杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

#2

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 224

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 224


杜甫が羌村の家族のもとで日を過ごしているあいだに、唐の王朝軍は回紇(ウイグル)の援軍を加えて連合軍とし、長安への進攻を開始していた。すなわち757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、十月十九日には鳳翔を出発し、十月二十三日に長安に帰った。
杜甫は鄜州の羌村で、王朝軍の長安進攻を知り「官軍の己に賊寇に臨むを聞くを喜ぶ二十韻」をつくり、入城を知って、「京を収む三首」を作って、その歓喜の情を表わしている。


<#1の要旨>
唐王朝軍の連合軍が長安に迫って、長安城の郊外を制圧した。鳳翔の行在所にはウイグルの兵士が警護をしている。状況だが、間もなく天子、粛宗が長安の都に入城されるであろう。



喜聞官軍已臨賊寇 二十韻
#1
胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
帳殿羅玄冕,轅門照白袍。秦山當警蹕,漢苑入旌旄。
#2
路失羊腸險,雲橫雉尾高。
さしてゆく路には羊腸のような険阻もなくなって平な道がひらかれていて、天子の御行列にはただ雑尾扇の雲が高く横わるである。
五原空壁壘,八水散風濤。
攻防を極めた五原もいたずらに壁塁が残っている、八水はも風光明美な涛波がすっかりなくなっている。
今日看天意,遊魂貸爾曹。
長安を開城できた今となって天はしばらくの間は様子を見ておられるのだろう、この戦いでしばらくの間、天子のかもし出す佳気と魂を浮遊させたておいたのは、叛乱軍たちにつかの間貸してあっただけのことなのである。
乞降那更得,尚詐莫徒勞。」

あっさりと退いたということは、いまさら降参したかのようにして、なにか詐りごとをしてこちらをだまそうとしてもそれはむだ骨折ではなかろうか。』

#3
元帥歸龍種,司空握豹韜。前軍蘇武節,左將呂虔刀。
兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。戈鋌開雪色,弓矢向秋毫。
天步艱方盡,時和運更遭。誰雲遺毒螫,已是沃腥臊。」
#4
睿想丹墀近,神行羽衛牢。花門騰絕漠,拓羯渡臨洮。
此輩感恩至,羸浮何足操。鋒先衣染血,騎突劍吹毛。
喜覺都城動,悲連子女號。家家賣釵釧,只待獻春醪。」


喜聞官軍己臨賊寇二十韻
(官軍己に賊寇に臨むと聞くを喜ぶ 二十韻)
#1
胡騎京県に潜み、官軍賊壕を擁す。
鼎魚(ていぎょ)猶息を仮す、穴蟻何に逃れんと欲する。」
帳殿玄冤(げんべん)羅(つらな)り、轅門(えんもん)白袍照る。
秦山警蹕(けいひつ)に当る 漢苑旌旄(せいぼう)に入る。
#2
路は羊腸の険を失す、雲横わりて雉尾(ちび)高し。
五原空しく壁塁(へきるい)、八水風涛(ふうとう)散ず。
今日天意を看るに、遊魂(ゆうこん)爾が曹に貸す。』
降を乞うも那(なん)ぞ更に得ん 詐を尚(たっと)ぶは徒に労する莫らんや。

#3
元帥竜種(りょうしゅ)に帰し、司空豹韜(ひょうとう)を握る。
前軍 蘇武が節、左将 呂虔(りょけん)が刀。
兵気 飛鳥(ひちょう)を回(か)えす、威声(いせい) 巨鰲を没せしむ。
戈鋌(かせん) 雪色開き、弓矢 秋毫(しゅうごう)に向う。
天歩(てんぽ) 艱 方(まさ)に尽く、時和 運 更に遭う。
誰か云う毒螫を遺すと、己に是れ 腥臊(せいそう)に沃(そそ)ぐ。」
#4
睿想 丹墀(たんち)近く、神行 羽衛(うえい)牢(かた)し。
花門 絶漠に騰(あが)り、拓羯(たくけつ)臨洮(りんとう)を渡る。
此の輩恩に感じて至る、羸浮(るいふ)何ぞ操るに足らん。
鋒 先(さきだ)ちて 衣血に染む、騎 突きて 剣毛(けんけ)を吹く。
喜びは覺ゆ 都城の動くを、悲みは連(ともな)う 子女の號(さけ)ぶを。
家家 釵釧を売り 只だ待つ春醪を献ずるを』


現代語訳と訳註
(本文) #2

路失羊腸險,雲橫雉尾高。
五原空壁壘,八水散風濤。
今日看天意,遊魂貸爾曹。
乞降那更得,尚詐莫徒勞。」


(下し文) #2
路は羊腸の険を失す、雲横わりて雉尾(ちび)高し。
五原空しく壁塁(へきるい)、八水風涛(ふうとう)散ず。
今日天意を看るに、遊魂(ゆうこん)爾が曹に貸す。』
降を乞うも那(なん)ぞ更に得ん 詐を尚(たっと)ぶは徒に労する莫らんや。


(現代語訳)
さしてゆく路には羊腸のような険阻もなくなって平な道がひらかれていて、天子の御行列にはただ雑尾扇の雲が高く横わるである。
攻防を極めた五原もいたずらに壁塁が残っている、八水はも風光明美な涛波がすっかりなくなっている。
長安を開城できた今となって天はしばらくの間は様子を見ておられるのだろう、この戦いでしばらくの間、天子のかもし出す佳気と魂を浮遊させたておいたのは、叛乱軍たちにつかの間貸してあっただけのことなのである。
あっさりと退いたということは、いまさら降参したかのようにして、なにか詐りごとをしてこちらをだまそうとしてもそれはむだ骨折ではなかろうか。』


(訳注)#2
路失羊腸險,雲橫雉尾高。
さしてゆく路には羊腸のような険阻もなくなって平な道がひらかれていて、天子の御行列にはただ雑尾扇の雲が高く横わるである。
路失 失はこれまで有ったが今はなくなること。○羊腸険 羊のはらわたのようにうねうねと曲った路のある山険。○雲横 この雲は実物ではなく雉尾扇のむらがるのをたとえていう辞。天上と朝廷、仙人・天上の神は天子、であり、時には天子は雲に乗った龍なのである。○雉尾高 天子の大駕の歯簿には雉尾障扇・小団雉尾扇・方雑尾扇・小雉尾扇等のたぐいがある。雉尾とは雉の尾で作ったうちわ。天子の行くところは、天上と同じということを示すもの。天子の神聖化、カリスマ化のための雰囲気づくりの一貫。


五原空壁壘,八水散風濤。
攻防を極めた五原もいたずらに壁塁が残っている、八水はも風光明美な涛波がすっかりなくなっている。
五原 長安附近の五つの原(高地)をいう、畢原(ひつげん)・白鹿原・少陵原・高陽原・細柳原のこと。○空壁墨 とりでだけがいたずらに存する、無用となり役に立たぬこと。〇八水 涇水・滻水・㶚水・澇水・滈水・灃水・潏水の八つを関内八水と称する。○散風涛 散とは集の反対、今までは風涛が多く集まっていたが今は散らばってなくなった。

長安 五原八水00

今日看天意,遊魂貸爾曹。
長安を開城できた今となって天はしばらくの間は様子を見ておられるのだろう、この戦いでしばらくの間、天子のかもし出す佳気と魂を浮遊させたておいたのは、叛乱軍たちにつかの間貸してあっただけのことなのである。
天意 天のこころ。○遊魂 ふらふらしたたましい。○貸爾曹 爾菅は汝等、汝等とは賊軍をさす、貸はかしあたえる。


乞降那更得,尚詐莫徒勞。」
あっさりと退いたということは、いまさら降参したかのようにして、なにか詐りごとをしてこちらをだまそうとしてもそれはむだ骨折ではなかろうか。』
乞降 降参をたのむ。○那更得 どうしてできようぞ、降参もできぬとは必ず誅殺されるべきことをいう。○尚詐いつわりをとうとぶ、官軍に対し詐略を用いること。○莫徒労 莫は反語、徒労はむだばねをおること。


hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))350
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

玉華宮 ② 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 206

玉華宮 ② 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 206
杜甫詩、杜甫の人生を語る「北征」期の重要な作品。

ID詩題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晚行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒步歸行 鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮  鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
973玉華宮  鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃か。八月初めに鳳翔より出発して鄜州に到著して以後に作ったもの。

977
978
979

羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
・村の長老たちと帰還の祝い。
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。
ID詩題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれる。
朝廷におけるいきさつについては下のブログ参照。

述懐 #1 杜甫 杜甫特集700- 178

述懐 #2 杜甫 杜甫特集700- 179

述懐 #3 杜甫 杜甫特集700- 180




鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。唐の太宗の647年貞観二十一年七月、玉華宮を作る、務めて倹制に従い、正殿のみは瓦をふき、其の余は茅をふかせた。その清涼なことは九成宮にまさると称せられる。宮の位置は下図の中央付近、長安の真北、40kmくらうにあった。杜甫は鳳翔を当初、徒歩で出発している。裏街道を通り、九成宮への導入道路を抜け。邠州まで歩いている。ここで馬を借りて、銅川を抜けて、宜君にむかう。この詩は、この間のことをである。

玉華宮(ぎょくかきゅう)は高宗の651年永徽二年にこれを廃して玉華寺と為した。宜君県は今、鄜州の中部県(即ち唐の坊州)の南にある。杜甫が此の地を経過したときは玉華寺であるはずであるが、旧名によって玉華宮と題したものである。 


