杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

#1

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 223

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 223

杜甫が羌村の家族のもとで日を過ごしているあいだに、唐の王朝軍は回紇(ウイグル)の援軍を加えて連合軍とし、長安への進攻を開始していた。すなわち757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、十月十九日には鳳翔を出発し、十月二十三日に長安に帰った。
杜甫は鄜州の羌村で、王朝軍の長安進攻を知り「官軍の己に賊寇に臨むを聞くを喜ぶ二十韻」をつくり、入城を知って、「京を収む三首」を作って、その歓喜の情を表わしている。



喜聞官軍已臨賊寇 二十韻
#1
胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。
叛乱軍の異民族の騎隊等は長安の都近くの県に逃れ潜り込み、王朝連合軍は塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。
鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
叛乱軍はまるで鼎のなかに煮られかけていいて魚が息木次をわずかにするだけの猶予をあたえられている様である、また穴のなかの蟻でどこへ逃げようとおもっているのか、とてもどこにも逃げられないのだ。』
帳殿羅玄冕,轅門照白袍。
いま鳳翔の行在所の仮御殿では玄冤をつけた公卿たちがずらり並んでいる、軍門から入ると援軍の回紇の白衣がまぶしいほど照っている。
秦山當警蹕,漢苑入旌旄。

都、長安附近の山々は我が君の行幸の御警蹕あるべき筋道に当っているし、いまや都の御苑も王朝軍の旌のたてられる範囲内に入ろうとしている。

#2
路失羊腸險,雲橫雉尾高。五原空壁壘,八水散風濤。
今日看天意,遊魂貸爾曹。乞降那更得,尚詐莫徒勞。」
#3
元帥歸龍種,司空握豹韜。前軍蘇武節,左將呂虔刀。
兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。戈鋌開雪色,弓矢向秋毫。
天步艱方盡,時和運更遭。誰雲遺毒螫,已是沃腥臊。」
#4
睿想丹墀近,神行羽衛牢。花門騰絕漠,拓羯渡臨洮。
此輩感恩至,羸浮何足操。鋒先衣染血,騎突劍吹毛。
喜覺都城動,悲連子女號。家家賣釵釧,只待獻春醪。」


喜聞官軍己臨賊寇二十韻
(官軍己に賊寇に臨むと聞くを喜ぶ 二十韻)
#1
胡騎京県に潜み、官軍賊壕を擁す。
鼎魚(ていぎょ)猶息を仮す、穴蟻何に逃れんと欲する。」
帳殿玄冤(げんべん)羅(つらな)り、轅門(えんもん)白袍照る。
秦山警蹕(けいひつ)に当る 漢苑旌旄(せいぼう)に入る。

#2
路は羊腸の険を失す、雲横わりて雉尾(ちび)高し。
五原空しく壁塁(へきるい)、八水風涛(ふうとう)散ず。
今日天意を看るに、遊魂(ゆうこん)爾が曹に貸す。』
#3
降を乞うも那(なん)ぞ更に得ん 詐を尚(たっと)ぶは徒に労する莫らんや。
元帥竜種(りょうしゅ)に帰し、司空豹韜(ひょうとう)を握る。
前軍 蘇武が節、左将 呂虔(りょけん)が刀。
兵気 飛鳥(ひちょう)を回(か)えす、威声(いせい) 巨鰲を没せしむ。
戈鋌(かせん) 雪色開き、弓矢 秋毫(しゅうごう)に向う。
天歩(てんぽ) 艱 方(まさ)に尽く、時和 運 更に遭う。
誰か云う毒螫を遺すと、己に是れ 腥臊(せいそう)に沃(そそ)ぐ。」
#4
睿想 丹墀(たんち)近く、神行 羽衛(うえい)牢(かた)し。
花門 絶漠に騰(あが)り、拓羯(たくけつ)臨洮(りんとう)を渡る。
此の輩恩に感じて至る、羸浮(るいふ)何ぞ操るに足らん。
鋒 先(さきだ)ちて 衣血に染む、騎 突きて 剣毛(けんけ)を吹く。
喜びは覺ゆ 都城の動くを、悲みは連(ともな)う 子女の號(さけ)ぶを。
家家 釵釧を売り 只だ待つ春醪を献ずるを』


natsusora01


現代語訳と訳註
(本文) #1

胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。
鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
帳殿羅玄冕,轅門照白袍。
秦山當警蹕,漢苑入旌旄。


(下し文) #1
胡騎京県に潜み、官軍賊壕を擁す。
鼎魚(ていぎょ)猶息を仮す、穴蟻何に逃れんと欲する。」
帳殿玄冤(げんべん)羅(つらな)り、轅門(えんもん)白袍照る。
秦山警蹕(けいひつ)に当る 漢苑旌旄(せいぼう)に入る。


(現代語訳)
叛乱軍の異民族の騎隊等は長安の都近くの県に逃れ潜り込み、王朝連合軍は塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。
叛乱軍はまるで鼎のなかに煮られかけていいて魚が息木次をわずかにするだけの猶予をあたえられている様である、また穴のなかの蟻でどこへ逃げようとおもっているのか、とてもどこにも逃げられないのだ。』
いま鳳翔の行在所の仮御殿では玄冤をつけた公卿たちがずらり並んでいる、軍門から入ると援軍の回紇の白衣がまぶしいほど照っている。
都、長安附近の山々は我が君の行幸の御警蹕あるべき筋道に当っているし、いまや都の御苑も王朝軍の旌のたてられる範囲内に入ろうとしている。


(訳注)
胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。

叛乱軍の異民族の騎隊等は長安の都近くの県に逃れ潜り込み、王朝連合軍は塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。
胡虜 異民族の騎兵。異民族は騎馬民族であり、騎兵戦法をとる。農耕民族は歩兵、兵車戦法をとる。異民族の騎兵軍隊には騎士の数より2倍以上の駿馬を用意している。○ のがれかくれる。○京県 都近くの県。○官軍 広平王の率いる連合軍をさす。この時ウイグル軍は駿馬を一万五千頭揃えたといわれている。その引き起こす砂塵で叛乱軍は退いたといわれる。○擁賊壕 叛乱軍の拠った塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。


鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
叛乱軍はまるで鼎のなかに煮られかけていいて魚が息木次をわずかにするだけの猶予をあたえられている様である、また穴のなかの蟻でどこへ逃げようとおもっているのか、とてもどこにも逃げられないのだ。』
鼎魚 かなえの中で煮られる魚、賊の危いことをたとえていう。○仮息 いきふくことをかし与えてある、しばし生命をあずけておくこと。○穴蟻 穴のなかのあり、これも賊の危さをたとえていう。○何逃 何は何処の意。


帳殿羅玄冕,轅門照白袍。
いま鳳翔の行在所の仮御殿では玄冤をつけた公卿たちがずらり並んでいる、軍門から入ると援軍の回紇の白衣がまぶしいほど照っている。
帳殿 本殿の周りにテント張りで守りをつくる御殿、皇帝の旅の仮のお住まいという意味。鳳翔の行在所をいう。○ ならぶこと。○玄冕(げんべん) くろいかんむり、公卿の礼冠。○轅門 軍門、軍中の門は轅(くるまのながえ)を以てつくる。○ でりかがやく。〇白袍 白いうわざ、これは援助に来た回紇のきる衣。イスラム地域の服装。
 

秦山當警蹕,漢苑入旌旄。
都、長安附近の山々は我が君の行幸の御警蹕あるべき筋道に当っているし、いまや都の御苑も王朝軍の旌のたてられる範囲内に入ろうとしている。
泰山 長安附近の山をいう。○当警蹕(けいひつ) 当(あたる)とは警蹕すべき地位にあることをいう、警蹕は天子の出入に道路上の人払いをすること、出る時には警といい、入る時は蹕と称する。○漢苑 長安にある唐の御苑をいう。〇入旌旄(せいぼう) 旌旄は王朝軍のはた。入るとは、皇帝の行軍にはおびただしい数のはたのたてられる範囲内にはいることをいう。


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北征 #1(北征全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 208

北征 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 208

(12回の1回目)

「北征」の詩の内容は四つの段に分けられる。すなわち第一段はこのたびの帰省のことと現在の時勢について、第二段は旅中の見聞、第三段は妻子との再会、第四段は胡賊撃退へと動き出した状況の説明と大乱平定の願い、となっている。

北征
皇帝二載秋,閏八月初吉。
粛宗皇帝の至徳二載の秋の閑八月一日。
杜子將北徵,蒼茫問家室。」
自分は北方にでかけて、家族の様子がはっきりしていないので預けている妻子の様子をたずねようとするものだ。』
維時遭艱虞,朝野少暇日。
この時は叛乱軍の長安を制覇されたことによる奪還のための心配に出くわした頃で、朝廷の者も民間の者もせわしくて暇がないのである。
顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
それに自分はこのたび、どうしたことか特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許されたのは誠に恥じ入ったことである。
拜辭詣闕下,怵惕久未出。
おいとま乞の御挨拶に行在所の御門近くにまかり出たが、恐縮して心に憂いおそれをいだきおるためにいつまでも退出できないでいたのである。
雖乏諫諍姿,恐君有遺失。
自分は左拾遺の官職をいただいているとはいえ、天子の君をお諌めするという程の資質も無いのではあるが万一天子の為されることに失政がありはせぬかと恐れるのである。


皇帝二載の秋 閏八月初吉。
杜子将に北征して、蒼茫 家室を問わんとす。』
維(こ)れ時 艱虞(かんぐ)に遭う、朝野(ちょうや)暇日(かじつ)少(すくな)し。
顧(かえり)みて恩私(おんし)の被るを慚ず、詔して蓬蓽(ほうか)に帰るを許さる。
拝辞して闕下(けつか)に詣(いた)り、怵惕(じゅつてき)久しうして未だ出でず。
諫諍(かんそう)の姿に乏しと雖も、恐らくは君に遺失有らんことを。


現代語訳と訳註
(本文)

皇帝二載秋,閏八月初吉。
杜子將北徵,蒼茫問家室。」
維時遭艱虞,朝野少暇日。
顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
拜辭詣闕下,怵惕久未出。
雖乏諫諍姿,恐君有遺失。


