杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

其二

至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其二kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 281

至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其二kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 281

冬至の日にむねのおもいをやるため門下・中書両省の旧官や両省の院にいる知りあいの人々に寄せた詩。758年 乾元元年11月華州での作。


至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首
其二
冬至の日にむねのおもいをやるため門下・中書両省の旧官や両省の院にいる知りあいの人々に寄せた詩 その二。
憶昨逍遙供奉班,去年今日侍龍顏。
おもいだしてみる、前年自分はゆったりと供奉の列にあって、去年のきょうは竜顔に待機していた。
麒麟不動爐煙上,孔雀徐開扇影還。
そのときは宮中で麟鱗の香炉がじっとすわってそれから香の煙がたちのぼっている、そこで、しずしずと孔雀の団扇が左右にひらかれてそれぞれの位置へとつき天顔があらわれた。
玉几由來天北極,朱衣只在殿中間。
だがことしは朝廷とは隔たっている、天子の御座の脇息はもとより天の北極の位にはかわらないが、百官に著席をうながす朱衣の属官のすがたはただ長安の御殿のまんなかに在るのでここではみられないのである。
孤城此日堪腸斷,愁對寒雲雪滿山。

こういうことでこの華州の孤城では今日は自分の腸が十分ちぎれそうであり、愁えながらに冬空の雲にうちむかえば遠山には雪がいっぱいかぶさってみえる。

(至日興を遣り 北省の旧閣老・両院の故人に寄せ奉る 二首)
憶う昨【さく】逍遙【しょうよう】たり供奉【くぶ】の班、去年今日【こんじつ】竜顔【りょうがん】に侍す。
麒麟【きりん】動かず炉煙【ろえん】上り、孔雀 徐【おもむろ】に開きて扇影【せんえい】還【めぐ】る。
玉几【ぎょくき】は由来【ゆらい】天の北極、朱衣【しゅい】は只在り殿の中間【ちゅうかん】。
孤城 此の日腸【はらわた】断ゆるに堪えたり、愁えて寒雲に対すれば雪山に満つ。



現代語訳と訳註
(本文) 至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首
其二

憶昨逍遙供奉班,去年今日侍龍顏。
麒麟不動爐煙上,孔雀徐開扇影還。
玉几由來天北極,朱衣只在殿中間。
孤城此日堪腸斷,愁對寒雲雪滿山。


(下し文)
(至日興を遣り 北省の旧閣老・両院の故人に寄せ奉る 二首)
憶う昨【さく】逍遙【しょうよう】たり供奉【くぶ】の班、去年今日【こんじつ】竜顔【りょうがん】に侍す。
麒麟【きりん】動かず炉煙【ろえん】上り、孔雀 徐【おもむろ】に開きて扇影【せんえい】還【めぐ】る。
玉几【ぎょくき】は由来【ゆらい】天の北極、朱衣【しゅい】は只在り殿の中間【ちゅうかん】。
孤城 此の日腸【はらわた】断ゆるに堪えたり、愁えて寒雲に対すれば雪山に満つ。


(現代語訳)
冬至の日にむねのおもいをやるため門下・中書両省の旧官や両省の院にいる知りあいの人々に寄せた詩 その二。
おもいだしてみる、前年自分はゆったりと供奉の列にあって、去年のきょうは竜顔に待機していた。
そのときは宮中で麟鱗の香炉がじっとすわってそれから香の煙がたちのぼっている、そこで、しずしずと孔雀の団扇が左右にひらかれてそれぞれの位置へとつき天顔があらわれた。
だがことしは朝廷とは隔たっている、天子の御座の脇息はもとより天の北極の位にはかわらないが、百官に著席をうながす朱衣の属官のすがたはただ長安の御殿のまんなかに在るのでここではみられないのである。
こういうことでこの華州の孤城では今日は自分の腸が十分ちぎれそうであり、愁えながらに冬空の雲にうちむかえば遠山には雪がいっぱいかぶさってみえる。


(訳注)其二
憶昨逍遙供奉班,去年今日侍龍顏。

おもいだしてみる、前年自分はゆったりと供奉の列にあって、去年のきょうは竜顔に待機していた。
 前時をさす、ぼんやりいう。○逍遙 ゆったりぶらつく。○供奉班 近侍の列位。拾遺の官は供奉・諷諌をつかさどる。○去年今日 至徳二載の冬至の日。○竜顔 天子のおかお。


麒麟不動爐煙上,孔雀徐開扇影還。
そのときは宮中で麟鱗の香炉がじっとすわってそれから香の煙がたちのぼっている、そこで、しずしずと孔雀の団扇が左右にひらかれてそれぞれの位置へとつき天顔があらわれた。
麟麟 きりん形、たけ九尺、金めっきの香炉。○不動 すわりのよいさま。○炉煙 香炉のけむり。○孔雀 孔雀の羽をもってつくった団扇をいう、唐の大朝会のおりにはこのうちわ百五十六本を左右に分かち、天子が初めて御座に升りたもうと左右より扇を合わせ、升りおわりたまうとまた扇を左右に開いた。○徐開 左右から合わせた扇をしずかにはなす。○ 左右にうごくさまをいう。


玉几由來天北極,朱衣只在殿中間。
だがことしは朝廷とは隔たっている、天子の御座の脇息はもとより天の北極の位にはかわらないが、百官に著席をうながす朱衣の属官のすがたはただ長安の御殿のまんなかに在るのでここではみられないのである。
○玉几 天子のおよりになる玉の脇息。○天北極 天子の位は天上星宿界においては北極星の座に此する、因ってかくいう。○朱衣 御史大夫の従官のきるきもの、このものは朝会のおり、かけごえして百官を班位に威かしめる。作者の服とみる説があるが今は取らぬ。○只在 只今徒在の意、此の二字は上旬の「由来」とともに想像を加えてのべた語である。○殿中間 ごてんのなかほど。


孤城此日堪腸斷,愁對寒雲雪滿山。
こういうことでこの華州の孤城では今日は自分の腸が十分ちぎれそうであり、愁えながらに冬ぞらの雲にうちむかえば遠山には雪がいっぱいかぶさってみえる。
孤城 孤立した城、華州のしろをさす。○寒雲 冬ぞらの雲。○ 長安の方位にあたってみえる諸山。



至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首

其二

憶昨逍遙供奉班,去年今日侍龍顏。

麒麟不動爐煙上,孔雀徐開扇影還。

玉几由來天北極,朱衣只在殿中間。

   孤城此日堪腸斷,愁對寒雲雪滿山。

(至日興を遣り 北省の旧閣老・両院の故人に寄せ奉る 二首)
憶う昨【さく】逍遙【しょうよう】たり供奉【くぶ】の班、去年今日【こんじつ】竜顔【りょうがん】に侍す。
麒麟【きりん】動かず炉煙【ろえん】上り、孔雀 徐【おもむろ】に開きて扇影【せんえい】還【めぐ】る。
玉几【ぎょくき】は由来【ゆらい】天の北極、朱衣【しゅい】は只在り殿の中間【ちゅうかん】。
孤城 此の日腸【はらわた】断ゆるに堪えたり、愁えて寒雲に対すれば雪山に満つ。


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黄河二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 194


黄河二首 其二
黄河西岸是吾蜀、欲須供給家無粟。
黄河西岸、河曲の内側、オルドス地域をわが党の軍が支配している。このままではいけないのでこの軍に傭兵を増軍したいけれど唐王朝の左右の蔵にはなにもなく俸給できない状態なのだ。
願驅衆庶戴君王、混一車書棄金玉。

願うことは庶民みんなで天子と上皇を押し頂いて隊列を組んで進んでいきたいのだ、車をつかさどる軍人と書の文人も一つにまとまって地位や富貴になることを捨てようではないか。

黄河の西岸是れ吾が蜀、供給を須(もと)めんと欲すれば家に粟無し。
願はくは衆庶を驅り君王を戴いて、車書を混一せしめて金玉を棄てん。


現代語訳と訳註
(本文)
黄河二首 其二
黄河西岸是吾蜀、欲須供給家無粟。
願驅衆庶戴君王、混一車書棄金玉。


(下し文)
黄河の西岸是れ吾が蜀、供給を須(もと)めんと欲すれば家に粟無し。
願はくは衆庶を驅り君王を戴いて、車書を混一せしめて金玉を棄てん。
 
(現代語訳)
黄河西岸、河曲の内側、オルドス地域をわが党の軍が支配している。このままではいけないのでこの軍に傭兵を増軍したいけれど唐王朝の左右の蔵にはなにもなく俸給できない状態なのだ。
願うことは庶民みんなで天子と上皇を押し頂いて隊列を組んで進んでいきたいのだ、車をつかさどる軍人と書の文人も一つにまとまって地位や富貴になることを捨てようではないか。


