 切に遺を受く。

恆山 猶お突騎,遼海 競うて旗を張る。

 

5

田父嗟膠漆,行人避蒺藜。

田野の老人でさえも弓など武器を造るために膠漆を採らねばならないことを嘆き、道ゆく人にあっては、銭條網を避けて通らねばならない。

總戎存大體,降將飾卑詞。

総大将であった僕固懐恩にたいして、朝廷は体裁上、細かなことはみぬふりをしているが、敵軍の大将が降参したといっても、表面的なもので、謙遜らしい詞をかざっていっているに過ぎないのである、というのも、奴らは、本心から降参するつもりではないからである。

楚貢何年堯封舊俗疑。

叛乱の意をはかるに「楚からの貢はいつの年から絶えた」という故事がある。だから、堯の舊領地だなどいうてもその舊俗があるのかないのか疑うべきものだ。

長吁翻北寇,一望卷西夷。

北寇の回紇の翻覆は、日常化していることにはため息をつくばかりである。見渡すかぎり西方の夷、吐蕃が席巻してきているではないか。

田父 膠漆を嗟く,行人 蒺藜を避く。

總戎 大體を存し,降將 卑詞を飾る。

楚貢 何の年かえたる堯封 舊俗 疑わし。

長吁す 北寇に翻えるに,一望 西夷を卷く。

春秋勢力図002 

 

『夔府書懷四十韻』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

5

田父嗟膠漆,行人避蒺藜。

總戎存大體,降將飾卑詞。

楚貢何年,堯封舊俗疑。

長吁翻北寇,一望卷西夷。

(下し文)
5

田父 膠漆を嗟く,行人 蒺藜を避く。

總戎 大體を存し,降將 卑詞を飾る。

楚貢 何の年かえたる,堯封 舊俗 疑わし。

長吁す 北寇に翻えるに,一望 西夷を卷く。


(現代語訳)
5

田野の老人でさえも弓など武器を造るために膠漆を採らねばならないことを嘆き、道ゆく人にあっては、銭條網を避けて通らねばならない。

総大将であった僕固懐恩にたいして、朝廷は体裁上、細かなことはみぬふりをしているが、敵軍の大将が降参したといっても、表面的なもので、謙遜らしい詞をかざっていっているに過ぎないのである、というのも、奴らは、本心から降参するつもりではないからである。

叛乱の意をはかるに「楚からの貢はいつの年から絶えた」という故事がある。だから、堯の舊領地だなどいうてもその舊俗があるのかないのか疑うべきものだ。

北寇の回紇の翻覆は、日常化していることにはため息をつくばかりである。見渡すかぎり西方の夷、吐蕃が席巻してきているではないか。

安史の乱当時の勢力図
(訳注)5

夔府書懷四十韻

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)大暦元年秋の作。

 

田父嗟膠漆,行人避蒺藜。

田野の老人でさえも弓など武器を造るために膠漆を採らねばならないことを嘆き、道ゆく人にあっては、銭條網を避けて通らねばならない。

○膠漆 にかわ、うるし、共によくひっつくもの、交わりの親密なことをいう。 杜甫《卷一三74  憶昔二首其二》「宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。」(宮中には聖人 雲門を奏し,天下の朋友は皆 膠漆【こうしつ】なり。)宮中では聖天子の御前でめでたい雲門の楽が奏せられる、天下の朋友は皆、うるしやにかわのように親密であった。

746廣徳2764年―6-#2 《憶昔,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <6562  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3655 杜甫詩1000-6562-925/1500750-2

蒺藜 現代の“有刺鉄線”“鉄条網”のようなもの。これによって進路・侵入を防ぐ。

 

總戎存大體,降將飾卑詞。

総大将であった僕固懐恩にたいして、朝廷は体裁上、細かなことはみぬふりをしているが、敵軍の大将が降参したといっても、表面的なもので、謙遜らしい詞をかざっていっているに過ぎないのである、というのも、奴らは、本心から降参するつもりではないからである。

總戎存大體 總戎は元帥、これ副元帥僕固懐恩をさす。存大体とは僕固懐恩が功勲を挙げてもその一方で問題ある行動もあったが、朝廷としては、大局に立って細かいところについて大目に見るというほどの意。

降將飾卑詞 史朝義が敗れ、死んだ後、安史軍の大将田承嗣・薛嵩等は降る降参、この時、副元帥僕固懐恩は、安史軍を平らげれば、自分に対する寵愛が衰えるとして、降参した二人の大将と勝手に和睦して、河北の元帥として華北に歸藩させた。このため、各地の藩鎭が呼応して、朝廷を蔑ろにするものがおおくなる。

 

楚貢何年堯封舊俗疑。

叛乱の意をはかるに「楚からの貢はいつの年から絶えた」という故事がある。だから、堯の舊領地だなどいうてもその舊俗があるのかないのか疑うべきものだ。

楚貢 齋の管仲が楚を伐つとき之を責めし辭に、爾の貢せる包茅入らずといえリ、楚よりは周の天子へ物み包むに用うる茅を貢としてたてまつるなり、「左傳」に見ゆ。借りて地方の中央へ貢物をさす。管仲が言った。 「昔、我が君のご先祖が斉に封じられた時、時の執政が言われた。『まつろわぬ者共を成敗し、以て我が周室を助けよ、』と。今、楚が貢ぐべき包茅が周室へ届かず、王の祭祀に支障を来しているので、その訳を問い質しに来たのだ。又、昔、昭王陛下が南征へ行かれたのに、未だに戻ってきていない。この事も併せて詰問する。」  すると、使者が言い返した。 「貢ぎ物の包茅が周室へ届かなかったのは、当方の手落ちです。謹んでお言いつけに従いましょう。しかし、昭王が南征に来られたのは、遠い昔の話ではありませんか。そのような事は河の龍神にでもお尋ね下さい。」  斉軍は更に進軍したが、今度は楚の将軍が軍勢を率いて対峙した上で申し出た。 「貴君が徳を修められるのなら、我々は従いましょう。しかし、暴虐にも武力で制圧しようとの心なら、徹底抗戦いたします。」 結局、斉は楚と盟約を交しただけで引き返した。

堯封 《史記、周本紀》に、「堯の後を薊に封ず」とあり、安禄山の起りし薊州地方は「堯の子孫の封ぜられし後なり」とある。

舊俗疑 堯の子孫ならばその遺風存せばはんらんをおこすものはいないはずであるが、今、この地に舊俗の存否疑ふべし、というもの。

この二句は杜甫 1603諸將,五首之三》「滄海未全歸禹貢,薊門何處盡堯封。」今日東海地方はまだ天子の職貢の地となり、平穏な状態になっているとは言えないし、安史軍の根拠地の薊門のあたりもどこがすっかり王領になって治まったというのか。と同意である。

766-129杜甫 1603諸將,五首之三》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-129 <992 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6640

 

長吁翻北寇,一望卷西夷。

北寇の回紇の翻覆は、日常化していることにはため息をつくばかりである。見渡すかぎり西方の夷、吐蕃が席巻してきているではないか。

長吁 呼托なげくし 

翻北寇 翻は翻、降参してはまたそむくこと、北寇とは回紇が侵略してくることをいう。 

巻西夷 巻とは中国の地を席巻し侵略しきたるなり、西夷とは吐蕃をいう、「先帝」以下は代宗の朝を叙す。

以上「社稷」二十句は粛宗・代宗の二朝の乱をのべる。

766年-135#4杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#4 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-135 <998> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6670

杜甫  夔府書懷四十韻 #4   

四瀆樓船汎,中原鼓角悲。賊壕連白翟,戰瓦落丹

先帝嚴靈寢,宗臣切受遺。恆山猶突騎,遼海競張旗。
汚濁を海に流す四大川があるが、そこには今もおおきな盗賊のような樓船がうかんでいるし、中原には鼓角の音が悲しそうに響いている。反乱者や、異民族の侵略者、盗賊どもの設けた塹壕は白の方まで連り、戦に焚かれた屋根瓦は御殿の丹塗の土塀にまで落ちているという。これが近頃の戦乱の状況である。先帝である粛宗の御陵殿はいかめしく立っているし その先帝から一代の宗臣、郭子儀が直に国事について御遺託を受けたのだ。これからは、かくしぎが、恒山にはまだ安史軍の残党の騎馬軍を、衝突して粉砕せねばならないし、遼東の海以北にも安史軍の藩鎭、異民族軍が旗を立てていて、勢いを残しているのを奪い返してもらうのである。

766-135#4杜甫 1614夔府書懷四十韻》#4 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-135 <998 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6670 

 

 
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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杜甫詩1500-998-1502-#4/2500

年:766年大暦元年55-133 

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    夔府書懷四十韻

作地點:              目前尚無資料

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)  

灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)         

恒山 (河北道南部 定州 恒山(恆山)) 別名:恆山    

(都畿道 河南府 ) 別名:具茨山           

綠林山 (山南東道 荊州 當陽)         

青草湖 (江南西道 岳州 巴陵) 別名:巴丘湖、雲夢大澤           

             

 

夔府書懷四十韻 #1

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1

昔罷河西尉,初興薊北師。

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

不才名位晚,敢恨省郎遲。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

扈聖崆峒日,端居灩澦時。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。

夔府書懷四十韻#1

昔 河西の尉を罷,初めて薊北の師 興る。

不才名位 晚し,敢て恨まむや 省郎の遲きを。

聖を扈す 崆峒の日,端居す 灩澦の時。

萍流 仍お汲引せらる,樗散 尚お恩慈せらる。

#2

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。

それ以来は朝廷において疎まれて、宿直を申しあげることもかなわなくなったが、《詩經、小雅 湛露篇》にいう、天子が諸侯を宴するということで、御宴に倍したことをいつも胸に思っている。

翠華森遠矣,白首颯淒其。

あの翠華の影は遠くになってしまったし、この白髪頭にはただつらい風がつめたくふきつける。

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。

儒者の世渡り下手であるため、今このように林泉に留滞させられているのである。じぶんといふ者は生れてからこのかた、酒と賦とのためになぶりものにされているような気がしている。

文園終寂寞,漢閣自磷緇。

じぶんの今は司馬相加が文園の令となって病臥していたように寂寞であり、揚雄が漢の天祿閣で書を校したようにすべきであるが、もはや才力が消耗し、鋭気は衰えて、身、塵土に汚されてしまっているのである。#2

遂に雲臺の宿を阻つ,常に懷う〈湛露詩〉を。

翠華 森として遠し,白首 颯として淒其なり。

拙にして 林泉に滯っせしめらる,生れて逢う〈酒賦〉の欺るに。

文園 終に寂寞たり,漢閣 自ら磷緇【りんし】。

#3

病隔君臣議,慚紆德澤私。

病気の身で御政治向きの議論とかけはなれているが、自分のごときものにまでご恩沢をおし及ぼしてくださっていることで喜んでいるだけということは、恥ずかしいことである。

揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

自分は、わが気味が、衣的に辱められ賜うと聞いては、驚いて轡を上げて馬を飛ばそうと思い、年の衰えかかるのをのぞくためには剣を抜いて勇気をはげましている。

社稷經綸地,風雲際會期。

その所は、天下の経綸を施すべき地であり、時は豪傑風雲に際会し、肅宗の宰相十六人としたる時であった。

血流紛在眼,涕灑亂交頤。

ところが、それからも、どこをみてもなまなましい血が流れている、これをみては涕がそそがれておのずと“おとがい”にみだれかかるのである。

 

病みて隔たる君臣の議,慚づらくは德澤の私を紆らさるるを。

揚鑣 主辱に驚き,拔劍 年衰を撥く。

社稷 經綸の地,風雲 際會の期。

血流るるは 紛として眼に在り,涕灑ぐは 亂れて頤に交わる。

#4

四瀆樓船汎,中原鼓角悲。

賊壕連白翟,戰瓦落丹

先帝嚴靈寢,宗臣切受遺。

恆山猶突騎,遼海競張旗。
汚濁を海に流す四大川があるが、そこには今もおおきな盗賊のような樓船がうかんでいるし、中原には鼓角の音が悲しそうに響いている。

反乱者や、異民族の侵略者、盗賊どもの設けた塹壕は白の方まで連り、戦に焚かれた屋根瓦は御殿の丹塗の土塀にまで落ちているという。

これが近頃の戦乱の状況である。先帝である粛宗の御陵殿はいかめしく立っているし その先帝から一代の宗臣、郭子儀が直に国事について御遺託を受けたのだ。

これからは、かくしぎが、恒山にはまだ安史軍の残党の騎馬軍を、衝突して粉砕せねばならないし、遼東の海以北にも安史軍の藩鎭、異民族軍が旗を立てていて、勢いを残しているのを奪い返してもらうのである。

#4

四瀆 樓船汎び,中原 鼓角悲し。

賊壕 白翟に連なり,戰瓦 丹墀に

先帝 靈寢に嚴なり,宗臣 切に遺を受く。

恆山 猶お突騎,遼海 競うて旗を張る。

 

 

『夔府書懷四十韻』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 

#4

四瀆樓船汎,中原鼓角悲。

賊壕連白翟,戰瓦落丹

先帝嚴靈寢,宗臣切受遺。

恆山猶突騎,遼海競張旗。


(下し文)
#4

四瀆 樓船汎び,中原 鼓角悲し。

賊壕 白翟に連なり,戰瓦 丹墀に

先帝 靈寢に嚴なり,宗臣 切に遺を受く。

恆山 猶お突騎,遼海 競うて旗を張る。


(現代語訳) #4

汚濁を海に流す四大川があるが、そこには今もおおきな盗賊のような樓船がうかんでいるし、中原には鼓角の音が悲しそうに響いている。

反乱者や、異民族の侵略者、盗賊どもの設けた塹壕は白の方まで連り、戦に焚かれた屋根瓦は御殿の丹塗の土塀にまで落ちているという。

これが近頃の戦乱の状況である。先帝である粛宗の御陵殿はいかめしく立っているし その先帝から一代の宗臣、郭子儀が直に国事について御遺託を受けたのだ。

これからは、かくしぎが、恒山にはまだ安史軍の残党の騎馬軍を、衝突して粉砕せねばならないし、遼東の海以北にも安史軍の藩鎭、異民族軍が旗を立てていて、勢いを残しているのを奪い返してもらうのである。

汜水関などの地図
(訳注)  #4

夔府書懷四十韻

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)大暦元年秋の作。

 

四瀆樓船汎,中原鼓角悲。

汚濁を海に流す四大川があるが、そこには今もおおきな盗賊のような樓船がうかんでいるし、中原には鼓角の音が悲しそうに響いている。

四瀆 中国の四大河。瀆とは,《爾雅、釈水》に水源を発して直接海に注ぐ川を指すとある。《白虎通、巡狩》に,中国の汚濁を海に流す大河を指すともある。一般には,長江,黄河,淮水,済水を数える。四瀆は古くから神としてまつられてきたが,五岳とともに国家の祭祀の対象となるのは前漢宣帝の神爵1(61)からで,四瀆のおのおのについて特定の地に廟が建てられた。その後も歴代王朝によってまつられている。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

賊壕連白翟,戰瓦落丹墀。

反乱者や、異民族の侵略者、盗賊どもの設けた塹壕は白の方まで連り、戦に焚かれた屋根瓦は御殿の丹塗の土塀にまで落ちているという。

白翟 鄜州、延州は春秋時代の白翟(はくてき)の住地であったが,秦代すでに高奴県がおかれ,隋代以降は膚施県と呼ばれた。隋代の延安県は現在の延長県にあたる。隋・唐代の膚施県治は今の延安市の北東にあり,宋代に現在地に移った。隋・唐代には延安郡,延州の治所,宋代には延安府,金・元代には鄜延路,延安路の,明・清代には延安府の行政中心であった。現在、陝西省北部の市。人口32(1994)。市街は延河の中流部に沿う,黄土高原中の谷底平地にあり,周囲には宝塔山,鳳凰山,清涼山などがとりまいている。

丹墀 1.指宮殿的赤色臺階或赤色地面。 《宋書百官志上》「殿以胡粉塗壁, 畫古賢烈士。 以丹硃色地, 謂之丹墀。」2.指官府或祠廟的臺階。

 

先帝嚴靈寢,宗臣切受遺。

これが近頃の戦乱の状況である。先帝である粛宗の御陵殿はいかめしく立っているし その先帝から一代の宗臣、郭子儀が直に国事について御遺託を受けたのだ。

先帝 肅宗。

靈寢 御陵前の御殿。

宗臣 天下のもの、後世のものが尊ぶところの臣を言う、此処は、郭子儀のこと。

切受遺 直に遺託を受けること。76310月吐蕃が長安に侵寇、肅宗は陜州に逃避、郭子儀に掃討を命ず自、12月長安を回復させた。

 

恆山猶突騎,遼海競張旗。

これからは、かくしぎが、恒山にはまだ安史軍の残党の騎馬軍を、衝突して粉砕せねばならないし、遼東の海以北にも安史軍の藩鎭、異民族軍が旗を立てていて、勢いを残しているのを奪い返してもらうのである。

恆山 恒山は、道教の五岳の一つ、北岳。中国山西省大同市にあり、北を司るとされる。最高標高は2,016m。中国本土では五指に入る最高峰である。八仙のひとり張果老が住まうとされている。

突騎 安史軍の残党がおり、衝突して粉砕せねばならない騎馬軍がいることを言う。

遼海競張旗 遼東の海以北にも安史軍の藩鎭、異民族軍が旗を立てていて、勢いを残して衣る。

766年-134#3杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#3 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-134 <997> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6665

杜甫   夔府書懷四十韻 #3  

病隔君臣議,慚紆德澤私。揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

社稷經綸地,風雲際會期。血流紛在眼,涕灑亂交頤。

病気の身で御政治向きの議論とかけはなれているが、自分のごときものにまでご恩沢をおし及ぼしてくださっていることで喜んでいるだけということは、恥ずかしいことである。自分は、わが気味が、衣的に辱められ賜うと聞いては、驚いて轡を上げて馬を飛ばそうと思い、年の衰えかかるのをのぞくためには剣を抜いて勇気をはげましている。その所は、天下の経綸を施すべき地であり、時は豪傑風雲に際会し、肅宗の宰相十六人としたる時であった。ところが、それからも、どこをみてもなまなましい血が流れている、これをみては涕がそそがれておのずと“おとがい”にみだれかかるのである。

766-134#3杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#3 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-134 <997> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6665

 

 
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杜甫詩1500-997-1502-#3/2500

年:766年大暦元年55-133 

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    夔府書懷四十韻

作地點:              目前尚無資料

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)  

灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)         

恒山 (河北道南部 定州 恒山(恆山)) 別名:恆山    

(都畿道 河南府 ) 別名:具茨山           

綠林山 (山南東道 荊州 當陽)         

青草湖 (江南西道 岳州 巴陵) 別名:巴丘湖、雲夢大澤           

             

 

夔府書懷四十韻 #1

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1

昔罷河西尉,初興薊北師。

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

不才名位晚,敢恨省郎遲。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

扈聖崆峒日,端居灩澦時。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。

夔府書懷四十韻#1

昔 河西の尉を罷,初めて薊北の師 興る。

不才名位 晚し,敢て恨まむや 省郎の遲きを。

聖を扈す 崆峒の日,端居す 灩澦の時。

萍流 仍お汲引せらる,樗散 尚お恩慈せらる。

#2

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。

それ以来は朝廷において疎まれて、宿直を申しあげることもかなわなくなったが、《詩經、小雅 湛露篇》にいう、天子が諸侯を宴するということで、御宴に倍したことをいつも胸に思っている。

翠華森遠矣,白首颯淒其。

あの翠華の影は遠くになってしまったし、この白髪頭にはただつらい風がつめたくふきつける。

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。

儒者の世渡り下手であるため、今このように林泉に留滞させられているのである。じぶんといふ者は生れてからこのかた、酒と賦とのためになぶりものにされているような気がしている。

文園終寂寞,漢閣自磷緇。

じぶんの今は司馬相加が文園の令となって病臥していたように寂寞であり、揚雄が漢の天祿閣で書を校したようにすべきであるが、もはや才力が消耗し、鋭気は衰えて、身、塵土に汚されてしまっているのである。#2

遂に雲臺の宿を阻つ,常に懷う〈湛露詩〉を。

翠華 森として遠し,白首 颯として淒其なり。

拙にして 林泉に滯っせしめらる,生れて逢う〈酒賦〉の欺るに。

文園 終に寂寞たり,漢閣 自ら磷緇【りんし】。

#3

病隔君臣議,慚紆德澤私。

病気の身で御政治向きの議論とかけはなれているが、自分のごときものにまでご恩沢をおし及ぼしてくださっていることで喜んでいるだけということは、恥ずかしいことである。

揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

自分は、わが気味が、衣的に辱められ賜うと聞いては、驚いて轡を上げて馬を飛ばそうと思い、年の衰えかかるのをのぞくためには剣を抜いて勇気をはげましている。

社稷經綸地,風雲際會期。

その所は、天下の経綸を施すべき地であり、時は豪傑風雲に際会し、肅宗の宰相十六人としたる時であった。

血流紛在眼,涕灑亂交頤。

ところが、それからも、どこをみてもなまなましい血が流れている、これをみては涕がそそがれておのずと“おとがい”にみだれかかるのである。

 

病みて隔たる君臣の議,慚づらくは德澤の私を紆らさるるを。

揚鑣 主辱に驚き,拔劍 年衰を撥く。

社稷 經綸の地,風雲 際會の期。

血流るるは 紛として眼に在り,涕灑ぐは 亂れて頤に交わる。

 安史の乱当時の勢力図

 

『夔府書懷四十韻』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
3

#3

病隔君臣議,慚紆德澤私。

揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

社稷經綸地,風雲際會期。

血流紛在眼,涕灑亂交頤。


(下し文)
#3

病みて隔たる君臣の議,慚づらくは德澤の私を紆らさるるを。

揚鑣 主辱に驚き,拔劍 年衰を撥く。

社稷 經綸の地,風雲 際會の期。

血流るるは 紛として眼に在り,涕灑ぐは 亂れて頤に交わる。


(現代語訳)
#3

病気の身で御政治向きの議論とかけはなれているが、自分のごときものにまでご恩沢をおし及ぼしてくださっていることで喜んでいるだけということは、恥ずかしいことである。

自分は、わが気味が、衣的に辱められ賜うと聞いては、驚いて轡を上げて馬を飛ばそうと思い、年の衰えかかるのをのぞくためには剣を抜いて勇気をはげましている。

その所は、天下の経綸を施すべき地であり、時は豪傑風雲に際会し、肅宗の宰相十六人としたる時であった。

ところが、それからも、どこをみてもなまなましい血が流れている、これをみては涕がそそがれておのずと“おとがい”にみだれかかるのである。


(訳注)  #3

夔府書懷四十韻

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)大暦元年秋の作。

 

病隔君臣議,慚紆德澤私。

病気の身で御政治向きの議論とかけはなれているが、自分のごときものにまでご恩沢をおし及ぼしてくださっていることで喜んでいるだけということは、恥ずかしいことである。

君臣議 君臣の朝廷の朝議にての政治を議すること。

慚紆 恩沢が自分に及んでいるけれど、それに報いていないことを愧じるということ。紆とはめぐらすなり、遠く身に及ぶということ。

徳澤私 天子の恩沢、杜甫が、廣徳二年六月、尚書省の郎官となったこと。嚴武節度使、検校工部員外郎となり、緋衣魚袋をたまわったことをさす。

 

揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

自分は、わが気味が、衣的に辱められ賜うと聞いては、驚いて轡を上げて馬を飛ばそうと思い、年の衰えかかるのをのぞくためには剣を抜いて勇気をはげましている。

揚鑣 轡をあげる、馬を飛ばすこと、國事のため躍りださんとするさま。「すわ、鎌倉!」

驚主辱 主辱とは代宗は、76310月陜州に逃避、765年吐蕃、回紇連合して、入寇と、しばしば吐蕃の長安侵寇に苦しめられることをさす。

拔劍 これも國難を平げんと思ふさま。

 のぞく。

ここまで、起二十句は往年より今日までの境遇の変化と、現に君国を思うことを述べている。

 

社稷經綸地,風雲際會期。

その所は、天下の経綸を施すべき地であり、時は豪傑風雲に際会し、肅宗の宰相十六人としたる時であった。

社稷經綸地 天下社稷のために經綸を行うべき地においてという意。

風雲際會期 君臣際会期といういみである、風雲は《易經》「雲従龍、風従虎」の風雲を借用するもので、肅宗が霊武において、行在所とするとき、肅宗の宰相十六人(韋見素・崔圓・房琯・裴冕・崔渙・李麟・苗晉卿・張鎬・王璵・呂・李峴・第五琦・李揆・蕭華・裴遵慶・元載。)をいう。杜甫《巻十二45 述古,三首之二》「舜舉十六相,身尊道何高。」根本的にいうと、むかし舜は十六人の賢相をあげて用いた、それで自身は尊くなり、その道は高尚である。(粛宗も宰相16人であるがとても酷いものが多いということ。)〇十六相 八元八憶と称する十六人のかしこい宰相をいう、事は「左伝」(文公十八年)にみえる。この時粛宗が任じた宰相が16人であったためにこういう表現をしたのである。

654 《巻十二45述古,三首之二》 蜀中転々 杜甫 <559>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3025 杜甫詩1000-559-799/1500

 

血流紛在眼,涕灑亂交頤。

ところが、それからも、どこをみてもなまなましい血が流れている、これをみては涕がそそがれておのずと“おとがい”にみだれかかるのである。

血流 安氏の乱によっておびただしい血が流れた。

交頤  “おとがい”にみだれかかる、涙がやたらに頬につたわる。

766年-133杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#2 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-133 <996> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6660

杜甫  夔府書懷四十韻#2

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。翠華森遠矣,白首颯淒其。

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。文園終寂寞,漢閣自磷緇。

それ以来は朝廷において疎まれて、宿直を申しあげることもかなわなくなったが、《詩經、小雅 湛露篇》にいう、天子が諸侯を宴するということで、御宴に倍したことをいつも胸に思っている。あの翠華の影は遠くになってしまったし、この白髪頭にはただつらい風がつめたくふきつける。儒者の世渡り下手であるため、今このように林泉に留滞させられているのである。じぶんといふ者は生れてからこのかた、酒と賦とのためになぶりものにされているような気がしている。じぶんの今は司馬相加が文園の令となって病臥していたように寂寞であり、揚雄が漢の天祿閣で書を校したようにすべきであるが、もはや才力が消耗し、鋭気は衰えて、身、塵土に汚されてしまっているのである。

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杜甫詩1500-996-1502-#2/2500

年:766年大暦元年55-133 

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    夔府書懷四十韻

作地點:              目前尚無資料

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)  

灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)         

恒山 (河北道南部 定州 恒山(恆山)) 別名:恆山    

(都畿道 河南府 ) 別名:具茨山           

綠林山 (山南東道 荊州 當陽)         

青草湖 (江南西道 岳州 巴陵) 別名:巴丘湖、雲夢大澤           

             

 

夔府書懷四十韻 #1

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1

昔罷河西尉,初興薊北師。

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

不才名位晚,敢恨省郎遲。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

扈聖崆峒日,端居灩澦時。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。

夔府書懷四十韻#1

昔 河西の尉を罷,初めて薊北の師 興る。

不才名位 晚し,敢て恨まむや 省郎の遲きを。

聖を扈す 崆峒の日,端居す 灩澦の時。

萍流 仍お汲引せらる,樗散 尚お恩慈せらる。

#2

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。

それ以来は朝廷において疎まれて、宿直を申しあげることもかなわなくなったが、《詩經、小雅 湛露篇》にいう、天子が諸侯を宴するということで、御宴に倍したことをいつも胸に思っている。

翠華森遠矣,白首颯淒其。

あの翠華の影は遠くになってしまったし、この白髪頭にはただつらい風がつめたくふきつける。

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。

儒者の世渡り下手であるため、今このように林泉に留滞させられているのである。じぶんといふ者は生れてからこのかた、酒と賦とのためになぶりものにされているような気がしている。

文園終寂寞,漢閣自磷緇。

じぶんの今は司馬相加が文園の令となって病臥していたように寂寞であり、揚雄が漢の天祿閣で書を校したようにすべきであるが、もはや才力が消耗し、鋭気は衰えて、身、塵土に汚されてしまっているのである。#2

遂に雲臺の宿を阻つ,常に懷う〈湛露詩〉を。

翠華 森として遠し,白首 颯として淒其なり。

拙にして 林泉に滯っせしめらる,生れて逢う〈酒賦〉の欺るに。

文園 終に寂寞たり,漢閣 自ら磷緇【りんし】。

#3

病隔君臣議,慚紆德澤私。

揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

社稷經綸地,風雲際會期。

血流紛在眼,涕灑亂交頤。

#4

四瀆樓船汎,中原鼓角悲。

賊壕連白翟,戰瓦落丹墀。

先帝嚴靈寢,宗臣切受遺。

恆山猶突騎,遼海競張旗。

5

田父嗟膠漆,行人避蒺藜。

總戎存大體,降將飾卑詞。

楚貢何年堯封舊俗疑。

長吁翻北寇,一望卷西夷。

6

不必陪玄圃,超然待具茨。

凶兵鑄農器,講殿闢書幃。

廟算高難測,天憂實在茲。

形容真潦倒,答效莫支持。

7

使者分王命,群公各典司。

恐乖均賦斂,不似問瘡痍。

萬里煩供給,孤城最怨思。

綠林寧小患,雲夢欲難追。

8

即事須嘗膽,蒼生可察眉。

議堂猶集鳳,正觀是元龜。

處處喧飛檄,家家急競錐。

蕭車安不定,蜀使下何之。

9

釣瀨疏墳籍,耕巖進弈棋。

地蒸餘破扇,冬煖更纖絺。

豺遘哀登楚,麟傷泣象尼。

衣冠迷適越,藻繪憶遊睢。

10

賞月延秋桂,傾陽逐露葵。

大庭終反樸,京觀且僵尸。

高枕虛眠晝,哀歌欲和誰。

南宮載勳業,凡百慎交綏。

 

 皇城005

『夔府書懷四十韻』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。

翠華森遠矣,白首颯淒其。

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。

文園終寂寞,漢閣自磷緇。

(下し文)
遂に雲臺の宿を阻つ,常に懷う〈湛露詩〉を。

翠華 森として遠し,白首 颯として淒其なり。

拙にして 林泉に滯っせしめらる,生れて逢う〈酒賦〉の欺るに。

文園 終に寂寞たり,漢閣 自ら磷緇【りんし】。


(現代語訳)
#2

それ以来は朝廷において疎まれて、宿直を申しあげることもかなわなくなったが、《詩經、小雅 湛露篇》にいう、天子が諸侯を宴するということで、御宴に倍したことをいつも胸に思っている。

あの翠華の影は遠くになってしまったし、この白髪頭にはただつらい風がつめたくふきつける。

儒者の世渡り下手であるため、今このように林泉に留滞させられているのである。じぶんといふ者は生れてからこのかた、酒と賦とのためになぶりものにされているような気がしている。

じぶんの今は司馬相加が文園の令となって病臥していたように寂寞であり、揚雄が漢の天祿閣で書を校したようにすべきであるが、もはや才力が消耗し、鋭気は衰えて、身、塵土に汚されてしまっているのである。


(訳注) #2

夔府書懷四十韻

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)大暦元年秋の作。

 

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。

それ以来は朝廷において疎まれて、宿直を申しあげることもかなわなくなったが、《詩經、小雅 湛露篇》にいう、天子が諸侯を宴するということで、御宴に倍したことをいつも胸に思っている。

阻雲臺宿 宮中の政治の場から阻隔されて宿直したことを言う。宦官、賀蘭進明・第五琦ら勢力の讒言により、肅宗は、儒者を嫌った。儒者グループの房琯、鄭虔、何将軍、杜甫らをいう。

湛露詩 《詩經、小雅 湛露篇》があり、天子が諸侯を宴する詩である。朝廷が宦官らに牛耳られ、各派、管力、将軍らが一枚岩となって宴会をすること。

 

翠華森遠矣,白首颯淒其。

あの翠華の影は遠くになってしまったし、この白髪頭にはただつらい風がつめたくふきつける。

翠華 天子の旗。

白首 杜甫自身の白髪頭。

颯淒其 颯はかぜのの吹くさま。淒其は、それがものがなしきさまである、其は助字。

 

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。

儒者の世渡り下手であるため、今このように林泉に留滞させられているのである。じぶんといふ者は生れてからこのかた、酒と賦とのためになぶりものにされているような気がしている。

 世才のつたなきこと。儒者の世渡り下手を言う。

林泉滯 山林に留滞せしめらるる。

酒賦欺 酒と賦との生活に身を誤らせてしまい、しかし、それでいてそのことをあなどっていることを言う。

 

文園終寂寞,漢閣自磷緇。

じぶんの今は司馬相加が文園の令となって病臥していたように寂寞であり、揚雄が漢の天祿閣で書を校したようにすべきであるが、もはや才力が消耗し、鋭気は衰えて、身、塵土に汚されてしまっているのである。

文園 司馬相如が文園の令となっていたことを言い、それを杜甫自身に比している。

終寂寞 自分から求めてものさびしく静まっていること。隠遁している。

漢閣 漢の天祿閣、揚雄其上に書を校す。

自磷緇 《「論語」陽貨篇》孔子の言「不曰堅乎,磨而不磷;不曰白乎,涅而不緇。」(堅しと日わずや、磨すれども磷【うすろ】がず。白しと日わずや、涅【デッ】すれども緇【くろ】まず。)極めて堅いものは、どんなに磨いても薄くはならない。極めて白いものは、どんなに染めても黒くはならない。すなわち、志の堅固な者は、周囲の影響によって汚されることはない。この句にては、蓋し自己の鋭気衰えて、身、塵土に汚されたるをいう。
瞿塘峡・白帝城・魚復 

766年-132杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#1 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-132 <995> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6655 

杜甫  夔府書懷四十韻#1

昔罷河西尉,初興薊北師。不才名位晚,敢恨省郎遲。

扈聖崆峒日,端居灩澦時。萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。

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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩

1500-995-1502-#1/2500

年:       大曆元年

寫作時間:           766

寫作年紀:           55

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    夔府書懷四十韻

詩序:   

作地點:              目前尚無資料

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)  

灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)         

恒山 (河北道南部 定州 恒山(恆山)) 別名:恆山    

(都畿道 河南府 ) 別名:具茨山           

綠林山 (山南東道 荊州 當陽)         

青草湖 (江南西道 岳州 巴陵) 別名:巴丘湖、雲夢大澤           

交遊人物/地點:  

 

夔府書懷四十韻 #1

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1

昔罷河西尉,初興薊北師。

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

不才名位晚,敢恨省郎遲。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

扈聖崆峒日,端居灩澦時。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。

夔府書懷四十韻#1

昔 河西の尉を罷,初めて薊北の師 興る。

不才名位 晚し,敢て恨まむや 省郎の遲きを。

聖を扈す 崆峒の日,端居す 灩澦の時。

萍流 仍お汲引せらる,樗散 尚お恩慈せらる。

#2

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。

翠華森遠矣,白首颯淒其。

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。

文園終寂寞,漢閣自磷緇。

#3

病隔君臣議,慚紆德澤私。

揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

社稷經綸地,風雲際會期。

血流紛在眼,涕灑亂交頤。

#4

四瀆樓船汎,中原鼓角悲。

賊壕連白翟,戰瓦落丹墀。

先帝嚴靈寢,宗臣切受遺。

恆山猶突騎,遼海競張旗。

5

田父嗟膠漆,行人避蒺藜。

總戎存大體,降將飾卑詞。

楚貢何年堯封舊俗疑。

長吁翻北寇,一望卷西夷。

6

不必陪玄圃,超然待具茨。

凶兵鑄農器,講殿闢書幃。

廟算高難測,天憂實在茲。

形容真潦倒,答效莫支持。

7

使者分王命,群公各典司。

恐乖均賦斂,不似問瘡痍。

萬里煩供給,孤城最怨思。

綠林寧小患,雲夢欲難追。

8

即事須嘗膽,蒼生可察眉。

議堂猶集鳳,正觀是元龜。

處處喧飛檄,家家急競錐。

蕭車安不定,蜀使下何之。

9

釣瀨疏墳籍,耕巖進弈棋。

地蒸餘破扇,冬煖更纖絺。

豺遘哀登楚,麟傷泣象尼。

衣冠迷適越,藻繪憶遊睢。

10

賞月延秋桂,傾陽逐露葵。

大庭終反樸,京觀且僵尸。

高枕虛眠晝,哀歌欲和誰。

南宮載勳業,凡百慎交綏。

 

 

『夔府書懷四十韻』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔府書懷四十韻#1

昔罷河西尉,初興薊北師。

不才名位晚,敢恨省郎遲。

扈聖崆峒日,端居灩時。

萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

(下し文)
夔府書懷四十韻#1

昔 河西の尉を罷,初めて薊北の師 興る。

不才名位 晚し,敢て恨まむや 省郎の遲きを。

聖を扈す 崆峒の日,端居す 灩澦の時。

萍流 仍お汲引せらる,樗散 尚お恩慈せらる。


(現代語訳)
(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。


(訳注)

夔府書懷四十韻#1

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)大暦元年秋の作。

 

昔罷河西尉,初興薊北師。

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

罷河西尉 天寶十四年十月のはじめに「河西の尉」という赴任地が示されてきた。河西の尉は河西節度判官の尉。当時、涼州(甘粛省武威県)にあった河西節度使の節度判官の尉(副官)の地位のことは友人の高適から聞いていて、高適もこの職についてすぐ退任している。

