杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

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喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 223

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 223

杜甫が羌村の家族のもとで日を過ごしているあいだに、唐の王朝軍は回紇(ウイグル)の援軍を加えて連合軍とし、長安への進攻を開始していた。すなわち757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、十月十九日には鳳翔を出発し、十月二十三日に長安に帰った。
杜甫は鄜州の羌村で、王朝軍の長安進攻を知り「官軍の己に賊寇に臨むを聞くを喜ぶ二十韻」をつくり、入城を知って、「京を収む三首」を作って、その歓喜の情を表わしている。



喜聞官軍已臨賊寇 二十韻
#1
胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。
叛乱軍の異民族の騎隊等は長安の都近くの県に逃れ潜り込み、王朝連合軍は塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。
鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
叛乱軍はまるで鼎のなかに煮られかけていいて魚が息木次をわずかにするだけの猶予をあたえられている様である、また穴のなかの蟻でどこへ逃げようとおもっているのか、とてもどこにも逃げられないのだ。』
帳殿羅玄冕,轅門照白袍。
いま鳳翔の行在所の仮御殿では玄冤をつけた公卿たちがずらり並んでいる、軍門から入ると援軍の回紇の白衣がまぶしいほど照っている。
秦山當警蹕,漢苑入旌旄。

都、長安附近の山々は我が君の行幸の御警蹕あるべき筋道に当っているし、いまや都の御苑も王朝軍の旌のたてられる範囲内に入ろうとしている。

#2
路失羊腸險,雲橫雉尾高。五原空壁壘,八水散風濤。
今日看天意,遊魂貸爾曹。乞降那更得,尚詐莫徒勞。」
#3
元帥歸龍種,司空握豹韜。前軍蘇武節,左將呂虔刀。
兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。戈鋌開雪色,弓矢向秋毫。
天步艱方盡,時和運更遭。誰雲遺毒螫,已是沃腥臊。」
#4
睿想丹墀近,神行羽衛牢。花門騰絕漠,拓羯渡臨洮。
此輩感恩至,羸浮何足操。鋒先衣染血,騎突劍吹毛。
喜覺都城動,悲連子女號。家家賣釵釧,只待獻春醪。」


喜聞官軍己臨賊寇二十韻
(官軍己に賊寇に臨むと聞くを喜ぶ 二十韻)
#1
胡騎京県に潜み、官軍賊壕を擁す。
鼎魚(ていぎょ)猶息を仮す、穴蟻何に逃れんと欲する。」
帳殿玄冤(げんべん)羅(つらな)り、轅門(えんもん)白袍照る。
秦山警蹕(けいひつ)に当る 漢苑旌旄(せいぼう)に入る。

#2
路は羊腸の険を失す、雲横わりて雉尾(ちび)高し。
五原空しく壁塁(へきるい)、八水風涛(ふうとう)散ず。
今日天意を看るに、遊魂(ゆうこん)爾が曹に貸す。』
#3
降を乞うも那(なん)ぞ更に得ん 詐を尚(たっと)ぶは徒に労する莫らんや。
元帥竜種(りょうしゅ)に帰し、司空豹韜(ひょうとう)を握る。
前軍 蘇武が節、左将 呂虔(りょけん)が刀。
兵気 飛鳥(ひちょう)を回(か)えす、威声(いせい) 巨鰲を没せしむ。
戈鋌(かせん) 雪色開き、弓矢 秋毫(しゅうごう)に向う。
天歩(てんぽ) 艱 方(まさ)に尽く、時和 運 更に遭う。
誰か云う毒螫を遺すと、己に是れ 腥臊(せいそう)に沃(そそ)ぐ。」
#4
睿想 丹墀(たんち)近く、神行 羽衛(うえい)牢(かた)し。
花門 絶漠に騰(あが)り、拓羯(たくけつ)臨洮(りんとう)を渡る。
此の輩恩に感じて至る、羸浮(るいふ)何ぞ操るに足らん。
鋒 先(さきだ)ちて 衣血に染む、騎 突きて 剣毛(けんけ)を吹く。
喜びは覺ゆ 都城の動くを、悲みは連(ともな)う 子女の號(さけ)ぶを。
家家 釵釧を売り 只だ待つ春醪を献ずるを』


natsusora01


現代語訳と訳註
(本文) #1

胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。
鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
帳殿羅玄冕,轅門照白袍。
秦山當警蹕,漢苑入旌旄。


(下し文) #1
胡騎京県に潜み、官軍賊壕を擁す。
鼎魚(ていぎょ)猶息を仮す、穴蟻何に逃れんと欲する。」
帳殿玄冤(げんべん)羅(つらな)り、轅門(えんもん)白袍照る。
秦山警蹕(けいひつ)に当る 漢苑旌旄(せいぼう)に入る。


(現代語訳)
叛乱軍の異民族の騎隊等は長安の都近くの県に逃れ潜り込み、王朝連合軍は塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。
叛乱軍はまるで鼎のなかに煮られかけていいて魚が息木次をわずかにするだけの猶予をあたえられている様である、また穴のなかの蟻でどこへ逃げようとおもっているのか、とてもどこにも逃げられないのだ。』
いま鳳翔の行在所の仮御殿では玄冤をつけた公卿たちがずらり並んでいる、軍門から入ると援軍の回紇の白衣がまぶしいほど照っている。
都、長安附近の山々は我が君の行幸の御警蹕あるべき筋道に当っているし、いまや都の御苑も王朝軍の旌のたてられる範囲内に入ろうとしている。


(訳注)
胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。

叛乱軍の異民族の騎隊等は長安の都近くの県に逃れ潜り込み、王朝連合軍は塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。
胡虜 異民族の騎兵。異民族は騎馬民族であり、騎兵戦法をとる。農耕民族は歩兵、兵車戦法をとる。異民族の騎兵軍隊には騎士の数より2倍以上の駿馬を用意している。○ のがれかくれる。○京県 都近くの県。○官軍 広平王の率いる連合軍をさす。この時ウイグル軍は駿馬を一万五千頭揃えたといわれている。その引き起こす砂塵で叛乱軍は退いたといわれる。○擁賊壕 叛乱軍の拠った塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。


鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
叛乱軍はまるで鼎のなかに煮られかけていいて魚が息木次をわずかにするだけの猶予をあたえられている様である、また穴のなかの蟻でどこへ逃げようとおもっているのか、とてもどこにも逃げられないのだ。』
鼎魚 かなえの中で煮られる魚、賊の危いことをたとえていう。○仮息 いきふくことをかし与えてある、しばし生命をあずけておくこと。○穴蟻 穴のなかのあり、これも賊の危さをたとえていう。○何逃 何は何処の意。


帳殿羅玄冕,轅門照白袍。
いま鳳翔の行在所の仮御殿では玄冤をつけた公卿たちがずらり並んでいる、軍門から入ると援軍の回紇の白衣がまぶしいほど照っている。
帳殿 本殿の周りにテント張りで守りをつくる御殿、皇帝の旅の仮のお住まいという意味。鳳翔の行在所をいう。○ ならぶこと。○玄冕(げんべん) くろいかんむり、公卿の礼冠。○轅門 軍門、軍中の門は轅(くるまのながえ)を以てつくる。○ でりかがやく。〇白袍 白いうわざ、これは援助に来た回紇のきる衣。イスラム地域の服装。
 

秦山當警蹕,漢苑入旌旄。
都、長安附近の山々は我が君の行幸の御警蹕あるべき筋道に当っているし、いまや都の御苑も王朝軍の旌のたてられる範囲内に入ろうとしている。
泰山 長安附近の山をいう。○当警蹕(けいひつ) 当(あたる)とは警蹕すべき地位にあることをいう、警蹕は天子の出入に道路上の人払いをすること、出る時には警といい、入る時は蹕と称する。○漢苑 長安にある唐の御苑をいう。〇入旌旄(せいぼう) 旌旄は王朝軍のはた。入るとは、皇帝の行軍にはおびただしい数のはたのたてられる範囲内にはいることをいう。


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北征 #11(全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 218

北征 #11(全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 218
北徵 11回目(全12回)


#10までの要旨
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。
嚢中の帛がないことで寒がってふるえている。それでもおしろいや眉墨をいれた包みものをひろげたので痩せた妻もその顔面に光があるようになった。
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。
その頃、粛宗はウイグルに再度の援軍を要請した。五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。精鋭部隊であり、おかげで傾性は次第に回復してきた。しかし、世論はウイグルに援軍を出すことが高い代償を払うことになるのではないかと心配しているのだ。
王朝連合軍は官軍となり進んで叛乱軍の本拠地まで深く攻め入ろうと請け負ってくれている。この軍事同盟による回紇軍との連合を云い洛陽地方までを攻めおとすことは青州・徐州の方面を開くことになるのである。また五嶽の一つ恒山や碣石の門の両の精神的支柱をも略取することになるのである。叛乱軍、異民族らの命運はながつづきできるというものではない、天子の皇道は断絶してはならないはずのものである。』


10
伊洛指掌收,西京不足拔。官軍請深入,蓄銳可俱發。
此舉開青徐,旋瞻略恆碣。昊天積霜露,正氣有肅殺。
禍轉亡胡歲,勢成擒胡月。胡命其能久?皇綱未宜絕。』
11
憶昨狼狽初,事與古先別。
昨年のことを思い出してみる、前年6月4日圧倒的に有利と見られていた王朝軍を率いる哥舒翰が潼関でが大敗した。都において慌てふためいて出奔の事変が起ったとき、朝廷でとられた御処置は昔の施策とはちがっていた。
奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
我が朝では奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払い散らされてしまった。
不聞夏殷衰,中自誅褒妲。
諸君は夏殷の衰えたときのことを聞いたことはないか、宮廷の中で天子御自身で褒娰・妲己の悪女を誅されたのである。(楊貴妃は玄宗御自身が誅せられたということ。)
周漢獲再興,宣光果明哲。
そうして周の宣王と後漢の光武帝は皆が期待した通り、聡明で事理に明るい君主であったので周や後漢は再興することができた。(新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。)
桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。
まことに桓々と勇武である、左竜武大将軍の陳将軍は。彼は天子から授けられた鉞をついて忠義な功しをふるわれたのである。
微爾人盡非,於今國猶活。』

あの時もし左竜武大将軍の陳将軍が居なかったならば唐の人民はみんな今見るような安泰なものであることができなかったであろう、あなたのおかげで今も我が唐の国はいきることができるのである。』
12
淒涼大同殿,寂寞白獸闥。都人望翠華,佳氣向金闕。
園陵固有神,灑掃數不缺。煌煌太宗業,樹立甚宏達!』

#10
伊洛(いらく)  掌(たなごころ)を指(さ)して収めん、西京(せいけい)も抜くに足らざらん。
官軍  深く入らんことを請(こ)う、鋭(えい)を蓄(たくわ)えて倶(とも)に発す可し。
此の挙(きょ)  青徐(せいじょ)を開かん、旋(たちま)ち恒碣(こうけつ)を略するを瞻(み)ん。
昊天(こうてん) 霜露を積み,正氣 肅殺(しゅくさつ)たる有り。
禍は轉ぜん 胡を亡ぼさん歲(とし),勢は成らん 胡を擒(とりこ)にせん月。
胡の命 其れ能く久しからんや?皇綱(こうこう)未だ宜しく絕つべからず。』

#11
憶う昨(さく) 狼狽(ろうばい)の初め,事は古先と別なり。
奸臣 竟に菹醢(そかい)せられ,同惡(どうあく)隨って蕩析(とうせき)す。
聞かず  夏殷(かいん)の衰えしとき、中(うち)の自ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを。
周漢(しゅうかん) 再興するを獲(え)しは、宣光(せんこう)  果たして明哲(めいてつ)なればなり。
桓桓(かんかん)たり  陳(ちん)将軍、鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈を奮(ふる)う。
爾(なんじ)微(な)かりせば人は尽(ことごと)く非(ひ)ならん、今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く。

#12
淒涼(せいりょう)たり  大同殿(だいどうでん)、寂寞(せきばく)たり 白獣闥(はくじゅうたつ)。
都人(とじん) 翠華(すいか)を望み、佳気(かき)   金闕(きんけつ)に向こう。
園陵(えんりょう) 固(もと)より神(しん)有り、掃灑(そうさい)  数(すう)欠けざらん。
煌煌(こうこう)たり 太宗の業(ぎょう)、樹立 甚(はなは)だ宏達(こうたつ)なり。


現代語訳と訳註
(本文) 11

憶昨狼狽初,事與古先別。
奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
不聞夏殷衰,中自誅褒妲。
周漢獲再興,宣光果明哲。
桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。
微爾人盡非,於今國猶活。』

(下し文) #11
憶う昨(さく) 狼狽(ろうばい)の初め,事は古先と別なり。
奸臣 竟に菹醢(そかい)せられ,同惡(どうあく)隨って蕩析(とうせき)す。
聞かず  夏殷(かいん)の衰えしとき、中(うち)の自ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを。
周漢(しゅうかん) 再興するを獲(え)しは、宣光(せんこう)  果たして明哲(めいてつ)なればなり。
桓桓(かんかん)たり  陳(ちん)将軍、鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈を奮(ふる)う。
爾(なんじ)微(な)かりせば人は尽(ことごと)く非(ひ)ならん、今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く。


(現代語訳)⑪
昨年のことを思い出してみる、前年6月4日圧倒的に有利と見られていた王朝軍を率いる哥舒翰が潼関でが大敗した。都において慌てふためいて出奔の事変が起ったとき、朝廷でとられた御処置は昔の施策とはちがっていた。
我が朝では奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払い散らされてしまった。
諸君は夏殷の衰えたときのことを聞いたことはないか、宮廷の中で天子御自身で褒娰・妲己の悪女を誅されたのである。(楊貴妃は玄宗御自身が誅せられたということ。)
そうして周の宣王と後漢の光武帝は皆が期待した通り、聡明で事理に明るい君主であったので周や後漢は再興することができた。(新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。)
まことに桓々と勇武である、左竜武大将軍の陳将軍は。彼は天子から授けられた鉞をついて忠義な功しをふるわれたのである。
あの時もし左竜武大将軍の陳将軍が居なかったならば唐の人民はみんな今見るような安泰なものであることができなかったであろう、あなたのおかげで今も我が唐の国はいきることができるのである。』


(訳注)11
憶昨狼狽初,事與古先別。

昨年のことを思い出してみる、前年6月4日圧倒的に有利と見られていた王朝軍を率いる哥舒翰が潼関でが大敗した。都において慌てふためいて出奔の事変が起ったとき、朝廷でとられた御処置は昔の施策とはちがっていた。
億咋 咋とは玄宗の逃出の時をさす。756年6月13日夜明け前長安を逃げ出した。玄宗は貴妃姉妹、皇子、皇孫、楊国忠および側近の者だけを連れ、陳玄礼の率いる近衛兵に衛られて西に向かったことを示す。○狼狽 前日の会議に出席するものが少なく、朝廷はうろたえる、多くのものがにわかの出奔をいう。○ 朝廷のなした処置。施政をいう。○古先 むかし。○ ちがう。


奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
我が朝では奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払い散らされてしまった。
○奸臣 楊国忠を代表としている。楊国忠のことは麗人行  杜甫漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 65に詳しい。

安禄山の乱と杜甫

菹醢 菹は野菜の町づけ。醢は肉をこうじ、しお、さけをまぜたものにつけたもの。これは国忠が刑罰に処せられその肉が潰けものにされたことをいう。○同悪 悪いことをともにしたものども、国忠の党類をいう。○蕩析 蕩ははらいのける、析はばらばらに離す。


不聞夏殷衰,中自誅褒妲。
諸君は夏殷の衰えたときのことを聞いたことはないか、宮廷の中で天子御自身で褒娰・妲己の悪女を誅されたのである。(楊貴妃は玄宗御自身が誅せられたということ。)
不聞 君不に聞乎の意、積極的に「聞かず」というのではなく、「聞かざるや」ともちかけていうのである。○夏殷、褒娰 妲己蜘は周の幽王の寵姫、妲己は殷の紂王の寵妃、王朝が滅亡する原因となった美女である。夏殷では時代が合わぬとて夏を周とすべしとの説があるが、拘わる必要はないであろう。褒姐は楊貴妃をあてていう。○ 宮中をいう。


周漢獲再興,宣光果明哲。
そうして周の宣王と後漢の光武帝は皆が期待した通り、聡明で事理に明るい君主であったので周や後漢は再興することができた。(新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。)
宜光 周の宜王、後漢の光武帝、これは粛宗にあてていう。○明哲 才智明かなこと。聡明で事理に明るいこと。この二句も倒句として解釈する。


桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。
まことに桓々と勇武である、左竜武大将軍の陳将軍は。彼は天子から授けられた鉞をついて忠義な功しをふるわれたのである。
桓桓 勇武なさま。『詩経』周頌の桓に「桓桓たる武王」に基づく。○陳将軍 左竜武大将軍陳玄礼をいう。○仗鉞 ほことまさかりによる、武力を用いたこと。○奮忠烈 忠義な功しを奮うた。次の事実がある。玄宗が長安より逃れて興平県の馬嵬駅に至ったとき陳玄礼は将軍として従ったが、楊国忠を誅しようとして、吐蕃の使者に命じ国忠の馬を遮って食の無いことを訴えさせた。国忠がまだこれに答えぬうちに軍士等は呼ばわっていうのに国忠は反を謀ったと。遂に国忠を殺し槍を以て其の首を揚げた。玄宗は駅門に出て軍士を慰労し隊を収めさせたが、軍士は応じなかった。玄宗は高力士をしてそのわけを問わせたところ、玄礼が対えて曰うのに、国忠が反を謀った上は貴妃は供奉すべきではない、願わくは陛下よ、恩を割き法を正さんことを、と。玄宗は力士をして貴妃を仏堂にみちびかせて、彼女を絞殺させた。