(訳注)
黄河西岸是吾蜀,欲須供給家無粟。
黄河の西岸是れ吾が蜀、供給を須(もと)めんと欲すれば家に粟無し。)
黄河西岸、河曲の内側、オルドス地域をわが党の軍が支配している。このままではいけないのでこの軍に傭兵を増軍したいけれど唐王朝の左右の蔵にはなにもなく俸給できない状態なのだ。
黄河西岸 河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部のオルドスを中心に,その外側の陰山山脈以南を合わせた一帯、現在の内蒙古自治区の一部と鎮にし、陝西省~寧夏回族自治区の北辺)を平定した地域を示す.。杜甫が拘束中の中ではこのことは認識できないはずなので、黄河二首の作時は鳳翔である。○ 玄宗皇帝が蜀であるため、この表現になる。○供給 傭兵を供給すること。安史軍が圧倒してきて、黄河西岸を平定するだけであったので、兵力を増強する必要があった。○家無粟 長安の唐の両蔵が安史軍に抑えられていることと、ウイグルの援軍を得るため、対価が大きかったので、この表現になる。


願驅眾庶戴君王,混一車書棄金玉。
願はくは衆庶を驅り君王を戴いて、車書を混一せしめて金玉を棄てん。)
願うことは庶民みんなで天子と上皇を押し頂いて隊列を組んで進んでいきたいのだ、車をつかさどる軍人と書の文人も一つにまとまって地位や富貴になることを捨てようではないか。
 整列してすすむ。○衆庶 一般の人々。庶民。○混一 一つにまとめること。まぜて一つにすること。 平民も士太夫も一つになること。○金玉 金玉の富貴なものを棄つ。米粟を貴ぶことを示す。


黄河二首 其一
  黄河北岸海西軍,椎鼓鳴鍾天下聞。
  鐵馬長鳴不知數,胡人高鼻動成群。
其二
  黄河西岸是吾蜀,欲須供給家無粟。
  願驅眾庶戴君王,混一車書棄金玉。


 

○ 756年6月,玄 宗 の命令 により、哥舒翰軍は潼関より東に出撃.哥舒翰は敗北して敵の手中に。.
○ 長安では楊国忠の主張により、蜀(四川)への蒙塵を決定.。
○ 756年6月13日 未明、玄宗、皇太子夫妻、楊貴妃 とその一族、楊国忠一家、公主たちが、極秘裏に宮殿を脱出。
.
○ その後,玄宗は蜀へ蒙塵し、玄宗は皇太子に長安を奪回せよと命ず。皇太子は捲土重来を期して霊武へ向かう。霊武は西北辺境の要衝であり、かつ朔方節度使・郭子儀の本拠地.。

○ 756年07月,皇太子は群臣の懇望を受けて、蜀にある玄宗を上皇にまつりあげ、粛宗として霊武で即位.至徳と改元。援軍を得るためには皇太子が皇帝にならなければ要請できない。

○ 756年09月,粛宗はウイグルに援軍を求めるために使者を。漠北のモンゴリアに派遣使者となったのは,王族の一人(敦 煙郡王承粟)とトルコ系武将の僕固懐恩とソグド系 武将の石定番.


★756年8~9月 杜甫蘆子関付近で捕縛される


○ ・756年10月にオルホン河畔のオルドバリクで会見.ウイグルの第2代 可汗・磨延畷(葛 勒可汗)は喜んで、可敦(カトン;可汗の正妻)の妹を妾(めあわ)自分の娘とした上で、これを承粟に嬰す。さらにウイグルの首領を答礼の使者として派遣してきたので、粛宗はこれを彭原に出迎え、ウ イグル王女を砒伽公主 に封じた.。

○ 756年7~12月[通鑑 による],安史勢力側の阿史那従礼が突廠・同羅・僕骨軍5000騎を率い,河曲にあった九府・六胡州の勢力数万も合わせて、行在=霊武を襲わんとした。

○ 756年9~12月郭子儀は,磨延啜自身が率いて南下してきたウィグル本軍を陰山と黄河の間にある呼延谷で迎え,これと合流、
・一方これ以前 に葛遷支率いる ウイグル別働 隊2000騎 がまず范陽を攻撃したが,成功せずにそこから太原方面に移動
・.郭子儀軍はこれ らのウイグル本軍並びに別働隊と協力して,阿史那従礼軍を斥け,河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部,す なわちオルドスを中心に,そ の外側の陰山山脈以南を合わせた一帯;現在の内蒙古自治区の一部とちんにし陝西省~寧夏回族自治区の北辺)を平定した.。

★ 杜甫 黄河二首
★ 杜甫長安に護送される。


●757年至徳二 年元 旦,安禄山は洛陽で実子の安慶緒,並びに腹心の部下によって暗殺さる.


○757年安禄山の盟友で,洛陽政権樹立の最:大の功労者であった史思明は,いちはやく分離独立の方針を決め,莫大な軍資金を蓄積してある范陽に帰還.


○ 757年同年2月,粛宗は鳳翔に進出.前年末からこれまでに,コータン・安西・北庭・抜汗那・大食からの援軍が集結.同 月,ウイグル首領の大将軍・多攬15人 が入朝.


○同年9月,ウ イグルの磨 延畷可汗は太子 の葉護 を筆頭に,将 軍の帝徳らに4000余 騎(旧 唐書 ・安禄山伝では3000騎)を率いさせて唐に派遣.粛宗は喜び,宴会を催し,元帥の広平王・淑(後の代宗)に命じて葉護 と兄弟の契りを結ばせる.


○蕃漢15万にふくれあがった唐軍は,広平王・淑 を総帥とし,鳳翔を出発.扶風で ウイグル軍を出迎 えた郭子儀は,3日 間の大宴会で接待.以 後,ウイグル軍には食料として毎日,羊200匹,牛20頭,米40石 が支給さる.


○ 757年9月17日,長安攻撃開始.朔方左廟兵馬使・僕固懐恩 とウイグル軍が連携して活躍.安慶緒側の守備軍は約6万の損失を蒙って潰走.唐軍,長安を回復す.


○ 757年10月,反乱軍は唐側の郭子儀軍やウイグル軍により滝関・陳郡を次々に落とされ,安 慶緒は洛陽を脱出して河北の鄭に走る.唐側は遂に洛陽を奪回.


○ 757年11月,長 安で粛宗と葉護が会見.粛宗は葉護を労い,司空の位を与え,忠義王に封じ,錦繍繰や金銀器皿を賜す,さらに毎年,絹2万匹を朔方軍にて支給する事を約す.


● 758年乾元元年5~7月,ウイグルの使者・多亥 阿波一行が長安に来て,公主降嫁 を要請.粛宗は幼少であった実の王女を寧国公主に封じて降嫁させ、同時に磨延畷を英武威遠砒伽可汗に冊立することを決定.寧国公主と冊立使の一行が ウイグルの本営に到着
.
758年08月,磨 延畷は王子の骨畷特勤と宰相・帝徳らに3000騎を率いさせて唐に派遣.粛宗は僕固懐恩にこの援軍との共同作戦の指揮を命ず.


● 759年乾元二年3月,史思明 は安慶緒を殺し,4月,自ら大燕皇帝として即位.


○ 759年4月,ウイグルの磨延畷可汗が急逝.ウイグルは寧国公主を殉死させ(132)ようとしたが,公主は抵抗し,同年8月に唐に帰国.一 方,長男・葉護太子は既に罪を得て殺されていたので,末子の移地健が牟羽可汗として即位(第3代).磨延畷在世中に,移地健のために唐に婚姻 を請うたため,粛宗は僕固懐恩めあわに命じてその娘を嬰せていた.それゆえ,彼女が可敦に昇格.

● 760年上元元年(760)閏3月,史思明は洛陽に入城.再び東西両都に対立する政権.

○  しかし,この後,史思明は長男の史朝義に替わって妾腹の子・史朝清を溺愛し始め,これを後継者にせんとしたため,逆に史朝義の部下が史思明を捕らえて幽閉.以後,史朝義が洛陽を保持.


