古風五十九首 第十八 李白110
古風 第十八であるが、古風での道教の詩としてはここまでである。はじめと終りとに栄華の無常をい、中ごろではそのはかない栄華に得々たる権力者たちを心憎いまでに描写して効果を深めてゐる。しかしこの無常感は、仏教のそれとは全く異なる老荘の説に基くものである。咸陽の市に黄犬を牽いた得意の時を過ぎて、刑場に就く李斯と対照されている鴟夷子は越王勾践の相だった范蠡(はんれい)であるが、李斯を以て当時の李林甫、楊国忠にたとえたものとすれば、呉を亡したのち髪を散らし、姓名を変じて斉に赴いた無欲の范蠡は李白の理想とする姿にほかならない。李白のもっとも言いたかったものではなかろうか
其十八
天津三月時、千門桃與李。』
洛陽の天津橋から見わたすと、時は春三月、千門たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲いている。』
朝為斷腸花、暮逐東流水。』
朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆきぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、天津橋下の春の水を迫って東に向って流れてゆく。』
前水復后水、古今相續流。
水は次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくのが「道」である。
新人非舊人、年年橋上游。
橋の上をとおる人達も、顔ぶれが違うものだ。毎年毎年、橋の上で人々の往来は続くのである。
雞鳴海色動、謁帝羅公侯。
鶏が鳴いて夜のとばりの明けそめるころ、朝の朝礼で天子に拝謁する公侯たちが居ならんだ。
月落西上陽、余輝半城樓。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしていた。
衣冠照云日、朝下散皇州。』
やがて、朝廷の吏官の冠が日の彩雲に照らされてでてきた、朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。』
鞍馬如飛龍、黃金絡馬頭。』
鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。』
行人皆辟易、志氣橫嵩丘。
道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。
入門上高堂、列鼎錯珍羞。
門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえていた。
香風引趙舞、清管隨齊謳。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出していた。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でていた。
七十紫鴛鴦、雙雙戲庭幽。』
七十羽の紫のつがいのおしどりたちは、それぞれつがいで、庭の茂みのおくにたわむれている。』
行樂爭晝夜、自言度千秋。
昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。
功成身不退、自古多愆尤。
成功して引退しないでいると、むかしからまちがいが多いものだ。
黃犬空嘆息、綠珠成舋讎。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかって、仕打ちをされた。
何如鴟夷子、散發棹扁舟。』
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。』
古風 其十八
洛陽の天津橋から見わたすと、時は春三月、千門たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲いている。』
朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆきぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、天津橋下の春の水を迫って東に向って流れてゆく。』
水は次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくのが「道」である。
橋の上をとおる人達も、顔ぶれが違うものだ。毎年毎年、橋の上で人々の往来は続くのである。
鶏が鳴いて夜のとばりの明けそめるころ、朝の朝礼で天子に拝謁する公侯たちが居ならんだ。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしていた。
やがて、朝廷の吏官の冠が日の彩雲に照らされてでてきた、朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。』
鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。』
道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。
門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえていた。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出していた。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でていた。
七十羽の紫のつがいのおしどりたちは、それぞれつがいで、庭の茂みのおくにたわむれている。』
昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。
成功して引退しないでいると、むかしからまちがいが多いものだ。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかって、仕打ちをされた。
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。
』
古風 其の十八
天津 三月の時、千門 桃と李と。』
朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』
前水 復た後水、古今 相競いで流る。
新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。
鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。
月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。
衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』
鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』
行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。
門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。
香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。
七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』