(下し文)
皇帝二載の秋 閏八月初吉。
杜子将に北征して、蒼茫 家室を問わんとす。』
維(こ)れ時 艱虞(かんぐ)に遭う、朝野(ちょうや)暇日(かじつ)少(すくな)し。
顧(かえり)みて恩私(おんし)の被るを慚ず、詔して蓬蓽(ほうか)に帰るを許さる。
拝辞して闕下(けつか)に詣(いた)り、怵惕(じゅつてき)久しうして未だ出でず。
諫諍(かんそう)の姿に乏しと雖も、恐らくは君に遺失有らんことを。


(現代語訳)
粛宗皇帝の至徳二載の秋の閑八月一日。
自分は北方にでかけて、家族の様子がはっきりしていないので預けている妻子の様子をたずねようとするものだ。』
この時は叛乱軍の長安を制覇されたことによる奪還のための心配に出くわした頃で、朝廷の者も民間の者もせわしくて暇がないのである。
それに自分はこのたび、どうしたことか特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許されたのは誠に恥じ入ったことである。
おいとま乞の御挨拶に行在所の御門近くにまかり出たが、恐縮して心に憂いおそれをいだきおるためにいつまでも退出できないでいたのである。
自分は左拾遺の官職をいただいているとはいえ、天子の君をお諌めするという程の資質も無いのではあるが万一天子の為されることに失政がありはせぬかと恐れるのである。


(訳注)北徵 ①
皇帝二載秋,閏八月初吉。
粛宗皇帝の至徳二載の秋の閑八月一日。
○皇帝 粛宗。○二載 至徳二載。○初吉 朔日二日)。


杜子將北徵,蒼茫問家室。」
自分は北方にでかけて、家族の様子がはっきりしていないので預けている妻子の様子をたずねようとするものだ。』
杜子 作者自身であるが、孔子、孟子などと同様に公式文書において自分の名を記す場合に使われるものである。官職を意識してのものである。 ○北征 北の方鄭州へゆく。○蒼茫 ぼんやりしてはっきりせぬさま。家族の様子の知れぬこと。蒼茫を急濾のさまとするのは不可、荒寂のさまとするのは可。○問家室 間はたずねにゆく、家室は妻子をいう。


維時遭艱虞,朝野少暇日。
この時は叛乱軍の長安を制覇されたことによる奪還のための心配に出くわした頃で、朝廷の者も民間の者もせわしくて暇がないのである。
維時 維はただ辞であり、時にということ。○艱虞 なんぎ、しんぱい、叛乱軍の長安を制覇されたこと。○朝野 在朝の入々も、在野の人々も。朝は朝廷、野は民間。○少暇日 いそがしくひまなし。


顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
それに自分はこのたび、どうしたことか特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許されたのは誠に恥じ入ったことである。
顧慚 かえりみてはじる。○恩私被 恩私とは天子の自分へたまわる特別の恩寵、私は自分一己へのごひいき、被とはこうむる、こちらがそれをうけること。○詔許 詔を以てお許しになる。○蓬蓽 蓽は箪と通ずる、荊(いばら)のこと、いばらや竹で門をつくる。蓬はよもぎの草。二字で自已の粗末な家屋をさす。


拜辭詣闕下,怵惕久未出。
おいとま乞の御挨拶に行在所の御門近くにまかり出たが、恐縮して心に憂いおそれをいだきおるためにいつまでも退出できないでいたのである。
拝辞 おいとまごいのあいさつ。○ まかりでる。○闘下 行在所の御殿の小門のそば。○悼惧 心に憂いおそれをいだく。○ 退出する。


雖乏諫諍姿,恐君有遺失。
自分は左拾遺の官職をいただいているとはいえ、天子の君をお諌めするという程の資質も無いのではあるが万一天子の為されることに失政がありはせぬかと恐れるのである。
諫諍姿 君をおいさめするすがた、これは作者は左拾遺であるということ。諌官の職にあるということ。○ 粛宗。○遺失 おておち、あやまち。

述懐  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 177
ID詩 題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晚行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒步歸行鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。大宗の施政が仁徳のあるものであったと賛美し、暗に粛宗の愚帝ぶりを批判している。秀作。
973玉華宮  鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃。八月初めに鳳翔より出発し,鄜州に到著して以後に作ったもの。旅の報告と上奏文であり、ウイグルに救援を求める粛宗批判といえる内容のものである。一番の秀作。
977羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
978・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
979・村の長老たちと帰還の祝い。 
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。
ID詩 題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれるものである。が、一方、この時期の作品は左拾位としての役目をしようとする杜甫の誠実さを浮き彫りにするものでもある。秀作ぞろいである。ウイグル援軍要請批判は安禄山軍に拘束された時期、「黄河二首」「送楊六判官使西蕃」から一貫している。

hinode0200

唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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送楊六判官使西蕃 #1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 197

送楊六判官使西蕃 #1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 197


楊某が判官として吐蕃国に使いにゆくのを送る。製作時は至徳二載の秋。なお長安をとりかえさなかった時。
2回分割の1回目。

これまで
・756年011~12月[通 鑑 によれ ば7~12月],安史勢力側 の阿史那従礼 が突廠・同羅 ・僕骨軍5000騎 を率い,河曲にあった九(姓?)府・六胡州の勢力数万も合わせて,行在=霊武 を襲わんとした。

・756年12月郭子儀は,磨延啜自身が率いて南下してきたウィグル本軍を陰山と黄河の間にある呼延谷で迎え,これと合流、

・一方これ以前 に葛遷支率いる ウイグル別働 隊2000騎 がまず范陽を攻撃したが,成功せずにそこから太原方面に移動.

・郭子儀軍はこれ らのウイグル本軍並びに別働隊と協力して,阿史那従礼軍を斥け,河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部,す なわちオルドスを中心に,そ の外側の陰山山脈以南を合わせた一帯;現在の内蒙古自治区の一部とちんにし陝西省~寧夏回族自治区の北辺)を 平定した.

●757年至徳二 年元 旦,安禄山は洛陽で実子の安慶緒,並びに腹心の部下によって暗殺さる.

○757年安禄山の盟友で,洛陽政権樹立の最:大の功労者であった史思明は,いちはやく分離独立の方針を決め,莫大な軍資金を蓄積してある范陽に帰還.

○  757年同年2月,粛宗は鳳翔に進出.前年末からこれまでに,コータン・安西・北庭・抜汗那・大食からの援軍が集結.同 月,ウイグル首領の大将軍・多攬15人 が入朝.

○ 757年9月,ウ イグルの磨 延畷可汗は太子 の葉護 を筆頭に,将 軍の帝徳らに4000余 騎(旧 唐書 ・安禄山伝では3000騎)を率いさせて唐に派遣.粛宗は喜び,宴会を催し,元帥の広平王・淑(後の代宗)に命じて葉護と兄弟の契りを結ばせる.

○  蕃漢15万にふくれあがった唐軍は,広平王・淑 を総帥とし,鳳翔を出発.扶風で ウイグル軍を出迎 えた郭子儀は,3日 間の大宴会で接待.以 後,ウイグル軍には食料として毎日,羊200匹,牛20頭,米40石 が支給さる.

○ 757年9月17日,長安攻撃開始.朔方左廟兵馬使・僕固懐恩 とウイグル軍が連携して活躍.安慶緒側の守備軍は約6万の損失を蒙って潰走.唐軍,長安を回復す.

○ 757年10月,反乱軍は唐側の郭子儀軍やウイグル軍により滝関・陳郡を次々に落とされ,安 慶緒は洛陽を脱出して河北の鄭に走る.唐側は遂に洛陽を奪回.

○ 757年11月,長 安で粛宗と葉護が会見.粛宗は葉護を労い,司空の位を与え,忠義王に封じ,錦繍繰や金銀器皿を賜す,さらに毎年,絹2万匹を朔方軍にて支給する事を約す.

送楊六判官使西蕃
楊六判官使、西蕃に送る
送遠秋風落,西徵海氣寒。
あなたがウイグルという遠くへ行かれるのを見送る今、秋風が木の葉をゆり落す時となった、西方へと行かれるならば青海の寒気団でこごえそうになる季節になる。
帝京氛浸滿,人世別離難。」
都では安史軍、侵略者のもたらす悪い妖気、兵乱の悪気に満ち溢れている、この時、こんなの世情のなかでお別れをすることはつらくて別れづらいことだ。」
絕域遙懷怒,和親願結歡。
我が唐とはかけはなれた土地でありながら吐蕃は安史軍の叛乱を起した事について、はるかな地で憤怒の念をいだいていたのだ、それが我が唐と和親し、我と歓心を結んでくれるというのだ。
敕書憐贊普,兵甲望長安。
それで我が君も勅書を以て贊普が援助にでかけようとしている心根をお憐みになった。そして連合して、兵甲のいくさの用意をして長安を望むことになったのだ。
宣命前程急,惟良待士寬。
我が君の御命令を先方へ宜べつたえる正使の役目は前程として取り急ぎ長安を奪回することである、その地方長官としては、派遣特使を広範囲に守って寛大な方法をとらせた。
子雲清自守,今日起為官。』-
#1
漢の揚子雲は清貧を以て自らを守っていた。あなたもその清貧でもって今日は抜擢されて使者、官員となることとなった。』

垂淚方投筆,傷時即據鞍。儒衣山鳥怪,漢節野童看。
邊酒排金盞,夷歌捧玉盤。草肥蕃馬健,雪重拂廬乾。」
慎爾參籌畫,從茲正羽翰。歸來權可取,九萬一朝摶。』-#2


(楊六判官が 西蕃に使するを送る)#1
遠きを送れば秋風落つ 西征海気寒し
帝京気頑満つ 人世別離難し』
絶域迄に怒を懐く 和親して歓を結ぽんことを願う
勅書賛普が 兵甲長安を望むことを憐む
宣命前程急に 惟良士を待つ寛なり
子雲清く自ら守る 今日起って官と為る』

#2
涙を垂れて万に筆を投ず 時を傷みて即ち鞍に拠る
儒衣山鳥怪み 漢節野童看る
辺酒金怨を排し 夷歌玉盤を捧ぐ
草肥えて蕃馬健に 雪重くして払渡乾く』
慎みて爾書画に参し 玄従り羽翰を正しくせよ
帰り来らば権取る可し 九万一朝にして摶たん』
安史期のアジアssH



現代語訳と訳註
(本文) 送楊六判官使西蕃

送遠秋風落,西徵海氣寒。帝京氛浸滿,人世別離難。」
絕域遙懷怒,和親願結歡。敕書憐贊普,兵甲望長安。
宣命前程急,惟良待士寬。子雲清自守,今日起為官。』-#1


(下し文) (楊六判官が 西蕃に使するを送る)#1
遠きを送れば秋風落つ 西征海気寒し
帝京気頑満つ 人世別離難し』
絶域迄に怒を懐く 和親して歓を結ぽんことを願う
勅書賛普が 兵甲長安を望むことを憐む
宣命前程急に 惟良士を待つ寛なり
子雲清く自ら守る 今日起って官と為る』


