杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
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● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

其一

羌村三首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 220

羌村三首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 220

杜甫は鳳翔から鄜州まで約200キロの道を、閏八月の初めから半月ばかりかかって、馬は与えられなかったために、途中で馬を借りるまでは徒歩で、何人かの下僕を供にして麟遊県―邠州-銅川―宜君県-鄜州・羌村という経路で帰ってきた。
杜甫乱前後の図003鳳翔

「遠愧梁江總,還家尚黑頭。」(遠い昔の人と比べると同じ家へ戻るとはいうものの、梁の江総がまだ黒い頭をしながら家へ還ったのに対して、わたしは年老いてしまったとはいえこの白髪頭で帰るというのはちょっと恥いいものである。)これは左拾位という天子の顔を拝顔できる朝廷の役人であること誇らしく思う裏返しの表現である。
鄜州の羌村に到著し家族にやっとあえた。鄜州は洛交県に治し、羌村は現在の延安市のこうがいである。

 「羌村(きょうそん)三首」の連作は、波乱の一年余をへて家族と再会した喜びが率直に詠われている。
至徳二載 757年 46歳

220.羌村三首
其一
崢嶸赤雲西,日腳下平地。柴門鳥雀噪,歸客千裡至。』
妻孥怪我在,驚定還拭淚。世亂遭飄蕩,生還偶然遂。
鄰人滿牆頭,感嘆亦歔欷。夜闌更秉燭,相對如夢寐。』
其二
晚歲迫偷生,還家少歡趣。嬌兒不離膝,畏我複卻去。
憶昔好追涼,故繞池邊樹。蕭蕭北風勁,撫事煎百慮。』
賴知禾黍收,已覺糟床注。如今足斟酌,且用慰遲暮。』
其三
群雞正亂叫,客至雞鬥爭。驅雞上樹木,始聞叩柴荊。
父老四五人,問我久遠行。手中各有攜,傾榼濁複清。
苦辭酒味薄,黍地無人耕。兵革既未息,兒童盡東徵。
請為父老歌,艱難愧深情。歌罷仰天嘆,四座淚縱橫。


羌村三首其一
崢嶸赤雲西、日脚下平地。
真っ赤な夕焼け雲が西の空高くそびえている。太陽の光は雲の間から光線が足長く射してきて、黄土高原の雄大な平地にまで下がってきている。
柴門鳥雀噪、帰客千里至。』
我が家の粗末な柴の戸では帰りを知らせる鳥や雀ともいえる子供らがうるさく騒いでいる、そこへ突然旅姿の私が千里の遠くからかえりついたのである。』
妻孥怪我在、驚定還拭涙。
妻と子らはわたしがここに存在していたことを不思議に思ったようで、はじめはびっくりしていたが、驚いていたのがおちつくとこんどは泣きじゃくり、あふれる涙を拭うのである。
世乱遭飄蕩、生還偶然遂。
世の中は叛乱で乱れきって、あちこちにただよわされる運命にであってしまった、実際にどこで死ぬかわからないほどの出来事があった、生きて帰るなどいうことはほん偶然のことのようなものである。
隣人満牆頭、感歎亦歔欷。
自分のかえったことを知って近所の人たちも土塀の頭越しにいっぱい集まってきて、嘆きながら我々とともにすすりなきをしてくれる。
夜闌更秉燭、相対如夢寐。』

久しぶりのことなので、夜ふけすぎてもまたあらためて蝋燭の芯をつけかえ、家族同士でむきあっていることがまったく夢をみている様なことで、この私の無事の帰還で集まってくれた現実さが夢のようなことである。

羌村 三首  其の一
崢嶸(そうこう)たる赤雲(せきうん)の西、日脚(にっきゃく) 平地に下る。
柴門(さいもん)  鳥雀(ちょうじゃく)噪(さわ)ぎ、帰客(きかく)    千里より至る。
妻孥(さいど)は我(われ)の在るを怪しみ、驚き定まって還(ま)た涙を拭う。
世乱れて飄蕩(ひょうとう)に遭(あ)い、生還  偶然に遂げたり。
隣人  牆頭(しょうとう)に満ち、感歎して亦(ま)た歔欷(きょき)す。
夜(よる)闌(たけなわ)にして更に燭(しょく)を秉(と)り、相対(あいたい)すれば夢寐(むび)の如し。



現代語訳と訳註
(本文)羌村 三首 其一

崢嶸赤雲西,日腳下平地。
柴門鳥雀噪,歸客千裡至。』
妻孥怪我在,驚定還拭淚。
世亂遭飄蕩,生還偶然遂。
鄰人滿牆頭,感嘆亦歔欷。
夜闌更秉燭,相對如夢寐。』

(下し文) 羌村 三首  其の一
崢嶸(そうこう)たる赤雲(せきうん)の西、日脚(にっきゃく) 平地に下る。
柴門(さいもん)  鳥雀(ちょうじゃく)噪(さわ)ぎ、帰客(きかく)    千里より至る。
妻孥(さいど)は我(われ)の在るを怪しみ、驚き定まって還(ま)た涙を拭う。
世乱れて飄蕩(ひょうとう)に遭(あ)い、生還  偶然に遂げたり。
隣人  牆頭(しょうとう)に満ち、感歎して亦(ま)た歔欷(きょき)す。
夜(よる)闌(たけなわ)にして更に燭(しょく)を秉(と)り、相対(あいたい)すれば夢寐(むび)の如し。

