杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

前出塞九首

前出塞九首 其九 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 48

前出塞九首 其九 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 48
天宝10載751年 40歳


前出塞九首 其九
從軍十年餘,能無分寸功?
自分は十年あまりもいくさに従っている、なんで、すこしの功でも無いということがあるのか。
眾人貴苟得,欲語羞雷同。
多くの人々はだれでも自分の得になりさえすればよいと功を争うことを貴(たっと)しとしている、自分の功を口に出そうかとはおもうが、尻馬に乗るようだからそれを恥じてなんにもいわずにいる。
中原有鬥爭,況在狄與戎?
文明と呼ばれる本国の地でさえ闘いのあるものを、まして西方や北方の異民族に於いてはなおさらのことではないか。
丈夫四方誌,安可辭固窮?

丈夫たるものは四方に対して勇敢果決さを示し服従させる志のあるものである。どうして困窮なことがあろうともそれを辞することができようか、甘んじて意気を示すべきである。



自分は十年あまりもいくさに従っている、なんで、すこしの功でも無いということがあるのか。
多くの人々はだれでも自分の得になりさえすればよいと功を争うことを貴(たっと)しとしている、自分の功を口に出そうかとはおもうが、尻馬に乗るようだからそれを恥じてなんにもいわずにいる。
文明と呼ばれる本国の地でさえ闘いのあるものを、まして西方や北方の異民族に於いてはなおさらのことではないか。
丈夫たるものは四方に対して勇敢果決さを示し服従させる志のあるものである。どうして困窮なことがあろうともそれを辞することができようか、甘んじて意気を示すべきである。


軍に従うこと十年余  能く分寸の功無からんや
衆人苟(いやしく)も得るを貴ぶ  語らんと欲して雷同を羞ず
中原にすら闘争有り  況んや秋と戎とに在るをや
丈夫 四方の志    安(いずく)んぞ固窮を辞す可けん



從軍十年餘,能無分寸功?
自分は十年あまりもいくさに従っている、なんで、すこしの功でも無いということがあるのか。
能無 能は豈に似て、反語によむ。〇分寸 すこし。
 

眾人貴苟得,欲語羞雷同。
多くの人々はだれでも自分の得になりさえすればよいと功を争うことを貴(たっと)しとしている、自分の功を口に出そうかとはおもうが、尻馬に乗るようだからそれを恥じてなんにもいわずにいる。
○筍得 かりにも利得にさえなればよいとする。 ○雷同 雷音の発生するとき、諸物は同時にこれに応じて起こる。故に他人にあいづちをうつことを雷同という。尻馬に乗る。



中原有鬥爭,況在狄與戎?
文明と呼ばれる本国の地でさえ闘いのあるものを、まして西方や北方の異民族に於いてはなおさらのことではないか。
中原 黄河流域。文明の開かれている中国の中央。○ 於いてというのに同じ。○狄、戎 西方や北方の異民族。



丈夫四方誌,安可辭固窮?
丈夫たるものは四方に対して勇敢果決さを示し服従させる志のあるものである。どうして困窮なことがあろうともそれを辞することができようか、甘んじて意気を示すべきである。
〇四方 杜甫「北征」四方服勇決。(四方 勇決に服す。-四方の国々は勇敢果決さに服従している。)回紇、吐蕃などに対して勇敢果決さを志すことを示す。○固窮 「論語」衛霊2公に「君子固ヨリ窮ス」とあり、もとより困窮すること。
 

出塞のものがたり 9
其一で初めて出征するものの心細さを詠ったのであるが、其八、其九では少しの手柄を立てるのは当たり前で、異民族に対し、勇敢果決を志すことが大切なことだといっている。士官のための即興の詩を披露したのであろう。しかし、宮廷には、表側では、李林甫が、その裏では、宦官の高力氏が牛耳っていたので、難しかったのだ。


前出塞九首 其八 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 47

前出塞九首 其八 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 47
天宝10載751年 40歳



前出塞九首 其八
單於寇我壘,百裡風塵昏。
敵の吐蕃の王が急襲して攻め入ってきた、百里もあるばかりのあいだ蹴立てる塵で真っ暗になった。
雄劍四五動,彼軍為我奔。
雄劍という長剣を敵に向けて四、五回振り動かした、このはたらきによって敵軍は奔走して行った。
虜其名王歸,繫頸授轅門。
そのことで敵の名王を捕虜にして帰ったのだ、王の首を縄でくくって我が軍門にひきわたした。
潛身備行列,一勝何足論?

