杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

後出塞五首 其五 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 99

後出塞五首 其五 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 99




後出塞五首 其五
我本良家子,出師亦多門。
自分はあたりまえの家からでた人間である、従軍するにいろいろの師団長の門をくぐったりしたのだ。
將驕益愁思,身貴不足論。
この安禄山大将はすごく驕っているのでなにかするのではと内心心配している、立身出世して高いくらいについたので何事も論議することもしない横暴さである。
躍馬二十年,恐孤明主恩。
この大将に二十年も軍馬を躍らせて戦ってきた、ただ、唐の明主、天子のご恩にそむきはすまいかとおそれているのだ。
坐見幽州騎,長驅河洛昏。
毎日同じように見ている(異常に気が付く)、幽州の騎兵がうごきだしたのだ、黄河、洛陽の方まで遠みちをかけ、あたりが暗くなるほどほこりをたたせている。
中夜間道歸,故裡但空村。
真夜中になってこっそり抜け道でかえったのだ、ふるさとはみんな逃げたあととみえてだれもいないあきむらになっておる。
惡名幸脫兔,窮老無兒孫。

謀叛人の仲間という悪名からのがれることはできたが、かんがえてみると子も孫もない守るものを持っていない貧乏な年よりの身なのだ。


我は本良家の子なり  出師亦た悶多し

将縞りて益主愁思す  身の貴きは論ずるに足らず

馬を躍らすこと二十年 明主の恩に孤かんことを恐る

坐ろに見る幽州の騎  長駆河洛昏し

中夜間道より帰れば  故里但空郁なり

悪名は幸に脱免せるも 窮老にして児孫無し




後出塞五首 其五  訳註と解説

(本文)
我本良家子,出師亦多門。
將驕益愁思,身貴不足論。
躍馬二十年,恐孤明主恩。
坐見幽州騎,長驅河洛昏。
中夜間道歸,故裡但空村。
惡名幸脫兔,窮老無兒孫。


(下し文)
我は本良家の子なり  出師亦た悶多し
将縞りて益主愁思す  身の貴きは論ずるに足らず
馬を躍らすこと二十年 明主の恩に孤かんことを恐る
坐ろに見る幽州の騎  長駆河洛昏し
中夜間道より帰れば  故里但空郁なり
悪名は幸に脱免せるも 窮老にして児孫無し

(現代語訳)
自分はあたりまえの家からでた人間である、従軍するにいろいろの師団長の門をくぐったりしたのだ。
この安禄山大将はすごく驕っているのでなにかするのではと内心心配している、立身出世して高いくらいについたので何事も論議することもしない横暴さである。
この大将に二十年も軍馬を躍らせて戦ってきた、ただ、唐の明主、天子のご恩にそむきはすまいかとおそれているのだ。
毎日同じように見ている(異常に気が付く)、幽州の騎兵がうごきだしたのだ、黄河、洛陽の方まで遠みちをかけ、あたりが暗くなるほどほこりをたたせている。
真夜中になってこっそり抜け道でかえったのだ、ふるさとはみんな逃げたあととみえてだれもいないあきむらになっておる。
謀叛人の仲間という悪名からのがれることはできたが、かんがえてみると子も孫もない守るものを持っていない貧乏な年よりの身なのだ。


(語訳と訳註)
我本良家子,出師亦多門。

自分はあたりまえの家からでた人間である、従軍するにいろいろの師団長の門をくぐったりしたのだ。
良家子 良家とは普通のよい人家をいう。北方辺境の部隊には素性のわからない傭兵もいた。この詩の主人公は無頼の餞民、若しくは罪人などの出身ではないことをいっている。○出師 師をだすのは大将がだすのであり、ここはそのだす師に従ってでることをいう。従レ征多レ門と同様に用いる。○多門 門は将門をいう。いろいろな大将の門。


