杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

#3

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 190

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 190
御史中丞郭英乂が太僕卿の官を兼ねながら、隴右節度使に充てられたのを送る詩。製作時は757年至徳二載の秋八月。


奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻
詔發山西將,秋屯隴右兵。淒涼餘部曲,燀赫舊家聲。
雕鶚乘時去,驊騮顧主鳴。艱難須上策,容易即前程。
斜日當軒蓋,高風卷旆旌。松悲天水冷,沙亂雪山清。#1
和虜猶懷惠,防邊詎敢驚。古來於異域,鎮靜示專徵。
燕薊奔封豕,周秦觸駭鯨。中原何慘黷,遺孽尚縱橫。
箭入昭陽殿,笳吹細柳營。內人紅袖泣,王子白衣行。#2

宸極妖星動,園陵殺氣平。
大空の中心でかがやいているべき天子の星うすれ、不吉をあらわす星の彗星が光をうごかしている、歴代天子の山陵には殺伐の気がみなぎり、高い陵を平らにするほど高く被いみなぎっているのだ。
空餘金碗出,無複穗帷輕。
陵御陵に敬いのためともに埋葬された黄金の「わん」が掘りだされてまた、死者を人間界へ出だす様なことが盗賊の叛乱軍によってなされている、魏の曹操がした様に御陵を望んで伎楽を奏するために台上に軽らかに幔幕をはってこの地の気を安らかにするということはもうないのかもしれない。
毀廟天飛雨,焚宮火徹明。
叛乱軍が王朝軍の残党を追跡し、宗廟を打ち壊した、天はこれに悲しまれ大雨と風をふかせた、そして、宮殿を焚きごがし、その火は夜明けまで燃えて夜空を染めたのだ。
罘罳朝共落,棆桷夜同傾。
御殿の縁側に張られた鳥よけの網などのすべてが朝までに焼け落ち、くずれ落ちた、棆の木でできた窓格子の木は夜の間に同様に壊れ果てた。』
三月師逾整,群凶勢就烹。
略奪をほしいままにしてきた者たちを757年6月に粛宗が即位し、足かけ3カ月経過することで王朝軍の師団は整備され臨戦態勢に入ってきた。乱暴狼籍のまの異民族の人間と、唐人の不満分子が入り混じるものたちもその勢が釜茹での刑に処せられそうな雲行きになって来たのだ。
瘡痍親接戰,勇決冠垂成。#
3
この時、あなたは下あごの矢を受けた。身に傷をうけながら敵と戦をまじえられ、まずの成功に近いものであなたの勇決は第一等と賞されるものであった

妙譽期元宰,殊恩且列卿。幾時回節鉞,戮力掃欃槍?
圭竇三千士,雲梯七十城。恥非齊說客,秖似魯諸生。
通籍微班忝,周行獨坐榮。隨肩趨漏刻,短發寄簪纓。#4
徑欲依劉表,還疑厭隬衡。漸衰那此別,忍淚獨含情。
廢邑狐狸語,空村虎豹爭。人頻墜塗炭,公豈忘精誠。
元帥調新律,前軍壓舊京。安邊仍扈從。莫作後功名。#5

#1
詔して山西の将を発し、秋 隴右(ろうう)の兵を屯せしむ。
凄涼 部曲余る、燀赫(せきかく) 家声旧りたり。
雕鶚(ちょうがく) 時に乗じて去る、驊騮(かりゅう) 主を顧みて鳴く。
艱難 上策を須(ま)つ 容易 前程に即く
斜日 軒蓋(けんがい)に当り、高風 旆旌(はいせい) を巻く。
松悲しみて 天水冷かに、沙乱れて 雪山清し。
#2
虜に和するすら猶 恵に懐(な)つく、辺を防ぐに 詎(なん)ぞ敢て驚かさんや。
古来 異域に於ける、鎮静にして 専征を示す。
燕薊(えんけい) 封豕(ほうし)奔(はし)り、周秦 駭鯨(がいけい)触る。
中原何ぞ慘黷(しんとく)なる、遺孽(いげつ) 尚 縦横たり。
箭は入る昭陽殿、節は吹かる細柳の営。
内人 紅袖(こうしゅう)に泣き、王子白衣行く。
#3
宸極(しんきょく)妖星動き、園陵(えんりょう) 殺気 平かなり。
空しく余す金碗の出ずるを、復た穗帷(けいい)の軽き無し。
毀廟(きびょう)天雨を飛ばし、焚宮(ふんきゅう)火明に徹す。
罘罳(ふし) 朝に共に落ち、棆桷(りんかく) 夜 同じく傾く。』
三月 師 逾々整い、羣胡 勢 烹(に)らるるに就く。
瘡痍(そうい) 親(みずか)ら接戦す、勇決(ゆうけつ) 垂成(すいせい)に冠たり。
#4
妙誉(みょうよ) 元宰(げんさい)を期す、殊恩(しゅおん)且つ列卿(れつけい)。
幾時か 節鉞(せつえつ)を廻らし、力を戮(あ)わせて欃槍(ざんそう)を掃わん』
圭竇(けいとう) 三千の士、雲梯(うんてい)七十城。
恥ずらくは 斉の説客に非るを、秖(ただ)魯の諸生(しょせい)に似たり。
通籍(つうせき) 徴班(びはん)を忝(かたじけな)くす、周行(しゅうこう) 独坐 栄ゆ。
肩を随えて漏刻(ろうこく)に趨(おもむ)き、短髪 簪纓(しんえい)に寄す。
#5
径(ただちに)に劉表(りゅうひょう)に依らんと欲す、還た疑う隬衡(でいこう)を厭(いと)わんかと。
漸(ようや)く衰(おとろ)う 那ぞ此に別れん,淚を忍びて獨り情を含む。』
廃邑(はいゆう) 狐狸(こり) 語り、空邨(くうそん) 虎豹(こひょう)争う。
人頻(しき)りに塗炭(とたん)に墜つ、公豈(こうあ)に精誠(せいせい)を忘れんや。
元帥(げんすい) 新律(しんりつ)を調え、前軍(ぜんぐん) 旧京を圧す。
邊を安じて仍って扈從(こじゅう)し。功名に後(おく)るること作す莫れ

