杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

北征

北征 #12 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 219

北征 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 219
北徵 12回目(全12回)


#11までの要旨
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。
嚢中の帛がないことで寒がってふるえている。それでもおしろいや眉墨をいれた包みものをひろげたので痩せた妻もその顔面に光があるようになった。
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。
その頃、粛宗はウイグルに再度の援軍を要請した。五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。精鋭部隊であり、おかげで傾性は次第に回復してきた。しかし、世論はウイグルに援軍を出すことが高い代償を払うことになるのではないかと心配しているのだ。昨年都において慌てふためいて出奔の事変がおこったが、奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払われた。新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。


11
憶昨狼狽初,事與古先別。奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
不聞夏殷衰,中自誅褒妲。周漢獲再興,宣光果明哲。
桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。微爾人盡非,於今國猶活。』
12
淒涼大同殿,寂寞白獸闥。
都人望翠華,佳氣向金闕。
園陵固有神,灑掃數不缺。
煌煌太宗業,樹立甚宏達!』
ものさびしくなったのは長安にある大同殿である。叛乱軍たちの白い帽子や獣の服を着た異民族の兵士によってその御門がひっそりしている。
その都長安に残っている人たちは早く天子の御旗がおかえりになる様にと願ってながめているのだ、その希望のように帝運隆興のめでたい気が行在所の方から御所の金闕に向いつつあるところなのである。
我が唐の天子の御先代の園山陵にはもとより祖宗の神霊が存在しているのである、その先祖に守られている神霊に対して灑掃の礼数は決して欠くることがない。
我が唐が大帝国と為し、繁栄を誇ったのは太宗の帝業が煌煌とかがやいていることなのだ。その樹立された諸制度は広大であり且つ終始をつらぬいて後々の世までつづくのであり、唐の国運が中絶することなどありはしないのだ。


#11
憶う昨(さく) 狼狽(ろうばい)の初め,事は古先と別なり。
奸臣 竟に菹醢(そかい)せられ,同惡(どうあく)隨って蕩析(とうせき)す。
聞かず  夏殷(かいん)の衰えしとき、中(うち)の自ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを。
周漢(しゅうかん) 再興するを獲(え)しは、宣光(せんこう)  果たして明哲(めいてつ)なればなり。
桓桓(かんかん)たり  陳(ちん)将軍、鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈を奮(ふる)う。
爾(なんじ)微(な)かりせば人は尽(ことごと)く非(ひ)ならん、今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く。

#12
淒涼(せいりょう)たり  大同殿(だいどうでん)、寂寞(せきばく)たり 白獣闥(はくじゅうたつ)。
都人(とじん) 翠華(すいか)を望み、佳気(かき)   金闕(きんけつ)に向こう。
園陵(えんりょう) 固(もと)より神(しん)有り、掃灑(そうさい)  数(すう)欠けざらん。
煌煌(こうこう)たり 太宗の業(ぎょう)、樹立 甚(はなは)だ宏達(こうたつ)なり。


現代語訳と訳註
(本文) 12
淒涼大同殿,寂寞白獸闥。
都人望翠華,佳氣向金闕。
園陵固有神,灑掃數不缺。
煌煌太宗業,樹立甚宏達!』


(下し文) #12
淒涼(せいりょう)たり  大同殿(だいどうでん)、寂寞(せきばく)たり 白獣闥(はくじゅうたつ)。
都人(とじん) 翠華(すいか)を望み、佳気(かき)   金闕(きんけつ)に向こう。
園陵(えんりょう) 固(もと)より神(しん)有り、掃灑(そうさい)  数(すう)欠けざらん。
煌煌(こうこう)たり 太宗の業(ぎょう)、樹立 甚(はなは)だ宏達(こうたつ)なり。


(現代語訳) ⑫
ものさびしくなったのは長安にある大同殿である。叛乱軍たちの白い帽子や獣の服を着た異民族の兵士によってその御門がひっそりしている。
その都長安に残っている人たちは早く天子の御旗がおかえりになる様にと願ってながめているのだ、その希望のように帝運隆興のめでたい気が行在所の方から御所の金闕に向いつつあるところなのである。
我が唐の天子の御先代の園山陵にはもとより祖宗の神霊が存在しているのである、その先祖に守られている神霊に対して灑掃の礼数は決して欠くることがない。
我が唐が大帝国と為し、繁栄を誇ったのは太宗の帝業が煌煌とかがやいていることなのだ。その樹立された諸制度は広大であり且つ終始をつらぬいて後々の世までつづくのであり、唐の国運が中絶することなどありはしないのだ。


 
(訳注)北征12
淒涼大同殿,寂寞白獸闥。
ものさびしくなったのは長安にある大同殿である。叛乱軍たちの白い帽子や獣の服を着た異民族の兵士によってその御門がひっそりしている。
○漬涼 ものさびしく。○大同殿 唐の南内興慶宮の勤政楼の北にある門を大同といい、門内に大同殿があった。○寂寞 さぴしいさま。○白獣閥 白獣は異民族の中にイスラム教の兵士が白い帽子をかぶっている。同じウイグル系でも宗教が違うので毛皮を着たり、毛皮の帽子をかぶる。花が高くて目が大きく目の色も異色であった。その異民族が宮殿の中にいることを示す。一般の解釈では同名の宮殿を考え所在ははっきりしないとされている。


都人望翠華,佳氣向金闕。
その都長安に残っている人たちは早く天子の御旗がおかえりになる様にと願ってながめているのだ、その希望のように帝運隆興のめでたい気が行在所の方から御所の金闕に向いつつあるところなのである。
○都人 長安の人民。○望 来たれかしとながめる。○翠華 天子の旗、旗上に翠羽のふさをつけるのによってかくいう。○佳気 天子のかもし出す隆興の良い気配。血筋、歴史的なものを含むもの。『哀王孫』「五陵佳氣無時無。」(五陵の佳気は時として無きは無し)『假山』「佳氣日氤氳」(佳気日に氤氳(いんうん)たり)○向 行在所の方から長安の方ヘ向かって起りつつあること。○金闕 黄金をかざった傍門。

 
園陵固有神,灑掃數不缺。
我が唐の天子の御先代の園山陵にはもとより祖宗の神霊が存在しているのである、その先祖に守られている神霊に対して灑掃の礼数は決して欠くることがない。
○園陵 唐の先代の御陵のこと。御陵には附属の庭園を含んだ園があった。○有神 神霊が存在する。○灑掃 はきそうじ、天子が都に住居しておられるならば園陵の掃除もゆきとどく。○数 礼制にもとづいた礼数ということ、礼制には必ず度数が伴う。○不欠 かけることなし。


煌煌太宗業,樹立甚宏達!』
我が唐が大帝国と為し、繁栄を誇ったのは太宗の帝業が煌煌とかがやいていることなのだ。その樹立された諸制度は広大であり且つ終始をつらぬいて後々の世までつづくのであり、唐の国運が中絶することなどありはしないのだ。
○煌煌 かがやくさま。○太宗業 太宗の為された輝かしい帝業。○樹立 うえつけ立てたこと。○宏達 宏大通達、大きくて且つ終始をつらぬきとおることをいう。


北征
皇帝二載秋,閏八月初吉。
粛宗皇帝の至徳二載の秋の閑八月一日。
杜子將北徵,蒼茫問家室。」
自分は北方にでかけて、家族の様子がはっきりしていないので預けている妻子の様子をたずねようとするものだ。』
維時遭艱虞,朝野少暇日。
この時は叛乱軍の長安を制覇されたことによる奪還のための心配に出くわした頃で、朝廷の者も民間の者もせわしくて暇がないのである。
顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
それに自分はこのたび、どうしたことか特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許されたのは誠に恥じ入ったことである。
拜辭詣闕下,怵惕久未出。
おいとま乞の御挨拶に行在所の御門近くにまかり出たが、恐縮して心に憂いおそれをいだきおるためにいつまでも退出できないでいたのである。
雖乏諫諍姿,恐君有遺失。
自分は左拾遺の官職をいただいているとはいえ、天子の君をお諌めするという程の資質も無いのではあるが万一天子の為されることに失政がありはせぬかと恐れるのである。
#2
君誠中興主,經緯固密勿。
我が君粛宗皇帝におかせられては誠に中興の君主であらせられるもので、国政を経営せられるのにまことに御勉強を重ねられておるところである。
東胡反未已,臣甫憤所切。
それに東都に異民族を使った叛乱軍の安慶緒がいまだに皇帝と称してわが天子に叛いたままなのである。ことは臣下たる自分の痛切に憤怒しているところなのである。
揮涕戀行在,道途猶恍惚。
心中に行在におわす天子のことを敬愛しているため、涙と鼻水がとめどない、これを振り払って旅立とうとするのであるが、前途多難を思うに付けて、踏み出そうとはするのであるが心配な気持ちが高まりおさえきれない心もパニックになってしまうのだ。
乾坤含瘡痍,憂虞何時畢!』

今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。』
3
靡靡逾阡陌,人煙眇蕭瑟。
北に向かう足取りはなかなかはかどらず縦横の道、辻、分岐点を超えていった。山道や裏街道から、人里の煙がさびしく見え、家の明かりがまたたいている。
所遇多被傷,呻吟更流血。
わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた、その人たちは誰もが傷を痛がってうな声を上げ、血を流していた。
回首鳳翔縣,旌旗晚明滅。
振り返ってみると鳳翔県の方を見たのだ。夕方になっていて軍隊の旗がみえたりかくれたりしている。
前登寒山重,屢得飲馬窟。
さらに前進して寒空に幾重にも重なっている山々、凍り付いている山に登った、しばしば窟をさがして馬に水を飲ませるのであった。
邠郊入地底,涇水中蕩潏。
邠州の郊外は低地になっていて地の底へはいるかとおもわれるような風景なのだ、其の地の中央部には涇水があり水がわきあがるかのように水を湛えて流れていた。
猛虎立我前,蒼崖吼時裂。

こんな場所では猛虎が自分の面前に立ちあがるのだ、そして青々と苔むし木々が鬱蒼としていて、猛虎が吼え叫ぶときにはあたりのものがはり裂けるようであった。
4
#4
菊垂今秋花,石戴古車轍。
少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた、路上の石には古いわだちのあとが残っていたのだ。
青雲動高興,幽事亦可悅。
青い大空にうかんでいる雲をながめるとそれは私の詩人の風流の興味を高ぶらせてくれるものであり、また山路の一人静かな旅はいろいろの悦ばしい事にであわせてくれるのである。
山果多瑣細,羅生雜橡栗。
その興味や悦ばしいことというのは山中の果物が多くあり、それが小さいのである、それらと並んで生えているものには橡の実や栗などがいりまじっているである。
或紅如丹砂,或黑如點漆。
或るものは深紅であり、まるで丹砂のようであり、或るものは黒くてしっとり艶のある黒漆のようなのである。
雨露之所濡,甘苦齊結實。
これらのものには雨や露がうるおいを与えているものであり、甘い果実や苦いものも一様に実を結んでいる。
緬思桃源內,益嘆身世拙。