そしてこっそり行列のなかへからだをこっそりひっこめている。一度の勝ったぐらいでどうだというのだ、全勝を得るまでは得意になってはならないのだ。


敵の吐蕃の王が急襲して攻め入ってきた、百里もあるばかりのあいだ蹴立てる塵で真っ暗になった。
雄劍という長剣を敵に向けて四、五回振り動かした、このはたらきによって敵軍は奔走して行った。
そのことで敵の名王を捕虜にして帰ったのだ、王の首を縄でくくって我が軍門にひきわたした。
そしてこっそり行列のなかへからだをこっそりひっこめている。一度の勝ったぐらいでどうだというのだ、全勝を得るまでは得意になってはならないのだ。



前出塞九首 其の八
単干我が壘に寇す 百里風塵昏し
雄剣四五動き 彼の軍我が為めに奔る
其の名王を虜にして帰り 頸を繋ぎて轅門に授く
身を潜めて行列に備わる 一勝何ぞ論ずるに足らん




單於寇我壘,百裡風塵昏。
敵の吐蕃の王が急襲して攻め入ってきた、百里もあるばかりのあいだ蹴立てる塵で真っ暗になった。
単干 匈奴の酋長、ここは吐蕃の王をいう。○ 防塁。 ○ 急襲して攻め入る、こちらへ侵入してくる。
 

雄劍四五動,彼軍為我奔。
雄劍という長剣を敵に向けて四、五回振り動かした、このはたらきによって敵軍は奔走して行った。
○雄剣 ウィキペディアには次の通りである。干将・莫耶(かんしょう・ばくや。干将は本来干將。莫耶は莫邪とも)とは、中国における名剣、もしくはその剣の製作者である夫婦の名である。剣については干将が陽剣(雄剣)、莫耶が陰剣(雌剣)である(この陰陽は陰陽説に基づくものであるため、善悪ではない)。また、干将は亀裂模様(龜文)、莫耶は水波模様(漫理)が剣に浮かんでいたとされる(『呉越春秋』による)。なお、この剣は作成経緯から、鋳剣(鋳造によって作成された剣)である。〇四五動 四、五回振り動かす。



虜其名王歸,繫頸授轅門。
そのことで敵の名王を捕虜にして帰ったのだ、王の首を縄でくくって我が軍門にひきわたした。
○其 単干の軍をさす。○名王 単干の部下の有名な王。○繋頸 くびを縄でつなぐ。○授 ひきわたすことをいう。○轅門 軍営の門、むかしは陣営の門は車の柁棒をむかい合わせにならべてつくるという。



潛身備行列,一勝何足論?
そしてこっそり行列のなかへからだをこっそりひっこめている。一度の勝ったぐらいでどうだというのだ、全勝を得るまでは得意になってはならないのだ。
潜身 からだをこっそりひっこめる。〇備行列 部隊の行列のなかへくわわっている。○何足論 論じてことごとしくいいたてるに足らぬ、これは全勝を得るまでは得意にならぬことをいう。



出塞のものがたり  8
 騎馬民族の戦法は奇襲戦にあったのであろうが、との戦いに対して、長剣は有効な武器であっただろう。馬の足を拂われそうで、逃げていったのもよくわかる。
かわいた砂漠に防塁を築いている。敵からすれば騎馬で一気に乗り越えようとする奇襲したのである。紀元前の春秋戦国の時代の名剣の威力は実績済みのものだ。

前出塞九首 其七 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 46

前出塞九首 其七 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 46
天宝10載751年 40歳

前出塞九首 其七
驅馬天雨雪,軍行入高山。
我が軍隊が馬を駆ってでかけると天から雪がふってきた。このとき軍隊は高い山の中へ入ってきたのだ。
逕危抱寒石,指落曾冰間。
あぶなそうな山中の細道は冬の石を抱いている、指が凍傷にかかって冰層の割れ目に落ちていった。
已去漢月遠,何時築城還?
もはや本国をはなれてから唐の本国で見る月とは遠く隔たってきた、いったいいつになったらここに築城し終えてかえることができるのだろう。
浮雲暮南徵,可望不可攀。

大空に浮んだ雲は夕方になると南故郷の方へと移り行った、それは眺めることだけのことで攀じ登ることができないのである。


我が軍隊が馬を駆ってでかけると天から雪がふってきた。このとき軍隊は高い山の中へ入ってきたのだ。
あぶなそうな山中の細道は冬の石を抱いている、指が凍傷にかかって冰層の割れ目に落ちていった。
もはや本国をはなれてから唐の本国で見る月とは遠く隔たってきた、いったいいつになったらここに築城し終えてかえることができるのだろう。
大空に浮んだ雲は夕方になると南故郷の方へと移り行った、それは眺めることだけのことで攀じ登ることができないのである。



馬を駆れば天雪を雨らす、軍行いて高山に入る。
逕危くして寒石を抱く、指は落つ曾氷の間。
己に去って漢月遠し、何の時か城を築きて還らん。
浮雲碁に南に征く、望む可くして攀ず可からず。




驅馬天雨雪,軍行入高山。
我が軍隊が馬を駆ってでかけると天から雪がふってきた。このとき軍隊は高い山の中へ入ってきたのだ。
 空からあめの降るようにふる。 人に施しを与える。



