杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

喜晴

喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 159

喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 159
雨つづきのあとに晴れとなったことを喜んだ詩である。
製作時は至徳二載三月癸亥(756.3/7)より大雨があり、甲戌の日(756.3/11)に至って止んだ後の作である。
長詩のため3分割して掲載その3回目

(1)喜晴  157 (2)喜晴  158 (3)喜晴  159

喜晴
皇天久不雨,既雨晴亦佳。出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
青熒陵陂麥,窈窕桃李花。春夏各有實,我饑豈無涯。』#1
干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。甘澤不猶愈,且耕今未賒。
丈夫則帶甲,婦女終在家。力難及黍稷,得種菜與麻。』#2
千載商山芝,往者東門瓜。
千年昔の漢の高祖の時四人の老人が商山で芝を採った、またそのむかし、東門で「東陵の瓜」と 召平は五色の瓜つくりをした。
其人骨已朽,此道誰疵瑕?
彼等はその骨はすでに朽ちてしまった、彼等の取った隠遁の道はだれがそれを欠点がありとすることができようか?
英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。
秀でた賢さを持った人々は戦況不利で戦いに倣い状況なら、いったんは遠く自己の身を退け引いて竜のように泥沙の間にいて、戦力を整え、蓄えるものだ。
顧慚味所適,回手白日斜。
自分自身のことでいうならば、自己の往くべき方向に明かでなかったことをはじる。今気がついたが首を回らしてみればもはや太陽は西の方へ傾きつつある。それは自分は晩年に近づきつつある、しかしまだ遅くはないはずだ。
漢陰有鹿門,滄海有靈查。
漢水の南には鹿門山があり、蒼海の上には不思議な槎がある。(自己の決意によってはその山にかくれることも、その海の槎に浮んで去ることもできる。)
焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』#3

なんで多くの凡衆(ひと)の口まねをして咄々などということでいたずらにため息ついてはおれない。


皇天久しく雨ふらず 既に雨ふれは晴も亦佳なり。
郭を出でて四郊を眺す,蕭蕭として春華を增す。
青熒たり陵陂の麥 窈窕たり桃李の花。
春夏各々実有り 我が饑 豈に無涯ならんや。』

干戈横放して 惨澹として竜蛇闘うと雖も。
甘沢猶愈らずや 且耕今未だ賒ならず。
丈夫は則ち甲を帯ぶるも 婦女は終に家に在り。
力黍稷に及び難きも 菜と麻とを種うるを得。』

千載商山の芝 往者東門の瓜。
其の人骨己に朽つ 此の道誰か疵瑕とせん。
英賢轗軻に遇えば 遠く引いて泥沙に蟠る。
顧みて慚ず適く所に昧きを 首を回らせば白日斜なり。
漢陰に鹿門有り 滄海に霊査有り。
焉ぞ能く衆口を学んで 咄咄空しく咨嗟せん。』


喜晴 現代語訳と訳註
(本文) #3
千載商山芝,往者東門瓜。其人骨已朽,此道誰疵瑕?
英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。顧慚味所適,回手白日斜。
漢陰有鹿門,滄海有靈查。焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』


(下し文)
千載商山の芝 往者東門の瓜
其の人骨己に朽つ 此の道誰か疵瑕とせん
英賢轗軻に遇えば 遠く引いて泥沙に蟠る
顧みて慚ず適く所に昧きを 首を回らせば白日斜なり
漢陰に鹿門有り 滄海に霊査有り
焉ぞ能く衆口を学んで 咄咄空しく咨嗟せん』

(現代語訳)
千年昔の漢の高祖の時四人の老人が商山で芝を採った、またそのむかし、東門で「東陵の瓜」と 召平は五色の瓜つくりをした。
彼等はその骨はすでに朽ちてしまった、彼等の取った隠遁の道はだれがそれを欠点がありとすることができようか?
秀でた賢さを持った人々は戦況不利で戦いに倣い状況なら、いったんは遠く自己の身を退け引いて竜のように泥沙の間にいて、戦力を整え、蓄えるものだ。
自分自身のことでいうならば、自己の往くべき方向に明かでなかったことをはじる。今気がついたが首を回らしてみればもはや太陽は西の方へ傾きつつある。それは自分は晩年に近づきつつある、しかしまだ遅くはないはずだ。
漢水の南には鹿門山があり、蒼海の上には不思議な槎がある。(自己の決意によってはその山にかくれることも、その海の槎に浮んで去ることもできる。)
なんで多くの凡衆(ひと)の口まねをして咄々などということでいたずらにため息ついてはおれない。