この様な場所をとおるとはるかに「桃源」の伯郷のことがおもわれるのであり、反対にいよいよ自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもうのである。
#5
坡陀望鄜畤,岩穀互出沒。
そのうちに丘陵の起伏、高く広い場所に秦の文公が作ったといわれる土で盛った祭壇がみえてきた。そこに至るまでは大きな岩、深い谷が互いに出たり入ったりしている。
我行已水濱,我僕猶木末。
我々は底の侵入し巌崖と深谷と経過していき私が谷川の水のそばを進んでいるのに、下僕は後ろの崖の木の上の方に居るという具合である。
鴟梟鳴黃桑,野鼠拱亂穴。
ふくろうが黄ばんだ枯れ桑にとまって鳴いている、野ねずみがあちこち穴だらけにしていて顔を出してはおじぎをしている。
夜深經戰場,寒月照白骨。
夜がふけてきて戦揚を経過している、寒そうな月の光が戦死者の白骨を照らしている。
潼關百萬師,往者敗何卒?
あの前年潼関の戦に百万の王朝軍の師将がいたのだ。どうしてこの前のことだ、あんなにも簡単に敗れてしまったのか。
遂令半秦民,殘害為異物。』

その大敗によって殆ど長安地方の半分の人民を葬られず、放置されたままの死人にしてしまったのであろうか。』
#6
況我墮胡塵,及歸盡華發。
まして、わたしは蘆子関から霊武に向かう際、安史軍・叛乱軍に掴まってしまった。そのためそれを逃れていろいろあり、いま家へ帰るにあたって、自分の髪の毛がすっかり白髪になってしまっているのだ。
經年至茅屋,妻子衣百結。
掴まってから一年目に鄜州羌村の茅星へ来てみると妻や子はぼろをつぎあわせた衣をきている。
慟哭松聲回,悲泉共幽咽。
慟哭すると松風の声が吹きめぐり、悲しげな泉の水さえ自分等とともにむせびなきしている。
平生所嬌兒,顏色白勝雪。
ひごろ甘やかして威張らせておいたいたずらっ子の男の子どもは栄養不良で顔色が雪よりもまっ白である。
見耶背面啼,垢膩腳不襪。
彼はこのおやじのわたしを見てそっぽを向いて泣き出すしまつだ。みると彼の脚は垢や油が汚く付いていて、くつたびもはいていないのだ。
牀前兩小女,補綴才過膝。
寝る牀の前には二人の女の子がいるが、彼女等はほころびをつづりあわせた著物をきているがその着丈はやっと膝がかくれるほどである。
7
海圖拆波濤,舊繡移曲折。
彼女等は上着の「ちょっき」をきているがそれは模様の海図の波濤はひきさかれているし、繍い模様の位置がうつっていて曲ったり折れたりしている。
天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
すなわち天呉の絵、紫鳳のかたちに及んでいる、丈が短くなった粗末な毛織りの上にきる「ちょっき」の上であちこち顛倒してみえている。
老夫情懷惡,數日臥嘔泄。
これをみてはわたしは胸のうちがきもちわるくなって、はいたり、くだしたりして、二三日は臥せてしまった。
那無囊中帛,救汝寒凜栗?
どうしてわたしに汝等が嚢中の帛がないことで寒がってふるえているのを救うことのできうることができるというのか。
粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。
それでもおしろいや眉墨をいれた包みものがほどかれるやら、かいまきや、ひとえ寝まきもだんだんとならべられた。
瘦妻面複光,癡女頭自櫛。

痩せた妻もその顔面に光があるようになった、としわの行かない娘たちも自分自身で頭の髪をとかしたりした。
8
學母無不為,曉妝隨手抹。
むすめどもは母のすることならなんでもまねをして、朝の顔のおつくりにも手あたりしだいになにかかおになすりつける。
移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
ややしばらく時がたってから、口紅や白粉をつけるが、できたところを見るとまぬけた幅広に書き眉をしているのである。
生還對童稚,似欲忘饑渴。
自分は生きてかえって子供らに対している、ひもじさも枯渇した体のことも忘れるほどにしてくれる。
問事競挽須,誰能即嗔喝?
彼等がものめずらしげに自分に何かをたずねてくる、たがいに争うてわたしの顎ひげをひっぱったりするが、だれがすぐにそれをどなりつけたりすることができようか。
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。
叛乱軍の中につかまっていたときの愁のことをかんがえれば翻って見て、現在のがやがややかましいぐらいのことは自分の甘んじて受ける所である。
新婦且慰意,生理焉得說?』

家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。暮しむきのことなどどうして口から説明することなどできるものではない。』
9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?
我が君にはまだ兵塵をさけて地方においでになる、いつになったら兵卒を訓練することをやめることができるだろう。
仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
それでも上を仰いでみると天の色もいつも見るものとはかわった様子だ。そぞろになんだか兵乱の悪気が散らばりひろがる様な気がする。
陰風西北來,慘澹隨回紇。
西北の方から陰気な風が吹いてきた。その風はものがなしく回絃にくっついてきたのである。
其王願助順,其俗善馳突。
回紇の王は唐王朝軍を助けたいと願いでてくれた。回乾の習俗は馳突の騎兵船がうまい。
送兵五千人,驅馬一萬匹。
それが我が唐へ五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。
此輩少為貴,四方服勇決。
彼等は少壮なものを貴ぶ習慣で、彼の国の四方の者はその勇決に服従している。
所用皆鷹騰,破敵過箭疾。
彼等の用うる兵戎はみな鷹のように猛々しく獲物を狙う、いさましく敵軍をうち破ることは矢のはやさよりもはやい。
聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』

世論は回紇などを援軍に使ってはと後難をおそれて気を奪われようとしているが、我が天子のお考えでは平気で彼等の援助をまっておられるのだ。』10

北征 #11(全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 218

北征 #11(全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 218
北徵 11回目(全12回)


#10までの要旨
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。
嚢中の帛がないことで寒がってふるえている。それでもおしろいや眉墨をいれた包みものをひろげたので痩せた妻もその顔面に光があるようになった。
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。
その頃、粛宗はウイグルに再度の援軍を要請した。五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。精鋭部隊であり、おかげで傾性は次第に回復してきた。しかし、世論はウイグルに援軍を出すことが高い代償を払うことになるのではないかと心配しているのだ。
王朝連合軍は官軍となり進んで叛乱軍の本拠地まで深く攻め入ろうと請け負ってくれている。この軍事同盟による回紇軍との連合を云い洛陽地方までを攻めおとすことは青州・徐州の方面を開くことになるのである。また五嶽の一つ恒山や碣石の門の両の精神的支柱をも略取することになるのである。叛乱軍、異民族らの命運はながつづきできるというものではない、天子の皇道は断絶してはならないはずのものである。』


10
伊洛指掌收,西京不足拔。官軍請深入,蓄銳可俱發。
此舉開青徐,旋瞻略恆碣。昊天積霜露,正氣有肅殺。
禍轉亡胡歲,勢成擒胡月。胡命其能久?皇綱未宜絕。』
11
憶昨狼狽初,事與古先別。
昨年のことを思い出してみる、前年6月4日圧倒的に有利と見られていた王朝軍を率いる哥舒翰が潼関でが大敗した。都において慌てふためいて出奔の事変が起ったとき、朝廷でとられた御処置は昔の施策とはちがっていた。
奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
我が朝では奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払い散らされてしまった。
不聞夏殷衰,中自誅褒妲。
諸君は夏殷の衰えたときのことを聞いたことはないか、宮廷の中で天子御自身で褒娰・妲己の悪女を誅されたのである。(楊貴妃は玄宗御自身が誅せられたということ。)
周漢獲再興,宣光果明哲。
そうして周の宣王と後漢の光武帝は皆が期待した通り、聡明で事理に明るい君主であったので周や後漢は再興することができた。(新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。)
桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。
まことに桓々と勇武である、左竜武大将軍の陳将軍は。彼は天子から授けられた鉞をついて忠義な功しをふるわれたのである。
微爾人盡非,於今國猶活。』

あの時もし左竜武大将軍の陳将軍が居なかったならば唐の人民はみんな今見るような安泰なものであることができなかったであろう、あなたのおかげで今も我が唐の国はいきることができるのである。』
12
淒涼大同殿,寂寞白獸闥。都人望翠華,佳氣向金闕。
園陵固有神,灑掃數不缺。煌煌太宗業,樹立甚宏達!』

#10
伊洛(いらく)  掌(たなごころ)を指(さ)して収めん、西京(せいけい)も抜くに足らざらん。
官軍  深く入らんことを請(こ)う、鋭(えい)を蓄(たくわ)えて倶(とも)に発す可し。
此の挙(きょ)  青徐(せいじょ)を開かん、旋(たちま)ち恒碣(こうけつ)を略するを瞻(み)ん。
昊天(こうてん) 霜露を積み,正氣 肅殺(しゅくさつ)たる有り。
禍は轉ぜん 胡を亡ぼさん歲(とし),勢は成らん 胡を擒(とりこ)にせん月。
胡の命 其れ能く久しからんや?皇綱(こうこう)未だ宜しく絕つべからず。』

#11
憶う昨(さく) 狼狽(ろうばい)の初め,事は古先と別なり。
奸臣 竟に菹醢(そかい)せられ,同惡(どうあく)隨って蕩析(とうせき)す。
聞かず  夏殷(かいん)の衰えしとき、中(うち)の自ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを。
周漢(しゅうかん) 再興するを獲(え)しは、宣光(せんこう)  果たして明哲(めいてつ)なればなり。
桓桓(かんかん)たり  陳(ちん)将軍、鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈を奮(ふる)う。
爾(なんじ)微(な)かりせば人は尽(ことごと)く非(ひ)ならん、今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く。

#12
淒涼(せいりょう)たり  大同殿(だいどうでん)、寂寞(せきばく)たり 白獣闥(はくじゅうたつ)。
都人(とじん) 翠華(すいか)を望み、佳気(かき)   金闕(きんけつ)に向こう。
園陵(えんりょう) 固(もと)より神(しん)有り、掃灑(そうさい)  数(すう)欠けざらん。
煌煌(こうこう)たり 太宗の業(ぎょう)、樹立 甚(はなは)だ宏達(こうたつ)なり。


現代語訳と訳註
(本文) 11

憶昨狼狽初,事與古先別。
奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
不聞夏殷衰,中自誅褒妲。
周漢獲再興,宣光果明哲。
桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。
微爾人盡非,於今國猶活。』

(下し文) #11
憶う昨(さく) 狼狽(ろうばい)の初め,事は古先と別なり。
奸臣 竟に菹醢(そかい)せられ,同惡(どうあく)隨って蕩析(とうせき)す。
聞かず  夏殷(かいん)の衰えしとき、中(うち)の自ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを。
周漢(しゅうかん) 再興するを獲(え)しは、宣光(せんこう)  果たして明哲(めいてつ)なればなり。
桓桓(かんかん)たり  陳(ちん)将軍、鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈を奮(ふる)う。
爾(なんじ)微(な)かりせば人は尽(ことごと)く非(ひ)ならん、今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く。