玉華宮
溪回松風長,蒼鼠竄古瓦。不知何王殿,遺構絕壁下。
陰房鬼火青,壞道哀湍瀉。萬籟真笙竽,秋色正蕭灑。』
#2
美人為黃土,況乃粉黛假。
あの楊貴妃は今は黄土となっている。しかし、いくら、最高に化粧し、うつくしく着飾っていたとしても死んでしまったのだ。
當時侍金輿,故物獨石馬。
絶世の美女といわれ、天子の寵愛を受けて金輿の傍に何時も同席していた。眼前に存在して見るものはただひとり立っている石刻の馬だけなのだ。
憂來藉草坐,浩歌淚盈把。
先のことを考えると心配が湧いて来るばかりだ、私はここで、草を下敷きにして坐り、大声に歌いだしてみたら一握りに余るほどの涙が流れでてくるのである。
冉冉徵途間,誰是長年者?』

わたしはこうした旅をするあいがに次第次第に年老いてゆくのはであるしかたのないことであるが、誰が果して不老長寿の幸せを保ち得る者であろうか。そんな者はいないのだ。


(玉華宮)#1
渓廻りて松風長し 蒼鼠古瓦に竄る
知らず何の王殿ぞ 遺構絶壁の下
陰房鬼火青く 壊道哀湍瀉ぐ
萬籟真に笙竽 秋色正に蕭灑たり』
#2
美人も黄土と為る 況や乃ち粉黛の仮なるをや
当時金輿に侍せしに 故物独り石馬あり
憂え来って草を藉きて坐す 浩歌涙把に盈つ
冉冉たり征途の間 誰か是れ長年の者ぞ』

現代語訳と訳註
(本文)

美人為黃土,況乃粉黛假。
當時侍金輿,故物獨石馬。
憂來藉草坐,浩歌淚盈把。
冉冉徵途間,誰是長年者?』

(下し文) #2
美人も黄土と為る 況や乃ち粉黛の仮なるをや
当時金輿に侍せしに 故物独り石馬あり
憂え来って草を藉きて坐す 浩歌涙把に盈つ
冉冉たり征途の間 誰か是れ長年の者ぞ』


(現代語訳)
あの楊貴妃は今は黄土となっている。しかし、いくら、最高に化粧し、うつくしく着飾っていたとしても死んでしまったのだ。
絶世の美女といわれ、天子の寵愛を受けて金輿の傍に何時も同席していた。眼前に存在して見るものはただひとり立っている石刻の馬だけなのだ。
先のことを考えると心配が湧いて来るばかりだ、私はここで、草を下敷きにして坐り、大声に歌いだしてみたら一握りに余るほどの涙が流れでてくるのである。
わたしはこうした旅をするあいがに次第次第に年老いてゆくのはであるしかたのないことであるが、誰が果して不老長寿の幸せを保ち得る者であろうか。そんな者はいないのだ。


(訳注)#2
美人為黃土,況乃粉黛假。

あの楊貴妃は今は黄土となっている。しかし、いくら、最高に化粧し、うつくしく着飾っていたとしても死んで消滅してしまったのだ。
美人 宮女。ほんの数か月前衝撃の殺され方をした楊貴妃のことをいっている。杜甫は、粛宗より、玄宗に随う気持ちが強かった。玄宗の悲劇を前面に出さず、ここではさりげなく振れている。○為黄土 死して土に化すことをいう。○粉黛仮 粉はおしろい、黛は眉をえがくのに用いる青色のすみ。仮とは仮借のものの意。


當時侍金輿,故物獨石馬。
絶世の美女といわれ、天子の寵愛を受けて金輿の傍に何時も同席していた。眼前に存在して見るものはただひとり立っている石刻の馬だけなのだ。
当時 太宗の時をさす。○侍金輿 金輿は黄金をもってかざったのりもの、天子の乗るもの、侍とは美人が生前そのそば近くはべったこと。「金輿に侍せしは」云々と訓ず可らず。「侍せしは」云々といえば下旬の放物が侍した様になって不都合である。「侍金輿」と「放物」との句の中間には「その美人は己に存在せず」の意を含む、略していわないまでである。○故物 在来からあるふるもの、太宗の頃に建てられたものであるから放物であるが、その後、玄宗と連れだってここに来ていた。○石馬石を刻してつくった馬。当時、大宗に対して悪い感情はないし、玄宗は楊貴妃がいけないのであって、皇帝は美人を好むものという当たり前のことなのである。


憂來藉草坐,浩歌淚盈把。
先のことを考えると心配が湧いて来るばかりだ、私はここで、草を下敷きにして坐り、大声に歌いだしてみたら一握りに余るほどの涙が流れでてくるのである。
 この憂いは将来に対するもので、杜甫自身、爽籟計画も夢も失いつつある時である。まだ、粛宗に認めてもらえ役立ちたいという希望を捨ててはいないのである。○浩歌 大きな声でうたう。○盈把  ひとにぎりに満つ。○杜甫は別に本当に泣いているわけではない、憂いの大きさを涙の量で表現しているのである。憂いたり、嘆いたりしていても決して悲観しているのではないのである。


冉冉徵途間,誰是長年者?』
わたしはこうした旅をするあいがに次第次第に年老いてゆくのはであるしかたのないことであるが、誰が果して不老長寿の幸せを保ち得る者であろうか。そんな者はいないのだ。
冉冉 漸漸と同義、次第に時日の進行するさま、時間の経過をいい、道路についていうのではない。○征途 征、往復の往の意味を持った旅という意味と、天子の許しを得て旅立つのであるから、北を征する意味を込めているともいえる。○長年 不老長寿の幸せ。唐の皇帝は、特に玄宗は道教に入信し、国教にまでした人物、金丹の不老伝説を信じていたものである。そんなもので長寿が叶えるはずはないというのであろうか。実際に道教と宦官によって、皇帝の中毒死は多数あったのだ。。


hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02


送楊六判官使西蕃 #2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 198

送楊六判官使西蕃 #2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 198


送楊六判官使西蕃
楊某が判官として吐蕃国に使いにゆくのを送る。製作時は至徳二載の秋。なお長安をとりかえさなかった時。
2回分割の2回目。

○ 757年9月,ウ イグルの磨 延畷可汗は太子 の葉護 を筆頭に,将 軍の帝徳らに4000余 騎(旧 唐書 ・安禄山伝では3000騎)を率いさせて唐に派遣.粛宗は喜び,宴会を催し,元帥の広平王・淑(後の代宗)に命じて葉護と兄弟の契りを結ばせる.


○  蕃漢15万にふくれあがった唐軍は,広平王・淑 を総帥とし,鳳翔を出発.扶風でウイグル軍を出迎えた郭子儀は,3日 間の大宴会で接待.以 後,ウイグル軍には食料として毎日,羊200匹,牛20頭,米40石 が支給さる.


送楊六判官使西蕃
送遠秋風落,西徵海氣寒。帝京氛浸滿,人世別離難。」
絕域遙懷怒,和親願結歡。敕書憐贊普,兵甲望長安。
宣命前程急,惟良待士寬。子雲清自守,今日起為官。』-#1
垂淚方投筆,傷時即據鞍。
あなたは西方に使者に立つ故事にならって、涙をながし、筆を投じてたちあがり、国制が乱れた時すぐさま馬鞍につかまっていったのだ。
儒衣山鳥怪,漢節野童看。
あなたの儒衣のすがたから発する気は山の鳥も不思議がるであろう。あなたの一行の使者の旗印をば野らで遊ぶ子どもたちは目を見張っていることだろう。
邊酒排金盞,夷歌捧玉盤。
目指したところへ着いたら、辺境の地酒で金のお椀型の盃でむかえられた、西方の異民族のうたをうたってくれ、玉盤のお皿満載の御馳走をささげだしてくれる。
草肥蕃馬健,雪重拂廬乾。」
草原は肥沃で昔から大宛名国の名馬として彼の地の馬は健に育っている、雪は幾重にもかさなっている、集合住まいの大テントは乾燥している。』
慎爾參籌畫,從茲正羽翰。
あなたは慎重にこのたびの使者としてのはかりごとに参画した、今から鳥が羽翼、大羽を整えただしくするように役目をはたすことなのだ。
歸來權可取,九萬一朝摶。』-
#2
そうすれば帰ってきたときは権勢の地位を取るようになる、それは九万里の大空も一朝にして羽うってのぼることができるのだ。

(楊六判官が 西蕃に使するを送る)#1
遠きを送れば秋風落つ 西征海気寒し
帝京気頑満つ 人世別離難し』
絶域迄に怒を懐く 和親して歓を結ぽんことを願う
勅書賛普が 兵甲長安を望むことを憐む
宣命前程急に 惟良士を待つ寛なり
子雲清く自ら守る 今日起って官と為る』
#2
涙を垂れて万に筆を投ず 時を傷みて即ち鞍に拠る
儒衣山鳥怪み 漢節野童看る
辺酒金怨を排し 夷歌玉盤を捧ぐ
草肥えて蕃馬健に 雪重くして払渡乾く』
慎みて爾書画に参し 玄従り羽翰を正しくせよ
帰り来らば権取る可し 九万一朝にして摶たん』

kairo10682


現代語訳と訳註
(本文) -#2

垂淚方投筆,傷時即據鞍。儒衣山鳥怪,漢節野童看。
邊酒排金盞,夷歌捧玉盤。草肥蕃馬健,雪重拂廬乾。」
慎爾參籌畫,從茲正羽翰。歸來權可取,九萬一朝摶。』


(下し文)
涙を垂れて万に筆を投ず 時を傷みて即ち鞍に拠る
儒衣山鳥怪み 漢節野童看る
辺酒金怨を排し 夷歌玉盤を捧ぐ
草肥えて蕃馬健に 雪重くして払渡乾く』
慎みて爾書画に参し 茲れ從り羽翰を正しくせよ
帰り来らば権取る可し 九万一朝にして摶たん』