將驕益愁思,身貴不足論。
この安禄山大将はすごく驕っているのでなにかするのではと内心心配している、立身出世して高いくらいについたので何事も論議することもしない横暴さである。
愁息 謀叛でもしそうな様子ゆえしんはいする。○身貴 自分のからだが貴位にのぼって出世する。○不足論 そんなことはどうでもよい、とりあげていうほどのことはない。



躍馬二十年,恐孤明主恩。
この大将に二十年も軍馬を躍らせて戦ってきた、ただ、唐の明主、天子のご恩にそむきはすまいかとおそれているのだ。
明主 唐の明主、天子、玄宗をさす。



坐見幽州騎,長驅河洛昏。
毎日同じように見ている(異常に気が付く)、幽州の騎兵がうごきだしたのだ、黄河、洛陽の方まで遠みちをかけ、あたりが暗くなるほどほこりをたたせている。
坐見 毎日同じように見ていると。(異常に気が付く。)○幽州騎 漁陽は幽州に属している、幽州の騎とは禄山部下の騎兵をいう。○長駆 遠のりする。○河洛昏 河は黄河、格は洛水、洛陽にせまることをいう。昏とは兵馬のため塵攻が起って暗くなること。


中夜間道歸,故裡但空村。
真夜中になってこっそり抜け道でかえったのだ、ふるさとはみんな逃げたあととみえてだれもいないあきむらになっている。
間道 ぬけみち。○故裡 ふるさと。○空村 住民たちがさり、だれもいない村。



惡名幸脫兔,窮老無兒孫。
謀叛人の仲間という悪名からのがれることはできたが、かんがえてみると子も孫もない守るものを持っていない貧乏な年よりの身なのだ。
悪名 天下に対しての悪い名称。謀叛人の仲間という。○脱免 そのなかからのがれでる。○窮老 貧乏な年より。○無児孫 子も孫もない。守るものがない。軍隊に二十年青春をささげたのである。


 
(解説)
 謀反を起こす前の安禄山はかなり横暴になり、庶民的な目からもそれがわかるようになっていた。
李林逋宰相、前の張九齢との権力闘争、その後18年李林逋の圧制が続きます。その間に軍事的功績を積み重ねた節度使の安禄山。楊貴妃一族の台頭、李林逋の死(752)、と10年間で、特に叛乱の前五年の間にめまぐるしく権力構図が塗り替えられます。其の中で、はっきりしていることは、①皇帝の権威が著しく低下した、②朝廷は楊貴妃一族による腐敗したものとなる、③軍事的には安禄山を抑えようがないというのが750年代の情勢分析である。

 杜甫が述べているようにひとつの村が空っぽに為ったというのは戦になると予想されて逃げたのである。もし安禄山の側が、統制が取れた軍隊であったのなら庶民対策を万全にしたでしょうから支持を得た。叛乱か革命かの分岐点は、民衆の動向である。古今東西、すべて民衆の支持に後押しされたものでないと続くものではないのだ。権力は握れても大儀がなかった安禄山は翌年息子に殺される。
そして、この乱は10年近くも続く。

後出塞五首 其四 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 98

後出塞五首 其四 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 98


後出塞五首其四
獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。
勝った、勝ったとの報知が毎日、毎日漁陽の方から長安へ入ってくるたびに凱楽を奏ねられた、奚と契丹の兩蕃はしずかでなんにも心配はないといわれるほどに落ち着いた。
漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
漁陽はむかしから侠客風の土地がらである、軍師団中では激しく太鼓をうったり、笙や竽を吹きならしたりさわいでいる。
雲帆轉遼海,粳稻來東吳。
江南地方から船団になったので運河から海路遼海へと変更され、軍の食料米も東魯や呉の地方からくるのである。
越羅與楚練,照耀輿台軀。
また越の地方産のうす絹や楚の練絹がおくられ、賎しい身分の兵士らの躯体をてりかがやかしているのだ。
主將位益崇,氣驕淩上都。
ここの軍師団の主大将は一段と位がたかくなっていく、その横柄な態度と威張る気性は都の権威をもしのぐようになってきているのだ。
邊人不敢議,議者死路衢。

