杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

杜少陵集 巻二十

7767年-243 奉送卿二翁統節度鎮軍還江陵(卷二○(四)一八○四)注(1255)火旗還錦纜 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10410

7767-243   奉送卿二翁統節度鎮軍還江陵(卷二○(四)一八○四)注(1255)

 

 

2018331

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【字解集】A 1口號王美 外

釋言§6-1〔#14

奉送卿二翁統節度鎮軍

子三首其二

雜詩九首其五

18年3/31の紀頌之"6"つの校注Blog

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Ⅰ李白詩

(李白集校注)

748年-A《【字解集】A》1口號王美,2王送杜.3.送楊燕之東 ...

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746-【字解集】21.魯東門觀刈蒲 22.魯郡堯祠送五之琅琊 23.魯郡堯祠送張十四遊西北Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9884

孟浩然

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司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

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漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

807年-09元和二年40歳《釋言§6-1》〔#14〕Ⅱ漢文委員会kanbuni...

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807年-05元和二年40歳《【字解集】》〔酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄・記夢〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10066

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

7767年-243 奉送卿二翁統節度鎮軍還江陵(卷二○(四)一八○...

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (407)回目《孫光憲巻八15子三首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10418 

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花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉臺 巻四巻4•3-1-4-3雜詩九首其四 採桑詩 3.鮑照   Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻四ブログ10419

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●薛濤の全詩

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(崔卿二翁が節度使の軍を統率して江陵に還るのを謹んでお送りする)

兵士は節度使の赤い旗を立てて江陵に帰る船を整え、かの白馬将軍にも喩えられるおじ上は長江沿いの夔州の町を出発される。

なみだをさそう、葦笛の音が悲しく起こり、別れを告げる水辺は寂しいほどに澄んでいる。

伯父上と別れる巫峡の朝は寒々として、あの「渭陽」の詩のようにおじ上を見送る名残惜しさは夕日の落ちる頃まで続いた。

私はこの地に留まって老いと病を嘆く。いつになれば戦乱が終わるのを目にすることであろうか。

 

 

 

 

杜甫    《東屯の詩》 9

 

 

大覺高僧蘭若【案:自注:和尚去冬往湖南。】(卷二○(四)一八○一)

巫山不見廬山遠,松林蘭若秋風晚。

一老猶鳴日暮鐘,諸僧尚乞齋時飯。

香爐峰色隱晴湖,種杏仙家近白

飛錫去年啼邑子,獻花何日許門徒。

 

謁真諦寺禪師(卷二○(四)一八○二)

蘭若山高處,煙霞嶂幾重。

凍泉依細石,晴雪落長松。

問法看詩忘,觀身向酒慵。

未能割妻子,卜宅近前峰。

 

上卿翁請修武侯廟,遺像缺落,時崔卿權夔州【案:崔卿,甫之舅氏。】(卷二○(四)一八○三)

大賢為政即多聞,刺史真符不必分。

尚有西郊諸葛廟,臥龍無首對江濆。

 

奉送卿二翁統節度鎮軍還江陵(卷二○(四)一八○四)

火旗還錦纜,白馬出江城。

嘹唳吟笳發,蕭條別浦清。

寒空巫峽曙,落日渭陽明。

留滯嗟衰疾,何時見息兵。

 

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767年-220 十月一日(卷二○(四)一七八七)注(1237) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10130

767-225 十月一日(卷二○(四)一七八七)注(1237)

 

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#1戰城南

《毛頴傳§1-2》〔#2〕

【字解集】即事・耳聾・獨坐二首・雲

孫光憲花間集 所収の詩 目録

七夕月下一首 1.王僧達

#5【聯句】 光威裒姉妹三人、

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韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

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杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

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花間集 訳注解説 (10)回目孫光憲花間集 所収の詩 目録 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10152 (02/22)

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花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

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巻四-00 玉臺新詠〔考異〕 巻四  目録 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10111

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48-#5【聯句】 光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有。是作精醉儔難。謝家聯雪何以加、之有客自京師来者示予因次其韻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10154

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767-220   十月一日(卷二○(四)一七八七)注(1237) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10130

(秦代の習わしを受け継ぐ夔州の習俗、十月一日を元日とするのを歓んでこの詩を作る)

夏は毒気があり、大変だったがそれが、すべては消えたわけではないが、今日は暦どおりにあっさりと冬になったし、夔州は暖かなので冬を過ごすのも楽である。

南の夜即には五渓にのぼる太陽が暖かく照っているようだが、白帝城では笹唐峡に吹く風が冷たい。

今日はどこの家も粽を作っており、よそ者の私にも水飴などを皿いっぱいくれたのは有り難いことだ。

南方の人々はこの日を元日とし、佳節として重視しており、秦代から続くこの古い習俗を私は自分一人で楽しんでいる。

 

 

 

 

杜甫    《東屯の詩》 5

 

 

 

 

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767年-193 九日五首 其三卷二○(四)(頁一七六五)注(1211) 舊與蘇司業, Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9829

767-193 九日五首 其三卷二○(四)(頁一七六五)注(1211) 舊與蘇司業,

 

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魯郡堯祠送竇明府薄華還西京-#7

#27§6-6元和聖德詩

九日五首 其三

溪沙八首其八

樂府詩二首其一 #2

題任處士創資福寺

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

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746-024卷一七六 魯郡堯祠送竇明府薄華還西京-#7(卷十六(二)九八五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9869

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【字解集】 18. 夢遊天姥吟留別 19.魯中送二從弟赴舉之西京 20.魯中都東樓醉起作 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9805

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司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

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漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

807年元和二年40歳- 巻一-01#27§6-6元和聖德詩 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9870

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806年-集23- 韓昌黎集【字解集】送許郢州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9491

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

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767年-193 九日五首 其三卷二○(四)(頁一七六五)注(1211) 舊與蘇司業, Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9829

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

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杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

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767-193 九日五首 其三卷二○(四)(頁一七六五)注(1211) 舊與蘇司業,  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9829

(長江の辺の小高い山に登り、東の齊呉で遊んだこと、北にある長安で学び、酒を酌み交わし、西の蜀巴、南の夔州では、木に寄りかかり、歌い、砧の音を聞いているが、もう、仲の良かったお二人はいない)

かつて蘇源明とともに齊呉に遊び、鄭虔に付き従って儒学を真なに、遊んだものである。

朝廷務めのころは、摘んだ菊花の香りが四方に溢れ、宴座にいたお客たちは酔って乱れ騒いだものだ。

それが今、老境の私は、身を野の木に寄りかかって歌ったり、うたた寝をして目醒めると秋空に響く砧の音が、心地よく聞こえてくる。

いまは、歓び、楽しみをともにした二人は亡くなり、西北の空には雲がひとひら浮かんでいるだけである。

 

767-0 -

九日五首其二(卷二(四)頁一七六四)

杜詩詳注巻20 -51

全唐詩卷二三一50

767年大暦256  () -

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1156      九日五首其一(卷二○(四)頁一七六四)

重陽獨酌杯中酒,抱病起(一作獨,一作豈)登江上臺。竹葉於人既無分,菊花從此不須開。

殊方日落玄猿哭,舊國霜前白雁來。弟妹蕭條各何在(一作往)?干戈衰謝兩相催。

 

1157      九日五首其二(卷二○(四)頁一七六四)

舊日重陽日,傳杯不放杯。即今蓬鬢改,但愧菊花開。

北闕心長戀,西江首獨迴。茱萸(一作萸房)賜朝士,難得一枝來。

 

1158      九日五首 其三卷二○(四)(頁一七六五)

舊與蘇司業,兼隨鄭廣文。采花香泛泛(一作簇簇,一云漠漠),坐客醉紛紛。

野樹敧(一作歌)還倚,秋砧醒卻聞。歡兩冥漠(一作寞),西北有孤雲。

 

1159      九日五首 其四(卷二○(四)頁一七六五)

故里樊川菊,登高素滻源。他時一笑(一作醉)後,今日幾人存?

巫峽蟠江路,終南對國門。繫舟身萬里,伏枕淚雙痕。

為客裁烏帽,從兒具綠樽。佳辰對(一作帶)群盜,愁更堪(一作誰)論?

 

929        九日五首

九日(一作登高)諸人集於林(卷一七(四)一四八三)

九日明朝是,相要舊俗非。老翁難早出,賢客幸知歸。

舊采黃花賸,新梳白髮微。漫看年少樂,忍淚已沾衣。

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767年-187 孟倉曹步趾領新酒醬二物滿器見遺老夫(卷二○(四)一七五八)注(1203)「楚岸通秋屐」 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9771

767-192 孟倉曹步趾領新酒醬二物滿器見遺老夫(卷二○(四)一七五八)注(1203)

 

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#7 夢遊天姥吟留別

§4-1 元和聖德詩 #13

孟倉曹步趾領新酒醬二物滿器見遺老夫

【字解集】河傳 三首・甘州子五首

合歡詩五首其四 #3

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

746-018-#7卷一七四 夢遊天姥吟留別(卷十五(一)八九八)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9776

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746年【字解集】  14.答從弟幼成過西園見贈  15.酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈  16.張卿夜宿南陵見贈  17.經下邳圮橋懷張子房 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9728

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漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

807年元和二年40歳- 巻一-01§4-1 元和聖德詩 #13 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai頌之韓愈詩集9770

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806年-集23- 韓昌黎集【字解集】送許郢州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9491

・李商隠詩 (1) 136首の75

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韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

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index-9[815年~816年 49歳57

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index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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(孟倉曹が、できたての酒や醤油の二種類を器に満たし、徒歩で携えてきてくれる、できたてのものをおくられるのであるから、楽しみであると詠う。)

君は長江の岸辺から、瀼水の岸辺を下駄履きでやってきて、秋の夕べの床几に腰かけ、畑のほうを眺める。

醸造した、酒や醬油を濾し、搾った新酒は酒かすがきれいに除かれており、担いできた嚢からは醤油がいまにもこぼれおちそうだ。

この醤油なら玄米飯も味わいを増すだろうし、友が来れば酒で泥酔することもあるだろう。

生計のやりくりは、俗事だがどうしても、避けて通れないのだろうか、どうか酒や醤油の作り方を、愚妻に教えてやってはくれまいか。

 

作時年: -0138

  孟倉曹步趾領新酒醬二物滿器見遺老夫

(卷二(四)一七五八)

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全唐詩0 -1203

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1201   夜(卷二○(四)一七五六)注(1201)

岸風威動,寒房燭影微。嶺猿霜外宿,江鳥夜深飛。

獨坐親雄劍,哀歌歎短衣。煙塵繞閶闔,白首壯心違。

 

1202        九月一日過孟十二倉曹十四主簿兄弟(卷二○(四)一七五七)

藜杖侵寒露,蓬門起曙煙。力稀經樹歇,老困撥書眠。

秋覺追隨盡,來因笑友偏。清談見滋味,爾輩可忘年。

 

1203        孟倉曹步趾領新酒醬二物滿器見遺老夫(卷二○(四)一七五八)       767

楚岸通秋屐,胡床面夕畦。籍糟分汁滓,甕醬落提攜。      

飯糲添香味,朋來有醉泥。理生那免俗?方法報山妻。      

                           

1204        送孟十二糙曹赴東京選(卷二○(四)一七五九)

                  君行別老親,此去苦家貧。藻鏡留連客,江山憔悴人。

                  秋風楚竹冷,夜雪鞏梅春。朝夕高堂念,應宜綵服新。

 

1205        憑孟倉曹將書覓土婁舊莊(卷二○(四)一七六○)              767

                  平居喪亂後,不到洛陽岑。為歷雲山間,無辭荊棘深。      

                  北風黃葉下,南浦白頭吟。十載江湖客,茫茫遲暮心。      


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767年-183 暝(卷二○(四)一七五五)注(1199) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9743

767-188 暝(卷二○(四)一七五五)注(1199)

 

 

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夢遊天姥吟留別

元和聖德詩 #9

甘州子五首其二

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杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

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(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

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767-183   暝(卷二○(四)一七五五)注(1199) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9743
(東屯の茅屋で、日の暮れかかった來ること、夜の家の内外の様子を詠う)

太陽が沈んで四方の山は暗くなり、山中の我が家の庭に靄がかかってきた。

牛や羊は険しい山道を人里へと帰り、雀などの小鳥たちは枝の奥に集まって睡る。

部屋が暗いため、枕を直そうとして宝剣に手が当たるし、書物を片付けようとして触った琴から音が出る。

ろうそくの光の中で半ば扉が開いたままでいたから。その扉を閉めようとしたときに、扉の合間から清んだ音を立てる砧をたたくのが見える。

 

767-0 -

  暝(卷二○(四)一七五五)

杜詩詳注卷二○(四)一七五四

全唐詩卷二三○ -11

767年大暦256  () -

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 年:       大曆二年 767年 56

 

曉望

白帝更聲盡,陽臺曙色分。

高峰寒上日,疊嶺宿霾雲。

地坼江帆穩,天清木葉聞。

荊扉對麋鹿,應共爾為群。

1143        曉望(卷二○(四)一七五三)

白帝更聲盡,陽臺曙色分。高峰寒上(一作初上。《杜臆》作上寒)日,疊嶺宿霾(一作未收)雲。

地坼江帆隱,天清木葉聞。荊扉對糜鹿,應共爾為群。

 

  日暮(卷二○(四)一七五四)

牛羊下來久,各已閉柴門。風月自清夜,江山非故園。

石泉流暗壁,草露滴秋根。頭白燈明裏,何須花燼繁。

 

  暝 (卷二○(四)一七五五)

日下四山陰,山庭嵐氣侵。牛羊歸徑險,鳥雀聚枝深。

正枕當星劍,收書動玉琴。半扉開燭影,欲掩見清砧。

 

  晚 (卷二○(四)一七五六)

杖藜尋晚巷,炙背近牆暄。人見幽居僻,吾知拙養尊。

朝廷問府主,耕稼學山村。歸翼飛棲定,寒燈亦閉門。

 

  夜 (卷二○(四)一七五六)

岸風威動,寒房燭影微。嶺猿霜外宿,江鳥夜深飛。

獨坐親雄劍,哀歌歎短衣。煙塵繞閶闔,白首壯心違。

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767年-182 日暮(卷二○(四)一七五四)注(1198) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9736

767-187   日暮(卷二(四)一七五四)注(1198)

 

 

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10年のBLOGの集大成

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

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746-018-#2卷一七四 夢遊天姥吟留別(卷十五(一)八九八)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9671

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746年【字解集】  14.答從弟幼成過西園見贈  15.酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈  16.張卿夜宿南陵見贈  17.經下邳圮橋懷張子房 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9728

孟浩然

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司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

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曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

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漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

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唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

807年元和二年40歳- 巻一-01元和聖德詩 #8 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9742

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806年-集23- 韓昌黎集【字解集】送許郢州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9491

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

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index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

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韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-182 日暮(卷二○(四)一七五四)注(1198) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9736

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

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杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (325)回目顧巻六43甘州子五首其一 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9737 (12/18)

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花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

巻三-20 合歡詩五首其二 #2(磁石招長鍼)〔楊  方〕  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9682

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巻三 【字解集】 14.爲顧彦先贈婦往反四首  18.雜詩一首 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9641

●薛濤の全詩

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●花間集(2

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●花間集(6

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●花間集(9

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Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

九、集-02【字解集】 9.情書(書情寄李子安) 10.閨怨  魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9711

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767-182   日暮(卷二○(四)一七五四)注(1198) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9736

(瀼西の日の暮れを、自分の晩年、現状に比して詠う。)

出征して兵役に就いている夫たちは、詩經にいう牛や羊はだいぶ前に丘から下りてきて集まって、村のそれぞれの家々はもう柴の門を閉じている。

風月は、自然、清々しい夜ではあるが、長江、渓川や山は、私の故郷の家のそれではない。

暗くなった滝は石の壁に流れる音がしている、秋の露が枯れかけた草の根に滴り落ちている。

灯に照らされると私の頭は真っ白にみえるし、長安に帰ることもできないのに、どうしてめでたい兆徴に、何度も灯芯が赤く燃えてはじけているのであろうか。

 

767-0 -

  日暮(卷二(四)一七五四)

杜詩詳注卷二○(四)一七五四

全唐詩卷二三○ -11

767年大暦256  () -

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の杜詩ブログ9736

 

年:       大曆二年 767年 56

 

曉望

白帝更聲盡,陽臺曙色分。

高峰寒上日,疊嶺宿霾雲。

地坼江帆穩,天清木葉聞。

荊扉對麋鹿,應共爾為群。

1143        曉望(卷二○(四)一七五三)

白帝更聲盡,陽臺曙色分。高峰寒上(一作初上。《杜臆》作上寒)日,疊嶺宿霾(一作未收)雲。

地坼江帆隱,天清木葉聞。荊扉對糜鹿,應共爾為群。

 

  日暮(卷二○(四)一七五四)

牛羊下來久,各已閉柴門。風月自清夜,江山非故園。

石泉流暗壁,草露滴秋根。頭白燈明裏,何須花燼繁。

 

  暝 (卷二○(四)一七五五)

日下四山陰,山庭嵐氣侵。牛羊歸徑險,鳥雀聚枝深。

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  晚 (卷二○(四)一七五六)

杖藜尋晚巷,炙背近牆暄。人見幽居僻,吾知拙養尊。

朝廷問府主,耕稼學山村。歸翼飛棲定,寒燈亦閉門。

 

  夜 (卷二○(四)一七五六)

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767年-180 十七夜對月(卷二○(四)一七五三)注(1196) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9722

767-180   十七夜對月(卷二○(四)一七五三)注(1196)

 

 

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杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

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杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

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杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

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杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

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杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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767-180   十七夜對月(卷二○(四)一七五三)注(1196) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9722

十七夜の月を「江村に独り老ゆ」のように、孤独にして寂寥の感が表れ瀼西の茅屋で、私は蜜柑の木に寄り添うている

秋の月がまだ円い今宵、老人となった私はひとり川辺の村にいる。

月は、すだれを巻き上げれば旅人である私をまた照らし、杖をたよりに外に出てもやはり私の後につてくる。

その光は水の中に潜むミズチを照らして目覚めさせ、輝きはねぐらに休む鳥を何度も飛び立たせる。

茅葺きの質素な家に高齊があり、自分は蜜柑や柚子と農業に寄り添うて生きている、そして、ここには、月光に輝く降りたばかりの清らかな白い露はいっそう生きる意欲を強くする。

 

767-177

八月十五夜月二首其一(卷二(四)頁一七五

全唐詩 卷二三〇_59

杜詩詳注卷二○(四)頁一七五○

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漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の杜詩ブログ9701

 

八月十五夜月二首之一

滿目飛明鏡,歸心折大刀。轉蓬行地遠,攀桂仰天高。

水路疑霜雪,林棲見羽毛。此時瞻白兔,直欲數秋毫。

 

八月十五夜月二首之二

稍下巫山峽,猶銜白帝城。氣沈全浦暗,輪仄半樓明。

刁鬥皆催曉,蟾蜍且自傾。張弓倚殘魄,不獨漢家營。

 

十六夜玩月

舊挹金波爽,皆傳玉露秋。關山隨地闊,河漢近人流。

穀口樵歸唱,孤城笛起愁。巴童渾不寢,半夜有行舟。

 

十七夜對月

秋月仍圓夜,江村獨老身。捲簾還照客,倚杖更隨人。

光射潛虯動,明翻宿鳥頻。茅齋依橘柚,清切露華新。

 

東屯月夜

抱疾漂萍老,防邊舊穀屯。春農親異俗,月在衡門。

青女霜楓重,黃牛峽水喧。泥留虎鬥跡,月掛客愁村。

喬木澄稀影,輕雲倚細根。數驚聞雀噪,暫睡想猿蹲。

日轉東方白,風來北斗昏。天寒不成寢,無夢寄歸魂。

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767年-179 十六夜玩月(卷二○(四)一七五二)注(1195) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9715

767-179   十六夜玩月(卷二○(四)一七五二)注(1195)

 

 

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杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

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杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

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杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

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杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

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漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (322)回目顧巻六40河傳 三首其一 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9702 (12/15)

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花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

巻三-19 合歡詩五首其一-#3 (虎嘯谷風起)〔楊  方〕  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9661

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巻三 【字解集】 14.爲顧彦先贈婦往反四首  18.雜詩一首 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9641

●薛濤の全詩

●花間集(1

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●魚玄機全詩

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九、009卷804_9 《情書(書情寄李子安)》 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9690

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767-179   十六夜玩月(卷二○(四)一七五二)注(1195) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9715

(十六夜の月が昇れば、佳い秋を皆が感じ、笛の音で故郷を思い出すけれど、ここの童子は夜も眠らず游し、大人は夜半でも舟を出して漁をしている、できるなら自分も舟を出向させたいと思っていると詠う。)

今日は最も美しいといわれる十六夜であるが、昨晩は、月光は手にすくい取れるかのように明るく輝き、人々は、皆、玉のように白い露の降りる秋になったと値打ちのある月と感じるのである。

月光に照らされて、関所の置かれた険しい山が平地の向こうにどこまでも続くのが見えるし、天の川は明るく光って人の間近を流れていくようだ。

谷の入り口ではきこりが帰ってきて歌を歌い、ぽつんとある夔州の城郭に笛の音が響き渡れば、悲愁の秋、故郷を思うて愁いが起こるのである。

この巴の地の少年は、月明かりを楽しんで全く寝ないで遊んでいるし、大人といえば、夜中にも舟を操って進ませている、何れもこの月が美しくあかるいので喜んでいるのであろう。

 

767-177

八月十五夜月二首其一(卷二(四)頁一七五

全唐詩 卷二三〇_59

杜詩詳注卷二○(四)頁一七五○

767年大暦256  () -

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の杜詩ブログ9701

 

八月十五夜月二首之一

滿目飛明鏡,歸心折大刀。轉蓬行地遠,攀桂仰天高。

水路疑霜雪,林棲見羽毛。此時瞻白兔,直欲數秋毫。

 

八月十五夜月二首之二

稍下巫山峽,猶銜白帝城。氣沈全浦暗,輪仄半樓明。

刁鬥皆催曉,蟾蜍且自傾。張弓倚殘魄,不獨漢家營。

 

十六夜玩月

舊挹金波爽,皆傳玉露秋。關山隨地闊,河漢近人流。

穀口樵歸唱,孤城笛起愁。巴童渾不寢,半夜有行舟。

 

十七夜對月

秋月仍圓夜,江村獨老身。捲簾還照客,倚杖更隨人。

光射潛虯動,明翻宿鳥頻。茅齋依橘柚,清切露華新。

 

東屯月夜

抱疾漂萍老,防邊舊穀屯。春農親異俗,月在衡門。

青女霜楓重,黃牛峽水喧。泥留虎鬥跡,月掛客愁村。

喬木澄稀影,輕雲倚細根。數驚聞雀噪,暫睡想猿蹲。

日轉東方白,風來北斗昏。天寒不成寢,無夢寄歸魂。

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767年-178 八月十五夜月二首其二(卷二○(四)頁一七五一)注(1194) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9708

767-183 八月十五夜月二首其二(卷二○(四)頁一七五一)注(1194)

 

 

20171214

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

746-014-#2 答從弟幼成過西園見贈(卷十九(二)一一一六)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9706

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未編年 s-69擬古,十二首之四(巻二四(二)一三七六) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9420

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

807年元和二年40歳- 巻一-01§2-1 元和聖德詩 #4 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9714

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806年-集23- 韓昌黎集【字解集】送許郢州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9491

・李商隠詩 (1) 136の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-178 八月十五夜月二首其二(卷二○(四)頁一七五一)注(1194) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9708

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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花間集 訳注解説 (321)回目顧【字解集】《虞美人六首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9695 (12/14)

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花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

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巻三-19 合歡詩五首其一-#2(虎嘯谷風起)〔楊  方〕  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9654

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巻三 【字解集】 14.爲顧彦先贈婦往反四首  18.雜詩一首 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9641

●薛濤の全詩

●花間集(1

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●魚玄機全詩

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九、008卷804_8 《酬李學士寄簟》 魚玄機 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9683

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767-178 八月十五夜月二首其二(卷二○(四)頁一七五一)注(1194) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9708

(中秋の名月も西に傾き始めたが白帝城は、月にてらされ、輝いている、唐の軍営も次第に整ってきている。)

月は少しずつ巫山の谷間に落ちていくが、それでも光は高台の白帝城を包む。

夜気が覆いかぶさって奉節、魚復浦地域全体は、谷あいの底であるから、一気に暗く見えなくなるが、月光が斜めに射して白帝城の高楼は、王冠のように、半分はまだ明るい。

夜に打ち鳴らす刁鬥の音が朝が来るのをうながす時、満月で蟾蜍が良く見える月は次第に傾いていく。

有り明けの月のもと、兵士が弓を張るのは、白帝城の軍営だけではなく、東西南北の異民族にたいして、ようやく軍営が整ってきた。

 

767-177

八月十五夜月二首其一
(卷二
(四)頁一七五

全唐詩 卷二三〇_59

杜詩詳注卷二○(四)頁一七五○

767年大暦256 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の杜詩ブログ9708

 

八月十五夜月二首之一

滿目飛明鏡,歸心折大刀。轉蓬行地遠,攀桂仰天高。

水路疑霜雪,林棲見羽毛。此時瞻白兔,直欲數秋毫。

 

八月十五夜月二首之二

稍下巫山峽,猶銜白帝城。氣沈全浦暗,輪仄半樓明。

刁鬥皆催曉,蟾蜍且自傾。張弓倚殘魄,不獨漢家營。

 

十六夜玩月

舊挹金波爽,皆傳玉露秋。關山隨地闊,河漢近人流。

穀口樵歸唱,孤城笛起愁。巴童渾不寢,半夜有行舟。

 

十七夜對月

秋月仍圓夜,江村獨老身。捲簾還照客,倚杖更隨人。

光射潛虯動,明翻宿鳥頻。茅齋依橘柚,清切露華新。

 

東屯月夜

抱疾漂萍老,防邊舊穀屯。春農親異俗,月在衡門。

青女霜楓重,黃牛峽水喧。泥留虎鬥跡,月掛客愁村。

喬木澄稀影,輕雲倚細根。數驚聞雀噪,暫睡想猿蹲。

日轉東方白,風來北斗昏。天寒不成寢,無夢寄歸魂。

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767年-161 復愁十二首 其五(卷二○(四 )頁一七四二)注(1179) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9533

767-161 復愁十二首 其五(卷二○(四 )頁一七四二)注(1179)

 

 

20171127

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

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746-007卷一七六 送范山人歸太山(卷十七(二)一○四五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9545

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

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806年元和元年39歳- 先生-巻15-02答竇秀才書 -#1 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9567

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806年-集23- 韓昌黎集【字解集】送許郢州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9491

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韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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韓愈 哲学・儒学「五原」

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

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767年-161 復愁十二首 其五(卷二○(四 )頁一七四二)注(1179) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9533

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

杜甫詩(1)736~751年  53

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杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

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杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

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花間集 訳注解説 (304)回目和凝巻六29採桑子一首 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9555 (11/27)

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花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

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玉-巻三-12 樂府三首其二 前緩聲歌-#2(遊仙聚靈族) 〔陸  機〕 Ⅴ漢文委員会 kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9535

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玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

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八、2.99 薛濤 《梅 》薛濤最終回 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9571

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767-161 復愁十二首 其五(卷二○(四 )頁一七四二)注(1179) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9533

9月、吐蕃は5万の軍で、霊武を包囲、長安では、吐蕃の入寇ということで、戒厳令が布されたので、十二作の中に全方位的に思いを述べる。その四は、故郷、都に帰っても、倚るべき家がない事をうれえて詠う)

鏃には金糸を鏤め、旗竿には獣の黒い尻尾の毛を飾っているように反乱軍はこのように意気揚々だ。

ひとたび戦塵が巻き起こってから、今に至るまで、どれほどこの戦乱に苦しめられたことか、人生の道のりの苦しさを嘆くばかりだ。

 

767-0157 -

復愁十二首其三(卷二(四 )頁一七四一)

杜詩詳注巻2015

全唐詩巻二三十

767年大暦256  (157) -

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の杜詩ブログ9505

 

複愁十二首(杜甫 唐詩)

  其一

  人煙生處僻,虎蹟過新蹄。

  野鶻翻窺草,村船逆上溪。

  其二

  釣艇收緡盡,昏鴉接翅歸。

  月生初學扇,雲細不成衣。

  其三

  萬國尚防寇,故園今若何。

  昔歸相識少,早已戰場多。

  其四

  身覺省郎在,家須農事歸。

  年深荒草徑,老恐失柴扉。

  其五

  金絲鏤箭鏃,皂尾制旗竿。

  一自風塵起,猶嗟行路難。

  其六

  胡虜何曾盛,幹戈不肯休。

  閭閻聽小子,談話覓封侯。

  其七

  貞觀銅牙弩,開元錦獸張。

  花門小前好,此物棄沙場。

  其八

  今日翔麟馬,先宜駕鼓車。

  無勞問河北,諸將覺榮華。

  其九

  任轉江淮粟,休添苑囿兵。

  由來貔虎士,不滿鳳凰城。

  其十

  江上亦秋色,火雲終不移。

  巫山猶錦樹,南國且黄鸝。

  其十一

  每恨陶彭澤,無錢對菊花。

  如今九日至,自覺酒須

  其十二

  病減詩仍拙,吟多意有

  莫看江總老,猶被賞時魚。


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767年-155 反照(卷二○(四)一七三八)注(1172) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9491

767-155 反照(卷二○(四)一七三八)注(1172)

 

 

20171121

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

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746-004 -#2卷一七四 別魯頌(卷十五(一)八九六)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9517

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未編年 s-69擬古,十二首之四(巻二四(二)一三七六) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9420

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李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

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・李商隠詩 (2) 135首の61

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index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

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index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

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index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

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韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

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767年-155 反照(卷二○(四)一七三八)注(1172) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9491

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

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杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

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杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

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 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

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杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

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767-155 反照(卷二○(四)一七三八)注(1172) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9491

(日が傾けば峡谷の谷の奥まったところまで、日が差し込み、異なった趣を述べ詠う。)

夕日の光を浴びて巫峡が、全く違った趣を開くのであるが、寒空の下、樹木の根元まで半ばははっきりと見えるが、あるいは半ばは暗くて見えない。

魚復浦は谷底の低い所にあるので暗く、白塩山は残照の中に孤峰をくっきりと聳えさせている。

荻が風になびく岸辺は、秋の川が流れるように見え、松門峡は絵に描いたように美しい。

牛や羊は飼い主の憧僕を忘れず、夕方になると呼び声に応えて集まってくる。

 

767-0155 -

反照(卷二(四)一七三八)

杜詩詳注巻2012

全唐詩卷二三○ -

767年大暦256  (155) -

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767年-23 #7杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 #7》 杜甫詩index-15-1149 <1599> 767年大暦2年56歲-23 #7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7392 

觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。
先帝の陵金粟堆の南には木がひとかかえにも生長し、ここの瞿唐峽の石城で草の葉わたる風がさびしく吹いている。りっぱな美しいさか筵に竹管楽器が急に奏せられて舞曲は終わり、楽しみのはてには哀れさが生じて月が東の方からあらわれでた。この老翁はこのさきどこへ往ってよいのやらわからず、前途茫茫で荒れたる山に足に豆を作ってまで、足をびきずりながらいよいよ心配と疾病との深みへおちてゆくばかりである。

杜少陵集20-99-本文 -4

觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文 -4

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杜詩index-15

767年大暦25623#4

1149 <1599

 

 

 
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杜甫詩1500-1149-1599/2500     767年大暦256-23 #7

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘舞西河劍器,自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

作地點:              目前尚無資料

及地點:              臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)    

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

交遊人物/地點:李十二娘   詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

-大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾
その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

并序

頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

 

-    并序⑶

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

昔者人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、

是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。

公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

本文 #1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。』

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

本文#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。

自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。

本文#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

先帝である玄宗のおそばにかしずいた妓女は八千人もあったがそのうちで公孫大娘の剣器の舞はもとより第一位であった。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

あのころから五十年というものは手のひらをかえす如く容易にかわってしまって、兵馬の塵がもやくやとおこって王室を昏くおおったのであった。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

特に、安史の乱で、梨園の弟子たちも煙のように全土に散りぢりになり、わずかに妓女隊の片割れの姿がここに、冬の日に映ろうて浮かびあがったのである。

本文#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

先帝の陵金粟堆の南には木がひとかかえにも生長し、ここの瞿唐峽の石城で草の葉わたる風がさびしく吹いている。

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

りっぱな美しいさか筵に竹管楽器が急に奏せられて舞曲は終わり、楽しみのはてには哀れさが生じて月が東の方からあらわれでた。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。

この老翁はこのさきどこへ往ってよいのやらわからず、前途茫茫で荒れたる山に足に豆を作ってまで、足をびきずりながらいよいよ心配と疾病との深みへおちてゆくばかりである。

本文#1

昔 佳人の公孫氏有り,一つに舞劍すれば四方を氣動す。

觀者 山の如く色沮喪す,天地 之が為に 久しく低昂す。

燿として 羿が九日を射て落すが如く,矯として 群帝が龍を驂にして翔るが如し。

來るときは雷霆の震怒を收むるが如く,罷むときは江海の清光を凝らすが如し。

本文#2

絳唇 珠袖 兩つながら寂寞,況や弟子の芬芳を傳うる有り。

臨潁の美人 白帝に在り,妙に 此の曲を舞うて 神 揚揚たり。

餘と問答するに 既に以【ゆえ】有り,時に感じ 事を撫して增ます惋傷す。

#3

先帝の侍女 八千人、公孫の剣器 初めより第一。

五十年間 掌を反すに似て、風塵は傾動として王室に昏し。

梨園の子弟 散ずること煙の如く、女楽(歌妓)の余姿 寒日に映ず。

#4

金粟堆(玄宗の御陵の名)の南 木己に拱きく、笹唐の石城(白帝城) 草蕭瑟たり。

玳筵(豪華な宴席) 急管(せわしげな笛の音) 曲復た終り、楽しみ極まりて哀しみ来たり 月は東に出づ。

老夫は其の往く所を知らず、足は荒山に繭して(足にたこができて)転た愁疾たり。

大明宮 作図011 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行』現代語訳と訳註解説
(
本文)

本文#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。

(下し文)
本文#4

金粟堆(玄宗の御陵の名)の南 木己に拱きく、笹唐の石城(白帝城) 草蕭瑟たり。

玳筵(豪華な宴席) 急管(せわしげな笛の音) 曲復た終り、楽しみ極まりて哀しみ来たり 月は東に出づ。

老夫は其の往く所を知らず、足は荒山に繭して(足にたこができて)転た愁疾たり。


(現代語訳)
本文#4

先帝の陵金粟堆の南には木がひとかかえにも生長し、ここの瞿唐峽の石城で草の葉わたる風がさびしく吹いている。

りっぱな美しいさか筵に竹管楽器が急に奏せられて舞曲は終わり、楽しみのはてには哀れさが生じて月が東の方からあらわれでた。

この老翁はこのさきどこへ往ってよいのやらわからず、前途茫茫で荒れたる山に足に豆を作ってまで、足をびきずりながらいよいよ心配と疾病との深みへおちてゆくばかりである。


(訳注)

本文#4

觀公孫大娘弟子舞劍器行

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

 

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

先帝の陵金粟堆の南には木がひとかかえにも生長し、ここの瞿唐峽の石城で草の葉わたる風がさびしく吹いている。

62 金粟堆 山の名、玄宗の泰陵の所在地。奉先県の東北二十里にある、玄宗の泰陵の在る所である、玄宗が嘗て睿宗の橋陵(奉先県にある)に至り金粟山岡の竜盤虎鋸の勢いのあるのを見て、侍臣にむかっていうのに、吾、千秋万歳の後ここに葬られんと、崩ずるに及んで群臣は先旨にしたがって帝をここに葬った。広徳元年三月のことである。《1370韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖》「君不見金粟堆前松柏裏,龍媒去盡鳥呼風。」(君見ずや 金粟【きんぞく】堆前【たいぜん】松柏の裏【うち】に,龍媒【りょうばい】去り盡くして鳥 風を呼ぶを。)“それで、諸君みたことがないだろう、先帝の御陵金粟堆の前にある松柏のうち側には、いまは竜媒の天馬は皆いなくなって、いたずらに鳥がかなしく風に向かって呼び合っているばかりである。”とある。

63 木已拱 拱はひとかかえ、成長したこと、すなわち年数のたったことをいう。

64 瞿唐石城 瞿唐峽のあるところの石地の城、夔州の城をさす。

 

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

りっぱな美しいさか筵に竹管楽器が急に奏せられて舞曲は終わり、楽しみのはてには哀れさが生じて月が東の方からあらわれでた。

65 玳筵 うつくしいさかむしろ、垂州別窯元持の宅の席をいう。作者がこの李娘の歌を聞いたことはすでに作者の「秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻」詩の杜甫自注「都督柏中丞筵。聞梨園弟子李仙奴歌」(都督柏中丞が筵にて。梨園の弟子李仙奴の歌を聞く)と記していて、それに関して同詩の本文に、

秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻

 

高宴諸侯禮,佳人上客前。

哀箏傷老大,華屋豔神仙。

開元曲,常時弟子傳。

法歌聲變轉,滿座涕潺湲。

高宴諸侯の禮,佳人上客の前。

哀箏老大を傷ましむ,華屋 神仙 豔なり。

 開元の曲,常時 弟子傳う。

法歌 聲 變轉,滿座 涕 潺湲たり。

とあるのによって知られる。今回はまた李の舞を観たのである。あわせて当時のさまを想見するに足りる。

66 急管 急に吹く竹管楽器。

 

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。

この老翁はこのさきどこへ往ってよいのやらわからず、前途茫茫で荒れたる山に足に豆を作ってまで、足をびきずりながらいよいよ心配と疾病との深みへおちてゆくばかりである。

67 老夫 杜甫自己をさす。

68 不知其所往 共は自己をさす、所往とは将来帰往すべき処である。この句は自己の前途につきひろくみわたして言った語である。

69 足繭 足には蚕のまゆのような豆ができる。道路に奔走することをいう。蘇秦が足に繭を重ねて日に百(百里)にして合ったことが「戦国策」に見える。

70 転愁疾 仇注に“足繭して行くこと遅きに、反って太だ疾きを愁うるは、去らんとするに臨みて、其の去るに忍びざるなり”といっているのは、疾を「とし」、「はやし」と訓じ、自己平日の緩行もこの場をたち去ろうとするときばかりははやすぎるように感ずると解いたのである。沈徳潜はその説を襲っている。これによれば「某所往」には仇氏は注していないが「其」を李に属させてみたのかもしれぬ。仇氏の説には服することができぬ。愁疾とは衰疾などの如く愁と疾との二事をならべた句とみるがよい、「愁え且つ疾む」ことをいうのである。

長安城図 作図00 

 

 


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觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。
先帝である玄宗のおそばにかしずいた妓女は八千人もあったがそのうちで公孫大娘の剣器の舞はもとより第一位であった。あのころから五十年というものは手のひらをかえす如く容易にかわってしまって、兵馬の塵がもやくやとおこって王室を昏くおおったのであった。特に、安史の乱で、梨園の弟子たちも煙のように全土に散りぢりになり、わずかに妓女隊の片割れの姿がここに、冬の日に映ろうて浮かびあがったのである。

杜少陵集20-99-本文 -3

觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文 -3

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杜詩index-15

767年大暦25623#3

1148 <1598

 