gogyu10680


奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 現代語訳と訳註
(本文) #3
宸極妖星動,園陵殺氣平。空餘金碗出,無複穗帷輕。
毀廟天飛雨,焚宮火徹明。罘罳朝共落,棆桷夜同傾。
三月師逾整,群凶勢就烹。瘡痍親接戰,勇決冠垂成。


(下し文) #3
宸極(しんきょく)妖星動き、園陵(えんりょう) 殺気 平かなり。
空しく余す金碗の出づるを、復た穗帷(けいい)の軽き無し。
毀廟(きびょう)天雨を飛ばし、焚宮(ふんきゅう)火明に徹す。
罘罳(ふし) 朝に共に落ち、棆桷(りんかく) 夜 同じく傾く。』
三月 師 逾々整い、羣胡 勢 烹(に)らるるに就く。
瘡痍(そうい) 親(みずか)ら接戦す、勇決(ゆうけつ) 垂成(すいせい)に冠たり。


(現代語訳)
大空の中心でかがやいているべき天子の星うすれ、不吉をあらわす星の彗星が光をうごかしている、歴代天子の山陵には殺伐の気がみなぎり、高い陵を平らにするほど高く被いみなぎっているのだ。
陵御陵に敬いのためともに埋葬された黄金の「わん」が掘りだされてまた、死者を人間界へ出だす様なことが盗賊の叛乱軍によってなされている、魏の曹操がした様に御陵を望んで伎楽を奏するために台上に軽らかに幔幕をはってこの地の気を安らかにするということはもうないのかもしれない。
叛乱軍が王朝軍の残党を追跡し、宗廟を打ち壊した、天はこれに悲しまれ大雨と風をふかせた、そして、宮殿を焚きごがし、その火は夜明けまで燃えて夜空を染めたのだ。
御殿の縁側に張られた鳥よけの網などのすべてが朝までに焼け落ち、くずれ落ちた、棆の木でできた窓格子の木は夜の間に同様に壊れ果てた。』
略奪をほしいままにしてきた者たちを757年6月に粛宗が即位し、足かけ3カ月経過することで王朝軍の師団は整備され臨戦態勢に入ってきた。乱暴狼籍のまの異民族の人間と、唐人の不満分子が入り混じるものたちもその勢が釜茹での刑に処せられそうな雲行きになって来たのだ。
この時、あなたは下あごの矢を受けた。身に傷をうけながら敵と戦をまじえられ、まずの成功に近いものであなたの勇決は第一等と賞されるものであった。


sas0033
(訳注) #3
宸極妖星動,園陵殺氣平。
大空の中心でかがやいているべき天子の星うすれ、不吉をあらわす星の彗星が光をうごかしている、歴代天子の山陵には殺伐の気がみなぎり、高い陵を平らにするほど高く被いみなぎっているのだ。
宸極 天の中心をいう、帝星の在る所。・宸 天子のおわすところ。天子の住まいの屋根。大空。仙界、天上、皇帝というものは一体化しており、ここでは大空の中で微動だにしない中心を言う。○妖星 不吉をあらわす星。彗星、ほうき星を指す。○動 星の光がうごく。○園陵 天子の山陵をいう。陵には園があって属する。鳳翔から長安まで歴代王朝皇帝陵がある。○殺気平 殺伐の気が高い陵を平らにおおう。


空餘金碗出,無複穗帷輕。
陵御陵に敬いのためともに埋葬された黄金の「わん」が掘りだされてまた、死者を人間界へ出だす様なことが盗賊の叛乱軍によってなされている、魏の曹操がした様に御陵を望んで伎楽を奏するために台上に軽らかに幔幕をはってこの地の気を安らかにするということはもうないのかもしれない。
空余 いたずらにそんなことがのこっている。金椀は黄金のお椀、陵墓中に葬った器物。出とは掘られて人間界へでること。皇帝の権威が落ち御陵を守る物が減って盛んに盗掘がなされることを言う。叛乱軍は組織的に盗掘した。○穗帷 穗は細くして目のあらい布、穗帷とはそれをもって作った幔幕。魏の曹操が死ぬとき遺言して銅爵台上に六尺の牀を施し穗帷を張り、その前に伎楽を奏して生日の如くし西陵(操の華を望ましめたとある。謝跳の「銅爵台」の詩に「繚惟ハ井幹二執り云々」とみえる。玄宗の陵墓を望んで伎楽を奏するものもないという意。
 