微爾人盡非,於今國猶活。』
あの時もし左竜武大将軍の陳将軍が居なかったならば唐の人民はみんな今見るような安泰なものであることができなかったであろう、あなたのおかげで今も我が唐の国はいきることができるのである。』
○徴 無かったとするならば。○ 諌玄礼をさす。O人尽非 非とは今日見る所の如き人ではないことをいう。○国 唐の国家。

得家書 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 181

得家書 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 181

(家書を得たり)

鄜州方面へゆく人に書信を託して家族の安否を調べたが、三川県羌村からの返事はなかなか返ってこず、聞こえてくるのは鄜州方面は兵禍に遭って、鶏や子犬までが殺されてしまったという悲惨な噂だけ。杜甫の心配はつのり、家族は死に絶えてしまったのではないかと思う。
七月に鄜州の妻から返事が届き、家族全員が無事であるとわかる。
「述懷」は安禄山の叛乱軍に拘束され、そこから鳳翔の行在所に逃げ帰ったことなど、杜甫の周りの出来事、心境を述べたものであった。

「得家書」の詩は、安否問いあわせの手紙を出したのち、家族の方より返事を得て作った詩である。杜甫は鳳翔に逃げてきて3か月たっていた。製作時は至徳二載の秋七月、757年 46歳である。

DCF00196


得家書
去憑遊客寄,來為附家書。
わたしは鄜州の方へ商用でで出かける旅人があったから、その方にたのんで家族への手紙を送り届けさせたのだが、その同じ人がまた家族からの手紙をわたしへとどけてくれるために鳳翔へ来てくれた。
今日知消息,他鄉且舊居;
その手紙に由って今日は家族の消息を知ることができた。その消息によると、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居るそうだ。
熊兒幸無恙,驥子最憐渠。
またそれによると、長男の熊児は幸にも無事であり、次男の驥子、わたしはまだ小さい彼を最もかわいそうにおもうのだ。
臨老羈孤極,傷時會合疏。』
#1
わたしは年よりはじめてきて鳳翔は初めての土地で、仮住まいで旅客人でのひとりぼっち、朝廷内でも孤独感をもっている、時世のことを考えると王朝軍は劣勢で気にやむばかりで家族たちとはめったにあえずにいる。
二毛趨帳殿,一命待鸞輿。北闕妖氛滿,西郊白露初。
涼風新過雁,秋雨欲生魚。農事空山裡,眷言終荷鋤。』#2


(家書を得たり)#1
去るは遊客に憑りて寄す来るは家書を附するが為なり
今日消息を知る 他郷なるも且つ旧居なり
熊児は幸に恙無し 驥子最も渠を憐む
老に臨みて羈孤極まる 時を傷みて会合疎なり』

#2
二毛帳殿に趨し  一命鸞輿に侍す
北闕妖気満つ   西郊白露の初
涼風新に過雁   秋雨魚を生ぜんと欲す
農事空山の裡   眷みて言に終に鋤を荷わん』


 現代語訳と訳註
(本文) #1

去憑遊客寄,來為附家書。今日知消息,他鄉且舊居;
熊兒幸無恙,驥子最憐渠。臨老羈孤極,傷時會合疏。』


(下し文)
去るは遊客に憑りて寄す、来るは家書を附するが為なり。
今日消息を知る、他郷なるも且つ旧居なり。
熊児は幸に恙無し 驥子最も渠を憐む
老に臨みて羈孤極まる 時を傷みて会合疎なり


(現代語訳)
わたしは鄜州の方へ商用でで出かける旅人があったから、その方にたのんで家族への手紙を送り届けさせたのだが、その同じ人がまた家族からの手紙をわたしへとどけてくれるために鳳翔へ来てくれた。
その手紙に由って今日は家族の消息を知ることができた。その消息によると、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居るそうだ。
またそれによると、長男の熊児は幸にも無事であり、次男の驥子、わたしはまだ小さい彼を最もかわいそうにおもうのだ。
わたしは年よりはじめてきて鳳翔は初めての土地で、仮住まいで旅客人でのひとりぼっち、朝廷内でも孤独感をもっている、時世のことを考えると王朝軍は劣勢で気にやむばかりで家族たちとはめったにあえずにいる。』


(訳注)#1
去憑遊客寄,來為附家書。

わたしは鄜州の方へ商用でで出かける旅人があったから、その方にたのんで家族への手紙を送り届けさせたのだが、その同じ人がまた家族からの手紙をわたしへとどけてくれるために鳳翔へ来てくれた。
 此の「去」の字は人にかけて見るべきか書にかけて見るべきかは不明であるが、下旬の「来」が人にかかっている以上それに対するならば人にかけてみるべきである。しかし「寄去」の二字を分用したものとし、書にかけてみるのも亦た義を為す。予は後の解を取る。即ち去とは書を寄せさったことをいう。○憑遊客 鄜州の方へ往遊する客をたのんで。・ 人に頼みごとをする。よりどころ。憑衣:たより。○ 書を家族によせたこと。○来 さきに書を依頼してやった同じ遊客が鳳翔へもどって来たことをいう。○附家書 附とはこちらへ附与し、わたすこと。家書は鄜州の家族からの返事のてがみ。


今日知消息,他鄉且舊居;
その手紙に由って今日は家族の消息を知ることができた。その消息によると、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居るそうだ。
消息 たより、様子。○他郷 此の句以下三句は書中の言葉と杜甫自身の思いを一緒にのべている。他郷とは鄜州をさす。○且旧居 且はまあやっぱりという意味。旧居とは羌村の以前の住居をいう、他処へ移転、略奪にも会っていないことを言う。。


熊兒幸無恙,驥子最憐渠。
またそれによると、長男の熊児は幸にも無事であり、次男の驥子、わたしはまだ小さい彼を最もかわいそうにおもうのだ。
熊児 長子宗文の幼名。○無恙 恙は毒虫の名、恙無しとは無事であること。○驥子 次子宗武の幼名。○ 俗語、駿子をさす。憶幼子 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 156「驥子春猶隔,鶯歌暖正繁。」(驥子 春 猶隔たる、鶯 歌 暖くして正に繁し。)と可愛くて仕方なかったようだ。


臨老羈孤極,傷時會合疏。』
わたしは年よりはじめてきて鳳翔は初めての土地で、仮住まいで旅客人でのひとりぼっち、朝廷内でも孤独感をもっている、時世のことを考えると王朝軍は劣勢で気にやむばかりで家族たちとはめったにあえずにいる。』
臨老 年よりはじめてきて。○羈孤極 鳳翔は初めての土地で、仮住まいで旅客人でのひとりぼっち、朝廷内でも孤独感をもっている。○傷時 時世のことを考えると王朝軍は劣勢で気にやむばかり。○会合疎 家族たちとの会合がめったにできない。

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喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 158

喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 158

雨つづきのあとに晴れとなったことを喜んだ詩である。

製作時は至徳二載三月癸亥(756.3/7)より大雨があり、甲戌の日(756.3/11)に至って止んだ後の作である。

長詩のため3分割して掲載その2回目

(1)喜晴  157 (2)喜晴  158 (3)喜晴  159


喜晴

皇天久不雨,既雨晴亦佳。出郭眺四郊,蕭蕭增春華。

青熒陵陂麥,窈窕桃李花。春夏各有實,我饑豈無涯。』#1

干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。

今は戦乱で千の盾、戈(ほこ)が縦横に走っている、凄惨残虐な叛乱軍とすごくたたかっているのだ。

甘澤不猶愈,且耕今未

このたびの甘露の恵みの雨は先の日照りよりかよほどましではないか、今から、土地を鋤いたり、耕したりとりかかりさえすれば決しておそまきではないのだ。

丈夫則帶甲,婦女終在家。

男どもはよろいをきて戦争に出ていくものだ、婦女子は結局、家で留守をしていることになるのだ。

力難及黍稷,得種菜與麻。』#2

女のカはきび、あわの世話することまで手がとどかないのだ、そうはいっても、野菜や麻は種えることはできるのだ。』


千載商山芝,往者東門瓜。其人骨已朽,此道誰疵瑕?

英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。顧慚味所適,回手白日斜。

漢陰有鹿門,滄海有靈。焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』#3


皇天久しく雨ふらず 既に雨ふれは晴も亦佳なり

郭を出でて四郊を眺す,蕭蕭として春華を增す

青熒たり陵陂の麥 窈窕たり桃李の花

春夏各々実有り 我が饑 豈に無涯ならんや』

干戈横放して 惨澹として竜蛇闘うと雖も

甘沢猶愈らずや 且耕今未だならず

丈夫は則ち甲を帯ぶるも 婦女は終に家に在り

力黍稷に及び難きも 菜と麻とを種うるを得』

千載商山の芝 往者東門の瓜

其の人骨己に朽つ 此の道誰か疵瑕とせん

英賢轗軻に遇えば 遠く引いて泥沙に蟠る

顧みて慚ず適く所に昧きを 首を回らせば白日斜なり

漢陰に鹿門有り 滄海に霊査有り

焉ぞ能く衆口を学んで 咄咄空しく嗟せん』



喜晴  現代語訳と訳註
(本文)

干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。甘澤不猶愈,且耕今未

丈夫則帶甲,婦女終在家。力難及黍稷,得種菜與麻。』#2


(
下し文)
干戈横放して 惨澹として竜蛇闘うと雖も

甘沢猶愈らずや 且耕今未だならず

丈夫は則ち甲を帯ぶるも 婦女は終に家に在り

力黍稷に及び難きも 菜と麻とを種うるを得』


(
現代語訳)
今は戦乱で千の盾、戈(ほこ)が縦横に走っている、凄惨残虐な叛乱軍とすごくたたかっているのだ。

このたびの甘露の恵みの雨は先の日照りよりかよほどましではないか、今から、土地を鋤いたり、耕したりとりかかりさえすれば決しておそまきではないのだ。

男どもはよろいをきて戦争に出ていくものだ、婦女子は結局、家で留守をしていることになるのだ。

女のカはきび、あわの世話することまで手がとどかないのだ、そうはいっても、野菜や麻は種えることはできるのだ。』




(訳注)

干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。

今は戦乱で千の盾、戈(ほこ)が縦横に走っている、凄惨残虐な叛乱軍とすごくたたかっているのだ。

千曳たて、ほこ。○横放かってほうだいにはびこる、安禄山の乱をさす。○惨澹 ものすごく。○闘竜蛇 竜(天子)と蛇(禄山)とが相いたたかう。



甘澤不猶愈,且耕今未
このたびの甘露の恵みの雨は先の日照りよりかよほどましではないか、今から、土地を鋤いたり、耕したりとりかかりさえすれば決しておそまきではないのだ。
甘沢 甘露の恵みの雨、種の植え時の前の大雨の好都合なしめりをいう。○不猶愈 この雨は耕作をする前の雨であるから日照りに比較していう。雨の方がまだ日照りよりまさっている。○且耕 且は鉏、鉏は田地をすくこと、耕はたがやすこと。○今乗除絵は遠いこと。適当時期にまだ近い、おそすぎぬということ。


丈夫則帶甲,婦女終在家。

男どもはよろいをきて戦争に出ていくものだ、婦女子は結局、家で留守をしていることになるのだ。

丈夫 男子、夫をさす。○帯甲よろいを身につける、戦場へでていること。○婦女妻をいう。



力難及黍稷,得種菜與麻。』
女のカはきび、あわの世話することまで手がとどかないのだ、そうはいっても、野菜や麻は種えることはできるのだ。』
黍稷 きび、あわ。


月夜 と家族を詠う詩について 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150



月夜」と家族の考え方の考察(研究)
 1.なぜ「長安の月」ではなく「鄜州の月」なのか
 2. 九月九日憶山東兄弟  王維
 3. 除夜作  高適
 4.八月十五日夜禁中独直対月憶元九   白居易
 5. 夜雨寄北 李商隠
 6.李白の詩
 7.杜甫の彭衙行(ほうがこう)自京赴奉先縣詠懷五百字遺興
 8. 「月夜」子供に対する「北征」の詩に、淋前の南中女





月夜 と家族を詠う詩について 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150

この時期杜甫の詩に家族がよく出るの出る。月夜をはじめとして多くの詩をだした。


月夜
今夜鄜州月、閨中只独看。今夜  鄜州(ふしゅう)の月、
           閨中(けいちゅう)  只だ独り看(み)るらん。
遥憐小児女、未解憶長安遥かに憐(あわ)れむ小児女(しょうじじょ)の、
           未(いま)だ長安を憶(おも)うを解(かい)せざるを。
香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。香霧(こうむ)に雲鬟(うんかん)湿(うるお)い、
           清輝(せいき)に玉臂(ぎょくひ)寒からん。
何時倚虚幌、双照涙痕乾。何(いず)れの時か虚幌(きょこう)に倚(よ)り、
           双(とも)に照らされて涙痕(るいこん)乾かん。


2.「閨中 只だ独り看るらん。」「閏」妻、婦人の部屋を指す。
また「只獨」の「只」は、ひとえに、いちずにの意であって、月を「獨看る」という事態は、長安にいる杜甫にはわからない。まして、子供がそばにくっついているのである。妻の見るところではない。見ていてほしいとのあこがれを詠っているということなのだ。

3.続いて第二聯はこどもについていう。
遥憐小児女、未解憶長安。
遥かに憐(あわ)れむ小児女(しょうじじょ)の、未(いま)だ長安を憶(おも)うを解(かい)せざるを。

この二句は、二句で一意を完成する。月を見て遠き人を憶うのは、もとより大人のことであり、おさない稚女のできることではない。妻とともに、閨にいる子供たちは、まだ「長安を憶う」心はもたないということなのである。

この時、杜甫には、「兒」すなわち男の子は、二人あった。長男を熊児といい、次男を驥子という。そのことは、翌年家族の消息がわかってからの作、
「得家書」(家書を得たり)に、
得家書
去憑遊客寄,來為附家書。今日知消息,他鄉且舊居;
熊兒幸無恙,驥子最憐渠。臨老羈孤極,傷時會合疏。』#1
二毛趨帳殿,一命待鸞輿。北闕妖氛滿,西郊白露初。
涼風新過雁,秋雨欲生魚。農事空山裡,眷言終荷鋤。』#2
今日は家族の消息を知ることができた。その消息によると、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居るそうだ。長男の熊児は幸にも無事であり、次男の驥子、は最も渠を憐おしむ
というのによって知られる。ことに末っ子の驥子についてはこの「月夜」の詩につづく「遣興」の詩にはいう、
ふと興にふれて作った詩。やはり長安にあって驥子をおもって作ったものである。製作時、至徳二載。757年46歳

遣興
驥子好男兒,前年學語時:問知人客姓,誦得老夫詩。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。儻歸免相失,見日敢辭遲。


遣興
驥子は好男兒なり,前年、語を學びし時:
問知す 人客の姓、誦し得たり 老夫の詩
世乱れて 渠が小なるを憐む 家 貧にして母の慈を仰ぐ
鹿門 携うること遂げず 雁足 繋くること期し難し
天地 軍麾 満つ 山河 戰角 悲しむ
儻くは 帰りて相失うことを免れれば 見る日敢て遅きを辞せんや
遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151


また明年の春、やはり城中の作「憶幼子」で、
憶幼子 (幼子を憶う)
長安にあって鄜州の羌村に在る幼子を憶って作る。この幼子は作者の第二子宗武であり、宗武の幼名を驥子という。製作時は757年、至徳二載の春。

憶幼子
驥子春猶隔,鶯歌暖正繁。
別離驚節換,聰慧與誰論。
澗水空山道,柴門老樹村。
憶渠愁只睡,炙背俯晴軒。

驥子 春 猶隔たる、鶯 歌 暖くして正に繁し。
別離 節の換るに驚く、聡慧 誰とか論ぜん。
澗水 空山の道、柴門 老樹の村。
渠を憶うて愁えて只だ睡る、背を炙りて 晴軒に俯す。

うち「澗水空山道」というのは、逃避中の困難を追憶したもの
憶幼子 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 156


鳳翔において粛宗皇帝に謁見し、左拾遺の官を拝命して以後、鄜州の家族の安否を問い、消息がなお来なかったときのおもいをのべた作。製作時は至徳二載の夏。757年 46歳
鄜州方面へゆく人に書信を託して家族の安否を調べたが、三川県羌村からの返事はなかなか返ってこず、聞こえてくるのは鄜州方面は兵禍に遭って、鶏や子犬までが殺されてしまったという悲惨な噂だけ。杜甫の心配はつのり、家族は死に絶えてしまったのではないかと思う。
 書信を出してから三か月後の七月には鄜州の妻から返事が届き、家族全員が無事であるとわかる。
「述懷」は安禄山の叛乱軍に拘束され、そこから鳳翔の行在所に逃げ帰ったことなど、杜甫の周りの出来事、心境を述べたものである。