(現代語訳)
真っ赤な夕焼け雲が西の空高くそびえている。太陽の光は雲の間から光線が足長く射してきて、黄土高原の雄大な平地にまで下がってきている。
我が家の粗末な柴の戸では帰りを知らせる鳥や雀ともいえる子供らがうるさく騒いでいる、そこへ突然旅姿の私が千里の遠くからかえりついたのである。』
妻と子らはわたしがここに存在していたことを不思議に思ったようで、はじめはびっくりしていたが、驚いていたのがおちつくとこんどは泣きじゃくり、あふれる涙を拭うのである。
世の中は叛乱で乱れきって、あちこちにただよわされる運命にであってしまった、実際にどこで死ぬかわからないほどの出来事があった、生きて帰るなどいうことはほん偶然のことのようなものである。
自分のかえったことを知って近所の人たちも土塀の頭越しにいっぱい集まってきて、嘆きながら我々とともにすすりなきをしてくれる。
久しぶりのことなので、夜ふけすぎてもまたあらためて蝋燭の芯をつけかえ、家族同士でむきあっていることがまったく夢をみている様なことで、この私の無事の帰還で集まってくれた現実さが夢のようなことである。


(訳注)
崢嶸赤雲西、日脚下平地。
真っ赤な夕焼け雲が西の空高くそびえている。太陽の光は雲の間から光線が足長く射してきて、黄土高原の雄大な平地にまで下がってきている。
〇崢たかくそびえるさま。○赤雲西 赤雲は夕焼けの赤いくも。とり西とは「西より」の意、下句の「日脚」と関係する。○日脚 太陽の光線の横あし。雲間を透して斜めに地上に続いた太陽光線をいう。杜甫『茅屋爲秋風所破歌』「雨脚如麻未断絶」とつかう。○平地 黄土高原の雄大な平地において日が落ちるに従って光線は地平線と平行するようになる。平原の雄大さを強調する語の使い方である。


柴門鳥雀噪、帰客千里至
我が家の粗末な柴の戸では帰りを知らせる鳥や雀ともいえる子供らがうるさく騒いでいる、そこへ突然旅姿の私が千里の遠くからかえりついたのである。』
鳥雀噪 鵠(かささぎ)がさわげば旅人がかえってくると故事がある。杜甫の詩では子供らが騒がしくしていることを雀に喩える。故事の意味と実際の騒ぎとをとったものである。○帰客 もどってきた旅人。


妻孥怪我在、驚定還拭涙。
妻と子らはわたしがここに存在していたことを不思議に思ったようで、はじめはびっくりしていたが、驚いていたのがおちつくとこんどは泣きじゃくり、あふれる涙を拭うのである。
妻孥 妻子。○怪我在 在は存在、生存をいう。○驚定定とはおちつくこと。


世乱遭飄蕩、生還偶然遂。
世の中は叛乱で乱れきって、あちこちにただよわされる運命にであってしまった、実際にどこで死ぬかわからないほどの出来事があった、生きて帰るなどいうことはほん偶然のことのようなものである。
飄蕩 あちらこちらとただよわされる、漂泊の生活をいう。○生還 いきてもどる。○偶然遂 ふとなしとげ得た、予定はできなかったことをいう。


隣人満牆頭、感歎亦歔欷。
自分のかえったことを知って近所の人たちも土塀の頭越しにいっぱい集まってきて、嘆きながら我々とともにすすりなきをしてくれる。
隣人 近所の人たち。○牆頭 我が家の土塀の頭越し。○亦 彼等もまた我等とともに。○歔欷 すすりなきする。


夜闌更秉燭、相対如夢寐。
久しぶりのことなので、夜ふけすぎてもまたあらためて蝋燭の芯をつけかえ、家族同士でむきあっていることがまったく夢をみている様なことで、この私の無事の帰還で集まってくれた現実さが夢のようなことである。
夜闌 闌はさかりをすぎるころ。○更秉燭 さらにろうそくをとって火をつけたす。夜を徹しての長話を意味する。○相対 家人とむきあう。○如夢寐 ねて夢をみているようだ、自分で自分の存在が疑われることをいう。ほっぺをつねってみるという意味のこと。
 


解説
 「羌村三首」 其一 は、杜甫自身、黄土高原の雄大な夕景色がまず印象的に描かれている。杜甫が前年この景色を見るのは華族で命からがら逃げのびてきたときである。唐王朝も玄宗皇帝は蜀に逃げ、上皇になり、霊武に行在所を置く、不安定な状況下の中に有った。家族と別れることを前提とした景色と家族と一緒になれるという景色の違いをこの詩の見どころであるといえる。今見る平原は夢のようなものと映っていたのである。杜甫は夕刻に到着した。馬に乗り従者を従えた杜甫が通ると門のあたりで、帰りを知らせる鳥が騒いでくれた。迎えた家族の喜び、近所の人のようすが、時間の経過を追っていきいきと描かれ、杜甫の誠実な性格が表れている。