逕危抱寒石,指落曾冰間。
あぶなそうな山中の細道は冬の石を抱いている、指が凍傷にかかって冰層の割れ目に落ちていった。
・逕 細道。こみち。 ・ 崖の土が石をはらんで今にもおちそうにある。・指落 凍傷にかかっておちる。○曾冰 曾は層と同じ、つみかさなった氷。



已去漢月遠,何時築城還?
もはや本国をはなれてから唐の本国で見る月とは遠く隔たってきた、いったいいつになったらここに築城し終えてかえることができるのだろう。
 離れ去る。○漢月 漢の月とは唐の月、本国の月をいう。



浮雲暮南徵,可望不可攀。
大空に浮んだ雲は夕方になると南故郷の方へと移り行った、それは眺めることだけのことで攀じ登ることができないのである。
南征 南とは故郷のある方位、征はゆくこと。○ よじのぼる、よじのぼることができたら南へつれていってもらう。


出塞のものがたり
751年天宝十年、杜甫はすでに四十歳になった。前年には長男の宗文が生まれており、杜甫の心の中には、ここらでどうしても仕官しなければ、という焦りがあった。この年「三大礼の賦」を作り、投書箱を通して直接に天子に奉っている。
この投書箱は則天武后のときに作られた制度によるもので、その箱には四面に口があり、東は「延恩」、西は「伸冤」、南は「招諌」、北は「通玄」と名づけられており、自分の才能を信じて立身を願う者は、このうち「延恩」の口にその作品を投ずるというものであった。
経済的に追いつめられた杜甫の求職運動はますます激しく、誰彼の見さかいもなく高位高官のもとを訪れ、その推挙を依頼してまわっている。たとえば、753年天宝十二年には、楊国忠にこの頃、京兆尹(長安市長)に引き上げてもらい、成り上がりの鮮干仲通に詩を奉り、宰相の楊国忠に推薦してくれるように頼んでいる。

前出塞九首 其六 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 45

前出塞九首 其六 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 45
天宝10載751年 40歳
前出塞九首 其六 杜甫45


前出塞九首 其六
挽弓當挽強,用箭當用長;
弓をひくなら強い弓をひく方が良い。箭を用いるなら長い箭を用いないといけない。
射人先射馬,擒賊先擒王。
意中の人を射るなら先ず馬を射たおすのである、敵どもをいけどりにするなら先ず王さまをいけどりにして大義、戦意をなくことだ。
殺人亦有限,列國自有疆。
攻め込んだとしても人を殺すことについては限界をもうけ、みなは殺しをしてはいけない。国同士の戦争でもおなじはずだ。国にはおのずからそれぞれの間で自然とと国疆というものがあるのであり、範囲はきまっているのだ。
苟能製侵陵,豈在多殺傷?

いやしくもそれはただ、敵が侵してくるのを抑制することができればよいのであって、敵を多く殺傷することに目的があってはいけない。



弓をひくなら強い弓をひく方が良い。箭を用いるなら長い箭を用いないといけない。意中の人を射るなら先ず馬を射たおすのである、敵どもをいけどりにするなら先ず王さまをいけどりにして大義、戦意をなくことだ。
攻め込んだとしても人を殺すことについては限界をもうけ、みなは殺しをしてはいけない。国同士の戦争でもおなじはずだ。国にはおのずからそれぞれの間で自然とと国疆というものがあるのであり、範囲はきまっているのだ。
いやしくもそれはただ、敵が侵してくるのを抑制することができればよいのであって、敵を多く殺傷することに目的があってはいけない。


弓を挽(ひ)かば当に強きを挽くべし、箭(や)を用いは当に長きを用うべし、人を射ば先ず馬を射よ。敵を擒(とりこ)にせば先ず王を檎にせよ
人を殺すも亦た限り有り、国を立つるに自ら疆(きょう)有り。
苛も能く侵陵(しんりょう)を制せば、豈多く殺傷するに在らんや。



挽弓當挽強,用箭當用長;射人先射馬,擒賊先擒王。
弓をひくなら強い弓をひく方が良い。箭を用いるなら長い箭を用いないといけない。意中の人を射るなら先ず馬を射たおすのである、敵どもをいけどりにするなら先ず王さまをいけどりにして大義、戦意をなくことだ。
 つよい弓。○長 ながいや。○ いけとりにする、初めの四句においでは「檎王」の句が主であり、前三句はこれを言うためのまえおきである。



殺人亦有限,列國自有疆。
攻め込んだとしても人を殺すことについては限界をもうけ、みなは殺しをしてはいけない。国同士の戦争でもおなじはずだ。国にはおのずからそれぞれの間で自然とと国疆というものがあるのであり、範囲はきまっているのだ。
殺人 戦争による殺戮。 ○有限 一定の限界がある、人はことごとく殺しつくせるわけのものでない。 ○ くにざかい。○ 抑制する、制限する。



