杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

杜甫特集700-

奉答岑參補闕見贈 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 250

奉答岑參補闕見贈 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 250

岑参44歳  長安在り,右補闕に任。  「寄左省杜拾遺」



奉答岑參補闕見贈
岑参補闕が贈ってくれた詩を見た詩に答え奉る
窈窕清禁闥,罷朝歸不同。
頭がよく顔も美しいしとやかな美人は清らかに宮中の中にいる。何時も朝廷からは同じように帰るとは限らない。
君隨丞相後,我往日華東。
岑参君は今後郭子儀宰相に後にしたがっていくとよい、わたしは日が昇り輝いている東の方に行くみたいだ、
冉冉柳絲碧,娟娟花蕊紅。
今や、しだれ柳の青緑の小枝はやわらかに垂れ下がり、蝶などが美しく飛び、花芯は紅色である。
故人有佳句,獨贈白頭翁。
友達である君は、良い詩をたくさん作っている、その詩の一つになるものといえる詩を白髪頭のこの老人に贈ってくれる。


岑參補闕に 贈るを見るに 答え奉る
窈窕は禁闥に清し,罷く朝に同じせず歸る。
君 丞相の後に随い,我 日華の東に往く。
冉冉 柳絲は碧なり,娟娟 花蕊は紅なり。
故人は佳句有り,ひとり 白頭翁に贈る。


現代語訳と訳註
(本文)
奉答岑參補闕見贈
窈窕清禁闥,罷朝歸不同。
君隨丞相後,我往日華東。
冉冉柳絲碧,娟娟花蕊紅。
故人有佳句,獨贈白頭翁。


(下し文) 岑參補闕に 贈るを見るに 答え奉る
窈窕は禁闥に清し,罷く朝に同じせず歸る。
君 丞相の後に随い,我 日華の東に往く。
冉冉 柳絲は碧なり,娟娟 花蕊は紅なり。
故人は佳句有り,ひとり 白頭翁に贈る。


(現代語訳)
岑参補闕が贈ってくれた詩を見た詩に答え奉る
頭がよく顔も美しいしとやかな美人は清らかに宮中の中にいる。何時も朝廷からは同じように帰るとは限らない。
岑参君は今後郭子儀宰相に後にしたがっていくとよい、わたしは日が昇り輝いている東の方に行くみたいだ、
今や、しだれ柳の青緑の小枝はやわらかに垂れ下がり、蝶などが美しく飛び、花芯は紅色である。
友達である君は、良い詩をたくさん作っている、その詩の一つになるものといえる詩を白髪頭のこの老人に贈ってくれる。


(訳注)
奉答岑參補闕見贈

岑参補闕が贈ってくれた詩を見た詩に答え奉る
長く節度使の幕僚として西域にあったが、安禄山の乱があった757年に粛宗がいた鳳翔にはせ参じて、杜甫らの推挙により右補闕となり、その10月には粛宗に従って長安に赴く。


窈窕清禁闥,罷朝歸不同。
窈窕は禁闥に清し,罷く朝に同じせず歸る。
頭がよく顔も美しいしとやかな美人は清らかに宮中の中にいる。何時も朝廷からは同じように帰るとは限らない。
窈窕 頭がよく顔も美しいしとやかな美人。『詩経、周南、關睢』「窈窕淑女、君子好逑」(窈窕たる淑女は、君子の好逑)○清 ○禁闥 宮中の小門。転じて宮中。『史記、汲黯傳』「出入禁闥、補過拾遺、臣之願也」(入し禁闥に出、過ちを補い遺を拾うは、臣之願い也)


君隨丞相後,我往日華東。
君 丞相の後に隨い,我 日華の東に往く。
岑参君は今後郭子儀宰相に後にしたがっていくとよい、わたしは日が昇り輝いている東の方に行くみたいだ、
○日華 日の光。『文選、謝朓、和徐都曹詩』「日華川上動、風光草際浮。」(日華 川上に動き、風光草際に浮ぶ。)杜甫は、この後秋になって東方の華州に左遷されることが予想されていたのであろうか。


冉冉柳絲碧,娟娟花蕊紅。
冉冉 柳絲は碧なり,娟娟 花蕊は紅なり。
今や、しだれ柳の青緑の小枝はやわらかに垂れ下がり、蝶などが美しく飛び、花芯は紅色である。
○冉冉 やわらかに垂れ下がり形容。○柳絲 柳の小枝。柳条。○娟娟 曲がりうねる。清く明るい様子。蝶などが美しく飛ぶさま。


故人有佳句,獨贈白頭翁。
故人は佳句有り,獨り白頭翁に贈る。

友達である君は、良い詩をたくさん作っている、その中の一つになるものといえる詩を白髪頭のこの老人に贈ってくれる。
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宣政殿退朝晚出左掖 杜甫kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 237

宣政殿退朝晚出左掖 杜甫kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 237

宣政殿は東内に属し、含元殿の後(北)に在る。左技とは左(東)側の小垣門をいう、作者は時に左拾遺の官にあり、門下省に属する。門下省は東内の東に在るので左垣門よりでるのである。宜政殿の参朝から退いて、夕方に左垣門を出て門下省の方へかえろうとしたときの作。

唐朝 大明宮2000
 


大明宮は634年に建設が開始され、唐代の首都長安の3つの宮殿の中でも規模が最大のものである。唐の高宗帝(650~683)から、唐の皇帝たちはみなここに住み、政治を行った。大明宮は国家の統治の中心として200年にわたって存続し、唐末に戦火に焼かれ、その遺跡が今でも陝西省西安市の市街の北部に残る。

この唐代の長安のもっとも大きく偉大な宮殿建築は、もともと唐の太宗帝が父李淵のために建てた夏の宮殿、永安宮であった。宮殿の建造が始まるやいなや、李淵が病没するなどとは、誰が知っていただろうか。このため、宮殿の工事も停止された。唐の高宗帝が位を継いだ後、もともと住んでいた太極宮は湿気が多すぎると考え、662年、大明宮に大規模な拡張工事を行い、周囲7.6キロ、面積3.3平方キロメートル、北京の紫禁城の面積の4.5倍の広さとなった。宮城の南部は長方形をしており、北部は南が広く北が狭い台形になっている。大明宮は前朝と内庭のふたつの部分に分けられ、前朝は政治を執り行う部分で、内庭は居住や宴会などを行う部分であった。

前朝について言えば、含元殿が大明宮の正殿で、重大な儀式や謁見などが行われたところで、とても雄大である。主殿の前には長さ78メートルの階段と斜面の間の竜尾道があり、それは真ん中の御道と両側のわき道に分けることができ、その表面には模様入りのレンガが敷かれている。含元殿は地形を利用して建てられ、壮観で広く、都長安の全体を見渡すことができた。含元殿の北300メートルのところにあるのが宣政殿で、皇帝が政を行うところであった。殿の左と右にはそれぞれ中書省・門下省などの官署があった。紫宸殿は宣政殿の北95メートルのところにあり、臣下はここで皇帝に謁見した。含元、宣政、紫宸という構造は、後世の宮殿建築に受け継がれ、北京の紫禁城も太和、中和、保和という三殿の構造を示している。

大明宮の内部の配置も、とても凝ったものである。宮殿北部が庭園区で、建築は少なく、形式は多様である。太液池が中庭のハイライトで、面積は約16000平方メートルである。池のかたちはだ円形に近く、岸辺には回廊がめぐり、その付近には多くの亭や楼閣、殿宇などがたつ。麟徳殿は大明宮の西北部にあり、宮廷で最大の別殿で、皇帝が宴会を催したり、楽や舞などを見たり、外国使節と接見したりした場所である。

宣政殿退朝晚出左掖(掖門在兩旁如人之臂掖) 杜甫
 天門日射黄金榜,春殿晴曛赤羽旗。
門下省のある宣正殿から退庁して晩方、左の旁門から退出する。(正門わきの旁門には両の傍らに肩と腕を守るかのように立っている)
 宮草微微承委佩,鑪煙細細駐游絲。
宮殿の門は夕日のひかりがあたって、黄金の額縁のようにきれいだ、春の御殿の庭では朱雀を描いた旗が晴れてはいるが夕暮れにさしかかり、薄暗くにおうようである。
 雲近蓬萊常好色,雪殘鳷鵲亦多時。
このときわたしが玉佩をひきずって来ると庭の草は幽静な緑色に変わっている、部屋内から、庭にまで香の煙を漂わせる。そして、香気、佳気を感じさせてほそぼそとのぼっている。
 侍臣緩步歸青瑣,退食從容出每遲。

このあたりに浮んでいる夕霞は蓬莱宮に近いからいつも五色の彩をしているし、鳷鵲観かとおもえる建物にはずいぶんながく雪が残っている。
かくしてわたしはゆっくりと歩いて門下省青瑣門の方へ帰るのだが、わたしの詰め所へさがるには、今日もいつものように庭景色を楽しむため、ゆったりとして時刻おくれて退出するのである。


(宜政殿より退朝して 晩に左掖より出づ)
天門 日は射る 黄金の榜、春殿 晴 曛ず赤羽の旗。
宮草 微微として委佩を承け、鐘煙 細細として游糸を駐む。
雲 蓬莱に近うして常に五色、雪 鳷鵲【ししゃく】に残るも亦 多時。
侍臣 緩歩して青瑣【せいさ】に帰る、退食 従容として出づる毎に遅し。

kairo10682


現代語訳と訳註
(本文)
宣政殿退朝晚出左掖(掖門在兩旁如人之臂掖) 杜甫
 天門日射黄金榜,春殿晴曛赤羽旗。
 宮草微微承委佩,鑪煙細細駐游絲。
 雲近蓬萊常好色,雪殘鳷鵲亦多時。
 侍臣緩步歸青瑣,退食從容出每遲。


(下し文) (宜政殿より退朝して 晩に左掖より出づ)
天門 日は射る 黄金の榜、春殿 晴 曛ず赤羽の旗。
宮草 微微として委佩を承け、鐘煙 細細として游糸を駐む。
雲 蓬莱に近うして常に五色、雪 鳷鵲に残るも亦多時。
侍臣 緩歩して青瑣に帰る、退食 従容として出づる毎に遅し。

(現代語訳)
門下省のある宣正殿から退庁して晩方、左の旁門から退出する。(正門わきの旁門には両の傍らに肩と腕を守るかのように立っている)
宮殿の門は夕日のひかりがあたって、黄金の額縁のようにきれいだ、春の御殿の庭では朱雀を描いた旗が晴れてはいるが夕暮れにさしかかり、薄暗くにおうようである。
このときわたしが玉佩をひきずって来ると庭の草は幽静な緑色に変わっている、部屋内から、庭にまで香の煙を漂わせる。そして、香気、佳気を感じさせてほそぼそとのぼっている。
このあたりに浮んでいる夕霞は蓬莱宮に近いからいつも五色の彩をしているし、鳷鵲観かとおもえる建物にはずいぶんながく雪が残っている。
かくしてわたしはゆっくりと歩いて門下省青瑣門の方へ帰るのだが、わたしの詰め所へさがるには、今日もいつものように庭景色を楽しむため、ゆったりとして時刻おくれて退出するのである。


(訳注)
宣政殿退朝晚出左掖
(掖門在兩旁如人之臂掖)
門下省のある宣正殿から退庁して晩方、左の旁門から退出する。(正門わきの旁門には両の傍らに肩と腕を守るかのように立っている)
掖門  宮殿の正門の左右にある小さな門。旁門(ぼうもん)。
 ひじ肩から手首までの部分。腕。


天門日射黄金榜,春殿晴曛赤羽旗。
宮殿の門は夕日のひかりがあたって、黄金の額縁のようにきれいだ、春の御殿の庭では朱雀を描いた旗が晴れてはいるが夕暮れにさしかかり、薄暗くにおうようである。
○天門 宮殿の門。○日射 日は夕日の光をいう。○黄金榜 こがねを以て飾った扁額。〇春殿 春景色の宣政殿。○晴曛 はれてはいるが少し暗くなりかけている、題の「晩」の字をあらわす。○赤羽旗 赤羽鳥(朱雀)をえがいた旗。


