杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

自京赴奉先縣詠懷五百字

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 114 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-#10

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 114 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-#10


自京赴奉先縣詠懷五百字 #10 
生常免租税、名不隸征伐。
自分は生活するのに常日頃、租税を課せられることから免れており、その面での負担はないのである。人別帳にはなく府兵制で征伐にやられる義務はないのである。
撫迹猶酸辛、平人固騒屑。
先祖から比較的いい身分であるから、それでなお先祖の行跡に照らしてみると辛いことてあったのだ、ただの一般人はこんな飢饉でも税負担はあり、四苦八苦な生活をしているにちがいないのである。
默思失業徒、因念遠戍卒。
生業を失った人々がいることをだまって考えてみる、それにつけても遠方へ守りにでている徴兵義務の兵卒らのことをおもいうかんでくる。
憂端斉終南、鴻洞不可掇。
自分のこれからの憂は大きくてその上端は、終南の山の高さにひとしいほどたかいのだ、霧のはれない時のようにももやとして之を手にとろうとしてもとることができるものではないのである。』


豈(あ)に知らんや秋禾(しゅうか)の登(みの)るに、貧窶(ひんく)には倉卒(そうそつ)たる有り。

生(せい)は常に租税を免(まぬ)かれ、

名は征伐に隸(れい)せず。

迹(あと)を撫(ぶ)すれば猶(な)お酸辛(さんしん)たり、平人(へいじん)は固(もと)より騒屑(そうせつ)たらん。

默(もく)して失業の徒(と)を思い、因(よ)りて遠戍(えんじゅ)の卒(そつ)を念(おも)う。

憂端(ゆうたん)は終南(しゅうなん)に斉(ひと)しく、鴻洞(こうどう)として掇(ひろ)う可(べ)からず。





自京赴奉先縣詠懷五百字 #10 訳註と現代語訳 解説
(本文)

生常免租税、名不隸征伐。
撫迹猶酸辛、平人固騒屑。
默思失業徒、因念遠戍卒。
憂端斉終南、鴻洞不可掇。

(下し文)
豈(あ)に知らんや秋禾(しゅうか)の登(みの)るに、貧窶(ひんく)には倉卒(そうそつ)たる有り。
生(せい)は常に租税を免(まぬ)かれ、
名は征伐に隸(れい)せず。
迹(あと)を撫(ぶ)すれば猶(な)お酸辛(さんしん)たり、平人(へいじん)は固(もと)より騒屑(そうせつ)たらん。
默(もく)して失業の徒(と)を思い、因(よ)りて遠戍(えんじゅ)の卒(そつ)を念(おも)う。
憂端(ゆうたん)は終南(しゅうなん)に斉(ひと)しく、鴻洞(こうどう)として掇(ひろ)う可(べ)からず。

(現代語訳)
自分は生活するのに常日頃、租税を課せられることから免れており、その面での負担はないのである。人別帳にはなく府兵制で征伐にやられる義務はないのである。
先祖から比較的いい身分であるから、それでなお先祖の行跡に照らしてみると辛いことてあったのだ、ただの一般人はこんな飢饉でも税負担はあり、四苦八苦な生活をしているにちがいないのである。
生業を失った人々がいることをだまって考えてみる、それにつけても遠方へ守りにでている徴兵義務の兵卒らのことをおもいうかんでくる。
自分のこれからの憂は大きくてその上端は、終南の山の高さにひとしいほどたかいのだ、霧のはれない時のようにももやとして之を手にとろうとしてもとることができるものではないのである。』


生常免租税、名不隸征伐。
自分は生活するのに常日頃、租税を課せられることから免れており、その面での負担はないのである。人別帳にはなく府兵制で征伐にやられる義務はないのである。
○生 生活をいう。○免租 税は租庸調とあったわけで、祖父、父親も高級官僚であり、その嫡子であることから、最初から税負担はない。この詩の時、杜甫は右衛率府兵曹参軍であった。○隷征伐 隷は属すること、庸と府兵制の義務にあたる3年の兵役負担のことを言う。征伐にやられるべき人名の部類に属する、即ち軍務に服せしめられることをいう。


撫迹猶酸辛、平人固騒屑。
先祖から比較的いい身分であるから、それでなお先祖の行跡に照らしてみると辛いことてあったのだ、ただの一般人はこんな飢饉でも税負担はあり、四苦八苦な生活をしているにちがいないのである。
○撫跡 跡は平生の行跡、撫とはそれにそうて考えてみること。○猶 自分でさえなお。○酸辛 つらし。○平人 一般の人々、特典にあずからぬ人々。○騒屑 紛擾のさま、四苦八苦している。


默思失業徒、因念遠戍卒。
生業を失った人々がいることをだまって考えてみる、それにつけても遠方へ守りにでている徴兵義務の兵卒らのことをおもいうかんでくる。
○黙息だまってかんがえる。○失業徒 農民が兵役にやられ農業に従うことができぬのは業を失うことである。○遠戍卒 遠地へまもりにやられている兵卒。