(現代語訳)
あなたは西方に使者に立つ故事にならって、涙をながし、筆を投じてたちあがり、国制が乱れた時すぐさま馬鞍につかまっていったのだ。
あなたの儒衣のすがたから発する気は山の鳥も不思議がるであろう。あなたの一行の使者の旗印をば野らで遊ぶ子どもたちは目を見張っていることだろう。
目指したところへ着いたら、辺境の地酒で金のお椀型の盃でむかえられた、西方の異民族のうたをうたってくれ、玉盤のお皿満載の御馳走をささげだしてくれる。
草原は肥沃で昔から大宛名国の名馬として彼の地の馬は健に育っている、雪は幾重にもかさなっている、集合住まいの大テントは乾燥している。』
あなたは慎重にこのたびの使者としてのはかりごとに参画した、今から鳥が羽翼、大羽を整えただしくするように役目をはたすことなのだ。
そうすれば帰ってきたときは権勢の地位を取るようになる、それは九万里の大空も一朝にして羽うってのぼることができるのだ。


natsusora01

(訳注)
垂淚投筆傷時據鞍

あなたは西方に使者に立つ故事にならって、涙をながし、筆を投じてたちあがり、国制が乱れた時すぐさま馬鞍につかまっていったのだ。
垂涙、投筆、傷時、拠鞍 楊がする動作であるる。投筆は後漢の班超の故事、班超32年 - 102年後漢の軍人。班固の弟。西域(現在の新疆ウイグル自治区あたり)に匈奴を追って後漢の勢力を広げ、その後は西域都護として長く西域を保持した。『後漢書』では「燕頷虎鬚」と描写される。拠鞍は後漢の馬援の故事で援が五渓の蛮を討つことを請うでたとき鞍に拠ったとする。


儒衣山鳥怪,漢節野童看。
あなたの儒衣のすがたから発する気は山の鳥も不思議がるであろう。あなたの一行の使者の旗印をば野らで遊ぶ子どもたちは目を見張っていることだろう。
儒衣 楊がきている儒者の衣服。○怪 みなれぬもの故あやしむ。不思議がる。○漢節 蘇武が匈奴に使いしたとき漢節を所持した。漢の使者のはたじるし、ここは唐の使者のはたじるしをいう。○野童 田や野原であそんでいるこども等。


邊酒排金盞,夷歌捧玉盤。
目指したところへ着いたら、辺境の地酒で金のお椀型の盃でむかえられた、西方の異民族のうたをうたってくれ、玉盤のお皿満載の御馳走をささげだしてくれる。
辺酒 辺地のさけ。○ ならべる。○金盞 黄金でかざったお椀型の盃。○夷歌 えびすのうた。○ 楊等にむかってささげる。○玉盤 玉でつくった大平鉢、肴僕をもるもの。


草肥蕃馬健,雪重拂廬乾。」
草原は肥沃で昔から大宛名国の名馬として彼の地の馬は健に育っている、雪は幾重にもかさなっている、集合住まいの大テントは乾燥している。』
○蕃馬 吐蕃の馬○大宛名 大宛は漠代に西域地方に在った国の名。漢の武帝は大宛より天馬を得たことがある。名とは名を負っている駿馬であるとの意。大宛(フェルガーナ)種の駿馬。

房兵曹胡馬詩 杜甫 9 (青春期の詩)
 天育驃騎歌 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 85○雪重 重とは厚くつもることをいう。○払廬 トルフアン集落住民が住んでいるテント○ 寒気はつよいが湿気のないことをいう。

慎爾參籌畫,從茲正羽翰。
あなたは慎重にこのたびの使者としてのはかりごとに参画した、今から鳥が羽翼、大羽を整えただしくするように役目をはたすことなのだ。
 慎重にする。○ 楊のこと。○ 参加する、参預する。○籌画 計画すること。計略。○從茲 これより、今よりの意。○正羽翰 使命をりっぱにはたすことをいう。鳥が羽翼、大羽を整えただしくすることから。

歸來權可取,九萬一朝摶。』-#2
そうすれば帰ってきたときは権勢の地位を取るようになる、それは九万里の大空も一朝にして羽うってのぼることができるのだ。
帰来 役目をはたして帰ってくる。唐の方へもどる。○権可取 「権二取ル可シ」、「取ル可キヲ権ル、権取ル可シ」の諸説があるが、予は最後の解をとる。棒上は権勢の位をいう。取は己に取得すること。〇九万打 九万里にはねうつこと。「荘子」造造遊簾に鵬を説いて、「扶揺(髄、ふきまくかぜ)ヲ樽チテ上ル者、九万里。」とみえる。〇一朝 にわかにして。
hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/

李 白 詩
唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
杜 甫 詩
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 189

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 189
御史中丞郭英乂が太僕卿の官を兼ねながら、隴右節度使に充てられたのを送る詩。製作時は757年至徳二載の秋八月。

hinode0200

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻
詔發山西將,秋屯隴右兵。淒涼餘部曲,燀赫舊家聲。
雕鶚乘時去,驊騮顧主鳴。艱難須上策,容易即前程。
斜日當軒蓋,高風卷旆旌。松悲天水冷,沙亂雪山清。#1

和虜猶懷惠,防邊詎敢驚。
異民族えびすと和睦するというのは彼等を我が唐からの恵みによって手懐けるためにするものである。いま辺境を防備するにあたってはどうやってこの地方の人々を驚かせる様にすることができるのだろうか。
古來於異域,鎮靜示專徵。
古來、朝廷の外国に対してのやりかたは、まずこちらはおちついてしずかにしていながら、いざという時に一気に征伐専行の権をもっていることを相手に示すことが大切なことなのである。』
燕薊奔封豕,周秦觸駭鯨。
燕薊の幽州地方では安禄山という大きいいのししが奔りだし、周の洛陽、秦の長安では鯨が大暴れして網にふれてそれをうち破る。
中原何慘黷,遺孽尚縱橫。
洛陽方面、黄河下流域はどうしてあんなにうすぐらくけがれているのか、安禄山の残した養子安慶緒の勢が横暴な振る舞いではびこっている。
箭入昭陽殿,笳吹細柳營。
長安の方では女官の居る昭陽殿に敵の矢がとびこみ、官軍の将軍の居る細柳の常には節の声が吹きならされている。
內人紅袖泣,王子白衣行。
#2
宮内に養われていた内人たちは紅の袖をきたまま泣いているし、王子たちは飾りもなにもない白衣のままで歩きさまよう有様であった。


宸極妖星動,園陵殺氣平。空餘金碗出,無複穗帷輕。
毀廟天飛雨,焚宮火徹明。罘罳朝共落,棆桷夜同傾。
三月師逾整,群凶勢就烹。瘡痍親接戰,勇決冠垂成。#3
妙譽期元宰,殊恩且列卿。幾時回節鉞,戮力掃欃槍?
圭竇三千士,雲梯七十城。恥非齊說客,秖似魯諸生。
通籍微班忝,周行獨坐榮。隨肩趨漏刻,短發寄簪纓。#4
徑欲依劉表,還疑厭隬衡。漸衰那此別,忍淚獨含情。
廢邑狐狸語,空村虎豹爭。人頻墜塗炭,公豈忘精誠。
元帥調新律,前軍壓舊京。安邊仍扈從。莫作後功名。#5

#1
詔して山西の将を発し、秋 隴右(ろうう)の兵を屯せしむ。
凄涼 部曲余る、燀赫(せきかく) 家声旧りたり。
雕鶚(ちょうがく) 時に乗じて去る、驊騮(かりゅう) 主を顧みて鳴く。
艱難 上策を須(ま)つ 容易 前程に即く
斜日 軒蓋(けんがい)に当り、高風 旆旌(はいせい) を巻く。
松悲しみて 天水冷かに、沙乱れて 雪山清し。
#2
虜に和するすら猶 恵に懐(な)つく、辺を防ぐに 詎(なん)ぞ敢て驚かさんや。
古来 異域に於ける、鎮静にして 専征を示す。
燕薊(えんけい) 封豕(ほうし)奔(はし)り、周秦 駭鯨(がいけい)触る。
中原何ぞ慘黷(しんとく)なる、遺孽(いげつ) 尚 縦横たり。
箭は入る昭陽殿、節は吹かる細柳の営。
内人 紅袖(こうしゅう)に泣き、王子白衣行く。

