漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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2011年06月

李白45 元丹丘歌(李白と道教(1))

李白45 元丹丘歌(李白と道教(1))

  元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

元丹邱歌
元丹邱  愛神仙。
朝飲頴川之清流、暮還嵩岑之紫煙。
三十六峰長周旋。

長周旋 躡星虹。
身騎飛龍耳生風、横河跨海与天通。
我知爾遊心無窮。


元丹丘は、神仙を愛す。
朝には頴川の清流を飲み、暮には嵩山のもやの中へと帰っていく。
嵩山の三十六峰を常に巡回している。

いつも巡回しては、星や虹を踏んで歩く、またその身は飛龍に乗って耳を風になびかせ、黄河を横断し東海をまたいで天に通ずる、私には君の果てしない心がよく分っている

韻 仙、煙、旋。/ 虹、通、窮。

元丹邱の歌
元丹邱(げんたんきゅう)  神仙(しんせん)を愛す
朝(あした)には頴川(えいせん)の清流を飲み
暮(くれ)には嵩岑(すうしん)の紫煙(しえん)に還る
三十六峰  長く周旋(しゅうせん)す
長く周旋し  星虹(せいこう)を躡(ふ)む
身は飛龍(ひりゅう)に騎(の)って耳は風を生じ
河(か)を横ぎり海を跨(また)げて天と通ず
我れ知る  爾(なんじ)の遊心窮(きわま)り無きを

 李白は秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。

 この元丹邱と李白の関係、李白の詩に多大な影響を与えた道教についてみていかないと理解はできない。直接、詩題に挙げたのは十二種、詩の中で名前を挙げているのが五首もある。そして、道教に関連した詩はたくさんある。道教の修行の丹という名がついていることから、一定以上の地位の人物であったのだろう。もう一つは唐の時代で儒教、仏教、道教とあったが最も大切にされたのが道教なのだ。事実、この時代道教はもっとも隆盛な時を迎えている。太宗、武則天と道教を国宗として進め、725年11月、玄宗は、道教が儒教や仏教の上位にあるという詔を下し、泰山に封禅の礼を行うことで、最盛期を迎えたのだ。李白はこの時24歳、これに触発されるように蜀を発したのである。李白はそれ以降、道教の盛んな各地を回っている。

  これらから李白と道教との関係は実に深いように感じられ、その関係をのべなければ、李白の詩を深めることができない。(数々の謎は実は道教に傾倒していることから生じたもの!?と思っている。)

 彼の詩が賀知章をして「謫仙」と呼ばせたのも当然であるが、これがまた儒教的な杜甫の詩と好対照であり、隆盛により圧倒していたことから下降いていくにともない、そのため後の儒教、仏教から批評、特に宋代の詩人学者から、李白の詩を杜甫の詩の下に置こうとする傾向が起っている。藝術上問題のみならず、彼の生活に多大の影響を及ぼしているこの道教と李白との関係を、「元丹邱の歌」を契機にブログを進めていこうと思う。
 ただ、日本では、この元丹邱と李白の関係について紹介している事例が少なくマイナーであり、面白くないかもしれない。しかし、マイナーなところを取り上げていくことが漢文委員会の役割と考えている。

 李白と杜甫の交友で、杜甫は李白を尊敬してやまないが、李白は普通の付き合いとしか思えない行動を示している。これは、杜甫が儒教を基本に仏教も勉強し尊重しているからであろう。したがって、あっさり別れているし、一旦別れると、その後の接触を断っている。
 また、長安で、いろんな人との触れ合いがある中、詩人として抜きんでていた王維との接点がないのも、おかしい。李白は、任侠に足を染めた過去が原因というより、道教的な考えで遭遇の機会すら得ようとしなかったのではなかろうか。この時、王維も李白も、同時期、長安洛陽にいた形跡があり接触してもおかしくはなかったが、そうならなかったのは、対比表作成しても何から何まで、正反対の王維と李白であったためであろう。
 科挙の試験を受けなかった李白が、道教の付き合いから念願の朝廷から招致されるのである。李白の長期計画の成功を見るのである。

 こうした意味でも李白と道教を見ていくことになる。ものがたり的ではなく、できるだけ李白の詩で見ていくことにする。

つづく

李白44 春夜洛城聞笛

李白44  春夜洛城聞笛 


七言絶句 春夜洛城聞笛

誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。
どこで笛を吹いているのだろうか、宵闇に笛の音(ね)だけが聞こえてくるが、散らばっ

て春風に乗って洛陽城に満ちている。

此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。

この夜、流れてくる曲中に、別れの曲折楊柳の曲が聞こえてきた、誰が故郷を思う気

持ちを起こさずにおれようか、きっと、起こしてしまう。



どこで笛を吹いているのだろうか、宵闇に笛の音(ね)だけが聞こえてくるが、散らばっ

て春風に乗って洛陽城に満ちている。
この夜、流れてくる曲中に、別れの曲折楊柳の曲が聞こえてきた、誰が故郷を思う気

持ちを起こさないだろうか。きっと、起こしてしまう。



春夜洛城聞笛    しゅんやらくじょうのふえをきく
春の夜に洛陽の街で(「折楊柳」の曲を奏でる)笛をきく。
同様のモチーフのものに、王翰の『涼州詞』「秦中花鳥已應闌,塞外風沙猶自寒。夜聽胡笳折

楊柳,敎人意氣憶長安。」や、王昌齢 『出塞』「秦時明月漢時關、萬里長征人未還。但使龍城飛將在、不敎胡馬渡陰山。」がある。漢文委員会総合サイト漢文委員会 漢詩総合サイト 辺塞/塞下/塞上/涼州にある。


誰家玉笛暗飛聲  たがいえにぎょくてきをひそやかにきくのであろう
どこで笛を吹いているのだろうか、宵闇に笛の音(ね)(だけ)が聞こえてくるが。
 ・誰家

:どこ。だれ。 *かならずしも「だれの家」と、住処を尋ねていない。 ・玉笛:宝玉でで

きた笛。立派な笛。 ・暗:暗闇に。宵闇に。或いは、密やかに。 ・飛聲:笛の音を飛ばす

。笛の音を流す。 ・聲:ひびき。おと。ふし。


散入春風滿洛城   さんじて しゅんぷうに いりて  らくじょうに みつ
散らばって(春風に)乗って洛陽城に(笛の音が)満ちている。
 ・散入:散らばって(春風

に)乗って。 ・洛城:洛陽城。東都洛陽の都。洛陽の街。 ・城:都市。城市。都会。街。


此夜曲中聞折柳   このよる きょくちゅう  せつうりゅうを きく

この夜、(流れてくる)曲中に、(別れの曲)折楊柳の曲が聞こえてきた。
 ・曲中:玉笛の

聲裏ということ。 ・折柳:折楊柳のこと。横吹曲の一。別れの情をうたった曲名。別離の折

り、水の畔まで見送り、柳の枝を折って贈った故事に基づくもの。前出、『涼州詞』「夜聽胡

笳折楊柳,敎人意氣憶長安。」の影響を受けていよう。


何人不起故園情   なんびとか こえんのじょうを おここさざらん
誰が故郷を思う気

持ちを起こさないだろうか。きっと、起こしてしまう。

 ・何人:〔なんびと〕誰。 ・不起:起こさない。 ・何人不起:誰が起こさないだろうか。いや、起こす。(反語反問の気勢の語形。)  ・故園:故郷。 ・情:想い。

 ・故園情:故郷を思う気持ち。郷愁。

春夜洛城聞笛

誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。
此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。

春夜 洛城に 笛を聞く       
誰が家の玉笛ぞ  暗に 聲を飛ばす,散じて 春風に 入りて  洛城に 滿つ。
此の夜 曲中  折柳を 聞く,何人か 故園の情を 起こさざらん

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過去のページも加筆・修正しました。
李白26~30塞下曲六首
李白12越女詞五首其の一から其の五まで読みと訳注を加筆しました

この後、李白女詩をシリーズでとりあげます。
短い詩ほど李白の芸術性が出てきます。他のサイトでできるだけ取り上げられていない詩を主体にしていこうと思っています。
このブログ掲載ののち、漢文委員会 06ch倶楽部に掲載します。ブログとちがって、横のつながり、背景とか理解が深まると思います。
  漢文委員会 漢詩総合サイト 7ch 漢詩ZERO倶楽部 には全体的に掲載しています。


李白の詩 連載中 7/12現在 75首

漢文委員会 ホームページ それぞれ個性があります。

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ブログ
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李白43 杜陵絶句

李白43 杜陵絶句

五言絶句 杜陵絶句

  南登杜陵上、 北望五陵間。
  秋水明落日、 流光滅遠山。

 

南のかた杜陵の上に登り、北のかた五陵の間を望む

秋水 落日明らかに、流光 遠山滅す


長安城の南杜陵の上に登り、そこから北のかた五陵の間を望む、川の流れに落日が反映し、流れ行くその光は遠い山々の間に消えていく

choan9ryo赤枠は長安の城郭
この墓陵群は中国のピラミットといわれている。


杜陵とは前漢の宣帝の陵墓で長安の(城郭の右下)東南にある。小高い丘の上にあり、見晴らしが良いところだ。五陵は長安の北東から北西にかけて、渭水の横門橋わたって東から陽陵(景帝)、長陵(高祖)、安陵(恵帝)、平陵(昭帝)、茂陵(武帝)と咸陽原にある。杜陵からの距離は、30km~50km。
○韻 間、山。

五陵原という皇帝の陵墓区で、西から茂陵、平陵、昭陵、延陵、渭陵義陵、安陵、長陵、陽陵の9つが並んでいる。このうち長陵は高祖・劉邦の陵、茂陵は武帝の陵。ほとんどの皇帝陵に皇后陵が併設されており、有名な呂后の様に皇后の地位が高かったことの現れと言われてる。皇帝が西、皇后が東。延陵の場合、右上(東北)にやや規模の小さな皇后陵が見える。また東端にある陽陵は周囲が発掘されて兵馬俑が出土、博物館として公開されている。


  南登杜陵上、 北望五陵間。
  秋水明落日、 流光滅遠山。

南のかた杜陵の上に登り、北のかた五陵の間を望む

秋水 落日明らかに、流光 遠山滅す

nat00007ch250

梁園吟 まとめ 李白42

李白42 梁園吟

洛陽の下流、開封近くにある梁園に立ち寄った際の作。梁園とは前漢の文帝の子梁孝王が築いた庭園。詩にある平臺は梁園にあり、また阮籍は梁園付近の蓬池に遊んだ。李白はそうした史実を引用しながら、過去の栄華と今日の歓楽、そして未来への思いを重層的に歌い上げている。秀作である。

雑言古詩 梁園吟

我浮黄雲去京闕,掛席欲進波連山。

天長水闊厭遠渉,訪古始及平台間。』

平台爲客憂思多,對酒遂作梁園歌。

卻憶蓬池阮公詠,因吟緑水揚洪波。』

洪波浩盪迷舊國,路遠西歸安可得。』

人生達命豈暇愁,且飲美酒登高樓。

平頭奴子搖大扇,五月不熱疑清秋。』

玉盤楊梅爲君設,呉鹽如花皎白雪。

持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。』


昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。

荒城虚照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』

梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。

舞影歌聲散綠池,空餘抃水東流海。』

沈吟此事涙滿衣,黄金買醉未能歸。

連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』

酣馳輝,歌且謠,意方遠。

東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晩。』



私は、黄河に浮かんで都を去る。高く帆を掛けて進もうとすれば、波は山のように連なって湧く。
空は果てもなくつづき、水は広々とひろがって、旅路の遥けさに厭きながら、古人の跡を訪ねて、ようやく平台のあたりまでやってきた。』
平台の地に旅住まいして、憂い思うこと多く、酒を飲みつつ、たちまち「梁園の歌」を作りあげたのだ。
ふり返って、院籍どのの「蓬池の詠懐詩」を憶いおこし、それに因んで「清らかな池に大波が立つ」と吟詠する。
洪波はゆらめき広がって、この旧き梁国の水郷に迷い、船路はすでに遠く、西のかた長安に帰るすべはない。』

人として生き、天命に通達すれば、愁い哀しんでいる暇はない。ひとまずは美酒を飲むのだ、高楼に登って。
平らな頭巾の下僕が、大きな団扇をあおげは、夏五月でも暑さを忘れ、涼やかな秋かと思われる。』
白玉の大皿の楊梅は、君のために用意したもの、呉の国の塩は花のように美しく、白雪よりも白く光る。
塩をつまみ、酒を手にとって、ただただ飲もう。伯夷・叔斉が〝高潔さ"にこだわった、そんな真似などやめておこう。』

昔の人々は、魏の信陵君を、豪勇の貴人と仰いでいたのに、今の人々は、信陵君の墓地あとで、田畑を耕し種をまいている。
荒れはてた都城を空しく照らすのは、青い山々にのぼった明るい月、世々を経た古木の梢いちめんにかかるのは、蒼梧の山から流れてきた白い雲。』
梁の孝王の宮殿は、いまどこに在るというのだろう。枚乗(ばいじょう)も司馬相如も、先立つように死んでゆき、この身を待っては居てくれない。
舞い姫の影も、歌い女の声も、清らかな池の水に散ってゆき、あとに空しくのこったのは、東のかた海に流れ入る?水だけ。』
栄華の儚さを深く思えば、涙が衣服をぬらしつくす。黄金を惜しまず酒を買って酔い、まだまだ宿には帰れない。
「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』
馳せゆく時の間に酔いしれて、
歌いかつ謡えば、
心は、今こそ遠くあこがれゆく。
かの東山に隠棲して、時が来れば起ちあがるのだ。世の人民を救おうというこの意欲、遅すぎるはずはない。』



  我浮黄雲去京闕,掛席欲進波連山。
  天長水闊厭遠渉,訪古始及平台間。』
  平台爲客憂思多,對酒遂作梁園歌。
  卻憶蓬池阮公詠,因吟緑水揚洪波。』
  洪波浩盪迷舊國,路遠西歸安可得。』

私は、黄河に浮かんで都を去る。高く帆を掛けて進もう与れば、波は山のように連なって湧く。
空は果てもなくつづき、水は広々とひろがって、旅路の遥けさに厭きながら、古人の跡を訪ねて、ようやく平台のあたりまでやってきた。』
平台の地に旅住まいして、憂い思うこと多く、酒を飲みつつ、たちまち「梁園の歌」を作。あげたのだ。
ふり返って、院籍どのの「郵野の詠懐詩」を憶いおこし、それに因んで「清らかな池に大波が立つ」と吟詠する。
洪波はゆらめき広がって、この旧き梁国の水郷に迷い、船路はすでに遠く、西のかた長安に帰るすべはない。』





   梁園吟
  人生達命豈暇愁,且飲美酒登高樓。
  平頭奴子搖大扇,五月不熱疑清秋。』
  玉盤楊梅爲君設,呉鹽如花皎白雪。
  持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。』

人として生き、天命に通達すれば、愁い哀しんでいる暇はない。ひとまずは美酒を飲むのだ、高楼に登って。
平らな頭巾の下僕が、大きな団扇をあおげは、夏五月でも暑さを忘れ、涼やかな秋かと思われる。』
白玉の大皿の楊梅は、君のために用意したもの、呉の国の塩は花のように美しく、白雪よりも白く光る。
塩をつまみ、酒を手にとって、ただただ飲もう。伯夷・叔斉が〝高潔さ”にこだわった、そんな真似などやめておこう。』
 


梁園吟
○「梁園」は、梁苑・菟(兎)園ともいう。前漢の文帝の子、景帝の弟、梁孝王劉武が築いた庭園。現在の河南省商丘市東南5kmに在った、と考えられる。参照‥『史記』巻五十八「染孝壬世家」の「史記正義」所引『括地志』D〔補注讐「吟」は、詩歌の一体。この詩は、第一次在京期の後、長安を離れて梁園に遊んだおり、三十代前半の作と考えられる。

我浮黄雲去京闕,掛席欲進波連山。
私は、黄河に浮かんで都を去る。高く帆を掛けて進もう与れば、波は山のように連なって湧く。
京関!都、長安。王本などでは「京朗」に作る。煩語やあるが、七言詩の第一句としては、韻字としての「閑」が勝るであろう。景宋威串本も「関」に作る。○捷席-船に帆(席)を掛ける。船旅をする。「席」はイグサの頬で織った席の帆。○波連山-大波が山を連ねたように湧き立つ。木筆の「海賦」(『文選』巻十九)に「波は山を遵ぬるが如し」とある。先行者訳の「山に連なる」は適切を欠こう。

天長水闊厭遠?,訪古始及平台間。
空は果てもなくつづき、水は広々とひろがって、旅路の遥けさに厭きながら、
遠渉1遠い旅路。○平台-漢の梁孝王が賓客を集めて遊宴した楼台。もとは、春秋時代の宋の平公が築かせた。場所は、現在の商丘市の東北(虞城県の西約二〇キロ)とされる。(『元和都県志』巻八「宋州」)。


平台爲客憂思多,對酒遂作梁園歌。
平台の地に旅住まいして、憂い思うこと多く、酒を飲みつつ、たちまち「梁園の歌」を作りあげたのだ。
-動作や行為がスムーズに進むことを表わす副詞。「すぐさま・たやすく・かくして」などの意。「とうとう」ではない。

卻憶蓬池阮公詠,因吟淥水揚洪波。
ふり返って、院籍どのの「郵野の詠懐詩」を憶いお。し、それに因んで「清らかな池に大波が立つ」と吟詠する。
蓬池阮公詠-魏の阮籍の「詠懐詩、其の十六〔陳伯君『阮籍集校注』(中華書局)による〕」に、「蓬池(梁園付近の池)の上を誹御し、還って大梁(開封)を望む」とあるのをさす。○淥水揚洪波-同じく「其の十六」の詩句。「浅水」は青く澄んだ水や川や池。

洪波浩盪迷舊國,路遠西歸安可得。
洪波はゆらめき広がって、この旧き梁国の水郷に迷い、船路はすでに遠く、西のかた長安に帰るすべはない。
浩蕩-水の広がるさま。○旧国-旧い都の地。梁園のあった商丘地方が、先秦時代の宋国、漢の梁国など、旧くからの都だったので、こう表現した。一説に、長安をさすとする。

人生達命豈暇愁,且飲美酒登高樓。
人として生き、天命に通達すれば、愁い哀しんでいる暇はない。
ひとまずは美酒を飲むのだ、高楼に登って。
達令-自己の天命に通達する。

平頭奴子搖大扇,五月不熱疑清秋。
平らな頭巾の下僕が、大きな団扇をあおげは、
夏五月でも暑さを忘れ、涼やかな秋かと思われる。』
量傾愁-「豊暇愁」(愁えている暇がない)と同義。○平頭奴子-上の平らな頭巾をかぶった下僕、召使い。ただし異説も多い。

玉盤楊梅爲君設,呉鹽如花皎白雪。
白玉の大皿の楊梅は、君のために用意したもの、
呉の国の塩は花のように美しく、白雪よりも白く光る。
楊梅-ヤマモモの頼。〇-白く光るさま。

持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。』
塩をつまみ、酒を手にとって、ただただ飲もう。伯夷・叔斉が〝高潔さ?にこだわった、そんな真似などやめておこう。』
夷斉-伯夷と叔斉の兄弟。段周革命の際に・周の武重が武力によって殿の肘王を討つのを諌めた。周の世になってからは、首陽山に隠れて薇(野生のマメの槙)を採って食に充て、餓死して士筈示した。儒教の「名分論」を体現する人物像として、伝承されている。○事高潔-臣下(武王)として主君(肘王)を討つべきではない、という「大義名分論」に殉じた高潔な事跡をいう。

韻字  関・山・間/多・歌・波/国・得/愁・楼・秋/設・苧・潔


  昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。
  荒城虚照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』
  梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。
  舞影歌聲散綠池,空餘抃水東流海。』

昔の人々は、魂の后陵君を、豪勇の貴人と仰いでいたのに、
今の人々は、信陵君の墓地あとで、田畑を耕し種をまいている。
荒れはてた都城を空しく照らすのは、青い山々にのぼった明るい月、
世々を経た古木の梢いちめんにかかるのは、蒼梧の山から流れてきた白い雲。』
梁の孝壬の宮殿は、いまどこに在るというのだろう。枚乗(ばいじょう)も司馬相如も、先立つように死んでゆき、この身を待っては居てくれない。
舞い姫の影も、歌い女の声も、清らかな池の水に散ってゆき、
あとに空しくのこったのは、東のかた海に流れ入る抃水だけ。』


  沈吟此事涙滿衣,黄金買醉未能歸。
  連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』
  酣馳輝,歌且謠,意方遠。
  東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晩。』

栄華の拶さを深く思えば、涙が衣服をぬらしつくす。
黄金を惜しまず酒を買って酔い、まだまだ宿には帰れない。
「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、
ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』
馳せゆく時の間に酔いしれて、
歌いかつ謡えば、
心は、今こそ遠くあこがれゆく。
かの東山に隠棲して、時が来れば起ちあがるのだ。
世の人民を救おうというこの意欲、遅すぎるはずはない。』


昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。
昔の人々は、魂の后陵君を、豪勇の貴人と仰いでいたのに、今の人々は、信陵君の墓地あとで、田畑を耕し種をまいている。
○信陵君-戦国時代の讐昭王の公子、名は無忌。信陵(河南省寧陵)に封ぜられた。食客三千人を養い、讐助けて秦を破り、さらに十年後・五国の兵を率いて秦を破った。戦国の四公子(四君)の一人。○信陵墳-『太平宴字記』(彗)によれば、その墓は開封府の富県の「南十二里」にあるという。

荒城虚照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』
荒れはてた都城を空しく照らすのは、青い山々にのぼった明るい月、世々を経た古木の梢いちめんにかかるのは、蒼梧の山から流れてきた白い雲。』
○蒼梧雲-『芸文類衆』彗「雲」に所引の『帰蔵』に、「白雲は蒼梧自り大梁に入る」とあるのを誓えたもの=蒼梧」は、現在の湖南省南部にぁる山の名。一名「九疑山」。

梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。
梁の孝壬の宮殿は、いまどこに在るというのだろう。
枚乗(ばいじょう)も司馬相如も、先立つように死んでゆき、この身を待っては居てくれない。
〇枚馬-前漢時代の文学者、配剰青馬相如。ともに梁苑に来訪して、梁王の栄華に彩りを添えた。

舞影歌聲散綠池,空餘抃水東流海。』
舞い姫の影も、歌い女の声も、清らかな池の水に散ってゆき、あとに空しくのこったのは、東のかた海に流れ入る抃水だけ。』
○綠池-澄きった池。○抃水-抃水べんすい。黄河から開封をへて准水に到る。大運河通済渠の唐宋時代の呼称。