憂端斉終南、鴻洞不可掇。
自分のこれからの憂は大きくてその上端は、終南の山の高さにひとしいほどたかいのだ、霧のはれない時のようにももやとして之を手にとろうとしてもとることができるものではないのである。』
○憂端 憂のはし。○斉 高さのひとしいことをいう。○終南 山の名、長安の南にある。○鴻洞 天地の初め、気の分かれぬさま、もやもやとしたさま。○掇 音タツ、拾うこと、手に取ることをいう。


#10 解説
  杜甫は、それでも士族のはしくれゆえ納税の義務もないし、兵役の名簿に載せられてもいない。それにもかかわらず、思えばつらいことばかり、一般の人々は、さぞかしたいへんなことだろう。生業を失った人たちのことを、じっと思いつづけ、さらに、遠く戦場にやられている兵士の辛いこととは比べようのないことかもしれない。
 世情は飢饉が続き、生活もままならない。やっと、杜甫自身、役人に取り立てられたが、俸禄は無いにひとしい低いものだ。まして、昨今、戦争の準備がされており、先行き不安な思いは、終南山の山の高さほどなのだ。
 生活困窮者、餓死、一家離散、革命前夜の様相。楊国忠のやり方により、謀反が起こる予感を感じていたのは杜甫だけでなく、誰もが思っていたことなのである。




第一段(#1~#3)
#1
杜陵有布衣,老大意轉拙。許身一何愚?竊比稷與契。
居然成獲落,白手甘契闊。蓋棺事則已,此誌常覬豁。』
#2
窮年憂黎元,嘆息腸內熱。取笑同學翁,浩歌彌激烈。
非無江海誌,蕭灑送日月。生逢堯舜君,不忍便永訣。
當今廊廟具,構廈豈雲缺?葵藿傾太陽,物性固莫奪。』
#3
顧惟螻蟻輩,但自求其穴。胡為慕大鯨,輒擬偃溟渤?
以茲誤生理,獨恥事幹謁。兀兀遂至今,忍為塵埃沒。
終愧巢與由,未能易其節。沉飲聊自遣,放歌破愁絕。』
第二段(#4~#8)
#4
歲暮百草零,疾風高岡裂。天衢陰崢嶸,客子中夜發。
霜嚴衣帶斷,指直不得結。淩晨過驪山,禦榻在嵽嵲。』
#5
蚩尤塞寒空,蹴蹋崖谷滑。瑤池氣鬱律,羽林相摩戛。
君臣留歡娛,樂動殷膠葛。賜浴皆長纓,與宴非短褐。』
#6
彤庭所分帛,本自寒女出。鞭撻其夫家,聚斂貢城闕。
聖人筐篚恩,實欲邦國活。臣如忽至理。君豈棄此物?
多士盈朝廷,仁者宜戰慄。』
#7
況聞內金盤,盡在衛霍室。中堂有神仙,煙霧蒙玉質。
暖客貂鼠裘,悲管逐清瑟。勸客駝蹄羹,霜橙壓香橘。
朱門酒肉臭,路有凍死骨。榮枯咫尺異,惆悵難再述。』
#8
北轅就涇渭,官渡又改轍。群水從西下,極目高崒兀。
疑是崆峒來,恐觸天柱折。河梁幸未坼,枝撐聲窸窣。
行旅相攀援,川廣不可越。』
第三段(#9~10)
#9
老妻寄異縣,十口隔風雪。誰能久不顧?庶往共饑渴。
入門聞號啕,幼子餓已卒。吾寧舍一哀?裡巷亦嗚咽。
所愧為人父,無食致夭折。豈知秋禾登,貧窶有蒼卒。』
#10
生常免租稅,名不隸徵伐。撫跡猶酸辛,平人固騷屑。
默思失業徒,因念遠戍卒。憂端齊終南,澒洞不可掇。』


#1
杜陵のあたりに一人の官についていない普段着の男が居る、年を取ってはいるがその抱いている志と意識はかたくなで処世術は実にうまくない。
そうした志と意識について自己に妥協して許すことができない愚者というのはいったいどうしてなのであろうか。それは心に秘めていることは自分を論語で示された賢臣、稷との契たちに匹敵すると思っているからなのだ。
そんな大きな志をもっているうちにそのまま滴り落してしまうのであるが、もとより白髪にいたるまで甘んじて艱難辛苦に耐えているのである。
自己の価値は棺に蓋をした後に其の人の行為や事の評価が決定するとおもっている、このように心がけていることは、広々とした気持ちでいたいと願ってはいるということなのだ。』

