杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
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詩體 古體詩

766年大暦元年55歲-12奉節-4《縛雞行》 杜甫index-15 杜甫<881> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5215

奉節-4杜甫《縛雞行》(鶏に喰われる蟲、売られて人に喰われる鶏、鶏を縛る奴僕、それを見ている自分、それを見下ろす巫山、そこを流れる大河長江を対比させ慈愛の念を詠う)蟲と鶏とにとって、人はどうすれば厚情であり、どうすれば薄情ということになるのだろう、私からすれば、市場に持って行く、奴僕をしかりつけてその縛り付けを解いてやるといいのだろうか。

 
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766年大暦元年55-12奉節-4《縛雞行》 杜甫index-15 杜甫<881 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5215

 

 

杜甫詩1500-881-1214/2500766年大暦元年55-12

 

作年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    樂府

詩題:    縛雞行

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

縛雞行

(鶏に喰われる蟲、売られて人に喰われる鶏、鶏を縛る奴僕、それを見ている自分、それを見下ろす巫山、そこを流れる大河長江を対比させ慈愛の念を詠う)

小奴縛雞向市賣,雞被縛急相喧爭。

奴僕のものが三鶏を縛って朝市で売ろうとして向う、鶏には災難が降る掛る、急に追いかけられ縛られるのであるから喧嘩のように大騒ぎしている。

家中厭雞食蟲蟻,不知雞賣還遭烹。

ところがその鶏が蟲とか蟻とかを食べるというので、それを見ている家中の者は見たくないと嫌がる。その嫌がられた鳥は、人に売られて、今度は煮たりして料理されるということは分かっていない。

蟲雞與人何厚薄,吾叱奴人解其縛。

蟲と鶏とにとって、人はどうすれば厚情であり、どうすれば薄情ということになるのだろう、私からすれば、市場に持って行く、奴僕をしかりつけてその縛り付けを解いてやるといいのだろうか。

雞蟲得失無了時,注目寒江倚山閣。

鶏と蟲の関係からすると蟲を鷄が、鶏を奴僕がしばり売り、そして料理される。奴僕は主人の私に叱られる。というように完了する事は無いというものであるが、注目すべきことは、それらすべては、未だ寒い長江のほとりの山懐の二階からただみているだけということだ。

 

 (縛雞の行)

小奴 雞を縛りて 市向うて賣らんとし,雞は 縛らるること急しくして 相い喧爭す。

家中は雞の蟲蟻を食うを厭い,雞の賣らるれば 還た烹らるるに遭うを知らず。

蟲雞と人とは何が厚く なんぞ薄きか,吾は奴人を叱って其の縛れるを解かしむ。

雞と蟲は 得失 了の時無し,注目す 寒江 山閣に倚るを。

瞿塘峡001 

 

『縛雞行』 現代語訳と訳註解説

(本文)

縛雞行

小奴縛雞向市賣,雞被縛急相喧爭。

家中厭雞食蟲蟻,不知雞賣還遭烹。

蟲雞與人何厚薄,吾叱奴人解其縛。

雞蟲得失無了時,注目寒江倚山閣。

 

 

(下し文)

(縛雞の行)

小奴 雞を縛りて 市向うて賣らんとし,雞は 縛らるること急しくして 相い喧爭す。

家中は雞の蟲蟻を食うを厭い,雞の賣らるれば 還た烹らるるに遭うを知らず。

蟲雞と人とは何が厚く なんぞ薄きか,吾は奴人を叱って其の縛れるを解かしむ。

雞と蟲は 得失 了の時無し,注目す 寒江 山閣に倚るを。

 

 

(現代語訳)

(鶏に喰われる蟲、売られて人に喰われる鶏、鶏を縛る奴僕、それを見ている自分、それを見下ろす巫山、そこを流れる大河長江を対比させ慈愛の念を詠う)

奴僕のものが三鶏を縛って朝市で売ろうとして向う、鶏には災難が降る掛る、急に追いかけられ縛られるのであるから喧嘩のように大騒ぎしている。

ところがその鶏が蟲とか蟻とかを食べるというので、それを見ている家中の者は見たくないと嫌がる。その嫌がられた鳥は、人に売られて、今度は煮たりして料理されるということは分かっていない。

蟲と鶏とにとって、人はどうすれば厚情であり、どうすれば薄情ということになるのだろう、私からすれば、市場に持って行く、奴僕をしかりつけてその縛り付けを解いてやるといいのだろうか。

鶏と蟲の関係からすると蟲を鷄が、鶏を奴僕がしばり売り、そして料理される。奴僕は主人の私に叱られる。というように完了する事は無いというものであるが、注目すべきことは、それらすべては、未だ寒い長江のほとりの山懐の二階からただみているだけということだ。

云亭 

(訳注)

縛雞行

(鶏に喰われる蟲、売られて人に喰われる鶏、鶏を縛る奴僕、それを見ている自分、それを見下ろす巫山、そこを流れる大河長江を対比させ慈愛の念を詠う)

輪廻転生の仏教的精神科、博愛的儒教精神の表れということであるが、私に叱られる奴僕、鶏に喰われる蟲、売られて人に喰われる鶏を対比させ慈愛の念を述べるが、それらの出来事も、神霊から巫山までの大きな山の連なり、前には長江の豊かな流れを前にして、小さき出来事であろうか。杜甫が「泰山に昇って孔子の小山を見下ろす」《望嶽》詩の様に儒学的に詠ったものである。《望嶽》         杜甫「會當凌絶頂,一覽衆山小。」このような心境になれたからにはいつか必ずやこの山の最頂上によじのぼり、足もとにみえる山々のよう「我も我もと往きたるは小人の常」の気持ちを見下していく。

『孟子』尽心上、「揚子法言」学行篇に、孔子が泰山に登って天下を小としたとある。

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 7

 

小奴縛雞向市賣,雞被縛急相喧爭。

奴僕のものが三鶏を縛って朝市で売ろうとして向う、鶏には災難が降る掛る、急に追いかけられ縛られるのであるから喧嘩のように大騒ぎしている。

 

家中厭雞食蟲蟻,不知雞賣還遭烹。

ところがその鶏が蟲とか蟻とかを食べるというので、それを見ている家中の者は見たくないと嫌がる。その嫌がられた鳥は、人に売られて、今度は煮たりして料理されるということは分かっていない。

 

蟲雞與人何厚薄,吾叱奴人解其縛。

蟲と鶏とにとって、人はどうすれば厚情であり、どうすれば薄情ということになるのだろう、私からすれば、市場に持って行く、奴僕をしかりつけてその縛り付けを解いてやるといいのだろうか。

 

雞蟲得失無了時,注目寒江倚山閣。

鶏と蟲の関係からすると蟲を鷄が、鶏を奴僕がしばり売り、そして料理される。奴僕は主人の私に叱られる。というように完了する事は無いというものであるが、注目すべきことは、それらすべては、未だ寒い長江のほとりの山懐の二階からただみているだけということだ。

寒江 長江。

山閣 西閣。
三峡 巫山十二峰001 

766年大暦元年55歲-8 《折檻行》 杜甫index-15 杜甫<871> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5165

杜甫《折檻行》太宗のように家臣の意見をよく聞いた聖天子もいれば、先の天子肅宗のように、賀蘭進明や第五琦の様な都合のいい意見だけを取り上げてこの国の経済を悪化させるのである。

 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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766年大暦元年55-8 《折檻行》 杜甫index-15 杜甫<871 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5165

杜甫詩
1500-871-1204/2500766年大暦元年55-8

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    樂府

詩題:    折檻行

 

 

折檻行

(天子に諫言をした故事を引き合いにして、「房琯擁護事件」を揶揄したもの。)

嗚呼房魏不復見,秦王學士時難羨。

ああ、唐建国に功績を残し、太宗に見いだされ唐王朝の礎、初唐文学を形成した房玄齡と魏徵と云える人物は再び見出すことはできない。名君といわれた太宗に見いだされた文学者、士太夫達は時には羨まれるというばかりではなかった。

青衿冑子困泥塗,白馬將軍若雷電。

科挙受験のために頼る門閥に入る書生のころというのは、貧困で、泥に見える苦労をしたものだが、おなじ、青衿を着ていても、南朝梁の侯景がおこした反乱は50年におよんだ梁の武帝時代の平和の夢が雷電のごとくやぶられただけでなく,江南の社会は上下をあげて壊滅的な打撃をこうむった。(安史の乱は、150年の平穏が打ち破られた。)

千載少似朱雲人,至今折檻空嶙峋。

もう千年前になるだろう漢の朱雲という人が、天子を諌めたが、私も少しは似たことをした。そのために今に至って天子に 折檻“をしたために、このように空しく山の岩石が)ごつごつと重なっているこのような場所で、旅人として、しかも病気療養をしているのだ。

婁公不語宋公語,尚憶先皇容直臣。

漢の劉敬は「匈奴を今攻めるべきではないといった」と適切な諫言をしたが拘束され、発言を止められたし、戦国宋の襄公のように、「いま攻めるべき」といった意見を無視して大敗をした、このように、太宗のように家臣の意見をよく聞いた聖天子もいれば、先の天子肅宗のように、賀蘭進明や第五琦の様な都合のいい意見だけを取り上げてこの国の経済を悪化させるのである。

 

(折檻の行【うた】)

嗚呼 房・魏 復た見えず,秦王の學士 時に羨み難し。

青衿の冑子 困って泥塗すれど,白馬の將軍 雷電の若し。

千載 少くも似る 朱雲の人,至今 折檻すれど 空しく嶙峋たり。

婁公は語れず 宋公は語る,尚お憶う 先皇 直臣を容す。

蜀中転々圖 

 

『折檻行』 現代語訳と訳註解説

(本文)

嗚呼房魏不復見,秦王學士時難羨。

青衿冑子困泥塗,白馬將軍若雷電。

千載少似朱雲人,至今折檻空嶙峋。

婁公不語宋公語,尚憶先皇容直臣。

 

 

(下し文)

(折檻の行【うた】)

嗚呼 房・魏 復た見えず,秦王の學士 時に羨み難し。

青衿の冑子 困って泥塗すれど,白馬の將軍 雷電の若し。

千載 少くも似る 朱雲の人,至今 折檻すれど 空しく嶙峋たり。

婁公は語れず 宋公は語る,尚お憶う 先皇 直臣を容す。

 

(現代語訳)

(天子に諫言をした故事を引き合いにして、「房琯擁護事件」を揶揄したもの。)

ああ、唐建国に功績を残し、太宗に見いだされ唐王朝の礎、初唐文学を形成した房玄齡と魏徵と云える人物は再び見出すことはできない。名君といわれた太宗に見いだされた文学者、士太夫達は時には羨まれるというばかりではなかった。

科挙受験のために頼る門閥に入る書生のころというのは、貧困で、泥に見える苦労をしたものだが、おなじ、青衿を着ていても、南朝梁の侯景がおこした反乱は50年におよんだ梁の武帝時代の平和の夢が雷電のごとくやぶられただけでなく,江南の社会は上下をあげて壊滅的な打撃をこうむった。(安史の乱は、150年の平穏が打ち破られた。)

もう千年前になるだろう漢の朱雲という人が、天子を諌めたが、私も少しは似たことをした。そのために今に至って天子に 折檻“をしたために、このように空しく山の岩石が)ごつごつと重なっているこのような場所で、旅人として、しかも病気療養をしているのだ。

漢の劉敬は「匈奴を今攻めるべきではないといった」と適切な諫言をしたが拘束され、発言を止められたし、戦国宋の襄公のように、「いま攻めるべき」といった意見を無視して大敗をした、このように、太宗のように家臣の意見をよく聞いた聖天子もいれば、先の天子肅宗のように、賀蘭進明や第五琦の様な都合のいい意見だけを取り上げてこの国の経済を悪化させるのである。

華州から秦州同谷成都00 

(訳注)

折檻行

(天子に諫言をした故事を引き合いにして、「房琯擁護事件」を揶揄したもの。)

嗚呼房魏不復  秦王學士時難羨
青衿冑子困泥塗  白馬將軍若雷
千載少似朱雲  至今折檻空嶙
婁公不語宋公語  尚憶先皇容直

○○○●△●●  ○△●●○△○

○○●●●△○  ●●△○△○●

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○○△●●○●  △●△○○●○

 

嗚呼房魏不復見,秦王學士時難羨。

ああ、唐建国に功績を残し、太宗に見いだされ唐王朝の礎、初唐文学を形成した房玄齡と魏徵と云える人物は再び見出すことはできない。名君といわれた太宗に見いだされた文学者、士太夫達は時には羨まれるというばかりではなかった。

房魏 初唐の房玄齡と魏徵のこと。

○房玄齢(ぼうげんれい 578 - 648年)は中国唐代の政治家・歴史家。玄齢は字で、諱は喬。杜如晦と共に太宗の謀臣として玄武門の変において太宗の権力奪取を助け、貞観の治の立役者の一人とされる。また正史編纂にも関わり、『北斉書』などを総監した。高祖李淵が統一を果たして以後、優秀な人材の確保に努め、貞観の治のもう一人の立役者である杜如梅を見出し、太宗に推挙もおこなっている。建国間もない唐の王朝で皇太子・建成と世民の間で継承争いが起きると、房玄齢杜如晦はその謀略の才を建成側に恐れられ、讒言を受けて秦王府への立ち入りを禁じられた。世民も建成に悟られないように策謀を進め、直前に二人に連絡を取り、玄武門の変を成功させて建成を殺して即位した。

○魏 (ぎ ちょう、580 - 643年)は唐の政治家。字は玄成。太宗らに仕え、諫議大夫・左光禄大夫に任じられ、鄭国公に封じられた。直諫(じかに諫言)することで有名であり、そのやりとりは『貞観政要』に多く載せられている。巨鹿曲城(今の河北省)の人。幼少時貧困で、隋末に李密(瓦崗軍)のもとへ身を寄せ、敗戦して唐へ帰する。竇建徳の捕虜となり、才能を見出される。建徳の兵が敗れ、唐へ帰り、太子洗馬つまり李建成の側近の地位を得た。玄武門の変で建成が死ぬと、太宗は率直さを評価して諫議大夫へ昇進させた、後に秘書監、侍中等の職を転任。癇癪を起こした太宗を二百回余りも諌めた。死亡時、太宗は非常に哀しみ、侍臣へ以下のように言ったという。

「人は銅を以て鏡と為し、衣冠を正すべし、古きを以て鏡と為し、興替を見るべし、人の為す鏡を以て、得失を知るべし。魏徴の沒、朕亡くせし一鏡矣。」(『資治通鑑』巻一九六)。

太宗の命で編纂した『隋書』の序論、『梁書』、『陳書』、『齊書』の総論など、多くの著作がある。その言論は『貞観政要』に多く収められている。「人生意気に感ず」の句で有名な「述懐」という詩を詠んだ。

○秦王 唐太宗(李世民)(598年-649年),太宗は、唐朝の第2代皇帝。高祖李淵の次男で、隋末の混乱期に父の李淵を補佐して主に軍を率いて各地を転戦、群雄を滅ぼし、後に玄武門の変にて兄の李建成を殺害し皇帝に即位した。貞観の治と言う、唐王朝の基礎を固める善政を行い、中国史上最高の名君の一人と称えられる。

隋末唐初の混乱から国土を回復させ、後の唐の土台を築く治世を行ったこと、唐の領土を広げ、北方異民族の脅威を長年に渡って取り除いたこと、兄の李建成に、李世民の存在が皇太子の座を危うくしていること感じて殺害することを進言した魏徴の命を助け、彼を始めとする部下たちの諫言をよく聞き入れたことなどから、中国史上でも有数の名君と称えられる。

 

青衿冑子困泥塗,白馬將軍若雷電。

科挙受験のために頼る門閥に入るの書生のころというのは、貧困で、泥に見える苦労をしたものだが、おなじ、青衿を着ていても、南朝梁の侯景がおこした反乱は50年におよんだ梁の武帝時代の平和の夢が雷電のごとくやぶられただけでなく,江南の社会は上下をあげて壊滅的な打撃をこうむった。(安史の乱は、150年の平穏が打ち破られた。)

青衿冑子 科挙受験のために頼る門閥に入るの書生のころ。

困泥塗 貧困で泥に見える苦労をした。・泥塗:泥まみれになること。また,ぬかるみ。低い地位の喩え。けがれ汚れた場所。

白馬將軍 東魏からの投降将軍であった南朝梁の南予州刺史の侯景がおこした反乱をいう。

杜甫《洗兵行》「青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。」(青砲 白馬更に何か有らん、後漢 今周【こんしゅう】再び昌【さかん】なるを喜ぶ。)にあるように

 

千載少似朱雲人,至今折檻空嶙峋。

もう千年前になるだろう漢の朱雲という人が、天子を諌めたが、私も少しは似たことをした。そのために今に至って天子に 折檻“をしたために、このように空しく山の岩石が)ごつごつと重なっているこのような場所で、旅人として、しかも病気療養をしているのだ。

朱雲・折檻 君主を強く諫(いさ)める意。わが国では転じて、広く、きびしく意見して戒める意。《漢書・朱雲伝》「上大怒曰、小臣居下訕上、廷辱師傅。罪死不赦。御史將雲下。雲攀殿檻。檻折。雲呼曰、臣得下從龍逢・比干、遊於地下、足矣。未知聖朝何如耳。御史遂將雲去。」

嶙峋 山の岩石が)ごつごつと重なっている.

 

婁公不語宋公語,尚憶先皇容直臣。

漢の劉敬は「匈奴を今攻めるべきではないといった」と適切な諫言をしたが拘束され、発言を止められたし、戦国宋の襄公のように、「いま攻めるべき」といった意見を無視して大敗をした、このように、太宗のように家臣の意見をよく聞いた聖天子もいれば、先の天子肅宗のように、賀蘭進明や第五琦の様な都合のいい意見だけを取り上げてこの国の経済を悪化させるのである。

婁公 漢の劉敬のこと。(前漢紀元前200年ごろ)は、中国前漢時代の政治家。斉の人。元の名は婁敬。劉敬は国境警備の兵として隴西へ行く途中劉邦のいる洛陽を通ったとき、同じ斉出身の虜将軍に劉邦と会わせて貰えるように頼んだ。この時劉敬は羊の皮の服を着ていたので虜将軍に新しい服を着るように言ったが、結局劉敬はそのまま劉邦に謁見することにした。劉敬は劉邦に洛陽を都とした周と漢との違いを述べ、天然の要害である秦の故地長安を都にすべきと進言した。しかし群臣の多くは秦が短命に終わり、周が長く続いたことをもって洛陽を推した。劉邦は決めかねていたが張良が長安を推したために長安に決した。最初に長安を勧めた功により劉敬は劉姓を賜り、婁敬から名を改め劉敬とし、郎中に任じられ奉春君の称号を貰った。

韓王信謀反の報を聞いた劉邦は軍を率いこれを討とうしたが、韓王信が匈奴と手を結んだことを聞き大いに怒り匈奴に使者を送った。匈奴は壮士や良馬は隠し、老弱な者ややせた家畜しか使者に見せなかったので、使者は皆大いに侮り劉邦に匈奴を攻撃するよう進言した。しかし同じく匈奴に使者としていった劉敬は「国同士が争うときは自国の良い所を相手に見せ誇るものです。しかし匈奴は老弱な者ややせた家畜しか見せない。これはわざと弱いところを見せて、伏兵によって勝利しようとしようとしてるのです。匈奴を攻撃するのはやめるべきです」と進言したが、この時すでに二十万余りの兵を発していた劉邦は進言を怒り劉敬を拘束してしまった。その後劉邦は平城にて匈奴の伏兵により囲まれ、陳平の奇策によってなんとか難を逃れると、劉敬の拘束を解き自分の非を認め、劉敬を関内侯とし二千戸の領地と建信侯の称号を与えた。

宋公 宋公(待考)戦国宋の襄公のここと。

泓水の戦いで、圧倒的に自軍が不利にも拘らず「敵が渡河している間に攻撃するべきだ」と言った意見を、襄公はこれを許さず、大敗した。こような行動をとったことから、身の程知らずの情けのことを「宋襄の仁」と呼ぶようになった。

先皇 代宗の前の皇帝は肅宗で、杜甫は、諫言した「房琯擁護事件」により、肅宗の逆鱗に触れた。唐王朝の先帝、太宗は諫言をよく聞き入れ、聖天子といわれる「貞観の治」を行った。

容直臣 肅宗は後宮と宦官などに都合のいい、意見を取り入れた。杜甫の「房琯擁護事件」の真相は、房琯杜甫ら一党の経済政策と賀蘭進明・第五琦らの経済政策との対立が原因である。

三者の思惑が合致 

 

 

《洗兵行》「青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。」(青砲 白馬更に何か有らん、後漢 今周【こんしゅう】再び昌【さかん】なるを喜ぶ。

もはや侯景の様な青袍白馬の大義のない叛乱の将等というのは物の数ではない。後漢光武の世、周の宣王の世が粛宗によって今日ふたたびさかんになるに至ったことはよろこばしいことである。 

○青袍白馬 梁の侯景の故事。大同中に「青糸白馬寿陽より来たる」という童謡がはやった。景が渦陽の敗に錦を求めたところ、朝廷は給するのに青布を以てした。景はことごとく用いて袍となし、白馬に乗り青糸を轡となして童謡の語に応じょぅとした。青袍白馬は侯景が叛いたときのいでたちであり、今借りて安史軍の史思明・安慶緒等をさす。○更何有 意とするに足らないことをいう。○後漢今周  後漢は光武帝の中興をさし、今周は今日において周の宜王の再起したことをいう、竝に粛宗をたとえていう。○再昌 「攀竜」の句より「後漢」の句までは、功臣は恩寵をたのむべからず、宰相は其の人を得て、唐朝復興の兆のあることを喜ぶことをいう。

侯景が身に靑袍を着け、靑袍白馬といふのは"梁の侯景の故事

【侯景の乱】

中国,南朝梁の武帝治下の548(太清2)8月,南予州刺史の侯景がおこした反乱。侯景は羯族(かつぞく)の出身,東魏からの投降将軍であった。反乱軍は寿春(安徽省寿県)からただちに都の建康(南京)を突き,翌年3月,数ヵ月にわたる籠城のすえ宮城は陥落。55111月に侯景は即位して国号を漢と定めたが,王僧弁と陳霸先の連合軍の攻撃をうけて敗死した。この乱によって,50年におよんだ梁の武帝時代の平和の夢がやぶられただけでなく,江南の社会は上下をあげて壊滅的な打撃をこうむった。

 

折檻 君主を強く諫(いさ)める意。わが国では転じて、広く、きびしく意見して戒める意。《漢書・朱雲伝》「上大怒曰、小臣居下訕上、廷辱師傅。罪死不赦。御史將雲下。雲攀殿檻。檻折。雲呼曰、臣得下從龍逢・比干、遊於地下、足矣。未知聖朝何如耳。御史遂將雲去。」

漢の朱雲が悪臣の張禹(ちょうう)を殺させてほしいと成帝に願い出た時、帝は大いに怒って朱雲を死罪にしようとした。御史(ぎょし)が朱雲を殿上から引きおろそうとしたが、朱雲が檻(てすり)にしがみついて動かないので檻が折れたという故事による。

上大怒曰、小臣居下訕上、廷辱師傅。罪死不赦。御史將雲下。雲攀殿檻。檻折。雲呼曰、臣得下從龍逢・比干、遊於地下、足矣。未知聖朝何如耳。御史遂將雲去。

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厳武《軍城早秋》

昨夜秋風入漢関 朔雲辺雪満西山 

更催飛将追臨虜 莫遣沙場匹馬還

 

杜甫《奉和厳鄭公軍城早秋

秋風褭褭動高旌,玉帳分弓射虜營。

已收滴博雲間戍,更奪蓬婆雪外城。

 

 

詩題: 奉和嚴大夫軍城早秋 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 七言 

杜少陵集巻十四 

及地點:  的博嶺 (劍南道北部 維州 的博嶺) 別名:滴博     

蓬婆山 (劍南道北部 柘州 蓬婆山)     

交遊人物: 嚴武 書信往來(劍南道北部 益州 成都)

 

 

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軍城早秋(軍城の早秋) 厳武

 

 

軍城早秋

昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。

更催飛将追臨虜,莫遣沙場匹馬還。

(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)

吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。

このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。

 

(軍城の早秋)

昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。

更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ。

 

安史の乱当時の勢力図 

軍城早秋』 現代語訳と訳註

(本文)

軍城早秋

昨夜秋風入漢関 朔雲辺雪満西山 

更催飛将追臨虜 莫遣沙場匹馬還

 

(下し文)

(軍城の早秋)

昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。

更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ。

 

(現代語訳)

(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)

吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。

このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。

 

(訳注)

軍城早秋(軍城の早秋)

(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)

764年、広徳二年七月の作。此の年、九月に厳武の軍は吐蕃七万余の衆を当狗城に破り、遂に塩川城を収めた。詩はその二か月前に成ったのでこれより吐蕃を攻め破ろうとの意気込みでよんだものである。

○軍城 軍務中の城、成都の城をいう。

 

昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。

吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。

○昨夜 ゆうべ、必ずしも、ただちに前日の夜をさすというわけではない。

○漢関 漢地の関、唐の吐蕃境に接する関をいう。

○朔雲 北方よりのくも、雪雲のこと。

○辺雪 辺境の雪、「雪」の字を或は「月」に作る、月は月光をいう、雪の意はすでに朔雲のうちにこもっているので「月」の字が妙に思われる。

○西山 雪山をさす、すでにしばしばみえる。

 

更催飛将追臨虜莫遣沙場匹馬還

このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。

○更催 更とはこれまでよりももっとということ、催は催促。

○飛将 湊の武帝の時の名将李広を称して旬奴はこれを飛将軍といった、その兵をやることの神速なことをいうのである、ここは部下の将軍をさしていう。

○臨虜 えびすにのぞむ、吐蕃をさす。

○遣 俗用、「して1-せしむる」こと。

○沙場 沙漠をいう、ここは単に戦場をいう。

〇匹馬 一匹の馬さえもの意、敵の馬についていう。

 

(軍城の早秋)

昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。

更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ

 

軍城早秋

昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。

更催飛将追臨虜,莫遣沙場匹馬還。
題新津北橋棲00 

廣徳2年764-69 《奉寄別馬巴州》 ふたたび成都 杜甫<745> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4055 杜甫詩1500-745-982/250033

(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。


        
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製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題: 奉寄別馬巴州

〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕 

及地點:  巴州 (山南西道 巴州 巴州) 別名:巴中、巴     

交遊人物: 馬巴州

 

 

奉寄別馬巴州

(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)

〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕

〔杜甫自身の注:時に杜甫は長安地方の功曹に任ぜられた,東川(梓州の幕府)にいた。〕
勳業終歸馬伏波,功曹非復漢蕭何。 

ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。

扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。 

わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。

獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過。 

私が決意しているのは功曹にはつかず魚釣りの竿を手にどうしても遠くへ行こうと思っているのだ。この鳥が一たび、翼を使って飛び立ってしまえばあなたのもとを通過してしまいあなたに従っていくことが出来なくなるのである。

知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。 

私はこれから春景色の洞庭湖を愛賞するけれどあなたはまだそのようなことはできないのだ。というのも、あなたはクロ駒に乗って白玉の馬飾を鳴らしてゆくことに趣きを持っておられそれをツラ抜かれるべきであるからである。

 

(異文)

勳業終歸馬伏波【勳業真歸馬伏波】,功曹非復漢蕭何【功曹無復漢蕭何】。

扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。

獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過【難隨烏翼一相過】。

知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。

 

(馬巴州に寄せ 別れ奉る)

〔自注:時に甫 京兆の功曹に除せられ,東川に在る。〕

勳業 終に歸す 馬 伏波たり,功曹 復た漢の蕭何に非ず。 

扁舟 繫纜【けいらん】沙邊に久しく,南國 浮雲 水上に多し。 

獨り魚竿を把んで 終に遠く去り,鳥翼に隨って一たび相い過【よぎ】り難し。 

知るや君 未だ春湖の色を愛せざるを,興は在り驪駒【りく】白玉珂。 

蜀中転々圖

 

『奉寄別馬巴州』 現代語訳と訳註

(本文)

奉寄別馬巴州

〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕

勳業終歸馬伏波,功曹非復漢蕭何。 

扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。 

獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過。 

知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。 

 

(下し文)

(馬巴州に寄せ 別れ奉る)

〔自注:時に甫 京兆の功曹に除せられ,東川に在る。〕

勳業 終に歸す 馬 伏波たり,功曹 復た漢の蕭何に非ず。 

扁舟 繫纜【けいらん】沙邊に久しく,南國 浮雲 水上に多し。 

獨り魚竿を把んで 終に遠く去り,鳥翼に隨って一たび相い過【よぎ】り難し。 

知るや君 未だ春湖の色を愛せざるを,興は在り驪駒【りく】白玉珂。 

 

(現代語訳)

(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)

ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。

わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。

私が決意しているのは功曹にはつかず魚釣りの竿を手にどうしても遠くへ行こうと思っているのだ。この鳥が一たび、翼を使って飛び立ってしまえばあなたのもとを通過してしまいあなたに従っていくことが出来なくなるのである。

私はこれから春景色の洞庭湖を愛賞するけれどあなたはまだそのようなことはできないのだ。というのも、あなたはクロ駒に乗って白玉の馬飾を鳴らしてゆくことに趣きを持っておられそれをツラ抜かれるべきであるからである。

 

 杏の花0055

(訳注)

奉寄別馬巴州

(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)

〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕

〔杜甫自身の注:時に杜甫は長安地方の功曹に任ぜられた,東川(梓州の幕府)にいた。〕

杜甫は、764年廣德二年早春、梓州にいたが厳武の働きで京兆功曹に任ぜられたが赴任せず、荊南に赴こうとして馬巴州刺史に寄せた詩である。

 

勳業終歸馬伏波,功曹非復漢蕭何。 

ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。

馬伏波 後漢の政治家,武将。字は子淵,茂陵(陝西省興平県)の出身。若くして大志をいだき,王莽(おうもう)に仕えて新城大尹となったが,のち隗囂(かいごう)に身を寄せ,さらに光武帝に帰した。太中大夫に任ぜられて涼州を平定し,また隴西(ろうせい)太守となって先零の羌人(きようじん)を討ち,やがて中央に帰って虎賁(こふん)中郎将,ついで伏波将軍となり,交趾討伐に武功を立てて新息侯三千戸に封ぜられた。武陵蛮がそむくや,62歳の老齢で討伐におもむき,陣中で病没した。ここでは同姓でもじったもの。

漢蕭何 蕭 何(しょう か、? - 紀元前193年)は、秦末から前漢初期にかけての政治家。劉邦の天下統一を輔けた、漢の三傑の一人。

 

扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。 

わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。

繫纜 船を停泊させるため艫綱をつなぐことをいう。

 

獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過。 

私が決意しているのは功曹にはつかず魚釣りの竿を手にどうしても遠くへ行こうと思っているのだ。この鳥が一たび、翼を使って飛び立ってしまえばあなたのもとを通過してしまいあなたに従っていくことが出来なくなるのである。

 

知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。

私はこれから春景色の洞庭湖を愛賞するけれどあなたはまだそのようなことはできないのだ。というのも、あなたはクロ駒に乗って白玉の馬飾を鳴らしてゆくことに趣きを持っておられそれをツラ抜かれるべきであるからである。

春湖 洞庭湖のことで、朝廷からの京兆功曹のお役を断って荊州、江南に向かうと決意していることをいう。

白玉珂 白玉の馬飾。馬が歩くとカランカランとなる。

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(荊南へ赴く剣州刺史李某に寄せて別れを告げた詩。)あなたの侠義の高い行いは古今の人をおいのけるほどであるが、この三年のあいださびしく剣州にじっとしておられたということだ。

        
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廣徳2764-68 《將赴荊南寄別李劍州》764年廣德二年 杜甫<744> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4050 杜甫詩1500-744-981/2500

巻十三 

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題:將赴荊南寄別李劍州 

作地點:目前尚無資料 

及地點:  劍州 (劍南道北部劍州 劍州)/灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州) /仲宣樓 (山南東道 荊州 當陽)     

交遊人物:李劍州

成都遂州00 

 

將赴荊南寄別李劍州

(荊南へ赴く剣州刺史李某に寄せて別れを告げた詩。)

使君高義驅今古,寥落三年坐劍州。

あなたの侠義の高い行いは古今の人をおいのけるほどであるが、この三年のあいださびしく剣州にじっとしておられたということだ。

但見文翁能化俗,焉知李廣未封侯。

ただ、われわれの見る所ではあなたの政治はむかし文翁が教育を以て蜀の風俗を感化したと同じであるが、李広にも此すべきあなたが意外にもいまだに侯位に封ぜられずにいるのである。

路經澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。

自分はこれから左右の鬢の毛のもつれた老体をもって急流の灩澦堆の路をとおり、一扁の釣舟に乗じて滄浪の天に入ろうとする。

戎馬相逢更何日,春風回首仲宣樓。

兵乱の際だからまたおあいするのはいつのことになるやら、定めし自分は荊州についたのち魏の王粲「登楼の賦」の遺跡で春風に対して、きっとあなたの方をふりむいてながめることでしょう。

 

(将に荊南に赴かんとして李剣州に寄せ別る)

使君の高義今古を駆る、蓼落三年剣州に坐す。

但だ文翁の能く俗を化するを見て、焉んぞ李広の未だ侯に封ぜられざるを知らん。

路は灩澦【えんよ】双蓬の鬢で経て、天槍 浪に一釣舟で入る。

戎馬相い逢う更に何の日ぞ、春風 仲宜が楼に首を廻らさん。

蜀中転々圖

『將赴荊南寄別李劍州』 現代語訳と訳註

(本文)

將赴荊南寄別李劍州

使君高義驅今古,寥落三年坐劍州。

但見文翁能化俗,焉知李廣未封侯。

路經澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。

戎馬相逢更何日,春風回首仲宣樓。

 

(下し文)

(将に荊南に赴かんとして李剣州に寄せ別る)

使君の高義今古を駆る、蓼落三年剣州に坐す。

但だ文翁の能く俗を化するを見て、焉んぞ李広の未だ侯に封ぜられざるを知らん。

路は灩澦【えんよ】双蓬の鬢で経て、天槍 浪に一釣舟で入る。

戎馬相い逢う更に何の日ぞ、春風 仲宜が楼に首を廻らさん。

 

(現代語訳)

(荊南へ赴く剣州刺史李某に寄せて別れを告げた詩。)

あなたの侠義の高い行いは古今の人をおいのけるほどであるが、この三年のあいださびしく剣州にじっとしておられたということだ。

ただ、われわれの見る所ではあなたの政治はむかし文翁が教育を以て蜀の風俗を感化したと同じであるが、李広にも此すべきあなたが意外にもいまだに侯位に封ぜられずにいるのである。

自分はこれから左右の鬢の毛のもつれた老体をもって急流の灩澦堆の路をとおり、一扁の釣舟に乗じて滄浪の天に入ろうとする。

兵乱の際だからまたおあいするのはいつのことになるやら、定めし自分は荊州についたのち魏の王粲「登楼の賦」の遺跡で春風に対して、きっとあなたの方をふりむいてながめることでしょう。

 

(訳注)

將赴荊南寄別李劍州

(荊南へ赴く剣州刺史李某に寄せて別れを告げた詩。)

○刑南 湖北省刑州府江陵県。

○李剣州 剣州の刺史李某、剣州は綿州梓憧県、聞州の西北にあたる。

 

使君高義驅今古,寥落三年坐劍州。

あなたの侠義の高い行いは古今の人をおいのけるほどであるが、この三年のあいださびしく剣州にじっとしておられたということだ。

○使君李をさす、使君は太守の敬称であるが唐人は刺史をさしてかくいう。

○駆今古 今人古人を駆逐するとの意で、たぐいのすくないことをいう。

○蓼落 さびしいさま。

〇三年 刺史の任期であろう。

○坐 じっとしている。

 

但見文翁能化俗,焉知李廣未封侯。

ただ、われわれの見る所ではあなたの政治はむかし文翁が教育を以て蜀の風俗を感化したと同じであるが、漢の李広にも此すべきあなたが意外にもいまだに侯位に封ぜられずにいるのである。

○文翁 漢の時、文翁は蜀郡の守となり、成都に学宮を修め起こし吏民を大いに教化した。

○李広 李広(り こう、? - 紀元前119年)は、中国前漢時代の将軍。文帝・景帝・武帝に仕えた。武勇に優れていたが戦功を認められることなく憤死した。秦の名将の李信の子孫である。従弟に丞相になった李蔡、孫に李陵がいる。

○封侯 侯の爵にとりたでられる。

 

路經澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。

自分はこれから左右の鬢の毛のもつれた老体をもって急流の灩澦堆の路をとおり、一扁の釣舟に乗じて滄浪の天に入ろうとする。

○灩澦 唯の名、瞿塘峡口にある。夔州より荊州へ赴く途中に経る所である。

○雙蓬鬢 左右のもつれたぴんの毛。

○天入滄浪 滄浪の天に入ることをいう、滄浪は緑水をいう。「高貴」の漢水は東流して滄浪の水となるとある「滄浪水」のことと説くのは当たらぬ、荊州へゆくのに滄浪水は関係がない。

 