沈吟此事涙滿衣,黄金買醉未能歸。
栄華の儚さを深く思えば、涙が衣服をぬらしつくす。黄金を惜しまず酒を買って酔い、まだまだ宿には帰れない。

連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』
「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』
〇五白-購博の重義が黒く裏が白い五つのサイコロを投げて、すべて黒の場合(六里嘉最上、すべて白の場合〔五日)がその次、とする。〇六博-賭博の毎→二箇のコマを、六つずつに分けて質する。〇分嘉酒-二つのグループ(曹)に分かれて酒の勝負をする。○酎-酒興の盛んなさま。○馳曙-馳けるように過ぎゆく日の光、時間。

酣馳輝, 歌且謠, 意方遠。
馳せゆく時の間に酔いしれて、歌いかつ謡えば、心は、今こそ遠くあこがれゆく。
○歌且謠-楽曲の伴奏に合わせてうたうのが「歌」、無伴奏が「謡」、とするのが古典的な解釈(『詩経』慧「園有桃」の「毛伝」)。ここでは、さ喜まな歌いかたをする、の意。

東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晩。』
かの東山に隠棲して、時が来れば起ちあがるのだ。世の人民を救おうというこの意欲、遅すぎるはずはない。』
○東山高臥-東晋の謝安(字は安石)が、朝廷からしばしば出仕を催されながら、東山に隠棲したま基易に承知しなかったこと。人々は、「安石出づる喜んぜずんは、将た蒼生(人民)を如何んせん」と言って心配したD(『世説新語』「排調、第二十五」の二六)。「高臥」は、世俗の欲望を離れて隠棲すること。

韻字-君・墳・雲/在・待・海/衣・帰・曙/遠・晩


  我浮黄雲去京闕,掛席欲進波連山。
  天長水闊厭遠渉,訪古始及平台間。』
  平台爲客憂思多,對酒遂作梁園歌。
  卻憶蓬池阮公詠,因吟緑水揚洪波。』
  洪波浩盪迷舊國,路遠西歸安可得。』
  人生達命豈暇愁,且飲美酒登高樓。
  平頭奴子搖大扇,五月不熱疑清秋。』
  玉盤楊梅爲君設,呉鹽如花皎白雪。
  持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。』

  昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。
  荒城虚照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』
  梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。
  舞影歌聲散綠池,空餘抃水東流海。』
  沈吟此事涙滿衣,黄金買醉未能歸。
  連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』
  酣馳輝,歌且謠,意方遠。
  東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晩。』

我黄河に浮かんで京闕を去り 席むしろを挂けて進まんと欲すれば波山を連ぬ
天は長く水は闊くして遠渉に厭き 古を訪うて始めて及ぶ平臺の間』
平臺に客と爲りて憂思多く 酒に對して遂に作る梁園の歌
却って憶ふ蓬池の阮公の詠 因って吟ず緑水洪波を揚ぐるを』
洪波 浩蕩 舊國に迷ひ 路遠くして西歸安んぞ得る可けんや』

人生命に達すれば豈に愁ふるに暇あらん 且らく美酒を飲まん高樓に登りて
平頭の奴子 大扇を描かし、五月も熱からず 清秋かと疑う』
玉盤の楊梅 君が為に設け、呉塩は花の如く 白雪よりも唆し
塩を持ち酒を把って 但だ之を飲まん、学ぶ莫かれ 夷斉の高潔を事とするを
平頭の奴子大扇を搖るがし 五月も熱からず清秋かと疑ふ』
玉盤の楊梅 君が爲に設け 呉鹽は花の如く白雪よりも皎し
鹽を持ち酒を把って但だ之を飲まん 學ぶ莫かれ夷齊の高潔を事とするを』


昔人豪貴とす信陵君 今人耕種す信陵の墳
荒城虚しく照らす碧山の月 古木盡ことごとく入る蒼梧の雲』
粱王の宮闕今安くにか在る 枚馬先づ歸って相ひ待たず
舞影 歌聲 綠池に散じ  空しく餘す抃水べんすいの東にかた海に流るるを』

此の事を沈吟して涙衣に滿つ  黄金もて醉を買ひ未だ歸る能はず
五白を連呼し六博を行ひ  曹を分かち酒を賭して馳輝に酣(よ)ふ』
馳輝に酣ひて  歌ひ且つ謠へば  意 方に遠し
東山に高臥して時に起ち來る  蒼生を濟はんと欲すること未だ應に晩からざるべし』

李白42 梁園吟

李白42 梁園吟

洛陽の下流、開封近くにある梁園に立ち寄った際の作。梁園とは前漢の文帝の子梁孝王が築いた庭園。詩にある平臺は梁園にあり、また阮籍は梁園付近の蓬池に遊んだ。李白はそうした史実を引用しながら、過去の栄華と今日の歓楽、そして未来への思いを重層的に歌い上げている。


雑言古詩 梁園吟


  我浮黄雲去京闕,掛席欲進波連山。

  天長水闊厭遠涉,訪古始及平台間。』

  平台爲客憂思多,對酒遂作梁園歌。

  卻憶蓬池阮公詠,因吟淥水颺洪波。』

  洪波浩盪迷舊國,路遠西歸安可得。』

  人生達命豈暇愁,且飲美酒登高樓。

  平頭奴子搖大扇,五月不熱疑清秋。』

  玉盤楊梅爲君設,鹽如花皎白雪。

  持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。』


  昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。

  荒城虛照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』

  梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。

  舞影歌聲散綠池,空汴水東流海。』

  沉吟此事淚滿衣,黄金買醉未能歸。

  連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』

  酣馳輝,歌且謠,意方遠。

  東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晚。』



私は、黄河に浮かんで都を去る。

高く帆を掛けて進もうとすれば、波は山のように連なって湧く。

空は果てもなくつづき、水は広々とひろがって、旅路の遥けさに厭きながら、

古人の跡を訪ねて、ようやく平台のあたりまでやってきた。』

平台の地に旅住まいして、憂い思うこと多く、

酒を飲みつつ、たちまち「梁園の歌」を作りあげたのだ。

ふり返って、院籍どのの「蓬池の詠懐詩」を憶いおこし、それに因んで「清らかな池に大波が立つ」と吟詠する。

洪波はゆらめき広がって、この旧き梁国の水郷に迷い、船路はすでに遠く、西のかた長安に帰るすべはない。』

人として生き、天命に通達すれば、愁い哀しんでいる暇はない。

ひとまずは美酒を飲むのだ、高楼に登って。

平らな頭巾の下僕が、大きな団扇をあおげは、

夏五月でも暑さを忘れ、涼やかな秋かと思われる。』

白玉の大皿の楊梅は、君のために用意したもの、

呉の国の塩は花のように美しく、白雪よりも白く光る。

塩をつまみ、酒を手にとって、ただただ飲もう。

伯夷・叔斉が〝高潔さ〞にこだわった、そんな真似などやめておこう。』


昔の人々は、魏の信陵君を、豪勇の貴人と仰いでいたのに、

今の人々は、信陵君の墓地あとで、田畑を耕し種をまいている。

荒れはてた都城を空しく照らすのは、青い山々にのぼった明るい月、

世々を経た古木の梢いちめんにかかるのは、蒼梧の山から流れてきた白い雲。』

梁の孝王の宮殿は、いまどこに在るというのだろう。

枚乗(ばいじょう)も司馬相如も、先立つように死んでゆき、この身を待っては居てくれない。

舞い姫の影も、歌い女の声も、清らかな池の水に散ってゆき、

あとに空しくのこったのは、東のかた海に流れ入る汴水だけ。』

栄華の儚さを深く思えば、涙が衣服をぬらしつくす。

黄金を惜しまず酒を買って酔い、まだまだ宿には帰れない。

「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、

ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』

馳せゆく時の間に酔いしれて、

歌いかつ謡えば、

心は、今こそ遠くあこがれゆく。

かの東山に隠棲して、時が来れば起ちあがるのだ。

世の人民を救おうというこの意欲、遅すぎるはずはない。』


つづく
この詩はブログ向きではなかったので
漢文委員会 7漢詩ZERO 李白42 粱園吟 雑言古詩 で確認していただけることを希望します。

 

 

 

 

 

 

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李白42 梁園吟 (2)

  昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。

  荒城虛照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』

  梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。

  舞影歌聲散綠池,空汴水東流海。』

  沉吟此事淚滿衣,黄金買醉未能歸。

  連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』

  酣馳輝,歌且謠,意方遠。

  東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晚。』



昔の人々は、魂の后陵君を、豪勇の貴人と仰いでいたのに、

今の人々は、信陵君の墓地あとで、田畑を耕し種をまいている。

荒れはてた都城を空しく照らすのは、青い山々にのぼった明るい月、

世々を経た古木の梢いちめんにかかるのは、蒼梧の山から流れてきた白い雲。』

梁の孝壬の宮殿は、いまどこに在るというのだろう。

枚乗(ばいじょう)も司馬相如も、先立つように死んでゆき、この身を待っては居てくれない。

舞い姫の影も、歌い女の声も、清らかな池の水に散ってゆき、

あとに空しくのこったのは、東のかた海に流れ入る汗水だけ。』

栄華の拶さを深く思えば、涙が衣服をぬらしつくす。

黄金を惜しまず酒を買って酔い、まだまだ宿には帰れない。

「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、

ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』

馳せゆく時の間に酔いしれて、

歌いかつ謡えば、

心は、今こそ遠くあこがれゆく。

かの東山に隠棲して、時が来れば起ちあがるのだ。

世の人民を救おうというこの意欲、遅すぎるはずはない。』





昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳

昔の人々は、魂の后陵君を、豪勇の貴人と仰いでいたのに、今の人々は、信陵君の墓地あとで、田畑を耕し種をまいている。

○信陵君-戦国時代の讐昭王の公子、名は無忌。信陵(河南省寧陵)に封ぜられた。食客三千人を養い、讐助けて秦を破り、さらに十年後・五国の兵を率いて秦を破った。戦国の四公子(四君)の一人。○信陵墳-『太平宴字記』(彗)によれば、その墓は開封府の富県の「南十二里」にあるという。



荒城虛照碧山月,古木盡入蒼梧雲。

荒れはてた都城を空しく照らすのは、青い山々にのぼった明るい月、世々を経た古木の梢いちめんにかかるのは、蒼梧の山から流れてきた白い雲。』

○蒼梧雲-『芸文類衆』彗「雲」に所引の『帰蔵』に、「白雲は蒼梧自り大梁に入る」とあるのを誓えたもの=蒼梧」は、現在の湖南省南部にぁる山の名。一名「九疑山」。



梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待

梁の孝壬の宮殿は、いまどこに在るというのだろう。

枚乗(ばいじょう)も司馬相如も、先立つように死んでゆき、この身を待っては居てくれない。

〇枚馬-前漢時代の文学者、配剰青馬相如。ともに梁苑に来訪して、梁王の栄華に彩りを添えた。



舞影歌聲散綠池,空汴水東流海

舞い姫の影も、歌い女の声も、清らかな池の水に散ってゆき、あとに空しくのこったのは、東のかた海に流れ入る汗水だけ。』

○綠池-澄きった池。○汴水-汴水べんすい。黄河から汴州(開封)をへて准水に到る。大運河通済渠の唐宋時代の呼称。



つづく
この詩はブログ向きではなかった。詩をいくつかに区分するというのは詩に対して向き合うものとして許されないと考える。漢文委員会 7 漢詩ZERO 李白42 粱園吟 雑言古詩でぜひ読み直していただくお願いいたします。。


 


 


 


 


 


 


 

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李白41 烏夜啼

 李白41 烏夜啼     

李白は北辺の旅からむなしく長安にもどってきたが、その後もしばらく都にとどまっていても仕官のあてがあるわけではない。李白も一人で酒を飲み、一人詠う。まるで、カラスが鳴いているのと同じに映ったのか・・・・・・。



烏夜啼

黄雲城辺烏欲棲、帰飛唖亜枝上啼。

機中織錦秦川女、碧紗如煙隔窓語。

停梭悵然憶遠人、独宿弧房涙如雨。



黄色い夕靄が城壁になびくころ、烏はねぐらにつこうとし、飛んで帰って、枝にとまってかあかあと鳴く

織機(はた)を前に 錦を織っている長安の女、青いうす絹のカーテンは霞のよう窓越しに一人ごと。

織機の杼()をとめて 心痛めて遠くの人を憶う、誰もいない部屋にひとり寝してると  涙は雨のように濡らす。





烏夜啼(うやてい)

黄雲(こううん)  城辺  (からす)棲まんと欲し

帰り飛び  唖唖(ああ)として枝上(しじょう)に啼く

機中(きちゅう)  錦を織る  秦川(しんせん)の女

碧紗(へきさ)  煙の如く  窓を隔(へだ)てて語る

()を停め  悵然(ちょうぜん)として遠人を憶う

独り弧房(こぼう)に宿(しゅく)して  涙  雨の如し





烏夜啼

 「烏夜啼」は楽府にある。
 南北朝、宋の臨川王劉義慶が彭城王劉義康との関係で文帝に怪しまれ、自宅謹慎させられていたとき、カラスが夜啼くのを聞いた女性が「明日はきっとお許しがありましょう。」と予言した。予言は当たったばかりかその年のうちに南袁州の刺史となった。そのことを感謝してこの歌を作った。

 李白のこの詩は夫を兵役に出している妻の夫を想う思婦詩になっている。李白としては、同じようにカラスが鳴いていた、自分も官職に取り上げてくれる予言をしてほしいと思ったことからこの詩を詠ったのか。詩は夫を兵役に出している妻の夫を想う思婦詩になっている。



黄雲城邊烏欲棲

黄色い夕靄が城壁になびくころ、烏はねぐらにつこうとし。 

・黄雲:夕暮れの雲。黄土の砂煙。 ・城邊:城塞一帯。 ・烏:カラス。 ・欲:…よう。…う。…たい。 ・棲:鳥が巣に宿る。すむ。





歸飛啞啞枝上啼

飛んで帰って、枝にとまってかあかあと鳴く。 ・啞啞:〔ああ〕からすなどの啼き声。カーカー。 ・啼:〔てい〕(鳥や虫が)鳴く。



機中織錦秦川女

織機(はた)を前に 錦を織っている長安の女。 ・機中:機(はた)で織り込む。 ・機:はた。はたおる。 ・織錦:錦を織る。夫を思い慕ったことばを回文で織り込む。 ・秦川女:蘇蕙(蘇若蘭)のこと。この句は『晋書・列伝第六十六・列女・竇滔妻蘇氏』砂漠方面に流された夫を思う妻の典型を引用。秦川は長安地方を指す。夫が秦川刺史であったことによるための言い方。回文の錦を織った妻のことで竇滔とうとうの妻の蘇蕙(蘇若蘭)のこと。回文:順序を逆に読めば、別の意味になる文のこと。



碧紗如烟隔牕語

青いうす絹のカーテンは霞のよう窓越しに一人ごと。

 ・碧紗:緑色のうす絹のカーテン。女性の部屋を謂う。 ・如烟:けむっているかのようである。 ・隔牕語:窓を隔てて話す。



停梭悵然憶遠人

織機の杼()をとめて 心痛めて遠くの人を憶う。 ・停梭:ひを(一時的に)とめる。 ・梭:〔さ〕ひ。おさ。機織りの道具。横糸を通す管のついているもの。 ・悵然:恨み嘆くさま。 ・憶:思い出す。 ・遠人:〔えんじん〕遠いところにいる人。遠方へ戦争や守備で行っている人。



獨宿空房涙如雨

誰もいない部屋にひとり寝してると  涙は雨のように濡らす。

 ・獨宿:ひとりで泊まる。 ・空房:誰もいない家屋。「孤房」ともする。 ・如雨:雨のようである。



長安と近郊006
      李白の寓居   終南山松龕舊隱都中心部より20km以上離れていた。王維の輞川荘は30km以上。




李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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 李商隠の詩(恋歌女詩) 特集中         李白の詩 特集中


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

李白40 春歸終南山松龕舊隱

李白40 春歸終南山松龕舊隱
五言古詩

 晩秋から春にかけての北辺の長旅だったが、求職の進展はなかった。事情はなにも変わらず、館にはバラや女羅(ひかげかずら)や草はあるじなしでも成長していた。酒樽をもってこさせて一人酒をたのしむ。久しぶりの家で詠った。

春歸終南山松龕舊隱
我來南山陽、事事不異昔。
卻尋溪中水、還望岩下石。
薔薇緣東窗、女蘿繞北壁。
別來能幾日、草木長數尺。
且復命酒樽、獨酌陶永夕。


自分が南山の南にきてみると、何事も昔と変わらない
却ひとえに谷川の流れを求め、また巌いわおの下の石を眺めても同じ
バラは  東の窓に這いあがり、女羅は  北の壁に巻きついている
一別してから 幾日もたっていないのに、草木は数尺も伸びている
では まずは酒樽でも持ってこさせ、独酌で 永い夕べをたのしもう


○韻 昔、石、壁、尺、夕。

春 終南山の松龕しょうがん旧隠に帰る
我  南山の陽ように来きたる
事事じじ  昔に異ことならず
ひとえに渓中けいちゅうの水を尋ね
た巌下がんかの石を望む
薔薇しょうび  東窓とうそうに縁
女羅じょら  北壁ほくへきに繞めぐ
別来べつらい  能く幾日ぞ
草木そうもく  長ずること数尺
しばらく復また酒樽しゅそんを命じ
独酌どくしゃく  永夕えいせきを陶たのしまん




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李白詩全集 卷二十二(古近體詩四十七首)

李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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 李商隠の詩(恋歌女詩) 特集中         李白の詩 特集中

李白39玉階怨 満たされぬ思いの詩。

李白39玉階怨 満たされぬ思いの詩。

 この詩は、掛けことばだらけの詩でおもしろい。宮中にいてできる詩ではなく想像の言葉遊びの詩と思う。

玉階怨

玉階生白露、 夜久侵羅襪。
白玉の階きざはしに白い露が珠のように結露し、 夜は更けて羅うすぎぬの襪くつしたにつめたさが侵みてくる。

却下水晶簾、 玲瓏望秋月。

露に潤った水晶の簾をさっとおろした、透き通った水精の簾を通り抜けてきた。秋の澄んだ月光が玉の光り輝くのを眺めているだけ。



白玉の階きざはしに白い露が珠のように結露し、 夜は更けて羅うすぎぬの襪くつしたにつめたさが侵みてくる。
露に潤った水晶の簾をさっとおろした、透き通った水精の簾を通り抜けてきた秋の澄んだ月光が玉の光り輝くのを眺めているだけ。

 面白いのは句は2語+3語だが、3語+2語でもよい。

生↔侵↔水↔望   玉階↔白露↔夜久↔羅襪↔ 却下↔水晶簾↔ 玲瓏↔秋月

それぞれの言葉が、それぞれの言葉で機能しあい意味を深くしていく。

・長く待って玉階に白露、夜久くて羅襪のままで 却下した水晶簾、 玲瓏の秋月、今夜も来ない。
生きている、浸みてくる、潤ってくる、希望したい。

 後宮でこの状態でいるのは、楊貴妃が後宮に入って玄宗に寵愛され始めたころとか、考えがちになるが、時期や人物の特定はこの詩からはしないほうがよい。後宮に入ることは、天使のお声がかかってのこと、一族名誉である。貴族階級、士太夫などでも、夫人は何人もいておかしくない時代だ。貴族夫人の邸の床が大理石であってもおかしくない。一方では喜びと他方では、悶々として暮らすこの矛盾を詠っている。
 満たされない思いを多くの女性たちが持っていたのだ。美貌により、一家が全員がのし上がっていけるそういう現実を考えながらこの詩をみていくと、いろんなことを考えさせてくれる。李白は天才だなと感じる。

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玉階に白露生じ、 夜久しくして羅襪ちべつを侵す。
水晶の簾を却下するも、 玲瓏として秋月を望む 。



玉階怨
 楽府特集『相和歌・楚調曲』。宮怨(失寵の閨怨)を歌う楽曲名。題意は、後宮の宮女が(なかなか来ない)皇帝の訪れを待ち侘びる、という意。

玉階生白露
白玉の階きざはしに白い露が珠のように結露し。 
・玉階:大理石の後宮のきざはし。外を誰かが通っていても玉階からの音で誰だかわかる。大理石に響く靴の音はそれぞれの人で違うのだ。ほかの通路とは違う意味を持っている。 ・生白露:夜もすっかり更けて、夜露が降りてきた。時間が経ったことをいう。

夜久侵羅襪
夜は更けて羅うすぎぬの襪くつしたにつめたさが侵みてくる。
 ・夜久:待つ夜は長く。 ・侵:ここでは(夜露が足袋に)浸みてくること。 ・羅襪:うすぎぬのくつした。 ・襪:〔べつ〕くつした。足袋。 足袋だけ薄絹をつけているのではなく全身である。したがって艶めかしさの表現である。


却下水精簾
露に潤った水晶の簾をさっとおろした。
 ・却下:下ろす。 ・水:うるおす。水に流す。水とか紫烟は男女の交わりを示す言葉。 ・精簾:水晶のカーテン。窓際につける外界と屋内を隔てる幕。今夜もだめか! 思いのたけはつのるだけ。


玲瓏望秋月
透き通った水精の簾を通り抜けてきた秋の澄んだ月光が玉の光り輝くのをただ眺めているだけ
 ・玲瓏:玉(ぎょく)のように光り輝く。この「玲瓏」の語は、月光の形容のみではなく、「水精簾」の形容も副次的に兼ねており、「透き通った『水精簾』を通り抜けてきた月光」というかけことばとして、全体の月光のようすを形容している。「却下・水・精簾+玲瓏・望・秋月。」 ・望秋月:待ちながらただ秋の月を眺め望んでいる。 ・望:ここでの意味は、勿論、「眺める」だが、この語には「希望する、待ち望む」の意があり、そのような感じを伴った「眺める」である。




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李白38 酬坊州王司馬与閻正字対雪見贈

李白38
 李白は、坊州(陝西省黄陵県)へ行って州司馬(従六品)の王嵩(おうすう)と閻正字(えんせいじ)に会って就職運動をしている。
 詩は坊州での雪見の宴席で王嵩(おうすう)と閻正字(えんしょうじ)から遠山の雪についての詩を贈られ、李白がそれに和する詩を作った。まず自分が中国の東南の地方から「宛」(南陽)を経て都へ上ってきたこと。それから西北の邠州を経て坊州にきたこと、晋の嵆康(けいこう)が呂安(りょあん)と親密に行き来したように王司馬と逢うことができて嬉しいと述べ、かねてからお名前を承知していたと述べている。


酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈
   坊州の王司馬と閻正字と雪に対して贈らるるに酬ゆ
游子東南來、自宛適京國。
さすらいのわたしは東南から来り、南陽をへて都にやってきた
飄然無心云、倏忽復西北。
流れゆく無心の雲のように、たちまち西北の地にいたる
訪戴昔未偶、尋嵇此相得。
昔王子猷が戴安道を訪ねて遇えず、いまここに 嵆康を尋ねて会うことができた
愁顏發新歡、終宴敘前識。』
愁い顔は新しい歓びにかわり、宴会を終えてお名前は承知していたと申しあげる』

