漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

2011年08月

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

宮中行樂詞八首其一  李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白142

宮中行樂詞八首其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白143


宮中行楽詞 其一
小小生金屋、盈盈在紫微。
小さい子供のときから、黄金で飾った家でそだてられ、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。
山花插寶髻、石竹繡羅衣。
なでしこの花一輪を、宝で飾った髪のもとどりに挿しはさみ、セキチクの模様のうすぎぬの上衣に刺繍してある。
每出深宮里、常隨步輦歸。
奥の御殿の中から出るごとに、いつも手車のあとについて歩いてゆく。
只愁歌舞散、化作彩云飛。
すこし心配になることがある。美女たちが歌をうたい舞いおわってしまったら、そのまま美しい色の雲となって、飛んでゆくのではないかと。


五重塔(1)


小さい子供のときから、黄金で飾った家でそだてられ、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。
なでしこの花一輪を、宝で飾った髪のもとどりに挿しはさみ、セキチクの模様のうすぎぬの上衣に刺繍してある。
奥の御殿の中から出るごとに、いつも手車のあとについて歩いてゆく。
すこし心配になることがある。美女たちが歌をうたい舞いおわってしまったら、そのまま美しい色の雲となって、飛んでゆくのではないかと。



宮中行楽詞一其の一
小小にして 金屋に生れ、盈盈として 紫微に在り。
山花 宝撃に挿しはさみ、石竹 羅衣を繡う。
深宮の裏每び出ず、常に歩を肇めて歸るに従う。
只だ愁う 歌舞の散じては、化して綜雲と作りて飛ばんことを



宮中行楽詞 宮中における行楽の歌。李白は数え年で四十二歳から四十四歳まで、足かけ三年の間、宮廷詩人として玄宗に仕えた。この宮中行楽詞八首と、つぎの晴平調詞三首とは、李白の生涯における最も上り詰めた時期の作品である。唐代の逸話集である孟棨の「本事詩」には、次のような話がある。

 玄宗皇帝があるとき、宮中での行楽のおり、側近の高力士にむかって言った。「こんなに良い季節、うるわしい景色を前にしながら、単に歌手の歌をきいてたのしむだけでは物足りぬ。天才の詩人が来て、この行楽を詩にうたえば、後の世までも誇りかがやかすことであろう」と。そこで、李白が召されたのだ。李白はちょうど皇帝の兄の寧王にまねかれて酒をのみ、泥酔していたが、天子の前にまかり出ても、ぐったりとなっていた。玄宗は、この奔放な詩人に、律詩を十首つくるよう命じた。五言律詩は、対句が基本、最も定型的な詩形である。李白はあまり得意としない詩形であった。玄宗は知っていて、酔っているので命じたのである。そし二、三人の側近に命じて、李白を抱きおこさせ、墨をすらせ、筆にたっぷり警ふくませて李白に持たせ、朱の糸で罫をひいた絹幅を李白の前に張らせた。李白は筆とると、少しもためらわず、十篇の詩を、たちまち書きあげた。しかも、完璧なもので、筆跡もしっかりし、律詩の規則も整っていた。現在は八首のこっている。


小小生金屋、盈盈在紫微。
小さい子供のときから、黄金で飾った家でそだてられ、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。
小小 年のおさないこと。○金屋 漢の武帝の故事。鷺は幼少のころ、いとこにあたる阿矯(のちの陳皇后)を見そめ、「もし阿舵をお嫁さんにもらえるなら、慧づくりの家(金星)の中へ入れてあげる」と言った。吉川幸次郎「漠の武帝」(岩波誓)にくわしい物語がある。○盈盈 みずみずしくうつくしいさま。古詩十九首の第二首に「盈盈たり楼上の女」という句がある。○紫微 がんらいは草の名。紫微殿があるため皇居にたとえる。



山花插寶髻、石竹繡羅衣。
なでしこの花一輪を、宝で飾った髪のもとどりに挿しはさみ、セキチクの模様のうすぎぬの上衣に刺繍してある。
寶髻 髻はもとどり、髪を頂に束ねた所。宝で飾りたてたもとどり。○石竹 草の名。和名セキチク。別称からなでしこ。葉は細く、花は紅・自または琶音ごろ開く。中国原産であって、唐代の人もこの花の模様を刺繍して、衣裳の飾りとした。○羅衣 うすぎねのうわぎ。



每出深宮里、常隨步輦歸。
奥の御殿の中から出るごとに、いつも手車のあとについて歩いてゆく。
歩輩 手車。人がひく車。人力車。



只愁歌舞散、化作彩云飛。
すこし心配になることがある。美女たちが歌をうたい舞いおわってしまったら、そのまま美しい色の雲となって、飛んでゆくのではないかと。
彩云 いろどり模様の美しい雲。



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古風五十九首 其十二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白141

古風五十九首 其十二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白141


古風五十九首 其十二


古風五十九首其十二
松柏本孤直、難為桃李顏。
松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
昭昭嚴子陵、垂釣滄波間。
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
身將客星隱、心與浮云閑。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
長揖萬乘君、還歸富春山。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
清風灑六合、邈然不可攀。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ。
使我長嘆息、冥棲巌石間。

わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 


松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ。
わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 


古風五十九首 其の十二
松柏 本 孤直、桃李の顔を為し難し。
昭昭たり 厳子陵、釣を垂る 滄波の間。
身は客星と将に隠れ、心は浮雲と与に閑なり。
万乗の君に長揖して、還帰す 富春山。
清風 六合に灑ぎ、邈然(ばくぜん)として 攀(よ)ずべからず
我をして 長く嘆息し、巌石の間に冥棲せしむ




松柏本孤直、難為桃李顏。
松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
 かお。かおいろ。かおだち。体面。いろどり、色彩。額。



昭昭嚴子陵、垂釣滄波間。
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
昭昭 きわめてあきらか。強い個性をもって光っている。○厳子陵 漢の厳光。「後漢書」の伝記によると次のとおりである。厳光、字は子陵、会稽の飴桃、すなわち今の漸江省紹興市の東方にある飴桃県の人である。年少のころから名高く、のちの光武帝とは同学で机をならべた仲だった。光武帝が即位すると、かれは姓名をかえ、身をかくした。光武帝点かれのすぐれた能力を思い、その居所をさがさせた。のち斉の国で、一人の男が羊の皮衣をきて沼で釣をしているという報告があった。帝はそれが厳光にちがいないと思った。上等の安楽車を用意させ、使を派遣してかれをまねく。かれは三べん辞退してからやっと来る。宿舎にベッドがあてがわれ、御馳走が出る。帝はすぐに会いにゆく。厳光は横になったまま起きあがらない。帝はいった、「子陵よ、わたしもついに、きみだけは家来にできないよ。」そこでかれをつれてかえり、書生時代のように議論して数日に及んだが、一緒にねそべっていると、厳光は足を帝の腹の上にのせる。翌日、天文をつかさどる役人が上奏した。「客星、御座を犯すこと甚だ急なり。」帝は笑っていった、「朕が旧友の厳子陵といっしょにねそべっていただけのことだ。」諌議大夫という位を授けたが、かれは身を屈めて受けることをしなかった。やがて富春山にこもり、田を耕した。後世の人はかれが釣をしていた場所を厳陵瀬と名づけたという。詳細は、ウィキペディアにもある。○滄波  あおあおとした波。
 

身將客星隱、心與浮云閑。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
客星 一定の所に常には見えず、一時的に現われる星。彗星・新星など。○ のどか、おおきい。静か。のんびり。さく。しきり。
 

長揖萬乘君、還歸富春山。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
長揖 ちょうゆう、敬礼の一種。組みあわせた両手を上からずっと下の方までさげる。○万乗 一万の兵事。転じて、それを統帥する天子のこと。天下。君といっしょで万乗の光武帝。○富春山 浙江省桐盧県銭塘江中流域にあり、一名を厳陵山という。「一統志」に「清麗奇絶にして、錦峰繍嶺と号す。乃ち漢の厳子陵隠釣の処。前は大江に臨み、上に東西二釣台あり」と記されている。
 

清風灑六合、邈然不可攀。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ
六合 上下四方、すなわち、世界、宇宙。○邈然 はるかなさま。


使我長嘆息、冥棲巌石間。
わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 
冥棲 ひっそりしたところに黙然と修業してくらす。

古風五十九首 其十一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白140

古風五十九首 其十一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白140
古風 十一 李白 140



古風五十九首 其十一
黃河走東溟、白日落西海。
黄河の流れははるか東の海にむかって走り、太陽は西方の海に落ちる
逝川與流光、飄忽不相待。
すぎゆく川の流れも、光矢のようにはやく流れる時間も、たちまちのことであり、人を待ってはくれない。
春容舍我去、秋髪已衰改。
青春の顔かたちはわたしを捨てて変わってしまった。頭はすでに秋霜のような白髪哀しくも変わってしまった。
人生非寒松、年貌豈長在。
人間の生命は、寒い冬がきても葉を落さない松の木のようにはいかないのだ。年齢と容貌は、長く同じところにいてくれないのだ。
吾當乘云螭、吸景駐光彩
わたしは、幸運の竜の背に乗って日月の光を吸いとり、流れる五色の光矢時間をひきとめたいと思う。


黄河の流れははるか東の海にむかって走り、太陽は西方の海に落ちる
すぎゆく川の流れも、光矢のようにはやく流れる時間も、たちまちのことであり、人を待ってはくれない。
青春の顔かたちはわたしを捨てて変わってしまった。頭はすでに秋霜のような白髪哀しくも変わってしまった。
人間の生命は、寒い冬がきても葉を落さない松の木のようにはいかないのだ。年齢と容貌は、長く同じところにいてくれないのだ。

わたしは、幸運の竜の背に乗って日月の光を吸いとり、流れる五色の光矢時間をひきとめたいと思う。


古風五十九首 古風其の十一
黃河は 東溟に走り、 白日は西海に落つ。
逝川と 流光と、 飄忽として 相待たず。
春容 我を舍てて去り、 秋髪 已に衰改す。
人生は 寒松に非ず、年貌 豈に長えに在らんや。
吾 当に雲螭に乗じ、景を吸うて 光彩を駐むべし。

 

黃河走東溟、白日落西海。
黄河の流れははるか東の海にむかって走り、太陽は西方の海に落ちる。
東溟 はるか東の海。○西海 中国人は大地の四方に海があると意識していた。天竺の向こうには大海がある。中国人の宇宙観であり、道教の教えでもある。


逝川與流光、飄忽不相待。
すぎゆく川の流れも、光矢のようにはやく流れる時間も、たちまちのことであり、人を待ってはくれない。
逝川 流れゆく川。むかし孔子が川のほとりに立って流れゆく水を見て言った。「逝く者は斯の如き夫、昼夜を合かず。」そのコトバが連想される。○流光 光矢のようにはやく流れさる時間。○飄忽 急なさま。たちまち。



春容舍我去、秋髪已衰改。
青春の顔かたちはわたしを捨てて変わってしまった。頭はすでに秋霜のような白髪哀しくも変わってしまった。
春容 青春の日の容貌。青春の顔かたち。○秋髪 晩年の白髪。
 


人生非寒松、年貌豈長在。
人間の生命は、寒い冬がきても葉を落さない松の木のようにはいかないのだ。年齢と容貌は、長く同じところにいてくれないのだ。
寒松 寒い冬がきても葉を落さない松の木。〇年貌 年齢と容貌。

 

吾當乘云螭。 吸景駐光彩。
わたしは、幸運の竜の背に乗って日月の光を吸いとり、流れる五色の光矢時間をひきとめたいと思う。
雲螭 螭竜の一種。螭は額に角を持たない龍のことを言う。龍から角を取った感じだ。山や沢に棲む小さな龍で、色は赤や白、あるいは蒼色のものがいる。螭はとりわけ岩や木陰などの湿った場所を好むという。そして小さな虫や動物を食べて生きている。人目に触れる場所にはあまり出没しないという。螭が湿った場所を好むのか、螭が棲む場所を湿らせるのかはよく分からないが、螭がいなくなったためにその場所から湿気がなくなったという話も残されているという。仙界の幸運のいきもの。○吸景 日月の景を吸う。景は、ひかり。○光彩 ひかり。

灞陵行送別 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白139

灞陵行送別 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白139
雑言古詩「灞陵行送別」 李白 



灞陵行送別
送君灞陵亭。 灞水流浩浩。
灞陵亭で君を送る、灞水の流れはひろびろとうららかにながれている。
上有無花之古樹。 下有傷心之春草。
まだ早春で、頭上には花のない古木がある、足元には心を痛めるような芽生え始めた春草が生えている
我向秦人問路歧。 云是王粲南登之古道。
土地の人に向かって東洛陽方面と南はどこへと分かれ道のことを尋ねた。こちらの道は建安の七子の王粲が「南登」と歌った古道はこれで漢水まで続くのだといった。
古道連綿走西京。 紫闕落日浮云生。
もう一方の古道は、洛陽から連綿と続いて長安にはしっている。その紫の天子の御門のうちでは夕日が落ちて宮女たちのよろこびが生じているのだろう。
正當今夕斷腸處。 驪歌愁絕不忍聽。

まさに今夜わたしは別れてひとりの夜、断腸のもだえ聲のあるところ、女が主人恋しさに唄う歌は、聞くに堪えない。

miyajima596


灞陵亭で君を送る、灞水の流れはひろびろとうららかにながれている。
まだ早春で、頭上には花のない古木がある、足元には心を痛めるような芽生え始めた春草が生えている
土地の人に向かって東洛陽方面と南はどこへと分かれ道のことを尋ねた。こちらの道は建安の七子の王粲が「南登」と歌った古道はこれで漢水まで続くのだといった。
もう一方の古道は、洛陽から連綿と続いて長安にはしっている。その紫の天子の御門のうちでは夕日が落ちて宮女たちのよろこびが生じているのだろう。
まさに今夜わたしは別れてひとりの夜、断腸のもだえ聲のあるところ、女が主人恋しさに唄う歌は、聞くに堪えない。


君を送る  灞陵亭(はりょうてい)、灞水(はすい)は流れて浩浩(こうこう)たり
上に無花(むか)の古樹(こじゅ)有り、下に傷心(しょうしん)の春草(しゅんそう)有り
我  秦人(しんじん)に向かって路岐(ろき)を問う、云う是れ 王粲(おうさん)が南登(なんと)の古道なりと
古道は連綿(れんめん)として西京(せいけい)に走り、紫関(しかん)  落日  浮雲(ふうん)生ず
正(まさ)に当たる 今夕(こんせき)断腸の処(ところ)、驪歌(りか)愁絶(しゅうぜつ)して聴くに忍(しの)びず

 
長安と五陵他

 
灞陵行送別
㶚水、㶚陵橋、㶚陵亭、㶚陵橋のたもとで繰り広げられる別れの歌、送別のうた。
灞陵 漢の文帝劉恆(紀元前203-前157年)陵墓。長安の東南にある。
 

送君灞陵亭、 灞水流浩浩
灞陵亭で君を送る、灞水の流れはひろびろとうららかにながれている。
 この君は、不特定多数の君である。この場所で東の洛陽方面と、南の漢水に向けての古道を行くかのジャンクションである㶚水橋のたもとで別れることを意味する。 ○灞陵亭 長安東の正門たる春明門からここまでに滻水に架かる橋をわたってくるのであるが、㶚水にかかる橋のたもとにあった亭である。ここを過ぎるとしばらくは、宿場町があるだけである。長の別れを惜しみ、一夜、酒を酌み交わすのである。また、娼屋の様なものもあったようだ。㶚水の堤には楊柳があり、柳を折って旅の安全を願ったのである。 ○灞水流 長安の東を流れる川は終南山を水源にした滻水と驪山、藍田の方角から流れてくるこの㶚水が北流して合流し渭水に灌ぐのである。㶚水、滻水の二俣川。○浩浩 川の流れのひろびろとしたさま。



上有無花之古樹。 下有傷心之春草。
まだ早春で、頭上には花のない古木がある、足元には心を痛めるような芽生え始めた春草が生えている
無花之古樹 雪解け水で春が来たのではあるが、まだ早春で、花を咲かせるはずの古樹があることで別れの悲しさを演出する。 ○傷心之春草 春草は男女の情愛を連想させ、せっかく芽生えた恋心と別れに伴ういろんな意味を加えて味わいを深めている。この二句で上の無花と下の春草ばかりでなく別れの何度も振り返り手を振る、号哭することもイメージしてくる。



我向秦人問路歧。 云是王粲南登之古道。
土地の人に向かって東洛陽方面と南はどこへと分かれ道のことを尋ねた。こちらの道は建安の七子の王粲が「南登」と歌った古道はこれで漢水まで続くのだといった。
秦人 秦は陝西省の南部一帯であるから長安一帯の地元の人のこと。 ○問路歧 東と南の分岐点両方について問うこと。 ○王粲(おう さん)177年 - 217年、)は、中国、後漢末の文学者・学者・政治家。字は仲宣。王龔の曾孫、王暢の孫、王謙の子。王凱の従兄弟。子に男子二名。山陽郡高平県(現山東省)の人。曽祖父の王龔、祖父の王暢は漢王朝において三公を務めた。文人として名を残し、建安の七子の一人に数えられる。代表作として、登樓賦、公讌詩、詠史詩、七哀詩三首   從軍詩五首がある。七哀詩三首に「南の方㶚陵に登り、首をめぐらして長安を望む」とある。王粲は長安を去って㶚水を上流に登り、峠を越えて、漢水にのり、荊州(湖北省江陵県)の劉表のもとに赴くのである。こちらの古道は南の道。



古道連綿走西京。 紫闕落日浮云生。
もう一方の古道は、洛陽から連綿と続いて長安にはしっている。その紫の天子の御門のうちでは夕日が落ちて宮女たちのよろこびが生じているのだろう
古道 この路は洛陽に向かう道である。○西京 西京は長安であるが、わざわざ最強というには東京、洛陽があるということを示唆する。。 ○紫闕 天子の宮殿の御門。○落日 夕日が沈むことと洛陽と掛けてある。○浮云生 雲は、男女の混じり合いを意味し、天子の後宮のことを意味する。



正當今夕斷腸處。 驪歌愁絕不忍聽。
まさに今夜わたしは別れてひとりの夜、断腸のもだえ聲のあるところ、女が主人恋しさに唄う歌は、聞くに堪えない

斷腸處 断腸というのは、エクスタシーのことを指す。 ○驪歌 古歌で妾の女が主人を恋しくて歌う詩。○愁絕 交わりを断つこと。 ○不忍聽 女の身として聞くに忍びない。男をあさることなど全くない時代。悶えた声、待ち人の詩・・・聞くことはできない。


解説
しゃれた男は、男女の睦愛を巧妙に掛けことばで詩歌にするものであり、六朝から続く伝統的なもので、李白は集大成し、発展させたのである。 そういう意味合いを、偲ばせているからこの詩の味わい深さがあるのである。

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送賀監歸四明應制 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白138

「送賀監歸四明應制」:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白138
李白 賀知章の思い出(5) 李白138 



送賀監歸四明應制
賀秘書監が山陰四明に帰られるのを送る 天子の命に応じて作る。
久辭榮祿遂初衣。 曾向長生說息機。
長く命を受けて努めた職をやっと辞することになり栄誉をもって俸禄を受けまだ官についていないときに来た衣服を着るときがきた。これまでながく続けられてこられやっと仕事をおやめになられることをお喜びします。
真訣自從茅氏得。 恩波寧阻洞庭歸。
この朝廷にお別れをすることになり天子より、茅という諸侯名をえられた。波のように降りそそぐめぐみはむしろ洞庭湖に帰るのをさえぎるほどであろう
瑤台含霧星辰滿。 仙嶠浮空島嶼微。
美しい仙人の住まいは かすみを漂わせているが、大空の星々は滿天にある。仙人のいるところへ向かう嶮しい道は大空にまで浮いていて仙人の住む島嶼を微かくしている。
借問欲棲珠樹鶴。 何年卻向帝城飛。

ちょっとうかがいますが 仙境にあるという樹に留まっている鶴はそのままそこに棲もうとお思いであるのか。 でもまあ、何年かしたら、天子のおられる長安城に飛んでこられたらよかろうと思います。



賀秘書監が山陰四明に帰られるのを送る 天子の命に応じて作る。
長く命を受けて努めた職をやっと辞することになり栄誉をもって俸禄を受けまだ官についていないときに来た衣服を着るときがきた。これまでながく続けられてこられやっと仕事をおやめになられることをお喜びします。
この朝廷にお別れをすることになり天子より、茅という諸侯名をえられた。波のように降りそそぐめぐみはむしろ洞庭湖に帰るのをさえぎるほどであろう
美しい仙人の住まいは かすみを漂わせているが、大空の星々は滿天にある。仙人のいるところへ向かう嶮しい道は大空にまで浮いていて仙人の住む島嶼を微かくしている。
ちょっとうかがいますが 仙境にあるという樹に留まっている鶴はそのままそこに棲もうとお思いであるのか。 でもまあ、何年かしたら、天子のおられる長安城に飛んでこられたらよかろうと思います。


賀監 四明に歸るを送る 應制
久辭して 榮祿 初衣を遂う。 曾て向う 長生 息機を說ぶ。
真訣によりて茅氏を得。 恩波は 寧ろ洞庭に歸えるを阻えぎる。
瑤台は 霧を含み 星辰滿つ。 仙嶠 浮空 島嶼とうしょを微かくす。



賀監 四明に歸るを送る 應制
賀監 秘書外警号していた賀知章のこと。詩人賀知章、あざなは季真、会稽の永興(いまの浙江省蔚山県西)の人である。気の大きい明るい人で話がうまかった。かれを盲見ないと心が貧しくなるという人もいた。官吏の試験に合棉して、玄宗の時には太子の賓客という役になった。また秘書監の役にもなった。しかし晩年には苦く羽目をはずし、色町に遊び、自分から四明狂客、または租書外監と号した。李白が初めて長安に来たとき、かれを玄宗に推薦したのは、この人であったと伝えられる。天宝二年、老齢のゆえに役人をやめ、郷里にかえって道士になった。 ・應制 天子の命令によって即興でつくるものとされている。  ・四明  四明山1017m。浙江にある山の名。杭州市、蕭山市の東南100kmの所にある。近くに会稽山がある。「賀監」「賀公」どれも、賀知章のこと。 賀知章 回鄕偶書二首



久辭榮祿遂初衣、曾向長生說息機。
長く命を受けて努めた職をやっと辞することになり栄誉をもって俸禄を受けまだ官についていないときに来た衣服を着るときがきた。これまでながく続けられてこられやっと仕事をおやめになられることをお喜びします。
久辭 長く命を受けて努めた職をやっと辞する。 ・榮祿 栄誉をもって俸禄を受ける ・初衣 まだ官についていないときに来た衣服。・息機 しごとをやめる ・ よろこぶ



真訣自從茅氏得、恩波寧阻洞庭歸。
この朝廷にお別れをすることになり天子より、茅という諸侯名をえられた。波のように降りそそぐめぐみはむしろ洞庭湖に帰るのをさえぎるほどであろう
真訣 真の別れ  ・茅氏 茅という諸侯名。 恩波 波のように降り注ぐめぐみ。 寧阻 むしろ~をさえぎる 洞庭に歸る。



瑤台含霧星辰滿、 仙嶠浮空島嶼微。
美しい仙人の住まいは かすみを漂わせているが、大空の星々は滿天にある。仙人のいるところへ向かう嶮しい道は大空にまで浮いていて仙人の住む島嶼を微かくしている。
瑤台 五色の玉で作った高台。美しい仙人の住まい。
李白「清平調詞其一」、「古朗月行」。  ・星辰滿  星も辰も、ほし。 仙嶠 仙人のいるところへ向かう嶮しい道。 浮空 ・島嶼微  島、嶼もしまをかくす。



借問欲棲珠樹鶴、何年卻向帝城飛。
ちょっとうかがいますが 仙境にあるという樹に留まっている鶴はそのままそこに棲もうとお思いであるのか。 でもまあ、何年かしたら、天子のおられる長安城に飛んでこられたらよかろうと思います。
借問 ちょっとうかがう。 ・珠樹鶴  仙境にあるという樹に留まっている鶴 。  卻向 うえをあおぎみてむかう。 

(掲載予定にはなかったものをいれる。)

送賀賓客帰越 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白137

「送賀賓客帰越」:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白137

李白 賀知章の思い出(4) 李白137 
 
送賀賓客帰越       
鏡湖流水漾清波、狂客帰舟逸興多。
天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって 面白いことでしょう
山陰道士如相見、応写黄庭換白鵝。

越の会稽地方の道士にきっと出会うと思う、そうしたら、ちょうどよい。立派な黄庭経を書き写して白鵝(あひる)と換えることに応じたらよいのです。


天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって 面白いことでしょう
越の会稽地方の道士にきっと出会うと思う、そうしたら、ちょうどよい。立派な黄庭経を書き写して白鵝(あひる)と換えることに応じたらよいのです。



賀賓客が越に帰るを送る
鏡湖(きょうこ) 流水 清波(せいは)を漾(ただよ)わし
狂客(きょうかく)の帰舟(きしゅう) 逸興(いつきょう)多し
山陰(さんいん)の道士 如(も)し相(あい)見れば
応(まさ)に黄庭(こうてい)を写して白鵝(はくが)に換うべし



鏡湖流水漾清波、狂客帰舟逸興多。
天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって 面白いことでしょう
鏡湖 山陰にある湖。天宝二年、賀知章は年老いたため、官をやめ郷里に帰りたいと奏上したところ、玄宗は詔して、鏡湖剡川の地帯を賜わり、鄭重に送別した。○漾清波、○水漾 陝西省漢水の上流の嶓冢山から流れ出る川の名であるが、澄み切って綺麗な流れということで、きれいなものの比較対象として使われる。きれいな心の持ち主の賀知章が長安のひと山越えて、漢水のきれいな水に乗って鏡湖に帰ってきたいうこと。○この句「鏡湖流水漾清波」は、次の句の帰舟にかかっている。  ○狂客帰舟逸興多 ・賀知章:659年~744年(天寶三年)盛唐の詩人。越州永興(現・浙江省蕭山県)の人。字は季真。則天武后の代に進士に及第して、国子監、秘書監などになった。・狂客:奇抜な振る舞いをする文人。また、軽はずみな人。常軌を逸した人。狂草で有名な張旭と交わり、草書も得意としていた。酒を好み、酒席で感興の趣くままに詩文を作り、紙のあるに任せて大書したことから、杜甫の詩『飲中八仙歌』では八仙の筆頭に挙げられている賀知章の自号は「四明狂客」で、ここでは彼を指す。 ・賀季真:賀知章を字で呼ぶ。親しい友人からの呼びかけになる。気の大きい明るい人で話がうまかった。かれを見ないと心が貧しくなるという人もいた。則天武后の時、官吏の試験に合格して、玄宗の時には太子の賓客という役になった。、また秘書監の役にもなった。しかし、晩年には苦く羽目をはずし、色町に遊び、自分から四明狂客、または租書外監と号した。これは、李林甫と宦官たちの悪政に対し、数少ない抗議をする役割を借ってもいたのだ。竹林の七賢人の役割を意識してのものであった。政治的な抵抗は、「死」を意味する時代であった。李白が初めて長安に来たとき、かれを玄宗に推薦したのは、この人であったと伝えられる。天宝二年、老齢のゆえに役人をやめ、郷里にかえって道士になった。