(現代語訳)
楊六判官使、西蕃に送る
あなたがウイグルという遠くへ行かれるのを見送る今、秋風が木の葉をゆり落す時となった、西方へと行かれるならば青海の寒気団でこごえそうになる季節になる。
都では安史軍、侵略者のもたらす悪い妖気、兵乱の悪気に満ち溢れている、この時、こんなの世情のなかでお別れをすることはつらくて別れづらいことだ。」
我が唐とはかけはなれた土地でありながら吐蕃は安史軍の叛乱を起した事について、はるかな地で憤怒の念をいだいていたのだ、それが我が唐と和親し、我と歓心を結んでくれるというのだ。
それで我が君も勅書を以て贊普が援助にでかけようとしている心根をお憐みになった。そして連合して、兵甲のいくさの用意をして長安を望むことになったのだ。

banri11

(訳注)
送楊六判官使西蕃

楊六判官使、西蕃に送る
楊六判官 至徳元載に霊武に援軍要請、,河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部,す なわちオルドスを中心に,その外側の陰山山脈以南を合わせた一帯;現在の内蒙古自治区の一部を勢力下においたことが唐王朝存続の危機を抜けられた重要な点であった。その後安史軍内部で抗争する間に鳳翔を勢力下におき行在所とした。長安を奪回するためウイグルに使者を送り協力を求めた。そのときのことをしにしたものが、これだ。


送遠秋風落,西徵海氣寒。
あなたがウイグルという遠くへ行かれるのを見送る今、秋風が木の葉をゆり落す時となった、西方へと行かれるならば青海の寒気団でこごえそうになる季節になる。
送遠 楊の遠く行くのを送る。○秋風落 落とは蓋し揺落をいう、木の葉をゆりおとすことをいう。又案ずるに落は高処より吹きおろすことをいうか。○西征 西の方へゆく、吐蕃は唐の酉にある。○海気寒 沙漢、湖水はみな海という、ここは青海をさす。


帝京氛浸滿,人世別離難。」
都では安史軍の侵略者のもたらす悪い妖気、兵乱の悪気に満ち溢れている、この時、こんなの世情のなかでお別れをすることはつらくて別れづらいことだ。」
帝京 長安。○氛浸 安史軍、侵略者のもたらす悪い妖気、兵乱の悪気。・:吉凶をあらわす雲気。夭気。・:侵略者。


絕域遙懷怒,和親願結歡。
我が唐とはかけはなれた土地でありながら吐蕃は安史軍の叛乱を起した事について、はるかな地で憤怒の念をいだいていたのだ、それが我が唐と和親し、我と歓心を結んでくれるというのだ。
絶域 かけはなれた土地。吐蕃をさす。○憤怒 安禄山の叛いたことに対して怒りの念をいだく。○和親 唐となかよくする。○結歓 即ち上の和親と同じ、歓びの心を結びあう。


敕書憐贊普,兵甲望長安。
それで我が君も勅書を以て贊普が援助にでかけようとしている心根をお憐みになった。そして連合して、兵甲のいくさの用意をして長安を望むことになったのだ。
勅書 唐の天子からのおかきつけ。○憐賛普 賛普は吐蕃語、賓とは強雄の義、普とは丈夫の義、その君長たるものをさして賛普という。燐とは唐となかよくしたいとの志をあわれむこと。○兵甲 吐蕃の兵、よろい。○望長安 吐蕃が望むのである。長安をさして唐を助けにゆこうとながめやる。
◎ここまで直訳では、ウイグルが助けさせてくださいと言って、且つ、仲良くもさせてくださいという和親の申し出をしてきたから、連合したのだ。滅亡しかけていても中華思想というのは強がりを言う。なぜなら、弱みを見せて援助を求めたなら、逆に攻め込まれ、壊滅するからである。もともと、中国古来から、軍隊はウイグルの支援を受けて成り立っていた。安禄山も、哥舒翰も西国出身者なのである。漢民族は農耕民族で、戦争において、騎馬民族の戦法に頼らざるを得なかったのだ。


宣命前程急,惟良待士寬。
我が君の御命令を先方へ宜べつたえる正使の役目は前程として取り急ぎ長安を奪回することである、その地方長官としては、派遣特使を広範囲に守って寛大な方法をとらせた。
宣命 天子からの命を吐蕃に対してのべつたえることをいう。漢の宣帝と楊子雲(楊雄)になぞらえている。宣帝は粛宗のこと。○前程急 前途のゆくさき、長安を奪回するということをいそぐ。○惟良待士寛 惟良は地方長官をさす。待士の士は楊をさす、待つとは判官の待遇を与えたことをいう、寛は寛大。目先で動いて、交渉が決裂するということは許されなかった。実際には安史軍からの援軍要請もあったのではなかろうか。ウイグルが安史軍と同盟が成立したなら、唐王朝は滅亡していたから、破格の条件を提示したのであろう。


子雲清自守,今日起為官。』-#1
漢の揚子雲は清貧を以て自らを守っていた。あなたもその清貧でもって今日は抜擢されて使者、官員となることとなった。』
子雲 漢の揚雄の字、借りて楊判官に比喩する。○清自守 清貧を以て己を守る。○起為官 無官の地から起ちあがって判官となる。
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塞蘆子 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 195

塞蘆子 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 195
塞蘆子(蘆子關屬夏州,北去塞門鎮一十八里)
757年 至德二載四月のこと

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塞蘆子(蘆子關屬夏州,北去塞門鎮一十八里)
五城何迢迢?迢迢隔河水。邊兵盡東徵,城內空荊杞。
思明割懷衛,秀岩西未已。回略大荒來,崤函蓋虛爾。
延州秦北戶,關防猶可倚。
焉得一萬人,疾驅塞蘆子。岐有薛大夫,旁製山賊起。
近聞昆戎徒,為退三百裡。蘆關扼兩寇,深意實在此。
誰能叫帝閽,胡行速如鬼!

#1塞蘆子(蘆子關屬夏州,北去塞門鎮一十八里)
蘆子関の塞(蘆子關は夏州に屬している,蘆子関の司令官は塞から北に18里(約11km)去っていった。)
  五城何迢迢,迢迢隔河水。
天上の五宮殿ははるか遠くにある。行けども行けどもはるかに遠く、そして黄河の水を隔てているのである。
  邊兵盡東征,城内空荆杞。
霊武は辺境の異民族に対する師団が置いてある、この霊武の師団が長安洛陽の叛乱軍を征伐に行くのである。長安、洛陽の城内には誰もいなくなって、いばらや枸杞(くこ)の雑木が生い茂って荒れ果てたのである。
  思明割懷衛,秀岩西未已。
忠思明は天子の宮殿を破壊し、軍を分断したのだ。しかし、西の方に優れて選ばれた、大岩のような存在であり、その地においてまだ終わるものではないのだ。
  回略大荒來,崤函蓋虛爾。
まだ各地を回り攻略して、各地を大荒廃させている、洛寧県の要害の地と函谷関は洛陽と長安の大穴に蓋をする役割をしている。
  延州秦北戶,關防猶可倚。」

延州の地方というのは、都長安の北の戸口である、蘆子関の防衛がなお夷の軍に支配されている。
#2
  焉得一萬人,疾驅塞蘆子。
  岐有薛大夫,旁制山贼起。
  近聞昆戎徒,爲退三百里。
  蘆關扼兩寇,深意實在此。
  誰能叫帝閽,胡行速如鬼。
#1
蘆子の塞(蘆子關 夏州に屬す,北に塞を去る門鎮一十八里)
五城 何んぞ迢迢,迢迢 河水 隔つ。
邊兵 盡々く 東征し,城内 空しく荆杞。
思明 衛を懷し割く,秀岩 未だ已に西す。
回略し 大荒して來る,崤函し 蓋し爾を虛す。
延州 秦北の戶,關防 猶 倚なるべし。

#2
焉んぞ得ん 一萬人,疾驅 塞蘆の子。
岐 有る 薛大夫,旁制す 山贼 起す。
近く 昆戎の徒を聞く,退いて 三百里と爲す。
蘆關 兩寇を扼す,深意 此に在りて實る。
誰 能く 帝閽に叫ぶ,胡行 鬼の如く速し。

黄河二首 杜甫
 

現代語訳と訳註
(本文)

五城何迢迢?迢迢隔河水。邊兵盡東徵,城內空荊杞。
思明割懷衛,秀岩西未已。回略大荒來,崤函蓋虛爾。
延州秦北戶,關防猶可倚。


(下し文) #1
五城 何んぞ迢迢,迢迢 河水 隔つ。
邊兵 盡々く 東征し,城内 空しく荆杞。
思明 衛を懷し割く,秀岩 未だ已に西す。
回略し 大荒して來る,崤函し 蓋し爾を虛す。
延州 秦北の戶,關防 猶 倚なるべし。


(現代語訳)
蘆子関の塞(蘆子關は夏州に屬している,蘆子関の司令官は塞から北に18里(約11km)去っていった。)
天上の五宮殿ははるか遠くにある。行けども行けどもはるかに遠く、そして黄河の水を隔てているのである。
霊武は辺境の異民族に対する師団が置いてある、この霊武の師団が長安洛陽の叛乱軍を征伐に行くのである。長安、洛陽の城内には誰もいなくなって、いばらや枸杞(くこ)の雑木が生い茂って荒れ果てたのである。
忠思明は天子の宮殿を破壊し、軍を分断したのだ。しかし、西の方に優れて選ばれた、大岩のような存在であり、その地においてまだ終わるものではないのだ。
まだ各地を回り攻略して、各地を大荒廃させている、洛寧県の要害の地と函谷関は洛陽と長安の大穴に蓋をする役割をしている。
延州の地方というのは、都長安の北の戸口である、蘆子関の防衛がなお夷の軍に支配されている。

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(訳注)
塞蘆子(蘆子關屬夏州,北去塞門鎮一十八里)
蘆子の塞(蘆子關 夏州に屬す,北に塞を去る門鎮一十八里)
蘆子関の塞(蘆子關は夏州に屬している,蘆子関の司令官は塞から北に18里(約11km)去っていった。)
門鎮 蘆子関の司令官