 
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 杜甫詩1500-1148-1598/2500   767年大暦256-23 #6

楊玉環(楊貴妃)、彼女は以千年後百年にもわたって絶世の美人として、また「女禍」として史上有名になった。しかし、人は往々この女性が天才的な舞踊家、音楽芸術家であったことを軽視する。彼女は多方面の芸術的才能を持っており、特に舞踊に長じ、「霓裳羽衣舞」の類いまれな踊り手として、千古の後までその名が伝えられている。彼女はまた胡旋舞等の舞いも踊ることができた。同時にまた音律にも長じ、多種多様な楽器にもよく通じていた。特に撃磐(石製の打楽器の演奏)が最も得意であり、その音声は冷たく清らかであり、またオリジナリティに富んでいて、宮廷の名楽師でも及ばなかった。また琵琶もたいへんL手で、梨園で演奏した時、音色は張りつめ澄みきって、雲外にただよう如くであった。それで、親王、公主、貴婦人たちは争って彼女の琵琶の弟子になろうとした。笛豊た上手であった。ある華、彼女は玄宗の兄賢の玉笛をこっそり借りて吹いたため、玄宗皇帝の不興をかった。しかし、風流文士たちは「梨花の静院に人の見ゆる無く、閑ろに寧王の玉笛を把りて吹く」(『楊太真外伝』に引く張詰の詩句)などといって、きわめで風流なことと褒めそやした。

 

楊貴妃の侍女張雲容も「霓裳羽衣舞」が上手だったので、楊貴妃は詩をつくって彼女の舞姿を誉めそやした。「羅袖 香を動かし 香己まず、紅蕖は嫋嫋 秋煙の裏。軽き雲は嶺上にて乍ち風に揺らぎ、嫩き柳は池塘にて初めて水を払う」(楊貴妃「阿那曲」)。

これと同じ時期、新豊(陝西省臨潼)の女俳優謝阿蛮は凌波曲を上手に踊った。常時、宮廷に出入りし、玄宗と楊貴妃からたいへん愛された。ある時、彼女が舞い、玄宗と楊貴妃が親しく自ら伴奏した。楊貴妃は特別に金を散りばめた腕輪を褒美として贈った(『楊太真外伝』、『明皇雑録』補遺)。

当時、公孫大娘の「剣器の舞」も非常に有名で、その演舞は雄壮で人々の魂まで揺り動かした。

杜甫は次のように詠っている。

 

杜甫《2099觀公孫大娘弟子舞劍器行767年大曆二年56

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

爀如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。

絳脣朱袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

與余問答既有以,感時撫事增惋傷。

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲復終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。

【爀は火+霍であるが字書にないため代用する】

 

公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行杜甫

昔 佳人の公孫氏有り、一たび剣幕を舞えば四方を動かす。

観る者は山の如くして色は沮喪し、天地も之が為に久しく低昂す。

爀として羿(伝説の弓の名人)の九日(九つの太陽)を射て落すが如く、矯として群帝(五帝)の龍を驂(二頭だての車)として翔るが如し。

来たるは雷霆の震怒を収むるが如く、罷むるは江海の清光を凝らすが如し。

緯唇 珠袖 両つながら寂寞、晩(晩年)に弟子有り、芬芳を伝う。

臨頴の美人(李十二娘)、はく帝に在り、妙みに此の曲を舞いて神揚揚たり。

余と問答す 既に以有り、時に感じ事を撫して惋傷を増す。

先帝の侍女 八千人、公孫の剣器 初めより第一。

五十年間 掌を反すに似て、風塵は傾動として王室に昏し。

梨園の子弟 散ずること煙の如く、女楽(歌妓)の余姿 寒日に映ず。

金粟堆(玄宗の御陵の名)の南 木己に拱きく、笹唐の石城(白帝城) 草蕭瑟たり。

玳筵(豪華な宴席) 急管(せわしげな笛の音) 曲復た終り、楽しみ極まりて哀しみ来たり 月は東に出づ。

老夫は其の往く所を知らず、足は荒山に繭して(足にたこができて)転た愁疾たり。

 

杜甫詩1500-1147-1597/2500

年:767年大暦256-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

作地點:              目前尚無資料

及地點:              臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)    

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

交遊人物/地點:李十二娘   詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

-大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾
その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

并序

頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

 

-    并序⑶

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

昔者人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、

是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。

公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

本文 #1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。』

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

本文#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。

自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。

本文#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

先帝である玄宗のおそばにかしずいた妓女は八千人もあったがそのうちで公孫大娘の剣器の舞はもとより第一位であった。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

あのころから五十年というものは手のひらをかえす如く容易にかわってしまって、兵馬の塵がもやくやとおこって王室を昏くおおったのであった。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

特に、安史の乱で、梨園の弟子たちも煙のように全土に散りぢりになり、わずかに妓女隊の片割れの姿がここに、冬の日に映ろうて浮かびあがったのである。

本文#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。』

本文#1

昔 佳人の公孫氏有り,一つに舞劍すれば四方を氣動す。

觀者 山の如く色沮喪す,天地 之が為に 久しく低昂す。

燿として 羿が九日を射て落すが如く,矯として 群帝が龍を驂にして翔るが如し。

來るときは雷霆の震怒を收むるが如く,罷むときは江海の清光を凝らすが如し。

本文#2

絳唇 珠袖 兩つながら寂寞,況や弟子の芬芳を傳うる有り。

臨潁の美人 白帝に在り,妙に 此の曲を舞うて 神 揚揚たり。

餘と問答するに 既に以【ゆえ】有り,時に感じ 事を撫して增ます惋傷す。

#3

先帝の侍女 八千人、公孫の剣器 初めより第一。

五十年間 掌を反すに似て、風塵は傾動として王室に昏し。

梨園の子弟 散ずること煙の如く、女楽(歌妓)の余姿 寒日に映ず。

#4

金粟堆(玄宗の御陵の名)の南 木己に拱きく、笹唐の石城(白帝城) 草蕭瑟たり。

玳筵(豪華な宴席) 急管(せわしげな笛の音) 曲復た終り、楽しみ極まりて哀しみ来たり 月は東に出づ。

老夫は其の往く所を知らず、足は荒山に繭して(足にたこができて)転た愁疾たり。

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『觀公孫大娘弟子舞劍器行』現代語訳と訳註解説
(
本文)

本文#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

(下し文)
本文#3

先帝の侍女 八千人、公孫の剣器 初めより第一。

五十年間 掌を反すに似て、風塵は傾動として王室に昏し。

梨園の子弟 散ずること煙の如く、女楽(歌妓)の余姿 寒日に映ず。

(現代語訳)
本文#3

先帝である玄宗のおそばにかしずいた妓女は八千人もあったがそのうちで公孫大娘の剣器の舞はもとより第一位であった。

あのころから五十年というものは手のひらをかえす如く容易にかわってしまって、兵馬の塵がもやくやとおこって王室を昏くおおったのであった。

特に、安史の乱で、梨園の弟子たちも煙のように全土に散りぢりになり、わずかに妓女隊の片割れの姿がここに、冬の日に映ろうて浮かびあがったのである。


(訳注) 本文#3

觀公孫大娘弟子舞劍器行

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

 

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

先帝である玄宗のおそばにかしずいた妓女は八千人もあったがそのうちで公孫大娘の剣器の舞はもとより第一位であった。

53 先帝 玄宗。

54 侍女 宮女・妓優たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。元々官女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になった。玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、興慶宮、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。

 

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

あのころから五十年というものは手のひらをかえす如く容易にかわってしまって、兵馬の塵がもやくやとおこって王室を昏くおおったのであった。

55 五十年間 幷序に述べているように、開元三載より大暦二年までは五十三年であるが大略のところで五十という。

56 反掌 容易に変化したことをいう。

57 傾動/澒洞 もやくやとしたさま。

 

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

特に、安史の乱で、梨園の弟子たちも煙のように全土に散りぢりになり、わずかに妓女隊の片割れの姿がここに、冬の日に映ろうて浮かびあがったのである。

58 梨園/宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

59 女楽 女子の楽隊、妓女の群をさす。楽戸 楽籍という賤民身分の戸籍に属し、宮中の官妓、在野の楽人などが登録されていた。

散楽と劇  散楽は、「百戯」とも呼ばれる民間で行われる様々な娯楽のための技芸の総称である。次第に西域の技芸が取り入れられるようになり、盛唐では、宮廷でも左右教坊によって管轄された。散楽は、民間の音楽や角觝など武術、芝居も含まれるが、主流は曲芸や幻術(手品)、であった。内容は、竿木、縄伎(戯縄ともいう)、舞馬(象で行うこともある)、跳丸、弄剣、筋斗(とんぼ)、球伎、馬伎、呑刀、吐火、舞剣、植瓜、種棗、盤舞、杯盤舞などがあった。

60 余姿 のこっているすがた。

61 寒日 冬の太陽の光。

興慶宮00 

 


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杜甫  觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。』
この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。

杜少陵集20-99-本文 -2

觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文 -2

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杜詩index-15

767年大暦25623#2

1147 <1597

 

 

 
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杜甫詩1500-1147-1597/2500

年:767年大暦256-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

作地點:              目前尚無資料

及地點:              臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)    

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

交遊人物/地點:李十二娘   詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

-大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾
その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

并序

頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

 

-    并序⑶

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

昔者人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、

是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。

公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

本文 #1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。』

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

本文#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。

自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。

本文#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。』

本文#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。』

本文#1

昔 佳人の公孫氏有り,一つに舞劍すれば四方を氣動す。

觀者 山の如く色沮喪す,天地 之が為に 久しく低昂す。

燿として 羿が九日を射て落すが如く,矯として 群帝が龍を驂にして翔るが如し。

來るときは雷霆の震怒を收むるが如く,罷むときは江海の清光を凝らすが如し。

本文#2

絳唇 珠袖 兩つながら寂寞,況や弟子の芬芳を傳うる有り。

臨潁の美人 白帝に在り,妙に 此の曲を舞うて 神 揚揚たり。

餘と問答するに 既に以【ゆえ】有り,時に感じ 事を撫して增ます惋傷す。

長安城図 作図00 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行』現代語訳と訳註解説
(
本文)

本文#2

絳唇 珠袖 兩つながら寂寞,況や弟子の芬芳を傳うる有り。

臨潁の美人 白帝に在り,妙に 此の曲を舞うて 神 揚揚たり。

餘と問答するに 既に以【ゆえ】有り,時に感じ 事を撫して增ます惋傷す。

(下し文)
本文#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。』

(現代語訳)
本文#2

この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。

それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。

自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。


(訳注) 本文#2

觀公孫大娘弟子舞劍器行

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

 

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。

41 絳唇珠袖 あかいくちびる。珠をかざったそで。唇は容貌についていい、袖は舞態についていう。「明皇雑録」の語を借りていえば絃唇は「折」をいい、珠袖は「妙」をいったものである。

42 兩寂寞 両とは唇袖の二つをさす。寂寞は死去した後をいう。

43 況/晩 いわんや/ 公孫大娘の晩年をいう。

44 弟子 李十二娘。

45 傳芬芳 かおりをつたえる。余風をつたえたこと。

 

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。

46 臨穎美人 李十二娘。

47 白帝 白帝城。

48 此曲 剣器の曲をさす。

49 揚揚 得意のさま。

 

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。

自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。

50 問答 序文に見える師弟の関係についての問答。

51 有以 以は所以、故に同じ。

52 椀傷 おしみいたむ。

興慶宮00 

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767年-23 #4杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 #4》 杜甫詩index-15-1146 <1596> 767年大暦2年56歲-23 #4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7377 

觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文 #1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。
むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

杜少陵集20-99-本文 -1

觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文 -1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7377 

杜詩index-15

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1146 <1596

 

 
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杜甫詩1500-1146-1596/2500 

年:767年大暦256-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

作地點:              目前尚無資料

及地點:              臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)    

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

交遊人物/地點:李十二娘   詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

-大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾
その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

并序

頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

 

-    并序⑶

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

昔者人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、

是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。

公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

本文 #1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。』

#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。』

#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。』

本文#1

昔 佳人の公孫氏有り,一つに舞劍すれば四方を氣動す。

觀者 山の如く色沮喪す,天地 之が為に 久しく低昂す。

燿として 羿が九日を射て落すが如く,矯として 群帝が龍を驂にして翔るが如し。

來るときは雷霆の震怒を收むるが如く,罷むときは江海の清光を凝らすが如し。

大明宮 作図011 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行』現代語訳と訳註解説
(
本文)

本文#1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。』

(下し文)
#1

昔 佳人の公孫氏有り,一つに舞劍すれば四方を氣動す。

觀者 山の如く色沮喪す,天地 之が為に 久しく低昂す。

燿として 羿が九日を射て落すが如く,矯として 群帝が龍を驂にして翔るが如し。

來るときは雷霆の震怒を收むるが如く,罷むときは江海の清光を凝らすが如し。

(現代語訳)
本文#1

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。


(訳注)

本文#1

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 本文#1

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。
 

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

 

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

31 如山 観客が山ほどたくさんいることをいう。

32 色沮喪 圧倒され、気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまう様子を言う。

33 天地為之 剣舞の動きの速い剣を見ることで、気が動転し、圧倒された状況の表現で、実際に見たことのある人はよくわかる天地が上下転倒したように迫力あるものである。

34 久低昂 天地が上下転倒したよ鵜であり、その興奮状態が踊り終わってもしばらく続くことを言う。

 

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

35 燿 かがやくさまをいう。

36 羿射九日落 《淮南子》卷八「堯時十日並出,草木焦枯,堯命羿仰射十日,中其九日,日中九烏皆死,墮其羽翼,故留其一日也。」 (堯の時、十日並び出づ,草木焦枯し,堯 羿をして仰へ十日射て,其の九日中【あ】てしむ,日中の九烏 皆死し,其の羽翼を墮す,故に留るは其の一日なり。

37 矯 あがること。

38 如群帝驂龍翔 群帝は天上の群仙、驂は添え馬にすること。夏侯玄の賦に「又如東方羣帝」夏候𤣥賦「又如東方羣帝兮、騰龍駕而翺翔、來如雷霆」(又東方の羣帝、龍駕を騰あげて翺翔するが如し、來りて雷霆の如し)とみえる。

 

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

39 雷霆收震怒 雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめる。

40 江海凝清光 海水が鏡面の如くしずかなさま。

 


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767年-23幷序⑶ 杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 幷序⑶》 杜甫詩index-15-1145 <1595> 767年大暦2年56歲-23幷序⑶

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

撫事慷慨,聊為劍器行。昔者人張旭善草書書帖,

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!
むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

杜少陵集20-99-序⑶

觀公孫大娘弟子舞劍器行  并序 -

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杜詩index-15

767年大暦25623序⑶

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年:767年大暦256-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

作地點:              目前尚無資料

及地點:              臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)     

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘   

交遊人物/地點:李十二娘   詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

-大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾
その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

-         

頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

 

-   

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

昔者人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、

是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。

公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

 

大明宮 作図011 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行并序』⑶ 現代語訳と訳註解説
(
本文)

-         

撫事慷慨,聊為劍器行。

昔者人張旭善草書書帖,

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

(下し文)
-

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

(現代語訳)
-         

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

-   
(訳注)

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

 

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

24 撫事 往事にそうてかんがえる。

 

昔者人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

25 張旭  旭は中国・唐代中期の書家。字は伯高。呉郡出身。官は左率府の長史になったことから張長史とも呼ばれた。 草書を極めるとともに、従来規範とされて来た王羲之と王献之、いわゆる「二王」の書風に真正面から異を唱え、書道界に改革の旋風を巻き起こすきっかけとなった。張旭のことは《巻二01飲中八仙歌》「張旭三杯草聖傳,帽露頂王公前,揮毫落紙如雲煙。」“張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。”その他にみえる。韓愈《読巻四18送高閑上人序》(高閑上人を送るの序)に、「往時張旭善草書,不治他伎,喜怒、窘窮、憂悲、愉佚、怨恨、思慕、酣醉、無聊不平,有動於心,必於草書焉發之。觀於物,見山水、崖穀、鳥獸、蟲魚、草木之花實、日月、列星、風雨、水火、雷霆、霹靂、歌舞、戰鬥,天地事物之變,可喜可愕,一寓於書。故旭之書,變動猶鬼神,不可端倪,以此終其身,而名後世。」(往時、張旭 草書を善くして他伎を治めず。喜怒窘窮、憂悲愉佚、怨恨思慕、酣醉無聊不平、心に動く有れば、必ず草書に於いて之を発す。物に観ては、山水崖谷、鳥獣虫魚、草木の花実、日月列星、風雨水火、雷霆霹靂、歌舞戦闘、天地事物の変、喜ぶべく愕くべきを見て、一して書に寓す。 故に旭の書、変動 猶ほ鬼神の端倪すべからざるがごとし。此を以て、其の身を終ふれども後世に名あり。)といっているのも張旭の書風をうかがうことができよう。

 

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

26 鄴縣 河南省彰徳府臨渾県。

27 西河剣器 西河剣器も舞の名である。「明皇雑録」にいう、上(玄宗)素音律を暁る、安禄山、白玉の寮管数百事を献ず、梨園に陳す、是より音響人間に類せず、諸公主及び我国以下競いて貴妃が弟子となる。授曲の終りごとに皆広く進奉あり。時に公孫大娘、能く隣里曲及び装将軍・満堂勢・西河剣器・渾脱の舞を為す、折妙皆時に冠絶す、と。

 

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

28 長進 わざすぐれすすむ。

29 豪蕩感激 書風をいう。

30 即公孫可知夫 知るべしとはその技の神妙なることの推して知るべきことをいう。

長安城図 作図00 

韓愈 

送高閑上人序

苟可以寓其巧智,使機應於心,不挫於氣,則神完而守固,雖外物至,不膠於心。堯舜禹湯治天下,養叔治射,庖丁治牛,師曠治音聲,扁鵲治病,僚之於丸,秋之於奕,伯倫之於酒,樂之終身不厭,奚暇外慕?夫外慕徙業者,皆不造其堂,不嚌其胾者也。

往時張旭善草書,不治他伎,喜怒、窘窮、憂悲、愉佚、怨恨、思慕、酣醉、無聊不平,有動於心,必於草書焉發之。觀於物,見山水、崖穀、鳥獸、蟲魚、草木之花實、日月、列星、風雨、水火、雷霆、霹靂、歌舞、戰鬥,天地事物之變,可喜可愕,一寓於書。故旭之書,變動猶鬼神,不可端倪,以此終其身,而名後世。今閑之於草書,有旭之心哉?不得其心,而逐其跡,未見其能旭也。為旭有道,利害必明,無遺錙銖,情炎於中,利欲鬥進,有得有喪,勃然不釋,然後一決於書,而後旭可幾也。今閑師浮屠氏,一死生,解外膠。是其為心,必泊然無所起;其於世,必淡然無所嗜。泊與淡相遭,墮委靡,潰敗不可收拾。則其於書,得無象之,然乎?

然吾聞浮屠人善幻,多技能,閑如通其術,則吾不能知矣。

(高閑上人を送る序)

苟くも以て其の巧智を寓し、機をして心に応じて気に挫けざらしむべければ、則ち神 完(まった)くして守ること固し。外物 至ると雖(いへど)も、其の心に膠せず。

堯・舜・禹・湯の天下を治むる、養叔の射を治むる、包丁の牛を治むる、師曠の音声を治むる、扁鵲の病を治むる、僚の丸に於ける、秋の奕に於ける、伯倫の酒に於ける、之(これ)を楽しみて終身 厭(いと)わず、奚(なん)ぞ外慕するに暇(いとま)あらん。 夫れ、外慕して業を徒(うつ)すは、皆 其の堂に造(いた)らず、其の胾を食らわざる者なり。

往時、張旭 草書を善くして他伎を治めず。喜怒窘窮、憂悲愉佚、怨恨思慕、酣醉無聊不平、心に動く有れば、必ず草書に於いて之を発す。

物に観ては、山水崖谷、鳥獣虫魚、草木の花実、日月列星、風雨水火、雷霆霹靂、歌舞戦闘、天地事物の変、喜ぶべく愕くべきを見て、一して書に寓す。 故に旭の書、変動 猶(な)ほ鬼神の端倪すべからざるがごとし。此(ここ)を以て、其の身を終ふれども後世に名あり。

今、閑の草書に於けるや、旭の心有るか。其の心を得ずして、其の跡を逐(お)はば、未だ其の能く旭を見ず。

旭と為るに道有り。利害必ず明らかにし、錨銖を遺す無く、情中に炎(も)え、利欲 闘い進み、得る有り、喪う有り、勃然として釈けず。然(しか)して後、一して書に決す。而(しか)して後、旭は畿すべきなり。

今、閑は浮屠氏を師とす。生死を一にし、外膠を解く。是れ、其の心為るや、必ず泊然と起(た)つ所 無からん。其の世に於いてや必ず淡然と嗜(たしな)む所無からん。 泊と淡、相遭(あ)へば、頽堕委靡、潰敗、収拾すべからず。則ち其れ書に於いて之に象(に)て然(しか)る無きを得んや。

然れど吾れ聞く、浮屠の人、幻を善くし、技能 多し。閑 如(も)し其の術に通ずれば、則ち吾れは知る能はず。

(現代語訳)

もし、すぐれた英知を表現し、精神の機能を心の思うままにできて、気分によって挫けないようにできたならば、精神は完成して、信念を固く持てるようになる。そうなれば外界の物が目に入っても、心にまとわりつかなくなるのである。

 

堯・舜・夏の禹王・殷の湯王が天下を治める場合、養叔が弓矢を射る場合、包丁が牛をさばく場合、師曠が音楽を演奏する場合、扁鵲が病を治療する場合、熊宜僚が球技をする場合、弈秋が碁を打つ場合、伯倫が酒を飲む場合、それぞれ自分のしていることを楽しんで、一生いやになることはなかった。どうして他のことに心をひかれる余地があったろうか。そもそも、他のことにあれこれ心をひかれて仕事や趣味をふらふら変えるような者は、たいした成果を得ることができない。屋敷の門をくぐっても家の中にまでは入らず、スープを飲んでも具の肉までは食べないようなものである。

 

昔、張旭は草書を得意として他の技術は習得しなかった。喜びや怒り、困りごと、憂いや悲しみ、楽しいこと、怨みごと、恋しいこと、酒に酔った心地、退屈な気分、不平に思うことなど、心に動くことがあれば、必ず草書に表現した。

 

物を観察する場合も、山や川、崖や谷、鳥や獣、虫や魚、草木の花実、太陽や月や星々、風や雨、水や火、稲光や雷鳴、歌や踊りや戦闘、天地の事物の変化など、喜ぶべきことや驚くべきことを見ては、その全てを書に表現した。 そのため張旭の書の筆の動きは、霊魂や神々と同様に、予測がつかないのである。このため張旭はその身は死んでも後世に名に名を残すようになったのである。

 

ひるがえって、高閑の草書に張旭のような心があるだろうか。その心なしに、ただ筆跡だけをなぞっても、張旭の境地には達しえないだろう。

 

張旭のようになるには方法がある。自分にとっての利害を必ずはっきりさせ、少しも不明な部分を残さず、感情が心の中で燃えさかり、欲望がわいて増進し、得ることにつけ、失うことにつけ、心が高ぶってほぐれることがない、そのような状態となって、その全てを書に結実させる。そのようにしてはじめて張旭の境地は期待できるのである。

 

ところが高閑は仏陀を師と仰いでいる。生と死を一つと見なし、外界へのこだわりをなくしている。その心はさっぱりしていて昂ぶることがないだろうし、世の中に生きていてもきっとあっさりしていて楽しむことがないだろう。そのように淡泊であったなら、気力がだんだんに衰えていき、くずれてバラバラになり、まとまりがつかなくなるだろう。そうなれば書にもその影響が現れないわけがないのである。

 

しかし、仏教の信徒は幻術をおこない、さまざまな技能を持っていると聞く。高閑がもしそのような幻術に通じているのであれば私には何ともいえないところだが。

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 【字解】

 

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

2 弟子 詩序に見える公孫大娘の弟子である李十二娘。

3 剣器 舞の名。舞に文舞・武舞、或は健舞・軟舞の別があり、剣器は健舞に属する。段安節の「楽府雑録」にいう、健舞曲に稜大・阿連・柘枝・剣器・胡旋・胡膳等あり、軟舞曲に涼州・線腰・蘇合香・屈柘・団円旋・甘州等あり、と。これらの舞はたいてい西域地方より伝来したものである。張爾公の説によれば剣器は女妓を用い男装せしめ空手にて舞うものであるという、仇氏はそれにより剣器を以て刀剣と為すことの誤りであることをいっている。しかしながら余はこの詩篇を案ずるのに剣を持って舞うものであろうと考える。

4 別駕 州の属官。

5 元持 一本には持を特につくる。

6 臨穎 地名、河南省許州に属する。

7 李十二娘 作者の「秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻」詩の杜甫自注(都督柏中丞筵。聞梨園弟子李仙奴歌)と記していることより考えれば李仙奴という者である。

8 蔚跂 蔚とは文織のある、艶のあるさま、跂とは雄壮なさま。

9 某所師 其とは李をさす。

10 開元三載 715年開元三載より767年大暦二年までおよそ五十三年であるし、杜甫は、712年先天元年生まれで、この年、56歳である。杜甫、四歳の時に見たことになるが、娯楽のない時期、四歳の時であっても舞をみたことを強烈に記憶していたのである。

11 鄭城 地名、河南省許州に属する、臨頴より南にある。

12 公孫氏舞剣器渾脱 渾脱も舞の名である。「明皇雑録」にいう、上(玄宗)素音律を暁る、安禄山、白玉の寮管数百事を献ず、梨園に陳す、是より音響人間に類せず、諸公主及び我国以下競いて貴妃が弟子となる。授曲の終りごとに皆広く進奉あり。時に公孫大娘、能く隣里曲及び装将軍・満堂勢・西河剣器・渾脱の舞を為す、折妙皆時に冠絶す、と。

13 劉灘 なめらかなさま。

14 頓挫 激勢の急停止をいう。

15 独出 ひとり傑出する。

16 冠時 時の第一人者であること。

17 高頭宜春梨園二伎坊内人 宜春・梨園の二伎坊の高頭の内人の意。高頭の二字は内人へかかる。高頭は前頭の意、天子の御前にある優秀のものをさす。雀令軟の「教坊記」にいう、右教坊は光宅坊(坊は街の意)に在り、左教坊は延政坊に在り。右には善歌多く、左には工舞多し。妓女宜春院に入れば之を内人といい、亦前頭人ともいう、常に上の前に在るを以てなり、と。宜春・梨園については「薙録」に記事があり、それにはいう、開元二年正月、教坊(歌舞の教練場)を蓬莱宮側に置く。上(玄宗)自ら法曲を教う、之を梨園の弟子という。天宝の初め、東宮に即きて宜春北院を置き官女数百人に命じて梨園の弟子となす。梨園は光化門の北に在り。光化門とは禁苑南面の西頭第一門(最西端の門)なり、と。元来伎女のすぐれた者を宜春院に入れたものであり、更にその中よりすぐれた者を選んで梨園の弟子となしたのである。二伎坊とは宜春と梨園との二教坊をさす。

宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。

宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸*、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。たとえば、著名な宮廷歌妓の永新は、もともと吉州(江西省吉安県)の楽戸の娘であり、歌が上手だったため選ばれて宮中に入った。辞填壇はもとは色町の妓女であったが、挙が上手だったため宮中に入って仕えることになった。平民女性で選抜されたものは、玄宗時代には特に「搊弾家」(演奏家)と称された(以上は、段安節『楽府雑録』「歌」、『古今図書集成』閏媛典閏艶部、崔令欽『教坊記』による。)。

*楽戸 楽籍という賤民身分の戸籍に属し、宮中の官妓、在野の楽人などが登録されていた。

 

 

彼女たちの中には、また別に朝臣や外国からの使節が献上した女性も、一部分であるが含まれていた。たとえば、敬宗の時代、浙東(浙江省一帯)から朝廷に飛燕、軽風という二人の舞妓が献上されている。また文宗の時代、回紇に降嫁した太和公主が馬にまたがって弓をひく七人の娘を献上したこともあった(『杜陽雜編』巻中、『旧唐書』文宗紀下)。それ以外に、少数ではあるが、元々官女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘『教坊記箋訂』中華書局、一九六二年)。

 

玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

○梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

 

18 泊 及に同じ。

19 外供奉舞女 宜春・梨園のもの以外のもので御ともをし御用をつとめる舞女。

20 聖文神武皇帝 玄宗の尊号。

21 玉貌錦衣 この句と下の 「況余白首」とは文気が相い接さぬ、必ずや脱文があるのであろうということを中海光がつとに指摘しているが、そのとおりである。脱文の処には公孫大娘が逝去したことに言及した一節があるはずである。

22 今茲弟子 弟子は李十二娘、李仙奴をさす。

23 波瀾莫二 舞の手ぶりの変化の工合が二つ無く、師弟同一なること。

767年-23 #2杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 #2》 杜甫詩index-15-1144 <1594> 767年大暦2年56歲-23 #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7367

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -   

頓挫,獨出冠時。自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已。玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二
その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

杜少陵集20-99-序⑵

觀公孫大娘弟子舞劍器行  并序 -

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杜詩index-15

767年大暦25623序 ⑵

1144 <1594

 

 

 
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年:767年大暦256-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

寫作地點:           目前尚無資料

寫及地點:          

臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)       

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘      

交遊人物/地點:  

李十二娘              詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

-大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾

その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

-         

頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

-   

撫事慷慨,聊為劍器行。昔者人張旭善草書書帖,數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

 

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

 

 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行并序』現代語訳と訳註解説
(
本文)

-         

頓挫,獨出冠時。

自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二

(下し文)
-

頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。公孫一人のみ。

玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る

(現代語訳)
-         

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。


(訳注) -  

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

 

頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

13 劉灘 なめらかなさま。

14 頓挫 激勢の急停止をいう。

15 独出 ひとり傑出する。

16 冠時 時の第一人者であること。

 

自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

17 高頭宜春梨園二伎坊内人 宜春・梨園の二伎坊の高頭の内人の意。高頭の二字は内人へかかる。高頭は前頭の意、天子の御前にある優秀のものをさす。雀令軟の「教坊記」にいう、右教坊は光宅坊(坊は街の意)に在り、左教坊は延政坊に在り。右には善歌多く、左には工舞多し。妓女宜春院に入れば之を内人といい、亦前頭人ともいう、常に上の前に在るを以てなり、と。宜春・梨園については「薙録」に記事があり、それにはいう、開元二年正月、教坊(歌舞の教練場)を蓬莱宮側に置く。上(玄宗)自ら法曲を教う、之を梨園の弟子という。天宝の初め、東宮に即きて宜春北院を置き官女数百人に命じて梨園の弟子となす。梨園は光化門の北に在り。光化門とは禁苑南面の西頭第一門(最西端の門)なり、と。元来伎女のすぐれた者を宜春院に入れたものであり、更にその中よりすぐれた者を選んで梨園の弟子となしたのである。二伎坊とは宜春と梨園との二教坊をさす。

宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。

宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸*、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。たとえば、著名な宮廷歌妓の永新は、もともと吉州(江西省吉安県)の楽戸の娘であり、歌が上手だったため選ばれて宮中に入った。辞填壇はもとは色町の妓女であったが、挙が上手だったため宮中に入って仕えることになった。平民女性で選抜されたものは、玄宗時代には特に「搊弾家」(演奏家)と称された(以上は、段安節『楽府雑録』「歌」、『古今図書集成』閏媛典閏艶部、崔令欽『教坊記』による。)。

*楽戸 楽籍という賤民身分の戸籍に属し、宮中の官妓、在野の楽人などが登録されていた。

 

 

彼女たちの中には、また別に朝臣や外国からの使節が献上した女性も、一部分であるが含まれていた。たとえば、敬宗の時代、浙東(浙江省一帯)から朝廷に飛燕、軽風という二人の舞妓が献上されている。また文宗の時代、回紇に降嫁した太和公主が馬にまたがって弓をひく七人の娘を献上したこともあった(『杜陽雜編』巻中、『旧唐書』文宗紀下)。それ以外に、少数ではあるが、元々官女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘『教坊記箋訂』中華書局、一九六二年)。

 

玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

○梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

 

18 泊 及に同じ。

19 外供奉舞女 宜春・梨園のもの以外のもので御ともをし御用をつとめる舞女。

 

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

20 聖文神武皇帝 玄宗の尊号。

 

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

21 玉貌錦衣 この句と下の 「況余白首」とは文気が相い接さぬ、必ずや脱文があるのであろうということを中海光がつとに指摘しているが、そのとおりである。脱文の処には公孫大娘が逝去したことに言及した一節があるはずである。

 

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二

いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

22 今茲弟子 弟子は李十二娘、李仙奴をさす。

23 波瀾莫二 舞の手ぶりの変化の工合が二つ無く、師弟同一なること。

 

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 【字解】

 

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

2 弟子 詩序に見える公孫大娘の弟子である李十二娘。

3 剣器 舞の名。舞に文舞・武舞、或は健舞・軟舞の別があり、剣器は健舞に属する。段安節の「楽府雑録」にいう、健舞曲に稜大・阿連・柘枝・剣器・胡旋・胡膳等あり、軟舞曲に涼州・線腰・蘇合香・屈柘・団円旋・甘州等あり、と。これらの舞はたいてい西域地方より伝来したものである。張爾公の説によれば剣器は女妓を用い男装せしめ空手にて舞うものであるという、仇氏はそれにより剣器を以て刀剣と為すことの誤りであることをいっている。しかしながら余はこの詩篇を案ずるのに剣を持って舞うものであろうと考える。

4 別駕 州の属官。

5 元持 一本には持を特につくる。

6 臨穎 地名、河南省許州に属する。

7 李十二娘 作者の「秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻」詩の杜甫自注(都督柏中丞筵。聞梨園弟子李仙奴歌)と記していることより考えれば李仙奴という者である。

8 蔚跂 蔚とは文織のある、艶のあるさま、跂とは雄壮なさま。

9 某所師 其とは李をさす。

10 開元三載 715年開元三載より767年大暦二年までおよそ五十三年であるし、杜甫は、712年先天元年生まれで、この年、56歳である。杜甫、四歳の時に見たことになるが、娯楽のない時期、四歳の時であっても舞をみたことを強烈に記憶していたのである。

11 鄭城 地名、河南省許州に属する、臨頴より南にある。

12 公孫氏舞剣器渾脱 渾脱も舞の名である。「明皇雑録」にいう、上(玄宗)素音律を暁る、安禄山、白玉の寮管数百事を献ず、梨園に陳す、是より音響人間に類せず、諸公主及び我国以下競いて貴妃が弟子となる。授曲の終りごとに皆広く進奉あり。時に公孫大娘、能く隣里曲及び装将軍・満堂勢・西河剣器・渾脱の舞を為す、折妙皆時に冠絶す、と。

767年-23 #1杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 #1》 杜甫詩index-15-1141 <1591> 767年大暦2年56歲-23 #1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7352

杜甫  觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。問其所師,曰余公孫大娘弟子也。開元三載,余尚童稚,記於郾城觀公孫氏舞劍器渾

-大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

杜少陵集20-99-序⑴

觀公孫大娘弟子舞劍器行  并序 -

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7352 

杜詩index-15

767年大暦25623序 ⑴

1141 <1591

 

 
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杜甫詩1500-1141-1591/2500

このころの音楽と歌舞

歌舞と女楽、これらは唐代には上は天子、公卿から、下は庶民、士人に至るまでの、すべての人々にとって欠くことのできない芸術的楽しみであった。それゆえこれらは宮廷から、あらゆる社会の階層に至るまで盛んに行われた。宮廷の中にあった教坊、宜春院、梨園、それに長安・洛陽両京にあった外教坊などには、歌舞と音栗に携わる芸妓が多数集中していた。朝廷は天下の名人を広く捜し出したので、唐代の女性芸術家の最も優れた人々をそこに集めることができたのである。彼女たちは恵まれた条件を与えられ、専門的な教育を受けた。また宮廷では常時大規模な催しが開かれたので、彼女たちは芸術的才能を充分に発揮することができ、高度な芸術的才能をもった人々が輩出することになった。その他、貴族や富豪が、自宅に家妓を抱えておく風習も盛んであった。彼らは専門家を招いて家妓を教育し、賓客の歓送迎会、家の慶事や誕生日などの御祝には、必ず家妓に芸を披露させて興趣を添えた。各地の官妓たちの歌舞や音楽の才能も人々から重視され、官庁の歓送迎会、宴会、遊覧の際には、彼女たちの出演は不可欠な漬物となっていた。妓優、姫妾たちが音楽、歌舞を得意としただけでなく、家庭の女性も音楽を習い楽器に通じることを家庭の娯楽、高雅な修養とみなしていた。こうした風潮によって、優秀な芸術家が数多く育成されたのである。

彼女たちの中には一声喉をころがせば長安の大通りに鳴り響いたといわれる歌手、曲を作り楽器を見事に奏でる音楽家、舞姿が美しく絶妙な芸を身につけた舞踊家、その他様々な方面に才能を発揮した芸術家がいた。

 

古来から儀礼として重視されていた音楽と舞踊であったが、外来音楽と楽器の流入により、相当な発展をとげた。唐代には娯楽性も向上し、楽器の種類も大幅に増加した。合奏も行われ、宮廷では大規模な楽団による演奏が度々行われた。

初唐では九寺の一つである太常寺が舞楽を司る中心となり、宮廷舞楽のうちの雅楽を取り扱った。714年に「梨園」が設置され、300人の楽工が梨園弟子になり、後に宮女も加えられた。教坊は内教坊か初唐から置かれていた。この上、玄宗期に雅楽と区分された俗楽や胡楽、散楽を扱うことを目的とした左右教坊が増設された。胡楽は西域を中心とした外来音楽で、唐代の宮廷舞楽の中心であった十部楽のうちの大半を占めた。

 

宮廷音楽で歌われる歌の歌詞は唐詩が採用された。民間にも唐詩を歌詞にし、音楽にあわせて歌うものが現れ、晩唐には音楽にあわせるために書かれた詞を作られた。また、「闘歌」という歌の上手を競わせる遊びも存在していた。

舞踊は宮廷や貴族の酒宴ばかりでなく、民間の酒場や行事でも頻繁に行われた。外国から様々な舞踊が伝えられ、その種類も大きく増加した。様々な階層のものが舞踊を好み、楊貴妃や安禄山は胡旋舞の名手であったと伝えられる。

舞踊は、ゆったりした動きの踊りを「軟舞」、テンポが速い激しい踊りを「健舞」と分けられた。「胡旋舞」や「胡騰舞」は健舞に含まれた。伝統舞踊に外国からの舞踏が加わっていき発展していった。

唐代の宮廷では、楽団の演奏にあわせて大勢が舞踊を行うことで多かった。また、「字舞」と呼ばれる音楽とともに踊り、身体を翻す瞬間に衣の色を換え、その後に地に伏して全員で字の形を描くという集団舞踏も存在し、多い時は百人単位で行われた。

唐代の皇帝の中でも、玄宗が特に音楽がすぐれており、外国の音楽を取り入れた「霓裳羽衣の曲」を作曲したとされる。この曲とともに、楊貴妃が得意とした「霓裳羽衣の舞」が行われ、宮人が数百人で舞うこともあった。

