後出塞五首 其五 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 99
後出塞五首 其五
我本良家子,出師亦多門。
自分はあたりまえの家からでた人間である、従軍するにいろいろの師団長の門をくぐったりしたのだ。
將驕益愁思,身貴不足論。
この安禄山大将はすごく驕っているのでなにかするのではと内心心配している、立身出世して高いくらいについたので何事も論議することもしない横暴さである。
躍馬二十年,恐孤明主恩。
この大将に二十年も軍馬を躍らせて戦ってきた、ただ、唐の明主、天子のご恩にそむきはすまいかとおそれているのだ。
坐見幽州騎,長驅河洛昏。
毎日同じように見ている(異常に気が付く)、幽州の騎兵がうごきだしたのだ、黄河、洛陽の方まで遠みちをかけ、あたりが暗くなるほどほこりをたたせている。
中夜間道歸,故裡但空村。
真夜中になってこっそり抜け道でかえったのだ、ふるさとはみんな逃げたあととみえてだれもいないあきむらになっておる。
惡名幸脫兔,窮老無兒孫。
謀叛人の仲間という悪名からのがれることはできたが、かんがえてみると子も孫もない守るものを持っていない貧乏な年よりの身なのだ。
我は本良家の子なり 出師亦た悶多し
将縞りて益主愁思す 身の貴きは論ずるに足らず
馬を躍らすこと二十年 明主の恩に孤かんことを恐る
坐ろに見る幽州の騎 長駆河洛昏し
中夜間道より帰れば 故里但空郁なり
悪名は幸に脱免せるも 窮老にして児孫無し
後出塞五首 其五 訳註と解説
(本文)
我本良家子,出師亦多門。
將驕益愁思,身貴不足論。
躍馬二十年,恐孤明主恩。
坐見幽州騎,長驅河洛昏。
中夜間道歸,故裡但空村。
惡名幸脫兔,窮老無兒孫。
(下し文)
我は本良家の子なり 出師亦た悶多し
将縞りて益主愁思す 身の貴きは論ずるに足らず
馬を躍らすこと二十年 明主の恩に孤かんことを恐る
坐ろに見る幽州の騎 長駆河洛昏し
中夜間道より帰れば 故里但空郁なり
悪名は幸に脱免せるも 窮老にして児孫無し
(現代語訳)
自分はあたりまえの家からでた人間である、従軍するにいろいろの師団長の門をくぐったりしたのだ。
この安禄山大将はすごく驕っているのでなにかするのではと内心心配している、立身出世して高いくらいについたので何事も論議することもしない横暴さである。
この大将に二十年も軍馬を躍らせて戦ってきた、ただ、唐の明主、天子のご恩にそむきはすまいかとおそれているのだ。
毎日同じように見ている(異常に気が付く)、幽州の騎兵がうごきだしたのだ、黄河、洛陽の方まで遠みちをかけ、あたりが暗くなるほどほこりをたたせている。
真夜中になってこっそり抜け道でかえったのだ、ふるさとはみんな逃げたあととみえてだれもいないあきむらになっておる。
謀叛人の仲間という悪名からのがれることはできたが、かんがえてみると子も孫もない守るものを持っていない貧乏な年よりの身なのだ。
(語訳と訳註)
我本良家子,出師亦多門。
自分はあたりまえの家からでた人間である、従軍するにいろいろの師団長の門をくぐったりしたのだ。
○良家子 良家とは普通のよい人家をいう。北方辺境の部隊には素性のわからない傭兵もいた。この詩の主人公は無頼の餞民、若しくは罪人などの出身ではないことをいっている。○出師 師をだすのは大将がだすのであり、ここはそのだす師に従ってでることをいう。従レ征多レ門と同様に用いる。○多門 門は将門をいう。いろいろな大将の門。
將驕益愁思,身貴不足論。
この安禄山大将はすごく驕っているのでなにかするのではと内心心配している、立身出世して高いくらいについたので何事も論議することもしない横暴さである。
○愁息 謀叛でもしそうな様子ゆえしんはいする。○身貴 自分のからだが貴位にのぼって出世する。○不足論 そんなことはどうでもよい、とりあげていうほどのことはない。
躍馬二十年,恐孤明主恩。
この大将に二十年も軍馬を躍らせて戦ってきた、ただ、唐の明主、天子のご恩にそむきはすまいかとおそれているのだ。
○明主 唐の明主、天子、玄宗をさす。
坐見幽州騎,長驅河洛昏。
毎日同じように見ている(異常に気が付く)、幽州の騎兵がうごきだしたのだ、黄河、洛陽の方まで遠みちをかけ、あたりが暗くなるほどほこりをたたせている。
○坐見 毎日同じように見ていると。(異常に気が付く。)○幽州騎 漁陽は幽州に属している、幽州の騎とは禄山部下の騎兵をいう。○長駆 遠のりする。○河洛昏 河は黄河、格は洛水、洛陽にせまることをいう。昏とは兵馬のため塵攻が起って暗くなること。
中夜間道歸,故裡但空村。
真夜中になってこっそり抜け道でかえったのだ、ふるさとはみんな逃げたあととみえてだれもいないあきむらになっている。
○間道 ぬけみち。○故裡 ふるさと。○空村 住民たちがさり、だれもいない村。
惡名幸脫兔,窮老無兒孫。
謀叛人の仲間という悪名からのがれることはできたが、かんがえてみると子も孫もない守るものを持っていない貧乏な年よりの身なのだ。
○悪名 天下に対しての悪い名称。謀叛人の仲間という。○脱免 そのなかからのがれでる。○窮老 貧乏な年より。○無児孫 子も孫もない。守るものがない。軍隊に二十年青春をささげたのである。
(解説)
謀反を起こす前の安禄山はかなり横暴になり、庶民的な目からもそれがわかるようになっていた。
李林逋宰相、前の張九齢との権力闘争、その後18年李林逋の圧制が続きます。その間に軍事的功績を積み重ねた節度使の安禄山。楊貴妃一族の台頭、李林逋の死(752)、と10年間で、特に叛乱の前五年の間にめまぐるしく権力構図が塗り替えられます。其の中で、はっきりしていることは、①皇帝の権威が著しく低下した、②朝廷は楊貴妃一族による腐敗したものとなる、③軍事的には安禄山を抑えようがないというのが750年代の情勢分析である。
杜甫が述べているようにひとつの村が空っぽに為ったというのは戦になると予想されて逃げたのである。もし安禄山の側が、統制が取れた軍隊であったのなら庶民対策を万全にしたでしょうから支持を得た。叛乱か革命かの分岐点は、民衆の動向である。古今東西、すべて民衆の支持に後押しされたものでないと続くものではないのだ。権力は握れても大儀がなかった安禄山は翌年息子に殺される。
そして、この乱は10年近くも続く。