漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩 杜甫詳注1500

杜甫の詩をあまり知られていないものも取り上げる予定。約1500首。(杜詩詳注・全唐詩・杜甫詩 総合案内時系列に整理した)青春期遊学から長安を中心に就職活動の10年、やっと就職できたら、安史の乱、騒乱の中で自分の生きる道を求めて苦悩、騒乱のない地方へ逃避紀行、成都浣花渓草堂、騒乱回避、夔州寓居、そして漂白の旅。 ブログも2011年~2018年の計画で掲載進行中。。。都合、3往復、とらえ方を変えて掲載していく、2022年ごろ完成する予定である。(ここでは、訓読み下し分にできるだけルビをふりません。漢字の雰囲気で読んでほしいからで、また、意味、読みはすぐわかるようになります。)

杜甫の詩 誠実な詩人特集。2011・11月『士官がきまった。~安禄山の叛乱』期の詩。2011年12月は『反乱軍に捕まる。軟禁状態での詩』2012.1月は『反乱軍からの脱出劇、朝廷に到着・・・・』。2012.2月粛宗に許可をもらって家族を迎えに「北征」紀行を中心に掲載していきます。2012.3月は、朝廷での疎外感、やるせなさが伝わる詩です。2012.4月華州へ左遷、2012.5月三吏三別。秦州抒情9月、同谷紀行11月、成都紀行12月、2013.3現在、成都浣花渓の草堂、2013.12蜀中転々からふたたび成都草堂へ(杜甫全詩の約半分を掲載)・・・・・・そして成都を後にして、夔州へ、(2/3掲載)ここで人生の1/3の量の詩を書く。漂白の旅。紀行。杜甫の苦悩の内容的な変化、様子がよくわかります。
都合、3往復、とらえ方を変えて掲載していく、2022年ごろ完成する予定である。
このブログ以外にも、李白1000首、李商隠150首、韓愈全詩・韓愈グループ、などは別のブログで掲載中 kanbuniinkai 検索で、いろんな漢文委員会HP,ブログ を今までの漢詩紹介とは違っています。
中華書局 発行 杜詩詳注 を基本に訳注解説しています。
杜甫詩の概要目録につては、http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/details1.html 参照。

其六

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其六 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 60

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其六 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 60

753年天宝12載 42歳  五言律詩


陪鄭広文遊何将軍山林十首 其六
風磴吹陰雪,雲門吼瀑泉。
風のわたる石段の路には凍りつくような雪しぶきが吹きつける、雲をはき出す岩穴門に滝の水が吼えまくっている。
酒醒思臥簟,衣冷欲裝綿。
酔いざめのからだは竹むしろに寝そべりたいと思うが、凍りつく雪ようなしぶきをあびた衣が冷たいので綿を着こみたくなる。
野老來看客,河魚不取錢。
百姓の老人たちが自分たちお客に目どおりにやって来たが、手みやげの川魚の代金を受け取ろうとはしなかった。
只疑淳樸處,自有一山川。
ただふしぎに思うことは、こここそ淳僕の人たちの住むところであり、おのずから一つの別天地であるのではないかと。



風のわたる石段の路には凍りつくような雪しぶきが吹きつける、雲をはき出す岩穴門に滝の水が吼えまくっている。
酔いざめのからだは竹むしろに寝そべりたいと思うが、凍りつく雪ようなしぶきをあびた衣が冷たいので綿を着こみたくなる。
百姓の老人たちが自分たちお客に目どおりにやって来たが、手みやげの川魚の代金を受け取ろうとはしなかった。
ただふしぎに思うことは、こここそ淳僕の人たちの住むところであり、おのずから一つの別天地であるのではないかと。



風麓に陰雪の吹くは  雲門に港泉の吼ゆるなり
酒醒めて筆に臥さんことを思い  衣冷ややかにして綿を装わんと欲す
野老 来りて客を看  河魚 銭を取らず
只に疑う 淳僕の処  白から一山川有るかと




陪鄭広文遊何将軍山林十首 其六

風磴吹陰雪,雲門吼瀑泉。
風のわたる石段の路には凍りつく雪ようなしぶきが吹きつける、雲をはき出す岩穴門に滝の水が吼えまくっている。
風橙 風のわたる石段の路。○陰雪 つめたい雪。雪とは実物をいうのではなく、下旬の瀑泉の飛沫を形容していう。凍りつく雪ようなしぶき。○雲門 雲をはき出す岩穴門のことで、石門というのに同じ。雲は山の岩のはく息であると考えられていた。瀑泉のかかっている断崖をさす。○ 音をたててなる。○瀑泉 たきのいずみ。



酒醒思臥簟,衣冷欲裝綿。
酔いざめのからだは竹むしろに寝そべりたいと思うが、凍りつく雪ようなしぶきをあびた衣が冷たいので綿を着こみたくなる。
 たかむしろ。○装綿 綿入れの衣をかさねてきる。



野老來看客,河魚不取錢。
百姓の老人たちが自分たちお客に目どおりにやって釆たが、手みやげの川魚の代金を受け取ろうとはしなかった。
野老 百姓の老人。○看客 客とは自分たちをさす。○河魚 河でとったうお。○不取銭 贈り物としてただでおいてゆく。



