杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

元結

元結 《賊退示官吏(并序)》【4分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6095

元結 《賊退示官吏(并序)》#4  

今彼徵斂者,迫之如火煎。誰能人命,以作時世賢。

思欲委符節,引竿自刺船。將家就魚麥,歸老江湖邊。

そんなことなら自分はあずかっている切手や割符をうち棄てて、竹竿をひきよせて船を刺しているほうがよい。家じゅうをひきつれて魚やむぎのある場所に就き、江湖のあたりにひきこんで隠居しょうとおもうところである。

 

元結 《賊退示官吏(并序)》【4分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6095

 

 

杜甫詩1500-917-関連-2-4-1390/2500

元結〈賊退示官吏(并序)〉(搜韻)

賊退示官吏

(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

序#1

癸卯,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。

西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。

癸卯763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。

翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。

 

癸卯の歳、西原の賊道州に入り、焚掠 幾ど尽して去る。明年 賊又た 永を攻め郡を破る、此の州の辺都を犯さずして退く。豈に力能く敵を制せん与、蓋し其の傷憐を蒙りし而己。諸使何 為れぞ苦しんで徴斂するに忍ぶや。故に詩一篇を作り、以て官吏に示す。

 

#2

逢太平,山林二十年。

むかしは太平の御代で自分は山林生活を二十年もした。

泉源在庭,洞壑當門前。

そのころは湧き出る泉の水は庭戸のそばにあり、洞壑は門前にあたってよこたわってそんざいした。

有常期,日晏猶得眠。

田地の税金をおさめるにはきまった時期があり、日が長けるまで眠っていることができた。

忽然遭世變,數親戎旃。

れが急に世のなかの変事である安史の乱に遭遇して、一変したのであり、数年の間に軍事負担が自分のみならずすべての者におわされることになった。』

#3

今來典斯郡,山夷又紛然。

わたしは、このたび、この道州をつかさどりはじめたら、西原蠻の山の夷どもが紛然と攻め込んできた。

城小賊不屠,人貧傷可憐。

しかし小さな城であるのに西原蠻の賊はこれを屠らず、人民が貧乏なので彼らも心をいためてきのどくだとおもったようだ。

是以陷鄰境,此州獨見全。

そのため彼らは隣境の永州、その西側の卲州等の地は陥れたがこの道州だけは安全にしておいてくれた。

使臣將王命,豈不如賊焉。

地方へ使者となって、出ている上司は天子の命を奉行するのがその職務であるが、それがどうして彼ら西原蠻ごときに劣ってよいというのだろうか。

#4

今彼斂者,迫之如火煎。

いまここに、かの税をとりたてる者のありさまをみると彼らは人民に迫ることは火が煎り付けるほどにおもわれる。

誰能人命,以作時世賢。

だれができるというのか、それが人民の生命まで絶つことであるのに、それで、時世の賢人とよばれ、立派であるとされたいのか。

思欲委符節,引竿自刺船。

そんなことなら自分はあずかっている切手や割符をうち棄てて、竹竿をひきよせて船を刺しているほうがよい。

將家就魚麥,歸老江湖邊。

家じゅうをひきつれて魚やむぎのある場所に就き、江湖のあたりにひきこんで隠居しょうとおもうところである。

 

昔歳 太平に逢い、山林にあること 二十年。

泉源 庭戸に在り、洞壑 門前に当たる。

井税に 常期有り、日 晏くして猶お眠るを得たり。

忽然として 世変に遭い、数歳 親ら戎旃す。』

 

今来 彼の郡を典るに、山夷 又た紛然たり。

城小にして賊屠らず、人貧にして傷みて憐れむ可しとす。

是を以て 隣境を陥るるも、此の州 独り全くせらる。

使臣 王命を将う、豈に賊にだも如かざらんや。』

 

今 彼の徴斂の者、之に迫ること火の煎するが如し。

誰か能く人命を絶ちて、以て時世の賢と作さん。

符節を委ねて、竿を引きて自ら船を刺さんと思欲す。

家を将て 魚麥に就き、老を江湖の辺に帰せん。』

 

 

賊退示官吏』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#4

今彼徵斂者,迫之如火煎。

誰能人命,以作時世賢。

思欲委符節,引竿自刺船。

將家就魚麥,歸老江湖邊。


(下し文)
今 彼の徴斂の者、之に迫ること火の煎するが如し。

誰か能く人命を絶ちて、以て時世の賢と作さん。

符節を委ねて、竿を引きて自ら船を刺さんと思欲す。

家を将て 魚麥に就き、老を江湖の辺に帰せん。』

(現代語訳)
いまここに、かの税をとりたてる者のありさまをみると彼らは人民に迫ることは火が煎り付けるほどにおもわれる。

だれができるというのか、それが人民の生命まで絶つことであるのに、それで、時世の賢人とよばれ、立派であるとされたいのか。

そんなことなら自分はあずかっている切手や割符をうち棄てて、竹竿をひきよせて船を刺しているほうがよい。

家じゅうをひきつれて魚やむぎのある場所に就き、江湖のあたりにひきこんで隠居しょうとおもうところである。


(訳注) #4

賊退示官吏

(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

 

道州の地は、広徳元年(763)九月以降に三カ月ほど西原蠻の賊の侵入を被っている。里広徳二年五月二十二日に元結は道州に着任し、それから五十日余り後に「舂陵行」と「奏免科率状」が書かれた。「賊退示官吏」序に「明年、敗又攻永州、破部、不犯此州連郡両道」とあるのによれば、広徳二年(764)にも賊が遭州に追ったことになる。一方、永泰二年(七六六)の「奏免科率等状」には「去年又賊逼州界、防拝一首除目。賊攻永州、陷邵州、臣州濁全者、爲百姓捍賊。」とあり、この賊の侵入は765年であったことになる。この100日余りの侵入がいつごろであったかはなお疑問だが、「賊退示官吏」は、少なくとも「舂陵行」が書かれてから三カ月以上後に制作されたものであると思われる。

 

この楽府は序に「藷使何爲忍苦徴斂。」とあるとおり、諸使の徴求に対する憤りが中心になっている。詩の序文はまず、西原の賊が道州に侵入し、翌764年広德二年にも周辺の郡に侵入したが、道州はあまりにも悲惨な状況であったので、その賊ですら手を付けなかったと述べる。最初の西原の賊の侵入に関しては、「奏免科率状」に「臣當州被西原賊屠陥、賊停留一月餘、日焚焼糧儲居宅、浮掠百姓男女、駆殺牛馬老少、一州幾盡。賊散後、百姓歸復、十不存一。」と、より詳細に述べられ、翌広徳二年764の侵入に関しても「奏免科率等状」に指摘されている。序は続いて諸使の徴求の厳しさを述べるが、この部分は「舂陵行」に「郵亭傳急符,來往跡相追。更無寬大恩,但有迫促期。」とある部分に対応する。巌しい徴税は「奏免科率状」「舂陵行」制作後、西原蠻の賊の侵入時にも続いていたと思われる。やがて「奏免科率状」に対して恩赦が下り、「広徳二年賀赦表」(764)が書かれ、引き続き改元に伴なう恩赦に対応して「永泰元年賀赦表」(765)が書かれることになるのであるが、この「賊封示官吏」制作時点ではまだ厳しい徴税の符牒が届けられていたのであろう。「奏免科率等状」には、賊の侵入を防いでいた、とあるのに対して、序では「不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已」と表現されている。また「新唐書」巻二二二下、西原蠻列伝には、「餘衆復閑適州、刺史元結固守、不能下。進攻永州、陥那州、留敷H而去。(僚衆復た遠州を寓むも、刺史元結固く守れば、下す能はず。進みて永州を攻め、部州を陥れ、留ること救日にして去る。)」と、元結が鹿の侵入を防いだことを記す。おそらく西原の敗の侵入を防いだのが事実であったのだろう。「敗退示官吏」序では、賊ですら哀れんだと記すことによって、民を哀れむこともなく、厳しく徴税を行なう萬使の苛酷さが一層際立つように描かれているのである。

 

詩の本文は「舂陵行」とは異なって、まず道州制史となるまでの自らの状況を述べることから始まる。続いて敗すら憐れんだ道州に対して租税の徴求が厳しくなされていることに対する批判が展開される。「使臣」「彼徴斂者」すなわち租税の徴斂のために命を受けて州県に赴く官僚をその批判の直接の対象としているのである。最後にこうした状況に対時した時の自らの決意、即ち官を辞するという決断が呈示される。

 

今彼徵斂者,迫之如火煎。

いまここに、かの税をとりたてる者のありさまをみると彼らは人民に迫ることは火が煎り付けるほどにおもわれる。

徵斂者 序に見える「豈力能制敵歟」のこと。苦徵斂 税の取り立てを厳しくするために住民を苦しめる。征:徵收。斂:聚。征斂無限・期:統治者が無限度に土地、家族構成に見合った税を徴収すること。

 

誰能人命,以作時世賢。

だれができるというのか、それが人民の生命まで絶つことであるのに、それで、時世の賢人とよばれ、立派であるとされたいのか。

○時世賢 元結《舂陵行》#7「前賢重守分,惡以禍福移。亦雲貴守官,不愛能適時。」「能適時」とあるのもおなじ、時世むきの賢人、孟子「今之所謂良臣、古之所謂民賊也」(今の艮臣は、古の民賊)といっているのと同意。

元結 《舂陵行(并序)-#6》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6070

 

思欲委符節,引竿自刺船。

そんなことなら自分はあずかっている切手や割符をうち棄てて、竹竿をひきよせて船を刺しているほうがよい。

○委符節 委はうちすてること。

 

將家就魚麥,歸老江湖邊。

家じゅうをひきつれて魚やむぎのある場所に就き、江湖のあたりにひきこんで隠居しょうとおもうところである。

○将家 将はひきいる。

○魚麥 さかなとむぎ。水の物とやまのもの、耕作物。。

 

 

「敗退示官吏」は、中央の官僚を対象に作られたものではなくで、直接には元結の身近にいた州県の官吏を対象にしたものであろうと思われる。身近にいる官吏に向けての発言であったからこそ、徴税の役人を盗賊に比較しても劣るとするような激しい憤りの表現が可能だったのである。