五城何迢迢,迢迢隔河水。
五城 何んぞ迢迢,迢迢 河水 隔つ。
天上の五宮殿ははるか遠くにある。行けども行けどもはるかに遠く、そして黄河の水を隔てているのである。
五城 十二樓五城 神仙の居所。天上の白玉京に在りといふ城樓。)十二樓臺のことで、自分が思う女性の美しい部屋を謂うか。本来の義は、神話伝説中の仙人の居住場所。崑崙の仙宮・天墉城にある十二の楼台。ここでは、粛宗が霊武に行在所を置いていたので霊武の粛宗を言う。○河水 黄河、涇水をさす。場所、郭子儀軍の様子は、杜甫『黄河二首』に地府、年譜を参照。黄河二首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 193

邊兵盡東征,城内空荆杞。
邊兵 盡して東を征す,城内 空しく荆杞。
邊兵 盡々く 東征し,城内 空しく荆杞。
霊武は辺境の異民族に対する師団が置いてある、この霊武の師団が長安洛陽の叛乱軍を征伐に行くのである。長安、洛陽の城内には誰もいなくなって、いばらや枸杞(くこ)の雑木が生い茂って荒れ果てたのである。
荆杞 ではいばらや枸杞(くこ)の雑草・雑木が生い茂って荒れ果てたさま。杜甫『兵車行  杜甫37』では、魯、斉の国で栄えた国があったのに唐の時代で荒れ果てて雑草の生い茂る原野になっていることを詠っている。戦争の結末を表現する語として使う。


思明 割懷衛,秀岩 西未已。
思明 衛を懷し割く,秀岩 未だ已に西す。
史思明は天子の宮殿を破壊し、軍を分断したのだ。しかし、西の方に優れて選ばれた、大岩のような存在であり、その地においてまだ終わるものではないのだ。
思明 史(忠)思明(ししめい)は、唐中期の大規模な反乱であった安史の乱の指導者。突厥出身で、安禄山と同郷だったため親しい仲にあった。安慶緒を殺して、大燕皇帝と称す。○ 天子の宮殿。○秀岩 優れて選ばれた、大岩のような存在。○未已 まだ終わらない。



回略大荒來,崤函 蓋虛爾。
回略し 大荒して來る,崤函し 蓋し爾を虛す。
まだ各地を回り攻略して、各地を大荒廃させている、洛寧県の要害の地と函谷関は洛陽と長安の大穴に蓋をする役割をしている。
○回略 廻りまわって攻略し占領する。○崤函 崤は河南省洛寧県の要害の地。函は函谷関。○蓋虛爾 汝の大穴に蓋をする。


延州 秦北戶,關防 猶可倚。
延州 秦北の戶,關防 猶 倚なるべし。
延州の地方というのは、都長安の北の戸口である、蘆子関の防衛がなお夷の軍に支配されている。
延州 延州(えんしゅう)は中国陝西省にかつて設置された州。延州 (広西チワン族自治区)。粛宗のいる霊武。○秦北戶 長安の北の入り口。○關防 蘆子関を防御されている。

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奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 188

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 188
御史中丞郭英乂が太僕卿の官を兼ねながら、隴右節度使に充てられたのを送る詩。製作時は757年至徳二載の秋八月。 5分割で掲載、その1回目。


奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻

このたび、太樸卿を兼ね隴右節度使に充てられた 郭英乂 中丞に送り奉ります 三十韻の詩。
詔發山西將,秋屯隴右兵。
このたび粛宗皇帝の詔を以て山西出身の将であるあなたを出発させ、秋の時節に瀧右での兵卒を駐屯せしめられることとなった。
淒涼餘部曲,燀赫舊家聲。
隴右ではあなたの父君に仕えた部隊の部、曲のものが不安な気もちをしながらのこっている、あなたとあなたの家の名声は今に始まったことではないのです。
雕鶚乘時去,驊騮顧主鳴。
あなたはこの秋に乗じて雕鶚(くまたか)のようにあちらへゆかれるのであるが、驊騮の駿馬のように旧主をふりかえって嘶くことでありましょう。
艱難須上策,容易即前程。
今、都が落されるという国家の存亡、艱難辛苦の時で之を救うには最上のはかりごとを要することである。だからあなたは準備周到迅速にこれから先の作戦に応じた旅程にとりかかられるのである。
斜日當軒蓋,高風卷旆旌。
あなたの西に行く先には、夕日が馬車の防護蓋に照らしかけて、して、西からのたかく吹く秋の風が旌旗などをふきまくる、
松悲天水冷,沙亂雪山清。#1

天水のあたりでは西風が松の音を悲しみの声にしてすべてを冷たくするのだ、沙嵐もあるが遠く雪山の清き姿を望むことであろう。

和虜猶懷惠,防邊詎敢驚。古來於異域,鎮靜示專徵。
燕薊奔封豕,周秦觸駭鯨。中原何慘黷,遺孽尚縱橫。
箭入昭陽殿,笳吹細柳營。內人紅袖泣,王子白衣行。#2
宸極妖星動,園陵殺氣平。空餘金碗出,無複穗帷輕。
毀廟天飛雨,焚宮火徹明。罘罳朝共落,棆桷夜同傾。
三月師逾整,群凶勢就烹。瘡痍親接戰,勇決冠垂成。#3
妙譽期元宰,殊恩且列卿。幾時回節鉞,戮力掃欃槍?
圭竇三千士,雲梯七十城。恥非齊說客,秖似魯諸生。
通籍微班忝,周行獨坐榮。隨肩趨漏刻,短發寄簪纓。#4
徑欲依劉表,還疑厭隬衡。漸衰那此別,忍淚獨含情。
廢邑狐狸語,空村虎豹爭。人頻墜塗炭,公豈忘精誠。
元帥調新律,前軍壓舊京。安邊仍扈從。莫作後功名。#5

#1
詔して山西の将を発し、秋 隴右(ろうう)の兵を屯せしむ。
凄涼 部曲余る、燀赫(せきかく) 家声旧りたり。
雕鶚(ちょうがく) 時に乗じて去る、驊騮(かりゅう) 主を顧みて鳴く。
艱難 上策を須(ま)つ 容易 前程に即く
斜日 軒蓋(けんがい)に当り、高風 旆旌(はいせい) を巻く。
松悲しみて 天水冷かに、沙乱れて 雪山清し。

#2
虜に和するすら猶 恵に懐(な)つく、辺を防ぐに 詎(なん)ぞ敢て驚かさんや。
古来 異域に於ける、鎮静にして 専征を示す。
燕薊(えんけい) 封豕(ほうし)奔(はし)り、周秦 駭鯨(がいけい)触る。
中原何ぞ慘黷(しんとく)なる、遺孽(いげつ) 尚 縦横たり。
箭は入る昭陽殿、節は吹かる細柳の営。
内人 紅袖(こうしゅう)に泣き、王子白衣行く。
#3
宸極(しんきょく)妖星動き、園陵(えんりょう) 殺気 平かなり。
空しく余す金碗の出づるを、復た穗帷(けいい)の軽き無し。
毀廟(きびょう)天雨を飛ばし、焚宮(ふんきゅう)火明に徹す。
罘罳(ふし) 朝に共に落ち、棆桷(りんかく) 夜 同じく傾く。』
三月 師 逾々整い、羣胡 勢 烹(に)らるるに就く。
瘡痍(そうい) 親(みずか)ら接戦す、勇決(ゆうけつ) 垂成(すいせい)に冠たり。

妙誉(みょうよ) 元宰(げんさい)を期す、殊恩(しゅおん)且つ列卿(れつけい)。
幾時か 節鉞(せつえつ)を廻らし、力を戮(あ)わせて欃槍(ざんそう)を掃わん』
圭竇(けいとう) 三千の士、雲梯(うんてい)七十城。
恥ずらくは 斉の説客に非るを、秖(ただ)魯の諸生(しょせい)に似たり。
通籍(つうせき) 徴班(びはん)を忝(かたじけな)くす、周行(しゅうこう) 独坐 栄ゆ。
肩を随えて漏刻(ろうこく)に趨(おもむ)き、短髪 簪纓(しんえい)に寄す。
径(ただちに)に劉表(りゅうひょう)に依らんと欲す、還た疑う隬衡(でいこう)を厭(いと)わんかと。
漸(ようや)く衰(おとろ)う 那ぞ此に別れん,淚を忍びて獨り情を含む。』
廃邑(はいゆう) 狐狸(こり) 語り、空邨(くうそん) 虎豹(こひょう)争う。
人頻(しき)りに塗炭(とたん)に墜つ、公豈(こうあ)に精誠(せいせい)を忘れんや。
元帥(げんすい) 新律(しんりつ)を調え、前軍(ぜんぐん) 旧京を圧す。
邊を安じて仍って扈從(こじゅう)し。功名に後(おく)るること作す莫れ


奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 現代語訳と訳註
(本文)
#1

詔發山西將,秋屯隴右兵。淒涼餘部曲,燀赫舊家聲。
雕鶚乘時去,驊騮顧主鳴。艱難須上策,容易即前程。
斜日當軒蓋,高風卷旆旌。松悲天水冷,沙亂雪山清。

(下し文)
(郭中丞、太樸卿を兼ね隴右節度使に充てられたのを送り奉る 三十韻)
詔して山西の将を発し、秋 隴右(ろうう)の兵を屯せしむ。
凄涼 部曲余る、燀赫(せきかく) 家声旧りたり。
雕鶚(ちょうがく) 時に乗じて去る、驊騮(かりゅう) 主を顧みて鳴く。
艱難 上策を須(ま)つ 容易 前程に即く
斜日 軒蓋(けんがい)に当り、高風 旆旌(はいせい) を巻く。
松悲しみて 天水冷かに、沙乱れて 雪山清し。

(現代語訳)
このたび、太樸卿を兼ね隴右節度使に充てられた 郭英乂 中丞に送り奉ります 三十韻の詩。
このたび粛宗皇帝の詔を以て山西出身の将であるあなたを出発させ、秋の時節に瀧右での兵卒を駐屯せしめられることとなった。
隴右ではあなたの父君に仕えた部隊の部、曲のものが不安な気もちをしながらのこっている、あなたとあなたの家の名声は今に始まったことではないのです。
あなたはこの秋に乗じて雕鶚(くまたか)のようにあちらへゆかれるのであるが、驊騮の駿馬のように旧主をふりかえって嘶くことでありましょう。
今、都が落されるという国家の存亡、艱難辛苦の時で之を救うには最上のはかりごとを要することである。だからあなたは準備周到迅速にこれから先の作戦に応じた旅程にとりかかられるのである。
あなたの西に行く先には、夕日が馬車の防護蓋に照らしかけて、西からのたかく吹く秋の風が旌旗などにふきつけまくる。
天水のあたりでは西風が松の音を悲しみの声にしてすべてを冷たくするのだ、沙嵐もあるが遠く雪山の清き姿を望むことであろう。