山陰道士如相見、応写黄庭換白鵝。
越の会稽地方の道士にきっと出会うと思う、そうしたら、ちょうどよい。立派な黄庭経を書き写して白鵝(あひる)と換えることに応じたらよいのです。
山陰 浙江省紹興市、会稽山あたりのこと。○道士 道教の本山が近くにあって、賀知章も道士であった。道教の熱心な地域である。○黄庭 王羲之の書の中では『蘭亭序』・『楽毅論』・『十七帖』・『集王聖教序』が特に有名である。他に『黄庭経』・『喪乱帖』・『孔侍中帖』・『興福寺断碑』などが見られるが、そのうちの『黄庭経』を書いてもらうためにこの地の道士たちが、王羲之が大変好きであった、白鵝(あひる)をたくさん送って書いてもらったことに基づく。賀知章も文字が上手だったので、「黄庭経」を書いて白鵝を貰うといいよ。 賀知章を王羲之に見立てて面白いことが起こるという。

晋の書家。王羲之(最高峰の書家)は当時から非常に有名だったので、その書はなかなか手に入れるのが困難であった。山陰(いまの浙江省紹興県)にいた一人の道士は、王羲之が白い鵞鳥を好んで飼うことを知り、一群の鵞をおくって「黄庭経」を書かせた。その故事をふまえで、この詩では山陰の故郷に帰る賀知章を、王義之になぞらえている。


 天宝二年(743)の十二月、賀知章は八十六歳の高齢でもあり、病気がちでもあったので、道士になって郷里に帰ることを願い出て許された。翌天宝三載(この年から年を載というように改められた)の正月五日に、左右相以下の卿大夫(けいたいふ)が長楽坡で賀知章を送別し、李白も詩を贈っている。
 賀知章がこんなに早くなくなるとはだれも思っていなかった。故郷に帰ってすぐなくなったわけであるから。




 この山陰地方で語るべきは、謝朓と王羲之である。謝朓は別に取り上げているので王羲之について概略を述べる。
王羲之(303年 - 361年)は書道史上、最も優れた書家で書聖と称される。末子の王献之と併せて二王(羲之が大王、献之が小王)あるいは羲献と称され、また顔真卿と共に中国書道界の二大宗師とも謳われた。
「書道の最高峰」とも言われ、近代書道の体系を作り上げ、書道を一つの独立した芸術としての地位を確保し、後世の書道家達に大きな影響を与えた。その書の中では『蘭亭序』・『楽毅論』・『十七帖』・『集王聖教序』が特に有名で、他に『黄庭経』・『喪乱帖』・『孔侍中帖』・『興福寺断碑』などがある。
  王羲之は魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の家に生まれ、東晋建国の元勲であった同族の王導や王敦らから一族期待の若者として将来を嘱望され、東晋の有力者である郗鑒の目にとまりその女婿となり、またもう一人の有力者であった征西将軍・庾亮からは、彼の幕僚に請われて就任し、その人格と識見を称えられた。その後、護軍将軍に就任するも、しばらくして地方転出を請い、右軍将軍・会稽内史(会稽郡の長官、現在の浙江省紹興市付近)となった。
 会稽に赴任すると、山水に恵まれた土地柄を気に入り、次第に詩、酒、音楽にふける清談の風に染まっていき、ここを終焉の地と定め、当地に隠棲中の謝安や孫綽・許詢・支遁ら名士たちとの交遊を楽しんだ。一方で会稽一帯が飢饉に見舞われた時は、中央への租税の減免を要請するなど、この地方の頼りになる人材となった。
 354年、かねてより羲之と不仲であった王述(琅邪王氏とは別系統の太原王氏の出身)が会稽内史を管轄する揚州刺史となり、王羲之は王述の下になることを恥じ、翌355年、病気を理由に官を辞して隠遁する。官を辞した王羲之はその後も会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、道教の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごしたという。

重憶 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白136

「重憶」:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白136
五言絶句   李白 賀知章の思い出(3)


重憶  
欲向江東去、定將誰擧杯。

わたしは江東の方へ行きたいと思っているが、いったい誰と杯をあげたらいいのだろう。
稽山無賀老、却棹酒船回。
会稽山には賀知章老はいない。それではいっそ、酒の船に棹さしてかえろう。

わたしは江東の方へ行きたいと思っているが、いったい誰と杯をあげたらいいのだろう。会稽山には賀知章老はいない。それではいっそ、酒の船に棹さしてかえろう。



重ねて憶う
江東に向って去らんと欲す、定めて誰と杯を挙げん。
稽山に 賀老無く、却って酒船に棹さして回る。



欲向江東去、定將誰擧杯。
わたしは江東の方へ行きたいと思っているが、いったい誰と杯をあげたらいいのだろう。
江東 長江の東。江蘇・浙江省方面。○ 与と同じ。



稽山無賀老、却棹酒船回。
会稽山には賀知章老はいない。それではいっそ、酒の船に棹さしてかえろう。
稽山 会稽山の略、すなわち賀知章の故郷。


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これからは短いものを取り上げても一首一日としていく、複数の詩を掲載すると検索しにくかったり、詩が埋没してしまうかもしれないので、どんなになながい詩でも分割して、細切れにして掲載するのは、作者に失礼と思うので分割掲載はしない。その考えで、複数掲載も行けないのではと考えたのである。そこで、関連した、物語をけいさいすることにした。



◎李白を朝廷に導いたのは

 李白と玉真公主との関係をひらいたのは、恐らく司馬承禎である。承禎は、字を子微といった。開元10年代の後半ぐらいであろうが、道教を以て玄宗に召されたひとである。その時、王屋山(山西省陽城県)にいたが、玄宗の妹、玉真公は玄宗の命によってここへ王屋山に使したことがある。この承禎(貞一先生)と李白とが江陵(荊州)で会ったことは、その「大鵬賦」の序にのべている。

 ただし周知の如く、秘書監であり、道士の資格者賀知章が彼の「蜀道難」に感嘆して、これを「謫仙人」と呼び、玄宗に推薦したといふのも重要なファクターである。
要するに承禎、玉真公主や呉筠等の道教関係の側と、賀知章との推薦が同時期に行われて、李白は翰林に入ることを得たのである。そして、玄宗が道教に傾倒していたこと、宮廷詩人はいないような状態であった。王維がいたが、張説、張九齢の派閥で、10年くらい涼州などに飛ばされ長安に帰ってきていたが、李林保などとの折り合いが悪く、半官半隠で、輞川荘の経営を本格化し始めたころである。



李白の臨終の際、李白の話を書き残したものに、李白のめからみた入朝の様子が述べられている。
唐朝 大明宮01

小尾郊一著「中国の詩人・李白」P74-75から

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唐の李陽氷の『草堂集』序には次のようにいっている。

天宝中、皇祖(玄宗) 詔を下して徴し、金馬(門)に就かしむ。輦を降り歩して迎え、綺皓を見るが如く、七宝の牀を以って食を賜う。御手もて羹を調え以って之に飯し、謂いて日わく、
「卿は是れ布衣にして、名は朕の知るところと為る、素より道義を蓄うるに非ざれは、何を以って此に及ばんと。」
金堂殿に置き、翰林中に出入せしめ、問うに国政を以ってし、潜かに詔誥を草せしむ。人知る者なし。

「金馬」門は、漢代の名で、唐では、大明宮の右銀台門を指し、この門を入ると、学士院・翰林院があり、その奥に金鑾殿がある。「綺皓」は秦末の商山の四皓を指す。東園公・用里先生・綺里季・夏黄公の四人が商山に隠れ、ともに八十余歳で、髪は白かったので商山の四皓という。その中の綺里季を代表させてという。漢の高祖が迎えたが、従わなかった。富貴に恬淡たる人物たちである。
玄宗が金馬門(右銀台門)まで歩いて出迎え、漢の高祖が南山の四皓を迎えるごとく礼を尽くし、その上、七宝の食卓で、天子みずからが御馳走をとってくれたという。この記述による限り、天子としては最高の礼を尽くした出迎えである。事実この通りであったかどうかは疑わしいが、玄宗もけっして疎かには扱わなかったであろう。この記録は李白が最後に病身を託した一族である李陽妹の書いたものである。李陽次は李白の口述を記録したものにちがいない。李白の誇張もあるし、李陽次の修飾もあろう。また玄宗が、「きみの名は自分も知っているが、それは道義を身につけているからこそ有名になったのだ」とのことばがあったと記されているが、これもはたして玄宗が「道義」といったかどうか。これはむしろ、李白は自分こそ正しい道義を体しているという自信のほどをいっているのではなかろうか。また、「問うに国政を以ってす」というのも玄宗が果たしてそのつもりであったのか、これも李白自身がそう期待していたことではあるまいか。
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對酒憶賀監二首 其二 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白135

對酒憶賀監二首 其二  李白135  賀知章の思い出(2) 



對酒憶賀監二首 其二
狂客歸四明。 山陰道士迎。
奇抜な振る舞いをする王羲之の再来といわれる文人が四明山に帰ったときには、山陰地方の道士全員で出迎えた。
敕賜鏡湖水。 為君台沼榮。
官を辞しての帰郷に際して天子から鏡湖の地帯を賜わったが、君のおかげで、この地域の人々、高台や沼、湖も栄誉を受けて、これから繁栄するのだ。
人亡余故宅。 空有荷花生。
人はなくなってしまったら、古い屋敷が残るのだ、そして賜った鏡湖にはむなしくハスの花が咲きほこる。
念此杳如夢。 淒然傷我情。

これまでのいろんなことを思いだすと、すべてが夢のように消え去ってしまう、よき理解者であっただけにすさまじいものさびしさがわたしのこころをかなしくさせるのだ。


奇抜な振る舞いをする王羲之の再来といわれる文人が四明山に帰ったときには、山陰地方の道士全員で出迎えた。
官を辞しての帰郷に際して天子から鏡湖の地帯を賜わったが、君のおかげで、この地域の人々、高台や沼、湖も栄誉を受けて、これから繁栄するのだ。
人はなくなってしまったら、古い屋敷が残るのだ、そして賜った鏡湖にはむなしくハスの花が咲きほこる。

これまでのいろんなことを思いだすと、すべてが夢のように消え去ってしまう、よき理解者であっただけにすさまじいものさびしさがわたしのこころをかなしくさせるのだ。



酒に対して賀監を憶う 其の二
狂客 四明に帰れば
山陰の遺士迎う
勅 して賜う 鏡湖の水
君が為に 台沼栄ゆ
人亡びて 故宅を余し
空しく荷花の生ずる有り
此を念えば 香として夢の如く
凄然として我が情を傷ましむ


 賀知章 回鄕偶書二首



狂客歸四明、山陰道士迎。
奇抜な振る舞いをする王羲之の再来といわれる文人が四明山に帰ったときには、山陰地方の道士全員で出迎えた。
狂客:奇抜な振る舞いをする文人。また、軽はずみな人。常軌を逸した人。狂草で有名な張旭と交わり、草書も得意としていた。酒を好み、酒席で感興の趣くままに詩文を作り、紙のあるに任せて大書したことから、杜甫の詩『飲中八仙歌』では八仙の筆頭に挙げられている賀知章の自号は「四明狂客」で、ここでは彼を指す。・四明  四明山1017m。浙江にある山の名。杭州市、蕭山市の東南100kmの所にある。近くに会稽山がある。道教の盛んな地方である。「賀監」「賀公」どれも、賀知章のこと。 賀知章 回鄕偶書二首
 ・賀知章:659年~744年(天寶三年)盛唐の詩人。越州永興(現・浙江省蕭山県)の人。字は季真。則天武后の代に進士に及第して、国子監、秘書監などになった
。○山陰 晋の書家 王羲之(中国最高の書家)は当時から非常に有名だったので、その書はなかなか手に入れるのが困難であった。山陰(いまの浙江省紹興県)にいた一人の道士は、王羲之が白い鵞鳥を好んで飼うことを知り、一群の鵞をおくって「黄庭経」を書かせた。その故事をふまえで、この詩では山陰の故郷に帰る賀知章を、王義之になぞらえている。

敕賜鏡湖水、為君台沼榮。
官を辞しての帰郷に際して天子から鏡湖の地帯を賜わったが、君のおかげで、この地域の人々、高台や沼、湖も栄誉を受けて、これから繁栄するのだ。
鏡湖 山陰にある湖。天宝二年、賀知章は年老いたため、官をやめ郷里に帰りたいと奏上したところ、玄宗は詔して、鏡湖剡川の地帯を賜わり、鄭重に送別した。〇台沼 高台や沼。



人亡余故宅、空有荷花生。
人はなくなってしまったら、古い屋敷が残るのだ、そして賜った鏡湖にはむなしくハスの花が咲きほこる。
荷花 ハスの花。


念此杳如夢、淒然傷我情。
これまでのいろんなことを思いだすと、すべてが夢のように消え去ってしまう、よき理解者であっただけにすさまじいものさびしさがわたしのこころをかなしくさせるのだ。
 はるか。○淒然 すさまじい。ものさびしいさま。


五言律詩
韻  明、迎。水、榮。宅、生。夢、情。

対酒憶賀監 二首 并序 其一 李白

対酒憶賀監 二首 并序 其一 :李白 賀知章の思い出(1) 133-134 



對酒憶賀監併序         
太子賓客賀公、
於長安紫極宮一見余、呼余為謫仙人。        
老子を祀る玄元廟(げんげんびょう)に宿をとっていただき、秘書監の賀知章とあう、長安紫極宮で私を一目見るや呼ばれたのが「謫仙人」と号された。
因解金亀換酒為楽、
没後対酒、悵然有懐而作是詩。

ここにかかる金子を金細工の亀によって賄われた、亡くなられた後酒に向かう、恨み嘆き、思い出すことがありこのを作る、


酒に対して賀監を憶ふ序を併す
太子賓客なりし賀公、長安の紫極宮にて一度余を見るや、余を呼びて謫(たく)仙人と為す。
因って金亀を解き酒に換えて楽しみを為し、没後 酒に対するに、悵然として懐い有り、而して是の詩を作る。



太子賓客賀公、於長安紫極宮一見余、呼余為謫仙人。
老子を祀る玄元廟(げんげんびょう)に宿をとっていただき、秘書監の賀知章とあう、長安紫極宮で私を一目見るや呼ばれたのが「謫仙人」と号された。
賀監 秘書外警号していた賀知事のこと。詩人賀知章、あざなは季真、会稽の永興(いまの漸江省蔚山県西)の人である。気の大きい明るい人で話がうまかった。かれを盲見ないと心が貧しくなるという人もいた。官吏の試験に合棉して、玄宗の時には太子の賓客という役にな。、また秘書監の役にもなった。しかし晩年には苦く羽目をはずし、色町に遊び、自分から四明狂客、または租書外監と号した。李白が初めて長安に来たとき、かれを玄宗に推薦したのは、この人であったと伝えられる。天宝二年、老齢のゆえに役人をやめ、郷里にかえって道士になった。○紫極宮 老子をまつる廟。○謫仙人 天上から人間世界に流された仙人。



因解金亀換酒為楽、没後対酒、悵然有懐而作是詩。
ここにかかる金子を金細工の亀によって賄われた、亡くなられた後酒に向かう、恨み嘆き、思い出すことがありこのを作る、
金亀 腰につけた飾りの勲章。○悵然 恨み嘆くさま。悼むのではなく、恨んで詩を作っている。


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李白は老子を祀る玄元廟(げんげんびょう)に宿を取っている。道教の知人、詩人の秘書監(従三品)の賀知章(がちしょう)の指示で泊まったようだ。賀知章は八十四歳である。
賀知章は李白が差し出した詩を読んで「此の詩、以て鬼神を哭せしむべし」と称賛し、李白を「謫仙人」(たくせんにん)と言って褒めたという。「謫仙人」とは天上から地上にたまたま流されてきた仙人という意味であって、道教では最大の褒め言葉である。


對酒憶賀監 李白
其一
四明有狂客,風流賀季真。
浙江の四明山には、奇特な振る舞いをする文人がいる。 賀知章は詩歌を作って書を書いて、世俗から離れていた。
長安一相見,呼我謫仙人。
長安でちょっと見かけた。 わたしを「謫仙人」と呼んでいた。
昔好杯中物,今爲松下塵。
この賀知章、昔は、酒を好んだものだった。今は死んで、松の木の下の塵土となってしまっている。 
金龜換酒處,卻憶涙沾巾。

有りがたいことに黄金のカメの飾りを酒に換えて接待してくれたところがある。そこへ来ると思わず知らず、涙が出て布巾を湿らせたものだ。 


浙江の四明山には、奇特な振る舞いをする文人がいる。 
賀知章は詩歌を作って書を書いて、世俗から離れていた。
長安でちょっと見かけた。 わたしを「謫仙人」と呼んでいた。
この賀知章、昔は、酒を好んだものだった。今は死んで、松の木の下の塵土となってしまっている。 
有りがたいことに黄金のカメの飾りを酒に換えて接待してくれたところがある。そこへ来ると思わず知らず、涙が出て布巾を湿らせたものだ。


酒に對して 賀監を 憶ふ
四明に 狂客有り,風流の賀季真。
長安に 一たび相ひ見(まみ)え,我を謫仙人と呼ぶ。
昔は 杯中の物を好むれど,今は松下の塵と爲る。
金龜酒に換へし處,卻(かへっ)て憶(おも)ひ涙巾を沾(うるほ)す。
四明山にキチガイがいた。畏人の賀季兵だ。長安ではじめて出会ったとき、わたしを見るなり「訴仙
人」と呼んだ。



四明有狂客、風流賀季真。
浙江の四明山には、奇抜な振る舞いをする文人がいる。 
賀知章は詩歌を作って書を書いて、世俗から離れていた。
四明  四明山1017m。浙江にある山の名。杭州市、蕭山市の東南100kmの所にある。近くに会稽山がある。「賀監」「賀公」どれも、賀知章のこと。 賀知章 回鄕偶書二首
 ・賀知章:659年~744年(天寶三年)盛唐の詩人。越州永興(現・浙江省蕭山県)の人。字は季真。則天武后の代に進士に及第して、国子監、秘書監などになった。・狂客:奇抜な振る舞いをする文人。また、軽はずみな人。常軌を逸した人。狂草で有名な張旭と交わり、草書も得意としていた。酒を好み、酒席で感興の趣くままに詩文を作り、紙のあるに任せて大書したことから、杜甫の詩『飲中八仙歌』では八仙の筆頭に挙げられている賀知章の自号は「四明狂客」で、ここでは彼を指す。 ・賀季真:賀知章を字で呼ぶ。親しい友人からの呼びかけになる。
 

長安一相見、呼我謫仙人。
長安でちょっと見かけた。 わたしを「謫仙人」と呼んでいた。
長安 唐の都。 ・一相見 ちょっと見かけた。・呼我 わたしを呼ぶのに。 ・謫仙人 〔たくせんにん〕天上界から人間の世界に追放されてきた仙人。神仙にたとえられるような非凡な才能をもった人。道教からの評価、詩人としても最大の評価といえる。李白の詩才をほめて使っている。

昔好杯中物、今爲松下塵。
この賀知章、昔は、酒を好んだものだった。今は死んで、松の木の下の塵土となってしまっている。 
 このむ。 ・杯中物 酒を指す。・爲  …となる。 ・松下塵 松の木の下の塵土。死んで土に帰ったことをいう。松柏は、死者を偲んで墓場に植えられる樹木。この場合の色は青、音は蕭蕭がともなうことが多い。



金龜換酒處、卻憶涙沾巾。
有りがたいことに黄金のカメの飾りを酒に換えて接待してくれたところがある。そこへ来ると思わず知らず、涙が出て布巾を湿らせたものだ。 
 
金龜 黄金のカメの飾り。序文にある「因解金龜換酒爲樂」こと。 ・換酒 酒に交換する。 ・ ところ。・卻憶 (想い出そうといういう気がなくとも、意志に反して)想い出されてきて。 ・ なみだ。 ・ うるおす。ぬらす。しめらす。 ・ 布巾。

玉壺吟 :雑言古詩 李白

 玉壺吟 :雑言古詩 李白132

玉壺吟
烈士擊玉壺、壯心惜暮年。
烈士の志をもつ者は、いま玉壷を撃って詠い、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、しだいに老いてゆく年を惜しんでいる。
三杯拂劍舞秋月、忽然高詠涕泗漣。
酒におぼれず酒杯を重ねて剣を抜き払い、秋月のもとに立って舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。
鳳凰初下紫泥詔、謁帝稱觴登御筵。
紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅が、初めて下された日、私は皇帝に拝謁し、酒杯を挙げて、御宴に登ったのだ。
揄揚九重萬乘主、謔浪赤墀青瑣賢。
九重の宮中深く住まわれる皇帝陛下の、治世の御徳を賛え、宮廷の赤墀(せきち)・青瑣(せいさ)の場所で今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
朝天數換飛龍馬、敕賜珊瑚白玉鞭。
朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬を幾たびも取り換え、勅令により、珊瑚や白玉で飾った美しい鞭を賜わった。
世人不識東方朔、大隱金門是謫仙。
世間の人々には、東方朔の才能、各いう私の才能が分からないが、「大隠者」として金馬門に隠棲している、これをもって、私こそ、「謫仙人」といわれるのだ。
西施宜笑復宜顰、醜女效之徒累身。
西施は、笑い顔も、しかめ顔も、ともに美しいが、醜女が真似をすれば、その甲斐もなく自分の価値をおとしめるだけなのだ。
君王雖愛蛾眉好、無奈宮中妒殺人。

ああ、わが君王はこの峨眉の美しさを愛しておられる、宮中の人々が西施をひどく妖妬するのを、どうすることもできないのだ。


烈士の志をもつ者は、いま玉壷を撃って詠い、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、しだいに老いてゆく年を惜しんでいる。
酒におぼれず酒杯を重ねて剣を抜き払い、秋月のもとに立って舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。
紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅が、初めて下された日、私は皇帝に拝謁し、酒杯を挙げて、御宴に登ったのだ。
九重の宮中深く住まわれる皇帝陛下の、治世の御徳を賛え、宮廷の赤墀(せきち)・青瑣(せいさ)の場所で今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬を幾たびも取り換え、勅令により、珊瑚や白玉で飾った美しい鞭を賜わった。
世間の人々には、東方朔の才能、各いう私の才能が分からないが、「大隠者」として金馬門に隠棲している、これをもって、私こそ、「謫仙人」といわれるのだ。
西施は、笑い顔も、しかめ顔も、ともに美しいが、醜女が真似をすれば、その甲斐もなく自分の価値をおとしめるだけなのだ。
ああ、わが君王はこの峨眉の美しさを愛しておられる、宮中の人々が西施をひどく妖妬するのを、どうすることもできないのだ。


(訓読み)

烈士 玉壺を擊ち、壯心 暮年を惜む。
三杯 劍を拂いて 秋月に舞い、忽然として高詠して涕泗 漣たり。
鳳凰 初めて紫泥の詔を下し、帝に謁し觴さかずきを稱あげえて御筵に登る。
揄揚す 九重 萬乘の主、謔浪す 赤墀 青瑣の賢。
天に朝して數しばしば換う飛龍の馬、敕みことのりして賜う珊瑚の白玉の鞭。
世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。
西施 笑に宜しく復た顰ひんすること宜し、丑女は之に效ならいて徒いたずらに身を累くるしむ。
君王 蛾眉の好きを愛すと雖ども、奈いかんともする無し宮中 人を妒殺するを。




玉壷の吟
玉壷吟  「玉壷の吟」。冒頭の一句に因んでつけた「歌吟・歌行」体の詩。四十三歳ごろ、長安での作。


烈士擊玉壺、壯心惜暮年。
烈士の志をもつ者は、いま玉壷を撃って詠い、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、しだいに老いてゆく年を惜しんでいる。
烈士~暮年  晋の王敦は、酒に酔うといつも、「老驥(老いた駿馬)は櫪(馬小舎)に伏すも、志は千里に在り。烈士は莫年(暮年・老年)なるも、壮心已まず」(曹操「歩出夏門行」)と詠い、如意棒で痰壷をたたいたので、壷のロがみな欠けてしまった。(『世説新語』「豪爽、第十三」の四)。壯心:いさましい気持ち、壮大な志。



三杯拂劍舞秋月、忽然高詠涕泗漣。
酒におぼれず酒杯を重ねて剣を抜き払い、秋月のもとに立って舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。
三杯 故事「一杯(いっぱい)は人酒を飲む二杯は酒酒を飲む三杯は酒人を飲む」飲酒は、少量のときは自制できるが、杯を重ねるごとに乱れ、最後には正気を失ってしまうということ。酒はほどほどに飲めという戒め。○涕泗  なみだ。「沸」は目から、「酒」は鼻から流れるもの。

 

鳳凰初下紫泥詔、謁帝稱觴登御筵。
紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅が、初めて下された日、私は皇帝に拝謁し、酒杯を挙げて、御宴に登ったのだ。
鳳凰初下紫泥詔  鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。○稱觴  觴(さかずき)を挙げる。○御筵 皇帝の設けた宴席。



揄揚九重萬乘主、謔浪赤墀青瑣賢。
九重の宮中深く住まわれる皇帝陛下の、治世の御徳を賛え、宮廷の赤墀(せきち)・青瑣(せいさ)の場所で今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
○揄揚  ほめたたえる。〇九重 宮城、皇居。天上の宮殿には九つの門がある、世界観が九であり、天もちも九に別れているそれぞれの門という伝承に基づく。○万乗  「天子」を意味する。多くの乗りもの。諸侯は千乗(台)の兵事、天子は万乗の兵事を出す土地を有する、という考えかた。○謔浪 自由自在にふざけ戯れる。○赤墀  宮殿に登る朱塗りの階段。○青瑣 宮殿の窓の縁を飾る瑣形の透かし彫りの紋様。青くぬってある。「赤墀・青瑣」は、宮殿や宮廷自体をも表わす。



朝天數換飛龍馬、敕賜珊瑚白玉鞭。
朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬を幾たびも取り換え、勅令により、珊瑚や白玉で飾った美しい鞭を賜わった。
飛竜馬 駿馬。「飛竜」は、玄武門外の厩の名。「使(軍府)内の六厩、飛竜厩を最も上乗の馬と為す」(『資治通鑑』「唐紀二十五」の胡三省注)。翰林院の学士や供奉は、初めて職につくと、飛竜厩の駿馬を貸し与えられた。(元槇「折西大夫李徳裕の〔述夢〕に奉和す、四十韻」の自注〔『元槇集外集』巻七、続補一〕)。