西原蠻の賊と対峙する一方で、州民を収奪するかのごとき厳しい徴税が引き続き行なわれているという状況の中から生じた、中央の政策に対する憤りをもって、周囲にいる、やはり無自覚で民を憂えることを知らず、民に酷く追ってやまぬ官吏たちに対峙したとき、この数篇の詩は成立したのである。一方で 「舂陵行」を書き、周到に自らの態度を中央に表明し、その一方で自らの憤りを周囲の官吏に明らかにすることにあった。ここに杜甫が自らも華州参軍において、《乾元元年華州試進士策問五首》において示した手法と同じものを元結の一聯の楽府に見たのである。

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

 

 

これらを踏まえて、杜甫 1939同元使君舂陵行》【5分割】について見てゆく。

元結 《賊退示官吏(并序)》【4分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6090

元結 《賊退示官吏(并序)》#3【4分割】  

今來典斯郡,山夷又紛然。城小賊不屠,人貧傷可憐。

是以陷鄰境,此州獨見全。使臣將王命,豈不如賊焉。

らは隣境の永州、その西側の卲州等の地は陥れたがこの道州だけは安全にしておいてくれた。地方へ使者となって、出ている上司は天子の命を奉行するのがその職務であるが、それがどうして彼ら西原蠻ごときに劣ってよいというのだろうか。

元結 《賊退示官吏(并序)》【4分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6090 


 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog元結 《賊退示官吏(并序)》【4分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6090 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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杜甫詩

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元結〈賊退示官吏(并序)〉(搜韻)

賊退示官吏

(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

序#1

癸卯,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。

西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。

癸卯763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。

翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。

 

癸卯の歳、西原の賊道州に入り、焚掠 幾ど尽して去る。明年 賊又た 永を攻め郡を破る、此の州の辺都を犯さずして退く。豈に力能く敵を制せん与、蓋し其の傷憐を蒙りし而己。諸使何 為れぞ苦しんで徴斂するに忍ぶや。故に詩一篇を作り、以て官吏に示す。

 

#2

逢太平,山林二十年。

むかしは太平の御代で自分は山林生活を二十年もした。

泉源在庭,洞壑當門前。

そのころは湧き出る泉の水は庭戸のそばにあり、洞壑は門前にあたってよこたわってそんざいした。

有常期,日晏猶得眠。

田地の税金をおさめるにはきまった時期があり、日が長けるまで眠っていることができた。

忽然遭世變,數親戎旃。

れが急に世のなかの変事である安史の乱に遭遇して、一変したのであり、数年の間に軍事負担が自分のみならずすべての者におわされることになった。』

#3

今來典斯郡,山夷又紛然。

わたしは、このたび、この道州をつかさどりはじめたら、西原蠻の山の夷どもが紛然と攻め込んできた。

城小賊不屠,人貧傷可憐。

しかし小さな城であるのに西原蠻の賊はこれを屠らず、人民が貧乏なので彼らも心をいためてきのどくだとおもったようだ。

是以陷鄰境,此州獨見全。

そのため彼らは隣境の永州、その西側の卲州等の地は陥れたがこの道州だけは安全にしておいてくれた。

使臣將王命,豈不如賊焉。

地方へ使者となって、出ている上司は天子の命を奉行するのがその職務であるが、それがどうして彼ら西原蠻ごときに劣ってよいというのだろうか。

#4

今彼徵斂者,迫之如火煎。誰能人命,以作時世賢。

思欲委符節,引竿自刺船。將家就魚麥,歸老江湖邊。

 

昔歳 太平に逢い、山林にあること 二十年。

泉源 庭戸に在り、洞壑 門前に当たる。

井税に 常期有り、日 晏くして猶お眠るを得たり。

忽然として 世変に遭い、数歳 親ら戎旃す。』

 

今来 彼の郡を典るに、山夷 又た紛然たり。

城小にして賊屠らず、人貧にして傷みて憐れむ可しとす。

是を以て 隣境を陥るるも、此の州 独り全くせらる。

使臣 王命を将う、豈に賊にだも如かざらんや。』

 

今 彼の徴斂の者、之に迫ること火の煎するが如し。

誰か能く人命を絶ちて、以て時世の賢と作さん。

符節を委ねて、竿を引きて自ら船を刺さんと思欲す。

家を将て 魚麥に就き、老を江湖の辺に帰せん。』

 

 

賊退示官吏』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#3

今來典斯郡,山夷又紛然。城小賊不屠,人貧傷可憐。

是以陷鄰境,此州獨見全。使臣將王命,豈不如賊焉。


(下し文)
今来 彼の郡を典るに、山夷 又た紛然たり。

城小にして賊屠らず、人貧にして傷みて憐れむ可しとす。

是を以て 隣境を陥るるも、此の州 独り全くせらる。

使臣 王命を将う、豈に賊にだも如かざらんや。』

(現代語訳)
わたしは、このたび、この道州をつかさどりはじめたら、西原蠻の山の夷どもが紛然と攻め込んできた。

しかし小さな城であるのに西原蠻の賊はこれを屠らず、人民が貧乏なので彼らも心をいためてきのどくだとおもったようだ。

そのため彼らは隣境の永州、その西側の卲州等の地は陥れたがこの道州だけは安全にしておいてくれた。

地方へ使者となって、出ている上司は天子の命を奉行するのがその職務であるが、それがどうして彼ら西原蠻ごときに劣ってよいというのだろうか。



(訳注) #3

賊退示官吏

(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

 

「新唐書」巻二二二下、西原蠻列伝には、「餘衆復閑適州、刺史元結固守、不能下。進攻永州、陥那州、留敷H而去。(僚衆復た遠州を寓むも、刺史元結固く守れば、下す能はず。進みて永州を攻め、部州を陥れ、留ること救日にして去る。)」と、元結が鹿の侵入を防いだことを記す。おそらく西原の敗の侵入を防いだのが事実であったのだろう。「敗退示官吏」序では、賊ですら哀れんだと記すことによって、民を哀れむこともなく、厳しく徴税を行なう萬使の苛酷さが一層際立つように描かれているのである。

 

詩の本文は「舂陵行」とは異なって、まず道州制史となるまでの自らの状況を述べることから始まる。続いて敗すら憐れんだ道州に対して租税の徴求が厳しくなされていることに対する批判が展開される。「使臣」「彼徴斂者」すなわち租税の徴斂のために命を受けて州県に赴く官僚をその批判の直接の対象としているのである。最後にこうした状況に対時した時の自らの決意、即ち官を辞するという決断が呈示される。

 

 

今來典斯郡,山夷又紛然。

わたしは、このたび、この道州をつかさどりはじめたら、西原蠻の山の夷どもが紛然と攻め込んできた。

○斯郡 州。道州 (江南西道 道州 道州)   

○山東 西原蛮。

 

城小賊不屠,人貧傷可憐。

しかし小さな城であるのに西原蠻の賊はこれを屠らず、人民が貧乏なので彼らも心をいためてきのどくだとおもったようだ。

○人貧 この地の陣人が貧窮している。

○傷可憐 あまりに貧窮、疲弊しているのでそれを哀れに思ったということ。

 

是以陷鄰境,此州獨見全。

そのため彼らは隣境の永州、その西側の卲州等の地は陥れたがこの道州だけは安全にしておいてくれた。

○隣境 永州卲州。

 

使臣將王命,豈不如賊焉。

地方へ使者となって、出ている上司は天子の命を奉行するのがその職務であるが、それがどうして彼ら西原蠻ごときに劣ってよいというのだろうか。

○使臣 上司をさす。

○将王命 天子の命を行なう。

豈不如賊焉 賊は、西原蠻で、彼等は、略奪強奪はするものの、来年の種もみは残すし、最低限の生活ができる事の配慮はする。それに比較して、税徴収するのに配慮が全くないことから、上司のやり方は劣っているという。

元結 《賊退示官吏(并序)》【4分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6085

元結 《賊退示官吏(并序)》#2  

逢太平,山林二十年。

泉源在庭,洞壑當門前。

有常期,日晏猶得眠。

忽然遭世變,數親戎旃

むかしは太平の御代で自分は山林生活を二十年もした。そのころは湧き出る泉の水は庭戸のそばにあり、洞壑は門前にあたってよこたわってそんざいした。田地の税金をおさめるにはきまった時期があり、日が長けるまで眠っていることができた。

 

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杜甫詩1500-917-関連-2-2-1388/2500

元結〈賊退示官吏(并序)〉(搜韻)

 

賊退示官吏

(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

序#1

癸卯,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。

西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。

癸卯763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。

翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。

 

癸卯の歳、西原の賊道州に入り、焚掠 幾ど尽して去る。明年 賊又た 永を攻め郡を破る、此の州の辺都を犯さずして退く。豈に力能く敵を制せん与、蓋し其の傷憐を蒙りし而己。諸使何 為れぞ苦しんで徴斂するに忍ぶや。故に詩一篇を作り、以て官吏に示す。

#2

逢太平,山林二十年。

むかしは太平の御代で自分は山林生活を二十年もした。

泉源在庭,洞壑當門前。

そのころは湧き出る泉の水は庭戸のそばにあり、洞壑は門前にあたってよこたわってそんざいした。

有常期,日晏猶得眠。

田地の税金をおさめるにはきまった時期があり、日が長けるまで眠っていることができた。

忽然遭世變,數親戎旃。

れが急に世のなかの変事である安史の乱に遭遇して、一変したのであり、数年の間に軍事負担が自分のみならずすべての者におわされることになった。』

#3

今來典斯郡,山夷又紛然。城小賊不屠,人貧傷可憐。

是以陷鄰境,此州獨見全。使臣將王命,豈不如賊焉。

#4

今彼徵斂者,迫之如火煎。誰能人命,以作時世賢。

思欲委符節,引竿自刺船。將家就魚麥,歸老江湖邊。

 

昔歳 太平に逢い、山林にあること 二十年。

泉源 庭戸に在り、洞壑 門前に当たる。

井税に 常期有り、日 晏くして猶お眠るを得たり。

忽然として 世変に遭い、数歳 親ら戎旃す。』

 

今来 彼の郡を典るに、山夷 又た紛然たり。

城小にして賊屠らず、人貧にして傷みて憐れむ可しとす。

是を以て 隣境を陥るるも、此の州 独り全くせらる。

使臣 王命を将う、豈に賊にだも如かざらんや。』

 

今 彼の徴斂の者、之に迫ること火の煎するが如し。

誰か能く人命を絶ちて、以て時世の賢と作さん。

符節を委ねて、竿を引きて自ら船を刺さんと思欲す。

家を将て 魚麥に就き、老を江湖の辺に帰せん。』

 