苟能製侵陵,豈在多殺傷?
いやしくもそれはただ、敵が侵してくるのを抑制することができればよいのであって、敵を多く殺傷することに目的があってはいけない。
侵陵 陵は濠に通じ、しのぐ。敵国からの侵略をしのぐ。○豈在 在とは戦争の目的がそこに存在するということ。



出塞兵士の物語 6
 防衛のための戦争にとどめるべきで、侵略し、略奪、殺戮が目的化してはいけない。最新兵器、戦略練って、その戦力を圧倒して、守るのであれば、おおきな血は流されないで済むのではないか。
 将を射んと欲すればまず馬を射よ。生け捕りをするなら王を生け捕れ。セオリーを守れ、と杜甫は述べたのではない。個々の兵士たちに家族がある。守るための戦いにとどめたら少しでも、死ぬ人間が少ないものにとどめるべきだといっている。


唐の体制について
 均田制・府兵制の両制度の実施には戸籍が必要不可欠であったが、685年ごろ武則天期になると解禁された大地主による兼併や高利貸によって窮迫した農民が土地を捨てて逃亡する(逃戸と呼ばれる)事例が急増した。事前通告しない土地の売買を解禁したため、売買が急激にがふえたのだ。戸籍の正確な把握が困難になっていった。また、華北地域では秋耕の定着による2年3作方式が確立され、農作業の通年化・集約化及びそれらを基盤とした生産力の増大が進展したことによって、期間中は農作業が困難となる兵役に対する農民の嫌気が増大していった。かくして735年均田・租庸調制と府兵制は破綻をきたし、代わる税制・兵制が必要となる。
 
辺境において実施された藩鎮・募兵制は、府兵制は徴兵により兵役に就かせたのに対して、徴収した土地の租税の一部を基に兵士を雇い入れる制度である。710年に安西四鎮(天山山脈南路の防衛)を置いたのを初めとして719年までに10の藩鎮を設置している。当初は辺境地域にしか置かれていない。ここに節度使の権力、資力の集約が始まるのである。

前出塞九首 其五 杜甫 :紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 44

前出塞九首 其五 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 44
天宝10載751年 40歳



前出塞九首其五
迢迢萬裡餘,領我赴三軍。
はるばると万里あまりもはなれた地へ部隊長は我々をひきつれて本隊にむけて赴いた。
軍中異苦樂,主將寧盡聞?
軍中では所属の部隊長次第で苦楽の程度が違うようだ、苦しい方の自分たちのこと、総司令官は聞き及んでいるのであろうか。
隔河見胡騎,倏忽數百群。
河を隔てた前岸に異民族の騎兵が見える、たちまちのうちに幾百人と羣をなしたのである。
我始為奴樸,幾時樹功勛?

これがいくさのしはじめなので自分は今やっと奴僕の身分なのだ、いつになったら勲功をたてて上の地位に出世することができるのだろうか。



はるばると万里あまりもはなれた地へ部隊長は我々をひきつれて本隊にむけて赴いた。
軍中では所属の部隊長次第で苦楽の程度が違うようだ、苦しい方の自分たちのこと、総司令官は聞き及んでいるのであろうか。
河を隔てた前岸に異民族の騎兵が見える、たちまちのうちに幾百人と羣をなしたのである。
これがいくさのしはじめなので自分は今やっと奴僕の身分なのだ、いつになったら勲功をたてて上の地位に出世することができるのだろうか。


迢迢万里余、我を領して三軍に赴く。
軍中苦楽異なり、主将寧ぞ尽(ことごと)く聞かんや
河を隔てて胡騎を見る、倏忽(しゅくこつ)数百羣。
我始めて奴僕たり 幾時か功勲を樹てん




迢迢萬裡餘,領我赴三軍。
はるばると万里あまりもも地へ部隊長は我々をひきつれて本隊にむけて赴いた。
迢迢 はるばる。○領我 自分をひきつれて。〇三軍 軍制は上・中・下の三軍に分れて構成されていた。ここは主将の居る本隊をさす。



軍中異苦樂,主將寧盡聞?
軍中では所属の部隊長次第で苦楽の程度が違うようだ、苦しい方の自分たちのこと、総司令官は聞き及んでいるのであろうか。
異苦楽 兵卒たる者はその部隊長の人物如何によって苦と楽とのちがいがあるが、この句から判断するとこの戍卒の属していた人は主将・隊長としていい人物ではなかったので苦労の多かったということだろう。○主将 総司令官。○ 苦楽の状を聞きしる。



隔河見胡騎,倏忽數百群。
河を隔てた前岸に異民族の騎兵が見える、たちまちのうちに幾百人と羣をなしたのである。
隔河 河は交河、土魯番の西にある。○胡騎 えびす、吐蕃の騎兵。○ たちまち。



我始為奴樸,幾時樹功勛?
これがいくさのしはじめなので自分は今やっと奴僕の身分なのだ、いつになったら勲功をたてて上の地位に出世することができるのだろうか。
 やっと今。○為奴僕 「漢書」の公孫弘伝賛に「衛青奴僕より奮う」とあり、武帝の大将軍衛青は奴僕の賤しい身分からふるいおこって栄達したといっている。○幾時 何時と同じ。○功勲 手柄を立てる。いさおし。
 


