「月夜」と家族の考え方の考察(研究)
1.なぜ「長安の月」ではなく「鄜州の月」なのか
2. 九月九日憶山東兄弟 王維
3. 除夜作 高適
4.八月十五日夜禁中独直対月憶元九 白居易
5. 夜雨寄北 李商隠
6.李白の詩
7.杜甫の彭衙行(ほうがこう)自京赴奉先縣詠懷五百字遺興
8. 「月夜」子供に対する「北征」の詩に、淋前の南中女
月夜 と家族を詠う詩について 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150
この時期杜甫の詩に家族がよく出るの出る。月夜をはじめとして多くの詩をだした。
| 月夜 | |
| 今夜鄜州月、閨中只独看。 | 今夜 鄜州(ふしゅう)の月、 閨中(けいちゅう) 只だ独り看(み)るらん。 |
| 遥憐小児女、未解憶長安。 | 遥かに憐(あわ)れむ小児女(しょうじじょ)の、 未(いま)だ長安を憶(おも)うを解(かい)せざるを。 |
| 香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。 | 香霧(こうむ)に雲鬟(うんかん)湿(うるお)い、 清輝(せいき)に玉臂(ぎょくひ)寒からん。 |
| 何時倚虚幌、双照涙痕乾。 | 何(いず)れの時か虚幌(きょこう)に倚(よ)り、 双(とも)に照らされて涙痕(るいこん)乾かん。 |
2.「閨中 只だ独り看るらん。」「閏」妻、婦人の部屋を指す。
また「只獨」の「只」は、ひとえに、いちずにの意であって、月を「獨看る」という事態は、長安にいる杜甫にはわからない。まして、子供がそばにくっついているのである。妻の見るところではない。見ていてほしいとのあこがれを詠っているということなのだ。
3.続いて第二聯はこどもについていう。
遥憐小児女、未解憶長安。
遥かに憐(あわ)れむ小児女(しょうじじょ)の、未(いま)だ長安を憶(おも)うを解(かい)せざるを。
この二句は、二句で一意を完成する。月を見て遠き人を憶うのは、もとより大人のことであり、おさない稚女のできることではない。妻とともに、閨にいる子供たちは、まだ「長安を憶う」心はもたないということなのである。
この時、杜甫には、「兒」すなわち男の子は、二人あった。長男を熊児といい、次男を驥子という。そのことは、翌年家族の消息がわかってからの作、
「得家書」(家書を得たり)に、
得家書
去憑遊客寄,來為附家書。今日知消息,他鄉且舊居;
熊兒幸無恙,驥子最憐渠。臨老羈孤極,傷時會合疏。』#1
二毛趨帳殿,一命待鸞輿。北闕妖氛滿,西郊白露初。
涼風新過雁,秋雨欲生魚。農事空山裡,眷言終荷鋤。』#2
今日は家族の消息を知ることができた。その消息によると、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居るそうだ。長男の熊児は幸にも無事であり、次男の驥子、は最も渠を憐おしむ
というのによって知られる。ことに末っ子の驥子についてはこの「月夜」の詩につづく「遣興」の詩にはいう、
ふと興にふれて作った詩。やはり長安にあって驥子をおもって作ったものである。製作時、至徳二載。757年46歳
遣興
驥子好男兒,前年學語時:問知人客姓,誦得老夫詩。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。儻歸免相失,見日敢辭遲。
遣興
驥子は好男兒なり,前年、語を學びし時:
問知す 人客の姓、誦し得たり 老夫の詩
世乱れて 渠が小なるを憐む 家 貧にして母の慈を仰ぐ
鹿門 携うること遂げず 雁足 繋くること期し難し
天地 軍麾 満つ 山河 戰角 悲しむ
儻くは 帰りて相失うことを免れれば 見る日敢て遅きを辞せんや
遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151
また明年の春、やはり城中の作「憶幼子」で、
憶幼子 (幼子を憶う)
長安にあって鄜州の羌村に在る幼子を憶って作る。この幼子は作者の第二子宗武であり、宗武の幼名を驥子という。製作時は757年、至徳二載の春。
憶幼子
驥子春猶隔,鶯歌暖正繁。
別離驚節換,聰慧與誰論。
澗水空山道,柴門老樹村。