述懷
去年潼關破,妻子隔絕久。今夏草木長,脫身得西走。
麻鞋見天子,衣袖露兩肘。朝廷敏生還,親故傷老醜。
涕淚授拾遺,流離主恩厚。柴門雖得去,未忍即開口。』#1
寄書問三川,不知家在否?比聞同罹禍,殺戮到雞狗。
山中漏茅屋,誰複依戶牖。摧頹蒼松根,地冷骨未朽。
幾人全性命?盡室豈相偶?嶔岑猛虎場,鬱結回我首。』#2
自寄一封書,今已十月後。反畏消息來,寸心亦何有?
漢連初中興,生平老耽酒。沈思歡會處,恐作窮獨叟。』#3
#1
去年  潼関(どうかん)破れ、妻子  隔絶(かくぜつ)すること久し。
今夏(こんか)  草木(くさき)長じ、身を脱して西に走るを得たり。
麻鞋(まあい)  天子に見(まみ)え、衣袖(いしゅう)  両肘(りょうちゅう)を露(あらわ)す。
朝廷  生還(せいかん)を愍(あわれ)み、親故(しんこ)   老醜(ろうしゅう)を傷(いた)む。
涕涙(ているい) 拾遺(じゅうい)を授けらる、流離(りゅうり)  主恩(しゅおん)厚し。
柴門(さいもん)  去(ゆ)くを得(う)と雖(いえど)も、未だ即ち口を開くに忍(しの)びず。
#2
書を寄せて三川(さんせん)に問うも家の在るや否(いな)やを知らず
此(このご)ろ聞く 同じく禍(わざわい)に罹(かか)りて殺戮 鶏狗(けいく)に到ると
山中の漏茅屋(ろうぼうおく)誰(たれ)か復(ま)た戸牖(こゆう)に依(よ)らん
蒼松(そうしょう)の根に摧頽(さいたい)すとも地(ち)冷やかにして 骨未だ朽ちざらん
幾人か性命(せいめい)を全うする室(しつ)を尽くして 豈(あに)相偶(あいぐう)せんや
嶔岑(きんしん)たる猛虎の場(じょう)鬱結(うつけつ)して我が首(こうべ)を廻(めぐ)らす
#3
一封の書を寄せし自(よ)り、今は已(すで)に十月の後(のち)なり。
反(かえ)って畏(おそ)る  消息の来たらんことを、寸心(すんしん)  亦(ま)た何か有らん。
漢運(かんうん)  初めて中興し、生平(せいへい)  老いて酒に耽(ふけ)る。
歓会(かんかい)の処(ところ)を沈思(ちんし)し、窮独(きゅうどく)の叟(そう)と作(な)らんことを恐る。


「彭衙行」
至徳二載秋)鄜州の家を見舞うにあたって白水の西を過ぎてしかも孫を訪ることができなかったので往事を追懐して此の篇を作った。幼児らを連れて夜の山道を徒歩でゆく逃避行は困難を極めた。

#1
憶昔避賊初,北走經險艱。夜深彭衙道,月照白水山。』
盡室久徒步,逢人多厚顏。參差穀鳥吟,不見遊子還。
癡女饑咬我,啼畏虎狼聞。懷中掩其口,反側聲愈嗔。
小兒強解事,故索苦李餐。』
#2
一旬半雷雨,泥濘相牽攀。既無禦雨備,徑滑衣又寒。
有時經契闊,竟日數裡間。野果充 ?糧,卑枝成屋椽。
早行石上水,暮宿天邊煙。』
#3
少留同家窪,欲出蘆子關。故人有孫宰,高義薄曾雲。
延客已曛黑,張燈啟重門。暖湯濯我足,剪紙招我魂。』
#4
從此出妻孥,相視涕闌幹。眾雛爛熳睡,喚起沾盤飧。
誓將與夫子,永結為弟昆。遂空所坐堂,安居奉我歡。
誰肯艱難際,豁達露心肝。』
別來歲月周,胡羯仍構患。何時有翅翎,飛去墮爾前?』

#1
憶(おも)う  昔  賊を避けし初め、北に走って険難(けんなん)を経(へ)たり。
夜は深し  彭衙(ほうが)の道、月は照る  白水(はくすい)の山。
室(しつ)を尽くして久しく徒歩す、人に逢えば厚顔(こうがん)多し。
参差(しんし)として谷鳥(こくちょう)鳴き、遊子(ゆうし)還(かえ)るを見ず。
痴女(ちじょ)は飢(う)えて我れを咬(か)み、啼(な)いて畏(おそ)る  虎狼(ころう)の聞ゆるを。
中(うち)に懐(いだ)いて其の口を掩(おお)えば、反側(はんそく)して声愈々(いよいよ)嗔(いか)る。
小児(しょうに)は強(し)いて事を解し、故(ことさ)らに苦李(くり)を索(もと)めて餐(くら)う。』
#2
一旬(いちじゅん)  半(なか)ばは雷雨、泥濘(でいねい)   相(あい)攀牽(はんけん)す。
既に雨を禦(ふせ)ぐ備え無く、径(みち)滑かにして衣(い)又寒し。
時(とき)有りて契闊(けつかつ)たるを経(ふ)、竟日(きょうじつ)  数里の間(かん)。
野果(やか)を餱糧(こうりょう)に充(あ)て、卑枝(ひし)を屋椽(おくてん)と成(な)す。
早(あした)には行く  石上(せきじょう)の水、暮(くれ)には宿る   天辺(てんぺん)の煙。』
#3
少(しば)らく同家窪(どうかあ)に留(とど)まり、蘆子関(ろしかん)に出でんと欲す。
故人(こじん)  孫宰(そんさい)有り、高義(こうぎ)  曾雲(そううん)に薄(せま)る。
客を延(ひ)くとき己に曛黒(くんこく)なり 燈を張りて重門(ちょうもん)を啓(ひら)く。
湯を暖めて我が足を濯(あら)わしめ 紙を剪(き)って我が魂を招(まね)く』
#4
此(これ)従(より)妻孥(さいど)を出す 相視て涕(なみだ)闌幹(らんかん)たり。
衆雛(しゅうすう) 爛漫(らんまん)として睡(ねむ)る、喚び 起して 盤飧(ばんそん)に 沾(うるお)わしむ。
誓って将に夫子(ふうし)と、永く結び て 弟昆(ていこん)と為らんと す と。
遂に坐する所の堂を空(むな)しくして、居を安(あんじ)て 我が歓(よろこび)を奉ず。
誰か 肯(あえ)て 艱難(かんなん)の際、豁達(かつたつ) 心肝(しんかん)を露(あら)わさん。』
別来(べつらい) 歳月周(めぐ)る 胡羯(こけつ)  仍(なお) 患(うれい)を構(かも)う
何時(いつ)か 翅翎(しれい)有って 飛び去って爾(なんじ)が前に堕(おつ)べき。』
かつて、白水県から三州県へ出たときに、大いにお父さんを手古摺らせた「小さき児」も、おそらくはこの次男であったのだろう。
彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1
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彭衙行 #4 杜甫 130 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 135


5.「北征」の詩に、
床前の兩小女
というのによれば、まだそのほかに、もう一人いた。なお熊児といい、次男を驥子というのは、おさな名であって、熊見はのちに宗文と名乗り、驥子は宗武と名乗る。

 

#6
況我墮胡塵,及歸盡華發。經年至茅屋,妻子衣百結。
慟哭松聲回,悲泉共幽咽。平生所嬌兒,顏色白勝雪。
見耶背面啼,垢膩腳不襪。
床前兩小女補綴才過膝。
#7
海圖拆波濤,舊繡移曲折。天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
老夫情懷惡,數日臥嘔泄。那無囊中帛,救汝寒凜栗?
粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。瘦妻面複光,癡女頭自櫛
#8
學母無不為,曉妝隨手抹。移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
生還對童稚,似欲忘饑渴。問事競挽須,誰能即嗔喝?
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。新婦且慰意,生理焉得說?』

床前の両小女
というのによれば、まだそのほかに、もう一人いた。なお熊児といい、次男を驥子というのは、おさな名であって、熊見はのちに宗文と名乗り、驥子は宗武と名乗る。
ところでかく「末だ長安を憶うことを解せざる」ものたちを思いやったのは、子供たちばかりを思いやったのでは、もとよりない。最も思いやるのは、閨中に濁り月を見て、大いに「長安を憶うことを解する」妻楊氏である。「長安を憶うを解する」妻にとって、「禾まだ長安を憶うを解せざる」ものたち、はね廻り、とび廻り、遊びつかれては寝てしまうものたちは、時にはうとましく感ぜられることもあったことだろう。「遥かに憐れむ小児女の」という気持ちであらわしている。


6.何れにしても、はじめの聯で思いやられた「閨中に只えに月を看る」人はしばらく第二聯では、言葉の蔭にかくれる。しかし、やがて、満身の月光を浴びつつ恍惚として、浮かびあがる。それが第三の聯である。

羌村三首其一
崢嶸赤雲西、日脚下平地。
柴門鳥雀噪、帰客千里至。』
妻孥怪我在、驚定還拭涙。
世乱遭飄蕩、生還偶然遂。
隣人満牆頭、感歎亦歔欷。
夜闌更秉燭、相対如夢寐。』

羌村 三首  其の一
崢嶸(そうこう)たる赤雲(せきうん)の西、日脚(にっきゃく) 平地に下る。
柴門(さいもん)  鳥雀(ちょうじゃく)噪(さわ)ぎ、帰客(きかく)    千里より至る。
妻孥(さいど)は我(われ)の在るを怪しみ、驚き定まって還(ま)た涙を拭う。
世乱れて飄蕩(ひょうとう)に遭(あ)い、生還  偶然に遂げたり。
隣人  牆頭(しょうとう)に満ち、感歎して亦(ま)た歔欷(きょき)す。
夜(よる)闌(たけなわ)にして更に燭(しょく)を秉(と)り、相対(あいたい)すれば夢寐(むび)の如し。

我が家の粗末な柴の戸では帰りを知らせる鳥や雀ともいえる子供らがうるさく騒いでいる、そこへ突然旅姿の私が千里の遠くからかえりついたのである。』
妻と子らはわたしがここに存在していたことを不思議に思ったようで、はじめはびっくりしていたが、驚いていたのがおちつくとこんどは泣きじゃくり、あふれる涙を拭うのである。


また、その妻については次のような表現もある。
自京赴奉先縣詠懷五百字 #9  
老妻寄異県、十口隔風雪。 老妻【ろうさい】は異県【いけん】に寄【あず】け、十口【じつこう】は風雪【ふうせつ】を隔【へだ】つ。
誰能久不顧、庶往共饑渇。 誰か能【よ】く久しく顧【かえり】みざらん、庶【こいねが】わくは往【ゆ)いて饑渇【きかつ】を共にせん。
入門聞号咷、幼子飢已卒。 門に入れば号咷【ごうとう】を聞く、幼子【ようし】の飢えて已【すで】に卒【しゅつ】す。
吾寧捨一哀、里巷亦鳴咽。 吾【われ】寧【なん】ぞ一哀【いちあい】を捨【おし】まんや、里巷【りこう】も亦【ま】た鳴咽【おえつ】す。
所愧為人父、無食到夭折。 愧【は】ずる所は人の父と為【な】り、食【しょく】無くして夭折【ようせつ】を到【いた】せしを。
豈知秋禾登、貧窶有倉卒。 豈に秋禾【しゅうか】登【みの】るを知らんや、貧窶【ひんく】倉卒【そうそつ】たる有り。
 
自京赴奉先縣詠懷五百字 #10  
生常免租税、名不隸征伐。 生【せい】は常に租税を免【まぬ】かれ、名は征伐に隸【れい】せず。
撫迹猶酸辛、平人固騒屑。 迹【あと】を撫【ぶ】すれば猶【な】お酸辛【さんしん】たり、平人【へいじん】は固【もと】より騒屑【そうせつ】たらん。
默思失業徒、因念遠戍卒。 默【もく】して失業の徒【と】を思い、因【よ】りて遠戍【えんじゅ】の卒【そつ】を念【おも】う。
憂端斉終南、鴻洞不可掇。 憂端【ゆうたん】は終南【しゅうなん】に斉【ひと】しく、鴻洞【こうどう】として掇【ひろ】う可【べ】からず。


7.そして、李白のような表現で締め括ったのである。
「香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。」
香霧(こうむ)に雲鬟(うんかん)湿(うるお)い、清輝(せいき)に玉臂(ぎょくひ)寒からん。

香霧といい、清輝という、共に月光である。雲なす鬟の周蓮にそそぐ月光、美しいうなじにを照らす月光、それが清輝で表現されている。この時代の夫婦の関係を示すものとして他の詩人では見られない。この「月夜」を境にして、詩の趣きが変化していくのである。

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彭衙行 #3 杜甫 134 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132#3

彭衙行 #3 杜甫 134 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132#3 (ほうがこう)


必死の思いで避難を続ける杜甫とその家族は(王触一家もいっしょだったであろうが)、三川県の周家窪という村にやっとたどり着いたが、その村で杜甫は思いもかけず、知り合いの孫宰に出会い、手厚いもてなしを受けることになった。


#1
憶昔避賊初,北走經險艱。夜深彭衙道,月照白水山。』
盡室久徒步,逢人多厚顏。參差穀鳥吟,不見遊子還。
癡女饑咬我,啼畏虎狼聞。懷中掩其口,反側聲愈嗔。
小兒強解事,故索苦李餐。』
#2
一旬半雷雨,泥濘相牽攀。既無禦雨備,徑滑衣又寒。
有時經契闊,竟日數裡間。野果充 ?糧,卑枝成屋椽。
早行石上水,暮宿天邊煙。』
#3
少留同家窪,欲出蘆子關。
故人有孫宰,高義薄曾雲。
延客已曛黑,張燈啟重門。
暖湯濯我足,剪紙招我魂。』

自分たちはしばらく同家窪で滞在してそれから蘆子関を出て北進しようと思っている。
同家窪にはふるなじみの孫辛というものがいて義理を重んじ人格のたかいことは雲にせまるほどであった。
彼が自分たちを案内してくれたときはもうすでにうすくらがりであり、あかりをつけて幾重かの門をあけてくれたのである。
そうしてお湯をわかして我々に足をあらわせ、紙をきって我々の元気の力、生き霊をよびかえらせてくれた。』

#4
從此出妻孥,相視涕闌幹。眾雛爛熳睡,喚起沾盤飧。
誓將與夫子,永結為弟昆。遂空所坐堂,安居奉我歡。
誰肯艱難際,豁達露心肝。』
別來歲月周,胡羯仍構患。何時有翅翎,飛去墮爾前?』


#3
少(しば)らく同家窪(どうかあ)に留(とど)まり、蘆子関(ろしかん)に出でんと欲す。
故人(こじん)  孫宰(そんさい)有り、高義(こうぎ)  曾雲(そううん)に薄(せま)る。
客を延(ひ)くとき己に曛黒(くんこく)なり 燈を張りて重門(ちょうもん)を啓(ひら)く。
湯を暖めて我が足を濯(あら)わしめ 紙を剪(き)って我が魂を招(まね)く』


#3 現代語訳と訳註
(本文)

少留同家窪,欲出蘆子關。故人有孫宰,高義薄曾雲。
延客已曛黑,張燈啟重門。暖湯濯我足,剪紙招我魂。』

(下し文)
少(しば)らく同家窪(どうかあ)に留(とど)まり、蘆子関(ろしかん)に出でんと欲す。
故人(こじん)  孫宰(そんさい)有り、高義(こうぎ)  曾雲(そううん)に薄(せま)る。
客を延(ひ)くとき己に曛黒(くんこく)なり 燈を張りて重門(ちょうもん)を啓(ひら)く。
湯を暖めて我が足を濯(あら)わしめ 紙を剪(き)って我が魂を招(まね)く』

(現代語訳)
自分たちはしばらく同家窪で滞在してそれから蘆子関を出て北進しようと思っている。
同家窪にはふるなじみの孫辛というものがいて義理を重んじ人格のたかいことは雲にせまるほどであった。
彼が自分たちを案内してくれたときはもうすでにうすくらがりであり、あかりをつけて幾重かの門をあけてくれたのである。
そうしてお湯をわかして我々に足をあらわせ、紙をきって我々の元気の力、生き霊をよびかえらせてくれた。』


(訳注)#3
少留同家窪,欲出蘆子關。
自分たちはしばらく同家窪で滞在してそれから蘆子関を出て北進しようと思っている。
少留 しばらく滞在する。○同家窪 白水県の郷村の名とおもわれる。孫宰の居る所。○蘆子關 関の名、延安府安塞県にある。鄜州よりさらに北にあり、霊武(地図の左側最上部)へ達する路。蘆子關は地図の中ほど最上部にある。杜甫のこの時地図の真ん中にある三川から鄜州にたどり着くのに艱難辛苦していたのだ
杜甫乱前後の図003鳳翔

  

故人有孫宰,高義薄曾雲。
同家窪にはふるなじみの孫辛というものがいて義理を重んじ人格のたかいことは雲にせまるほどであった。
故人 ふるなじみの人。○孫宰 姓は孫、宰は名とみる。○高義 義理を重んじ人格のたかいこと。○曾雲 かさなれるくも、骨は層に同じ。


延客已曛黑,張燈啟重門。
彼が自分たちを案内してくれたときはもうすでにうすくらがりであり、あかりをつけて幾重かの門をあけてくれたのである。
延客 お客をこちらへとひく、客は杜甫。○曛黑 うすくらがり。○張燈 あかりを設ける。○啟重門 幾重にもなっている門をひらく。