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(訳注)
奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #1
(郭中丞、太樸卿を兼ね隴右節度使に充てられたのを送り奉る 三十韻)
このたび、太樸卿を兼ね隴右節度使に充てられた 郭英乂 中丞に送り奉ります 三十韻の詩。
郭中丞 御史中丞郭英乂。○太樸卿 太樸寺の卿の官。○隴右節度使 唐の隴右道は鄯州(甘粛省西寧府碾伯県治)に治する。節度使はその軍務の長官。

杜甫乱前後の図003鳳翔


詔發山西將,秋屯隴右兵。
このたび粛宗皇帝の詔を以て山西出身の将であるあなたを出発させ、秋の時節に瀧右での兵卒を駐屯せしめられることとなった。
山西将 「漢書」超充国伝に「山東ハ相ヲ出シ、山西ハ将ヲ出ス。」とみえる。山は大行山をいう。郭英乂は瓜州長楽の人(瓜州は今の甘粛省安西州治)ゆえ山西の将という。○ とどまらせておく。駐屯。


淒涼餘部曲,燀赫舊家聲。
隴右ではあなたの父君に仕えた部隊の部、曲のものが不安な気もちをしながらのこっている、あなたとあなたの家の名声は今に始まったことではないのです。
淒涼 ものがなしいさま。○余部曲 部曲は小部隊、余とはまだのこっておることをいう。英乂の父は知運といい、鄯州都督、隴右諸軍節度大使で、英乂は父の功により官に任ぜられたもの。其の軍の配下にかつて父の時の部隊であったものが残っているという。漢以来、大将軍に配下が五部あり、部に校尉一人、部の下に曲、曲に軍候一人で構成されていた。○燀赫 燀はあついこと、烜(けん)は火の明かなこと、赫は火のあかいこと。○旧 ふるびていること、父親以来のことであるからである。○家声 家名のこと。


雕鶚乘時去,驊騮顧主鳴。
あなたはこの秋に乗じて雕鶚(くまたか)のようにあちらへゆかれるのであるが、驊騮の駿馬のように旧主をふりかえって嘶くことでありましょう。
雕鶚 千里を見渡して獲物をとるというくまたか、たかの類。英父をたとえていう。○乗時 時節につけこんで。秋の節にあたっていることをいう。○驊騮 千里を駆け抜ける名馬、英乂をいう。○顧主 主は主人、天子をさす。
 
艱難須上策,容易即前程。
今、都が落されるという国家の存亡、艱難辛苦の時で之を救うには最上のはかりごとを要することである。だからあなたは準備周到迅速にこれから先の作戦に応じた旅程にとりかかられるのである。
難難 国家のなんぎ。安禄山の反乱がおこっていること。○須上策 須つとはいりようのこと、上策は最上のはかりごと。○容易 準備周到迅速に。○即前程 これから先の作戦に応じた旅程をいう。


斜日當軒蓋,高風卷旆旌。
あなたの西に行く先には、夕日が馬車の防護蓋に照らしかけて、西からのたかく吹く秋の風が旌旗などにふきつけまくる。
斜日 ゆうひ。○軒蓋 くるまの防護の蓋かさ。○高風 西からのたかく吹く風、秋の風。○卷旆旌 はたをふきまく。

松悲天水冷,沙亂雪山清。
天水のあたりでは西風が松の音を悲しみの声にしてすべてを冷たくするのだ、沙嵐もあるが遠く雪山の清き姿を望むことであろう。
松悲 松風の音もかなしげである。○天水 郡の名、甘粛省秦州西南。○雪山 甘粛省蘭州府河州の西南にあり、雪嶺ともいう。


和虜猶懷惠,防邊詎敢驚
異民族えびすと和睦するというのは彼等を我が唐からの恵みによって手懐けるためにするものである。いま辺境を防備するにあたってはどうやってこの地方の人々を驚かせる様にすることができるのだろうか。
和虜 虜と和睦すること、虜とは夷狄をさす。○懐恵 こちらの恵みになつけるようにする。○防辺 国の辺地を防禦する。○驚震驚させることをいう。


古來於異域,鎮靜示專徵。』
古來、朝廷の外国に対してのやりかたは、まずこちらはおちついてしずかにしていながら、いざという時に一気に征伐専行の権をもっていることを相手に示すことが大切なことなのである。』
於異域 於とは対してはということ。異域は外国をいう、ここは隴右の辺境たる吐蕃の地などをさす。○鎮静 おちついてしずかにする。○示専 征示とは敵手にみせること、専征とは節度使は天子から征伐を専断施行してもよいとの権力を委任されてあることをさす。


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送從弟亞赴河西判官 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 183

送從弟亞赴河西判官 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 183いとこの杜亜が河西節度使の判官となって赴任するのを送る詩である。製作時は至徳二載の夏、鳳翔にあって作る。
至徳二載 757年 46歳


送從弟亞赴河西判官
年若いいとこの杜亞が河西の判官に赴くの歌
#1
南風作秋聲,殺氣薄炎熾。
南から吹く夏の風が秋風の音をたてだした、まだまだ炎熱さかんである所へ万物を殺伐とさせる殺気がせまって来た。
盛夏鷹隼擊,時危異人至。』
そうして真夏であるのに鷹や隼が他の獲物を攻撃するかのようなものである、このとき、この国は危急の時を迎えており、非凡な人物を待望していたところ君がやって来たのだ。』
令弟草中來,蒼然請論事。
おまえは叛乱軍の制圧下の中をうちをくぐって来た、あわただし中で論理整然として国事を論じたいと願いでた。
詔書引上殿,奮舌動天意。
その願は許されて、詔書によりひきあげられ、天子の御殿へのぼることができた、おまえは熱心に弁舌をふるって天子の御意を感動させたのだ。
兵法五十家,爾腹為篋笥。
古来兵法を説いたものが五十家もあるが、おまえの腹はその兵法をいれておく箪笥の函みたいなものである。
應對如轉丸,疏通略文字。
君が天子の問いかけに答えるさまは、まるで丸玉をころがす様にすらすらとしていた、そして文字上の事などは省略して、諸説の意を互に関連付けてよくわかる様にのべていた。
經綸皆新語,足以正神器。』#1

このようにして君の述べた軍務の大方針はすべて兵法を租借した新説であり、これならば不正義がなされている天下を正道に戻す十分なものであるといえるもののだ。』
#2
宗廟尚為灰,君臣俱下淚。崆峒地無軸,青海天軒輊。
西極最瘡痍,連山暗烽燧。』
帝曰大布衣,藉卿佐元帥。坐看清流沙,所以子奉使。
歸當再前席,適遠非歷試。須存武威郡,為畫長久利。』#2
#3
孤峰石戴驛,快馬金纏轡。黃羊飫不羶,蘆酒多還醉。
踴躍常人情,慘澹苦士誌。安邊敵何有,反正計始遂。』
吾聞駕鼓車,不合用騏驥。龍吟回其頭,夾輔待所致。』#3


従弟亜が河西判官に赴くを送る
#1
南風秋声を作す、 殺気炎の熾なるに薄る。
盛夏鷹隼撃つ、 時危くして異人至る』
令弟草中より来る、 蒼然事を論ぜんと請う
詔書引いて殿に上らしむ、 舌を奮って天意を動かす
兵法五十家、 繭が腹筐笥為り
応対転丸の如く、 疎通文字を略す
経輪皆新語、 以て神器を正しくするに足れり』

#2
宗廟尚灰と為る、 君臣倶に涙を下す
崆峒地軸無く、 青海天軒輊す
西極最も瘡痍あり 連山烽燧暗し』
帝日く大布衣、 卿に藉りて元帥に佐たらしむと
坐ろに流沙を清むるを看ん、 子が使を奉ずる所以
帰らば当に再び席を前むべし、 遠きに適くは歴試するに非ず。
須らく武威郡を存し、 為めに長久の利を画すべし。』
#3
孤峰 石 駅を戴き、 快馬 金 轡を纏う。
黄羊飫けども羶ならず 蘆酒多ければ還た酔う
踴躍するは常人の情なり、 惨澹たるは苦士の志なり。
辺を安んずる敵何か有らん、 正に反えす計始めて遂げ
ん。』
吾聞く鼓車に駕するには、 騏驥を用う合らずと。
竜吟 其の頭を廻らさん、 爽輔致す所を待つ。』


 現代語訳と訳註
(本文) #1

南風作秋聲,殺氣薄炎熾。
盛夏鷹隼擊,時危異人至。』
令弟草中來,蒼然請論事。
詔書引上殿,奮舌動天意。
兵法五十家,爾腹為篋笥。
應對如轉丸,疏通略文字。
經綸皆新語,足以正神器。』#1


(下し文) #1
南風秋声を作す、 殺気炎の熾なるに薄る。
盛夏鷹隼撃つ、 時危くして異人至る』
令弟草中より来る、 蒼然事を論ぜんと請う
詔書引いて殿に上らしむ、 舌を奮って天意を動かす
兵法五十家、 繭が腹筐笥為り
応対転丸の如く、 疎通文字を略す
経輪皆新語、 以て神器を正しくするに足れり』