賊退示官吏』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

逢太平,山林二十年。

泉源在庭,洞壑當門前。

有常期,日晏猶得眠。

忽然遭世變,數親戎旃

(下し文)
歳 太平に逢い、山林にあること 二十年。

泉源 庭戸に在り、洞壑 門前に当たる。

井税に 常期有り、日 晏くして猶お眠るを得たり。

忽然として 世変に遭い、数歳 親ら戎旃す。』

(現代語訳)
むかしは太平の御代で自分は山林生活を二十年もした。

そのころは湧き出る泉の水は庭戸のそばにあり、洞壑は門前にあたってよこたわってそんざいした。

田地の税金をおさめるにはきまった時期があり、日が長けるまで眠っていることができた。

れが急に世のなかの変事である安史の乱に遭遇して、一変したのであり、数年の間に軍事負担が自分のみならずすべての者におわされることになった。』



(訳注) #2

賊退示官吏

(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

・この楽府は序に「藷使何爲忍苦徴斂。」とあるとおり、諸使の徴求に対する憤りが中心になっている。詩の序文はまず、西原の賊が道州に侵入し、翌764年広德二年にも周辺の郡に侵入したが、道州はあまりにも悲惨な状況であったので、その賊ですら手を付けなかったと述べる。

 

・最初の西原の賊の侵入に関しては、「奏免科率状」に「臣當州被西原賊屠陥、賊停留一月餘、日焚焼糧儲居宅、浮掠百姓男女、駆殺牛馬老少、一州幾盡。賊散後、百姓歸復、十不存一。」と、より詳細に述べられ、翌広徳二年764の侵入に関しても「奏免科率等状」に指摘されている。序は続いて諸使の徴求の厳しさを述べるが、この部分は「舂陵行」に「郵亭傳急符,來往跡相追。更無寬大恩,但有迫促期。」とある部分に対応する。巌しい徴税は「奏免科率状」「舂陵行」制作後、西原蠻の賊の侵入時にも続いていたと思われる。

 

・やがて「奏免科率状」に対して恩赦が下り、「広徳二年賀赦表」(764)が書かれ、引き続き改元に伴なう恩赦に対応して「永泰元年賀赦表」(765)が書かれることになるのであるが、この「賊封示官吏」制作時点ではまだ厳しい徴税の符牒が届けられていたのであろう。

 

・「奏免科率等状」には、賊の侵入を防いでいた、とあるのに対して、序では「不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已」と表現されている。また「新唐書」巻二二二下、西原蠻列伝には、「餘衆復閑適州、刺史元結固守、不能下。進攻永州、陥那州、留敷H而去。(僚衆復た遠州を寓むも、刺史元結固く守れば、下す能はず。進みて永州を攻め、部州を陥れ、留ること救日にして去る。)」と、元結が鹿の侵入を防いだことを記す。おそらく西原蠻の賊の侵入を防いだのが事実であったのだろう。「敗退示官吏」序では、賊ですら哀れんだと記すことによって、民を哀れむこともなく、厳しく徴税を行なう諸使の苛酷さが一層際立つように描かれているのである。

 

逢太平,山林二十年。

むかしは太平の御代で自分は山林生活を二十年もした。

○太平 唐では、初唐の「貞観の治」があり、盛唐の「開元の治」があり、この事を指す。

貞観の治は唐(618 - 907年)の第2代皇帝・太宗李世民の治世、貞観(元年 - 23年)時代(627 - 649年)の政治を指す。この時代、中国史上最も良く国内が治まった時代と言われ、後世、政治的な理想時代とされた。僅かな異変でも改元を行った王朝時代において同一の元号が23年も続くと言うのは稀であり、その治世がいかに安定していたかが伺える。

この時代を示す言葉として、『資治通鑑』に、「-海内升平,路不拾遺,外戸不閉,商旅野宿焉。」(天下太平であり、道に置き忘れたものは盗まれない。家の戸は閉ざされること無く、旅の商人は野宿をする(ほど治安が良い))との評がある。

開元の治は唐(618 - 907年)の第6代皇帝・玄宗李隆基の治世、開元(元年 - 29年)年間(713 - 741年)の政治を指す。貞観の治と並び称せられる中国史上の政治の安定期の一つで、唐は絶頂期を迎えた。しかし、後に玄宗が楊貴妃を寵愛し政治を放棄したため唐は混乱し、安史の乱が起こったため崩壊した。

 

泉源在庭,洞壑當門前。

そのころは湧き出る泉の水は庭戸のそばにあり、洞壑は門前にあたってよこたわってそんざいした。

〇泉源・洞壑 源泉はきちんと維持管理していないと奇麗な水にはならない。洞壑は洞穴と谷で僧侶・隠者の修行のための場所で、太平の時代には整備利用がなされていたことをいう。・この二句は、太平の頃の、「-海内升平,路不拾遺,外戸不閉,商旅野宿焉。」の別表現である。

 

有常期,日晏猶得眠。

田地の税金をおさめるにはきまった時期があり、日が長けるまで眠っていることができた。

○井税 井字形の田地の税、単に田税の意。《魏書李世安傳》「井之興, 其來日久。」 唐錢起《觀村人牧山田》詩「貧民乏井 塉土皆墾鑿。」

 

忽然遭世變,數親戎旃。

それが急に世のなかの変事である安史の乱に遭遇して、一変したのであり、数年の間に軍事負担が自分のみならずすべての者におわされることになった。』

○世変 安・史の乱をいう。

○数歳親戎栴 文官である元結も、粛宗朝以来軍務にたずさわったことをいうが、それはすべての者に適用され駆り出されたことをいう。栴は反物のままを掛かげけた旗。旗は小吏を磨れば残ってゆくが、敗けると踏みにじられ焼却されるので、旗の製作が間に合わない状態をいう。ここでは、兵士の数が不足して行くのでその補充に徴兵条件が拡大されていくことをいう。

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(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。癸卯763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。

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元結〈賊退示官吏(并序)〉(搜韻)

序#1

癸卯,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。

#2

逢太平,山林二十年。泉源在庭,洞壑當門前。

有常期,日晏猶得眠。忽然遭世變,數親戎旃。

#3

今來典斯郡,山夷又紛然。城小賊不屠,人貧傷可憐。

是以陷鄰境,此州獨見全。使臣將王命,豈不如賊焉。

#4

今彼徵斂者,迫之如火煎。誰能人命,以作時世賢。

思欲委符節,引竿自刺船。將家就魚麥,歸老江湖邊。

 

 

賊退示官吏

癸卯,西原賊入道州,焚燒殺掠,幾盡而去。

明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?

蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。

西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。

(賊退きしとき官吏に示す)

癸卯の歳、西原の賊道州に入り、焚掠 幾ど尽して去る。明年 賊又た 永を攻め郡を破る、此の州の辺都を犯さずして退く。豈に力能く敵を制せん与、蓋し其の傷憐を蒙りし而己。諸使何 為れぞ苦しんで徴斂するに忍ぶや。故に詩一篇を作り、以て官吏に示す。

 

 

『賊退示官吏』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

賊退示官吏

癸卯,西原賊入道州,焚燒殺掠,幾盡而去。

明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?

蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。


(下し文)


(現代語訳)
(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。

癸卯763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。

翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。


(訳注)

賊退示官吏

(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

道州の地は、広徳元年(763)九月以降に三カ月ほど西原蠻の賊の侵入を被っている。里広徳二年五月二十二日に元結は道州に着任し、それから五十日余り後に「舂陵行」と「奏免科率状」が書かれた。「賊退示官吏」序に「明年、敗又攻永州、破部、不犯此州連郡両道」とあるのによれば、広徳二年(764)にも賊が遭州に追ったことになる。一方、永泰二年(七六六)の「奏免科率等状」には「去年又賊逼州界、防拝一首除目。賊攻永州、陷邵州、臣州濁全者、爲百姓捍賊。」とあり、この賊の侵入は765年であったことになる。この100日余りの侵入がいつごろであったかはなお疑問だが、「賊退示官吏」は、少なくとも「舂陵行」が書かれてから三カ月以上後に制作されたものであると思われる。

この楽府は序に「藷使何爲忍苦徴斂。」とあるとおり、諸使の徴求に対する憤りが中心になっている。詩の序文はまず、西原の賊が道州に侵入し、翌764年広德二年にも周辺の郡に侵入したが、道州はあまりにも悲惨な状況であったので、その賊ですら手を付けなかったと述べる。

 

癸卯,西原賊入道州,焚燒殺掠,幾盡而去。

癸卯763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。

癸卯 代宗の廣德元年(763をいう。

西原賊入道州 「唐書」《西原蛮伝》「其種落張侯、夏永與夷獠梁崇牽、覃問及西原酋長功曹復合兵寇,陷道州,據城五十餘日桂管經略使邢濟擊平之,執功曹等。餘衆復圍道州,刺史元結固守不能下,進攻永州,陷邵州,留數日而去。」にいう、西原の種落張侯・夏永等内寇し道州を陥れ城に拠ること五十余日、桂管経略使刑部撃ちて之を平らぐ、余衆復た道州を囲む、刺史元結固く守りて下らず、永州に進攻し,邵州を陷し,留ること數日にして去る。と。

○焚掠 家をやき物品をかすめとる。

 

明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?

翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。

○明年 広徳二年。

○攻永破邪 永は永州、郡は那州、遠州の北、及び西北にある州。

不犯此州邊鄙而退 顔真卿が撰した元結墓碑にいう、武昌の口に家すること歳余、上(代宗)君が貧に居るを以て家より起こして道州刺史となす。州は西原の賊の陥るる所となり、人は十に一なく、戸は纔かに千に満つ。君、車より下りて古人の政を行う、二年の間、帰るもの万余家、賊も亦た畏れを懐きて敢て来たり犯さず、既に代を受く、百姓闕に詣り、生祠を立てんと請う、と。元結の治績を知ることができよう。

 

蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。

西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。

苦徵斂 税の取り立てを厳しくするために住民を苦しめる。征:徵收。斂:聚。征斂無限・期:統治者が無限度に土地、家族構成に見合った税を徴収すること。



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牛嶠  舂陵行  #7  

逋緩違詔令,蒙責固其宜。前賢重守分,惡以禍福移。

亦雲貴守官,不愛能適時。顧惟孱弱者,正直當不虧。

何人采國風,吾欲獻此辭。

此処の現状を無視し、時世のむきにあわせてうまく税金を多くとりたてて上司の気に入るようにすることはわたしの望むところではない。顧みればわたしはかよわいものだし、官位が低く、力が小さいことはわかっており、ただ、正直という点だけは自分自身欠くことはないものと確信している。三皇五帝の古代であれば、だれかが諸国の国ぶりの詩でも採り集め、民の声を聞いた。だからこれに倣って、私もこの地のことをこの詩を歌って献じようと思ったしだいです。

 

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舂陵行  元結

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)
#1 

癸卯,漫叟授道州刺史。

代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。

道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦

道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,

自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。

皆曰:“失其限者,罪至貶削。”

上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。

2序 -2

於戲!若悉應其命,則州縣破亂,

ああ、もしみんなこの命令どおりにしたらすなわち、州や県は乱破してしまうであろう。

刺史欲焉逃罪;

そうなったら刺史はどこに罪をのがれるか、のがれ場所がないではないか。

若不應命,又即獲罪戾,必不免也。

またもし命令に応ぜねとしたらまたすぐに罪科を得る、きっとそれはのがれられぬことである。

吾將守官,靜以安人,待罪而已。

どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。

此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。

この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。

#1

(癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。道州は四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は税に勝へず。官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。

#2

於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。

刺史くにか罪を逃れんと欲す。

若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。

吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。)

 

杜甫詩1500-917-関連-1-6-1385/2500

及地點:棗陽 (山南東道隨州 棗陽) 別名:舂陵     

道州 (江南西道 道州 道州)       

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  

 

 

#3《舂陵行》  元結

軍國多所需,切責在有司。

軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。

有司臨郡縣,刑法競欲施。

かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。

供給豈不憂?征斂又可悲。

こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。

州小經亂亡,遺人實困疲。

着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過に問題があり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。

《舂陵行》

軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。

有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。

供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。

州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。

#4

無十家,大族命單贏。

それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。

朝餐是草根,暮食仍木皮。

朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。

出言氣欲,意速行步遲。

だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!

こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。

郵亭傳急符,來往跡相追。
上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。

#4

大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。

朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。

言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。

追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。

郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。

#5

更無寬大恩,但有迫促期。

すこしも民に対して寛大にするという恩はなく、ただただいつまでに日が迫っているから早くせよと催促するだけである。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

甚しきは銭がなければ命令で児とか娘女でも売りとばさせようというほどの意気ごみをしめせというけれど、こんなことをわたしの口から言葉にだしたら最後すぐにも騒乱がおこるにきまっている。

悉使索其家,而又無生資。

いくら民家のあらゆるものをさがして一切を供出させつくさせたところで、それでは、また生きてゆく基がなくなるのである。

聽彼道路言,怨傷誰複知!

こんな時、人民たちが道路でいかなることを言うていることを聞いてみると、「(税金を払えないから」、罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている」と。ぬ。それをきくとどんなに彼らが怨み傷んでいるか、その実情を知るものはあるまい。

更に寛大の恩無く、但だ迫促の期有り。

命じて児女をがしめんと欲す、言発せば恐らくは乱随わん。

悉く其の家を索めしむるも、而も又た生資無し。

彼の道路の言を聴くに、怨傷 誰か復た知らん。

#6

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。

彼らはこんなことをいう、「去年の冬、山賊がやってきて、人を殺したり物を奪うたりして、いまはほとんどなんにものこっていない。」

所願見王官,撫養以惠慈。

「どうぞお役人さまが慈恵を以て我我を撫で養うようにしていただきたい。」

奈何重驅逐,不使存活為!”

「それなのに、なんでかさねて我我を駆逐されるようなことを、これでは、生き残ることさえもさせてはくださらないのか、」と。(もっともなことだ。)

安人天子命,符節我所持。

人民を安らかに治めよというのが天子の御命令だ。税兵徴発の切手、割符は自分が所持している。

州縣忽亂亡,得罪複是誰?

州県が騒乱状態で、逃亡したと自分は詔や命令にそむいて税金を日延べもしてやるし、免除もしてやる。罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている。

#6

去冬山賊来たる、穀奪 幾ど遺無し。

願う所は王官の、撫養するに恵慈を以てするを見ん。

奈何ぞ重ねて駆逐して、存活を為さしめざると。

人を安んずるは天子の命なり、符節は我が持する所なり。

州県 忽ち乱亡せば、罪を得るは復た是れ誰ぞ。

#7

逋緩違詔令,蒙責固其宜。

納税からのがれさせ、納税期を日のべしてやることは、これにより、上司から責められることはもとより当然なことだと覚悟はしている。

前賢重守分,惡以禍福移。

むかしの賢人は治民としての職分を守ることを重んじた。だから、自分一身に禍がくるとか、福がくるとか、そういうことでこの志を移しかえたりすることは、さらさらないのである。

亦雲貴守官,不愛能適時。

私はここに与えられた自己の官職を厳として守ることを貴ぶもので、此処の現状を無視し、時世のむきにあわせてうまく税金を多くとりたてて上司の気に入るようにすることはわたしの望むところではない。

顧惟孱弱者,正直當不虧。

顧みればわたしはかよわいものだし、官位が低く、力が小さいことはわかっており、ただ、正直という点だけは自分自身欠くことはないものと確信している。

何人采國風,吾欲獻此辭。

三皇五帝の古代であれば、だれかが諸国の国ぶりの詩でも採り集め、民の声を聞いた。だからこれに倣って、私もこの地のことをこの詩を歌って献じようと思ったしだいです。

か、

 

#7

逋緩せしめて詔令に違う,責を蒙むるは固より其宜しくす。

前賢 分を守るを重んず,惡【いずく】んぞ禍福を以て移らん。

亦た雲官を守るをび,能く時に適うを愛せず。

顧みるに惟れ 孱弱の者,正直 當に虧【か】かざるべし。

何人か國風を采る,吾 此の辭を獻ぜんと欲す。

 
 

江南西道図05

『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#7

逋緩違詔令,蒙責固其宜。

前賢重守分,惡以禍福移。

亦雲貴守官,不愛能適時。

顧惟孱弱者,正直當不虧。

何人采國風,吾欲獻此辭。


(下し文)
#7

逋緩せしめて詔令に違う,責を蒙むるは固より其宜しくす。

前賢 分を守るを重んず,惡【いずく】んぞ禍福を以て移らん。

亦た雲官を守るをび,能く時に適うを愛せず。

顧みるに惟れ 孱弱の者,正直 當に虧【か】かざるべし。

何人か國風を采る,吾 此の辭を獻ぜんと欲す。

(現代語訳)
納税からのがれさせ、納税期を日のべしてやることは、これにより、上司から責められることはもとより当然なことだと覚悟はしている。

むかしの賢人は治民としての職分を守ることを重んじた。だから、自分一身に禍がくるとか、福がくるとか、そういうことでこの志を移しかえたりすることは、さらさらないのである。

私はここに与えられた自己の官職を厳として守ることを貴ぶもので、此処の現状を無視し、時世のむきにあわせてうまく税金を多くとりたてて上司の気に入るようにすることはわたしの望むところではない。

顧みればわたしはかよわいものだし、官位が低く、力が小さいことはわかっており、ただ、正直という点だけは自分自身欠くことはないものと確信している。

三皇五帝の古代であれば、だれかが諸国の国ぶりの詩でも採り集め、民の声を聞いた。だからこれに倣って、私もこの地のことをこの詩を歌って献じようと思ったしだいです。

か、



(訳注)

#7

逋緩違詔令,蒙責固其宜。

納税からのがれさせ、納税期を日のべしてやることは、これにより、上司から責められることはもとより当然なことだと覚悟はしている。

逋緩 逋は納税からのがれさせゆるすこと、緩は納税期を日のべしてやること。

 

前賢重守分,惡以禍福移。

むかしの賢人は治民としての職分を守ることを重んじた。だから、自分一身に禍がくるとか、福がくるとか、そういうことでこの志を移しかえたりすることは、さらさらないのである。

守分 治民の官吏たる職分を守る。

 

亦雲貴守官,不愛能適時。

私はここに与えられた自己の官職を厳として守ることを貴ぶもので、此処の現状を無視し、時世のむきにあわせてうまく税金を多くとりたてて上司の気に入るようにすることはわたしの望むところではない。

守官 官吏の職責を守る。

能適時 時世むきにすること。時世むきにするには人民より重く税をとりたてることである。

 

顧惟孱弱者,正直當不虧。

顧みればわたしはかよわいものだし、官位が低く、力が小さいことはわかっており、ただ、正直という点だけは自分自身欠くことはないものと確信している。

孱弱者 よわいもの、自己の官が低く力の小さいことをいう。

 

何人采國風,吾欲獻此辭。

三皇五帝の古代であれば、だれかが諸国の国ぶりの詩でも採り集め、民の声を聞いた。だからこれに倣って、私もこの地のことをこの詩を歌って献じようと思ったしだいです。

か、

采國風 古代には採詩の官があって国国のうたをとりあつめて朝廷へだしたといいったえる。

此辭 この詩篇をいう。

 

《舂陵行》

軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。

有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。

供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。

州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。

 

大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。

朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。

言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。

追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。

郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。

 

更に寛大の恩無く、但だ迫促の期有り。

命じて児女をがしめんと欲す、言発せば恐らくは乱随わん。

悉く其の家を索めしむるも、而も又た生資無し。

彼の道路の言を聴くに、怨傷 誰か復た知らん。

#6

去冬山賊来たる、穀奪 幾ど遺無し。

願う所は王官の、撫養するに恵慈を以てするを見ん。

奈何ぞ重ねて駆逐して、存活を為さしめざると。

人を安んずるは天子の命なり、符節は我が持する所なり。

州県 忽ち乱亡せば、罪を得るは復た是れ誰ぞ。

 

#7

逋緩せしめて詔令に違う,責を蒙むるは固より其宜しくす。

前賢 分を守るを重んず,惡【いずく】んぞ禍福を以て移らん。

亦た雲官を守るをび,能く時に適うを愛せず。

顧みるに惟れ 孱弱の者,正直 當に虧【か】かざるべし。

何人か國風を采る,吾 此の辭を獻ぜんと欲す。

 李白の足跡0000

元結 《舂陵行(并序)-#6》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6070

元結 《舂陵行》#6  

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。所願見王官,撫養以惠慈。奈何重驅逐,不使存活為!”