(現代語訳)⑪
昨年のことを思い出してみる、前年6月4日圧倒的に有利と見られていた王朝軍を率いる哥舒翰が潼関でが大敗した。都において慌てふためいて出奔の事変が起ったとき、朝廷でとられた御処置は昔の施策とはちがっていた。
我が朝では奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払い散らされてしまった。
諸君は夏殷の衰えたときのことを聞いたことはないか、宮廷の中で天子御自身で褒娰・妲己の悪女を誅されたのである。(楊貴妃は玄宗御自身が誅せられたということ。)
そうして周の宣王と後漢の光武帝は皆が期待した通り、聡明で事理に明るい君主であったので周や後漢は再興することができた。(新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。)
まことに桓々と勇武である、左竜武大将軍の陳将軍は。彼は天子から授けられた鉞をついて忠義な功しをふるわれたのである。
あの時もし左竜武大将軍の陳将軍が居なかったならば唐の人民はみんな今見るような安泰なものであることができなかったであろう、あなたのおかげで今も我が唐の国はいきることができるのである。』


(訳注)11
憶昨狼狽初,事與古先別。

昨年のことを思い出してみる、前年6月4日圧倒的に有利と見られていた王朝軍を率いる哥舒翰が潼関でが大敗した。都において慌てふためいて出奔の事変が起ったとき、朝廷でとられた御処置は昔の施策とはちがっていた。
億咋 咋とは玄宗の逃出の時をさす。756年6月13日夜明け前長安を逃げ出した。玄宗は貴妃姉妹、皇子、皇孫、楊国忠および側近の者だけを連れ、陳玄礼の率いる近衛兵に衛られて西に向かったことを示す。○狼狽 前日の会議に出席するものが少なく、朝廷はうろたえる、多くのものがにわかの出奔をいう。○ 朝廷のなした処置。施政をいう。○古先 むかし。○ ちがう。


奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
我が朝では奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払い散らされてしまった。
○奸臣 楊国忠を代表としている。楊国忠のことは麗人行  杜甫漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 65に詳しい。

安禄山の乱と杜甫

菹醢 菹は野菜の町づけ。醢は肉をこうじ、しお、さけをまぜたものにつけたもの。これは国忠が刑罰に処せられその肉が潰けものにされたことをいう。○同悪 悪いことをともにしたものども、国忠の党類をいう。○蕩析 蕩ははらいのける、析はばらばらに離す。


不聞夏殷衰,中自誅褒妲。
諸君は夏殷の衰えたときのことを聞いたことはないか、宮廷の中で天子御自身で褒娰・妲己の悪女を誅されたのである。(楊貴妃は玄宗御自身が誅せられたということ。)
不聞 君不に聞乎の意、積極的に「聞かず」というのではなく、「聞かざるや」ともちかけていうのである。○夏殷、褒娰 妲己蜘は周の幽王の寵姫、妲己は殷の紂王の寵妃、王朝が滅亡する原因となった美女である。夏殷では時代が合わぬとて夏を周とすべしとの説があるが、拘わる必要はないであろう。褒姐は楊貴妃をあてていう。○ 宮中をいう。


周漢獲再興,宣光果明哲。
そうして周の宣王と後漢の光武帝は皆が期待した通り、聡明で事理に明るい君主であったので周や後漢は再興することができた。(新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。)
宜光 周の宜王、後漢の光武帝、これは粛宗にあてていう。○明哲 才智明かなこと。聡明で事理に明るいこと。この二句も倒句として解釈する。


桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。
まことに桓々と勇武である、左竜武大将軍の陳将軍は。彼は天子から授けられた鉞をついて忠義な功しをふるわれたのである。
桓桓 勇武なさま。『詩経』周頌の桓に「桓桓たる武王」に基づく。○陳将軍 左竜武大将軍陳玄礼をいう。○仗鉞 ほことまさかりによる、武力を用いたこと。○奮忠烈 忠義な功しを奮うた。次の事実がある。玄宗が長安より逃れて興平県の馬嵬駅に至ったとき陳玄礼は将軍として従ったが、楊国忠を誅しようとして、吐蕃の使者に命じ国忠の馬を遮って食の無いことを訴えさせた。国忠がまだこれに答えぬうちに軍士等は呼ばわっていうのに国忠は反を謀ったと。遂に国忠を殺し槍を以て其の首を揚げた。玄宗は駅門に出て軍士を慰労し隊を収めさせたが、軍士は応じなかった。玄宗は高力士をしてそのわけを問わせたところ、玄礼が対えて曰うのに、国忠が反を謀った上は貴妃は供奉すべきではない、願わくは陛下よ、恩を割き法を正さんことを、と。玄宗は力士をして貴妃を仏堂にみちびかせて、彼女を絞殺させた。


微爾人盡非,於今國猶活。』
あの時もし左竜武大将軍の陳将軍が居なかったならば唐の人民はみんな今見るような安泰なものであることができなかったであろう、あなたのおかげで今も我が唐の国はいきることができるのである。』
○徴 無かったとするならば。○ 諌玄礼をさす。O人尽非 非とは今日見る所の如き人ではないことをいう。○国 唐の国家。

北征 #10(全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 217

北征 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 217
北徵 10回目(全12回)


#9までの要旨
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。
嚢中の帛がないことで寒がってふるえている。それでもおしろいや眉墨をいれた包みものをひろげたので痩せた妻もその顔面に光があるようになった。
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。
その頃、粛宗はウイグルに再度の援軍を要請した。五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。精鋭部隊であり、おかげで傾性は次第に回復してきた。しかし、世論はウイグルに援軍を出すことが高い代償を払うことになるのではないかと心配しているのだ。


banri11



9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
陰風西北來,慘澹隨回紇。其王願助順,其俗善馳突。
送兵五千人,驅馬一萬匹。此輩少為貴,四方服勇決。
所用皆鷹騰,破敵過箭疾。聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』
10
伊洛指掌收,西京不足拔。
今後は伊水と洛水の地方、東都の洛陽は掌中の物を指す様にたやすく奪回することができるのだ。だから、長安になるとこれといった優れた大将がいないのでもっと簡単に抜き取れるというものだ。
官軍請深入,蓄銳可俱發。
王朝連合軍は官軍となり進んで叛乱軍の本拠地まで深く攻め入ろうと請け負ってくれている、鋭気を蓄えて回紇一緒に出発する連合軍とすることが良いのである。
此舉開青徐,旋瞻略恆碣。
この軍事同盟による回紇軍との連合を云い洛陽地方までを攻めおとすことは青州・徐州の方面を開くことになるのである。また五嶽の一つ恒山や碣石の門の両の精神的支柱をも略取することになるのである。
昊天積霜露,正氣有肅殺。
大いなる空には霜露が積もっているのだ、天地には正義、正道なる気配はひきしまり悪いものを枯らし、新しい準備をしているのだ。
禍轉亡胡歲,勢成擒胡月。
叛乱軍が皇帝を名乗り、年号を定めていることを滅亡させるときには今の禍は転じるのである。叛乱軍を檎にするときには王朝連合軍の攻める勢もできあがるであろう。
胡命其能久?皇綱未宜絕。』

叛乱軍、異民族らの命運はながつづきできるというものではない、天子の皇道は断絶してはならないはずのものである。』
11
憶昨狼狽初,事與古先別。奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
不聞夏殷衰,中自誅褒妲。周漢獲再興,宣光果明哲。
桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。微爾人盡非,於今國猶活。』

#9
至尊(しそん)は尚(な)お蒙塵(もうじん)す、幾の日か卒(そつ)を練るを休(や)めん。
仰いで天色(てんしょく)の改まるを観(み)、坐(そぞろ)に妖氛(ようふん)の豁(かつ)なるを覚(おぼ)ゆ。
陰風(いんぷう)  西北より来たり、惨澹(さんたん)として回紇(かいこつ)に随う。
其の王は助順(じょじゅん)を願い、其の俗(ぞく)は馳突(ちとつ)を善(よ)くす。
兵を送る  五千人、馬を駆(か)る  一万匹。
此の輩(はい) 少(わか)きを貴(とうと)しと為(な)し、四方(しほう) 勇決(ゆうけつ)に服す。
用うる所は皆な鷹(たか)のごとく騰(あが)り、敵を破ることは箭(や)の疾(と)きに過(す)ぐ。
聖心は頗(すこぶ)る虚佇(きょちょ)し、時議(じぎ)は気の奪われんと欲(ほっ)す。』

#10
伊洛(いらく)  掌(たなごころ)を指(さ)して収めん、西京(せいけい)も抜くに足らざらん。
官軍  深く入らんことを請(こ)う、鋭(えい)を蓄(たくわ)えて倶(とも)に発す可し。
此の挙(きょ)  青徐(せいじょ)を開かん、旋(たちま)ち恒碣(こうけつ)を略するを瞻(み)ん。
昊天(こうてん) 霜露を積み,正氣 肅殺(しゅくさつ)たる有り。
禍は轉ぜん 胡を亡ぼさん歲(とし),勢は成らん 胡を擒(とりこ)にせん月。
胡の命 其れ能く久しからんや?皇綱(こうこう)未だ宜しく絕つべからず。』

#11
憶う昨(さく) 狼狽(ろうばい)の初め,事は古先と別なり。
奸臣 竟に菹醢(そかい)せられ,同惡(どうあく)隨って蕩析(とうせき)す。
聞かず  夏殷(かいん)の衰えしとき、中(うち)の自ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを。
周漢(しゅうかん) 再興するを獲(え)しは、宣光(せんこう)  果たして明哲(めいてつ)なればなり。
桓桓(かんかん)たり  陳(ちん)将軍、鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈を奮(ふる)う。
爾(なんじ)微(な)かりせば人は尽(ことごと)く非(ひ)ならん、今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く。


現代語訳と訳註
(本文) 10
伊洛指掌收,西京不足拔。
官軍請深入,蓄銳可俱發。
此舉開青徐,旋瞻略恆碣。
昊天積霜露,正氣有肅殺。
禍轉亡胡歲,勢成擒胡月。
胡命其能久?皇綱未宜絕。』


(下し文) #10
伊洛(いらく)  掌(たなごころ)を指(さ)して収めん、西京(せいけい)も抜くに足らざらん。
官軍  深く入らんことを請(こ)う、鋭(えい)を蓄(たくわ)えて倶(とも)に発す可し。
此の挙(きょ)  青徐(せいじょ)を開かん、旋(たちま)ち恒碣(こうけつ)を略するを瞻(み)ん。
昊天(こうてん) 霜露を積み,正氣 肅殺(しゅくさつ)たる有り。
禍は轉ぜん 胡を亡ぼさん歲(とし),勢は成らん 胡を擒(とりこ)にせん月。
胡の命 其れ能く久しからんや?皇綱(こうこう)未だ宜しく絕つべからず。』


