杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

羌村三首

羌村三首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 222

羌村三首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 222

羌村三首 其三
群鶏正乱叫、客至鶏闘争。
鶏がむらがっていままさに騒ぎ立てている、客人が来たのに驚きあって互いが戦っているようだ。
駆鶏上樹木、始聞扣柴荊。
その鶏(とり)たちを樹枝の囲いに追いやると、我家の柴といばらの戸をたたく音が聞こえてきた。
父老四五人、問我久遠行。
近所の年寄りたちが四五人である、わたしの長旅の苦労を慰問するということなのだ。
手中各有携、傾榼濁復清。
各自が手に手土産をさげておるのだ、壺からは濁り酒や清酒をかたむけてくれるのだ。
莫辞酒味薄、黍地無人耕。
酒の味が薄いというので嫌いだとこの宴会をしりぞいてはいけない、というのもきびの畑を耕す者がいないだことからなのだ。
兵革既未息、児童尽東征。
いくさはなかなか終わらない、若い者はすべてのものが東のいくさ場に出つくしているのだ。
請為父老歌、艱難愧深情。
ここでこの老人が歌うのをお許し願いたい、この艱難辛苦の世の中では心情の深さほど嬉しいことなのだ。
歌罷仰天嘆、四座涙縦横。
歌い終えると天に向かって嘆くのである、この宴座の人は  涙で頬を濡らしているのだ


其の三 
群鶏(ぐんけい)  正(まさ)に乱叫(らんきょう)し、客至るとき鶏(にわとり)闘争す。
鶏を駆(か)って樹木に上(のぼ)らしめ、始めて柴荊(さいけい)を扣(たた)くを聞く。
父老(ふろう)  四五人、我が久しく遠行(えんこう)せしを問う。
手中(しゅちゅう) 各々(おのおの)携うる有り、榼(こう)を傾くれば  濁(だく)復(ま)た清(せい)。

辞する莫(なか)れ 酒味(しゅみ)の薄きを、黍地(しょち)  人の耕(たがや)す無し。
兵革(へいかく)  既に未(いま)だ息(や)まず、児童(じどう)  尽(ことごと)く東征す。
請(こ)う  父老(ふろう)の為に歌わん、艱難(かんなん)  深情(しんじょう)に愧(は)ず」と。
歌(うた)罷(や)んで  天を仰いで嘆(たん)ずれば、四座(しざ)  涙縦横(じゅうおう)たり。


現代語訳と訳註
(本文)
群鶏正乱叫、客至鶏闘争。
駆鶏上樹木、始聞扣柴荊。
父老四五人、問我久遠行。
手中各有携、傾榼濁復清。
莫辞酒味薄、黍地無人耕。
兵革既未息、児童尽東征。
請為父老歌、艱難愧深情。
歌罷仰天嘆、四座涙縦横。


(下し文)
群鶏(ぐんけい)  正(まさ)に乱叫(らんきょう)し、客至るとき鶏(にわとり)闘争す。
鶏を駆(か)って樹木に上(のぼ)らしめ、始めて柴荊(さいけい)を扣(たた)くを聞く。
父老(ふろう)  四五人、我が久しく遠行(えんこう)せしを問う。
手中(しゅちゅう) 各々(おのおの)携うる有り、榼(こう)を傾くれば  濁(だく)復(ま)た清(せい)。

辞する莫(なか)れ 酒味(しゅみ)の薄きを、黍地(しょち)  人の耕(たがや)す無し。
兵革(へいかく)  既に未(いま)だ息(や)まず、児童(じどう)  尽(ことごと)く東征す。
請(こ)う  父老(ふろう)の為に歌わん、艱難(かんなん)  深情(しんじょう)に愧(は)ず」と。
歌(うた)罷(や)んで  天を仰いで嘆(たん)ずれば、四座(しざ)  涙縦横(じゅうおう)たり。


(現代語訳)
鶏がむらがっていままさに騒ぎ立てている、客人が来たのに驚きあって互いが戦っているようだ。
その鶏(とり)たちを樹枝の囲いに追いやると、我家の柴といばらの戸をたたく音が聞こえてきた。
近所の年寄りたちが四五人である、わたしの長旅の苦労を慰問するということなのだ。
各自が手に手土産をさげておるのだ、壺からは濁り酒や清酒をかたむけてくれるのだ。
酒の味が薄いというので嫌いだとこの宴会をしりぞいてはいけない、というのもきびの畑を耕す者がいないだことからなのだ。
いくさはなかなか終わらない、若い者はすべてのものが東のいくさ場に出つくしているのだ。
ここでこの老人が歌うのをお許し願いたい、この艱難辛苦の世の中では心情の深さほど嬉しいことなのだ。
歌い終えると天に向かって嘆くのである、この宴座の人は  涙で頬を濡らしているのだ。