安史の乱以後は、戦乱や、梨園の廃止、教坊の縮小とともに、楽工や妓女は地方に流れ、音楽や舞踊の普及は進んでいくことになった

 

 

 

 

年:767年大暦256-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

寫作地點:           目前尚無資料

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臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)       

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘      

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李十二娘              詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行 

(并序)

大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘舞西河劍器,自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

(本文)

 

詩文(含異文)

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。火霍【案:音酷。】如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。來如雷霆收震怒【末如雷霆收震怒】,罷如江海凝清光。絳脣朱袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳【有弟子傳芬芳】【晚有弟子傳芬芳】。臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。與余問答既有以,感時撫事增惋傷。先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。五十年間似反掌,風塵傾動昏王室【風塵澒洞昏王室】。梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟【瞿唐石城暮蕭瑟】。玳筵急管曲復終,樂極哀來月東出。老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾【足繭荒山轉愁寂】。

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

-大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾

その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

-   

瀏灕頓挫,獨出冠時。自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者,聖文神武皇帝初,公孫一人而已。玉貌錦衣,況余白首!今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二。

-   

撫事慷慨,聊為劍器行。昔者人張旭善草書書帖,數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

 

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

 

汜水関などの地図 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行并序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

開元三載,余尚童稚。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾

(下し文)
(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

(現代語訳)
觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。


(訳注)

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

2 弟子 詩序に見える公孫大娘の弟子である李十二娘。

3 剣器 舞の名。舞に文舞・武舞、或は健舞・軟舞の別があり、剣器は健舞に属する。段安節の「楽府雑録」にいう、健舞曲に稜大・阿連・柘枝・剣器・胡旋・胡膳等あり、軟舞曲に涼州・線腰・蘇合香・屈柘・団円旋・甘州等あり、と。これらの舞はたいてい西域地方より伝来したものである。張爾公の説によれば剣器は女妓を用い男装せしめ空手にて舞うものであるという、仇氏はそれにより剣器を以て刀剣と為すことの誤りであることをいっている。しかしながら余はこの詩篇を案ずるのに剣を持って舞うものであろうと考える。

 

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

4 別駕 州の属官。

5 元持 一本には持を特につくる。

6 臨穎 地名、河南省許州に属する。

7 李十二娘 作者の「秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻」詩の杜甫自注(都督柏中丞筵。聞梨園弟子李仙奴歌)と記していることより考えれば李仙奴という者である。

8 蔚跂 蔚とは文織のある、艶のあるさま、跂とは雄壮なさま。

 

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

9 某所師 其とは李をさす。

 

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

10 開元三載 715年開元三載より767年大暦二年までおよそ五十三年であるし、杜甫は、712年先天元年生まれで、この年、56歳である。杜甫、四歳の時に見たことになるが、娯楽のない時期、四歳の時であっても舞をみたことを強烈に記憶していたのである。

 

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾

その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

11 鄭城 地名、河南省許州に属する、臨頴より南にある。

12 公孫氏舞剣器渾脱 渾脱も舞の名である。「明皇雑録」にいう、上(玄宗)素音律を暁る、安禄山、白玉の寮管数百事を献ず、梨園に陳す、是より音響人間に類せず、諸公主及び我国以下競いて貴妃が弟子となる。授曲の終りごとに皆広く進奉あり。時に公孫大娘、能く隣里曲及び装将軍・満堂勢・西河剣器・渾脱の舞を為す、折妙皆時に冠絶す、と。

河南郾城05 

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杜甫  寫懷,二首之二  #3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。終然契真如,得匪合仙術。
それを思うと禍の発頭人は燧人氏であり、厲厄の階梯をつくったものは上古の董狐の直筆だというてもよい。看たまえ、名利に比す燈燭がもちだされると火をしたって、一般俗人に比す蛾の蟲が密集してくるではないか。 我が精神を八方のはてに放ってみると一俯一仰のあいだに一切萬有はみんな消滅してさびしいものである。自分もしまいには真如の理と契るためには彿法の手段によるほかにないのではあるまいか。 

杜少陵集20-101-#3

寫懷,二首之二  #21

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杜甫詩index-15-

767年大暦256  21  #3

1137 <1587

 

 
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年:767年大暦256  21  #3

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

寫懷,二首之二  #1

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

夜深坐南軒,明月照我膝。

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

驚風翻河漢,梁棟已出日。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

群生各一宿,飛動自儔匹。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

吾亦驅其兒,營營為私實。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。

古者三皇前,滿腹志願畢。

おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。

胡為有結繩,陷此膠與漆。

それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

それを思うと禍の発頭人は燧人氏であり、厲厄の階梯をつくったものは上古の董狐の直筆だというてもよい。

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

看たまえ、名利に比す燈燭がもちだされると火をしたって、一般俗人に比す蛾の蟲が密集してくるではないか。 

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

我が精神を八方のはてに放ってみると一俯一仰のあいだに一切萬有はみんな消滅してさびしいものである。

終然契真如,得匪合仙術。

自分もしまいには真如の理と契るためには彿法の手段によるほかにないのではあるまいか。 

 

(懷を寫す,二首の一) #1

夜深くして南軒に坐す,明月 我が膝を照らす。

驚風 河漢を翻す,梁棟 已に日出づ。

群生 各の一宿す,飛動 自ら儔匹す。

吾も亦た 其の兒を驅る,營營たる 私實の為なり。

#2

天寒くして行旅稀なり,暮れて 日月疾【はや】し。

榮名 忽ち人に中【あた】る,世亂れて 蟣蝨の如し。

古者 三皇の前,滿腹 志願畢る。

胡為れぞ 結繩有りて,此の膠と漆とを陷れるや。

#3

禍首は燧人氏,厲階は董狐が筆。

君 看よ 燈燭張る,轉た飛蛾をして密ならしむ。

神を放つ 八極の外,俯仰 俱に蕭瑟たり。

終然 真如に契る,仙に合す術に匪ざるを得んや。

 

戦国時代(紀元前350年頃)東方地図 

『寫懷,二首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

終然契真如,得匪合仙術。
詩文(含異文)

禍首燧人氏,厲階董狐筆。君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。終然契真如【終契如往還】,得匪合仙術【歸匪金仙術】。


(下し文)
#3

禍首は燧人氏,厲階は董狐が筆。

君 看よ 燈燭張る,轉た飛蛾をして密ならしむ。

神を放つ 八極の外,俯仰 俱に蕭瑟たり。

終然 真如に契る,仙に合す術(合仙の術)に匪ざるを得んや。

(現代語訳)
#3

それを思うと禍の発頭人は燧人氏であり、厲厄の階梯をつくったものは上古の董狐の直筆だというてもよい。

看たまえ、名利に比す燈燭がもちだされると火をしたって、一般俗人に比す蛾の蟲が密集してくるではないか。 

我が精神を八方のはてに放ってみると一俯一仰のあいだに一切萬有はみんな消滅してさびしいものである。

自分もしまいには真如の理と契るためには彿法の手段によるほかにないのではあるまいか。 

denen03350
(訳注) #3

寫懷,二首之二  #3

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

22 寫懷 抒發情懷。漢蔡邕《司徒袁公夫人馬氏碑銘》:「哀子懿達、仁達,銜恤哀痛,靡所寫懷,乃撰録母氏之德所履,示公之門人。」三國魏明帝《苦寒行》:「賦詩以寫懷,伏軾淚沾纓。」

 

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

それを思うと禍の発頭人は燧人氏であり、厲厄の階梯をつくったものは上古の董狐の直筆だというてもよい。

31 禍首 禍を生じ占めた発頭人。

32 燧人氏 韓非『韓非子』五蠹篇にみえる、上古の時代、人々は木の実や草の実、螺や蛤などをとって食べていたが、腥さく嫌な臭いがあって、胃腸を壊し、病気になるものが多かった。 その時、一人の聖人が火打ち石を使って(注:火おこし木、という説もある)火をおこし、食べ物を焼いて臭いをなくした。  民衆は喜んで、この聖人を天下の王と仰ぎ、燧人氏と呼んだ。燧人氏が火をおこす方法を発見したきっかけについては「鳥がくちばしで樹をつつくのにヒントを得て、木の枝をこすり合わせて火をおこした」という説もある。

33 厲階 禍の段階をなさしもの。

34 董狐筆 春秋左伝」宣公二年の故事から、権勢を恐れずに真実を発表すること。権力者の圧力に負けずに真相を歴史に記すこと。春秋時代、晋の史官であった董狐は、君主の霊公が殺された時、大臣の趙盾(ちょうとん)が殺したと記録した。直接手を下した犯人はわかっていたが、大臣の地位にあった趙盾がその犯人を討たなかったからで、正しい歴史を書いた故事とされる。

 

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

看たまえ、名利に比す燈燭がもちだされると火をしたって、一般俗人に比す蛾の蟲が密集してくるではないか。 

35 燈燭 ともしび。灯火。とうそく、もって名利に比す。

36 飛蛾 娥の蟲、以て一般俗人に比す。

 

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

我が精神を八方のはてに放ってみると一俯一仰のあいだに一切萬有はみんな消滅してさびしいものである。

37 八極外 八方のはて。

38 俱蕭瑟 俱は一切ともにという意、蕭瑟はさびしき貌、消滅の姿。

 

終然契真如,得匪合仙術。

自分もしまいには真如の理と契るためには彿法の手段によるほかにないのではあるまいか。 

39 契真如 仏教郷里の極致、悟りの最上。

40 得匪 「得無非」(非らざる無きを得んや)の意。

41 合仙術 仏教の釋典に佛を大覺金仙と号す。合仙の術とは仏法を言う。

 

 

 

 

寫懷,二首【字解】

 

 

(自分の胸の内を写し述べた詩)

1 勞生 我々に生命を与えて苦労させる。《莊子.大宗師》:「夫大塊載我以形,勞我以生,佚我以老,息我以死。」(夫れ大塊は我を載するに形を以てし,我を勞するに生を以てし,我を佚するに老を以てし,我を息するに死をて以す。)大地は我々に形を与えてくれる。そしてまた我々に生命を与えて苦労させ、歳をとらせて楽にし、死を与えて休息させてくれる。

2 共乾坤 同一の天地の間にあることを言う。1 (えき)の卦()の乾と坤。2 天と地。天地。3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

3 異風俗 風俗異ならず、ということではなく、異を諭ずるに及ばざるをいう。 

4 冉冉 1.進行の貌。次第に進んでいくさま。徐々に侵し広がるさま。2(髪の毛や木の枝・葉などが)しなやかに垂れる.

5 趨競 はしり競う。競い争うこと。名利の途におもむく。爭名奪利。《宋史.卷二九六.呂祐之傳》:「祐之純謹長者,不喜趨競。」

6 行行 一歩一歩。魏 武帝《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

7 羈束 からだをつなぎしばられる。

8 無貴賤不悲,無富貧亦足 阮籍《大人先生傳》「夫無貴則賤者不怨,無富則貧者不爭,各足於身而無所求也。」(夫れ貴無んば則ち賤者怨まず,富無んば則ち貧者爭わず,各の身に足して求むる所無し也。)に基づく。

9 一骸骨 だれも同一骸骨になる

10 遞 1 横へ横へと次々に伝え送る。「逓信・逓送/駅逓・伝逓」2 だんだん。しだいに。

11 歌哭 笑い歌いまた悲しみ哭することで烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。

12 鄙夫 いやしい男。下品な男。現在の自分が思うようにならない様子を謙遜して使う語。

13 三 755年永泰元年、756年大暦元年、757年大暦二年の三年を言う。

14 如轉燭 風中に搖曳く燭火の瞬く間。比するのは、世事のことであり、月の遷流するのが迅速であることである。杜甫《0715佳人》詩「世情惡衰歇,萬事隨轉燭。」(世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335

15 榮辱 光榮と恥辱。易經·繫辭上:「樞機之發,榮辱之主也。」(樞機 之れ發す,榮辱 之れ主とする也。)枢機とは、1 物事の最も大切なところ。かなめ。要所。2 重要な政務。

16 朝班及暮齒 晩年になって朝班を得たことを言う。暮齒:晩年を言う。杜甫75746歳鳳翔行在所において左拾遺を授けられる。76453歳工部員外郎となり緋魚袋をたまわる。 

17 粟 脱粟の飯とは、もみがらを取り去っただけで精白してない米を炊いた飯。玄米飯。

18 編蓬 蓬を編んで戸扉とするをいう。編蓬以為門 亦指結草為廬。 漢東方朔《非有先生論》「居深山之間, 積土為室, 編蓬為 彈琴其中, 以詠先王之風, 亦可以樂而忘死矣。」

19 石城東 夔州城は石城といわれ、東はその東、即ち杜甫の草堂のある瀼西を言う。

20 采藥 采藥,亦作“采葯”。藥物を采集するを謂う。 亦た、世を避けて隱居するを指し、或いは、仙修の道を求めることをさす。 《後漢書逸民傳龐公》「後遂攜其妻子登鹿門山, 因采藥不反。」(後、遂に其の妻子を攜えて鹿門山に登り, 因て藥を采り反らず。 唐李白《悲清秋賦》「歸去來兮人間可以托些,吾將采藥於蓬邱。」(歸りなんいざ、人間 可なり 以て托し,吾 將に藥を蓬邱に采る。)

21 山北谷 山北の谷とは瀼西の居よりいわば蓋し、白谷をいう。杜甫《19-10 上後園山》詩に山北の谷について述べているが初四句に「朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。」(朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。)とある。

767-12-#1杜甫 19-10 上後園山#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-12-#1 <1095 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7155 

 

22 寫懷 抒發情懷。漢蔡邕《司徒袁公夫人馬氏碑銘》:「哀子懿達、仁達,銜恤哀痛,靡所寫懷,乃撰録母氏之德所履,示公之門人。」三國魏明帝《苦寒行》:「賦詩以寫懷,伏軾淚沾纓。」

23 河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。うじゃく:かささぎ 「烏鵲の智」 遠い将来のことばかり心配して、近くに迫っている災難に気がつかないこと。かささぎは強風の多い年には風をさけようとして巣を低い枝にかけるが、そのために、雛や卵を人に捕られることまでは、知恵がまわらない。このことを「喜」に置き換えてうたう。李商隠辛未七夕」 李商隠にカササギが銀河の橋渡しをしてくれる鳥としている。『詩経』「鵲巢」にはカササギは巣作りに一生懸命、出来上がった巣は立派な頑丈なもの、しかし鳩が子育てに使う。しかしたくさんのお客がついてくる、というもの。

天河 杜甫<292kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

初月 杜甫<293kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 700- 413

24 梁棟 ① (建物の屋根の主要材である)棟(むね)と梁(はり)。 一国の臣。 一族・一門を率いる者。かしら。おさ。頭領。統領。 「武家の-」 大工の親方。かしら。寝ていて朝日が射しこんで本来うす暗いところが明るくなることを言う。

25 羣生 もろもろの生物。

26 一宿 一夜の棲宿をしたこと。

27 飛動 禽獣をいう。

28 儔匹 同類 共に生を遂げる。

29 營營 働く姿を言う。

30 私實 私有財産、財物をいう。國語 楚語》「蓄衆、聚實。」(衆を蓄え、實を聚む)

31 禍首 禍を生じ占めた発頭人。

32 燧人氏 韓非『韓非子』五蠹篇にみえる、上古の時代、人々は木の実や草の実、螺や蛤などをとって食べていたが、腥さく嫌な臭いがあって、胃腸を壊し、病気になるものが多かった。 その時、一人の聖人が火打ち石を使って(注:火おこし木、という説もある)火をおこし、食べ物を焼いて臭いをなくした。  民衆は喜んで、この聖人を天下の王と仰ぎ、燧人氏と呼んだ。燧人氏が火をおこす方法を発見したきっかけについては「鳥がくちばしで樹をつつくのにヒントを得て、木の枝をこすり合わせて火をおこした」という説もある。

33 厲階 禍の段階をなさしもの。

34 董狐筆 春秋左伝」宣公二年の故事から、権勢を恐れずに真実を発表すること。権力者の圧力に負けずに真相を歴史に記すこと。春秋時代、晋の史官であった董狐は、君主の霊公が殺された時、大臣の趙盾(ちょうとん)が殺したと記録した。直接手を下した犯人はわかっていたが、大臣の地位にあった趙盾がその犯人を討たなかったからで、正しい歴史を書いた故事とされる。

 

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

看たまえ、名利に比す燈燭がもちだされると火をしたって、一般俗人に比す蛾の蟲が密集してくるではないか。 

35 燈燭 ともしび。灯火。とうそく、もって名利に比す。

36 飛蛾 娥の蟲、以て一般俗人に比す。

 

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

我が精神を八方のはてに放ってみると一俯一仰のあいだに一切萬有はみんな消滅してさびしいものである。

37 八極外 八方のはて。

38 俱蕭瑟 俱は一切ともにという意、蕭瑟はさびしき貌、消滅の姿。

 

終然契真如,得匪合仙術。

自分もしまいには真如の理と契るためには彿法の手段によるほかにないのではあるまいか。 

39 契真如 仏教郷里の極致、悟りの最上。

40 得匪 「得無非」(非らざる無きを得んや)の意。

41 合仙術 仏教の釋典に佛を大覺金仙と号す。合仙の術とは仏法を言う。

767年-21#2杜少陵集 《20-101 寫懷,二首之二 #2》 杜甫詩index-15-1136 <1586> 767年大暦2年56歲-21#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7327

杜甫  寫懷,二首之二  #2

天寒行旅稀,暮日月疾。榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

古者三皇前,滿腹志願畢。胡為有結繩,陷此膠與漆。

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。

杜少陵集20-101-#2

寫懷,二首之二  #21

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7327 

杜甫詩index-15-

767年大暦256  21  #2

1136 <1586

 

 
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-21#2杜少陵集 《20-101 寫懷,二首之二 #2》 杜甫詩index-15-1136 <1586> 767年大暦2年56歲-21#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7327  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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年:767年大暦256  21  #2

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

寫懷,二首之二  #1

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

夜深坐南軒,明月照我膝。

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

驚風翻河漢,梁棟已出日。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

群生各一宿,飛動自儔匹。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

吾亦驅其兒,營營為私實。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。

古者三皇前,滿腹志願畢。

おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。

胡為有結繩,陷此膠與漆。

それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

終契如往還,得匪合仙術。

 

(懷を寫す,二首の一) #1

夜深くして南軒に坐す,明月 我が膝を照らす。

驚風 河漢を翻す,梁棟 已に日出づ。

群生 各の一宿す,飛動 自ら儔匹す。

吾も亦た 其の兒を驅る,營營たる 私實の為なり。

#2

天寒くして行旅稀なり,暮れて 日月疾【はや】し。

榮名 忽ち人に中【あた】る,世亂れて 蟣蝨の如し。

古者 三皇の前,滿腹 志願畢る。

胡為れぞ 結繩有りて,此の膠と漆とを陷れるや。

 

戦国時代(紀元前350年頃)東方地図 

『寫懷,二首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

古者三皇前,滿腹志願畢。

胡為有結繩,陷此膠與漆。

(下し文)
#2

天寒くして行旅稀なり,暮れて 日月疾【はや】し。

榮名 忽ち人に中【あた】る,世亂れて 蟣蝨の如し。

古者 三皇の前,滿腹 志願畢る。

胡為れぞ 結繩有りて,此の膠と漆とを陷れるや。

(現代語訳)
#2

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。

かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。

おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。

それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。


(訳注) #2

寫懷,二首之二  #2

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

31 寫懷 抒發情懷。漢蔡邕《司徒袁公夫人馬氏碑銘》:「哀子懿達、仁達,銜恤哀痛,靡所寫懷,乃撰録母氏之德所履,示公之門人。」三國魏明帝《苦寒行》:「賦詩以寫懷,伏軾淚沾纓。」

 

天寒行旅稀,暮日月疾。

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。

32 日月疾 月日のすぎるのがはやいことをいう。

 

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。

33 中人 名利心の害毒にあたられることをいう。

34 蟣蝨 蟣はしらみの子、蝨はしらみ。

 

古者三皇前,滿腹志願畢。

おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。

35 三皇 三皇については諸説あるが、1. 前漢・司馬遷『史記』秦始皇本紀において皇帝という称号を定める文脈で、天皇・地皇・泰皇(人皇)を挙げる。泰皇の「皇」と「帝」号を組み合わせて皇帝としたと伝えられている。唐の司馬貞『史記索隠』では泰皇=人皇としたり、天皇・地皇・人皇を三皇としてその前に泰皇がいたとしたりする。司馬貞が補った『史記』の三皇本紀では三皇を伏羲、女媧、神農とするが、天皇・地皇・人皇という説も並記している。 2. 唐の司馬貞補『史記』三皇本紀で、伏羲・女媧・神農としている。『春秋緯運斗枢』(『風俗通』皇覇篇に引く)。これを継承する。 3. 『礼緯含文嘉』(『風俗通』皇覇篇に引く)では燧人・伏羲・神農  4. 後漢・班固『白虎通』号篇では伏羲・神農・祝融としている。  5. 西晋・皇甫謐『帝王世紀』では伏羲・神農・黄帝を三皇としている。 -

 

胡為有結繩,陷此膠與漆。

それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。

36 胡為 どうしてからか、どうして、の意。別名 何為、執為.

37 結繩 未開民族がなす思想交換、保存のための方法であり、縄を結び、その結び方、その結び目の間隔などにより伝える、一種の文字言語。文字をもたない社会で,縄(なわ)の結び方によって数量などを表示・記録したり,意思を通じたりすること。古代ペルーのキープや沖縄の藁算(わらさん)など種々ある。

38 陷此 おとしいる、破壊することを言う。

39 膠與漆 交情の密着を言う。《古詩十九首之十八》「以膠投漆中,誰能別離此?」(膠を以て漆中に投ぜば、誰か能く此を別離せん。 ニカワを漆の中に入れ込んだら、もう誰でも引き離すことはできないことであるように夫婦仲もそれと同じなのだ。

古詩十九首之十八 漢の無名氏(18)  漢詩<31 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2541 (06/17)

 

汜水関などの地図 

 

寫懷,二首【字解】

 

 

(自分の胸の内を写し述べた詩)

1 勞生 我々に生命を与えて苦労させる。《莊子.大宗師》:「夫大塊載我以形,勞我以生,佚我以老,息我以死。」(夫れ大塊は我を載するに形を以てし,我を勞するに生を以てし,我を佚するに老を以てし,我を息するに死をて以す。)大地は我々に形を与えてくれる。そしてまた我々に生命を与えて苦労させ、歳をとらせて楽にし、死を与えて休息させてくれる。

2 共乾坤 同一の天地の間にあることを言う。1 (えき)の卦()の乾と坤。2 天と地。天地。3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

3 異風俗 風俗異ならず、ということではなく、異を諭ずるに及ばざるをいう。 

4 冉冉 1.進行の貌。次第に進んでいくさま。徐々に侵し広がるさま。2(髪の毛や木の枝・葉などが)しなやかに垂れる.

5 趨競 はしり競う。競い争うこと。名利の途におもむく。爭名奪利。《宋史.卷二九六.呂祐之傳》:「祐之純謹長者,不喜趨競。」

6 行行 一歩一歩。魏 武帝《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

7 羈束 からだをつなぎしばられる。

8 無貴賤不悲,無富貧亦足 阮籍《大人先生傳》「夫無貴則賤者不怨,無富則貧者不爭,各足於身而無所求也。」(夫れ貴無んば則ち賤者怨まず,富無んば則ち貧者爭わず,各の身に足して求むる所無し也。)に基づく。

9 一骸骨 だれも同一骸骨になる

10 遞 1 横へ横へと次々に伝え送る。「逓信・逓送/駅逓・伝逓」2 だんだん。しだいに。

11 歌哭 笑い歌いまた悲しみ哭することで烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。

12 鄙夫 いやしい男。下品な男。現在の自分が思うようにならない様子を謙遜して使う語。

13 三 755年永泰元年、756年大暦元年、757年大暦二年の三年を言う。

14 如轉燭 風中に搖曳く燭火の瞬く間。比するのは、世事のことであり、月の遷流するのが迅速であることである。杜甫《0715佳人》詩「世情惡衰歇,萬事隨轉燭。」(世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335

15 榮辱 光榮と恥辱。易經·繫辭上:「樞機之發,榮辱之主也。」(樞機 之れ發す,榮辱 之れ主とする也。)枢機とは、1 物事の最も大切なところ。かなめ。要所。2 重要な政務。

16 朝班及暮齒 晩年になって朝班を得たことを言う。暮齒:晩年を言う。杜甫75746歳鳳翔行在所において左拾遺を授けられる。76453歳工部員外郎となり緋魚袋をたまわる。 

17 粟 脱粟の飯とは、もみがらを取り去っただけで精白してない米を炊いた飯。玄米飯。

18 編蓬 蓬を編んで戸扉とするをいう。編蓬以為門 亦指結草為廬。 漢東方朔《非有先生論》「居深山之間, 積土為室, 編蓬為 彈琴其中, 以詠先王之風, 亦可以樂而忘死矣。」

19 石城東 夔州城は石城といわれ、東はその東、即ち杜甫の草堂のある瀼西を言う。

20 采藥 采藥,亦作“采葯”。藥物を采集するを謂う。 亦た、世を避けて隱居するを指し、或いは、仙修の道を求めることをさす。 《後漢書逸民傳龐公》「後遂攜其妻子登鹿門山, 因采藥不反。」(後、遂に其の妻子を攜えて鹿門山に登り, 因て藥を采り反らず。 唐李白《悲清秋賦》「歸去來兮人間可以托些,吾將采藥於蓬邱。」(歸りなんいざ、人間 可なり 以て托し,吾 將に藥を蓬邱に采る。)

21 山北谷 山北の谷とは瀼西の居よりいわば蓋し、白谷をいう。杜甫《19-10 上後園山》詩に山北の谷について述べているが初四句に「朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。」(朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。)とある。

767-12-#1杜甫 19-10 上後園山#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-12-#1 <1095 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7155 

 

22 寫懷 抒發情懷。漢蔡邕《司徒袁公夫人馬氏碑銘》:「哀子懿達、仁達,銜恤哀痛,靡所寫懷,乃撰録母氏之德所履,示公之門人。」三國魏明帝《苦寒行》:「賦詩以寫懷,伏軾淚沾纓。」

23 河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。うじゃく:かささぎ 「烏鵲の智」 遠い将来のことばかり心配して、近くに迫っている災難に気がつかないこと。かささぎは強風の多い年には風をさけようとして巣を低い枝にかけるが、そのために、雛や卵を人に捕られることまでは、知恵がまわらない。このことを「喜」に置き換えてうたう。李商隠辛未七夕」 李商隠にカササギが銀河の橋渡しをしてくれる鳥としている。『詩経』「鵲巢」にはカササギは巣作りに一生懸命、出来上がった巣は立派な頑丈なもの、しかし鳩が子育てに使う。しかしたくさんのお客がついてくる、というもの。

天河 杜甫<292kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

初月 杜甫<293kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 700- 413

24 梁棟 ① (建物の屋根の主要材である)棟(むね)と梁(はり)。 一国の臣。 一族・一門を率いる者。かしら。おさ。頭領。統領。 「武家の-」 大工の親方。かしら。寝ていて朝日が射しこんで本来うす暗いところが明るくなることを言う。

25 羣生 もろもろの生物。

26 一宿 一夜の棲宿をしたこと。

27 飛動 禽獣をいう。

28 儔匹 同類 共に生を遂げる。

29 營營 働く姿を言う。

30 私實 私有財産、財物をいう。國語 楚語》「蓄衆、聚實。」(衆を蓄え、實を聚む)

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杜甫  寫懷,二首之二  #1

夜深坐南軒,明月照我膝。驚風翻河漢,梁棟已出日。

群生各一宿,飛動自儔匹。吾亦驅其兒,營營為私實。
(自分の胸の内を写し述べた詩)その二  夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

杜少陵集20-101-#1

寫懷,二首之二  #1

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杜甫詩index-15-

767年大暦256  21  #1

1135 <1585

 

 

 
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年:767年大暦256  21  #1

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

寫懷,二首之二  #1

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

夜深坐南軒,明月照我膝。

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

驚風翻河漢,梁棟已出日。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

群生各一宿,飛動自儔匹。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

吾亦驅其兒,營營為私實。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

古者三皇前,滿腹志願畢。

胡為有結繩,陷此膠與漆。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

終契如往還,得匪合仙術。

 

(懷を寫す,二首の一) #1

夜深くして南軒に坐す,明月 我が膝を照らす。

驚風 河漢を翻す,梁棟 已に日出づ。

群生 各の一宿す,飛動 自ら儔匹す。

吾も亦た 其の兒を驅る,營營たる 私實の為なり。

 

 

『寫懷,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寫懷,二首之二  #1

夜深坐南軒,明月照我膝。

驚風翻河漢,梁棟已出日。

群生各一宿,飛動自儔匹。

吾亦驅其兒,營營為私實。
詩文(含異文)

夜深坐南軒,明月照我膝。驚風翻河漢,梁棟已出日【梁棟日已出】。

群生各一宿,飛動自儔匹。吾亦驅其兒,營營為私實【營營為私室】。


(下し文)
(懷を寫す,二首の二) #1

夜深くして南軒に坐す,明月 我が膝を照らす。

驚風 河漢を翻す,梁棟 已に日出づ。

群生 各の一宿す,飛動 自ら儔匹す。

吾も亦た 其の兒を驅る,營營たる 私實の為なり。

(現代語訳)
寫懷,二首之二  #1 (自分の胸の内を写し述べた詩)その二

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。


(訳注)

寫懷,二首之二  #1

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

抒發情懷。漢蔡邕《司徒袁公夫人馬氏碑銘》:「哀子懿達、仁達,銜恤哀痛,靡所寫懷,乃撰録母氏之德所履,示公之門人。」三國魏明帝《苦寒行》:「賦詩以寫懷,伏軾淚沾纓。」

 

夜深坐南軒,明月照我膝。

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

 

驚風翻河漢,梁棟已出日。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。うじゃく:かささぎ 「烏鵲の智」 遠い将来のことばかり心配して、近くに迫っている災難に気がつかないこと。かささぎは強風の多い年には風をさけようとして巣を低い枝にかけるが、そのために、雛や卵を人に捕られることまでは、知恵がまわらない。このことを「喜」に置き換えてうたう。李商隠辛未七夕」 李商隠にカササギが銀河の橋渡しをしてくれる鳥としている。『詩経』「鵲巢」にはカササギは巣作りに一生懸命、出来上がった巣は立派な頑丈なもの、しかし鳩が子育てに使う。しかしたくさんのお客がついてくる、というもの。

天河 杜甫<292kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

初月 杜甫<293kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 700- 413

梁棟 ① (建物の屋根の主要材である)棟(むね)と梁(はり)。 一国の臣。 一族・一門を率いる者。かしら。おさ。頭領。統領。 「武家の-」 大工の親方。かしら。寝ていて朝日が射しこんで本来うす暗いところが明るくなることを言う。

 

群生各一宿,飛動自儔匹。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

羣生 もろもろの生物。

一宿 一夜の棲宿をしたこと。

飛動 禽獣をいう。

儔匹 同類 共に生を遂げる。

 

吾亦驅其兒,營營為私實。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

營營 働く姿を言う。

私實 私有財産、財物をいう。國語 楚語》「蓄衆、聚實。」(衆を蓄え、實を聚む)

 

denen03350 

 

 

寫懷,二首【字解】

寫懷,二首之一 #1

勞生共乾坤,何處異風俗。

冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。

編蓬石城東,采藥山北谷。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。

非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。

曲直我不知,負暄候樵牧。 

 

(自分の胸の内を写し述べた詩)

1 勞生 我々に生命を与えて苦労させる。《莊子.大宗師》:「夫大塊載我以形,勞我以生,佚我以老,息我以死。」(夫れ大塊は我を載するに形を以てし,我を勞するに生を以てし,我を佚するに老を以てし,我を息するに死をて以す。)大地は我々に形を与えてくれる。そしてまた我々に生命を与えて苦労させ、歳をとらせて楽にし、死を与えて休息させてくれる。

2 共乾坤 同一の天地の間にあることを言う。1 (えき)の卦()の乾と坤。2 天と地。天地。3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

3 異風俗 風俗異ならず、ということではなく、異を諭ずるに及ばざるをいう。 

4 冉冉 1.進行の貌。次第に進んでいくさま。徐々に侵し広がるさま。2(髪の毛や木の枝・葉などが)しなやかに垂れる.

5 趨競 はしり競う。競い争うこと。名利の途におもむく。爭名奪利。《宋史.卷二九六.呂祐之傳》:「祐之純謹長者,不喜趨競。」

6 行行 一歩一歩。魏 武帝《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

7 羈束 からだをつなぎしばられる。

8 無貴賤不悲,無富貧亦足 阮籍《大人先生傳》「夫無貴則賤者不怨,無富則貧者不爭,各足於身而無所求也。」(夫れ貴無んば則ち賤者怨まず,富無んば則ち貧者爭わず,各の身に足して求むる所無し也。)に基づく。

9 一骸骨 だれも同一骸骨になる

10 遞 1 横へ横へと次々に伝え送る。「逓信・逓送/駅逓・伝逓」2 だんだん。しだいに。

11 歌哭 笑い歌いまた悲しみ哭することで烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。

12 鄙夫 いやしい男。下品な男。現在の自分が思うようにならない様子を謙遜して使う語。

13 三 755年永泰元年、756年大暦元年、757年大暦二年の三年を言う。

14 如轉燭 風中に搖曳く燭火の瞬く間。比するのは、世事のことであり、月の遷流するのが迅速であることである。杜甫《0715佳人》詩「世情惡衰歇,萬事隨轉燭。」(世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335

15 榮辱 光榮と恥辱。易經·繫辭上:「樞機之發,榮辱之主也。」(樞機 之れ發す,榮辱 之れ主とする也。)枢機とは、1 物事の最も大切なところ。かなめ。要所。2 重要な政務。

16 朝班及暮齒 晩年になって朝班を得たことを言う。暮齒:晩年を言う。杜甫75746歳鳳翔行在所において左拾遺を授けられる。76453歳工部員外郎となり緋魚袋をたまわる。 

17 粟 脱粟の飯とは、もみがらを取り去っただけで精白してない米を炊いた飯。玄米飯。

18 編蓬 蓬を編んで戸扉とするをいう。編蓬以為門 亦指結草為廬。 漢東方朔《非有先生論》「居深山之間, 積土為室, 編蓬為 彈琴其中, 以詠先王之風, 亦可以樂而忘死矣。」

19 石城東 夔州城は石城といわれ、東はその東、即ち杜甫の草堂のある瀼西を言う。

20 采藥 采藥,亦作“采葯”。藥物を采集するを謂う。 亦た、世を避けて隱居するを指し、或いは、仙修の道を求めることをさす。 《後漢書逸民傳龐公》「後遂攜其妻子登鹿門山, 因采藥不反。」(後、遂に其の妻子を攜えて鹿門山に登り, 因て藥を采り反らず。 唐李白《悲清秋賦》「歸去來兮人間可以托些,吾將采藥於蓬邱。」(歸りなんいざ、人間 可なり 以て托し,吾 將に藥を蓬邱に采る。)

21 山北谷 山北の谷とは瀼西の居よりいわば蓋し、白谷をいう。杜甫《19-10 上後園山》詩に山北の谷について述べているが初四句に「朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。」(朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。)とある。

767-12-#1杜甫 19-10 上後園山#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-12-#1 <1095 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7155 
安史の乱当時の勢力図 

767年-20#3杜少陵集 《20-100 寫懷,二首之一 #3》 杜甫詩index-15-1134 <1584> 767年大暦2年56歲-20#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7317

杜甫  寫懷,二首之一 #3

用心霜雪間,不必條蔓綠。非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。曲直我不知,負暄候樵牧。

その藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりであるとはかぎらず、霜や雪が降った時でも怠らず採っているのである。こんなことをしているのは「荘子」がいうよう「安排」といふことをわざとやるのではなく、自己の幽燭の本性にさからわないことというのにほかならないのである。「達士は直きこと弦の如く、小人は曲れること鈎の如くだ」ときく。自分は曲だの直だのといふことはわからぬ、ただ日向ぼっこをしながら樵夫や牧童のさまをのぞいているだけである。

杜少陵集20-100-#3

寫懷,二首之一  #3

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  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 13魏承班《巻九09訴衷情五首其五》『花間集』411全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7319  
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年:767年大暦256

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

寫懷,二首之一#1

(自分の胸の内を写し述べた詩)

勞生共乾坤,何處異風俗。

どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることは天地に共通していることだ。

冉冉自趨競,行行見羈束。

生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあっている間に一歩一歩その、名利の綱にしばられてしまう。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

貴ということがなくば、賤者も悲しまないし、富ということがなくば、貧者も貧で一定の満足しているものだ。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

萬古の久しきにわたってかんがえるとだれも同一骸骨になるのだが、さりとも心づかずに隣りあいでたがいに悲歓歌哭をしつつある。

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

思うようにならない自分としては、巫峡へきてから、轉燭のごとく三年というものがまたたくまにすぎたのである。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

どうやら今、生命を全くして滞留に甘んじるだけであり、喜憂の情を忘れ、栄辱のなるがままになっている。

朝班及暮齒,日給還粟。

晩年になってから朝位をわかち、緋魚袋をたまわりはしたが、日日やっぱり玄米にありついているのである。

編蓬石城東,采藥山北谷。

夔州の石城の東に蓬を編んで門とし、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしているのである。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。

その藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりであるとはかぎらず、霜や雪が降った時でも怠らず採っているのである。

非關故安排,曾是順幽獨。

こんなことをしているのは「荘子」がいうよう「安排」といふことをわざとやるのではなく、自己の幽燭の本性にさからわないことというのにほかならないのである。

達士如弦直,小人似鉤曲。

「達士は直きこと弦の如く、小人は曲れること鈎の如くだ」ときく。

曲直我不知,負暄候樵牧。

自分は曲だの直だのといふことはわからぬ、ただ日向ぼっこをしながら樵夫や牧童のさまをのぞいているだけである。

(懷を寫す,二首の一) #1

生に勞せしめらるるは乾坤を共にす,何の處か 風俗を異にす。

冉冉 自ら趨競して,行行 羈束せらるる。

貴 無くば 賤 悲まず,富 無くば 貧 亦た足る。

萬古 一骸骨,鄰家 遞いに 歌い哭す。

#2

鄙夫 巫峽に到り,三 轉燭の如し。

命を全うし留滯にん甘じ,情を忘れて榮辱に任す。

朝班 暮齒に及ぶ,日給 還た粟をす。

蓬を編す 石城の東,藥を采る 山北の谷。

#3

心を霜雪の間に用う,條蔓の綠なるを必とせず。

故【ことさ】らに排に安んじて關するに非らず,曾【すなわ】ち是れ幽獨に順う。

達士は弦の直きが如く,小人は鉤の曲れるに似たり。

曲直は我 知らず,暄を負いて樵牧を候【うかが】う。

DCF00004 

『寫懷,二首之一』  現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。

非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。

曲直我不知,負暄候樵牧。

(下し文)
#3

心を霜雪の間に用う,條蔓の綠なるを必とせず。

故【ことさ】らに排に安んじて關するに非らず,曾【すなわ】ち是れ幽獨に順う。

達士は弦の直きが如く,小人は鉤の曲れるに似たり。

曲直は我 知らず,暄を負いて樵牧を候【うかが】う。

(現代語訳)
#3

その藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりであるとはかぎらず、霜や雪が降った時でも怠らず採っているのである。

こんなことをしているのは「荘子」がいうよう「安排」といふことをわざとやるのではなく、自己の幽燭の本性にさからわないことというのにほかならないのである。

「達士は直きこと弦の如く、小人は曲れること鈎の如くだ」ときく。

自分は曲だの直だのといふことはわからぬ、ただ日向ぼっこをしながら樵夫や牧童のさまをのぞいているだけである。


(訳注) #3

寫懷,二首之一3

(自分の胸の内を写し述べた詩)

 

用心霜雪間,不必條蔓綠。

その藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりであるとはかぎらず、霜や雪が降った時でも怠らず採っているのである。

22 用心霜雪間 霜や雪が降った時でも怠らず採っているのである。

23 不必條蔓綠 藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりである。

 

非關故安排,曾是順幽獨。

こんなことをしているのは「荘子」がいうよう「安排」といふことをわざとやるのではなく、自己の幽燭の本性にさからわないことというのにほかならないのである。

24 安排 事の推移に甘んじ、変化に従っていくこと。『荘子、大宗師、第六』

「造適不及笑、獻笑不及排、安排而去化、乃入於寥天一。」(造るところに適すれば笑うに及ばず、獻もて笑えば排するに及ばず、排に安んじて化に去れば、乃ち寥に入りて天と一たらん。)“どこに行っても楽しいなら特別に楽しみ笑うには及ばないし、良いことをして楽しむならそこには選択があるのだから事の推移に従えない。事の推移に甘んじ、変化に従っていくならば広々としたところに入り、天と一体になるでしょう。”とあり、又、莊子に、委順ということもあり、運命のままに身を任せておくを言う。安排もおなじ。

25 順幽獨 杜甫の幽燭の本性にさからわないこと。

 

達士如弦直,小人似鉤曲。

「達士は直きこと弦の如く、小人は曲れること鈎の如くだ」ときく。

26 達士 達観した高士。

27 弦直・鉤曲 後漢の順帝末の童謡に「如弦直、死道邊、曲如鉤、封公侯。」とあるに基づく。

 

曲直我不知,負暄候樵牧。

自分は曲だの直だのといふことはわからぬ、ただ日向ぼっこをしながら樵夫や牧童のさまをのぞいているだけである。

28 負暄 日なたぼっこ。

候樵牧 樵夫牧童のなすがままをうかがう。

 

00大豆畑 

 

 

 

 

寫懷,二首【字解】

 

 

(自分の胸の内を写し述べた詩)

1 勞生 我々に生命を与えて苦労させる。《莊子.大宗師》:「夫大塊載我以形,勞我以生,佚我以老,息我以死。」(夫れ大塊は我を載するに形を以てし,我を勞するに生を以てし,我を佚するに老を以てし,我を息するに死をて以す。)大地は我々に形を与えてくれる。そしてまた我々に生命を与えて苦労させ、歳をとらせて楽にし、死を与えて休息させてくれる。

2 共乾坤 同一の天地の間にあることを言う。1 (えき)の卦()の乾と坤。2 天と地。天地。3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

3 異風俗 風俗異ならず、ということではなく、異を諭ずるに及ばざるをいう。 

4 冉冉 1.進行の貌。次第に進んでいくさま。徐々に侵し広がるさま。2(髪の毛や木の枝・葉などが)しなやかに垂れる.