(現代語訳) ⑩
今後は伊水と洛水の地方、東都の洛陽は掌中の物を指す様にたやすく奪回することができるのだ。だから、長安になるとこれといった優れた大将がいないのでもっと簡単に抜き取れるというものだ。
王朝連合軍は官軍となり進んで叛乱軍の本拠地まで深く攻め入ろうと請け負ってくれている、鋭気を蓄えて回紇一緒に出発する連合軍とすることが良いのである。
この軍事同盟による回紇軍との連合を云い洛陽地方までを攻めおとすことは青州・徐州の方面を開くことになるのである。また五嶽の一つ恒山や碣石の門の両の精神的支柱をも略取することになるのである。
大いなる空には霜露が積もっているのだ、天地には正義、正道なる気配はひきしまり悪いものを枯らし、新しい準備をしているのだ。
叛乱軍が皇帝を名乗り、年号を定めていることを滅亡させるときには今の禍は転じるのである。叛乱軍を檎にするときには王朝連合軍の攻める勢もできあがるであろう。
叛乱軍、異民族らの命運はながつづきできるというものではない、天子の皇道は断絶してはならないはずのものである。』


(訳注)10
伊洛指掌收,西京不足拔。

今後は伊水と洛水の地方、東都の洛陽は掌中の物を指す様にたやすく奪回することができるのだ。だから、長安になるとこれといった優れた大将がいないのでもっと簡単に抜き取れるというものだ。
伊洛 伊水・洛水、共に洛陽付近を流れ、黄河に灌ぐ。○指掌収 手のひらにあるものを指さす如く容易に奪回する。○西京 長安。東都が洛陽であり、共に天子の在所がある。この時叛乱軍の都を洛陽としていて、両方の都がともに、抑えられていた。○不足抜 抜きとるほどのものがない、容易に抜くことができることをいう。


官軍請深入,蓄銳可俱發。
王朝連合軍は官軍となり進んで叛乱軍の本拠地まで深く攻め入ろうと請け負ってくれている、鋭気を蓄えて回紇一緒に出発する連合軍とすることが良いのである。
深入 叛乱軍の本拠地までふかく攻め入る。○蓄鋭 鋭気をたくわえる。○可倶発 倶発とは回紇の援兵といっしょに出発すること。


此舉開青徐,旋瞻略恆碣。
この軍事同盟による回紇軍との連合を云い洛陽地方までを攻めおとすことは青州・徐州の方面を開くことになるのである。また五嶽の一つ恒山や碣石の門の両の精神的支柱をも略取することになるのである。
此挙 この軍事同盟による回紇軍との連合を云い洛陽地方までを攻めおとすこと。○青徐 禹王の定めた天下の九州のうちの二州の名、青州・徐州は水陸の要衝であり、共に山東にある。O旋瞻 みるであろう。○略 取ること。○恆碣 恒山・碣石。恒山は山西省にあり、碣石は河北省の東北部境の海中にあったという石門。両方とも古来より精神的支柱になるもの。


昊天積霜露,正氣有肅殺。
大いなる空には霜露が積もっているのだ、天地には正義、正道なる気配はひきしまり悪いものを枯らし、新しい準備をしているのだ。
昊天 大いなる空、夏のそらを昊天といい、秋のそらを曼天という。○正気 正義、正道なる気。○粛殺 ひきしまり物を枯らす。


轉亡胡歲,勢成擒胡月。
叛乱軍が皇帝を名乗り、年号を定めていることを滅亡させるときには今の禍は転じるのである。叛乱軍を檎にするときには王朝連合軍の攻める勢もできあがるであろう。
禍転 禍が転じて福となることをいう。○ 叛乱軍をいう。○ 叛乱軍が皇帝を名乗り、年号を定めていること。 叛乱軍が宮殿をのっとっていること。ただ時のこと。○ 王朝連合軍の攻める勢。


胡命其能久?皇綱未宜絕。』
叛乱軍、異民族らの命運はながつづきできるというものではない、天子の皇道は断絶してはならないはずのものである。』
胡命 叛乱軍の運命。異民族の命運。○皇綱 天子の皇道をいう。叛乱軍の大義が決起の当初は一定程度あったのだが、安禄山が皇帝を名乗り、個利個略の争いをしたのである。その都度、政略の強いものが政権を担い殺し合ったのだ。このような叛乱軍が世の中を治めていく力はないといっているのだ。

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北征 #9(全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 216

北征 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 216

北徵 #9

#8までの要旨
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。
嚢中の帛がないことで寒がってふるえている。それでもおしろいや眉墨をいれた包みものをひろげたので痩せた妻もその顔面に光があるようになった。
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。
(全12回)


北徵(北征) 8
學母無不為,曉妝隨手抹。移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
生還對童稚,似欲忘饑渴。問事競挽須,誰能即嗔喝?
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。新婦且慰意,生理焉得說?』
9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?
我が君にはまだ兵塵をさけて地方においでになる、いつになったら兵卒を訓練することをやめることができるだろう。
仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
それでも上を仰いでみると天の色もいつも見るものとはかわった様子だ。そぞろになんだか兵乱の悪気が散らばりひろがる様な気がする。
陰風西北來,慘澹隨回紇。
西北の方から陰気な風が吹いてきた。その風はものがなしく回絃にくっついてきたのである。
其王願助順,其俗善馳突。
回紇の王は唐王朝軍を助けたいと願いでてくれた。回乾の習俗は馳突の騎兵船がうまい。
送兵五千人,驅馬一萬匹。
それが我が唐へ五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。
此輩少為貴,四方服勇決。
彼等は少壮なものを貴ぶ習慣で、彼の国の四方の者はその勇決に服従している。
所用皆鷹騰,破敵過箭疾。
彼等の用うる兵戎はみな鷹のように猛々しく獲物を狙う、いさましく敵軍をうち破ることは矢のはやさよりもはやい。
聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』

世論は回紇などを援軍に使ってはと後難をおそれて気を奪われようとしているが、我が天子のお考えでは平気で彼等の援助をまっておられるのだ。』10
伊洛指掌收,西京不足拔。官軍請深入,蓄銳可俱發。
此舉開青徐,旋瞻略恆碣。昊天積霜露,正氣有肅殺。
禍轉亡胡歲,勢成擒胡月。胡命其能久?皇綱未宜絕。』

#8
母を学(まね)びて為(な)さざるは無く、曉妝(ぎょうしょう)  手に随(したが)いて抹す。
時(とき)を移して朱鉛(しゅえん)を施(ほどこ)せば、狼藉(ろうぜき)として画眉(がび)闊(ひろ)し。
生還して童稚(どうち)に対すれば、飢渇(きかつ)を忘れんと欲(ほっ)するに似たり。
事を問うて競(きそ)うて鬚(ひげ)を挽(ひ)くも、誰か能(よ)く即ち嗔喝(しんかつ)せん。
翻(ひるがえ)って賊に在りし愁いを思いて、甘んじて雑乱(ざつらん)の聒(かまびす)しきを受く。
新たに帰りて且(か)つ意を慰(なぐさ)む、生理(せいり)  焉(いずく)んぞ説くことを得ん。

#9
至尊(しそん)は尚(な)お蒙塵(もうじん)す、幾の日か卒(そつ)を練るを休(や)めん。
仰いで天色(てんしょく)の改まるを観(み)、坐(そぞろ)に妖氛(ようふん)の豁(かつ)なるを覚(おぼ)ゆ。
陰風(いんぷう)  西北より来たり、惨澹(さんたん)として回紇(かいこつ)に随う。
其の王は助順(じょじゅん)を願い、其の俗(ぞく)は馳突(ちとつ)を善(よ)くす。
兵を送る  五千人、馬を駆(か)る  一万匹。
此の輩(はい) 少(わか)きを貴(とうと)しと為(な)し、四方(しほう) 勇決(ゆうけつ)に服す。
用うる所は皆な鷹(たか)のごとく騰(あが)り、敵を破ることは箭(や)の疾(と)きに過(す)ぐ。
聖心は頗(すこぶ)る虚佇(きょちょ)し、時議(じぎ)は気の奪われんと欲(ほっ)す。』

#10
伊洛(いらく)  掌(たなごころ)を指(さ)して収めん、西京(せいけい)も抜くに足らざらん。
官軍  深く入らんことを請(こ)う、鋭(えい)を蓄(たくわ)えて倶(とも)に発す可し。
此の挙(きょ)  青徐(せいじょ)を開かん、旋(たちま)ち恒碣(こうけつ)を略するを瞻(み)ん。
昊天(こうてん) 霜露を積み,正氣 肅殺(しゅくさつ)たる有り。
禍は轉ぜん 胡を亡ぼさん歲(とし),勢は成らん 胡を擒(とりこ)にせん月。
胡の命 其れ能く久しからんや?皇綱(こうこう)未だ宜しく絕つべからず。』

現代語訳と訳註
(本文) 9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?
仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
陰風西北來,慘澹隨回紇。
其王願助順,其俗善馳突。
送兵五千人,驅馬一萬匹。
此輩少為貴,四方服勇決。
所用皆鷹騰,破敵過箭疾。
聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』


(下し文) #9
至尊(しそん)は尚(な)お蒙塵(もうじん)す、幾の日か卒(そつ)を練るを休(や)めん。
仰いで天色(てんしょく)の改まるを観(み)、坐(そぞろ)に妖氛(ようふん)の豁(かつ)なるを覚(おぼ)ゆ。
陰風(いんぷう)  西北より来たり、惨澹(さんたん)として回紇(かいこつ)に随う。
其の王は助順(じょじゅん)を願い、其の俗(ぞく)は馳突(ちとつ)を善(よ)くす。
兵を送る  五千人、馬を駆(か)る  一万匹。
此の輩(はい) 少(わか)きを貴(とうと)しと為(な)し、四方(しほう) 勇決(ゆうけつ)に服す。
用うる所は皆な鷹(たか)のごとく騰(あが)り、敵を破ることは箭(や)の疾(と)きに過(す)ぐ。
聖心は頗(すこぶ)る虚佇(きょちょ)し、時議(じぎ)は気の奪われんと欲(ほっ)す。』


(現代語訳) ⑨
我が君にはまだ兵塵をさけて地方においでになる、いつになったら兵卒を訓練することをやめることができるだろう。
それでも上を仰いでみると天の色もいつも見るものとはかわった様子だ。そぞろになんだか兵乱の悪気が散らばりひろがる様な気がする。
西北の方から陰気な風が吹いてきた。その風はものがなしく回絃にくっついてきたのである。
回紇の王は唐王朝軍を助けたいと願いでてくれた。回乾の習俗は馳突の騎兵船がうまい。
それが我が唐へ五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。
彼等は少壮なものを貴ぶ習慣で、彼の国の四方の者はその勇決に服従している。
彼等の用うる兵戎はみな鷹のように猛々しく獲物を狙う、いさましく敵軍をうち破ることは矢のはやさよりもはやい。
世論は回紇などを援軍に使ってはと後難をおそれて気を奪われようとしているが、我が天子のお考えでは平気で彼等の援助をまっておられるのだ。』


(訳注)北征9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?