(訳注) 羌村三首 其の三
群鶏正乱叫、客至鶏闘争。
鶏がむらがっていままさに騒ぎ立てている、客人が来たのに驚きあって互いが戦っているようだ。


駆鶏上樹木、始聞扣柴荊。
その鶏(とり)たちを樹枝の囲いに追いやると、我家の柴といばらの戸をたたく音が聞こえてきた。


父老四五人、問我久遠行。
近所の年寄りたちが四五人である、わたしの長旅の苦労を慰問するということなのだ。


手中各有携、傾榼濁復清。
各自が手に手土産をさげておるのだ、壺からは濁り酒や清酒をかたむけてくれるのだ。


莫辞酒味薄、黍地無人耕。
酒の味が薄いというので嫌いだとこの宴会をしりぞいてはいけない、というのもきびの畑を耕す者がいないだことからなのだ。
黍地 きびの畑。耕す人は酒をつくる人が少ないこと。


兵革既未息、児童尽東征
いくさはなかなか終わらない、若い者はすべてのものが東のいくさ場に出つくしているのだ。
兵革 「兵」は刀・槍などの武器、「革」は鎧(よろい)・兜(かぶと)の意。古くは「へいがく」とも》 1 戦争のための武器・甲冑(かっちゅう)。兵甲。 2 戦争。たたかい。


請為父老歌、艱難愧深情。
ここでこの老人が歌うのをお許し願いたい、この艱難辛苦の世の中では心情の深さほど嬉しいことなのだ。


歌罷仰天嘆、四座涙縦横。
歌い終えると天に向かって嘆くのである、この宴座の人は  涙で頬を濡らしているのだ。


解説

 鶏が騒ぐので村の長老たちも帰還の祝いにやってきたのがわかった。都朝廷の左拾遺である。村人たちにとっては天子の謁見できる高官である。村人の心深い酒を情けに涙するのである。

村の長老たちは酒の味が薄いのは、若者が戦争に出てしまって畑を耕す者がいないからだと弁解なのか、苦しみを訴えるのか、早くいくさがなくなることを心から願うのである。
 杜甫は村人のために詩を詠うのである。艱難辛苦の時代、誰もが同じ思いの宴であった。
この詩の特徴は、杜甫には珍しく平易な語句で作られている。おそらく、村人にその場で披露し他ものであろう。平易で心温まる詩である。

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羌村三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 221

羌村三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 221


杜甫は鳳翔からごしゅう鄜州まで約200キロの道を、閏八月の初めから半月ばかりかかって、馬は与えられなかったために、途中で馬を借りるまでは徒歩で、何人かの下僕を供にして麟遊県―邠州-宜君県-鄜州という経路で帰っていった。
「遠愧梁江總,還家尚黑頭。」(遠い昔の人と比べると同じ家へ戻るとはいうものの、梁の江総がまだ黒い頭をしながら家へ還ったのに対して、わたしは年老いてしまったとはいえこの白髪頭で帰るというのはちょっと恥いいものである。)これは左拾位という天子の顔を拝顔できる朝廷の役人であること誇らしく思う裏返しの表現である。
鄜州の羌村に到著し家族にやっとあえた。鄜州は洛交県に治し、羌村は現在の延安市のこうがいである。
 「羌村(きょうそん)三首」の連作は、波乱の一年余をへて家族と再会した喜びが率直に詠われている。
至徳二載 757年 46歳


羌村三首
其一
崢嶸赤雲西,日腳下平地。柴門鳥雀噪,歸客千裡至。』
妻孥怪我在,驚定還拭淚。世亂遭飄蕩,生還偶然遂。
鄰人滿牆頭,感嘆亦歔欷。夜闌更秉燭,相對如夢寐。』
其二
晚歲迫偷生,還家少歡趣。嬌兒不離膝,畏我複卻去。
憶昔好追涼,故繞池邊樹。蕭蕭北風勁,撫事煎百慮。』
賴知禾黍收,已覺糟床注。如今足斟酌,且用慰遲暮。』
其三
群雞正亂叫,客至雞鬥爭。驅雞上樹木,始聞叩柴荊。
父老四五人,問我久遠行。手中各有攜,傾榼濁複清。
苦辭酒味薄,黍地無人耕。兵革既未息,兒童盡東徵。
請為父老歌,艱難愧深情。歌罷仰天嘆,四座淚縱橫。