戎馬相逢更何日,春風回首仲宣樓。

兵乱の際だからまたおあいするのはいつのことになるやら、定めし自分は荊州についたのち魏の王粲「登楼の賦」の遺跡で春風に対して、きっとあなたの方をふりむいてながめることでしょう。

○戎馬 兵乱の時をいう。

○仲宜楼 魏の王粲(字は仲宣)は荊州の劉表に依り、当陽県の城楼にのぼって懐郷の念をのべて「登楼賦」をつくった。荊州の州治は今の江陵県で当陽県ではないが、当陽は附近の地ゆえ、其の地の名蹟をあげ用いたのである。
成都関連地図 00 

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巴山をみると春の景色がしずかに横たわっているが、朝廷のある北をながめると都には異民族がたむろし、その山はいよいよ遠くまでつづいていて、その道も危なくて、とても都の役人になれと言われてもその気にはなれないのである。


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index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など
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廣徳2764-61 《傷春,五首之二》 ふたたび成都 杜甫<737> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4015 杜甫詩1500-737-974/250025

 

傷春,五首 〔二〕 
(この第二首は国事より家事に及んで傷んだ)

〔自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。〕

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)
鶯入新年語,花開滿故枝。
新年になれば庭に入って鶯は春を告げることばを云うし、花はもとの枝にそのままいっぱいに咲き満ちちるものだ。
天青風卷幔,草碧水通池。

天も春の青さを知らせてくれ、風も行楽の幔幕を巻きあげて報せ、草の色はみどりにして成長し、春水が豊かさを池のもほうに運んでくれる。
牢落官軍速,蕭條萬事危。
国の方はというと唐の国軍兵士は外敵に攻められて簡単に陥落して逃散し、形勢さびしく振るわず万事が危いことだらけである。
鬢毛元自白,點向來垂。

自分の髪の毛はもとから白いがもっと白くなったのではないか、この有様では涙のしずくの上に涙が至り、これまでもこれからもに垂れつづけることだろう。

不是無兄弟,其如有別離。

国の事ばかりではない。自分には兄弟がいないのと同然なのだ、いるのに別れたままで連絡も取れないという事実のあることをどうすることもできないのである。

巴山春色靜,北望轉逶迤。

巴山をみると春の景色がしずかに横たわっているが、朝廷のある北をながめると都には異民族がたむろし、その山はいよいよ遠くまでつづいていて、その道も危なくて、とても都の役人になれと言われてもその気にはなれないのである。

 

(春を傷む 五首〔二〕)

鶯入りて 新年語なり、花開きて故枝【こし】に満つ。

天 靑くして 風 幔【まん】を巻き、草碧にして 水 池に通づ。

牢落【ろうらく】官軍 速く、蕭条 万事 危し。

鬢毛 元【もとも】と自ずから白し、涙点【るいてん】 向い来たりて垂る。

是れ兄弟 無きならず、其れ別離 有るを如せん。

巴山 春色 静なり、北望 転【うた】た透迤【いい】たり。

蜀中転々圖

『傷春,五首 〔二〕』 現代語訳と訳註

(本文)

傷春,五首 〔二〕

〔自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。〕

鶯入新年語,花開滿故枝。天青風卷幔,草碧水通池。

牢落官軍速,蕭條萬事危。鬢毛元自白,點向來垂。

不是無兄弟,其如有別離。巴山春色靜,北望轉逶迤。

 

 

(下し文)

(春を傷む 五首〔二〕)

鶯入りて 新年語なり、花開きて故枝【こし】に満つ。

天 靑くして 風 幔【まん】を巻き、草碧にして 水 池に通づ。

牢落【ろうらく】官軍 速く、蕭条 万事 危し。

鬢毛 元【もとも】と自ずから白し、涙点【るいてん】 向い来たりて垂る。

是れ兄弟 無きならず、其れ別離 有るを如せん。

巴山 春色 静なり、北望 転【うた】た透迤【いい】たり。

 

(現代語訳)

(この第二首は家事がままならぬ国事のあり方に傷んだ)

新年になれば庭に入って鶯は春を告げることばを云うし、花はもとの枝にそのままいっぱいに咲き満ちちるものだ。

天も春の青さを知らせてくれ、風も行楽の幔幕を巻きあげて報せ、草の色はみどりにして成長し、春水が豊かさを池のもほうに運んでくれる。

国の方はというと唐の国軍兵士は外敵に攻められて簡単に陥落して逃散し、形勢さびしく振るわず万事が危いことだらけである。

自分の髪の毛はもとから白いがもっと白くなったのではないか、この有様では涙のしずくの上に涙が至り、これまでもこれからもに垂れつづけることだろう。

国の事ばかりではない。自分には兄弟がいないのと同然なのだ、いるのに別れたままで連絡も取れないという事実のあることをどうすることもできないのである。

巴山をみると春の景色がしずかに横たわっているが、朝廷のある北をながめると都には異民族がたむろし、その山はいよいよ遠くまでつづいていて、その道も危なくて、とても都の役人になれと言われてもその気にはなれないのである。

 

8世紀唐と周辺国00 

(訳注)

傷春,五首 〔二〕 (この第二首は家事がままならぬ国事のあり方に傷んだ)

〔自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。〕

鶯、花、天、山の青さ、風、草、池と春は当たり前のように來るし、自分の白髪頭も白さを増していくし、涙を止めようにも止まらず、兄弟は離れ離れのままである。どうしてこんな国になったのか。北の朝廷の方にきたいをしてもだめなのか。

 

鶯入新年語,花開滿故枝。

新年になれば庭に入って鶯は春を告げることばを云うし、花はもとの枝にそのままいっぱいに咲き満ちちるものだ。

 

天青風卷幔,草碧水通池。

天も春の青さを知らせてくれ、風も行楽の幔幕を巻きあげて報せ、草の色はみどりにして成長し、春水が豊かさを池のもほうに運んでくれる。

○幌 まく。

 

牢落官軍速,蕭條萬事危。

国の方はというと唐の国軍兵士は外敵に攻められて簡単に陥落して逃散し、形勢さびしく振るわず万事が危いことだらけである。

○牢落さびしいさま。

*杜甫は、現皇帝の代宗、その前の粛宗に対して厳しい見方をしている。左拾遺から左遷したのも粛宗である。代宗もイェスマンだけを取りたて、気ままな政治をしている。

 

鬢毛元自白,點向來垂。

自分の髪の毛はもとから白いがもっと白くなったのではないか、この有様では涙のしずくの上に涙が至り、これまでもこれからもに垂れつづけることだろう。

*ここはこの国は、この天子、それを支える官僚たちではどうしようもないことをいう。

 

不是無兄弟,其如有別離。

国の事ばかりではない。自分には兄弟がいないのと同然なのだ、いるのに別れたままで連絡も取れないという事実のあることをどうすることもできないのである。

○如「如何」とおなじ。

*唐は30里に一か所の駅伝制(駅亭・水亭)を整備していた玄宗の時代はきちんと書簡通っていたが、道路・水路もズタズタになっていることをいう。

 

巴山春色靜,北望轉逶迤。

巴山をみると春の景色がしずかに横たわっているが、朝廷のある北をながめると都には異民族がたむろし、その山はいよいよ遠くまでつづいていて、その道も危なくて、とても都の役人になれと言われてもその気にはなれないのである。

○巴山 閬州の山。

○逶迤 はるかに遠いさま、巴山のさまをいう。
月明峡01 

廣徳2年764-60 《傷春,五首之一》 ふたたび成都 杜甫<736> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4010 杜甫詩1500-736-973/2500

大明宮には風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところであるのだが、代宗は群臣たちにかこまれて、まさに「みんな竜につき従うことしか考えない者たちの集まり」といわねばなるまい。

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廣徳2764-60 《傷春,五首之一》 ふたたび成都 杜甫<736> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4010 杜甫詩1500-736-973/2500

 

 

製作年:764  廣德二年  53 ID14-736

卷別:巻十三 (卷二二八)  文體: 五言古詩 

詩題: 傷春,五首之一【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】 

製作作地: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

及地點:  長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都 

 

 

傷春五首〔一〕〔原注〕 巴闇僻遠、傷春離、始知春前己収宮闕。

天下兵雖滿,春光日自濃。

西京疲百戰,北闕任群凶。

關塞三千里,煙花一萬重。

蒙塵清路急,禦宿且誰供。

殷複前王道,周遷舊國容。

蓬萊足雲氣,應合總從龍。

(春が来ても心は痛む)〔一〕【代宗が長安から陜州へ逃げたことを悲しんだもの】

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)

いま、天下の其処ら中に兵が満ち、戦に満ち溢れている、それというのにいつものように春のひかりは日一日と春景色を自然に色濃くしている。

西域異民族に近い長安の都はたびたびの戦いに疲れ、禁苑と北の門は多くのわるものどもの手にゆだねられている。

ここの閬州の関塞は都から三千里の遠いところにあり、煙花のながめは無数にかさなってみえるのである。

このとき天子は都から一目散に地煙を上げてお逃げになったというが、御宿が都から離れてしまい、ご先祖の五陵への道路の掃除をすることもできまいし、大切なお供えをだれができるというのか。

殷は賢王がふたたび先王の政道にたちもどらせたものであるし、周の国はえびすに攻められ東にうつっても、古き良き時代の国の姿かたちに遷らせたということなのだ。

大明宮には風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところであるのだが、代宗は群臣たちにかこまれて、まさに「みんな竜につき従うことしか考えない者たちの集まり」といわねばなるまい。

 

(春を傷む 五首〔一〕)

天下 兵 満つと雖も、春光 日びに自ずから濃くなる。

西京 百戦に疲れ、北闕 群兇に任す。

関塞 三千里、煙花 一万重。

蒙塵 清路 急なり、御宿 且つ誰か供せん。

殷は複す 前王の道を、周は遷る 旧えの国容に。

蓬莱 雲気足り、応合【まさ】に総て竜に従うなるべし。

 

 

『傷春五首〔一〕』 現代語訳と訳註

(本文)

傷春五首〔一〕〔原注〕 巴闇僻遠、傷春離、始知春前己収宮閲

天下兵雖滿,春光日自濃。

西京疲百戰,北闕任群凶。

關塞三千里,煙花一萬重。

蒙塵清路急,禦宿且誰供。

殷複前王道,周遷舊國容。

蓬萊足雲氣,應合總從龍。

 

 

(下し文)

(春を傷む 五首〔一〕)

天下 兵 満つと雖も、春光 日びに自ずから濃くなる。

西京 百戦に疲れ、北闕 群兇に任す。

関塞 三千里、煙花 一万重。

蒙塵 清路 急なり、御宿 且つ誰か供せん。

殷は複す 前王の道を、周は遷る 旧えの国容に。

蓬莱 雲気足り、応合【まさ】に総て竜に従うなるべし。

 

(現代語訳)

(春が来ても心は痛む)〔一〕【代宗が長安から陜州へ逃げたことを悲しんだもの】

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)

いま、天下の其処ら中に兵が満ち、戦に満ち溢れている、それというのにいつものように春のひかりは日一日と春景色を自然に色濃くしている。

西域異民族に近い長安の都はたびたびの戦いに疲れ、禁苑と北の門は多くのわるものどもの手にゆだねられている。

ここの閬州の関塞は都から三千里の遠いところにあり、煙花のながめは無数にかさなってみえるのである。

このとき天子は都から一目散に地煙を上げてお逃げになったというが、御宿が都から離れてしまい、ご先祖の五陵への道路の掃除をすることもできまいし、大切なお供えをだれができるというのか。

殷は賢王がふたたび先王の政道にたちもどらせたものであるし、周の国はえびすに攻められ東にうつっても、古き良き時代の国の姿かたちに遷らせたということなのだ。

大明宮には風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところであるのだが、代宗は群臣たちにかこまれて、まさに「みんな竜につき従うことしか考えない者たちの集まり」といわねばなるまい。

 

(訳注)

傷春五首〔一〕〔原注〕 巴闇僻遠、傷春離、始知春前己収宮閲

(春が来ても心は痛む)〔一〕【代宗が長安から陜州へ逃げたことを悲しんだもの】

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)これは収京の事実を知ってからかきそえた文句なのだ。したがって、詩のなかにはすこしも収京を知ったことにふれていない。○傷春 寿げしきを見て心をいたましめたこと、代宗がお逃げになられたことを悲しんだものである。

○巴閬 巴蜀、閬州をいう。

○傷春罷 この「傷春」の詩をつくりおわったことをいう。

○春前 春より以前に。(76312月)

○収宮闕 長安の宮門をとりかえす。吐蕃は広徳元年十月に長安を陥落させ、十二月に退却した。代宗は十二月に還京されたことをいう。

 

天下兵雖滿,春光日自濃。

いま、天下の其処ら中に兵が満ち、戦に満ち溢れている、それというのにいつものように春のひかりは日一日と春景色を自然に色濃くしている。

 

西京疲百戰,北闕任群凶。

西域異民族に近い長安の都はたびたびの戦いに疲れ、禁苑と北の門は多くのわるものどもの手にゆだねられている。

○西京 天下の二京のなかでも特別な都である長安。この時、代宗は長安が西域異民族(ウイグルと吐蕃)に近いため洛陽【東都】を都にしようとしていた。この聯は、つまり、逃げる事ばかり考えていたということ。

〇百戦 たびたびの戦。

○北闕 北方の披(わき)の門、北というのは禁苑に面した門で、攻めやすいし、逃げやすいのでこういう。吐蕃侵入の方位である。

○群兇 多くのわるもの。吐蕃を導き入れた高暉・王献忠の輩をさす。「通鑑」に、「広徳元年、冬十月、吐蕃、京畿を陥る、渭北行営兵馬使呂月将、精卒三千を将いて吐蕃と蟄屋に戦い擒にせらる、又た涇州刺史高暉・射生将王献忠等、吐蕃を迎えて長安に入れ、郡王守礼が孫の承宏を立てて帝となす、」とみえる。

 

關塞三千里,煙花一萬重。

ここの閬州の関塞は都から三千里の遠いところにあり、煙花のながめは無数にかさなってみえるのである。(だから客観情勢がよく見える。)

○関塞 閬州のとりでをさす。

○三千里 長安よりの距離。

○煙花 煙を帯びた春の花。

〇一万重 多くかさなってみえる。

 

蒙塵清路急,禦宿且誰供。

このとき天子は都から一目散に地煙を上げてお逃げになったというが、御宿が都から離れてしまい、ご先祖の五陵への道路の掃除をすることもできまいし、大切なお供えをだれができるというのか。

○蒙塵 天子の逃げだされたこと。

○清路急 清路は御通過の路すじをはききよめること、急とは掃除の暇のないことをいう。○御宿 天子の宿泊されるとこるが陜州という敵に見つかりにくい所ではあるが、縁もゆかりも少ない所であること。

○供 唐王朝の御先祖に対する政を放棄することは、国を放棄するのとおなじことである。

 

殷複前王道,周遷舊國容。

殷は賢王がふたたび先王の政道にたちもどらせたものであるし、周の国はえびすに攻められ東にうつっても、古き良き時代の国の姿かたちに遷らせたということなのだ。

○殷復 殷の武丁(高宗)は行いを修めて先王の政を復した。

○周遷 遷すのは「旧国容」(古き良き時代の国の姿かたち)である、国のすがたがかわったということ、周ははじめ鏑に都したが、犬戎に攻められ、平王のとき東方の洛邑に都をうつした。都を遷すのは、それによってよき施政を行うためである。先祖に恥ずかしくないのかということである。仁徳を忘れ、好き嫌いの政治を行っていることが前提にある。

 

蓬萊足雲氣,應合總從龍。

大明宮には風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところであるのだが、代宗は群臣たちにかこまれて、まさに「みんな竜につき従うことしか考えない者たちの集まり」といわねばなるまい。

○蓬莱 唐の大明宮の大掖池の中にある御殿の名。唐の宮中の象徴的存在で、大明宮のほぼ中心にあった。

○足雲氣 風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところである。

○応合 二字で「まさに云云すべし」。

○総 雲気のすべてが。

○従竜 「易」(文言)に「雲は竜に従い、風は虎に従り」とあり、竜は天子に此し、雲は群臣に比する。杜甫はこれまで玄宗をよく龍に喩えていた。

廣徳2年764-59 《空城【城上】》 ふたたび成都 杜甫<735> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4005 杜甫詩1500-735-972/250023

杜甫《空城》一夜で5000km 走るという8頭の駿馬は穆王という良い天子のもとだから付き従ったのであり、(何もしない、強くもない代宗のまわりには賢臣がいなくて)群臣の者たちは、武力の強い天子に盲目的に従うだけだ。

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製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 城上【空城】 

及地點:  巴西 (劍南道北部 綿州 巴西)     

 

 

空城〔城上〕

(何にも施政が届かない空しい城郭を詠う)

草滿巴西綠,空城白日長。

希望の春で草草が成長している巴西辺りには緑いっぱいである。誰もいない空しい城郭には日差しが長く当たっている。

風吹花片片,春動水茫茫。

風が吹けば、さきほこるはなはゆらゆらゆれているし、春景色に増水した春水にゆったりと遙か先まで流れて行く。

八駿隨天子,群臣從武皇。

一夜で5000km 走るという8頭の駿馬は穆王という良い天子のもとだから付き従ったのであり、(何もしない、強くもない代宗のまわりには賢臣がいなくて)群臣の者たちは、武力の強い天子に盲目的に従うだけだ。

遙聞出巡守,早晚遍遐荒。

遠くのほうだけで聞こえるという、国を立て直すためには主要の各地を視察・巡守の出征をすることであるの声だが、(これに全く耳をかたむけない代宗であるから、)まあじきに、ここの空城のようにどこもかしこも、遠く離れた未開の異民族の地のようになってしまうことだろう。

詩文(含異文)

草滿巴西綠,空城白日長【城空白日長】。

風吹花片片,春動水茫茫【春送雨茫茫】【春蕩水茫茫】。

八駿隨天子,群臣從武皇。

遙聞出巡守,早晚遍遐荒。 

 

空城〔城上〕

草滿ちる巴西の綠,空城 白日長し。

風吹き花片片たりて,春動き水茫茫たり。

八駿 天子に隨い,群臣 武皇に從う。

遙に聞く巡守に出るを,早晚 遐荒なるを遍ねからん。

姑蘇台02 

 

『空城〔城上〕』現代語訳と訳註

(本文)

空城〔城上〕

草滿巴西綠,空城白日長。

風吹花片片,春動水茫茫。

八駿隨天子,群臣從武皇。

遙聞出巡守,早晚遍遐荒。

 

 

(下し文)

空城〔城上〕

草滿ちる巴西の綠,空城 白日長し。

風吹き花片片たりて,春動き水茫茫たり。

八駿 天子に隨い,群臣 武皇に從う。

遙に聞く巡守に出るを,早晚 遐荒なるを遍ねからん。

 

(現代語訳)

(何にも施政が届かない空しい城郭を詠う)

希望の春で草草が成長している巴西辺りには緑いっぱいである。誰もいない空しい城郭には日差しが長く当たっている。

風が吹けば、さきほこるはなはゆらゆらゆれているし、春景色に増水した春水にゆったりと遙か先まで流れて行く。

一夜で5000km 走るという8頭の駿馬は穆王という良い天子のもとだから付き従ったのであり、(何もしない、強くもない代宗のまわりには賢臣がいなくて)群臣の者たちは、武力の強い天子に盲目的に従うだけだ。

遠くのほうだけで聞こえるという、国を立て直すためには主要の各地を視察・巡守の出征をすることであるの声だが、(これに全く耳をかたむけない代宗であるから、)まあじきに、ここの空城のようにどこもかしこも、遠く離れた未開の異民族の地のようになってしまうことだろう。

 

少陵台 

(訳注)

空城〔城上〕

(何にも施政が届かない空しい城郭を詠う)

○城 綿州巴西の城。
ここ数年、この地は叛乱軍の者たちにいれかわりたちかわり支配され、異民族にも支配された。その間に住民は逃散したということで、荒れ果てた城郭をいうのだが、詩の内容からすると、代宗の無策を批判して、国中が「空城」になってしまうと憂いているのである。全部の聯が対句となっている。

 

草滿巴西綠,空城白日長。

希望の春で草草が成長している巴西辺りには緑いっぱいである。誰もいない空しい城郭には春の日差しが長く当たっている。

 

風吹花片片,春動水茫茫。

風が吹けば、さきほこるはなはゆらゆらゆれているし、春景色に増水した春水にゆったりと遙か先まで流れて行く。

○片々 風が吹いては長い甫方向に向いてしまうこと。強いものには巻かれろ。風の吹くままに揺れていくことをいう。① 二つあるうちの一方。かたほう。かたつかた。   かたすみ。かたわら。

○春動 春けしが変わっていくこと。ここではまず雪解けで河川の水量が増水し、万物が成長していくさまをいう。この聯でこれらの語「片片・茫茫」を次の聯のかたや「穆王八駿」にたいしてどこ捜しても、遙か先まで「群臣」しかいないということをあらわしている。

○茫茫 1 広々としてはるかなさま。「―とした大海原」「―たる砂漠」 2 ぼんやりかすんではっきりしないさま。「―たる記憶」「―と暗路(やみじ)に物を探るごとく」〈露伴・五重塔〉 3 草・髪などが伸びて乱れている。

 

八駿隨天子,群臣從武皇。

一夜で5000km 走るという8頭の駿馬は穆王という良い天子のもとだから付き従ったのであり、(何もしない、強くもない代宗のまわりには賢臣がいなくて)群臣の者たちは、武力の強い天子に盲目的に従うだけだ。

○八駿 穆王八駿のこと。中国の伝説に登場する8頭の駿馬(しゅんめ・よく走る 馬の称)。 紀元前11世紀頃の周王朝の穆王が所有していたとされる。 土を踏まない ほど速く走れる「絶地(ぜっち)」、鳥を追い越せる「翻羽(ほんう)」、一夜で5000km 走るという。

 

遙聞出巡守,早晚遍遐荒。

遠くのほうだけで聞こえるという、国を立て直すためには主要の各地を視察・巡守の出征をすることであるの声だが、(これに全く耳をかたむけない代宗であるから、)まあじきに、ここの空城のようにどこもかしこも、遠く離れた未開の異民族の地のようになってしまうことだろう。

○遐荒 王城からはるか遠く離れた未開の異民族の地。
景陽楼001 

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製作年: 764  廣德二年  53

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 送李卿曄

及地點:  長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都     

承明廬 (京畿道 京兆府 長安) 別名:承明     

晉山 (山南西道 閬州 晉安(晋安))  (山南西道 閬州 閬州)     

交遊人物: 李曄

 

 

送李卿曄

(嶺南に貶められる李嘩卿を送る。)

王子思歸日,長安已亂兵。

王子である李曄は長安に帰る日があるというように思うことである。今長安は安史の乱に続いて、吐蕃が攻め入り、乱れておるのである。

霑衣問行在,走馬向承明。

少し前ではあるが、天子でさえ、衣を露で濡らすような状況で陜州に行在所を置かれていたし、吐蕃が退却してやっと馬を走らせて、承明蘆のある長安にむかうことができたのである。

暮景巴蜀僻,春風江漢清。

まあ、確かにここ巴蜀の夕暮というのは辺鄙な所と思われるけれど、この春風に乗って漢水を下り、長江の清々しい所を下ってゆかれるのである。

晉山雖自棄,魏闕尚含情。

閬州晋山での地位というものを自ずから捨てられるということではありますが、古くから由緒ある家系のことでもあり、唐の朝廷からしてもまだなお厚情というのがあるものです。

 

李卿曄 を送る

王子 歸日を思い,長安 已に兵に亂る。

霑衣して 行在に問い,走馬して 承明に向う。

暮景 巴蜀の僻,春風 江漢の清。

晉山 自棄すると雖も,魏闕 尚お情を含まん。

 王屋山00

 

『送李卿曄』 現代語訳と訳註

(本文)

送李卿曄

王子思歸日,長安已亂兵。

霑衣問行在,走馬向承明。

暮景巴蜀僻,春風江漢清。

晉山雖自棄,魏闕尚含情。

 

 

(下し文)

李卿曄 を送る

王子 歸日を思い,長安 已に兵に亂る。

霑衣して 行在に問い,走馬して 承明に向う。

暮景 巴蜀の僻,春風 江漢の清。

晉山 自棄すると雖も,魏闕 尚お情を含まん。

 

(現代語訳)

(嶺南に貶められる李嘩卿を送る。)

王子である李曄は長安に帰る日があるというように思うことである。今長安は安史の乱に続いて、吐蕃が攻め入り、乱れておるのである。

少し前ではあるが、天子でさえ、衣を露で濡らすような状況で陜州に行在所を置かれていたし、吐蕃が退却してやっと馬を走らせて、承明蘆のある長安にむかうことができたのである。

まあ、確かにここ巴蜀の夕暮というのは辺鄙な所と思われるけれど、この春風に乗って漢水を下り、長江の清々しい所を下ってゆかれるのである。

閬州晋山での地位というものを自ずから捨てられるということではありますが、古くから由緒ある家系のことでもあり、唐の朝廷からしてもまだなお厚情というのがあるものです。

 

 

(訳注)

送李卿曄

(嶺南に貶められる李嘩卿を送る。)

・李卿曄 曄は部尚書淮安郡國公であった李琇の子で、刑部侍郎ある。杜甫が出会ったのは山南西道閬州の晉安であり、この時、罪により嶺南に貶められることになったもの。

李琇は字琇といい,淮安の忠公であり、宗正卿 李齊晏のことである,陝王府曹參軍までなった。

この詩で、代宗の気まぐれの逆鱗に触れたものと思われるが、何らかの罪で、嶺南・広東へ流されるのを見送ったもの。

杏の花01 

王子思歸日,長安已亂兵。

王子である李曄は長安に帰る日があるというように思うことである。今長安は安史の乱に続いて、吐蕃が攻め入り、乱れておるのである。

○杜甫が、3月に成都に帰るが正月から2月にかけて閬州で送別の宴があったのだろう。

 

霑衣問行在,走馬向承明。

少し前ではあるが、天子でさえ、衣を露で濡らすような状況で陜州に行在所を置かれていたし、吐蕃が退却してやっと馬を走らせて、承明蘆のある長安にむかうことができたのである。

 

暮景巴蜀僻,春風江漢清。

まあ、確かにここ巴蜀の夕暮というのは辺鄙な所と思われるけれど、この春風に乗って漢水を下り、長江の清々しい所を下ってゆかれるのである。

・巴蜀僻 巴蜀の辺鄙な所。剣南道、山南西道三巴をいうが、長安に比較して辺鄙であること。

 

晉山雖自棄,魏闕尚含情。 

閬州晋山での地位というものを自ずから捨てられるということではありますが、古くから由緒ある家系のことでもあり、唐の朝廷からしてもまだなお厚情というのがあるものです。

・晉山 古くからある住持職(住持)の略称。住職になることを出世(しゆつせ)といい,住職として実際にその寺に入ることを入院(じゆいん),あるいは晋住(しんじゆう),また晋山(しんざん)という。【案:介山在綿上,以子推自比。】 綿山の抱腹寺は曹魏の太和年間に建立されたものである。綿山の『大唐汾州抱腹寺碑』の記載よると、同寺は曹魏の太和年間の高僧・迪公が考察したうえ、朝廷に建設案を上奏して魏明帝の勅令によって建立し、さらに抱腹寺という名を勅封した。
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安史軍の殲滅は人々を安史の乱のまえに還した。敗残兵はそれらの出身でもって自分らでうたがいあって自滅した。朝廷に上がる高級官僚たちは、差配も名目上のもので断絶したかりのものであったし、君主や主に対する酬いることはそれぞれがどういうわけか遅れた。

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廣徳2764-57 《有感,五首之五》 ふたたび成都 杜甫<733> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3995 杜甫詩1500-733-970/250021



卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 有感,五首之五 



有感,五首之一  

(その一は西域のことについて思うことがある)

將帥蒙恩澤,兵戈有年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。
乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 


(感有り,五首の一)  

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

華山001 


有感,五首之二  

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

諸侯春不貢,使者日相望。

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

慎勿吞青海,無勞問越裳。

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

大君先息戰,歸馬華山陽。  

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。

 

(感有り,五首の二)  

幽薊 蛇豕を餘し,乾坤 尚お虎狼あり。

諸侯 春貢がず,使者 日び相い望む。

慎む勿れ青海を吞むを,勞しむ無し 越裳を問うを。

大君 先ず戰を息み,馬を歸すは華山の陽に。  

 

有感,五首之三 

(その三は都を洛陽に移すというが、そのことについて思うことがある)

洛下舟車入,天中貢賦均。

洛陽には水路と陸路を整備して船と車が入れるようにするため、朝廷は納貢賦役をひとしく加重された。

日聞紅粟腐,寒待翠華春。

それなのに日々聞かれるようになるのは実る稲が腐るし寒さが続き緑の花さく春も遅くなった。

莫取金湯固,長令宇宙新。

金城湯池の守りを固めることを取り去ることはいけないし、この天下世界を新しくすることを使命としなければいけないのだ。

不過行儉德,盜賊本王臣。  


倹約と仁徳を行い華美・奢侈の行きすぎをやめ、今はびこる盗賊たちはもともと奢侈と仁徳から漏れた天子の家臣たちだったのだ。

 

(感有り,五首の三) 

洛下 舟車入るに,天中 貢賦均す。

日に聞く 紅粟腐り,寒待す 翠華の春を。

金湯の固を取る莫れ,長く宇宙新たにしましむ。

儉德を行うを過ぎずして,盜賊 本もと王の臣なり。

 

 Ta唐 長安近郊圖  新02

有感,五首之四 

(その四は朝廷のあり方について思うことがある)

丹桂風霜急,青梧日夜凋。

天子の庭、朝廷には風雲急を告げ厳しい霜にあっていて、梧桐の青葉の後宮にも昼も夜もはなやいだことはなく凋落の様相を呈している。

由來強幹地,未有不臣朝。

この地はもともと強い地の利を持っていて国の根幹をなすところなのだ。それなのにいまだに家臣たちで朝廷ウィ立て直すことさえできずにいるのだ。

受鉞親賢往,卑宮制詔遙。

親族や賢臣の者たちが武器を受けたならば朝廷のもとに行かねばならない、今は卑しいものによって宮殿を征圧されており天子の詔もはるかとどかない状態なのだ。

終依古封建,豈獨聽簫韶。

今は古の仁徳と、忠義の封建制度というものは終焉したというのか。どうしてなのだろうか、一人だけでも虞舜の時代の音楽の簫韶九成をきくという、仁徳で施政するということができないのだろうか。

 

有感,五首之四 

丹桂 風霜急なり,青梧 日夜凋む。

強幹の地に由來し,未だ臣朝ならざるに有らず。

鉞を受けて 親賢往き,宮を卑くして詔を制す遙なり。

古の封建に依るを終る,豈に獨り簫韶を聽かん。

 

其五

(その五は 国を治める筋道が狂っているということについて思うことがある)

盜滅人還亂,兵殘將自疑。

安史軍の殲滅は人々を安史の乱のまえに還した。敗残兵はそれらの出身でもって自分らでうたがいあって自滅した。

登壇名假,報主爾何遲。

朝廷に上がる高級官僚たちは、差配も名目上のもので断絶したかりのものであったし、君主や主に対する酬いることはそれぞれがどういうわけか遅れた。

領郡輒無色,之官皆有詞。

所領や郡域のものたちもどうしてかどっち附かずという色を見せない。官僚の仕事は皆が詞にして言うだけにした。

願聞哀痛詔,端拱問瘡痍。

皆が願うことは適切な天子の詔であって、悲しいこと、傷ましい天子の言葉ではない。國を治める道筋が満身創痍であることが問題なのである。


感有り,五首の五 

盜滅 人 還える亂る,兵殘 將て自疑す。

登壇 名 假に,主に報うは 爾 何に遲る。

領郡 輒んぞ色無し,之官 皆 詞有り。

願いて聞く 哀痛の詔,端拱 瘡痍を問う。   



『有感,五首之五』 現代語訳と訳註

(本文)

有感,五首之五 

盜滅人還亂,兵殘將自疑。

登壇名假,報主爾何遲。

領郡輒無色,之官皆有詞。

願聞哀痛詔,端拱問瘡痍。


(下し文)

感有り,五首の五 

盜滅 人 還える亂る,兵殘 將て自疑す。

登壇 名 假にち,主に報うは 爾 何に遲る。

領郡 輒んぞ色無し,之官 皆 詞有り。

願いて聞く 哀痛の詔,端拱 瘡痍を問う。  


(現代語訳)

(その五は 国を治める筋道が狂っているということについて思うことがある)

安史軍の殲滅は人々を安史の乱のまえに還した。敗残兵はそれらの出身でもって自分らでうたがいあって自滅した。

朝廷に上がる高級官僚たちは、差配も名目上のもので断絶したかりのものであったし、君主や主に対する酬いることはそれぞれがどういうわけか遅れた。

所領や郡域のものたちもどうしてかどっち附かずという色を見せない。官僚の仕事は皆が詞にして言うだけにした。

皆が願うことは適切な天子の詔であって、悲しいこと、傷ましい天子の言葉ではない。國を治める道筋が満身創痍であることが問題なのである。



(訳注)

有感,五首之五

(その五は 国を治める筋道が狂っているということについて思うことがある)


盜滅 還亂,兵殘 自疑

安史軍の殲滅は人々を安史の乱のまえに還した。敗残兵はそれらの出身でもって自分らでうたがいあって自滅した。

「盜」安史軍は各地で略奪の限りを尽くした。

「滅」10年近くかかって安史軍は殲滅された。

「自疑」安史軍は寄せ集めの軍隊で、その軍の中で勢力争いをして自滅したことをいう。


登壇 ,報主 何遲

朝廷に上がる高級官僚たちは、差配も名目上のもので断絶したかりのものであったし、君主や主に対する酬いることはそれぞれがどういうわけか遅れた。

「登壇」寺廟道觀の壇をいうが、ここでは、朝廷や幕府の施政側の高級官僚のこと。


領郡 輒無色 ,之官 皆有詞

所領や郡域のものたちもどうしてかどっち附かずという色を見せない。官僚の仕事は皆が詞にして言うだけにした。

「領郡」潘鎮、郡令。

「無色」無気力、忠誠信を持って仕事をしないこと。


願聞 哀痛 ,端拱 瘡痍

皆が願うことは適切な天子の詔であって、悲しいこと、傷ましい天子の言葉ではない。國を治める道筋が満身創痍であることが問題なのである。

「詔」天子の詔。ここでは適切な詔が必要ということ。

「端拱」國を治める道筋。

「問」問題点があること。

大明宮-座標02

 

 

 

 

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

 

木蘭02 

 

 



有感,五首之五 

 


 


 


 


 
















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廣徳2764-56 《有感,五首之四》 ふたたび成都 杜甫<732 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3990 杜甫詩1500-732-969

 

 

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 有感,五首之四 


有感,五首之一  

(その一は西域のことについて思うことがある)

將帥蒙恩澤,兵戈有年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。
乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 


(感有り,五首の一)  

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

華山001 


有感,五首之二  

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

諸侯春不貢,使者日相望。

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

慎勿吞青海,無勞問越裳。

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

大君先息戰,歸馬華山陽。  

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。

 

(感有り,五首の二)  

幽薊 蛇豕を餘し,乾坤 尚お虎狼あり。

諸侯 春貢がず,使者 日び相い望む。

慎む勿れ青海を吞むを,勞しむ無し 越裳を問うを。

大君 先ず戰を息み,馬を歸すは華山の陽に。  

 

有感,五首之三 

(その三は都を洛陽に移すというが、そのことについて思うことがある)

洛下舟車入,天中貢賦均。

洛陽には水路と陸路を整備して船と車が入れるようにするため、朝廷は納貢賦役をひとしく加重された。

日聞紅粟腐,寒待翠華春。

それなのに日々聞かれるようになるのは実る稲が腐るし寒さが続き緑の花さく春も遅くなった。

莫取金湯固,長令宇宙新。

金城湯池の守りを固めることを取り去ることはいけないし、この天下世界を新しくすることを使命としなければいけないのだ。

不過行儉德,盜賊本王臣。  


倹約と仁徳を行い華美・奢侈の行きすぎをやめ、今はびこる盗賊たちはもともと奢侈と仁徳から漏れた天子の家臣たちだったのだ。

 

(感有り,五首の三) 

洛下 舟車入るに,天中 貢賦均す。

日に聞く 紅粟腐り,寒待す 翠華の春を。

金湯の固を取る莫れ,長く宇宙新たにしましむ。

儉德を行うを過ぎずして,盜賊 本もと王の臣なり。

 

 Ta唐 長安近郊圖  新02

有感,五首之四 

(その四は朝廷のあり方について思うことがある)

丹桂風霜急,青梧日夜凋。

天子の庭、朝廷には風雲急を告げ厳しい霜にあっていて、梧桐の青葉の後宮にも昼も夜もはなやいだことはなく凋落の様相を呈している。

由來強幹地,未有不臣朝。

この地はもともと強い地の利を持っていて国の根幹をなすところなのだ。それなのにいまだに家臣たちで朝廷ウィ立て直すことさえできずにいるのだ。

受鉞親賢往,卑宮制詔遙。

親族や賢臣の者たちが武器を受けたならば朝廷のもとに行かねばならない、今は卑しいものによって宮殿を征圧されており天子の詔もはるかとどかない状態なのだ。

終依古封建,豈獨聽簫韶。

今は古の仁徳と、忠義の封建制度というものは終焉したというのか。どうしてなのだろうか、一人だけでも虞舜の時代の音楽の簫韶九成をきくという、仁徳で施政するということができないのだろうか。

