喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 159
雨つづきのあとに晴れとなったことを喜んだ詩である。
製作時は至徳二載三月癸亥(756.3/7)より大雨があり、甲戌の日(756.3/11)に至って止んだ後の作である。
長詩のため3分割して掲載その3回目
喜晴
皇天久不雨,既雨晴亦佳。出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
青熒陵陂麥,窈窕桃李花。春夏各有實,我饑豈無涯。』#1
干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。甘澤不猶愈,且耕今未賒。
丈夫則帶甲,婦女終在家。力難及黍稷,得種菜與麻。』#2
千載商山芝,往者東門瓜。
千年昔の漢の高祖の時四人の老人が商山で芝を採った、またそのむかし、東門で「東陵の瓜」と 召平は五色の瓜つくりをした。
其人骨已朽,此道誰疵瑕?
彼等はその骨はすでに朽ちてしまった、彼等の取った隠遁の道はだれがそれを欠点がありとすることができようか?
英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。
秀でた賢さを持った人々は戦況不利で戦いに倣い状況なら、いったんは遠く自己の身を退け引いて竜のように泥沙の間にいて、戦力を整え、蓄えるものだ。
顧慚味所適,回手白日斜。
自分自身のことでいうならば、自己の往くべき方向に明かでなかったことをはじる。今気がついたが首を回らしてみればもはや太陽は西の方へ傾きつつある。それは自分は晩年に近づきつつある、しかしまだ遅くはないはずだ。
漢陰有鹿門,滄海有靈查。
漢水の南には鹿門山があり、蒼海の上には不思議な槎がある。(自己の決意によってはその山にかくれることも、その海の槎に浮んで去ることもできる。)
焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』#3
なんで多くの凡衆(ひと)の口まねをして咄々などということでいたずらにため息ついてはおれない。
皇天久しく雨ふらず 既に雨ふれは晴も亦佳なり。
郭を出でて四郊を眺す,蕭蕭として春華を增す。
青熒たり陵陂の麥 窈窕たり桃李の花。
春夏各々実有り 我が饑 豈に無涯ならんや。』
干戈横放して 惨澹として竜蛇闘うと雖も。
甘沢猶愈らずや 且耕今未だ賒ならず。
丈夫は則ち甲を帯ぶるも 婦女は終に家に在り。
力黍稷に及び難きも 菜と麻とを種うるを得。』
千載商山の芝 往者東門の瓜。
其の人骨己に朽つ 此の道誰か疵瑕とせん。
英賢轗軻に遇えば 遠く引いて泥沙に蟠る。
顧みて慚ず適く所に昧きを 首を回らせば白日斜なり。
漢陰に鹿門有り 滄海に霊査有り。
焉ぞ能く衆口を学んで 咄咄空しく咨嗟せん。』
喜晴 現代語訳と訳註
(本文) #3
千載商山芝,往者東門瓜。其人骨已朽,此道誰疵瑕?
英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。顧慚味所適,回手白日斜。
漢陰有鹿門,滄海有靈查。焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』
(下し文)
千載商山の芝 往者東門の瓜
其の人骨己に朽つ 此の道誰か疵瑕とせん
英賢轗軻に遇えば 遠く引いて泥沙に蟠る
顧みて慚ず適く所に昧きを 首を回らせば白日斜なり
漢陰に鹿門有り 滄海に霊査有り
焉ぞ能く衆口を学んで 咄咄空しく咨嗟せん』
(現代語訳)
千年昔の漢の高祖の時四人の老人が商山で芝を採った、またそのむかし、東門で「東陵の瓜」と 召平は五色の瓜つくりをした。
彼等はその骨はすでに朽ちてしまった、彼等の取った隠遁の道はだれがそれを欠点がありとすることができようか?
