漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

2011年09月

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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古風 五十九首 其二十四 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白172と玄宗(5)

古風 五十九首 其二十四 李白  :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白172 玄宗(5)



玄宗(5)
互いに思いを寄せる楊玉環と彭勃だったが、果毅副将軍はここでいっしょになられてはもともこもない、妨害ししたのである、

 そして、武恵妃から楊玉環の家に寿王との縁談が申し込まれるのである。後日になって、彭勃は結婚を楊玉環の父に申し込むのだが、許すはずもない。悲恋に悩む楊玉環であったが、一族の名誉のため、発展・隆盛のため、結婚は着々とすすめられた。深い悲しみの中、遂に運命の日、皇室からのお迎えの護送役の一員に彭勃がいた。
悲恋で嫁いだ楊玉環は次第に寿王の優しさに、少しずつ気持ちが和らいでいった。


 一方、736年11月 玄宗皇帝は、宦官の策略にのり、朝議の場で張九齢を罷免し、李林甫を昇進させる。また李瑛が、張九齢を批判した行為が皇帝の怒りを買い“皇太子”の座も廃されてしまう。唐王朝を築いた大宗皇帝から続いてきた忠臣、正統派の家臣をすべて排斥したのであるこれ以降、玄宗皇帝の耳には、正当な情報は全く入らなくなった。これまでも、皇帝に媚を売るものを取り上げてきた玄宗の自業自得の行為であった。


そんな中、玄宗皇帝は芙蓉園の御宴宮で寿王妃・楊玉環と運命の出会いをするのである。



古風 五十九首

其二十四
大車揚飛塵。 亭午暗阡陌。
長安の街では、大きな車がほこりを巻きあげて通り、正午という時間帯であるのに街路が暗くしている。
中貴多黃金。 連云開甲宅。
宮中の宦官でいばっているやつが黄金を沢山ため込んでいる、その家の瓦は雲が連なっているような大邸宅を建てている。
路逢鬥雞者。 冠蓋何輝赫。
町を歩いていて、闘鶏師に出あったが、頭上にのせた冠、車上の被いは、驚くほどピカピカに輝いている。
鼻息干虹霓。 行人皆怵惕。
街中でひけらかすかれらの権勢の荒さは、空の虹にとどくばかりであり、道行く人びとはおそれてよけていくのである。
世無洗耳翁。 誰知堯與跖。
今の世には、穎水で耳を洗って隠居したような清廉潔白な人はいない、聖人の堯帝と大泥棒の跖とを、誰が見分けられるというのか。


長安の街では、大きな車がほこりを巻きあげて通り、正午という時間帯であるのに街路が暗くしている。
宮中の宦官でいばっているやつが黄金を沢山ため込んでいる、その家の瓦は雲が連なっているような大邸宅を建てている。
町を歩いていて、闘鶏師に出あったが、頭上にのせた冠、車上の被いは、驚くほどピカピカに輝いている。
街中でひけらかすかれらの権勢の荒さは、空の虹にとどくばかりであり、道行く人びとはおそれてよけていくのである。
今の世には、穎水で耳を洗って隠居したような清廉潔白な人はいない、聖人の堯帝と大泥棒の跖とを、誰が見分けられるというのか。



古風 其の二十四
大車 飛塵を揚げ、亭午 阡陌暗し。
中貴は 黄金多く、雲に連なって 甲宅を開く。
路に闘鶏の者に逢う、冠蓋 何ぞ輝赫たる。
鼻息 虹霓を干し、行人 皆怵惕す。
世に耳を洗う翁無し、誰か知らん堯と跖と。



大車揚飛塵。 亭午暗阡陌。
長安の街では、大きな車がほこりを巻きあげて通り、正午という時間帯であるのに街路が暗くしている。
亭午 正午。○阡陌 たてよこのみち。



中貴多黃金。 連云開甲宅。
宮中の宦官でいばっているやつが黄金を沢山ため込んでいる、その家の瓦は雲が連なっているような大邸宅を建てている。
中貴 宮中において幅をきかしていた宦官。○甲宅 第一等の邸宅。



路逢鬥雞者。 冠蓋何輝赫。
町を歩いていて、闘鶏師に出あったが、頭上にのせた冠、車上の被いは、驚くほどピカピカに輝いている。
闘鶏 一種のカケ事のあそびで、各自のもつ鶏を闘争させて勝負をきめえ。当時、玄宗をはじめ、唐の皇室や貴族たちの間で闘鶏がはやり、賈昌という男は幼い時から鳥のコトバを聞きわけで、鶏を取扱う特殊な才能があったので引き立てられた。○冠蓋 冠と車の上のおおい。



鼻息干虹霓。 行人皆怵惕。
街中でひけらかすかれらの権勢の荒さは、空の虹にとどくばかりであり、道行く人びとはおそれてよけていくのである。
虹霓 にじ。○怵惕 おそれてよける。



世無洗耳翁。 誰知堯與跖。
今の世には、穎水で耳を洗って隠居したような清廉潔白な人はいない、聖人の堯帝と大泥棒の跖とを、誰が見分けられるというのか。
洗耳翁 太古堯帝の時の高士、許由のこと。責帝から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられた時、受けつけず、穎水の北にゆき隠居した。堯帝が又、かれを招いて九州の長にしようとしたら、かれは、こういう話は耳がけがれるといって、すぐさま川の水で耳を洗った。李白「迭裴十八図南歸嵩山其二」紀頌之の漢詩 164  参照
堯与跖 堯は伝説中の古代の聖天子。跖は伝説中の春秋時代の大泥棒。堯と跖といえば聖人と極悪人の代表である。

三五七言 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白171 玄宗(4)

三五七言 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白171


玄宗(4)
735年(開元23年)、玄宗と武恵妃の間の息子(寿王李瑁、第十八子)の妃となる。李瑁は武恵妃と宰相・李林甫の後押しにより皇太子に推されるが、737年(開元25年)、武恵妃が死去し、翌年、宦官・高力士の薦めで李璵が皇太子に冊立された。

 楊玉環は容貌が美しく、唐代で理想とされた豊満な姿態を持ち、音楽・楽曲、歌舞に優れて利発であったため、玄宗の意にかない、後宮の人間からは「娘子」と呼ばれた。
 女性は美しいということ、性的要求を満足させる道具か、そうでなければ、はたを織りとして価値を求められた。後に楊貴妃専用の機織りは5、600人であったという。娘が宮中に上がると恩賞を得られたのである。うまくいけば、一族全員恩賞にあずかることもあった。

 楊玉環はどういう経緯で宮中に入ったのか、寿王とのめぐり会いはどうだったのか。
*****(取り上げる李白の詩と「玄宗ものがたり」の時期はかならずしも一致しない。)*****
遡ること3年。寿王の李清は李瑁となる。寿王の母・武恵妃は、改名に重要な意味があると判断し、寿王が皇位に就くための計画を練り、寿王が大人になった印象を玄宗皇帝に与えるために結婚を画策する。姉の咸宜姫の婚儀を行うが、そこに現れた楊玉環を見て、寿王は一目惚れをしてしまう。この時、楊玉環は意中の男性がほかにいた。同じ洛陽に棲む彭勃という人物であった。
楊玉環(後の楊貴妃)は、楊玄璬(きょう)の娘として、洛陽に暮らしていた。ある日、玉環が親友の謝阿蛮と外出中に、偶然、彭勃と出会ったのである。この頃洛陽に絶世の美人がいるということは有名になりつつあったので、果毅副将軍という人物が楊玉環を調査するため彭勃を使いに出していたのである。当時は美人を探し出し、情報提供するだけでも褒美がもらえるから、官の禄では食べていけないので美人探しが本業であったかもしれない。

三五七言

秋風清、    秋月明。
落葉衆還散、  寒鴉棲復驚。
相思相見知何日、此時此夜難怠惰。

 


三五七言
秋風 清く、  秋月 明らかなり。
落莫 衆まって還た散じ、寒鴉 棲んで復た驚く。
相思い相見る 知る何れの日ぞ、此の時此の夜 情を為し難し。





三五七言   三言、五言、七言、それぞれ二旬ずつ対になっている。この詩体は李白の創作といわれる。カラスは、芸妓の中でも相手が決まっている、いわゆるかこわれ者を指す。芸妓は宮妓、官妓、貴族などの家妓、娼屋などの街妓などあったが、ここでいう鴉は芸ごとがよくできるものを指す。春から夏にかけては宴、納涼などで歌われるので、鴉、烏の登場はない。秋の夜長に待ちわびている状況になって登場するのである。この詩でも、そういうシチュエーションである。




秋風清、    秋月明。
秋の風はすがすがしく、秋の月はあかるい。
秋風清 ここでいう風は女性自身の香りを運ぶかぜである。 ○秋月明 ここでいう月は女性自身である。

落葉衆還散、  寒鴉棲復驚。
落葉は風に吹きよせられては、また散る。からすはねぐらに帰ったかと思うと、ふいに驚いて飛び立つ。
 葉は肢体をしめす。ここでは性行為を示している。○衆還散 くっついたり離れたり、これも性行為の描写の言葉。○寒鴉 秋の夜長に、寒空に待つ身のからす。夜が長いのでいろんなことを思いめぐらす。
棲復驚 自分はずっと待っているが、隣の芸妓は出たり入ったりしている。そんなボーとしていて予期していない自分に声がかかったのでびっくりしたのであろう。



相思相見知何日、此時此夜難怠惰。
思うひとにあえるのは、いつの日のことか知れない。こんな時、こんな夜、もえさかる気持を、どうしてよいかわからない。
○相思相見 この場合の相はお互いにという意味ではなく相手のことを思う、見るであり、一人なのである。ここを相思相愛、決まった相手と互いに重い互いを見つめると訳すと、狭い範囲の理解しかできなく、わけのわからないものになる。片思いの場合でも使うのである。

*この詩などの艶歌、閨情詩、行為詩、など当時の文化として理解すべきで、それによって李白の詩が低俗なものとしてとらえられたりする方がおかしい。こういった詩にはわけのわからない解釈が多い。特に、李白と李商隠の詩に多い。むしろ、李白の詩に味わい深みが増してくるというものである。
Kanbuniinkaiで李商隠と李白を同時にブログしているのは理解できない解釈にたいして、歯に衣を着せないで、記述していくことにあるからである。もっとも誰かにそのことを訴えようとか、知ってもらいたいとか思っているわけでもないことは付け加えておきたい。

白鷺鷥 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白170 玄宗(3)

白鷺鷥 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白170


玄宗〈3〉
楊氏は元来その出自も明確ではない。父は四川省の小役人であった。蜀州司戸の楊玄淡の四女。兄に楊銛、姉に後の韓国夫人、虢国夫人、秦国夫人がいる。幼いころに両親を失い、叔父の楊玄璬の家で育てられた。

 生まれながら玉環を持っていたのでその名がつけられたというものや、涙や汗が紅かったという伝説がある。また、広西省の庶民の出身であり、生まれた時に室内に芳香が充満しあまりに美しかったので楊玄淡に売られたという俗説もある。いずれにしても、当時の美人の条件をすべて持ち合わせていたことに間違いはないし、性的な満足を与えられる美人であったということだ。玄宗のなりふり構わない執着ぶりからも異常なほどだ。

 玄宗の子の寿王の妃となっていて、楊環といった。玄宗は驪山華清宮でこれを見そめて(740年)、離縁させ、息子から直接妻を奪う形になるのを避けるため、女道士とならせ、太真と呼んだ。実質は内縁関係にあったと言われる。後、高力士に命じて宮中にひそかに入れた。李白は742年に都に呼ばれ、744年追われているのである。内縁関係といっても誰もが分かるものであった。貴妃宮中入りの事情を、李白は知らぬわけではない。天子の命で「清平調詞」三章をみごとに作ったとはいえ、李白の内心は、楊貴妃に好意を寄せてうたいあげたものでいないとしかみれない。

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白鷺鷥
白鷺下秋水、孤飛如墜霜。
心閑且未去、濁立沙洲傍。


白鷺鷥
白鷺 秋水に下り、孤飛して 霜を墜すが如し。
心閑にして 且らく未だ去らず、独り立つ 沙洲の傍。

haqro04白鷺鷥



白鷺鷥 白鷺は白さぎ。鷥も白さぎ。白鷺と鷥は原則つがいとするか、群れを成している。詩に取り上げる場合、つがいが多い。秋雨に中州に降りてくる。水鳥である。

白鷺下秋水、孤飛如墜霜。
白さぎが秋雨の清らかな水に舞降りる。そのあとにただ一羽飛ぶさまは、霜が吹き飛んでいるようだ。
如墜粛 羽毛の白い形容。


心閑且未去、濁立沙洲傍。
心のんびりと、しばらく立ち去らず、ぽつんと砂の中洲のそばに立っている。

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王維
『輞川集』13 欒家瀬 
13 欒家瀬 
颯颯秋雨中、浅浅石溜瀉。
波跳自相濺、白鷺驚復下。

欒家瀬 (らんからい)
颯颯(さつさつ)たる秋雨(しゅうう)の中(うち)
浅浅(せんせん)として石溜(せきりゅう)に瀉ぐ
波は跳(おど)って自(おのずか)ら相い濺(そそ)ぎ
白鷺(はくろ)は驚きて復(ま)た下(くだ)れり

觀放白鷹 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白169 玄宗〈2〉

觀放白鷹 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白169


玄宗〈2〉
高力士は玄宗の皇太子時代から仕え、太平公主を倒すのに功があって、以後重要視され、ます.玄宗に甘言をもってうまくとり入り、厚い信任を得てほとんどの政務を任されるようになった。こうした高力士が宮中の権力を握る中にあっては、李白が存分に政治手腕などできる可能性も全くないものだった。

この高力士と、はじめはうまくとり入り、やがて玄宗の信任を得て、宰相の地位にまでのし上がったのが李林甫である。賢臣張九齢らのすべての反対勢力は朝廷より追われたし、殺されたのである。表は、李林甫の独裁政治、裏は高力氏という時代になったのである。 


736年開元二十四年11月張九齢を追放してから始まった。李林甫の反対派弾圧は徹底して行われたのである。また、府兵制度が崩壊し、地方の節度使が大きな勢力を持つのを恐れて、名もなき武官や、異民族出身者を任命した。その中の一人が、のちに反乱を起こした安禄山である。これらすべては初期唐王朝の蓄積の浪費するだけであり、玄宗の我儘の帰結であった。

天宝と改元された玄宗の後半生は、歓楽極まったものであった。そしてやがて哀情多い方向をたどることになる。その因をなすものは楊貴妃である。玄宗の後半生を狂わした女性でもある。李白は玄宗の歓楽の一部のために召されたのである。それも道教の関係者の伝手に頼ったものであった。





觀放白鷹
白鷹を放つ鷹狩りを見る。
八月邊風高、胡鷹白錦毛。
八月は秋の中ごろ,国境付近の岩山の上、ぬけるように晴れた空高く秋風が吹きわたっている。我われが鷹狩に使っているのは優秀な胡地産の鷹で、寒くなればなるほど錦もようの羽は銀白色にかがやいてくる。
孤飛一片雪、百里見秋毫。

ひとり飛びたったら、恰もひとひらの雪が空中に舞ったかのようである。山上から眺めると周囲百里にわたってどんな微細なものでも目に見えるほど、見晴らしがすばらしい。




白鷹を放つ鷹狩りを見る。
八月は秋の中ごろ,国境付近の岩山の上、ぬけるように晴れた空高く秋風が吹きわたっている。我われが鷹狩に使っているのは優秀な胡地産の鷹で、寒くなればなるほど錦もようの羽は銀白色にかがやいてくる。
ひとり飛びたったら、恰もひとひらの雪が空中に舞ったかのようである。山上から眺めると周囲百里にわたってどんな微細なものでも目に見えるほど、見晴らしがすばらしい。


白鷹を放つを観る
八月 辺風高し、胡鷹 白錦毛。
孤飛す一片の雪、百里 秋毫を見る。




觀放白鷹
白鷹を放つ鷹狩りを見る。
放鷹 たかを飛ばして小鳥をとること。鷹狩に白いたかを使う。



八月邊風高、胡鷹白錦毛
八月は秋の中ごろ,国境付近の岩山の上、ぬけるように晴れた空高く秋風が吹きわたっている。我われが鷹狩に使っているのは優秀な胡地産の鷹で、寒くなればなるほど錦もようの羽は銀白色にかがやいてくる。
八月 旧暦八月は、秋の中ごろ。○辺風 国境の風。○胡鷹 胡地に産する鷹。○錦毛 錦の美しいもようのある毛。

 

孤飛一片雪、百里見秋毫。
ひとり飛びたったら、恰もひとひらの雪が空中に舞ったかのようである。山上から眺めると周囲百里にわたってどんな微細なものでも目に見えるほど、見晴らしがすばらしい。
秋毫 毫は細い毛。動物の毛は秋に殊に細くなるので、きわめで微細なものを秋毫という。


 ○韻  高、毛、毫。


李白らしい着眼点が素晴らしい。異民族との国境付近の景色は、秋の深まりと共にモノトーン変わっていく。その中に接近してみれば錦に輝いているが、放って100里先でも雪の塊ほどに見えるという、100里も李白らしい。

紫藤樹 李白 漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白168 玄宗(1)

紫藤樹 李白 漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白168  玄宗(1)



玄宗(1)
 玄宗は、「開元の治」といわれるほどの治世をもたらした部分はたしかにあるが、とくに音楽を好み、宮中に左教坊・右教坊なる教習所を設け、また梨園では、梨園の弟子とし、玄宗は唐の宮廷楽団を「立部伎」および「座部伎」に分け、「立部伎」は立ったままで演奏し、室外で行う比較的に規模の小さいもの。「座部伎」は室内で座って演奏し、規模は比較的大きく、豪華さと迫力を重んじるものだった。

 玄宗は、梨園で選び抜いた300人に自ら音楽を教え、間違いがあるとすぐに指摘し正すなど厳しく指導していた。その場所には、梨が多く植えられていたことから「梨園」といわれている。唐玄宗の指導を受けた300人は後に、梨園弟子と呼ばれた。演出に参加した数百人の女官も梨園弟子と呼ばれた。ここの楽人をいう。また、西域から外来音楽を好んで移入したために、その曲調は広まり、のちの詞のメロディーにも影響する。

 また、興慶官の離宮を設けて遊び、あるいは曲江池の離宮にも遊んだりする。また、東の驪山の温泉宮にも、冬は避寒に出かけることを習わしにした。こうした遊びを詩に歌わせ、その遊びの中に音楽を演奏させることが、ことのほか好きであった。こうした中に登場したのが、ほかならぬ李白である。しかし、李白が腕を見せることのできる場はこうした遊びの場だけであった。記録に残るものには醜態も多い。

 玄宗が音楽に傾倒したのは、即位する以前の太平公主時代の豪奢な宮廷生活をまのあたりに見て、それへのあこがれが大きいのではないだろうか。政務を宦官任せにし、歌舞音楽の世界に鬱結した。また玄宗は、神仙道教に傾倒した。これは心のゆとりを神仙に求めたものであったが、不老長寿、悦楽、媚薬を求めたものでしかなかった。
こうした皇帝の我儘に付け込めるのが宦官の高力士であり、宰相の李林甫であったのだ。この時、唐の国の礎であった、二大制度、律令制度と府兵制度は崩壊していた。



紫藤樹

紫藤掛雲木、花蔓宜陽春。
かぐわしき紫のふじの花、やわらかき雲、尊き大木にかかっている。
きれいな花は蔦のように絡まっている、万物が性に目覚める春にふさわしいことだ。
密葉隠歌島、香風留美人。

肢体は葉のように密着し合い、宮妓たちの歌声、はしゃぐ声は帳に隠れている。かぐわしい宮女たちの香りは風に乗ってくる、その中で特に美しい人を引きとどめる。



かぐわしき紫のふじの花、やわらかき雲、尊き大木にかかっている。きれいな花は蔦のように絡まっている、万物が性に目覚める春にふさわしいことだ。

肢体は葉のように密着し合い、宮妓たちの歌声、はしゃぐ声は帳に隠れている。かぐわしい宮女たちの香りは風に乗ってくる、その中で特に美しい人を引きとどめる。



紫藤樹
紫藤(しとう) 雲木に掛り、花蔓(かまん) 陽春に宜し。
密葉(みつよう) 歌鳥を隠し、香風 美人を留む。





紫藤掛雲木、花蔓宜陽春。
かぐわしき紫のふじの花、やわらかき雲、尊き大木にかかっている。きれいな花は蔦のように絡まっている、万物が性に目覚める春にふさわしいことだ。
○紫藤 紫の藤の花。○雲木 雲に秘めるのは女性の柔らかさ、包み込むこと。木は、男性を表す。雲のまつわる大木の意。天使を示す。
花蔓 花をつけたつる。○陽春 万物が性に目覚める春。