我が君にはまだ兵塵をさけて地方においでになる、いつになったら兵卒を訓練することをやめることができるだろう。
至尊 天子。鳳翔に粛宗が行在所を置き。成都に玄宗が上皇としていた。○蒙塵 叛乱軍の勢いを示すものとして、蒙塵ということを叛乱軍の中にいた杜甫は感じていた。その兵乱をさけて外に出ておられるというやわらかい表現をしている。○幾日 何日と同じ。○練卒 兵卒を訓練すること。


仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
それでも上を仰いでみると天の色もいつも見るものとはかわった様子だ。そぞろになんだか兵乱の悪気が散らばりひろがる様な気がする。
天色改 そらの色がかわる。○妖氛 兵乱の悪気。叛乱軍の異民族の生活習慣が異なっていること、特に当時の中国に来ているイスラムの白い帽子は、北方の騎馬民族の毛の帽子など怖がられた。○ ひろがり散ずること。


陰風西北來,慘澹隨回紇。
西北の方から陰気な風が吹いてきた。その風はものがなしく回絃にくっついてきたのである。
陰風 陰気な風。○西北 回紇の方位。○慘澹 ものがなしく。○回紇 ウイグルの異民族の軍隊。


其王願助順,其俗善馳突。
回紇の王は唐王朝軍を助けたいと願いでてくれた。回乾の習俗は馳突の騎兵船がうまい。
其王 其は回紇をさす。王は第2代 可汗・磨延畷(葛 勒可汗)のこと○願助順 叛乱軍は道に逆らうものであり、王朝軍は理に順うものである。順とは唐の王朝のつながり順、王朝軍をさす、回紇は唐王朝軍を助けようと願いでた。(実際には回紇は当初は両方に軍を出兵させる状態であった。) 史によると至徳元載10月に回紇は其の太子葉護を遺わし、兵四干を率いて唐を助けて賊を討った。可敦(カトン;可汗の正妻)の妹を妾(めあわ)自分の娘とした上で、これを承粟に嬰す。さらにウイグルの首領を答礼の使者として派遣してきたので、粛宗はこれを彭原に出迎え、ウ イグル王女を砒伽公主 に封じた.。○其俗 回紇ウイグルの習俗。○善馳突 馬を馳せて突出するにじょうずである。ウイグルは大宛国であり名馬の産地であり、騎馬民族の兵術。

送兵五千人,驅馬一萬匹。
それが我が唐へ五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。


此輩少為貴,四方服勇決。
彼等は少壮なものを貴ぶ習慣で、彼の国の四方の者はその勇決に服従している。
此輩 回紇の兵をさす。○少為貴 少壮なものを貴しとする。「漢書」の匈奴伝に「壮者ハ肥美ヲ食シ老者ハ其ノ余ヲ飲食シ、壮健ヲ貴ビ老弱ヲ賤ム。」とみえる。回紇はそれと同じ。騎馬民族であるため、騎兵船は個人技を重視する。○四方 回紇の四面の国々。宗教的なことを意味するもの。○ 服従する。○勇決 回紇の勇敢、果決。


所用皆鷹騰,破敵過箭疾。
彼等の用うる兵戎はみな鷹のように猛々しく獲物を狙う、いさましく敵軍をうち破ることは矢のはやさよりもはやい。
所用 回紇の使用する兵戎。○鷹騰 鷹のように猛々しく獲物を狙う、いさましいことをいう。○過箭疾 矢のはやく疾風騎馬軍がまさる。


聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』
世論は回紇などを援軍に使ってはと後難をおそれて気を奪われようとしているが、我が天子のお考えでは平気で彼等の援助をまっておられるのだ。』
○聖心頗虚佇、時議気欲奪 此の二句は倒句でよむ。時議は当時の議論、即ち世論をいう。気奪われんと欲すはこちらの意気が先方に奪われようとする。回乾の援兵をかりては後のたたりが恐ろしいということで気が気でなくおもうことをいう。・聖心は太子の御意。虚佇とは自己をむなしくして、即ち平気で、回紇が助けるというなら助けてもらおうとまちかまえられることをいう。(757年15万にふくれあがった唐軍は,広平王・淑 を総帥とし,鳳翔を出発.扶風で ウイグル軍を出迎 えた郭子儀は,3日 間の大宴会で接待.以 後,ウイグル軍には食料として毎日,羊200匹,牛20頭,米40石 が支給さるなど、戦いの後を予感させるものであった。1年前の霊武に行在所を置いている段階で朔方軍の郭子儀だけでウイグルの援軍がなかったら唐王朝は滅亡したかもしれないのだ。その早い段階でウイグルに応援を求めたことが滅亡を防いだのだ。しかしどの段階でも王朝軍の方が兵力的には勝っていた。杜甫は、天子が詩土砂をリードする力量にかけていたと思っていたようだ。.ここまでの分を見ても粛宗は杜甫に嫌悪を抱いたであろうと思われる。)

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北征 #8(全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 215

北征 #8 (北征全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 215


北徵 #8

#7までのあらすじ
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。
嚢中の帛がないことで寒がってふるえている。それでもおしろいや眉墨をいれた包みものをひろげたので痩せた妻もその顔面に光があるようになった。

(全12回)

北徵(北征) 7
海圖拆波濤,舊繡移曲折。天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
老夫情懷惡,數日臥嘔泄。那無囊中帛,救汝寒凜栗?
粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。瘦妻面複光,癡女頭自櫛。
8
學母無不為,曉妝隨手抹。
むすめどもは母のすることならなんでもまねをして、朝の顔のおつくりにも手あたりしだいになにかかおになすりつける。
移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
ややしばらく時がたってから、口紅や白粉をつけるが、できたところを見るとまぬけた幅広に書き眉をしているのである。
生還對童稚,似欲忘饑渴。
自分は生きてかえって子供らに対している、ひもじさも枯渇した体のことも忘れるほどにしてくれる。
問事競挽須,誰能即嗔喝?
彼等がものめずらしげに自分に何かをたずねてくる、たがいに争うてわたしの顎ひげをひっぱったりするが、だれがすぐにそれをどなりつけたりすることができようか。
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。
叛乱軍の中につかまっていたときの愁のことをかんがえれば翻って見て、現在のがやがややかましいぐらいのことは自分の甘んじて受ける所である。
新婦且慰意,生理焉得說?』

家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。暮しむきのことなどどうして口から説明することなどできるものではない。』
9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
陰風西北來,慘澹隨回紇。其王願助順,其俗善馳突。
送兵五千人,驅馬一萬匹。此輩少為貴,四方服勇決。
所用皆鷹騰,破敵過箭疾。聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』

#7
海図(かいず)は波涛を拆(さ)き、旧繍(きゅうしゅう)は移りて曲折(きょくせつ)たり。
天呉(てんご)  及び紫鳳(しほう)、顛倒(てんとう)して裋褐(じゅかつ)に在り。
老父  情懐(じょうかい)悪(あ)しく、嘔泄(おうせつ)して臥(ふ)すこと数日なり。
那(なん)ぞ囊中(のうちゅう)の帛(きぬ)無からんや、汝(なんじ)の寒くして凛慄(りんりつ)たるを救わん。
粉黛(ふんたい) 亦た苞(つつみ)を解き、衾裯(きんちゅう) 稍(やや)羅列(られつ)す。
痩妻は面(おもて)をば復(ま)た光(かがや)かせ、痴女(ちじょ)は頭(こうべ)をば自ら櫛(くし)けずる。

#8
母を学(まね)びて為(な)さざるは無く、曉妝(ぎょうしょう)  手に随(したが)いて抹す。
時(とき)を移して朱鉛(しゅえん)を施(ほどこ)せば、狼藉(ろうぜき)として画眉(がび)闊(ひろ)し。
生還して童稚(どうち)に対すれば、飢渇(きかつ)を忘れんと欲(ほっ)するに似たり。
事を問うて競(きそ)うて鬚(ひげ)を挽(ひ)くも、誰か能(よ)く即ち嗔喝(しんかつ)せん。
翻(ひるがえ)って賊に在りし愁いを思いて、甘んじて雑乱(ざつらん)の聒(かまびす)しきを受く。
新たに帰りて且(か)つ意を慰(なぐさ)む、生理(せいり)  焉(いずく)んぞ説くことを得ん。

#9
至尊(しそん)は尚(な)お蒙塵(もうじん)す、幾の日か卒(そつ)を練るを休(や)めん。
仰いで天色(てんしょく)の改まるを観(み)、坐(そぞろ)に妖氛(ようふん)の豁(かつ)なるを覚(おぼ)ゆ。
陰風(いんぷう)  西北より来たり、惨澹(さんたん)として回紇(かいこつ)に随う。
其の王は助順(じょじゅん)を願い、其の俗(ぞく)は馳突(ちとつ)を善(よ)くす。
兵を送る  五千人、馬を駆(か)る  一万匹。
此の輩(はい) 少(わか)きを貴(とうと)しと為(な)し、四方(しほう) 勇決(ゆうけつ)に服す。
用うる所は皆な鷹(たか)のごとく騰(あが)り、敵を破ることは箭(や)の疾(と)きに過(す)ぐ。
聖心は頗(すこぶ)る虚佇(きょちょ)し、時議(じぎ)は気の奪われんと欲(ほっ)す。』

sas0011


現代語訳と訳註 北征 8
(本文) 8

學母無不為,曉妝隨手抹。
移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
生還對童稚,似欲忘饑渴。
問事競挽須,誰能即嗔喝?
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。
新婦且慰意,生理焉得說?』


(下し文)#8
母を学(まね)びて為(な)さざるは無く、曉妝(ぎょうしょう)  手に随(したが)いて抹す。
時(とき)を移して朱鉛(しゅえん)を施(ほどこ)せば、狼藉(ろうぜき)として画眉(がび)闊(ひろ)し。
生還して童稚(どうち)に対すれば、飢渇(きかつ)を忘れんと欲(ほっ)するに似たり。
事を問うて競(きそ)うて鬚(ひげ)を挽(ひ)くも、誰か能(よ)く即ち嗔喝(しんかつ)せん。
翻(ひるがえ)って賊に在りし愁いを思いて、甘んじて雑乱(ざつらん)の聒(かまびす)しきを受く。
新たに帰りて且(か)つ意を慰(なぐさ)む、生理(せいり)  焉(いずく)んぞ説くことを得ん。

(現代語訳)⑧
むすめどもは母のすることならなんでもまねをして、朝の顔のおつくりにも手あたりしだいになにかかおになすりつける。
ややしばらく時がたってから、口紅や白粉をつけるが、できたところを見るとまぬけた幅広に書き眉をしているのである。
自分は生きてかえって子供らに対している、ひもじさも枯渇した体のことも忘れるほどにしてくれる。
彼等がものめずらしげに自分に何かをたずねてくる、たがいに争うてわたしの顎ひげをひっぱったりするが、だれがすぐにそれをどなりつけたりすることができようか。
叛乱軍の中につかまっていたときの愁のことをかんがえれば翻って見て、現在のがやがややかましいぐらいのことは自分の甘んじて受ける所である。
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。暮しむきのことなどどうして口から説明することなどできるものではない。』


tsuki0882

(訳注)8
學母無不為,曉妝隨手抹。

むすめどもは母のすることならなんでもまねをして、朝の顔のおつくりにも手あたりしだいになにかかおになすりつける。
 杜甫の妻、子供らの母をさす。○無不為 一々みなする。○暁赦 あさの顔のおつくり。○随手抹 手あたりしだいになすりつける。


移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
ややしばらく時がたってから、口紅や白粉をつけるが、できたところを見るとまぬけた幅広に書き眉をしているのである。
移時 やや少しの時間がたって。○施朱鉛 朱は口紅をいう。鉛はなまり、おしろいの粉をいう。施とはぬること。○狼籍 しどろもどろに。○画眉闊 まのぬけたほど幅広に書き眉をする。


