杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

自京竄至鳳翔達連行在所

自京竄至鳳翔達連行在所 三首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 172

自京竄至鳳翔達連行在所 三首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 172
この其の三の詩で、前半四句は鳳翔へ駆けつけるときのようすをあらわしている。「武功」は図で長安から鳳翔までの中間地点にある街である。太白山は右に見て進んだ。

頌春00

自京竄至鳳翔達連行在所 三首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 170
自京竄至鳳翔達連行在所 三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 171


喜達行在所三首  其三

死去憑誰報、帰来始自憐。

自分がここへ逃げてくる途中で死んでしまったとしたら、それをだれによってほか誰かにつげてもらえようか。今無事でここへもどって来たのではじめて我と我身をいじらしくおもうのである。
猶瞻太白雪、喜遇武功天。

うれしくも粛宗皇帝の行在所ちかき武功の天にであうことができた。まだ南にあたってあの太白山の雪がまっしろにみえている。
影静千官裏、心蘇七校前。

死ぬかとおもわれた自分の自身は影の存在で無事に千の文官のなかに静かに立てたのである。死ぬと思った心はこの画兵の七校尉の護衛の前にきたら生き返っているのを感じたのだ。
今朝漢社稷、新数中興年。

きようの朝から唐の天下のもとにいる、これからは新しく興る御年がはじまるものとかぞえだしてしかるべきだ。


行在所に達するを喜ぶ 三首其の三
死し去らば誰に憑(よ)ってか報ぜん、帰り来たりて始めて自ら憐(あわ)れむ。
猶(な)お瞻(み)る  太白の雪、遇(あ)うを喜ぶ  武功(ぶこう)の天。
影は静かなり  千官(せんかん)の裏(うち)、心は蘇(よみがえ)る  七校(しちこう)の前。
今朝(こんちょう)より漢の社稷(しゃしょく)は、新たに中興(ちゅうこう)の年を数(かぞ)えん。


行在所に達するを喜ぶ 三首
死去したら  誰が知らせてくれたろう、帰って来て始めてやっと自らをいとおしむ。
生きてなお  太白山の雪を瞻(み)る、喜んだ武功の空にめぐりあう。
影は静かに千官のうちに、心は蘇(よみがえ)る安堵の思いで近衛(このえ)の将校たちをみる
今日からは  唐の国家は新しく、中興の時代を迎えるのだ

其三 現代語訳と訳註
(本文)
其三
死去憑誰報、帰来始自憐。
猶瞻太白雪、喜遇武功天。
影静千官裏、心蘇七校前。
今朝漢社稷、新数中興年。


(下し文) 三首その三
死し去らば誰に憑(よ)ってか報ぜん、帰り来たりて始めて自ら憐(あわ)れむ。
猶(な)お瞻(み)る  太白の雪、遇(あ)うを喜ぶ  武功(ぶこう)の天。
影は静かなり  千官(せんかん)の裏(うち)、心は蘇(よみがえ)る  七校(しちこう)の前。
今朝(こんちょう)より漢の社稷(しゃしょく)は、新たに興るに中(あたる)の年を数(かぞ)えん。


(現代語訳)
自分がここへ逃げてくる途中で死んでしまったとしたら、それをだれによってほか誰かにつげてもらえようか。今無事でここへもどって来たのではじめて我と我身をいじらしくおもうのである。
うれしくも粛宗皇帝の行在所ちかき武功の天にであうことができた。まだ南にあたってあの太白山の雪がまっしろにみえている。
死ぬかとおもわれた自分の自身は影の存在で無事に千の文官のなかに静かに立てたのである。死ぬと思った心はこの画兵の七校尉の護衛の前にきたら生き返っているのを感じたのだ。
きようの朝から唐の天下のもとにいる、これからは新しく興る御年がはじまるものとかぞえだしてしかるべきだ。


(訳注)
死去憑誰報、帰来始自憐。
自分がここへ逃げてくる途中で死んでしまったとしたら、それをだれによってほか誰かにつげてもらえようか。今無事でここへもどって来たのではじめて我と我身をいじらしくおもうのである。
憑誰報 何人によってその事をつげしらせようか。○帰来 鳳翔の行在所の方へもどったこと。天使のもとに戻ったということ。〇自憐 我と我身をいじらしくおもう。


猶瞻太白雪、喜遇武功天。
うれしくも粛宗皇帝の行在所ちかき武功の天にであうことができた。まだ南にあたってあの太白山の雪がまっしろにみえている。
太白山の名、武功県の南にあり、長安を去ること三百里。○武功県の名、鳳翔府に属する。「猶瞻」の二句は行在所に近くに帰ってきたことを喜ぶ。