閻公漢庭舊、沉郁富才力。
閻公はかつて宮廷に仕えた方で、充分な才力を備えておられる
價重銅龍樓、聲高重門側。
その声価は龍楼門内に重く、名声は宮廷の門傍(もんぼう)に高い
寧期此相遇、華館陪游息。
いま思いがけなくここに出逢い、結構な屋敷の宴会に相判する
積雪明遠峰、寒城鎖春色。』
おりしも 遠くの山の積雪は明るく輝き、城内の春の気配は 寒さで凍りついている』

主人蒼生望、假我青云翼。
人は民の希望の星であるから、私に青雲の翼を貸してください
風水如見資、投竿佐皇極。』
風水による助けがあるならば、釣り竿を投げ捨てて王道の補佐をいたす所存です』






さすらいのわたしは東南から来り、南陽をへて都にやってきた
流れゆく無心の雲のように、たちまち西北の地にいたる
昔王子猷が戴安道を訪ねて遇えず、いまここに 嵆康を尋ねて会うことができた
愁い顔は新しい歓びにかわり、宴会を終えてお名前は承知していたと申しあげる』

閻公はかつて宮廷に仕えた方で、充分な才力を備えておられる
その声価は龍楼門内に重く、名声は宮廷の門傍(もんぼう)に高い
いま思いがけなくここに出逢い、結構な屋敷の宴会に相判する
おりしも 遠くの山の積雪は明るく輝き、城内の春の気配は 寒さで凍りついている』

主人は民の希望の星であるから、私に青雲の翼を貸してください
風水による助けがあるならば、釣り竿を投げ捨てて王道の補佐をいたす所存です』

 嵆康は竹林七賢のひとり。竹林に入り、清談にふけった。「あるとき訪ねてきた鍾会に挨拶せず、まともに相手をしなかった。」 その嵆康に逢うことができた、李白は会えた喜びを表している。
 閻正字(えんしょうじ)にお世辞を言っている。正字(正九品下)は秘書省の属官で、進士及第者が最初に任官する官職のひとつ。閻正字が坊州にいるのは転勤してきたためで、李白は閻という若い官吏を旧職で呼ぶことで進士及第の秀才であることをほめているのだ。李白はかなり焦っていた。最後の四句は、王司馬に対してチャンスがほしい、風水を持ち出して就職斡旋を述べている。若くして科挙、進士に及第していても所詮、李白の頼みごとをかなえられる力はない。

○韻  國。北。得。識。力。側。息。色。翼。極。


坊州の王司馬と閻正字と雪に対して贈らるるに酬ゆ
遊子ゆうし  東南より来り、宛えんより京国けいこくに適
飄然ひょうぜんたり無心の雲、倏忽しゅくこつとして復た西北
たいを訪うて 昔 未だ偶ぐうせず、嵆けいを尋ねて  此ここに相あい得たり
愁顔しゅうがん  新歓しんかんを発し、宴えんを終えて  前識ぜんしきを敍じょす 』

閻公えんこうは漢庭かんていの旧、沈鬱ちんうつとして才力に富む
は銅龍どうりゅうの楼に重く、声は重門の側に高し
なんぞ期せんや  此ここに相遇い、華館かかん  遊息ゆうそくに陪ばい
積雪  遠峰  明らかに、寒城かんじょう  春色  沍こおる 』

主人は蒼生そうせいの望ぼう、我に青雲の翼つばさを仮
風水ふうすい  如し資たすけらるれば、竿かんを投じて皇極こうきょくを佐たすけん 』


酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈
游子東南來。自宛適京國。飄然無心云。倏忽復西北。
訪戴昔未偶。尋嵇此相得。愁顏發新歡。終宴敘前識。 』
閻公漢庭舊。沉郁富才力。價重銅龍樓。聲高重門側。
寧期此相遇。華館陪游息。積雪明遠峰。寒城鎖春色。 』
主人蒼生望。假我青云翼。風水如見資。投竿佐皇極。 』

 李白は就職運動のために坊州のような北辺の街まで行きましたが、ここでも成果は得られず、留別の詩を残して長安にもどってきます。



 李白は自分の才能に自信を持っている。自信を持っている人間の特徴としては、一生懸命頼みごとをしても相手側からすると、どこか胡散臭さを感じることがよくある。まして、抜群の詩を詠み、武道ができ、ちょっと任侠風である30過ぎの男が、理解されるかというと、なかなか難しい。

 また、一生懸命になればなるほどうまくいかない時もある。自分のどこかに問題点があるのかと自己分析を行わないのだろうか。
 もし、李白、杜甫が求職活動や人生の岐路に立たされたからと言って、生き方を変えるようであったら、歴史的な詩人になっていない。



李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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 李商隠の女詞特集ブログ    李白の漢詩特集 連載中

李白37 静夜思 五言絶句 李白は浮気者?

李白37 静夜思 五言絶句
長安付近で求職活動に懸命になっていたがうまくはいかない。李白は31歳になっていた。安陸の女性か、蜀の女性か、静かに照らす月光は故郷を思い出さずにはおれなかった。


  この詩は説明・解説ができないほどレベルの高い傑作である。訳したり、書き下すのも詩の持っているものを生かすことはできない。文字通り、絶句である。

静思夜

牀前明月光,疑是地上霜。
舉頭望明月,低頭思故鄕。


寝台の前をに月光が射している、その光が白く冴えて霜のように見える。
自分は頭を挙げて山上の明月を望み、頭を垂れて遠い故郷のことを思う。

床前 月光 明るし、疑ふらくは是れ地上の霜かと。
頭を舉あげて 明月を望み、頭を低(た)れて 故鄕を思ふ。

床前明月光
ベッド先の明月の光(は)。 ・床前:ベッド先。ベッドの前。ベッドの上。 ・明月光:明月の光が射している。「看月光」ともする。その場合、「月光を看る」になる。直接月を見ると、故郷の月と同じ、月明かりに照らし出された寝台も故郷の風景と同じなのだ。だから、「月」の語で連想することは、離れている人を偲ぶ、ということになっていたのだ。「太いなる陰」である。現在のようにロマンチックな雰囲気ばかりではなかった。 ・明月:(明るく)澄みわたった月。皓々とあかるく照る月。日本語で云うところの「名月」。「明月」と「名月」ともに〔めいげつ〕と言うが、詩詞では、「明月」を使い「名月」は使わない。「名月」は陰暦八月十五夜の月だが、使われた実績がない。日本での詩歌でも後世に多い。 ・明:澄み切った。「明鏡」の「明」に同じ。


疑是地上霜
(ベッド先を照らす明月の光は、)疑(いぶ)かることだが、地上に降りた霜か(と見まがうものだ)。 ・疑是:疑うには。疑うことには。疑はしいことには。本来は、動詞、形容詞。 ・是:名詞(句)の後に附く。それ故、「疑是地上霜」は、「『疑』ふことには『地上霜』である」になり、「疑」の部分の読みは名詞化して、伝統的に「『疑ふ』らく」としている。漢語語法に合致した正確な読みである。 ・地上霜:地上に降りた霜。月光に照らされているところの表現描写である。

舉頭望明月
頭をあげては、明月を望んで。 ・舉頭:かうべをあげる。横になっていた頭をもたげて。あおむく。・舉:高く持ち上げる。ここでは、横になっていた頭をもたげること。ただし、後出の「低頭」の対であるため、「仰向く」になる。 ・望明月:明月を看る。月は家族を連想する重要なよすがである。 ・明月:明るく澄み渡った月。名月。「望山月」ともする。その場合、「山月を望む」になる。

低頭思故鄕
頭を下に向けては、故郷を懐かしく思いおこす。 月光は、古い時代より、離れたところの家族を偲ばせる縁とされた。李白も月光によって、触発されて故郷の親族を思い起こしているわけである。「月明かりが差し込んだ」⇒「明月を見た」⇒「故郷の親族を思い起こした」という、伝統的な発想法に則っている。 ・低頭:かうべをたれる。うつむく。俯く。 ・思故鄕:望郷の念を懐く。


李白は自分の寝台の前に月が照っている、その光が白く冴えて霜のように見える。自分は頭を挙げて山上の
月影を望み、頭を垂れて遠い故郷のことを思う。

 故郷を思う表現に多く見られるのが、故郷の家族が、自分のことを思ってくれているだろう。次に三日月でも満月でも山に似ているとか、○○のようだ、と人の心を懐かしさ、悲しさ、嘆きなどに導こうとします。
 静思夜は、最初から最後まで、月のイメージをさせるだけで、思うのも何を思うのか、思いをどこに導こうとするのか?  ないのである。


 何を思うのか、読者に考えさせる。
 月の光で故郷を思うという手法は伝統的なものだ。しかし、どう思うかについては、李白の独特のものだ。李白は、悲しいとか、嘆いたりは全くしていない。何も言わないのである。冷静に、芸術的に表現しているのである。

 しかしこのことは、誠意を感じられないということにもなるのではないか?私だけだろうか。*(1)


 ただ、「明月」「明月 陶潜」、「明月 漢詩」等々 WEB検索してみたがない。李白以前の詩人としては、王維輞川集17「竹里館」、王昌齢「従軍行」はすぐできたが、韋荘、温庭均、蘇東坡、・・・などドカッと検索出来たのは、李白以降の詩人が圧倒的に多い。李白の静思夜は詩人たちに強烈な影響を与えたということであろう。王維、王昌齢は李白の先輩ではあるが、ほぼ同時期の作品とすると、李白の静思夜は後世の詩に絶大な影響を与えたのは間違いない。
 凄い詩だといことに変わりはない。

なお、日本人の好きな山水のイメージのある「静思夜」。「李太白集」には以下である。
 牀前月光,疑是地上霜。
 舉頭,低頭思故鄕。

 看たものが霜に繋がる思いと月光に明るく照らしだされた情景が霜につながる思いを比較すると「看」は直接表現すぎ、「明」だと明るさの印象が残り霜に繋がって大きな思いになる。

 山月をのぞむ のは焦点がなく漠然としている。前句の月光を受けているのだから、「明月」だと月に焦点が集まり、思いのたけが倍増する。

 牀前明月光,疑是地上霜。
 舉頭望明月,低頭思故鄕。

 どう見てもこの詩が断然いい。



*(1) 先日、島田紳助の番組で、行列のできる・・・」で、芸人の彼女について問題を提議していた。東京、大阪を往復して活躍している芸人には東京、大阪、それぞれ彼女がいる。したがって、「おまえ昨日、六本木で彼女と飯食っていたなあ」といわれると、大変なことになる。
 つまり、どこどこの彼女と特定するとまずいのである。

 李白もあちこちに彼女はいたのであろう。
 この詩で、故郷を特定するような語句を明記できなかったのかもしれない。


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 李商隠の詩(恋歌女詩) 特集中         李白の詩 特集中

漢詩ブログについて、と李白36 楊叛兒と蘇東坡-蘇軾 ⑪江城子 密州出猟

 おもしろくない漢詩、とっつきにくい漢詩、漢詩に触れている人口は増加しているのか、減少しているのか、と考える前に、漢詩を紹介しているサイトが少なすぎるし、漢詩数も少ない。ブログをたたき台にしてほしいと考える。

 このブログは、漢詩を紹介してくサイト「漢文委員会kanbun-iinkai」に掲載するものの一部をブログで李白の場合は時系列で紹介できないができるだけ時系列も尊重しつつ進めていこうと考えている。漢文委員会のサイトもこのブログも今、公開開始して間もない、したがってできるだけ漢詩の数を紹介し、一定程度の量になったら、整理し、中身も充実さて行きたいと思っている。

 一定の量と質が蓄積して初めて次の段階に進もうと考えている。それは、このサイトでほとんどの漢詩を掲載すること、そのレベルも初心者から研究者の段階までを網羅したい。掲載した漢詩をさらに充実した内容のものにしたい。杜甫も、李白も王維も、白楽天、杜牧、蘇東坡も一首残らず掲載していくこと、を目指している。


李白36 楊叛兒

楊叛兒

君歌楊叛兒、妾勸新豐酒。
何許最關人、烏啼白門柳。
烏啼隱楊花、君醉留妾家。
博山爐中沈香火、雙煙一氣凌紫霞。

あなたが、『楊叛兒』の歌を歌えば、わたしは、新豊のお酒を勧めましょう。
一番気にかかるのはどこなのですか、カラスが鳴いている金陵の西門の柳になるだろう。
烏はハコヤナギの花に隠れて鳴いており、あなたは、酔っぱらってわたしの家に泊まる。
博山香炉の沈香の香煙は、二筋の煙が一つとなって、夕焼雲をはるかにしのぐ高さになる。

 もともとが恋歌。柳は男女の絡み合いを暗示している。「『楊叛兒』の歌を歌えば」は女性に今日はオッケーかと聞き、女性が飛び切りのお酒を注ぐことは、「お待ちしていました。オッケーよ」と答える。続いて女性が「酔っぱらても浮気心を起さず、私のところへ来るのですよ」高炉の煙はわかれて出てきてもひとつにむすばれる、情熱は最高峰に。
 これ以上は書きづらいがおおよそ以上である。


君は歌う 楊叛兒,妾は勸む 新豐の酒。
何許いずこか 最も 人に 關する,烏は啼く 白門の柳。
烏は啼いて楊花に 隱れ,君は醉ひて 妾の家に 留まる。
博山爐中 沈香じんこうの火,雙煙 一氣に  紫霞を 凌しのがん。


楊叛兒とはもと童謡で宮中の巫女のむすこ、楊旻ようびんにちなんだ歌詞「楊婆児」がなまって楊叛兒となった、と「叛」は「伴」の意。恋歌。

君歌楊叛兒
あなたが、『楊叛兒』の歌を歌えば。 ・君歌:あなた(男性を指す)は、(大きな声に出して)歌う。 ・楊叛兒:男女の愛情を表す歌。

『楽府詩集』現存八首の古辞の第二首に
 暫出白門前,楊柳可藏烏。
 歡作沈水香,儂作博山爐。
暫く白門の前に出るに,楊柳 烏を蔵すべし。。
きみは沈水の香となり,儂われは博山の爐となる

妾勸新豐酒
わたしは、新豊のお酒を勧めましょう。 ・妾:〔しょう〕わたし。わらわ。女性の一人称の謙称。 ・勸:すすめる。 ・新豐:陝西省驪山華清宮近くにある酒の名産地。長安東北郊20kmの地名。

 王維の『少年行』に新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。
 (紀 頌之のブログ6月11日参照

何許最關人
一番気にかかるのはどこなのですか。
 ・何許:どこ。いづこ。どんな。 ・最:もっとも。 ・關人:気にかかる。心配する。(人の)気になる。

烏啼白門柳
カラスが鳴いている金陵の西門の柳になるだろう。
 ・烏啼:カラスが鳴く。「烏」は人称代詞や疑問詞ともみられる。 ・白門:金陵の別称。五陵関係図参照長安西門の東南に花街があった。 ・柳:シダレヤナギ。前出楽府の「暫出白門前,楊柳可藏烏。」を蹈まえている。
五陵関係図
  五陵関係図   西門付近に花街があった。

烏啼隱楊花
烏はハコヤナギの花に隠れて鳴いており。
 ・隱:かくれる。かくす。前出「暫出白門前,楊柳可藏烏。」 ・楊花:ハコヤナギの花。風に吹かれてゆく、浮気っぽい女性を暗示する。

君醉留妾家
あなたは、酔っぱらってわたしの家に泊まる。
 ・醉:酔う。 ・留:とどまる。とどめる。 ・妾家:わたし(女性)の家。

博山爐中沈香火
博山香炉の沈香の香煙は。 
 ・博山:男女の情愛を暗示する。 ・博山爐:香炉の名。彝器(儀式用の鼎等の道具)の上に山の形を刻して装飾とした香炉。
 ・博山:山東省博山県の東南の峡谷名。 ・沈香:〔じんこう〕熱帯や広東省に産する香木の名で、水に沈むからこう呼ばれる。香の名。

雙煙一氣凌紫霞
二筋の煙が一つとなって、夕焼雲をはるかにしのぐ高さになる。
 ・雙煙:二筋の煙。 ・一氣:一つとなる。男女の意気が一つとなったさまをいう。 ・凌:しのぐ。おかす。越える。わたる。 ・紫霞:紫雲 夕焼雲よりはるかに高い。


博山炉について一番わかりやすいページがあったので。

前漢・錯金銅博山炉 :世界の秘宝 大集合_人民中国)参照

 

博山爐は香炉の一種で、古代貴族の贅沢品の1つ。高さは26センチ、錯金という入念な造りはほかにあまり例がない。錯金とは器の表面に溝を造り、同じ幅の金糸や金片を使って装飾を施した後に、磨いてつやを出すという製作方法で、針金象嵌ともいう。博山炉は、金糸や金片の違いを生かし、山にかかる折り重なった雲の形につくられ、空を行く雲や流れる水のように渋りがない芸術効果をおさめた。金糸は細いものもあれば太いものもあるが、細いものは髪の毛ほどの細さ。


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李白33-35 王昭君を詠う 三首

李白33 王昭君を詠う 三首  五言絶句 王昭君
   34              雑言古詩 王昭君

 35             雑言古詩 于闐採花

             関連  王昭君ものがたり
                  王昭君 二首 白楽天

 李白の詩の中で、王昭君を題材にしたものが多く、直接これを題材にした作品も三首ある。「王昭君」といふのが二首と「于闐(ウテン)花を採る」の詩がそれである。これらの詩が出来た背景に当時の対外関係があげられる。周辺各国境付近で局地戦を常に行っている。一方、和平策も行っている。それは、最も普通なのは古来より行われた騎馬民族に対し豊かな産物や文化財を与へて懐柔するやり方と、婚姻という形をとった。この李白の時代まで、二千年近くも続いていたことであり、その中で、もっとも興味を持たれるのは、王昭君であった。


日本の遣唐使派遺などは大唐の文化に垂涎して行はれたのであるが、北西の勇敢な騎馬民族にはこれだけでは駄目だと、皇帝のむすめ、即ち公主またはこれに准ずるものをその酋長に賜はり、これによって懐柔するといふ漢代以来のやり方が行はれた。玄宗は即位の後、たびたびこれを行っている。懐柔策を周辺国全部とするわけにはいかないので、その時の情勢に応じて政治的に方法は違った。国民からすれば、周辺国の中では和平策を進めてほしくない国もあり、局地戦以上にはならない程度の戦いを選ぶことを好んだ。



李白がこの史実と現実からこれらの詩を作った。盛唐期、特に国政隆起時期、邊塞曲、塞下曲、楽府により、戦争は鼓舞された。李白は、王昭君を題材にした。

当時、唐人の間ではこの懐柔政策を屈辱として大なる反対があったことは李白に邊塞詩、塞下詩を作らせる後押しとなったのだろう。李白は腰抜けの公主たちを隣れんでこれらの詩を作ったのかもしれない。

しかし私はこれらの詩は詩人として世に出る、世に受け入れられやすい内容のものであった。必ずしも政治的な意味で見いるわけでなく、象徴的な存在「王昭君」、悲愁の塞北の地の物語を題材にしたもので受け入れられたことは間違いない。(李白代表作「古風五十九首」にも戦争鼓舞の詩がある)


五言絶句33
王昭君  李白
昭君払玉鞍、上馬啼紅頬。
今日漢宮人、明朝胡地妾。


王昭君は白玉の鞍を軽く手で払い、
馬に乗ってその紅い頬に涙で濡らす。
今日までは漢の王宮の人なのに、
明日の朝には匈奴の妾そばめとなってしまうのだ。

 実際には王昭君は王妃として迎えられています。李白は漢の後宮にいたあこがれの存在であったものが、胡の妾になるという悲劇性を強調され、韻に用いたものである。
 絶世の美女でありながら宮廷画工の毛延寿に贈賄しなかった事で醜女に描かれ、そのため匈奴に送られ、長城を越えるところで嘆き死んだとされる王昭君の悲劇譚は、華北を支配した異民族に圧迫された六朝時代に成立したものと考えられる。王昭君伝説は以後も脚色を重ねて戯曲『漢宮秋』となり、傑作として欧米にも紹介された。六朝の詩歌を完成させた李白の有名な詩である。

韻 頬、妾

昭君払玉鞍、上馬啼紅頬。
今日漢宮人、明朝胡地妾。

王昭君
昭君、玉鞍を払い、
馬に上って紅頬に泣く。
今日漢宮の人、
明朝胡地の妾。







雑言古詩34
王昭君  李白
漢家秦地月、流影照明妃。
一上玉関道、天涯去不帰。
漢月還従東海出、明妃西嫁無来日。
燕支長寒雪作花、娥眉憔悴没胡沙。
生乏黄金枉図画、死留青塚使人嗟。

漢の世に、長安の夜空に上った月、
流れるような月影はあの明妃を照らした。
ひとたび玉門関の旅路についた、
天涯帰ってはこない。
漢の月はまた同じように東海からのぼる、
明妃は西に嫁いだきり戻ってくることはない。
燕支の山はいつも寒く、雪が花のように降り、
美しい眉の佳人は憔悴し胡の砂漠の地で没した。
生きていた時は賄賂を贈らなかったので醜く描かれ、
死んで留めているのは青塚であり、人々を嗟かせている。

青塚は王昭君の墓。詳細は
王昭君ものがたり


漢家秦地月、流影照明妃。
一上玉関道、天涯去不帰。
漢月還従東海出、明妃西嫁無来日。
燕支長寒雪作花、娥眉憔悴没胡沙。
生乏黄金枉図画、死留青塚使人嗟。

漢家 秦地の月
流影 明妃を照らす
一たび玉関の道に上り
天涯 去って帰らず
漢月は還た 東海より出づるも
明妃は西に嫁して 来る日無し
燕支 長えに寒くして 雪は花と作り
娥眉 憔悴して 胡沙に没す
生きては黄金に乏しく 枉げて図画せられ
死しては青塚を留めて 人をして嗟かしむ


 この二首の中、前の方の絶句は李白の最傑作の一である。また古来多くの王昭君を詠じた詩の中で最上のものとされている。周知の如く、王昭君の悲劇は詠史の好題目となり、中国のみでなく、我国でも漢詩を作る者の必ず詠ずるところで、「和漢朗詠集」にも王昭君の條がわざわざ設けてある。それら多くの詩の中、この五絶ほど、昭君の憐れな身の上と心境とを詠じ出したものはない。李白の天才ぶりの測り知られなさを世に示した。

次に掲げる「于闐花を採る」も、作品としては秀作である


 

 

 

 

 