《巻三39》官定後戯贈         

官定まりて後 戯れに贈る

不作河西尉、淒涼為折腰。

河西の尉と作らざるは、淒涼 腰を折るが為なり。

老父怕趨走、率府且逍遥。

老父 趨走を怕れ、率府に且つ逍遥す。

耽酒須微禄、狂歌託聖朝。

酒に耽るには微禄を須【ま】ち、狂歌して聖朝に託す。

故山帰興尽、囘首向風飇。

故山 帰興尽き、首を囘らして風飇に向かう。

薊北師 薊州は安禄山の根拠地、叛乱を起こした場所。

 

不才名位晚,敢恨省郎遲。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

名位晚 官途に就くのが非常に遅かったこと。

省郎遲 尚書省の郎官となることが遅かったこと。廣徳二年六月嚴武が推薦して、節度使。検校工部員外郎となり、緋衣魚袋をたまわる。

 

扈聖崆峒日,端居灩澦時。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

扈聖 肅宗に扈従する

崆峒 崆峒山のこと。古くは空同山と稱した,甘肅省平涼市以西に位置する。,六盤山支脈に屬す,南北に走向し,延長は約100km,山脈幅は平均15km,主峰は翠屏峰で海拔2123m,ぜっぺきは垂直高度683米もある。崆峒山には自然景觀が集り、人文景觀は一身に和ぐ,有「西來第一山」、「西鎮奇觀」、「中國道教第一山」等美譽,山上有道觀禪院八台九宮十二院四十二座建築群、と七十二處石府洞天などが,大多く集中、分布して「五台」區に在る。

《巻六55洗兵行》「已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。」(己に喜ぶ皇威の海岱を清うするを、常に思う仙仗の崆峒に過りしを。)一方にはもはやわが天子の御威光が渤海・岱山の遠方までを鎮定するに至ったことを喜ぶとともに、他方には我が君がかつて崆峒山のあたりまで御通過になったことはわすれられぬことである。

洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ990 杜甫特集700- 295

端居 なにもせずにいる。

灩澦 山南東道夔州の灩澦堆。江中の石の名、奉節県の西南、瞿塘峡に差し掛かる前にある。瞿塘は峡の名、四川省夔州府にある。その峡口に灩預石がある、唯は石のこと、その石が水量を示す標準となる、「灩預堆が馬ぐらいに見えるのであれば、瞿塘峡を下ってはいけないし、灩預堆が象の大きさに見えるのであれば瞿塘峡を昇ることはできない」の語がある。古楽府の歌に「淫予(灔澦)大なること馬の如くなれば、瞿塘下るべからず」という。・瞿塘灩預堆 長江瞿塘峽口的險灘。 在四川省奉節縣東。 唐李白《長干行》之一:十六君遠行, 瞿塘灩澦堆。” 王琦注引《太平寰宇記》:灩澦堆, 周回二十丈, 在夔州西南二百步蜀江中心瞿塘峽口。《1515灩澦堆》「巨積水中央,江寒出水長。沈牛答雲雨,如馬戒舟航。天意存傾覆,神功接混茫。干戈連解纜,行止憶垂堂。」

766年-91杜甫 《1515灩澦堆》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-91 <954 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6405 

 

萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。

萍流 浮き萍が漂流するがごとく流浪する。

仍汲引 井戸水をくみ上げるように地位を引き立ててもらうこと、嚴武が推薦してくれたことを言う。

樗散 樗は悪い木の名前、散は役に立たず打ち捨てられること。樗は「荘子」逍遥遊篇に、散木は同書人間世篇に見える。樗は無用の大木の名、散木とは不材のためうちすててある木をいう。ここは老朽無用の地にあることをいう。《巻五35送鄭十八虔貶台州司》「鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。」

尚恩慈 天使の恩義。

766年-131杜甫 《1605諸將,五首之五》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-131 <994> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6650

杜甫  諸將,五首之五

錦江春色逐人來,巫峽清秋萬壑哀。正憶往時嚴僕射,共迎中使望臺。

主恩前後三持節,軍令分明數舉杯。西蜀地形天下險,安危須仗出群材。

(この第五首は現在の諸将は、厳武のように、敵から怖がられる気概を持って当たらなければいけない、とのべる。「巫峡清秋」の語により大暦元年秋の作であることを知ることができる。

素晴らしい錦江の春げしきの興が、ずっと自分を逐いかけてくるのであるが、いま巫峡は清らかな秋で万の壑も哀しげであるのも興である。そうなると、自分は今ちょうどそのときも、清らかな秋であったが、厳武僕射と望郷台で宮中からのお使いをお迎えしたことを、思い出さずにはおれない。厳武は天子の恩厚きによって、前後三回も節度使を持して蜀へやってき、彼が在任中は軍令も分明で部下がよくおさまり、たびたびじぶんと杯をあげて酒を飲んだのであるところが彼去ると蜀はどうだ。そのたびに騒乱がおこり、その絶え間が無いではないか。西方蜀地の地形は天下の険要なところであり、この地の安危を保つには彼のような敵に一目置かせるほど、抜群の人物によらねばならぬのである。

766-131杜甫 《1605諸將,五首之五》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-131 <994> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6650

 

 
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杜甫詩1500-994-1501/2500

年:-766年大暦元年55-131

卷別:  卷二三○        文體:  七言律詩

詩題:  諸將,五首之五

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:        錦江 (劍南道北部 益州 成都)      

(劍南道北部 益州 成都)   

交遊人物/地點:嚴武     詩文提及

 

 

諸將,五首之五

(この第五首は現在の諸将は、厳武のように、敵から怖がられる気概を持って当たらなければいけない、とのべる。「巫峡清秋」の語により大暦元年秋の作であることを知ることができる。

錦江春色逐人來,巫峽清秋萬壑哀。

素晴らしい錦江の春げしきの興が、ずっと自分を逐いかけてくるのであるが、いま巫峡は清らかな秋で万の壑も哀しげであるのも興である。

正憶往時嚴僕射,共迎中使望臺。

そうなると、自分は今ちょうどそのときも、清らかな秋であったが、厳武僕射と望郷台で宮中からのお使いをお迎えしたことを、思い出さずにはおれない。

主恩前後三持節,軍令分明數舉杯。

厳武は天子の恩厚きによって、前後三回も節度使を持して蜀へやってき、彼が在任中は軍令も分明で部下がよくおさまり、たびたびじぶんと杯をあげて酒を飲んだのである

西蜀地形天下險,安危須仗出群材。

ところが彼去ると蜀はどうだ。そのたびに騒乱がおこり、その絶え間が無いではないか。西方蜀地の地形は天下の険要なところであり、この地の安危を保つには彼のような敵に一目置かせるほど、抜群の人物によらねばならぬのである。

錦江の春色人を逐うて来たる、巫峽の清秋万壑哀し。

正に憶う 往時の厳僕射、共に中使を迎う 望郷台。

主恩 前後三たび節を持す、軍令 分明 数しば杯を挙げき。

西蜀の地形は天下の険なり、安危 須らく仗るべし 出群の材。

 

蜀中転々圖 

諸將,五首之五』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

諸將,五首之五

錦江春色逐人來,巫峽清秋萬壑哀。

正憶往時嚴僕射,共迎中使望臺。

主恩前後三持節,軍令分明數舉杯。

西蜀地形天下險,安危須仗出群材。
詩文(含異文)

錦江春色逐人來,巫峽清秋萬壑哀。正憶往時嚴僕射,共迎中使望臺。主恩前後三持節【案:嚴武一鎮東川,兩鎮劍南。】,軍令分明數舉杯。西蜀地形天下險,安危須仗出群材。


(下し文)
(諸將,五首の五)

錦江の春色人を逐うて来たる、巫峽の清秋万壑哀し。

正に憶う 往時の厳僕射、共に中使を迎う 望郷台。

主恩 前後三たび節を持す、軍令 分明 数しば杯を挙げき。

西蜀の地形は天下の険なり、安危 須らく仗るべし 出群の材。

(現代語訳)
(この第五首は現在の諸将は、厳武のように、敵から怖がられる気概を持って当たらなければいけない、とのべる。「巫峡清秋」の語により大暦元年秋の作であることを知ることができる。

素晴らしい錦江の春げしきの興が、ずっと自分を逐いかけてくるのであるが、いま巫峡は清らかな秋で万の壑も哀しげであるのも興である。

そうなると、自分は今ちょうどそのときも、清らかな秋であったが、厳武僕射と望郷台で宮中からのお使いをお迎えしたことを、思い出さずにはおれない。

厳武は天子の恩厚きによって、前後三回も節度使を持して蜀へやってき、彼が在任中は軍令も分明で部下がよくおさまり、たびたびじぶんと杯をあげて酒を飲んだのである

ところが彼去ると蜀はどうだ。そのたびに騒乱がおこり、その絶え間が無いではないか。西方蜀地の地形は天下の険要なところであり、この地の安危を保つには彼のような敵に一目置かせるほど、抜群の人物によらねばならぬのである。


(訳注)

諸將,五首之五

この第五首は現在の諸将は、厳武のように、敵から怖がられる気概を持って当たらなければいけない、とのべる。「巫峡清秋」の語により大暦元年秋の作であることを知ることができる。

諸将 将軍らをいう。詩中に或はその人を明言し或は明言しない。

将軍らの事について感をのべる。事は詩中に見える。広徳元年から大暦元年秋の作で諸将として大暦元年秋に集約。

この五首は一時の作ではない。そのことについては各首のもとにのべよう。

 

 

錦江春色逐人來,巫峽清秋萬壑哀。

素晴らしい錦江の春げしきの興が、ずっと自分を逐いかけてくるのであるが、いま巫峡は清らかな秋で万の壑も哀しげであるのも興である。

錦江、成都の錦江、浣花渓のある濯錦江をいう。

逐人来 人とは自己をさす。

巫峡 夔州のことをいうものであるが、三峡の真ん中に位置する巫峽は近くにあるのでこれをあげていう。

 

正憶往時嚴僕射,共迎中使望臺。

そうなると、自分は今ちょうどそのときも、清らかな秋であったが、厳武僕射と望郷台で宮中からのお使いをお迎えしたことを、思い出さずにはおれない。

厳僕射 厳武をいう。僕射:1 中国の官名。左右各1名が置かれる。秦代に始まり、唐・宋時代は宰相の任にあたった。2 左大臣・右大臣の唐名。

中使 宮中よりのおっかい。

望郷台 成都の北にある。嚴武が、762都に召喚される見送りに梓州まで同行する際のこと。奉送嚴公入朝十韻 蜀中転々 杜甫 <534-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2870 杜甫詩1000-534-#2-768/1500

 

主恩前後三持節,軍令分明數舉杯。

厳武は天子の恩厚きによって、前後三回も節度使を持して蜀へやってき、彼が在任中は軍令も分明で部下がよくおさまり、たびたびじぶんと杯をあげて酒を飲んだのである

主恩 天子の御恩により。

三持節 厳武は、一度目は、76112月東川節度使として、段子章の叛を鎮める。二度目は、762玄宗によって成都尹・西川節度使になり、都に召喚されると、徐知道が謀叛、三度目は764年剣南節度使として蜀に来任し、侵寇していた吐蕃をやぶる、節は天子より武権をおゆだねになるしるしとして賜わった。

軍命 軍の命令。

 

西蜀地形天下險,安危須仗出群材。

ところが彼去ると蜀はどうだ。そのたびに騒乱がおこり、その絶え間が無いではないか。西方蜀地の地形は天下の険要なところであり、この地の安危を保つには彼のような敵に一目置かせるほど、抜群の人物によらねばならぬのである。

西蜀 西方蜀地の意。

出群材 凡庸の群衆からぬけでた人物、嚴武をさす。吐蕃は嚴武を怖がっていた。

杜甫草堂 四絶句夔州東川卜居図詳細 002 

 

奉贈嚴八閣老 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 187

留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1448 杜甫詩 700- 447

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遭田父泥飲美嚴中丞 五言古詩 成都6-(10-#2) 杜甫 <475  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2490 杜甫詩1000-476-692/1500

遭田父泥飲美嚴中丞 五言古詩 成都6-(10-#3) 杜甫 <475-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2495 杜甫詩1000-475-#3-693/1500

遭田父泥飲美嚴中丞 五言古詩 成都6-(10-#4) 杜甫 <475-#4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2500 杜甫詩1000-475-#4-694/1500

相逢歌贈嚴二別駕 楽府(七言歌行) 成都6-(23) 杜甫 <485  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2565 杜甫詩1000-485-707/1500

奉和嚴中丞西城晚眺十韻 蜀中転々 杜甫 <505-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2715 杜甫詩1000-505-#1-737/1500

奉和嚴中丞西城晚眺十韻 蜀中転々 杜甫 <505-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2720 杜甫詩1000-505-#2-738/1500

嚴中丞枉駕見過 嚴中丞枉駕見過【案:自注:嚴自東川除西川,敕令兩川都節制。】 蜀中転々 杜甫 <506  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2725 杜甫詩1000-506-739/1500

奉酬嚴公寄題野亭之作 蜀中転々 杜甫 <528  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2835 杜甫詩1000-528-761/1500

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 蜀中転々 杜甫 <529  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2845 

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二二首之二蜀中転々 杜甫 <530  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2850 杜甫詩1000-530-764/1500

謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶 蜀中転々 杜甫 <531  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2855 杜甫詩1000-531-765/1500

嚴公仲夏枉駕草堂兼攜酒饌得寒字 蜀中転々 杜甫 <532  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2860 杜甫詩1000-532-766/1500

嚴公廳宴同詠蜀道畫圖【案:得空字。】 蜀中転々 杜甫 <533  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2865 杜甫詩1000-533-767/1500

奉送嚴公入朝十韻  蜀中転々 杜甫 <534-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2870 杜甫詩1000-534-#1-768/1500

奉送嚴公入朝十韻 蜀中転々 杜甫 <534-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2870 杜甫詩1000-534-#2-768/1500

《嚴氏溪放歌行》 蜀中転々 杜甫 <571  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3150 杜甫詩1000-571-824/1500 40923

665七言歌行 《嚴氏溪放歌行》 蜀中転々 杜甫 <571-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3155 杜甫詩1000-571-#2-825/1500

718 《行次鹽亭縣聊題四韻奉簡嚴遂州、蓬州兩使君諮議諸昆季》杜甫 <625  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3435 杜甫詩1000-625-881/1500

725 《與嚴二郎奉禮別〔草堂逸詩拾遺-(1)〕》 蜀中転々 杜甫 <632  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3470 杜甫詩1000-632-888/1500

廣徳2年764-65 《奉待嚴大夫》 ふたたび成都81奉待嚴大夫 杜甫<741 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4035 杜甫詩1500-741-978/250029

index-14廣徳2年764-89 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一》 杜甫<761 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4390 

index14廣徳2年764-90 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》<762 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4395

index-14廣徳2年764-91 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三》 杜甫<763 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4400 杜甫詩1500-763-1051/2500

廣徳2年764-92 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之四》 杜甫index-14 764杜甫<764 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4405 杜甫詩1500-764-1052/2500

廣徳2年764-93 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五》 杜甫index-14 764<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4410 杜甫詩1500-765-1053/2500

奉和嚴大夫軍城早秋》 杜甫index-14 764年 杜甫<779 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4560 杜甫詩1500-779-1083/2500

ndex-14廣徳2年764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4580 杜甫詩1500-783-#1-1087/2500Index-14廣徳2年764-85

Index-14廣徳2年764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4585

Index-14廣徳2年764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4590 杜甫詩1500-783-#3-1089/2500Index-14廣徳2年764-85

Index-14廣徳2年764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4595 

Index-14廣徳2年764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4600 杜甫詩1500-783-#5-1091/2500Index-14廣徳2年764-85

廣徳2年764-85 《嚴鄭公階下新松【案:得霑字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<787 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4620 杜甫詩1500-787-1095/2500廣徳2年764-85

廣徳2年764-86 《嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<788 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4625 杜甫詩1500-788-1096/2500廣徳2年764-86

廣徳2年764-87 《奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<789-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4630 杜甫詩1500-789-#1-1097/2500廣徳2年764-87

廣徳2年764-88 《奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<789-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4635 杜甫詩1500-789-#2-1098/2500廣徳2年764-88

廣徳2年764-89 《晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<790 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4640 杜甫詩1500-790-1099/2500廣徳2年764-89

765年永泰元年54-14 《弊廬遣興奉寄嚴公》 杜甫index-15 杜甫<814 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4805 杜甫詩1500-814-1132/2500

765年永泰元年54-30 《哭嚴僕射歸櫬》 杜甫index-15 杜甫<830 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4885 杜甫詩1500-830-1148/2500

765年永泰元年54-32 《渝州候嚴六侍御不到先下峽》 杜甫index-15 杜甫<832 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4895 杜甫詩1500-832-1150/2500

765年永泰元年54-33 《撥悶【贈嚴二別駕】》 杜甫index-15 杜甫<833 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4900 杜甫詩1500-833-1151/2500

766年大暦元年55-6 《水閣朝霽奉簡嚴雲安【雲安嚴明府】》 杜甫index-15 杜甫<869 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5165

766年大暦元年55-42-#1奉節-33-#1 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#1 杜甫index-15 杜甫<905-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5640

766年大暦元年55-42-#2奉節-33-#2 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#2 杜甫index-15 杜甫<905-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5645

766年大暦元年55-42-#3奉節-33-#3 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#3 杜甫index-15 杜甫<905-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5650

766年大暦元年55-42-#4奉節-33-#4 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#4 杜甫index-15 杜甫<905-4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5655

766年大暦元年55-42-#5奉節-33-#5 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#5 杜甫index-15 杜甫<905-5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5660

766年大暦元年55-42-#6奉節-33-#6 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#6 杜甫index-15 杜甫<905-6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5665

766年大暦元年55-42-#7奉節-33-#7 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#7 杜甫index-15 杜甫<905-7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5670

766年大暦元年55-42-#8奉節-33-#8 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#8 杜甫index-15 杜甫<905-8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5675

766年-77杜甫 《1714西閣三度期大昌嚴明府,同宿不到》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-77 <940 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6335

 

《寄題杜二錦江野亭》 厳武  蜀中転々 <528(附)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2840 杜甫詩1000-528(附)-762/1500

酬別杜二  厳武 蜀中転々 杜甫 <534(附-#1)>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2880 杜甫詩1000-534(附-#1)-770/1500

酬別杜二 厳武  蜀中転々 杜甫 <534(附-#2)>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2880 杜甫詩1000-534(附-#2)-770/1500

《軍城早秋》 厳武 764年 <0 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4555 杜甫詩1500-0-1082/2500

 

1            漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。昨日玉魚蒙葬地,

              早時金碗出人間。見愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷。

              多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。

2            韓公本意築三城,擬天驕拔漢旌。豈謂盡煩回紇馬,

              翻然遠救朔方兵。胡來不覺潼關隘,龍起猶聞晉水清。

              獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。

3            洛陽宮殿化為烽,休道秦關百二重。滄海未全歸禹貢,

              薊門何處盡堯封。朝廷袞職雖多預,天下軍儲不自供。

              稍喜臨邊王相國,肯銷金甲事春農。

4            回首扶桑銅柱標,冥冥氛祲未全銷。越裳翡翠無消息,

              南海明珠久寂寥。殊錫曾為大司馬,總戎皆插侍中貂。

              炎風朔雪天王地,只在忠臣翊聖朝。

5            錦江春色逐人來,巫峽清秋萬壑哀。正憶往時嚴僕射,

              共迎中使望台。主恩前後三持節,軍令分明數舉杯。

              西蜀地形天下險,安危須仗出群材。

766年-130杜甫 《1604諸將,五首之四》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-130 <993> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6645

杜甫  諸將,五首之四   

迴首扶桑銅柱標,冥冥氛祲未全銷。越裳翡翠無消息,南海明珠久寂寥。

殊錫曾為大司馬,總戎皆插侍中貂。炎風朔雪天王地,只在忠臣翊聖朝。

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第四首は、南方の遠地もまた朝貢を欠くことをいい、朝廷の指導力、武臣が忠誠を尽くさんことをのぞんでいる。)

首をふりむけば、南方の扶桑、後漢の馬猨が国境線を明確に示すものとして建てた銅柱のめじるしのある方面をながめるのに、そちらも悪気がくらくとざして全くはきえうせぬ。越裳国からの翡翠のみつぎものどころか、ほとんど消息がなく、南海の真珠の貢ものもながらくおとさたなしである。ところで武人はとみると、かつては、特別のおぼしめしで大司馬になったものもあるし、総大将で侍中のような罪のかざりを冠にはさんでいるものは全部がそれだ。朔雪の地はもとよりのことだが、炎風の地もやはり同じく吾が天子の領土であり、それを放置せず、その地をして朝貢させるようにすべきであるが、その要務はどこにあるといえばただ忠良の臣たるものが聖明の朝廷をおたすけしてゆくことに在るのである。

766-130杜甫 《1604諸將,五首之四》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-130 <993> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6645

 

 
  2015年9月21日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 766年-130杜甫 《1604諸將,五首之四》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-130 <993> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6645  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-993-1500/2500

年:766年大暦元年55-130

卷別:  卷二三○        文體:  七言律詩

詩題:  諸將,五首之四

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:        越裳 (嶺南道西部 驩州 越裳)      

南海 (嶺南道東部 廣州 南海)     

 

 

諸將,五首之四

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第四首は、南方の遠地もまた朝貢を欠くことをいい、朝廷の指導力、武臣が忠誠を尽くさんことをのぞんでいる。)

迴首扶桑銅柱標,冥冥氛祲未全銷。

首をふりむけば、南方の扶桑、後漢の馬猨が国境線を明確に示すものとして建てた銅柱のめじるしのある方面をながめるのに、そちらも悪気がくらくとざして全くはきえうせぬ。

越裳翡翠無消息,南海明珠久寂寥。

越裳国からの翡翠のみつぎものどころか、ほとんど消息がなく、南海の真珠の貢ものもながらくおとさたなしである。

殊錫曾為大司馬,總戎皆插侍中貂。

ところで武人はとみると、かつては、特別のおぼしめしで大司馬になったものもあるし、総大将で侍中のような罪のかざりを冠にはさんでいるものは全部がそれだ。

炎風朔雪天王地,只在忠臣翊聖朝。

朔雪の地はもとよりのことだが、炎風の地もやはり同じく吾が天子の領土であり、それを放置せず、その地をして朝貢させるようにすべきであるが、その要務はどこにあるといえばただ忠良の臣たるものが聖明の朝廷をおたすけしてゆくことに在るのである。

(諸將,五首の四)

首を廻らす扶桑銅柱の標、冥冥たる氛祲未だ全く銷せず

越裳の翡翠消息無く、南海の明珠久しく寂蓼。

殊錫曾て大司馬と為る、総戎皆插む侍中の貂。

炎風も朔雪も天王の地、只だ忠良の聖朝を翊たすくるに在り。

 

諸將,五首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

諸將,五首之四

迴首扶桑銅柱標,冥冥氛祲未全銷。

越裳翡翠無消息,南海明珠久寂寥。

殊錫曾為大司馬,總戎皆插侍中貂。

炎風朔雪天王地,只在忠臣翊聖朝。
詩文(含異文)  迴首扶桑銅柱標,冥冥氛祲未全銷【冥冥氛祲不全銷】。越裳翡翠無消息,南海明珠久寂寥。殊錫曾為大司馬,總戎皆插侍中貂。炎風朔雪天王地,只在忠臣翊聖朝【只在忠良翊聖朝】。


(下し文)
(諸將,五首の四)

首を廻らす扶桑銅柱の標、冥冥たる氛祲未だ全く銷せず

越裳の翡翠消息無く、南海の明珠久しく寂蓼。

殊錫曾て大司馬と為る、総戎皆插む侍中の貂。

炎風も朔雪も天王の地、只だ忠良の聖朝を翊たすくるに在り。

(現代語訳)
(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第四首は、南方の遠地もまた朝貢を欠くことをいい、朝廷の指導力、武臣が忠誠を尽くさんことをのぞんでいる。)

首をふりむけば、南方の扶桑、後漢の馬猨が国境線を明確に示すものとして建てた銅柱のめじるしのある方面をながめるのに、そちらも悪気がくらくとざして全くはきえうせぬ。

越裳国からの翡翠のみつぎものどころか、ほとんど消息がなく、南海の真珠の貢ものもながらくおとさたなしである。

ところで武人はとみると、かつては、特別のおぼしめしで大司馬になったものもあるし、総大将で侍中のような罪のかざりを冠にはさんでいるものは全部がそれだ。

朔雪の地はもとよりのことだが、炎風の地もやはり同じく吾が天子の領土であり、それを放置せず、その地をして朝貢させるようにすべきであるが、その要務はどこにあるといえばただ忠良の臣たるものが聖明の朝廷をおたすけしてゆくことに在るのである。


(訳注)

諸將,五首之四

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第四首は、南方の遠地もまた朝貢を欠くことをいい、朝廷の指導力、武臣が忠誠を尽くさんことをのぞんでいる。)

○諸将 将軍らをいう。詩中に或はその人を明言し或は明言しない。

南方の遠地もまた朝貢を欠くことをいい、武臣が忠誠を尽くさんことをのぞんでいる。製作年時は明らかでない。

 

迴首扶桑銅柱標,冥冥氛祲未全銷。

首をふりむけば、南方の扶桑、後漢の馬猨が国境線を明確に示すものとして建てた銅柱のめじるしのある方面をながめるのに、そちらも悪気がくらくとざして全くはきえうせぬ。

廻首 内地の事からはなれて遠方のことをいおうとしてかくいった。

扶桑 元来東海にある国のことであるが借りて南海をさす。

銅柱標 「扶桑」後漢の馬猨が国境線を明確に示すものとして建てたもの。扶桑は廣東地方の海をいい、銅柱は元來に交趾の事であり、今一つとして用いているのは、南方に銅柱残るとは唐の権力がその地に行き渡っていることをいうものである。『南史』「馬援所植兩銅柱,表漢界處也」(林邑国南界、馬援植つる所の両銅柱は、漢界を表する処なり。)とある、銅標は国界を表す目印、後漢の馬援がたてたもの、借りて越裳をさす。

氛祲 不吉の悪気。

 

越裳翡翠無消息,南海明珠久寂寥。

越裳国からの翡翠のみつぎものどころか、ほとんど消息がなく、南海の真珠の貢ものもながらくおとさたなしである。

越裳 古代の国名、今の交祉地方、此の句は起句の「銅柱」を承ける。

翠 かわせみ。

南海 広東地方をさす。此の句は「扶桑」を承ける。南海は廣東地方の海をいい、銅柱は元來に交趾の事であり、今一つとして用いているのは、南方に銅柱残るとは唐の権力がその地に行き渡っていることをいうものである。

明珠 明月珠、真珠のこと。

 

殊錫曾為大司馬,總戎皆插侍中貂。

ところで武人はとみると、かつては、特別のおぼしめしで大司馬になったものもあるし、総大将で侍中のような罪のかざりを冠にはさんでいるものは全部がそれだ。

殊錫 天子の特別の寵愛によってたまわる。

大司馬 漢の武帝の置いた武官の最上の官の名。唐でいうならば副元帥・都統・節度使・都督府・都護府の長官などで征伐の権を専らにするものがこれに相当しょう、事実何人をさすかは明らかでない。

總戎 これも軍務の長である。杜詩では節度使に対してしばしば総戎の語を用いている。

杜甫詩 「總戎」 について

卷一三37 將赴成都草堂途中有作先寄嚴鄭公五首  其五

總戎雲鳥陣,不妨遊子芰荷衣。

卷一三45 奉寄高常侍

汶上相逢年頗多,飛騰無那故人何。總戎楚蜀應全未,方駕曹劉不啻過。

卷一四77 遣憤 

聞道花門將,論功未盡歸。自從收帝里,誰復總戎機?

卷一五50  雨二首其二

南防草鎮慘,霑濕赴遠役。群盜下辟山,總戎備強敵。水深雲光廓,鳴艣各有適

卷一六04  諸將五首 其四

殊錫曾為大司馬,總戎皆插侍中貂。

卷一六14  夔府書懷四十韻 

恆山猶突騎,遼海競張旗。田父嗟膠漆,行人避蒺藜。總戎存大體,降將飾卑

插侍中貂 貂はてんのしっぼ、拝は冠にそれをさしはさむこと。侍中は天子の命令を出納し、礼儀を相けることを掌る官である、唐では侍中・左右常侍・中書令は冠に金曜をつけ解をはさんだ。此の句は節度使で宰相の肩書を帯びるものをさすもののごとくである。

 

炎風朔雪天王地,只在忠臣翊聖朝。

朔雪の地はもとよりのことだが、炎風の地もやはり同じく吾が天子の領土であり、それを放置せず、その地をして朝貢させるようにすべきであるが、その要務はどこにあるといえばただ忠良の臣たるものが聖明の朝廷をおたすけしてゆくことに在るのである。

炎風 熱風の吹く地、すなわち南海の地方をいう。

朔雪 北方の雪のふる地、すなわち中国北部をいう、前欝の槍海・前門などは朔雪の地である。

天王地 天子の領地。

只在 在の字の主語はない、義も肝要の務めは」というような語をおいてみるがよい。

忠臣 或は忠良に作る、良に従う。忠良は忠誠善良の臣。

766年-129杜甫 《1603諸將,五首之三》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-129 <992> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6640

杜甫  諸將,五首之三  

洛陽宮殿化為烽,休道秦關百二重。滄海未全歸禹貢,薊門何處盡堯封。

朝廷袞職雖多預,天下軍儲不自供。稍喜臨邊王相國,肯銷金甲事春農。

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第三首は乱後の民困をいい、諸将の屯田を行なわぬことを責めるが、王維の弟の王縉に対して期待していると述べる。)766年大暦元年の作。

洛陽の宮殿も“のろし火”にかわった。秦中の関塞は昔から、外敵の百分二の防禦力あれば足るほどの要害だなどいうことであったが、百万の軍が三十万の安史軍に大敗したではないか。今日東海地方はまだ天子の職貢の地となり、平穏な状態になっているとは言えないし、安史軍の根拠地の薊門のあたりもどこがすっかり王領になって治まったというのか。朝廷の三公の職に居る人人はやたらに官職ばかり多く帯びているが、天下の軍需品は強制的に取るのでなければ供給されぬありさまではないか。このときすこしばかり喜ぶべきことがあるのは、私の親友の王維の弟の王相国(縉)が河南・准西・山南東道の辺統一にのぞまれたということだが、王相国のことだから、兵器をとかして農具をこしらへ春をまって農作を専務とされるかんがえがおありになることだろう。

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杜甫詩1500-992-1499/2500

年:766年大暦元年55-129 

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    諸將,五首之三

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下      

故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關             

 

 

諸將,五首之三

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第三首は乱後の民困をいい、諸将の屯田を行なわぬことを責めるが、王維の弟の王縉に対して期待していると述べる。)766年大暦元年の作。

洛陽宮殿化為烽,休道秦關百二重。

洛陽の宮殿も“のろし火”にかわった。秦中の関塞は昔から、外敵の百分二の防禦力あれば足るほどの要害だなどいうことであったが、百万の軍が三十万の安史軍に大敗したではないか。

滄海未全歸禹貢,薊門何處盡堯封。

今日東海地方はまだ天子の職貢の地となり、平穏な状態になっているとは言えないし、安史軍の根拠地の薊門のあたりもどこがすっかり王領になって治まったというのか。

朝廷袞職雖多預,天下軍儲不自供。

朝廷の三公の職に居る人人はやたらに官職ばかり多く帯びているが、天下の軍需品は強制的に取るのでなければ供給されぬありさまではないか。

稍喜臨邊王相國,肯銷金甲事春農。

このときすこしばかり喜ぶべきことがあるのは、私の親友の王維の弟の王相国(縉)が河南・准西・山南東道の辺統一にのぞまれたということだが、王相国のことだから、兵器をとかして農具をこしらへ春をまって農作を専務とされるかんがえがおありになることだろう。

 

(諸將,五首の三)

洛陽の宮殿 化して烽と為る,道うを休めよ 秦關 百二の重と。

滄海 未だ全っく禹貢に歸せず,薊門 何れの處にか 盡く堯封なる。

朝廷の袞職は 多く預ると雖も,天下の軍儲は 自ら供せず。

稍やもして 喜ぶは邊に王相國 臨み,肯えて金甲を銷して 春農を事とせんや。
楚州001

 

諸將,五首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

諸將,五首之三

洛陽宮殿化為烽,休道秦關百二重。

滄海未全歸禹貢,薊門何處盡堯封。

朝廷袞職雖多預,天下軍儲不自供。

稍喜臨邊王相國,肯銷金甲事春農。
詩文(含異文)     洛陽宮殿化為烽,休道秦關百二重。滄海未全歸禹貢,薊門何處盡堯封【案:時河北幽、瀛皆安史餘孽盤據。】【薊門何處覓堯封】。朝廷袞職雖多預【朝廷袞職誰爭補】,天下軍儲不自供。稍喜臨邊王相國,肯銷金甲事春農【案:廣德二年,王縉以同平章事,代李光弼都統行營。餘,遷河南副元帥。】。


(下し文)
(諸將,五首の三)

洛陽の宮殿 化して烽と為る,道うを休めよ 秦關 百二の重と。

滄海 未だ全っく禹貢に歸せず,薊門 何れの處にか 盡く堯封なる。

朝廷の袞職は 多く預ると雖も,天下の軍儲は 自ら供せず。

稍やもして 喜ぶは邊に王相國 臨み,肯えて金甲を銷して 春農を事とせんや。

(現代語訳)
(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第三首は乱後の民困をいい、諸将の屯田を行なわぬことを責めるが、王維の弟の王縉に対して期待していると述べる。)766年大暦元年の作。

洛陽の宮殿も“のろし火”にかわった。秦中の関塞は昔から、外敵の百分二の防禦力あれば足るほどの要害だなどいうことであったが、百万の軍が三十万の安史軍に大敗したではないか。

今日東海地方はまだ天子の職貢の地となり、平穏な状態になっているとは言えないし、安史軍の根拠地の薊門のあたりもどこがすっかり王領になって治まったというのか。

朝廷の三公の職に居る人人はやたらに官職ばかり多く帯びているが、天下の軍需品は強制的に取るのでなければ供給されぬありさまではないか。

このときすこしばかり喜ぶべきことがあるのは、私の親友の王維の弟の王相国(縉)が河南・准西・山南東道の辺統一にのぞまれたということだが、王相国のことだから、兵器をとかして農具をこしらへ春をまって農作を専務とされるかんがえがおありになることだろう。


(訳注)

諸將,五首之三

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第三首は乱後の民困をいい、諸将の屯田を行なわぬことを責めるが、王維の弟の王縉に対して期待していると述べる。)766年大暦元年の作。

○諸将 諸将軍。命を受けて軍を統帥して、外征や衛戍の指揮統率をする者たち。諸将軍や節度使たち。辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たち。作者は安史の乱に遭い、大唐の軍部の不甲斐なさを歎いてこの詩を作った。詩中に或はその人を明言し或は明言しない。

第三首は乱後の民困をいい、諸将の屯田を行なわぬことを責めるが、王維の弟の王縉に対して期待し、かつ諸将の模範として頑張ってほしい旨を述べる。766年大暦元年55の時、129首目の作である。

 

洛陽宮殿化為烽,休道秦關百二重。

洛陽の宮殿も“のろし火”にかわった。秦中の関塞は昔から、外敵の百分二の防禦力あれば足るほどの要害だなどいうことであったが、百万の軍が三十万の安史軍に大敗したではないか。

○洛陽宮殿 安禄山は75511月についに挙兵した。挙兵からわずか1ヶ月で、唐の副都というべき洛陽を陥落させた。756年正月、安禄山は大燕聖武皇帝(聖武皇帝)を名乗り燕国の建国を宣言する。6月初めには長安をも陥落させた。

○化為蜂 のろし火にかわる、兵乱のここに及んだことをいう。天宝十四載二月、禄山は東京(洛陽)を陥れ、十五載六月滝関を破った。

○秦関 潼関、函谷関をさす、禄山は函谷関・潼関をこえてはじめて長安に入った。

〇百二重 《漢紀》に「秦は形勝の国なり、山を帯び河を阻て、持戟百万、秦百が二を得たり」とあり、注に秦地は険固にして二万人を以て諸侯の百万人に当たるに足るといっている。百二とは百分の二だけの防禦力で足ることをいう。重とはかさなる、函谷関、潼関の要害のかさなって幾重にもあることをいう、百二重とは己を防ぐには敵の百分の二の力で足る要害というの意。実際には、函谷関に集結していた百万の哥舒翰の軍勢が、三十万の安史軍に大敗をした。

 

滄海未全歸禹貢,薊門何處盡堯封。

今日東海地方はまだ天子の職貢の地となり、平穏な状態になっているとは言えないし、安史軍の根拠地の薊門のあたりもどこがすっかり王領になって治まったというのか。

○滄海 ひろいうみ。禹貢の青州の域、今の山東省の東及び北の海面をさす。

○禹貢 「尚書」に禹貢篇があり、夏の禹王の時の中国全土の行政区分と、各地よりたてまつるべき貢賦の事とを記載している、因って「禹貢に帰す」とは「天子の領域」に帰するという意となる。

○薊門 薊州、今の順天府地方、安禄山の根拠地であったところ。

○堯封 周の時、堯の子孫を薊に封じたので堯封という、これも天子の領地の意である。

 