秀でた賢さを持った人々は戦況不利で戦いに倣い状況なら、いったんは遠く自己の身を退け引いて竜のように泥沙の間にいて、戦力を整え、蓄えるものだ。
自分自身のことでいうならば、自己の往くべき方向に明かでなかったことをはじる。今気がついたが首を回らしてみればもはや太陽は西の方へ傾きつつある。それは自分は晩年に近づきつつある、しかしまだ遅くはないはずだ。
漢水の南には鹿門山があり、蒼海の上には不思議な槎がある。(自己の決意によってはその山にかくれることも、その海の槎に浮んで去ることもできる。)
なんで多くの凡衆(ひと)の口まねをして咄々などということでいたずらにため息ついてはおれない。
(訳注)
千載商山芝,往者東門瓜。
千年昔の漢の高祖の時四人の老人が商山で芝を採った、またそのむかし、東門で「東陵の瓜」と 召平は五色の瓜つくりをした。
○千載 遠い昔をいう。○商山芝 商山は長安の東商商州にある山の名、漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。○往者 さきには、これも昔時をさす。○東門瓜 漢の初め、卲平というものが長安の城の東門外で五色の瓜を作って売っていた、彼はもと秦の東陵侯であったという。
李白『古風其九』「青門種瓜人。 舊日東陵侯。」 ・種瓜人 広陵の人、邵平は、秦の時代に東陵侯であったが、秦が漢に破れると、平民となり、青門の門外で瓜畑を経営した。瓜はおいしく、当時の人びとはこれを東陵の瓜 押とよんだ。
東陵の瓜 召平は、広陵の人である。世襲の秦の東陵侯であった。秦末期、陳渉呉広に呼応して東陵の街を斬り従えようとしたが失敗した。後すぐに陳渉が敗死し、秦軍の脅威に脅かされた。長江の対岸の項梁勢力に目をつけ、陳渉の使者に成り済まし項梁を楚の上柱国に任命すると偽り、項梁を秦討伐に引きずり出した。後しばらくしてあっさり引退し平民となり、瓜を作って悠々と暮らしていた。貧困ではあったが苦にする様子も無く、実った瓜を近所の農夫に分けたりしていた。その瓜は特別旨かったので人々は『東陵瓜』と呼んだ。召平は、かつて秦政府から東陵侯の爵位を貰っていたからである。後、彼は漢丞相の蕭何の相談役となり、適切な助言・計略を蕭何に与えた。蕭何は、何度も彼のあばら家を訪ねたという。蕭何が蒲団の上で死ねたのも彼のおかげである。
其人骨已朽,此道誰疵瑕?
彼等はその骨はすでに朽ちてしまった、彼等の取った隠遁の道はだれがそれを欠点がありとすることができようか?
○其人 商山の四人の老人(四時)と卲平とをさす。○此道 隠遁の道。○疵瑕 きず、欠点。
英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。
秀でた賢さを持った人々は戦況不利で戦いに倣い状況なら、いったんは遠く自己の身を退け引いて竜のように泥沙の間にいて、戦力を整え、蓄えるものだ。
○英賢 秀でた賢さを持った人。○轗軻 車の平かでないさまから、人の不遇のさま境遇をいう。ここでは叛乱軍との不利な戦況をいう。○遠引 遠く退引すること。戦況が悪いので戦力を整えるということ。○蟠泥沙 これは竜の動かぬさま、泥や沙のなかにわだかまっている。 この句は戦力を整える、一喜一憂の作戦をとることを批判し、「角を矯めて牛を殺す」様な作戦上の誤りを言う。
顧慚味所適,回手白日斜。
自分自身のことでいうならば、自己の往くべき方向に明かでなかったことをはじる。今気がついたが首を回らしてみればもはや太陽は西の方へ傾きつつある。それは自分は晩年に近づきつつある、しかしまだ遅くはないはずだ。
○昧所適 自分の往くべき所をはっきり知らぬ、世の中へ出でてあらわれもせず、山中に入って隠遁もできないことをいう。○白日斜 人生の晩碁に近づいたことをいう。
漢陰有鹿門,滄海有靈查。
漢水の南には鹿門山があり、蒼海の上には不思議な槎がある。(自己の決意によってはその山にかくれることも、その海の槎に浮んで去ることもできる。)
○漢陰 漢水の南。○鹿門山の名、湖北省襄陽府にある。後漢の龐徳公が妻子を携えて隠れた処。鹿門山は旧名を蘇嶺山という。建武年間(二五~五六)、襄陽侯の習郁が山中に祠を建立し、神の出入り口を挟んで鹿の石像を二つ彫った。それを俗に「鹿門廟」と呼び、廟のあることから山の名が付けられたのである。○滄海 ひろうみ。仙界につつく遙かな海。蓬莱山などの東海の三山にまでの海を示す。○霊查 ふしぎないかだ。查は槎と同じ、張華の「博物志」に天の河と海とは通じており、或る人が不思議な槎にのってついに天の河にいたったことを載せる。
有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。
儒教思想の許由は、仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をした、同じ儒教者の伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死した。こういうことはしてはいけない。
焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』
なんで多くの凡衆(ひと)の口まねをして咄々などということでいたずらにため息ついてはおれない。
○學眾口 凡衆の口まねをする。○咄咄 中国、晉の殷浩が左遷されて、家に居り空中にその怨みを言葉には出さないで、ただ「咄咄怪事」という四字を空に書いたという「晉書‐殷浩伝」に見える故事による)驚くほどあやしいできごと。意外なことに驚いて発する声。舌打ちする音。おやおや。 ○咨嗟 ため息をつく。高貴な人のすばらしさを敬慕しつつ、ため息をついてうらやむ意味。
杜甫「対雪」愁坐正書空。
戦哭多新鬼、愁吟独老翁。
乱雲低薄暮、急雪舞廻風。
瓢棄樽無淥、炉存火似紅。
数州消息断、愁坐正書空。
喜晴
皇天久不雨,既雨晴亦佳。出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
青熒陵陂麥,窈窕桃李花。春夏各有實,我饑豈無涯。』#1
干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。甘澤不猶愈,且耕今未賒。
丈夫則帶甲,婦女終在家。力難及黍稷,得種菜與麻。』#2
千載商山芝,往者東門瓜。其人骨已朽,此道誰疵瑕?
