漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

2011年10月

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

前有樽酒行二首 其一  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 203

前有樽酒行二首 其一  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 203




前有樽酒行二首 其一
春風東來忽相過、金樽淥酒生微波。
春のかおりの女たちが東のほうからやって来た。女たちと一緒の聖人たちはこがねの樽にたたえた酒に、かすかな波がたっている。
落花紛紛楷覺多、美人欲酔朱顔酡。
女たちは花びらがはらはらとしだいに多く散りかかるのである。妓女たちは、化粧して着飾っていて、酔いごこちによりほんのり顔を赤らめている。
青軒桃李能幾何、流光欺人忽蹉跎。
東の庭の青い車、桃李の花のように人は集まり、なにもしないでいていつまであつまっているだろうか。流れる時間は、人をあざけるようにアッというまに過ぎてしまう。
君起舞、日西夕。
君、起ちあがって踊れ。太陽は西に沈むじゃないか。
當年意気不肯傾、白髪如絲歎何益。

わかいころの志、意気はおとろえたくないものなのだ。白髪が糸のようになってから嘆いてみても、何の役に立つというのか。


前有樽酒行二首 其の一

春風東より来って 忽ち相過ぐ、金樽の酒 徴波を生ず。

落花紛紛として 楷やに多きを覺ゆ、美人酔わんと欲して 朱顔たり。

青軒の桃李 能く幾何ぞ、流光人を欺いて 忽ち蹉たり。

君起って舞え、日西に夕なり。

当年の意気 肯て傾かず、白髪糸の如し 歎ずるも何の益かあらん。




前有樽酒行二首 其一 現代訳と訳註
雑言古詩

(本文)
春風東來忽相過、金樽淥酒生微波。
落花紛紛楷覺多、美人欲酔朱顔酡。
青軒桃李能幾何、流光欺人忽蹉跎。
君起舞、日西夕。
當年意気不肯傾、白髪如絲歎何益。

(下し文)
春風東より来って 忽ち相過ぐ、金樽の淥酒 徴波を生ず。
落花紛紛として 楷やに多きを覺ゆ、美人酔わんと欲して 朱顔酡たり。
青軒の桃李 能く幾何ぞ、流光人を欺いて 忽ち蹉跎たり。
君起って舞え、日西に夕なり。
当年の意気 肯て傾かず、白髪糸の如し 歎ずるも何の益かあらん。

(現代語訳)
春のかおりの女たちが東のほうからやって来た。女たちと一緒の聖人たちはこがねの樽にたたえた酒に、かすかな波がたっている。
女たちは花びらがはらはらとしだいに多く散りかかるのである。妓女たちは、化粧して着飾っていて、酔いごこちによりほんのり顔を赤らめている。
東の庭の青い車、桃李の花のように人は集まり、なにもしないでいていつまであつまっているだろうか。流れる時間は、人をあざけるようにアッというまに過ぎてしまう。
君、起ちあがって踊れ。太陽は西に沈むじゃないか。

わかいころの志、意気はおとろえたくないものなのだ。白髪が糸のようになってから嘆いてみても、何の役に立つというのか。


(訳註)
前有樽酒行二首 其一
春風東來忽相過、金樽淥酒生微波。
春のかおりの女たちが東のほうからやって来た。女たちと一緒の聖人たちはこがねの樽にたたえた酒に、かすかな波がたっている。
春風東來 春風は東風であり、東來するものである。同じくで同じことを示すわけがなく。性的な始まり、性的欲望を生むものと解釈すべきである。○淥酒 濁り酒がと賢人清酒は聖人。濁り酒は道士の飲むもの、清酒は儒者の飲むもの。○微波 かすかな波がたつ。波は東風によるものなのか、何によっておこる波なのか。
 
落花紛紛楷覺多、美人欲酔朱顔酡。
女たちは花びらがはらはらとしだいに多く散りかかるのである。妓女たちは、化粧して着飾っていて、酔いごこちによりほんのり顔を赤らめている。
○紛紛 いりみだれて散るさま。○ だんだん。○美人 宮妓、芸妓。○朱顔酡 「酡」は酒を飲んで顔が赤くなった様子。


青軒桃李能幾何、流光欺人忽蹉跎。
東の庭の青い車、桃李の花のように人は集まり、なにもしないでいていつまであつまっているだろうか。流れる時間は、人をあざけるようにアッというまに過ぎてしまう。
青軒 青い色を塗った軒、高貴な人の車。青色を塗った東側の娼屋。○桃李 桃と梨。何をしなくても人が集まるさま。○蹉跎 時間がたちまち経過してしまう形容。


君起舞、日西夕。
君、起ちあがって踊れ。太陽は西に沈むじゃないか。


當年意気不肯傾、白髪如絲歎何益。
わかいころの志、意気はおとろえたくないものなのだ。白髪が糸のようになってから嘆いてみても、何の役に立つというのか。
不肯傾 おとろえたくないものなの・傾 尽きていく。かたよる。かたむく。さけをのむ。


○韻 過、波、酡、跎。/夕、益。

陪従祖済南太守泛鵲山湖 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 202

陪従祖済南太守泛鵲山湖 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 202



陪従祖済南太守泛鵲山湖

水入北湖去、舟従南浦囘。

鵲山から来る川が湖の北に流れ込んでいる。わたしの乗った舟は、湖南がわ川の合流点の浦のあたりをまわってから引きかえしてきた。
遙看鵲山傳、却似送人来。

狩猟を終えてはるかに目をやると、舟の位置の移動につれて鵲山が次々に位置をかえ、山がわれわれ人を送ってくれているように思われる


従祖済南の太守に陪し、鵲山湖に泛ぶ

水は北湖に入って去り、舟は南浦より回る。

遙かに看る 鵲山の転ずるを、却って人を送り来るに似たり。



陪従祖済南太守泛鵲山湖 現代語訳と訳註、解説

(本文)
陪従祖済南太守泛鵲山湖
水入北湖去、舟従南浦囘。
遙看鵲山傳、却似送人来。

(下し文)
従祖済南の太守に陪し、鵲山湖に泛ぶ
水は北湖に入って去り、舟は南浦より回る。
遙かに看る 鵲山の転ずるを、却って人を送り来るに似たり。

(現代語訳)
鵲山から来る川が湖の北に流れ込んでいる。わたしの乗った舟は、湖南がわ川の合流点の浦のあたりをまわってから引きかえしてきた。
狩猟を終えてはるかに目をやると、舟の位置の移動につれて鵲山が次々に位置をかえ、山がわれわれ人を送ってくれているように思われる。


(訳註)
陪従祖済南太守泛鵲山湖

従祖 祖父の兄弟。○済南 いまの山東省済南市。○太守 郡の長官。○鵲山湖 山東省済南市歴城区、とされているが鵲山確認できない。山の南に湖があるというが現在地は確認できていない。この詩は、舟遊びではなく、鳧猟をしたものであろう。

李白 済南

水入北湖去、舟従南浦囘。
鵲山から来る川が湖の北に流れ込んでいる。わたしの乗った舟は、湖南がわ川の合流点の浦のあたりをまわってから引きかえしてきた。
 湖に流れ込む川であるが。このあたりは北に黄河があるので、小さな川は北流している。○南浦 鵲山湖の南にある。川が流入するあたりに鴨がいる。


遙看鵲山傳、却似送人来。
狩猟を終えてはるかに目をやると、舟の位置の移動につれて鵲山が次々に位置をかえ、山がわれわれ人を送ってくれているように思われる。
 本来書き付けたものを次に伝えるという意味なので、伝えるにしたがって遠ざかるというイメージで捉える。


 


(解説)
山東省済南市歴城区のあたりで通ったものである。幽州からの帰りに立ち寄ったのか、行く前かは不明であるが。以前、杜甫と狩りをして歩いたのはもっと南の方である。
山東省済南市に大明湖と東湖というのがあって位置関係からして、唐時代この湖がつながっていてもおかしくない感じがする。黄河流域の下流地方であるから、おそらく湿地であったのではないか。詩の雰囲気は理解できる。

江夏別宋之悌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 201

江夏別宋之悌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 201


江夏別宋之悌

江夏で宋之悌に別れる。
楚水清若空、遙將碧海通。
楚の国を流れる長江は、清らかに澄みきっているその上大空のようでもありその境がない。遥かに遠くまで続き東海の碧の大海原へと通じている。
人分千里外、興在一盃中。
人と人とは、千里のかなたに分かれてしまうのに、お互いの趣向にたいする思いというものは、この一杯の盃の中にこそ在るというものだ。
谷鳥吟晴日、江猿嘯晩風。
渓谷の鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴きひびきわたる、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。
平生不下涙、於此泣無窮。

日頃は涙を流したことのない私だが、ああ、いまここでは、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのだ。

江夏にて宋之悌に別る

楚水 清きこと空しきが若く、遥かに碧海と通ず。

人は千里の外に分れ、興は一盃の中に在り。

谷鳥 晴日に吟じ、江猿 晩風に嘯く。

平生は涙を下さざるに、此に於て泣くこと窮りなし



江夏別宋之悌 現代語訳と訳註 解説
(本文)
楚水清若空、遙將碧海通。
人分千里外、興在一盃中。
谷鳥吟晴日、江猿嘯晩風。
平生不下涙、於此泣無窮。

(下し文)
楚水 清きこと空しきが若く、遥かに碧海と通ず。
人は千里の外に分れ、興は一盃の中に在り。
谷鳥 晴日に吟じ、江猿 晩風に嘯く。
平生は涙を下さざるに、此に於て泣くこと窮りなし。

(現代語訳)
江夏で宋之悌に別れる。
楚の国を流れる長江は、清らかに澄みきっているその上大空のようでもありその境がない。遥かに遠くまで続き東海の碧の大海原へと通じている。
人と人とは、千里のかなたに分かれてしまうのに、お互いの趣向にたいする思いというものは、この一杯の盃の中にこそ在るというものだ。
渓谷の鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴きひびきわたる、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。
日頃は涙を流したことのない私だが、ああ、いまここでは、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのだ。


(訳註)
江夏別宋之悌
江夏で宋之悌に別れる。
江夏-現在の湖北省武漢市武昌。d-5
rihakustep足跡

 

○宋之悌-初唐の詩人宋之問の末弟。

楚水清若空、遙將碧海通。
楚の国を流れる長江は、清らかに澄みきっているその上大空のようでもありその境がない。遥かに遠くまで続き東海の碧の大海原へと通じている。
楚水 楚(湖南・湖北)の地方を流れる長江。


人分千里外、興在一盃中。
人と人とは、千里のかなたに分かれてしまうのに、お互いの趣向にたいする思いというものは、この一杯の盃の中にこそ在るというものだ。
興 詩についての興趣、心情。

谷鳥吟晴日、江猿嘯晩風。
渓谷の鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴きひびきわたる、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。

平生不下涙、於此泣無窮。
日頃は涙を流したことのない私だが、ああ、いまここでは、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのだ。


○韻字 空、通、中、風、窮。


735年、開元二十三年の作と考証されているが、詩の雰囲気がその頃のものと違うと思うので、外していた。何となく、朝廷を追われて以降、第二次放浪記の雰囲気の詩のように感じるのだ。

贈王大勧入高鳳石門山幽居 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 200

贈王大勧入高鳳石門山幽居 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 200


彼は梁園を中心に数年、北方にまた西方に遍歴を続けていたが、鄭中(河南省臨彰県)では、親友の王大に詩を贈って、現在の不遇の心境を述べ、それでもなお世を救済する策を献じたいと、往年の気力を見せている。「贈王大勧入高鳳石門山幽居」(鄭中にて王大勧八、高風の石門山に幽居するに贈る)がそれである。
「王大」については、詩中から察して親しい交際をしている人であろう。まず、現在の飄蓬の境遇を詠う。


贈王大勧入高鳳石門山幽居


一身竟無託、遠興孤蓬征。

人間ひとつの身になり、とうとう落ち着くところがなくなってしまった。現在は孤蓬のような身分で、風が吹くと舞い上がりどこへでも行くのである。
千里失所依、復將落葉幷。

千里四方探しても教理などなく失ってしまっている、今日もまた、落葉と同じような気持ちになっているのだ。
中途偶良朋、問我將何行。

そんな中であなたのようなよい朋に遭遇できたことはよかった。あなたはどこに遍歴の旅をするのかと聞かれ、教理のことを思ってくれた。
欲献濟時策、此心誰見明。

自分は時世を救う策を天子に献上したいと思っているのである。しかし、今の心境は複雑なものであり、だれにこの気持ちを明らかにしたらよいだろうかと思っていたところだった。
投躯寄天下、長嘯尋豪英。

天下にこの一身を寄せるという気持ちを持ち続け、、世俗など超越した「優れた人物を尋ね歩く」という詩をいつまでも詠い続けるのである。
恥学瑯琊人、龍蟠事躬耕。

今は、もう学ぶことを恥と思う『瑯琊の出身の諸葛孔明』ことを。龍ほどの能力を持っているものが、みずからで一から畑を耕すことから始めるということには躊躇するものである。

一身は竟に託するところ無く、遠く孤蓬とともに征く。

千里のかなた依る所を失い、復た落葉と(とも)になる。

中途に良き朋に偶い、我に問う将に何くに行かんとするやと。

時を済(すく)わんとする策を献ぜんと欲す、此の心誰にか明らかに見(しめ)さん。

躯を投げて天下に寄せ、長嘯して豪英を尋ねんとす。

恥ずらくは瑯の人を学び、竜のごと蟠り躬から耕すを事とするを。






贈王大勧入高鳳石門山幽居 現代語訳と訳註、解説

(本文)
一身竟無託、遠興孤蓬征。
千里失所依、復將落葉幷。
中途偶良朋、問我將何行。
欲献濟時策、此心誰見明。
投躯寄天下、長嘯尋豪英。
恥学瑯琊人、龍蟠事躬耕。



(下し文)
一身は竟に託するところ無く、遠く孤蓬とともに征く。
千里のかなた依る所を失い、復た落葉と幷(とも)になる。
中途に良き朋に偶い、我に問う将に何くに行かんとするやと。
時を済(すく)わんとする策を献ぜんと欲す、此の心誰にか明らかに見(しめ)さん。
躯を投げて天下に寄せ、長嘯して豪英を尋ねんとす。
恥ずらくは瑯琊の人を学び、竜のごと蟠り躬から耕すを事とするを。



(現代語訳)
人間ひとつの身になり、とうとう落ち着くところがなくなってしまった。現在は孤蓬のような身分で、風が吹くと舞い上がりどこへでも行くのである。
千里四方探しても教理などなく失ってしまっている、今日もまた、落葉と同じような気持ちになっているのだ。
そんな中であなたのようなよい朋に遭遇できたことはよかった。あなたはどこに遍歴の旅をするのかと聞かれ、教理のことを思ってくれた。
自分は時世を救う策を天子に献上したいと思っているのである。しかし、今の心境は複雑なものであり、だれにこの気持ちを明らかにしたらよいだろうかと思っていたところだった。
天下にこの一身を寄せるという気持ちを持ち続け、、世俗など超越した「優れた人物を尋ね歩く」という詩をいつまでも詠い続けるのである。
今は、もう学ぶことを恥と思う『瑯琊の出身の諸葛孔明』ことを。龍ほどの能力を持っているものが、みずからで一から畑を耕すことから始めるということには躊躇するものである。




(訳註)
一身竟無託、遠興孤蓬征。
人間ひとつの身になり、とうとう落ち着くところがなくなってしまった。現在は孤蓬のような身分で、風が吹くと舞い上がりどこへでも行くのである。
○託 まかせる。たよる。定着する。落ち着く


千里失所依、復將落葉幷。
千里四方探しても教理などなく失ってしまっている、今日もまた、落葉と同じような気持ちになっているのだ。
○所依 しょえ 仏語。教理などのよりどころ。


中途偶良朋、問我將何行。
そんな中であなたのようなよい朋に遭遇できたことはよかった。あなたはどこに遍歴の旅をするのかと聞かれ、教理のことを思ってくれた。


欲献濟時策、此心誰見明。
自分は時世を救う策を天子に献上したいと思っているのである。しかし、今の心境は複雑なものであり、だれにこの気持ちを明らかにしたらよいだろうかと思っていたところだった。


投躯寄天下、長嘯尋豪英。
天下にこの一身を寄せるという気持ちを持ち続け、、世俗など超越した「優れた人物を尋ね歩く」という詩をいつまでも詠い続けるのである。
○長嘯 詩を長く吟ずる「尋豪英」という詩を詠いながら。


恥学瑯琊人、龍蟠事躬耕。
今は、もう学ぶことを恥と思う『瑯琊の出身の諸葛孔明』ことを。龍ほどの能力を持っているものが、みずからで一から畑を耕すことから始めるということには躊躇するものである。
○躬耕 天子が畑を耕す礼式のこと。この場合、能力のあるものが、一から畑を耕すことから始めるという意味である。


(解説)
孤独で頼る人もない寂しい境遇に置かれていることを訴えている。長安の都に入る第一次の遍歴中には、まったく見られぬ心境である。その寂しい中にきみとめぐり会った。
一時挫折した気持ちも、友人に会って再び勇気が出て、政治の舞台に躍り出ようという。ところで、今は天下太平、腕の振るいどころもなく、「憂いに沈み乱れて縦横たり、飄飄として意を得ず」である。しかし、今自分の望むところは、
ここでも世に出たい希望が、まだ胸中に去来している。とはいえ、寄るべなき放浪の身の孤独の寂しさは、隠すべくもなく、王大の友情を頼りにする思いであった。
このときの李白の心境は、おそらく孤独の寂しさに堪えつつ、なお将来、いつかは再び政治の場に浮かび上がる夢を抱いていたにちがいない。
 今の王朝では、家臣のものが天子に世間のことを伝えていない。だから、どんなに一からやり直したとしてもそのことで、「三顧の礼」で迎えられることにはならないのである。
 地方官であっても、多くの知識人に自分を認めてくれる人を多くしたいのだ云っている。



淮陰書懷寄王宗成 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-199

淮陰書懷寄王宗成 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-199

李白詩350 350首を1日1首

沙墩至梁苑。 二十五長亭。
山東の沙墩(さとん)から河南の梁園まで、二十五の亭が一定の長さで位置している。
大舶夾雙櫓。 中流鵝鸛鳴。
大船に双(ふた)つ櫓を挟みのように並べていろ、流水の中ほどで、鵝鳥や鸛(こうのとり)が鳴いている
云天掃空碧。 川岳涵余清。
大空は青く澄みわたっていて高いところに箒雲がたなびく、河水に映る山岳は清らかな水面に浸され似合っている。
飛鳧從西來。 適與佳興并。』

そのとき鴨が  秋の風に乗って西から飛んできたのだ、この風景に適してよい景色に加わったのでいっそうの風流な趣を添える
眷言王喬舄。 婉孌故人情。
振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがある、美しい友情、思いやりのものがたりである。
復此親懿會。 而增交道榮。
再びお会いする機会を作っていただき、親しみ深い宴会を行ってくださり、よりいっそうの交際の筋道を正しくし、また栄えるものしたいと思っている。
沿洄且不定。 飄忽悵徂征。
仕えるところがなく誰かに添うてみたり遡って見たり、いまは定まっていないので会う。いったり戻ったり、飄蓬の暮らしをしておることが悔やまれるのであります。
暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。』
日暮れに淮陰に着き、宿をとることができました。幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれたのです

斗酒烹黃雞。 一餐感素誠。
充分な酒に黄鶏を煮込んだ料理、この食事は心のそこから温まるもてなしであり感激いたしております。
予為楚壯士。 不是魯諸生。
私は楚の雄壮な武士であります、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではないのです。
有德必報之。 千金恥為輕。
恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致します、千金のお金のために恩を忘れたり、軽挙妄動などを一番恥ずべきことと心得ております。
緬書羈孤意。 遠寄棹歌聲。』

このように書面にひとり孤独な旅の思いを書きとめており、船頭の舟歌に託してここに お届けする次第であります。



沙墩至梁苑。 二十五長亭。
大舶夾雙櫓。 中流鵝鸛鳴。
云天掃空碧。 川岳涵余清。
飛鳧從西來。 適與佳興并。』

眷言王喬舄。 婉孌故人情。
復此親懿會。 而增交道榮。
沿洄且不定。 飄忽悵徂征。
暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。』

斗酒烹黃雞。 一餐感素誠。
予為楚壯士。 不是魯諸生。
有德必報之。 千金恥為輕。
緬書羈孤意。 遠寄棹歌聲。』


沙墩(さとん)より梁苑(りょうえん)に至る、二十五の長亭(ちょうてい)
大舶(たいはく)  双櫓(そうろ)を夾(さしはさ)み、中流に鵝鸛(がかん)鳴く
雲天(うんてん)  掃いて空碧(くうへき)、川岳(せんがく)  涵(ひた)して余清(よせい)
飛鳧(ひふ)  西より来たり、適(たまた)ま佳興(かきょう)と并(あわ)す

眷(かえりみ)て言う 王喬(おうきょう)の舃(せき)なりと、婉孌(えんれん)たり 故人(こじん)の情
此の親懿(しんい)の会を復(ふたた)びし、而(しこう)して交道(こうどう)の栄(えい)を増す
沿洄(えんかい)  且(か)つ定まらず、飄忽(ひょうこつ)として阻征(そせい)を悵(いた)む
暝(くれ)に淮陰(わいいん)に投じて宿(やど)る、欣(よろこ)び得たり  漂母(ひょうぼ)の迎え

斗酒(としゅ) 黄鶏(こうけい)を烹(に)、一餐(いっさん)  素誠(そせい)を感ず
予(よ)は楚(そ)の壮士(そうし)たり、是(こ)れ魯(ろ)の諸生(しょせい)ならず
徳有れば必ず之(これ)に報(むく)い、千金も恥じて軽(かる)しと為(な)す
緬書(めんしょ)す  羇孤(きこ)の意(い)、遠寄(えんき)す   棹歌(とうか)の声


山東の沙墩(さとん)から河南の梁園まで、二十五の亭が一定の長さで位置している。
大船に双(ふた)つ櫓を挟みのように並べていろ、流水の中ほどで、鵝鳥や鸛(こうのとり)が鳴いている
大空は青く澄みわたっていて高いところに箒雲がたなびく、河水に映る山岳は清らかな水面に浸され似合っている。
そのとき鴨が  秋の風に乗って西から飛んできたのだ、この風景に適してよい景色に加わったのでいっそうの風流な趣を添える

振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがある、美しい友情、思いやりのものがたりである。
再びお会いする機会を作っていただき、親しみ深い宴会を行ってくださり、よりいっそうの交際の筋道を正しくし、また栄えるものしたいと思っている。
仕えるところがなく誰かに添うてみたり遡って見たり、いまは定まっていないので会う。いったり戻ったり、飄蓬の暮らしをしておることが悔やまれるのであります。
日暮れに淮陰に着き、宿をとることができました。幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれたのです


充分な酒に黄鶏を煮込んだ料理、この食事は心のそこから温まるもてなしであり感激いたしております。
私は楚の雄壮な武士であります、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではないのです。
恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致します、千金のお金のために恩を忘れたり、軽挙妄動などを一番恥ずべきことと心得ております。
このように書面にひとり孤独な旅の思いを書きとめており、船頭の舟歌に託してここに お届けする次第であります。




(本文)
沙墩至梁苑。 二十五長亭。
大舶夾雙櫓。 中流鵝鸛鳴。
云天掃空碧。 川岳涵余清。
飛鳧從西來。 適與佳興并。』


(下し文)
沙墩(さとん)より梁苑(りょうえん)に至る、二十五の長亭(ちょうてい)
大舶(たいはく)  双櫓(そうろ)を夾(さしはさ)み、中流に鵝鸛(がかん)鳴く
雲天(うんてん)  掃いて空碧(くうへき)、川岳(せんがく)  涵(ひた)して余清(よせい)
飛鳧(ひふ)  西より来たり、適(たまた)ま佳興(かきょう)と并(あわ)す


(現代語訳)
山東の沙墩(さとん)から河南の梁園まで、二十五の亭が一定の長さで位置している。
大船に双(ふた)つ櫓を挟みのように並べていろ、流水の中ほどで、鵝鳥や鸛(こうのとり)が鳴いている
大空は青く澄みわたっていて高いところに箒雲がたなびく、河水に映る山岳は清らかな水面に浸され似合っている。
そのとき鴨が  秋の風に乗って西から飛んできたのだ、この風景に適してよい景色に加わったのでいっそうの風流な趣を添える