密葉隠歌島、香風留美人。
すきまのない葉は、さえずる小鳥の姿をかくし、かぐわしい風は、美しい人を引きとどめる。
 肢体をしめす。○歌鳥 さえずる小鳥。ここでは宮妓を示す。○香風 香しき風。ここでは女性の持つ香りを示す。 ○美人 宮妓の中の美人、ここでは楊貴妃(当時は楊環)

古風五十九首 其二十三 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白167

古風五十九首 其二十三 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白167



長安において、必ずしも愉快な生活ではなかった李白を慰めるものは、自然の風物と酒である。自然を歌い、酒を歌うことで、美しい白鳳を眺め、それを詩に歌うことに喜びを感じ、酒を飲み、それを詩に歌うことに人生の生きがいを求めた。

李白は、心に苦悩を覚えれば覚えるほど、自然に、酒にひたりこむ。道教の友、道士たちと酒を酌み交わす際は特別なものであった。道教における自然、方向性は一緒だが少し違った自然の中に酒の中に人生の生きがいを求めた。そして、その境地を詩歌することを自分の生きる運命と思っていた。自然への目を覆い、酒に対する口を封じれば、それはそれで李白の人生は全く違ったものであったろう。明朗な性格は李白の人生観でもある。

長安においても、しばしば自然の風物を尋ねる。

「終南山を下り、斜斯山人に過りて宿る。置酒す」詩

李白 88 下終南山過斛斯山人宿置酒
「二人ともに楽しく語りあい、ゆったりとした。かくては美酒を飲もう。松風に吹かれて歌.続け、歌い終わってみると、天の川の星もまばらで、夜もふけた。自分も君も酔っぱらって、ゆしかった。よい気持ちで、すべてのことは忘れた境地である」。「忘機」は、世の俗事を忘れ去て淡々とすること。道家の目指す境地である。山中の自然の美しきを楽しみ、知己の山人とともに、好きな酒を飲み、「陶然として共に機を忘れ」る境地こそ、李白の望むところであった。けして、それは仙人の境地にも通ずる。それは李白の理想とするところであった。

秦嶺山脈の西端の高峰が、太白山であり、常に山頂に積雪がある。南は武功山に連なる。「蜀道難」

蜀道難 李白127
の中にも、その険峻を歌っている。頂上に道教を信奉するものが尊重する洞窟もあるし、李白の字と名を同じくする山でもある。李白はそれにひかれて、ときどき登ったものと思わしる。「太白峰に登る」詩
李白16 登太白峯 希望に燃えて太白山に上る。
があるが、すでに述べた「太山に遊ぶ」
李白 112 游泰山六首
や、また「夢に天姥に遊ぶの吟、留別」
夢遊天姥吟留別 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166
と同じく、仙境にあこがれる気持ちを想像力をたくましくして写し出し、無限の世界を自由に飛びまわる気持ちを表わしている。これも李白の詩の大きな特色の一つであることすでに述べたーおりである。こうして、自然を楽しみ、酒を飲み、仙境を夢みていると、そのときだけ李白の心を満足さるが、一たび現実の長安の生活に帰ると、李白にとっては、何を見てもがまんのならぬことがかった。
これら李白にとって、居心地のよくない宮廷務め、その合間に、気晴らしに、たくさんの詩を書いたはずである。しかし、歴史は、支配者の歴史であるから、李白の宮廷時代のものはおおくはない。


古風五十九首 其二十三
秋露白如玉、團團下庭綠。
秋の霧は白くて宝玉のように輝いている。まるく、まるく、庭の木の下に広がっている縁の上におりている。
我行忽見之、寒早悲歲促。
わたしの行く先々で、どこでもそれを見たものだ。寒さが早く来ている、悲しいことに年の瀬がおしせまっている。
人生鳥過目、胡乃自結束。
人生は、鳥が目のさきをかすめて飛ぶ瞬間にひとしい。それなのに、どうして儒教者たちは自分で自分を束縛することをするのか。
景公一何愚、牛山淚相續。
むかしの斉の景公は、じつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はどうして死んでしまうのかと歎いて、涙をとめどもなく流した。
物苦不知足、得隴又望蜀。
世間の人間が満足を知らないというのは困ったことだ。隴が手に入ると、蜀まで欲しくなるものなのだ。
人心若波瀾、世路有屈曲。
人の心はあたかも大波のようだ。そして、処世の道には曲りくねりがある。
三萬六千日、夜夜當秉燭。

人生、三万六千日、毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。



秋の霧は白くて宝玉のように輝いている。まるく、まるく、庭の木の下に広がっている縁の上におりている。
わたしの行く先々で、どこでもそれを見たものだ。寒さが早く来ている、悲しいことに年の瀬がおしせまっている。
人生は、鳥が目のさきをかすめて飛ぶ瞬間にひとしい。それなのに、どうして儒教者たちは自分で自分を束縛することをするのか。
むかしの斉の景公は、じつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はどうして死んでしまうのかと歎いて、涙をとめどもなく流した。
世間の人間が満足を知らないというのは困ったことだ。隴が手に入ると、蜀まで欲しくなるものなのだ。
人の心はあたかも大波のようだ。そして、処世の道には曲りくねりがある。
人生、三万六千日、毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。





古風 其の二十三
秋蕗は 白くして玉の如く、団団として 庭綠に下る。
我行きて忽ち之を見、寒早くして 歳の促すを悲しむ。
人生は鳥の目を過ぐるがごとし、胡ぞ乃ち自ずから結束するや
景公 ひとえに何ぞ愚かなる、牛山涙相続ぐ、
物は足るを知らざるを苦しみ、隴を得て 又た蜀を望む。
人心は 波瀾の若し、世路には 屈曲有り。
三万六千日、夜夜 当に燭を乗るべし


其二十三

秋露白如玉、團團下庭綠。
秋の霧は白くて宝玉のように輝いている。まるく、まるく、庭の木の下に広がっている縁の上におりている。
団団 まるいさま。露が丸い粒にかたまったさま。六朝の謝恵連の詩に「団団たり満葉の露」とある。○庭綠 庭の中の草木。


我行忽見之。 寒早悲歲促。
わたしの行く先々で、どこでもそれを見たものだ。寒さが早く来ている、悲しいことに年の瀬がおしせまっている。
歳促 歳の瀬がせまる。


人生鳥過目、胡乃自結束。
人生は、鳥が目のさきをかすめて飛ぶ瞬間にひとしい。それなのに、どうして儒教者たちは自分で自分を束縛することをするのか。
鳥過日 張協の詩に「人生は瀛海の内、忽上して鳥の目を過ぐるが如し」とある。飛鳥が目の前をかすめて過ぎるように、人生はつかのまの時間に限られる。「光陰矢の如し」○胡乃 胡はなんぞ、乃はすなわち。○自結束 窮屈にする。しばりつける。孔子の論語為政篇にある「何為自結束」(何為れぞ自から結束する)に基づいている


景公一何愚、牛山淚相續。
むかしの斉の景公は、じつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はどうして死んでしまうのかと歎いて、涙をとめどもなく流した。
景公一何愚。 牛山淚相續。 「列子」に見える話。景公は、春秋時代の斉の景公。牛山は、斉の国都であった今の山東省臨消県の、南にある山。むかし斉の景公は、牛山にあそび、北方に自分の国城を見おろしながら、涙をながして言った。「美しいなあ、この国土は。あおあおと草木がしげっている。それに、どうして滴がおちるよぅにこの国を去って死んでいくのだろう。もしも永久に死ということがないならば、わたしはここをはなれて何処へも行きたくないのだ。」そばにいた二人の臣、文孔と梁邸拠とが公に同情して泣いたが、ひとり、大臣の蜃子が、それを見て笑った。なぜ笑うかときかれて、量子がこたえた。「この国の代代の君主は、この国土をここまで立派にせられるのに、死ぬことなどを考える暇もなかったのです。いま、わが君が安んじて国王の位についておられるのは、代代の国王が次次と即位し、次次と世を去って、わが君に至ったからです。それなのに、ひとり涙をながして死をなげかれるのは、不仁というものでし上う。不仁の君を見、へつらいの臣を見る、これが、臣がひとりひそかに笑ったゆえんです。」景公は、はずかしく思い、杯をあげて自分を罰し、二人の臣を罰するに、それぞれ二杯の酒をのませた。


物苦不知足、得隴又望蜀。
世間の人間が満足を知らないというのは困ったことだ。隴が手に入ると、蜀まで欲しくなるものなのだ。
物苦不知足、得隴又望蜀。 「後漢書」の、光武帝が岑彭に与えた書に「人は足るを知らざるに苦しむ。既に隴を平らげて復た蜀を望む」とある。隴はいまの甘粛省除酉県の地表はいまの四川省。物は人間。


人心若波瀾。 世路有屈曲。
人の心はあたかも大波のようだ。そして、処世の道には曲りくねりがある。


三萬六千日、夜夜當秉燭。
人生、三万六千日、毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。
三万六千 百年の日数。「抱朴子」に「百年の寿も、三万余日のみ」とある。○夜夜当秉燭 秉は、手で持つ。漢代の古詩十九首の一に「生年は百に満たず。常に千歳の警懐く。昼は短く、夜の長きを苦しむ。何ぞ燭を秉って遊ばざる」とある。李白の『春夜桃李園に宴する序』に、「浮生は夢のごとし。歓を為す幾何ぞ。古人、燭を秉りて夜遊ぶ。良に以あるなり」とある。

春夜桃李園宴序 李白116
『銭徴君少陽に贈る。』にも「燭を秉ってただすべからく飲むべし。」
贈銭徴君少陽 李白114

夢遊天姥吟留別 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166

夢遊天姥吟留別   李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166



雑言古詩「夢に天姥に遊ぶの吟 留別の詩」
夢游天姥吟留別
#1
海客談瀛洲。 煙濤微茫信難求。 』
東海の船乗りたちは、瀛洲の仙山について話をする。
濃霧と波涛の彼方にぼんやりと海が広り、尋ねあてるのは本当にむずかしい。

越人語天姥。 云霓明滅或可覩。 』
越の人々は、天姥山について話をしている。雲やにじが明滅するわずかな瞬間に、この目に見えることもあるのだと。
天姥連天向天橫。 勢拔五岳掩赤城。
天姥山は天まで連なり、天に向って横たわる。
その勢いは、五岳の山々を抜き、赤城山を掩いつくさんばかりである。

天台四萬八千丈。 對此欲倒東南傾。』
天台山は、四万八千丈の高さを誇るが、天姥山と向きあえば、その力に引かれて東南に倒れかかるほどのようにみえる。
我欲因之夢吳越。 一夜飛度鏡湖月。』
#1
わたしはこの山ゆえに呉越の山河を夢に見たく思い、ある一夜、月の輝く鏡湖の空を飛び渡ったのだ。

#2
湖月照我影。 送我至剡谿。
鏡湖の月は、湖面に私の影を照しつつ、私を剡谿までつれてきてくれた。
謝公宿處今尚在。 淥水蕩漾清猿啼。
謝霊運公が身をよせた宿は、今もなお在り、緑に澄んだ水がゆらめいて、清らかに猿の声が聞こえてくる。
腳著謝公屐。 身登青云梯。
足には、謝公の木履をはき、この身は、青雲の梯子のような、険しい山路を登ってゆく。
半壁見海日。 空中聞天雞。 』
絶壁の半ばから、海からのぼる太陽が見え、空中から、天鶏の声が聞こえてくる。
千岩萬轉路不定。 迷花倚石忽已暝。』
岩々がゴロゴロと転がってきて、山路の行くては定まらない、花の間に迷い入り、石に寄りかかって休む、いつの間にか日暮れとなる。
熊咆龍吟殷岩泉。 栗深林兮驚層巔。
熊が咆え、竜がうなって、岩間の泉に響きあい、深い林、重なった峰さえ、震えおびえる。
云青青兮欲雨。 水澹澹兮生煙。 』
 #2
雲は青黒く湧きあがって、今しも雨が迫り、水は大きくゆらめいて、モヤが立ちのぼる。


#3
列缺霹靂。 丘巒崩摧。
きらめく稲妻、とどろく雷鳴、尾根も蜂も、崩れ落ちる。
洞天石扇。 訇然中開。
奥深い洞穴、石の扉が、轟音とともに、左右に開く。
青冥浩蕩不見底。 日月照耀金銀台。』
別天地の青空は限りなく広がって、その果ても見えず、太陽と月が、金銀の楼台に照り輝く。
霓為衣兮鳳為馬。 云之君兮紛紛而來下。』
霓を衣裳とし、鳳凰を馬として、雲の神霊の行列が、賑々しく空から下りてくる。
虎鼓瑟兮鸞回車。 仙之人兮列如麻。
白虎が窓を鳴らし、鸞鳳が車を引き回らす。お供の仙人たちは、麻糸を紡ぐように列なり続く。
忽魂悸以魄動。 怳驚起而長嗟。
ふと気づけば、精神が不安で動悸が激しさを感じ、はっと驚いて身を起こし、長く溜息をついていた。
惟覺時之枕席。 失向來之煙霞。』
  #3
ただそこには、眼覚めの折りの夜具だけがあり、さきほどまでの仙界の光景は、すっかり消えてしまっていた。


#4
世間行樂亦如此。 古來萬事東流水。』
世間の楽しみも、やはりこんなもの。昔から、万事はすべて水は東流するもの、ひとたび去れば帰らない。
別君去兮何時還。
君たちと別れて立ち去れば、もどって来られるのは何時のことか。
且放白鹿青崖間。
ひとまずは、白鹿を青山の谷間に放ち、
須行即騎訪名山。』
行くべき時には即それに騎って、各地の名山を訪ねよう。
安能摧眉折腰事權貴。 使我不得開心顏。』
#4
眉を伏せ腰をかがめて、権貴の人々に仕え、わが心身を苦しめることなど、どうして私にできようか。


#1
東海の船乗りたちは、瀛洲の仙山について話をする。
濃霧と波涛の彼方にぼんやりと海が広り、尋ねあてるのは本当にむずかしい。
越の人々は、天姥山について話をしている。雲やにじが明滅するわずかな瞬間に、この目に見えることもあるのだと。
天姥山は天まで連なり、天に向って横たわる。
その勢いは、五岳の山々を抜き、赤城山を掩いつくさんばかりである。
天台山は、四万八千丈の高さを誇るが、天姥山と向きあえば、その力に引かれて東南に倒れかかるほどのようにみえる。
わたしはこの山ゆえに呉越の山河を夢に見たく思い、ある一夜、月の輝く鏡湖の空を飛び渡ったのだ。
#2
鏡湖の月は、湖面に私の影を照しつつ、私を剡谿までつれてきてくれた。
謝霊運公が身をよせた宿は、今もなお在り、緑に澄んだ水がゆらめいて、清らかに猿の声が聞こえてくる。
足には、謝公の木履をはき、この身は、青雲の梯子のような、険しい山路を登ってゆく。
絶壁の半ばから、海からのぼる太陽が見え、空中から、天鶏の声が聞こえてくる。
岩々がゴロゴロと転がってきて、山路の行くては定まらない、花の間に迷い入り、石に寄りかかって休む、いつの間にか日暮れとなる。
熊が咆え、竜がうなって、岩間の泉に響きあい、深い林、重なった峰さえ、震えおびえる。
雲は青黒く湧きあがって、今しも雨が迫り、水は大きくゆらめいて、モヤが立ちのぼる。

#3
きらめく稲妻、とどろく雷鳴、尾根も蜂も、崩れ落ちる。
奥深い洞穴、石の扉が、轟音とともに、左右に開く。
別天地の青空は限りなく広がって、その果ても見えず、
太陽と月が、金銀の楼台に照り輝く。
霓を衣裳とし、鳳凰を馬として、雲の神霊の行列が、賑々しく空から下りてくる。
白虎が窓を鳴らし、鸞鳳が車を引き回らす。
お供の仙人たちは、麻糸を紡ぐように列なり続く。
ふと気づけば、精神が不安で動悸が激しさを感じ、はっと驚いて身を起こし、長く溜息をついていた。
ただそこには、眼覚めの折りの夜具だけがあり、さきほどまでの仙界の光景は、すっかり消えてしまっていた。

#4
世間の楽しみも、やはりこんなもの。
昔から、万事はすべて水は東流するもの、ひとたび去れば帰らない。
君たちと別れて立ち去れば、もどって来られるのは何時のことか。
ひとまずは、白鹿を青山の谷間に放ち、
行くべき時には即それに騎って、各地の名山を訪ねよう。
眉を伏せ腰をかがめて、権貴の人々に仕え、
わが心身を苦しめることなど、どうして私にできようか。


#1
海客 瀛洲を談ず、煙濤 微茫にして信に求め難しと。』 
越人 天姥を語る、雲霓 明滅 或は睹(み)る可しと』
天姥 天に連なり天に向って橫たはる、勢は五嶽を拔き赤城を掩ふ。 
天台 四萬八千丈、此に對すれば東南に倒れ傾かんと欲す』
我 之に困って呉越を夢みんと欲す、一夜 飛んで度る 鏡湖の月。』
#1
#2
湖月 我が影を照らし、我を送って剡溪(せんけい)に至らしむ 
謝公の宿處 今尚ほ在り、綠水 蕩漾して 清猿啼く
脚には著く謝公の屐(げき)、身は登る青雲の梯 
半壁 海日を見、空中 天鶏を聞く』
千巖萬轉して路定まらず、花に迷ひ石に倚れば忽ち已に暝し。』  
熊は咆え龍は吟じて 巖泉殷たり、深林に慄(おそ)れて 層嶺に驚く。
雲は青青として 雨ふらんと欲し、水は澹澹として 煙を生ず。』
#2
#3
列缺 霹、丘巒 崩れ摧く。
洞天の石扇、訇(こう)然として中より開く。
青冥浩蕩として底を見ず、日月照耀す 金銀台。』
霓を衣と為し 風を馬と為し、雲の君 紛紛として來り下る。』
虎は瑟を鼓し 鸞は車を回らし、仙の人 列ること麻の如し
忽ち魂悸(おどろ)きて以て魄動き、恍として驚き起きて長嗟す。
惟だ覺めし時 これ枕席のみ、向來の煙霞を失ふ。』
#3
#4
世間の行樂 亦此の如し、古來萬事 東流の水。』
君に別れて去れば何れの時にか還らん。
且(しばら)く白鹿を青崖の間に放ち。
須らく行くべくんば即ち騎って名山を訪はん。
安んぞ能く眉を摧き腰を折って權貴に事へ、我をして心顏を開くを得ざらしめん。』
#4



 
夢游天姥吟留別
夢で天姥山に遊んだ吟、留別の詩。
夢遊天姥吟留別  夢で天姥山に遊んだ吟、留別の詩。
天姥 山の名。浙江省新昌県の南部にある、主峰「撥雲尖」は標高817m。『太平寰宇記』(江南道八「越州、剡県」所引)の『後呉録』によれば、この山に登ると天姥(天上の老女)の歌う声が聞こえる、と伝えられる。○留別 旅立つ人が「別意を留めて」作る離別の詩。「送別」は、あとにのこる人が「旅立つ人を送って」作る離別の詩。

#1
海客談瀛洲。 煙濤微茫信難求。 』
東海の船乗りたちは、瀛洲の仙山について話をする。
濃霧と波涛の彼方にぼんやりと海が広り、尋ねあてるのは本当にむずかしい。
海客 船乗り。また、海を旅する人。○瀛洲 東海中にあると伝える仙山。蓬莱、方丈と共に三山とする。○微茫 はっきりしないさま。



越人語天姥。 云霓明滅或可覩。 』
越の人々は、天姥山について話をしている。雲やにじが明滅するわずかな瞬間に、この目に見えることもあるのだと。
○越人 現在の浙江省、古代の「越」の国の地域に住む人々。○雲霓  うんげい-雲や霓(にじ)。○明滅 急に明るくなったり暗くなったりするさま。○ 目に見える



天姥連天向天橫。 勢拔五岳掩赤城。
天姥山は天まで連なり、天に向って横たわる。
その勢いは、五岳の山々を抜き、赤城山を掩いつくさんばかりである。
五岳 中国を代表する五つの名山。
• 東岳泰山(山東省泰安市泰山区)標高1,545m。
• 南岳衡山(湖南省衡陽市衡山県)標高1,298m。
• 中岳嵩山(河南省鄭州市登封市)標高1,440m。
• 西岳華山(陝西省渭南市華陰市)標高2,160m。
• 北岳恒山(山西省大同市渾源県)標高2,016,m。
赤城 山名。天台山の西南にあり、天台の南門とされる。赤い岩石が連なって城のよう覧える。


天台四萬八千丈。 對此欲倒東南傾。』
天台山は、四万八千丈の高さを誇るが、天姥山と向きあえば、その力に引かれて東南に倒れかかるほどのようにみえる。
天台 天台山(てんだいさん)は、中国浙江省中部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1,138m。「四万八千丈」は誇張した表現。○呉越  現在の江蘇・浙江省地方。古代の呉の国・越の国の地方。○東南傾  天台山は天姥山の西北にあるので、こう表現した。