ここの群にいる兵士、この辺境の里にいる人たちは詮議や話題すらできないのだ、それを書面どこか口にしただけで殺され路傍に捨てられるのである。


凱を献ずること日々に踵を継ぐ 両蕃静にして虞無しと

漁陽は豪快の地なり 鼓を撃って生竿を吹く

雲帆遼海に転ず 硬稲東呉より来る

越羅と楚練と 輿台の姫に照耀す

主将位益主崇く 気騎りて上都を凌ぐ

辺人敢て議せず 議する者は路衛に死す




後出塞五首 其四  訳註と解説

(本文)
獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。
漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
雲帆轉遼海,粳稻來東吳。
越羅與楚練,照耀輿台軀。
主將位益崇,氣驕淩上都。
邊人不敢議,議者死路衢。

(下し文)
凱を献ずること日々に踵を継ぐ 両蕃静にして虞無しと
漁陽は豪快の地なり 鼓を撃って生竿を吹く
雲帆遼海に転ず 硬稲東呉より来る
越羅と楚練と 輿台の姫に照耀す
主将位益主崇く 気騎りて上都を凌ぐ
辺人敢て議せず 議する者は路衛に死す

(現代語訳)
勝った、勝ったとの報知が毎日、毎日漁陽の方から長安へ入ってくるたびに凱楽を奏ねられた、奚と契丹の兩蕃はしずかでなんにも心配はないといわれるほどに落ち着いた。
漁陽はむかしから侠客風の土地がらである、軍師団中では激しく太鼓をうったり、笙や竽を吹きならしたりさわいでいる。
江南地方から船団になったので運河から海路遼海へと変更され、軍の食料米も東魯や呉の地方からくるのである。
また越の地方産のうす絹や楚の練絹がおくられ、賎しい身分の兵士らの躯体をてりかがやかしているのだ。
ここの軍師団の主大将は一段と位がたかくなっていく、その横柄な態度と威張る気性は都の権威をもしのぐようになってきているのだ。
ここの群にいる兵士、この辺境の里にいる人たちは詮議や話題すらできないのだ、それを書面どこか口にしただけで殺され路傍に捨てられるのである。



(語訳と訳註)

獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。
勝った、勝ったとの報知が毎日、毎日漁陽の方から長安へ入ってくるたびに凱楽を奏ねられた、奚と契丹の兩蕃はしずかでなんにも心配はないといわれるほどに落ち着いた。
献凱 「周礼」大司楽に王の師が大いに勝ったときは凱楽を奏させたとある。凱は或は愷に作る、やわらぐこと、かちいくさにはやわらいだ音楽を奏してかえってくる、この献凱は捷報を奉ることをいう。○継踵 使者の足があとからあとからつづくことをいう。禄山は754年天宝十三載の二月、四月、755年十四載の四月にみな奚・契丹を破ったことを奏上したのだ。〇両蕃 奚・契丹の二蕃。○ しんばい。


漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
漁陽はむかしから侠客風の土地がらである、軍師団中では激しく太鼓をうったり、笙や竽を吹きならしたりさわいでいる。
漁陽 今の河北省順天府の地方をいう、唐のときは、幽州といい、苑陽郡といい、又そのうちに前州を分かって、漁陽郡といった。○豪快 おとこだての気風。○鼓、笙、竽 みな軍中の宴楽に用いる。


雲帆轉遼海,粳稻來東吳。
江南地方から船団になったので運河から海路遼海へと変更され、軍の食料米も東魯や呉の地方からくるのである。
雲帆 雲を帯びた帆、船団をいう。○ 船団を組んだので、運河での航行が難しく、領海にうつってゆく。○遼海 遼東方面の海。唐の時は揚州(江蘇省)に倉を置き水運によって貨物を東北に輸送した。禄山が苑陽に居るのによって南方より船が赴くのである。〇校稲 うるしね。○東呉 山東地方と江蘇省地方。