世人不識東方朔、大隱金門是謫仙。
世間の人々には、東方朔の才能、各いう私の才能が分からないが、「大隠者」として金馬門に隠棲している、これをもって、私こそ、「謫仙人」といわれるのだ。
東方朔 漢の武帝に仕えた滑稽文学者をさすが、ここでは、李白、自分自身をたとえた。○大隠金門 最上級の隠者は、金馬門(翰林院)に隠棲する。東方朔が酒宴で歌った歌詞に「世を金馬門に避く。宮殿の中にも以って世を避け身を全うす可LLとあるのを踏まえた。晋の王康裾の「反招隠」詩にも、「小隈は陵薮(山沢)に隠れ、大隠は朝市(朝廷や市場)に隠る」とある。○謫仙 天上界から人間界に流されてきた仙人。李白、五言律詩「対酒憶賀監并序」(酒に対して賀監を憶う―参照)。



西施宜笑復宜顰、醜女效之徒累身。
西施は、笑い顔も、しかめ顔も、ともに美しいが、醜女が真似をすれば、その甲斐もなく自分の価値をおとしめるだけなのだ。
西施 - 春秋時代の越の国の美女。中国の代表的な美女、と意識されている。○醜女効之徒累身 「累」は、苦しめる、疲労させる。宋本では「集」に作るが、景宋威淳本・王本などによって改める。此の句は、上旬と合せて『荘子』(「天運」篇)の説話を踏まえる。西施が胸を病んで眉をしかめる(噺する)と、その里の醜女がそれを効ねて、胸に手をあてて眉をしかめていっそう醜くなった。李白は自分を西施にたとえ、宮中の小人たちを醜女にたとえている。ブログ西施物語、参照。(紀 頌之の漢詩ブログ)



君王雖愛蛾眉好、無奈宮中妒殺人。
ああ、わが君王はこの峨眉の美しさを愛しておられる、宮中の人々が西施をひどく妖妬するのを、どうすることもできないのだ。
蛾眉 蛾の眉のような、三日月なりの細く美しい眉。また、その美女。李白「怨情」。。(紀 頌之の漢詩ブログ)白居易「長恨歌」では、楊貴妃を示す比喩に使っている。ここでも楊貴妃を示す。また李白自身をかけている。○妬殺  ひどく妖妬する。「殺」は動詞を強める助字。


韻  年・漣・延・賢・鞭・仙・身・人



烈士 玉壺を擊ち、壯心 暮年を惜む。
三杯 劍を拂いて 秋月に舞い、忽然として高詠して涕泗 漣たり。
鳳凰 初めて紫泥の詔を下し、帝に謁し觴さかずきを稱あげえて御筵に登る。
揄揚す 九重 萬乘の主、謔浪す 赤墀 青瑣の賢。
天に朝して數しばしば換う飛龍の馬、敕みことのりして賜う珊瑚の白玉の鞭。
世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。
西施 笑に宜しく復た顰ひんすること宜し、丑女は之に效ならいて徒いたずらに身を累くるしむ。
君王 蛾眉の好きを愛すと雖ども、奈いかんともする無し宮中 人を妒殺するを。

侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌 李白

侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌   李白 131
(宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す)

李白は初めての春を絶頂で迎えた。この詩は、宮廷内の各宮殿を皇帝に随行したのであろう、その模様を詠って、初めから最後まで後宮内の様々な宮殿を示している。

侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌
宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す
東風已綠瀛洲草。紫殿紅樓覺春好。
春を呼ぶ風、東風はすでに東方の仙人の島の瀛洲の草園の木々を緑にしている、後宮の紫殿、紅楼、すべてに 春の景色がひろがっている。
池南柳色半青春。縈煙裊娜拂綺城。』
池の南水辺の柳の色も黄緑から青々としてきた、春霞はただよいはじめしなやかに長安城を覆った。
垂絲百尺挂雕楹。
しだれ柳はその枝を百尺ものながさで彫刻で飾った楼の軒先にかかっている。
上有好鳥相和鳴。間關早得春風情。
上に気の合う鳥たちはそれぞれで啼くと合唱しているようだ、鳥のさえずりに女たちの声が混じり、はやくも春風による情を得ている。
春風卷入碧云去。千門萬戶皆春聲。
春風は、巻いて冬雲にわけ入って去っていった、城郭の千門、 城内の万戸、みんな春の声になった。
是時君王在鎬京。五云垂暉耀紫清。
この時 君王は長安鎬京にいらっしゃるので、五雲も暉(ひかり)を垂れて天空の真ん中で耀(かがや)いている。
仗出金宮隨日轉。天回玉輦繞花行。
仗(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。
始向蓬萊看舞鶴。還過芷若聽新鶯。
はじめ蓬萊殿に向っていく舞姫たちを看(み) た、また茝石(シジャク)殿を過ぎたら新らしい歌手の歌を聴いた。
新鶯飛繞上林苑。愿入簫韶雜鳳笙。
新歌手は次々に宮殿にゆき上林苑のなかを繞っている、簫韶(ショウショウ) 舜の楽に入って鳳笙の合奏の中に一緒に歌おうとしている。


侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌 李白131
(宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す)
春を呼ぶ風、東風はすでに東方の仙人の島の瀛洲の草園の木々を緑にしている、後宮の紫殿、紅楼、すべてに 春の景色がひろがっている。
池の南水辺の柳の色も黄緑から青々としてきた、春霞はただよいはじめしなやかに長安城を覆った。
しだれ柳はその枝を百尺ものながさで彫刻で飾った楼の軒先にかかっている。
上に気の合う鳥たちはそれぞれで啼くと合唱しているようだ、鳥のさえずりに女たちの声が混じり、はやくも春風による情を得ている。
春風は、巻いて冬雲にわけ入って去っていった、城郭の千門、 城内の万戸、みんな春の声になった。
この時 君王は長安鎬京にいらっしゃるので、五雲も暉(ひかり)を垂れて天空の真ん中で耀(かがや)いている。
仗(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。
はじめ蓬萊殿に向っていく舞姫たちを看(み) た、また茝石(シジャク)殿を過ぎたら新らしい歌手の歌を聴いた。
新歌手は次々に宮殿にゆき上林苑のなかを繞っている、簫韶(ショウショウ) 舜の楽に入って鳳笙の合奏の中に一緒に歌おうとしている。



(宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す)
東風すでに緑にす瀛洲の草、紫殿 紅楼 春の好きを覚ゆ。
池南の柳色なかば青青、烟を縈(めぐ)らせ裊娜(ジョウダ)として綺城を払ふ。
垂糸百尺雕楹(チョウエイ)に挂(かか)り。
上に好鳥のあひ和して鳴くあり、間関はやくも得たり春風の情。
春風 巻いて碧雲に入って去り、千門 万戸みな春声。
この時 君王は鎬京(コウケイ)にゐませば、五雲も暉(ひかり)を垂れて紫清に耀(かがや)く。
仗(ジョウ)は金宮を出でて日に随って転じ、天は玉輦(レン)を回 (めぐら)して花を繞って行く。
はじめ蓬萊に向って舞鶴を看(み)、また茝石(シジャク※ 13)を過ぎて新鴬を聴く。
 新鴬は飛びて上林苑を繞り、簫韶(ショウショウ) に入って鳳笙に雑(まじは)らんと願ふ。

唐朝 大明宮01

東風已綠瀛洲草。紫殿紅樓覺春好。
春を呼ぶ風、東風はすでに東方の仙人の島の瀛洲の草園の木々を緑にしている、後宮の紫殿、紅楼、すべてに 春の景色がひろがっている。
東風 春風。○瀛洲 東方海上にある仙人の住む山、蓬莱山、方丈山、瀛州山。○紫殿 後宮の中には紫宸殿、紫蘭殿など翰林院からすべて東側にあるもの


池南柳色半青春。縈煙裊娜拂綺城。』
池の南水辺の柳の色も黄緑から青々としてきた、春霞はただよいはじめしなやかに長安城を覆った。
半青春 萌木色。黄緑。○縈煙 春霞。○裊娜 しなやかな様。○綺城 美しい長安城


垂絲百尺挂雕楹、
上有好鳥相和鳴、間關早得春風情。

しだれ柳はその枝を百尺ものながさで彫刻で飾った楼の軒先にかかっている。
上に気の合う鳥たちはそれぞれで啼くと合唱しているようだ、鳥のさえずりに女たちの声が混じり、はやくも春風による情を得ている

垂糸 しだれ柳の枝。○雕楹(チョウエイ) 楼閣の彫刻で飾った軒先○間関 鳥の相和して鳴くさま。ここは、後宮の女たちの声を示す。 ○春風情 春風に誘われて男女の混じりあい。


春風卷入碧云去。千門萬戶皆春聲。
春風は、巻いて冬雲にわけ入って去っていった、城郭の千門、 城内の万戸、みんな春の声になった。
碧雲 暗い雲。冬の雲。


是時君王在鎬京。五云垂暉耀紫清。
この時 君王は長安鎬京にいらっしゃるので、五雲も暉(ひかり)を垂れて天空の真ん中で耀(かがや)いている。
鎬京 春秋戦国のころの宮廷の場所で長安の古称 ○五云 仙界の五色のうつくしい雲。 ○垂暉 かがやきひかりの輪が尾を引くさま。 ○耀紫清 空のまんなか


仗出金宮隨日轉。天回玉輦繞花行。
仗(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。
 杖の先に剣がついている宮廷の警護専門の武器。○金宮 金鑾殿 ○玉輦 宝飾で飾った皇帝の御車。
 
始向蓬萊看舞鶴。還過芷若聽新鶯。
はじめ蓬萊殿に向っていく舞姫たちを看(み) た、また茝石(シジャク)殿を過ぎたら新らしい歌手の歌を聴いた。
蓬萊 宮廷にも大液池という大きな池がありその中島を蓬莱山している。ここでは、道教に言う東方に浮かぶ仙人の山である。


新鶯飛繞上林苑。愿入簫韶雜鳳笙。
新歌手は次々に宮殿にゆき上林苑のなかを繞っている、簫韶(ショウショウ) 舜の楽に入って鳳笙の合奏の中に一緒に歌おうとしている。
新鶯 新しい歌手。 ○ 真面目である。誠実である。 ○簫韶 舜の楽 ○鳳笙 鳳凰の飾りのある笛。
上林苑 後宮内の大液池の周りの庭園。

溫泉侍從歸逢故人 :李白

溫泉侍從歸逢故人 :李白130 都長安(翰林院供奉)

李白は宮廷に召され、高官からも厚遇され、絶頂を迎えている。漢の武帝の時、楊雄もかなり年を取ってから朝廷に上がり、寵愛されている。楊雄を自分に重ねていたのだろう。国政にも参画していい助言をしたいものと考えていたようだ。しかし、玄宗は、必ずしも国政に李白を参与させるという意図を最初からもってはいない。李白の優れた詩才を愛して、文人としての才能を重要視しただけなのである。華やかな宮廷生活に興趣を添える人として李白を迎えたようである。玄宗の関心は楊貴妃にあり、国政にかかる事務までも任せきる状況であった。



溫泉侍從歸逢故人
漢帝長楊苑。 夸胡羽獵歸。
漢の武帝は長楊苑で狩猟をなされた。猛々しい獣や鳥の狩りを持ち帰った。
子云叨侍從。 獻賦有光輝。
お供をした楊雄は畏れ多く申し上げ、羽獵などの賦を献上したところたいそうおほめにあずかった。
激賞搖天筆。 承恩賜御衣。
激賞され、御自ら筆をとられ、恩を受けて、御衣冠を賜れ、以後寵愛を受けた。
逢君奏明主。 他日共翻飛。

賢明な君主である唐の国の皇帝に合うことができた、過去の日は過ぎた話、ともに大空に翻り飛び立とう。



漢の武帝は長楊苑で狩猟をなされた。猛々しい獣や鳥の狩りを持ち帰った。
お供をした楊雄は畏れ多く申し上げ、羽獵などの賦を献上したところたいそうおほめにあずかった。
激賞され、御自ら筆をとられ、恩を受けて、御衣冠を賜れ、以後寵愛を受けた。
賢明な君主である唐の国の皇帝に合うことができた、過去の日は過ぎた話、ともに大空に翻り飛び立とう。


溫泉に侍從して歸って故人に逢う。
漢帝 長楊苑、夸胡 羽獵し 歸る。
子云 侍從せりは叨し。賦を獻じ 光輝有り。
激賞して 天筆が搖る。恩を承けて 御衣を賜る。
君逢う 奏の明主。 他日 共に翻飛せん。



漢帝長楊苑、夸胡羽獵歸。
漢の武帝は長楊苑で狩猟をなされた。猛々しい獣や鳥の狩りを持ち帰った。
漢帝 漢の武帝。 ○夸胡 おごるけもの ○羽獵 鳥類の狩猟。楊雄の賦にあるのでそれを示す。


子云叨侍從、獻賦有光輝。
お供をした楊雄は畏れ多く申し上げ、羽獵などの賦を献上したところたいそうおほめにあずかった。
子雲 漢の文人。揚雄、あざなは子雲。前漢の末期、紀元前一世紀、蜀(四川)の成都の人。学問だけが好きで、それ以外の欲望は全くなく、財産もあまりなかったが満足していた。ドモリで議論ができなかったので、よく読書し、沈思黙考した。成帝の時、承明宮に召されて、甘泉、河東、長楊、羽猟の四つの賦を奏上した。かれの著書はすべて古典の模倣で、「易」に似せて「太玄経」を作り、「論語に似せて「法言」を作った。かれは晩年、ある事件の巻き添えで、疑われて逮捕されようとしたとき、天禄閣という建物の中で書物調べに没頭していたので、驚きあわてて閣上から飛び降りて、あやうく死にかけた。 ○ むさぼる。身分不相応。恐れ多い。 ○侍從 君主のおそばに同行する。
 

激賞搖天筆、承恩賜御衣。
激賞され、御自ら筆をとられ、恩を受けて、御衣冠を賜れ、以後寵愛を受けた。
御衣 冠位。この詩は、古風其八にと同様の内容なのでブログ紀頌之の漢詩参照


逢君奏明主。 他日共翻飛。
賢明な君主である唐の国の皇帝に合うことができた、過去の日は過ぎた話、ともに大空に翻り飛び立とう。
奏明主 秦の名君である玄宗皇帝を指す。○他日 きのうまでのこと。これから先の日。いつか。




参考
揚 雄(よう ゆう、紀元前53年(宣帝の甘露元年) - 18年(王莽の天鳳五年))は、中国前漢時代末期の文人、学者。現在の四川省に当たる蜀郡成都の人。字は子雲。また楊雄とも表記する。
 
蜀の地に在った若いころは、郷土の先輩司馬相如の影響から辞賦作りに没頭していたが、30歳を過ぎたとき上京する。前漢最末期の都長安で、何とか伝手を頼って官途にありつくと、同僚に王莽、劉歆らの顔があった。郷里では博覧強記を誇った揚雄も、京洛の地で自らの夜郎自大ぶりを悟り、成帝の勅許を得て3年間勉学のために休職すると、その成果を踏まえ「甘泉賦」「長揚賦」「羽猟賦」などを次々とものし、辞賦作家としての名声をほしいままにした。
毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi
kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首

駕去温泉宮後贈楊山人 :李白

駕去温泉宮後贈楊山人 :李白129

当時の李白の得意さを知る詩がある。それは、玄宗のお供をして鷹山の温泉官に行き、天子のみ車が帰ってから、楊山人に贈った詩「駕温泉官を去りし後、楊山人に贈る」である。楊山人の名は分からない。「山人」というところから、官に仕えず隠れて住んでいた人で驪山の付近に住んでいた在野の詩人だろう。



駕去温泉宮後贈楊山人  
 
少年落托楚漢間、風塵蕭瑟多苦顔。
青年のころは  長江下流地方や長安洛陽をはじめ黄河の下流域のあたりで人を頼りにしておりました、世間の風はさびしいことの音のようなもので苦しそうな顔をすることが多かった。
自言介蠆竟誰許、長吁莫錯還閉関。』  
自分でいうのもおかしいが、頑固さやなにかで成長しないままの状態で誰も認めてくれない、溜め息をついて力なく道観の奥の方で門を閉じてしまっていた
一朝君王垂払拭、剖心輸丹雪胸臆。  
一朝にして君王がすべての難事難問を吹き払い除けられ、赤心を披瀝して洗いざらい残らず胸の内を申し上げる
忽蒙白日廻景光、直上青雲生羽翼。』  
するとたちまちにして、 ひかり輝く太陽がまわってきて恵みを受けられることになった。たちまち大きな翼を生やして、この大空にあがっていこう。
幸陪鸞輦出鴻都、身騎飛龍天馬駒。
幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらっている。飛竜天馬のごとき良馬に乗っているのだ。
王公大人借顔色、金章紫綬来相趨。』
高位高官の人も面会してくれるし、大臣・将軍たちも交わってくれる王公貴顕も小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。
当時結交何紛紛、片言道合唯有君。
このとき交わりを結んだ人は数知れないほどだが、ただ一言で、調子の合ったのは君だけなのだ。
待吾尽節報明主、然後相攜臥白雲。』

私が忠節をつくし君に仕える務めが終わったら、そののちは君とともに隠遁して語りあおうではないか。


青年のころは  長江下流地方や長安洛陽をはじめ黄河の下流域のあたりで人を頼りにしておりました、世間の風はさびしいことの音のようなもので苦しそうな顔をすることが多かった。
自分でいうのもおかしいが、頑固さやなにかで成長しないままの状態で誰も認めてくれない、溜め息をついて力なく道観の奥の方で門を閉じてしまっていた
一朝にして君王がすべての難事難問を吹き払い除けられ、
赤心を披瀝して洗いざらい残らず胸の内を申し上げる
するとたちまちにして、 ひかり輝く太陽がまわってきて恵みを受けられることになった。たちまち大きな翼を生やして、この大空にあがっていこう。
幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらっている。飛竜天馬のごとき良馬に乗っているのだ。
高位高官の人も面会してくれるし、大臣・将軍たちも交わってくれる王公貴顕も小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。
このとき交わりを結んだ人は数知れないほどだが、ただ一言で、調子の合ったのは君だけなのだ。
私が忠節をつくし君に仕える務めが終わったら、そののちは君とともに隠遁して語りあおうではないか。


駕が温泉宮を去るの後 楊山人に贈る
少年  落托(らくたく)す  楚漢(そかん)の間(かん)
風塵  蕭瑟(しょうしつ)として苦顔(くがん)多し
自ら言う  介蠆(かいまん)竟(つい)に誰か許さんと
長吁(ちょうく) 莫錯(ばくさく)として還りて関を閉ず』
一朝  君王  払拭(ふっしょく)を垂(た)れ
心を剖(さ)き丹を輸(いた)して  胸臆を雪(すす)ぐ
忽ち白日の景光(けいこう)を廻らすを蒙(こうむ)り
直(ただ)ちに青雲に上って羽翼(うよく)を生ず』
幸に鸞輦(らんれん)に陪(ばい)して鴻都(こうと)を出で
身は騎(の)る 飛龍(ひりゅう)天馬(てんま)の駒(く)
王公大人(たいじん) 顔色(がんしょく)を借(しゃく)し
金章(きんしょう)紫綬(しじゅ) 来りて相趨(はし)る』
当時 交りを結ぶ 何ぞ紛紛(ふんぷん)
片言(へんげん) 道(みち)合するは唯だ君有り
吾が節を尽くして明主(めいしゅ)に報ずるを待って
然(しか)る後 相攜(たずさ)えて白雲に臥(が)せん』


 

少年落托楚漢間、風塵蕭瑟多苦顔。
生年のころは  長江下流地方や長安洛陽をはじめ黄河の下流域のあたりで人を頼りにしておりました、世間の風はさびしいことの音のようなもので苦しそうな顔をすることが多かった。
落托 他人に頼って生活する。年を取ってからなら、落ちぶれたということになる。この場合、少年の時から、いわば初めからであるから落ちぶれたのではない。 ○楚漢 楚は襄陽、安陸地方であるが実際は長江の下流域「呉・越」にも滞在している。漢は洛陽長安をいうが大まかに黄河下流「魯・斉」を含めている。


自言介蠆竟誰許、長吁莫錯還閉関。
自分でいうのもおかしいが、頑固さやなにかで成長しないままの状態で誰も認めてくれない、溜め息をついて力なく道観の奥の方で門を閉じてしまっていた
介蠆 やご。成長しないままの状態。○還閉関 たびたびあちこちの道観にはいって隠遁していることを指している。朝廷に召されたのも道教のつながりである。最初の四句は、道教の修行をしていることを示したものである。


一朝君王垂払拭、剖心輸丹雪胸臆。

一朝にして君王がすべての難事難問を吹き払い除けられ、赤心を披瀝して洗いざらい残らず胸の内を申し上げる


忽蒙白日廻景光、直上青雲生羽翼。
するとたちまちにして、 ひかり輝く太陽がまわってきて恵みを受けられることになった。たちまち大きな翼を生やして、この大空にあがっていこう。


幸陪鸞輦出鴻都、身騎飛龍天馬駒。
幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらっている。飛竜天馬のごとき良馬に乗っているのだ。
鸞輦 鸞の模様で飾られた天子の輦。 ○出鴻都 後漢の霊帝時代、儒学者たちの集まりを鴻都門学派といった。この学派が皇帝により庇護されていたものが、批判を受けた。儒教の考えから出でている自分を天子がお認めになっている。


王公大人借顔色、金章紫綬来相趨。
高位高官の人も面会してくれるし、大臣・将軍たちも交わってくれる王公貴顕も小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。
 
当時結交何紛紛、片言道合唯有君。
このとき交わりを結んだ人は数知れないほどだが、ただ一言で、調子の合ったのは君だけなのだ。


待吾尽節報明主、然後相攜臥白雲。
私が忠節をつくし君に仕える務めが終わったら、そののちは君とともに隠遁して語りあおうではないか
 
         
自分は少年のころ湖北・湖南辺りをぶらついていたが、世間における暮らしは狐独の貧乏暮らし。また、自分の倣慢をだれも許してくれぬと思って、嘆きつつ家に帰って閉じこもったきりであった。ところが、この失意の状態が、突然解消された。たちまち天子がわが才能を認めてくれることになり、赤心を開いて申し上げることになった。天子の光に照らされて、青空にかけ上って仕えることになった。

幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらっている。飛竜天馬のごとき良馬に乗っているのだ。高位高官の人も面会してくれるし、大臣・将軍たちも交わってくれる王公貴顕も小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。

これはおそらく李白がはじめて出仕したときのことであろう。おそらく事実に近いであろう。天子も優遇してくれたことは事実であろう。ただ、玄宗は李白の何を認めて優遇してくれたのか。大官たちは李白の何を認めて交わってくれたのか。その点、李白の考えるところとはかなりの食い違うものがあったにちがいない。

それは、この詩の尾聯にも予測したような隠遁のことがでており、出仕した当初から李白も感ずるものがあったのではなかろうか。

玄宗は、必ずしも国政に李白を参与させるという意図を最初からもっていたのではない。李林甫と宦官に実務をほとんどゆだねていた時期であり、李白の優れた詩才、文人としての才能を重要視したが、あくまで華やかな宮廷生活に興趣を添える人として李白を迎えたのである。この狂いが李白をさらに意固地にさせ、理解者を急速に減少させた。

侍従遊宿温泉宮作 :李白

侍従遊宿温泉宮作 李白128  都長安(翰林院供奉)  
五言律詩

 宮廷に入った李白は絶頂であったようだ。この詩はその様子をよく表している。天子に続いての席に座った李白は、初めが良すぎたともいえる。

侍従遊宿温泉宮作

羽林十二将、羅列応星文。 
宮廷護衛の将軍は羽林の十二将、星宿(せいしゅく)の各御門に応じて連なって配置についている。
霜仗懸秋月 霓旌巻夜雲。
儀仗の刃は霜のように白く秋月の光に冴えている、天子の旗は 夜空の雲を巻いてひるがえる
厳更千戸蕭 清楽九天聞。
刻を告げる太鼓の音に。 千戸の家は静まりかえり、優雅な楽のしらべが  宮廷の奥から聞こえてくる。
日出瞻佳気 叢叢繞聖君。

やがて朝日が昇るとめでたい香気がただよいはじめる、役人が朝礼にたくさん集まって聖天子の前にせいれつした。


宮廷護衛の将軍は羽林の十二将、星宿(せいしゅく)の各御門に応じて連なって配置についている。
儀仗の刃は霜のように白く秋月の光に冴えている、天子の旗は 夜空の雲を巻いてひるがえる
刻を告げる太鼓の音に。 千戸の家は静まりかえり、優雅な楽のしらべが  宮廷の奥から聞こえてくる。
やがて朝日が昇るとめでたい香気がただよいはじめる、役人が朝礼にたくさん集まって聖天子の前にせいれつした。



羽林(うりん)の十二将、羅列(られつ)して星文(せいもん)に応ず。
霜仗(そうじょう)  秋月(しゅうげつ)を懸(か)け、霓旌(げいせい)  夜雲(やうん)を巻く。
厳更(げんこう)  千戸蕭(つつし)み、清楽(せいがく)  九天(きゅうてん)に聞こゆ。
日出でて佳気(かき)を瞻(み)る、叢叢(そうそう)として聖君を繞(めぐ)る。



羽林十二将、羅列応星文。 
宮廷護衛の将軍は羽林の十二将、星宿(せいしゅく)の各御門に応じて連なって配置についている。
羽林 羽林大将軍、親衛大将軍、虎牙大将軍といった唐名で呼ぶこともあり、左近衛大将・右近衛大将をそれぞれ「左大将」・「右大将」と省略した呼び方もある○十二将 大将左右1名、中将:左右1~4名親衛中郎将、親衛将軍、羽林将軍、少将:左右2~4名羽林郎将、親衛郎将、羽林中郎将 ○羅列 連なり並ぶこと。 ○応星文 12の星座でよんだ門のこと。宮廷の門を守備する軍隊の配置。
 唐朝 大明宮01
 
霜仗懸秋月 霓旌巻夜雲。
儀仗の刃は霜のように白く秋月の光に冴えている、天子の旗は 夜空の雲を巻いてひるがえる
霜仗 守備兵の儀仗の刃が霜のように白く鋭く  ○霓旌 天子の旗 


厳更千戸蕭 清楽九天聞。

刻を告げる太鼓の音に。 千戸の家は静まりかえり,優雅な楽のしらべが  宮廷の奥から聞こえてくる。
厳更 五更:日没から日の出までを五に分けた時間の単位。 ○千戸 千戸の家。すべての家。○ 太鼓の音。○清楽 優雅な楽のしらべ。 ○九天 天を九に分け、その真ん中に天子、皇帝がいる。宮廷のこと。九重も宮廷。天文学、地理、山、九であらわした。縁起のいい数字とされた。