毀廟天飛雨,焚宮火徹明。

叛乱軍が王朝軍の残党を追跡し、宗廟を打ち壊した、天はこれに悲しまれ大雨と風をふかせた、そして、宮殿を焚きごがし、その火は夜明けまで燃えて夜空を染めたのだ。
毀廟 叛乱軍が洛陽・長安の宗廟をこわす。・毀1 破りこわす。「毀棄・毀傷・毀損/破毀」 2 悪口を言う。そしる。「毀誉/誹毀(ひき)・謗毀(ぼうき)廟にはそこを守る護軍隊が配置されていたので、軍が集結する恐れがあったので、軍事的に支配者の側は逃げ隠れしているものを追跡したことを言う。○天飛雨 雨は天の涙、天も悲感して雨をふらせる。○焚宮 南京の宮殿をやく。○徹明 明は天明、よあけ、徹はとおる、よあけまでとおしてもえる。


罘罳朝共落,棆桷夜同傾。』
御殿の縁側に張られた鳥よけの網などのすべてが朝までに焼け落ち、くずれ落ちた、棆の木でできた窓格子の木は夜の間に同様に壊れ果てた。』
罘罳 簷際(エンガワ)に張った鳥よけの網。『大雲寺贊公房四首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 164』 「雨瀉暮簷竹,風吹春井芹。」とある。○棆桷 棆はクスに似る木、桷は格子になっている木を言う。○同傾 ひとしくゆがむ。


三月師逾整,群凶勢就烹。
略奪をほしいままにしてきた者たちを757年6月に粛宗が即位し、足かけ3カ月経過することで王朝軍の師団は整備され臨戦態勢に入ってきた。乱暴狼籍のまの異民族の人間と、唐人の不満分子が入り混じるものたちもその勢が釜茹での刑に処せられそうな雲行きになって来たのだ。
三月 玄宗が長安より逃げだしたのは757年天宝十五載(即ち至徳元載)の六月であり、この頃の年月計算は足かけを言うので6,7,8月が三カ月であるから作時の八月と合致する。○師逾整 唐王朝軍がいよいよ整う。時に王思礼は武功に軍し、王難得は西原に軍し、郭英乂は東原に軍した。○羣胡 もろもろの胡軍隊。異民族の人間と、唐人の不満分子が入り混じる。○就烹 釜茹での刑に処せられるような勢いになってきた。


瘡痍親接戰,勇決冠垂成。
この時、あなたは下あごの矢を受けた。身に傷をうけながら敵と戦をまじえられ、まずの成功に近いものであなたの勇決は第一等と賞されるものであった。
瘡痍 箭によるきり傷。致命傷ではない。○親接戦 英乂自身に敵と戦をまじえる。この年二月に安守忠が武功に寇(急襲)し、英乂は戦って不利な戦いをした。流失に頤(おとがい:したあご)を貫かれてが戦った。○勇決 勇武果決。○冠垂成 冠は他人の首となることをいう。垂成は成るになんなんとすること、功が成就しかけておることをいう。功垂レ成の時において英乂の勇武は第一である。

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送從弟亞赴河西判官 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 185

送從弟亞赴河西判官 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 185
いとこの杜亜が河西節度使の判官となって赴任するのを送る詩である。製作時は至徳二載の夏、鳳翔にあって作る。
至徳二載 757年 46歳


送從弟亞赴河西判官
#1
南風作秋聲,殺氣薄炎熾。盛夏鷹隼擊,時危異人至。』
令弟草中來,蒼然請論事。詔書引上殿,奮舌動天意。
兵法五十家,爾腹為篋笥。應對如轉丸,疏通略文字。
經綸皆新語,足以正神器。』#1
#2
宗廟尚為灰,君臣俱下淚。崆峒地無軸,青海天軒輊。
西極最瘡痍,連山暗烽燧。』
帝曰大布衣,藉卿佐元帥。坐看清流沙,所以子奉使。
歸當再前席,適遠非歷試。須存武威郡,為畫長久利。』#2
#3
孤峰石戴驛,快馬金纏轡。
君の通過する幹道では、所によっては単独に山が聳えて、駅路が巌石のうえにのっているようなところがあるのだ、そこを速足の馬が黄金で纏い飾った手綱をくりながら駆ってゆくのである。
黃羊飫不羶,蘆酒多還醉。
途中では臭くない黄羊の肉を十分食べたらよい、そして、いくら蘆酒といっても、たくさん呑めばやっぱり酔うこともあるであろう。
踴躍常人情,慘澹苦士誌。
このたびのように一官にありついて躍り上がって喜ぶのは凡人の情である、志士のこころはかえって苦しいことにあたって惨澹たるものがあるものなのだ。
安邊敵何有,反正計始遂。』
きみが西域の辺地を安寧にすることは請け合いで敵などにはならないものだ、君の子の赴任の旅によって我が天下を正常なものへとってかえすはかりごとの初めの一歩であるから成し遂げるのである。』
吾聞駕鼓車,不合用騏驥。
わたしが聞き及んだところ、太鼓をのせる車などをひかせることであるが、それを騏驥の名馬を用いることはないだろう。
(私が知ってるくらいのことで誰もが知っていることだ、君を河西の判官ぐらいに用いておくというのは騏驥に鼓車をひかせるというものと同じだ。)