越羅與楚練,照耀輿台軀。
また越の地方産のうす絹や楚の練絹がおくられ、賎しい身分の兵士らの躯体をてりかがやかしているのだ。
越羅 漸江省地方でできるうすぎぬ。○楚練 湖南・湖北辺でできるねりぎぬ。○照耀 てりかがやかす。○輿台 「左伝」昭公七年に士以下の臣を順に臭、輿、隷、僚、僕、台とかぞえあげている。いやしきもの、ここは現に兵士となっておるものをさす。○ み、からだ。



主將位益崇,氣驕淩上都。
ここの軍師団の主大将は一段と位がたかくなっていく、その横柄な態度と威張る気性は都の権威をもしのぐようになってきているのだ。
主将 主人である大将、安禄山。○氣驕 威張る気性と横柄な態度。○上都 天子の都をいう。



邊人不敢議,議者死路衢。

ここの群にいる兵士、この辺境の里にいる人たちは詮議や話題すらできないのだ、それを書面どこか口にしただけで殺され路傍に捨てられるのである。
辺入国の辺都の地に居るもの、禄山の管内のものをさす。0 かれこれうわさする。○ 殺されてしぬ。○路衝 衝はちまた。



(解説)
 もともと、身分賎しい者が、貴族内の問題、府兵制度の崩壊、忠誠心の欠如、傭兵性の開始など様々な事柄の場当たり的解決策として、軍隊内の均衡化策をとり、異民族系のものを重用した。また、潘鎮の2極分化により、勢力の強くなるものを抑えるためと、地方の税徴収が上手くいかなくなったことにより、節度使を置いた。東の幽州を拠点にした安禄山、西の安西を拠点にした哥舒翰という構図になっていた。長安の朝廷には、楊国忠が宰相で、そこに宦官勢力も5,6000名に膨れ上がり、軍隊化していた。これ以外にも地方の潘鎮は君王化していた。

 玄宗は裸の大さま状態であったと思われる。忠義な家臣を味方に改革が必要であったが、ここまでの20年近く李林保と楊国忠によって徹底的な粛清がなされていて、忠義な家臣は遠ざけられていたのである。
かくして、誰が、クーデター、叛乱を起してもおかしくない状況になったのである。これに火をつけたのは、3年続きの干ばつ、長雨による物価高騰であった。国民のフラストレーションは最高潮に達していた。

杜甫の詩、750年頃から755年のものに彼らのことはすべて指摘している。罪にならない、当たり障りのない程度に詩を作ったのだ。

贈獻納使起居田舍人澄 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 90 

贈獻納使起居田舍人澄 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 
居舎人にして献納使である田澄に贈った詩。作時は天宝十三載冬「封西岳賦」を献ずる以前であろう。

贈獻納使起居田舍人澄
献納使で起居舎人の田澄に贈る
獻納司存雨露邊,地分清切任才賢。
献納使の職は本来外部にあるのだが今は天子の雨露のめぐみのふりかかるおそばちかくにあるというのだが。地位身分が天子のお声掛かりで、起居舎人と献納使を兼ねる才賢の任に就かれている。
舍人退食收封事,宮女開函近禦筵。
舎人・献納使は、ほかの官を退席させて後、匭から投書のあった封事を収め、宮女に函からそれを出させそして天子の御座にささげるのである。
曉漏追趨青瑣闥,晴窗檢點白雲篇。
暁の漏刻には起居舎人として青塗彫刻の小門に他の官僚に一緒に追随される、献納使としては晴窓の下で一般よりたてまつられた「白雲の詩篇」を点検される。
揚雄更有河東賦,唯待吹噓送上天。

揚雄が更に「河東賦」があったようにて(自分も更に「封西岳賦」たてまつる)、それをただ、君の吹嘘によって天まで送ってのぼらせてもらいたいと待ち望んでいます。



(贈獻納使起居田舍人澄 注釈と解説)
(本文)
獻納司存雨露邊,地分清切任才賢。
舍人退食收封事,宮女開函近禦筵。
曉漏追趨青瑣闥,晴窗檢點白雲篇。
揚雄更有河東賦,唯待吹噓送上天。