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黄河二首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 193

黄河二首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 193
756年 至徳元年秋に安史軍(叛乱軍)に捕縛される前後の出来事を後になって作ったものと思う。時期的には、鳳翔に在った時以降だろう。どちらにしても中央で閑職状態の時期である。


黄河二首 其一
黄河北岸海西軍、推鼓鳴鐘天下聞。
陰山山脈と黄河の北側後に唐王朝軍援軍のためウイグル軍が駐屯している、鼓舞するための太鼓や鐘の音が、大空に響き渡る。
鐵馬長鳴不知數、胡人高鼻動成羣。

甲冑で武装した兵馬は長い嘶きが続いているので数がおおくて数えることができないだろう。異民族のウイグル人はひょっとすると唐軍に叛乱の群れになるかもしれない。

黄河の北岸 海西の軍、鼓を推(う)ち鐘を鳴らして天下に聞ゆ。
鐵馬 長鳴して數を知らず、胡人 高鼻にして動((ややも)すれば羣を成す。

黄河二首 杜甫オレンジが安史軍支配地域756年7月から12月期。
安史の乱は官軍と賊軍という範疇では説明できない。反乱軍という表現だけでもいけない。異民族はどちらにも構成軍に入っているし、安禄山の軍も、いろんな構成であった。
この詩、黄河二首の時期の勢力図であり、地図の中央上部の地点で安史軍と王朝ウイグル連合軍が対峙した。この時唐王朝は、霊武から河曲(緑の矢印辺)あたりしか支配地域が限定して、じり貧状態であった。

現代語訳と訳註
(本文) 黄河二首

黄河北岸海西軍、推鼓鳴鐘天下聞。
鐵馬長鳴不知數、胡人高鼻動成羣。


(下し文)
黄河の北岸 海西の軍、鼓を推(う)ち鐘を鳴らして天下に聞ゆ。
鐵馬 長鳴して數を知らず、胡人 高鼻にして動((ややも)すれば羣を成す。


(現代語訳)
陰山山脈と黄河の北側後に唐王朝軍援軍のためウイグル軍が駐屯している、鼓舞するための太鼓や鐘の音が、大空に響き渡る。
甲冑で武装した兵馬は長い嘶きが続いているので数がおおくて数えることができないだろう。異民族のウイグル人はひょっとすると唐軍に叛乱の群れになるかもしれない。

(訳注)
黄河北岸海西軍、推鼓鳴鐘天下聞。
黄河の北岸 海西の軍、鼓を推(う)ち鐘を鳴らして天下に聞ゆ。
陰山山脈と黄河の北側後に唐王朝軍援軍のためウイグル軍が駐屯している、鼓舞するための太鼓や鐘の音が、大空に響き渡る。
黄河北岸 南下してきたウィグル本軍を陰山と黄河の間にある呼延谷のこと。○海西の軍。粛宗が即位し、援軍を求めたウイグルの騎兵隊の軍。


鐵馬長鳴不知數、胡人高鼻動成羣。
鐵馬 長鳴して數を知らず、胡人 高鼻にして動((ややも)すれば羣を成す。
甲冑で武装した兵馬は長い嘶きが続いているので数がおおくて数えることができないだろう。異民族のウイグル人はひょっとすると唐軍に叛乱の群れになるかもしれない。
鐵馬 甲冑で武装した兵馬。○胡人 異民族の中で北方、西方にウイグル人がおり、北には鮮卑系もいた。○高鼻 異民族のウイグルの人。

○唐王朝は滅亡寸前という態勢であったが、霊武は西北辺境の要衝であり、朔方節度使・郭子儀の本拠地であった。ウイグルがこの時安史軍(叛乱軍)に味方するか、中立を取れば、唐は滅亡していたかもしれない。
○杜甫は、ウイグルによって救われていることを不安に思っていた。




安史の乱の年譜(黄河二首の背景)
○ 756年6月,玄 宗 の命令 により、哥舒翰軍は潼関より東に出撃.哥舒翰は敗北して敵の手中に。.

○ 長安では楊国忠の主張により、蜀(四川)への蒙塵を決定.。

○ 756年6月13日 未明、玄宗、皇太子夫妻、楊貴妃 とその一族、楊国忠一家、公主たちが、極秘裏に宮殿を脱出。


○ その後,玄宗は蜀へ蒙塵し、玄宗は皇太子に長安を奪回せよと命ず。皇太子は捲土重来を期して霊武へ向かう。霊武は西北辺境の要衝であり、かつ朔方節度使・郭子儀の本拠地。


○ 756年07月,皇太子は群臣の懇望を受けて、蜀にある玄宗を上皇にまつりあげ、粛宗として霊武で即位.至徳と改元。援軍を得るためには皇太子が皇帝にならなければ要請できない。


○ 756年09月,粛宗はウイグルに援軍を求めるために使者を。漠北のモンゴリアに派遣使者となったのは,王族の一人(敦 煙郡王承粟)とトルコ系武将の僕固懐恩とソグド系 武将の石定番。