憶渠愁只睡,炙背俯晴軒。
驥子 春 猶隔たる、鶯 歌 暖くして正に繁し。
別離 節の換るに驚く、聡慧 誰とか論ぜん。
澗水 空山の道、柴門 老樹の村。
渠を憶うて愁えて只だ睡る、背を炙りて 晴軒に俯す。
うち「澗水空山道」というのは、逃避中の困難を追憶したもの
憶幼子 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 156
鳳翔において粛宗皇帝に謁見し、左拾遺の官を拝命して以後、鄜州の家族の安否を問い、消息がなお来なかったときのおもいをのべた作。製作時は至徳二載の夏。757年 46歳
鄜州方面へゆく人に書信を託して家族の安否を調べたが、三川県羌村からの返事はなかなか返ってこず、聞こえてくるのは鄜州方面は兵禍に遭って、鶏や子犬までが殺されてしまったという悲惨な噂だけ。杜甫の心配はつのり、家族は死に絶えてしまったのではないかと思う。
書信を出してから三か月後の七月には鄜州の妻から返事が届き、家族全員が無事であるとわかる。
「述懷」は安禄山の叛乱軍に拘束され、そこから鳳翔の行在所に逃げ帰ったことなど、杜甫の周りの出来事、心境を述べたものである。
述懷
去年潼關破,妻子隔絕久。今夏草木長,脫身得西走。
麻鞋見天子,衣袖露兩肘。朝廷敏生還,親故傷老醜。
涕淚授拾遺,流離主恩厚。柴門雖得去,未忍即開口。』#1
寄書問三川,不知家在否?比聞同罹禍,殺戮到雞狗。
山中漏茅屋,誰複依戶牖。摧頹蒼松根,地冷骨未朽。
幾人全性命?盡室豈相偶?嶔岑猛虎場,鬱結回我首。』#2
自寄一封書,今已十月後。反畏消息來,寸心亦何有?
漢連初中興,生平老耽酒。沈思歡會處,恐作窮獨叟。』#3
#1
去年 潼関(どうかん)破れ、妻子 隔絶(かくぜつ)すること久し。
今夏(こんか) 草木(くさき)長じ、身を脱して西に走るを得たり。
麻鞋(まあい) 天子に見(まみ)え、衣袖(いしゅう) 両肘(りょうちゅう)を露(あらわ)す。
朝廷 生還(せいかん)を愍(あわれ)み、親故(しんこ) 老醜(ろうしゅう)を傷(いた)む。
涕涙(ているい) 拾遺(じゅうい)を授けらる、流離(りゅうり) 主恩(しゅおん)厚し。
柴門(さいもん) 去(ゆ)くを得(う)と雖(いえど)も、未だ即ち口を開くに忍(しの)びず。
#2
書を寄せて三川(さんせん)に問うも家の在るや否(いな)やを知らず
此(このご)ろ聞く 同じく禍(わざわい)に罹(かか)りて殺戮 鶏狗(けいく)に到ると
山中の漏茅屋(ろうぼうおく)誰(たれ)か復(ま)た戸牖(こゆう)に依(よ)らん
蒼松(そうしょう)の根に摧頽(さいたい)すとも地(ち)冷やかにして 骨未だ朽ちざらん
幾人か性命(せいめい)を全うする室(しつ)を尽くして 豈(あに)相偶(あいぐう)せんや
嶔岑(きんしん)たる猛虎の場(じょう)鬱結(うつけつ)して我が首(こうべ)を廻(めぐ)らす
#3
一封の書を寄せし自(よ)り、今は已(すで)に十月の後(のち)なり。
反(かえ)って畏(おそ)る 消息の来たらんことを、寸心(すんしん) 亦(ま)た何か有らん。
漢運(かんうん) 初めて中興し、生平(せいへい) 老いて酒に耽(ふけ)る。
歓会(かんかい)の処(ところ)を沈思(ちんし)し、窮独(きゅうどく)の叟(そう)と作(な)らんことを恐る。
「彭衙行」
至徳二載秋)鄜州の家を見舞うにあたって白水の西を過ぎてしかも孫を訪ることができなかったので往事を追懐して此の篇を作った。幼児らを連れて夜の山道を徒歩でゆく逃避行は困難を極めた。
#1
憶昔避賊初,北走經險艱。夜深彭衙道,月照白水山。』
盡室久徒步,逢人多厚顏。參差穀鳥吟,不見遊子還。
癡女饑咬我,啼畏虎狼聞。懷中掩其口,反側聲愈嗔。
小兒強解事,故索苦李餐。』
#2
一旬半雷雨,泥濘相牽攀。既無禦雨備,徑滑衣又寒。
有時經契闊,竟日數裡間。野果充 ?糧,卑枝成屋椽。
早行石上水,暮宿天邊煙。』
#3
少留同家窪,欲出蘆子關。故人有孫宰,高義薄曾雲。
延客已曛黑,張燈啟重門。暖湯濯我足,剪紙招我魂。』
#4
從此出妻孥,相視涕闌幹。眾雛爛熳睡,喚起沾盤飧。
誓將與夫子,永結為弟昆。遂空所坐堂,安居奉我歡。
誰肯艱難際,豁達露心肝。』
別來歲月周,胡羯仍構患。何時有翅翎,飛去墮爾前?』