#3
宸極(しんきょく)妖星動き、園陵(えんりょう) 殺気 平かなり。
空しく余す金碗の出づるを、復た穗帷(けいい)の軽き無し。
毀廟(きびょう)天雨を飛ばし、焚宮(ふんきゅう)火明に徹す。
罘罳(ふし) 朝に共に落ち、棆桷(りんかく) 夜 同じく傾く。』
三月 師 逾々整い、羣胡 勢 烹(に)らるるに就く。
瘡痍(そうい) 親(みずか)ら接戦す、勇決(ゆうけつ) 垂成(すいせい)に冠たり。
#4
妙誉(みょうよ) 元宰(げんさい)を期す、殊恩(しゅおん)且つ列卿(れつけい)。
幾時か 節鉞(せつえつ)を廻らし、力を戮(あ)わせて欃槍(ざんそう)を掃わん』
圭竇(けいとう) 三千の士、雲梯(うんてい)七十城。
恥ずらくは 斉の説客に非るを、秖(ただ)魯の諸生(しょせい)に似たり。
通籍(つうせき) 徴班(びはん)を忝(かたじけな)くす、周行(しゅうこう) 独坐 栄ゆ。
肩を随えて漏刻(ろうこく)に趨(おもむ)き、短髪 簪纓(しんえい)に寄す。
#5
径(ただちに)に劉表(りゅうひょう)に依らんと欲す、還た疑う隬衡(でいこう)を厭(いと)わんかと。
漸(ようや)く衰(おとろ)う 那ぞ此に別れん,淚を忍びて獨り情を含む。』
廃邑(はいゆう) 狐狸(こり) 語り、空邨(くうそん) 虎豹(こひょう)争う。
人頻(しき)りに塗炭(とたん)に墜つ、公豈(こうあ)に精誠(せいせい)を忘れんや。
元帥(げんすい) 新律(しんりつ)を調え、前軍(ぜんぐん) 旧京を圧す。
邊を安じて仍って扈從(こじゅう)し。功名に後(おく)るること作す莫れ

anshiRAN05

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 現代語訳と訳註
(本文) #2

和虜猶懷惠,防邊詎敢驚。
古來於異域,鎮靜示專徵。
燕薊奔封豕,周秦觸駭鯨。
中原何慘黷,遺孽尚縱橫。
箭入昭陽殿,笳吹細柳營。
內人紅袖泣,王子白衣行。

(下し文)
虜に和するすら猶 恵に懐(な)つく、辺を防ぐに 詎(なん)ぞ敢て驚かさんや。
古来 異域に於ける、鎮静にして 専征を示す。
燕薊(えんけい) 封豕(ほうし)奔(はし)り、周秦 駭鯨(がいけい)触る。
中原何ぞ慘黷(しんとく)なる、遺孽(いげつ) 尚 縦横たり。
箭は入る昭陽殿、節は吹かる細柳の営。
内人 紅袖(こうしゅう)に泣き、王子白衣行く。

(現代語訳)
異民族えびすと和睦するというのは彼等を我が唐からの恵みによって手懐けるためにするものである。いま辺境を防備するにあたってはどうやってこの地方の人々を驚かせる様にすることができるのだろうか。
古來、朝廷の外国に対してのやりかたは、まずこちらはおちついてしずかにしていながら、いざという時に一気に征伐専行の権をもっていることを相手に示すことが大切なことなのである。』
燕薊の幽州地方では安禄山という大きいいのししが奔りだし、周の洛陽、秦の長安では鯨が大暴れして網にふれてそれをうち破る。
洛陽方面、黄河下流域はどうしてあんなにうすぐらくけがれているのか、安禄山の残した養子安慶緒の勢が横暴な振る舞いではびこっている。
長安の方では女官の居る昭陽殿に敵の矢がとびこみ、官軍の将軍の居る細柳の常には節の声が吹きならされている。
宮内に養われていた内人たちは紅の袖をきたまま泣いているし、王子たちは飾りもなにもない白衣のままで歩きさまよう有様であった。

tsuki0882

(訳注)#2
和虜猶懷惠,防邊詎敢驚。
異民族えびすと和睦するというのは彼等を我が唐からの恵みによって手懐けるためにするものである。いま辺境を防備するにあたってはどうやってこの地方の人々を驚かせる様にすることができるのだろうか。
和虜 虜と和睦すること、虜とは夷狄をさす。○懐恵 こちらの恵みになつけるようにする。○防辺 国の辺地を防禦する。○驚震驚させることをいう。

古來於異域,鎮靜示專徵。』
古來、朝廷の外国に対してのやりかたは、まずこちらはおちついてしずかにしていながら、いざという時に一気に征伐専行の権をもっていることを相手に示すことが大切なことなのである。』
於異域 於とは対してはということ。異域は外国をいう、ここは隴右の辺境たる吐蕃の地などをさす。○鎮静 おちついてしずかにする。○示専 征示とは敵手にみせること、専征とは節度使は天子から征伐を専断施行してもよいとの権力を委任されてあることをさす。


燕薊奔封豕,周秦觸駭鯨。
燕薊の幽州地方では安禄山という大きいいのししが奔りだし、周の洛陽、秦の長安では鯨が大暴れして網にふれてそれをうち破る。
燕薊 燕は六国時の国名。薊は薊州、燕の都。共に今の河北省順天府の地、安禄山の根拠とする処。○封豕 大きいいのしし、安禄山をたとえていう。「左伝」に「呉ハ封家長蛇為り、以テ軍l上国二食セシム。」とみえる。○周秦 周は洛陽をいい、秦は長安をいう。○觸駭鯨 陳琳の檄に駭鯨ノ網二觸レルガ若し、とみえる。駭鯨はおどろく所の勢いのさま、觸とはあみにふれること。洛陽・長安を網に安禄山を鯨にたとえる。鯨がふれると網はめちゃめちゃに破られる。

中原何慘黷,遺孽尚縱橫。
洛陽方面、黄河下流域はどうしてあんなにうすぐらくけがれているのか、安禄山の残した養子安慶緒の勢が横暴な振る舞いではびこっている。
中原 河南地方、洛陽方面、黄河下流域。○ 無惨を或は惨に作るが、惨に従う。惨は混沌として清澄でないさま、頬はけがれる。○遺孽 孽は妾隷の子をいう、安禄山の残した養子安慶緒をさす。○縦横 勢いのはびこること。横暴な振る舞い。

箭入昭陽殿,笳吹細柳營。
長安の方では女官の居る昭陽殿に敵の矢がとびこみ、官軍の将軍の居る細柳の常には節の声が吹きならされている。
箭入 矢がとびこむ。○昭陽殿 昭陽は漢の成帝の皇后趙飛燕の妹の居った殿舎の名、ただし当時の唐人は飛燕を楊貴妃にたとえ、昭陽を貴妃の居所としてたとえ用いる例が多い。例えば哀江頭 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 162詩にも「昭陽殿裏第一ノ人」と見えるがごとくである。○笳吹 あしぶえが吹きならされる。吟とは音がすること。○細柳営 漢の周亜夫が兵を屯した処、陝西省西安府咸陽県の西南にある。ここは武将の営所をさす。


內人紅袖泣,王子白衣行。
宮内に養われていた内人たちは紅の袖をきたまま泣いているし、王子たちは飾りもなにもない白衣のままで歩きさまよう有様であった。
内人 玄宗は教坊を設けて伎女に歌舞を教え、そのすぐれたものを宜春院に入れたが、院に入ったものを内人という。梨園の弟子参照紅袖 あかいそで、伎女の装。○王子 諸王のこどもたち。○白衣行 粗服をつけて路にさまようこと。

哀王孫 杜甫140  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 140-#1



梨園の弟子
宮中に左教坊・右教坊なる教習所を設け、また梨園では、梨園の弟子とし、玄宗は唐の宮廷楽団を「立部伎」および「座部伎」に分け、「立部伎」は立ったままで演奏し、室外で行う比較的に規模の小さいもの。「座部伎」は室内で座って演奏し、規模は比較的大きく、豪華さと迫力を重んじるものだった。

 玄宗は、梨園で選び抜いた300人に自ら音楽を教え、間違いがあるとすぐに指摘し正すなど厳しく指導していた。その場所には、梨が多く植えられていたことから「梨園」といわれている。唐玄宗の指導を受けた300人は後に、梨園弟子と呼ばれた。演出に参加した数百人の女官も梨園弟子と呼ばれた。ここの楽人をいう。また、西域から外来音楽を好んで移入したために、その曲調は広まり、のちの詞のメロディーにも影響する。

参考
本ブログで2011/9/25~2011/10/4 玄宗皇帝について(1)~(9)に詳しく述べている。

古風五十九首 其二十三 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166
紫藤樹 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白168玄宗(1)
觀放白鷹 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白169 玄宗〈2〉
白鷺鷥 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白170 玄宗(3)
三五七言 李白 
古風 五十九首 其二十四 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白172と玄宗(5)
古風 五十九首 其二十六 李白  Kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 李白173 と 玄宗(6)
送儲?之武昌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白174 と玄宗(7)
戦城南   李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白175 戦争
翰林讀書言懷呈集賢諸學士 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白175 と玄宗(8)
古風其三十七 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白177
古風其三十九 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白178


blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首


800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首




burogutitl770
http://kanshi100x100.blog.fc2.com/

李 白 詩
唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
杜 甫 詩
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

送從弟亞赴河西判官 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 184

送從弟亞赴河西判官 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 184
いとこの杜亜が河西節度使の判官となって赴任するのを送る詩である。製作時は至徳二載の夏、鳳翔にあって作る。
至徳二載 757年 46歳