(訳注)
千載商山芝,往者東門瓜。
千年昔の漢の高祖の時四人の老人が商山で芝を採った、またそのむかし、東門で「東陵の瓜」と 召平は五色の瓜つくりをした。
千載 遠い昔をいう。○商山芝 商山は長安の東商商州にある山の名、漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。○往者 さきには、これも昔時をさす。○東門瓜 漢の初め、卲平というものが長安の城の東門外で五色の瓜を作って売っていた、彼はもと秦の東陵侯であったという。
李白『古風其九』「青門種瓜人。 舊日東陵侯。」 ・種瓜人 広陵の人、邵平は、秦の時代に東陵侯であったが、秦が漢に破れると、平民となり、青門の門外で瓜畑を経営した。瓜はおいしく、当時の人びとはこれを東陵の瓜 押とよんだ。
東陵の瓜 召平は、広陵の人である。世襲の秦の東陵侯であった。秦末期、陳渉呉広に呼応して東陵の街を斬り従えようとしたが失敗した。後すぐに陳渉が敗死し、秦軍の脅威に脅かされた。長江の対岸の項梁勢力に目をつけ、陳渉の使者に成り済まし項梁を楚の上柱国に任命すると偽り、項梁を秦討伐に引きずり出した。後しばらくしてあっさり引退し平民となり、瓜を作って悠々と暮らしていた。貧困ではあったが苦にする様子も無く、実った瓜を近所の農夫に分けたりしていた。その瓜は特別旨かったので人々は『東陵瓜』と呼んだ。召平は、かつて秦政府から東陵侯の爵位を貰っていたからである。後、彼は漢丞相の蕭何の相談役となり、適切な助言・計略を蕭何に与えた。蕭何は、何度も彼のあばら家を訪ねたという。蕭何が蒲団の上で死ねたのも彼のおかげである。

其人骨已朽,此道誰疵瑕?
彼等はその骨はすでに朽ちてしまった、彼等の取った隠遁の道はだれがそれを欠点がありとすることができようか?
○其人 商山の四人の老人(四時)と卲平とをさす。○此道 隠遁の道。○疵瑕 きず、欠点。

英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。
秀でた賢さを持った人々は戦況不利で戦いに倣い状況なら、いったんは遠く自己の身を退け引いて竜のように泥沙の間にいて、戦力を整え、蓄えるものだ。
英賢 秀でた賢さを持った人。○轗軻 車の平かでないさまから、人の不遇のさま境遇をいう。ここでは叛乱軍との不利な戦況をいう。○遠引 遠く退引すること。戦況が悪いので戦力を整えるということ。○蟠泥沙 これは竜の動かぬさま、泥や沙のなかにわだかまっている。 この句は戦力を整える、一喜一憂の作戦をとることを批判し、「角を矯めて牛を殺す」様な作戦上の誤りを言う。 

顧慚味所適,回手白日斜。
自分自身のことでいうならば、自己の往くべき方向に明かでなかったことをはじる。今気がついたが首を回らしてみればもはや太陽は西の方へ傾きつつある。それは自分は晩年に近づきつつある、しかしまだ遅くはないはずだ。
昧所適 自分の往くべき所をはっきり知らぬ、世の中へ出でてあらわれもせず、山中に入って隠遁もできないことをいう。○白日斜 人生の晩碁に近づいたことをいう。