#1
憶(おも)う 昔 賊を避けし初め、北に走って険難(けんなん)を経(へ)たり。
夜は深し 彭衙(ほうが)の道、月は照る 白水(はくすい)の山。
室(しつ)を尽くして久しく徒歩す、人に逢えば厚顔(こうがん)多し。
参差(しんし)として谷鳥(こくちょう)鳴き、遊子(ゆうし)還(かえ)るを見ず。
痴女(ちじょ)は飢(う)えて我れを咬(か)み、啼(な)いて畏(おそ)る 虎狼(ころう)の聞ゆるを。
中(うち)に懐(いだ)いて其の口を掩(おお)えば、反側(はんそく)して声愈々(いよいよ)嗔(いか)る。
小児(しょうに)は強(し)いて事を解し、故(ことさ)らに苦李(くり)を索(もと)めて餐(くら)う。』
#2
一旬(いちじゅん) 半(なか)ばは雷雨、泥濘(でいねい) 相(あい)攀牽(はんけん)す。
既に雨を禦(ふせ)ぐ備え無く、径(みち)滑かにして衣(い)又寒し。
時(とき)有りて契闊(けつかつ)たるを経(ふ)、竟日(きょうじつ) 数里の間(かん)。
野果(やか)を餱糧(こうりょう)に充(あ)て、卑枝(ひし)を屋椽(おくてん)と成(な)す。
早(あした)には行く 石上(せきじょう)の水、暮(くれ)には宿る 天辺(てんぺん)の煙。』
#3
少(しば)らく同家窪(どうかあ)に留(とど)まり、蘆子関(ろしかん)に出でんと欲す。
故人(こじん) 孫宰(そんさい)有り、高義(こうぎ) 曾雲(そううん)に薄(せま)る。
客を延(ひ)くとき己に曛黒(くんこく)なり 燈を張りて重門(ちょうもん)を啓(ひら)く。
湯を暖めて我が足を濯(あら)わしめ 紙を剪(き)って我が魂を招(まね)く』
#4
此(これ)従(より)妻孥(さいど)を出す 相視て涕(なみだ)闌幹(らんかん)たり。
衆雛(しゅうすう) 爛漫(らんまん)として睡(ねむ)る、喚び 起して 盤飧(ばんそん)に 沾(うるお)わしむ。
誓って将に夫子(ふうし)と、永く結び て 弟昆(ていこん)と為らんと す と。
遂に坐する所の堂を空(むな)しくして、居を安(あんじ)て 我が歓(よろこび)を奉ず。
誰か 肯(あえ)て 艱難(かんなん)の際、豁達(かつたつ) 心肝(しんかん)を露(あら)わさん。』
別来(べつらい) 歳月周(めぐ)る 胡羯(こけつ) 仍(なお) 患(うれい)を構(かも)う
何時(いつ)か 翅翎(しれい)有って 飛び去って爾(なんじ)が前に堕(おつ)べき。』
かつて、白水県から三州県へ出たときに、大いにお父さんを手古摺らせた「小さき児」も、おそらくはこの次男であったのだろう。
彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1
彭衙行 #2 杜甫 133 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132#2
彭衙行 #3 杜甫 134 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132#3
彭衙行 #4 杜甫 130 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 135
5.「北征」の詩に、
床前の兩小女
というのによれば、まだそのほかに、もう一人いた。なお熊児といい、次男を驥子というのは、おさな名であって、熊見はのちに宗文と名乗り、驥子は宗武と名乗る。
#6
況我墮胡塵,及歸盡華發。經年至茅屋,妻子衣百結。
慟哭松聲回,悲泉共幽咽。平生所嬌兒,顏色白勝雪。
見耶背面啼,垢膩腳不襪。床前兩小女,補綴才過膝。
#7
海圖拆波濤,舊繡移曲折。天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
老夫情懷惡,數日臥嘔泄。那無囊中帛,救汝寒凜栗?
粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。瘦妻面複光,癡女頭自櫛。
#8
學母無不為,曉妝隨手抹。移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
生還對童稚,似欲忘饑渴。問事競挽須,誰能即嗔喝?
