杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

杜詩詳注〔五〕巻二十一

757年-248 《 可歎(卷二一(四)一八三○) -#2》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11210

757-248  可歎(卷二一(四)一八三○) -2 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11210

 

 

757-248

 

 

 可歎(卷二一(四)一八三○)  -2

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11210

 

 

 

年:767年大暦256-22-#2

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

 

詩文:

可歎 #1

(王季友を不遇に置いたままであることを、その理由を述べて、なげかわしきことと詠う詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

安史の乱当時の勢力図
近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

 

清・仇兆鰲 杜甫詳注 関係個所抜粋

 近者抉眼去其夫、/作眯/河東女兒身姓栁。丈夫正色動引經、酆城客子王季友。羣書萬巻常暗誦、《孝經》一通看/在手。貧窮老瘦/本作瘦唯朱/本誤作叟家賣諸本作屐作履張/改作吉岳切/事就之為/擕酒。此叙王生家之事。王有正論、不能挽去婦之心、此事之可歎者、然家貧好學人來就正如此則亦何害於素行乎。

 

・王季友 《唐書》:豐城縣、洪州豫章郡に屬す。 

・在手 又《南史には》徐陵嘗/疾、子份香泣涕、跪誦《孝經》日夜不息 云庾子輿五讀孝經手不釋巻北史馮亮臨卒遺誡右手執孝經/一巻 崔實政論一通置坐側

・在手後漢劉勤家貧每作供食嘗作一勤置不賣他日出妻竊以易米/勤歸知之責妻欺取直因棄不食

擕酒 《揚雄傳》好事者ほ 載酒餚從って游學す

 

 

『可歎』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

(下し文)
#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

(現代語訳)
#2

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。


(訳注) #2

可歎 #1

(王季友を不遇に置いたままであることを、その理由を述べて、なげかわしきことと詠う詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 #2この6句間は、王氏の生まれた家、故郷のこと、嫁いでっ来た女の夫として世間の人に批判されたことなどあったが、勉学には常に、真摯に取り組んだ

 

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

9 丈夫 柳女の夫の王季友をさしつつも、同様の世上の男子のことである。

10 正色 まがおになる。

11 動引經 王季友の妻の家出を、世に同様に家出したことを、經書の文句を引用して、これを非難するものである。

李白の足跡0000
12 酆城客子 王季友が現在の江西省宜春市に位置する県級市に客寓していたことをいう。

13 王季友 『全唐詩』 に、王季友,河南の人。家,貧しくして履を売る。博,群書を極む。予章太守李勉,引きて賓客と為し,甚だ之を敬ふ。詩十一首。『唐才子伝』には、季友,河南の人なり。書を誦すこと万巻。論ずるに必ず経を引く。家貧にして屐を売る。好事者,多く酒を携へて之に就く。其の妻柳氏,季友の窮醜を疾にくみて去らしむ。客として鄷城に来るや,洪州刺史李公,一見して傾敬し,即ち引きて幕府を佐たすけしむ。詩に工たくみにして性は磊落不羈,奇を愛して険を務む。遠く常情の外に出づ。白首短褐,崎嶇たる士林。傷いたましき哉,貧や。嘗て詩に云ふ有り,「自ら耕し自から刈りて食ふを天と為す 鹿の如く麋の如く野泉を飲む 亦た知る,世上の公卿貴 且しばらく養はん,邱中草木の年」と。其の山水に志すことの篤きを観ん。性は風疎に遠く,情は雲上に逸すと謂ふ可し。集有り,世に伝ふ。

王季友(714311日-7941218日,名徽,字季友,號雲峰居士,洪州南昌人,祖籍河南洛阳,生于豫章湖之。王季友之父王儀曾任丹陽太守,后迁居豫章湖畔。王季友幼年家道破落,遂與其兄一同遷至豐城雲嶺定居,並用功讀書。杜甫對其的描述為“豐城客子王季友,群書萬卷常暗誦,《孝經》一通看在手……明月無暇豈容易,紫氣鬱郁猶沖斗。”(《杜甫詩集》卷七》)。王季友在22時便考中狀元,並任御史治書。但因厭倦時政,無意與李林甫之輩為伍,王季友不久後返回到豐城,在株山下的龍澤智度寺設帳授徒,開始了長達二十多年的隱居生活。隱居期間,王季友著有《龍澤遺稿》、《四書要注》、《六經通義》等作。名氣亦響喝當時,杜甫、錢起、郎士元等人都與其有唱和之作。杜甫作詩評價王季友為“道阻江湖,期以致君堯舜,不但工詩而已。”王季友去世時享壽81年,安葬于龍澤智度寺。其逝世後的第年,被封為「豫章伯」。其墓的遺址在今株山林場附近。

 

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

14 一通 一冊の本

15 孝經 中国の経書のひとつ。曽子の門人が孔子の言動をしるしたという。十三経のひとつ。 孝の大体を述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を細説し、そして孝道の用を説く。

 ・在手後漢劉勤家貧每作供食嘗作一勤置不賣他日出妻竊以易米/勤歸知之責妻欺取直因棄不食

 

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

16 屐 【げき】木製のはきもの。下駄。

17 好事 好事者。ものずき。

18 為攜酒 班固《漢書-卷八十七下揚雄傳》顏師古注「揚雄、知奇字、時有好事者載酒肴從游學」

 擕酒 《揚雄傳》好事者ほ 載酒餚從って游學す

767年-257 可歎(卷二一(四)一八三○)注(1269) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ

767-257   可歎(卷二一(四)一八三○)注(1269) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ

 

 

757-248

 

 

 可歎(卷二一(四)一八三○)  -1

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11202

 

 

 

大曆二年

寫作時間:           767年  56

卷別:    卷二二二             

文體:    七言古詩

詩題:    可歎

詩序:    なし

寫作地點:           目前尚無資料

寫及地點:           豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州) 別名:豫章      

交遊人物/地點:   王季友    詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉    詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

 

詩文:可歎

可歎(卷二一(四)一八三○)

天上浮雲似(一作如)白衣,斯許改變如蒼狗。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

近者抉眼去其夫(陳作(目米)),河東女兒身姓柳。

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

群書萬卷常暗誦,《孝經》一通看在手。

貧窮老瘦(諸本作瘦,唯朱本誤作叟)家賣(諸本作屐、作履,張遠改作),好事就之為攜酒。

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

(一作問)道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看已醜。

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可丈真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南(一作南山,非),邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也疑(一作凝,非)(一作丞疑)曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長迴首。

 

 

 

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

 


 

 

可歎 #1

(王季友を不遇に置いたままであることを、その理由を述べて、なげかわしきことと詠う詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

 

 

 

清・仇兆鰲 杜詩詳注関係個所 抜粋

 

『可歎』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

可歎 #1

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。


(下し文)
(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

(現代語訳)
可歎 #1

(王季友を不遇に置いたままであることを、その理由を述べて、なげかわしきことと詠う詩。)

 

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。


(訳注)

可歎 #1

(王季友を不遇に置いたままであることを、その理由を述べて、なげかわしきことと詠う詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 此の詩は黄氏に據ると、編に當たるは大歴二年之末に在る。 鶴注に: 隆興は石幢に有り、載李勉は洪州刺史と為る。張鎬の後に在るは、魏少 之れの前に游ぶ。鎬 以て廣徳二年九月の卒。勉めて即ち以て是れ月 之に繼ぐ、大歴二年に至り、凡す三年。是年勉めて朝に入る、四月京兆の尹を拜す。此の詩乃ち勉めて入京後の作なり。故曰「三年未だ曾語らず」。今 按ずるに詩は:又云「李也 丞曠の前後を疑う」、亦た是れ既に入朝して以て此れ之を頌ぶ。黄鶴は復た四年を疑うて勉めて廣に入る時の作、蓋して山南と誤認して廣南と為す也。詩は中山の南、本追、前事を論じるのみ。 《抱朴子》は歎く可し 一に非らず。

 

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

2 白衣 しろきころも。

3 斯須 須臾・少選などおなじ、しばらくの意。

4 蒼狗 ごましお柄の犬。・蒼狗 《晉天文志》:鄭雲如衣。又云:衛雲、如狗。赤色長尾。《漢五行志》見物如蒼狗。 《維摩經》:是身如浮雲、須臾變滅。此用其意。

 

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

5 共一時 一時は同時、時か異にせざるをいう、古今の異なきがごとくなるをいう。 ・一時  梁元帝《纂要》:往古來今謂之宙

6 無不有 なんでもある。・無不有 嵇康詩:事故無不有。

 

近者眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

7 抉眼去其夫 其の夫を去ることを“眼を抉る”が如くなるをいう。趙注に云う、「東北の人の方言に、見ることを喜ばざるものを、つねに抉眼という」と。去とは棄て去ること、自ら家出せしなり。抉眼去夫の主語は次句の女兒。

8 河東女兒身姓柳 河東は、山西の地、柳氏は河東の名族なり。女兒は女子、身姓は姓。

・其夫 《杜臆》は: 抉眼とは、猶お反目を云う 趙曰う:栁氏は其の夫を喜ばず、抉眼中之の如し。 物をして之を去ることとは東北の人の方言に、喜ばざるものを見る者は、每に抉眼と曰うと。《世家》には:子胥 將って死す、 曰く:「抉は吾眼は吾を東門に置く。」

・栁 河東は、乃ち栁氏の郡名なり。 《杜臆》は以て唐風の近淫と為る。続きを読む

767年-236 《 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -#5》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11194

767-236  送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -5 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11194

 

 

767-236

 

 

 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八)  -5

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11194

 

 

 

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

丹雀銜書來,暮棲何樹。

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

驊騮事天子,辛苦在道路。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

司直非冗官,荒山甚無趣。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

清談慰老夫,開卷得佳句。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すばらしい詩句を目にすることができる。

#3

時見文章士,欣然澹情素。

今、文章の士といわれる文学に秀でたあなたとお会いできたこと、心の底から喜んで本心を話しておるのである。

伏枕聞別離,疇能忍漂寓。

長安に帰らねばならないのに、持病が悪化し、養生のためこの地に伏せて いる時に、せっかく会えたあなたと別れなければならないと聞けば、いったい誰がこのようなさすらいの境遇 に堪えておれようか。

良會苦短促,溪行水奔注。

良い出会いというものは実に短いものであり、あなたが峡谷に舟を進ませれば、川の水は奔流となって行く手を遮るかもしれない。

熊羆咆空林,遊子慎馳騖。

陸行するならクマとヒグマがひと気のない林で吠える声が響き渡るであろうし、このような場所から旅人として出発し、あわてて進むのはおやめなさい。

#4

西謁巴中侯,艱險如跬步。

ただ、このような心配も西のかた旧知の閬州刺史の封殿にお会いするのを思えば知れたこと、そう考えれば旅の苦難もあと一歩で終わるということである。』

主人不世才,先帝常特顧。

あなたのお仕えする閬州刺史の封殿は不世出の才能の持ち主で、先帝陛下がいつも特別に 目をかけておられたじんぶつである。

拔為天軍佐,崇大王法度。

そして、抜擢されて禁軍の補佐官となり、陛下の政治を大いに助けたものだ。

淮海生清風,南翁尚思慕。

その後、准海の地で役人となった時には、なごやかな清風が生じ、その南の地の老人たちは今なお封殿を讃えて思慕している。

#5

公宮造廣廈,木石乃無數。

いまや公宮殿で大屋根の大規模建物を造ろうとしているが、それに用いる木や石は大量で、数知れないのである。

初聞伐松柏,猶臥天一柱。

だが初めはマツやヒノキを伐る音は聞こえるほど評価されていたのだが、あなた様は、今なお天にも届く一本の柱であるのに、寝かされたままなのである。

我瘦書不成,成字讀亦誤。

私は病気になって手紙が書けない。手紙を書いても、字を書いて読みかえすとまちがっていることがある。

為我問故人,勞心練征戍。

だから、 私のために古なじみである封殿に尋ねさせてくれ、「辺境警備の兵士の訓練に日夜心をくだかれているのか」と。』

 

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

丹雀書をみて来たり、暮れに何れの郷の樹にか棲む。

驊騮 天子に事え、辛苦 道路に在り。

司直 は冗官に非ず、荒山 甚だ 趣無し。

借間す 舟を泛ぶるの人、胡為れぞ雲霧に入るやと。

#2

子とは姻婭の間、既に親にして亦た故有り。

万里長江の辺、避返して亦た相い遇えり

長卿 消渇 再びし、公幹 沈綿 屡しばなり。

清談 老夫を慰め、巻を開けば 佳句を得たり。

#3

時に文章の士を見、欣然として情素を談ず。

枕に伏して別離を聞けば、たれか能く漂寓するに忍びんや。

良会 苦だ短促、渓行すれば水奔注す。

熊熊空林にほゆ、遊子馳鷲を慎め。

#4

西のかた巴中侯に謁せんとし、難険跬步の如し。

主人不世の才、先帝常に特に顧る。

抜きて天軍の佐と為り、崇大す王の法度を。

准海 清風生じ、南翁 尚お思罫す。

#5

公営広度を造り、木石乃ち無数。

初め聞く松柏を伐つを、猶お臥す天の一柱を。

我れ病みて書成らず、字を成すも読めば亦た誤る。

我が為に故人に問え、心を労して征戊を練るかと

 