漢陰有鹿門,滄海有靈查。
漢水の南には鹿門山があり、蒼海の上には不思議な槎がある。(自己の決意によってはその山にかくれることも、その海の槎に浮んで去ることもできる。)
漢陰 漢水の南。○鹿門山の名、湖北省襄陽府にある。後漢の龐徳公が妻子を携えて隠れた処。鹿門山は旧名を蘇嶺山という。建武年間(二五~五六)、襄陽侯の習郁が山中に祠を建立し、神の出入り口を挟んで鹿の石像を二つ彫った。それを俗に「鹿門廟」と呼び、廟のあることから山の名が付けられたのである。○滄海 ひろうみ。仙界につつく遙かな海。蓬莱山などの東海の三山にまでの海を示す。○霊查 ふしぎないかだ。查は槎と同じ、張華の「博物志」に天の河と海とは通じており、或る人が不思議な槎にのってついに天の河にいたったことを載せる。 
有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。
儒教思想の許由は、仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をした、同じ儒教者の伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死した。こういうことはしてはいけない。

焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』
なんで多くの凡衆(ひと)の口まねをして咄々などということでいたずらにため息ついてはおれない。
學眾口 凡衆の口まねをする。○咄咄  中国、晉の殷浩が左遷されて、家に居り空中にその怨みを言葉には出さないで、ただ「咄咄怪事」という四字を空に書いたという「晉書‐殷浩伝」に見える故事による)驚くほどあやしいできごと。意外なことに驚いて発する声。舌打ちする音。おやおや。 ○咨嗟 ため息をつく。高貴な人のすばらしさを敬慕しつつ、ため息をついてうらやむ意味。
杜甫「対雪」愁坐正書空。
戦哭多新鬼、愁吟独老翁。
乱雲低薄暮、急雪舞廻風。
瓢棄樽無淥、炉存火似紅。
数州消息断、愁坐正書空。

 

喜晴
皇天久不雨,既雨晴亦佳。出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
青熒陵陂麥,窈窕桃李花。春夏各有實,我饑豈無涯。』#1
干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。甘澤不猶愈,且耕今未賒。
丈夫則帶甲,婦女終在家。力難及黍稷,得種菜與麻。』#2
千載商山芝,往者東門瓜。其人骨已朽,此道誰疵瑕?
英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。顧慚味所適,回手白日斜。
漢陰有鹿門,滄海有靈查。焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』#3

雨,佳。華。花。涯。/蛇。賒。家。麻。/瓜。瑕。沙。斜。查。嗟。

皇天久しく雨ふらず 既に雨ふれは晴も亦佳なり
郭を出でて四郊を眺す,蕭蕭として春華を增す
青熒たり陵陂の麥 窈窕たり桃李の花
春夏各々実有り 我が饑 豈に無涯ならんや』

干戈横放して 惨澹として竜蛇闘うと雖も
甘沢猶愈らずや 且耕今未だ賒ならず
丈夫は則ち甲を帯ぶるも 婦女は終に家に在り
力黍稷に及び難きも 菜と麻とを種うるを得』

千載商山の芝 往者東門の瓜
其の人骨己に朽つ 此の道誰か疵瑕とせん
英賢轗軻に遇えば 遠く引いて泥沙に蟠る
顧みて慚ず適く所に昧きを 首を回らせば白日斜なり
漢陰に鹿門有り 滄海に霊査有り
焉ぞ能く衆口を学んで 咄咄空しく咨嗟せん』

(現代語訳)
好天がつづいて久しく雨ふらなかった。降りだして長雨になると晴れたのがよかったと思うものである。
晴れたので長安城郭からでかけて四方の野外をながめたのだ、もう、整斉と春の景色すっかりととのっていて春めく華やかさを増してきているのだ。
丘陵や土陂、堤の上に生えている麦は青々としてかがやいている、桃や李の花が色うつくしく咲いている。

今は戦乱で千の盾、戈(ほこ)が縦横に走っている、凄惨残虐な叛乱軍とすごくたたかっているのだ。
このたびの甘露の恵みの雨は先の日照りよりかよほどましではないか、今から、土地を鋤いたり、耕したりとりかかりさえすれば決しておそまきではないのだ。
男どもはよろいをきて戦争に出ていくものだ、婦女子は結局、家で留守をしていることになるのだ。
女のカはきび、あわの世話することまで手がとどかないのだ、そうはいっても、野菜や麻は種えることはできるのだ。』