羌村三首 其二
晩歳迫偸生、還家少歓趣。
この年になって士官がかない筋道のある筋の通ったせいかつをせまられている、そこで、家に帰ってはみたものの  しみじみとした味わいは少ないのである。
嬌児不離膝、畏我復却去。
いたずらっ子が私の膝の上を離れないのである、かといって次には私を畏れて、あとずさりする。
憶昔好追涼、故繞池辺樹。
思えば昔のこと、 夕涼みでいっしょに歩くのを好んでしたものだ、あるいは懐かしいことは池の岸辺  樹々のあいだをめぐって歩いたことだ。
蕭蕭北風勁、撫事煎百慮。
ひゅうひゅうといまはもの寂しく 北風が吹いている、いろいろ考えると  胸に憂いが満ちてくるのである。
頼知禾黍収、已覚糟牀注。
さいわいに 今年の稲や黍(きび)は豊作であったことをしったのである、そんなことから、はやくも酒しぼりの音がしてくるのを耳にはいってくる。
如今足斟酌、且用慰遅暮。

この季節になるとその新酒を酌むのには充分のはずだ、そんなこともあって私の晩年の慰めとして飲むことになるのだ。

羌村 三首  其の二
晩歳(ばんさい)  生を偸(ぬす)むに迫られ、家に還(かえ)れども歓趣(かんしゅ)少なし。
嬌児(きょうじ)は膝(ひざ)を離れざりしも、我を畏(おそ)れて復(ま)た却(しりぞ)き去る。
憶う昔  好(よ)く涼(りょう)を追い、故に池辺(ちへん)の樹(じゅ)を繞(めぐ)りしを。
蕭蕭(しょうしょう)として北風(ほくふう)勁(つよ)く、事を撫(ぶ)すれば百慮(ひゃくりょ)煎(に)る。
頼(さいわい)に知る  禾黍(かしょ)の収めらるるを、已に覚(おぼ)ゆ  糟牀(そうしょう)に注ぐを。
如今(じょこん)   斟酌(しんしゃく)するに足る、且(か)つ用(も)って遅暮(ちぼ)を慰めん。


現代語訳と訳註
(本文) 羌村三首 其二

晩歳迫偸生、還家少歓趣。
嬌児不離膝、畏我復却去。
憶昔好追涼、故繞池辺樹。
蕭蕭北風勁、撫事煎百慮。
頼知禾黍収、已覚糟牀注。
如今足斟酌、且用慰遅暮。

(下し文) 羌村 三首  其の二
晩歳(ばんさい)  生を偸(ぬす)むに迫られ、家に還(かえ)れども歓趣(かんしゅ)少なし。
嬌児(きょうじ)は膝(ひざ)を離れざりしも、我を畏(おそ)れて復(ま)た却(しりぞ)き去る。
憶う昔  好(よ)く涼(りょう)を追い、故に池辺(ちへん)の樹(じゅ)を繞(めぐ)りしを。
蕭蕭(しょうしょう)として北風(ほくふう)勁(つよ)く、事を撫(ぶ)すれば百慮(ひゃくりょ)煎(に)る。
頼(さいわい)に知る  禾黍(かしょ)の収めらるるを、已に覚(おぼ)ゆ  糟牀(そうしょう)に注ぐを。
如今(じょこん)   斟酌(しんしゃく)するに足る、且(か)つ用(も)って遅暮(ちぼ)を慰めん。


(現代語訳)
この年になって士官がかない筋道のある筋の通ったせいかつをせまられている、そこで、家に帰ってはみたものの  しみじみとした味わいは少ないのである。
いたずらっ子が私の膝の上を離れないのである、かといって次には私を畏れて、あとずさりする。
思えば昔のこと、 夕涼みでいっしょに歩くのを好んでしたものだ、あるいは懐かしいことは池の岸辺  樹々のあいだをめぐって歩いたことだ。
ひゅうひゅうといまはもの寂しく 北風が吹いている、いろいろ考えると  胸に憂いが満ちてくるのである。
さいわいに 今年の稲や黍(きび)は豊作であったことをしったのである、そんなことから、はやくも酒しぼりの音がしてくるのを耳にはいってくる。
この季節になるとその新酒を酌むのには充分のはずだ、そんなこともあって私の晩年の慰めとして飲むことになるのだ。