5 趨競 はしり競う。競い争うこと。名利の途におもむく。爭名奪利。《宋史.卷二九六.呂祐之傳》:「祐之純謹長者,不喜趨競。」

6 行行 一歩一歩。魏 武帝《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

7 羈束 からだをつなぎしばられる。

8 無貴賤不悲,無富貧亦足 阮籍《大人先生傳》「夫無貴則賤者不怨,無富則貧者不爭,各足於身而無所求也。」(夫れ貴無んば則ち賤者怨まず,富無んば則ち貧者爭わず,各の身に足して求むる所無し也。)に基づく。

9 一骸骨 だれも同一骸骨になる

10 遞 1 横へ横へと次々に伝え送る。「逓信・逓送/駅逓・伝逓」2 だんだん。しだいに。

11 歌哭 笑い歌いまた悲しみ哭することで烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。

12 鄙夫 いやしい男。下品な男。現在の自分が思うようにならない様子を謙遜して使う語。

13 三 755年永泰元年、756年大暦元年、757年大暦二年の三年を言う。

14 如轉燭 風中に搖曳く燭火の瞬く間。比するのは、世事のことであり、月の遷流するのが迅速であることである。杜甫《0715佳人》詩「世情惡衰歇,萬事隨轉燭。」(世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335

15 榮辱 光榮と恥辱。易經·繫辭上:「樞機之發,榮辱之主也。」(樞機 之れ發す,榮辱 之れ主とする也。)枢機とは、1 物事の最も大切なところ。かなめ。要所。2 重要な政務。

16 朝班及暮齒 晩年になって朝班を得たことを言う。暮齒:晩年を言う。杜甫75746歳鳳翔行在所において左拾遺を授けられる。76453歳工部員外郎となり緋魚袋をたまわる。 

17 粟 脱粟の飯とは、もみがらを取り去っただけで精白してない米を炊いた飯。玄米飯。

18 編蓬 蓬を編んで戸扉とするをいう。編蓬以為門 亦指結草為廬。 漢東方朔《非有先生論》「居深山之間, 積土為室, 編蓬為 彈琴其中, 以詠先王之風, 亦可以樂而忘死矣。」

19 石城東 夔州城は石城といわれ、東はその東、即ち杜甫の草堂のある瀼西を言う。

20 采藥 采藥,亦作“采葯”。藥物を采集するを謂う。 亦た、世を避けて隱居するを指し、或いは、仙修の道を求めることをさす。 《後漢書逸民傳龐公》「後遂攜其妻子登鹿門山, 因采藥不反。」(後、遂に其の妻子を攜えて鹿門山に登り, 因て藥を采り反らず。 唐李白《悲清秋賦》「歸去來兮人間可以托些,吾將采藥於蓬邱。」(歸りなんいざ、人間 可なり 以て托し,吾 將に藥を蓬邱に采る。)

21 山北谷 山北の谷とは瀼西の居よりいわば蓋し、白谷をいう。杜甫《19-10 上後園山》詩に山北の谷について述べているが初四句に「朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。」(朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。)とある。

767-12-#1杜甫 19-10 上後園山#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-12-#1 <1095 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7155 

767年-20#2杜少陵集 《20-100 寫懷,二首之一 #2》 杜甫詩index-15-1133 <1583> 767年大暦2年56歲-20#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7312

杜甫  寫懷,二首之一 #2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。編蓬石城東,采藥山北谷。
思うようにならない自分としては、巫峡へきてから、轉燭のごとく三年というものがまたたくまにすぎたのである。どうやら今、生命を全くして滞留に甘んじるだけであり、喜憂の情を忘れ、栄辱のなるがままになっている。晩年になってから朝位をわかち、緋魚袋をたまわりはしたが、日日やっぱり玄米にありついているのである。夔州の石城の東に蓬を編んで門とし、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしているのである。

杜少陵集20-100-#2

寫懷,二首之一  #2

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杜甫詩index-15-

767年大暦256  20  #2

1133 <1583

 

 
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年:767年大暦256

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:             

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詩文:

 

 

寫懷,二首之一#1

(自分の胸の内を写し述べた詩)

勞生共乾坤,何處異風俗。

どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることは天地に共通していることだ。

冉冉自趨競,行行見羈束。

生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあっている間に一歩一歩その、名利の綱にしばられてしまう。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

貴ということがなくば、賤者も悲しまないし、富ということがなくば、貧者も貧で一定の満足しているものだ。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

萬古の久しきにわたってかんがえるとだれも同一骸骨になるのだが、さりとも心づかずに隣りあいでたがいに悲歓歌哭をしつつある。

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

思うようにならない自分としては、巫峡へきてから、轉燭のごとく三年というものがまたたくまにすぎたのである。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

どうやら今、生命を全くして滞留に甘んじるだけであり、喜憂の情を忘れ、栄辱のなるがままになっている。

朝班及暮齒,日給還粟。

晩年になってから朝位をわかち、緋魚袋をたまわりはしたが、日日やっぱり玄米にありついているのである。

編蓬石城東,采藥山北谷。

夔州の石城の東に蓬を編んで門とし、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしているのである。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。

非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。

曲直我不知,負暄候樵牧。

(懷を寫す,二首の一) #1

生に勞せしめらるるは乾坤を共にす,何の處か 風俗を異にす。

冉冉 自ら趨競して,行行 羈束せらるる。

貴 無くば 賤 悲まず,富 無くば 貧 亦た足る。

萬古 一骸骨,鄰家 遞いに 歌い哭す。

#2

鄙夫 巫峽に到り,三 轉燭の如し。

命を全うし留滯にん甘じ,情を忘れて榮辱に任す。

朝班 暮齒に及ぶ,日給 還た粟をす。

蓬を編す 石城の東,藥を采る 山北の谷。

唐時代 地図山南 東・西道50 

『寫懷,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。

編蓬石城東,采藥山北谷。

(下し文)
#2

鄙夫 巫峽に到り,三 轉燭の如し。

命を全うし留滯にん甘じ,情を忘れて榮辱に任す。

朝班 暮齒に及ぶ,日給 還た粟を

蓬を編す 石城の東,藥を采る 山北の谷。

(現代語訳)
#2

思うようにならない自分としては、巫峡へきてから、轉燭のごとく三年というものがまたたくまにすぎたのである。

どうやら今、生命を全くして滞留に甘んじるだけであり、喜憂の情を忘れ、栄辱のなるがままになっている。

晩年になってから朝位をわかち、緋魚袋をたまわりはしたが、日日やっぱり玄米にありついているのである。

夔州の石城の東に蓬を編んで門とし、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしているのである。


(訳注) #2

寫懷,二首之一2

(自分の胸の内を写し述べた詩)

 

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

思うようにならない自分としては、巫峡へきてから、轉燭のごとく三年というものがまたたくまにすぎたのである。

12 鄙夫 いやしい男。下品な男。現在の自分が思うようにならない様子を謙遜して使う語。

13 三 755年永泰元年、756年大暦元年、757年大暦二年の三年を言う。

14 如轉燭 風中に搖曳く燭火の瞬く間。比するのは、世事のことであり、月の遷流するのが迅速であることである。杜甫《0715佳人》詩「世情惡衰歇,萬事隨轉燭。」(世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335

 

全命甘留滯,忘情任榮辱。

どうやら今、生命を全くして滞留に甘んじるだけであり、喜憂の情を忘れ、栄辱のなるがままになっている。

15 榮辱 光榮と恥辱。易經·繫辭上:「樞機之發,榮辱之主也。」(樞機 之れ發す,榮辱 之れ主とする也。)枢機とは、1 物事の最も大切なところ。かなめ。要所。2 重要な政務。

 

朝班及暮齒,日給還粟。

晩年になってから朝位をわかち、緋魚袋をたまわりはしたが、日日やっぱり玄米にありついているのである。

16 朝班及暮齒 晩年になって朝班を得たことを言う。暮齒:晩年を言う。杜甫75746歳鳳翔行在所において左拾遺を授けられる。76453歳工部員外郎となり緋魚袋をたまわる。 

17 粟 脱粟の飯とは、もみがらを取り去っただけで精白してない米を炊いた飯。玄米飯。

 

編蓬石城東,采藥山北谷。

夔州の石城の東に蓬を編んで門とし、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしているのである。

18 編蓬 蓬を編んで戸扉とするをいう。編蓬以為門 亦指結草為廬。 漢東方朔《非有先生論》「居深山之間, 積土為室, 編蓬為 彈琴其中, 以詠先王之風, 亦可以樂而忘死矣。」

19 石城東 夔州城は石城といわれ、東はその東、即ち杜甫の草堂のある瀼西を言う。

20 采藥 采藥,亦作“采葯”。藥物を采集するを謂う。 亦た、世を避けて隱居するを指し、或いは、仙修の道を求めることをさす。 《後漢書逸民傳龐公》「後遂攜其妻子登鹿門山, 因采藥不反。」(後、遂に其の妻子を攜えて鹿門山に登り, 因て藥を采り反らず。 唐李白《悲清秋賦》「歸去來兮人間可以托些,吾將采藥於蓬邱。」(歸りなんいざ、人間 可なり 以て托し,吾 將に藥を蓬邱に采る。)

21 山北谷 山北の谷とは瀼西の居よりいわば蓋し、白谷をいう。杜甫《19-10 上後園山》詩に山北の谷について述べているが初四句に「朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。」(朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。)とある。

767-12-#1杜甫 19-10 上後園山#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-12-#1 <1095 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7155 

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

寫懷,二首【字解】

 

 

(自分の胸の内を写し述べた詩)

1 勞生 我々に生命を与えて苦労させる。《莊子.大宗師》:「夫大塊載我以形,勞我以生,佚我以老,息我以死。」(夫れ大塊は我を載するに形を以てし,我を勞するに生を以てし,我を佚するに老を以てし,我を息するに死をて以す。)大地は我々に形を与えてくれる。そしてまた我々に生命を与えて苦労させ、歳をとらせて楽にし、死を与えて休息させてくれる。

2 共乾坤 同一の天地の間にあることを言う。1 (えき)の卦()の乾と坤。2 天と地。天地。3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

3 異風俗 風俗異ならず、ということではなく、異を諭ずるに及ばざるをいう。 

4 冉冉 1.進行の貌。次第に進んでいくさま。徐々に侵し広がるさま。2(髪の毛や木の枝・葉などが)しなやかに垂れる.

5 趨競 はしり競う。競い争うこと。名利の途におもむく。爭名奪利。《宋史.卷二九六.呂祐之傳》:「祐之純謹長者,不喜趨競。」

6 行行 一歩一歩。魏 武帝《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

7 羈束 からだをつなぎしばられる。

8 無貴賤不悲,無富貧亦足 阮籍《大人先生傳》「夫無貴則賤者不怨,無富則貧者不爭,各足於身而無所求也。」(夫れ貴無んば則ち賤者怨まず,富無んば則ち貧者爭わず,各の身に足して求むる所無し也。)に基づく。

9 一骸骨 だれも同一骸骨になる

10 遞 1 横へ横へと次々に伝え送る。「逓信・逓送/駅逓・伝逓」2 だんだん。しだいに。

11 歌哭 笑い歌いまた悲しみ哭することで烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。

767年-20#1杜少陵集 《20-100 寫懷,二首之一 #1》 杜甫詩index-15-1132 <1582> 767年大暦2年56歲-20#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7307

杜甫  寫懷,二首之一#1

勞生共乾坤,何處異風俗。冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

(自分の胸の内を写し述べた詩)

どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることは天地に共通していることだ。生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあっている間に一歩一歩その、名利の綱にしばられてしまう。貴ということがなくば、賤者も悲しまないし、富ということがなくば、貧者も貧で一定の満足しているものだ。萬古の久しきにわたってかんがえるとだれも同一骸骨になるのだが、さりとも心づかずに隣りあいでたがいに悲歓歌哭をしつつある。

杜少陵集20-100

寫懷,二首之一  #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7307 

杜甫詩index-15-

767年大暦256

20  #1

1132 <1582

 

 
  2016年2月8日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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杜甫詩1500-1132-1582/2500

年:767年大暦256

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

寫懷,二首之一#1

(自分の胸の内を写し述べた詩)

勞生共乾坤,何處異風俗。

どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることは天地に共通していることだ。

冉冉自趨競,行行見羈束。

生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあっている間に一歩一歩その、名利の綱にしばられてしまう。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

貴ということがなくば、賤者も悲しまないし、富ということがなくば、貧者も貧で一定の満足しているものだ。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

萬古の久しきにわたってかんがえるとだれも同一骸骨になるのだが、さりとも心づかずに隣りあいでたがいに悲歓歌哭をしつつある。

(懷を寫す,二首の一) #1

生に勞せしめらるるは乾坤を共にす,何の處か 風俗を異にす。

冉冉 自ら趨競して,行行 羈束せらるる。

貴 無くば 賤 悲まず,富 無くば 貧 亦た足る。

萬古 一骸骨,鄰家 遞いに 歌い哭す。
#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。

編蓬石城東,采藥山北谷。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。

非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。

曲直我不知,負暄候樵牧。

 

安史の乱当時の勢力図 

『寫懷,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寫懷,二首之一#1

勞生共乾坤,何處異風俗。

冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

(下し文)

(懷を寫す,二首の一) #1

生に勞せしめらるるは乾坤を共にす,何の處か 風俗を異にす。

冉冉 自ら趨競して,行行 羈束せらるる。

貴 無くば 賤 悲まず,富 無くば 貧 亦た足る。

萬古 一骸骨,鄰家 遞いに 歌い哭す。

(現代語訳)
寫懷,二首之一#1(自分の胸の内を写し述べた詩)

どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることは天地に共通していることだ。

生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあっている間に一歩一歩その、名利の綱にしばられてしまう。

貴ということがなくば、賤者も悲しまないし、富ということがなくば、貧者も貧で一定の満足しているものだ。

萬古の久しきにわたってかんがえるとだれも同一骸骨になるのだが、さりとも心づかずに隣りあいでたがいに悲歓歌哭をしつつある。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注)

寫懷,二首之一#1

(自分の胸の内を写し述べた詩)

 

勞生共乾坤,何處異風俗。

どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることは天地に共通していることだ。

1 勞生 我々に生命を与えて苦労させる。《莊子.大宗師》:「夫大塊載我以形,勞我以生,佚我以老,息我以死。」(夫れ大塊は我を載するに形を以てし,我を勞するに生を以てし,我を佚するに老を以てし,我を息するに死をて以す。)大地は我々に形を与えてくれる。そしてまた我々に生命を与えて苦労させ、歳をとらせて楽にし、死を与えて休息させてくれる。

2 共乾坤 同一の天地の間にあることを言う。1 (えき)の卦()の乾と坤。2 天と地。天地。3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

3 異風俗 風俗異ならず、ということではなく、異を諭ずるに及ばざるをいう。 

 

冉冉自趨競,行行見羈束。

生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあっている間に一歩一歩その、名利の綱にしばられてしまう。

4 冉冉 1.進行の貌。次第に進んでいくさま。徐々に侵し広がるさま。2(髪の毛や木の枝・葉などが)しなやかに垂れる.

5 趨競 はしり競う。競い争うこと。名利の途におもむく。爭名奪利。《宋史.卷二九六.呂祐之傳》:「祐之純謹長者,不喜趨競。」

6 行行 一歩一歩。魏 武帝《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

7 羈束 からだをつなぎしばられる。

 

無貴賤不悲,無富貧亦足。

貴ということがなくば、賤者も悲しまないし、富ということがなくば、貧者も貧で一定の満足しているものだ。

8 無貴賤不悲,無富貧亦足 阮籍《大人先生傳》「夫無貴則賤者不怨,無富則貧者不爭,各足於身而無所求也。」(夫れ貴無んば則ち賤者怨まず,富無んば則ち貧者爭わず,各の身に足して求むる所無し也。)に基づく。

 

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

萬古の久しきにわたってかんがえるとだれも同一骸骨になるのだが、さりとも心づかずに隣りあいでたがいに悲歓歌哭をしつつある。

9 一骸骨 だれも同一骸骨になる

10 遞 1 横へ横へと次々に伝え送る。「逓信・逓送/駅逓・伝逓」2 だんだん。しだいに。

11 歌哭 笑い歌いまた悲しみ哭することで烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。

767年-5-#6杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-5-#6 <1068> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7020

杜甫  鄭典設自施州歸 #6

孟冬方首路,強飯取崖壁。歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

だから冬の初め、十月にでもなったので、遊覧じみたことでもしようと、その門出にのぼり、無理にもご飯を食べ足して、元気をつけて崖路を通ろうと考えるのである。ところで乗り物であるが、今いるのはやくざな駑馬であって、脊中から「汗血馬」のようないい馬ではないから赤い血の汗もださないのである。だからいくら外見をよくしようとして、十分に飾りたてたとしても、そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。そうして、この乗り物でとりがとぶように翩翩と、施州への高山の鳥の通う道へとくりこむのであり、こうしていくのであれば、途上で家の駑馬で行ったなら躓いて災難に遭うことから、のがれることができると思うのである。 

767-5-#6杜甫 20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦256-5-#6 <1068 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7020

 

 
  2015年12月5日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(36)李白354 巻四22-《宮中行樂詞,八首之一》(小小生金屋,) 354Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(36) <李白354> Ⅰ李白詩1694 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7018  
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  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
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  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈110 -#2《 巻九03叉魚招張功曹》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1607> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7019  
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  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-5-#6杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-5-#6 <1068> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7020  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻七48河傳四首其二柳》『花間集』350全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7022  
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杜甫詩1500-1068-1551-#6/2500

年:767年大暦256-5-#4

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    鄭典設自施州歸

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)   

交遊人物/地點:鄭典設      書信往來

裴冕      詩文提及(黔中道 施州 施州)

 

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったことについてである。

名賢慎所出,不肯妄行役。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

鄭典設 施州より歸る #1

吾は憐れむ滎陽の秀,暑を冒して初め適く有り。

名賢は出る所を慎む,肯て妄りに行役せず。

茲の殊俗の遠きに旅するは,竟に屢空に迫らるるを以てなり。

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。

攀援懸根木,登頓入天石。

あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。

青山自一川,城郭洗憂慼。

それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。

聽子話此邦,令我心悅懌。

君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。
#2

南のかた裴施州に謁す,氣合して險僻を無みす。

攀援す 懸根の木,登頓す 入天の石。

青山 自ら一川,城郭 憂慼を洗う。

子が 此の邦を話すを聽けば,我をして 心 悅懌せしむ。
#3

其俗則純樸,不知有主客。

施州の風俗は淳僕で一般人民のあいだでは、主人もお客も区別がないという親密さである。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

そして、温情がある州の長官の門でも、古代のままの禮が残っている。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

裴長官はその台所の人にいいつけて客に普段の倍もある御馳走をすすめさせる、宴席では盃と料理盛り付けの大皿や盤が足の踏み場もないほど頗る狼藉たるものがある。

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

いまの時世は喪乱のときであるのにかかわらず、地場風俗と施政者の温情で、ここでは尊貴の人に対しても同輩に対するとおなじにされている。

#3

其の俗は則ち純樸にして,主客有るを知らず。

溫溫たり 諸侯の門,禮も亦た 古昔の如し。

廚に敕めて常羞に倍せしむ,杯盤 頗る狼藉たり。

時 喪亂に屬すと雖も,貴に事えて 匹敵に賞つ。 
#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

その夜ながのたのしき會において主客は意にかなった満足を得る、もとより裴氏と鄭氏とは親戚であるという関係もあるのではあるが。

群書一萬卷,博涉供務隙。

というのも、裴君は一萬巻もさまざまの書籍をたくわえ、公務のひまなおりにはそれ等にひろく目を通しているから、話が面白いのである。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

また前日のことであるが、裴君から手紙をもらったが、その文字は銀鈎のごとく、森疎たる矛戟をみるがごとくであった。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

君はその裴君のいたところから歸られたので、自分は狂喜してくつの後ろを倒して、いそいでひっかけて出迎え、裴君との経歴談を地面に圖をかいてもらってもとめるのである。

#4

中宵 良會に愜う,裴 鄭は 遠戚に非ず。

群書 一萬卷,博涉 務隙に供す。

他日 銀鉤を辱【かたじけな】くし,森疏 見矛戟をる。

倒屣【とうし】旋歸を喜ぶ,地に畫きて所歷を求む。
#5

乃聞風土質,又重田疇闢。

それから裴冕君がいる施州の風土がどんな性質かということを聞いたり、また田野の開拓されている様子をもきいた。

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

刺史裴君はむかしの後漢の寇恂を借りた故事に似た人物だから諸郡が競って同君を借りたいと願うのもあたりまえのこととおもう。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

いまや北風があつい瘴癘の気を吹き飛ばし去って、つかれて老いたこの身も散歩でもしたくなった。

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

渚をぶらつけば、兼葭をわたる風は寒く、高き山の路をくぐりゆけば蘿や蔦がおおいかぶさる。

此身仗兒僕,高興潛有激。

こどもらや下僕によりすがるこのからだではあるが、遊覧の興味がそれとなく激發されている。

#5

乃ち聞く 風土の質,又た重ぬ 田疇 闢けたりと。

刺史 寇恂に似たり,列郡 宜しく競い惜るべし。

北風 瘴癘を吹く,羸老 散策を思う。

渚を拂えば 蒹葭塞し,嶠を穿てば 蘿蔦冪う。

此の身 兒僕に仗るも,高興 潛に 激する有り。
#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。

だから冬の初め、十月にでもなったので、遊覧じみたことでもしようと、その門出にのぼり、無理にもご飯を食べ足して、元気をつけて崖路を通ろうと考えるのである。

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

ところで乗り物であるが、今いるのはやくざな駑馬であって、脊中から「汗血馬」のようないい馬ではないから赤い血の汗もださないのである。

終然備外飾,駕馭何所益。

だからいくら外見をよくしようとして、十分に飾りたてたとしても、そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

我有平肩輿,前途猶准的。

役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

そうして、この乗り物でとりがとぶように翩翩と、施州への高山の鳥の通う道へとくりこむのであり、こうしていくのであれば、途上で家の駑馬で行ったなら躓いて災難に遭うことから、のがれることができると思うのである。 

#6

孟冬 方に首路,強いて飯いて 崖壁を取らん。

爾を歎ず 疲れたる駑駘,汗溝 血 赤からず。

終然 外飾を備うるも,駕馭 何ぞ益する所かあらん。

我に平肩の輿有り,前途 猶お 准的なり。

翩翩として 鳥道に入れば,庶わくば 蹉跌の厄よりせん
瞿塘峡・白帝城・魚復

『鄭典設自施州歸』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄


(下し文)
#6

孟冬 方に首路,強いて飯いて 崖壁を取らん。

爾を歎ず 疲れたる駑駘,汗溝 血 赤からず。

終然 外飾を備うるも,駕馭 何ぞ益する所かあらん。

我に平肩の輿有り,前途 猶お 准的なり。

翩翩として 鳥道に入れば,庶わくば 蹉跌の厄よりせん

(現代語訳)
#6

だから冬の初め、十月にでもなったので、遊覧じみたことでもしようと、その門出にのぼり、無理にもご飯を食べ足して、元気をつけて崖路を通ろうと考えるのである。

ところで乗り物であるが、今いるのはやくざな駑馬であって、脊中から「汗血馬」のようないい馬ではないから赤い血の汗もださないのである。

だからいくら外見をよくしようとして、十分に飾りたてたとしても、そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

そうして、この乗り物でとりがとぶように翩翩と、施州への高山の鳥の通う道へとくりこむのであり、こうしていくのであれば、途上で家の駑馬で行ったなら躓いて災難に遭うことから、のがれることができると思うのである。 

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注) #6

鄭典設自施州歸 

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)大暦二年十月の作。#6

 

孟冬方首路,強飯取崖壁。

だから冬の初め、十月にでもなったので、遊覧じみたことでもしようと、その門出にのぼり、無理にもご飯を食べ足して、元気をつけて崖路を通ろうと考えるのである。

【1】    孟冬 冬の初の月、十月。因みに、十二か月を示すと、一、端月;二、花月;三、桐月;四、梅月;五、蒲月;六、暑月;七、瓜月;八、桂月;九、菊月;十、陽月;十一、霞月;十二、臘月。

【2】    首路 初めて路程にのぼる、

【3】    強飯 無理に加飯する。

【4】    取崖壁 進む路を崖壁にとる。

 

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

ところで乗り物であるが、今いるのはやくざな駑馬であって、脊中から「汗血馬」のようないい馬ではないから赤い血の汗もださないのである。

【5】    爾 やくざな駑馬をいう。

【6】    駑駘 やくざな駑馬。

【7】    汗溝 馬の背中。

【8】     血不赤 「汗血馬」のようないい馬ではない。杜甫は馬が好きで、馬についていくつかの詩を残している。ここはそうしたいい馬ではないことを言う。汗血馬(かんけつば)は、中国の歴史上で名馬といわれた馬の種類。「血のような汗を流して走る馬」という意味で「汗血馬」と呼ばれる。紀元前4世紀頃から中国は遊牧騎馬民族の侵入を受け続けた。動作が機敏で頑健な北方民族の騎兵に比べ漢民族の使う馬は痩せて非力な馬が多く、重装した兵士が跨って戦う事ができなかった。紀元前2世紀初めの匈奴との戦いでは漢民族側の騎兵は10万頭の馬を失い、強く健康な北方の馬を手に入れることが防衛の要と考えられるようになった。杜甫《洗兵行(洗兵馬)》「京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。」(京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。)長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。

 

終然備外飾,駕馭何所益。

だからいくら外見をよくしようとして、十分に飾りたてたとしても、そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

【9】    終然 ついに。

【10】  外飾 外見をよくしようとして、十分に飾りたてること。

【11】  駕馭何所益 そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

 

我有平肩輿,前途猶准的。

役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

【12】  平肩輿 方で担ぐ籠とか、神輿。

【13】  准的 目的、目指す的。

 

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

そうして、この乗り物でとりがとぶように翩翩と、施州への高山の鳥の通う道へとくりこむのであり、こうしていくのであれば、途上で家の駑馬で行ったなら躓いて災難に遭うことから、のがれることができると思うのである。 

【14】  翩翩 みこしに乗って飛ぶような心地を言う。

【15】  鳥道 裴冕のいる施州に行くには鳥が飛んで山を越えるような道であるというほどの意。

【16】  蹉跌厄 駑馬で行ったなら躓いて災難に遭う。

 夔州東川卜居図詳細 001

 

 

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767年-5-#6杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-5-#6 <1068> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7020

杜甫  鄭典設自施州歸 #6

孟冬方首路,強飯取崖壁。歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

だから冬の初め、十月にでもなったので、遊覧じみたことでもしようと、その門出にのぼり、無理にもご飯を食べ足して、元気をつけて崖路を通ろうと考えるのである。ところで乗り物であるが、今いるのはやくざな駑馬であって、脊中から「汗血馬」のようないい馬ではないから赤い血の汗もださないのである。だからいくら外見をよくしようとして、十分に飾りたてたとしても、そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。そうして、この乗り物でとりがとぶように翩翩と、施州への高山の鳥の通う道へとくりこむのであり、こうしていくのであれば、途上で家の駑馬で行ったなら躓いて災難に遭うことから、のがれることができると思うのである。 

767-5-#6杜甫 20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦256-5-#6 <1068 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7020

 

 

杜甫詩1500-1068-1551-#6/2500

年:767年大暦256-5-#4

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    鄭典設自施州歸

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)   

交遊人物/地點:鄭典設      書信往來

裴冕      詩文提及(黔中道 施州 施州)

 

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったことについてである。

名賢慎所出,不肯妄行役。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

鄭典設 施州より歸る #1

吾は憐れむ滎陽の秀,暑を冒して初め適く有り。

名賢は出る所を慎む,肯て妄りに行役せず。

茲の殊俗の遠きに旅するは,竟に屢空に迫らるるを以てなり。

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。

攀援懸根木,登頓入天石。

あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。

青山自一川,城郭洗憂慼。

それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。

聽子話此邦,令我心悅懌。

君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。
#2

南のかた裴施州に謁す,氣合して險僻を無みす。

攀援す 懸根の木,登頓す 入天の石。

青山 自ら一川,城郭 憂慼を洗う。

子が 此の邦を話すを聽けば,我をして 心 悅懌せしむ。
#3

其俗則純樸,不知有主客。

施州の風俗は淳僕で一般人民のあいだでは、主人もお客も区別がないという親密さである。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

そして、温情がある州の長官の門でも、古代のままの禮が残っている。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

裴長官はその台所の人にいいつけて客に普段の倍もある御馳走をすすめさせる、宴席では盃と料理盛り付けの大皿や盤が足の踏み場もないほど頗る狼藉たるものがある。

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

いまの時世は喪乱のときであるのにかかわらず、地場風俗と施政者の温情で、ここでは尊貴の人に対しても同輩に対するとおなじにされている。

#3

其の俗は則ち純樸にして,主客有るを知らず。

溫溫たり 諸侯の門,禮も亦た 古昔の如し。

廚に敕めて常羞に倍せしむ,杯盤 頗る狼藉たり。

時 喪亂に屬すと雖も,貴に事えて 匹敵に賞つ。 
#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

その夜ながのたのしき會において主客は意にかなった満足を得る、もとより裴氏と鄭氏とは親戚であるという関係もあるのではあるが。

群書一萬卷,博涉供務隙。

というのも、裴君は一萬巻もさまざまの書籍をたくわえ、公務のひまなおりにはそれ等にひろく目を通しているから、話が面白いのである。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

また前日のことであるが、裴君から手紙をもらったが、その文字は銀鈎のごとく、森疎たる矛戟をみるがごとくであった。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

君はその裴君のいたところから歸られたので、自分は狂喜してくつの後ろを倒して、いそいでひっかけて出迎え、裴君との経歴談を地面に圖をかいてもらってもとめるのである。

#4

中宵 良會に愜う,裴 鄭は 遠戚に非ず。

群書 一萬卷,博涉 務隙に供す。

他日 銀鉤を辱【かたじけな】くし,森疏 見矛戟をる。

倒屣【とうし】旋歸を喜ぶ,地に畫きて所歷を求む。
#5

乃聞風土質,又重田疇闢。

それから裴冕君がいる施州の風土がどんな性質かということを聞いたり、また田野の開拓されている様子をもきいた。

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

刺史裴君はむかしの後漢の寇恂を借りた故事に似た人物だから諸郡が競って同君を借りたいと願うのもあたりまえのこととおもう。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

いまや北風があつい瘴癘の気を吹き飛ばし去って、つかれて老いたこの身も散歩でもしたくなった。

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

渚をぶらつけば、兼葭をわたる風は寒く、高き山の路をくぐりゆけば蘿や蔦がおおいかぶさる。

此身仗兒僕,高興潛有激。

こどもらや下僕によりすがるこのからだではあるが、遊覧の興味がそれとなく激發されている。

#5

乃ち聞く 風土の質,又た重ぬ 田疇 闢けたりと。

刺史 寇恂に似たり,列郡 宜しく競い惜るべし。

北風 瘴癘を吹く,羸老 散策を思う。

渚を拂えば 蒹葭塞し,嶠を穿てば 蘿蔦冪う。

此の身 兒僕に仗るも,高興 潛に 激する有り。
#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。

だから冬の初め、十月にでもなったので、遊覧じみたことでもしようと、その門出にのぼり、無理にもご飯を食べ足して、元気をつけて崖路を通ろうと考えるのである。

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

ところで乗り物であるが、今いるのはやくざな駑馬であって、脊中から「汗血馬」のようないい馬ではないから赤い血の汗もださないのである。

終然備外飾,駕馭何所益。

だからいくら外見をよくしようとして、十分に飾りたてたとしても、そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

我有平肩輿,前途猶准的。

役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

そうして、この乗り物でとりがとぶように翩翩と、施州への高山の鳥の通う道へとくりこむのであり、こうしていくのであれば、途上で家の駑馬で行ったなら躓いて災難に遭うことから、のがれることができると思うのである。 

#6

孟冬 方に首路,強いて飯いて 崖壁を取らん。

爾を歎ず 疲れたる駑駘,汗溝 血 赤からず。

終然 外飾を備うるも,駕馭 何ぞ益する所かあらん。

我に平肩の輿有り,前途 猶お 准的なり。

翩翩として 鳥道に入れば,庶わくば 蹉跌の厄よりせん

唐時代 地図山南 東・西道50

『鄭典設自施州歸』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄


(下し文)
#6

孟冬 方に首路,強いて飯いて 崖壁を取らん。

爾を歎ず 疲れたる駑駘,汗溝 血 赤からず。

終然 外飾を備うるも,駕馭 何ぞ益する所かあらん。

我に平肩の輿有り,前途 猶お 准的なり。

翩翩として 鳥道に入れば,庶わくば 蹉跌の厄よりせん

(現代語訳)
#6

だから冬の初め、十月にでもなったので、遊覧じみたことでもしようと、その門出にのぼり、無理にもご飯を食べ足して、元気をつけて崖路を通ろうと考えるのである。

ところで乗り物であるが、今いるのはやくざな駑馬であって、脊中から「汗血馬」のようないい馬ではないから赤い血の汗もださないのである。

だからいくら外見をよくしようとして、十分に飾りたてたとしても、そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

そうして、この乗り物でとりがとぶように翩翩と、施州への高山の鳥の通う道へとくりこむのであり、こうしていくのであれば、途上で家の駑馬で行ったなら躓いて災難に遭うことから、のがれることができると思うのである。 


(訳注) #6

鄭典設自施州歸 

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)大暦二年十月の作。#6

 

孟冬方首路,強飯取崖壁。

だから冬の初め、十月にでもなったので、遊覧じみたことでもしようと、その門出にのぼり、無理にもご飯を食べ足して、元気をつけて崖路を通ろうと考えるのである。

【1】    孟冬 冬の初の月、十月。因みに、十二か月を示すと、一、端月;二、花月;三、桐月;四、梅月;五、蒲月;六、暑月;七、瓜月;八、桂月;九、菊月;十、陽月;十一、霞月;十二、臘月。

【2】    首路 初めて路程にのぼる、

【3】    強飯 無理に加飯する。

【4】    取崖壁 進む路を崖壁にとる。

 

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

ところで乗り物であるが、今いるのはやくざな駑馬であって、脊中から「汗血馬」のようないい馬ではないから赤い血の汗もださないのである。

【5】    爾 やくざな駑馬をいう。

【6】    駑駘 やくざな駑馬。

【7】    汗溝 馬の背中。

【8】     血不赤 「汗血馬」のようないい馬ではない。杜甫は馬が好きで、馬についていくつかの詩を残している。ここはそうしたいい馬ではないことを言う。汗血馬(かんけつば)は、中国の歴史上で名馬といわれた馬の種類。「血のような汗を流して走る馬」という意味で「汗血馬」と呼ばれる。紀元前4世紀頃から中国は遊牧騎馬民族の侵入を受け続けた。動作が機敏で頑健な北方民族の騎兵に比べ漢民族の使う馬は痩せて非力な馬が多く、重装した兵士が跨って戦う事ができなかった。紀元前2世紀初めの匈奴との戦いでは漢民族側の騎兵は10万頭の馬を失い、強く健康な北方の馬を手に入れることが防衛の要と考えられるようになった。杜甫《洗兵行(洗兵馬)》「京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。」(京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。)長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。

 

終然備外飾,駕馭何所益。

だからいくら外見をよくしようとして、十分に飾りたてたとしても、そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

【9】    終然 ついに。

【10】  外飾 外見をよくしようとして、十分に飾りたてること。

【11】  駕馭何所益 そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

 

我有平肩輿,前途猶准的。

役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

【12】  平肩輿 方で担ぐ籠とか、神輿。

【13】  准的 目的、目指す的。

 

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

そうして、この乗り物でとりがとぶように翩翩と、施州への高山の鳥の通う道へとくりこむのであり、こうしていくのであれば、途上で家の駑馬で行ったなら躓いて災難に遭うことから、のがれることができると思うのである。 

【14】  翩翩 みこしに乗って飛ぶような心地を言う。

【15】  鳥道 裴冕のいる施州に行くには鳥が飛んで山を越えるような道であるというほどの意。

【16】  蹉跌厄 駑馬で行ったなら躓いて災難に遭う。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

 