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李白31 関山月

李白31 関山月
楽府、五言古詩。関所のある山々を照らす月。それに照らされる出征兵士や、兵士を思う故郷の妻たちを詠う。
李白の邊塞を詠う詩の掲載をに追加する。



關山月 李白

明月出天山、蒼茫雲海間。
明月が天山の上にのぼってきた、蒼く暗く広がる雲海を照らし出す。

長風幾萬里、吹度玉門關。
遠くから吹き寄せる風は幾萬里、吹度る はるかな玉門關に

漢下白登道、胡窺青海灣。
漢の軍隊は白登山の道を進んでいく、胡の将兵は青海の水辺で機会を窺っている。

由來征戰地、不見有人還。
ここは昔から遠征と戦闘の地だ、出征した人が生還したのを見たことがない

戍客望邊色、思歸多苦顏。
出征兵士は、辺境の景色を眺めている、帰りたい思いは顔をしかめさせることが多い。

高樓當此夜、歎息未應閑。
故郷の高殿で、こんな夜には、せつない歎息が、きっと途切れることもないことだろう。



明月が天山の上にのぼってきた、蒼く暗く広がる雲海を照らし出す。
遠くから吹き寄せる風は幾萬里、吹度る はるかな玉門關に
漢の軍隊は白登山の道を進んでいく、胡の将兵は青海の水辺で機会を窺っている。
ここは昔から遠征と戦闘の地だ、出征した人が生還したのを見たことがない。
出征兵士は、辺境の景色を眺めている、帰りたい思いは顔をしかめさせることが多い。
故郷の高殿で、こんな夜には、せつない歎息が、きっと途切れることもないことだろう。



關山月
楽府旧題。本来の意味は、国境守備隊の砦がある山の上に昇った月。前線の月。


明月出天山
明月が天山の上にのぼってきた。 ・明月:明るく澄みわたった月。 ・天山:〔てんざん〕新疆にある祁連山〔きれんざん〕(チーリェンシャン) 。天山一帯。当時の中国人の世界観では、最西端になる。天山山脈のこと。


蒼茫雲海間
蒼く暗く広がる雲海を照らし出す。 ・蒼茫:〔そうぼう〕(空、海、平原などの)広々として、はてしのないさま。見わたす限り青々として広いさま。また、目のとどく限りうす暗くひろいさま。 ・雲海:山頂から見下ろした雲が海のように見えるもの。また、雲のはるかかなたに横たわっている海原(うなばら)。ここは、前者の意。


長風幾萬里
遠くから吹き寄せる風は幾萬里。 ・長風:遥か彼方から吹いてくる風。 ・幾萬里:何万里もの。長大な距離を謂う。


吹度玉門關
吹度る はるかな玉門關に。 ・吹度:吹いてきてずっと通って先へ行く。吹いてきて…を越える。吹きわたる。 ・玉門關:西域に通ずる交通の要衝。漢の前進基地。関。玉関。現・甘肅省燉煌の西方、涼州の西北500キロメートルの地点にある。


漢下白登道
漢の高祖が白登山(現・山西省北部大同東北東すぐ)上の白登台で匈奴に包囲攻撃され白登山より下りて匈奴と戦い。 ・漢:漢の高祖の軍。 ・下:(白登山上の白登台より)下りて(、匈奴に対して囲みを破るための反撃する)。 ・白登道:漢の高祖が白登山より下りて匈奴と戦ったところ。現・山西省北部大同東北東すぐ。


胡窺青海灣
胡(えびす)は、青海(ココノール)の湾に進出の機会を窺っている。 ・胡:西方異民族。ウイグル民族や、チベット民族などを指す。上句で漢の高祖のことを詠っているが、漢の高祖の場合は、匈奴を指す。 ・窺:〔き〕ねらう。乗ずべき時を待つ。また、覗き見する。こっそり見る。ここは、前者の意。 ・青海:ココノール湖。 ・灣:くま。ほとり。前出・杜甫の『兵車行』でいえば「君不見青海頭」 の「頭」に該る。


由來征戰地
ここは昔から遠征と戦闘の地だ。 ・由來:もともと。元来。それ以来。もとから。初めから今まで。また、来歴。いわれ。よってきたところ。ここは、前者の意。 ・征戰:出征して戦う。戦に行く王翰も李白も同時代人だが、王翰の方がやや早く、李白に影響を与えたか。


不見有人還
出征した人が生還したのを見たことがない。 ・不見:見あたらない。 ・有人還:(だれか)人が帰ってくる。 ・還:行き先からかえる。行った者がくるりとかえる。後出の「歸」は、もと出た所にかえる。本来の居場所(自宅、故郷、故国、墓所)にかえる。


戍客望邊色
出征兵士は、辺境の景色を眺めている。 ・戍客:〔じゅかく〕国境警備の兵士。征人。 ・邊色:国境地方の景色。 邊邑ともする。その場合は国境地帯の村の意になる。


思歸多苦顏
帰りたい思いは顔をしかめさせることが多い。 ・思歸:帰郷の念を起こす ・苦顏:顔をしかめる。


高樓當此夜
故郷の高殿で、こんな夜には。 ・高樓:たかどの。 ・當:…に当たつては。…の時は。…に際しては。 ・此夜:この(明月の)夜。


歎息未應閑
せつない歎息が、きっと途切れることもないことだろう。 ・歎息:なげいて深くため息をつく。また、大変感心する。ここは、前者の意。 ・應:きつと…だろう。当然…であろう。まさに…べし。 ・閑:暇(いとま)。


○韻 山、間、關、灣、還、顏、閑


關山月  
明月 天山(てんざん)より出(い)づ,
蒼茫(さうばう)たる 雲海の間。
長風 幾(いく)萬里,
吹き度る 玉門關(ぎょくもんくゎん)。
漢は下(くだ)る 白登(はくとう)の道,
胡は窺(うかが)ふ 青海(せいかい)の灣。
由來( ゆ らい) 征戰の地,
見ず 人の還(かへ)る有るを。
戍客(じゅかく) 邊色(へんしょく)を望み,
歸るを思ひて 苦顏( く がん) 多し。
高樓 此(こ)の夜に當り,
歎息すること 未(いま)だ應(まさ)に閑(かん)ならざるべし。

李白の詩 連載中 7/12現在 75首

2011・6・30 3000首掲載
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李白32 玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二

 蜀の国から都に出てきた無名の詩人が時の宰相に会えた。 李白が時の宰相、張説(ちょうえつ)の世話になったことは凄いことではある。なぜこの時仕官できなかったのであろうか。確かに張説は前後して没してはいる(730年歿)ものの宰相をしている時に会い、家の世話までしてもらっている。しかし、その事跡も1000年もの間埋もれてしまうほどこの頃の李白に問題があったのか、訴えるものがなかったのか、出自に問題ありとされたのか、疑問の残る点である。ただ、張説が没したのち息子の張洎(ちょうき)がどこまで李白をフォローしたかについては分からない。(張説ものがたり  安史の乱  安史の乱の三詩人)

 しかし、李白はこの張洎に対し詩を残している。(この張説の息子張洎は安史の乱の際、玄宗絶対の信頼があった。しかし、絶対ないと思われていた裏切りを見せ後死亡)其の一では(729年秋に)その張洎に家を探してもらってそこでの生活を詠っている。この段階では、貧しさも求職のことも全く触れていない。其の二では、一変して強烈な詩に転じている。この詩は、内容、韻で三分割して読んだほうが分かりやすいかと文末に下し分を添えて示した。

李白32 玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首(其の二) 

其二
苦雨思白日。浮云何由卷。稷契和天人。陰陽乃驕蹇。
秋霜劇倒井。昏霧橫絕巘。欲往咫尺涂。遂成山川限。
潀潀奔溜聞。浩浩驚波轉。泥沙塞中途。牛馬不可辨。』
飢從漂母食。閑綴羽陵簡。園家逢秋蔬。藜藿不滿眼。
蠨蛸結思幽。蟋蟀傷褊淺。廚灶無青煙。刀機生綠蘚。』
投箸解鷫。換酒醉北堂。丹徒布衣者。慷慨未可量。
何時黃金盤。一斛荐檳榔。功成拂衣去。搖曳滄洲旁。』


長雨続きで困ったものだ、カンカン照りがなつかしい。農耕の神様、后稷こうしょくや契の伝説の時代は天地がうまくなじんでいたが、太陽も月も驕っている。秋の長雨はバケツを返したような豪雨で、雨霞は峰まで覆い尽くしている。手じかなところへ行こうと思っても、山川にさえぎられる。
ごうごうとため池に水があふれ、浩々と大波が寄せてくる。
 土石流は行く手を遮り、牛か馬か見分けはつかない。
本筋を投げ捨て皮のころもを質に入れ、酒を手に入れ奥座敷で酔っぱらう。』


ひもじいと老女(漂母)からでも食を貰い、暇に任せて虫に食われた本を綴りなおす
農家では秋野菜の収穫期であるのに、わが家には豆の葉っぱもない
蜘蛛は網の上で静かにしているし、コオロギは狭い場所をうれいている。
釜戸には紫炎などないし、包丁やまな板は青カビが生えている。』


丹徒にいた無冠位のものがいた、計り知れないほど辱められた
いつになったら黄金の大皿に、一斛の檳榔を盛り出せるのか
功が達成すれば衣の塵を払って去り、滄洲のあたりで のんびり暮したい』

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●后稷(こうしょく)は、伝説上の周王朝の姫姓の祖先。中国の農業の神として信仰されている。


●漂母 韓 信(かん しん、生未詳 - 紀元前196年)は、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、他人の家に上がり込んでは居候するという遊侠無頼の生活に終始していた。こんな有様であったため、淮陰の者はみな韓信を見下していた。とある亭長の家に居候していたが、嫌気がした亭長とその妻は韓信に食事を出さなくなった。いよいよ当てのなくなった韓信は、数日間何も食べないで放浪し、見かねた老女に数十日間食事を恵まれる有様であった。韓信はその老女に「必ず厚く御礼をする」と言ったが、老女は「あんたが可哀想だからしてあげただけのこと。御礼なんて望んでいない」といわれた。老女が真綿を晒す老女であったことから、漂母という。


●丹徒の布衣者と一斛いっこくの檳榔びんろう
 劉 穆之(りゅう ぼくし、360年 - 417年)は、中国五胡十六国時代の東晋末期に劉裕(宋の武帝)に仕えた政治家のことさす。若く貧しかった頃は、妻の兄である江氏の家に食事を乞いに行っては、しばしば辱められ、妻にも行くのを止められたが、これを恥としなかった。後に劉穆之は江氏の祝いの宴会に赴き、食後の消化に檳榔を求めたが、江氏の兄弟に「いつも腹を空かしているのにそんなものがいるのか」とからかわれた。妻は髪を切った金で兄弟に代わり劉穆之に食事を出したが、これ以後、劉穆之の身繕いをしなくなった。後に劉穆之は丹陽尹となると、妻の兄弟を呼び寄せようとした。妻が泣いて劉穆之に謝ると、劉穆之は「もともと怨んでもいないのだから、心配することもない」といい、食事で満腹になると金の盆に盛った1斛の檳榔を彼らに進めたという。

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 李白は科挙の試験同様に故事を引用し、自分も才能があり、必ず出世できる。出世をして恩を返しをしたい。張洎に求職を訴えたのだ。同時に、スポンサーを求めたのだ。スポンサー、パトロンがいないとどうしようもないのが詩人である。宮廷詩人になる早道は、科挙試験に及第すること、詩を披露するチャンスは圧倒的に増大する。李白のように高級官僚に詩を贈り認めてもらう間接的なやり方はかなり困難な手段であったのだ。こののち杜甫も同様に貴族宛に詩を贈るが、全く相手にされなかった。求職というより、パトロン探しというのが本命であったと思う。
 この詩を送られた人間、あるいは客観的な人間から見て、どうだろう。千数百年の昔の人は説得されたであろうか、詩は曲に合わせて歌われれば内容はどうだっていいのだろうか。これだけ、詩才があり、知識がある人がいっていることだから、きっと良いことを言っている。受け取る側が好意的でないと理解できないのではなかろうか。
 もうひとつは、これが理解してもらえないならまた別な人に訴えよう、別のところに行こう、というのか。

○韻巻、蹇、、転。辨、簡、眼、浅、蘚。/ 霜、堂、量、榔、傍。



玉真公主の別館に雨に苦しみ衛尉張卿に贈る 二首(一を録す)
苦雨(くう) 白日(はくじつ)を思う、浮雲(ふうん) 何に由(よ)ってか巻かん。
稷(しょく) 契(せつ) 天人(てんじん)を和し、陰陽 仍(な)お驕蹇(きょうけん)たり。
秋霖(しゅうりん) 劇(はげ)しく井を倒(さかしま)にし、昏霧(こんむ) 絶巘(ぜつけん)に横たわる
咫尺(しせき)の塗(みち)を往(ゆ)かんと欲するも、遂に山川(さんせん)の限りを成(な)す。
潨潨(そうそう)として奔溜(ほんりゅう)瀉(そそ)ぎ、浩浩(こうこう)として驚波(きょうは)転ず
泥沙(でいさ)  中途を塞(ふさ)ぎ、牛馬(ぎゅうば)  辨(べん)ず可からず』

飢えて漂母(ひょうぼ)に従って食し、閑(かん)に綴る  羽林(うりん)の簡(かん)
園家(えんか)  秋蔬(しゅうそ)に逢(あ)うに、藜藿(けいかく)  眼(め)に満たず
蠨蛸(しょうしょう) 思幽(しゆう)を結び、蟋蟀(しつしゅつ) 褊浅(へんせん)を傷(いた)む
厨竃(ちゅうそう)青烟(せいえん)無く、刀机(とうき)  緑蘚(りょくせん)を生ず』

筋(はし)投じて鷫霜(しゅくそう)を解(と)き、酒に換えて北堂(ほくどう)に酔う
丹徒(たんと)布衣(ふい)の者、慷慨(こうがい)  未だ量(はか)る可からず
何(いずれ)の時か 黄金の盤(ばん)、一斛(いっこく)の檳榔(びんろう)を薦(すす)めん
功(こう)成(な)らば衣(い)を払って去り、滄洲(そうしゅう)の傍(かたわら)に揺裔(ようえい)せん』



玉真公主の別館に雨に苦しみ衛尉張卿に贈る 二首(一を録す)


苦雨思白日。浮雲何由巻。稷契和天人。陰陽仍驕蹇。
秋霖劇倒井。昏霧横絶巘。欲往咫尺塗。遂成山川限。
潨潨奔溜瀉。浩浩驚波転。泥沙塞中途。牛馬不可辨。』

苦雨(くう) 白日(はくじつ)を思う、浮雲(ふうん) 何に由(よ)ってか巻かん。
稷(しょく) 契(せつ) 天人(てんじん)を和し、陰陽 仍(な)お驕蹇(きょうけん)たり。
秋霖(しゅうりん) 劇(はげ)しく井を倒(さかしま)にし、昏霧(こんむ) 絶巘(ぜつけん)に横たわる
咫尺(しせき)の塗(みち)を往(ゆ)かんと欲するも、遂に山川(さんせん)の限りを成(な)す。
潨潨(そうそう)として奔溜(ほんりゅう)瀉(そそ)ぎ、浩浩(こうこう)として驚波(きょうは)転ず
泥沙(でいさ)  中途を塞(ふさ)ぎ、牛馬(ぎゅうば)  辨(べん)ず可からず』



飢従漂母食。閑綴羽林簡。園家逢秋蔬。藜藿不満眼。
蠨蛸結思幽。蟋蟀傷褊浅。厨竃無青烟。刀机生緑蘚。』

飢えて漂母(ひょうぼ)に従って食し、閑(かん)に綴る  羽林(うりん)の簡(かん)
園家(えんか)  秋蔬(しゅうそ)に逢(あ)うに、藜藿(けいかく)  眼(め)に満たず
蠨蛸(しょうしょう) 思幽(しゆう)を結び、蟋蟀(しつしゅつ) 褊浅(へんせん)を傷(いた)む
厨竃(ちゅうそう)青烟(せいえん)無く、刀机(とうき)  緑蘚(りょくせん)を生ず』



投筋解鷫霜。換酒酔北堂。丹徒布衣者。慷慨未可量。
何時黄金盤。一斛薦檳榔。功成払衣去。揺裔滄洲傍。』

筋(はし)投じて鷫霜(しゅくそう)を解(と)き、酒に換えて北堂(ほくどう)に酔う
丹徒(たんと)布衣(ふい)の者、慷慨(こうがい)  未だ量(はか)る可からず
何(いずれ)の時か 黄金の盤(ばん)、一斛(いっこく)の檳榔(びんろう)を薦(すす)めん
功(こう)成(な)らば衣(い)を払って去り、滄洲(そうしゅう)の傍(かたわら)に揺裔(ようえい)せん』


参考

其一

秋坐金張館。 ( 秋一作愁 ) 繁陰晝不開。 空煙迷雨色。 蕭颯望中來。 翳翳昏墊苦。

沉沉憂恨催。 清秋何以慰。 白酒盈吾杯。 吟詠思管樂。 此人已成灰。獨酌聊自勉。

誰貴經綸才。 彈劍謝公子。 無魚良可哀。


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李白27 塞下曲六首と塞上曲

 志願し国境線の戦いに出ていく者はいない。府兵制により行かされたものである。あるいは、左遷の地として 官僚たちも数多く残る。辺塞詩、涼州詩として、王維や王昌齢、王士官が詠っている(別の機会に紹介しよう)。 李白のこれらの詩は形式は戦場に送り出したものだが、残された家族のための詩とは思えないし、体制批判も感じられない。やはり、流行であったこと、求職活動、詩才を示すために作られたのであろう。
 したがって、ここでは、資料的に示すことにしよう。そして、明日から、長安での物語に移ろうと思う。
 ただ、李白の塞下曲六首について、日本であまり触れられていないようなのですべて載せ、読みを紹介するのは昨日の(1)と(4)、(5)にとどめることとする。

塞下曲六首    李白

(4)29
白馬黄金塞,雲砂繞夢思。
白馬のいる黃金の塞,雲と砂の大地を夢を繞る

那堪愁苦節,遠憶邊城兒。
堪えがたきは愁苦しゅうくの季節,はるか遠く国境の兒おのこを憶う。

螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。
螢は秋の窓辺に飛び,月は霜ふる閨ねやにを遲くにわたる。

摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。
色あせ敗れた梧桐あおぎりの葉,蕭しょうとした颯かぜに沙棠やましなの枝。

無時獨不見,流涙空自知。

いつの時も面影の見えないまま,流れる涙はむなしさを知る。


白馬のいる黃金の塞,雲と砂の大地を夢を繞めぐる。
堪えがたきは愁苦しゅうくの季節,はるか遠く国境の兒おのこを憶う。
螢は秋の窓辺に飛び,月は霜ふる閨ねやにを遲くにわたる。
色あせ敗れた梧桐あおぎりの葉,蕭しょうとした颯かぜに沙棠やましなの枝。
いつの時も面影の見えないまま,流れる涙はむなしさを知る。


この詩も妻の立場で詠っています。白馬と黄金塞から蛍がさみしく寝室に入ってきて、いつの間に枯葉が舞い散るる季節になっていしまった。、面が下さえ見えなくなってしまい、いくら泣いてもむなしさだけが残る。
 李白お得意の流れるような場面である。

白馬 黃金の塞,雲砂に夢思を繞らす。
那ぞ堪えん 愁苦の節,遠く邊城の兒を憶う。
螢飛 秋窓に滿つ,月度る 霜閨に遲し。
摧殘す 梧桐の葉,蕭颯たり 沙棠の枝。
無時に獨り見ず,流淚 空しく自ら知る。



(5)30
塞虜乘秋下,天兵出漢家。
塞の虜は秋になると下っていき 、天子の兵は長安を出発する

將軍分虎竹,戰士臥龍沙。
將軍は敵陣を突破して 、戰士は龍沙砂漠に横たわる

邊月隨弓影,胡霜拂劍花。
塞を照らす月は弓影をうつす 、北方の霜は劒の打ち払う火花さえ消す

玉關殊未入,少婦莫長嗟。

ここ玉門関はまだまだ外敵に侵入されない 、故郷の若い妻嘆くことなぞないぞ
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塞の虜は秋になると下っていき
天子の兵は長安を出発する
將軍は敵陣を突破して
戰士は龍沙砂漠に横たわる
塞を照らす月は弓影をうつす
北方の霜は劒の打ち払う火花さえ消す
ここ玉門関はまだまだ外敵に侵入されない
故郷の若い妻嘆くことなぞないぞ

 塞で対峙していた敵の軍隊も冬になると凍死者が出るので戦えない。春先になるまで引き上げてゆく。その敵陣のすきをついて、攻めに転じる。砂漠に多くの戦死者が出ている。月は塞に影を落とすが剣と剣の火花でさえ打ち消す極寒のつらさ。玉門関を死守している若い兵士は故郷の若き妻に「心配するな、頑張るぞ」だから、ため息ばかりするんじゃないぞ と。

 毎年、毎年、それが何百年と続いている。戦争は勝つと相手のすべてを奪いつくし富が増えてゆくのである。国家による略奪が戦争である。漢民族としては北方の異民族=騎馬民族との戦いは万里の長城に象徴される。あれだけ膨大なものを巨費をかけてでもを作る必要があった。そのために秦国が滅んだのだ。王朝の栄枯盛衰はほとんどが戦争による繁栄であり、それを維持することができなくなっての衰退滅亡というのが歴史である。
 蒙古の元がアジア全域を制覇した際、北京には見せしめのため、人口の大半が殺され死者が通りの建物のようにうず高く野積みなされ放置された。戦いとはそうしたもので、この詩の国境線の砂漠に、戦死者が放置されているというのは普通の状況であったのだ。(世界4大虐殺のひとつ、安史の乱は中国全土の人口が40%減少した)それはまた国中の人々が知っていたことであるから、詩人がそれを題材にしたのである。悲愴、焦燥、長嗟、愁苦、螢飛秋窗、摧殘梧桐、邊月・・・・邊月とは国境の砂漠、見渡す限り何もない砂漠で月だけが輝いている、題材の状況が明確であり、だれでも承知している事項のため、詩人は競って詠ったのである。

以下は、テキストとして書きとめておくことにし、李白の塞上曲も付け加えておく。何時かの機会を見て触れていけたら良いと考える。

塞下曲六首    李白

(1)26
五月天山雪,無花只有寒。笛中聞折柳,春色未曾看。
曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。願將腰下劍,直為斬樓蘭。

(2)27
天兵下北荒,胡馬欲南飲。橫戈從百戰,直為銜恩甚。
握雪海上餐,拂沙隴頭寢。何當破月氏,然後方高枕。

(3)28
駿馬似風飆,鳴鞭出渭橋。彎弓辭漢月,插羽破天驕。
陣解星芒盡,營空海霧消。功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。

(4)29
白馬黃金塞,雲砂繞夢思。那堪愁苦節,遠憶邊城兒。
螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。
無時獨不見,流淚空自知。