★756年8~9月 杜甫蘆子関付近で捕縛される。


○ 756年10月にオルホン河畔のオルドバリクで会見.ウイグルの第2代 可汗・磨延畷(葛 勒可汗)は喜んで、可敦(カトン;可汗の正妻)の妹を妾(めあわ)自分の娘とした上で、これを承粟に嬰す。さらにウイグルの首領を答礼の使者として派遣してきたので、粛宗はこれを彭原に出迎え、ウ イグル王女を砒伽公主 に封じた。


○ 756年7~12月[通鑑 による],安史勢力側の阿史那従礼が突廠・同羅・僕骨軍5000騎を率い,河曲にあった九府・六胡州の勢力数万も合わせて、行在=霊武を襲わんとした。


○ 756年9~12月郭子儀は,磨延啜自身が率いて南下してきたウィグル本軍を陰山と黄河の間にある呼延谷で迎え,これと合流。

・一方これ以前 に葛遷支率いる ウイグル別働 隊2000騎 がまず范陽を攻撃したが,成功せずにそこから太原方面に移動。


・郭子儀軍はこれ らのウイグル本軍並びに別働隊と協力して,阿史那従礼軍を斥け,河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部,す なわちオルドスを中心に,そ の外側の陰山山脈以南を合わせた一帯;現在の内蒙古自治区の一部とちんにし陝西省~寧夏回族自治区の北辺)を平定した。


★ 杜甫 黄河二首

★ 杜甫長安に護送される。

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後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

後出塞五首の背景 概要
755年天宝十四年、杜甫は前年、山東から国子監司業(国立大学教授)として長安に帰ってきた蘇源明や、広文館博士の鄭度と、酒を都合しては文学論をたたかわせている。
安禄山は北方にあって着々と反乱の準備をととのえており、二月には、配下にいる漢人の将軍三十二名をすべて蕃将に代えたいと請い、朝廷の許可を得ている。また七月には、蕃将二十二人に兵六千人を率いさせ、馬三千頭を献上したいと玄宗に願い出た。北方で兵を挙げたときに都で内応させようという計画であったものだが、安禄山を信用しきっていた玄宗も、これだけは許可せずに冬まで延期させた。

杜甫は、このような事態を背景にして、「後出塞」五首を作っている。それは、この年の三月、村人に見送られて薊門(幽州の花陽)に出征した一兵士が、将軍(安禄山)の軍に従って奚・契丹の軍と戦うが、戦いに勝った将軍の位はますます高くなってくこと、その驕りは天子を軽んじることが目立ち始め、ついにこの兵士は脱走して故郷に帰ってくるが、わが里は荒れ果てて人一人いない空村になっていた、という筋である。その中で作者杜甫は、「後出塞」五首其四で
主將位益崇、気騎凌上都。
邊人不敢議、議者死路衢。
主将 位は益ます崇く、気は驕りて上都を凌ぐ。
辺人 敢えて議せず、議する者は路衢に死なん

にあるように、安禄山の目に余る行為は、誰もが知るところであった。しかし、玄宗は安禄山にかぎらず、誰れであってもその権威で、圧倒することはできない位弱体化し、頽廃していたのである。したがって、だれが反乱を企ててもおかしくない状況になっていたのである。朝廷内は楊貴妃一族と高力士を筆頭に宦官が大きな力を持ってきており、皇帝自身は楊貴妃に骨抜きにされていたので、正論が通る時代では全くなくなっていたのである。




後出塞五首 其一
男兒生世間。及壯當封侯。
男児はこの世に生れた以上は、壮年になるころには侯の位に命じられるべきである。
戰伐有功業。焉能守舊丘?
戦で相手を征伐をすれば勲功となる。勲功は侯に封ぜられるのだからどうして故郷の丘を守ってじっとしていいものか。
召募赴薊門,軍動不可留。』
募集に応じて将兵され薊門の方へと赴いた、しかし、軍が動くものであり、一つ所に留まっているわけにはゆかないのだ。』

千金買馬鞍,百金裝刀頭。
思い起こせば、自分も千金を費して馬の鞍など馬具を装備し、百金をだして刀具の装備をしてこれから出掛けたのだ。
閭裡送我行,親戚擁道周。
このとき集村や邑人たちは自分の出征するのを見送ってくれ、親戚の者どもは道の曲ったあたりまで自分を取り囲んでくれた。
斑白居上列,酒酣進庶羞。
その中で斑白の老人が上席にいた、その人から酒宴たけなわになるころ、自分にさまざまのご馳走を進めてくれたのだ。
少年別有贈,含笑看吳鉤。』

青年のわかき人はこの出征に対し贈り物をしてくれた。にっこりとして貰った吳鉤の剣の贈りものをまことに嬉しく思い、見つめるのであった。

 