出塞兵士の物語 5

 出征した兵士たちの部隊によって、扱いが違ったようだ。部隊長の力関係が大きく影響する。すべての基本が弱肉強食の時代である。違いは極端なものであってもおかしくなかったであろう。違いがあるほどコントロールしやすいからである。
 抜け駆けしてでも手柄を立てたいと競い合わせたのある。生活様式の違う異民族との戦い。別の表現では、農耕民族と、遊牧民族・騎馬民族の戦いである。農耕民族はだらだらと隊を集結させるが、騎馬民族は、「瞬く間に群をなした」としているが、初めて、騎馬民族の戦い方を見たものは、その様相だけでも震え上がったとされる。

唐の税制・兵制
 税制は北周時代から均田制・租庸調制であり、兵制は府兵制であった。この両制度は車の両輪で相互不可分な制度なのである。
均田制は労働に耐えうる青年男性一人につき、相続が許されるな土地が20畝まで認められ、割り当ての口分田は死亡や定年60歳になると国家に返却する土地を可能な範囲最大80畝まで支給された。また職分田(これは辞職した時に返却する)。丁男がいない戸、商工業者、僧侶・道士などの特別な戸に対してもそれぞれ支給量が決められていた。そこから生産されるものに対して、租庸調と呼ばれる税を納めるのである。租は粟(穀物)2石、調は絹2丈と綿3両を収め、年間20日の労役の義務があり、免除して貰うためには、労役一日に対し絹3尺あるいは布3.75尺を収めることになっていた。
 田地を貸し与えるために戸籍制度が出来上がった。府兵制はこれらの戸籍に基づいて3年に1度、丁男に対して徴兵の義務を負わせた。

前出塞九首 其四 杜甫

前出塞九首 其四 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 43
天宝10載 751年 40歳

其四
送徒既有長,遠戍亦有身。
我々戍卒を送ってゆくには隊長というものがあるが、千里の遠方へ守りに出かける我々にはまた我々のたいせつな身体というものがある。
生死向前去,不勞吏怒嗔。
我々は自分の意志で生死にかかわらず前に向って進むのである。隊長の吏からおこりつけられることなどいらぬことである。
路逢相識人,附書與六親。
たまたま路で知りあいのものに出遭った、その知り合いに家族への手紙をあずけたのだ。
哀哉兩決絕,不複同苦辛!

ああ哀しことである、これで両方の間のつながりがきれてしまうことになるのだ、もう一度一緒に艱難辛苦をともにしようとしてもできないのだ。


我々戍卒を送ってゆくには隊長というものがあるが、千里の遠方へ守りに出かける我々にはまた我々のたいせつな身体というものがある。
我々は自分の意志で生死にかかわらず前に向って進むのである。隊長の吏からおこりつけられることなどいらぬことである。
たまたま路で知りあいのものに出遭った、その知り合いに家族への手紙をあずけたのだ。
ああ哀しことである、これで両方の間のつながりがきれてしまうことになるのだ、もう一度一緒に艱難辛苦をともにしようとしてもできないのだ。



徒を送るに既に長あり 遠く戍まもるに亦た身あり
生死前に向って去る  吏の怒噴することを労せず
路に相識の人に逢う  書を附して六親に与う
哀い哉両ふたつながら決絶す   復た苦辛を同じくせず



送徒既有長,遠戍亦有身。
我々戍卒を送ってゆくには隊長というものがあるが、千里の遠方へ守りに出かける我々にはまた我々のたいせつな身体というものがある。
送徒 徒は徒旅の徒、戍卒をいう。送とはこれを引きつれて吐蕃の方へ送りとどけること。○長 かしら、引率者。○遠戍 遠地のまもりにゆく。○ 身体、自己の身体をいう。遠隔地の守りにつくための引率の隊長に対して不平不満が爆発する寸前になる、奴隷のようにやたらに鞭などあてられてはならないというのである。
 

生死向前去,不勞吏怒嗔。
我々は自分の意志で生死にかかわらず前に向って進むのである。隊長の吏からおこりつけられることなどいらぬことである。
生死 生死にかかわらずの意。○向前 前方へと。○不労 労はわずらわす、苦労をかける。○ 軍吏、即ち上句の「長」と同じ人。 杜甫に吏につぃてに三首がある。「石壕吏」石壕の村で役人が河陽へゆくべき人夫を徴発するとき、こどもを二人まで戦死させた老婦人が乳のみの愛孫を家にのこし、その夫の老翁に代って出かけることをのべた詩。製作時は前詩に同じ乾元2年759年48歳、「新安吏」乾元元年冬末、華州をはなれて洛陽に至り、二年に洛陽より華州にかえるとき、途上において新安の吏と問答の詩。「潼関吏」官軍は相州を囲んで敗れたために、潼関を修理、防禦築城の場所をすぎ、役人と問答の詩。○ 気を盛んにしていかる。吏がいかるのは途中で立ち話をしたり手紙をたのんだりするのについてであろう。
 