杜甫 鄭典設自施州歸【字解】

 

(1)  鄭典設 典設郎は東宮に属する官名であり、東宮に典設局があり、郎四人をおく。湯沐浴、灑掃、舗陣のことを擧る。杜甫同時期の作、七言律詩《巻十八63 江雨有懷鄭典設》「春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。」がある。

(2)  施州歸 黔中道施州刺史の裴冕のところに面会に行って帰ってきた。杜甫 20-97 寄裴施州》767-4杜甫 20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦256-4 <1061 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6985

楚漢戦争で、滎陽の戦いがあったところ。

(3)  滎陽 典設郎の鄭某は滎陽の地方の名族なり。滎陽は河南にある戦国時代に秦により滎陽県が設置された、古くからの縣名である。

(4)  適 他の土地に行くこと。

(5)  旅茲 これによって旅に出る

(6)  殊俗遠 風俗のちがった遠方。

(7)  屢空迫 米櫃にコメがないほどにの貧窮を言う。論語 「子曰、囘也其庶乎、屡空、賜不受命而貨殖焉、億則屡中。」子曰わく、回や其れ庶【ちか】きか、屡々【しばしば】空し。賜は命を受けずして貨殖す。億れば則ち屡々中【あた】る。

(8)  ⑻ 裴施州 この時の施州の刺史であった裴冕のこと。裴冕  人名。河東の人。字は章甫。蔭によって渭南尉になり、殿中侍御使となる。玄宗が入蜀すると御史中丞となり、粛宗に従って霊武に至り、尚書右僕射に昇進する。両京回復の時に冀国公に封じられた。後に罪を得て施州刺史に左遷される。代宗の時、復帰して左僕射、同中書門下平章事を授けられた。杜甫は成都紀行《巻九11鹿頭山》「冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸、公鎮踰歳月。」(冀公柱石の姿、道を論じて邦国活く。斯の人亦た何ぞ幸ひなる、公の鎮して歳月を踰ゆ。)冀国公の裴冕殿は国家の柱石、道理を語って、国は平和に治められる。この土地の人々は、何と幸いなことか。あなたがここを治めて、もう一年余りにもなるのだ。杜甫が成都到着を目前にして作った「鹿頭山」詩の末尾に裴冕への讃辞を書き綴るのは、杜甫が裴冕の動向を正確に把握していたことを示すものである。”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1703 杜甫1500- 525

(9)   氣合 意気投合する。

(10)   無險僻 道路の険阻避遠をむしすることをいう。險は険阻、けわしいこと、僻はかたよる、避遠、無は無視する。

(11)   懸根木 根あがりの樹木、「杜臆」には榕樹なりといえるが、榕樹とは限らざるべし。

(12)   登頓 のぼったりやすんだり。

(13)   入天石 石壁聳立して天にまで突きいるなり。

(14)   憂戚 戚もうれひなり。

(15)   子 鄭をさす。

(16)   此邦 施州をいう。

(17)   溫溫 温情があることを言う。

(18)   諸侯門 諸侯とは裴施州をさす。

(19)   敕廚 臺所へ申しつける。

(20)   倍常羞 普段の倍もある御馳走をすすめさせる。

(21)   狼藉 みだれるかお。狼籍は、中国の通史『史記滑稽列伝』による漢語である。「籍」には「敷く」や「踏む」「雑」などの意味かあり、狼籍は狼か寝るために敷いた草の乱れた様子から、物か散らかっている様子を意味した。

(22)   事貴賞匹敵 事貴とは、貴い位の人に仕える鄭は裴につかえるをいう。

(23)   賞匹敵 貴者をも自己と同輩のようにみなしてさべつしないことをいう。

(24)   愜良會 憶は心のかなうこと、良會はたのしき会合、即ちこれまでのみご馳走の宴会。

(25)   非遠戚 遠戚は遠き親戚なり、これは事実関係は不明、裴と鄭二姓必ず親戚の関係があるということであろう。

(26)   博涉 書物にひろくわたる。

(27)   務隙 事務のひま。

(28)   他日 往日。

(29)   辱銀鉤 裴より手紙を受けしをいう、銀鈎は裴の手紙の筆勢を誉めたもの、銀鈎は銀細工の簾を止める金具。

(30)   森疏 いかめしくまばら。

(31)   見矛戟 ほこ、筆勢の細くするどきをたとえること。

(32)   倒屣 履は「くつ」、くつを倒にはくは狂喜して迎うるさま。

(33)   旋歸 郷が夔州へかえりしこと。

(34)   畫地 平地に図面を描く。

(35)   所歷 鄭が経歴したところ。

(36)   風土質 施州の風土の性質をいう。

(37)   又重 又重ねて聞く。

(38)   田疇闢 田地の畝が開けていること。

(39)   寇恂・競惜 後漢の光武帝、寇恂を穎川の太守とした、また汝南に移す、穎川に盗み起るやその人民光武にむかひ復び寇恂君か借りること一年ならんと請ひたり。是を以て寇恂を裴冕に比す。

(40)   瘴癘 特殊の気候や風土によって起こる伝染性の熱病。マラリアなど。

(41)   羸老 杜甫自身が老いて疲れたことを言う。

(42)   散策 杖を突いてぶらつく。

(43)   渚拂 水辺を進んでゆく。

(44)   蒹葭塞 《詩経国風:秦風、蒹葭》「兼葭蒼蒼、白露為霜。所謂伊人、在水一方。」(兼葭蒼蒼たり、白露霜と為る。所謂伊【こ】の人、水の一方に在り。)葦が青々と茂り、白い露が霜になった、評判のこの人は、河の向こう側に住んでいる、河の流れに逆らって訪ねたいと思っても、水路は険しくかつ長い、

(45)   嶠穿 険しい山道を行く。

(46)   蘿蔦冪 蘿や蔦がおおいかぶさる。

(47)   高興 遊覧の興のさかんになること。

(48)   潛有激 それとなく激發されている。

(49)   孟冬 冬の初の月、十月。因みに、十二か月を示すと、一、端月;二、花月;三、桐月;四、梅月;五、蒲月;六、暑月;七、瓜月;八、桂月;九、菊月;十、陽月;十一、霞月;十二、臘月。

(50)   首路 初めて路程にのぼる、

(51)   強飯 無理に加飯する。

(52)   取崖壁 進む路を崖壁にとる。

(53)   爾 やくざな駑馬をいう。

(54)   駑駘 やくざな駑馬。

(55)  汗溝 馬の背中。

(56)   血不赤 「汗血馬」のようないい馬ではない。杜甫は馬が好きで、馬についていくつかの詩を残している。ここはそうしたいい馬ではないことを言う。汗血馬(かんけつば)は、中国の歴史上で名馬といわれた馬の種類。「血のような汗を流して走る馬」という意味で「汗血馬」と呼ばれる。紀元前4世紀頃から中国は遊牧騎馬民族の侵入を受け続けた。動作が機敏で頑健な北方民族の騎兵に比べ漢民族の使う馬は痩せて非力な馬が多く、重装した兵士が跨って戦う事ができなかった。紀元前2世紀初めの匈奴との戦いでは漢民族側の騎兵は10万頭の馬を失い、強く健康な北方の馬を手に入れることが防衛の要と考えられるようになった。杜甫《洗兵行(洗兵馬)》「京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。」(京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。)長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。

(57)   終然 ついに。

(58)   外飾 外見をよくしようとして、十分に飾りたてること。

(59)   駕馭何所益 そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

(60)   平肩輿 方で担ぐ籠とか、神輿。

(61)   准的 目的、目指す的。

(62)   翩翩 みこしに乗って飛ぶような心地を言う。

(63)   鳥道 裴冕のいる施州に行くには鳥が飛んで山を越えるような道であるというほどの意。

(64)   蹉跌厄 駑馬で行ったなら躓いて災難に遭う。

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杜甫  鄭典設自施州歸   #5

乃聞風土質,又重田疇闢。刺史似寇恂,列郡宜競惜。

北風吹瘴癘,羸老思散策。渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

此身仗兒僕,高興潛有激。

それから裴冕君がいる施州の風土がどんな性質かということを聞いたり、また田野の開拓されている様子をもきいた。刺史裴君はむかしの後漢の寇恂を借りた故事に似た人物だから諸郡が競って同君を借りたいと願うのもあたりまえのこととおもう。いまや北風があつい瘴癘の気を吹き飛ばし去って、つかれて老いたこの身も散歩でもしたくなった。渚をぶらつけば、兼葭をわたる風は寒く、高き山の路をくぐりゆけば蘿や蔦がおおいかぶさる。こどもらや下僕によりすがるこのからだではあるが、遊覧の興味がそれとなく激發されている。

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杜甫詩1500-1067-1551-#5/2500

年:767年大暦256-5-#4

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    鄭典設自施州歸

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)   

交遊人物/地點:鄭典設      書信往來

裴冕      詩文提及(黔中道 施州 施州)

 

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったことについてである。

名賢慎所出,不肯妄行役。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

鄭典設 施州より歸る #1

吾は憐れむ滎陽の秀,暑を冒して初め適く有り。

名賢は出る所を慎む,肯て妄りに行役せず。

茲の殊俗の遠きに旅するは,竟に屢空に迫らるるを以てなり。

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。

攀援懸根木,登頓入天石。

あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。

青山自一川,城郭洗憂慼。

それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。

聽子話此邦,令我心悅懌。

君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。
#2

南のかた裴施州に謁す,氣合して險僻を無みす。

攀援す 懸根の木,登頓す 入天の石。

青山 自ら一川,城郭 憂慼を洗う。

子が 此の邦を話すを聽けば,我をして 心 悅懌せしむ。
#3

其俗則純樸,不知有主客。

施州の風俗は淳僕で一般人民のあいだでは、主人もお客も区別がないという親密さである。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

そして、温情がある州の長官の門でも、古代のままの禮が残っている。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

裴長官はその台所の人にいいつけて客に普段の倍もある御馳走をすすめさせる、宴席では盃と料理盛り付けの大皿や盤が足の踏み場もないほど頗る狼藉たるものがある。

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

いまの時世は喪乱のときであるのにかかわらず、地場風俗と施政者の温情で、ここでは尊貴の人に対しても同輩に対するとおなじにされている。

#3

其の俗は則ち純樸にして,主客有るを知らず。

溫溫たり 諸侯の門,禮も亦た 古昔の如し。

廚に敕めて常羞に倍せしむ,杯盤 頗る狼藉たり。

時 喪亂に屬すと雖も,貴に事えて 匹敵に賞つ。 
#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

その夜ながのたのしき會において主客は意にかなった満足を得る、もとより裴氏と鄭氏とは親戚であるという関係もあるのではあるが。

群書一萬卷,博涉供務隙。

というのも、裴君は一萬巻もさまざまの書籍をたくわえ、公務のひまなおりにはそれ等にひろく目を通しているから、話が面白いのである。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

また前日のことであるが、裴君から手紙をもらったが、その文字は銀鈎のごとく、森疎たる矛戟をみるがごとくであった。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

君はその裴君のいたところから歸られたので、自分は狂喜してくつの後ろを倒して、いそいでひっかけて出迎え、裴君との経歴談を地面に圖をかいてもらってもとめるのである。

#4

中宵 良會に愜う,裴 鄭は 遠戚に非ず。

群書 一萬卷,博涉 務隙に供す。

他日 銀鉤を辱【かたじけな】くし,森疏 見矛戟をる。

倒屣【とうし】旋歸を喜ぶ,地に畫きて所歷を求む。
#5

乃聞風土質,又重田疇闢。

それから裴冕君がいる施州の風土がどんな性質かということを聞いたり、また田野の開拓されている様子をもきいた。

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

刺史裴君はむかしの後漢の寇恂を借りた故事に似た人物だから諸郡が競って同君を借りたいと願うのもあたりまえのこととおもう。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

いまや北風があつい瘴癘の気を吹き飛ばし去って、つかれて老いたこの身も散歩でもしたくなった。

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

渚をぶらつけば、兼葭をわたる風は寒く、高き山の路をくぐりゆけば蘿や蔦がおおいかぶさる。

此身仗兒僕,高興潛有激。

こどもらや下僕によりすがるこのからだではあるが、遊覧の興味がそれとなく激發されている。

#5

乃ち聞く 風土の質,又た重ぬ 田疇 闢けたりと。

刺史 寇恂に似たり,列郡 宜しく競い惜るべし。

北風 瘴癘を吹く,羸老 散策を思う。

渚を拂えば 蒹葭塞し,嶠を穿てば 蘿蔦冪う。

此の身 兒僕に仗るも,高興 潛に 激する有り。
#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。

我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『鄭典設自施州歸』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

乃聞風土質,又重田疇闢。

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

此身仗兒僕,高興潛有激。
(含異文):#5

乃聞風土質,又重田疇闢。刺史似寇恂,列郡宜競惜【列郡宜競借】【案:音跡。】。北風吹瘴癘,羸老思散策。渚拂蒹葭塞【渚拂蒹葭寒】,嶠穿蘿蔦冪。此身仗兒僕,高興潛有激。


(下し文)
#5

乃ち聞く 風土の質,又た重ぬ 田疇 闢けたりと。

刺史 寇恂に似たり,列郡 宜しく競い惜るべし。

北風 瘴癘を吹く,羸老 散策を思う。

渚を拂えば 蒹葭塞し,嶠を穿てば 蘿蔦冪う。

此の身 兒僕に仗るも,高興 潛に 激する有り。

(現代語訳)
#5

それから裴冕君がいる施州の風土がどんな性質かということを聞いたり、また田野の開拓されている様子をもきいた。

刺史裴君はむかしの後漢の寇恂を借りた故事に似た人物だから諸郡が競って同君を借りたいと願うのもあたりまえのこととおもう。

いまや北風があつい瘴癘の気を吹き飛ばし去って、つかれて老いたこの身も散歩でもしたくなった。

渚をぶらつけば、兼葭をわたる風は寒く、高き山の路をくぐりゆけば蘿や蔦がおおいかぶさる。

こどもらや下僕によりすがるこのからだではあるが、遊覧の興味がそれとなく激發されている。

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注) #5

鄭典設自施州歸 

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)大暦二年十月の作。5

 

乃聞風土質,又重田疇闢。

それから裴冕君がいる施州の風土がどんな性質かということを聞いたり、また田野の開拓されている様子をもきいた。

【1】    風土質 施州の風土の性質をいう。

【2】    又重 又重ねて聞く。

【3】    田疇闢 田地の畝が開けていること。

 

 

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

刺史裴君はむかしの後漢の寇恂を借りた故事に似た人物だから諸郡が競って同君を借りたいと願うのもあたりまえのこととおもう。

【4】    寇恂・競惜 後漢の光武帝、寇恂を穎川の太守とした、また汝南に移す、穎川に盗み起るやその人民光武にむかひ復び寇恂君か借りること一年ならんと請ひたり。是を以て寇恂を裴冕に比す。

 

北風吹瘴癘,羸老思散策。

いまや北風があつい瘴癘の気を吹き飛ばし去って、つかれて老いたこの身も散歩でもしたくなった。

【5】    瘴癘 特殊の気候や風土によって起こる伝染性の熱病。マラリアなど。

【6】    羸老 杜甫自身が老いて疲れたことを言う。

【7】    散策 杖を突いてぶらつく。

  

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

渚をぶらつけば、兼葭をわたる風は寒く、高き山の路をくぐりゆけば蘿や蔦がおおいかぶさる。

【8】    渚拂 水辺を進んでゆく。

【9】    蒹葭塞 《詩経国風:秦風、蒹葭》「兼葭蒼蒼、白露為霜。所謂伊人、在水一方。」(兼葭蒼蒼たり、白露霜と為る。所謂伊【こ】の人、水の一方に在り。)葦が青々と茂り、白い露が霜になった、評判のこの人は、河の向こう側に住んでいる、河の流れに逆らって訪ねたいと思っても、水路は険しくかつ長い、

【10】  嶠穿 険しい山道を行く。

【11】  蘿蔦冪 蘿や蔦がおおいかぶさる。

 

此身仗兒僕,高興潛有激。

こどもらや下僕によりすがるこのからだではあるが、遊覧の興味がそれとなく激發されている。

【12】  高興 遊覧の興のさかんになること。

【13】  潛有激 それとなく激發されている。

 

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杜甫  鄭典設自施州歸 #4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。群書一萬卷,博涉供務隙。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

その夜ながのたのしき會において主客は意にかなった満足を得る、もとより裴氏と鄭氏とは親戚であるという関係もあるのではあるが。というのも、裴君は一萬巻もさまざまの書籍をたくわえ、公務のひまなおりにはそれ等にひろく目を通しているから、話が面白いのである。また前日のことであるが、裴君から手紙をもらったが、その文字は銀鈎のごとく、森疎たる矛戟をみるがごとくであった。君はその裴君のいたところから歸られたので、自分は狂喜してくつの後ろを倒して、いそいでひっかけて出迎え、裴君との経歴談を地面に圖をかいてもらってもとめるのである。

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杜甫詩1500-1066-1551-#4/2500

年:767年大暦256-5-#4

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    鄭典設自施州歸

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)   

交遊人物/地點:鄭典設      書信往來

裴冕      詩文提及(黔中道 施州 施州)

 

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったことについてである。

名賢慎所出,不肯妄行役。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

鄭典設 施州より歸る #1

吾は憐れむ滎陽の秀,暑を冒して初め適く有り。

名賢は出る所を慎む,肯て妄りに行役せず。

茲の殊俗の遠きに旅するは,竟に屢空に迫らるるを以てなり。

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。

攀援懸根木,登頓入天石。

あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。

青山自一川,城郭洗憂慼。

それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。

聽子話此邦,令我心悅懌。

君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。
#2

南のかた裴施州に謁す,氣合して險僻を無みす。

攀援す 懸根の木,登頓す 入天の石。

青山 自ら一川,城郭 憂慼を洗う。

子が 此の邦を話すを聽けば,我をして 心 悅懌せしむ。
#3

其俗則純樸,不知有主客。

施州の風俗は淳僕で一般人民のあいだでは、主人もお客も区別がないという親密さである。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

そして、温情がある州の長官の門でも、古代のままの禮が残っている。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

裴長官はその台所の人にいいつけて客に普段の倍もある御馳走をすすめさせる、宴席では盃と料理盛り付けの大皿や盤が足の踏み場もないほど頗る狼藉たるものがある。

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

いまの時世は喪乱のときであるのにかかわらず、地場風俗と施政者の温情で、ここでは尊貴の人に対しても同輩に対するとおなじにされている。

#3

其の俗は則ち純樸にして,主客有るを知らず。

溫溫たり 諸侯の門,禮も亦た 古昔の如し。

廚に敕めて常羞に倍せしむ,杯盤 頗る狼藉たり。

時 喪亂に屬すと雖も,貴に事えて 匹敵に賞つ。 
#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

その夜ながのたのしき會において主客は意にかなった満足を得る、もとより裴氏と鄭氏とは親戚であるという関係もあるのではあるが。

群書一萬卷,博涉供務隙。

というのも、裴君は一萬巻もさまざまの書籍をたくわえ、公務のひまなおりにはそれ等にひろく目を通しているから、話が面白いのである。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

また前日のことであるが、裴君から手紙をもらったが、その文字は銀鈎のごとく、森疎たる矛戟をみるがごとくであった。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

君はその裴君のいたところから歸られたので、自分は狂喜してくつの後ろを倒して、いそいでひっかけて出迎え、裴君との経歴談を地面に圖をかいてもらってもとめるのである。

#4

中宵 良會に愜う,裴 鄭は 遠戚に非ず。

群書 一萬卷,博涉 務隙に供す。

他日 銀鉤を辱【かたじけな】くし,森疏 見矛戟をる。

倒屣【とうし】旋歸を喜ぶ,地に畫きて所歷を求む。
#5

乃聞風土質,又重田疇闢。

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

此身仗兒僕,高興潛有激。

#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。

我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『鄭典設自施州歸』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

群書一萬卷,博涉供務隙。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

(含異文):#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。群書一萬卷,博涉供務隙。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。倒屣喜旋歸,畫地求所歷【畫地來所歷】。


(下し文)
#4

中宵 良會に愜う,裴 鄭は 遠戚に非ず。

群書 一萬卷,博涉 務隙に供す。

他日 銀鉤を辱【かたじけな】くし,森疏 見矛戟をる。

倒屣【とうし】旋歸を喜ぶ,地に畫きて所歷を求む。

(現代語訳) 

#4

その夜ながのたのしき會において主客は意にかなった満足を得る、もとより裴氏と鄭氏とは親戚であるという関係もあるのではあるが。

というのも、裴君は一萬巻もさまざまの書籍をたくわえ、公務のひまなおりにはそれ等にひろく目を通しているから、話が面白いのである。

また前日のことであるが、裴君から手紙をもらったが、その文字は銀鈎のごとく、森疎たる矛戟をみるがごとくであった。

君はその裴君のいたところから歸られたので、自分は狂喜してくつの後ろを倒して、いそいでひっかけて出迎え、裴君との経歴談を地面に圖をかいてもらってもとめるのである。

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注) #4

鄭典設自施州歸 

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)大暦二年十月の作。4

 

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

その夜ながのたのしき會において主客は意にかなった満足を得る、もとより裴氏と鄭氏とは親戚であるという関係もあるのではあるが。

【1】    愜良會 憶は心のかなうこと、良會はたのしき会合、即ちこれまでのみご馳走の宴会。

【2】    非遠戚 遠戚は遠き親戚なり、これは事実関係は不明、裴と鄭二姓必ず親戚の関係があるということであろう。

 

群書一萬卷,博涉供務隙。

というのも、裴君は一萬巻もさまざまの書籍をたくわえ、公務のひまなおりにはそれ等にひろく目を通しているから、話が面白いのである。

【3】    博涉 書物にひろくわたる。

【4】    務隙 事務のひま。

 

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

また前日のことであるが、裴君からてがみをもらったが、その文字は銀鈎のごとく、森疎たる矛戟をみるがごとくであった。

【5】    他日 往日

【6】    辱銀鉤 裴より手紙を受けしをいう、銀鈎は裴の手紙の筆勢を誉めたもの、銀鈎は銀細工の簾を止める金具。

【7】    森疏 いかめしくまばら。

【8】    見矛戟 ほこ、筆勢の細くするどきをたとえること。

 

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

君はその裴君のいたところから歸られたので、自分は狂喜してくつの後ろを倒して、いそいでひっかけて出迎え、裴君との経歴談を地面に圖をかいてもらってもとめるのである。

【9】    倒屣 履は「くつ」、くつを倒にはくは狂喜して迎うるさま。

【10】  旋歸 郷が夔州へかえりしこと。

【11】  畫地 平地に図面を描く

【12】  所歷 鄭が経歴したところ。

 

 

 

 

杜甫 鄭典設自施州歸【字解】

(1)  鄭典設 典設郎は東宮に属する官名であり、東宮に典設局があり、郎四人をおく。湯沐浴、灑掃、舗陣のことを擧る。杜甫同時期の作、七言律詩《巻十八63 江雨有懷鄭典設》「春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。」がある。

(2)  施州歸 黔中道施州刺史の裴冕のところに面会に行って帰ってきた。杜甫 20-97 寄裴施州》767-4杜甫 20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦256-4 <1061 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6985

楚漢戦争で、滎陽の戦いがあったところ。

(3)  滎陽 典設郎の鄭某は滎陽の地方の名族なり。滎陽は河南にある戦国時代に秦により滎陽県が設置された、古くからの縣名である。

(4)  適 他の土地に行くこと。

(5)  旅茲 これによって旅に出る

(6)  殊俗遠 風俗のちがった遠方。

(7)  屢空迫 米櫃にコメがないほどにの貧窮を言う。論語 「子曰、囘也其庶乎、屡空、賜不受命而貨殖焉、億則屡中。」子曰わく、回や其れ庶【ちか】きか、屡々【しばしば】空し。賜は命を受けずして貨殖す。億れば則ち屡々中【あた】る。

(8)  ⑻ 裴施州 この時の施州の刺史であった裴冕のこと。裴冕  人名。河東の人。字は章甫。蔭によって渭南尉になり、殿中侍御使となる。玄宗が入蜀すると御史中丞となり、粛宗に従って霊武に至り、尚書右僕射に昇進する。両京回復の時に冀国公に封じられた。後に罪を得て施州刺史に左遷される。代宗の時、復帰して左僕射、同中書門下平章事を授けられた。杜甫は成都紀行《巻九11鹿頭山》「冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸、公鎮踰歳月。」(冀公柱石の姿、道を論じて邦国活く。斯の人亦た何ぞ幸ひなる、公の鎮して歳月を踰ゆ。)冀国公の裴冕殿は国家の柱石、道理を語って、国は平和に治められる。この土地の人々は、何と幸いなことか。あなたがここを治めて、もう一年余りにもなるのだ。杜甫が成都到着を目前にして作った「鹿頭山」詩の末尾に裴冕への讃辞を書き綴るのは、杜甫が裴冕の動向を正確に把握していたことを示すものである。”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1703 杜甫1500- 525

(9)   氣合 意気投合する。

(10)   無險僻 道路の険阻避遠をむしすることをいう。險は険阻、けわしいこと、僻はかたよる、避遠、無は無視する。

(11)   懸根木 根あがりの樹木、「杜臆」には榕樹なりといえるが、榕樹とは限らざるべし。

(12)   登頓 のぼったりやすんだり。

(13)   入天石 石壁聳立して天にまで突きいるなり。

(14)   憂戚 戚もうれひなり。

(15)   子 鄭をさす。

(16)   此邦 施州をいう。

(17)   溫溫 温情があることを言う。

(18)   諸侯門 諸侯とは裴施州をさす。

(19)   敕廚 臺所へ申しつける。

(20)   倍常羞 普段の倍もある御馳走をすすめさせる。

(21)   狼藉 みだれるかお。狼籍は、中国の通史『史記滑稽列伝』による漢語である。「籍」には「敷く」や「踏む」「雑」などの意味かあり、狼籍は狼か寝るために敷いた草の乱れた様子から、物か散らかっている様子を意味した。

(22)   事貴賞匹敵 事貴とは、貴い位の人に仕える鄭は裴につかえるをいう。

(23)   賞匹敵 貴者をも自己と同輩のようにみなしてさべつしないことをいう。

(24)   愜良會 憶は心のかなうこと、良會はたのしき会合、即ちこれまでのみご馳走の宴会。

(25)   非遠戚 遠戚は遠き親戚なり、これは事実関係は不明、裴と鄭二姓必ず親戚の関係があるということであろう。

(26)   博涉 書物にひろくわたる。

(27)   務隙 事務のひま。

(28)   他日 往日。

(29)   辱銀鉤 裴より手紙を受けしをいう、銀鈎は裴の手紙の筆勢を誉めたもの、銀鈎は銀細工の簾を止める金具。

(30)   森疏 いかめしくまばら。

(31)   見矛戟 ほこ、筆勢の細くするどきをたとえること。

(32)   倒屣 履は「くつ」、くつを倒にはくは狂喜して迎うるさま。

(33)   旋歸 郷が夔州へかえりしこと。

(34)   畫地 平地に図面を描く。

(35)   所歷 鄭が経歴したところ。

767年-5-#3杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-5-#3 <1065> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7005

杜甫  鄭典設自施州歸#3

其俗則純樸,不知有主客。溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。
施州の風俗は淳僕で一般人民のあいだでは、主人もお客も区別がないという親密さである。そして、温情がある州の長官の門でも、古代のままの禮が残っている。裴長官はその台所の人にいいつけて客に普段の倍もある御馳走をすすめさせる、宴席では盃と料理盛り付けの大皿や盤が足の踏み場もないほど頗る狼藉たるものがある。いまの時世は喪乱のときであるのにかかわらず、地場風俗と施政者の温情で、ここでは尊貴の人に対しても同輩に対するとおなじにされている。

767-5-#3杜甫 20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦256-5-#3 <1065 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7005

 

 
  2015年12月2日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
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743年(33)李白351 巻四13-《塞下曲六首之六》(烽火動沙漠,) 351Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(33) <李白351> Ⅰ李白詩1691 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7003  
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韓愈108-#4《 巻七21譴瘧鬼》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1604> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7004  
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  孟郊 張籍          
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
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杜甫詩1500-1065-1551-#3/2500

年:767年大暦256-5-#2

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    鄭典設自施州歸

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)   

交遊人物/地點:鄭典設      書信往來

裴冕      詩文提及(黔中道 施州 施州)

 

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったことについてである。

名賢慎所出,不肯妄行役。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

鄭典設 施州より歸る #1

吾は憐れむ滎陽の秀,暑を冒して初め適く有り。

名賢は出る所を慎む,肯て妄りに行役せず。

茲の殊俗の遠きに旅するは,竟に屢空に迫らるるを以てなり。

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。

攀援懸根木,登頓入天石。

あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。

青山自一川,城郭洗憂慼。

それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。

聽子話此邦,令我心悅懌。

君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。
#2

南のかた裴施州に謁す,氣合して險僻を無みす。

攀援す 懸根の木,登頓す 入天の石。

青山 自ら一川,城郭 憂慼を洗う。

子が 此の邦を話すを聽けば,我をして 心 悅懌せしむ。
#3

其俗則純樸,不知有主客。

施州の風俗は淳僕で一般人民のあいだでは、主人もお客も区別がないという親密さである。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

そして、温情がある州の長官の門でも、古代のままの禮が残っている。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

裴長官はその台所の人にいいつけて客に普段の倍もある御馳走をすすめさせる、宴席では盃と料理盛り付けの大皿や盤が足の踏み場もないほど頗る狼藉たるものがある。

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

いまの時世は喪乱のときであるのにかかわらず、地場風俗と施政者の温情で、ここでは尊貴の人に対しても同輩に対するとおなじにされている。

#3

其の俗は則ち純樸にして,主客有るを知らず。

溫溫たり 諸侯の門,禮も亦た 古昔の如し。

廚に敕めて常羞に倍せしむ,杯盤 頗る狼藉たり。

時 喪亂に屬すと雖も,貴に事えて 匹敵に賞つ。 
#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

群書一萬卷,博涉供務隙。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

#5

乃聞風土質,又重田疇闢。

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

此身仗兒僕,高興潛有激。

#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。

我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『鄭典設自施州歸』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

其俗則純樸,不知有主客。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

(下し文)
#3

其の俗は則ち純樸にして,主客有るを知らず。

溫溫たり 諸侯の門,禮も亦た 古昔の如し。

廚に敕めて常羞に倍せしむ,杯盤 頗る狼藉たり。

時 喪亂に屬すと雖も,貴に事えて 匹敵に賞つ。 

(現代語訳)
#3

施州の風俗は淳僕で一般人民のあいだでは、主人もお客も区別がないという親密さである。

そして、温情がある州の長官の門でも、古代のままの禮が残っている。

裴長官はその台所の人にいいつけて客に普段の倍もある御馳走をすすめさせる、宴席では盃と料理盛り付けの大皿や盤が足の踏み場もないほど頗る狼藉たるものがある。

いまの時世は喪乱のときであるのにかかわらず、地場風俗と施政者の温情で、ここでは尊貴の人に対しても同輩に対するとおなじにされている。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注) #3

 

其俗則純樸,不知有主客。

施州の風俗は淳僕で一般人民のあいだでは、主人もお客も区別がないという親密さである。

 

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

そして、温情がある州の長官の門でも、古代のままの禮が残っている。

【1】    溫溫 温情があることを言う。

【2】    諸侯門 諸侯とは裴施州をさす。

 

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

裴長官はその台所の人にいいつけて客に普段の倍もある御馳走をすすめさせる、宴席では盃と料理盛り付けの大皿や盤が足の踏み場もないほど頗る狼藉たるものがある。

【3】    敕廚 臺所へ申しつける。

【4】    倍常羞 普段の倍もある御馳走をすすめさせる。

【5】    狼藉 みだれるかお。狼籍は、中国の通史『史記滑稽列伝』による漢語である。「籍」には「敷く」や「踏む」「雑」などの意味かあり、狼籍は狼か寝るために敷いた草の乱れた様子から、物か散らかっている様子を意味した。

 

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

いまの時世は喪乱のときであるのにかかわらず、地場風俗と施政者の温情で、ここでは尊貴の人に対しても同輩に対するとおなじにされている。

【6】    事貴賞匹敵 事貴とは、貴い位の人に仕える鄭は裴につかえるをいう。

【7】    賞匹敵 貴者をも自己と同輩のようにみなしてさべつしないことをいう。

 

 

 

杜甫 鄭典設自施州歸【字解】

(1)  鄭典設 典設郎は東宮に属する官名であり、東宮に典設局があり、郎四人をおく。湯沐浴、灑掃、舗陣のことを擧る。杜甫同時期の作、七言律詩《巻十八63 江雨有懷鄭典設》「春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。」がある。

(2)  施州歸 黔中道施州刺史の裴冕のところに面会に行って帰ってきた。杜甫 20-97 寄裴施州》767-4杜甫 20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦256-4 <1061 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6985

楚漢戦争で、滎陽の戦いがあったところ。

(3)  滎陽 典設郎の鄭某は滎陽の地方の名族なり。滎陽は河南にある戦国時代に秦により滎陽県が設置された、古くからの縣名である。

(4)  適 他の土地に行くこと。

(5)  旅茲 これによって旅に出る

(6)  殊俗遠 風俗のちがった遠方。

(7)  屢空迫 米櫃にコメがないほどにの貧窮を言う。論語 「子曰、囘也其庶乎、屡空、賜不受命而貨殖焉、億則屡中。」子曰わく、回や其れ庶【ちか】きか、屡々【しばしば】空し。賜は命を受けずして貨殖す。億れば則ち屡々中【あた】る。

(8)  ⑻ 裴施州 この時の施州の刺史であった裴冕のこと。裴冕  人名。河東の人。字は章甫。蔭によって渭南尉になり、殿中侍御使となる。玄宗が入蜀すると御史中丞となり、粛宗に従って霊武に至り、尚書右僕射に昇進する。両京回復の時に冀国公に封じられた。後に罪を得て施州刺史に左遷される。代宗の時、復帰して左僕射、同中書門下平章事を授けられた。杜甫は成都紀行《巻九11鹿頭山》「冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸、公鎮踰歳月。」(冀公柱石の姿、道を論じて邦国活く。斯の人亦た何ぞ幸ひなる、公の鎮して歳月を踰ゆ。)冀国公の裴冕殿は国家の柱石、道理を語って、国は平和に治められる。この土地の人々は、何と幸いなことか。あなたがここを治めて、もう一年余りにもなるのだ。杜甫が成都到着を目前にして作った「鹿頭山」詩の末尾に裴冕への讃辞を書き綴るのは、杜甫が裴冕の動向を正確に把握していたことを示すものである。”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1703 杜甫1500- 525

(9)   氣合 意気投合する。

(10)   無險僻 道路の険阻避遠をむしすることをいう。險は険阻、けわしいこと、僻はかたよる、避遠、無は無視する。

(11)   懸根木 根あがりの樹木、「杜臆」には榕樹なりといえるが、榕樹とは限らざるべし。

(12)   登頓 のぼったりやすんだり。

(13)   入天石 石壁聳立して天にまで突きいるなり。

(14)   憂戚 戚もうれひなり。

(15)   子 鄭をさす。

(16)   此邦 施州をいう。

(17)   溫溫 温情があることを言う。

(18)   諸侯門 諸侯とは裴施州をさす。

(19)   敕廚 臺所へ申しつける。

(20)   倍常羞 普段の倍もある御馳走をすすめさせる。

(21)   狼藉 みだれるかお。狼籍は、中国の通史『史記滑稽列伝』による漢語である。「籍」には「敷く」や「踏む」「雑」などの意味かあり、狼籍は狼か寝るために敷いた草の乱れた様子から、物か散らかっている様子を意味した。

(22)   事貴賞匹敵 事貴とは、貴い位の人に仕える鄭は裴につかえるをいう。

(23)   賞匹敵 貴者をも自己と同輩のようにみなしてさべつしないことをいう。

767年-5-#2杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-5-#2 <1064> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7000 

杜甫  鄭典設自施州歸 #2

南謁裴施州,氣合無險僻。攀援懸根木,登頓入天石。

青山自一川,城郭洗憂慼。聽子話此邦,令我心悅懌。

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。
767-5-#2杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦256-5-#2 <1064> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7000 

 

 

 
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杜甫詩1500-1064-1551-#2/2500

年:767年大暦256-5-#2

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    鄭典設自施州歸

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)   

交遊人物/地點:鄭典設      書信往來

裴冕      詩文提及(黔中道 施州 施州)

 

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったことについてである。

名賢慎所出,不肯妄行役。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

鄭典設 施州より歸る #1

吾は憐れむ滎陽の秀,暑を冒して初め適く有り。

名賢は出る所を慎む,肯て妄りに行役せず。

茲の殊俗の遠きに旅するは,竟に屢空に迫らるるを以てなり。

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。

攀援懸根木,登頓入天石。

あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。

青山自一川,城郭洗憂慼。

それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。

聽子話此邦,令我心悅懌。

君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。
#2

南のかた裴施州に謁す,氣合して險僻を無みす。

攀援す 懸根の木,登頓す 入天の石。

青山 自ら一川,城郭 憂慼を洗う。

子が 此の邦を話すを聽けば,我をして 心 悅懌せしむ。
#3

其俗則純樸,不知有主客。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

群書一萬卷,博涉供務隙。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

#5

乃聞風土質,又重田疇闢。

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

此身仗兒僕,高興潛有激。

#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。

我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『鄭典設自施州歸』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。

攀援懸根木,登頓入天石。

青山自一川,城郭洗憂慼。

聽子話此邦,令我心悅懌。

(下し文)
#2

南のかた裴施州に謁す,氣合して險僻を無みす。

攀援す 懸根の木,登頓す 入天の石。

青山 自ら一川,城郭 憂慼を洗う。

子が 此の邦を話すを聽けば,我をして 心 悅懌せしむ。

(現代語訳)
#2

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。

あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。

それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。

君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。

(訳注) #2

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)大暦二年十月の作。

 

南謁裴施州,氣合無險僻。

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。

【1】         裴施州 この時の施州の刺史であった裴冕のこと。裴冕  人名。河東の人。字は章甫。蔭によって渭南尉になり、殿中侍御使となる。玄宗が入蜀すると御史中丞となり、粛宗に従って霊武に至り、尚書右僕射に昇進する。両京回復の時に冀国公に封じられた。後に罪を得て施州刺史に左遷される。代宗の時、復帰して左僕射、同中書門下平章事を授けられた。杜甫は成都紀行《巻九11鹿頭山》「冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸、公鎮踰歳月。」(冀公柱石の姿、道を論じて邦国活く。斯の人亦た何ぞ幸ひなる、公の鎮して歳月を踰ゆ。)冀国公の裴冕殿は国家の柱石、道理を語って、国は平和に治められる。この土地の人々は、何と幸いなことか。あなたがここを治めて、もう一年余りにもなるのだ。杜甫が成都到着を目前にして作った「鹿頭山」詩の末尾に裴冕への讃辞を書き綴るのは、杜甫が裴冕の動向を正確に把握していたことを示すものである。”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1703 杜甫1500- 525

【2】    氣合 意気投合する。

【3】    無險僻 道路の険阻避遠をむしすることをいう。險は険阻、けわしいこと、僻はかたよる、避遠、無は無視する。

 

