北征 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 219
北徵 12回目(全12回)
#11までの要旨
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。
嚢中の帛がないことで寒がってふるえている。それでもおしろいや眉墨をいれた包みものをひろげたので痩せた妻もその顔面に光があるようになった。
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。
その頃、粛宗はウイグルに再度の援軍を要請した。五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。精鋭部隊であり、おかげで傾性は次第に回復してきた。しかし、世論はウイグルに援軍を出すことが高い代償を払うことになるのではないかと心配しているのだ。昨年都において慌てふためいて出奔の事変がおこったが、奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払われた。新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。
11
憶昨狼狽初,事與古先別。奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
不聞夏殷衰,中自誅褒妲。周漢獲再興,宣光果明哲。
桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。微爾人盡非,於今國猶活。』
12
淒涼大同殿,寂寞白獸闥。
都人望翠華,佳氣向金闕。
園陵固有神,灑掃數不缺。
煌煌太宗業,樹立甚宏達!』
ものさびしくなったのは長安にある大同殿である。叛乱軍たちの白い帽子や獣の服を着た異民族の兵士によってその御門がひっそりしている。
その都長安に残っている人たちは早く天子の御旗がおかえりになる様にと願ってながめているのだ、その希望のように帝運隆興のめでたい気が行在所の方から御所の金闕に向いつつあるところなのである。
我が唐の天子の御先代の園山陵にはもとより祖宗の神霊が存在しているのである、その先祖に守られている神霊に対して灑掃の礼数は決して欠くることがない。
我が唐が大帝国と為し、繁栄を誇ったのは太宗の帝業が煌煌とかがやいていることなのだ。その樹立された諸制度は広大であり且つ終始をつらぬいて後々の世までつづくのであり、唐の国運が中絶することなどありはしないのだ。
#11
憶う昨(さく) 狼狽(ろうばい)の初め,事は古先と別なり。
奸臣 竟に菹醢(そかい)せられ,同惡(どうあく)隨って蕩析(とうせき)す。
聞かず 夏殷(かいん)の衰えしとき、中(うち)の自ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを。
周漢(しゅうかん) 再興するを獲(え)しは、宣光(せんこう) 果たして明哲(めいてつ)なればなり。
桓桓(かんかん)たり 陳(ちん)将軍、鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈を奮(ふる)う。
爾(なんじ)微(な)かりせば人は尽(ことごと)く非(ひ)ならん、今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く。
#12
淒涼(せいりょう)たり 大同殿(だいどうでん)、寂寞(せきばく)たり 白獣闥(はくじゅうたつ)。
都人(とじん) 翠華(すいか)を望み、佳気(かき) 金闕(きんけつ)に向こう。
園陵(えんりょう) 固(もと)より神(しん)有り、掃灑(そうさい) 数(すう)欠けざらん。
煌煌(こうこう)たり 太宗の業(ぎょう)、樹立 甚(はなは)だ宏達(こうたつ)なり。
現代語訳と訳註
(本文) 12
淒涼大同殿,寂寞白獸闥。
都人望翠華,佳氣向金闕。
園陵固有神,灑掃數不缺。
煌煌太宗業,樹立甚宏達!』
(下し文) #12
淒涼(せいりょう)たり 大同殿(だいどうでん)、寂寞(せきばく)たり 白獣闥(はくじゅうたつ)。
都人(とじん) 翠華(すいか)を望み、佳気(かき) 金闕(きんけつ)に向こう。