日出瞻佳気 叢叢繞聖君。

やがて朝日が昇るとめでたい香気がただよいはじめる、役人が朝礼にたくさん集まって聖天子の前にせいれつした。
日出 朝日が昇る ○ あおぎみる。日が昇ると朝礼がある。 ○佳気 めでたい香気。○叢叢 役人がたくさん集まっている様子。 ○ 朝礼で整列。○聖君 天子。

蜀道難 李白

蜀道難 李白127  都長安(翰林院供奉)

雑言古詩「蜀道難し」
賀知章が謫仙人として、大絶賛した詩である。前の 烏棲曲 李白125花の都長安(翰林院供奉)   は楊貴妃との仲を詠ったいわば「オベンチャラ」であるが、詩人としての評価は「蜀道難」にあった。この詩により、玄宗に推薦したというのも、否定できない。要するに呉筠等の道教関係の側、司馬承禎、持盈(ジエイ)法師(玉真公主)や、賀知章など、ここにきて集中して推薦がなされたのである。こうして李白は翰林に入ることを得た。

この「蜀道難」は迫力ある楽府である。玄宗もまさか10年後に自らがこの路を逃避して成都に入るとは考えもしなかったことである。

蜀道難
噫吁戲危乎高哉。
ああ、何と危うく、高いことか。
蜀道之難。   難于上青天。
蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。
蠶叢及魚鳧。 開國何茫然。
蜀王の蚕叢、さらには魚鳧、かれらの開国の世に何と遠くたどり着くことができなくことか。
爾來四萬八千歲。 不與秦塞通人煙。
それ以来、はるかに四万八千年、長安地方とは、人家の煙も通じないままだった。
西當太白有鳥道。 可以橫絕峨眉巔。
西のかた太白山には、鳥しか通えないような高く険しい道があるが、どうして峨眉山の巔までも、ずいと横切って進めることができよう。
地崩山摧壯士死。 然后天梯石棧相鉤連。
大地が崩れ、高山がくだけ、壮士たちが圧死したという大事件。その後で、天の梯子のような山道や、岩壁に渡した桟道が、やっとつながるようになったのだ。
上有六龍回日之高標。下有沖波逆折之囘川。
上のほうに有るのは、六竜の引く太陽神の車も迂回するような、さらに高く突き出た峰、下のほうに有るのは、ぶつかりあう波頭が逆巻きつつ、蛇行して流れ去る激流の川である。
黃鶴之飛尚不得過。 猿猱欲度愁攀緣。 』

黄鶴が飛ぼうとしても、越えてしまうのは、なお不可能だろう、猿が渡ろうとしても、よじのぼることさえできなくて考え込んでしまうだろう。

青泥何盤盤。 百步九折縈岩巒。
青泥の嶺の山道は、何と曲りくねって続くことか。百歩のうちに九度も折れ曲り、岩山をめぐって進むのだ。
捫參歷井仰脅息。以手撫膺坐長嘆。
参の星座を手でさぐり、井の星座を踏みしめるようにして、天を仰いで苦しい息をつき、わが手で胸をさすりつつ、腰をおろして長いため息ばかりつく。
問君西游何時還。畏途巉岩不可攀。
 君にたずねたい。西に向かう旅に出て、何時になったら還れるのかと。こんな恐ろしい旅路の嶮しい岩山は、よじ登ることさえなどできないのだ。
但見悲鳥號古木。雄飛雌從繞林間。
ふと見れば、悲しげな鳥が、樹齢も知られぬ古木に鳴いている、雄が飛び、雌が後を追って、樹々の間をめぐってゆく。
又聞子規啼夜月。愁空山。
また聞けば、ホトトギスが夜半の月光に啼き、何にもない山中で愁え鳴きをしている。
蜀道之難。 難于上青天。
「蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。」
使人聽此凋朱顏。』
人がこの言葉を聴けば、張りのある若さ紅顔も凋むことだろう。


連峰去天不盈尺。 枯松倒挂倚絕壁。
連なる峰々は、天から一尺にも足りぬ高さでそびえたち、枯れた松の木が、まるで逆さに掛かったように、絶壁によりかかって生えている。
飛湍瀑流爭喧豗。 砯崖轉石萬壑雷。
飛び散るしぶきの急流と、落ちかかる瀑布の流れは、たがいに豪濁音を争っている、絶壁にぶつかり、岩石を転がして、すべての谷々に雷鳴がとどろきわたっているのだ。
其險也如此。
その唆しさは、これほどまでのものなのだ。
嗟爾遠道之人胡為乎來哉。
ああ君よ、遠き道をゆく旅人よ、どうしてこんな所にやってきてしまったのか。
劍閣崢嶸而崔嵬。
剣門山の閣道は、崢嶸で崔嵬として草木もなく高く険しすぎる。
一夫當關。 萬夫莫開。
一人の男が、関所を守れば、万人が攻めても、開きはしない。
所守或匪親。化為狼與豺。
守るその男が、もし骨肉の親族でないならば、狼や山犬のような、反逆者にならぬとも限らない。
朝避猛虎。 夕避長蛇。
夜明けには、猛虎のようなやからを避け、ゆうべには、大蛇のようなやからを避ける。
磨牙吮血。 殺人如麻。
かれらは、牙を磨ぎ、血をすすって、手当り次第に、人々を殺す。
錦城雖云樂。 不如早還家。
山のかなた 〝錦城″ は、楽しい所だと言われるが、いっそ、早く我が家に戻ったほうがよい。
蜀道之難。 難于上青天。
蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。
側身西望長咨嗟。』

身をよじって西のかたを望み、長く嘆息するばかりだ。






ああ、何と危うく、高いことか。蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。
蜀王の蚕叢、さらには魚鳧、かれらの開国の世に何と遠くたどり着くことができなくことか。
それ以来、はるかに四万八千年、長安地方とは、人家の煙も通じないままだった。
西のかた太白山には、鳥しか通えないような高く険しい道があるが、どうして峨眉山の巔までも、ずいと横切って進めることができよう。
大地が崩れ、高山がくだけ、壮士たちが圧死したという大事件。その後で、天の梯子のような山道や、岩壁に渡した桟道が、やっとつながるようになったのだ。
上のほうに有るのは、六竜の引く太陽神の車も迂回するような、さらに高く突き出た峰、下のほうに有るのは、ぶつかりあう波頭が逆巻きつつ、蛇行して流れ去る激流の川である。
黄鶴が飛ぼうとしても、越えてしまうのは、なお不可能だろう、猿が渡ろうとしても、よじのぼることさえできなくて考え込んでしまうだろう。

16shisenseitomap赤印の長安から南西方面に成都がある。太白山、剣門山を経て、巴西、成都のルートということになる。天水、同谷から同じルートを杜甫が通っている。(杜甫、同谷紀行十二首、成都紀行十二首がある。)

蜀道難
蜀道難   『楽府詩集』巻四十「相和歌辞、窓調曲」。長安から萄に入る山路が険しく困難なことを詠う。一首の表現意図については多くの説があるが、一説に特定する必要はない。


噫吁戲危乎高哉。
蜀道之難。  難于上青天。
蠶叢及魚鳧。 開國何茫然。

蜀への道の難しさ。
ああ、何と危うく、高いことか。蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。
蜀王の蚕叢、さらには魚鳧、かれらの開国の世に何と遠くたどり着くことができなくことか。

噫吁戲  感嘆詞「ああ」「おお」などに相当する。蜀地方の方言とされる。○蠶叢及魚鳧  伝説中の、古代のどう蜀国における二人の君主の名。○茫然-ぼんやり広がって見定めがたいさま。
 
爾來四萬八千歲。 不與秦塞通人煙。
それ以来、はるかに四万八千年、長安地方とは、人家の煙も通じないままだった。
爾来 それ以来。〇四万八千歳 揚雄の『蜀王本紀』(『文選』巻四「三都賦」への西晋の劉達住所引)に、「どう蜀王の先、蚕叢・柏蓬・魚長・蒲沢∴開明と名づく。……開明従り上りて蚕叢に到るまで、三万四千歳を積む」とある。○秦塞 長安地方の塞。ここでは広く長安地方のまちや村をいう。


西當太白有鳥道。 可以橫絕峨眉巔。
西のかた太白山には、鳥しか通えないような高く険しい道があるが、どうして峨眉山の巔までも、ずいと横切って進めることができよう。
太白 長安の西方約100kmの山(3767m)。秦嶺山脈の主峰の一つ。○鳥道 鳥だけが通れるような険岨な山道。○何以 どのようにして。○峨眉 成都の西南西約220kmにある山(3098m)でここから西、北西に至るまで6000m級の山が連なっている。その連峰の中で蜀を象徴する名山として、ここに引いたもの。長安から蜀に入り際に蜀を包み込むように見えることから述べているのであり、進んで行く山道とは、関連しない。


地崩山摧壯士死。 然后天梯石棧相鉤連。
大地が崩れ、高山がくだけ、壮士たちが圧死したという大事件。その後で、天の梯子のような山道や、岩壁に渡した桟道が、やっとつながるようになったのだ。
地崩山擢壮士死   『華陽国志』(巻三「蜀志」)の伝説を詠ったもの。秦の恵王は、蜀王が好色なのを知って五人の美女を送った。蜀は五人の壮丁(壮士)を遣わして美女を迎えた。梓潼(剣門関の南西約80km)まで戻ってきたとき、大蛇が洞穴に入るのを見かけた。一人がその尾を引っぱったが動かず、五人で掛け声をかけて引っはると、山が崩れ、五人の壮士、五人の美女、お供のものたちも、みな圧死し、山も五つの嶺に分かれた(要旨)。○天梯 天までとどく梯子のような階段。高く険しい山道に喩える。○石桟 岩壁に刻みを作り木材を差し込みそれに板材を張っていく桟橋上のものをいう。○鉤連 (鉤で引っかけるように)つながる、つなげる。○六竜 太陽神の乗る、六頭立ての竜の引く車。義和という御者がそれを御して大空を東から西にめぐる、という神話に基づく。(『初学記』巻一所引の『准南子』「天文訓」など)。


上有六龍回日之高標。下有沖波逆折之囘川。
上のほうに有るのは、六竜の引く太陽神の車も迂回するような、さらに高く突き出た峰、下のほうに有るのは、ぶつかりあう波頭が逆巻きつつ、蛇行して流れ去る激流の川である。
回日之高標 太陽神の龍車が迂回しなければならないような高い山の峰。


黃鶴之飛尚不得過。 猿猱欲度愁攀緣。 』
黄鶴が飛ぼうとしても、越えてしまうのは、なお不可能だろう、猿が渡ろうとしても、よじのぼることさえできなくて考え込んでしまうだろう。
猿猱 手の長めのサルの類。○攀緣 よじのぼる。


韻字 天・然・煙・厳・連・川・縁
---------------------------------------------------




青泥の嶺の山道は、何と曲りくねって続くことか。百歩のうちに九度も折れ曲り、岩山をめぐって進むのだ。
参の星座を手でさぐり、井の星座を踏みしめるようにして、天を仰いで苦しい息をつき、わが手で胸をさすりつつ、腰をおろして長いため息ばかりつく。
 君にたずねたい。西に向かう旅に出て、何時になったら還れるのかと。こんな恐ろしい旅路の嶮しい岩山は、よじ登ることさえなどできないのだ。
ふと見れば、悲しげな鳥が、樹齢も知られぬ古木に鳴いている、雄が飛び、雌が後を追って、樹々の間をめぐってゆく。
また聞けば、ホトトギスが夜半の月光に啼き、何にもない山中で愁え鳴きをしている。
「蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。」人がこの言葉を聴けば、張りのある若さ紅顔も凋むことだろう。


青泥何盤盤。  百步九折縈巌巒。
青泥の嶺の山道は、何と曲りくねって続くことか。百歩のうちに九度も折れ曲り、岩山をめぐって進むのだ。
青泥 蜀道の途中の険しい嶺の名。雨や霧が多く、旅人が泥土に苦しむので、この名がある。現在の甘粛省南部の徽県と陳西省北部の略陽県の中間。杜甫の成都紀行にもこのあたりのことを詠うものがある。○盤盤  (山道が)重なりめぐるさま。○巌巒  岩山や尾根。


捫參歷井仰脅息。以手撫膺坐長嘆。
参の星座を手でさぐり、井の星座を踏みしめるようにして、天を仰いで苦しい息をつき、わが手で胸をさすりつつ、腰をおろして長いため息ばかりつく。
椚参歴井  参の星座(蜀の上空)を椚で、井の星座(秦〔長安地方〕の上空)を歩みすぎる。山道が高いので、手や足が星座に届きそうだ、という表現。○脅息  (山が高く峻しく空気が薄いので)呼吸が苦しげなさま。また、緊張や悲しみで息がつけない時にも用いる。脅は収縮する、・させるの意。
 

問君西游何時還。畏途巉巌不可攀。
 君にたずねたい。西に向かう旅に出て、何時になったら還れるのかと。こんな恐ろしい旅路の嶮しい岩山は、よじ登ることさえなどできないのだ。
長途 人を畏れさせるような険しい途。○巉巌  ゴツゴツとそびえる岩。
 
但見悲鳥號古木。雄飛雌從繞林間。
ふと見れば、悲しげな鳥が、樹齢も知られぬ古木に鳴いている、雄が飛び、雌が後を追って、樹々の間をめぐってゆく。


又聞子規啼夜月。愁空山。
また聞けば、ホトトギスが夜半の月光に啼き、何にもない山中で愁え鳴きをしている。
子規 ホトトギス。「杜鵑鳥」ともかく。蜀の地方に多い。


蜀道之難。 難于上青天。 使人聽此凋朱顏。』
「蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。」人がこの言葉を聴けば、張りのある若さ紅顔も凋むことだろう。
朱顔  血色のよい顔。紅顔。

韻字  盤・轡・歎・還・攀・間・山・天・顔
------------------------------------------------------------------



連なる峰々は、天から一尺にも足りぬ高さでそびえたち、
枯れた松の木が、まるで逆さに掛かったように、絶壁によりかかって生えている。
飛び散るしぶきの急流と、落ちかかる瀑布の流れは、たがいに豪濁音を争っている、絶壁にぶつかり、岩石を転がして、すべての谷々に雷鳴がとどろきわたっているのだ。
その唆しさは、これほどまでのものなのだ。
ああ君よ、遠き道をゆく旅人よ、どうしてこんな所にやってきてしまったのか。
剣門山の閣道は、崢嶸で崔嵬として草木もなく高く険しすぎる。
一人の男が、関所を守れば、万人が攻めても、開きはしない。守るその男が、もし骨肉の親族でないならば、狼や山犬のような、反逆者にならぬとも限らない。
夜明けには、猛虎のようなやからを避け、ゆうべには、大蛇のようなやからを避ける。
かれらは、牙を磨ぎ、血をすすって、手当り次第に、人々を殺す。
山のかなた 〝錦城″ は、楽しい所だと言われるが、いっそ、早く我が家に戻ったほうがよい。
蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。
身をよじって西のかたを望み、長く嘆息するばかりだ。



連峰去天不盈尺。 枯松倒挂倚絕壁。
連なる峰々は、天から一尺にも足りぬ高さでそびえたち、枯れた松の木が、まるで逆さに掛かったように、絶壁によりかかって生えている。


飛湍瀑流爭喧豗。 砯崖轉石萬壑雷。
飛び散るしぶきの急流と、落ちかかる瀑布の流れは、たがいに豪濁音を争っている、絶壁にぶつかり、岩石を転がして、すべての谷々に雷鳴がとどろきわたっているのだ。
飛溝 しぶきをあげて飛びちる激流。○暴流 滝。瀑布が落ち流れる轟音。○砯崖  水が岩壁に音をたててぶつかること。○喧豗 さわがしさ。水が出すすべての音が集まったやかましさをいう。〇萬壑  無数の谷間。
 
其險也如此。嗟爾遠道之人胡為乎來哉。
その唆しさは、これほどまでのものなのだ。
ああ君よ、遠き道をゆく旅人よ、どうしてこんな所にやってきてしまったのか。
  ああ。感嘆詞。○爾  「汝」 の類語。○ どうして。疑問反語。原因を問いただす。「何」 の類語。

 
劍閣崢嶸而崔嵬。
剣門山の閣道は、崢嶸で崔嵬として草木もなく高く険しすぎる。
剣閣 剣門山(蜀道の中の最も険岨な山。四川省東北部)の閣道(桟道)。現在の四川省剣閣県の東北の、大剣山・小剣山の間、約一五キロの山々に設置された。唐代にはここに剣門関が置かれていた。〇崢嶸而崔嵬 - 高く険しいさま。・崢嶸 山など高く嶮しいさま。歳月の積み重なるさま。寒気の厳しいさま。 ・崔嵬 石や岩がごろごろしているさま。高くそばだって草木がない山。


一夫當關。 萬夫莫開。所守或匪親。化為狼與豺。
一人の男が、関所を守れば、万人が攻めても、開きはしない。守るその男が、もし骨肉の親族でないならば、狼や山犬のような、反逆者にならぬとも限らない。
一夫当関~化為狼与財  剣閣を詠う慣用句。


朝避猛虎。 夕避長蛇。
夜明けには、猛虎のようなやからを避け、ゆうべには、大蛇のようなやからを避ける。


磨牙吮血。 殺人如麻。
かれらは、牙を磨ぎ、血をすすって、手当り次第に、人々を殺す。
  吸う・すする。音は「ゼン・セン」「ジュン・シュン」 の二系統がある。○殺人如麻  手あたり次第に人を殺す。「如麻」は、多く入り乱れるさま。


錦城雖云樂。 不如早還家。
山のかなた 〝錦城″ は、楽しい所だと言われるが、いっそ、早く我が家に戻ったほうがよい。
錦城  成都の美称。「錦官城」ともいう。昔、成都の南部地区に錦を扱う官署(少城)が置かれていたための呼称。蜀は錦の名産地だった。


蜀道之難。 難于上青天。
蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。


側身西望長咨嗟。』
身をよじって西のかたを望み、長く嘆息するばかりだ。
○側身  体の向きを変える。身をよじる、振りかえる。○長咨嗟 長く嘆息する。


韻字 尺・壁/蒐・雷・哉・鬼・開・財/蛇・麻・家・嗟






蜀道難
噫吁戲危乎高哉。
蜀道之難。
難于上青天。
蠶叢及魚鳧。
開國何茫然。
爾來四萬八千歲。
不與秦塞通人煙。
西當太白有鳥道。
可以橫絕峨眉巔。
地崩山摧壯士死。
然后天梯石棧相鉤連。
上有六龍回日之高標。
下有沖波逆折之囘川。
黃鶴之飛尚不得過。
猿猱欲度愁攀緣。 』
----- 
噫吁戲(ああ) 危ふきかな高い哉
蜀道の難きは青天に上るよりも難し     
蚕叢と魚鳧(ぎょふ)と
開國 何ぞ茫然たる
爾來 四萬八千歳
秦塞と人煙を通ぜず
西のかた太白に當りて鳥道有り
何を以てか峨眉の頂を橫絶せん
地崩れ山摧けて壯士死す
然る后 天梯 石棧 相ひ鉤連す
上には六龍回日の高標有り
下には沖波逆折の回川有り
黄鶴の飛ぶこと 尚過ぐるを得ず
猿柔度らんと欲して攀縁を愁ふ



青泥何盤盤。
百步九折縈岩巒。
捫參歷井仰脅息。
以手撫膺坐長嘆。
問君西游何時還。
畏途巉岩不可攀。
但見悲鳥號古木。
雄飛雌從繞林間。
又聞子規啼夜月。愁空山。
蜀道之難。 難于上青天。
使人聽此凋朱顏。』
----
青泥 何ぞ盤盤たる
百歩九折 岩巒を巡(めぐ)る
參を捫(さぐ)り井を歴て仰いで脅息し
手を以て膺(むね)を撫し 坐して長嘆す
君に問ふ 西游して何れの時にか還ると
畏途の巉岩 攀づ可からず
但だ見る 悲鳥古木に號ぶを
雄は飛び雌は從って 林間を繞る
又聞く 子規夜月に啼いて
空山を愁ふるを
蜀道の難きは
青天に上るよりも難し
人をして此を聽いて朱顏を凋ばしむ



連峰去天不盈尺。
枯松倒挂倚絕壁。
飛湍瀑流爭喧(豗)。
(砯)崖轉石萬壑雷。
其險也如此。
嗟爾遠道之人胡為乎來哉。
劍閣崢嶸而崔嵬。
一夫當關。
萬夫莫開。
所守或匪親。
化為狼與豺。
朝避猛虎。
夕避長蛇。
磨牙吮血。
殺人如麻。
錦城雖云樂。
不如早還家。
蜀道之難。
難于上青天。
側身西望長咨嗟。』
-----
連峰天を去ること尺に盈たず
枯松倒しまに挂(か)かって絶壁に倚る
飛湍 瀑流 爭って喧?(けんかい)たり
崖を撃ち石を轉じて萬壑雷(とどろ)く
其の險や此くの若し
嗟(ああ)爾遠道の人
胡為(なんすれ)ぞ來れるや     
劍閣は崢嶸として崔嵬たり
一夫 關に當たれば
萬夫も開く莫し
守る所 或は親に匪ざれば
化して 狼と豺と為る
朝には 猛虎を避け      
夕には 長蛇を避く      
牙を磨き 血を吮(す)ひ      
人を殺すこと麻の如し
錦城 樂しと云ふと雖も
早く家に還るに如かず
蜀道の難きは
青天に上るよりも難し
身を側てて西望し 長く咨嗟す


古風五十九首 其十 李白

古風 其十 李白126都長安(翰林院供奉)


古風 其十
齊有倜儻生、魯連特高妙。
斉の国には英傑の士が多いが、魯仲連は中でもずばぬけている。
明月出海底、一朝開光曜。
たとえば明月の珠が海底から出てきて、一朝にして光輝をはなつようなものだ。
卻秦振英聲、後世仰末照。
秦の軍隊を追っ払ってすぐれた名声をとどろかせ、後世の人はその余光を仰いでいる。
意輕千金贈、顧向平原笑。
千金の贈物を全くもんだいにせず、平原君の方をふりむいて一笑に付した。
吾亦澹蕩人、拂衣可同調。

わたしも同様、さっぱりしたたちだ。思いきって、かれと意気投合しょう。


斉の国には英傑の士が多いが、魯仲連は中でもずばぬけている。
たとえば明月の珠が海底から出てきて、一朝にして光輝をはなつようなものだ。
秦の軍隊を追っ払ってすぐれた名声をとどろかせ、後世の人はその余光を仰いでいる。
千金の贈物を全くもんだいにせず、平原君の方をふりむいて一笑に付した。
わたしも同様、さっぱりしたたちだ。思いきって、かれと意気投合しょう。


古風 其の十
斉に倜儻てきとうの生有り、魯連ろれん 特に高妙。
明月 海底より出で、一朝 光曜こうようを開く。
秦を却しりぞけて 英声を振い、後世 末照を仰ぐ。
意 千金の贈りものを軽んじ、顧みて平原に向って笑う。
吾も亦た 澹蕩たんとうの人、衣を払って 調を同じゅうすべし。


戦国時代勢力図


齊有倜儻生、魯連特高妙。
斉の国には英傑の士が多いが、魯仲連は中でもずばぬけている。
 今の山東省にあった紀元前の国。昔、周のはじめ、有名な太公望がそこに封ぜられ、又、桓公のようなすぐれた君主の出た土地で、傑物が少なくない。○倜儻 志が大きく、人にすぐれ、独立自由であること。○ 先生の略。○魯連 魯仲連の略称。
戦国時代の斉の国の人で、義侠の士として有名である。伝記は「史記」の列伝に見える。つね日ごろ、人とはちがった大志を抱き、仕官せず職にもつかなかった。たまたま趙の国に遊んでいた時、紀元前二四七年、秦の軍隊が趙の邯鄲(いまの河北省にある)を包囲した。魯仲連は、秦に降伏することに断乎反対して、題の平原君を助けた。同時に、魂の国の王子信陵君もまた、兵を率いて秦を攻撃したので、秦は退却し、超は救われた。郡部の包囲が解かれたのち、平原君は魯仲連に領地を与えようとした。魯仲連は辞退した。平原君はそこで千金をおくろうとした。魯仲連は笑って言った。「天下に貴ばれる士たる者は、人のために患を排し、難をとき、紛乱を解して、しかも何も受取らないものです。もしも報酬を受取るなら、それは商人です。」何も受け取らないで立去り、生涯ふたたび現われなかった。


明月出海底、一朝開光曜。
たとえば明月の珠が海底から出てきて、一朝にして光輝をはなつようなものだ。
明月 明月のような夜光の珠。


卻秦振英聲、後世仰末照。
秦の軍隊を追っ払ってすぐれた名声をとどろかせ、後世の人はその余光を仰いでいる。
 やはり紀元前、今の陝西省にあった国。○末照 余光。


意輕千金贈、顧向平原笑。
千金の贈物を全くもんだいにせず、平原君の方をふりむいて一笑に付した。
平原 平原君。趙の国の王子で、食客数千人をかかえていたので有名。


吾亦澹蕩人、拂衣可同調。
わたしも同様、さっぱりしたたちだ。思いきって、かれと意気投合しょう。
澹蕩 あっさりして、物事にこだわらないこと。○払衣 うわぎをぱっとはねあげてすっくとたちあがること。決然と別れを告げるときに用いることば。○同調 調子が合う。

烏棲曲 :李白

李白  烏棲曲

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。 東方漸高奈樂何。

(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)  呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

李太白集巻一44

烏  棲  曲

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7485

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-9

423 <1000

 

 

 

-371-6502-06楽府烏棲曲  (姑蘇臺上烏棲時,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六二  06

文體:

樂府

李太白集 

02-06

 

 

詩題:

烏棲曲

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 姑蘇台

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

-371-6502-06楽府烏棲曲  (姑蘇臺上烏棲時,) 

  卷162_6 《烏棲曲》李白 

烏棲曲

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。

歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。 

東方漸高奈樂何。 


烏棲曲 
烏棲の曲。(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。 
呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。

歌楚舞歡未畢、青山猶銜半邊日。 

歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。

銀箭金壺漏水多、起看秋月墜江波。 
そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。

東方漸高奈樂何。

はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

(烏棲曲)

姑蘇の臺上 烏棲む時、呉王の宮裏 西施を酔わしむ。
呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず、青山 猶お銜まんと欲す、半邊の日。
銀箭 金壷 漏水多し、起って看る 秋月の江波に墜つるを。
東方漸く高く 楽しみを奈何。


大明宮の圖003
『烏棲曲』現代語訳と訳註解説
(
本文)

烏棲曲

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。

歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。

東方漸高奈樂何。

(下し文)
(烏棲曲)