路逢相識人,附書與六親。
たまたま路で知りあいのものに出遭った、その知り合いに家族への手紙をあずけたのだ。
相識人 ふだん知りあいの人。○附書 附は附託、書はてがみ。〇六親 父母兄弟妻子をいう。′



哀哉兩決絕,不複同苦辛!
ああ哀しことである、これで両方の間のつながりがきれてしまうことになるのだ、もう一度一緒に艱難辛苦をともにしようとしてもできないのだ。
 六親の方と彼によるつながりの両方。○決絕 わかれきる。完全に切れること。○ ふたたび。○同苦辛  艱難辛苦をともにする。



出塞兵士の物語 4
武器、兵車と生活物資のすべてを運ぶのである。兵士は隊列を組んで行進するわけではない。イメージとしては避難民の行列の方が近いかもしれない。勝手な動きをされては困るので隊長の吏は鞭をもって指図するわけである。それは、長安の街の中でも見たことであった。
 家族と離れ、国に命を預けて出征するものでも奴隷のように鞭で追われるように指図を受けて不満もないというわけにはいかない。
 隊長の吏としては、日程通りに進んでくれないといけないし、勝手に休憩するし、知り合いと出会えば長話をする。怒鳴るように指示をしても鞭を振り上げないと云うことを聞かない。異民族からの侵略に対して守りにつくのであり、もう一つはシルクロードの守りにあるのである。長安は国際都市であった。

前出塞九首 其三 杜甫

前出塞九首 其三 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ誠実な詩人杜甫特集 42
五言律詩

其三
磨刀嗚咽水,水赤刃傷手。
隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。
欲輕腸斷聲,心緒亂已久。
自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれているのだ。
丈夫誓許國,憤惋複何有?
大丈夫たるものが心に誓って国のために心身をささげる以上は、憤りうらむべき理由などありはしない。
功名圖麒麟,戰骨當速朽。

麒麟閣に勲功者が画かれている。すぐにでも奮って戦場へでかけて朽ち果てようではないか。



隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。
自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれているのだ。
大丈夫たるものが心に誓って国のために心身をささげる以上は、憤りうらむべき理由などありはしない。
麒麟閣に勲功者が画かれている。すぐにでも奮って戦場へでかけて朽ち果てようではないか。



刀を嗚咽の水に磨けばけば、水赤くして刃手を傷く。
腸断の声を軽んぜんと欲するも、心緒乱るること己に久し。
丈夫誓って国に許す、憤惋復た何ぞ有らん。
功名麒麟に図せられん、戦骨当に速に朽つべし。

 
陝西甘粛出塞 杜甫65


磨刀嗚咽水,水赤刃傷手。
隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。
鳴咽水、腸断声 「三秦記」にいう「隴山の頂に泉有りて、清水四に注ぐ、東のかた秦川を望めば四五里なるが如し。俗歌に『陣頭の流水、鳴声幽咽す。遙かに秦川を望めば、肝腸断絶す』という」と。隴山は今の陝西省鳳翔府隴州の北西にあって、ここを経て甘粛省の方へ赴くが、長安地方の眺望がこれよりみえなくなる様子を詠った歌である。鳴咽の水とはむせびなくような水流をいう。腸断声とは水自身に人をして腸をたたしめるような声のあることをいう。○水赤刃傷手 事実は刃が手をきずつけるから血が染まって水が赤くなるのであるが、我々がであう経験からすれば水が赤いのではっとおどろいてみると刃が手をきずつけていることが知られるということになる。



欲輕腸斷聲,心緒亂已久。
自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれているのだ。(それがつい誤って手をきずつけさせたのだ。)
○軽 軽く視る、なんでもないものと見なそうとすること。○心緒 さまざまのものおもい。このものおもいのみだれが手をきずつけたわけである。



丈夫誓許國,憤惋複何有?
大丈夫たるものが心に誓って国のために心身をささげる以上は、憤りうらむべき理由などありはしない。
丈夫 ますらお、自ずからをいう。○許国 心身をささげることを国に対して許す。よいとする。○憤椀 いきどおり、おどろきうらむ。


功名圖麒麟,戰骨當速朽。
麒麟閣に勲功者が画かれている。すぐにでも奮って戦場へでかけて朽ち果てようではないか。
功名 自己の戦功をたでた名。○図 画かれること。○戰骨當速朽 戦死したあとの骨など速にくちはつるがいい、骨はくちても芳名が千歳にのこるのだ。
麒麟 宮殿閣の名。漢の宜帝の甘露三年に大将軍容光ら十二人を麒麟閣にえがいた。