生還對童稚,似欲忘饑渴。
自分は生きてかえって子供らに対している、ひもじさも枯渇した体のことも忘れるほどにしてくれる。
生還 生きてもどる。○童稚 こども、おさなご。


問事競挽須,誰能即嗔喝?
彼等がものめずらしげに自分に何かをたずねてくる、たがいに争うてわたしの顎ひげをひっぱったりするが、だれがすぐにそれをどなりつけたりすることができようか。
問事 子どもらがなにかたずねる。○競挽須 きそうて顎のひげをひっぱる。○即 すぐさま。○嗔喝 本気で怒声をだしてどなりつける。


翻思在賊愁,甘受雜亂聒。
叛乱軍の中につかまっていたときの愁のことをかんがえれば翻って見て、現在のがやがややかましいぐらいのことは自分の甘んじて受ける所である。
○翻 ひるがえって。○在賊愁 叛乱軍のなかにつかまっていたころの愁。○甘受 平気でうける。○雑乱 ごたごた。


新歸且慰意,生理焉得說?』
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。暮しむきのことなどどうして口から説明することなどできるものではない。』
○脂 やかましい。○生理 生きていく本来のもの。ここではくらしむきのこと。

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北征 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 214

北徵 #7(全12回)

#6までのあらすじ
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。

6
況我墮胡塵,及歸盡華發。經年至茅屋,妻子衣百結。
慟哭松聲回,悲泉共幽咽。平生所嬌兒,顏色白勝雪。
見耶背面啼,垢膩腳不襪。床前兩小女,補綴才過膝。
7
海圖拆波濤,舊繡移曲折。
彼女等は上着の「ちょっき」をきているがそれは模様の海図の波濤はひきさかれているし、繍い模様の位置がうつっていて曲ったり折れたりしている。
天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
すなわち天呉の絵、紫鳳のかたちに及んでいる、丈が短くなった粗末な毛織りの上にきる「ちょっき」の上であちこち顛倒してみえている。
老夫情懷惡,數日臥嘔泄。
これをみてはわたしは胸のうちがきもちわるくなって、はいたり、くだしたりして、二三日は臥せてしまった。
那無囊中帛,救汝寒凜栗?
どうしてわたしに汝等が嚢中の帛がないことで寒がってふるえているのを救うことのできうることができるというのか。
粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。
それでもおしろいや眉墨をいれた包みものがほどかれるやら、かいまきや、ひとえ寝まきもだんだんとならべられた。
瘦妻面複光,癡女頭自櫛。

痩せた妻もその顔面に光があるようになった、としわの行かない娘たちも自分自身で頭の髪をとかしたりした。

8
學母無不為,曉妝隨手抹。移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
生還對童稚,似欲忘饑渴。問事競挽須,誰能即嗔喝?
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。新婦且慰意,生理焉得說?』

#6
況(いわ)んや我は胡塵(こじん)に堕(お)ち、帰るに及んで尽(ことごと)く華髪(かはつ)なり。
年(とし)を経(へ)て茅屋(ぼうおく)に至れば、妻子  衣(ころも)は百結(ひゃくけつ)なり。
慟哭(どうこく)すれば松声(しょうせい)廻(めぐ)り、悲泉(ひせん)は共に幽咽(ゆうえつ)す。
平生(へいぜい)  嬌(きょう)とする所の児(じ)、顔色(がんしょく)  白くして雪にも勝(まさ)る。
耶(ちち)を見て面(おもて)を背(そむ)けて啼(な)く、垢膩(こうじ)して脚(あし)に襪(たび)はかず。
床前(しょうぜん)の両小女、補綴(ほてつ)して 才(わず)かに膝(ひざ)を過ごす。
#7
海図(かいず)は波涛を拆(さ)き、旧繍(きゅうしゅう)は移りて曲折(きょくせつ)たり。
天呉(てんご)  及び紫鳳(しほう)、顛倒(てんとう)して裋褐(じゅかつ)に在り。
老父  情懐(じょうかい)悪(あ)しく、嘔泄(おうせつ)して臥(ふ)すこと数日なり。
那(なん)ぞ囊中(のうちゅう)の帛(きぬ)無からんや、汝(なんじ)の寒くして凛慄(りんりつ)たるを救わん。
粉黛(ふんたい) 亦た苞(つつみ)を解き、衾裯(きんちゅう) 稍(やや)羅列(られつ)す。
痩妻は面(おもて)をば復(ま)た光(かがや)かせ、痴女(ちじょ)は頭(こうべ)をば自ら櫛(くし)けずる。

#8
母を学(まね)びて為(な)さざるは無く、曉妝(ぎょうしょう)  手に随(したが)いて抹す。
時(とき)を移して朱鉛(しゅえん)を施(ほどこ)せば、狼藉(ろうぜき)として画眉(がび)闊(ひろ)し。
生還して童稚(どうち)に対すれば、飢渇(きかつ)を忘れんと欲(ほっ)するに似たり。
事を問うて競(きそ)うて鬚(ひげ)を挽(ひ)くも、誰か能(よ)く即ち嗔喝(しんかつ)せん。
翻(ひるがえ)って賊に在りし愁いを思いて、甘んじて雑乱(ざつらん)の聒(かまびす)しきを受く。
新たに帰りて且(か)つ意を慰(なぐさ)む、生理(せいり)  焉(いずく)んぞ説くことを得ん。


現代語訳と訳註
(本文)

海圖拆波濤,舊繡移曲折。
天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
老夫情懷惡,數日臥嘔泄。
那無囊中帛,救汝寒凜栗?
粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。
瘦妻面複光,癡女頭自櫛。


(下し文) #7
海図(かいず)は波涛を拆(さ)き、旧繍(きゅうしゅう)は移りて曲折(きょくせつ)たり。
天呉(てんご)  及び紫鳳(しほう)、顛倒(てんとう)して裋褐(じゅかつ)に在り。
老父  情懐(じょうかい)悪(あ)しく、嘔泄(おうせつ)して臥(ふ)すこと数日なり。
那(なん)ぞ囊中(のうちゅう)の帛(きぬ)無からんや、汝(なんじ)の寒くして凛慄(りんりつ)たるを救わん。
粉黛(ふんたい) 亦た苞(つつみ)を解き、衾裯(きんちゅう) 稍(やや)羅列(られつ)す。
痩妻は面(おもて)をば復(ま)た光(かがや)かせ、痴女(ちじょ)は頭(こうべ)をば自ら櫛(くし)けずる。

(現代語訳)
彼女等は上着の「ちょっき」をきているがそれは模様の海図の波濤はひきさかれているし、繍い模様の位置がうつっていて曲ったり折れたりしている。
すなわち天呉の絵、紫鳳のかたちに及んでいる、丈が短くなった粗末な毛織りの上にきる「ちょっき」の上であちこち顛倒してみえている。
これをみてはわたしは胸のうちがきもちわるくなって、はいたり、くだしたりして、二三日は臥せてしまった。
どうしてわたしに汝等が嚢中の帛がないことで寒がってふるえているのを救うことのできうることができるというのか。
それでもおしろいや眉墨をいれた包みものがほどかれるやら、かいまきや、ひとえ寝まきもだんだんとならべられた。
痩せた妻もその顔面に光があるようになった、としわの行かない娘たちも自分自身で頭の髪をとかしたりした。


(訳注)⑦
海圖拆波濤,舊繡移曲折。
彼女等は上着の「ちょっき」をきているがそれは模様の海図の波濤はひきさかれているし、繍い模様の位置がうつっていて曲ったり折れたりしている。
波濤 図の模様。○旧綸 ふるいぬいとり、これは著もののきれ地にぬいをしたもの。○移曲折 場所がかわっておれまがる。


天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
すなわち天呉の絵、紫鳳のかたちに及んでいる、丈が短くなった粗末な毛織りの上にきる「ちょっき」の上であちこち顛倒してみえている。
天呉「山海経」にみえる勤物、かっぱの類、虎身人面、八首八足八尾、背青黄色のものである。○紫鳳 紫毛ある鳳凰。天呉も紫鳳もみな繍の模様。○顛倒 位置がひっくりかえる。○短褐 丈が短くなった粗末な毛織りの上にきるちょっき。


老夫情懷惡,數日臥嘔泄。
これをみてはわたしは胸のうちがきもちわるくなって、はいたり、くだしたりして、二三日は臥せてしまった。
○老夫 おやじ、杜甫自ずからをいう。○情懐悪 むねのうちが気持ちがわるくなること。○嘔泄 はいたり、くだしたりする。


那無囊中帛,救汝寒凜栗?
どうしてわたしに汝等が嚢中の帛がないことで寒がってふるえているのを救うことのできうることができるというのか。
嚢中帛 ふくろの中のきぬ。○ こどもらをさす。○凛慄 ぶるぶるふるえる。○倒句として解釈する。


粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。
それでもおしろいや眉墨をいれた包みものがほどかれるやら、かいまきや、ひとえ寝まきもだんだんとならべられた。
粉黛 おしろい、まゆずみ。○解苑 葱は包の仮借字、つつみものをいう、解はほどくこと。○衾裯 衾はかいまき、裯はひとえねまき。○ ようやく、しだいに。○羅列 ならべられる。


瘦妻面複光,癡女頭自櫛。
痩せた妻もその顔面に光があるようになった、としわの行かない娘たちも自分自身で頭の髪をとかしたりした。
痩妻 やせたつま。○面復光 すこしかおにつやがでる。○癡女 智意のゆかぬむすめ。○ かみをとかす。


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(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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北徵 #6(全12回)

#5までのあらすじ
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。

 
北徵(北征) 6
#5
坡陀望鄜畤,岩穀互出沒。我行已水濱,我僕猶木末。
鴟梟鳴黃桑,野鼠拱亂穴。夜深經戰場,寒月照白骨。
潼關百萬師,往者敗何卒?遂令半秦民,殘害為異物。』

#6
況我墮胡塵,及歸盡華發。
まして、わたしは蘆子関から霊武に向かう際、安史軍・叛乱軍に掴まってしまった。そのためそれを逃れていろいろあり、いま家へ帰るにあたって、自分の髪の毛がすっかり白髪になってしまっているのだ。
經年至茅屋,妻子衣百結。
掴まってから一年目に鄜州羌村の茅星へ来てみると妻や子はぼろをつぎあわせた衣をきている。
慟哭松聲回,悲泉共幽咽。
慟哭すると松風の声が吹きめぐり、悲しげな泉の水さえ自分等とともにむせびなきしている。
平生所嬌兒,顏色白勝雪。
ひごろ甘やかして威張らせておいたいたずらっ子の男の子どもは栄養不良で顔色が雪よりもまっ白である。
見耶背面啼,垢膩腳不襪。
彼はこのおやじのわたしを見てそっぽを向いて泣き出すしまつだ。みると彼の脚は垢や油が汚く付いていて、くつたびもはいていないのだ。
牀前兩小女,補綴才過膝。
寝る牀の前には二人の女の子がいるが、彼女等はほころびをつづりあわせた著物をきているがその着丈はやっと膝がかくれるほどである。