(訳注) 羌村 三首  其の二
晚歲迫偷生,還家少歡趣。

この年になって士官がかない筋道のある筋の通ったせいかつをせまられている、そこで、家に帰ってはみたものの  しみじみとした味わいは少ないのである。
晚歲 年の暮れ。歳末。年末。ここでは、閏八月を年の暮れとは言えないので46歳になっていることを強調している晩年ということ。○偷生 順序、次第のある生活。すじみちのある生活。士官かなって先祖の順番に会うことになる。○歡趣 そのものが感じさせる風情。しみじみとした味わい。


嬌兒不離膝,畏我複卻去。
いたずらっ子が私の膝の上を離れないのである、かといって次には私を畏れて、あとずさりする。
嬌兒不離膝 『北征』では「見耶背面啼,垢膩腳不襪。床前兩小女,補綴才過膝。」(耶(ちち)を見て面(おもて)を背(そむ)けて啼(な)く、垢膩(こうじ)して脚(あし)に襪(たび)はかず。床前(しょうぜん)の両小女、補綴(ほてつ)して 才(わず)かに膝(ひざ)を過ごす。)とある。北徵 #5(北征全12回)杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 212を参照。


憶昔好追涼,故繞池邊樹。
思えば昔のこと、 夕涼みでいっしょに歩くのを好んでしたものだ、あるいは懐かしいことは池の岸辺  樹々のあいだをめぐって歩いたことだ。
 756年夏、白水県からこの地に疎開してきたときのことを言う。


蕭蕭北風勁,撫事煎百慮。』
ひゅうひゅうといまはもの寂しく 北風が吹いている、いろいろ考えると 胸に憂いが満ちてくるのである。
○撫 いろいろ考えて心の中で撫でまわす。


賴知禾黍收,已覺糟床注。
さいわいに 今年の稲や黍(きび)は豊作であったことをしったのである、そんなことから、はやくも酒しぼりの音がしてくるのを耳にはいってくる。
賴知 都合よく~を知る。 ○禾黍收 稲と黍の豊作であった。前年までは長雨と日照りが交互に続いていた心配事の一つである。○糟床 酒を搾る台。


如今足斟酌,且用慰遲暮。』
この季節になるとその新酒を酌むのには充分のはずだ、そんなこともあって私の晩年の慰めとして飲むことになるのだ。



解説
 杜甫も、生死の際を歩いてきた。霊武に向かうのに馬を強奪され、蘆子関で捕縛された時は死を意識している。そして、このたび鳳翔から帰ってくるにも当初は徒歩で旅を始めている。そうした苦労を経てきつい顔をしていたのであろう、なついていたわが児が、久しぶりに帰ってきた父親が時に変化するので怖かったのではなかろうか。
 ここ数年、天候は不順で餓死者が多く出たが、今年は本作だったことは何よりである。
 妻は、夫のためを思い、酒を搾ってくれたのであろう。朝廷の左拾位であることは、親族にとって自慢のことで嬉しいのである。
 杜甫の視点は男尊女卑、身分制度の厳格な貴族時代にあって、他の詩人と違って妻子、女性に対する優位性、支配性というのもが感じられない。
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羌村三首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 220

杜甫は鳳翔から鄜州まで約200キロの道を、閏八月の初めから半月ばかりかかって、馬は与えられなかったために、途中で馬を借りるまでは徒歩で、何人かの下僕を供にして麟遊県―邠州-銅川―宜君県-鄜州・羌村という経路で帰ってきた。
杜甫乱前後の図003鳳翔

「遠愧梁江總,還家尚黑頭。」(遠い昔の人と比べると同じ家へ戻るとはいうものの、梁の江総がまだ黒い頭をしながら家へ還ったのに対して、わたしは年老いてしまったとはいえこの白髪頭で帰るというのはちょっと恥いいものである。)これは左拾位という天子の顔を拝顔できる朝廷の役人であること誇らしく思う裏返しの表現である。
鄜州の羌村に到著し家族にやっとあえた。鄜州は洛交県に治し、羌村は現在の延安市のこうがいである。