暖湯濯我足,剪紙招我魂。』
そうしてお湯をわかして我々に足をあらわせ、紙をきって我々の元気の力、生き霊をよびかえらせてくれた。』
暖湯 おゆをわかす。○濯我足 杜甫の足をあらわせる。○剪紙 紙をはさみできり、はたをつくり魂をまねく式に用いる。旅の間に落としていった元気の魂をかき集める儀式をする。○招我魂 くたびれ果てて自分ではないような感じになっている。我とは作者をさす。杜詩には往々にして招魂をいうが、これは生き霊をまねくことをいう、生者の魂が散じて四方にあるのによってこれをよびかえすこと。

三川觀水漲二十韻 杜甫 130 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 127-#4

三川觀水漲二十韻 杜甫 130 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 127-#4

危険の迫った白水県を去り、多くの避難民に混じって洛河ぞいに華原を経てさらに北に進んだ。
「三川觀水漲二十韻」(三川にて水の漲るを観る)には、その途中の様子を次のように記す。「華原を過ぎてからは、もはや平らな土地は見られない。北に向かってゆくが、ただ土山が続いているばかり。来る日も来る日も、せばまった深い谷間を通ってゆく。空には赤くやけた雲が時となくわき立ち、電光がきらめく。山が深いために雨がよく降り、道は川になって激流がぶつかりあう」。その中を杜甫の一行は手を引きあって進んでゆく。

このとき、杜甫の遠い親戚にあたる王砅一家もいっしょに避難したが、のちに770年大暦五年、といえは、杜甫が亡くなる年に浮州で、南海に使者として赴く王砅を送る際に作った「送重表姪王秋評事便南海」(重表姪の王秋評事の南海に使いするを送る)には、避難の途中における危難のさまが詠われている。131 王砅「送重表姪王秋評事便南海」


#3
及觀泉源漲,反懼江海覆。
漂沙坼岸去,漱壑松柏禿。
乘陵破山門,回斡裂地軸。
交洛赴洪河,及關豈信宿。
應沉數州沒,如聽萬室哭。
穢濁殊未清,風濤怒猶蓄。
何時通舟車?陰氣不黲黷。』
#4
浮生有蕩汨,吾道正羈束。
浮き草のような生活は水の早き流れに漂うようなものである、わたしの生きる道はこのように他からしばられているのだ。
人寰難容身,石壁滑側足。
世渡りの上手い世界には身を容れおくことがむずかしい、それでいて、このような山中へはいってくればここではまた石壁の路がすべるようなので足の指先、足の外側に力を入れて歩くのだ。
雲雷屯不已,艱險路更跼。』
雲雷の雨水の難儀は止みそうにない、山行の急坂はその路はさらに進みづらくなってきた。』
普天無川梁,欲濟願水縮。
見渡すにかぎりどこにも舟橋は無い、川を渡ることができるためには水量の減ずるのを願うばかりである。
因悲中林士,未脫眾魚腹。
それにつけて悲しむのはこの山林に居る人々のことだ、彼等はまだ魚の腹からのがれることはできずにいるのだ。
舉頭向蒼天,安得騎鴻鵠?』

わたしは頭をあげて天をむかってみている、どうしたならば鴻や鵠などの鳥にのって空へ駆け上がってこの水災(叛乱軍の戦火)からのがれることができるであろうかと。


束。足。跼。縮。腹。鵠。
#3
泉源の漲るを観るに及んで 反って江海の覆(くつが)えるを懼る。
沙を漂わして坼岸(きんがん)去り、壑(がく)に漱(そそ)ぎて松柏禿(とく)す。
乗陵(じょうりょう)山門破れ、廻斡(かいあつ) 地軸 裂く。
洛に交りて洪河(こうか)に赴く、関に及ぶ豈に信宿ならんや。
応に数州を沈めて没せしむるなるべし、万室の哭するを聴くが如し。
穢濁(あいだく)殊に未だ清からず、風涛怒り 猶 蓄(たくお)う。
何の時か 舟車を通じて、陰気 黲黷(しんとく)ならざらん。』

4

浮生 蕩汨(とういつ)有り、吾が道正に羈束(きそく)せらる。

人寰 身を容れ難く、石壁滑かにして足を側(そばだ)つ。

雲雷 屯(ちゅん)己まず 艱險(かんけん) 路更に跼(きょく)す。』

普天 川梁 無し、済(わた)らんと欲して水の縮(ちじ)まんことを願う。

因って悲しむ中林の士 未だ衆魚の腹より脱せず。

頭を挙げて蒼天に向う、安んぞ鴻鵠(こうこく)に騎()ることを得ん。』



三川觀水漲二十韻 現代語訳と訳註
(本文) #4

浮生有蕩汨,吾道正羈束。
人寰難容身,石壁滑側足。
雲雷屯不已,艱險路更跼。』
普天無川梁,欲濟願水縮。
因悲中林士,未脫眾魚腹。
舉頭向蒼天,安得騎鴻鵠?』

(下し文) #4
浮生 蕩汨(とういつ)有り、吾が道正に羈束(きそく)せらる。
人寰 身を容れ難く、石壁滑かにして足を側(そばだ)つ。
雲雷 屯(ちゅん)己まず 艱險(かんけん) 路更に跼(きょく)す。』
普天 川梁 無し、済(わた)らんと欲して水の縮(ちじ)まんことを願う。
因って悲しむ中林の士 未だ衆魚の腹より脱せず。
頭を挙げて蒼天に向う、安んぞ鴻鵠(こうこく)に騎(の)ることを得ん。』


(現代語訳)
浮き草のような生活は水の早き流れに漂うようなものである、わたしの生きる道はこのように他からしばられているのだ。
世渡りの上手い世界には身を容れおくことがむずかしい、それでいて、このような山中へはいってくればここではまた石壁の路がすべるようなので足の指先、足の外側に力を入れて歩くのだ。
雲雷の雨水の難儀は止みそうにない、山行の急坂はその路はさらに進みづらくなってきた。』
見渡すにかぎりどこにも舟橋は無い、川を渡ることができるためには水量の減ずるのを願うばかりである。
それにつけて悲しむのはこの山林に居る人々のことだ、彼等はまだ魚の腹からのがれることはできずにいるのだ。
わたしは頭をあげて天をむかってみている、どうしたならば鴻や鵠などの鳥にのって空へ駆け上がってこの水災(叛乱軍の戦火)からのがれることができるであろうかと。


(訳注) #4

浮生有蕩汨,吾道正羈束。
浮き草のような生活は水の早き流れに漂うようなものである、わたしの生きる道はこのように他からしばられているのだ。
浮生 浮き草のような生活。○蕩汨 蕩はうごく、汨は水のはやく流れるさま。○羈束 きずなをつけ、しばられる。

人寰難容身,石壁滑側足。
世渡りの上手い世界には身を容れおくことがむずかしい、それでいて、このような山中へはいってくればここではまた石壁の路がすべるようなので足の指先、足の外側に力を入れて歩くのだ。
人寰 人の存在する区域、世界。こびへつらいの世界。世渡りの上手い世界。○容身 わがからだをいれておく。○側足 足をそばだてる。足の指先、足の外側に力を入れて歩くことを言う。

雲雷屯不已,艱險路更跼。』
雲雷の雨水の難儀は止みそうにない、山行の急坂はその路はさらに進みづらくなってきた。』
 なやみ、難儀。○ せぐくまる。ちじこまる。馬が進まない。


普天無川梁,欲濟願水縮。
見渡すにかぎりどこにも舟橋は無い、川を渡ることができるためには水量の減ずるのを願うばかりである。
普天 天下じゅう。○川梁 梁はふなはし。○水縮 縮はちぢむ、量の減ずること。水嵩が減ること。

因悲中林士,未脫眾魚腹。
それにつけて悲しむのはこの山林に居る人々のことだ、彼等はまだ魚の腹からのがれることはできずにいるのだ。
中林士 林中土と同じ、山林のなかの集落の者。○衆魚腹 衆は集落、多くの魚の腹、山崩れが起きれば飲み込まれる。叛乱軍に襲撃されれば、殺されてしまう。盆地の集落が魚の腹の中という表現をしたのだ。
前#3にでている
漂沙坼岸去,漱壑松柏禿。
乘陵破山門,回斡裂地軸。
『大雨でで手が決壊し、山の木々や土砂崩れが起きそうだ』ということを受けている。杜甫たちが少し高い所に来て盆地状の集落を見ていること。


舉頭向蒼天,安得騎鴻鵠?』
わたしは頭をあげて天をむかってみている、どうしたならば鴻や鵠などの鳥にのって空へ駆け上がってこの水災(叛乱軍の戦火)からのがれることができるであろうかと。
○安得 希望の辞。○騎鴻鵠 この鳥にのって水災(叛乱軍の戦火)より離脱するのである。


○押韻 束。足。跼。縮。腹。鵠。




三川觀水漲二十韻
#1
我經華原來,不複見平陸。北上惟土山,連天走窮穀。
火雲無時出,飛電常在目。』
#2
自多窮岫雨,行潦相豗蹙。蓊匒川氣黃,群流會空曲。
清晨望高浪,忽謂陰崖踣。恐泥竄蛟龍,登危聚麋鹿。
枯查卷拔樹,礧磈共沖塞。聲吹鬼神下,勢閱人代速。
不有萬穴歸,何以尊四瀆。』

#3
及觀泉源漲,反懼江海覆。漂沙坼岸去,漱壑松柏禿。
乘陵破山門,回斡裂地軸。交洛赴洪河,及關豈信宿。
應沉數州沒,如聽萬室哭。穢濁殊未清,風濤怒猶蓄。
何時通舟車?陰氣不黲黷。』
#4
浮生有蕩汨,吾道正羈束。人寰難容身,石壁滑側足。
雲雷屯不已,艱險路更跼。』
普天無川梁,欲濟願水縮。因悲中林士,未脫眾魚腹。
舉頭向蒼天,安得騎鴻鵠?』

#1
我 華原を経て来る、復た平陸を見ず。
北上すれば惟 土山、連天窮谷に走る。
火雲出づるや時無し、飛電 常に目に在り。』
#2
自ら窮岫(きゅうしゅう)の雨多し、行潦(こうろう) 相 豗蹙(かいしゅく)す。
蓊匒(おうこう)として川気(せんき) 黄なり、羣流 空曲に会す。
清晨 高浪を望む、忽ち謂う陰崖 踣(たお)れるかと。
泥(なず)まんことを恐れて蛟龍(こうりゅう) 竄(かく)れ、 危きに登りて 麋鹿(びろく) 聚(あつ)まる。
枯査 抜樹を巻き、礧磈(らいかい)として共に充塞(じゅうそく)す。
声は鬼神を吹きて下す、勢は人代(じんだい)の速かなることを閱(けみ)す。
万穴の帰する有らずんば、何を以ってか 四瀆(しとく)を尊(たっとし)とせん』
#3
泉源の漲るを観るに及んで 反って江海の覆(くつが)えるを懼る。
沙を漂わして坼岸(きんがん)去り、壑(がく)に漱(そそ)ぎて松柏禿(とく)す。
乗陵(じょうりょう)山門破れ、廻斡(かいあつ) 地軸 裂く。
洛に交りて洪河(こうか)に赴く、関に及ぶ豈に信宿ならんや。
応に数州を沈めて没せしむるなるべし、万室の哭するを聴くが如し。
穢濁(あいだく)殊に未だ清からず、風涛怒り 猶 蓄(たくお)う。
何の時か 舟車を通じて、陰気 黲黷(しんとく)ならざらん。』
#4
浮生 蕩汨(とういつ)有り、吾が道正に羈束(きそく)せらる。
人寰 身を容れ難く、石壁滑かにして足を側(そばだ)つ。
雲雷 屯(ちゅん)己まず 艱險(かんけん) 路更に跼(きょく)す。』
普天 川梁 無し、済(わた)らんと欲して水の縮(ちじ)まんことを願う。
因って悲しむ中林の士 未だ衆魚の腹より脱せず。
頭を挙げて蒼天に向う、安んぞ鴻鵠(こうこく)に騎(の)ることを得ん。』

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後出塞五首 其五 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 99

後出塞五首 其五 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 99




後出塞五首 其五
我本良家子,出師亦多門。
自分はあたりまえの家からでた人間である、従軍するにいろいろの師団長の門をくぐったりしたのだ。
將驕益愁思,身貴不足論。
この安禄山大将はすごく驕っているのでなにかするのではと内心心配している、立身出世して高いくらいについたので何事も論議することもしない横暴さである。
躍馬二十年,恐孤明主恩。
この大将に二十年も軍馬を躍らせて戦ってきた、ただ、唐の明主、天子のご恩にそむきはすまいかとおそれているのだ。
坐見幽州騎,長驅河洛昏。
毎日同じように見ている(異常に気が付く)、幽州の騎兵がうごきだしたのだ、黄河、洛陽の方まで遠みちをかけ、あたりが暗くなるほどほこりをたたせている。
中夜間道歸,故裡但空村。
真夜中になってこっそり抜け道でかえったのだ、ふるさとはみんな逃げたあととみえてだれもいないあきむらになっておる。
惡名幸脫兔,窮老無兒孫。

謀叛人の仲間という悪名からのがれることはできたが、かんがえてみると子も孫もない守るものを持っていない貧乏な年よりの身なのだ。


我は本良家の子なり  出師亦た悶多し

将縞りて益主愁思す  身の貴きは論ずるに足らず

馬を躍らすこと二十年 明主の恩に孤かんことを恐る

坐ろに見る幽州の騎  長駆河洛昏し

中夜間道より帰れば  故里但空郁なり

悪名は幸に脱免せるも 窮老にして児孫無し




後出塞五首 其五  訳註と解説

(本文)
我本良家子,出師亦多門。
將驕益愁思,身貴不足論。
躍馬二十年,恐孤明主恩。
坐見幽州騎,長驅河洛昏。
中夜間道歸,故裡但空村。
惡名幸脫兔,窮老無兒孫。


(下し文)
我は本良家の子なり  出師亦た悶多し
将縞りて益主愁思す  身の貴きは論ずるに足らず
馬を躍らすこと二十年 明主の恩に孤かんことを恐る
坐ろに見る幽州の騎  長駆河洛昏し
中夜間道より帰れば  故里但空郁なり
悪名は幸に脱免せるも 窮老にして児孫無し

(現代語訳)
自分はあたりまえの家からでた人間である、従軍するにいろいろの師団長の門をくぐったりしたのだ。
この安禄山大将はすごく驕っているのでなにかするのではと内心心配している、立身出世して高いくらいについたので何事も論議することもしない横暴さである。
この大将に二十年も軍馬を躍らせて戦ってきた、ただ、唐の明主、天子のご恩にそむきはすまいかとおそれているのだ。
毎日同じように見ている(異常に気が付く)、幽州の騎兵がうごきだしたのだ、黄河、洛陽の方まで遠みちをかけ、あたりが暗くなるほどほこりをたたせている。
真夜中になってこっそり抜け道でかえったのだ、ふるさとはみんな逃げたあととみえてだれもいないあきむらになっておる。
謀叛人の仲間という悪名からのがれることはできたが、かんがえてみると子も孫もない守るものを持っていない貧乏な年よりの身なのだ。


(語訳と訳註)
我本良家子,出師亦多門。

自分はあたりまえの家からでた人間である、従軍するにいろいろの師団長の門をくぐったりしたのだ。
良家子 良家とは普通のよい人家をいう。北方辺境の部隊には素性のわからない傭兵もいた。この詩の主人公は無頼の餞民、若しくは罪人などの出身ではないことをいっている。○出師 師をだすのは大将がだすのであり、ここはそのだす師に従ってでることをいう。従レ征多レ門と同様に用いる。○多門 門は将門をいう。いろいろな大将の門。


將驕益愁思,身貴不足論。
この安禄山大将はすごく驕っているのでなにかするのではと内心心配している、立身出世して高いくらいについたので何事も論議することもしない横暴さである。
愁息 謀叛でもしそうな様子ゆえしんはいする。○身貴 自分のからだが貴位にのぼって出世する。○不足論 そんなことはどうでもよい、とりあげていうほどのことはない。



躍馬二十年,恐孤明主恩。
この大将に二十年も軍馬を躍らせて戦ってきた、ただ、唐の明主、天子のご恩にそむきはすまいかとおそれているのだ。
明主 唐の明主、天子、玄宗をさす。



坐見幽州騎,長驅河洛昏。
毎日同じように見ている(異常に気が付く)、幽州の騎兵がうごきだしたのだ、黄河、洛陽の方まで遠みちをかけ、あたりが暗くなるほどほこりをたたせている。
坐見 毎日同じように見ていると。(異常に気が付く。)○幽州騎 漁陽は幽州に属している、幽州の騎とは禄山部下の騎兵をいう。○長駆 遠のりする。○河洛昏 河は黄河、格は洛水、洛陽にせまることをいう。昏とは兵馬のため塵攻が起って暗くなること。


中夜間道歸,故裡但空村。
真夜中になってこっそり抜け道でかえったのだ、ふるさとはみんな逃げたあととみえてだれもいないあきむらになっている。
間道 ぬけみち。○故裡 ふるさと。○空村 住民たちがさり、だれもいない村。



惡名幸脫兔,窮老無兒孫。
謀叛人の仲間という悪名からのがれることはできたが、かんがえてみると子も孫もない守るものを持っていない貧乏な年よりの身なのだ。
悪名 天下に対しての悪い名称。謀叛人の仲間という。○脱免 そのなかからのがれでる。○窮老 貧乏な年より。○無児孫 子も孫もない。守るものがない。軍隊に二十年青春をささげたのである。