送從弟亞赴河西判官
#1
南風作秋聲,殺氣薄炎熾。盛夏鷹隼擊,時危異人至。』
令弟草中來,蒼然請論事。詔書引上殿,奮舌動天意。
兵法五十家,爾腹為篋笥。應對如轉丸,疏通略文字。
經綸皆新語,足以正神器。』#1
#2
宗廟尚為灰,君臣俱下淚。
今、叛乱軍によって宗廟は焼かれてまだ灰になってしまった、天子の臣下のものはみんなともに涙を流しているのだ。
崆峒地無軸,青海天軒輊。
行在所のある鳳翔はその背後に崆峒の地方があり、その地の生産性を支える軸無く、青海の地方は天さえあがった砂漠のようで行在所の先行きに不安をぬぐえないのである。
西極最瘡痍,連山暗烽燧。』
この西極の地は叛乱軍と野盗・盗賊入り混じって、最も刃傷をうけたものが多いのだ、そのため山々に昼夜とものろし火があがり世情を暗くとざしている。』
帝曰大布衣,藉卿佐元帥。
そういう不安地方に対して天子は君の策論をお聞きになるや、「一平民なる大人物よ、そなたに依頼して元帥の輔佐となることを命ずる。」とおおせられた。
坐看清流沙,所以子奉使。
君が河西の方へ使命を奉じてゆくその地を次第に、徐々に流沙の地方の戦塵を掃い清めてほしいのだ、このことをするため、判官として赴く君をみまもっているのである。
歸當再前席,適遠非歷試。
君が他日こちらへもどって来るときは天子は君の話に集中して座席の前へ身を前のめりになられることは予期されるが、今は君遠くへ赴任することになったのは、一々諸役を経て能力を試験されるのではない突然の大抜擢なのだ。
須存武威郡,為畫長久利。』
#2
君は赴任先の武威郡を朝廷の手に保存しぬくことだ、どうしても我が国家のために永遠の利益をはからねばならないのだ。』

#3
孤峰石戴驛,快馬金纏轡。黃羊飫不羶,蘆酒多還醉。
踴躍常人情,慘澹苦士誌。安邊敵何有,反正計始遂。』
吾聞駕鼓車,不合用騏驥。龍吟回其頭,夾輔待所致。』#3


従弟亜が河西判官に赴くを送る
#1
南風秋声を作す、 殺気炎の熾なるに薄る。
盛夏鷹隼撃つ、 時危くして異人至る』
令弟草中より来る、 蒼然事を論ぜんと請う
詔書引いて殿に上らしむ、 舌を奮って天意を動かす
兵法五十家、 繭が腹筐笥為り
応対転丸の如く、 疎通文字を略す
経輪皆新語、 以て神器を正しくするに足れり』
#2
宗廟尚灰と為る、 君臣倶に涙を下す
崆峒地軸無く、 青海天軒輊す
西極最も瘡痍あり 連山烽燧暗し』
帝日く大布衣、 卿に藉りて元帥に佐たらしむと
坐ろに流沙を清むるを看ん、 子が使を奉ずる所以
帰らば当に再び席を前むべし、 遠きに適くは歴試するに非ず。
須らく武威郡を存し、 為めに長久の利を画すべし。』
#3
孤峰 石 駅を戴き、 快馬 金 轡を纏う。
黄羊飫けども羶ならず 蘆酒多ければ還た酔う
踴躍するは常人の情なり、 惨澹たるは苦士の志なり。
辺を安んずる敵何か有らん、 正に反えす計始めて遂げ
ん。』
吾聞く鼓車に駕するには、 騏驥を用う合らずと。
竜吟 其の頭を廻らさん、 爽輔致す所を待つ。』

鳥居(1)

送從弟亞赴河西判官 #2 現代語訳と訳註
(本文) #2

宗廟尚為灰,君臣俱下淚。
崆峒地無軸,青海天軒輊。
西極最瘡痍,連山暗烽燧。』
帝曰大布衣,藉卿佐元帥。
坐看清流沙,所以子奉使。
歸當再前席,適遠非歷試。
須存武威郡,為畫長久利。』


(下し文) #2
宗廟尚灰と為る、 君臣倶に涙を下す
崆峒地軸無く、 青海天軒輊す
西極最も瘡痍あり 連山烽燧暗し』
帝日く大布衣、 卿に藉りて元帥に佐たらしむと
坐ろに流沙を清むるを看ん、 子が使を奉ずる所以
帰らば当に再び席を前むべし、 遠きに適くは歴試するに非ず。
須らく武威郡を存し、 為めに長久の利を画すべし。』


(現代語訳) #2
今、叛乱軍によって宗廟は焼かれてまだ灰になってしまった、天子の臣下のものはみんなともに涙を流しているのだ。
行在所のある鳳翔はその背後に崆峒の地方があり、その地の生産性を支える軸無く、青海の地方は天さえあがった砂漠のようで行在所の先行きに不安をぬぐえないのである。
この西極の地は叛乱軍と野盗・盗賊入り混じって、最も刃傷をうけたものが多いのだ、そのため山々に昼夜とものろし火があがり世情を暗くとざしている。』
そういう不安地方に対して天子は君の策論をお聞きになるや、「一平民なる大人物よ、そなたに依頼して元帥の輔佐となることを命ずる。」とおおせられた。
君が河西の方へ使命を奉じてゆくその地を次第に、徐々に流沙の地方の戦塵を掃い清めてほしいのだ、このことをするため、判官として赴く君をみまもっているのである。
君が他日こちらへもどって来るときは天子は君の話に集中して座席の前へ身を前のめりになられることは予期されるが、今は君遠くへ赴任することになったのは、一々諸役を経て能力を試験されるのではない突然の大抜擢なのだ。
君は赴任先の武威郡を朝廷の手に保存しぬくことだ、どうしても我が国家のために永遠の利益をはからねばならないのだ。』


(訳注) #2
宗廟尚為灰,君臣俱下淚。
今、叛乱軍によって宗廟は焼かれてまだ灰になってしまった、天子の臣下のものはみんなともに涙を流しているのだ。
宗廟 唐の天子の行政殿。○為灰  叛乱軍にやかれたこと。


崆峒地無軸,青海天軒輊。
行在所のある鳳翔はその背後に崆峒の地方があり、その地の生産性を支える軸無く、青海の地方は天さえあがった砂漠のようで行在所の先行きに不安をぬぐえないのである。
崆峒 山名、臨挑(甘粛省鞏昌府岷州にある山の名。(涇水の水源の山。崑崙山、崆峒山、渭水を挟んで左右に聳える山であるが、ともに仙人の居る山。朝廷、皇居を意味するもの。○地無軸 張華の「博物志」に、地下に四柱、三千六百の軸があって互に牽引しあっている。その軸とは柱をささえるためのものとみえる。○青海 甘粛の西、新藩の東部。崆峒、青海はともに河西節度の統べる所。○天軒輊 軒は車の前部が地について後部があがること、輊とは車の後部が地について前部があがること。即ち上下低昂させることをいう、天があがったり、さがったりするとは位置の不安定なことをいう。
 
西極最瘡痍,連山暗烽燧。』
この西極の地は叛乱軍と野盗・盗賊入り混じって、最も刃傷をうけたものが多いのだ、そのため山々に昼夜とものろし火があがり世情を暗くとざしている。』
西極 西方のはて、河西の地をさす。○瘡痍 きりきず。野党盗賊が多くいて、無政府の部分があったことを示す。○烽燧 昼の狼煙を烽、夜のものを燧という。昼も夜も戦いを強いられた。無政府状態の不安定さを示す。


帝曰大布衣,藉卿佐元帥。
そういう不安地方に対して天子は君の策論をお聞きになるや、「一平民なる大人物よ、そなたに依頼して元帥の輔佐となることを命ずる。」とおおせられた。
 粛宗。○大布衣 布衣とは無官のものをいう、大は称讃していう。杜亜をさす。○ 依頼する。○ おまえ、亜をさす。○ 輔佐の役とする、判官となすことをいう。○元帥 軍務の長官、杜鴻漸をさす。


坐看清流沙,所以子奉使。
君が河西の方へ使命を奉じてゆくその地を次第に、徐々に流沙の地方の戦塵を掃い清めてほしいのだ、このことをするため、判官として赴く君をみまもっているのである。
坐看 そぞろに看んとす、そのうちにさようになるであろう。○ 兵塵のけがれをきよめる。○流沙 新疆の東部、羅布啅爾湖の地方、武威の西北にあたる。○所以 わけ。○ 亜をさす。○奉使 天子の使命を奉ずる、判官として赴くことをいう。○ 天子の御居所へかえる。


歸當再前席,適遠非歷試。
君が他日こちらへもどって来るときは天子は君の話に集中して座席の前へ身を前のめりになられることは予期されるが、今は君遠くへ赴任することになったのは、一々諸役を経て能力を試験されるのではない突然の大抜擢なのだ。
再前席 前席は話に夢中になり座席の前方へと体をのりだすこと。漢の文帝のとき、賈誼が長沙の地よりよびかえされ、一夜鬼神のことを論じたときに文帝は「座を前のめり」になったとの故事がある。再とは亜の今回の論事に粛宗が席を前にのりだしためたことを想像していう。賈誼については、賈生 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64参照。○適遠 遠地にゆく。判官となり、武威にゆくことをいう。○非歴試 歴試とは舜の故事、いろいろの瓢難の場合を一々へて経験すること。歴試に非らずとは抜擢され、一挙にして此の官に任ぜられたことをいう。



須存武威郡,為畫長久利。』#2
君は赴任先の武威郡を朝廷の手に保存しぬくことだ、どうしても我が国家のために永遠の利益をはからねばならないのだ。』
○存 我が手に保存すること、敵にとられぬようにすることをいう。○為画 国家のためにはかる。○長久利 永遠の利益。

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首


800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首


burogutitl770
http://kanshi100x100.blog.fc2.com/

得家書 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 182

得家書 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 182

(家書を得たり)