杜詩詳注 関係個所

造廣厦、木石乃無數。初聞伐松柏、猶卧天一柱。此稱閬州之賢。須封初為宿衛官、又嘗仕於淮海、

乃歴來宦迹。 且廣厦 梁棟之材、乃採松柏而舍天柱、惜其未得大用也。

天軍佐〕 《漢・天文志》: 虚危南有衆星、曰羽林天軍。

崇大王法度〕 言王朝法度、能尊崇而擴大之。 朱穆《崇厚論》:天不崇大、則覆情不廣。

清風〕 《詩》: 穆如清風。

廣厦〕 趙曰: 凡官府貴處、謂/之公。 《左傳》: 搆其公 桓譚。 

《新 論》:雍門周謂孟嘗君曰:「足下居則廣厦高堂、連闥洞房。」 

天一〕 《神異經》: 崑崙有銅柱其高入天謂之天柱

我病一作/書不成、成字讀一作/亦誤。為/我問故人、勞心練征戍。末以/寄語

 

聞州作結務病不成書應前消渴沉綿練兵征戍乃當/時守土急 此章前二段各八句中二段各十句末

段四/句収

 

杜詩詳注〔四〕《送高司直尋封閬州》訳注解説

(本文)

#5

公宮造廣廈,木石乃無數。

初聞伐松柏,猶臥天一柱。

我瘦書不成,成字讀亦誤。

為我問故人,勞心練征戍。

 

(下し文)

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

#

公営広度を造り、木石乃ち無数。

初め聞く松柏を伐つを、猶お臥す天の一柱を。

我れ病みて書成らず、字を成すも読めば亦た誤る。

我が為に故人に問え、心を労して征戊を練るかと

 

(現代語訳)

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)#5

いまや公宮殿で大屋根の大規模建物を造ろうとしているが、それに用いる木や石は大量で、数知れないのである。

だが初めはマツやヒノキを伐る音は聞こえるほど評価されていたのだが、あなた様は、今なお天にも届く一本の柱であるのに、寝かされたままなのである。

私は病気になって手紙が書けない。手紙を書いても、字を書いて読みかえすとまちがっていることがある。

だから、 私のために古なじみである封殿に尋ねさせてくれ、「辺境警備の兵士の訓練に日夜心をくだかれているのか」と。』

 

 

(訳注解説)

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四七。杜詩全譯〔四〕P543

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。封氏を尋ねるのを送別した詩。高司直は未詳。司直は大理司直を指し、 杜佑『通典』巻二五「職官七」によれば、皇帝の命を承けて使者として派遣されて地方の官吏を尋問し、大理寺(検察庁)で疑獄事件を処理する時には評議に加わる。ただし、高司直 は閬州刺史である封氏の部下となるために赴任すると考えられることから、司直は現職ではなく前職であろう。封閬州も未詳。郁賢暗『唐刺史考全編』二八八四頁は、安史の乱以後、遠くない時期に封議が閬州刺史を務めていたと推測する。

 

#

公宮造廣廈,木石乃無數。

いまや公宮殿で大屋根の大規模建物を造ろうとしているが、それに用いる木や石は大量で、数知れないのである。

廣廈 大きな家、大きな門の家、連棟式の大きな家、複数の役所が一つの大屋根で

廣厦〕 趙曰く: 「凡そ官府は貴き處なり、之れ 公う。 《左傳》に: 其の公。 

後漢初めの桓譚の《新 論》に:雍門周 孟嘗君と謂うて曰く:「足下に居す 則ち廣厦の高堂、連闥洞房。」 

連闥洞房 闥,門。連闥洞房指門重疊,房屋深邃。形容宅第豪華。北周.庾信〈小園賦〉:「豈必連闥洞房,南陽樊重之第;綠墀青瑣,西漢王根之宅?

 

初聞伐松柏,猶臥天一柱。

だが初めはマツやヒノキを伐る音は聞こえるほど評価されていたのだが、あなた様は、今なお天にも届く一本の柱であるのに、寝かされたままなのである。

天一 天に入るほどの一本柱、封の偉大さを柱に例えたもの。大黒柱というところか。 天一〕 《神異經》に: 崑崙には銅柱が有り、其の高さは天に入る、之れを天柱と謂う。

 

我瘦書不成,成字讀亦誤。

私は病気になって手紙が書けない。手紙を書いても、字を書いて読みかえすとまちがっていることがある。

 手紙など文字を書くこと。このころ杜甫の人生で最も多くの詩を残しているから、詩が書けないというのではない

成字 手紙の字を書く。

 字を書いて読みかえすこと。

 

為我問故人,勞心練征戍。

だから、 私のために古なじみである封殿に尋ねさせてくれ、「辺境警備の兵士の訓練に日夜心をくだかれているのか」と。』

故人 封をさす。

芳心練征成 この一句は慰労の言葉。「労心」は、心をくだく。「練征成」は、辺境 警備の兵を訓練する。閲州のある巴葛の地は吐蕃(チベット) の侵攻にさらされていた。

767年-236 《 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -#4》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11186

767-236  送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -4 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11186

 

 

767-236

 

 

 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八)  -4

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11186

 

 

 

 

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

丹雀銜書來,暮棲何樹。

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

驊騮事天子,辛苦在道路。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

司直非冗官,荒山甚無趣。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

清談慰老夫,開卷得佳句。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すばらしい詩句を目にすることができる。

#3

時見文章士,欣然澹情素。

今、文章の士といわれる文学に秀でたあなたとお会いできたこと、心の底から喜んで本心を話しておるのである。

伏枕聞別離,疇能忍漂寓。

長安に帰らねばならないのに、持病が悪化し、養生のためこの地に伏せて いる時に、せっかく会えたあなたと別れなければならないと聞けば、いったい誰がこのようなさすらいの境遇 に堪えておれようか。

良會苦短促,溪行水奔注。

良い出会いというものは実に短いものであり、あなたが峡谷に舟を進ませれば、川の水は奔流となって行く手を遮るかもしれない。

熊羆咆空林,遊子慎馳騖。

陸行するならクマとヒグマがひと気のない林で吠える声が響き渡るであろうし、このような場所から旅人として出発し、あわてて進むのはおやめなさい。

#4

西謁巴中侯,艱險如跬步。

ただ、このような心配も西のかた旧知の閬州刺史の封殿にお会いするのを思えば知れたこと、そう考えれば旅の苦難もあと一歩で終わるということである。』

主人不世才,先帝常特顧。

あなたのお仕えする閬州刺史の封殿は不世出の才能の持ち主で、先帝陛下がいつも特別に 目をかけておられたじんぶつである。

拔為天軍佐,崇大王法度。

そして、抜擢されて禁軍の補佐官となり、陛下の政治を大いに助けたものだ。

淮海生清風,南翁尚思慕。

その後、准海の地で役人となった時には、なごやかな清風が生じ、その南の地の老人たちは今なお封殿を讃えて思慕している。

#5

公宮造廣廈,木石乃無數。

初聞伐松柏,猶臥天一柱。

我瘦書不成,成字讀亦誤。

為我問故人,勞心練征戍。

 

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

丹雀書をみて来たり、暮れに何れの郷の樹にか棲む。

驊騮 天子に事え、辛苦 道路に在り。

司直 は冗官に非ず、荒山 甚だ 趣無し。

借間す 舟を泛ぶるの人、胡為れぞ雲霧に入るやと。

#2

子とは姻婭の間、既に親にして亦た故有り。

万里長江の辺、避返して亦た相い遇えり

長卿 消渇 再びし、公幹 沈綿 屡しばなり。

清談 老夫を慰め、巻を開けば 佳句を得たり。

#3

時に文章の士を見、欣然として情素を談ず。

枕に伏して別離を聞けば、たれか能く漂寓するに忍びんや。

良会 苦だ短促、渓行すれば水奔注す。

熊熊空林にほゆ、遊子馳鷲を慎め。

#4

西のかた巴中侯に謁せんとし、難険跬步の如し。

主人不世の才、先帝常に特に顧る。

抜きて天軍の佐と為り、崇大す王の法度を。

准海 清風生じ、南翁 尚お思罫す。

#5

公営広度を造り、木石乃ち無数。

初め聞く松柏を伐つを、猶お臥す天の一柱を。

我れ病みて書成らず、字を成すも読めば亦た誤る。

我が為に故人に問え、心を労して征戊を練るかと

 

杜詩詳注 関係個所

時見文章士、欣然談一作/情素。伏枕聞離、疇能忍漂寓。

苦短促、溪行水奔注。熊羆咆空林、遊子慎馳騖。

西謁巴中侯、艱險一作/跬步此為司直惜。 清談、屬高。 談情/屬公。

 水行恐奔注、陸行恐遇熊羆、特以巴侯舊契、故視艱險如跬步耳。

情素〕 遊蔡傳公、孫鞅之事孝公披腹心示情素。

馳騖〕 曹植《節澤賦》: 步北林而馳騖。 

巴中〕 巴中侯、指封閬州。

跬步〕 《越/絶書》 曽無跬步之勞。 按:半步曰跬。

主人不世才、先帝常特顧。拔為天軍佐、崇大王法度。淮海生清風、南翁尚思慕。

造廣厦、木石乃無數。初聞伐松柏、猶卧天一柱。此稱閬州之賢。須封初為宿衛官、又嘗仕於淮海、

乃歴來宦迹。 且廣厦 梁棟之材、乃採松柏而舍天柱、惜其未得大用也。

天軍佐〕 《漢・天文志》: 虚危南有衆星、曰羽林天軍。

崇大王法度〕 言王朝法度、能尊崇而擴大之。 朱穆《崇厚論》:天不崇大、則覆情不廣。

清風〕 《詩》: 穆如清風。

廣厦〕 趙曰: 凡官府貴處、謂/之公。 《左傳》: 搆其公 桓譚。 

《新 論》:雍門周謂孟嘗君曰:「足下居則廣厦高堂、連闥洞房。」 

天一〕 《神異經》: 崑崙有銅柱其高入天謂之天柱

我病一作/書不成、成字讀一作/亦誤。為/我問故人、勞心練征戍。末以/寄語

 

 

杜詩詳注〔四〕《送高司直尋封閬州》訳注解説

(本文)

#4

西謁巴中侯,艱險如跬步。

主人不世才,先帝常特顧。

拔為天軍佐,崇大王法度。

淮海生清風,南翁尚思慕。

 

(下し文)

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

#

西のかた巴中侯に謁せんとし、難険跬步の如し。

主人不世の才、先帝常に特に顧る。

抜きて天軍の佐と為り、崇大す王の法度を。

准海 清風生じ、南翁 尚お思罫す。

 

(現代語訳)

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)#4

ただ、このような心配も西のかた旧知の閬州刺史の封殿にお会いするのを思えば知れたこと、そう考えれば旅の苦難もあと一歩で終わるということである。』

あなたのお仕えする閬州刺史の封殿は不世出の才能の持ち主で、先帝陛下がいつも特別に 目をかけておられたじんぶつである。

そして、抜擢されて禁軍の補佐官となり、陛下の政治を大いに助けたものだ。

その後、准海の地で役人となった時には、なごやかな清風が生じ、その南の地の老人たちは今なお封殿を讃えて思慕している。

 

(訳注解説)

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四七。杜詩全譯〔四〕P543

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。封氏を尋ねるのを送別した詩。高司直は未詳。司直は大理司直を指し、 杜佑『通典』巻二五「職官七」によれば、皇帝の命を承けて使者として派遣されて地方の官吏を尋問し、大理寺(検察庁)で疑獄事件を処理する時には評議に加わる。ただし、高司直 は閬州刺史である封氏の部下となるために赴任すると考えられることから、司直は現職ではなく前職であろう。封閬州も未詳。郁賢暗『唐刺史考全編』二八八四頁は、安史の乱以後、遠くない時期に封議が閬州刺史を務めていたと推測する。

 

#4

西謁巴中侯,艱險如跬步。

ただ、このような心配も西のかた旧知の閬州刺史の封殿にお会いするのを思えば知れたこと、そう考えれば旅の苦難もあと一歩で終わるということである。』

巴中侯 封閲州を指す。「巴中」は四川盆地の東部を流れる嘉陵汀の流域で、ここでは 閲州。「侯」は刺史の雅称。巴中〕 巴中侯、指封閬州。

難陰如踵歩 旅の苦難はわずか一歩を踏み出すうちに終わる。封閻州に 会えば必ず歓待されることを予想する。「蛙歩」は、片足を前に出す距離で、日本でいう一歩。跬步〕 《越/絶書》 曽無跬步之勞。 按:半步曰跬。

 

 

主人不世才,先帝常特顧。

あなたのお仕えする閬州刺史の封殿は不世出の才能の持ち主で、先帝陛下がいつも特別に 目をかけておられたじんぶつである。

主人 封尚州。

不世才 不世出の才能。

先帝 玄宗あるいは粛宗。

 

 

拔為天軍佐,崇大王法度。

そして、抜擢されて禁軍の補佐官となり、陛下の政治を大いに助けたものだ。

天軍 大子に近侍する禁軍。天軍佐〕 《漢・天文志》: 虚危南有衆星、曰羽林天軍。

崇大 王法度 帝王の政治(法律・制度) を立派にするっ 崇大王法度〕 言王朝法度、能尊崇而擴大之。 朱穆《崇厚論》:天不崇大、則覆情不廣。

 

 

 

淮海生清風,南翁尚思慕。

その後、准海の地で役人となった時には、なごやかな清風が生じ、その南の地の老人たちは今なお封殿を讃えて思慕している。

准海 准河と東海(東シナ海) のほとり。揚州を 中心とした山東省南部・江蘇省北部一帯。

清風 万物を養い育てる穏やかな風。また、そのように徳 によって民衆を養育して教化する勝れた政治。『詩経』 大雅「蒸民」 に見える語。ここでは封聞州がか って准海地域の地方官であった時の治績を賛美する。清風〕 《詩》: 穆如清風。

南翁 南方の老人。ここでは准海の老人を指 す。一説に南方に寓居する杜南といい(『黄鶴補注』 巻一四)、また封刺史を指すともいう (『李寿松 注』 三六六百)。

767年-236 《 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -#3》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11178