(5)30
塞虜乘秋下,天兵出漢家。將軍分虎竹,戰士臥龍沙。
邊月隨弓影,胡霜拂劍花。玉關殊未入,少婦莫長嗟。

(6)31
烽火動沙漠,連照甘泉雲。漢皇按劍起,還召李將軍。
兵氣天上合,鼓聲隴底聞。橫行負勇氣,一戰淨妖氛。


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李白32 塞上曲  李白

大漢無中策。 匈奴犯渭橋。 五原秋草綠。
胡馬一何驕。 命將征西極。 橫行陰山側。
燕支落漢家。 婦女無華色。 轉戰渡黃河。
休兵樂事多。 蕭條清萬里。 瀚海寂無波。


李白26 塞下曲

 邊塞詩 戦争に行っていない李白が戦場や、外敵から守るための塞、などを題材にして歌う。漢文委員会ではこれを妻の立場で歌う、「春思う」、や「秋思う」等も邊塞のグル-プとしてとらえていく。


李白26 塞下曲六首

(1)塞下曲    李白
五月天山雪,無花祗有寒。
五月に、天山では雪が降る。花はなく、ただ、寒さだけがある

笛中聞折柳,春色未曾看。
笛の調べ折楊柳の曲を聞いた、春の気配など、まだまったく見たことがない

曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。
朝、鐘と太鼓に従って戦い。夜には、立派なくらを抱いて眠る。

願將腰下劍,直爲斬樓蘭。

できることならば、腰に下げた剣で,ただちに樓蘭を斬ってしまいたいものだ。


旧暦の五月(=夏)に、天山では雪が降る。(春や夏の訪れを示す)花はなく、ただ、寒さだけがある。
笛の調べで、折楊柳の曲を聞いた(が),(実際には、柳の芽吹く)春の気配など、まだまったく見たことがない
朝(からの戦闘で)は、鐘と太鼓に従って戦い。夜には、立派なくらを抱いて眠る。
できることならば、腰に下げた剣で,ただちに樓蘭を斬ってしまいたいものだ。


 戦争にまったく行っていない人が、辺疆の砦附近の風物や戦争のありさま、出征兵士の心情を詠ったものの詩題にしている。この詩は六連作のその1。こういった詩の特徴の一つに、塞に出征した兵士の気持ちを詠うものだが、それぞれの句に 雪、花、柳、春色、金、玉、剣、蘭と花と色が散りばめられている。詩がお遊びの一つになっている。特にこの時期則天武后の末期にあった、朝廷内のごたごたを張説らにより収められ、太平になっていた。均田制と府兵制をベースにした律令制の中で、府兵制が人民に与えた負担は大きかった。砂漠の砦に贈られた兵士の悲壮感だけを詠うのではなく、こうした、色をちりばめて少し華やかに気持ちを切り替えた。
  同時期の同様な詩はhttp://kanbuniinkai7.dousetsu.com/辺塞詩、王翰、王昌齢、王之渙を参照にされたい。李白にとって楽府、辺塞、塞下の詩は就職活動の一つであったのだろう。

五月天山雪
旧暦の五月(=夏)に、天山では雪が降る。
 ・五月:陰暦五月で、夏になる。 ・天山:〔てんざん〕新疆にある祁連山〔きれんざん〕(チーリェンシャン) 。天山一帯。当時の中国人の世界観では、最西端になる。天山山脈のこと。新疆ウイグル(維吾爾)自治区中央部タリム盆地の北を東西に走る大山系で、パミール高原の北部に至る。雪山。ここでは「異民族との戦闘の前線」の意として、使われている。


無花祗有寒
(春や夏の訪れを示す)花はなく、ただ、寒さだけがある。
 ・無花:花は(咲いてい)ない。 ・祗有:〔しいう〕ただ…だけがある。「無花祗有寒」の句中で前出「無」との揃いで用いられる表現。「無花祗有寒」。≒只有。 ・寒:寒さ。


笛中聞折柳
笛の調べで、折楊柳の曲を聞いた(が)。
 ・笛中:胡笳の調べで。葦笛の音に。 ・聞:聞こえる。 ・折柳:折楊柳の曲。


春色未曾看
(実際には、柳の芽吹く)春の気配など、まだまったく見たことがない。
 ・春色:春の気配。春の景色。 ・未曾:まだ…でない。…いままでに、…したことがない。 ・看:見る。


曉戰隨金鼓
朝(からの戦闘で)は、鐘と太鼓に従って戦い。
 ・曉:明け方。朝。あかつき。 ・戰:戦う。 ・隨:…にしたがって。 ・金鼓:(軍中で用いる)鉦(かね)と太鼓。進むのに太鼓を用い、留まるのに鉦(かね)を用いたことによる。


宵眠抱玉鞍
夜には、立派なくらを抱いて眠る。
 ・宵:夜。よい。 ・眠:眠る。 ・抱:だく。いだく。 ・玉鞍:〔ぎょくあん〕立派なくら。玉で作ったくら。


願將腰下劍
できることならば、腰に下げた剣で。
 ・願:願わくは。 ・將:…を持って。・腰下:腰に下げた。 ・劍:つるぎ。元来は、諸刃(もろは)の刺突用武器を指す。


直爲斬樓蘭
ただちに樓蘭を斬ってしまいたいものだ。
 ・直:ただちに。 ・爲:〔ゐ〕…のために。…に対して。…に向かって。目的や原因を表す介詞。また、なす。する。致す。動詞。 ・斬:傅介子等が楼蘭王を斬り殺した故実のように、征伐をする。 前漢の昭帝の頃、傅介子等が樓蘭王を殺したことを指す。 ・樓蘭:〔ろうらん〕漢代、西域にあった国。都市名。天山南路のロブノール湖(羅布泊)の畔にあった漢代に栄えた国(都市)。ローラン。原名クロライナ。現・新疆ウイグル(維吾爾)自治区東南部にあった幻の都市。天山の東南で、新疆ウイグル自治区中央部のタリム盆地東端、善〔善+おおざと〕県東南ロブノール湖(羅布泊)の北方にあった。そこに住む人種は白人の系統でモンゴリアンではなく、漢民族との抗争の歴史があった。四世紀にロブノール湖(羅布泊)の移動により衰え、七世紀初頭には廃墟と化した。現在は、楼蘭古城(址)が砂漠の中に土煉瓦の城壁、住居址などを遺しているだけになっている。 ・終:どうしても。いつまでも。とうとう。しまいに。ついには。 ・不還:還(かえ)らない。戻らない。かえってこない。


○韻 寒、看、鞍、蘭。

五月天山雪,無花祗有寒。
笛中聞折柳,春色未曾看。
曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。
願將腰下劍,直爲斬樓蘭。


 塞下曲       
五月  天山の雪,
花 無くして  祗(た)だ 寒のみ 有り。
笛中  折柳(せつりう)を 聞くも,
春色  未だ 曾(かつ)て 看ず。
曉(あかつき)に戰ふに  金鼓に 隨(したが)ひ,
宵(よひ)に眠るに  玉鞍を 抱(いだ)く。
願はくは  腰下(えうか)の劍を 將(も)って,
直ちに 爲(ため)に  樓蘭(ろうらん)を斬らん。



■漢詩の利用法

●手紙の書きだし ヒント。
先日、私がお友達に出した手紙の書き出しです。

冥冥細雨來・・・・・。しとしとと雨が続きます。(杜甫 梅雨より)
お元気ですか。梅雨は「湿気」と意外に「冷え」にも注意がいるそうです。私のほうは、おかげさまでここ数年何事もなく元気に過ごさせていただいています。
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
     草々(こういう手紙の時終りに書く)
追伸
私の好きな杜甫の詩を添えておきます。
梅  雨      杜甫51歳 成都 浣花渓草堂
南京犀浦道,四月熟黃梅。湛湛長江去,冥冥細雨來。
茅茨疏易濕,雲霧密難開。竟日蛟龍喜,盤渦與岸廻。

南京の犀浦県の吾が居宅の道では四月に梅のみが熟する。このときの長江の水は湛湛とたたえて流れ去り、暗っぽくこまかな雨がふってくる。吾が家のかやぶきのやねはまばらであるから湿りやすく、雲や霧は濃くとざして開けがたい。一日じゅう喜んでいるものは水中の蛟龍であり、水面のうずまきは岸勢にしたがって回転しつつある

成都郊外に我が家があり、4月は梅が熟している。
川にあふれんばかりの水が流れ、厚い雲でしとしとと小雨が降っている。
カヤぶきの屋根は湿気がはいる、雲や霧は戸をあけておくことができない。
こんな時でも一日中喜んでいる奴は水中の蚊龍。水面の渦巻きは岸辺に沿って流れていく。



形式とか、韻とか無視してもっと要約してこれだけ取り出してもいいのかもしれません。

南京犀浦道,四月熟黃梅。
湛湛長江去,冥冥細雨來。

4月になると我が家には、梅が熟している。近頃続く雨に家前の川は水嵩があふれんばかりにを増している、
厚い雲で暗くなっていて小雨もしとしと降り続く、


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李白24 子夜呉歌其三 秋 と25 冬

李白24 子夜呉歌其三 秋
この詩は、李白詩で、日本人に膾炙している秀作作品のひとつ。
李白は兵士の妻の閨怨を詠っているが、だからといってこの詩に反戦思想は感じられません。
 


子夜呉歌其三 秋         
            
長安一片月、万戸擣衣声。
秋風吹不尽、総是玉関情。
何日平胡虜、良人罷遠征。 

長安の空に輝く月ひとつ
あちこちの家から聞こえるのは砧(きぬた)を擣(う)つの声
夜空をわたる秋風(あきかぜ)も  吹きちらせ尽くせない。
それらの一つ一つの音はすべて 玉門関の夫を思うもの
 いつの日に胡虜を平定して
恋しい夫は、遠征をやめてかえってくるのか


 「擣(う)つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。

長安一片月、万戸擣衣声。
秋風吹不尽、総是玉関情。
何日平胡虜、良人罷遠征。

子夜呉歌(しやごか) 其の三 秋
長安  一片の月
万戸  衣(い)を擣(う)つの声
秋風(しゅうふう)  吹いて尽きず
総て是(こ)れ玉関(ぎょくかん)の情
何(いず)れの日か胡虜(こりょ)を平らげ
良人(りょうじん)  遠征を罷(や)めん





 李白25 子夜呉歌其四 冬
 「冬」は「秋」のつづき。「秋」が幻想的に比べ、「冬」は極めて現実的。

子夜呉歌其四 冬         
            
明朝駅使発、一夜絮征袍。
素手抽針冷、那堪把剪刀。
裁縫寄遠道、幾日到臨洮。


明日の朝には駅亭の飛脚が出発する
今夜のうちにこの軍服に綿入れして仕立てなきゃ
白い手で針を運ぶ 指はこごえつめたい
はさみを持つ手は もっとつらい
縫いあげて  遠いかなたのあなたに送ります
幾日たてば  臨洮に着くやら


明日の朝に駅亭の使者が発つ、それに託するため、今夜中に冬用の軍服を仕立て上げなければならないと、妻はこごえる手をこすりながら針を使う。なお、唐初の徴兵は、服などの壮備は本人負担であった。「臨洮」は甘粛省にある。広く西方の駐屯地でここから西方の万里の長城の始まりでその臨洮からさらに西に行く。
下に示す図の中心に長安(西安)があり、そのまま左方向(西)に赤ポイントが臨洮、甘粛省は左上に万里の長城を囲むようにずっと伸びる。
 ちょうどこのころ、長く続いた、府兵制度は崩壊します。傭兵は主体になっていきます。しかし、この万里の長城を守る安西方面の守りについては、税金と同様に庶民に義務として課せられていた。当初は、3年官であったものが、やがて帰ってこない出征に代わっていきます。唐時代の人々は、この制度に不満を持っていた。
 出征したら、帰ってこないという詩はたくさん残されています。王維  高適  賈至  岑參 王昌齢、王之渙、杜甫、・・・盛唐の期の詩が多いい。    http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/
辺塞詩をうたう。http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_hensaishijin013.html 
万里の長城を詠う。   http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99banri014.html

名朝駅使発、一夜絮征袍。
素手抽針冷、那堪把剪刀。
裁縫寄遠道、幾日到臨洮。

子夜呉歌(しやごか)其の四 冬
明朝(みょうちょう)  駅使(えきし)発す
一夜にして征袍(せいほう)に絮(じょ)せん
素手(そしゅ)  針を抽(ひ)けば冷たく
那(なん)ぞ   剪刀(せんとう)を把(と)るに堪えん
裁縫して遠道(えんどう)に寄す
裁縫して遠道(えんどう)に寄す
幾(いずれ)の日か  臨洮(りんとう)に到らん





toubanrimap044



詩に詠われた 万里の長城・関所  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99banri014

李白22 子夜呉歌 春と夏

李白22 子夜呉歌

 子夜は、東晋以前に子夜という女性が、作った曲であり、その声は非常に悲しく苦しげだった、という。そして、唐時代になると、恋歌になっていた。
 ずっと楽府題(がふだい)が続く。この詩は五言六句を、春夏秋冬に配して季節四首組歌にしている。
 春の「羅敷女」は漢代の楽府に出てくる美女の名で、古辞では邯鄲(かんたん)の秦氏の女(むすめ)である。李白はそれを秦の農家の娘に変え、言い寄る「五馬」をそでにする話にしている。


子夜呉歌 其一 春        

秦地羅敷女、採桑緑水辺。
素手青条上、紅粧白日鮮。
蚕飢妾欲去、五馬莫留連。


秦の地の羅敷女ような美女、桑を摘む清らかな川のほとり。
白い手は緑の枝に伸び、ほほ紅が真昼の光に映えて鮮やかだ
蚕に餌をやるので 私は失礼いたします
太守さまはお急ぎお帰り下さいませ

 五馬とは五頭立ての馬車に乗ることが許されている州刺史(しゅうしし)または郡太守(ぐんたいしゅ)のこと。漢代の郡は行政機関で県の上に位置し、唐代には州と呼ぶようになる。県は市や町にあたる。なお、唐の長安の都は広大でしたので、城内の南の部分には農地もあり、農家や高官の別荘などが点在していた。
○韻 辺、鮮、連。

秦地羅敷女、採桑緑水辺。
素手青条上、紅粧白日鮮。
蚕飢妾欲去、五馬莫留連。

子夜呉歌(しやごか) 其の一 春
秦地(しんち)の羅敷女(らふじょ)
桑を採(と)る  緑水(りょくすい)の辺(ほとり)
素手(そしゅ)  青条(せいじょう)の上
紅粧(こうしょう)  白日(はくじつ)に鮮やかなり
蚕(かいこ)は飢えて妾(しょう)は去らんと欲す
五馬(ごば)   留連(りゅうれん)する莫(なか)れ





夏は一転して越の美女西施の再登場。

李白23
 子夜呉歌其二 夏         

鏡湖三百里、函萏発荷花。    
五月西施採、人看隘若耶。    
囘舟不待月、帰去越王家。
   

 
鏡のように澄んだ鏡湖は周囲三百里
蓮のつぼみが蓮の花をひらく
五月になって西施は花を摘み
見物人が集まって、若耶渓も狭くなる
舟の向きを変えて月の出を待たず
西施は越王の御殿へ帰ってゆく

 「西施」については『西施ものがたり」(李白12を参照)、中国の伝説的な美女。秦の美女、越の美女と、美女の話が李白らしく続けた。



鏡湖三百里、函萏発荷花。    
五月西施採、人看隘若耶。    
囘舟不待月、帰去越王家。

子夜呉歌(しやごか)  其の二 夏
鏡湖(きょうこ)   三百里
函萏(かんたん)  荷花(かか)を発(ひら)く
五月  西施(せいし)が採(と)るや
舟を囘(めぐ)らして月を待たず
帰り去る  越王(えつおう)の家

李白20 辺塞詩 (春思、秋思)

李白20 春思


春を迎えての思い。異郷に旅立っている男性を思う歌。留守を守る女性の立場で詠われた作品である。楽府題。五言律詩。


春思 李白 

燕草如碧絲,秦桑低綠枝。
當君懷歸日,是妾斷腸時。
春風不相識,何事入羅幃。


(男性が出かけている)北国である燕国の草は、緑色の糸のように(生えて春を迎えたことでしょう。
 (ここ)長安地方のクワは、(もう、しっかりと繁り)緑色の枝を(重そうに)垂らしている。
あなた(男性)が戻ってこられようと思う日は       
(それは)わたしが、腸(はらわた)の断ち切られるばかりのつらい思いをする時である。
春風は、顔見知りの愛(いと)しいあの男(おかた)ではない(のに)。
どうしたことか、(わたしの)寝床の薄絹のとばり内ら側に入ってくるではないか。

 ○韻 絲、枝、時、幃。

燕草如碧絲:
(男性が出かけている)北国である燕国の草は、緑色の糸のように(生えて春を迎えたことでしょう。 ・燕草:北国である燕国の草。 ・燕:〔えん〕北国の意で使われている。現・河北省北部。 ・如:…のようである。 ・碧絲:緑色の糸。 ・碧:みどり。あお。後出「綠」との異同は、どちらも、みどり。「碧」〔へき〕は、碧玉のような青緑色。青い石の色。「綠」〔りょく〕は、みどり色の絹。

秦桑低綠枝:
(ここ)長安地方の桑は、(もう、しっかりと繁り)緑色の枝を(重そうに)垂らしている。
 季節も変わり、月日も流れた…、という時間経過を表している。 ・秦桑:(ここ)長安地方のクワ。 ・秦:〔しん〕、女性のいる場所の長安を指している。 ・低:低くたれる。 ・綠枝:緑色の枝。

當君懷歸日:
あなた(男性)が戻ってこられようと思う日は。 ・當:…あたる。 ・君:(いとしい)あなた。男性側のこと。 ・懷歸日:戻ってこようと思う日。(彼女に告げていた)帰郷の予定日。

是妾斷腸時:
(それは)わたしが、腸(はらわた)の断ち切られるばかりのつらい思いをする時である。
 *この聯は、いつになっても帰ってこない男性を、ひたすら待つ身のやるせなさを謂う。 ・是:(それは)…である。 ・妾:〔しょう〕わたし。女性の謙遜を表す自称。 ・斷腸:腸(はらわた)が断ち切られるほどのつらさや悲しさ。

春風不相識:
春風は、顔見知りの愛(いと)しいあの男(おかた)ではない(のに)。 ・不相識:顔見知りの人ではない。知り合いの人ではない。

何事入羅幃:
どうしたことか、(わたしの)寝床の薄絹のとばり内ら側に入ってくるではないか。
 *わたし(=女性)の切なく淋しい胸の内を理解して、春風は慰めてくれているのであろうか。 ・何事:どうしたことか。 ・羅幃〔らゐ〕薄絹のとばり。

燕草如碧絲,秦桑低綠枝。
當君懷歸日,是妾斷腸時。
春風不相識,何事入羅幃。  
                     
燕草は 碧絲の如く,
秦桑は 綠枝を 低たる。
君の 歸るを懷おもう日に 當るは,
是これ 妾しょうが  斷腸の時。
春風  相ひ識(し)らず,
何事ぞ 羅幃らいに 入る。


李白21 秋思

 秋を迎えての思い。異郷に旅立っている男性を思う歌。留守を守る女性の立場で詠われた作品である。楽府題。五言律詩。


秋思

燕支黄葉落、妾望白登台。
海上碧雲断、単于秋色来。
胡兵沙塞合、漢使玉関囘。
征客無帰日、空悲蕙草摧。


秋の思い。
燕支の山で黄葉もみじが落ちるころ、妾わたしは白登台を望みます。
湖上のほとり、真っ青な空の雲も、遠く流れて消え、単于の住むところ、北の国には、秋の気配が満ちてきた。
胡の兵たちは、砂漠の塞に集結したという、漢の国の使者は、玉門関から帰ってきた。
出征されたお方は帰ってくることないのでしょうか、残された者は、空しく悲しい思い、あたかも香草が霜枯れするように。

 玉門関以西に出征したものの帰還はまれだった。本来、3年間が府兵制度の兵役であるが、なし崩しで守られなかったのだ。
 多くの詩人に詠われている邊塞詩、あるいは、この玉門関そのもの名で、あるいは、「涼州詞」と題し詠われている。王翰、王昌齢、王之渙、が詠っている。李白よりすこし先輩である。
 六朝時代より伝統的な戦場に行かないで戦場のことを詩に詠う形式も邊塞詩の特徴である。たいていは、これらには音楽を伴って、酒場などで歌われた。李白の詩は、酒代であったのだろうか。


 ○韻 台、來、囘、摧。

燕支に 黄葉もみじ落ち、妾は望む 白登台。
海上 碧雲 断え、単于 秋色 来る。
胡兵は 沙塞に合わせ、漢使は 玉関より囘る。
征客は 帰える日無く、空しく悲しむ 蕙草の摧くだかれるを。


(1) http://kanbun-iinkai.com
(2) http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
(3) http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/
(4) http://kanbuniinkai.web.fc2.com/
(5) http://3rd.geocities.jp/miz910yh/
(6) http://kanbuniinkai06.sitemix.jp/

 辺塞詩を詠う詩人という特集を掲載している。

従軍行三首(其二)  王昌齢
 海長雲暗山、孤城遥望門関。
 沙百戦穿甲、不破楼終不還。

 青海湖そして長く尾を引く白い雲、その長雲で暗くなった雪の山々がある。はるか平原にただ一つポツンと立っている玉門関をこの塞から望む。
黄砂塵の飛ぶこの砂漠で、数えきれないほどの戦いをしてきたことか、こんなに鉄でできた鎧や兜にさえ穴が開いてしまっている、だけど、あの宿敵楼蘭の国を破らぬ限りは故郷に帰らないぞ!。

 辺塞詩であっても妻の口を借らないで出征した本人が詠ったとすれば、女々しいことは言えない。ただこの詩は、色が散りばめられている点が面白い。


李白18 相逢行 19  玉階怨

李白18 相逢行
 このころ、李白の詩を24歳のころ認めてくれていた官僚で詩人の蘇廷はなくなっていた。王維は10年前に科挙に合格し、洛陽の地方官をしている。結婚し、宗之問の別荘であった、輞川荘を、購入している。張説(64)が没し、張九齢が後継者となっていた。詩を献上したり、何らかの士官活動はみられない。この李白の長安滞在の前後して、盛唐の多くの詩人は長安に集まり、科挙の試験に及第している。杜甫は、呉越(江蘇・浙江)に遊ぶ。


 長安の多数の坊(ぼう)には、もっぱら貴顕の住む坊が出来あがっていて、住んでいることが本人にとって誇りであり、そこの住人と知人であることさえ自慢になる。街で出会った貴族同士の自慢話を描いています。


相逢行 
         
相逢紅塵内、高揖黄金鞭。
万戸垂楊裏、君家阿那辺。


にぎやかな街で出逢い
黄金の鞭を上げて挨拶する
垂楊の陰に  家のひしめく大都会
お宅は確か  あの辺でしたね

 長安で、「土埃」は人馬の賑やかさの示し、「紅塵」という場合、歓楽街を示す。その街で乗馬の二人が、黄金の飾りのついた鞭を上げて挨拶をかわし、「君が家は阿那の辺」と街の一角に視線を投げる。