#2
かねてこの方、一年中一般の民衆の身の上を心配し、どうしようもない思いで腸が内部で熱くなる。
少年時のいっしょに学問をした老人などから笑われるが、彼は大声で歌いはじめるといよいよ激烈になるのである。
彼は江海へのがれ志をすて去って、のんきに月日を送るということもおもわないわけでもない。
せっかく尭舜のような聖天子に生れあわせることができたので、すぐ永久のおわかれをするには忍びないのである。
ひまわりが太陽の光の方へ必ず傾くように育っていく、万物の本性というものは実に他からその本性を奪いとることはできないはずのものである。』

#3
よく考えてみると今の世に貴公子や富豪を得ているけら虫、蟻虫のようなものどもは、ただ我儘に都合のよい穴を求め、生活しているのだ。
盲目的に追随とか、大鯨を慕うだけで、いつも大海の水に偃そうとすることなどすることはないのだ。
こんなことではとてもろくな生活はなりたたないと悟っても、どうしても自分としてはたのみこむために貴人に面会するなことは恥かしくてしないのだ。
かくて不安のきもちをもちつつ今日に至ったのであるが、どうしていたずらにらに塵埃に此の身を埋没させてしまうことにがまんができるものではないのだ。
昔の隠遁者たる巣父や許由に対しては、結局、愧ずるけれども、世間から引退してしまうことは初の志節を易えることでできないのだ。

#4
今は歳が暮れてきて冬になった。すべてのの草が零落した、強い木枯らしが吹きつけて、高い岡地は張り裂けんばかりである。
大空の天路はどんより曇っていて暗い厚い雲がおおっている。こんな日の夜中になって旅客として長安を出発した。
霜はきびしく衣の帯が凍って千切れるほどである、しかし自分の指は寒くて棒のようになってそれを結ぶことができないのだ。

#5
底冷えのする寒空には先行き不安をつげるような蛍尤の旗雲が塞いでいる、山路をふみゆくと崖や谷の路が氷結してすべりそうだ。
温泉のあたりは湯気がたてこめていて、羽林軍のたてならべている儀仗の武器や道具の器がからからすれおうて音をたてている。
天子とその従臣とがここに逗留して娯楽に興じているので、山山石高険なところに音楽を奏する音が殿々とひびきわたって帰ってくる。
我が君から浴みを賜わるものは皆長い樫を垂れた貴い位の人々であるし、御宴に加わるものは短裾を著た貧乏人ではない。』

#6
御所のお庭から臣下へお分ち賜う帛はもともと貧乏な女が織ったものでそこから出たものなのだ。
その女の夫の働きが悪いとして家にむちをあてるようにして、過分に織らせ、それを御城門へ納税、貢物を差し出し収めさせたものだ。
この唐国の民が活気づくようにとおぼしめされてのことだ。
臣下たるものがもしこの国家の最上に治まることについての理由がわからず怠るならすまぬことだ。天子はまさかその品物をお棄てになるおつもりではないだろう。

#7
ましてや聞けば宮廷内の黄金の大皿の様な貴重品もすっかり衛氏や雀氏というべき楊氏の室へいっているとのことでないか。
また奥ふかき御座敷には神仙道教の舞をする美人がいて煙霧のような薄絹物で玉の肌をおおいかくしておられるとのことである。
天子の寵愛を受けて寒さ知らずの貴い人たちは「てん」の毛衣を着て、悲管笛の音はすんだ音をだす錦瑟の音をおい奏でている。
御馳走には「らくだ」の蹄肉を煮たあたたかな料理をすすめ、芳しい蜜柑の上には色づきの良い橙がうず高く積まれている。
このように赤い御門の富貴の者には酒や肉が贅を尽くして余ったものが腐敗臭をだしているが、そのそばの路傍には凍えて死んでいる人の骨が横たわっているのである。
わずか八寸か一尺離れるというだけで豪奢そのものと悲惨な有様がこんなに違っているのである、こんな恨めしい思いというものは繰り返して述べることをしたくないことである。』

#8
驪山のそばから車のかじ棒を北へむけて渭水・涇水の方へと就いて、官から設けられた渡り場でまた旧路とちがった道をとる。
たくさんの氷が西の方から流れくだる、みきわめるとそれは高くて山のそばだつようにみえる。
その氷は崆峒山あたりから来るので、それに触れたら天の柱をも折るとおもわれるほどのものである。
幸に河の舟橋はまだ破壊されてはいなかった、その支え柱がぎゅうぎゅう危なそうな声をたてている、
それへ旅客たちがわれもわれもとよじり掴まりひっぱりあいをしている、川のはばが広いのでなかなか渡りにくいのだ。』