我欲因之夢吳越。 一夜飛度鏡湖月。』
わたしはこの山ゆえに呉越の山河を夢に見たく思い、ある一夜、月の輝く鏡湖の空を飛び渡ったのだ。
鏡湖  浙江省紹興市の南、会稽山麓にある湖。賀知章が官を辞する際玄宗より賜ったところ。


○韻  州、求/姥、覩/横、城、傾/越、月。



#2
湖月照我影。 送我至剡谿。
鏡湖の月は、湖面に私の影を照しつつ、私を剡谿までつれてきてくれた。
剡谿 せんけい-川の名。現在の新江省峡県の南。曹娥江の上流の諸水を、古代では剡谿(則県の渓)と通称していた。東晋以来、風景の美しさで称せられた。



謝公宿處今尚在。 淥水蕩漾清猿啼。
謝霊運公が身をよせた宿は、今もなお在り、緑に澄んだ水がゆらめいて、清らかに猿の声が聞こえてくる。
謝公宿処 晋・宋の詩人謝霊運の宿泊した処。その詩に、「瞑に劇中の宿に投り、明に天姥の琴に登る」(「臨海の嶋に登らんとし、初めて廻中を発して作る。……」)とある。○蕩漾  水のゆらめくさま。



腳著謝公屐。 身登青云梯。
足には、謝公の木履をはき、この身は、青雲の梯子のような、険しい山路を登ってゆく。
  ゲタのような木製の履き物。謝霊運は山歩きが好きで、登る時には木履の前歯をはずし、下る時には後の歯をはずして使ったという。(『南史』巻十九「謝霊運伝」)。○青雲梯 青い雲にまで届く高い梯子。謝霊運の「石門の最高頂に登る」詩に、「共に登る青雲の梯」とあるのを踏まえた。



半壁見海日。 空中聞天雞。 』
絶壁の半ばから、海からのぼる太陽が見え、空中から、天鶏の声が聞こえてくる。
半壁 絶壁の半ば。○海日  海からのぼる太陽。天姥山は比較的海に近いので、このように連想した。○天鶏  任妨『述異記』(下)に、「東南の桃都山上の桃都という大樹の上に天鶏が居り、太陽がこの樹を照らすと天鶏が鳴き、天下の鶏が皆これに随って鳴く」旨が記されている。



千岩萬轉路不定。 迷花倚石忽已暝。』
岩々がゴロゴロと転がってきて、山路の行くては定まらない、花の間に迷い入り、石に寄りかかって休む、いつの間にか日暮れとなる。
萬轉 宣の岩が万回転する。 ○迷花 花の間に迷い入る。  ○倚石 石に寄りかかって休む。  ○ 日が暮れる。



熊咆龍吟殷岩泉。 慄深林兮驚層巔。
熊が咆え、竜がうなって、岩間の泉に響きあい、深い林、重なった峰さえ、震えおびえる。
○殷 さかんなこと。鳴動する、震動する。○層巔 重なりあった山々の頂。



云青青兮欲雨。 水澹澹兮生煙。 』
雲は青黒く湧きあがって、今しも雨が迫り、水は大きくゆらめいて、モヤが立ちのぼる。
澹澹  水の揺れ動くさま。

○韻  谿、啼、梯、鶏/定、瞑/泉、巓、煙。




#3
列缺霹靂。 丘巒崩摧。
きらめく稲妻、とどろく雷鳴、尾根も蜂も、崩れ落ちる。
列鉄  いなづま。畳韻語。○霹靂 雷鳴。畳韻語。○丘巒  連なった丘や峰。○崩擢  崩れ砕ける。



洞天石扇。 訇然中開。
奥深い洞穴、石の扉が、轟音とともに、左右に開く。

洞天  道教用語。仙人の住まう仙境。「洞中の別天地」の意。三十六の洞天、七十二の福地、などが有るとされる。○訇然  音声の大きいさま。



青冥浩蕩不見底。 日月照耀金銀台。』
別天地の青空は限りなく広がって、その果ても見えず、
太陽と月が、金銀の楼台に照り輝く。
青冥  青空。○浩蕩  広々としたさま。○金銀台  神仙の住む金銀の宮殿。



霓為衣兮鳳為馬。 云之君兮紛紛而來下。
霓を衣裳とし、鳳凰を馬として、雲の神霊の行列が、賑々しく空から下りてくる。
  にじ。古代中国では「にじ」を竜の一種に見立て、色彩の濃いものを雄の「虹」、薄いものを雌の「寛」と呼んだ。(『文選』「西都賦」 への唐の張銑の注など)。この詩では、色の薄い副虹を「寛」と呼んで、美しい衣裳に見立てている。○ 鳳凰。景宋威浮木・王本などでは「夙」に作るが、「寛」を雌竜に見立てている点から言えば、「鳳」が勝るだろう。○雲主君  雲の神。『楚辞』(九歌)に「雲中君」の篤がある。○紛紛 ここでは、行列の供揃えが賑々しいさま。



虎鼓瑟兮鸞回車。 仙之人兮列如麻。
白虎が窓を鳴らし、鸞鳳が車を引き回らす。
お供の仙人たちは、麻糸を紡ぐように列なり続く。
虎鼓瑟 虎が瑟(二十五絃)のコトを鼓らす。張衛の「西京賦」(『文選』巻二)に、「白虎は瑟を鼓し、蒼竜は横笛を吹く」とある。動物に扮装した楽人たちの演奏のさま。○ 鳳凰の一種。空想上の神鳥。○列如麻 麻糸の続くように列なり続く。

忽魂悸以魄動。怳驚起而長嗟。
ふと気づけば、精神が不安で動悸が激しさを感じ、はっと驚いて身を起こし、長く溜息をついていた。
魂悸・魄動 精神が不安で動悸が激しいさま。○ ここでは、前句の「忽」と同じく、心に予期しないことが生じるさま。「怳」の頼語。「ふっと」「はっと」。○長嗟 長く溜息をつく。



惟覺時之枕席。 失向來之煙霞。』
ただそこには、眼覚めの折りの夜具だけがあり、さきほどまでの仙界の光景は、すっかり消えてしまっていた。
枕席 枕とフトン。寝具、夜具。○向来 さきほどまでの。○煙霞  モヤ・カスミ・キリの頼。ここでは、神仙境の景


韻  墔、開、台/馬・下/車、麻、嗟、霞。




#4

世間行樂亦如此。 古來萬事東流水。』
世間の楽しみも、やはりこんなもの。
昔から、万事はすべて水は東流するもの、ひとたび去れば帰らない。



別君去兮何時還。

君たちと別れて立ち去れば、もどって来られるのは何時のことか。



且放白鹿青崖間。
須行即騎訪名山。』

ひとまずは、白鹿を青山の谷間に放ち、
行くべき時には即それに騎って、各地の名山を訪ねよう。
白鹿 白い鹿。隠者の乗りもの。



安能摧眉折腰事權貴。 使我不得開心顏。』#4
眉を伏せ腰をかがめて、権貴の人々に仕え、
わが心身を苦しめることなど、どうして私にできようか。

推眉  眉を伏せる、卑屈な態度。○折腰  腰をかがめる。ぺこぺこおじぎをする。○関心顔  心も顔つきも晴ればれとする。



○韻   此、水/還、間、山、顔。

送裴十八図南歸嵩山 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白165

 
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送裴十八図南歸嵩山 其二 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白165



送裴十八図南歸嵩山 其二
君思穎水綠、忽復歸嵩岑。
君は頴水のあの澄み切った緑色を思い出し、急に嵩山の高峰にまた帰ろうとしている。
歸時莫洗耳、爲我洗其心。
帰った時を境に、耳を洗うようなことはしないでくれ、わたしのために、心を洗うことをしてくれないか。
洗心得眞情、洗耳徒買名。
心を洗うことができたら、真理、情実のすがたをつかむことが出来よう。かの許由のように耳を洗って、名前が売れるだけでつまらないものだ。
謝公終一起、相與済蒼生。

晉の時代の謝安石が、ついに起ちあがって活躍した、その時は君とともに天下の人民を救うためやろうではないか。



君は頴水のあの澄み切った緑色を思い出し、急に嵩山の高峰にまた帰ろうとしている。
帰った時を境に、耳を洗うようなことはしないでくれ、わたしのために、心を洗うことをしてくれないか。
心を洗うことができたら、真理、情実のすがたをつかむことが出来よう。かの許由のように耳を洗って、名前が売れるだけでつまらないものだ。
晉の時代の謝安石が、ついに起ちあがって活躍した、その時は君とともに天下の人民を救うためやろうではないか。


裴十八図南の嵩山に帰るを送る 其の二
君は穎水(えいすい)の綠なるを思い、忽ち復た 嵩岑に帰る
帰る時 耳を洗う莫れ、我が為に 其の心を洗え。
心を洗わば 真情を得ん、耳を洗わば 徒らに名を買うのみ。
謝公 終(つい)に一たび起ちて、相与に 蒼生を済わん。

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君思穎水綠、忽復歸嵩岑。
君は頴水のあの澄み切った緑色を思い出し、急に嵩山の高峰にまた帰ろうとしている。
嵩岑 嵩山のみね。岑はとがった山の状態。



歸時莫洗耳、爲我洗其心。
帰った時を境に、耳を洗うようなことはしないでくれ、わたしのために、心を洗うことをしてくれないか。
洗耳 大昔、堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういぅ話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。



洗心得眞情、洗耳徒買名。
心を洗うことができたら、真理、情実のすがたをつかむことが出来よう。かの許由のように耳を洗って、名前が売れるだけでつまらないものだ。
真情 真実のすがた。



謝公終一起、相與済蒼生。
晉の時代の謝安石が、ついに起ちあがって活躍した、その時は君とともに天下の人民を救うためやろうではないか。
謝公 晉の時代の謝安は、あざなを安石といい、四十歳になるまで浙江省の東山という山にこもって、ゆうゆうと寝てくらし、朝廷のお召しに応じなかった。当時の人びとは寄ると彼のうわさをした。「安石が出てこないと、人民はどうなるんだ」。謝安(しゃ あん320年 - 385年)は中国東晋の政治家。字は安石。陳郡陽夏(現河南省)の出身。桓温の簒奪の阻止、淝水の戦いの戦勝など東晋の危機を幾度と無く救った。
383年、華北を統一した前秦の苻堅は中国の統一を目指して百万と号する大軍を南下させてきた。謝安は朝廷より征討大都督に任ぜられ、弟の謝石・甥の謝玄らに軍を預けてこれを大破した。戦いが行われていた頃、謝安は落ち着いている素振りを周囲に見せるために、客と囲碁を打っていた。対局中に前線からの報告が来て、客がどうなったかを聞いたところ、「小僧たちが賊を破った」とだけ言って、特に喜びをみせなかった。客が帰った後、それまでの平然とした振りを捨てて、喜んで小躍りした。その時に下駄の歯をぶつけて折ってしまったが、それに気づかなかったという。○蒼生 あおひとぐさ。人民。庶民。天下の民事。


○韻 岑、心/名、生。


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唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))

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送裴十八図南歸嵩山 其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白164

 
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送裴十八図南歸嵩山 其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白164


何處可爲別、長安青綺門。
どこで君と別れをするところとするかといえば、長安城の東門の青綺門である
胡姫招素手、延客酔金樽。
イランの美女が長く細い白い手で招き、客を引っ張り込み、金の酒樽で酔わせてくる。
臨當上馬時、我獨與君言。
いよいよ馬にのって出発する時間がきた。わたしだけひとりが、君と話をしている。
風吹芳蘭折、日沒鳥雀喧。
風が吹き、せっかくの香のよい蘭も無残に折れる。日が沈んで、雀や小鳥がやかましく囀っている。
擧手指飛鴻、此情難具論。
手をさしあげて、空を飛ぶあの大きな鴻を指さすのだが、この気持はうまく説明することがむつかしいのだ。
同歸無早晩、穎水有精源。

わたしもおそかれはやかれ、君と同じ所に帰る。調子のいい話を聞く耳を洗ったことで有名な穎水には、清い源があるにちがいないから。



どこで君と別れをするところとするかといえば、長安城の東門の青綺門である
イランの美女が長く細い白い手で招き、客を引っ張り込み、金の酒樽で酔わせてくる。
いよいよ馬にのって出発する時間がきた。わたしだけひとりが、君と話をしている。
風が吹き、せっかくの香のよい蘭も無残に折れる。日が沈んで、雀や小鳥がやかましく囀っている。
手をさしあげて、空を飛ぶあの大きな鴻を指さすのだが、この気持はうまく説明することがむつかしいのだ。
わたしもおそかれはやかれ、君と同じ所に帰る。調子のいい話を聞く耳を洗ったことで有名な穎水には、清い源があるにちがいないから。


裴十八図南の嵩山に帰るを送る 其の一
何れの処か 別れを為す可き、長安の青綺門。
胡姫 素手もて招き、客を延(ひ)いて 金樽に酔う。
当(まさ)に馬に上るべき時に臨んで、我独り 君と言う。
風吹いて 芳蘭折れ、日没して 鳥雀喧(かしま)し。
手を挙げて 飛鴻を指す、此の情 具(つぶさ)に論じ難し。
同じく帰って 早晩無し、穎水に 清源有り。


裴十八図南 裴が姓、図南が名。十八は排行(一族のなかでの序列)。○嵩山 中国の五嶽の中の一つ。中嶽河南省洛陽の東方にある。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。この時代道教の総本山があり、そこに帰っていくことを示す。
• 東岳泰山(山東省泰安市泰山区)標高1,545m。
• 南岳衡山(湖南省衡陽市衡山県)標高1,298m。
• 中岳嵩山(河南省鄭州市登封市)標高1,440m。
• 西岳華山(陝西省渭南市華陰市)標高2,160m。
• 北岳恒山(山西省大同市渾源県)標高2,016m。

この詩をもって李白が長安から去る気持ちを持っていたというのは間違いで、友人が道教の本山に帰るということに対して、自分も行きたいといっているだけなのだ。


何處可爲別、長安青綺門。
どこで君と別れをするところとするかといえば、長安城の東門の青綺門である。
青綺門 長安の町をかこむ城壁の門の一つ、東に向いた㶚城門は、青い色をぬってあったので、通称を、青城門、又は青門、又は、青綺門といった。

胡姫招素手、延客酔金樽。
イランの美女が長く細い白い手で招き、客を引っ張り込み、金の酒樽で酔わせてくる。
胡姫 外人の女。当時、イラン系の美女が長安の酒場、歌ったり舞ったりサービスしたりした。○素手 しろい手。○延客 客をひっぱる。

臨當上馬時、我獨與君言。
いよいよ馬にのって出発する時間がきた。わたしだけひとりが、君と話をしている。
臨當 その時にあたる。望む。その時に及ぶ。
 

風吹芳蘭折、日沒鳥雀喧。
風が吹き、せっかくの香のよい蘭も無残に折れる。日が沈んで、雀や小鳥がやかましく囀っている。
芳蘭 においのよいラン。

擧手指飛鴻、此情難具論。
手をさしあげて、空を飛ぶあの大きな鴻を指さすのだが、この気持はうまく説明することがむつかしいのだ。
擧手指飛鴻 晉の時代の隠者である郭瑀いう人の故事。ある人が郭瑀に、山を出て役人になるよう、使に呼びに行かせた。郭瑀は空を飛ぶ鴻(雁の大きいもの)を指さして言った。「ごらんなさい。あの鳥がどうして籠の中へ入れられましょう」。

同歸無早晩、穎水有精源。
わたしもおそかれはやかれ、君と同じ所に帰る。調子のいい話を聞く耳を洗ったことで有名な穎水には、清い源があるにちがいないから。
穎水 河南省登封県の西、すなわち嵩山の南方に源を発し、南に向って流れ、安徽省に入って准河と合流している。伝説によると、大昔、堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういぅ話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。


○韻  門、樽、言、喧、論、源。

哭晁卿衡 李白  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 163

 
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哭晁卿衡 李白  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 163

李白の詩は時系列並べてみていかなければいけないものはほとんどない。李白の都における交友関係は酒中の八仙、飲中の八仙といわれる人々か、道教の関係者である。李白の方から知己を広げようとか、親密になろうと接近することはない。
 
この詩題の「哭晁卿衡も」754年の作である。晁衡とは阿倍仲麻呂であり、遣唐使の中で、唐王朝の高級官僚で秘書監となり、衡尉卿を兼ねていた。李白が朝廷にいた時に阿倍仲麻呂とどの程度の付き合いがあったのか全く資料は残っていない。役職上での接点はないし、個人的な接点のない。共通点は、李白も阿倍仲麻呂も①試験を及第して朝廷に入ったのではない。②どちらも有名人である。ある一時気について言えば、③天子の寵愛を受けていた。④抜群の文才がある。④権力者に媚びる性格はない。

 こういう点から見れば、足かけ三年実質二年の中で、文学について意気投合していてもおかしくはない。仲麻呂に詩の心得があるのに詩を交わしていないことからすれば、それほどの付き合いではないのであろうか。ちがう、仲麻呂は李白の詩才に驚愕したから、日本から持参した絹を贈ったのである。仲麻呂の使命は中国文化を吸収し、持ち帰ることにある。したがって、李白に積極的に接近していてもおかしくない。数少ないチャンスの中で贈り物をし、言葉をかわしたはずである。残念なことに李白が追放され、仲麻呂が帰国に際してすべきことは、李白との接触の痕跡を消すことであったはずである。

阿倍仲麻呂が帰国する前後の長安の主な出来事を示す。
752年天宝11載・11月宰相李林甫(65歳位)が病死、楊国忠、右相となる。18年間の圧制も今度は楊貴妃一族に取って代わる。
753年天宝12載・8月、長安に長雨あり、米穀騰貴す。
四隻の遣唐使帰国船団で、同船には、藤原清河がおり、別の船にはすでに視力を失った鑑真和上が乗っていた。出港に際して詠んだのが、「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」であるとされている。沖縄のあたりで暴風雨に遭い、船は難破する。仲麻呂の船はベトナムに漂着する。
754年天宝13載この年、戸部郡県の戸口の数を奏して、唐代の極盛となすも、関中は大いに賑わう。

天宝十三年ごろは、李白は南方を放浪し、揚州(広陵)に遊び、ついで金陵(南京)・宜城などに遊んでいた。
この遊びの相手に仲麻呂がかつて李白に贈ったものを、友人の親方に贈り、日本の布で作った着物を着ているという詩が残されている。李白が仲麻呂に詩を贈り、お礼に日本の反物を李白に贈呈したのであろう。しかし、仲麻呂のほうには、李白に対する友情を示す何の資料も今は残っていない。
  

哭晁卿衡 
日本晁卿辞帝都、征帆一片繞蓬壺。
日本から来ていた晁卿どのは、帝都長安に別れを告げられた、帰途に立った帆一片は風をはらんで、蓬莱山をめぐって行ったのだろう。
明月不帰沈碧海、白雲愁色満蒼梧。
明月のように輝くあなたは 祖国の地にたどりつけないで仙人の住む海に沈んでしまった、白雲は悲しみの色に染まり、舜帝が巡航し没した蒼梧の地に惜しむ聲が満々ているのだ。


日本から来ていた晁卿どのは、帝都長安に別れを告げられた、帰途に立った帆一片は風をはらんで、蓬莱山をめぐって行ったのだろう。
明月のように輝くあなたは 祖国の地にたどりつけないで仙人の住む海に沈んでしまった、白雲は悲しみの色に染まり、舜帝が巡航し没した蒼梧の地に惜しむ聲が満々ているのだ。




晁卿衡を哭す
日本の晁卿(ちょうけい)  帝都を辞し
征帆(せいはん)  一片  蓬壺(ほうこ)を繞(めぐ)る
明月は帰らず   碧海(へきかい)に沈み
白雲  愁色(しゅうしょく)  蒼梧(そうご)に満つ




日本晁卿辞帝都、征帆一片繞蓬壺。
日本から来ていた晁卿どのは、帝都長安に別れを告げられた、帰途に立った帆一片は風をはらんで、蓬莱山をめぐって行ったのだろう。
○帝都 都、長安。○征帆 向かう方向に帆をあげたことをいう。○蓬壺 東海の仙人の住む島、蓬莱、方丈、瀛州のうちの一つ。


明月不帰沈碧海、白雲愁色満蒼梧。
明月のように輝くあなたは 祖国の地にたどりつけないで仙人の住む海に沈んでしまった、白雲は悲しみの色に染まり、舜帝が巡航し没した蒼梧の地に惜しむ聲が満々ているのだ。
碧海 仙人の島にむかうまでの間の海を言う。○蒼梧 舜帝が巡航し没したといわれる中国東南(現広東省の海岸線)の地方名。

