杜甫 遣愁
養拙蓬為戶,茫茫何所開。江通神女館,地隔望鄉臺。
漸惜容顏老,無由弟妹來。兵戈與人事,回首一悲哀。
(夔州の客寓にいて、寂しさの中で、成都でつくった詩を改める。)
自分は持ち前の拙劣なところを養うために心の蓬の草を扉にしている、その戸を開けたらその前にどこかの茫々たる景色がひろがってみえてくる。最近では、長江の水の神女の館に通過し、その地は、いつも成都の望郷臺より眺めていた、遥かに隔てたところにある。(今ここにいるのは仮のもので、直にその地に行く。)自分の顔つきは年老いてきていて,まだ動けないから養生している自分がこの地にとどまっていることを惜しいこととおもっており、だからと言って弟や妹がこの地に来てくれること手立てはないのである。安史軍が殲滅されたこの段階においても、兵戎、戦は治まらず、朝廷内の宦官と合理主義者主導の結託したひどい人事、どっちに頭を回らしてみても、唯々、悲愁、悲哀を覚えるのみである。
766年-143杜甫 《卷九35遣愁》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-143 <1015> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6755
杜甫詩1500-1015-1513/2500
年:766年大暦元年55歲-143
卷別: 卷二三○ (卷九35(二)七五一)文體: 五言律詩
詩題: 遣愁
作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)
遣愁
(夔州の客寓にいて、寂しさの中で、成都でつくった詩を改める。)
養拙蓬為戶,茫茫何所開。
自分は持ち前の拙劣なところを養うために心の蓬の草を扉にしている、その戸を開けたらその前にどこかの茫々たる景色がひろがってみえてくる。
江通神女館,地隔望鄉臺。
最近では、長江の水の神女の館に通過し、その地は、いつも成都の望郷臺より眺めていた、遥かに隔てたところにある。(今ここにいるのは仮のもので、直にその地に行く。)
漸惜容顏老,無由弟妹來。
自分の顔つきは年老いてきていて,まだ動けないから養生している自分がこの地にとどまっていることを惜しいこととおもっており、だからと言って弟や妹がこの地に来てくれること手立てはないのである。
兵戈與人事,回首一悲哀。
安史軍が殲滅されたこの段階においても、兵戎、戦は治まらず、朝廷内の宦官と合理主義者主導の結託したひどい人事、どっちに頭を回らしてみても、唯々、悲愁、悲哀を覚えるのみである。
(愁を遣る)
拙を養いて 蓬を戶と為し,茫茫たり 何の所にか開かん?
江は通ず 神女の館,地は隔つ 望鄉臺。
漸く惜む 容顏の老ゆるを,弟妹の來たるに 由 無し。
兵戈と人事とは,首を回らせども 一に悲哀なり。
『遣愁』 現代語訳と訳註解説
(本文)
遣愁
養拙蓬為戶,茫茫何所開。
江通神女館,地隔望鄉臺。
漸惜容顏老,無由弟妹來。
兵戈與人事,回首一悲哀。
(下し文)
(愁を遣る)
拙を養いて 蓬を戶と為し,茫茫たり 何の所にか開かん?
江は通ず 神女の館,地は隔つ 望鄉臺。
漸く惜む 容顏の老ゆるを,弟妹の來たるに 由 無し。
兵戈と人事とは,首を回らせども 一に悲哀なり。
(現代語訳)
(夔州の客寓にいて、寂しさの中で、成都でつくった詩を改める。)
自分は持ち前の拙劣なところを養うために心の蓬の草を扉にしている、その戸を開けたらその前にどこかの茫々たる景色がひろがってみえてくる。
最近では、長江の水の神女の館に通過し、その地は、いつも成都の望郷臺より眺めていた、遥かに隔てたところにある。(今ここにいるのは仮のもので、直にその地に行く。)
自分の顔つきは年老いてきていて,まだ動けないから養生している自分がこの地にとどまっていることを惜しいこととおもっており、だからと言って弟や妹がこの地に来てくれること手立てはないのである。
安史軍が殲滅されたこの段階においても、兵戎、戦は治まらず、朝廷内の宦官と合理主義者主導の結託したひどい人事、どっちに頭を回らしてみても、唯々、悲愁、悲哀を覚えるのみである。
遣愁
(夔州の客寓にいて、寂しさの中で、成都でつくった詩を改める。)
養拙蓬為戶,茫茫何所開。
自分は持ち前の拙劣なところを養うために心の蓬の草を扉にしている、その戸を開けたらその前にどこかの茫々たる景色がひろがってみえてくる。
○養拙 自分は持ち前の拙劣なところを養うことをいう。
○蓬為戶 蓬は粗末なもの、蓬は轉蓬する杜甫自身であり、蓬の扉は、隠遁した自身の心の扉である。
○茫茫 広々としてはっきりしないもの。
○何所開 その戸を開けたらその前にどこかの茫々たる景色がひろがってみえてくる、というほどの意。
江通神女館,地隔望鄉臺。
最近では、長江の水の神女の館に通過し、その地は、いつも成都の望郷臺より眺めていた、遥かに隔てたところにある。(今ここにいるのは仮のもので、直にその地に行く。)
○江通 長江を通過してゆくこと。
○神女館 巫山の神女の廟をいう。廟は夔州府巫山縣西北二百五十歩にあったとされる。
○地隔 成都望郷臺から離れたところにあるが、当然、夔州の地からも離れたところにある。
○望鄉臺 夔州からは遠望することができないので、成都の高台、望郷臺から見たことを言う。
漸惜容顏老,無由弟妹來。
自分の顔つきは年老いてきていて,まだ動けないから養生している自分がこの地にとどまっていることを惜しいこととおもっており、だからと言って弟や妹がこの地に来てくれること手立てはないのである。
兵戈與人事,回首一悲哀。
安史軍が殲滅されたこの段階においても、兵戎、戦は治まらず、朝廷内の宦官と合理主義者主導の結託したひどい人事、どっちに頭を回らしてみても、唯々、悲愁、悲哀を覚えるのみである。
○兵戈與人事 杜甫が華州で官を辞した時点と何ら好転していないこと。朝廷内の施政、人事について、儒者を徹底的に排除し、道教と宦官の結託、経済合理主義の場当たり的な、賀蘭進明・第五琦グループと宦官らとの癒着、のために、正しい方向になかった。杜甫らは、「徳」による施政、質素倹約による経済の立て直し、住民施政を改革して生産性の向上など長期的に唐朝再建を訴えていた儒者グループはほとんど圧迫されていたことを言う。
●杜甫と房琯関連、参照。
・757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500
●元結の《舂陵行》《賊退示官吏》と比興手法
*元結 《舂陵行(并序)-#7》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6075
*元結 《賊退示官吏(并序)》【4分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6095
・杜甫 《1939同元使君舂陵行》 杜甫詩index-15- <916-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6045