宮草微微承委佩,鑪煙細細駐游絲。
このときわたしが玉佩をひきずって来ると庭の草は幽静な緑色に変わっている、部屋内から、庭にまで香の煙を漂わせる。そして、香気、佳気を感じさせてほそぼそとのぼっている。
○宮草 宮庭にはえている草。○微微 幽静なさま、草色をいう。○承草がそれを受ける。○委佩 佩はおびもの、委は地につくこと。○鑪煙 香炉のけむり、恐らくは殿庭にあるものであろう。○細細 ほそぼそ。○駐游糸 宮殿は、仙界であり、天界である。絲を横たえるように香の煙が留まっているさまをいう。部屋内から、庭にまで香の煙を漂わせる。香気、佳気に結びつくものである。


雲近蓬萊常好色,雪殘鳷鵲亦多時。
このあたりに浮んでいる夕霞は蓬莱宮に近いからいつも五色の彩をしているし、鳷鵲観かとおもえる建物にはずいぶんながく雪が残っている。
蓬莱 殿の名。○鳷鵲 漢の時の観の名、今借用する。


侍臣緩步歸青瑣,退食從容出每遲。
かくしてわたしはゆっくりと歩いて門下省青瑣門の方へ帰るのだが、わたしの詰め所へさがるには、今日もいつものように庭景色を楽しむため、ゆったりとして時刻おくれて退出するのである。
侍臣 天子のおそばに仕える臣、杜甫は左拾遺なので自分のこと。○緩歩 ゆるゆるとあるく。○青瑣 瑣形に離刻をほどこし青色にぬった門、門下省の門をさす。○退食 「詩経」烹羊詩にみえる、公の門より退いて食事をすることをいう。○従容 ゆったり。○ 退出する。○ 毎時、いつも。

奉和賈至舍人早朝大明宮 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 236

奉和賈至舍人早朝大明宮 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 236


中書舎人である賈至が作った「早朝大明宮」の詩を和した作。乾元元年の春左拾遺として長安にあって作る。

奉和賈至舍人早朝大明宮  杜甫
賈至舎人が初めて大明宮の朝礼に参列して作った詩に和し奉る
五夜漏聲催曉箭,九重春色醉仙桃。
夜の水どけいのしたたりの音がだんだん暁の時刻に近づいてきて、九重の禁中の春の曙の色が桃花の紅の酔ったような時節になった。
旌旗日暖龍蛇動,宮殿風微燕雀高。
このとき参内してみると日光暖かにしてたてられた旌旗には竜蛇のすがたが動いているし、宏壮な宮殿の軒端には風がかすかに吹いて燕や雀が高くとんでいる。
朝罷香煙攜滿袖,詩成珠玉在揮毫。
このとき賈舎人はもはや朝廷の参賀もすんで殿中の香煙をそのまま袖にたずさえて戻り来り、できあがった詩を筆をとって書き付けると珠玉のようなりっぱなものができあがっている。
欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。

なるほど賈君の御家は代々詔勅を起草する家系であって、その世襲がいかにみごとであるかを知りたいとおもう、現に今も鳳凰池上に鳳毛とも評すべき君が居らるるのをみればわかることである。


(賈至舎人が早【つと】に大明宮に朝するを和し奉る)
五夜の漏声【ろうせい】暁箭【ぎょうせん】を催す、九重の春色仙桃【せんとう】酔う。
旌旗【せいき】日 暖【あたた】かにして竜蛇【りゅうだ】動き、宮殿 風 徴【び】にして燕雀【えんじゃく】高し。
朝【ちょう】罷【や】みて 香煙【こうえん】携【たずさ】えて 袖に満つ、詩成りて珠玉【しゅぎょく】揮毫【きごう】に在り。
世々 絲綸【しりん】掌【つかさど】るの美を知らんと欲せば、地上 今に於て鳳毛【ほうもう】有り。


長安城郭015


 現代語訳と訳註
(本文)
奉和賈至舍人早朝大明宮
五夜漏聲催曉箭,九重春色醉仙桃。
旌旗日暖龍蛇動,宮殿風微燕雀高。
朝罷香煙攜滿袖,詩成珠玉在揮毫。
欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。


(下し文) (賈至舎人が早【つと】に大明宮に朝するを和し奉る)
五夜の漏声【ろうせい】暁箭【ぎょうせん】を催す、九重の春色仙桃【せんとう】酔う。
旌旗【せいき】日 暖【あたた】かにして竜蛇【りゅうだ】動き、宮殿 風 徴【び】にして燕雀【えんじゃく】高し。
朝【ちょう】罷【や】みて 香煙【こうえん】携【たずさ】えて 袖に満つ、詩成りて珠玉【しゅぎょく】揮毫【きごう】に在り。
世々 絲綸【しりん】掌【つかさど】るの美を知らんと欲せば、地上 今に於て鳳毛【ほうもう】有り。


(現代語訳)
賈至舎人が初めて大明宮の朝礼に参列して作った詩に和し奉る
夜の水どけいのしたたりの音がだんだん暁の時刻に近づいてきて、九重の禁中の春の曙の色が桃花の紅の酔ったような時節になった。
このとき参内してみると日光暖かにしてたてられた旌旗には竜蛇のすがたが動いているし、宏壮な宮殿の軒端には風がかすかに吹いて燕や雀が高くとんでいる。
このとき賈舎人はもはや朝廷の参賀もすんで殿中の香煙をそのまま袖にたずさえて戻り来り、できあがった詩を筆をとって書き付けると珠玉のようなりっぱなものができあがっている。
なるほど賈君の御家は代々詔勅を起草する家系であって、その世襲がいかにみごとであるかを知りたいとおもう、現に今も鳳凰池上に鳳毛とも評すべき君が居らるるのをみればわかることである。


(訳注)
奉和賈至舍人早朝大明宮

賈至舎人が初めて大明宮の朝礼に参列して作った詩に和し奉る
 他人の作った詩について我が意をのべて作ること。○賈至 賈曾の子、賈は景巽中に中書舎人であった人。至は字は助鄰、玄宗が蜀に奔ったときこれに従い起居舎人・知制誥を拝命し、玄宗が粛宗に位を伝えられるときの冊文は至がこれを撰した。玄宗は、昔先天の誥命は汝の父が為ったものであるが、今この冊文を汝が又為るのは美を済すというべきであるといわれたという。賈至はさらに中書舎人となった。○早朝 元日の朝早く朝廷へ参賀にでること。○大明宮 唐の長安城には三箇の大内があり、西にあるのを太極宮、これを西内といい、その東にあるのを大明宮、これを東内といい、又東南に興慶宮があり、これを南内という。大明宮は最もしばしば朝を受けた処である。


五夜漏聲催曉箭,九重春色醉仙桃。
夜の水どけいのしたたりの音がだんだん暁の時刻に近づいてきて、九重の禁中の春の曙の色が桃花の紅の酔ったような時節になった。
五夜 五行思想で夜の時間を甲乙丙丁戊の五つに分かつ。○漏声 水時計の水のしたたるおと。○暁箭 水時計に鋳金の人形を作り、その人形は左手に箭を抱き右の手で刻をさし示すようにしかけである、箭は今の針の用をなす。〇九重春色 禁中の春景色。○酔仙桃 曙色の紅なのを形容していったもの。「仙桃の紅なること酔えるが如し」の意であり、これを用いてまた春色をたとえている。


旌旗日暖龍蛇動,宮殿風微燕雀高。
このとき参内してみると日光暖かにしてたてられた旌旗には竜蛇のすがたが動いているし、宏壮な宮殿の軒端には風がかすかに吹いて燕や雀が高くとんでいる。
旌旗 旌旗は鳥の羽をばさばさにして頭に飾りにつけているはた、筋は竜を交叉して画いたはた。○竜蛇 はたの模様。○燕雀 これは実物をいう。


朝罷香煙攜滿袖,詩成珠玉在揮毫。
このとき賈舎人はもはや朝廷の参賀もすんで殿中の香煙をそのまま袖にたずさえて戻り来り、できあがった詩を筆をとって書き付けると珠玉のようなりっぱなものができあがっている。
○朝 朝は参朝のこと。朝の参賀がすむ。○香煙 殿上に焚かれた香のけむり。○詩成 詩は賈至の原作をさす。○珠玉 詩の文字のうるわしいことをほめていう。○在揮毫 揮毫のうえに存すということ。揮毫は筆をふるうこと。


欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。
なるほど賈君の御家は代々詔勅を起草する家系であって、その世襲がいかにみごとであるかを知りたいとおもう、現に今も鳳凰池上に鳳毛とも評すべき君が居らるるのをみればわかることである。
世掌 代々つかさどる、父子二代の世襲をさす。○絲綸 王の言、即ち詔勅をいう。「礼記」緇衣に「王言は糸の如く、其の出ぞること綸の如し。王言は綸の如く、其の出ぞること綍の如し。」とある。綸はよりいと、綍はなわ、王の言は出だした所は細くても下へ伝わるにつれて大となることをいう。○ みごとなこと。○池上 池は鳳凰池をいう、中書省にある池、賈至の原作に「鳳池」の語がある。龍首池の頭の部分をいう。○鳳毛 晋の桓温が、王劭がその父王導に似ているのを見て「鳳毛有り」と評し、宋の孝武帝が謝鳳の子超宗が文才のあるのを称して「超宗殊に鳳毛有り」といったのは、鳳凰の如き彩毛のあることをいう。この詩句は賈至を比する。

 


 早朝大明宮呈両省僚友 賈至
 銀燭朝熏紫陌長、
 禁城春色暁蒼蒼。
 千條弱柳垂青瑣、
 百囀流鶯繞建章。
 劍佩聲髄玉墀歩、
 衣冠身惹御爐香。
 共沐恩波鳳池上、
 朝朝染翰侍君王。
 銀燭 朝に熏じて 紫陌 長し、禁城の春色 暁に蒼蒼たり。
 千条の弱柳は青瑣に垂れ、百囀の流鶯は建章を繞る。
 剣佩 声を玉墀の歩に随い、衣冠 身には御炉の香を惹けり。
 共に恩波に沐す 鳳池の上とり、朝朝翰を染めて君王に侍す。
 
  
 和賈舎人早朝大明宮之作  王維
 絳幘雞人報暁籌、
 尚衣方進翠雲裘。
 九天閶闔開宮殿、
 万国衣冠拝冕旒。
 日色纔臨仙掌動、
 香煙欲傍袞龍浮。
 朝罷須裁五色詔、
 佩声帰到鳳池頭。
 絳幘【こうさく】の鶏人 暁籌【ぎょうちゅう】を報じ、尚衣【しょうい】方【まさ】に進む 翠雲の裘【きゅう】。
九天の閶闔(しょうこう) 宮殿を開き、万国の衣冠 冕旒【べんりゅう】を拝す
日色 纔【わず】かに仙掌【せんしょう】に臨んで動き、香煙 傍【そ】わんと欲して袞龍【こんりゅう】浮ぶ。
朝【ちょう】罷【や】んで須らく裁すべし 五色の詔、佩声【はいせい】は帰り到る 鳳池の頭【ひとり】。
 奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參
 雞鳴紫陌曙光寒,
 鶯囀皇州春色闌。
 金闕曉鐘開萬戶,
 玉階仙仗擁千官。
 花迎劍珮星初落,
 柳拂旌旗露未乾。
 獨有鳳凰池上客,
 陽春一曲和皆難。
 鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。
 金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。
 花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。
 独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。
 奉和賈至舍人早朝大明宮  杜甫
 五夜漏聲催曉箭,
 九重春色醉仙桃。
 旌旗日暖龍蛇動,
 宮殿風微燕雀高。
 朝罷香煙攜滿袖,
 詩成珠玉在揮毫。
 欲知世掌絲綸美。
 池上於今有鳳毛。
 賈至舎人が早【つと】に大明宮に朝するを和し奉る
五夜の漏声【ろうせい】暁箭【ぎょうせん】を催す、九重の春色仙桃【せんとう】酔う。
旌旗【せいき】日 暖【あたた】かにして竜蛇【りゅうだ】動き、宮殿 風 徴【び】にして燕雀【えんじゃく】高し。
朝【ちょう】罷【や】みて 香煙【こうえん】携【たずさ】えて 袖に満つ、詩成りて珠玉【しゅぎょく】揮毫【きごう】に在り。
世々 絲綸【しりん】掌【つかさど】るの美を知らんと欲せば、地上 今に於て鳳毛【ほうもう】有り。


喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 223

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 223

杜甫が羌村の家族のもとで日を過ごしているあいだに、唐の王朝軍は回紇(ウイグル)の援軍を加えて連合軍とし、長安への進攻を開始していた。すなわち757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、十月十九日には鳳翔を出発し、十月二十三日に長安に帰った。
杜甫は鄜州の羌村で、王朝軍の長安進攻を知り「官軍の己に賊寇に臨むを聞くを喜ぶ二十韻」をつくり、入城を知って、「京を収む三首」を作って、その歓喜の情を表わしている。



喜聞官軍已臨賊寇 二十韻
#1
胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。
叛乱軍の異民族の騎隊等は長安の都近くの県に逃れ潜り込み、王朝連合軍は塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。
鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
叛乱軍はまるで鼎のなかに煮られかけていいて魚が息木次をわずかにするだけの猶予をあたえられている様である、また穴のなかの蟻でどこへ逃げようとおもっているのか、とてもどこにも逃げられないのだ。』
帳殿羅玄冕,轅門照白袍。
いま鳳翔の行在所の仮御殿では玄冤をつけた公卿たちがずらり並んでいる、軍門から入ると援軍の回紇の白衣がまぶしいほど照っている。
秦山當警蹕,漢苑入旌旄。

都、長安附近の山々は我が君の行幸の御警蹕あるべき筋道に当っているし、いまや都の御苑も王朝軍の旌のたてられる範囲内に入ろうとしている。

#2
路失羊腸險,雲橫雉尾高。五原空壁壘,八水散風濤。
今日看天意,遊魂貸爾曹。乞降那更得,尚詐莫徒勞。」
#3
元帥歸龍種,司空握豹韜。前軍蘇武節,左將呂虔刀。
兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。戈鋌開雪色,弓矢向秋毫。
天步艱方盡,時和運更遭。誰雲遺毒螫,已是沃腥臊。」
#4
睿想丹墀近,神行羽衛牢。花門騰絕漠,拓羯渡臨洮。
此輩感恩至,羸浮何足操。鋒先衣染血,騎突劍吹毛。
喜覺都城動,悲連子女號。家家賣釵釧,只待獻春醪。」


喜聞官軍己臨賊寇二十韻
(官軍己に賊寇に臨むと聞くを喜ぶ 二十韻)
#1
胡騎京県に潜み、官軍賊壕を擁す。
鼎魚(ていぎょ)猶息を仮す、穴蟻何に逃れんと欲する。」
帳殿玄冤(げんべん)羅(つらな)り、轅門(えんもん)白袍照る。
秦山警蹕(けいひつ)に当る 漢苑旌旄(せいぼう)に入る。

#2
路は羊腸の険を失す、雲横わりて雉尾(ちび)高し。
五原空しく壁塁(へきるい)、八水風涛(ふうとう)散ず。
今日天意を看るに、遊魂(ゆうこん)爾が曹に貸す。』
#3
降を乞うも那(なん)ぞ更に得ん 詐を尚(たっと)ぶは徒に労する莫らんや。
元帥竜種(りょうしゅ)に帰し、司空豹韜(ひょうとう)を握る。
前軍 蘇武が節、左将 呂虔(りょけん)が刀。
兵気 飛鳥(ひちょう)を回(か)えす、威声(いせい) 巨鰲を没せしむ。
戈鋌(かせん) 雪色開き、弓矢 秋毫(しゅうごう)に向う。
天歩(てんぽ) 艱 方(まさ)に尽く、時和 運 更に遭う。
誰か云う毒螫を遺すと、己に是れ 腥臊(せいそう)に沃(そそ)ぐ。」
#4
睿想 丹墀(たんち)近く、神行 羽衛(うえい)牢(かた)し。
花門 絶漠に騰(あが)り、拓羯(たくけつ)臨洮(りんとう)を渡る。
此の輩恩に感じて至る、羸浮(るいふ)何ぞ操るに足らん。
鋒 先(さきだ)ちて 衣血に染む、騎 突きて 剣毛(けんけ)を吹く。
喜びは覺ゆ 都城の動くを、悲みは連(ともな)う 子女の號(さけ)ぶを。
家家 釵釧を売り 只だ待つ春醪を献ずるを』


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現代語訳と訳註
(本文) #1

胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。
鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
帳殿羅玄冕,轅門照白袍。
秦山當警蹕,漢苑入旌旄。


(下し文) #1
胡騎京県に潜み、官軍賊壕を擁す。
鼎魚(ていぎょ)猶息を仮す、穴蟻何に逃れんと欲する。」
帳殿玄冤(げんべん)羅(つらな)り、轅門(えんもん)白袍照る。
秦山警蹕(けいひつ)に当る 漢苑旌旄(せいぼう)に入る。


(現代語訳)
叛乱軍の異民族の騎隊等は長安の都近くの県に逃れ潜り込み、王朝連合軍は塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。
叛乱軍はまるで鼎のなかに煮られかけていいて魚が息木次をわずかにするだけの猶予をあたえられている様である、また穴のなかの蟻でどこへ逃げようとおもっているのか、とてもどこにも逃げられないのだ。』
いま鳳翔の行在所の仮御殿では玄冤をつけた公卿たちがずらり並んでいる、軍門から入ると援軍の回紇の白衣がまぶしいほど照っている。
都、長安附近の山々は我が君の行幸の御警蹕あるべき筋道に当っているし、いまや都の御苑も王朝軍の旌のたてられる範囲内に入ろうとしている。


(訳注)
胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。

叛乱軍の異民族の騎隊等は長安の都近くの県に逃れ潜り込み、王朝連合軍は塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。
胡虜 異民族の騎兵。異民族は騎馬民族であり、騎兵戦法をとる。農耕民族は歩兵、兵車戦法をとる。異民族の騎兵軍隊には騎士の数より2倍以上の駿馬を用意している。○ のがれかくれる。○京県 都近くの県。○官軍 広平王の率いる連合軍をさす。この時ウイグル軍は駿馬を一万五千頭揃えたといわれている。その引き起こす砂塵で叛乱軍は退いたといわれる。○擁賊壕 叛乱軍の拠った塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。


鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
叛乱軍はまるで鼎のなかに煮られかけていいて魚が息木次をわずかにするだけの猶予をあたえられている様である、また穴のなかの蟻でどこへ逃げようとおもっているのか、とてもどこにも逃げられないのだ。』
鼎魚 かなえの中で煮られる魚、賊の危いことをたとえていう。○仮息 いきふくことをかし与えてある、しばし生命をあずけておくこと。○穴蟻 穴のなかのあり、これも賊の危さをたとえていう。○何逃 何は何処の意。


帳殿羅玄冕,轅門照白袍。
いま鳳翔の行在所の仮御殿では玄冤をつけた公卿たちがずらり並んでいる、軍門から入ると援軍の回紇の白衣がまぶしいほど照っている。
帳殿 本殿の周りにテント張りで守りをつくる御殿、皇帝の旅の仮のお住まいという意味。鳳翔の行在所をいう。○ ならぶこと。○玄冕(げんべん) くろいかんむり、公卿の礼冠。○轅門 軍門、軍中の門は轅(くるまのながえ)を以てつくる。○ でりかがやく。〇白袍 白いうわざ、これは援助に来た回紇のきる衣。イスラム地域の服装。
 

秦山當警蹕,漢苑入旌旄。
都、長安附近の山々は我が君の行幸の御警蹕あるべき筋道に当っているし、いまや都の御苑も王朝軍の旌のたてられる範囲内に入ろうとしている。
泰山 長安附近の山をいう。○当警蹕(けいひつ) 当(あたる)とは警蹕すべき地位にあることをいう、警蹕は天子の出入に道路上の人払いをすること、出る時には警といい、入る時は蹕と称する。○漢苑 長安にある唐の御苑をいう。〇入旌旄(せいぼう) 旌旄は王朝軍のはた。入るとは、皇帝の行軍にはおびただしい数のはたのたてられる範囲内にはいることをいう。


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北征 #11(全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 218

北征 #11(全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 218
北徵 11回目(全12回)


#10までの要旨
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。
嚢中の帛がないことで寒がってふるえている。それでもおしろいや眉墨をいれた包みものをひろげたので痩せた妻もその顔面に光があるようになった。
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。
その頃、粛宗はウイグルに再度の援軍を要請した。五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。精鋭部隊であり、おかげで傾性は次第に回復してきた。しかし、世論はウイグルに援軍を出すことが高い代償を払うことになるのではないかと心配しているのだ。
王朝連合軍は官軍となり進んで叛乱軍の本拠地まで深く攻め入ろうと請け負ってくれている。この軍事同盟による回紇軍との連合を云い洛陽地方までを攻めおとすことは青州・徐州の方面を開くことになるのである。また五嶽の一つ恒山や碣石の門の両の精神的支柱をも略取することになるのである。叛乱軍、異民族らの命運はながつづきできるというものではない、天子の皇道は断絶してはならないはずのものである。』


10
伊洛指掌收,西京不足拔。官軍請深入,蓄銳可俱發。
此舉開青徐,旋瞻略恆碣。昊天積霜露,正氣有肅殺。
禍轉亡胡歲,勢成擒胡月。胡命其能久?皇綱未宜絕。』
11
憶昨狼狽初,事與古先別。
昨年のことを思い出してみる、前年6月4日圧倒的に有利と見られていた王朝軍を率いる哥舒翰が潼関でが大敗した。都において慌てふためいて出奔の事変が起ったとき、朝廷でとられた御処置は昔の施策とはちがっていた。
奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
我が朝では奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払い散らされてしまった。
不聞夏殷衰,中自誅褒妲。
諸君は夏殷の衰えたときのことを聞いたことはないか、宮廷の中で天子御自身で褒娰・妲己の悪女を誅されたのである。(楊貴妃は玄宗御自身が誅せられたということ。)
周漢獲再興,宣光果明哲。
そうして周の宣王と後漢の光武帝は皆が期待した通り、聡明で事理に明るい君主であったので周や後漢は再興することができた。(新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。)
桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。
まことに桓々と勇武である、左竜武大将軍の陳将軍は。彼は天子から授けられた鉞をついて忠義な功しをふるわれたのである。
微爾人盡非,於今國猶活。』

あの時もし左竜武大将軍の陳将軍が居なかったならば唐の人民はみんな今見るような安泰なものであることができなかったであろう、あなたのおかげで今も我が唐の国はいきることができるのである。』
12
淒涼大同殿,寂寞白獸闥。都人望翠華,佳氣向金闕。
園陵固有神,灑掃數不缺。煌煌太宗業,樹立甚宏達!』

#10
伊洛(いらく)  掌(たなごころ)を指(さ)して収めん、西京(せいけい)も抜くに足らざらん。
官軍  深く入らんことを請(こ)う、鋭(えい)を蓄(たくわ)えて倶(とも)に発す可し。
此の挙(きょ)  青徐(せいじょ)を開かん、旋(たちま)ち恒碣(こうけつ)を略するを瞻(み)ん。
昊天(こうてん) 霜露を積み,正氣 肅殺(しゅくさつ)たる有り。
禍は轉ぜん 胡を亡ぼさん歲(とし),勢は成らん 胡を擒(とりこ)にせん月。
胡の命 其れ能く久しからんや?皇綱(こうこう)未だ宜しく絕つべからず。』