安人天子命,符節我所持。州縣忽亂亡,得罪複是誰?
「それなのに、なんでかさねて我我を駆逐されるようなことを、これでは、生き残ることさえもさせてはくださらないのか、」と。(もっともなことだ。)人民を安らかに治めよというのが天子の御命令だ。税兵徴発の切手、割符は自分が所持している。

 

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杜甫詩1500-917-関連-1-6-1385/2500

及地點:棗陽 (山南東道隨州 棗陽) 別名:舂陵     

道州 (江南西道 道州 道州)       

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  

 

 

#3《舂陵行》  元結

軍國多所需,切責在有司。

軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。

有司臨郡縣,刑法競欲施。

かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。

供給豈不憂?征斂又可悲。

こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。

州小經亂亡,遺人實困疲。

着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過に問題があり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。

《舂陵行》

軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。

有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。

供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。

州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。

#4

無十家,大族命單贏。

それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。

朝餐是草根,暮食仍木皮。

朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。

出言氣欲,意速行步遲。

だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!

こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。

郵亭傳急符,來往跡相追。
上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。

#4

大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。

朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。

言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。

追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。

郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。

#5

更無寬大恩,但有迫促期。

すこしも民に対して寛大にするという恩はなく、ただただいつまでに日が迫っているから早くせよと催促するだけである。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

甚しきは銭がなければ命令で児とか娘女でも売りとばさせようというほどの意気ごみをしめせというけれど、こんなことをわたしの口から言葉にだしたら最後すぐにも騒乱がおこるにきまっている。

悉使索其家,而又無生資。

いくら民家のあらゆるものをさがして一切を供出させつくさせたところで、それでは、また生きてゆく基がなくなるのである。

聽彼道路言,怨傷誰複知!

こんな時、人民たちが道路でいかなることを言うていることを聞いてみると、「(税金を払えないから」、罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている」と。ぬ。それをきくとどんなに彼らが怨み傷んでいるか、その実情を知るものはあるまい。

更に寛大の恩無く、但だ迫促の期有り。

命じて児女をがしめんと欲す、言発せば恐らくは乱随わん。

悉く其の家を索めしむるも、而も又た生資無し。

彼の道路の言を聴くに、怨傷 誰か復た知らん。

#6

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。

彼らはこんなことをいう、「去年の冬、山賊がやってきて、人を殺したり物を奪うたりして、いまはほとんどなんにものこっていない。」

所願見王官,撫養以惠慈。

「どうぞお役人さまが慈恵を以て我我を撫で養うようにしていただきたい。」

奈何重驅逐,不使存活為!”

「それなのに、なんでかさねて我我を駆逐されるようなことを、これでは、生き残ることさえもさせてはくださらないのか、」と。(もっともなことだ。)

安人天子命,符節我所持。

人民を安らかに治めよというのが天子の御命令だ。税兵徴発の切手、割符は自分が所持している。

州縣忽亂亡,得罪複是誰?

州県が騒乱状態で、逃亡したと自分は詔や命令にそむいて税金を日延べもしてやるし、免除もしてやる。罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている。

#7

逋緩違詔令,蒙責固其宜。

前賢重守分,惡以禍福移。

亦雲貴守官,不愛能適時。

顧惟孱弱者,正直當不虧。

何人采國風,吾欲獻此辭。

#6

去冬山賊来たる、穀奪 幾ど遺無し。

願う所は王官の、撫養するに恵慈を以てするを見ん。

奈何ぞ重ねて駆逐して、存活を為さしめざると。

人を安んずるは天子の命なり、符節は我が持する所なり。

州県 忽ち乱亡せば、罪を得るは復た是れ誰ぞ。

 

#7

逋緩せしめて詔令に違う,責を蒙むるは固より其宜しくす。

前賢 分を守るを重んず,惡【いずく】んぞ禍福を以て移らん。

亦た雲官を守るをび,能く時に適うを愛せず。

顧みるに惟れ 孱弱の者,正直 當に虧【か】かざるべし。

何人か國風を采る,吾 此の辭を獻ぜんと欲す。

 

 

元結『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。

所願見王官,撫養以惠慈。

奈何重驅逐,不使存活為!”

安人天子命,符節我所持。

州縣忽亂亡,得罪複是誰?

(下し文)
#6

去冬山賊来たる、穀奪 幾ど遺無し。

願う所は王官の、撫養するに恵慈を以てするを見ん。

奈何ぞ重ねて駆逐して、存活を為さしめざると。

人を安んずるは天子の命なり、符節は我が持する所なり。

州県 忽ち乱亡せば、罪を得るは復た是れ誰ぞ。

(現代語訳)
彼らはこんなことをいう、「去年の冬、山賊がやってきて、人を殺したり物を奪うたりして、いまはほとんどなんにものこっていない。」

「どうぞお役人さまが慈恵を以て我我を撫で養うようにしていただきたい。」

「それなのに、なんでかさねて我我を駆逐されるようなことを、これでは、生き残ることさえもさせてはくださらないのか、」と。(もっともなことだ。)

人民を安らかに治めよというのが天子の御命令だ。税兵徴発の切手、割符は自分が所持している。

州県が騒乱状態で、逃亡したと自分は詔や命令にそむいて税金を日延べもしてやるし、免除もしてやる。罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている。


(訳注) #6

「舂陵行」は、元結が広徳二年(七六四) に刺史として、道州に着任した時に書かれた作品である。序文と本文は道川の悲惨な状況を具体的に述べてから、官吏として「顧みるに惟れ屏弱の者、正直歯に鷹かざるべし」という決意を明示し、更に、この詩を適して「以達下情」、つまり道川の州民の願いを朝廷や君主に伝えようとする意欲をも表明している。

 

この「春陵行」の本文では、まず、兵時には様々な需要があり、その供給の責任は官吏が負っているので、官吏が郡県に臨む時にはどうしても厳しく取り立てることが多いものであると、当時の官吏の状況を指摘する。この部分に関しては元結の「謝上表」「秦免科率状」ともに該当する部分が無い。続いて「州小經亂亡,遺人實困疲。大大無十家,大族命單贏。朝餐是草根,暮食仍木皮。出言氣欲,意速行步遲。追呼尚不忍,況乃鞭撲之!」と、道州の悲惨な状況を具体的に述べる。これは「奏免科率状」の「賊散後、百姓蹄復、十不存二

資産皆無。人心傲像、未有安着。」の部分をより開明にしている箇所である。

次に「郵亭傳急符,來往跡相追。更無寬大恩,但有迫促期。」と、徴求の文書が次々にもたらされることをいう。「奏免科率状」では、徴求の事実とその内容は述べられているが、徴求の激しさについては直接に言及されておらず、「舂陵行」ではより具体的にされているのである。次に、もしも命令通りに徴求を迫れば、更に混乱が生じるであろうこと、及び道州の州民の願いが展開されている。このうち州県の混乱を予想する部分は、「奏免科挙状」の「若依諸

便期限、臣恐坐見乱亡。」という表現に一敦する。楽府の常套的な修辞によった《舂陵行》「聴彼道路言、怨傷誰復知。“去冬山賊來,殺奪幾無遺。所願見王官,撫養以惠慈。奈何重驅逐,不使存活為!」の部分は、二つの文には直接見られないが、「謝上表」の「耆老見臣,俯伏而泣」の部分を具体的に展開しているものと考えることができる。詩ではさらに刺史としての自らの判断が練り返し呈示される。序の薇当部分が繰り返され、刺史としての決意が一層闡明にされているのである。

「春陵行」の最後の部分は、この作品を楽府として位置付けること、ならびに釆詩の官によって朝廷に伝えられるようにしたいという願いが述べられる。

 

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。

彼らはこんなことをいう、「去年の冬、山賊がやってきて、人を殺したり物を奪うたりして、いまはほとんどなんにものこっていない。」

○去冬山賊来以下、不便存括為の句までは人民の言である。

 

所願見王官,撫養以惠慈。

「どうぞお役人さまが慈恵を以て我我を撫で養うようにしていただきたい。」

○王官 天子から命ぜられた官更。

 

奈何重驅逐,不使存活為!”

「それなのに、なんでかさねて我我を駆逐されるようなことを、これでは、生き残ることさえもさせてはくださらないのか、」と。(もっともなことだ。)

 

安人天子命,符節我所持。

人民を安らかに治めよというのが天子の御命令だ。税兵徴発の切手、割符は自分が所持している。

○符節 律令国家であるから、徴税徴兵などのための切手、わりふをいう。

 

州縣忽亂亡,得罪複是誰?

州県が騒乱状態で、逃亡したと自分は詔や命令にそむいて税金を日延べもしてやるし、免除もしてやる。罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている。

○亂亡 騒乱状態で、逃亡することで、徴集する人民がいなくなる。

○得罪 人民を治撫することのできぬ罪を得る。

○復是誰 自己に外ならぬ。

元結 《舂陵行(并序)-#5》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6065

元結 《舂陵行》#5【7分割】

更無寬大恩,但有迫促期。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

悉使索其家,而又無生資。

聽彼道路言,怨傷誰複知!
甚しきは銭がなければ命令で児とか娘女でも売りとばさせようというほどの意気ごみをしめせというけれど、こんなことをわたしの口から言葉にだしたら最後すぐにも騒乱がおこるにきまっている。いくら民家のあらゆるものをさがして一切を供出させつくさせたところで、それでは、また生きてゆく基がなくなるのである。

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 2015年5月28日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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246 《巻22-16 獨酌》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <246> Ⅰ李白詩1496 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6028 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog元結 《舂陵行(并序)-#5》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6065 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog牛嶠《巻四08更漏子三首 其二》『花間集』159全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6067 
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 杜甫詩1500-917-関連-1-5-1384/2500

及地點:棗陽 (山南東道隨州 棗陽) 別名:舂陵     

道州 (江南西道 道州 道州)       

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  

 

 

#3《舂陵行》  元結

軍國多所需,切責在有司。

軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。

有司臨郡縣,刑法競欲施。

かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。

供給豈不憂?征斂又可悲。

こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。

州小經亂亡,遺人實困疲。

着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過に問題があり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。

《舂陵行》

軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。

有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。

供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。

州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。

#4

無十家,大族命單贏。

それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。

朝餐是草根,暮食仍木皮。

朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。

出言氣欲,意速行步遲。

だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!

こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。

郵亭傳急符,來往跡相追。
上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。

#4

大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。

朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。

言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。

追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。

郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。

#5

更無寬大恩,但有迫促期。

すこしも民に対して寛大にするという恩はなく、ただただいつまでに日が迫っているから早くせよと催促するだけである。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

甚しきは銭がなければ命令で児とか娘女でも売りとばさせようというほどの意気ごみをしめせというけれど、こんなことをわたしの口から言葉にだしたら最後すぐにも騒乱がおこるにきまっている。

悉使索其家,而又無生資。

いくら民家のあらゆるものをさがして一切を供出させつくさせたところで、それでは、また生きてゆく基がなくなるのである。

聽彼道路言,怨傷誰複知!

こんな時、人民たちが道路でいかなることを言うていることを聞いてみると、「(税金を払えないから」、罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている」と。ぬ。
それをきくとどんなに彼らが怨み傷んでいるか、その実情を知るものはあるまい。

更に寛大の恩無く、但だ迫促の期有り。

命じて児女をがしめんと欲す、言発せば恐らくは乱随わん。

悉く其の家を索めしむるも、而も又た生資無し。

彼の道路の言を聴くに、怨傷 誰か復た知らん。

#6

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。

所願見王官,撫養以惠慈。

奈何重驅逐,不使存活為!”

安人天子命,符節我所持。

州縣忽亂亡,得罪複是誰?

#7

逋緩違詔令,蒙責固其宜。

前賢重守分,惡以禍福移。

亦雲貴守官,不愛能適時。

顧惟孱弱者,正直當不虧。

何人采國風,吾欲獻此辭。

 

 

元結『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

更無寬大恩,但有迫促期。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

悉使索其家,而又無生資。

聽彼道路言,怨傷誰複知!

(下し文)
更に寛大の恩無く、但だ迫促の期有り。

命じて児女を鬻がしめんと欲す、言発せば恐らくは乱随わん。

悉く其の家を索めしむるも、而も又た生資無し。

彼の道路の言を聴くに、怨傷 誰か復た知らん。

(現代語訳)
すこしも民に対して寛大にするという恩はなく、ただただいつまでに日が迫っているから早くせよと催促するだけである。

甚しきは銭がなければ命令で児とか娘女でも売りとばさせようというほどの意気ごみをしめせというけれど、こんなことをわたしの口から言葉にだしたら最後すぐにも騒乱がおこるにきまっている。

いくら民家のあらゆるものをさがして一切を供出させつくさせたところで、それでは、また生きてゆく基がなくなるのである。

こんな時、人民たちが道路でいかなることを言うていることを聞いてみると、「(税金を払えないから」、罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている」と。ぬ。
それをきくとどんなに彼らが怨み傷んでいるか、その実情を知るものはあるまい。


(訳注) #5

「舂陵行」は、元結が広徳二年(七六四) に刺史としてい道州に着任した時に書かれた作品である。序文と本文は道川の悲惨な状況を具体的に述べてから、官吏として「顧みるに惟れ屏弱の者、正直歯に鷹かざるべし」という決意を明示し、更に、この詩を適して「以達下情」、つまり道川の州民の願いを朝廷や君主に伝えようとする意欲をも表明している。

 

更無寬大恩,但有迫促期。

すこしも民に対して寛大にするという恩はなく、ただただいつまでに日が迫っているから早くせよと催促するだけである。

○追促 せきたててさいそくする。

 

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

甚しきは銭がなければ命令で児とか娘女でも売りとばさせようというほどの意気ごみをしめせというけれど、こんなことをわたしの口から言葉にだしたら最後すぐにも騒乱がおこるにきまっている。

○鬻 【販ぐ】《古くは「ひさく」》売る。商いをする。

○言発 言とは刺史が上司からの命令のことをロにだすことをいう。

○乱随 人民の騒乱がそれについておこる。

 

悉使索其家,而又無生資。

いくら民家のあらゆるものをさがして一切を供出させつくさせたところで、それでは、また生きてゆく基がなくなるのである。

○生資 いきるもとで。

 

聽彼道路言,怨傷誰複知!

こんな時、人民たちが道路でいかなることを言うていることを聞いてみると、「(税金を払えないから」、罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている」と。ぬ。
それをきくとどんなに彼らが怨み傷んでいるか、その実情を知るものはあるまい。

○道路言 人民がみちでいうこと。

元結 《舂陵行(并序)-#4》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6060

元結 《舂陵行》#4  

無十家,大族命單贏。

朝餐是草根,暮食仍木皮。

出言氣欲,意速行步遲。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!

郵亭傳急符,來往跡相追。
こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。

上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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及地點:棗陽 (山南東道隨州 棗陽) 別名:舂陵     

道州 (江南西道 道州 道州)       

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  

 

 

#3《舂陵行》  元結

軍國多所需,切責在有司。

軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。

有司臨郡縣,刑法競欲施。

かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。

供給豈不憂?征斂又可悲。

こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。

州小經亂亡,遺人實困疲。

着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過に問題があり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。

《舂陵行》

軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。

有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。

供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。

州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。

#4

無十家,大族命單贏。

それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。

朝餐是草根,暮食仍木皮。

朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。

出言氣欲,意速行步遲。

だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!

こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。

郵亭傳急符,來往跡相追。
上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。

#4

大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。

朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。

言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。

追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。

郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。

#5

更無寬大恩,但有迫促期。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

悉使索其家,而又無生資。

聽彼道路言,怨傷誰複知!

#6

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。

所願見王官,撫養以惠慈。

奈何重驅逐,不使存活為!”

安人天子命,符節我所持。

州縣忽亂亡,得罪複是誰?

#7

逋緩違詔令,蒙責固其宜。

前賢重守分,惡以禍福移。

亦雲貴守官,不愛能適時。

顧惟孱弱者,正直當不虧。

何人采國風,吾欲獻此辭。

 

 

元結『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

無十家,大族命單贏。

朝餐是草根,暮食仍木皮。

出言氣欲,意速行步遲。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!

郵亭傳急符,來往跡相追。

(下し文) #4

大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。

朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。

言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。

追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。

郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。


(現代語訳)
それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。

朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。

だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。

こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。

上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。


(訳注) #4

「舂陵行」は、元結が広徳二年(七六四) に刺史としてい道州に着任した時に書かれた作品である。序文と本文は道川の悲惨な状況を具体的に述べてから、官吏として「顧みるに惟れ屏弱の者、正直歯に鷹かざるべし」という決意を明示し、更に、この詩を適して「以達下情」、つまり道川の州民の願いを朝廷や君主に伝えようとする意欲をも表明している。

 

無十家,大族命單贏。

それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。

○命單贏 命は生命、単は単薄、人数のすくないこと、贏はつかれやせる。

 

朝餐是草根,暮食仍木皮。

朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。

 

出言氣欲,意速行步遲。

だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。

○出言 ものをいう。

 

追呼尚不忍,況乃鞭撲之

こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。

 

郵亭傳急符,來往跡相追。

上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。

○郵亭 駅伝制の駅亭のこと。交通については、すでに整備されていた馳道を利用し、さらなる補修拡張を行った。そのため、長安を中心とした各地方につながる道路、水路が整備されていった。道路には、30里(約17km)ごとに駅站(駅館、公営の宿)が置かれ、公文書を運ぶ政府の使者や地方へ赴任し、帰ってくる官僚が利用した。駅站の近くには、往々において民間の宿が存在した。宿の名称の最後には、『駅』、『館』、『店』とつくことが多かった。唐全土には1,639もの駅站が存在し、水駅が260、水陸駅が86か所設置されていた。駅站を利用できる政府関係者は、食糧、運送、宿泊が無料であった。また、道路の五里ごとに『里隔柱』という標識が置かれ、十里ごとに別の標識を立てられた。

隋代からの駅伝制度を発達させ、駅站は整備され、役人の宿泊や馬の確保に使われた。一等の駅は馬75頭が置かれていた。関津制度によって、水陸の要所に関所が置かれ、旅人や荷を検分して、商人から税を徴収した。また、商業のための往来するために、商人は「過所」という通行証明書を、中央では尚書省、地方では州で発行してもらい、所持する必要があった。紛失した場合、審査の上で再発行となった。過所に許された経路を通れば、遠距離でも行くことができたが、不正に通関しようとしたものは罰を受けた。また、安史の乱以降は、人の動きが活発化して、藩鎮の州や県で「公験」という通行証明書も発行された。唐代の関津制度は、賦役逃れや誘拐、外敵の潜入を防ぐために厳格であった。唐代後半には、軍事伝達が余りに頻繁となり、駅站が増大して、駅伝制度は崩れていった。

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元結#3《舂陵行》 

軍國多所需,切責在有司。

有司臨郡縣,刑法競欲施。

供給豈不憂?征斂又可悲。

州小經亂亡,遺人實困疲。
軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。

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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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245 《巻18-17 答從弟幼成過西園見贈》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <245> Ⅰ李白詩1501 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6053 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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73 《巻03-16 古意》 (太華峰頭玉井蓮,) 韓愈(韓退之)803年 貞元19年38歳   ()<1388> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ592 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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#1 

癸卯,漫叟授道州刺史。

代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。

道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦

道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,

自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。

皆曰:“失其限者,罪至貶削。”

上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。

2序 -2

於戲!若悉應其命,則州縣破亂,

ああ、もしみんなこの命令どおりにしたらすなわち、州や県は乱破してしまうであろう。

刺史欲焉逃罪;

そうなったら刺史はどこに罪をのがれるか、のがれ場所がないではないか。

若不應命,又即獲罪戾,必不免也。

またもし命令に応ぜねとしたらまたすぐに罪科を得る、きっとそれはのがれられぬことである。

吾將守官,靜以安人,待罪而已。

どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。

此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。

この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。

#1

(癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。道州は四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は税に勝へず。官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。

#2

於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。

刺史くにか罪を逃れんと欲す。

若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。

吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。)

 

 

#3《舂陵行》  元結

軍國多所需,切責在有司。

軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。

有司臨郡縣,刑法競欲施。

かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。

供給豈不憂?征斂又可悲。

こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。

州小經亂亡,遺人實困疲。

着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過にもんだいがあり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。

《舂陵行》

軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。

有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。

供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。

州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。

#4

無十家,大族命單贏。

朝餐是草根,暮食仍木皮。

出言氣欲,意速行步遲。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!

郵亭傳急符,來往跡相追。

#5

更無寬大恩,但有迫促期。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

悉使索其家,而又無生資。

聽彼道路言,怨傷誰複知!

#6

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。

所願見王官,撫養以惠慈。

奈何重驅逐,不使存活為!”