園陵(えんりょう) 固(もと)より神(しん)有り、掃灑(そうさい) 数(すう)欠けざらん。
煌煌(こうこう)たり 太宗の業(ぎょう)、樹立 甚(はなは)だ宏達(こうたつ)なり。
(現代語訳) ⑫
ものさびしくなったのは長安にある大同殿である。叛乱軍たちの白い帽子や獣の服を着た異民族の兵士によってその御門がひっそりしている。
その都長安に残っている人たちは早く天子の御旗がおかえりになる様にと願ってながめているのだ、その希望のように帝運隆興のめでたい気が行在所の方から御所の金闕に向いつつあるところなのである。
我が唐の天子の御先代の園山陵にはもとより祖宗の神霊が存在しているのである、その先祖に守られている神霊に対して灑掃の礼数は決して欠くることがない。
我が唐が大帝国と為し、繁栄を誇ったのは太宗の帝業が煌煌とかがやいていることなのだ。その樹立された諸制度は広大であり且つ終始をつらぬいて後々の世までつづくのであり、唐の国運が中絶することなどありはしないのだ。
(訳注)北征12
淒涼大同殿,寂寞白獸闥。
ものさびしくなったのは長安にある大同殿である。叛乱軍たちの白い帽子や獣の服を着た異民族の兵士によってその御門がひっそりしている。
○漬涼 ものさびしく。○大同殿 唐の南内興慶宮の勤政楼の北にある門を大同といい、門内に大同殿があった。○寂寞 さぴしいさま。○白獣閥 白獣は異民族の中にイスラム教の兵士が白い帽子をかぶっている。同じウイグル系でも宗教が違うので毛皮を着たり、毛皮の帽子をかぶる。花が高くて目が大きく目の色も異色であった。その異民族が宮殿の中にいることを示す。一般の解釈では同名の宮殿を考え所在ははっきりしないとされている。
都人望翠華,佳氣向金闕。
その都長安に残っている人たちは早く天子の御旗がおかえりになる様にと願ってながめているのだ、その希望のように帝運隆興のめでたい気が行在所の方から御所の金闕に向いつつあるところなのである。
○都人 長安の人民。○望 来たれかしとながめる。○翠華 天子の旗、旗上に翠羽のふさをつけるのによってかくいう。○佳気 天子のかもし出す隆興の良い気配。血筋、歴史的なものを含むもの。『哀王孫』「五陵佳氣無時無。」(五陵の佳気は時として無きは無し)『假山』「佳氣日氤氳」(佳気日に氤氳(いんうん)たり)○向 行在所の方から長安の方ヘ向かって起りつつあること。○金闕 黄金をかざった傍門。
園陵固有神,灑掃數不缺。
我が唐の天子の御先代の園山陵にはもとより祖宗の神霊が存在しているのである、その先祖に守られている神霊に対して灑掃の礼数は決して欠くることがない。
○園陵 唐の先代の御陵のこと。御陵には附属の庭園を含んだ園があった。○有神 神霊が存在する。○灑掃 はきそうじ、天子が都に住居しておられるならば園陵の掃除もゆきとどく。○数 礼制にもとづいた礼数ということ、礼制には必ず度数が伴う。○不欠 かけることなし。
煌煌太宗業,樹立甚宏達!』
我が唐が大帝国と為し、繁栄を誇ったのは太宗の帝業が煌煌とかがやいていることなのだ。その樹立された諸制度は広大であり且つ終始をつらぬいて後々の世までつづくのであり、唐の国運が中絶することなどありはしないのだ。
○煌煌 かがやくさま。○太宗業 太宗の為された輝かしい帝業。○樹立 うえつけ立てたこと。○宏達 宏大通達、大きくて且つ終始をつらぬきとおることをいう。
北征
皇帝二載秋,閏八月初吉。
粛宗皇帝の至徳二載の秋の閑八月一日。
杜子將北徵,蒼茫問家室。」
自分は北方にでかけて、家族の様子がはっきりしていないので預けている妻子の様子をたずねようとするものだ。』
維時遭艱虞,朝野少暇日。
この時は叛乱軍の長安を制覇されたことによる奪還のための心配に出くわした頃で、朝廷の者も民間の者もせわしくて暇がないのである。
顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
それに自分はこのたび、どうしたことか特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許されたのは誠に恥じ入ったことである。
拜辭詣闕下,怵惕久未出。
おいとま乞の御挨拶に行在所の御門近くにまかり出たが、恐縮して心に憂いおそれをいだきおるためにいつまでも退出できないでいたのである。