(訳と注)
沙墩至梁苑。 二十五長亭。
山東の沙墩(さとん)から河南の梁園まで、二十五の亭が一定の長さで位置している。
沙墩 山東省臨沂市に位置する県。沭河(じゅつが)が北から南へ流れている。○「梁園」は、梁苑・菟(兎)園ともいう。前漢の文帝の子、景帝の弟、梁孝王劉武が築いた庭園。現在の河南省商丘市東南5kmに在った。駅は宿場である。t30kmごとにあり、亭は凡そ5kmごとにおかれて、茶屋というもので、建物は四阿、あずまやである。



大舶夾雙櫓。 中流鵝鸛鳴。
大船に双(ふた)つ櫓を挟みのように並べていろ、流水の中ほどで、鵝鳥や鸛(こうのとり)が鳴いている
雙櫓 櫓を2本並べている。○鵝鸛 鵝鳥や鸛(こうのとり)



云天掃空碧。 川岳涵余清。
大空は青く澄みわたっていて高いところに箒雲がたなびく、河水に映る山岳は清らかな水面に浸され似合っている。
空碧 李白はこの碧をよく使う。この碧の空が東海の仙界に連なっているということを含んでいる。 



飛鳧從西來。 適與佳興并。』
そのとき鴨が、秋の風に乗って西から飛んできたのだ、この風景に適してよい景色に加わったのでいっそうの風流な趣を添えている
 鴨。○西 五行思想で、秋を示す。色は霜、白。ちなみに東は春風。綠、青。




(本文)
眷言王喬舄。 婉孌故人情。
復此親懿會。 而增交道榮。
沿洄且不定。 飄忽悵徂征。
暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。』

(下し文)
眷(かえりみ)て言う 王喬(おうきょう)の舃(せき)なりと、婉孌(えんれん)たり 故人(こじん)の情
此の親懿(しんい)の会を復(ふたた)びし、而(しこう)して交道(こうどう)の栄(えい)を増す
沿洄(えんかい)  且(か)つ定まらず、飄忽(ひょうこつ)として阻征(そせい)を悵(いた)む
暝(くれ)に淮陰(わいいん)に投じて宿(やど)る、欣(よろこ)び得たり  漂母(ひょうぼ)の迎え


(現代語訳)
振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがある、美しい友情、思いやりのものがたりである。
再びお会いする機会を作っていただき、親しみ深い宴会を行ってくださり、よりいっそうの交際の筋道を正しくし、また栄えるものしたいと思っている。
仕えるところがなく誰かに添うてみたり遡って見たり、いまは定まっていないので会う。いったり戻ったり、飄蓬の暮らしをしておることが悔やまれるのであります。
日暮れに淮陰に着き、宿をとることができました。幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれたのです


眷言王喬舄。 婉孌故人情。
振り返ってみれば、故事に「王喬の舄(くつ)」というのがある、美しい友情、思いやりのものがたりである。
眷言 ふりかえって云う。○王喬舄 底を二重にした冠位の履。王喬は所管の役人だったころ、九族の集う時節ということで王家に集まったが、その時期にはずれ、禁令にも違反しているとして、上奏され、不遇であった。いとこの王基は毋丘倹を平定したあと、安楽郷侯の爵位を賜り、王喬の教育してくれた。この王基の徳にむくいたいと精進した。のち、王喬は関内侯の爵位を賜った。 王喬のいとこ王基に教育され、その上で冠位の靴を貰ったことに由来する。○婉孌 えんれん 年若く美しい。したう、 すなお、 みめよい。○故人情 友情。



復此親懿會。 而增交道榮。
再びお会いする機会を作っていただき、親しみ深い宴会を行ってくださり、よりいっそうの交際の筋道を正しくし、また栄えるものしたいと思っている。
懿親 親しい親戚。うるわしい、ふかい。○交道 交際していく上での筋道。李白「古風五十九首」其五十九



沿洄且不定。 飄忽悵徂征。
仕えるところがなく誰かに添うてみたり遡って見たり、いまは定まっていないので会う。いったり戻ったり、飄蓬の暮らしをしておることが悔やまれるのであります。
○飄 飄蓬。○徂征 行ったり戻ったり。



暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。』
日暮れに淮陰に着き、宿をとることができました。幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれたのです
漂母 史記、韓信の故事。淮陰にいたころ貧乏だった。人の家に居候ばかりして、嫌われていた。ある日、綿晒しに来たおばあさんが、釣りをしていた韓信を植えている様子を見て、食事をとらせた。綿晒しが終わるまで、数十日食事をさせてくれた。漂は綿をさらすこと。李白「宿五松山下荀媼家」、





(本文)
斗酒烹黃雞。 一餐感素誠。
予為楚壯士。 不是魯諸生。
有德必報之。 千金恥為輕。
緬書羈孤意。 遠寄棹歌聲。』


(下し文)
斗酒(としゅ)    黄鶏(こうけい)を烹(に)、一餐(いっさん)  素誠(そせい)を感ず
予(よ)は楚(そ)の壮士(そうし)たり、是(こ)れ魯(ろ)の諸生(しょせい)ならず
徳有れば必ず之(これ)に報(むく)い、千金も恥じて軽(かる)しと為(な)す
緬書(めんしょ)す  羇孤(きこ)の意(い)、遠寄(えんき)す   棹歌(とうか)の声


(現代語訳)
充分な酒に黄鶏を煮込んだ料理、この食事は心のそこから温まるもてなしであり感激いたしております。
私は楚の雄壮な武士であります、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではないのです。
恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致します、千金のお金のために恩を忘れたり、軽挙妄動などを一番恥ずべきことと心得ております。
このように書面にひとり孤独な旅の思いを書きとめており、船頭の舟歌に託してここに お届けする次第であります。



斗酒烹黃雞。 一餐感素誠。
充分な酒に黄鶏を煮込んだ料理、この食事は心のそこから温まるもてなしであり感激いたしております。



予為楚壯士。 不是魯諸生。
私は楚の雄壮な武士であります、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではないのです。
○楚壯士 楚の国は勇壮な武士をたくさん出している。○魯諸生 山東省魯の孔子の里。李白は儒教を評価していない



有德必報之。 千金恥為輕。
恩徳を受けたならばかならずこれに報いることは致します、千金のお金のために恩を忘れたり、軽挙妄動などを一番恥ずべきことと心得ております。



緬書羈孤意。 遠寄棹歌聲。』
このように書面にひとり孤独な旅の思いを書きとめており、船頭の舟歌に託してここに お届けする次第であります。

(解説)

詩題から、李白は宋城から淮陰(江蘇省淮陰県)に行って、そこから王県令にお礼の詩を送ったものだ。このことから、李白は運河を利用して江南に向かったとわかる。
 長安を去ったあと宋州で遊び、東魯、幽州に行ったかと思うと今度は江南へ下ろうとする、そうした自分の行動を「飄忽」(軽くあわただしい)と言って反省しているようだ。そして淮陰の韓信の故事「漂母」を持ち出して、地元の人々から斗酒と黄鶏の煮物で歓待を受けた。
 都で天子のもとに仕えた人物、地方の人々からすると雲の上のことなのである。


古風五十九首 其四十 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白198

古風五十九首 其四十 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白198


古風 其四十 李白
鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとして、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
幸遇王子晉、結交青雲端。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交をあたためたるのだ
懐恩未得報、感別室長歎。

受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。



古風 其の四十

鳳は飢うるも 粟を啄(つい)ばまず、食う所は 唯だ琅(ろうかん)

焉んぞ能く 群発と与(とも)に、刺蹙(せきしゅく)して 一餐(いっさん)を争わん。

朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱(しちゅう)の瑞に飲む。

帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。

幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ばん。

恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆す。






古風 五十九首 其四十 訳註と解説
(本文)
鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
幸遇王子晉、結交青雲端。
懐恩未得報、感別空長歎。

  

(下し文)
鳳は飢うるも 粟を啄(つい)ばまず、食う所は 唯だ琅玕(ろうかん)。
焉んぞ能く 群発と与(とも)に、刺蹙(せきしゅく)して 一餐(いっさん)を争わん。
朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱(しちゅう)の瑞に飲む。
帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。
幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ばん。
恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆す。

  

(現代語訳)
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとして、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交をあたためたるのだ
受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。


(語訳と訳註)

鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
鳳凰ほうおう。姫を鳳、雌を凰といい、想像上の動物。聖人が天子の位にあれば、それに応じて現われるという瑞鳥である。形は、前は臍、後は鹿、くびは蛇、尾は魚、もようは竜、背は亀、あごは燕、くちばしは鶏に似、羽の色は五色、声は五音に中る。椅桐に宿り、竹の実を食い、酵泉の水を飲む、といわれる。李白自身を指す。○ 穀物の総称。賄賂が平然となされていたことを示す。○琅玕 玉に似た一種の石の名。「山海経」には「崑崙山に琅玕の樹あり」とある。鳳がそれを食うといわれる。天子から受ける正当な俸禄。



焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとしても、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
羣鶏 宮廷の官吏、宦官、宮女をさす。○刺蹙こせこせ。



朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
崑邱樹 崑崙山の絶頂にそびえる木。「山海経」に「西海の南、流沙の浜、赤水の後、黒水の前、大山あり、名を足寄の邸という」とある。朝の朝礼、天子にあいさつする。○砥柱濡 湖は早瀬。砥柱は底柱とも書き、黄河の流れの中に柱のように突立っている山の名。翰林院での古書を紐解き勉学する。○朝鳴二句「港南子」に「鳳凰、合って万仰の上に逝き、四海の外に翔翔し、崑崙の疏国を過ぎ、砥柱の浦瀬に飲む」とあるのにもとづく。



歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
海路遠 仙境は海上はるか先の島ということ。李白の住まいは相応のもの以下だったのかもしれない。



幸遇王子晉、結交青雲端。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交をあたためたるのだ
王子晉むかしの仙人。周の霊王の王子で、名は晋。笙を吹いて鳳の鳴きまねをするのが好きで、道士の浮邱という者といっしょに伊洛(いまの河南省)のあたりに遊んでいたが、ついには白鶴に乗って登仙したといわれる。「列仙伝」に見える。○青雲 青雲の志、立身出世。
 

懐恩未得報、感別空長歎。
受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。

 

(解説)
李白は朝廷に入っていたこと、その生活を後になって、いろんな形で表現している。放浪生活の中で、招かれたところで披露する詩であったものであろう。
 朝廷にいるときにはたとえ朝廷を仙境と比喩してもこういった詩は詠うことはできない。梁園、北方、鄴中と漂泊轉蓬の中で招かれたところで詠うと効果は大きかったと思う。


題江夏修静寺 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白197

題江夏修静寺 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白197


 李邕は盛唐の詩人としても注目すべき一人であるが、杜甫や李白と交際のあった点が特に注意を要する。彼は揚州の人であり、高宗の顕慶中に仕官してより硬骨の名を悉(ほしいま)まにし、そのため度々左遷され、多く地方官に任じた。義を重んじ、士を愛したため、その入京するや、士人は街路に聚って眺め、すずなりになったといふ。開元の終りに北海(山東省益都)の太守となったが、この時杜甫を招いてこれと詩を語ったことは、杜甫の「八哀詩」その他に見えている。

  陪李北海宴歴下亭  杜甫 20 
   同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫 21
 「贈秘書監江夏の李公邕」八哀詩(5)四十二韻


 ここに至って文人を嫌う李林甫の憎しみを受け、受賄の罪に問はれて殺されたのである。朝廷側の記録では、彼はもともと細行を顧みいたちで至る所で賄賂を受け、遊猟をこととし、またその詩文によって得た金も数万に上ったとされている。杜甫の詩、特に八哀詩(5)四十二韻から見ると儒学者であったことから、李林甫への協力を完全に拒否したことにより、逆鱗に触れ、追い詰められたが、全くその姿勢を変えなかった、ということであろう。
李林甫や歴代の宰相に憎まれたのは主として、その士人に於ける人望に対する嫉妬であった (「旧唐書」190中「唐書」202)。李白もこの李邕と関係があり、既に 紀頌之の漢詩 李白188に「李邕ニ上ル」の詩があり、また「江夏ノ修静寺ニ題ス」といふ詩は後に江夏(武昌)の李邕の旧居に至っての作である。

題江夏修静寺(此寺是李北海旧宅)
我家北海宅 作寺南江濱
私が師と仰いだ李北海の旧宅がある、今、修静寺となっており、南に大河に面しており川洲のほとりにある。
空庭無玉樹 高殿坐幽人
庭園は空地にされ、立派な植木もなくなっている、座敷だったところで、隠遁者、修行者が座っている。
書帯留青草 琴堂冪素塵
日陰草が青々と生えている、琴を楽しんだ座敷は埃に覆われている。
平生種桃李 寂滅不成春

当時は、桃の木やナシの木が植えられ花が咲き誇ったように弟子たちも集まっていたものだが、寂寂としてすべて消え去って今は春なのに春の様相が全くないほど、弟子も出世したものがないのである。


我が家の北海の宅、寺となる南江の浜(ほとり)。
室庭 玉樹なく、高殿 幽人を坐せしむ。
書帯 青草を留め 、琴堂 素塵に冪(おほ)はる。
平生(へいぜい) 桃李を種えしが、寂滅して春をなさず。
 



題江夏修静寺(此寺是李北海旧宅) 訳註と解説

(本文)
我家北海宅 作寺南江濱
空庭無玉樹 高殿坐幽人
書帯留青草 琴堂冪素塵
平生種桃李 寂滅不成春

(下し文)
我が家の北海の宅、寺となる南江の浜(ほとり)。
室庭 玉樹なく、高殿 幽人を坐せしむ。
書帯 青草を留め 、琴堂 素塵に冪(おほ)はる。
平生(へいぜい) 桃李を種えしが、寂滅して春をなさず。 


私が師と仰いだ李北海の旧宅がある、今、修静寺となっており、南に大河に面しており川洲のほとりにある。
庭園は空地にされ、立派な植木もなくなっている、座敷だったところで、隠遁者、修行者が座っている。
日陰草が青々と生えている、琴を楽しんだ座敷は埃に覆われている。
当時は、桃の木やナシの木が植えられ花が咲き誇ったように弟子たちも集まっていたものだが、寂寂としてすべて消え去って今は春なのに春の様相が全くないほど、弟子も出世したものがないのである。




(語訳と注)


我家北海宅 作寺南江濱
私が師と仰いだ李北海の旧宅がある、今、修静寺となっており、南に大河に面しており川洲のほとりにある。
我家 私が師と仰いだ李北海。



空庭無玉樹 高殿坐幽人
庭園は空地にされ、立派な植木もなくなっている、座敷だったところで、隠遁者、修行者が座っている。
高殿 母屋の座敷。○幽人 世を避けている人。隠遁者、修行者。



書帯留青草 琴堂冪素塵
日陰草が青々と生えている、琴を楽しんだ座敷は埃に覆われている。
書帯 草の名。書帯草【山野草】ショタイソウ日陰で葉を長く伸ばして垂れ下がらせる.○青草 役人。官吏が着る上着。青々としたさま。 ○琴堂 琴を楽しんだ座敷。 ○(おお)はる。おおう、かぶせる(べき)



平生種桃李 寂滅不成春
当時は、桃の木やナシの木が植えられ花が咲き誇ったように弟子たちも集まっていたものだが、寂寂としてすべて消え去って今は春なのに春の様相が全くないほど、弟子も出世したものがないのである。
平生 当時。通常。最盛期。 ○桃李 どちらも希望を持つ花とし、書生、弟子、ういういしい芸妓などを指す。○寂滅 寂しくて何もないさま。弟子たちを沢山とりたてたが誰ひとり出世したものはないこと。


 李邕とその関係者は李林甫により徹底的に排除、粛清されたのだ
 朝廷は天宝年代になると、李林甫が牛耳った。やがて彼が752天宝十一載に死するや、楊貴妃の族兄揚国忠がこれに代って益々私党を樹て政権を壟断(ろうだん)したのである。この二人の共通点はがいづれも無学で猜疑心の強い、小人であったことだ。


 賞は論功のないものに与へられ、官には無能者が任ぜられた。746天宝五載、李林甫、陳希烈の二宰相傍に置いたのである。李林甫の無学で、猜疑心の小人なることは前述の如くであるが、陳希烈も安禄山の軍が長安に入城すると同時に降参し、宰相に任ぜられた無節操の徒であった。また玄宗は、また七載には宦官の高力士に驃騎大将軍の官を与へ、九載には安禄山を東平郡王に封じている。いづれも未曾有の待遇であるが、中でも蛮族の出身であり、戦功もない武将を皇族待遇としたことなど前代未聞のことであり、勢力の均衡を意図したものであったが逆に王朝の権威を失墜させることになってしまう。

 もう一つの重要な点は、長安に人口が集中し、食物の需給のバランスが取れなくなり、江南地方の穀物を運河によって供給されることに頼り切ったことである。つまり、運河を断たれたら長安は兵糧攻めに弱い都になってしまっていたのだ。現在の日本の食料自給率が40%程度だといわれているが、ある日突然、外国から食料が輸入できなくなったらどうするか、ということであり、安禄山が反乱を起こす前の数年間、食料倉庫の火災、日照り続き、755年は秋に60日間降り続いた長雨のため、穀物単価が数十倍になった。そこで、備蓄穀物を配給制で供給して、王朝の穀物倉庫に在庫がなくなっていた。


 ここで取り上げた詩は李邕の李林甫による弾圧のため死に追いやられ、弟子たちも粛清されたことを詠ったものであるが、詩の背景には、これらのことがあったのだ。

北風行 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白196

北風行 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白196
雑言古詩



北風行
燭龍棲塞門、光耀猶旦開。
ともし火をくわえた竜が、北極の寒門山にすんでいる。とぼしい光があり、そしてやがて、朝日がのぼってくるだろう。
日月照之何不及此、唯有北風號怒天上來。
太陽やかがやく月光は、どうしてそこへとどかないのか。ただ北風が吹き怒り叫び、天上から吹いてくるだけなのだ。
燕山雪花大如席、片片吹落軒轅臺。
北方にある燕山の雪の花は、むしろのように大きく、花びらがひらりひらりと吹きとんだ、太古の皇帝の軒轅台の上に落ちる。
幽州思婦十二月、停歌罷笑雙蛾摧。
幽州の女は、真冬の十二月となれば、いくさのことでもの思いにしずむようになる。あれだけはなやかにしていたのに歌もうたわず、笑いもわすれ、うつくしい両の眉もだめになるのである。
倚門望行人、念君長城苦寒良可哀。
城郭の門にもたれかかり、出征した夫の方をながめている。「あなたの身のうえ、万里の長城を守る苦しさ寒さをおもうと、ほんとに気のどくでたまらない」、というのだ。
別時提剣救邊去、遺此虎文金靫鞞。
出征の別れ送ったとき、剣をささげ、国境の救援に行ったのだ。ここに残るのは、形見の虎の模様の金の失をいれる袋だけなのだ。
中有一雙白羽箭、蜘蛛結網生塵埃。
袋の中に一そろいの白い羽根の矢が入っている。だが、長い時が絶ち、蜘蛛の糸で巣をはっており、ほこりがたまっているのだ。
箭空在、人今戦死不復囘。
矢だけが、むなしく、のこる・・・・・・。ところが人は戦死して、二度とかえらないということだ。
不忍見此物、焚之己成灰。
この袋の遺品を見るに堪えられない、とうとう焼いて灰にしてしまった。
黄河捧土尚可塞、北風雨雪恨難裁。

よく氾濫する黄河の水でも、両手で土を運ぶようなわずかな事の積重ねでも、いつかは塞ぐことができるものなのだ。「北風」というのは雨を雪にしてふき積もるし、ずっとこもっている恨みはいつまでも断ちきれるものではないのだ。


北風の行
燭竜 寒門に棲み、光耀 猶お旦に開く。
日月之を照らすも何ぞ此に及ぼざる、唯だ北風の号怒して天上より来る有り。
燕山の雪花 大なること席の如し、片片吹き落つ 軒轅台。
幽州の思婦 十二月、歌を停め笑いを罷めて 双蛾摧く。
門に倚って 行人を望む、君が長城の苦寒を念えば 良に哀しむ可し。
別るる時 剣を提げ 辺を救うて去り、此の虎文の金靫鞞を遺す。
中に一双の白羽箭有り、蜘味は網を結んで 塵埃を生ず。
箭は空しく在り、人は今戦死して 復た回らず。
此の物を見るに忍びず、之を焚いて 己に灰と成る。
黄河土を捧げて 尚お塞ぐ可し、北風雪を雨らし 恨み裁ち難し。


北風行 訳註と解説

(本文)
北風行
燭龍棲塞門、光耀猶旦開。
日月照之何不及此、唯有北風號怒天上來。
燕山雪花大如席、片片吹落軒轅臺。
幽州思婦十二月、停歌罷笑雙蛾摧。
倚門望行人、念君長城苦寒良可哀。
別時提剣救邊去、遺此虎文金靫鞞。
中有一雙白羽箭、蜘蛛結網生塵埃。
箭空在、人今戦死不復囘。
不忍見此物、焚之己成灰。
黄河捧土尚可塞、北風雨雪恨難裁。

(下し文)
燭竜 寒門に棲み、光耀 猶お旦に開く。
日月之を照らすも何ぞ此に及ぼざる、唯だ北風の号怒して天上より来る有り。
燕山の雪花 大なること席の如し、片片吹き落つ 軒轅台。
幽州の思婦 十二月、歌を停め笑いを罷めて 双蛾摧く。
門に倚って 行人を望む、君が長城の苦寒を念えば 良に哀しむ可し。
別るる時 剣を提げ 辺を救うて去り、此の虎文の金靫鞞を遺す。
中に一双の白羽箭有り、蜘味は網を結んで 塵埃を生ず。
箭は空しく在り、人は今戦死して 復た回らず。
此の物を見るに忍びず、之を焚いて 己に灰と成る。
黄河土を捧げて 尚お塞ぐ可し、北風雪を雨らし 恨み裁ち難し。

(現代語訳)
ともし火をくわえた竜が、北極の寒門山にすんでいる。とぼしい光があり、そしてやがて、朝日がのぼってくるだろう。
太陽やかがやく月光は、どうしてそこへとどかないのか。ただ北風が吹き怒り叫び、天上から吹いてくるだけなのだ。
北方にある燕山の雪の花は、むしろのように大きく、花びらがひらりひらりと吹きとんだ、太古の皇帝の軒轅台の上に落ちる。
幽州の女は、真冬の十二月となれば、いくさのことでもの思いにしずむようになる。あれだけはなやかにしていたのに歌もうたわず、笑いもわすれ、うつくしい両の眉もだめになるのである。
城郭の門にもたれかかり、出征した夫の方をながめている。「あなたの身のうえ、万里の長城を守る苦しさ寒さをおもうと、ほんとに気のどくでたまらない」、というのだ。
出征の別れ送ったとき、剣をささげ、国境の救援に行ったのだ。ここに残るのは、形見の虎の模様の金の失をいれる袋だけなのだ。
袋の中に一そろいの白い羽根の矢が入っている。だが、長い時が絶ち、蜘蛛の糸で巣をはっており、ほこりがたまっているのだ。
矢だけが、むなしく、のこる・・・・・・。ところが人は戦死して、二度とかえらないということだ。
この袋の遺品を見るに堪えられない、とうとう焼いて灰にしてしまった。
よく氾濫する黄河の水でも、両手で土を運ぶようなわずかな事の積重ねでも、いつかは塞ぐことができるものなのだ。「北風」というのは雨を雪にしてふき積もるし、ずっとこもっている恨みはいつまでも断ちきれるものではないのだ。


 

北風行 ・『詩経』の邶風(はいふう)に「北風」の詩がある。:乱暴な政治に悩む人、国を捨てて逃げようというの歌。 ・飽照の楽府に「代北風涼行」があり、北風が雪をふらし、行人の帰らないことを傷む。李白もそれにたらい、戦死して帰らぬ兵士の妻の気持をうたう。



燭龍棲塞門、光耀猶旦開。
ともし火をくわえた竜が、北極の寒門山にすんでいる。とぼしい光があり、そしてやがて、朝日がのぼってくるだろう。
燭竜 「准南子」に出てくる神竜。北極の山の、日の当らぬ所に住む。身長は千里の長さ、顔は人間の顔で、足がない。ロにともし火をくわえ、太陰(夜の国)を照らす。日をひらくと、その国は昼となり、目をとじると、その国は夜となる。息をはきだすと、その国は冬となり、大声を出すと、その国は夏となる。また、「楚辞」の「天間」に「日は安くにか到らざる、燭竜は何ぞ照せる」という句がある。○寒門 北極の山。○旦開 朝日が昇るさま。