朝廷袞職雖多預,天下軍儲不自供。

朝廷の三公の職に居る人人はやたらに官職ばかり多く帯びているが、天下の軍需品は強制的に取るのでなければ供給されぬありさまではないか。

職 《詩経、烝民》「人亦有言、德輶如毛、民鮮克舉之。我儀圖之、維仲山甫舉之、愛莫助之。袞職有闕、維仲山甫補之。」(人亦有言、德輶如毛、民鮮克舉之。我儀圖之、維仲山甫舉之、愛莫助之。人亦た言あり、德の輶いこと毛の如し、民克くこれを舉げること鮮し。我これを儀圖するに、維れ仲山甫はこれを舉ぐ、愛すれどこれを助くることなし。袞職闕くる有れば、維れ仲山甫之を補う)とある、衰職は天子の職をさす、後漢に至っては衰職を三公の職の事として用いる、「法兵伝」に「臣願わくは聖朝、就ち衰職を加えられんことを」というのがそれである。此の詩句も後世の意により三公の職として用いる。袞は巷竜の模様のある衣、三公はそれを着るのによって其の職を袞職という。

○誰争補 袞職を天子職とするが、実際この時、高級官僚のおおくは、複数の官職を兼ね領してその事務に関係していたために混乱していた。当時の藩鎭、節度使は本官の外に多くは中書令・平章事を加えられ、兼ねて内銜(宮内省関係官職の肩書き)を領していた。これは恩賞や俸禄に対して現金がなく官位をばらまいたことによるもので、安史の篇の期間中、安禄山と唐王朝で争奪戦となり、唐王朝は、藩鎭節度使の食い止め策に官位を乱発した。力のないものまで、諸侯に加えられた。この時、最も力をつけたのが宦官勢力である。

○軍儲 軍需品。

○不自供 地方より自発的に供納せず、上より求索するのを待って供せられることをいう。強奪ということを娩曲にいったものである。

 

稍喜臨邊王相國,肯銷金甲事春農。

このときすこしばかり喜ぶべきことがあるのは、私の親友の王維の弟の王相国(縉)が河南・准西・山南東道の辺統一にのぞまれたということだが、王相国のことだから、兵器をとかして農具をこしらへ春をまって農作を専務とされるかんがえがおありになることだろう。

○臨辺 辺境にのぞむ。辺境というのは京畿以外の地をさしていい、必ずしも真に辺遠の地をさすわけではなく、仮に辺境地とするならば本第を大暦三年以後の作としなければならないが、王縉の記述から、大暦元年の作に間違いない。

○王相国 王縉をいう、王縉は王維の弟で、広徳二年に同平章事(すなわち宰相)に拝し、その年八月李光粥に代わって河南・准西・山南東道の諸節度行常の事を都統し、兼ねて東京留守を領したが、歳余にして(永泰元年末)河南副元帥に遷り、大暦三年には幽州盧竜節度を領し、また太原尹・北京留守を兼ね河東軍節度使にあてられている。

○肯 此の骨の字は《巻九72客至》「肯與鄰翁相對飲、隔籬呼取盡餘杯。」(肯【あえ】)て隣翁【りんおう】と相い対して飲まむや、籬【まがき】を隔てて呼び取りて余杯【よはい】を尽さしめん。)の肯とおなじく、こちらからもちかけて相談する意。

客至 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 3)  杜甫 <408 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1985 杜甫詩1000-408-591/1500

○錦金甲 金属で造ったよろいをとかす、兵器をとかして農具となすのである。

○春農 春の農作。魏の曹操が、屯田兵制度を積極的に進めたこともあって、王縉がおなじ地域の節度して言うことで、こういう言い回しとしたのである。

196年には魏の曹操は、韓浩・棗祗らの提言に従って屯田制を導入した。これは、辺境地帯でなく内地において、荒廃した田畑を一般の人民にあてがって耕作させるもの(民屯)で、当初は許都の周辺で行われ、のち各地に広まった。屯田制下の人民は、各郡の典農中郎将、各県の典農都尉によって、一般の農村行政とは別に軍事組織と結びついた形で統治された。司馬懿の提言で、長期にわたる抗争を繰り広げていた呉・蜀それぞれの国境付近(淮河流域、関中)でも軍屯が展開され、これにより安定した食糧供給を維持した魏は、両国との争いを有利に進めた。
汜水関などの地図

766年-128杜甫 《1602諸將,五首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-128 <991> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6635

杜甫  諸將,五首之二    

韓公本意築三城,擬天驕拔漢旌。豈謂盡煩回紇馬,翻然遠救朔方兵。

胡來不覺潼關隘,龍起猶聞晉水清。獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。
(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第二首は吐蕃の乱について諸将を責める。)766年大暦元年の作。

韓国公である張仁愿が中宗の時に黄河の北に東城、中城、西城の三城をきずいたが、これの本意は匈奴、吐蕃の異民族があばれて漢(唐)の旗を抜き取ってならないから、抜かせる行為をすっかり根絶しょうということだった。それが意外にも騒乱がおこると翻って一一匈奴の種族たるウイグルの兵をわずらわしてその手を借りて遠く朔方軍の方をたすけてもらわねばならない始末であった。おまけに安史軍をやっと殲滅させたと思ったら、吐蕃のえびすは長安に入寇し、堅固な潼関の険扼を無視してそれを突破せんとした。だがさすがに吾が唐は祖皇の竜のごとく起こられた太原の地において今でも晋水の水清くながれていると聞く、決して悲観するにはあたらない。ただ至尊の天子ばかりに社稷のことをご心配させ申しあげるのではすまぬことでないか、諸君はこの升平の恩沢に対し何事を以てこれにお答えしようとするのであるか。

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年:766年大暦元年55-128

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    諸將,五首之二

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              朔方節度使 ( 靈州 朔方節度使) 別名:朔方      

潼關 (京畿道 華州 潼關)  

 

 

諸將,五首之二

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第二首は吐蕃の乱について諸将を責める。)766年大暦元年の作。

韓公本意築三城,擬天驕拔漢旌。

韓国公である張仁愿が中宗の時に黄河の北に東城、中城、西城の三城をきずいたが、これの本意は匈奴、吐蕃の異民族があばれて漢(唐)の旗を抜き取ってならないから、抜かせる行為をすっかり根絶しょうということだった。

豈謂盡煩回紇馬,翻然遠救朔方兵。

それが意外にも騒乱がおこると翻って一一匈奴の種族たるウイグルの兵をわずらわしてその手を借りて遠く朔方軍の方をたすけてもらわねばならない始末であった。

胡來不覺潼關隘,龍起猶聞晉水清。

おまけに安史軍をやっと殲滅させたと思ったら、吐蕃のえびすは長安に入寇し、堅固な潼関の険扼を無視してそれを突破せんとした。だがさすがに吾が唐は祖皇の竜のごとく起こられた太原の地において今でも晋水の水清くながれていると聞く、決して悲観するにはあたらない。

獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。

ただ至尊の天子ばかりに社稷のことをご心配させ申しあげるのではすまぬことでないか、諸君はこの升平の恩沢に対し何事を以てこれにお答えしようとするのであるか。

 (諸將,五首の二)

韓公の本意  三城を 築くは,天驕の 漢旌を拔くを  絶たんと 擬すればなり。

豈に謂はんや 盡く 回紇の馬を煩はし,翻然として 遠く朔方の兵を 救はんとは。

胡 來りて 潼關の隘きを覺えず,龍 起こりて 猶お晉水の淸きを聞く。

獨り 至尊をして社稷を憂へしめれば,諸君 何を以てか 升平に答へん。

 

安史の乱当時の勢力図 

諸將,五首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

諸將,五首之二

韓公本意築三城,擬天驕拔漢旌。

豈謂盡煩回紇馬,翻然遠救朔方兵。

胡來不覺潼關隘,龍起猶聞晉水清。

獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。
詩文(含異文)

韓公本意築三城,擬天驕拔漢旌。

豈謂盡煩回紇馬,翻然遠救朔方兵【案:郭子儀以孤軍起朔方,灃(澧)上之戰,克復長安;新店之戰,再收東都,皆用回紇之力。】。

胡來不覺潼關隘,龍起猶聞晉水清【案:唐高祖次龍門,代水清。】。獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。


(下し文)
(諸將,五首の二)

韓公の本意  三城を 築くは,天驕の 漢旌を拔くを  絶たんと 擬すればなり。

豈に謂はんや 盡く 回紇の馬を煩はし,翻然として 遠く朔方の兵を 救はんとは。

胡 來りて 潼關の隘きを覺えず,龍 起こりて 猶お晉水の淸きを聞く。

獨り 至尊をして社稷を憂へしめれば,諸君 何を以てか 升平に答へん。

(現代語訳)
(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第二首は吐蕃の乱について諸将を責める。)766年大暦元年の作。

韓国公である張仁愿が中宗の時に黄河の北に東城、中城、西城の三城をきずいたが、これの本意は匈奴、吐蕃の異民族があばれて漢(唐)の旗を抜き取ってならないから、抜かせる行為をすっかり根絶しょうということだった。

それが意外にも騒乱がおこると翻って一一匈奴の種族たるウイグルの兵をわずらわしてその手を借りて遠く朔方軍の方をたすけてもらわねばならない始末であった。

おまけに安史軍をやっと殲滅させたと思ったら、吐蕃のえびすは長安に入寇し、堅固な潼関の険扼を無視してそれを突破せんとした。だがさすがに吾が唐は祖皇の竜のごとく起こられた太原の地において今でも晋水の水清くながれていると聞く、決して悲観するにはあたらない。

ただ至尊の天子ばかりに社稷のことをご心配させ申しあげるのではすまぬことでないか、諸君はこの升平の恩沢に対し何事を以てこれにお答えしようとするのであるか。


(訳注)

諸將,五首之二

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第二首は吐蕃の乱について諸将を責める。)766年大暦元年の作。

○諸将 諸将軍。命を受けて軍を統帥して、外征や衛戍の指揮統率をする者たち。諸将軍や節度使たち。辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たち。作者は安史の乱に遭い、大唐の軍部の不甲斐なさを歎いてこの詩を作った。詩中に或はその人を明言し或は明言しない。

 

韓公本意築三城,擬天驕拔漢旌。

韓国公である張仁愿が中宗の時に黄河の北に東城、中城、西城の三城をきずいたが、これの本意は匈奴、吐蕃の異民族があばれて漢(唐)の旗を抜き取ってならないから、抜かせる行為をすっかり根絶しょうということだった。

韓公 張仁愿をいう、仁愿は中宗の景竜二年に左衛大将軍・同中書門下三品に拝し、韓国公に封ぜられた。

本意 築城の本意。

築三城 漢・武帝の時、匈奴の降服を受け入れるために塞外に築いた城塞。その後、唐代になって、張仁愿が唐の時代に突厥の攻撃を防ぐため河北に再興したもの。彼は神竜三年に河北(長城を出た黄河の北)において三つの受降城を築いた、東城は楡林の直北にあたり、中城は払雲祠で朔方軍の直北にあたり、西城は霊武の直北にあたる。

擬絶 絶無にしようとの準備。

天騎 匈奴自ずから称して「天ノ筋子」という、回紇も匈奴の種族やあるゆえに天輪という。

拔漢旌 漢のはたをぬきとる、漠と戦って勝ちそのはたを取る、漢を借りて唐をいう。○豊謂 意外にも。

 

豈謂盡煩回紇馬,翻然遠救朔方兵。

それが意外にも騒乱がおこると翻って一一匈奴の種族たるウイグルの兵をわずらわしてその手を借りて遠く朔方軍の方をたすけてもらわねばならない始末であった。

煩回紇馬 安禄山の乱の時も、吐蕃の乱の時も、唐は回紇、ウイグルより援助を受けたことをいう。

翻然 かえって。

救朔方兵 朔方軍の兵とは朔方節度使郭子儀の兵をいう、子儀は前後ともに回紇の兵を借り用いて功を立てた。

 

胡來不覺潼關隘,龍起猶聞晉水清。

おまけに安史軍をやっと殲滅させたと思ったら、吐蕃のえびすは長安に入寇し、堅固な潼関の険扼を無視してそれを突破せんとした。だがさすがに吾が唐は祖皇の竜のごとく起こられた太原の地において今でも晋水の水清くながれていると聞く、決して悲観するにはあたらない。

胡來不覺潼關隘 胡は吐蕃をさす。潼関は華州の東に在る、隘は・隘:せまい。道が険しくて狭い所。険隘。要害の地を謂う。廣徳元年(763)10月、吐蕃が涇州へ来寇した。刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を 深く引き入れる。 吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。代宗皇帝は陜州へ疎開する。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。代宗皇帝は詔を下して、雍王・李适を関内元帥とし、 郭子儀を副元帥として吐蕃軍に当たらせることとした。この時の吐蕃はまさに潼関の険を無視して東に突破しょうとする勢いのあったことをいう。

龍起猶聞晉水清  ・龍起 唐王朝の高祖李淵の挙兵をいう。 ・龍 天子の譬喩。 ・猶 なお。それでも。まだ。やはり。なお…ごとし。また、すら。さえ。ここは、前者の意。 ・聞 聞こえてくる。 ・晉水 太原を流れる川で、唐の高祖李淵が挙兵した太原を指す。 ・清:清らかである。澄んでいて、外夷に穢されていないことを謂う。杜甫《巻五27北征》「煌煌太宗業,樹立甚宏達!」我が唐が大帝国と為し、繁栄を誇ったのは太宗の帝業が煌煌とかがやいていることなのだ。その樹立された諸制度は広大であり且つ終始をつらぬいて後々の世までつづくのであり、唐の国運が中絶することなどありはしないのだ。・煌煌 かがやくさま。・太宗業 太宗の為された輝かしい帝業。・樹立 うえつけ立てたこと。・宏達 宏大通達、大きくて且つ終始をつらぬきとおることをいう。といっているごとく国初の祥瑞をあげて国運の衰えるはずのないことをいう。

北征 #12 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 219

 

獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。

ただ至尊の天子ばかりに社稷のことをご心配させ申しあげるのではすまぬことでないか、諸君はこの升平の恩沢に対し何事を以てこれにお答えしようとするのであるか。

至尊 時の天子、代宗をさす。

○諸君 郭子儀以下の諸将をさす。

この二句は、乱に対して、ウイグル民族に依存して、積極的な対応策が講じられなかった六軍の将軍たちの無能ぶりを批判、宦官により堕落した諸将を批判している。
黄河二首の背景 杜甫三者の思惑が合致 

766年-127杜甫 《1601諸將,五首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-127 <990> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6630

杜甫  諸將,五首之一    

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。昨日玉魚蒙葬地,早時金碗出人間。

見愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷。多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。

(唐朝廷の郭子儀以外の諸将は宦官によって無力化し、宦官の讒言で追い詰められた僕固懐恩は、吐蕃、ウイグルと結託し入寇の手引きをしている、諸将は目を覚ませと訴えている。)

漢朝は、都長安を守るため、その陵墓を終南山と対して京師の附近に配置したが、千年後の今日において、なお、異民族である、吐蕃、ウイグルが関中内に侵入してくるのである。つい昨日のようであるが、異民族の彼らが陵墓の発掘をやるので、やっと埋葬の場所で玉魚に土をかぶせたばかりなのに、早くも盗掘され、今日は金のお碗が世間へ出てくるというありさまだ。現在また愁わしくも西戎、吐蕃が馬に汗して西域の辺境に再三にわたって、せまってきているが、その地は、かつて玄宗開元のとき、我が官軍は朱旗をひらめかして、天の北斗星まで殷殷としていたのである。いま多くの武官どもが涇水、渭水の流域すなわちごく京師、関中の地の近地で守禦をしておるのである。将軍たるものしばらくは蹴鞠などせず、そしてにっこりともせず油断なく防禦に力をつくすべきである。

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  2015年9月18日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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312 《巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <312> Ⅰ李白詩1616 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6628  
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韓愈88-#15 §4-1 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1529> Ⅱ#15 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6629  
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-990-1497/2500

 

年:766年大暦元年55-127

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    諸將,五首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

 

 

諸將,五首之一

(唐朝廷の郭子儀以外の諸将は宦官によって無力化し、宦官の讒言で追い詰められた僕固懐恩は、吐蕃、ウイグルと結託し入寇の手引きをしている、諸将は目を覚ませと訴えている。)

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。

漢朝は、都長安を守るため、その陵墓を終南山と対して京師の附近に配置したが、千年後の今日において、なお、異民族である、吐蕃、ウイグルが関中内に侵入してくるのである。

昨日玉魚蒙葬地,早時金碗出人間。

つい昨日のようであるが、異民族の彼らが陵墓の発掘をやるので、やっと埋葬の場所で玉魚に土をかぶせたばかりなのに、早くも盗掘され、今日は金のお碗が世間へ出てくるというありさまだ。

見愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷。

現在また愁わしくも西戎、吐蕃が馬に汗して西域の辺境に再三にわたって、せまってきているが、その地は、かつて玄宗開元のとき、我が官軍は朱旗をひらめかして、天の北斗星まで殷殷としていたのである。

多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。

いま多くの武官どもが涇水、渭水の流域すなわちごく京師、関中の地の近地で守禦をしておるのである。将軍たるものしばらくは蹴鞠などせず、そしてにっこりともせず油断なく防禦に力をつくすべきである。

 

(諸将 五首の一)

漢朝の陵墓は南山に対し、胡虜千秋 尚お関に入る。

昨日玉魚葬地に蒙わる、早時金碗 人間に出づ。

見に愁う 汗馬 西戎の逼るを、曾て朱旗を閃かして 北斗も殷なり。

多少の材官 涇渭を守り、将軍 且つ 愁顔を破ること莫れ。

 

京兆地域図002 

諸將,五首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

諸將,五首之一    

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。

昨日玉魚蒙葬地,早時金碗出人間。

見愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷。

多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。


詩文(含異文)

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。昨日玉魚【案:漢楚王戊太子死,天子賜玉魚一雙以斂。】蒙葬地,早時金碗【案:盧充與崔少府女幽婚,贈充金碗,乃向時殉葬物也。】出人間。見【案:音現。】愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷【案:於顏切,紅色也。】【曾閃朱旗北斗閒】。多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。


(下し文)
(諸将 五首の一)

漢朝の陵墓は南山に対し、胡虜千秋 尚お関に入る。

昨日玉魚葬地に蒙わる、早時金碗 人間に出づ。

見に愁う 汗馬 西戎の逼るを、曾て朱旗を閃かして 北斗も殷なり。

多少の材官 涇渭を守り、将軍 且つ 愁顔を破ること莫れ。

(現代語訳)
(唐朝廷の郭子儀以外の諸将は宦官によって無力化し、宦官の讒言で追い詰められた僕固懐恩は、吐蕃、ウイグルと結託し入寇の手引きをしている、諸将は目を覚ませと訴えている。)

漢朝は、都長安を守るため、その陵墓を終南山と対して京師の附近に配置したが、千年後の今日において、なお、異民族である、吐蕃、ウイグルが関中内に侵入してくるのである。

つい昨日のようであるが、異民族の彼らが陵墓の発掘をやるので、やっと埋葬の場所で玉魚に土をかぶせたばかりなのに、早くも盗掘され、今日は金のお碗が世間へ出てくるというありさまだ。

現在また愁わしくも西戎、吐蕃が馬に汗して西域の辺境に再三にわたって、せまってきているが、その地は、かつて玄宗開元のとき、我が官軍は朱旗をひらめかして、天の北斗星まで殷殷としていたのである。

いま多くの武官どもが涇水、渭水の流域すなわちごく京師、関中の地の近地で守禦をしておるのである。将軍たるものしばらくは蹴鞠などせず、そしてにっこりともせず油断なく防禦に力をつくすべきである。


(訳注)

諸將,五首之一

(唐朝廷の郭子儀以外の諸将は宦官によって無力化し、宦官の讒言で追い詰められた僕固懐恩は、吐蕃、ウイグルと結託し入寇の手引きをしている、諸将は目を覚ませと訴えている。)

○諸将 将軍らをいう。詩中に或はその人を明言し或は明言しない。第一首は長安の近西、吐蕃の侵入の路を守る将軍に対してのべている。766年大暦元年55の作。

杜甫は、下臣のあり方。安史軍、異民族からの守りと国の施政のために、朝廷の構成人用を整える必要がある。その第一は、長安の守りを固めること。

【春秋左傳】文公十八年(609) 是以堯崩而天下如一,同心戴舜以為天子,以其舉十六相,去四凶也。

漢、建武二十八将と雲台三十二将部下の二十八将が天の星座の生まれ変わりであるとされていることであろう。この本では、劉秀の家臣で特に重要な二十八人について、その初登場のときに数字をつけているが、これはその二十八人が劉秀にとって特別な将軍であるからである。それが建武二十八将である。一般には雲台二十八将と書かれることが多いが、四人が追加された後の三十二将と紛らわしいので、この本では建武二十八将と雲台三十二将として区別しておく。後漢時代には雲台二十八将という表現はなく、建武元功二十八将、中興二十八将、光武二十八将であるし、そもそも二十八将は雲台に描かれる前から二十八将であったので雲台二十八将という表現は適切ではない。

杜甫《巻十二45 述古,三首之二》「舜舉十六相,身尊道何高。」根本的にいうと、むかし舜は十六人の賢相をあげて用いた、それで自身は尊くなり、その道は高尚である。(粛宗も宰相16人であるがとても酷いものが多いということ。)〇十六相 八元八憶と称する十六人のかしこい宰相をいう、事は「左伝」(文公十八年)にみえる。この時粛宗が任じたは宰相が16人であったためにこういう表現をしたのである。

肅宗の宰相十六人 韋見素・崔圓・房琯・裴冕・崔渙・李麟・苗晉卿・張鎬・王璵・呂・李峴・第五琦・李揆・蕭華・裴遵慶・元載。

654 巻十二45述古,首之二》 蜀中転々 杜甫 <559  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3025 杜甫詩1000-559-799/1500

僕固懐恩はもともとウィグルを構成する九つの部族の一つ・ブクゥの出身、ウィグルを安禄山らから切り離し唐側に引き入れるために娘をウィグルの王子に嫁がせるほど唐の皇帝のために自分も家族も犠牲にして働いた人物である。足かけ十年にも及ぶ大乱が平定されてふと気づけば、彼の娘の嫁いだウィグルの王子はカガンになっていた。

 平和が訪れると、自ら武器を手に戦うことのなかった役人たちはこの婚姻関係や彼の出自を不気味に思い始めたのである。彼の抜群の軍功を妬む人々が宮廷内に「懐恩に二心あり」との悪意ある噂を広めるのはきわめて容易であった。

 

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。

漢朝は、都長安を守るため、その陵墓を終南山と対して京師の附近に配置したが、千年後の今日において、なお、異民族である、吐蕃、ウイグルが関中内に侵入してくるのである。

○漢朝 漢を借りて唐をいう。

○陵墓 帝王のみささぎ、公卿のはか。

○南山 終南山。

○胡虜 北方のえびす。前には安禄山の軍、後には吐蕃、ウイグル(匈奴)の軍。

○千秋 多くの歳月を経た今において。

○入関 主として関中の地の東西に在るものをさしている。東は函谷関、西は玉門関・陽関の類。

 

昨日玉魚蒙葬地,早時金碗出人間。

つい昨日のようであるが、異民族の彼らが陵墓の発掘をやるので、やっと埋葬の場所で玉魚に土をかぶせたばかりなのに、早くも盗掘され、今日は金のお碗が世間へ出てくるというありさまだ。

○玉魚 玉で造った魚形の偲びもの、貴人が身につけるもので埋葬のときこれを陵墓の中に入れてやる。

○蒙 土をかぶせられてあることをいう。

○金碗 黄金で造ったおわん、これもまた貴人の用いる品で陵墓中に埋められる。

○出人間 陵墓が盗掘であばかれて世間へあらわれでる。

 

見愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷。

現在また愁わしくも西戎、吐蕃が馬に汗して西域の辺境に再三にわたって、せまってきているが、その地は、かつて玄宗開元のとき、我が官軍は朱旗をひらめかして、天の北斗星まで殷殷としていたのである。

○見愁 現在眼のまえにあって愁うべきことの意。

○汗馬西戎 西戎は吐蕃をさす、吐蕃は763年広徳元年十月に入遷して長安に入り、764年広徳二年秋にも西辺に入寇し、翌永泰元年九月にも長安に大挙入寇した、詩句は思うに最近の人造についていう、汗馬は西域の馬の総称でもあり、吐蕃が長駆してあせした馬にのることをいう。

○曾 往年をさしていう。

○朱旗北斗 朱旗はあかい色のはた、官軍の旗をいう、北斗は天上の北斗星をいう、長安城は北斗にかたどったというが、唐王朝が次の「殷」の字とで粛々と治めていたことを言う。

○殷 殷殷として、切々としている,懇ろである.あかぐろい、旗色の盛んなことをいう。「殷」字は、或は「閒」に作る、ならば閑暇の意、旗がしずかにひるがえることをいう。

 

多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。

いま多くの武官どもが涇水、渭水の流域すなわちごく京師、関中の地の近地で守禦をしておるのである。将軍たるものしばらくは蹴鞠などせず、そしてにっこりともせず油断なく防禦に力をつくすべきである。

○多少 おおくの。

○材官 武技の臣、或る武芸にすぐれた武官。肅宗の宰相十六人の生き残りの奸臣。

守涇渭 官軍(郭子儀軍)が涇水、渭水の関中の地を守ることをいう、二水の流域は長安地方を示す。765年、永泰元年九月、回紇・吐蕃が兵を合して涇陽を囲んだとき、郭子儀軍の堅い守りに、暮に及んで二軍ともに退いて北原に屯した。また、同月、郭子儀は諸道の節度使を遣わし各の兵を出して要害に駐屯させようと請うたが、諸将は猶お蹴鞠を撃って楽みを為していた。このことによって末尾の二句があるのである。

○将軍 材官らを統べる長官をさす。

○且 しばらく。

○破愁顔 愁わしいかおつきを破って笑顔となること、娯楽に意を傾けることをいう。この時、唐朝廷、唐軍(郭子儀軍以外)はほとんど宦官によって動かされていたことを言う。

僕固懐恩という人物は君主に背き、母を捨て、天下万民が恥だと している人物なのに、君らは彼に付き従い、以前の功績を捨てて 新たな怨恨を生もうとしていた。

 

(諸将 五首の一)

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。

昨日玉魚蒙葬地,早時金碗出人間。

見愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷。

多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。

 

漢朝の陵墓は南山に対し、胡虜千秋 尚お関に入る。

昨日玉魚葬地に蒙わる、早時金碗 人間に出づ。

見に愁う 汗馬 西戎の逼るを、曾て朱旗を閃かして 北斗も殷なり。

多少の材官 涇渭を守り、将軍 且つ 愁顔を破ること莫れ。

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杜甫 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -6  そのかみをかんがえると自分は張相国公とは身分の階級が隔たっていたので自分の製作をたてまつってみてもらうこともかなわなかったのだ。いま張相国公の撰に成る徐孫子の碑文をふたたび読んでみると、小舟の用意をして南昌まで出かけていってみたいような感じがする。

 
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766年大暦元年55-47-6奉節-38-6 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -6》 杜甫index-15 杜甫<910-6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5860

 

 

杜甫詩1500-910-6-1343/2500766年大暦元年55-47-6

 

 

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡【八哀詩八首:故右僕射相國曲江張公九齡】

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)    

荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門         

大庾山 (嶺南道東部 無第二級行政層級 大庾山) 別名:梅嶺、東嶠、大庾嶺        

交遊人物:張九齡              詩文提及

 

 

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

相國生南紀,金璞無留礦。

張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

仙鶴下人間,獨立霜毛整。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

矯然江海思,複與雲路永。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

寂寞想土堦,未遑等箕潁。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。

#2

上君白玉堂,倚君金華省。

だから張相公は長安のみやこへ出てきて、天子の大極殿の白玉の堂にのぼり、の金華の中書省に職籍を置くに至った。

碣石崢嶸,天地日蛙黽。

そのころ渤海の碣石山あたりから、年年に路が高く嶮しくなり、安禄山の異民族の虜の勢いが盛んになり、宮苑の池には日日、蛙である頽廃文化の小人どもがはびこるようになっていた。

退食吟大庭,何心記榛梗。

張相国公は荊州に流されたことを契機に官署から退出して故郷にかえれば大古の大庭氏の治世を吟じて、小人どもに邪魔されたことなどはこころにとめはしなかった。

骨驚畏曩哲,鬒變負人境。

ただ儒者である自己が前賢に及んでいないことを畏れて骨髄まで驚くという自己反省をされ、人境をはなれた地方へ出されたりするけれど自己を高めることをされために黒髪も白くなるほどに心配をされているのにである。

君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

 

#3

雖蒙換蟬冠,右地多幸。

宰相を免ぜられて詔蝉の冠を換えさせられたとき、右丞相に遷されたが、それさえもまだ幸いが多すぎるとてはずかしとせられ、じぶんをうりこんだりするものではなかった。

敢忘二疏歸,痛迫蘇耽井。

むかし蘇耽は井水と橘葉とを以て母を養ったというが、張相国公は母をしとうて痛みがむねに迫っていたのである、どうして疏広・疏受のように官を退いて故郷に帰ってしまうことを忘れるということはないのである。

紫綬映暮年,荊州謝所領。

晩年には公は紫綬をかがやかして荊州に貶められながら、そこから領地を授けられたお礼を言上した。

庾公興不淺,黃霸鎮每靜。

張相国公は住処においては庾公亮のごとく「諸君且つ任せよ、老子此に於で興復た浅からず」と風雅の興も深く、黄覇のごとく行く先々の管内はいつも鎮め静かであった。

#3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

 

#4

賓客引調同,諷詠在務屏。

また、張相國公は賓客としてむかえるものは、例えば孟浩然のごとき同趣味のものを引き、田園山水詩を詠じたりして俗務をしりぞけることを目的とした。

詩罷地有餘,篇終語清省。

その詩はこれを作りおわってもまだいかようにもつくり得る余力があり、一篇をつづりおえたところで辞が清錆等であって無駄がまったくないのである。

一陽發陰管,淑氣含公鼎。

その詩律の調べは十二律の黄鐘の律のひびきのごとくやわらかであり、そのうまみは鼎のなかに含まれる春の気のようである。

乃知君子心,用才文章境。

これを見れば張相国公の心は君子と呼ぶべきもので、よほど才を文章の境地に用いられたことが知られる。

賓客 調の同じきを引く、諷詠 務屏に在り。

詩罷みて 地余り有り、篇終りて 語清省なり。

一陽 陰管より発る、淑気公鼎に含まる。

乃ち知る君子の心、才を文章の境に用いしを。

散帙起翠螭,倚薄巫廬並。

張相国公の詩文集をひっくりかえしてみると、翠螭が躍りだして雲間にせまって、巫山や盧山の名だたる山々と高く並ぶであろう。

綺麗玄暉擁,箋誄任昉騁。

その詩体の綺麗なことは、六朝、謝玄暉と手をとり、箋誄の文章の巧みなことは南斉、任坊と馳騎するに足りるひとである。

自我一家則,未缺隻字警。

我々は一家の法則を自ら立て、一字たりとも警語をだすことを欠かさないようにした。

千秋滄海南,名系朱鳥影。

張相国公の名は永久に神仙三山へ続く滄海の南のひろいうみにおいて南宮の朱鳥の星影とともにかかっている。

 

帙を散すれば 翠蠣起こる、倚薄巫廬と並ぶ。

綺麗玄暉を擁し、箋誄任昉と騁す。

我自りす 一家の則、未だ開かず 隻字の警。

千秋滄海の南、名は系かる朱鳥の影。 

 

#6

歸老守故林,戀闕悄延頸。

しまいに張相国公は老いを養うため故郷に帰って故郷の林を守られたが、宮闕を恋しとうてしょんぼりと襟首を都の方へさしのべておられた。

波濤良史筆,蕪大庾嶺。

波涛を捲き起こすような張相国公のよい歴史家のごとき筆力である。それも張相国公が没してしまっては大庾嶺の路も草の荒れるのにまかすばかりだ。

向時禮數隔,制作難上請。

そのかみをかんがえると自分は張相国公とは身分の階級が隔たっていたので自分の製作をたてまつってみてもらうこともかなわなかったのだ。

再讀徐孺碑,猶思理煙艇。
いま張相国公の撰に成る徐孫子の碑文をふたたび読んでみると、小舟の用意をして南昌まで出かけていってみたいような感じがする。

帰老 故林を守る、恋闕 悄として頚を延ぶ。

波涛 良史の筆、蕪絶す 大嶺。

向時 礼数隔たる、制作上 請し難し。

再び読む 徐孺が碑、猶お思う煙艇を理めんことを。』

 

 

『八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#6

歸老守故林,戀闕悄延頸。

波濤良史筆,蕪大庾嶺。

向時禮數隔,制作難上請。

再讀徐孺碑,猶思理煙艇。

(下し文)
帰老 故林を守る、恋闕 悄として頚を延ぶ。

波涛 良史の筆、蕪絶す 大庾嶺。

向時 礼数隔たる、制作上 請し難し。

再び読む 徐孺が碑、猶お思う煙艇を理めんことを。』

(現代語訳)
しまいに張相国公は老いを養うため故郷に帰って故郷の林を守られたが、宮闕を恋しとうてしょんぼりと襟首を都の方へさしのべておられた。

波涛を捲き起こすような張相国公のよい歴史家のごとき筆力である。それも張相国公が没してしまっては大庾嶺の路も草の荒れるのにまかすばかりだ。

そのかみをかんがえると自分は張相国公とは身分の階級が隔たっていたので自分の製作をたてまつってみてもらうこともかなわなかったのだ。

いま張相国公の撰に成る徐孫子の碑文をふたたび読んでみると、小舟の用意をして南昌まで出かけていってみたいような感じがする。

(訳注) #6

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡5

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

○故右僕射・相国・曲江張公九齢 張九齢(678 - 740年)は中国唐代中期の政治家・詩人。字は子寿。張九齢・『晩笑堂竹荘畫傳』韶州曲江(広東省)の出身。702年に進士に及第し、寒門の出ではあったが宰相の張説に認められて校書郎・右拾遺・中書侍郎を歴任し、玄宗時代の733年以降は尚書右丞相の任にあたった。のち、李林甫や楊国忠らと衝突し、荊州(湖北省)に左遷され、官を辞した後は故郷に帰り文学史書に親しんだ。安禄山の「狼子野心」を見抜き、「誅を下して後患を絶て」と玄宗に諫言した人としても知られる。「開元最後の賢相」として名声高く、孟浩然や王維に希望を託されたこともある。王夫之はその『讀通鑑論』のなかで「貞観の時には才臣はいたが、清廉な者はいなかった。ただ開元の時に出た宋璟・盧懐慎・張九齢は清貞という徳を以て宰相に昇った。張九齢は清にして和、名声を追わず富を絶ち、朝廷に廉恥の心を知らせ、開元の世を盛んにした」と絶賛している。

 

歸老守故林,戀闕悄延頸。

しまいに張相国公は老いを養うため故郷に帰って故郷の林を守られたが、宮闕を恋しとうてしょんぼりと襟首を都の方へさしのべておられた。

○帰老 かえって老を養う。

○故林 故郷の林。

○恋闕 宮門をこいしく思う。

○悄延頸 悄はしおれたさま、延頸はえりくびをさしのべてながめる。

 

波濤良史筆,蕪大庾嶺。

波涛を捲き起こすような張相国公のよい歴史家のごとき筆力である。それも張相国公が没してしまっては大庾嶺の路も草の荒れるのにまかすばかりだ。

○波涛 文章の勢いの壮んなさま。

○良史筆 よい歴史家のごとき筆力、開元二十二年張九齢は中書令となり兼ねて国史を監修した、また「唐会要」にいう、「六典」は開元二十八年九齢の上る所なり、と。また天長節ごとに公卿皆衣服を進む、張九齢は「千秋金鑑録」五巻を上り、帝王の興衰を述べて以て鑒戒となせし、と。皆其の史筆のあることを見るのに足りる。

○蕉絶 はなはだしく草にうずもれる。

○大庾嶺 嶺の名、韶州始興県にあり、梅を以て名高い、嶺の新路は729年開元十七年に張九齢に詔して聞かせた所だという。其の人の没して嶺路もまた荒れるに至ったことをいう。徐浩の撰する所の「張公碑銘」にいう、740年「開元二十八年春、拝掃せんと請い、南に帰る、五月七日、疾に遇い、覇州曲江の私第に幕ず、享年六十三」と。新旧唐書に張九齢の享年を六十八に作るのは誤りであろう。

 

向時禮數隔,制作難上請。

そのかみをかんがえると自分は張相国公とは身分の階級が隔たっていたので自分の製作をたてまつってみてもらうこともかなわなかったのだ。

○向時 さきの時、開元の末頃をさす。作者がなお流浪していた時である。

○礼数隔 礼数は儀礼に関する階級をいう、一方は宰相、自己は浪人ゆえ身分が隔たる。

○制作 自己の製作物。

○上請 張九齢に上皇して其の教えを請う。

 

再讀徐孺碑,猶思理煙艇。

いま張相国公の撰に成る徐孫子の碑文をふたたび読んでみると、小舟の用意をして南昌まで出かけていってみたいような感じがする。 

○再読 再とは嘗てこれをよみ、いままた張九齢の没後にこれをよむことをいう。

○徐滞碑 徐稀は後漢の高士、徐稗字は孫子をいう。開元十五年九齢は其の硯文をつくった。全文は後に出す。

○理煙艇 理は準備することをいう、煙艇は煙のよこたわるこぶね、水路にて南昌に行き碑文を読もうとおもうことをいう。

「帰老」八句は九齢が郷に帰って没したことをいい景仰の情をのべて結びとする。

 