(献納使・起居田舎人澄に贈る)

献納司は存す雨露の辺、地清切を分ちて才賢に任す。

舎人過食封事を収め、官女函を開きて禦筵に捧ぐ。

暁漏 迫趨す 青瑣の闥。晴窓点検す白雲の篇。

揚雄更に河東の賦有り、唯だ待つ吹嘘送りて天に上すを。


(現代訳)
献納使で起居舎人の田澄に贈る
献納使の職は本来外部にあるのだが今は天子の雨露のめぐみのふりかかるおそばちかくにあるというのだが。地位身分が天子のお声掛かりで、起居舎人と献納使を兼ねる才賢の任に就かれている。
舎人・献納使は、ほかの官を退席させて後、匭から投書のあった封事を収め、宮女に函からそれを出させそして天子の御座にささげるのである。
暁の漏刻には起居舎人として青塗彫刻の小門に他の官僚に一緒に追随される、献納使としては晴窓の下で一般よりたてまつられた「白雲の詩篇」を点検される。
揚雄が更に「河東賦」があったようにて(自分も更に「封西岳賦」たてまつる)、それをただ、君の吹嘘によって天まで送ってのぼらせてもらいたいと待ち望んでいます。



贈獻納使起居田舍人澄
献納使で起居舎人の田澄に贈る
献納使 官名、唐に延恩匭という投書函の設けがあり、一般人の上書、詩賦文章等をうけつけた。則武天の垂拱中よりこれを置き、諌議大夫・補闕・拾遺一人を以て匭に関することを掌らせた。天宝九載にその官名を献納使と為した。○起居田舎人澄 「起居舎人田澄」ということをかくわけて書きなしたもの。起居舎人は天子の左右にあり、天子の起居注(日記)、政事に関する臣下の議論などを筆記する。田澄は姓名、澄は起居舎人にして献納使を兼ねていたとみられる。


獻納司存雨露邊,地分清切任才賢。
献納使の職は本来外部にあるのだが今は天子の雨露のめぐみのふりかかるおそばちかくにあるというのだが。地位身分が天子のお声掛かりで、起居舎人と献納使を兼ねる才賢の任に就かれている。
○献納司 献納使の職司をいう。○雨露辺 雨露とは天子の恩沢をいう。その恩沢の露のかかるにちかきあたりを雨露辺という。献納の司は外部にあるが舎人がこれをかねているので舎人の地位より雨露という。○地分清切 清切とは清要切近の意。職務が繁雑でなくて高く天子の側近にあることをいう。清切とは雨露の語をうけ、舎人の地位についていう。天子に直接口上できること。〇才賢 才は起居舎人、賢は献納使,両職を兼ねることを指す。田澄のこと。



舍人退食收封事,宮女開函近禦筵。
舎人・献納使は、ほかの官を退席させて後、匭から投書のあった封事を収め、宮女に函からそれを出させそして天子の御座にささげるのである。
退食 「詩経」に「過食公ヨリス」の語があり、公庁より退いて食をとることをいう。ここは必しも食事することをいうのではなく、公務を終えて退庁することをいう。ほかの官を退席させて後という意。○収封事 封事とは他人にみられぬように封じてある上書、収めるとほとりかたづけること。ここは献納伐としてのしごとをなすことをいう。○宮女 宮中につかえる女官をいう。○開函 函ははこ、即ち匪(投書びつ)の函をいう。○禦筵 天子の御座。



曉漏追趨青瑣闥,晴窗檢點白雲篇。
暁の漏刻には起居舎人として青塗彫刻の小門に他の官僚に一緒に追随される、献納使としては晴窓の下で一般よりたてまつられた「白雲の詩篇」を点検される。
暁漏 漏は水時計。暁漏とは朝の出仕の時刻をいう。夜明けのこと。○迫趨 ひとといっし上にこぼしりしてでむく。○青瑣闥 闥は小門、青瑣とはくさりをつらねたような離刻に青い絵具をぬったものをいう。○晴窓 天気のよいおりのまど。○点検 点をつけてしらべる、その天子のお手もとへ出す価値があるか香かをしらべること。○白雲篇 一般人が、白雲の夢をもって奉られた詩篇。短冊篇が重ねられると白雲のように見えた。