 

有感,五首之四 

丹桂 風霜急なり,青梧 日夜凋む。

強幹の地に由來し,未だ臣朝ならざるに有らず。

鉞を受けて 親賢往き,宮を卑くして詔を制す遙なり。

古の封建に依るを終る,豈に獨り簫韶を聽かん。

 

 

『有感,五首之四』 現代語訳と訳註

(本文)

有感,五首之四 

丹桂風霜急,青梧日夜凋。由來強幹地,未有不臣朝。

受鉞親賢往,卑宮制詔遙。終依古封建,豈獨聽簫韶。

 

 

(下し文)

有感,五首之四 

丹桂 風霜急なり,青梧 日夜凋む。

強幹の地に由來し,未だ臣朝ならざるに有らず。

鉞を受けて 親賢往き,宮を卑くして詔を制す遙なり。

古の封建に依るを終る,豈に獨り簫韶を聽かん。

 

(現代語訳)

(その四は朝廷のあり方について思うことがある)

天子の庭、朝廷には風雲急を告げ厳しい霜にあっていて、梧桐の青葉の後宮にも昼も夜もはなやいだことはなく凋落の様相を呈している。

この地はもともと強い地の利を持っていて国の根幹をなすところなのだ。それなのにいまだに家臣たちで朝廷ウィ立て直すことさえできずにいるのだ。

親族や賢臣の者たちが武器を受けたならば朝廷のもとに行かねばならない、今は卑しいものによって宮殿を征圧されており天子の詔もはるかとどかない状態なのだ。

今は古の仁徳と、忠義の封建制度というものは終焉したというのか。どうしてなのだろうか、一人だけでも虞舜の時代の音楽の簫韶九成をきくという、仁徳で施政するということができないのだろうか。

唐長安城図

 

(訳注)

有感,五首之四 

(その四は朝廷のあり方について思うことがある)

 

丹桂風霜急,青梧日夜凋。

天子の庭、朝廷には風雲急を告げ厳しい霜にあっていて、梧桐の青葉の後宮にも昼も夜もはなやいだことはなく凋落の様相を呈している。

・青梧 梧桐の青葉の中に天子と皇后が棲む。

 

由來強幹地,未有不臣朝。

この地はもともと強い地の利を持っていて国の根幹をなすところなのだ。それなのにいまだに家臣たちで朝廷ウィ立て直すことさえできずにいるのだ。

 

受鉞親賢往,卑宮制詔遙。

親族や賢臣の者たちが武器を受けたならば朝廷のもとに行かねばならない、今は卑しいものによって宮殿を征圧されており天子の詔もはるかとどかない状態なのだ。

・鉞 中国の殷・周時代を中心として使用された青銅利器で,斧の類の大型のものをいう。首を飛ばす、足に致命的な打撃を加え動けなくするための武器をいう。《説文(せつもん)》では〈戉〉字を使っている。刃巾の狭い細長い「オノ」を斧、刃巾が広く片側がくびれている「オノ」を鉞(まさかり)と呼ぶ。 斧は大きく切斧と割斧とに分けられる。

 

終依古封建,豈獨聽簫韶。

今は古の仁徳と、忠義の封建制度というものは終焉したというのか。どうしてなのだろうか、一人だけでも虞舜の時代の音楽の簫韶九成をきくという、仁徳で施政するということができないのだろうか。

・簫韶 古代虞舜の時代の音楽の簫韶九成をいうが、仁徳で施政するということをいう。三皇五帝の時代に仁徳の施政がなされ、音楽が確立された。帝舜 天下の徳を明らかにする、皆虞舜より始まるということ。

 杜甫像00


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廣徳2764-55 《有感,五首之三》 ふたたび成都 杜甫<731 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3985 杜甫詩1500-731-968/



卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 有感,五首之三 

地點:  洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     

 

廣徳元年(763)

  10月、吐蕃が涇州へ来寇した。刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を 深く引き入れる。 吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。代宗皇帝は陜州へ疎開する。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。代宗皇帝は詔を下して、雍王・李适を関内元帥とし、 郭子儀を副元帥として吐蕃軍に当たらせることとした。郭子儀は只ちに動いたが、吐蕃軍が20万の大軍で 侵攻して来ていたので、募兵することにした。


  驃騎大将軍の程元振は横暴に振る舞っていて、人々は李輔国以上に畏れた。 そして程元振は、大功を建てた 諸将全員を忌疾し、彼等を害そうと思っていた。 吐蕃が入寇した時、程元振はすぐには上奏しなかったので、結局は代宗皇帝が慌てふためいて疎開する羽目となったのだ。 代宗皇帝が詔を発して諸道の兵を徴発しても、李光弼らは程元振が居ることを忌み、だれも駆けつけなかった。 中外は歯がみしたが、敢えて口に出す者はいなかった。


  まもなく吐蕃軍は長安を陥落させた。吐蕃軍は 広武王・李承宏を皇帝に立てて傀儡とした。吐蕃軍は府庫を掠奪、士民は皆、乱を避けて山中や谷間に逃げる者が 数え切れないほどであった。諸軍の逃亡兵や里の無頼の子弟は集まって盗賊となった。 吐蕃が去ってしまっても、彼等は南山や子午等の五谷に逃げ込んだ ままとなっていた。


有感,五首之一  

(その一は西域のことについて思うことがある)

將帥蒙恩澤,兵戈有年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。
乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 


(感有り,五首の一)  

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

華山001 


有感,五首之二  

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

諸侯春不貢,使者日相望。

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

慎勿吞青海,無勞問越裳。

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

大君先息戰,歸馬華山陽。  

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。

 

(感有り,五首の二)  

幽薊 蛇豕を餘し,乾坤 尚お虎狼あり。

諸侯 春貢がず,使者 日び相い望む。

慎む勿れ青海を吞むを,勞しむ無し 越裳を問うを。

大君 先ず戰を息み,馬を歸すは華山の陽に。  

 

有感,五首之三 

(その三は都を洛陽に移すというが、そのことについて思うことがある)

洛下舟車入,天中貢賦均。

洛陽には水路と陸路を整備して船と車が入れるようにするため、朝廷は納貢賦役をひとしく加重された。

日聞紅粟腐,寒待翠華春。

それなのに日々聞かれるようになるのは実る稲が腐るし寒さが続き緑の花さく春も遅くなった。

莫取金湯固,長令宇宙新。

金城湯池の守りを固めることを取り去ることはいけないし、この天下世界を新しくすることを使命としなければいけないのだ。

不過行儉德,盜賊本王臣。  


倹約と仁徳を行い華美・奢侈の行きすぎをやめ、今はびこる盗賊たちはもともと奢侈と仁徳から漏れた天子の家臣たちだったのだ。

 

(感有り,五首の三) 

洛下 舟車入るに,天中 貢賦均す。

日に聞く 紅粟腐り,寒待す 翠華の春を。

金湯の固を取る莫れ,長く宇宙新たにしましむ。

儉德を行うを過ぎずして,盜賊 本もと王の臣なり。

 

洛陽・鄴州00


 


『有感,五首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

有感,五首之三 

洛下舟車入,天中貢賦均。

日聞紅粟腐,寒待翠華春。

莫取金湯固,長令宇宙新。

不過行儉德,盜賊本王臣。

 


(下し文)

(感有り,五首の三) 

洛下 舟車入るに,天中 貢賦均す。

日に聞く 紅粟腐り,寒待す 翠華の春を。

金湯の固を取る莫れ,長く宇宙新たにしましむ。

儉德を行うを過ぎずして,盜賊 本もと王の臣なり。

 


(現代語訳)

(その三は都を洛陽に移すというが、そのことについて思うことがある)

洛陽には水路と陸路を整備して船と車が入れるようにするため、朝廷は納貢賦役をひとしく加重された。

それなのに日々聞かれるようになるのは実る稲が腐るし寒さが続き緑の花さく春も遅くなった。

金城湯池の守りを固めることを取り去ることはいけないし、この天下世界を新しくすることを使命としなければいけないのだ。

倹約と仁徳を行い華美・奢侈の行きすぎをやめ、今はびこる盗賊たちはもともと奢侈と仁徳から漏れた天子の家臣たちだったのだ。

カンナ223 


(訳注)

有感,五首之三

(その三は都を洛陽に移すというが、そのことについて思うことがある)

 


洛下 舟車 ,天中貢賦 均。

洛陽には水路と陸路を整備して船と車が入れるようにするため、朝廷は納貢賦役をひとしく加重された。

「洛下」行政地名、洛陽のこと。

「舟車入」安史の乱のため、水路と主要道路が寸断されていて、これを整備するのに近隣の住民に負担を課した。

「貢賦」重税と、賦役を課したこと

 


日聞 紅粟 ,寒待 翠華

それなのに日々聞かれるようになるのは実る稲が腐るし寒さが続き緑の花さく春も遅くなった。、

前年とこの年は天候不順であった。税負担が治められる状態ではないのに重税を課したために逃散し、盗賊が増えた。

 


莫取 金湯固,長令宇宙

金城湯池の守りを固めることを取り去ることはいけないし、この天下世界を新しくすることを使命としなければいけないのだ。

・金湯 金城湯池のこと。1 《「漢書」蒯通伝から。「湯池」は熱湯をたたえた堀》守りが非常に固く、攻めるのが難しい城。金湯。2 堅固で、他から侵害されにくい勢力範囲。

 


不過 儉德 ,盜賊 本王臣

倹約と仁徳を行い華美・奢侈の行きすぎをやめ、今はびこる盗賊たちはもともと奢侈と仁徳から漏れた天子の家臣たちだったのだ。

漢魏隋唐の洛陽城

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廣徳2764-54 《有感,五首之二》 ふたたび成都 杜甫<730> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3980 杜甫詩1500-730-967/250018

  


卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 有感,五首之二 

及地點:  幽州 (河北道南部 幽州 幽州)    ・薊州 (河北道南部 薊州 薊州)    ・越裳 (嶺南道西部 驩州 越裳)  ・華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳     

  

 

有感,五首之一 

(その一は西域のことについて思うことがある)

將帥蒙恩澤,兵戈有年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。
乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 

(感有り,五首の一) 

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

華山001 


有感,五首之二 

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

諸侯春不貢,使者日相望。

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

慎勿吞青海,無勞問越裳。

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

大君先息戰,歸馬華山陽。 

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。


(感有り,五首の二) 

幽薊 蛇豕を餘し,乾坤 尚お虎狼あり。

諸侯 春貢がず,使者 日び相い望む。

慎む勿れ青海を吞むを,勞しむ無し 越裳を問うを。

大君 先ず戰を息み,馬を歸すは華山の陽に。   


杜甫 体系 地図458華州から秦州

『有感,五首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

有感,五首之二 

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。

諸侯春不貢,使者日相望。

慎勿吞青海,無勞問越裳。

大君先息戰,歸馬華山陽。 

 


(下し文)

(感有り,五首の二) 

幽薊 蛇豕を餘し,乾坤 尚お虎狼あり。

諸侯 春貢がず,使者 日び相い望む。

慎む勿れ青海を吞むを,勞しむ無し 越裳を問うを。

大君 先ず戰を息み,馬を歸すは華山の陽に。 

 

(現代語訳)

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。

 

(訳注)

有感,五首之二 

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

 

幽薊 蛇豕 ,乾坤 尚虎狼

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

「幽薊」幽州、薊州。安史軍が放棄した拠点地点。

「餘」語義類別:其他、數詞、概量數詞、餘。

「蛇豕」語義類別:物、生物、動物專名(合稱)、蛇豬。

「乾坤」語義類別:其他、專業術語、道家語、乾坤。

「虎狼」語義類別:物、生物、動物專名(合稱)、虎狼。

 

諸侯 不貢 ,使者 相望

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

〈この聯の背景〉

安史の乱の間、租庸の徴収できなかった分や逃散した人間の分を計算して、全て徴発した。 豪吏を選んで県令として、これを督促させる。未収分の有無や貨の高下を問わず、 民が粟や帛を持っていたら全て摘発して、その半分を徴収する。甚だしい者は、 八、九割を租庸として奪って行った。 これを「白著」と言った。

  不服な者は厳刑へ処する。穀物を十斛も持っている民は、足枷をつけられて処罰を待つ有様だから、 大勢の人間が、山や沢に集まって群盗となった。 州県は、これを止められなかった。

他方、民間が飢饉で、租庸の徴収もできない。 将士への兵糧や棒給も不十分だった。朔方邏諸道行営都統・李国貞は、書状で訴えたが、朝廷からは返答がない。 軍中に不満が渦巻いた。


慎勿 吞青海 ,無勞 越裳

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

「青海」青海省辺りの地域は吐蕃によって侵略された地域である。

「越裳」越裳(えつしょう)は、中国後漢の王充の著書『論衡』にあらわれる、中国南部に居住していたとみられる民族の名称である。。


大君 先息戰 ,歸馬 華山

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。

「陽」76312月、渭水の北を通って長安に帰ったことをいう。

 

廣徳元年(763)10月、吐蕃が涇州へ来寇した。刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を 深く引き入れる。 吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。代宗皇帝は陜州へ疎開する。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。
  まもなく吐蕃軍は長安を陥落させた。吐蕃軍は
広武王・李承宏を皇帝に立てて傀儡とした。吐蕃軍は府庫を掠奪、士民は皆、乱を避けて山中や谷間に逃げる者が 数え切れないほどであった。


  11月、代宗皇帝は程元振の官爵を削り、田里へ放帰した。


  12月 丁亥の日、吐蕃軍が去ったことを知り、車駕が陜州を出発し、京師へ戻った。
この時、左丞・顔眞卿は、まず陵廟へ謁してから宮へ帰るよう 代宗皇帝へ請うた。

  甲午の日、代宗皇帝が長安へ到着する。

  吐蕃帝国が新たに占領した松州・維州・保州及び雲山 に新しく城を築いた。西川節度使の高适は 大唐帝国の旧領土を救うことができず、かえって剣南及び西山地方が 吐蕃帝国の領土に編入された。

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この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。

 


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廣徳元年(763)  10月、

吐蕃が涇州へ来寇した。刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を 深く引き入れる。 吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。代宗皇帝は陜州へ疎開する。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。代宗皇帝は詔を下して、雍王・李适を関内元帥とし、 郭子儀を副元帥として吐蕃軍に当たらせることとした。郭子儀は只ちに動いたが、吐蕃軍が20万の大軍で 侵攻して来ていたので、募兵することにした。

  12月 吐蕃軍が去った。吐蕃帝国が新たに占領した松州・維州・保州及び雲山 に新しく城を築いた。西川節度使の高适は 大唐帝国の旧領土を救うことができず、かえって剣南及び西山地方が 吐蕃帝国の領土に編入された。

 


廣徳2年(764)

吐蕃軍が長安へ入った時、 諸軍の逃亡兵や里の無頼の子弟が集まって盗賊となった。 吐蕃が去ってしまっても、彼等は南山や子午等の五谷に逃げ込んだ ままとなっていた。

子賓客・薛景仙を南山五谷防禦使として、 これを討たせたのだが、 数ヶ月掛けても鎮圧できない。

僕固懐恩が叛旗を翻した。

3月、己酉の日、劉晏を河南、江、淮以来転運使として、 汴水の水路を開くことを計画した。

7月、代宗皇帝は青苗銭という税を取りはじめる。

  8月、僕固懐恩はウイグルと吐蕃兵十万を誘って侵攻して来た。 長安は震感した。

  僕固懐恩と10万の吐蕃軍のは 奉天に迫った。首都・長安は震撼し、 急いで郭子儀が涇陽に駐屯させられた。

 


「有感,五首」はこうした情勢を憂いて作ったものである。

 


有感,五首之一 

將帥蒙恩澤,兵戈有年。至今勞聖主,何以報皇天。 

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。乘槎斷消息,無處覓張騫。   

 


有感,五首之二 

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。諸侯春不貢,使者日相望。

慎勿吞青海,無勞問越裳。大君先息戰,歸馬華山陽。 

 


有感,五首之三 

洛下舟車入,天中貢賦均。日聞紅粟腐,寒待翠華春。

莫取金湯固,長令宇宙新。不過行儉德,盜賊本王臣。

 


有感,五首之四 

丹桂風霜急,青梧日夜凋。由來強幹地,未有不臣朝。

受鉞親賢往,卑宮制詔遙。終依古封建,豈獨聽簫韶。

 


有感,五首之五 

盜滅人還亂,兵殘將自疑。登壇名假,報主爾何遲。

領郡輒無色,之官皆有詞。願聞哀痛詔,端拱問瘡痍。   

 


 


これまでとこれからの杜甫詩 (14)764年廣徳2年764 杜甫53歳 三月成都へ帰る 100

-14

 

764年廣徳2年 杜甫53歳 100

 

年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 有感,五首之一 

 


 


有感,五首之一 

(その一は西域のことについて思うことがある)

將帥蒙恩澤,兵戈有歲年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。
乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 


(感有り,五首の一) 

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

 


華州から秦州同谷成都00 


『有感,五首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

有感,五首之一 

將帥蒙恩澤,兵戈有年。

至今勞聖主,何以報皇天。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

乘槎斷消息,無處覓張騫。

 


(下し文)

(感有り,五首の一) 

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る。

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

 


(現代語訳)

(その一は西域のことについて思うことがある)

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 


(訳注)

有感,五首之一 

(その一は西域のことについて思うことがある)

其一は、代宗が長安から陜州へ逃げ、吐蕃やウイグル対策を講じようとしないで、そのまま都を洛陽に遷都しようとしたことをいう。

 


將帥蒙恩澤,兵戈有年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

・「將帥」大軍を統率する人。大将。

・「恩澤」〔古くは「おんだく」とも〕 めぐみ。いつくしみ。おかげ。

・「兵戈」戰爭活動、戰爭。

 


至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、始祖から続いてきた皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

・「勞」つかれる いたわる ねぎらう。1 精を尽くして働く。骨折り。2 精が尽きて疲れる。3 ねぎらう。4「労使・労農・労連」5すなどる。つとむ

・「聖主」聖主。 現在の代宗は苦労すること。

・「皇天」唐の始祖、太祖をいう皇帝。

 


白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。

雲台二十八将

光武帝の事業を助けた功臣団として「雲台二十八将」がある。第2代の明帝が前代の名臣28人の像を洛陽南宮の雲台に描かせ、その功績を称えたものである。序列順に挙げると

鄧禹、呉漢、賈復、耿弇、寇恂、岑彭、馮異、朱祜、祭遵、景丹、蓋延、銚期、耿純、臧宮、馬武、劉隆、馬成、王梁、陳俊、杜茂、傅俊、堅鐔、王覇、任光、李忠、萬脩、邳彤、劉植

28人である。

また、雲台には二十八将と並び李通、竇融、王常、卓茂の4人も加えられ、計32人が顕彰された。「雲台三十二将」と称することもある。

なお、功臣の一人である馬援は、その娘が明帝の皇后となったため(明徳馬皇后)外された。

 


乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

・「張騫」張騫は中国前漢代の政治家、外交官。字は子文。漢中郡の出身。武帝の命により匈奴に対する同盟を説くために大月氏へと赴き、漢に西域の情報をもたらした。張騫が持ち帰った西域の知識は極めて貴重なものであり、それまで漢にとって全くと言って良いほど状況が解らなかった西域が、これ以降は漢の対匈奴戦略の視野に入ってくることになる。この功績により太中大夫とされる。
鳳翔から華山長安付近

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地下の人である国子監の教授の蘇君をなつかしむ。もっとも親しい友人はというと、君ぐらいのものである。安史の乱が終結し、天下がやっと落ち着いてきたというのに、どうしてそのあとも引き続いて、死と生という別々になってしまうのであろうか。

 

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これまでとこれからの杜甫詩 (14)764年廣徳2年764 杜甫53歳 三月成都へ帰る 100首
#-14764年廣徳2年 杜甫53歳 100首


年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 懷舊 

旧友蘇源明のことをおもってよんだ詩。広徳二年の作。

〔原注〕 公前名預、避御諒、改名源明

(公前の名は預、御諒を避け、名を源明と改む)

 

 

懐旧

〔原注〕 公前名預、避御諒、改名源明

地下蘇司業,情親獨有君。

那因喪亂後,便有死生分。

老罷知明鏡,悲來望白雲。

自從失詞伯,不復更論文。

(旧友蘇源明のことをおもってよんだ詩。)

もはや地下の人である国子監の教授の蘇君をなつかしむ。自分のもっとも親しい友人はというと、君ぐらいのものである。

安史の乱が終結し、天下がやっと落ち着いてきたというのに、どうしてそのあとも引き続いて、「死」と「生」という別々になってしまうのであろうか。

自分が老いはてたことは、鏡にはっきりと知られてしまっている。君が死んだときいて、悲しみがこみあげてくるばかり、遠く白雲のかなたを眺め遣るだけなのである。

君という文壇の長を失くしたからには、自分としてはこれまでのように文章のことを論じることがもうできはしないのである。

 

(旧を懐う)

(杜甫の注;公前の名は預、御諒を避け、名を源明と改む)

蘇司業を地下にし、情親するは独り君有るだけ。

那ぞ喪乱の後も因るや、便ち死生の分かるる有るやと。

老い罷むこと明鏡に知り、悲しみ来ること白雲を望む。

伯を失いしより、更に文を論ずるを復たず。

杜甫草堂詳細図02 

 

『懷舊』 現代語訳と訳註

(本文)

懐旧

〔原注〕 公前名預、避御諒、改名源明

地下蘇司業,情親獨有君。

那因喪亂後,便有死生分。

老罷知明鏡,悲來望白雲。

自從失詞伯,不復更論文。

 

 

(下し文)

(旧を懐う)

(杜甫の注;公前の名は預、御諒を避け、名を源明と改む)

蘇司業を地下にし、情親するは独り君有るだけ。

那ぞ喪乱の後も因るや、便ち死生の分かるる有るやと。

老い罷むこと明鏡に知り、悲しみ来ること白雲を望む。

詞伯を失いしより、更に文を論ずるを復たず。

 

(現代語訳)

(旧友蘇源明のことをおもってよんだ詩。)

もはや地下の人である国子監の教授の蘇君をなつかしむ。自分のもっとも親しい友人はというと、君ぐらいのものである。

安史の乱が終結し、天下がやっと落ち着いてきたというのに、どうしてそのあとも引き続いて、「死」と「生」という別々になってしまうのであろうか。

自分が老いはてたことは、鏡にはっきりと知られてしまっている。君が死んだときいて、悲しみがこみあげてくるばかり、遠く白雲のかなたを眺め遣るだけなのである。

君という文壇の長を失くしたからには、自分としてはこれまでのように文章のことを論じることがもうできはしないのである。

題新津北橋棲00 

 

(訳注)

懐旧

(旧友蘇源明のことをおもってよんだ詩。)

○懐旧 ふるきをおもう、旧友をおもうこと。

755年;天平勝寶七年、44歳の時に124『戲簡鄭廣文虔兼呈蘇司業源明』をつくっている。(蘇源明,武功の人,東平太守をしていたものだが,召されて國子司業に就いていた。)

戲簡鄭廣文虔兼呈蘇司業源明

廣文到官舍,繫馬堂階下。

醉則騎馬歸,頗遭官長罵。

才名四十年,坐客寒無氈。

賴有蘇司業,時時與酒錢。

 

〔原注〕 公前名預、避御諒、改名源明

○蘇司業 国子司業の官である蘇源明、作者の注によれば、源明は初めの名は預といったが天子の御諒(唐の代宗は名を予という、予と預と同じ音の字ゆえさしさわりがあるのである)を避けて源明と名を改めたというのである。源明は広徳二年に長安において沒した。

 

地下蘇司業 ,情親 獨有 君 。

もはや地下の人である国子監の教授の蘇君をなつかしむ。自分のもっとも親しい友人はというと、君ぐらいのものである。

○司業 国子監の教授。隋の煬帝(ようだい)の時に置かれ、 清代に廃止。今の大学教授にあたる。

○情親 誼情の親しいもの。

 

那因喪亂後 ,便有 死生 分 。

安史の乱が終結し、天下がやっと落ち着いてきたというのに、どうしてそのあとも引き続いて、「死」と「生」という別々になってしまうのであろうか。

○喪亂 安史の乱をいう

 

老罷知 明鏡 ,悲來 望 白雲 。

自分が老いはてたことは、鏡にはっきりと知られてしまっている。君が死んだときいて、悲しみがこみあげてくるばかり、遠く白雲のかなたを眺め遣るだけなのである。

○老罷 罷はやむこと、老は老了のごとく、老いはてたことをいう。

○知明鏡 かがみがそれを知っている。

悲來 悲來とは悲しみのつづいて生ずることをいう。

○望白雲 蘇は長安で没した、作者は成都にあり、相い隔たること遠く、剣南山脈、秦嶺山脈、と高い山々を超えるため、白雲をのぞむという。

 

自從失詞伯,不復 更論 文 。

君という文壇の長を失くしたからには、自分としてはこれまでのように文章のことを論じることがもうできはしないのである。

○詞伯 辞伯 に同じ尊稱美稱、伯は長をいう、詞伯は文壇の長である、蘇をさしていう。

○論文 文章のことについて論ずる。
蜀の山50055

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杜甫《題桃樹》これまで各地に叛乱や、盗賊がはびこって、残された妻たちは困っていたが今日にはそういったこともなくなった。天下は車が行き交い、書簡も行き交うようになり、まさに天下太平になったのである。


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廣徳2764-51 《題桃樹》 ふたたび成都 杜甫<696> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3965 杜甫詩1000-696-964/150015

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卷別: 卷二二六  文體: 七言律詩 

詩題: 題桃樹 

寫作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都) 

寫及地點:   





題桃樹

小徑升堂舊不斜,五株桃樹亦從遮。

高秋總餧貧人實,來還舒滿眼花。

每宜通乳燕,兒童莫信打慈鴉。

寡妻群盜非今日,天下車書正一家。

(草堂に植えた百本に桃の木はいろんなことを見てきたので桃樹に題した)

桃園の小路があり、そこをぬけると草堂が古くなってはいるが傾いているわけではない。植えていた桃林の五本の樹が小道にしたがって遮るように枝を広げている。

ここ浣花渓は、天高く秋になればすべての人々に、貧しい者たちにも天からの恵み、木の実が豊富でくちにすることができ、そして年が改まって、季節が巡ると快適な季節となり、花が咲き乱れるのをこの目で見ることになるのだ。

簾の扉の季節になれば、毎年のことにツバメが子を産んで餌を運び、巣立っていく。我家の子供らは、「慈烏反哺」を話さなくても親孝行のことはわかっている。

これまで各地に叛乱や、盗賊がはびこって、残された妻たちは困っていたが今日にはそういったこともなくなった。天下は車が行き交い、書簡も行き交うようになり、まさに天下太平になったのである。



(桃樹に題す)

小徑 堂に升り 舊と斜めならず,五株の桃樹 亦た從い遮る。

高秋には總て餧す 貧人の實を,來せば 還舒す 滿眼の花を。

 每宜す 通乳の燕を,兒童 信ず莫れ 慈鴉を打つを。

寡妻 群盜 今日に非ず,天下 車書 正に一家なり。


杏の花01




題桃樹』 現代語訳と訳註

(本文)

題桃樹

小徑升堂舊不斜,五株桃樹亦從遮。

高秋總餧貧人實,來還舒滿眼花。

每宜通乳燕,兒童莫信打慈鴉。

寡妻群盜非今日,天下車書正一家。


(下し文)

(桃樹に題す)

小徑 堂に升り 舊と斜めならず,五株の桃樹 亦た從い遮る。

高秋には總て餧す 貧人の實を,來せば 還舒す 滿眼の花を。

 每宜す 通乳の燕を,兒童 信ず莫れ 慈鴉を打つを。

寡妻 群盜 今日に非ず,天下 車書 正に一家なり。



(現代語訳)

(草堂に植えた百本に桃の木はいろんなことを見てきたので桃樹に題した)

桃園の小路があり、そこをぬけると草堂が古くなってはいるが傾いているわけではない。植えていた桃林の五本の樹が小道にしたがって遮るように枝を広げている。

ここ浣花渓は、天高く秋になればすべての人々に、貧しい者たちにも天からの恵み、木の実が豊富でくちにすることができ、そして年が改まって、季節が巡ると快適な季節となり、花が咲き乱れるのをこの目で見ることになるのだ。

簾の扉の季節になれば、毎年のことにツバメが子を産んで餌を運び、巣立っていく。我家の子供らは、「慈烏反哺」を話さなくても親孝行のことはわかっている。

これまで各地に叛乱や、盗賊がはびこって、残された妻たちは困っていたが今日にはそういったこともなくなった。天下は車が行き交い、書簡も行き交うようになり、まさに天下太平になったのである。

海棠花05

(訳注)

題桃樹

(草堂に植えた百本に桃の木はいろんなことを見てきたので桃樹に題した)

浣花渓には蕭実からもらった百本の桃を植えている。、

奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。

河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

<県令の八番目の書記をしている蕭實君に畑に植えたい桃の苗を求める詩。>

桃の苗百本を春になる前に100本ほど濯錦江が錦江に注ぎ込む地を「花を洗う村」としたいので送ってほしい。

桃の木は西晉の潘岳が河陽當縣令であった時に植樹し「河陽県花」と称されるほど河陽縣にはたくさんあるというがいまここ濯錦江の川辺の農園にいっぱいになるほどに全くなっていない。

成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <355  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533

五本の樹は①貧しい者たちにも木の実を口にすることが出来。

②花が咲き乱れるのをこの目で見る

③ツバメが子を産んで何度も餌を運び

④「慈烏反哺」を話さなくても親孝行のことはわかっている。

⑤天下太平になった

ということを示してくれる。

杏の花022

小徑升堂 舊 不斜 ,五株 桃樹 亦從遮 。

園の小路があり、そこをぬけると草堂が古くなってはいるが傾いているわけではない。植えていた桃林の五本の樹が小道にしたがって遮るように枝を広げている。



高秋總餧 貧人 實 ,來 還舒滿眼 花 。

ここ浣花渓は、天高く秋になればすべての人々に、貧しい者たちにも天からの恵み、木の実が豊富でくちにすることができ、そして年が改まって、季節が巡ると快適な季節となり、花が咲き乱れるのをこの目で見ることになるのだ。

「餧」餵。餵・餧)】 (1)(動物を)飼育する,餌(えさ)をやる:*牛~草|牛に草を食べさせる.(2)(病人や赤ん坊などに)食べさせる,口に食べ物を運ぶ.

「來」範圍時間(年)、來年。

「舒」(1) 伸びる,伸ばす.(2) 伸びやかな.(3) ( S‐ )姓.舒 shūchàng[形]伸びやかで楽しい心情舒気持ちがゆったりして愉快だ.舒服 shūfu[形]気分がいい,心地よい舒服的生活快適な生活.


每宜通乳燕 ,兒童 莫信 打 慈鴉 。

簾の扉の季節になれば、毎年のことにツバメが子を産んで餌を運び、巣立っていく。我家の子供らは、「慈烏反哺」を話さなくても親孝行のことはわかっている。

「鴉」慈烏反哺

子が親の恩に報いて孝養を尽くすこと。親孝行のたとえ。情け深いからすが幼いときの恩を忘れず、老いた親に口移しで餌えさを与える意から。▽「慈烏」はからすの異称。からすは、幼いとき親が口移しで餌を与えてくれた恩を忘れず、成長すると親に餌を与えてその恩を返すという。「哺」は口中の食物のこと。

寡妻群盜 非 今日 ,天下 車書 正一家 。
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高い波が大屋根の向うに翻っている。崖が崩れて今にもその床が押しつぶされようとしている。それから野にかかる橋は細やかに描かれ道が分かれているのもわかる。その川の砂浜の渚はうねり、めぐったりして遙か先まで続いてぼやける。


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年: 764  廣德二年  53

卷別: 卷二二六  文體: 五言律詩 

詩題: 觀李固請司馬弟山水圖,三首之一 

及地點:  天台山 (江南東道 台州 天台山)     

交遊人物: 李固 ・ 司馬
 

 

 觀李固請司馬弟山水圖,三首之一

(李固君が司馬が題した山水画を見て詠う三首の一)

簡易高人意,匡床竹火爐。

この画の隠君子に意志を込めて寛大で余裕のあるものになっており、ゆったりした寝床台が部屋の真ん中にあり、竹の香炉には火が見える。

寒天留遠客,碧海挂新圖。  

空の部分には寒い空がかかれそこには遠来の旅人がとどまっている。海は青く、東海の仙界に続く滄海であり、新しい画が画き加えられている。

雖對連山好,貪看島孤。  

このようにして仙界の連山が具合よく描かれ、これに対応するかのように画かれているものの、見るからに貧相な絶海の孤島がある。

群仙不愁思,冉冉下蓬壺。  

神仙五山の山々には、愁いを思うことはまったくないのだ。というのも、進んでゆけば蓬莱山の方へ下っていくものであるというものなのだ。
 

觀李固請司馬弟山水圖,三首之二

(李固君が司馬が題した山水画を見て詠う三首の二)

方丈渾連水,天台總映雲。 

神仙の方丈山は蒼海の水の向うに連なっているし、こちらの仙郷の天台山はそのすべてが雲に乗ったように映している。

人間長見畫,老去恨空聞。 

人の世というものは長い歴史でこの画を見るようなものである。老人になって俗世を去るという伝説の話を空しく聞いて恨みに思うものである。

范蠡舟偏小,王喬鶴不群。 

それがここに描かれていて、范蠡は呉を破った後、としおいて小舟に乗って隠遁したし、王子喬は鶴に乗って昇天し、仙人になるに鶴が群れをなしたわけではない。

此生隨萬物,何路出塵氛。 

この世を生きてゆくには万物の成長に逆らわず随って行くことであり、それが何処に向かう道であっても世の俗物の気分の中から抜け出るということなのである。

 

觀李固請司馬弟山水圖,三首之三 

(李固君が司馬が題した山水画を見て詠う三首の三)

高浪垂翻屋,崩崖欲壓床。 

高い波が大屋根の向うに翻っている。崖が崩れて今にもその床が押しつぶされようとしている。

野橋分子細,沙岸繞微茫。 

それから野にかかる橋は細やかに描かれ道が分かれているのもわかる。その川の砂浜の渚はうねり、めぐったりして遙か先まで続いてぼやける。

紅浸珊瑚短,青懸薜荔長。 

その南の向こうに東海には赤い珊瑚が短く沈みこんでいる。手前には青く棚にかかっているイチジクの葉が描かれている。

並坐得,仙老暫相將。 

その海には浮いて揺れている船が画かれ、それを座ってみようとしている人がいる。それは仙界入っていった老人がしばらくそこで暮らして、互いに助け合っているということなのだ。

 

(李固が司馬の弟に請うて山水圖を觀る,三首の三)

浪を高くし 垂れ屋に翻えり,崖を崩し 床を壓せんと欲す。 

野橋 分子細くし,沙岸 微茫を繞る。 

紅 浸す 珊瑚 短くするを,青 懸る 薜荔 長くするを。 

 並びに坐して 得,仙老 暫く相い將く。 

四川省西部地区略図 

 

『觀李固請司馬弟山水圖,三首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

觀李固請司馬弟山水圖,三首之三 

高浪垂翻屋,崩崖欲壓床。 

野橋分子細,沙岸繞微茫。 

紅浸珊瑚短,青懸薜荔長。 

並坐得,仙老暫相將。 

 

(下し文)

(李固が司馬の弟に請うて山水圖を觀る,三首の三)

浪を高くし 垂れ屋に翻えり,崖を崩し 床を壓せんと欲す。 

野橋 分子細くし,沙岸 微茫を繞る。 

紅 浸す 珊瑚 短くするを,青 懸る 薜荔 長くするを。 

 並びに坐して 得,仙老 暫く相い將く。 

 

(現代語訳)

(李固君が司馬が題した山水画を見て詠う三首の三)

高い波が大屋根の向うに翻っている。崖が崩れて今にもその床が押しつぶされようとしている。

それから野にかかる橋は細やかに描かれ道が分かれているのもわかる。その川の砂浜の渚はうねり、めぐったりして遙か先まで続いてぼやける。

その南の向こうに東海には赤い珊瑚が短く沈みこんでいる。手前には青く棚にかかっているイチジクの葉が描かれている。

その海には浮いて揺れている船が画かれ、それを座ってみようとしている人がいる。それは仙界入っていった老人がしばらくそこで暮らして、互いに助け合っているということなのだ。

 

 (訳注)

觀李固請司馬弟山水圖,三首之三

(李固君が司馬が題した山水画を見て詠う三首の三)

弟は別本では第、題となっており、司馬が題した神仙三山、或は五山を描いた「山水図」について詠ったものである。

 

高浪 翻屋 ,崩崖 欲壓床

高い波が大屋根の向うに翻っている。崖が崩れて今にもその床が押しつぶされようとしている。

 

野橋 子細 ,沙岸 微茫

それから野にかかる橋は細やかに描かれ道が分かれているのもわかる。その川の砂浜の渚はうねり、めぐったりして遙か先まで続いてぼやける。

 