7
海圖拆波濤,舊繡移曲折。天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
老夫情懷惡,數日臥嘔泄。那無囊中帛,救汝寒凜栗?
粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。瘦妻面複光,癡女頭自櫛。

#5
坡陀(はだ)として鄜畤を望めば,岩穀(がんこく)互いに出沒す。
我が行 已に水濱(すいひん),我が僕(ぼく)猶 木末(ぼくまつ)。
鴟梟(しちょう)は黄桑(こうそう)に鳴き、野鼠(やそ)は乱穴(らんけつ)に拱(きょう)す。
夜 深(ふ)けて戦場を経(ふ)れば、寒月(かんげつ)  白骨を照らす。
潼関(どうかん)  百万の師(いくさ)、往者(さきには) 散ずるところ何ぞ卒(すみや)かなりし。
遂に半秦(はんしん)の民をして、残害(ざんがい)して異物と為(な)らしむ。』

#6
況(いわ)んや我は胡塵(こじん)に堕(お)ち、帰るに及んで尽(ことごと)く華髪(かはつ)なり。
年(とし)を経(へ)て茅屋(ぼうおく)に至れば、妻子  衣(ころも)は百結(ひゃくけつ)なり。
慟哭(どうこく)すれば松声(しょうせい)廻(めぐ)り、悲泉(ひせん)は共に幽咽(ゆうえつ)す。
平生(へいぜい)  嬌(きょう)とする所の児(じ)、顔色(がんしょく)  白くして雪にも勝(まさ)る。
耶(ちち)を見て面(おもて)を背(そむ)けて啼(な)く、垢膩(こうじ)して脚(あし)に襪(たび)はかず。
床前(しょうぜん)の両小女、補綴(ほてつ)して 才(わず)かに膝(ひざ)を過ごす。

#7
海図(かいず)は波涛を拆(さ)き、旧繍(きゅうしゅう)は移りて曲折(きょくせつ)たり。
天呉(てんご)  及び紫鳳(しほう)、顛倒(てんとう)して裋褐(じゅかつ)に在り。
老父  情懐(じょうかい)悪(あ)しく、嘔泄(おうせつ)して臥(ふ)すこと数日なり。
那(なん)ぞ囊中(のうちゅう)の帛(きぬ)無からんや、汝(なんじ)の寒くして凛慄(りんりつ)たるを救わん。
粉黛(ふんたい) 亦た苞(つつみ)を解き、衾裯(きんちゅう) 稍(やや)羅列(られつ)す。
痩妻は面(おもて)をば復(ま)た光(かがや)かせ、痴女(ちじょ)は頭(こうべ)をば自ら櫛(くし)けずる。

現代語訳と訳註
(本文)

況我墮胡塵,及歸盡華發。
經年至茅屋,妻子衣百結。
慟哭松聲回,悲泉共幽咽。
平生所嬌兒,顏色白勝雪。
見耶背面啼,垢膩腳不襪。
床前兩小女,補綴才過膝。

(下し文) #6
況(いわ)んや我は胡塵(こじん)に堕(お)ち、帰るに及んで尽(ことごと)く華髪(かはつ)なり。
年(とし)を経(へ)て茅屋(ぼうおく)に至れば、妻子  衣(ころも)は百結(ひゃくけつ)なり。
慟哭(どうこく)すれば松声(しょうせい)廻(めぐ)り、悲泉(ひせん)は共に幽咽(ゆうえつ)す。
平生(へいぜい)  嬌(きょう)とする所の児(じ)、顔色(がんしょく)  白くして雪にも勝(まさ)る。
耶(ちち)を見て面(おもて)を背(そむ)けて啼(な)く、垢膩(こうじ)して脚(あし)に襪(たび)はかず。
床前(しょうぜん)の両小女、補綴(ほてつ)して 才(わず)かに膝(ひざ)を過ごす。

(現代語訳) 
まして、わたしは蘆子関から霊武に向かう際、安史軍・叛乱軍に掴まってしまった。そのためそれを逃れていろいろあり、いま家へ帰るにあたって、自分の髪の毛がすっかり白髪になってしまっているのだ。
掴まってから一年目に鄜州羌村の茅星へ来てみると妻や子はぼろをつぎあわせた衣をきている。
慟哭すると松風の声が吹きめぐり、悲しげな泉の水さえ自分等とともにむせびなきしている。
ひごろ甘やかして威張らせておいたいたずらっ子の男の子どもは栄養不良で顔色が雪よりもまっ白である。
彼はこのおやじのわたしを見てそっぽを向いて泣き出すしまつだ。みると彼の脚は垢や油が汚く付いていて、くつたびもはいていないのだ。
寝る牀の前には二人の女の子がいるが、彼女等はほころびをつづりあわせた著物をきているがその着丈はやっと膝がかくれるほどである。


(訳注) 北征 #6
況我墮胡塵,及歸盡華發。

まして、わたしは蘆子関から霊武に向かう際、安史軍・叛乱軍に掴まってしまった。そのためそれを逃れていろいろあり、いま家へ帰るにあたって、自分の髪の毛がすっかり白髪になってしまっているのだ。
堕胡塵 えびすの塵のなかにおちる。安史軍(安禄山軍、史忠明軍、異民族軍、潘鎮諸公軍などこのブログでは、官軍・賊軍という表現はしない<官軍といわれる軍も、唐王朝の軍、当初は、朔方軍とウイグル軍主体であった。杜甫は、王朝軍を建て直すことをしないでウイグルに援軍を求めたことを諌めている。>)の中に陥ったことをいう。蘆子関には、史忠明の軍が抑えており、霊武の郭子儀の朔方軍に粛宗が行在所を置いていた。杜甫は、家族を羌村において北に向かって蘆子関を前に盗賊に馬を奪われ、隠れているところを掴まった。このいきさつは、

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塞蘆子 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 195

を参照されたい。
 鄜州羌村へ帰る。○華髪 しらが。


經年至茅屋,妻子衣百結。
掴まってから一年目に鄜州羌村の茅星へ来てみると妻や子はぼろをつぎあわせた衣をきている。
経年 年すぎて。ここでは、一年後。○茅屋 かやぶきの家。○百結 むすびめだらけ。破れたところ、擦り切れたところを継ぎ接ぎする事をいう。


慟哭松聲回,悲泉共幽咽。
慟哭すると松風の声が吹きめぐり、悲しげな泉の水さえ自分等とともにむせびなきしている。
慟哭 悲しみのあまり、声をはりあげて泣き叫ぶこと。○松声廻 廻とは風がこだまのように響き渡ること、松声は松かぜのおと。○悲泉 かなしめるが如き泉のおと。○ 我等人間とともに。○幽咽 ひとり静かにむせび泣くこと。


平生所嬌兒,顏色白勝雪。
ひごろ甘やかして威張らせておいたいたずらっ子の男の子どもは栄養不良で顔色が雪よりもまっ白である。
所嬌児 威張らせておいたこども、いたずらっ子ということ。杜甫の子供については月夜 と家族を詠う詩について 

月夜 と家族を詠う詩について 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150

憶幼子 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 156

得家書 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 181


を参照されたい。


見耶背面啼,垢膩腳不襪。
彼はこのおやじのわたしを見てそっぽを向いて泣き出すしまつだ。みると彼の脚は垢や油が汚く付いていて、くつたびもはいていないのだ。
 爺と同じ、ちちおや、杜甫自ずからをいう。○背面 面をそむける。そっぽを向くこと。○垢膩 あか、あぶら。○ くつたぴ。


牀前兩小女,補綴才過膝。
寝る牀の前には二人の女の子がいるが、彼女等はほころびをつづりあわせた著物をきているがその着丈はやっと膝がかくれるほどである。
 ねだい。○補綴 きもののほつれをおぎないつづる、綴を或は綻に作る、綻はほころぴ。○才 後と同じ、わずかに、やっと。○過膝 ひざからすこしさがる。○海図 海をえがいたもの。

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北征 #2(北征全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 209

北征 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 209
#2(全12回)
「北征」の詩の内容は四つの段に分けられる。すなわち第一段はこのたびの帰省のことと現在の時勢について、第二段は旅中の見聞、第三段は妻子との再会、第四段は胡賊撃退へと動き出した状況の説明と大乱平定の願い、となっている。

954述懐  杜甫 kanbuniinkai紀頌之のブログ 杜甫特集700- 177
ID詩 題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晚行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒步歸行鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。大宗の施政が仁徳のあるものであったと賛美し、暗に粛宗の愚帝ぶりを批判している。秀作。
973玉華宮 鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃。八月初めに鳳翔より出発し,鄜州に到著して以後に作ったもの。旅の報告と上奏文であり、ウイグルに救援を求める粛宗批判といえる内容のものである。一番の秀作。
977羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
978・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
979・村の長老たちと帰還の祝い。 
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。
ID詩 題摘要 (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれるものである。が、一方、この時期の作品は左拾位としての役目をしようとする杜甫の誠実さを浮き彫りにするものでもある。秀作ぞろいである。ウイグル援軍要請批判は安禄山軍に拘束された時期、「黄河二首」「送楊六判官使西蕃」から一貫している。

北徵 #1
皇帝二載秋,閏八月初吉。杜子將北徵,蒼茫問家室。」
維時遭艱虞,朝野少暇日。顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
拜辭詣闕下,怵惕久未出。雖乏諫諍姿,恐君有遺失。
#2
君誠中興主,經緯固密勿。
我が君粛宗皇帝におかせられては誠に中興の君主であらせられるもので、国政を経営せられるのにまことに御勉強を重ねられておるところである。
東胡反未已,臣甫憤所切。
それに東都に異民族を使った叛乱軍の安慶緒がいまだに皇帝と称してわが天子に叛いたままなのである。ことは臣下たる自分の痛切に憤怒しているところなのである。
揮涕戀行在,道途猶恍惚。
心中に行在におわす天子のことを敬愛しているため、涙と鼻水がとめどない、これを振り払って旅立とうとするのであるが、前途多難を思うに付けて、踏み出そうとはするのであるが心配な気持ちが高まりおさえきれない心もパニックになってしまうのだ。
乾坤含瘡痍,憂虞何時畢!』

今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。』

#3
靡靡逾阡陌,人煙眇蕭瑟。所遇多被傷,呻吟更流血。
回首鳳翔縣,旌旗晚明滅。前登寒山重,屢得飲馬窟。
邠郊入地底,涇水中蕩潏。猛虎立我前,蒼崖吼時裂。

#1
皇帝二載の秋 閏八月初吉。
杜子将に北征して、蒼茫 家室を問わんとす。』
維(こ)れ時 艱虞(かんぐ)に遭う、朝野(ちょうや)暇日(かじつ)少(すくな)し。
顧(かえり)みて恩私(おんし)の被るを慚ず、詔して蓬蓽(ほうか)に帰るを許さる。
拝辞して闕下(けつか)に詣(いた)り、怵惕(じゅつてき)久しうして未だ出でず。
諫諍(かんそう)の姿に乏しと雖も、恐らくは君に遺失有らんことを。
#2
君は誠に中興の主なり 経緯固に密勿たり
東胡反して未だ已まず 臣甫が憤の切なる所
沸を揮いて行在(あんざい)を恋う、道途(どうと)猶恍惚たり。
乾坤(けんこん)瘡痍(そうい)を含む、憂虞(ゆうぐ)何の時か畢(おわ)らん。』
#3
扉扉(ひひ)として阡陌(せんぱく)を逾(こ)ゆれば、人煙 眇(びょう)として蕭瑟(しょうしつ)たり。
遇う所は多く傷を被る 呻吟して更に血を流す。
首を回らす鳳翔県、旌旗(せいき)晩に明滅す。
前みて寒山の重れるに登る、屢々飲馬の窟(いわや)を得たり。
邠郊(ひんこう)地底に入る、涇水 中に蕩潏(とういつ)たり。
猛虎我が前に立つ、蒼崖吼ゆる時裂く。