千年昔の漢の高祖の時四人の老人が商山で芝を採った、またそのむかし、東門で「東陵の瓜」と 召平は五色の瓜つくりをした。
彼等はその骨はすでに朽ちてしまった、彼等の取った隠遁の道はだれがそれを欠点がありとすることができようか?
秀でた賢さを持った人々は戦況不利で戦いに倣い状況なら、いったんは遠く自己の身を退け引いて竜のように泥沙の間にいて、戦力を整え、蓄えるものだ。
自分自身のことでいうならば、自己の往くべき方向に明かでなかったことをはじる。今気がついたが首を回らしてみればもはや太陽は西の方へ傾きつつある。それは自分は晩年に近づきつつある、しかしまだ遅くはないはずだ。
漢水の南には鹿門山があり、蒼海の上には不思議な槎がある。(自己の決意によってはその山にかくれることも、その海の槎に浮んで去ることもできる。)
なんで多くの凡衆(ひと)の口まねをして咄々などということでいたずらにため息ついてはおれない。

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喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 158

喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 158

雨つづきのあとに晴れとなったことを喜んだ詩である。

製作時は至徳二載三月癸亥(756.3/7)より大雨があり、甲戌の日(756.3/11)に至って止んだ後の作である。

長詩のため3分割して掲載その2回目

(1)喜晴  157 (2)喜晴  158 (3)喜晴  159


喜晴

皇天久不雨,既雨晴亦佳。出郭眺四郊,蕭蕭增春華。

青熒陵陂麥,窈窕桃李花。春夏各有實,我饑豈無涯。』#1

干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。

今は戦乱で千の盾、戈(ほこ)が縦横に走っている、凄惨残虐な叛乱軍とすごくたたかっているのだ。

甘澤不猶愈,且耕今未

このたびの甘露の恵みの雨は先の日照りよりかよほどましではないか、今から、土地を鋤いたり、耕したりとりかかりさえすれば決しておそまきではないのだ。

丈夫則帶甲,婦女終在家。

男どもはよろいをきて戦争に出ていくものだ、婦女子は結局、家で留守をしていることになるのだ。

力難及黍稷,得種菜與麻。』#2

女のカはきび、あわの世話することまで手がとどかないのだ、そうはいっても、野菜や麻は種えることはできるのだ。』


千載商山芝,往者東門瓜。其人骨已朽,此道誰疵瑕?

英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。顧慚味所適,回手白日斜。

漢陰有鹿門,滄海有靈。焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』#3


皇天久しく雨ふらず 既に雨ふれは晴も亦佳なり

郭を出でて四郊を眺す,蕭蕭として春華を增す

青熒たり陵陂の麥 窈窕たり桃李の花

春夏各々実有り 我が饑 豈に無涯ならんや』

干戈横放して 惨澹として竜蛇闘うと雖も

甘沢猶愈らずや 且耕今未だならず

丈夫は則ち甲を帯ぶるも 婦女は終に家に在り

力黍稷に及び難きも 菜と麻とを種うるを得』

千載商山の芝 往者東門の瓜

其の人骨己に朽つ 此の道誰か疵瑕とせん

英賢轗軻に遇えば 遠く引いて泥沙に蟠る

顧みて慚ず適く所に昧きを 首を回らせば白日斜なり

漢陰に鹿門有り 滄海に霊査有り

焉ぞ能く衆口を学んで 咄咄空しく嗟せん』



喜晴  現代語訳と訳註
(本文)

