杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

杜少陵集 巻二十一

767年-22-#5杜少陵集 《21-05 可歎 #5》 杜甫詩index-15-1142 <1592> 767年大暦2年56歲-22-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7357

杜甫  可歎 #5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。
天も、伝説の義和の四人の者を用いたから天を完成させることができたし、舜より、禅譲を受けた禹は水土をおさめ、人徳の厚い施政を行うことで安寧の世を造ったのである。

王生よ! 君は道を論ずること、三公の如き人物であるけれども、現在、江湖を隔ておるではないか。李生よ! 君は丞・疑としで天子輔佐の役としたら前後に其の人を見ぬほどのものである。

彼らは君を堯舜の地位にのぼらせる人物だから其の名は決して朽ちることはない、それどころか、死んだら星辰にまでもなってあくまでほろびることのない人たちである.

これにくらべると吾が輩は碌碌たる者で、ただ、たらふく飯をたべて、ぶらぶらあるいているにすぎないもので、それで風后・カ牧の様な彼等に期待をかけて、いつもその方へ、ふりむいてながめている次第である。

杜少陵集21-05-#

可 歎  #

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杜甫詩index-15

767年大暦256  22-#

1142 <1592

 

 
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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杜甫詩1500-1142 <1592/2500

年:767年大暦256-22-#5

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州) 別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

李太守はこのごろまで山南道を支配しておられたのであるが、いまでもその地方の人民はこのお方を父母の様に慕っているという。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

自分は王生には早くからお目にかかっているが、彼はたとえば崇高な高山の様なもので、之にくらべると世にいる他のものどもはみな小山ぐらいのものにすぎぬ。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

天も、伝説の義和の四人の者を用いたから天を完成させることができたし、舜より、禅譲を受けた禹は水土をおさめ、人徳の厚い施政を行うことで安寧の世を造ったのである。

王生よ! 君は道を論ずること、三公の如き人物であるけれども、現在、江湖を隔ておるではないか。李生よ! 君は丞・疑としで天子輔佐の役としたら前後に其の人を見ぬほどのものである。

彼らは君を堯舜の地位にのぼらせる人物だから其の名は決して朽ちることはない、それどころか、死んだら星辰にまでもなってあくまでほろびることのない人たちである.

これにくらべると吾が輩は碌碌たる者で、ただ、たらふく飯をたべて、ぶらぶらあるいているにすぎないもので、それで風后・カ牧の様な彼等に期待をかけて、いつもその方へ、ふりむいてながめている次第である。

 

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

#3

豫章の太守 高帝の孫,引きて 賓客と為し敬すること頗る久し。

聞道く 三年 未だ曾て語らず,小心 恐懼 其の口を閉ず と。

太守 之を得て更に疑わず,人生 反覆 看るに亦た醜なり。

#4

明月 瑕無き 豈に容易ならんや,紫氣 鬱鬱として 猶お斗を衝く。

時危くして仗る可きは真に豪俊なり,二人 君側に置くことを得んや否や。

太守 頃者 山南を領し,邦人 之を思いて 父母に比す。

王生には早く曾て顏色を拜し,高山の外は 皆 培塿なり。

#5

用いて羲和を為さば 天の為に成らん,用いて水土を平げば 地の為に厚からん。

王や 論道 江湖を阻つ,李や 丞疑 前後を曠【むな】しくす。

死して星辰と為り 終に滅せず,君を堯舜に致す 焉んぞ肯えて朽ちん。

吾が輩碌は 碌 飯に飽きて行き,風后 力牧 長に 首を回らす。

 

李白の足跡003 

『可歎』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。
(異文)

用為羲和天為成,用平水土地為厚。王也論道阻江湖,李也疑丞曠前後【李也丞凝曠前後】。死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。


(下し文)
#5

用いて羲和を為さば 天の為に成らん,用いて水土を平げば 地の為に厚からん。

王や 論道 江湖を阻つ,李や 丞疑 前後を曠【むな】しくす。

死して星辰と為り 終に滅せず,君を堯舜に致す 焉んぞ肯えて朽ちん。

吾が輩碌は 碌 飯に飽きて行き,風后 力牧 長に 首を回らす。

(現代語訳)
#5

天も、伝説の義和の四人の者を用いたから天を完成させることができたし、舜より、禅譲を受けた禹は水土をおさめ、人徳の厚い施政を行うことで安寧の世を造ったのである。

王生よ! 君は道を論ずること、三公の如き人物であるけれども、現在、江湖を隔ておるではないか。李生よ! 君は丞・疑としで天子輔佐の役としたら前後に其の人を見ぬほどのものである。

彼らは君を堯舜の地位にのぼらせる人物だから其の名は決して朽ちることはない、それどころか、死んだら星辰にまでもなってあくまでほろびることのない人たちである.

これにくらべると吾が輩は碌碌たる者で、ただ、たらふく飯をたべて、ぶらぶらあるいているにすぎないもので、それで風后・カ牧の様な彼等に期待をかけて、いつもその方へ、ふりむいてながめている次第である。


(訳注) #5

可歎 #5

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

天も、伝説の義和の四人の者を用いたから天を完成させることができたし、舜より、禅譲を受けた禹は水土をおさめ、人徳の厚い施政を行うことで安寧の世を造ったのである。

39 用為羲和天為成 伝説の天に仕えた義和の四人の者を用いたから天も完成した。・義和:古代の伝説上の人物で太陽の御者とか太陽を生んだ母といわれる。のちに東南西北のそれぞれの地の天文に関する任務を担当する羲仲 (ぎちゅう) ,羲叔 (ぎしゅく) ,和仲,和叔の4人兄弟の総称であるという説も生れた。神話の女神。帝俊の妻で10個の太陽を産み,毎日産湯をつかわせているという。のち太陽の御者とされ,馬または竜の引く車に太陽を載せて天空をかけるとも。なお,《書経》では非神話化され,羲仲・羲叔・和仲・和叔の4人の総称で,天文をつかさどる官吏。・天為成地平天成世の中が平穏で、天地が治まること。▽「地平」は地の変動がなく、世の中が平穏に治まること。「天成」は天の運行が順調で、万物が栄えることをいう。《尚書、大禹謨》: 帝曰:「!地平天成,六府三事允治,萬世永賴,時乃功。」

40 用平水土地為厚 舜より、禅譲を受けた禹は水土をおさめ、人徳の厚い施政を行うことで安寧の世を造った。・平水土:治水に功があり,舜より禅譲を受けて夏の国を治めたといわれる。《尚書·虞書·舜典》. 帝曰:「!咨禹,汝平水土,惟時懋哉!