(現代語訳)
年若いいとこの杜亞が河西の判官に赴くの歌
南から吹く夏の風が秋風の音をたてだした、まだまだ炎熱さかんである所へ万物を殺伐とさせる殺気がせまって来た。
そうして真夏であるのに鷹や隼が他の獲物を攻撃するかのようなものである、このとき、この国は危急の時を迎えており、非凡な人物を待望していたところ君がやって来たのだ。』
おまえは叛乱軍の制圧下の中をうちをくぐって来た、あわただし中で論理整然として国事を論じたいと願いでた。
その願は許されて、詔書によりひきあげられ、天子の御殿へのぼることができた、おまえは熱心に弁舌をふるって天子の御意を感動させたのだ。
古来兵法を説いたものが五十家もあるが、おまえの腹はその兵法をいれておく箪笥の函みたいなものである。
君が天子の問いかけに答えるさまは、まるで丸玉をころがす様にすらすらとしていた、そして文字上の事などは省略して、諸説の意を互に関連付けてよくわかる様にのべていた。
このようにして君の述べた軍務の大方針はすべて兵法を租借した新説であり、これならば不正義がなされている天下を正道に戻す十分なものであるといえるもののだ。』

hinode0200

(訳注)
送從弟亞赴河西判官
 (従弟亜が河西判官に赴くを送る)
年若いいとこの杜亞が河西の判官に赴くの歌
○従弟 年齢が下のいとこ。○亜 杜亜をいう。杜亜字は次公、自分を京兆の人という。幼くして学に渉り、善く物の理及び歴代の成敗の事を言う。粛宗が霊武に在るとき、上書して時政を論じ、校書郎に抜擢された。其の年、杜鴻漸が河西に節度となるや、杜亜を召して従事となした。しきりに評事・御史を授けられ、東都留守に終った。○河西判官 河西節度使杜鴻漸の属官。河西節度使は甘粛省涼州府武威県にあった。


南風作秋聲,殺氣薄炎熾。(南風秋声を作す、 殺気炎の熾なるに薄る。
南から吹く夏の風が秋風の音をたてだした、まだまだ炎熱さかんである所へ万物を殺伐とさせる殺気がせまって来た。
南風南方より吹く風、夏の風をいう。○秋声秋かぜのおと。○殺気殺伐の気、物の生気を奪わんとする気。○炎俄 炎熱の気のさかんなこと。


盛夏鷹隼擊,時危異人至。』(盛夏鷹隼撃つ、 時危くして異人至る』
そうして真夏であるのに鷹や隼が他の獲物を攻撃するかのようなものである、このとき、この国は危急の時を迎えており、非凡な人物を待望していたところ君がやって来たのだ。』
盛夏 まなつ。○鷹隼撃 たか、はやぶさが他の禽鳥にむかって攻撃することをいう。ここまでの三句は夏から秋への時候の変りと鷹隼を以て杜亜に比喩する。○異人 非凡な人物。○ 鳳翔へやって来たこと。


令弟草中來,蒼然請論事。(令弟草中より来る、 蒼然事を論ぜんと請う
君は叛乱軍の制圧下の中をうちをくぐって来た、あわただし中で論理整然として国事を論じたいと願いでた。
令弟 よき弟、亜をさして優しくいう。○草中來 草野の間、叛乱軍の制圧下の中をうちをくぐって来たことをいう。○蒼然 蒼卒、蒼皇の意という。蒼は倉の仮借字、あわただしい中で論理整然としたさま。○論事 事は国事。


詔書引上殿,奮舌動天意。(詔書引いて殿に上らしむ、 舌を奮って天意を動かす
その願は許されて、詔書によりひきあげられ、天子の御殿へのぼることができた、君は熱心に弁舌をふるって天子の御意を感動させたのだ。
 みちびく。○奮舌 熱心に弁舌をふるう。○天意 天子(粛宗)のこころ。


兵法五十家,爾腹為篋笥。(兵法五十家、 繭が腹筐笥為り
古来兵法を説いたものが五十家もあるが、君の腹はその兵法をいれておく箪笥の函みたいなものである。
五十家 「漢書」の芸文志に凡そ兵家の書五十三家を列する。○ 亜をさす。○篋笥 箪笥のはこ。○応対 天子の問いかけに応じ答える。
 
應對如轉丸,疏通略文字。(応対転丸の如く、 疎通文字を略す
君が天子の問いかけに答えるさまは、まるで丸玉をころがす様にすらすらとしていた、そして文字上の事などは省略して、諸説の意を互に関連付けてよくわかる様にのべていた。
転丸たまをころがす如くすらすらと滞りないこと。○疎通甲乙間の論旨をよくとおらせること。○略文字文字のことははぷいでいわぬ。


經綸皆新語,足以正神器。』(経輪皆新語、 以て神器を正しくするに足れり』#1
このようにして君の述べた軍務の大方針はすべて兵法を租借した新説であり、これならば不正義がなされている天下を正道に戻す十分なものであるといえるもののだ。』
經綸 軍務の大方針をたてること。○新語 これまで人の言わぬことば、新説をいう。故事来歴を述べるだけでなく、それを租借し、自説として述べることをいう。○正神器 神器は天下をいう。天下はいまぞく叛乱軍に奪われているがこれは不正である。正とは正当な事、唐の天子にかえすことをいう。


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得家書 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 181

得家書 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 181

(家書を得たり)

鄜州方面へゆく人に書信を託して家族の安否を調べたが、三川県羌村からの返事はなかなか返ってこず、聞こえてくるのは鄜州方面は兵禍に遭って、鶏や子犬までが殺されてしまったという悲惨な噂だけ。杜甫の心配はつのり、家族は死に絶えてしまったのではないかと思う。
七月に鄜州の妻から返事が届き、家族全員が無事であるとわかる。
「述懷」は安禄山の叛乱軍に拘束され、そこから鳳翔の行在所に逃げ帰ったことなど、杜甫の周りの出来事、心境を述べたものであった。

「得家書」の詩は、安否問いあわせの手紙を出したのち、家族の方より返事を得て作った詩である。杜甫は鳳翔に逃げてきて3か月たっていた。製作時は至徳二載の秋七月、757年 46歳である。

DCF00196


得家書
去憑遊客寄,來為附家書。
わたしは鄜州の方へ商用でで出かける旅人があったから、その方にたのんで家族への手紙を送り届けさせたのだが、その同じ人がまた家族からの手紙をわたしへとどけてくれるために鳳翔へ来てくれた。
今日知消息,他鄉且舊居;
その手紙に由って今日は家族の消息を知ることができた。その消息によると、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居るそうだ。
熊兒幸無恙,驥子最憐渠。
またそれによると、長男の熊児は幸にも無事であり、次男の驥子、わたしはまだ小さい彼を最もかわいそうにおもうのだ。
臨老羈孤極,傷時會合疏。』
#1
わたしは年よりはじめてきて鳳翔は初めての土地で、仮住まいで旅客人でのひとりぼっち、朝廷内でも孤独感をもっている、時世のことを考えると王朝軍は劣勢で気にやむばかりで家族たちとはめったにあえずにいる。
二毛趨帳殿,一命待鸞輿。北闕妖氛滿,西郊白露初。
涼風新過雁,秋雨欲生魚。農事空山裡,眷言終荷鋤。』#2


(家書を得たり)#1
去るは遊客に憑りて寄す来るは家書を附するが為なり
今日消息を知る 他郷なるも且つ旧居なり
熊児は幸に恙無し 驥子最も渠を憐む
老に臨みて羈孤極まる 時を傷みて会合疎なり』

#2
二毛帳殿に趨し  一命鸞輿に侍す
北闕妖気満つ   西郊白露の初
涼風新に過雁   秋雨魚を生ぜんと欲す
農事空山の裡   眷みて言に終に鋤を荷わん』


 現代語訳と訳註
(本文) #1

去憑遊客寄,來為附家書。今日知消息,他鄉且舊居;
熊兒幸無恙,驥子最憐渠。臨老羈孤極,傷時會合疏。』


(下し文)
去るは遊客に憑りて寄す、来るは家書を附するが為なり。
今日消息を知る、他郷なるも且つ旧居なり。
熊児は幸に恙無し 驥子最も渠を憐む
老に臨みて羈孤極まる 時を傷みて会合疎なり


(現代語訳)
わたしは鄜州の方へ商用でで出かける旅人があったから、その方にたのんで家族への手紙を送り届けさせたのだが、その同じ人がまた家族からの手紙をわたしへとどけてくれるために鳳翔へ来てくれた。
その手紙に由って今日は家族の消息を知ることができた。その消息によると、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居るそうだ。
またそれによると、長男の熊児は幸にも無事であり、次男の驥子、わたしはまだ小さい彼を最もかわいそうにおもうのだ。
わたしは年よりはじめてきて鳳翔は初めての土地で、仮住まいで旅客人でのひとりぼっち、朝廷内でも孤独感をもっている、時世のことを考えると王朝軍は劣勢で気にやむばかりで家族たちとはめったにあえずにいる。』


(訳注)#1
去憑遊客寄,來為附家書。

わたしは鄜州の方へ商用でで出かける旅人があったから、その方にたのんで家族への手紙を送り届けさせたのだが、その同じ人がまた家族からの手紙をわたしへとどけてくれるために鳳翔へ来てくれた。
 此の「去」の字は人にかけて見るべきか書にかけて見るべきかは不明であるが、下旬の「来」が人にかかっている以上それに対するならば人にかけてみるべきである。しかし「寄去」の二字を分用したものとし、書にかけてみるのも亦た義を為す。予は後の解を取る。即ち去とは書を寄せさったことをいう。○憑遊客 鄜州の方へ往遊する客をたのんで。・ 人に頼みごとをする。よりどころ。憑衣:たより。○ 書を家族によせたこと。○来 さきに書を依頼してやった同じ遊客が鳳翔へもどって来たことをいう。○附家書 附とはこちらへ附与し、わたすこと。家書は鄜州の家族からの返事のてがみ。


今日知消息,他鄉且舊居;
その手紙に由って今日は家族の消息を知ることができた。その消息によると、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居るそうだ。
消息 たより、様子。○他郷 此の句以下三句は書中の言葉と杜甫自身の思いを一緒にのべている。他郷とは鄜州をさす。○且旧居 且はまあやっぱりという意味。旧居とは羌村の以前の住居をいう、他処へ移転、略奪にも会っていないことを言う。。


熊兒幸無恙,驥子最憐渠。
またそれによると、長男の熊児は幸にも無事であり、次男の驥子、わたしはまだ小さい彼を最もかわいそうにおもうのだ。
熊児 長子宗文の幼名。○無恙 恙は毒虫の名、恙無しとは無事であること。○驥子 次子宗武の幼名。○ 俗語、駿子をさす。憶幼子 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 156「驥子春猶隔,鶯歌暖正繁。」(驥子 春 猶隔たる、鶯 歌 暖くして正に繁し。)と可愛くて仕方なかったようだ。


臨老羈孤極,傷時會合疏。』
わたしは年よりはじめてきて鳳翔は初めての土地で、仮住まいで旅客人でのひとりぼっち、朝廷内でも孤独感をもっている、時世のことを考えると王朝軍は劣勢で気にやむばかりで家族たちとはめったにあえずにいる。』
臨老 年よりはじめてきて。○羈孤極 鳳翔は初めての土地で、仮住まいで旅客人でのひとりぼっち、朝廷内でも孤独感をもっている。○傷時 時世のことを考えると王朝軍は劣勢で気にやむばかり。○会合疎 家族たちとの会合がめったにできない。