雖乏諫諍姿,恐君有遺失。
自分は左拾遺の官職をいただいているとはいえ、天子の君をお諌めするという程の資質も無いのではあるが万一天子の為されることに失政がありはせぬかと恐れるのである。
#2
君誠中興主,經緯固密勿。
我が君粛宗皇帝におかせられては誠に中興の君主であらせられるもので、国政を経営せられるのにまことに御勉強を重ねられておるところである。
東胡反未已,臣甫憤所切。
それに東都に異民族を使った叛乱軍の安慶緒がいまだに皇帝と称してわが天子に叛いたままなのである。ことは臣下たる自分の痛切に憤怒しているところなのである。
揮涕戀行在,道途猶恍惚。
心中に行在におわす天子のことを敬愛しているため、涙と鼻水がとめどない、これを振り払って旅立とうとするのであるが、前途多難を思うに付けて、踏み出そうとはするのであるが心配な気持ちが高まりおさえきれない心もパニックになってしまうのだ。
乾坤含瘡痍,憂虞何時畢!』
今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。』
3
靡靡逾阡陌,人煙眇蕭瑟。
北に向かう足取りはなかなかはかどらず縦横の道、辻、分岐点を超えていった。山道や裏街道から、人里の煙がさびしく見え、家の明かりがまたたいている。
所遇多被傷,呻吟更流血。
わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた、その人たちは誰もが傷を痛がってうな声を上げ、血を流していた。
回首鳳翔縣,旌旗晚明滅。
振り返ってみると鳳翔県の方を見たのだ。夕方になっていて軍隊の旗がみえたりかくれたりしている。
前登寒山重,屢得飲馬窟。
さらに前進して寒空に幾重にも重なっている山々、凍り付いている山に登った、しばしば窟をさがして馬に水を飲ませるのであった。
邠郊入地底,涇水中蕩潏。
邠州の郊外は低地になっていて地の底へはいるかとおもわれるような風景なのだ、其の地の中央部には涇水があり水がわきあがるかのように水を湛えて流れていた。
猛虎立我前,蒼崖吼時裂。
こんな場所では猛虎が自分の面前に立ちあがるのだ、そして青々と苔むし木々が鬱蒼としていて、猛虎が吼え叫ぶときにはあたりのものがはり裂けるようであった。
4
#4
菊垂今秋花,石戴古車轍。
少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた、路上の石には古いわだちのあとが残っていたのだ。
青雲動高興,幽事亦可悅。
青い大空にうかんでいる雲をながめるとそれは私の詩人の風流の興味を高ぶらせてくれるものであり、また山路の一人静かな旅はいろいろの悦ばしい事にであわせてくれるのである。
山果多瑣細,羅生雜橡栗。
その興味や悦ばしいことというのは山中の果物が多くあり、それが小さいのである、それらと並んで生えているものには橡の実や栗などがいりまじっているである。
或紅如丹砂,或黑如點漆。
或るものは深紅であり、まるで丹砂のようであり、或るものは黒くてしっとり艶のある黒漆のようなのである。
雨露之所濡,甘苦齊結實。
これらのものには雨や露がうるおいを与えているものであり、甘い果実や苦いものも一様に実を結んでいる。
緬思桃源內,益嘆身世拙。
この様な場所をとおるとはるかに「桃源」の伯郷のことがおもわれるのであり、反対にいよいよ自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもうのである。
#5
坡陀望鄜畤,岩穀互出沒。
そのうちに丘陵の起伏、高く広い場所に秦の文公が作ったといわれる土で盛った祭壇がみえてきた。そこに至るまでは大きな岩、深い谷が互いに出たり入ったりしている。
我行已水濱,我僕猶木末。
我々は底の侵入し巌崖と深谷と経過していき私が谷川の水のそばを進んでいるのに、下僕は後ろの崖の木の上の方に居るという具合である。
鴟梟鳴黃桑,野鼠拱亂穴。
ふくろうが黄ばんだ枯れ桑にとまって鳴いている、野ねずみがあちこち穴だらけにしていて顔を出してはおじぎをしている。
夜深經戰場,寒月照白骨。
夜がふけてきて戦揚を経過している、寒そうな月の光が戦死者の白骨を照らしている。
潼關百萬師,往者敗何卒?