#11
憶う昨(さく) 狼狽(ろうばい)の初め,事は古先と別なり。
奸臣 竟に菹醢(そかい)せられ,同惡(どうあく)隨って蕩析(とうせき)す。
聞かず  夏殷(かいん)の衰えしとき、中(うち)の自ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを。
周漢(しゅうかん) 再興するを獲(え)しは、宣光(せんこう)  果たして明哲(めいてつ)なればなり。
桓桓(かんかん)たり  陳(ちん)将軍、鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈を奮(ふる)う。
爾(なんじ)微(な)かりせば人は尽(ことごと)く非(ひ)ならん、今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く。

#12
淒涼(せいりょう)たり  大同殿(だいどうでん)、寂寞(せきばく)たり 白獣闥(はくじゅうたつ)。
都人(とじん) 翠華(すいか)を望み、佳気(かき)   金闕(きんけつ)に向こう。
園陵(えんりょう) 固(もと)より神(しん)有り、掃灑(そうさい)  数(すう)欠けざらん。
煌煌(こうこう)たり 太宗の業(ぎょう)、樹立 甚(はなは)だ宏達(こうたつ)なり。


現代語訳と訳註
(本文) 11

憶昨狼狽初,事與古先別。
奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
不聞夏殷衰,中自誅褒妲。
周漢獲再興,宣光果明哲。
桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。
微爾人盡非,於今國猶活。』

(下し文) #11
憶う昨(さく) 狼狽(ろうばい)の初め,事は古先と別なり。
奸臣 竟に菹醢(そかい)せられ,同惡(どうあく)隨って蕩析(とうせき)す。
聞かず  夏殷(かいん)の衰えしとき、中(うち)の自ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを。
周漢(しゅうかん) 再興するを獲(え)しは、宣光(せんこう)  果たして明哲(めいてつ)なればなり。
桓桓(かんかん)たり  陳(ちん)将軍、鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈を奮(ふる)う。
爾(なんじ)微(な)かりせば人は尽(ことごと)く非(ひ)ならん、今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く。


(現代語訳)⑪
昨年のことを思い出してみる、前年6月4日圧倒的に有利と見られていた王朝軍を率いる哥舒翰が潼関でが大敗した。都において慌てふためいて出奔の事変が起ったとき、朝廷でとられた御処置は昔の施策とはちがっていた。
我が朝では奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払い散らされてしまった。
諸君は夏殷の衰えたときのことを聞いたことはないか、宮廷の中で天子御自身で褒娰・妲己の悪女を誅されたのである。(楊貴妃は玄宗御自身が誅せられたということ。)
そうして周の宣王と後漢の光武帝は皆が期待した通り、聡明で事理に明るい君主であったので周や後漢は再興することができた。(新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。)
まことに桓々と勇武である、左竜武大将軍の陳将軍は。彼は天子から授けられた鉞をついて忠義な功しをふるわれたのである。
あの時もし左竜武大将軍の陳将軍が居なかったならば唐の人民はみんな今見るような安泰なものであることができなかったであろう、あなたのおかげで今も我が唐の国はいきることができるのである。』


(訳注)11
憶昨狼狽初,事與古先別。

昨年のことを思い出してみる、前年6月4日圧倒的に有利と見られていた王朝軍を率いる哥舒翰が潼関でが大敗した。都において慌てふためいて出奔の事変が起ったとき、朝廷でとられた御処置は昔の施策とはちがっていた。
億咋 咋とは玄宗の逃出の時をさす。756年6月13日夜明け前長安を逃げ出した。玄宗は貴妃姉妹、皇子、皇孫、楊国忠および側近の者だけを連れ、陳玄礼の率いる近衛兵に衛られて西に向かったことを示す。○狼狽 前日の会議に出席するものが少なく、朝廷はうろたえる、多くのものがにわかの出奔をいう。○ 朝廷のなした処置。施政をいう。○古先 むかし。○ ちがう。


奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
我が朝では奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払い散らされてしまった。
○奸臣 楊国忠を代表としている。楊国忠のことは麗人行  杜甫漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 65に詳しい。

安禄山の乱と杜甫

菹醢 菹は野菜の町づけ。醢は肉をこうじ、しお、さけをまぜたものにつけたもの。これは国忠が刑罰に処せられその肉が潰けものにされたことをいう。○同悪 悪いことをともにしたものども、国忠の党類をいう。○蕩析 蕩ははらいのける、析はばらばらに離す。


不聞夏殷衰,中自誅褒妲。
諸君は夏殷の衰えたときのことを聞いたことはないか、宮廷の中で天子御自身で褒娰・妲己の悪女を誅されたのである。(楊貴妃は玄宗御自身が誅せられたということ。)
不聞 君不に聞乎の意、積極的に「聞かず」というのではなく、「聞かざるや」ともちかけていうのである。○夏殷、褒娰 妲己蜘は周の幽王の寵姫、妲己は殷の紂王の寵妃、王朝が滅亡する原因となった美女である。夏殷では時代が合わぬとて夏を周とすべしとの説があるが、拘わる必要はないであろう。褒姐は楊貴妃をあてていう。○ 宮中をいう。


周漢獲再興,宣光果明哲。
そうして周の宣王と後漢の光武帝は皆が期待した通り、聡明で事理に明るい君主であったので周や後漢は再興することができた。(新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。)
宜光 周の宜王、後漢の光武帝、これは粛宗にあてていう。○明哲 才智明かなこと。聡明で事理に明るいこと。この二句も倒句として解釈する。


桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。
まことに桓々と勇武である、左竜武大将軍の陳将軍は。彼は天子から授けられた鉞をついて忠義な功しをふるわれたのである。
桓桓 勇武なさま。『詩経』周頌の桓に「桓桓たる武王」に基づく。○陳将軍 左竜武大将軍陳玄礼をいう。○仗鉞 ほことまさかりによる、武力を用いたこと。○奮忠烈 忠義な功しを奮うた。次の事実がある。玄宗が長安より逃れて興平県の馬嵬駅に至ったとき陳玄礼は将軍として従ったが、楊国忠を誅しようとして、吐蕃の使者に命じ国忠の馬を遮って食の無いことを訴えさせた。国忠がまだこれに答えぬうちに軍士等は呼ばわっていうのに国忠は反を謀ったと。遂に国忠を殺し槍を以て其の首を揚げた。玄宗は駅門に出て軍士を慰労し隊を収めさせたが、軍士は応じなかった。玄宗は高力士をしてそのわけを問わせたところ、玄礼が対えて曰うのに、国忠が反を謀った上は貴妃は供奉すべきではない、願わくは陛下よ、恩を割き法を正さんことを、と。玄宗は力士をして貴妃を仏堂にみちびかせて、彼女を絞殺させた。


微爾人盡非,於今國猶活。』
あの時もし左竜武大将軍の陳将軍が居なかったならば唐の人民はみんな今見るような安泰なものであることができなかったであろう、あなたのおかげで今も我が唐の国はいきることができるのである。』
○徴 無かったとするならば。○ 諌玄礼をさす。O人尽非 非とは今日見る所の如き人ではないことをいう。○国 唐の国家。

得家書 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 181

得家書 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 181

(家書を得たり)

鄜州方面へゆく人に書信を託して家族の安否を調べたが、三川県羌村からの返事はなかなか返ってこず、聞こえてくるのは鄜州方面は兵禍に遭って、鶏や子犬までが殺されてしまったという悲惨な噂だけ。杜甫の心配はつのり、家族は死に絶えてしまったのではないかと思う。
七月に鄜州の妻から返事が届き、家族全員が無事であるとわかる。
「述懷」は安禄山の叛乱軍に拘束され、そこから鳳翔の行在所に逃げ帰ったことなど、杜甫の周りの出来事、心境を述べたものであった。

「得家書」の詩は、安否問いあわせの手紙を出したのち、家族の方より返事を得て作った詩である。杜甫は鳳翔に逃げてきて3か月たっていた。製作時は至徳二載の秋七月、757年 46歳である。

DCF00196


得家書
去憑遊客寄,來為附家書。
わたしは鄜州の方へ商用でで出かける旅人があったから、その方にたのんで家族への手紙を送り届けさせたのだが、その同じ人がまた家族からの手紙をわたしへとどけてくれるために鳳翔へ来てくれた。
今日知消息,他鄉且舊居;
その手紙に由って今日は家族の消息を知ることができた。その消息によると、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居るそうだ。
熊兒幸無恙,驥子最憐渠。
またそれによると、長男の熊児は幸にも無事であり、次男の驥子、わたしはまだ小さい彼を最もかわいそうにおもうのだ。
臨老羈孤極,傷時會合疏。』
#1
わたしは年よりはじめてきて鳳翔は初めての土地で、仮住まいで旅客人でのひとりぼっち、朝廷内でも孤独感をもっている、時世のことを考えると王朝軍は劣勢で気にやむばかりで家族たちとはめったにあえずにいる。
二毛趨帳殿,一命待鸞輿。北闕妖氛滿,西郊白露初。
涼風新過雁,秋雨欲生魚。農事空山裡,眷言終荷鋤。』#2


(家書を得たり)#1
去るは遊客に憑りて寄す来るは家書を附するが為なり
今日消息を知る 他郷なるも且つ旧居なり
熊児は幸に恙無し 驥子最も渠を憐む
老に臨みて羈孤極まる 時を傷みて会合疎なり』

#2
二毛帳殿に趨し  一命鸞輿に侍す
北闕妖気満つ   西郊白露の初
涼風新に過雁   秋雨魚を生ぜんと欲す
農事空山の裡   眷みて言に終に鋤を荷わん』


 現代語訳と訳註
(本文) #1

去憑遊客寄,來為附家書。今日知消息,他鄉且舊居;
熊兒幸無恙,驥子最憐渠。臨老羈孤極,傷時會合疏。』


(下し文)
去るは遊客に憑りて寄す、来るは家書を附するが為なり。
今日消息を知る、他郷なるも且つ旧居なり。
熊児は幸に恙無し 驥子最も渠を憐む
老に臨みて羈孤極まる 時を傷みて会合疎なり


(現代語訳)
わたしは鄜州の方へ商用でで出かける旅人があったから、その方にたのんで家族への手紙を送り届けさせたのだが、その同じ人がまた家族からの手紙をわたしへとどけてくれるために鳳翔へ来てくれた。
その手紙に由って今日は家族の消息を知ることができた。その消息によると、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居るそうだ。
またそれによると、長男の熊児は幸にも無事であり、次男の驥子、わたしはまだ小さい彼を最もかわいそうにおもうのだ。
わたしは年よりはじめてきて鳳翔は初めての土地で、仮住まいで旅客人でのひとりぼっち、朝廷内でも孤独感をもっている、時世のことを考えると王朝軍は劣勢で気にやむばかりで家族たちとはめったにあえずにいる。』


(訳注)#1
去憑遊客寄,來為附家書。

わたしは鄜州の方へ商用でで出かける旅人があったから、その方にたのんで家族への手紙を送り届けさせたのだが、その同じ人がまた家族からの手紙をわたしへとどけてくれるために鳳翔へ来てくれた。
 此の「去」の字は人にかけて見るべきか書にかけて見るべきかは不明であるが、下旬の「来」が人にかかっている以上それに対するならば人にかけてみるべきである。しかし「寄去」の二字を分用したものとし、書にかけてみるのも亦た義を為す。予は後の解を取る。即ち去とは書を寄せさったことをいう。○憑遊客 鄜州の方へ往遊する客をたのんで。・ 人に頼みごとをする。よりどころ。憑衣:たより。○ 書を家族によせたこと。○来 さきに書を依頼してやった同じ遊客が鳳翔へもどって来たことをいう。○附家書 附とはこちらへ附与し、わたすこと。家書は鄜州の家族からの返事のてがみ。