日月照之何不及此、唯有北風號怒天上來。
太陽やかがやく月光は、どうしてそこへとどかないのか。ただ北風が吹き怒り叫び、天上から吹いてくるだけなのだ。

燕山雪花大如席、片片吹落軒轅臺。
北方にある燕山の雪の花は、むしろのように大きく、花びらがひらりひらりと吹きとんだ、太古の皇帝の軒轅台の上に落ちる。
燕山 山の名。いまの河北省玉田県の西北にある。燕山山脈(燕山、えんざんさんみゃく、Yanshan)は中華人民共和国北部にある山地。河北省の河北平原の北を囲むようにそびえる。名は、南に燕国があったことにちなむ。北京市の北部の軍都山から潮白河の峡谷を超えて山海関までを東西に走る。特に北京市西部の潮白河峡谷から山海関までの間(小燕山)が狭義の燕山であり、大房山、鳳凰山、霧霊山などの名山が点在する。北京北部の軍都山から潮白河峡谷までは大燕山とも呼ばれ、軍都山西端の拒馬河峡谷と居庸関の向こうは、河北平原の西を南北に走る太行山脈である。海抜は400mから1,000mで、最高峰の霧霊山(承徳市興隆県)は海抜2,116mに達する。南の華北と北の内モンゴルおよび遼西を隔てる燕山には多数の渓谷があり、これらは南北を結ぶ隘路として戦略上重要な役割を持っていた。主な道には古北口(潮河峡谷、北京市密雲県)、喜峰口(灤河峡谷、唐山市と承徳市の間)、冷口などがある。また万里の長城の東端は燕山の上を走る。○雪花 雪片を花のようにたとえていうことば。○ むしろ。たたみ。○片片 軽く飛ぶさま。○軒轅臺 中国上古の皇帝と伝えられる黄帝は、軒轅の丘に住み、軒轅氏と称した。その黄帝の登ったという軒轅台の遺跡は、いまの河北省凍涿鹿県附近にあるといわれる。



幽州思婦十二月、停歌罷笑雙蛾摧。
幽州の女は、真冬の十二月となれば、いくさのことでもの思いにしずむようになる。あれだけはなやかにしていたのに歌もうたわず、笑いもわすれ、うつくしい両の眉もだめになるのである。
幽州 唐代の幽州は、鞄陽郡ともいい、いまの河北省のあたりにあった。○思婦 思いにしずむ女。○十二月 スバルの星が輝く12月異民族は南下して攻撃してくる。○双蛾 美人の両の眉。



倚門望行人、念君長城苦寒良可哀。
城郭の門にもたれかかり、出征した夫の方をながめている。「あなたの身のうえ、万里の長城を守る苦しさ寒さをおもうと、ほんとに気のどくでたまらない」、というのだ。
○行人 ここでは、出征した夫。○長城 万里の長城。



別時提剣救邊去、遺此虎文金靫鞞。
出征の別れ送ったとき、剣をささげ、国境の救援に行ったのだ。ここに残るのは、形見の虎の模様の金の失をいれる袋だけなのだ。
○辺 国境。○虎文 虎のもよう。○靫鞞 矢をいれる袋。やなぐい。



中有一雙白羽箭、蜘蛛結網生塵埃。
袋の中に一そろいの白い羽根の矢が入っている。だが、長い時が絶ち、蜘蛛の糸で巣をはっており、ほこりがたまっているのだ。



箭空在、人今戦死不復囘。
矢だけが、むなしく、のこる・・・・・・。ところが人は戦死して、二度とかえらないということなのだ。



不忍見此物、焚之己成灰。
この袋の遺品を見るに堪えられない、とうとう焼いて灰にしてしまった。


黄河捧土尚可塞、北風雨雪恨難裁。
よく氾濫する黄河の水でも、両手で土を運ぶようなわずかな事の積重ねでも、いつかは塞ぐことができるものなのだ。「北風」というのは雨を雪にしてふき積もるし、ずっとこもっている恨みはいつまでも断ちきれるものではないのだ。
黄河捧土 「後漢書」の朱浮伝に、「これはちょうど黄河のほとりの人人が、土を捧げて轟津を塞ぐようなものだ。」とある。



(解説)
 冬になると北方異民族からの攻撃が始まり、寒い冬の闘に備えた。しかし、出征した兵士の多くは帰らないのである。唐王朝は幽州の守りを安禄山に任せきりになっていた。統治能力の全くないものが、唐の国内に充満し、堆積していたフラストレーションを時流に乗っただけのものであった。
西方の戦いでも局地戦で大敗し、南方の雲南でも局地戦を大敗するというもので、安禄山だけが無傷であった。

古風 其三十四 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白195 /350

古風 其三十四 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白195 /350

北の幽州で安禄山が驕り高ぶって、野蛮な異民族と同じようになり、おかしくなった状況になってきた。一方、中央の朝廷内でも李林甫の死後、権力をえて、楊国忠が驕った政治を行い、南方での全く無駄な血を流してしまった。


古風 其の三十四

其三十四
羽檄如流星。 虎符合專城。
至急を示す鳥の羽をつけた召集令状が流星のように出されている。虎の絵の割符が各地の将軍の手もとで合わされるのだ。
喧呼救邊急。 群鳥皆夜鳴。
国境の危急を救うのだと、やかましくわめき立てている。ねぐらに休んでいた鳥たちまで、みんな、夜中に鳴きだした。
白日曜紫微。 三公運權衡。
真昼の太陽のような天子が、紫微の御座所にかがやいておられる、りっぱな三公の大臣がよい政治をしているのだ。
天地皆得一。 澹然四海清。
天地というものは万物が一から成り立ち支え合い溶け合っていくものであるという「道」なのである、天下はおだやかに四方の果ての海原、そのはてまで澄みわたっているのだ。
借問此何為。 答言楚征兵。
問いかけてみた、「こんなにあわただしいのはどうしたのか」と、答えてくれた、「楚の地方で兵隊を招集しているのだ。」と。
渡瀘及五月。 將赴云南征。』

濾水を渡るのを五月にしている、熱帯の雲南を征伐に赴こうというのだ。』
怯卒非戰士。 炎方難遠行。
臆病な兵卒は戦いの役にたつ勇士とはこのようなものではない、炎のように熱い南方への遠い行軍はむつかしいのである。
長號別嚴親。 日月慘光晶。
泣きわめき怒号のような叫びは、尊い両親にたいしての別れなのだ、そのために日も月も光輝きを失ってしまうばかりなのだ。
泣盡繼以血。 心摧兩無聲。
泣いて涙がつきはて、血が出るまで泣いたのだ、心までくだけてしまい、親も子も声が出なくなった。
困獸當猛虎。 窮魚餌奔鯨。
くたびれはてた獣が猛虎に出あったようなものであり、おいつめられた魚がものすごい勢いの鯨の餌じきになるようなものになっているのだ。
千去不一回。 投軀豈全生。
千という兵士が出征して一回もかえってこないのだ、身を投じたが最後、命はないものと思えばよいというのか。
如何舞干戚。 一使有苗平。』
ああ、なんとかして、タテとマサカリの舞いを舞うことができないものか、むかしの聖天子の舜が有苗族を服従させたように、一度で辺境を平和にしてもらいたいのだ。



羽檄 流星の如く、虎符 専城に合す。

喧しく呼んで 辺の急を救わんとし、群鳥は 皆 夜鳴く

白日 紫徴に曜き、三公権衡を運らす

天地皆一なるを得、澹然として 四海消し

借問す 此れ何をか為すと、

答えて言う 楚 兵を徴すと

瀘を渡って 五月に及び、将に雲南に赴いて征せんとす。』


怯卒は 戦士に非ず、炎方は 遠行し難し。

長く号きて 厳親に別れ、日月 光晶 惨たり。

泣尽きて 継ぐに血を以てし、心摧けて 両びに声なし

困猷猛虎に当り。窮魚奔鯨の餌となる

千去って 一も回らず、躯を投じて 豈に生を全うせんや

如何か 干戚を舞わし、一たび有苗をして 平らかならしめん』




古風 其三十四 訳註と解説

(本文)
羽檄如流星。 虎符合專城。
喧呼救邊急。 群鳥皆夜鳴。
白日曜紫微。 三公運權衡。
天地皆得一。 澹然四海清。
借問此何為。 答言楚征兵。
渡瀘及五月。 將赴云南征。』

(下し文)
羽檄 流星の如く、虎符 専城に合す。
喧しく呼んで 辺の急を救わんとし、群鳥は 皆 夜鳴く
白日 紫徴に曜き、三公権衡を運らす
天地皆一なるを得、澹然として 四海消し
借問す 此れ何をか為すと、
答えて言う 楚 兵を徴すと
瀘を渡って 五月に及び、将に雲南に赴いて征せんとす。』

現代語訳)
急用を示す鳥の羽をつけた召集令状が流星のように出されている。虎の絵の割符が各地の将軍の手もとで合わされるのだ。
国境の危急を救うのだと、やかましくわめき立てている。ねぐらに休んでいた鳥たちまで、みんな、夜中に鳴きだした。
真昼の太陽のような天子が、紫微の御座所にかがやいておられる、りっぱな三公の大臣がよい政治をしているのだ。
天地というものは万物が一から成り立ち支え合い溶け合っていくものであるという「道」なのである、天下はおだやかに四方の果ての海原、そのはてまで澄みわたっているのだ。
問いかけてみた、「こんなにあわただしいのはどうしたのか」と、答えてくれた、「楚の地方で兵隊を招集しているのだ。」と。
濾水を渡るのを五月にしている、熱帯の雲南を征伐に赴こうというのだ。』


(訳註)

羽檄如流星。 虎符合專城。
急用を示す鳥の羽をつけた召集令状が流星のように出されている。虎の絵の割符が各地の将軍の手もとで合わされるのだ。
羽撒 轍は木賎通知書。急用の場合に鶏の羽を目印につけた。この詩では、速達の召集令状。○虎符 兵
士を徴発するときに用いる割符。銅片か竹片を用い、虎の絵が刻みこまれ、半分は京に留め、半分は将軍に賜わり、その命令の真実であることの証拠とした。○専城 城を専らにする、一城の主、すなわち一州一部の主で、地方の将軍のこと。

 
喧呼救邊急。 群鳥皆夜鳴。
国境の危急を救うのだと、やかましくわめき立てている。ねぐらに休んでいた鳥たちまで、みんな、夜中に鳴きだした。
辺急 国境の危急。

白日曜紫微。 三公運權衡。
真昼の太陽のような天子が、紫微の御座所にかがやいておられる、りっぱな三公の大臣がよい政治をしているのだ。
紫微 天子の御座所。〇三公 周代以来、時代によって内容が異なるが、地位の最も高い大臣である。唐の制度では、大尉・司従・司空を三公とした。○権衡 はかりのおもりと竿と。これを運用するというのは、政治を正しく行うこと。

天地皆得一。 澹然四海清。
天地というものは万物が一から成り立ち支え合い溶け合っていくものであるという「道」なのである、天下はおだやかに四方の果ての海原、そのはてまで澄みわたっているのだ。
天地皆得一天下太平のこと。「天は一を得て以て招く、地は一を得て以て寧というのは「老子」の言葉であるが、「こというのは「道」といいかえでもよい。○澹然 ごたごたせず、さっぱりとしておだやかなさま。〇四海 大地の四方のはてに海があると中国人は意識していた。



借問此何為。 答言楚征兵。
問いかけてみた、「こんなにあわただしいのはどうしたのか」と、答えてくれた、「楚の地方で兵隊を招集しているのだ。」と。
借問 ちょっとたずねる。○楚徴兵 天宝十載(751年)唐の玄宗は兵を発し、雲南地方の新興国、タイ族の南詔に遠征して大敗した。八万の大軍が渡水の南で全滅したにもかかわらず、宰相の揚国忠は勝利したと上奏し、それをごまかすために、ふたたび七万の軍で南詔を討とうとした。これがまた大敗したが、このとき人民は、十中八九まで倒れて死ぬという雲南のわるい毒気のうわさを聞いており、だれも募集に応じない。揚国忠は各地に使を派遣して徴兵の人数をわりあて、強制的に召集した。楚は、雲南地方に地を接する南方の地方。なお、中唐の詩人、白居易(楽天)の「新豊折臂翁」というすぐれた詩は、この雲南征伐の際、自分で自分の腕をへし折って徴兵をのがれたという厭戦詩である。



渡瀘及五月。 將赴云南征。』
濾水を渡るのを五月にしている、熱帯の雲南を征伐に赴こうというのだ。』
楚から雲南に入るところに、濾水という川がある。いまの雲南省の北境を流れる金沙江(長江の上流)のこと。この川がおそろしい川である三種の毒ガスを発散して、毎年三月、四月にこの川をわたると必ず中毒で死ぬという。五月になると渡れるが、それでも吐気をもよおしたりするという。蚊の大発生の時期。〇五月旧暦だから、真夏の最中である。





(本文)
怯卒非戰士。 炎方難遠行。
長號別嚴親。 日月慘光晶。
泣盡繼以血。 心摧兩無聲。
困獸當猛虎。 窮魚餌奔鯨。
千去不一回。 投軀豈全生。
如何舞干戚。 一使有苗平。』

(下し文)
怯卒は 戦士に非ず、炎方は 遠行し難し。
長く号きて 厳親に別れ、日月 光晶 惨たり。
泣尽きて 継ぐに血を以てし、心摧けて 両びに声なし
困猷猛虎に当り。窮魚奔鯨の餌となる
千去って 一も回らず、躯を投じて 豈に生を全うせんや
如何か 干戚を舞わし、一たび有苗をして 平らかならしめん』

(現代語訳)
臆病な兵卒は戦いの役にたつ勇士とはこのようなものではない、炎のように熱い南方への遠い行軍はむつかしいのである。
泣きわめき怒号のような叫びは、尊い両親にたいしての別れなのだ、そのために日も月も光輝きを失ってしまうばかりなのだ。
泣いて涙がつきはて、血が出るまで泣いたのだ、心までくだけてしまい、親も子も声が出なくなった。
くたびれはてた獣が猛虎に出あったようなものであり、おいつめられた魚がものすごい勢いの鯨の餌じきになるようなものになっているのだ。
千という兵士が出征して一回もかえってこないのだ、身を投じたが最後、命はないものと思えばよいというのか。
ああ、なんとかして、タテとマサカリの舞いを舞うことができないものか、むかしの聖天子の舜が有苗族を服従させたように、一度で辺境を平和にしてもらいたいのだ。


(訳註)

怯卒非戰士。 炎方難遠行。
臆病な兵卒は戦いの役にたつ勇士とはこのようなものではない、炎のように熱い南方への遠い行軍はむつかしいのである。



長號別嚴親。 日月慘光晶。
泣きわめき怒号のような叫びは、尊い両親にたいしての別れなのだ、そのために日も月も光輝きを失ってしまうばかりなのだ。


泣盡繼以血。 心摧兩無聲。
泣いて涙がつきはて、血が出るまで泣いたのだ、心までくだけてしまい、親も子も声が出なくなった。



困獸當猛虎。 窮魚餌奔鯨。
くたびれはてた獣が猛虎に出あったようなものであり、おいつめられた魚がものすごい勢いの鯨の餌じきになるようなものになっているのだ。



千去不一回。 投軀豈全生。
千という兵士が出征して一回もかえってこないのだ、身を投じたが最後、命はないものと思えばよいというのか。



如何舞干戚。 一使有苗平。』
ああ、なんとかして、タテとマサカリの舞いを舞うことができないものか、むかしの聖天子の舜が有苗族を服従させたように、一度で辺境を平和にしてもらいたいのだ。
干戚 たてとまさかり、転じて武器の総称。むかしの聖人舜帝は千戚を手にして舞っただけで有苗族がたちまち服従したという。○有苗 中国古代の少数民族の名。



(解説)
 軍事力と統治力、大義と威圧というものがなければ一時的に勝てても、必ず反撃され、敗れる。楊国忠の戦いの目的は低俗なもので、侵略略奪のためのもので、自己の権力を誇示するためのものであった。
 この詩の後半はすべて、戦は人心をつかむものでなければならないということを李白は言っている。
 李林甫が病死して、宦官と結託した楊国忠が行う政治は唐の歴史の中で最低最悪のレベルのものであった。時期を同じくしてこれに、天災が加わるのである。国中にフラストレーションが充満するのである。

 

行行游且獵篇 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白194/350


 
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行行游且獵篇 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-  194


行行游且獵篇
邊城兒。生年不讀一字書。 但將游獵夸輕趫。
国境あたりの子は、生れてからずっと一字も書物など読むことなどないのだ。ただ知っているのは狩猟をあそびとするだけ、それにからだがすばしこいのが自慢であるという。
胡馬秋肥宜白草。 騎來躡影何矜驕。
大宛国産の馬が秋になってまるまると肥えるのは白い草もたくさん食べられる頃だからだ。かれらは、馬にむねはってまたがり走ってゆくが、何と怖さを知らず自信をもっているのだろう。
金鞭拂雪揮鳴鞘。 半酣呼鷹出遠郊。
狩猟に出るのに金のむちで雪をはらいのけると、ビシリとむちの先が鳴る。まだ半分酔っ払った状態のまま、鷹を放って、街を遠く離れたところまで出かける。
弓彎滿月不虛發。 雙鶬迸落連飛髇。』
弓を満月のように引きしぼり、射れば必ずあたるときまで矢をはなたない。射たら二羽のマナヅルがまっしぐらに落ち、飛んだかぶら矢が串ざしにしている。
海邊觀者皆辟易。 猛氣英風振沙磧。
放牧できていた湖のほとりで見ている者は、みな、おそれおののいているのだ。猛々しい気性であって、すぐれた風貌は、砂漠中にその名を鳴り響かせているのだ。
儒生不及游俠人。 白首下幃復何益。』

そういうことから儒学者というものは、狩猟ができ、任侠の筋道を立てる人にはかなわないのだ。しらが頭で、家の中にとじこもって、書物をたよりに礼節ばかりで、いったい何の利益があるというのだろう。


行き行きて游び且つ獵の篇

辺城の児、生年一字の書を読まず。但だ遊猟を知って 輕趫【けいきょう】を誇る。

胡馬秋肥えて 白草に宜し。騎し来って影を踏む 何ぞ矜驕【きょうきょう】。

金鞭【きんべん】雪を払って 鳴鞘【めいしょう】を揮)い、半酣【はんかん】鷹を呼んで 遠郊に出づ。

弓は満月を彎いて 虚しく発せず、双鶬【そうそう】迸落【ほうらく】 飛【ひこう】に連なる。

海辺観る者 皆辟易【へきえき】し、猛気英風 沙磧【させき】に振う。

儒生は及ばず 遊侠の人に、白首 幃【い】を下すも 復た何の益かあらん。





行行游且獵篇  訳註と解説

(本文)
邊城兒。生年不讀一字書。 但將游獵夸輕趫。
胡馬秋肥宜白草。 騎來躡影何矜驕。
金鞭拂雪揮鳴鞘。 半酣呼鷹出遠郊。
弓彎滿月不虛發。 雙鶬迸落連飛髇。』
海邊觀者皆辟易。 猛氣英風振沙磧。
儒生不及游俠人。 白首下幃復何益。』

(下し文)

行き行きて游び且つ獵の篇

辺城の児、生年一字の書を読まず。但だ遊猟を知って 輕趫【けいきょう】を誇る。

胡馬秋肥えて 白草に宜し。騎し来って影を踏む 何ぞ矜驕【きょうきょう】。

金鞭【きんべん】雪を払って 鳴鞘【めいしょう】を揮)い、半酣【はんかん】鷹を呼んで 遠郊に出づ。

弓は満月を彎いて 虚しく発せず、双鶬【そうそう】迸落【ほうらく】 飛【ひこう】に連なる。

海辺観る者 皆辟易【へきえき】し、猛気英風 沙磧【させき】に振う。

儒生は及ばず 遊侠の人に、白首 幃【い】を下すも 復た何の益かあらん。
 

(現代語訳)
国境あたりの子は、生れてからずっと一字も書物など読むことなどないのだ。ただ知っているのは狩猟をあそびとするだけ、それにからだがすばしこいのが自慢であるという。
大宛国産の馬が秋になってまるまると肥えるのは白い草もたくさん食べられる頃だからだ。かれらは、馬にむねはってまたがり走ってゆくが、何と怖さを知らず自信をもっているのだろう。
狩猟に出るのに金のむちで雪をはらいのけると、ビシリとむちの先が鳴る。まだ半分酔っ払った状態のまま、鷹を放って、街を遠く離れたところまで出かける。
弓を満月のように引きしぼり、射れば必ずあたるときまで矢をはなたない。射たら二羽のマナヅルがまっしぐらに落ち、飛んだかぶら矢が串ざしにしている。
放牧できていた湖のほとりで見ている者は、みな、おそれおののいているのだ。猛々しい気性であって、すぐれた風貌は、砂漠中にその名を鳴り響かせているのだ。
そういうことから儒学者というものは、狩猟ができ、任侠の筋道を立てる人にはかなわないのだ。しらが頭で、家の中にとじこもって、書物をたよりに礼節ばかりで、いったい何の利益があるというのだろう。


(語訳と訳註)

行行游且獵篇
行行且遊猟篇 古い楽府の題で、もとは天子の遊猟をうたったものといわれるが、李白のこの詩は辺境の少年の遊猟をうたっている。



邊城兒。生年不讀一字書。 但將游獵夸輕趫。
国境あたりの子は、生れてからずっと一字も書物など読むことなどないのだ。ただ知っているのは狩猟をあそびとするだけ、それにからだがすばしこいのが自慢であるという。
辺城 国境の町。○遊猟 狩をして遊ぶこと。○軽超 すばしこい。

 

胡馬秋肥宜白草。 騎來躡影何矜驕。
大宛国産の馬が秋になってまるまると肥えるのは白い草もたくさん食べられる頃だからだ。かれらは、馬にむねはってまたがり走ってゆくが、何と怖さを知らず自信をもっているのだろう。
胡馬 大宛国産の馬。胡は中国北方の異民族を指す。○白草 「白草は、稲に似た雑草でほそく、芒がなく、乾燥するとまっしろになり、ミネラル分が多い牛馬のえさになる。○躡影 疾走の形容。○矜驕 ほこり、おごる。意気揚揚。


金鞭拂雪揮鳴鞘。 半酣呼鷹出遠郊。
狩猟に出るのに金のむちで雪をはらいのけると、ビシリとむちの先が鳴る。まだ半分酔っ払った状態のまま、鷹を放って、街を遠く離れたところまで出かける。
鳴鞠鳴るむちの先。○半酎 半分よっばらう。○呼鷹 鷹狩をする。



弓彎滿月不虛發。 雙鶬迸落連飛髇。』
弓を満月のように引きしぼり、射れば必ずあたるときまで矢をはなたない。射たら二羽のマナヅルがまっしぐらに落ち、飛んだかぶら矢が串ざしにしている。
不虚発 射れば必ずあたる。○双鶬 二羽の鶬。鶬は鶬鴰。地方によって呼び名がちがい、鴰鹿、鶬鶏などとも呼ばれる。鶴の一種で、青蒼色、または灰色。頂には丹がなく、両頬は紅い。マナヅルのことらしい。○迸落 ほとばしり落ちる。○飛髇 髇は鳴鏑、囁矢、に同じく、かぶら矢。木または鹿角で作った中空のかぶら形の筒に数箇の穴をあけ、それを矢の先につける。射れば筒の穴に風が入って激しく鳴る。



海邊觀者皆辟易。 猛氣英風振沙磧。
放牧できていた湖のほとりで見ている者は、みな、おそれおののいているのだ。猛々しい気性であって、すぐれた風貌は、砂漠中にその名を鳴り響かせているのだ。
海辺 海は東方の大海ではない。砂漠の中の実は湖。○辟易 おどろきおそれて、しりごみする。○沙磧 砂漠。 



儒生不及游俠人。 白首下幃復何益。』
そういうことから儒学者というものは、狩猟ができ、任侠の筋道を立てる人にはかなわないのだ。しらが頭で、家の中にとじこもって、書物をたよりに礼節ばかりで、いったい何の利益があるというのだろう。
儒生 儒学者。○遊侠 游は、狩猟が上手い、武術ができる。腕っぷしが強い。その上、強きをくじき弱きをたすけ、生命をなげだして人を救うことを自分の任務とし、私交を結んで勢力をし、命をはっているもの。○白首 しらが頭。○下幃 とばりを垂れおろす。弟子をとること。「漢書」によると、漢の儒者、董仲舒は若いころ「春秋」を修得し、景帝のとき博士となったが、「帷下し」家にとじこもって弟子をとり、講義した。弟子たちは長い間順番を待って授業を受けたが、中には先生の顔を見ることさえできずに帰る者もいた。それほど多くの弟子が押しかけたという。李白は儒学者を評価していない