英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。顧慚味所適,回手白日斜。
漢陰有鹿門,滄海有靈查。焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』#3
雨,佳。華。花。涯。/蛇。賒。家。麻。/瓜。瑕。沙。斜。查。嗟。
皇天久しく雨ふらず 既に雨ふれは晴も亦佳なり
郭を出でて四郊を眺す,蕭蕭として春華を增す
青熒たり陵陂の麥 窈窕たり桃李の花
春夏各々実有り 我が饑 豈に無涯ならんや』
干戈横放して 惨澹として竜蛇闘うと雖も
甘沢猶愈らずや 且耕今未だ賒ならず
丈夫は則ち甲を帯ぶるも 婦女は終に家に在り
力黍稷に及び難きも 菜と麻とを種うるを得』
千載商山の芝 往者東門の瓜
其の人骨己に朽つ 此の道誰か疵瑕とせん
英賢轗軻に遇えば 遠く引いて泥沙に蟠る
顧みて慚ず適く所に昧きを 首を回らせば白日斜なり
漢陰に鹿門有り 滄海に霊査有り
焉ぞ能く衆口を学んで 咄咄空しく咨嗟せん』
(現代語訳)
好天がつづいて久しく雨ふらなかった。降りだして長雨になると晴れたのがよかったと思うものである。
晴れたので長安城郭からでかけて四方の野外をながめたのだ、もう、整斉と春の景色すっかりととのっていて春めく華やかさを増してきているのだ。
丘陵や土陂、堤の上に生えている麦は青々としてかがやいている、桃や李の花が色うつくしく咲いている。
今は戦乱で千の盾、戈(ほこ)が縦横に走っている、凄惨残虐な叛乱軍とすごくたたかっているのだ。
このたびの甘露の恵みの雨は先の日照りよりかよほどましではないか、今から、土地を鋤いたり、耕したりとりかかりさえすれば決しておそまきではないのだ。
男どもはよろいをきて戦争に出ていくものだ、婦女子は結局、家で留守をしていることになるのだ。
女のカはきび、あわの世話することまで手がとどかないのだ、そうはいっても、野菜や麻は種えることはできるのだ。』
千年昔の漢の高祖の時四人の老人が商山で芝を採った、またそのむかし、東門で「東陵の瓜」と 召平は五色の瓜つくりをした。
彼等はその骨はすでに朽ちてしまった、彼等の取った隠遁の道はだれがそれを欠点がありとすることができようか?
秀でた賢さを持った人々は戦況不利で戦いに倣い状況なら、いったんは遠く自己の身を退け引いて竜のように泥沙の間にいて、戦力を整え、蓄えるものだ。
自分自身のことでいうならば、自己の往くべき方向に明かでなかったことをはじる。今気がついたが首を回らしてみればもはや太陽は西の方へ傾きつつある。それは自分は晩年に近づきつつある、しかしまだ遅くはないはずだ。
漢水の南には鹿門山があり、蒼海の上には不思議な槎がある。(自己の決意によってはその山にかくれることも、その海の槎に浮んで去ることもできる。)
なんで多くの凡衆(ひと)の口まねをして咄々などということでいたずらにため息ついてはおれない。
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