あの前年潼関の戦に百万の王朝軍の師将がいたのだ。どうしてこの前のことだ、あんなにも簡単に敗れてしまったのか。
遂令半秦民,殘害為異物。』
その大敗によって殆ど長安地方の半分の人民を葬られず、放置されたままの死人にしてしまったのであろうか。』
#6
況我墮胡塵,及歸盡華發。
まして、わたしは蘆子関から霊武に向かう際、安史軍・叛乱軍に掴まってしまった。そのためそれを逃れていろいろあり、いま家へ帰るにあたって、自分の髪の毛がすっかり白髪になってしまっているのだ。
經年至茅屋,妻子衣百結。
掴まってから一年目に鄜州羌村の茅星へ来てみると妻や子はぼろをつぎあわせた衣をきている。
慟哭松聲回,悲泉共幽咽。
慟哭すると松風の声が吹きめぐり、悲しげな泉の水さえ自分等とともにむせびなきしている。
平生所嬌兒,顏色白勝雪。
ひごろ甘やかして威張らせておいたいたずらっ子の男の子どもは栄養不良で顔色が雪よりもまっ白である。
見耶背面啼,垢膩腳不襪。
彼はこのおやじのわたしを見てそっぽを向いて泣き出すしまつだ。みると彼の脚は垢や油が汚く付いていて、くつたびもはいていないのだ。
牀前兩小女,補綴才過膝。
寝る牀の前には二人の女の子がいるが、彼女等はほころびをつづりあわせた著物をきているがその着丈はやっと膝がかくれるほどである。
7
海圖拆波濤,舊繡移曲折。
彼女等は上着の「ちょっき」をきているがそれは模様の海図の波濤はひきさかれているし、繍い模様の位置がうつっていて曲ったり折れたりしている。
天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
すなわち天呉の絵、紫鳳のかたちに及んでいる、丈が短くなった粗末な毛織りの上にきる「ちょっき」の上であちこち顛倒してみえている。
老夫情懷惡,數日臥嘔泄。
これをみてはわたしは胸のうちがきもちわるくなって、はいたり、くだしたりして、二三日は臥せてしまった。
那無囊中帛,救汝寒凜栗?
どうしてわたしに汝等が嚢中の帛がないことで寒がってふるえているのを救うことのできうることができるというのか。
粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。
それでもおしろいや眉墨をいれた包みものがほどかれるやら、かいまきや、ひとえ寝まきもだんだんとならべられた。
瘦妻面複光,癡女頭自櫛。
痩せた妻もその顔面に光があるようになった、としわの行かない娘たちも自分自身で頭の髪をとかしたりした。
8
學母無不為,曉妝隨手抹。
むすめどもは母のすることならなんでもまねをして、朝の顔のおつくりにも手あたりしだいになにかかおになすりつける。
移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
ややしばらく時がたってから、口紅や白粉をつけるが、できたところを見るとまぬけた幅広に書き眉をしているのである。
生還對童稚,似欲忘饑渴。
自分は生きてかえって子供らに対している、ひもじさも枯渇した体のことも忘れるほどにしてくれる。
問事競挽須,誰能即嗔喝?
彼等がものめずらしげに自分に何かをたずねてくる、たがいに争うてわたしの顎ひげをひっぱったりするが、だれがすぐにそれをどなりつけたりすることができようか。
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。
叛乱軍の中につかまっていたときの愁のことをかんがえれば翻って見て、現在のがやがややかましいぐらいのことは自分の甘んじて受ける所である。
新婦且慰意,生理焉得說?』
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。暮しむきのことなどどうして口から説明することなどできるものではない。』
9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?
我が君にはまだ兵塵をさけて地方においでになる、いつになったら兵卒を訓練することをやめることができるだろう。
仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
それでも上を仰いでみると天の色もいつも見るものとはかわった様子だ。そぞろになんだか兵乱の悪気が散らばりひろがる様な気がする。
陰風西北來,慘澹隨回紇。
西北の方から陰気な風が吹いてきた。その風はものがなしく回絃にくっついてきたのである。
其王願助順,其俗善馳突。
回紇の王は唐王朝軍を助けたいと願いでてくれた。回乾の習俗は馳突の騎兵船がうまい。
送兵五千人,驅馬一萬匹。
それが我が唐へ五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。
此輩少為貴,四方服勇決。
彼等は少壮なものを貴ぶ習慣で、彼の国の四方の者はその勇決に服従している。
所用皆鷹騰,破敵過箭疾。
彼等の用うる兵戎はみな鷹のように猛々しく獲物を狙う、いさましく敵軍をうち破ることは矢のはやさよりもはやい。
聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』
世論は回紇などを援軍に使ってはと後難をおそれて気を奪われようとしているが、我が天子のお考えでは平気で彼等の援助をまっておられるのだ。』10