紅浸 珊瑚 ,青懸 薜荔

その南の向こうに東海には赤い珊瑚が短く沈みこんでいる。手前には青く棚にかかっているイチジクの葉が描かれている。

「薜荔」オオイタビはクワ科イチジク属の常緑つる性木本。東アジア南部に分布し、日本では関東南部以西、特に海岸近くの暖地に自生し、栽培もされる。茎から出る気根で固着しながら木や岩に這い登る。オオイタビの名は、イタビカズラに似て大型であることによる。台湾に生育する変種のアイギョクシは果実を食用に用いる。。

 

並坐 得,仙老 相將。

その海には浮いて揺れている船が画かれ、それを座ってみようとしている人がいる。それは仙界入っていった老人がしばらくそこで暮らして、互いに助け合っているということなのだ。

「浮」漂浮海上的木筏。、船。

「將」ひきいる。すすめる。たてまつる。
江畔独歩尋花


これまでとこれからの杜甫詩 (14)764年廣徳2年764 杜甫53歳 三月成都へ帰る 100首
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廣徳2年764-49 《觀李固請司馬弟山水圖,三首之二》 ふたたび成都 杜甫<694> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3955 杜甫詩1000-694-962/150013

人の世というものは長い歴史でこの画を見るようなものである。老人になって俗世を去るという伝説の話を空しく聞いて恨みに思うものである。それがここに描かれていて、范蠡は呉を破った後、としおいて小舟に乗って隠遁したし、王子喬は鶴に乗って昇天し、仙人になるに鶴が群れをなしたわけではない。

 

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空の部分には寒い空がかかれそこには遠来の旅人がとどまっている。海は青く、東海の仙界に続く滄海であり、新しい画が画き加えられている。このようにして仙界の連山が具合よく描かれ、これに対応するかのように画かれているものの、見るからに貧相な絶海の孤島がある。

 

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廣徳2764-46 《觀李固請司馬弟山水圖,三首之一》 ふたたび成都 杜甫<670 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3835 杜甫詩1000-670-961/1500780

 


これまでとこれからの杜甫詩 (14)764年廣徳2年764 杜甫53歳 三月成都へ帰る 100首
#-14764年廣徳2年 杜甫53歳 100首


製作年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二六  文體: 五言律詩 

詩題: 觀李固請司馬弟山水圖,三首之一 

及地點:  天台山 (江南東道 台州 天台山)     

交遊人物: 李固 ・ 司馬

 


 


觀李固請司馬弟山水圖,三首之一

(李固君が司馬が題した山水画を見て詠う三首の一)

簡易高人意,匡床竹火爐。

この画の隠君子に意志を込めて寛大で余裕のあるものになっており、ゆったりした寝床台が部屋の真ん中にあり、竹の香炉には火が見える。

寒天留遠客,碧海挂新圖。 

空の部分には寒い空がかかれそこには遠来の旅人がとどまっている。海は青く、東海の仙界に続く滄海であり、新しい画が画き加えられている。

雖對連山好,貪看島孤。 

このようにして仙界の連山が具合よく描かれ、これに対応するかのように画かれているものの、見るからに貧相な絶海の孤島がある。

群仙不愁思,冉冉下蓬壺。 

神仙五山の山々には、愁いを思うことはまったくないのだ。というのも、進んでゆけば蓬莱山の方へ下っていくものであるというものなのだ。

(李固が司馬弟に請うて山水圖を觀る,三首の一)

簡易 高人の意,匡床 竹火の爐。 

寒天 遠客を留め,碧海 新圖を挂る。 

連山の好に對すと雖も,貪く看る 島孤をるを 

群仙 愁思にあらず,冉冉として蓬壺に下る。 

江畔独歩尋花 


 


『觀李固請司馬弟山水圖,三首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

觀李固請司馬弟山水圖,三首之一

簡易高人意,匡床竹火爐。 

寒天留遠客,碧海挂新圖。 

雖對連山好,貪看島孤。 

群仙不愁思,冉冉下蓬壺。 

 


 


(下し文)

(李固が司馬が弟に請うて山水圖を觀る,三首の一)

簡易 高人の意,匡床 竹火の爐。 

寒天 遠客を留め,碧海 新圖を挂る。 

連山の好に對すと雖も,貪く看る 島孤をるを。 

群仙 愁思にあらず,冉冉として蓬壺に下る。 

 


(現代語訳)

(李固君が司馬が題した山水画を見て詠う三首の一)

この画の隠君子に意志を込めて寛大で余裕のあるものになっており、ゆったりした寝床台が部屋の真ん中にあり、竹の香炉には火が見える。

空の部分には寒い空がかかれそこには遠来の旅人がとどまっている。海は青く、東海の仙界に続く滄海であり、新しい画が画き加えられている。

このようにして仙界の連山が具合よく描かれ、これに対応するかのように画かれているものの、見るからに貧相な絶海の孤島がある。

神仙五山の山々には、愁いを思うことはまったくないのだ。というのも、進んでゆけば蓬莱山の方へ下っていくものであるというものなのだ。

杜甫詩年譜INDEX00

 


(訳注)

觀李固請司馬弟山水圖,三首之一

(李固君が司馬が題した山水画を見て詠う三首の一)

弟は別本では第、題となっており、司馬が題した神仙三山或は五山を描いた「山水図」について詠ったものである。

 


簡易 高人 ,匡床 火爐

この画の隠君子に意志を込めて寛大で余裕のあるものになっており、ゆったりした寝床台が部屋の真ん中にあり、竹の香炉には火が見える。

・「簡易」蕩佚簡易【とういつかんい】、物事に対して寛大で余裕のある様。 煩雑を省いて大らかな態度で物事を行なうこと。のんびりとして自由な様子。 蕩佚は物事に対して寛大でゆるやかなことを意味する。辺境治道の要諦を訪ねた任尚に対して班超が「政治が察に過ぎれば下々に安んずる場がなくなります。宜しく蕩佚簡易なるを旨とすべきでしょう」と答えた故事から。

・「高人」高士の用語解説 - 1 志が高くりっぱな人格を備えた人物。人格高潔な人。「―世に容()れられず」2 世俗を離れて生活している高潔な人物。隠君子。

「意」語義類別:人、狀態、心神氣力、意。

「床」唐代の「ベッド」は「匡床」と呼ばれており、唐詩にはよく登場している。・「願君解羅襦、一酔同匡床」(願はくは君 羅襦を解き、一酔して匡床を同じくせんことを)(唐・喬知之「倡女行」、『全唐詩』第81巻)・「山人無事秋日長、白昼眠匡床」(山人 事無く 秋日長し、白昼 として匡床に眠る)(唐・劉禹錫「観棋歌送師西遊」、『全唐詩』第356巻) 「匡床」の形は現代のものとやや違う。その名前のとおり、三面もしくは三面半にフレームを使用し、それにテントが張られているベッドである。現在の中国ではほとんど使われなくなったが、南方の農村部ではたまに見られる。『中国語大辞典』(1994年版、角川書店)では、「角型のベッド、=筐床」と解説され、学校図書版の平成18年版教科書『中学校 国語3』には、「古い時代の寝台」という説明があり、イラストも付いている。また、吉川幸次郎はその著『新唐詩選』に、「床はベッドであるが、中国のベッドは西洋のそれぐらいの大きさ、あるいはそれ以上の大きさで、部屋の中央に位する。人は夜そこでねるばかりではない。昼間の何くれとない時間をも、その上でくつろぎつつすごす」とベッドの大きさ・置かれた位置・機能を指摘している。

 


 


寒天 遠客 ,碧海 新圖

空の部分には寒い空がかかれそこには遠来の旅人がとどまっている。海は青く、東海の仙界に続く滄海であり、新しい画が画き加えられている。

「寒天」空部分が広く採られている。神仙をイメージさせるもの。

「遠客」後に出てくる、仙郷に向かう旅人をいう。

「碧海」綠の海原。仙界に向かう海、蒼海のこと。

「挂」画きくわえられていることをいう

「新圖」新しく書き加えられたものが全体の絵の中で目立ったものになったのであろう。。

 


雖對 連山 ,貪看

このようにして仙界の連山が具合よく描かれ、これに対応するかのように画かれているものの、見るからに貧相な絶海の孤島がある。

 


群仙 愁思 ,冉冉 蓬壺

神仙五山の山々には、愁いを思うことはまったくないのだ。というのも、進んでゆけば蓬莱山の方へ下っていくものであるというものなのだ。

・「群仙」神仙の五山をいうがそれらの山々の中で雄雄しく書かれているのが中央に蓬莱山である。。

・「冉冉」しだいに進んでいくさま。また、徐々に侵していくさま。。

・「蓬壺」語義類別:地、閬苑仙境、仙境、蓬壺。《形が壺(つぼ)に似ているところから》蓬莱山(ほうらいさん)の異称。内裏や上皇の御所のたとえ。

五神山

仙人が住むといわれていた五神山には蓬萊、方丈、瀛州、岱輿、員喬があり、そのうちの「岱輿」及び「員喬」は流れて消えてしまったとされている。

東方三神山

蓬萊、方丈・瀛州を東方の三神山といい、渤海湾に面した山東半島のはるか東方の海(渤海とも言われる)にあり、不老不死の仙人が住むと伝えられている。徐福伝説を記した司馬遷『史記』巻百十八『淮南衝山列伝』で記されている。

草堂002


 

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杜甫《寄賀蘭銛》(数か月前に別れをした賀蘭銛がまた訪ねてくれて、一献傾け、詩を交わし合った)いまこうして50を超えて晩年といわれるようになってもやっぱり袂を分かたねばならないという。そのうえ此の蜀の江辺で轉蓬のように更にころがりあるくというのである。この蜀の地はおたがいにとって、他郷の地ではあるのだから悲しいなどといってはいけない。こうやっていっしょに飲食することのできることはこれから幾度こうしてできるであろうか、この時をあのよかったころと同じように楽しもうではないか。

 

2014年3月2日

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作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二六  文體: 五言律詩 

詩題: 寄賀蘭銛 

作地點: 目前尚無資料 

交遊人物: 賀蘭銛

 

 

寄賀蘭銛

(数か月前に別れをした賀蘭銛がまた訪ねてくれて、一献傾け、詩を交わし合った)

朝野歡後,乾坤震蕩中。 

一時太平全盛で朝となく野となく歓娯をつくしたあと、にわかに755年安史の乱以降の騒乱がおこって天地が動き出した真っ最中に一緒した。

相隨萬里日,總作白頭翁。 

それまでというのは、君とわたしとは万里の遠くまでというほど相随ってきたが、いまはふたりとも白髪頭のじいさんとなってしまった。

晚仍分袂,江邊更轉篷。 

いまこうして50を超えて晩年といわれるようになってもやっぱり袂を分かたねばならないという。そのうえ此の蜀の江辺で轉蓬のように更にころがりあるくというのである。

勿云俱異域,飲啄幾回同。 

この蜀の地はおたがいにとって、他郷の地ではあるのだから悲しいなどといってはいけない。こうやっていっしょに飲食することのできることはこれから幾度こうしてできるであろうか、この時をあのよかったころと同じように楽しもうではないか。 

(賀蘭銛【がらんせん】に寄す)

朝野 歓娯【かんご】の後なれば、乾坤 震蕩【しんとう】の中にあり。

相い随う万里の日、総て白頭翁と作る。

歳晩 を分かち、江辺 更に転蓬なり。

云う勿れ 供に異域なりと、飲啄【いんたく】幾回か同じうせん。

成都関連地図 00 

『寄賀蘭銛』 現代語訳と訳註

(本文)

寄賀蘭銛

朝野歡後,乾坤震蕩中。 

相隨萬里日,總作白頭翁。 

晚仍分袂,江邊更轉篷。 

勿云俱異域,飲啄幾回同。 

 

(下し文)

(賀蘭銛【がらんせん】に寄す)

朝野 歓娯【かんご】の後なれば、乾坤 震蕩【しんとう】の中にあり。

相い随う万里の日、総て白頭翁と作る。

歳晩 仍お袂を分かち、江辺 更に転蓬なり。

云う勿れ 供に異域なりと、飲啄【いんたく】幾回か同じうせん。

 

(現代語訳)

(数か月前に別れをした賀蘭銛がまた訪ねてくれて、一献傾け、詩を交わし合った)

一時太平全盛で朝となく野となく歓娯をつくしたあと、にわかに755年安史の乱以降の騒乱がおこって天地が動き出した真っ最中に一緒した。

それまでというのは、君とわたしとは万里の遠くまでというほど相随ってきたが、いまはふたりとも白髪頭のじいさんとなってしまった。

いまこうして50を超えて晩年といわれるようになってもやっぱり袂を分かたねばならないという。そのうえ此の蜀の江辺で轉蓬のように更にころがりあるくというのである。

この蜀の地はおたがいにとって、他郷の地ではあるのだから悲しいなどといってはいけない。こうやっていっしょに飲食することのできることはこれから幾度こうしてできるであろうか、この時をあのよかったころと同じように楽しもうではないか。

江畔独歩尋花 

 (訳注)

寄賀蘭銛

(数か月前に別れをした賀蘭銛がまた訪ねてくれて、一献傾け、詩を交わし合った)

○賀蘭錆 事歴は評かでない。別にこの詩の数か月前に「贈別賀蘭銛」(賀蘭銛君にこの詩を贈って別れる。)詩がある。廣徳2年764-8-1 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3675 杜甫詩1000-658-1-929/1500752-1

 

廣徳2年764-8-2 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3680 杜甫詩1000-658-2-930/1500752-2

 

朝野歡後,乾坤震蕩中。

一時太平全盛で朝となく野となく歓娯をつくしたあと、にわかに755年安史の乱以降の騒乱がおこって天地が動き出した真っ最中に一緒した。

○歓娯 太平であった時をいう。「開元の治」の頃をいう。杜甫は仕官をしてはいなかったが、人的交流が最も多い時期であった。

○震蕩 ふるいうごく、755年安史の乱以降の騒乱の時をいう。

 

相隨萬里日,總作白頭翁。

それまでというのは、君とわたしとは万里の遠くまでというほど相随ってきたが、いまはふたりとも白髪頭のじいさんとなってしまった。

○相随万里日 「万里相随日」の意、日は時をいう。

○総 二人をくるめていう。

 

晚仍分袂,江邊更轉篷。

いまこうして50を超えて晩年といわれるようになってもやっぱり袂を分かたねばならないという。そのうえ此の蜀の江辺で轉蓬のように更にころがりあるくというのである。

○歳晩 としのくれ、前の贈別の詩は春のことである、思うに賀蘭銛は長安の状況により、年末まで出発できなかったのであろう。

○転蓬 根無し蓬が風に吹かれ、転がり歩く如く彷徨う。

 

勿云俱異域,飲啄幾回同。

この蜀の地はおたがいにとって、他郷の地ではあるのだから悲しいなどといってはいけない。こうやっていっしょに飲食することのできることはこれから幾度こうしてできるであろうか、この時をあのよかったころと同じように楽しもうではないか。

○俱異域 異域は郷土に対する他の地をいう、蜀の地をさす、供とは彼我二人をいう。

○飲啄 のみ、ついばむ、鳥の飲食することをいうことばである、これを人に用いるのは食べる御馳走がなくて、酒しかないということをあらわす。貧乏をしていること、苦しいことが言いたいという解釈をしているものがあるが、杜甫は結構この生活を楽しんでいる。

 杜甫像00

廣徳2年764-38 《過南鄰朱山人水亭》 ふたたび成都 杜甫<668> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3825 杜甫詩1000-668-959/1500778

杜甫《過南鄰朱山人水亭》朱山隠者の庵と私の草堂は近くある、両方の敷地の間にある竹が双方の家の敷地にまで入り混じり生えている。さかえがわからぬなるほどで、そこをとおって訪問しても出入りが分からないほどなのだ。互いに隠棲しているのでひっそりとした朱山人の庭にきてみると樹に花いっぱいに咲いている。ほそい澗水の流れが曲って池に通じている。

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廣徳2764-38 《過南鄰朱山人水亭》 ふたたび成都 杜甫<668 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3825 杜甫詩1000-668-959/1500778

 

 

年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二六  文體: 五言律詩 

詩題: 過南鄰朱山人水亭 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

交遊人物/地點: 朱山人 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 


過南鄰朱山人水亭
相近竹参差、相通人不知。
朱山隠者の庵と私の草堂は近くある、両方の敷地の間にある竹が双方の家の敷地にまで入り混じり生えている。さかえがわからぬなるほどで、そこをとおって訪問しても出入りが分からないほどなのだ
幽花敬満樹、細水曲通池。
互いに隠棲しているのでひっそりとした朱山人の庭にきてみると樹に花いっぱいに咲いている。ほそい澗水の流れが曲って池に通じている。
辟客村非違、残樽席吏移。
隣りにもかかわらず隠者同士訪問することが少ない客ではあるがちょっとだけのつもりであったのだ。しかし、飲み残しの樽を前にしては、かえるわけにはいかない、つい、また席を替えて飲みなおすのである。
看君多道東、従此敷追随。
朱山人、わたしは君のことをよく観察したのだが、君は道家の中で東に座るべき能力・雰囲気を多くそなえた人だ、これから、わたしはたびたびおじゃまして君に随ってあそびたいと思っているのだ。

(南鄰朱山人が水亭に過る)
相い近くして竹は参差【しんさ】たり 相い過れども人知らざるなり。
幽花【ゆうか】敬いて樹に満ち、細水【さいすい】】曲りて池に通ず。
辟客【へきかく】村遠きに非ず、残樽【ざんそん】席更に移す。
君を看る 道気【どうけ】の多きなるを、此れ従り数【しばし】ば追随【ついずい】せん。

草堂002

『過南鄰朱山人水亭』 現代語訳と訳註
(
本文)
相近竹参差、相通人不知。
幽花敬満樹、細水曲通池。
辟客村非違、残樽席吏移。
看君多道東、従此敷追随。


(下し文)
(南鄰朱山人が水亭に過る)
相い近くして竹は参差【しんさ】たり 相い過れども人知らざるなり。
幽花【ゆうか】敬いて樹に満ち、細水【さいすい】】曲りて池に通ず。
辟客【へきかく】村遠きに非ず、残樽【ざんそん】席更に移す。
君を看る 道気【どうけ】の多きなるを、此れ従り数【しばし】ば追随【ついずい】せん。


(現代語訳)
朱山隠者の庵と私の草堂は近くある、両方の敷地の間にある竹が双方の家の敷地にまで入り混じり生えている。さかえがわからぬなるほどで、そこをとおって訪問しても出入りが分からないほどなのだ。
互いに隠棲しているのでひっそりとした朱山人の庭にきてみると樹に花いっぱいに咲いている。ほそい澗水の流れが曲って池に通じている。
隣りにもかかわらず隠者同士訪問することが少ない客ではあるがちょっとだけのつもりであったのだ。しかし、飲み残しの樽を前にしては、かえるわけにはいかない、つい、また席を替えて飲みなおすのである。
朱山人、わたしは君のことをよく観察したのだが、君は道家の中で東に座るべき能力・雰囲気を多くそなえた人だ、これから、わたしはたびたびおじゃまして君に随ってあそびたいと思っているのだ。

江畔独歩尋花
(訳注)
過南鄰朱山人水亭
この篇は作者が南鄰の朱山人の水辺の亭によぎったことをしのぶ。広徳二年に作者が成都に復帰したときの作とする。詩の内容から761年春と考えられる。


相近竹参差、相通人不知。
朱山隠者の庵と私の草堂は近くある、両方の敷地の間にある竹が双方の家の敷地にまで入り混じり生えている。さかえがわからぬなるほどで、そこをとおって訪問しても出入りが分からないほどなのだ。
・参差 [1]長短の等しくないさま。そろわないさま。[2]入りまじるさま。入り組むさま。


幽花敬満樹、細水曲通池。
互いに隠棲しているのでひっそりとした朱山人の庭にきてみると樹に花いっぱいに咲いている。ほそい澗水の流れが曲って池に通じている。


辟客村非違、残樽席吏移。
隣りにもかかわらず隠者同士訪問することが少ない客ではあるがちょっとだけのつもりであったのだ。しかし、飲み残しの樽を前にしては、かえるわけにはいかない、つい、また席を替えて飲みなおすのである。
・辟客 遠いところからの客。隣りにもかかわらず互いに訪問するということがなかったということの意味。


看君多道東、従此敷追随。
朱山人、わたしは君のことをよく観察したのだが、君は道家の中で東に座るべき能力・雰囲気を多くそなえた人だ、これから、わたしはたびたびおじゃまして君に随ってあそびたいと思っているのだ。
・道東 道士の中で東に座るべき人だ。東に主人で西に弟子が座るのでこういう。

 竹林001

過南鄰朱山人水亭 

相近竹參差,相過人不知。 

幽花攲滿樹,小水細通池。 

歸客村非遠,殘樽席更移。 

看君多道氣,從此數追隨。  
(南鄰朱山人が水亭に過る)
相い近くして竹は参差【しんさ】たり 相い過れども人知らざるなり。
幽花【ゆうか】敬いて樹に満ち、細水【さいすい】】曲りて池に通ず。
辟客【へきかく】村遠きに非ず、残樽【ざんそん】席更に移す。
君を看る 道気【どうけ】の多きなるを、此れ従り数【しばし】ば追随【ついずい】せん。
 

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杜甫《太子張舍人遺織成褥段―#4そういうことなので、錦の鯨を巻いてお客どのにおかえしした。それでやっと心が平和になった気持ちになりました。そうしてお粗末な一席として、その座の塵を振り払って、お客どのにはあかぎ汁をたべさせるしかないほどで、これはお客に対して、おはずかしいことであります。


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太子張舍人遺織成褥段#1

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

#2

領客珍重意,顧我非公卿。

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

留之懼不祥,施之混柴荊。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。

服飾定尊卑,大哉萬古程。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

今我一賤老,裋褐更無營。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

#3

歎息當路子,干戈尚縱橫。

「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。

掌握有權柄,衣馬自肥輕。

彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。

李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。

來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。

#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。

聞けば李鼎と驕貴の二人ともみな金銭をたくさんためていたというがそんなことではやがて栄枯盛衰、悔吝の運勢がでてくることは想像されることである。

奈何田舍翁,受此厚貺情。

かようなわけでありますから、どうしてこのいなかの爺いがこのような厚い賜物をくださるおこころをそのままおうけすることができましょう。」

錦鯨卷還客,始覺心和平。

そういうことなので、錦の鯨を巻いてお客どのにおかえしした。それでやっと心が平和になった気持ちになりました。

振我粗席塵,愧客茹藜羹。

そうしてお粗末な一席として、その座の塵を振り払って、お客どのにはあかぎ汁をたべさせるしかないほどで、これはお客に対して、おはずかしいことであります。

 

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神しと。』

 

客の珍重なる意を領す、顧【おも】うに我は公卿に非ず。

之を留むるは不祥ならんことを懼れ、之を施せば柴荊【さいけい】に混ず。

服飾は尊卑を定め、大なる哉 万古の程。

今我一賤の老なり、裋褐【じゅかつ】更に営むこと無し。

煌煌たり珠宮の物、寝処するは禍の嬰【かか】る所なり。』

 

嘆息す当路の子、千戈尚お縦横なり。

掌握 権柄【けんぺい】有り、衣馬自ずから肥軽【ひけい】。

李鼎【りてい】 岐陽【きよう】に死するは、実に驕貴【きょうき】盈【み】つるを以てなり。

【らいてん】自尽を賜うは、気豪にして直ちに兵もて阻めばなり。

 

皆聞く黄金多しと、坐ろに見る悔吝【かいりん】の生ずるを。

奈何ぞ田舎翁、此の厚貺【こうきょう】の情を受けん。』

錦鯨【きんげい】巻きて客に還す、始めて覚ゆ心の和平なるを。

我が粗席の塵を振い 客に藜羹【れいこう】を茄【く】らわしむるに愧ず。』

成都関連地図 00 

 

『太子張舍人遺織成褥段』 現代語訳と訳註

(本文) #4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。

奈何田舍翁,受此厚貺情。

錦鯨卷還客,始覺心和平。

振我粗席塵,愧客茹藜羹。

 

(下し文)

皆聞く黄金多しと、坐ろに見る悔吝【かいりん】の生ずるを。

奈何ぞ田舎翁、此の厚貺【こうきょう】の情を受けん。』

錦鯨【きんげい】巻きて客に還す、始めて覚ゆ心の和平なるを。

我が粗席の塵を振い 客に藜羹【れいこう】を茄【く】らわしむるに愧ず。』

 

(現代語訳)

聞けば李鼎と驕貴の二人ともみな金銭をたくさんためていたというがそんなことではやがて栄枯盛衰、悔吝の運勢がでてくることは想像されることである。

かようなわけでありますから、どうしてこのいなかの爺いがこのような厚い賜物をくださるおこころをそのままおうけすることができましょう。」

そういうことなので、錦の鯨を巻いてお客どのにおかえしした。それでやっと心が平和になった気持ちになりました。

そうしてお粗末な一席として、その座の塵を振り払って、お客どのにはあかぎ汁をたべさせるしかないほどで、これはお客に対して、おはずかしいことであります。

菖蒲02 

(訳注)#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。

聞けば李鼎と驕貴の二人ともみな金銭をたくさんためていたというがそんなことではやがて栄枯盛衰、悔吝の運勢がでてくることは想像されることである。

○皆聞 李鼎と驕貴の二人ともみな、富貴のものは誰でも。

○黄金多 かねをたくさんためこむ。かねはいずれも人民のものを搾取、略奪・奪取したもの。

○悔吝 ・悔は後悔、・吝りん【吝】[漢字項目]とは。意味や解説。[音]リン(呉)(漢)[訓]やぶさかしわい物惜しみをする。けち。「吝嗇(りんしょく)/倹吝・慳吝(けんりん)」。

 

奈何田舍翁,受此厚貺情。

かようなわけでありますから、どうしてこのいなかの爺いがこのような厚い賜物をくださるおこころをそのままおうけすることができましょう。」

○田舎翁 いなかおやじ、自己をいう。

○厚貺 あついたまもの。

以上は更に推しひろめて奪惨の例をひき、縟段をうけるべきではないことをいう。

 

錦鯨卷還客,始覺心和平。

そういうことなので、錦の鯨を巻いてお客どのにおかえしした。それでやっと心が平和になった気持ちになりました。

○錦鯨 にしきのくじら、禅段の模様。

○還 返す、もどす。

 

振我粗席塵,愧客茹藜羹。

そうしてお粗末な一席として、その座の塵を振り払って、お客どのにはあかぎ汁をたべさせるしかないほどで、これはお客に対して、おはずかしいことであります。

○粗席 粗末なむしろ、杜甫が客をもてなすこと。。

○茄 食ろう、くわせることをいう。

○藜羹 【れいこう】あかぎのお汁。アカザのあつもの。転じて、粗食。藜羹を食らう者は大牢の滋味を知らず。《「藜羹」は粗食、「大牢」はすばらしいごちそうの意》粗食に慣れた者にはごちそうの味がわからない。つまらない人間には高尚なことや重大なことは理解できないことのたとえ。

以上は自己の貧賎を以て満足することをいう。
杜甫像0012 

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太子張舍人遺織成褥段#1

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

#2

領客珍重意,顧我非公卿。

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

留之懼不祥,施之混柴荊。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。

服飾定尊卑,大哉萬古程。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

今我一賤老,裋褐更無營。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

#3

歎息當路子,干戈尚縱橫。

「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。

掌握有權柄,衣馬自肥輕。

彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。

李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。

來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。

#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。奈何田舍翁,受此厚貺情。

錦鯨卷還客,始覺心和平。振我粗席塵,愧客茹藜羹。

江畔独歩尋花 

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神しと。』

 

客の珍重なる意を領す、顧【おも】うに我は公卿に非ず。

之を留むるは不祥ならんことを懼れ、之を施せば柴荊【さいけい】に混ず。

服飾は尊卑を定め、大なる哉 万古の程。

今我一賤の老なり、裋褐【じゅかつ】更に営むこと無し。

煌煌たり珠宮の物、寝処するは禍の嬰【かか】る所なり。』

 

嘆息す当路の子、千戈尚お縦横なり。

掌握 権柄【けんぺい】有り、衣馬自ずから肥軽【ひけい】。

李鼎【りてい】 岐陽【きよう】に死するは、実に驕貴【きょうき】盈【み】つるを以てなり。

【らいてん】自尽を賜うは、気豪にして直ちに兵もて阻めばなり。

 

皆聞く黄金多しと、坐ろに見る悔吝【かいりん】の生ずるを。

奈何ぞ田舎翁、此の厚貺【こうきょう】の情を受けん。』

錦鯨【きんげい】巻きて客に還す、始めて覚ゆ心の和平なるを。

我が粗席の塵を振い 客に藜羹【れいこう】を茄【く】らわしむるに愧ず』

成都関連地図 00 

 

『太子張舍人遺織成褥段』 現代語訳と訳註

(本文) #3

歎息當路子,干戈尚縱橫。

掌握有權柄,衣馬自肥輕。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。

來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

 

(下し文)

嘆息す当路の子、千戈尚お縦横なり。

掌握 権柄【けんぺい】有り、衣馬自ずから肥軽【ひけい】。

李鼎【りてい】 岐陽【きよう】に死するは、実に驕貴【きょうき】盈【み】つるを以てなり。

来瑱【らいてん】自尽を賜うは、気豪にして直ちに兵もて阻めばなり。

(現代語訳)

「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。

彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。

李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。

来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。

 

(訳注) #3

歎息當路子,干戈尚縱橫。

「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。

○当路子 要路に当たっている人、権勢の地位にある臣。上の権威、権力を利用し、その権勢をほしいままにするもの。

 

掌握有權柄,衣馬自肥輕。

彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。

○衣馬肥軽 『論語(雍也)』「乗肥馬、衣軽裘」軽くて美しいかわごろもと肥えた馬。富貴な人の外出の時のいでたち。転じて富貴な人。

 

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。

李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。

○李鼎死岐陽 粛宗の上元二年、羽林大将軍李鼎を以て鳳翔尹・興鳳隴陳等州節度使と為した、二月、党項羌が宝雞に寇して、大散関に入り、鳳州を陥れたとき、鼎はこれを邀え撃った。六月、鼎を以て鄯州刺史・隴右節度史と為した、しかし其の死は史書には見えない。此の詩に「死岐陽」というのは、思うにまだ瀧右に至らぬうちに非命に死んだものであろう。

○驕貴盈 驕貴はおごりと、地位の貴いこと、盈は十分驕貴を極めたこと。

 

來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。

○来瑱 宝応元年、来瑱が山南東道節度使となったとき、裴莪は瑱を屈強にして制し難しと表したため、粛宗は潜かに莪をして瑱を図らしめたが、六月、瑱は莪を申口に擒にし入朝して罪を謝した、広徳元年正月、莪を播州の尉に配し、翌日死を鄂県に賜うた。

〇自盡 自殺すること。

○気豪 気のあらいこと。

○阻兵 兵を恃むこと、「左伝」(隠公四年)に「兵を阻みて忍に安んず」「兵を阻めば衆なし」とみえる。
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廣徳2年764-36-2 《太子張舍人遺織成褥段―#2》 ふたたび成都 杜甫<667-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3810 杜甫詩1000-667-#2-956/1500775

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太子張舍人遺織成褥段#1

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#2

領客珍重意,顧我非公卿。

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

留之懼不祥,施之混柴荊。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。
服飾定尊卑,大哉萬古程。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

今我一賤老,裋褐更無營。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

#3

歎息當路子,干戈尚縱橫。掌握有權柄,衣馬自肥輕。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。奈何田舍翁,受此厚貺情。

錦鯨卷還客,始覺心和平。振我粗席塵,愧客茹藜羹。

 

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神しと。』

 

客の珍重なる意を領す、顧【おも】うに我は公卿に非ず。

之を留むるは不祥ならんことを懼れ、之を施せば柴荊【さいけい】に混ず。

服飾は尊卑を定め、大なる哉 万古の程。

今我一賤の老なり、裋褐【じゅかつ】更に営むこと無し。

煌煌たり珠宮の物、寝処するは禍の嬰【かか】る所なり。』

 

嘆息す当路の子、千戈尚お縦横なり。

掌握 権柄【けんぺい】有り、衣馬自ずから肥軽【ひけい】。

李鼎【りてい】 岐陽【きよう】に死するは、実に驕貴【きょうき】盈【み】つるを以てなり。

【らいてん】自尽を賜うは、気豪にして直ちに兵もて阻めばなり。

皆聞く黄金多しと、坐ろに見る悔吝【かいりん】の生ずるを。

奈何ぞ田舎翁、此の厚貺【こうきょう】の情を受けん。』

錦鯨【きんげい】巻きて客に還す、始めて覚ゆ心の和平なるを。

我が粗席の塵を振い 客に藜羹【れいこう】を茄【く】らわしむるに愧ず』

 

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太子張舍人遺織成褥段』 現代語訳と訳註

(本文)

#2

領客珍重意,顧我非公卿。

留之懼不祥,施之混柴荊。

服飾定尊卑,大哉萬古程。

今我一賤老,裋褐更無營。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

 

(下し文)

客の珍重なる意を領す、顧【おも】うに我は公卿に非ず。

之を留むるは不祥ならんことを懼れ、之を施せば柴荊【さいけい】に混ず。

服飾は尊卑を定め、大なる哉 万古の程。

今我一賤の老なり、裋褐【じゅかつ】更に営むこと無し。

煌煌たり珠宮の物、寝処するは禍の嬰【かか】る所なり。』

 

(現代語訳)

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

江畔独歩尋花 

(訳注) 2

太子張舍人遺織成褥段

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)

 

領客珍重意,顧我非公卿。

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

○領 うけいれる。

○珍重意 珍重とは珍とし貴重なものであることをいう。

○公卿 三公九卿、高位の臣。

 

留之懼不祥,施之混柴荊。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。

○留之 之とは樽段をさす、留とはもらって自分の手もとにとめおくこと。

○不祥 不書。

○施之 施とは用いること、敷きこむことをいう、之は褥段。

○混柴荊 柴荊の門庭において他物と混雑することをいう。

 

服飾定尊卑,大哉萬古程。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

○服飾 身につけかざるもの。

○定尊卑 人の身分のとうときといやしきとをきめる。

○万古程 千年万年にわたってかわらぬ「のり」のこと。

 

今我一賤老,裋褐更無營。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

○裋褐 毛で織った粗末な着物の上に着る毛布のような上チョッキ。裋褐の意味や日本語訳。ピンインshùhè((文語文[昔の書き言葉])) 粗末な木綿の服.