 
(解説)
 謀反を起こす前の安禄山はかなり横暴になり、庶民的な目からもそれがわかるようになっていた。
李林逋宰相、前の張九齢との権力闘争、その後18年李林逋の圧制が続きます。その間に軍事的功績を積み重ねた節度使の安禄山。楊貴妃一族の台頭、李林逋の死(752)、と10年間で、特に叛乱の前五年の間にめまぐるしく権力構図が塗り替えられます。其の中で、はっきりしていることは、①皇帝の権威が著しく低下した、②朝廷は楊貴妃一族による腐敗したものとなる、③軍事的には安禄山を抑えようがないというのが750年代の情勢分析である。

 杜甫が述べているようにひとつの村が空っぽに為ったというのは戦になると予想されて逃げたのである。もし安禄山の側が、統制が取れた軍隊であったのなら庶民対策を万全にしたでしょうから支持を得た。叛乱か革命かの分岐点は、民衆の動向である。古今東西、すべて民衆の支持に後押しされたものでないと続くものではないのだ。権力は握れても大儀がなかった安禄山は翌年息子に殺される。
そして、この乱は10年近くも続く。

後出塞五首 其四 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 98

後出塞五首 其四 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 98


後出塞五首其四
獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。
勝った、勝ったとの報知が毎日、毎日漁陽の方から長安へ入ってくるたびに凱楽を奏ねられた、奚と契丹の兩蕃はしずかでなんにも心配はないといわれるほどに落ち着いた。
漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
漁陽はむかしから侠客風の土地がらである、軍師団中では激しく太鼓をうったり、笙や竽を吹きならしたりさわいでいる。
雲帆轉遼海,粳稻來東吳。
江南地方から船団になったので運河から海路遼海へと変更され、軍の食料米も東魯や呉の地方からくるのである。
越羅與楚練,照耀輿台軀。
また越の地方産のうす絹や楚の練絹がおくられ、賎しい身分の兵士らの躯体をてりかがやかしているのだ。
主將位益崇,氣驕淩上都。
ここの軍師団の主大将は一段と位がたかくなっていく、その横柄な態度と威張る気性は都の権威をもしのぐようになってきているのだ。
邊人不敢議,議者死路衢。

ここの群にいる兵士、この辺境の里にいる人たちは詮議や話題すらできないのだ、それを書面どこか口にしただけで殺され路傍に捨てられるのである。


凱を献ずること日々に踵を継ぐ 両蕃静にして虞無しと

漁陽は豪快の地なり 鼓を撃って生竿を吹く

雲帆遼海に転ず 硬稲東呉より来る

越羅と楚練と 輿台の姫に照耀す

主将位益主崇く 気騎りて上都を凌ぐ

辺人敢て議せず 議する者は路衛に死す




後出塞五首 其四  訳註と解説

(本文)
獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。
漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
雲帆轉遼海,粳稻來東吳。
越羅與楚練,照耀輿台軀。
主將位益崇,氣驕淩上都。
邊人不敢議,議者死路衢。

(下し文)
凱を献ずること日々に踵を継ぐ 両蕃静にして虞無しと
漁陽は豪快の地なり 鼓を撃って生竿を吹く
雲帆遼海に転ず 硬稲東呉より来る
越羅と楚練と 輿台の姫に照耀す
主将位益主崇く 気騎りて上都を凌ぐ
辺人敢て議せず 議する者は路衛に死す

(現代語訳)
勝った、勝ったとの報知が毎日、毎日漁陽の方から長安へ入ってくるたびに凱楽を奏ねられた、奚と契丹の兩蕃はしずかでなんにも心配はないといわれるほどに落ち着いた。
漁陽はむかしから侠客風の土地がらである、軍師団中では激しく太鼓をうったり、笙や竽を吹きならしたりさわいでいる。
江南地方から船団になったので運河から海路遼海へと変更され、軍の食料米も東魯や呉の地方からくるのである。
また越の地方産のうす絹や楚の練絹がおくられ、賎しい身分の兵士らの躯体をてりかがやかしているのだ。
ここの軍師団の主大将は一段と位がたかくなっていく、その横柄な態度と威張る気性は都の権威をもしのぐようになってきているのだ。
ここの群にいる兵士、この辺境の里にいる人たちは詮議や話題すらできないのだ、それを書面どこか口にしただけで殺され路傍に捨てられるのである。



(語訳と訳註)

獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。
勝った、勝ったとの報知が毎日、毎日漁陽の方から長安へ入ってくるたびに凱楽を奏ねられた、奚と契丹の兩蕃はしずかでなんにも心配はないといわれるほどに落ち着いた。
献凱 「周礼」大司楽に王の師が大いに勝ったときは凱楽を奏させたとある。凱は或は愷に作る、やわらぐこと、かちいくさにはやわらいだ音楽を奏してかえってくる、この献凱は捷報を奉ることをいう。○継踵 使者の足があとからあとからつづくことをいう。禄山は754年天宝十三載の二月、四月、755年十四載の四月にみな奚・契丹を破ったことを奏上したのだ。〇両蕃 奚・契丹の二蕃。○ しんばい。


漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
漁陽はむかしから侠客風の土地がらである、軍師団中では激しく太鼓をうったり、笙や竽を吹きならしたりさわいでいる。
漁陽 今の河北省順天府の地方をいう、唐のときは、幽州といい、苑陽郡といい、又そのうちに前州を分かって、漁陽郡といった。○豪快 おとこだての気風。○鼓、笙、竽 みな軍中の宴楽に用いる。


雲帆轉遼海,粳稻來東吳。
江南地方から船団になったので運河から海路遼海へと変更され、軍の食料米も東魯や呉の地方からくるのである。
雲帆 雲を帯びた帆、船団をいう。○ 船団を組んだので、運河での航行が難しく、領海にうつってゆく。○遼海 遼東方面の海。唐の時は揚州(江蘇省)に倉を置き水運によって貨物を東北に輸送した。禄山が苑陽に居るのによって南方より船が赴くのである。〇校稲 うるしね。○東呉 山東地方と江蘇省地方。



越羅與楚練,照耀輿台軀。
また越の地方産のうす絹や楚の練絹がおくられ、賎しい身分の兵士らの躯体をてりかがやかしているのだ。
越羅 漸江省地方でできるうすぎぬ。○楚練 湖南・湖北辺でできるねりぎぬ。○照耀 てりかがやかす。○輿台 「左伝」昭公七年に士以下の臣を順に臭、輿、隷、僚、僕、台とかぞえあげている。いやしきもの、ここは現に兵士となっておるものをさす。○ み、からだ。



主將位益崇,氣驕淩上都。
ここの軍師団の主大将は一段と位がたかくなっていく、その横柄な態度と威張る気性は都の権威をもしのぐようになってきているのだ。
主将 主人である大将、安禄山。○氣驕 威張る気性と横柄な態度。○上都 天子の都をいう。



邊人不敢議,議者死路衢。

ここの群にいる兵士、この辺境の里にいる人たちは詮議や話題すらできないのだ、それを書面どこか口にしただけで殺され路傍に捨てられるのである。
辺入国の辺都の地に居るもの、禄山の管内のものをさす。0 かれこれうわさする。○ 殺されてしぬ。○路衝 衝はちまた。



(解説)
 もともと、身分賎しい者が、貴族内の問題、府兵制度の崩壊、忠誠心の欠如、傭兵性の開始など様々な事柄の場当たり的解決策として、軍隊内の均衡化策をとり、異民族系のものを重用した。また、潘鎮の2極分化により、勢力の強くなるものを抑えるためと、地方の税徴収が上手くいかなくなったことにより、節度使を置いた。東の幽州を拠点にした安禄山、西の安西を拠点にした哥舒翰という構図になっていた。長安の朝廷には、楊国忠が宰相で、そこに宦官勢力も5,6000名に膨れ上がり、軍隊化していた。これ以外にも地方の潘鎮は君王化していた。

 玄宗は裸の大さま状態であったと思われる。忠義な家臣を味方に改革が必要であったが、ここまでの20年近く李林保と楊国忠によって徹底的な粛清がなされていて、忠義な家臣は遠ざけられていたのである。
かくして、誰が、クーデター、叛乱を起してもおかしくない状況になったのである。これに火をつけたのは、3年続きの干ばつ、長雨による物価高騰であった。国民のフラストレーションは最高潮に達していた。

杜甫の詩、750年頃から755年のものに彼らのことはすべて指摘している。罪にならない、当たり障りのない程度に詩を作ったのだ。

贈獻納使起居田舍人澄 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 90 

贈獻納使起居田舍人澄 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 
居舎人にして献納使である田澄に贈った詩。作時は天宝十三載冬「封西岳賦」を献ずる以前であろう。

贈獻納使起居田舍人澄
献納使で起居舎人の田澄に贈る
獻納司存雨露邊,地分清切任才賢。
献納使の職は本来外部にあるのだが今は天子の雨露のめぐみのふりかかるおそばちかくにあるというのだが。地位身分が天子のお声掛かりで、起居舎人と献納使を兼ねる才賢の任に就かれている。
舍人退食收封事,宮女開函近禦筵。
舎人・献納使は、ほかの官を退席させて後、匭から投書のあった封事を収め、宮女に函からそれを出させそして天子の御座にささげるのである。
曉漏追趨青瑣闥,晴窗檢點白雲篇。
暁の漏刻には起居舎人として青塗彫刻の小門に他の官僚に一緒に追随される、献納使としては晴窓の下で一般よりたてまつられた「白雲の詩篇」を点検される。
揚雄更有河東賦,唯待吹噓送上天。

揚雄が更に「河東賦」があったようにて(自分も更に「封西岳賦」たてまつる)、それをただ、君の吹嘘によって天まで送ってのぼらせてもらいたいと待ち望んでいます。



(贈獻納使起居田舍人澄 注釈と解説)
(本文)
獻納司存雨露邊,地分清切任才賢。
舍人退食收封事,宮女開函近禦筵。
曉漏追趨青瑣闥,晴窗檢點白雲篇。
揚雄更有河東賦,唯待吹噓送上天。

(献納使・起居田舎人澄に贈る)

献納司は存す雨露の辺、地清切を分ちて才賢に任す。

舎人過食封事を収め、官女函を開きて禦筵に捧ぐ。

暁漏 迫趨す 青瑣の闥。晴窓点検す白雲の篇。

揚雄更に河東の賦有り、唯だ待つ吹嘘送りて天に上すを。


(現代訳)
献納使で起居舎人の田澄に贈る
献納使の職は本来外部にあるのだが今は天子の雨露のめぐみのふりかかるおそばちかくにあるというのだが。地位身分が天子のお声掛かりで、起居舎人と献納使を兼ねる才賢の任に就かれている。
舎人・献納使は、ほかの官を退席させて後、匭から投書のあった封事を収め、宮女に函からそれを出させそして天子の御座にささげるのである。
暁の漏刻には起居舎人として青塗彫刻の小門に他の官僚に一緒に追随される、献納使としては晴窓の下で一般よりたてまつられた「白雲の詩篇」を点検される。
揚雄が更に「河東賦」があったようにて(自分も更に「封西岳賦」たてまつる)、それをただ、君の吹嘘によって天まで送ってのぼらせてもらいたいと待ち望んでいます。



贈獻納使起居田舍人澄
献納使で起居舎人の田澄に贈る
献納使 官名、唐に延恩匭という投書函の設けがあり、一般人の上書、詩賦文章等をうけつけた。則武天の垂拱中よりこれを置き、諌議大夫・補闕・拾遺一人を以て匭に関することを掌らせた。天宝九載にその官名を献納使と為した。○起居田舎人澄 「起居舎人田澄」ということをかくわけて書きなしたもの。起居舎人は天子の左右にあり、天子の起居注(日記)、政事に関する臣下の議論などを筆記する。田澄は姓名、澄は起居舎人にして献納使を兼ねていたとみられる。


獻納司存雨露邊,地分清切任才賢。
献納使の職は本来外部にあるのだが今は天子の雨露のめぐみのふりかかるおそばちかくにあるというのだが。地位身分が天子のお声掛かりで、起居舎人と献納使を兼ねる才賢の任に就かれている。
○献納司 献納使の職司をいう。○雨露辺 雨露とは天子の恩沢をいう。その恩沢の露のかかるにちかきあたりを雨露辺という。献納の司は外部にあるが舎人がこれをかねているので舎人の地位より雨露という。○地分清切 清切とは清要切近の意。職務が繁雑でなくて高く天子の側近にあることをいう。清切とは雨露の語をうけ、舎人の地位についていう。天子に直接口上できること。〇才賢 才は起居舎人、賢は献納使,両職を兼ねることを指す。田澄のこと。



舍人退食收封事,宮女開函近禦筵。
舎人・献納使は、ほかの官を退席させて後、匭から投書のあった封事を収め、宮女に函からそれを出させそして天子の御座にささげるのである。
退食 「詩経」に「過食公ヨリス」の語があり、公庁より退いて食をとることをいう。ここは必しも食事することをいうのではなく、公務を終えて退庁することをいう。ほかの官を退席させて後という意。○収封事 封事とは他人にみられぬように封じてある上書、収めるとほとりかたづけること。ここは献納伐としてのしごとをなすことをいう。○宮女 宮中につかえる女官をいう。○開函 函ははこ、即ち匪(投書びつ)の函をいう。○禦筵 天子の御座。



曉漏追趨青瑣闥,晴窗檢點白雲篇。
暁の漏刻には起居舎人として青塗彫刻の小門に他の官僚に一緒に追随される、献納使としては晴窓の下で一般よりたてまつられた「白雲の詩篇」を点検される。
暁漏 漏は水時計。暁漏とは朝の出仕の時刻をいう。夜明けのこと。○迫趨 ひとといっし上にこぼしりしてでむく。○青瑣闥 闥は小門、青瑣とはくさりをつらねたような離刻に青い絵具をぬったものをいう。○晴窓 天気のよいおりのまど。○点検 点をつけてしらべる、その天子のお手もとへ出す価値があるか香かをしらべること。○白雲篇 一般人が、白雲の夢をもって奉られた詩篇。短冊篇が重ねられると白雲のように見えた。



揚雄更有河東賦,唯待吹噓送上天。
揚雄が更に「河東賦」があったようにて(自分も更に「封西岳賦」たてまつる)、それをただ、君の吹嘘によって天まで送ってのぼらせてもらいたいと待ち望んでいます。
河東賦 漢の揚雄の作。杜甫はすでに三賦を献じ、天宝十三載更に「封西岳賦」を奏した。これはその作があって田澄によってこれを献じようとすることしめす。○吹嘘 吹も嘘もいきをふきかけること。○送上天 送って天へのぼす、天子に達せしめることをいう。


楊雄(ようゆう) B53~A18  蜀郡成都の出身。字は子雲。40余歳で上京して大司馬王音に文才を認められ、成帝に招されて黄門侍郎とされた。司馬相如の賦を尊崇して自身も名手と謳われたが、やがて文学を捨てて修学して多くの著作を行ない、『楊子法言』は『論語』に、『太玄経』は『易経』に倣って作られた。好学博識だが吃音で論・議を好まず、言説に対する批判には著述で応じた。王莽の簒奪後、門弟が符命の禁を破ったために自殺を図って果たせず、不問とされて大夫に直された。

奉贈太常張卿洎(キ)二十韻 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 89

奉贈太常張卿洎(キ)二十韻 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 89
太常卿張洎に送った詩である。製作時は天宝十三載。



 

奉贈太常張卿洎(キ)二十韻
方丈三韓外,崑崙萬國西。
方丈という山は三韓の外にあり、崑崙の山は万国の西にある。
建標天地闊,詣絶古今迷。
天地の広潤なる間にたかい所に目印をたてているのだ、しかしそのような仙山へは実際行けることはないので、昔も今もそれがどこにあるのか迷っているのである。
氣得神仙迥,恩承雨露低。
貴君は天子の姫ぎみのお婿なのですでに俗界を遠く離れた神仙の気を得ておられるし、また天子の雨露の恩沢のそそぎかかるのを受けておられる。
相門清議眾,儒術大名齊。』
それから宰相たる君の御家門に向っては天下の清議が多くあつまり、父君(張説)殿の子ですから儒教に秀でておられるという点に於ては大名としてもお二人が同等であられるのだ。』

軒冕羅天闕,琳瑯識介圭。
軒車に乗り冤を戴く高位高官の人々は宮廷の門にたくさんつらなっているが、その多く高官、琳瑯ともいうべき玉の中で天子は大珪の玉を認識して君を任用されるに至った。
伶官詩必誦,夔樂典猶稽。
音楽の役人は必ず詩を朗詞するものである。(その詩や楽をつかさどる太常卿長官を任命するには軽々しくはしていない。)舜王の時、夔に音楽をつかさどらせるのに慎重であったように今の天子も古昔の例を十分かんがえて貴君を任命されたのである。
健筆淩鸚鵡,銛鋒瑩鷿鵜。
君は文筆がたっしゃで禰衡の「鸚鵡賦」を即座に作った以上であり、そのするどい筆さきは鷿鵜からとったあぶらでみがきをかけられたようにかがやいている。
友於皆挺拔,公望各端倪。
貴君の兄弟はなかまからずばぬけており、世評に三公の位につかれてもよいといわれるほどの世間の声望があるがそれもとうぜんのことといわれている。
通籍逾青瑣,亨衢照紫泥。
これまで貴君は宮中へ仕籍を通じて青瑣の門をこえて奥まではいり、宮中の道路を貴君が掌る紫泥の光りを以て照らした。(天子の制誥を起草する職に居た。)
靈虬傳夕箭,歸馬散霜蹄。
そうして漏刻が夕の刻をつたえる頃には馬に霜をふむひづめを散らさせながら家路の途へついたのだ。
能事聞重譯,嘉謨及遠黎。
最近には貴君の文学の才あることは通訳を重ねる遠方の胡地までも聞こえており、貴君の政治上のよいはかりごとはその遠地の人民にまで及んだ。
弼諧方一展,班序更何躋。』