清平調詞 三首 其三 李白  :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白162

清平調詞 三首 其三 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白162

清平調詞其三 
名花傾國兩相歡、長得君王帶笑看。 
名高い牡丹の花と傾国の美女が、たがいにその美を歓びあう。君王は楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられる。
解釋春風無限恨、沈香亭北倚欄干。 
その無限の恨みを解きほぐすかのように春風がふいてくる、紫檀、黒檀で作られた沈香亭の奥まったところ、欄杵に身を倚せた美しい建物に溶け込んだ妃は美しい。


名高い牡丹の花と傾国の美女が、たがいにその美を歓びあう。君王は楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられる。
その無限の恨みを解きほぐすかのように春風がふいてくる、紫檀、黒檀で作られた沈香亭の奥まったところ、欄杵に身を倚せた美しい建物に溶け込んだ妃は美しい。


清平調詞 其の三
名花 傾国両つながら相い歓ぶ
長えに 君王の 笑いを帯びて看るを得たり
解釈す 春風無限の恨み
沈香亭北 閲千に侍る


その三。
名花傾國兩相歡、長得君王帶笑看。
名高い牡丹の花と傾国の美女が、たがいにその美を歓びあう。君王は楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられる。
傾国 絶世の美女をいう。漢の武帝の寵臣、名歌手として知られた李延年の歌、
北方有佳人,
絶世而獨立。
一顧傾人城,
再顧傾人國。
寧不知傾城與傾國,
佳人難再得。
「北方に佳人有り、絶世にして独立す。一たび顧みれば人の城を傾け、再び顧みれば人の国を傾く」に基づく。李延年は自分の妹を「傾国の美女」として武帝に勧めた。後にその妹は「李夫人」となる。
白居易「長恨歌」、李商隠「柳」「北斉二首其一」(小燐)にもみえる。国を傾けるほどの美人という意味にマイナスの意味を感じない中国人的表現である。美しいことへの最大限の表現であるが、結果的に国を傾けてしまうことを使うとよくないことを暗示するのが日本的であるのかもしれない。しかし、西施についても李延年の妹「李夫人」についても後世の詩で、ただ美人だけの意味では使用していない。趙飛燕について、家柄が低い家系である後に、平民に落とされたものに比較したこと、貴族社会で最大の屈辱であることは理解できる。李延年も兄弟、趙飛燕の姉妹、北斎の小燐も姉妹で寵愛された。やはり李白は、ただ、お抱え詩人の地位に不満を持ち、宮中で長くは続かないことを感じ取っていたのだろう。○君王 天子とは訳せない。もう少し小さい国の王、戦国、六朝の王に使用する場合が多い。



解釋春風無限恨、沈香亭北倚欄干。 
その無限の恨みを解きほぐすかのように春風がふいてくる、紫檀、黒檀で作られた沈香亭の奥まったところ、欄杵に身を倚せた美しい建物に溶け込んだ妃は美しい。
解釋 解きほぐす。解き明かす。理解する。解き放す。 ○春風無限恨 春風がもたらす様々な鬱屈の情。○沈香亭 沈香(水に沈む堅く重い香木)で作ったのでこう名づけられた建物。興慶宮の芝池の東南に在った。現在も興慶公園の沈香亭として復元されている。〇  身をもたせる。よりかかる。
長安城郭015


韻   歓、看、干。
宮島(3)



親友の杜甫も、「李十二日に寄せる、二十韻」
昔年有狂客,號爾謫仙人。筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
聲名從此大,汩沒一朝伸。文彩承殊渥,流傳必絕倫。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。白日來深殿,青雲滿後塵。
乞歸優詔許,遇我夙心親。未負幽棲誌,兼全寵辱身。
劇談憐野逸。嗜酒見天真,醉舞梁園夜,行歌泗水春。』

に、「筆落とせば風雨を驚かせ、詩成れば鬼神か泣かしむ」といい、かの賀知章が「烏夜噂」を嘆賞して「鬼神を泣かしむ」といったことを含みつつ、李白の詩を激賞している。そして、「文采は殊寵を承け、流伝すれば必ず絶倫たり」といって、天子の「殊寵を承け」たことを歌っている。真実を歌う杜甫のごとき人がいうほどだから、玄宗の特別の寵愛があったことは確かであろう

清平調詞 三首 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白161

一と枝の紅く艶やかな牡丹の花、露を含んでただよわせる濃密な香り。雲となり雨となる巫山の神女との契りさえも、この美しさの前ではいたずらなやるせないきもちになってしまう。
お聞かせ下さい。漢の後宮の美女のなかで、だれがこの貴妃に似ることができるというのでしょうか。
ああ、なんと華やかでいて可憐な、「飛燕」が新しいよそおいを誇るその姿であろう。

清平調詞 三首 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白155

側近の宦官、高力士は、かつて宴席で李白の靴を脱がせられたことを恨みに思い、この第二首に前漢の成帝の皇后趨飛燕が歌われていることを理由として(第二首の語釈参照)、李白のことを貴妃に議言し、李白の登用に強く反対させたため、玄宗もついに断念することになった。(趙飛燕は漢代随一の美人とされるが、後年、王葬に弾劾されて庶民となり、自殺している。それを太真妃になぞらえたということが、彼女の怒りを買ったのである)。李白がなぜ楊貴妃とタイプが違い、何よりも権力の掌握度が圧倒的に違っていたし、姉妹で皇帝に寵愛された趙飛燕を喩えにとったかは理解できないが、残っている資料は支配者側のものでしかない。事実はあったかもしれないが宮廷を追われるほどのものかどうか疑問が残る点である。
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清平調詞三首 其一 
云想衣裳花想容、春風拂檻露華濃。 
雲は艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる。春風のような愛撫により、後宮での夜の華やかな露はなまめかしい。
若非群玉山頭見、會向瑤台月下逢。 
ああ、こんな素晴らしい美人には、あの西王母の「群玉山」のほとりで見られなければ、五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるだろう。


清平調詞 三首 其二 
一枝紅艷露凝香、云雨巫山枉斷腸。 
一と枝の紅く艶やかな牡丹の花、露を含んでただよわせる濃密な香り。雲となり雨となる巫山の神女との契りさえも、この美しさの前ではいたずらなやるせないきもちになってしまう。
借問漢宮誰得似、可憐飛燕倚新妝。 
お聞かせ下さい。漢の後宮の美女のなかで、だれがこの貴妃に似ることができるというのでしょうか。
ああ、なんと華やかでいて可憐な、「飛燕」が新しいよそおいを誇るその姿であろう。

清平調詞其三 
名花傾國兩相歡、長得君王帶笑看。 
名高い牡丹の花と傾国の美女が、たがいにその美を歓びあう。君王は楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられる。
解釋春風無限恨、沈香亭北倚欄干。 
その無限の恨みを解きほぐすかのように春風がふいてくる、紫檀、黒檀で作られた沈香亭の奥まったところ、欄杵に身を倚せた美しい建物に溶け込んだ妃は美しい。

長安城漢唐清平調詞 三首其の一
雲には衣裳を想い、春風 檻を払って花には容を想う,露華濃やかなり
若し 群玉山頭に見るに非ずんは、会ず 環台の月下に向いて逢わん

其の二
一枝の紅艶 露香を凝らす、雲雨 巫山 枉しく断腸。
借問す 漢宮 誰か似るを得たる、可憐なり 飛燕 新妝に倚る。
 

清平調詞 其の三
名花 傾国両つながら相い歓ぶ,長えに 君王の 笑いを帯びて看るを得たり
解釈す 春風無限の恨み,沈香亭北 閲千に侍る
玄武門
『清平調詞 三首 其二』 現代語訳と訳註
(本文)

清平調詞 三首 其二
一枝紅艷露凝香、云雨巫山枉斷腸。
借問漢宮誰得似、可憐飛燕倚新妝。

(下し文)

其の二
一枝の紅艶 露香を凝らす、雲雨 巫山 枉しく断腸。
借問す 漢宮 誰か似るを得たる、可憐なり 飛燕 新妝に倚る。

(現代語訳)

一と枝の紅く艶やかな牡丹の花、露を含んでただよわせる濃密な香り。雲となり雨となる巫山の神女との契りさえも、この美しさの前ではいたずらなやるせないきもちになってしまう。
お聞かせ下さい。漢の後宮の美女のなかで、だれがこの貴妃に似ることができるというのでしょうか。
ああ、なんと華やかでいて可憐な、「飛燕」が新しいよそおいを誇るその姿であろう。

(訳注)

清平調詞 三首
宋の楽史の『李翰林集別集』序や『楊太真外伝』にも載っている。開元中、玄宗は、牡丹(木芍薬)を重んじた。紅、紫、浅紅、裏白の四本を興慶池の東、沈香亭の前に移植した。花の真っ盛りのときに、玄宗は昭夜白の馬に乗り、楊貴妃は手車で従った。梨園の弟子の特に選抜された者に詔をして楽曲十六章を選んだ。李亀年は当時の歌唱の第一人者である。この李亀年に梨園の楽人を指揮して歌わせようとした。李亀年は紫檀の拍子板をもって楽人の前で指揮して歌おうとしたとき、玄宗は、「名花を質し、妃子に対す、いずくんぞ旧楽詞を用いんや」といって、そこで李亀年に命じ、金花箋を持ってこさせ、翰林供奉の李白に命じた。李白は立ちどころに「清平調詞」三章を作ってたてまつった。天子は梨園の弟子たちに命じ楽器に調子を合わさせて、李亀年に歌わせた。楊貴妃は、玻璃七宝の盃を持ち、涼州のぶどう酒を飲み、歌意をさとりにっこりし、また玄宗も、みずから玉笛を吹いて曲に和し、曲の移り変わりのときには、調子をゆるめて妃に媚びた。玄宗はこれ以後、李白を特に重視するようになった。七言絶句、清平調詞三首である。


一枝紅艷露凝香、云雨巫山枉斷腸。 
一と枝の紅く艶やかな牡丹の花、露を含んでただよわせる濃密な香り。雲となり雨となる巫山の神女との契りさえも、この美しさの前ではいたずらなやるせないきもちになってしまう。
雲雨巫山 昔、楚の先王(懐王)が、楚の雲夢の沢にあった高唐の台に遊び、昼寝の夢の中で巫山の神女と契った。神女は去るに当たり、「妾は、巫山の陽、高丘の阻(険岨な場所)に在り。且には朝雲と為り、暮には行雨と為る。朝々暮々、陽台の下」と、その思いを述べた。翌朝、見てみると、その言葉どおりだったので、神女のために廟を立てて「朝雲」と名づけた。(宋玉の「高唐の拭、序を井す」〔『文選』巻十九〕に見える話であるが、宋玉にこの賦を作らせた襄王〔懐王の子〕のこととして語られることが多い)。
  いたずらに、甲斐もなく。
○断腸 はらわたがちぎれる。恋慕の情の激しさ、言葉の意味の中にセックスの意味が込められた悲痛を表わす慣用語。


借問漢宮誰得似、可憐飛燕倚新妝。 
お聞かせ下さい。漢の後宮の美女のなかで、だれがこの貴妃に似ることができるというのでしょうか。
ああ、なんと華やかでいて可憐な、「飛燕」が新しいよそおいを誇るその姿であろう。
借間   ちょっとたずねたい。軽く問いかける時の慣用語。
可憐  激しい感情の動きを表わす慣用語。プラスにもマイナスにも用いる。ここでは、美人の愛らしさに用いている。
飛燕  前漠の成帝の皇后、趙飛燕。やせ形で身の軽い、漢代随一の美人だったとされる。(「宮中行楽詞、其の二」)。
倍新粧 新たに化粧した容貌を誇らかに示す。「俺」は、悼みとして自信をもつこと。


○韻  香、腸、粧。


 いづれも宮中の妃妾の美しさを、さながらの如く描き出しているが、宮中行樂詞八首 其二、ここでも其二に漢の成帝の寵した趙飛燕の名が見えているのは注意すべきである。
李白の天才はこれらのことによって余すところなく示されたが、この詩の内容は、君主の前に酔を帯びて出ることとあわせ、失態であることはいうまでもなく、彼が永く宮廷詩人の地位を占め得ないであらうことは、これらの記事によって予知し得ることであった。
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清平調詞 三首 其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白160/350

 
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清平調詞 三首 其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白160/350
 
宋の楽史の『李翰林集別集』序や『楊太真外伝』にも載っている。
開元中、天子は、牡丹(木芍薬)を重んじた。紅、紫、浅紅、裏白の四本を興慶池の東、沈香亭の前に移植した。花の真っ盛りのときに、天子は昭夜白の馬に乗り、楊貴妃は手車で従った。梨園の弟子の特に選抜された者に詔をして楽曲十六章を選んだ。李亀年は当時の歌唱の第一人者である。この李亀年に梨園の楽人を指揮して歌わせようとした。李亀年は紫檀の拍子板をもって楽人の前で指揮して歌おうとしたとき、玄宗は、「名花を質し、妃子に対す、いずくんぞ旧楽詞を用いんや」といって、そこで李亀年に命じ、金花箋を持ってこさせ、翰林供奉の李白に命じた。李白は立ちどころに「清平調詞」三章を作ってたてまつった。天子は梨園の弟子たちに命じ楽器に調子を合わさせて、李亀年に歌わせた。楊貴妃は、玻璃七宝の盃を持ち、涼州のぶどう酒を飲み、歌意をさとりにっこりし、また玄宗も、みずから玉笛を吹いて曲に和し、曲の移り変わりのときには、調子をゆるめて妃に媚びた。玄宗はこれ以後、李白を特に重視するようになった。
ここでは七言絶句、清平調詞三首をとりあげる。
宮島(3)


清平調詞三首 其一 
云想衣裳花想容、春風拂檻露華濃。 
雲は艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる。春風のような愛撫により、後宮での夜の華やかな露はなまめかしい。
若非群玉山頭見、會向瑤台月下逢。 
ああ、こんな素晴らしい美人には、あの西王母の「群玉山」のほとりで見られなければ、五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるだろう。


容姿をおもわせる。春風のような愛撫により、後宮での夜の華やかな露はなまめかしい。
ああ、こんな素晴らしい美人には、あの西王母の「群玉山」のほとりで見られなければ、五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるだろう。



清平調詞 三首其の一
雲には衣裳を想い、春風 檻を払って花には容を想う
露華濃やかなり
若し 群玉山頭に見るに非ずんは、会ず 環台の月下に向いて逢わん

宮島(5)

云想衣裳花想容、春風拂檻露華濃。 
雲は艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる。春風のような愛撫により、後宮での夜の華やかな露はなまめかしい。
云想 雲は艶情詩の世界では艶めかしい女性を示す。○衣裳 衣装はあでやかさを示す。○(宮殿の)欄干、手すり。○露華 露は性交を示唆する。後宮での夜の華やかな閨のいとなみを示している。


若非群玉山頭見、會向瑤台月下逢。 
ああ、こんな素晴らしい美人には、あの西王母の「群玉山」のほとりで見られなければ、五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるだろう。
群玉山 不老不死の仙女、西王母の住むという伝説上の仙山。○瑤台 五色の玉で作った高台。神仙の住むという土地。


○韻 容、濃、逢。
宮島(4)

都での李白 酒中の八仙

酒中の八仙

飲中八仙歌 杜甫
李白は、賀知章をはじめ、汝陽王璡・崔宗之・裴周南らと酒中の八仙の遊びをしたといわれる。ただ、杜甫に「飲中八仙歌」があり、賀知章については、「(賀)知章は馬に騎り船に乗るに似たり、眼はちらつき井に落ちて水底に眠る」といっている。杜甫のいう八仙は、李白が都にいた743年、天宝二年ごろ、長安に同時にいた人ではない。賀知章、李左相、蘇晉はすでに死んでいたし、李白は長安にいなかった。これらの八人のうち、李白に最も多くの字をあてているのは、杜甫の李白への敬愛振りの表れだろう。
竹林の七賢、竟陵の八友、初唐の四傑、竹渓の六逸、唐宋八大家などとこの飲中八仙とは異なった質ものである。


杜甫の詩中、李白に関して、「李白は一斗にして詩百第、長安市上 酒家に眠る、天子呼び来たれども船に上らず、自ら称す臣は是れ酒中の仙なりと」と歌うところは、范伝正の「李公新墓碑」に述べられている高力士に扶けられて舟に登った話とよく一致する。とすると、高力士に扶けられて舟に登ったり、高力士に靴を脱がさせたりした話は、支配者側の記述とばかりは言えない真実を伝えているのかもしれない。


飲中八仙歌
知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。』
賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』

汝陽三鬥始朝天,道逢曲車口流涎,
恨不移封向酒泉。』

汝陽は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』
左相日興費萬錢,飲如長鯨吸百川,
銜杯樂聖稱避賢。』
左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』

宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,
皎如玉樹臨風前。』

宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』

蘇晉長齋繡佛前,醉中往往愛逃禪。』
蘇蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』

李白一鬥詩百篇,長安市上酒家眠,
天子呼來不上船,自稱臣是酒中仙。』

李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』

張旭三杯草聖傳,脫帽露頂王公前,
揮毫落紙如雲煙。』
張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』

焦遂五斗方卓然,高談雄辨驚四筵。』

焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。



賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』

汝陽は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』

左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』

宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』

蘇蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』

李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』

張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』

焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。



(下し文)飲中八仙歌
知章が馬に騎るは船に乗るに似たり、眼花さき井に落ちて水底に眠る』
汝陽は三斗始めて天に朝す、道地車に逢うて口涎を流す、恨むらくは封を移して酒泉に向わざるを』
左相は日興万銭を費す、飲むことは長鯨の百川を吸うが如し、杯を銜み聖を楽み賢を避くと称す』
宗之は瀟灑たる美少年、觴を挙げ白眼青天を望む、皎として玉樹の風前に臨むが如し』
蘇晉長斎す繡佛の前、酔中往往逃禅を愛す』
李白一斗詩百第、長安の市上酒家に眠る、
天子呼び来れども船に上らず、自ら称す臣は是れ酒中の仙と』
張旭三杯事聖伝う、帽を脱し頂を露わす王公の前、毫を揮い紙に落せば雲煙の如し』
焦遂五斗方に卓然、高談雄弁四筵を驚かす』




飲中八仙歌
○飲中八仙 酒飲み仲間の八人の仙とよばれるもの、即ち
・蘇晉 735年(開元二十二年卒)
・賀知章744年(天宝三載卒)
・李適之746年(天宝五載卒)
・李璡  750年(天宝九載卒)
・雀宗之 未詳
・張旭  未詳
・焦遂  未詳
・李白   763年(宝応元年卒)らをいう。



知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。
賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』
知章 賀知章。会稽永興の人、自から四明狂客と号し、太子賓客・秘書監となった。天宝三載、疏を上って郷に帰るとき、玄宗は詩を賦して彼を送った。○乗船 ゆらゆらする酔態をいう。知章は出身が商人で、商人は船に乗るので、騎馬にまたがった状態をいったのだ。○眼花 酔眼でみるとき現象のちらつくことをいう。



汝陽三鬥始朝天,道逢曲車口流涎,恨不移封向酒泉。』
汝陽王李礎は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』
汝陽 汝陽王李璡、8/11杜甫27贈特進汝陽王二十韻。〇三斗 飲む酒の量をいう。○朝天 朝廷へ参内すること。○麹車 こうじを載せた車。○移封 封は領地をいう、移は場所をかえる。汝陽よりほかの地へうつしてもらうこと。○酒泉 漢の時の郡名、今の甘粛省粛州。これは地名を活用したもの。



左相日興費萬錢,飲如長鯨吸百川,銜杯樂聖稱避賢。
左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』
左相 李適之。天宝元年、牛仙客に代って左丞相となったが、天宝五載にやめ、七月歿した。○日興 毎日の酒興。○費万銭 唐時代の酒価は一斗三百銭、万銭を以ては三石三斗余りを買うことができた。○長鯨 身のたけのながいくじら。〇百川 多くの川水。○銜杯 銜とは口にくわえること、含とは異なる。含むは口の中へいれておくこと。○楽聖称避賢 適之が相をやめたとき、親交を招き詩を賦して、「賢を避けて初めて相を辞め、聖を楽しみて且つ盃を銜む、為に問う門前の客、今朝幾個から来ると」といった。此の聖・賢の文字には両義を帯用させたものであろう。魏の時酒を禁じたところが酔客の間では清酒を聖人といい濁酒を賢人といったが、前詩は表には通常の聖人・賢人の表現を、裏には清酒・濁酒の表現をもたせたものである。竹林の七賢参照。



宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。
宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』
○宗之 雀宗之。宗之は雀日用の子、斉国公に襲ぎ封ぜられる。また侍御史となったことがある。○斎藤 さっぱりしたさま。○腸 さかずき。○白眼 魂の院籍の故事、籍は俗人を見るときには白眼をむきだした。○唆 しろいさま。○玉樹 うつくしい樹。魏の夏侯玄が嘗て毛骨と並び坐ったところが、時の人はそれを「葉餞玉樹二倍ル」といったという、玄のうつくしいさまをいったもの。○臨風前 風の前に立っている。