○更無営 他に求め為すことがない、それで満足している。

 

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

○煌煌 かがやくさま、「物」へかかる語。

○珠宮「楚辞」にみえる、竜宮のこと、禁中をさしていう。

○寝処 寝たり起きたりその上に居ることをいう。以上は褥段を受けてはならぬことをいう。
成都遂州00 

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杜甫《太子張舍人遺織成褥段―#1》 シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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廣徳2764-36-1 《太子張舍人遺織成褥段―#1》 ふたたび成都 杜甫<667-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3805 杜甫詩1000-667-#1-955/1500774

 

 

太子張舍人遺織成褥段#1

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

#2

領客珍重意,顧我非公卿。留之懼不祥,施之混柴荊。

服飾定尊卑,大哉萬古程。今我一賤老,裋褐更無營。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

#3

歎息當路子,干戈尚縱橫。掌握有權柄,衣馬自肥輕。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。奈何田舍翁,受此厚貺情。

錦鯨卷還客,始覺心和平。振我粗席塵,愧客茹藜羹。

 

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神しと。』

カンナ223 

客の珍重なる意を領す 顧【おも】うに我は公卿に非ず

之を留むるは不祥ならんことを憤る 之を施せば柴荊【さいけい】に混ず

服飾は尊卑を定む、大なる哉 万古の程。

今我一機老なり 短裾更に営むこと無し

塩焼たり珠宮の物 寝処するは禍の嬰る所なり』

【】

嘆息す当路の子 千曳尚お縦横なり

掌握権柄有り 衣馬自ずから肥軽

李鼎岐陽に死するは 実に騎貴盈つるを以てなり

来項目尽を賜うは 気豪にして直ちに兵もて阻めばなり

皆聞く黄金多しと 坐ろに見る悔香の生ずるを

奈何ぞ田舎翁 此の厚姐の情を受けん』

錦鯨巻きて客に還す 始めて覚ゆ心の和平なるを

我が鹿席の塵を振い 客に奉糞を茄らわしむるに愧ず』

江畔独歩尋花 

 

『太子張舍人遺織成褥段』 現代語訳と訳註

(本文) #1

客從西北來,遺我翠織成。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

客雲充君褥,承君終宴榮。

空堂魑魅走,高枕形神清。

 

(下し文)

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神清しと。』

 

(現代語訳)

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

杜甫像00杜甫像00 

(訳注) #1

太子張舍人遺織成褥段

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)

○太子張舎人 太子舎人張某。

○遺 貽【おく】る。

○織成 毛織りもの。

○褥段 しとねにする絨段。

 

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

○客 つかいの人。

○西北 何れの地をさすかは不明だからこう表現した。ペルシャ織物がシルクロード通過する北西の方向になる。

○翠 みどり。

 

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

○緘 篋をカラガクもの、封緘。

○風涛 海の波模様をいう。

○掉尾鯨 尾をうごかすくじら。

 

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

○逶迤 うねりつづく。

○水族 魚類。

○瑣細 こまかなもの。

○名 名ざしていう。

 

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

○充君褥 以下、次の聯「形神清」までは客の言である。

○君終宴栄 栄を荷なうというのに似る、謙遜のあいさつである。終宴は宴が始まって終りまで。

 

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

○空堂 人のいない座敷。

○魑魅走 怪物が逃走する。

○高枕 たかまくらで寝る。

○形神 肉体も精神も。

○清 すがすがしい。以上は客、樽段を持っておくりその効能を述べたことを叙する。

8世紀唐と周辺国00

廣徳2年764-35-3 《揚旗―#3》 ふたたび成都 杜甫<666-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3800 杜甫詩1000-666-#3-954/1500773

杜甫《揚旗―#3》去年、西蜀の松、維と保の三州は吐蕃や異民族の羌らによって侵略され城を陥落されたけれど、西嶺山脈辺りではこの春には奪回され緑の地に回復されたという。このわたしとしても、ここでこうして飲み且つ御馳走をいただけることになり、南蛮と荊楚の方面にはもう行かないことにした。


2014年2月24日 の紀頌之5つのブログ  
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(13)(未央宮の正殿) #5-1 文選 賦<114―(13)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1050 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3798
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <963>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3799韓愈詩-258
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-35-3 《揚旗―#3》 ふたたび成都 杜甫<666-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3800 杜甫詩1000-666-#3-954/1500773
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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廣徳2764-35-3 《揚旗―#3》 ふたたび成都 杜甫<666-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3800 杜甫詩1000-666-#3-954/1500773

 

 

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府の杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。もとの犬もよろこんで裾にまといついた。草堂の門に入って、四本の松や、五本の桃の木が、それぞれ生長しているのを見るのも彼をよろこばせた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。

 

成都の節度使の幕府に移った厳武は、蜀に返ってくると、大いに軍容を盛んにして、九月には吐審七万の兵を破り、当狗城や、塩川城を奪いかえし、西方国境における唐軍の勢いをもり返した。杜甫も詩を作って讃辞を惜しまなかった。厳武も杜甫をいたわり、いつも幕僚と共に宴に招き、韻を分かって詩を作った。

 

しかし、厳武の好意があればあるほど、幕中の生活は杜甫にとっては楽しいものではなかった。杜甫は、どうしても同僚のものたちと合わないのである。それにまた幕中の生活はかなり忙しく厳しいものであった。毎朝日の出前に役所に入り、世更けて退所するのである。如何に、半官半隠が理想の杜甫にとって他の役人との関係において難しいものであった。

江畔独歩尋花 

 

揚旗
(旗をかかげる。)
〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕#1

江雨颯長夏,府中有餘清。 

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。
我公會賓客,肅肅有異聲。 

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

初筵軍裝,羅列照廣庭。 

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を謁見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

庭空六馬入,駊騀揚旗旌。

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

#2 

回回偃飛蓋,熠熠迸流星。

成都尹から都に呼び戻され、車の大傘を飛ばすほど急いで都に帰り、賊を追い散らし、そして今度は成都を安寧にするために戻ってきた來るという、そしてその光輝く雄姿は流れる星のごとくその輝きを迸るのである。

來纏風飆急,去擘山岳傾。

疾風のように来られたと思うと、竜巻のように賊共を退治し、まとめられた。山岳の方に賊が逃げると山を駆け上がってかたずけられた。

材歸俯身盡,妙取略地平。

その持たれている能力はことごとくひれ伏せられて帰ってこられたのである。侵略されたところも巧妙な作戦で平定され、とりもどされたのである。

虹霓就掌握,舒卷隨人輕。

大空にかかる虹のごとくその手にこの地を掌握されて、その臨機応変なことは文武両道に通じており人をして軽やかに随いついてゆくようになるのである。

#3 

三州陷犬戎,但見西嶺青。 

去年、西蜀の松、維と保の三州は吐蕃や異民族の羌らによって侵略され城を陥落されたけれど、西嶺山脈辺りではこの春には奪回され緑の地に回復されたという。

公來練猛士,欲奪天邊城。 

厳武公が成都の幕府に来られたということで壮士たちの精神が練られ、勢いづいてきたので、保寧都堵府など国境周辺の城郭を奪回しようとしているのだ。

此堂不易升,庸蜀日已寧。 

私自身が東西川節度使の幕府の奥の堂に昇るとするにはそう簡単なものではないが、厳武公の蜀に雇われるということは、日一日と既に安寧な状態になっているのである。

吾徒且加餐,休適蠻與荊。 

このわたしとしても、ここでこうして飲み且つ御馳走をいただけることになり、南蛮と荊楚の方面にはもう行かないことにした。

 

揚旗〔二年 夏六月,成都尹嚴公 公堂に置酒し,騎士を觀し 新旗幟を試る。〕  #1

江雨 長夏に颯とし,府中 餘清有り。 

我が公は賓客に會し,肅肅として異聲有り。 

初筵 軍裝をし,羅列して 廣庭を照す。 

庭空は六馬入り,駊騀 旗旌を揚ぐ。

#2 

回回として蓋を飛ばし偃【のいふ】し,熠熠として流星を迸る。

來纏すれば 風飆急なり,去擘するは山岳傾けり。

材は 身盡くし俯して歸り,略地の平らかにするを妙取す。

虹霓【こうげい】掌握に就き,舒卷【じょかん】人輕に隨う。

#3 

三州 犬戎に陷ち,但し西嶺の青を見ん。 

公 來りて猛士に練り,天邊の城を奪んと欲す。 

此の堂は升るに易からず,蜀に庸すは日び已に寧す。 

吾が徒 且つ加餐し,蠻と荊とに適くを休む。 

 

『揚旗』 現代語訳と訳註

(本文) #3

揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

#3 

三州陷犬戎,但見西嶺青。 

公來練猛士,欲奪天邊城。 

此堂不易升,庸蜀日已寧。 

吾徒且加餐,休適蠻與荊。 

 

(下し文)

三州 犬戎に陷ち,但し西嶺の青を見ん。 

公 來りて猛士に練り,天邊の城を奪んと欲す。 

此の堂は升るに易からず,蜀に庸すは日び已に寧す。 

吾が徒 且つ加餐し,蠻と荊とに適くを休む。 

 

(現代語訳)

去年、西蜀の松、維と保の三州は吐蕃や異民族の羌らによって侵略され城を陥落されたけれど、西嶺山脈辺りではこの春には奪回され緑の地に回復されたという。

厳武公が成都の幕府に来られたということで壮士たちの精神が練られ、勢いづいてきたので、保寧都堵府など国境周辺の城郭を奪回しようとしているのだ。

私自身が東西川節度使の幕府の奥の堂に昇るとするにはそう簡単なものではないが、厳武公の蜀に雇われるということは、日一日と既に安寧な状態になっているのである。

このわたしとしても、ここでこうして飲み且つ御馳走をいただけることになり、南蛮と荊楚の方面にはもう行かないことにした。

成都西側002

(訳注)

揚旗#3〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕 

旗をかかげる。〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕

成都尹 成都の市長、長官。この時、東、西川節度使と兼務していた。

嚴公 杜甫の幼友達の子供。

置酒 盛大に酒宴を催すこと。また、酒宴のこと。・「置酒」は酒宴を開くこと。「高会」は盛大な宴会のこと。 

公堂 幕府の公の講堂。

新旗幟 新しい軍旗が出来上がったこと。

 

三州 犬戎 ,但見 西嶺

去年、西蜀の松、維と保の三州は吐蕃や異民族の羌らによって侵略され城を陥落されたけれど、西嶺山脈辺りではこの春には奪回され緑の地に回復されたという。

「三州」松州、雅州、卭州。廣德元年,劍南節度高適の軍が間に合わず、吐蕃が来寇し保寧都堵府の管轄の松、維と保三州が陥落した

「陷」戰爭活動、陷落。侵略

「犬戎」西方異民族、ここでは吐蕃。

「西嶺」西嶺山脈。元来吐蕃国境の山脈をいう。

「青」綠。雪をかぶった山脈に春が来て緑に変わること。

 

 

公來 練猛士 ,欲奪 天邊

厳武公が成都の幕府に来られたということで壮士たちの精神が練られ、勢いづいてきたので、保寧都堵府など国境周辺の城郭を奪回しようとしているのだ。

「公」厳武公。成都尹、東西川節度使

「「猛士」壯士。

「天邊城」保寧都堵府など国境周辺の城郭。

 

此堂不易 升,庸蜀 已寧

私自身が東西川節度使の幕府の奥の堂に昇るとするにはそう簡単なものではないが、厳武公の蜀に雇われるということは、日一日と既に安寧な状態になっているのである。

「此堂」成都尹、東西川節度使の幕府の奥の堂。幕府のスタッフ。

 

吾徒 且加餐 ,休適 與荊

このわたしとしても、ここでこうして飲み且つ御馳走をいただけることになり、南蛮と荊楚の方面にはもう行かないことにした。
成都遂州00

廣徳2年764-35-2 《揚旗―#2》 ふたたび成都 杜甫<666-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3795 杜甫詩1000-666-#2-953/1500772

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広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府の杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。もとの犬もよろこんで裾にまといついた。草堂の門に入って、四本の松や、五本の桃の木が、それぞれ生長しているのを見るのも彼をよろこぼせた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。

 

成都の節度使の幕府に移った厳武は、蜀に返ってくると、大いに軍容を盛んにして、九月には吐審七万の兵を破り、当狗城や、塩川城を奪いかえし、西方国境における唐軍の勢いをもり返した。杜甫も詩を作って讃辞を惜しまなかった。厳武も杜甫をいたわり、いつも幕僚と共に宴に招き、韻を分かって詩を作った。

 

しかし、厳武の好意があればあるほど、幕中の生活は杜甫にとっては楽しいものではなかった。杜甫は、どうしても同僚のものたちと合わないのである。それにまた幕中の生活はかなり忙しく厳しいものであった。毎朝日の出前に役所に入り、世更けて退所するのである。如何に、半官半隠が理想の杜甫にとって他の役人との関係において難しいものであった。

 

 

揚旗
(旗をかかげる。)
〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕#1

江雨颯長夏,府中有餘清。 

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。

我公會賓客,肅肅有異聲。 

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

初筵軍裝,羅列照廣庭。 

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を謁見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

庭空六馬入,駊騀揚旗旌。

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

#2 

回回偃飛蓋,熠熠迸流星。

成都尹から都に呼び戻され、車の大傘を飛ばすほど急いで都に帰り、賊を追い散らし、そして今度は成都を安寧にするために戻ってきた來るという、そしてその光輝く雄姿は流れる星のごとくその輝きを迸るのである。

來纏風飆急,去擘山岳傾。

疾風のように来られたと思うと、竜巻のように賊共を退治し、まとめられた。山岳の方に賊が逃げると山を駆け上がってかたずけられた。

材歸俯身盡,妙取略地平。

その持たれている能力はことごとくひれ伏せられて帰ってこられたのである。侵略されたところも巧妙な作戦で平定され、とりもどされたのである。

虹霓就掌握,舒卷隨人輕。

大空にかかる虹のごとくその手にこの地を掌握されて、その臨機応変なことは文武両道に通じており人をして軽やかに随いついてゆくようになるのである。

#3 

三州陷犬戎,但見西嶺青。 

公來練猛士,欲奪天邊城。 

此堂不易升,庸蜀日已寧。 

吾徒且加餐,休適蠻與荊。 

 

揚旗〔二年 夏六月,成都尹嚴公 公堂に置酒し,騎士を觀し 新旗幟を試る。〕 

江雨 長夏に颯とし,府中 餘清有り。 

我が公は賓客に會し,肅肅として異聲有り。 

初筵 軍裝をし,羅列して 廣庭を照す。 

庭空は六馬入り,駊騀 旗旌を揚ぐ。

 

回回として蓋を飛ばし偃【のいふ】し,熠熠として流星を迸る。

來纏すれば 風飆急なり,去擘するは山岳傾けり。

材は 身盡くし俯して歸り,略地の平らかにするを妙取す。

虹霓【こうげい】掌握に就き,舒卷【じょかん】人輕に隨う。

 

三州 犬戎に陷ち,但し西嶺の青を見ん。 

公 來りて猛士に練り,天邊の城を奪んと欲す。 

此の堂は升るに易からず,蜀に庸すは日び已に寧す。 

吾が徒 且つ加餐し,蠻と荊とに適くを休む。 

松03 

『揚旗』 現代語訳と訳註

(本文) #2

揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

回回偃飛蓋,熠熠迸流星。

來纏風飆急,去擘山岳傾。

材歸俯身盡,妙取略地平。

虹霓就掌握,舒卷隨人輕。

 

(下し文)

回回として飛蓋を偃し,熠熠として流星を迸ぶ。

來纏は 風飆して急なり,去擘するは山岳傾けり。

材歸る 俯して身は盡くするを,妙取す 略地は平らかにするを。

虹霓 掌握に就き,舒卷 人輕に隨う。

 

(現代語訳)

成都尹から都に呼び戻され、車の大傘を飛ばすほど急いで都に帰り、賊を追い散らし、そして今度は成都を安寧にするために戻ってきた來るという、そしてその光輝く雄姿は流れる星のごとくその輝きを迸るのである。

疾風のように来られたと思うと、竜巻のように賊共を退治し、まとめられた。山岳の方に賊が逃げると山を駆け上がってかたずけられた。

その持たれている能力はことごとくひれ伏せられて帰ってこられたのである。侵略されたところも巧妙な作戦で平定され、とりもどされたのである。

大空にかかる虹のごとくその手にこの地を掌握されて、その臨機応変なことは文武両道に通じており人をして軽やかに随いついてゆくようになるのである。

杜甫像00 

 

(訳注)

揚旗#2〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕 

旗をかかげる。〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕

成都尹 成都の市長、長官。この時、東、西川節度使と兼務していた。

嚴公 杜甫の幼友達の子供。

置酒 盛大に酒宴を催すこと。また、酒宴のこと。・「置酒」は酒宴を開くこと。「高会」は盛大な宴会のこと。 

公堂 幕府の公の講堂。

新旗幟 新しい軍旗が出来上がったこと。

 

回回 飛蓋 ,熠熠 流星

成都尹から都に呼び戻され、車の大傘を飛ばすほど急いで都に帰り、賊を追い散らし、そして今度は成都を安寧にするために戻ってきた來るという、そしてその光輝く雄姿は流れる星のごとくその輝きを迸るのである。

「回回」成都尹から都に呼び戻され、そして今度は成都に戻ってきたこと。

(若い時から定住していないこと、しかも、762年厳武が都に還されるときに梓州まで見送って以来実質一年半年閬州を中心にめぐり廻った。)周り回って、移動し、風に吹かれ、車の傘の大きなものを飛ばすほど急いで車を走らせ、逃げ惑ったものだ。

「偃」1 風になびく。「草に風を加ふる時は―・さずといふ事なし」〈太平記・八〉2 ひれ伏す。平伏する。付き従う。のいふす。

「飛蓋」屋根の変わりに車に立てた傘の大きなものを飛ばすほど急いで車を走らせる。東晉・陶潛の『詠荊軻』「登車何時顧,飛蓋入秦庭。」(車に登りては何れの時にか顧りみん,蓋を飛ばして秦庭に入る。)。

「熠熠」光芒、閃閃、光り輝くさま。

「迸」ほとばしる【迸る】とは。意味や解説。[動ラ五(四)]《古くは「ほとはしる」「ほどはしる」とも》1 勢いよく飛び散る。また、激しく流れ出る。噴き出る。「鮮血が―・る」「蛇口から水が―・る」2 とびあがる。おどりあがる。

「流星」語義類別:物、天文、星、流星。

 

來纏 風飆 ,去擘 山岳

疾風のように来られたと思うと、竜巻のように賊共を退治し、まとめられた。山岳の方に賊が逃げると山を駆け上がってかたずけられた。

「風飆」【飆風】ひょうふう. つむじかぜ。はやて。暴風。 「飄風」とも書く。 【狂飆】きょうひょう. 吹き荒れる大風。暴風。

 

材歸俯身 盡,妙取 略地

その持たれている能力はことごとくひれ伏せられて帰ってこられたのである。侵略されたところも巧妙な作戦で平定され、とりもどされたのである。

「略地」吐蕃の侵入地、略地。隴西、蜀の西部から北部のかけての地域のこと。

 

虹霓 就掌握 ,舒卷 隨人

大空にかかる虹のごとくその手にこの地を掌握されて、その臨機応変なことは文武両道に通じており人をして軽やかに随いついてゆくようになるのである。

「虹霓」【こうげい】とは。意味や解説。《竜の一種と考え、雄を虹、雌を霓・蜺としたところから》にじ。

「舒卷」 時に応じて進退をすること。書物を開くこと。・舒(1) 伸びる,伸ばす.(2) 伸びやかな.(3) ( S )姓.舒 shūchàng[]伸びやかで楽しい心情舒気持ちがゆったりして愉快だ.舒服 shūfu[]気分がいい,心地よい舒服的生活快適な生活.・卷 まくこと
江畔独歩尋花 

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廣徳2764-35-1 《揚旗―#1》 ふたたび成都 杜甫<666-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3790 杜甫詩1000-666-#1-952/1500 771

 

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕 

作地點: 目前尚無資料 

 

揚旗
(旗をかかげる。)〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕#1

江雨颯長夏,府中有餘清。 

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。

我公會賓客,肅肅有異聲。 

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

初筵軍裝,羅列照廣庭。 

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を謁見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

庭空六馬入,駊騀揚旗旌。

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

#2 

回回偃飛蓋,熠熠迸流星。

來纏風飆急,去擘山岳傾。

材歸俯身盡,妙取略地平。

虹霓就掌握,舒卷隨人輕。

#3 

三州陷犬戎,但見西嶺青。 

公來練猛士,欲奪天邊城。 

此堂不易升,庸蜀日已寧。 

吾徒且加餐,休適蠻與荊。 

 

揚旗〔二年 夏六月,成都尹嚴公 公堂に置酒し,騎士を觀し 新旗幟を試る。〕 

江雨 長夏に颯とし,府中 餘清有り。 

我が公は賓客に會し,肅肅として異聲有り。 

初筵 軍裝をし,羅列して 廣庭を照す。 

庭空は六馬入り,駊騀 旗旌を揚ぐ。

 

回回として蓋を飛ばし偃【のいふ】し,熠熠として流星を迸る。

來纏すれば 風飆急なり,去擘するは山岳傾けり。

材は 身盡くし俯して歸り,略地の平らかにするを妙取す。

虹霓【こうげい】掌握に就き,舒卷【じょかん】人輕に隨う。

 

三州 犬戎に陷ち,但し西嶺の青を見ん。 

公 來りて猛士に練り,天邊の城を奪んと欲す。 

此の堂は升るに易からず,蜀に庸すは日び已に寧す。 

吾が徒 且つ加餐し,蠻と荊とに適くを休む。 

杜甫像00 

 

『揚旗』 現代語訳と訳註

(本文) #1

揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

江雨颯長夏,府中有餘清。 

我公會賓客,肅肅有異聲。 

初筵軍裝,羅列照廣庭。 

庭空六馬入,駊騀揚旗旌。
 

(下し文)

揚旗〔二年 夏六月,成都尹嚴公 公堂に置酒し,騎士を觀し 新旗幟を試る。〕 

江雨 長夏に颯とし,府中 餘清有り。 

我が公は賓客に會し,肅肅として異聲有り。 

初筵 軍裝をし,羅列して 廣庭を照す。 

庭空は六馬入り,駊騀 旗旌を揚ぐ。

 

(現代語訳)

(旗をかかげる。)〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕#1

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を謁見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

松01 

 

(訳注)

揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕 

旗をかかげる。〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕

成都尹 成都の市長、長官。この時、東、西川節度使と兼務していた。

嚴公 杜甫の幼友達の子供。

置酒 盛大に酒宴を催すこと。また、酒宴のこと。・「置酒」は酒宴を開くこと。「高会」は盛大な宴会のこと。 

公堂 幕府の公の講堂。

新旗幟 

 

江雨 長夏 ,府中 有餘

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。

「江」錦江。

「府」幕府。

 

 

我公 賓客 ,肅肅 異聲

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

「公」厳武公。

「會」會見。

「賓客」賓客が訪れることは、政治情勢が落ち着いてきたことを示す。

「異聲」異民族の言葉も飛び交う。

 

初筵 軍裝 ,羅列 廣庭

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を閲見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

「初筵」飲食、宴席の初のころ。

」検閲、閲覧、閲見する。

「軍裝」軍服。

「羅列」語義類別:人、行為動作、一般行為(手部)、排。

「照」語義類別:其他、現象、自然現象、照。

「廣」語義類別:物、形容詞彙(物)、景物形態、廣。

「庭」語義類別:物、建築物、園林院落、庭。

 

庭空 六馬 駊騀揚旗旌。 

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

「庭空」庭の空地に六頭の馬が入っている。馬車は5頭立てまでで、六頭までは取り換え用の馬を同時に走らせることはあるにしても空地にはおくことはない。

六馬 六馬についてよいことわざはない。・朽索の六馬を馭するが如しとは。《「書経」五子之歌から》腐った縄で六頭の馬を操るように、非常に困難で危険なことのたとえ。

・六馬和せざれば造父ももって遠きを致すあたわず. , 六馬和せざれば造父も以て遠きを致す能わずとは、どんなことでも、人々の気持ちが一つにならなければ、最後までやりとげることはできないことのたとえ。

駊騀 とっきがどこまでもつづく

『甘泉賦』 

攢幷閭與兮,紛被麗其亡鄂。

崇丘陵之駊騀兮,深溝嶔巖而為谷。

𨓹𨓹離宮般以相燭兮,封巒石關施靡乎延屬。

幷閭【へいりょ】と茇【ばつかつ】とを攢【あつ】め,紛として被麗【ひり】として其れ鄂【かぎ】り亡し。

丘陵の駊騀【はが】たるを崇くし,深溝【しんこう】嶔巖【かんがん】として谷を為す。

𨓹𨓹【おうおう】にして離宮ありて、般【つら】なり以って相い燭【て】らし,封巒【ほうらん】石關ありて、施靡【いび】として延屬【えんぞく】す。

棕櫚やはっかも群生し、散らばってどこまでも茂っている。

丘陵は険しくそびえそれがどこまでも続いて、そこに深く切り立った岩場の谷がある。

その辺りには、あちこちに離宮が立ち並び、それでもって輝きを競っており、封巒観・石関観などが、長く延び、つながっている。

揚雄 《甘泉賦 (8)#3-2 文選 賦<108-(8)#3-29分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩861 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2853

旗旌 節度使軍のはたとのぼり。旗幟(きし)。騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗
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廣徳2764-34-2 《水檻―#2》 ふたたび成都 杜甫<6652> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3785 杜甫詩1000-6652-951/1500770

 

 

年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 水檻 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

水檻 #1

川に臨んだ船着き場の欄干
蒼江多風飆,雲雨晝夜飛。 

緑深い大江に強風が渦を巻きながら激しく舞い上がる風が多い、そこに雲が湧き、雨を呼んでくると、昼も夜も飛んでくる。

茅軒駕巨浪,焉得不低垂。 

時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。

遊子久在外,門無人持。 

旅人として久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。

高岸尚如谷,何傷浮柱攲。

岸の高い所から見ればまるで谷のようであるし、浮んでいる水檻の柱に寄って立っているとどうしてと感傷的になってしまうのだろうか。

#2

扶顛有勸誡,恐貽識者嗤。 

頂を広げるのは公明正大であって悪を制することであり、悪事を続けて子孫におそれを抱くのは見識のあるものにとっては嘲られるべきことだ。

既殊大廈傾,可以一木支。 

この国は、既にこともあろうに大屋根の家が傾きかけているのである。たった一本の木でささえてたもっているのだ。

臨川視萬里,何必闌檻為。 

そしてこの川を臨むと万里の先まで見ることが出来るし、この水檻の欄干は何のために必要なのだろうか。

人生感故物,慷慨有餘悲。 

人生というものは理由あってのもの、馴染んだものに感情を持ち、どんなに意気盛んであっても私にはあまりに悲しいことがありあまるほどあるのだ。

 

水檻 #1

蒼江 風飆多く,雲雨 晝夜飛ぶ。 

茅軒 巨浪に駕け,焉ぞ低く垂れざるを得ん。 

遊子 久しく外に在り,門 人持つ無し。 

高岸 尚お谷の如し,何ぞ傷かん 柱攲を浮ぶを。

#2

顛を扶け 勸誡有り,貽を恐れ 識者嗤る。 

既に殊に大廈傾き,以て一木支う可し。 

川に臨み 萬里を視,何ぞ必ずしも闌檻為さんや。 

人生 故物を感じ,慷慨して餘悲しむ有り。 

松01 

 

『水檻 #2』 現代語訳と訳註

(本文) #2

扶顛有勸誡,恐貽識者嗤。 

既殊大廈傾,可以一木支。 

臨川視萬里,何必闌檻為。 

人生感故物,慷慨有餘悲。 

 

(下し文)#2

顛を扶け 勸誡有り,貽を恐れ 識者嗤る。 

既に殊に大廈傾き,以て一木支う可し。 

川に臨み 萬里を視,何ぞ必ずしも闌檻為さんや。 

人生 故物を感じ,慷慨して餘悲しむ有り。 

 

(現代語訳)

頂を広げるのは公明正大であって悪を制することであり、悪事を続けて子孫におそれを抱くのは見識のあるものにとっては嘲られるべきことだ。

この国は、既にこともあろうに大屋根の家が傾きかけているのである。たった一本の木でささえてたもっているのだ。

そしてこの川を臨むと万里の先まで見ることが出来るし、この水檻の欄干は何のために必要なのだろうか。

人生というものは理由あってのもの、馴染んだものに感情を持ち、どんなに意気盛んであっても私にはあまりに悲しいことがありあまるほどあるのだ。

杜甫像00 

 

(訳注)

水檻 #2

 

扶顛 勸誡 ,恐貽 識者

頂を広げるのは公明正大であって悪を制することであり、悪事を続けて子孫におそれを抱くのは見識のあるものにとっては嘲られるべきことだ。

・「扶顛」國を治める道、何処から見られてもやましいことがない。

・「勸誡」善をすすめ、悪を制すること

・「恐貽」悪事を続けて子孫におそれを抱く。

・「識者」見識のあるもの。

・「嗤」ばかにした気持ちを顔に表す。あざける。嘲笑する。 「愚かしさを-・う」 「陰で-・っている」 「鼻先で-・う」 「天の下に-・はれなまし/日本書紀 継体訓」. . つぼみが開く,花が咲く。 「花が-・い,鳥が歌う」. . 果実が熟して割れ目ができる。。

 

既殊 大廈 ,可以一木

この国は、既にこともあろうに大屋根の家が傾きかけているのである。たった一本の木でささえてたもっているのだ。

「殊」語義類別:其他、形容詞彙、對比詞、異同(異)。

「大廈」国は、既にこともあろうに大屋根、宮室屋廬。

「傾」語義類別:物、形容詞彙(物)、物品形態、傾。

・「可以」(1) …できる,可能である.◇否定は不能.(2) …してよい,許される.儿可以打球ここではボール遊びをしてもよい.◇否定は不可以不能(3) …するに値する.◇否定は不得.━ [](1) けっこうな,なかなかよい写得.

 

臨川 萬里 ,何必 闌檻 為。

そしてこの川を臨むと万里の先まで見ることが出来るし、この水檻の欄干は何のために必要なのだろうか。

 

人生 故物 ,慷慨 餘悲

人生というものは理由あってのもの、馴染んだものに感情を持ち、どんなに意気盛んであっても私にはあまりに悲しいことがありあまるほどあるのだ。

「人生」人生機遇。杜甫は半官半隠が理想と考えている。

「感」感情。

「故」故郷に帰れる保証もないが、ここにいて満足できる人生というものがあるのか。

「慷慨」1 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。「社会の矛盾を―する」「悲憤―」2 意気が盛んなこと。また、そのさま。

「餘悲」悲哀傷痛が余りあり人生を送ってきた。

 陶潜『挽歌三首其三』「親戚或餘悲,他人亦已歌。」(;親戚或は餘悲【よひ】あらんも. 他人亦た已に歌えり.)親戚は引き続き悲しんでくれるだろうが、他人はもう鼻歌を歌っているにちがいない
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杜甫《水檻―#1》時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。旅人として久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。


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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 水檻 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

水檻 #1

川に臨んだ船着き場の欄干

蒼江多風飆,雲雨晝夜飛。 

緑深い大江に強風が渦を巻きながら激しく舞い上がる風が多い、そこに雲が湧き、雨を呼んでくると、昼も夜も飛んでくる。

茅軒駕巨浪,焉得不低垂。 

時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。

遊子久在外,門無人持。 

旅人として久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。

高岸尚如谷,何傷浮柱攲。

岸の高い所から見ればまるで谷のようであるし、浮んでいる水檻の柱に寄って立っているとどうしてと感傷的になってしまうのだろうか。

#2

扶顛有勸誡,恐貽識者嗤。 

既殊大廈傾,可以一木支。 

臨川視萬里,何必闌檻為。 

人生感故物,慷慨有餘悲。 

 

水檻 #1

蒼江 風飆多く,雲雨 晝夜飛ぶ。 

茅軒 巨浪に駕け,焉ぞ低く垂れざるを得ん。 

遊子 久しく外に在り,門 人持つ無し。 

高岸 尚お谷の如し,何ぞ傷かん 柱攲を浮ぶを。

#2

顛を扶け 勸誡有り,貽を恐れ 識者嗤る。 

既に殊に大廈傾き,以て一木支う可し。 

川に臨み 萬里を視,何ぞ必ずしも闌檻為さんや。 

人生 故物を感じ,慷慨して餘悲しむ有り。 

成都関連地図 00 

 

『水檻 #1』 現代語訳と訳註

(本文)

水檻 #1

蒼江多風飆,雲雨晝夜飛。 

茅軒駕巨浪,焉得不低垂。 

遊子久在外,門無人持。 

高岸尚如谷,何傷浮柱攲。

 

(下し文)

水檻 #1

蒼江 風飆多く,雲雨 晝夜飛ぶ。 

茅軒 巨浪に駕け,焉ぞ低く垂れざるを得ん。 

遊子 久しく外に在り,門 人持つ無し。 

高岸 尚お谷の如し,何ぞ傷かん 柱攲を浮ぶを。

 

(現代語訳)

川に臨んだ船着き場の欄干

緑深い大江に強風が渦を巻きながら激しく舞い上がる風が多い、そこに雲が湧き、雨を呼んでくると、昼も夜も飛んでくる。

時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。

旅人として久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。

岸の高い所から見ればまるで谷のようであるし、浮んでいる水檻の柱に寄って立っているとどうしてと感傷的になってしまうのだろうか。

隋堤01 

(訳注)

水檻 #1

川に臨んだ船着き場の欄干

761年春、この水檻について述べている。『江上水如海勢聊短述』に見えた水檻に立ち、あたりをながめて隠棲生活をたのしむことをのべる。『水檻(遣心は、川に臨んだ欄干に寄りかかってあたりを眺めやるという意味で、草堂のから一年たった2月の作である。この年は去年の春雪解けの水より、増水が多く岸いっぱいに流れたのだ。

春水生 二絶其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 9)  杜甫 <414  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2015 杜甫詩1000-414-597/1500

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水檻遣心二首其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 13)  杜甫 <418  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2035 杜甫詩1000-418-601/1500

 

 

蒼江 風飆 ,雲雨 晝夜

緑深い大江に強風が渦を巻きながら激しく舞い上がる風が多い、そこに雲が湧き、雨を呼んでくると、昼も夜も飛んでくる。

「蒼江」綠の流れの大江。

「風飆」渦を巻きながら激しく舞い上がる風。大風。 「飄」「颶」「旋風」とも書く。 【飆飆】ひょうひょう. 風の激しく吹くようす。 【飆風】ひょうふう. つむじかぜ。はやて。暴風。 「飄風」とも書く。 【狂飆】きょうひょう. 吹き荒れる大風。暴風。。

「雲雨」語義類別:物、天候氣象、合稱(相異詞)、雲雨。

「晝夜」語義類別:時、時間、相對時間、晝夜。

「飛」語義類別:其他、現象、自然現象、飛。

 

茅軒 駕巨浪 ,焉得不 低垂

時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。

「茅」茅葺きの家。浣花渓草堂。

「軒」軒下。窗。

「巨浪」大浪。杜甫草堂前の濯錦江の暴風が吹いて大波が起こる。

「低垂」水檻は杜甫の家、あるいはこの地域の船着き場で、この河川には、干ばつでも水が絶えることはなかったことをいう。

 

遊子 在外 ,門 無人

旅人としてここ久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。

「遊子」この草堂を離れて、閬州、梓州を転々としていた自分をいう。

 

高岸 尚如谷 ,何傷 浮 柱攲

岸の高い所から見ればまるで谷のようであるし、浮んでいる水檻の柱に寄って立っているとどうしてと感傷的になってしまうのだろうか。

「柱攲」この水檻は四阿からつづいてあったもので、四阿の柱か、欄干の柱であろう。その柱に倚りかかってこの川を眺めているとということ。

 nat0019

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皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 破船 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

破船  #1

平生江海心,宿昔具扁舟。 

この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立って小舟でその辺りを回って遊んだからだ。

豈惟青溪上,日傍柴門遊。 

どういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。
蒼皇避亂兵,緬邈懷舊丘。 

その後、安史の乱により敵方に捕縛され、監禁されたところから逃げ出したり、こうしてはるか遠い所に来てしまい、そこさえもまた逃げ出して、転蓬の身でいるのだ。

鄰人亦已非,野竹獨修修。

良き隣人も、散りじりバラバラで、また、既にここにはいない、原野に単独に生えてきた竹の様なもので身よりもなくシュウシュウと小さくおさまって立っている。

#2

船舷不重扣,埋沒已經秋。 

舟を用意できたものの送別までしてもらったものの逡巡しているが何時までもこうして船を止めておることできない。とはいうもののこうしてここに埋没して既に秋を過ぎようとしている。

仰看西飛翼,下愧東逝流。 

天を仰いて大局を見れば、西の成都に向かって翼をつかって飛んで帰ると途が良いのか、下を見て、卑近の恥ずかしいこととして言えば、長江を下って東に向かうことがよいのだろうか。

故者或可掘,新者亦易求。 

近しい友人たちはなかなか得難いものであり、新しくできる知人というものは、また求めやすいというものだろう。

所悲數奔竄,白屋難久留。 

こんな悲しいことばかり考え、心も往ったり来たりしたり、逃げ隠れして決めることもできないのだ、だからこんなに白髪頭を載せてしまい窮極の考えに到達することもできないのだ。

 

破船  #1

平生 江海への心,宿昔 具に扁舟せん。 

豈に惟れ青溪の上り,日傍 柴門に遊ぶ。 

蒼皇 亂兵を避け,緬邈 舊丘を懷う。 

鄰人 亦た已に非らず,野竹 獨り修修たり。

#2

船舷 不扣を重ねず,埋沒して 已に秋を經る。 

仰看て 西に飛翼し,下愧じて 東に逝流せんとす。 

故者 或いは掘らる可し,新者 亦た求むる易し。 

悲しむ所 數しば奔竄し,白屋して 久しく留り難し。 

成都関連地図 00

 

『破船』 現代語訳と訳註

(本文)#2

船舷不重扣,埋沒已經秋。 

仰看西飛翼,下愧東逝流。 

故者或可掘,新者亦易求。 

所悲數奔竄,白屋難久留。 

 

(下し文) #2

船舷 不扣を重ねず,埋沒して 已に秋を經る。 

仰看て 西に飛翼し,下愧じて 東に逝流せんとす。 

故者 或いは掘らる可し,新者 亦た求むる易し。 

悲しむ所 數しば奔竄し,白屋して 久しく留り難し。 

 

(現代語訳)

舟を用意できたものの送別までしてもらったものの逡巡しているが何時までもこうして船を止めておることできない。とはいうもののこうしてここに埋没して既に秋を過ぎようとしている。

天を仰いて大局を見れば、西の成都に向かって翼をつかって飛んで帰ると途が良いのか、下を見て、卑近の恥ずかしいこととして言えば、長江を下って東に向かうことがよいのだろうか。

近しい友人たちはなかなか得難いものであり、新しくできる知人というものは、また求めやすいというものだろう。

こんな悲しいことばかり考え、心も往ったり来たりしたり、逃げ隠れして決めることもできないのだ、だからこんなに白髪頭を載せてしまい窮極の考えに到達することもできないのだ。

江畔独歩尋花 

 

(訳注)

破船

764  廣德二年  53 のとき、江陵に向かうと決めたものの可江南にも若干不安定要素があり、忸怩していたころの気持ちを詠う。

 

船舷 不重 ,埋沒 已經秋

舟を用意できたものの送別までしてもらったものの逡巡しているが何時までもこうして船を止めておることできない。とはいうもののこうしてここに埋没して既に秋を過ぎようとしている。

・「船舷」ふなばた。ふなべり。杜甫は、760761の詩に成都浣花渓草堂で舟を持っていたことを述べており、近隣街に行っている。。草堂の前に流れる濯錦江に係留したのである。

・「扣」ひか・える〔ひかへる〕【控える/×扣える】㋐用事や順番に備えて、すぐ近くの場所にいて待つ。待機する。㋑目立たないようにしてそばにいる。㋒空間的・時間的に迫っている。近くに位置する。また、近い将来に予定される。㋐度を越さないように、分量・度数などを少なめにおさえる。節制する。㋑自制や配慮をして、それをやめておく。見合わせる。㋒空間的・時間的にすぐ近くにある。近い所に持つ。あまり時を置かないで予定している。㋓忘れないように、また、念のため書きとめておく。㋔衣服などを、おさえつかんで、行かせないようにする。引きとめる。㋕引く。引っぱる。