相逢紅塵内、高揖黄金鞭。
万戸垂楊裏、君家阿那辺。


相逢行(そうほうこう)
相逢(あいあ)う   紅塵(こうじん)の内
高揖(こうゆう)す  黄金(おうごん)の鞭
万戸垂楊(すいよう)の裏(うち)
君が家は阿那(あな)の辺(へん)


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李白19  玉階怨
 「玉階怨」も有名な楽府題で、宮女の夜の閨怨を詠うもの。

玉階怨 
         

玉階生白露、夜久侵羅襪。
却下水精簾、玲瓏望秋月。


白玉の階(きざはし)に白い霧が珠を結び、
夜は更けて、たたずむ妃(ひめ)の羅(ら)の靴下に冷たさが滲みとおる
水晶の簾(すだれ)をおろした
玲瓏とさらに透明に輝いて、秋の月影をのぞんでいる

  「玉階」は大理石の階(框)のことで、中国宮殿で院子(前庭)から廊に上がる階段のこと。通常左右にふたつあり、王侯の来臨を待って永いあいだ大理石の階段に佇んでいる。「玲瓏」は、透明に光り輝くさま。白露が宮女の薄絹の靴下の中まで滲みとおってくるという濃厚な哀憐の詩情だが、すべて楽府題にもとずく空想の作品。 

玉階生白露、夜久侵羅襪。
却下水精簾、玲瓏望秋月。


玉階(ぎょくかい)に白露(はくろ)生じ
夜久しくして羅襪(らべつ)を侵(おか)す
水精(すいしょう)の簾(すだれ)を却下(きゃっか)するも
玲瓏(れいろう)として秋月(しゅうげつ)を望む
玉階怨(ぎょくかいえん)

王維 少年行

王維 楽府詩 少年行四首
王維21歳の時 長安での作品


「少年行」というのは楽府(がふ)の雑曲の題で、盛唐の詩人の多くが同題の詩を作っていますが、王維の四首は21歳、科挙に及第し、張九齢の部下として仕事についた頃、琴の名手で、絵をかき、詩もうまい、その上美男子であった。得意満面で、詠われたものであろう。
四首は四場面の劇構成になっている。

王維の「少年行四首」は四場面の劇のような構成になっています。時代は漢を借りている。

少年行四首 其一   

新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。
 
 
新豊の美酒は 一斗で一万銭、咸陽、都の遊侠気どりは多い若者。
出逢と意気盛んで大いに飲もうと、馬を繋いだ高楼の しだれ柳の陰のあたりで


新豊美酒斗十千:新豊の美酒は 一斗で一万銭 
 ・「新豊」の街は長安の東にあり、美酒の産地。「咸陽」は秦の都だったところで、漢代には都長安の貴族の住む住宅都市。

咸陽遊侠多少年:都に多い若者は 遊侠気どりで闊歩する

相逢意気為君飲:出逢っては  大いに飲もうと意気が合い

繋馬高楼垂柳辺:馬を繋いだ高楼の しだれ柳の陰のあたりで  
 ・王維は都の若者が意気揚々と馬に乗って酒楼に乗り込むようすを描く。繋いではいけない場所、高楼のほとりの柳の木に馬をつないだという言葉足らずという余韻を残している。

○韻 千、年、辺

新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。

少年の行(うた)四首 其の一
新豊(しんぽう)の美酒は斗に十千(じゅっせん)
咸陽(かんよう)の遊侠(ゆうきょう)は少年多し
相逢(あいあ)える意気よ 君が為に飲まん
馬を繋げり 高楼の垂柳(すいりゅう)の辺(ほとり)
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第2場面 出陣の心意気を詠う。

少年行四首 其二    
出身仕漢羽林郎、初随驃騎戦漁陽。
孰知不向辺庭苦、縦死猶聞侠骨香。 


官職に就き 漢に仕えて羽林郎
驃騎将軍に従い 漁陽に出陣する
辺境の戦に出たいが 行けぬ苦しみは誰にもわかるまい
たとえ死んでも  勇者の誉れだけは顕わすのだ


出身仕漢羽林郎:官職に就き 漢に仕えて羽林郎
 ・「出身」というのは世に出ることですが、唐代では官吏になること。「羽林郎」(うりんろう)は漢の武官名で関中(都のある地域)の六郡の良家の子弟から選ばれる名誉の職のこと。

初随驃騎戦漁陽:驃騎将軍に従い 漁陽に出陣する
  ・ 驃騎将軍霍去病(かくきょへい)に従って漁陽(ぎょよう・北京の近所)に出陣してきましたが、最前線に出してもらえない。

孰知不向辺庭苦:辺境の戦に出たいが 行けぬ苦しみは誰にもわかるまい

縦死猶聞侠骨香:たとえ死んでも  勇者の誉れだけは顕わすのだ
・この苦しみは誰にもわかるまい。死んでもいいから勇者の誉れを顕わしたいのだと元気一杯。
○韻 郎、陽、香

出身仕漢羽林郎、初随驃騎戦漁陽。
孰知不向辺庭苦、縦死猶聞侠骨香。

少年行四首 其の二
出身(しゅっしん)して漢に仕える羽林郎
初めて驃騎(ひょうき)に随って漁陽に戦う
孰(たれ)か知らん 辺庭に向かわざるの苦しみを
縦(たと)い死すとも猶お侠骨の香を聞かしめん

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第三場面は、最前線の戦を詠う。「単于」は匈奴(きょうど)の王ですが、漢の宣帝のころ、匈奴は五つの集団に分裂して、五人の単于が立って互いに攻め合っていた。これらの「五単于」をつぎつぎにやっつけたという勇壮な場面。場面は劇的に集約され、音楽に合わせて詠いながら、演舞をした。


年行四首 其三 
少年行四首 其三    
一身能擘両彫弧、虜騎千重只似無。
偏坐金鞍調白羽、紛紛射殺五単于。

二人張りの強弓を   立てつづけに引き絞る
千万の夷狄の騎馬も いないに等しい
鞍の上で身をよじり  白羽の矢を繰り出して
つぎつぎと  五人の単于を射殺(いころ)した


少年行四首 其三: 
一身能擘両彫弧:二人張りの強弓を   立てつづけに引き絞る
虜騎千重只似無:千万の夷狄の騎馬も いないに等しい
偏坐金鞍調白羽:鞍の上で身をよじり  白羽の矢を繰り出して
紛紛射殺五単于:つぎつぎと  五人の単于を射殺(いころ)した

○韻 弧、無、于

一身能擘両彫弧、虜騎千重只似無。
偏坐金鞍調白羽、紛紛射殺五単于。

少年行四首 其の三
一身能(よ)く擘(ひ)ける両彫弧(りょうちょうこ)
虜騎(りょき)の千重(せんじゅう) 只無きに似る
金鞍(きんあん)に偏坐して白羽(はくう)を調し
紛紛として射殺せり五単于(ごぜんう)

----------------------------

 最終場面は都に凱旋して戦勝の祝宴があり、戦功が論ぜられる。

少年行四首 其四   
漢家君臣歓宴終、高議雲台論戦功。
天子臨軒賜侯印、将軍佩出明光宮


漢の君臣は 戦勝の祝宴を終え、雲台宮で議して 戦功を論ずる
天子は出御して 諸侯の印を賜わり、将軍は印綬を帯びて 明光宮を退出する


漢家君臣歓宴終:漢の君臣は 戦勝の祝宴を終え


高議雲台論戦功:雲台宮で議して 戦功を論ずる

天子臨軒賜侯印:天子は出御して 諸侯の印を賜わり
 ・最後に天子がお出ましになって封爵の褒美が与えられます。

将軍佩出明光宮:将軍は印綬を帯びて 明光宮を退出する
 ・将軍たちは封侯の印綬を帯びて明光宮を出ていく。最終場面は宴席で詠れるのにふさわしい。

○韻 終、功、宮


少年行四首 其四   
漢家君臣歓宴終、高議雲台論戦功。
天子臨軒賜侯印、将軍佩出明光宮。


少年行四首 其の四
漢家(かんか)の君臣 歓宴(かんえん)を終え
雲台(うんだい)に高議(こうぎ)して 戦功を論ず天子は軒(けん)に臨みて侯印(こういん)を賜い
将軍は佩びて出でゆく明光宮(めいこうきゅう)



李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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 李商隠の詩(恋歌女詩) 特集中         李白の詩 特集中

杜甫 少年行

盛唐の詩人の間で流行っていたのだろう。杜甫も最初一首詠い、しばらくして、二首詠っている。どの詩人も貴族の親に向けて、批判はできないが、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している。

少 年 行
貴族の子弟が酒屋において倣慢ちきに酒をのむさまをうたう。(762)宝応元年、杜甫51歳の成都での作品。李白や、王維の同名の作品は楽府、音楽に合わせて歌うように詩を読むものであるが、杜甫のこの詩は詩言絶句である。


馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。

馬にうちのったどこの家のわかものかしらぬが、きざはしのそばで馬からおりてどっかと椅子に腰かけた。それから大ざっぱな様子でどこのだれとも名のらず、「あれをくれ」というて銀のさかがめを指ざしして酒をもとめてのんでいる。

○少年行 少年のことをよんだうた。  ○白面郎 かおのしろいわかもの。  ○階 さかやのきざはし。  〇人牀 他人の家のいす。○不通姓氏 だれそれと姓名をなのらぬ。  ○麤豪 細慎ならぬことをいう。人も無げな大ざっぱなふるまい。  ○指点 あれと指ざしする。○銀瓶 銀でこしらえたさかがめ。


●韻 郎、牀、嘗

(少年行)
馬上誰が家の白面郎ぞ
階に臨み馬より下りて人の牀に坐す
姓氏を通ぜず麤豪そごう甚し
銀瓶ぎんべいを指点して酒を索もとめて嘗なむ

杜甫の詩では、ほとんど取り上げられることのない詩である。さらにほとんど取り上げられていない下紹介してみる。

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少年行二首
杜甫51歳の成都での作品
(1)
莫笑田家老瓦盆、自從盛酒長兇孫。
傾銀注玉驚人眼、共酔終同臥竹根。

笑てはいけない農家の古ぼけた食器を、
それに酒、肴を盛って若者に提供する
銀や硝子の飾り物を盃にして、その家の人を困らせる
みんな酔っぱらって、ついに竹林で寝てしまう。

笑ふこと莫れ田家の老瓦盆
酒を盛りてより見孫に長ず
銀を傾け玉に注いで人の眼を驚かす
共に醉うて終に同じく竹根に臥す

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(2)
災燕養雛渾欲去、江花結子也無多。
黄衫年少來宜敷、不見堂前東慙波。


多くのツバメは雛を育てたら全員去ってゆく
長江沿いの花は、女子供らが見ていった
片肌脱いだ貴族の息子どもは来て勝手に座っている
知っているだろう、御堂の前でしきりに頭っているのを


○燕去り子を結ぶ。夏の景を示す。○黄衫。唐の武徳四年廉人に敷して黄衣尨服せしむ  尨 ぼう。むくいぬ。


集燕 雛を養う渾べて去らんと欲す
花 子を結んで也多きこと無し
黄衫め年少 來ること宜しく數すべし
見ずや堂前東遯の波






李白 17少年行

李白 17少年行
「少年行」というのは楽府(がふ)の雑曲の題で、当時はやっていた。盛唐の詩人の多くが同題の詩を作っている。王維21歳、李白31歳、二人は長安で杜甫51歳は成都であった。
 
 
 李白は太白山に登り、夢地希望を胸に都生活をする。そこで、遊侠の若者を楽府詩を詠う。

李白31歳の作品

 少年行      
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。


五陵の若者は 金市の東、繁華街、銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く。
一面に舞い散る花を踏み散らし  どこへ遊びに出かけるのか
にぎやかに笑いながら、碧眼の胡姫の酒場へ行こうというのか

年少は少年と同じ、日本でいう少年は童。金位置の東寄りに居酒屋があってイラン人の女性がお相手をしていた。長安は、このころ世界一の大都市であった、シルクロードの起点でもあるが、唐王朝はペルシャの一部まで領土を拡大していた。五陵の若者というのは、五つの陵墓を中心に陵園都市が形成され、繁華を誇った。このころは少し荒廃していたようであるが、李白は漢代のイメージで歌っている。それと、貴族の住居地区という意味も兼ねている。
金市というのは下の関係図に示す、西の金光門をさし、次の句の銀の鞍との対比を意図している。

五陵の関係図
五陵関係図
 唐の時代「胡姫」はペルシャ(イラン系)の紅毛金髪、碧眼、白皙の女性を示していた。
 ○韻 東、風、中。

少年行      
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。

五陵の年少(ねんしょう)金市(きんし)の東
銀鞍(ぎんあん)白馬春風(しゅんぷう)を度(わた)る
落花(らっか)踏み尽くして  何処(いずこ)にか遊ぶ
笑って入る胡姫(こき)酒肆(しゅし)の中

唐は西に伸びきった領土を有していた。建国当初は、富を得ていたが次第に負担が勝るようになる。
安史期のアジア5s




登科後 孟郊

登科後  孟郊

 

昔日齷齪不足誇、今朝放蕩思無涯。
春風得意馬蹄疾、一日看尽長安花。


むかし、あくせくしていたことは自慢にはならない
今朝は合格発表心伸び伸び嬉しさ極まりない。
春風は徳満面ひずめの音も軽やかにする
今日一日は見尽くせる長安の花を


 この詩は、何度も何度も落第し、50歳前になってやっと合格した作者の嬉しさを表している。昨日まで、きっと
肩身の狭い思いをしていたはずである。得意満面、同じ春風も、ひずめの音も、違っている。とくに、長安の王侯貴族の庭は合格者には無礼講。長安の都はにはボタンの花でいっぱい。作者孟郊は手ばなしに喜んだ。


昔日(せきじつ)の齷齪(あくそく)誇りに足ら不(ず)
今朝(こんちょう)放蕩として思い涯(は)て無し
春風意(しゅんぷうい)を得て馬蹄疾(ばていはや)し
一日看(み)尽くす長安の花


 同じ作者の詩です。今年も落第しましたと、郷里の母親に手紙を出しています。この種の手紙の場合、通常母の口を借りた詩が多いのですが、作者はゆとりもなくなっているのでしょう。でも次こそ頑張るぞと決意をしめしています。

游子吟  孟郊

慈母手中線、游子身上衣。
臨行密密縫、意恐遅遅帰。
誰言寸草心、報得三春輝。

母の手の中で糸がおどる。旅立つ私の衣装を作っている。出かける直前まで1針1針ていねいに縫う。帰りが遅くなることの不安を隠せない。子が親を思う心は雑草のごとく小さなもの。三月の陽光みたいな母の愛情にどう応えられようか。

慈母(じぼ)手中の線(いと)
游子(ゆうし)身上の衣(ころも)
行くに臨(のぞ)んで 密密に縫う
意に 恐る 遅遅として帰えらんことを
寸草(すんそう)の 心を持って
三春(さんしゅん)の暉(き)に報じ得がたし



帰信吟

涙墨灑為書、将寄萬里親。
書去魂亦去、兀然空一身。

涙墨は書を為してそそいでいる
まさに心寄せるは萬里の親。
書を去らせるのは魂も亦、去ること
そうなるとこの身は空しいいものだ

今年もまた落第した。そのことを故郷の書をしたためる作者。涙があふれて留めない。
私が手紙を書かなくなったら、心は届かない、きっとむなしいものになってしまう。手紙は心を奮い立たせ、今度こそという気持ちにならせるのだ。

私は、「詩は心に感じるまま」、正しい読み方を考えないで読む。何回も読むことが大切なのだ。書き下し分は昔の言葉、間違ってもいいから、漢字だけを見て意味を考える。受け取る人によって異なる意味にあっても構わないのでないか。


(昔からの下し文)
涙墨をそそいで書と為す
まさに萬里の親に寄せんとす
書去って魂亦去り
兀然として一身空し


渭上思帰

獨訪千里信、囘臨千里河。
家在呉楚郷、涙寄東南波。


ひとり千里の信を訪う
また千里の河に臨む
家は在り呉楚の郷
涙は寄す東南の波

 隋時代から始まった科挙試験、20歳前後から30年近く受験し続けた孟郊がすごいのか、息子を元気づける母親がすごいのか。現代人に理解できるのか。当時は貴族時代。当時としては科挙試験を宿命づけられた人にとって、頑張り続けるより道はなかったのだ。通常40歳を超え、45歳までにあきらめる場合が多かったようだが。

---------------------------------------

李白が若い時期に長安に出てきたことは現代になって修正されたことである。それまでは20代半ばで蜀を発し、長江の中、下流域から洛陽、太原、山東など各地をわたっているとはされているものの長安にはいかなかった。40代前半までの15年間中、安陸(湖北省安陸市)で10年足らず過ごし、その安陸での結婚生活、それを主要拠点として、歴遊生活をしたこととされていた。妻は名門の末裔許夫人であった。


 いまでは、長安においての求職活動をしている事跡が加わった。このブログでも長安における若い時の作であろうと思えるもの、関連性がある物と考えられるものを取り上げている。


 若いもの、長安といえば、科挙試験である。名前の通った詩人で、科挙試験を受けていないのは李白だけである。当時は詩人であるためには、あるいは詩人として不可欠要件であったのが科挙に及第することであった。

李白が都長安に出てきた時期に詠われた科挙に関する詩を取り上げてみた。




 李白の詩 連載中 7/12現在 75首

2011・6・30 3000首掲載
漢文委員会 ホームページ それぞれ個性があります。
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李商隠の女詞特集ブログ連載中
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 李白の漢詩特集 連載中
kanshiblog460李白 毎日書いています。

李白16 登太白峯 希望に燃えて太白山に上る。

 李白16 登太白峯
728年開元十六年28歳春、李白は安陸の娘と結婚した。安陸の名家で、高宗のときに宰相をしている許家の娘であった。 無名無職の詩人、李白は名家の婿として、地元の安州長史(州次官)に就職の斡旋を頼んだりしするも、うまく運ばない。
730年30歳、結婚後二年あまりで、安陸を発って長安に向かうことにする。孟浩然も長安で王維ら多くの詩人と交わっていた。李白は都に強いあこがれを持ったのだ。

これまでの李白の足跡を整理
李白の足跡300
24歳李白は美人の彼女を残し①蜀を旅立つ。山峡を下り、江陵をへて②湖南岳陽、湖北省武漢、金陵地方へ。③南京、蘇州、この間2年余り、そして結婚し、④30歳都長安に向かい矢印のちょっと上に位置している太白山に登る。以後詩で使用するあざなを太白としている。よほど、心に期すものがあったのであろう。時計回りと反対周りの旅。

 登太白峯          
西上太白峯、夕陽窮登攀。
太白与我語、為我開天関。
願乗泠風去、直出浮雲間。
挙手可近月、前行若無山。
一別武功去、何時復更還。

西方登は太白峰、
夕陽は山擧に窮めた
太白星は我に語りかけ
私のために天空の門を開いた
爽やかな風に乗り
すぐにも出たい雲のあいだを
手を挙げれば月に近づき
前にすすめば遮るものも無いかのように
ひとたび去る武功の地
いつまた帰ってこれるのか


 李白は都に出てほどなく太白山に登った。李白は字(あざな)を太白というは、この山に自分の運命を感じ、感情移入をした。夢と希望に満ち溢れた若い李白を感じる詩となっている。


太白峰に登る
西上太白峯、夕陽窮登攀。
太白与我語、為我開天関。
願乗泠風去、直出浮雲間。
挙手可近月、前行若無山。
一別武功去、何時復更還。

西のかた太白峰(たいはくほう)に上り
夕陽(せきよう)  登攀(とうはん)を窮(きわ)む
太白  我(われ)と語り
我が為に天関(てんかん)を開く
願って乗るのは泠風(れいふう)で去る
直(ただち)に浮雲(ふうん)の間を出(い)でん
手を挙(あ)げれば月に近づく可く
前に行けば山無きが若(ごと)からん
一たび武功(ぶこう)と別れて去らば
何(いずれ)の時か  復(ま)た更に還(かえ)らん

余談
ブログは縦のつながりはよくわかります。だから、ここでも李白の詩を物語風に順を追って、掲載していきます。横のつながりにつてはなかなか表現できません。歴史上のことは。確かに物語でわかるが、その背景とか、そこまでのいきさつについては場面を変えていかないといけない。
李白が長安に来たとき、王維はどこにいたのか、杜甫は、皇帝はだれで、朝廷はどういう状態であったか?同世代の詩人はどんな詩を書いていたのか? ブログでは大変な作業になる。通常はウィキペディアで調べることになるが、全体的な把握をしようと思えば、これも相当な労力がいる。それは、木がたくさん生えている森なのか、林なのか、葉っぱだけを見ているのか、自分が調べていることが、どこを示すものかわからないからです。
偏った編集に原因があるかもしれません。

 私が主催する漢文委員会は木を見て森を見、葉を見ていても森の存在が分かるように編集作成している歴史、漢詩のサイトを公開しています。
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/
http://3rd.geocities.jp/miz910yh/
http://kanbuniinkai.web.fc2.com/
 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
http://kanbuniinkai06.sitemix.jp/

とサイト運営しています。今のところ下から2段目のぷららのサイトだけ料金が発生していますが、他はゼロ円ページです。苦労している割には訪問者が少なくさびしい思いもありますが、いいサイトにしていきたいと思っています。




李白15 黄鶴楼送孟浩然之広陵 李白14 贈孟浩然  李白13 淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君蕤(

李白15 黄鶴楼送孟浩然之広陵 李白14 贈孟浩然  李白13 淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君蕤(
故郷に手紙を)
李白13   

726年秋、二十六歳の李白は揚州(江蘇省揚州市)にいた。呉越の地から長江を北へ渡って淮南(わいなん)の地に来たのだ。揚州は海外交易などにより賑わっていた。李白は揚州で楽しんだが、病気になった。所持金も乏しくなって心細くなったのではないか。

 豪放磊落な李白も気弱になって、故郷に書を送っている。相手は三年ほど岷山に一緒に籠もったことのある人物で、趙蕤といった。彼は李白に史書や兵法を教え、論じた仲である。

 「淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君蕤」(註)

 病の床で、李白は故郷への想いをつづったのだす。二十二句の五言古詩である。

 病気が治った李白は、安陸にいる孟浩然に会いにいき、師と仰ぐようになる。李白は、古い城郭都市の安陸で孟浩然に詩を贈っている。


 李白14   贈孟浩然         孟浩然に贈る

吾愛孟夫子、風流天下聞。
紅顔棄軒冕、白首臥松雲。
酔月頻中聖、迷花不事君。
高山安可仰、従此揖清芬。

私の愛する孟先生
先生の風流は 天下に聞こえている
若くして高官になる志を棄て
白髪になるまで松雲に臥しておられる
月に酔って聖にあたったといわれる
花を迷うのは君主に仕えないことだ
高山はどうして仰ぐことができようか
ここから清らかな香りを拝します