今日知消息,他鄉且舊居;
その手紙に由って今日は家族の消息を知ることができた。その消息によると、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居るそうだ。
消息 たより、様子。○他郷 此の句以下三句は書中の言葉と杜甫自身の思いを一緒にのべている。他郷とは鄜州をさす。○且旧居 且はまあやっぱりという意味。旧居とは羌村の以前の住居をいう、他処へ移転、略奪にも会っていないことを言う。。


熊兒幸無恙,驥子最憐渠。
またそれによると、長男の熊児は幸にも無事であり、次男の驥子、わたしはまだ小さい彼を最もかわいそうにおもうのだ。
熊児 長子宗文の幼名。○無恙 恙は毒虫の名、恙無しとは無事であること。○驥子 次子宗武の幼名。○ 俗語、駿子をさす。憶幼子 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 156「驥子春猶隔,鶯歌暖正繁。」(驥子 春 猶隔たる、鶯 歌 暖くして正に繁し。)と可愛くて仕方なかったようだ。


臨老羈孤極,傷時會合疏。』
わたしは年よりはじめてきて鳳翔は初めての土地で、仮住まいで旅客人でのひとりぼっち、朝廷内でも孤独感をもっている、時世のことを考えると王朝軍は劣勢で気にやむばかりで家族たちとはめったにあえずにいる。』
臨老 年よりはじめてきて。○羈孤極 鳳翔は初めての土地で、仮住まいで旅客人でのひとりぼっち、朝廷内でも孤独感をもっている。○傷時 時世のことを考えると王朝軍は劣勢で気にやむばかり。○会合疎 家族たちとの会合がめったにできない。

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喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 158

喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 158

雨つづきのあとに晴れとなったことを喜んだ詩である。

製作時は至徳二載三月癸亥(756.3/7)より大雨があり、甲戌の日(756.3/11)に至って止んだ後の作である。

長詩のため3分割して掲載その2回目

(1)喜晴  157 (2)喜晴  158 (3)喜晴  159


喜晴

皇天久不雨,既雨晴亦佳。出郭眺四郊,蕭蕭增春華。

青熒陵陂麥,窈窕桃李花。春夏各有實,我饑豈無涯。』#1

干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。

今は戦乱で千の盾、戈(ほこ)が縦横に走っている、凄惨残虐な叛乱軍とすごくたたかっているのだ。

甘澤不猶愈,且耕今未

このたびの甘露の恵みの雨は先の日照りよりかよほどましではないか、今から、土地を鋤いたり、耕したりとりかかりさえすれば決しておそまきではないのだ。

丈夫則帶甲,婦女終在家。

男どもはよろいをきて戦争に出ていくものだ、婦女子は結局、家で留守をしていることになるのだ。

力難及黍稷,得種菜與麻。』#2

女のカはきび、あわの世話することまで手がとどかないのだ、そうはいっても、野菜や麻は種えることはできるのだ。』


千載商山芝,往者東門瓜。其人骨已朽,此道誰疵瑕?

英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。顧慚味所適,回手白日斜。

漢陰有鹿門,滄海有靈。焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』#3


皇天久しく雨ふらず 既に雨ふれは晴も亦佳なり

郭を出でて四郊を眺す,蕭蕭として春華を增す

青熒たり陵陂の麥 窈窕たり桃李の花

春夏各々実有り 我が饑 豈に無涯ならんや』

干戈横放して 惨澹として竜蛇闘うと雖も

甘沢猶愈らずや 且耕今未だならず

丈夫は則ち甲を帯ぶるも 婦女は終に家に在り

力黍稷に及び難きも 菜と麻とを種うるを得』

千載商山の芝 往者東門の瓜

其の人骨己に朽つ 此の道誰か疵瑕とせん

英賢轗軻に遇えば 遠く引いて泥沙に蟠る

顧みて慚ず適く所に昧きを 首を回らせば白日斜なり

漢陰に鹿門有り 滄海に霊査有り

焉ぞ能く衆口を学んで 咄咄空しく嗟せん』



喜晴  現代語訳と訳註
(本文)

干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。甘澤不猶愈,且耕今未

丈夫則帶甲,婦女終在家。力難及黍稷,得種菜與麻。』#2


(
下し文)
干戈横放して 惨澹として竜蛇闘うと雖も

甘沢猶愈らずや 且耕今未だならず

丈夫は則ち甲を帯ぶるも 婦女は終に家に在り

力黍稷に及び難きも 菜と麻とを種うるを得』


(
現代語訳)
今は戦乱で千の盾、戈(ほこ)が縦横に走っている、凄惨残虐な叛乱軍とすごくたたかっているのだ。

このたびの甘露の恵みの雨は先の日照りよりかよほどましではないか、今から、土地を鋤いたり、耕したりとりかかりさえすれば決しておそまきではないのだ。

男どもはよろいをきて戦争に出ていくものだ、婦女子は結局、家で留守をしていることになるのだ。

女のカはきび、あわの世話することまで手がとどかないのだ、そうはいっても、野菜や麻は種えることはできるのだ。』




(訳注)

干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。

今は戦乱で千の盾、戈(ほこ)が縦横に走っている、凄惨残虐な叛乱軍とすごくたたかっているのだ。

千曳たて、ほこ。○横放かってほうだいにはびこる、安禄山の乱をさす。○惨澹 ものすごく。○闘竜蛇 竜(天子)と蛇(禄山)とが相いたたかう。



甘澤不猶愈,且耕今未
このたびの甘露の恵みの雨は先の日照りよりかよほどましではないか、今から、土地を鋤いたり、耕したりとりかかりさえすれば決しておそまきではないのだ。
甘沢 甘露の恵みの雨、種の植え時の前の大雨の好都合なしめりをいう。○不猶愈 この雨は耕作をする前の雨であるから日照りに比較していう。雨の方がまだ日照りよりまさっている。○且耕 且は鉏、鉏は田地をすくこと、耕はたがやすこと。○今乗除絵は遠いこと。適当時期にまだ近い、おそすぎぬということ。


丈夫則帶甲,婦女終在家。

男どもはよろいをきて戦争に出ていくものだ、婦女子は結局、家で留守をしていることになるのだ。

丈夫 男子、夫をさす。○帯甲よろいを身につける、戦場へでていること。○婦女妻をいう。



力難及黍稷,得種菜與麻。』
女のカはきび、あわの世話することまで手がとどかないのだ、そうはいっても、野菜や麻は種えることはできるのだ。』
黍稷 きび、あわ。


月夜 と家族を詠う詩について 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150



月夜」と家族の考え方の考察(研究)
 1.なぜ「長安の月」ではなく「鄜州の月」なのか
 2. 九月九日憶山東兄弟  王維
 3. 除夜作  高適
 4.八月十五日夜禁中独直対月憶元九   白居易
 5. 夜雨寄北 李商隠
 6.李白の詩
 7.杜甫の彭衙行(ほうがこう)自京赴奉先縣詠懷五百字遺興
 8. 「月夜」子供に対する「北征」の詩に、淋前の南中女





月夜 と家族を詠う詩について 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150

この時期杜甫の詩に家族がよく出るの出る。月夜をはじめとして多くの詩をだした。


月夜
今夜鄜州月、閨中只独看。今夜  鄜州(ふしゅう)の月、
           閨中(けいちゅう)  只だ独り看(み)るらん。
遥憐小児女、未解憶長安遥かに憐(あわ)れむ小児女(しょうじじょ)の、
           未(いま)だ長安を憶(おも)うを解(かい)せざるを。
香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。香霧(こうむ)に雲鬟(うんかん)湿(うるお)い、
           清輝(せいき)に玉臂(ぎょくひ)寒からん。
何時倚虚幌、双照涙痕乾。何(いず)れの時か虚幌(きょこう)に倚(よ)り、
           双(とも)に照らされて涙痕(るいこん)乾かん。


2.「閨中 只だ独り看るらん。」「閏」妻、婦人の部屋を指す。
また「只獨」の「只」は、ひとえに、いちずにの意であって、月を「獨看る」という事態は、長安にいる杜甫にはわからない。まして、子供がそばにくっついているのである。妻の見るところではない。見ていてほしいとのあこがれを詠っているということなのだ。

3.続いて第二聯はこどもについていう。
遥憐小児女、未解憶長安。
遥かに憐(あわ)れむ小児女(しょうじじょ)の、未(いま)だ長安を憶(おも)うを解(かい)せざるを。

この二句は、二句で一意を完成する。月を見て遠き人を憶うのは、もとより大人のことであり、おさない稚女のできることではない。妻とともに、閨にいる子供たちは、まだ「長安を憶う」心はもたないということなのである。

この時、杜甫には、「兒」すなわち男の子は、二人あった。長男を熊児といい、次男を驥子という。そのことは、翌年家族の消息がわかってからの作、
「得家書」(家書を得たり)に、
得家書
去憑遊客寄,來為附家書。今日知消息,他鄉且舊居;
熊兒幸無恙,驥子最憐渠。臨老羈孤極,傷時會合疏。』#1
二毛趨帳殿,一命待鸞輿。北闕妖氛滿,西郊白露初。
涼風新過雁,秋雨欲生魚。農事空山裡,眷言終荷鋤。』#2
今日は家族の消息を知ることができた。その消息によると、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居るそうだ。長男の熊児は幸にも無事であり、次男の驥子、は最も渠を憐おしむ
というのによって知られる。ことに末っ子の驥子についてはこの「月夜」の詩につづく「遣興」の詩にはいう、
ふと興にふれて作った詩。やはり長安にあって驥子をおもって作ったものである。製作時、至徳二載。757年46歳

遣興
驥子好男兒,前年學語時:問知人客姓,誦得老夫詩。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。儻歸免相失,見日敢辭遲。


遣興
驥子は好男兒なり,前年、語を學びし時:
問知す 人客の姓、誦し得たり 老夫の詩
世乱れて 渠が小なるを憐む 家 貧にして母の慈を仰ぐ
鹿門 携うること遂げず 雁足 繋くること期し難し
天地 軍麾 満つ 山河 戰角 悲しむ
儻くは 帰りて相失うことを免れれば 見る日敢て遅きを辞せんや
遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151


また明年の春、やはり城中の作「憶幼子」で、
憶幼子 (幼子を憶う)
長安にあって鄜州の羌村に在る幼子を憶って作る。この幼子は作者の第二子宗武であり、宗武の幼名を驥子という。製作時は757年、至徳二載の春。

憶幼子
驥子春猶隔,鶯歌暖正繁。
別離驚節換,聰慧與誰論。
澗水空山道,柴門老樹村。
憶渠愁只睡,炙背俯晴軒。

驥子 春 猶隔たる、鶯 歌 暖くして正に繁し。
別離 節の換るに驚く、聡慧 誰とか論ぜん。
澗水 空山の道、柴門 老樹の村。
渠を憶うて愁えて只だ睡る、背を炙りて 晴軒に俯す。

うち「澗水空山道」というのは、逃避中の困難を追憶したもの
憶幼子 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 156


鳳翔において粛宗皇帝に謁見し、左拾遺の官を拝命して以後、鄜州の家族の安否を問い、消息がなお来なかったときのおもいをのべた作。製作時は至徳二載の夏。757年 46歳
鄜州方面へゆく人に書信を託して家族の安否を調べたが、三川県羌村からの返事はなかなか返ってこず、聞こえてくるのは鄜州方面は兵禍に遭って、鶏や子犬までが殺されてしまったという悲惨な噂だけ。杜甫の心配はつのり、家族は死に絶えてしまったのではないかと思う。
 書信を出してから三か月後の七月には鄜州の妻から返事が届き、家族全員が無事であるとわかる。
「述懷」は安禄山の叛乱軍に拘束され、そこから鳳翔の行在所に逃げ帰ったことなど、杜甫の周りの出来事、心境を述べたものである。