「得家書」の詩は、安否問いあわせの手紙を出したのち、家族の方より返事を得て作った詩である。杜甫は鳳翔に逃げてきて3か月たっていた。製作時は至徳二載の秋七月、757 46歳である。

#1で、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居た。それに、長男の熊児は幸にも無事であり、小さい次男の驥子もぶじで、最もかわいそうにおもうのだ。

sas0032



1

去憑遊客寄,來為附家書。今日知消息,他且舊居;

熊兒幸無恙,驥子最憐渠。臨老羈孤極,傷時會合疏。』


#2

二毛趨帳殿,一命待鸞輿。

わたしはこの白髪まじりの頭で行在所の御殿に参上した、左拾遺を命ぜられ、最初の命を拝して天子の御乗りものの御そばで侍っている。

北闕妖氛滿,西郊白露初。

長安の北闕では安慶緒等叛乱軍の悪気が充満しており、ここの西郊の鳳翔あたりでは、早くも白露が降りそめた。

涼風新過雁,秋雨欲生魚。

すずく冷たい風が吹き初め、初雁もとおりすぎた、秋の長雨も降りつづいて魚が湧き出してこようとしている。

農事空山裡,眷言終荷鋤。』

家族のいる鄜州はさびしい山中ではあるが冬になる前の農事もあるのだ、自分の心はどうもそちらへとひかれる、わたしは結局山の中での人間となって鋤を荷いたりして人生を終わりたいのだ。

#1

去るは遊客に憑りて寄す来るは家書を附するが為なり

今日消息を知る 他郷なるも且つ旧居なり

熊児は幸に無し 驥子最もを憐む

老に臨みて孤極まる 時を傷みて会合疎なり』

2

二毛帳殿に趨し  一命鸞輿に侍す

北闕妖気満つ   西郊白露の初

涼風新に過雁   秋雨魚を生ぜんと欲す

農事空山の裡   みて言に終に鋤を荷わん』




得家書 現代語訳と訳註

(本文) 2

二毛趨帳殿,一命待鸞輿。

北闕妖氛滿,西郊白露初。

涼風新過雁,秋雨欲生魚。

秋雨欲生魚,眷言終荷鋤。』



(下し文) 2

二毛帳殿に趨し  一命鸞輿に侍す

北闕妖気満つ   西郊白露の初

涼風新に過雁   秋雨魚を生ぜんと欲す

農事空山の裡   みて言に終に鋤を荷わん』




(現代語訳) (家書を得たり)2

わたしはこの白髪まじりの頭で行在所の御殿に参上した、左拾遺を命ぜられ、最初の命を拝して天子の御乗りものの御そばで侍っている。

長安の北闕では安慶緒等叛乱軍の悪気が充満しており、ここの西郊の鳳翔あたりでは、早くも白露が降りそめた。

すずく冷たい風が吹き初め、初雁もとおりすぎた、秋の長雨も降りつづいて魚が湧き出してこようとしている。

家族のいる鄜州はさびしい山中ではあるが冬になる前の農事もあるのだ、自分の心はどうもそちらへとひかれる、わたしは結局山の中での人間となって鋤を荷いたりして人生を終わりたいのだ。

(訳注) #2

二毛趨帳殿,一命待鸞輿。

わたしはこの白髪まじりの頭で行在所の御殿に参上した、左拾遺を命ぜられ、最初の命を拝して天子の御乗りものの御そばで侍っている。

〇二毛 頭髪に黒白二種の毛のあることをいう、老境のこと。○趨 参上おもむく。○帳殿 でんとばりの御殿、粛宗のいる行在所の御殿。〇一命 天子より最初の任官の命を蒙る、左拾遺に任ぜられたことをさす。○鸞輿 鸞はみな鈴をいう。鈴のついたおみこし、天子のお乗りもの。


北闕妖氛滿,西郊白露初。

長安の北闕では安慶緒等叛乱軍の悪気が充満しており、ここの西郊の鳳翔あたりでは、早くも白露が降りそめた。

○北開 長安の北門の小門をいう。長安の北門から入城したためをいうのであろう。○妖気 悪い気、兵乱の気。安慶緒の勢いのさかんなことをいう。親殺しのことを言い、残忍さを言う。○西郊 王城の西方の野外をいう、中国の古礼には王者たるものは立秋には秋の気を西郊に迎えるということがあるが、ここは長安に対して鳳翔の地をいう。水の流れは東流するものであるように西から変化が訪れることを暗示している。○白露初 初めて白露の降るころ。秋風は西風、川の、水の流れと同じである。此の句及び次の「涼風」の句により、此の詩の作られた時が七月であることを知ることができる。


涼風新過雁,秋雨欲生魚。

すずく冷たい風が吹き初め、初雁もとおりすぎた、秋の長雨も降りつづいて魚が湧き出してこようとしている。

○涼風 すずしいかぜ。○過雁 かりが通過する。○欲生魚 秋の出水のため平地にも魚がわきでようとする。


農事空山裡,眷言終荷鋤。』

家族のいる鄜州はさびしい山中ではあるが冬になる前の農事もあるのだ、自分の心はどうもそちらへとひかれる、わたしは結局山の中での人間となって鋤を荷いたりして人生を終わりたいのだ。

○農事 農事が山中にあることをいう。○空山人の居らぬ山、戯州蒐村の地をさす。○彗一一口 言は古語で、「ここに」又は「われ」と訓ずる。啓はそちらに目をくれる、愛顧の意。○荷鋤 耕作に従事すること。


blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi 

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首


burogutitl770
http://kanshi100x100.blog.fc2.com/

述懐 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 179

述懐 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 179
    
述懐 #1 五韻十句
去年潼関破、妻子隔絶久。今夏草木長、脱身得西走。
麻鞋見天子、衣袖露両肘。朝廷愍生還、親故傷老醜。
涕涙授拾遺、流離主恩厚。柴門雖得去,未忍即開口。
#2 
寄書問三川,不知家在否?
自分は今また新しく手紙をだして三川鄜州羌村の家族の様子をたずねている、いったいわが家は現に存在しているのかどうか知ることができない。
比聞同罹禍,殺戮到雞狗。
このごろ聞けば、どこの家も同様に戦争の兵禍にかかって鶏や家畜、犬までも殺されてしまったともいう。
山中漏茅屋,誰複依戶牖。
あの山の中の雨もりのする茅屋のいえなのだ、そこでは誰かが、また以前の様に戸や窓にさびしくよりそっているだろう。
摧頹蒼松根,地冷骨未朽。
また殺されていれば家族のものは、あの囲いのくずれ、くだけた松の樹の根もとにいるのだろう、地面は冷たくその下に埋められて骨はまだ朽ちずにいることであろう。(そうであってもなんにもしてやれないのだ)
幾人全性命?盡室豈相偶?
こんなむごたらしいことがあっていいのか、無事でいきながらえ得るものが幾人あるというのだ? 一家全員一人も欠けずそってならんで坐ることがはたしてできるのだろうか?
嶔岑猛虎場,鬱結回我首。

こんなことを考えて、けわしい山の向こうの猛虎のはびこれる地方がある、家族とは深く心むすぼれているので首をふりむけてながめやることで私の心のうちが伝わることであろう。』

#3
自寄一封書,今已十月後。反畏消息來,寸心亦何有?
漢連初中興,生平老耽酒。沈思歡會處,恐作窮獨叟。

去年  潼関(どうかん)破れ、妻子  隔絶(かくぜつ)すること久し。
今夏(こんか)  草木(くさき)長じ、身を脱して西に走るを得たり。
麻鞋(まあい)  天子に見(まみ)え、衣袖(いしゅう)  両肘(りょうちゅう)を露(あらわ)す。
朝廷  生還(せいかん)を愍(あわれ)み、親故(しんこ)   老醜(ろうしゅう)を傷(いた)む。
涕涙(ているい) 拾遺(じゅうい)を授けらる、流離(りゅうり)  主恩(しゅおん)厚し。
柴門(さいもん)  去(ゆ)くを得(う)と雖(いえど)も、未だ即ち口を開くに忍(しの)びず。
#2
書を寄せて三川(さんせん)に問うも家の在るや否(いな)やを知らず
此(このご)ろ聞く 同じく禍(わざわい)に罹(かか)りて殺戮 鶏狗(けいく)に到ると
山中の漏茅屋(ろうぼうおく)誰(たれ)か復(ま)た戸牖(こゆう)に依(よ)らん
蒼松(そうしょう)の根に摧頽(さいたい)すとも地(ち)冷やかにして 骨未だ朽ちざらん
幾人か性命(せいめい)を全うする室(しつ)を尽くして 豈(あに)相偶(あいぐう)せんや
嶔岑(きんしん)たる猛虎の場(じょう)鬱結(うつけつ)して我が首(こうべ)を廻(めぐ)らす
#3
一封の書を寄せし自(よ)り、今は已(すで)に十月の後(のち)なり。
反(かえ)って畏(おそ)る  消息の来たらんことを、寸心(すんしん)  亦(ま)た何か有らん。
漢運(かんうん)  初めて中興し、生平(せいへい)  老いて酒に耽(ふけ)る。
歓会(かんかい)の処(ところ)を沈思(ちんし)し、窮独(きゅうどく)の叟(そう)と作(な)らんことを恐る。