767-236  送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -3 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11178

 

 

767-236

 

 

 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八)  -3

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11178

 

 

 

 

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

丹雀銜書來,暮棲何樹。

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

驊騮事天子,辛苦在道路。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

司直非冗官,荒山甚無趣。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

清談慰老夫,開卷得佳句。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すばらしい詩句を目にすることができる。

#3

時見文章士,欣然澹情素。

今、文章の士といわれる文学に秀でたあなたとお会いできたこと、心の底から喜んで本心を話しておるのである。

伏枕聞別離,疇能忍漂寓。

長安に帰らねばならないのに、持病が悪化し、養生のためこの地に伏せて いる時に、せっかく会えたあなたと別れなければならないと聞けば、いったい誰がこのようなさすらいの境遇 に堪えておれようか。

良會苦短促,溪行水奔注。

良い出会いというものは実に短いものであり、あなたが峡谷に舟を進ませれば、川の水は奔流となって行く手を遮るかもしれない。

熊羆咆空林,遊子慎馳騖。

陸行するならクマとヒグマがひと気のない林で吠える声が響き渡るであろうし、このような場所から旅人として出発し、あわてて進むのはおやめなさい。

#4

西謁巴中侯,艱險如跬步。

主人不世才,先帝常特顧。

拔為天軍佐,崇大王法度。

淮海生清風,南翁尚思慕。

#5

公宮造廣廈,木石乃無數。

初聞伐松柏,猶臥天一柱。

我瘦書不成,成字讀亦誤。

為我問故人,勞心練征戍。

 

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

丹雀書をみて来たり、暮れに何れの郷の樹にか棲む。

驊騮 天子に事え、辛苦 道路に在り。

司直 は冗官に非ず、荒山 甚だ 趣無し。

借間す 舟を泛ぶるの人、胡為れぞ雲霧に入るやと。

#2

子とは姻婭の間、既に親にして亦た故有り。

万里長江の辺、避返して亦た相い遇えり

長卿 消渇 再びし、公幹 沈綿 屡しばなり。

清談 老夫を慰め、巻を開けば 佳句を得たり。

#3

時に文章の士を見、欣然として情素を談ず。

枕に伏して別離を聞けば、たれか能く漂寓するに忍びんや。

良会 苦だ短促、渓行すれば水奔注す。

熊熊空林にほゆ、遊子馳鷲を慎め。

#4

西のかた巴中侯に謁せんとし、難険踵歩の如し。

主人不世の才、先帝常に特に顧る。

抜きて天軍の佐と為り、崇大す王の法度を。

准海清風生じ、南翁尚お思罫す。

#5

公営広度を造り、木石乃ち無数。

初め聞く松柏を伐つを、猶お臥す天の一柱を。

我れ病みて書成らず、字を成すも読めば亦た誤る。

我が為に故人に問え、心を労して征戊を練るかと

 

杜詩詳注 関係個所

時見文章士、欣然談一作/情素。伏枕聞離、疇能忍漂寓。

苦短促、溪行水奔注。熊羆咆空林、遊子慎馳騖。

西謁巴中侯、艱險一作/如跬步。此為司直惜。 清談、屬高。 談情/屬公。

 水行恐奔注、陸行恐遇熊羆、特以巴侯舊契、故視艱險如跬步耳。

情素〕 遊蔡傳公、孫鞅之事孝公披腹心示情素。

馳騖〕 曹植《節澤賦》: 步北林而馳騖。 

巴中〕 巴中侯、指封閬州。

跬步〕 《越/絶書》 曽無跬步之勞。 按:半步曰跬。

主人不世才、先帝常特顧。拔為天軍佐、崇大王法度。淮海生清風、南翁尚思慕。

造廣厦、木石乃無數。初聞伐松柏、猶卧天一柱。此稱閬州之賢。須封初為宿衛官、又嘗仕於淮海、

乃歴來宦迹。 且廣厦 梁棟之材、乃採松柏而舍天柱、惜其未得大用也。

天軍佐〕 《漢・天文志》: 虚危南有衆星、曰羽林天軍。

崇大王法度〕 言王朝法度、能尊崇而擴大之。 朱穆《崇厚論》:天不崇大、則覆情不廣。

清風〕 《詩》: 穆如清風。

廣厦〕 趙曰: 凡官府貴處、謂/之公。 《左傳》: 搆其公 桓譚。 

《新 論》:雍門周謂孟嘗君曰:「足下居則廣厦高堂、連闥洞房。」 

天一〕 《神異經》: 崑崙有銅柱其高入天謂之天柱

我病一作/書不成、成字讀一作/亦誤。為/我問故人、勞心練征戍。末以/寄語

 

 

杜詩詳注〔四〕《送高司直尋封閬州》訳注解説

(本文)

3

時見文章士,欣然澹情素。

伏枕聞別離,疇能忍漂寓。

良會苦短促,溪行水奔注。

熊羆咆空林,遊子慎馳騖。

 

(下し文)

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

#3

 

(現代語訳)

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)#3

今、文章の士といわれる文学に秀でたあなたとお会いできたこと、心の底から喜んで本心を話しておるのである。

長安に帰らねばならないのに、持病が悪化し、養生のためこの地に伏せて いる時に、せっかく会えたあなたと別れなければならないと聞けば、いったい誰がこのようなさすらいの境遇 に堪えておれようか。

良い出会いというものは実に短いものであり、あなたが峡谷に舟を進ませれば、川の水は奔流となって行く手を遮るかもしれない。

陸行するならクマとヒグマがひと気のない林で吠える声が響き渡るであろうし、このような場所から旅人として出発し、あわてて進むのはおやめなさい。

 

 

(訳注解説)

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四七。杜詩全譯〔四〕P543

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。封氏を尋ねるのを送別した詩。高司直は未詳。司直は大理司直を指し、 杜佑『通典』巻二五「職官七」によれば、皇帝の命を承けて使者として派遣されて地方の官吏を尋問し、大理寺(検察庁)で疑獄事件を処理する時には評議に加わる。ただし、高司直 は閬州刺史である封氏の部下となるために赴任すると考えられることから、司直は現職ではなく前職であろう。封閬州も未詳。郁賢暗『唐刺史考全編』二八八四頁は、安史の乱以後、遠くない時期に封議が閬州刺史を務めていたと推測する。

 

#3

此は司直との惜す。 清談、屬高す。 談情屬公。水行 恐らく奔注をみ、陸行 恐らく熊羆に遇す、特に以て巴侯に舊契す、故に艱險を跬步の如くと視るのみ。

時見文章士,欣然澹情素。

今、文章の士といわれる文学に秀でたあなたとお会いできたこと、心の底から喜んで本心を話しておるのである。

文章士 文章に優れた人物。「為文章操紙筆立書」(文章を為るときは、紙筆を操って立ちどころに書く。

情素 本心。① 平素からの感情。もとからの思い。② 汚れのない気持。潔白な気持。誠意。情素〕 遊蔡傳公、孫鞅之事、孝公 腹心を披い情素を示す。

 

伏枕聞別離,疇能忍漂寓。

長安に帰らねばならないのに、持病が悪化し、養生のためこの地に伏せて いる時に、せっかく会えたあなたと別れなければならないと聞けば、いったい誰がこのようなさすらいの境遇 に堪えておれようか。

漂寓 さまよって他郷に仮住まいする。

 

良會苦短促,溪行水奔注。

良い出会いというものは実に短いものであり、あなたが峡谷に舟を進ませれば、川の水は奔流となって行く手を遮るかもしれない。

良書 良い 出会い。

溪行 谷川を進む。ここでは長汀を遡る。この二句と次の二句は、送別の宴を開いた夔州が水陸駅であることで、陸行と水行するものがあり、そのどちらも難航が予想されるたびであることを言う。

 

熊羆咆空林,遊子慎馳騖。

陸行するならクマとヒグマがひと気のない林で吠える声が響き渡るであろうし、このような場所から旅人として出発し、あわてて進むのはおやめなさい。

空林 ひと気のない林。

遊子 旅人。

馳驚  速く馳せる。馳騖〕 曹植《節澤賦》: 步北林而馳騖。

767年-236 《 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -#2》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11170

 

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767-236  送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -2 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11170

 

 

 

767-236

 

 

 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八)  -2

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11170

 

 

 

 

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

丹雀銜書來,暮棲何樹。

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

驊騮事天子,辛苦在道路。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

司直非冗官,荒山甚無趣。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

清談慰老夫,開卷得佳句。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すばらしい詩句を目にすることができる。

 

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

丹雀書をみて来たり、暮れに何れの郷の樹にか棲む。

驊騮 天子に事え、辛苦 道路に在り。

司直 は冗官に非ず、荒山 甚だ 趣無し。

借間す 舟を泛ぶるの人、胡為れぞ雲霧に入るやと。

#2

子とは姻婭の間、既に親にして亦た故有り。

万里長江の辺、避返して亦た相い遇えり

長卿 消渇 再びし、公幹 沈綿 屡しばなり。

清談 老夫を慰め、巻を開けば 佳句を得たり。

安史の乱当時の勢力図蜀中転々圖 

杜詩詳注〔四〕《送高司直尋封閬州》訳注解説

(本文)

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

清談慰老夫,開卷得佳句。

 

(下し文)

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

#2

子とは姻婭の間、既に親にして亦た故有り。

万里長江の辺、避返して亦た相い遇えり

長卿 消渇 再びし、公幹 沈綿 屡しばなり。

清談 老夫を慰め、巻を開けば 佳句を得たり。

 

(現代語訳)

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すぼらしい詩句を目にすることができる。

 

(訳注解説)

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四七。杜詩全譯〔四〕P543

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。封氏を尋ねるのを送別した詩。高司直は未詳。司直は大理司直を指し、 杜佑『通典』巻二五「職官七」によれば、皇帝の命を承けて使者として派遣されて地方の官吏を尋問し、大理寺(検察庁)で疑獄事件を処理する時には評議に加わる。ただし、高司直 は閬州刺史である封氏の部下となるために赴任すると考えられることから、司直は現職ではなく前職であろう。封閬州も未詳。郁賢暗『唐刺史考全編』二八八四頁は、安史の乱以後、遠くない時期に封議が閬州刺史を務めていたと推測する。

 

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

姻婭間 姻戚関係。「姻 姓」は双声語「インア」。

 

萬里長江邊,邂逅一相遇。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

萬里長江邊 中國の大河川は西から東へ万里の距離を流れゆく。長江は最大流域面積の河川である。そのちょうど中間に夔州配置するが、唐の南の国境を流れていたので、辺境という意味になる。

邂逅 思いがけなく出あうこと。偶然の出あい。めぐりあい。「旧友と邂逅する」

 

長卿消渴再公幹沈綿屢

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

長卿消渴再 前漢の司馬相知 (字は長卿」) のように糖尿病がぶり返す。杜甫は糖尿病を患う自分を、しばしば同病の 司馬相知になぞらえた。

公幹沈綿屢 後漢末の劉楨(字は公幹」)のように長患いを 繰り返す。「沈綿」は長引く病で、劉楨が病臥の折に作った「五官中郡将に贈る、四首」其の二に「余れは嬰る沈痛の疾」とある。劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。兗州東平国寧陽県(現在の山東省泰安市寧陽県)の人。漢の宗族の劉梁の孫[1]

 

清談慰老夫,開卷得佳句。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すぼらしい詩句を目にすることができる。

清談 ここでは、高司直との話を世俗を離れた高雅な談論としてもちあげたもの。元来、儒教思想全盛の漢代から、魏の時代になり、知識人たちは常識的な儒教道徳を超えて、主に老荘思想を題材とする幽玄な哲学的議論を交わしていた。清談とは、世俗を離れた清らかな談話、という意味である。いわゆる竹林の七賢の清談はこの代表例である。ただし、竹林の七賢の逸話にもうかがえるように、世俗を離れた老荘的談話を展開した背景には、後漢から魏、魏から晋へと興亡相次いだ乱世にあって、儒教に忠実であること、世俗に関与することが政治的な身の危険に繋がったという事情も存在する。

なお、当時において知識人とはすなわち貴族であり政治家であった。その知識人がもっぱら世俗を離れた清談に終始していたことは、西晋の滅亡の大きな要因となったといわれる。

767年-236 《 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -#1》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11162

 

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767-236

 

 

 送高司直尋封?州(卷二一(四)一八二八)  -1

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

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1214        送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八)

                  丹雀銜書來,暮棲何樹。驊騮事天子,辛苦在道路。司直非冗官,荒山甚無趣

                  借問泛舟人,胡為入雲霧。與子姻婭間,既親亦有故。萬里長江邊,邂逅亦相遇。

                  長卿消渴再,公幹沉綿屢。時見文章士,欣然談(一作澹)情素。伏枕聞別離,

                  疇能忍漂寓。良會苦短促,溪行水奔注。熊羆咆空林,遊子慎馳騖。西謁巴中侯,

                  艱險(一作難)如跬步。主人不世才,先帝常特顧。拔為天軍佐,崇大王法度。

                  淮海生清風,南翁尚思慕。公宮造廣廈,木石乃無數。初文伐松柏,猶臥天一柱。

                  我病(一作瘦)書不成,成字讀(一作字)亦誤。為我問故人,勞心練征戍。

 

 

年:       大曆二年

寫作時間:           767

寫作年紀:           56

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    送高司直尋封閬州

詩序:   

寫作地點:           夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

寫及地點:          

閬州 (山南西道 閬州 閬州) 別名:閬、巴城             

交遊人物/地點:  

高司直              當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

封閬州              詩文提及(山南西道 閬州 閬州)