現代語訳と訳註
(本文)
#2
君誠中興主,經緯固密勿。
東胡反未已,臣甫憤所切。
揮涕戀行在,道途猶恍惚。
乾坤含瘡痍,憂虞何時畢!』


(下し文)
君は誠に中興の主なり 経緯固に密勿たり
東胡反して未だ已まず 臣甫が憤の切なる所
沸を揮いて行在(あんざい)を恋う、道途(どうと)猶恍惚たり。
乾坤(けんこん)瘡痍(そうい)を含む、憂虞(ゆうぐ)何の時か畢(おわ)らん。』

(現代語訳)
我が君粛宗皇帝におかせられては誠に中興の君主であらせられるもので、国政を経営せられるのにまことに御勉強を重ねられておるところである。
それに東都に異民族を使った叛乱軍の安慶緒がいまだに皇帝と称してわが天子に叛いたままなのである。ことは臣下たる自分の痛切に憤怒しているところなのである。
心中に行在におわす天子のことを敬愛しているため、涙と鼻水がとめどない、これを振り払って旅立とうとするのであるが、前途多難を思うに付けて、踏み出そうとはするのであるが心配な気持ちが高まりおさえきれない心もパニックになってしまうのだ。
今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。』


(訳注)北徵 #2
君誠中興主,經緯固密勿。
我が君粛宗皇帝におかせられては誠に中興の君主であらせられるもので、国政を経営せられるのにまことに御勉強を重ねられておるところである。
中興主 隆興に中った御主人。唐史において中興主は第9代皇帝代層とされている。第7代皇帝玄宗も「元の治」言われる時期あったので、ここでは玄宗のことを示すのだが、武で第8代に即位して約1年やっと鳳翔に行在所を設けた間もない段階であり、これから中興の主になってもらいたいということで粛宗と解釈される。しかしは粛宗の性格に問題があり、施策にもおおくの疑問を抱いていた。

東胡反未已,臣甫憤所切。
それに東都に異民族を使った叛乱軍の安慶緒がいまだに皇帝と称してわが天子に叛いたままなのである。ことは臣下たる自分の痛切に憤怒しているところなのである。
東胡 この頃、史忠明は幽州に帰っており、安慶緒が東都洛陽において皇帝と称していた。○ 叛乱すること。むほん。○臣甫 臣たるわたくし、名をあげるのは臣礼を以て申すのである。この詩の先頭では、自分のことを杜子といっている。ここでも官職を意識してのものである。○所切 切とは身にひしひしとせまることをいう。
 
揮涕戀行在,道途猶恍惚。
心中に行在におわす天子のことを敬愛しているため、涙と鼻水がとめどない、これを振り払って旅立とうとするのであるが、前途多難を思うに付けて、踏み出そうとはするのであるが心配な気持ちが高まりおさえきれない心もパニックになってしまうのだ。
揮俤 なみだ、鼻水をふるう揮とはふるいおとすこと。○行在 天子のかりみや。○道途 前途をいう。○恍惚 心がパニック、どちらへ向いてゆくべきかはっきりせぬ。

乾坤含瘡痍,憂虞何時畢!』
今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。』
乾坤 天地、世のなか全体。○含療痍 戦争によるきずを内部にもっている。ここでは、治安が悪く、無政府状態のところ多いことを言っている。農民はの内を捨てて逃げ、兵士、地方官僚も収入がないので、人里離れたり、夜には盗賊になる。○憂虞 杜甫の心中のうれい、この先の心配。国を憂い、家族は安全か。

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北征 #1(北征全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 208

北征 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 208

(12回の1回目)

「北征」の詩の内容は四つの段に分けられる。すなわち第一段はこのたびの帰省のことと現在の時勢について、第二段は旅中の見聞、第三段は妻子との再会、第四段は胡賊撃退へと動き出した状況の説明と大乱平定の願い、となっている。

北征
皇帝二載秋,閏八月初吉。
粛宗皇帝の至徳二載の秋の閑八月一日。
杜子將北徵,蒼茫問家室。」
自分は北方にでかけて、家族の様子がはっきりしていないので預けている妻子の様子をたずねようとするものだ。』
維時遭艱虞,朝野少暇日。
この時は叛乱軍の長安を制覇されたことによる奪還のための心配に出くわした頃で、朝廷の者も民間の者もせわしくて暇がないのである。
顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
それに自分はこのたび、どうしたことか特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許されたのは誠に恥じ入ったことである。
拜辭詣闕下,怵惕久未出。
おいとま乞の御挨拶に行在所の御門近くにまかり出たが、恐縮して心に憂いおそれをいだきおるためにいつまでも退出できないでいたのである。
雖乏諫諍姿,恐君有遺失。
自分は左拾遺の官職をいただいているとはいえ、天子の君をお諌めするという程の資質も無いのではあるが万一天子の為されることに失政がありはせぬかと恐れるのである。


皇帝二載の秋 閏八月初吉。
杜子将に北征して、蒼茫 家室を問わんとす。』
維(こ)れ時 艱虞(かんぐ)に遭う、朝野(ちょうや)暇日(かじつ)少(すくな)し。
顧(かえり)みて恩私(おんし)の被るを慚ず、詔して蓬蓽(ほうか)に帰るを許さる。
拝辞して闕下(けつか)に詣(いた)り、怵惕(じゅつてき)久しうして未だ出でず。
諫諍(かんそう)の姿に乏しと雖も、恐らくは君に遺失有らんことを。


現代語訳と訳註
(本文)

皇帝二載秋,閏八月初吉。
杜子將北徵,蒼茫問家室。」
維時遭艱虞,朝野少暇日。
顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
拜辭詣闕下,怵惕久未出。
雖乏諫諍姿,恐君有遺失。


(下し文)
皇帝二載の秋 閏八月初吉。
杜子将に北征して、蒼茫 家室を問わんとす。』
維(こ)れ時 艱虞(かんぐ)に遭う、朝野(ちょうや)暇日(かじつ)少(すくな)し。
顧(かえり)みて恩私(おんし)の被るを慚ず、詔して蓬蓽(ほうか)に帰るを許さる。
拝辞して闕下(けつか)に詣(いた)り、怵惕(じゅつてき)久しうして未だ出でず。
諫諍(かんそう)の姿に乏しと雖も、恐らくは君に遺失有らんことを。


(現代語訳)
粛宗皇帝の至徳二載の秋の閑八月一日。
自分は北方にでかけて、家族の様子がはっきりしていないので預けている妻子の様子をたずねようとするものだ。』
この時は叛乱軍の長安を制覇されたことによる奪還のための心配に出くわした頃で、朝廷の者も民間の者もせわしくて暇がないのである。
それに自分はこのたび、どうしたことか特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許されたのは誠に恥じ入ったことである。
おいとま乞の御挨拶に行在所の御門近くにまかり出たが、恐縮して心に憂いおそれをいだきおるためにいつまでも退出できないでいたのである。
自分は左拾遺の官職をいただいているとはいえ、天子の君をお諌めするという程の資質も無いのではあるが万一天子の為されることに失政がありはせぬかと恐れるのである。


(訳注)北徵 ①
皇帝二載秋,閏八月初吉。
粛宗皇帝の至徳二載の秋の閑八月一日。
○皇帝 粛宗。○二載 至徳二載。○初吉 朔日二日)。


杜子將北徵,蒼茫問家室。」
自分は北方にでかけて、家族の様子がはっきりしていないので預けている妻子の様子をたずねようとするものだ。』
杜子 作者自身であるが、孔子、孟子などと同様に公式文書において自分の名を記す場合に使われるものである。官職を意識してのものである。 ○北征 北の方鄭州へゆく。○蒼茫 ぼんやりしてはっきりせぬさま。家族の様子の知れぬこと。蒼茫を急濾のさまとするのは不可、荒寂のさまとするのは可。○問家室 間はたずねにゆく、家室は妻子をいう。


維時遭艱虞,朝野少暇日。
この時は叛乱軍の長安を制覇されたことによる奪還のための心配に出くわした頃で、朝廷の者も民間の者もせわしくて暇がないのである。
維時 維はただ辞であり、時にということ。○艱虞 なんぎ、しんぱい、叛乱軍の長安を制覇されたこと。○朝野 在朝の入々も、在野の人々も。朝は朝廷、野は民間。○少暇日 いそがしくひまなし。


顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
それに自分はこのたび、どうしたことか特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許されたのは誠に恥じ入ったことである。
顧慚 かえりみてはじる。○恩私被 恩私とは天子の自分へたまわる特別の恩寵、私は自分一己へのごひいき、被とはこうむる、こちらがそれをうけること。○詔許 詔を以てお許しになる。○蓬蓽 蓽は箪と通ずる、荊(いばら)のこと、いばらや竹で門をつくる。蓬はよもぎの草。二字で自已の粗末な家屋をさす。


拜辭詣闕下,怵惕久未出。
おいとま乞の御挨拶に行在所の御門近くにまかり出たが、恐縮して心に憂いおそれをいだきおるためにいつまでも退出できないでいたのである。
拝辞 おいとまごいのあいさつ。○ まかりでる。○闘下 行在所の御殿の小門のそば。○悼惧 心に憂いおそれをいだく。○ 退出する。


雖乏諫諍姿,恐君有遺失。
自分は左拾遺の官職をいただいているとはいえ、天子の君をお諌めするという程の資質も無いのではあるが万一天子の為されることに失政がありはせぬかと恐れるのである。
諫諍姿 君をおいさめするすがた、これは作者は左拾遺であるということ。諌官の職にあるということ。○ 粛宗。○遺失 おておち、あやまち。

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ID詩 題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晚行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒步歸行鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。大宗の施政が仁徳のあるものであったと賛美し、暗に粛宗の愚帝ぶりを批判している。秀作。
973玉華宮  鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃。八月初めに鳳翔より出発し,鄜州に到著して以後に作ったもの。旅の報告と上奏文であり、ウイグルに救援を求める粛宗批判といえる内容のものである。一番の秀作。
977羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
978・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
979・村の長老たちと帰還の祝い。 
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。
ID詩 題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれるものである。が、一方、この時期の作品は左拾位としての役目をしようとする杜甫の誠実さを浮き彫りにするものでもある。秀作ぞろいである。ウイグル援軍要請批判は安禄山軍に拘束された時期、「黄河二首」「送楊六判官使西蕃」から一貫している。

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