・「埋沒」浣花渓草堂に隠遁することから、梓州、閬州に逃避していたことを云う。。

 

仰看 西 飛翼 ,下愧 逝流

天を仰いて大局を見れば、西の成都に向かって翼をつかって飛んで帰ると途が良いのか、下を見て、卑近の恥ずかしいこととして言えば、長江を下って東に向かうことがよいのだろうか。

「仰看」下句「下愧」が「仰看」と上と下の対語、対句であるが、ここでは大局観と卑近なものの見方ということ。

・「西」成都。

・「東流」東部、江南方面に行くということではあるが、ここでは長いものにまかれる。卑近なことに流されていくということ。

 

故者 或可掘 ,新者 亦易求

近しい友人たちはなかなか得難いものであり、新しくできる知人というものは、また求めやすいというものだろう。

 

所悲 奔竄 ,白屋 久留

こんな悲しいことばかり考え、心も往ったり来たりしたり、逃げ隠れして決めることもできないのだ、だからこんなに白髪頭を載せてしまい窮極の考えに到達することもできないのだ。

・「奔竄」【ほんざん】にげかくれること。

・「白屋」頭のてっぺんに白いものを載せている。白髪頭。
杜甫像00 

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 破船 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

破船  #1

平生江海心,宿昔具扁舟。 

この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立って小舟でその辺りを回って遊んだからだ。
豈惟青溪上,日傍柴門遊。 

どういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。

蒼皇避亂兵,緬邈懷舊丘。 

その後、安史の乱により敵方に捕縛され、監禁されたところから逃げ出したり、こうしてはるか遠い所に来てしまい、そこさえもまた逃げ出して、転蓬の身でいるのだ。

鄰人亦已非,野竹獨修修。

良き隣人も、散りじりバラバラで、また、既にここにはいない、原野に単独に生えてきた竹の様なもので身よりもなくシュウシュウと小さくおさまって立っている。

#2

船舷不重扣,埋沒已經秋。 

仰看西飛翼,下愧東逝流。 

故者或可掘,新者亦易求。 

所悲數奔竄,白屋難久留。 

 

破船  #1

平生 江海への心,宿昔 具に扁舟せん。 

豈に惟れ青溪の上り,日傍 柴門に遊ぶ。 

蒼皇 亂兵を避け,緬邈 舊丘を懷う。 

鄰人 亦た已に非らず,野竹 獨り修修たり。

#2

船舷 不扣を重ねず,埋沒して 已に秋を經る。 

仰看て 西に飛翼し,下愧じて 東に逝流せんとす。 

故者 或いは掘らる可し,新者 亦た求むる易し。 

悲しむ所 數しば奔竄し,白屋して 久しく留り難し。 

 

江畔独歩尋花 

『破船』 現代語訳と訳註

(本文)

破船  #1

平生江海心,宿昔具扁舟。 

豈惟青溪上,日傍柴門遊。 

蒼皇避亂兵,緬邈懷舊丘。 

鄰人亦已非,野竹獨修修。

 

 

(下し文)

破船  #1

平生 江海への心,宿昔 具に扁舟せん。 

豈に惟れ青溪の上り,日傍 柴門に遊ぶ。 

蒼皇 亂兵を避け,緬邈 舊丘を懷う。 

鄰人 亦た已に非らず,野竹 獨り修修たり。

 

(現代語訳)

この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立ってどういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。

小舟でその辺りを回って遊んだからだ。

その後、安史の乱により敵方に捕縛され、監禁されたところから逃げ出したり、こうしてはるか遠い所に来てしまい、そこさえもまた逃げ出して、転蓬の身でいるのだ。

良き隣人も、散りじりバラバラで、また、既にここにはいない、原野に単独に生えてきた竹の様なもので身よりもなくシュウシュウと小さくおさまって立っている。

成都遂州00 

(訳注)

破船

764  廣德二年  53 のとき、江陵に向かうと決めたものの可江南にも若干不安定要素があり、忸怩していたころの気持ちを詠う。

 

平生 江海 ,宿昔 扁舟

この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立って小舟でその辺りを回って遊んだからだ。

・「平生」語義類別:時、時間、範圍時間(生)、平生。

・「江」江陵、江南。

・「海」長江下流域。滄海、紹興など呉越地方。

・「心」語義類別:人、狀態、心神氣力、心。

・「宿昔」今からいう昔、ここでは若いころ。

・「具」準備。

・「扁舟」小舟を浮かべること。孤独の旅を意味する。

 

豈惟青溪 ,日傍 柴門

どういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。

・「青溪」春麗らかな渓谷。のんびり過ごしたことを云う。呉越地方に良い印象を持っているということ。

・「上」川、渓谷のほとり。水に泛ぶ

・「柴門遊」寺に泊まって勉強したことを言う。

 

蒼皇 避亂 ,緬邈 舊丘

その後、安史の乱により敵方に捕縛され、監禁されたところから逃げ出したり、こうしてはるか遠い所に来てしまい、そこさえもまた逃げ出して、転蓬の身でいるのだ。

・「蒼皇」驚いて肝をつぶし、恐れおののく気持ち。ここは安史の乱によって家族と飛散し、自身は安史軍に掴まった。そこから命からがら逃げだした。しかしこれら一連のことは、杜甫には恐怖体験のトラウマが強く残っているのである。

「緬邈」綿邈【めんばく】 はるかに遠いこと。

「懷舊丘」秦州、同谷、成都と紀行しやっと落ち着いた浣花渓草堂も「舊丘」となってしまったことをいう。

 

鄰人 亦已非 ,野竹 獨修修

良き隣人も、散りじりバラバラで、また、既にここにはいない、原野に単独に生えてきた竹の様なもので身よりもなくシュウシュウと小さくおさまって立っている。
竹林001 

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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廣徳2764-32 《四松》 ふたたび成都 杜甫<663-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3765 杜甫詩1000-663-3-947/1500766

 


 


作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 四松 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都) 

 


 


四松 #1

762年春に移植した4本の松)

四松初移時,大抵三尺強。 

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

別來忽三載,離立如人長。 

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

會看根不拔,莫計枝凋傷。 

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

所插小藩籬,本亦有隄防。 

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

#2

終然撥損,得吝千葉黃。 

その籬は結局のところ、何かに跳ね飛ばされて損なわれてしまってはいたものの、多くの葉が黄ばむのを防ぐ役割をしていたのだ。

敢為故林主,黎庶猶未康。 

一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。

避賊今始歸,春草滿空堂。

盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。

覽物歎衰謝,及茲慰淒涼。 

こんなにも勢いよくのびた春草を見ると自分の老衰した姿を歎いてしまうのであるが、その一方でこの「四松」を見ることは空虚な侘しい気持ちをなぐさめることができるものなのだ。

清風為我起,灑面若微霜。 

この松の木の葉にはすずやかな風が通り抜け、私の為に沸き起こってくれる。そして、その風が私の顔を撫でてくれると、私の皮膚でさえ細かい霜が降りた奇麗な面のような気がしてくる。

#3

足以送老姿,聊待偃蓋張。 

この松は私の老後を過ごす友として充分の資格があるのであって、これがその内傘を大きく広げてくれるだろうことを期待できることだろう。

我生根帶,配爾亦茫茫

だからといって、我が人生においては、木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがないが、お前が松としてあいてをしてくれるとしてもまた、ぼんやりかすんではっきりしない。

有情且賦詩,事跡可兩忘。 

こうした感情を、まあ、「賦詩」につくるのであるが、お前も今日のこと忘れることはないだろう。

勿矜千載後,慘澹蟠穹蒼。 

かといってお前自身だけで独りよがりはいけない、千年後のことを考えなさい、その頃には、この青空に鬱蒼と茂っているのだから、今ぐらい成長したからといって自慢してはいけないのだ。 

松03 

四松 #1

四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。 

別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。 

會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。 

幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。

插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。 

#2

終然とし 撥【ちょうはつ】して損うも,千葉の黃ばむを吝【ふせ】ぎ得たり。 

敢て故林の主と為り,黎庶【れいしょ】猶お未だ康からず。 

賊を避けて今 始めて歸り,春草 空しく堂に滿つ。

物を覽て衰謝【すいしゃ】歎き,茲【ここ】に及びて淒涼を慰む。 

清風は我が為に起き,面に灑ぐは 微霜【びそう】の若し。 

#3

送老の姿を以て足り,聊【いささ】か偃蓋の張るを待つ。 

我が生 根帶無し,爾に配 亦た茫茫たり。 

情有りて且つ賦詩し,事跡 兩つながら忘る可けんや。 

矜る勿れ 千載の後,慘澹とす 穹蒼【きゅうす】に蟠【わだかま】る。 

 

松01 


 


『四松』 現代語訳と訳註

(本文) #3

足以送老姿,聊待偃蓋張。 

我生無根帶,配爾亦茫茫。 

有情且賦詩,事跡可兩忘。 

勿矜千載後,慘澹蟠穹蒼。 

 


(下し文) #3

送老の姿を以て足り,聊【いささ】か偃蓋の張るを待つ。 

我が生 根帶無し,爾に配 亦た茫茫たり。 

情有りて且つ賦詩し,事跡 兩つながら忘る可けんや。 

矜る勿れ 千載の後,慘澹とす 穹蒼【きゅうす】に蟠【わだかま】る。 

 


(現代語訳)

この松は私の老後を過ごす友として充分の資格があるのであって、これがその内傘を大きく広げてくれるだろうことを期待できることだろう。

だからといって、我が人生においては、木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがないが、お前が松としてあいてをしてくれるとしてもまた、ぼんやりかすんではっきりしない。

こうした感情を、まあ、「賦詩」につくるのであるが、お前も今日のこと忘れることはないだろう。

かといってお前自身だけで独りよがりはいけない、千年後のことを考えなさい、その頃には、この青空に鬱蒼と茂っているのだから、今ぐらい成長したからといって自慢してはいけないのだ。
 


(訳注)

四松---762年春に移植した4本の松)#3

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

 


足以送 老姿 ,聊待 偃蓋 張。

この松は私の老後を過ごす友として充分の資格があるのであって、これがその内傘を大きく広げてくれるだろうことを期待できることだろう。

・「送老姿」この松は私の老後を過ごす友とする。

・「偃蓋」偃蓋のように末が成長することを云う。。

 


我生 根帶 ,配爾 亦茫茫

だからといって、我が人生においては、木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがないが、お前が松としてあいてをしてくれるとしてもまた、ぼんやりかすんではっきりしない。

・「無根帶」木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがない。陶淵明『雑詩十二首其一』「人生無根帶、飄如陌上塵。」(人生 根帯無し、飄たること陌上の塵のごとし。)

・「茫茫」1 広々としてはるかなさま。「―とした大海原」「―たる砂漠」2 ぼんやりかすんではっきりしないさま。「―たる記憶」「―と暗路(やみじ)に物を探るごとく」〈露伴・五重塔〉3 草・髪などが伸びて乱れているさま。

 


有情 且賦詩 ,事跡 可兩忘

こうした感情を、まあ、「賦詩」につくるのであるが、お前も今日のこと忘れることはないだろう。

 


勿矜 千載 ,慘澹 穹蒼

かといってお前自身だけで独りよがりはいけない、千年後のことを考えなさい、その頃には、この青空に鬱蒼と茂っているのだから、今ぐらい成長したからといって自慢してはいけないのだ。

・「矜」負面情感、驕矜自恃。

・「穹蒼」天文、天空、穹。
江畔独歩尋花

竹林001


 

廣徳2年764-31 《四松#2》 ふたたび成都 杜甫<671> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3760 杜甫詩1000-671-946/1500765

杜甫《四松#2》一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

  

廣徳2764-31 《四松#2》 ふたたび成都 杜甫<671 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3760 杜甫詩1000-671-946/1500765

 

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 四松 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

四松 #1

762年春に移植した4本の松)

四松初移時,大抵三尺強。 

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

別來忽三載,離立如人長。 

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

會看根不拔,莫計枝凋傷。 

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

所插小藩籬,本亦有隄防。 

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

#2

終然撥損,得吝千葉黃。 

その籬は結局のところ、何かに跳ね飛ばされて損なわれてしまってはいたものの、多くの葉が黄ばむのを防ぐ役割をしていたのだ。

敢為故林主,黎庶猶未康。 

一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。

避賊今始歸,春草滿空堂。

盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。

覽物歎衰謝,及茲慰淒涼。 

こんなにも勢いよくのびた春草を見ると自分の老衰した姿を歎いてしまうのであるが、その一方でこの「四松」を見ることは空虚な侘しい気持ちをなぐさめることができるものなのだ。

清風為我起,灑面若微霜。 

この松の木の葉にはすずやかな風が通り抜け、私の為に沸き起こってくれる。そして、その風が私の顔を撫でてくれると、私の皮膚でさえ細かい霜が降りた奇麗な面のような気がしてくる。

#3

足以送老姿,聊待偃蓋張。 

我生無根帶,配爾亦茫茫。 

有情且賦詩,事跡可兩忘。 

勿矜千載後,慘澹蟠穹蒼。 

 

四松 #1

四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。 

別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。 

會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。 

幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。

插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。 

#2

終然とし 撥【ちょうはつ】して損うも,千葉の黃ばむを吝【ふせ】ぎ得たり。 

敢て故林の主と為り,黎庶【れいしょ】猶お未だ康からず。 

賊を避けて今 始めて歸り,春草 空しく堂に滿つ。

物を覽て衰謝【すいしゃ】歎き,茲【ここ】に及びて淒涼を慰む。 

清風は我が為に起き,面に灑ぐは 微霜【びそう】の若し。 

#3

送老の姿を以て足り,聊【いささ】か偃蓋の張るを待つ。 

我が生 根帶無し,爾に配 亦た茫茫たり。 

情有りて且つ賦詩し,事跡 兩つながら忘る可けんや。 

矜る勿れ 千載の後,慘澹とす 穹蒼【きゅうす】に蟠【わだかま】る。 

松02 

 

『四松』 現代語訳と訳註

(本文) #2

終然撥損,得吝千葉黃。 

敢為故林主,黎庶猶未康。 

避賊今始歸,春草滿空堂。

覽物歎衰謝,及茲慰淒涼。 

清風為我起,灑面若微霜。 

 

(下し文) #2

終然とし 撥【ちょうはつ】して損うも,千葉の黃ばむを吝【ふせ】ぎ得たり。 

敢て故林の主と為り,黎庶【れいしょ】猶お未だ康からず。 

賊を避けて今 始めて歸り,春草 空しく堂に滿つ。

物を覽て衰謝【すいしゃ】歎き,茲【ここ】に及びて淒涼を慰む。 

清風は我が為に起き,面に灑ぐは 微霜【びそう】の若し。 

 

(現代語訳)

その籬は結局のところ、何かに跳ね飛ばされて損なわれてしまってはいたものの、多くの葉が黄ばむのを防ぐ役割をしていたのだ。

一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。

盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。

こんなにも勢いよくのびた春草を見ると自分の老衰した姿を歎いてしまうのであるが、その一方でこの「四松」を見ることは空虚な侘しい気持ちをなぐさめることができるものなのだ。

この松の木の葉にはすずやかな風が通り抜け、私の為に沸き起こってくれる。そして、その風が私の顔を撫でてくれると、私の皮膚でさえ細かい霜が降りた奇麗な面のような気がしてくる。

松03 

 

(訳注)

四松---762年春に移植した4本の松)

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。 

 

終然 損,得吝 千葉

その籬は結局のところ、何かに跳ね飛ばされて損なわれてしまってはいたものの、多くの葉が黄ばむのを防ぐ役割をしていたのだ。

」跳ね飛ばされて。ふきとばされること。

「吝」防ぐ役割をする。

「千葉黃」多くの葉が黄ばむ。 

 

敢為 故林 ,黎庶 猶未

一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。

「敢」一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえて~する。

「故林主」もとの農林園の主となった。

「黎庶」おおくの人民。 

 

避賊 今始 ,春草 滿 空堂

盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。

「避賊」盗賊や戦乱を避けて、飛散していた。 

 

覽物 衰謝 ,及茲慰 淒涼

こんなにも勢いよくのびた春草を見ると自分の老衰した姿を歎いてしまうのであるが、その一方でこの「四松」を見ることは空虚な侘しい気持ちをなぐさめることができるものなのだ。

「淒涼」空虚な侘しい気持ち。 

 

清風 為我 ,灑面 若微霜

この松の木の葉にはすずやかな風が通り抜け、私の為に沸き起こってくれる。そして、その風が私の顔を撫でてくれると、私の皮膚でさえ細かい霜が降りた奇麗な面のような気がしてくる。

「清風」松はおごそかなもので、五陵の東側に植えられるもので、そこでの雰囲気がここにもあると詩人らしく強調する。。

「灑面」ここは強い風ではなくそよ風に頬を撫でられるということ。

「微霜」細かい霜が降りた奇麗な面。

廣徳2年764-30 《四松#1》再び成都 杜甫<670> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3755 杜甫詩1000-670-945/1500764

杜甫《四松》#1 この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。


2014年2月15日 の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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張平子(張衡)《西京賦》(4)(長安の地勢) #2-1 文選 賦<114―(4)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1041 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3753
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 286 《遊城南十六首:晚雨》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3756 (02/15)
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-30 《四松》再び成都 杜甫<670 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3755 杜甫詩1000-670-945/1500764

 

松03 

764年二月に入って、いよいよ閬州を出発して、江陵に向おうとしていたとき、厳武が再び成都尹・兼剣南東西川節度使として成都に帰ってくるという知らせを聞いた。杜甫は出発間際まで東下の決心がつかずにいたらしく、さっそく船を出すことをやめ、暮春三月、家族を連れて、懐かしい成都に帰っていった。

「草堂」の詩には、成都の草堂に帰ったときの様子を次のように詠っている。「入門四松在、歩履萬竹疏。」

(「門に入ると、わが手で植えた四本の松はちゃんとあったが、草履はきでぶらついてみると、密生していた竹はまばらになっている。)廣徳2年764-22 《草堂 #1》 ふたたび成都 杜甫<662>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3715 杜甫詩1000-662-937/1500756

 

草堂に帰ってきた杜甫は、そこに腰を落ち着けて、畠を耕し薬草を栽培して暮らそうとしていたが、厳武は親しい友に野老暮らしをさせるに忍びなかったのか、杜甫を朝廷に推薦して、節度使の参謀・検校工部員外郎(工部の員外郎は従六品上の加官で、実際の仕事は節度使の参謀)とした。杜甫は仕方なく、成都城内の役所に出かけて、幕僚としての生活を始めた。

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 四松 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

四松 #1

762年春に移植した4本の松)

四松初移時,大抵三尺強。 

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

別來忽三載,離立如人長。 

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

會看根不拔,莫計枝凋傷。 

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

所插小藩籬,本亦有隄防。 

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

#2

終然撥損,得吝千葉黃。 

敢為故林主,黎庶猶未康。 

避賊今始歸,春草滿空堂。

覽物歎衰謝,及茲慰淒涼。 

清風為我起,灑面若微霜。 

#3

足以送老姿,聊待偃蓋張。 

我生無根帶,配爾亦茫茫。 

有情且賦詩,事跡可兩忘。 

勿矜千載後,慘澹蟠穹蒼。 

 

四松 #1

四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。 

別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。 

會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。 

幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。

插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。 

#2

終然とし 撥【ちょうはつ】して損うも,千葉の黃ばむを吝【ふせ】ぎ得たり。 

敢て故林の主と為り,黎庶【れいしょ】猶お未だ康からず。 

賊を避けて今 始めて歸り,春草 空しく堂に滿つ。

物を覽て衰謝【すいしゃ】歎き,茲【ここ】に及びて淒涼を慰む。 

清風は我が為に起き,面に灑ぐは 微霜【びそう】の若し。 

#3

送老の姿を以て足り,聊【いささ】か偃蓋の張るを待つ。 

我が生 根帶無し,爾に配 亦た茫茫たり。 

情有りて且つ賦詩し,事跡 兩つながら忘る可けんや。 

矜る勿れ 千載の後,慘澹とす 穹蒼【きゅうす】に蟠【わだかま】る。 
杜甫像0012 

 

『四松』 現代語訳と訳註

(本文)

四松 #1

四松初移時,大抵三尺強。 

別來忽三載,離立如人長。 

會看根不拔,莫計枝凋傷。 

幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。

所插小藩籬,本亦有隄防。 

 

 

(下し文)

四松 #1

四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。 

別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。 

會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。 

幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。

插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。 

 

(現代語訳)

762年春に移植した4本の松)

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

松01 

(訳注)

四松---762年春に移植した4本の松)

杜甫は、成都浣花渓に家と農園を作った。杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。

1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。

2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は12日、草堂が23週間ではなかろうか。

3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」

4蕭実には桃の苗百本、

奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。

河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

5韋続には綿竹県の竹を、

華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。

江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。

6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、

「覓榿木栽」「榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」

7. 韋班には松の苗木を、

落落出羣非柳,青青不朽豈楊梅?

欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。

8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。

大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。

君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐

9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、

詣徐卿覓果栽

草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。

石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。

・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、

10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』

草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。

 番号は掲載順である。

そして、この地に761年春、

西郊 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 2)  杜甫 <407 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ1980 杜甫詩1000-407-590/1500

客至 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 3)  杜甫 <408 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1985 杜甫詩1000-408-591/1500

春夜喜雨 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 8)  杜甫 <413  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2010 杜甫詩1000-413-596/1500

春水生 二絶其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 9)  杜甫 <414  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2015 杜甫詩1000-414-597/1500

春水生 二絶其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 10)  杜甫 <415  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2020 杜甫詩1000-415-598/1500

江上水如海勢聊短述 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 11)  杜甫 <416>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2025 杜甫詩1000-416-599/1500

檻遣心二首其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 12)  杜甫 <417  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2030 

水檻遣心二首其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 13)  杜甫 <418  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2035 杜甫詩1000-418-601/1500

と、挙げればきりがないほどこの地を愛した。それを最もよく表しているのが、『江畔獨步尋花七句』と『絶句漫興九首』である。この時期に庭に四本の「松」を植えたのである。

江畔獨步尋花七句 杜甫 <437 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500

絶句漫興九首 其一 成都浣花渓 杜甫 <445  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2170 杜甫詩1000-445-628/1500 

その秋には台風によって茅葺の屋根を飛ばしている。

楠樹為風雨所拔嘆 成都5-(11-1) 杜甫 <464-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2270 杜甫詩1000-464-#1-648/1500

茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-1) 杜甫 <465-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2280 杜甫詩1000-465-#1-650/1500

この成都浣花渓での詩にはこの地が嫌になったとか、離れたいとか言った内容のものは皆無なのである。その愛すべきこの地の象徴は、草堂であり、最も安定した時期に植えた、「四松」であったのだ。

 

四松 初移 ,大抵三尺 強。

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

「四松」語義類別:其他、數詞、定量數詞、四。

「移」語義類別:人、行為動作、一般行為(其他部)、移。

「大抵」1 事柄の主要な部分。「事の―を知る」2 事柄のあらまし。だいたいのようす。また、全体のうちの大部分。おおよそ。おおかた。

「三尺」三尺強は、三尺は93cmであるから1m程度の高さがあったということ。

 

別來 三載 ,離立 如人

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

「三載」三年。 762~764年。

「離立」2本ずつを間隔を置いて並べて。

「人長」大人の背丈。

 

會看 不拔 ,莫計 凋傷

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

 

幽色 秀發 ,疏柯 亦昂藏

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

「幽」松の葉が松の葉を陰にするさま。濃い緑をさらに濃くするさま。

「昂藏」意気の盛んなさま。元気に成長。

 

所插 藩籬 ,本亦有 隄防

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

「藩籬」幹を守るため籬を立てて保護すること。

「隄防」川の傍であるため杭を打っておいたもの。

江畔独歩尋花 

廣徳2年764-29 《草堂 #8》 ふたたび成都 杜甫<669> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3750 杜甫詩1000-669-944/1500763

杜甫《草堂 #8》兵馬による風塵のふわふわとただよいつつある際に、この老いぼれ爺の身はいったいどこに置いたらよいのだ。この時世にあたって邪魔物にされるわたしだが幸いに骨髄は枯れきったのではない。


2014年2月14日 の紀頌之5つのブログ
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廣徳2764-29 《草堂 #8》 ふたたび成都 杜甫<669> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3750 杜甫詩1000-669-944/1500763

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞。』

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

#3

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

國家法令在,此又足驚籲。』

わらいばなしをしながら殺戮を行う、そのそそぐ血はながい街いっぱいになった。

今に至るまで、あのとき刑罰のマサカリを用いた刑場は今日になってもまだ風雨に交じって被刑者のさけびの声がきこえるのだ。

被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。

国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。』

#4

義士 皆 痛憤し、紀綱 乱れて相い逾ゆるを。

一国 実に三公あり、万人 魚為らんと欲す。

唱和して威福を作す、孰か肯て無事を弁ぜん。

眼前 杻械【ちゅうかい】を列ね、背後に笙竽【しょうう】を吹く。

#5

談笑して殺戮【さつりく】を行う、濺血【せんけつ】長衢【ちょうく】に満つ。

今に到るまで鉞【みつ】を用いし地は、風雨に号呼【ごうこ】を聞く。

鬼妾【きしょう】と鬼馬と、色 悲しむに爾が娯しみに充つ。

国家法令在り、此れ又た驚籲【きょうく】するに足れり。』

#6

賤子且奔走,三年望東

弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

入門四松在,步屟萬竹疏。

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

賊子且つ奔走し、三年 東呉を望む。

弧矢【こし】江海に暗く、五湖に遊ぶを為し難し。

竟【つい】に此を舎【す】つるに忍びず、復た来たって榛蕪【しんぶ】を薙【な】ぐ。

門に入れば四松在り、歩屟【ほしょう】すれば万竹疏【そ】なり。

#7

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。

近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。

幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。

城郭の人人は自分が来たことを喜んで、賓客としてやってきてこの片田舎がせまっこく感ぜられるほどである。』

 

旧犬 我が帰るを喜び、低徊して衣裾【いきょ】に入る。

隣舍 我が帰るを喜び、酒を酤【か】いて胡蘆【ころ】を携う。

大官 我が来たるを喜び、騎を遣わして須【ま】つ所を問う。

城郭 我が来たるを喜び、賓客 村墟【そんきょ】を隘【あい】にす』

#8

天下尚未甯,健兒勝腐儒。

いまだに天下はまだやすらかになってはおらぬ。一介の腐れ儒者であるより武卒である方がましなのだ。

飄搖風塵際,何地置老夫。

兵馬による風塵のふわふわとただよいつつある際に、この老いぼれ爺の身はいったいどこに置いたらよいのだ。

于時見疣贅,骨髓幸未枯。

この時世にあたって邪魔物にされるわたしだが幸いに骨髄は枯れきったのではない。

飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

老いていきながらえ飲食をしておるのは自分の愧ずるところである。自分は薇を食らうだけの貧乏に満足していてそのほかのことはねがわぬのである。』

天下尚お未だ甯【やす】からず、健児 腐儒に勝る。

風塵の際に飄搖して、何の地にか老夫を置かん。

時に於て疣贅【ゆうぜい】とせらるも、骨髄【こつずい】幸いに未だ枯れず。

飲啄 残生に塊す、薇を食ろうて敢て余さず。』

隋堤01 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #8

天下尚未甯,健兒勝腐儒。

飄搖風塵際,何地置老夫。

于時見疣贅,骨髓幸未枯。

飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

 

(下し文)

天下尚お未だ甯【やす】からず、健児 腐儒に勝る。

風塵の際に飄搖して、何の地にか老夫を置かん。

時に於て疣贅【ゆうぜい】とせらるも、骨髄【こつずい】幸いに未だ枯れず。

飲啄 残生に塊す、薇を食ろうて敢て余さず。』

 

(現代語訳)

いまだに天下はまだやすらかになってはおらぬ。一介の腐れ儒者であるより武卒である方がましなのだ。

兵馬による風塵のふわふわとただよいつつある際に、この老いぼれ爺の身はいったいどこに置いたらよいのだ。

この時世にあたって邪魔物にされるわたしだが幸いに骨髄は枯れきったのではない。

老いていきながらえ飲食をしておるのは自分の愧ずるところである。自分は薇を食らうだけの貧乏に満足していてそのほかのことはねがわぬのである。』

 

 (訳注)

草堂

○草堂 浣花村の草堂。

杜甫が三年ぶりに草堂にもどってきたことをのべた詩。作者は宝応元年夏、厳武が召されて入朝するにつき成都の草堂を離れ綿州にいたった。同年七月に剣南西川兵馬使徐知道が叛き、八月に誅に伏した。当時作者は家族をたずさえて乱を避け梓州に赴いた。其の後、梓・閬の間を往来していたが、広徳二年の春厳武が再び剣南節度使として来任するということをきいて成都へもどってきた。

 

天下尚未甯,健兒勝腐儒。

いまだに天下はまだやすらかになってはおらぬ。一介の腐れ儒者であるより武卒である方がましなのだ。

○甯 安寧。

○健児 兵士、武卒をいう。

 

飄搖風塵際,何地置老夫。

兵馬による風塵のふわふわとただよいつつある際に、この老いぼれ爺の身はいったいどこに置いたらよいのだ。

○飄搖 ただようさま。

○風塵 かぜほこり、兵馬よるものをいう。

○老夫 おやじ、杜甫の謙遜語。

 

于時見疣贅,骨髓幸未枯。

この時世にあたって邪魔物にされるわたしだが幸いに骨髄は枯れきったのではない。

○于時 時は時人をさす。この時世にあたって。

○疣贅 床も賓もともにこぶのこと、邪魔物であることをいう。○骨髓幸 精力の尚お在ることをいう。

 

飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

老いていきながらえ飲食をしておるのは自分の愧ずるところである。自分は薇を食らうだけの貧乏に満足していてそのほかのことはねがわぬのである。』

○飲啄 鳥に関する語である、水をのむ、ものをついばむ。人の飲食のこと。

○残生 老いてのちの生活、「飲啄悦残生」とは残生にあたり飲啄することを愧じる意である。

○食薇不敢余 一本に敢を願に作る、「食薇不願余」は古詩の成句であり、薇を食うほどの粗食に甘んじて其の他をねがわないことをいう、以上は帰ってのちの身世の感をのべる。

杏の花01 

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詩文(含異文)

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞【都適無虞】。

請陳初亂時,反復乃須臾【反復乃斯須】。

大將赴朝廷,群小起異圖〔初,嚴武入朝,徐知道反,旋為其下李忠厚所殺。〕

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒【自及梟徒】。

義士皆痛憤,紀綱亂相踰。

一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜【孰能辨無辜】。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

談笑行殺戮,濺血滿長衢【血滿長衢】。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬【妾與鬼馬】,色悲充爾

國家法令在,此又足驚吁。

賤子且奔走,三年望東

弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,復來薙榛蕪。

入門四松在,步屧萬竹疏。

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆【酤酒提壺】。

大官喜我來【大官我來】,遣騎問所須。

城郭喜我來【城郭我來】,賓客隘村墟【賓客村墟】。

天下尚未寧,健兒勝腐儒。

飄颻風塵際【飄風塵際】,何地置老夫【何地老夫】。

於時見疣贅【於時疣贅】,骨髓幸未枯。

飲啄愧殘生,食薇不敢餘。 

 

 

 

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746廣徳2年764年―3-5 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <656  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3610 杜甫詩1000-656-916/1500746-5

杜甫の人生 蜀中転々 762年~764年にかけて (まとめ)

746廣徳2年764年―4-1 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3620 杜甫詩1000-654-1-918/1500748-1

746廣徳2年764年―4-2 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3625 杜甫詩1000-654-2-919/1500748-2

746廣徳2年764年―4-3 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3630 杜甫詩1000-654-3-920/1500748-3

746廣徳2年764年―4-4 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3635 杜甫詩1000-654-4-921/1500748-4

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廣徳2年764-7-#1 《釋悶》 蜀中転々 杜甫 <657-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3665 杜甫詩1000-657-1-927/1500751-1

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廣徳2年764-8-1 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3675 杜甫詩1000-658-1-929/1500752-1

廣徳2年764-8-2 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3680 杜甫詩1000-658-2-930/1500752-2

廣徳2年764-9-1 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3685 杜甫詩1000-659-1-931/1500753-1 4分割

廣徳2年764-9-2 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3690 杜甫詩1000-659-2-932/1500753-2

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l   韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖【韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖歌】【韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖引】【案:曹霸官左武衛將軍。】

l   送韋諷上閬州錄事參軍

l   丹青引贈曹將軍霸

l   南池【案:在閬中縣東南,即彭道將魚池。】

l   憶昔,二首之一

l   憶昔,二首之二

l   釋悶

l   贈別賀蘭銛

l   別唐十五誡因寄禮部賈侍郎【案:賈至。】

l   閬山歌

l   閬水歌

l   草堂

l   四松

l   水檻

l   破船

l   揚旗【案:自注:二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。】

l   太子張舍人遺織成褥段

l   過南鄰朱山人水亭

l   寄賀蘭銛

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之一

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之二

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之三

l   題桃樹

l   懷舊

l   有感,五首之一

l   有感,五首之二

l   有感,五首之三

l   有感,五首之四

l   有感,五首之五

l   送李卿曄【案:曄,淮安忠公琇之子,時以罪貶嶺南。】

l   城上【空城】

l   傷春,五首之一【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   傷春,五首之二【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   傷春,五首之三【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   傷春,五首之四【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   傷春,五首之五【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   奉待嚴大夫

l   奉寄高常侍【寄高三十五大夫】

l   奉寄章十侍御【案:自注:時初罷梓州刺史東川留後,將赴朝廷,章彝初為嚴武判官,後為武所殺。武再鎮蜀,彝已入覲,豈未行而殺之耶?】

l   將赴荊南寄別李劍州

l   奉寄別馬巴州【案:自注:時甫除京兆功曹,在東川。】

l   泛江

l   陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之一

l   陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之二

l   暮寒

l   雙燕

l   百舌

l   遊子

l   江亭王閬州筵餞蕭遂州

l   句,二首之一

l   句,二首之二

l   滕王【案:元嬰。】亭子【案:自注:亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。】

l   玉臺觀【案:自注:滕王造。】

l   滕王亭子

l   玉臺觀

l   渡江

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之四【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   別房太尉墓【案:在閬州。】

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之一

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之二

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三

l   登樓

l   春歸

l   歸雁

l   贈王二十四侍御契四十韻【案:王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。】

l   寄董卿嘉榮十韻

l   寄司馬山人十二韻

l   黃河,二首之一

l   黃河,二首之二

l   寄李十四員外布十二韻【案:自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。】

l   歸來

l   王錄事許修草堂貲不到聊小詰

l   寄邛州崔錄事

l   過故斛斯校書莊,二首之一【案:自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。】【案:《英華》注:「即斛斯融。」】

l   過故斛斯校書莊,二首之二【案:自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。】【案:《英華》注:「即斛斯融。」】

l   立秋雨院中有作【立秋日雨院中有作】

l   奉和嚴大夫軍城早秋

l   院中晚晴懷西郭茅舍

l   到村

l   宿府

l   遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之一【送舍弟潁赴齊州,三首之一】【送舍弟穎赴齊州,三首之一】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之二【送舍弟潁赴齊州,三首之二】【送舍弟穎赴齊州,三首之二】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之三【送舍弟潁赴齊州,三首之三】【送舍弟穎赴齊州,三首之三】

l   嚴鄭公階下新松【案:得霑字。】

l   嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】

l   奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】

l   晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟【案:得溪字。池在張儀子城。】

l   初冬

l   至後

l   村雨

l   軍中醉飲寄沈八劉叟【案:一作暢當詩。】【案:他集互見。】

l   送司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

l   收京【收京闕】【案:草堂逸詩拾遺。】

l   巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

l   陪鄭公秋晚北池臨眺【案:草堂逸詩拾遺。】

l   哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

l   送王侍御往東川放生池祖席【案:草堂逸詩拾遺。】

廣徳2年764-28 《草堂 #7》 ふたたび成都 杜甫<668> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3745 杜甫詩1000-668-943/1500 762

杜甫《草堂 #7》以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。


2014年2月13日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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廣徳2764-28 《草堂 #7》 ふたたび成都 杜甫<668> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3745 杜甫詩1000-668-943/1500762

 

#4

賤子且奔走,三年望東

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

弧矢暗江海,難為遊五湖。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

入門四松在,步屟萬竹疏。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

#5

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。

大官喜我來,遣騎問所須。

幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

城郭の人人は自分が来たことを喜んで、賓客としてやってきてこの片田舎がせまっこく感ぜられるほどである。』

賊子且つ奔走し、三年 東呉を望む。

弧矢【こし】江海に暗く、五湖に遊ぶを為し難し。

竟【つい】に此を舎【す】つるに忍びず、復た来たって榛蕪【しんぶ】を薙【な】ぐ。

門に入れば四松在り、歩屟【ほしょう】すれば万竹疏【そ】なり。

 