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述懐 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 178

述懐 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 178
    
述懐 #1 五韻十句
去年潼関破、妻子隔絶久。
去年あの不敗神話の潼関で最強幕府の将軍、哥舒翰が破れてしまったから、妻子とは簡単に逢うことができないかけはなれた存在になってしまった。
今夏草木長、脱身得西走。
今年の夏は草木が生長するころに、叛乱軍の囲みの中からぬけだして西方、鳳翔の行在所をめがけて逃げて走ったのだ。
麻鞋見天子、衣袖露両肘。
幸に行在所に到著ができ、麻のわらじのまま粛宗皇帝におめみえをしたが、衣のそでは破れて両ひじが現われていた。
朝廷愍生還、親故傷老醜。
朝廷ではこの自分がいきて戻ってきたのをおあわれみ下され、親しきもの、ふるなじみのもの等は自分の老い且つみすぼらしい姿をきのどくがってくれた。
涕涙授拾遺、流離主恩厚。
幸いにも自分は涙ながらに左拾遺の官をおうけすることになった。この流浪零落の時にわが天子の御恩はいかばかりにお厚いことなのである。
柴門雖得去,未忍即開口。
粗末な門のある家族を疎開させている麒州の家の方へは若し願いでるならば行くことはできるのであろうが、とても今すぐそんな事を、口を開いて言いだすには忍びないのである。』

#2 
寄書問三川,不知家在否?比聞同罹禍,殺戮到雞狗。
山中漏茅屋,誰複依戶牖。摧頹蒼松根,地冷骨未朽。
幾人全性命?盡室豈相偶?嶔岑猛虎場,鬱結回我首。
#3
自寄一封書,今已十月後。反畏消息來,寸心亦何有?
漢連初中興,生平老耽酒。沈思歡會處,恐作窮獨叟。

去年  潼関(どうかん)破れ、妻子  隔絶(かくぜつ)すること久し。
今夏(こんか)  草木(くさき)長じ、身を脱して西に走るを得たり。
麻鞋(まあい)  天子に見(まみ)え、衣袖(いしゅう)  両肘(りょうちゅう)を露(あらわ)す。
朝廷  生還(せいかん)を愍(あわれ)み、親故(しんこ)   老醜(ろうしゅう)を傷(いた)む。
涕涙(ているい) 拾遺(じゅうい)を授けらる、流離(りゅうり)  主恩(しゅおん)厚し。
柴門(さいもん)  去(ゆ)くを得(う)と雖(いえど)も、未だ即ち口を開くに忍(しの)びず。
#2
書を寄せて三川(さんせん)に問うも家の在るや否(いな)やを知らず
此(このご)ろ聞く 同じく禍(わざわい)に罹(かか)りて殺戮 鶏狗(けいく)に到ると
山中の漏茅屋(ろうぼうおく)誰(たれ)か復(ま)た戸牖(こゆう)に依(よ)らん
蒼松(そうしょう)の根に摧頽(さいたい)すとも地(ち)冷やかにして 骨未だ朽ちざらん
幾人か性命(せいめい)を全うする室(しつ)を尽くして 豈(あに)相偶(あいぐう)せんや
嶔岑(きんしん)たる猛虎の場(じょう)鬱結(うつけつ)して我が首(こうべ)を廻(めぐ)らす
#3
一封の書を寄せし自(よ)り、今は已(すで)に十月の後(のち)なり。
反(かえ)って畏(おそ)る  消息の来たらんことを、寸心(すんしん)  亦(ま)た何か有らん。
漢運(かんうん)  初めて中興し、生平(せいへい)  老いて酒に耽(ふけ)る。
歓会(かんかい)の処(ところ)を沈思(ちんし)し、窮独(きゅうどく)の叟(そう)と作(な)らんことを恐る。


述懐 #1 五韻十句 現代語訳と訳註
(本文)
去年潼関破、妻子隔絶久。
今夏草木長、脱身得西走。
麻鞋見天子、衣袖露両肘。
朝廷愍生還、親故傷老醜。
涕涙授拾遺、流離主恩厚。
柴門雖得去,未忍即開口。

(下し文)
去年  潼関(どうかん)破れ、妻子  隔絶(かくぜつ)すること久し。
今夏(こんか)  草木(くさき)長じ、身を脱して西に走るを得たり。
麻鞋(まあい)  天子に見(まみ)え、衣袖(いしゅう)  両肘(りょうちゅう)を露(あらわ)す。
朝廷  生還(せいかん)を愍(あわれ)み、親故(しんこ)   老醜(ろうしゅう)を傷(いた)む。
涕涙(ているい) 拾遺(じゅうい)を授けらる、流離(りゅうり)  主恩(しゅおん)厚し。
柴門(さいもん)  去(ゆ)くを得(う)と雖(いえど)も、未だ即ち口を開くに忍(しの)びず。
(現代語訳)
去年あの不敗神話の潼関で最強幕府の将軍、哥舒翰が破れてしまったから、妻子とは簡単に逢うことができないかけはなれた存在になってしまった。
今年の夏は草木が生長するころに、叛乱軍の囲みの中からぬけだして西方、鳳翔の行在所をめがけて逃げて走ったのだ。
幸に行在所に到著ができ、麻のわらじのまま粛宗皇帝におめみえをしたが、衣のそでは破れて両ひじが現われていた。
朝廷ではこの自分がいきて戻ってきたのをおあわれみ下され、親しきもの、ふるなじみのもの等は自分の老い且つみすぼらしい姿をきのどくがってくれた。
幸いにも自分は涙ながらに左拾遺の官をおうけすることになった。この流浪零落の時にわが天子の御恩はいかばかりにお厚いことなのである。
粗末な門のある家族を疎開させている麒州の家の方へは若し願いでるならば行くことはできるのであろうが、とても今すぐそんな事を、口を開いて言いだすには忍びないのである。』


(訳注)
去年潼関破、妻子隔絶久。

去年あの不敗神話の潼関で最強幕府の将軍、哥舒翰が破れてしまったから、妻子とは簡単に逢うことができないかけはなれた存在になってしまった。
去年756年天宝十五載、即ち至徳元載をさす、至徳の改元は七月である。〇潼関破 756年天宝十五載の六月九日、哥舒翰が王朝軍、叛乱軍の倍の数の軍を率いて絶対破れないとされていた潼関において、叛乱軍に大敗し、捕えられたことをいう。○隔絶 杜甫の妻子は鄜州の羌村に寄寓させてあった。両者の間がへだたることをいう。逢うためには、う回路の峻険な山道を通らなければならない。

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 105 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-1

三川觀水漲二十韻 杜甫 127 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 127-#1

彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1

 
今夏草木長、脱身得西走。
今年の夏は草木が生長するころに、叛乱軍の囲みの中からぬけだして西方、鳳翔の行在所をめがけて逃げて走ったのだ。
今夏 757年至徳二載の夏。○ せがのぴる。○脱身 叛乱軍のなかからぬけだす。○西走 長安から西の方鳳翔に向かって走る。この年の初め安禄山が息子に殺され、叛乱軍の内紛があったために、粛宗は霊武から鳳翔まで南下できて行在所としたのだ。


麻鞋見天子、衣袖露両肘。
幸に行在所に到著ができ、麻のわらじのまま粛宗皇帝におめみえをしたが、衣のそでは破れて両ひじが現われていた。
麻軽 あさのわらじ、旅装のままである。○見天子 粛宗皇帝に謁見する。○露両肘 そでのやぶれている故に左右のひじをあらわす。


朝廷愍生還、親故傷老醜。
朝廷ではこの自分がいきて戻ってきたのをおあわれみ下され、親しきもの、ふるなじみのもの等は自分の老い且つみすぼらしい姿をきのどくがってくれた。
生還 いきてもどってきたこと。○親故 親しい人々や、ふるなじみの人々。親戚と友達。○傷老醜作者の老いてみにくくなったことを気のどくがる。


涕涙授拾遺、流離主恩厚。
幸いにも自分は涙ながらに左拾遺の官をおうけすることになった。この流浪零落の時にわが天子の御恩はいかばかりにお厚いことなのである。
沸涙 なみだながらに。○受拾遺 拾遺は官名、供奉・諷諌を掌る。作者は至徳二載五月十六日に中書侍郎張鏑の勅命を奉じて左拾遺に任ぜられた。○流離 零落のさま。○主恩天子の御恩。


柴門雖得去,未忍即開口。
粗末な門のある家族を疎開させている麒州の家の方へは若し願いでるならば行くことはできるのであろうが、とても今すぐそんな事を、口を開いて言いだすには忍びないのである。』
柴門 鄜州羌村にある家の門、前に「柴門老樹ノ村」とあった柴門と同じ。○ そこへゆくことをいう。○即開口 すぐにロを開いてそのことを言いだす。


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送樊二十三侍禦赴漢中判官 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 173

送樊二十三侍禦赴漢中判官  #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 173
(樊二十三侍禦が漢中判官に赴くを送る)四回に分割して掲載。その第一回
侍御史の官である樊某が漢中王の判官となって任に赴くのを送る詩。製作時は757年至徳二載の初め、鳳翔の行在所に赴いたころの作。