 

 

 

送高司直尋封閬州

丹雀銜書來,暮棲何樹。

驊騮事天子,辛苦在道路。

司直非冗官,荒山甚無趣。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

清談慰老夫,開卷得佳句。

#3

時見文章士,欣然澹情素。

伏枕聞別離,疇能忍漂寓。

良會苦短促,溪行水奔注。

熊羆咆空林,遊子慎馳騖。

#4

西謁巴中侯,艱險如跬步。

主人不世才,先帝常特顧。

拔為天軍佐,崇大王法度。

淮海生清風,南翁尚思慕。

#5

公宮造廣廈,木石乃無數。

初聞伐松柏,猶臥天一柱。

我瘦書不成,成字讀亦誤。

為我問故人,勞心練征戍。

 

詩文(含異文)     丹雀銜書來,暮棲何樹。驊騮事天子,辛苦在道路。司直非冗官,荒山甚無趣。借問泛舟人,胡為入雲霧。與子姻婭間,既親亦有故。萬里長江邊,邂逅一相遇。長卿消渴再,公幹沈綿屢。清談慰老夫,開卷得佳句。時見文章士,欣然澹情素【欣然談情素】。伏枕聞別離,疇能忍漂寓。良會苦短促,溪行水奔注。熊羆咆空林,遊子慎馳騖。西謁巴中侯,艱險如跬步。主人不世才,先帝常特顧。拔為天軍佐,崇大王法度。淮海生清風,南翁尚思慕。公宮造廣廈,木石乃無數。初聞伐松柏,猶臥天一柱。我瘦書不成【我病書不成】,成字讀亦誤【成字字亦誤】。為我問故人,勞心練征戍。

 

 

  送高司直尋封閬州鶴注此當是大歴二年/ 司直大理寺官後魏永

  安二年置司直十人唐制/六人寺有疑讞則參議之

丹雀銜書來暮棲何樹驊騮事天子辛苦在道路

直非冗官荒山甚無趣借問泛舟人胡為入雲霧首叙/司直

入蜀之上四比興下四賦詞王趙曰高通籍事主故比/丹雀 於文王驊騮之於穆 荒山雲霧非司直所

宜經故惜而問之於周禮疏中候我應云季秋甲子赤/雀銜丹書入豐止 昌戸昌拜稽首受其文遁甲赤雀

不見則國無賢注赤雀主銜書陽精也令周穆王駕八/駿之乗右服驊騮 通鑑和帝以尚書 黄香為東郡

 

太守香辭以典郡從/政才非所宜乞冗官與子姻婭間既親亦有故萬里長

江邊邂逅亦相遇長丁丈/卿消渴再公幹沉綿屢/

談慰老夫開巻得佳句此叙相遇交情亦得其清談佳/句雖消病沉綿 可頓蘇矣

𤨏𤨏姻婭身有故謂故交祗劉公幹詩余/嬰沉痼疾竄 清漳濵 箴清談輟響時見文章

士欣然談一作/情素伏枕聞離疇能忍漂寓良

短促溪行水奔注熊羆咆空林遊子慎馳騖西謁巴中

侯艱險一作/如跬步此為司直惜阻清談屬高談情/屬公 水行恐 奔注陸行恐遇

 

熊羆特以巴侯舊契故視艱險如跬步耳遊蔡澤傳公/孫鞅之事孝公披腹心示情素 曹植節 賦步北林

而馳騖無巴中侯指封閬州曰越/絶書曽 跬步之勞按半步 主人不世才先帝常

特顧拔為天軍佐崇大王法度淮海生清風南翁尚思

慕公造廣厦木石乃無數初聞伐松柏猶卧天一

此稱閬州之賢須封初為宿衛官又嘗仕於淮海乃歴/來宦迹且廣厦 梁棟之材乃採松柏而舍天柱惜其

未得大用也度漢天文志虚危南有衆星曰羽林天軍/ 言王朝法 能尊崇而擴大之朱穆崇厚論天不崇

大則覆情不廣其詩穆如清風新趙曰凡官府貴處謂/之公左傳搆 桓譚 論雍門周謂孟嘗君

 

曰足下居則廣厦高堂連闥洞房天神/異經崑崙有銅柱其高入天謂之 我病一作/書不

成成字讀一作/亦誤為/我問故人勞心練征戍末以/寄語

 

聞州作結務病不成書應前消渴沉綿練兵征戍乃當/時守土急 此章前二段各八句中二段各十句末

段四/句収

 

 

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

丹雀銜書來,暮棲何樹。

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

驊騮事天子,辛苦在道路。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

司直非冗官,荒山甚無趣。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

清談慰老夫,開卷得佳句。

 

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

丹雀書をみて来たり、暮れに何れの郷の樹にか棲む。

驊騮 天子に事え、辛苦 道路に在り。

司直 は冗官に非ず、荒山 甚だ 趣無し。

借間す 舟を泛ぶるの人、胡為れぞ雲霧に入るやと。

子とは姻婭の間、既に親にして亦た故有り。

万里長江の辺、避返して亦た相い遇えり

長卿 消渇 再びし、公幹 沈綿 屡しばなり。

清談 老夫を慰め、巻を開けば 佳句を得たり。

 

杜詩詳注〔四〕《送高司直尋封閬州》訳注解説

(本文)

#1

送高司直尋封閬州

丹雀銜書來,暮棲何樹。

驊騮事天子,辛苦在道路。

司直非冗官,荒山甚無趣。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

 

(下し文)

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

丹雀書をみて来たり、暮れに何れの郷の樹にか棲む。

驊騮 天子に事え、辛苦 道路に在り。

司直 は冗官に非ず、荒山 甚だ 趣無し。

借間す 舟を泛ぶるの人、胡為れぞ雲霧に入るやと。

 

(現代語訳)

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

 

(訳注解説)

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四七。杜詩全譯〔四〕P543

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。封氏を尋ねるのを送別した詩。高司直は未詳。司直は大理司直を指し、 杜佑『通典』巻二五「職官七」によれば、皇帝の命を承けて使者として派遣されて地方の官吏を尋問し、大理寺(検察庁)で疑獄事件を処理する時には評議に加わる。ただし、高司直 は閬州刺史である封氏の部下となるために赴任すると考えられることから、司直は現職ではなく前職であろう。封閬州も未詳。郁賢暗『唐刺史考全編』二八八四頁は、安史の乱以後、遠くない時期に封議が閬州刺史を務めていたと推測する。

 

丹雀銜書來,暮棲何樹。

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

丹雀銜書來 赤い雀が丹書(瑞書)を口にくわえてくる。丹雀は、周の文王 に天命が授けられた時に使者として飛来したという鳥。『呂氏春秋』巻一三「名類」などに見える。ここでは瑞書を王者(都の帝王) に届けるべき丹雀が、王者から遠く離れた斐州に飛んできたことを述べて、 高司直が左遷されたことをいう。

 

 

驊騮事天子,辛苦在道路。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

驊騮事天子 西周の穆王の八頭の駿馬の一匹である驊騮が天子に仕 える。ここでも、「驊騮」のように帝王のそば近くに仕えるべき高司直が辛苦の旅をすることを述べ て、高司直の左遷を寓意する。

 

司直非冗官,荒山甚無趣。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

冗官 無駄な官職。閑職。

借間 ちょっと尋ねる。

 

借問泛舟人,胡為入雲霧。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

人雲霧 雲や 霧が立ちこめる陰気な世界に入る。高司直が逆境にあることを暗に示す。

767年-235 《 別李義(卷二一(四)一八二五) -#6》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11146

767-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#6》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11146

 

 

767-235

 

 

 別李義(卷二一(四)一八二五)  -#6

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11146

 

 

 

 

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

洗然遇知己,談論淮湖奔。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。

長成忽會面,慰我久疾魂。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。

三峡下りの入り口に位置する夔州は冬と春の季節の変わり目というものであり、この地の雨雲霧は古来より、男女の情の物語があり長江や山には雲や霧が出て暗い。

正宜且聚集,恨此當離尊。

せっかくここで出会い集まって酒宴をご一緒にしているのですから、 もうしばらくともに時を過ごしたいのでありますが、今、別れの宴の酒樽を前にしなければならないのが恨めしく思うのです。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。

したがって杯を手に取るのがゆっくりだというのを不審に思わないでいただきたい、というのも、この私、老いぼれてしまい、涙と唾がだらしなく溢れ出る次第なのです。

重問子何之,西上岷江源。

あなたはどちらに向かわれるのかと改めてまた問えば、西に向かって眠江の源へ遡ることなのでしょう。』

 

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。

だからといって出世の糸口を求めて節度使など実力者に面会するなどというのは、お控えなされるほうがよいでしょう。蜀の都であった成都には、戦車、軍人が多いことがわかるので心配します。

誤失將帥意,不如親故恩。

あなたが誤って将帥、将軍のご機嫌を損なえば、彼らは親戚や旧友の間のような恩愛でもって接することなど全くなく、どんな危害を加えるかわからないのである。

少年早歸來,梅花已飛翻。

お若いあなたは早く長安に戻りましょう、時が過ぎ去って、梅の花はすでに散り、風に舞い飛んでいるのでしょう。

努力慎風水,豈惟數盤飧。

異郷の気候や水もよくよく気を付け、慎重になされることがよいし、他人からたびたび御馳走されるような接待をご遠慮されるのがよいでしょう。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。

猛々しい虎は岸辺に伏せており、龍やみずちは、前触れもなく飛び出してくるというのも、長安の官僚生活で経験したことである。

王子自愛惜,老夫困石根。

王子よ、御自愛なされよ。この老いぼれは岩山の麓に隠遁して困窮している。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

生きながらの別れの嘆きは昔からのこと、 私も泣き声が出そうなのだが、あなたが悲しむといけないのでそれを呑んでこらえているのだ。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾 克く詩禮に富む,骨 清くして慮 喧しからず。

洗然 知己に遇えば,談論 淮湖に奔る。

憶う昔 初めて 見し時,小襦 芳蓀を繡す。

長成 忽ち會面す,我が久疾の魂を慰む。

#4

三峽 春冬の交,江山 雲霧 昏し。

正に宜く且く聚集すべきも,恨むらくは此こに離尊に當るを。

怪しむ莫れ 杯を執ることの遲きを,我れ衰えて涕唾 煩し。

重ねて子に何こに之くかと問えば,西のかた岷江の源に上ると。

#5

願わくば 子 干謁を少くせよ,蜀都に 戎軒 足る。

誤りて 將帥の意を失わば,親故の恩も 知らず。

少年 早く歸り來たれ,梅花 已に飛翻す。

努力して 風水を慎め,豈に惟だに 盤飧を數するのみならんや。

#6

猛虎は 臥して岸に在り,蛟螭は 出でて痕無し。

王子 自ら愛惜せよ,老夫 石根に困む。

生別は 古えより 嗟く所,聲を發せんしてと爾が為に吞む。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。

王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

(下し文)

(李義に別る)

#6

猛虎は 臥して岸に在り,蛟螭は 出でて痕無し。

王子 自ら愛惜せよ,老夫 石根に困む。

生別は 古えより 嗟く所,聲を發せんしてと爾が為に吞む。

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

猛々しい虎は岸辺に伏せており、龍やみずちは、前触れもなく飛び出してくるというのも、長安の官僚生活で経験したことである。

王子よ、御自愛なされよ。この老いぼれは岩山の麓に隠遁して困窮している。

生きながらの別れの嘆きは昔からのこと、 私も泣き声が出そうなのだが、あなたが悲しむといけないのでそれを呑んでこらえているのだ。

 

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

 

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。

猛々しい虎は岸辺に伏せており、龍やみずちは、前触れもなく飛び出してくるというのも、長安の官僚生活で経験したことである。

蛟螭 みずちと龍。 猛虎とともに異郷の危険な自然をいう。詳注に邪悪な勢力の比喩とある。杜甫は、粛宗の張皇后、、宦官、賀蘭進明、第五琦一派に。朝廷で苛め抜かれ、左遷された経験の語である。

 

王子自愛惜,老夫困石根。

王子よ、御自愛なされよ。この老いぼれは岩山の麓に隠遁して困窮している。

王子 道王の子孫である李義。

石根 岩石の基底部。岩山の慕。ここでは岩山の谷間にある夔州をいう。

 

生別古所嗟,發聲為爾吞

生きながらの別れの嘆きは昔からのこと、 私も泣き声が出そうなのだが、あなたが悲しむといけないのでそれを呑んでこらえているのだ。

發聲為爾吞 声が出そうになるが、あなたのためにそれをこらえる。「呑声」は声をのむ、泣き声をあげるのを こらえる。「爾」李羲のこと。

 

 

 

杜詩詳注

  别李義

  此當是大歴二年冬作。 祭盧注:李義、李鍊之子。鍊在明皇朝、曽遣 沂山東安公。

  乃宗室之賢、義能繼美。

 

神堯十八子、十七王其門。道國洎一作及舒國、實一作督維親弟昆。

中外貴賤殊、余亦忝諸孫。丈人嗣三葉、一作玉業之子白玉温。從世系親誼叙起。 

朱注:義與公為中表戚、故云:「中外貴賤殊」 趙曰:「丈人、指義之父鍊;之子則指李義也。

詳味詩意、李義者、道國之裔孫、而公/則舒國後裔之外孫也。 從義之父、上遡至道王為三世、

故曰:「嗣三葉」

1.    《通鑑》:天寶十三載二月、上高祖謚曰神堯大聖光孝皇帝。 鮑曰、高祖二十二子衛懷王𤣥

霸楚哀王智雲皆先薨太子建成巢王元吉以事誅詔/除籍故止言十八子太宗有天下止十七子封王

2.    《唐書》:道王元慶高祖第十六子舒王元明第十八子。

3.    潘岳《誄楊綏》: 藉三葉世親之恩。

4.    《詩》: 温其如玉。

 