○ 760年9月,ウイグルよりの使者 として倶録莫賀 達干タルカンらの一行が入朝.

● 761年上元二年2月,史思明殺され,史朝義が即位.

● 762年宝応元年4月,約2年 の蟄居生活の後,玄宗が死去.わずか十余日後に粛宗も崩御.代宗が即位.宝応と改元.

○  762年8月,ウイグルは史朝義から援軍要請を受け,「唐朝では天子の死去が度重なり,国は乱れ,主君がいないので,侵略して府庫を手に入れてはどうか」(両唐書ウイグル伝)と誘われたので,牟羽可汗自らが「国を傾けて」十万とも称される大軍を率いて南進.


○ 762年秋,代宗は,史朝義軍を打倒するため,中使・劉清潭を派遣し,ウイグル軍の出動を要請.劉清潭は既に陰山を越 えていたウイグル軍と遭遇.劉清潭が可汗に,・か つて代宗がウイグルの葉護と協力して安慶緒から両京を奪還した故事,・さらに唐からウイグルに毎年絹数万匹を贈っていることを訴えても,・ウイグル側はこれを無視して太原方面に向かうそこで劉清潭は長安の代宗に密使を送ってウイグル軍の現状を報告.長安中が略奪の危険を恐 れて震撼、たまたま可敦が両親に会いたいと要請してきたので,僕固懐恩が太原方面に赴き,娘婿の牟羽可汗に道理を説く.その結果,ウイグルは再 び唐側に就くこととなる.


○代宗 は雍王适(後 の徳宗)を 兵馬元帥とし,僕固懐恩らに命じて,陝州(太原倉の食料あ り)でウイグル軍に合流させる.牟羽可汗は雍王を引見するに当たって,雍王が拝舞(踏舞)の 礼をしないのを難詰.やりとりがあるが,結局,雍王の側近を不敬罪で棒打ち(翌日死亡).この後,ウ イグルの右 シャドの軍と僕固懐恩軍とが先鋒となって戦い,遂に洛陽を奪還(10月).史朝義は范陽に向かって敗走、雍王は霊宝に帰り,可汗は河陽(河南省孟県,黄河の北岸)に 数 ヶ月間駐屯.僕固懐 の息子・僕固瑒(チョウ) の軍はウイグル軍 と共に史朝義を2000余里も追跡して追いつめる.

●763年宝応二年(763)正月,史朝義 は范陽で自殺.史朝義の首が長安に届き,安史の乱,平ら ぐ.

○ 763年2月,牟 羽可汗は代宗に別れ を告げて帰国.内殿にて繰200段を賜与さる.。

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自京竄至鳳翔達連行在所 三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 171

自京竄至鳳翔達連行在所 三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 171


喜達行在所三首 其二
愁思胡笳夕,淒涼漢苑春。
夕になると叛乱軍が吹きならす胡の曲歌が耳に付くと愁いの思いを抱くことになる。いま、長安の宮苑は春というのにさびしくものがなしいいものでしかない。
生還今日事,間道暫時人。
生きてかえることがてきたというのは今日のことなのだ。、しばしば人に会ってびくびくしながら間道をくぐりぬけたのだ。
司隸章初睹,南陽氣已新。
粛宗皇帝は、むかし後漢の光武帝が興ったときの様に司隷校尉の行う典章(法則)も旧来のとおりなるのを見ることができ、この時分裂していた王朝軍は南陽において連合して新しく天子の気が動いた様に帝運隆興の気がうごきだしてきた。
喜心翻倒極,鳴咽淚沾巾。

だからわたしは嬉しくて喜びの心は顛倒するくらい最高なのだ。そして、嬉し泣きに、咽び泣きせられて涙が手ふきをしっとり濡れているのだ。

行在所に達するを喜ぶ 三首 其の二
愁思(しゅうし)  胡笳(こか)の夕(ゆうべ)、淒涼(せいりょう)たり  漢苑(かんえん)の春。
生還  今日(こんにち)の事、間道  暫時(ざんじ)の人。
司隷(しれい) 章(しょう) 初めて覩(み)る、南陽  気は已(すで)に新たなり。
喜心(きしん) 翻倒(ほんとう)の極、嗚咽(おえつ) 涙 巾(きん)を沾(うるお)す。

行在所に達するを喜ぶ 三首 其の二
夕暮れに胡笛が鳴れば  愁いはつのり
御苑の春は うらさびしいものだった
生きて今日  ここにいるが
昨日までは  隠れて生きる身であった
皇帝の威令は回復し
行在は  清新の気に満ちている
喜びは  極みに達して
とめどなく  涙は巾(きぬ)を濡らすのだ

喜達行在所三首  其二 現代語訳と訳註
(本文) 其二
愁思胡笳夕,淒涼漢苑春。
生還今日事,間道暫時人。
司隸章初睹,南陽氣已新。
喜心翻倒極,鳴咽淚沾巾。


(下し文) 其の二
愁思(しゅうし)  胡笳(こか)の夕(ゆうべ)、淒涼(せいりょう)たり  漢苑(かんえん)の春。
生還  今日(こんにち)の事、間道  暫時(ざんじ)の人。
司隷(しれい) 章(しょう) 初めて覩(み)る、南陽  気は已(すで)に新たなり。
喜心(きしん) 翻倒(ほんとう)の極、嗚咽(おえつ) 涙 巾(きん)を沾(うるお)す。


(現代語訳)
夕になると叛乱軍が吹きならす胡の曲歌が耳に付くと愁いの思いを抱くことになる。いま、長安の宮苑は春というのにさびしくものがなしいいものでしかない。
生きてかえることがてきたというのは今日のことなのだ。、しばしば人に会ってびくびくしながら間道をくぐりぬけたのだ。
粛宗皇帝は、むかし後漢の光武帝が興ったときの様に司隷校尉の行う典章(法則)も旧来のとおりなるのを見ることができ、この時分裂していた王朝軍は南陽において連合して新しく天子の気が動いた様に帝運隆興の気がうごきだしてきた。
だからわたしは嬉しくて喜びの心は顛倒するくらい最高なのだ。そして、嬉し泣きに、咽び泣きせられて涙が手ふきをしっとり濡れているのだ。

(訳注)
愁思胡笳夕,淒涼漢苑春。

夕になると叛乱軍が吹きならす胡の曲歌が耳に付くと愁いの思いを抱くことになる。いま、長安の宮苑は春というのにさびしくものがなしいいものでしかない。
愁思 うれいのものおもい。○胡節 叛乱軍の吹きならすあしぶえ。○凄涼 ものさびしいさま、叛乱軍が侵入したためである。○漢苑 漢代の御苑、唐の長安の宮苑をさすす。


生還今日事,間道暫時人。
生きてかえることがてきたというのは今日のことなのだ。、しばしば人に会ってびくびくしながら間道をくぐりぬけたのだ。
生還 いきながらえてかえる。○間道 ぬけみち。○暫時人 生命を保ち得ることがしばらくに過ぎぬ、いつ殺されるかも知れぬことをいう。ここでは、しばしば人に会ってびくびくしながら間道をくぐりぬけたという意味。


司隸章初睹,南陽氣已新。
粛宗皇帝は、むかし後漢の光武帝が興ったときの様に司隷校尉の行う典章(法則)も旧来のとおりなるのを見ることができ、この時分裂していた王朝軍は南陽において連合して新しく天子の気が動いた様に帝運隆興の気がうごきだしてきた。
司隸章 司隷(司州)とは、洛陽や長安等を含む州のこと。京兆尹(長安)・河南尹(洛陽)・河内郡 ・河東郡 ・弘農郡・馮翊郡・扶風郡の5郡で構成された。ここでは後漢の光武帝の故事。光武が更始の命により司隷校尉の職を行ったときすべて旧来の法則どおりにしたという。博亮の「進宋公為宋王詔」に「東京ノ父老、重ネテ司隷ノ章ヲ親ル。」とある。○章は典章(法則)をいう。○ 睹と【睹】[漢字項目] [音]ト(漢) [訓]みる見る。「逆睹(げきと・ぎゃくと)・目睹」◆ 「覩」は異体字。○南陽気「後漢書」光武紀に、望気者(気を望んで予言を為すもの)の蘇伯阿というものが王芥のために便となって南陽(河南省南陽府、光武帝の生まれた地)に至り、逢かに春陵の郭を望み見て、「気佳ナル哉、鬱鬱慈恵タリ」といったという。佳気とは帝王の興るべきめでたい気。