それがこんどは太常卿になったので天子をして弼諧をなさしめ奉る志を、やっと一度のべることができるようになった。かく高い地位についた以上はこの上もはやのぼるべき官階はないかのようにみえる。』


適越空顛躓,游梁竟慘淒。
自分は宋人の如く越にいっても空しくつまずき、司馬相如の如く梁に遊んでもものがなしい心地が残るだけだった。
謬知終畫虎,微分是醯雞。
自分は貴君から謬って知遇を受けたが、結局、真の虎ではないことになった。自分の如きものの本分は「うんか」虫ぐらいのところである。
萍泛無休日,桃陰想舊蹊。
年中浮き草のように漂うており、休止する日などない、故郷の桃の木の下の昔ながらの小路がなつかしく想われる。
吹噓人所羨,騰躍事仍睽。
前に貴君から推薦してもらったときは他人から羨まれたが、抜擢されることはなく、思ったこととは反対の結果であった。
碧海真難涉,青雲不可梯。
碧海へでも逃れようとおもうが海の水はわたることができないし、上天したいとおもうが青雲には梯がかけられないのでのぼられないのだ。
顧深慙鍛煉,才小辱提攜。
貴君の恩顧が深いのに自分の鍛錬の足らないというのははずかしい、自分の才が小さいのに貴君が提携してくださるのはかたじけない。
檻束哀猿叫,枝驚夜鵲棲。
自分はたとえば手摺にしばられて猿が叫んでいるかのようであり、枝の上で驚きながら、それは夜のかささぎが木にとまっているようなものなのだ。
幾時陪羽獵,應指釣璜溪。』

いつになったら漢の揚雄のように天子の羽猟をなされるときのおともをすることができるのか、それはまさに天子が釣璜渓で太公望にされたように指さして人を求められるときであろうとおもう。』


奉贈太常張卿洎(キ)二十韻
方丈三韓外,崑崙萬國西。建標天地闊,詣絶古今迷。
氣得神仙迥,恩承雨露低。相門清議眾,儒術大名齊。』
軒冕羅天闕,琳瑯識介圭。伶官詩必誦,夔樂典猶稽。
健筆淩鸚鵡,銛鋒瑩鷿鵜。友於皆挺拔,公望各端倪。
通籍逾青瑣,亨衢照紫泥。靈虬傳夕箭,歸馬散霜蹄。
能事聞重譯,嘉謨及遠黎。弼諧方一展,班序更何躋。』
適越空顛躓,游梁竟慘淒。謬知終畫虎,微分是醯雞。
萍泛無休日,桃陰想舊蹊。吹噓人所羨,騰躍事仍睽。
碧海真難涉,青雲不可梯。顧深慙鍛煉,才小辱提攜。
檻束哀猿叫,枝驚夜鵲棲。幾時陪羽獵,應指釣璜溪。』


方丈三韓の外 崑崙萬國の西
標を建つ天地の迥なるに 詣ること絶えて古今迷う
気は神仙の過なるを得 恩は雨露の低れたるを承く
相門精議眾く  儒術大名斉し』


軒冕天闕になる 琳瑯に介珪を識る
伶官詩必ず詞す 夔楽典猶お稽う
健筆鸚鵡を凌ぎ 銛鋒鷿鵜に瑩たり
友子皆な挺抜  公望各々端倪倪あり
通籍青瑣を逾え 亨衢紫泥に照らさる
霊虬夕箭を伝え 帰馬霜蹄散す
能事重訳に聞え 嘉謀遠黎に及ぶ
弼譜方に一たび展ぶ 班序更に何くにか躋らん』


越に適くも空しく顛躓す 梁に遊ぶも竟に慘淒なり
謬知終に画虎 微分是れ醯雞
萍泛休する日無く 桃陰旧蹊を想う
吹嘘人の羨む所 騰躍事仍お睽く
碧海兵に捗り難く 青雲梯す可からず
顧深くして鍛錬を慙ず 才小にして提携を辱うす
檻に束ねられて哀猿叫び 枝に驚きて夜鵲棲む
幾時か羽猟に陪せん 応に項を釣るの渓を指すなるべし。』




奉贈太常張卿洎二十韻  訳註と解説
太常張卿娼太常卿の官である張洎をいう、太常の張洎卿という意である。前に八三頁に「贈翰林張四學士 杜甫36」詩がある。張洎は張説の子で、天宝十三載に出されて磻渓司馬とされたが、年内に召還され太常卿に遷された。詩は彼に贈ったものである。


方丈三韓外,崑崙萬國西。建標天地闊,詣絶古今迷。
氣得神仙迥,恩承雨露低。相門清議眾,儒術大名齊。』
方丈三韓の外 崑崙萬國の西
標を建つ天地の迥なるに 詣ること絶えて古今迷う
気は神仙の過なるを得 恩は雨露の低れたるを承く
相門精議眾く  儒術大名斉し』

方丈という山は三韓の外にあり、崑崙の山は万国の西にある。
天地の広潤なる間にたかい所に目印をたてているのだ、しかしそのような仙山へは実際行けることはないので、昔も今もそれがどこにあるのか迷っているのである。
貴君は天子の姫ぎみのお婿なのですでに俗界を遠く離れた神仙の気を得ておられるし、また天子の雨露の恩沢のそそぎかかるのを受けておられる。
それから宰相たる君の御家門に向っては天下の清議が多くあつまり、父君(張説)殿の子ですから儒教に秀でておられるという点に於ては大名としてもお二人が同等であられるのだ。』


方丈三韓外,崑崙萬國西。
方丈という山は三韓の外にあり、崑崙の山は万国の西にある。
○方丈 秦時の道教方士が東海中にあると考えた三神山の一、ほかに蓬莱山、瀛州山。〇三韓 馬韓・辰韓・弁韓の三韓、今の朝鮮。○崑崙 山の名、西王母の女仙人が住むと考えられた処。


建標天地闊,詣絶古今迷。
天地の広潤なる間にたかい所に目印をたてているのだ、しかしそのような仙山へは実際行けることはないので、昔も今もそれがどこにあるのか迷っているのである。
○建標 めじるしをたてる。これは山のそばだっていることをいう、方丈と崑崙とをあわせていう。○詣絶 詣ることたゆるととく。○古今迷 古人今人ともに迷う。方丈以下の四句は次の神仙の句を言わんがための序である。


氣得神仙迥,恩承雨露低。
貴君は天子の姫ぎみのお婿なのですでに俗界を遠く離れた神仙の気を得ておられるし、また天子の雨露の恩沢のそそぎかかるのを受けておられる。
○気 気象、意気。○神仙 通過は凡俗と遠く超越しておることをいう。この神仙というのは張洎が玄宗の女寧親公主の婿であるのによってかくいった、天子の女は仙女であり、その仙女の婿であるから神仙の気を得たものとみるのである。○恩 天子の恩寵。○雨露低 雨露は即ち恩沢、低とはこちらへむけてくだされることをいう。婿であるから恩寵も従ってあつい。


相門清議眾,儒術大名齊。』
それから宰相たる君の御家門に向っては天下の清議が多くあつまり、父君(張説)殿の子ですから儒教に秀でておられるという点に於ては大名としてもお二人が同等であられるのだ。』
○相門宰相の家門。頭の父張説は玄宗の宰相である。○精義衆清議とは正人君子の議論をいう、衆とは多くこの相門にあつまることをいう。○儒術 借のみちをいう。○大名斉世間の議に於て説、洎父子の大名が同等であるという意。



軒冕羅天闕,琳瑯識介圭。伶官詩必誦,夔樂典猶稽。
健筆淩鸚鵡,銛鋒瑩鷿鵜。友於皆挺拔,公望各端倪。
通籍逾青瑣,亨衢照紫泥。靈虬傳夕箭,歸馬散霜蹄。
能事聞重譯,嘉謨及遠黎。弼諧方一展,班序更何躋。』

軒冕天闕になる 琳瑯に介珪を識る
伶官詩必ず詞す 夔楽典猶お稽う
健筆鸚鵡を凌ぎ 銛鋒鷿鵜に瑩たり
友子皆な挺抜  公望各々端倪倪あり
通籍青瑣を逾え 亨衢紫泥に照らさる
霊虬夕箭を伝え 帰馬霜蹄散す
能事重訳に聞え 嘉謀遠黎に及ぶ
弼譜方に一たび展ぶ 班序更に何くにか躋らん』

 
軒車に乗り冤を戴く高位高官の人々は宮廷の門にたくさんつらなっているが、その多く高官、琳瑯ともいうべき玉の中で天子は大珪の玉を認識して君を任用されるに至った。
音楽の役人は必ず詩を朗詞するものである。(その詩や楽をつかさどる太常卿長官を任命するには軽々しくはしていない。)舜王の時、夔に音楽をつかさどらせるのに慎重であったように今の天子も古昔の例を十分かんがえて貴君を任命されたのである。
君は文筆がたっしゃで禰衡の「鸚鵡賦」を即座に作った以上であり、そのするどい筆さきは鷿鵜からとったあぶらでみがきをかけられたようにかがやいている。
貴君の兄弟はなかまからずばぬけており、世評に三公の位につかれてもよいといわれるほどの世間の声望があるがそれもとうぜんのことといわれている。
これまで貴君は宮中へ仕籍を通じて青瑣の門をこえて奥まではいり、宮中の道路を貴君が掌る紫泥の光りを以て照らした。(天子の制誥を起草する職に居た。)
そうして漏刻が夕の刻をつたえる頃には馬に霜をふむひづめを散らさせながら家路の途へついたのだ。
最近には貴君の文学の才あることは通訳を重ねる遠方の胡地までも聞こえており、貴君の政治上のよいはかりごとはその遠地の人民にまで及んだ。
それがこんどは太常卿になったので天子をして弼諧をなさしめ奉る志を、やっと一度のべることができるようになった。かく高い地位についた以上はこの上もはやのぼるべき官階はないかのようにみえる。』


軒冕羅天闕,琳瑯識介圭。
軒車に乗り冤を戴く高位高官の人々は宮廷の門にたくさんつらなっているが、その多く高官、琳瑯ともいうべき玉の中で天子は大珪の玉を認識して君を任用されるに至った。
○軒冕 (けんべん)馬車とかんむり、高官の用いるもの。○天闕 宮廷の門。○琳瑯 (りんろう)美玉。○識 しりわける。認識する。○介圭 長さ一尺二寸の大きな圭玉、珪の尖端は将棋のこまの状をなしている。これは頭をたとえていう。張洎の美質をしっていたので彼を太常卿に任ずるとの意。



伶官詩必誦,夔樂典猶稽。
音楽の役人は必ず詩を朗詞するものである。(その詩や楽をつかさどる太常卿長官を任命するには軽々しくはしていない。)舜王の時、夔に音楽をつかさどらせるのに慎重であったように今の天子も古昔の例を十分かんがえて貴君を任命されたのである。
○伶官 音楽を掌る役人。○夔楽 夔は舜の臣で、舜は夔に命じて音楽を掌らせたことが「書経」にみえる。○典 つかさどること。「書経」舜典に「夔、汝二命ジ楽ヲ典ラシム、冑子ヲ教エヨ」とある。○稽とは古の経典をかんがえることをいう。張洎を太常卿に任ずるについて慎重にしたことをいう。



健筆淩鸚鵡,銛鋒瑩鷿鵜。
君は文筆がたっしゃで禰衡の「鸚鵡賦」を即座に作った以上であり、そのするどい筆さきは鷿鵜からとったあぶらでみがきをかけられたようにかがやいている。
○健筆 たっしヤな文筆、洎の文才をいう。○淩鸚鵡 魏の禰衛は「鸚鵡賦」を即座に作り一字を改めなかったという。凌とはそれを凌駕することをいう。○銛鋒 するどい切尖き、これは詞銛を剣鉾を以てたとえていう。○瑩 光潔なさま。○鷿鵜 鳧(かも)のたぐい、そのあぶらは刀剣をみがくのに適している、ここはあぶらの義に用いる。鳥をいうのではない。



友於皆挺拔,公望各端倪。
貴君の兄弟はなかまからずばぬけており、世評に三公の位につかれてもよいといわれるほどの世間の声望があるがそれもとうぜんのことといわれている。
○友 子兄弟のこと。「書経」に「孝乎推孝、友二子兄弟」とあり、友子の二字を切りとって兄弟の義に用いる。洎の兄均も刑部尚書となった。○挺抜 なかまからずっとぬきんでる。○公望 三公の位であってもおかしくないという世間の声がある。○端倪 端は緒、倪は畔のことと注する。いとぐち、境目という意。世評がとりとめないことではなく当然のことであることをいう。



通籍逾青瑣,亨衢照紫泥。
これまで貴君は宮中へ仕籍を通じて青瑣の門をこえて奥まではいり、宮中の道路を貴君が掌る紫泥の光りを以て照らした。(天子の制誥を起草する職に居た。)
○通籍 籍とは二尺の竹ふだ、それに本人の年齢・名字・容貌・風体などかきつけ宮門に掛けておき、本人が宮廷に入ろうとするときは札と照らしあわせて中に入ることを許された。この札を官署へさしだして置くことによって通籍という。○逾青瑣 青瑣は門の戸に青色のくさりがたの模様を染めてあるため名づけられた。青瑣門は多く黄門侍邸のことに用いるが、ここは洎が翰林学士として制誥を掌ったときのことをいう。○亨衢 通達の跡の義で宮内のみちをさす。○照紫泥 天子の制誥はこれを封ずるのに紫色の泥を用いてそのうえに印を捺す、学士は制誥の起草を掌るゆえ紫泥をも使用する。その紫泥の色が宮路をてらすというのである。



靈虬傳夕箭,歸馬散霜蹄。
そうして漏刻が夕の刻をつたえる頃には馬に霜をふむひづめを散らさせながら家路の途へついたのだ。
○霊虬 霊威あるみずち、これは漏刻の体をいう。○夕箭箭は漏刻の刻を示すもので、今の時計の針のようなもの。夕方を報ずる箭が夕箭である。○帰馬 家へとかえるうま。○散霜蹄 霜蹄は霜をふむひづめ、此の句より上四句は翰林学士時代をいぅ。
 


能事聞重譯,嘉謨及遠黎。
最近には貴君の文学の才あることは通訳を重ねる遠方の胡地までも聞こえており、貴君の政治上のよいはかりごとはその遠地の人民にまで及んだ。
○能事 文筆の材能をいう。○聞重譯 重譯は言葉の通訳を幾度も量ねる遠方の国をいう、これ及び次句は虞渓司馬となったことをいう。○嘉諜 よいはかりごと、遠地を治めるについてのはかりごとである。○速黎 遠方の人民。


弼諧方一展,班序更何躋。』
それがこんどは太常卿になったので天子をして弼諧をなさしめ奉る志を、やっと一度のべることができるようになった。かく高い地位についた以上はこの上もはやのぼるべき官階はないかのようにみえる。』
○弼譜 人君たるものが古人の徳をふみ行い、自己の聡明を謀り広くして、自己の政事を輔け整えることとする。即ち、弼諧を 「政事を輔弼和諧すること」ととく、これは人君の事に属する。〇万一展 展とは志をのべることをいう。天子をして弼譜をなさしめることを得ることをいう。○班序 班爵之序をいう、位をわける順序次第、官位の階級。○更何躋 何は何処にかの意。官位がすでに高いのでそれ以外にのぼるべき場所がないという意、実際にはそうではないが高いことを誇張していったもの。
 


適越空顛躓,游梁竟慘淒。謬知終畫虎,微分是醯雞。
萍泛無休日,桃陰想舊蹊。吹噓人所羨,騰躍事仍睽。
碧海真難涉,青雲不可梯。顧深慙鍛煉,才小辱提攜。
檻束哀猿叫,枝驚夜鵲棲。幾時陪羽獵,應指釣璜溪。』

越に適くも空しく顛躓す 梁に遊ぶも竟に慘淒なり
謬知終に画虎 微分是れ醯雞
萍泛休する日無く 桃陰旧蹊を想う
吹嘘人の羨む所 騰躍事仍お睽く
碧海兵に捗り難く 青雲梯す可からず
顧深くして鍛錬を慙ず 才小にして提携を辱うす
檻に束ねられて哀猿叫び 枝に驚きて夜鵲棲む
幾時か羽猟に陪せん 応に項を釣るの渓を指すなるべし。』


自分は宋人の如く越にいっても空しくつまずき、司馬相如の如く梁に遊んでもものがなしい心地が残るだけだった。
自分は貴君から謬って知遇を受けたが、結局、真の虎ではないことになった。自分の如きものの本分は「うんか」虫ぐらいのところである。
年中浮き草のように漂うており、休止する日などない、故郷の桃の木の下の昔ながらの小路がなつかしく想われる。
前に貴君から推薦してもらったときは他人から羨まれたが、抜擢されることはなく、思ったこととは反対の結果であった。
碧海へでも逃れようとおもうが海の水はわたることができないし、上天したいとおもうが青雲には梯がかけられないのでのぼられないのだ。
貴君の恩顧が深いのに自分の鍛錬の足らないというのははずかしい、自分の才が小さいのに貴君が提携してくださるのはかたじけない。
自分はたとえば手摺にしばられて猿が叫んでいるかのようであり、枝の上で驚きながら、それは夜のかささぎが木にとまっているようなものなのだ。
いつになったら漢の揚雄のように天子の羽猟をなされるときのおともをすることができるのか、それはまさに天子が釣璜渓で太公望にされたように指さして人を求められるときであろうとおもう。』


