玉華宮 ② 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 206
杜甫詩、杜甫の人生を語る「北征」期の重要な作品。
| ID | 詩題 | 摘要 (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩) |
| 970 | 晚行口號 | 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。 |
| 971 | 徒步歸行 | 鄜州へ赴く出発の詩 |
| 972 | 九成宮 | 鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。 |
| 973 | 玉華宮 | 鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。 |
| 974 | 行次昭陵 | 鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。 |
| 975 | 北征 | 五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃か。八月初めに鳳翔より出発して鄜州に到著して以後に作ったもの。 |
977 | 羌村三首 | ・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。 ・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。 ・村の長老たちと帰還の祝い。 |
| 981 | 重經昭陵 | 帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。 |
| ID | 詩題 | 摘要 (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩) |
| 980 | 收京三首 | 王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。 |
| 粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれる。 朝廷におけるいきさつについては下のブログ参照。 | ||
鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。唐の太宗の647年貞観二十一年七月、玉華宮を作る、務めて倹制に従い、正殿のみは瓦をふき、其の余は茅をふかせた。その清涼なことは九成宮にまさると称せられる。宮の位置は下図の中央付近、長安の真北、40kmくらうにあった。杜甫は鳳翔を当初、徒歩で出発している。裏街道を通り、九成宮への導入道路を抜け。邠州まで歩いている。ここで馬を借りて、銅川を抜けて、宜君にむかう。この詩は、この間のことをである。
玉華宮(ぎょくかきゅう)は高宗の651年永徽二年にこれを廃して玉華寺と為した。宜君県は今、鄜州の中部県(即ち唐の坊州)の南にある。杜甫が此の地を経過したときは玉華寺であるはずであるが、旧名によって玉華宮と題したものである。
玉華宮
溪回松風長,蒼鼠竄古瓦。不知何王殿,遺構絕壁下。
陰房鬼火青,壞道哀湍瀉。萬籟真笙竽,秋色正蕭灑。』
#2
美人為黃土,況乃粉黛假。
あの楊貴妃は今は黄土となっている。しかし、いくら、最高に化粧し、うつくしく着飾っていたとしても死んでしまったのだ。
當時侍金輿,故物獨石馬。
絶世の美女といわれ、天子の寵愛を受けて金輿の傍に何時も同席していた。眼前に存在して見るものはただひとり立っている石刻の馬だけなのだ。
憂來藉草坐,浩歌淚盈把。
先のことを考えると心配が湧いて来るばかりだ、私はここで、草を下敷きにして坐り、大声に歌いだしてみたら一握りに余るほどの涙が流れでてくるのである。
冉冉徵途間,誰是長年者?』
わたしはこうした旅をするあいがに次第次第に年老いてゆくのはであるしかたのないことであるが、誰が果して不老長寿の幸せを保ち得る者であろうか。そんな者はいないのだ。
(玉華宮)#1
渓廻りて松風長し 蒼鼠古瓦に竄る
知らず何の王殿ぞ 遺構絶壁の下
陰房鬼火青く 壊道哀湍瀉ぐ
萬籟真に笙竽 秋色正に蕭灑たり』
#2
美人も黄土と為る 況や乃ち粉黛の仮なるをや
当時金輿に侍せしに 故物独り石馬あり
憂え来って草を藉きて坐す 浩歌涙把に盈つ
冉冉たり征途の間 誰か是れ長年の者ぞ』
現代語訳と訳註
(本文)
美人為黃土,況乃粉黛假。
當時侍金輿,故物獨石馬。
憂來藉草坐,浩歌淚盈把。
冉冉徵途間,誰是長年者?』
(下し文) #2
美人も黄土と為る 況や乃ち粉黛の仮なるをや
当時金輿に侍せしに 故物独り石馬あり
憂え来って草を藉きて坐す 浩歌涙把に盈つ
冉冉たり征途の間 誰か是れ長年の者ぞ』
(現代語訳)
あの楊貴妃は今は黄土となっている。しかし、いくら、最高に化粧し、うつくしく着飾っていたとしても死んでしまったのだ。
絶世の美女といわれ、天子の寵愛を受けて金輿の傍に何時も同席していた。眼前に存在して見るものはただひとり立っている石刻の馬だけなのだ。
先のことを考えると心配が湧いて来るばかりだ、私はここで、草を下敷きにして坐り、大声に歌いだしてみたら一握りに余るほどの涙が流れでてくるのである。
わたしはこうした旅をするあいがに次第次第に年老いてゆくのはであるしかたのないことであるが、誰が果して不老長寿の幸せを保ち得る者であろうか。そんな者はいないのだ。
(訳注)#2
美人為黃土,況乃粉黛假。
あの楊貴妃は今は黄土となっている。しかし、いくら、最高に化粧し、うつくしく着飾っていたとしても死んで消滅してしまったのだ。
○美人 宮女。ほんの数か月前衝撃の殺され方をした楊貴妃のことをいっている。杜甫は、粛宗より、玄宗に随う気持ちが強かった。玄宗の悲劇を前面に出さず、ここではさりげなく振れている。○為黄土 死して土に化すことをいう。○粉黛仮 粉はおしろい、黛は眉をえがくのに用いる青色のすみ。仮とは仮借のものの意。
當時侍金輿,故物獨石馬。
絶世の美女といわれ、天子の寵愛を受けて金輿の傍に何時も同席していた。眼前に存在して見るものはただひとり立っている石刻の馬だけなのだ。
○当時 太宗の時をさす。○侍金輿 金輿は黄金をもってかざったのりもの、天子の乗るもの、侍とは美人が生前そのそば近くはべったこと。「金輿に侍せしは」云々と訓ず可らず。「侍せしは」云々といえば下旬の放物が侍した様になって不都合である。「侍金輿」と「放物」との句の中間には「その美人は己に存在せず」の意を含む、略していわないまでである。○故物 在来からあるふるもの、太宗の頃に建てられたものであるから放物であるが、その後、玄宗と連れだってここに来ていた。○石馬石を刻してつくった馬。当時、大宗に対して悪い感情はないし、玄宗は楊貴妃がいけないのであって、皇帝は美人を好むものという当たり前のことなのである。
憂來藉草坐,浩歌淚盈把。
先のことを考えると心配が湧いて来るばかりだ、私はここで、草を下敷きにして坐り、大声に歌いだしてみたら一握りに余るほどの涙が流れでてくるのである。
○憂 この憂いは将来に対するもので、杜甫自身、爽籟計画も夢も失いつつある時である。まだ、粛宗に認めてもらえ役立ちたいという希望を捨ててはいないのである。○浩歌 大きな声でうたう。○盈把 ひとにぎりに満つ。○杜甫は別に本当に泣いているわけではない、憂いの大きさを涙の量で表現しているのである。憂いたり、嘆いたりしていても決して悲観しているのではないのである。
冉冉徵途間,誰是長年者?』
わたしはこうした旅をするあいがに次第次第に年老いてゆくのはであるしかたのないことであるが、誰が果して不老長寿の幸せを保ち得る者であろうか。そんな者はいないのだ。
○冉冉 漸漸と同義、次第に時日の進行するさま、時間の経過をいい、道路についていうのではない。○征途 征、往復の往の意味を持った旅という意味と、天子の許しを得て旅立つのであるから、北を征する意味を込めているともいえる。○長年 不老長寿の幸せ。唐の皇帝は、特に玄宗は道教に入信し、国教にまでした人物、金丹の不老伝説を信じていたものである。そんなもので長寿が叶えるはずはないというのであろうか。実際に道教と宦官によって、皇帝の中毒死は多数あったのだ。。
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