 

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

王生よ! 君は道を論ずること、三公の如き人物であるけれども、現在、江湖を隔ておるではないか。李生よ! 君は丞・疑としで天子輔佐の役としたら前後に其の人を見ぬほどのものである。

41 王也論道 王は王季友であり、論道は、治國の大道を論ずることを言う。《尚書・周官篇》「三公論道經邦,燮理陰陽。」(三公は道を論じ邦を經し,燮は陰陽を理す三公は官職の細務を議せず治國の大道を論ずものであり、宰相は森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から国を治めること。

42 阻江湖 長江、洞庭湖を間におくように朝廷から隔離されている状況を言う。

43 李也 李勉のこと。

44 丞疑 古代王者の顧問に備わる官職名。《尚書大傳》「古者天子必有四鄰,前曰疑,後曰丞,左曰輔,右曰弼。」

45 曠前後 前にも後にもその人を見ることはない。

 

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

彼らは君を堯舜の地位にのぼらせる人物だから其の名は決して朽ちることはない、それどころか、死んだら星辰にまでもなってあくまでほろびることのない人たちである.

46 死為星辰 人が死後、昇天して星になったということを言う。《莊子大宗師》「傅得之,以相武丁,奄有天下,乘東維,騎箕尾,而比於列星。

47 致君堯舜 君を堯舜のような地位にいたす。《孟子、中語》「致君堯舜上,再使風俗淳。」

48 焉肯朽 其の名は決して朽ちることはない。

 

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

これにくらべると吾が輩は碌碌たる者で、ただ、たらふく飯をたべて、ぶらぶらあるいているにすぎないもので、それで風后・カ牧の様な彼等に期待をかけて、いつもその方へ、ふりむいてながめている次第である。

49 碌碌 ごろごろとつまらなきさま。

50 飽飯行 ごはんをたらふくたべて、ぶらぶらしてあるいたりする。謙譲用語。

51 風后力牧 黃帝の時の相・将の名、「帝王世紀」にみえる。以て王季友と李勉に比す。

52 長回首 いつもそれにむかってふりむきながめる。理想をそこにおくなり。

 九曲黄河第一湾

 


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767年-22-#4杜少陵集 《21-05 可歎 #4》 杜甫詩index-15-1141 <1591> 767年大暦2年56歲-22-#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7352

杜甫  可歎 #4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。王生早曾拜顏色,高山之外皆培

杜少陵集21-05-#4

可 歎  #4

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7352 

杜甫詩index-15

767年大暦256  22-#4

1141 <1591

 

 

杜甫詩1500-1141 <1591/2500

年:767年大暦256-22-#

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州) 別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

李太守はこのごろまで山南道を支配しておられたのであるが、いまでもその地方の人民はこのお方を父母の様に慕っているという。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

自分は王生には早くからお目にかかっているが、彼はたとえば崇高な高山の様なもので、之にくらべると世にいる他のものどもはみな小山ぐらいのものにすぎぬ。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

#3

豫章の太守 高帝の孫,引きて 賓客と為し敬すること頗る久し。

聞道く 三年 未だ曾て語らず,小心 恐懼 其の口を閉ず と。

太守 之を得て更に疑わず,人生 反覆 看るに亦た醜なり。

#4

明月 瑕無き 豈に容易ならんや,紫氣 鬱鬱として 猶お斗を衝く。

時危くして仗る可きは真に豪俊なり,二人 君側に置くことを得んや否や。

太守 頃者 山南を領し,邦人 之を思いて 父母に比す。

王生には早く曾て顏色を拜し,高山の外は 皆 培塿なり。

安史の乱当時の勢力図 

 

『可歎』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培

(下し文)
#4

明月 瑕無き 豈に容易ならんや,紫氣 鬱鬱として 猶お斗を衝く。

時危くして仗る可きは真に豪俊なり,二人 君側に置くことを得んや否や。

太守 頃者 山南を領し,邦人 之を思いて 父母に比す。

王生には早く曾て顏色を拜し,高山の外は 皆 培塿なり
 

(現代語訳)
#4

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

今日のように不安の時世でたよりにすべきものは真に豪俊の人物だ。王と李の二人の如きは、これを天子のおそばに置くことができるかどうか。

李太守はこのごろまで山南道を支配しておられたのであるが、いまでもその地方の人民はこのお方を父母の様に慕っているという。

自分は王生には早くからお目にかかっているが、彼はたとえば崇高な高山の様なもので、之にくらべると世にいる他のものどもはみな小山ぐらいのものにすぎぬ。


(訳注) #4

可歎 #4

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。【明月無瑕:即指季友為妻所棄事。】

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

28 明月無瑕 明月は真珠であり、瑕はこれについた傷。即ち王季友が妻事を棄つる所を為すを指す。

29 紫気一句 酆城雷煥が剣の故事、雷煥は、それは宝剣の神光が天に当たっているのだと答えた。果たしてその通り、該当地の地中深くから石の箱が現れ、龍泉、太阿の宝剣が見つかった)という故事による。

《巻八24所思》

鄭老身仍竄、台州信始傳。

爲農山澗曲、臥病海雲邊。

世己疎儒素、人猶乞酒錢。

徒勞望牛斗、無計屬龍泉。

〔原注〕(台州司戸塵の消息を得たり。)

鄭老身仍お竄ざんせらる 台州 信始めて伝う

農と為る山澗かんの曲くま 病に臥す海雲の辺

世己に儒素を疎んず 人猶お酒銭を乞う

徒に牛斗を望むに労す 竜泉を屬しょくするに計無し

鄭虔先生は、その身は今なお左遷されたままであり、その台州からの便りがこのたび始めて自分のところへ伝えられてきた。

それによると、先生は山間の分水嶺(峠)で農耕作をされているが、雲海のうかぶあたりに病に臥しているとのことである。

世間の人々は先生のような質素でじみな行いの儒者を敬遠するものであるが、いまだに先生に酒銭をあたえてくれる人はあるのである。

わたしは、いたずらに北から南の空の牽牛星あたりをながめているばかりで、故事にある、雷煥が「龍泉」剣を地下からほりだしたように先生を救ってあげる手立てはもっていないので、なげかわしいことだとおもっている。

秦州抒情詩(26) 所思 杜甫 <311> 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1400 杜甫詩 700- 431

むかし欧冶子がつくった三本の鉄剣の一つの名、もと竜淵という、唐は淵の字を諱名とするため泉の字にかえた、竜泉は単に剣の代わりとして用いる。牛斗・竜泉の二句は雷煥(孔章)が牛斗を射る剣気を見て豊城の獄で剣をはほりだした故事を用いている。
《巻八09 蕃剣》詩
致此自僻遠,又非珠玉裝。如何有奇怪,每夜吐光芒。
虎氣必騰上,龍身寧久藏。風塵苦未息,持汝奉明王。
此を致すは僻遠【へきえん】よりす、又た珠玉【しゅぎょく】の装に非ず。
如何【いかん】ぞ奇怪【きかい】有りて、毎夜光芒【こうぼう】を吐く。
虎気【こき】必ず騰上【とうじょう】せん、竜身【りょうしん】寧ぞ久しく蔵せんや。
風塵未だ息【や】まざるに苦しむ、汝を持して明王に奉ぜん。
この剱を手に入れたのは、遠い異国からである、また真珠や玉のかざりなどが施してあるものではない。