 

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。』

 

君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

 

#3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

 

#4

賓客 調の同じきを引く、諷詠 務屏に在り。

詩罷みて 地余り有り、篇終りて 語清省なり。

一陽 陰管より発る、淑気公鼎に含まる。

乃ち知る君子の心、才を文章の境に用いしを。

 

#5

帙を散すれば 翠蠣起こる、倚薄巫廬と並ぶ。

綺麗玄暉を擁し、箋誄任昉と騁す。

我自りす 一家の則、未だ開かず 隻字の警。

千秋滄海の南、名は系かる朱鳥の影。 

 

帰老 故林を守る、恋闕 悄として頚を延ぶ。

波涛 良史の筆、蕪絶す 大嶺。

向時 礼数隔たる、制作上 請し難し。

再び読む 徐孺が碑、猶お思う煙艇を理めんことを。』

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杜甫 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -5張相国公の詩文集をひっくりかえしてみると、翠螭が躍りだして雲間にせまって、巫山や盧山の名だたる山々と高く並ぶであろう。その詩体の綺麗なことは、六朝、謝玄暉と手をとり、箋誄の文章の巧みなことは南斉、任坊と馳騎するに足りるひとである。

 

 
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杜甫詩1500-910-5-1342/2500766年大暦元年55-47-5

 

 

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡【八哀詩八首:故右僕射相國曲江張公九齡】

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)    

    荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門         

大庾山 (嶺南道東部 無第二級行政層級 大庾山) 別名:梅嶺、東嶠、大庾嶺        

交遊人物:張九齡              詩文提及

 

 

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

相國生南紀,金璞無留礦。

張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

仙鶴下人間,獨立霜毛整。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

矯然江海思,複與雲路永。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

寂寞想土堦,未遑等箕潁。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。

#2

上君白玉堂,倚君金華省。

だから張相公は長安のみやこへ出てきて、天子の大極殿の白玉の堂にのぼり、の金華の中書省に職籍を置くに至った。

碣石崢嶸,天地日蛙黽。

そのころ渤海の碣石山あたりから、年年に路が高く嶮しくなり、安禄山の異民族の虜の勢いが盛んになり、宮苑の池には日日、蛙である頽廃文化の小人どもがはびこるようになっていた。

退食吟大庭,何心記榛梗。

張相国公は荊州に流されたことを契機に官署から退出して故郷にかえれば大古の大庭氏の治世を吟じて、小人どもに邪魔されたことなどはこころにとめはしなかった。

骨驚畏曩哲,鬒變負人境。

ただ儒者である自己が前賢に及んでいないことを畏れて骨髄まで驚くという自己反省をされ、人境をはなれた地方へ出されたりするけれど自己を高めることをされために黒髪も白くなるほどに心配をされているのにである。

君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

 

#3

雖蒙換蟬冠,右地多幸。

宰相を免ぜられて詔蝉の冠を換えさせられたとき、右丞相に遷されたが、それさえもまだ幸いが多すぎるとてはずかしとせられ、じぶんをうりこんだりするものではなかった。

敢忘二疏歸,痛迫蘇耽井。

むかし蘇耽は井水と橘葉とを以て母を養ったというが、張相国公は母をしとうて痛みがむねに迫っていたのである、どうして疏広・疏受のように官を退いて故郷に帰ってしまうことを忘れるということはないのである。

紫綬映暮年,荊州謝所領。

晩年には公は紫綬をかがやかして荊州に貶められながら、そこから領地を授けられたお礼を言上した。

庾公興不淺,黃霸鎮每靜。

張相国公は住処においては庾公亮のごとく「諸君且つ任せよ、老子此に於で興復た浅からず」と風雅の興も深く、黄覇のごとく行く先々の管内はいつも鎮め静かであった。

#3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

 

#4

賓客引調同,諷詠在務屏。

また、張相國公は賓客としてむかえるものは、例えば孟浩然のごとき同趣味のものを引き、田園山水詩を詠じたりして俗務をしりぞけることを目的とした。

詩罷地有餘,篇終語清省。

その詩はこれを作りおわってもまだいかようにもつくり得る余力があり、一篇をつづりおえたところで辞が清錆等であって無駄がまったくないのである。

一陽發陰管,淑氣含公鼎。

その詩律の調べは十二律の黄鐘の律のひびきのごとくやわらかであり、そのうまみは鼎のなかに含まれる春の気のようである。

乃知君子心,用才文章境。

これを見れば張相国公の心は君子と呼ぶべきもので、よほど才を文章の境地に用いられたことが知られる。

賓客 調の同じきを引く、諷詠 務屏に在り。

詩罷みて 地余り有り、篇終りて 語清省なり。

一陽 陰管より発る、淑気公鼎に含まる。

乃ち知る君子の心、才を文章の境に用いしを。

散帙起翠螭,倚薄巫廬並。

張相国公の詩文集をひっくりかえしてみると、翠螭が躍りだして雲間にせまって、巫山や盧山の名だたる山々と高く並ぶであろう。

綺麗玄暉擁,箋誄任昉騁。

その詩体の綺麗なことは、六朝、謝玄暉と手をとり、箋誄の文章の巧みなことは南斉、任坊と馳騎するに足りるひとである。

自我一家則,未缺隻字警。

我々は一家の法則を自ら立て、一字たりとも警語をだすことを欠かさないようにした。

千秋滄海南,名系朱鳥影。

張相国公の名は永久に神仙三山へ続く滄海の南のひろいうみにおいて南宮の朱鳥の星影とともにかかっている。

 

帙を散すれば 翠蠣起こる、倚薄巫廬と並ぶ。

綺麗玄暉を擁し、箋誄任昉と騁す。

我自りす 一家の則、未だ開かず 隻字の警。

千秋滄海の南、名は系かる朱鳥の影。 

 

 安史の乱当時の勢力図

『八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#5

散帙起翠螭,倚薄巫廬並。

綺麗玄暉擁,箋誄任昉騁。

自我一家則,未缺隻字警。

千秋滄海南,名系朱鳥影。

(下し文)
帙を散すれば 翠蠣起こる、倚薄巫廬と並ぶ。

綺麗玄暉を擁し、箋誄任昉と騁す。

我自りす 一家の則、未だ開かず 隻字の警。

千秋滄海の南、名は系かる朱鳥の影。 

(現代語訳)
張相国公の詩文集をひっくりかえしてみると、翠螭が躍りだして雲間にせまって、巫山や盧山の名だたる山々と高く並ぶであろう。

その詩体の綺麗なことは、六朝、謝玄暉と手をとり、箋誄の文章の巧みなことは南斉、任坊と馳騎するに足りるひとである。

我々は一家の法則を自ら立て、一字たりとも警語をだすことを欠かさないようにした。

張相国公の名は永久に神仙三山へ続く滄海の南のひろいうみにおいて南宮の朱鳥の星影とともにかかっている。

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注) #5

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡5

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

○故右僕射・相国・曲江張公九齢 張九齢(678 - 740年)は中国唐代中期の政治家・詩人。字は子寿。張九齢・『晩笑堂竹荘畫傳』韶州曲江(広東省)の出身。702年に進士に及第し、寒門の出ではあったが宰相の張説に認められて校書郎・右拾遺・中書侍郎を歴任し、玄宗時代の733年以降は尚書右丞相の任にあたった。のち、李林甫や楊国忠らと衝突し、荊州(湖北省)に左遷され、官を辞した後は故郷に帰り文学史書に親しんだ。安禄山の「狼子野心」を見抜き、「誅を下して後患を絶て」と玄宗に諫言した人としても知られる。「開元最後の賢相」として名声高く、孟浩然や王維に希望を託されたこともある。王夫之はその『讀通鑑論』のなかで「貞観の時には才臣はいたが、清廉な者はいなかった。ただ開元の時に出た宋璟・盧懐慎・張九齢は清貞という徳を以て宰相に昇った。張九齢は清にして和、名声を追わず富を絶ち、朝廷に廉恥の心を知らせ、開元の世を盛んにした」と絶賛している。

 

散帙起翠螭,倚薄巫廬並。

張相国公の詩文集をひっくりかえしてみると、翠螭が躍りだして雲間にせまって、巫山や盧山の名だたる山々と高く並ぶであろう。

散帙 九齢の文集の快を開き散ずる。

起翠螭 螭は竜の角のないもの、蟻が起こるとは神物の躍りでることをいう。

倚薄 よりせまる。

巫廬並 高いことは巫山・盧山とならぶ。巫山は夔州に、盧山は九江府にある。

巫山(ふざん)は中国・重慶市巫山県と湖北省の境にある名山。長江が山中を貫流して、巫峡を形成。山は重畳して天日を隠蔽するという。巫山十二峰と言われ、その中で代表的なものに神女峰がある。

廬山(ろざん、中国語ではLushan)は中国江西省九江市南部にある名山。峰々が作る風景の雄大さ、奇絶さ、険しさ、秀麗さが古来より有名で、「匡廬奇秀甲天下」(匡廬の奇秀は天下一である)と称えられてきた(匡廬とは廬山の別名)。

 

綺麗玄暉擁,箋誄任昉騁。

その詩体の綺麗なことは、六朝、謝玄暉と手をとり、箋誄の文章の巧みなことは南斉、任坊と馳騎するに足りるひとである。

綺麗 字句のあやあってうるわしいこと。

玄暉擁 玄暉は斉の詩人謝朓の字、擁とはだきかかえる、提携するというの類。謝朓:[464499]中国、南朝の斉の詩人。陽夏(河南省)の人。字(あざな)は玄暉(げんき)。宣城の太守であったので謝宣城とよばれ、同族の詩人である謝霊運に対して小謝ともよばれた。

箋誄 箋は他人に与える手紙の文、誄は死者の徳を累述してその死を痛む文、ならびに文体の名。

任昉騁 任昉は梁の文章家、沈約とともに沈詩任筆の名がある、筆は文章をいう、騁とは相い馳騁するに足ることをいう。任昉(460年—508年)は、中国南北朝時代の文学者。字は彦昇。小字は阿堆。楽安博昌の人。南斉の竟陵王蕭子良のもとに集まった文人「竟陵八友」の1人。散文の分野で高く評価され、南斉・梁の時代に多くの表奏を手がけた。同じ八友の1人で、詩にすぐれた沈約に対し、「任筆沈詩」と称される。著作に『述異記』『文章縁起』。

 

自我一家則,未缺隻字警。

我々は一家の法則を自ら立て、一字たりとも警語をだすことを欠かさないようにした。

自我一家則 一家の法則を我自身よりして立てる。我の字を一に成に作る、したがって「自のずから一家の則を成す」である。

隻字警 びしっと人を目覚め指すような一字。

 

千秋滄海南,名系朱鳥影。

張相国公の名は永久に神仙三山へ続く滄海の南のひろいうみにおいて南宮の朱鳥の星影とともにかかっている。

千秋 千年、長い年月をいう。

滄海南 滄海は神仙三山へ続く海を言いその南のひろうみの南。張九齢の故郷である広東地方をさす。

朱鳥影 緯書「文耀鈎」にいう、南宮は赤帝、其の精を朱鳥となす、と。「史記」(天官書)に、「南宮は朱鳥」とみえる。柳宿の八星を「朱鳥の咮」と名づけるのである。南海地方は朱鳥の宿にあたっている。五行思想に基づくもの。

「賓客」十六句は張九齢の文学についていう。

 

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。』

 

君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

 

#3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

 

#4

賓客 調の同じきを引く、諷詠 務屏に在り。

詩罷みて 地余り有り、篇終りて 語清省なり。

一陽 陰管より発る、淑気公鼎に含まる。

乃ち知る君子の心、才を文章の境に用いしを。

 

#5

帙を散すれば 翠蠣起こる、倚薄巫廬と並ぶ。

綺麗玄暉を擁し、箋誄任昉と騁す。

我自りす 一家の則、未だ開かず 隻字の警。

千秋滄海の南、名は系かる朱鳥の影。 

766年大暦元年55歲-47-#4奉節-38-#4 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -4》 杜甫index-15 杜甫<910-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5850

杜甫 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -4  その詩律の調べは十二律の黄鐘の律のひびきのごとくやわらかであり、そのうまみは鼎のなかに含まれる春の気のようである。これを見れば張相国公の心は君子と呼ぶべきもので、よほど才を文章の境地に用いられたことが知られる。


 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡【八哀詩八首:故右僕射相國曲江張公九齡】

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)    

荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門         

大庾山 (嶺南道東部 無第二級行政層級 大庾山) 別名:梅嶺、東嶠、大庾嶺        

交遊人物:張九齡              詩文提及

 

 

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

相國生南紀,金璞無留礦。

張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

仙鶴下人間,獨立霜毛整。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

矯然江海思,複與雲路永。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

寂寞想土堦,未遑等箕潁。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。

#2

上君白玉堂,倚君金華省。

だから張相公は長安のみやこへ出てきて、天子の大極殿の白玉の堂にのぼり、の金華の中書省に職籍を置くに至った。

碣石崢嶸,天地日蛙黽。

そのころ渤海の碣石山あたりから、年年に路が高く嶮しくなり、安禄山の異民族の虜の勢いが盛んになり、宮苑の池には日日、蛙である頽廃文化の小人どもがはびこるようになっていた。

退食吟大庭,何心記榛梗。

張相国公は荊州に流されたことを契機に官署から退出して故郷にかえれば大古の大庭氏の治世を吟じて、小人どもに邪魔されたことなどはこころにとめはしなかった。

骨驚畏曩哲,鬒變負人境。

ただ儒者である自己が前賢に及んでいないことを畏れて骨髄まで驚くという自己反省をされ、人境をはなれた地方へ出されたりするけれど自己を高めることをされために黒髪も白くなるほどに心配をされているのにである。

君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

 

#3

雖蒙換蟬冠,右地多幸。

宰相を免ぜられて詔蝉の冠を換えさせられたとき、右丞相に遷されたが、それさえもまだ幸いが多すぎるとてはずかしとせられ、じぶんをうりこんだりするものではなかった。

敢忘二疏歸,痛迫蘇耽井。

むかし蘇耽は井水と橘葉とを以て母を養ったというが、張相国公は母をしとうて痛みがむねに迫っていたのである、どうして疏広・疏受のように官を退いて故郷に帰ってしまうことを忘れるということはないのである。

紫綬映暮年,荊州謝所領。

晩年には公は紫綬をかがやかして荊州に貶められながら、そこから領地を授けられたお礼を言上した。

庾公興不淺,黃霸鎮每靜。

張相国公は住処においては庾公亮のごとく「諸君且つ任せよ、老子此に於で興復た浅からず」と風雅の興も深く、黄覇のごとく行く先々の管内はいつも鎮め静かであった。

#3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

 

#4

賓客引調同,諷詠在務屏。

また、張相國公は賓客としてむかえるものは、例えば孟浩然のごとき同趣味のものを引き、田園山水詩を詠じたりして俗務をしりぞけることを目的とした。

詩罷地有餘,篇終語清省。

その詩はこれを作りおわってもまだいかようにもつくり得る余力があり、一篇をつづりおえたところで辞が清錆等であって無駄がまったくないのである。

一陽發陰管,淑氣含公鼎。

その詩律の調べは十二律の黄鐘の律のひびきのごとくやわらかであり、そのうまみは鼎のなかに含まれる春の気のようである。

乃知君子心,用才文章境。

これを見れば張相国公の心は君子と呼ぶべきもので、よほど才を文章の境地に用いられたことが知られる。

賓客 調の同じきを引く、諷詠 務屏に在り。

詩罷みて 地余り有り、篇終りて 語清省なり。

一陽 陰管より発る、淑気公鼎に含まる。

乃ち知る君子の心、才を文章の境に用いしを。

 

安史の乱当時の勢力図 

『八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#4

賓客引調同,諷詠在務屏。

詩罷地有餘,篇終語清省。

一陽發陰管,淑氣含公鼎。

乃知君子心,用才文章境。

(下し文)
賓客 調の同じきを引く、諷詠 務屏に在り。

詩罷みて 地余り有り、篇終りて 語清省なり。

一陽 陰管より発る、淑気公鼎に含まる。

乃ち知る君子の心、才を文章の境に用いしを。

(現代語訳)
また、張相國公は賓客としてむかえるものは、例えば孟浩然のごとき同趣味のものを引き、田園山水詩を詠じたりして俗務をしりぞけることを目的とした。

その詩はこれを作りおわってもまだいかようにもつくり得る余力があり、一篇をつづりおえたところで辞が清錆等であって無駄がまったくないのである。

その詩律の調べは十二律の黄鐘の律のひびきのごとくやわらかであり、そのうまみは鼎のなかに含まれる春の気のようである。

これを見れば張相国公の心は君子と呼ぶべきもので、よほど才を文章の境地に用いられたことが知られる。

長安城漢唐

(訳注) #4

 

賓客引調同,諷詠在務屏。

また、張相國公は賓客としてむかえるものは、例えば孟浩然のごとき同趣味のものを引き、田園山水詩を詠じたりして俗務をしりぞけることを目的とした。

○引調同 同調を引くというのに同じ、同調は同じ調子の人、同趣味の人。孟浩然の伝にいう、「「孟浩然傳「浩然還嚢陽、張九齡鎮荊州,署為從事,與之唱和。不達而卒。」(浩然嚢陽に還る、九齢時に刑州を鎮す、著して従事となし、之と唱和す)、と。張九齢の伝にいう、「九齢刑州長史に貶せらる、直道を以て黜けらると雖もも戚戚として望を嬰けず、ただ文史自ずから娯しむ、朝廷其の勝流なるを許す」、と。孟浩然は襄陽の閑居で田園山水の詩を歌っている。孟浩然 詩 index

○務屏 俗務を屏ぞけ去ること。

 

詩罷地有餘,篇終語清省。

その詩はこれを作りおわってもまだいかようにもつくり得る余力があり、一篇をつづりおえたところで辞が清錆等であって無駄がまったくないのである。

○地有余 余地のあることをいう、余裕のあること。

〇清省 清らかにしてむだがない。

「峴山の詩」張九齢 登襄陽峴山 李白「峴山懐古」関連   Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -306

 

一陽發陰管,淑氣含公鼎。

その詩律の調べは十二律の黄鐘の律のひびきのごとくやわらかであり、そのうまみは鼎のなかに含まれる春の気のようである。

〇一陽発陰管 一陽は陽気の初生のもの、発は発生、陰管は陰律の管、一陽陰管より起こるとは十一月、律の黄鐘に中るをいうという。詩調の和気あることをいう。十二律をいう。中国や日本の伝統音楽で用いられる12種類の標準的な高さの音。三分損益法に基づく、1オクターヴ内の12の音である。律とは本来、音を定める竹の管であり、その長さの違いによって12の音の高さを定めた。周代において確立した。

○淑気合公鼎 淑気はよい気、公鼎は公家の鼎、廟堂の大勇を烹るの鼎、鼎中に調理された物が美味なのにより鼎が淑気を含むのである。これは張九齢の気象をいったものであろう。

 

乃知君子心,用才文章境。

これを見れば張相国公の心は君子と呼ぶべきもので、よほど才を文章の境地に用いられたことが知られる。

○君子 有徳の人、九齢をさす。

 嚢陽一帯00

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。』

 

君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

 

#3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

 

#4

賓客 調の同じきを引く、諷詠 務屏に在り。

詩罷みて 地余り有り、篇終りて 語清省なり。

一陽 陰管より発る、淑気公鼎に含まる。

乃ち知る君子の心、才を文章の境に用いしを。

766年大暦元年55歲-47-#3奉節-38-#3 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -3》 杜甫index-15 杜甫<910-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5845

杜甫 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -3張相国公は住処においては庾公亮のごとく「諸君且つ任せよ、老子此に於で興復た浅からず」と風雅の興も深く、黄覇のごとく行く先々の管内はいつも鎮め静かであった。

 

 
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222 《(改訂版) 巻4-16 大堤曲》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-16 李白53大堤曲 <222> Ⅰ李白詩1458 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5838 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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60-#2 (改訂版)《巻03-02 山石 #2》  韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》   ()<1372> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5844 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-47-#3奉節-38-#3 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -3》 杜甫index-15 杜甫<910-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5845 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊129《巻三32浣溪紗八首 其三》巻三3229-〈129〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5847 
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766年大暦元年55-47-3奉節-38-3 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -3》 杜甫index-15 杜甫<910-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5845

 

 

杜甫詩1500-910-3-1340/2500766年大暦元年55-47-3

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡【八哀詩八首:故右僕射相國曲江張公九齡】

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)    

荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門         

大庾山 (嶺南道東部 無第二級行政層級 大庾山) 別名:梅嶺、東嶠、大庾嶺        

交遊人物:張九齡              詩文提及

 

 

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

相國生南紀,金璞無留礦。

張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

仙鶴下人間,獨立霜毛整。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

矯然江海思,複與雲路永。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

寂寞想土堦,未遑等箕潁。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。

#2

上君白玉堂,倚君金華省。

だから張相公は長安のみやこへ出てきて、天子の大極殿の白玉の堂にのぼり、の金華の中書省に職籍を置くに至った。

碣石崢嶸,天地日蛙黽。

そのころ渤海の碣石山あたりから、年年に路が高く嶮しくなり、安禄山の異民族の虜の勢いが盛んになり、宮苑の池には日日、蛙である頽廃文化の小人どもがはびこるようになっていた。

退食吟大庭,何心記榛梗。

張相国公は荊州に流されたことを契機に官署から退出して故郷にかえれば大古の大庭氏の治世を吟じて、小人どもに邪魔されたことなどはこころにとめはしなかった。

骨驚畏曩哲,鬒變負人境。

ただ儒者である自己が前賢に及んでいないことを畏れて骨髄まで驚くという自己反省をされ、人境をはなれた地方へ出されたりするけれど自己を高めることをされために黒髪も白くなるほどに心配をされているのにである。

君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

 

#3

雖蒙換蟬冠,右地多幸。

宰相を免ぜられて詔蝉の冠を換えさせられたとき、右丞相に遷されたが、それさえもまだ幸いが多すぎるとてはずかしとせられ、じぶんをうりこんだりするものではなかった。

敢忘二疏歸,痛迫蘇耽井。

むかし蘇耽は井水と橘葉とを以て母を養ったというが、張相国公は母をしとうて痛みがむねに迫っていたのである、どうして疏広・疏受のように官を退いて故郷に帰ってしまうことを忘れるということはないのである。

紫綬映暮年,荊州謝所領。

晩年には公は紫綬をかがやかして荊州に貶められながら、そこから領地を授けられたお礼を言上した。

庾公興不淺,黃霸鎮每靜。

張相国公は住処においては庾公亮のごとく「諸君且つ任せよ、老子此に於で興復た浅からず」と風雅の興も深く、黄覇のごとく行く先々の管内はいつも鎮め静かであった。

#3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

 

 

『八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -3』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

雖蒙換蟬冠,右地恧多幸。

敢忘二疏歸,痛迫蘇耽井。

紫綬映暮年,荊州謝所領。

庾公興不淺,黃霸鎮每靜。



(下し文) #3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

(現代語訳)
宰相を免ぜられて詔蝉の冠を換えさせられたとき、右丞相に遷されたが、それさえもまだ幸いが多すぎるとてはずかしとせられ、じぶんをうりこんだりするものではなかった。

むかし蘇耽は井水と橘葉とを以て母を養ったというが、張相国公は母をしとうて痛みがむねに迫っていたのである、どうして疏広・疏受のように官を退いて故郷に帰ってしまうことを忘れるということはないのである。

晩年には公は紫綬をかがやかして荊州に貶められながら、そこから領地を授けられたお礼を言上した。

張相国公は住処においては庾公亮のごとく「諸君且つ任せよ、老子此に於で興復た浅からず」と風雅の興も深く、黄覇のごとく行く先々の管内はいつも鎮め静かであった。



(訳注) #3

 

雖蒙換蟬冠,右地多幸。

宰相を免ぜられて詔蝉の冠を換えさせられたとき、右丞相に遷されたが、それさえもまだ幸いが多すぎるとてはずかしとせられ、じぶんをうりこんだりするものではなかった。

○換蝉冠 蝉冠は中書令の職をさしていう、侍中と中書令とは冠に金蝉葬尾をかざりに附する、換とは他の礼装にかえる、すなわち中書令を罷めたことをいう。

○右地 尚書右丞相の地位をいう。張九齢は734年開元22年に中書令となり、73624年に尚書右丞相に遣り知政事を能めた。737年開元25年張九齢、荊州に流される。

○多幸 右丞相にでもまだ幸多しとする。

 

敢忘二疏歸,痛迫蘇耽井。

むかし蘇耽は井水と橘葉とを以て母を養ったというが、張相国公は母をしとうて痛みがむねに迫っていたのである、どうして疏広・疏受のように官を退いて故郷に帰ってしまうことを忘れるということはないのである。

〇二疏帰 漢の宣帝の時、疏広・疏受の二人は太博・少傳の官をやめて故郷に帰った。張九齢もまた同じ念のあることをいう。

○痛迫蘇耽井 母の死にあって帰里の念の切なることをいうのであろう。「神仙伝」にいう、蘇耽は榔県の人、少くして孤、母を養いて至孝であった。

蘇耽が庭を掃除して仙人の来るのを待っていると、にわかに紫の雲が空にたなびき、霊香があたりに薫じて数十羽の白鶴が庭に下りてきて、そのまま人間となった。その衣服のきれいな様は言葉では言い尽くせないほどであった。

 蘇耽はこれに対面してから家に入り、母親に向かい、「私は今、仙の道を伝受して天上に昇ります。そうなればもうあなたに仕えて孝行を尽くすこともできません。すべて人間界と天上界とは根本から異なっておりますから、再び会うことができないのです」と言って、一つの櫃を母に授け、「何事によらず物が不足し、乏しい時はこの櫃を叩たたいてください。必ず望むところの物が自然に出てきます。しかし、どんなことがあっても蓋ふたを取って内を見てはいけません。また、来年は国中に疫病がはやりますから、その時は橘たちばなの葉を庭の井戸の水に注いで病人に施せば治ります。お母さん、御身体を大切にしてください。それでは」と暇いとまを申して庭へ出て、空を仰ぎ雲を招き、多くの仙人と共に天を指して雲井遥はるかに飛び去っていった。

 老母は我が子に別れたことを嘆き、また我が子が望んでいたように仙人になれたことを喜んで生活を送っていた。

 その年も終わり、翌年になると不思議なことであった。我が子が言ったように国中に疫病がはやり、死人がおびただしい数となった。老母は教えられたように井戸の水を吸い上げ橘の葉を注ぐと死人はたちまちよみがえり、病人も回復した。これを見聞した村人は競って呪まじないを受ける様は糸を引くようであった。また、常に何か物が不足しているような時は、例の櫃を叩くと望みどおりの物が出てくるので、何一つ不足もなく自由自在、無事安楽に暮らしていた。

これが「蘇耽井」の故事である。伝にいう、張九齢工部侍郎に遷る、帰り養わんと乞う、詔して許さず、母の喪に及び職を解く、毀、裏に勝えず、紫芝あり坐側に産す、白鳩白雀、家樹に巣くう。是の歳(733年開元二十一年)十二月、哀を奪い起復して中書侍郎・同平草事に拝せしむ、固辞すれども許さず。官に在りても、郷に帰り喪に服せんとおもう、「痛迫」とはそうしたことをさしていう。

 

紫綬映暮年,荊州謝所領。

晩年には公は紫綬をかがやかして荊州に貶められながら、そこから領地を授けられたお礼を言上した。

○紫綬 金印を帯びるむらさきのひも、唐の制では大都督府の長史は従三品にして紫綬であった、張九齢は嘗て長安の尉周子諒という者を監察御史に薦めたところ、尉子諒が罪を受けるに至ったため、その巻き添えをうけ737年開元25年に荊州大都督府長史に左遷された。

○映 印綬の光かがやきうつろうことをいう。

〇荊州 荊州府江陵県、大都督府の在る所。

○謝所領 謝は拝謝、お礼をもうすことをいう。文集に「刑州謝上表」がある。所領は管轄の地をいう。

 

庾公興不淺,黃霸鎮每靜。

張相国公は住処においては庾公亮のごとく「諸君且つ任せよ、老子此に於で興復た浅からず」と風雅の興も深く、黄覇のごとく行く先々の管内はいつも鎮め静かであった。

○庾公興不浅 庾公は晋の庾売。庾公が武昌に鎮したとき諸佐吏が月に乗じてともに南楼に登っていたとき、とつぜん庾公がやってきた、諸人が起ち上がって庾公を避けようとしたところ、庾公は徐ろに「諸君且つ任せよ、老子此に於で興復た浅からず」といった。張九齢の風雅の懐は庾公亮の如くであることをいう。

○黃霸鎮每靜 漢の黄覇は穎川の太守となり、その治は天下第一であった。鎮は鎮め駐どまる所をいう。張九齢が鎮した所はつねに安静なことは黄覇のごとくであった、張九齢は冀州刺史となり、洪州・桂州の都督・嶺南道按察使などとなったことがある。

以上「上君」以下十六句は九齢の経歴心事をいう。

 

 

 

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。』

 

君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

 

#3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

766年大暦元年55歲-47-#2奉節-38-#2 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -2》 杜甫index-15 杜甫<910-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5840

杜甫 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -2  だから張相公は長安のみやこへ出てきて、天子の大極殿の白玉の堂にのぼり、の金華の中書省に職籍を置くに至った。そのころ渤海の碣石山あたりから、年年に路が高く嶮しくなり、安禄山の異民族の虜の勢いが盛んになり、宮苑の池には日日、蛙である頽廃文化の小人どもがはびこるようになっていた。

 

 
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766年大暦元年55-47-2奉節-38-2 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -2》 杜甫index-15 杜甫<910-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5840

 

 

杜甫詩1500-910-2-1339/2500766年大暦元年55-47-2

 

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡【八哀詩八首:故右僕射相國曲江張公九齡】

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)    

荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門         

大庾山 (嶺南道東部 無第二級行政層級 大庾山) 別名:梅嶺、東嶠、大庾嶺        

交遊人物:張九齡              詩文提及

 

 

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

相國生南紀,金璞無留礦。

張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

仙鶴下人間,獨立霜毛整。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

矯然江海思,複與雲路永。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

寂寞想土堦,未遑等箕潁。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。

#2

上君白玉堂,倚君金華省。

だから張相公は長安のみやこへ出てきて、天子の大極殿の白玉の堂にのぼり、の金華の中書省に職籍を置くに至った。

碣石崢嶸,天地日蛙黽。

そのころ渤海の碣石山あたりから、年年に路が高く嶮しくなり、安禄山の異民族の虜の勢いが盛んになり、宮苑の池には日日、蛙である頽廃文化の小人どもがはびこるようになっていた。

退食吟大庭,何心記榛梗。

張相国公は荊州に流されたことを契機に官署から退出して故郷にかえれば大古の大庭氏の治世を吟じて、小人どもに邪魔されたことなどはこころにとめはしなかった。

骨驚畏曩哲,鬒變負人境。

ただ儒者である自己が前賢に及んでいないことを畏れて骨髄まで驚くという自己反省をされ、人境をはなれた地方へ出されたりするけれど自己を高めることをされために黒髪も白くなるほどに心配をされているのにである。

君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

唐時代 地図山南 東・西道50 

 

『八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -2』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

上君白玉堂,倚君金華省。

碣石崢嶸,天地日蛙黽。

退食吟大庭,何心記榛梗。

骨驚畏曩哲,鬒變負人境。

(下し文)
君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】に崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】に蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

(現代語訳)
だから張相公は長安のみやこへ出てきて、天子の大極殿の白玉の堂にのぼり、の金華の中書省に職籍を置くに至った。

そのころ渤海の碣石山あたりから、年年に路が高く嶮しくなり、安禄山の異民族の虜の勢いが盛んになり、宮苑の池には日日、蛙である頽廃文化の小人どもがはびこるようになっていた。

張相国公は荊州に流されたことを契機に官署から退出して故郷にかえれば大古の大庭氏の治世を吟じて、小人どもに邪魔されたことなどはこころにとめはしなかった。

ただ儒者である自己が前賢に及んでいないことを畏れて骨髄まで驚くという自己反省をされ、人境をはなれた地方へ出されたりするけれど自己を高めることをされために黒髪も白くなるほどに心配をされているのにである。

皇城001
(訳注) #2

 八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

○故右僕射・相国・曲江張公九齢 張九齢(678 - 740年)は中国唐代中期の政治家・詩人。字は子寿。張九齢・『晩笑堂竹荘畫傳』韶州曲江(広東省)の出身。702年に進士に及第し、寒門の出ではあったが宰相の張説に認められて校書郎・右拾遺・中書侍郎を歴任し、玄宗時代の733年以降は尚書右丞相の任にあたった。のち、李林甫や楊国忠らと衝突し、荊州(湖北省)に左遷され、官を辞した後は故郷に帰り文学史書に親しんだ。安禄山の「狼子野心」を見抜き、「誅を下して後患を絶て」と玄宗に諫言した人としても知られる。「開元最後の賢相」として名声高く、孟浩然や王維に希望を託されたこともある。王夫之はその『讀通鑑論』のなかで「貞観の時には才臣はいたが、清廉な者はいなかった。ただ開元の時に出た宋璟・盧懐慎・張九齢は清貞という徳を以て宰相に昇った。張九齢は清にして和、名声を追わず富を絶ち、朝廷に廉恥の心を知らせ、開元の世を盛んにした」と絶賛している。
 

上君白玉堂,倚君金華省。

だから張相公は長安のみやこへ出てきて、天子の大極殿の白玉の堂にのぼり、の金華の中書省に職籍を置くに至った。

○上君 君は天子をさす。

白玉堂 うつくしい堂。

○金華省 漢の時、未央宮に金華殿があった、九齢は進士に及第し、校書郎に拝し、左拾遺・左補関・中書舎人・秘書少監・集賢院学士・中書侍郎などとなった、玉堂金華より出入するとはそのことをさす。とうにおいては上記の《皇城図》にしめす、中書省に入るいずれかの門であろう。734年開元22年張九齢、中書令となる。未央宮には、前殿、宣室、温室殿、清涼殿、麒麟殿、金華殿、承明殿、掖庭宮、椒房殿、高門殿、金馬門などのさまざま建物があった。諸侯や大臣と朝会を開く場所である前殿は龍首山の丘陵を利用して建てられており、長安の城壁より高い位置にあった。

 

碣石崢嶸,天地日蛙黽。

そのころ渤海の碣石山あたりから、年年に路が高く嶮しくなり、安禄山の異民族の虜の勢いが盛んになり、宮苑の池には日日、蛙である頽廃文化の小人どもがはびこるようになっていた。

○砥石 渤海にあった石門、今の秦皇島の附近、其の地は苑陽に近い。碣石山。碣は特立する石の山。海辺の山をいう。

〇歳崢嶸 歳は歳歳、崢嶸は高いさま、此の一句は安禄山の所に、天下の不満分子、異民族の傭兵があつまり、勢力が年とともに盛んとなることをいう。736年開元24年張守珪は平盧討撃使安禄山をして奚・契丹を討たせたが敗北した、ために張守珪は安禄山を斬ることを請い京師に送った、張九齢も其の叛相のあるのを知って安禄山を斬るべしと主張したが、玄宗は安禄山を赦した。おなじ、736年開元24年張九齢失脚し、李林甫が中書令となる。

○天池 皇城の地をいう。

〇日蛙黽 日は日日、蛙はかわずで、李林甫をいう、黽は李林甫に迎合する、百官、宦官らの小人をさす。

 

退食吟大庭,何心記榛梗。

張相国公は荊州に流されたことを契機に官署から退出して故郷にかえれば大古の大庭氏の治世を吟じて、小人どもに邪魔されたことなどはこころにとめはしなかった。

○退食 役所より退帰する。737年開元25年張九齢、荊州に流される。

○大庭 大庭氏をいう、上古至治の時代。《莊子·胠篋》「昔者容成氏、大庭氏、伯皇氏、中央氏、・・・」とあり、三皇五帝のころの後宮の役割がしっかりとされていた時代をいう。

○記榛梗 記は記憶すること。榛梗ははりの木、榛梗は棒切れ、途のじゃまになるもの、小人の讒言などをたとえていう。「本事詩」にいう、「張曲江與李林甫同列,玄宗以文學精識深器之。林甫嫉之若仇,曲江度其巧譎,慮終不免,為《海燕》詩以致意曰:「海燕何微眇,乘春亦暫來。世知泥滓濺,只見玉堂開。繡時雙入,華軒日幾回。無心與物競,鷹隼莫相猜。」(張曲江、李林甫と同列、林甫之を疾む仇の若し、張曲江、「海燕」の詩を為りて意を致す、と。詩にいう「海燕何ぞ微妙なる、春に乗じて亦た覧く来たる、豈に知らんや泥涬の賎しきを、秖だ見る玉堂の開くを、繍戸時に双び入る、華軒日々に幾たびか回る、物と競うに心なし、鷹隼 相い猜むこと莫れ」)と。榛梗を記さぬものである。

 

骨驚畏曩哲,鬒變負人境。

ただ儒者である自己が前賢に及んでいないことを畏れて骨髄まで驚くという自己反省をされ、人境をはなれた地方へ出されたりするけれど自己を高めることをされために黒髪も白くなるほどに心配をされているのにである。

○骨驚 甚だしく心をいためること、江掩《別賦》「使人意奪神駭,心折骨驚。」(心折れ骨驚く)とみえる。

○畏曩哲 前代の賢人にしかぬことをおそれる。

○鬒変 鬒はくろかみ、変は色がかわって白くなること、憂慮の結果である。

○負人境 人の住む境地にそむく、辺境の田舎へ追いやられたことをいう。

766年大暦元年55歲-47-#1奉節-38-#1 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -1》 杜甫index-15 杜甫<910-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5835

杜甫 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

 

 
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奉節-38-1 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -1 杜甫index-15

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡【八哀詩八首:故右僕射相國曲江張公九齡】

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)    

荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門         

大庾山 (嶺南道東部 無第二級行政層級 大庾山) 別名:梅嶺、東嶠、大庾嶺        

交遊人物:張九齡              詩文提及

 

 

 

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

相國生南紀,金璞無留礦。

張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

仙鶴下人間,獨立霜毛整。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

矯然江海思,複與雲路永。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

寂寞想土堦,未遑等箕潁。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。

#2

上君白玉堂,倚君金華省。碣石崢嶸,天地日蛙黽。

退食吟大庭,何心記榛梗。骨驚畏曩哲,鬒變負人境。

#3

雖蒙換蟬冠,右地恧多幸。敢忘二疏歸,痛迫蘇耽井。

紫綬映暮年,荊州謝所領。庾公興不淺,黃霸鎮每靜。

#4

賓客引調同,諷詠在務屏。詩罷地有餘,篇終語清省。

一陽發陰管,淑氣含公鼎。乃知君子心,用才文章境。

#5

散帙起翠螭,倚薄巫廬並。綺麗玄暉擁,箋誄任昉騁。

自我一家則,未缺隻字警。千秋滄海南,名系朱鳥影。

#6

歸老守故林,戀闕悄延頸。波濤良史筆,蕪大庾嶺。

向時禮數隔,制作難上請。再讀徐孺碑,猶思理煙艇。

 

安史の乱当時の勢力図 

『八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

相國生南紀,金璞無留礦。仙鶴下人間,獨立霜毛整。

矯然江海思,複與雲路永。寂寞想土階,未遑等箕潁。


(下し文)
(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。

(現代語訳)
(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。



(訳注)

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

○故右僕射・相国・曲江張公九齢 張九齢(678 - 740年)は中国唐代中期の政治家・詩人。字は子寿。張九齢・『晩笑堂竹荘畫傳』韶州曲江(広東省)の出身。702年に進士に及第し、寒門の出ではあったが宰相の張説に認められて校書郎・右拾遺・中書侍郎を歴任し、玄宗時代の733年以降は尚書右丞相の任にあたった。のち、李林甫や楊国忠らと衝突し、荊州(湖北省)に左遷され、官を辞した後は故郷に帰り文学史書に親しんだ。安禄山の「狼子野心」を見抜き、「誅を下して後患を絶て」と玄宗に諫言した人としても知られる。「開元最後の賢相」として名声高く、孟浩然や王維に希望を託されたこともある。王夫之はその『讀通鑑論』のなかで「貞観の時には才臣はいたが、清廉な者はいなかった。ただ開元の時に出た宋璟・盧懐慎・張九齢は清貞という徳を以て宰相に昇った。張九齢は清にして和、名声を追わず富を絶ち、朝廷に廉恥の心を知らせ、開元の世を盛んにした」と絶賛している。

 

相國生南紀,金璞無留礦。

張公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

○南紀 「詩経」(小雅四月)に

詩経下 (小雅 谷風之什 四月

四月維夏,六月徂暑。先祖匪人,胡寧忍予?