述懐 #2 五韻十句 現代語訳と訳註
 (本文) #2 

寄書問三川,不知家在否?
比聞同罹禍,殺戮到雞狗。
山中漏茅屋,誰複依戶牖。
摧頹蒼松根,地冷骨未朽。
幾人全性命?盡室豈相偶?
嶔岑猛虎場,鬱結回我首。

(下し文) #2
書を寄せて三川(さんせん)に問うも家の在るや否(いな)やを知らず
此(このご)ろ聞く 同じく禍(わざわい)に罹(かか)りて殺戮 鶏狗(けいく)に到ると
山中の漏茅屋(ろうぼうおく)誰(たれ)か復(ま)た戸牖(こゆう)に依(よ)らん
蒼松(そうしょう)の根に摧頽(さいたい)すとも地(ち)冷やかにして 骨未だ朽ちざらん
幾人か性命(せいめい)を全うする室(しつ)を尽くして 豈(あに)相偶(あいぐう)せんや
嶔岑(きんしん)たる猛虎の場(じょう)鬱結(うつけつ)して我が首(こうべ)を廻(めぐ)らす

(現代語訳)
自分は今また新しく手紙をだして三川鄜州羌村の家族の様子をたずねている、いったいわが家は現に存在しているのかどうか知ることができない。
このごろ聞けば、どこの家も同様に戦争の兵禍にかかって鶏や家畜、犬までも殺されてしまったともいう。
あの山の中の雨もりのする茅屋のいえなのだ、そこでは誰かが、また以前の様に戸や窓にさびしくよりそっているだろう。
また殺されていれば家族のものは、あの囲いのくずれ、くだけた松の樹の根もとにいるのだろう、地面は冷たくその下に埋められて骨はまだ朽ちずにいることであろう。(そうであってもなんにもしてやれないのだ)
こんなむごたらしいことがあっていいのか、無事でいきながらえ得るものが幾人あるというのだ? 一家全員一人も欠けずそってならんで坐ることがはたしてできるのだろうか?
こんなことを考えて、けわしい山の向こうの猛虎のはびこれる地方がある、家族とは深く心むすぼれているので首をふりむけてながめやることで私の心のうちが伝わることであろう。』


(訳注)
寄書問三川,不知家在否?

自分は今また新しく手紙をだして三川鄜州羌村の家族の様子をたずねている、いったいわが家は現に存在しているのかどうか知ることができない。
寄書 手紙をやる。〇三川 鄜州地方のことで羌村の方をいう。三川觀水漲二十韻 杜甫 127 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 127-#1
家在否 自分の家が存在しているかどうか。野党、盗賊、叛乱軍、王朝軍それぞれが略奪、強盗をしていた。
 
比聞同罹禍,殺戮到雞狗。
このごろ聞けば、どこの家も同様に戦争の兵禍にかかって鶏や家畜、犬までも殺されてしまったともいう。
○同罷禍 自分の家も他の家と同じく戦争の兵禍にかかった。○殺戮 ころす。○到雞狗 鶏や家畜、犬までも。


山中漏茅屋,誰複依戶牖。
あの山の中の雨もりのする茅屋のいえなのだ、そこでは誰かが、また以前の様に戸や窓にさびしくよりそっているだろう。
山中漏茅屋 漏茅屋は雨のもれるかやぶきの家。○依戶牖 戸や窓によりそって立つ。


摧頹蒼松根,地冷骨未朽。
また殺されていれば家族のものは、あの囲いのくずれ、くだけた松の樹の根もとにいるのだろう、地面は冷たくその下に埋められて骨はまだ朽ちずにいることであろう。(そうであってもなんにもしてやれないのだ)
○摧頹 くだけ、くずれる。壁が剥がれ落ちる。○地冷骨未朽この二句は杜甫の心配がどうしようもないところまで至っていて、2年前、餓死で死んだ子供のことと重ねて家族全体が死んでしまったのではないかということを言っている。この時無政府状態で、すべての人間が、野党盗賊に変身して略奪、殺戮を行っていた。杜甫は、自分が経験し、目の前で見てきているので、心配でたまらなかったのだ

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 105 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-1参照

 
幾人全性命?盡室豈相偶?
こんなむごたらしいことがあっていいのか、無事でいきながらえ得るものが幾人あるというのだ? 一家全員一人も欠けずそってならんで坐ることがはたしてできるのだろうか?
全性命 無事にいきながらえる。○尽室 一家全体かけることなく。○相偶 偶とはならんで坐ることをいう。


嶔岑猛虎場,鬱結回我首。
こんなことを考えて、けわしい山の向こうの猛虎のはびこれる地方がある、家族とは深く心むすぼれているので首をふりむけてながめやることで私の心のうちが伝わることであろう。』
嶔岑 嶔岑は山のけわしいさま。

三川觀水漲二十韻 杜甫 127 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 127-#1

彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1

王砅「送重表姪王秋評事便南海」 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 131

猛虎場 野盗、盗賊、叛乱軍のはびこる地をいう、家族のいる方向であるが、即ち鄜州へは、その盗賊、叛乱軍の向こう側にいるということをいう。○鬱結 心のむすぼれること。○廻我首 鄜州、羌村の方へと首をふりむけること。


blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首


burogutitl770
http://kanshi100x100.blog.fc2.com/

大雲寺贊公房 四首 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 169

大雲寺贊公房 四首 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 169

頌春00

杜甫は叛乱軍の拘束中に大雲寺の僧贊公の宿坊に泊まった時に書いたものである。

大雲寺贊公房四首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 164

大雲寺贊公房四首其一#2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 165#2

大雲寺贊公房四首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 166

大雲寺贊公房四首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 167

大雲寺贊公房四首 其四 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 168


大雲寺贊公房 四首 -#1
童兒汲井華,慣捷瓶手在。
沾灑不濡地,掃除似無帚。
明霞爛複閣,霽霧搴高牖。
側塞被徑花,飄搖委墀柳。
艱難世事迫,隱遁佳期後。
#2
晤語契深心,那能總鉗口?
あいさつの言葉というのは深く心に繋ぎとめておくものである。どうして口をつぐんで言わないとしても心の奥で考えることは分かってくるものなのだ。
奉辭還杖策,暫別終回首。
陶淵明、王羲之は官を辞したがその考えには確固たる信念があったのだ。ここでしばらくの間、最後の考えとして向こうを見て、ここを去ろうと思い私は僧贊公としばらく別れることとした。
泱泱泥汙人,狺狺國多狗。
長安の街にはこれだけの叛乱軍が横行し、泥でもって人々を汚している。まるで犬がキャンキャン都内騒ぐように国中が叛乱軍でいっぱいになっているのだ。
既未免羈絆,時來憩奔走。
規制の管理体制は全く機能せず足手まといのものと成り下がっている。本来なら、ここで、国のために奔走して人々が憩えるようにしてほしいのだ。
近公如白雪,執熱煩何有?
天子の近くにいる家臣は本来白雪のように清廉潔白であるものである。もっともっと熱く執着してこの困難を打開してくれることに何のためらいがあるというのか


#1
童兒 井華(せいか)に汲む,慣捷(かんせい) 瓶 手に在る。
沾灑(てんさい) 地に濡(うるお)わず,掃除(そうじょ) 帚(はく)こと 無しに似たり。
明霞(めいか) 爛(らん)複た閣,霽霧(せいむ) 高牖(こうりょ)を搴(ぬ)く。
側塞(そくさい) 徑花を被い,飄搖(ひょうよう) 墀柳(くつりゅう)に委ねる。
艱難(かんなん) 世事 迫る,隱遁 佳期の後。
#2
晤語 深心に契り,那んぞ能く 鉗口に總(おさ)めんや?
奉辭(ほうじ) 還た杖策し,暫別 終に首を回らす。
泱泱(おうおう)たる 泥 人を汙(けが)す,狺狺(ぎんぎん)たる 國に 狗 多し。
既に 未だ 羈絆 免じず,時 來りて 奔走して 憩(いこ)わむ。
近公 白雪の如し,執熱 煩(わざわ) い 何んぞ有りや?


hinode0200

大雲寺贊公房 四首#2 現代語訳と訳註
(本文)

晤語契深心,那能總鉗口?
奉辭還杖策,暫別終回首。
泱泱泥汙人,狺狺國多狗。
既未免羈絆,時來憩奔走。
近公如白雪,執熱煩何有?

(下し文) #2
晤語 深心に契り,那んぞ能く 鉗口に總(おさ)めんや?
奉辭(ほうじ) 還た杖策し,暫別 終に首を回らす。
泱泱(おうおう)たる 泥 人を汙(けが)す,狺狺(ぎんぎん)たる 國に 狗 多し。
既に 未だ 羈絆 免じず,時 來りて 奔走して 憩(いこ)わむ。
近公 白雪の如し,執熱 煩(わざわ) い 何んぞ有りや?


(現代語訳) #2
あいさつの言葉というのは深く心に繋ぎとめておくものである。どうして口をつぐんで言わないとしても心の奥で考えることは分かってくるものなのだ。
陶淵明、王羲之は官を辞したがその考えには確固たる信念があったのだ。ここでしばらくの間、最後の考えとして向こうを見て、ここを去ろうと思い私は僧贊公としばらく別れることとした。
長安の街にはこれだけの叛乱軍が横行し、泥でもって人々を汚している。まるで犬がキャンキャン都内騒ぐように国中が叛乱軍でいっぱいになっているのだ。
規制の管理体制は全く機能せず足手まといのものと成り下がっている。本来なら、ここで、国のために奔走して人々が憩えるようにしてほしいのだ。
天子の近くにいる家臣は本来白雪のように清廉潔白であるものである。もっともっと熱く執着してこの困難を打開してくれることに何のためらいがあるというのか



(訳注) #2
晤語契深心,那能總鉗口?