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。新婦且慰意,生理焉得說?』
床前の両小女
というのによれば、まだそのほかに、もう一人いた。なお熊児といい、次男を驥子というのは、おさな名であって、熊見はのちに宗文と名乗り、驥子は宗武と名乗る。
ところでかく「末だ長安を憶うことを解せざる」ものたちを思いやったのは、子供たちばかりを思いやったのでは、もとよりない。最も思いやるのは、閨中に濁り月を見て、大いに「長安を憶うことを解する」妻楊氏である。「長安を憶うを解する」妻にとって、「禾まだ長安を憶うを解せざる」ものたち、はね廻り、とび廻り、遊びつかれては寝てしまうものたちは、時にはうとましく感ぜられることもあったことだろう。「遥かに憐れむ小児女の」という気持ちであらわしている。
6.何れにしても、はじめの聯で思いやられた「閨中に只えに月を看る」人はしばらく第二聯では、言葉の蔭にかくれる。しかし、やがて、満身の月光を浴びつつ恍惚として、浮かびあがる。それが第三の聯である。
羌村三首其一
崢嶸赤雲西、日脚下平地。
柴門鳥雀噪、帰客千里至。』
妻孥怪我在、驚定還拭涙。
世乱遭飄蕩、生還偶然遂。
隣人満牆頭、感歎亦歔欷。
夜闌更秉燭、相対如夢寐。』
羌村 三首 其の一
崢嶸(そうこう)たる赤雲(せきうん)の西、日脚(にっきゃく) 平地に下る。
柴門(さいもん) 鳥雀(ちょうじゃく)噪(さわ)ぎ、帰客(きかく) 千里より至る。
妻孥(さいど)は我(われ)の在るを怪しみ、驚き定まって還(ま)た涙を拭う。
世乱れて飄蕩(ひょうとう)に遭(あ)い、生還 偶然に遂げたり。
隣人 牆頭(しょうとう)に満ち、感歎して亦(ま)た歔欷(きょき)す。
夜(よる)闌(たけなわ)にして更に燭(しょく)を秉(と)り、相対(あいたい)すれば夢寐(むび)の如し。
我が家の粗末な柴の戸では帰りを知らせる鳥や雀ともいえる子供らがうるさく騒いでいる、そこへ突然旅姿の私が千里の遠くからかえりついたのである。』
妻と子らはわたしがここに存在していたことを不思議に思ったようで、はじめはびっくりしていたが、驚いていたのがおちつくとこんどは泣きじゃくり、あふれる涙を拭うのである。
また、その妻については次のような表現もある。
自京赴奉先縣詠懷五百字 #9
老妻寄異県、十口隔風雪。 老妻【ろうさい】は異県【いけん】に寄【あず】け、十口【じつこう】は風雪【ふうせつ】を隔【へだ】つ。
誰能久不顧、庶往共饑渇。 誰か能【よ】く久しく顧【かえり】みざらん、庶【こいねが】わくは往【ゆ)いて饑渇【きかつ】を共にせん。
入門聞号咷、幼子飢已卒。 門に入れば号咷【ごうとう】を聞く、幼子【ようし】の飢えて已【すで】に卒【しゅつ】す。
吾寧捨一哀、里巷亦鳴咽。 吾【われ】寧【なん】ぞ一哀【いちあい】を捨【おし】まんや、里巷【りこう】も亦【ま】た鳴咽【おえつ】す。
所愧為人父、無食到夭折。 愧【は】ずる所は人の父と為【な】り、食【しょく】無くして夭折【ようせつ】を到【いた】せしを。
豈知秋禾登、貧窶有倉卒。 豈に秋禾【しゅうか】登【みの】るを知らんや、貧窶【ひんく】倉卒【そうそつ】たる有り。
自京赴奉先縣詠懷五百字 #10
生常免租税、名不隸征伐。 生【せい】は常に租税を免【まぬ】かれ、名は征伐に隸【れい】せず。
撫迹猶酸辛、平人固騒屑。 迹【あと】を撫【ぶ】すれば猶【な】お酸辛【さんしん】たり、平人【へいじん】は固【もと】より騒屑【そうせつ】たらん。
默思失業徒、因念遠戍卒。 默【もく】して失業の徒【と】を思い、因【よ】りて遠戍【えんじゅ】の卒【そつ】を念【おも】う。
憂端斉終南、鴻洞不可掇。 憂端【ゆうたん】は終南【しゅうなん】に斉【ひと】しく、鴻洞【こうどう】として掇【ひろ】う可【べ】からず。
7.そして、李白のような表現で締め括ったのである。
「香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。」
香霧(こうむ)に雲鬟(うんかん)湿(うるお)い、清輝(せいき)に玉臂(ぎょくひ)寒からん。
香霧といい、清輝という、共に月光である。雲なす鬟の周蓮にそそぐ月光、美しいうなじにを照らす月光、それが清輝で表現されている。この時代の夫婦の関係を示すものとして他の詩人では見られない。この「月夜」を境にして、詩の趣きが変化していくのである。