(解説)
 李白『幽州胡馬客歌』「旄頭四光芒」(旄頭(ぼうとう) 四(よも)に光芒あり)寒くなると北方の異民族は南下して国境線を突破してきた、そのため冬の戦いに備えた。異民族は騎馬民族で馬上の戦いであった。それに対し漢民族は農耕民族で、戦いは歩兵戦であった。
 幽州の兵は、北方の敵に対しての訓練がなされたのである。凶暴、残忍さが加わったのだ。もう一つは、略奪すること。これらが基本で、戦略とか、統治する意識がないのである。安禄山の叛乱は、普通に戦えば天下は取れた。統治するという意識がなさ過ぎたのである。

 李白の北方の詩、辺境の詩、出塞の詩はこういった部分を読み取ることができる。杜甫の『後出塞五首』其四も参考になる。


幽州胡馬客歌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白193

幽州胡馬客歌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白193

 開封・単父の滞在の外、華北のいたるところに行はれた李白の旅行の中で、最も注目すべきは、彼が幽州(北京)に赴いていることである。

 幽州には当時、契丹(キッタン)や奚(ケイ)などのこの方面の精悍な異民族の侵入を防ぐために、范陽節度使という軍司令官が置かれていたが、744年天宝三載以来この官にあったのは、のちに乱を起す安禄山である。李白のこの幽州の旅は、安禄山との間に何らかの交渉をもつためであった。このころ安禄山はその鋒さきをあらわしはしないが、長安から追放された李白にとってすがる思いがあったのかもしれない。
 ただし李白は幽州で安禄山が頼るべき相手ではないこと気付いたのである。
幽州での記録はほとんどないに等しい。
その李白が、「幽州の胡の馬客の歌」にあらわしているのである。


幽州胡馬客歌
幽州胡馬客。 綠眼虎皮冠。
幽州の北方異民族出身の馬にのった流寓の人がいる、緑色の眼をして 虎皮の冠をかぶっている。
笑拂兩只箭。 萬人不可干。
豪快に笑って、二本の箭を大長刀で払へば、万人もふせぐことができないのだ。
彎弓若轉月。 白雁落云端。
弓を引かせばまるで満月のようのいっぱいに引き、白雁でも雲端ほどの高さに飛んでいても撃ち落とされてしまうという。
雙雙掉鞭行。 游獵向樓蘭。
馬上、二人ならんで 鞭を掉(ふ)って走っていったのだ、狩りをして遊び、狩猟しながらして楼蘭に向かったのだ。 
出門不顧後。 報國死何難。』

いざ、塞の門を出たならば陣後のことは顧みてはならない、国に報ずるためには、死をおそれてできるものではない。
天驕五單于。 狼戾好凶殘。
匈奴の単于は自らを天の驕児と称した。 狼の如く心ねじれた道理を持っており、強暴で残忍なことを好んでいる。
牛馬散北海。 割鮮若虎餐。
牛と馬は北方の湖海のあたりに放牧している、鳥獣の新しく殺した血の滴るものを虎が食べるように食べている。 
雖居燕支山。 不道朔雪寒。
燕支山に居たことがあるといっても、こんなはるか北方の雪の寒さというのはけた違いである。
婦女馬上笑。 顏如赭玉盤。
ここの人たちは婦女子でも笑いながら馬を乗りこなし、顔は寒さと雪焼けで大皿のように輝いている。
翻飛射鳥獸。 花月醉雕鞍。』
ひっくり返ったり飛びあがったりしている鳥獣は射るものであるし、花と月には彫刻で飾った鞍にまたがって酔うのだ。
旄頭四光芒。 爭戰若蜂攢。
胡の星と考へられる昴(すばる)の星は四方に輝きを放って異民族の攻めてくる予兆である。争い戦をする蜂が集まってくる様子を示している。
白刃洒赤血。 流沙為之丹。
戦で白刃は多くの赤血をたれ流した、ここの流沙はこの流血によって赤くなってしまった。
名將古誰是。 疲兵良可嘆。
名将といわれる人物はいにしへより誰かということなしにたくさんいる。疲れきった兵士は本当に嘆かわしいことであるのだ。
何時天狼滅。 父子得安閑。』

いずれの時か盗賊のような輩は滅びてしまう。大星座の父子たるもの平穏なことでなければならないのだ。 



幽州の胡の馬客(かく)、緑眼 虎皮の冠。

笑って両隻(りょうせき)の箭を払へば、万人も干(ふせ)ぐべからず。

弓を彎(ひ)くこと月を転ずるごとく、白雁 雲端より落つ。

双双 鞭を掉(ふ)って行、遊猟して楼蘭に向ふ。 

門を出づれば後を顧みず、国に報ずる死なんぞ難からん。

天驕 五単于(ぜんう) 狼戻(ろうれい)にして兇残を好む。

牛馬は北海に散じ、鮮を割(さ)くこと虎の餐(くら)ふがごとし。

燕支山に居るといへども 朔雪の寒きを道(い)はず。 

婦女も馬上に笑ひ、顔は赭(あか)き玉盤のごとし。

翻飛(ほんぴ)して鳥獣を射、花月には雕鞍(ちょうあん)に酔ふ。

旄頭(ぼうとう) 四(よも)に光芒あり、争戦する蜂の(あつま)るがごとし

白刃 赤血を灑(そそ)ぎ、流沙 これがために丹(あか)し。

名将 いにしへ誰か是(これ)なる、疲兵まことに嘆ずべし。

いづれの時か天狼 滅し、父子 閒安を得ん。 



-------------------------------------------------
(本文)
幽州胡馬客歌
幽州胡馬客。 綠眼虎皮冠。
笑拂兩只箭。 萬人不可干。
彎弓若轉月。 白雁落云端。
雙雙掉鞭行。 游獵向樓蘭。
出門不顧後。 報國死何難。』

(下し文)
幽州の胡の馬客(かく)、緑眼 虎皮の冠。
笑って両隻(りょうせき)の箭を払へば、万人も干(ふせ)ぐべからず。
弓を彎(ひ)くこと月を転ずるごとく、白雁 雲端より落つ。
双双 鞭を掉(ふ)って行、遊猟して楼蘭に向ふ。 
門を出づれば後を顧みず、国に報ずる死なんぞ難からん。

(現代語訳)
幽州の北方異民族出身の馬にのった流寓の人がいる、緑色の眼をして 虎皮の冠をかぶっている。
豪快に笑って、二本の箭を大長刀で払へば、万人もふせぐことができないのだ。
弓を引かせばまるで満月のようのいっぱいに引き、白雁でも雲端ほどの高さに飛んでいても撃ち落とされてしまうという。
馬上、二人ならんで 鞭を掉(ふ)って走っていったのだ、狩りをして遊び、狩猟しながらして楼蘭に向かったのだ。 
いざ、塞の門を出たならば陣後のことは顧みてはならない、国に報ずるためには、死をおそれてできるものではない。


幽州胡馬客 綠眼虎皮冠
幽州の北方異民族出身の馬にのった流寓の人がいる、緑色の眼をして 虎皮の冠をかぶっている。
胡馬客 北方異民族出身の馬にのった流寓の人。
緑眼 中東のペルシャ、白人系の目をいう。 ・虎皮の冠 騎馬民族が被る帽子。



笑拂兩只箭 萬人不可干
豪快に笑って、二本の箭を大長刀で払へば、万人もふせぐことができないのだ。
両隻(りょうせき)二本。 矢の幹の部分。



彎弓若轉月 白雁落雲端
弓を引かせばまるで満月のようのいっぱいに引き、白雁でも雲端ほどの高さに飛んでいても撃ち落とされてしまうという。

雙雙掉鞭行 遊獵向樓蘭
馬上、二人ならんで 鞭を掉(ふ)って走っていったのだ、狩りをして遊び、狩猟しながらして楼蘭に向かったのだ。 
双双 二人ならんでか。・楼蘭 漢代、いまの新疆省のロプ・ノール付近にあった国。



出門不顧後 報國死何難
いざ、塞の門を出たならば陣後のことは顧みてはならない、国に報ずるためには、死をおそれてできるものではない。





(本文)
天驕五單于。 狼戾好凶殘。
牛馬散北海。 割鮮若虎餐。
雖居燕支山。 不道朔雪寒。
婦女馬上笑。 顏如赭玉盤。
翻飛射鳥獸。 花月醉雕鞍。』

(下し文)
天驕 五単于(ぜんう) 狼戻(ろうれい)にして兇残を好む。
牛馬は北海に散じ、鮮を割(さ)くこと虎の餐(くら)ふがごとし。
燕支山に居るといへども 朔雪の寒きを道(い)はず。 
婦女も馬上に笑ひ、顔は赭(あか)き玉盤のごとし。
翻飛(ほんぴ)して鳥獣を射、花月には雕鞍(ちょうあん)に酔ふ。

(現代語訳)
匈奴の単于は自らを天の驕児と称した。 狼の如く心ねじれた道理を持っており、強暴で残忍なことを好んでいる。
牛と馬は北方の湖海のあたりに放牧している、鳥獣の新しく殺した血の滴るものを虎が食べるように食べている。 
燕支山に居たことがあるといっても、こんなはるか北方の雪の寒さというのはけた違いである。
ここの人たちは婦女子でも笑いながら馬を乗りこなし、顔は寒さと雪焼けで大皿のように輝いている。
ひっくり返ったり飛びあがったりしている鳥獣は射るものであるし、花と月には彫刻で飾った鞍にまたがって酔うのだ。



天驕五單于 狼戻好兇殘
匈奴の単于はみづからを天の驕児と称した。 狼の如く心ねぢけ道理を持っており、強暴で残忍なことを好んでいる。
天驕 匈奴の単于はみづからを天の驕児と称した。・五単于(ぜんう)漢の宣帝のとき匈奴は五単于ならび立った。・狼戻(ろうれい)狼の如く心ねぢけ道理にもとる。
 

牛馬散北海 割鮮若虎餐
牛と馬は北方の湖海のあたりに放牧している、鳥獣の新しく殺した血の滴るものを虎が食べるように食べている。 
割鮮 鳥獣の新しく殺したもの。



雖居燕支山 不道朔雪寒
燕支山に居たことがあるといっても、こんなはるか北方の雪の寒さというのはけた違いである。 
脂(支)山 甘粛省河西回廊の「張掖」の東南にある。李白「秋思」に登場。・朔雪 北方の雪。



婦女馬上笑 顏如赭玉盤
ここの人たちは婦女子でも笑いながら馬を乗りこなし、顔は寒さと雪焼けで大皿のように輝いている。

翻入射鳥獸 花月醉雕鞍
ひっくり返ったり飛びあがったりしている鳥獣は射いるものであるし、花と月には彫刻で飾った鞍にまたがってに酔うのだ。
翻飛 とび上って。




(本文)
旄頭四光芒。 爭戰若蜂攢。
白刃洒赤血。 流沙為之丹。
名將古誰是。 疲兵良可嘆。
何時天狼滅。 父子得安閑。』

(下し文)
旄頭(ぼうとう) 四(よも)に光芒あり、争戦する蜂の攢(あつま)るがごとし
白刃 赤血を灑(そそ)ぎ、流沙 これがために丹(あか)し。
名将 いにしへ誰か是(これ)なる、疲兵まことに嘆ずべし。
いづれの時か天狼 滅し、父子 閒安を得ん。
 

(現代語訳)
胡の星と考へられる昴(すばる)の星は四方に輝きを放って異民族の攻めてくる予兆である。争い戦をする蜂が集まってくる様子を示している。
戦で白刃は多くの赤血をたれ流した、ここの流沙はこの流血によって赤くなってしまった。
名将といわれる人物はいにしへより誰かということなしにたくさんいる。疲れきった兵士は本当に嘆かわしいことであるのだ。
いずれの時か盗賊のような輩は滅びてしまう。大星座の父子たるもの平穏なことでなければならないのだ。 



旄頭四光芒 爭戰若蜂攢
胡の星と考へられる昴(すばる)の星は四方に輝きを放って異民族の攻めてくる予兆である。争い戦をする蜂が集まってくる様子を示している。
旄頭 胡の星と考へられる昴(すばる)の星。四方に輝きを放っているときには、異民族が攻めてくる。



白刄灑赤血 流沙為之丹
戦で白刃は多くの赤血をたれ流した、ここの流沙はこの流血によって赤くなってしまった。



名將古誰是 疲兵良可嘆
名将といわれる人物はいにしへより誰かということなしにたくさんいる。疲れきった兵士は本当に嘆かわしいことであるのだ。

何時天狼滅 父子得閒安』
いづれの時か盗賊のような輩は滅びてしまう。大星座の父子たるもの平穏なことでなければならない。 
天狼 盗賊を表わし、侵略をかたちづくるといふ大犬座シリウスの漢名。・閒安 しづかにして安らか。


單父東樓秋夜送族弟沈之秦  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白192

單父東樓秋夜送族弟沈之秦  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白192

 長安追放後李白が開封とともに比較的永くいたのが単父である。ここは兗州から西南二百支里で、家族の住居とも近かったからたびたび往来したと考へられる上に、この時、県の主簿の任にあった李凝、その弟らしい李沈(リシン)の二人との交際によって、事実しばらく滞在していたようである。

 この李沈が長安にゆくのを、単父の東楼で送別して作った。詩は佳作である。



單父東樓秋夜送族弟沈之秦 *時凝弟在席
単父の東楼に秋夜 同族の弟 沈の秦に行くのを送る。 *この時、弟凝もその席に在った。
爾從咸陽來。 問我何勞苦。
君は長安から来た。そして、私にどんな辛苦、苦労があったのかと質問した。
沐猴而冠不足言。 身騎土牛滯東魯。』
心の賤しいつまらない者が、高官となることは言うに足らないことであり、身は土の牛に騎乗してここ東魯に滞(とど)まっているのだ。』
沈弟欲行凝弟留。 孤飛一雁秦云秋。
上の弟の沈君はこれから長安に行こうとしていてもう一人の弟の凝君はここに留まるという、一人で旅立つというのは群れから離れた一羽の雁が、大都会の長安の暗雲の秋に飛び込むことなのだ。
坐來黃葉落四五。 北斗已挂西城樓。』
気ままにここに来たのだが、黄葉の落ちること四、五年も経ってしまったが、今、北斗の星がすでに挂(かか)って輝き始めた西城の楼閣にいる。』
絲桐感人弦亦絕。 滿堂送君皆惜別。
鼓弓、琴はここにいる人の別れの感情をかき立たせた曲も終わり琴の音も途絶えた。どこの座敷の送客の皆が別を惜んでいる。
卷帘見月清興來。 疑是山陰夜中雪。』

簾(すだれ)を巻きあげて月を見あげるとあたりは明るく照らされて清々しい興味がわいてきたのだ。これは風流人が言った「山陰地方のは夜中に雪か降った」かのように間違ってしまうほどあかるく白々しいのだ。』
明日斗酒別。 惆悵清路塵。
明日の朝は別れの酒を飲み干した別れとなる、返す返すも恨めしく思うことは、聖人の道を歩いてきた一粒の塵のような存在にされてしまったことだ。
遙望長安日。 不見長安人。
長安ですごした日々は遥かなものとして望むことはするけれどもめども、長安の朝廷の人たちについては見ることはない。
長安宮闕九天上。 此地曾經為近臣。』
長安の宮闕の御門は大宇宙の真ん中、九天の上になる、この地で少し前まで天子の近臣のものとなっていた。』
一朝復一朝。 發白心不改。
それ以来、一朝過ぎまた一朝と過ぎてきている、白髪頭に変わっていくけれど心はなかなか落ちつかないでいて改まらないのだ。
屈原憔悴滯江潭。 亭伯流離放遼海。』
屈原は憔悴(しょうすい)して湘江、潭州地方に遣られたままだった、崔亭伯は楽浪郡の官に左遷されたままだった。』
折翮翻飛隨轉蓬。 聞弦墜虛下霜空。
大鳥の羽の翮(かく)を折ってしまって、飛んでも裏返ってしまったので風に吹かれて飛ぶ転蓬のように旅をしている、弓を引いただけで墜落してしまったそして霜空の下にいるのだ。
聖朝久棄青云士。 他日誰憐張長公。』

聖人の朝廷から永久に棄てられた学徳高き賢人というものが、後世の世において誰か憐れむというのだ。漢の張長公もそうなのだ。』



なんぢ咸陽より来り われに問ふ何ぞ労苦すと。

沐猴(もっこう)にして冠するは言ふに足らず、身は土牛に騎して東魯に滞(とど)まる。』

沈弟は行かんとし凝弟は留まる、孤飛の一雁 秦雲の秋。

坐来 黄葉 落つること四五 、北斗すでに挂(かか)る西城の楼。』

糸桐 人を感ぜしめ絃また絶ゆ、満堂の送客みな別を惜む。

簾(すだれ)を巻き月を見て清興 来る 、擬ふらくはこれ山陰の夜中の雪かと。』


明日 斗酒の別、惆悵(ちゅうちょう)たり清路の塵。

遥に長安の日を望めども、長安の人を見ず。

長安の宮闕は九天の上、この地かつて経(へ)て近臣となる。』

長安の宮闕は九天の上、この地かつて経(へ)て近臣となる。

屈平は憔悴(しょうすい)して江潭に滞(とど)まり  

亭伯は流離して遼海に放たる。』

(かく)を折り翻飛(ほんぴ)して転蓬に随ひ、弦を聞き虚墜して霜空を下る。

聖朝久しく棄つ青雲の士、他日誰か憐まん張長公。』



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單父東樓秋夜送族弟沈之秦 

(本文)
爾從咸陽來。 問我何勞苦。
沐猴而冠不足言。 身騎土牛滯東魯。』
沈弟欲行凝弟留。 孤飛一雁秦云秋。
坐來黃葉落四五。 北斗已挂西城樓。』
絲桐感人弦亦絕。 滿堂送君皆惜別。
卷帘見月清興來。 疑是山陰夜中雪。』

(下し文)
なんぢ咸陽より来り われに問ふ何ぞ労苦すと。
沐猴(もっこう)にして冠するは言ふに足らず、身は土牛に騎して東魯に滞(とど)まる。』
沈弟は行かんとし凝弟は留まる、孤飛の一雁 秦雲の秋。
坐来 黄葉 落つること四五 、北斗すでに挂(かか)る西城の楼。』
糸桐 人を感ぜしめ絃また絶ゆ、満堂の送客みな別を惜む。
簾(すだれ)を巻き月を見て清興 来る 、擬ふらくはこれ山陰の夜中の雪かと。』

(現代語訳)
君は長安から来た。そして、私にどんな辛苦、苦労があったのかと質問した。
心の賤しいつまらない者が、高官となることは言うに足らないことであり、身は土の牛に騎乗してここ東魯に滞(とど)まっているのだ。』
上の弟の沈君はこれから長安に行こうとしていてもう一人の弟の凝君はここに留まるという、一人で旅立つというのは群れから離れた一羽の雁が、大都会の長安の暗雲の秋に飛び込むことなのだ。
気ままにここに来たのだが、黄葉の落ちること四、五年も経ってしまったが、今、北斗の星がすでに挂(かか)って輝き始めた西城の楼閣にいる。』
鼓弓、琴はここにいる人の別れの感情をかき立たせた曲も終わり琴の音も途絶えた。どこの座敷の送客の皆が別を惜んでいる。
簾(すだれ)を巻きあげて月を見あげるとあたりは明るく照らされて清々しい興味がわいてきたのだ。これは風流人が言った「山陰地方のは夜中に雪か降った」かのように間違ってしまうほどあかるく白々しいのだ。』



爾從咸陽來 問我何勞苦
君は長安から来た。そして、私にどんな辛苦、苦労があったのかと質問した。
咸陽 長安。


沐猴而冠不足言 身騎土牛滯東魯
心の賤しいつまらない者が、高官となることは言うに足らないことであり、身は土の牛に騎乗してここ東魯に滞(とど)まっているのだ。
沐猴(もっこう)史記・項羽本紀「沐猴而冠」、猿が冠をかぶっているということより心の賤しいつまらない者が外見を飾る、あるいは、高官となること。○土牛 猿である上に土の牛にのっているからのろのろとして。

沈弟欲行凝弟留 孤飛一雁秦雲秋 
上の弟の沈君はこれから長安に行こうとしていてもう一人の弟の凝君はここに留まるという、一人で旅立つというのは群れから離れた一羽の雁が、大都会の長安の暗雲の秋に飛び込むことなのだ。



坐來黄葉落四五 北斗已挂西城樓 
気ままにここに来たのだが、黄葉の落ちること四、五年も経ってしまったが、今、北斗の星がすでに挂(かか)って輝き始めた西城の楼閣にいる。

坐來 そぞろに来てしまった

絲桐感人弦亦絶 滿堂送客皆惜別 
鼓弓、琴はここにいる人の別れの感情をかき立たせた曲も終わり琴の音も途絶えた。どこの座敷の送客の皆が別を惜んでいる。
糸桐 琴。○ 主要な座敷。

卷簾見月清興來 疑是山陰夜中雪』
簾(すだれ)を巻きあげて月を見あげるとあたりは明るく照らされて清々しい興味がわいてきたのだ。これは風流人が言った「山陰地方のは夜中に雪か降った」かのように間違ってしまうほどあかるく白々しいのだ。  
清興來:疑是山陰夜中雪 晋の風流人、王徽之が見てたちまち友人戴逵を懐った山陰の夜の夜中の雪かと、月光を見ておもう。晋の王徽之(未詳―388) 中国、東晋(しん)の人。字(あざな)は子猷。王羲之(おうぎし)の第五子。官は黄門侍郎に至る。会稽の山陰に隠居し、風流を好み、特に竹を愛した。






(本文)
明日斗酒別。 惆悵清路塵。
遙望長安日。 不見長安人。
長安宮闕九天上。 此地曾經為近臣。』
一朝復一朝。 發白心不改。
屈原憔悴滯江潭。 亭伯流離放遼海。』
折翮翻飛隨轉蓬。 聞弦墜虛下霜空。
聖朝久棄青云士。 他日誰憐張長公。』

(下し文)
明日 斗酒の別、惆悵(ちゅうちょう)たり清路の塵。
遥に長安の日を望めども、長安の人を見ず。
長安の宮闕は九天の上、この地かつて経(へ)て近臣となる。』
長安の宮闕は九天の上、この地かつて経(へ)て近臣となる。
屈平は憔悴(しょうすい)して江潭に滞(とど)まり  
亭伯は流離して遼海に放たる。』
翮(かく)を折り翻飛(ほんぴ)して転蓬に随ひ、弦を聞き虚墜して霜空を下る。
聖朝久しく棄つ青雲の士、他日誰か憐まん張長公。』

(現代語訳)
明日の朝は別れの酒を飲み干した別れとなる、返す返すも恨めしく思うことは、聖人の道を歩いてきた一粒の塵のような存在にされてしまったことだ。
長安ですごした日々は遥かなものとして望むことはするけれどもめども、長安の朝廷の人たちについては見ることはない。
長安の宮闕の御門は大宇宙の真ん中、九天の上になる、この地で少し前まで天子の近臣のものとなっていた。』
それ以来、一朝過ぎまた一朝と過ぎてきている、白髪頭に変わっていくけれど心はなかなか落ちつかないでいて改まらないのだ。
屈原は憔悴(しょうすい)して湘江、潭州地方に遣られたままだった、崔亭伯は楽浪郡の官に左遷されたままだった。』
大鳥の羽の翮(かく)を折ってしまって、飛んでも裏返ってしまったので風に吹かれて飛ぶ転蓬のように旅をしている、弓を引いただけで墜落してしまったそして霜空の下にいるのだ。
聖人の朝廷から永久に棄てられた学徳高き賢人というものが、後世の世において誰か憐れむというのだ。漢の張長公もそうなのだ。』


明日斗酒別 惆悵清路塵
明日の朝は別れの酒を飲み干した別れとなる、返す返すも恨めしく思うことは、聖人の道を歩いてきた一粒の塵のような存在にされてしまったことだ。  
惆悵((ちゅうちょう)かなしくうらめし。○清路塵 聖人の道を歩いてきた一粒の塵のような存在。