旧犬 我が帰るを喜び、低徊して衣裾【いきょ】に入る。

隣舍 我が帰るを喜び、酒を酤【か】いて胡蘆【ころ】を携う。

大官 我が来たるを喜び、騎を遣わして須【ま】つ所を問う。

城郭 我が来たるを喜び、賓客 村墟【そんきょ】を隘【あい】にす』

杜甫像0012 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文)

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

 

(下し文)

旧犬 我が帰るを喜び、低徊して衣裾【いきょ】に入る。

隣舍 我が帰るを喜び、酒を酤【か】いて胡蘆【ころ】を携う。

大官 我が来たるを喜び、騎を遣わして須【ま】つ所を問う。

城郭 我が来たるを喜び、賓客 村墟【そんきょ】を隘【あい】にす』

 

(現代語訳)

以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。

近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。

幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。

城郭の人人は自分が来たことを喜んで、賓客としてやってきてこの片田舎がせまっこく感ぜられるほどである。』

 

(訳注)

草堂

○草堂 浣花村の草堂。

杜甫が三年ぶりに草堂にもどってきたことをのべた詩。作者は宝応元年夏、厳武が召されて入朝するにつき成都の草堂を離れ綿州にいたった。同年七月に剣南西川兵馬使徐知道が叛き、八月に誅に伏した。当時作者は家族をたずさえて乱を避け梓州に赴いた。其の後、梓・閬の間を往来していたが、広徳二年の春厳武が再び剣南節度使として来任するということをきいて成都へもどってきた。

 

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。

○低掴 さまよう。

 

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。

○酤酒 酒を買ってくる。

○胡産 ふくべ、瓢箪。

 

大官喜我來,遣騎問所須。

幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。

○大官 厳武節度使、幕府の役人らをさす。

○所須 いりようなもの。須:用いる、必要とする。

 

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

城郭の人人は自分が来たことを喜んで、賓客としてやってきてこの片田舎がせまっこく感ぜられるほどである。』

○城郭 そこの人人。

○隘 せまいと感ぜられるほどたくさんに集まって来る。草堂に帰ったことをのべる。
江畔独歩尋花 

廣徳2年764-27 《草堂 #6》 ふたたび成都 杜甫<667> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3740 杜甫詩1000-667-942/1500 761

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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-27 《草堂 #6》 ふたたび成都 杜甫<667> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3740 杜甫詩1000-667-942/1500761

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。


#3

布衣數十人,亦擁專城居。

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

#4

賤子且奔走,三年望東

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

弧矢暗江海,難為遊五湖。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

入門四松在,步屟萬竹疏。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

#5

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

 

賊子且つ奔走し、三年 東呉を望む。

弧矢【こし】江海に暗く、五湖に遊ぶを為し難し。

竟【つい】に此を舎【す】つるに忍びず、復た来たって榛蕪【しんぶ】を薙【な】ぐ。

門に入れば四松在り、歩屟【ほしょう】すれば万竹疏【そ】なり。

 

旧犬 我が帰るを喜び、低徊して衣裾【いきょ】に入る。

隣舍 我が帰るを喜び、酒を酤【か】いて胡蘆【ころ】を携う。

大官 我が来たるを喜び、騎を遣わして須【ま】つ所を問う。

城郭 我が来たるを喜び、賓客 村墟【そんきょ】を隘【あい】にす』

成都遂州00 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #4

賤子且奔走,三年望東

弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

入門四松在,步屟萬竹疏。

 

(下し文)

賊子且つ奔走し、三年 東呉を望む。

弧矢【こし】江海に暗く、五湖に遊ぶを為し難し。

竟【つい】に此を舎【す】つるに忍びず、復た来たって榛蕪【しんぶ】を薙【な】ぐ。

門に入れば四松在り、歩屟【ほしょう】すれば万竹疏【そ】なり。

 

(現代語訳)

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

 

(訳注) #4

賤子且奔走,三年望東

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

○賤子 いやしいもの、自己をさす。

○且 しばらく、いささか。

○奔走 かけまわる、梓州・閬州の方面へいったこと。

〇三年 762年宝応元年秋より764年広徳二年春まで。実質1年半である。

○望東呉 長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいとしてながめる。中國の常識で川の流れは西から東へと流れるもの、東は下る意味を持つ。

 

弧矢暗江海,難為遊五湖。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

○弧矢 ゆみ、や、兵乱を征定するために用いるもの。「易」(繋辞)にいう、「木二弦シテ弧卜為シ、木ヲ則リテ矢卜為シ、弧失ノ利、以テ天下ヲ威ス」と。○江海 揚子江や海、江蘇の地方をいう。

〇五湖 菱湖・游湖・莫湖・貢湖・胥湖。みな太湖の東岸の五湾である。

 

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

○舎此 「此れを捨てる」草堂の地を捨て去ること。

○復来 またかえってきて。

○薙 なぎ刈る。

○榛蕪 はりのやぶ、草むら。

 

入門四松在,步屟萬竹疏。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

〇四松 前年植えた四本のまつ。

○歩履 草履であるく。
竹林001 

廣徳2年764-26 《草堂 #5》 ふたたび成都 杜甫<666> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3735 杜甫詩1000-666-941/1500760

杜甫《草堂 #5》被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。

2014年2月11日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《東都賦》(35)(白雉の詩) 文選 賦 賦<113―35>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1037kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3733 (35)(白雉の詩)
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《別趙子》#3韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <950>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3734韓愈詩-245
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-26 《草堂 #5》 ふたたび成都 杜甫<666> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3735 杜甫詩1000-666-941/1500760
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 282 《遊城南十六首:風折花枝》 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3736 (02/11)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-26 《草堂 #5》 ふたたび成都 杜甫<666> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3735 杜甫詩1000-666-941/1500760

 

 

草堂 #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

くちなしの花 

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

一國實三公,萬人欲為魚。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

唱和作威福,孰肯辨無辜。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

わらいばなしをしながら殺戮を行う、そのそそぐ血はながい街いっぱいになった。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

今に至るまで、あのとき刑罰のマサカリを用いた刑場は今日になってもまだ風雨に交じって被刑者のさけびの声がきこえるのだ。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。

國家法令在,此又足驚籲。』

国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。』

#4

義士 皆 痛憤し、紀綱 乱れて相い逾ゆるを。

一国 実に三公あり、万人 魚為らんと欲す。

唱和して威福を作す、孰か肯て無事を弁ぜん。

眼前 杻械【ちゅうかい】を列ね、背後に笙竽【しょうう】を吹く。

#5

談笑して殺戮【さつりく】を行う、濺血【せんけつ】長衢【ちょうく】に満つ。

今に到るまで鉞【みつ】を用いし地は、風雨に号呼【ごうこ】を聞く。

鬼妾【きしょう】と鬼馬と、色 悲しむに爾が娯しみに充つ。

国家法令在り、此れ又た驚籲【きょうく】するに足れり。』

鶯00成都関連地図 00 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文)  #5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

國家法令在,此又足驚籲。』

 

(下し文) #5

談笑して殺戮【さつりく】を行う、濺血【せんけつ】長衢【ちょうく】に満つ。

今に到るまで鉞【みつ】を用いし地は、風雨に号呼【ごうこ】を聞く。

鬼妾【きしょう】と鬼馬と、色 悲しむに爾が娯しみに充つ。

国家法令在り、此れ又た驚籲【きょうく】するに足れり。』

 

(現代語訳)

わらいばなしをしながら殺戮を行う、そのそそぐ血はながい街いっぱいになった。

今に至るまで、あのとき刑罰のマサカリを用いた刑場は今日になってもまだ風雨に交じって被刑者のさけびの声がきこえるのだ。

被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。

国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。』

 

(訳注) #5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

わらいばなしをしながら殺戮を行う、そのそそぐ血はながい街いっぱいになった。

○談笑行殺戮 わらいばなしをしながら。惨忍なさまである。

○濺血 そそぐところの血。

 

到今用鉞地,風雨聞號呼。

今に至るまで、あのとき刑罰のマサカリを用いた刑場は今日になってもまだ風雨に交じって被刑者のさけびの声がきこえるのだ。

○用鉞地 鉞は死刑につかわれるまさかり。用鉞とは人殺しの刑を行なったことをいう。

〇号呼 被殺者のなきさけぶこえ。

 

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。

○鬼妾・鬼馬 鬼は殺されてしまった者をいう、鬼妾鬼馬とは被殺者のあとに残され存している妾と馬のこと。

○色悲 口ではいえないが顔色では悲痛のありさまをしておるのにとの意。

○爾 賊徒をさす。

 

國家法令在,此又足驚籲。』

国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。』

○此 前述の惨膚な挙動をさす。

○籲 うれえる、以上は乱兵の虐殺をのぺる。
草堂002 

廣徳2年764-25 《草堂 #4》 ふたたび成都 杜甫<665>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3730 杜甫詩1000-665-940/1500759

杜甫《草堂 #4》謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。


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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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廣徳2764-25 《草堂 #4》 ふたたび成都 杜甫<665>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3730 杜甫詩1000-665-940/1500759

 

草堂 #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞。』

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

一國實三公,萬人欲為魚。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

唱和作威福,孰肯辨無辜。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

國家法令在,此又足驚籲。』

#4

義士 皆 痛憤し、紀綱 乱れて相い逾ゆるを。

一国 実に三公あり、万人 魚為らんと欲す。

唱和して威福を作す、孰か肯て無事を弁ぜん。

眼前 杻械【ちゅうかい】を列ね、背後に笙竽【しょうう】を吹く。

#5

談笑して殺戮【さつりく】を行う、濺血【せんけつ】長衢【ちょうく】に満つ。

今に到るまで鉞【みつ】を用いし地は、風雨に号呼【ごうこ】を聞く。

鬼妾【きしょう】と鬼馬と、色 悲しむに爾が娯しみに充つ。

国家法令在り、此れ又た驚籲【きょうく】するに足れり。』

江畔独歩尋花 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

 

(下し文) #4

義士 皆 痛憤し、紀綱 乱れて相い逾ゆるを。

一国 実に三公あり、万人 魚為らんと欲す。

唱和して威福を作す、孰か肯て無事を弁ぜん。

眼前 杻械【ちゅうかい】を列ね、背後に笙竽【しょうう】を吹く。

 

(現代語訳)

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

 

紅梅002 

(訳注)#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

○義士 義の士。

○紀綱 紀は糸の乱れを治めるくくりめ、綱は網をひきしめる大づな、秩序をさしていう。

○逾 乱徒がこえることをいう。

 

一國實三公,萬人欲為魚。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

○一国実三公 一つの国に三人の家老がある、「左伝」(僖公五年)にみえる。李忠厚らの同輩をさす。ここは政権の不統一をいう。

○為魚 「史記」(項羽紀)に、「今、人は方に刀狙たり、我は魚肉たり」とあるのによれば姐上の魚肉のごとく肴にされることをいう。「左伝」(昭公五年)に、劉定公のことばとして「南なかりせば吾は其れ魚たらんか」とあり、「後漢書」(光武紀)に、「之を決して之に港げば、百万の衆、皆魚たらしむべし」とあるのによれば人が溺死して魚のごとくになることをいう。

 

唱和作威福,孰肯辨無辜。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

○唱和 謀反の者同士がおたがいに唱和すること、甲がとなえて乙が賛成附和する。特に国内外の異民族と唱和するケースが多くあった。

○作威福 「尚書」(洪範)には人君のみが「威を作し福を作す」ことをといている、ここは賊徒が権力を専らにし威をも福をもなすことをいう、威を弄するというのが主である。

○弁無事 つみあるものとつみなきものとを区別する。

 

眼前列杻械,背後吹笙竽。 

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

〇位 あしかせ。

○城 でかせ。

○笙竽 共に楽器の名、笙は十三簧、竽は三十六簧、簧は空気を振動させる舌。
杜甫像0012 

廣徳2年764-24 《草堂 #3》 ふたたび成都 杜甫 <664>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3725 杜甫詩1000-664-939/1500758

ふたたび成都《草堂 #3》これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。


2014年2月9日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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班孟堅(班固)《東都賦》(33) 文選 賦 賦<113―33>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1035 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3723
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《別趙子》#1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <948>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3724韓愈詩-243
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-23 《草堂 #2》 ふたたび成都 杜甫 <663>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3720 杜甫詩1000-663-938/1500757
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 280 《遊城南十六首:楸樹,二首之一》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3726 (02/09)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -9 河滿子二首 其二  和學士凝二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-436-12-#9  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3727
 
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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廣徳2764-24 《草堂 #3》 ふたたび成都 杜甫 <664>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3725 杜甫詩1000-664-939/1500758

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。


#3

布衣數十人,亦擁專城居。

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

成都遂州00 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文)#3

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

 

(下し文)

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

(現代語訳)

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

(訳注)

布衣數十人,亦擁專城居。

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

○布衣 庶民階級のもので「即ち楊子琳・栢正節の徒なり」という。

○擁 有すること。

○専城居 城を専有して住居すること。徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史輩をさす。古楽府「羅敷行」に「四十にして城を専らにして居る」の句に基づく。

 

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

○不両大 両とは下の蕃と漢との二つをいう。

○蕃漢殊 蕃は羌兵をいい漢は本土人の兵をいう。

 

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

○西卒 先兵をさす。

○卻倒戈 徐知道は兵馬使で漢兵の統領であるが、羌夷をおびやかして叛乱に加わらしめた。ところが叛軍の中において内輪争いがあり、羌兵が徐知道の下に付かなくなったのに乗じて李息厚という者が先兵をおだてて徐知遇を殺させるようにした。すなわちはじめ味方とした羌夷が戈を倒して刃向かうようになったのである。「尚書」(武成)に「前徒戈を倒にす」の語がみえる。

○賊臣 叛徒をさす。

 

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

○肘腋禍 てぢかに起こったわざわい、李忠厚の裏切りをいう、肘はひじ、腋はわき。

○兵鏡徒 徐知道ら叛徒の渠魁をいう、梟はふくろう、母を食べるという、獍は破獍という獣で父を食べるという、いずれもわるい鳥獣である、以上は叛乱が錯乱になったことをいう。カンナ223

廣徳2年764-23 《草堂 #2》 ふたたび成都 杜甫 <663>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3720 杜甫詩1000-663-938/1500757

ふたたび成都《草堂 #2》まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

2014年2月8日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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廣徳2764-23 《草堂 #2》 ふたたび成都 杜甫 <663>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3720 杜甫詩1000-663-938/1500757

 

 

広徳元年(763)十一月、朝廷居る厳武が、杜甫を京兆功曹に推薦したが、その時、長安が不安定と考え、安定的な江陵に向おうとした。杜甫は、閬州から舟にのって、蜀を出てゆこうと、これをことわった。

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府の杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。もとの犬もよろこんで裾にまといついた。草堂の門に入って、四本の松や、五本の桃の木が、それぞれ生長しているのを見るのも彼をよろこぼせた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。

成都の節度使の幕府に移った厳武は、蜀に返ってくると、大いに軍容を盛んにして、九月には吐審七万の兵を破り、当狗城や、塩川城を奪いかえし、西方国境における唐軍の勢いをもり返した。杜甫も詩を作って讃辞を惜しまなかった。厳武も杜甫をいたわり、いつも幕僚と共に宴に招き、韻を分かって詩を作った。

しかし、厳武の好意があればあるほど、幕中の生活は杜甫にとっては楽しいものではなかった。杜甫は、どうしても同僚のものたちと合わないのである。それにまた幕中の生活はかなり忙しく厳しいものであった。毎朝日の出前に役所に入り、世更けて退所するのである。如何に、半官半隠が理想の杜甫にとって他の役人との関係において難しいものであった。

その様子は

遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】

懷舊

宿府

に見える。

 

 

作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 草堂 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都、別名:蜀・ 草堂 ・一室、西郭茅舍。 ・劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)

 

草堂 #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。今我歸草堂,成都適無虞。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。西取邛南兵,北斷劍閣隅。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜。眼前列杻械,背後吹笙竽。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾。國家法令在,此又足驚籲。』

#6

賤子且奔走,三年望東。弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。入門四松在,步屟萬竹疏。

#7

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。城郭喜我來,賓客隘村墟。』

#8

天下尚未甯,健兒勝腐儒。飄搖風塵際,何地置老夫。

于時見疣贅,骨髓幸未枯。飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

古桟道0001 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #2

請陳初亂時,反復乃須臾。

大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

 

(下し文)

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

(現代語訳)

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

 

 

(訳注) #2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

 

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

○大将 東・西川節度使の厳武をいう。

○群小 多くの小人、徐知道らをいう。

○異図 尋常でないくわだて、小細工、謀叛をいう。

 

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

○中宵 よなか。

○斬白馬 戦国以来のならわしで盟約のあかしとして、白馬を切り殺して其の血を用いた。

○盟歃 盟はちかう、歃は口のまわりに血をぬることをいう。

○気 意気を昂揚させる。

○粗 粗暴。

 

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

○卭南 卭州は臨卭県、成都の西南二百里(115km)にある、その南に雅州があり、其の地はもと羌に附いていたが徐知道はこれをひきいて乱をおこした。

○剣閣 剣南道剣州(四川省剣閣県)剣門県界(中国歴史地図)剣南道8-③地点)にある、大剣山または梁山ともいう。其の北三十里(17.3km)に小剣山がある。晋の張載が「剣閣銘」をつくったのも此処である。この険阻な要害を見て英雄がこの地を割拠して乱をなしたことを憂慮した気持ちをのべている。

杜甫成都紀行十二首其十『劍閣』

”成都紀行(10)” 剣門 杜甫詩1000 <350#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1691 杜甫1500- 522
剣門関01 

廣徳2年764-22 《草堂 #1》 ふたたび成都 杜甫<662>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3715 杜甫詩1000-662-937/1500756

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府のさんぼうとして、杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。


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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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廣徳2764-22 《草堂 #1》 ふたたび成都 杜甫<662>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3715 杜甫詩1000-662-937/1500756

 

広徳元年(763)十一月、朝廷居る厳武が、杜甫を京兆功曹に推薦したが、その時、長安が不安定と考え、安定的な江陵に向おうとした。杜甫は、閬州から舟にのって、蜀を出てゆこうと、これをことわった。

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府の杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。もとの犬もよろこんで裾にまといついた。草堂の門に入って、四本の松や、五本の桃の木が、それぞれ生長しているのを見るのも彼をよろこぼせた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。

成都の節度使の幕府に移った厳武は、蜀に返ってくると、大いに軍容を盛んにして、九月には吐審七万の兵を破り、当狗城や、塩川城を奪いかえし、西方国境における唐軍の勢いをもり返した。杜甫も詩を作って讃辞を惜しまなかった。厳武も杜甫をいたわり、いつも幕僚と共に宴に招き、韻を分かって詩を作った。

しかし、厳武の好意があればあるほど、幕中の生活は杜甫にとっては楽しいものではなかった。杜甫は、どうしても同僚のものたちと合わないのである。それにまた幕中の生活はかなり忙しく厳しいものであった。毎朝日の出前に役所に入り、世更けて退所するのである。如何に、半官半隠が理想の杜甫にとって他の役人との関係において難しいものであった。

その様子は

遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】

懷舊

宿府

に見える。

 

 

作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 草堂 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都、別名:蜀・ 草堂 ・一室、西郭茅舍。 ・劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)

 

草堂 #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。今我歸草堂,成都適無虞。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。西取邛南兵,北斷劍閣隅。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜。眼前列杻械,背後吹笙竽。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾。國家法令在,此又足驚籲。』

#6

賤子且奔走,三年望東。弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。入門四松在,步屟萬竹疏。

#7

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。城郭喜我來,賓客隘村墟。』

#8

天下尚未甯,健兒勝腐儒。飄搖風塵際,何地置老夫。

于時見疣贅,骨髓幸未枯。飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞。』

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞。』

 

(下し文)

(草堂)

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

 

(現代語訳)

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

杏の花01 

 

(訳注) #1

草堂

○草堂 浣花村の草堂。

杜甫が三年ぶりに草堂にもどってきたことをのべた詩。作者は宝応元年夏、厳武が召されて入朝するにつき成都の草堂を離れ綿州にいたった。同年七月に剣南西川兵馬使徐知道が叛き、八月に誅に伏した。当時作者は家族をたずさえて乱を避け梓州に赴いた。其の後、梓・閬の間を往来していたが、広徳二年の春厳武が再び剣南節度使として来任するということをきいて成都へもどってきた。

 

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

○昔 762年、宝応元年の夏をいう、時に厳武が入朝することになったので杜甫は梓州まで見送りの為草堂を離れた。

○蛮夷 徐知遇は厳武の入朝で後任の高適が成都に入幕する隙をついて、叛乱し、その後、安史の乱の終結の時期に合わせて、吐蕃が隴西に攻め入り、一気に西都から、長安に攻め込んだ。

 

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適のてによって、まさに平穏なところとなったからである。』

○適 別の注釈に、たまたまとよませ、偶然にという意味で解釈するものがあるが、まちがい。厳武の成都尹、東・西川節度使赴任に合わせて、完全に平穏になったのを確認して、草堂に帰ったのであって、帰ってみたら偶然にも平穏になっていたというのではない。杜甫は成都が不安定だから梓州、閬州に滞在したのであり、其の地も不安定になりそうであったから、江陵遷都といううわさを信じて安定的な江陵に行こうとしていた。したがって杜甫が「たまたま帰ってみたら」ということはありえないのである。

○無虞 心配ごとがない、平和である、以上は全体についてのべる。


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l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之二

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l   歸雁

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l   寄董卿嘉榮十韻

l   寄司馬山人十二韻

l   黃河,二首之一

l   黃河,二首之二

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l   歸來

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l   過故斛斯校書莊,二首之一【案:自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。】【案:《英華》注:「即斛斯融。」】

l   過故斛斯校書莊,二首之二【案:自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。】【案:《英華》注:「即斛斯融。」】

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l   院中晚晴懷西郭茅舍

l   到村

l   宿府

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l   送舍弟頻赴齊州,三首之一【送舍弟潁赴齊州,三首之一】【送舍弟穎赴齊州,三首之一】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之二【送舍弟潁赴齊州,三首之二】【送舍弟穎赴齊州,三首之二】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之三【送舍弟潁赴齊州,三首之三】【送舍弟穎赴齊州,三首之三】

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l   嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】

l   奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】

l   晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟【案:得溪字。池在張儀子城。】

l   初冬

l   至後

l   村雨

l   軍中醉飲寄沈八劉叟【案:一作暢當詩。】【案:他集互見。】

l   送司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

l   收京【收京闕】【案:草堂逸詩拾遺。】

l   巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

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廣徳2年764-21 《閬水歌》 蜀中転々 杜甫 <661>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3710 杜甫詩1000-661-936/1500755

《閬水歌》巴のこども達は櫂を動かして舟を横にむきに加減にこぎつつ過ぎ行くし、水雞は魚をくわえて、往ったり来たりして飛んでいる。この閬州の城の南面の風景は天下にめったにないものだ、この絶景をみるにつけてどうしてか故郷の景色に重なり、わたしの腸はちぎれるばかりにかなしくなるのである。


2014年2月6日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《潮州刺史謝上表》(13)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <945>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3709韓愈詩-242-(13)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-21 《閬水歌》 蜀中転々 杜甫 <661>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3710 杜甫詩1000-661-936/1500755
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 277 《遊城南十六首:題于賓客莊》 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3711 (02/06)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -6 山花子二首 其一 和學士凝二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-433-12-#6  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3712
 
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廣徳2764-21 《閬水歌》 蜀中転々 杜甫 <661>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3710 杜甫詩1000-661-936/1500755

 

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・閬山歌

・閬水歌

・草堂

・四松

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作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 樂府 (七言歌行)

詩題: 閬水歌 

作地點: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

及地點: 閬水 (山南西道 閬州 閬州)     

 

閬水歌

(閬州の城南にあって嘉陵江のうつくしいさまをながめてよんだ歌。)

嘉陵江色何所似,石黛碧玉相因依。

嘉陵江の水の色は何に似ているか、まるで石黛と碧玉とが一緒になり、くっつきあっているようである。

正憐日破浪花出,更複春從沙際歸。

わたしは今ちょうど浪花のあいだから太陽のあらわれ出たのをおもしろいとおもっているが、そのうえちょうど春の時節に自分は沙はらのあたりからこの地にたちかえったのであるからなおさらおもしろいとおもう。

巴童蕩槳欹側過,水雞銜魚來去飛。

巴のこども達は櫂を動かして舟を横にむきに加減にこぎつつ過ぎ行くし、水雞は魚をくわえて、往ったり来たりして飛んでいる。

閬中勝事可腸斷,閬州城南天下稀。

この閬州の城の南面の風景は天下にめったにないものだ、この絶景をみるにつけてどうしてか故郷の景色に重なり、わたしの腸はちぎれるばかりにかなしくなるのである。

翠冠001 

『閬水歌』 現代語訳と訳註

(本文)閬水歌

嘉陵江色何所似,石黛碧玉相因依。

正憐日破浪花出,更複春從沙際歸。

巴童蕩槳欹側過,水雞銜魚來去飛。

閬中勝事可腸斷,閬州城南天下稀。

 

(下し文)

(閬水の歌)

嘉陵の江色 何の似たる所ぞ、石黛 碧玉 相い因り依る。

正に憐れむ日の浪花を破りて貯づるを、更に復た春沙際より帰る。

巴童薬を蕩かして敵側して過ぎ、水難魚を街みて来去して飛ぶ。

間中の勝事腸断ゆるにたえたり、閲州城南は天下に稀なり。

 

(現代語訳)

(閬州の城南にあって嘉陵江のうつくしいさまをながめてよんだ歌。)

嘉陵江の水の色は何に似ているか、まるで石黛と碧玉とが一緒になり、くっつきあっているようである。

わたしは今ちょうど浪花のあいだから太陽のあらわれ出たのをおもしろいとおもっているが、そのうえちょうど春の時節に自分は沙はらのあたりからこの地にたちかえったのであるからなおさらおもしろいとおもう。

巴のこども達は櫂を動かして舟を横にむきに加減にこぎつつ過ぎ行くし、水雞は魚をくわえて、往ったり来たりして飛んでいる。

この閬州の城の南面の風景は天下にめったにないものだ、この絶景をみるにつけてどうしてかこきょうのけしきにかさなり、わたしの腸はちぎれるばかりにかなしくなるのである。

 

(訳注)

閬水歌

(閬州の城南にあって嘉陵江のうつくしいさまをながめてよんだ歌。)広徳二年の作。

○閬水 閬州の川をいう、すなわち嘉陵江。この川の源は陝西省の鳳県の嘉陵谷からでており、閬中県ではその西、南、東の三方を流れる。

山南西道02 

嘉陵江色何所似,石黛碧玉相因依。

嘉陵江の水の色は何に似ているか、まるで石黛と碧玉とが一緒になり、くっつきあっているようである。

○嘉陵江色 素陵江は題の閬水である。江色とはこの地域で作り出す江の水の色をいう。

○石黛 いしずみ、青黒色で女性の眉をえがくのに用いる、これは水の深い処の色をいう。

○碧玉 みどりのぎょく、これは水の浅い場処の色をいう。

○因依 よりそう、くっつきあう。

 

正憐日破浪花出,更複春從沙際歸。

わたしは今ちょうど浪花のあいだから太陽のあらわれ出たのをおもしろいとおもっているが、そのうえちょうど春の時節に自分は沙はらのあたりからこの地にたちかえったのであるからなおさらおもしろいとおもう。

〇日破浪花 浪花のあいだから太陽のあらわれ出たという意味の破とはその中央からでることをいう。

○春従沙際帰 春節にあたって自己が帰って来たこと、帰るとは梓州よりこの閬州にかえったことをいうのであろう

 

巴童蕩槳欹側過,水雞銜魚來去飛。

巴のこども達は櫂を動かして舟を横にむきに加減にこぎつつ過ぎ行くし、水雞は魚をくわえて、往ったり来たりして飛んでいる。

○巴童 土地のこどもら、間中は巴国の地である。

○蕩槳 かいをうごかす、舟をあやつること。

○根側 かたむき、かたむく、水流の急なため舟体がよこになることをいう。

○水雞 くいな。

○銜 口でくわえること。

 

閬中勝事可腸斷,閬州城南天下稀。

この閬州の城の南面の風景は天下にめったにないものだ、この絶景をみるにつけてどうしてかこきょうのけしきにかさなり、わたしの腸はちぎれるばかりにかなしくなるのである。

○勝事 風景のすぐれていることども。

○可腸断 可はたえたりの意、腸断というのは前詩の「中原未ダ帰ラズ」というのと同意で、佳景をみてかえって故郷をおもい悲しんではらわたをたつこと。

○城南 この語によれば作者は城の南面の江水をながめて此の詩をよんだのである。

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廣徳2764-20 《閬山歌》 蜀中転々 杜甫 <660>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3705 杜甫詩1000-660-935/1500754

 

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 樂府 (七言歌行)

詩題: 閬山歌 

関係地点

閬州 (山南西道 閬州 閬州) 別名:閬、巴城     

靈山 (山南西道 閬州 靈山)     

玉臺山 (山南西道 閬州 閬州) 別名:玉臺     

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳     

 

 

閬山歌

閬州城東靈山白,閬州城北玉台碧。

松浮欲盡不盡雲,江動將崩未崩石。

那知根無鬼神會,已覺氣與嵩華敵。

中原格鬥且未歸,應結茅齋看青壁。

閬州の城の東北には霊山が白くみえ、また城の北には玉台山が碧にみえている。

山の松の期には尽きるかと思えども尽きることない雲が浮かんでおり、山の麓に流れるか陵江の水には今にも崩れるかとおもえどもまだくずれずにいるところの石に水が流れ、揺れ動いているようだ。

このありさまを見ると、この山の根もとには神仙のたぐいが集会しているかもしれないし、集会していないということがどうしてわかるか、こうして観たところで、もはや山の高い雲気が嵩山や華山とひとしいかと思える感じがする。

わたしは中原(洛陽)地方が不安定であるので、いまだに故郷へかえらずにいる、あの山の崖の絶壁のところに茅ぶきの書斎をこしらえるべきと考えている。

 

(閬山の歌)

閬州城東 霊山白く、閬州城北玉台碧なり。

松には浮かぶ 尽きんと欲して 尽きざるの雲、江には動く将に崩れんとして 未だ崩れざるの石。

那ぞ知らん根に鬼神の会する無きを、己に覚ゆ気嵩華と敵するを。

中原 格闘 且つ未だ帰らず、応に茅斎を結びて青壁に著くべし。

 

nat0001 

閬山歌』 現代語訳と訳註

(本文)

閬山歌

閬州城東靈山白,閬州城北玉台碧。

松浮欲盡不盡雲,江動將崩未崩石。

那知根無鬼神會,已覺氣與嵩華敵。

中原格鬥且未歸,應結茅齋看青壁。

 

 

(下し文)

(閬山の歌)

閬州城東 霊山白く、閬州城北玉台碧なり。

松には浮かぶ 尽きんと欲して 尽きざるの雲、江には動く将に崩れんとして 未だ崩れざるの石。

那ぞ知らん根に鬼神の会する無きを、己に覚ゆ気嵩華と敵するを。

中原 格闘 且つ未だ帰らず、応に茅斎を結びて青壁に著くべし。

 

 

(現代語訳)

閬州の城の東北には霊山が白くみえ、また城の北には玉台山が碧にみえている。

山の松の期には尽きるかと思えども尽きることない雲が浮かんでおり、山の麓に流れるか陵江の水には今にも崩れるかとおもえどもまだくずれずにいるところの石に水が流れ、揺れ動いているようだ。

このありさまを見ると、この山の根もとには神仙のたぐいが集会しているかもしれないし、集会していないということがどうしてわかるか、こうして観たところで、もはや山の高い雲気が嵩山や華山とひとしいかと思える感じがする。

わたしは中原(洛陽)地方が不安定であるので、いまだに故郷へかえらずにいる、あの山の崖の絶壁のところに茅ぶきの書斎をこしらえるべきと考えている。

 

 

(訳注)

閬山歌

○閬山 閬州の山。

閬州の山を見て感ずる所をのべた。広徳二年間州にあっての作。

梓州において杜甫は、頻繁に周辺の各地に出かけている。その年の秋には綿州に行き、冬には射洪県、通川県に行き、翌年の春には涪城県に出向き、梓州に帰ってくると、すぐまた塩亭県に行く。その次には漢州に出かけて夏まで逗留。秋になると閬州へ行き、冬になって梓州に帰る、という調子である。おそらくこれは、各地の刺史や県令にしたがって、送別、歓迎や游賞の宴に加わって詩を作り、生活の資を得ていたものと思われる。したがってこの時期には送別の作や宴席に陪しての作が多い。

 

閬州城東靈山白,閬州城北玉台碧。

閬州の城の東北には霊山が白くみえ、また城の北には玉台山が碧にみえている。

○閬州 四川省保寧府閬中県、梓潼の南にあたる。

○城東 東とはおおよその方位をいう、実は東北である。

○霊山 現在名雲台山、当時の別名仙穴山といい、閬中県の東北十里にあるという。(e

○玉台 山の名、聞州城北七里にある。

 

松浮欲盡不盡雲,江動將崩未崩石。

山の松の期には尽きるかと思えども尽きることない雲が浮かんでおり、山の麓に流れるか陵江の水には今にも崩れるかとおもえどもまだくずれずにいるところの石に水が流れ、揺れ動いているようだ。

○雲 山上にあるくも。

○江 嘉陵江。

○石 江流に横たわる石。

 

那知根無鬼神會,已覺氣與嵩華敵。

このありさまを見ると、この山の根もとには神仙のたぐいが集会しているかもしれないし、集会していないということがどうしてわかるか、こうして観たところで、もはや山の高い雲気が嵩山や華山とひとしいかと思える感じがする。

○根 山根をいう、深谷の洞窟などをさすのであろう。

○鬼神 神仙をいう。

○会 集合する。

○気 雲気。

○与嵩華敵 嵩華は五岳の中にある中岳嵩山と西岳華山。敵は匹敵、雲気のたちのぼる高さが嵩葦とひとしいことをいう。

 

中原格鬥且未歸,應結茅齋看青壁。

わたしは中原(洛陽)地方が不安定であるので、いまだに故郷へかえらずにいる、あの山の崖の絶壁のところに茅ぶきの書斎をこしらえるべきと考えている。

○中原 洛陽地方。

○格闘 うちあいたたかう、戦争のあることをいう。

○結 構えること。

○茅斉 かやぶきの書斎。

○著 その処にくっつけて置く。

○青壁 あおい山崖の絶壁。

 山南西道02

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杜甫《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 礼部省にはいま私の親友である賈至がいる。彼は金の盤陀を飾った白馬にのっている。彼の素晴らしい雄筆は千古に映ずる文才の持ち主であるが、賢者を見てはよろこんでそれを迎えてくれる、双こころはもつひとではない。だから君は善く彼に師としつかえなさい、季節が寒くなっても緑の色のもとの枝をたもってかわらぬ操を維持することがよいことでそれに応えてくれる人である。


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別唐十五誡因寄禮部賈侍郎  #1

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)#1
 九載一相逢,百年能幾何。

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

複為萬里別,送子山之阿。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

白鶴久同林,潛魚本同河。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

未知棲集期,衰老強高歌。

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

#2

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。

歌がおわれば君と私の二人とも心に悲しみが湧き、六匹の竜に牽かれた夕日も落ちかかろうとする。

相視發皓白,況難駐羲和。』

互に見返せば白髪あたまに夕日が当たって真白なのだ、ましてこの日脚をひきとめておくことができぬ以上はますます悲し身から逃れること至難のことだ。』

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。

異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。

蕭條四海,人少豺虎多。

四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。

#3

少人慎莫投,多虎信所過。

君は人の少ないところへはいりこまぬように用心するしかないのだが、実際には、虎の多いところはとおってみなければわからないというもので用心のしようがないかもしれ無いのだ。

饑有易子食,獸猶畏虞羅。

今、人人は飢えてしまい、安易に子どもを食べるものがあるという。けだものも虞人の網にひっかけられることを畏れている。

子負經濟才,天門鬱嵯峨。

このとき天子の門は幾重にも高くそびえて入る事が難しいものであるが、君ほどの者は経済の才をもってのりきり、天子の門に進んでもらいたい。

飄搖適東周,來往若崩波。』

君がふらふらさまよいつつ東周の地、洛陽へ行きつくならば、そこはまだ安定しておらず、往来する人人が崩れたつ波のごとくみだれていることだろう。』

#4

#4

南宮吾故人,白馬金盤陀。

礼部省にはいま私の親友である賈至がいる。彼は金の盤陀を飾った白馬にのっている。

雄筆映千古,見賢心靡他。

彼の素晴らしい雄筆は千古に映ずる文才の持ち主であるが、賢者を見てはよろこんでそれを迎えてくれる、双こころはもつひとではない。

念子善師事,寒守舊柯。

だから君は善く彼に師としつかえなさい、季節が寒くなっても緑の色のもとの枝をたもってかわらぬ操を維持することがよいことでそれに応えてくれる人である。

為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

最後に私の「言伝」をしてもらいたいのは、わたしはいま肺の病を抱いて蜀の錦江や陀水の流れる処に臥しているとことづててもらいたいのだ。』

 

(唐十五誡【かい】に別る、因って礼部の賈侍郎に寄す。)

九載一たび相見て、百年能く幾何ぞ。

復た万里の別を為し、子を送る山の阿。

白鶴久しく林を同じくし、潜魚本河を同じくす。

未だ知らず棲集【せいしゅう】の期を、衰老強いて高歌す。

 