只疑淳樸處,自有一山川。
ただふしぎに思うことは、こここそ淳僕の人たちの住むところであり、おのずから一つの別天地であるのではないかと。
 字形は示届をよしとする。○淳樸 まじりけなく、かざりけなく性質の天真のままのこと。 〇一山川 この世とは異なる別の世界。晋の陶潜(五世紀)の「桃花源記」に、・・・林盡水源,便得一山。・・・ある漁師が桃の花びらを浮かべて流れる谷川をさかのぼって行ったところ、淳朴な人々の住む仙境に達したとある。



○韻 泉・綿・銭・川。
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前出塞九首 其六 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 45

前出塞九首 其六 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 45
天宝10載751年 40歳
前出塞九首 其六 杜甫45


前出塞九首 其六
挽弓當挽強,用箭當用長;
弓をひくなら強い弓をひく方が良い。箭を用いるなら長い箭を用いないといけない。
射人先射馬,擒賊先擒王。
意中の人を射るなら先ず馬を射たおすのである、敵どもをいけどりにするなら先ず王さまをいけどりにして大義、戦意をなくことだ。
殺人亦有限,列國自有疆。
攻め込んだとしても人を殺すことについては限界をもうけ、みなは殺しをしてはいけない。国同士の戦争でもおなじはずだ。国にはおのずからそれぞれの間で自然とと国疆というものがあるのであり、範囲はきまっているのだ。
苟能製侵陵,豈在多殺傷?

いやしくもそれはただ、敵が侵してくるのを抑制することができればよいのであって、敵を多く殺傷することに目的があってはいけない。



弓をひくなら強い弓をひく方が良い。箭を用いるなら長い箭を用いないといけない。意中の人を射るなら先ず馬を射たおすのである、敵どもをいけどりにするなら先ず王さまをいけどりにして大義、戦意をなくことだ。
攻め込んだとしても人を殺すことについては限界をもうけ、みなは殺しをしてはいけない。国同士の戦争でもおなじはずだ。国にはおのずからそれぞれの間で自然とと国疆というものがあるのであり、範囲はきまっているのだ。
いやしくもそれはただ、敵が侵してくるのを抑制することができればよいのであって、敵を多く殺傷することに目的があってはいけない。


弓を挽(ひ)かば当に強きを挽くべし、箭(や)を用いは当に長きを用うべし、人を射ば先ず馬を射よ。敵を擒(とりこ)にせば先ず王を檎にせよ
人を殺すも亦た限り有り、国を立つるに自ら疆(きょう)有り。
苛も能く侵陵(しんりょう)を制せば、豈多く殺傷するに在らんや。



挽弓當挽強,用箭當用長;射人先射馬,擒賊先擒王。
弓をひくなら強い弓をひく方が良い。箭を用いるなら長い箭を用いないといけない。意中の人を射るなら先ず馬を射たおすのである、敵どもをいけどりにするなら先ず王さまをいけどりにして大義、戦意をなくことだ。
 つよい弓。○長 ながいや。○ いけとりにする、初めの四句においでは「檎王」の句が主であり、前三句はこれを言うためのまえおきである。



殺人亦有限,列國自有疆。
攻め込んだとしても人を殺すことについては限界をもうけ、みなは殺しをしてはいけない。国同士の戦争でもおなじはずだ。国にはおのずからそれぞれの間で自然とと国疆というものがあるのであり、範囲はきまっているのだ。
殺人 戦争による殺戮。 ○有限 一定の限界がある、人はことごとく殺しつくせるわけのものでない。 ○ くにざかい。○ 抑制する、制限する。



苟能製侵陵,豈在多殺傷?
いやしくもそれはただ、敵が侵してくるのを抑制することができればよいのであって、敵を多く殺傷することに目的があってはいけない。
侵陵 陵は濠に通じ、しのぐ。敵国からの侵略をしのぐ。○豈在 在とは戦争の目的がそこに存在するということ。



出塞兵士の物語 6
 防衛のための戦争にとどめるべきで、侵略し、略奪、殺戮が目的化してはいけない。最新兵器、戦略練って、その戦力を圧倒して、守るのであれば、おおきな血は流されないで済むのではないか。
 将を射んと欲すればまず馬を射よ。生け捕りをするなら王を生け捕れ。セオリーを守れ、と杜甫は述べたのではない。個々の兵士たちに家族がある。守るための戦いにとどめたら少しでも、死ぬ人間が少ないものにとどめるべきだといっている。


唐の体制について
 均田制・府兵制の両制度の実施には戸籍が必要不可欠であったが、685年ごろ武則天期になると解禁された大地主による兼併や高利貸によって窮迫した農民が土地を捨てて逃亡する(逃戸と呼ばれる)事例が急増した。事前通告しない土地の売買を解禁したため、売買が急激にがふえたのだ。戸籍の正確な把握が困難になっていった。また、華北地域では秋耕の定着による2年3作方式が確立され、農作業の通年化・集約化及びそれらを基盤とした生産力の増大が進展したことによって、期間中は農作業が困難となる兵役に対する農民の嫌気が増大していった。かくして735年均田・租庸調制と府兵制は破綻をきたし、代わる税制・兵制が必要となる。
 
辺境において実施された藩鎮・募兵制は、府兵制は徴兵により兵役に就かせたのに対して、徴収した土地の租税の一部を基に兵士を雇い入れる制度である。710年に安西四鎮(天山山脈南路の防衛)を置いたのを初めとして719年までに10の藩鎮を設置している。当初は辺境地域にしか置かれていない。ここに節度使の権力、資力の集約が始まるのである。

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