遙望長安日 不見長安人
長安ですごした日々は遥かなものとして望むことはするけれどもめども、長安の朝廷の人たちについては見ることはない。


長安宮闕九天上 此地曾經為近臣
長安の宮闕の御門は大宇宙の真ん中、九天の上になる、この地で少し前まで天子の近臣のものとなっていた。
宮闕 宮廷。宮廷の遠望台を言うのであるがここで李白は朝廷を強調して表現している。○九天 宇宙を九分割する、地上も空も。

一朝復一朝 髪白心不改
それ以来、一朝過ぎまた一朝と過ぎてきている、白髪頭に変わっていくけれど心はなかなか落ちつかないでいて改まらないのだ。

屈平憔悴滯江潭 亭伯流離放遼海
原は憔悴(しょうすい)して湘江、潭州地方に遣られたままだった、崔亭伯は楽浪郡の官に左遷されたままだった。 
屈平 洞庭湖畔に追放された屈原。中国、戦国時代の楚(そ)の政治家・詩人。名は平。原は字(あざな)。楚の王族に生まれ、懐王に仕え内政・外交に活躍したが、汨羅(べきら)に身を投じたという。○亭伯 後漢の崔駰、字は亭伯、楽浪郡の官に左遷された。

折翮翻飛隨轉蓬 聞弦虚墜下霜空
大鳥の羽の翮(かく)を折ってしまって、飛んでも裏返ってしまったので風に吹かれて飛ぶ転蓬のように旅をしている、弓を引いただけで墜落してしまったそして霜空の下にいるのだ。

 羽のもと、羽のくき。○転蓬 風に吹かれて飛ぶよもぎ。○聞弦虚墜 つる音をきいてあたりもしないのに落ちて来る。


聖朝久棄青云士 他日誰憐張長公
聖人の朝廷から永久に棄てられた学徳高き賢人というものが、後世の世において誰か憐れむというのだ。漢の張長公もそうなのだ。
青云士 学徳高き賢人。 ○張長公 漢の張摯、字は長公、官吏となったが、世間と合はないとてやめられたのち終身仕へなかった。漢の張釈之の子。

 

登單父陶少府半月台 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白191

登單父陶少府半月台 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白191

この詩は李白とも友人で杜甫も親しくしていた孔が病気に託して官をやめてかえり、これから江東の単父の方へでかえるのを送り、同時に李白におくるために此の詩を作った。

送孔巢父謝病歸游江東,兼呈李白 杜甫26
『南尋禹穴見李白,道甫問訊今何如。』
(南 禹穴を尋ねて李白を見ば、道え 甫 問訊す今何如と』)

孟諸沢の東北にあった宋州單父県単父(山東省単県)という街の東楼に上って酒宴に興じている。

秋猟孟諸夜帰置酒単父東楼観妓 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白182
また別に李白に同じ東樓において詠った「單父東樓秋夜送族弟沈之秦」がある。この東樓と今回取り上げる半月台は同じところであろう。孟諸沢の秋の山が海のようであるといい、思いを江南の会稽山、鏡湖へ馳せる。


登單父陶少府半月台
陶公有逸興,不與常人俱。
陶公は趣向に長ておられる、とても一般の文人官僚と一緒にされるものではない。
築台像半月,回向高城隅。
高楼の台地を半月の形に築きあげられた。廻って見たり、正面から見たりして高楼の隅々まで行った。
置酒望白雲,商飆起寒梧。
この半月型の台地に酒をもってきて大空の白雲を眺めていたい。秋の西風、吹き上げる大風、青桐はすっかり葉を落として立っている。
秋山入遠海,桑柘羅平蕪。
すっかり秋の気配の山というのははるか遠い海原に入っていくことだ。桑と山ぐわの葉があり、雑草がどこまでも被っているのだ
水色淥且明,令人思鏡湖。
水面にうつるのは清らかな緑色でありその上明るく輝いている。これは誰が見ても賀知章翁の鏡湖と見まごうはずである。
終當過江去,愛此暫踟躕。

しかしこうしてみていると江南を流浪してそうして長安方面にはもう帰りたくない、暫くはこの地を愛しているので、ここを離れるのにためらいがある。



陶公 逸興有り,常人 俱にあたわず。

築台 半月を像り,回りて向う高城の隅。

置酒 白雲に望む,商飆 寒くして梧を 起す。

秋山 遠海に入り、桑柘 平蕪に羅(つら)なる。 

水色 淥(ろく)かつ明 人をして鏡湖を思はしむ。

つひにまさに江を過ぎて去るべきも、ここを愛してしばらく踟躕(ちちゅう)す。





陶公有逸興,不與常人俱。
陶公は趣向に長ておられる、とても一般の文人官僚と一緒にされるものではない。



築台像半月,回向高城隅。
高楼の台地を半月の形に築きあげられた。廻って見たり、正面から見たりして高楼の隅々まで行った。

置酒望白雲,商飆起寒梧。
この半月型の台地に酒をもってきて大空の白雲を眺めていたい。秋の西風、吹き上げる大風、青桐はすっかり葉を落として立っている。
 あきかぜ、にしかぜ、星座のひとつ ○ひょう つむじかぜ、吹き上げる大風。 ○ あおぎり。落葉樹

 
秋山入遠海 桑柘羅平蕪
すっかり秋の気配の山というのははるか遠い海原に入っていくことだ。桑と山ぐわの葉があり、雑草がどこまでも被っているのだ
桑柘(そうしゃ)桑とやまぐは。○平蕪 平らかな雑草の茂った地。

水色淥且明 令人思鏡湖
水面にうつるのは清らかな緑色でありその上明るく輝いている。これは誰が見ても賀知章翁の鏡湖と見まごうはずである。
清らか。澄みきった水の緑を言う。 ○鏡湖 浙江省の紹興にある湖。李白が朝廷に上がって間もなく賀知章が官を辞して、天子から賜ったもの。

終當過江去 愛此暫踟躕
しかしこうしてみていると江南を流浪してそうして長安方面にはもう帰りたくない、暫くはこの地を愛しているので、ここを離れるのにためらいがある。
踟躕  ためらう。


○韻 興、、隅。/梧、蕪、湖。/去、

沙邱城下寄杜甫 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白190

沙邱城下寄杜甫  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白190


沙邱城下寄杜甫  李白

「さて、お互いに飛蓬のごとくあてどなく遠く去ってゆく身である。まずは十分飲もうではないか」。
再び遇えることもない将来を予想したような詩であるが、事実、二人は再び遇うことはなかった。
李白と杜甫と直接交わって遊んだのは、一年ほどの短期間で、東魯・梁園あたりを遊び歩いていた。
心を許した杜甫に対する惜別の情を表わしている。
彼らは別れて以後、お互いを思う友情はいつまでも続いて、杜甫はその後長安にあって、しばしば李白を憶う詩を作っている。李白がのち夜郎に流されたとき、杜甫は秦州(天水)におり、「李白を夢む」二首を作っている。
一方、李白のほうも杜甫のことを思い、沙邱で、「沙郎城下にて、杜甫に寄す」がある。


沙邱城下寄杜甫

我来竟何事、高臥沙邱城。
わたしはここへやって来たが、結局何をしに来たのだろう。沙邱の城郭にいるがで話の分かる人がいないので昼寝で高枕をしている。
城邊有古樹、日夕連秋聾。
城郭のはずれには、年を食った妓女がたくさんいて、ひるも夜もないほどひっきりなしに秋の聲で泣き続けているのだ。
魯酒不可醉、齊歌空復情。
君がいないと魯の国のうすい酒には酔えないし、斉の国の歌には、ただむなしく気持がかき立てられるだけなのだ。
思君若汶水、浩蕩寄南征。
君のことを思い出すと、あの汶水の流れのように、ひろびろとただようだけなのだ、南に向って流れる水に託してこの手紙をとどけてもらおう。


我来たる竟に何事ぞ、沙郎城に高臥す。

城辺に古樹有り、日夕 秋声を連なる。

魯酒は酔う可からず、斉歌は空しく復た情あり。

君を思うことの若く、浩蕩として南征に寄す。



沙邱城下寄杜甫 訳註と解説


(本文)
我来竟何事、高臥沙邱城。
城邊有古樹、日夕連秋聾。
魯酒不可醉、齊歌空復情。
思君若汶水、浩蕩寄南征。

(下し文) 
我来たる竟に何事ぞ、沙郎城に高臥す。
城辺に古樹有り、日夕 秋声を連なる。
魯酒は酔う可からず、斉歌は空しく復た情あり。
君を思うこと汶水の若く、浩蕩として南征に寄す。
 
(現代語訳)

わたしはここへやって来たが、結局何をしに来たのだろう。沙邱の城郭にいるがで話の分かる人がいないので昼寝で高枕をしている。
城郭のはずれには、年を食った妓女がたくさんいて、ひるも夜もないほどひっきりなしに秋の聲で泣き続けているのだ。
君がいないと魯の国のうすい酒には酔えないし、斉の国の歌には、ただむなしく気持がかき立てられるだけなのだ。
君のことを思い出すと、あの汶水の流れのように、ひろびろとただようだけなのだ、南に向って流れる水に託してこの手紙をとどけてもらおう。


 
(解説)

○詩型 五言律詩
○押韻 城、聲、情、征。

沙邱城 山東省の西端に近い臨清県のとり西にあったという。○杜甫 (712-770年)李白と並び称せられる大詩人。李白より11歳年少。
 

我来竟何事、高臥沙邱城。
わたしはここへやって来たが、結局何をしに来たのだろう。沙邱の城郭にいるがで話の分かる人がいないので昼寝で高枕をしている。
○高臥 世俗を低くみて高枕すること。

城邊有古樹、日夕連秋聾。
城郭のはずれには、年を食った妓女がたくさんいて、ひるも夜もないほどひっきりなしに秋の聲で泣き続けているのだ。
城邊 街の真ん中にある場合もあるが、その場合は旅人を中心とした旅籠、城邊にあるのは芸妓を基本として舞、,踊り、歌のできるものの歓楽地であった。



魯酒不可醉、齊歌空復情。
君がいないと魯の国のうすい酒には酔えないし、斉の国の歌には、ただむなしく気持がかき立てられるだけなのだ
魯酒 魯酒薄くして郡部囲まるという語あり(「荘子」・脾俵篇)。うすい酒を意味している。ここは李白は論じ合って酒を飲み酔うことを言うので杜甫のいないことの雰囲気をあらわしている。次の句の斉歌も杜甫のいないということを考え合わせるとよくわかる。○斉歌 春秋時代の魯の国と斉の国とは、今の山東省にあった。



思君若汶水、浩蕩寄南征。
君のことを思い出すと、あの汶水の流れのように、ひろびろとただようだけなのだ、南に向って流れる水に託してこの手紙をとどけてもらおう。
汶水 山東省、泰山の南の辺を流れている川。地図に示すように泗水は泰山の南を西に流れ、南流して大運河に合流するが、汶水は西流していて南流はしていない。大運河で南に行くことになる。○浩蕩 水がひろびろとただようようすをいう。○南征 南の方にゆく。



(解説)

○詩型 五言律詩
○押韻 城、聾、情、征。


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「沙邱城」は、今のどの辺かまだ判明していない。詩中、汶水が出てくるから、その近くであろう。ただ、山東の掖県に沙邱城があったといわれる。また、泗水は南流して大運河に流入するが、汶水は清流して黄河に流入する。もっとも、その後、だいうんがにはいれば、「南征」できるが、杜甫はこの時洛陽から長安に登っている。少し杜甫を見下していたのかもしれない。

「自分がこの山東の地に来たのは、何のためか。毎日、沙邱城の地で何もせずに暮らしているばかりである」。君と別れてからは、何もすることもなく寂しいという。
「城郭のはずれには、年を食った妓女がたくさんいて、ひるも夜もないほどひっきりなしに秋の聲で泣き続けているのだ。」。君がおれば、ここで飲んでたのしむことができるだろうが、今は君がいないから一人で飲んでもつまらない。「この地方の魯の酒を飲んでも酔えない」。魯の酒は薄いといわれているが、とくにそのことを意識しているわけではなく、地酒ということであろう。「この地方の斉の歌も聞いても、ただむなしく情がかき立てられるばかりである」。酒を飲んでも、歌を聞いても、君がおらないとつまらない。
「近くを流れる汶水の流れのごとく、いつまでも君のことが思われる。はるかかなたに流れゆく汶水の流れに託して、わが思いを君に寄せたい」。杜甫を思う友情を現わす詩であって、寂しく一人酒を飲んでいる李白の姿が想像される。

李白の仙道を求め、自由を愛し、何ものにも拘束されない豪放の性格は、価値観の違いを大いに感じたものであった。

李白は、すべての事物が詩の材料である。杜甫について残された詩が少ないということは、杜甫のまじめな正義感の強い人間に対してどこまで魅力的に感じられたかというと、疑問は残る。

互いに、その詩に影響されることは全くないのである。
杜甫も李白の性格に影響されることなく、その性格のままに、自分の考える詩の道を歩き、李白のような奔放な詩は作らなかった。
お互いの個性を認めて、高く評価して称賛するにとどまるのである。

杜甫は李白の詩をきわめて高く評価して称賛している。『春日憶李白』「白の詩はかなうものが無い」とか、李白の詩の作り方は『不見』「すばやくて千首の詩ができる」とか、『寄李十二白二十韻』「筆を下ろせば風雨を驚かすほど、詩ができると鬼神を泣かせるほど」といっているほどである。


魯郡東石門送杜二甫 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白189

魯郡東石門送杜二甫 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白189



魯郡東石門送杜二甫  李白

 李白と杜甫は中国が生んだ最も偉大な詩人である。
 この二人は李白が11歳年長だったことを考慮に入れても、ほぼ同時代人であった。そこから李杜と並び称されるようにもなるが、これは単に同時代人としての併称であることを超えて、中国4000年の文学の真髄を表したものなのである。

 この二人が生きたのは8世紀の前半、盛唐と称される時代である。唐王朝が誕生して約100年、盤石であった律令体制にほころびが出始めた時期である。則天武后による逸脱、や王朝の権力闘争の陰で、柱であった均田制と府兵制、拡張しすぎた領土、王朝の維持に節度使制により、解決されるが、これが、国を大きく揺るがせる叛乱の大極元年(712)玄宗が皇位について、未曾有の繁栄を謳歌する。李白はよきにつけ悪しきに付けこの時代の雰囲気を体現して、1000首余りに上る膨大な詩を残した。

李杜の作風にはおのずから相違がある。その相違はまた中国文学の持つ二つの特質をある意味で表現したものだともいえる。杜甫の作風は堅実で繊細、しかも社会の動きにも敏感で、民衆の苦悩に同情するあまり時に社会批判的な傾向を帯びる。

それに対して李白の作風は豪放磊落という言葉に集約される。調子はリズミカルで内容は細事に拘泥せず、天真爛漫な気持ちを歌ったものが多い。社会の動きに時に目を配ることはあっても、人民の苦悩に同情するところはほとんどない。こんなこともあって、現代中国では杜甫に比較して評価が低くなってもいるが、その作風が中国文学の大きな流れのひとつを体現していることは間違いない。

李白の出自については長らく、四川省出身の漢民族だという説が有力であった。しかし前世紀の半ば以降緻密な研究が重ねられた結果、李白の一族は四川省土着のものではないということが明らかになった。彼の父とその祖先は西域を根拠としてシルクロードの貿易に従事する人たちだったらしい。その一家が李白の生まれた頃に蜀(四川省)にやってきた。そして李白が5歳の頃に、現在の四川省江油市あたりに定住した。もしかしたら、李白は漢民族ではなく、西域の血を引いていた可能性がある。


 唐の時代には、偉大な文学者はほとんどすべて官僚であった。官僚にならずに終わった人も、生涯のある時期、官僚を目指して進士の試験を受けるのが当たり前であった。ところが李白には自らこの試験を受けようとした形跡がない。彼は生涯を無衣の人として過ごすのであり、放浪に明け暮れた人生を送った。また人生の節々で色々な人と出会い、宮殿の端に列するようなこともあったが、その折の李白は文人としては敬意を評されても、一人の人間として高い尊敬を受けたとは思えない。これらのことが彼の出自と関係していることは大いに考えられる。

  遣懐(昔我遊宋中) 杜甫15大暦3年76857歳夔州

贈李白 杜甫16(李白と旅する)天宝3載74433
贈李白 杜甫17 (李白と旅する) 33

  昔遊 杜甫19(李白と旅する)大暦3年76857歳夔州
與李十二白同尋范十隱居 天宝4載74534

冬日億李白
春日憶李白 天宝5載 746 35

送孔巢父謝病歸游江東,兼呈李白35

飲中八仙歌 杜甫28   35  

10/15現在杜甫755年頃ブログ進行中 この後六首 掲載予定
秦州**********************乾元2年759年48歳
⑧五言古詩夢李白二首其の一  
⑨五言古詩夢李白二首其の二
⑩五言律詩天末懷李白
⑪五言古詩寄李十二白二十韻
成都・浣花渓**************上元2年761年50歳
⑫五言古詩 不見  
菱州**********************大暦3年768年57歳
⑬五言古詩 昔游 
⑭五言古詩 遣懷
⑮五言古詩 壯游
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李白と杜甫の別れ
 李白と杜甫の交友が始まって、何日も何日も二人は酒を酌み交わす日々が続いたが、二人の生活は一年足らずで終わることとなる。ある時、杜甫が仕官のため魯郡を離れて都に出たいと打ち明け時、李白はその無念さを酒で紛らわした詩「石門にて杜二甫を送る」がある。
これより李白と杜甫との交誼は親密度を加え、しばしば詩文を論じあうことがあった。また、二人して当時の文学の大先輩であり、もはや七十歳に近い李邕を済南に訪ねている。李邕はこのとき、北海の太守であった。李邕は『文選』に注した李善の子であって、父の注の補いもしている文選学者でもある。杜甫が後年、李邕の知遇を得たのは、このときの縁であり、杜甫が『文選』を学ぶようになったのも、この李邕のおかげである。

上李邕 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白188

746年天宝5載35歳

その年の夏、李邕が済州(済南)にやって来たので、杜甫は李邕に従い、済州の駅亭にある歴下亭や、済州城の北方にある鵲山亭での宴遊に加わって、当代の文壇のあれこれについて談じた。話は祖父審言にも及び、李邕は審言の詩の美しきを賛えた。杜甫は祖父の存在を、どんなに誇りに思ったことであろう。
 秋になって、杜甫は兗州に李白を訪ねた。李白は兗州に程近い任城(済寧)に家を構えており、二人の子供をそこに置いていた。杜甫は、すでに高天師のところから帰っていた李白と、東方にある蒙山に登って、董錬師、元逸人という道士を訪ねたり、城北に范十隠居を訪問したりしている。

杜甫③「李十二と同に花十隠居を尋ぬ」詩を見ると、李白の詩の佳句は、六朝梁の詩人、陰鐘に似ていると評している。陰鐙は、自然の美しきを歌うことが多いから、その点が似ているといっているのかもしれない。また、二人は兄弟のごとき親しさをもち、「酔うて眠るに秋には被を共にき、手を携えて日ごとに行を同にす」と歌っている。
與李十二白同尋范十隱居 杜甫
李侯有佳句,往往似陰鏗
余亦東蒙客,憐君如弟兄。
醉眠秋共被,攜手日同行。
更想幽期處,還尋北郭生。
・・・・・・・・

李白と杜甫は、このあとまもなく山東の曲阜近くの石門の地で別れることになる。杜甫は官職を求め希望を抱いて長安の都に行くためであり、李白も新しい遍歴の旅に上ることになったからである。石門の地で手を別って以来、終生再び遇うことはなかった。李白は杜甫に対して送別の詩「魯郡の東 石門にて、杜二甫を送る」を作っている。



魯郡東石門送杜二甫
酔別復幾日、登臨徧池臺。
別れを惜しんで酒に酔うことを、もう幾日くりかえしたことであろう。高い所に登って見晴らすために、池や展望台は、ことごとく廻り歩いた。
何言石門路、重有金樽開。
ああ、いつの日に、石門の路でふたたび、黄金の酒樽を開けることか。
秋波落泗水、海色明徂徠。
秋のさざ波は満水の泗水の川面に落ち、東海のはてまで澄みきった秋の色に、徂徠山は明るい。
飛蓬各自遠、且尽林中盃。

風に飛ぶ蓬根無し草のように、遠くはなればなれになってしまうぼくたち、今はともかく、手の中にある杯を飲みほそう!

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魯郡東石門送杜二甫 訳註と解説

(本文)
魯郡東石門送杜二甫
酔別復幾日、登臨徧池臺。
何言石門路、重有金樽開。
秋波落泗水、海色明徂徠。
飛蓬各自遠、且尽林中盃。

(下し文) 魯郡の東 石門にて杜二甫を送る

(現代語訳)

酔別(すいべつ)()た幾日(いくにち)ぞ、登臨(とうりん)池台(ちだい)(あまね)し。

何ぞ言わん石門(せきもん)の路(みち)、重ねて金樽(きんそん)の開く有らんと。

秋波(しゅうは)泗水(しすい)に落ち、海色(かいしょく) 徂徠(そらい)に明かなり。

飛蓬(ひほう)各自(かくじ)遠し、且(しばら)く林中(りんちゅう)の盃(はい)を尽くさん。

別れを惜しんで酒に酔うことを、もう幾日くりかえしたことであろう。高い所に登って見晴らすために、池や展望台は、ことごとく廻り歩いた。
ああ、いつの日に、石門の路でふたたび、黄金の酒樽を開けることか。
秋のさざ波は満水の泗水の川面に落ち、東海のはてまで澄みきった秋の色に、徂徠山は明るい。
風に飛ぶ蓬根無し草のように、遠くはなればなれになってしまうぼくたち、今はともかく、手の中にある杯を飲みほそう!