龍吟回其頭,夾輔待所致。』
#3
君は龍のように風雲をかき集め、号令一下、頭を西から東へむけかえるのだ、そうすれば鳳翔にある行在所を本来の天子の王宮のある長安王明宮へもどりくることになり、左右の支えとしてお仕えすることになるのだ。


従弟亜が河西判官に赴くを送る
#1
南風秋声を作す、 殺気炎の熾なるに薄る。
盛夏鷹隼撃つ、 時危くして異人至る』
令弟草中より来る、 蒼然事を論ぜんと請う
詔書引いて殿に上らしむ、 舌を奮って天意を動かす
兵法五十家、 繭が腹筐笥為り
応対転丸の如く、 疎通文字を略す
経輪皆新語、 以て神器を正しくするに足れり』
#2
宗廟尚灰と為る、 君臣倶に涙を下す
崆峒地軸無く、 青海天軒輊す
西極最も瘡痍あり 連山烽燧暗し』
帝日く大布衣、 卿に藉りて元帥に佐たらしむと
坐ろに流沙を清むるを看ん、 子が使を奉ずる所以
帰らば当に再び席を前むべし、 遠きに適くは歴試するに非ず。
須らく武威郡を存し、 為めに長久の利を画すべし。』
#3
孤峰 石 駅を戴き、 快馬 金 轡を纏う。
黄羊飫けども羶ならず 蘆酒多ければ還た酔う
踴躍するは常人の情なり、 惨澹たるは苦士の志なり。
辺を安んずる敵何か有らん、 正に反えす計始めて遂げ
ん。』
吾聞く鼓車に駕するには、 騏驥を用う合らずと。
竜吟 其の頭を廻らさん、 爽輔致す所を待つ。』


杜甫図陝西甘粛


送從弟亞赴河西判官 #3  現代語訳と訳註
(本文) #3

孤峰石戴驛,快馬金纏轡。
黃羊飫不羶,蘆酒多還醉。
踴躍常人情,慘澹苦士誌。
安邊敵何有,反正計始遂。』
吾聞駕鼓車,不合用騏驥。
龍吟回其頭,夾輔待所致。』#3


(下し文) #3
孤峰 石 駅を戴き、 快馬 金 轡を纏う。
黄羊飫けども羶ならず 蘆酒多ければ還た酔う
踴躍するは常人の情なり、 惨澹たるは苦士の志なり。
辺を安んずる敵何か有らん、 正に反えす計始めて遂げ
ん。』
吾聞く鼓車に駕するには、 騏驥を用う合らずと。
竜吟 其の頭を廻らさん、 爽輔致す所を待つ。』

(現代語訳)
君の通過する幹道では、所によっては単独に山が聳えて、駅路が巌石のうえにのっているようなところがあるのだ、そこを速足の馬が黄金で纏い飾った手綱をくりながら駆ってゆくのである。
途中では臭くない黄羊の肉を十分食べたらよい、そして、いくら蘆酒といっても、たくさん呑めばやっぱり酔うこともあるであろう。
このたびのように一官にありついて躍り上がって喜ぶのは凡人の情である、志士のこころはかえって苦しいことにあたって惨澹たるものがあるものなのだ。
きみが西域の辺地を安寧にすることは請け合いで敵などにはならないものだ、君の子の赴任の旅によって我が天下を正常なものへとってかえすはかりごとの初めの一歩であるから成し遂げるのである。』
わたしが聞き及んだところ、太鼓をのせる車などをひかせることであるが、それを騏驥の名馬を用いることはないだろう。
(私が知ってるくらいのことで誰もが知っていることだ、君を河西の判官ぐらいに用いておくというのは騏驥に鼓車をひかせるというものと同じだ。)
君は龍のように風雲をかき集め、号令一下、頭を西から東へむけかえるのだ、そうすれば鳳翔にある行在所を本来の天子の王宮のある長安王明宮へもどりくることになり、左右の支えとしてお仕えすることになるのだ。


(訳注)
孤峰石戴驛,快馬金纏轡。
君の通過する幹道では、所によっては単独に山が聳えて、駅路が巌石のうえにのっているようなところがあるのだ、そこを速足の馬が黄金で纏い飾った手綱をくりながら駆ってゆくのである。
孤峰 一つの峰。○石戴駅 駅路が巌石のうえについている。○快馬 あしのはやい鳥。○金纏轡 黄金でたづなの飾りをつける。
 