道國繼徳業、請從丈人論。/丈人領宗卿、肅睦一作/古制敦。

先朝/納諫諍、直氣横乾坤。子建文章一作/壯、河間經術存。

此申丈人嗣三葉兼舉其忠義文學。

1.    《唐書》: 宗正寺卿一人、從三品。掌天子族親屬籍。以辨昭穆。

2.    肅睦、敬而和也。

3.    曹子建、河間王、注各見前。

 

一作温克富詩禮、骨清慮不喧。洗蘇亥/然遇知巳、談諭淮湖一作/奔。

憶昔初見時、小襦一作/繡芳蓀。長丁丈/成忽面、慰我久疾魂。

 此申之子/白玉温備述其人品交情蜂

1.    潘岳詩: 吾子洗然。恬淡自逸。

2.    洙曰:淮湖奔言談論 起如奔濤之不可涯涘

3.    鶴曰:百姓歌范云昔無襦今五袴則襦下於袴也。《急就篇》注:短衣曰襦自膝以上古詞妾有繡腰襦

自生光 謝靈運詩挹/露馥芳蓀

 

三峽春冬交、江山雲霧昏。正宜且聚集、恨此當離樽。

莫怪執盃遲、我衰涕唾煩。重/問子何之、西上/岷江源。

此叙江餞之意。 

1.     趙曰:舉杯遲、以涕唾之煩故也。

2.     《解嘲》涕 流沫。

3.     《孟子》先生將何之

4.     江居下流、故赴 蜀為西上。

 

願子少干謁、蜀都足戎軒。誤失將/帥意、不知一作/親故恩。、

/年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數所角/盤飧。

 

猛虎卧在岸、蛟螭出無痕。

王子自愛惜、老夫困石根。生古所嗟、發聲為/爾吞。

末致臨戒勉之辭反人情既不足恃而物害又復可/危公於知交誼切故 覆丁寧至此 此章前四段各

八句末一段十四句

1.《魏志・鍾繇傳》: 當厄/於水、努力慎之。

2.洙曰: 吞聲、聲出而 復吞也。

 王嗣奭曰: 當時戎軒多武夫、公所甚畏、詩每及之。 此云: 「誤失將帥意、不知親故恩。」

又云: 「努力慎風水、豈惟數盤餐。」

 一飯跡便掃、世情大抵然也、故以頻過人飯/為戒、皆忠谷之語、 李少年、涉世尚淺、故致其惓惓、

 公之篤於親/誼如此。

 王道俊《博議》曰:《舊書》道玉元慶、麟徳元年薨。 子臨淮/王誘嗣。 次子詢。詢子微、神龍初、

封為嗣道王。景雲元年、官宗正卿、卒。 子鍊、開元二十五年、襲封嗣道王、廣/徳中、官宗正卿。

《新書・宗室世系表》於道孝王元慶之下、首書嗣王誘、次書嗣王宗正卿嗣王宗正卿鍊、

/嗣王京兆尹實。

《困學紀聞》云:「義葢之子。」以予考之。不然。 義乃鍊之諸子、而實之弟耳。 

 詩云:「丈人嗣三葉。」 丈人謂鍊、自誘至鍊為嗣道王者三世。 故曰「嗣三葉」也。

 又云:「丈人領宗卿、肅穆古制敦。 先朝納諫諍、直氣/横乾坤。」 按《舊志》: 天寶十載正月、

遣太子率更令嗣道王鍊、祭沂山東安公、則鍊在𤣥宗時、巳任使、所云「先朝納鍊諍」者、葢𤣥宗也。

 又云: 「憶昔初見時、小襦繡芳蓀。長成忽面、慰我久客魂」、與、「少年早歸來、梅花已飛翻・」

 「王子自愛惜、老夫困石根」等語、皆前輩諄勉之詞。 葢公天寶中、曽見義於京師、年尚少、今來巫峽、

 將入蜀干謁、故以猛虎蛟螭戒之。

 若令義為子、則卒於景雲中、去大歴二年且五十六七載、義之齒當長於公、

安得目為少年而自居老夫乎、由此言之則義為鍊之諸子審矣。

 夔州東川卜居図詳細 002夔州三峡

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767-235

 

 

 別李義(卷二一(四)一八二五)  -#5

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11138

 

 

 

 

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

洗然遇知己,談論淮湖奔。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。

長成忽會面,慰我久疾魂。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。

三峡下りの入り口に位置する夔州は冬と春の季節の変わり目というものであり、この地の雨雲霧は古来より、男女の情の物語があり長江や山には雲や霧が出て暗い。

正宜且聚集,恨此當離尊。

せっかくここで出会い集まって酒宴をご一緒にしているのですから、 もうしばらくともに時を過ごしたいのでありますが、今、別れの宴の酒樽を前にしなければならないのが恨めしく思うのです。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。

したがって杯を手に取るのがゆっくりだというのを不審に思わないでいただきたい、というのも、この私、老いぼれてしまい、涙と唾がだらしなく溢れ出る次第なのです。

重問子何之,西上岷江源。

あなたはどちらに向かわれるのかと改めてまた問えば、西に向かって眠江の源へ遡ることなのでしょう。』

 

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。

だからといって出世の糸口を求めて節度使など実力者に面会するなどというのは、お控えなされるほうがよいでしょう。蜀の都であった成都には、戦車、軍人が多いことがわかるので心配します。

誤失將帥意,不如親故恩。

あなたが誤って将帥、将軍のご機嫌を損なえば、彼らは親戚や旧友の間のような恩愛でもって接することなど全くなく、どんな危害を加えるかわからないのである。

少年早歸來,梅花已飛翻。

お若いあなたは早く長安に戻りましょう、時が過ぎ去って、梅の花はすでに散り、風に舞い飛んでいるのでしょう。

努力慎風水,豈惟數盤飧。

異郷の気候や水もよくよく気を付け、慎重になされることがよいし、他人からたびたび御馳走されるような接待をご遠慮されるのがよいでしょう。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾 克く詩禮に富む,骨 清くして慮 喧しからず。

洗然 知己に遇えば,談論 淮湖に奔る。

憶う昔 初めて 見し時,小襦 芳蓀を繡す。

長成 忽ち會面す,我が久疾の魂を慰む。

#4

三峽 春冬の交,江山 雲霧 昏し。

正に宜く且く聚集すべきも,恨むらくは此こに離尊に當るを。

怪しむ莫れ 杯を執ることの遲きを,我れ衰えて涕唾 煩し。

重ねて子に何こに之くかと問えば,西のかた岷江の源に上ると。

#5

願わくば 子 干謁を少くせよ,蜀都に 戎軒 足る。

誤りて 將帥の意を失わば,親故の恩も 知らず。

少年 早く歸り來たれ,梅花 已に飛翻す。

努力して 風水を慎め,豈に惟だに 盤飧を數するのみならんや。

#6

猛虎は 臥して岸に在り,蛟螭は 出でて痕無し。

王子 自ら愛惜せよ,老夫 石根に困む。

生別は 古えより 嗟く所,聲を發せんしてと爾が為に吞む。

 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。

誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。

努力慎風水,豈惟數盤飧。

 

(下し文)

(李義に別る)

#5

願わくば 子 干謁を少くせよ,蜀都に 戎軒 足る。

誤りて 將帥の意を失わば,親故の恩も 知らず。

少年 早く歸り來たれ,梅花 已に飛翻す。

努力して 風水を慎め,豈に惟だに 盤飧を數するのみならんや。

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

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だからといって出世の糸口を求めて節度使など実力者に面会するなどというのは、お控えなされるほうがよいでしょう。蜀の都であった成都には、戦車、軍人が多いことがわかるので心配します。

あなたが誤って将帥、将軍のご機嫌を損なえば、彼らは親戚や旧友の間のような恩愛でもって接することなど全くなく、どんな危害を加えるかわからないのである。

お若いあなたは早く長安に戻りましょう、時が過ぎ去って、梅の花はすでに散り、風に舞い飛んでいるのでしょう。

異郷の気候や水もよくよく気を付け、慎重になされることがよいし、他人からたびたび御馳走されるような接待をご遠慮されるのがよいでしょう。

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

 

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。

だからといって出世の糸口を求めて節度使など実力者に面会するなどというのは、お控えなされるほうがよいでしょう。蜀の都であった成都には、戦車、軍人が多いことがわかるので心配します。

千謁 官職や推薦などを求めるために権力者や高級官僚に謁見する。「干」は便宜を求めるの意味。千謁 なにかをたのみこむために貴人に面会する。杜甫は仕官活動の初めのころ一時期面会し、詩を贈っている。いやで仕方なかったことを示す。杜甫 自京赴奉先縣詠懷五百字 「以茲悟生理,獨恥事干謁。」

蜀都・軍都 成都(四川省成都市)。

足戎軒 兵事が多い。軍人が多いことをいう。

 

 

誤失將帥意,不如親故恩。

あなたが誤って将帥、将軍のご機嫌を損なえば、彼らは親戚や旧友の間のような恩愛でもって接することなど全くなく、どんな危害を加えるかわからないのである。

○将帥 将軍。『杜詩鏡鍵』巻 一八は岸畔(摩寧)と解する。

○親故恩 親戚や旧友の情愛。

 

 

少年早歸來,梅花已飛翻。

お若いあなたは早く長安に戻りましょう、時が過ぎ去って、梅の花はすでに散り、風に舞い飛んでいるのでしょう。

 

努力慎風水,豈惟數盤飧。

異郷の気候や水もよくよく気を付け、慎重になされることがよいし、他人からたびたび御馳走されるような接待をご遠慮されるのがよいでしょう。

風水 異郷の風と水、風土。古代、とくに、水が合わなくて体調を崩すことが多かった。旅に故郷の土を持ち歩き水がめに土を沈めて飮むことで予防したという。

数盤餐 皿に盛った料理を何度もごちそうになる。他人から接待などを受けること。『九家注』巻一四は何度も 食事を摂って自愛し、体力を養うことと解する。「盤餐」は畳韻語「バンサン」。

767年-235 《 別李義(卷二一(四)一八二五) -#4》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11130

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767
-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#4》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11130

 

 

767-235

 

 

 別李義(卷二一(四)一八二五)  -#4

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11130

 

 

 

 

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

洗然遇知己,談論淮湖奔。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。

長成忽會面,慰我久疾魂。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。

三峡下りの入り口に位置する夔州は冬と春の季節の変わり目というものであり、この地の雨雲霧は古来より、男女の情の物語があり長江や山には雲や霧が出て暗い。

正宜且聚集,恨此當離尊。

せっかくここで出会い集まって酒宴をご一緒にしているのですから、 もうしばらくともに時を過ごしたいのでありますが、今、別れの宴の酒樽を前にしなければならないのが恨めしく思うのです。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。

したがって杯を手に取るのがゆっくりだというのを不審に思わないでいただきたい、というのも、この私、老いぼれてしまい、涙と唾がだらしなく溢れ出る次第なのです。

重問子何之,西上岷江源。

あなたはどちらに向かわれるのかと改めてまた問えば、西に向かって眠江の源へ遡ることなのでしょう。』#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾 克く詩禮に富む,骨 清くして慮 喧しからず。

洗然 知己に遇えば,談論 淮湖に奔る。

憶う昔 初めて 見し時,小襦 芳蓀を繡す。

長成 忽ち會面す,我が久疾の魂を慰む。

#4

三峽 春冬の交,江山 雲霧 昏し。

正に宜く且く聚集すべきも,恨むらくは此こに離尊に當るを。

怪しむ莫れ 杯を執ることの遲きを,我れ衰えて涕唾 煩し。

重ねて子に何こに之くかと問えば,西のかた岷江の源に上ると。

#5

願わくば 子 干謁を少くせよ,蜀都に 戎軒 足る。

誤りて 將帥の意を失わば,親故の恩も 知らず。

少年 早く歸り來たれ,梅花 已に飛翻す。

努力して 風水を慎め,豈に惟だに 盤飧を數するのみならんや。

#6

猛虎は 臥して岸に在り,蛟螭は 出でて痕無し。

王子 自ら愛惜せよ,老夫 石根に困む。

生別は 古えより 嗟く所,聲を發せんしてと爾が為に吞む。

 

 瞿塘峡・白帝城・魚復

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。

正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。

重問子何之,西上岷江源。

 

(下し文)

(李義に別る)

#4

三峽 春冬の交,江山 雲霧 昏し。

正に宜く且く聚集すべきも,恨むらくは此こに離尊に當るを。

怪しむ莫れ 杯を執ることの遲きを,我れ衰えて涕唾 煩し。

重ねて子に何こに之くかと問えば,西のかた岷江の源に上ると。

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

#4

三峡下りの入り口に位置する夔州は冬と春の季節の変わり目というものであり、この地の雨雲霧は古来より、男女の情の物語があり長江や山には雲や霧が出て暗い。

せっかくここで出会い集まって酒宴をご一緒にしているのですから、 もうしばらくともに時を過ごしたいのでありますが、今、別れの宴の酒樽を前にしなければならないのが恨めしく思うのです。

したがって杯を手に取るのがゆっくりだというのを不審に思わないでいただきたい、というのも、この私、老いぼれてしまい、涙と唾がだらしなく溢れ出る次第なのです。

あなたはどちらに向かわれるのかと改めてまた問えば、西に向かって眠江の源へ遡ることなのでしょう。』

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

 