秋日淒淒,百卉具腓。亂離瘼矣,爰其適歸。

冬日烈烈,飄風發發。民莫不穀,我獨何害!

山有嘉卉,侯栗侯梅。廢爲殘,莫知其尤。

相彼泉水,載清載濁。我日構禍,曷雲能穀?

滔滔江漢,南國之紀。盡瘁以仕,寧莫我有。

匪鶉匪鳶,翰飛戾天。匪匪鮪,潛逃於淵。

山有蕨薇,隰有杞。君子作歌,維以告哀。

四月維れ夏、六月(りくげつ)徂暑(しよしよ)。

先祖人に匪ずや、胡寧(なん)ぞ予(われ)に忍べる。

秋日淒淒(せいせい)、百卉(ひやくき)具(とも)に腓(や)む。

亂離(らんり)して瘼(や)めり、爰(いづく)にか其れ適歸(てきき)せん。

冬日烈烈たり、飄風發發たり。

山に嘉卉(かき 善い木)有り、侯(こ)れ栗(くり)侯れ梅(ばい)。

廢して殘賊(ざんぞく)を爲し、其の尤(とが)を知る莫し。

彼の泉水を相(み)れば 載ち淸(す)み載ち濁る

滔滔たる江漢は 南國の紀(き)

盡瘁(じんすゐ)して以て仕ふ 寧(なん)ぞ我を有する莫きや

鶉(たん)に匪ず鳶(えん)に匪ず 翰(たか)く飛んで天に戾(いた)る

鱣(てん)に匪ず鮪(ゐ)に匪ず 潛んで淵に逃る

山に蕨薇(けつび)有り 隰(さは)に杞(きい)有り

とみえる。鄭箋に衆川を紀理して蕹滞せざらしむといっている、江漢の二水は南国の諸川を紀理するものであることをいう。従って江漢以南の地を南紀と称する。杜田はいう、説者是の詩を援き江漢を以て南紀となすは非なり、南紀とは分野の名なり、唐天文志にいう、「乃東循嶺僥,達東甌、閩中,是謂南紀,所以限蠻夷也。」(乃ち東は嶺僥に循い,東甌、閩中に達するまで,是を南紀と謂う,蠻夷を限る所以也。)と。張相国は曲江の人なり、曲江は君州に隷す、正に嶺僥甌越の地なり、大抵江漢より以南は皆之を南紀という、ひとり江漢のみに非ず、と。

金璞 こがね、あらたま。

○留 鉱石のなかにのこる、張九齢は幼にして聡敏、善く文をつづった、年十三、書を以て広州刺史王方慶をしのいだ、王方慶は大いに嗟賞しでいうのに、此の子は必ず能く遠きを致すであろうと。に留どまらぬとはそうしたことをさしていう。

 

 

仙鶴下人間,獨立霜毛整。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

○仙鶴 張九齢の人品をたとえていう。また家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだという。

○霜毛 白色のけ。

 

矯然江海思,複與雲路永。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

○矯然 あがるさま。

○江海思 江海をしたう情。川の流れのように、滔々として生きてゆくという意。

○雲路 雲の横たわる天上の途、高く飛ぼうとする青雲の志の意のあることをいう。

 

寂寞想土堦,未遑等箕潁。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。

想土階 上古賀撲の世を想う、司馬遷伝にいう、墨者も亦た堯舜をしたうと言う、其の堂高さ三尺、土培三等なりと。

等箕潁 箕頴は箕山と穎水、巣父・許由の隠れた地、等とは隠志をひとしくすること。

許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。さらに堯帝が高い地位をもって許由に報いようとすると、許由は潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすいだという。

それを見聞きしていたやはり伝説の高士として知られる巣父は、まさに牛にその川の水を飲ませようとしていたが、「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。

起八句は九齢の人品と済世の志のあったことをいう。

766年大暦元年55歲-46-#8奉節-37-#8 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -8》 杜甫index-15 杜甫<909-#8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5830

八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -8 杜甫  人生百年の生涯において、一方は生き長らえて存在し、一方は死歿してしまった。鄭虔公が没して後、とりのこされた寂しい自分はなにをたよりにすればよいのであるか。鄭虔公はもう永久にかえらないが、阮咸ともいうべき甥の鄭審がおられるが、我らと同じように、その進退は世網(宦官・賀蘭進明・第五琦【房琯関連参考】)にかかって謫せられている。

 

 
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766年大暦元年55-46-8奉節-37-8 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -8》 杜甫index-15 杜甫<909-#8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5830

 

 

杜甫詩1500-909-#8-1337/2500766年大暦元年55-46-8

 

 

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)    

台州 (江南東道 台州 台州)             

四明山 (江南東道 越州 會稽) 別名:四明    

楢溪 (江南東道 台州 楢溪) 別名:歡溪        

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山               

交遊人物:鄭虔    詩文提及

 

《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)

鶢鶋至魯門,不識鐘鼓饗。

鶢鶋という海鳥が魯の城の東門へやってきたとき、鐘鼓の音楽を奏して饗応されてもそれがありがたいことだとはおもわなかったものだ。

孔翠望赤霄,愁思雕籠養。

孔雀や翡翠はいかにうつくしい籠にいれて養われても、それを困ったことだとばかりかんがえて本心は、むかし棲んだ仙山の赤いそらばかりながめやっているというように、鄭虔公が官吏生活、高級官僚であっってもちょうどそんなものだろうと思った。

滎陽冠眾儒,早聞名公賞。

それに、滎陽の鄭虔先生は多くの儒者に冠たる人で、早くから君は当時の名公と賞賛された蘇娗公からも、未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったほどに評価されたと聞いていた。

地崇士大夫,況乃氣精爽。

鄭虔公の地位は士大夫の間に髙く一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。

(故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の郭公虔)

鶢鶋 魯門に至る、識らず鐘鼓の饗。

孔翠 赤霄を望む、愁思す 雕籠の養。

滎陽 衆儒に冠たり、早く聞く名公賞すと。

地は崇し 士大夫、況や乃ち気の精爽なるをや。』

 

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766年大暦元年55歲-46-#7奉節-37-#7 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -7》 杜甫index-15 杜甫<909-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5825

杜甫 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -7 王侯の門にはげしく談論したこともある。長安南、韋曲の田野にでて何将軍の別荘に林間で馬の頸革をほどいてやすんだこともある。吟詠を書き記す紙片を手にしながら一晩中飲みくらしたあの当時は四時の景物に対してむかしの賢豪に対する追想がしぜんと集まってきたことであった。

 
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766年大暦元年55-46-7奉節-37-7 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -7》 杜甫index-15 杜甫<909-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5825

 

 

杜甫詩1500-909-#7-1336/2500766年大暦元年55-46-7

 

#6

老蒙台州掾,泛泛浙江槳。

それで老年の身を以て遙か天台山の東の台州の属官におおせつけを蒙った、それで、長い船旅はつづき、遙かに浙江の舟をうかべることとなった。

覆穿四明雪,饑拾楢溪橡。

霊験あらたかな四明の雪を踏んでは履に穴があき、餞餓の境に陥りては楢渓の橡栗を拾うという運命にであうに至ったのである。

空聞紫芝歌,不見杏壇丈。

遙か遠いその地において、鄭虔公が四皓のごとく「紫芝の歌」を歌っていると空しく聞くばかりで、孔子のように杏壇の長者である鄭虔公の姿を見ることができないのである。

天長眺東南,秋色餘魍魎。
遠く東南の天をながめやればただ秋色に魍魎のはびこっているさまがのこっているのを見るばかりである。

老いて蒙る台州の掾、泛かに泛かぶ浙江の槳。

覆は穿たる四明の雪、饑えては拾う楢渓の橡。

空しく聞く紫芝の歌、見ず 杏壇の丈。

天長くして東南を眺る、秋色 魍魎 余る。

#7

別離慘至今,斑白徒懷曩。

お別れしてから申し訳ないことにとうとう今日のように既に沒するに至ってしまった、それに白髪頭をしていたずらに曩昔のことをおもうだけなのだ。

春深秦山秀,葉墜清渭朗。

長安時代はどうであったかというと、春は深くして、秦中の山山はたかく秀でていたし、秋はどうかというと、この葉のおちるころは、渭水の水は清く澄んでいてほがらかであった。

劇談王侯門,野林下鞅。

王侯の門にはげしく談論したこともある。長安南、韋曲の田野にでて何将軍の別荘に林間で馬の頸革をほどいてやすんだこともある。

操紙終夕酣,時物集遐想
吟詠を書き記す紙片を手にしながら一晩中飲みくらしたあの当時は四時の景物に対してむかしの賢豪に対する追想がしぜんと集まってきたことであった。

 

別離 惨として今に至れり、斑白 徒にを懐う。

春深くして秦山秀ず、葉墜ちて清渭朗かなり。

劇談す 王侯の門、野にす林下の鞅。

紙を操りて終夕なり。時物 遐想を集めき。 

 

 

『八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -7』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#7

別離慘至今,斑白徒懷曩。

春深秦山秀,葉墜清渭朗。

劇談王侯門,野林下鞅。

操紙終夕酣,時物集遐想

(下し文)
別離 惨として今に至れり、斑白 徒に曩を懐う。

春深くして秦山秀ず、葉墜ちて清渭朗かなり。

劇談す 王侯の門、野にす林下の鞅。

紙を操りて終夕酣なり。時物 遐想を集めき。 

(現代語訳)
お別れしてから申し訳ないことにとうとう今日のように既に沒するに至ってしまった、それに白髪頭をしていたずらに曩昔のことをおもうだけなのだ。

長安時代はどうであったかというと、春は深くして、秦中の山山はたかく秀でていたし、秋はどうかというと、この葉のおちるころは、渭水の水は清く澄んでいてほがらかであった。

王侯の門にはげしく談論したこともある。長安南、韋曲の田野にでて何将軍の別荘に林間で馬の頸革をほどいてやすんだこともある。

吟詠を書き記す紙片を手にしながら一晩中飲みくらしたあの当時は四時の景物に対してむかしの賢豪に対する追想がしぜんと集まってきたことであった。

(訳注) #7

 

別離慘至今,斑白徒懷曩。

お別れしてから申し訳ないことにとうとう今日のように既に沒するに至ってしまった、それに白髪頭をしていたずらに曩昔のことをおもうだけなのだ。

○今 鄭虔がすでに没した今日のことをいう。

○斑白 髪の色がまだらに白い、自己の老衰の状。

懷曩 さきの日の事をおもう。

 

春深秦山秀,葉墜清渭朗。

長安時代はどうであったかというと、春は深くして、秦中の山山はたかく秀でていたし、秋はどうかというと、この葉のおちるころは、渭水の水は清く澄んでいてほがらかであった。

秦山 長安附近の山をいう。

○葉墜 秋時をいう。

清渭 渭洞は渭水。

 

劇談王侯門,野林下鞅。

王侯の門にはげしく談論したこともある。長安南、韋曲の田野にでて何将軍の別荘に林間で馬の頸革をほどいてやすんだこともある。

○劇談 はげしく談論する。

 田野において駕を解く。

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奉陪鄭駙馬韋曲二首其二 杜甫   :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 76

林下鞅 鉄は馬の頸にあたる革。

 

操紙終夕酣,時物集遐想

吟詠を書き記す紙片を手にしながら一晩中飲みくらしたあの当時は四時の景物に対してむかしの賢豪に対する追想がしぜんと集まってきたことであった。

○操紙 紙片をとる、詩文をかきつけんがために。

〇時物 長安においでの四季おりおりの景物。

遐想 昔の賢豪に対するはるかな追想。。

「空間」十二句は別離以来と長安時代の昔の思いでをいう。上節の「懐曩」の説明もいう。

 

 

753年天宝十二年42

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754年天宝十三年43

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766年大暦元年55歲-46-#6奉節-37-#6 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -6》 杜甫index-15 <909-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5820

杜甫 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -6 それで老年の身を以て遙か天台山の東の台州の属官におおせつけを蒙った、それで、長い船旅はつづき、遙かに浙江の舟をうかべることとなった。霊験あらたかな四明の雪を踏んでは履に穴があき、餞餓の境に陥りては楢渓の橡栗を拾うという運命にであうに至ったのである。

 

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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#6

老蒙台州掾,泛泛浙江槳。

それで老年の身を以て遙か天台山の東の台州の属官におおせつけを蒙った、それで、長い船旅はつづき、遙かに浙江の舟をうかべることとなった。

覆穿四明雪,饑拾楢溪橡。

霊験あらたかな四明の雪を踏んでは履に穴があき、餞餓の境に陥りては楢渓の橡栗を拾うという運命にであうに至ったのである。

空聞紫芝歌,不見杏壇丈。

遙か遠いその地において、鄭虔公が四皓のごとく「紫芝の歌」を歌っていると空しく聞くばかりで、孔子のように杏壇の長者である鄭虔公の姿を見ることができないのである。

天長眺東南,秋色餘魍魎。
遠く東南の天をながめやればただ秋色に魍魎のはびこっているさまがのこっているのを見るばかりである。

老いて蒙る台州の掾、泛かに泛かぶ浙江の槳。

覆は穿たる四明の雪、饑えては拾う楢渓の橡。

空しく聞く紫芝の歌、見ず 杏壇の丈。

天長くして東南を眺る、秋色 魍魎 余る。

李白の足跡55 

 

『八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔』 現代語訳と訳註解説
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#6

老蒙台州掾,泛泛浙江槳。

覆穿四明雪,饑拾楢溪橡。

空聞紫芝歌,不見杏壇丈。

天長眺東南,秋色餘魍魎。

(下し文)
老いて蒙る台州の掾、泛かに泛かぶ浙江の槳。

覆は穿たる四明の雪、饑えては拾う楢渓の橡。

空しく聞く紫芝の歌、見ず 杏壇の丈。

天長くして東南を眺る、秋色 魍魎 余る。

(現代語訳)
それで老年の身を以て遙か天台山の東の台州の属官におおせつけを蒙った、それで、長い船旅はつづき、遙かに浙江の舟をうかべることとなった。

霊験あらたかな四明の雪を踏んでは履に穴があき、餞餓の境に陥りては楢渓の橡栗を拾うという運命にであうに至ったのである。

遙か遠いその地において、鄭虔公が四皓のごとく「紫芝の歌」を歌っていると空しく聞くばかりで、孔子のように杏壇の長者である鄭虔公の姿を見ることができないのである。

遠く東南の天をながめやればただ秋色に魍魎のはびこっているさまがのこっているのを見るばかりである。



(訳注) 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -6#6

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)#2

虔(てい けん、生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

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送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1>1145 杜甫特集700- 346

地點:    滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)    

台州 (江南東道 台州 台州)             

四明山 (江南東道 越州 會稽) 別名:四明    

楢溪 (江南東道 台州 楢溪) 別名:歡溪        

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山               

 

老蒙台州掾,泛泛浙江槳。

それで老年の身を以て遙か天台山の東の台州の属官におおせつけを蒙った、それで、長い船旅はつづき、遙かに浙江の舟をうかべることとなった。

台州掾 天台山のある台州の長官の属官に左遷。掾は属官、唐の一部官庁で三等官の呼称とされていた「丞」の借音とされる。

泛泛 はるかにうかべる。

浙江槳 浙江のふなかじ。・():櫂(かい),オール划オールを漕ぐ

 

覆穿四明雪,饑拾楢溪橡。

霊験あらたかな四明の雪を踏んでは履に穴があき、餞餓の境に陥りては楢渓の橡栗を拾うという運命にであうに至ったのである。

覆穿 くつに穴があく。

四明 山の名、寧波府の西南百五十里にある、台州に近いので名山をあげる。四明山の用語解説 - 中国浙江(せっこう)省の東部、寧波(ニンポー)の西方にある山。古くからの霊山で、名は日月星辰に光を通じる山の意。寺院が多い。宋初、知礼がここで天台の教えを広めた。

楢溪 台州府天台県の東二十五里にある、歓渓ともいう。浙江天台縣東二十五里。亦名歡溪。源出華頂。南流至鳳凰山側。入始豐溪。

橡 とちぐり、食べることのできるもの。

 

空聞紫芝歌,不見杏壇丈。

遙か遠いその地において、鄭虔公が四皓のごとく「紫芝の歌」を歌っていると空しく聞くばかりで、孔子のように杏壇の長者である鄭虔公の姿を見ることができないのである。

紫芝歌 漢の初め、商山に四皓(四人の老人)がいて山に隠れ紫芝を采り歌をつくった。鄭虔の退棲に比する。秦の始皇帝の時,国乱を避けて,陝西の商山に入った東園公,綺里季,夏黄公,【ろく】里(ろくり)先生の4人の隠士を画題とする絵画。4人は鬚眉(しゅび)みな白かったことから,商山四皓と呼ばれた。

杏壇丈 「荘子」(漁父)にいう、孔子締椎の林に遊び、香壇の上に坐す、弟子書を読む、孔子絃歌して琴を鼓す、と。香壇は香花のある壇、鄭虔は広文館博士であったので孔子に此する。丈は文人、長者を称する。

 

天長眺東南,秋色餘魍魎。

遠く東南の天をながめやればただ秋色に魍魎のはびこっているさまがのこっているのを見るばかりである。

東南 台州の在る方位。

魍魎 水石の怪、赤黒色にして三歳の小児のごとしと。

「形骸實土木」以下十四句は鄭虔が安禄山の乱で偽官に着いたということで台州の属官に左遷され苦しい生活に追い込まれたことをいう。

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杜甫 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -5  晩年には蔵書室のある処に身を寄せて著作郎となるが、この時胡虜である安禄山の叛乱兵馬の塵がひろく横たわるようになった。鄭虔公は安史軍に従わず朝廷の方へ帰順したのであるが、安史軍の偽官を受けたとの汚れのしみはそそぎ洗うことについては由なかった。

 

 
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766年大暦元年55-46-5奉節-37-5 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -5》 杜甫index-15 杜甫<909-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5815

 

 

杜甫詩1500-909-#5-1334/2500766年大暦元年55-46-5

 

#4

昔獻書畫圖,新詩亦俱往。

むかし、鄭虔公の作った新詩の書とその新詩のかかれた書画の図を天子に献上たてまつったことがある。

滄洲動玉陛,宣鶴誤一響。

その時、仙境、滄州の画趣は天子の玉陛をも感動させ、画中の寡の鶴がひとこえ鳴いたとさえおもわれたほどである。

自禦題,四方尤所仰。

そしてその書画図の下方に、天子御自身に「“鄭虔三。”(詩、書、畫三者妙)と題したまわったことは四方の人人のもっとも仰ぎ尊んだところであった。

嗜酒益疏放,彈琴視天壤。

「三絶」として尊ばれる一方、酒がすきでますます世と疎く気儘にふるまい、琴を弾きつつ天地を睥睨するのである。

昔献ず書画の図、新詩 亦た俱に往けり。

滄洲 玉陛を動かす、宣鶴 一響するかと誤らる。

三絶 題自りし、四方 尤【もつと】も仰ぐ所。

嗜酒 益す疏放、弾琴 天壌を視る。

 

#5

形骸實土木,親近唯幾杖。

外見の姿形とか骸体なんぞは土木同様に無視し、親しむものは脇息と杖ばかりであった。

未曾寄官曹,突兀倚書幌。

廣文館博士となっても役所の部屋に寄ったことはかつてなく、長安の南のに山中にじっと坐って書斎のとばりに倚りそっていた。

晚就芸香閣,胡塵昏坱莽。

晩年には蔵書室のある処に身を寄せて著作郎となるが、この時胡虜である安禄山の叛乱兵馬の塵がひろく横たわるようになった。

反覆歸聖朝,點染無滌蕩。

鄭虔公は安史軍に従わず朝廷の方へ帰順したのであるが、安史軍の偽官を受けたとの汚れのしみはそそぎ洗うことについては由なかった。

 

形骸 実に土木、親近するは惟だ凡杖のみ。

未だだ曾て官曹に寄らず、突兀 書幌に倚る。

晩に就く芸香の閣、胡塵 昏くして坱莽たり。

反覆 聖朝に帰す、点染 滌蕩 無し。

 

 

『八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -5》#5

形骸實土木,親近唯幾杖。

未曾寄官曹,突兀倚書幌。

晚就芸香閣,胡塵昏坱莽。

反覆歸聖朝,點染無滌蕩。


(下し文)
形骸 実に土木、親近するは惟だ凡杖のみ。

未だだ曾て官曹に寄らず、突兀 書幌に倚る。

晩に就く芸香の閣、胡塵 昏くして莽たり。

反覆 聖朝に帰す、点染 滌蕩 無し。

(現代語訳)
外見の姿形とか骸体なんぞは土木同様に無視し、親しむものは脇息と杖ばかりであった。

廣文館博士となっても役所の部屋に寄ったことはかつてなく、長安の南の山中にじっと坐って書斎のとばりに倚りそっていた。

晩年には蔵書室のある処に身を寄せて著作郎となるが、この時胡虜である安禄山の叛乱兵馬の塵がひろく横たわるようになった。

鄭虔公は安史軍に従わず朝廷の方へ帰順したのであるが、安史軍の偽官を受けたとの汚れのしみはそそぎ洗うことについては由なかった。


(訳注) 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -5》#5

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)#2

虔(てい けん、生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩  55

奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 75

奉陪鄭駙馬韋曲二首其二 杜甫   :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 76

送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1>1145 杜甫特集700- 346

 

形骸實土木,親近唯幾杖。

外見の姿形とか骸体なんぞは土木同様に無視し、親しむものは脇息と杖ばかりであった。

○形骸実土木 形骸を土木の如く視る、肉体を軽蔑する。・形骸:1 精神や生命を別にした、からだ。むくろ。2 建物などの、骨組み。3 外形だけを残して、実質的な意味を失っているもの。

○幾杖 杖を頼りにする生活をいう。隠遁者、仙人の山中の生活の必需品の杖を数本持っている。杖策:杜甫《西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其一》「卜居意未展,杖策回旦暮。」(居を卜【ぼく】する意未だ展【の】べず、策を杖【つ】きて廻れば且【ほとん】ど暮れんとす。)それでも占ったうえでもよい住まいの場所でまだきめようと決心するほどおもうようなよい場所にであわなかった、つえをついてかえろうとすれば日ははや暮れかかってくる。李白《自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁 -3》「辭山不忍聽,揮策還孤舟。」こうして巫山と分かれようとすれば、猿の鳴き声は聞くに忍びず、かくて、杖を振るって草をかき分け孤舟に帰ろうとするのである。・揮策 杖を振るって草をかき分ける。

 

未曾寄官曹,突兀倚書幌。

廣文館博士となっても役所の部屋に寄ったことはかつてなく、長安の南の山中にじっと坐って書斎のとばりに倚りそっていた。

○寄官曹 官曹はやくしょの部屋のこと。「唐語林」にいう、「玄宗広文館を置き鄭虔を以て博士となす。鄭虔命を聞くも広文の曹司の何に在るやを知らず、宰相に訴う、宰相日く、上、国学を増し広文館を置き以て賢者を居き、後世をして広文の博士君より始まると言わしむ、亦た美ならずやと。鄭虔乃ち職に就く、と。《唐語林: 卷二·文學》“天寶中,國學增置廣文館,以領詞藻之士。滎陽鄭虔久被貶謫,是始還京師參選,除廣文館博士。虔茫然曰:「不知廣文曹司何在?」執政謂曰:「廣文館新置,總領文詞,故以公名賢處之。且令後代稱廣文博士自鄭虔始,不亦美乎?」虔乃就職。

○突兀 端坐のさま。

○書幌 書斎のまく。

 

晚就芸香閣,胡塵昏坱莽。

晩年には蔵書室のある処に身を寄せて著作郎となるが、この時胡虜である安禄山の叛乱兵馬の塵がひろく横たわるようになった。

○芸香閣 蔵書室をいう、芸は香草で紙蟲を避けさせる、故に蔵書の所を芸台という。詩句は著作郎となったことをいう。鄭虔は広文博士より著作郎に違った、著作郎は文箱を司る故に芸閣という。

○胡塵 安禄山の乱をいう。

○坱莽 (1) (水面が)広々とした,洋々たる.(2) 気宇壮大な,堂々たる.漭漭:果てしなく広大なさま.泱漭【おうもう】に同じ、「上林賦」にいう、「經乎桂林之中,過乎泱漭之野。」(桂林の中を經【わた】り,泱漭【おうもう】の野に過ぐ。)泱漭の野に過ぐ」と。如浮は、決済は大なるさまという。

司馬相如 《上林賦 》(4#2-2 文選 賦<110-#2-213分割52回 Ⅱ李白に影響を与えた詩909 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3093

 

反覆歸聖朝,點染無滌蕩。

鄭虔公は安史軍に従わず朝廷の方へ帰順したのであるが、安史軍の偽官を受けたとの汚れのしみはそそぎ洗うことについては由なかった。

○反覆 官軍の方へひっくりかえって来たことをいう。

○点染 けがれにそまること、安史軍の偽命をうけたこと。安禄山が謀叛蜂起したとき百官を脅かして東都(洛陽)に置き、鄭虔に水部郎中を偽授した、鄭虔は風緩(中風でからだがきかぬ)と称して市令を摂せんことを求め、ひそかに密章を以て霊武行在所(粛宗の居られた地)に達した。安史軍が平らいで死を免ぜられ台州司戸参軍事に賠せられた。趙注にいう、賊が平らぐや鄭虔、張通叔・王維と並びに宣陽里に囚わる、三人皆画を善くす、崔円斎壁に画かしむ。鄭虔方に死を悸る、即ち思いを極めて解を円に祈む、卒に死を免じて台州に貶せらる、と。

○滌蕩 そそぎうごかす、ごしごしあらうこと。

 

 

753年天宝十二年42

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754年天宝十三年43

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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#3

圭臬星經奧,蟲篆丹青廣。

鄭虔公は、測量に詳しく、測地の術に精しく地理に通じている、天体のこと、星経に書かれていることを奥深く熟知している。そして蟲篆の書体のことから、絵画、丹青のことまで、知識と実践が広くゆきわたっていた。

子雲窺未遍,方朔諧太枉。

鄭虔公は「博覽無所不見。」といわれた揚子雲でさえもあまねく書を競うたとはいえないほどであるし、機知とユーモアで武帝から寵愛された東方朔が諧諺の名を得ておるのはまちがっておるとおもう。

神翰顧不一,體變鍾兼兩。

顧野王は書翰がうまいといわれるが、鄭虔公は第二の顧野王である。鍾繇父子は書体の変に妙といわれるが鄭虔公はその二鐘を兼ねたものだ。

文傳天下口,大字猶在榜。

君の文章は天下の人の口に伝誦されている。鄭虔公の書いた大字は今でも宮殿寺観などの榜版面に残っている。

 

圭臬【けいげつ】星經奧【ふか】く,蟲篆【ちゅうてん】丹青廣し。

子雲窺うこと未だ遍からず、方朔諧太だ枉なり。

神翰 顧一ならず、体変じて鍾両を兼ぬ。

文は伝う天下の口、大字 猶お榜に在り。

 

#4

昔獻書畫圖,新詩亦俱往。

むかし、鄭虔公の作った新詩の書とその新詩のかかれた書画の図を天子に献上たてまつったことがある。

滄洲動玉陛,宣鶴誤一響。

その時、仙境、滄州の画趣は天子の玉陛をも感動させ、画中の寡の鶴がひとこえ鳴いたとさえおもわれたほどである。

自禦題,四方尤所仰。

そしてその書画図の下方に、天子御自身に「“鄭虔三。”(詩、書、畫三者妙)と題したまわったことは四方の人人のもっとも仰ぎ尊んだところであった。

嗜酒益疏放,彈琴視天壤。

「三絶」として尊ばれる一方、酒がすきでますます世と疎く気儘にふるまい、琴を弾きつつ天地を睥睨するのである。

昔献ず書画の図、新詩 亦た俱に往けり。

滄洲 玉陛を動かす、宣鶴 一響するかと誤らる。

三絶 題自りし、四方 尤【もつと】も仰ぐ所。

嗜酒 益す疏放、弾琴 天壌を視る。

 

 

『八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#4

昔獻書畫圖,新詩亦俱往。

滄洲動玉陛,宣鶴誤一響。

自禦題,四方尤所仰。

嗜酒益疏放,彈琴視天壤。


(下し文)
昔献ず書画の図、新詩 亦た俱に往けり。

滄洲 玉陛を動かす、宣鶴 一響するかと誤らる。

三絶 禦題自りし、四方 尤【もつと】も仰ぐ所。

嗜酒 益す疏放、弾琴 天壌を視る。

(現代語訳)
むかし、鄭虔公の作った新詩の書とその新詩のかかれた書画の図を天子に献上たてまつったことがある。

その時、仙境、滄州の画趣は天子の玉陛をも感動させ、画中の寡の鶴がひとこえ鳴いたとさえおもわれたほどである。

そしてその書画図の下方に、天子御自身に「“鄭虔三。”(詩、書、畫三者妙)と題したまわったことは四方の人人のもっとも仰ぎ尊んだところであった。

「三絶」として尊ばれる一方、酒がすきでますます世と疎く気儘にふるまい、琴を弾きつつ天地を睥睨するのである。



(訳注) #4

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)#2

虔(てい けん、生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩  55

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送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1>1145 杜甫特集700- 346

 

昔獻書畫圖,新詩亦俱往。

むかし、鄭虔公の作った新詩の書とその新詩のかかれた書画の図を天子に献上たてまつったことがある。

○書画図 書・画図である。新詩を掛け軸として書だけを書いたもの。その詞の内容を画にする。その画の上部に詩を書きつける、画図は、おおきなもので、その場合、多くは六曲屏風にする場合が多い。

766年大暦元年55-21-3奉節-14 《巻15-60 殿中楊監見示張旭草書圖 -#3 杜甫index-15 杜甫<885-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5370

766年大暦元年55-22-1奉節-14 《巻15-61 楊監又出畫鷹十二扇 -#1 杜甫index-15 杜甫<885-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5370

《新唐書.鄭虔傳》「鄭虔 善く山水を畫く,好書法を喜ぶ,・・・・・曾て自から己の詩に加えて畫作に寫して在るを皇帝に上獻し給う,玄宗 作品下方に字し:“鄭虔三。”(詩、書、畫三者妙)升遷して著作郎と為す。」とある、。

○倶往 詩をかいて書画とともに天子のもとにやったことをいう。

 

滄洲動玉陛,宣鶴誤一響。

その時、仙境、滄州の画趣は天子の玉陛をも感動させ、画中の寡の鶴がひとこえ鳴いたとさえおもわれたほどである。

○愴洲 仙境、詩句画中の仙境の趣をいう。

○動玉陛 玉陛は御座へのぼる壇のきざはし。玉陛を動かすとは天子を感動させたことをいう。

○宣鶴 寡のつる、画中の物である。

○誤一響ひとこえ鳴いたかとあやまられる。鶴の生きているようなことをいう。

 

自禦題,四方尤所仰。

そしてその書画図の下方に、天子御自身に「“鄭虔三。”(詩、書、畫三者妙)と題したまわったことは四方の人人のもっとも仰ぎ尊んだところであった。

〇三絶 書・画・詩のすぐれたこと。上にみえる。

《新唐書.鄭虔傳》,唐玄宗天寶初年,任協律郎,搜集當代事迹,著書八十多篇。有人看其稿件,上書告他私撰國史,獲罪外貶十年。返回京師后,玄宗喜愛鄭虔的才華,想安排在身邊,因他不能治事,更為他設置廣文館,任他為博士。鄭虔善畫山水,喜好書法,常苦無紙張,慈恩寺儲存了幾屋子柿樹落葉,他就前去每日拿取柿葉練習書寫,時日一久,柿葉幾乎被他寫遍了。曾自己寫詩加在畫作上獻給皇帝,玄宗題字於作品下方:“鄭虔三。”(詩、書、畫三者妙)升遷為著作郎。

〇自禦題 禦題は玄宗みずから題署あそばされたことをいう。

 

嗜酒益疏放,彈琴視天壤。

「三絶」として尊ばれる一方、酒がすきでますます世と疎く気儘にふるまい、琴を弾きつつ天地を睥睨するのである。

○疏放 世と疎く気儘にふるまうこと。

○弾琴 文化芸術性に優れていると同時に疏放のさまをいう。

「圭呆」以下十六句は塵の才芸が人に絶することをいう。

766年大暦元年55歲-46-#3奉節-37-#3 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -3》 杜甫index-15 杜甫<909-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5805

八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -3 杜甫  鄭虔公は、測量に詳しく、測地の術に精しく地理に通じている、天体のこと、星経に書かれていることを奥深く熟知している。そして蟲篆の書体のことから、絵画、丹青のことまで、知識と実践が広くゆきわたっていた。

 

 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-46-#3奉節-37-#3 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -3》 杜甫index-15 杜甫<909-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5805 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-43韋荘121《巻3-21 女冠子二首 其一》三巻21-〈121〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5807 
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766年大暦元年55-46-3奉節-37-3 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -3》 杜甫index-15 杜甫<909-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5805

 

 

杜甫詩1500-909-#3-1332/2500766年大暦元年55-46-3

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)    

台州 (江南東道 台州 台州)             

四明山 (江南東道 越州 會稽) 別名:四明    

楢溪 (江南東道 台州 楢溪) 別名:歡溪        

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山               

交遊人物:鄭虔    詩文提及

 

《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)

鶢鶋至魯門,不識鐘鼓饗。

鶢鶋という海鳥が魯の城の東門へやってきたとき、鐘鼓の音楽を奏して饗応されてもそれがありがたいことだとはおもわなかったものだ。

孔翠望赤霄,愁思雕籠養。

孔雀や翡翠はいかにうつくしい籠にいれて養われても、それを困ったことだとばかりかんがえて本心は、むかし棲んだ仙山の赤いそらばかりながめやっているというように、鄭虔公が官吏生活、高級官僚であっってもちょうどそんなものだろうと思った。

滎陽冠眾儒,早聞名公賞。

それに、滎陽の鄭虔先生は多くの儒者に冠たる人で、早くから君は当時の名公と賞賛された蘇娗公からも、未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったほどに評価されたと聞いていた。

地崇士大夫,況乃氣精爽。

鄭虔公の地位は士大夫の間に髙く一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。

(故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の郭公虔)