影静千官裏、心蘇七校前。
死ぬかとおもわれた自分の自身は影の存在で無事に千の文官のなかに静かに立てたのである。死ぬと思った心はこの画兵の七校尉の護衛の前にきたら生き返っているのを感じたのだ。
影静 影は自己の身影をいう、死ねば影がない、この影の字によって死から免れ来たった姿をあらわす。此の旬によれば此の時には拾遺の官を授けられたのである。〇千官多くの文官の官員。○心蘇 心は自己の心、蘇はよみがえる、第一首の「心死」の反対。〇七校漢の武帝は中塁・屯騎・歩兵・越騎・長水・胡騎・射声・虎貴の八校尉を置いたが、そのうち胡騎校尉というのは常置しなかったので七校という。これは武官の護衛にあたる者をさす。


今朝漢社稷、新数中興年。
きようの朝から唐の天下のもとにいる、これからは新しく興る御年がはじまるものとかぞえだしてしかるべきだ。
漢社稷 唐の天下をいう。○中興 【1】「興る」は、働きが強まる、奮い立つの意であるが、物事や状態が新たに生じることも表わし、その場合は「起こる」とも書く。【2】「ふるう」は、ふつう「振るう」と書くが、「勇気をふるう」「商売がふるわない」などのように、奮い立たせる意の場合には、「奮う」と書き、「料理に腕をふるう」「熱弁をふるう」などのように、発揮する意の場合には、「揮う」とも書く。【3】「ふるう」には、振り動かす意や、転じて、思うままに取り扱う意もある。「剣を振るう」「采配(さいはい)を振るう」中の字は去声によみ、興るに「あたる」。

hinode0200

(解説)
○詩型 五言律詩
○押韻 憐、天、前、年。
 長安黄河


深い霧の中から次々と現われてくる並木の樹々、杜甫はそれに導かれるように間道を進んでゆく。霧はその脱走を助け、並樹は道しるべとなった。やがて前方にばっと開ける蓮の花びらのような峰々、それは脱出の成功を喜ぶ杜甫の心を象徴するかのようである。まさに杜甫自身、生涯忘れることのできない決死行であったが、こうして杜甫は、念願かなって鳳翔政府の一員となった。
鳳翔の行在にようやくたどりついた杜甫は、は五月十六日に左拾遺の官を授けられた。「左拾遺」とは、天子の側近にあって、天子が政治上「遣(わす)れ」残したことがらを「「拾い」上げて知らせるいわゆる諌官である。

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ


700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首




burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/

自京竄至鳳翔達連行在所 三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 171

自京竄至鳳翔達連行在所 三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 171


喜達行在所三首 其二
愁思胡笳夕,淒涼漢苑春。
夕になると叛乱軍が吹きならす胡の曲歌が耳に付くと愁いの思いを抱くことになる。いま、長安の宮苑は春というのにさびしくものがなしいいものでしかない。
生還今日事,間道暫時人。
生きてかえることがてきたというのは今日のことなのだ。、しばしば人に会ってびくびくしながら間道をくぐりぬけたのだ。
司隸章初睹,南陽氣已新。
粛宗皇帝は、むかし後漢の光武帝が興ったときの様に司隷校尉の行う典章(法則)も旧来のとおりなるのを見ることができ、この時分裂していた王朝軍は南陽において連合して新しく天子の気が動いた様に帝運隆興の気がうごきだしてきた。
喜心翻倒極,鳴咽淚沾巾。

だからわたしは嬉しくて喜びの心は顛倒するくらい最高なのだ。そして、嬉し泣きに、咽び泣きせられて涙が手ふきをしっとり濡れているのだ。

行在所に達するを喜ぶ 三首 其の二
愁思(しゅうし)  胡笳(こか)の夕(ゆうべ)、淒涼(せいりょう)たり  漢苑(かんえん)の春。
生還  今日(こんにち)の事、間道  暫時(ざんじ)の人。
司隷(しれい) 章(しょう) 初めて覩(み)る、南陽  気は已(すで)に新たなり。
喜心(きしん) 翻倒(ほんとう)の極、嗚咽(おえつ) 涙 巾(きん)を沾(うるお)す。

行在所に達するを喜ぶ 三首 其の二
夕暮れに胡笛が鳴れば  愁いはつのり
御苑の春は うらさびしいものだった
生きて今日  ここにいるが
昨日までは  隠れて生きる身であった
皇帝の威令は回復し
行在は  清新の気に満ちている
喜びは  極みに達して
とめどなく  涙は巾(きぬ)を濡らすのだ