魯郡東石門送杜二甫
○魯郡 いまの山東省兗州市。○石門 いまの山東省曲阜県の東北、泗水の岸にあった。○杜二甫 まん中の二は、杜甫が一族の中で上から二番目の男子であることを示す。



酔別復幾日、登臨徧池臺。
別れを惜しんで酒に酔うことを、もう幾日くりかえしたことであろう。高い所に登って見晴らすために、池や展望台は、ことごとく廻り歩いた。
酔別 別れの酒に酔う。○登臨 登山臨水。



何言石門路、重有金樽開
ああ、いつの日に、石門の路でふたたび、黄金の酒樽を開けることか。
何言 「言」が日であったり、時であるばあいもある。 ○金樽 口の広い酒器、盃より大きい。



秋波落泗水、海色明徂徠。
秋のさざ波は満水の泗水の川面に落ち、東海のはてまで澄みきった秋の色に、徂徠山は明るい。
洒水 山東省を流れる川。大運河に流れ込む。黄河の支流。兗州を流れる。○徂徠 山東省奉安県の東南にある山。北に見る泰山に対する山として有名。



飛蓬各自遠、且尽林中盃。
風に飛ぶ蓬根無し草のように、遠くはなればなれになってしまうぼくたち、今はともかく、手の中にある杯を飲みほそう!
飛蓬 風に飛ぶ蓬根無し草。寒山、李賀にみえる。杜甫は「飄蓬」をよくつかう。根はないが、芯はしっかりした場合に使う。ただの風来坊には使わない。


(解説)
冒頭「酔別幾日ぞ」とは、よほど名残り惜しかったことだろう。続いて と詠んでいる。山東省滋陽県の辺りを「魯郡」という。李白は、ここの滋陽県の辺に家族を置いていた。東魯とか兗州と呼んでいたところである。た。当時、李白はこの二つを往来し、「石門」は曲阜の近くにある山である。
それとは別に、汁州の梁園(開封)に再婚の妻を置いていまた、ここを中心に各地方を遍歴していたと推定される。この詩、李白の家族の住む近くで遊んで別れることになった。作られた年代は、黄氏は、天宝三年八七四四)、四十四歳のとき、唐氏は、それよりのちの四十六歳とするが、洛陽で杜甫と会って、それからのことであるから、唐氏の説が当たっているかもしれない。
「いっしょに飲んで別れて幾日たったであろうか。きみとあらゆる名所の池や台に遊びまわった。この石門の地で別れたらもう再び飲んで遊びまわることはないかもしれない」。
「秋のけはいの中に酒水が低く流れている」。「泗水」は石門山付近を流れる。「遠くの海水の色が輝き、近くの徂徠山が明るく見えている」。「徂徠」山は、曲卓の近くにある。東の海ははるかで遠いが、秋波と対句にするためにあえていったもの。「秋波」 は秋の薄雲がなびくさまをいうか。

上李邕 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白188

上李邕 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白188


上李邕
大鵬一日同風起、扶揺直上九万里。
大鵬は一日で風と共に飛び立ち、旋風のように上昇して東の海中に生えているという伝説の大木もとへ  九万里を飛ぶのだ。
仮令風歇時下来、猶能簸却滄溟水。
もし、風がやみ、降りるときが来たとしても、それでもなお、青くはてしない大海原をゆらしたり、もどしたりするのである。
時人見我恒殊調、聞余大言皆冷笑。
世の人は私が常に優れた詩文の調子をもっていると見てはいる、だけどそれは大きな志であるが皆冷笑して聞き流している。
宣父猶能畏后生、丈夫未可軽年少。

孔子は「なおよく、若者は畏るべし」と申されております。歳輪の行かない未経験者であなたさまのようにはいかないかもしれません。(でもよろしくお願いします。)


李邕に上る
大鵬(たいほう)  一日  風と同(とも)に起こり、扶揺(ふよう)  直ちに上る九万里。  
仮令(たとえ)  風歇(や)みて時に下り来るも、猶お能(よ)く  滄溟(そうめい)の水を簸却(はきゃく)す。  
時人(じじん)  我の恒に調(しらべ)を殊にするを見て、余の大言(たいげん)を聞きて皆(ことごと)く冷笑す
宣父(せんぷ)も猶お能く后生(こうせい)を畏(おそ)る
丈夫(じょうふ)  未だ年少を軽んず可からず


李邕に上る 訳註と解説
(本文)
大鵬一日同風起、扶揺直上九万里。
仮令風歇時下来、猶能簸却滄溟水。
時人見我恒殊調、聞余大言皆冷笑。
宣父猶能畏后生、丈夫未可軽年少。

(下し文)
大鵬(たいほう)  一日  風と同(とも)に起こり、扶揺(ふよう)  直ちに上る九万里。  
仮令(たとえ)  風歇(や)みて時に下り来るも、猶お能(よ)く  滄溟(そうめい)の水を簸却(はきゃく)す。  
時人(じじん)  我の恒に調(しらべ)を殊にするを見て、余の大言(たいげん)を聞きて皆(ことごと)く冷笑す
宣父(せんぷ)も猶お能く后生(こうせい)を畏(おそ)る
丈夫(じょうふ)  未だ年少を軽んず可からず


(現代語訳)
大鵬は一日で風と共に飛び立ち、旋風のように上昇して東の海中に生えているという伝説の大木もとへ  九万里を飛ぶのだ。
もし、風がやみ、降りるときが来たとしても、それでもなお、青くはてしない大海原をゆらしたり、もどしたりするのである。
世の人は私が常に優れた詩文の調子をもっていると見てはいる、だけどそれは大きな志であるが皆冷笑して聞き流している。
孔子は「なおよく、若者は畏るべし」と申されております。歳輪の行かない未経験者であなたさまのようにはいかないかもしれません。(でもよろしくお願いします。)




大鵬一日同風起 扶揺直上九万里  
大鵬は一日で風と共に飛び立ち、旋風のように上昇して東の海中に生えているという伝説の大木もとへ  九万里を飛ぶのだ。
大鵬 中国神話の伝説の鳥、霊鳥である。羽ある生物の王。李白の才能を示す。○扶揺 東の海中に生えているという伝説の大木。つむじかぜ。・扶桑東海の日の出る所にあるという神木。日本の別名 ○九万里 36万km大鵬の飛ぶ距離、慣用語。



仮令風歇時下来 猶能簸却滄溟水  
もし、風がやみ、降りるときが来たとしても、それでもなお、青くはてしない大海原をゆらしたり、もどしたりするのである。
仮令 もし、仮に。○簸却 ふるわせたり、静かにさせる。○滄溟 果てしない大海原。



時人見我恒殊調 聞余大言皆冷笑  
世の人は私が常に優れた詩文の調子をもっていると見てはいる、だけどそれは大きな志であるが皆冷笑して聞き流している。
時人 今どきの人。○恒殊調 常に優れた詩文の調子。

宣父猶能畏后生 丈夫未可軽年少  
孔子は「なおよく、若者は畏るべし」と申されております。歳輪の行かない未経験者であなたさまのようにはいかないかもしれません。(でもよろしくお願いします。)
宣父 孔子 ○后生 後に生まれたもの



(解説)

詩型 七言律詩
押韻 起、里。/來、水。/調、笑、少。

 李邕は『文選』に注をほどこした李善(りぜん)の子で、文と書にすぐれた大家で、このとき六十二、三歳であった。青州(北海郡)の太守に左遷されていたのだ。朝廷の高官が一地方郡の知事クラスということは、この頃の李林甫の文人を遠ざける施策の最大の犠牲者であった。
 それでも李白と杜甫にとっては作った詩歌を見てほしいと思ったことであろう。

そのとき李白が李邕に献じた詩が「上李邕」と思われます。李白も天子のおそばで翰林院供奉であった片りんを見せている。この大家に自分を『荘子』逍遥游篇の大鵬に比してみせている。

送魯郡劉長史遷弘農長史  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白187

送魯郡劉長史遷弘農長史  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白187


魯郡の劉長史、弘農の長史に遷るを送る
 
744の冬には 道士になり、李白は任城の「魯の一婦人」のもとにもどって、冬から翌天宝四載(745)の春を過ごしている。
また、時には人から同情され、贈りものがあり、大いに感激にふるえることもあった。「魯郡の劉長史、弘農の長史に還るを送る」では、劉長史がよき地弘農に赴任する喜びを歌いつつ、赴任に際して李白に示してくれた厚き友情に感激して、歌ったものである。


送魯郡劉長史遷弘農長史

魯國一杯水。 難容橫海鱗。
魯國においての一人で杯水のようで役に立たない状態なのだ。食事に海鱗の鱠をならべることはむつかしい。
仲尼且不敬。 況乃尋常人。
いまは仲の良い女道士も敬って献納してはおれない。そんなことなので街の普通の人を尋ねたのである。
白玉換斗粟。 黃金買尺薪。』

白い輝く宝石を、数斗の粟に変えたし、黄金は揃えられた薪の束を買うのに使ったのだ。』
閉門木葉下。 始覺秋非春。
家の門を閉ざし木葉を下に敷き詰めた。 こんなことは初めてのことだ、いまは春ではない秋なのだということがしみじみわかった。
聞君向西遷。 地即鼎湖鄰。
君に聞きたい、西方の弘農の地に左遷され向おうというのだろう。 その地は即ち鼎湖の鄰のあたりで遠いところだ。
寶鏡匣蒼蘚。 丹經埋素塵。
宝石の鏡、サファイア石は鮮やかに光っている。それに比べ道教の経典は埃に埋もれている。
軒后上天時。 攀龍遺小臣。
皇后が御車で宮殿に上がられるとき。鳳凰と龍の飛び上がる勢いの置物を自分につかわされた。
及此留惠愛。 庶幾風化淳。 』

此に及んで 惠愛をありがたく思い。 常日頃から今後長きにわたって忘れてはいけないことだと淳心な気持ちになった。』
魯縞如白煙。 五縑不成束。
その魯地産の絹は白煙のごとく白く、わずか五匹では一束にはなりはしないのだ。
臨行贈貧交。 一尺重山岳。
きみは出立にあたって魯の絹をこの貧しき友に贈ってくれた。その厚意は一尺でも山岳より重いものがある」。
相國齊晏子。 贈行不及言。
そして、春秋時代、斉の大臣妟子は、旅の出立に際して、贈るものは、ことばがいちばんよいといったが、今、自分もよきことばを贈ろう。
托陰當樹李。 忘憂當樹萱。
木陰をたよりにしたいなら李の木を植えるべきであり、憂いを忘れたいなら忘憂草を植えるべきである。
他日見張祿。 綈袍懷舊恩。』
「人と交際するには徳ある人と交わるべきであり、才能ある人と交わるべきである。君よつまらぬ者と交際するな」。』


魯國 一杯の水。海鱗 橫わり容し難し。
仲尼 且 敬ず。況や乃 常人尋ねん。
白玉 斗粟に換る。 黃金 尺薪を買う。 』

門を閉ざし木葉の下。 始めて覺ゆ 秋 春に非らず。
君に聞く西遷に向わんと。 地 即ち鼎湖の鄰。
寶鏡 匣蒼 蘚なり。 丹經 素塵に埋る。
軒后 上天の時。 攀龍 小臣に遺る。
此に及び 惠愛を留む。 幾に庶り 風化 淳し。 』

魯の縞は白煙の如く、五縑にして束を成さず
行に臨んで貧しき交に贈らる、一尺は山岳より重し
相国の斉の貴子、行に贈るに言に及かずと
陰に託せんとすれば当に李を樹うべし、憂いを忘れんとすれば当に萱を樹うべし
他日 張禄を見ん、綿袖もて旧恩を懐わん』





送魯郡劉長史遷弘農長史 訳註と解説


(本文)
魯國一杯水。 難容橫海鱗。
仲尼且不敬。 況乃尋常人。
白玉換斗粟。 黃金買尺薪。

(下し文)
魯國 一杯の水。海鱗 橫わり容し難し。
仲尼 且 敬ず。況や乃 常人尋ねん。
白玉 斗粟に換る。 黃金 尺薪を買う。


(語訳)
 魯國においての一人で杯水のようで役に立たない状態なのだ。食事に海鱗の鱠をならべることはむつかしい。
いまは仲の良い女道士も敬って献納してはおれない。そんなことなので街の普通の人を尋ねたのである。
白い輝く宝石を、数斗の粟に変えたし、黄金は揃えられた薪の束を買うのに使ったのだ。



魯國一杯水。 難容橫海鱗。
魯國においての一人で杯水のようで役に立たない状態なのだ。食事に海鱗の鱠をならべることはむつかしい。
○杯水 盃に入れた水では役に立たない。孟子・告子「杯水車薪」いっぱいとは言え盃の水では火を消せないということ。



仲尼且不敬。 況乃尋常人。
いまは仲の良い女道士も敬って献納してはおれない。そんなことなので街の普通の人を尋ねたのである。



白玉換斗粟。 黃金買尺薪。
白い輝く宝石を、数斗の粟に変えたし、黄金は揃えられた薪の束を買うのに使ったのだ。




(本文)
閉門木葉下。 始覺秋非春。
聞君向西遷。 地即鼎湖鄰。
寶鏡匣蒼蘚。 丹經埋素塵。
軒后上天時。 攀龍遺小臣。
及此留惠愛。 庶幾風化淳。


(下し文)
門を閉ざし木葉の下。 始めて覺ゆ 秋 春に非らず。
君に聞く西遷に向わんと。 地 即ち鼎湖の鄰。
寶鏡 匣蒼 蘚なり。 丹經 素塵に埋る。
軒后 上天の時。 攀龍 小臣に遺る。
此に及び 惠愛を留む。 幾に庶り 風化 淳し。


(語訳)
家の門を閉ざし木葉を下に敷き詰めた。 こんなことは初めてのことだ、いまは春ではない秋なのだということがしみじみわかった。
君に聞きたい、西方の弘農の地に左遷され向おうというのだろう。 その地は即ち鼎湖の鄰のあたりで遠いところだ。
宝石の鏡、サファイア石は鮮やかに光っている。
それに比べ道教の経典は埃に埋もれている。
皇后が御車で宮殿に上がられるとき。鳳凰と龍の飛び上がる勢いの置物を自分につかわされた。
此に及んで 惠愛をありがたく思い。 常日頃から今後長きにわたって忘れてはいけないことだと淳心な気持ちになった。



閉門木葉下。 始覺秋非春。
家の門を閉ざし木葉を下に敷き詰めた。 こんなことは初めてのことだ、いまは春ではない秋なのだということがしみじみわかった



聞君向西遷。 地即鼎湖鄰。
君に聞きたい、西方の弘農の地に左遷され向おうというのだろう。 その地は即ち鼎湖の鄰のあたりで遠いところだ
鼎湖は広東省肇慶市に位置する(桂林と香港の中間あたり)



寶鏡匣蒼蘚。 丹經埋素塵。
宝石の鏡、サファイア石は鮮やかに光っている。それに比べ道教の経典は埃に埋もれている。
○寶鏡 宝飾で飾られた鏡。○匣蒼 サファイア玉。 ○丹經 道教の教本。 ○素塵 ほこり。



軒后上天時。 攀龍遺小臣。
皇后が御車で宮殿に上がられるとき。鳳凰と龍の飛び上がる勢いの置物を自分につかわされた。



及此留惠愛。 庶幾風化淳。
此に及んで 惠愛をありがたく思い。 常日頃から今後長きにわたって忘れてはいけないことだと淳心な気持ちになった



(本文)
魯縞如白煙、五縑不成束。
臨行胎貧交、一尺重山岳。
相国哲量子、潜行不及言。
託陰常樹李、忘憂普樹萱。
他日見張縁、組柏懐蕃恩。


(下し文)
魯の縞は白煙の如く、五縑にして束を成さず
行に臨んで貧しき交に贈らる、一尺は山岳より重し
相国の斉の貴子、行に贈るに言に及かずと
陰に託せんとすれば当に李を樹うべし、憂いを忘れんとすれば当に萱を樹うべし
他日 張禄を見ん、綿袖もて旧恩を懐わん

(語訳)

その魯地産の絹は白煙のごとく白く、わずか五匹では一束にはなりはしないのだ。
きみは出立にあたって魯の絹をこの貧しき友に贈ってくれた。その厚意は一尺でも山岳より重いものがある」。
そして、春秋時代、斉の大臣妟子は、旅の出立に際して、贈るものは、ことばがいちばんよいといったが、今、自分もよきことばを贈ろう。
「木陰をたよりにしたいなら李の木を植えるべきであり、憂いを忘れたいなら忘憂草を植えるべきである。
人と交際するには徳ある人と交わるべきであり、才能ある人と交わるべきである。君よつまらぬ者と交際するな」。


魯縞如白煙、五縑不成束。
その魯地産の絹は白煙のごとく白く、わずか五匹では一束にはなりはしないのだ。



臨行胎貧交、一尺重山岳。
きみは出立にあたって魯の絹をこの貧しき友に贈ってくれた。その厚意は一尺でも山岳より重いものがある」。

(今の貧乏暮らしの自分にとっては、じつにありがたい。一生忘れることはできない、と感謝している。)



相國齊晏子。贈行不及言。
そして、春秋時代、斉の大臣妟子は、旅の出立に際して、贈るものは、ことばがいちばんよいといったが、今、自分もよきことばを贈ろう。



托陰當樹李。 忘憂當樹萱。
木陰をたよりにしたいなら李の木を植えるべきであり、憂いを忘れたいなら忘憂草を植えるべきである。



他日見張縁、組柏懐蕃恩。
人と交際するには徳ある人と交わるべきであり、才能ある人と交わるべきである。君よつまらぬ者と交際するな」。




この戒めの喩えは、李白の過去の体験から来たものであるが参考にした故事は以下のとおりである。。

 
 さて、春秋時代、范雎は、はじめ魏の須賈に仕え、逐われて、のち張禄と姓名を変え、秦に仕えて大臣になった。須賈は知らずに秦に使いして、徴服の范雎に会い、その寒苦に同情して厚き上衣を与えた。そして、共に役所に行き、大臣となっているのを知って謝罪したという。ことは『史記』の「范雎伝」に詳しい。「君も将来、張禄のように出世されるであろう。そのときは、贈ってくださった魯の縞を思い出して旧恩に報いたいと思う」といい、その厚き友情に対する感謝の念を現わしている。貧しい日常の李白にとっては「旧恩」をいつまでも思ったことであろう。 

 貧しいがゆえにその感激はひとしおのものであった。
 以上に見られるような感慨は、長安に入るまでの第一次の遍歴時代にはまったく見られなかったところである。彼の生活がいかに苦しかったかが想像される。

對雪獻從兄虞城宰  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白186

對雪獻從兄虞城宰  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白186


 李白は任城に「魯の一婦人」という女性を置いており、この女性は李白の三人目の内妻になる。李白と杜甫は任城の家に立ち寄ってから斉州に行ったと思われるが、斉州に着くと李白は道士になる修行をはじめ、道籙(どうろく)を受けるのだが、これには謝礼を必要とした。その金も玄宗の御下賜金で賄われた。この時、李白は道教にすがる思いもあったのではないだろうか。
 杜甫は道士になる気はないので、斉州の司馬として赴任していた李之芳(りしほう)のもとに身を寄せた。
李之芳のもとにいたとき、たまたま隣の青州(山東省益都県)の刺史李邕(りよう)が訪ねてきて、杜甫はこの著名な老文学者と知り合いになる。
 道士になった李白は任城の「魯の一婦人」のもとにもどって冬から翌天宝四載(745)の春過ぎまで一緒に過ごしている。夏のはじめに杜甫が斉州から訪ねてきて、二人は連れ立って任城一帯で遊ぶ。


しかし、李白の周辺は、都追放が人との付き合いに影響していたようだ。かく人情は軽薄にしてつねに反覆するものであることを歌い、世の風の冷酷さを李白はしみじみ感じている。また一方、生活はしだいに窮乏を告げてきた。長安を去るとき、天子から何ほどかの御下賜金があったはずであるが、もはや使い果たしている。
食糧のなかったことを、この貧しさに耐えかねて、従兄とする皓に訴えざるをえなかった。「雪に対して従兄の虞城の宰に献ず」はこの時の気持ちを詠っている。

對雪獻從兄虞城宰
昨夜梁園裏。 弟寒兄不知。
ほんの昨夜まで、朝廷(魏の宮廷の梁園)で大官を相手にしていた自分が、まだ名もなき頃義兄といって付き合っていた、たかだか県知事のところへ逗留するとは、人情にも、懐にも寒さを感じておる弟の自分のことは義兄としてわかってはいないだろう。
庭前看玉樹。 腸斷憶連枝。

朝起きて庭を見ると雪が降り積もって、ちょっと前まで宮廷で看ていた宝玉石で飾った木樹を見られた。腸の絶えるいろんな思いがあるがここは兄弟ということの意味を憶い起してほしい。


對雪獻從兄虞城宰の訳註と解説

(本文)
昨夜梁園裏。 弟寒兄不知。
庭前看玉樹。 腸斷憶連枝。

(下し文)

昨夜梁園の裏(うち)、弟寒けれども兄は知らざらん。

庭前に玉樹を見、腸は断えて連枝を憶ふ。


ほんの昨夜まで、朝廷(魏の宮廷の梁園)で大官を相手にしていた自分が、まだ名もなき頃義兄といって付き合っていた、たかだか県知事のところへ逗留するとは、人情にも、懐にも寒さを感じておる弟の自分のことは義兄としてわかってはいないだろう。
朝起きて庭を見ると雪が降り積もって、ちょっと前まで宮廷で看ていた宝玉石で飾った木樹を見られた。腸の絶えるいろんな思いがあるがここは兄弟ということの意味を憶い起してほしい。

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對雪獻從兄虞城宰
從兄 裏陽の少府をやっていた皓であり、この時、虞城(河南省虞城県)の宰(地方長官)となっている。 ○虞城 虞城は今の河南省の東境で、山東省の単父(ゼンポ)の隣県になる。



昨夜梁園裏 弟寒兄不知
ほんの昨夜まで、朝廷(魏の宮廷の梁園)で大官であった自分が、名もなき頃義兄といってつきあっていた、たかだか県知事ところへ逗留するとは、人情にも、懐にも寒さを感じておる弟の自分のことは義兄としてわかってはいないだろう。
昨夜 昨日の夜。と同時にほんの昨日まで、とういうことをかけている。○梁園 梁園とは前漢の文帝の子梁孝王が築いた庭園。詩にある平臺(宮廷)は梁園にあり、また阮籍は梁園付近の蓬池に遊んだ。李白はそうした史実を引用しながら、過去の栄華と今日の歓楽をかんじさせる。ここでは、漢の宮廷、つまり唐の宮廷の大官であったことを示す。

庭前看玉樹 腸斷憶連枝
朝起きて庭を見ると雪が降り積もって、ちょっと前まで宮廷で看ていた宝玉石で飾った木樹を見られた。腸の絶えるいろんな思いがあるがここは兄弟ということの意味を憶い起してほしい。

庭前 この邸宅の庭ということと宮廷を意味する。○玉樹 雪で宝石、白玉製かと思はせる木。
腸斷 腸が断えるできごとと情交が満たされない思い。○連枝 兄弟と男女の結びつき。兄弟はたかが県令と鼻をくくっていたが援助してもらいたいということ。と同時に男女間のことを表現して、照れ隠しをしたのだ。それくらい困窮していたのだろう。

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 この詩の相手は真の従兄ではなく、李白が同族よばわりして、李氏なら必ず用ひるにせ従兄の、天宝四載からここの県令であった李錫(リセキ)である。このとき救ってもらった礼か、李白には「虞城県令李公去思頌碑」といふ頌徳文もあって、このころの文人の生活も、中々なみ大抵でなかったことを思わせる。県令といふのは県知事には相違なく、いまの日本の知事さんたちと同じくいばったものかもしれないが、昨日までの大官相手がたかだか県令相手とまでなり下ったのである。しかも李白は貧を衒(てら)うことはない。ここまで困窮している場合でも大言壮語するのである。

行路難 三首 其三 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白185

行路難 三首 其三 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白185


其三
有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。
儒教思想の許由は、仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をした、同じ儒教者の伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死した。こういうことはしてはいけない。
含光混世貴無名,何用孤高比雲月。
自分自身に光り輝く才能を持っていて世の中に大使は無名であることを尊いことという。どうして自分一人で崇高でいたとして大空の雲や満月ほど崇高といえるのか。
吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。
自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。
子胥既棄呉江上,屈原終投湘水濱。
呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、葉かは作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜 のすなになっている。
陸機雄才豈自保,李斯稅駕苦不早。
あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず謀反の疑いで処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。
華亭鶴唳渠可聞,上蔡蒼鷹何足道。
華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたい。 上蔡の敏俊な蒼鷹にしてもどうしてそうなりえたのか言わなくてもわかっている。
君不見呉中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。
君は見ているだろう、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったことを。
且樂生前一杯酒,何須身後千載名。

今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって名声を拍したとして何になろうか。
 


(本文)其三
有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。
含光混世貴無名,何用孤高比雲月。
吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。
子胥既棄呉江上,屈原終投湘水濱。
陸機雄才豈自保,李斯稅駕苦不早。
華亭鶴唳渠可聞,上蔡蒼鷹何足道。
君不見呉中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。
且樂生前一杯酒,何須身後千載名。
(下し文)

耳あるも洗うなかれ潁川の水 口あるも食すこと莫かれ首陽の蕨

光を含み世に混ざりて名なきを貴ぶ 何ぞ用いん 孤高 雲月に比するを

吾 古しへより賢達の人を観るに 功成って退かざれば 皆身を損(おと)す

子胥は既に棄てらる呉江の上(ほとり) 屈原は終に投ず湘水の浜

陸機の雄才 豈に自ら保たんや 李斯の税駕 早からざるに苦しむ

華亭の鶴唳 何ぞ聞くべけんや 上蔡の蒼鷹 何ぞ道(いう)に足らむ

君見ずや呉中の張翰 達生と称す 秋風忽ち憶う江東へ行く

且つ楽む生前一杯の酒 何ぞ身後千載の名を須(もちひ)るや


(詩訳)

儒虚思想の許由は、仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をした、同じ儒教者の伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死した。こういうことはしてはいけない。
自分自身に光り輝く才能を持っていて世の中に大使は無名であることを尊いことという。どうして自分一人で崇高でいたとして大空の雲や満月ほど崇高といえるのか。
自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。
呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、葉かは作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜 のすなになっている。
あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず謀反の疑いで処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。
華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたい。 上蔡の敏俊な蒼鷹にしてもどうしてそうなりえたのか言わなくてもわかっている。
君は見ているだろう、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったことを。
今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって名声を拍したとして何になろうか。



李白「行路難」三首其三 訳注解説
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有耳莫洗潁川水 有口莫食首陽蕨
儒虚思想の許由は、仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をした、同じ儒教者の伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死した。こういうことはしてはいけない。
有耳莫洗潁川水 、堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういぅ話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。○首陽蕨 伯夷、叔齊のかくれた首陽山のわらび。彼等は、祖国殷を征服した周の国の禄を食むのを拒み、この山に隠れワラビを食べて暮らし、ついに餓死した。陶淵明「擬古九首其八
陶淵明「飲酒其二
積善云有報、夷叔在西山。
善惡苟不應、何事立空言。
九十行帶索、飢寒况當年。
不賴固窮節、百世當誰傳。
(末尾に訳注を参照)