揚雄更有河東賦,唯待吹噓送上天。
揚雄が更に「河東賦」があったようにて(自分も更に「封西岳賦」たてまつる)、それをただ、君の吹嘘によって天まで送ってのぼらせてもらいたいと待ち望んでいます。
河東賦 漢の揚雄の作。杜甫はすでに三賦を献じ、天宝十三載更に「封西岳賦」を奏した。これはその作があって田澄によってこれを献じようとすることしめす。○吹嘘 吹も嘘もいきをふきかけること。○送上天 送って天へのぼす、天子に達せしめることをいう。


楊雄(ようゆう) B53~A18  蜀郡成都の出身。字は子雲。40余歳で上京して大司馬王音に文才を認められ、成帝に招されて黄門侍郎とされた。司馬相如の賦を尊崇して自身も名手と謳われたが、やがて文学を捨てて修学して多くの著作を行ない、『楊子法言』は『論語』に、『太玄経』は『易経』に倣って作られた。好学博識だが吃音で論・議を好まず、言説に対する批判には著述で応じた。王莽の簒奪後、門弟が符命の禁を破ったために自殺を図って果たせず、不問とされて大夫に直された。

秋雨嘆三首 其三 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 88

秋雨嘆三首 其三 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 88(就職活動中 杜曲の家)
天宝13載 754年 43歳
杜甫42 
754年 秋の長雨が、六十日間も雨が降りつづき、前年の日照りと今年は長雨、水害と交互に関中を襲い食糧不足に陥った。城内では米の値段が高騰した。
城内では米の値段が高騰し、米一斗と夜具を取り換えるほどです。

秋雨嘆三首  其一
雨中百草秋爛死、階下決明顏色鮮。
著葉滿枝翠羽蓋、開花無數黃金錢。
涼風蕭蕭吹汝急、恐汝後時難獨立。
堂上書生空白頭、臨風三嗅馨香泣。

秋雨嘆三首  其二 
闌風伏雨秋紛紛、四海八荒同一雲。
去馬来牛不復弁、濁涇清渭何当分。
禾頭生耳黍穂黒、農夫田父無消息。
城中斗米換衾裯、相許寧論両相直。

秋雨嘆三首  其三
長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?


秋雨嘆三首  其三
長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
私はだれからも相手にされない長安の一市民。門を閉ざし、土塀で囲まれた家の中でじっとしている。
老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
おやじが外に出ぬままに雑草は生い茂り、子供は親の苦労も知らぬげに、風雨の中を走りまわっている。
雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
雨はザアザアと、早い冬をせき立て、胡雁は翼が湿って高く飛べない。
秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?

秋になってからこれまで、お日さまを見たことがなく、大地は泥に汚されてしまい、いつになったら乾くのか。




秋雨嘆三首  其三
長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?


長安の布衣の比數するは誰ぞ,反(しか)るに衡門を鎖じて環堵を守る。

老いたる夫(われ)は出でずして蓬蒿を長(しげ) らせ,稚なき子は憂い無くして風雨に走る。

雨聲は颼颼(そうそう)として早(あさ)の寒さを催し,胡の雁は翅(つばさ) を濕いて高く飛ぶに難し。

秋と來りて未だ曾つて白日を見ず,泥は後土を(けが)して何の時か乾かん?