#9
いま私の妻は他県(奉先県)に仮住まいしている、十人もの家族とわたしとは風雪をへだてているのである。
だれでもこ禹して預けた家族をながく顧みないでおれるはずはないものだ、できることなら貧しかろうが、ひもじかろうが一緒にしたいと思っているのだ。
(やがて到着したわたしが)門に入ると家のものが泣き叫ぶ声がきこえてくる、我が幼子は餓えてすでに死んでしまったというのである。
わたしは死んだ児に対しどうして大泣きして一哀することをやめることができるものか、わたしのようすをみて近所の人たちもむせび泣きをしてくれるのである。
ただ自分は恥ずかしいとするのは、人として人の父親としているのである、それが食物が無いために幼児死、しかも栄養失調で死なせてしまったということなのである。
もし秋まで待てるものなら、秋になれば穀物がよく実ったはずで、こんなこととは知る由もなかったのだ、貧乏の境遇はまことに手が届かずひたすらあわただしくするのみなのでる。』

#10
自分は生活するのに常日頃、租税を課せられることから免れており、その面での負担はないのである。人別帳にはなく府兵制で征伐にやられる義務はないのである。
先祖から比較的いい身分であるから、それでなお先祖の行跡に照らしてみると辛いことてあったのだ、ただの一般人はこんな飢饉でも税負担はあり、四苦八苦な生活をしているにちがいないのである。
生業を失った人々がいることをだまって考えてみる、それにつけても遠方へ守りにでている徴兵義務の兵卒らのことをおもいうかんでくる。
自分のこれからの憂は大きくてその上端は、終南の山の高さにひとしいほどたかいのだ、霧のはれない時のようにももやとして之を手にとろうとしてもとることができるものではないのである。』

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi
kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 113 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-#9

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 113 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-#9

第三段は、長く別れて暮らす妻への厚い思いやりの情に始まる。


第三段(#9~10)
老妻寄異縣,十口隔風雪。誰能久不顧?庶往共饑渴。
入門聞號啕,幼子餓已卒。吾寧舍一哀?裡巷亦嗚咽。
所愧為人父,無食致夭折。豈知秋禾登,貧窶有蒼卒。』
生常免租稅,名不隸徵伐。撫跡猶酸辛,平人固騷屑。
默思失業徒,因念遠戍卒。憂端齊終南,澒洞不可掇。』


自京赴奉先縣詠懷五百字 #9 
老妻寄異県、十口隔風雪。
いま私の妻は他県(奉先県)に仮住まいしている、十人もの家族とわたしとは風雪をへだてているのである。
誰能久不顧、庶往共饑渇。
だれでもこ禹して預けた家族をながく顧みないでおれるはずはないものだ、できることなら貧しかろうが、ひもじかろうが一緒にしたいと思っているのだ。
入門聞号咷、幼子飢已卒。
(やがて到着したわたしが)門に入ると家のものが泣き叫ぶ声がきこえてくる、我が幼子は餓えてすでに死んでしまったというのである。
吾寧捨一哀、里巷亦鳴咽。
わたしは死んだ児に対しどうして大泣きして一哀することをやめることができるものか、わたしのようすをみて近所の人たちもむせび泣きをしてくれるのである。
所愧為人父、無食到夭折。
ただ自分は恥ずかしいとするのは、人として人の父親としているのである、それが食物が無いために幼児死、しかも栄養失調で死なせてしまったということなのである。
豈知秋禾登、貧窶有倉卒。

もし秋まで待てるものなら、秋になれば穀物がよく実ったはずで、こんなこととは知る由もなかったのだ、貧乏の境遇はまことに手が届かずひたすらあわただしくするのみなのでる。』


老妻(ろうさい)は異県(いけん)に寄(あず)け、十口(じつこう)は風雪(ふうせつ)を隔(へだ)つ。

誰か能(よ)く久しく顧(かえり)みざらん、庶(ねが)わくは往(ゆ)いて饑渇(きかつ)を共にせん。

門に入れば号咷(ごうとう)を聞く、幼子(ようし)の飢えて已(すで)に卒(しゅつ)す。

吾(われ)寧(なん)ぞ一哀(いちあい)を捨(おし)まんや、里巷(りこう)も亦(ま)た鳴咽(おえつ)す。

愧(は)ずる所は人の父と為(な)り、食(しょく)無くして夭折(ようせつ)を到(いた)せしを。



自京赴奉先縣詠懷五百字 #9 現代語訳と訳註 解説
(本文)

老妻寄異県、十口隔風雪。
誰能久不顧、庶往共饑渇。
入門聞号咷、幼子飢已卒。
吾寧捨一哀、里巷亦鳴咽。
所愧為人父、無食到夭折。
豈知秋禾登、貧窶有倉卒。


(下し文)
老妻(ろうさい)は異県(いけん)に寄(あず)け、十口(じつこう)は風雪(ふうせつ)を隔(へだ)つ。
誰か能(よ)く久しく顧(かえり)みざらん、庶(ねが)わくは往(ゆ)いて饑渇(きかつ)を共にせん。
門に入れば号咷(ごうとう)を聞く、幼子(ようし)の飢えて已(すで)に卒(しゅつ)す。
吾(われ)寧(なん)ぞ一哀(いちあい)を捨(おし)まんや、里巷(りこう)も亦(ま)た鳴咽(おえつ)す。
愧(は)ずる所は人の父と為(な)り、食(しょく)無くして夭折(ようせつ)を到(いた)せしを。