喜達行在所三首  其二 現代語訳と訳註
(本文) 其二
愁思胡笳夕,淒涼漢苑春。
生還今日事,間道暫時人。
司隸章初睹,南陽氣已新。
喜心翻倒極,鳴咽淚沾巾。


(下し文) 其の二
愁思(しゅうし)  胡笳(こか)の夕(ゆうべ)、淒涼(せいりょう)たり  漢苑(かんえん)の春。
生還  今日(こんにち)の事、間道  暫時(ざんじ)の人。
司隷(しれい) 章(しょう) 初めて覩(み)る、南陽  気は已(すで)に新たなり。
喜心(きしん) 翻倒(ほんとう)の極、嗚咽(おえつ) 涙 巾(きん)を沾(うるお)す。


(現代語訳)
夕になると叛乱軍が吹きならす胡の曲歌が耳に付くと愁いの思いを抱くことになる。いま、長安の宮苑は春というのにさびしくものがなしいいものでしかない。
生きてかえることがてきたというのは今日のことなのだ。、しばしば人に会ってびくびくしながら間道をくぐりぬけたのだ。
粛宗皇帝は、むかし後漢の光武帝が興ったときの様に司隷校尉の行う典章(法則)も旧来のとおりなるのを見ることができ、この時分裂していた王朝軍は南陽において連合して新しく天子の気が動いた様に帝運隆興の気がうごきだしてきた。
だからわたしは嬉しくて喜びの心は顛倒するくらい最高なのだ。そして、嬉し泣きに、咽び泣きせられて涙が手ふきをしっとり濡れているのだ。

(訳注)
愁思胡笳夕,淒涼漢苑春。

夕になると叛乱軍が吹きならす胡の曲歌が耳に付くと愁いの思いを抱くことになる。いま、長安の宮苑は春というのにさびしくものがなしいいものでしかない。
愁思 うれいのものおもい。○胡節 叛乱軍の吹きならすあしぶえ。○凄涼 ものさびしいさま、叛乱軍が侵入したためである。○漢苑 漢代の御苑、唐の長安の宮苑をさすす。


生還今日事,間道暫時人。
生きてかえることがてきたというのは今日のことなのだ。、しばしば人に会ってびくびくしながら間道をくぐりぬけたのだ。
生還 いきながらえてかえる。○間道 ぬけみち。○暫時人 生命を保ち得ることがしばらくに過ぎぬ、いつ殺されるかも知れぬことをいう。ここでは、しばしば人に会ってびくびくしながら間道をくぐりぬけたという意味。


司隸章初睹,南陽氣已新。
粛宗皇帝は、むかし後漢の光武帝が興ったときの様に司隷校尉の行う典章(法則)も旧来のとおりなるのを見ることができ、この時分裂していた王朝軍は南陽において連合して新しく天子の気が動いた様に帝運隆興の気がうごきだしてきた。
司隸章 司隷(司州)とは、洛陽や長安等を含む州のこと。京兆尹(長安)・河南尹(洛陽)・河内郡 ・河東郡 ・弘農郡・馮翊郡・扶風郡の5郡で構成された。ここでは後漢の光武帝の故事。光武が更始の命により司隷校尉の職を行ったときすべて旧来の法則どおりにしたという。博亮の「進宋公為宋王詔」に「東京ノ父老、重ネテ司隷ノ章ヲ親ル。」とある。○章は典章(法則)をいう。○ 睹と【睹】[漢字項目] [音]ト(漢) [訓]みる見る。「逆睹(げきと・ぎゃくと)・目睹」◆ 「覩」は異体字。○南陽気「後漢書」光武紀に、望気者(気を望んで予言を為すもの)の蘇伯阿というものが王芥のために便となって南陽(河南省南陽府、光武帝の生まれた地)に至り、逢かに春陵の郭を望み見て、「気佳ナル哉、鬱鬱慈恵タリ」といったという。佳気とは帝王の興るべきめでたい気。


喜心翻倒極,鳴咽淚沾巾。
だからわたしは嬉しくて喜びの心は顛倒するくらい最高なのだ。そして、嬉し泣きに、咽び泣きせられて涙が手ふきをしっとり濡れているのだ。
○翻倒ひっくりかえる。顛倒の類。○鳴咽むせびなく。