男児世間に生る 壮なるに及びては当に侯に封ぜらるべし

戦伐すれば功業有り 焉ぞ能く旧丘を守らん

召募せられて前門に赴く 軍動いて留まる可らず』


千金馬鞭(鞍)を装い 百金刀頭を装う

閭裡我が行を送り 親戚道周を擁す

斑白なるは上列に居る 酒酣にして庶羞を進む

少年は別に贈有り 笑を含みて呉を看る』





後出塞五首  訳註と解説


(本文)
男兒生世間。及壯當封侯。
戰伐有功業。焉能守舊丘?
召募赴薊門,軍動不可留。』

千金買馬鞍,百金裝刀頭。
閭裡送我行,親戚擁道周。
斑白居上列,酒酣進庶羞。
少年別有贈,含笑看吳鉤。』

(下し文)
男児世間に生る 壮なるに及びては当に侯に封ぜらるべし。
戦伐すれば功業有り 焉ぞ能く旧丘を守らん。
召募せられて前門に赴く 軍動いて留まる可らず。』

千金馬鞍(鞭)を装い 百金刀頭を装う。
閭裡我が行を送り 親戚道周を擁す。
斑白なるは上列に居る 酒酣にして庶羞を進む。
少年は別に贈有り 笑を含みて呉鉤を看る。』

(現代語訳)
男児はこの世に生れた以上は、壮年になるころには侯の位に命じられるべきである。
戦で相手を征伐をすれば勲功となる。勲功は侯に封ぜられるのだからどうして故郷の丘を守ってじっとしていいものか。
募集に応じて将兵され薊門の方へと赴いた、しかし、軍が動くものであり、一つ所に留まっているわけにはゆかないのだ。

思い起こせば、自分も千金を費して馬の鞍など馬具を装備し、百金をだして刀具の装備をしてこれから出掛けたのだ。
このとき集村や邑人たちは自分の出征するのを見送ってくれ、親戚の者どもは道の曲ったあたりまで自分を取り囲んでくれた。
その中で斑白の老人が上席にいた、その人から酒宴たけなわになるころ、自分にさまざまのご馳走を進めてくれたのだ。
青年のわかき人はこの出征に対し贈り物をしてくれた。にっこりとして貰った吳鉤の剣の贈りものをまことに嬉しく思い、見つめるのであった。


(訳註)
男兒生世間。及壯當封侯。
男児はこの世に生れた以上は、壮年になるころには侯の位に命じられるべきである。
及壮封侯 後漢の班超・梁辣、などが述べている。

戰伐有功業。焉能守舊丘?
戦で相手を征伐をすれば勲功となる。勲功は侯に封ぜられるのだからどうして故郷の丘を守ってじっとしていいものか。
旧丘 故郷のおかをいう。○召募 上から召されつのられる。



召募赴薊門,軍動不可留。』
募集に応じて将兵され薊門の方へと赴いた、しかし、軍が動くものであり、一つ所に留まっているわけにはゆかないのだ。』
薊門 関の名、今河北省順天府薊州にある。安禄山の根拠地の方面である。



千金買馬鞍,百金裝刀頭。
自分も千金を費して馬の鞍など馬具を装備し、百金をだして刀具の装備をしてこれから出掛けるのだ。
 装飾する。○馬鞭 鞭を鞍に作る本があるが、鞍の方がよろしいであろう。○刀頭 刀具、馬の環。



閭裡送我行,親戚擁道周。
このとき集村や邑人たちは自分の出征するのを見送ってくれ、親戚の者どもは道の曲ったあたりまで自分を取り囲んでくれた。
閭裡 閭も裡も二十五家をさす。ここは自分の村をいう。○ だきかかえる、包囲状をなすこと。○道周 周とは道の曲りめをいう。

 
斑白居上列,酒酣進庶羞。
その中で斑白の老人が上席にいた、その人から酒宴たけなわになるころ、自分にさまざまのご馳走を進めてくれたのだ。
斑白 ごましおあたまの老人。○上列 上席。○進庶羞 進とは行者の前へもちだすこと、庶羞はもろもろのすすめもの、御馳走の品々。

少年別有贈,含笑看吳鉤。』
青年のわかき人はこの出征に対し贈り物をしてくれた。にっこりとして貰った吳鉤の剣の贈りものをまことに嬉しく思い、見つめるのであった。』
少年 青年のわかき人。○ 行者に対する贈りもの、即ち次句の吳鉤。○含笑 行者がにっこりする、吳鉤を贈られたのがうれしいのである。○吳鉤 呉の地方でできる攣曲したつるぎ。



韻  侯/丘、留、/頭、周、羞、鉤。



後出塞五首其一
男兒生世間,及壯當封侯。戰伐有功業,焉能守舊丘?
召募赴薊門,軍動不可留。千金買馬鞍,百金裝刀頭。
閭裡送我行,親戚擁道周。斑白居上列,酒酣進庶羞。
少年別有贈,含笑看吳鉤。

男児世間に生る 壮なるに及びては当に侯に封ぜらるべし。
戦伐すれば功業有り 焉ぞ能く旧丘を守らん。
召募せられて前門に赴く 軍動いて留まる可らず。
千金馬鞍(鞭)を装い 百金刀頭を装う。
閭裡我が行を送り 親戚道周を擁す。
斑白なるは上列に居る 酒酣にして庶羞を進む。
少年は別に贈有り 笑を含みて呉鉤を看る。