○韻 聞、雲、君、芬 ○対句  紅顔:白首、酔月:迷花

孟浩然に贈る

吾は愛す孟夫子(もうふうし)
風流(ふうりゅう)は天下に聞こゆ
紅顔(こうがん)  軒冕(けんめん)を棄て
白首(はくしゅ)  松雲(しょううん)に臥(ふ)す
月に酔いて頻(しき)りに聖(せい)に中(あた)
花に迷いて君に事(つか)えず
高山(こうざん) (いずく)んぞ仰ぐ可けんや
(ここ)より清芬(せいふん)を揖(ゆう)


 孟浩然は三十八歳であり、李白は二十六歳であった。隠遁している憧れの孟浩然を「白首」と言った。孟浩然は、襄陽の近郊の鹿門山に別業(別荘)を営んでいた。



 李白15   黄鶴楼送孟浩然之広陵        
                 
故人西辞黄鶴楼、烟花三月下揚州。
孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。

友よ  西のかた  黄鶴楼をあとにして
花がすみの三月  揚州へくだる
孤舟の帆影は    遠くの碧空(そら)に消え
見えるのは天空のはてまでつづく長江(たいが)の流れ


○韻 楼、州、流  ○対句 孤帆遠影:唯見長江 碧空尽:天際流

黄鶴楼 孟浩然の広陵に之くを送る

故人  西のかた黄鶴楼(こうかくろう)を辞し
烟花(えんか)  三月  揚州(ようしゅう)に下る
孤帆(こはん)の遠影  碧空(へきくう)に尽き
唯だ見る  長江の天際(てんさい)に流るるを


(註)
李白13
淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君蕤

呉会一浮雲、飄如遠行客。
功業莫従就、歳光屡奔迫。
良図俄棄損、衰疾乃綿劇。』
古琴蔵虚匣、長剣挂空壁。
楚懐奏鐘儀、越吟比荘舃。
国門遥天外、郷路遠山隔。
朝憶相如台。夜夢子雲宅、
旅情初結緝、秋気方寂歴。
風入松下清、露出草間白。
故人不在此、而我誰与適。
寄書西飛鴻、贈爾慰離析。

呉会は一浮雲、
飄としているのは遠行えんこうの客
功業は従就じゅうしゅうし莫ない
歳光は屢々しばしば奔迫ほんはくしてる
良図は俄にわかに棄損きえんしており
衰疾については綿劇めんげきなのだ』

古琴は虚匣きょこうに蔵おさめたまま
長剣は空壁くうへきに挂けている
楚懐そかいという曲はは 鐘儀しょうぎ奏でる
越吟えつぎんというものは荘舃そうせきが吟じたこととに比較される
国への門は遥天ようてんの外そとである
郷への路は 遠い山よりずっと隔へだっている
あしたには司馬相如そうじょの台のことを憶おも
夜には子雲しうんの宅たくを夢みている
旅の情おもむきは初めて結緝けつしゅうしてきた
秋の気けはいは方まさに寂歴せきれきである
風が入ってくることは松下しょうかを清さびしくする
露がではじめるのは草間そうかんを白くしている
ゆえある人は 此ここに在いない
したがって我れは誰と与ともに適するのか
書を寄せることは西に飛ぶ鴻こう
汝に贈るのは離れている析しさを慰さめるものだ


呉越のあたりひとひらの浮雲(うきぐも)
飄然と遠くへ旅する旅人のようだ
功業を成し遂げることもなく
歳月はあわただしく過ぎてゆく
折角の壮図もにわかに棄て去り
疾のために身は衰え果てている
愛する琴は箱に納め
長剣も壁に虚しくかけてある
鐘儀が楚国の曲を奏で
荘舃が越の詩を吟じたように故郷への想いはつのる
故国の城門は遥かな空のかなたにあり
郷里への道は遠くの山に隔てられている
朝には司馬相如の琴台(きんだい)を憶い
夜には揚雄の邸を夢にみる
旅情は胸にこみあげ
秋のけはいはもの寂しく満ちわたる
清らかな風が松の林を吹き抜け
くさむらは露に濡れて白くかがやく
ここには語り合うべき友もなく
私は誰と過ごしたらいいのだろうか
西に飛ぶ鴻(かり)に託して書を送り
いささか別離の淋しさを慰めるのだ

○韻 客、迫、劇、壁、舃、隔、宅、歴、白、適、析

 詩中の相如は司馬相如をさす。司馬相如は梁の孝王の客人たなっていた。梁の孝王が亡くなったため、帰ったが、家は貧しく生活が出来なかった。彼は臨邛の県令の王吉と知り合いであったため、県令は司馬相如のために、一計を案じた。それは司馬相如を立派な者に見せるという演出をし、彼を県令の賓客として待遇することだった。やがて、県令に賓客がいるとの噂を聞いた臨邛の大富豪である卓王孫らが催した招宴に、勿体を付けて出席をした。その席で、琴を奏でることとなった。卓王孫には、寡婦となって戻っていた娘・卓文君がおり、彼女は音楽が好きなので、王吉と司馬相如は計略を案じて、琴の演奏で卓文君の心を捕まえようとした。そのため、司馬相如は、威儀を正した乗り物に典雅な容儀で現れ、やがて琴を演奏した。彼女をトリコのする作戦は成功した。その夜、司馬相如は、恋文を人づてに渡し、二人は駆け落ちをした。司馬相如が連れて行った先の成都の家は、四方にただ壁があるだけの何一つ無い貧しい住まいだった。ことの次第を知った卓王孫は、大いに怒り狂い、親子の縁を絶ってしまった。二人は成都での生活苦に耐えかねて、卓文君の兄弟の縁を頼って、臨邛に戻ってきた。臨邛での二人は、卑しいとされる仕事に精を出した。この二人の行為を恥じた父親の卓王孫は、家に閉じこもって出てこなくなった。やがて、周りの者の取りなしで、卓王孫は財産を分けてやったので、二人は成都へと戻っていって、お金持ちの生活を始めた。司馬相如の姿は前半の策謀家から恬澹としたものに変わっている。李白は、こうした、司馬相如を引き合いに出すのは旅行中の病気がよほど堪えたのであろう。恵まれた昔の生活を直接に表現しないで、司馬をひきあにだしたのだ


○韻 客、迫、劇、壁、舃、隔、宅、歴、白、適、析  

呉会一浮雲、飄如遠行客。
功業莫従就、歳光屡奔迫。
良図俄棄損、衰疾乃綿劇。』
古琴蔵虚匣、長剣挂空壁。
楚懐奏鐘儀、越吟比荘舃。
国門遥天外、郷路遠山隔。
朝憶相如台。夜夢子雲宅、
旅情初結緝、秋気方寂歴。
風入松下清、露出草間白。
故人不在此、而我誰与適。
寄書西飛鴻、贈爾慰離析。

呉会(ごかい)の一浮雲(いちふうん)
(ひょう)として遠行(えんこう)の客の如し
功業  従就(じゅうしゅう)する莫(な)
歳光  屢々(しばしば)奔迫(ほんはく)
良図  俄(にわか)に棄損(きえん)
衰疾  乃(すなは)ち綿劇(めんげき)す』

古琴  虚匣(きょこう)に蔵し
長剣  空壁(くうへき)に挂(か)
楚懐(そかい)  鐘儀(しょうぎ)奏し
越吟(えつぎん)  荘舃(そうせき)に比す
国門(こくもん)  遥天(ようてん)の外(そと)
郷路(きょうろ)  遠山(えんざん)(へだ)
(あした)には相如(そうじょ)の台を憶(おも)
夜には子雲(しうん)の宅(たく)を夢む
旅情  初めて結緝(けつしゅう)
秋気  方(まさ)に寂歴(せきれき)たり

風は松下(しょうか)に入りて清く
露は草間(そうかん)を出でて白し
故人  此(ここ)に在らず
(しか)るに我れ誰と与(とも)にか適せん
書を西飛(せいひ)の鴻(こう)に寄せ
(なんじ)に贈って離析(りせき)を慰む



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黄鶴楼送孟浩然之広陵  李白15

黄鶴樓送孟浩然之廣陵 李白15 

安陸・南陽・嚢陽 李白00

黄鶴樓送孟浩然之廣陵
故人西辞黄鶴楼、烟花三月下揚州。
わたしに親しき友がいる、街の西方、黄鶴楼に別れをつげ、春がすみに牡丹咲き誇る三月、揚州へと下って行った。
孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。
一槽の帆かけ舟、遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れだけだ。

わたしに親しき友がいる、街の西方、黄鶴楼に別れをつげ、春がすみに牡丹咲き誇る三月、揚州へと下って行った。
一槽の帆かけ舟、遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れだけだ。


魏太尉承班二首


『黄鶴樓送孟浩然之廣陵』 現代語訳と訳註
(本文)
黄鶴樓送孟浩然之廣陵
故人西辞黄鶴楼、烟花三月下揚州。
孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。


(下し文)
(黄鶴樓にて孟浩然が廣陵に之くを送る)
故人 西のかた黄鶴楼を辞し、烟花 三月 揚州に下る。
孤帆 遠く影し 碧空に尽き、唯見る 長江の天際に流るるを。

(現代語訳)

(黄鶴楼で、孟浩然が広陵にゆくのを見送る。)
わたしに親しき友がいる、街の西方、黄鶴楼に別れをつげ、春がすみに牡丹咲き誇る三月、揚州へと下って行った。
一槽の帆かけ舟、遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れだけだ。

(訳注)

黄鶴樓送孟浩然之廣陵
(黄鶴楼で、孟浩然が広陵にゆくのを見送る。)

黄鶴楼 江夏(現在の湖北省武漢市武昌地区)の黄鶴(鵠)磯に在った楼の名。(現在は蛇山の山上に再建)。仙人と黄色い鶴に関する伝説で名高い。

黄鶴伝説 『列異伝れついでん』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。
孟浩然 盛唐の詩人。689-740。李白より11歳ほど年長の友人。襄陽(湖北省襄樊市)の出身。王維・韋応物・柳宗元と並んで、唐代の代表的な自然詩人とされる。
広陵 揚州(江蘇省揚州市)の古名。この詩は、李白二十八歳の作とする。通説であるが、異説もある。


故人西辞黄鶴楼、烟花三月下揚州。
わたしに親しき友がいる、街の西方、黄鶴楼に別れをつげ、春がすみに牡丹咲き誇る三月、揚州へと下って行った。
故人 以前からの、親しい友人。
辞 別れをつげる。辞去する。
烟花三月 烟は煙。春かすみにつつまれ燃えるような牡丹の花々の咲き誇る三月。
揚州 大運河が長江と交わる交通の要所。唐代では江南随一の繁華をきわめたところ。

孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。
一槽の帆かけ舟、遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れだけだ。
弧帆 一つだけの帆影。
○碧空-碧玉のように青い空。
天際 天空の果て。

○韻字  楼・州・流

宮島(3)

黄鶴伝説
『列異伝れついでん』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。


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贈孟浩然 李白14

贈孟浩然  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -14 
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 病気が治った李白は、安陸にいる孟浩然に会いにいき、師と仰ぐようになる。李白は、古い城郭都市の安陸で孟浩然に詩を贈っている。


贈孟浩然         

吾愛孟夫子、風流天下聞。
紅顔棄軒冕、白首臥松雲。
酔月頻中聖、迷花不事君。
高山安可仰、従此揖清芬。

孟浩然に贈る
私の愛する孟先生,先生の風流は 天下に聞こえている。
若くして高官になる志を棄て、白髪になるまで松雲に臥しておられる。
月に酔って聖にあたったといわれる、花を迷うのは君主に仕えないことだ。
高山はどうして仰ぐことができようか。ここから清らかな香りを拝します

吾は愛す孟夫子(もうふうし)、風流(ふうりゅう)は天下に聞こゆ。
紅顔(こうがん)  軒冕(けんめん)を棄て、首(はくしゅ)  松雲(しょううん)に臥(ふ)す。
月に酔いて頻(しき)りに聖(せい)に中(あた)り、に迷いて君に事(つか)えず。
高山(こうざん)  安(いずく)んぞ仰ぐ可けんや、此(ここ)より清芬(せいふん)を揖(ゆう)す
嚢陽一帯00


現代語訳と訳註
(本文)
 贈孟浩然         
吾愛孟夫子、風流天下聞。
紅顔棄軒冕、白首臥松雲。
酔月頻中聖、迷花不事君。
高山安可仰、従此揖清芬。

(下し文)
吾は愛す孟夫子(もうふうし)、風流(ふうりゅう)は天下に聞こゆ。
紅顔(こうがん)  軒冕(けんめん)を棄て、首(はくしゅ)  松雲(しょううん)に臥(ふ)す。
月に酔いて頻(しき)りに聖(せい)に中(あた)り、に迷いて君に事(つか)えず。
高山(こうざん)  安(いずく)んぞ仰ぐ可けんや、此(ここ)より清芬(せいふん)を揖(ゆう)す

(現代語訳)
私の敬愛する孟先生、先生の風流は隠遁されていても 天下に聞こえています。
若くして高官になる志を棄て、白髪になるまで 松雲の間に臥しておられる。
月下に酒を飲んで 聖にあたったと答え、君主に仕えずに  花を眺めておられる。
高山は近寄りがたいので、私はここから  清らかな香りを拝しています。

(訳注)
吾愛孟夫子、風流天下聞。

吾は愛す孟夫子(もうふうし)、風流(ふうりゅう)は天下に聞こゆ。
私の敬愛する孟先生、先生の風流は隠遁されていても 天下に聞こえています。

紅顔棄軒冕、白首臥松雲。
紅顔(こうがん)  軒冕(けんめん)を棄て、首(はくしゅ)  松雲(しょううん)に臥(ふ)す。
若くして高官になる志を棄て、白髪になるまで 松雲の間に臥しておられる。
軒冕 古代中国で、大夫(たいふ)以上の人の乗る車と、かぶる冠。 高位高官。また、その人。

酔月頻中聖、迷花不事君。
月に酔いて頻(しき)りに聖(せい)に中(あた)り、に迷いて君に事(つか)えず。
月下に酒を飲んで 聖にあたったと答え、君主に仕えずに  花を眺めておられる。
 天使に使えること。朝廷での仕事。

高山安可仰、従此揖清芬。
高山(こうざん)  安(いずく)んぞ仰ぐ可けんや、此(ここ)より清芬(せいふん)を揖(ゆう)す
高山は近寄りがたいので、私はここから  清らかな香りを拝しています。
清芬 盛んににおうさま。本来はよい香りにいうが、悪臭にもいう。「花の香りが―と漂う」「酒気を―とさせる」 
DCF00117



 孟浩然は三十八歳であり、李白は二十六歳であった。隠遁している憧れの孟浩然を「白首」と言った。孟浩然は、襄陽の近郊の鹿門山に別業(別荘)を営んでいた。

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淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君蕤 李白 13

淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君蕤 李白 13 修正中

726年秋、二十六歳の李白は揚州(江蘇省揚州市)にいた。呉越の地から長江を北へ渡って淮南(わいなん)の地に来た。揚州は海外交易も盛んで賑わっていた。李白は揚州で楽しんだが、病気になった。所持金も乏しくなったようだ。

 豪放磊落な李白も気弱になって、故郷に書を送っている。相手は三年ほど岷山に籠もったことのある人物で、趙蕤といった。彼は李白に治乱興亡の史書や兵法を教え、論じた仲である。

 「淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君蕤」

 病の床で、李白は故郷への想いをつづったのだ。二十二句の五言古詩である。

淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君蕤

呉会一浮雲、飄如遠行客。
功業莫従就、歳光屡奔迫。
良図俄棄損、衰疾乃綿劇。』
古琴蔵虚匣、長剣挂空壁。
楚懐奏鐘儀、越吟比荘舃。
国門遥天外、郷路遠山隔。
朝憶相如台、夜夢子雲宅。』
旅情初結緝、秋気方寂歴。
風入松下清、露出草間白。
故人不在此、而我誰与適。
寄書西飛鴻、贈爾慰離析。』

呉会は一浮雲、
飄としているのは遠行えんこうの客
功業は従就じゅうしゅうし莫ない
歳光は屢々しばしば奔迫ほんはくしてる
良図は俄にわかに棄損きえんしており
衰疾については綿劇めんげきなのだ』

古琴は虚匣(きょこう)に蔵おさめたまま
長剣は空壁(くうへき)に挂(か)けている
楚懐(そかい)という曲はは 鐘儀(しょうぎ)奏でる
越吟(えつぎんというものは荘舃(そうせきが吟じたこととに比較される
国への門は遥天(ようてん)の外そとである
郷へほ路は 遠い山よりずっと隔(へだっている
朝(あした)には司馬相如(そうじょ)の台のことを憶(おも)い
夜には子雲(しうん)の宅(たく)を夢みている』

旅の情おもむきは初めて結緝(けつしゅうしてきた
秋の気けはいは方(まさ)に寂歴(せきれき)である
風が入ってくることは松下(しょうか)を清さびしくする
露がではじめるのは草間(そうかん)を白くしている
故ゆえある人は 此(ここ)に在いない
而しがって我れは誰と与(とも)に適するのか
書を寄せることは西に飛ぶ鴻(こう)に
汝に贈るのは離れている析しさを慰さめるものだ』


呉会一浮雲、飄如遠行客。
呉越のあたりひとひらの浮雲(うきぐも)よ、飄然と遠くへ旅する旅人のようだ

功業莫従就、歳光屡奔迫。
功業を成し遂げることもなく、歳月はあわただしく過ぎてゆく

良図俄棄損、衰疾乃綿劇。』
折角の壮図もにわかに棄て去り、疾のために身は衰え果てている

古琴蔵虚匣、長剣挂空壁。
愛する琴は箱に納め、長剣も壁に虚しくかけてある

楚懐奏鐘儀、越吟比荘舃。
鐘儀が楚国の曲を奏で、荘舃が越の詩を吟じたように故郷への想いはつのる

国門遥天外、郷路遠山隔。
故国の城門は遥かな空のかなたにあり、郷里への道は遠くの山に隔てられている

朝憶相如台、夜夢子雲宅。』
朝には司馬相如の琴台(きんだい)を憶い夜には揚雄の邸を夢にみる

旅情初結緝、秋気方寂歴。
旅情は胸にこみあげ、秋のけはいはもの寂しく満ちわたる

風入松下清、露出草間白。
清らかな風が松の林を吹き抜け、くさむらは露に濡れて白くかがやく

故人不在此、而我誰与適。
ここには語り合うべき友もなく、私は誰と過ごしたらいいのだろうか

寄書西飛鴻、贈爾慰離析。』
書を寄せることは西に飛ぶ鴻(こう)に
汝に贈るのは離れている析しさを慰さめるものだ


 詩中の相如は司馬相如をさす。
 司馬相如は梁の孝王の客人たなっていた。梁の孝王が亡くなったため、帰ったが、家は貧しく生活が出来なかった。彼は臨邛の県令の王吉と知り合いであったため、県令は司馬相如のために、一計を案じた。それは司馬相如を立派な者に見せるという演出をし、彼を県令の賓客として待遇することだった。やがて、県令に賓客がいるとの噂を聞いた臨邛の大富豪である卓王孫らが催した招宴に、勿体を付けて出席をした。その席で、琴を奏でることとなった。卓王孫には、寡婦となって戻っていた娘・卓文君がおり、彼女は音楽が好きなので、王吉と司馬相如は計略を案じて、琴の演奏で卓文君の心を捕まえようとした。そのため、司馬相如は、威儀を正した乗り物に典雅な容儀で現れ、やがて琴を演奏した。彼女をトリコのする作戦は成功した。その夜、司馬相如は、恋文を人づてに渡し、二人は駆け落ちをした。司馬相如が連れて行った先の成都の家は、四方にただ壁があるだけの何一つ無い貧しい住まいだった。ことの次第を知った卓王孫は、大いに怒り狂い、親子の縁を絶ってしまった。二人は成都での生活苦に耐えかねて、卓文君の兄弟の縁を頼って、臨邛に戻ってきた。臨邛での二人は、卑しいとされる仕事に精を出した。この二人の行為を恥じた父親の卓王孫は、家に閉じこもって出てこなくなった。やがて、周りの者の取りなしで、卓王孫は財産を分けてやったので、二人は成都へと戻っていって、お金持ちの生活を始めた。

司馬相如の姿は前半の策謀家から恬澹としたものに変わっている。李白は、こうした、司馬相如を引き合いに出すのは旅行中の病気がよほど堪えたのであろう。恵まれた昔の生活を直接に表現しないで、司馬をひきあにだしたのだ

(2)西施ものがたり  李白がよく取り上げた題材

西施ものがたり


 本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。

 現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施>>>西施と呼ばれるようになった。

 紀元前5世紀、越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されてたといわれている。

 この時の越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。
 呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。
 次は美女軍団が呉の国王を狂わせた。
 十八史略には、西施のきわめて美しかったこと、彼女にまつわるエピソードが記されている。西施は、呉王 夫差の寵姫となったが、あるとき胸の病となり、故郷の村に帰ってきた。西施は、痛む胸を手でおさえ、苦しみに眉をひそめて歩いた。それがかえって色香を引出し、村人の目を引いた。そのときに村に評判の醜女がいて、西施のまねた行動をした。それは、異様な姿に映り、かえって村人に嫌われた。これを「西施捧心」と表され、実もないのに真似をしても無駄なことだということだが、日本では、「これだけやっていますが、自分の力だけでなく、真似をしただけですよ」という謙遜の意味に使用されることが多い。

 このようにまれな美しさをそなえた西施は、呉王 夫差を虜(とりこ)にした。夫差は、西施のために八景を築き、その中でともに遊んだ。それぞれの風景の中には、所々に、席がもうけられ、優雅な宴(うたげ)がもよおされた。夏には、西施とともに船を浮かべ、西施が水浴すると、呉王 夫差は、その美しい肢体に見入った。こうして、夫差は悦楽の世界にひたり、政治も軍事も、そして民さえ忘れてしまい、傾国が始まったのである。


 越の策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。

呉が滅びた後の生涯は不明だが、勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。


 その後、長江で蛤がよく獲れるようになり、人々は西施の舌だと噂しあった。この事から、中国では蛤のことを西施の舌とも呼ぶようになった。また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もある。



 中国では古くから、朝食をとったあと今でいうオープンカフェのようなところでお茶を飲みながら、講談師が語る講談を聞く習慣があり、そこでは、悲劇はさらに誇張された悲劇に、武勇はさらに勇壮なものに脚色されていく。面白おかしく変化し、伝説となっていく。西施も講談の格好の題材とされた。
 この講談師の種本が中国のよく古本屋で見かけることがある。