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏

三峡下りの入り口に位置する夔州は冬と春の季節の変わり目というものであり、この地の雨雲霧は古来より、男女の情の物語があり長江や山には雲や霧が出て暗い。

三峡 垂慶市から湖北省にかけて続く、長江本流にある三つの峡谷の総称。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までの193kmの間に、上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地である。

雲霧昏 この地は地形的にも山は重畳して天日を隠蔽するという。巫山十二峰と言われ、その中で代表的なものに神女峰がある。楚の宋玉の「高唐賦」(『文選』所収)序に、楚の懐王が高唐(楚の雲夢沢(中国語版)にあった台館)に遊んだ際、疲れて昼寝していると、夢の中に「巫山の女(むすめ)」と名乗る女が現れて王の寵愛を受けた、という記述がある。彼女は立ち去る際、王に「私は巫山の南の、険しい峰の頂に住んでおります。朝は雲となり、夕べは雨となり(旦為朝雲、暮為行雨)、朝な夕な、この楼台のもとに参るでしょう」[2]と告げた。

 

正宜且聚集,恨此當離尊。

せっかくここで出会い集まって酒宴をご一緒にしているのですから、 もうしばらくともに時を過ごしたいのでありますが、今、別れの宴の酒樽を前にしなければならないのが恨めしく思うのです。

聚集 一緒にいる。 酒宴の席に一緒にいる。双声語「シュウシュウ」。

離樽 送別の宴にある酒樽。

 

 

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。

したがって杯を手に取るのがゆっくりだというのを不審に思わないでいただきたい、というのも、この私、老いぼれてしまい、涙と唾がだらしなく溢れ出る次第なのです。

沸睡煩 涙と唾が溢れ出る。老人のだらし ない表情。「煩」はここでは「繁」に通じる。

 

重問子何之,西上岷江源。

あなたはどちらに向かわれるのかと改めてまた問えば、西に向かって眠江の源へ遡ることなのでしょう。』

眠江 嶋山の南麓に発し、成都平野をうるおして宜賓 市で長江本流(金沙江) に合流する支流の名。ここでは長江と眠江を遡り、成都まで行くことをいう。 古来、長江の本流とされたため、合流した後の長江もしばしば眠江と称される。ここもその例。

 

767年-235 《 別李義(卷二一(四)一八二五) -#3》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11122

767-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#3》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11122

 

 

767-235

 

 

 別李義(卷二一(四)一八二五)  -#3

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11122

 

 

 

 

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

洗然遇知己,談論淮湖奔。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。

長成忽會面,慰我久疾魂。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾 克く詩禮に富む,骨 清くして慮 喧しからず。

洗然 知己に遇えば,談論 淮湖に奔る。

憶う昔 初めて 見し時,小襦 芳蓀を繡す。

長成 忽ち會面す,我が久疾の魂を慰む。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。

長成忽會面,慰我久疾魂。

 

(下し文)

(李義に別る)

#3

爾 克く詩禮に富む,骨 清くして慮 喧しからず。

洗然 知己に遇えば,談論 淮湖に奔る。

憶う昔 初めて 見し時,小襦 芳蓀を繡す。

長成 忽ち會面す,我が久疾の魂を慰む。

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

#3

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

 

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

詩禮 『詩経』と 『礼記』 『周礼』 『儀礼』 の「三礼」。儒学をいう。三礼(さんらい)とは、儒教における礼に関わる三種類の経書『周礼』『儀礼』『礼記』の総称。後漢の鄭玄が『周礼』『儀礼』『礼記』の三書を総合的に解釈する三礼の学を作り上げて以来、この名がある。『儀礼』(ぎらい) - 前漢では『礼』といえば『儀礼』のみを指していた。現存する17篇は前漢の高堂生が伝えた士礼部分を主としたもので、この「今文儀礼」高堂生本を「古文儀礼」で校合したものという。現在通行している『儀礼』は後漢の鄭玄注、唐の賈公彦疏が付けられて『十三経注疏』に収められている。

『周礼』(しゅらい) - 『漢書』芸文志には「周官」とあり、周の官制について書かれている。前漢、武帝の時代、民間から発見されたといわれる古文経である。天官・地官・春官・夏官・秋官・冬官に分けられるが、冬官部分は発見当初からなく、「考工記」という別の文献が当てられている。現在通行している『周礼』は後漢の鄭玄注、唐の賈公彦疏が付けられて『十三経注疏』に収められている。

『礼記』(らいき) - 『礼』に対する注釈であるが、戦国・秦・漢の礼家のさまざまな言説が集められている。『漢書』芸文志には「記」141篇とある。前漢時代、戴徳が伝えた「大戴記」、戴聖が伝えた「小戴記」があったが、現在の『礼記』49篇は「小戴記」である。唐代、『五経正義』に取り上げられ、鄭玄注に孔穎達が疏をつけた『礼記正義』が作られた。『礼記正義』は『十三経注疏』に収められている。

骨清 俗気を脱した高潔な資質がある。「骨」は、生来の資質。

慮不喧 思いが乱れていない。

 

洗然遇知己,談論淮湖奔。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

洗然 李義のものごとにとらわれ ず、気品のあるさま。

准湖奔 准河や太湖の水がどこまでも奔流する。滑々とした談論の比喩

 

憶昔初見時,小襦繡芳蓀

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。。

初見時 詳注の引く清・藩檉章『杜詩博議』は、杜甫と李義は天宝年間に長安で会っていると推測する。

小襦 小さくて短い上着。

繡芳蓀 香草の名

 

長成忽會面,慰我久疾魂。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

久疾魂 長く病んでいた心。杜甫は持病を持っていて時折よくはなっても長く心は沈んでいたことを言う。

767年-235 《 別李義(卷二一(四)一八二五) -#2》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11114

767-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#2》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11114

 

 

767-235

 

 

 別李義(卷二一(四)一八二五)  -#2

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

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別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

#2

道國繼德業,請從丈人論。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

子建文筆壯,河間經術存。

 

 

(下し文)

(李義に別る)

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

 

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

 

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

徳業 徳行と功業。① 仁徳と功業。 徳をたてる事業。善にすすむ所業。

 

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

宗卿 官名。宗正卿。宗室の戸籍 を掌る宗正寺の長官。李疎は広徳年間(七六三〜七六四)に宗正卿に任じられた。

肅穆 威厳を備えながらも、人には穏やかに接する態度。

古制敦 古代の制度の持つ誠実さ。

 

先朝納諫諍,直氣橫乾坤

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

先朝 玄宗の治世。玄宗は、唐の第6代皇帝。諱は隆基。唐明皇とも呼ばれる。 治世の前半は、太宗の貞観の治を手本とした、開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えたが、後半は楊貴妃を寵愛したことで安史の乱の原因を作った

諌評 諌言。

直気 李錬の真っ直ぐな精神。

橫乾坤 天地に横溢する、あふれる。

 

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

子建 三国・魏の曹植。後漢末期から三国時代にかけての人物。魏の皇族。豫州沛国譙県の出身。陳王に封じられ、諡が思であったことから陳思王とも呼ばれる。唐の李白・杜甫以前における中国を代表する文学者として、「詩聖」の評価を受けた。才高八斗・七歩の才の語源。建安文学の三曹の一人。

河聞 前漢の河間王劉徳(?〜前三九)。儒学を好 んだ(『史記』巻五九「劉徳世家」)。景帝前2年(紀元前155年)に河間王に封じられた。 劉徳は学問を修め古の事を好み、民が良い書を持っていると聞くと金品を与え、その書を写して本の書を召し上げ、写本を持ち主に返すようにした。

経術 儒学。

67年-235 《 別李義(卷二一(四)一八二五) -#1》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11106

67-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#1》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11106

 

 

767-234 -2

 

 

 柳司馬至(卷二一(四)一八二四)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11098

 

 

 

 

〔詩題〕

作品番号

初句・五字

掲載

別李義(卷二一(四)一八二五)   767

1267

神堯十八子

 

 

 

 

 

1213          別李義(卷二一(四)一八二五)              767

                  神堯十八子,十七王其門。道國洎(一作及)舒國,實(一作督)維親弟昆。             

                  中外貴賤殊,余亦忝諸孫。丈人嗣三葉(一作王業),之子白玉溫。        

                  道國繼德業,請從丈人論。丈人領宗卿,肅睦(一作穆)古制敦。           

                  先朝納諫諍,直氣橫乾坤。子建文章(一作筆)壯,河經經術存。           

                  爾(一作溫)克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖(一作河)奔。             

                  憶昔初見時,小襦(一作孺)繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。           

                 三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離樽。         

                  莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。         

 

                  願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不知(一作如)親故恩。           

                  豈惟數盤餐。猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。            

                 王子自愛惜,老夫困石根。生別古所嗟 ,發聲為爾吞。        

 

別李義(卷二一(四)一八二五)           768

神堯十八子,十七王其門。道國洎舒國,督唯親弟昆。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。丈人嗣三葉,之子白玉溫。

#2

道國繼德業,請從丈人論。丈人領宗卿,肅穆古制敦。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。子建文筆壯,河間經術存。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

作者:  杜甫

皇帝紀年:      大曆二年

寫作時間:      767

寫作年紀:      56

卷別:  卷二三一       

文體:  五言古詩

詩題:  別李義

詩序: 

寫作地點:      目前尚無資料

寫及地點:      故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關       

邯鄲 (河北道南部 邯鄲)    

商洛 (山南東道 商州 商洛)      

交遊人物/地點:

柳至       書信往來

詩文:

 

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別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。丈人領宗卿,肅穆古制敦。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。子建文筆壯,河間經術存。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

神堯十八子,十七王其門。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

#2

道國繼德業,請從丈人論。丈人領宗卿,肅穆古制敦。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。子建文筆壯,河間經術存。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

(下し文)

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

 

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

神堯 唐の。上元元年(674)に「神尭皇帝」と誼され、天宝十三載(754)には 「神尭大聖光孝皇帝」 に改められた。李 淵(り えん、56647 - 635625日)は、唐の初代皇帝。隋末の混乱の中で太原で挙兵し、長安を落として根拠地とした。そこで隋の恭帝侑を傀儡として立て、禅譲により唐を建国した。李淵は在位9年の間王世充などの群雄勢力と戦い、また律令を整備した。626年に太宗(李世民)に譲位し、太宗が残存の群雄勢力を一掃して唐の天下統一を果たした。

 

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

十八子 二二人の高祖の息子のうち、早くに薨去した衛王李玄覇・楚王李智雲、誅殺された隠太子李建成・巣王李元吉を除いた一八人。

十七 上述の一八人から太宗李世民を除いた十七人。

 

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

道国 16皇子 道王の李元慶。

舒国 18皇子 王の李元名。

親弟昆 同腹の兄弟。文末の李渕の子息表、また、「新唐書 巻七九「高祖諸子列伝」によれば、李元慶(母 劉婕妤)と李元名(母 小楊嬪)と彼らの母は異なる。

 

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

中外 李義は李元慶の男系(直系)の玄孫、杜甫は李元名の外孫の、さらにその外孫に当たる。

 

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

丈人 親族 内の年長者。李義の父の李疎を指す。

三葉 道モの三代。李元慶、李誘、李微の三人を指す。

之子 その子。李義。

白玉温 滑らかな白玉のように人品に角がなく温厚である。『詩経』秦風「小戎」 に 「言に君子を念う、温として其れ玉の如し」。

 

高祖、李淵の22人の子息

1.太子 李建成 - 竇皇后(暗殺後、高宗のときはじめ息王を封贈、のち隠太子を追贈)

2.秦王 李世民 - 竇皇后(李建成暗殺後に立太子、高祖退位をうけて即位、廟号は太宗)

3.李玄霸 - 竇皇后(高祖即位前に早世、高宗のとき衛王を封贈)

4.斉王 李元吉 - 竇皇后(暗殺後、高宗のときはじめ海陵郡王を封贈、のち巣王を追贈)

5.楚王 李智雲 - 万貴妃

6.荊王 李元景 - 莫嬪

7.漢王 李元昌 - 孫嬪

8.酆王 李元亨 - 尹徳妃

9.周王 李元方 - 張婕妤

10.徐王 李元礼 - 郭婕妤

11.韓王 李元嘉 - 宇文昭儀

12.彭王 李元則 - 王才人

13.鄭王 李元懿 - 張宝林

14.霍王 李元軌 - 張美人

15.虢王 李鳳 - 楊美人

16.道王 李元慶 - 劉婕妤

17.鄧王 李元裕 - 崔嬪

18.舒王 李元名 - 小楊嬪

19.魯王 李霊夔 - 宇文昭儀

20.江王 李元祥 - 楊嬪

21.密王 李元暁 - 魯才人

22.滕王 李元嬰 - 柳宝林

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767年-234 《 柳司馬至(卷二一(四)一八二四) -#2》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11098

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767-234  柳司馬至(卷二一(四)一八二四) -2 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11098

 

 

767-234 -2

 

 

 柳司馬至(卷二一(四)一八二四)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11098

 

 

 

 

作者:    杜甫

皇帝紀年:           大曆二年

寫作時間:           767

寫作年紀:           56

卷別:    卷二三一             

文體:    五言古詩

詩題:    柳司馬至

詩序:   

寫作地點:           目前尚無資料

寫及地點:           故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關             

邯鄲 (河北道南部 邯鄲)           

商洛 (山南東道 商州 商洛)              

交遊人物/地點:  

柳至       書信往來

詩文:

 