姑蘇の臺上 烏棲む時、呉王の宮裏 西施を酔わしむ。

呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず、青山 猶お銜まんと欲す、半邊の日。

銀箭 金壷 漏水多し、起って看る 秋月の江波に墜つるを。

東方漸く高く 楽しみを奈何。

(現代語訳)
烏棲曲(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)

呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。

歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。

そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。

はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

霓裳羽衣舞002
(訳注) 

烏棲曲

(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)

1 烏棲曲 梁簡文帝、梁の元帝、蕭子顯、並びに此の題有り之を作る。《樂府詩集巻四十八》に「清商曲辞、西曲歌」の歌中に烏夜啼を列して後よりなる。男女の歓楽を詠うものが多い。また、李白詩に、これに倣った「大堤曲」「襄陽歌」「丁都護歌」「荊州歌」「採連曲」などある。

2 本事詩に李白初めて蜀より京師に至る。賀知章は其の烏棲曲を見て嘆賞苦吟し、曰く「此詩可以泣鬼神矣」。或は言う「是烏夜啼二篇、未だ孰是を知らん。」とある。

3 蕭士贇は「この樂府は然り深く國風諷刺の體を得り、盛んに其の美を言うて、美ならざる者、自ら見わる。」という。

 

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。

呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。

4 姑蘇台 春秋時代の末期、呉王の開聞と夫差が、父子二代をかけて築いた姑蘇山の宮殿。現在の江蘇省蘇州市、もしくはその西南約一五キロ、横山の北がその跡とされる。16世紀に王世貞撰よってかかれた《豔異編--第五卷》に、「越王越謀滅,畜天下奇寶、美人、異味進於。殺三牲以祈天地,殺龍蛇以祠川岳。矯以江南億萬民輸為傭保。越又有美女二人,一名夷光,二名修明(即西施、鄭旦之別名),以貢於處以椒華之房,貫細珠為簾幌,朝下以蔽景,夕卷以待月。二人當軒並坐,理鏡靚妝於珠幌之,竊窺者莫不動心驚魂,謂之神人。王妖惑忘政。」(越王 越謀し滅さんとし,天下の奇寶、美人、異味を畜えて進む。三牲を殺し 以て天地を祈り,龍蛇を殺し 以て川岳を祠る。矯って以て江南億萬民を輸して傭保為らしむ。越 又た、美女二人有り,一名は夷光,二名は修明(即ち西施、鄭旦の別名である),以て貢ぐ。處らしむるに椒華の房を以てし,細珠を貫いて簾幌と為し,朝に下し 以て景を蔽い,夕に卷き以て月を待つ。二人 軒に當って並坐し,鏡を理めて珠幌の靚妝し,竊に窺うもの動心驚魂せざるは莫し,之れ神人と謂う。王 妖惑し 政を忘る。

《述異記》に王夫差築姑蘇之臺、三年乃成。周旋詰屈横亘五里、崇飾土木、殫耗人力、妓數千人、上立春宵為長夜之飲、造千石酒鍾、夫差作天池池中造青龍舟、舟中盛陳妓樂、日與西施為水嬉。」(王夫差 姑蘇之臺、三年乃る。周旋詰屈 横に亘る五里、土木を崇飾し、人力を殫耗し、妓數千人、上に春宵立てて夜の飲をし、千石の酒鍾を造り、夫差 天池を作し 池中に青龍舟を造り、舟中盛に妓樂を陳じ、日に西施と水嬉を為す。

《述異記》は、中国の南朝梁の任昉が撰したとされる志怪小説集。2巻。 ... 隋書』や『旧唐書』の「経籍志」および『新唐書』「芸文志」で著録される『述異記』10巻は、撰者を祖沖之としている。

5 呉王 夫差をさす。

6 裏  なか。

7 西施  呉王夫差の歓心を買うために、越王勾践から夫差に献上された美女。

李白8  蘇台覧古

(2)西施ものがたり

  

歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。

8 呉歌楚舞  呉(江蘇地方)の歌、楚(湖南・湖北地方)の舞い。ここでは、呉王の歓楽の象徴としての長江中流・下流地方の歌舞をいう。

・呉歌《樂府詩集》卷四十四引《晉書·樂志》にく「歌雜曲,並出江南。東晉已來,稍有增廣。其始皆徒歌,既而被之管弦。」とあり、呉歌は、南方の流行歌。

・楚舞 《史記留侯世家》:「高帝謂戚夫人曰:『為我楚舞,吾為若楚歌.』歌曰:「鴻鴈高飛,一舉千里。羽翮已就,橫四海。橫四海,當可奈何!雖有矰繳,尚安所施!」(鴻鵠高く飛んで、一挙に千里。羽翼すでに就って、四海を横絶す。四海を横絶すれば、 当に如何すべき。矰繳あれど、何処に施さん。)といった南方に行われた舞曲。

9 半邊日 青い山脈が、まだ太陽の半輪を衝えている。夕陽が半ば青山に沈み隠れた状態をいう。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。

そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。

10 銀箭 水時計の漏水桶に泛べる銀の箭。「箭」は時刻の目盛りを指し示すハリである。江總詩「虬水銀箭莫相催」

11 金壷 金属製の水時計の壷。鮑照詩 「金壺夕淪劉良」 註に金壺は、貯し、漏水を刻する者銅を以て之を為し、故に金壺と曰う。

12 漏水多 水時計の底から水が多く漏れる。長時間の経過を示す。夜は夜明けまでの五更に別れるので、上の桶の水が下の桶に流れ落ちてゆくので、時間の長さを水の量で表現したもの。

 

東方漸高奈樂何。

はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

13 漸高 (空が)次第に白く明るくなる。ここでは、「高」は「塙」「呆」の音通で用いられている。

14 奈楽何 (たとえ夜空が白もうとも)歓楽を尽くすことに支障はない。


(烏棲曲)

姑蘇の臺上 烏棲む時、呉王の宮裏 西施を酔わしむ。
呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず、青山 猶お衝んと欲す、半邊の日。
銀箭 金壷 漏水多し、起って看る 秋月の江波に墜つるを。
東方漸く高く 楽しみを奈何。

 

 

 

【字解】

   烏棲曲

士贇曰樂録烏栖曲者/鳥獸三十一曲之一也

 

姑蘇臺上烏棲時呉王裏醉西施齊賢曰賀知章見/太白烏栖曲嘆賞

曰此詩可/以泣鬼神呉歌楚舞歡未畢青山欲半邊日銀箭

壺漏水多起看秋月墜江波東方漸高柰樂何士贇曰/此詩雖

只樂府然深得國風諷刺之體盛言/其美而不美者自見觀者其毋忽諸

 

 

  烏棲曲梁簡文帝梁元帝蕭子顯並有此題之作/樂府詩集列于西曲歌中烏夜啼之後

姑蘇臺上烏棲時裏醉西施歌楚舞歡未

青山欲繆本/作猶銜半邊日銀箭金壺一作金/壺丁丁漏水多起看

秋月墜江波東方漸髙奈樂何

述異記王夫差/築姑蘇之臺三年乃成周旋詰曲横亘五里崇飾土木殫耗人力官妓千/

立春宵為長夜之飲造千石酒鍾作天池池中造青龍舟舟中盛陳妓樂日與西施為水

晉書 /歌雜曲並出江南 漢書 為我楚舞 

江總詩「虬水銀箭莫」相催 鮑照詩 「金壺夕淪劉良」 註に金壺は、貯し、漏水を刻する者銅を以て之を為し、故に金壺と曰う。

本事詩に李白初めて蜀より京師に至る。賀知章は其の烏棲曲を見て嘆賞苦吟し、曰く「此詩可以泣鬼神矣」。或は言う「是烏夜啼二篇、未だ孰是を知らん。」

 

内別赴徴 三首 其三 :李白

内別赴徴 三首 其三:李白124
この詩は蜀にいる女性のため未詠ったのだろうか
 
其三
翡翠為樓金作梯、誰人獨宿倚門啼。
翡翠の楼閣に黄金の梯子で住んでいる後宮の宮妓もまつものである、門に佇み自分ひとり、嘆いて泣くのは誰であろう。
夜坐寒燈連曉月、行行淚盡楚關西。

夜は寒灯の下で暁の月の照らすまで泣きぬれ、さめざめと泣いて涙は尽きてしまうであろう、あの遠い楚の関所の西の方で妻は。


翡翠の楼閣に黄金の梯子で住んでいる後宮の宮妓もまつものである、門に佇み自分ひとり、嘆いて泣くのは誰であろう。
夜は寒灯の下で暁の月の照らすまで泣きぬれ、さめざめと泣いて涙は尽きてしまうであろう、あの遠い楚の関所の西の方で妻は。



翡翠(ひすい) 楼と為(な)し 金 梯(てい)と作すとも
誰人(だれひと)か独宿して  門に倚(よ)りて啼(な)く
夜泣きて寒燈(かんとう)  暁月(ぎょうげつ)に連なり
行行(こうこう)涙は尽く  楚関(そかん)の西



翡翠為樓金作梯、誰人獨宿倚門啼。

翡翠の楼閣に黄金の梯子で住んでいる後宮の宮妓もまつものである、門に佇み自分ひとり、嘆いて泣くのは誰であろう。
翡翠 後宮の飾りに使われるもの。○ 楼閣。 ○金作梯 楼閣に上がる階段の手すりなどの飾りを金で作る。 ○誰人 後宮で待つ宮妓をさしながら、李白、李白を待つ妻をさす。 ○獨宿 李白とその妻。 ○倚門啼 それぞれにそれぞれの角先で啼く。
後宮の女の人でも待ち続け、啼いているのだ。


夜坐寒燈連曉月、行行淚盡楚關西。
夜は寒灯の下で暁の月の照らすまで泣きぬれ、さめざめと泣いて涙は尽きてしまうであろう、あの遠い楚の関所の西の方で妻は。
寒燈 一人で蝋燭をつけることをいう。旅人の一人寝の場合に使われることが多い。 ○連曉月 月が出てから明け方まで続いていることを表現している。 ○行行 行動の継続を意味する。 ○楚關西 楚の関所の西の位置。地図で示す通り襄陽のあたりがその中心で、南陵あたりは、越というのが李白の表現ではあるが。
戦国時代勢力図

 三首の詩の中で一首目の場所を示すものとして、吳關、三首目に楚關西と場所が違う。楚の関所の西ということであれば、李白は巴という言い方をしている。はたして、巴の女ということか。それとも襄陽、安陸の人か。南陵であってもおかしくはない。
李白は何人かいる女性のそれぞれの別れに対してそれぞれ誰にも会う別れの詩を詠ったのではなかろうか。場所の特定をしないで関所を示している。これだと、どこの女性も自分のことと思うのではなかろうか。
いずれにしても、この詩は、留守中の妻のことを思ってのものであるが、李白自身も、妻同様やはり寂しい思いに駆られ涙したのであろう。

三国鼎立時代の勢力図


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内別赴徴 三首 其二  李白

内別赴徴 三首 其二李白123

この詩は、妻に出立のときの心意気を示したものである。
一般的にこの詩の解釈として、“妻子のいつ帰ってくるかという問いに対して、「大臣・大将の位になって帰ってきたら、少しは丁重に出迎えてくれよ」といって、その心意気を示すとともに、やや妻に向かってからかっているかのごとくでもある“というものであるが私は違うと思う。女子の文盲率の高かった時代、故事の喩はその説明を詳しくしてあげないといけないわけで、妻子を題材にしていても妻に対しての詩ではないのである。では誰に対しての詩か、それは男社会に対して、「俺はこんな風に妻との別れをしたのだよ」というものである。それを踏まえて読んでみる。


其二
出門妻子強牽衣。 問我西行几日歸。
門を出る時に、妻子は私の袖や、衣(ころも)にすがりついてきた、そして、都に行けば 帰るのはいつかと尋ねたのである。
歸時儻佩黃金印。 莫學蘇秦不下機。

そこで答えた、もし、帰って来たとき、黄金の印綬(いんじゅ)を佩びていたら、蘇秦の妻は機織りして出迎えなかった故事を学んで出迎えてくれとたしなめた。


門を出る時に、妻子は私の袖や、衣(ころも)にすがりついてきた、そして、都に行けば 帰るのはいつかと尋ねたのである。
そこで答えた、もし、帰って来たとき、黄金の印綬(いんじゅ)を佩びていたら、蘇秦の妻は機織りして出迎えなかった故事を学んで出迎えてくれとたしなめた。


門を出ずれば妻子は強いて衣を牽き
我に問う西のかたに行きておおよそ日いつ帰るかと
歸り来たる時儻もし黄金の印を佩びなん
蘇秦 機より下らざるを学ぶ莫かれ


出門妻子強牽衣。 問我西行几日歸。
門を出る時に、妻子は私の袖や、衣(ころも)にすがりついてきた、そして、都に行けば 帰るのはいつかと尋ねたのである。
西行 都、長安のこと。 ○ 凡と同じ。おおよその意。


歸時儻佩黃金印。 莫學蘇秦不下機。
そこで答えた、もし、帰って来たとき、黄金の印綬(いんじゅ)を佩びていたら、蘇秦の妻は機織りして出迎えなかった故事を学んで出迎えてくれとたしなめた。
 ひいでる。もし、もしくは。ほしいままにする。ここは、もしの意味とする。○ 帯に付ける冠位を示すかざりをつけることをいう ○黄金印 諸侯・丞相・大将が佩びる印。戦国の世に蘇秦が錦を着て故郷へ帰り、「 我をして負廓の田二頃あらしめば豈に六国の相印を佩んや」 といって威張ったという話があるが、 立身出世して六国の相印を佩びる  ○蘇秦不下機 『戦国策』「秦策」にある故事で、「戦国時代、蘇秦が、秦王に説くこと十回に及ぶも、その説が行なわれぬため、家に帰る。家に帰れば、妻は怒って紐より下らず、煙は炊をなさず、父母はともに言わずであった」という。
ここでは「蘇秦の妻のようなことをしてくれるな」とたしなめた。


蘇秦は、秦に対抗する諸国同盟を説いて歩いて成功し、故郷に錦を飾ったわけであるが、これを蘇秦の積極的説得型とすると「内別赴徴 三首 其一」では諸葛孔明が無名の時、劉備が三度も草盧を訪れ礼を尽くして出馬を乞うたとされる、「三顧の礼」を受けた待ち受け型、二つを意識して李白は使っている。 






蘇秦について史記にあるが、ウィキペディアの記述を抜粋しのを紹介してこの詩を見てほしい。

蘇 秦(そ しん、? - 紀元前317年?)は、中国戦国時代の弁論家。張儀と並んで縦横家の代表人物であり、諸国を遊説して合従を成立させたとされる。蘇代の兄。洛陽の人。斉に行き、張儀と共に鬼谷に縦横の術を学んだ。
『史記』蘇秦列伝における事跡である。

数年間諸国を放浪し、困窮して帰郷した所を親族に嘲笑され、発奮して相手を説得する方法を作り出した。最初に周の顕王に近づこうとしたが、蘇秦の経歴を知る王の側近らに信用されず、失敗した。次に秦に向かい、恵文王に進言したが、受け入れられなかった。当時の秦は商鞅が死刑になった直後で、弁舌の士を敬遠していた時期のためである。
 
その後は燕の文公に進言して趙との同盟を成立させ、更に韓・魏・斉・楚の王を説いて回り、戦国七雄のうち秦を除いた六国の間に同盟を成立させ、六国の宰相を兼任した。この時、韓の宣恵王を説いた際に、後に故事成語として知られる『鶏口となるも牛後となることなかれ』という言辞を述べた。
 
趙に帰った後、粛侯から武安君に封じられ、同盟の約定書を秦に送った。以後、秦は15年に渡って東に侵攻しなかった。蘇秦の方針は秦以外の国を同盟させ、それによって強国である秦の進出を押さえ込もうとするもので、それらの国が南北に縦に並んでいることから合従説と呼ばれた。
 
合従を成立させた蘇秦は故郷に帰ったが、彼の行列に諸侯それぞれが使者を出して見送り、さながら王者のようであった。これを聞いて周王も道を掃き清めて出迎え、郊外まで人を出して迎えた。故郷の親戚たちは恐れて顔も上げない様であった。彼は「もし自分にわずかの土地でもあれば、今のように宰相の印を持つことができたろうか」と言い、親族・友人らに多額の金銭を分け与えた。
 
李白のこの詩を理解するためにはここまでにするが、ウィキペディアには李白の時代と現代では蘇秦に対する事跡は異なるようだ。以下ウィキペディアを参照。

内別赴徴三首 其一  李白

内別赴徴 三首 其一李白122


 現代でも、並外れた、天才人間は、並みの考えは当てはまらない。タイガーウッズ、など枚挙にいとまがないほどだ。まして千三百年も前の時代儒教者、仏教徒、極めた人以外、女性について、愛情をもって接するとか、家族を大切にとかを前面に出すのは極めてまれなことであった。
 女性が芸妓、妾、かこわれ者、口減らし、というのが普通に存在する時代である。現代の倫理観で李白の詩を読むと間違いを起こしやすい。

 妻子があっても、旅に出る一旗揚げて帰るものもいれば、そのまま帰らないというのも大いにあった。くどいようだが、時代が違うのである。
 天才詩人、李白は、儒教的考え方に立たなければという前提条件をおいてみれば、思想的にもしっかりしているのではないだろうか。

 家族への愛情がないわけではなく、妻に対する愛情がないわけではないのだ。ただ、謫仙人にとって家族、妻子は一番難しい詩の題材であったのだ。現代の見方、儒教的な見方からすれば、冗談か、ふざけているのかと間違われることの多い詩である。



別內赴徵三首
其一
王命三徵去未還、明朝離別出吳關。 
勅命で三顧の礼で朝廷に迎えられるから、帰られないことがあるかも知れない、明日の朝には別れなくてはならない、そして 呉の関門を出ることになる。
白玉高樓看不見、相思須上望夫山。
大理石のきざはしのある宮妓がいる宮殿の高楼はわたしが見ようとしても後宮だから入ることもできないから見ようとしても看ることはできない。
互いに思っているのだから、望夫山に登らないといけないよ

勅命で三顧の礼で朝廷に迎えられるから、帰られないことがあるかも知れない、明日の朝には別れなくてはならない、そして 呉の関門を出ることになる。
大理石のきざはしのある宮妓がいる宮殿の高楼はわたしが見ようとしても後宮だから入ることもできないから見ようとしても看ることはできない。
互いに思っているのだから、望夫山に登らないといけないよ


王命三たび徴す  去らば未だ還(かえ)らざらん
明朝離別して呉関(ごかん)を出(い)ず
白玉(はくぎょく)高楼 看(み)れども見えず
相思(そうし)  須(すべか)らく上るべし望夫山


王命三徵去未還。 明朝離別出吳關。
勅命で三顧の礼で朝廷に迎えられるから、帰られないことがあるかも知れない、明日の朝には別れなくてはならない、そして 呉の関門を出ることになる。
王命 勅令 ○三徵 諸葛孔明が名のないころ劉備が三度草盧を訪れ礼を尽くして出馬を乞うた、三顧の礼をもじったものであろう。 ○吳關 唐朝は統一国家を形成していた、ここでは三国時代の呉と魏の国境を示すもので李白は南京を経て運河を北上し黄河を西に上ったのである。
三国鼎立時代の勢力図
 


白玉高樓看不見、相思須上望夫山。
白玉(はくぎょく)高楼 看(み)れども見えず
相思(そうし)  須(すべか)らく上るべし望夫山
大理石のきざはしのある宮妓がいる宮殿の高楼はわたしが見ようとしても後宮だから入ることもできないから見ようとしても看ることはできない。
互いに思っているのだから、望夫山に登らないといけないよ

白玉 白く輝く玉飾り。白と黄金は宮殿にだけ使用されたもので、宮殿をあらわす。白玉は大理石である。謝朓、李白、「玉階怨」のきざはしに使用されている。大理石のきざはしは宮妓を示す語である。李白は都での女性関係はないよとでも言いたかったのであろう。○望夫山 中国各地にある。府兵制で夫が辺地に出征するのが義務であった。どこの家で、働き手は女であった。夫の帰りを待ち望み、やがて、女性は石に変わっていた。そういう山が全国に存在した。

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李白55 贈内
三百六十日,日日醉如泥。
雖爲李白婦,何異太常妻。
内(つま)に 贈る
一年、三百 六十日,毎日 べろんべろんに酔っている。
〝李白"の妻とは名ばかりで,あの太常の妻と同じだということ。

南陵別兒童入京 李白 121「就活大作戦」大成功

南陵別兒童入京 李白 121「就活大作戦」大成功

742年 天宝元年 李白42歳
山東において共に隠居生活を送った呉筠が、玄宗に召され入京することになった。呉筠は長安の都に入って玄宗に李白を推薦した。また、玄宗の妹の玉真公主も、つとに李白の詩人としての名声を聞いていたので、やはり長安入りを希望していた。全て道教のつながりである。かくて、玄宗のお召しによって、彼の年来の望みが果たされることになった。李白の胸内には、重要の職に就けるチャンス到来と燃え上がる希望をもって、長安に向かって出立する準備に入った。


【妻子との別れ】
李白の都長安入りは急転直下のようであるがこれまで道教の寺観を訪ね、名山を訪ねて培ってきたものの積み重ねであった。チャンスというのは積重ねがなくてあるはずもなく、この呉筠との出遇い、玉真公主、賀知章だ道教の信者でなかったら、寺観の応援がなかったなら、不可能であったのだ。
かくて、李白の「就活大作戦」は成功したのである。

出立のときは、安微の南陵(今の南陵県)に住んでいた。いつごろ湖北からここに移り住んだかは明らかではないが、詩の雰囲気で「李白47 寄東魯二稚子」の子供たちかもしれない。安陸と南陵は長江の流域で安陸から南陵は直線距離でも500km前後はある。李白に俗人的礼節はないし、儒教的な考えは全くない。いわゆる一般的な愛情というものは、全く見られないのである。この天才詩人には、あちこちに女性がいてもおかしくないのであるが、とにかくこの南陵にも妻子が住んでいたことは、詩よって明らかなことである。
南陵は、李白の好きな斉の謝朓の太守をしていた宜城の西北近くである。ここで、妻子と別れたときの詩「南陵にて児童に別れて京に入る」がある。
 
南陵別兒童入京
南陵にて兒童に別れ京に入る。
白酒新熟山中歸。 黃雞啄黍秋正肥。
新しく濁酒が出来上ったころ山中のわが家に帰ってきた。いま秋たけなわであり、黄色い鶏はキビをよく食べてよく肥えている。
呼童烹雞酌白酒。 兒女嬉笑牽人衣。

そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲む。男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱる。
高歌取醉欲自慰。 起舞落日爭光輝。
高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。
游說萬乘苦不早。 著鞭跨馬涉遠道。

天子に自分の意見を申しあげ、皇帝がもっと早く来ればよかったのにと思う。鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅するのだ。
會稽愚婦輕買臣。 余亦辭家西入秦。
会稽のおろかな嫁は朱買臣をばかにした故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に入ろうとしているのだ。
仰天大笑出門去。 我輩豈是蓬蒿人。
胸を張って大笑して門を出てゆこう。わがはいはとてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物なんかじゃない。


南陵にて兒童に別れ京に入る。

新しく濁酒が出来上ったころ山中のわが家に帰ってきた。いま秋たけなわであり、黄色い鶏はキビをよく食べてよく肥えている。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲む。男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱる。

高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。
天子に自分の意見を申しあげ、皇帝がもっと早く来ればよかったのにと思う。鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅するのだ。

会稽のおろかな嫁は朱買臣をばかにした故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に入ろうとしているのだ。
胸を張って大笑して門を出てゆこう。わがはいはとてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物なんかじゃない。


南陵にて兒童に別れ京に入る。
白酒(はくしゅ)新たに熟して山中(さんちゅう)に帰る、黄鶏(こうけい) 黍(しょ)を啄んで秋正(まさ)に肥ゆ
童(どう)を呼び鶏(けい)を烹(に)て白酒を酌(く)む、児女(じじょ)歌笑(かしょう)して人の衣(い)を牽(ひ)く

高歌(こうか) 酔(えい)を取って自ら慰めんと欲す、起って舞えば 落日光輝(こうき)を争う
万乗(ばんじょう)に遊説す 早からざりしに苦しむ、鞭を著(つ)け馬に跨(またが)って遠道を渉(わた)る

会稽(かいけい)の愚婦(ぐふ) 買臣(ばいしん)を軽んず、余(よ)も亦 家を辞して西のかた秦(しん)に入る
天を仰ぎ大笑(たいしょう)して門を出(い)で去る、我輩 豈(あ)に是(こ)れ蓬蒿(ほうこう)の人ならんや


 
南陵別兒童入京
南陵にて兒童に別れ京に入る。

南陵 安徽省宜城県の西にあり、李白は玄宗に召されて長安へ上京した際、ここで妻子と別れたらしい。この詩の児童というのは、李白47「東魯の二稚子」と同じであるかどうか、わからない。


白酒新熟山中歸。 黃雞啄黍秋正肥。
新しく濁酒が出来上ったころ山中のわが家に帰ってきた。いま秋たけなわであり、黄色い鶏はキビをよく食べてよく肥えている。
白酒 どぶろく。


呼童烹雞酌白酒。 兒女嬉笑牽人衣。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲む。男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱる。
児女 男の子と女の子


高歌取醉欲自慰。 起舞落日爭光輝。
高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。
高歌 高らかに歌を歌う ○自慰 酒を飲み酔うことにより自分で自分を慰める。 ○落日 沈む夕日の方向 ○爭光輝 光と未来の輝きがを争う


游說萬乘苦不早。 著鞭跨馬涉遠道。
天子に自分の意見を申しあげ、皇帝がもっと早く来ればよかったのにと思う。鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅するのだ。
遊説 春秋戦国時代に、ある種の人びとは各国を奔走して、国王や貴族の面前で自己の政治主張をのべ、採用されることを求めた。これを遊説といった。○万乗 皇帝のこと。古代の制度によると、皇帝は、一万の兵車を有していた。


會稽愚婦輕買臣。 余亦辭家西入秦。

会稽のおろかな嫁は朱買臣をばかにした故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に入ろうとしているのだ。
会稽愚婦軽買臣 「漢書」に出ている話。朱買臣は漢の会稽郡呉(いまの江蘇省呉県)の人。豪が貧乏で、柴を売って生活をしのいでいたが、読書好きで、柴を背負って歩きながら道道、書物を朗読した。同じく柴を背負っていっしょに歩いていた妻が、かっこうが悪いのでそれを止めると、買臣はますます大声をはりあげてやる。妻はそれを恥じ離縁を申し出た。買臣は笑って言った。「わたしは五十歳になれば必ず金持になり身分も高くなるだろう。今すでに四十余り、おまえにも長い間苦労さしたが、わたしがいい身分になっておまえの功にむくいるまで待ちなさい」妻は怒って言った。「あなたみたいな人は、しまいにドブの中で餓死するだけですよ。何でいい御身分になんかなれるものですか」買臣の留めるのもきかず、妻は去って行
った。数年後、買臣は長安に行き富貴の身になったという。吉川幸次郎「漢の武帝」岩波新書参照。しかし、朱買臣はのちのち何度も官をやめさされ、最後には武帝の命で殺された(「漢書」巻64上)し、蘇秦も六国の宰相を兼ねた得意の時は実に短かいものだったのである。李白はなぜこの故事を使ったのか、まさかの都故事通り、みにふりかかるとは思っていないから、愚妻といって冗談を言ったと思われる。○ 長安のこと。