黃羊飫不羶,蘆酒多還醉。
途中では臭くない黄羊の肉を十分食べたらよい、そして、いくら蘆酒といっても、たくさん呑めばやっぱり酔うこともあるであろう。
黄羊 黄色毛の羊、羊の一種。○ 羶は羊の肉のこと。ヒツジの臭いという意味の字である。○蘆酒 あしのくだで吸ってのむ酒。あまり濃くないが、しかし多くのめば酔うという。蘆酒特曲という酒があるらしい。


踴躍常人情,慘澹苦士誌。
このたびのように一官にありついて躍り上がって喜ぶのは凡人の情である、志士のこころはかえって苦しいことにあたって惨澹たるものがあるものなのだ。
踴躍 このたびの大抜擢によろこんでおどりあがること、官に任ぜられた時の心もちをいう。○常人 ただびと。○惨澹 心を苦しめるさま。○苦士志 心を苦しめる人の志。さかさまに志士の苦み、士は亜をさすもの。


安邊敵何有,反正計始遂。』
きみが西域の辺地を安寧にすることは請け合いで敵などにはならないものだ、君の子の赴任の旅によって我が天下を正常なものへとってかえすはかりごとの初めの一歩であるから成し遂げるのである。』
安辺 西域の辺地、国境を安らかにする。○何有 無きが如くなることをいう。○反正 我が天下を正常なものへとってかえす。粛宗を復び長安に還御させることをさすものをいう。


吾聞駕鼓車,不合用騏驥。
わたしが聞き及んだところ、太鼓をのせる車などをひかせることであるが、それを騏驥の名馬を用いることはないだろう。
(私が知ってるくらいのことで誰もが知っていることだ、君を河西の判官ぐらいに用いておくというのは騏驥に鼓車をひかせるというものと同じだ。)
○駕鼓車 駕は馬を車のかじ棒につなぐこと、鼓車は太鼓をのせる車。鼓車に駕すとは鼓車につけてそれをひかせることをいう。儒教を重んじた後漢の光武帝の建武十三年に異国より名馬を献じたところが、光武は詔してその馬を鼓車に駕せしめたとの事がある。○ 俗語、まさに何々すべし。○麒駿 名馬駿馬。
 
龍吟回其頭,夾輔待所致。』#3
君は龍のように風雲をかき集め、号令一下、頭を西から東へむけかえるのだ、そうすれば鳳翔にある行在所を本来の天子の王宮のある長安王明宮へもどりくることになり、左右の支えとしてお仕えすることになるのだ。
竜吟 河西の地に向かう途中はりゅうでんせつのあるところで杜亜をたとえていう、吟は河西の地で兵を整えて号令をかけること。○廻其頭 河西の西地から都の東方へと頭をめぐらしてもどってくる。叛乱軍を東から攻めたてることは不可能であったのでこういう表現をしている。鳳翔にいる軍だけでは長安の叛乱軍を攻めることは難しかったのだ。○夾輔 「左伝」債公二十六年に「成王ヲ夾輔ス」の語があり、左右からはさんでだくようにしてたすけること。○待作者が亜に対して期待する。○所致 所は天子のいる場所、現在は鳳翔の行在所であるが、これはあくまで仮の朝廷であるもの、長安の王宮に戻らしめることを指すものである。

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述懐 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 180

述懐 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 180
    
述懐 
#1 五韻十句(久。走。肘。醜。厚。口。)
去年潼関破、妻子隔絶久。今夏草木長、脱身得西走。
麻鞋見天子、衣袖露両肘。朝廷愍生還、親故傷老醜。
涕涙授拾遺、流離主恩厚。柴門雖得去,未忍即開口。
#2 四韻八句(否。狗。牖。朽。) 
寄書問三川,不知家在否?比聞同罹禍,殺戮到雞狗。
山中漏茅屋,誰複依戶牖。摧頹蒼松根,地冷骨未朽。

#3 四韻八句(後。有。酒。叟。)
自寄一封書,今已十月後。
反畏消息來,寸心亦何有?
漢連初中興,生平老耽酒。
沈思歡會處,恐作窮獨叟。

私が一通の手紙を出して以来音沙汰がない。今はかれこれ、十箇月もたっているので心配だ。
そうはいっても、実はかえって便りが来るのを畏れているのだ、もしたよりに家族全滅を知らせてくるかもしれないので私のこの胸の内は心も消えうせるばかりなのだ。
今や我が唐の国運は粛宗皇帝の御即位されてことにあたられることになったのだ、ところがこの私は、左拾遺に召されたが、平生、年より扱いしかされないので心は沈みがちで酒にふけっているのだ。
朝廷でのことは心が沈んでしまうことだ。それより、妻や子とのうれしい会合の場面をじっと考えてみることにする、それは夢であってもしかしたら、家族もいない貧窮孤独の老人として残るのではないかと恐れてしまうのだ。

#3
一封の書を寄せし自(よ)り、今は已(すで)に十月の後(のち)なり。
反(かえ)って畏(おそ)る  消息の来たらんことを、寸心(すんしん)  亦(ま)た何か有らん。
漢運(かんうん)  初めて中興し、生平(せいへい)  老いて酒に耽(ふけ)る。
歓会(かんかい)の処(ところ)を沈思(ちんし)し、窮独(きゅうどく)の叟(そう)と作(な)らんことを恐る。