干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。甘澤不猶愈,且耕今未

丈夫則帶甲,婦女終在家。力難及黍稷,得種菜與麻。』#2


(
下し文)
干戈横放して 惨澹として竜蛇闘うと雖も

甘沢猶愈らずや 且耕今未だならず

丈夫は則ち甲を帯ぶるも 婦女は終に家に在り

力黍稷に及び難きも 菜と麻とを種うるを得』


(
現代語訳)
今は戦乱で千の盾、戈(ほこ)が縦横に走っている、凄惨残虐な叛乱軍とすごくたたかっているのだ。

このたびの甘露の恵みの雨は先の日照りよりかよほどましではないか、今から、土地を鋤いたり、耕したりとりかかりさえすれば決しておそまきではないのだ。

男どもはよろいをきて戦争に出ていくものだ、婦女子は結局、家で留守をしていることになるのだ。

女のカはきび、あわの世話することまで手がとどかないのだ、そうはいっても、野菜や麻は種えることはできるのだ。』




(訳注)

干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。

今は戦乱で千の盾、戈(ほこ)が縦横に走っている、凄惨残虐な叛乱軍とすごくたたかっているのだ。

千曳たて、ほこ。○横放かってほうだいにはびこる、安禄山の乱をさす。○惨澹 ものすごく。○闘竜蛇 竜(天子)と蛇(禄山)とが相いたたかう。



甘澤不猶愈,且耕今未
このたびの甘露の恵みの雨は先の日照りよりかよほどましではないか、今から、土地を鋤いたり、耕したりとりかかりさえすれば決しておそまきではないのだ。
甘沢 甘露の恵みの雨、種の植え時の前の大雨の好都合なしめりをいう。○不猶愈 この雨は耕作をする前の雨であるから日照りに比較していう。雨の方がまだ日照りよりまさっている。○且耕 且は鉏、鉏は田地をすくこと、耕はたがやすこと。○今乗除絵は遠いこと。適当時期にまだ近い、おそすぎぬということ。


丈夫則帶甲,婦女終在家。

男どもはよろいをきて戦争に出ていくものだ、婦女子は結局、家で留守をしていることになるのだ。

丈夫 男子、夫をさす。○帯甲よろいを身につける、戦場へでていること。○婦女妻をいう。



力難及黍稷,得種菜與麻。』
女のカはきび、あわの世話することまで手がとどかないのだ、そうはいっても、野菜や麻は種えることはできるのだ。』
黍稷 きび、あわ。


喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 157

喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 157
雨つづきのあとに晴れとなったことを喜んだ詩である。
製作時は至徳二載三月癸亥(756.3/7)より大雨があり、甲戌の日(756.3/11)に至って止んだ後の作である。

長詩のため3分割して掲載その1回目

(1)喜晴  157 (2)喜晴  158 (3)喜晴  159



喜晴
皇天久不雨,既雨晴亦佳。
好天がつづいて久しく雨ふらなかった。降りだして長雨になると晴れたのがよかったと思うものである。
出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
晴れたので長安城郭からでかけて四方の野外をながめたのだ、もう、整斉と春の景色すっかりととのっていて春めく華やかさを増してきているのだ。
青熒陵陂麥,窈窕桃李花。
丘陵や土陂、堤の上に生えている麦は青々としてかがやいでいる、桃や李の花が色うつくしく咲いている。
春夏各有實,我饑豈無涯。』
#1
春と夏とに桃李や麦はそれぞれ実を結ぶから、叛乱軍も鎮圧され、自分の餓じい生活の果てが見えてくるようだ。』
干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。甘澤不猶愈,且耕今未賒。
丈夫則帶甲,婦女終在家。力難及黍稷,得種菜與麻。』#2
千載商山芝,往者東門瓜。其人骨已朽,此道誰疵瑕?
英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。顧慚味所適,回手白日斜。
漢陰有鹿門,滄海有靈查。焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』#3


皇天久しく雨ふらず 既に雨ふれは晴も亦佳なり。

郭を出でて四郊を眺す,蕭蕭として春華を增す。

たり陵陂の麥 窈窕たり桃李の花。

春夏各々実有り 我が饑 豈に無涯ならんや。』


干戈横放して 惨澹として竜蛇闘うと雖も
甘沢猶愈らずや 且耕今未だ賒ならず
丈夫は則ち甲を帯ぶるも 婦女は終に家に在り
力黍稷に及び難きも 菜と麻とを種うるを得』
千載商山の芝 往者東門の瓜
其の人骨己に朽つ 此の道誰か疵瑕とせん
英賢轗軻に遇えば 遠く引いて泥沙に蟠る
顧みて慚ず適く所に昧きを 首を回らせば白日斜なり
漢陰に鹿門有り 滄海に霊査有り
焉ぞ能く衆口を学んで 咄咄空しく咨嗟せん』