大笑出門去。 我輩豈是蓬蒿人。
胸を張って大笑して門を出てゆこう。わがはいはとてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物なんかじゃない。
蓬嵩 よもぎ。雑草のこと。蓬嵩の人とは、野に埋もれて一生を終る人のこと。

 

 

 「児童に別れて」とある、「児童」は詩中に「児女」とあり、李白と道教(3) 李白47「 寄東魯二稚子」詩に、嬌女は平陽と字し、花を折って桃辺に侍り小児は伯禽と名づけ、姉と亦た肩を同じくすとある平陽と伯禽のことであろう。この二人と別れて都に入るときの詩であるが、むろん道士呉筠の推薦と、玉真公主の希望によってである。時は天宝元年八七讐)、李白四十二歳である。

 旅に出ていて、入京の吉報を得て、「ちょうど濁酒が熟するころ、わが山中の住みかに帰ってきた」。酒好きの李白にとってはまずは酒である。「黍を十分ついばんでいた黄鶏は、この秋に今や肥えて食べごろ。下男を呼んで鶏を煮させて肴にしつつ濁酒を飲んで、「一杯機嫌で都入。」の自慢話をすると、子供たちは歌って大喜び、お父さんよかったねと、父の着物を引っ張る」。「人がわ衣を牽く」は、子供心の嬉しさと、多少父をからかうような気持ちでもある。その様子が目に浮かぶような表現でうまい。

 高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。元来、落日の光は、どちらかというと、喜びを予想しない、不安を予期することが多い題材であるが、巧みな表現力で寂勢と希望をよく連なって詠っている。また、道教思想の西の仙女の国と西方の長安を意識させるものであって、喜びと対比させることは珍しい使い方である。


 読書が好きで、柴を負いながら書物を読む。妻はその姿のみすぼらしいのを見て、離縁を申し出る。朱買臣は、五十歳になると、地位も高く金持ちになる。今は四十歳であるから、しばらく待てという。妻は、あなたみたいな人は、どぶで餓死するであろうといって、家を出てゆく。数年後、朱買臣は、長安に行って富貴の身となった」とある。この故事をふまえて、「自分も先買臣と同じように家を出て長安の都に入ることになった。おそらく朱買臣と同じように出世するであろう」。

 「会稽の愚婦」は、ここでは、自分の妻に戯れて、「おまえも自分をいつも出世しないと馬鹿にしていたが、今度はいよいよ長安に出て出世するぞ」といった椰稔の意があるであろう。郭沫若は、『李白と杜甫』において、これは妻を愚かなる婦とののしったものであり、この「愚婦」とは、魂頴の『李翰林集』序にいう劉氏のことであるとする。李白は三度妻を要るが、二番めが劉氏である。郭氏の説には従いがたいが、参考までに挙げておく。さて、李白は「誇らしげに天を仰いで、大笑して、わが家の門を出てゆく」。「仰天大笑」は、このときの李白の喜びにあふれる気持ちを平易な表現でよく表現している。そして、最後に、李白の自信に満ちた気持ちを、「わが輩は野に埋もれる人ではない」と強くいっている。「蓬蒿」は、ともによもぎといわれ、雑草の類。野原に生えることから、田舎の意味に使われる。「蓬嵩人」という使い方は李白がはじめてであろう。


寄東魯二稚子 在金陵作
吳地桑葉綠。 吳蠶已三眠。
我家寄東魯。 誰種龜陰田。
春事已不及。 江行復茫然。』
南風吹歸心。 飛墮酒樓前。
樓東一株桃。 枝葉拂青煙。
此樹我所種。 別來向三年。
桃今與樓齊。 我行尚未旋。』
嬌女字平陽。 折花倚桃邊。
折花不見我。 淚下如流泉。』
小兒名伯禽。 與姊亦齊肩。
雙行桃樹下。 撫背復誰憐。』
念此失次第。 肝腸日憂煎。
裂素寫遠意。 因之汶陽川。』

呉地桑葉緑に、呉蚕すでに三眠。
わが家 東魯に寄す、誰か種(う)うる亀陰の田。
春事すでに及ばん、江行また茫然。』
南風 帰心を吹き、飛び 墮(お)つ 酒楼の前。
楼東 一株の桃、枝葉 青煙を払う。
この樹はわが種うるところ、別れてこのかた三年ならん。
桃はいま楼と斉(ひと)しきに、わが行ないまだ旋(かへ)らず。』
嬌女 字 (あざな)は平陽、花を折り 桃辺に倚(よ) る。
花 折りつつ 我を見ず、涙下ること流泉のごとし。』
小児名は伯禽、姐(あね)とまた肩を斉ひとしく。
ならび行く桃樹の下、背を撫してまた誰か憐れまん。』
これを念うて 次第を失し、肝腸 日(ひび) 憂いに煎る。
素(しろぎぬ)を裂いて 遠意を写し、これを汶陽川にたくす。』 

古風五十九首 其六 李白

古風 其六 李白120



古風 其六
代馬不思越。 越禽不戀燕。
北国の代の馬は、南国の越へいきたいとは思わない。また越の国の禽は、北国の燕をこいしくはおもわない。
情性有所習。 土風固其然。
感情や性質というものは、習慣によってつちかわれるところがあり、それは、土地の環境がもともとそうさせるのだ。
昔別雁門關。 今戍龍庭前。
ところが、むかし雁門の関所で、故国をはなれ、いまは竜庭の前のまもりにつかされている。
驚沙亂海日。 飛雪迷胡天。
まいあがる砂ぽこりは海の日の光を散乱させる。ふぶきが、胡の空にみだれとぶ。
蟣虱生虎鶡。 心魂逐旌旃。
しらみが兵士の服や帽子にわく、兵士の心や魂は、ひらひらする軍旗やさしものをおっかけて、たえず揺動く。
苦戰功不賞。 忠誠難可宣。
たとえ苦しい戦をしてみたところで、論功がもらえるわけでなし、忠義のまごころをいだいていても、発揮することはとてもむつかしい。
誰憐李飛將。 白首沒三邊。

飛将軍といわれた李広は、白髪頭になるまで三つの国境をかけめぐり、ついにそこで駄目になったけれども、誰がかれを哀れにおもっているであろうか。


北国の代の馬は、南国の越へいきたいとは思わない。また越の国の禽は、北国の燕をこいしくはおもわない。
感情や性質というものは、習慣によってつちかわれるところがあり、それは、土地の環境がもともとそうさせるのだ。
ところが、むかし雁門の関所で、故国をはなれ、いまは竜庭の前のまもりにつかされている。
まいあがる砂ぽこりは海の日の光を散乱させる。ふぶきが、胡の空にみだれとぶ。
しらみが兵士の服や帽子にわく、兵士の心や魂は、ひらひらする軍旗やさしものをおっかけて、たえず揺動く。
たとえ苦しい戦をしてみたところで、論功がもらえるわけでなし、忠義のまごころをいだいていても、発揮することはとてもむつかしい。
飛将軍といわれた李広は、白髪頭になるまで三つの国境をかけめぐり、ついにそこで駄目になったけれども、誰がかれを哀れにおもっているであろうか。



代馬は越を思はず、越禽は燕を恋はず。 
情性習ふ所あり、土風もとよりそれ然らむ。
昔は鴈門の関に別れ、今は龍庭の前に戍(まも)る。 
驚沙(ケイサ)海日を乱し、飛雪胡天に迷ふ、
蟣虱(キシツ)  虎鶡 (コカツ)に生じ、心魂 旌旃(セイセン)を逐 (お)ふ。
苦戦すれども功 賞せられず、忠誠宣(よろこ)ぶべきこと難し。
誰か憐れむ李飛将、白首にして三辺に没するを。 


代馬不思越、越禽不戀燕。
北国の代の馬は、南国の越へいきたいとは思わない。また越の国の禽は、北国の燕をこいしくはおもわない。
 山西省北部。○ 新江省方面。○ 走る獣の総称。鳥獣の総称。 ○ 河北省方面。


情性有所習、土風固其然。
感情や性質というものは、習慣によってつちかわれるところがあり、それは、土地の環境がもともとそうさせるのだ。
情性 感情や性。○士風 土地の環境。


昔別雁門關。 今戍龍庭前。
ところが、むかし雁門の関所で、故国をはなれ、いまは竜庭の前のまもりにつかされている。
雁門関 山両省代県のそばにある関所。万里の長城に近く、北の国境である。〇龍庭 句奴の王の単子が天をまつるところ。そこは砂漠地帯である。


驚沙亂海日。 飛雪迷胡天。

まいあがる砂ぽこりは海の日の光を散乱させる。ふぶきが、胡の空にみだれとぶ。
驚沙 騒ぎ立つ砂塵。○海日 海の太陽。この場合、海は、砂漠の中にある大きな湖のこと。


蟣虱生虎鶡。 心魂逐旌旃。
しらみが兵士の服や帽子にわく、兵士の心や魂は、ひらひらする軍旗やさしものをおっかけて、たえず揺動く。
蟣虱 しらみ。○虎鶡 虎とやまどり。鶴は、きじの一種で、喧嘩をこのみ柏手を殺すまで闘いをやめない猛烈な鳥である。後漢の時、近衛兵は、おそろしい虎の絵を軍服にえがき、やまどりの尾を冠にかざった。そこで、虎鶡といえば、兵隊の装束をさす。○旌旃 軍旗とさしもの。


苦戰功不賞。 忠誠難可宣。
たとえ苦しい戦をしてみたところで、論功がもらえるわけでなし、忠義のまごころをいだいていても、発揮することはとてもむつかしい。
 論功行賞。


誰憐李飛將。 白首沒三邊。
飛将軍といわれた李広は、白髪頭になるまで三つの国境をかけめぐり、ついにそこで駄目になったけれども、誰がかれを哀れにおもっているであろうか。
李飛将 漢の時代の名将、李広のこと。かれは生涯、北の国境を守り、旬奴と戦うこと大小七十余回、敵を殺し、又は捕虜にすること多く、旬奴から「漢の飛将軍」と称され、大いに恐れられた。生涯不遇で、大名に封ぜられなかった。おまけに、最後にはちょっとした作戦の失敗を咎められ、憤慨して自殺した。弓の名人で、虎かと思った一心で、石に矢を射立てたという逸話がある。なお、中島敦の小説の主人公「李陵」は、李広の孫に当る。また、李白は李広の子孫だと自称しているが、これは事実ではない。しかし、李白が李広を慕っていたことは、まちがいない。○ 必ずしも死ぬことでなく、捕虜になることも没である。○三邊 幽州(河北)と井州(山西)と涼州(甘粛)と、旬奴にたいする三つの国境の要処。



五月東魯行答汶上翁 李白119

五月東魯行答汶上翁 李白119

五月東魯行答汶上翁

五月梅始黃、蠶凋桑柘空。
五月になり夏になった、 梅の実は黄ばみはじめた、蚕は蛹となって桑や山ぐわのなにもかも全てなくなる。
魯人重織作、機杼鳴帘櫳。
魯の人は機織りを熱心にしている、はたを織るオサの音は換気するための格子のある小窓から聞こえてくる。
顧余不及仕、學劍來山東。
ところでわたしは いま官途に就くまでに至っていない、剣だけを学んでおり、そうしてこの 山東にやってきたのだ。
舉鞭訪前途、獲笑汶上翁。
剣にたよっていくことでこれからの行くすえが開けてくると力んでみせたら、汶水のほとりの翁に笑われた。
下愚忽壯士、未足論窮通。
愚劣なものだ、理想を求めているものの心意気がわかるものか、道理を極めていくものにとってこんなことを論ずることはないのだ。
我以一箭書、能取聊城功。
わたしは、魯仲連の一本の箭文(やぶみ)だけでもって、聊城を陥落させ、手柄を立てた故事を知っている。
終然不受賞、羞與時人同。
最後まで決して、恩賞を受け取りはしなかった、それは受け取って世間並みの男とみられるのを恥としたからだ。
西歸去直道、落日昏陰虹。
西方の仙人の住むところ帰り、「道」を求めてゆく、夕方には、 陰りのある虹が架かっているであろう。
此去爾勿言、甘心為轉蓬。

ここを去るからには余計な口出しをするものではない、おもいのままにすること、自然に任せて転蓬のように転ぶことなのだ。

五月になり夏になった、 梅の実は黄ばみはじめた、蚕は蛹となって桑や山ぐわのなにもかも全てなくなる。
魯の人は機織りを熱心にしている、はたを織るオサの音は換気するための格子のある小窓から聞こえてくる。
ところでわたしは いま官途に就くまでに至っていない、剣だけを学んでおり、そうしてこの 山東にやってきたのだ。
剣にたよっていくことでこれからの行くすえが開けてくると力んでみせたら、汶水のほとりの翁に笑われた。
愚劣なものだ、理想を求めているものの心意気がわかるものか、道理を極めていくものにとってこんなことを論ずることはないのだ。
わたしは、魯仲連の一本の箭文(やぶみ)だけでもって
聊城を陥落させ、手柄を立てた故事を知っている。
最後まで決して、恩賞を受け取りはしなかった、それは受け取って世間並みの男とみられるのを恥としたからだ。
西方の仙人の住むところ帰り、「道」を求めてゆく、夕方には、 陰りのある虹が架かっているであろう。

ここを去るからには余計な口出しをするものではない、おもいのままにすること、自然に任せて転蓬のように転ぶことなのだ。

(下し文)五月、東魯行 汶上の翁に答える
五月  梅始めて黄ばみ、蚕(さん)は凋(しぼ)み  桑柘(そうしゃ)空(むな)し。
魯人(ろじん)  織作(しょくさく)を重んじ、機杼(きじょ)  簾櫳(れんろう)に鳴る。
顧(ただ) 余(よ)  仕(つか)うるに及ばず、剣を学んで山東(さんとう)に来(きた)る。
鞭を挙(あ)げて前塗(ぜんと)を訪(と)い、笑(しょう)を汶上(ぶんじょう)の翁(おう)に獲(え)たり。
下愚(げぐ)  壮士を忽(ゆるがせ)にす、未(いま)だ窮通(きゅうつう)を論ずるに足らず。

我(われ)は一箭(いっせん)の書を以て、能(よ)く聊城(りょうじょう)を取るの功(こう)たり。
終に賞を受けず然り、時人(じじん)と同じきを羞(は)ず。
西帰(せいき)して  直道(ちょくどう)を去らば、落日  陰虹(いんこう)昏(くら)し。
此(ここ)に去る  爾(なんじ)  言うこと勿(なか)れ、甘心(かんしん)す  転蓬(てんぽう)の如きに。


五月梅始黃。蠶凋桑柘空。
五月になり夏になった、 梅の実は黄ばみはじめた、蚕は蛹となって桑や山ぐわのなにもかも全てなくなる。
○蠶凋 蚕しぼむ。生気がなくなる。 ○桑柘空 桑や山ぐわのなにもかも全てなく。

魯人重織作、機杼鳴帘櫳。
魯の人は機織りを熱心にしている、はたを織るオサの音は換気するための格子のある小窓から聞こえてくる。
○魯人 山東地方の人。○機杼 はたを織るオサ。  ○帘櫳 換気するための格子のある小窓。帘:酒屋の看板の旗。櫳:格子のある窓。

顧余不及仕、學劍來山東。
ところでわたしは いま官途に就くまでに至っていない、剣だけを学んでおり、そうしてこの 山東にやってきたのだ。

舉鞭訪前途、獲笑汶上翁。
剣にたよっていくことでこれからの行くすえが開けてくると力んでみせたら、汶水のほとりの翁に笑われた。
○汶上 山東省聊城県の北西地域。汶水のことで泰山の南を西に流れ黄河に合流する。

下愚忽壯士、未足論窮通。
愚劣なものだ、理想を求めているものの心意気がわかるものか、道理を極めていくものにとってこんなことを論ずることはないのだ。
○壯士 理想を求めている武士というような意味。  ○窮通 道理を追及していること。窮通は『易』に「窮するものは変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」に基づく。

我以一箭書、能取聊城功。
わたしは、魯仲連の一本の箭文(やぶみ)だけでもって
聊城を陥落させ、手柄を立てた故事を知っている。
○一箭書  ○聊城功 「聊城」は、今、山東省に聊城県がある。それにちなんだ故事を用いる。『史記』魯仲連伝に、「戦国の時、斉の田単が、燕軍が占領している聊城を攻めたが退かない。よって魯仲連が箭書を城中に射ると、燕将が感泣して自殺し、聊城が降った。田単は魯仲連に爵位を与えようとしたが、受けないで海上に隠れた」 という。

終然不受賞、羞與時人同。
最後まで決して、恩賞を受け取りはしなかった、それは受け取って世間並みの男とみられるのを恥としたからだ。
○終然 ついに・・・・・・してしかり。 ○時人同 世間並の人間。
李白「古風 其九」青門種瓜人、舊日東陵侯。(青門に瓜を種うるの人は旧日の東陵侯なり。)イメージはよく似ている。

西歸去直道、落日昏陰虹。
西方の仙人の住むところ帰り、「道」を求めてゆく、夕方には、 陰りのある虹が架かっているであろう。
○西歸 西方の仙人の住むところ帰 ○去直道 「道」を求めてゆく。 ○昏陰虹 陰りのある虹が架かっているであろう。実際には、長安、朝廷は西に位置する、友人の呉筠、玉真公主らによって何らかの連絡を期待していたのであろう。

此去爾勿言。甘心為轉蓬。
ここを去るからには余計な口出しをするものではない、おもいのままにすること、自然に任せて転蓬のように転ぶことなのだ。
・甘心 おもいのままにする。心に満足する。 ・転蓬 ヤナギヨモギが(根が大地から離れて)風に吹かれて、ひとつだけで、風に飛ばされてさすらうさま。日本のヨモギとは大きく異なり、風に吹かれて転がるように風に飛ばされる。(風に飛ばされて)転がってゆく蓬。飛蓬。「蓬」は、日本のヨモギとは異なる。蓬が枯れて、根元の土も風に飛ばされてしまい、根が大地から離れて、枯れた茎が輪のようになり、乾いた黄土高原を風に吹かれて、恰も紙くずが風に飛ばされるが如く回りながら、黄砂とともに流れ去ってゆく。映画『黄土地』にもその場面が出てくる。江湖を流離う老人が、転蓬とともに歩み去ってゆく。
飛蓬。孤蓬。

曹植「雑詩六首其二」
轉蓬離本根、飄颻隨長風。
何意迴飆舉、吹我入雲中。
高高上無極、天路安可窮。
類此遊客子、捐躯遠從戎。
毛褐不掩形、薇藿常不充。
去去莫復道、沈憂令人老。

また、曹植「吁嗟篇」に初句に使う。

杜甫「野人送朱桜」
西蜀桜桃他自紅、野人相贈満筠籠。
数迴細写愁仍破、万顆匀円訝許同。
憶昨賜霑門下省、退朝擎出大明宮。
金盤玉筯無消息、此日嘗新任転蓬


また、杜甫「客亭」最終句に使う。

紀頌之のブログ「李商隠8無題」最終語 参照

希望を持ってさすらうことを示すもので、詩の最初か最後に使われ、希望に向かう意思を示すものだ。

烏棲曲 李白125 花の都長安(翰林院供奉)

烏棲曲 李白125 花の都長安(翰林院供奉)

妻子との離別は寂しいが、前途洋々たる思いで花の都長安に着いた。長安の都で天下に君臨する玄宗は、史上において名高き君主であり、唐代文化の極盛期を生み出した人でもあり、政治上、「開元の治」といわれる統一国家を作り上げた人でもある。玄宗の即位の開元元年(睾二)に先立つ三年前には、わが国では、奈良の平城京に遷都し、即位の前年には、太安万侶が『古事記』を上っている。わが遣唐使の往来も随時繁くなってゆくころである。
玄宗期の都長安は、開元の治といわれる中国始まって以来の繁栄を示していた。貴族の家には必ず牡丹を主力にした庭園を造っていた。花の都は、詩人たちにさまざまに歌われた。人口も100万人を超え、世界最大都市といわれた。長安にはシルクロードよりローマ、ギリシャ、トルコ、ペルシャ世界中の人が集まっていた国際都市であった。

都市の設計は、天下に君臨する天子の名にふさわしいものであり、天下に威力を見せつけるものであり、周辺諸国には絶大な影響を与えた。日本もこの超先進国から学び国の制度を整えていったのだ。
長安城は、外郭は、東西約10km、南北8.2km、城壁は5m以上の高さがあった。東西十四条、南北に十一条の街路が通じ、碁盤の目状で、街路の幅も広く、東西の通り広いので約150mの幅員、狭いのでも70mあり、南北の通りは、ほとんどが150m級で火災に対応した都市計画であった。
この都市の優れたものは生活基盤の東西それぞれ市場があったことだ。また、北には官庁のある皇城と天子の住まいの宮城があるが、天子が実際政治をとったのは、北東の隅に当たるところの大明官であった。

李白の出仕したのも大明官であり、小高い丘の上にある。玄宗はしばしば東にある離宮の興慶官に楊貴妃とともに遊んでいる。李白の「清平調詞」の書かれた舞台である。南東の隅には、長安第一の行楽地、曲江池がある。また、その近くには大慈恩寺があり、大雁塔がそびえている。こうした花の大都会に、各地、長い放浪の旅を終え、江南の風土になじんでいた李白にとっては、見るもの珍しく感激ひとしおであったことは想像にかたくない。


李白が都についたのは晩秋九月はじめのころ、李白は老子を祀る玄元廟(げんげんびょう)に宿を取っている。道教の知人、詩人の秘書監(従三品)の賀知章(がちしょう)の指示で泊まったようだ。賀知章は八十四歳である。
賀知章は李白が差し出した詩を読んで「此の詩、以て鬼神を哭せしむべし」と称賛し、李白を「謫仙人」(たくせんにん)と言って褒めたという。「謫仙人」とは天上から地上にたまたま流されてきた仙人という意味であって、道教では最大の褒め言葉である。
「烏棲曲」は楽府題で、春秋呉越戦争の時代の懐古詩は、賀知章によって評価され、天子が三顧の礼をもって李白を迎えたことにつながる評価であったようだ。詩人で道教者の良すぎる評価は後の逆評価で奈落の底へ落とされることを引き起こす原因かもしれない。
朝廷は李林甫が宦官たちと組んで権力を集中化し始めたころであり、その一方で玄宗は、息子寿王の妃楊玉環(ようぎょくかん)を召し上げて女道士とし、宮中に入れて太真(たいしん)と名を変えさせ溺愛しはじめたころでもあった。


烏棲曲
姑蘇台上烏棲時、吳王宮里醉西施。
吳歌楚舞歡未畢、青山猶銜半邊日。
銀箭金壺漏水多、起看秋月墜江波。
東方漸高奈樂何。


烏棲の曲。
姑蘇山の台上で、カラスがねぐらに宿るとき、呉王の宮殿では、絶世の美女の西施の色香に酔いしれている。
呉の歌、楚の舞いも、歓びの宴は、尽きはしない、青い山並みに、沈みかけた半輪の太陽が光輝きを放っている。
時を示す銀の箭と金の壷、水時計はいつしか多くの水を漏らしていた、身を起こして秋の月を見れば、西の太湖の波の中に沈んでゆく。
東の空が次第に白めはじめ、明かるくなってゆこうとも、この楽しみはまだまだ続けられていくのだ。


烏棲の曲。
○烏棲曲 『楽府詩集』巻四十八「清商曲辞、西曲歌、中」。男女の歓楽を詠うものが多い。「大堤曲」「襄陽歌」
「丁都護歌」「荊州歌」「採連曲」などある。


姑蘇台上烏棲時、吳王宮里醉西施。
姑蘇山の台上で、カラスがねぐらに宿るとき、呉王の宮殿では、絶世の美女の西施の色香に酔いしれている。
○姑蘇台 -春秋時代の末期、呉王の開聞と夫差が、父子二代をかけて築いた姑蘇山の宮殿。現在の江蘇省蘇州市、もしくはその西南約一五キロ、横山の北がその跡とされる。(★印)。○呉王  ここでは夫差をさす。○裏  なか。○西施  呉王夫差の歓心を買うために、越王勾践から夫差に献上された美女。参照‥七言絶句「蘇台覧古」李白8蘇台覧古  ・西施ものがたり
  
吳歌楚舞歡未畢、青山猶銜半邊日。
呉の歌、楚の舞いも、歓びの宴は、尽きはしない、青い山並みに、沈みかけた半輪の太陽が光輝きを放っている。
○呉歌楚舞  呉(江蘇地方)の歌、楚(湖南・湖北地方)の舞い。ここでは、呉王の歓楽の象徴としての長江中流・下流地方の歌舞をいう。○青山猶衝半辺日 青い山脈が、まだ太陽の半輪を衝えている。夕陽が半ば青山に沈み隠れた状態をいう。


銀箭金壺漏水多、起看秋月墜江波。
時を示す銀の箭と金の壷、水時計はいつしか多くの水を漏らしていた、身を起こして秋の月を見れば、西の太湖の波の中に沈んでゆく。
○銀箭  水時計の銀の箭。「箭」は時刻の目盛りを指し示すハリ。○金壷 金属製の水時計の壷。○漏水多 水時計の底から水が多く漏れる。長時間の経過を示す。


東方漸高奈樂何。
東の空が次第に白めはじめ、明かるくなってゆこうとも、この楽しみはまだまだ続けられていくのだ。
○漸高 (空が)次第に白く明るくなる。ここでは、「高」は「塙」「呆」の音通で用いられている。○奈楽何 (たとえ夜空が白もうとも)歓楽を尽くすことに支障はない。


韻字   時・施/畢・日/多・波・何


烏棲曲

姑蘇の台上 烏棲む時
呉壬の官裏 西施を酔わしむ
呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず
青山 猶お衝む 半辺の日
銀箭 金壷 漏水多し
起って看る 秋月の江波に墜つるを
東方漸く高し 楽しみを奈何せん

送友人  李白 118

送友人  李白 118

送友人

青山橫北郭、白水繞東城。
草木が青々と茂っている山が、街の城郭の北側に横たわっている、澄んだ水は 城郭の東側をながれている。
此地一為別、孤蓬萬里征。
今、この地でひとたび別れることになれば、風に吹かれてひとつだけで風に飛びさすらう根なし蓬のように、万里の道をゆくのである。 
浮云游子意、落日故人情。
浮ぶ雲は、旅人の心であり、しずむ夕陽は残される友人の感情である。
揮手自茲去、蕭蕭班馬鳴。