適越空顛躓,游梁竟慘淒。
自分は宋人の如く越にいっても空しくつまずき、司馬相如の如く梁に遊んでもものがなしい心地が残るだけだった。
○適越、杜甫が壮年時代に越(今の浙江地方)にも梁(河南地方)にも遊歴した。又司馬相如は病身のために官をやめ梁に客遊した。○顛躓 ひっくりかえる、つまずく。○顛躓 ものがなし。
 


謬知終畫虎,微分是醯雞。
自分は貴君から謬って知遇を受けたが、結局、真の虎ではないことになった。自分の如きものの本分は「うんか」虫ぐらいのところである。
○謬知 知は洎が自己を知ってくれたこと、謬とは謙遜の辞。それほどの材器ではないのに先方が材器だとして知ってくれたのは謬って知ってくれたのだという意。○画虎 後漢の馬援の語に「虎ヲ画イテ成ラズンバ反ッテ狗二顆ス」という、自己が狗の如く真の虎となり得ないことをいう。○微分 分は本分、分限などの分。徴は細小をいう、謙蓮の辞。○醯雞(けいけい) うんかという虫の類、「荘子」に孔子が顔回に向かって自己の道は醯雞のごときか、といったとの話があるが、この虫は嚢の中にわき、要の外のひろい世界を知らぬものである。孔子の道の小さいことをいう。



萍泛無休日,桃陰想舊蹊。
年中浮き草のように漂うており、休止する日などない、故郷の桃の木の下の昔ながらの小路がなつかしく想われる。
○萍泛 うきくさの如く水にうかぶ、漂泊生活をたとえていう。○桃陰 桃の木のかげ、これは武陵桃源の故事を用いてしかも故郷の事に用いている。○旧蹊 むかしながらの小みち。

 

吹噓人所羨,騰躍事仍睽。
前に貴君から推薦してもらったときは他人から羨まれたが、抜擢されることはなく、思ったこととは反対の結果であった。
○吹嘘 いきをふきかける、自己を後援してくれること。此の語によれば張洎は作者の人材であることを知って、従来彼を推薦しくれたものであることを知っていたことをいう。○騰躍 馬のおどる如く高くおどりあがる、地位の急進することをいう。○睽 意に思ったこととは反対の結果となることをいう。



碧海真難涉,青雲不可梯。
碧海へでも逃れようとおもうが海の水はわたることができないし、上天したいとおもうが青雲には梯がかけられないのでのぼられないのだ。
○碧海 碧色の水をたたえたうみ、これは海中に逃れ去るという意である。海中に仙人の里があるといわれていた。○青雲 青大空の中の高い雲。○梯 はしごをかけてのぼる、これは仙人となって上天することをいう。



顧深慙鍛煉,才小辱提攜。
貴君の恩顧が深いのに自分の鍛錬の足らないというのははずかしい、自分の才が小さいのに貴君が提携してくださるのはかたじけない。
 張洎の自己に対して目をかけてくれることをいう。○慙 鍛錬の足らないのをほじること。○鍛錬 刀をきたえる、自己の才力を発達させること。○ 先方をはずかしめる。謙遜の辞。○提攜 洎が杜甫と手をひきあうこと。



檻束哀猿叫,枝驚夜鵲棲。
自分はたとえば手摺にしばられて猿が叫んでいるかのようであり、枝の上で驚きながら、それは夜のかささぎが木にとまっているようなものなのだ。
檻束 檻はてすり、束は束縛。○枝驚 木の枝上にて驚くこと。○ かささぎ。



幾時陪羽獵,應指釣璜溪。』
いつになったら漢の揚雄のように天子の羽猟をなされるときのおともをすることができるのか、それはまさに天子が釣璜渓で太公望にされたように指さして人を求められるときであろうとおもう。』
(天子をして磻渓を指ささしめるのには張洎の力を要するのである。此の末段は主として自己を叙している。)
幾時 何時に同じ。○陪羽猟 漢末の揚雄の故事、雄は成帝の羽猟に陪従して、「羽猟賦」をつくる。○応指 応(まさに云々するなるべし)は推測の辞であり、指はゆびざす。○釣璜渓 太公望の璜渓をいう。周の文王が璜渓(太公望の釣りを垂れた処)に至って太公望を見たとき、望は文王に答えて「望、釣シテ玉璜ヲ得、刻二日ク、姫命ヲ受ケ、呂検ヲ佐ク」といった。璜は佩び玉、釣璜渓とは璜を釣りし得た渓、即ち璜渓をいう、此の句は自己を太公望として、自己の釣りを垂れる処に之を求めて薦めよとの意を寓している。即ち洎の推薦を求めているのである。○磻渓 張洎の前の役職。

秋雨嘆三首 其三 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 88

秋雨嘆三首 其三 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 88(就職活動中 杜曲の家)
天宝13載 754年 43歳
杜甫42 
754年 秋の長雨が、六十日間も雨が降りつづき、前年の日照りと今年は長雨、水害と交互に関中を襲い食糧不足に陥った。城内では米の値段が高騰した。
城内では米の値段が高騰し、米一斗と夜具を取り換えるほどです。

秋雨嘆三首  其一
雨中百草秋爛死、階下決明顏色鮮。
著葉滿枝翠羽蓋、開花無數黃金錢。
涼風蕭蕭吹汝急、恐汝後時難獨立。
堂上書生空白頭、臨風三嗅馨香泣。

秋雨嘆三首  其二 
闌風伏雨秋紛紛、四海八荒同一雲。
去馬来牛不復弁、濁涇清渭何当分。
禾頭生耳黍穂黒、農夫田父無消息。
城中斗米換衾裯、相許寧論両相直。

秋雨嘆三首  其三
長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?


秋雨嘆三首  其三
長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
私はだれからも相手にされない長安の一市民。門を閉ざし、土塀で囲まれた家の中でじっとしている。
老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
おやじが外に出ぬままに雑草は生い茂り、子供は親の苦労も知らぬげに、風雨の中を走りまわっている。
雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
雨はザアザアと、早い冬をせき立て、胡雁は翼が湿って高く飛べない。
秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?

秋になってからこれまで、お日さまを見たことがなく、大地は泥に汚されてしまい、いつになったら乾くのか。




秋雨嘆三首  其三
長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?


長安の布衣の比數するは誰ぞ,反(しか)るに衡門を鎖じて環堵を守る。

老いたる夫(われ)は出でずして蓬蒿を長(しげ) らせ,稚なき子は憂い無くして風雨に走る。

雨聲は颼颼(そうそう)として早(あさ)の寒さを催し,胡の雁は翅(つばさ) を濕いて高く飛ぶに難し。

秋と來りて未だ曾つて白日を見ず,泥は後土を(けが)して何の時か乾かん?


私はだれからも相手にされない長安の一市民。門を閉ざし、土塀で囲まれた家の中でじっとしている。
おやじが外に出ぬままに雑草は生い茂り、子供は親の苦労も知らぬげに、風雨の中を走りまわっている。
雨はザアザアと、早い冬をせき立て、胡雁は翼が湿って高く飛べない。
秋になってからこれまで、お日さまを見たことがなく、大地は泥に汚されてしまい、いつになったら乾くのか。


長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
私はだれからも相手にされない長安の一市民。門を閉ざし、土塀で囲まれた家の中でじっとしている。
布衣 粗末な着物。冠位のない人。○比數 取るに足らない。 ○衡門 木を横にした粗末な門。隠者の門。○環堵  家の周囲を取り巻いている垣根。  小さな家。狭い部屋。また、貧しい家。この聯のイメージは杜甫の「貧交行 」を参照。


老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
おやじが外に出ぬままに雑草は生い茂り、子供は親の苦労も知らぬげに、風雨の中を走りまわっている。
老夫 老爺(ろうや). 翁(おう) 翁(おきな) 老翁(ろうおう). [共通する意味年をとった男性。○蓬蒿 草ぼうぼうの野原。○無憂 むじゃき。憂いを認識しない。  



雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
雨はザアザアと、早い冬をせき立て、胡雁は翼が湿って高く飛べない。
雨聲 雨音 ○颼颼 風雨の音○胡雁 胡に帰る雁。 ○翅濕 羽を濡らせての奥までを湿らせる。   



秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?
秋になってからこれまで、お日さまを見たことがなく、大地は泥に汚されてしまい、いつになったら乾くのか。
泥汙 汙は汚。泥に汚される ○何時乾  乾くのはいつ。




貧困者を救済するために、政府は官の大倉を開いて米を放出し、長安市民に日に五升(日本の二升あまり)ずつ、安価に分け与えた。杜甫も毎日、大倉に出かけていって米の配給を受け、その日その日をやっと食いつないでいた。しかし、それも長くは続かず、彼は仕方なく家族を長安から奉先県に移すことにした。奉先県は長安の東北約一〇〇キロメートルの所にあり、当時そこには妻楊氏の親戚の者が県令として赴任していた。家族を奉先県に送っていった杜甫は、一人で長安に引き返し、あてのない採用通知を待ちつづける。(この時の様子は曲江三章 章五句の第三章にあらわされてる)

長安・杜曲韋曲
杜甫乱前後の図001


曲江三章 章五句 
曲江三章 第一章五句
曲江蕭條秋氣高,菱荷枯折隨風濤。
遊子空嗟垂二毛,白石素沙亦相蕩,哀鴻獨叫求其曹。

(曲江蕭条として 秋氣高く。菱荷(菱と蓮)枯折して 風濤に随ふ。
游子空しく嗟す 二毛(白髪交じり)に垂(なんなん)とするを。
白石素沙 亦た相い蕩(うごか)す。哀鴻(あいこう、哀れなヒシクイ)独り叫び 其の曹(ともがら)を求む)。


曲江三章 第二章五句
即事非今亦非古,長歌激夜梢林莽,比屋豪華固難數。
吾人甘作心似灰,弟侄何傷淚如雨?

(即事 今に非ず 亦た古(いにしへ)に非ず。長歌夜激しくして 林莽(りんぼう、林やくさむら)を捎(はら)ふ。比屋 豪華にして 固より数え難し。吾人 甘んじて 心 灰に似たるを作さん。弟姪 何をか傷みて 泪(なみだ)雨の如くなる。)

曲江三章 第三章五句
自斷此生休問天,杜曲幸有桑麻田,故將移住南山邊。
短衣匹馬隨李廣,看射猛虎終殘年。

(自ら此の生を断つ天に問うを休めよ。杜曲幸に桑麻の田有り。故に将に南山の辺に移住す。短衣匹馬李広に随い。猛虎を射るを看て残年を終えんとす。)


貧交行     杜甫 
翻手作雲覆手雨,紛紛輕薄何須數。
君不見管鮑貧時交,此道今人棄如土。

(手を翻(ひるがへ)せば雲と 作(な)り 手を覆(くつがへ)せば 雨となる。紛紛たる輕薄  何ぞ 數ふるを 須(もち)ゐん。
君見ずや  管鮑(くゎんんぱう) 貧時の交はりを,此(こ)の道  今人(こんじん) 棄つること 土の如し。)

投贈哥舒開府翰二十韻  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 82

投贈哥舒開府翰二十韻  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 82
開府儀同三司・河西節度使哥舒翰に贈った詩。作時は754年天宝13載43歳。


投贈哥舒開府翰二十韻
今代麒麟閣,何人第一功。君王自神武,駕馭必英雄。』
開府當朝傑,論兵邁古風。先鋒百勝在,略地兩隅空。
青海無傳箭,天山早掛弓。廉頗仍走敵,魏絳巳和戎。』
每惜河湟棄,新兼節製通。智謀垂睿想,出入冠諸公。
日月低秦樹,乾坤繞漢宮。胡人愁逐北,宛馬又從東。』
受命邊沙遠,歸來禦席同。軒墀曾寵鶴,畋獵舊非熊。
茅土加名數,山河誓始終。策行遺戰伐,契合動昭融。
勛業青冥上,交親氣概中。』
未為珠履客,巳見白頭翁。壯節初題柱,生涯獨轉蓬。
幾年春草歇,今日暮途窮。軍事留孫楚,行間識呂蒙。
防身一長劍,將欲倚崆峒。』


投贈哥舒開府翰二十韻
今代麒麟閣,何人第一功。君王自神武,駕馭必英雄。』
今の唐の世で麒麟閣上に画かれる功臣も多くあろうが、誰が其の中の第一の功あるものであろうか。
我が君王(玄宗)におかせられては神と武の徳を具えられたお方である、その駕馭をじゆうにあやつれる英雄のものときまっている。』


(哥舒翰の陳右での武功をのべる。)
開府當朝傑,論兵邁古風。先鋒百勝在,略地兩隅空。
青海無傳箭,天山早掛弓。廉頗仍走敵,魏絳巳和戎。』
開府侯あなたは朝廷において豪傑であります、兵を論じる時には古風な武人を超えた感がある。
戦にのぞんで先鋒となり、百勝した事実が存在している、攻略した敵地の二方の辺境に敵なしであった。
即ち君あるが故に青海地方には箭を伝えて兵を召す事もなく、天山の地方も吐蕃が降服して早くも弓を掛けておくに至った。
丁度むかし趙の将廉頗が敵を敗走させた事とおなじであり、また魏の絳が戎夷と講和したと同じようである。』


(翰が河西地方を恢復したことをのべる。)
每惜河湟棄,新兼節製通。智謀垂睿想,出入冠諸公。
日月低秦樹,乾坤繞漢宮。胡人愁逐北,宛馬又從東。』
自分はいつも河湟の地方が蕃人の手へ放棄されてあったことを惜しんでいたが君が新に河西節度使を兼ねられてからその軍隊の節制がよくゆきわたるようになった。
開府侯の智謀に対しては我が君王におかせられても恩おもいをよせられ、従って君寵もあついため、開府侯という高位高官にとりたてられ、朝廷への出入に当っては文武諸顕官の上位におられる。
今や日月の光りも帝都の樹木に向って照らしかけ、唐の宮殿をめぐって天地が広く横わっているのだ。
この勢で吐蕃の異民族はただ我が唐から逐いまくられはすまいかと心配し、遂に彼等は我が唐に降参し、華の優秀な宛馬は我が唐の方へやってくる事になった。』


(翰が入朝して君王に封れたことをのべる。)
受命邊沙遠,歸來禦席同。軒墀曾寵鶴,畋獵舊非熊。
茅土加名數,山河誓始終。策行遺戰伐,契合動昭融。
勛業青冥上,交親氣概中。』
こうして開府侯は辺方沙漠のはるか遠き地に在り天子からの命を受けて中央朝へ凱旋歸朝され、君王と同席で宴を賜わった。
開府侯が君寵を担うことは恰もむかしの衛國の懿公(いこう)の鶴のように頻繁に御殿の軒端土縁近くで可愛がられ、又、文王が猟りした時、熊でなく開府侯、あなたを我が君に獲られたのである。
君は領土を授与されてそれにかのうた名誉の地位と禄高数を加えられ、「泰山が崩れ、黄河が水が枯れようと始終変易することあるまじ」と我が君王から誓いを賜わった。
策謀・戦略によって戦伐は無用で遺棄せられるほどなのだ、君王から一平卒までの統率・統合されていて、その功績は輝き照らされて感動を与えている。
開府侯の勛業は実にあおぞらの上に届くほどであり、そして気概をもった人であるから、親交者の中に自分のような者まで加えていただいている。』


(杜甫自身をこと、この詩を投贈する意義について。)
未為珠履客,巳見白頭翁。壯節初題柱,生涯獨轉蓬。
幾年春草歇,今日暮途窮。軍事留孫楚,行間識呂蒙。
防身一長劍,將欲倚崆峒。』

自分はまだ珠履を踏む身分でもない、いつしか白髪交じりの白頭翁のようにみられるようになった。
若いときは司馬相如のように故郷の橋に、題を書きつけて出かけたものでしたが、生涯はただ一塊の蓬のころがっていくようなものですが芯はしっかりしています。
幾年もたってしまっている。旅住いをしながら春の息衝く芳草が冬の寒さに衰えゆくのを見たことのである。今日、すでに晩年となって目途が窮まってしまった。
軍事的には部下に孫楚の如き人をとどめておかれるし、小組小隊、行伍の間から呂蒙の如きすぐれた人物を識りわけて抜擢している。
自分もできるならば一長剣を横えて身を防ぎ、そのうえで開府侯の管轄地にある崆峒山の軍に倚るつもりでいるのです。


○韻  功、雄。』/風、空、弓、戎。』/通、公、宮、東。』
           /同、熊、終、融、中。』/翁、蓬、窮、蒙、峒。』




今の唐の世で麒麟閣上に画かれる功臣も多くあろうが、誰が其の中の第一の功あるものであろうか。
我が君王(玄宗)におかせられては神と武の徳を具えられたお方である、その駕馭をじゆうにあやつれる英雄のものときまっている。』

(哥舒翰の陳右での武功をのべる。)
開府侯あなたは朝廷において豪傑であります、兵を論じる時には古風な武人を超えた感がある。
戦にのぞんで先鋒となり、百勝した事実が存在している、攻略した敵地の二方の辺境に敵なしであった。
即ち君あるが故に青海地方には箭を伝えて兵を召す事もなく、天山の地方も吐蕃が降服して早くも弓を掛けておくに至った。
丁度むかし趙の将廉頗が敵を敗走させた事とおなじであり、また魏の絳が戎夷と講和したと同じようである。』