柳司馬至

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

有使歸三峽,相過問兩京。

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

函關猶出將,渭水更屯兵。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

設備邯鄲道,和親邏些城。

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

#2

幽燕唯鳥去,商洛少人行。

北の幽州一帯へは 人の 往来は絶えて、空飛ぶ鳥しか行くことができず、商州辺りは行く人もめったにありませ ん」と。

衰謝身何補,蕭條病轉嬰。

老いぼれてしまった今、私は国家に何の責献ができようか、(たとえ些細なことでも貢献したいのである)わびしいことにますます病につきまとわれている。

霜天到宮闕,戀主寸心明。

しかし、どうしても、この霜ふる寒天に長安の宮殿へと思いは向かう。(容易に動けない身になればこそ)陛下 を慕うこの気持ちは、どうしようもないほど燃え上がっているのだ。

 

(柳司馬 至る)

使有り 歸三峽にる,相い過ぎるとき兩京を問う。

函關 猶お將を出す,渭水 更に兵を屯す。

備えを設ける邯鄲の道,和親す 邏些城。

#2

幽燕 唯だ鳥去る,商洛 人 行くも少し。

衰謝 身 何ぞ補わん,蕭條 病い 轉たた嬰る。

霜天 宮闕に到る,戀主 寸心 明らかなり。

 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二四 柳司馬至 現代語訳 訳注解説

(本文)

柳司馬至

有使歸三峽,相過問兩京。

函關猶出將,渭水更屯兵。

設備邯鄲道,和親邏些城。

#2

幽燕唯鳥去,商洛少人行。

衰謝身何補,蕭條病轉嬰。

霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

詩文(含異文)     有使歸三峽,相過問兩京。函關猶出將【函關猶自將】,渭水更屯兵。設備邯鄲道,和親邏些城【案:吐蕃號其國都為邏些城。】。幽燕唯鳥去,商洛少人行。衰謝身何補,蕭條病轉嬰。霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

(下し文)

(柳司馬 至る)

使有り 歸三峽にる,相い過ぎるとき兩京を問う。

函關 猶お將を出す,渭水 更に兵を屯す。

備えを設ける邯鄲の道,和親す 邏些城。

#2

幽燕 唯だ鳥去る,商洛 人 行くも少し。

衰謝 身 何ぞ補わん,蕭條 病い 轉たた嬰る。

霜天 宮闕に到る,戀主 寸心 明らかなり。

 

(現代語訳)

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

#2

北の幽州一帯へは 人の 往来は絶えて、空飛ぶ鳥しか行くことができず、商州辺りは行く人もめったにありませ ん」と。

老いぼれてしまった今、私は国家に何の責献ができようか、(たとえ些細なことでも貢献したいのである)わびしいことにますます病につきまとわれている。

しかし、どうしても、この霜ふる寒天に長安の宮殿へと思いは向かう。(容易に動けない身になればこそ)陛下 を慕うこの気持ちは、どうしようもないほど燃え上がっているのだ。

 

 

(訳注解説)

柳司馬至

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

【題意】 大暦二年(芙七)冬、夔州で作られた詩。この年の九月から十月、吐蕃の攻撃で戒厳下にあった長安と洛陽の様子を述べ杜甫の朝廷への思いを綴る。柳司馬は未詳、司馬は官名。

鶴注此當是大暦二年作是年九月十/月吐蕃入宼兩京戒嚴故詩中説兩京

【解説】 「函関」以下の六句について、詳注は「函関」「澗水」「郡部」「避逆」は長安に迫 る吐蕃に対する防衛とし、「幽燕」「商洛」は洛陽に迫る河北の藩鎮(地方軍閥) に対する防 衛とする。『読杜心解』巻五之三は、「函関」「郡部」「幽燕」各句は藩鏡への防衛、「滑水」 「遵逆」「商洛」各句は吐書への防衛をいうと考える。

仇兆鰲の註に、「首の二句は、栁 夔に至って信を問うなり。」とあり、中の六句、「栁が詞を答う。」、「下四句は、公 自叙す。將を出づし兵を屯す、備を設し和親す、此に西京を指し吐蕃事とす。幽燕には路梗し、商洛には人稀なり、此れは東京の指し叛を將は事とす。

《杜臆》に:「霜天闕を望み、千里 明淨し 唯だ戀主は丹心なり。與之と共に明かなるのみ。 此の十字句は法なり。 

仇兆鰲の註に、「申涵光曰: 『此詩、用三峽、兩京、函渭水、邯/鄲、邏些、幽燕、商雒、の地名八見す、亦た是れ一病なり。

 

 

 

#2

幽燕唯鳥去,商洛少人行。

北の幽州一帯へは 人の 往来は絶えて、空飛ぶ鳥しか行くことができず、商州辺りは行く人もめったにありませ ん」と。

幽燕 戦国時 代の燕の地に相当する幽州一帯。北京市や河北省北部などを指す。双声語「ユウエン (イウエン)」。

商洛 商県と上洛県の総称。長安の南東に当たる商州(陳西省商洛市)一帯(中國歴史地図U-0 末尾に掲載)。長安から襄陽に向かう街道、武漢、江南への最短の道を言う。杜甫が長安へ帰るとしても最短のルートであるが、陸行が長いのでこの時期困難な道であるが、最短ルートの情報を述べてもらったもの。

 

 

衰謝身何補,蕭條病轉嬰。

老いぼれてしまった今、私は国家に何の責献ができようか、(たとえ些細なことでも貢献したいのである)わびしいことにますます病につきまとわれている。

衰謝 老衰する。双 声語「スイシャ」。

蕭條 うらぶれたさま。畳韻語「ショウジョウ」。

 

 

霜天到宮闕,戀主寸心明。

しかし、どうしても、この霜ふる寒天に長安の宮殿へと思いは向かう。(容易に動けない身になればこそ)陛下 を慕うこの気持ちは、どうしようもないほど燃え上がっているのだ。

宮闕 宮殿。闕は営門の外の 高楼。

寸心 一寸四方の人ききである心臓。「心」は本来、心臓をかたどる象形文字で、転じて、こころ。

 鳳翔 長安 華州 地図01

767年-234 《 柳司馬至(卷二一(四)一八二四) -#1》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11090

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767
-234  柳司馬至(卷二一(四)一八二四) -1 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11090

 

 

 

767-234 -#1

 

 

 柳司馬至(卷二一(四)一八二四)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11090

 

 

 

 

〔詩題〕

作品番号

初句・五字

掲載

柳司馬至(卷二一(四)一八二四)              767

1266

有客歸三峽

 

 

 

 

 

1212          柳司馬至(卷二一(四)一八二四)           767

                  有客(一作使)歸三峽,相過問兩京。函關猶出(一作自)將,渭水更(一作自)屯兵。 

                  設備邯鄲道,和親邏(《唐書》作娑)城。幽燕唯鳥去,商洛少人行。     

                  衰謝身何補,蕭條病轉嬰。霜天到宮闕,戀主寸心明。         

 

 

仇兆鰲 杜詩詳注 原文

  栁司馬至

  鶴注此當是大暦二年作是年九月十/月吐蕃入宼兩京戒嚴故詩中説兩京/

  

有客一作/使歸三峽、相過/問兩。京函猶出一作//

渭水一作/徒昆/兵。設備邯鄲道、和親邏力佐//

切唐書作娑韻/娑或作通作些城。

幽燕/唯鳥去、商洛少人行。衰謝身何補、蕭條病轉嬰。

霜天到闕、戀主寸心明。首二、栁至夔而問信也。中六、栁答詞。

下四、公自叙。出將屯兵、設/備和親、此指西京吐蕃事。幽燕路梗、商洛人稀、此指東京叛將事。

《杜臆》:霜天望闕、千里明淨唯戀主丹心。與/之共明耳。 此十字句法。 

1⃣ 《漢書》:文帝至霸陵、慎夫人從、帝指視新豐道曰: 「此走邯鄲道也。」 《左傳》:楚子以諸侯伐吴、

  早設備、楚無巧而還。

2⃣ 《舊唐書・吐蕃傳》: 其人或隨畜牧、而不常厥居、然頗有城郭、其國都城。號邏些城

《新書』: 吐蕃賛普居跋布川、或居邏娑川。

3⃣ 《髙士傳》: 四皓共入商洛。

4⃣ 劉楨詩:余嬰沉疴疾。

5⃣ 薛道衡詩: 霜天/雁聲。

 申涵光曰: 此詩、用三峽、兩京、函渭水、邯/鄲、邏些、幽燕、商雒、地名八見、亦是一病。

 

 

作者:    杜甫

皇帝紀年:           大曆二年

寫作時間:           767

寫作年紀:           56

卷別:    卷二三一             

文體:    五言古詩

詩題:    柳司馬至

詩序:   

寫作地點:           目前尚無資料

寫及地點:           故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關             

邯鄲 (河北道南部 邯鄲)           

商洛 (山南東道 商州 商洛)              

交遊人物/地點:  

柳至       書信往來

詩文:

 

柳司馬至

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

有使歸三峽,相過問兩京。

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

函關猶出將,渭水更屯兵。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

設備邯鄲道,和親邏些城。

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

#2

幽燕唯鳥去,商洛少人行。

衰謝身何補,蕭條病轉嬰。

霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

(柳司馬 至る)

使有り 歸三峽にる,相い過ぎるとき兩京を問う。

函關 猶お將を出す,渭水 更に兵を屯す。

備えを設ける邯鄲の道,和親す 邏些城。

#2

幽燕 唯だ鳥去る,商洛 人 行くも少し。

衰謝 身 何ぞ補わん,蕭條 病い 轉たた嬰る。

霜天 宮闕に到る,戀主 寸心 明らかなり。

鳳翔 長安 華州 地図01 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二四 柳司馬至 現代語訳 訳注解説

(本文)

柳司馬至

有使歸三峽,相過問兩京。

函關猶出將,渭水更屯兵。

設備邯鄲道,和親邏些城。

#2

幽燕唯鳥去,商洛少人行。

衰謝身何補,蕭條病轉嬰。

霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

詩文(含異文)     有使歸三峽,相過問兩京。函關猶出將【函關猶自將】,渭水更屯兵。設備邯鄲道,和親邏些城【案:吐蕃號其國都為邏些城。】。幽燕唯鳥去,商洛少人行。衰謝身何補,蕭條病轉嬰。霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

(下し文)

(柳司馬 至る)

使有り 歸三峽にる,相い過ぎるとき兩京を問う。

函關 猶お將を出す,渭水 更に兵を屯す。

備えを設ける邯鄲の道,和親す 邏些城。

#2

幽燕 唯だ鳥去る,商洛 人 行くも少し。

衰謝 身 何ぞ補わん,蕭條 病い 轉たた嬰る。

霜天 宮闕に到る,戀主 寸心 明らかなり。

 

(現代語訳)

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

 

(訳注解説)

柳司馬至

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

【題意】 大暦二年(芙七)冬、夔州で作られた詩。この年の九月から十月、吐蕃の攻撃で戒厳下にあった長安と洛陽の様子を述べ杜甫の朝廷への思いを綴る。柳司馬は未詳、司馬は官名。

鶴注此當是大暦二年作是年九月十/月吐蕃入宼兩京戒嚴故詩中説兩京

【解説】 「函関」以下の六句について、詳注は「函関」「澗水」「郡部」「避逆」は長安に迫 る吐蕃に対する防衛とし、「幽燕」「商洛」は洛陽に迫る河北の藩鎮(地方軍閥) に対する防 衛とする。『読杜心解』巻五之三は、「函関」「郡部」「幽燕」各句は藩鏡への防衛、「滑水」 「遵逆」「商洛」各句は吐書への防衛をいうと考える。

仇兆鰲の註に、「首の二句は、栁 夔に至って信を問うなり。」とあり、中の六句、「栁が詞を答う。」、「下四句は、公 自叙す。將を出づし兵を屯す、備を設し和親す、此に西京を指し吐蕃事とす。幽燕には路梗し、商洛には人稀なり、此れは東京の指し叛を將は事とす。

《杜臆》に:「霜天闕を望み、千里 明淨し 唯だ戀主は丹心なり。與之と共に明かなるのみ。 此の十字句は法なり。 

仇兆鰲の註に、「申涵光曰: 『此詩、用三峽、兩京、函渭水、邯/鄲、邏些、幽燕、商雒、の地名八見す、亦た是れ一病なり。

 

 

有使歸三峽,相過問兩京。

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

三峡 重慶市から湖北省にかけて続く、長江の三つの峡谷。西から瞿塘峡、巫峡、西陵峡と位置する。

雨京 長安と洛陽。

 

 

函關猶出將,渭水更屯兵。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

函關 函谷関。長安の東方を守るための關所。戦国時代の旧関(河南省三門峡市霊宝市)と前漢の新関(河南省洛陽市新安県)がある。ただここでは潼關(眺西省洞南市潼關県)の別称だろう。

渭水 渭河。黄河の支流で長安の北を流れる。

 

 

設備邯鄲道,和親邏些城

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

設備 吐蕃への防備を設ける。

邯鄲道 長安付近から邯鄲(河北省邯鄲市)に至る道。「郡部」は畳韻語「カンタン」。

和親 和睦する。

邏些城 吐蕃の国都(チベット自治区ラサ市)。

767年-233 《 冬至(卷二一(四)一八二三)》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11082

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寫懷二首其一 -2

 

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邱巨源_其二聽隣妓

 

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王融_ 雜詩五首其一古意

 

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767-233

 

 

 冬至(卷二一(四)一八二三)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11082

 

 

 

 

〔詩題〕

作品番号

初句・五字

掲載

冬至(卷二一(四)一八二三)                   767

1265

年年至日長為客

 

 

 

 

1211            冬至(卷二一(四)一八二三)               767

                   年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。江上形容吾獨老,天涯(一作邊)風俗自相親。

                   杖藜雪後臨丹壑,鳴玉(一作明主)朝來散紫宸。    

                   心折此時無一寸,路迷何處是(一作見)三秦。        

 

 

年:       大曆二年76756

卷別:    卷二三一             

文體:    七言律詩

詩題:    冬至

詩序:   