鶢鶋 魯門に至る、識らず鐘鼓の饗。

孔翠 赤霄を望む、愁思す 雕籠の養。

滎陽 衆儒に冠たり、早く聞く名公賞すと。

地は崇し 士大夫、況や乃ち気の精爽なるをや。』

#2

天然生知姿,學立游夏上。

鄭虔公は天然に生まれながら知る聖人の姿資性をそなえ、学問は孔子の門にあって文学に秀でた子游・子夏のうえに立つほどであった。

神農極闕漏,黃石愧師長。

鄭虔公は神農にくらべても、つきつめると神農に闕漏が有ると思えるし、兵法者、黃石公にくらべても、黄石公を師長たることは恥ずかしく思うほどである。

藥纂西極名,兵流指諸掌。

君は薬物の書を著わしては西域のはてまでの名をあつめ、兵法諸流はこれを掌に指さす如くあかるくあったので、諸儒は其の善く書を著わしたのに服したといわれる。

貫穿無遺恨,《薈蕞》何技癢。

鄭虔公は諸学を一筋の条理によって貫き通ており、《薈蕞》の書をかいてはいるけれど、余力のはてじっとしていては伎癢に感じたのでやった仕事とおもわれる。』

天然 生知の姿、学は立つ游夏の上。

神農 或は闕漏す、黄石 師長たるを愧ず。

薬は纂む西極の名、兵流 諸を掌に指さす。

貴穿 遺恨無し、薈蕞 何ぞ技癢なる。』

#3

圭臬星經奧,蟲篆丹青廣。

鄭虔公は、測量に詳しく、測地の術に精しく地理に通じている、天体のこと、星経に書かれていることを奥深く熟知している。そして蟲篆の書体のことから、絵画、丹青のことまで、知識と実践が広くゆきわたっていた。

子雲窺未遍,方朔諧太枉。

鄭虔公は「博覽無所不見。」といわれた揚子雲でさえもあまねく書を競うたとはいえないほどであるし、機知とユーモアで武帝から寵愛された東方朔が諧諺の名を得ておるのはまちがっておるとおもう。

神翰顧不一,體變鍾兼兩。

顧野王は書翰がうまいといわれるが、鄭虔公は第二の顧野王である。鍾繇父子は書体の変に妙といわれるが鄭虔公はその二鐘を兼ねたものだ。

文傳天下口,大字猶在榜。

君の文章は天下の人の口に伝誦されている。鄭虔公の書いた大字は今でも宮殿寺観などの榜版面に残っている。

 

圭臬【けいげつ】星經奧【ふか】く,蟲篆【ちゅうてん】丹青廣し。

子雲窺うこと未だ遍からず、方朔諧太だ枉なり。

神翰 顧一ならず、体変じて鍾両を兼ぬ。

文は伝う天下の口、大字 猶お榜に在り。

洛陽 函谷関002 

 

『八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -3
#3

圭臬星經奧,蟲篆丹青廣。

子雲窺未遍,方朔諧太枉。

神翰顧不一,體變鍾兼兩。

文傳天下口,大字猶在榜。


(下し文)
圭臬【けいげつ】星經奧【ふか】く,蟲篆【ちゅうてん】丹青廣し。

子雲窺うこと未だ遍からず、方朔諧太だ枉なり。

神翰 顧一ならず、体変じて鍾両を兼ぬ。

文は伝う天下の口、大字 猶お榜に在り。


(現代語訳)
鄭虔公は、測量に詳しく、測地の術に精しく地理に通じている、天体のこと、星経に書かれていることを奥深く熟知している。そして蟲篆の書体のことから、絵画、丹青のことまで、知識と実践が広くゆきわたっていた。

鄭虔公は「博覽無所不見。」といわれた揚子雲でさえもあまねく書を競うたとはいえないほどであるし、機知とユーモアで武帝から寵愛された東方朔が諧諺の名を得ておるのはまちがっておるとおもう。

顧野王は書翰がうまいといわれるが、鄭虔公は第二の顧野王である。鍾繇父子は書体の変に妙といわれるが鄭虔公はその二鐘を兼ねたものだ。

君の文章は天下の人の口に伝誦されている。鄭虔公の書いた大字は今でも宮殿寺観などの榜版面に残っている。



(訳注) 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -3#3

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)#2

虔(てい けん、生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩  55

奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 75

奉陪鄭駙馬韋曲二首其二 杜甫   :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 76

送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1>1145 杜甫特集700- 346

 

圭臬星經奧,蟲篆丹青廣。

鄭虔公は、測量に詳しく、測地の術に精しく地理に通じている、天体のこと、星経に書かれていることを奥深く熟知している。そして蟲篆の書体のことから、絵画、丹青のことまで、知識と実践が広くゆきわたっていた。

圭臬【けいげつ】 土圭、水臬の古代測量工具のこと。土圭、日影を測るのに用いるもの、高さ一尺五寸。臬は高さ八尺の代木、日影と水平とによって方位を正すのに用いるもの、土圭の法は「周礼」(大司徒)にみえ、臬のことは「周礼」(考工記)の匠人職にみえる。鄭虔が測地の術に精しく地理に通じていることをいう。「舊時測日影、正四時和測度土地的儀器。」

星經 天文の事を記した書。戦国の頃、甘氏・石氏の星経がある。

蟲篆 書体の名。後漢の許慎の「説文解字」の序に書の八体を記したうちに書・書がある。篆書体(てんしょたい)は漢字の書体の一種。「篆書」「篆文」ともいう。広義には秦代より前に使用されていた書体全てを指すが、一般的には周末の金文を起源として、戦国時代に発達して整理され、公式書体とされた小篆とそれに関係する書体を指す。書は中國春秋中期から戰國時代において盛んにつかわれた中國南方における文字の一種である。

○丹青絵画をいう。

 

子雲窺未遍,方朔諧太枉。

鄭虔公は「博覽無所不見。」といわれた揚子雲でさえもあまねく書を競うたとはいえないほどであるし、機知とユーモアで武帝から寵愛された東方朔が諧諺の名を得ておるのはまちがっておるとおもう。

○子雲 前漢末の揚雄の字。揚雄(よう ゆう、紀元前53年(宣帝の甘露元年) - 18年(王莽の天鳳五年))は、中国前漢時代末期の文人、学者。現在の四川省に当たる蜀郡成都の人。字は子雲。また楊雄とも表記する。

○窺 書籍をうかがい読むことをいう。

○末遍 揚雄の伝には揚雄は「博覽無所不見。」(博覧して見ざる所なし)といっている、詩句は揚雄は鄭虔に此するならば窺いあまねくないことをいう。

方朔 東方朔。(154?―前93)前漢の文学者。平原郡厭次 (ようじ) (山西省朔県) の人。字,曼倩 (まんせい) 。機知とユーモアで武帝から寵愛され,太中大夫給事中に進んだ。

諧太枉 諧は謙語、おどけ、東方朔はおどけを以て知られるが鄭虔に此するならばそのおどけの名のあるのは正しくないことをいう。

 

神翰顧不一,體變鍾兼兩。

顧野王は書翰がうまいといわれるが、鄭虔公は第二の顧野王である。鍾繇父子は書体の変に妙といわれるが鄭虔公はその二鐘を兼ねたものだ。

○神翰 神妙な書翰の文字。

○顧不一 顧は陳の顧野王、顧野王は「虫奇字、通ぜざる所なし」といわれる、思うにまた書にも長じていたのであろう、不一とは鄭虔は第二の顧野王というべく、すなわち顧が二人あることをいう。顧野王(こ やおう、519 - 581年)は、南朝梁から陳にかけての学者。字は希馮。本貫は呉郡呉県。『玉篇』の撰者。梁の信威臨賀王記室の顧烜の子として生まれた。幼くして学問を好み、7歳で五経を読んで要旨を理解したといわれる。9歳で文章を作ることができ、日賦を作って領軍の朱異に賞賛された。12歳のとき、父に従って建安郡におもむき、『建安地記』2篇を編纂した。成長すると、経書や史書をあまねく読んで記憶し、天文・地理・占卜・篆字など広く学問に通じた。538年(大同4年)、太学博士に任じられた。中領軍臨賀王府記室参軍に転じた。宣城王蕭大器が揚州刺史となると、野王は王褒とともに賓客となり、蕭大器にその才能を愛された。野王はまた絵画を得意とし、蕭大器が皇太子となったとき、野王に命じて古賢を描かせ、王褒に賛を書かせると、当時の人はふたりを二絶と呼んだ。

○体変 書体の変化。

○鍾兼両 鍾は魏の鍾繇のことで、琴三色書に巧みで、草・隷・八分は最も優美だといわれる。鍾繇の子の鍾会もまた書を善くした。兼両とは二つのものを兼ね有することをいう。鄭虔の書は二鐘を兼ねる。

 

文傳天下口,大字猶在。

君の文章は天下の人の口に伝誦されている。鄭虔公の書いた大字は今でも宮殿寺観などの榜版面に残っている。

 榜版【かんばん】。どこのであるか明らかでないが、宮殿寺観などのであろう。

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杜甫 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -2  鄭虔公は天然に生まれながら知る聖人の姿資性をそなえ、学問は孔子の門にあって文学に秀でた子游・子夏のうえに立つほどであった。

 
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杜甫詩1500-909-#2-1331/2500766年大暦元年55-46-2

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)    

台州 (江南東道 台州 台州)             

四明山 (江南東道 越州 會稽) 別名:四明    

楢溪 (江南東道 台州 楢溪) 別名:歡溪        

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山               

交遊人物:鄭虔    詩文提及

 

《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)

鶢鶋至魯門,不識鐘鼓饗。

鶢鶋という海鳥が魯の城の東門へやってきたとき、鐘鼓の音楽を奏して饗応されてもそれがありがたいことだとはおもわなかったものだ。

孔翠望赤霄,愁思雕籠養。

孔雀や翡翠はいかにうつくしい籠にいれて養われても、それを困ったことだとばかりかんがえて本心は、むかし棲んだ仙山の赤いそらばかりながめやっているというように、鄭虔公が官吏生活、高級官僚であっってもちょうどそんなものだろうと思った。

滎陽冠眾儒,早聞名公賞。

それに、滎陽の鄭虔先生は多くの儒者に冠たる人で、早くから君は当時の名公と賞賛された蘇娗公からも、未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったほどに評価されたと聞いていた。

地崇士大夫,況乃氣精爽。

鄭虔公の地位は士大夫の間に髙く一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。

(故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の郭公虔)

鶢鶋 魯門に至る、識らず鐘鼓の饗。

孔翠 赤霄を望む、愁思す 雕籠の養。

滎陽 衆儒に冠たり、早く聞く名公賞すと。

地は崇し 士大夫、況や乃ち気の精爽なるをや。』

#2

天然生知姿,學立游夏上。

鄭虔公は天然に生まれながら知る聖人の姿資性をそなえ、学問は孔子の門にあって文学に秀でた子游・子夏のうえに立つほどであった。

神農極闕漏,黃石愧師長。

鄭虔公は神農にくらべても、つきつめると神農に闕漏が有ると思えるし、兵法者、黃石公にくらべても、黄石公を師長たることは恥ずかしく思うほどである。

藥纂西極名,兵流指諸掌。

君は薬物の書を著わしては西域のはてまでの名をあつめ、兵法諸流はこれを掌に指さす如くあかるくあったので、諸儒は其の善く書を著わしたのに服したといわれる。

貫穿無遺恨,《薈蕞》何技癢。

鄭虔公は諸学を一筋の条理によって貫き通ており、《薈蕞》の書をかいてはいるけれど、余力のはてじっとしていては伎癢に感じたのでやった仕事とおもわれる。』

天然 生知の姿、学は立つ游夏の上。

神農 或は闕漏す、黄石 師長たるを愧ず。

薬は纂む西極の名、兵流 諸を掌に指さす。

貴穿 遺恨無し、薈蕞 何ぞ技癢なる。』

 

洛陽 函谷関002 

『八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

天然生知姿,學立游夏上。

神農極闕漏,黃石愧師長。

藥纂西極名,兵流指諸掌。

貫穿無遺恨,《薈蕞》何技癢。


(下し文)
天然 生知の姿、学は立つ游夏の上。

神農 或は闕漏す、黄石 師長たるを愧ず。

薬は纂む西極の名、兵流 諸を掌に指さす。

貴穿 遺恨無し、薈蕞 何ぞ技癢なる。』

(現代語訳)
鄭虔公は天然に生まれながら知る聖人の姿資性をそなえ、学問は孔子の門にあって文学に秀でた子游・子夏のうえに立つほどであった。

鄭虔公は神農にくらべても、つきつめると神農に闕漏が有ると思えるし、兵法者、黃石公にくらべても、黄石公を師長たることは恥ずかしく思うほどである。

君は薬物の書を著わしては西域のはてまでの名をあつめ、兵法諸流はこれを掌に指さす如くあかるくあったので、諸儒は其の善く書を著わしたのに服したといわれる。

鄭虔公は諸学を一筋の条理によって貫き通ており、《薈蕞》の書をかいてはいるけれど、余力のはてじっとしていては伎癢に感じたのでやった仕事とおもわれる。』

安史の乱当時の勢力図
(訳注) #2《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -2

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)#2

虔(てい けん、生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩  55

奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 75

奉陪鄭駙馬韋曲二首其二 杜甫   :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 76

送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1>1145 杜甫特集700- 346

 

 

天然生知姿,學立游夏上。

鄭虔公は天然に生まれながら知る聖人の姿資性をそなえ、学問は孔子の門にあって文学に秀でた子游・子夏のうえに立つほどであった。

生知姿 生まれながらにして知るほどの姿資性。

游夏 子游・子夏、孔子の門にあって文学に秀でた人。

・子游(しゆう、紀元前506 - 紀元前443?)は、春秋時代の儒学者で、孔子の弟子のひとり。文学(学問の才能)に優れていたといい、孔門十哲のひとりに数えられる。姓は言(げん)、名は偃(えん)、子游は字である。呉の人で、名の伝わる70人あまりの孔子の弟子(七十子)の中では唯一南方の出身。のちに帰郷して江南に儒学を広めたとされ、「南方夫子」と呼ばれた。『論語』では武城(山東省武城県)の町の長官を勤め、礼楽を以て民を教化していたという記載がある(雍也第六)。

・子夏(しか、紀元前507? - 紀元前420?)は、孔子の門人。姓は卜(ぼく)、名は商。子夏は字。衛(河南省)の人、一説に晋の温国(河南省焦作市)出身。学問を好み孔門十哲の一人とされる。「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」で「不及」と評価された人物である(『論語』先進篇)。『礼記』によると、自分の子供が死亡した際にあまりの悲しみに失明した。それを聞き、同門である曾子が子夏を訪ね、子夏が「なぜ、自分だけこのような不幸に会わなければならないのか」と嘆くと、「ずっと妻子を放っておいて何事か」と諭した。それに対し「我、過てり(われ、あやまてり)」と嘆いた。子游とともに文学(学問のこと)に優れていたとされ、今文経学では六経伝承の淵源を子夏に求めている。彼の学風からは後の荀子へと受け継がれる。

 

神農極闕漏,黃石愧師長。

鄭虔公は神農にくらべても、つきつめると神農に闕漏が有ると思えるし、兵法者、黃石公にくらべても、黄石公を師長たることは恥ずかしく思うほどである。

○神農 古代の王、「本草」を著わすと称せられる。古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人。諸人に医療と農耕の術を教えたという。中国では“神農大帝”と尊称されていて、医薬と農業を司る神とされている。神農は中国における初めての部落連盟の名前ともなり、70世代に渡って古代中国を治めたという。また、世界最古の本草書『神農本草経』(しんのうほんぞうきょう)に名を残している。『周易』繋辞伝下に、「伏羲が没すると神農が治めた。神農は木を加工して農具を作り、農具のメリットを民衆に教え広めた。これは「益」という卦を参考にしたのだろう。また神農は昼に市場を開き、民衆を呼びよせた。市場ではあらゆる商品が集まり、人々が交易して帰ると、それぞれは望む物を手に入れていた。これは「噬嗑(ぜいごう)」という卦を参考にしたのだろう」とある。

闕漏/欠漏 【けつろう】必要な事物が欠け落ちていること。もれ。おち。ておちがある。

○黄石 黄石公、兵法に通じた人、漢の張良に兵法を授けた。張良が始皇帝を暗殺しようとして失敗し下邳に身を隠していたある時、一人の老人と出会う。老人は沓を橋の下に落として、袂を歩いていた張良に「拾え」と命じ、張良は怒らずそれに従った。老人は一度は笑って去ったが、後に戻ってきて五日後の朝に再会を約束した。五日後、先に来て待っていた老人は、日が昇ってから現れた張良に「目上の者との約束をしておきながら遅れてくるとは何事か」と、また五日後に会う約束をする。張良は次の五日後、日の昇ると同時に約束の場所へ行ったものの、老人は既に来ていて以前と同じことを言う。三度目には日の昇る前に行くと老人は後から来て、「その謙虚さこそが宝である」と言い、張良に「太公望兵書(六韜)」を与え、「この書を読み10年後には王者の軍師となるだろう」と告げる。さらに「13年後にまた逢おう。済北の穀城(山東省東阿県)の下にある黄色い石が私である」とも。黄石公の予言はすべて的中し、張良は、穀城の黄石を得て、これを祀ったという。

黄石公は太公望と伴に兵法の祖として仰がれ、その名を冠した兵法書の種類は多く、中でも『三略』が有名である。

○師長 人の師となり目上のものとなること。

 

藥纂西極名,兵流指諸掌。藥纂西域名】自注:公著《薈蕞》等諸書,又撰《胡本草》七卷。

君は薬物の書を著わしては西域のはてまでの名をあつめ、兵法諸流はこれを掌に指さす如くあかるくあったので、諸儒は其の善く書を著わしたのに服したといわれる。

 

兵流 

藥纂西極名 作者の自注に「公著《薈蕞》等諸書,又撰《胡本草》七卷。」公は曹叢等の詔書を著わすの外、又胡本草七巻を撰ぶ)鄭虔は「胡本草」七巻を撰したというが、その書中には西極(西域地方)の薬名もあつめつづられたものと思われる。とある。

○兵流指諸掌 兵流は諸兵家の流をいう、掌に指すとは分りやすくに説くことをいう、鄭虔の学は地理に長じ、山川の険易、方隅の物産、兵戊の衆寡、詳審ならざるは無く、嘗て「天宝軍防録」をつくった、言典に事該、諸儒は其の善く書を著わしたのに服したといわれる。

 

貫穿無遺恨,《薈蕞》何技癢

【自註:虔采集異聞,成書四十餘卷,蘇源明請名會粹,取《爾雅‧序》「會粹舊」也。一云薈蕞,草多而小,言著書多而小碎事也。】

鄭虔公は諸学を一筋の条理によって貫き通ており、《薈蕞》の書をかいてはいるけれど、余力のはてじっとしていては伎癢に感じたのでやった仕事とおもわれる。』

○貫穿 諸学を一筋の条理によって貫き通すこと。

薈蕞 小さなものをあつめること、作者の自注によれば「虔采集異聞,成書四十餘卷,蘇源明請名會粹,取《爾雅‧序》「會粹舊」也。一云薈蕞,草多而小,言著書多而小碎事也。」

(自註:虔は異聞を采集し,書四十餘卷を成す,蘇源明は「會粹」を名とするを請う,《爾雅‧序》取って「會粹舊」とするなり。一云う「薈蕞」,草多くして小し,著書多くして 碎事を小とすると言うなり。鄭虔は「薈蕞」等の書を著わすという、薈蕞は或は「梓」に作るという

技癢/伎癢 自信ある技芸を有するとき、それを試みに為したくてむずかゆきをおぼえることをいう(「癢」は、「痒」と同義又は本字でかゆみを覚えること)自分の手腕・腕前を見せたくてむずむずすること、腕が鳴ること。

*「天然」八句は鄭虔の著述に長ずることをいう。

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杜甫 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)鄭虔公の地位は士大夫の間において髙いもので、一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。

 

 
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766年大暦元年55-46-1奉節-37-1 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1 杜甫index-15 杜甫<909-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5795

杜甫詩1500-909-#1-1330/2500766年大暦元年55-46-1

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)    

台州 (江南東道 台州 台州)              

四明山 (江南東道 越州 會稽) 別名:四明      

楢溪 (江南東道 台州 楢溪) 別名:歡溪         

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

交遊人物:鄭虔    詩文提及

 

《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)

鶢鶋至魯門,不識鐘鼓饗。

鶢鶋という海鳥が魯の城の東門へやってきたとき、鐘鼓の音楽を奏して饗応されてもそれがありがたいことだとはおもわなかったものだ。

孔翠望赤霄,愁思雕籠養。

孔雀や翡翠はいかにうつくしい籠にいれて養われても、それを困ったことだとばかりかんがえて本心は、むかし棲んだ仙山の赤いそらばかりながめやっているというように、鄭虔公が官吏生活、高級官僚であっってもちょうどそんなものだろうと思った。

滎陽冠眾儒,早聞名公賞。

それに、滎陽の鄭虔先生は多くの儒者に冠たる人で、早くから君は当時の名公と賞賛された蘇娗公からも、未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったほどに評価されたと聞いていた。

地崇士大夫,況乃氣精爽。

鄭虔公の地位は士大夫の間に髙く一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。

(故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の郭公虔)

鶢鶋 魯門に至る、識らず鐘鼓の饗。

孔翠 赤霄を望む、愁思す 雕籠の養。

滎陽 衆儒に冠たり、早く聞く名公賞すと。

地は崇し 士大夫、況や乃ち気の精爽なるをや。』

#2

天然生知姿,學立游夏上。

神農極闕漏,黃石愧師長。

藥纂西極名,兵流指諸掌。

貫穿無遺恨,《薈蕞》何技癢。

#3

圭臬星經奧,蟲篆丹青廣。

子雲窺未遍,方朔諧太枉。

神翰顧不一,體變鍾兼兩。

文傳天下口,大字猶在榜。

#4

昔獻書畫圖,新詩亦俱往。

滄洲動玉陛,宣鶴誤一響。

自御題,四方尤所仰。

嗜酒益疏放,彈琴視天壤。

#5

形骸實土木,親近唯几杖。

未曾寄官曹,突兀倚書幌。

晚就芸香閣,胡塵昏坱莽。

反復歸聖朝,點染無滌蕩。

#6

老蒙台州掾,泛泛淛江槳。

覆穿四明雪,飢拾楢溪橡。

空聞紫芝歌,不見杏壇丈。

天長眺東南,秋色餘魍魎。

#7

別離慘至今,斑白徒懷曩。

春深秦山秀,葉墜清渭朗。

劇談王侯門,野林下鞅。

操紙終夕酣,時物集遐想。

#8

詞場竟疏闊,平昔濫吹獎。

百年見存歿,牢落吾安放。

蕭條阮咸在,出處同世網。

他日訪江樓,含悽述飄蕩。

taigennankin88 

 

『八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1
鶢鶋至魯門,不識鐘鼓饗。

孔翠望赤霄,愁思雕籠養【愁入雕籠養】。

滎陽冠儒,早聞名公賞。

地崇士大夫,況乃氣精爽【自注:往者公在疾,蘇許公頲位尊望重,素未相識,早愛才名,躬自撫問。後結望年之分,遠邇嘉之。】【況乃氣清爽】【況乃精氣爽】

(下し文)
(故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の郭公虔)

鶢鶋 魯門に至る、識らず鐘鼓の饗。

孔翠 赤霄を望む、愁思す 雕籠の養。

滎陽 衆儒に冠たり、早く聞く名公賞すと。

地は崇し 士大夫、況や乃ち気の精爽なるをや。』

(現代語訳)
(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)

鶢鶋という海鳥が魯の城の東門へやってきたとき、鐘鼓の音楽を奏して饗応されてもそれがありがたいことだとはおもわなかったものだ。

孔雀や翡翠はいかにうつくしい籠にいれて養われても、それを困ったことだとばかりかんがえて本心は、むかし棲んだ仙山の赤いそらばかりながめやっているというように、鄭虔公が官吏生活、高級官僚であっってもちょうどそんなものだろうと思った。

それに、滎陽の鄭虔先生は多くの儒者に冠たる人で、早くから君は当時の名公と賞賛された蘇娗公からも、未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったほどに評価されたと聞いていた。

鄭虔公の地位は士大夫の間に髙く一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。


洛陽 函谷関002
(訳注) 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)

虔(てい けん、生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭州の滎陽の出身。地理や地形、地方の物産、各地の兵の数について詳しかった。高官であった蘇挺と年齢を越えた交わりを結び、その推薦を受けた。天宝元年 742年、協律郎に就任し、80以上の著書を書き上げたが、その著書に国史を私撰した部分があるという上書が出されたことで、10年間地方に流された。長安に戻ってからも、玄宗からその才能を愛され、広文館の博士に任命され、国子司業の蘇源明と交流があった。山水画、書道、詩作に長じ、玄宗にそれを献上し、「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞され、著作郎に移った。

天宝14載(755年)、安史の乱が勃発すると、燕の軍に捕らえられて洛陽に移され、安禄山側の水部郎中に任命された。密かに粛宗の唐側に通じたが、至徳2載(757年)、安慶緒の洛陽逃亡の際に、張通と王維とともに、燕に降伏した罪で宣陽里に閉じこめられた。3人とも画に長じていたため、崔圓によって、壁画を描かせられ、死罪を免れ、台州の司戸参軍事に落とされた。その数年後に死去している。

官職に就いた時でも貧困のままで、紙に不足することもあった。そのため、杜甫の詩に、「才名四十年、坐客寒にして氈(敷物)無し」と詠まれている。杜甫、李白ともに詩酒の友であったと伝えられる。

その画について、王維、畢宏とともに三絶と呼ばれた。晩唐の朱景玄も『唐朝名画録』において、第七位「能品上」に評価している。

台州鄭司 浙江省台州府。鄭司は房琯一党であり、房琯が左遷された際、杜甫,共に左遷された。杜甫は儒者学者である鄭虔と若い時から交際している。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩  55

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奉陪鄭駙馬韋曲二首其二 杜甫   :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 76

送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1>1145 杜甫特集700- 346

 

鶢鶋至魯門,不識鐘鼓饗。

鶢鶋という海鳥が魯の城の東門へやってきたとき、鐘鼓の音楽を奏して饗応されてもそれがありがたいことだとはおもわなかったものだ。

鶢鶋至魯門 鶢鶋は海鳥の名、魯門は魯の城の東門である。

・「国語」(魯語上)にいう、「海鳥を鶢鶋と日う、魯の東門の外に止どまること二日、臧文仲国人をして之を祭らしむ。展禽日く越(迂)なるかな臧孫の政を為すや、海鳥至る、己れ知らずして之を紀り以て国典と為す、以て仁且つ知と為し難し、今玆海其れ災あらんか、」と。

・「荘子」(至楽)にいう、昔者海鳥魯郊に止どまる、魯侯御して之を廟に觴す、九韶を奏して以て楽と為し、大牢を具えて以て膳となす、鳥乃ち眩視憂悲、敢て一臠を食らわず、敢て一杯を飲まず、三日にして死す」、と。

・「左伝」(文公二年)「孔子が臧文仲を評して不仁なる者三、不知なるもの三、といっている中に鶢鶋を祀ったことを不知の一つとしている。

○不識鐘鼓饗 鳥の音楽を解さぬことをいう、事は上にみえる。

 

孔翠望赤霄,愁思雕籠養。【愁入雕籠養】

孔雀や翡翠はいかにうつくしい籠にいれて養われても、それを困ったことだとばかりかんがえて本心は、むかし棲んだ仙山の赤いそらばかりながめやっているというように、鄭虔公が官吏生活、高級官僚であっってもちょうどそんなものだろうと思った。

○孔翠 孔雀、翡翠。

○赤 仙山のようにあかいそら。

籠養 りっぱなかごのうちにあって養われること、鶢鶋孔翠をもって鄭虔をたとえている。

 

滎陽冠眾儒,早聞名公賞。【自注:往者公在疾,蘇許公頲位尊望重,素未相識,早愛才名,躬自撫問。後結望年之分,遠邇嘉之。】【況乃氣清爽】【況乃精氣爽】

それに、滎陽の鄭虔先生は多くの儒者に冠たる人で、早くから君は当時の名公と賞賛された蘇娗公からも、未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったほどに評価されたと聞いていた。

○滎陽 地名、ここは房琯グループの鄭虔(八哀詩〔七〕)のことをいう。(八哀詩〔六〕)#7「滎陽復冥莫,罪罟已橫罥。」(滎陽の鄭虔公もまた冥莫の底に逝ってしまったが、それも仕掛けられた罪のあみによったものでもう涙を流して声を出して泣くだけだ。)

名公賞 

○名公賞 世に名のある人に賞讃されたこと。名公とは蘇頲をさす。作者の自注にいう、【自注:往者公在疾,蘇許公頲位尊望重,素未相識,早愛才名,躬自撫問。後結望年之分,遠邇嘉之。】【況乃氣清爽】【況乃精氣爽】

「往者公疾に在り、蘇許公頲、位尊く望重し、素と未だ相い識らず、早く才名を愛す、躬自ずから撫問す、臨むに忘年の契りを以てし、遠くに之を嘉す」とある。鄭虔が病気になったとき、蘇娗が未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったことをいっている。

 

地崇士大夫,況乃氣精爽。

鄭虔公の地位は士大夫の間に髙く一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。

○地崇 地位がたかい、著作郎であったことをいう。

○士大夫 士大夫の間においての意。

○気精爽 元気がすぐれてさわやかである、

*起八句は鄭虔の人品地位をのべる。

766年大暦元年55歲-45-#7奉節-36-#7 《巻16-08 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -7》 杜甫index-15 杜甫<908-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5790

八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -7  杜甫  世情は落ち着かず、いつになったら戦争の膠着状態が結ばれがほどけて安泰がこようか、自分は舟にのって故郷に帰ろうとしても沔水の流れに阻害されて帰ることができないでいる。それで、持病の糖尿病に罹り今なおまとわれて、いつまでも君のお墓に手向けの物をおそなえせずにいることは、まことにすまぬことだとおもっている。

 

 
 2015年4月3日の紀頌之5つのBlog 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-40韋荘118《巻3-18 訴衷情二首 其二》三巻18-〈118〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5792 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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766年大暦元年55-45-7奉節-36-7 《巻16-08 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -7 杜甫index-15 杜甫<908-#7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5790 杜甫詩1500-908-#7-1329/2500766年大暦元年55-45-7

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二  杜少陵集 巻十六       文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故祕書少監武功蘇公源明

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡        

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

萊蕪 (河南道 兗州 萊蕪)  

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

交遊人物:蘇源明              詩文提及

 

八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明秘書少監蘇源明を哀しんだ詩。)

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

武功少也孤,徒步客徐兗。

武功の蘇君は幼少のときに孤児になり、徒歩きして徐州兗州の地方に客となり、自分も斉趙に一緒に遊んでいる。

讀書東岳中,十載考墳典。

東岳泰山の中の寺観で読書し、十年間かけて古典について考えた。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

雲の浮かんでいる山に餞餓に堪え忍んで読書し、時おり萊蕪縣の城郭へおりてくるくらいのことであった。

負米晚為身,每食臉必泫。

晩に負米の労役をしたがそれは子路のごとく親を養うためでなく、親がいないから自己のためにしるので食事をするたびに頬が涙でぬれた。

 

(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

#2

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚。

君はよく勉強し、夜の勉学の最中には薪をもやして文字を照らし、垢のついた衣には碧ごけが生えるほど没頭されていた。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯。

できることなら、君の心中ではこれほどの勤苦の志でもっていることが、御両親の苦労なされたおぼしめしに報いたいものだということを見てもらいたかった。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

やがて君の学問は蔚然たる醇儒の姿をそなえ、文章は古代の歴史家の書きところをかねるようになった。

灑落辭幽人,歸來潛京輦。

さっぱりとした山に隠棲しているなかまを去って京師へもどってきても天子のお膝もとであるのにこつそりと住んだ。

 

夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。

#3

射君東堂策,宗匠集精選。

そうして東堂で天子の御試験に応じたが、時の試験官はいずれも文章の大家で一粒えりというべき人たちが集められた。

制可題未乾,乙科已大闡。

受験の難きことは推して知るべしであるが、やがて及第の御許可が出て天子の御かきつけの墨もかわかぬうちに君の乙科及第の評判ははやくも世間にひろがった。

文章日自負,吏祿亦累踐。

文章において君は日ましに自己の力をたのんでいたが、掾吏の属官をもきらわず下の方からつぎつぎとのぼっていった

晨趨閶闔足蹋宿昔趼。

しかし太子論徳に任ぜられて禁城の御門へ、朝はやくでるようになっても、君は徒歩をつづけてむかしのままの足に豆して、ふみあるいていた。

君が東堂の策を射る、宗匠 精選を集む。

制可 題 未だ乾かず、乙科 己に大いに闡けたり。

文章 日々に自負す、吏祿 亦た累りに践めり。

晨に趨す 閶闔の内、足は踏む宿昔の趼。』

 

#4

一麾出守還,黃屋朔風卷。

それから京師より逐いだされ地方官(東平太守)掾吏の属官となって評価され、また都へもどった時に国子司業になったが、安禄山の乱がおこって天子の乗御の車蓋には北風が吹きまくって、どうしようもなかった。

不暇陪八駿,虜庭悲所遣。

周の穆王の八駿の馬を使われたかのように、天子(玄宗)の御逃げになる御馬のあとに君はおともをする暇もないほどであった、その身は、私と同じように安史軍に軟禁され、国の主要部が、安史軍に支配され、その上大明宮は焼かれていて、どうして胸の懐いを遣るべきかに悲しみぬいた。

平生滿尊酒,斷此朋知展。

すなわち平生なら樽に満ちた酒を心行くまで酌みかわして、朋友とのあいだで心のむすばれをほぐし、ひろげることができるのであるがそれがすっかりできなくなったのだ。

憂憤病二秋,有恨石可轉。

それで憂憤のあまり二度の秋を病気ですごされたし、この境遇におる恨みはもっていたが君の堅固な心は安史軍にはどうしても動かすことができなかった。

 

一麾 出守して還る、黃屋 朔風巻く。

八駿に陪するに暇あらず、虜庭 遣る所に悲しむ。

平生 樽の酒に満ち、此れを断つ 朋知の展を。

憂憤 病むこと二秋、恨み有り 石 転ず可し。

 

肅宗復社稷,得無逆順辨。

粛宗が安史軍の手から長安の都、続いて東京をお収めになり、社稜を回復あそばされたときには臣下の「逆」と「順」について裁きをおつけにならぬわけにはゆかず、頓首謝罪させられたのである。

范曄顧其兒,李斯憶黃犬。

それで安史軍に従った者とそうでない者とによって賞罰を行なわれた、時に宋の范曄にも比すべき者は刑にのぞんで自分の児をかえりみてものをいうたり、また李斯にも此すべき者は刑にのぞんでそのむかし故郷で猟のときひきつれた黄色の猟犬のことを思い出したり、それは、それは、あわれなことであった。

祕書茂松意,屢扈祠壇前。(溟漲本末淺。)

蘇源明秘書は順節を守ること緑色易えぬ松のごとく意志を以ていたので、これに官位(考功郎中・知制誥となる)を擢せられ、二回までも天子の郊廟のお祭りにおともをされた。(その彫琢したうるわしい文字は揚雄のたぐいであり、大海の潮もこれとくらべるとかえって浅く細いような肴がある。)

 

青熒芙蓉劍,犀兕豈獨剸。

蘇源明秘書のその論鋒の鋭利をたとえるならば青熒たる芙蓉の剣の如くであり、斬るといってもただ単に、犀や兕ばかりをきるに足るものたるにとどまっているのではない。

 

粛宗社稷を復し、逆順の弁無きを得んや。

茫曄 其の児を顧みて、李斯 黄犬を憶う。

秘書 茂松の意、屢ば扈【こ】す壇前に祠するに。』

青熒たり芙蓉の剣 犀兕【さいじ】豈に独り剸【き】らんや。

 

#6

反為後輩褻,予實苦懷緬。

後輩のものが蘇源明の文をありきたりのものとあなどるということがなされるに至ってはどうしたものであるか。自分は実にこれに対して、この文章の域になるのはなかなかで、はるかに慕わしさをもつものである。

煌煌齋房芝,事萬手搴。

漢の武帝の時、斎房に芝が生じ、〈芝房歌〉を作ったが、かの斎房に玉芝が煌煌と生えたという事件があり、祥瑞を口実として万人が手をだして玉芝を抜き取らんとしたのを、蘇源明公が上疏して諌めた結果、その事を断絶させたのである。

垂之俟來者,正始徵勸勉。

蘇源明公はこれらの事を文章として残しこれを後代に垂れて、つぎに来たる世の人をまち、事の始めにこれを正して、後来の勧勉となるべきものの証拠をとどめているのである。

不要懸黃金,胡為投乳

君の文章は千金を懸けて他人の文字の増損を求める必要のないほどりっぱなものであるだけに、他の千金を出しても「金印を帯びたいという功名心」のものに狡猾悪な讒言をされて、それが子もちの猛獣である李林甫の怒りにふれたのはどうしようもない。

結交三十載,吾與誰遊衍。

若いとき、一緒に斉趙に遊んで以来、丁度三十年来の交わりを結んでいた。蘇源明公がなくなった今は自分はだれと気ままに遊ぶことができようか。

 

反って後輩に褻れらるるを為す、予実に懐いの緬かなるに苦しむ。

煌煌たり斎房の芝、事は絶ゆ万手の搴。

之を垂れて来者を俟つ、始めを正して勧勉に徴あらしむ。

要せず黄金を懸くるを、胡為れぞ 乳に投ぜるや。

交りを結ぶ三十載、吾誰と遊衍せん。

 