蘇晉長齋繡佛前,醉中往往愛逃禪。
蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』
蘇曹 蘇珦の子、先の皇帝のときに中書舎人であった。玄宗が監国であったときの別命は蘇晋と賈曾との筆によったものだ。吏部・戸部の侍郎を歴て太子庶子に終った。○長斎 一年中喪の忌をしている。○繍仏 ぬいとりしてつくった仏像、これは六朝以来あったもの。○逃禅 これは酒を飲むことは破戒であるから教外へにげだすこと。居眠りでもしていること。



李白一鬥詩百篇,長安市上酒家眠,
天子呼來不上船,自稱臣是酒中仙。
李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』
酒家眠 玄宗が嘗て沈香華に坐して、翰林供奉の李白をして楽章をつくらせようとして李白を召して入らせたところ、李白はすでに酔っていた。左右のものは水をその面にそそいでようやく酔いを解いたという。○不上船 玄宗が白蓮池に遊んだとき、李白を召して序をつくらせようとしたところ、李白はすでに翰苑にあって酒を被っており、高力士に命じて李白をかかえて舟に登らせた。



張旭三杯草聖傳,脫帽露頂王公前,揮毫落紙如雲煙。
張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』
張旭 呉郡の人、右率府長史となる。草書を善くし、酒を好み、酔えば号呼狂走しつつ筆をもとめて渾灑し、又或は大叫しながら頭髪を以て水墨の中をかきまわして書き、さめて後自ずから視て神異となしたという。○草聖伝 後漢の張芝は草書の聖人とよばれたが、旭が酔うと草聖の書法が、彼に伝わるが如くであった。○脱帽露頂 帽をいただくのが礼であり、帽をぬいで頂きをあらわすのは礼儀を無視するさま。○王公 地位高き人々。○揮毫 毫は「け」、筆をいう。○雲煙 草書のさま。



焦遂五斗方卓然,高談雄辨驚四筵。
焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。
焦遂 この人物は未詳。○卓然 意気の高くあがるさま。○高談 高声でかたる。○雄弁 カづよい弁舌。〇四筵 満座、一座。



賀知章は、当時、太子賓客であり、玄宗に目をかけられていたが、この賀知章の紹介で、李白は翰林供奉となった。賀知章と李白との出遇いを『本事詩』「高逸」 には次のごとく伝えている。
李太白初め苛より京師に至り、逆旅に舎る。賀監知章、其の名を聞きて、首めて之を訪ぬ。既に其の姿を奇とし、復た為る所の文を請う。「萄道難」を出だして以って之に示す。読んで未だ寛わらざるに、称歎すること数回、号して諦仙と為す。金色(印)を解きて酒に換う。与に傾けて酔いを尽くし、日を間かざるを期す。是より称蒼は光り赤く。
宮島(1)
 写真はイメージで詩と関係ありません。

万里の長城  陳琳と汪遵

万里の長城  陳琳と汪遵


万里の長城。世界最大の建造物。そこには建設に狩り出された人々の、血、汗、涙、そして尊い命までもがしみ込んでいるのです。

飲馬長城窟行   陳 琳

飲馬長城窟、水寒傷馬骨。
往謂長城吏、慎莫稽留太原卒。
官作自有程、挙築諧汝声。
男児寧当格闘死、何能怫鬱築長城。


万里の長城の岩穴で馬に水を飲ませてしまうと、その水は冷たく馬の骨まで傷つけるほどだ
俺は監督の役人に言ってやった
「どうか太原から来ている人足を帰してやってください」
訴えを聞いた役人は「お上の仕事には工程が決められているのだ。文句を言わずに杵を取って声を合わせて働け」と言う
人足は「男たるもの戦いの中で死ぬならまだしも、なんでこんな長城を築くやるせない仕事で朽ち果てるのは嫌だ」と憤懣をもらす



馬に飲(みずか)う長城の窟(いわや)
水寒うして馬骨(ばこつ)を傷(いたま)しむ
往きて長城の吏(り)に謂(い)う
慎んで太原(たいげん)の卒(そつ)を稽留(けいりゅう)する莫(なか)れ
官作(かんさく)自ら程(てい)有り
築(きね)を挙げて汝の声を諧(ととの)えよ
男児は寧(むし)ろ当(まさ)に格闘して死すべし
何ぞ能(よ)く怫鬱(ふつうつ)として長城を築かん




陳琳は後漢の建安の七子の一人。秦の万里の長城建設に後漢の衰亡を重ね合わせているという


2)陳 琳(ちん りん)  未詳 - 217年  後漢末期の文官。建安七子の1人。字は孔璋。広陵郡洪邑の出身。はじめ大将軍の何進に仕え、主簿を務めた。何進が宦官誅滅を図って諸国の豪雄に上洛を促したとき、これに猛反対している。何進の死後は冀州に難を避け、袁紹の幕僚となる。官渡の戦いの際、袁紹が全国に飛ばした曹操打倒の檄文を書いた。飲馬長城窟行    易公孫餐與子書



建安文学 (けんあんぶんがく)
 後漢末期、建安年間(196年 - 220年)、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。辞賦に代わり、楽府と呼ばれる歌謡を文学形式へと昇華させ、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出した。激情的で、反骨に富んだ力強い作風の物も多く、戦乱の悲劇から生じた不遇や悲哀、社会や民衆の混乱に対する想い、未来への不安等をより強く表現した作品が、数多く残されている。建安の三曹七子 1)孔融・2)陳琳・3)徐幹・4)王粲・5)応楊・6)劉楨・8)阮禹、建安の七子と曹操・曹丕・曹植の三曹を同列とし、建安の三曹七子と呼称する。



時代は9世紀唐のに王遵は詠います。
長城  汪遵


秦築長城比鉄牢、蕃戎不敢逼臨兆。
焉知万里連雲勢、不及堯階三尺高。


秦の始皇帝は鉄のように頑丈な長城を築き、さすがの匈奴を臨兆の街に近づくことはできなかった。だが、はるかかなたの雲まで届きそうな万里の長城はあの聖主である堯帝のわずか三尺の高さの階段にも及ばなかった。


 堯帝とは古代中国を治めた伝説の皇帝です。その宮殿は質素で土の階段で、わずか三尺の高さであった。それでも堯帝は徳を持って国を治めたといわれます。

 一方、秦の始皇帝は万里の長城を始め、権力任せて国を統一した。ある意味では、中国最初の統一国家を成し遂げたことは歴史に残る偉大なことではあるのですが、彼の死後、たちまち国の内部で反乱がおこり、国は滅びたのです。国を興してわずか15年でした。

 国の守りは、築城の険ではなく、「徳に在って、険にあらず」と詠じていますが、秦という国は、国を一気に統一する力を使い切ってしまった結果短期間で滅びたのですが、中国の統一国家は次の漢以後約700年くらい後、581年隋の統一までかかります。


秦 長城を築いて 鉄牢に比す
蕃戎 敢えて 臨兆に逼(せま)らず

焉くんぞ知らん 万里 連雲の勢い
及ばず 堯階 三尺の高きに



これらの詩の漢文委員会の解説

 陳琳の詩そのものは古来からよくある「問答」詩ですが、最初聯、「万里の長城の岩穴で馬に水を飲ませてしまうと、その水は冷たく馬の骨まで傷つけるほどだ」には驚かされます。

 子の頃から、兵役負担は当時の人々には重い税だったのです。律体制に移行する時代の詩で社会情勢をよく反映しています。。


 この王遵の「国を治めるに徳をもって為せ」ですが、もし秦の始皇帝が万里の長城を築かなかったら(実際には1/3の規模でそれまで築かれていた)、異民族にもっと早く滅ぼされ中国の歴史は変わっていたでしょう。古代における長城建設の威力は大きいものがあったのです。
 国力以上のものを建設し、国の富み、特に人民にそれを強いたのが滅ぼす原因で歴史の必然であることには間違いはありません


 匈奴という国は遊牧民族、騎馬民族です。中国、漢民族の農耕民族と決定的な違いは国力の強化は奪うことが基本なのです。略奪する、制覇して力根こそぎ奪うのです。戦争の本質はいつの時代も同じですが、古代においては、大殺戮と焼野原になりますから、殺さなければ奴隷ですから、万里の長城は偉大な建設物だったのです。万里の長城があるおかげで防御はポイント強化、人配置で済みます。もし3尺の土塁しかなかったら、中国の歴史は変わったでしょう。


 この王遵の詩も実際に自分自身が戦ったり、実体験したものでなく、多くの邊塞詩がそうであるように、文人たちの間で交わされる詩であったと思われます。


 現在でも受けを狙って、面白おかしくされる議論に似ています。この詩からは儒教とか道教の徳の論理性とは違うものを感じます。

高適の詩(2) 塞上聞吹笛  田家春望 (1)除夜作

高適の詩(2) 塞上聞吹笛  田家春望 (1)除夜作


 春ののどかさにつられ、城郭を出て田園の里にやってきた。朝廷では権力者李林甫を意識して、普通の付き合いができない。春を詠う。

田家春望
田園の家、春の眺め。
出門何所見、春色滿平蕪。
城門を出て、郊外へ行ったが、何も見るものがない、春の気配が、草原一面に満ちているだけである。
嘆かわしいことは、私を理解してくれる者がいないことだ。高陽の一酒徒となって悶々としている。
可歎無知己、高陽一酒徒
。          
 高適の詩は、春のけだるさを田園の景色に見るものがないということで強調します。春の気配が草原一面にあるが、理解してくれるものは誰もいない。賢人の集まりで酒を飲み交わすことにしよう。古来、権力者に対する、賢人は、酒を酌み交わして、談義した。 権力者のことを直接表現はできないのだ。


DCF00115
              
田園の家、春の眺め。
城門を出て、郊外へ行ったが、何も見るものがない、春の気配が、草原一面に満ちているだけである。
嘆かわしいことは、私を理解してくれる者がいないことだ。高陽の一酒徒となって悶々としている。

 高適の詩は、春のけだるさを田園の景色に見るものがないということで強調します。春の気配が草原一面にあるが、理解してくれるものは誰もいない。賢人の集まりで酒を飲み交わすことにしよう。古来、権力者に対する、賢人は、酒を酌み交わして、談義した。 権力者のことを直接表現はできないのだ。



門を出でて  何の見る所ぞ、春色  平蕪へいぶに 滿つ。
歎ず 可べし  知己ちき 無きを、高陽の一酒徒。




田家春望
田園の家、春の眺め。 ・田家 田園の家。 ・春望 春の眺め。春の風景。



出門何所見、春色滿平蕪。
城門を出て、郊外へ行ったが、何も見るものがない。春の気配が、草原一面に満ちているだけである。
出門 城門を出ることで、郊外へ行くの意。  ・何所見 何も見るべきものがない。 ・何所 なにも…ない。 ・所見 見るところ。見る事柄。 ・春色 春景色。春の気配。 ・平蕪 草原。平原。平野。



可歎無知己、高陽一酒徒。
嘆かわしいことは、私を理解してくれる者がいないことだ。 (天下に志があっても用いられることがなく、天下の壮士が酒に日を送っている、そのようなわたしは)高陽の一酒徒となって悶々としている。
可歎 なげかわしいことである。 ・知己 〔ちき〕知人。友人。自分の気持ちや考えをよく知っている人。自分をよく理解してくれる人。  ・高陽酒徒 飲み友達。酒飲み、の意。 太公望のことを意味する。そのいみでは、高陽は地名。いまの河南省杞県の西。陳留県に属した。酒徒は酒のみ。高陽の呑み助とは、漢の酈食其(れきいき)のことで、陳留県高陽郷の人である。読書を好んだ。

(酈生の生は、読書人に対する呼び方。)家が貧しくて、おちぶれ、仕事がなくて衣食に困った。県中の人がみな、かれを狂生と呼んだ。沛公(のちの漢の高祖)が軍をひきいて陳留の郊外を攻略したとき、沛公の旗本の騎士で、たまたま酈生と同じ村の青年がいた。その青年に会って酈生は言った。「おまえが沛公にお目通りしたらこのように申しあげろ。臣の村に、酈生という者がおります。年は六十あまり、身のたけ八尺、人びとはみな彼を狂生と呼んでいますが、彼みずからは、わたしは狂生ではないと、申しております、と。」騎士は酈生におしえられたとおりに言った。

沛公は高陽の宿舎まで来て、使を出して酈生を招いた。酈生が来て、入って謁見すると、沛公はちょうど、床几に足を投げ出して坐り、二人の女に足を洗わせていたが、そのままで酈生と面会した。酈生は部屋に入り、両手を組み合わせて会釈しただけで、ひざまずく拝礼はしなかった。そして言った。「足下は秦を助けて諸侯を攻めようとされるのか。それとも、諸侯をひきいて秦を破ろうとされるのか。」沛公は罵って言った。「小僧め。そもそも天下の者がみな、秦のために長い間くるしめられた。

だから諸侯が連合して秦を攻めている。それにどうして、秦を助けて諸侯を攻めるなどと申すのか。」酈生は言った。「徒党をあつめ、義兵をあわせて、必ず無道の秦を課しょうとされるなら、足を投げ出したまま年長者に面会するのはよろしくありません。」沛公は足を洗うのをやめ、起ち上って着物をつくろい、酈生を上座にまねいて、あやまった。酈生はそこでむかし戦国時代に、列国が南北または東西に結んで、強国に対抗したり同盟したりした、いわゆる六国の合縦連衡の話をした。

沛公は喜び鄭生に食をたまい、「では、どうした計略をたてるのか」ときいた。酈生は、強い秦をうちやぶるには、まず、天下の要害であり、交通の要処である保留を攻略すべきであると進言し、先導してそこを降伏させた。沛公は、酈生に広野君という号を与えた。酈生は遊説の士となり、馳せまわって諸侯の国に使した。漢の三年に、漢王(沛公)は酈生をつかわして斉王の田広に説かせ、酈生は、車の横木にもたれて安坐しながら、斉の七十余城を降服させた。酈生がはじめて沛公に謁見した時のことは、次のようにも伝わっている。酈生が会いに来たとき、沛公はちょうど足を洗っていたが、取次にきた門番に「どんな男か」とたずねた。「一見したところ、儒者のような身なりをしております」と門番がこたえた。

沛公は言った。「おれはいま天下を相手に仕事をしているのだ。儒者などに会う暇はない。」門番が出ていって、その旨をつたえると、酈生は目をいからし、剣の柄に手をかけ、門番をどなりつけた。「おれは高陽の酒徒だ。儒者などではない。」門番は腰をぬかして沛公に報告した。「客は天下の壮士です。」かくして酈生は沛公に謁見することができた。

『梁甫吟』 李白
「君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。」と見える。




塞上聞吹笛
雪淨胡天牧馬還,月明羌笛戍樓閒。
雪が清らかなえびすの地で、牧馬からもどってくる、月は明らかで、西方異民族(チベツト系)の吹く笛の音が、物見櫓の間から聞こえてきた。
借問梅花何處落,風吹一夜滿關山。

少しお訊ねしますこの「梅花」の笛の音はどこから聞こえてくるのだろうか、風が吹いてきて、一晩中、この関所となる山に満ちてしまった。


雪が清らかなえびすの地で、牧馬からもどってくる、月は明らかで、西方異民族(チベツト系)の吹く笛の音が、物見櫓の間から聞こえてきた。
少しお訊ねしますこの「梅花」の笛の音はどこから聞こえてくるのだろうか、風が吹いてきて、一晩中、この関所となる山に満ちてしまった。





塞上にて 吹笛を聞く  
雪 淨(きよ)く 胡天( こ てん)  牧馬(ぼくば)  還(かへ)れば,
月 明るく 羌笛(きゃうてき)  戍樓(じゅろう)に閒(あひだ)す。
借問(しゃもん)す 梅花  何(いづ)れの處よりか 落つる,
風 吹きて 一夜(いち や )  關山(くゎんざん)に 滿つ。



塞上聞吹笛
国境附近で笛を吹いているのを耳にした


雪淨胡天牧馬還、月明羌笛戍樓閒。
雪が清らかなえびすの地で、牧馬からもどってくると。(晴天で満月に近い時なので)月は明らかで、西方異民族(チベツト系)の吹く笛の音が、物見櫓の間から聞こえてきた。
 *この句は「雪淨く 胡天 馬を牧して還れば」とも読めるが、この聯「雪淨胡天牧馬還,月明羌笛戍樓閒。」は対句であり、でき得る限り、読み下しもそのようにしたい。 ・:きよらかである。 ・胡天:(西方の)えびすの地の空。(西方の)えびすの地。 ・牧馬:(漢民族側の官牧が飼養している馬。或いは、異民族が飼い養っている馬。 ・:(出かけていったものが)もどる。(出かけていったものが)かえる。 ・羌笛:青海地方にいた西方異民族(チベツト系)の吹く笛。 ・:あいだをおく。物があってへだてる。間。



借問梅花何處落、風吹一夜滿關山。
少しお訊ねしますこの「梅花」の笛の音はどこから聞こえてくるのだろうか。風が吹いてきて、一晩中、この関所となる山に満ちてしまった。
 ・借問:〔しゃもん、しゃくもん〕訊ねる。試みに問う。ちょっと質問する。かりに訊ねる。 ・梅花:「春を告げる梅の花」という意味と笛曲の名を兼ねている。 ・何處:どこ。いずこ。 ・:散る。落ちる。 ・關山:関所となるべき要害の山。また、ふるさとの四方をとりまく山。故郷。

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李 白 詩
唐宋詩 
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杜 甫 詩
李白詩INDEX02
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杜甫詩INDEX02

高適の詩 除夜作  塞上聞吹笛  田家春望 (1)

高適の詩 除夜作  塞上聞吹笛  田家春望 (1)
219 高適 こうせき 702頃~765
渤海(ぼっかい)(山東省)の人。字(あざな)は達夫(たっぷ)。辺境の風物を歌った詩にすぐれた作が多い。こうてき。
辺塞の離情を多くよむ。50歳で初めて詩に志し、たちまち大詩人の名声を得て、1篇を吟ずるごとに好事家の伝えるところとなった。吐蕃との戦いに従事したので辺塞詩も多い。詩風は「高古豪壮」とされる。李林甫に忌まれて蜀に左遷されて?州を通ったときに李白・杜甫と会い、悲歌慷慨したことがある。しかし、その李林甫に捧げた詩も残されており、「好んで天下の治乱を談ずれども、事において切ならず」と評された。『高常侍集』8巻がある。
 高適 除夜作  塞上聞吹笛  田家春望 



 旅の空、一人迎える大みそかの夜。
 詩人を孤独が襲います。


除夜作 

旅館寒燈獨不眠,客心何事轉悽然。
寒々とした旅館のともしびのもと、一人過ごす眠れぬ除夜をすごす。ああ、本当にさみしい。
旅の寂しさは愈々増すばかり・・・・・・・・・・。

故鄕今夜思千里,霜鬢明朝又一年。

今夜は大晦日。
故郷の家族は、遠く旅に出ている私のことを思ってくれているだろう。
夜が明けると白髪頭の置いたこの身に、また一つ歳を重ねるのか・・・・。


寒々とした旅館のともしびのもと、一人過ごす眠れぬ除夜をすごす。ああ、本当にさみしい。
旅の寂しさは愈々増すばかり・・・・・・・・・・。
今夜は大晦日。
故郷の家族は、遠く旅に出ている私のことを思ってくれているだろう。
夜が明けると白髪頭の置いたこの身に、また一つ歳を重ねるのか・・・・。



 作者 高適は河南省開封市に祀られています。三賢祠と呼ばれるその杜は李白、杜甫、高適の三詩人が共に旅をした場所である。記念して建立されている。
 詩人高適は50歳で初めて詩に志し、たちまち大詩人の名声を得て、1篇を吟ずるごとに好事家の伝えるところとなった。吐蕃との戦いに従事したので辺塞詩も多く残されている。詩風は「高古豪壮」とされる。李林甫に忌まれて蜀に左遷されて?州を通ったときに李白・杜甫と会い、詩の味わいが高まった。
李林甫に捧げた詩も残されており、「好んで天下の治乱を談ずれども、事において切ならず」と評された。『高常侍集』8巻がある。

 
霜鬢明朝又一年
 ああ、大晦日の夜が過ぎると、また一つ年を取ってしまう。年々頭の白髪も増えていく、白髪の数と同じだけ愁いが増えてゆくのか
 当時、「数え」で歳をけいさんしますから、新年を迎えると年を取ります。

旅館寒燈獨不眠,客心何事轉悽然。
故鄕今夜思千里,霜鬢明朝又一年。


 旅先で一人過ごす大晦日、故郷にいれば家族そろって団欒し、みんなで酒を酌み交わしていたことでしょう。

:故鄕 今夜  千里を 思う
自分が千里離れた故郷を偲ぶのではなく、故郷の家族が自分を思ってくれるだろうという中国人の発想の仕方です。中華思想と同じ発想法で、多くの詩人の詩に表れています。
 しかしそれが作者の孤独感を一層引き立て、望郷の念を掻き立てるのです。