喜心翻倒極,鳴咽淚沾巾。
だからわたしは嬉しくて喜びの心は顛倒するくらい最高なのだ。そして、嬉し泣きに、咽び泣きせられて涙が手ふきをしっとり濡れているのだ。
○翻倒ひっくりかえる。顛倒の類。○鳴咽むせびなく。

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大雲寺贊公房四首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 166

大雲寺贊公房四首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 166
杜甫は叛乱軍の拘束中に大雲寺の僧贊公の宿坊に泊まった時に書いたものである。


其二
細軟青絲履,光明白氎巾。
この画には、細やかに繊細で優しい青紐の靴を履いていて、明るく輝いている白の木綿の頭巾をしている姿がある。
深藏供老宿,取用及吾身。
深い学識がある、年老いたものが同じ宿坊ですごしている。取り上げるとそれでもって、わが身に及んでくるのだ。
自顧轉無趣,交情何尚新。
おのずから振り返ってみて心を転じてみても趣きがないのだ、心情で親交していくとどうしてなお新しい親交が必要であろう。
道林才不世,惠遠得過人。
道林禅師はその才能は他に世にいない。恵遠法師もこれを超える人などいないのだ。
雨瀉暮簷竹,風吹春井芹。
雨が降り灌ぐ、軒のようにせり出した竹林が暮れてゆく。風が吹き付ける、井戸端の芹も春めいて芽吹いている。
天陰對圖畫,最覺潤龍鱗。

画に向かい立って見てみると大空の中、おひつじ座あたり雲で暗くなっている、そこは画の中で最も龍がウロコを潤おし生き生きさせているようである。

細軟 青絲を履き,光明 白氎の巾。
深藏 供に老いて宿し,取を用って 吾身に及び。
自ら顧みて 轉 趣き無し,交情 何んぞ尚お新し。
道林 才 不世,惠遠 過る人を得る。
雨瀉ぐ 簷竹に暮し,風吹き 春井芹。
天陰 圖畫に對し,最も覺して龍鱗に潤う。


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大雲寺贊公房四首 其二 現代語訳と訳註
(本文) 其二

細軟青絲履,光明白氎巾。
深藏供老宿,取用及吾身。
自顧轉無趣,交情何尚新。
道林才不世,惠遠得過人。
雨瀉暮簷竹,風吹春井芹。
天陰對圖畫,最覺潤龍鱗。


(下し文)
細軟 青絲を履き,光明 白氎の巾。
深藏 供に老いて宿し,取を用って 吾身に及び。
自ら顧みて 轉 趣き無し,交情 何んぞ尚お新し。
道林 才 不世,惠遠 過る人を得る。
雨瀉ぐ 簷竹に暮し,風吹き 春井芹。
天陰 圖畫に對し,最も覺して龍鱗に潤う。

(現代語訳)
この画には、細やかに繊細で優しい青紐の靴を履いていて、明るく輝いている白の木綿の頭巾をしている姿がある。
深い学識がある、年老いたものが同じ宿坊ですごしている。取り上げるとそれでもって、わが身に及んでくるのだ。
おのずから振り返ってみて心を転じてみても趣きがないのだ、心情で親交していくとどうしてなお新しい親交が必要であろう。
道林禅師はその才能は他に世にいない。恵遠法師もこれを超える人などいないのだ。
雨が降り灌ぐ、軒のようにせり出した竹林が暮れてゆく。風が吹き付ける、井戸端の芹も春めいて芽吹いている。
画に向かい立って見てみると大空の中、おひつじ座あたり雲で暗くなっている、そこは画の中で最も龍がウロコを潤おし生き生きさせているようである。


(訳注)
細軟青絲履,光明白氎巾。
この画には、細やかに繊細で優しい青紐の靴を履いていて、明るく輝いている白の木綿の頭巾をしている姿がある。
細軟 こまやかにやわらかい、やさしい。おだやかである。   ○青糸 馬の面づらの縄に用いる青色の絹いと。○青糸 杜甫高都護 杜甫34 馬の面づらの縄に用いる青色の絹いと。李白「李白 89 將進酒(李白と道教)」黒い絹糸。黒髪のこと。緑の黒髪。「青」は黒いことをも指す。“青布”“青鞋”。李白「待酒不至」 青い糸。細い柳の枝。ここでは靴に付けた紐。○白氎 はくじょう:白い毛織の布。・ 細い毛織のぬの、もめんのぬの。

深藏供老宿,取用及吾身。
深い学識がある、年老いたものが同じ宿坊ですごしている。取り上げるとそれでもって、わが身に及んでくるのだ。
深藏  ・深藏若虚 深い学識があるのに人前でひけらかさない. ○ とる。得る。採用する。娶る。治める。 ○ 以てと同じ。この二句は仏教用語。


自顧轉無趣,交情何尚新。
おのずから振り返ってみて心を転じてみても趣きがないのだ、心情で親交していくとどうしてなお新しい親交が必要であろう。
自顧轉無趣 自分の趣味趣向の浅さを謙遜している。○交情 心情で親交していくこと。○何尚新 どうしてなお新しい親交が必要であろう。

道林才不世,惠遠得過人。
道林禅師はその才能は他に世にいない。恵遠法師もこれを超える人などいないのだ。
道林  道林禅師。陸修静。○惠遠 陶淵明と陸修静と恵遠法師、その恵遠法師の数奇な出生と、八歳のときに出家になるため、廬山に赴くはなしを描いた短編に登場する人物たち。〈虎渓三笑図〉 。

雨瀉暮簷竹,風吹春井芹。
雨が降り灌ぐ、軒のようにせり出した竹林が暮れてゆく。風が吹き付ける、井戸端の芹も春めいて芽吹いている。
雨瀉 雨が降るそそぐこと。 ○暮 夕暮れになる。○簷竹 竹林の葉の重みでの木がせり出したような景色を言う。 ○ 春めき芽吹く。○ 井戸端。○ 植物のせり。


天陰對圖畫,最覺潤龍鱗。
画に向かい立って見てみると大空の中、おひつじ座あたり雲で暗くなっている、そこは画の中で最も龍がウロコを潤おし生き生きさせているようである。
天陰 大空のなか雲で暗くなっているところ。おひつじ座の位置をいう。 杜甫『兵車行  杜甫37 』「新鬼煩冤舊鬼哭,天陰雨濕聲啾啾。」新たな戦役で亡くなった霊は、わずらいもだえており、昔の戦役で亡くなった霊は、声をあげて啼いており、空が曇り、雨で湿る折には、死者の魂が悲しげに啾々と泣いている声が聞こえてくる。
龍鱗 りゅうのウロコ。龍鱗の絵は龍が空を飛んでいるものをいう。


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得舎弟消息 二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 161 

得舎弟消息 二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 161 
 遠方にいる弟との再会が困難なさまを、 「客人の到来を告げるとされる烏鵲 (カササギ)」 と 「兄弟の情愛の象徴とされる鶺鴒 (セキレイ)」 とを対にして詠う。

其一得舎弟消息二首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 160 




得舎弟消息 二首 其二
汝懦歸無計,吾衰往未期。
叛乱軍の中にいるということは弱いものだ、帰ろうと思って無理な計画などするものではないよ。わたしは叛乱軍の中にいて、随分おとろえてしまった、洛陽に行くことなど約束もできないのだ。
浪傳鳥鵲喜,深負鶺鴒詩。
弟は会いに来ることもできないのに、 私を喜ばせようと、 カササギが嬉しそうに鳴いて客人の到来を知らせることでしょうと手紙で伝えてきた。 私の方も弟に会いに行くことができず、セキレイの心に深く背いているのだ。
生理何顏面,憂端且歲時。
人としていくのにどんな顔で生きたら良いのだろうか、こんな先行きのわからない憂いの気持ちはもうやめたいけれど何時まで続くのだろうか。
兩京三十口,雖在命如絲。