けれどもどうしてなのかふしぎなことがあるのだ、毎晩剣の切っ先からキラッとした光を吐きだすのである。
必ずや剣気である虎気はうえの方へとたちのぼりあらわれるものだ。剣身で竜に化身する竜身はどうしていつまでもかくされたままでいることができるというのか。
わたしは安禄山の叛乱以来の兵乱の風塵のいまだ収まらないことに苦々しく思っている。この剣である汝を明王にささげ、乱れきった風塵をしずめていただきたいとおもうのである。

○奇怪 あやしいこと。○光芒 剣の切っ先からキラッとした光。芒は剣の切っ先。
○虎気 剣気をいう、「呉越春秋」に呉王闔閭が死んだ時、愛用の剣を棺に入れて葬った時、三日目に白虎がそのうえにうずくまっていたのにより、その地を虎邱というとの話。剣を愛した父・闔閭のために息子の夫差(フサ)は3000本の剣を埋めたと言われる「剣池」は、秦の始皇帝や孫権がその剣を探し求めて掘られたと伝えられている。○竜身 「予章記」に張公両竜剣 竜泉、太阿という二つの宝剣が、豫章と豐城とで出土し、晋の張華と雷煥の二人が、おのおのその一刀を待った。雷煥の子が瀬を渡ろうとした時、腰の剣が踊りだし、水に入り竜に化したという。
秦州抒情詩(23) 蕃剣 杜甫 <308> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1391 杜甫詩 700- 428

 

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

今日のように不安の時世でたよりにすべきものは真に豪俊の人物だ。王と李の二人の如きは、これを天子のおそばに置くことができるかどうか。

30 可仗 頼るべきであることを言う。

31 豪俊 豪と俊の人物像を言う。

32 二人 李勉と王と。

33 得置君側否 李勉は大暦二年四月に入朝して京兆尹に拝したり。比の詩句によれば未だ京兆尹に拝せられざりし以前の作なるを推知すべし。

 

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

李太守はこのごろまで山南道を支配しておられたのであるが、いまでもその地方の人民はこのお方を父母の様に慕っているという。

34 頃者嶺山南 李勉は粛宗の寶應の初、梁州刺史・山南西道観察使となれり。

35 邦人 山南即ち蜀地の人民。

 

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

自分は王生には早くからお目にかかっているが、彼はたとえば崇高な高山の様なもので、之にくらべると世にいる他のものどもはみな小山ぐらいのものにすぎぬ。

36 王生早曾拜顏色 作者、王生に於て早く曾て其の顔色か拝せしをいう。王生が李の顔か拝せしというにはあらず。

37 高山 王季友を比す。

38 培塿 小土山をいい、他の小人物に此すことをいう。『孟子』尽心上、「揚子法言」学行篇に、孔子が泰山に登って天下を小としたとあるが、儒教の型にはまって、結局他人と同じようにするせこせこした部分を批判し、もっと自然にすべきであると説いていることを示す。

杜甫《巻一02望嶽》

岱宗夫如何,齊魯青未了。

造化鍾神秀,陰陽割昏曉。

盪胸生曾雲,決眥入歸鳥。

會當凌絶頂,一覽衆山小。

(嶽を望む)   

岱宗たいそう 夫それ如何いかん,齊魯せい  靑  未まだ了らず。

造化は 神秀を鐘あつめ,陰陽は 昏曉を割わかつ。

胸を盪とどろかせば 層雲 生じ,眥まなじりを決すれば 歸鳥 入る。

會かならず當まさに 絶頂を凌しのぎて,一覽すべし 衆山の小なるを。

荘厳である泰山という山は一体いかなる山であるかといえば、斉のくに魯のくにまではてしなくその山の尊き青さが終わりはしないのだ。 

自然界の万物のつくり主が神秀の「気」をあつめている神山である、「陰」と「陽」の気を分け、南北とに分け、太陽と月の役割を分け、そして昼と夜とを分割しているのだ。

雲が次々と重なって湧きたつとわがこころのたかまりは最高潮になる、心に響くものが胸に迫り悟りの境地で目が張り裂けそうになり、悟り心は山に帰りゆく鳥のように心の奥まで入ってきた。

このような心境になれたからにはいつか必ずやこの山の最頂上によじのぼり、足もとにみえる山々のよう「我も我もと往きたるは小人の常」の気持ちを見下していく。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

 

可歎 【字解】

 

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

2 白衣 しろきころも。

3 斯須 須臾・少選などおなじ、しばらくの意。

4 蒼狗 ごましお柄の犬。

5 共一時 一時は同時、時か異にせざるをいう、古今の異なきがごとくなるをいう。 

6 無不有 なんでもある。

7 抉眼去其夫 其の夫を去ることを“眼を抉る”が如くなるをいう。趙注に云う、「東北の人の方言に、見ることを喜ばざるものを、つねに抉眼という」と。去とは棄て去ること、自ら家出せしなり。抉眼去夫の主語は次句の女兒。

8 河東女兒身姓柳 河東は、山西の地、柳氏は河東の名族なり。女兒は女子、身姓は姓。

9 丈夫 柳女の夫の王季友をさしつつも、同様の世上の男子のことである。

10 正色 まがおになる。

11 動引經 王季友の妻の家出を、世に同様に家出したことを、經書の文句を引用して、これを非難するものである。

12 酆城客子 王季友が現在の江西省宜春市に位置する県級市に客寓していたことをいう。

13 王季友 『全唐詩』 に、王季友,河南の人。家,貧しくして履を売る。博,群書を極む。予章太守李勉,引きて賓客と為し,甚だ之を敬ふ。詩十一首。『唐才子伝』には、季友,河南の人なり。書を誦すこと万巻。論ずるに必ず経を引く。家貧にして屐を売る。好事者,多く酒を携へて之に就く。其の妻柳氏,季友の窮醜を疾にくみて去らしむ。客として鄷城に来るや,洪州刺史李公,一見して傾敬し,即ち引きて幕府を佐たすけしむ。詩に工たくみにして性は磊落不羈,奇を愛して険を務む。遠く常情の外に出づ。白首短褐,崎嶇たる士林。傷いたましき哉,貧や。嘗て詩に云ふ有り,「自ら耕し自から刈りて食ふを天と為す 鹿の如く麋の如く野泉を飲む 亦た知る,世上の公卿貴 且しばらく養はん,邱中草木の年」と。其の山水に志すことの篤きを観ん。性は風疎に遠く,情は雲上に逸すと謂ふ可し。集有り,世に伝ふ。