述懷
去年潼關破,妻子隔絕久。今夏草木長,脫身得西走。
麻鞋見天子,衣袖露兩肘。朝廷敏生還,親故傷老醜。
涕淚授拾遺,流離主恩厚。柴門雖得去,未忍即開口。』#1
寄書問三川,不知家在否?比聞同罹禍,殺戮到雞狗。
山中漏茅屋,誰複依戶牖。摧頹蒼松根,地冷骨未朽。
幾人全性命?盡室豈相偶?嶔岑猛虎場,鬱結回我首。』#2
自寄一封書,今已十月後。反畏消息來,寸心亦何有?
漢連初中興,生平老耽酒。沈思歡會處,恐作窮獨叟。』#3
#1
去年  潼関(どうかん)破れ、妻子  隔絶(かくぜつ)すること久し。
今夏(こんか)  草木(くさき)長じ、身を脱して西に走るを得たり。
麻鞋(まあい)  天子に見(まみ)え、衣袖(いしゅう)  両肘(りょうちゅう)を露(あらわ)す。
朝廷  生還(せいかん)を愍(あわれ)み、親故(しんこ)   老醜(ろうしゅう)を傷(いた)む。
涕涙(ているい) 拾遺(じゅうい)を授けらる、流離(りゅうり)  主恩(しゅおん)厚し。
柴門(さいもん)  去(ゆ)くを得(う)と雖(いえど)も、未だ即ち口を開くに忍(しの)びず。
#2
書を寄せて三川(さんせん)に問うも家の在るや否(いな)やを知らず
此(このご)ろ聞く 同じく禍(わざわい)に罹(かか)りて殺戮 鶏狗(けいく)に到ると
山中の漏茅屋(ろうぼうおく)誰(たれ)か復(ま)た戸牖(こゆう)に依(よ)らん
蒼松(そうしょう)の根に摧頽(さいたい)すとも地(ち)冷やかにして 骨未だ朽ちざらん
幾人か性命(せいめい)を全うする室(しつ)を尽くして 豈(あに)相偶(あいぐう)せんや
嶔岑(きんしん)たる猛虎の場(じょう)鬱結(うつけつ)して我が首(こうべ)を廻(めぐ)らす
#3
一封の書を寄せし自(よ)り、今は已(すで)に十月の後(のち)なり。
反(かえ)って畏(おそ)る  消息の来たらんことを、寸心(すんしん)  亦(ま)た何か有らん。
漢運(かんうん)  初めて中興し、生平(せいへい)  老いて酒に耽(ふけ)る。
歓会(かんかい)の処(ところ)を沈思(ちんし)し、窮独(きゅうどく)の叟(そう)と作(な)らんことを恐る。


「彭衙行」
至徳二載秋)鄜州の家を見舞うにあたって白水の西を過ぎてしかも孫を訪ることができなかったので往事を追懐して此の篇を作った。幼児らを連れて夜の山道を徒歩でゆく逃避行は困難を極めた。

#1
憶昔避賊初,北走經險艱。夜深彭衙道,月照白水山。』
盡室久徒步,逢人多厚顏。參差穀鳥吟,不見遊子還。
癡女饑咬我,啼畏虎狼聞。懷中掩其口,反側聲愈嗔。
小兒強解事,故索苦李餐。』
#2
一旬半雷雨,泥濘相牽攀。既無禦雨備,徑滑衣又寒。
有時經契闊,竟日數裡間。野果充 ?糧,卑枝成屋椽。
早行石上水,暮宿天邊煙。』
#3
少留同家窪,欲出蘆子關。故人有孫宰,高義薄曾雲。
延客已曛黑,張燈啟重門。暖湯濯我足,剪紙招我魂。』
#4
從此出妻孥,相視涕闌幹。眾雛爛熳睡,喚起沾盤飧。
誓將與夫子,永結為弟昆。遂空所坐堂,安居奉我歡。
誰肯艱難際,豁達露心肝。』
別來歲月周,胡羯仍構患。何時有翅翎,飛去墮爾前?』

#1
憶(おも)う  昔  賊を避けし初め、北に走って険難(けんなん)を経(へ)たり。
夜は深し  彭衙(ほうが)の道、月は照る  白水(はくすい)の山。
室(しつ)を尽くして久しく徒歩す、人に逢えば厚顔(こうがん)多し。
参差(しんし)として谷鳥(こくちょう)鳴き、遊子(ゆうし)還(かえ)るを見ず。
痴女(ちじょ)は飢(う)えて我れを咬(か)み、啼(な)いて畏(おそ)る  虎狼(ころう)の聞ゆるを。
中(うち)に懐(いだ)いて其の口を掩(おお)えば、反側(はんそく)して声愈々(いよいよ)嗔(いか)る。
小児(しょうに)は強(し)いて事を解し、故(ことさ)らに苦李(くり)を索(もと)めて餐(くら)う。』
#2
一旬(いちじゅん)  半(なか)ばは雷雨、泥濘(でいねい)   相(あい)攀牽(はんけん)す。
既に雨を禦(ふせ)ぐ備え無く、径(みち)滑かにして衣(い)又寒し。
時(とき)有りて契闊(けつかつ)たるを経(ふ)、竟日(きょうじつ)  数里の間(かん)。
野果(やか)を餱糧(こうりょう)に充(あ)て、卑枝(ひし)を屋椽(おくてん)と成(な)す。
早(あした)には行く  石上(せきじょう)の水、暮(くれ)には宿る   天辺(てんぺん)の煙。』
#3
少(しば)らく同家窪(どうかあ)に留(とど)まり、蘆子関(ろしかん)に出でんと欲す。
故人(こじん)  孫宰(そんさい)有り、高義(こうぎ)  曾雲(そううん)に薄(せま)る。
客を延(ひ)くとき己に曛黒(くんこく)なり 燈を張りて重門(ちょうもん)を啓(ひら)く。
湯を暖めて我が足を濯(あら)わしめ 紙を剪(き)って我が魂を招(まね)く』
#4
此(これ)従(より)妻孥(さいど)を出す 相視て涕(なみだ)闌幹(らんかん)たり。
衆雛(しゅうすう) 爛漫(らんまん)として睡(ねむ)る、喚び 起して 盤飧(ばんそん)に 沾(うるお)わしむ。
誓って将に夫子(ふうし)と、永く結び て 弟昆(ていこん)と為らんと す と。
遂に坐する所の堂を空(むな)しくして、居を安(あんじ)て 我が歓(よろこび)を奉ず。
誰か 肯(あえ)て 艱難(かんなん)の際、豁達(かつたつ) 心肝(しんかん)を露(あら)わさん。』
別来(べつらい) 歳月周(めぐ)る 胡羯(こけつ)  仍(なお) 患(うれい)を構(かも)う
何時(いつ)か 翅翎(しれい)有って 飛び去って爾(なんじ)が前に堕(おつ)べき。』
かつて、白水県から三州県へ出たときに、大いにお父さんを手古摺らせた「小さき児」も、おそらくはこの次男であったのだろう。
彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1
彭衙行 #2 杜甫 133 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132#2
彭衙行 #3 杜甫 134 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132#3
彭衙行 #4 杜甫 130 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 135


5.「北征」の詩に、
床前の兩小女
というのによれば、まだそのほかに、もう一人いた。なお熊児といい、次男を驥子というのは、おさな名であって、熊見はのちに宗文と名乗り、驥子は宗武と名乗る。

 

#6
況我墮胡塵,及歸盡華發。經年至茅屋,妻子衣百結。
慟哭松聲回,悲泉共幽咽。平生所嬌兒,顏色白勝雪。
見耶背面啼,垢膩腳不襪。
床前兩小女補綴才過膝。
#7
海圖拆波濤,舊繡移曲折。天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
老夫情懷惡,數日臥嘔泄。那無囊中帛,救汝寒凜栗?
粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。瘦妻面複光,癡女頭自櫛
#8
學母無不為,曉妝隨手抹。移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
生還對童稚,似欲忘饑渴。問事競挽須,誰能即嗔喝?
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。新婦且慰意,生理焉得說?』

床前の両小女
というのによれば、まだそのほかに、もう一人いた。なお熊児といい、次男を驥子というのは、おさな名であって、熊見はのちに宗文と名乗り、驥子は宗武と名乗る。
ところでかく「末だ長安を憶うことを解せざる」ものたちを思いやったのは、子供たちばかりを思いやったのでは、もとよりない。最も思いやるのは、閨中に濁り月を見て、大いに「長安を憶うことを解する」妻楊氏である。「長安を憶うを解する」妻にとって、「禾まだ長安を憶うを解せざる」ものたち、はね廻り、とび廻り、遊びつかれては寝てしまうものたちは、時にはうとましく感ぜられることもあったことだろう。「遥かに憐れむ小児女の」という気持ちであらわしている。


6.何れにしても、はじめの聯で思いやられた「閨中に只えに月を看る」人はしばらく第二聯では、言葉の蔭にかくれる。しかし、やがて、満身の月光を浴びつつ恍惚として、浮かびあがる。それが第三の聯である。

羌村三首其一
崢嶸赤雲西、日脚下平地。
柴門鳥雀噪、帰客千里至。』
妻孥怪我在、驚定還拭涙。
世乱遭飄蕩、生還偶然遂。
隣人満牆頭、感歎亦歔欷。
夜闌更秉燭、相対如夢寐。』

羌村 三首  其の一
崢嶸(そうこう)たる赤雲(せきうん)の西、日脚(にっきゃく) 平地に下る。
柴門(さいもん)  鳥雀(ちょうじゃく)噪(さわ)ぎ、帰客(きかく)    千里より至る。
妻孥(さいど)は我(われ)の在るを怪しみ、驚き定まって還(ま)た涙を拭う。
世乱れて飄蕩(ひょうとう)に遭(あ)い、生還  偶然に遂げたり。
隣人  牆頭(しょうとう)に満ち、感歎して亦(ま)た歔欷(きょき)す。
夜(よる)闌(たけなわ)にして更に燭(しょく)を秉(と)り、相対(あいたい)すれば夢寐(むび)の如し。

我が家の粗末な柴の戸では帰りを知らせる鳥や雀ともいえる子供らがうるさく騒いでいる、そこへ突然旅姿の私が千里の遠くからかえりついたのである。』
妻と子らはわたしがここに存在していたことを不思議に思ったようで、はじめはびっくりしていたが、驚いていたのがおちつくとこんどは泣きじゃくり、あふれる涙を拭うのである。


また、その妻については次のような表現もある。
自京赴奉先縣詠懷五百字 #9  
老妻寄異県、十口隔風雪。 老妻【ろうさい】は異県【いけん】に寄【あず】け、十口【じつこう】は風雪【ふうせつ】を隔【へだ】つ。
誰能久不顧、庶往共饑渇。 誰か能【よ】く久しく顧【かえり】みざらん、庶【こいねが】わくは往【ゆ)いて饑渇【きかつ】を共にせん。
入門聞号咷、幼子飢已卒。 門に入れば号咷【ごうとう】を聞く、幼子【ようし】の飢えて已【すで】に卒【しゅつ】す。
吾寧捨一哀、里巷亦鳴咽。 吾【われ】寧【なん】ぞ一哀【いちあい】を捨【おし】まんや、里巷【りこう】も亦【ま】た鳴咽【おえつ】す。
所愧為人父、無食到夭折。 愧【は】ずる所は人の父と為【な】り、食【しょく】無くして夭折【ようせつ】を到【いた】せしを。
豈知秋禾登、貧窶有倉卒。 豈に秋禾【しゅうか】登【みの】るを知らんや、貧窶【ひんく】倉卒【そうそつ】たる有り。
 
自京赴奉先縣詠懷五百字 #10  
生常免租税、名不隸征伐。 生【せい】は常に租税を免【まぬ】かれ、名は征伐に隸【れい】せず。
撫迹猶酸辛、平人固騒屑。 迹【あと】を撫【ぶ】すれば猶【な】お酸辛【さんしん】たり、平人【へいじん】は固【もと】より騒屑【そうせつ】たらん。
默思失業徒、因念遠戍卒。 默【もく】して失業の徒【と】を思い、因【よ】りて遠戍【えんじゅ】の卒【そつ】を念【おも】う。
憂端斉終南、鴻洞不可掇。 憂端【ゆうたん】は終南【しゅうなん】に斉【ひと】しく、鴻洞【こうどう】として掇【ひろ】う可【べ】からず。