賀知章の詩(2)

回鄕偶書 其二
帰郷したおり、たまたまできたもの。その2
離別家鄕歳月多,近來人事半消磨。
故郷を離れてから歳月は多く(経った)、近頃は、俗世界の人間関係に、半ばうんざりしてきて消耗している。
唯有門前鏡湖水,春風不改舊時波。

ただ、(郷里の家の)門前の鏡湖の水(面)だけは、春風に、昔と変わることなく波を立てている。


帰郷したおり、たまたまできたもの。その2
故郷を離れてから歳月は多く(経った)、近頃は、俗世界の人間関係に、半ばうんざりしてきて消耗している。
ただ、(郷里の家の)門前の鏡湖の水(面)だけは、春風に、昔と変わることなく波を立てている。




其の二
家鄕を離別して歳月多く,近來人事に半ば消磨す。
唯だ門前に鏡湖の水有りて,春風改めず舊時の波を。



離別家郷歳月多、近來人事半消磨。
故郷を離れてから歳月は多く(経った)。近頃は、俗世界の人間関係に、半ばうんざりしてきて消耗している。  
離別:人と別れる。別離する。 ・家郷:故郷。郷里。 ・歳月:年月。

・近:近頃。このごろ。・人事:俗事。人の世の出来事。人間社会の事件。(自然界のことがらに対して)人間に関することがら。 ・:なかば。 ・消磨:〔しょうま〕磨(す)り減ること。磨(す)れてなくなること。磨滅



唯有門前鏡湖水、春風不改舊時波。
ただ、(郷里の家の)門前の鏡湖の水(面)だけは。春風に、昔と変わることなく波を立てている。 
 ・唯有:ただ…だけがある。 ・門前:門の前。門の向かい側。・春風:春の風の意。ここでは、前出「人事」に対して、「鏡湖水」とともに、不変の大自然の営みの意で使われている。 ・不改:改まることがない。変わらない。 ・舊時:昔の時。 ・:小波。ここでは、鏡湖の波のことになる。

 賀知章は玄宗皇帝から鏡湖を賜わった。長く宮仕えをしたご褒美である。


鏡湖

浙江省紹興県の南。鑑湖、長湖、太湖、慶湖ともいう。開元中に秘書監賀知章に鏡湖溪一曲を賜う。賀監湖。宋代に田地となる。

 安徽省の撫湖市には有名な鏡湖があるが、別のもの。


気候

 気候は四季がはっきりとしていて、日照が長くて、亜熱帯季節風気候に属する。昔から「魚米の里、絹織物の国、観光の名地、礼儀の邦」といわれている。年平均気温が15.3-17.9℃で、霜が降らない期間に270日230―に達して、年平均降水量が1000―1900ミリである。水資源は充足していて、地表水年間総量が900億あまり立方メートルである。


浙江省 立地
浙江省は南東部沿海地域、長江デルタ以南に位置し、北緯の27○12′~31○31′と東経の118○00′~123○00′間に介在しておる。東は東海に瀕して、南に福建、西に江西、安徽両省、北に中国で最も大きい都市の上海および江蘇と隣接する。

 山は雁蕩山、雪竇山、天目山、天台山、仙都山などの名山があり、湖は杭州西湖、紹興東湖、嘉興南湖、寧波東銭湖、海鹽南北湖などの有名な湖、それに、中国の最も大きい人工湖の―杭州千島湖があり、川は銭塘江、欧江、楠渓江などの有名な川がある。京杭大運河は浙江北部を通り越して、杭州で銭塘江に流れる。


杭州の対岸にある(蕭山市)紹興市と、その東南東の四明山の間の地にあるのが妥当。
 故郷を離れて、長い年月がたつので世の中のことも変わってしまうし、故郷も変わっているのか。いや、町の門の前の鏡湖の水だけは、春風に吹かれて昔のままだ。
長く故郷を離れた賀知章を鏡湖だけは昔と変わらぬ姿で迎えてくれました。

 郷愁が、安らぐ落ち着いた景色が賀知章をつつみます。都てやり残したものがない素敵な人生を送ったものだけが感じる故郷での時間だった。

賀知章は間もなく85歳で亡くなります。懸命に生き抜いた一生でした。


 其の一
   離別家鄕歳月多,近來人事半消磨。
   唯有門前鏡湖水,春風不改舊時波。

   少小家を離れ老大にして回かえる、鄕音きょうおん改まる無く鬢毛摧すたる
   兒じ童相い見て相い識しらず,笑ひて問う「客 何いづれの處ところ從より來(きた)る」と?


 其の二

   離別家鄕歳月多,近來人事半消磨。
   唯有門前鏡湖水,春風不改舊時波。

   家鄕を離別して歳月多く,近來人事に半ば消磨す。
   唯だ門前に鏡湖の水有りて,春風改めず舊時の波を。



賀知章の詩
題:袁氏別業 
主人不相識、偶坐爲林泉。
莫謾愁沽酒、嚢中自有錢。

袁氏の別荘の詩を作る。
別荘の主人とは顔見知りではないが、(こうして)向かい合って坐っている(次第となったのは、)庭園の植え込みや池のせいである。
あなどりなさるな、酒を買って(もてなすことを)思い悩むのは、財布の中に、自分でお金を持っている。



袁氏の別業に題す       
主人  相(あ)ひ識(し)らず,偶坐(ぐうざ)  林泉(りんせん)の爲(ため)なり。
謾(まん)に 酒(さけ)を 沽(か)ふを 愁ふること 莫かれ,?中(のうちゅう) 自ら錢(せん) 有り。

賀知章の詩  (1) 

賀知章の詩  (1) 
賀知章 がしちょう 盛唐の詩人。
生れ:659年(顯慶四年)
没年:744年(天寶三年)
字名:季真。
出身:浙江の四明山に取った四明狂客と号する。越州永興(現・浙江省蕭山県)の人。
・則天武后の代に進士に及第して、国子監、秘書監などになった。
王維、日本の遣唐使、阿倍仲麻呂らとも仕事をしている。


回鄕偶書 二首
 書家。詩人として有名であるが、狂草で有名な張旭と交わり、草書も得意としていた。酒を好み、酒席で感興の趣くままに詩文を作り、紙のあるに任せて大書したことから、杜甫の詩『飲中八仙歌』では八仙の筆頭に挙げられている。

飲中八仙歌 杜甫28「飲中八仙歌」杜甫 先頭の聯に

   知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。

  賀知章が酔うと馬にのってはいるが船にのっているようにゆらゆらして
  いる。或るときは酔うて目先きがちらついて、誤って井の中に落ちこん
  で水底に眠ったりする。


 李白とも交友があった。743年玄宗皇帝に李白を紹介して、仕官させている。(もっとも賀知章だけの推薦ではなかったが)
744年正月、辞職し、なつかしい故郷、中国酒で有名な紹興(浙江省)に帰ります。賀知章80歳になってからことです。
この作品は、帰郷後に書かれた賀知章の性格を表した心温まる作品です。この二首は一対のものだ。



回鄕偶書 其の一
少小離家老大回、鄕音無改鬢毛摧。
わかいときにふるさとを離れて、歳をとってから帰ってきた。句中の対になっている。 故郷のなまりは改まることなく、そのままだが、鬢の毛は(変化があり)少なくなった。 
兒童相見不相識、笑問客從何處來?

こどもは出会っても、顔見知りでないので。 笑いながら「お客さんは、どこからやってきたのですか」と問いかけてきた。

わかいときにふるさとを離れて、歳をとってから帰ってきた。句中の対になっている。 故郷のなまりは改まることなく、そのままだが、鬢の毛は(変化があり)少なくなった。 
こどもは出会っても、顔見知りでないので。 笑いながら「お客さんは、どこからやってきたのですか」と問いかけてきた。


回鄕 偶書 其の一
少小家を離れ老大にして回かえる、鄕音きょうおん改まる無く鬢毛摧すたる
兒じ童相い見て相い識しらず,笑ひて問う「客 何いづれの處ところ從より來(きた)る」と?


回郷偶書
帰郷したおり、たまたまできたもの。
 ・回鄕:ふるさとへ帰る。帰郷。 ・:かえる。 ・偶書:偶成。たまたま書く。


少小離家老大回、鄕音無改鬢毛摧
わかいときにふるさとを離れて、歳をとってから帰ってきた。句中の対になっている。 故郷のなまりは改まることなく、そのままだが、鬢の毛は(変化があり)少なくなった。 
少小:わかいとき。 ・:わかい。 ・小:ちいさい。 ・離家:ふるさとを離れる。 ・:家郷、故郷。 ・老大:歳をとってから。少小の逆。 ・:歳がいく。大:おおきくなって。 ・:帰る。。

鄕音:故郷のなまり。 ・:なまり。発音。 ・無改:改まることがない。変化がない。そのまま。「改」の否定形は「不改」だが、「改めない、改めようとしない」といった意志の否定になる。ここでの「無改」は「改まるところがない、改まらない、変わることがない」といった意味になる。 ・鬢毛:鬢の毛。頭の両脇の部分の髪。 ・摧:だんだんと疎らになる。少しずつ減ってゆく。「摧」を「衰」とするのもある。、髪の毛や落ち葉等が一本又一本と少しずつ減っていくことを意味する。

兒童相見不相識、笑問客從何處來。
こどもは出会っても、顔見知りでないので。 笑いながら「お客さんは、どこからやってきたのですか」と問いかけてきた。
兒童:こども。わらべ。作者よりずっと年下の子ども。 ・相見:会う。見てきて。眺めてきて。 ・相:動作が対象に及ぶ様子を表現する。 ・不相識:顔見知りでない。知らない。

 ・笑問:笑いながら問いかけて。 ・:旅の人。よそから来た人をいう。 ・:…より。 ・何處:どこ。いづこ。いづれのところ。


 作者賀知章は今も故郷浙江省紹興市「賀秘監詞」に祀られている。唐の初唐の終わりから盛唐の中ごろまで朝廷の要職を歴任した。

 賀知章は80歳を過ぎて引退した。懐かしい故郷だが、なにしろ50年ぶり、村の子供たちはだれかわからないので、「お客さん」と呼んだ。
 『ああ、すっかりよそ者になってしまったのだなあ』としみじみ詠う。

古風五十九首 其十九 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白153

古風五十九首 其十九 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白153

古風五十九首 其一 李白150

古風五十九首 其三 李白106
古風五十九首 其五 李白107
古風五十九首 其六 李白120

古風五十九首 其七 李白108
古風五十九首 其八 李白117
古風五十九首 第九 李白109
古風五十九首 其十  李白126

古風五十九首 其十一 李白 140
古風五十九首 其十二 李白 141
古風五十九首 其十四 李白151
古風五十九首 其十五 李白152

古風五十九首 第十八 李白110
古風五十九首 其十九李白153
古風五十九首 其二十三 李白113 



古風五十九首 其十九
西岳蓮花山。 迢迢見明星。
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
素手把芙蓉。 虛步躡太清。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
邀我登云台。 高揖衛叔卿。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流血涂野草。 豺狼盡冠纓。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。


西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。


古風 其の十九
西のかた蓮花山に上れば、迢迢として 明星を見る。
素手 芙蓉を把り、虚歩して 太晴を躡む。
霓裳 広帯を曳き、諷払 天に昇り行く。
我を邀えて雲台に登り、高く揖す 衛叔卿。
恍恍として 之と与に去り、鴻に駕して紫冥を凌ぐ
俯して洛陽川を視れば、茫茫として胡兵走る。
流血 野草に涂まみれ。 豺狼盡々冠纓。



西岳蓮花山。 迢迢見明星。
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
○蓮花山 華山の最高峰。華山は西嶽ともいい、嵩山(中嶽・河南)、泰山(東嶽・山東)、衡山(南嶽・湖南)、恒山(北嶽・山西)とともに五嶽の一つにかぞえられ、中国大陸の西方をつかさどる山の神とされている。陝西省と山西省の境、黄河の曲り角にある。蓮花山の頂には池があり、千枚の花びらのある蓮の花を生じ、それをのむと羽がはえて自由に空をとぶ仙人になれるという。
 ○迢迢 はるかなさま。李白「長相思」につかう。○明星 もと華山にすんでいた明星の玉女という女の仙人。



素手把芙蓉。 虛步躡太清。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
○素手 しろい手。○芙蓉 蓮の異名。○虚歩 空中歩行。○太清 大空。



霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
○霓裳 虹の裾。○諷払 ひらりひらり。裳と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風を切って飛行する形容。



邀我登云台。 高揖衛叔卿。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
○雲台 崋山の東北にそびえる峰。○高揖 手を高くあげる敬礼。○衛叔卿 中叫という所の人で、雲母をのんで仙人になった。漢の武帝は仙道を好んだ。武帝が殿上に閑居していると、突然、一人の男が雲の車にのり、白い鹿にその車をひかせて天からおりて来た。仙道を好む武帝に厚遇されると思い来たのだった。童子のような顔色で、羽の衣をき、星の冠をかむっていた。武帝は誰かとたずねると、「わたしは中山の衛叔卿だ。」と答えた。皇帝は「中山の人ならば、朕の臣じゃ。近う寄れ、苦しゅうないぞ。」邸重な礼で迎えられると期待していた衛叔卿は失望し、黙然としてこたえず、たちまち所在をくらましてしまったという。



恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
○恍恍 うっとり、夢見心地。○鴻 雁の一種。大きな鳥。○繋冥 天。



俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
○俯視 見下ろす。高いところから下を見下ろす。○洛陽川 河南省の洛陽のあたりの平地。川は、河川以外にその平地をさすことがある。○茫茫 ひろびろと広大なさま。○胡兵 えびすの兵。安禄山の反乱軍。玄宗の天宝十四戟(七五五年)十一月、叛旗をひるがえした安禄山の大軍は、いまの北京から出発して長安に向い、破竹の勢いで各地を席捲し、同年十二月には、はやくも東都洛陽を陥落した。



流血涂野草。 豺狼盡冠纓。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。
○豺狼 山犬と狼。○冠浬 かんむりのひも。

古風五十九首 其十五 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白152

古風五十九首 其十五 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白152


古風五十九首 其十五 
燕昭延郭隗、遂築黄金臺。
むかし燕の昭王は、「まず隗より始めよ」と郭隗をひきたて、ついには黄金台まできずいて天下の英才をまねいた。
劇辛方趙至、鄒衍復斉來。
劇辛は、はたして趙からやって来た。鄒衍も、つづいて斉からやって来た。
奈何青雲士、棄我如塵挨。
ところが、なんということだ、青雲の上に立身出世したやつどもは、われわれを塵や挨のように棄ててかえりみないではないか。
珠玉買歌笑、糟糠養賢才。
珠玉を美人の歌や笑いのために惜しまず買うが、糠や糟でもって賢才を養おうと思っているのか。
方知黄鶴擧、千里濁徘徊。

いまこそ十分に理解した、黄い鶴が舞いあがるように崇高な志をもつ者は、千里をひとりで飛びまわるものなのだ。



むかし燕の昭王は、「まず隗より始めよ」と郭隗をひきたて、ついには黄金台まできずいて天下の英才をまねいた。
劇辛は、はたして趙からやって来た。鄒衍も、つづいて斉からやって来た。
ところが、なんということだ、青雲の上に立身出世したやつどもは、われわれを塵や挨のように棄ててかえりみないではないか。
珠玉を美人の歌や笑いのために惜しまず買うが、糠や糟でもって賢才を養おうと思っているのか。
いまこそ十分に理解した、黄い鶴が舞いあがるように崇高な志をもつ者は、千里をひとりで飛びまわるものなのだ。

その十五
燕昭 郭隗を延き、遂(か)くて 黄金台を築けり。
劇辛は 万に趙より至り、鄒衍も 復た斉より来れり。
奈何ぞ 青雲の士、我を棄つること 塵挨の如くなるや。
珠玉もて 歌笑を買い、糟糠もて 賢才を養う。
方に知る 黄鶴の挙りて、千里に 独り徘徊するを。



燕昭延郭隗、遂築黄金臺。
むかし燕の昭王は、「まず隗より始めよ」と郭隗をひきたて、ついには黄金台まできずいて天下の英才をまねいた。
燕昭 戦国時代の燕の昭王。○郭隗 昭王の臣、「先ず隗より始めよ」の故事で有名。昭王は、一時とはいえ燕を亡国に追い込んだ斉を深く憎み、いつか復讐したいと願っていた。しかし当時の斉は秦と並んで最強国であり、燕の国力では非常に難しい問題であった。昭王は人材を集めることを願い、どうしたら人材が来てくれるかを家臣の郭隗に聞いた。郭隗の返答は「まず私を優遇してください。さすれば郭隗程度でもあのようにしてくれるのだから、もっと優れた人物はもっと優遇してくれるに違いないと思って人材が集まってきます。」と答え、昭王はこれを容れて郭隗を師と仰ぎ、特別に宮殿を造って郭隗に与えた。これは後世に「まず隗より始めよ」として有名な逸話になった。郭隗の言う通りに、燕には名将楽毅は魏の国から、鄒衍は斉の国から、劇辛は趙の国から、蘇秦の弟蘇代など、続々と人材が集まってきた。また、時期は不明であるが、昭王は不老不死の仙人を求めて東方の海上に人を派遣したという。これらの人材を使い、昭王は燕の改革・再建を進めた。○黄金台 易水の東南にあって、昭王が、千金を台の上に置き、天下の士を招いたという。



劇辛方趙至、鄒衍復斉來。
劇辛は、はたして趙からやって来た。鄒衍も、つづいて斉からやって来た。



奈何青雲士、棄我如塵挨。
ところが、なんということだ、青雲の上に立身出世したやつどもは、われわれを塵や挨のように棄ててかえりみないではないか
青雲士 立身出世してしまった人。



珠玉買歌笑、糟糠養賢才。
珠玉を美人の歌や笑いのために惜しまず買うが、糠や糟でもって賢才を養おうと思っているのか。



方知黄鶴擧、千里濁徘徊。
いまこそ十分に理解した、黄い鶴が舞いあがるように崇高な志をもつ者は、千里をひとりで飛びまわるものなのだ。
万知 いまこそ十分に、理解できる。

古風五十九首 其十四 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白151

古風五十九首 其十四 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白151



古風五十九首 其十四
胡關饒風沙、蕭索竟終古。
胡に対する関所塞は風と砂塵がむやみに多いところにある。未開の地で殺風景であること、大昔からのことだ。
木落秋草黃、登高望戎虜。
木の葉が落ちて秋もふかまり、草の黄ばむころになった、小高い丘にのぼり、はるか先の胡の方をながめた。
荒城空大漠、邊邑無遺堵。
荒れはてた城郭があり、ほかには何もない大きな砂漠があるのだ。国境の村々には、垣根すら跡形なく残っていない。
白骨橫千霜、嵯峨蔽榛莽。』
白骨が千年もの霜を過ごしても、累々と横たわっている。山は高く嶮しいが、藪や叢に蔽われてしまっている。』
借問誰凌虐、天驕毒威武。
だれがいったい、こんな陵虐を引きおこしたのか、とたずねてみると、だいたい、天の騎子とうぬぼれる匈奴が武力を悪用するからである。
赫怒我聖皇、勞師事鼙鼓。
われわれのすぐれた皇帝は、烈火にお怒りになった。そこで軍隊をうごかし、進軍太鼓をたたいて攻撃するのである。
陽和變殺氣、發卒騷中土。』
麗らかな、長閑な生活が、殺伐たる空気に変わった。兵卒をつぎつぎとくり出し、兵車で砂塵は上がり、国中は大騒動になった。』
三十六萬人、哀哀淚如雨。
三十六万人もの兵士。人びとのかなしみのなみだは雨のようだ。
且悲就行役、安得營農圃。
かなしみを背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑をいとなんでいけるというのだろうか。
不見征戍兒、豈知關山苦。
見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。
李牧今不在、邊人飼豺虎。』
李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。』



胡に対する関所塞は風と砂塵がむやみに多いところにある。未開の地で殺風景であること、大昔からのことだ。
木の葉が落ちて秋もふかまり、草の黄ばむころになった、小高い丘にのぼり、はるか先の胡の方をながめた。
荒れはてた城郭があり、ほかには何もない大きな砂漠があるのだ。国境の村々には、垣根すら跡形なく残っていない。
白骨が千年もの霜を過ごしても、累々と横たわっている。山は高く嶮しいが、藪や叢に蔽われてしまっている。』
だれがいったい、こんな陵虐を引きおこしたのか、とたずねてみると、だいたい、天の騎子とうぬぼれる匈奴が武力を悪用するからである。
われわれのすぐれた皇帝は、烈火にお怒りになった。そこで軍隊をうごかし、進軍太鼓をたたいて攻撃するのである。
麗らかな、長閑な生活が、殺伐たる空気に変わった。兵卒をつぎつぎとくり出し、兵車で砂塵は上がり、国中は大騒動になった。』
三十六万人もの兵士。人びとのかなしみのなみだは雨のようだ。
かなしみを背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑をいとなんでいけるというのだろうか。
見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。
李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。』