DCF00209


述懐 #3 現代語訳と訳註
(本文) #3 四韻八句(後。有。酒。叟。)
自寄一封書,今已十月後。
反畏消息來,寸心亦何有?
漢連初中興,生平老耽酒。
沈思歡會處,恐作窮獨叟。


(下し文) #3
一封の書を寄せし自(よ)り、今は已(すで)に十月の後(のち)なり。
反(かえ)って畏(おそ)る  消息の来たらんことを、寸心(すんしん)  亦(ま)た何か有らん。
漢運(かんうん)  初めて中興し、生平(せいへい)  老いて酒に耽(ふけ)る。
歓会(かんかい)の処(ところ)を沈思(ちんし)し、窮独(きゅうどく)の叟(そう)と作(な)らんことを恐る。


(現代語訳)
私が一通の手紙を出して以来音沙汰がない。今はかれこれ、十箇月もたっているので心配だ。
そうはいっても、実はかえって便りが来るのを畏れているのだ、もしたよりに家族全滅を知らせてくるかもしれないので私のこの胸の内は心も消えうせるばかりなのだ。
今や我が唐の国運は粛宗皇帝の御即位されてことにあたられることになったのだ、ところがこの私は、左拾遺に召されたが、平生、年より扱いしかされないので心は沈みがちで酒にふけっているのだ。
朝廷でのことは心が沈んでしまうことだ。それより、妻や子とのうれしい会合の場面をじっと考えてみることにする、それは夢であってもしかしたら、家族もいない貧窮孤独の老人として残るのではないかと恐れてしまうのだ。


(訳注)
自寄一封書,今已十月後。

私が去年の9月に一通の手紙を出して以来、音沙汰がない。今は六月で、かれこれ、十箇月もたっているのでとても心配だ。
一封書 一通の手がみ。〇十月後十か月の後、此の詩の作が何月にあるかは不明であるが、左拾遺の任命が五月十六日、後の「北征」の詩が閏八月初音であるのによって推すときは、其の中間に在ってしかも任官後あまりほどとおからぬときであろう。仮りに六月頃とすればその十か月以前は前年の九月頃、叛乱軍に捕まった時となる。


反畏消息來,寸心亦何有?
そうはいっても、実はかえって便りが来るのを畏れているのだ、もしたよりに家族全滅を知らせてくるかもしれないので私のこの胸の内は心も消えうせるばかりなのだ。
消息 鄜州の妻子からのたより。○寸心 むねのうち、中国人は心のはたらきを一寸四方の心臓に在るとかんがえていた。○亦何有 なにもないことをいう、心も消えうせるばかり。


漢連初中興,生平老耽酒。
今や我が唐の国運は粛宗皇帝の御即位されてことにあたられることになったのだ、ところがこの私は、左拾遺に召されたが、平生、年より扱いしかされないので心は沈みがちで酒にふけっているのだ。
漢連 唐の国運をいう。○初中興 初めて興るにあたる、粛宗皇帝の即位されたことをさす。○生平平生と同じ。○沈思ふかくかんがえる。


沈思歡會處,恐作窮獨叟。
朝廷でのことは心が沈んでしまうことだ。それより、妻や子とのうれしい会合の場面をじっと考えてみることにする、それは夢であってもしかしたら、家族もいない貧窮孤独の老人として残るのではないかと恐れてしまうのだ。
歓会処 よろこんで一家族会合する場合のこと。○窮獨叟 貧窮で単独な老人。朝廷の中で、相手にされないので孤独感に陥っている、その上もしかしたら、家族のものがみな殺されてしまったかもしれないのだ。


解説
杜甫の言いたいことは、この#3に集約されている。ここでは、もう、杜甫の政治に対しての心が折れてしまっったようである。朝廷内で自分の意見を発揮できないばかりか、歳より扱いなのだ。勢い酒を飲むことになってしまう。思うことは、家族のことが心配なのだ。杜甫は、男として、いったん口にした、「房琯擁護」について、語らなくなった。この段階で朝廷内で宦官の影響力に負けたのである。そのことを口に出せば、死罪になるのである。しかし、詩人を数段高い詩人に成長させる事件であったのだ。