(翰が河西地方を恢復したことをのべる。)
自分はいつも河湟の地方が蕃人の手へ放棄されてあったことを惜しんでいたが君が新に河西節度使を兼ねられてからその軍隊の節制がよくゆきわたるようになった。
開府侯の智謀に対しては我が君王におかせられても恩おもいをよせられ、従って君寵もあついため、開府侯という高位高官にとりたてられ、朝廷への出入に当っては文武諸顕官の上位におられる。
今や日月の光りも帝都の樹木に向って照らしかけ、唐の宮殿をめぐって天地が広く横わっているのだ。
この勢で吐蕃の異民族はただ我が唐から逐いまくられはすまいかと心配し、遂に彼等は我が唐に降参し、華の優秀な宛馬は我が唐の方へやってくる事になった。』

(翰が入朝して君王に封れたことをのべる。) 
こうして開府侯は辺方沙漠のはるか遠き地に在り天子からの命を受けて中央朝へ凱旋歸朝され、君王と同席で宴を賜わった。
開府侯が君寵を担うことは恰もむかしの衛國の懿公(いこう)の鶴のように頻繁に御殿の軒端土縁近くで可愛がられ、又、文王が猟りした時、熊でなく開府侯、あなたを我が君に獲られたのである。
君は領土を授与されてそれにかのうた名誉の地位と禄高数を加えられ、「泰山が崩れ、黄河が水が枯れようと始終変易することあるまじ」と我が君王から誓いを賜わった。
策謀・戦略によって戦伐は無用で遺棄せられるほどなのだ、君王から一平卒までの統率・統合されていて、その功績は輝き照らされて感動を与えている。
開府侯の勛業は実にあおぞらの上に届くほどであり、そして気概をもった人であるから、親交者の中に自分のような者まで加えていただいている。』

(杜甫自身をこと、この詩を投贈する意義について。)
自分はまだ珠履を踏む身分でもない、いつしか白髪交じりの白頭翁のようにみられるようになった。
若いときは司馬相如のように故郷の橋に、題を書きつけて出かけたものでしたが、生涯はただ一塊の蓬のころがっていくようなものですが芯はしっかりしています。
幾年もたってしまっている。旅住いをしながら春の息衝く芳草が冬の寒さに衰えゆくのを見たことのである。今日、すでに晩年となって目途が窮まってしまった。
軍事的には部下に孫楚の如き人をとどめておかれるし、小組小隊、行伍の間から呂蒙の如きすぐれた人物を識りわけて抜擢している。
自分もできるならば一長剣を横えて身を防ぎ、そのうえで開府侯の管轄地にある崆峒山の軍に倚るつもりでいるのです。



(哥舒翰開府翰に投贈す二十韻)
今代麒麟閣 何人か第一の功なる
君王自ら神武 駕駁必ず英雄なり』


(哥舒翰の陳右での武功をのべる。)
開府は朝に当るの傑 兵を論ずる古に遇ぐる風あり
先鋒百戦在り 略地両隅空し
青海箭を伝うること無く 天山早く弓を挫く
廉頗偽りて敵を走らす 魂経己に戎に和す』


(翰が河西地方を恢復したことをのべる。)
毎に悼む河塩の棄てらるるを 新に兼ねて節制通ず
智謀着想を垂る 出入諸公に冠たり
日月秦樹に低れ 乾坤漢宮を繞る
胡人逐北を愁う 宛馬又た東に従う』


(翰が入朝して君王に封れたことをのべる。) 
命を辺抄の速さに受く 帰り来って御席同じ
軒軽骨ねて鶴を寵す 故猟旧と非熊
茅土名数を加う 山河始終を誓う
策行われて戦伐を過す 契り合して昭融を動かす
勲業青冥の上 交親気概の中』


(杜甫自身をこと、この詩を投贈する意義について。)
未だ珠履の客と為らざるに 己に見る白頭の翁なるを
壮節初め柱に題す 生涯独り転蓬
幾年か春草飲む  今日暮途窮す
軍事孫楚を留め  行間呂蒙を識る
防身の一長剣 崆峒に倚らんと将欲す』




(哥舒翰開府翰に投贈す二十韻
投贈此の詩篇を投じ贈る。○哥舒翰 開府哥舒は姓、名は翰。突騎施の首領、哥舒部落の出身であることから哥舒を姓とする。747、749年天宝六、八載吐蕃を破る。・府兵制の崩壊、折衝府軍の形骸化。752年天宝十一載に開府儀同三司を加えられ、754年同十三載には河西節度使を加えられ西平郡王に封ぜられた。翰は753年十二載の冬に入朝した。


今代麒麟閣,何人第一功。
今の唐の世で麒麟閣上に画かれる功臣も多くあろうが、誰が其の中の第一の功あるものであろうか。
今代 唐をさす。○麟麟閣 漢の武帝は麟を獲て麟麟閣を作りそこに功臣を画いた。宣帝の甘露三年にも大将軍電光等十二人を画いた。



君王自神武,駕馭必英雄。』
我が君王(玄宗)におかせられては神と武の徳を具えられたお方である、その駕馭をじゆうにあやつれる英雄のものときまっている。』
君王玄宗をさす。○神武「易」にみえる。人力以上の武徳あること。○駕馭 駕は馬を車につけること、馭は馬をあやつること、人物を馬に此していう。○英雄人傑をいう。



(哥舒翰の陳右での武功をのべる。)
開府當朝傑,論兵邁古風。
開府侯あなたは朝廷において豪傑であります、兵を論じる時には古風な武人を超えた感がある。
開府 哥舒翰をさす。○当朝傑 朝廷に於ての豪傑。
論兵 兵謀のことを議論する。○遇古風 遇は過ぎる、こえることをいう。風とはすがたをいう。



先鋒百勝在,略地兩隅空。
戦にのぞんで先鋒となり、百勝した事実が存在している、攻略した敵地の二方の辺境に敵なしであった。
先鋒百戦 哥舒翰は初め、河西節度使王健の部下にあり、又王忠嗣の将校となって西辺に武功をたてた。○略地 略は取ること。〇両隅 二万の辺地、天山、青海をさす。○ むかう敵がない。



青海無傳箭,天山早掛弓。
即ち君あるが故に青海地方には箭を伝えて兵を召す事もなく、天山の地方も吐蕃が降服して早くも弓を掛けておくに至った。
青海 今の青海省の地方。○無伝箭 兵を起こすときは箭(命令のしるし)を信号としてつぎつぎと命令を伝える。箭を伝うるなしとは兵をやめることをいう。哥舒翰は天宝六載に王忠嗣に代って陳右節度使となり青海のほとりに神威軍を築いて吐蕃を破った。又青海の中の竜駒島に城を築いたので吐蕃は後退した。○天山 祁連山とも白山ともいう山、唐の交河県(今の吐魯蕃地万)の北一百二十里にある。翰が吐蕃の石堡城を攻めたとき、麾下の将高秀微、張守喩をして進攻せしめ旬日ならずしてこれを破った。○掛弓 弓をかけておくこと。戦のないために弓を用いないこと。



廉頗仍走敵,魏絳巳和戎。』
丁度むかし趙の将廉頗が敵を敗走させた事とおなじであり、また魏の絳が戎夷と講和したと同じようである。』
廉頗 戦国時の趙の良将。○魏絳 春秋の時の晋の悼公の臣。絳は公に説くに戎と和するのには五利のあることを以てし、遂に戎と和した。


 
(翰が河西地方を恢復したことをのべる。)
每惜河湟棄,新兼節製通。
自分はいつも河湟の地方が蕃人の手へ放棄されてあったことを惜しんでいたが君が新に河西節度使を兼ねられてからその軍隊の節制がよくゆきわたるようになった。
毎惜 作者の心にてつねにこれを惜しむこと。○河渡 河は黄河、湟は塩水。塩水は青海の東の乱山中より出て東南流して蘭州の西南に至って黄河に入る。今は甘粛省の西寧府城北を東南流して黄河に入る。此の地方は常に唐と吐蕃との争奪の目的となった処である。○ 蕃人の手にすてることをいう。○新兼節制 天宝十二載に翰は封を涼国公に進められ、河西節度使を加えられ、吐蕃の洪済・大漠門等の城を破り、悉く九曲の地を収め、其の地に挑陽郡を置き、神策・宛秀の二軍を築いた。節制を兼ねるとはこれをさす。○ 節制のゆきわたることをいう。



智謀垂睿想,出入冠諸公。
開府侯の智謀に対しては我が君王におかせられても恩おもいをよせられ、従って君寵もあついため、開府侯という高位高官にとりたてられ、朝廷への出入に当っては文武諸顕官の上位におられる。
智謀翰の智謀。○垂睿想 睿想とは天子の恩おもいをいう。垂るとは想いをかけられることを敬っていう。○出入 翰が朝廷に出入することをいう。○冠諸公 冠とは首位におることをいう、諸公とは文武の顕官をさす。



日月低秦樹,乾坤繞漢宮。
今や日月の光りも帝都の樹木に向って照らしかけ、唐の宮殿をめぐって天地が広く横わっているのだ。
日月低秦樹秦樹とは関中の樹木、帝畿の樹木をいう。日月の光がこの樹木に向かって上から下へと照らしかけるというのは帝業のかがやくこころをこめていう。○乾坤続漢宮 漢宮とは唐の宮殿をいう、乾坤は天地のこと。天地が唐の宮殿をめぐるとは、この地球上の広がりがことごとく唐のものとなったさまをいう。此の二句は実に壮大な句ということができる。



胡人愁逐北,宛馬又從東。』
この勢で吐蕃の異民族はただ我が唐から逐いまくられはすまいかと心配し、遂に彼等は我が唐に降参し、華の優秀な宛馬は我が唐の方へやってくる事になった。』
胡人 えびす、異民族、吐蕃をさす。○逐北 北するを逐うとは唐の軍が南方より勝ちに乗じて逐いまくることをいう。○宛馬又従東 漢の武帝の時大宛国を伐って天馬を得、天馬の歌を作った。その歌に「天馬来タル、無事ヲ歴、千里ヲ経、東通二循ウ」とある。従東とは「東通二循り」の意であり、西方の地より東方なる中国本土の方へと道に添うてやってくることをいう。ここでは吐蕃等の西戎が唐へ降ったので、その馬が唐へくることをいう。




(翰が入朝して君王に封れたことをのべる。) 
受命邊沙遠,歸來禦席同。
こうして開府侯は辺方沙漠のはるか遠き地に在り天子からの命を受けて中央朝へ凱旋歸朝され、君王と同席で宴を賜わった。
受命 天子より入朝すべしとの命令をうけること。○辺沙 遠辺方沙漠の遠い地、河西をさす。○帰来 朝廷に凱旋してかえり来る。○御席 君王天子賜宴の席。



軒墀曾寵鶴,畋獵舊非熊。
開府侯が君寵を担うことは恰もむかしの衛國の懿公(いこう)の鶴のように頻繁に御殿の軒端土縁近くで可愛がられ、又、文王が猟りした時、熊でなく開府侯、あなたを我が君に獲られたのである。
軒墀 のきば、土縁。○層と同じ。○寵鶴「左伝」に衛の殊公は鶴を愛し、鶴に大夫の軒にのるものがあったという。この故事を用いる。○政猟 すなどり、かり。○非熊 これは文王が太公望を得たときの故事である。文王が猟をしようとしてこれを卜したところ、獲る所は「竜二非ズ影二非ズ、虎二非ズ熊二非ズ、乃チ覇王ノ輔ナラン」とあったという、果たして大公を得てかえった。熊を熊として用いている。唐の李翰の「蒙求」に呂望非熊の語があり、「後漢書」雀相伝の李賢注にも「史記」を引いて非熊非熊といっているのからすれば唐代の「史記」は非熊とあったものがあったことを知ることができる。哥舒翰を太公望に此したもの。



茅土加名數,山河誓始終。
君は領土を授与されてそれにかのうた名誉の地位と禄高数を加えられ、「泰山が崩れ、黄河が水が枯れようと始終変易することあるまじ」と我が君王から誓いを賜わった。
茅土加名数 茅土とは領地を与えることをいう。古代天子が諸侯を封ずるときにはその地方の東西南北如何によって其の方位の色(東は青、酉は白、南は赤、北は墨の土を与えて社(土神を祭る)を立てしめ、その土はこれをしくに白き茅を以てし、葢うに黄土を以てした。白茅はその潔白なる義を取り、黄土は王者は四方を覆うの義を取ったもの。天宝十二載九月に隴右節度使涼国公哥舒翰は封を西平郡王に進められ実封五百戸を食した。名数とは名位度数にして、名位とは官爵をさし、度数は名位に相応した階級数量(五百戸というのは禄数である)をさす。○山河誓始終 漢の高祖が功臣を封ずるとき誓っていう、「黄河ヲシテ帯ノ如ク、泰山ヲシテ礪ノ若クナラシムルモ、国ハ以テ永二存シ、爰(ここ)二苗裔(びょうえい)二及バン」と。黄河が細りて帯のようになり泰山が砕けてといしのようになろうとも、汝の国は永久に存在して子孫まで及ぼしめようというのである、誓始終とは始終変易あるまじと誓うこと。



策行遺戰伐,契合動昭融。
策謀・戦略によって戦伐は無用で遺棄せられるほどなのだ、君王から一平卒までの統率・統合されていて、その功績は輝き照らされて感動を与えている。
策行 翰の辺境処置の策謀・戦略が行われる。○遺戰伐 遺とはすておいて用いないことをいう。○契合 君王から一平卒までの統率・統合されていること。○動昭融 「詩経」大雅の既酔第に「昭明融アリ」の語があり、周の成王の道は光大にして甚だ長いことをいうと説いているが、ここは蓋し天子の徳光をいうのであろう。動とは感動せしめることをいう。功績は輝き照らされて感動を与えているとする。
 


勛業青冥上,交親氣概中。』

開府侯の勛業は実にあおぞらの上に届くほどであり、そして気概をもった人であるから、親交者の中に自分のような者まで加えていただいている。』
勛業 勛は勲に同じ。翰の勲功事業。○青冥 あおぞら。○交親 自己との親交。○気概中 気概は気節をいう。翰は気節があるので、その中に自己との親交をたもつということ。




(杜甫自身をこと、この詩を投贈する意義について。)
未為珠履客,巳見白頭翁。
自分はまだ珠履を踏む身分でもない、いつしか白髪交じりの白頭翁のようにみられるようになった。
珠履客 戦国の時、楚の春申君の食客三千余人、其の上客は皆珠の履を踏んだという、ここは作者が未だ諸侯の幕客にさえなっていないことをいう。



壯節初題柱,生涯獨轉蓬。
若いときは司馬相如のように故郷の橋に、題を書きつけて出かけたものでしたが、生涯はただ一塊の蓬のころがっていくようなものですが芯はしっかりしています。
壮節 壮年期の節操。○題柱漢 の司馬相加の故事、相如は蜀の人で故郷を出ようとするとき昇仙橋の柱に題して「駟馬の車に乗らざれば復び此の橋を過らず」といったが後ち果たして其の言の如くなった。○転蓬 蓬の草は秋風に吹かれるままにとんで移転しあるくので漂泊生活にたとえるがその芯にあるものはしっかりあるという、矜持の心を失っていない場合に使う。



幾年春草歇,今日暮途窮。
幾年もたってしまっている。旅住いをしながら春の息衝く芳草が冬の寒さに衰えゆくのを見たことのである。今日、すでに晩年となって目途が窮まってしまった
春草歇 これは唐人の慣用であり、出典は「楚辞」の「王孫遊ンデ帰ラズ、春草生イテ著書タリ」の句に本づく。唐人はやります、できます、お願いしますといわないもの。その表現を逆にして訴えるので、日本人的に見ると、自虐的に感じたり、嘆いてばかりに見える訳注などに杜甫は嘆いてばかりいると訳されているが、全く違う。歇は哀歇の義、花芳が衰えてやんでしまうことをいう、春草の芳がやむということは、空しく春をすごしてしかも故郷に帰らぬことをいう強い意志を持っているのである。○暮途 晩年の道途。



軍事留孫楚,行間識呂蒙。
軍事的には部下に孫楚の如き人をとどめておかれるし、小組小隊、行伍の間から呂蒙の如きすぐれた人物を識りわけて抜擢している。
孫楚 晋の時、石苞の参軍となった人。甚だ倣慢な人で始めて苞の処に至るや、「天子我二命ジテ、卿ノ軍事二参セシム」といったという。○行間 行伍(兵卒の小組)の間をいう。○呂蒙 三国の時の呉の孫権の臣。孫楚・呂蒙は翰の幕府中の英才をさす。厳武・呂謹・高適・帝折・王思礼・郭英父・曲環等の人々を列挙しているといわれる。



防身一長劍,將欲倚崆峒。』
自分もできるならば一長剣を横えて身を防ぎ、そのうえで開府侯の管轄地にある崆峒山の軍に倚るつもりでいるのです。
防身 身をふせざまもる。〇倚崆峒 倚の字は上旬の長剣をうけていう。宋玉「大言賦」に「長剣秋秋トシテ、天外二倍ル」とみえる。崆峒は山の名、甘粛省輩昌府眠州治の西二十里にあり、河西の地の名山。


○韻  功、雄。』/風、空、弓、戎。』/通、公、宮、東。』/同、熊、終、融、中。』/翁、蓬、窮、蒙、峒。』

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