あいさつの言葉というのは深く心に繋ぎとめておくものである。どうして口をつぐんで言わないとしても心の奥で考えることは分かってくるものなのだ。
○晤語 あいさつの言葉。⊗ 会う,面会する 晤商 会って相談する. ... 晤面 wumian. [動]. 《書》会う,面会する.
【音読み】ゴ. 【訓読み】あき-らか. 【字源】日と自身の意とで、. 自身を明らかに表す意。 【意味】自心を明確に表すさま。 人とよく内溶け合うさま。 心が賢く、人の心意をさとる得るもの。 明快な気質を現し、人とよく和み合うさま。
○鉗口 鉗口とは? (名)スル〔「けんこう(箝口)」の慣用読み〕 (1)他人の言論を束縛すること。 (2)口をつぐんでものを言わないこと。



奉辭還杖策,暫別終回首。
陶淵明、王羲之は官を辞したがその考えには確固たる信念があったのだ。ここでしばらくの間、最後の考えとして向こうを見て、ここを去ろうと思い私は僧贊公としばらく別れることとした。


泱泱泥汙人,狺狺國多狗。
長安の街にはこれだけの叛乱軍が横行し、泥でもって人々を汚している。まるで犬がキャンキャン都内騒ぐように国中が叛乱軍でいっぱいになっているのだ。
泱泱  (1) (水面が)広々とした,洋々たる. (2) 気宇壮大な,堂々たる.○泥汙 杜甫『秋雨嘆三首 其三』「泥汙後土何時乾」泥は後土を汙(けが)して何の時か乾かん?
狺狺犬之狺狺、不過吠非其主耳、是有功於主也。 犬の狺狺(ぎん・ぎん)たる、その主にあらざるを吠ゆるに過ぎざるのみ、これ、主において功あり。 イヌがぎゃんぎゃんと鳴くのは、その主人以外の者に吠えるだけではございませんか。
 安禄山の叛乱軍を指す。


既未免羈絆,時來憩奔走。
規制の管理体制は全く機能せず足手まといのものと成り下がっている。本来なら、ここで、国のために奔走して人々が憩えるようにしてほしいのだ。
○羈《牛馬をつなぐ意から》足手まといとなる身辺の物事。きずな。ほだし。



近公如白雪,執熱煩何有?
天子の近くにいる家臣は本来白雪のように清廉潔白であるものである。もっともっと熱く執着してこの困難を打開してくれることに何のためらいがあるというのか
近公 ・近 近臣。・公 貴人への敬称。○執熱執熱不濯 読み:しゅうねつふたく 意味:熱いものを手で直接掴めないので、先ずは水を入れてからでないと洗えないということから転じて、困難を克服するためには、賢人を起用しなければならないのに、それをしないことのたとえ。
1050hinode00


毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi


kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首

burogutitl770
http://kanshi100x100.blog.fc2.com/

彭衙行 #2 杜甫 133 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132#2

彭衙行 #2 杜甫 133 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132#2 (ほうがこう)


幼児らを連れて夜の山道を徒歩でゆく逃避行は困難を極めた。さらに艱難は続く。
#1
憶昔避賊初,北走經險艱。夜深彭衙道,月照白水山。』
盡室久徒步,逢人多厚顏。參差穀鳥吟,不見遊子還。
癡女饑咬我,啼畏虎狼聞。懷中掩其口,反側聲愈嗔。
小兒強解事,故索苦李餐。』

#2
一旬半雷雨,泥濘相牽攀。
凡そ十日のうち半分は雷があり雨の日だ、道はぬかるみで、なにかに掴まったり、手でひっぱりあったりしてやっと進めるのだ。
既無禦雨備,徑滑衣又寒。
急いで出発したので、もともと雨をふせぐ用意などしていない。そのうえ、小みちはすべり、著物もうすぎなので寒さにこたえる。
有時經契闊,竟日數裡間。
こういう時もあるのだ何日も続いて難儀をしているのだ、だから、一日中かかってやっと二三里しかあるけないのだ。
野果充糇糧,卑枝成屋椽。
野生のくだものを食糧の代りにたべたり、樹木の低い枝を屋根垂木の代りにして樹枝の下に野宿する。
早行石上水,暮宿天邊煙。』

朝早くには谷間の水に沿ってあるく、夕暮れになると峰の一番高いところに野宿するのだ。』
#3
少留同家窪,欲出蘆子關。故人有孫宰,高義薄曾雲。
延客已曛黑,張燈啟重門。暖湯濯我足,剪紙招我魂。』
#4
從此出妻孥,相視涕闌幹。眾雛爛熳睡,喚起沾盤飧。
誓將與夫子,永結為弟昆。遂空所坐堂,安居奉我歡。
誰肯艱難際,豁達露心肝。』
別來歲月周,胡羯仍構患。何時有翅翎,飛去墮爾前?』



#2
一旬(いちじゅん)  半(なか)ばは雷雨、泥濘(でいねい)   相(あい)攀牽(はんけん)す。
既に雨を禦(ふせ)ぐ備え無く、径(みち)滑かにして衣(い)又寒し。
時(とき)有りて契闊(けつかつ)たるを経(ふ)、竟日(きょうじつ)  数里の間(かん)。
野果(やか)を餱糧(こうりょう)に充(あ)て、卑枝(ひし)を屋椽(おくてん)と成(な)す。
早(あした)には行く  石上(せきじょう)の水、暮(くれ)には宿る   天辺(てんぺん)の煙。』


彭衙行 現代語訳と訳註
(本文)

一旬半雷雨,泥濘相牽攀。既無禦雨備,徑滑衣又寒。
有時經契闊,竟日數裡間。野果充 ?糧,卑枝成屋椽。
早行石上水,暮宿天邊煙。』

(下し文)
一旬(いちじゅん)  半(なか)ばは雷雨、泥濘(でいねい)   相(あい)攀牽(はんけん)す。
既に雨を禦(ふせ)ぐ備え無く、径(みち)滑かにして衣(い)又寒し。
時(とき)有りて契闊(けつかつ)たるを経(ふ)、竟日(きょうじつ)  数里の間(かん)。
野果(やか)を餱糧(こうりょう)に充(あ)て、卑枝(ひし)を屋椽(おくてん)と成(な)す。
早(あした)には行く  石上(せきじょう)の水、暮(くれ)には宿る   天辺(てんぺん)の煙。』

(現代語訳)
凡そ十日のうち半分は雷があり雨の日だ、道はぬかるみで、なにかに掴まったり、手でひっぱりあったりしてやっと進めるのだ。
急いで出発したので、もともと雨をふせぐ用意などしていない。そのうえ、小みちはすべり、著物もうすぎなので寒さにこたえる。
こういう時もあるのだ何日も続いて難儀をしているのだ、だから、一日中かかってやっと二三里しかあるけないのだ。
野生のくだものを食糧の代りにたべたり、樹木の低い枝を屋根垂木の代りにして樹枝の下に野宿する。
朝早くには谷間の水に沿ってあるく、夕暮れになると峰の一番高いところに野宿するのだ。』




(訳注)#2
一旬半雷雨,泥濘相牽攀。

凡そ十日のうち半分は雷があり雨の日だ、道はぬかるみで、なにかに掴まったり、手でひっぱりあったりしてやっと進めるのだ。
一旬 十日間。○泥浮 ぬかるみ。○攣牽 ものにつかまり、又はひっぱりあう。


既無禦雨備,徑滑衣又寒。
急いで出発したので、もともと雨をふせぐ用意などしていない。そのうえ、小みちはすべり、著物もうすぎなので寒さにこたえる。
禦雨備 雨をふせぐようい。○ こみち。


有時經契闊,竟日數裡間。
こういう時もあるのだ何日も続いて難儀をしているのだ、だから、一日中かかってやっと二三里しかあるけないのだ
有時 こういう時もある。○契闊 艱難辛苦するさま、契闊たるを契とはいくにちもつづいて難儀すること。○竟日 一日中、一日いっぱい。
 
野果充糇糧,卑枝成屋椽。
野生のくだものを食糧の代りにたべたり、樹木の低い枝を屋根垂木の代りにして樹枝の下に野宿する。
野果 野生のくだもの。○糇糧 食糧、かて。くいもの。○卑枝 ひくくさがっている枝。○成屋橡 やねのたるきとする、これは家をかまえるのではなく、樹枝の下に野宿することをいう。


早行石上水,暮宿天邊煙。』
朝早くには谷間の水に沿ってあるく、夕暮れになると峰の一番高いところに野宿するのだ。』
早行 早は朝はやく。○石上水 渓のいわまの水。○天辺煙 高峰のけむり。



(解説)
唐の国軍は叛乱軍の倍の数であった。誰もが、暫くすると叛乱軍も平定される、少し時間はかかるかもしれないが、と思っていたのだ。誰もかれもが逃げるに精一杯なのだ。ただ、叛乱軍は、唐国軍が総崩れしたのを見て、厳しい追跡をしなかったのだ。そこが叛乱軍によって唐王朝を滅亡させられなかった叛乱軍の内部矛盾があったのだ。それは不満分子の集まりでしかなかったのだ。凶暴で略奪するのみで、統治することに関心がなかった。端的に言えば、唐軍を甘く見たということ、それほど簡単で脆いものだったのだ。それは当初、唐国軍側は楊貴妃の親族の楊国忠が率いていたことが最大の問題だったのだ。
したがって、杜甫も逃げられたのだし、玄宗も同様である。

プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
記事検索
最新記事(画像付)
最新記事
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