王季友(714311日-7941218日,名徽,字季友,號雲峰居士,洪州南昌人,祖籍河南洛阳,生于豫章湖之王季友之父王儀曾任丹陽太守,后迁居豫章湖畔。王季友幼年家道破落,遂與其兄一同遷至豐城雲嶺定居,並用功讀書。杜甫對其的描述為“豐城客子王季友,群書萬卷常暗誦,《孝經》一通看在手……明月無暇豈容易,紫氣鬱郁猶沖斗。”(《杜甫詩集》卷七》)。王季友在22時便考中狀元,並任御史治書。但因厭倦時政,無意與李林甫之輩為伍,王季友不久後返回到豐城,在株山下的龍澤智度寺設帳授徒,開始了長達二十多年的隱居生活。隱居期間,王季友著有《龍澤遺稿》、《四書要注》、《六經通義》等作。名氣亦響喝當時,杜甫、錢起、郎士元等人都與其有唱和之作。杜甫作詩評價王季友為“道阻江湖,期以致君堯舜,不但工詩而已。”王季友去世時享壽81年,安葬于龍澤智度寺。其逝世後的第年,被封為「豫章伯」。其墓的遺址在今株山林場附近。

14 一通 一冊の本

15 孝經 中国の経書のひとつ。曽子の門人が孔子の言動をしるしたという。十三経のひとつ。 孝の大体を述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を細説し、そして孝道の用を説く。

16 屐 【げき】木製のはきもの。下駄。

17 好事 好事者。ものずき。

18 為攜酒 班固- 《漢書-卷八十七下揚雄傳》顏師古注「揚雄、知奇字、時有好事者載酒肴從游學」

19 豫章太守 豫章は郡の名、南昌をいう。太守は郡の長官、これは李勉をさす。

20 豫章郡は,漢書に但し “高帝置”と 云う。周振鶴は是れを高帝初年 廬江郡を分けて所置するを為しと認む。高帝五年(前202年)以て英布し、淮南王を,淮南國に置き,衡山、九江(包括後來的六安國)、廬江、豫章四郡を領すると為す。

因みに謝靈運に《豫章行》「短生旅長世,恒覺白日欹。覽鏡睨容,華顏豈期。無廻戈術,坐觀落崦。」(短生にして長世に旅し,恒に白日 欹【かたぶ】くを覺ゆ。鏡を覽りて容を睨【にら】み,華顏【かがん】豈に期ならん。【いや】しくも廻戈の術無くんば,坐【そぞ】ろに崦【えんじ】に落つを觀ん。)とある。豫章行 謝霊運(康楽) 詩<71>Ⅱ李白に影響を与えた詩494 kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ1299

21 高帝孫 唐の高祖李淵の末裔である李勉を言う。李勉は唐の高祖の13男子、鄭恵王元懿の曾孫である。その系統は、鄭恵王元懿の子が琳、琳の子が擇言、擇言の子が勉であるということである。

22 引為賓客 王季友を引くということ。

23 三年 李勉の在職期間を言う。李勉は河南尹を歴て、廣徳二年九月洪州(南昌)刺史張鎬の卒したことで其の後を継いでこれより大暦二年まで凡そ三年職務に就いた。

24 未曾語 妻が夫の王季友を棄てたことを一言も話さないこと。

25 小心恐懼閉其口 謹慎して口をとじているということ。

26 得之 太守李勉が王季友という人物を得たこと。

27 人生反覆看亦醜 これは、一般人情の常態をあげて太守の確信不疑を反映せしめることの意。

767年-22-#3杜少陵集 《21-05 可歎 #3》 杜甫詩index-15-1140 <1590> 767年大暦2年56歲-22-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7347

杜甫  可歎 #3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。
それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。 

杜少陵集21-05-#3

可 歎  #3

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7347 

杜甫詩index-15

767年大暦256 22-#3

1140 <1590

 

 
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-22-#3杜少陵集 《21-05 可歎 #3》 杜甫詩index-15-1140 <1590> 767年大暦2年56歲-22-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7347  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:767年大暦256-22-#1

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州) 別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

 

楚州001 

『可歎』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

(下し文)
#3

豫章の太守 高帝の孫,引きて 賓客と為し敬すること頗る久し。

聞道く 三年 未だ曾て語らず,小心 恐懼 其の口を閉ず と。

太守 之を得て更に疑わず,人生 反覆 看るに亦た醜なり。

(現代語訳)
#3

それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。

きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。

太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。


(訳注) #3

可歎 #3

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。

19 豫章太守 豫章は郡の名、南昌をいう。太守は郡の長官、これは李勉をさす。

20 豫章郡は,漢書に但し “高帝置”と 云う。周振鶴は是れを高帝初年 廬江郡を分けて所置するを為しと認む。高帝五年(前202年)以て英布し、淮南王を,淮南國に置き,衡山、九江(包括後來的六安國)、廬江、豫章四郡を領すると為す。

因みに謝靈運に《豫章行》「短生旅長世,恒覺白日欹。覽鏡睨容,華顏豈期。無廻戈術,坐觀落崦。」(短生にして長世に旅し,恒に白日 欹【かたぶ】くを覺ゆ。鏡を覽りて容を睨【にら】み,華顏【かがん】豈に期ならん。【いや】しくも廻戈の術無くんば,坐【そぞ】ろに崦【えんじ】に落つを觀ん。)とある。豫章行 謝霊運(康楽) 詩<71>Ⅱ李白に影響を与えた詩494 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1299

21 高帝孫 唐の高祖李淵の末裔である李勉を言う。李勉は唐の高祖の13男子、鄭恵王元懿の曾孫である。その系統は、鄭恵王元懿の子が琳、琳の子が擇言、擇言の子が勉であるということである。

22 引為賓客 王季友を引くということ。

 

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。

23 三年 李勉の在職期間を言う。李勉は河南尹を歴て、廣徳二年九月洪州(南昌)刺史張鎬の卒したことで其の後を継いでこれより大暦二年まで凡そ三年職務に就いた。

24 未曾語 妻が夫の王季友を棄てたことを一言も話さないこと。

25 小心恐懼閉其口 謹慎して口をとじているということ。

 

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。

26 得之 太守李勉が王季友という人物を得たこと。

27 人生反覆看亦醜 これは、一般人情の常態をあげて太守の確信不疑を反映せしめることの意。

李白の足跡003 

 

可歎 【字解】

 