長安の私の家族、下部と洛陽の家族で三十人にもなる。それぞれ生きるとしてもその命は何時こと切れてもおかしくない糸の様なものなのだ。

舎弟の消息を得たり 其の二

汝 懦(よわ)く 歸えること計るなし,吾 衰えて 往くこと未だ期せず。

(みだり)に伝う 烏鵲(うじゃく)の喜ぶを、深く負(そむ)く鶺鴒(せきれい)の詩に。

生理 何に 顏面す,憂端 且つ 時。

兩京 三十口,在と雖も 命 絲の如し。

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得舎弟消息 二首 現代語訳と訳註
(本文) 其二
汝懦歸無計,吾衰往未期。
浪傳鳥鵲喜,深負鶺鴒詩。
生理何顏面,憂端且歲時。
兩京三十口,雖在命如絲。


(下し文) 舎弟の消息を得たり 其の二
汝 懦(よわ)く 歸えること計るなし,吾 衰えて 往くこと未だ期せず。
浪(みだり)に伝う 烏鵲(うじゃく)の喜ぶを、深く負(そむ)く 鶺鴒(せきれい)の詩に。
生理 何に 顏面す,憂端 且つ 歲時。
兩京 三十口,在と雖も 命 絲の如し。


(現代語訳)
叛乱軍の中にいるということは弱いものだ、帰ろうと思って無理な計画などするものではないよ。わたしは叛乱軍の中にいて、随分おとろえてしまった、洛陽に行くことなど約束もできないのだ。
弟は会いに来ることもできないのに、 私を喜ばせようと、 カササギが嬉しそうに鳴いて客人の到来を知らせることでしょうと手紙で伝えてきた。 私の方も弟に会いに行くことができず、セキレイの心に深く背いているのだ。
人としていくのにどんな顔で生きたら良いのだろうか、こんな先行きのわからない憂いの気持ちはもうやめたいけれど何時まで続くのだろうか。
長安の私の家族、下部と洛陽の家族で三十人にもなる。それぞれ生きるとしてもその命は何時こと切れてもおかしくない糸の様なものなのだ。


(訳注)
汝懦歸無計,吾衰往未期。
叛乱軍の中にいるということは弱いものだ、帰ろうと思って無理な計画などするものではないよ。わたしは叛乱軍の中にいて、随分おとろえてしまった、洛陽に行くことなど約束もできないのだ。
 杜甫の弟、洛陽近郊にいた実弟舎弟の杜観、次子の杜占は、羌村にいた。○ [音]ダ(漢) 気が弱い。意気地がない。「懦弱/怯懦(きょうだ)」○ はかりごと。けいかくする。○ 約束。

浪傳鳥鵲喜,深負鶺鴒詩。
弟は会いに来ることもできないのに、 私を喜ばせようと、 カササギが嬉しそうに鳴いて客人の到来を知らせることでしょうと手紙で伝えてきた。 私の方も弟に会いに行くことができず、セキレイの心に深く背いているのだ。
浪傳 いたずらに~つたえてくる。できもしないことをつたえる。○鳥鵲 うじゃく:かささぎ 「烏鵲の智」 遠い将来のことばかり心配して、近くに迫っている災難に気がつかないこと。かささぎは強風の多い年には風をさけようとして巣を低い枝にかけるが、そのために、雛や卵を人に捕られることまでは、知恵がまわらない。このことを「喜」に置き換えてうたう。李商隠辛未七夕 李商隠にカササギが銀河の橋渡しをしてくれる鳥としている。『詩経』「鵲巢」にはカササギは巣作りに一生懸命、出来上がった巣は立派な頑丈なもの、しかし鳩が子育てに使う。しかしたくさんのお客がついてくる、というもの。○鶺鴒 せきれい:オシエドリ(教鳥)主に水辺に住み、長い尾を上下に振る習性がある。男女の性交についての比喩に使用される。
 
生理何顏面,憂端且歲時。
人としていくのにどんな顔で生きたら良いのだろうか、こんな先行きのわからない憂いの気持ちはもうやめたいけれど何時まで続くのだろうか。
生理 生物が生きていく上での原理。生活。生物の生活する現象。
杜甫『自京赴奉先縣詠懷五百字』「以茲悟生理、独恥事干謁」(茲(ここ)を以て生理(せいり)を悟(さと)り、独り干謁(かんえつ)を事とするを恥ず。) 生活の方法
憂端 憂のはし。杜甫『自京赴奉先縣詠懷五百字』「憂端斉終南、鴻洞不可掇」(憂端(ゆうたん)は終南(しゅうなん)に斉(ひと)しく、鴻洞(こうどう)として掇(ひろ)う可(べ)からず。)

兩京三十口,雖在命如絲。
長安の私の家族、下部と洛陽の家族で三十人にもなる。それぞれ生きるとしてもその命は何時こと切れてもおかしくない糸の様なものなのだ。
兩京 東都、洛陽ここには弟家族がいる。弟には義理の母親を養うということ。西都、長安には杜甫、この時、鄜州羌村に妻を預けていた。数名の下僕が居るので合計で三十口、25名を超えればこのような表現をするので実際の人数は明確ではない。

○この時、安禄山の叛乱軍は、唐王朝を圧倒していたのである。残忍極まりない者たちで、民衆、人民の後押しは全くない。私利私欲の不満分子の集合体であるため、なおかつ、叛乱軍は20万の軍勢、唐王朝はその時分散しているとはいえ60万の軍勢だったのだ。したがって、安禄山が平定されるのは時間の問題で早晩落ち着くものと思っていた。ところが、軍勢としての兵力が劣勢だった唐王朝が、次々大敗をしたのである。
 長安は、乱の前世界最大の国際都市、100万人を超える人口だった。飢饉が3年続いていた。その食料の供給先は江南だった。江南と長安を結ぶ輸送手段は、洛陽を中継基地とする運河のみだったのだ。長安付近では、自給率は50%以下であった。叛乱軍に洛陽を抑えられた唐王朝は、手もなく敗れる大きな問題であった。
 杜甫は、こうした叛乱軍のもとに束縛されているのである。先行きに不安しかなかったのである。


1001 47.得舍弟消息二首
其一
近有平陰信,遙憐舍弟存。
側身千裡道,寄食一家村。
烽舉新酣戰,啼垂舊血痕。
不知臨老日,招得幾時魂。


其二
汝懦歸無計,吾衰往未期。
浪傳鳥鵲喜,深負鶺鴒詩。
生理何顏面,憂端且歲時。
兩京三十口,雖在命如絲。


d416   960 得家書(家書を得たり) 前の「述懐」の詩に見える如く、作者より安否問いあわせの手紙を出したのち、家族の方より返事を得て作った詩である。時に作者は鳳翔に在った。製作時は至徳二載の秋七月。757年 46歳

47.得舍弟消息
風吹紫荊樹,色與春庭暮。
花落辭故枝,風回返無處。
骨肉恩書重,漂泊難相遇。
猶有淚成河,經天複東注。

758年 47歳 五言律詩 d460   106 得舎弟消息(乱後誰帰得)  弟、無事。留守の娘もいなく犬だけが残されていた。


47.得舍弟消息
亂後誰歸得,他鄉勝故鄉。
直為心厄苦,久念與存亡。
汝書猶在壁,汝妾已辭房。
舊犬知愁恨,垂頭傍我床。

乾元2年759年 48歳五言律詩d459  105 憶弟二首   十三歳の杜観をひとり洛陽にやったことを「狂おしくも」と後悔。済州にあった弟を思って作る。杜甫は乾元元年の冬、華州より洛陽に赴いた。


乾元2年 759年 48歳 五言律詩 d462   140 月夜憶舎弟(戍鼓断人行) 仲秋八月、白露節頃、作品。弟たちの安否を気づかう。1036.月夜憶舍弟
戍鼓斷人行,秋邊一雁聲。
露從今夜白,月是故鄉明。
有弟皆分散,無家問死生。
寄書長不達,況乃未休兵。


広徳元年 763年 52歳  176 送舎弟頴赴斉州三首 其一(岷嶺南蛮北)


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後出塞五首 其二 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 96

後出塞五首 其二 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 96

755年の三月、村人に見送られて薊門(幽州の花陽)に出征した一兵士が、将軍(安禄山)の軍に従って奚・契丹の軍と戦うが、戦いに勝った将軍の位はますます高くなってくこと、その驕りは天子を軽んじることが目立ち始め、ついにこの兵士は脱走して故郷に帰ってくるが、わが里は荒れ果てて人一人いない空村になっていた、という筋の其の二である。