寫作地點:           目前尚無資料

寫及地點:           紫宸殿 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物/地點:  

 

冬至

年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。

江上形容吾獨老,天邊風俗自相親。

杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸。

心折此時無一寸,路迷何處見三秦。

 

詩文(含異文)     年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。江上形容吾獨老,天邊風俗自相親【天涯風俗自相親】。杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸【明主朝來散紫宸】。心折此時無一寸,路迷何處見三秦【路迷何處是三秦】。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬至

年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。

江上形容吾獨老,天邊風俗自相親。

杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸。

心折此時無一寸,路迷何處見三秦。

 

詩題

冬至

詩 體

七言律詩

全唐詩

巻二三一-0011

杜詩詳注

卷二一(四)一八二三

杜少陵集

巻二一01

杜甫全詩訳

1265

 

 

冬至

  鶴注:此當是大歷二年作。《玊燭寳典》 云: 至有三義、一者隂極之至、二者陽氣始至、

  三者日行/南至

年年至日長為客①,忽忽窮愁泥乃計/殺人②。江上形容吾獨老③、

天涯一作/風俗自相親④。杖藜雪後臨丹壑⑤、鳴玉//朝來散紫宸⑥。

心折此時無一寸⑦、路迷何處是一作/三秦8上四言:旅居冬至、下憶長安冬至也。

惟客途久滯、/故自傷泥殺。形容獨老、皆窮愁所致。 風俗自親、於為客無與。身臨丹壑、

而意想紫宸故有心折路迷之慨。心/折則窮愁轉甚、路迷則久客難歸矣。

    鮑照詩;去親爲客滯

    阮籍詩忽忽至夕窮。 《測㫖》忽忽、不定也。泥殺人、/

    《楚辭》:屈原放於澤畔、形容枯槁。

    陸雲詩:風土豈相親。

    《莊子》:原憲杖藜而應門。入鮑照詩妍容逐丹壑。

    『西征賦』:飛翠緌、拖鳴玉、以出 禁門者衆矣。

    江淹《賦》:心折骨驚。

    謝靈運詩::路迷糧亦絶。  《史記》項羽分秦地為三: 章 為雍王、都廢邱;司馬欣塞王

都櫟陽;董翳為翟王、/都高奴。謂之三秦

 

 

冬至

年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。

(冬至の日、これまでこの日をどう過ごしたか? これからどう生きるのか? その感を述べたもの)

江上形容吾獨老,天邊風俗自相親。

自分は、毎年、そして今年も旅客となっている、困窮と愁苦がこの身に泥のようにへばりついて、死ぬ思いというところである。

杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸。

長江の流れに乗って次第に南下しているがその間にも私一人、老けてしまった。天涯の異様な風習にさえも次第に慣れてきて異様に感じるよりも、自然と親しむようになってきたのである。

心折此時無一寸,路迷何處見三秦。

郷はこの地で雪も上がったので、藜の杖を突いて丹谷に臨んでいるが、韋峰で。都のほうでは、朝の參朝するため、高官たちが佩び玉を鳴らし、腰を曲げ前かがみに列を作ったが、もうじき退散することであろう。

しかし、隠遁の旅もこのように長期になると、しかも、世情が落ち着かず転々とすることで、心が折れて、一寸の安らぎの心もない、理想は都にかえり半隠半官の生活であるが、ここからの帰り道はどの道を選ぶか持病のこともあって舞路や袋小路に悩まされている。

 

(冬至)

年年 至日 長に客と為し,忽忽 窮愁 人を泥殺す。

江上の形容 吾獨り 老ゆ,天邊の風俗 自ら相い親しむ。

藜を杖いて 雪後 丹壑に臨み,玉を鳴らして 朝來 紫宸散ずるならん。

心 折れて 此の時 一寸無し,路 迷う何れの處か 三秦ならしむ。

 

 

『寫懷,二首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

冬至

年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。

江上形容吾獨老,天邊風俗自相親。

杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸。

心折此時無一寸,路迷何處見三秦。

 

詩文(含異文)     年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。江上形容吾獨老,天邊風俗自相親【天涯風俗自相親】。杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸【明主朝來散紫宸】。心折此時無一寸,路迷何處見三秦【路迷何處是三秦】。


(下し文)
(冬至)

年年 至日 長に客と為し,忽忽 窮愁 人を泥殺す。

江上の形容 吾獨り 老ゆ,天邊の風俗 自ら相い親しむ。

藜を杖いて 雪後 丹壑に臨み,玉を鳴らして 朝來 紫宸散ずるならん。

心 折れて 此の時 一寸無し,路 迷う何れの處か 三秦ならしむ。


(現代語訳)
(冬至の日、これまでこの日をどう過ごしたか? これからどう生きるのか? その感を述べたもの)

自分は、毎年、そして今年も旅客となっている、困窮と愁苦がこの身に泥のようにへばりついて、死ぬ思いというところである。

長江の流れに乗って次第に南下しているがその間にも私一人、老けてしまった。天涯の異様な風習にさえも次第に慣れてきて異様に感じるよりも、自然と親しむようになってきたのである。

郷はこの地で雪も上がったので、藜の杖を突いて丹谷に臨んでいるが、韋峰で。都のほうでは、朝の參朝するため、高官たちが佩び玉を鳴らし、腰を曲げ前かがみに列を作ったが、もうじき退散することであろう。

しかし、隠遁の旅もこのように長期になると、しかも、世情が落ち着かず転々とすることで、心が折れて、一寸の安らぎの心もない、理想は都にかえり半隠半官の生活であるが、ここからの帰り道はどの道を選ぶか持病のこともあって舞路や袋小路に悩まされている。


(訳注解説)

冬至

(冬至の日、これまでこの日をどう過ごしたか? これからどう生きるのか? その感を述べたもの)

冬至は、二十四節気の第22。北半球ではこの日が一年のうちで最も昼の時間が短い。十一月中。 現在広まっている定気法では太陽黄経が270度のときで1222日ごろ。恒気法は節気を冬至からの経過日数で定義するが、基点となる冬至は定気と同じ定義である。定気と恒気で一致する唯一の節気である。

 

年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。

自分は、毎年、そして今年も旅客となっている、困窮と愁苦がこの身に泥のようにへばりついて、死ぬ思いというところである。

至日 冬至のその日。

忽忽 ①事を省みないさま。おろそかにするさま。 ②すみやかに去るさま。 ③なすべき事が手につかないさま。 ④迷うさま。惑うさま。 ⑤うっとりとしたさま。

窮愁 困窮と愁苦。

泥殺人 泥が人にはなはだしくついた場合になかなか取れずきれいにならない状態を言う。殺ははなはだしいこと。

 

江上形容吾獨老,天邊風俗自相親。

長江の流れに乗って次第に南下しているがその間にも私一人、老けてしまった。天涯の異様な風習にさえも次第に慣れてきて異様に感じるよりも、自然と親しむようになってきたのである。

自相親 長安の風俗とことごとく風俗が違っていたが、作者自ら、地下好き、受け入れてゆく、そして、今では親しみを覚えるというほどの意味。

 

杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸

郷はこの地で雪も上がったので、藜の杖を突いて丹谷に臨んでいるが、韋峰で。都のほうでは、朝の參朝するため、高官たちが佩び玉を鳴らし、腰を曲げ前かがみに列を作ったが、もうじき退散することであろう。

杖藜 4~5年前、成都で徐知道が反乱を起こした際、蜀中を転々とした。その際、梓州の役人にプレゼントされたもの。それ以来歩行に杖を使うようになった。

臨丹壑 赤土質の夔州のこと。

鳴玉 朝廷内で、官僚の佩び玉を鳴らしてあるくことをいい、朝廷に参列姿を揶揄している。

朝來散紫宸 夜明けまでに大明宮の朝礼する宮殿に出入りすることを示す。。

 

心折此時無一寸,路迷何處見三秦

しかし、隠遁の旅もこのように長期になると、しかも、世情が落ち着かず転々とすることで、心が折れて、一寸の安らぎの心もない、理想は都にかえり半隠半官の生活であるが、ここからの帰り道はどの道を選ぶか持病のこともあって舞路や袋小路に悩まされている。

心折 心が墔折すること。杜甫は、長安に帰るべく出発するも、持病が再発、あるいは、悪化して養生せざるを得なかったことを示す。江淹《賦》:心折骨驚。

一寸 一寸は心臓のことである。古代では、心の働き、思いなどを心臓のはたらきであるとされていた。

路迷 体力がなく陸上の道を帰る道に選べず、時間のかかる船旅を選ばざるを得なかったが、資金面、持病などで困難を極めた。

三秦 長安、咸陽をいう古代王朝のある、都のあった関中地方のいい方である。 謝靈運詩::路迷糧亦絶。《史記》項羽分秦地為三: 章 為雍王、都廢邱;司馬欣塞王

都櫟陽;董翳為翟王、/都高奴。謂之三秦。

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というのも、裴君は一萬巻もさまざまの書籍をたくわえ、公務のひまなおりにはそれ等にひろく目を通しているから、話が面白いのである。

また前日のことであるが、裴君から手紙をもらったが、その文字は銀鈎のごとく、森疎たる矛戟をみるがごとくであった。

君はその裴君のいたところから歸られたので、自分は狂喜してくつの後ろを倒して、いそいでひっかけて出迎え、裴君との経歴談を地面に圖をかいてもらってもとめるのである。

 

 

 

 

杜甫 《東屯の詩》   11

 

瀼西宅では余剰の野菜を売っていた可能性もあった。さらに薬草の売買に関しては、求職中の長安時代から、生活費を稼ぐために薬草を採集したり、秦州では、薬草売りでもして生計を立てようかと考えていたり、成都時代には実際に薬草園を持っていたりした'⒃'。杜甫は生きていくために、このような経済活動にも早くから手を染めてきた。一方的に高官や知人等の経済的援助に、頼っていただけではないのである。

 自活の道をさぐっていた杜甫の姿は、もっと注目されてしかるべきである。もちろん官を辞めてからの杜甫の後半生は、結局は人の援助に頼らざるを得ない生活であった。しかし薬草を採集し、野菜を種え、蜜柑園と稲作を経営して生計の足しにし、少しでも自立しようとしていたその姿勢は、杜甫の精神の有り様を考えるうえで重要である。

 

  詩題

全唐詩

杜少陵

1  寄裴施州(卷二○(四)一八一○)

卷二二一 019

20-100

2  鄭典設自施州歸(卷二○(四)一八一二)

卷二二一  20

20-101

3  觀公孫大娘弟子舞劍器行並序(卷二○(四)一八一五)

卷二二二 012

20-102

4 寫懷二首其一(卷二○(四)頁一八一八)

卷二二二  09

20-103

5 寫懷二首其二(卷二○(四)頁一八二○)

卷二二二  10

21-01

6 冬至(卷二一(四)一八二三)

巻二三一-0011

21-02

 

1

寄裴施州

〔裴冕坐李輔國貶施州刺史〕

廊廟之具裴施州,宿昔一逢無此流。金鐘大鏞在東序,冰壺玉衡懸清秋。

#2

自從相遇感多病,三為客寬邊愁。堯有四嶽明至理,漢二千石真分憂。

幾度寄書白鹽北,苦寒贈我青羔裘。

#3

霜雪回光避錦袖,龍蛇動篋蟠銀鉤。紫衣使者辭複命,再拜故人謝佳政。

將老已失子孫憂,後來況接才華盛。

 

2

鄭典設自施州歸

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。名賢慎所出,不肯妄行役。

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。攀援懸根木,登頓入天石。

青山自一川,城郭洗憂慼。

#3

聽子話此邦,令我心悅懌。其俗則純樸,不知有主客。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

4

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

5

群書一萬卷,博涉供務隙。他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

6

乃聞風土質,又重田疇闢。刺史似寇恂,列郡宜競惜。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

7

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。此身仗兒僕,高興潛有激。

孟冬方首路,強飯取崖壁。歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

8

終然備外飾,駕馭何所益。我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

 

3

觀公孫大娘弟子舞劍器行並序

 大曆二年十月十九日,夔州別駕元持(一作特)宅,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。問其所師(一本此下有答字),曰:「余公孫大娘弟子也。」開元三載,余尚童稚,記於郾城,觀公孫氏舞劍器、渾,瀏灕頓挫,獨出冠時。自高頭宜春、梨園二伎(一作教)坊人,洎外供奉舞女(從《英華》,他本無舞女字)曉是舞者,聖文神武皇帝初,公孫一人而已。玉貌錦(一作繡)衣,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二。撫事慷慨,聊為〈劍器行〉。

#3

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

火霍如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

#4

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。絳脣朱袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

#5

與余問答既有以,感時撫事增惋傷。先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

#6

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。玳筵急管曲復終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。

 

4

寫懷二首其一

勞生共乾坤,何處異風俗。冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。鄙夫到巫峽,三如轉燭。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。編蓬石城東,采藥山北谷。

用心霜雪間,不必條蔓綠。

非關故安排,曾是順幽獨。達士如弦直,小人似鉤曲。

曲直我不知,負暄候樵牧。

5

寫懷二首其二

夜深坐南軒,明月照我膝。驚風翻河漢,梁棟已出日。

群生各一宿,飛動自儔匹。

吾亦驅其兒,營營為私實。天寒行旅稀,暮日月疾。

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

古者三皇前,滿腹志願畢。胡為有結繩,陷此膠與漆。

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

君看燈燭張,轉使飛蛾密。放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

終契如往還,得匪合仙術。

 

6

冬至

年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。

江上形容吾獨老,天邊風俗自相親。

杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸。

心折此時無一寸,路迷何處見三秦。

 

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