手を振って、ここより去りろうとしている、ヒヒーンヒヒーンと、別れゆく馬もものさびしく嘶いた。

草木が青々と茂っている山が、街の城郭の北側に横たわっている、澄んだ水は 城郭の東側をながれている。
今、この地でひとたび別れることになれば、風に吹かれてひとつだけで風に飛びさすらう根なし蓬のように、万里の道をゆくのである。 
浮ぶ雲は、旅人の心であり、しずむ夕陽は残される友人の感情である。
手を振って、ここより去りろうとしている、ヒヒーンヒヒーンと、別れゆく馬もものさびしく嘶いた。


青山  北郭に 橫たはり,
白水  東城を遶(めぐ)る。
此地  一たび 別れを 爲(な)し,
孤蓬  萬里に 征(ゆ)く。
浮雲  遊子の意,
落日  故人の情。
手を 揮(ふる)ひて  茲(ここ)より 去れば,
蕭蕭(せうせう)として  班馬 鳴く。


送友人:友人を見送る。人を送るために、しばし同行してゆく。澄んだ水が、都市(城市)の東側をめぐっている。

青山橫北郭、白水繞東城。
草木が青々と茂っている山が、街の城郭の北側に横たわっている、澄んだ水は 城郭の東側をながれている。
・青山 草木が青々と茂っている山。また、墓所とすべき山。ここでは、前者の意。 ・橫 よこたわる。動詞。 ・北郭 都市の城郭の北側。・白水:澄んだ水。 ・遶 じょう めぐる。めぐらす。とりまく。 ・東城 城郭の東側。

此地一為別、孤蓬萬里征。
今、この地でひとたび別れることになれば、風に吹かれてひとつだけで風に飛びさすらう根なし蓬のように、万里の道をゆくのである。 
・此地 この地(で)。この場所(で)。 ・一爲 ひとたび…をなす(やいなや)。ひとたび…をす(れば)。 ・別 別れること。離別。名詞。・孤蓬 こほう ヤナギヨモギが(根が大地から離れて)風に吹かれて、ひとつだけで、風に飛ばされてさすらうさま。日本のヨモギとは大きく異なり、風に吹かれて転がるように風に飛ばされる。(風に飛ばされて)転がってゆく蓬。飛蓬。「蓬」は、日本のヨモギとは異なる。蓬が枯れて、根元の土も風に飛ばされてしまい、根が大地から離れて、枯れた茎が輪のようになり、乾いた黄土高原を風に吹かれて、恰も紙くずが風に飛ばされるが如く回りながら、黄砂とともに流れ去ってゆく。映画『黄土地』にもその場面が出てくる。江湖を流離う老人が、転蓬とともに歩み去ってゆく。
飛蓬。転蓬。
黄色い砂埃がやがて、老人も転蓬をも隠してゆく…。中華版デラシネ表現の一。流転の人生の象徴。。 ・萬里 遙かな行程をいう。 ・征 旅に出る。行く。

浮云游子意、落日故人情。
浮ぶ雲は、旅人の心であり、しずむ夕陽は残される友人の感情である。
・浮雲 浮かび漂う雲。漂う雲のように行方定まらないこと。・遊子 旅人。家を離れて他郷に旅立つ人。ここでは、李白の友人を指す。 ・意 心。・落日 夕陽。 ・故人 旧知の友人。 ・情 思い。

揮手自茲去、蕭蕭班馬鳴。
手を振って、ここより去りろうとしている、ヒヒーンヒヒーンと、別れゆく馬もものさびしく嘶いた。
・揮手 手を振る。 ・自茲去 …より ここ。 去る。行く。・蕭蕭 馬の嘶く声。また、もの寂しいさま。 ・班馬 離れ馬。 

古風五十九首 其八  李白

古風 其八  李白117

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古風 其八

咸陽二三月、宮柳黃金枝。
咸陽の都。二三月の季節。宮殿の柳は、黄金色に萌える枝をたれている。
綠幘誰家子、賣珠輕薄兒。
縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
日暮醉酒歸、白馬驕且馳。
昼と夜の境もなくのべつ酒に酔って帰るし、乗っている白馬も、驕り高ぶって、そして(街中でも)、走りだす。
意氣人所仰、冶游方及時。』
そのさかんな意気は、人びとがみな見上げる。芸者遊びには、もってこい時候もいいのだ。
子云不曉事、晚獻長楊辭。
揚子雲先生の場合は世間の事に通じない。晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
賦達身已老、草玄鬢若絲。
念願の賦は天子に献上するまでになったが、身はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた。
投閣良可嘆、但為此輩嗤。』

うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、本当にためいきが出る。軽薄な少年の仲間の物笑いの種になっただけであるから。

咸陽の都。二三月の季節。宮殿の柳は、黄金色に萌える枝をたれている。
縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
昼と夜の境もなくのべつ酒に酔って帰るし、乗っている白馬も、驕り高ぶって、そして(街中でも)、走りだす。
そのさかんな意気は、人びとがみな見上げる。芸者遊びには、もってこい時候もいいのだ。
揚子雲先生の場合は世間の事に通じない。晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
念願の賦は天子に献上するまでになったが、身はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた。
うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、本当にためいきが出る。軽薄な少年の仲間の物笑いの種になっただけであるから。

(下し文)古風 其八

咸陽 二三月、宮柳 黃金の枝。
綠幘(りょくさく)誰が家の子、珠を賣る 輕薄兒。
日暮 酒に醉うて歸る、白馬 驕って且た馳す。
意氣 人の仰ぐ所、冶游(やゆう)方(まさ) に時に及ぶ。
子云 事を曉(さと)らず、晚に獻ず 長楊の辭。
賦 達して 身已に老い、玄を草して 鬢 絲の若し。
閣より投ずること 良に嘆ず可し、但だ此の輩に嗤(わら)わる。



咸陽二三月、宮柳黃金枝。
咸陽の都。二三月の季節。宮殿の柳は、黄金色に萌える枝をたれている。
咸陽 秦の都。長安の対岸にある。この詩は、実際には唐の都、長安の風俗をうたっている。詩人は唐を秦、長安を咸陽とよく詠う。〇二三月 旧暦だから、春たけなわな頃である。○宮柳 宮殿のそばの柳。○黃金枝 新芽の明るい緑に日がさすと黄金に見える。この時期だけのものである。
  

綠幘誰家子、賣珠輕薄兒。
縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
綠幘 幘;幅は頭巾。みどりのずきん。漢の董偃の故事。「漢書」に見える話。董偃は母とともに真珠を売って歩いていたが、年十三のとき、漢の武帝のおばであり、陳皇后の母でもある館陶公主の邸に出入し、美貌な少年であったので公主の寵愛を得て董君と呼ばれた。そののち公主に従って帝に御目見えしたとき、かれは、綠の頭巾をかむり、腕ぬきをつけて罷り出た。公主は「館陶公主の料理番、臣偃」と紹介し、かれは平伏した。帝はかれに衣冠をたまわった。やがて無礼講がはじまったが、以後かれは武帝の寵愛をも受けるようになり、噂は天下にひろまった。吉川幸次郎「漢の武帝」(岩波新書)。


日暮醉酒歸、白馬驕且馳
と夜の境もなくのべつ酒に酔って帰るし、乗っている白馬も、驕り高ぶって、そして(街中でも)、走りだす。
漢詩ブログ6月9日李白 17少年行  杜甫「少年行」とイメージが似ている。


意氣人所仰、冶游方及時。
そのさかんな意気は、人びとがみな見上げる。芸者遊びには、もってこい時候もいいのだ。
冶遊 芸者遊び。心がとろけるような楽しい遊び。


子云不曉事、晚獻長楊辭。
揚子雲先生の場合は世間の事に通じない。晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
子雲 漢の文人。揚雄、あざなは子雲。前漢の末期、紀元前一世紀、蜀(四川)の成都の人。学問だけが好きで、それ以外の欲望は全くなく、財産もあまりなかったが満足していた。ドモリで議論ができなかったので、よく読書し、沈思黙考した。成帝の時、承明宮に召されて、甘泉、河東、長楊、羽猟の四つの賦を奏上した。かれの著書はすべて古典の模倣で、「易」に似せて「太玄経」を作り、「論語に似せて「法言」を作った。かれは晩年、ある事件の巻き添えで、疑われて逮捕されようとしたとき、天禄閣という建物の中で書物調べに没頭していたので、驚きあわてて閣上から飛び降りて、あやうく死にかけた。
不暁事 世間の事に通じない。○ 晩年。○楊辭 天子に献上する「長楊の辞」のこと。


賦達身已老、草玄鬢若絲。
念願の賦は天子に献上するまでになったが、身はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた
 韻文の一体。漢の時代の流行。○玄楊 子雲、雄の著書「太玄経」。


投閣良可嘆、但為此輩嗤。
うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、本当にためいきが出る。軽薄な少年の仲間の物笑いの種になっただけであるから。
投閣 天禄閣上から身を投げた。○此輩 緑幘さくの軽薄児をさす。 

儒教の貫いて痩せ細ったと同じこと、死んでしまっては何にもならない。世間のことぉ知らなくて、芸者遊びのひとつも知らないで、年を取ってしまった。李白はここでも儒教批判を述べている。



 
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杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首
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春夜宴桃李園序 李白116

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2012年12月1日から連載開始
唐五代詞詩・宋詞詩

『菩薩蠻 一』温庭筠   花間集


春夜宴桃李園序 李白116



天地者,萬物之逆旅;
光陰者,百代之過客。

浮生若夢,爲歡幾何?
古人秉燭夜遊,良有以也。

陽春召我以煙景,大塊假我以文章。
會桃李之芳園,序天倫之樂事。
群季俊秀,皆爲惠連。
吾人詠歌,獨慚康樂。
幽賞未已,高談轉清。
開瓊筵以坐華,飛羽觴而醉月。
不有佳作,何伸雅懷?
如詩不成,罰依金谷酒斗數。


春夜宴桃李園序

そもそも、
 天地者,萬物之逆
この広がる天と地は万物を待ち受けている旅籠のようなものだ。
光陰者,百代之過
行き過ぎてゆく年月、この時は永遠に続く旅人のようである。

 そうして、
 浮生若,爲歡幾
儚い人生というものは、夢のようなもの、喜び楽しむことができるのはどれほどもない。
 古人秉燭夜,良有以也。
昔の人が言うにはともし火をとって夜も遊んだということにはまことに理由があるというものだ。

ましてや、
 陽春召我以煙,大塊假我以文
今はうららかな春の季節、霞立つ素晴らしい景色が私を招く、大自然の神は私に詩文を書く力を許してくれている。
 會桃李之芳,序天倫之樂
桃李の花の香しきかおりはこの庭園に集まってくる、親戚同士の楽しい宴席のことを申し述べる。
 群季俊,皆爲惠
集う多くの若者たちは優れて秀でた者である、みんな謝惠連の文才を持っている。
 吾人詠,獨慚康
年長者であるわたしの詠う詩歌は謝霊運に及ばないので恥じ入るばかりだ。
 幽賞未,高談轉
謙虚な奥深い誉め言葉が続いている間は、賑やかで高尚な話はすがすがしく続いている。
 開瓊筵以坐,飛羽觴而醉
美しい玉で飾った敷物を花咲くもとで広げて座った、羽をひろげた形をした杯を飛んでいるような形で酌み交わし、月明かりに酒に酔う。
 不有佳,何伸雅
立派な作品が生まれなければ、どうしてこの風流な思いを述べることができたといえようか
 如詩不,罰依金谷酒斗

もし、詩ができなかったら故事の金谷園の詩の作れないものの罰であったような酒三斗に倣うことにする。


------韻の位置にあたる語による詩------------
 旅客。 
そもそも、人生は旅人である。
 夢何 游也。 
そうして、夢をどう持つか、遊びこそ勉学だ。
 景章 園事 秀連。 歌楽 已清 華月。
   作懐 成数。
況や、景色を文章にすること、優秀な人材が庭園に集まってきている。歌を唄い、楽しむ中清々しい花と月、いい詩ができないなら数斗をなすことになる。

暗号のような詩。(実際には要約である。新発見)
------------------------------------------------------------


そもそも、この広がる天と地は万物を待ち受けている旅籠のようなものだ。行き過ぎてゆく年月、この時は永遠に続く旅人のようである。
 そうして、儚い人生というものは、夢のようなもの、喜び楽しむことができるのはどれほどもない。昔の人が言うにはともし火をとって夜も遊んだということにはまことに理由があるというものだ。
ましてや、今はうららかな春の季節、霞立つ素晴らしい景色が私を招く、大自然の神は私に詩文を書く力を許してくれている。
桃李の花の香しきかおりはこの庭園に集まってくる、親戚同士の楽しい宴席のことを申し述べる。
集う多くの若者たちは優れて秀でた者である、みんな謝惠連の文才を持っている。
年長者であるわたしの詠う詩歌は謝霊運に及ばないので恥じ入るばかりだ。
謙虚な奥深い誉め言葉が続いている間は、賑やかで高尚な話はすがすがしく続いている。
美しい玉で飾った敷物を花咲くもとで広げて座った、羽をひろげた形をした杯を飛んでいるような形で酌み交わし、月明かりに酒に酔う。
立派な作品が生まれなければ、どうしてこの風流な思いを述べることができたといえようか
もし、詩ができなかったら故事の金谷園の詩の作れないものの罰であったような酒三斗に倣うことにする。


春夜 桃李園に 宴する序       
夫(そ)れ 
天地は, 萬物の逆旅(げきりょ)にして、光陰は,百代の過客なり。
而(しか)して
浮生は 夢の若し,歡を爲(な)すこと 幾何(いくばく)ぞ?
古人 燭を秉(と)りて夜に遊ぶ,良(まこと)に以(ゆえ)有る也。
況(いは)んや  
陽春 我を召くに煙景を以てし,大塊 我に假すに  文章を以てするをや。
桃李の芳園に 會し,天倫の樂事を 序す。
群季の俊秀は,皆 惠連 爲(た)り。
吾人の詠歌は,獨り康樂に 慚(は)づ。
幽賞 未だ已(や)まず,高談  轉(うた)た清し。
瓊筵を 開きて 以て華に坐し,羽觴を飛ばして 月に醉(よ)ふ。
佳作 有らずんば,何ぞ 雅懷を 伸べんや?
如(も)し 詩 成らずんば,罰は金谷の酒斗數に依(よ)らん。
*********************************************
------韻の位置にあたる語による詩------------
夫 旅客。 而 夢何 游也。 
況 景章 園事 秀連。 歌楽 已清 華月。
   作懐 成数。
-------
そもそも、人生は旅人である。そうして、夢をどう持つか、遊びこそ勉学だ。
況や、景色を文章にすること、優秀な人材が庭園に集まってきている。歌を唄い、楽しむ中清々しい花と月、いい詩ができないなら数斗をなすことになる。
-----
このような意味的なこともだけでなく、韻の位置を変えることで、調子を大きく変えている。詩を散文の雰囲気にしている。天才李白の真骨頂である。
-----

*********************************************

 この詩は、秋になり、夜露が珠になり、やがて年の瀬に向かう。旅先での寂しさを詠いつつ、年老いていく自分を重ねている。ここでも儒教の礼節の強要を無意味なこと度とし、人生は一瞬ですぎていくのと同じである。欲を言い出したらきりがない。よい時も悪い時もある。曲がった道をまっすぐ歩けない、自然に、自由にすること。それには、毎日を楽しくすごさなければいけないのだ。
 李白は儒教的な考えに徹底的に嫌気を持っていた。そのことは、逆に儒教的詩人たちの評価が低かったのも理解できる。

--------------------四六駢儷文---------------------


夫 天地者, 萬物之逆旅;  
  光陰者, 百代之過客。

そもそも、この広がる天と地は万物を待ち受けている旅籠のようなものだ。行き過ぎてよく年月、この時は永遠に続く旅人のようである。
 中国古典語の発語の辞。四六駢儷文や辞賦におうて発句として全体を導く役割をする。して、やも同様である。 ・…は。主格を表す。・逆旅 げきりょ はたごや。旅人をむかえる旅館。「荘子」「左伝」にあるが、ここは「過客」とともに、陶淵明の『雜詩十二首』其七「日月不肯遲,四時相催迫。寒風拂枯條,落葉掩長陌。弱質與運,玄鬢早已白。素標插人頭,前途漸就窄。家爲逆旅舍,我如當去客。去去欲何之,南山有舊宅。」 とあるのに基づくとともにイメージも借りている。・光陰 年月。時間。・過客 旅人。旅客。


而 浮生若夢,爲歡幾何? 
  古人秉燭夜遊,良有以也。

そうして、儚い人生というものは、夢のようなもの、喜び楽しむことができるのはどれほどもない。昔の人が言うにはともし火をとって夜も遊んだということにはまことに理由があるというものだ。
浮生 はかない人生。この世。浮き世。・爲歡 歓楽事をする。よろこびをなす。 ・幾何 どれほど。いくばく。魏の曹操の『短歌行』に「對酒當歌,人生幾何。譬如朝露,去日苦多。」とあり、その意も含んでいる。
秉燭 明かりを取り持つ。『古詩十九首之十五・生年不滿百』の中の「生年不滿百,常懷千歳憂。晝短苦夜長,何不秉燭遊。」とあるのに基づく。 ・秉手に取り持つ。「夜夜當秉燭」とあった。
「秉燭唯須飲」(燭を秉って唯須らく飲べし。) 
李白の前向きな姿勢をあらわす言葉の一つである。
夜遊 有限の時間を貴重に思って、夜遊びをする。・ まことに。・以 ゆゑ。ゆえに。・ 断定、詠嘆の助辞。


況 陽春召我以煙景,大塊假我以文章。
ましてや、今はうららかな春の季節、霞立つ素晴らしい景色が私を招く、大自然の神は私に詩文を書く力を許してくれている。
・況 ましてや。いはんや。・陽春 春季。・ めす。・煙景 かすみがたなびく春景色。・大塊 造化。造物主。大自然の神。・ かす。かりる。ゆるす。


會桃李之芳園,序天倫之樂事。
桃李の花の香しきかおりはこの庭園に集まってくる、親戚同士の楽しい宴席のことを申し述べる。
會 時間や場所を決めて、会うこと。・桃李之芳園 春の桃李の花が咲き乱れている庭園。・序:述べる。申し述べる。・天倫之樂事 兄弟が揃って開く楽しい宴席。・天倫 自然に備わる人の順序。親子、兄弟など。


群季俊秀, 皆爲惠連。 
集う多くの若者たちは優れて秀でた者である、みんな謝惠連の文才を持っている。
群季 集う多くの若者たち。諸弟。・俊秀 優れて秀でた者。・皆爲 みんな…である。・惠連 優れた弟の意。本来は人名。晋の謝惠連のこと。文をよくし、従兄の謝靈運にほめられたという故実に基づき、優れた弟の意で使われる。謝霊運。


吾人詠歌, 獨慚康樂。
年長者であるわたしの詠う詩歌は謝霊運に及ばないので恥じ入るばかりだ。
獨慚 ひとり、はじる。多くの弟たちは、晋の謝惠連のように、みな優秀であるのに、兄の自分だけは、晋の謝惠連の兄である謝靈運に及ばないということ。・康樂 謝靈運の封号。謝恵連の従兄の謝霊運のこと。


幽賞未已,高談轉清。
謙虚な奥深い誉め言葉が続いている間は、賑やかで高尚な話はすがすがしく続いている。
幽賞 静かに誉め味わう。謙虚な奥深い誉め言葉。・未已 まだ終わらない。・高談 賑やかで高尚な話。あたりかまわぬ声高い話。思う存分話をする。・ いよいよ。いとど。ますます。


開瓊筵以坐華, 飛羽觴而醉月。
美しい玉で飾った敷物を花咲くもとで広げて座った、羽をひろげた形をした杯を飛んでいるような形で酌み交わし、月明かりに酒に酔う。
・瓊筵 けいえん 美しい玉で飾った敷物の意で、立派な宴席のこと。 ・筵 酒席、酒宴。坐るムシロ、せき。筵は宴になる。・坐華 (美しい)花の上に坐る。華やかな宴席に列座する。・ 盃を交わす。「羽觴」なので、それに合わせて「飛」と表現した。・羽觴 スズメが羽をひろげた形をした杯。


不有佳作,何伸雅懷?
立派な作品が生まれなければ、どうしてこの風流な思いを述べることができたといえようか
不有 「有る、存在する」ということの打ち消し。「有るということがない」「いない」「存在しない」。「深沈百丈洞海底,那知不有蛟龍蟠。」に同じ。・佳作 立派な作品。・何 なんぞ。・ 述べる。・雅懷 風流な思い。雅やかな考え。


如 詩不成, 罰依金谷酒斗數。
もし、詩ができなかったら故事の金谷園の詩の作れないものの罰であったような酒三斗に倣うことにする。
如 もしも…ならば。もし…ば。仮定を表す。・詩不成 (もしも)詩が出来ない。詩が完成しない。・罰 ここでは、罰杯。罰として、酒を飲むこと。・依 よる。もとづく。依拠する。・金谷酒斗數 罰杯。晋の石崇が金谷の別荘で客を招き宴会をし、詩の作れない者は罰として、酒三杯を飲むこととした故事。石崇の『金谷園詩序』に「余以元康六年,………有別廬在河南縣界,金谷澗中,………晝夜遊宴,屡遷其坐,・・・・・・・・・遂各賦詩,以敘中懷,或不能者罰酒三斗。」とあることに基づく。


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贈汪倫  李白 115

贈汪倫  李白115

贈汪倫
李白乗舟將欲行、忽聞岸上踏歌聲。
李白が舟に乗って出発しょうとした時、ふと聞えてきた岸の上の歌ごえ。
見れば汪倫が村人たちと手をつなぎ、足ぶみしながら歌をうたって見送ってくれている。

桃花潭水深千尺、不及汪倫送我情

いま舟がゆく桃花澤のふちの水は、深さが千尺。その深さも、荘倫がわたしを見おくってくれる情の深さにはとても及ばない。

李白が舟に乗って出発しょうとした時、ふと聞えてきた岸の上の歌ごえ。
見れば汪倫が村人たちと手をつなぎ、足ぶみしながら歌をうたって見送ってくれている。
いま舟がゆく桃花澤のふちの水は、深さが千尺。その深さも、荘倫がわたしを見おくってくれる情の深さにはとても及ばない。


汪倫に贈る
李白舟に乗って 将に行かんと欲す、忽ち聞く 岸上踏歌の声。
桃花潭水 深さ千尺、及ばず汪倫が我を送る情に。


贈汪倫

○汪倫 李白が安徽省㷀涇県の南西にある桃花潭というところに遊んだとき、附近の村に汪倫という男がいた。いつもうまい酒をつくっては李白を招待した。李白はこの地を去るに臨んで、見送りに来た汪倫に感謝して、この詩を贈った。宋蜀本の題した注に「倫の裔孫、今に至るもその詩を宝とす。」とある。


李白乗舟將欲行、忽聞岸上踏歌聲。

李白が舟に乗って出発しょうとした時、ふと聞えてきた岸の上の歌ごえ。
見れば汪倫が村人たちと手をつなぎ、足ぶみしながら歌をうたって見送ってくれている。

踏歌 手をつなぎあい足でリズムをとって歩きながらうたう歌。


桃花潭水深千尺、不及汪倫送我情。
いま舟がゆく桃花澤のふちの水は、深さが千尺。その深さも、荘倫がわたしを見おくってくれる情の深さにはとても及ばない。
桃花潭 現在安徽省涇県の桃花潭という  潭(ふち)の名の名所。

贈銭徴君少陽 李白114

贈銭徴君少陽 李白114
古風 其二十三 に「夜夜當秉燭」とあった。
「秉燭唯須飲」(燭を秉って唯須らく飲べし。) 
李白の竹渓の六逸であった友の呉筠も銭少陽と前後して朝廷に上がっている。資料にあるわけではないが銭少陽も李白の仕官に手助けをしたかもしれない。明るい性格の李白らしい相手の気持ちをよく汲んだ贈る言葉である。

贈銭徴君少陽
白玉一盃酒、緑楊三月時。
白い玉の杯にいっぱいの酒。線したたる柳のうつくしい三月の季節。
春風餘幾日、兩鬢各成絲。
春風がふく日は、もうあと幾日のこっているだろうか。左右のビンの毛は、糸のように衰えてしまった
秉燭唯須飲、投竿也未遲。
ともし火をかかげて、ただ飲むにかぎる。しかし、これから竿を投げすてて太公望のように活躍するのも、まだまだ、おそくはない。
如逢渭川獵、猶可帝王師。
もしも、渭川で猟をした文王のような人にあえるならば、やはり、帝王の軍師となれることであろう。

白い玉の杯にいっぱいの酒。線したたる柳のうつくしい三月の季節。
春風がふく日は、もうあと幾日のこっているだろうか。左右のビンの毛は、糸のように衰えてしまった
ともし火をかかげて、ただ飲むにかぎる。しかし、これから竿を投げすてて太公望のように活躍するのも、まだまだ、おそくはない。
もしも、渭川で猟をした文王のような人にあえるならば、やはり、帝王の軍師となれることであろう。

(下し文)

白玉 一盃の酒、緑楊 三月の時。
春風 幾日をか余す、兩鬢(りょうびん) 各々 絲を成す
燭を秉(と)って唯須らく飲むべし、竿を投ずること 也(ま)た 未だ遅から じ
如(も)し 渭川の獵に逢わば、猶 帝王の師たるべし。


贈銭徴君少陽
せんちょう くんしょう ようにおくる。
銭徴君少陽 銭少陽という人のくわしい事跡は、わからない。徴君というのは、天子の特別の命令で朝廷に召
された人。

白玉一盃酒、緑楊三月時。
白い玉の杯にいっぱいの酒。綠したたる柳のうつくしい三月の季節。

春風餘幾日、兩鬢各成絲。
春風がふく日は、もうあと幾日のこっているだろうか。左右のビンの毛は、糸のように衰えてしまった

秉燭唯須飲、投竿也未遲
ともし火をかかげて、ただ飲むにかぎる。しかし、これから竿を投げすてて太公望のように活躍するのも、まだまだ、おそくはない。
○秉燭 古詩に「昼は短かく、夜の長きを苦しむ。何ぞ燭を秉って遊ばざる」とある。ともし火を手にとる。○投竿 釣竿を投げすてて漁師の境涯を去る。以下、太公望の故事をふまえる。

如逢渭川獵、猶可帝王師。
もしも、渭川で猟をした文王のような人にあえるならば、やはり、帝王の軍師となれることであろう。
渭川獵 渭川獵、黄河の支流で、長安の北を流れる川。周の文王は、渭水の北に猟をしたとき、そこで釣をしていた呂尚にめぐりあい、かねがね望んでいた人物なので太公望と名づけ、連れて帰って軍師として尊んだ。太公望は、この時すでに八十歳の老人であったが、この詩の銭少陽もまた、八十何歳になっていたので、太公望になぞらえたということである。