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

2 白衣 しろきころも。

3 斯須 須臾・少選などおなじ、しばらくの意。

4 蒼狗 ごましお柄の犬。

5 共一時 一時は同時、時か異にせざるをいう、古今の異なきがごとくなるをいう。 

6 無不有 なんでもある。

7 抉眼去其夫 其の夫を去ることを“眼を抉る”が如くなるをいう。趙注に云う、「東北の人の方言に、見ることを喜ばざるものを、つねに抉眼という」と。去とは棄て去ること、自ら家出せしなり。抉眼去夫の主語は次句の女兒。

8 河東女兒身姓柳 河東は、山西の地、柳氏は河東の名族なり。女兒は女子、身姓は姓。

9 丈夫 柳女の夫の王季友をさしつつも、同様の世上の男子のことである。

10 正色 まがおになる。

11 動引經 王季友の妻の家出を、世に同様に家出したことを、經書の文句を引用して、これを非難するものである。

12 酆城客子 王季友が現在の江西省宜春市に位置する県級市に客寓していたことをいう。

13 王季友 『全唐詩』 に、王季友,河南の人。家,貧しくして履を売る。博,群書を極む。予章太守李勉,引きて賓客と為し,甚だ之を敬ふ。詩十一首。『唐才子伝』には、季友,河南の人なり。書を誦すこと万巻。論ずるに必ず経を引く。家貧にして屐を売る。好事者,多く酒を携へて之に就く。其の妻柳氏,季友の窮醜を疾にくみて去らしむ。客として鄷城に来るや,洪州刺史李公,一見して傾敬し,即ち引きて幕府を佐たすけしむ。詩に工たくみにして性は磊落不羈,奇を愛して険を務む。遠く常情の外に出づ。白首短褐,崎嶇たる士林。傷いたましき哉,貧や。嘗て詩に云ふ有り,「自ら耕し自から刈りて食ふを天と為す 鹿の如く麋の如く野泉を飲む 亦た知る,世上の公卿貴 且しばらく養はん,邱中草木の年」と。其の山水に志すことの篤きを観ん。性は風疎に遠く,情は雲上に逸すと謂ふ可し。集有り,世に伝ふ。

王季友(714311日-7941218日,名徽,字季友,號雲峰居士,洪州南昌人,祖籍河南洛阳,生于豫章湖之王季友之父王儀曾任丹陽太守,后迁居豫章湖畔。王季友幼年家道破落,遂與其兄一同遷至豐城雲嶺定居,並用功讀書。杜甫對其的描述為“豐城客子王季友,群書萬卷常暗誦,《孝經》一通看在手……明月無暇豈容易,紫氣鬱郁猶沖斗。”(《杜甫詩集》卷七》)。王季友在22時便考中狀元,並任御史治書。但因厭倦時政,無意與李林甫之輩為伍,王季友不久後返回到豐城,在株山下的龍澤智度寺設帳授徒,開始了長達二十多年的隱居生活。隱居期間,王季友著有《龍澤遺稿》、《四書要注》、《六經通義》等作。名氣亦響喝當時,杜甫、錢起、郎士元等人都與其有唱和之作。杜甫作詩評價王季友為“道阻江湖,期以致君堯舜,不但工詩而已。”王季友去世時享壽81年,安葬于龍澤智度寺。其逝世後的第年,被封為「豫章伯」。其墓的遺址在今株山林場附近。

14 一通 一冊の本

15 孝經 中国の経書のひとつ。曽子の門人が孔子の言動をしるしたという。十三経のひとつ。 孝の大体を述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を細説し、そして孝道の用を説く。

16 屐 【げき】木製のはきもの。下駄。

17 好事 好事者。ものずき。

18 為攜酒 班固- 《漢書-卷八十七下揚雄傳》顏師古注「揚雄、知奇字、時有好事者載酒肴從游學」

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杜甫  可歎 #2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。
このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

杜少陵集21-05-#2

可 歎  #2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7342 

杜甫詩index-15-

767年大暦256  22-#2

1139 <1589

 

 
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杜甫詩1500-1136-1586/2500

年:767年大暦256-22-#1

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州) 別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

安史の乱当時の勢力図 

 

『可歎』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

(下し文)
#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

(現代語訳)
#2

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。


(訳注) #2

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

9 丈夫 柳女の夫の王季友をさしつつも、同様の世上の男子のことである。

10 正色 まがおになる。

11 動引經 王季友の妻の家出を、世に同様に家出したことを、經書の文句を引用して、これを非難するものである。

12 酆城客子 王季友が現在の江西省宜春市に位置する県級市に客寓していたことをいう。

13 王季友 『全唐詩』 に、王季友,河南の人。家,貧しくして履を売る。博,群書を極む。予章太守李勉,引きて賓客と為し,甚だ之を敬ふ。詩十一首。『唐才子伝』には、季友,河南の人なり。書を誦すこと万巻。論ずるに必ず経を引く。家貧にして屐を売る。好事者,多く酒を携へて之に就く。其の妻柳氏,季友の窮醜を疾にくみて去らしむ。客として鄷城に来るや,洪州刺史李公,一見して傾敬し,即ち引きて幕府を佐たすけしむ。詩に工たくみにして性は磊落不羈,奇を愛して険を務む。遠く常情の外に出づ。白首短褐,崎嶇たる士林。傷いたましき哉,貧や。嘗て詩に云ふ有り,「自ら耕し自から刈りて食ふを天と為す 鹿の如く麋の如く野泉を飲む 亦た知る,世上の公卿貴 且しばらく養はん,邱中草木の年」と。其の山水に志すことの篤きを観ん。性は風疎に遠く,情は雲上に逸すと謂ふ可し。集有り,世に伝ふ。

王季友(714311日-7941218日,名徽,字季友,號雲峰居士,洪州南昌人,祖籍河南洛阳,生于豫章湖之王季友之父王儀曾任丹陽太守,后迁居豫章湖畔。王季友幼年家道破落,遂與其兄一同遷至豐城雲嶺定居,並用功讀書。杜甫對其的描述為“豐城客子王季友,群書萬卷常暗誦,《孝經》一通看在手……明月無暇豈容易,紫氣鬱郁猶沖斗。”(《杜甫詩集》卷七》)。王季友在22時便考中狀元,並任御史治書。但因厭倦時政,無意與李林甫之輩為伍,王季友不久後返回到豐城,在株山下的龍澤智度寺設帳授徒,開始了長達二十多年的隱居生活。隱居期間,王季友著有《龍澤遺稿》、《四書要注》、《六經通義》等作。名氣亦響喝當時,杜甫、錢起、郎士元等人都與其有唱和之作。杜甫作詩評價王季友為“道阻江湖,期以致君堯舜,不但工詩而已。”王季友去世時享壽81年,安葬于龍澤智度寺。其逝世後的第年,被封為「豫章伯」。其墓的遺址在今株山林場附近。

 

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

14 一通 一冊の本

15 孝經 中国の経書のひとつ。曽子の門人が孔子の言動をしるしたという。十三経のひとつ。 孝の大体を述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を細説し、そして孝道の用を説く。