後出塞五首 其二
朝進東門營,暮上河陽橋。
朝、洛陽の東門の軍営所から進行した、夕暮には河陽の橋の渡し場のあたりまでやってきた。
落日照大旗,馬鳴風蕭蕭。
沈んでゆく太陽が陣中の大旗を照らした、馬は嘶き風が静かにひゅーっと吹きわたった。
平沙列萬幕,部伍各見招。
河にそった沙の原に、宿舎の用意としてたくさんの幕が列に並んでおり、各隊の分隊はそれぞれ点呼を受けている。
中天懸明月,令嚴夜寂寥。
やがて、大空の中ほどに明月がかかった、いかめしく号令の声響いていて夜はひっそりとしてきた。
悲笳數聲動,壯士慘不驕。
そこに、悲しげな葦笛が三声、四声なりひびくと、血気盛んな青年兵士もものがなしくなり、意気消沈してくるのである。
借問大將誰,恐是霍嫖姚。

かりに尋ねるのだけれど、このような軍隊をひきいる大将は誰であるかと。それは恐らくは漢の霍去病のような人であろう。

朝に東門の営より進み 暮に河陽の橋に上る

落日大旗を照らす 馬鳴いて風粛粛たり

平沙万幕列す 部伍各i招かる

中天明月懸る 令厳にして夜寂蓼たり

悲節数声動く 壮士惨として縞らず

借間す大将は誰ぞ 恐らくは是霍嫖姚ならん



Ta唐 長安近郊圖  新02

後出塞五首  訳註と解説

(本文)其二
朝進東門營,暮上河陽橋。
落日照大旗,馬鳴風蕭蕭。
平沙列萬幕,部伍各見招。
中天懸明月,令嚴夜寂寥。
悲笳數聲動,壯士慘不驕。
借問大將誰,恐是霍嫖姚。

(下し文)
朝に東門の営より進み 暮に河陽の橋に上る
落日大旗を照らす 馬鳴いて風粛粛たり
平沙万幕列す 部伍各i招かる
中天明月懸る 令厳にして夜寂蓼たり
悲節数声動く 壮士惨として縞らず
借間す大将は誰ぞ 恐らくは是甚療桃ならん


(現代語訳)
朝、洛陽の東門の軍営所から進行した、夕暮には河陽の橋の渡し場のあたりまでやってきた。
沈んでゆく太陽が陣中の大旗を照らした、馬は嘶き風が静かにひゅーっと吹きわたった。
河にそった沙の原に、宿舎の用意としてたくさんの幕が列に並んでおり、各隊の分隊はそれぞれ点呼を受けている。
やがて、大空の中ほどに明月がかかった、いかめしく号令の声響いていて夜はひっそりとしてきた。
そこに、悲しげな葦笛が三声、四声なりひびくと、血気盛んな青年兵士もものがなしくなり、意気消沈してくるのである。
かりに尋ねるのだけれど、このような軍隊をひきいる大将は誰であるかと。それは恐らくは漢の霍去病のような人であろう。



朝進東門營,暮上河陽橋。
朝、洛陽の東門の軍営所から進行した、夕暮には河陽の橋の渡し場のあたりまでやってきた。
 前へ進出する。○東門営 東門は洛陽の東門城外の軍営所。○河陽橋 河陽は県の名、古の孟津、洛陽の東北、黄河の近くにあり、そこに舟橋を設けて北へわたす。



落日照大旗,馬鳴風蕭蕭。
沈んでゆく太陽が陣中の大旗を照らした、馬は嘶き風が静かにひゅーっと吹きわたった。
馬鳴風粛粛「詩経」の車攻詩に「粛粛トシテ馬鳴ク」とあるのに本づくという、粛々はしずかなさま。〇万幕多くのまく、兵舎の用に供するもの。


沙列萬幕,部伍各見招。
河にそった沙の原に、宿舎の用意としてたくさんの幕が列に並んでおり、各隊の分隊はそれぞれ点呼を受けている。
部伍 分隊をいう。○見招人員の点呼をうけること。



中天懸明月,令嚴夜寂寥。
やがて、大空の中ほどに明月がかかった、いかめしく号令の声響いていて夜はひっそりとしてきた。
指揮官の号令。○寂蓼 ひっそり。


悲笳數聲動,壯士慘不驕。
そこに、悲しげな葦笛が三声、四声なりひびくと、血気盛んな青年兵士もものがなしくなり、意気消沈してくるのである。
悲節かなしげなあしぶえ。○なりだす。○壮士 血気盛んな青年兵士。○ ものがなし。○不騎 いばっている気色のないこと。意気消沈。


借問大將誰,恐是霍嫖姚。
かりに尋ねるのだけれど、このような軍隊をひきいる大将は誰であるかと。それは恐らくは漢の霍去病のような人であろう。
借間 かりにとう。○霍嫖姚 漢の武帝の時の名将霍去病かくきょへい。彼は嫖姚校尉となった。騎射に優れており、18歳で衛青に従って匈奴征伐に赴いている。その後も何度も匈奴征伐に功績を挙げ、3万の首を上げ、紀元前121年に驃騎将軍に、更に紀元前119年には匈奴の本拠地を撃破し、衛青と並んで大司馬とされた。大功と武帝の寵愛により権勢並ぶ物が無くなった霍去病だが、紀元前117年、わずか24歳で病死した。





後出塞五首其一
男兒生世間,及壯當封侯。戰伐有功業,焉能守舊丘?
召募赴薊門,軍動不可留。千金買馬鞍,百金裝刀頭。
閭裡送我行,親戚擁道周。斑白居上列,酒酣進庶羞。
少年別有贈,含笑看吳鉤。

男児世間に生る 壮なるに及びては当に侯に封ぜらるべし。
戦伐すれば功業有り 焉ぞ能く旧丘を守らん。
召募せられて前門に赴く 軍動いて留まる可らず。
千金馬鞍(鞭)を装い 百金刀頭を装う。
閭裡我が行を送り 親戚道周を擁す。
斑白なるは上列に居る 酒酣にして庶羞を進む。
少年は別に贈有り 笑を含みて呉鉤を看る。

其二
朝進東門營,暮上河陽橋。落日照大旗,馬鳴風蕭蕭。
平沙列萬幕,部伍各見招。中天懸明月,令嚴夜寂寥。
悲笳數聲動,壯士慘不驕。借問大將誰,恐是霍嫖姚。

朝に東門の営より進み 暮に河陽の橋に上る
落日大旗を照らす 馬鳴いて風粛粛たり
平沙万幕列す 部伍各i招かる
中天明月懸る 令厳にして夜寂蓼たり
悲節数声動く 壮士惨として縞らず
借間す大将は誰ぞ 恐らくは是甚療桃ならん

其三
古人重守邊,今人重高勛。豈知英雄主,出師亙長雲。
六合已一家,四夷且孤軍。遂使貔虎士,奮身勇所聞。
拔劍擊大荒,日收胡馬群。誓開玄冥北,持以奉吾君。

其四
獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
雲帆轉遼海,粳稻來東吳。越羅與楚練,照耀輿台軀。
主將位益崇,氣驕淩上都。邊人不敢議,議者死路衢。

其五
我本良家子,出師亦多門。將驕益愁思,身貴不足論。
躍馬二十年,恐孤明主恩。坐見幽州騎,長驅河洛昏。
中夜問道歸,故裡但空村。惡名幸脫兔,窮老無兒孫。


秋雨嘆三首 其二 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 87

秋雨嘆三首  其二  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 87(就職活動中 杜曲の家)
天宝13載 754年 43歳

杜甫は、一族のみんなが食べていくため売文でつないでいた。一石二鳥の手である。
しかし、この詩の時は、最後の頼みとして、哥舒翰に詩を贈り、幕下に出も取り立ててもらうことを考えていた。その返事を首を長くして待っていた。長雨で本当に何もすることがなかったのだろう。
この詩のなかで、「稲の頭には耳が生え、黍の穂先は曲がって 黒く変色し、農夫は街に穀物を持ってこなくなった。
城内では一斗の米が絹の夜具を交換され、換えてもらえばよい方で値段が釣り合うようなものではなくなってきている。」


秋雨嘆三首  其一
雨中百草秋爛死、階下決明顏色鮮
著葉滿枝翠羽蓋、開花無數黃金錢
涼風蕭蕭吹汝急、恐汝後時難獨立
堂上書生空白頭、臨風三嗅馨香泣


秋雨嘆三首  其二 
闌風伏雨秋紛紛、四海八荒同一雲。
去馬来牛不復弁、濁涇清渭何当分。
禾頭生耳黍穂黒、農夫田父無消息。
城中斗米換衾裯、相許寧論両相直。


秋雨嘆三首  其三
長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?