送樊二十三侍禦赴漢中判官
樊侍御史の漢中判官に赴くを送る。
#1
威弧不能弦,自爾無寧歲。
我が唐の王朝軍は三十万の兵をもってして十五万の安禄山の叛乱軍に大敗した。これは威力あるべき弓に弦を加えてその威力を発揮させることができなかったのだ、そのときからこのかた安寧なる年は無くなったのである。
川穀血橫流,豺狼沸相噬。』
川や谷にまで剣や矛による地吹雪が横に飛び流れた、豺狼の様な略奪をほしいままにする叛乱軍はお湯の沸き立つようにあちこちに起って人をかむように傍若無人なのである。』
天子從北來,長驅振凋敞。
新たに即位された若き粛宗皇帝は霊武の北地から決起し、鳳翔に行在所とされた、諸侯も遠地を駆けて集結し始めた疲弊した人民の凋敞をお救いになることである。
頓兵岐梁下,卻跨沙漠裔。
岐山・梁山の下なる鳳翔の地方に兵を留め軍事の整備をされている、その間、他方で回紇と連絡をとって遠く沙漢のはてまで足をのばされ、背後を固め援軍としたのだ。
二京陷未收,四極我得製。
幽州、山東から長安・洛陽の二京までは完全に叛乱軍に陥ってまだ王朝軍は手もだせず奪回はできなかった、その地に及ばない四方、周辺とその先まで王朝軍が之を制御し得るようにはなってきた。
蕭索漢水清,緬通淮湖稅。』
自給できない鳳翔にとって、もともとものさびしい漢水は清流の地であった、二京が陥落している状況下では、この漢中の地は期待するはるかな地、准水両湖の地方の租税を通運し得る重要な場所となったのである。』
#2
使者紛星散,王綱尚旒綴。南伯從事賢,君行立談際。
坐知七曜歷,手畫三軍勢。冰雪淨聰明,雷霆走精銳。』
#3
幕府輟諫官,朝廷無此例。至尊方旰食,仗爾布嘉惠。
補闕暮徵入,柱史晨徵憩。正當艱難時,實藉長久計。』
#4
廻風吹獨樹,白日照執袂。慟哭蒼煙根,山門萬重閉。
居人莽牢落,遊子封迢遞。徘徊悲生離,局促老一世。
陶唐歌遺民,後漢更列帝。恨無匡複姿,聊欲從此逝。』


#1
威弧(いこ) 弦する能(あた)わず、 爾(しか)りし自(よ)り寧歳(ねいさい)無し。
川谷(せんこく )血横(けつおう) 流す 豺狼(さいろう) 沸(ふつ)として 相 噬(か)む。』
天子 北従り来り、 長駆(ちょうく) 凋敞(ちょうへい)を振(すく)う。
兵を頓す 岐梁(きりょう)の下、 卻って沙漠(さばく)の裔(えい)に跨(またが)る。
二京 陥(おちい)りて 未だ収めざるも 四極(しきょく)我 製するを得。
蕭索(しょうさく) 漢水 清し 緬(はるか)に准湖(わいこ)の税を通ず。』
#2
使者紛としで星散す、王綱(おうこう)尚旒綴(りゅうてい)す。
南伯(なんぱく)従事賢なり、君行きて立談の際。
坐(そぞ)ろに知る七曜暦 手(てずか)ら画す三軍の勢。
泳雪(ひょうせつ)聡明(そうめい)浄(きよ)く、雷霆(らいてい) 精鋭(せいえい)走る。』
#3
幕府 諌官(かんかん)を輟(綴つづる) 朝廷 此の例無し。
至尊(しそん)方(まさ)に旰食(かんしょく)す 爾(なんじ)に仗(よ)って嘉恵(かけい)を布(し)く。
補闕(ほけつ)暮に徴(め)し入る 柱史(ちゅうし)晨(あした)に征(ゆ)かんとして憩(けい)す。
正に艱難(かんなん)の時に当る 実に長久(ちょうきゅう)の計に藉(よ)る。』
#4
廻風(かいふう) 独樹を吹く、白日 執袂(しっぺい)を照らす。
慟哭(どうこく)す 蒼煙(そうえん)の根、 山門 万重(ばんちょう) 閉ず。
居人 莽(もう)として 牢落たり、 遊子 方(まさ)に 迢遞(ちょうてい)たり。
徘徊(はいかい) 生離(せいり)を悲しむ、 局促(きょくそく) 一世に老ゆ。』
陶唐(とうとう) 遺民(いみん)に歌わる 後漢列帝(れつてい)を更(こ)う。
匡複(きょうふく)の資(し) 恨む無し、 聊(いささ)か此(これ)従り逝(ゆ)かんと欲す。』



歲、噬/來,敞、裔、製、稅/

送樊二十三侍禦赴漢中判官 #1 現代語訳と訳註
(本文)
#1
威弧不能弦,自爾無寧歲。
川穀血橫流,豺狼沸相噬。』
天子從北來,長驅振凋敞。
頓兵岐梁下,卻跨沙漠裔。
二京陷未收,四極我得製。
蕭索漢水清,緬通淮湖稅。』

(下し文)
威弧(いこ) 弦する能(あた)わず、 爾(しか)りし自(よ)り寧歳(ねいさい)無し。
川谷(せんこく )血横(けつおう) 流す 豺狼(さいろう) 沸(ふつ)として 相 噬(か)む。』
天子 北従り来り、 長駆(ちょうく) 凋敞(ちょうへい)を振(すく)う。
兵を頓す 岐梁(きりょう)の下、 卻って沙漠(さばく)の裔(えい)に跨(またが)る。
二京 陥(おちい)りて 未だ収めざるも 四極(しきょく)我 製するを得。
蕭索(しょうさく) 漢水 清し 緬(はるか)に准湖(わいこ)の税を通ず。』

(現代語訳)
樊侍御史の漢中判官に赴くを送る。
我が唐の王朝軍は三十万の兵をもってして十五万の安禄山の叛乱軍に大敗した。これは威力あるべき弓に弦を加えてその威力を発揮させることができなかったのだ、そのときからこのかた安寧なる年は無くなったのである。
川や谷にまで剣や矛による地吹雪が横に飛び流れた、豺狼の様な略奪をほしいままにする叛乱軍はお湯の沸き立つようにあちこちに起って人をかむように傍若無人なのである。』
新たに即位された若き粛宗皇帝は霊武の北地から決起し、鳳翔に行在所とされた、諸侯も遠地を駆けて集結し始めた疲弊した人民の凋敞をお救いになることである。
岐山・梁山の下なる鳳翔の地方に兵を留め軍事の整備をされている、その間、他方で回紇と連絡をとって遠く沙漢のはてまで足をのばされ、背後を固め援軍としたのだ。
幽州、山東から長安・洛陽の二京までは完全に叛乱軍に陥ってまだ王朝軍は手もだせず奪回はできなかった、その地に及ばない四方、周辺とその先まで王朝軍が之を制御し得るようにはなってきた。
自給できない鳳翔にとって、もともとものさびしい漢水は清流のちであった、二京が陥落している状況下では、この漢中の地は期待するはるかな地、准水両湖の地方の租税を通運し得る重要な場所となったのである。』



(訳注)
送樊二十三侍禦赴漢中判官

樊侍御史の漢中判官に赴くを送る。
樊侍禦 樊は姓、名は未詳、侍御は侍御史の官。○漢中判官 漢中は今の陝西省漢中府南部県治、判官は蓋し時の漢中王璃の下において判官となったのである。 


威弧不能弦,自爾無寧歲。
我が唐の王朝軍は三十万の兵をもってして十五万の安禄山の叛乱軍に大敗した。これは威力あるべき弓に弦を加えてその威力を発揮させることができなかったのだ、そのときからこのかた安寧なる年は無くなったのである。
威弧不能弦 威弧とは威力ある弓をいう。弦とはつるをかけること、弓につるをかけなければ弓の用を為さぬ。王朝軍は三十万の兵をもってして十五万の安禄山の叛乱軍に大敗した。この句はその軍事組織が兵力、精神力で勝っていないことを示すものである。〇自爾 そのときから。 ○寧歳 安らかな年。  


川穀血橫流,豺狼沸相噬。
川や谷にまで剣や矛による地吹雪が横に飛び流れた、豺狼の様な略奪をほしいままにする叛乱軍はお湯の沸き立つようにあちこちに起って人をかむように傍若無人なのである。』
血橫 戦死者の血。血吹雪で飛び散ったさま。 ○豺狼 盗賊をいう。 ○ わきたつ。 ○ 人をかむ。 傍若無人なことをする。


天子從北來,長驅振凋敞。
新たに即位された若き粛宗皇帝は霊武の北地から決起し、鳳翔に行在所とされた、諸侯も遠地を駆けて集結し始めた疲弊した人民の凋敞をお救いになることである。
○天子 756年7月移譲を承け即位した粛宗。 ○従北 来北とは霊武をさす、粛宗は初め霊武に即位し、後に叛乱軍の内紛に乗じて鳳翔にやって来た。○長駆  長遠の路をかけて来る。○振凋敞 振は趣、すくうこと。凋敵は民力のしぼみつかれたこと。


頓兵岐梁下,卻跨沙漠裔。
岐山・梁山の下なる鳳翔の地方に兵を留め軍事の整備をされている、その間、他方で回紇と連絡をとって遠く沙漢のはてまで足をのばされ、背後を固め援軍としたのだ。
頓兵 頓は止めることをいう。○岐梁下 岐山・巣山の下、二山は鳳翔境内にある。○卻跨 かえってまたがる、跨とはその方面へまで足をのはすことをいう。○沙漠裔 裔は衣のすそ、遠地をさす。沙漠とは回紇をさす、此の時回紇より援兵を出さんと請うてきた。この時叛乱軍と回紇が連携していたら挟み撃ちで全滅した。異民族に援軍を要請するほかなかったのである。(後に禍根を残すものではあった。)


二京陷未收,四極我得製。
幽州、山東から長安・洛陽の二京までは完全に叛乱軍に陥ってまだ王朝軍は手もだせず奪回はできなかった、その地に及ばない四方、周辺とその先まで王朝軍が之を制御し得るようにはなってきた。
二京 長安・洛陽。○ 官軍の手へとりこむ。〇四極 四方のはての地。○ 朝廷をさす。○ 制御すること。


蕭索漢水清,緬通淮湖稅。』
自給できない鳳翔にとって、もともとものさびしい漢水は清流の地であった、二京が陥落している状況下では、この漢中の地は期待するはるかな地、准水両湖の地方の租税を通運し得る重要な場所となったのである。』
粛索。ものさびしく、ひっそりしているさま。李白『古風五十九首 其十四 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白151』「胡關饒風沙、蕭索竟終古。」○漢水 長江の支流漢水。鳳翔とは太白山を挟む地点に南鄭があった。漢中府にある。○通准湖税 准水及び湖南湖北地方の租税を通運させた。756年至徳元載七月、隴西公瑀を漢中王・梁州都督・山南西道采訪防禦使と為し、十月、第五埼は江淮の租庸を以て軽貨を買い、江漢より泝って洋州(漢中府洋県)に至り、漢中王瑀をして陸運して扶風に至らしめて官軍を助けんと請うた、天子はこれに従った。当時漢中は南方の貨物を鳳翔の行在へ運ぶ唯一の要路にあたっていたのである。
この漢中ルートの補給は粛宗にとって生命線であった。

杜甫図陝西甘粛


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