私はだれからも相手にされない長安の一市民。門を閉ざし、土塀で囲まれた家の中でじっとしている。
おやじが外に出ぬままに雑草は生い茂り、子供は親の苦労も知らぬげに、風雨の中を走りまわっている。
雨はザアザアと、早い冬をせき立て、胡雁は翼が湿って高く飛べない。
秋になってからこれまで、お日さまを見たことがなく、大地は泥に汚されてしまい、いつになったら乾くのか。


長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
私はだれからも相手にされない長安の一市民。門を閉ざし、土塀で囲まれた家の中でじっとしている。
布衣 粗末な着物。冠位のない人。○比數 取るに足らない。 ○衡門 木を横にした粗末な門。隠者の門。○環堵  家の周囲を取り巻いている垣根。  小さな家。狭い部屋。また、貧しい家。この聯のイメージは杜甫の「貧交行 」を参照。


老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
おやじが外に出ぬままに雑草は生い茂り、子供は親の苦労も知らぬげに、風雨の中を走りまわっている。
老夫 老爺(ろうや). 翁(おう) 翁(おきな) 老翁(ろうおう). [共通する意味年をとった男性。○蓬蒿 草ぼうぼうの野原。○無憂 むじゃき。憂いを認識しない。  



雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
雨はザアザアと、早い冬をせき立て、胡雁は翼が湿って高く飛べない。
雨聲 雨音 ○颼颼 風雨の音○胡雁 胡に帰る雁。 ○翅濕 羽を濡らせての奥までを湿らせる。   



秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?
秋になってからこれまで、お日さまを見たことがなく、大地は泥に汚されてしまい、いつになったら乾くのか。
泥汙 汙は汚。泥に汚される ○何時乾  乾くのはいつ。




貧困者を救済するために、政府は官の大倉を開いて米を放出し、長安市民に日に五升(日本の二升あまり)ずつ、安価に分け与えた。杜甫も毎日、大倉に出かけていって米の配給を受け、その日その日をやっと食いつないでいた。しかし、それも長くは続かず、彼は仕方なく家族を長安から奉先県に移すことにした。奉先県は長安の東北約一〇〇キロメートルの所にあり、当時そこには妻楊氏の親戚の者が県令として赴任していた。家族を奉先県に送っていった杜甫は、一人で長安に引き返し、あてのない採用通知を待ちつづける。(この時の様子は曲江三章 章五句の第三章にあらわされてる)

長安・杜曲韋曲
杜甫乱前後の図001


曲江三章 章五句 
曲江三章 第一章五句
曲江蕭條秋氣高,菱荷枯折隨風濤。
遊子空嗟垂二毛,白石素沙亦相蕩,哀鴻獨叫求其曹。

(曲江蕭条として 秋氣高く。菱荷(菱と蓮)枯折して 風濤に随ふ。
游子空しく嗟す 二毛(白髪交じり)に垂(なんなん)とするを。
白石素沙 亦た相い蕩(うごか)す。哀鴻(あいこう、哀れなヒシクイ)独り叫び 其の曹(ともがら)を求む)。


曲江三章 第二章五句
即事非今亦非古,長歌激夜梢林莽,比屋豪華固難數。
吾人甘作心似灰,弟侄何傷淚如雨?

(即事 今に非ず 亦た古(いにしへ)に非ず。長歌夜激しくして 林莽(りんぼう、林やくさむら)を捎(はら)ふ。比屋 豪華にして 固より数え難し。吾人 甘んじて 心 灰に似たるを作さん。弟姪 何をか傷みて 泪(なみだ)雨の如くなる。)

曲江三章 第三章五句
自斷此生休問天,杜曲幸有桑麻田,故將移住南山邊。
短衣匹馬隨李廣,看射猛虎終殘年。

(自ら此の生を断つ天に問うを休めよ。杜曲幸に桑麻の田有り。故に将に南山の辺に移住す。短衣匹馬李広に随い。猛虎を射るを看て残年を終えんとす。)


貧交行     杜甫 
翻手作雲覆手雨,紛紛輕薄何須數。
君不見管鮑貧時交,此道今人棄如土。

(手を翻(ひるがへ)せば雲と 作(な)り 手を覆(くつがへ)せば 雨となる。紛紛たる輕薄  何ぞ 數ふるを 須(もち)ゐん。
君見ずや  管鮑(くゎんんぱう) 貧時の交はりを,此(こ)の道  今人(こんじん) 棄つること 土の如し。)

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紀 頌之

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