「月」 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 186
鳳翔にあって月をみてよんだ。蓋し至徳二載七月の作。

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天上秋期近,人間月影清。
天上の星の動きでは、秋のあるべきことが時と共に近づいている、人の間でも秋の変化が感じられ、月のひかりが清らかにみえるようになった。
入河蟾不沒,搗藥兔長生。
天の川の中へと月のひきがえるが入り込むがそのなかにかくれられはしない。 月の世界では兎が不老長寿の媚薬、仙薬を搗いていて、いつまでも生きていている。 
只益丹心苦,能添白發明。
只だこの月の光の冴えはただ自分の心の真っ赤に燃える中心を苦しみをますものであり、このようにあかるければ、ただでさえ見える白髪のあかるさを一層あかるくしてめだてさせてくれるのである。 
干戈知滿地,休照國西營。
盾と矛戈によって兵乱はどこでも繰り広げられている。だからお月さまも国西にあたるこの鳳翔の軍営は遠慮して照らさぬ様にしてもらいたい。(若し明るく照らせば軍兵士もわたしと同じように悲しみを隠すことができないであろうとおもう。

天上秋期近く、人間 月影 清し。
河に入りて 蟾 没せず、薬を搗いて 兔長 生す。
只だ丹心の苦しきを益す、能く白髪の明なるを添う。
干戈 知る 満地、国西の営を照らすことを休めよ。

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「月」 現代語訳と訳註
(本文)

天上秋期近,人間月影清。
入河蟾不沒,搗藥兔長生。
只益丹心苦,能添白發明。
干戈知滿地,休照國西營。

(下し文)
天上秋期近く、人間 月影 清し。
河に入りて 蟾 没せず、薬を搗いて 兔長 生す。
只だ丹心の苦しきを益す、能く白髪の明なるを添う。
干戈 知る 満地、国西の営を照らすことを休めよ。


(現代語訳)
天上の星の動きでは、秋のあるべきことが時と共に近づいている、人の間でも秋の変化が感じられ、月のひかりが清らかにみえるようになった。
天の川の中へと月のひきがえるが入り込むがそのなかにかくれられはしない。 月の世界では兎が不老長寿の媚薬、仙薬を搗いていて、いつまでも生きていている。 
只だこの月の光の冴えはただ自分の心の真っ赤に燃える中心を苦しみをますものであり、このようにあかるければ、ただでさえ見える白髪のあかるさを一層あかるくしてめだてさせてくれるのである。 
盾と矛戈によって兵乱はどこでも繰り広げられている。だからお月さまも国西にあたるこの鳳翔の軍営は遠慮して照らさぬ様にしてもらいたい。(若し明るく照らせば軍兵士もわたしと同じように悲しみを隠すことができないであろうとおもう。 

(訳注)
天上秋期近,人間月影清。

天上の星の動きでは、秋のあるべきことが時と共に近づいている、人の間でも秋の変化が感じられ、月のひかりが清らかにみえるようになった
天上:人間  秋期:月影  近:清。


入河蟾不沒,搗藥兔長生。
天の川の中へと月のひきがえるが入り込むがそのなかにかくれられはしない。 月の世界では兎が不老長寿の媚薬、仙薬を搗いていて、いつまでも生きていている。 
〇入 河はあまのがわ。○涼蟾 秋の月をいう。月のなかには蟾蜍(ひきがえる)がいると考えられたことから、「蟾」は月の別称に用いられる。河内詩二首 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 126『燕臺詩四首 其三』燕臺詩四首 其四 冬#1 李商隠134 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 134-1 柳 李商隠李商隠 7 無題(颯颯東風細雨來)○搗薬 月の中には兎がいて薬をつくと考えられていた。月中には桂の樹があり、また兎がすむと伝説される。兎は、愛の妙薬を臼でついている。月の影の部分。陰暦の十六日の月。新月前後のかすかな光。月の欠けるのは蛙が食べているという伝説もある。


只益丹心苦,能添白發明。
只だこの月の光の冴えはただ自分の心の真っ赤に燃える中心を苦しみをますものであり、このようにあかるければ、ただでさえ見える白髪のあかるさを一層あかるくしてめだてさせてくれるのである。 
丹心苦 中心の苦しみ。 ○白髪明 しらががはっきりみえること。


干戈知滿地,休照國西營。
盾と矛戈によって兵乱はどこでも繰り広げられている。だからお月さまも国西にあたるこの鳳翔の軍営は遠慮して照らさぬ様にしてもらいたい。(若し明るく照らせば軍兵士もわたしと同じように悲しみを隠すことができないであろうとおもう。 
干戈 たで、ほこ、兵乱をいう。○満地 世間いっぱいに。休○休照 若し営を照らすならば軍士はみな月を見て帰家の念を起して悲しむであろう、故に「照らすことをやめよ」という。此の詩は一々たとえとして時事にひきつけてとく解があるが、今は取らぬ。○国西営 国とは国都長安をいい、国西とは鳳翔をさしていう、営は屯兵の合。


杜甫の詩に白髪の語が多く使われ始めた初めのころのものである。これまでは「二毛」という表現であった。
得家書 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 181
751年の作。『樂遊園歌』杜甫において初めて「白髪」を使っているがこの時4~5本の白髪といっているのである。それから756年「二毛」になる。そして757年秋7月にはただ「白発」に変わっている。そしてさらに変化していく。それは、漢を辞して華州、秦州へと紀行を始める前後からの心痛により「白髪」が一気に増加していくのである。


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