含光混世貴無名 何用孤高比雲月
自分自身に光り輝く才能を持っていて世の中に大使は無名であることを尊いことという。どうして自分一人で崇高でいたとして大空の雲や満月ほど崇高といえるのか。



吾観自古賢達人 功成不退皆損身
自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。

子胥既棄呉江上 屈原終投湘水浜
呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、葉かは作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜 のすなになっている。
子胥 伍子胥(ごししょ、? - 紀元前484年)は、春秋時代の政治家、軍人。諱は員(うん)。子胥は字。復讐鬼。呉に仕え、呉の躍進に大きく貢献したが、次第に呉王から疎まれるようになり、最後には誅殺された。伍子胥は夫差から剣を渡され自害するようにと命令された。
 その際、伍子胥は「自分の墓の上に梓の木を植えよ、それを以って(夫差の)棺桶が作れるように。自分の目をくりぬいて東南(越の方向)の城門の上に置け。越が呉を滅ぼすのを見られるように」と言い、自ら首をはねて死んだ。
 その言葉が夫差の逆鱗に触れ、伍子胥の墓は作られず、遺体は馬の革袋に入れられ川に流された。人々は彼を憐れみ、ほとりに祠を建てたという。ちなみにこの行為が日本の端午の節句や中国での厄よけの風習として、川に供養物を流す由来になったと言われている。
屈原 (くつげん、紀元前343年1月21日? - 紀元前278年5月5日?)は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。姓は羋、氏は屈。諱は平または正則。字が原。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。

陸機雄才豈自保 李斯稅駕苦不早
あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず謀反の疑いで処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。
陸 機(りくき261年- 303年)は、呉・西晋の儒家文学者・政治家・武将。字は士衡。呉の四姓(朱・張・顧・陸)の一つ、陸氏の出身で、祖父・父は三国志演義の登場人物としても有名な陸遜・陸抗。謀反の疑いで処刑された。
李 斯(り し? - 紀元前208年)儒家中国秦代の宰相。法家にその思想的基盤を置き、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。



華亭鶴唳何可聞 上蔡蒼鷹何足道
華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたい。 上蔡の敏俊な蒼鷹にしてもどうしてそうなりえたのか言わなくてもわかっている。
華亭県(かてい-けん)は中華人民共和国甘粛省平涼市に位置する県。県人民政府の所在地は東華鎮。華亭県は東は崇信県、西は庄浪県、寧夏回族自治区の涇源県、南は張家川回族自治県と陝西省隴県、北は崆峒區に隣接する。
上蔡県(じょうさい-けん)は中華人民共和国河南省の駐馬店市に位置する県。



君不見呉中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。
君は見ているだろう、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったことを。
張翰昔、晋の張翰が、秋風に故郷である呉の菰菜(こさい)、蓴羹(じゅんさいのあつもの)、鱸魚膾(すずきのなます)を思い出し、それを食べたい一念で官を辞して故郷へ帰った。この後、すぐ世が乱れた。人々は、世の乱れを察していた張翰が故郷の味を口実に先手を打ったのだと思ったという逸話。李白「秋荊門を下る」

且樂生前一杯酒,何須身後千載名。
今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって名声を拍したとして何になろうか。




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道教思想により死んだあとの名声より今の一杯の酒を楽しむ李白。
ここでの 行路難 三首其三 李白
迭裴十八図南歸嵩山其二 李白

 それとまったく好対照の陶淵明の飮酒二十首 其二  陶淵明「九十行く索を帶びし,飢寒况んや當年をや。」末尾に紹介する。





迭裴十八図南歸嵩山其二 李白
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君思穎水綠、忽復歸嵩岑。
歸時莫洗耳、爲我洗其心。
洗心得眞情、洗耳徒買名。
謝公終一起、相與済蒼生。
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君は頴水のあの澄み切った緑色を思い出し、急に嵩山の高峰にまた帰ろうとしている。
帰った時を境に、耳を洗うようなことはしないでくれ、わたしのために、心を洗うことをしてくれないか。
心を洗うことができたら、真理、情実のすがたをつかむことが出来よう。かの許由のように耳を洗って、名前が売れるだけでつまらないものだ。
晉の時代の謝安石が、ついに起ちあがって活躍した、その時は君とともに天下の人民を救うためやろうではないか。
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裴十八図南の嵩山に帰るを送る 其の二
君は穎水(えいすい)の綠なるを思い、忽ち復た 嵩岑に帰る
帰る時 耳を洗う莫れ、我が為に 其の心を洗え。
心を洗わば 真情を得ん、耳を洗わば 徒らに名を買うのみ。
謝公 終(つい)に一たび起ちて、相与に 蒼生を済わん。
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飮酒二十首 其二  陶淵明
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積善云有報、夷叔在西山。
善惡苟不應、何事立空言。
九十行帶索、飢寒况當年。
不賴固窮節、百世當誰傳。
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飮酒 其二
積善 報い有りと 云ふも,夷叔 西山に 在り。
善惡 苟にも 應ぜざらば,何事ぞ 空言を 立てし。
九十 行(ゆくゆ)く 索を 帶びし,飢寒 况(いは)んや 當年をや。
固窮の節に 賴らざれば,百世 當(まさ)に 誰をか 傳へん。
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積み重ねた善行には、(それに相応する)善い報いがあるといわれている(が)。(しかしながら正義を貫いた)伯夷と叔齊は、(節を保持しようとしたために、却って世から遁れざるを得ず、)首陽山に(隠棲して、餓死するはめになって)いる。

正義を貫いた伯夷と叔齊は、節を保持しようとしたために、却って首陽山に隠棲して、餓死するはめになったが、このような、かりそめにも善と悪とに相応した結果が伴わない場合には。(もしもかりそめにも、善と悪とに、相応したむくいがないのならば、)どうしてこのような「積善云有報」というような「空言」を言ってきたのか。

九十歳になんなんとした栄啓期は、縄を帯にして、楽器を打ち鳴らして歌を唱うという行為をした。
(栄啓期の老年期の)貧窮生活は、壮年時代よりも一層のものだ。
貧窮を固守する節操に依拠しないとすれば。仏教的な「積善云有報」ではなくて、清貧に甘んじる節操・儒教的な「固窮節」こそが、後世に伝うべきものであろう。
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行路難 三首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白184

行路難 三首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白184




李白は長安を去って、河南の開封地方に行ったが、そのとき、洛陽にも足を延ばしている。時に744年天宝三年である。このとき、詩聖といわれる杜甫との出会いがあった。
このとき、杜甫は、山東地方漫遊から帰って、試験にも落第して、たまたま洛陽に住んでいた。二人が会ったときは、李白は四十四歳、杜甫は十一歳下の三十三歳である。杜甫は、その性格から、当時の虚偽に満ちた世相を厭わしく思っていたところ、たまたま神仙を求め楽天的に振る舞う豪快な李白を見て、その詩にひきつけられ、意気投合して共に遊び、共に飲み、共に詩を作るようになった。また、詩人高適ともめぐり会う遭遇し、三人共に会して痛飲し、時世を憤慨したものである。
李白「秋猟孟諸夜帰置酒単父東楼観妓」
杜甫「書懐」「昔游」

 行路難其の二は、唐王朝の体制には居場所がないこと、魑魅魍魎の棲みかで、聖人、賢人の活躍の機会はないことを述べている。杜甫は妻を娶って間もないこともあり、また父の意向で士官を強く要望されていた。詩人として生きていくことにしているが、二人とも岐路に立っていると感じていた。

其二
大道如青天,我獨不得出。
天子の御政道は青天のように清朗で広く包み込むものである、私、ひとりその道を得ることができなかった。
羞逐長安社中兒,赤雞白狗賭梨栗。
はずかしいことではあるが長安城中で若い衆らとやってしまう、闘鶏や闘犬に梨栗程度の賭けをして遊んでいたのだ。
彈劍作歌奏苦聲,曳裾王門不稱情。
馮驩は剣を弾いて作詩した歌を唄い宰相の孟嘗君に聞かせて聞き入れられた、いくら弁舌が上手くても漢の鄒陽は王に仕えて話す真意がすぐには思うように伝わらなかった。
淮陰市井笑韓信,漢朝公卿忌賈生。
淮陰の街の人たちの若い徒は韓信をあなどり「股くぐり」をさせた、漢の貴族、官僚たちは若くして要職に就いた賈誼に嫉妬し忌み嫌い讒言し、左遷させた。
君不見昔時燕家重郭隗,擁彗折節無嫌猜。
君見ているだろう  戦国燕の昭王は郭隗を重用したではないか、鄒衍を迎えるに 礼を尽くして讒言や諫言など猜疑心の意見がある中、全く疑わないで使いにだし成功した。
劇辛樂毅感恩分,輸肝剖膽效英才。
燕昭王が集めた人材、劇辛や楽毅は 君恩に報いようと五国連合を率いて打ち破り、斉を滅亡寸前にまで追い込んだ。よき人材の登用すれば「肝胆を砕いて 才能の限りをつくす」働きをするものだ。

昭王白骨縈爛草,誰人更掃黃金台。
それだけの昭王であっても今は白骨になり蔓草に蔽われ墓のしたにある。昭王が政治を行った黄金台の跡をだれが見守り掃除するというのか。
行路難,歸去來。

目標を持った行路を進んでいくというのは困難なことだ、いっそ隠遁して桃源郷に帰ろう。

其二
大道如青天,我獨不得出。
羞逐長安社中兒,赤雞白狗賭梨栗。
彈劍作歌奏苦聲,曳裾王門不稱情。
淮陰市井笑韓信,漢朝公卿忌賈生。
君不見昔時燕家重郭隗,擁彗折節無嫌猜。
劇辛樂毅感恩分,輸肝剖膽效英才。
昭王白骨縈爛草,誰人更掃黃金台。
行路難,歸去來。

其の二

大道(たいどう)は晴天の如し、我(われ)独り出ずるを得ず。

()ず  長安社中の児()を逐()うて、赤鶏(せきけい) 白狗(はくく) 梨栗(りりつ)を賭するを。

剣を弾じ歌を作()して苦声(くせい)を奏(そう)し、裾(すそ)を王門に曳きて  情に称(かな)わず。

淮陰(わいいん)の市井 韓信(かんしん)を笑い、漢朝(かんちょう)の公卿  賈生(かせい)を忌()む。


君見ずや 昔時(せきじ)の燕家(えんか)郭隗を重んじ? (すい)を擁し節(せつ)を折って嫌猜(けんさい)無し

劇辛(げきしん) 楽毅(がくき) 恩分(おんぶん)に感じ、肝を輸(いた)し膽(たん)を剖()いて英才を效(いた)

昭王の白骨 蔓草(まんそう)?(まと)わる、誰人(たれひと)か更に掃(はら)わん 黄金(おうごん)

行路(こうろ)は難(かた)し、いざ帰去来(かえりなん)



天子の御政道は青天のように清朗で広く包み込むものである、私、ひとりその道を得ることができなかった。
はずかしいことではあるが長安城中で若い衆らとやってしまう、闘鶏や闘犬に梨栗程度の賭けをして遊んでいたのだ。
馮驩は剣を弾いて作詩した歌を唄い宰相の孟嘗君に聞かせて聞き入れられた、いくら弁舌が上手くても漢の鄒陽は王に仕えて話す真意がすぐには思うように伝わらなかった。
淮陰の街の人たちの若い徒は韓信をあなどり「股くぐり」をさせた、漢の貴族、官僚たちは若くして要職に就いた賈誼に嫉妬し忌み嫌い讒言し、左遷させた。
君見ているだろう  戦国燕の昭王は郭隗を重用したではないか、鄒衍を迎えるに 礼を尽くして讒言や諫言など猜疑心の意見がある中、全く疑わないで使いにだし成功した。
燕昭王が集めた人材、劇辛や楽毅は 君恩に報いようと五国連合を率いて打ち破り、斉を滅亡寸前にまで追い込んだ。よき人材の登用すれば「肝胆を砕いて 才能の限りをつくす」働きをするものだ。

それだけの昭王であっても今は白骨になり蔓草に蔽われ墓のしたにある。昭王が政治を行った黄金台の跡をだれが見守り掃除するというのか。
目標を持った行路を進んでいくというのは困難なことだ、いっそ隠遁して桃源郷に帰ろう。





其二
大道如青天,我獨不得出。

天子の御政道は青天のように清朗で広く包み込むものである、私、ひとりその道を得ることができなかった。
○大道 道は万物に備わったそれぞれの道をいい、それら万物すべてに共通する道をしめす。天下の御政道




羞逐長安社中兒,赤雞白狗賭梨栗。
はずかしいことではあるが長安城中で若い衆らとやってしまう、闘鶏や闘犬に梨栗程度の賭けをして遊んでいたのだ。
○羞逐 はずかしいことではあるがやってしまう。
○兒 若い衆、任侠の使徒。子供は童。○梨栗 実際には、お金をかけたのかもしれないが、レートとして、高くないことを示している。



彈劍作歌奏苦聲,曳裾王門不稱情。
馮驩は剣を弾いて作詩した歌を唄い宰相の孟嘗君に聞かせて聞き入れられた、いくら弁舌が上手くても漢の鄒陽は王に仕えて話す真意がすぐには思うように伝わらなかった。
○馮驩 すうかん斉の宰相孟嘗君に仕えた政治家。孟嘗君の食客として迎えられ、下級宿舎に泊まらせられた。馮驩は剣を叩きながら「我が長剣よ、帰ろうか、食う魚なし」という歌を歌い出した。それを聞いた孟嘗君は中級宿舎に泊まらせた。すると馮驩はまた剣を叩きながら「我が長剣よ、帰ろうか、外にも出ようも御輿がない」という歌を歌い出した。詳しくはウィキペディア「馮驩」「斉の宰相と馮驩」参照。○曳裾王門不稱情 弁舌の上手い使徒を雇い入れ、王に意見を述べさせても、述べた本質のところの理解はすぐにできるのではない。「史記」巻八十三は戦国の弁舌の徒・魯仲連と漢代に文章を以て重用された鄒陽の合伝にある故事に基づいている。



淮陰市井笑韓信,漢朝公卿忌賈生。
淮陰の街の人たちの若い徒は韓信をあなどり「股くぐり」をさせた、漢の貴族、官僚たちは若くして要職に就いた賈誼に嫉妬し忌み嫌い讒言し、左遷させた。
○韓信 淮陰(現:江蘇省淮安市)の出身。貧乏で品行も悪かったために職に就けず、他人の家に上がり込んでは居候するという遊侠無頼の生活に終始していた。韓信は町の少年に「お前は背が高く、いつも剣を帯びているが、実際には臆病者に違いない。その剣で俺を刺してみろ。出来ないならば俺の股をくぐれ」と挑発された。韓信は黙って少年の股をくぐり、周囲の者は韓信を大いに笑ったという。大いに笑われた韓信であったが、「恥は一時、志は一生。ここでこいつを切り殺しても何の得もなく、それどころか仇持ちになってしまうだけだ」と冷静に判断していたのである。この出来事は「韓信の股くぐり」として知られることになる。
 ○賈誼 漢の孝文帝劉恒(紀元前202-157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した。李商隠「賈生」 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64 参照



君不見昔時燕家重郭隗,擁彗折節無嫌猜。
君見ているだろう  戦国燕の昭王は郭隗を重用したではないか、鄒衍を迎えるに 礼を尽くして讒言や諫言など猜疑心の意見がある中、全く疑わないで使いにだし成功した。
○燕家重郭隗 昭王は人材を集めることを願い、どうしたら人材が来てくれるかを家臣の郭隗に聞いた。郭隗の返答は「まず私を優遇してください。さすれば郭隗程度でもあのようにしてくれるのだから、もっと優れた人物はもっと優遇してくれるに違いないと思って人材が集まってきます。」と答え、昭王はこれを容れて郭隗を師と仰ぎ、特別に宮殿を造って郭隗に与えた。これは後世に「まず隗より始めよ」として有名な逸話になった。 ○擁彗折節無嫌猜 鄒衍(前305頃―前240) 戦国時代の陰陽五行家。斉の人。弁才にたけ、燕・斉を歴遊した。晩年、斉の使いとして趙に赴き、公孫竜を説得して尊敬された。陰陽のことを研究し、「五徳終始」説を提唱、春秋戦国時代に流行する「五行」説を社会・歴史の変化と王朝の交代になぞらえて、漢代の懺緯学の主な源流となった。著書の『鄒子』などは全部散逸した。 


劇辛樂毅感恩分,輸肝剖膽效英才。
燕昭王が集めた人材、劇辛や楽毅は 君恩に報いようと五国連合を率いて打ち破り、斉を滅亡寸前にまで追い込んだ。よき人材の登用すれば「肝胆を砕いて 才能の限りをつくす」働きをするものだ。
○劇辛樂毅感恩分 劇辛は趙の国出身の人物で、郭隗の進言を聞き入れた燕昭王が「隗より始めよ」と富国強兵の為の人材優遇を始めて以降に、楽毅や鄒衍らと同様に、賢人を求め優遇する燕昭王の元へと赴き、燕の臣となった。楽毅は、戦国燕の武将で、昭王を助けて仇敵の斉を五国連合を率いて打ち破り、斉を滅亡寸前にまで追い込んだ稀代の軍略家。 ○輸肝剖膽效英才



昭王白骨縈爛草,誰人更掃黃金台。
それだけの昭王であっても今は白骨になり蔓草に蔽われ墓のしたにある。昭王が政治を行った黄金台の跡をだれが見守り掃除するというのか。



行路難,歸去來。
目標を持った行路を進んでいくというのは困難なことだ、いっそ隠遁して桃源郷に帰ろう。



李白は人材登用が全くなされようとしない玄宗の唐王朝に嫌気がしたのだ。最後の2聯が言いたいことではない。国に帰ることを言いたいのではない。李林甫、高級官僚の讒言に動かされ、淮陰の街の使徒のように宦官たちがよき人材を侮るようなことをしている。李白は憤っていたのであるが、無能呼ばわりだけしたのではおとがめられるので、自分の進むべき道が分からないと思考方向を自らに向けたのだ。
燕の昭王、孟嘗君らが登用した歴史上で有名な七人の快男子、馮驩、韓信、韓信、鄒衍、郭隗、劇辛、樂毅について取り上げ、適正な登用がなされれば、かならず「感恩分、輸肝剖膽效英才」(恩分に感じ、肝を輸し膽を剖いて英才を效す)ということになるのであるということが李白の主張である。

 陶淵明をいいとは思っていないということがこの詩ではっきりしている。これについては別のところで取り上げたい。


 

行路難 三首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183

行路難 三首 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183

 この詩は李白が杜甫に悩みを打ち分けるという観点でみると味わい深い。

 杜甫は、洛陽にいて同族、血縁、貴族公子などとの付き合いに辟易していた。李白との出会いで、その風采が超絶しており、天才的な詩に対し一挙にカルチャーショックを受けてしまった。李白が東に旅すると聞いたが、叔母の葬儀があるので、一緒に旅立てない。後を追って往くことにした。叔母の葬儀を終えて、この「謫仙人」李白を求めて東方の梁宋(河南開封、商邱地方)に遊ぼうとしたのである。
天宝3載744年杜甫33歳 李白44歳であった。


 その後の二人は、詩の交換を通じて情をうまく表現した傑作をのこす。先ず、杜甫が先輩の李白に贈った詩に
贈李白」がある。
秋來相顧尚瓢蓮、未就丹砂愧葛洪。
痛飲狂歌空度日、飛楊跋扈為誰雄。

(秋になり顔を見合わせると瓢か蓬のように頼りない、いまだ丹砂にも辿りつけず葛洪に合わせる顔がない。飲み明かし 歌い狂って 空しく日を送り、飛び跳ねて暴れているが 誰のためにやっているのだ。)
 杜甫は李白と遊んでいる嬉しい様を、歌に託して李白に贈っている。実際には詩のやり取りをしているのだろうが李白の方はあまり残っていない。

 杜甫と李白は一層、仲睦まじくなり、その年の秋には梁宋に出掛けている。杜甫「書懐」、李白「秋猟孟諸夜帰置酒単父東楼観妓」参照
ここには岑参(しんじん)、高適(こうせき)の詩人たちもいたので、共に酒を飲み、詩を賦して意気投合し愉快な日々をおくった。城中の酒楼や吹台に上って眺望を恣にして、古を懐かしんでいる。

  その翌年、天宝4載745年杜甫34歳は、李白が魯郡の任城に家を持ったので、ここに杜甫を迎えて、さらに、互いに親交を深めている。この頃が二人とも詩情が溢れ、詩作が最も盛んな時期である。

 李白は杜甫の詩才を讃え、杜甫は李白を慕い賞賛の辞句を数多く入れて詩を作っている。このように二人が極めて親しく交わり、詩を贈答しあったことは歴史の偶然だったのか、必然なのか、とはいえ、漢詩文学にとっては画期的なことと特筆されている。

 李白も、現実の社会では障害や自分の奔放さの性格から苦難を免れないと悟っていたので、初めて出会い親しくなった杜甫に打ち明けたのだ。

 「行路難」はみずからの人生行路の困難を詠うものだ。李白は、食事も咽喉を通らず茫然として八方ふさがりであった。「行路難し 行路は難し、岐路多くして、今安にか在る」と悲鳴をあげながらも、「長風浪を破る 会に時有るべし」と将来に期待を寄せたいと杜甫に訴えた。朝廷を放免されたことは李白にとって、死ぬほどのショックなことだったのだ。でも李白はプラス思考の詩人だ。明るい。



其一
金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。
金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万銭もする。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
停杯投箸不能食,拔劒四顧心茫然。
そうやって盃を交わしていても、杯をおき、箸をおく。食べてはいられない気持ちなのだ。気分を変えるため、剣を抜き、四方の霊に問うてみるが、心は茫然としてとりとめない。
欲渡黄河冰塞川,將登太行雪滿山。
今までのように黄河を渡るようなことしようとしても、心の氷が川すじを塞いでしまうのだ。太行山に登るようなことしようとしても、心に積もった雪が山をいっぱいにしている。
閑來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。
そこで、太公望をまねて、きれいでしずかなみどりの谷川で釣糸を垂れたのだ。ふと気がつくと、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
行路難,行路難,多岐路,今安在。
これから生きる行路は困難だ。どの行路も困難だ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。迷路に入ったようだ、いまはいったい、どどこにいるというのか?
長風破浪會有時,直挂雲帆濟滄海。

偏西風の大風に乗じてはるか波をのりこえていくような時期がいつかは来るのだ。その時がきたら、ただちに、雲のように風に乗る帆をかけて、理想の仙界に向かう大海原をわたっているだろう。



其一
金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。
停杯投箸不能食,拔劒四顧心茫然。
欲渡黄河冰塞川,將登太行雪滿山。
閑來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。
行路難,行路難,多岐路,今安在。
長風破浪會有時,直挂雲帆濟滄海。

金樽の清酒 斗十千,玉盤の珍羞(ちんしゅう) 直(あたい) 萬錢(ばんぜん)

杯を停め箸を投じて 食う能わず,劒を拔いて四顧し心 茫然(ぼうぜん)

黄河を渡らんと欲すれば冰は川を塞ぐ,太行に登らんと將れば雪は山に滿。

閑來(かんらい) 釣を垂る 碧溪(へきけい)の上,忽ち復 舟に乘じて日邊を夢む。

行路 難! 行路 難! 岐路 多し 今 安くにか在る。

長風 浪を破る 會ず時 有り,直ちに雲帆(うんぱん)を挂()けて 滄海(そうかい)に濟(わた)



金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万銭もする。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
そうやって盃を交わしていても、杯をおき、箸をおく。食べてはいられない気持ちなのだ。気分を変えるため、剣を抜き、四方の霊に問うてみるが、心は茫然としてとりとめない。
今までのように黄河を渡るようなことしようとしても、心の氷が川すじを塞いでしまうのだ。太行山に登るようなことしようとしても、心に積もった雪が山をいっぱいにしている。
そこで、太公望をまねて、きれいでしずかなみどりの谷川で釣糸を垂れたのだ。ふと気がつくと、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
これから生きる行路は困難だ。どの行路も困難だ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。迷路に入ったようだ、いまはいったい、どどこにいるというのか?
偏西風の大風に乗じてはるか波をのりこえていくような時期がいつかは来るのだ。その時がきたら、ただちに、雲のように風に乗る帆をかけて、理想の仙界に向かう大海原をわたっているだろう。