 中国四大美人の一人と呼ばれる一方で、俗説では絶世の美女である彼女にも一点欠点があったともいわれており、それは大根足であったとされ、常にすその長い衣が欠かせなかったといわれている。逆に四大美女としての画題となると、彼女が川で足を出して洗濯をする姿に見とれて魚達は泳ぐのを忘れてしまったという俗説から「沈魚美人」と称された。

 時は、奴隷制の時代である。一握りの貴族こそが人であり、残りの人間は、道具である。だから、下層身分で生まれたものは、一芸か、美貌こそが一家を富ませる最大の武器であり、王や朝廷からお声がかかるのは一家の誉だったのである。したがって、悲劇ではなく、下層階級からすれば、憧れということでもある。ものがたりには、悲劇とか、策略とか、艶香妖術ということと憧れというこのふり幅を大きくしていくも講談の面白さである。




李白12 越女詞 李白

長干吳兒女,眉目豔新月。
屐上足如霜,不着鴉頭襪。


長干の呉の娘は
眉目麗しく星や月にも勝る
木靴の足は霜の如く
真白き素足の美しさ

韻 月、襪。

長干の呉児のむすめ
眉目星月より艶やかなり
屐上の足霜の如
ア頭の襪を著けず



吳兒多白皙,好爲蕩舟劇。
賣眼擲春心,折花調行客。




耶溪採蓮女,見客櫂歌迴。
笑入荷花去,佯羞不出來。


耶渓の蓮採るむすめ
旅人を見て舟歌を歌い次第に遠ざかる
笑いながら蓮の花蔭に隠れてしまった
恥ずかしそうな格好をしてこちらに来ないぞ


韻 迴、來。


耶渓の蓮採るむすめ
旅人を見棹歌し巡る
笑いて蓮の花の蔭に隠る
いつわり羞じて敢えて来たらず




東陽素足女,會稽素舸郎。
相看月未墮,白地斷肝腸。




鏡湖水如月,耶溪女似雪。
新妝蕩新波,光景兩奇絕。

鏡湖は水が月光のようにすみ,耶溪は女むすめが雪のように色白。
初々しい化粧姿はすがすがしい波間にうつる,その光景はどちらも比べがたく素晴らしい。


韻は、月、雪、絶。


鏡湖 水 如月のごとく,耶溪 女 雪のごとし。
新妝 新波に蕩ゆらめき,光景 兩つながら奇絕。
李白の詩 連載中 7/12現在 75首

2011・6・30 3000首掲載
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越女詞五首 其五



12-5
其五
鏡湖水如月,耶溪女似雪。
新妝蕩新波,光景兩奇絶。

鏡湖は水が月光のようにすみ,耶溪は女むすめが雪のように色白。
初々しい化粧姿はすがすがしい波間にうつる,その光景はどちらも比べがたく素晴らしい。

○鏡湖 浙江省の会稽・山陰両県のさかいにある湖。○耶渓 若耶渓は会稽の南から北流して鏡湖に流れ入る。
○蕩 水のゆれうごくさせ。○奇施 すばらしくめずらしい。
鏡湖の水は月のように姿がうつる。若耶渓の女は雪のようにしろい。
新しい化粧をこらした女の影が湖の新しい波にゆれうごき、そのようすほ、どちら、もすぼらしい。
韻は、月、雪、絶。

鏡湖 水 如月のごとく,耶溪 女 雪のごとし。
新妝 新波に蕩ゆらめき,光景 兩つながら奇絶。
李白の詩 連載中 7/12現在 75首

2011・6・30 3000首掲載
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越女詞 五首 其四

越女詞 五首 其四
東陽素足女,會稽素舸郎。
相看月未墮,白地斷肝腸。

東陽生まれの素足の女と、会稽の白木の舟の船頭とが顔を見あわせている。
月が沈まないので、わけもなくせつない思いにくれている。

○東陽 いまの浙江省東陽県。会稽山脈の南方にある。○素足女 この地方は美人の多い子で有名。素足の女は、楚の国の王を籠絡した女性西施が其ふっくらとした艶的の魅力により語の句に警告させその出発殿のすあしのおんなであった。○会稽 いまの浙江省紹興。会稽山脈の北端にある。○素舸 白木の舟。○郎 若い男。〇白地 口語の「平白地」の略。わけもなく、いわれなく。○肝腸 きもとはらわた

○韻 郎、腸。

東陽 素足の女,会稽 素駒の郎
相看て 月 末だ墜ちず,白地に 肝腸を断つ

越女詞 五首 其三 李白14-3

 李白の江南地方での若いときの旅は2年程度であった。この地方を題材にした詩は多く残されているが、詩の目線は中年のものが多いようである。推測ではあるが、若いときに作った作品を、後年再び訪れた時修正したのではないかと感じられる。淥水曲りょくすいきょく 清らかな澄んだ水、純真な心もった娘たちの歌である。


李白の若い娘の歌はつづきます。

越女詞 五首 其三 李白14

其三
耶溪採蓮女,見客棹歌囘。
若耶渓でハスの実をつむむすめたちは、旅人を見ると舟歌を唄いながらあちらへこいで遠ざかる。
笑入荷花去,佯羞不出來。

にっこり笑ってハスの花の影にかくれ、はずかしそうなふりをして出て来ない。

若耶渓でハスの実をつむむすめたちは、旅人を見ると舟歌を唄いながらあちらへこいで遠ざかる。
にっこり笑ってハスの花の影にかくれ、はずかしそうなふりをして出て来ない。


耶渓 採蓮の女、客を見て 棹歌して回かえる
笑って荷花に入って去り、佯いつわり羞はじて 出で来らず

耶溪採蓮女,見客棹歌囘。
若耶渓でハスの実をつむむすめたちは、旅人を見ると舟歌を唄いながらあちらへこいで遠ざかる。
耶渓 やけい 若耶渓の略。浙江省紹興の南を流れている川。○採蓮 さいれん ハスの実をつみとる。○客 たびびと。 ○棹歌 たくか 舟うた。○ かえる。 回・巡るだと行ったり来たりすることになる。
李白11 採蓮曲 がある。


笑入荷花去,佯羞不出來。
にっこり笑ってハスの花の影にかくれ、はずかしそうなふりをして出て来ない。
○荷花 かか ハスの花。○佯羞 いつわりはじて はずかしそうにする。


○韻 囘、來。

越女詞 五首 其の二 李白13

 李白の江南地方での若いときの旅は2年程度であった。この地方を題材にした詩は多く残されているが、詩の目線は中年のものが多いようである。推測ではあるが、若いときに作った作品を、後年再び訪れた時修正したのではないかと感じられる。淥水曲りょくすいきょく 清らかな澄んだ水、純真な心もった娘たちの歌である。


李白の若い娘の歌はつづきます。

越女詞 五首 其の二 李白13

其二
呉兒多白皙,好爲蕩舟劇。
呉の女どもは色白が多く、好んで舟をゆさぶるあそびをする。
賣眼擲春心,折花調行客。

色目をつかって、もえたつ春の心をなげつけ、花を折りとって旅人をからかう。

呉の女どもは色白が多く、好んで舟をゆさぶるあそびをする。
色目をつかって、もえたつ春の心をなげつけ、花を折りとって旅人をからかう。


呉兒多白皙,好爲蕩舟劇。 ごじ おおくは はくせき、このんでとうしゅうのたわむれをなす

呉の娘女らは色白が多く、好んで舟をゆさぶるあそびをする。
白哲 皮膚の白いこと。○蕩舟 舟をゆさぶってひきつける。○ たわむれ。誘い込む。

賣眼擲春心,折花調行客。 めをうってしゅんしんをなげうち、はなをおって こうかくをちょうす
色目をつかって、もえたつ春の心をなげつけその気にさせ、花を折りとって旅人をからかう。
売眼 色目をつかう、ウィンクする。○ なげつける。○春心 色好みの心。○調 からかう。「ちょっと寄って遊んでいかない?」とウィンクしたり、花を折って投げつけたり、色町での誘い。これだけの短い句の中で見事に表現している。

(下し文)
越女の詞 其の二
呉児 多くは白皙はくせき、好んで 蕩舟の劇たわむれを為す
眼を売って 春心を擲なげうち、花を折って 行客こうかくを調す

越女詞 五首 其一 李白12

李白の若い娘の歌はつづきます。

越女詞 五首  李白12 (修正補完) 
其一
長干呉兒女,眉目麗新月。
長干の街に住む呉の娘らは、眉と目が星や月よりもなまめかしい。
屐上足如霜,不着鴉頭襪。

木靴のうえの足は霜のように白く、足袋をはかなくてもうす絹をつけように素足が美しい。



長干の街に住む呉の娘らは、眉と目が星や月よりもなまめかしい。
木靴のうえの足は霜のように白く、足袋をはかなくてもうす絹をつけように素足が美しい。


越女詞 えつじょし

越女の詞うた
越 現浙江省方面。戦国時代 越の国があった。


  長干呉兒女   眉目艶新月
ちょうかんのごじのむすめ びもくしんげつよりえんなり
長干の色街に住む呉の娘らは眉と目が新月よりもなまめかしい。
長干 江蘇省南京の南にある町。水運によって開けた町で、色町もあった。そのことを指す。○呉児 呉は今の江蘇省一帯。児は、大都会のあか抜けている雰囲気を示す。江戸吉原の芸妓にあたる。

  屐上足如霜   不着鴉頭襪
げきじょうあししものごとく  あとうのべつをつけず
靴のうえの足は霜のように白く、もう鴉頭の足袋を履いていなくてもうす絹をつけように素足が美しい。
 木靴に下駄の歯をつけたようなもの。女用は先が丸く、男用は角だった。
鴉頭襪 あとうべつ 襪はくつした。纏足用に巻きつけた靴下のようなもの。女の子は4,5歳になると纏足をした。黒い帯状のものを巻きつけて大きくならないようにしたもの。カラスの首から頭のほっそりと引き締まったラインのことを指す。足が小さいほど身売りの値段に差がついた。古来南京の色町では行われていたが、流行先進地であった端を発し、晩唐以降大流行した。清朝から禁止令が出ても構わず、続けられて現中国まで実在した。


韻 月、襪。

長干の呉児のむすめ、眉目 新月より艶やかなり
屐上げきじょうの足 霜の如く、鴉頭あとうの襪べつを着けず

淥水曲  李白 11

 李白の江南地方での若いときの旅は2年程度であった。この地方を題材にした詩は多く残されているが、詩の目線は中年のものが多いようである。推測ではあるが、若いときに作った作品を、後年再び訪れた時修正したのではないかと感じられる。淥水曲りょくすいきょく 清らかな澄んだ水、純真な心もった娘たちの歌である。
李白11 五言古詩

淥水曲          
淥水明秋日、南湖採白蘋。
清らかな水に 秋の日が明るく映える
            ここ南湖で 白蘋
はくひんの花を摘む

荷花嬌欲語、愁殺蕩舟人。

蓮の花は あでやかに嬌なまめかしく物言いたげ
        耐え難い想いは 船を蕩うごかすひとにも



   
清らかな水に 秋の日が明るく映える
ここ南湖で 白蘋はくひんの花を摘む
蓮の花は あでやかに嬌なまめかしく物言いたげ
耐え難い想いは 船を蕩うごかすひとにも


 淥水は、澄んだ川や湖。詩の趣旨は「採蓮曲」と同じ。「白蘋」は水草の名。四葉菜、田字草ともいう。根は水底から生え、葉は水面に浮き、五月ごろ白い花が咲く。白蘋摘みがはじまるころには、蓮の花も咲いている。「南湖」という湖は江南のどこかにあるもので特定はげきないようだ。「愁殺」の殺はこれ以上なというような助詞として用いられている。前の句に「荷花:蓮の花があでやかで艶めかしく物言いたげ」な思いに対して、「船を動かす娘たちのこれ以上耐えられない思い」を対比させている。この詩の主張はここにある。これを理解するためには西施の物語を知っておかないといけない。

 越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた西施(施夷光)は谷川で洗濯をしている素足姿を見出されてたといわれている。策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。
 「あでやかな物言いたげな」は西施たちを意味し、同じように白蘋を取る娘たちも白い素足を出している。娘らには、何も魂胆はないけれど見ている作者に呉の国王のように心を動かされてしまう。若い娘らの魅力を詠ったものである。(当時は肌は白くて少し太めの足がよかったようだ)
 李白に限らず、舟に乗って白蘋(浮き草)を採る娘たちを眺めるのは、とても素敵なひとときだったであろう。


五言絶句
 韻は蘋、人。

淥水曲          
淥水明秋日、南湖採白蘋。
荷花嬌欲語、愁殺蕩舟人。

(下し文) 
淥水曲(りょくすいきょく)
淥水秋日(しゅうじつ)に明らかに
南湖  白蘋(はくひん)を採る
荷花(かか)  嬌(きょう)として語らんと欲す
愁殺(しゅうさつ)す舟を蕩(うご)かすの人


李白10  採蓮曲

      
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 上代~隋南北朝・隋の詩人初唐・盛唐・中唐・晩唐 
      

  この詩も絶世の美女西施にまつわる地名を題材にしています。若耶渓、浙江省紹興市東南の若耶山から発して、北流して現在は運河にそそぐ川の名で、唐代までは鏡湖が大きく、鏡湖注がれていた。その若耶渓で蓮を取ったとされるのが西施である。西施は越王勾践が呉王夫差に対して献上してその歓心を買ったとされる美女である。(後に取り上げる子夜呉歌では明確にでてくる)。 李白はここ江南地方でたくさんの詩を歌っています。美女についてもそれぞれとらえています。
 四大美女とは、王昭君、貂蝉ちょうぜん、西施、楊貴妃とされるが、貂蝉が架空の人物であることから、詩人の世界ではそこに虞美人を入れる。したがって、このブログでは四美人は虞美人を入れたものでとらえていく。ここ、しばらく、李白を取り上げていき、西施ものがたりを書いていくつもりです。
 ちなみに王昭君については漢文委員会の漢詩総合サイトhttp://kanbuniinkai7.dousetsu.com/において王昭君ものがたり、李白 王昭君を詠う「王昭君二首」、白楽天 王昭君を詠う「王昭君 二首 白楽天」を参照されたい。
    http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/

李白10  採蓮曲    
      
若耶渓傍採蓮女、笑隔荷花共人語。
日照新粧水底明、風飄香袖空中挙。
岸上誰家遊冶郎、三三五五映垂楊。
紫騮嘶入落花去、見此踟蹰空断腸。


若耶渓のあたりで蓮の花摘む女たち
笑いさざめきハスの花を隔てて語り合う
陽照は化粧したての顔を明るく水面に映しだし、
吹いている風は香しい袖を軽やかに舞い上げている
岸辺にはどこの浮かれた若者だろうか
三々五々としだれ柳の葉影に見え隠れ。
栗毛の駒は嘶いて柳絮のなかに消え去ろうと
この女たちを見ては行きつ戻りつむなしく心を揺さぶられる。


 本来、「採蓮曲」というのは蓮の根を採る秋の労働歌だが、李白はそれを越の美女西施(せいし)が紗を洗い、蓮の花を採った事に柳絮(りゅうじょ)の舞う晩春の艶情の歌に変化させている、李白の真骨頂というべきもののひとつです。。
 馬とともにおふざけをして垂楊(しだれやなぎ)の葉陰に消えていった若者たちのうしろ姿と、一方、急におしゃべりを止めて「踟蹰」(ためらい)がちに顔を赤らめている乙女たちの姿を、李白は描いている。ハスを採る娘らとその乙女の気を引こうとしている若者=遊冶郎、現在だったらチャラ男のこと?。もう若い者の中に入りきれない客観してみている李白。経験したものでないとわからない中年李白の繊細な作品、名作とされている。七言古詩で韻は 女、語、擧。/ 郎、楊、腸



若耶 渓傍 採蓮、笑隔 荷花 共人
日照 新粧 水底明、風飄 香袖 空中
岸上 誰家 遊冶、三三 五五 映垂
紫騮 嘶入 落花去、見此 踟蹰 空断

採蓮曲の下し分
若耶(じゃくや)渓の傍(ほとり)採蓮の女(むすめ)
笑って荷花(かか)を隔てて人と共に語る
日は新粧(しんしょう)を照らして水底(すいてい)明らかに
風は香袖(こうしゅう)を飄(ひるがえ)して空中に挙がる
岸上(がんじょう) 誰(た)が家の遊冶郎(ゆうやろう)
三三、五五、垂楊(すいよう)に映ず
紫騮(しりゅう)落花に嘶(いなな)きて入りて去るも
此(これ)を見て踟蹰(ちちゅう)して空しく断腸

 漢詩が苦手だった人でも、「漢詩は、五言、七言の単位を句」といいいますが、この句も上記に示す通り、二語、三語で意味を考えていくとわかるようになります。私は正直なことを言うと、昔の読み方下し分が好きになれません。時には漢詩と下し分は別物と感じるものさえあります。下し分はあくまで日本で読む人がそれぞれに読み下しています、気にしないでいきたい。どんな詩でも必ず五言の詩は二言と三言、七言の句は二言、二言、三言で作られています。
 李白の詩は、漢詩の決まりに必ずしも忠実ではありませんが、技巧的にも芸術性でもぬきんでています。
 白楽天(最近では白居易)も平易な詩が多いですし、杜牧、蘇東坡も有名です。陶淵明、孟浩然、杜甫は少し入りにくいかもしれませんが、はまってくるといい詩に当たります。
  漢詩総合サイトでは、漢詩を体系的にとらえていっていますが、このブログでは、雑談気味に一詩ずつとらえていこうと思っています。


李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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李白9  越中覧古

浙江省紹興市。かってこここに都をおいた越の国は呉の国と激しい戦いを繰り広げた。李白は、呉の国姑蘇台を見て、この地を訪れた。
kubochi01筆者近所の公園

李白 9    越中覧古

越王勾践破呉帰、義士還家尽錦衣。
宮女如花満春殿、只今惟有鷓鴣飛。

越王勾践は呉を破って凱旋し
忠義の士は家に錦の衣で帰ってきた。
宮女は花のように春の宮殿を満開にし
いまはただ、そこには鷓鴣しゃこの飛び交うばかり。

 越王の句践が呉を破って凱旋してきた。忠義の義士たちも錦の衣を着飾って、故郷に帰ってきた。
宮中の女性達は、美しい花のように宮殿に満ち溢れている。
しかし、今はただ、栄華の跡に切ない鳴き声を響かせて鷓鴣飛び回るばかり。

 現在、街の郊外高台に越王の宮殿は復元街に復元されている。李白が詠んだこの詩は、「臥薪嘗胆」の故事で有名な越と呉の戦いの歴史を背景にしている。
 紀元前5世紀、呉の国王が父の仇を討つため毎日薪の上に寝て、越への恨みを忘れまいとした。「恨み」それは呉に越の国王が追い詰めとらえられ、鞭で打たれ、瀕死の中で許しを乞うたことである。この屈辱を忘れまいと越の国王は苦い肝を日々嘗め続けた。そして、雪辱の日を迎える。

越王勾践(こうせん)  呉を破りて帰る
義士家に還るに尽(ことごと)く錦衣(きんい)す
宮女は花の如く春殿(しゅんでん)に満ち  
只今は惟(た)だ鷓鴣(しゃこ)の飛ぶ有るのみ

 宿敵を打ち破り、意気揚々と凱旋する越の国王。故郷に錦を飾る家来たち。
 宮中では、麗しき美女たちが舞い踊る。李白は次第に調子を上げて詠う。
 ところが鷓鴣がなき、飛び回ることで現実の世界に引き戻されてしまう。李白お得意の詩調である。

 鷓鴣はキジ科の鳥で、その鳴き声は悲しげである。およそ1300年前の臥薪嘗胆と栄華、鷓鴣は現実の悲しさに引き戻す格好の題材である。こういう対比は李白の鮮やかさということになる。


shako145自然大博物館(小学館)

韻は、帰、衣、飛。

越中覧古
越王勾践破呉帰、義士還家尽錦衣。
宮女如花満春殿、只今惟有鷓鴣飛。

越王勾践(こうせん)  呉を破って帰る
義士  家に還りて尽(ことごと)く錦衣(きんい)す
宮女は花の如く春殿(しゅんでん)に満ち  
只  今は惟(た)だ鷓鴣(しゃこ)の飛ぶ有り

李白の詩 連載中 7/12現在 75首

2011・6・30 3000首掲載
漢文委員会 ホームページ それぞれ個性があります。
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李白8  蘇台覧古

 金陵の渡津から70km前後いったところに潤州(江蘇省鎮江市)の渡津がある。ここから大運河が南方向、呉越に伸びる。李白は平江(江蘇省蘇州市)に立ち寄った。ここは春秋時代の呉の都城があった地である。
 江南の景勝地で、国の命運を左右した美女に思いをはせる。

 李白8  蘇台覧古           

旧苑荒台楊柳新、菱歌清唱不勝春。
只今惟有西江月、曾照呉王宮裏人。

古い庭園 荒れた楼台に芽吹く柳は新しく
菱摘む娘らの清らかな歌声こそが 春なのだ
いまはただ西の川面に照る月だけど
かつて呉王の宮殿の  美女を照らした月なのだ


 古い庭園、荒れ果てた高楼台に柳だけが新しい芽をつけている。菱の実を摘む娘たちの清らかな歌声が聞こえてくる。
 そんな歌声を聴くと私は感傷的な思いに耐えられなくなる。今も昔も変わらないものは、西湖の水面に映る月の光、この月は千年以上前、呉王の宮殿の絶世の美女(西施)を照らし出したのだ。

 李白の時代からおよそ1300年前、春秋時代の呉の国王は、自らの宮殿「姑蘇台」を築いた。李白はその宮殿跡にたたずみ、往時の繁栄を偲んでいると、聞こえてきたのはあの娘たちの歌声であった。


 春、そこはかとない思いにふける李白に娘たちの声はもの哀しさを感じさせるものだった。峨眉山に残した彼女を照らす月の光を、絶世の美女西施に照らすと置き換え詠った李白の名作である。(西施は四大美女の一人)

 李白は後年、金陵や呉越の地を幾度も訪れている。この詩はその40代の作とされているが、蜀を旅たち、金陵や呉越に到着し、この景勝地に来ていることで、ここに掲載した。

韻は、新、春、人。

蘇台覧古
旧苑荒台楊柳新、菱歌清唱不勝春。
只今惟有西江月、曾照呉王宮裏人。

旧苑(きゅうえん)  荒台(こうだい) 楊柳新たなり
菱歌(りょうか)の清唱(せいしょう)  春に勝(た)えず
只  今は惟(た)だ西江(せいこう)の月有り
曾(かつ)て照らす  呉王宮裏(ごおうきゅうり)の人

http://kanbuniinkai7.dousetsu.com

上記サイト 漢文委員会  漢詩ZERO倶楽部 >李白詩>李白詩(8~12)に掲載


李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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