  
(現代語訳)
いま私の妻は他県(奉先県)に仮住まいしている、十人もの家族とわたしとは風雪をへだてているのである。
だれでもこ禹して預けた家族をながく顧みないでおれるはずはないものだ、できることなら貧しかろうが、ひもじかろうが一緒にしたいと思っているのだ。
(やがて到着したわたしが)門に入ると家のものが泣き叫ぶ声がきこえてくる、我が幼子は餓えてすでに死んでしまったというのである。
わたしは死んだ児に対しどうして大泣きして一哀することをやめることができるものか、わたしのようすをみて近所の人たちもむせび泣きをしてくれるのである。
ただ自分は恥ずかしいとするのは、人として人の父親としているのである、それが食物が無いために幼児死、しかも栄養失調で死なせてしまったということなのである。
もし秋まで待てるものなら、秋になれば穀物がよく実ったはずで、こんなこととは知る由もなかったのだ、貧乏の境遇はまことに手が届かずひたすらあわただしくするのみなのでる。』


  
(語訳と訳註)
  
老妻寄異県、十口隔風雪。

いま私の妻は他県(奉先県)に仮住まいしている、十人もの家族とわたしとは風雪をへだてているのである。
○老妻 年よりの妻、楊氏をさす。○寄寄寓。○異県 他県、奉先をさす。〇十口 家族十人。○風雪 時節のものをあげる。士官が思わしくなく生活ができないため妻の実家に預けた。


誰能久不顧、庶往共饑渇。
だれでもこ禹して預けた家族をながく顧みないでおれるはずはないものだ、できることなら貧しかろうが、ひもじかろうが一緒にしたいと思っているのだ。
○顧 訪問してみまってやること。○庶 庶幾、こいねがわくは。


入門聞号咷、幼子飢已卒。
(やがて到着したわたしが)門に入ると家のものが泣き叫ぶ声がきこえてくる、我が幼子は餓えてすでに死んでしまったというのである。
○入門 奉先に到著して我が寓居の門にはいる。〇号眺 さけぶ、なく。眺は児どものなきやまぬことをいう字であるが、ここは家人等がなくことをいう。


吾寧捨一哀、里巷亦鳴咽。
わたしは死んだ児に対しどうして大泣きして一哀することをやめることができるものか、わたしのようすをみて近所の人たちもむせび泣きをしてくれるのである。
○捨一哀捨はおく、やめて為さぬこと。一哀は一度哀しむこと、文字は「礼記」檀弓上にみえる、死児に対してなくことを惜しまぬことをいう。○里巷 村の小路にいる人々。○亦鳴咽 むせびなきする、亦とは我と共にの義。

所愧為人父、無食到夭折。
ただ自分は恥ずかしいとするのは、人として人の父親としているのである、それが食物が無いために幼児死、しかも栄養失調で死なせてしまったということなのである。
○無食 食物のないこと。○到夭折 わかじにをまねく。幼児死、しかも栄養失調で死なせてしまった。


豈知秋禾登、貧窶有倉卒。
もし秋まで待てるものなら、秋になれば穀物がよく実ったはずで、こんなこととは知る由もなかったのだ、貧乏の境遇はまことに手が届かずひたすらあわただしくするのみなのでる。』
○豈知秋禾登 禾は穀類をいう。豈はみのることをいう。豈知とは今かく穀物ができようとは知らなかったとの意。児の死後に実ったのが残念であるとの意味。○貧窶 窶はみすぼらしいこと。○倉卒 ひたすらあわただしくする


(解説)
わが妻は他県に預けてあり、人の家族は風雪を隔てた所に住んでいる。どうしていつまでも、そのままにしておけようぞ。そこに行って、飢えと渇きを共にしたいと思う。門を入ると家の者が号き叫ぶ声がする、幼い子が飢えて死んでいたのだった。私はどうして悲しみを尽くさずにおれよう、村の人たちもまた鳴咽している。人の子の父となりながら、食べ物がなくて天折させたのが悦ずかしい。それにしても今年の秋は豊作ということだったのに、貧乏人には思いもよらぬことが起きるものだ。
 予期せぬこととはいえ、これ以上の悲しみがあろうか。杜甫の真骨頂の部分である。飢饉のため疎開させたのにここまでのこととは思わなかったのである。

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 108 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-4

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 108 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-4