述懷
去年潼關破,妻子隔絕久。今夏草木長,脫身得西走。
麻鞋見天子,衣袖露兩肘。朝廷敏生還,親故傷老醜。
涕淚授拾遺,流離主恩厚。柴門雖得去,未忍即開口。』#1
寄書問三川,不知家在否?比聞同罹禍,殺戮到雞狗。
山中漏茅屋,誰複依戶牖。摧頹蒼松根,地冷骨未朽。
幾人全性命?盡室豈相偶?嶔岑猛虎場,鬱結回我首。』#2
自寄一封書,今已十月後。反畏消息來,寸心亦何有?
漢連初中興,生平老耽酒。沈思歡會處,恐作窮獨叟。』#3
#1
去年  潼関(どうかん)破れ、妻子  隔絶(かくぜつ)すること久し。
今夏(こんか)  草木(くさき)長じ、身を脱して西に走るを得たり。
麻鞋(まあい)  天子に見(まみ)え、衣袖(いしゅう)  両肘(りょうちゅう)を露(あらわ)す。
朝廷  生還(せいかん)を愍(あわれ)み、親故(しんこ)   老醜(ろうしゅう)を傷(いた)む。
涕涙(ているい) 拾遺(じゅうい)を授けらる、流離(りゅうり)  主恩(しゅおん)厚し。
柴門(さいもん)  去(ゆ)くを得(う)と雖(いえど)も、未だ即ち口を開くに忍(しの)びず。
#2
書を寄せて三川(さんせん)に問うも家の在るや否(いな)やを知らず
此(このご)ろ聞く 同じく禍(わざわい)に罹(かか)りて殺戮 鶏狗(けいく)に到ると
山中の漏茅屋(ろうぼうおく)誰(たれ)か復(ま)た戸牖(こゆう)に依(よ)らん
蒼松(そうしょう)の根に摧頽(さいたい)すとも地(ち)冷やかにして 骨未だ朽ちざらん
幾人か性命(せいめい)を全うする室(しつ)を尽くして 豈(あに)相偶(あいぐう)せんや
嶔岑(きんしん)たる猛虎の場(じょう)鬱結(うつけつ)して我が首(こうべ)を廻(めぐ)らす

#3
一封の書を寄せし自(よ)り、今は已(すで)に十月の後(のち)なり。
反(かえ)って畏(おそ)る  消息の来たらんことを、寸心(すんしん)  亦(ま)た何か有らん。
漢運(かんうん)  初めて中興し、生平(せいへい)  老いて酒に耽(ふけ)る。
歓会(かんかい)の処(ところ)を沈思(ちんし)し、窮独(きゅうどく)の叟(そう)と作(な)らんことを恐る。


去年あの不敗神話の潼関で最強幕府の将軍、哥舒翰が破れてしまったから、妻子とは簡単に逢うことができないかけはなれた存在になってしまった。
今年の夏は草木が生長するころに、叛乱軍の囲みの中からぬけだして西方、鳳翔の行在所をめがけて逃げて走ったのだ。
幸に行在所に到著ができ、麻のわらじのまま粛宗皇帝におめみえをしたが、衣のそでは破れて両ひじが現われていた。
朝廷ではこの自分がいきて戻ってきたのをおあわれみ下され、親しきもの、ふるなじみのもの等は自分の老い且つみすぼらしい姿をきのどくがってくれた。
幸いにも自分は涙ながらに左拾遺の官をおうけすることになった。この流浪零落の時にわが天子の御恩はいかばかりにお厚いことなのである。
粗末な門のある家族を疎開させている麒州の家の方へは若し願いでるならば行くことはできるのであろうが、とても今すぐそんな事を、口を開いて言いだすには忍びないのである。』


自分は今また新しく手紙をだして三川鄜州羌村の家族の様子をたずねている、いったいわが家は現に存在しているのかどうか知ることができない。
このごろ聞けば、どこの家も同様に戦争の兵禍にかかって鶏や家畜、犬までも殺されてしまったともいう。
あの山の中の雨もりのする茅屋のいえなのだ、そこでは誰かが、また以前の様に戸や窓にさびしくよりそっているだろう。
また殺されていれば家族のものは、あの囲いのくずれ、くだけた松の樹の根もとにいるのだろう、地面は冷たくその下に埋められて骨はまだ朽ちずにいることであろう。(そうであってもなんにもしてやれないのだ)
こんなむごたらしいことがあっていいのか、無事でいきながらえ得るものが幾人あるというのだ? 一家全員一人も欠けずそってならんで坐ることがはたしてできるのだろうか?
こんなことを考えて、けわしい山の向こうの猛虎のはびこれる地方がある、家族とは深く心むすぼれているので首をふりむけてながめやることで私の心のうちが伝わることであろう。』


私が一通の手紙を出して以来音沙汰がない。今はかれこれ、十箇月もたっているので心配だ。
そうはいっても、実はかえって便りが来るのを畏れているのだ、もしたよりに家族全滅を知らせてくるかもしれないので私のこの胸の内は心も消えうせるばかりなのだ。
今や我が唐の国運は粛宗皇帝の御即位されてことにあたられることになったのだ、ところがこの私は、左拾遺に召されたが、平生、年より扱いしかされないので心は沈みがちで酒にふけっているのだ。
朝廷でのことは心が沈んでしまうことだ。それより、妻や子とのうれしい会合の場面をじっと考えてみることにする、それは夢であってもしかしたら、家族もいない貧窮孤独の老人として残るのではないかと恐れてしまうのだ。

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彭衙行 #3 杜甫 134 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132#3

彭衙行 #3 杜甫 134 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132#3 (ほうがこう)


必死の思いで避難を続ける杜甫とその家族は(王触一家もいっしょだったであろうが)、三川県の周家窪という村にやっとたどり着いたが、その村で杜甫は思いもかけず、知り合いの孫宰に出会い、手厚いもてなしを受けることになった。