喜晴 現代語訳と訳註
(本文)

皇天久不雨,既雨晴亦佳。
出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
青熒陵陂麥,窈窕桃李花。
春夏各有實,我饑豈無涯。』

(下し文)
皇天久しく雨ふらず 既に雨ふれは晴も亦佳なり
郭を出でて四郊を眺す,蕭蕭として春華を增す
青熒たり陵陂の麥 窈窕たり桃李の花
春夏各々実有り 我が饑 豈に無涯ならんや』

(現代語訳)
好天がつづいて久しく雨ふらなかった。降りだして長雨になると晴れたのがよかったと思うものである。
晴れたので長安城郭からでかけて四方の野外をながめたのだ、もう、整斉と春の景色すっかりととのっていて春めく華やかさを増してきているのだ。
丘陵や土陂、堤の上に生えている麦は青々としてかがやいでいる、桃や李の花が色うつくしく咲いている。
春と夏とに桃李や麦はそれぞれ実を結ぶから、叛乱軍も鎮圧され、自分の餓じい生活の果てが見えてくるようだ。』

(訳注)
皇天久不雨,既雨晴亦佳。

好天がつづいて久しく雨ふらなかった。降りだして長雨になると晴れたのがよかったと思うものである。
皇天 おおぞら。好天。皇帝の大空。(日本だと「日本晴」)

出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
晴れたので長安城郭からでかけて四方の野外をながめたのだ、もう、整斉と春の景色すっかりととのっていて春めく華やかさを増してきているのだ。
 長安城のそとくるわ。○ ながめる。○四郊 西方ののはら。城郭の南側には高い丘があるのでおそらくそこに上って眺めたのだろう。○粛粛 すっかりととのっている整斉なるさま。○増華 華やいだ美しさをます。

青熒陵陂麥,窈窕桃李花。
丘陵や土陂、堤の上に生えている麦は青々としてかがやいでいる、桃や李の花が色うつくしく咲いている。
青焚 あおくびかる。(1) かすかな光. (2) 目がくらむ○陵陵おか、どて。○窈窕 美人の心容のうつくしいさま。春の美しさは美人に喩えられるもので、擬人化表現である。

春夏各有實,我饑豈無涯。』
春と夏とに桃李や麦はそれぞれ実を結ぶから、叛乱軍も鎮圧され、自分の餓じい生活の果てが見えてくるようだ。』
各有実 麦と桃李とそれぞれ実を結ぶ。○豈無涯 無涯ははてしないこと、豈無涯は反語になり、はてのあることをいう。



(解説)
中國の中心であった、東都洛陽、世界最大の国際都市であった長安、幽州(現在の北京)から反旗を立て、2年で主要な都市をほとんど陥落させ、略奪の限りを尽くし、大量の殺戮を行った叛乱軍は、唐王朝に嫌気を向けていた民衆の支持をすぐに失うのである。そして、内部分裂を起こすため、唐王朝に、奪回のチャンスが生まれてきていた。

 杜甫は、軟禁状態で、叛乱軍の拘束下にあった。「春望」も春めいたことで希望を述べていたが、4,5日大雨が降って、外に出られないでいて塞いでいたのだろう。今日であれば、桜が長雨で散った後の時節と思われる。平安な時代は春三月といえば、長安の街は牡丹の花でいっぱいになった。安禄山の乱で、貴族の家、宮殿の牡丹は咲かなかったのか、杜甫はあまり好きではなかったので春の表現に使わない。杜甫が好きな景色は南の丘陵地である。ここからの眺めを詠ったものもある。

曲江三章章五句2  奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 樂遊園歌  杜甫  陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫  渼陂行  杜甫   重過何氏五首其一 杜甫    夏日李公見訪 杜甫特集



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