7.そして、李白のような表現で締め括ったのである。
「香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。」
香霧(こうむ)に雲鬟(うんかん)湿(うるお)い、清輝(せいき)に玉臂(ぎょくひ)寒からん。

香霧といい、清輝という、共に月光である。雲なす鬟の周蓮にそそぐ月光、美しいうなじにを照らす月光、それが清輝で表現されている。この時代の夫婦の関係を示すものとして他の詩人では見られない。この「月夜」を境にして、詩の趣きが変化していくのである。

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月夜」と家族の考え方の考察(研究)
 1.なぜ「長安の月」ではなく「鄜州の月」なのか
月夜 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 144
 2. 九月九日憶山東兄弟  王維
    ー 杜甫『月夜』の理解を深めるために ー
2.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 145 九月九日憶山東兄弟  王維

3. 除夜作  高適
3.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 146 除夜作 高適
 4.八月十五日夜禁中独直対月憶元九   白居易
4.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 146 八月十五日夜禁中独直対月憶元九 白居易

 5. 夜雨寄北 李商隠
5.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 148 夜雨寄北

 6.李白の詩
6.kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 149家族の詩(6)

 7.杜甫の彭衙行(ほうがこう)自京赴奉先縣詠懷五百字遺興
7.月夜 と家族を詠う詩について 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150


 8. 「月夜」子供に対する「北征」の詩に、淋前の南中女

9.763年 蜀の乱を避けて「蜀中転々」の時期に、江南の地に移住しようと思っていたころ、自分と家族のことを考えている中で旅の空のもと自然を詠う秀作。

695 《倦夜〔倦秋夜〕》 蜀中転々 杜甫 <602  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3320 杜甫詩1000-602-858/1500



5. 李商隠 
 
七言絶句。夜雨寄北 李商隠

秘められた恋人に寄せた詩とするのがふさわしい。相手は定かでないものの、場所、時間などの状況ははっきりして、李商隠の恋愛詩のなかでは極めてわかりやすく、実際に手紙に代えて送ったものとも考えられる。
 一般的な解釈では「北」を李商隠の妻とするとされている。
 自分の境遇を女性に置き換えて詠ったというのが私の解釈で語句の背後にかくされているとかんがえている。


夜雨寄北 

君問歸期末有期、巴山夜雨漲秋池。
君は聞くことだろう、帰る約束ができるのか、また交わるという約束をしてくれないのかと。巴国の山間にはいつでも一緒にいるという約束の雨が秋の夜の冷たく降り続け、池の水もあふれんばかりになっている。

何當共翦西囱燭、却話巴山夜雨時。
いつになれは、ともに何度も蝋燭の芯を切りほど西の閨牀の窓辺のもとにいることができるのか、語り合えるだろう、でも、今は話ができないけど巴山には昔から神女との約束の証が夜雨なのだ。夜雨の降りしきるこの時のことは約束のことを思って過ごそう。


君 帰期を問うも未だ期有らず、巴山の夜雨 秋池に漲る。
何当か共に西窓の燭を翦り、却って話さん 巴山夜雨の時。


(本文)夜雨寄北
君問歸期未有期 、巴山夜雨漲秋池。
何當共剪西窗燭 、卻話巴山夜雨時。


(下し文)
夜雨 北に寄す
君 帰期を問うも未だ期有らず、巴山の夜雨 秋池に漲る。
何当か共に西窓の燭を翦り、却って話さん 巴山夜雨の時。


(現代語訳)
君は聞くことだろう、帰る約束ができるのか、また交わるという約束をしてくれないのかと。巴国の山間にはいつでも一緒にいるという約束の雨が秋の夜の冷たく降り続け、池の水もあふれんばかりになっている。
いつになれは、ともに何度も蝋燭の芯を切りほど西の閨牀の窓辺のもとにいることができるのか、語り合えるだろう、でも、今は話ができないけど巴山には昔から神女との約束の証が夜雨なのだ。夜雨の降りしきるこの時のことは約束のことを思って過ごそう。


(訳注)夜雨寄北
寄北 851~855まで梓州(四川省)の柳仲郢の幕下にいた時期。妻王氏はすでに没している。従来、妻に寄せた詩と解されることが多いが、「北」に妻の意味はないし、儒教的な詩の意味はないのである。ここでの雨が宋玉「高唐の賦」にある巫山神女の故事によるもので、懷王と交わった後、神女が「暮には行雨とならん」とどんな時でも一緒にいるといった意味を持つ雨である。


君問歸期末有期、巴山夜雨漲秋池。
君は聞くことだろう、帰る約束ができるのか、また交わるという約束をしてくれないのかと。巴国の山間にはいつでも一緒にいるという約束の雨が秋の夜の冷たく降り続け、池の水もあふれんばかりになっている。
 約束。「景陽井」 李商隠 48 にある。同じ句の中に期を二語つかっている。二つの約束を示す。帰るという約束。秘められた女性とのまた交わるという約束有るに至らず。
巴山 「巴」は四川省東部一帯を指す古名。巴の國に属する山といえは巫山があり、楚の懐王が巫山の神女と夢のなかで交わった故事を連想させる。
李商隠 6 重過聖女詞 詩注参照。



何當共翦西囱燭、却話巴山夜雨時。
いつになれは、ともに何度も蝋燭の芯を切りほど西の閨牀の窓辺のもとにいることができるのか、語り合えるだろう、でも、今は話ができないけど巴山には昔から神女との約束の証が夜雨なのだ。夜雨の降りしきるこの時のことは約束のことを思って過ごそう。
何当 いつ。未来の時についての疑問詞。いつになればと願う気持ちを伴う。○共翦西窓燭 「燭を翳る」は、ろうそくの芯についた燃えかすを切り取って明るくする。時間が経過したことをあらわす。また燃えかすが花のようになった「灯花」ができるのは待ち人が来るなど、吉兆とされる。「共」には一緒にと何度もの意味。「西窓」は閨牀の窓辺で、情交を意味する。○ 思いや動きが反対の向きに変わることを示す。


李商隠も女性を歌うのは芸妓を詠い、あるいは妻を詠う場合でも、芸妓の舞台を借りているのである。
 好きな女性か、先に逝った妻を偲んでうたったとされているが、これらと別の意味合いが含まれているため、恋歌として今一つ心に打たれないのである。いろんな意味を込める語で句を構成していく方法、李商隠らしいものであるのであるが、都にいる、反体制の同志に、何らかの暗号で、様子を知らせてくれと訴えているように感じるのである。

夜雨寄北
君問歸期未有期 、巴山夜雨漲秋池。
何當共剪西窗燭 、卻話巴山夜雨時。
○韻 池、期、時。

6.李白(つづく)

彭衙行 #3 杜甫 134 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132#3

彭衙行 #3 杜甫 134 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132#3 (ほうがこう)


必死の思いで避難を続ける杜甫とその家族は(王触一家もいっしょだったであろうが)、三川県の周家窪という村にやっとたどり着いたが、その村で杜甫は思いもかけず、知り合いの孫宰に出会い、手厚いもてなしを受けることになった。


#1
憶昔避賊初,北走經險艱。夜深彭衙道,月照白水山。』
盡室久徒步,逢人多厚顏。參差穀鳥吟,不見遊子還。
癡女饑咬我,啼畏虎狼聞。懷中掩其口,反側聲愈嗔。
小兒強解事,故索苦李餐。』
#2
一旬半雷雨,泥濘相牽攀。既無禦雨備,徑滑衣又寒。
有時經契闊,竟日數裡間。野果充 ?糧,卑枝成屋椽。
早行石上水,暮宿天邊煙。』
#3
少留同家窪,欲出蘆子關。
故人有孫宰,高義薄曾雲。
延客已曛黑,張燈啟重門。
暖湯濯我足,剪紙招我魂。』

自分たちはしばらく同家窪で滞在してそれから蘆子関を出て北進しようと思っている。
同家窪にはふるなじみの孫辛というものがいて義理を重んじ人格のたかいことは雲にせまるほどであった。
彼が自分たちを案内してくれたときはもうすでにうすくらがりであり、あかりをつけて幾重かの門をあけてくれたのである。
そうしてお湯をわかして我々に足をあらわせ、紙をきって我々の元気の力、生き霊をよびかえらせてくれた。』

#4
從此出妻孥,相視涕闌幹。眾雛爛熳睡,喚起沾盤飧。
誓將與夫子,永結為弟昆。遂空所坐堂,安居奉我歡。
誰肯艱難際,豁達露心肝。』
別來歲月周,胡羯仍構患。何時有翅翎,飛去墮爾前?』


#3
少(しば)らく同家窪(どうかあ)に留(とど)まり、蘆子関(ろしかん)に出でんと欲す。
故人(こじん)  孫宰(そんさい)有り、高義(こうぎ)  曾雲(そううん)に薄(せま)る。
客を延(ひ)くとき己に曛黒(くんこく)なり 燈を張りて重門(ちょうもん)を啓(ひら)く。
湯を暖めて我が足を濯(あら)わしめ 紙を剪(き)って我が魂を招(まね)く』


#3 現代語訳と訳註
(本文)

少留同家窪,欲出蘆子關。故人有孫宰,高義薄曾雲。
延客已曛黑,張燈啟重門。暖湯濯我足,剪紙招我魂。』

(下し文)
少(しば)らく同家窪(どうかあ)に留(とど)まり、蘆子関(ろしかん)に出でんと欲す。
故人(こじん)  孫宰(そんさい)有り、高義(こうぎ)  曾雲(そううん)に薄(せま)る。
客を延(ひ)くとき己に曛黒(くんこく)なり 燈を張りて重門(ちょうもん)を啓(ひら)く。
湯を暖めて我が足を濯(あら)わしめ 紙を剪(き)って我が魂を招(まね)く』

(現代語訳)
自分たちはしばらく同家窪で滞在してそれから蘆子関を出て北進しようと思っている。
同家窪にはふるなじみの孫辛というものがいて義理を重んじ人格のたかいことは雲にせまるほどであった。
彼が自分たちを案内してくれたときはもうすでにうすくらがりであり、あかりをつけて幾重かの門をあけてくれたのである。
そうしてお湯をわかして我々に足をあらわせ、紙をきって我々の元気の力、生き霊をよびかえらせてくれた。』


(訳注)#3
少留同家窪,欲出蘆子關。
自分たちはしばらく同家窪で滞在してそれから蘆子関を出て北進しようと思っている。
少留 しばらく滞在する。○同家窪 白水県の郷村の名とおもわれる。孫宰の居る所。○蘆子關 関の名、延安府安塞県にある。鄜州よりさらに北にあり、霊武(地図の左側最上部)へ達する路。蘆子關は地図の中ほど最上部にある。杜甫のこの時地図の真ん中にある三川から鄜州にたどり着くのに艱難辛苦していたのだ
杜甫乱前後の図003鳳翔

  

故人有孫宰,高義薄曾雲。
同家窪にはふるなじみの孫辛というものがいて義理を重んじ人格のたかいことは雲にせまるほどであった。
故人 ふるなじみの人。○孫宰 姓は孫、宰は名とみる。○高義 義理を重んじ人格のたかいこと。○曾雲 かさなれるくも、骨は層に同じ。


延客已曛黑,張燈啟重門。
彼が自分たちを案内してくれたときはもうすでにうすくらがりであり、あかりをつけて幾重かの門をあけてくれたのである。
延客 お客をこちらへとひく、客は杜甫。○曛黑 うすくらがり。○張燈 あかりを設ける。○啟重門 幾重にもなっている門をひらく。