#1
憶昔避賊初,北走經險艱。夜深彭衙道,月照白水山。』
盡室久徒步,逢人多厚顏。參差穀鳥吟,不見遊子還。
癡女饑咬我,啼畏虎狼聞。懷中掩其口,反側聲愈嗔。
小兒強解事,故索苦李餐。』
#2
一旬半雷雨,泥濘相牽攀。既無禦雨備,徑滑衣又寒。
有時經契闊,竟日數裡間。野果充 ?糧,卑枝成屋椽。
早行石上水,暮宿天邊煙。』
#3
少留同家窪,欲出蘆子關。
故人有孫宰,高義薄曾雲。
延客已曛黑,張燈啟重門。
暖湯濯我足,剪紙招我魂。』

自分たちはしばらく同家窪で滞在してそれから蘆子関を出て北進しようと思っている。
同家窪にはふるなじみの孫辛というものがいて義理を重んじ人格のたかいことは雲にせまるほどであった。
彼が自分たちを案内してくれたときはもうすでにうすくらがりであり、あかりをつけて幾重かの門をあけてくれたのである。
そうしてお湯をわかして我々に足をあらわせ、紙をきって我々の元気の力、生き霊をよびかえらせてくれた。』

#4
從此出妻孥,相視涕闌幹。眾雛爛熳睡,喚起沾盤飧。
誓將與夫子,永結為弟昆。遂空所坐堂,安居奉我歡。
誰肯艱難際,豁達露心肝。』
別來歲月周,胡羯仍構患。何時有翅翎,飛去墮爾前?』


#3
少(しば)らく同家窪(どうかあ)に留(とど)まり、蘆子関(ろしかん)に出でんと欲す。
故人(こじん)  孫宰(そんさい)有り、高義(こうぎ)  曾雲(そううん)に薄(せま)る。
客を延(ひ)くとき己に曛黒(くんこく)なり 燈を張りて重門(ちょうもん)を啓(ひら)く。
湯を暖めて我が足を濯(あら)わしめ 紙を剪(き)って我が魂を招(まね)く』


#3 現代語訳と訳註
(本文)

少留同家窪,欲出蘆子關。故人有孫宰,高義薄曾雲。
延客已曛黑,張燈啟重門。暖湯濯我足,剪紙招我魂。』

(下し文)
少(しば)らく同家窪(どうかあ)に留(とど)まり、蘆子関(ろしかん)に出でんと欲す。
故人(こじん)  孫宰(そんさい)有り、高義(こうぎ)  曾雲(そううん)に薄(せま)る。
客を延(ひ)くとき己に曛黒(くんこく)なり 燈を張りて重門(ちょうもん)を啓(ひら)く。
湯を暖めて我が足を濯(あら)わしめ 紙を剪(き)って我が魂を招(まね)く』

(現代語訳)
自分たちはしばらく同家窪で滞在してそれから蘆子関を出て北進しようと思っている。
同家窪にはふるなじみの孫辛というものがいて義理を重んじ人格のたかいことは雲にせまるほどであった。
彼が自分たちを案内してくれたときはもうすでにうすくらがりであり、あかりをつけて幾重かの門をあけてくれたのである。
そうしてお湯をわかして我々に足をあらわせ、紙をきって我々の元気の力、生き霊をよびかえらせてくれた。』


(訳注)#3
少留同家窪,欲出蘆子關。
自分たちはしばらく同家窪で滞在してそれから蘆子関を出て北進しようと思っている。
少留 しばらく滞在する。○同家窪 白水県の郷村の名とおもわれる。孫宰の居る所。○蘆子關 関の名、延安府安塞県にある。鄜州よりさらに北にあり、霊武(地図の左側最上部)へ達する路。蘆子關は地図の中ほど最上部にある。杜甫のこの時地図の真ん中にある三川から鄜州にたどり着くのに艱難辛苦していたのだ
杜甫乱前後の図003鳳翔

  

故人有孫宰,高義薄曾雲。
同家窪にはふるなじみの孫辛というものがいて義理を重んじ人格のたかいことは雲にせまるほどであった。
故人 ふるなじみの人。○孫宰 姓は孫、宰は名とみる。○高義 義理を重んじ人格のたかいこと。○曾雲 かさなれるくも、骨は層に同じ。


延客已曛黑,張燈啟重門。
彼が自分たちを案内してくれたときはもうすでにうすくらがりであり、あかりをつけて幾重かの門をあけてくれたのである。
延客 お客をこちらへとひく、客は杜甫。○曛黑 うすくらがり。○張燈 あかりを設ける。○啟重門 幾重にもなっている門をひらく。


暖湯濯我足,剪紙招我魂。』
そうしてお湯をわかして我々に足をあらわせ、紙をきって我々の元気の力、生き霊をよびかえらせてくれた。』
暖湯 おゆをわかす。○濯我足 杜甫の足をあらわせる。○剪紙 紙をはさみできり、はたをつくり魂をまねく式に用いる。旅の間に落としていった元気の魂をかき集める儀式をする。○招我魂 くたびれ果てて自分ではないような感じになっている。我とは作者をさす。杜詩には往々にして招魂をいうが、これは生き霊をまねくことをいう、生者の魂が散じて四方にあるのによってこれをよびかえすこと。

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