長安洛陽鳳翔Map


出塞兵士の物語 3
 戦場で骨は朽ち果て土に帰るが、手柄を立てれば、その名はいつまでも残る。国のために心身を捧げものは、女々しくするものではない。
 詩の場所は、長安からスタートしたシルクロードを西に進む。河川が急激に急流になる。滝のような場所もたくさんある。轟音を立てて流れる。標高2000mを超える峠まで、両岸は切り立っている。
 出征した兵士のほとんどは、こんな嶮しいところは初めてである。それでなくても都から離れていくし、さびしくなるうえにむせび泣く声の水流の音、はらわたを断ち切るような水流の音などにより、かなり追い詰められていく様子を詠いあげている。

前出塞九首 其二 杜甫

前出塞九首 其二 杜甫紀頌之の漢詩ブログ誠実な詩人杜甫特集 41
五言律詩



前出塞九首 其二
出門日已遠,不受徒旅欺。
我が家の門を出てから日に日に距離が遠くなってきた、陣中の仕事も仲間のあなどりをも受けぬようになる。
骨肉恩豈斷?男兒死無時。
親子兄弟の恩愛の情はどんなときでも断ちきれるものではないのであるが、戦に出た男児は死ぬ時をえらばないものである。
走馬脫轡頭,手中挑青絲。
自分は馬を走らせておもづらのはなかわをはずして青糸の手綱を手中に手繰り上げた。
捷下萬仞岡,俯身試搴旗。

すばやく万仞の高い岡からかけくだり、地面に身を俯せながら旗を抜き取る稽古をしてみる。


我が家の門を出てから日に日に距離が遠くなってきた、陣中の仕事も仲間のあなどりをも受けぬようになる。
親子兄弟の恩愛の情はどんなときでも断ちきれるものではないのであるが、戦に出た男児は死ぬ時をえらばないものである。
自分は馬を走らせておもづらのはなかわをはずして青糸の手綱を手中に手繰り上げた。
すばやく万仞の高い岡からかけくだり、地面に身を俯せながら旗を抜き取る稽古をしてみる。

門を出でて日に己に遠し、 徒旅の欺(あなどり)を受けず。
骨肉恩豈に断えんや、 男児死するに時無し。
馬を走らせて轡頭(ひとう)を脫し、手中に青糸を挑(かか)げ。
捷(と)く万仞(ばんじん)の岡より下り、身を俯して試に旗を搴(むきと)る。



出門日已遠,不受徒旅欺。
我が家の門を出てから日に日に距離が遠くなってきた、陣中の仕事も仲間のあなどりをも受けぬようになる。
出門:門は家の門。 徒旅:徒は成卒、旅とは衆。衆卒を徒旅という、なかまのもの。 :だますことではなく、あなどること。こばかにされる。 

骨肉恩豈斷?男兒死無時。
親子兄弟の恩愛の情はどんなときでも断ちきれるものではないのであるが、戦に出た男児は死ぬ時をえらばないものである。
骨肉:親子兄弟。 恩豊断:ふりきろうとしても実はたちきれぬことをいう。 無時:一定の時のないことをいう、いつでも死すべき時には死なねばならぬの意。 
 

走馬脫轡頭,手中挑青絲。
自分は馬を走らせておもづらのはなかわをはずして青糸の手綱を手中に手繰り上げた。
脱轡頭:轡頭とは馬韁(ばきゅう馬のはなかわ、おもづら)のこと。脱とは蓋しかけてある鐶から馬韁をはずすことであろう。 青糸:これは轡頭からつづく手綱をいう。 



捷下萬仞岡,俯身試搴旗。
すばやく万仞の高い岡からかけくだり、地面に身を俯せながら旗を抜き取る稽古をしてみる。
:はやく。仞:八尺。 :身からだを地面へむけてうつむく。



出塞兵士の物語 2
 この当時の唐の国は、世界一の領土を誇った強大な国であった。国の制度も、律令国家として、最も進んだくにであった。租庸調の人民への負担と貿易など国力は周辺諸国を圧倒していた。しかし、北方と、西方については、生活様式の違いが大きく唐への帰属(漢化)はなかなかできないものであり、周辺の局地戦は、季節が巡るように繰り返された。広大な領土を守るため、常時兵力補充が行われた。
 戦で勲功をあげれば、出身がなんであろうと出世した。徴兵によって狩出されたものが勲功をあげることはなく、異民族、騎馬民族出身者が、手柄を立てのし上がっていったのである。哥舒翰、安禄山など異民族出身者である。
 杜甫の出塞九首は、その名もない兵士の物語なのだ。第二話は、訓練をしてやっと仲間の兵士から小ばかにされなくなったところまでである。

前出塞九首 其一 杜甫

「前出塞九首 其一」 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 40
751年天宝10載 40歳