胡関 風沙靡く、粛索 責に終古。
木落ちて 秋草黄ばみ、高きに登りて 戎虜を望む。
荒城は 空しく大漠、辺邑に 遺堵無し。
白骨 千霜に横たわり、嵯峨として 榛葬に顧わる。
借問す 誰か陵虐す、天騎 威武を毒す。
我が聖皇を赫怒せしめ、師を労して 輩鼓を事とす。
陽和は 殺気に変じ、卒を発して中土を騒がしむ。
三十六万人、哀哀として、涙 雨の如し。
且つ悲しんで、行役に就く、安くんぞ農圃を営むを得ん。
征戊の児を見ずんば、豈 関山の苦しみを知らんや。
李牧 今在らず、辺入 豺虎の飼となる。



胡關饒風沙、蕭索竟終古。
胡に対する関所塞は風と砂塵がむやみに多いところにある。未開の地で殺風景であること、大昔からのことだ。
胡関 胡地への関所。胡は、中国北方の異民族。農耕民族に対して、遊牧・騎馬民族。○粛索。ものさびしく、ひっそりしているさま。



木落秋草黃、登高望戎虜。
木の葉が落ちて秋もふかまり、草の黄ばむころになった、小高い丘にのぼり、はるか先の胡の方をながめた。
木落 そのものでなく木の葉が落ちること、詩の慣用語。○終古 いつまでも、永久に。○戎虜 えびす。胡地。



荒城空大漠、邊邑無遺堵。
荒れはてた城郭があり、ほかには何もない大きな砂漠があるのだ。国境の村々には、垣根すら跡形なく残っていない。
大漠 大砂漠。○辺邑 国境の村。○遺堵 のこった垣根。



白骨橫千霜、嵯峨蔽榛莽。』
白骨が千年もの霜を過ごしても、累々と横たわっている。山は高く嶮しいが、藪や叢に蔽われてしまっている。』
千霜 千年のこと。千「□」と千につく語は詩の印象を強めす。例えば、春だと咲き誇る春が千年であり、秋だと、草花が枯れていくさびしい秋が千年となる。ここでは、句の初めに、白骨があり、千霜と冷たくあたり一面広々と霜の白と白骨の白が続く。○嵯峨 山が高くけわしい。○榛莽 やぶや雑草。



借問誰凌虐、天驕毒威武。
だれがいったい、こんな陵虐を引きおこしたのか、とたずねてみると、だいたい、天の騎子とうぬぼれる匈奴が武力を悪用するからである。
天驕 えびすの王の単子が漢に僕をよこして「えびすは天の驕子である」と言った。驕子は我儘息子のこと。*遊牧・騎馬民族は常に牧草地を移動して生活をする。侵略も移動のうちである。略奪により、安定させる。定住しないで草原のテントで寝る、自然との一体感がきわめておおきく彼らからすると天の誇高き息子と自惚れた訳ではなかった。漢民族は、世界の中心、天の中心にあると思っているのに対して、天の息子が漢民族化するわけはない。



赫怒我聖皇、勞師事鼙鼓。
われわれのすぐれた皇帝は、烈火にお怒りになった。そこで軍隊をうごかし、進軍太鼓をたたいて攻撃するのである。
聖皇 神聖なる皇帝。唐の玄宗をさす。○労師 玄宗の738年開元26年にチベットに大挙攻めいって以来、唐と吐蕃(チベット)の間に戦争はたえなかった。北方・北西は、契丹、奚、突蕨と、西、南西に吐蕃、ペルシャと戦った。○鼙鼓 進軍太鼓。戦車が基本の戦いのため。

陽和變殺氣、發卒騷中土。』
麗らかな、長閑な生活が、殺伐たる空気に変わった。兵卒をつぎつぎとくり出し、兵車で砂塵は上がり、国中は大騒動になった。』
陽和 うららかな、のどかな生活。○中土 中国。



三十六萬人、哀哀淚如雨。
三十六万人もの兵士。人びとのかなしみのなみだは雨のようだ。



且悲就行役、安得營農圃。
かなしみを背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑をいとなんでいけるというのだろうか。
安得 安は何と同じ。前の聯句は対句を無視して強調され、この聯に受けて、且悲:安得と強調している。
行役 国境守備などの兵役。○農圃 田畑。



不見征戍兒、豈知關山苦。
見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。
不見 君不見・・・と同じ。 ○関山 関は関所、塞。国境の山山。



李牧今不在、邊人飼豺虎。』
李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。
○李牧 (り ぼく、生年不明―紀元前229年)は中国春秋戦国時代の趙国の武将。『史記』「廉頗蘭相如列伝」において司馬遷は李牧を、「守戦の名将」としている。は趙の北方、代の雁門に駐屯する国境軍の長官で、国境防衛のために独自の地方軍政を許されていた。 警戒を密にし、烽火台を多く設け、間諜を多く放つなどとともに兵士を厚遇していた。 匈奴の執拗な攻撃に対しては、徹底的な防衛・篭城の戦法を取ることで、大きな損害を受けずに安定的に国境を守備した。


古風五十九首 其一 李白 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 明朗な人生観、自然界に自らを一致させた謫仙人李白特集 150

古風五十九首 其一 李白 :杜甫紀頌之の漢詩ブログ 明朗な人生観、自然界に自らを一致させた謫仙人李白特集 150

 古風 其一        古風 其の一      
これまで古風五十九首のうち、以下を取り上げた。
古風 其三 李白106
古風 其五 李白107
古風 其六   李白120

古風 其七 李白108
古風 其八   李白117
古風 第九   李白109

古風 其十     李白126
古風 其十一 李白 140
古風 其十二 李白 141

古風 第十八     李白110
古風 其二十三 李白113

李白は道教の道について述べ、人生の問題としている。戦争を取り上げ、政事理念を直接に詩の主題にし、故事の引用や艶情の用語を使用して、「詩経」くにの風(うた)のスタイルにしている。

翰林学士として天子の助言者たりえたいと思っていた。吐蕃に対して「和蕃書」の起草等、それを示すものである。「古風 其の一」は李白が官吏として意欲をもっていた天宝二年夏まえの作品であろうか。


古風五十九首其一
大雅久不作。 吾衰竟誰陳。
詩経の大雅のような大らかな正しい詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活できようか。
王風委蔓草。 戰國多荊榛。
王風の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の丗は、雑草ばかりになってしまった。
龍虎相啖食。 兵戈逮狂秦。
竜と虎とが食いあうように諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、狂暴な秦に及んでしまった。
正聲何微茫。 哀怨起騷人。
川原で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより騒人を生み出した。
揚馬激頹波。 開流蕩無垠。』
揚雄と司馬相如は、くずれゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。』
廢興雖萬變。 憲章亦已淪。
その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化した、正しい詩法はすっかりほろんでしまった。
自從建安來。 綺麗不足珍。
建安以後の詩にいたっては、ただ綺麗なだけで、新しく珍しい良いものはたらない。
聖代復元古。 垂衣貴清真。
唐の聖代というものは、太古の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すっきりとして、ありのままなことを貴ぶようになった。
群才屬休明。 乘運共躍鱗。』
多くの才能ある人びとが、やすらかであかるい御代にいるのだ、時代の運気に乗って、共に魚がうろこをおどらせて活躍し出した。』
文質相炳煥。 眾星羅秋旻。
模様と生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやいている。
我志在刪述。 垂輝映千春。
わたしの志は、古代の詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。
希聖如有立。 絕筆于獲麟。』

聖人の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにする。』


詩経の大雅のような大らかな正しい詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活できようか。王風の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の丗は、雑草ばかりになってしまった。
竜と虎とが食いあうように諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、狂暴な秦に及んでしまった。
川原で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより騒人を生み出した。
揚雄と司馬相如は、くずれゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。』
その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化した、正しい詩法はすっかりほろんでしまった。
建安以後の詩にいたっては、ただ綺麗なだけで、新しく珍しい良いものはたらない。
唐の聖代というものは、太古の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すっきりとして、ありのままなことを貴ぶようになった。
多くの才能ある人びとが、やすらかであかるい御代にいるのだ、時代の運気に乗って、共に魚がうろこをおどらせて活躍し出した。』
模様と生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやいている。
わたしの志は、古代の詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。
聖人の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにする。』



大雅(たいが)  久しく作(おこ)らず、吾れ衰(おとろ)えなば竟(つい)に誰か陳(の)べん。
王風(おうふう)は蔓草(まんそう)に委(す)てられ、戦国には荊榛(けいしん)多し。
龍虎(りゅうこ)  相い啖食(たんしょく)し、兵戈(へいか)  狂秦(きょうしん)に逮(およ)ぶ。
正声(せいせい)  何ぞ微茫(びぼう)たる、哀怨(あいえん)  騒人(そうじん)より起こる。
揚馬(ようば)  頽波(たいは)を激(げき)し、流れを開き  蕩(とう)として垠(かぎ)り無し』
廃興(はいこう)  万変(ばんぺん)すと雖も、憲章(けんしょう)  亦(ま)た已に淪(ほろ)ぶ。
建安(けんあん)より来(こ)のかたは、綺麗(きれい)にして珍(ちん)とするに足らず。
聖代  元古(げんこ)に復し、衣(い)を垂れて清真(せいしん)を貴ぶ。
群才  休明(きゅうめい)に属し、運に乗じて共に鱗(うろこ)を躍(おど)らす。』
文質(ぶんしつ)  相い炳煥(へいかん)し、衆星(しゅうせい)  秋旻(しゅうびん)に羅(つら)なる。
我が志は刪述(さんじゅつ)に在り、輝(ひか)りを垂れて千春(せんしゅん)を映(てら)さん。
聖を希(ねが)いて如(も)し立つ有らば、筆を獲麟(かくりん)に絶(た)たん。』





大雅久不作。 吾衰竟誰陳。
詩経の大雅のような大らかな正しい詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活できようか
大雅 中国の最古の詩集「詩経」の篇名。大きく正しい詩。



王風委蔓草、戰國多荊榛。
王風の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の丗は、雑草ばかりになってしまった。
王風 詩経の国風篇巻の六。洛陽を中心とした周の王墓の衰えたころの詩。○戦国 紀元前5~前3世紀までの時代。○荊榛 雑木雑草。



龍虎相啖食、兵戈逮狂秦。
竜と虎とが食いあうように諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、狂暴な秦に及んでしまった。
○兵戈 戦争。 ○ 及ぶ。とどく。 ○狂秦 狂暴な秦



正聲何微茫、哀怨起騷人。
川原で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより騒人を生み出した。
騒人 「離騒」の作者である屈原(前三世紀)をはじめ悲憤條慨の詩を作った一派の詩人たち、それ以来悲憤憤慨の人をたくさん作りだしたことをいう。



揚馬激頹波、開流蕩無垠。』
揚雄と司馬相如は、くずれゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。』
揚馬 揚雄と司馬相如。前一、二世紀の漢の時代に出た文人。 
 かぎり、はて。さかい。



廢興雖萬變、憲章亦已淪。
その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化した、正しい詩法はすっかりほろんでしまった。
憲章 正しい法則。



自從建安來。 綺麗不足珍。
建安以後の詩にいたっては、ただ綺麗なだけで、新しく珍しい良いものはたらない。
建安 紀元二世紀末の年号。曹植をはじめ多くの詩人が出た。



聖代復元古。 垂衣貴清真。
唐の聖代というものは、太古の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すっきりとして、ありのままなことを貴ぶようになった。
聖代 唐の時代をさす。○垂衣 大昔の聖天子、責と舜とは、ただ衣を地に垂れていただけで、天下がよく治まったという。○清真 すっきりとして、ありのままなこと

 

群才屬休明。 乘運共躍鱗。』
多くの才能ある人びとが、やすらかであかるい御代にいるのだ、時代の運気に乗って、共に魚がうろこをおどらせて活躍し出した。』
休明 やすらかであかるい時代。



文質相炳煥、眾星羅秋旻。
模様と生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやいている。
文質 文はあやで模様と質は素材、生地。詩の雰囲気と詩の形式。○炳煥 てりはえる。○秋旻 秋の空。



我志在刪述、垂輝映千春。
わたしの志は、古代の詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。
刪述 けずって、のべる。良くない所はけずり、良い所をのべつたえる。西周時代、当時歌われていた民謡や廟歌を孔子が編集した(孔子刪詩説)とされる。史記・孔子世家によれば、当初三千篇あった膨大な詩編を、孔子が311編(うち6編は題名のみ現存)に編成しなおしたという ○千春 千年



希聖如有立、絕筆于獲麟。』
聖人の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにする。』
獲麟 むかし孔子は歴史の本「春秋」を著わしたとき、「麒麟をつかまえた」という所で筆を絶った。麒麟は、空想の動物で、聖人のあらわれる瑞兆とされている。

宮中行樂詞八首其八 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白149

宮中行樂詞八首其八 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白149


宮中行樂詞八首 其八
水綠南薰殿。 花紅北闕樓。
水ゆたかに、みどりしたたる南薰殿。花は咲きほこり、紅に萌え聳えるような北闕楼。
鶯歌聞太液。 鳳吹繞瀛洲。
うぐいすの歌ごえは、大液池から聞こえてくる。鳳凰の簫の音は、蓬莱山を越え瀛洲の島を廻っている。
素女鳴珠佩。 天人弄彩毬。
宮中の素女は、身に佩びた真珠の飾りを鳴らしながら走りまわり、天の乙女は、美しい鞠を蹴ってたわむれている。
今朝風日好。 宜入未央游。
けさは、風も、日の光もすばらしい。こんな日こそ、未央宮に入って遊ぶことがふさわしい。


水ゆたかに、みどりしたたる南薰殿。花は咲きほこり、紅に萌え聳えるような北闕楼。
うぐいすの歌ごえは、大液池から聞こえてくる。鳳凰の簫の音は、蓬莱山を越え瀛洲の島を廻っている。
宮中の素女は、身に佩びた真珠の飾りを鳴らしながら走りまわり、天の乙女は、美しい鞠を蹴ってたわむれている。
けさは、風も、日の光もすばらしい。こんな日こそ、未央宮に入って遊ぶことがふさわしい。



宮中行楽詞 其の八
水は綠なり 南薫殿、花は紅なり 北闕楼。
鶯歌 太液に聞こえ、鳳吹 瀛洲を繞る。
素女は 珠佩を鳴らし、天人は 彩毬を弄す。
今朝 風日好し、宜しく未央に入りて遊ぶべし。




水綠南薰殿。 花紅北闕樓。
水ゆたかに、みどりしたたる南薰殿。花は咲きほこり、紅に萌え聳えるような北闕楼。
○南薫殿・北闕樓 いずれも唐代の長安の宮殿の名。北の見張り台のある楼閣。左右に石の高さ15メートル以上石壁がありその上に大きな宮殿のような楼閣が聳えるように建っていた玄武殿と玄武門をさす。



鶯歌聞太液。 鳳吹繞瀛洲。
うぐいすの歌ごえは、大液池から聞こえてくる。鳳凰の笙の音は、蓬莱山を越え瀛洲の島を廻っている。
太液 池の名。漢の太液池は漢の武帝が作った。池の南に建章宮という大宮殿を建て、池の中には高さ二十余丈の漸台というものを建て、長さ三文の石の鯨を刻んだ。また、池に三つの島をつくり、はるか東海にあって仙人が住むと信じられた瀛洲・蓬莱・方丈の象徴とした。漢の成帝はこの池に舟をうかべ、愛姫趙飛燕をのせて遊びたわむれた。唐代においても、漢代のそれをまねて、蓬莱殿の北に太液池をつくり、池の中の島を蓬莱山とよんだという。○鳳吹 笙(しょうのふえ)のこと。鳳のかたちをしている。○瀛洲 仙島の一つ。別に蓬莱、方丈がある。



素女鳴珠佩。 天人弄彩毬。
宮中の素女は、身に佩びた真珠の飾りを鳴らしながら走りまわり、天の乙女は、美しい鞠を蹴ってたわむれている。
素女 仙女の名。瑟(琴に似た楽器)をひくのが上手といわれる。○珠佩 真珠のおびもの。礼服の装飾で、玉を貫いた糸を数本つないで腰から靴の先まで垂れ、歩くとき鳴るようにしたもの。宮中に入るものすべてのものがつけていた。階級によって音が違った。○天人 仙女。天上にすむ美女。天の乙女。○彩毬 美しい模様の鞠。



今朝風日好。 宜入未央游。
けさは、風も、日の光もすばらしい。こんな日こそ、未央宮に入って遊ぶことがふさわしい。
未央 漢の皇居の正殿の名。中国、漢代に造られた宮殿。高祖劉邦(りゅうほう)が長安の竜首山上に造営したもの。唐代には宮廷の内に入った。

宮中行樂詞八首其七 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白148

宮中行樂詞八首其七 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白148

高貴な階級ほどエロティックな詩を喜んだ。「玉台新詠集」などその典型で、詠み人は皇帝、その親族、、高級官僚である。ここでいう行楽とは、冬は奥座敷の閨の牀で行った性交を屋外でするという意味を含んでいる。それを前提におかないと宮中行楽詞は意味不明の句が出てくる。この詩の舞台には儒教的生活は存在しないのである。




宮中行樂詞八首 其七
寒雪梅中盡、春風柳上歸。
つめたい雪は梅の花のなかで消えてなくなった、香しい春風のような女は柳の木のような男の腕の中にに帰ってきた。
宮鶯嬌欲醉、簷燕語還飛。
宮中のうぐいすの役割の宮妓は、ほんのりと酔いごこち愛らしくなる。のきばのつばめの役割の宮女は、また飛んで行ったり帰ったりして言葉を伝えている。
遲日明歌席、新花艷舞衣。
待っているとなかなか日が暮れない春の日が、歌の席が明るいままである。新らしい歌い手が花と咲き、舞姫の衣はいっそうなまめかしい。
晚來移綵仗、行樂泥光輝。

日暮れになると、着飾った衛兵を移動する、野外で行なわれる楽しいことは光り輝きをやわらかくしている



つめたい雪は梅の花のなかで消えてなくなった、香しい春風のような女は柳の木のような男の腕の中にに帰ってきた。
宮中のうぐいすの役割の宮妓は、ほんのりと酔いごこち愛らしくなる。のきばのつばめの役割の宮女は、また飛んで行ったり帰ったりして言葉を伝えている。
待っているとなかなか日が暮れない春の日が、歌の席が明るいままである。新らしい歌い手が花と咲き、舞姫の衣はいっそうなまめかしい。
日暮れになると、着飾った衛兵を移動する、野外で行なわれる楽しいことは光り輝きをやわらかくしている。


宮中行楽詞 其の七
寒雪 梅中に尽き、春風 柳上に帰る。
宮鶯 嬌として酔わんと欲し、簷檐燕 語って還た飛ぶ。
遅日 歌席明らかに、新花 舞衣 艶なり。
晩来 綵仗を移し、行楽 光輝に泥かし。



寒雪梅中盡、春風柳上歸。
つめたい雪は梅の花のなかで消えてなくなった、香しい春風のような女は柳の木のような男の腕の中にに帰ってきた。

宮鶯嬌欲醉、簷燕語還飛。
宮中のうぐいすの役割の宮妓は、ほんのりと酔いごこち愛らしくなる。のきばのつばめの役割の宮女は、また飛んで行ったり帰ったりして言葉を伝えている。
簷燕 のきばのつばめ。

遲日明歌席、新花艷舞衣。
待っているとなかなか日が暮れない春の日が、歌の席が明るいままである。新らしい歌い手が花と咲き、舞姫の衣はいっそうなまめかしい。
遲日 日が長くなる春。なかなか日が暮れない。「詩経」の豳風(ひんふう)に「七月ふみづき」
七月流火  九月授衣  春日載陽  有鳴倉庚  
女執深筐  遵彼微行  爰求柔桑  春日遅遅
采蘩祁祁  女心傷悲  殆及公子同歸
一緒になりたい待っている女心を詠っている。
歌席 音楽の演奏会。

晚來移綵仗、行樂泥光輝。
日暮れになると、着飾った衛兵を移動する、野外で行なわれる楽しいことは光り輝きをやわらかくしている。
晩来 夕方。○綵仗 唐の制度では、宮殿の下の衛兵を仗という。綵は、着飾ってはなやかなという形容、飾り物が華麗である場合に使用する。別のテキストでは彩としている。この場合は色のあでやかさの場合が多い。○行楽泥光輝 野外において性的行為をする光景を詠っている。光と影が交錯していること。景色を泥はやわらかくする。

宮中行樂詞八首其六 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白147

宮中行樂詞八首其六 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白147


宮中行樂詞八首 其六
今日明光里。 還須結伴游。
今日の日の明るいうちの明光殿のなかのことである、また、たくさんの美女たちがあつまって遊んでいる。
春風開紫殿。 天樂下珠樓。
宮女たちのかぐわしい春風が紫殿に充満している、天上にふさわしい音楽が真珠の楼閣におりてくる。
艷舞全知巧。 嬌歌半欲羞。
なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくし踊る、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにさそっている。
更憐花月夜。 宮女笑藏鉤。