安人天子命,符節我所持。

州縣忽亂亡,得罪複是誰?

#7

逋緩違詔令,蒙責固其宜。

前賢重守分,惡以禍福移。

亦雲貴守官,不愛能適時。

顧惟孱弱者,正直當不虧。

何人采國風,吾欲獻此辭。

 

 

元結『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3《舂陵行》  元結

軍國多所需,切責在有司。

有司臨郡縣,刑法競欲施。

供給豈不憂?征斂又可悲。

州小經亂亡,遺人實困疲。

(下し文)
《舂陵行》

軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。

有司 郡県に臨む、刑法 競〔竟〕いて施さんと欲す。

供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。

州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。

(現代語訳)
軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。

かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。

こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。

着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過にもんだいがあり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。

江南西道図05
(訳注)

#3舂陵行  元結

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)3(本文)-1

〇舂陵 道州の意に用いる。舂陵は漢代の地名で棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵のその故城があったことであるが漢のとき、長抄の定王の子の異というものがここに封ぜられた。元結の「比興体制」手法で今の永州府寧遠県西北にあるをいう。 

 

「舂陵行」は、元結が広徳二年(七六四) に刺史としてい道州に着任した時に書かれた作品である。序文と本文は道川の悲惨な状況を具体的に述べてから、官吏として「顧みるに惟れ屏弱の者、正直歯に鷹かざるべし」という決意を明示し、更に、この詩を適して「以達下情」、つまり道川の州民の願いを朝廷や君主に伝えようとする意欲をも表明している。

《舂陵行》以達下情。 下たる人民の情を上に通達すること。歌による訴えが天子に対して、下民に対しても説得力を持つことはこの時代にも承知されていたことは、「資治通鑑」等にみえる。

「時命三百里刺史、縣令各帥所部音樂集於樓下,各較勝負。懷州刺史以車載樂工數百,皆衣文繡,服箱之牛皆為虎豹犀象之狀。魯山令元德秀惟遣樂工數人,連袂歌于蔿。上曰:「懷州之人,其塗炭乎!」立以刺史為散官。德秀性介潔質樸,士大夫皆服其高」これは開元二十三年(733) の春、正月乙亥、玄宗が三百里内の県令や刺史にその地の歌をうたわせ、勝負を競わせた時の旨である。その時、懐州刺史は多くの楽人を連ねて演じさせたが、元徳秀は数人の楽人に「于鷔」を歌わせた。玄宗はそれを聴くと、懐州の人は塗炭の苦しみをなめているのか、と嘆じ、刺史を散官とした。このことによって元徳秀はますます名を知られることになった、というものである。

 

軍國多所需,切責在有司。

軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。

○軍国 軍事の際の国。

○須 需用物資の調達。

○切責 徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされる。

○有司 かかりの役。

 

有司臨郡縣,刑法競欲施。

かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。

 

供給豈不憂?征斂又可悲。

こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。

○供給 軍需の物をそなえる。

○征斂 税金をとりたてること。

 

州小經亂亡,遺人實困疲。

着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過にもんだいがあり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。

元結 《舂陵行(并序)-#2》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6050

元結  《舂陵行》#2序 -2

於戲!若悉應其命,則州縣破亂,刺史欲焉逃罪;若不應命,又即獲罪戾,必不免也。吾將守官,靜以安人,待罪而已。此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。
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舂陵行  元結

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)
#1 

癸卯,漫叟授道州刺史。

代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。

道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦

道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,

自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。

皆曰:“失其限者,罪至貶削。”

上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。

2序 -2

於戲!若悉應其命,則州縣破亂,

ああ、もしみんなこの命令どおりにしたらすなわち、州や県は乱破してしまうであろう。

刺史欲焉逃罪;

そうなったら刺史はどこに罪をのがれるか、のがれ場所がないではないか。

若不應命,又即獲罪戾,必不免也。

またもし命令に応ぜねとしたらまたすぐに罪科を得る、きっとそれはのがれられぬことである。

吾將守官,靜以安人,待罪而已。

どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。

此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。

この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。

#1

(癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。道州は四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は税に勝へず。官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。

#2

於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。

刺史くにか罪を逃れんと欲す。

若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。

吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。)

 

 

元結『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

2序 -2

於戲!若悉應其命,則州縣破亂,刺史欲焉逃罪;若不應命,又即獲罪戾,必不免也。吾將守官,靜以安人,待罪而已。此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。

(下し文)
於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。

刺史焉くにか罪を逃れんと欲す。

若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。

吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。

此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。

(現代語訳)
ああ、もしみんなこの命令どおりにしたらすなわち、州や県は乱破してしまうであろう。

そうなったら刺史はどこに罪をのがれるか、のがれ場所がないではないか。

またもし命令に応ぜねとしたらまたすぐに罪科を得る、きっとそれはのがれられぬことである。

どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。

この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。



(訳注) 2序 -2

舂陵行  元結

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)#1序 

〇舂陵 道州の意に用いる。舂陵は漢代の地名で棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵のその故城があったことであるが漢のとき、長抄の定王の子の異というものがここに封ぜられた。元結の「比興体制」手法で今の永州府寧遠県西北にあるをいう。 

 

於戲!若悉應其命,則州縣破亂,

ああ、もしみんなこの命令どおりにしたらすなわち、州や県は乱破してしまうであろう。

○破亂 乱破してしまう。

 

刺史欲焉逃罪;

そうなったら刺史はどこに罪をのがれるか、のがれ場所がないではないか。

刺史 1 古代中国の官名。漢代は郡国の監察官。隋・唐代では州の長官。宋代以後廃止された。2 国守(こくしゅ)の唐名。

 

若不應命,又即獲罪戾,必不免也。

またもし命令に応ぜねとしたらまたすぐに罪科を得る、きっとそれはのがれられぬことである。

 

吾將守官,靜以安人,待罪而已。

どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。

守官 罪科を得ることを覚悟して自分の官職を守ってしごとする。

 

此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。

この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。

○達下情 下たる人民の情を上に通達すること。歌による訴えが天子に対して、下民に対しても説得力を持つことはこの時代にも承知されていたことは、「資治通鑑」等にみえる。

「時命三百里刺史、縣令各帥所部音樂集於樓下,各較勝負。懷州刺史以車載樂工數百,皆衣文繡,服箱之牛皆為虎豹犀象之狀。魯山令元德秀惟遣樂工數人,連袂歌于蔿。上曰:「懷州之人,其塗炭乎!」立以刺史為散官。德秀性介潔質樸,士大夫皆服其高」これは開元二十三年(733) の春、正月乙亥、玄宗が三百里内の県令や刺史にその地の歌をうたわせ、勝負を競わせた時の旨である。その時、懐州刺史は多くの楽人を連ねて演じさせたが、元徳秀は数人の楽人に「于鷔」を歌わせた。玄宗はそれを聴くと、懐州の人は塗炭の苦しみをなめているのか、と嘆じ、刺史を散官とした。このことによって元徳秀はますます名を知られることになった、というものである。

元結 《舂陵行(并序)》【5分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6045 杜甫詩1500-916-#1-1380/2500

舂陵行  元結  序  

癸卯,漫叟授道州刺史。道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦。到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,皆曰:“失其限者,罪至貶削。”

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

 

元結 《舂陵行(并序)》【5分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6045 杜甫詩1500-916-1-1380/2500

 

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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244-#4 《巻11-13 陳情贈友人 -#4》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <244-#4> Ⅰ李白詩1499 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6043 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog元結 《舂陵行(并序)》【5分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6045 杜甫詩1500-916-#1-1380/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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杜甫が766年大暦元年55-52

代宗 廣德元年(763):元結〈舂陵行(并序)〉○

元結(謝上表)  

元結(奏免科率状)  

代宗 廣德二年(764):元結〈賊退示官吏(并序)〉○

代宗 大曆二年(766):杜甫〈同元使君舂陵行(有序)〉○

○印はこのブログで訳注解説する。原文はすべてこの紙面に掲載

「舂陵行」は、元結(719721) の代表作とされる有名な作品で、中唐元和時期の新楽府に重大な影響を与えたと目されている。早くは、元結と同時代の大詩人杜甫(712770) が「舂陵行」に対して以下のような高い評価を与えている。

 

杜甫 《1939同元使君舂陵行》

序文

覧道州元使君結「舂陵行」兼「賊退後示官吏作」二首、誌之日、「當天子分憂之地、效漢官良吏之目。今盗賊末息、知民疾苦、得結輩十數公、落落然參錯天下為邦伯、萬物吐気、天下少安可待矣。不意復見比興體制、微婉頓挫之辭、感而有詩、增諸巻軸。

 

(道川元使君結の「舂陵行」と「賊退きて後に官吏に示すの作」との二首を覧て、之を誌して日く、「天子分菱の地に常たり、漢官良吏の目に效ふ。今盗賊未だ息まず、民の疾苦を知るもの、舘のごとき輩十軟公を得て、落落隼として天下に蓼錯せしめ邦伯と為さば、萬物束を吐き、天下少や安からんこと待つべきか。意はざりき復た比興の懐剣、微椀頓挫の詞を見んとは。感じて詩有り、諸を巻軸に増す。」

道州刺史元結の「舂陵行」に和してつくった詩。自分は元結の「舂陵行」と「賊退キシ後官吏二示ス作」との二首を見てそのことについてかきしるす。元結は地方長官として天子の憂いを分担する地位にあたり、むかし漢代の良更などの名目にならって行ないをした。今日盗賊はまだやまぬ、もし民のつらさをよく知っているものが元結のような役人を十数人も得てそれを天下のあちらこちらにまぜて散らばらして長官としておいたならば万物も生気を吐き、天下もすこしは安泰になるであろうことは期待し得る。それのみではない、彼がそのことを「比興体制」手法の詩をつくり、徴娩頓挫の詞を見せてくれたことは意外のことである。自分はそれでこのことについて感じてこの詩をつくって巻軸につけ加えた。そうしてこれを自分の知己によせるのである。必ずしも元結本人に寄せなくともいいつもりである。大暦二年夔州にあっての作。

 

この評価によって、「舂陵行」は元結の作品の中で最も重要なものとなったと考えられる。

では、杜甫が言及した「比興體制」とはいったいどういう意味なのか。そして、「舂陵行」の「比興體制」は、中晩唐楽府、特に元和新楽府にどのような貢献をしたのだろうか。(杜甫 《巻19-39同元使君舂陵行》のブログで見てゆく。 