〔詩の背景〕
・正月、三大礼行なわれる。
(楊貴妃にのめりこみ宦官に任せる。李林甫の圧政)
・2月安禄山、河東節度使を兼ねる。
・4月鮮千仲通、南詔を討ち、高仙芝、大食を討つ
・8月、安禄山、契丹を討って、ともに大敗。
・均田・租庸調制と府兵制は崩壊(749年廃止)
・杜甫、長安にあり。三大礼賦を献ず。玄宗これを奇とし、命じて制を集賢院預かりになる。待機ということ。秋、瘧(おこり、間欠熱、マラリア)を病む。



〔詩題の説明〕前出塞九首
この詩は天宝の未年哥舒翰が吐蕃に兵を出して戦功を貪るのにつき、従軍者の立場でうたったものである。唐王朝は領土欲が特に強くこの時過去最大の領土を誇った。領土拡大は其の地の富を収奪・略奪することにあった。しかし、各都市の領地の管理負担は律令制度に托されて、人民、民衆の負担は大きかったのである。杜甫はこのことに義憤を抱いていた。



(前)出塞 九首 其一
戚戚去故裡,悠悠赴交河。
これから、がまんをして、もの悲しく思いながら故郷を去るのだ、はるかかなたの交河県の方へと赴くのである。
公家有程期,亡命嬰禍羅。
公家の軍隊には作戦日程があり、何時までに何処へ着くという破れない決まりがあるし、途中で命令違反や、放棄、逃亡すれば刑罰の網は容赦ないのだ。
君已富士境,開邊一何多?
我が君は己に秦、隋よりずっとたくさんの領地を手に入れておられるのに、なんでまだそんなに多く辺地を成敗して開拓しょうとなさるのであろうか。
棄絕父母恩,吞聲行負戈。

天子に与えられたこの命、父母の恩より天子の恩に報いるため、しかたがない、父母の恩愛をふりすてて、泣き声を飲み込んでしながら、ほこを背負いひいて行くのだ。


これから、がまんをして、もの悲しく思いながら故郷を去るのだ、はるかかなたの交河県の方へと赴くのである。
公家の軍隊には作戦日程があり、何時までに何処へ着くという破れない決まりがあるし、途中で命令違反や、放棄、逃亡すれば刑罰の網は容赦ないのだ。
我が君は己に秦、隋よりずっとたくさんの領地を手に入れておられるのに、なんでまだそんなに多く辺地を成敗して開拓しょうとなさるのであろうか。
天子に与えられたこの命、父母の恩より天子の恩に報いるため、しかたがない、父母の恩愛をふりすてて、泣き声を飲み込んでしながら、ほこを背負いひいて行くのだ。


(前)塞より出ず 九首 其の一
戚戚としで故里より去り、悠悠交河に赴く。
公家頼期有り、 亡命すれば禍羅に嬰る。
君己に上境に羅めり、 辺を開くこと一正何ぞ多き。
父母の恩を棄施し、 声を呑みて行くゆく曳を負う。



前出塞:あとに「後出塞」五首があり、「後」ができてからそれと区別するために「前」をつけ加えたもので、始めは単に「出塞」とあった。塞はほとりで、ここでは長城のことをいう、長城をこえて出るのにより出塞という。 



戚戚去故裡,悠悠赴交河。
これから、がまんをして、もの悲しく思いながら故郷を去るのだ、はるかかなたの交河県の方へと赴くのである。
戚戚:がまんをしておしだまっているため、ものしずかになる。うれえるさま。15歳から、40歳まで兵役がある(庸)。 故裡:故郷。○悠悠はるか。 交河:県の名、今の新疆ウィグル地区の土魯番の附近。



公家有程期,亡命嬰禍羅。
公家の軍隊には作戦日程があり、何時までに何処へ着くという破れない決まりがあるし、途中で命令違反や、放棄、逃亡すれば刑罰の網は容赦ないのだ。
公家:官家、おかみ。権力者。 程期:道程期限、何時までにどれほどの路をあるかねばならぬとのきまり。亡命:「命より亡する」義。命は名に同じ、姓名をかいた簿籍をいう。亡とは名籍から脱して逃亡することをいう。税と徴兵負担が大きかったので亡命者が多かった。与えられた耕作地を放棄するものが出始め、府兵制が崩れていく。ただ、徴兵がなくなるわけではない、傭兵に重点を置くだけで、農民への負担は変わりなかったのである。 禍羅:羅はあみのこと、禍のあみとは刑罰にふれることをいう。家族に災いが及ぶので、絶対服従状態である。 



君已富士境,開邊一何多?
我が君は己に秦、隋よりずっとたくさんの領地を手に入れておられるのに、なんでまだそんなに多く辺地を成敗して開拓しょうとなさるのであろうか。
:天子。 土境:領土。 開辺:辺境を成敗して開拓する。 



棄絕父母恩,吞聲行負戈。
天子に与えられたこの命、父母の恩より天子の恩に報いるため、しかたがない、父母の恩愛をふりすてて、泣き声を飲み込んでしながら、ほこを背負いひいて行くのだ。
棄絶:ふりすてる。 吞声:すすりなきする、こえをたでぬ。:兵車をひく。ほこを引く。

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