 「羌村(きょうそん)三首」の連作は、波乱の一年余をへて家族と再会した喜びが率直に詠われている。
至徳二載 757年 46歳

220.羌村三首
其一
崢嶸赤雲西,日腳下平地。柴門鳥雀噪,歸客千裡至。』
妻孥怪我在,驚定還拭淚。世亂遭飄蕩,生還偶然遂。
鄰人滿牆頭,感嘆亦歔欷。夜闌更秉燭,相對如夢寐。』
其二
晚歲迫偷生,還家少歡趣。嬌兒不離膝,畏我複卻去。
憶昔好追涼,故繞池邊樹。蕭蕭北風勁,撫事煎百慮。』
賴知禾黍收,已覺糟床注。如今足斟酌,且用慰遲暮。』
其三
群雞正亂叫,客至雞鬥爭。驅雞上樹木,始聞叩柴荊。
父老四五人,問我久遠行。手中各有攜,傾榼濁複清。
苦辭酒味薄,黍地無人耕。兵革既未息,兒童盡東徵。
請為父老歌,艱難愧深情。歌罷仰天嘆,四座淚縱橫。


羌村三首其一
崢嶸赤雲西、日脚下平地。
真っ赤な夕焼け雲が西の空高くそびえている。太陽の光は雲の間から光線が足長く射してきて、黄土高原の雄大な平地にまで下がってきている。
柴門鳥雀噪、帰客千里至。』
我が家の粗末な柴の戸では帰りを知らせる鳥や雀ともいえる子供らがうるさく騒いでいる、そこへ突然旅姿の私が千里の遠くからかえりついたのである。』
妻孥怪我在、驚定還拭涙。
妻と子らはわたしがここに存在していたことを不思議に思ったようで、はじめはびっくりしていたが、驚いていたのがおちつくとこんどは泣きじゃくり、あふれる涙を拭うのである。
世乱遭飄蕩、生還偶然遂。
世の中は叛乱で乱れきって、あちこちにただよわされる運命にであってしまった、実際にどこで死ぬかわからないほどの出来事があった、生きて帰るなどいうことはほん偶然のことのようなものである。
隣人満牆頭、感歎亦歔欷。
自分のかえったことを知って近所の人たちも土塀の頭越しにいっぱい集まってきて、嘆きながら我々とともにすすりなきをしてくれる。
夜闌更秉燭、相対如夢寐。』

久しぶりのことなので、夜ふけすぎてもまたあらためて蝋燭の芯をつけかえ、家族同士でむきあっていることがまったく夢をみている様なことで、この私の無事の帰還で集まってくれた現実さが夢のようなことである。

羌村 三首  其の一
崢嶸(そうこう)たる赤雲(せきうん)の西、日脚(にっきゃく) 平地に下る。
柴門(さいもん)  鳥雀(ちょうじゃく)噪(さわ)ぎ、帰客(きかく)    千里より至る。
妻孥(さいど)は我(われ)の在るを怪しみ、驚き定まって還(ま)た涙を拭う。
世乱れて飄蕩(ひょうとう)に遭(あ)い、生還  偶然に遂げたり。
隣人  牆頭(しょうとう)に満ち、感歎して亦(ま)た歔欷(きょき)す。
夜(よる)闌(たけなわ)にして更に燭(しょく)を秉(と)り、相対(あいたい)すれば夢寐(むび)の如し。



現代語訳と訳註
(本文)羌村 三首 其一

崢嶸赤雲西,日腳下平地。
柴門鳥雀噪,歸客千裡至。』
妻孥怪我在,驚定還拭淚。
世亂遭飄蕩,生還偶然遂。
鄰人滿牆頭,感嘆亦歔欷。
夜闌更秉燭,相對如夢寐。』

(下し文) 羌村 三首  其の一
崢嶸(そうこう)たる赤雲(せきうん)の西、日脚(にっきゃく) 平地に下る。
柴門(さいもん)  鳥雀(ちょうじゃく)噪(さわ)ぎ、帰客(きかく)    千里より至る。
妻孥(さいど)は我(われ)の在るを怪しみ、驚き定まって還(ま)た涙を拭う。
世乱れて飄蕩(ひょうとう)に遭(あ)い、生還  偶然に遂げたり。
隣人  牆頭(しょうとう)に満ち、感歎して亦(ま)た歔欷(きょき)す。
夜(よる)闌(たけなわ)にして更に燭(しょく)を秉(と)り、相対(あいたい)すれば夢寐(むび)の如し。