 

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

16 屐 【げき】木製のはきもの。下駄。

17 好事 好事者。ものずき。

18 為攜酒 班固- 《漢書-卷八十七下揚雄傳》顏師古注「揚雄、知奇字、時有好事者載酒肴從游學」

李白の足跡0000 

可歎 【字解】

 

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

2 白衣 しろきころも。

3 斯須 須臾・少選などおなじ、しばらくの意。

4 蒼狗 ごましお柄の犬。

5 共一時 一時は同時、時か異にせざるをいう、古今の異なきがごとくなるをいう。 

6 無不有 なんでもある。

7 抉眼去其夫 其の夫を去ることを“眼を抉る”が如くなるをいう。趙注に云う、「東北の人の方言に、見ることを喜ばざるものを、つねに抉眼という」と。去とは棄て去ること、自ら家出せしなり。抉眼去夫の主語は次句の女兒。

8 河東女兒身姓柳 河東は、山西の地、柳氏は河東の名族なり。女兒は女子、身姓は姓。

767年-22-#1杜少陵集 《21-05 可歎 #1》 杜甫詩index-15-1136 <1586> 767年大暦2年56歲-22-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7327 

杜甫  可歎 #1

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。古往今來共一時,人生萬事無不有。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

杜少陵集21-05-#1

可 歎  #1

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1136 <1586

 

 
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杜甫詩1500-1136-1586/2500

年:767年大暦256-22-#1

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州) 別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

 

安史の乱当時の勢力図 

『可歎』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

可歎 #1

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。


(下し文)
(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

(現代語訳)
可歎 #1(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。


(訳注)

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

2 白衣 しろきころも。

3 斯須 須臾・少選などおなじ、しばらくの意。

4 蒼狗 ごましお柄の犬。

 

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

5 共一時 一時は同時、時か異にせざるをいう、古今の異なきがごとくなるをいう。 

6 無不有 なんでもある。

 

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

7 抉眼去其夫 其の夫を去ることを“眼を抉る”が如くなるをいう。趙注に云う、「東北の人の方言に、見ることを喜ばざるものを、つねに抉眼という」と。去とは棄て去ること、自ら家出せしなり。抉眼去夫の主語は次句の女兒。

8 河東女兒身姓柳 河東は、山西の地、柳氏は河東の名族なり。女兒は女子、身姓は姓。8世紀唐と周辺国00

766年-96杜甫 《2112白帝樓》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-96 <959> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6430

杜甫  白帝樓  

漠漠虛無裡,連連睥睨侵。樓光去日遠,峽影入江深。

臘破思端綺,春歸待一金。去年梅柳意,還欲攪邊心。

(白帝城の楼閣をのぞんで感じるところを述べる。)

漠々と広がった太虚の空に向って、あくまでも引き続いて城の牆が突っ込んでいる。城楼の光は長江の水面に光る日の輝きからはよほどとおくたかいところにあるし、地形の裂けたような峡谷の影は、ずんと深く、江水の底へ差し込んでいる。十二月もかれこれ終わろうとしているから、せめて、一旦の綵絹が欲しいが、春になれば、この三峡の峡谷を出て、故郷に帰りたいから一万銭ほど手に入らないかと待っているところである。去年の春は、梅、柳を見ていてこの地を出そこなってしまったが、今度もまた、そうなりはしないかと、あの時の心持が、かき乱そうとする。

766-96杜甫 2112白帝樓》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-96 <959 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6430 杜甫詩1500-959-1457/2500

 

 
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年:766年大暦元年55-96

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    白帝樓

作地點:              目前尚無資料

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

 

 

白帝樓

(白帝城の楼閣をのぞんで感じるところを述べる。)

漠漠虛無裡,連連睥睨侵。

漠々と広がった太虚の空に向って、あくまでも引き続いて城の牆が突っ込んでいる。

樓光去日遠,峽影入江深。

城楼の光は長江の水面に光る日の輝きからはよほどとおくたかいところにあるし、地形の裂けたような峡谷の影は、ずんと深く、江水の底へ差し込んでいる。

臘破思端綺,春歸待一金。

十二月もかれこれ終わろうとしているから、せめて、一旦の綵絹が欲しいが、春になれば、この三峡の峡谷を出て、故郷に帰りたいから一万銭ほど手に入らないかと待っているところである。

去年梅柳意,還欲攪邊心。

去年の春は、梅、柳を見ていてこの地を出そこなってしまったが、今度もまた、そうなりはしないかと、あの時の心持が、かき乱そうとする。

 

(白帝樓)

漠漠たる虛無の裡,連連として睥睨 侵す。

樓光 日を去ること遠く,峽影 江に入ること深し。

臘破れて 端綺を思い,春歸らんとするには 一金を待つ。

去年の梅柳の意,還た邊心を攪せんと欲す。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『白帝樓』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白帝樓

漠漠虛無裡,連連睥睨侵。

樓光去日遠,峽影入江深。

臘破思端綺,春歸待一金。

去年梅柳意,還欲攪邊心。


(下し文)
(
白帝樓)

漠漠たる虛無の裡,連連として睥睨 侵す。

樓光 日を去ること遠く,峽影 江に入ること深し。

臘破れて 端綺を思い,春歸らんとするには 一金を待つ。

去年の梅柳の意,還た邊心を攪せんと欲す。

(現代語訳)
(白帝城の楼閣をのぞんで感じるところを述べる。)

漠々と広がった太虚の空に向って、あくまでも引き続いて城の牆が突っ込んでいる。

城楼の光は長江の水面に光る日の輝きからはよほどとおくたかいところにあるし、地形の裂けたような峡谷の影は、ずんと深く、江水の底へ差し込んでいる。

十二月もかれこれ終わろうとしているから、せめて、一旦の綵絹が欲しいが、春になれば、この三峡の峡谷を出て、故郷に帰りたいから一万銭ほど手に入らないかと待っているところである。

去年の春は、梅、柳を見ていてこの地を出そこなってしまったが、今度もまた、そうなりはしないかと、あの時の心持が、かき乱そうとする。


(訳注)

白帝樓

(白帝城の楼閣をのぞんで感じるところを述べる。)

○白帝城 夔州奉節県の東に在る、前漢の末、公孫述が築いたもの、或はいう、述が漢の士運を承けるものとして白帝と名づけたと。或は日う、殿前の井戸より白竃が出たので山を白帝山、城を白帝城というと。「刑国図経」にいう、白帝城は西、大江に臨み、東南高さ二百丈、西北高さ一千丈なりと。「水経注」にいう、白帝山城は周回二百八十歩、北は馬嶺に縁り、赤岬山に接す、其の問の平処、南北相い去ること八十五丈、東西七十丈、又東、譲渓に傍うて以て陸となす、西南、大江に臨む、之を轍すれば目を眩せしむ。唯だ馬嶺はすこしくやや透通たるも猶お山を斬りて路と為し、羊腸しばしば転じて然るのちのぼることを得、と。