其二
朝進東門營,暮上河陽橋。落日照大旗,馬鳴風蕭蕭。
平沙列萬幕,部伍各見招。中天懸明月,令嚴夜寂寥。
悲笳數聲動,壯士慘不驕。借問大將誰,恐是霍嫖姚。

其三
古人重守邊,今人重高勛。豈知英雄主,出師亙長雲。
六合已一家,四夷且孤軍。遂使貔虎士,奮身勇所聞。
拔劍擊大荒,日收胡馬群。誓開玄冥北,持以奉吾君。

其四
獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
雲帆轉遼海,粳稻來東吳。越羅與楚練,照耀輿台軀。
主將位益崇,氣驕淩上都。邊人不敢議,議者死路衢。

其五
我本良家子,出師亦多門。將驕益愁思,身貴不足論。
躍馬二十年,恐孤明主恩。坐見幽州騎,長驅河洛昏。
中夜問道歸,故裡但空村。惡名幸脫兔,窮老無兒孫。

秋雨嘆三首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 86

秋雨嘆三首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 86(就職活動中 住まい:杜曲の家)
天宝13載 754年 43歳

754年 夏の間は、何将軍を訪れたり、舟遊びに一緒したり、納涼でにわか雨に逢ったりしたが、晴天が続いた後、秋になると、六十日間も雨が降りつづき、前年の日照りと今年は長雨、水害と交互に関中を襲い食糧不足に陥った。城内では米の値段が高騰した。

秋雨嘆三首  其一
雨中百草秋爛死、階下決明顏色鮮
著葉滿枝翠羽蓋、開花無數黃金錢
涼風蕭蕭吹汝急、恐汝後時難獨立
堂上書生空白頭、臨風三嗅馨香泣


秋雨嘆三首  其二 
闌風伏雨秋紛紛、四海八荒同一雲。
去馬来牛不復弁、濁涇清渭何当分。
禾頭生耳黍穂黒、農夫田父無消息。
城中斗米換衾裯、相許寧論両相直。


秋雨嘆三首  其三
長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?


其一
雨中百草秋爛死,階下決明顏色鮮。
秋になって長雨が続く中、収穫の予定していたものが熟す前に腐ってしまっている、それなのに宮中の中にいる者たちは、色つやがいいのだ。
著葉滿枝翠羽蓋,開花無數黃金錢。
扇や日傘に翡翠の羽をいっぱいつけている、その花を開かせるにはどれだけ多くの黄金がかかったのか
涼風蕭蕭吹汝急,恐汝後時難獨立。
涼しい風がひゅうひゅうと吹いてきて次にもっと急に吹いてくる、後ろに倒されそうで一人立っているのが難しいほどなのだ
堂上書生空白頭,臨風三嗅馨香泣。

座敷の中に上がったままで書文しか能がない自分は空しく白髪頭を抱え込む、こんな風を前にして三回目の徳化を祈って香を焚き泣いてしまう。



秋になって長雨が続く中、収穫の予定していたものが熟す前に腐ってしまっている、それなのに宮中の中にいる者たちは、色つやがいいのだ。
御おぎや日傘に翡翠の羽をいっぱいつけている、その花を開かせるにはどれだけ多くの黄金がかかったのか
涼しい風がひゅうひゅうと吹いてきて次にもっと急に吹いてくる、後ろに倒されそうで一人立っているのが難しいほどなのだ
座敷の中に上がったままで書文しか能がない自分は空しく白髪頭を抱え込む、こんな風を前にして三回目の徳化を祈って香を焚き泣いてしまう。




秋の雨を嘆く三首  其の一

雨中の百草は秋に爛れて死せるに,階下の決明は顏色の鮮けき。
葉を著けては滿枝の翠羽の蓋(かさ),花を開きては無數の黃金の錢。
涼風は蕭蕭として汝を吹くに急に,時に後れし汝の獨り立に難きかと恐る。
堂上の書生は空しく白頭,風の臨(まえ) に三たび馨香を嗅ぎて泣く。




雨中百草秋爛死,階下決明顏色鮮。
秋になって長雨が続く中、収穫の予定していたものが熟す前に腐ってしまっている、それなのに宮中の中にいる者たちは、色つやがいいのだ。
爛死 熟れる前に腐って落ちること。○階下 きざはしのもと。○決明 宮廷の中のもの。



著葉滿枝翠羽蓋,開花無數黃金錢。
御おぎや日傘に翡翠の羽をいっぱいつけている、その花を開かせるにはどれだけ多くの黄金がかかったのか
滿枝 飾り物がいっぱいになる。○翠羽蓋 翡翠の羽で飾った蓋。



涼風蕭蕭吹汝急,恐汝後時難獨立。
涼しい風がひゅうひゅうと吹いてきて次にもっと急に吹いてくる、後ろに倒されそうで一人立っているのが難しいほどなのだ
蕭蕭 風の吹く音。



堂上書生空白頭,臨風三嗅馨香泣。
座敷の中に上がったままで書文しか能がない自分は空しく白髪頭を抱え込む、こんな風を前にして三回目の徳化を祈って香を焚き泣いてしまう。
堂上 堂は家の主要な居室、座敷というところか。○書生 書文しか能がないという意。○馨香 香を焚いて災いのないことを祈ることの意。