自京赴奉先縣詠懷五百字 #4


#4 
歳暮百草零、疾風高岡裂。
今は歳が暮れてきて冬になった。すべてのの草が零落した、強い木枯らしが吹きつけて、高い岡地は張り裂けんばかりである。
天衢陰崢嶸、客子中夜発。
大空の天路はどんより曇っていて暗い厚い雲がおおっている。こんな日の夜中になって旅客として長安を出発した。
霜厳衣帯断、指直不能結。
霜はきびしく衣の帯が凍って千切れるほどである、しかし自分の指は寒くて棒のようになってそれを結ぶことができないのだ。
淩晨過驪山、御榻在帶臬。』
日の出かかる頃に驪山を過ぎようとしている、いまはこの山の高いところに我が君の御椅子が設けられてある。』


歳(とし)暮れて百草(ひゃくそう)零(お)ち、疾風に高岡(こうこう)裂く。
天衢(てんく)  陰として崢嶸(そうこう)たり、客子(かくし)  中夜(ちゅうや)に発す。
霜は厳しくして衣帯(いたい)断(た)え、指は直(ちょく)にして結ぶ能(あた)わず。
晨(あした)を凌(しの)いで驪山(りざん)を過ぐれば、御榻(ぎょとう)は帶臬(てつげつ)に在り。


自京赴奉先縣詠懷五百字 #4 現代語訳と訳註 解説

(本文)#4 
歳暮百草零、疾風高岡裂。
天衢陰崢嶸、客子中夜発。
霜厳衣帯断、指直不能結。
淩晨過驪山、御榻在帶臬。

(下し文)
歳(とし)暮れて百草(ひゃくそう)零(お)ち、疾風に高岡(こうこう)裂く。
天衢(てんく)  陰として崢嶸(そうこう)たり、客子(かくし)  中夜(ちゅうや)に発す。
霜は厳しくして衣帯(いたい)断(た)え、指は直(ちょく)にして結ぶ能(あた)わず。
晨(あした)を凌(しの)いで驪山(りざん)を過ぐれば、御榻(ぎょとう)は帶臬(てつげつ)に在り。

(現代語訳)
今は歳が暮れてきて冬になった。すべてのの草が零落した、強い木枯らしが吹きつけて、高い岡地は張り裂けんばかりである。
大空の天路はどんより曇っていて暗い厚い雲がおおっている。こんな日の夜中になって旅客として長安を出発した。
霜はきびしく衣の帯が凍って千切れるほどである、しかし自分の指は寒くて棒のようになってそれを結ぶことができないのだ。


(語訳と訳註)

歳暮百草零、疾風高岡裂。
今は歳が暮れてきて冬になった。すべてのの草が零落した、強い木枯らしが吹きつけて、高い岡地は張り裂けんばかりである。
○百草 すべての草。○零 零落。


天衢陰崢嶸、客子中夜発。
大空の天路はどんより曇っていて暗い厚い雲がおおっている。こんな日の夜中になって旅客として長安を出発した。
○天衛 そらのみち、気のゆきかよう処、天上をいう。〇時嘆 陰気のたかくそびえるさま。○客子 たびびと、杜甫自身のこと。○中夜 よなか。○発 出発。


霜厳衣帯断、指直不能結。
霜はきびしく衣の帯が凍って千切れるほどである、しかし自分の指は寒くて棒のようになってそれを結ぶことができないのだ。
○持直 ゆびが棒のようになる。○結 衣帯をむすぶこと。


淩晨過驪山、御榻在帶臬。
日の出かかる頃に驪山を過ぎようとしている、いまはこの山の高いところに我が君の御椅子が設けられてある。』
○凌晨 日出の頃をおかして。○驪山 長安の東臨潼県にある山の名、山下に温泉があり、玄宗の離宮である華清宮挙措宮はここにある。
杜甫乱前後の図002奉先

○御榻 おんいす。○帶臬 山の高いさま。玄宗は大抵毎年十月離宮に行幸したが、此の時も楊貴妃と滞在中であった。
 
 
(解説)

杜甫は長安の朝のひとごみを避け真夜中に都を出た。初冬の暗い中馬車を進めている。寒さは厳しく、帯がほどけても指がかじかんで結ぶことができないのだ。やがて夜が明けになり、驪山の麓(長安から二十数km)にさしかった。ここには皇帝の離宮華清宮(楊貴妃と過ごすようになって名称をこれに変えた。それまでは、温泉宮。りはく「」)が築かれていて、山の険しいところに玉座のある宮殿が建っているのが見える。参照、李白朝廷翰林院の時、三首がある。

○侍従遊宿温泉宮作 

○駕去温泉宮後贈楊山人 

○溫泉侍從歸逢故人 


自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 105 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-1

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 105 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-1