 

元結 (723年-772526日)中唐の詩人。次山,號漫郎、猗玕子,河南の魯山の人。伝記は同時代の顔真卿の墓碑銘に詳しい。不安な社会相を描いた作品にすぐれ,〈系楽府(けいがふ)〉12首は,白居易らの新楽府運動の先駆となった。そのうち〈舂陵行(しようりようこう)〉はことに有名である。また華美な今体詩を排撃し,古詩を賞揚する目的で《篋中(きようちゆう)集》(760)を編纂した。《元次山文集》10巻が伝わる。

天寶十二載(753年)進士。

 乾元元年(758) 蘇源明、元結を帝に薦む。被任命為左金吾衛兵曹參軍、監察御史。

上元元年(760)年元結《篋中集》を編纂す。

上元二年(761),任山南道節度使參謀,守泌陽,

寶應元年(762年),唐代宗即位後,為著作郎。追贈其父元延祖為左贊善大夫。

廣徳元年763年,出任道州刺史

杜甫が元結を高く評価した《1939同元使君舂陵行》において、元使君結としている。道州刺史元結、使君は刺史の敬称。「新唐書」の元結伝を見てみると次の通り。(節録、元結、河南の人、後魏の常山王遵が十五代の孫なり。字は次山、年十七、学に志し元徳秀に事う。天宝十二載進士に挙げらる。粛宗の時、史思明河陽を攻む、蘇源明、元結を帝に薦む。元結、時議三篇を上る。のち諾官を経、泌陽に屯して十五城を全くせし功を以て監察御史裏行となる。又た山南東道の来瑱が府に参謀たり。代宗立つや辞して武昌の樊上に帰り、著作郎を授けらる。益ます書を著わす。元子・浪士・漫郎・聱叟・漫叟等と号す。久しくして道州刺史を拝す。(刺史の時のことは「舂陵行」詩にみえる。)容管経略使に進む。母の喪にあい罷めて京都に還り卒す。年五十。礼部侍郎を贈らる。道州は湖南永州府に属する。

元結(723年-772526日),字次山,號漫郎、猗玕子,河南魯山人。唐朝進士、官員。

北魏常山王拓跋遵的十二代孫,尚書都官郎中、常山郡公元善禕的玄孫,朝散大夫、褒信令、常山公元仁基的曾孫,霍王府參軍元利貞的孫子,魏成主簿、延唐丞元延祖的兒子。天寶十二載(753年)進士。安史之亂,史思明攻克洛陽,他到長安向唐肅宗上書。被任命為左金吾衛兵曹參軍、監察御史。761年,任山南道節度使參謀,守泌陽,保住了15座城。寶應元年(762年),唐代宗即位後,為著作郎。追贈其父元延祖為左贊善大夫。763年,出任道州刺史,減輕賦,免除徭役。第二年,為容管經略使,幾個月,安定了容管八州。逝世後,追贈禮部侍郎。

二子元以方、元以明。元結有《元次山集》。

 

舂陵行  元結


癸卯,漫叟授道州刺史。道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦。到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,皆曰:“失其限者,罪至貶削。”於戲!若悉應其命,則州縣破亂,刺史欲焉逃罪;若不應命,又即獲罪戾,必不免也。吾將守官,靜以安人,待罪而已。此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。

遭亂髮盡白,轉衰病相嬰。沈綿盜賊際,狼狽江漢行。

歎時藥力薄,為客羸瘵成。吾人詩家秀,博采世上名。

粲粲元道州,前聖畏後生。觀乎舂陵作,見俊哲情。

複覽賊退篇,結也實國楨。賈誼昔流慟,匡衡常引經。

道州憂黎庶,詞氣浩縱橫。兩章對秋月,一字偕華星。

致君唐虞際,純樸憶大庭。何時降璽書,用爾為丹青。

獄訟永衰息,豈唯偃甲兵。淒惻念誅求,薄斂近休明。

乃知正人意,不苟飛長纓。涼飆振南嶽,之子寵若驚。

色阻金印大,興含滄浪清。我多長卿病,日夕思朝廷。

肺枯太甚,漂泊公孫城。呼兒具紙筆,隱幾臨軒楹。

作詩呻吟墨澹字欹傾。感彼危苦詞,庶幾知者聽。

 

謝上表  元結

臣某言:去年九月敕授道州刺史,屬西戎侵軼,至十二月,臣始於鄂州授敕牒,即日赴任。臣州先被西原賊屠陷,節度使已差官攝刺史,兼又聞奏。臣在道路待恩命者三月,臣以五月二十二日到州上訖。耆老見臣,俯伏而泣;官吏見臣,已無菜色。城池井邑,但生荒草;登高極望,不見人煙。嶺南數州,與臣接近,餘寇蟻聚,尚未歸降。臣見招輯流亡,率勸貧弱,保守城邑,畬種山林,冀望秋後,少可全活。臣愚以為今日刺史,若無武略以制暴亂,若無文才以救疲弊,若不清廉以身率下,若不變通以救時須,一州之人不叛,則亂將作矣。豈止一州者乎?臣料今日州縣,堪徵者無幾,已破敗者實多;百姓戀墳墓者蓋少,思流亡者乃。則刺史宜精選謹擇,以委任之,固不可拘限官次,得之貨賄,出之權門者也。凡授刺史,特望陛下一年問其流亡歸複幾何;田疇墾辟幾何,二年問畜養比初年幾倍;可比初年幾倍,三年計其功過,必行賞罰,則人皆不敢冀望僥幸,苟有所求。臣實孱弱,辱陛下符節。陛下必當謹擇,臣固宜廢歸山野,供給井臣不任懇款之至,謹遣某官奉表陳謝以聞

 

奏免科率状  元結

〈當州準敕及租庸等使徵率錢物都計一十三萬六千三百八十八貫八百文〉〈一十三萬二千四百八十貫九百文嶺南西原賊未破州已前〉〈三千九百七貫九百文賊退後徵率〉

以前件如前。臣自到州,見租庸等諸使文牒,令徵前件錢物送納。臣當州被西原賊屠陷,賊停留一月餘日,焚燒糧儲屋宅,俘掠百姓男女,驅殺牛馬老少,一州幾盡。賊散後,百姓歸複,十不存一,資皆無,人心嗷嗷,未有安者。若依諸使期限,臣恐坐見亂亡,今來未敢徵率,伏待進止。又嶺南諸州,寇盜未盡,臣州是嶺北界,守捉處多,若臣州不安,則湖南皆亂。伏望天恩,自州未破以前,百姓久負租,及租庸等使所有徵率,和市雜物,一切放免。自州破以後,除正租、正庸及準格式合進奉徵納者,請據見在徵送,其餘科率,並請放免。容其見在百姓業稍成,逃亡歸複,似可存活,即請依常例處分。伏願陛下以臣所奏下議有司,苟若臣所見愚僻,不合時政,幹亂紀度,事涉虛妄,忝官屍祿,欺上罔下,是臣之罪,合正典刑。謹錄奏聞。

 

元結〈賊退示官吏(并序)〉(搜韻)


癸卯,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。

逢太平,山林二十年。泉源在庭,洞壑當門前。

有常期,日晏猶得眠。忽然遭世變,數親戎旃。

今來典斯郡,山夷又紛然。城小賊不屠,人貧傷可憐。

是以陷鄰境,此州獨見全。使臣將王命,豈不如賊焉。

今彼徵斂者,迫之如火煎。誰能人命,以作時世賢。

思欲委符節,引竿自刺船。將家就魚麥,歸老江湖邊。

 

 

舂陵行  元結

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)
#1 

癸卯,漫叟授道州刺史。

代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。

道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦

道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,

自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。

皆曰:“失其限者,罪至貶削。”

上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。

2序 -2

於戲!若悉應其命,則州縣破亂,刺史欲焉逃罪;若不應命,又即獲罪戾,必不免也。吾將守官,靜以安人,待罪而已。此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。

#1

(癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。道州は四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は税に勝へず。官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。

#2

於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。刺史くにか罪を逃れんと欲す。若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。)

 

 

#3《舂陵行》  元結

軍國多所需,切責在有司。

有司臨郡縣,刑法競欲施。

供給豈不憂?征斂又可悲。

州小經亂亡,遺人實困疲。

#4

無十家,大族命單贏。

朝餐是草根,暮食仍木皮。

出言氣欲,意速行步遲。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!

郵亭傳急符,來往跡相追。

#5

更無寬大恩,但有迫促期。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

悉使索其家,而又無生資。

聽彼道路言,怨傷誰複知!

#6

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。

所願見王官,撫養以惠慈。

奈何重驅逐,不使存活為!”

安人天子命,符節我所持。

州縣忽亂亡,得罪複是誰?

#7

逋緩違詔令,蒙責固其宜。

前賢重守分,惡以禍福移。

亦雲貴守官,不愛能適時。

顧惟孱弱者,正直當不虧。

何人采國風,吾欲獻此辭。

 

 

『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
元結
舂陵行  

#1 

癸卯,漫叟授道州刺史。

道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦

到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,

皆曰:“失其限者,罪至貶削。”


(下し文) #1

癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。

道州は舊四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は賦税に勝へず。

官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。

皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。

(現代語訳)
(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)
代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。

道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。

上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。

山南東道 隨州 棗陽  別名-舂陵02


(訳注)

舂陵行  元結

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)#1序 

〇舂陵 道州の意に用いる。舂陵(n-22)は漢代の地名で棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵のその故城があったことであるが漢のとき、長抄の定王の子の異というものがここに封ぜられた。元結の「比興体制」手法で今の永州府寧遠県西北(下図-3)にあるをいう。 

 

癸卯,漫叟授道州刺史。

代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。

癸卯 代宗の廣德元年(763をいう。

○漫叟 元結の号称。

諸使 刺史の上司である、節度使その他。

 

道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦

道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千に足りなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

○この四句は、騒乱に倚り、住民が逃散したことを言う。戦になれば、危険を感じて、家財道具、一切、扉の類まで、台八車に満載にして持って逃げるので、村は空っぽになる。大抵は、山に逃げる。

 

到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,

自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。

○徴求符牒 人民から税金を徴収する切手やかきつけ。

 

皆曰:“失其限者,罪至貶削。”

上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」というたのである。

○失其限 徴税の期限をあやまるもの、日限までに税をとりたて得ぬもの。

貶削 官職をおとしまたは削り去る。

 江南西道図05

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