攀援懸根木,登頓入天石。

あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。

【4】    懸根木 根あがりの樹木、「杜臆」には榕樹なりといえるが、榕樹とは限らざるべし。

【5】    登頓 のぼったりやすんだり。

【6】    入天石 石壁聳立して天にまで突きいるなり。

 

青山自一川,城郭洗憂慼。

それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。

【7】    憂戚 戚もうれひなり。

 

聽子話此邦,令我心悅懌。

君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。

【8】    子 鄭をさす。

【9】    此邦 施州をいう。

 

 

【字解】

(1)  鄭典設 典設郎は東宮に属する官名であり、東宮に典設局があり、郎四人をおく。湯沐浴、灑掃、舗陣のことを擧る。杜甫同時期の作、七言律詩《巻十八63 江雨有懷鄭典設》「春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。」がある。

(2)  施州歸 黔中道施州刺史の裴冕のところに面会に行って帰ってきた。杜甫 20-97 寄裴施州》767-4杜甫 20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦256-4 <1061 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6985

楚漢戦争で、滎陽の戦いがあったところ。

(3)  滎陽 典設郎の鄭某は滎陽の地方の名族なり。滎陽は河南にある戦国時代に秦により滎陽県が設置された、古くからの縣名である。

(4)  適 他の土地に行くこと。

(5)  旅茲 これによって旅に出る

(6)  殊俗遠 風俗のちがった遠方。

(7)  屢空迫 米櫃にコメがないほどにの貧窮を言う。論語 「子曰、囘也其庶乎、屡空、賜不受命而貨殖焉、億則屡中。」子曰わく、回や其れ庶【ちか】きか、屡々【しばしば】空し。賜は命を受けずして貨殖す。億れば則ち屡々中【あた】る。

(8)  ⑻ 裴施州 この時の施州の刺史であった裴冕のこと。裴冕  人名。河東の人。字は章甫。蔭によって渭南尉になり、殿中侍御使となる。玄宗が入蜀すると御史中丞となり、粛宗に従って霊武に至り、尚書右僕射に昇進する。両京回復の時に冀国公に封じられた。後に罪を得て施州刺史に左遷される。代宗の時、復帰して左僕射、同中書門下平章事を授けられた。杜甫は成都紀行《巻九11鹿頭山》「冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸、公鎮踰歳月。」(冀公柱石の姿、道を論じて邦国活く。斯の人亦た何ぞ幸ひなる、公の鎮して歳月を踰ゆ。)冀国公の裴冕殿は国家の柱石、道理を語って、国は平和に治められる。この土地の人々は、何と幸いなことか。あなたがここを治めて、もう一年余りにもなるのだ。杜甫が成都到着を目前にして作った「鹿頭山」詩の末尾に裴冕への讃辞を書き綴るのは、杜甫が裴冕の動向を正確に把握していたことを示すものである。”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1703 杜甫1500- 525

(9)   氣合 意気投合する。

(10)   無險僻 道路の険阻避遠をむしすることをいう。險は険阻、けわしいこと、僻はかたよる、避遠、無は無視する。

(11)   懸根木 根あがりの樹木、「杜臆」には榕樹なりといえるが、榕樹とは限らざるべし。

(12)   登頓 のぼったりやすんだり。

(13)   入天石 石壁聳立して天にまで突きいるなり。

(14)   憂戚 戚もうれひなり。

(15)   子 鄭をさす。

(16)   此邦 施州をいう。

767年-5-#1 杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-5-#1 <1063> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6995

杜甫  鄭典設自施州歸 #1

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。名賢慎所出,不肯妄行役。

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったことについてである。名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

767-5-#1 杜甫 20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦256-5-#1 <1063 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6995

 

 
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杜甫詩1500-1063-1551-#1/2500

年:767年大暦256-5-#1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    鄭典設自施州歸

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)   

交遊人物/地點:鄭典設      書信往來

裴冕      詩文提及(黔中道 施州 施州)

 

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったことについてである。

名賢慎所出,不肯妄行役。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。

攀援懸根木,登頓入天石。

青山自一川,城郭洗憂慼。

聽子話此邦,令我心悅懌。


#3

其俗則純樸,不知有主客。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

群書一萬卷,博涉供務隙。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

#5

乃聞風土質,又重田疇闢。

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

此身仗兒僕,高興潛有激。

#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。

我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『鄭典設自施州歸』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

鄭典設自施州歸 #1

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

名賢慎所出,不肯妄行役。

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。
(含異文):#1    

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。名賢慎所出【名賢慎出處】,不肯妄行役。

旅茲殊俗遠【旅茲殊俗還】,竟以屢空迫。


(下し文)

鄭典設 施州より歸る #1

吾は憐れむ滎陽の秀,暑を冒して初め適く有り。

名賢は出る所を慎む,肯て妄りに行役せず。

茲の殊俗の遠きに旅するは,竟に屢空に迫らるるを以てなり。


(現代語訳)
鄭典設自施州歸 #1(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったとについてである。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

夔州東川卜居図詳細 002
(訳注)

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)大暦二年十月の作。

【1】    鄭典設 典設郎は東宮に属する官名であり、東宮に典設局があり、郎四人をおく。湯沐浴、灑掃、舗陣のことを擧る。杜甫同時期の作、七言律詩《巻十八63 江雨有懷鄭典設》「春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。」がある。

【2】    施州歸 黔中道施州刺史の裴冕のところに面会に行って帰ってきた。杜甫 20-97 寄裴施州》「」767-4杜甫 20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦256-4 <1061 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6985

 

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったとについてである。

【3】    滎陽 典設郎の鄭某は滎陽の地方の名族なり。滎陽は河南にある戦国時代に秦により滎陽県が設置された、古くからの縣名である。楚漢戦争で、滎陽の戦いがあったところ。

【4】    適 他の土地に行くこと。

 

名賢慎所出,不肯妄行役。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

 

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

【5】    旅茲 これによって旅に出る。

【6】    殊俗遠 風俗のちがった遠方。

【7】    屢空迫 米櫃にコメがないほどにの貧窮を言う。論語 子曰、囘也其庶乎、屡空、賜不受命而貨殖焉、億則屡中。」子曰わく、回や其れ庶【ちか】きか、屡々【しばしば】空し。賜は命を受けずして貨殖す。億れば則ち屡々中【あた】る。

 

 

 

【字解】

(1)  鄭典設 典設郎は東宮に属する官名であり、東宮に典設局があり、郎四人をおく。湯沐浴、灑掃、舗陣のことを擧る。杜甫同時期の作、七言律詩《巻十八63 江雨有懷鄭典設》「春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。」がある。

(2)  施州歸 黔中道施州刺史の裴冕のところに面会に行って帰ってきた。杜甫 20-97 寄裴施州》767-4杜甫 20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦256-4 <1061 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6985

楚漢戦争で、滎陽の戦いがあったところ。

(3)  滎陽 典設郎の鄭某は滎陽の地方の名族なり。滎陽は河南にある戦国時代に秦により滎陽県が設置された、古くからの縣名である。

(4)  適 他の土地に行くこと。

(5)  旅茲 これによって旅に出る

(6)  殊俗遠 風俗のちがった遠方。

(7)  屢空迫 米櫃にコメがないほどにの貧窮を言う。論語 「子曰、囘也其庶乎、屡空、賜不受命而貨殖焉、億則屡中。」子曰わく、回や其れ庶【ちか】きか、屡々【しばしば】空し。賜は命を受けずして貨殖す。億れば則ち屡々中【あた】る。

767年-4杜甫 《20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-4 <1062> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6990

杜甫  寄裴施州 #2  

幾度寄書白鹽北,苦寒贈我青羔裘。霜雪回光避錦袖,龍蛇動篋蟠銀鉤。

紫衣使者辭復命,再拜故人謝佳政。將老已失子孫憂,後來況接才華盛。

かような人物である君が白塩崖の北に住む自分に幾たび手紙を寄せてくれたことか・また塞さがひどいといって自分に青遘羔の裘を贈ってくれた。この裘を着ると霜や雪も錦の袖を避けて、寒き光をひきかえさせるし、君の手紙の文字をみると篋なかに龍蛇が動き、銀の鈎が蟠っているようである。いま紫衣の使者が自分のところを辭して君の方へ返事をしにかえろうとする。それで自分は再拝の禮を以て故いなじみの人である君に、君の善政について感謝の意をのべる。君の様知己を得たからには自分は老いかかっても、もはや子孫の事は君にまかせられるから、之に対する心配はなくなったのである、それのみでなく将来には我が子孫たるものはさらに君の子孫の才華の盛んなるのと交接することができるであろう。

767-4杜甫 20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦256-4 <1062 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6990

 

 
  2015年11月29日 の紀頌之5つのBlog  
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  孟郊 張籍          
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杜甫詩

1500-1062-1550-#2/2500 

 

夔州の西または東の瀼に言及したものは、四庫全書(電子版)の範囲内では『水経注』が最初である。巻三三に「白帝山城は周迴二百八十歩、北は馬嶺に縁()り、赤岬山に接し、其の間の平処は、南北相去ること八十五丈、東西七十丈。又東は東瀼渓に傍()い、即ち以て隍と為す」とあり、この東瀼渓が今の梅渓河ではなく草堂河を指すことは、馬嶺、赤岬山、白帝城、白鹽山との位置関係から明らかである。その東瀼渓が白帝城の「隍」すなわち水の無い城濠の役割を果たすと言っているのは、冬場に水位が下がったときのことである。

 唐以前の詩及び全唐詩で、地理に関する名詞として瀼の字が使われているのは十六首あるが、そのうち杜甫が十三例を占め、あとは中唐の劉禹錫の竹枝詞に「瀼西春水縠紋生」とあるのが一例、九江のことを述べた盛唐の元結が二例あるに過ぎない。つまり夔州の草堂河を詩の中に歌ったのは杜甫が最初で、しかもそのほとんどが杜甫で、瀼は杜甫の詩と強く結びついているということである。浣花(渓)が成都草堂時代を代表する詩語だったように、瀼は杜甫の夔州詩を代表する一つの言葉だと言ってよい。

 草堂河(東瀼水)両岸の地区を杜甫は瀼東、瀼西という言い方をしている。夔州に着いてまもないころの詩《1527_夔州歌十絶句》其五で、

  瀼東瀼西一萬家、 瀼東と瀼西は 一万家

  江北江南春冬花。 江の北と江の南は 春も冬も花あり

と詠じ、草堂河の東岸、西岸に広がる民家が一万戸と述べている。『新唐書』巻四十、地理志によれば、夔州は奉節、雲安、巫山、大昌の四県全体で、戸数は一万五千六百二十、人口は七万五千(『通典』や『太平寰宇記』の記述も大同小異)である。これからすると草堂河両岸だけで民家一万戸というのは、多すぎるかもしれない。だが句作りの関係から誇張されている分を差し引いたとしても、この地区の人口が相当多かったことを、杜甫は驚きつつ詩の中で詠じているのである。

 次の《1852_江雨に鄭典設を懐う有り》の詩は大暦二年、瀼西に引っ越してきたころの作だが、草堂河両岸に対して西東という言い方もしている。

  谷口子真正憶汝、 谷口の子真たるきみよ われは正に汝を憶(おも)

  岸高瀼滑限西東。 岸は高く 瀼は滑(なめ)らかにして 西と東とを限(へだ)

詩の中で杜甫は、鄭典設を漢代の清浄な隠者の鄭子真(長安の谷口の人)とみなしている。雨で草堂河がみなぎり、瀼西にいる杜甫は瀼東に住む鄭子真と隔てられたように感じているのである。下句の「瀼は滑らか」の部分は、王洙本他のテキストに「瀼は闊(ひろ)く」と作る異文が伝わる。趙次公注本は、本文をわざわざその異文の方に改めているが、それだといっそう対岸との隔絶感が強まる(戊帙巻之一)。

 対岸の瀼東地区は他の詩にも描かれている。瀼東の背後には、白塩山(今の赤甲山)が衝立のように立ちふさがっていた。瀼西に引っ越す前に作った《1553_白塩山》の詩では、瀼東地区には千戸の民家があったと述べている。

  白牓千家邑、 白き牓(たてふだ)のごときやまには 千家の邑(むら)

  清秋萬估船。 清秋に 万(よろず)の估(あきんど)の船

もちろんこの千戸は実数ではないが、戸数が比較的多いことがわかる。増水期の秋、草堂河には様々な商人の船が碇泊している。草堂河を挟んだ瀼西区と瀼東区は唐代は栄えており人家が多かったので、増水期には船の往来が少なくなかったようである。明の王嗣奭が「(白塩)山を繞りて上り、千家、邑を成す。積水の中、万の估の船来たる。又た蜀中の一都会なり」(曹樹銘『杜臆増校』巻十一)と解するように杜甫の当時はそれなりににぎやかだった。その繁華さの背景には、長江を通じて長江の上流域と下流域、蜀と呉の盛んな物資の流通があり、夔州がその中間に位置していたからであろう。夔州の特徴を風物詩風に連作詩で詠じた《1527_夔州歌十絶句》の其七で、杜甫はそのことを、

  蜀麻呉鹽自古通、 蜀の麻と呉の塩は古(いにしえ)自り通じ

  萬斛之舟行若風。 万斛の舟は行くこと風の若し

と詠じている。

 狭い地にこれだけ戸数が多いと、民家はおのずと山の上まで続かざるを得ない。そのことを《1527_夔州歌十絶句》其四(大暦元年夏)で、

  赤甲白鹽倶刺天、 赤甲と白塩は 倶に天を刺し

  閭閻繚繞接山巓。 閭閻は繚(めぐ)り繞(めぐ)りて 山の巓(いただき)に接す

と詠じる。仇兆鰲が「居する人の密なるを言う」と注するように、瀼西の赤甲山も瀼東の白塩山もその斜面には、集落が山の高いところまでくねくねと続いていることを詠じている。

 瀼西だけに限らないだろうが、そういう住まいの様子が杜甫にはよほど珍しかったのだろう、その後も詩の中で二度言及している。《1549_贈李十五丈別》(大暦元年秋)の詩では、重なる山々の頂上に貼りつくように家がある様子を、鳥獣の住みかのようだと述べている。

  峽人鳥獸居、 峡の人は 鳥獣のごとく居り

  其室附層顛。 其の室は 層なす顛(いただき)に附す

  下臨不測江、 下は不測の江に臨み

  中有萬里船。 中には万里よりきたる船有り

さらに《1536_雨二首》其一になると、もっとはっきりまるで樹上に巣を作る鳥のような住居をしていると詠じている。

  殊俗狀巢居、 ここの殊俗は 巣居を状(かたど)

  層臺俯風渚。 層台より 風ふく渚を俯()

実は以前にも、山地の民が斜面に柱を立てかけて住む様子を、巣居のような住みかたをしていると感じたことがある。六年前、秦州から成都入りする途中で険しい五盤嶺を詠じた《0906_五盤》の詩に「野人は半ばは巣居す」と詠じるのがそれである。

 また瀼西宅の南面、つまり対岸の瀼東には白塩山が高くたちはだかっていたことは、先に述べたとおりだが、瀼西宅の北側が赤甲山の東側の山麓にあたることは、《2008_瀼西の荊扉(あばらや)()り、且(しばら)く東屯の茅屋に移居す、四首》其一に、

  白鹽危嶠北、 ここは白塩の危嶠(キキョウ)の北の

  赤甲古城東。 赤甲やまの古城の東なり

とあることからもわかる''。さらに、その赤甲山に続く西側は険しい崖になっていた。そのことは、《1907_課伐木》(大暦二年夏)の詩に、

  虎穴連里閭、 虎の穴は 里閭(むらざと)に連なり

  隄防舊風俗。 隄防(テイボウ)するは 旧風俗なり

  泊舟滄江岸、 舟を泊す 滄江の岸

  久客慎所觸。 久しき客のわれは (虎の)触るる所を慎しむ

  舍西崖嶠壯、 舎の西は 崖嶠(ガイキョウ) 壮なり

  雷雨蔚含蓄。 雷雨には 蔚として含蓄す

とあり、草木がこんもり茂って雷雨の時には、虎や何かが隠れていそうな場所として描かれている。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

年:767年大暦256-4

卷別:    卷二二一              文體:    七言古詩

詩題:    寄裴施州

【裴冕坐李輔國貶施州刺史。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    

白鹽山 (山南東道 夔州 夔州) 別名:白帝城鹽山        

交遊人物/地點:裴冕          書信往來(黔中道 施州 施州)

 

 

寄裴施州

(施州の刺史裴冕が手紙と裘とを贈ってくれたについて之に寄せた詩。)

【裴冕坐李輔國貶施州刺史。】

【裴冕は、この時まで、程元振によるクーデターにより失脚、李輔國の一党に組して言ことから宰相から施州刺史に貶せられていた。】

廊廟之具裴施州,宿昔一逢無此流。

廟堂に立って政治をなすべき器である裴冕施州刺史、むかし君と一度出遭たことがあるが君の様なたぐいのものは今まで出会ったことは無かつた。

金鐘大鏞在東序,冰壺玉衡懸清秋。

君という人物をたとえてみれば、金鐘や大鏞が東序に置かれてあるごとく、また玉壺の氷や玉衝が清んだ秋の空に懸っているごときものである。

自從相遇感多病,三為客寬邊愁。

君と出会ってからは自分の持病も減じ、あれから三年、旅客となっているが、君からの手紙で片田舎に居る愁もくつろいだ感がある。

堯有四岳明至理,漢二千石真分憂。

むかし三皇五帝の堯の時に四岳といふ諸侯の取りしまり役があって無上の治安を明かにし、漢の時代には禄二千石の地方長官があって真に天子の憂いを分擔したというが、君はその四岳・良二千石の様なものである。

#2

幾度寄書白鹽北,苦寒贈我青羔裘。

かような人物である君が白塩崖の北に住む自分に幾たび手紙を寄せてくれたことか・また塞さがひどいといって自分に青遘羔の裘を贈ってくれた。

霜雪回光避錦袖,龍蛇動篋蟠銀鉤。

この裘を着ると霜や雪も錦の袖を避けて、寒き光をひきかえさせるし、君の手紙の文字をみると篋なかに龍蛇が動き、銀の鈎が蟠っているようである。

紫衣使者辭復命,再拜故人謝佳政。

いま紫衣の使者が自分のところを辭して君の方へ返事をしにかえろうとする。それで自分は再拝の禮を以て故いなじみの人である君に、君の善政について感謝の意をのべる。

將老已失子孫憂,後來況接才華盛。

君の様知己を得たからには自分は老いかかっても、もはや子孫の事は君にまかせられるから、之に対する心配はなくなったのである、それのみでなく将来には我が子孫たるものはさらに君の子孫の才華の盛んなるのと交接することができるであろう。

裴施州に寄す)

【裴冕は李輔國に坐して施州刺史に貶せらる。】

廊廟の具 裴施州,宿昔 一たび逢いしに 此流無かりき。

金鐘 大鏞 東序に在り,冰壺 玉衡 清秋に懸る。

相い遇しより 多病感じ,三 客と為りて 邊愁寬なり。

堯には四岳有りて 至理を明らかにす,漢の二千石は真に憂を分てり。

#2

幾度か書を寄す 白鹽の北,苦寒 我に贈る青羔裘。

霜雪 光を回して錦袖を避く,龍蛇 篋に動きて銀鉤 蟠る。

紫衣の使者 辭して復命せんとす,再拜して 故人に佳政を謝す。

將に老いむとして 已に失う 子孫の憂,後來 況んや才華の盛なるに接せんとす。

唐時代 地図山南 東・西道50 

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杜甫  寄裴施州 #1

【裴冕坐李輔國貶施州刺史。】

廊廟之具裴施州,宿昔一逢無此流。金鐘大鏞在東序,冰壺玉衡懸清秋。

自從相遇感多病,三為客寬邊愁。堯有四岳明至理,漢二千石真分憂。

(施州の刺史裴冕が手紙と裘とを贈ってくれたについて之に寄せた詩。)

【裴冕は、この時まで、程元振によるクーデターにより失脚、李輔國の一党に組して言ことから宰相から施州刺史に貶せられていた。】

廟堂に立って政治をなすべき器である裴冕施州刺史、むかし君と一度出遭たことがあるが君の様なたぐいのものは今まで出会ったことは無かつた。君という人物をたとえてみれば、金鐘や大鏞が東序に置かれてあるごとく、また玉壺の氷や玉衝が清んだ秋の空に懸っているごときものである。君と出会ってからは自分の持病も減じ、あれから三年、旅客となっているが、君からの手紙で片田舎に居る愁もくつろいだ感がある。むかし三皇五帝の堯の時に四岳といふ諸侯の取りしまり役があって無上の治安を明かにし、漢の時代には禄二千石の地方長官があって真に天子の憂いを分擔したというが、君はその四岳・良二千石の様なものである。

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 杜甫詩1500-1061-1550-#1/2500

年:767年大暦256-4

卷別:    卷二二一              文體:    七言古詩

詩題:    寄裴施州

【裴冕坐李輔國貶施州刺史。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    (下地図J-2)

白鹽山 (山南東道 夔州 夔州) 別名:白帝城鹽山        

交遊人物/地點:裴冕          書信往來(黔中道 施州 施州)

 

 

寄裴施州

(施州の刺史裴冕が手紙と裘とを贈ってくれたについて之に寄せた詩。)

【裴冕坐李輔國貶施州刺史。】

【裴冕は、この時まで、程元振によるクーデターにより失脚、李輔國の一党に組して言ことから宰相から施州刺史に貶せられていた。】

廊廟之具裴施州,宿昔一逢無此流。

廟堂に立って政治をなすべき器である裴冕施州刺史、むかし君と一度出遭たことがあるが君の様なたぐいのものは今まで出会ったことは無かつた。

金鐘大鏞在東序,冰壺玉衡懸清秋。

君という人物をたとえてみれば、金鐘や大鏞が東序に置かれてあるごとく、また玉壺の氷や玉衝が清んだ秋の空に懸っているごときものである。

自從相遇感多病,三為客寬邊愁。

君と出会ってからは自分の持病も減じ、あれから三年、旅客となっているが、君からの手紙で片田舎に居る愁もくつろいだ感がある。

堯有四岳明至理,漢二千石真分憂。

むかし三皇五帝の堯の時に四岳といふ諸侯の取りしまり役があって無上の治安を明かにし、漢の時代には禄二千石の地方長官があって真に天子の憂いを分擔したというが、君はその四岳・良二千石の様なものである。

#2

幾度寄書白鹽北,苦寒贈我青羔裘。

霜雪回光避錦袖,龍蛇動篋蟠銀鉤。

紫衣使者辭復命,再拜故人謝佳政。

將老已失子孫憂,後來況接才華盛。

 

裴施州に寄す)

【裴冕は李輔國に坐して施州刺史に貶せらる。】

廊廟の具 裴施州,宿昔 一たび逢いしに 此流無かりき。

金鐘 大鏞 東序に在り,冰壺 玉衡 清秋に懸る。

相い遇しより 多病感じ,三 客と為りて 邊愁寬なり。

堯には四岳有りて 至理を明らかにす,漢の二千石は真に憂を分てり。

#2

幾度か書を寄す 白鹽の北,苦寒 我に贈る青羔裘。

霜雪 光を回して錦袖を避く,龍蛇 篋に動きて銀鉤 蟠る。

紫衣の使者 辭して復命せんとす,再拜して 故人に佳政を謝す。

將に老いむとして 已に失う 子孫の憂,後來 況んや才華の盛なるに接せんとす。


唐時代 地図山南 東・西道50 

『寄裴施州』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄裴施州

【裴冕坐李輔國貶施州刺史。】

廊廟之具裴施州,宿昔一逢無此流。

金鐘大鏞在東序,冰壺玉衡懸清秋。

自從相遇感多病,三為客寬邊愁。

堯有四岳明至理,漢二千石真分憂。
詩文(含異文)     廊廟之具裴施州,宿昔一逢無此流【宿昔一逢無比流】。金鐘大鏞在東序,冰壺玉衡懸清秋【冰壺玉珩懸清秋】。自從相遇感多病【自從相遇減多病】,三為客寬邊愁。堯有四岳明至理,漢二千石真分憂。


(下し文)

裴施州に寄す)

【裴冕は李輔國に坐して施州刺史に貶せらる。】

廊廟の具 裴施州,宿昔 一たび逢いしに 此流無かりき。

金鐘 大鏞 東序に在り,冰壺 玉衡 清秋に懸る。

相い遇しより 多病感じ,三 客と為りて 邊愁寬なり。

堯には四岳有りて 至理を明らかにす,漢の二千石は真に憂を分てり。

(現代語訳)
(施州の刺史裴冕が手紙と裘とを贈ってくれたについて之に寄せた詩。)

【裴冕は、この時まで、程元振によるクーデターにより失脚、李輔國の一党に組して言ことから宰相から施州刺史に貶せられていた。】

廟堂に立って政治をなすべき器である裴冕施州刺史、むかし君と一度出遭たことがあるが君の様なたぐいのものは今まで出会ったことは無かつた。

君という人物をたとえてみれば、金鐘や大鏞が東序に置かれてあるごとく、また玉壺の氷や玉衝が清んだ秋の空に懸っているごときものである。

君と出会ってからは自分の持病も減じ、あれから三年、旅客となっているが、君からの手紙で片田舎に居る愁もくつろいだ感がある。

むかし三皇五帝の堯の時に四岳といふ諸侯の取りしまり役があって無上の治安を明かにし、漢の時代には禄二千石の地方長官があって真に天子の憂いを分擔したというが、君はその四岳・良二千石の様なものである。


(訳注) #1

寄裴施州

(施州の刺史裴冕が手紙と裘とを贈ってくれたについて之に寄せた詩。)大暦二年の作。

  施州 (黔中道 施州 施州)    (上地図J-2)

【裴冕坐李輔國貶施州刺史。】

【裴冕は、この時まで、程元振によるクーデターにより失脚、李輔國の一党に組して言ことから宰相から施州刺史に貶せられていた。】

1】裴冕  人名。河東の人。字は章甫。蔭によって渭南尉になり、殿中侍御使となる。玄宗が入蜀すると御史中丞となり、粛宗に従って霊武に至り、尚書右僕射に昇進する。両京回復の時に冀国公に封じられた。後に罪を得て施州刺史に左遷される。代宗の時、復帰して左僕射、同中書門下平章事を授けられた。杜甫は成都紀行《巻九11鹿頭山》「冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸、公鎮踰歳月。」(冀公柱石の姿、道を論じて邦国活く。斯の人亦た何ぞ幸ひなる、公の鎮して歳月を踰ゆ。)冀国公の裴冕殿は国家の柱石、道理を語って、国は平和に治められる。この土地の人々は、何と幸いなことか。あなたがここを治めて、もう一年余りにもなるのだ。杜甫が成都到着を目前にして作った「鹿頭山」詩の末尾に裴冕への讃辞を書き綴るのは、杜甫が裴冕の動向を正確に把握していたことを示すものである。”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1703 杜甫1500- 525

 

裴冕(703年-770年),字章甫,河中河(今山西永)人,唐朝宰相。

裴冕出身于河裴氏眷房任渭南尉、察御史、河西行。安史之乱,因参与立唐宗,授侍郎、同平章事,后罢为右仆射,两京收复后封冀国公。

 

唐代宗年,裴冕任施州刺史、澧州刺史、左射,并加集院待。大四年(769年),裴冕被元载举宰相,加同平章事,并兼都留守。同年十二月病逝,67,追太尉。元和四年(809年),配享庭。

 

裴冕は成都尹で剣南西川節度使を兼ねていた。その引きがあって杜甫は、秦州から同谷を経て成都に入って浣花渓に草堂を建てることができた。裴冕は玄宗の時に王と結託し、晩年代宗のときにはまた李輔国と李元載に取入るという、手段をえらばず、ただ自分の出世のみを求めたたちの官僚で、また馬嵬事変後に六度も上奏して粛宗を皇帝の位に即くよう推戴した人物である。広い意味ではまさに房琯およびその友人たちの反対党であった。

 

 

2】李輔国(李輔國、り ほこく、704 - 762年)は唐代粛宗の時代に専権をふるった宦官。本名は静忠、後に護国と賜名され、更に輔国と改名している。

元来は宦官である高力士の僕役として宮廷に入り、40歳以降になり閒を掌握、後に太子李亨に入侍した。安史の乱の際に玄宗が蜀に逃亡した際、李静忠は太子に随い馬嵬駅(現在の陝西省興平)へと逃れ、太子に対し楊国忠の殺害を進言し、唐朝の復興に尽力した。太子が霊武(現在の寧夏回族自治区霊武)で即位すると、李静忠はその功績から元帥府行軍司馬に任じられ兵権を掌握、そして名も輔国と改めた。

安史の乱が終結し粛宗に随い長安に戻った李輔国は郕国公に封じられる。この時期李輔国は察事庁子を設置し、官人の活動を監視するようになった。まもなく玄宗が長安に戻り太上皇となったが、玄宗復位を恐れた李輔国は玄宗に対し西内太極宮に移ることを迫り、また玄宗が親信していた高力士らを免官にしている。

宝応元年(762年)、玄宗が崩御すると、粛宗もまた病床につくこととなる。この事態に張皇后は、太子の李豫(代宗)の殺害と越王李係の擁立を画策する。これに対し李輔国は、太子豫を即位させ、張皇后と李係を殺害する。このようにして権力基盤を不動にした李輔国は、その言動に傲慢さが表れ、これが代宗の不興を買い、禁軍の一部を掌握した程元振によるクーデターにより失脚、後に刺客により殺害されている。

 

 

廊廟之具裴施州,宿昔一逢無此流。

廟堂に立って政治をなすべき器である裴冕施州刺史、むかし君と一度出遭たことがあるが君の様なたぐいのものは今まで出会ったことは無かつた。

3】 廊廟之具 廟堂、ちょうていにおいてだいせいじかであるというこを「器」の意。

4】比流 比倫、類流、ならべられる人をいう。此流はこの類の意。

 

金鐘大鏞在東序,冰壺玉衡懸清秋。

君という人物をたとえてみれば、金鐘や大鏞が東序に置かれてあるごとく、また玉壺の氷や玉衝が清んだ秋の空に懸っているごときものである。

5】大鏞 鏞は大鐘、鐘鏞は器宇の貴重なるに比す。

6】在東序 東序は堂の東にあたる細長き室をいう。西にも西序あり、東序と西序とが堂を中に爽むことで之を爽室革ともいう。「尚書」顧命に、「天球河圖、財東序」とつかう語あり。金鐘大鏞は廊廟の具である。

7】泳壷 氷を入れた玉のつぼ。

8玉衡 玉にて作りし衝、玉衡は「尚書」舜典に見える。衡は天体観測の器にしてレンズ無き望遠鏡のような類のものである。蔡邕が言う、「玉衝は長さ八尺、孔徑一寸、下端より之を望み以て星辰をみる。」、と。

9】懸清秋 秋にあたりて空高くかかる。

 

自從相遇感多病,三為客寬邊愁。

君と出会ってからは自分の持病も減じ、あれから三年、旅客となっているが、君からの手紙で片田舎に居る愁もくつろいだ感がある。

10】三為客 杜甫、7645年永泰元年ごろ始めて逢っている。三歳は永泰元年より、大暦二年まで。

11寬邊愁 南の辺境に居する愁いの心がくつろぐ。

 

堯有四岳明至理,漢二千石真分憂。

むかし三皇五帝の堯の時に四岳といふ諸侯の取りしまり役があって無上の治安を明かにし、漢の時代には禄二千石の地方長官があって真に天子の憂いを分擔したというが、君はその四岳・良二千石の様なものである。

12】四岳 東西南北、東の泰山、西の華山、南の衡山、北の恒山。古代中国で、四方の諸侯を統率した官。「尚書」舜典にみえる。

13】至理 理は治。

14】漢二千石 二千石は郡の長官をいう。表面の俸禄二千石を賜る。漢の宣帝曰く、「我と治を共にする者は唯だ良二千石か」と。

15】分憂 天子の憂いを分擔したことをいう。 

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杜甫  自平

自平宮中呂太一,收珠南海千餘日。近供生犀翡翠稀,復恐征戎干戈密。

蠻溪豪族小動搖,世封刺史非時朝。蓬萊殿前諸主將,才如伏波不得驕。

(官官が廣東附近の蛮人に兵を用いんとするを戒めた詩。)

中央朝廷では宦官呂太一の乱を763年平げてから三年ばかり、南海の地方から眞珠を手に入れた。ところが近頃は南海から犀や真珠で供献することが稀である。それで自分はまた南方へむけて征伐がひきつづき行はれはせぬかと恐れるのである。我が唐の國初に於いては帰順の渓蛮を世襲の刺史に二任じ時をきめずに入朝させるという風に之を優遇してあるのだ。いま渓蛮の豪族がすこし動揺しはじめたとのことだ。してみれば大明宮をお守りする主将たちよ、おまえたちは、たとい伏波将軍の様な才能があったとしでも驕慢になってはならぬはすだ。気をつけなければいけない。

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  杜甫詩1500-1060-1549/2500

年:767年大256-3

卷別:    卷二二○              文體:    七言古詩

詩題:    自平

作地點:              目前尚無資料

及地點:              大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿  

 

 

自平

(官官が廣東附近の蛮人に兵を用いんとするを戒めた詩。)

自平宮中呂太一,收珠南海千餘日。

中央朝廷では宦官呂太一の乱を763年平げてから三年ばかり、南海の地方から眞珠を手に入れた。

近供生犀翡翠稀,復恐征戎干戈密。

ところが近頃は南海から犀や真珠で供献することが稀である。それで自分はまた南方へむけて征伐がひきつづき行はれはせぬかと恐れるのである。

蠻溪豪族小動搖,世封刺史非時朝。

我が唐の國初に於いては帰順の渓蛮を世襲の刺史に二任じ時をきめずに入朝させるという風に之を優遇してあるのだ。いま渓蛮の豪族がすこし動揺しはじめたとのことだ。

蓬萊殿前諸主將,才如伏波不得驕。

してみれば大明宮をお守りする主将たちよ、おまえたちは、たとい伏波将軍の様な才能があったとしでも驕慢になってはならぬはすだ。気をつけなければいけない。

 

(自平)

宮中呂太一を平げしより,珠を南海に收むること千餘日。

近ごろ生犀 翡翠を供すること稀なり,復た恐る征戎干戈の密ならんことを。

蠻溪の豪族小しく動搖す,世封の刺史非時に朝せしむ。

蓬萊殿前の諸主將,才は伏波の如くなりとも驕ることを得ず。

大明宮-座標02 

『自平』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

自平

自平宮中呂太一,收珠南海千餘日。

近供生犀翡翠稀,復恐征戎干戈密。

蠻溪豪族小動搖,世封刺史非時朝。

蓬萊殿前諸主將,才如伏波不得驕。
詩文(含異文)

自平宮中呂太一【自平中宮呂太一】【自平中官呂太一】【案:中使呂太乙為市舶使,矯詔募兵作亂。】,收珠南海千餘日。

近供生犀翡翠稀,復恐征戎干戈密【復恐征戍干戈密】。

蠻溪豪族小動搖【蠻溪豪族山動搖】,世封刺史非時朝【世封刺史非常朝】。

蓬萊殿前諸主將【蓬萊殿裡諸主將】,才如伏波不得驕。


(下し文)
(自平)

宮中呂太一を平げしより,珠を南海に收むること千餘日。

近ごろ生犀 翡翠を供すること稀なり,復た恐る征戎干戈の密ならんことを。

蠻溪の豪族小しく動搖す,世封の刺史非時に朝せしむ。

蓬萊殿前の諸主將,才は伏波の如くなりとも驕ることを得ず。

(現代語訳)
(官官が廣東附近の蛮人に兵を用いんとするを戒めた詩。)

中央朝廷では宦官呂太一の乱を763年平げてから三年ばかり、南海の地方から眞珠を手に入れた。

ところが近頃は南海から犀や真珠で供献することが稀である。それで自分はまた南方へむけて征伐がひきつづき行はれはせぬかと恐れるのである。

我が唐の國初に於いては帰順の渓蛮を世襲の刺史に二任じ時をきめずに入朝させるという風に之を優遇してあるのだ。いま渓蛮の豪族がすこし動揺しはじめたとのことだ。

してみれば大明宮をお守りする主将たちよ、おまえたちは、たとい伏波将軍の様な才能があったとしでも驕慢になってはならぬはすだ。気をつけなければいけない。


(訳注)

自平

(官官が廣東附近の蛮人に兵を用いんとするを戒めた詩。)

 

自平宮中呂太一,收珠南海千餘日。

中央朝廷では宦官呂太一の乱を平げてから三年ばかり、南海の地方から眞珠を手に入れた。

【一】  宮中 宦官。

【二】  呂太一 宦官の姓名、《舊唐書代宗紀》「廣徳元年十二月、宦官市舶使呂太一廣南節度使張休、縱下大掠廣州。」(廣徳元年十二月、宦官市舶使呂太一廣南節度使張休を遂いひ、兵を縦って大に廣州な掠む)と。《韋倫傳》:代宗即位,中官呂太一於嶺南矯詔募兵為亂。《通鑑》に「云ふ、張休、城を棄てて端州に走る、太一兵か縦って焚掠す。官軍討って之を平ぐ」、と。

【三】  收珠南海 珠は眞珠、收とは中央へとりいれること。南海に廣東。

【四】  千餘日 太一の乱の平定に廣徳二年に在るべく、それより大暦二年までにて三年、即ち千余日となる。

 

近供生犀翡翠稀,復恐征戎干戈密。

ところが近頃は南海から犀や真珠で供献することが稀である。それで自分はまた南方へむけて征伐がひきつづき行はれはせぬかと恐れるのである。

【五】  供 朝廷へ供献すること。

【六】  生犀 いきた犀をいうものである。

【七】  翡翠 鳥り名。

【八】  干戈密 密とは相接するをいう。

 

蠻溪豪族小動搖,世封刺史非時朝。

我が唐の國初に於いては帰順の渓蛮を世襲の刺史に二任じ時をきめずに入朝させるという風に之を優遇してあるのだ。いま渓蛮の豪族がすこし動揺しはじめたとのことだ。

【九】  蠻溪豪族 廣東近地の渓居の蛮人の豪族。

【十】  小動揺 さわざかける。大暦二年九月、桂州の山獠、州城か陥れ、刺史李良遮れ去る、故に小しく動揺すといふ。

【十一】            世封刺史非時朝 唐の太宗の時、渓洞の蛮酋の歸順せし者は皆世世刺史か授く。これ世封刺史なり、非時朝とは彼等の朝貢には常期を以て責めざるをいう。いつにても都合のよき時に入朝せしむるなり。

 

蓬萊殿前諸主將,才如伏波不得驕。

してみれば大明宮をお守りする主将たちよ、おまえたちは、たとい伏波将軍の様な才能があったとしでも驕慢になってはならぬはすだ。気をつけなければいけない。

【十二】 蓬莱 蓬莱宮闕 蓬莱宮の門閥をいう。蓬莱宮は大明宮の別称である、「雍録」にいう、丹鳳門よりして北すれば含元殿あり、又北すれば宜政殿あり、又北すれば紫宸殿あり、三殿南北相い沓す、皆、山上に在り、紫宸殿に至り又北して蓬莱となれば山勢尽く、と。蓬莱宮は竜首岡に在りて地勢が最も高い。「唐会要」にいう、宮、北は高原に拠り、南は爽壇を望む、天晴れ日朗なる毎に南、終南山を望めば掌に指すが如く、京城の坊市街陌、檻内に在るが如し、と。其の眺望を想像することができよう。杜甫《秋興八首第五》「蓬萊宮闕對南山,承露金莖霄漢間。」(蓬莱の宮闕 南山に対し、承露の金茎 霄漢の間。蓬莱宮の宮門は、終南山を正面南に対している。それから承露盤の銅柱がおおぞら天のがわの間にまで高くそびえていたのである。