歌罷みて両ながら棲惻し、六竜忽ち蹉跎たり。

相視るに髪皓白なり、況や義和を駐め難きをや。』

胡星 燕地に墜ちしも、漢将 仍お戈を横とう。

蕭條【しょうじょう】たり四海の内、人少なくして豺虎多し。

 

少人には慎みて投ずること莫れ、多虎は信【まこと】に過ぐる所なり。

飢えては子を易えて食する有り、獣すら猶お虞羅【ぐら】を畏る。

子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。

飄搖【ひょうよう】東周に適【ゆ】き、来往 崩波の若くならん。』

 

南宮の吾が故人【こじん】、白馬 金盤の陀。

雄筆 千古に映じ、賢を見ては心 他靡【たひ】し。

念う子が善く師事して、歳寒まで舊柯【きゅうか】を守らんことを。

我が為に賈公に謝せよ、肺を病みて江花に臥すと。』

 

 

『別唐十五誡因寄禮部賈侍郎』 現代語訳と訳註

(本文) #4

南宮吾故人,白馬金盤陀。雄筆映千古,見賢心靡他。

念子善師事,寒守舊柯。為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

 

(下し文)

南宮の吾が故人【こじん】、白馬 金盤の陀。

雄筆 千古に映じ、賢を見ては心 他靡【たひ】し。

念う子が善く師事して、歳寒まで舊柯【きゅうか】を守らんことを。

我が為に賈公に謝せよ、肺を病みて江花に臥すと。』

 

 

(現代語訳)

礼部省にはいま私の親友である賈至がいる。彼は金の盤陀を飾った白馬にのっている。

彼の素晴らしい雄筆は千古に映ずる文才の持ち主であるが、賢者を見てはよろこんでそれを迎えてくれる、双こころはもつひとではない。

だから君は善く彼に師としつかえなさい、季節が寒くなっても緑の色のもとの枝をたもってかわらぬ操を維持することがよいことでそれに応えてくれる人である。

最後に私の「言伝」をしてもらいたいのは、わたしはいま肺の病を抱いて蜀の錦江や陀水の流れる処に臥しているとことづててもらいたいのだ。』

 

蜀中転々圖 

(訳注)#4

南宮吾故人,白馬金盤陀。

礼部省にはいま私の親友である賈至がいる。彼は金の盤陀を飾った白馬にのっている。

○南宮 漢代にはひろく尚書の府を南宮といったが、後世は礼部省のことを南宮ということになった、賈至は礼部の役人なので南宮という。

○故人 旧識の人、賈至をさす。

○金盤陀 盤陀は破撃仏像などを鉾かして鋳た金属、銅と金との雜りがね。金盤陀は装飾の実質をいう。杜甫『魏將軍歌』「星躔寶校金盤陀,夜騎天駟超天河。」君は雑金でつくった馬具の装飾の星の動きのようにめぐっている馬にのって天上の河を超えられる。

將軍歌  杜甫kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集700- 104

 

雄筆映千古,見賢心靡他。

彼の素晴らしい雄筆は千古に映ずる文才の持ち主であるが、賢者を見てはよろこんでそれを迎えてくれる、双こころはもつひとではない。

見賢 賢は賢人。

○心靡他 邪な二心はない。『詩経、鄘風、柏舟』「死に之るまで矢って他()靡し。」とみえる、ここは信じてくれて、よくもてなしてくれることをいう。

汎彼柏舟、在彼中河。 

湛彼兩髦、實維我儀。

之死矢靡慝。 

母也天只、不諒人只。 

汎たる彼の柏舟、彼の中河に在り。

湛たる彼の兩髦、實に維れ我が儀。

死に之【いた】るまで矢【ちか】って慝【とく】靡し。

母や天や、人を諒とせず。

 

念子善師事,寒守舊柯。

だから君は善く彼に師としつかえなさい、季節が寒くなっても緑の色のもとの枝をたもってかわらぬ操を維持することがよいことでそれに応えてくれる人である。

○師事 師としてつかえる。

〇歳寒守旧 節操をかえぬこと、『論語、子罕第九』「子曰、歳寒。然後知松柏之後彫也。」歳寒くして、然る後に松柏の後れて凋むを知る」とみえる、旧はもとのえだ、守とは同じ色を保っておることをいう。

 

為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

最後に私の「言伝」をしてもらいたいのは、わたしはいま肺の病を抱いて蜀の錦江や陀水の流れる処に臥しているとことづててもらいたいのだ。』

○為吾 自分の言伝を賈至にしてもらいたい

○謝 ことわりをいう、あいさつする。

○江陀 江は長江の上流域西都を流れる岷江、錦江をいい、陀は成都の東をながれる陀江、ともに蜀で、長江の上流にある。

成都遂州00

廣徳2年764-9-3 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3695 杜甫詩1000-659-3-933/1500753-3

《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》#3 天子の門は幾重にも高くそびえて入る事が難しいものであるが、君ほどの者は経済の才をもってのりきり、天子の門に進んでもらいたい。君がふらふらさまよいつつ東周の地、洛陽へ行きつくならば、そこはまだ安定しておらず、往来する人人が崩れたつ波のごとくみだれていることだろう。』

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廣徳2764-9-3 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3695 杜甫詩1000-659-3-933/1500753-3

 

 

作時年: 廣德二年 

寫作時間: 764 

寫作年紀: 53 

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎【案:賈至。】 

及地點:  天門 (河南道 兗州 泰山)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     

交遊人物/地點: 賈至 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

唐誡 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎  #1

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)#1
 九載一相逢,百年能幾何。

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

複為萬里別,送子山之阿。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

白鶴久同林,潛魚本同河。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

未知棲集期,衰老強高歌。

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

#2

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。

歌がおわれば君と私の二人とも心に悲しみが湧き、六匹の竜に牽かれた夕日も落ちかかろうとする。

相視發皓白,況難駐羲和。』

互に見返せば白髪あたまに夕日が当たって真白なのだ、ましてこの日脚をひきとめておくことができぬ以上はますます悲し身から逃れること至難のことだ。』

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。

異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。

蕭條四海,人少豺虎多。

四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。

#3

少人慎莫投,多虎信所過。

君は人の少ないところへはいりこまぬように用心するしかないのだが、実際には、虎の多いところはとおってみなければわからないというもので用心のしようがないかもしれ無いのだ。

饑有易子食,獸猶畏虞羅。

今、人人は飢えてしまい、安易に子どもを食べるものがあるという。けだものも虞人の網にひっかけられることを畏れている。

子負經濟才,天門鬱嵯峨。

このとき天子の門は幾重にも高くそびえて入る事が難しいものであるが、君ほどの者は経済の才をもってのりきり、天子の門に進んでもらいたい。

飄搖適東周,來往若崩波。』

君がふらふらさまよいつつ東周の地、洛陽へ行きつくならば、そこはまだ安定しておらず、往来する人人が崩れたつ波のごとくみだれていることだろう。』

#4

南宮吾故人,白馬金盤陀。雄筆映千古,見賢心靡他。

念子善師事,寒守舊柯。為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

 

(唐十五誡【かい】に別る、因って礼部の賈侍郎に寄す。)

九載一たび相見て、百年能く幾何ぞ。

復た万里の別を為し、子を送る山の阿。

白鶴久しく林を同じくし、潜魚本河を同じくす。

未だ知らず棲集【せいしゅう】の期を、衰老強いて高歌す。

 

歌罷みて両ながら棲惻し、六竜忽ち蹉跎たり。

相視るに髪皓白なり、況や義和を駐め難きをや。』

胡星 燕地に墜ちしも、漢将 仍お戈を横とう。

蕭條【しょうじょう】たり四海の内、人少なくして豺虎多し。

 

少人には慎みて投ずること莫れ、多虎は信【まこと】に過ぐる所なり。

飢えては子を易えて食する有り、獣すら猶お虞羅【ぐら】を畏る。

子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。

飄搖【ひょうよう】東周に適【ゆ】き、来往 崩波の若くならん。』

 

南宮の吾が故人【こじん】、白馬 金盤の陀。

雄筆 千古に映じ、賢を見ては心 他靡【たひ】し。

念う子が善く師事して、歳寒まで舊柯【きゅうか】を守らんことを。

我が為に賈公に謝せよ、肺を病みて江花に臥すと。』

 

 

『別唐十五誡因寄禮部賈侍郎』 現代語訳と訳註

(本文)

#3

少人慎莫投,多虎信所過。饑有易子食,獸猶畏虞羅。

子負經濟才,天門鬱嵯峨。飄搖適東周,來往若崩波。』

 

(下し文)

少人には慎みて投ずること莫れ、多虎は信【まこと】に過ぐる所なり。

飢えては子を易えて食する有り、獣すら猶お虞羅【ぐら】を畏る。

子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。

飄搖【ひょうよう】東周に適【ゆ】き、来往 崩波の若くならん。』

 唐長安城図

 

(現代語訳)

君は人の少ないところへはいりこまぬように用心するしかないのだが、実際には、虎の多いところはとおってみなければわからないというもので用心のしようがないかもしれ無いのだ。

今、人人は飢えてしまい、安易に子どもを食べるものがあるという。けだものも虞人の網にひっかけられることを畏れている。

このとき天子の門は幾重にも高くそびえて入る事が難しいものであるが、君ほどの者は経済の才をもってのりきり、天子の門に進んでもらいたい。

君がふらふらさまよいつつ東周の地、洛陽へ行きつくならば、そこはまだ安定しておらず、往来する人人が崩れたつ波のごとくみだれていることだろう。』

 

(訳注)#3

別唐十五誡因寄禮部賈侍郎 2

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)

唐誡が洛陽へゆくのに別れ、ついでに礼部侍郎賈至に寄せるためによんだ詩。広徳二年秋の作。

○唐十五誡 唐誡は姓名、十五は排行、誡の事蹟は評かでない、此の時誠は東京(洛陽)に赴いて試験をうけるもののようである、作者はそのために彼を貫至に紹介したのである。

○礼部費侍郎 礼部侍郎賈至をいう。至は宝応二年に尚書左丞となり、広徳二年に礼部侍郡に転じた。同年九月、至は楊棺とともに両京の選挙を分掌した、両都に挙人を試みることは至より始まる。

作者と賈至との関係は密なるものがあったことは末尾に示す詩篇があるのによって知ることができる。

 

少人慎莫投,多虎信所過。

君は人の少ないところへはいりこまぬように用心するしかないのだが、実際には、虎の多いところはとおってみなければわからないというもので用心のしようがないかもしれ無いのだ。

投 我が身をそちらへ投入すること。

信所過 そこをとおってみてやっとそれがほんとうだとわかるであろうという意味であるが、国を揺るがす大泥棒、謀反物は居なくなったが旅人を襲うもの、泊り客を襲うものが多いことを言い、何処にいるかわからないことを言っている。

 

饑有易子食,獸猶畏虞羅。

今、人人は飢えてしまい、安易に子どもを食べるものがあるという。けだものも虞人の網にひっかけられることを畏れている。

○易子食 子どもをとりかえでその内をたべる、吾が子はさすがに食うに忍びないのである、此の事は古くは「左伝」(宜公十五年)に見える。

○虞羅 虞は山沢をつかさどるもの虞人。羅はあみ。

 

子負經濟才,天門鬱嵯峨。

このとき天子の門は幾重にも高くそびえて入る事が難しいものであるが、君ほどの者は経済の才をもってのりきり、天子の門に進んでもらいたい。

○子 唐誠をさす。

○経済才 「経レ国済レ民」(国ヲ経シ民ヲ済り)の才、政治の才をいう。

○天門 君のおいでになる宮城の門をみたてて天の門という。

○鬱 さかんなさま。

○嵯峨 たかいさま。唐誡は試験を受けるためにゆくので、試験の難関が高く妨げることだろうことをいう。

 

飄搖適東周,來往若崩波。』

君がふらふらさまよいつつ東周の地、洛陽へ行きつくならば、そこはまだ安定しておらず、往来する人人が崩れたつ波のごとくみだれていることだろう。』

○東周 古代周のくにであった、洛陽をいう。

○来往 ゆききの人。

○若崩波 紛乱、戦火の中心であったため、安史の乱が集結したといっても城郭は大半が焼失していたのでこのさまをいう。以上は道路ならびに前程に困難のあることをいう。
 洛陽・鄴州00

廣徳2年764-9-2 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3690 杜甫詩1000-659-2-932/1500753-2

杜甫《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》#2 異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。


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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-9-2 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3690 杜甫詩1000-659-2-932/1500753-2

 

 

作時年: 廣德二年 

寫作時間: 764 

寫作年紀: 53 

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎【案:賈至。】 

及地點:  天門 (河南道 兗州 泰山)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     

交遊人物/地點: 賈至 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

唐誡 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎  #1

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)#1
 九載一相逢,百年能幾何。

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

複為萬里別,送子山之阿。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

白鶴久同林,潛魚本同河。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

未知棲集期,衰老強高歌。

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

#2

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。

歌がおわれば君と私の二人とも心に悲しみが湧き、六匹の竜に牽かれた夕日も落ちかかろうとする。

相視發皓白,況難駐羲和。』

互に見返せば白髪あたまに夕日が当たって真白なのだ、ましてこの日脚をひきとめておくことができぬ以上はますます悲し身から逃れること至難のことだ。』

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。

異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。

蕭條四海,人少豺虎多。

四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。

#3

少人慎莫投,多虎信所過。饑有易子食,獸猶畏虞羅。

子負經濟才,天門鬱嵯峨。飄搖適東周,來往若崩波。』

#4

南宮吾故人,白馬金盤陀。雄筆映千古,見賢心靡他。

念子善師事,寒守舊柯。為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

 

(唐十五誡【かい】に別る、因って礼部の賈侍郎に寄す。)

九載一たび相見て、百年能く幾何ぞ。

復た万里の別を為し、子を送る山の阿。

白鶴久しく林を同じくし、潜魚本河を同じくす。

未だ知らず棲集【せいしゅう】の期を、衰老強いて高歌す。

 

歌罷みて両ながら棲惻し、六竜忽ち蹉跎たり。

相視るに髪皓白なり、況や義和を駐め難きをや。』

胡星 燕地に墜ちしも、漢将 仍お戈を横とう。

蕭條【しょうじょう】たり四海の内、人少なくして豺虎多し。

 

少人には慎みて投ずること莫れ、多虎は信【まこと】に過ぐる所なり。

飢えては子を易えて食する有り、獣すら猶お虞羅【ぐら】を畏る。

子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。

飄搖【ひょうよう】東周に適【ゆ】き、来往 崩波の若くならん。』

 

南宮の吾が故人【こじん】、白馬 金盤の陀。

雄筆 千古に映じ、賢を見ては心 他靡【たひ】し。

念う子が善く師事して、歳寒まで舊柯【きゅうか】を守らんことを。

我が為に賈公に謝せよ、肺を病みて江花に臥すと。』

海棠花05 

 

『別唐十五誡因寄禮部賈侍郎』 現代語訳と訳註

(本文) #2

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。相視發皓白,況難駐羲和。』

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。蕭條四海,人少豺虎多。

 

(下し文)#2

歌罷みて両ながら棲惻し、六竜忽ち蹉跎たり。

相視るに髪皓白なり、況や義和を駐め難きをや。』

胡星 燕地に墜ちしも、漢将 仍お戈を横とう。

蕭條【しょうじょう】たり四海の内、人少なくして豺虎多し。

 

(現代語訳)

歌がおわれば君と私の二人とも心に悲しみが湧き、六匹の竜に牽かれた夕日も落ちかかろうとする。

互に見返せば白髪あたまに夕日が当たって真白なのだ、ましてこの日脚をひきとめておくことができぬ以上はますます悲し身から逃れること至難のことだ。』

異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。

四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。

 

(訳注) #2

別唐十五誡因寄禮部賈侍郎 2

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)

唐誡が洛陽へゆくのに別れ、ついでに礼部侍郎賈至に寄せるためによんだ詩。広徳二年秋の作。

○唐十五誡 唐誡は姓名、十五は排行、誡の事蹟は評かでない、此の時誠は東京(洛陽)に赴いて試験をうけるもののようである、作者はそのために彼を貫至に紹介したのである。

○礼部費侍郎 礼部侍郎賈至をいう。至は宝応二年に尚書左丞となり、広徳二年に礼部侍郡に転じた。同年九月、至は楊棺とともに両京の選挙を分掌した、両都に挙人を試みることは至より始まる。

作者と賈至との関係は密なるものがあったことは末尾に示す詩篇があるのによって知ることができる。

杏の白花012 

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。

歌がおわれば君と私の二人とも心に悲しみが湧き、六匹の竜に牽かれた夕日も落ちかかろうとする。

〇両 二人ともに。

〇六龍 太陽をいう。日輪は六匹の竜がひくと考えられる。

○蹉跎 つまずくさま、ここは夕日の傾くさまをいう。

 

相視發皓白,況難駐羲和。』

互に見返せば白髪あたまに夕日が当たって真白なのだ、ましてこの日脚をひきとめておくことができぬ以上はますます悲し身から逃れること至難のことだ。』

○駐羲和 義和は古伝説の日輪の車を御する御者の名、鮭は馬をとどめること、駐義和は日脚をとどめ時を経過させぬこと、以上は別れを惜しむことをのべる。

 

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。

異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。

○胡星 旗頭ともいう、兵乱の表象とされる、賊徒史朝義をさす、朝義は広徳元年九月幽州の医巫間山の嗣下に溢れ死に、その首は京師に伝えられた。

○燕地 むかしの燕国の地、燕は幽州近接の地である。安禄山の本拠地。

○漢將 唐王朝の武将。

○仍橫戈 戈を横とうとは、戈は刀部分が重いため通常持ち歩く場合、盾にしているが。闘う時には横てに持ち拂うように使う。したがって安史軍の残党を掃討することをいう。

 

蕭條四海,人少豺虎多。

四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。

○人少 安史の乱前の人口が半減、6千万人死亡および逃亡したという。

豺虎 逃亡したものが盗賊になったことをいう。

楊貴妃清華池002 

 

賈至(かし) 718年~772年、安史の乱には、玄宗に従って、蜀に避れる。時に中書舎人であった。閣老とは舎人の牛深きものをいう尊称とし、或は門下省と呼びあう場合の称号とする、賈至をさしていうものである。汝州は河南省南陽府に属する。賈至は河南洛陽の人である。此の詩は中書舎人である貿至が長安から河南の汝州へ刺史として出かけるのを送るために作る。

 

 

送賈閣老出汝州

西掖梧桐樹,空留一院陰。

艱難歸故裡,去住損春心。

宮殿青門隔,雲山紫邏深。

人生五馬貴,莫受二毛侵。

送賈閣老出汝州 杜甫

 

 

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1448 杜甫詩 700- 447

 

早朝大明宮呈両省僚友 賈至 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 233

留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275

 

賈至に『嶽陽樓宴王員外貶長沙』というのがあり、別詩題に『作南州有贈』とある。
極浦三春草,高樓萬里心。楚山晴靄碧,湘水暮流深。
忽與朝中舊,同爲澤畔吟。停杯試北望,還欲淚沾襟。

早朝大明宮呈両省僚友 賈至  

賈至が『早朝大明宮呈両省僚友』で「銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。」中書省にある池をいう。長安大明宮図確認すると門下省側には龍首池があり、龍のように曲がりくねり長い池がある。賈至は故事にならって鳳池としたのだろう。

 

杜甫「奉和賈至舍人早朝大明宮」   

 

 早朝大明宮呈両省僚友 賈至

銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。

 銀燭 朝に熏じて 紫陌 長し、禁城の春色 暁に蒼蒼たり。

千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。

 千条の弱柳は青瑣に垂れ、百囀の流鶯は建章を繞る。

劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。

 剣佩 声を玉墀の歩に随い、衣冠 身には御炉の香を惹けり。

共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。

 共に恩波に沐す 鳳池の上とり、朝朝翰を染めて君王に侍す。

 和賈舎人早朝大明宮之作  王維

絳幘雞人報暁籌、尚衣方進翠雲裘。

 絳幘【こうさく】の鶏人 暁籌【ぎょうちゅう】を報じ、尚衣【しょうい】方【まさ】に進む 翠雲の裘【きゅう】。

九天閶闔開宮殿、万国衣冠拝冕旒。

九天の閶闔(しょうこう) 宮殿を開き、万国の衣冠 冕旒【べんりゅう】を拝す

日色纔臨仙掌動、香煙欲傍袞龍浮。

日色 纔【わず】かに仙掌【せんしょう】に臨んで動き、香煙 傍【そ】わんと欲して袞龍【こんりゅう】浮ぶ。

朝罷須裁五色詔、佩声帰到鳳池頭。

朝【ちょう】罷【や】んで須らく裁すべし 五色の詔、佩声【はいせい】は帰り到る 鳳池の頭【ひとり】。

 奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參

雞鳴紫陌曙光寒,鶯囀皇州春色闌。

 鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。

金闕曉鐘開萬,玉階仙仗擁千官。

 金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。

花迎劍珮星初落,柳拂旌旗露未乾。

 花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。

獨有鳳凰池上客,陽春一曲和皆難。

 独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。

 奉和賈至舍人早朝大明宮  杜甫

 賈至舎人が早【つと】に大明宮に朝するを和し奉る

五夜漏聲催曉箭,九重春色醉仙桃。

五夜の漏声【ろうせい】暁箭【ぎょうせん】を催す、九重の春色仙桃【せんとう】酔う。

旌旗日暖龍蛇動,宮殿風微燕雀高。

旌旗【せいき】日 暖【あたた】かにして竜蛇【りゅうだ】動き、宮殿 風 徴【び】にして燕雀【えんじゃく】高し。

朝罷香煙攜滿袖,詩成珠玉在揮毫。

朝【ちょう】罷【や】みて 香煙【こうえん】携【たずさ】えて 袖に満つ、詩成りて珠玉【しゅぎょく】揮毫【きごう】に在り。

欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。

世々 絲綸【しりん】掌【つかさど】るの美を知らんと欲せば、地上 今に於て鳳毛【ほうもう】有り。

 

廣徳2年764-9-1 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3685 杜甫詩1000-659-1-931/1500753-1 4分割

《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》#1君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。


2014年2月1日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(25) 文選 賦 賦<113―25>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1027 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3683
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《潮州刺史謝上表》(8)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <940>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3684韓愈詩-242-(8)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-9-1 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3685 杜甫詩1000-659-1-931/1500753-1 4分割
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 272 《嘲魯連子》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3686 (02/01)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -1 小重山二首其一 和學士凝二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-428-12-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3687
 
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-9-1 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3685 杜甫詩1000-659-1-931/1500753-1 4分割

 

 

年: 廣德二年 

寫作時間: 764 

寫作年紀: 53 

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎【案:賈至。】 

及地點:  天門 (河南道 兗州 泰山)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     

交遊人物/地點: 賈至 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

唐誡 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)
 

 

 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎  #1

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)#1

九載一相逢,百年能幾何。

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

複為萬里別,送子山之阿。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

白鶴久同林,潛魚本同河。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

未知棲集期,衰老強高歌

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

#2

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。相視發皓白,況難駐羲和。』

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。蕭條四海,人少豺虎多。

#3

少人慎莫投,多虎信所過。饑有易子食,獸猶畏虞羅。

子負經濟才,天門鬱嵯峨。飄搖適東周,來往若崩波。』

#4

南宮吾故人,白馬金盤陀。雄筆映千古,見賢心靡他。

念子善師事,寒守舊柯。為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

 

(唐十五誡【かい】に別る、因って礼部の賈侍郎に寄す。)

九載一たび相見て、百年能く幾何ぞ。

復た万里の別を為し、子を送る山の阿。

白鶴久しく林を同じくし、潜魚本河を同じくす。

未だ知らず棲集【せいしゅう】の期を、衰老強いて高歌す。

 

歌罷みて両ながら棲惻し、六竜忽ち蹉跎たり。

相視るに髪皓白なり、況や義和を駐め難きをや。』

胡星 燕地に墜ちしも、漢将 仍お戈を横とう。

蕭條【しょうじょう】たり四海の内、人少なくして豺虎多し。

 

少人には慎みて投ずること莫れ、多虎は信【まこと】に過ぐる所なり。

飢えては子を易えて食する有り、獣すら猶お虞羅【ぐら】を畏る。

子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。

飄搖【ひょうよう】東周に適【ゆ】き、来往 崩波の若くならん。』

 

南宮の吾が故人【こじん】、白馬 金盤の陀。

雄筆 千古に映じ、賢を見ては心 他靡【たひ】し。

念う子が善く師事して、歳寒まで舊柯【きゅうか】を守らんことを。

我が為に賈公に謝せよ、肺を病みて江花に臥すと。』

 

denen05520 

『別唐十五誡因寄禮部賈侍郎』 現代語訳と訳註

(本文)#1

九載一相逢,百年能幾何。複為萬里別,送子山之阿。

白鶴久同林,潛魚本同河。未知棲集期,衰老強高歌。

 

(下し文)

(唐十五誡【かい】に別る、因って礼部の賈侍郎に寄す。)

九載一たび相見て、百年能く幾何ぞ。

復た万里の別を為し、子を送る山の阿。

白鶴久しく林を同じくし、潜魚本河を同じくす。

未だ知らず棲集【せいしゅう】の期を、衰老強いて高歌す。

 

(現代語訳)

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)#1

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

成都遂州002 

(訳注)

別唐十五誡因寄禮部賈侍郎 #1

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)

唐誡が洛陽へゆくのに別れ、ついでに礼部侍郎賈至に寄せるためによんだ詩。広徳二年秋の作。

○唐十五誡 唐誡は姓名、十五は排行、誡の事蹟は評かでない、此の時誠は東京(洛陽)に赴いて試験をうけるもののようである、作者はそのために彼を貫至に紹介したのである。

○礼部費侍郎 礼部侍郎賈至をいう。至は宝応二年に尚書左丞となり、広徳二年に礼部侍郡に転じた。同年九月、至は楊棺とともに両京の選挙を分掌した、両都に挙人を試みることは至より始まる。

作者と賈至との関係は密なるものがあったことは末尾に示す詩篇があるのによって知ることができる。

 

九載一相逢,百年能幾何。

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

○阿 曲隅(くま)をいう。

複為萬里別,送子山之阿。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

 

白鶴久同林,潛魚本同河。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

〇白鶴・潜魚 詩人のグループの喩えとして用いる。この頃の詩人は仲間・グループ・徒党内で集まって詠みあった。

 

未知棲集期,衰老強高歌。

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

○棲集 同じところで棲み同じところに集まる、棲の字は鶴についていい、集の字は魚についていうのである。

楊貴妃清華池002 

 

賈至(かし) 718年~772年、安史の乱には、玄宗に従って、蜀に避れる。時に中書舎人であった。閣老とは舎人の牛深きものをいう尊称とし、或は門下省と呼びあう場合の称号とする、賈至をさしていうものである。汝州は河南省南陽府に属する。賈至は河南洛陽の人である。此の詩は中書舎人である貿至が長安から河南の汝州へ刺史として出かけるのを送るために作る。

 

 

送賈閣老出汝州

西掖梧桐樹,空留一院陰。

艱難歸故裡,去住損春心。

宮殿青門隔,雲山紫邏深。

人生五馬貴,莫受二毛侵。

送賈閣老出汝州 杜甫

 

 

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1448 杜甫詩 700- 447

 

早朝大明宮呈両省僚友 賈至 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 233

留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275

 

賈至に『嶽陽樓宴王員外貶長沙』というのがあり、別詩題に『作南州有贈』とある。
極浦三春草,高樓萬里心。楚山晴靄碧,湘水暮流深。
忽與朝中舊,同爲澤畔吟。停杯試北望,還欲淚沾襟。

早朝大明宮呈両省僚友 賈至  

賈至が『早朝大明宮呈両省僚友』で「銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。」中書省にある池をいう。長安大明宮図確認すると門下省側には龍首池があり、龍のように曲がりくねり長い池がある。賈至は故事にならって鳳池としたのだろう。

 

杜甫「奉和賈至舍人早朝大明宮」   

 

 早朝大明宮呈両省僚友 賈至

銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。

 銀燭 朝に熏じて 紫陌 長し、禁城の春色 暁に蒼蒼たり。

千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。

 千条の弱柳は青瑣に垂れ、百囀の流鶯は建章を繞る。

劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。

 剣佩 声を玉墀の歩に随い、衣冠 身には御炉の香を惹けり。

共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。

 共に恩波に沐す 鳳池の上とり、朝朝翰を染めて君王に侍す。

 和賈舎人早朝大明宮之作  王維

絳幘雞人報暁籌、尚衣方進翠雲裘。

 絳幘【こうさく】の鶏人 暁籌【ぎょうちゅう】を報じ、尚衣【しょうい】方【まさ】に進む 翠雲の裘【きゅう】。

九天閶闔開宮殿、万国衣冠拝冕旒。

九天の閶闔(しょうこう) 宮殿を開き、万国の衣冠 冕旒【べんりゅう】を拝す

日色纔臨仙掌動、香煙欲傍袞龍浮。

日色 纔【わず】かに仙掌【せんしょう】に臨んで動き、香煙 傍【そ】わんと欲して袞龍【こんりゅう】浮ぶ。

朝罷須裁五色詔、佩声帰到鳳池頭。

朝【ちょう】罷【や】んで須らく裁すべし 五色の詔、佩声【はいせい】は帰り到る 鳳池の頭【ひとり】。

 奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參

雞鳴紫陌曙光寒,鶯囀皇州春色闌。

 鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。

金闕曉鐘開萬,玉階仙仗擁千官。

 金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。

花迎劍珮星初落,柳拂旌旗露未乾。

 花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。

獨有鳳凰池上客,陽春一曲和皆難。

 独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。

 奉和賈至舍人早朝大明宮  杜甫

 賈至舎人が早【つと】に大明宮に朝するを和し奉る

五夜漏聲催曉箭,九重春色醉仙桃。

五夜の漏声【ろうせい】暁箭【ぎょうせん】を催す、九重の春色仙桃【せんとう】酔う。

旌旗日暖龍蛇動,宮殿風微燕雀高。

旌旗【せいき】日 暖【あたた】かにして竜蛇【りゅうだ】動き、宮殿 風 徴【び】にして燕雀【えんじゃく】高し。

朝罷香煙攜滿袖,詩成珠玉在揮毫。

朝【ちょう】罷【や】みて 香煙【こうえん】携【たずさ】えて 袖に満つ、詩成りて珠玉【しゅぎょく】揮毫【きごう】に在り。

欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。

世々 絲綸【しりん】掌【つかさど】るの美を知らんと欲せば、地上 今に於て鳳毛【ほうもう】有り。

廣徳2年764-8-2 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3680 杜甫詩1000-658-2-930/1500752-2

《贈別賀蘭銛》国の進んでいく路も国の始めのころは正しい施政に立ち返る。それが今、天地には未だに戦火の風塵が舞っているのだ。ここの悲しい歌ばかりではこのように白髪頭になってしまう。だから今度の旅立ちでは湘水地方や呉の国(湘水・)に行けば春を迎えることになる赴任になる。


2014年1月31日 の紀頌之5つのブログ
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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廣徳2764-8-2 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3680 杜甫詩1000-658-2-930/1500752-2

 

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 贈別賀蘭銛 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  湖州 (江南東道 湖州 湖州) 別名:興、   ・岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山     

交遊人物/地點: 賀蘭銛 當地交遊(山南西道 閬州 閬州)

 

 

贈別賀蘭銛 #1

(賀蘭銛君にこの詩を贈って別れる。)

黃雀飽野粟,群飛動荊榛。 

食べ飽きることがないという「黃雀」でさえ、野になっている粟に飽きてしまったら、群れをなして飛んで、イバラとハシバミが茂る雑木林に移動するだろう。

今君抱何恨,寂寞向時人。 

今の君の立場はそのようなもので、何の怨みを抱くことがあろうか。それはたしかに、一般人の中に入っていくのは心寂しく淋しい思うことであろう。

老驥倦驤首,蒼鷹愁易馴。 

年を取った馬は飛び跳ねて走ることを嫌がる。情け容赦のない蒼鷹でさえ愁うことには容易になれるものだ。

高賢世未識,固合嬰飢貧。

高士であり、賢人である儒者がいまだ世に知られていないことではあるが、その清廉潔白な生活で、自分はもとより、かわいいわが乳飲み子でさえ飢えさせているのである。

#2 

國步初返正,乾坤尚風塵。 

国の進んでいく路も国の始めのころは正しい施政に立ち返る。それが今、天地には未だに戦火の風塵が舞っているのだ。

悲歌鬢髮白,遠赴湘春。 

ここの悲しい歌ばかりではこのように白髪頭になってしまう。だから今度の旅立ちでは湘水地方や呉の国(湘水・)に行けば春を迎えることになる赴任になる。

我戀岷下芋,君思千里蓴。 

わたしは岷山を下って草や芋生い茂る平原を恋しいと思うし、君は千里先の蓴羹鱸膾を楽しめると思う。

生離與死別,自古鼻酸辛。 

今の世は、生きていても別れれば死に別れを受けると同じだ、この事は古より別れは辛酸が鼻をついて涙が出るほどのことだといわれているのだ。

 

(賀蘭銛【がらんせん】に贈り別る)

黃雀 野粟に飽き,群飛して 荊榛に動く。 

今君は何の恨を抱きしか,寂寞として 時として人に向う。 

老驥 驤首を倦き,蒼鷹 愁いて馴み易し。 

高賢 世未だ識らざるなり,固より嬰 飢貧せしに合う。

#2 

國の步みは初めて正に返し,乾坤 尚お風塵。 

悲歌 鬢髮白にし,遠赴 湘春。 

我れ戀きは岷下り芋とし,君思う千里の蓴を。 

生離れるは死別を與う,古え自り 鼻 酸辛たり。 

玄武門 

 

『贈別賀蘭銛』 現代語訳と訳註

(本文) #2 

國步初返正,乾坤尚風塵。 

悲歌鬢髮白,遠赴湘春。 

我戀岷下芋,君思千里蓴。 

生離與死別,自古鼻酸辛。 

 

(下し文) #2 

國の步みは初めて正に返し,乾坤 尚お風塵。 

悲歌 鬢髮白にし,遠赴 湘春。 

我れ戀きは岷下り芋とし,君思う千里の蓴を。 

生離れるは死別を與う,古え自り 鼻 酸辛たり。 

 

(現代語訳)

国の進んでいく路も国の始めのころは正しい施政に立ち返る。それが今、天地には未だに戦火の風塵が舞っているのだ。

ここの悲しい歌ばかりではこのように白髪頭になってしまう。だから今度の旅立ちでは湘水地方や呉の国(湘水・)に行けば春を迎えることになる赴任になる。

わたしは岷山を下って草や芋生い茂る平原を恋しいと思うし、君は千里先の蓴羹鱸膾を楽しめると思う。

今の世は、生きていても別れれば死に別れを受けると同じだ、この事は古より別れは辛酸が鼻をついて涙が出るほどのことだといわれているのだ。

 

(訳注) #2

贈別賀蘭銛

(賀蘭銛君にこの詩を贈って別れる。)

○賀蘭銛 事歴は詳かでない。別にこの詩の数か月後に作った「寄賀蘭銛」詩がある。

朝野歡後,乾坤震盪中。相隨萬里日,總作白頭翁。

晚仍分袂,江邊更轉蓬。勿雲俱異域,飲啄幾回同。

一時太平全盛で朝となく野となく歓娯をつくしたあと、にわかに兵乱がおこって天地がうごきだしたまっさいちゅう。そのとき君と自分とは万里の遠くまで相随ってきたが、いまやふたりとも白髪のじいさんとなってしまった。いま歳の晩だというのにもやっぱり袂を分かたねばならぬそのうえ此の蜀の江辺で蓬のごとくころがりあるくのである。ここはおたがい他郷の地だから悲しいなどとはいいたもうな、こうやっていっしょに飲食することのできることは生涯に幾度あるのだとおもわれるか、そこを楽しむべきではないか。

kimo003 

 

國步 返正 ,乾坤 尚風塵

国の進んでいく路も国の始めのころは正しい施政に立ち返る。それが今、天地には未だに戦火の風塵が舞っているのだ。

「國步」国の進んでいく路。正しい施政。

「乾坤」1 (えき)の卦()の乾と坤。2 天と地。天地。「奔騰狂転せる風は…、―を震撼し、樹石を動盪(どうとう)しぬ」〈露伴・運命〉3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

 

悲歌 鬢髮 ,遠赴

ここの悲しい歌ばかりではこのように白髪頭になってしまう。だから今度の旅立ちでは湘水地方や呉の国(湘水・)に行けば春を迎えることになる赴任になる。

「湘」湘水、興。

 

我戀 岷下 ,君思 千里

わたしは岷山を下って草や芋生い茂る平原を恋しいと思うし、君は千里先の蓴羹鱸膾を楽しめると思う。

「岷」山嶺地名、岷山。岷江

「蓴」蓴羹鱸膾【じゅんこうろかい】故郷を懐かしく思い慕う情のこと。「蓴羹」は蓴菜じゅんさいの吸い物。「羹」はあつもの・吸い物。「鱸膾」は鱸すずきのなますの意。

 

生離 與死別 ,自古 酸辛

今の世は、生きていても別れれば死に別れを受けると同じだ、この事は古より別れは辛酸が鼻をついて涙が出るほどのことだといわれているのだ。
帽子03 

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