 

漠漠虛無裡,連連睥睨侵。

漠々と広がった太虚の空に向って、あくまでも引き続いて城の牆が突っ込んでいる。

漠漠 広がっている状況をいう。

虛無裡 太虚の空に向うこと。

連連 つづくさまをいう。

睥睨侵 睥睨は城の牆をいい、それがそらに突っ込んでいるようであることをいう。

 

樓光去日遠,峽影入江深。

城楼の光は長江の水面に光る日の輝きからはよほどとおくたかいところにあるし、地形の裂けたような峡谷の影は、ずんと深く、江水の底へ差し込んでいる。

去日遠 長江の水面に光る日の輝きからはよほどとおくたかいところにあるということ。

峽影 地形の裂けたような峡谷の影。

 

臘破思端綺,春歸待一金。

十二月もかれこれ終わろうとしているから、せめて、一旦の綵絹が欲しいが、春になれば、この三峡の峡谷を出て、故郷に帰りたいから一万銭ほど手に入らないかと待っているところである。

臘破 十二月もかれこれ終わろうとしていることをいう。

思端綺 《古詩十九首之第十八首》「客從遠方來,遺我一端綺。」(客遠方より乗り、我に一端の綺を遣る。)遠方から訪ねて来た客が、わたしに一反のあやぎぬを届けてくれた。” に基づいたもの。

春歸 故郷に帰りたいということ。

一金 一万銭を旅費に当てたいということ。援助を恃みたい時の当時の常套語。

 

 

去年梅柳意,還欲攪邊心。

去年の春は、梅、柳を見ていてこの地を出そこなってしまったが、今度もまた、そうなりはしないかと、あの時の心持が、かき乱そうとする。

梅柳意 去年の春は、梅、柳を見ていてこの地を出そこなってしまったことで、出なくてもよいという心持のこと。

攪邊心 そうなりはしないかと、あの時の心持が、かき乱そうとする心持をいう。

三峡 巫山十二峰001 

 

 

2113白帝城樓》五言律詩

白帝城樓

江度寒山閣,城高塞樓。翠屏宜晚對,白谷會深遊。

急急能鳴雁,輕輕不下鷗。彝陵春色起,漸擬放扁舟。

(白帝城楼を臨んで詠んだ詩)

自分の寒山の閣の処を長江の流れが通る。絶塞の楼があって城は高い所にある。あの城楼のある翠屏の様な崖には晩方に対するのが一番いい時であり、この白谷は奥の方に入りこんで、遊ぶのが自分の考えである。みればよく鳴く雁は、せわしげに啼いているし、身軽げなカモメは、飛び立ちながらなかなか波面に降りようとしない。彝陵の方では、春景色が始まったであろう。自分もしだいに扁舟でもって出帆する準備をしようと思うのである。

(白帝城樓)

江度る 寒山の閣,城高くして 塞の樓。

翠屏  對するに宜し,白谷 會らず 深遊すべし。

急急 能鳴の雁,輕輕 下らざる

彝陵 春色起り,漸やく 扁舟を放たんと擬す。

 

1566白帝》七言律詩

白帝

白帝城中雲出門,白帝城下雨翻盆。

高江急峽雷霆鬥,翠木蒼藤日月昏。

戎馬不如歸馬逸,千家今有百家存。

哀哀寡婦誅求盡,慟哭秋原何處村。

(夔州の人人の困窮に同情して詠んだ詩)

白帝城の城門のなかから雲がわきだす、城の下では雨がたらいの水をぶちまけたように降る。

山間の高處から流れ来る長江、ここ急峻の三峡の水流は、雷霆が闘っているかのようであり、常緑木や蒼藤のしげみには日月もあたらず昏くなっている。

まだ、戎馬がさわいでいるが、それよりも歸耕している馬の方がのんきでよいのではないだろうか。しかし、この地は、以前、と千戸もあった家が、今は百戸だけになってしまったという。

気の毒なことは、後家や、寡婦がそれでも納税をし尽くしているということだし、それに、ここの秋の野原には、どこの村でも、砧の音ではなくて、慟哭しているこえがきこえてくるということである。

(白帝)

白帝城中雲門を出づ、白帝城下雨盆を詔へす。

高江 急峡 雷霆鬥ひ、翠木蒼藤日月昏し。

戎馬は如かず歸馬の逸するに、千家今百家の存する有り。

哀哀寡婦誅求され盡くす、慟哭す秋原何處の村に。

扁舟 00 

1512白帝城最高樓》七言律詩

杜甫  白帝城最高樓  

城尖徑昃旌旆愁,獨立縹緲之飛樓。峽坼雲霾龍虎臥,江清日抱黿遊。

扶桑西枝對斷石,弱水東影隨長流。杖藜歎世者誰子,泣血迸空迴白頭。
(白帝城のいちばん高い樓に登って感じるところを述べた詩)

城はするどく尖りそこへのぼる径はかたむいて傾斜し、ひるがえっている旌さえあまりけわしいので愁わしげに見える。かかる空中に縹緲としている楼のうえにただひとり立ってながめる。峽は坼けそこには雲が沙のようにこまかくふって、竜だの虎だの臥ているかのように見えるし、江の水はすんで黿鼉(げんだ)の遊んでいるところを日光がだきかかえている。断石に樹の枝がむきあっているが、その枝はさだめし扶桑の西向きの枝であろう。長江の流れとともに水流の影が見えるが、それは多分弱水の東影がそこにうかんでいるのだろう。ここに藜(あかざ)のつえをついて時世をなげいているおとこがいるがいったいそれはどこのものだ。そのおとこは白髪あたまをめぐらして虚空に向かって血の涙をほとばしらせておるのである。世のことについてよほどの慨嘆をしておるおとこなのである。

(白帝城最高樓)

城 尖【とが】り 径 昃【かたむ】いて旌旆【せいはい】愁う、独立す  縹緲【ひょうびょう】たる飛楼に。

峡 坼【さ】け 雲 霾【つちふ】りて龍虎臥し、江 清く 日 抱いて黿鼉【げんだ】遊ぶ。

扶桑の西枝  断石に対し、弱水の東影  長流に随う。

藜【あかざ】を杖【つえつ】いて 世を嘆ずる者は誰の子ぞ、泣血  空に迸【ほとば】しらせて白頭を回らす。

766年-93杜甫 《2113白帝城樓》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-93 <956> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6415

白帝城樓

江度寒山閣,城高塞樓。翠屏宜晚對,白谷會深遊。

急急能鳴雁,輕輕不下鷗。彝陵春色起,漸擬放扁舟。

(白帝城楼を臨んで詠んだ詩)