秋雨嘆三首  其二 
闌風伏雨秋紛紛,四海八荒同一雲。
この秋は乱れて吹きつのる風横なぐりの雨でさんざんである、四方八方大荒れで空 一面の厚い雲に覆われているのだ
去馬來牛不複辨,濁涇清渭何當分?
往来かっている牛と馬が  牛なのか馬なのかの見分けもできないほど風雨がすごいのだ。いつも濁龍が流れる涇水といつもは清流がながれる渭水との区別がつかない流れになっている。
禾頭生耳黍穗黑,農夫田父無消息。
稲の頭には耳が生え、黍の穂先は曲がって 黒く変色し、農夫といい、老畑人にしても街に見当たらない、穀物を持ってこなくなったのだ。
城中斗米換衾裯,相許寧論兩相直?

城内では一斗の米が絹の夜具を交換され、換えてもらえばよい方で値段が釣り合うようなものではなくなってきている




秋雨嘆三首  其二 
闌風伏雨秋紛紛、四海八荒同一雲。
去馬来牛不復弁、濁涇清渭何当分。』
禾頭生耳黍穂黒、農夫田父無消息。
城中斗米換衾裯、相許寧論両相直。』


秋雨の嘆き 三首  其の二

闌風 伏雨  秋紛紛たり、四海 八荒  同じく一雲。

去馬 来牛  復た弁ぜず、濁涇(だくけい) 清渭(せいい)  何ぞ分かつ当()けん。

禾頭(かとう)  耳を生じて黍穂(しょすい)黒く、農夫  田父(でんぷ)  消息 無し。

城中  斗米  衾(きんちゅう)に換()う、相許さば寧(なん)ぞ両つながら相直(あいあた)るを論ぜん。




この秋は乱れて吹きつのる風横なぐりの雨でさんざんである、四方八方大荒れで空 一面の厚い雲に覆われているのだ
往来かっている牛と馬が  牛なのか馬なのかの見分けもできないほど風雨がすごいのだ。いつも濁龍が流れる涇水といつもは清流がながれる渭水との区別がつかない流れになっている。
稲の頭には耳が生え、黍の穂先は曲がって 黒く変色し、農夫といい、老畑人にしても街に見当たらない、穀物を持ってこなくなったのだ。
城内では一斗の米が絹の夜具を交換され、換えてもらえばよい方で値段が釣り合うようなものではなくなってきている



秋雨嘆三首  其二 

闌風伏雨秋紛紛、四海八荒同一雲。
この秋は乱れて吹きつのる風横なぐりの雨でさんざんである、四方八方大荒れで空 一面の厚い雲に覆われているのだ
闌風 風がたけなわ。服荒れる。○伏雨 横殴りの雨。○紛紛 散々な目にあう。○四海 四方の行きつく先は海と思われていた。天下。この世。○八荒 八方が大荒れの天気。○同一雲 厚く同一雲でこの世を覆っている。



去馬来牛不復弁、濁涇清渭何当分。
往来かっている牛と馬が  牛なのか馬なのかの見分けもできないほど風雨がすごいのだ。いつも濁龍が流れる涇水といつもは清流がながれる渭水との区別がつかない流れになっている。



禾頭生耳黍穂黒、農夫田父無消息。
稲の頭には耳が生え、黍の穂先は曲がって 黒く変色し、農夫といい、老畑人にしても街に見当たらない、穀物を持ってこなくなったのだ。



城中斗米換衾裯、相許寧論両相直。
城内では一斗の米が絹の夜具を交換され、換えてもらえばよい方で値段が釣り合うようなものではなくなってきている
衾裯 絹の夜具




○韻  紛、雲、分。/黒、息、直

重過何氏五首 其二 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 69

重過何氏五首 其二 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 69
(就職活動中 長安郊外 杜曲の家)


重過何氏五首 其二
山雨樽仍在、沙沈榻未移。
山の雨が降っている前日の酒樽がなおそのままに放置されている、砂の窪みには腰掛けがそのまま移されずにある。
犬迎曾宿客、鴉護落巣児。
犬はかつての泊り客であったわたしを出迎えてくれるし、からすは巣に生み落としたばかりの雛たちをまもり、歓迎してくれる。
雲薄翠徴寺、天清黄子陂。
薄くかかった雲が翠徴寺のあたりにあるが、黄子陂のあたりはあお空がいっぱいに広がっている。

向來幽興極、歩履過東籬。

これまでの静寂な自然に対する興趣がここで極点に達し、草履をつっかけて東の垣根の外に出てしまった。


山の雨が降っている前日の酒樽がなおそのままに放置されている、砂の窪みには腰掛けがそのまま移されずにある。
犬はかつての泊り客であったわたしを出迎えてくれるし、からすは巣に生み落としたばかりの雛たちをまもり、歓迎してくれる。
薄くかかった雲が翠徴寺のあたりにあるが、黄子陂のあたりはあお空がいっぱいに広がっている。

これまでの静寂な自然に対する興趣がここで極点に達し、草履をつっかけて東の垣根の外に出てしまった。


山雨 樽は仍(な)お在り、沙沈んで榻は末だ移されず。
犬は迎う 曾宿の客、鴉は護る 落巣の児。
雲は薄し 翠徴寺、天は清し 黄子陂。
向来 幽興極まり、歩屣 東籬を過ぐ




山雨樽仍在、沙沈榻未移。
山の雨が降っている前日の酒樽がなおそのままに放置されている、砂の窪みには腰掛けがそのまま移されずにある。
樽仍在 酒を飲みに来訪している杜甫に酒樽や腰掛をそのままにさせていて、自由に飲んでくれということだろう。この将軍は、半官半隠のイメージをもってここに棲んでいると思われる。 



犬迎曾宿客、鴉護落巣児。
犬はかつての泊り客であったわたしを出迎えてくれるし、からすは巣に生み落としたばかりの雛たちをまもり、かんげいしてくれる。
落巣児 落巣は絡巣に同じく、巣の周辺をめぐっていならぶ雛をいう。巣に生み落としたばかりの雛、巣の外に落っこちそうな雛もいる、歓迎しているさまをいう。
 

雲薄翠徴寺、天清黄子陂。
薄くかかった雲が翠徴寺のあたりにあるが、黄子陂のあたりはあお空がいっぱいに広がっている。
翠徴寺 終南山の上にある寺。○黄子陂 池の名。




向來幽興極、歩履過東離。
これまでの静寂な自然に対する興趣がここで極点に達し、草履をつっかけて東の垣根の外に出てしまった。
向來 従来。これまで。さい前から。 ○幽興 静寂な自然に対する興趣。この詩は時間経過が隠遁者の感覚であり、半日くらいの変化を詠っている。そのくらい個々の自然に溶け込み、けだるさを喜んで詠っている。○東籬 籬は柴や竹で編んで作った垣根。
陶淵明「飲酒其五」
結廬在人境,而無車馬喧。
問君何能爾,心遠地自偏。
采菊東籬下,悠然見南山。
山氣日夕佳,飛鳥相與還。
此中有眞意,欲辨已忘言。
廬を結ぶに 人境に在り,而して車馬の喧(かまびす)しき無し。
君に問ふ 何ぞ能く爾ると,心 遠ければ 地 自ら偏(かたよ)る。
菊を采(と)る 東籬の下(もと),悠然として 南山を見る。
山氣 日夕に佳(よ)く,飛鳥 相ひ與(とも)に還(かへ)る。
此の中に 眞意有り,辨んと欲して 已(すで)に言を忘る。

客至   杜甫
舍南舍北皆春水、但見群鷗日日來。
花徑不曾緣客掃、篷門今始為君開。
盤飧市遠無兼味、樽酒家貧只舊醅。
肯與鄰翁相對飲、隔籬呼取盡餘杯。
舎南(しゃなん)舎北(しゃほく)皆 春水(しゅんすい)、但見る群鷗の日日に來るを
花径 曾(かつ)て客に縁って掃(はら)わず、篷門(ほうもん)今始めて君が為に開く
盤飧(ばんそん)市 遠くして兼味(けんみ)無く、樽酒(そんしゅ) 家貧にして只だ旧醅(きゅうばい)あるのみ
肯(あえ)て隣翁と相(あい)対して飲まんや、籬(まがき)を隔てて呼び取りて余杯(よはい)を尽さしめん