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首

burogutitl770
http://kanshi100x100.blog.fc2.com/

自京竄至鳳翔達連行在所 三首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 170

自京竄至鳳翔達連行在所 三首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 170

頌春00

 粛宗は757の二月、居所を岐山の西の鳳翔(ほうしょう)に移していた。前年の大敗で唐王朝軍は戦況が不利であった。安禄山の側に内紛により、徹底した闘掃がなされず、唐王朝に巻き返しのチャンスを与えることになってしまっていた。王朝軍が鳳翔(陝西省鳳翔県)に進出できた。ここに行在所を確保できたことは、奪回にたいして画期的時期となった。
 皇帝を称して一年、眼病を患っていた安禄山は、後嗣のもつれから、正月に息子の安慶緒(あんけいしょ)に殺される。安慶緒は大燕の帝位に就くが、幽州挙兵のときから同志であった史思明(ししめい)は、これに反発して独自の行動をとるようになる。

 杜甫は粛宗が鳳翔に行在所を設けたことを、晩春になって知り、長安脱出の決意を固めた。その頃、長安の西市に南隣の懐遠坊、大雲寺に訪ねた。その時の内容は次のブログを参照されたい。

大雲寺贊公房 四首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 164

大雲寺贊公房 四首 其一#2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 165#2

大雲寺贊公房 四首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 166

大雲寺贊公房 四首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 167

大雲寺贊公房 四首 其四 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 168

大雲寺贊公房 四首 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 168


 杜甫はかねてから親しくしていました大雲寺の寺主賛公に長安脱出の決意を打ちあけ、寺内に止宿して機会をうかがたのだ。
 大雲寺は長安の西の大門である金光門に近く、西市に出入りする人も多種多様なので、番兵の目を誤魔化すのには便利だったのだ。杜甫は四月のある夕暮れ、閉門の人ごみに混じって城外に出て、暗くなるまで身をひそめてから西に走った。詩の前半四句は脱出まで、後半四句は鳳翔にたどり着くまでを描く。



自京竄至鳳翔達連行在所 三首 
(京より竄れて鳳翔至り 行在所に達することを喜ぶ 三首)
長安からにげみちして鳳翔に至り、粛宗皇帝の行在所に達したことを喜んで作った詩。
製作時は至徳二載夏四月。757年至徳二載 46歳 ・五言律詩


自京竄至鳳翔達連行在所三首 

喜達行在所三首 其一
西憶岐陽信,無人遂卻回。眼穿當落日,心死著寒灰。
霧樹行相引,連山望忽開。所親驚老瘦,辛苦賊中來。
其二
愁思胡笳夕,淒涼漢苑春。生還今日事,間道暫時人。
司隸章初睹,南陽氣已新。喜心翻倒極,鳴咽淚沾巾。
其三
死去憑誰報,歸來始自憐。猶瞻太白雪,喜遇武功天。
影靜千官裡,心蘇七校前。今朝漢社稷,新數中興年。


 
自京竄至鳳翔達連行在所三首其一 
長安より夜にまぎれて鳳翔に至った。粛宗の行在所に達することを喜ぶ。 三首あるうちのその一。
西憶岐陽信、無人遂却廻。
自分は西方の岐陽からの消息があるかとおもっていたが、いつまでたってももどって天子の消息をしらせてくれる人がなかったので自分自身がでかけた。
眼穿当落日、心死箸寒灰。
これまで自分の眼はいつも天子の在所方角の落日をみつめていたし、西へと走りながら見つめるので眼に穴があくほどであった、叛乱軍の中をくぐってゆくのであるから心は死んでつめたい灰をつけた様に怖くて仕方がない。
霧樹行相引、蓮峰望忽開。
道路にそって並み木があり、それに導かれながら進んだのである、だんだん気持ちが元気になってきて、このあいだに忽ち連山の眺望が目の前に開かれて鳳翔の方へ続いていたのだ。
所親驚老痩、辛苦賊中来。

平生親しくしていた人々は自分の年よったのと痩せたのとに驚いているが、驚くのももっとものことだ、千辛万苦して叛乱軍の中からやって来たのだもの。


行在所に達するを喜ぶ三首 其の一

西のかた岐陽(きよう)の信(しん)を憶(おも)うに、人の遂に却廻(きゃくかい)する無し。

(まなこ)は穿(うが)たれて落日に当たり、心は死して寒灰(かんかい)に箸()く。

霧樹(むじゅ)   行くゆく相い引き、蓮峰(れんぽう) 望み忽ち開く。

所親(しょしん)  老痩(ろうそう)に驚き、辛苦(しんく)   賊中より来たれり。





喜達行在所三首  現代語訳と訳註
(本文) 其一

西憶岐陽信、無人遂却廻。
眼穿当落日、心死箸寒灰。
霧樹行相引、蓮峰望忽開。
所親驚老痩、辛苦賊中来。

(下し文) 其の一
西のかた岐陽(きよう)の信(しん)を憶(おも)うに、人の遂に却廻(きゃくかい)する無し。
眼(まなこ)は穿(うが)たれて落日に当たり、心は死して寒灰(かんかい)に箸(つ)く。
霧樹(むじゅ)   行くゆく相い引き、蓮峰(れんぽう) 望み忽ち開く。
所親(しょしん)  老痩(ろうそう)に驚き、辛苦(しんく)   賊中より来たれり。