【十三】 殿前諸主將 定着にして禁革む掌るものかさす。

【十四】 伏波 後漢の馬援、伏波将軍に拝しし、曾て交趾を平らぐ。後ち五渓の蛮を征し壷頭の困みあり。以て戒とすべきをいう。

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杜甫  昔遊二首之一#4

胡爲客關塞,道意久衰薄。妻子亦何人,丹砂負前諾。

雖悲鬒發變,未憂觔力弱。扶藜望清秋,有興入廬霍。

自分はどうしてこんな菱州の関塞に旅客となってしまったのだろうか、道教の「道」に志す念が、ながらく衰えてしまったのであろうか。妻子は傍に居り、愛すべき存在であるが、それはまた、何人であるべきものであろうか、というのも、自分を補だしているものの、遂に丹砂を得んとする昔日の決心に背いている様なことになっているのが現状であるのだ。自分は黒くてうつくしい髪であったものが白くかわってしまったことは、悲しいのであるが、それに筋力が弱ってきているけれどもこれについては、まだ憂というところまでにはなっていない。あかぎの杖の助けを借りて、清秋の天を望んで、南のかた当選の隠遁し、董先生が隠遁している盧山、霍山(南岳・衡山)に行きつこうという興趣はおおいに茂っているのである。

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杜甫詩1500-1056-1547-#4/2500

昔遊二首 其一

年:767年大曆二年56

卷別:    卷二一八              文體:    五言古詩

詩題:    昔遊

作地點: 夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點: 天壇 (都畿道 河南府 王屋)              

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙            

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山           

霍山 (江南西道 衡州 衡陽)   

 

 

其一: #1

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔謁華蓋君,深求洞宮

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。

玉棺已上天,白日亦寂寞。

ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。

暮升艮岑頂,巾幾猶未卻。

そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

弟子四五人,入來淚俱落。

そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。

#2

餘時游名山,發軔在遠壑。

自分はそのころ天下の名山に遊學することにして巡り歩いていたのである、まず最初の出かけたのは、黄河の怒涛を渡って、すこし北方の遠方の隠遁者の棲んでいる谷の方まで出掛けたのである。

良覿違夙願,含淒向寥廓。

それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願が、道士の死でかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うことしかできなかったのであった。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

そして、その日は、林は昏くなってかすかな磬石も鳴らされず静かなもので、自分は夜もすがら石閣にひれ伏すことができたのである。

王喬下天壇,微月映皓鶴。

そんなおり、王子喬ではないかとおもわれる仙人が天壇へおりてこられた。かすかな月光であるのに、彼の乗ってきた白い鶴ははっきりと映ろうでいた。

#3

晨溪向虛駃,歸徑行已昨。

翌朝はやく、溪川のそばをとおると、水は流れがはやく、心地良く音を立てているにもかかわらずそれがむなしく感じ、昨日あるいた同じ道を、今は戻り路として帰るのである。

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

青鞋布韈のすがたで、足にたこができることくらいは、何の問題もないが、うらめしくながめやられるのは道士の金匕で盛る仙薬が手に入ればいいと思うことである。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

だから、おもいきって以前隠遁したところである東蒙山の隠處へと再び赴こうと思う。というのも、いまだに記憶にあるのは、あのころの同志の人人と楽しい思いをしたことがあるからである。

休事董先生,於今獨蕭索。

それに、あの時は董先生にお仕えをして慶びを感じたものだが、今では音信もなく、自分ひとりが蕭蕭としてさびしいことになっているのである。 

#4

胡爲客關塞,道意久衰薄。

自分はどうしてこんな菱州の関塞に旅客となってしまったのだろうか、道教の「道」に志す念が、ながらく衰えてしまったのであろうか。

妻子亦何人,丹砂負前諾。

妻子は傍に居り、愛すべき存在であるが、それはまた、何人であるべきものであろうか、というのも、自分を補だしているものの、遂に丹砂を得んとする昔日の決心に背いている様なことになっているのが現状であるのだ。

雖悲鬒發變,未憂觔力弱。

自分は黒くてうつくしい髪であったものが白くかわってしまったことは、悲しいのであるが、それに筋力が弱ってきているけれどもこれについては、まだ憂というところまでにはなっていない。

扶藜望清秋,有興入廬霍。

あかぎの杖の助けを借りて、清秋の天を望んで、南のかた当選の隠遁し、董先生が隠遁している盧山、霍山(南岳・衡山)に行きつこうという興趣はおおいに茂っているのである。

(昔遊二首其一)#1

昔 華蓋君に謁して,深く洞宮の求めんとす

玉棺 已に天に上り,白日 亦た寂寞たり。

暮に升る 艮岑【ごんしん】の頂,巾几【きんき】猶お未だ卻【しりぞ】けられず。

弟子 四五人,入り來って 淚 俱に落つ。

#2

余 時に名山に遊ばんとし,發軔【はつじん】遠壑に在り。

良覿【りょうてき】夙願【しゅくがん】違う,含淒 寥廓【りょうかく】に向う。

林 昏くして幽磬【ゆうけい】罷む,竟夜 石閣に伏す。

王喬 天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。

#3

晨溪 嚮【ひびき】虛しく駃【はや】し,歸徑 行 已に昨なり。

豈に辭せんや 青鞋【せいあい】の胝【ち】,悵望す 金匕の藥。

東蒙 舊隱に赴く,尚お憶う 同志の樂しかりしことを。

休事す 董先生,今に於て 獨り 蕭索たり。

#4

胡為れぞ 關塞に客となりて,道意 久して衰薄なるや。

妻子 亦た何人ぞ,丹砂 前諾に負く。

鬒髮の變を悲しむと雖も,未だ筋力の弱きことを憂えず。

藜を扶けて 清秋に望み,興の廬霍み入らんとする有り。

 

65洛陽 函谷関751  

『昔遊二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

胡爲客關塞,道意久衰薄。

妻子亦何人,丹砂負前諾。

雖悲鬒發變,未憂觔力弱。

扶藜望清秋,有興入廬霍。

(下し文)
#4

胡為れぞ 關塞に客となりて,道意 久して衰薄なるや。

妻子 亦た何人ぞ,丹砂 前諾に負く。

鬒髮の變を悲しむと雖も,未だ筋力の弱きことを憂えず。

藜を扶けて 清秋に望み,興の廬霍み入らんとする有り。

(現代語訳)
#4

自分はどうしてこんな菱州の関塞に旅客となってしまったのだろうか、道教の「道」に志す念が、ながらく衰えてしまったのであろうか。

妻子は傍に居り、愛すべき存在であるが、それはまた、何人であるべきものであろうか、というのも、自分を補だしているものの、遂に丹砂を得んとする昔日の決心に背いている様なことになっているのが現状であるのだ。

自分は黒くてうつくしい髪であったものが白くかわってしまったことは、悲しいのであるが、それに筋力が弱ってきているけれどもこれについては、まだ憂というところまでにはなっていない。

あかぎの杖の助けを借りて、清秋の天を望んで、南のかた当選の隠遁し、董先生が隠遁している盧山、霍山(南岳・衡山)に行きつこうという興趣はおおいに茂っているのである。

汜水関などの地図
(訳注) #4

 

胡為客關塞,道意久衰薄。

自分はどうしてこんな菱州の関塞に旅客となってしまったのだろうか、道教の「道」に志す念が、ながらく衰えてしまったのであろうか。

關塞 今いる夔州をさす。

道意 道教の「道」を求むる意。

衰薄 おとろえて,勢いを失うこと。凋落。衰微。常指世道德。衰敗。廃薄。《詩経、王風·中谷有蓷序》「夫婦日以衰薄,凶年飢饉,室家相弃

 

妻子亦何人,丹砂負前諾。

妻子は傍に居り、愛すべき存在であるが、それはまた、何人であるべきものであろうか、というのも、自分を補だしているものの、遂に丹砂を得んとする昔日の決心に背いている様なことになっているのが現状であるのだ。

何人 棄てがたきほどのものにも非らざるにの意。

丹砂 丹砂一斤を生竹の筒の中に入れ、石胆(硫酸銅)、消石をそれぞれ2両を加え、上下を覆ってフタをして、漆骨丸でこれを封じ、乾くのを待って醇苦酒の中に入れ深さ3尺の地中に埋める。30日で水となって、色赤く、味が苦くなる。丹薬というものは、火を加えれば加えるほど神妙なる変化が現われ、一方、黄金は火に入れて、百回錬造してもその量が減ることはなく、地中に埋めても天地が終るまで錆びることはない。この二つを服用して身体を練るがゆえに、人は老いることがなく、死ぬこともない。これは、外界の物質の力を借りて自らの身体を強固することであり、油が火を養って火が消えないような働きをしているに似たり。

前諾 丹砂を得んとする昔日の決心。

 

雖悲鬒髮變,未憂筋力弱。

自分は黒くてうつくしい髪であったものが白くかわってしまったことは、悲しいのであるが、それに筋力が弱ってきているけれどもこれについては、まだ憂というところまでにはなっていない。

鬒髮變 黒かみの白く光ること。鬒髮:黒くてうつくしい髪。《詩経、鄘風、君子偕老》「鬒髪如雲不屑髢」(鬒髪雲のごとく 髢を屑よしとせざるなり)黒髪はむらがる雲の如く 髢(かもじ)などは要らない。

 

扶藜望清秋,有興入廬霍。

あかぎの杖の助けを借りて、清秋の天を望んで、南のかた当選の隠遁し、董先生が隠遁している盧山、霍山(南岳・衡山)に行きつこうという興趣はおおいに茂っているのである。

扶藜 藜杖【あかざのつえ】の助けを借りる。 『荘子』譲王篇に子頁が貧乏な原意を訪ねたとき、原意は「藜を杖つきて門に応じ」たと見える。藜はアカザ科の一年草、葉は食用・薬用に供せられ、茎は軽くて堅いので老人の杖に用いられる。

廬霍 盧山と霍山といわれる五岳の衡山、江西省九江市南部にある名山。峰々が作る風景の雄大さ、奇絶さ、険しさ、秀麗さが古来より有名で、「匡廬奇秀甲天下」(匡廬の奇秀は天下一である)と称えられてきた(匡廬とは廬山の別名)。、霍山は昔、南岳され、霍山県の南にあるが。山は北東から南西に走り、大別山脈の向きをほとんど直角にねじ曲げた形となる。そのため霍山弧ともよばれる。ただ、この詩では、董先生が隠遁した、盧山と衡山である。漢の武帝が南岳を衡山とし、霍山の名を衡やまに移した。詩は後世の霍山の義転用いて、即ち湖南の衡山を意味するものである。時に董先生に衡山に居りしが如く、《巻2156 憶昔行》に、「更討衡陽董煉師」の語ある。

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杜甫  昔遊二首之一#3

晨溪向虛駃,歸徑行已昨。豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。休事董先生,於今獨蕭索。

翌朝はやく、溪川のそばをとおると、水は流れがはやく、心地良く音を立てているにもかかわらずそれがむなしく感じ、昨日あるいた同じ道を、今は戻り路として帰るのである。青鞋布韈のすがたで、足にたこができることくらいは、何の問題もないが、うらめしくながめやられるのは道士の金匕で盛る仙薬が手に入ればいいと思うことである。だから、おもいきって以前隠遁したところである東蒙山の隠處へと再び赴こうと思う。というのも、いまだに記憶にあるのは、あのころの同志の人人と楽しい思いをしたことがあるからである。それに、あの時は董先生にお仕えをして慶びを感じたものだが、今では音信もなく、自分ひとりが蕭蕭としてさびしいことになっているのである。 

767-1杜甫(改訂) 20-84昔遊二首之一#3》 杜甫詩index-15-767年大暦256-1 <1055 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6955 

 

 
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杜甫詩1500-1055-1547-#3/2500

昔遊二首 其一

年:767年大曆二年56

卷別:    卷二一八              文體:    五言古詩

詩題:    昔遊

作地點: 夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點: 天壇 (都畿道 河南府 王屋)               

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙           

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山           

霍山 (江南西道 衡州 衡陽)   

 

 

其一: #1

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔謁華蓋君,深求洞宮

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。

玉棺已上天,白日亦寂寞。

ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。

暮升艮岑頂,巾幾猶未卻。

そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

弟子四五人,入來淚俱落。

そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。

#2

餘時游名山,發軔在遠壑。

自分はそのころ天下の名山に遊學することにして巡り歩いていたのである、まず最初の出かけたのは、黄河の怒涛を渡って、すこし北方の遠方の隠遁者の棲んでいる谷の方まで出掛けたのである。

良覿違夙願,含淒向寥廓。

それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願が、道士の死でかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うことしかできなかったのであった。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

そして、その日は、林は昏くなってかすかな磬石も鳴らされず静かなもので、自分は夜もすがら石閣にひれ伏すことができたのである。

王喬下天壇,微月映皓鶴。

そんなおり、王子喬ではないかとおもわれる仙人が天壇へおりてこられた。かすかな月光であるのに、彼の乗ってきた白い鶴ははっきりと映ろうでいた。

#3

晨溪向虛駃,歸徑行已昨。

翌朝はやく、溪川のそばをとおると、水は流れがはやく、心地良く音を立てているにもかかわらずそれがむなしく感じ、昨日あるいた同じ道を、今は戻り路として帰るのである。

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

青鞋布韈のすがたで、足にたこができることくらいは、何の問題もないが、うらめしくながめやられるのは道士の金匕で盛る仙薬が手に入ればいいと思うことである。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

だから、おもいきって以前隠遁したところである東蒙山の隠處へと再び赴こうと思う。というのも、いまだに記憶にあるのは、あのころの同志の人人と楽しい思いをしたことがあるからである。

休事董先生,於今獨蕭索。

それに、あの時は董先生にお仕えをして慶びを感じたものだが、今では音信もなく、自分ひとりが蕭蕭としてさびしいことになっているのである。 

#4

胡爲客關塞,道意久衰薄。

妻子亦何人,丹砂負前諾。

雖悲鬒發變,未憂觔力弱。

扶藜望清秋,有興入廬霍。

 

 

(昔遊二首其一)#1

昔 華蓋君に謁して,深く洞宮の求めんとす

玉棺 已に天に上り,白日 亦た寂寞たり。

暮に升る 艮岑【ごんしん】の頂,巾几【きんき】猶お未だ卻【しりぞ】けられず。

弟子 四五人,入り來って 淚 俱に落つ。

#2

余 時に名山に遊ばんとし,發軔【はつじん】遠壑に在り。

良覿【りょうてき】夙願【しゅくがん】違う,含淒 寥廓【りょうかく】に向う。

林 昏くして幽磬【ゆうけい】罷む,竟夜 石閣に伏す。

王喬 天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。

#3

晨溪 嚮【ひびき】虛しく駃【はや】し,歸徑 行 已に昨なり。

豈に辭せんや 青鞋【せいあい】の胝【ち】,悵望す 金匕の藥。

東蒙 舊隱に赴く,尚お憶う 同志の樂しかりしことを。

休事す 董先生,今に於て 獨り 蕭索たり。

#4

胡為れぞ 關塞に客となりて,道意 久して衰薄なるや。

妻子 亦た何人ぞ,丹砂 前諾に負く。

鬒髮の變を悲しむと雖も,未だ筋力の弱きことを憂えず。

藜を扶けて 清秋に望み,興の廬霍み入らんとする有り。

 

 65洛陽 函谷関751 

『昔遊二首其一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

昔遊二首其一 #3

晨溪嚮虛駃,歸徑行已昨。

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

休事董先生,於今獨蕭索。

 

(下し文)
昔遊二首其一 #3

晨溪 嚮き虛しく駃,歸徑 行 已に昨なり。

豈に辭せんや 青鞋の胝,悵望す 金匕の藥。

東蒙 舊隱に赴むけば,尚お 憶う 同志の樂かりりしことを。

休事す 董先生,今に於て 獨り 蕭索たり。

(現代語訳)
翌朝はやく、溪川のそばをとおると、水は流れがはやく、心地良く音を立てているにもかかわらずそれがむなしく感じ、昨日あるいた同じ道を、今は戻り路として帰るのである。

青鞋布韈のすがたで、足にたこができることくらいは、何の問題もないが、うらめしくながめやられるのは道士の金匕で盛る仙薬が手に入ればいいと思うことである。

だから、おもいきって以前隠遁したところである東蒙山の隠處へと再び赴こうと思う。というのも、いまだに記憶にあるのは、あのころの同志の人人と楽しい思いをしたことがあるからである。

それに、あの時は董先生にお仕えをして慶びを感じたものだが、今では音信もなく、自分ひとりが蕭蕭としてさびしいことになっているのである。 


(訳注) #3

昔遊二首其一

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

杜甫1920歳のころのことを追憶した767年大曆二年56夔州での作。766年の《巻1513 昔遊》を昔遊二首其二(744年 天宝3載 33歳のころ)として整理する。

16-16昔遊〔二首之二〕》昔遊

昔者與高李,晚登單父臺。寒蕪際碣石,萬里風雲來。

桑柘葉如雨,飛藿去裴回。清霜大澤凍,禽獸有餘哀。

 

晨溪嚮虛駃,歸徑行已昨。

翌朝はやく、溪川のそばをとおると、水は流れがはやく、心地良く音を立てているにもかかわらずそれがむなしく感じ、昨日あるいた同じ道を、今は戻り路として帰るのである。

虛駃 川の水が心地よく流れ、心地良く音を立てているにもかかわらずそれがむなしく感じていることをいう。駃:駿馬の名。馬が速く走る行く。はやい、快とおなじ。「駃雨」:心地良く降る雨。駃流:はやいながれ。

行已昨 「昨已行」、今帰える路は、既に昨日、往きすすんだ道である。

 

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

青鞋布韈のすがたで、足にたこができることくらいは、何の問題もないが、うらめしくながめやられるのは道士の金匕で盛る仙薬が手に入ればいいと思うことである。

青鞋胝 旅をするときに着る服装のこと。胝は足の皮が厚くなること。「青鞋布韈」「青鞋」はわらじのこと、「布韈」は脛を保護するために巻く布製の脚半のこと。

金匕藥 金丹、丹沙を修業した道士はさじではかって調合し、不老不死の薬を作ることをいう。

 

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

だから、おもいきって以前隠遁したところである東蒙山の隠處へと再び赴こうと思う。というのも、いまだに記憶にあるのは、あのころの同志の人人と楽しい思いをしたことがあるからである。

東蒙 (河南道 沂州 蒙山) 別名:蒙山。現山東省沂州府蒙陰縣の西南にある山。

舊隱 旧時の隠遁地、以前隠遁したところに再び隠遁する。

同志樂 蘇源明などであるが、自然と一体化する道士については、形跡を残さないので名前は不明。

 

休事董先生,於今獨蕭索。

それに、あの時は董先生にお仕えをして慶びを感じたものだが、今では音信もなく、自分ひとりが蕭蕭としてさびしいことになっているのである。 

休事 仕えることを慶ぶ。休は慶。

董先生 道士の先生。

蕭索 さびしいさま。

767年-1杜甫(改訂) 《20-84昔遊二首之一#2》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-1 <1054> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6950

昔遊二首其一#2

余時遊名山,發軔在遠壑。良覿違夙願,含淒向寥廓。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。王喬下天壇,微月映皓鶴。

自分はそのころ天下の名山に遊學することにして巡り歩いていたのである、まず最初の出かけたのは、黄河の怒涛を渡って、すこし北方の遠方の隠遁者の棲んでいる谷の方まで出掛けたのである。

それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願が、道士の死でかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うことしかできなかったのであった。

そして、その日は、林は昏くなってかすかな磬石も鳴らされず静かなもので、自分は夜もすがら石閣にひれ伏すことができたのである。

そんなおり、王子喬ではないかとおもわれる仙人が天壇へおりてこられた。かすかな月光であるのに、彼の乗ってきた白い鶴ははっきりと映ろうでいた。

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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1054-1547-#2/2500

昔遊二首 其一

年:767年大曆二年56

卷別:    卷二一八              文體:    五言古詩

詩題:    昔遊

作地點: 夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點: 天壇 (都畿道 河南府 王屋)              

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙           

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山           

霍山 (江南西道 衡州 衡陽)   

 

 

其一: #1

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔謁華蓋君,深求洞宮

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。

玉棺已上天,白日亦寂寞。

ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。

暮升艮岑頂,巾幾猶未卻。

そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

弟子四五人,入來淚俱落。

そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。

#2

餘時游名山,發軔在遠壑。

自分はそのころ天下の名山に遊學することにして巡り歩いていたのである、まず最初の出かけたのは、黄河の怒涛を渡って、すこし北方の遠方の隠遁者の棲んでいる谷の方まで出掛けたのである。

良覿違夙願,含淒向寥廓。

それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願が、道士の死でかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うことしかできなかったのであった。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

そして、その日は、林は昏くなってかすかな磬石も鳴らされず静かなもので、自分は夜もすがら石閣にひれ伏すことができたのである。

王喬下天壇,微月映皓鶴。

そんなおり、王子喬ではないかとおもわれる仙人が天壇へおりてこられた。かすかな月光であるのに、彼の乗ってきた白い鶴ははっきりと映ろうでいた。

#3

晨溪向虛駃,歸徑行已昨。

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

休事董先生,於今獨蕭索。

#4

胡爲客關塞,道意久衰薄。

妻子亦何人,丹砂負前諾。

雖悲鬒發變,未憂觔力弱。

扶藜望清秋,有興入廬霍。

 

 

(昔遊二首其一)#1

昔 華蓋君に謁して,深く洞宮の求めんとす

玉棺 已に天に上り,白日 亦た寂寞たり。

暮に升る 艮岑【ごんしん】の頂,巾几【きんき】猶お未だ卻【しりぞ】けられず。

弟子 四五人,入り來って 淚 俱に落つ。

#2

余 時に名山に遊ばんとし,發軔【はつじん】遠壑に在り。

良覿【りょうてき】夙願【しゅくがん】違う,含淒 寥廓【りょうかく】に向う。

林 昏くして幽磬【ゆうけい】罷む,竟夜 石閣に伏す。

王喬 天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。

#3

晨溪 嚮【ひびき】虛しく駃【はや】し,歸徑 行 已に昨なり。

豈に辭せんや 青鞋【せいあい】の胝【ち】,悵望す 金匕の藥。

東蒙 舊隱に赴く,尚お憶う 同志の樂しかりしことを。

休事す 董先生,今に於て 獨り 蕭索たり。

#4

胡為れぞ 關塞に客となりて,道意 久して衰薄なるや。

妻子 亦た何人ぞ,丹砂 前諾に負く。

鬒髮の變を悲しむと雖も,未だ筋力の弱きことを憂えず。

藜を扶けて 清秋に望み,興の廬霍み入らんとする有り。

 

65洛陽 函谷関751  

『昔遊二首其一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

余時遊名山,發軔在遠壑。

良覿違夙願,含淒向寥廓。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

王喬下天壇,微月映皓鶴。

 

(下し文)
余 時に名山に遊ばんとし,發軔【はつじん】遠壑に在り。

良覿【りょうてき】夙願【しゅくがん】違う,含淒 寥廓【りょうかく】に向う。

林 昏くして幽磬【ゆうけい】罷む,竟夜 石閣に伏す。

王喬 天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。

(現代語訳)
自分はそのころ天下の名山に遊學することにして巡り歩いていたのである、まず最初の出かけたのは、黄河の怒涛を渡って、すこし北方の遠方の隠遁者の棲んでいる谷の方まで出掛けたのである。

それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願が、道士の死でかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うことしかできなかったのであった。

そして、その日は、林は昏くなってかすかな磬石も鳴らされず静かなもので、自分は夜もすがら石閣にひれ伏すことができたのである。

そんなおり、王子喬ではないかとおもわれる仙人が天壇へおりてこられた。かすかな月光であるのに、彼の乗ってきた白い鶴ははっきりと映ろうでいた。


(訳注) #2

昔遊二首其一

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

杜甫1920歳のころのことを追憶した767年大曆二年56夔州での作。766年の《巻1513 昔遊》を昔遊二首其二(744年 天宝3載 33歳のころ)として整理する。

16-16昔遊〔二首之二〕》昔遊

昔者與高李,晚登單父臺。寒蕪際碣石,萬里風雲來。

桑柘葉如雨,飛藿去裴回。清霜大澤凍,禽獸有餘哀。

 

余時遊名山,發軔在遠壑。

自分はそのころ天下の名山に遊學することにして巡り歩いていたのである、まず最初の出かけたのは、黄河の怒涛を渡って、すこし北方の遠方の隠遁者の棲んでいる谷の方まで出掛けたのである。

遊名山 梁宋に遊び、斉趙其の他ひろく遊んだころのことをいう。仏寺、道教の寺観に書物があり、そこに長期滞在して書籍を読むことを意味している。

發軔 軔は車輪の止め木である、それか発するとは止め木をとり去って出発する事。

遠壑 王屋山のたにをさす。多くの隠遁者がいる。

《巻21-56 惜昔行》にこれを「憶昔北尋小有洞,洪河怒濤過輕舸。」(憶う昔 北尋ぬ小有洞,洪河の怒濤に輕舸過ぐ。)といっている。むかし北のかた小有洞天を訪ねたことがある。そのときは小舟で黄河の怒涛をすぎていった。

 

良覿違夙願,含淒向寥廓。

それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願が、道士の死でかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うことしかできなかったのであった。

良覿 良い出会い、面会。杜甫自身崇敬する道士との会合を良い面会という。

夙願 かねてよりの願い。

含淒 悲しい心をもつこと。

寥廓 ひろい天をいう。

 

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

そして、その日は、林は昏くなってかすかな磬石も鳴らされず静かなもので、自分は夜もすがら石閣にひれ伏すことができたのである。

 

王喬下天壇,微月映皓鶴。

そんなおり、王子喬ではないかとおもわれる仙人が天壇へおりてこられた。かすかな月光であるのに、彼の乗ってきた白い鶴ははっきりと映ろうでいた。

王喬 周の霊王の太子。名は晋。子喬は字(あざな)。直諫して廃せられ庶人となった。のち登仙したと伝えられる。生没年不詳。後漢の蔡邕(さいよう)の〈王子喬碑文〉はいつの時代の人かわからぬという。《列仙伝》は,《国語》や《逸周書》に賢者として見える太子晋に結びつけ,周の霊王の太子の姫晋であるとする。笙の笛を吹くことを好み,鳳凰の鳴声を模することができた。道士の浮丘公に会い,つれられて嵩高山(すうこうざん)に入って仙人となった。魏晋南北朝時代以来,赤松子とならんで古代の仙人の代表とされ,詩文や絵画に登場することが多い。

天壇 天の神を祭るための祭壇。1.封建における帝王祭天をおこなう高臺。 《宋書禮志三》:光武 建武 中, 不立北郊, 故后地之祇常配食天壇。 《南齊書禮志上》:郊為天壇。” 2. 王屋山の頂,軒轅が天に祈ったという。《相傳》黃帝 禮天處。 」相傳には黃帝が天に禮した處という。 杜甫 《昔游》「王喬下天壇,微月映皓鶴。」(王喬天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。)おりしも王喬かと思われる仙人が天壇に降りてきた。 仇兆鰲 注:王屋山 頂曰 天壇 。” 陳師道 《談叢》卷十八:王屋 天壇 道書云 黃帝 禮天處也。

軒轅 黄帝(こうてい)は神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。また、三皇のうちに数えられることもある。(紀元前2510年~紀元前2448年)漢代に司馬遷によって著された歴史書『史記』や『国語・晋語』によると、少典の子、姫水のほとりに生まれたことに因んで姓は姫姓、氏は軒轅氏、または帝鴻氏とも呼ばれ、山海経に登場する怪神・帝鴻と同一のものとする説もある。蚩尤を討って諸侯の人望を集め、神農氏に代わって帝となった。『史記』はその治世を、従わない者を討ち、道を開いて、後世の春秋戦国時代に中国とされる領域をすみずみまで統治した開国の帝王の時代として描く。少昊、昌意の父。

微月 かすかな月光

皓鶴 白鶴。

767年-1杜甫 (改訂)《20-84昔遊二首之一(昔謁華蓋君)#1》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-1 <1053> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6945

杜甫  其一: #1

昔謁華蓋君,深求洞宮。玉棺已上天,白日亦寂寞。

暮升艮岑頂,巾幾猶未卻。弟子四五人,入來淚俱落。

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。

767-1杜甫 (改訂)20-84昔遊二首之一(昔謁華蓋君)#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-1 <1053 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6945

 

 
  2015年11月20日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(25)李白344 巻三35-《妾薄命》#2 344Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(25) <李白344> Ⅰ李白詩1679 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6943  
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  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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韓愈102-#4《 巻四01 劉生詩》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1592> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6944  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-1杜甫 (改訂)《20-84昔遊二首之一(昔謁華蓋君)#1》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-1 <1053> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6945  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 11顧夐 (改)《巻七33臨江仙三首其二》『花間集』335全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6947  
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杜甫詩1500-1053-1547-#1/2500

昔遊二首 其一

年:767年大曆二年56

卷別:    卷二一八              文體:    五言古詩

詩題:    昔遊

作地點: 夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點: 天壇 (都畿道 河南府 王屋)              

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙           

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山           

霍山 (江南西道 衡州 衡陽)   

 

 

其一: #1

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔謁華蓋君,深求洞宮

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。

玉棺已上天,白日亦寂寞。

ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。

暮升艮岑頂,巾幾猶未卻。

そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

弟子四五人,入來淚俱落。

そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。

#2

餘時游名山,發軔在遠壑。

良覿違夙願,含淒向寥廓。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

王喬下天壇,微月映皓鶴。

#3

晨溪向虛駃,歸徑行已昨。

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

休事董先生,於今獨蕭索。

#4

胡爲客關塞,道意久衰薄。

妻子亦何人,丹砂負前諾。

雖悲鬒發變,未憂觔力弱。

扶藜望清秋,有興入廬霍。

 

 

(昔遊二首其一)#1

昔 華蓋君に謁して,深く洞宮の求めんとす

玉棺 已に天に上り,白日 亦た寂寞たり。

暮に升る 艮岑【ごんしん】の頂,巾几【きんき】猶お未だ卻【しりぞ】けられず。

弟子 四五人,入り來って 淚 俱に落つ。

#2

余 時に名山に遊ばんとし,發軔【はつじん】遠壑に在り。

良覿【りょうてき】夙願【しゅくがん】違う,含淒 寥廓【りょうかく】に向う。

林 昏くして幽磬【ゆうけい】罷む,竟夜 石閣に伏す。

王喬 天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。

#3

晨溪 嚮【ひびき】虛しく駃【はや】し,歸徑 行 已に昨なり。

豈に辭せんや 青鞋【せいあい】の胝【ち】,悵望す 金匕の藥。

東蒙 舊隱に赴く,尚お憶う 同志の樂しかりしことを。

休事す 董先生,今に於て 獨り 蕭索たり。

#4

胡為れぞ 關塞に客となりて,道意 久して衰薄なるや。

妻子 亦た何人ぞ,丹砂 前諾に負く。

鬒髮の變を悲しむと雖も,未だ筋力の弱きことを憂えず。

藜を扶けて 清秋に望み,興の廬霍み入らんとする有り。

 

 

『昔遊二首其一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

昔遊二首其一

昔謁華蓋君,深求洞宮

玉棺已上天,白日亦寂寞。

暮升艮岑頂,巾几猶未卻。

弟子四五人,入來淚俱落。


(下し文)
(昔遊二首其一)

昔 華蓋君に謁して,深く洞宮のを求めんとす。

玉棺 已に天に上り,白日 亦た寂寞たり。

暮に升る 艮岑【ごんしん】の頂,巾几【きんき】猶お未だ卻【しりぞ】けられず。

弟子 四五人,入り來って 淚 俱に落つ。


(現代語訳)
(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。

ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。

そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。


(訳注)

昔遊二首其一

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

杜甫1920歳のころのことを追憶した767年大曆二年56夔州での作。766年の《巻1513 昔遊》を昔遊二首其二(744年 天宝3載 33歳のころ)として整理する。

16-16昔遊〔二首之二〕》昔遊

昔者與高李,晚登單父臺。寒蕪際碣石,萬里風雲來。

桑柘葉如雨,飛藿去裴回。清霜大澤凍,禽獸有餘哀。

 

昔謁華蓋君,深求洞宮

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。

華蓋君 崑崙山の別称として華蓋ということで、道士名として仙人王子喬、華蓋君と号した、此処では王屋山にいる道士のことを挿している。

華蓋 1 花のように美しい衣笠(きぬがさ)2 ハスの花の形をした天蓋。崑崙山の別名。王子喬: 鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。

 伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。伊川(いせん)、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公(ふきゅうこう)に誘われ中岳嵩山(すうざん)に入り、帰らなくなった。

 それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。

 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。

華蓋君については七言古詩《巻21-56 惜昔行》と参看し、東蒙に関する部分は《巻02-27玄都壇歌》(玄都壇歌寄元逸人)と参看すべきと考える。

玄都壇のさまを述べて元逸人に寄せた詩。752天宝十一載の作。この詩は、李白の「西岳云台歌送丹邱子」と雰囲気を同じくしている。

玄都壇歌寄元逸人

故人昔隱東蒙峰,已佩含景蒼精龍。

故人今居子午穀,獨在陰崖結茅屋。』

屋前太古元都壇,青石漠漠常風寒。

子規夜啼山竹裂,王母晝下雲旗翻。』

知君此計誠長往,芝草瑯玕日應長。

鐵鎖高垂不可攀,致身福地何蕭爽。』

我が旧友たる君は昔東蒙峰にかくれていた頃から己に姿隠しの御守り札などを佩びた人のようであった。君は、今、子牛谷に住んでいて、ただひとり北向きの崖に茅屋の庵を結んでいる。その茅屋の前には太古からあるらしい玄都壇があって、青色の石が平べったく横わり、吹きくる風はいつもつめたい。夜にはほととぎすが啼いて山の竹が裂ける様な声をだし、昼は西王母の道士、仙人が雲旗をひるがえして天から下ってくる。君は世間に認知された、かかる山中の修行を計っては永久に自然界と一体化されているのである。そこでは気を吸い、霞をたべ、芝草や瑯玕の仙草が日々生長していることであろう。

そこへ行くには懸崖絶壁で鉄のくさりが高く垂れていてよじのぼることもできない。さような道教の福地というべきところに身を置くというはなんと「蕭爽な気」を身に吸い込んで一体化していくのであろう。』

 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。

洞宮 道教では、地に洞天三十六所あり、八海の諸山、五岳名山に皆洞宮ありと称す。王屋山に洞あり、周囘三里、名付けて小有清虚之天という、《巻21-56 惜昔行》にこれを「憶昔北尋小有洞,洪河怒濤過輕舸。」(憶う昔 北尋ぬ小有洞,洪河の怒濤に輕舸過ぐ。)といっている。とは山足をいう。

 

玉棺已上天,白日亦寂寞。

ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。

玉棺 華藍君の寝れたる棺,天棺については後漢の王喬の故事あり、「葉県令王喬、天下玉棺於堂前。吏人推排、終不揺動。天帝独召我邪。沐浴服飾、寝其中、蓋便立覆。天、玉棺を堂前に下す。吏人推排するも、ついに揺動せず。天帝、ひとり我を召すか。沐浴・服飾してその中に寝るに、蓋、すなわち立ちどころに覆えり。)とある。

上天 死せしないふや

 

暮升艮岑頂,巾几猶未卻。

そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

艮岑頂 東北のみね、王屋山の東北に洞あり。艮:①丑寅、東北の方角、②午前二時から四時の時間帯。)岑:みね。山が切りたった高い所。また、鋭く切り込んだように険しいさま。 高くて先がとがる。けわしい。するどい。 【岑岑】しんしん. 頭などがずきずき痛むようす。 「頭が岑岑と痛む」. 【岑】みね. 山のひときわ高くなった所。山のいただき。頂上。山頂。

巾几 華蓋君の生前つかっていた頭巾、脇息。

未卻 撤去せず、そのままにしてかたずけていないことをいう。

768年作。《巻21-56 憶昔行》「巾拂香餘擣藥塵,階除灰死燒丹火。」(巾拂 香は餘る擣藥の塵,階除 灰は死す 燒丹の火。

 

弟子四五人,入來淚俱落。

そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。

弟子 華蓋君の弟子の盧老たちが徒をさす。768年作。《巻21-56 憶昔行》「弟子誰依白茅室,盧老獨青銅鎖。」(弟子 誰か依る白茅室,盧老 獨りく 青銅の鎖。

淚俱落 《巻21-56 憶昔行》「松風澗水聲合時,青兕黃熊啼向我。」(松風 澗水 聲合時,青兕 黃熊 啼きて我に向う。

 

 

《巻21-56 憶昔行》

作時:    768年大暦三年    57

卷別:    卷二二三              文體:    樂府

詩題:    憶昔行

作地點:              目前尚無資料

及地點:衡陽 (江南西道 衡州 衡陽)            

憶昔行

憶昔北尋小有洞,洪河怒濤過輕舸。

辛勤不見華蓋君,艮岑青輝慘么麼。

千崖無人萬壑靜,三步回頭五步坐。

秋山眼冷魂未歸,仙賞心違淚交墮。』

#2

弟子誰依白茅室,盧老獨青銅鎖。

巾拂香餘擣藥塵,階除灰死燒丹火。

懸圃滄洲莽空闊,金節羽衣飄婀娜。

落日初霞閃餘映,倏忽東西無不可。』

#3

松風澗水聲合時,青兕黃熊啼向我。

徒然咨嗟撫遺跡,至今夢想仍猶佐。

秘訣隱文須教,何功使願果。

更討衡陽董鍊師,南浮早鼓瀟湘柁。』

 

(憶昔行)

憶う昔 北尋ぬ小有洞,洪河の怒濤に輕舸過ぐ。

辛勤見ず 華蓋君,艮岑の青輝慘として 么麼【おうば】なり。

千崖人無く萬壑靜かなり,三步に回頭 五步に坐す。

秋山 眼 冷かにして 魂 未だ歸らず,仙賞 心 違いて 淚 交【こもご】も墮つ。』

#2

弟子 誰か依る白茅室,盧老 獨りく 青銅の鎖。

巾拂 香は餘る擣藥の塵,階除 灰は死す 燒丹の火。

懸圃 滄洲 莽として空闊なり,金節羽衣 飄として婀娜たり。

落日 初霞 餘映閃く,倏忽 東西 可ならざる無し。』

#3

松風 澗水 聲合時,青兕 黃熊 啼きて我に向う。

徒然 咨 嗟して撫遺跡をす,今に至るまで夢想 仍お猶お佐【たが】う。

秘訣 隱文は教を須つ 何の功か 願をして果さしめむ。

更に討【もと】む 衡陽の董鍊師,南浮 早く鼓せむ 瀟湘の柁。』

 

【詩意】

(昔、華蓋君といふ仙人を訪い、其の死亡に遭遇して「仙法を授かる能はざらし」ことなおもうで作った詩。)