隠者と籬と酒、静寂な自然に対する興趣、山に向かって座る。杜甫のイメージは陶淵明の「飲酒其五」を意識して詠っている。


○韻  移、児、陂、籬。

前出塞九首 其二 杜甫

前出塞九首 其二 杜甫紀頌之の漢詩ブログ誠実な詩人杜甫特集 41
五言律詩



前出塞九首 其二
出門日已遠,不受徒旅欺。
我が家の門を出てから日に日に距離が遠くなってきた、陣中の仕事も仲間のあなどりをも受けぬようになる。
骨肉恩豈斷?男兒死無時。
親子兄弟の恩愛の情はどんなときでも断ちきれるものではないのであるが、戦に出た男児は死ぬ時をえらばないものである。
走馬脫轡頭,手中挑青絲。
自分は馬を走らせておもづらのはなかわをはずして青糸の手綱を手中に手繰り上げた。
捷下萬仞岡,俯身試搴旗。

すばやく万仞の高い岡からかけくだり、地面に身を俯せながら旗を抜き取る稽古をしてみる。


我が家の門を出てから日に日に距離が遠くなってきた、陣中の仕事も仲間のあなどりをも受けぬようになる。
親子兄弟の恩愛の情はどんなときでも断ちきれるものではないのであるが、戦に出た男児は死ぬ時をえらばないものである。
自分は馬を走らせておもづらのはなかわをはずして青糸の手綱を手中に手繰り上げた。
すばやく万仞の高い岡からかけくだり、地面に身を俯せながら旗を抜き取る稽古をしてみる。

門を出でて日に己に遠し、 徒旅の欺(あなどり)を受けず。
骨肉恩豈に断えんや、 男児死するに時無し。
馬を走らせて轡頭(ひとう)を脫し、手中に青糸を挑(かか)げ。
捷(と)く万仞(ばんじん)の岡より下り、身を俯して試に旗を搴(むきと)る。



出門日已遠,不受徒旅欺。
我が家の門を出てから日に日に距離が遠くなってきた、陣中の仕事も仲間のあなどりをも受けぬようになる。
出門:門は家の門。 徒旅:徒は成卒、旅とは衆。衆卒を徒旅という、なかまのもの。 :だますことではなく、あなどること。こばかにされる。 

骨肉恩豈斷?男兒死無時。
親子兄弟の恩愛の情はどんなときでも断ちきれるものではないのであるが、戦に出た男児は死ぬ時をえらばないものである。
骨肉:親子兄弟。 恩豊断:ふりきろうとしても実はたちきれぬことをいう。 無時:一定の時のないことをいう、いつでも死すべき時には死なねばならぬの意。 
 

走馬脫轡頭,手中挑青絲。
自分は馬を走らせておもづらのはなかわをはずして青糸の手綱を手中に手繰り上げた。
脱轡頭:轡頭とは馬韁(ばきゅう馬のはなかわ、おもづら)のこと。脱とは蓋しかけてある鐶から馬韁をはずすことであろう。 青糸:これは轡頭からつづく手綱をいう。 



捷下萬仞岡,俯身試搴旗。
すばやく万仞の高い岡からかけくだり、地面に身を俯せながら旗を抜き取る稽古をしてみる。
:はやく。仞:八尺。 :身からだを地面へむけてうつむく。



出塞兵士の物語 2
 この当時の唐の国は、世界一の領土を誇った強大な国であった。国の制度も、律令国家として、最も進んだくにであった。租庸調の人民への負担と貿易など国力は周辺諸国を圧倒していた。しかし、北方と、西方については、生活様式の違いが大きく唐への帰属(漢化)はなかなかできないものであり、周辺の局地戦は、季節が巡るように繰り返された。広大な領土を守るため、常時兵力補充が行われた。
 戦で勲功をあげれば、出身がなんであろうと出世した。徴兵によって狩出されたものが勲功をあげることはなく、異民族、騎馬民族出身者が、手柄を立てのし上がっていったのである。哥舒翰、安禄山など異民族出身者である。
 杜甫の出塞九首は、その名もない兵士の物語なのだ。第二話は、訓練をしてやっと仲間の兵士から小ばかにされなくなったところまでである。

故武衛将軍挽詞 三首 其二 杜甫

故武衛将軍挽詞 三首 其二 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  30


其二
舞剣過人絶、鳴弓射獣能。
将軍は剣舞をさせれば超人的なわざをみせており、弓を取らせては獣を射とめることがとてもうまかった。
銛鋒行愜順、猛噬失蹻騰。
剣のするどいほこさきを意のままにめぐらすことができ、弓をかまえれば威嚇して嗟みつこうとする猛獣もその壮んにおどりあがる力を失わせてしまう。
赤羽千夫膳、黄河十月冰。
この将軍が生前には、赤羽旗の陣中で部下千人の壮夫に膳食せしめ、十月ごろ黄河の冰をふみわたらせた。
横行沙漠外、神速至今稀。

はるか沙漢の外まで縦横に行動した神速なその兵の動きは比類まれで死後の今日までも人の称する所である。


将軍は剣舞をさせれば超人的なわざをみせており、弓を取らせては獣を射とめることがとてもうまかった。
剣のするどいほこさきを意のままにめぐらすことができ、弓をかまえれば威嚇して嗟みつこうとする猛獣もその壮んにおどりあがる力を失わせてしまう。
この将軍が生前には、赤羽旗の陣中で部下千人の壮夫に膳食せしめ、十月ごろ黄河の冰をふみわたらせた。
はるか沙漢の外まで縦横に行動した神速なその兵の動きは比類まれで死後の今日までも人の称する所である

其の二

剣を舞わすは人に過ぐる絶し、弓を鳴らし、獣を射るを能くす
銛鋒行らすこと愜順なり 猛噬蹻騰を失す
赤羽干天の膳 黄河十月の冰
横行す沙漠の外 神速今に至って称せらる


舞剣過人絶、鳴弓射獣能。
将軍は剣舞をさせれば超人的なわざをみせており、弓を取らせては獣を射とめることがとてもうまかった。
舞剣 剣を以て舞う。○ できる。


銛鋒行愜順、猛噬失蹻騰。
剣のするどいほこさきを意のままにめぐらすことができ、弓をかまえれば威嚇して嗟みつこうとする猛獣もその壮んにおどりあがる力を失わせてしまう。
銛鋒 剣のするどいほこさき。○ 運行すること。○愜順 かないしたごう、意のままにそのとおりになること。○猛噬 威嚇して嗟みつこうとする猛獣、上の弓と獣をうけていう。○蹻騰 壮んにおどりあがるさま。


赤羽千夫膳、黄河十月冰。
この将軍が生前には、赤羽旗の陣中で部下千人の壮夫に膳食せしめ、十月ごろ黄河の冰をふみわたらせた。
赤羽 旗。「孔子家語」に末尾に添付参照。〇千夫膳 千人の壮夫に膳をそなえ食せしめる。○十月冰 十月の河の氷は氷上をわたることができる。


横行沙漠外、神速至今稀。
はるか沙漢の外まで縦横に行動した神速なその兵の動きは比類まれで死後の今日までも人の称する所である。
横行 縦横に行動する。 ○沙漠 西の砂漠、北の砂漠。 ○神速 兵を動かせることが不思議にはやいこと。


孔子家語-巻第二]
孔子、北の農山に遊ぶ。
子路しろ、子貢しこう、顔淵がんえん、側に侍じす。
孔子四望しぼうし、喟然きぜんとして歎じて曰く、
斯ここに於いて思いを致さば、至らざる所無からん。
二三子にさんしおのおの汝の志を言へ。
吾れ将に擇ばん、と。
子路進みて曰く、
由、願はくば白羽月はくうつきの若く、赤羽日せきうひの若く、鐘鼓しょうこの音、上天に震ひ、旌旗せいき繽紛ひんぷんとして、下地に於いて蟠わだかまり、由一隊に当りて之を敵せば、必ずや地に千里を攘じょうし、旗を搴ぬき馘きゃくを執る、唯ただ由のみ之を能くす。
 二子者をして我に従はせん、と。

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