行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。
功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。
黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。
何ぞ加かんや 塊夷子が、撃を散じて 届舟に樟させるに。』
天津三月時、千門桃與李。』
洛陽の天津橋から見わたすと、時は春三月、千門たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲いている。
○天津 橋の名。唐の東のみやこ洛陽をめぐって洛水が流れ、その川にかかっている。初唐の詩人劉廷芝の「公子行」は、「天津橋下陽春の水、天津橋上兼葦の子」という詞句で始まっており、李白はその詩の出だしのイメージを借りている。参照。劉廷芝の詩は「怨詩」である。〇千門 宮殿には多くの門があり、迷路のように門戸が連続している。千門万戸という表現は李白の得意とするところ。
朝為斷腸花、暮逐東流水。』
朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆきぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、天津橋下の春の水を迫って東に向って流れてゆく。
○断腸花 真っ赤な花の咲き誇っているさまをいう。李白が断腸という語を使用するとき、女心、嫉妬、焦燥の気持ちを表す際に多い。李白「春思」「清平調詞其三」にある。○東流 東が下流で流れ去る、消えていくことをします。
前水復后水、古今相續流。
水は次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくのが「道」である。
○前水復后水 水は次から次へと、上流から下流へと流れていくのが「道」理である。この聯と次の聯は道教の真理「道」についての表現である。
新人非舊人、年年橋上游。
橋の上をとおる人達も、顔ぶれが違うものだ。毎年毎年、橋の上で人々の往来は続くのである。
○游 往来すること。交流する。
雞鳴海色動、謁帝羅公侯。
鶏が鳴いて夜のとばりの明けそめるころ、朝の朝礼で天子に拝謁する公侯たちが居ならんだ。
○海色 夜明け前のほのぐらい色。○謁帝 朝の朝礼。夜明けに集合。
月落西上陽、余輝半城樓。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしていた。
○西上陽 洛陽の宮城の西南隅に上陽宮があり、さらにその西側に西上陽宮という宮殿があった。
唐時代 洛陽城図 参照
衣冠照云日、朝下散皇州。』
やがて、朝廷の吏官の冠が日の彩雲に照らされてでてきた、朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。
○衣冠 衣冠をつけた人。朝廷の吏官。○皇州 帝都のこと。
鞍馬如飛龍、黃金絡馬頭。』
鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。
行人皆辟易、志氣橫嵩丘。
道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。
○嵩丘 洛陽の近くにある嵩山。道教の総寺観があった。
入門上高堂、列鼎錯珍羞。
門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえていた。
○鼎 足が三本ある一種の鍋。○珍羞 珍しい御馳走
香風引趙舞、清管隨齊謳。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出していた。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でていた。
七十紫鴛鴦、雙雙戲庭幽。』
七十羽の紫のつがいのおしどりたちは、それぞれつがいで、庭の茂みのおくにたわむれている。
〇七十紫鴛鴦 楽府古辞(漢時代の民謡)の中に、「鴛鴦が七十二羽、二羽ずつつがいになって、きれいにならんでいる」という意味の詩句が見える。鴛おしどりのオス。鴦おしどりの雌。
行樂爭晝夜、自言度千秋。
昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。
功成身不退、自古多愆尤。
成功して引退しないでいると、むかしからまちがいが多いものだ。
○退 引退。范蠡は、斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得た。そのあと引退し悠々自適の生活をした。〇愆尤 けんゆう あやまち。失敗。
黃犬空嘆息、綠珠成舋讎。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかってしうちをされた。
○黃犬 このブログ 襄陽歌 李白49に示す。「咸陽市中歎黄犬、何如月下傾金罍。」咸陽の町のまん中で「黄色い犬をつれて免狩りしたかった」などと嘆いた秦の李斯のさいごを思うと、たとえ出世しなくとも、月の下で、黄金の杯を傾けているほうが、どれだけよいことか。 ・歎黄犬:李斯の故事をいう。〇綠珠 晋の石崇は、富を集め豪奪な生活をした人だが、綠珠という女を愛していた。彼女は美しく、色っぽく、上手に笛を吹いた。孫秀という男が人を遣わして綠珠をしつこく求めた。石崇は立腹して言った。緑珠はわたしの愛人だ、と。恨んだ孫秀は、超王倫に告げ口をして石崇を殺そうとした。綠珠は樓から身を投げて自殺し、崇の親兄妻子はみな穀書された。「晋書」にある話。○舋讎 仲たがいのあだ、うらみ。○讎 讐と同じ。
何如鴟夷子、散發棹扁舟。』
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。
○鴟夷子 越王勾践は呉王夫差と戦って会稽山で和を請うた。その後二十年、嘗胆の苦しみを経て、氾蠡の助けを得て軍隊を訓練し、呉と戦って会稽の恥をそそいだ。越が呉を滅ぼすと、汚轟は越を去った。小舟に乗り、江湖に浮かび、姓名を変じて斉の国におもむき、怨夷子皮と名のった。鴎夷とは馬の革でつくった袋である。呉の功臣伍子背が呉王夫差に死を命ぜられた上、死体は線夷につつまれて揚子江に投げこまれた。泡轟は賢いから、自分もぐずぐずしていたら、そんな目にあっただろうという意味で、こういう皮肉な名前をつけたのである。○散髪 役人のかむる冠で髪を拘束しないこと。
<ウィキペディアから 抜粋>
范蠡(はんれい 生没年不詳)は、中国春秋時代の越の政治家、軍人。氏は范、諱は蠡、字は少伯。越王勾践に仕え、勾践を春秋五覇に数えられるまでに押し上げた最大の立役者。
范蠡は夫差の軍に一旦敗れた時に、夫差を堕落させるために絶世の美女施夷光(西施(せいし))を密かに送り込んでいた。思惑通り夫差は施夷光に溺れて傲慢になった。夫差を滅ぼした後、范蠡は施夷光を伴って斉へ逃げた。
越を脱出した范蠡は、斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得た。范蠡の名を聞いた斉は范蠡を宰相にしたいと迎えに来るが、范蠡は名が上がり過ぎるのは不幸の元だと財産を全て他人に分け与えて去った。 斉を去った范蠡は、かつての曹の国都で、今は宋領となっている定陶(山東省陶県)に移り、陶朱公と名乗った。ここでも商売で大成功して、巨万の富を得た。老いてからは子供に店を譲って悠々自適の暮らしを送ったと言う。陶朱公の名前は後世、大商人の代名詞となった(陶朱の富の故事)。このことについては、史記の「貨殖列伝」に描かれている