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 55

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 55

天宝12載 753年 42歳  五言律詩
紀頌之の漢詩ブログは取り上げたシリーズ、たとえば、この十首すべて取り上げていく。

廣文館博士の鄭虔とともに何将軍の山荘に遊んでの詩。

其一の詩は長安の南郊外、詩中「南塘」街道にそってある何将軍の山荘に赴くところから始まる。




陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一
不識南塘路,今知第五橋。
これまで南塘の路がどこにあるのか知らずにいた、今はそこを経過してさらに第五橋までも知ることになった。
名園依綠水,野竹上青霄。
来てみると何氏の名園が緑水に添って広がっており、野生の竹が空を凌ぐばかり茂っている。
穀口舊相得,濠梁同見招。
漢の谷口の鄭子真といわれる鄭虔先生とわたしはふるくから心を許した仲なので、今回の何氏園へ荘子の濠梁の遊びのように一緒に招かれたのだ。
平生為幽興,未惜馬蹄遙。

平生からひとり幽閑に興じている、そのためなら路程がはるか遠くても愛馬で出かけることを惜しみはしないのだ

これまで南塘の路がどこにあるのか知らずにいた、今はそこを経過してさらに第五橋までも知ることになった。
来てみると何氏の名園が緑水に添って広がっており、野生の竹が空を凌ぐばかり茂っている。
漢の谷口の鄭子真といわれる鄭虔先生とわたしはふるくから心を許した仲なので、今回の何氏園へ荘子の濠梁の遊びのように一緒に招かれたのだ。
平生からひとり幽閑に興じている、そのためなら路程がはるか遠くても愛馬で出かけることを惜しみはしないのだ。


識らず  南塘の路  今は知る 第五橋
名園は緑水に依り  野竹は青霄を上(さ)す
谷口とは旧より相得 濠梁に同じく招かれぬ
平生幽興の為には  未だ馬蹄の遥かなるを惜しまず


○鄭広文 鄭虔。虔は天宝九載広文館の博士となった。作者の親友である。鄭廣文  唐の鄭虔のこと。玄宗その才を愛し、特に「廣文館」を置きて 鄭虔を博士とせしことによる。詩書畫に巧みにして「鄭虔三絶」にて知らる。李白、杜甫らと交際す。何将軍の山荘にともに遊んだ廣文先生こと鄭虔は、杜甫が心を許した友であった。当時の杜甫は、科挙に落ちて前途の望みを絶たれ、就職活動もうまくゆかず、鬱々たる毎日を過ごしていた、鄭虔はそんな杜甫にとって、自分の境遇に似たものを感じさせた。鄭虔は廣文館博士という官職についていたが、単に名誉職的なものだったようだ。○何将軍 何は姓、名は未詳。○山林 園林。林中に山がある故に山林という。杜甫の住居は少陵原に在り、何将軍の山林は少陵原の西南にあった。
 長安と何将軍
長安洛陽鳳翔Map



不識南塘路,今知第五橋。
これまで南塘の路がどこにあるのか知らずにいた、今はそこを経過してさらに第五橋までも知ることになった。
南塘 地名、所在は未詳。ただ韋曲(少陵原の南に流れる欒川の隈曲の名)の附近にあると思われる。塘はため池、堤、土手ということで長安の南の土手の道ということか。〇第五橋 橋名。第五は姓、姓によって橋の名となる。韋曲の西にあったという。塘と橋、共に山林に至る途中経過の処である。地図上第五橋と詩の内容から何将軍の山林を橙色で示した。



名園依綠水,野竹上青霄。
来てみると何氏の名園が緑水に添って広がっており、野生の竹が空を凌ぐばかり茂っている。
名園 有名な園、何氏の園をさす。○ よりそうこと。○野竹 野生の竹。○青零 あおぞら。



穀口舊相得,濠梁同見招。
漢の谷口の鄭子真といわれる鄭虔先生とわたしはふるくから心を許した仲なので、今回の何氏園へ荘子の濠梁の遊びのように一緒に招かれたのだ。
谷口 漢の鄭子真は賢人にして長安の南の子牛谷の口にかくれて鄭、道を楽しみひっそりと暮らし、世間との交際(まじわり)を絶ち 精神を安らかに保とうと考えた。その名は長安にまで著われた。ここは同姓の故事を借りて鄭虔をさす。○ ふるくよりの義。○相得 心を許した仲の意、交際の親しいことをいう。○濠梁 濠は水の名、梁は石橋。「荘子」秋水欝に荘子が恵子と濠梁の上に遊んだ問答がある、この園で遊ぶことを意味する。

平生為幽興,未惜馬蹄遙。
平生からひとり幽閑に興じている、そのためなら路程がはるか遠くても愛馬で出かけることを惜しみはしないのだ。
幽興 幽静の興趣。○未惜 情は愛惜すること、おしむ。○馬蹄進 とおく馬足をはこぶこと。

前出塞九首 其一 杜甫

「前出塞九首 其一」 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 40
751年天宝10載 40歳