#7

滎陽復冥莫,罪罟已橫罥。

滎陽の鄭虔公もまた冥莫の底に逝ってしまったが、それも仕掛けられた罪のあみによったものでもう涙を流して声を出して泣くだけだ。

嗚呼子逝日,始泰則終蹇。

ああ、蘇源明公がなくなられたときのことである、はじめこそ運命の通ずるように順境だったが終いには逆境におちいったのである。

長安米萬錢,凋喪盡餘喘。

そして、長安で悪錢鋳造によりインフレが起こり、米一斛が10倍の一万銭もするようになり、その年、蘇源明公はしぼんで息をひきとってしまわれた。

戰伐何當解,歸帆阻清沔。

世情は落ち着かず、いつになったら戦争の膠着状態が結ばれがほどけて安泰がこようか、自分は舟にのって故郷に帰ろうとしても沔水の流れに阻害されて帰ることができないでいる。

尚纏漳水疾,永負蒿里餞。

それで、持病の糖尿病に罹り今なおまとわれて、いつまでも君のお墓に手向けの物をおそなえせずにいることは、まことにすまぬことだとおもっている。

#7

滎陽復た冥莫、罪罟【ざいこ】己に横さまに罥【かか】れり。

鳴呼 子が逝ける日、始めは泰にして則ち終りには蹇なり。

長安 米万銭、凋喪 余 喘を尽くす。

戦伐【せんばつ】何か当に解くべき、帰帆 清洞に阻せらる。

尚お漳水の疾に纏われ、永く嵩里【こうり】の餞に負く。

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杜甫 哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明  君の文章は千金を懸けて他人の文字の増損を求める必要のないほどりっぱなものであるだけに、他の千金を出しても「金印を帯びたいという功名心」のものに狡猾悪な讒言をされて、それが子もちの猛獣である李林甫の怒りにふれたのはどうしようもない。

 

 
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杜甫詩
1500-908-#6-1328/2500766年大暦元年55-45-6

 

 

#5

肅宗復社稷,得無逆順辨。

粛宗が安史軍の手から長安の都、続いて東京をお収めになり、社稜を回復あそばされたときには臣下の「逆」と「順」について裁きをおつけにならぬわけにはゆかず、頓首謝罪させられたのである。

范曄顧其兒,李斯憶黃犬。

それで安史軍に従った者とそうでない者とによって賞罰を行なわれた、時に宋の范曄にも比すべき者は刑にのぞんで自分の児をかえりみてものをいうたり、また李斯にも此すべき者は刑にのぞんでそのむかし故郷で猟のときひきつれた黄色の猟犬のことを思い出したり、それは、それは、あわれなことであった。

祕書茂松意,屢扈祠壇前。(溟漲本末淺。)

蘇源明秘書は順節を守ること緑色易えぬ松のごとく意志を以ていたので、これに官位(考功郎中・知制誥となる)を擢せられ、二回までも天子の郊廟のお祭りにおともをされた。(その彫琢したうるわしい文字は揚雄のたぐいであり、大海の潮もこれとくらべるとかえって浅く細いような肴がある。)

 

青熒芙蓉劍,犀兕豈獨剸。

蘇源明秘書のその論鋒の鋭利をたとえるならば青熒たる芙蓉の剣の如くであり、斬るといってもただ単に、犀や兕ばかりをきるに足るものたるにとどまっているのではない。

 

粛宗社稷を復し、逆順の弁無きを得んや。

茫曄 其の児を顧みて、李斯 黄犬を憶う。

秘書 茂松の意、屢ば扈【こ】す壇前に祠するに。』

青熒たり芙蓉の剣 犀兕【さいじ】豈に独り剸【き】らんや。

 

#6

反為後輩褻,予實苦懷緬。

後輩のものが蘇源明の文をありきたりのものとあなどるということがなされるに至ってはどうしたものであるか。自分は実にこれに対して、この文章の域になるのはなかなかで、はるかに慕わしさをもつものである。

煌煌齋房芝,事萬手搴。

漢の武帝の時、斎房に芝が生じ、〈芝房歌〉を作ったが、かの斎房に玉芝が煌煌と生えたという事件があり、祥瑞を口実として万人が手をだして玉芝を抜き取らんとしたのを、蘇源明公が上疏して諌めた結果、その事を断絶させたのである。

垂之俟來者,正始徵勸勉。

蘇源明公はこれらの事を文章として残しこれを後代に垂れて、つぎに来たる世の人をまち、事の始めにこれを正して、後来の勧勉となるべきものの証拠をとどめているのである。

不要懸黃金,胡為投乳

君の文章は千金を懸けて他人の文字の増損を求める必要のないほどりっぱなものであるだけに、他の千金を出しても「金印を帯びたいという功名心」のものに狡猾悪な讒言をされて、それが子もちの猛獣である李林甫の怒りにふれたのはどうしようもない。

結交三十載,吾與誰遊衍。

若いとき、一緒に斉趙に遊んで以来、丁度三十年来の交わりを結んでいた。蘇源明公がなくなった今は自分はだれと気ままに遊ぶことができようか。

 

反って後輩に褻れらるるを為す、予実に懐いの緬かなるに苦しむ。

煌煌たり斎房の芝、事は絶ゆ万手の搴。

之を垂れて来者を俟つ、始めを正して勧勉に徴あらしむ。

要せず黄金を懸くるを、胡為れぞ 乳に投ぜるや。

交りを結ぶ三十載、吾誰と遊衍せん。

 

『八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6

反為後輩褻,予實苦懷緬。

煌煌齋房芝,事萬手搴。

垂之俟來者,正始徵勸勉。

不要懸黃金,胡為投乳

結交三十載,吾與誰遊衍。



(下し文)
反って後輩に褻れらるるを為す、予実に懐いの緬かなるに苦しむ。

煌煌たり斎房の芝、事は絶ゆ万手の搴。

之を垂れて来者を俟つ、始めを正して勧勉に徴あらしむ。

要せず黄金を懸くるを、胡為れぞ 乳に投ぜるや。

交りを結ぶ三十載、吾誰と遊衍せん。

(現代語訳)
後輩のものが蘇源明の文をありきたりのものとあなどるということがなされるに至ってはどうしたものであるか。自分は実にこれに対して、この文章の域になるのはなかなかで、はるかに慕わしさをもつものである。

漢の武帝の時、斎房に芝が生じ、〈芝房歌〉を作ったが、かの斎房に玉芝が煌煌と生えたという事件があり、祥瑞を口実として万人が手をだして玉芝を抜き取らんとしたのを、蘇源明公が上疏して諌めた結果、その事を断絶させたのである。

蘇源明公はこれらの事を文章として残しこれを後代に垂れて、つぎに来たる世の人をまち、事の始めにこれを正して、後来の勧勉となるべきものの証拠をとどめているのである。

君の文章は千金を懸けて他人の文字の増損を求める必要のないほどりっぱなものであるだけに、他の千金を出しても「金印を帯びたいという功名心」のものに狡猾悪な讒言をされて、それが子もちの猛獣である李林甫の怒りにふれたのはどうしようもない。

若いとき、一緒に斉趙に遊んで以来、丁度三十年来の交わりを結んでいた。蘇源明公がなくなった今は自分はだれと気ままに遊ぶことができようか。



(訳注) 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明#6

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

○故秘書少監武功蘇公源明 蘇源明、初めの名は預、京兆武功の人、秘書少監となって卒した。杜甫25736年から45年行動を共にしている。杜甫とともに、儒者房琯グループ。くわしくは、八哀詩八首〔六〕#1参照。

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反為後輩褻,予實苦懷緬。

後輩のものが蘇源明の文をありきたりのものとあなどるということがなされるに至ってはどうしたものであるか。自分は実にこれに対して、この文章の域になるのはなかなかで、はるかに慕わしさをもつものである。

 ①なれあなどることをいう。②ふだんのときも表だったときも。いつも。③たった一つで、他に代わるものがない。後にも先にも。

○懐緬 おもいのはるかなこと、はるかにおもいしたうことをいう。

 

煌煌齋房芝,事萬手搴。

漢の武帝の時、斎房に芝が生じ、〈芝房歌〉を作ったが、かの斎房に玉芝が煌煌と生えたという事件があり、祥瑞を口実として万人が手をだして玉芝を抜き取らんとしたのを、蘇源明公が上疏して諌めた結果、その事を断絶させたのである。

煌煌 ① 光り輝いている。きらめいている。  ② 輝くばかりに美しい。華やかに美しい。かがやくさま。

○齋房芝 斎房は神を祀るときものいみをする部屋をいう。芝は霊草である。漢の武帝の時、元封年中に斎房に芝が生じ、〈芝房歌〉を作った。唐では粛宗の上元二年七月、延英殿の御座の梁上に玉芝を生じた、一茎三花、天子は玉霊芝の詩を製した。蘇源明は極めて之のようだと言う。

萬手搴 ・事絶:芝の事が断絶して行われぬに至ったことをいう。・万手搴:搴はぬきとる、芝をぬきとること、万手は万人の手のこと、万人の手をもって芝をるとは、御座のうえの梁に芝が生えたとて、それをとるべしと祥瑞のことについてやかましくさわざたでることをいう。粛宗は乾元二年六月に宰相王璵の請いに従って太乙壇(天の太乙星をまつる壇)を南郊の東に立てた。これは漢の武帝以来はじめての事である。そのほか禁中において祷祀日夜を窮め、宦官は事を用い、給養繁靡であった、蘇源明はこのことにつきしばしば疏を上って政治の得失を陳べた。

 

垂之俟來者,正始徵勸勉。

蘇源明公はこれらの事を文章として残しこれを後代に垂れて、つぎに来たる世の人をまち、事の始めにこれを正して、後来の勧勉となるべきものの証拠をとどめているのである。

○垂之 之とは政治の得失を論じた文章をさす。

○来者 後来の人人。

○正始 事の始めにおいて正す、害毒を微細なうちに防ぐこと。

○徴勧勉 徴はしるし、証拠をのこすことをいう、勧勉は善政をすすめつとめさせること。

 

不要懸黃金,胡為投乳

君の文章は千金を懸けて他人の文字の増損を求める必要のないほどりっぱなものであるだけに、他の千金を出しても「金印を帯びたいという功名心」のものに狡猾悪な讒言をされて、それが子もちの猛獣である李林甫の怒りにふれたのはどうしようもない。

○懸黄金 旧注に金印をつりさげる意とし高官となることとする。懸黄金とは千金を懸けて世評を求めることをいう。

○胡為 何為に同じ。

投乳 は猛獣の名、「爾雅」の注に、は西海に出づ、大秦国に養う者あり、狗に似て力多く狡猾悪なり、とみえる。乳輿は乳虎のようなもの意に用いている。蘇源明が貴幸の臣、李林甫の怒りにふれたことをたとえていう。

「前後」十四句は源明の文才と直諌とをのべる。

 

結交三十載,吾與誰遊衍。

若いとき、一緒に斉趙に遊んで以来、丁度三十年来の交わりを結んでいた。蘇源明公がなくなった今は自分はだれと気ままに遊ぶことができようか。

〇三十載 735年開元二十三年より764年広徳二年までは三十年である。大略それらの年月をさす。

遊衍 衍はほしいままにすること。「詩経」(板)に「爾と遊衍せん」とみえる。

 

 

 

 

 

(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

 

夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。

 

君が東堂の策を射る、宗匠 精選を集む。

制可 題 未だ乾かず、乙科 己に大いに闡けたり。

文章 日々に自負す、吏祿 亦た累りに践めり。

晨に趨す 閶闔の内、足は踏む宿昔の趼。』

 

一麾 出守して還る、黃屋 朔風巻く。

八駿に陪するに暇あらず、虜庭 遣る所に悲しむ。

平生 樽の酒に満ち、此れを断つ 朋知の展を。

憂憤 病むこと二秋、恨み有り 石 転ず可し。

 

粛宗社稷を復し、逆順の弁無きを得んや。

茫曄 其の児を顧みて、李斯 黄犬を憶う。

秘書 茂松の意、屢ば扈【こ】す壇前に祠するに。』

青熒たり芙蓉の剣 犀兕【さいじ】豈に独り剸【き】らんや。

 

反って後輩に褻れらるるを為す、予実に懐いの緬かなるに苦しむ。

煌煌たり斎房の芝、事は絶ゆ万手の搴。

之を垂れて来者を俟つ、始めを正して勧勉に徴あらしむ。

要せず黄金を懸くるを、胡為れぞ 乳に投ぜるや。

交りを結ぶ三十載、吾誰と遊衍せん。

766年大暦元年55歲-45-#5奉節-36-#5 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -5》 杜甫index-15 杜甫<908-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5780

杜甫八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -5  粛宗が安史軍の手から長安の都、続いて東京をお収めになり、社稜を回復あそばされたときには臣下の「逆」と「順」について裁きをおつけにならぬわけにはゆかず、頓首謝罪させられたのである。

 

 
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766年大暦元年55-45-5奉節-36-5 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -5 杜甫index-15 杜甫<908-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5780
杜甫詩
1500-908-#5-1327/2500766年大暦元年55-45-5

 

杜甫詩1500-908-#4-1326/2500766年大暦元年55-45-4

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二  杜少陵集 巻十六       文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故祕書少監武功蘇公源明

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡        

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

萊蕪 (河南道 兗州 萊蕪)  

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

交遊人物:蘇源明              詩文提及

 

八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明秘書少監蘇源明を哀しんだ詩。)

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

武功少也孤,徒步客徐兗。

武功の蘇君は幼少のときに孤児になり、徒歩きして徐州兗州の地方に客となり、自分も斉趙に一緒に遊んでいる。

讀書東岳中,十載考墳典。

東岳泰山の中の寺観で読書し、十年間かけて古典について考えた。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

雲の浮かんでいる山に餞餓に堪え忍んで読書し、時おり萊蕪縣の城郭へおりてくるくらいのことであった。

負米晚為身,每食臉必泫。

晩に負米の労役をしたがそれは子路のごとく親を養うためでなく、親がいないから自己のためにしるので食事をするたびに頬が涙でぬれた。

 

(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

#2

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚。

君はよく勉強し、夜の勉学の最中には薪をもやして文字を照らし、垢のついた衣には碧ごけが生えるほど没頭されていた。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯。

できることなら、君の心中ではこれほどの勤苦の志でもっていることが、御両親の苦労なされたおぼしめしに報いたいものだということを見てもらいたかった。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

やがて君の学問は蔚然たる醇儒の姿をそなえ、文章は古代の歴史家の書きところをかねるようになった。

灑落辭幽人,歸來潛京輦。

さっぱりとした山に隠棲しているなかまを去って京師へもどってきても天子のお膝もとであるのにこつそりと住んだ。

 

夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。

#3

射君東堂策,宗匠集精選。

そうして東堂で天子の御試験に応じたが、時の試験官はいずれも文章の大家で一粒えりというべき人たちが集められた。

制可題未乾,乙科已大闡。

受験の難きことは推して知るべしであるが、やがて及第の御許可が出て天子の御かきつけの墨もかわかぬうちに君の乙科及第の評判ははやくも世間にひろがった。

文章日自負,吏祿亦累踐。

文章において君は日ましに自己の力をたのんでいたが、掾吏の属官をもきらわず下の方からつぎつぎとのぼっていった

晨趨閶闔足蹋宿昔趼。

しかし太子論徳に任ぜられて禁城の御門へ、朝はやくでるようになっても、君は徒歩をつづけてむかしのままの足に豆して、ふみあるいていた。

君が東堂の策を射る、宗匠 精選を集む。

制可 題 未だ乾かず、乙科 己に大いに闡けたり。

文章 日々に自負す、吏祿 亦た累りに践めり。

晨に趨す 閶闔の内、足は踏む宿昔の趼。』

 

#4

一麾出守還,黃屋朔風卷。

それから京師より逐いだされ地方官(東平太守)掾吏の属官となって評価され、また都へもどった時に国子司業になったが、安禄山の乱がおこって天子の乗御の車蓋には北風が吹きまくって、どうしようもなかった。

不暇陪八駿,虜庭悲所遣。

周の穆王の八駿の馬を使われたかのように、天子(玄宗)の御逃げになる御馬のあとに君はおともをする暇もないほどであった、その身は、私と同じように安史軍に軟禁され、国の主要部が、安史軍に支配され、その上大明宮は焼かれていて、どうして胸の懐いを遣るべきかに悲しみぬいた。

平生滿尊酒,斷此朋知展。

すなわち平生なら樽に満ちた酒を心行くまで酌みかわして、朋友とのあいだで心のむすばれをほぐし、ひろげることができるのであるがそれがすっかりできなくなったのだ。

憂憤病二秋,有恨石可轉。

それで憂憤のあまり二度の秋を病気ですごされたし、この境遇におる恨みはもっていたが君の堅固な心は安史軍にはどうしても動かすことができなかった。

 

一麾 出守して還る、黃屋 朔風巻く。

八駿に陪するに暇あらず、虜庭 遣る所に悲しむ。

平生 樽の酒に満ち、此れを断つ 朋知の展を。

憂憤 病むこと二秋、恨み有り 石 転ず可し。 

#5

肅宗復社稷,得無逆順辨。

粛宗が安史軍の手から長安の都、続いて東京をお収めになり、社稜を回復あそばされたときには臣下の「逆」と「順」について裁きをおつけにならぬわけにはゆかず、頓首謝罪させられたのである。

范曄顧其兒,李斯憶黃犬。

それで安史軍に従った者とそうでない者とによって賞罰を行なわれた、時に宋の范曄にも比すべき者は刑にのぞんで自分の児をかえりみてものをいうたり、また李斯にも此すべき者は刑にのぞんでそのむかし故郷で猟のときひきつれた黄色の猟犬のことを思い出したり、それは、それは、あわれなことであった。

祕書茂松意,屢扈祠壇前。(溟漲本末淺。)

蘇源明秘書は順節を守ること緑色易えぬ松のごとく意志を以ていたので、これに官位(考功郎中・知制誥となる)を擢せられ、二回までも天子の郊廟のお祭りにおともをされた。その彫琢したうるわしい文字は揚雄のたぐいであり、大海の潮もこれとくらべるとかえって浅く細いような肴がある。)

青熒芙蓉劍,犀兕豈獨剸。

蘇源明秘書のその論鋒の鋭利をたとえるならば青熒たる芙蓉の剣の如くであり、斬るといってもただ単に、犀や兕ばかりをきるに足るものたるにとどまっているのではない。

 

粛宗社稷を復し、逆順の弁無きを得んや。

茫曄 其の児を顧みて、李斯 黄犬を憶う。

秘書 茂松の意、屢ば扈【こ】す壇前に祠するに。』

青熒たり芙蓉の剣 犀兕【さいじ】豈に独り剸【き】らんや。

 

 

『八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

肅宗復社稷,得無逆順辨。

范曄顧其兒,李斯憶黃犬。

祕書茂松意,屢扈祠壇前。〔溟漲本末淺。〕

青熒芙蓉劍,犀兕豈獨剸。



(下し文)
粛宗社稷を復し、逆順の弁無きを得んや。

茫曄 其の児を顧みて、李斯 黄犬を憶う。

秘書 茂松の意、屢ば扈【こ】す壇前に祠するに。』

青熒たり芙蓉の剣 犀兕【さいじ】豈に独り【き】らんや

(現代語訳)
粛宗が安史軍の手から長安の都、続いて東京をお収めになり、社稜を回復あそばされたときには臣下の「逆」と「順」について裁きをおつけにならぬわけにはゆかず、頓首謝罪させられたのである。

それで安史軍に従った者とそうでない者とによって賞罰を行なわれた、時に宋の范曄にも比すべき者は刑にのぞんで自分の児をかえりみてものをいうたり、また李斯にも此すべき者は刑にのぞんでそのむかし故郷で猟のときひきつれた黄色の猟犬のことを思い出したり、それは、それは、あわれなことであった。

蘇源明秘書は順節を守ること緑色易えぬ松のごとく意志を以ていたので、これに官位(考功郎中・知制誥となる)を擢せられ、二回までも天子の郊廟のお祭りにおともをされた。

蘇源明秘書のその論鋒の鋭利をたとえるならば青熒たる芙蓉の剣の如くであり、斬るといってもただ単に、犀や兕ばかりをきるに足るものたるにとどまっているのではない。



(訳注) 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 #5

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

○故秘書少監武功蘇公源明 蘇源明、初めの名は預、京兆武功の人、秘書少監となって卒した。杜甫25736年から45年行動を共にしている。杜甫とともに、儒者房琯グループ。くわしくは、八哀詩八首〔六〕#1参照。

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肅宗復社稷,得無逆順辨。

粛宗が安史軍の手から長安の都、続いて東京をお収めになり、社稜を回復あそばされたときには臣下の「逆」と「順」について裁きをおつけにならぬわけにはゆかず、頓首謝罪させられたのである。

○粛宗復社稷 至徳二載九月、廣平王・李俶は癸卯、大唐・ウイグル連合軍が西京へ入った。十月壬戌、廣平王・李俶が東京へ入った。癸亥、粛宗皇帝が鳳翔を出発した。太子太師・韋見素を蜀へ派遣して、上皇を奉迎する。粛宗が社を回復した事をいう。

逆順辨 安史軍より官を受けたものは逆であり、受けなかったものは順である、弁はこれを区別して賞罰をなすことをいう、

・卯、粛宗皇帝が長安へ入る。百姓は国門を出て奉迎した。その人の列は二十里も続く。彼らは皆、踊りまくって万歳を叫び、泣き出す者さえいた。

・粛宗皇帝は大明宮へ入居する。御史中丞・崔器は、燕の官爵を受けた百官を含元殿の前に集め、頭巾と靴を脱がせて頓首謝罪させた。これを兵卒が取り巻き、 百官へ見物させる。

・太廟は燕軍に焼き払われていた。粛宗皇帝は 素服にて廟へ向かって三日哭した。

・廣平王・李俶が東京へ入ると、陳希烈を始めとする安禄山親子の官を受けた百官三百余人は、みな、素服で悲泣して罪を請うた。 李俶は、上旨を以て、これを赦し、ついで長安へ行くよう促した。

・己巳、崔器は、彼等を朝堂へ詣でさせ、長安の百官の時のように罪を請わせた。その後に、これを大理や長安の獄へ繋いだ。その府県の、燕の駆使追捕を受けた所由人や祇承人等も、 皆、捕まえて獄へ繋いだ。「賊の官禄を受けて賊の為に働いた士庶は、三司へ事情を聴取させる。戦争で捕虜となった者や、あるいは住居が近すぎて賊と行き来した者は、 皆、自首すれば罪を赦す。賊から汚された子女については、 詰問してはならない。」

・至徳二載十二月丙午、賊の偽署を受けた左相陳希烈・達実均ら二百余人をともに楊国息の第宅に禁して尋問し、庚午、達実均ら十八人を新に処し、陳希烈ら七人に自尽を賜わった。

 

范曄顧其兒,李斯憶黃犬。

それで安史軍に従った者とそうでない者とによって賞罰を行なわれた、時に宋の范曄にも比すべき者は刑にのぞんで自分の児をかえりみてものをいうたり、また李斯にも此すべき者は刑にのぞんでそのむかし故郷で猟のときひきつれた黄色の猟犬のことを思い出したり、それは、それは、あわれなことであった。

范曄 宋の范曄が謀反に坐して誅せられたとき、刑せられるに臨んで酒に酔うた、其の子范藹もまた酔い、地土及び果皮をとって范曄に擲った、范曄が問うていうのに「汝は我をいかるか」と、范藹が答えていうのに、「今日どうしていかろうか、ただ父子が同じく死ぬことは、悲しまぬわけにいかぬ」と。范曄 (はん よう、398 - 445)は、中国魏晋南北朝時代の南朝宋の政治家・文学者・歴史家にして『後漢書』の作者。字は蔚宗。先祖は順陽(現河南省淅川)の出身であり、山陰(現浙江省紹興)にて生まれる。440年、文帝は劉義康の腹心であった劉湛以下十数名を誅殺・流刑に処し、劉義康を江州刺史に左遷した。445年、散騎侍郎の孔熙先は劉義康の復権と擁立を謀り、范曄にも謀議の参加を誘った。当初、范曄は孔熙先を軽んじていたため、謀議に荷担することを望まなかったが、結局は孔熙先らの謀議に加わった。11月、丹陽尹徐湛之の告発により孔熙先らの計画は発覚し、范曄は自身を含む一家全員が処刑された。享年48。末弟の范広淵も兄に連座されて処刑された。 

○李斯 秦の二世皇帝胡亥の時、李斯が趙高の讒言によって咸陽の市に腰斬されたとき、斯は顧みてその中子に語っていうのに、「我は汝と復た黄犬を牽きて供に上察(李斯の故郷)の東門を出て狐兎を逐いたいと欲しでもできなくなってしまった」と。李斯は、中国秦代の宰相。字は通古。子は李由ら。法家にその思想的基盤を置き、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。李斯・范曄は陳希烈其の他かれらに類する人にあてていうのである。

 

祕書茂松意,屢扈祠壇前。(溟漲本末淺。)

蘇源明秘書は順節を守ること緑色易えぬ松のごとく意志を以ていたので、これに官位(考功郎中・知制誥となる)を擢せられ、二回までも天子の郊廟のお祭りにおともをされた。その彫琢したうるわしい文字は揚雄のたぐいであり、大海の潮もこれとくらべるとかえって浅く細いような肴がある。)

○秘書 蘇源明をさす、蘇源明伝にいう、粛宗、両京を復するや蘇源明を考功郎中・知制誥に擢んず。後に秘書少監となり卒す、と。

○茂松意 しげっている松のみどりの色がかわらぬ如く節操を変えず安史軍に従わなかったことをいう。

○屢扈 はあとより従うこと。

○祠 神に求めて得る所のあるとき報祭するのである。○瞑龍 大海の潮のみなぎり。

○壇嘩 祭りの処において土を築いてもりあげたものを壇といい、土を除いてひくくしたものを埠という。「一魔」以下十四句は源明の出入と清節とをのぺる。

 

青熒芙蓉劍,犀兕豈獨剸。

蘇源明秘書のその論鋒の鋭利をたとえるならば青熒たる芙蓉の剣の如くであり、斬るといってもただ単に、犀や兕ばかりをきるに足るものたるにとどまっているのではない。

青熒 灯火などが青くともる・こと(さま)。

○芙蓉剣 芙蓉が始めて水を出るときの如き趣のある剣。越王允は欧治子をして五つの名剣を作らせた。其の一を純鈎といったが、薛燭がそれを見ていうのに、「恍呼として、屈陽の水に和するが如く、沈沈として、芙蓉の姶めて湖より生ずるが如し」と。「呉越春秋」にみえる。○犀 さい、一角牛。

豈獨剸 は裁断ること、犀をきるのみでないことをいう。李尤の「剣銘」に、「陸には犀を割り、水に鯨鮨を裁る」とみえる。

 

 

(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

 

夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。

 

君が東堂の策を射る、宗匠 精選を集む。

制可 題 未だ乾かず、乙科 己に大いに闡けたり。

文章 日々に自負す、吏祿 亦た累りに践めり。

晨に趨す 閶闔の内、足は踏む宿昔の趼。』

 

一麾 出守して還る、黃屋 朔風巻く。

八駿に陪するに暇あらず、虜庭 遣る所に悲しむ。

平生 樽の酒に満ち、此れを断つ 朋知の展を。

憂憤 病むこと二秋、恨み有り 石 転ず可し。

 

粛宗社稷を復し、逆順の弁無きを得んや。

茫曄 其の児を顧みて、李斯 黄犬を憶う。

秘書 茂松の意、屢ば扈【こ】す壇前に祠するに。』

青熒たり芙蓉の剣 犀兕【さいじ】豈に独り剸【き】らんや。


766年大暦元年55歲-45-#4奉節-36-#4 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -4》 杜甫index-15 杜甫<908-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5775

杜甫 巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -4  周の穆王の八駿の馬を使われたかのように、天子(玄宗)の御逃げになる御馬のあとに君はおともをする暇もないほどであった、その身は、私と同じように安史軍に軟禁され、国の主要部が、安史軍に支配され、その上大明宮は焼かれていて、どうして胸の懐いを遣るべきかに悲しみぬいた。

 

 
 2015年3月31日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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209-#3 《巻15-13 送楊少府赴選 -#3》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <209-#3> Ⅰ李白詩1445 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5773 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
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50-#1 《巻02-03 幽懷-#1   (幽懷不能寫,)》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳~804年貞元20年 37歳の27首<1347> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5719 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-45-#4奉節-36-#4 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -4》 杜甫index-15 杜甫<908-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5775 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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766年大暦元年55-45-4奉節-36-4 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -4 杜甫index-15 杜甫<908-#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5775

 

 

杜甫詩1500-908-#4-1326/2500766年大暦元年55-45-4

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二  杜少陵集 巻十六       文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故祕書少監武功蘇公源明

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡        

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

萊蕪 (河南道 兗州 萊蕪)  

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

交遊人物:蘇源明              詩文提及

 

八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明秘書少監蘇源明を哀しんだ詩。)

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

武功少也孤,徒步客徐兗。

武功の蘇君は幼少のときに孤児になり、徒歩きして徐州兗州の地方に客となり、自分も斉趙に一緒に遊んでいる。

讀書東岳中,十載考墳典。

東岳泰山の中の寺観で読書し、十年間かけて古典について考えた。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

雲の浮かんでいる山に餞餓に堪え忍んで読書し、時おり萊蕪縣の城郭へおりてくるくらいのことであった。

負米晚為身,每食臉必泫。

晩に負米の労役をしたがそれは子路のごとく親を養うためでなく、親がいないから自己のためにしるので食事をするたびに頬が涙でぬれた。

 

(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

#2

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚。

君はよく勉強し、夜の勉学の最中には薪をもやして文字を照らし、垢のついた衣には碧ごけが生えるほど没頭されていた。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯。

できることなら、君の心中ではこれほどの勤苦の志でもっていることが、御両親の苦労なされたおぼしめしに報いたいものだということを見てもらいたかった。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

やがて君の学問は蔚然たる醇儒の姿をそなえ、文章は古代の歴史家の書きところをかねるようになった。

灑落辭幽人,歸來潛京輦。

さっぱりとした山に隠棲しているなかまを去って京師へもどってきても天子のお膝もとであるのにこつそりと住んだ。

 

夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。

#3

射君東堂策,宗匠集精選。

そうして東堂で天子の御試験に応じたが、時の試験官はいずれも文章の大家で一粒えりというべき人たちが集められた。

制可題未乾,乙科已大闡。

受験の難きことは推して知るべしであるが、やがて及第の御許可が出て天子の御かきつけの墨もかわかぬうちに君の乙科及第の評判ははやくも世間にひろがった。

文章日自負,吏祿亦累踐。

文章において君は日ましに自己の力をたのんでいたが、掾吏の属官をもきらわず下の方からつぎつぎとのぼっていった

晨趨閶闔足蹋宿昔趼。

しかし太子論徳に任ぜられて禁城の御門へ、朝はやくでるようになっても、君は徒歩をつづけてむかしのままの足に豆して、ふみあるいていた。

君が東堂の策を射る、宗匠 精選を集む。

制可 題 未だ乾かず、乙科 己に大いに闡けたり。

文章 日々に自負す、吏祿 亦た累りに践めり。

晨に趨す 閶闔の内、足は踏む宿昔の趼。』

 

#4

一麾出守還,黃屋朔風卷。

それから京師より逐いだされ地方官(東平太守)掾吏の属官となって評価され、また都へもどった時に国子司業になったが、安禄山の乱がおこって天子の乗御の車蓋には北風が吹きまくって、どうしようもなかった。

不暇陪八駿,虜庭悲所遣。

周の穆王の八駿の馬を使われたかのように、天子(玄宗)の御逃げになる御馬のあとに君はおともをする暇もないほどであった、その身は、私と同じように安史軍に軟禁され、国の主要部が、安史軍に支配され、その上大明宮は焼かれていて、どうして胸の懐いを遣るべきかに悲しみぬいた。

平生滿尊酒,斷此朋知展。

すなわち平生なら樽に満ちた酒を心行くまで酌みかわして、朋友とのあいだで心のむすばれをほぐし、ひろげることができるのであるがそれがすっかりできなくなったのだ。

憂憤病二秋,有恨石可轉。

それで憂憤のあまり二度の秋を病気ですごされたし、この境遇におる恨みはもっていたが君の堅固な心は安史軍にはどうしても動かすことができなかった。

 

一麾 出守して還る、黃屋 朔風巻く。

八駿に陪するに暇あらず、虜庭 遣る所に悲しむ。

平生 樽の酒に満ち、此れを断つ 朋知の展を。

憂憤 病むこと二秋、恨み有り 石 転ず可し。

長安城皇城図 

 

『八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#4

一麾出守還,黃屋朔風卷。

不暇陪八駿,虜庭悲所遣。

平生滿尊酒,斷此朋知展。

憂憤病二秋,有恨石可轉。



(下し文)
一麾 出守して還る、黃屋 朔風巻く。

八駿に陪するに暇あらず、虜庭 遣る所に悲しむ。

平生 樽の酒に満ち、此れを断つ 朋知の展を。

憂憤 病むこと二秋、恨み有り 石 転ず可し。

(現代語訳)
それから京師より逐いだされ地方官(東平太守)掾吏の属官となって評価され、また都へもどった時に国子司業になったが、安禄山の乱がおこって天子の乗御の車蓋には北風が吹きまくって、どうしようもなかった。

周の穆王の八駿の馬を使われたかのように、天子(玄宗)の御逃げになる御馬のあとに君はおともをする暇もないほどであった、その身は、私と同じように安史軍に軟禁され、国の主要部が、安史軍に支配され、その上大明宮は焼かれていて、どうして胸の懐いを遣るべきかに悲しみぬいた。

すなわち平生なら樽に満ちた酒を心行くまで酌みかわして、朋友とのあいだで心のむすばれをほぐし、ひろげることができるのであるがそれがすっかりできなくなったのだ。

それで憂憤のあまり二度の秋を病気ですごされたし、この境遇におる恨みはもっていたが君の堅固な心は安史軍にはどうしても動かすことができなかった。


長安城漢唐
(訳注) 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 #4

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

○故秘書少監武功蘇公源明 蘇源明、初めの名は預、京兆武功の人、秘書少監となって卒した。杜甫25736年から45年行動を共にしている。杜甫とともに、儒者房琯グループ。くわしくは、八哀詩八首〔六〕#1参照。

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一麾出守還,黃屋朔風卷。

それから京師より逐いだされ地方官(東平太守)掾吏の属官となって評価され、また都へもどった時に国子司業になったが、安禄山の乱がおこって天子の乗御の車蓋には北風が吹きまくって、どうしようもなかった。

〇一出守還 地方長官となって地方に出てまた都へかえったことをいう。南朝·宋·顏延之《五君詠》「屢薦不入官,一麾乃出守。」(屡、薦むれども官に人らズ、一乃ち出守たり」と。一とはひとたび差し招いて去らしめることをいう。出守は中央から出されて郡守となることをいう。蘇源明は東平太守として都より出て、召し還されて国子司業となった。安禄山が都を陥れたとき、蘇源明は病気の故を以て偽署(安史軍に官を命ぜられること)を受けなかった。

○黄屋 天子の御乗車の車蓋、車蓋をもって帝位をさす。

○朔風巻 北風が吹きまく、安禄山の軍が幽燕薊の北方の地よりおこりその勢いの強盛であり、ウイグルの傭兵が多くいたことをいう。

 

不暇陪八駿,虜庭悲所遣。

周の穆王の八駿の馬を使われたかのように、天子(玄宗)の御逃げになる御馬のあとに君はおともをする暇もないほどであった、その身は、私と同じように安史軍に軟禁され、国の主要部が、安史軍に支配され、その上大明宮は焼かれていて、どうして胸の懐いを遣るべきかに悲しみぬいた。

○陪八駿 玄宗の蜀へ逃げたおともをする、周の穆王の八駿の故事(中国全土を巡るのに特別な馬(穆王八駿)を走らせていたと言われる。すなわち、土を踏まないほど速い「絶地」、鳥を追い越す「翻羽」、一夜で5,000km走る「奔霄」、自分の影を追い越す「越影」、光よりも速い「踰輝」と「超光」、雲に乗って走る「謄霧」、翼のある「挟翼」の8頭である。穆王はこの馬を駆って犬戎ら異民族を討った。)を用いる。

○虜庭 安史軍に占領された都の大明宮の丹庭をさす。

○悲所遣 定説がないが、安史軍が大明宮の宝物、珍品を略奪し、その後に火をかけたので、朝廷はよりどころを失っていたこと、靈武に行在所を移さざるをえなかったこと、国の50%以上が安史軍の支配下となった事、挙げればきりがないほどなり場のない、よりどころがない状態であった。100万の唐王朝軍が、10万から30万の安史軍に簡単に大敗したのである。

 

平生滿尊酒,斷此朋知展。

すなわち平生なら樽に満ちた酒を心行くまで酌みかわして、朋友とのあいだで心のむすばれをほぐし、ひろげることができるのであるがそれがすっかりできなくなったのだ。

○朋知展 展は展情、巻かれているこころをのべひろげることをいう。朋知は朋友知己。平日ならば懐いを遣る方法は朋友と樽酒を酌むことであるが、今はその方法がないことをいう。

 

 