(現代語訳)
長安より夜にまぎれて鳳翔に至った。粛宗の行在所に達することを喜ぶ。
自分は西方の岐陽からの消息があるかとおもっていたが、いつまでたってももどって天子の消息をしらせてくれる人がなかったので自分自身がでかけた。
これまで自分の眼はいつも天子の在所方角の落日をみつめていたし、西へと走りながら見つめるので眼に穴があくほどであった、叛乱軍の中をくぐってゆくのであるから心は死んでつめたい灰をつけた様に怖くて仕方がない。
道路にそって並み木があり、それに導かれながら進んだのである、だんだん気持ちが元気になってきて、このあいだに忽ち連山の眺望が目の前に開かれて鳳翔の方へ続いていたのだ。
平生親しくしていた人々は自分の年よったのと痩せたのとに驚いているが、驚くのももっとものことだ、千辛万苦して叛乱軍の中からやって来たのだもの。


(訳注)
自京竄至鳳翔達連行在所

長安より夜にまぎれて鳳翔に至った。粛宗の行在所に達することを喜ぶ。
長安。○竄かくれながら。○鳳翔・陝西省鳳翔府扶風県、時に扶風を改めて鳳翔と称した。○行在所 行とは天子の旅行、行在所とは御旅さきのおわします処をいう。反撃の拠点となった。


西憶岐陽信、無人遂卻回
自分は西方の岐陽からの消息があるかとおもっていたが、いつまでたってももどって天子の消息をしらせてくれる人がなかったので自分自身がでかけた。
岐陽信 岐陽は岐山の陽、ほうさん鳳翔府岐山県をさす、行在のある地方をいう、信は消息。○卻回 もどってくること。唐時の常言である。


眼穿当落日、心死箸寒灰。
これまで自分の眼はいつも天子の在所方角の落日をみつめていたし、西へと走りながら見つめるので眼に穴があくほどであった、叛乱軍の中をくぐってゆくのであるから心は死んでつめたい灰をつけた様に怖くて仕方がない。
眼穿 あまりみつめるため眼に穴があくようであることをいう。○当落 太陽の落ちる方、即ち鳳翔は西に直面している。○心死著寒灰 死灰は冷灰をいう。寒灰を着くとは、心が活気を失い死んだようになっていること、怖くて怯えきったことを言う。


霧樹行相引、蓮峰望忽開。
道路にそって並み木があり、それに導かれながら進んだのである、だんだん気持ちが元気になってきて、このあいだに忽ち連山の眺望が目の前に開かれて鳳翔の方へ続いていたのだ。
霧樹しげっている樹、道路の並み木をさす。○行相引 引とはこちらをてぴきし、案内してくれること。○連山 岐陽の連山。○ 眺望。


所親驚老痩、辛苦賊中来。
平生親しくしていた人々は自分の年よったのと痩せたのとに驚いているが、驚くのももっとものことだ、千辛万苦して叛乱軍の中からやって来たのだもの。
所親 親しい人々。○老痩 自己の老い且つやせていること。○辛苦賊中来 ・:叛乱軍、これは老痩について自ずから弁解する謙譲語。このブログでは官軍と賊軍の用語はできるだけ、使用しない。それは、単純に二分化されるものではないからである。史実からできるだけどのような軍かわかるように表現していく。




この三首連作は、時系列に場面を買えていく連作ではない。題は共通で、視点を変えて詠っている。内容に重複させところもあり、三首を通してみると脱出劇の様子がよく分かる。長安脱出が杜甫にとって如何に印象的な出来事であったかを示しているのだ。


 杜甫がたどった道は、玄宗一行が落ちて行った渭水北岸の道である。脱走者の杜甫は昼間の街道をゆくわけにはいいかない。霧のなかで土手の並木の樹々をたよりに間道を進んだ。やがて見覚えのある太白山の峰々が雲間から咲き出た蓮の花のように見えてきて、次第に歓びの気持ちがこみ上げてくるのである。
尾聯の二句は鳳翔に着いたときの様子で、知人たちは杜甫のやつれた姿に驚いた。


毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首

burogutitl770
http://kanshi100x100.blog.fc2.com/

プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
記事検索
最新記事(画像付)
最新記事
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