暖湯濯我足,剪紙招我魂。』
そうしてお湯をわかして我々に足をあらわせ、紙をきって我々の元気の力、生き霊をよびかえらせてくれた。』
暖湯 おゆをわかす。○濯我足 杜甫の足をあらわせる。○剪紙 紙をはさみできり、はたをつくり魂をまねく式に用いる。旅の間に落としていった元気の魂をかき集める儀式をする。○招我魂 くたびれ果てて自分ではないような感じになっている。我とは作者をさす。杜詩には往々にして招魂をいうが、これは生き霊をまねくことをいう、生者の魂が散じて四方にあるのによってこれをよびかえすこと。

三川觀水漲二十韻 杜甫 130 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 127-#4

三川觀水漲二十韻 杜甫 130 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 127-#4

危険の迫った白水県を去り、多くの避難民に混じって洛河ぞいに華原を経てさらに北に進んだ。
「三川觀水漲二十韻」(三川にて水の漲るを観る)には、その途中の様子を次のように記す。「華原を過ぎてからは、もはや平らな土地は見られない。北に向かってゆくが、ただ土山が続いているばかり。来る日も来る日も、せばまった深い谷間を通ってゆく。空には赤くやけた雲が時となくわき立ち、電光がきらめく。山が深いために雨がよく降り、道は川になって激流がぶつかりあう」。その中を杜甫の一行は手を引きあって進んでゆく。

このとき、杜甫の遠い親戚にあたる王砅一家もいっしょに避難したが、のちに770年大暦五年、といえは、杜甫が亡くなる年に浮州で、南海に使者として赴く王砅を送る際に作った「送重表姪王秋評事便南海」(重表姪の王秋評事の南海に使いするを送る)には、避難の途中における危難のさまが詠われている。131 王砅「送重表姪王秋評事便南海」


#3
及觀泉源漲,反懼江海覆。
漂沙坼岸去,漱壑松柏禿。
乘陵破山門,回斡裂地軸。
交洛赴洪河,及關豈信宿。
應沉數州沒,如聽萬室哭。
穢濁殊未清,風濤怒猶蓄。
何時通舟車?陰氣不黲黷。』
#4
浮生有蕩汨,吾道正羈束。
浮き草のような生活は水の早き流れに漂うようなものである、わたしの生きる道はこのように他からしばられているのだ。
人寰難容身,石壁滑側足。
世渡りの上手い世界には身を容れおくことがむずかしい、それでいて、このような山中へはいってくればここではまた石壁の路がすべるようなので足の指先、足の外側に力を入れて歩くのだ。
雲雷屯不已,艱險路更跼。』
雲雷の雨水の難儀は止みそうにない、山行の急坂はその路はさらに進みづらくなってきた。』
普天無川梁,欲濟願水縮。
見渡すにかぎりどこにも舟橋は無い、川を渡ることができるためには水量の減ずるのを願うばかりである。
因悲中林士,未脫眾魚腹。
それにつけて悲しむのはこの山林に居る人々のことだ、彼等はまだ魚の腹からのがれることはできずにいるのだ。
舉頭向蒼天,安得騎鴻鵠?』

わたしは頭をあげて天をむかってみている、どうしたならば鴻や鵠などの鳥にのって空へ駆け上がってこの水災(叛乱軍の戦火)からのがれることができるであろうかと。


束。足。跼。縮。腹。鵠。
#3
泉源の漲るを観るに及んで 反って江海の覆(くつが)えるを懼る。
沙を漂わして坼岸(きんがん)去り、壑(がく)に漱(そそ)ぎて松柏禿(とく)す。
乗陵(じょうりょう)山門破れ、廻斡(かいあつ) 地軸 裂く。
洛に交りて洪河(こうか)に赴く、関に及ぶ豈に信宿ならんや。
応に数州を沈めて没せしむるなるべし、万室の哭するを聴くが如し。
穢濁(あいだく)殊に未だ清からず、風涛怒り 猶 蓄(たくお)う。
何の時か 舟車を通じて、陰気 黲黷(しんとく)ならざらん。』

4

浮生 蕩汨(とういつ)有り、吾が道正に羈束(きそく)せらる。

人寰 身を容れ難く、石壁滑かにして足を側(そばだ)つ。

雲雷 屯(ちゅん)己まず 艱險(かんけん) 路更に跼(きょく)す。』

普天 川梁 無し、済(わた)らんと欲して水の縮(ちじ)まんことを願う。

因って悲しむ中林の士 未だ衆魚の腹より脱せず。

頭を挙げて蒼天に向う、安んぞ鴻鵠(こうこく)に騎()ることを得ん。』



三川觀水漲二十韻 現代語訳と訳註
(本文) #4

浮生有蕩汨,吾道正羈束。
人寰難容身,石壁滑側足。
雲雷屯不已,艱險路更跼。』
普天無川梁,欲濟願水縮。
因悲中林士,未脫眾魚腹。
舉頭向蒼天,安得騎鴻鵠?』

(下し文) #4
浮生 蕩汨(とういつ)有り、吾が道正に羈束(きそく)せらる。
人寰 身を容れ難く、石壁滑かにして足を側(そばだ)つ。
雲雷 屯(ちゅん)己まず 艱險(かんけん) 路更に跼(きょく)す。』
普天 川梁 無し、済(わた)らんと欲して水の縮(ちじ)まんことを願う。
因って悲しむ中林の士 未だ衆魚の腹より脱せず。
頭を挙げて蒼天に向う、安んぞ鴻鵠(こうこく)に騎(の)ることを得ん。』


(現代語訳)
浮き草のような生活は水の早き流れに漂うようなものである、わたしの生きる道はこのように他からしばられているのだ。
世渡りの上手い世界には身を容れおくことがむずかしい、それでいて、このような山中へはいってくればここではまた石壁の路がすべるようなので足の指先、足の外側に力を入れて歩くのだ。
雲雷の雨水の難儀は止みそうにない、山行の急坂はその路はさらに進みづらくなってきた。』
見渡すにかぎりどこにも舟橋は無い、川を渡ることができるためには水量の減ずるのを願うばかりである。
それにつけて悲しむのはこの山林に居る人々のことだ、彼等はまだ魚の腹からのがれることはできずにいるのだ。
わたしは頭をあげて天をむかってみている、どうしたならば鴻や鵠などの鳥にのって空へ駆け上がってこの水災(叛乱軍の戦火)からのがれることができるであろうかと。


(訳注) #4

浮生有蕩汨,吾道正羈束。
浮き草のような生活は水の早き流れに漂うようなものである、わたしの生きる道はこのように他からしばられているのだ。
浮生 浮き草のような生活。○蕩汨 蕩はうごく、汨は水のはやく流れるさま。○羈束 きずなをつけ、しばられる。

人寰難容身,石壁滑側足。
世渡りの上手い世界には身を容れおくことがむずかしい、それでいて、このような山中へはいってくればここではまた石壁の路がすべるようなので足の指先、足の外側に力を入れて歩くのだ。
人寰 人の存在する区域、世界。こびへつらいの世界。世渡りの上手い世界。○容身 わがからだをいれておく。○側足 足をそばだてる。足の指先、足の外側に力を入れて歩くことを言う。

雲雷屯不已,艱險路更跼。』
雲雷の雨水の難儀は止みそうにない、山行の急坂はその路はさらに進みづらくなってきた。』
 なやみ、難儀。○ せぐくまる。ちじこまる。馬が進まない。


普天無川梁,欲濟願水縮。
見渡すにかぎりどこにも舟橋は無い、川を渡ることができるためには水量の減ずるのを願うばかりである。
普天 天下じゅう。○川梁 梁はふなはし。○水縮 縮はちぢむ、量の減ずること。水嵩が減ること。

因悲中林士,未脫眾魚腹。
それにつけて悲しむのはこの山林に居る人々のことだ、彼等はまだ魚の腹からのがれることはできずにいるのだ。
中林士 林中土と同じ、山林のなかの集落の者。○衆魚腹 衆は集落、多くの魚の腹、山崩れが起きれば飲み込まれる。叛乱軍に襲撃されれば、殺されてしまう。盆地の集落が魚の腹の中という表現をしたのだ。
前#3にでている
漂沙坼岸去,漱壑松柏禿。
乘陵破山門,回斡裂地軸。
『大雨でで手が決壊し、山の木々や土砂崩れが起きそうだ』ということを受けている。杜甫たちが少し高い所に来て盆地状の集落を見ていること。


舉頭向蒼天,安得騎鴻鵠?』
わたしは頭をあげて天をむかってみている、どうしたならば鴻や鵠などの鳥にのって空へ駆け上がってこの水災(叛乱軍の戦火)からのがれることができるであろうかと。
○安得 希望の辞。○騎鴻鵠 この鳥にのって水災(叛乱軍の戦火)より離脱するのである。


○押韻 束。足。跼。縮。腹。鵠。




三川觀水漲二十韻
#1
我經華原來,不複見平陸。北上惟土山,連天走窮穀。
火雲無時出,飛電常在目。』
#2
自多窮岫雨,行潦相豗蹙。蓊匒川氣黃,群流會空曲。
清晨望高浪,忽謂陰崖踣。恐泥竄蛟龍,登危聚麋鹿。
枯查卷拔樹,礧磈共沖塞。聲吹鬼神下,勢閱人代速。
不有萬穴歸,何以尊四瀆。』

#3
及觀泉源漲,反懼江海覆。漂沙坼岸去,漱壑松柏禿。
乘陵破山門,回斡裂地軸。交洛赴洪河,及關豈信宿。
應沉數州沒,如聽萬室哭。穢濁殊未清,風濤怒猶蓄。
何時通舟車?陰氣不黲黷。』
#4
浮生有蕩汨,吾道正羈束。人寰難容身,石壁滑側足。
雲雷屯不已,艱險路更跼。』
普天無川梁,欲濟願水縮。因悲中林士,未脫眾魚腹。
舉頭向蒼天,安得騎鴻鵠?』

#1
我 華原を経て来る、復た平陸を見ず。
北上すれば惟 土山、連天窮谷に走る。
火雲出づるや時無し、飛電 常に目に在り。』
#2
自ら窮岫(きゅうしゅう)の雨多し、行潦(こうろう) 相 豗蹙(かいしゅく)す。
蓊匒(おうこう)として川気(せんき) 黄なり、羣流 空曲に会す。
清晨 高浪を望む、忽ち謂う陰崖 踣(たお)れるかと。
泥(なず)まんことを恐れて蛟龍(こうりゅう) 竄(かく)れ、 危きに登りて 麋鹿(びろく) 聚(あつ)まる。
枯査 抜樹を巻き、礧磈(らいかい)として共に充塞(じゅうそく)す。
声は鬼神を吹きて下す、勢は人代(じんだい)の速かなることを閱(けみ)す。
万穴の帰する有らずんば、何を以ってか 四瀆(しとく)を尊(たっとし)とせん』
#3
泉源の漲るを観るに及んで 反って江海の覆(くつが)えるを懼る。
沙を漂わして坼岸(きんがん)去り、壑(がく)に漱(そそ)ぎて松柏禿(とく)す。
乗陵(じょうりょう)山門破れ、廻斡(かいあつ) 地軸 裂く。
洛に交りて洪河(こうか)に赴く、関に及ぶ豈に信宿ならんや。
応に数州を沈めて没せしむるなるべし、万室の哭するを聴くが如し。
穢濁(あいだく)殊に未だ清からず、風涛怒り 猶 蓄(たくお)う。
何の時か 舟車を通じて、陰気 黲黷(しんとく)ならざらん。』
#4
浮生 蕩汨(とういつ)有り、吾が道正に羈束(きそく)せらる。
人寰 身を容れ難く、石壁滑かにして足を側(そばだ)つ。
雲雷 屯(ちゅん)己まず 艱險(かんけん) 路更に跼(きょく)す。』
普天 川梁 無し、済(わた)らんと欲して水の縮(ちじ)まんことを願う。
因って悲しむ中林の士 未だ衆魚の腹より脱せず。
頭を挙げて蒼天に向う、安んぞ鴻鵠(こうこく)に騎(の)ることを得ん。』

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
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