 むかし北のかた小有洞天を訪ねたことがある。そのときは小舟で黄河の怒涛をすぎていった。すいぶん難儀をしていつたが華蓋君を見ることはできず、東北の峰の青い日の光が物悲し気に小さく光っていた。千崖萬壑にはだれも人がいなくて静まりかえっている、そこを三歩あるいてはふりかえり、五をあるいてはすわったりした。秋山をながめやる自分の眼には熱がなく求める人の魂はかえってこない、せっかく仙術を賞玩しようとおもうたねがいがはずれて涙がこもごもおちてきた。』

#2

 弟子のうちでだれが茅屋によっていたかといふと盧という老人で彼はひとり青銅のカギを開けてくれた。部屋に入って見ると華蓋君の頭巾や拂子にはまだ仙薬がついた塵の香があまっており、階のところには丹藥を焼いた火の灰がつめたくなっていた。玄圃だの洲だのという仙境がいたずらに暗く広がっているかの如く、金節をもち、羽衣をきた仙人がひらひらとしなやかに天上に飛んでいるかとおもわれる。夕日が落ちかかって霞がはじめて起ってその夕映えがはたはたとひらめき、忽ち一西一東するがどの場合にもうつくしくみえないことはない。』

#3

 そのうち松風の音、巌間の清水の音が混合して聞こえてくる、青兒だの黄熊だのがじぶんに向って啼きたてる。そのときじぶんはいたずらに溜息をついて仙人の遺跡にそっておもいにふけっていたが、今日になってみてもかつての夢想がいまだになしとげられずにいるのである。仙家の秘訣や隠文は内証の傳授がいるのだ、今の晩年となってはどんな工夫をすれば願を果すことができるのであろうか。どうしてもおもいきれないから自分はもういっぺん現に衡陽におられる董錬師をたずねもとめて、南方瀟湘の水に舟を浮べて、早く柁をうごかしたいとおもうのである。』

 

766年-164杜甫 《2003秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-164 <1036> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6860

杜甫  秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三  

暫阻蓬萊閣,終為江海人。揮金應物理,拖玉豈吾身。

羹煮秋蓴滑,杯迎露菊新。賦詩分氣象,佳句莫頻頻。

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

あなたは、蓬莱仙宮のような漢の蔵書閣であったところから疎外され追いやられ遠ざかり、貶謫されて、ついに江海地方、荊蛮の地、荊州の人になった。あなたが身銭をふるまって、酒宴などして他人を賑やかしてくれていたのは、物の道理にかなっていることであった。そして、私は、玉佩いをわが身に着けてひけらかして歩くような人ではない。だから今度お会いしても、晉の張翰のように羹には、秋のジュンサイの滑らかなものを煮ていて、杯には、陶淵明のように露菊の花弁を浮べての酒を飲むというのが一番良いとおもっている。それに、南湖のほとりの景色を堪能して、詩賦を作ることができれば、頻頻と佳い句が湧き出てこないということはないはずだ。

766-164杜甫 2003秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-164 <1036 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6860

 

 
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秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

池要山簡馬,月淨庾公樓。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の一)

碧草 春意に逢う,沅湘 萬里秋なり。

池は要う 山簡の馬,月は淨し 庾公の樓。

磨滅 篇翰を餘す,平生 釣舟一つなり。

高唐 寒浪減じ,彷彿 昭丘を識る。

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)之二

新作湖邊宅,還聞賓客過。

あなたは先ごろ新たに南湖のほとりに宅を作ったそうだが、そこへ又、賓客がたくさん来るということを聞いた。

自須開竹逕,誰道避雲蘿。

あなたのことであるから、隠遁した陶潜のようにひっそりとした奥まった庭の竹の林に三徑を作られて人を向い入れているでしょう、そして、雲蘿の影に人を避けたと誰が言いましょう。

官序潘生拙,才名賈傅多。

私は、潘岳が官途の詩序に書いたように修辞を凝らした繊細かつ美しいものであるが、私にはそんなに修辞をつくすのはうまくはないが、あなたは貶謫されても賈誼のように名声は高い。

舍舟應轉地,鄰接意如何。

自分は間もなく、三峡を下って、船を乗り捨ててとどまるならば、きっとそちらで棲むことにしたい、そうしたら、あなたと隣になってくっ付いて棲みたいと思うけれどあなたはいかがなものだろうか。

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の二)

新に作る 湖邊の宅,還た聞く 賓客の過ぎるを。

自ら竹逕を開かんと須【ま】つ,誰か 雲蘿に避くと道うや。

官序 潘生 拙なり,才名 賈傅 多し。

舟を舍てれば應に地を轉ずるなるべし,鄰接せんとす意 如何。

 

 

杜甫詩1500-1036-1534/2500

年:766年大暦元年55-164

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:湖上亭 (山南東道 峽州 峽州)           

交遊人物/地點:鄭審          書信往來(山南東道 峽州 峽州)

 

 

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

暫阻蓬萊閣,終為江海人。

あなたは、蓬莱仙宮のような漢の蔵書閣であったところから疎外され追いやられ遠ざかり、貶謫されて、ついに江海地方、荊蛮の地、荊州の人になった。

揮金應物理,拖玉豈吾身。

あなたが身銭をふるまって、酒宴などして他人を賑やかしてくれていたのは、物の道理にかなっていることであった。そして、私は、玉佩いをわが身に着けてひけらかして歩くような人ではない。

羹煮秋蓴滑,杯迎露菊新。

だから今度お会いしても、晉の張翰のように羹には、秋のジュンサイの滑らかなものを煮ていて、杯には、陶淵明のように露菊の花弁を浮べての酒を飲むというのが一番良いとおもっている。

賦詩分氣象,佳句莫頻頻。

それに、南湖のほとりの景色を堪能して、詩賦を作ることができれば、頻頻と佳い句が湧き出てこないということはないはずだ。

 

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の三)

暫く阻つ 蓬萊閣,終に江海の人と為る。

揮金 物理に應ず,拖玉 豈に吾が身ならんや。

羹は煮る 秋蓴の滑なるを,杯には迎うは 露菊の新なるを。

賦詩 氣象を分たば,佳句 頻頻たらざる莫らんや。

 

『秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三

暫阻蓬萊閣,終為江海人。

揮金應物理,拖玉豈吾身。

羹煮秋蓴滑,杯迎露菊新。

賦詩分氣象,佳句莫頻頻。
詩文(含異文)     暫阻蓬萊閣【暫住蓬萊閣】,終為江海人。揮金應物理,拖玉豈吾身。羹煮秋蓴滑【羹煮秋蓴弱】,杯迎露菊新【杯凝露菊新】。賦詩分氣象,佳句莫頻頻【佳句莫辭頻】。


(下し文)
(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の三)

暫く阻つ 蓬萊閣,終に江海の人と為る。

揮金 物理に應ず,拖玉 豈に吾が身ならんや。

羹は煮る 秋蓴の滑なるを,杯には迎うは 露菊の新なるを。

賦詩 氣象を分たば,佳句 頻頻たらざる莫らんや。

(現代語訳)
(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

あなたは、蓬莱仙宮のような漢の蔵書閣であったところから疎外され追いやられ遠ざかり、貶謫されて、ついに江海地方、荊蛮の地、荊州の人になった。

あなたが身銭をふるまって、酒宴などして他人を賑やかしてくれていたのは、物の道理にかなっていることであった。そして、私は、玉佩いをわが身に着けてひけらかして歩くような人ではない。

だから今度お会いしても、晉の張翰のように羹には、秋のジュンサイの滑らかなものを煮ていて、杯には、陶淵明のように露菊の花弁を浮べての酒を飲むというのが一番良いとおもっている。

それに、南湖のほとりの景色を堪能して、詩賦を作ることができれば、頻頻と佳い句が湧き出てこないということはないはずだ。


(訳注)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)大暦元年55

鄭監 秘書少監鄭審、この時荊蛮の地に謫貶されている。・秘書少監:古代の官職。図書助の別称。

湖上亭 山南東道 峽州南湖のほとりの亭。

 

暫阻蓬萊閣,終為江海人。

あなたは、蓬莱仙宮のような漢の蔵書閣であったところから疎外され追いやられ遠ざかり、貶謫されて、ついに江海地方、荊蛮の地、荊州の人になった。

蓬萊閣 華嶠《後漢書》「學者稱東觀爲老氏藏室,道家蓬萊山。」(學者 東觀を稱して老氏の藏室と爲し,道家の蓬萊山となす。)とあり、鄭監がかっていたところは、蓬莱仙宮のような漢の蔵書閣であったことを言う。杜甫《1940 秋日夔府詠懐鄭監李賓客一百韻》「羽翼商山起,蓬萊漢閣連。」とこの時の様子を詳しく述べている。鄭監は、房琯グループであったので、貶謫されたのである。

江海人 貶謫されて荊州の人になったことを言う。

 

揮金應物理,拖玉豈吾身。

あなたが身銭をふるまって、酒宴などして他人を賑やかしてくれていたのは、物の道理にかなっていることであった。そして、私は、玉佩いをわが身に着けてひけらかして歩くような人ではない。

揮金 自前の銭を揮る舞って、酒宴を開くことを言う。

應物理 事理にかなう、物の道理にかなっていること。

拖玉 玉佩を引く。身分地位を示す玉佩を、これ見よがしにして歩く。

豈吾身 杜甫は、自分の地位をひけらかすこと、此処では、その地位に見合うご馳走を出してほしいとは思わないことを示していて、次句の二句に掛かってゆく語である。

 

羹煮秋蓴滑,杯迎露菊新。

だから今度お会いしても、晉の張翰のように羹には、秋のジュンサイの滑らかなものを煮ていて、杯には、陶淵明のように露菊の花弁を浮べての酒を飲むというのが一番良いとおもっている。

○羹煮秋蓴滑 晉の張翰の「蓴羹鱸膾」故事、故郷を懐かしく思い慕う情のこと。▽「蓴羹」は蓴菜じゅんさいの吸い物。「羹」はあつもの・吸い物。「鱸膾」は鱸すずきのなますの意。張翰ちょうかんが、故郷の料理である蓴菜の吸い物と鱸のなますのおいしさにひかれるあまり、官を辞して帰郷した故事をいう。

○露菊新 陶潜《飲酒其七》「秋菊有佳色、裹露掇其英。汎此忘憂物、遠我遺世情。」(秋菊 佳色あり、露を裹【つつ】みて其の英を採り。此の忘憂の物に汎べて、我が世を遺るるの情を遠くす。)に基づくもの。

 

賦詩分氣象,佳句莫頻頻。

それに、南湖のほとりの景色を堪能して、詩賦を作ることができれば、頻頻と佳い句が湧き出てこないということはないはずだ。

分氣象 南湖のほとりの気象を分けてもらう、南湖のほとりの景色を堪能させてもらうこと。

佳句 杜甫が作るのに、佳い句ができること。

莫頻頻 莫は「莫不」で、詩賦が頻頻と湧き出ないということはないということ。

766年-163杜甫 《2002秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-163 <1035> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6855

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

新作湖邊宅,還聞賓客過。自須開竹逕,誰道避雲蘿。

官序潘生拙,才名賈傅多。舍舟應轉地,鄰接意如何。

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)之二

あなたは先ごろ新たに南湖のほとりに宅を作ったそうだが、そこへ又、賓客がたくさん来るということを聞いた。あなたのことであるから、隠遁した陶潜のようにひっそりとした奥まった庭の竹の林に三徑を作られて人を向い入れているでしょう、そして、雲蘿の影に人を避けたと誰が言いましょう。私は、潘岳が官途の詩序に書いたように修辞を凝らした繊細かつ美しいものであるが、私にはそんなに修辞をつくすのはうまくはないが、あなたは貶謫されても賈誼のように名声は高い。自分は間もなく、三峡を下って、船を乗り捨ててとどまるならば、きっとそちらで棲むことにしたい、そうしたら、あなたと隣になってくっ付いて棲みたいと思うけれどあなたはいかがなものだろうか。

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杜甫詩1500-1035-1533/2500

年:766年大暦元年55-163

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              湖上亭 (山南東道 峽州 峽州)           

交遊人物/地點:鄭審          書信往來(山南東道 峽州 峽州)

 

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

池要山簡馬,月淨庾公樓。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の一)

碧草 春意に逢う,沅湘 萬里秋なり。

池は要う 山簡の馬,月は淨し 庾公の樓。

磨滅 篇翰を餘す,平生 釣舟一つなり。

高唐 寒浪減じ,彷彿 昭丘を識る。

 

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)之二

新作湖邊宅,還聞賓客過。

あなたは先ごろ新たに南湖のほとりに宅を作ったそうだが、そこへ又、賓客がたくさん来るということを聞いた。

自須開竹逕,誰道避雲蘿。

あなたのことであるから、隠遁した陶潜のようにひっそりとした奥まった庭の竹の林に三徑を作られて人を向い入れているでしょう、そして、雲蘿の影に人を避けたと誰が言いましょう。

官序潘生拙,才名賈傅多。

私は、潘岳が官途の詩序に書いたように修辞を凝らした繊細かつ美しいものであるが、私にはそんなに修辞をつくすのはうまくはないが、あなたは貶謫されても賈誼のように名声は高い。

舍舟應轉地,鄰接意如何。

自分は間もなく、三峡を下って、船を乗り捨ててとどまるならば、きっとそちらで棲むことにしたい、そうしたら、あなたと隣になってくっ付いて棲みたいと思うけれどあなたはいかがなものだろうか。

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の二)

新に作る 湖邊の宅,還た聞く 賓客の過ぎるを。

自ら竹逕を開かんと須【ま】つ,誰か 雲蘿に避くと道うや。

官序 潘生 拙なり,才名 賈傅 多し。

舟を舍てれば應に地を轉ずるなるべし,鄰接せんとす意 如何。

 

 

『秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

新作湖邊宅,還聞賓客過。

自須開竹逕,誰道避雲蘿。

官序潘生拙,才名賈傅多。

舍舟應轉地,鄰接意如何。
詩文(含異文)     新作湖邊宅,還聞賓客過。自須開竹逕,誰道避雲蘿。官序潘生拙,才名賈傅多。舍舟應轉地【舍舟應卜地】,鄰接意如何。


(下し文)
(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の二)

新に作る 湖邊の宅,還た聞く 賓客の過ぎるを。

自ら竹逕を開かんと須【ま】つ,誰か 雲蘿に避くと道うや。

官序 潘生 拙なり,才名 賈傅 多し。

舟を舍てれば應に地を轉ずるなるべし,鄰接せんとす意 如何。

(現代語訳)
(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)之二

あなたは先ごろ新たに南湖のほとりに宅を作ったそうだが、そこへ又、賓客がたくさん来るということを聞いた。

あなたのことであるから、隠遁した陶潜のようにひっそりとした奥まった庭の竹の林に三徑を作られて人を向い入れているでしょう、そして、雲蘿の影に人を避けたと誰が言いましょう。

私は、潘岳が官途の詩序に書いたように修辞を凝らした繊細かつ美しいものであるが、私にはそんなに修辞をつくすのはうまくはないが、あなたは貶謫されても賈誼のように名声は高い。

自分は間もなく、三峡を下って、船を乗り捨ててとどまるならば、きっとそちらで棲むことにしたい、そうしたら、あなたと隣になってくっ付いて棲みたいと思うけれどあなたはいかがなものだろうか。


(訳注)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)大暦元年55

鄭監 秘書少監鄭審、この時荊蛮の地に謫貶されている。・秘書少監:古代の官職。図書助の別称。

湖上亭 山南東道 峽州南湖のほとりの亭。

 

新作湖邊宅,還聞賓客過。

あなたは先ごろ新たに南湖のほとりに宅を作ったそうだが、そこへ又、賓客がたくさん来るということを聞いた。

 

自須開竹逕,誰道避雲蘿。

あなたのことであるから、隠遁した陶潜のようにひっそりとした奥まった庭の竹の林に三徑を作られて人を向い入れているでしょう、そして、雲蘿の影に人を避けたと誰が言いましょう。

開竹逕 漢の蔣詡【しようく】が庭園内の三つの小径。隠者の住居の庭園の意で、漢の蒋が隠居して、庭に三徑を造り、松、菊、竹を植えて隠士と交わった故事に拠る。陶潜《帰去来辞》「三逕就荒, 松菊猶存。」(三逕は荒に就くも,松菊は 猶ほも存す。)

避雲蘿 

 

官序潘生拙,才名賈傅多。

私は、潘岳が官途の詩序に書いたように修辞を凝らした繊細かつ美しいものであるが、私にはそんなに修辞をつくすのはうまくはないが、あなたは貶謫されても賈誼のように名声は高い。

官序潘生拙 潘岳が官途の詩序に書いたようにうまくはないけれど。・潘:潘岳。西晋時代を代表する文人。また友人の夏侯湛と「連璧」と称されるほど、類稀な美貌の持ち主としても知られている。『世説新語』によると、潘岳が弾き弓を持って洛陽の道を歩くと、彼に出会った女性はみな手を取り合って彼を取り囲み、彼が車に乗って出かけると、女性達が果物を投げ入れ、帰る頃には車いっぱいになっていたという。潘岳の作る文章は修辞を凝らした繊細かつ美しいもので、特に死を悼む哀傷の詩文を得意とした。愛妻の死を嘆く名作「悼亡」詩は以降の詩人に大きな影響を与えた。

才名賈傅多 貶謫されても賈誼のように名声は高い。・賈:賈誼。前漢の文帝時代の文学者。洛陽の人。二十余歳で博士より太中大夫に進んだが,讒言のために長沙王太傅に移され長沙におもむいた。のち再び文帝に召されて梁王の太傅となったが,梁王が落馬して死んだのをいたく嘆き1年あまりののち没した。賈誼の文章は議論と叙事が錯綜し、雄渾流麗、古来名文として名高い。代表的な韻文としては、他に長沙在任中の「鵬鳥賦」があり、これも『文選』に収録されている。秦を批判する「過秦論」も著名であり、これらの散文をまとめたものとして、『新書』がある。

 

舍舟應轉地,鄰接意如何。

自分は間もなく、三峡を下って、船を乗り捨ててとどまるならば、きっとそちらで棲むことにしたい、そうしたら、あなたと隣になってくっ付いて棲みたいと思うけれどあなたはいかがなものだろうか。

766年-162杜甫 《2001秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-162 <1034> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6850

杜甫  秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

碧草逢春意,沅湘萬里秋。池要山簡馬,月淨庾公樓。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

766-162杜甫 2001秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-162 <1034 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6850 

 

 
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杜甫詩1500-1034-1532/2500

年:766年大暦元年55-162

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:湖上亭 (山南東道 峽州 峽州)           

庾公樓 (江南西道 江州 江州) 別名:庾樓    

高唐 (河北道南部 博州 高唐)          

昭丘 (山南東道 荊州 當陽) 別名:昭邱        

交遊人物/地點:鄭審          書信往來(山南東道 峽州 峽州)

 

 

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

池要山簡馬,月淨庾公樓。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の一)

碧草 春意に逢う,沅湘 萬里秋なり。

池は要う 山簡の馬,月は淨し 庾公の樓。

磨滅 篇翰を餘す,平生 釣舟一つなり。

高唐 寒浪減じ,彷彿 昭丘を識る。

 

『秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

池要山簡馬,月淨庾公樓。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。
詩文(含異文)     碧草逢春意【碧草違春意】,沅湘萬里秋。池要山簡馬,月淨庾公樓【月靜庾公樓】。磨滅餘篇翰,平生一釣舟。高唐寒浪減【高唐寒浪滅】,彷彿識昭丘。


(下し文)
(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の一)

碧草 春意に逢う,沅湘 萬里秋なり。

池は要う 山簡の馬,月は淨し 庾公の樓。

磨滅 篇翰を餘す,平生 釣舟一つなり。

高唐 寒浪減じ,彷彿 昭丘を識る。

(現代語訳)
(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。


(訳注)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)大暦元年55

鄭監 秘書少監鄭審、この時荊蛮の地に謫貶されている。・秘書少監:古代の官職。図書助の別称。

湖上亭 山南東道 峽州南湖のほとりの亭。

 

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

碧草逢春意 草が緑にうっそうと茂っているのが春と見紛う様だがよく見ると春の草むらとは違っているようだ。《1940秋日夔府詠懐奉寄鄭監李賓客一百韻》「春草何曾歇」と同じ意。

沅湘 洞庭湖に流入する河川名の沅水、湘水。・沅水:沅江(げんこう、Yuan River、簡体字:沅江、拼音: Yuán jiāng)、あるいは沅水(げんすい、拼音: Yuán shuǐ)は、中華人民共和国を流れる大きな川で、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。湖南省の四大河川(湘江、沅江、資江、澧水)の一つで、その長さは湘江に次ぐ。沅江の上流には、源流となる南と北の二つの川がある。南の源流は「龍頭江」といい、貴州省都匀市の雲霧山脈から流れている。北の源流は「重安江」といい、貴州省麻江県の平月間の大山から流れる。両方の源流が合流して清水江と名を変え、鑾山(らんざん)に至り湖南省懐化市芷江自治県に入る。東へ流れて黔城で舞水と合流して沅江と名を変える。懐化市会同県、洪江市、中方県、漵浦県、辰渓県、湘西トゥチャ族ミャオ族自治州瀘渓県、沅陵県、常徳市桃源県、常徳市区を流れ、常徳市の徳山で洞庭湖に注入する。・湘水:湘江(しょうこう、Xiang River、拼音: Xiāng jiāng)、あるいは湘水(しょうすい)は、中華人民共和国を流れる大きな川の一つで、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。湖南省最大の川であり、湖南省の別名・「湘」(しょう)はこの川に由来する。長さは856km

 

池要山簡馬,月淨庾公樓。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

池要 池に向かう。

山簡馬 李白《秋浦歌十七首 其七》「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。 空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」(酔うて上る  山公(さんこう)の馬、寒歌(かんか)するは  寧戚【ねいせき】の牛。空しく白石爛【はくせきらん】を吟ずれば、泪は満つ  黒貂【こくちょう】の裘【かわごろも】。)山簡:(さん かん、生没年未詳)は、三国時代の魏および西晋の襄陽の刺史である。字は季倫。父は竹林の七賢の一人、山濤。別名「山翁」「山公」。生没年は未詳であるが、父で後代に竹林の七賢に数えられる山濤が河内郡懐県(現在の中国河南省)の人であり、山簡はその地で育った。その後の永嘉3年(309年)に魏及び西晋に仕え、襄陽に赴き刺史に任命された。また、後に「詩仙」と呼ばれる李白が著した「秋穂歌」には、酔うて上る 山公の馬との記述が見られ、帽子を後ろ向きに被り、馬に後ろ向きで乗馬するといった奇行を度々犯して、当時流行った襄陽童謡に歌われたといわれている。

月淨庾公樓 晉の庾亮(289 - 340年)は、中国東晋の政治家。字は元規。潁川鄢陵(現河南省鄢陵県)の出身。庾琛の子で庾彬、庾羲の父。325 、明帝の臨終の際、東晋建国の重臣である司徒の王導と共にその遺詔を受け、中書令として甥の成帝を補佐することになる。幼少の成帝の外戚として当時の権勢は王導を凌ぎ、寛大な融和政策をとる王導とは対照的に、庾亮は皇帝の権力強化のため、厳格な法治主義政策をとるなどして辣腕をふるった。山簡とともに、鄭監に比す。

 

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

磨滅餘篇翰 鄭監からもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。

一釣舟 自分は、釣り船を一艘持っている。764年廣德二年杜甫《1325 將赴荊南寄別李劍州》「路經灩澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。」(路は灩澦【えんよ】双蓬の鬢で経て、天槍 浪に一釣舟で入る。)自分はこれから左右の鬢の毛のもつれた老体をもって急流の灩澦堆の路をとおり、一扁の釣舟に乗じて滄浪の天に入ろうとする。

 

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

巫山の夢の高唐のあたりで寒空の波が減ってきたようなので、三峡を下ってあなたの方に向かうことができないだろう、今から、もはやおぼろにあなたの方の昭丘がわかるような気がするのである。

高唐 高唐 (河北道南部 博州 高唐)高唐観という解釈をする。巫山縣北西、高唐賦の巫山、巫峽の水位が低いと船の航行が危険である。

寒浪減 冬季急流の水位が落ちていること。

昭丘 昭丘 (山南東道 荊州 當陽) 別名:昭邱 :楚の昭王の墓陵のあるところ、荊州當陽縣東南70里にある。

 

山簡について

1.杜甫

《卷九40北鄰 「明府豈辭滿,藏身方告勞。青錢買野竹,白幘岸江皋。愛酒晉山簡,能詩何水曹。時來訪老疾,步屧到蓬蒿。」

《卷一○64 王十七侍御掄許攜酒至草堂奉寄此詩便請邀高三十五使君同到》「戲假霜威促山簡,須成一醉習池迴。」

《卷一○65  王竟攜酒高亦同過共用寒字》「臥病荒郊遠,通行小徑難。故人能領客,攜酒重相看。自愧無鮭菜,空煩卸馬鞍。移樽勸山簡,頭白恐風寒。」

《卷一二49  章梓州水亭》「荊州愛山簡,吾醉亦長歌。」

2.李白

李白50  《襄陽曲四首其二》「山公醉酒時。 酩酊高陽下。頭上白接籬。 倒著還騎馬。」(山公 酒に酔う時、酩酊し 高陽の下。頭上の 白接籬、倒しまに着けて還た馬に騎る。)

山簡先生はいつもお酒に酔っている、酩酊してかならず高陽池のほとりでおりていた。

あたまの上には、白い帽子。それを逆さにかぶりながら、それでも馬をのりまわした。

○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 ○白接離 接寵は帽子。

3.その他

詠懐詩  阮籍

夜中不能寐、起坐弾鳴琴。薄帷鑒明月、清風吹我襟。

孤鴻號外野、朔鳥鳴北林。徘徊将何見、憂思独傷心。

 

酒を飲む場所が、酒場でなく野酒、竹林なのは老荘思想の「山林に世塵を避ける」ということの実践である。お酒を飲みながら、老子、荘子、または王弼の「周易注」などを教科書にして、活発な論議(清談、玄談)をしていた。談義のカムフラージュのためである。

この思想は、子供にからかわれても酒を飲むほうがよい。峴山の「涙堕碑」か、山公かとの選択(李白襄陽曲四首)につながっていく

 仙人思想は、隠遁を意味するわけであるが、宗教につてすべての宗教上のすべてのこと、すべての行事等も、皇帝の許可が必要であった。一揆、叛乱の防止のためであるが、逆に、宗教は国家運営に協力方向に舵を切っていったのである。その結果道教は、不老長寿の丸薬、回春薬を皇帝に提供し、古苦境にまで発展したのである。老荘思想の道教への取り込みにより道教内で老境思想は矛盾しないものであった。

 

 

將赴荊南寄別李劍州

使君高義驅今古,寥落三年坐劍州。

但見文翁能化俗,焉知李廣未封侯。

路經灩澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。

戎馬相逢更何日,春風回首仲宣樓。

(将に荊南に赴かんとして李剣州に寄せ別る)

使君の高義今古を駆る、蓼落三年剣州に坐す。

但だ文翁の能く俗を化するを見て、焉んぞ李広の未だ侯に封ぜられざるを知らん。

路は灩澦【えんよ】双蓬の鬢で経て、天槍 浪に一釣舟で入る。

戎馬相い逢う更に何の日ぞ、春風 仲宜が楼に首を廻らさん。

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杜甫  天池#2(天池二首其二)
聞道奔雷黑,初看浴日紅。飄零神女雨,斷續楚王風。

欲問支機石,如臨獻寶宮。九秋驚雁序,萬里狎漁翁。

更是無人處,誅茅任薄躬。
聞くところでは、此処は黒い雲が湧き迅雷が起こる所だというし、此処で初めて見る素晴らしい光景は、水波に浴する夕日に紅く染まる景色である。ここには、つめたくそぼ降る巫山の神女伴う雨が落ちてくるというし、またときおり楚の襄王を吹いた様な「清涼雄風」が断続的に吹くという。漢の武帝が遣わした張騫がもらって帰ったという支機石がこんな所にあるのではないかと問うてみたくなるし、河伯が周の穆天子に宝を献じたという宮殿を望むというような景色である。秋九十日となり、雁が連なって飛ぶというのに驚かされるが、こういう季節というのに自分は、こんな万里の遠方の江辺の漁翁など親しんで生活している。更に、この池畔のような誰もいないところで、気ままに茅屋を結ぶということもありということである。

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杜甫詩1500-964-#2-1466/2500

年:766年大暦元年55-101

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    天池

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              天池 (山南東道 夔州 巫山)              

巫山 (山南東道 夔州 巫山)             

 

 

天池天池二首其一

(夔州の東、巫山十二峰の中の何処かの山頂にあった池について述べた詩)

天池馬不到,嵐壁鳥纔通。

ここの山頂にある池には馬で登って来ることはできない。嵐気の横たわる絶壁には、鳥がわずかにやっと通えるという。

百頃青雲杪,層波白石中。

青雲の上に百頃ばかりのところが広がり、水があって、白石の乱れ立つ間に幾重の波が起こっている。

鬱紆騰秀氣,蕭瑟浸寒空。

ここからは、靈秀の山の気が立てこもってあがり、また秋風が静かに寂しく寒空を水面に浸している。

直對巫山出,兼疑夏禹功。

ここは巫山の峡谷と真向かいになっているところで、こんな池を開いたのは水利土木の夏の禹王の功ではないかと疑われている。

魚龍開闢有,菱芡古今同。

ここに住む、魚龍は開闢以来の者であり、菱や芡は今も昔も同じように生えている。

#2(天池二首其二)

聞道奔雷黑,初看浴日紅。

聞くところでは、此処は黒い雲が湧き迅雷が起こる所だというし、此処で初めて見る素晴らしい光景は、水波に浴する夕日に紅く染まる景色である。

飄零神女雨,斷續楚王風。

ここには、つめたくそぼ降る巫山の神女伴う雨が落ちてくるというし、またときおり楚の襄王を吹いた様な「清涼雄風」が断続的に吹くという。

欲問支機石,如臨獻寶宮。

漢の武帝が遣わした張騫がもらって帰ったという支機石がこんな所にあるのではないかと問うてみたくなるし、河伯が周の穆天子に宝を献じたという宮殿を望むというような景色である。

九秋驚雁序,萬里狎漁翁。

秋九十日となり、雁が連なって飛ぶというのに驚かされるが、こういう季節というのに自分は、こんな万里の遠方の江辺の漁翁など親しんで生活している。

更是無人處,誅茅任薄躬。

更に、この池畔のような誰もいないところで、気ままに茅屋を結ぶということもありということである。

 

(天池)#1

天池 馬 到らず,嵐壁 鳥 纔かに通ず。

百頃 青雲の杪,層波 白石の中。

鬱紆 秀氣 騰る,蕭瑟 寒空を浸す。

直ちに對す 巫山出るを,兼ねて疑う 夏禹の功。

魚龍は開闢より有り,菱芡は古今同じ。

#2

聞道く 奔雷 黑し,初めて看る 浴日の紅を。

飄零す 神女の雨,斷續す 楚王の風。

問わんと欲す 支機石,臨むが如し 獻寶宮。

九秋 雁序に驚く,萬里 漁翁に狎る。

更に是れ 人無き處,誅茅 薄躬に任せん。

 

天池(含異文)    

天池馬不到,嵐壁鳥纔通。百頃青雲杪,層波白石中。

鬱紆騰秀氣,蕭瑟浸寒空。直對巫山出【直對巫山峽】,兼疑夏禹功。

魚龍開闢有,菱芡古今同【菱芡古今豐】【菱芰古今同】【菱芰古今豐】。聞道奔雷黑,初看浴日紅。

飄零神女雨,斷續楚王風。欲問支機石,如臨獻寶宮。

九秋驚雁序,萬里狎漁翁【萬里狎樵童】。更是無人處,誅茅任薄躬【誅勞任薄躬】。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『天池』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2
聞道奔雷黑,初看浴日紅。

飄零神女雨,斷續楚王風。

欲問支機石,如臨獻寶宮。

九秋驚雁序,萬里狎漁翁。

更是無人處,誅茅任薄躬。

(下し文)
(天池)#2

聞道く 奔雷 黑し,初めて看る 浴日の紅を。

飄零す 神女の雨,斷續す 楚王の風。

問わんと欲す 支機石,臨むが如し 獻寶宮。

九秋 雁序に驚く,萬里 漁翁に狎る。

更に是れ 人無き處,誅茅 薄躬に任せん。



(現代語訳)
聞くところでは、此処は黒い雲が湧き迅雷が起こる所だというし、此処で初めて見る素晴らしい光景は、水波に浴する夕日に紅く染まる景色である。

ここには、つめたくそぼ降る巫山の神女伴う雨が落ちてくるというし、またときおり楚の襄王を吹いた様な「清涼雄風」が断続的に吹くという。

漢の武帝が遣わした張騫がもらって帰ったという支機石がこんな所にあるのではないかと問うてみたくなるし、河伯が周の穆天子に宝を献じたという宮殿を望むというような景色である。

秋九十日となり、雁が連なって飛ぶというのに驚かされるが、こういう季節というのに自分は、こんな万里の遠方の江辺の漁翁など親しんで生活している。

更に、この池畔のような誰もいないところで、気ままに茅屋を結ぶということもありということである。

夔州東川卜居図詳細 002
(訳注)

天池

(夔州の東、巫山十二峰の中の何処かの山頂にあった池について述べた詩)

天池 山の上に在る池。初句の二字を取って詩題にする。

巫山(ふざん)は中国・重慶市巫山県と湖北省の境にある名山。長江が山中を貫流して、巫峡を形成。山は重畳して天日を隠蔽するという。巫山十二峰と言われ、その中で代表的なものに神女峰がある。巫山は東西に走るに多数平行して走る褶曲山脈の中でも最も大きく最も東にある山脈で、四川盆地の北東の境界に北西から南東へ走る褶曲山脈の大巴山脈へと合わさってゆく。長さは40km余り、主峰の烏雲頂は海抜2,400mに達する。西から流れてきた長江は北西から南東方向へ向けて巫山山脈を貫き、高低差が高く幅の狭い巫峡になっている。また霧や雨が多く、長年の雨で浸食された石灰岩の峰が霧の中で奇怪な形でそそり立つ。当時、山頂近くに小さい池が点在していたのであろう。

この詩は、天池二首其二としている、テキストもある。

 

聞道奔雷黑,初看浴日紅。

聞くところでは、此処は黒い雲が湧き迅雷が起こる所だというし、此処で初めて見る素晴らしい光景は、水波に浴する夕日に紅く染まる景色である。

奔雷 激しく鳴る雷。迅雷(じんらい)。

浴日 水に入って沈んでゆく、太陽のことである、水面に映り、辺りを夕日に染め、やがて天まで染める。補天浴日. 【拼音】:bǔ tiān yù rì. 【釋義】:這是指女媧煉五色石補天和羲和給太陽洗澡兩個神話故事。後用來比人有戰勝自然的能力。也形容偉大的功業。 【出處】:《淮南子·覽冥訓》:“於是女媧煉五色石以補蒼天。

 

飄零神女雨,斷續楚王風。

ここには、つめたくそぼ降る巫山の神女伴う雨が落ちてくるというし、またときおり楚の襄王を吹いた様な「清涼雄風」が断続的に吹くという。

神女雨 昔者楚襄王與宋玉遊於雲夢之臺,望高唐之觀。其上獨有雲氣, 兮直上,忽兮改容,須臾之間,變化無窮。(昔、楚の襄王と宋玉とが雲夢の臺にび遊,高唐の觀を望む。其上に獨り雲氣有り,直上なり,忽ち改容し,須臾の間,變化窮まる無し。)

楚王風 楚宋玉《風賦》謂, 楚襄王游於蘭台之宮, 有風颯然而至, 襄王曰: “快哉此風!” 宋玉曰, 此“清涼雄風”, “獨大王之風耳”。 後因用“楚王風”指涼風;大風。(楚の宋玉《風賦》に謂う, 楚の襄王は蘭台の宮に於て游び,風有り颯然として至る, 襄王曰く: “快いなる哉此の風!” 宋玉曰く, 此れ“清涼雄風”なり, “獨り大王の風のみ”。 後に因用し“楚王風”涼風を指す;大風なり。)

 

欲問支機石,如臨獻寶宮。

漢の武帝が遣わした張騫がもらって帰ったという支機石がこんな所にあるのではないかと問うてみたくなるし、河伯が周の穆天子に宝を献じたという宮殿を望むというような景色である。

支機石 織女星の機織りの臺を支える石。《荊楚時記》:「張騫尋河源,得一石,示東方朔。朔曰:『此是天上織女支機石。』」.張騫をして 河源を尋ねしむ,一石を得,東方朔に示す。朔曰く:『此は是れ天上 織女の支機石なり。』と。」.

獻寶 河伯が穆天子に寶器を奉った宮殿。「穆天子伝」に「天子西に征き、陽紵の山に至る、河伯馮夷の都居する所なり、是れ惟れ河宗氏。天子 乃ち珪璧を沈めて焉に礼す。河伯乃ち天子と図を披(ひら)き典を視、以て天子の宝器なる玉果・璇珠・燭銀・金膏等の物を観る。」とみえる。献宝とは河伯が玉果以下のたからものを天子に献上したことをいう。朝河宗とは河宗(河伯)が天子に朝したことをいう。周の穆王の西征の事を借りて玄宗の蜀に幸したことに比する。《穆天子傳》卷一「戊寅,天子西征,鶩行至于陽紆之山,河伯無夷之所都居,是惟河宗氏。河宗伯夭逆天子燕然之山,勞用束帛加璧,……巳未,天子大朝于黃之山。乃披圖視典,用觀天子之寶器,曰:「天子之寶、玉果、璿珠、燭銀、黃金之膏。」

「自從獻寶朝河宗,無複射蛟江水中。」(寶を獻じて朝河宗を從【せし】めし自【よ】り,複た蛟を江水の中に射る無し。

743廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#4》 蜀中転々 杜甫 <653  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3575 杜甫詩1000-653-909/1500743

 

九秋驚雁序,萬里狎漁翁。

秋九十日となり、雁が連なって飛ぶというのに驚かされるが、こういう季節というのに自分は、こんな万里の遠方の江辺の漁翁など親しんで生活している。

九秋 秋九十日

雁序 雁が連なって飛ぶこと。

漁翁 江辺の漁翁。

 

更是無人處,誅茅任薄躬。

更に、この池畔のような誰もいないところで、気ままに茅屋を結ぶということもありということである。

無人處 天池の池畔。

薄躬 薄徳の身、自身のこと。 謙辭語。

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杜甫  天池 -#1

天池馬不到,嵐壁鳥纔通。百頃青雲杪,層波白石中。

鬱紆騰秀氣,蕭瑟浸寒空。直對巫山出,兼疑夏禹功。

魚龍開闢有,菱芡古今同。

 (夔州の東、巫山十二峰の中の何処かの山頂にあった池について述べた詩)ここの山頂にある池には馬で登って来ることはできない。嵐気の横たわる絶壁には、鳥がわずかにやっと通えるという。青雲の上に百頃ばかりのところが広がり、水があって、白石の乱れ立つ間に幾重の波が起こっている。ここからは、靈秀の山の気が立てこもってあがり、また秋風が静かに寂しく寒空を水面に浸している。ここは巫山の峡谷と真向かいになっているところで、こんな池を開いたのは水利土木の夏の禹王の功ではないかと疑われている。ここに住む、魚龍は開闢以来の者であり、菱や芡は今も昔も同じように生えている。

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