自分の寒山の閣の処を長江の流れが通る。絶塞の楼があって城は高い所にある。あの城楼のある翠屏の様な崖には晩方に対するのが一番いい時であり、この白谷は奥の方に入りこんで、遊ぶのが自分の考えである。みればよく鳴く雁は、せわしげに啼いているし、身軽げなカモメは、飛び立ちながらなかなか波面に降りようとしない。彝陵の方では、春景色が始まったであろう。自分もしだいに扁舟でもって出帆する準備をしようと思うのである。

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年:766年大暦元年55-93

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    白帝城樓

作地點:              目前尚無資料

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

夷陵 (山南東道 峽州 夷陵) 別名:東郡、彝陵            

 

 

白帝城樓

(白帝城楼を臨んで詠んだ詩)

江度寒山閣,城高塞樓。

自分の寒山の閣の処を長江の流れが通る。絶塞の楼があって城は高い所にある。

翠屏宜晚對,白谷會深遊。

あの城楼のある翠屏の様な崖には晩方に対するのが一番いい時であり、この白谷は奥の方に入りこんで、遊ぶのが自分の考えである。

急急能鳴雁,輕輕不下鷗。

みればよく鳴く雁は、せわしげに啼いているし、身軽げなカモメは、飛び立ちながらなかなか波面に降りようとしない。

彝陵春色起,漸擬放扁舟。

彝陵の方では、春景色が始まったであろう。自分もしだいに扁舟でもって出帆する準備をしようと思うのである。

 

(白帝城樓)

江度る 寒山の閣,城高くして 塞の樓。

翠屏  對するに宜し,白谷 會らず 深遊すべし。

急急 能鳴の雁,輕輕 下らざる

彝陵 春色起り,漸やく 扁舟を放たんと擬す。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『白帝城樓』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白帝城樓

江度寒山閣,城高塞樓。

翠屏宜晚對,白谷會深遊。

急急能鳴雁,輕輕不下鷗。

彝陵春色起,漸擬放扁舟。

(下し文)
(
白帝城樓)

江度る 寒山の閣,城高くして 塞の樓。

翠屏 晚 對するに宜し,白谷 會らず 深遊すべし。

急急 能鳴の雁,輕輕 下らざる鷗。

彝陵 春色起り,漸やく 扁舟を放たんと擬す。

(現代語訳)
(白帝城楼を臨んで詠んだ詩)

自分の寒山の閣の処を長江の流れが通る。絶塞の楼があって城は高い所にある。

あの城楼のある翠屏の様な崖には晩方に対するのが一番いい時であり、この白谷は奥の方に入りこんで、遊ぶのが自分の考えである。

みればよく鳴く雁は、せわしげに啼いているし、身軽げなカモメは、飛び立ちながらなかなか波面に降りようとしない。

彝陵の方では、春景色が始まったであろう。自分もしだいに扁舟でもって出帆する準備をしようと思うのである。

三峡 巫山十二峰001
(訳注)

白帝城樓

(白帝城楼を臨んで詠んだ詩)

1569謁先主廟

1568白鹽山【案:白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

1515灩澦堆

1566白帝

等と同時期に白帝城楼を臨んで詠んだ。

草堂河は、白帝山の東側を半周するとほぼ真っ直ぐな水路となり、左手に子陽山(唐代の赤甲山)、右手に今の赤甲山(唐代の白塩山)に挟まれた一段が続く(唐代の赤甲山、白塩山についても簡氏の詳しい考証がある'')。この部分の左岸が瀼西区で右岸が瀼東区である。その一段を過ぎると草堂河は「>」の字型に流れを転じて上流へ向かうが、そのカーブする箇所の左岸下部に杜甫の瀼西宅はあったとされる。そこは赤甲山の東側の山裾でもあり、その南面である。従って瀼西宅を陸路で出発し、その赤甲山の東麓を真北に越えて行けば、方向を転じてきた草堂河に再び出会うことになる。ちょうどそのあたりで、草堂河は石馬河と合流する。その合流地点はあたかもYの字型で、その合流点の北岸に杜甫の東屯の住まいがあった。東屯は瀼西宅からすると、北の方角にある。

「白帝山城は周迴二百八十歩、北は馬嶺に縁()り、赤岬山に接し、其の間の平処は、南北相去ること八十五丈、東西七十丈。又東は東瀼渓に傍()い、即ち以て隍と為す」とあり、この東瀼渓が今の梅渓河ではなく草堂河を指すことは、馬嶺、赤岬山、白帝城との位置関係から明らかである。その東瀼渓が白帝城の「隍」すなわち水の無い城濠の役割を果たすと言っているのは、冬場に水位が下がったときのことである。

江度寒山閣,城高塞樓。

自分の寒山の閣の処を長江の流れが通る。絶塞の楼があって城は高い所にある。

江度 長江の流れが通る。河の流れが閣の辺りでまがっていくため渉るように見える。

1568白鹽山》

白鹽山【白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

卓立群峰外,蟠根積水邊。他皆任厚地,爾獨近高天。

白榜千家邑,清秋萬估船。詞人取佳句,刻畫竟誰傳。

寒山閣 冬寒の山のにある白帝城のようすをいう。

 

翠屏宜晚對,白谷會深遊。

あの城楼のある翠屏の様な崖には晩方に対するのが一番いい時であり、この白谷は奥の方に入りこんで、遊ぶのが自分の考えである。

翠屏宜晚對 白鹽山の白の崖に対し、緑色の屏風の崖が夕日が当たって趣きがあるということ。

白谷 白帝城のある谷間をいう。

會深遊 奥の方に入りこんで、遊ぶ。自分が住まいとするところの夔州のおくふかいところをいう。

 

急急能鳴雁,輕輕不下鷗。

みればよく鳴く雁は、せわしげに啼いているし、身軽げなカモメは、飛び立ちながらなかなか波面に降りようとしない。

 

彝陵春色起,漸擬放扁舟。

彝陵の方では、春景色が始まったであろう。自分もしだいに扁舟でもって出帆する準備をしようと思うのである。

彝陵 宜昌(宜都)のことで、三峡を下って出たところにある。

春色起 さきがけて春景色が始まる。

放扁舟 扁舟でもって出帆すること。扁舟:小さな舟。小舟。

 

18巻一古風五十九首其十八「何如鴟夷子。 散發棹扁舟。 」(何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。)

18-#4 《古風五十九首之十八》Index-32-7 753年天寶十二年53582古風,五十九首之十八天津三月時, <18-#4> Ⅰ李白詩1171 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4403

588巻十七26宣州謝()樓餞別校書叔云「人生在世不稱意,明朝散發弄扁舟。」(人生、世に在って意に稱わざれば, 明朝、散發、扁舟を弄せむ。)
扁舟 00 

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