 任官ということになった杜甫は、そのことを家族に知らせ、長安へ連れて帰るため、十一月に入って奉先県に出かけた。それは、安禄山が君側の紆臣「楊国忠」を除くことを名目に挙兵した十一月九日に先だつ5日である。このときの旅行を詠んだのが「自京赴奉先縣詠懷五百字」(京より奉先県に赴き、懐いを詠ずる五百字)は五言古詩、百句五十韻に及ぶ長篇で、のちの「北征」の詩、五言古詩 百四十句と並ぶ雄篇と称されている。この長い詩を一気に掲載すると雑になるので、10分割(区切りは”』”で示す)して掲載することになる。その後、本来の詩の三段にまとめて解説する。(これまでの長編は、就職活動の詩なので、資料として一括で掲載する方が良いと考えて行った。これからは、「魂の叫び」ともいえるもの丁寧に見ていきたい。)
杜甫乱前後の図001奉先


詩の概要を示す。すなわち第一段は、若いころから持ちつづけている自己の抱負と、それがなかなかかなえられないこと。#1~#3
第二段は旅中の見聞で、君臣ともに歓楽にふけっている驪山のふもとを通りすぎるときの感懐が中心。#4~#8
第三段は、家族と再会して幼子の餓死を知らされての深い嘆きと、世人への思いを詠う。#9~10




第一段(#1~#3)
杜陵有布衣,老大意轉拙。許身一何愚?竊比稷與契。
居然成
濩落,白手甘契闊。蓋棺事則已,此誌常覬豁。』

窮年憂黎元,嘆息腸內熱。取笑同學翁,浩歌彌激烈。
非無江海誌,蕭灑送日月。生逢堯舜君,不忍便永訣。
當今廊廟具,構廈豈雲缺?葵藿傾太陽,物性固莫奪。』
顧惟螻蟻輩,但自求其穴。胡為慕大鯨,輒擬偃溟渤?
以茲誤生理,獨恥事幹謁。兀兀遂至今,忍為塵埃沒。
終愧巢與由,未能易其節。沉飲聊自遣,放歌破愁絕。』
第二段(#4~#8)
歲暮百草零,疾風高岡裂。天衢陰崢嶸,客子中夜發。
霜嚴衣帶斷,指直不得結。淩晨過驪山,禦榻在嵽嵲。』
蚩尤塞寒空,蹴蹋崖谷滑。瑤池氣鬱律,羽林相摩戛。
君臣留歡娛,樂動殷膠葛。賜浴皆長纓,與宴非短褐。』

彤庭所分帛,本自寒女出。鞭撻其夫家,聚斂貢城闕。
聖人筐篚恩,實欲邦國活。臣如忽至理。君豈棄此物?
多士盈朝廷,仁者宜戰慄。』
況聞內金盤,盡在衛霍室。中堂有神仙,煙霧蒙玉質。
暖客貂鼠裘,悲管逐清瑟。勸客駝蹄羹,霜橙壓香橘。
朱門酒肉臭,路有凍死骨。榮枯咫尺異,惆悵難再述
。』
北轅就涇渭,官渡又改轍。群水從西下,極目高崒兀。
疑是崆峒來,恐觸天柱折。河梁幸未坼,枝撐聲窸窣。
行旅相攀援,川廣不可越。』
第三段(#9~10)
老妻寄異縣,十口隔風雪。誰能久不顧?庶往共饑渴。
入門聞號啕,幼子餓已卒。吾寧舍一哀?裡巷亦嗚咽。
所愧為人父,無食致夭折。豈知秋禾登,貧窶有蒼卒。』
生常免租稅,名不隸徵伐。撫跡猶酸辛,平人固騷屑。
默思失業徒,因念遠戍卒。憂端齊終南,澒洞不可掇。』



 天宝十四載(755)冬十一月の初め、杜甫は馬車で真夜中に長安を発った。奉先県への路は、冷たい風が北の砂漠地帯から吹きつけてくる。杜甫は四十四歳を過ぎて、やっと官職につけた。詩は、まず、現況から始まる。

白京赴奉先牒詠懐 五百字 1/10 1段目の#1
杜陵有布衣,老大意轉拙。
杜陵のあたりに一人の官についていない普段着の男が居る、年を取ってはいるがその抱いている志と意識はかたくなで処世術は実にうまくない。
許身一何愚?竊比稷與契。
そうした志と意識について自己に妥協して許すことができない愚者というのはいったいどうしてなのであろうか。それは心に秘めていることは自分を論語で示された賢臣、稷との契たちに匹敵すると思っているからなのだ。
居然成
濩落,白手甘契闊。
そんな大きな志をもっているうちにそのまま滴り落してしまうのであるが、もとより白髪にいたるまで甘んじて艱難辛苦に耐えているのである。
蓋棺事則已,此誌常覬豁。』

自己の価値は棺に蓋をした後に其の人の行為や事の評価が決定するとおもっている、このように心がけていることは、広々とした気持ちでいたいと願ってはいるということなのだ。』