憂憤病二秋,有恨石可轉。

それで憂憤のあまり二度の秋を病気ですごされたし、この境遇におる恨みはもっていたが君の堅固な心は安史軍にはどうしても動かすことができなかった。

〇二秋 756年天宝十五載(すなわち至徳元載)と757年至徳二載との両年の秋。杜甫は7574月、長安を脱出して鳳翔の行在所に駆け込んだ。

○石可転 心は転ずることができないということをいう、《詩経、邶風・柏舟》「我心匪石 不可転也。」(我が心石に匪ず、転ずべからず」とみえる。

《詩経、邶風・柏舟》

我心匪石、不可轉也。我が心 石に匪ず、轉がす可からざる也。

我心匪席、不可卷也。我心 席(むしろ)に匪ず、卷く可からざる也。

威儀棣棣、不可選也。威儀 棣棣(ていてい)として、選ぶ可からざる也。

 

安史の乱当時の勢力図 

 

 

 

〔六〕故秘書少監武功蘇公源明

(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

 

夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。

 

君が東堂の策を射る、宗匠 精選を集む。

制可 題 未だ乾かず、乙科 己に大いに闡けたり。

文章 日々に自負す、吏祿 亦た累りに践めり。

晨に趨す 閶闔の内、足は踏む宿昔の趼。』

 

一麾 出守して還る、黃屋 朔風巻く。

八駿に陪するに暇あらず、虜庭 遣る所に悲しむ。

平生 樽の酒に満ち、此れを断つ 朋知の展を。

憂憤 病むこと二秋、恨み有り 石 転ず可し。

766年大暦元年55歲-45-#3奉節-36-#3 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -3》 杜甫index-15 杜甫<908-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5770

杜甫 奉節 巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -3 受験の難きことは推して知るべしであるが、やがて及第の御許可が出て天子の御かきつけの墨もかわかぬうちに君の乙科及第の評判ははやくも世間にひろがった。文章において君は日ましに自己の力をたのんでいたが、掾吏の属官をもきらわず下の方からつぎつぎとのぼっていった

 

 

 
 2015年3月30日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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209-#2 《巻15-13 送楊少府赴選 -#2》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <209-#2> Ⅰ李白詩1444 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5768 
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50-§3-5 《上張僕射書-#10》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1357> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5769 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-36韋荘114《巻3-14 喜遷鶯二首 其二》三巻14-〈114〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5772 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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766年大暦元年55-45-3奉節-36-3 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -3》 杜甫index-15 杜甫<908-#3>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5770

 

 

杜甫詩1500-908-#3-1325/2500766年大暦元年55-45-3

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二  杜少陵集 巻十六       文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故祕書少監武功蘇公源明

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡        

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

萊蕪 (河南道 兗州 萊蕪)  

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

交遊人物:蘇源明              詩文提及

 

八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明秘書少監蘇源明を哀しんだ詩。)

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

武功少也孤,徒步客徐兗。

武功の蘇君は幼少のときに孤児になり、徒歩きして徐州兗州の地方に客となり、自分も斉趙に一緒に遊んでいる。

讀書東岳中,十載考墳典。

東岳泰山の中の寺観で読書し、十年間かけて古典について考えた。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

雲の浮かんでいる山に餞餓に堪え忍んで読書し、時おり萊蕪縣の城郭へおりてくるくらいのことであった。

負米晚為身,每食臉必泫。

晩に負米の労役をしたがそれは子路のごとく親を養うためでなく、親がいないから自己のためにしるので食事をするたびに頬が涙でぬれた。

 

(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

#2

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚。

君はよく勉強し、夜の勉学の最中には薪をもやして文字を照らし、垢のついた衣には碧ごけが生えるほど没頭されていた。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯。

できることなら、君の心中ではこれほどの勤苦の志でもっていることが、御両親の苦労なされたおぼしめしに報いたいものだということを見てもらいたかった。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

やがて君の学問は蔚然たる醇儒の姿をそなえ、文章は古代の歴史家の書きところをかねるようになった。

灑落辭幽人,歸來潛京輦。

さっぱりとした山に隠棲しているなかまを去って京師へもどってきても天子のお膝もとであるのにこつそりと住んだ。

 

夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。

#3

射君東堂策,宗匠集精選。

そうして東堂で天子の御試験に応じたが、時の試験官はいずれも文章の大家で一粒えりというべき人たちが集められた。

制可題未乾,乙科已大闡。

受験の難きことは推して知るべしであるが、やがて及第の御許可が出て天子の御かきつけの墨もかわかぬうちに君の乙科及第の評判ははやくも世間にひろがった。

文章日自負,吏祿亦累踐。

文章において君は日ましに自己の力をたのんでいたが、掾吏の属官をもきらわず下の方からつぎつぎとのぼっていった

晨趨閶闔足蹋宿昔趼。

しかし太子論徳に任ぜられて禁城の御門へ、朝はやくでるようになっても、君は徒歩をつづけてむかしのままの足に豆して、ふみあるいていた。

君が東堂の策を射る、宗匠 精選を集む。

制可 題 未だ乾かず、乙科 己に大いに闡けたり。

文章 日々に自負す、吏祿 亦た累りに践めり。

晨に趨す 閶闔の内、足は踏む宿昔の趼。』

 

長安城皇城図 

『八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#3

射君東堂策,宗匠集精選。

制可題未乾,乙科已大闡。

文章日自負,吏祿亦累踐。

晨趨閶闔足蹋宿昔趼。


(下し文)
君が東堂の策を射る、宗匠 精選を集む。

制可 題 未だ乾かず、乙科 己に大いに闡けたり。

文章 日々に自負す、吏祿 亦た累りに践めり。

晨に趨す 閶闔の内、足は踏む宿昔の

(現代語訳)
そうして東堂で天子の御試験に応じたが、時の試験官はいずれも文章の大家で一粒えりというべき人たちが集められた。

受験の難きことは推して知るべしであるが、やがて及第の御許可が出て天子の御かきつけの墨もかわかぬうちに君の乙科及第の評判ははやくも世間にひろがった。

文章において君は日ましに自己の力をたのんでいたが、掾吏の属官をもきらわず下の方からつぎつぎとのぼっていった

しかし太子論徳に任ぜられて禁城の御門へ、朝はやくでるようになっても、君は徒歩をつづけてむかしのままの足に豆して、ふみあるいていた。



(訳注) 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 #3

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

○故秘書少監武功蘇公源明 蘇源明、初めの名は預、京兆武功の人、秘書少監となって卒した。杜甫25736年から45年行動を共にしている。杜甫とともに、儒者房琯グループ。くわしくは、八哀詩八首〔六〕#1参照。

 長安城漢唐

射君東堂策,宗匠集精選。

そうして東堂で天子の御試験に応じたが、時の試験官はいずれも文章の大家で一粒えりというべき人たちが集められた。

○射君東堂策 射策とは試験を受けること、漢の時試験に対策と射策とがあり、対策は経義を以て顕わに問い、射策は難問疑義を甲乙の策(ふだ)に書き、問題をくじびきでとって答えさせた。杜甫《醉歌行》「只今年才十六七,射策君門期第一。」

醉歌行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 94

君は天子をいう、東堂とは試験場のこと、唐の尚書省の東堂をいう。晋の武帝の時にも、もろもろの賢良・方正・直言(試験の科名)に詔して東堂に会して策間をうけさせたことがある。

○宗匠 文章の大家をいう、当時の試験官にして受験者の文を詮衡するものをさす。

○精選 大家の中よりさらにすぐりぬいたもの。

 

制可題未乾,乙科已大闡。

受験の難きことは推して知るべしであるが、やがて及第の御許可が出て天子の御かきつけの墨もかわかぬうちに君の乙科及第の評判ははやくも世間にひろがった。

○制可 天子の仰せごとによって可とする、これは可否の字を書して及第落第を定めるのである。

○題 答案に可否の字をかくこと。

○末乾 乾とは墨痕のかわくこと。

○乙科 唐では進士の試問に時務策五条と、一の大経(毛詩・左伝・礼記などは大経)に帖して(出題の前後の場所に張り紙してだすこと)試みた。そして経と策と全部得点すれば甲第、策は四を得、帖は四以上を得ればこれを乙第とした。乙科とは乙第のことをいっている。

○己大 及第の名声の世間にびろがることをいう。蘇源明伝によると、蘇源明、文詞に工みに天宝の間に名あり、進士に及第す、更に集賢院に試せしむ、といっている。

 

文章日自負,吏祿亦累踐。〔吏祿:掾吏【えんり】〕

文章において君は日ましに自己の力をたのんでいたが、掾吏の属官をもきらわず下の方からつぎつぎとのぼっていった

○文章日自負進 士に及第したのでますます文章においてみずからたのむところがあった。

〔吏祿:掾吏〕亦累践 掾吏は属官である、これは進士及第後、まだ太子諭徳となっていなかった、前の時期ことをさす。累践とは下級より上級へと其の地位をつぎつぎとふむこと。

吏祿 吏祿制度:公府掾。公府掾は、中央で実際に治事している吏だ。中央だけでなく、令長や丞尉にもなる。安帝紀にある。事例は史料におおい。みな公府が「治劇」「茂才」だから挙げた人材である。前漢の公府掾の地位は、比較的高いから、令になる。後漢の公府掾の地位がさがり、長がおおい。

 

晨趨閶闔足蹋宿昔趼。

しかし太子論徳に任ぜられて禁城の御門へ、朝はやくでるようになっても、君は徒歩をつづけてむかしのままの足に豆して、ふみあるいていた。

○趨闇閣内 趨はわき目を振らず、すこしははやくあるく、閶闔は漢の天子の宮門、太子の宮も禁城の内にあるので閶闔の内という。これは太子諭徳の官となったことをいう。

○宿昔 は足のまめ、蘇源明は貧賤のおり、足にまめをでかしたが、仕官してのちも、昔ながらの徒歩生活で足にでかしたまめを踏み歩いていたというのである。

「学蔚」十二句は及第仕官を叙する。

766年大暦元年55歲-45-#2奉節-36-#2 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -2》 杜甫index-15 杜甫<908-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5765

杜甫 巻1606 八哀詩八首 六 故秘書少監武功蘇公源明 -2  やがて君の学問は蔚然たる醇儒の姿をそなえ、文章は古代の歴史家の書きところをかねるようになった。さっぱりとした山に隠棲しているなかまを去って京師へもどってきても天子のお膝もとであるのにこつそりと住んだ。

 

 
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杜甫詩1500-908-#2-1324/2500766年大暦元年55-45-2

八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明秘書少監蘇源明を哀しんだ詩。)

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

武功少也孤,徒步客徐兗。

武功の蘇君は幼少のときに孤児になり、徒歩きして徐州兗州の地方に客となり、自分も斉趙に一緒に遊んでいる。

讀書東岳中,十載考墳典。

東岳泰山の中の寺観で読書し、十年間かけて古典について考えた。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

雲の浮かんでいる山に餞餓に堪え忍んで読書し、時おり萊蕪縣の城郭へおりてくるくらいのことであった。

負米晚為身,每食臉必泫。

晩に負米の労役をしたがそれは子路のごとく親を養うためでなく、親がいないから自己のためにしるので食事をするたびに頬が涙でぬれた。

 

(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

#2

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚。

君はよく勉強し、夜の勉学の最中には薪をもやして文字を照らし、垢のついた衣には碧ごけが生えるほど没頭されていた。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯。

できることなら、君の心中ではこれほどの勤苦の志でもっていることが、御両親の苦労なされたおぼしめしに報いたいものだということを見てもらいたかった。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

やがて君の学問は蔚然たる醇儒の姿をそなえ、文章は古代の歴史家の書きところをかねるようになった。

灑落辭幽人,歸來潛京輦。

さっぱりとした山に隠棲しているなかまを去って京師へもどってきても天子のお膝もとであるのにこつそりと住んだ。

 

夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。

 

 

『八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

灑落辭幽人,歸來潛京輦。


(下し文)
夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚【うつ】たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。


(現代語訳)
君はよく勉強し、夜の勉学の最中には薪をもやして文字を照らし、垢のついた衣には碧ごけが生えるほど没頭されていた。

できることなら、君の心中ではこれほどの勤苦の志でもっていることが、御両親の苦労なされたおぼしめしに報いたいものだということを見てもらいたかった。

やがて君の学問は蔚然たる醇儒の姿をそなえ、文章は古代の歴史家の書きところをかねるようになった。

さっぱりとした山に隠棲しているなかまを去って京師へもどってきても天子のお膝もとであるのにこつそりと住んだ。



(訳注) 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明#2

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

○故秘書少監武功蘇公源明 蘇源明、初めの名は預、京兆武功の人、秘書少監となって卒した。杜甫25736年から45年行動を共にしている。杜甫とともに、儒者房琯グループ。

 

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚。

君はよく勉強し、夜の勉学の最中には薪をもやして文字を照らし、垢のついた衣には碧ごけが生えるほど没頭されていた。

○夜字 夜みる文字。

爇薪 たきびをもやし、これを用いて光明をとるのである。

○碧 はこけのこと。

 

庶以勤苦志,報茲劬勞顯。

できることなら、君の心中ではこれほどの勤苦の志でもっていることが、御両親の苦労なされたおぼしめしに報いたいものだということを見てもらいたかった。

劬勞顯 父母の養育の願望をいう、「詩経」(蓼我)に「哀哀父母、生我劬勞。」(哀哀たる父母、我れを生みて苦労す。)劬もいたわり労することである。

以上起十二句は源明が孤児のために苦学したことをいう。

 

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

やがて君の学問は蔚然たる醇儒の姿をそなえ、文章は古代の歴史家の書きところをかねるようになった。

學蔚 蔚は草木の茂るさま、学殖のあるさま。

○醇儒 純正な儒者。

○文包 包は包薙、内部にひろくつつんでいれておく。

○旧史書 旧史とは旧来の歴史家、たとえば司馬遷・班固の類をいう。

 

灑落辭幽人,歸來潛京輦。

さっぱりとした山に隠棲しているなかまを去って京師へもどってきても天子のお膝もとであるのにこつそりと住んだ。

灑落 人物のさっぱりとしたさま、此の語は「幽人」を形容する。

○辞幽人 辞は辞を告げて別れること、幽人とは山中に隠遁生活をなした人々をいう。

○潜京輦 潜とはひそかに住居すること、富貴権勢の門、朝廷内の学問の派閥・一党に入ることなどに奔走しないことをいう。京輦とは輦轂の下、天子のお膝もとの意。

766年大暦元年55歲-45-#1奉節-36-#1 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -1》 杜甫index-15 杜甫<908-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5760

奉節-36-1 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -1 杜甫(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)武功の蘇君は幼少のときに孤児になり、徒歩きして徐州兗州の地方に客となり、自分も斉趙に一緒に遊んでいる。

 

 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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50-§3-3 《上張僕射書-#8》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1355> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5759 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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766年大暦元年55-45-1奉節-36-1 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -1 杜甫index-15 杜甫<908-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5760

杜甫詩1500-908-#1-1323/2500766年大暦元年55-45-1

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故祕書少監武功蘇公源明

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡        

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

萊蕪 (河南道 兗州 萊蕪)  

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

交遊人物:蘇源明              詩文提及

 

 

八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明

武功少也孤,徒步客徐兗。

讀書東岳中,十載考墳典。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

負米晚為身,每食臉必泫。

 

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

灑落辭幽人,歸來潛京輦。

 

射君東堂策,宗匠集精選。

制可題未乾,乙科已大闡。

文章日自負,吏祿亦累踐。

晨趨閶闔足蹋宿昔趼。

 

一麾出守還,黃屋朔風卷。

不暇陪八駿,虜庭悲所遣。

平生滿尊酒,斷此朋知展。

憂憤病二秋,有恨石可轉。

 

肅宗復社稷,得無逆順辨。

范曄顧其兒,李斯憶黃犬。

祕書茂松意,溟漲本末淺。

青熒芙蓉劍,犀兕豈獨剸。

 

反為後輩褻,予實苦懷緬。

煌煌齋房芝,事萬手搴。

垂之俟來者,正始徵勸勉。

不要懸黃金,胡為投乳

結交三十載,吾與誰遊衍。

 

滎陽復冥莫,罪罟已橫罥。

嗚呼子逝日,始泰則終蹇。

長安米萬錢,凋喪盡餘喘。

戰伐何當解,歸帆阻清沔。

尚纏漳水疾,永負蒿里餞。

 

詩文(含異文)

武功少也孤,徒步客徐兗【徒步寓徐兗】。

讀書東岳中,十載考墳典。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

負米晚為身,每食臉必泫。

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚【垢衣帶碧蘚】。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯【報茲劬勞願】。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

灑落辭幽人【灑淚辭幽人】,歸來潛京輦。

射君東堂策【射策君東堂】【案:晉武帝詔諸賢良方正輩會東堂策問。】,宗匠集精選。

制可題未乾【制題墨未乾】,乙科已大闡【案:經策全得為甲科,策得四帖以上為乙科。】【休聲已大闡】。

文章日自負,吏祿亦累踐【掾吏亦累踐】。

晨趨閶闔,足蹋宿昔趼。

一麾出守還,黃屋朔風卷。

不暇陪八駿,虜庭悲所遣。

平生滿尊酒,斷此朋知展。

憂憤病二秋,有恨石可轉【有恨不可轉】。

肅宗復社稷,得無逆順辨。

范曄顧其兒,李斯憶黃犬。

祕書茂松意,溟漲本末淺。【案:以上二句一作:祕書茂松色,屢扈祠壇前。前後百卷文,枕藉皆禁臠。篆刻揚雄流,溟漲本末淺。】【案:一本作:祕書茂松色,再從祠壇前。前後百卷文,枕藉皆禁臠。篆刻揚雄流,溟漲本末淺。】【案:一本又作:祕書茂松色,屢侍祠壇前。前後百卷文,枕藉皆禁臠。制作揚雄流,溟漲本末淺。】

青熒芙蓉劍,犀兕豈獨剸【案:止兗切。】。

反為後輩褻,予實苦懷緬。

煌煌齋房芝【案:漢武帝有〈芝房歌〉,時宰相王璵以祈禱媚上,源明極言之。】,事萬手搴【案:音蹇。】【事終萬手搴】。

垂之俟來者,正始徵勸勉【正始貞勸勉】。

不要懸黃金【不惡懸黃金】,胡為投乳【案:音畎。】【胡為投亂】。

結交三十載,吾與誰遊衍。

滎陽復冥莫,罪罟已橫罥【案:音泫。】。

嗚呼子逝日,始泰則終蹇【始泰郎終蹇】。

長安米萬錢,凋喪盡餘喘。

戰伐何當解,歸帆阻清沔。

尚纏漳水疾,永負蒿里餞。

 


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766年大暦元年55歲-44-#10奉節-35-#10 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -10》 杜甫index-15 杜甫<907-10> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5755

奉節-35-10 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -10 杜甫  今や朝廷においては君臣ともにまだ吐蕃・ウイグル軍に対しての兵事を論じ、武臣で朝命にしたがわぬもの、降将であったものなどともがらは、西域から其の地遠く燕薊までつづいている。この時、李邕公の遺詩「六公篇」を朗らかに詠じてみると、心配のため胸が憂いで覆われていたが、心もからりとして、きりひらかれたような心地がするのである。
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 2015年3月27日の紀頌之5つのBlog 
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 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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杜甫詩1500-907-10-1322/2500766年大暦元年55-44-10

 

 

年:766年大暦元年55-

卷別:卷二二二 杜少陵集巻16 7首目       文體:    五言古詩

詩題:八哀詩八首〔五〕贈祕書監江夏李公邕

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂

及地點:              鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏         

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下    

臨淄亭 (河南道 青州 臨淄)             

東都 (都畿道 河南府 東都) 別名:東京        

青州 (河南道 青州 青州) 別名:北海

汶陽 (河南道 兗州 汶陽)  

 

八哀詩八首 幷序

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、その序文をのべる。)

傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

自分は各地で叛乱や盗賊のようなことがおさまらないのを傷んで、感興のわくまま王・李の二公からはじめて、旧友のことを嘆じたり、賢相のことをおもったりして相国張九齢までで終った。

八公前後存歿,遂不詮次焉。

その八人の諸公はたがいにあとさきになくなった。それでこの作はその生存の順序をかんがえてそのとおりに順序だてることはしなかったのである。

 

(八哀詩八首 幷びに序)

時の盗賊未だ息まざるを傷み、王公李公より興起し、旧を嘆じ賢を懐い、張相国に終る。

八公前後存歿す、遂に銓次せず。

 

 

李邕を哀しんだ詩。

八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕

 

#1

長嘯宇宙間,高才日陵替。

自分は宇宙の間にむかって長哺してみるのに、高い才能ある人物は日日すたれてゆくようだ。

古人不可見,前輩複誰繼。』

古人は見ることはできぬ。古人にも近いような前輩もなくなる、だれが前輩のあとを継ぐというのだ。

憶昔李公存,詞林有根柢。

自分は昔のことをおもいだしてみる、まだ我が李邕公が存在しておられたとき、公がいる文壇はしっかりとした学問の根源ができあがった。

聲華當健筆,灑落富清制。

公の名声は赫赫たるものであったがそれは公の健筆に相当したもので虚名ではなく、公はさっぱりとした清らかな製作をたくさんもっておられた。

 

(贈秘書監江夏の李公邕)

長嘯す 宇宙の間、高才 日々に陵替す。

古人見る可からず、前輩をば復た誰か維がん。』

憶う昔 李公の存せしとき、詞林 根抵有り。

声華 健筆に当たる、灑落 清製 富めり。

 

#2

風流散金石,追琢山嶽

したがってその風流文彩は金石碑版のうえに散布せられ、雕琢して建てられた石碑があり、山岳の崖の岩肌にはするどく雕みこまれた。

情窮造化理,學貫天人際。

其の文章は情においては、造化の理を窮めるものであり、学においては、天人の際を貫くものがあった。

幹謁走其門,碑版照四裔。

求める所あって李邕公に面会を乞うものは争って公の門へと走った。そうして公から書いてもらった碑版の文章は四方の遠地にかがやいた。

各滿深望還,森然起凡例。

其の文章の法は森然としで一般原則を創立するに足るほどであり、もちろん頼みに来た人々はめいめい多大の希望を満足させてもどっていった。

 

#2

風流 金石に散ず、迫琢 山岳 鋭鎖し。

情は窮む 造化の理、学は貫く 天人の際。

幹謁 其の門に走る、碑版 四裔を照らす。

各々の深望を満たして還る、森然 凡例を起こす。

 

#3

蕭蕭白楊路,洞徹寶珠惠。

あの蕭々としたさびしく白楊樹の立っている墓道は、連珠のすきとおるような並木であり、李邕公の墓碑には宝珠のような碑文の字に恵まれている。

龍宮塔廟湧,浩劫浮雲衛。

ここは、竜宮を思わせる大塔や霊廟が湧き出るようにあり、その墓碑に記された李邕公の文章は幾千万年も浮雲がそれを護衛するだろう。

宗儒俎豆事,故吏去思計。

人より宗とし貴ばれる儒者の祭器に関係した事を学宮の碑とし、故吏が前上司を慕うための手段としたもので遺愛の碑をたてようとしたのである。

眄睞已皆虛,跋涉曾不泥。

それらはこれを観にくる人はやっといま来た人がいなくなったかとおもうとまたあとの人が次々にやってくる、そして、遠方から山水を跋涉してでも頓着なくやってくるのである。

向來映當時,豈獨勸後世。

李邕公の碑文の内容は、公の生存されていた前から時にあたってすでにかがやいているので、決して後世のものにだけ勧戒をのこすにはとどまらないのであることはいうまでもない。

 

蕭蕭たる白場の路、洞徹宝珠を恵す。

竜宮 塔廟湧く、浩劫 浮雲衛る。

宗儒 俎豆の事、故吏 去恩の計。

眄睞 己に皆虚し、跋涉 曾て泥まず。

向来当時に映ず、豈に 独り後世に勧むるのみならんや。


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奉節-35-9 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -9 杜甫  張相国(張説)のことは、かれこれ是非を品評されたが李邕公と張説相国とは仲がわるくてつかみあいでもせんばかりであったもので、この事が、李邕公の身にとって、もっとも危い次第となったのである。

 

 
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766年大暦元年55-44-9奉節-35-9 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -9 杜甫index-15 杜甫<907-9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5750

 

杜甫詩1500-907-9-1321/2500766年大暦元年55-44-9

 

 

年:766年大暦元年55-

卷別:    卷二二二                杜少陵集 巻16 7首目  文體:       五言古詩

詩題:八哀詩八首〔五〕贈祕書監江夏李公邕

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂

及地點:              鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏         

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下    

臨淄亭 (河南道 青州 臨淄)             

東都 (都畿道 河南府 東都) 別名:東京        

青州 (河南道 青州 青州) 別名:北海

汶陽 (河南道 兗州 汶陽)  

 

 

#8

伊昔臨淄亭,酒酣托末契。

むかし(745年天寶4年)、自分は河南道 青州 臨淄郡にある臨猫の歴下亭で酒宴において李邕公と末実を託したことがある。

重敘東都別,朝陰改軒砌。』

その時、かねての東都(洛陽)でお会いして以来の別意を重ねて叙し、ながく語りつづけていつしかの階のみぎりに日影が傾いて影指す夕方までにさえなったことがある。

論文到崔蘇,指盡流水逝。

李邕公は文章を論じて「文章四友」李嶠、蘇味道、崔融におよび、前人を指おりかぞえて歳月流水の感歎を発せられた。

近伏盈川雄,未甘特進麗。

李邕公は近代では「初唐四傑」のひとりである、盈川の長官であった楊烱の雄筆に敬服しておられ、たが特進・同中書門下三品であった「文章四友」李嶠の六朝の流れの綺麗なのには満足しておられなかった。

 

伊れ昔 臨淄【りんし】の亭、酒 酣【たけなわ】にして末契に托す。

重ねて叙す 東都の別、朝陰 軒砌に改まる。』

論文 崔蘇に到る、指し尽くす 流水の逝くを。

近くは盈川の雄なるに伏するも、未だ甘んぜず 特進の麗かなるに。

 

#9

是非張相國,相扼一危脆。

張相国(張説)のことは、かれこれ是非を品評されたが李邕公と張説相国とは仲がわるくてつかみあいでもせんばかりであったもので、この事が、李邕公の身にとって、もっとも危い次第となったのである。

爭名古豈然,鍵捷欻不閉。

文士は名を争うというのは古代において必ずしもそうしたわけのものではないのだが、李邕公は心にかんぬきをかけてしめくくるということをせずにおられた。

例及吾家詩,曠懷掃氛翳。

この点において李邕公にすこし欠陥があるということで、いつも話が吾が杜家の詩の号こととなると李邕公は胸中をからりとしてもやもやとした色眼鏡で見る事を取っ払って談じられた。

慷慨嗣真作,咨嗟玉山桂。

李邕公は吾が祖父杜審言の「和李大夫嗣眞奉使存撫河東」(李大夫嗣真の使を奉じて河東を存撫するに和す)詩をよんで憤慨し、これを嘆美して「玉山の桂」だといっておられた。

鐘律儼高懸,鯤鯨噴迢遞。』

そして、儼然として高く懸かれる鐘の律音だといわれ、波を吹いて、はるかにゆく鯤鯨だとまでいわれた。 』

是非す 張相国、相扼して一に危脆なり。

名を争う 古 豈に然らんや、鍵捷 欻【たちま】ち閉じず。

例 吾が家の詩に及べば、曠懷 氛翳【ふんえい】を掃う。

憤慨す 嗣真【ししん】が作、咨嗟す 玉山の桂。

鐘律 儼として高く懸かり、鯤鯨 噴いて遥かに遞【ゆ】く。』

10

坡陀青州血,蕪沒汶陽瘞。

哀贈竟蕭條,恩波延揭厲。

子孫存如線,舊客舟凝滯。

君臣尚論兵,將帥接燕薊。

朗吟六公篇,憂來豁蒙蔽。』

 

披陀たる青州の血、薫没す投陽の瘞。

哀贈 克に粛条たり、恩波 揭厲を延く。

子孫 存すること棟の如し、旧客舟凝滞す。

君臣尚お兵を論ず、将帥 燕薊に接す。

朗詠す六公の篇、憂い来たって蒙蔽 豁なり。』

 

 安史の乱当時の勢力図

八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#9

是非張相國,相扼一危脆。

爭名古豈然,鍵捷欻不閉。

例及吾家詩,曠懷掃氛翳。

慷慨嗣真作,咨嗟玉山桂。

鐘律儼高懸,鯤鯨噴迢遞。』


(下し文)
是非す 張相国、相扼して一に危脆なり。

名を争う 古 豈に然らんや、鍵捷 【たちま】ち閉じず。

例 吾が家の詩に及べば、曠懷 氛翳【ふんえい】を掃う。

憤慨す 嗣真【ししん】が作、咨嗟す 玉山の桂。

鐘律 儼として高く懸かり、鯤鯨 噴いて遥かに遞【ゆ】く。』

(現代語訳)
張相国(張説)のことは、かれこれ是非を品評されたが李邕公と張説相国とは仲がわるくてつかみあいでもせんばかりであったもので、この事が、李邕公の身にとって、もっとも危い次第となったのである。

文士は名を争うというのは古代において必ずしもそうしたわけのものではないのだが、李邕公は心にかんぬきをかけてしめくくるということをせずにおられた。

この点において李邕公にすこし欠陥があるということで、いつも話が吾が杜家の詩の号こととなると李邕公は胸中をからりとしてもやもやとした色眼鏡で見る事を取っ払って談じられた。

李邕公は吾が祖父杜審言の「和李大夫嗣眞奉使存撫河東」(李大夫嗣真の使を奉じて河東を存撫するに和す)詩をよんで憤慨し、これを嘆美して「玉山の桂」だといっておられた。

そして、儼然として高く懸かれる鐘の律音だといわれ、波を吹いて、はるかにゆく鯤鯨だとまでいわれた。 』



(訳注) #9

八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、死後に代宗から秘書監を贈られた広陵江都県(江夏)の李邕を哀しんでよんだ詩。)〔五〕

○贈秘書監江夏季公邕 李邕をいう、北海太守李邕のお相伴をして歴下の亭で宴に同席したことをのべる。745年天宝四載34歳の作。

陪李北海宴歴下亭 杜甫

杜甫《奉贈韋左丞丈二十二韻》「李邕求識面,王翰願蔔鄰。」(李邕面を識らんことを求め、王翰隣を蔔せんと願う。)現代では李邕も私のかおをしりたいと求め  王翰も占いをして私の隣に住みたいと願った。

奉贈韋左丞丈二十二韻  杜甫

杜甫《同李太守登歷下古城員外新亭》  
李之芳が造った歴下の古城の新字にのぼって李邕が詩を作った。此の詩はそれに和したものである。

同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫

李邕に関しては上記にあげた、《陪李北海宴歴下亭》《奉贈韋左丞丈二十二韻》《同李太守登歷下古城員外新亭》がある。李邕(678 - 747年)は、中国唐代の書家。広陵江都県(現・江蘇省蘇州市江都区)の人で、字は泰和。『文選』の注釈で有名な李善の子である。盛唐の名臣で、留台侍御史のときに譙王李重福を討伐して戦功を挙げた。玄宗のとき北海太守に任命されたので、世に李北海と呼ばれる。英才で文名高く、また行書の名手であった。碑文の作に優れ、撰書すること実に800本にのぼり、巨万の富を得たといわれる。晩年は唐の宗室である李林甫に警戒され、投獄され杖殺されて非業の死を遂げた。

杜甫《陪李北海宴歴下亭》

杜甫《同李太守登歷下古城員外新亭》  
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夔州東川卜居図詳細 001 

是非張相國,相扼一危脆。

張相国(張説)のことは、かれこれ是非を品評されたが李邕公と張説相国とは仲がわるくてつかみあいでもせんばかりであったもので、この事が、李邕公の身にとって、もっとも危い次第となったのである。

○是非 かれこれと評論する。

○張相国 張説をいう。玄宗は粛至忠を誅し、張説を召して中書令となし燕国公に封じた。東封して還るや張説を以て尚書左丞相となした。李邕は元来張説を軽んじていたので張説は甚だ彼を悪んだ。

○相扼 扼はもつ、おさえつける。つかみあいをはじめるという意の類。両人の交情のわるいことをいう。

○危脆 あやうく、もろし、張説が中書令であった時に李邕が陳州刺史であった時の臓事があばかれ李邕は獄に下され、死罪に当たるとされたが孔璋に救われたということ。

 

爭名古豈然,鍵捷欻不閉。

文士は名を争うというのは古代において必ずしもそうしたわけのものではないのだが、李邕公は心にかんぬきをかけてしめくくるということをせずにおられた。

○古豈然 魏の文帝の「典論」に、「文人相輕、自古而然。」(文人相い軽んず、古より然り)とある、句はこれを逆に用いている。

○鍵捷欻不閉 「老子」に「善閉無関鍵、而不可開。 善結無繩約、而不可解。」( 善く閉ずるものは関鍵なくして、開くべからず。 善く結ぶものは縄約なくして、解くべからず。らず)とみえる。注に横にとざす木を関、たでにとざす木を楗というといっている。鍵は楗と通ずる。ここの関鍵は心の戸締りをいう。李邕がすこしく心にしめくくりの無かったことをいう。

 

例及吾家詩,曠懷掃氛翳。

この点において李邕公にすこし欠陥があるということで、いつも話が吾が杜家の詩の号こととなると李邕公は胸中をからりとしてもやもやとした色眼鏡で見る事を取っ払って談じられた。

○例及 例は例のごとく、いつも、の意。

○吾家詩 吾が社家の詩、作者の祖父杜審言をさす。

○曠懷 ひろいむね。

○掃氛翳 もや、ひかげのないこと。

 

慷慨嗣真作,咨嗟玉山桂。

李邕公は吾が祖父杜審言の「和李大夫嗣眞奉使存撫河東」(李大夫嗣真の使を奉じて河東を存撫するに和す)詩をよんで憤慨し、これを嘆美して「玉山の桂」だといっておられた。

○憤慨 李邕がそれに感じて憤慨することをいう。

嗣真作 杜審言が作った「和李大夫嗣眞奉使存撫河東」(李大夫嗣真の使を奉じて河東を存撫するに和す)詩をさす。詩の原文は参考のために後に掲げる。初唐において五言排律の長篇でこのようなものはすくない。以て作者の家学の本づく所を知ることができる。

〇番嵯 李邕が感じてなげく。

○玉山桂 晋の郄詵【げきしん】が武帝に対えでいうのに、臣は賢良対策に挙げられ天下第一である、まるで桂林の一枝、崑崙山の玉のようだ、と。玉山は崑崙山をいう、玉山の桂とは郄詵が言った二事を一事として用いたものである、杜審言の詩辞の秀抜なのをたとえる。

 

鐘律儼高懸,鯤鯨噴迢遞。』

そして、儼然として高く懸かれる鐘の律音だといわれ、波を吹いて、はるかにゆく鯤鯨だとまでいわれた。 』

○鐘律 杜審言の詩の音調の和雅なことをいう。

〇鯤鯨 大魚をいう、杜審言の詩の勢いの壮んなのに此する。

○噴 潮水をふく。

○迢遞 はるかにゆく。

以上「論文」十四句は李邕が詩文を評論したことをのべる。

 

 

 

 

 

典論(てんろん)は魏の文帝(曹丕)の文学論、文学書。全5巻、100篇。魏の明帝(曹叡)の代に刊石されたが、裴松之の時代(南朝宋)はまだ存在していた。その後、『太平御覽』の引く『戴延之西征記』によると典論の石碑は六碑あったが、東晋末には4つ存在し2つが無くなっていた。唐代に石本はなくなり、宋代に写本も散逸した。現在見ることが出来るのは、『文選』に収められた「論文」篇だけだが、『全三國文』は『典略』等から典論を復元し、19(内、篇名があるのは13)を収めている。

逸話

崑崙山(こんろんざん)の峰は地の頭にあたる。ここは天帝の下界における都なので、弱水という深い川によって外界とさえぎられ、炎を噴き出す山に周りを囲まれている。山上に住む鳥獣や草木の類は、皆火炎の中で生まれ、成長して行く。そこでここには「火浣布」(火で洗う布)という布地を産するが、それは山の草木の皮や繊維でか、あるいは、鳥獣の毛で作った物である。漢の頃、西域からこの布地を献上して来たことがあるが、その後長いこと見られなかった。ところが、魏の初め頃になって、人々はそのような布が存在しないのではないかと疑問を持った。文帝(曹丕)は、だいたい火の性は容赦なく焼き尽くすものであって、生命の気を残す余地など無いはずであると考え、『典論』でこれがあり得ないことを論証し、もの知りの聞きかじりの智識を否定した。さらに明帝(曹叡)が即位するに及び、三公に対して、「先帝(曹丕)が著わし給うた『典論』は不朽の格言である。これを碑に刻み、霊廟の外及び太学に建て、石経と共に永く世に示そうぞ」と詔を下した。ところがそこへ、西域の使者が火浣布で作った袈裟を献上して来たので、石碑に刻まれた『典論』のこの部分は削り取られることになり、天下のもの笑いとなったのであった。


杜甫55歳756年作品 

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奉節-35-8 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -8 杜甫  李邕公は近代では「初唐四傑」のひとりである、盈川の長官であった楊烱の雄筆に敬服しておられ、たが特進・同中書門下三品であった「文章四友」李嶠の六朝の流れの綺麗なのには満足しておられなかった。

 

 
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年:766年大暦元年55-

卷別:    卷二二二                杜少陵集 巻16 7首目  文體:       五言古詩

詩題:八哀詩八首〔五〕贈祕書監江夏李公邕

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂

及地點:              鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏         

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