〔詩の背景〕
・正月、三大礼行なわれる。
(楊貴妃にのめりこみ宦官に任せる。李林甫の圧政)
・2月安禄山、河東節度使を兼ねる。
・4月鮮千仲通、南詔を討ち、高仙芝、大食を討つ
・8月、安禄山、契丹を討って、ともに大敗。
・均田・租庸調制と府兵制は崩壊(749年廃止)
・杜甫、長安にあり。三大礼賦を献ず。玄宗これを奇とし、命じて制を集賢院預かりになる。待機ということ。秋、瘧(おこり、間欠熱、マラリア)を病む。



〔詩題の説明〕前出塞九首
この詩は天宝の未年哥舒翰が吐蕃に兵を出して戦功を貪るのにつき、従軍者の立場でうたったものである。唐王朝は領土欲が特に強くこの時過去最大の領土を誇った。領土拡大は其の地の富を収奪・略奪することにあった。しかし、各都市の領地の管理負担は律令制度に托されて、人民、民衆の負担は大きかったのである。杜甫はこのことに義憤を抱いていた。



(前)出塞 九首 其一
戚戚去故裡,悠悠赴交河。
これから、がまんをして、もの悲しく思いながら故郷を去るのだ、はるかかなたの交河県の方へと赴くのである。
公家有程期,亡命嬰禍羅。
公家の軍隊には作戦日程があり、何時までに何処へ着くという破れない決まりがあるし、途中で命令違反や、放棄、逃亡すれば刑罰の網は容赦ないのだ。
君已富士境,開邊一何多?
我が君は己に秦、隋よりずっとたくさんの領地を手に入れておられるのに、なんでまだそんなに多く辺地を成敗して開拓しょうとなさるのであろうか。
棄絕父母恩,吞聲行負戈。

天子に与えられたこの命、父母の恩より天子の恩に報いるため、しかたがない、父母の恩愛をふりすてて、泣き声を飲み込んでしながら、ほこを背負いひいて行くのだ。


これから、がまんをして、もの悲しく思いながら故郷を去るのだ、はるかかなたの交河県の方へと赴くのである。
公家の軍隊には作戦日程があり、何時までに何処へ着くという破れない決まりがあるし、途中で命令違反や、放棄、逃亡すれば刑罰の網は容赦ないのだ。
我が君は己に秦、隋よりずっとたくさんの領地を手に入れておられるのに、なんでまだそんなに多く辺地を成敗して開拓しょうとなさるのであろうか。
天子に与えられたこの命、父母の恩より天子の恩に報いるため、しかたがない、父母の恩愛をふりすてて、泣き声を飲み込んでしながら、ほこを背負いひいて行くのだ。


(前)塞より出ず 九首 其の一
戚戚としで故里より去り、悠悠交河に赴く。
公家頼期有り、 亡命すれば禍羅に嬰る。
君己に上境に羅めり、 辺を開くこと一正何ぞ多き。
父母の恩を棄施し、 声を呑みて行くゆく曳を負う。



前出塞:あとに「後出塞」五首があり、「後」ができてからそれと区別するために「前」をつけ加えたもので、始めは単に「出塞」とあった。塞はほとりで、ここでは長城のことをいう、長城をこえて出るのにより出塞という。 



戚戚去故裡,悠悠赴交河。
これから、がまんをして、もの悲しく思いながら故郷を去るのだ、はるかかなたの交河県の方へと赴くのである。
戚戚:がまんをしておしだまっているため、ものしずかになる。うれえるさま。15歳から、40歳まで兵役がある(庸)。 故裡:故郷。○悠悠はるか。 交河:県の名、今の新疆ウィグル地区の土魯番の附近。



公家有程期,亡命嬰禍羅。
公家の軍隊には作戦日程があり、何時までに何処へ着くという破れない決まりがあるし、途中で命令違反や、放棄、逃亡すれば刑罰の網は容赦ないのだ。
公家:官家、おかみ。権力者。 程期:道程期限、何時までにどれほどの路をあるかねばならぬとのきまり。亡命:「命より亡する」義。命は名に同じ、姓名をかいた簿籍をいう。亡とは名籍から脱して逃亡することをいう。税と徴兵負担が大きかったので亡命者が多かった。与えられた耕作地を放棄するものが出始め、府兵制が崩れていく。ただ、徴兵がなくなるわけではない、傭兵に重点を置くだけで、農民への負担は変わりなかったのである。 禍羅:羅はあみのこと、禍のあみとは刑罰にふれることをいう。家族に災いが及ぶので、絶対服従状態である。 



君已富士境,開邊一何多?
我が君は己に秦、隋よりずっとたくさんの領地を手に入れておられるのに、なんでまだそんなに多く辺地を成敗して開拓しょうとなさるのであろうか。
:天子。 土境:領土。 開辺:辺境を成敗して開拓する。 



棄絕父母恩,吞聲行負戈。
天子に与えられたこの命、父母の恩より天子の恩に報いるため、しかたがない、父母の恩愛をふりすてて、泣き声を飲み込んでしながら、ほこを背負いひいて行くのだ。
棄絶:ふりすてる。 吞声:すすりなきする、こえをたでぬ。:兵車をひく。ほこを引く。

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