(現代語訳)
真っ赤な夕焼け雲が西の空高くそびえている。太陽の光は雲の間から光線が足長く射してきて、黄土高原の雄大な平地にまで下がってきている。
我が家の粗末な柴の戸では帰りを知らせる鳥や雀ともいえる子供らがうるさく騒いでいる、そこへ突然旅姿の私が千里の遠くからかえりついたのである。』
妻と子らはわたしがここに存在していたことを不思議に思ったようで、はじめはびっくりしていたが、驚いていたのがおちつくとこんどは泣きじゃくり、あふれる涙を拭うのである。
世の中は叛乱で乱れきって、あちこちにただよわされる運命にであってしまった、実際にどこで死ぬかわからないほどの出来事があった、生きて帰るなどいうことはほん偶然のことのようなものである。
自分のかえったことを知って近所の人たちも土塀の頭越しにいっぱい集まってきて、嘆きながら我々とともにすすりなきをしてくれる。
久しぶりのことなので、夜ふけすぎてもまたあらためて蝋燭の芯をつけかえ、家族同士でむきあっていることがまったく夢をみている様なことで、この私の無事の帰還で集まってくれた現実さが夢のようなことである。


(訳注)
崢嶸赤雲西、日脚下平地。
真っ赤な夕焼け雲が西の空高くそびえている。太陽の光は雲の間から光線が足長く射してきて、黄土高原の雄大な平地にまで下がってきている。
〇崢たかくそびえるさま。○赤雲西 赤雲は夕焼けの赤いくも。とり西とは「西より」の意、下句の「日脚」と関係する。○日脚 太陽の光線の横あし。雲間を透して斜めに地上に続いた太陽光線をいう。杜甫『茅屋爲秋風所破歌』「雨脚如麻未断絶」とつかう。○平地 黄土高原の雄大な平地において日が落ちるに従って光線は地平線と平行するようになる。平原の雄大さを強調する語の使い方である。


柴門鳥雀噪、帰客千里至
我が家の粗末な柴の戸では帰りを知らせる鳥や雀ともいえる子供らがうるさく騒いでいる、そこへ突然旅姿の私が千里の遠くからかえりついたのである。』
鳥雀噪 鵠(かささぎ)がさわげば旅人がかえってくると故事がある。杜甫の詩では子供らが騒がしくしていることを雀に喩える。故事の意味と実際の騒ぎとをとったものである。○帰客 もどってきた旅人。


妻孥怪我在、驚定還拭涙。
妻と子らはわたしがここに存在していたことを不思議に思ったようで、はじめはびっくりしていたが、驚いていたのがおちつくとこんどは泣きじゃくり、あふれる涙を拭うのである。
妻孥 妻子。○怪我在 在は存在、生存をいう。○驚定定とはおちつくこと。


世乱遭飄蕩、生還偶然遂。
世の中は叛乱で乱れきって、あちこちにただよわされる運命にであってしまった、実際にどこで死ぬかわからないほどの出来事があった、生きて帰るなどいうことはほん偶然のことのようなものである。
飄蕩 あちらこちらとただよわされる、漂泊の生活をいう。○生還 いきてもどる。○偶然遂 ふとなしとげ得た、予定はできなかったことをいう。


隣人満牆頭、感歎亦歔欷。
自分のかえったことを知って近所の人たちも土塀の頭越しにいっぱい集まってきて、嘆きながら我々とともにすすりなきをしてくれる。
隣人 近所の人たち。○牆頭 我が家の土塀の頭越し。○亦 彼等もまた我等とともに。○歔欷 すすりなきする。


夜闌更秉燭、相対如夢寐。
久しぶりのことなので、夜ふけすぎてもまたあらためて蝋燭の芯をつけかえ、家族同士でむきあっていることがまったく夢をみている様なことで、この私の無事の帰還で集まってくれた現実さが夢のようなことである。
夜闌 闌はさかりをすぎるころ。○更秉燭 さらにろうそくをとって火をつけたす。夜を徹しての長話を意味する。○相対 家人とむきあう。○如夢寐 ねて夢をみているようだ、自分で自分の存在が疑われることをいう。ほっぺをつねってみるという意味のこと。
 


解説
 「羌村三首」 其一 は、杜甫自身、黄土高原の雄大な夕景色がまず印象的に描かれている。杜甫が前年この景色を見るのは華族で命からがら逃げのびてきたときである。唐王朝も玄宗皇帝は蜀に逃げ、上皇になり、霊武に行在所を置く、不安定な状況下の中に有った。家族と別れることを前提とした景色と家族と一緒になれるという景色の違いをこの詩の見どころであるといえる。今見る平原は夢のようなものと映っていたのである。杜甫は夕刻に到着した。馬に乗り従者を従えた杜甫が通ると門のあたりで、帰りを知らせる鳥が騒いでくれた。迎えた家族の喜び、近所の人のようすが、時間の経過を追っていきいきと描かれ、杜甫の誠実な性格が表れている。

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