古風五十九首 其二十三  李白

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古風 其二十三  李白113


其二十三
秋露白如玉。 團團下庭綠。
秋の露はまるで白い宝玉だ。丸く、丸い、庭の木樹の綠におりている。
我行忽見之。 寒早悲歲促。
わたしの旅先中で、それを見つけた、寒さが早くも来ていて、年の瀬がおしせまる気がして悲しさをさそう。
人生鳥過目。 胡乃自結束。
人生というものは、鳥が目の先をかすめ飛びさるようなものだ。このことはつまらないことだ、自分で自分を束縛するなんて。
景公一何愚。 牛山淚相續。
むかしの斉の景公は、儒教の考えで自分を束縛しているじつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はなぜ死なねばならぬかとなげいて、涙をとめどもなく流した。
物苦不知足。 得隴又望蜀。
人は自ら満ち足りるということがなくて苦しむというが、すでに隴を得たのにも関わらず今度は蜀が欲しくなった、と。
人心若波瀾。 世路有屈曲。
人の心は高揚したり、沈んだりの起伏変化があるもの、世間で暮らしを立ててゆくことは、よかったり、悪かったりという曲りくねりがあるものだ。
三萬六千日。 夜夜當秉燭。

人生、三万六千日。毎夜、毎夜、ともしびをかかげて楽しくすごすべきである。



秋の露はまるで白い宝玉だ。丸く、丸い、庭の木樹の綠におりている。
わたしの旅先中で、それを見つけた、寒さが早くも来ていて、年の瀬がおしせまる気がして悲しさをさそう。
人生というものは、鳥が目の先をかすめ飛びさるようなものだ。このことはつまらないことだ、自分で自分を束縛するなんて。
むかしの斉の景公は、儒教の考えで自分を束縛しているじつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はなぜ死なねばならぬかとなげいて、涙をとめどもなく流した。
人は自ら満ち足りるということがなくて苦しむというが、すでに隴を得たのにも関わらず今度は蜀が欲しくなった、と。
人の心は高揚したり、沈んだりの起伏変化があるもの、世間で暮らしを立ててゆくことは、よかったり、悪かったりという曲りくねりがあるものだ。
人生、三万六千日。毎夜、毎夜、ともしびをかかげて楽しくすごすべきである。


(下し文)
秋露は白くして玉の如く、 團團として庭綠に下る。
我行きて忽ち之を見る、寒早くして 歳の促すのを悲しむ
人生は 鳥の目を過ぎるがごとし、胡こそ乃ち 自ら結束するや
景公ひとえに何で愚かなる。牛山 涙 相続く
物は足ることを知らざるを苦しみ、隴を得て又蜀を望む。
人心は波瀾の若し。 世路には屈曲有り。
三萬六千日、 夜夜當に燭を秉る。

古風 其の二十三

秋露白如玉、團團下庭綠。
秋の露はまるで白い宝玉だ。丸く、丸い、庭の木樹の綠におりている。
団団 まるいさま。露が丸い粒にかたまったさま。六朝の謝霊運の詩に「團團たり満葉の露」とある。李白「古郎月行」では木々のこんもり繁るさまに使っている。 ○庭綠 庭の中の草木。

我行忽見之、寒早悲歲促。
わたしの旅先中で、それを見つけた、寒さが早くも来ていて、年の瀬がおしせまる気がして悲しさをさそう。
歳促 歳の瀬がせまる。


人生鳥過目、胡乃自結束。

人生というものは、鳥が目の先をかすめ飛びさるようなものだ。このことはつまらないことだ、自分で自分を束縛するなんて。
鳥過目 張協の詩に「人生は瀛海の内、忽上して鳥の目を過ぐるが如し」とある。飛鳥が目の前をかすめて過ぎるように、人生はつかのまの時間に限られる。○ ここではでたらめ。あやしい。つまらないこと。 ○結束 窮屈にする。しばりつける。


景公一何愚、牛山淚相續。

むかしの斉の景公は、儒教の考えで自分を束縛しているじつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はなぜ死なねばならぬかとなげいて、涙をとめどもなく流した。
景公二句 「列子」にある話。景公は、春秋時代の斉の景公、牛山は、斉の国都であった今の山東省臨淄県の、南にある山。 杜牧「九日齊山登高」 牛山何必獨霑衣。とある。この牛山に春秋・斉の景公が遊び、北の方にある都を望んで、涙を流して「どうして人はこんなにばたばたと死んでいくのか」と人の死を歎き、涙で濡らしたという。
これは儒教の考えをくだらないものとして比喩している。


物苦不知足、得隴又望蜀。

人は自ら満ち足りるということがなくて苦しむというが、すでに隴を得たのにも関わらず今度は蜀が欲しくなった、と。
○物苦二句「十八史略-東漢[世祖光武皇帝][岑彭]
」の、光武帝が岑彭に与えた富に「人は足るを知らざるに苦しむ。既に隴を平らげて復た蜀を望む」とある。隴はいまの甘粛省隴西県の地。蜀はいまの四川省。物は人間。


人心若波瀾。 世路有屈曲。

人の心は高揚したり、沈んだりの起伏変化があるもの、世間で暮らしを立ててゆくことは、よかったり、悪かったりという曲りくねりがあるものだ。
波瀾 大波、小波。起伏変化のさま。○処世 世渡り。世間で暮らしを立ててゆくこと。(荘子)
 
三萬六千日。 夜夜當秉燭。
人生、三万六千日。毎夜、毎夜、ともしびをかかげて楽しくすごすべきである。
三万六千日 百年の日数。李白お得意のわかりやす協調表現。詩の調子を激変させ集中させる効果がある。○夜夜当秉燭 秉は、手で持つ。漢代の古詩十九首の言「生年は百に満たず。常に千歳の憂を懐く。昼は短く、夜の長きを苦しむ。何ぞ燭を秉って遊ばざる」とある。
この最後の句でこの詩の集約している。李白の「贈銭徴君少陽」に秉燭唯須飲;燭を秉って唯須らく飲べし。
白玉一盃酒、緑楊三月時。
春風餘幾日、兩鬢各成絲。
秉燭唯須飲、投竿也未遲。
如逢渭水獵、猶可帝王師。

李白の「春夜桃李園に宴する序」にも、「浮生は夢のごとし。歓を為す幾何ぞ。古人、燭を秉りて夜遊ぶ。良に以あるなり」とある。

唐・李白
夫天地者,萬物之逆旅;
光陰者,百代之過客。
而浮生若夢,爲歡幾何?
古人秉燭夜遊,良有以也。
況陽春召我以煙景,大塊假我以文章。
會桃李之芳園,序天倫之樂事。
群季俊秀,皆爲惠連。
吾人詠歌,獨慚康樂。
幽賞未已,高談轉清。
開瓊筵以坐華,飛羽觴而醉月。
不有佳作,何伸雅懷?
如詩不成,罰依金谷酒數。


 この詩「古風 其二十三」は、秋になり、夜露が珠になり、やがて年の瀬に向かう。旅先での寂しさを詠いつつ、年老いていく自分を重ねている。ここでも儒教の礼節の強要を無意味なこと度とし、人生は一瞬ですぎていくのと同じである。欲を言い出したらきりがない。よい時も悪い時もある。曲がった道をまっすぐ歩けない、自然に、自由にすること。それには、毎日を楽しくすごさなければいけないのだ。

 李白は儒教的な考えに徹底的に嫌気を持っていた。そのことは、逆に儒教的詩人たちの評価が低かったのも理解できる。

李白 112 游泰山六首 (一作天寶元年四月從故御道上泰山)

李白 112 游泰山六首 (一作天寶元年四月從故御道上泰山)

天宝元年八七四二)、四十二歳のとき、彼は泰山に遊び、遊仙的気分を味わいつつ、壮大な景色を歌っている。
「太(泰)山に遊ぶ」六首「一に 『天宝元年四月、故の御道従り大山に上る』 に作る」がそれである。
天宝元年の作であり、待望の長安入りに先立つ三、四か月前の作である。「大山」は、五岳の一であって、中国一の名山といわれ、道教の信仰の中心地でもある。

其一
四月上泰山。石屏御道開。
四月泰山に登ったが、かつて天子の登山の為に開かれた参道の敷石は平である
六龍過萬壑。澗谷隨蕋回。
天子の乗る御車は多くの谷を過ぎ、谷川もそれに従って巡り巡ったであろう
馬跡繞碧峰。于今滿青苔。
馬の蹄の跡は碧の峰を巡って、今でも苔の間に残っている
飛流洒絕巘。水急松聲哀。』
瀧は高い峰から流れ落ち、水の勢いは激しく松風の音も哀しげである
北眺崿嶂奇。傾崖向東摧。
北の方を眺めたら、鋭くとがった山の頂は付近になく目立つ存在である、斜めに傾きずっとつながる崖は東にむかって続いている
洞門閉石扇。地底興云雷。
大きな巌谷洞窟は石の扇を閉じている、その巌谷の地底からは、カモが湧き出で、いかずちは天をも焦がした。
登高望蓬瀛。想象金銀台。
泰山の楚の頂に登って東海に浮かぶ仙人の住む蓬・方・瀛の三山を望むことができるし、金銀で作られた台座を形作ることを想い浮かべる
天門一長嘯。萬里清風來。』
天への門に向かって一たび長く唄い叫んだ、すると万里の先より清々しい風が吹いて釆た
玉女四五人。飄搖下九垓。
玉のように美しい天女が四五人、ひらひらと天から舞い降り
含笑引素手。遺我流霞杯。
笑いながら白い手を差し伸べて、私に流霞の盃を送ってくれた
稽首再拜之。自愧非仙才。
頭を地面につけ再拝して頂いたが、我ながら仙人の才能が無いのを恥じずにはいられない
曠然小宇宙。棄世何悠哉。』

しかし心を広くしてみると宇宙も小さい、俗世間を捨ててみるとのんびりとした境地が開けてくる


四月泰山に登ったが、かつて天子の登山の為に開かれた参道の敷石は平である
天子の乗る御車は多くの谷を過ぎ、谷川もそれに従って巡り巡ったであろう
馬の蹄の跡は碧の峰を巡って、今でも苔の間に残っている
瀧は高い峰から流れ落ち、水の勢いは激しく松風の音も哀しげである

北の方を眺めたら、鋭くとがった山の頂は付近になく目立つ存在である
斜めに傾きずっとつながる崖は東にむかって続いている
大きな巌谷洞窟は石の扇を閉じている、その巌谷の地底からは、カモが湧き出で、いかずちは天をも焦がした。
泰山の楚の頂に登って東海に浮かぶ仙人の住む蓬・方・瀛の三山を望むことができるし、金銀で作られた台座を形作ることを想い浮かべる
天への門に向かって一たび長く唄い叫んだ、すると万里の先より清々しい風が吹いて釆た


玉のように美しい天女が四五人、ひらひらと天から舞い降り
笑いながら白い手を差し伸べて、私に流霞の盃を送ってくれた
頭を地面につけ再拝して頂いたが、我ながら仙人の才能が無いのを恥じずにはいられない
しかし心を広くしてみると宇宙も小さい、俗世間を捨ててみるとのんびりとした境地が開けてくる




四月泰山(しがつたいざん)に上る、石平(いしたいら)かにして御道開(ぎょどうひら)く
六龍万壑(ろくりょうばんがく)を過ぎ、澗谷(かんこく)随って蕋(えい)廻(かい)す
馬跡碧峰(ばせきへっぽう)を繞(めぐ)り、今に于(お)いて青苔(せいたい)に満ち
飛流絶(ひりゅうぜっ) 巘(けん)に灑(そそ)ぎ、水急にして松声(しょうせい)哀し


北のかた挑むれば崿嶂は奇なり、傾ける崖は東に向かって捲る
洞門は石の扇を閉じ、地の底より雲雷興こる
高きに登って蓬液を望み、金露台を想像す
天門に一たび長嘯
すれば、万里より清風釆たる

「崿嶂」とは、屏風のような山。「蓬瀛」は蓬莱と張州なる神山。東海の中に三神山ありといわれ、以上の二つのほかに方丈がある。「泰山に登ると、はるか東の海上にそれが見えるかのごとく思われる」。「金銀」は、道教でいう天帝の出す詔書。「台」とは、それを手わたす所であろう。「泰山の高きに登れば東海の仙人の住む神山が見え、天帝の住む辺りが見えそうだ」。「天門」は、泰山の頂上近くにある南天門。天上に通ずるとされる。「こうした所で長嘯すると、万里のかなたより清風が吹いてきて、世俗を超越して、すがすがしい気分になる」。もはやここは仙境でもある。さればこそ、
 

玉女四五人、親観として九咳より下る
笑いを含んで素き手を引はし、我に流霞の盃を遣る
稽首して之を再拝す、臼から仙才に非ざるを娩ず
嫉然に宇宙を小とし、世を棄つ何ぞ悠かなるかな

「九天より仙人に仕える少女四、五人が下って白き手で流霞の杯をくださる」。「流霞」とは、たなびく霞であるが、霞は、仙人の飲み物であって、朝焼け、夕焼けの気である。もはや李白自身が仙境に入った心持ちであり、「かくて宇宙も問題にならず、世俗も離れて、遠き別天地にある心境となった」といい、しばし夢見ごこちで仙界に遊ぶ姿が歌われている。

この詩は、泰山の雄大さを歌うとともに、仙境でもあることをも歌う。仙境に入り、仙人と同じような心持ちになることは、李白のあこがれでもあり、彼の詩にしばしば歌われるところである。これが李白の詩の一つの大きな特色である。親友の杜甫は仙境は歌わない。同時の詩人王維は、静寂境は歌うが、仙境は歌わない。まったく李白の独壇場である。



参考にとどめる。
其二
清曉騎白鹿。 直上天門山。
山際逢羽人。 方瞳好容顏。
捫蘿欲就語。 卻掩青云關。
遺我鳥跡書。 飄然落岩間。
其字乃上古。 讀之了不閑。
感此三嘆息。 從師方未還。
 
其三
平明登日觀。 舉手開云關。
精神四飛揚。 如出天地間。
黃河從西來。 窈窕入遠山。
憑崖覽八極。 目盡長空閑。
偶然值青童。 綠發雙云鬟。
笑我晚學仙。 蹉跎凋朱顏。
躊躇忽不見。 浩蕩難追攀。
 
其四
清齋三千日。 裂素寫道經。
吟誦有所得。 眾神衛我形。
云行信長風。 颯若羽翼生。
攀崖上日觀。 伏檻窺東溟。
海色動遠山。 天雞已先鳴。
銀台出倒景。 白浪翻長鯨。
安得不死藥。 高飛向蓬瀛。


其五
日觀東北傾。 兩崖夾雙石。
海水落眼前。 天光遙空碧。
千峰爭攢聚。 萬壑絕凌歷。
緬彼鶴上仙。 去無云中跡。
長松入云漢。 遠望不盈尺。
山花異人間。 五月雪中白。
終當遇安期。 于此煉玉液。
 
其六
朝飲王母池。 暝投天門關。
獨抱綠綺琴。 夜行青山間。
山明月露白。 夜靜松風歇。
仙人游碧峰。 處處笙歌發。
寂靜娛清暉。 玉真連翠微。
想象鸞鳳舞。 飄搖龍虎衣。
捫天摘匏瓜。 恍惚不憶歸。
舉手弄清淺。 誤攀織女機。
明晨坐相失。 但見五云飛。

懷仙歌 李白 111


 

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懷仙歌 李白 111

  李白の生活・思想に強く影響を与えたものは、隠士や道士たちとの交わりであった。道士の元丹丘とともに河南の嵩山(登封県北)に隠居したり、また、湖北の胡紫陽に道を訪ねたり、また、道士の飲筠とともに剡中(浙江省嵊県付近)に隠居したりした。こうした道士、隠士との交わりの生活は、李白をして、現実の世間の生活を超脱して、それを蔑視する方向に走らせて、自由を求める気風を作り上げさせるようになった。あたかも、六朝・魂晋の清談家たちが、当時の礼俗に抵抗して、人間の本性のままに生きようとした生き方と似ている。かくて、しだいに李白の詩には、世の束縛から脱して、自由を慕い、道教にあこがれる詩がこれまで見てきたように多く現われるようになってきたのである。
 次にあげる詩「仙を懐う歌」は、ひたすら道教を求め、仙道を訪ねる考え方を表わす詩である。



李太白集277巻七45懷仙歌  431Index-24-3 744年天寶三年44-1756首】


李太白集 卷七45

懷 仙 歌

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7575

Index-24  744年天寶三年44歳 56-17

431 <1000

 

 

 

-379-277巻七44 懷仙歌  (一鶴東飛過滄海,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

167_09

文體:

歌吟(樂府)

李太白集 

45

 

 

詩題:

懷仙歌

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 秦山

及地點:

楚山

湘水 

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

全唐詩 卷167_9 《懷仙歌》李白 

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在。

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。 

巨鼇莫戴三山去,我欲蓬萊頂上行

 

 

李太白集 277巻七45《懷仙歌》

一鶴東飛過滄海、放心散漫知何在。

仙人浩歌望我來、應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚、自余囂囂直可輕。 

巨鰲莫戴三山去、我欲蓬萊頂上行。

 

 

李白集 懷仙歌(卷八(一)五七六)

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。

巨鰲莫載三山去,我欲蓬萊頂上行。

 

李白集 懷仙歌(卷八(一)五七六)

   懷仙歌

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。

巨鰲莫載三山去,我欲蓬萊頂上行。

士贇曰 山海經「崑崙之墟北有珠樹及玉樹玕琪樹。」

此詩 「太白、睠顧宗國、繫心君王、冀復進用之作也。」

「一鶴 自、比仙人君、玉樹比爵位。時、肅宗、即位于靈武、明皇就遜位、時物議有非之者。太白豪俠曠達之士、亦曰 法堯禪舜自古有之何足驚怪彼為是囂囂者不知古今直可輕也。

末句、其拳拳安史之滅宗社之安、或者、用我乎。身、在江海、心、存魏闕。白有之矣。

李太白集注巻八       錢塘 王𤦺 撰

 

李太白集註 277巻七45《懷仙歌》

  懷胡本/作憶仙歌

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚、自餘囂囂直繆本/作嚚嚚/可輕。

巨鼇莫載許本/作戴三山去、我一作/欲蓬萊頂上行。

《十洲記》「滄海島在北海中、地方三千里、去岸二十一萬里、海四面、繞島、各廣五千里、水皆蒼色、仙人、謂之滄海也。

《楚辭》「望美人兮、未來臨風/怳兮浩歌、巨鼇事見四巻註

李太白集分類補註巻八    宋 楊齊賢 集註   元 蕭士贇 補註

 

懷仙歌

(仙人を懐って作った歌である)

一鶴東飛過滄海、放心散漫知何在。

一羽の鶴は、東に飛んで、滄海を過ぎ、北海中の島にむかう、しかし、翺翔自在であるがうえに、その放心散漫としているだけに、一つところに留まることはない。

仙人浩歌望我來、應攀玉樹長相待。

仙人は、浩歌して我れが来ることを望んでおり、玉樹の枝を攀じ、青天を翹望して、じっと待って居ることであろう。

堯舜之事不足驚、自余囂囂直可輕。 

堯舜禅譲は、後の王室の継承に良い事例となり、それは、少しも驚くに足らぬことであるが、とかく、俗人どもは、そうした、聖天子の崇高な禅譲に対しても、がやがややかましくちょっかいをだしていることなどは、直ちに輕んじて、聞き棄てにしてしまえば善い。

巨鰲莫戴三山去、我欲蓬萊頂上行。

聞けば、巨鰲は其の甲羅に三山を戴いて居るというが、そのまま、どこかへいって仕舞うとなると、ちょっと固まってしまうので、われは、今、その仙郷の蓬莱の頂上に向って飛んでゆこうと思っているのから、そこにいくまでの間、しばらく、一つところにとどまって居てほしいと思っている。

 

(仙を懷うの歌)

一鶴 東に飛んで 滄海を過ぐ,放心 散漫 知る何くにか在る?

仙人 浩歌して 我が來るを望む,應に攀玉樹を長く相い待つべし。

堯舜の事 驚くに足らず,自餘 囂囂 直ちに輕んず可し。

巨鰲 三山を載いて去る莫れ,我 蓬萊の頂上に行かんと欲す。

 

『懷仙歌』現代語訳と訳註解説
(
本文)

懷仙歌

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。

巨鰲莫載三山去,我欲蓬萊頂上行。

(下し文)
(仙を懷うの歌)

一鶴 東に飛んで 滄海を過ぐ,放心 散漫 知る何くにか在る?

仙人 浩歌して 我が來るを望む,應に攀玉樹を長く相い待つべし。

堯舜の事 驚くに足らず,自餘 囂囂 直ちに輕んず可し。

巨鰲 三山を載いて去る莫れ,我 蓬萊の頂上に行かんと欲す。

(現代語訳)
懷仙歌(仙人を懐って作った歌である)

一羽の鶴は、東に飛んで、滄海を過ぎ、北海中の島にむかう、しかし、翺翔自在であるがうえに、その放心散漫としているだけに、一つところに留まることはない。

仙人は、浩歌して我れが来ることを望んでおり、玉樹の枝を攀じ、青天を翹望して、じっと待って居ることであろう。

堯舜禅譲は、後の王室の継承に良い事例となり、それは、少しも驚くに足らぬことであるが、とかく、俗人どもは、そうした、聖天子の崇高な禅譲に対しても、がやがややかましくちょっかいをだしていることなどは、直ちに輕んじて、聞き棄てにしてしまえば善い。

聞けば、巨鰲は其の甲羅に三山を戴いて居るというが、そのまま、どこかへいって仕舞うとなると、ちょっと固まってしまうので、われは、今、その仙郷の蓬莱の頂上に向って飛んでゆこうと思っているのから、そこにいくまでの間、しばらく、一つところにとどまって居てほしいと思っている。


(訳注) 

懷仙歌

(仙人を懐って作った歌である)

1 歌 古題ではなく、新しい題で、詩の雰囲気は樂府に近いもの、いわば準樂府というべきものを李太白集“巻六、巻七”に集められた詩のカテゴリー『歌吟』とされたものを言う。語調になんとなく「旅情」をかんじさせるものはこの範疇に入っているようだ。

 

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

一羽の鶴は、東に飛んで、滄海を過ぎ、北海中の島にむかう、しかし、翺翔自在であるがうえに、その放心散漫としているだけに、一つところに留まることはない。

2 一鶴東飛 一鶴は自分のたとえである。長安追放で李白は東に向かったのである。蕭士贇は此の詩の解説をつぎのようにのべている。「太白、睠顧宗國、繫心君王、冀復進用之作也。」(太白、宗國を睠顧し、心は君王に繫け、復た進用されんことを冀【こいねが】うの作なり。)と。続いて、「一鶴 自、比仙人君、玉樹比爵位。時、肅宗、即位于靈武、明皇就遜位、時物議有非之者。太白豪俠曠達之士、亦曰 法堯禪舜自古有之、何足驚怪彼為是囂囂者不知古今直可輕也。」(一鶴は自ら、仙人は君に比し、玉樹は爵位に比す。時に、肅宗、靈武において即位し、明皇就いて位を遜り、時に物議 之を非とする者有り。太白は、豪俠 曠達の士なり、亦た曰く 堯の舜に禪るに法り、古えより之れ有り、何ぞ驚怪するに足らんや 彼 是れの為に囂囂たる者、古今を知らず、直ちに輕んず可きなり。

3 滄海 《十洲記》「滄海島在北海中、地方三千里、去岸二十一萬里、海四面、繞島、各廣五千里、水皆蒼色、仙人、謂之滄海也。」(滄海島は、北海中に在り、地方三千里、岸を去ること二十一萬里、海四面、島を繞る、各おの廣さ五千里、水 皆 蒼色なり、仙人、之を滄海と謂うなり。

 

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

仙人は、浩歌して我れが来ることを望んでおり、玉樹の枝を攀じ、青天を翹望して、じっと待って居ることであろう。

4 浩歌 声高らかに歌うこと。《楚辭、九歌第二 (六)少司命》「望美人兮未來臨風怳兮浩歌。」(美人を望めどもいまだ来らず、風に臨んで怳として浩歌す。)唐杜甫《玉》「来藉草坐,浩歌泪盈把。」(憂え来って草を藉きて坐す 浩歌涙把に盈つ。) 玉華宮 ② 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 206

5 玉樹 《山海經》「崑崙之墟北有珠樹及玉樹玕琪樹。」(崑崙の墟は北に珠樹、及び玉樹、玕琪樹が有る。)王嘉《拾遺記》「崑崙山第六層有五色玉樹,蔭霸五百里。」(崑崙山、第六層、五色の玉樹り有,蔭霸 五百里なり。

 

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。

堯舜禅譲は、後の王室の継承に良い事例となり、それは、少しも驚くに足らぬことであるが、とかく、俗人どもは、そうした、聖天子の崇高な禅譲に対しても、がやがややかましくちょっかいをだしていることなどは、直ちに輕んじて、聞き棄てにしてしまえば善い。

6 堯舜之事 『史記』に「孝子の名が高かった舜を民間から取り立て、やがて帝位を禅譲した。舜は禹以下の臣をよく用いて天下を治め、特に治水などの功績のすぐれた禹に、やはり帝位を禅譲した。」ことをいう。

7 囂囂 多くの人が口やかましく騒ぐさま。また、やかましく騒ぎ立てて収拾がつかないさま。「喧喧」「囂囂」はともに、やかましいさま。騒がしいさま。

 

巨鰲莫載三山去,我欲蓬萊頂上行。
聞けば、巨鰲は其の甲羅に三山を戴いて居るというが、そのまま、どこかへいって仕舞うとなると、ちょっと固まってしまうので、われは、今、その仙郷の蓬莱の頂上に向って飛んでゆこうと思っているのから、そこにいくまでの間、しばらく、一つところにとどまって居てほしいと思っている。

8 巨鰲 巨鰲はうみがめ。杜甫「兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。」(兵気 飛鳥を回えす、威声 巨鰲を没せしむ。)安禄山が200㎏とも250㎏といわれおなかが床に付きそうなくらいに肥満であったという。それ以来、叛乱軍の魁(かしら)をたとえていう。巨鰲はよい喩えには使われない。

9 三山・蓬萊 古代において,海上にあると信じられた伝説上の3つの山。『史記』封禅書などによれば,蓬莱 (蓬莱山 ) ,方丈,瀛州 (えいしゅう) の三山をさし,山東省東北沿岸から渤海にかけて浮ぶ島と伝えられていたが,前2世紀頃になると,南に下って,現在の黄海の中にも想定されていたらしい。 
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