北斎の憐のような琴や踊りの上手い宮女や月のような宮女たちの夜が楽しい、宮女たちが蔵鉤のあそびになって笑いころげているのである。


今日の日の明るいうちの明光殿のなかのことである、また、たくさんの美女たちがあつまって遊んでいる。
宮女たちのかぐわしい春風が紫殿に充満している、天上にふさわしい音楽が真珠の楼閣におりてくる。
なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくし踊る、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにさそっている。
北斎の憐のような琴や踊りの上手い宮女や月のような宮女たちの夜が楽しい、宮女たちが蔵鉤のあそびになって笑いころげているのである。



宮中行楽詞 共の六
今日 明光の裏、還た須らく伴を結んで遊ぶべし。
春風 紫殿を開き、天樂 珠樓に下る。
艷舞 全く巧を知る。 嬌歌 半ば羞じんと欲す。
更に憐れむ 花月の夜、 宮女 笑って藏鉤するを。



今日明光里。 還須結伴游。
今日の日の明るいうちの明光殿のなかのことである、また、たくさんの美女たちがあつまって遊んでいる。
明光 漢代の宮殿の名。「三輔黄図」という宮苑のことを書いた本に「武帝、仙を求め、明光宮を起し、燕趙の美女二千人を発して之に充たす」とある。



春風開紫殿。 天樂下珠樓。
宮女たちのかぐわしい春風が紫殿に充満している、天上にふさわしい音楽が真珠の楼閣におりてくる。
紫殿 唐の大明宮にもある。「三輔黄図」にはまた「漢の武帝、紫殿を起す」とある。漢の武帝が神仙の道を信じ、道士たちにすすめられて、大規模な建造物をたくさん建てたことは、吉川幸次郎「漢の武帝」(岩波新書)にくわしい。玄宗も同じように道教のために寄進している。



艷舞全知巧。 嬌歌半欲羞。
なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくし踊る、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにさそっている。



更憐花月夜。 宮女笑藏鉤。
北斎の憐のような琴や踊りの上手い宮女や月のような宮女たちの夜が楽しい、宮女たちが蔵鉤のあそびになって笑いころげているのである。
憐花 北斉の後主高給が寵愛した馮淑妃の名。燐は同音の蓮とも書かれる。もとは穆皇后の侍女であったが、聡明で琵琶、歌舞に巧みなのが気に入られて穆皇后への寵愛がおとろえ、後宮に入った。○蔵鉤 遊戯の一種。魏の邯鄲淳の「芸経」によると、じいさん、ばあさん、こどもたちがこの遊戯をしていたという三組にわかれ、一つの鈎を手の中ににぎってかくしているのを、他の組のものが当て、たがいに当てあって勝敗をきそう。漢の武帝の鈎弋夫人は、幼少のころ、手をにぎったまま開かなかった。武帝がその拳にさわると、ふしぎと閲いたが、手の中に玉の釣をにぎっていた。蔵鈎の遊戯は鈎弋夫人の話から起ったといわれている。
これをもとに宮妓たちの間では送鉤という遊びをしていた。二組の遊びで、艶めかしい遊びに変化したようだ。


宮中行樂詞八首其五 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白146

宮中行樂詞八首其五 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白146



宮中行樂詞八首 其五
繡戶香風暖。 紗窗曙色新。
きれいな飾りのある扉には、香しい春風が吹いて暖かくなった。うす絹をはった窓には、あけぼのの光が鮮やかで清新な明るさだ。
宮花爭笑日。 池草暗生春。
宮妓たちが微笑み、花々が競って咲き誇る春の日。池のほとりの草も、いつのまにか、春のいのちをもやしはじめる。
綠樹聞歌鳥。 青樓見舞人。
綠の木の間からは、歌う鳥の声がきこえ、昔、名君がすごした青い楼閣の上には、舞う美人の姿がみえる。
昭陽桃李月。 羅綺自相親。
趙飛燕が愛された昭陽殿では、桃花や李花のような美人が月の寝室で待つ、うす絹やあや絹の宮妓は互いに愛しあっている。


きれいな飾りのある扉には、香しい春風が吹いて暖かくなった。うす絹をはった窓には、あけぼのの光が鮮やかで清新な明るさだ。
宮妓たちが微笑み、花々が競って咲き誇る春の日。池のほとりの草も、いつのまにか、春のいのちをもやしはじめる。
綠の木の間からは、歌う鳥の声がきこえ、昔、名君がすごした青い楼閣の上には、舞う美人の姿がみえる。
趙飛燕が愛された昭陽殿では、桃花や李花のような美人が月の寝室で待つ、うす絹やあや絹の宮妓は互いに愛しあっている。


宮中行楽詞 其の五
繍戸 香風暖かに、紗窓 曙色新たなり。
宮花 争って日に笑い、池草 暗に春を生ず。
綠樹には 歌鳥を聞き、青楼には 舞人を見る。
昭陽 桃李の月、羅綺を白のずから相親しむ



繡戶香風暖。 紗窗曙色新。
きれいな飾りのある扉には、香しい春風が吹いて暖かくなった。うす絹をはった窓には、あけぼのの光が鮮やかで清新な明るさだ。
繍戸 きらびやかに飾りたてた扉。宮中の女の部屋をさす。〇紗窗 薄絹を張った窓。○曙色 あけぼのの光。



宮花爭笑日。 池草暗生春。
宮妓たちが微笑み、花々が競って咲き誇る春の日。池のほとりの草も、いつのまにか、春のいのちをもやしはじめる。
宮花争笑日 「劉子新論」に「春の葩は日を含みで笑うが似く、秋の葉は露に泫おいて泣くが如し」とある。宮妓たちが微笑み、花々が競って咲き誇る春の日。○弛草幡生春 南宋、謝霊運の長詩「登池上楼閣」
・・・・・・
初景革緒風、新陽改故陰。
池塘春草生、園柳変鳴禽。
・・・・・・
「池塘春草生じ、園柳鳴禽に変ず」から。
池のほとり(堤)に芽吹きがある、春が来た
同じKanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 李白「灞陵行送別」
上有無花之古樹、下有傷心之春草。とある。同じように使用している。



綠樹聞歌鳥。 青樓見舞人。
綠の木の間からは、歌う鳥の声がきこえ、昔、名君がすごした青い楼閣の上には、舞う美人の姿がみえる。
青楼 「南史」に、斉の武帝は、興光楼上に青い漆をぬり、世人これを青楼とよんだ、とある。
武帝(ぶてい、440年 - 493年)は、斉の第2代皇帝。姓は蕭、諱は賾。高帝蕭道成の長子。 父の死で即位する。即位後は国力増強に力を注ぎ、大規模な検地を実施した。あまりに厳しい検地であったため、逆に農民の反発を招くこととなってしまったこともあったが、反乱自体は微弱なものに過ぎず、検地は結果的に大成功したという。また戸籍を整理したり、貴族の利権を削減して皇帝権力の強化に務めるなどの政治手腕を見せた。このため、武帝は南朝における名君の一人として讃えられている。



昭陽桃李月。 羅綺自相親。
趙飛燕が愛された昭陽殿では、桃花や李花のような美人が月の寝室で待つ、うす絹やあや絹の宮妓は互いに愛しあっている。
昭陽 趙飛燕の宮殿の名。○羅綺 うすぎぬとあやぎぬと。○羅綺自相親 羅綺をつけた人びと(官女)がたがいに親しみあうという意味。



  李白の詩は儒教手解釈では理解できない。当時は身分の高い人たち中でこそ、下ネタをうまく詠いこむことが洒落であった。解釈書、漢詩紹介の本に欠如しているのは、あるいは、意味不明とされている。洒落として解釈しないとりかいできないのだ。解釈は詩人の主張する通りに理解しないといけない。そうでないと、つまらない詩のままで終わる。このブログでは、詩人はエロチックな表現によって体制批判をしていることが多い。この「宮中行樂詞八首其五」は間違いなく艶情詩なのだ。
後宮は、天界、、仙界、極楽を具現化したものであり、それを利用し、その世界を詠うものである。 
唐朝 大明宮01

宮中行樂詞八首其四 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白145

宮中行樂詞八首其四 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白145
宮中行樂詞八首 其四 李白145


宮中行樂詞八首 其四
玉樹春歸日。金宮樂事多。
宮中の威厳のある立派な木々に春がもどってくる日々、黄金の宮では春の楽しい行事が多くなってくる。
後庭朝未入。輕輦夜相過。
奥の御殿、ここへは天子が朝は入って行かれることはない。軽い手くるま、夜の訪れに伴い、これにのってお通りになる。
笑出花間語。嬌來竹下歌。
ほほえみは花を咲かせ、歓びの声は花の間の話からおこる、可愛がられる時が来た、蝋燭の光、簾の下の歌のような声にあふれた
莫教明月去。留著醉嫦蛾。

あの美しい月のような美人を帰らせてはいけない。引きとどめておいて、月の精の嫦娥を酔わせるのだ。



宮中の威厳のある立派な木々に春がもどってくる日々、黄金の宮では春の楽しい行事が多くなってくる。
奥の御殿、ここへは天子が朝は入って行かれることはない。軽い手くるま、夜の訪れに伴い、これにのってお通りになる。
ほほえみは花を咲かせ、歓びの声は花の間の話からおこる、可愛がられる時が来た、蝋燭の光、簾の下の歌のような声にあふれた
あの美しい月のような美人を帰らせてはいけない。引きとどめておいて、月の精の嫦娥を酔わせるのだ。

 
宮中行楽詞 其の四
玉樹 春帰る日、金宮 楽事多し
後庭 朝に未だ入らず、輕輦 夜 相過ぐ。
笑いは花間の語に出で、嬌は燭下の歌に来る。
明月をして去らしむる莫れ、留著して 嫦蛾を酔わしめん



玉樹春歸日。金宮樂事多。
宮中の威厳のある立派な木々に春がもどってくる日々、黄金の宮では春の楽しい行事が多くなってくる。
玉樹 りっばな木。○金宮 こがね作りの宮殿。



後庭朝未入。輕輦夜相過。
奥の御殿、ここへは天子が朝は入って行かれることはない。軽い手くるま、夜の訪れに伴い、これにのってお通りになる。
後庭 後宮。宮中の奥御殿○朝 朝は、日の出に朝礼が行われ、列を整えて礼をする。その後、天下の政事、諸事をおこなう。○輕輦 手車の呼び方を変えている。「其一」・歩輩 手車。人がひく車。人力車。「其二」・雕輦 彫刻をほどこした手くるま。宮中において天子のみが使用する車で宮中を象徴するものとしてとらえている。



笑出花間語。嬌來竹下歌。
ほほえみは花を咲かせ、歓びの声は花の間の話からおこる、可愛がられる時が来た、蝋燭の光、簾の下の歌のような声にあふれた。
花間 宮女の話し声。花は宮女。○ 美しい。艶めかしい。声や色合いが美しい。可愛がる。○竹下歌 紙のない時代は紙の代わりに用いた。蝋燭のもとで竹に書き物をする。また、竹の簾のもと、閨を意味しそこでの男女の情交の際の声を歌で示した。



莫教明月去。留著醉嫦蛾。
あの美しい月のような美人を帰らせてはいけない。引きとどめておいて、月の精の嫦娥を酔わせるのだ。
留著 とめておく。○嫦蛾 。古代の神話中の女性。努という弓の名人の妻であったが、夫が酎欝が(仙女)からもらってきた不死の薬。宮中では、不死薬は媚薬でもあり、精力増強剤とされていた。それを、夫のるすの問にぬすんでのんだため、体が地上をはなれて月にむかってすっとび、それいらい、月の精となった。月の世界で、「女の盛りに、一人で、待っている女性」という意味でつかわれる。魯迅の「故事新編」の中の「奔月」は、この話がもとになっている。

紀頌之漢詩ブログ 李白 97 把酒問月  
白兔搗藥秋復春,嫦娥孤棲與誰鄰。

嫦娥 李商隠
雲母屏風燭影深、長河漸落暁星沈。
嫦娥應悔倫塞薬、碧海青天夜夜心。


紀頌之漢詩ブログ 李商隠 嫦娥
1. 道教の影響 2. 芸妓について 3. 李商隠 12 嫦娥

宮中行樂詞八首其三 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 李白144

宮中行樂詞八首其三 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 李白144



宮中行樂詞八首 其三
盧橘為秦樹、蒲桃出漢宮。
枇杷はもともと湘南の果物、それが今や秦の地方の木になった、ぶどうもまた、この漢の宮殿の中でできる。
煙花宜落日、絲管醉春風。
春霞と咲きほこる花に、落ちかかる日のひかりがその場所にうまい具合にあたっている。音楽が、うきうきと酔いごこちで、春風にのって流れている。
笛奏龍吟水、蕭鳴鳳下空。
笛をかなでると、竜が水の中で鳴きだしてくる、簫をふくと、鳳が空からまいおりてくる。
君王多樂事、還與萬方同。
国の天子には、楽しい行事がたくさんおありでしょう、やはり、天下のこと、万事に楽しまれることでありましょう。



枇杷はもともと湘南の果物、それが今や秦の地方の木になった、ぶどうもまた、この漢の宮殿の中でできる。
春霞と咲きほこる花に、落ちかかる日のひかりがその場所にうまい具合にあたっている。音楽が、うきうきと酔いごこちで、春風にのって流れている。
笛をかなでると、竜が水の中で鳴きだしてくる、簫をふくと、鳳が空からまいおりてくる。
国の天子には、楽しい行事がたくさんおありでしょう、やはり、天下のこと、万事に楽しまれることでありましょう。


宮中行楽詞 其の三
盧橘は 秦樹と為り、 蒲桃は漢宮より出づ。
煙花 落日に宜しく、 絲管 春風に醉う。
笛奏 龍 水に鳴き、 蕭吟 鳳 空より下る。
君王 樂事多く、 還た 萬方と同じくする。

 


盧橘為秦樹、 蒲桃出漢宮。
枇杷はもともと湘南の果物、それが今や秦の地方の木になった、ぶどうもまた、この漢の宮殿の中でできる。
盧橘 果樹、枇杷の別名。もと南方の植物。戴叔倫の「湘南即事」に「盧橘花開楓菓哀」とあるのもそれがもとは南方の風物であることを示したもの。○ 長安の地方。Kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 李商隠37「寄令狐郎中」では
嵩雲秦樹久離居、雙鯉迢迢一紙書。
休問梁園舊賓客、茂陵秋雨病相如。
秦樹は長安を長い時代見ていた樹という意味に使っている。
蒲桃 葡萄。ぶどう。ペルシャ原産で、西域を通って中国に入ったのは、漢の武帝のときである。



煙花宜落日、絲管醉春風。
春霞と咲きほこる花に、落ちかかる日のひかりがその場所にうまい具合にあたっている。音楽が、うきうきと酔いごこちで、春風にのって流れている。
煙花 かすみと花。○絲管 弦楽器と管楽器。つまり、音楽。

 

笛奏龍鳴水、蕭吟鳳下空。
笛をかなでると、竜が水の中で鳴きだしてくる、簫をふくと、鳳が空からまいおりてくる。
節奏竜鳴水 漢の馬融の「笛の賦」によれば、西方の異民族である羌の人が、竹を伐っていると、竜があらわれて水中で鳴いた。すぐに竜は見えなくなったが、羌人が、きり出した竹でつくった笛を吹くと、竜のなき声と似ていたという。竜は、空想の動物である。○蕭吟鳳下空 簫は管楽器の一種。「列仙伝」に、蕭史という人が、上手に簫を吹いた。すると鳳凰がとんで来て、その家の屋根に止まった、とある。鳳凰もまた、空想の動物である。鳳がおす、凰がめす。



君王多樂事、還與萬方同。
国の天子には、楽しい行事がたくさんおありでしょう、やはり、天下のこと、万事に楽しまれることでありましょう。
万方 万国と同じ。天下、万事のこと。

宮中行樂詞八首 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白143

宮中行樂詞八首 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白143



宮中行樂詞八首 其二
柳色黃金嫩、梨花白雪香。
芽をふき出したばかりの柳の色は、黄金のようにかがやき、しかも見るからにやわらかく若い(玄宗皇帝)。梨の花は、まっ白な雪のよう、しかも、よい香をはなっている(楊太真)。
玉樓巢翡翠、珠殿鎖鴛鴦。
宝玉でかざりたてた楼閣には、うつくしい羽根をもつかわせみの巣がある。真珠をちりばめた御殿には、夫婦仲むつまじいおしどりが、とじこもりの場所である。
選妓隨雕輦、徵歌出洞房。
天子はすぐれた宮妓の者をえらばれ、手ぐるまのあとについて歩くよう命じられる。また、歌手をよびよせて、奥の部屋にいたものに出て来るよう命じられる。
宮中誰第一、飛燕在昭陽。

宮中において美人といえば、誰が第一だろうか。飛燕だ、宮中のはなやいだ昭陽殿に在られるのだ。



芽をふき出したばかりの柳の色は、黄金のようにかがやき、しかも見るからにやわらかく若い(玄宗皇帝)。梨の花は、まっ白な雪のよう、しかも、よい香をはなっている(楊太真)。
宝玉でかざりたてた楼閣には、うつくしい羽根をもつかわせみの巣がある。真珠をちりばめた御殿には、夫婦仲むつまじいおしどりが、とじこもりの場所である。
天子はすぐれた宮妓の者をえらばれ、手ぐるまのあとについて歩くよう命じられる。また、歌手をよびよせて、奥の部屋にいたものに出て来るよう命じられる。
宮中において美人といえば、誰が第一だろうか。飛燕だ、宮中のはなやいだ昭陽殿に在られるのだ。


宮中行楽詞 其の二
柳色(りゅうしょく)  黄金にして嫩(やわら)か、梨花(りか)  白雪(はくせつ)にして香(かんば)し。
玉楼(ぎょくろう)には翡翠(ひすい)巣くい、珠殿(しゅでん)には鴛鴦(えんおう)を鎖(とざ)す。
妓(ぎ)を選んで雕輦(ちょうれん)に随わしめ、歌を徴(め)して洞房(どうぼう)を出(い)でしむ。
宮中(きゅうちゅう)  誰か第一なる、飛燕(ひえん)  昭陽(しょうよう)に在り。

 

柳色黃金嫩、梨花白雪香。
芽をふき出したばかりの柳の色は、黄金のようにかがやき、しかも見るからにやわらかく若い(玄宗皇帝)。梨の花は、まっ白な雪のよう、しかも、よい香をはなっている(楊太真)。
柳色 男性を示唆する柳で玄宗。楊は女性を示す。○ 物がまだ新しく、若くて、弱い状態。○梨花 女性を示唆する、楊太真(貴楊妃)。



玉樓巢翡翠、珠殿鎖鴛鴦。
宝玉でかざりたてた楼閣には、うつくしい羽根をもつかわせみの巣がある。真珠をちりばめた御殿には、夫婦仲むつまじいおしどりが、とじこもりの場所である。
○玉楼 宝玉でかざり立てた楼閣。○翡翠 かわせみ。うつくしい羽根の鳥。○珠殿 真珠をちりばめた御殿。○鴛鴦 おしどり。おす(鴛)と、めす(鴦)と仲むつまじい鳥。

 

選妓隨雕輦、徵歌出洞房。
天子はすぐれた宮妓の者をえらばれ、手ぐるまのあとについて歩くよう命じられる。また、歌手をよびよせて、奥の部屋にいたものに出て来るよう命じられる。
 宮妓、種種の妓芸を演じて人をたのしませる俳優のこと。○雕輦 彫刻をほどこした手ぐるま。〇洞房 奥ぶかい部屋。



宮中誰第一、飛燕在昭陽。
宮中において美人といえば、誰が第一だろうか。飛燕だ、宮中のはなやいだ昭陽殿に在られるのだ。
○飛燕 漢の成帝の愛姫、超飛燕。もとは長安の生れで身分は低かったが、歌や舞がうまく、やせ型の美人で、その軽やかな舞はツバメが飛ぶようであったから、飛燕とよばれた。ある時、おしのびで遊びに出た成帝の目にとまり、その妹とともに宮中に召され、帝の寵愛を一身にあつめた。十余年、彼女は日夜、帝を誘惑したので、しまいに帝は精根つきはてで崩御した。晩年、彼女は不遇となり、さいごには自殺した。彼女は漢代随一の美女とされている。また、やせた美人の代表は漢の趙飛燕、ふとった美人の代表は唐の楊貴妃とされているが、唐詩において趙飛燕をうたうとき、多くの易合、玄宗の後宮における第一人者、楊貴妃そのひとを暗に指す。もっともこの時期は楊太真で、李白が都を追われた後、楊貴妃となる。○昭陽 趙飛燕がすんでいた宮殿の名。

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