自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫特集700-105-1 現代語訳と訳註

(本文)
杜陵有布衣,老大意轉拙。
許身一何愚?竊比稷與契。
居然成濩落,白手甘契闊。
蓋棺事則已,此誌常覬豁。』

(下し文)
杜陵(とりょう)に布衣(ふい)有り
老大(ろうだい)にして意(い)転(うた)た拙(せつ)なり
身(み)を許すこと一(いつ)に何ぞ愚(ぐ)なる
窃(ひそ)かに稷(しょく)と契(せつ)とに比す
居然(きょぜん)  濩落(かくらく)を成(な)し
白首(はくしゅ)  契闊(けいかつ)に甘んず
棺(かん)を蓋(おお)えば事は則ち已(や)むも
此の志  常に豁(ひら)けむことを覬(ねが)う

(現代語訳)
杜陵のあたりに一人の官についていない普段着の男が居る、年を取ってはいるがその抱いている志と意識はかたくなで処世術は実にうまくない。
そうした志と意識について自己に妥協して許すことができない愚者というのはいったいどうしてなのであろうか。それは心に秘めていることは自分を論語で示された賢臣、稷との契たちに匹敵すると思っているからなのだ。
そんな大きな志をもっているうちにそのまま滴り落してしまうのであるが、もとより白髪にいたるまで甘んじて艱難辛苦に耐えているのである。
自己の価値は棺に蓋をした後に其の人の行為や事の評価が決定するとおもっている、このように心がけていることは、広々とした気持ちでいたいと願ってはいるということなのだ。』


(訳註)
杜陵有布衣,老大意轉拙。
杜陵のあたりに一人の官についていない普段着の男が居る、年を取ってはいるがその抱いている志と意識はかたくなで処世術は実にうまくない。
●杜陵 作者の住地。長安城の東に薪陵(漢の文帝の陵)があり、その南五里に楽遊原がある、漠の宜帝の葬られた処で、これを杜院という。杜陵の東南十余里に又一陵があり、宜帝の皇后許氏の葬られた処であり、これを少陵という。少陵の東は杜曲であり、西は杜甫が宅した地である。作者は自己の居を称するのに、杜陵、少陵、杜曲、下杜などというのは皆少陵を本としてその近地についていったものである。この年かいた詩の中でで杜甫の杜曲の住まいを覗わせるものである

曲江三章 章五句 杜甫特集 52 

陪鄭広文遊何将軍山林十首 詩人杜甫特集 55

渼陂行 杜甫特集 66

重過何氏五首 杜甫特集 68

陪諸貴公子丈八溝携妓納涼晩際遇雨二首杜甫特集 73

示従孫済 杜甫特集 84

夏日李公見訪 杜甫特集 83

秋雨嘆三首 杜甫特集 86

長安・杜曲韋曲
 
○布衣 仕官せぬものをいう。○意転拙 その抱く所の意識、意見、物の見方がかたくなで世間向きでなく、処世術がへたである。


許身一何愚?竊比稷與契。
そうした志と意識について自己に妥協して許すことができない愚者というのはいったいどうしてなのであろうか。それは心に秘めていることは自分を論語で示された賢臣、稷との契たちに匹敵すると思っているからなのだ。
○許身 我と我が身はかくかくの資格ありとゆるす。○稷與契 二人とも儒教でいう賢臣で舜の賢臣。稷は官の名、本名は棄、農事を掌る、契は教育の事を掌る。『論語』・泰伯篇  「舜には五人の臣(瑀・稷・契・咎陶・伯益)がいて、天下が治まった。武王はいった、「わたしには賢臣が十人いる」 孔子はいった、「才能ある人物は得がたいものだ。そうではないか。尭が舜に禅譲してからは、周の初めにおいて盛んであった。(武王の賢臣のうち、)婦人が一人いるので、賢臣は九人のみであった。文王が西伯となって、天下を三分してその二を保ち、それで殷に服事した。周の徳こそは至徳というべきである」 *周が賢臣を得て国を治めたことを讃えた。


居然成濩落,白手甘契闊。
そんな大きな志をもっているうちにそのまま滴り落してしまうのであるが、もとより白髪にいたるまで甘んじて艱難辛苦に耐えているのである。
○居然 そのままの意。○濩落 濩は雨だれがしたたり落ちること。○契闊 苦労すること。逢うことと離れること。慕う。約束する。ここでは艱難辛苦をいう。
 
蓋棺事則已,此誌常覬豁。』
自己の価値は棺に蓋をした後に其の人の行為や事の評価が決定するとおもっている、このように心がけていることは、広々とした気持ちでいたいと願ってはいるということなのだ。』
○蓋棺 棺の蓋をする。人が死ぬことを指す。人は死後に其の行いや事の評価が決定することをいう。○此志 自己の志意をいう。○覬 冀と同じ、こいねがう。○豁 寛裕にする、ひろびろとする。



 

プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
記事検索
最新記事(画像付)
最新記事
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