行路難 もとは漢代の歌謡。のち晋の袁山松という人がその音調を改変し新らしい歌詞をつくり、一時流行した。六朝の飽照の楽府に「擬行路難」十八首がある。李白は三首つくった。


(其の一)
金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。

金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万銭もする。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
斗十干 一斗一万銭。高い上等の酒。曹植の詩「美酒斗十干」にもとづく。
[李白「將進酒」
陳王昔時宴平樂,斗酒十千恣歡謔。
(陳王の曹植は平楽観で宴を開いたとき。 陳王・曹植は斗酒を大金で手に入れ、よろこびたわむれることをほしいままにした。)
・陳王 三国時代魏の曹植のこと。 ・昔時 むかし。 ・平樂 平楽観。『名都篇』で詠う宮殿の名で、後漢の明帝の造営になる。(当時の)首都・洛陽にあった遊戯場。或いは、長安の未央宮にあった。○斗酒十千 斗酒で一万銭。曹植楽府詩、「一斗一万銭」。 ○斗酒 両義あり。わずかな酒。また、多くの酒。 ○斗 ます。少しばかりの量。少量の酒。多くの酒。 ○十千 一万。 ・恣 ほしいままにする。わがまま。勝手きままにふるまう。 ・歡謔 かんぎゃく よろこびたわむれる。]○珍羞 めずらしいごちそう。○直 値と同じ。



停杯投箸不能食,拔劒四顧心茫然。
そうやって盃を交わしていても、杯をおき、箸をおく。食べてはいられない気持ちなのだ。気分を変えるため、剣を抜き、四方の霊に問うてみるが、心は茫然としてとりとめない。
停杯 気持ちがのらない度いつの間にか酒を辞めている状態。○拔劒四顧 剣を抜いて四方の霊に問いただしてみる。



欲渡黄河冰塞川,將登太行雪滿山。
今までのように黄河を渡るようなことしようとしても、心の氷が川すじを塞いでしまうのだ。太行山に登るようなことしようとしても、心に積もった雪が山をいっぱいにしている。
太行 山の名。太行山脈(たいこうさんみゃく)は中国北部にある山地。山西省、河南省、河北省の三つの省の境界部分に位置する。太行山脈は東の華北平野と西の山西高原(黄土高原の最東端)の間に、北東から南西へ400kmにわたり伸びており、平均標高は1,500mから2,000mである。最高峰は河北省張家口市の小五台山で、標高2,882m。山脈の東にある標高1,000mほどの蒼岩山は自然の奇峰や歴史ある楼閣などの多い風景区となっている。山西省・山東省の地名は、この太行山脈の西・東にあることに由来する。



閑來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。
そこで、太公望をまねて、きれいでしずかなみどりの谷川で釣糸を垂れたのだ。ふと気がつくと、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
日辺 太陽の側と、天子の側という意味と、ここでは兼ねている。



行路難,行路難,多岐路,今安在
これから生きる行路は困難だ。どの行路も困難だ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。迷路に入ったようだ、いまはいったい、どどこにいるというのか?
多岐路 わかれみちが多いために逃げた羊を追うことができず、とうとう羊を亡ってしまった。ヘボ学者はそれと同様、多すぎる資料をもてあまして決断に迷い、いたずらに年をとってしまう、という故事がある。「列子」にみえる。ここは岐路から岐路へ、岐路が多い迷路のようだということ。
今安在 迷路のどこにいるのか。



長風破浪會有時,直挂雲帆濟滄海。
偏西風の大風に乗じてはるか波をのりこえていくような時期がいつかは来るのだ。その時がきたら、ただちに、雲のように風に乗る帆をかけて、理想の仙界に向かう大海原をわたっているだろう。
滄海 東方の仙界、蓬莱・方丈・瀛州に向かい海。あおうなばら。



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秋猟孟諸夜帰置酒単父東楼観妓 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白182

秋猟孟諸夜帰置酒単父東楼観妓 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白182


「寄李白」 任華 
権臣炉盛名
葦犬多吠撃
有数放君
却蹄隠冷感
高歌大笑出関去


「高歌大笑」して長安を去ったとはいえ、それは失意の悲しみと、前途への不安とが入り交じったものであろう。
李白が長安の都を去った744年天宝三年春から、安禄山の乱が勃発した755年天宝十四年に至る十年間が、李白の第二回目の遍歴時代になる。彼の44歳から55歳までの時代である。
この間の足跡は十分には分かりかねるとされながらおおむね次の通りとされる。「北のかた趨・魏・燕・晋に抵り、西のかた岐・邠州を渉り、商於を歴て、洛陽に至り、梁に游ぶこと最も久し、復た斉・魯に之き、南のかた推・泗に游び、再び呉に入り、転じて金陵に徒り、秋浦・尋陽に止まる。」(「李太白文集後序」)
その多くは梁すなわち汴州(開封)地方において費やしていることになる。


 天宝三年 744年、杜甫はこの年も洛陽に留まっている。そうして夏のころ、高力士らの讒言によって長安の宮廷を追放され、傷心を抱いて洛陽にやって来た李白と、はじめて会っている。
 時に李白は四十四歳、杜甫より十一歳の年長であり、すでにその文名は天下に高かった。まだ無名の存在である杜甫は、あこがれと尊敬の念をもって李白の話に耳を傾けたのである。そうして、李白の謫仙人というべき人物と新鮮な詩風に心ひかれるままにその跡を追った杜甫は、当時やはり不遇であった高適(時に四十四歳)とも出会い、三人で梁・宋(河南省の開封・商邦)の地に遊ぶ。「壮遊」と同じく晩年に襲州で作られた「遣懐」(懐いを遣る)また「昔遊」の中に、そのときの様子が次のように詠われている。

まず「遣懐」では、梁州でのことが、
遣懐 杜甫    
昔我遊宋中、惟梁孝王都。
名今陳留亜、劇則貝魏倶。
邑中九万家、高棟照通衢。
舟車半天下、主客多歓娯。
白刃讎不義、黄金傾有無。
殺人紅塵裏、報答在斯須。

憶与高李輩、論交入酒壚。
両公壮藻思、得我色敷腴。
気酣登吹台、懐古視平蕪。
芒碭雲一去、雁鶩空相呼。


昔我遊宋中、惟梁孝王都。
昔  宋州で遊んだことがある、梁の孝王が都としたところだ
名今陳留亜、劇則貝魏倶。
名は陳留につぐが、にぎわいは貝州や魏州にひとしい
邑中九万家、高棟照通衢。
城内には九万戸の家々、高い棟木が十字の街路につらなっている
舟車半天下、主客多歓娯。
舟や車は  天下の半ばを集め、土地の者も旅人も  共に楽しく暮らしている
白刃讎不義、黄金傾有無。
不義の者は白刃でこらしめ、黄金は有無にかかわらず使いつくす
殺人紅塵裏、報答在斯須。
街上で人を殺せば、すぐに報復を受けるのだ
憶与高李輩、論交入酒壚。
思い起こせば高適・李自らと、交わりを結んで酒店に入った。
両公壮藻思、得我色敷腴。
二人は文章への思いは盛んで、私という相手を得て、のびやかに談じていた。
気酣登吹台、懐古視平蕪。
酒が回って意気は上がり、吹台(開封の東南にある台)に登って、うち続く荒野を眺めわたしながら、この地にまつわる昔の出来事をしのんだ。
芒碭雲一去、雁鶩空相呼。
 芝山や楊山のあたりには(昔、秦の始皇帝の追及の手を逃れた漢の高祖がそこに隠れ、その間つねに立ち上っていたという)帝王の雲気はいまや去ってしまい、雁や鷲がむなしく鳴き交わしているだけであった


「昔遊」では
昔者与高李、晩登単父台。
寒蕪際碣石、万里風雲来。
桑柘葉如雨、飛藿共徘徊。
清霜大沢凍、禽獣有余哀
「その昔、高適・李白と、夕暮れに単父台に登った。寒々とした荒地は遠く瑞石のあたりまで続いており、万里の果てから風雲が吹きつけてきた。桑や柘の葉が雨のように飛散し、なかに豆の葉も吹き迷っていた。清らかな霜が降りて大沢は凍り、鳥獣は近づく狩猟の季節におびえていた」
と詠われている。


梁・宋での遊びののち、高適は南方楚の地に遊び、杜甫は李白に従って斉・魯に行くことにした。李白は兗州(山東省滋陽)の我が家に帰り、北海(山東省益都)の道士高天師のところへ出かけて道教のお札をもらうためであった。

この時、李白は次のように詠っている。

秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓
傾暉速短炬。 走海無停川。
傾く夕陽は 燃えつきる炬火(たいまつ)よりも速く沈み、流れる川は 海へ向かって止まるを知らない
冀餐圓邱草。 欲以還頹年。
願うことは、円邱の不老不死の草をごちそうになりたい、老いる身にもとの若さをとりもどしたいとおもう。
此事不可得。 微生若浮煙。
こんなことは不可能であるということは分かっている、人の一生というものは流れる煙のようにはかない
駿發跨名駒。 雕弓控鳴弦。

速やかに名馬にまたがり出発しよう、彫刻の飾りのついた弓を引き絞って矢を放つのだ。
鷹豪魯草白。 狐兔多肥鮮。
寒さに草は白く枯れ、鷹は猛々しくなる、狐や兎は  肥えて元気がよい多くいる。
邀遮相馳逐。 遂出城東田。
待ち受け、囲い込んで追い立ていく、城の東の狩り場に出る
一掃四野空。 喧呼鞍馬前。
四方野原の獲物を取りつくし、馬を降りて収獲の歓声を挙げる
歸來獻所獲。 炮炙宜霜天。
城にもどって獲物を献上する、丸焼や串焼をする寒さにむいた料理にする
出舞兩美人。 飄搖若云仙。
やがて二人の芸妓がでて舞いはじめる、しなやかに風のように軽やかな姿は雲中の仙人のように包まれる。
留歡不知疲。 清曉方來旋。

疲れを忘れて歓楽しつづける、すがすがしい明け方になって家路についたのだ。


傾く夕陽は 燃えつきる炬火(たいまつ)よりも速く沈み、流れる川は 海へ向かって止まるを知らない
願うことは、円邱の不老不死の草をごちそうになりたい、老いる身にもとの若さをとりもどしたいとおもう。
こんなことは不可能であるということは分かっている、人の一生というものは流れる煙のようにはかない
速やかに名馬にまたがり出発しよう、彫刻の飾りのついた弓を引き絞って矢を放つのだ。
寒さに草は白く枯れ、鷹は猛々しくなる、狐や兎は  肥えて元気がよい多くいる。
待ち受け、囲い込んで追い立ていく、城の東の狩り場に出る
四方野原の獲物を取りつくし、馬を降りて収獲の歓声を挙げる
城にもどって獲物を献上する、丸焼や串焼をする寒さにむいた料理にする
やがて二人の芸妓がでて舞いはじめる、しなやかに風のように軽やかな姿は雲中の仙人のように包まれる。
疲れを忘れて歓楽しつづける、すがすがしい明け方になって家路についたのだ。



秋、孟諸に猟し、夜帰りて単父の東楼に置酒して妓を観る

傾暉(けいき)は短炬(たんきょ)よりも速(すみや)か、走海(そうかい)  停川(ていせん)無し
冀(こいねが)わくは円邱(えんきゅう)の草を餐(くら)って、以て頽年(たいねん)を還(かえ)さんと欲す
此の事  得(う)可からず、微生(びせい)は浮烟(ふえん)の若(ごと)し
駿発(しゅんはつ)して名駒(めいく)に跨(またが)り、雕弓(しゅうきゅう)鳴弦(めいげん)を控(ひか)う

鷹(よう)は豪(ごう)にして魯草(ろそう)白く、狐兎(こと)  肥鮮(ひせん)多し
邀遮(ようしゃ)して相(あい)馳逐(ちちく)し、遂に城東(じょうとう)の田(でん)に出づ
一掃して四野(しや)空(むな)しく、喧呼(けんこ)す  鞍馬(あんば)の前(まえ)
帰り来たって獲(と)る所を献じ、炮炙(ほうしゃ)  霜天(そうてん)に宜(よろ)し
出でて舞う両美人(りょうびじん)、飄颻(ひょうよう)として雲仙(うんせん)の若(ごと)し
留歓(りゅうかん)して疲れを知らず、清暁(せいぎょう)  方(まさ)に来旋(らいせん)す



傾暉速短炬。 走海無停川。
傾く夕陽は 燃えつきる炬火(たいまつ)よりも速く沈み、流れる川は 海へ向かって止まるを知らない
炬火 たいまつ。*水はその位置に留まらない 


冀餐圓邱草。 欲以還頹年。
願うことは、円邱の不老不死の草をごちそうになりたい、老いる身にもとの若さをとりもどしたいとおもう。
 願うことは    ○圓丘 先輩の道士、元丹邱、元圓をさしたもの。金丹

此事不可得。 微生若浮煙。
こんなことは不可能であるということは分かっている、人の一生というものは流れる煙のようにはかない


駿發跨名駒。 雕弓控鳴弦。
速やかに名馬にまたがり出発しよう、彫刻の飾りのついた弓を引き絞って矢を放つのだ。


鷹豪魯草白。 狐兔多肥鮮。
寒さに草は白く枯れ、鷹は猛々しくなる、狐や兎は  肥えて元気がよい多くいる。


邀遮相馳逐。 遂出城東田。
待ち受け、囲い込んで追い立ていく、城の東の狩り場に出る
邀遮 待ち受け、囲い込む。○東田 東の狩り場 謝朓の「遊東田」に基づいている。
謝朓「遊東田」
戚戚苦無踪、攜手共行樂。
尋雲陟纍榭、隨山望菌閣。
遠樹曖仟仟、生煙紛漠漠。
魚戲新荷動、鳥散餘花落。
不對芳春酒、還望青山郭。
(憂愁深く楽しみの無いのに苦しみ、友と手を携えて一緒に山野を行楽する。雲の高さを尋ねては幾重にも重なる高殿に登り、山道をたどっては美しい楼閣を遠くに眺める。遠くの木々はぼんやりとかすみつつ生い茂り、わき上がる靄は果てしなく広がっている。魚が戯れつつ泳ぐと 芽生えたばかりのハスの葉が動き、鳥が木から飛び立つと 春の名残の花は散り落ちる。芳しい春の酒には目もくれず。)


一掃四野空。 喧呼鞍馬前。
四方野原の獲物を取りつくし、馬を降りて収獲の歓声を挙げる
○四野 四つの方向の野原。


歸來獻所獲。 炮炙宜霜天。
城にもどって獲物を献上する、丸焼や串焼をする寒さにむいた料理にする


出舞兩美人。 飄搖若云仙。
やがて二人の芸妓がでて舞いはじめる、しなやかに風のように軽やかな姿は雲中の仙人のように包まれる。


留歡不知疲。 清曉方來旋。
疲れを忘れて歓楽しつづける、すがすがしい明け方になって家路についたのだ。

古風 其二十二  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白181

古風 其二十二  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白181          


長安を去るにあたって、関係者と飲み明かした。また、「賓客もまばらになって、酒樽ももう空になってしまった」。「玉樽は己に空し」とは、李白らしい表現である。「しかし、まだ頼むべき才力はあり、評判をとった名に恥ずかしくない力は持っている」。まだまだ活躍はできると自信のほどを示している。
長安を去って寂しい気持ちにはなるが、まだ「頼むべき才力はある」といって、勇気を奮い起こし、自信をとり戻して長安をあとにするが、まずは「この詩を作って隠棲を願いつつ友人たちに別れを告げて去って行こう」といって「東武の吟」を歌い終わる。
李白は「高歌大笑して関より出でて去る」。「高笑い」は果たして何を意味するか。李白の心境は複雑なものがあったにちがいない。
長安黄河

古風 其二十二
秦水別隴首。 幽咽多悲聲。
長安を立つと東流する秦水はやがて隴山に別れを告げると、寂しくて泣き嗚咽して悲しい声がおおくなる。
胡馬顧朔雪。 躞蹀長嘶鳴。
自慢の胡地の馬も朔州の山に積もった雪、その向こうは馬の生まれたところ、馬に付けた鈴や玉が鳴るいつまでも嘶きつづけ、何だが流れてやまないのだ。
感物動我心。 緬然含歸情。
思い出せば心に思うこと、目にする物、すべては詩人としての私の心を動かした、いろんな思いにふけっている、やはり長安を旅立つのではなく帰る気持ちの方が強いのか。
昔視秋蛾飛。 今見春蠶生。
まえの事だが家を出るときは  秋の蛾が飛んでいたが、いまはどうだろう、春もたけなわを過ぎる蚕が生まれているころになっている。
裊裊桑柘葉。 萋萋柳垂榮。
桑は葉にしなやかにまとわりつくように、着物のうつくしい女性に柳の枝のように寄り添いまじわるのだ。
急節謝流水。 羈心搖懸旌。
時節は流れる水のように早くながれ、旅人の心は旗のように揺れうごくものだ。
揮涕且復去。 惻愴何時平。

涙を払ってともかくも歩いてゆこう、この重たく暗い思いは何時になったら軽くなるのだろうか


長安を立つと東流する秦水はやがて隴山に別れを告げると、寂しくて泣き嗚咽して悲しい声がおおくなる。
自慢の胡地の馬も朔州の山に積もった雪、その向こうは馬の生まれたところ、馬に付けた鈴や玉が鳴るいつまでも嘶きつづけ、何だが流れてやまないのだ。
思い出せば心に思うこと、目にする物、すべては詩人としての私の心を動かした、いろんな思いにふけっている、やはり長安を旅立つのではなく帰る気持ちの方が強いのか。
まえの事だが家を出るときは  秋の蛾が飛んでいたが、いまはどうだろう、春もたけなわを過ぎる蚕が生まれているころになっている。
桑は葉にしなやかにまとわりつくように、着物のうつくしい女性に柳の枝のように寄り添いまじわるのだ。
時節は流れる水のように早くながれ、旅人の心は旗のように揺れうごくものだ。
涙を払ってともかくも歩いてゆこう、この重たく暗い思いは何時になったら軽くなるのだろうか



古風 其の二十二
秦水(しんすい)  隴首(ろうしゅ)に別れ、幽咽(ゆうえつ)して悲声(ひせい)多し
胡馬(こば)  朔雪(さくせつ)を顧(かえり)み、躞蹀(しょうちょう)として長く嘶鳴(しめい)す
物に感じて我が心を動かし、緬然(めんぜん)として帰情(きじょう)を含む
昔は視る  秋蛾(しゅうが)の飛ぶを、今は見る  春蚕(しゅんさん)の生ずるを。
嫋嫋(じょうじょう)として桑は葉を結び、萋萋(せいせい)として柳は栄(えい)を垂(た)る。
急節(きゅうせつ)  流水のごとく謝(さ)り、羇心(きしん)   懸旌(けんせい)を揺るがす。
涕を揮(ふる)って且(しばら)く復(ま)た去り、惻愴(そくそう)  何(いず)れの時か平かならん。

 


秦水別隴首。 幽咽多悲聲。
長安を立つと東流する秦水はやがて隴山に別れを告げると、寂しくて泣き嗚咽して悲しい声がおおくなる。
秦水 渭水の上流部。 ○隴首 渭水が隴山のすそをながれるあたりは、杜甫の「前出塞九首」其三 紀頌之の漢詩ブログ誠実な詩人杜甫特集 42
「磨刀嗚咽水,水赤刃傷手。欲輕腸斷聲,心緒亂已久。」
(隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれているのだ。)



胡馬顧朔雪。 躞蹀長嘶鳴。
自慢の胡地の馬も朔州の山に積もった雪の向こうは馬の生まれたところ、馬に付けた鈴や玉が鳴るいつまでも嘶きつづけ、何だが流れてやまないのだ。
躞蹀 馬に付けた鈴や玉が鳴る音。旅立ちの寂しさをあらわす。○朔雪 朔は、北の意味。ここでは山西省朔州の山に積もった雪とすれば、黄河合流点をこえ、洛陽に近づいて来たことになる。○嘶鳴 馬が嘶くのだが、李白自身が大声で泣きたい心境を示している。



感物動我心。 緬然含歸情。
思い出せば心に思うこと、目にする物、すべては詩人としての私の心を動かした、いろんな思いにふけっている、やはり長安を旅立つのではなく帰る気持ちの方が強いのか。
緬然 はるかなさま。遠く思いやるさま。思いにふけるさま。



昔視秋蛾飛。 今見春蠶生。
まえの事だが家を出るときは  秋の蛾が飛んでいたが、いまはどうだろう、春もたけなわを過ぎる蚕が生まれているころになっている。
春蠶生 春になって生まれ蚕が生まれるが晩春を指す。浮気心が芽生えてきたことをあらわす句である。



裊裊桑柘葉。 萋萋柳垂榮。
桑は葉にしなやかにまとわりつくように、着物のうつくしい女性に柳の枝のように寄り添いまじわるのだ。
裊裊 風で気が揺れる。細長く音が響くさま。しなやかにまとわりつく。○萋萋 草が生い茂るさま。雲が行くさま。女性の服のうつくしいさま。柳は男性を、楊は女性。この二句はすべての語が男女の情愛、情交をあらわす表現。



急節謝流水。 羈心搖懸旌。
時節は流れる水のように早くながれ、旅人の心は旗のように揺れうごくものだ。
羈心 旅人の心。楽天的な李白にはマイナスの要素はない。そして道教に本格的に向かう。



揮涕且復去。 惻愴何時平。
涙を払ってともかくも歩いてゆこう、この重たく暗い思いは何時になったら軽くなるのだろうか

 

 「古風」の詩は制作年が不明である。詩の本文内容により、書かれたのは、後日であり、回想であるとわかっていても内容を重視し、挿入するようなやり方で、紹介してきた。今回の詩も去る者の旅の悲しみが溢れている。
「秦水」は渭水(いすい)のことですので、「隴首」(隴山)を東に離れると関中平野を東に流れる。渭水をみずからに例え、隴山を都の比喩と考えれば、長安を去る李白の心境が表現されている。
李白が南陵の鄭氏の家を発ったのは、「秋蛾」の飛ぶ秋だった。いま長安を去る日は「春蚕」がはじまる春の季節だ。桑の葉も柳の葉も緑です。最後の四句「急節 流水のごとく謝り 羇心 懸旌を揺るがす 涕を揮って且く復た去り 惻愴 何れの時か平かならん」には、李白が深い悲しみを秘めて、渭水に沿った路を東へとぼとぼと騎乗してゆく姿がしのばれます。

さらば長安よ「東武吟」 (出東門后書懷留別翰林諸公 )  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白180

 
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さらば長安よ「東武吟」 (出東門后書懷留別翰林諸公 )  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白180

人からの讒言がなくても、こうした朝廷の中には、李白の安住の地は見いだせない。ついに李白は辞意を洩らすことになった。

李陽次『草堂集』序によると、
天子は「留む可からざるを知り、乃ち金を賜いて之を帰す」とある。
花伝正の「新墓碑」は、やや詳しく、玄宗が、その才能を情しんだが、「或いは酔いに乗じて省中に出入し、温室(殿)の樹を言わざる能わざるを慮り、後息を擦るを恐れ、惜しんで之を遂す」といって、酔って殿中に自由に出入するから、秘密が洩れはしないかと心配したという。やはり酔態は、当時としては、よほど人の耳目を集めていたらしい。

『本事詩』は、「廊臍の器に非ず、優詔して之姦め遣む」とあり、宰相の器たる政治家でないと判断したという。要するに玄宗としては、詩人としての才能は惜しんだが、しかし李白の心をもはや留めるべくもなかった。

李白は好きにつけ悪しきにつけ、思い出多い長安を去ることになる。思えは742年天宝元年秋に入京し、744年天宝三年春三月、去ることになった。足かけ三年間の短い長安生活であった。去るに当たって、翰林院で職を同じくした仲間たちに一篇の詩を残している。

「東武の吟」がそれである。


東武吟  一出東門后書懷留別翰林諸公―

好古笑流俗。素聞賢達風。
方希佐明主。長揖辭成功。
白日在高天。回光燭微躬。

恭承鳳凰詔。欻起云蘿中。
清切紫霄迥。優游丹禁通。
君王賜顏色。聲價凌煙虹。
乘輿擁翠蓋。扈從金城東。
寶馬麗絕景。錦衣入新丰。

倚岩望松雪。對酒鳴絲桐。
因學揚子云。獻賦甘泉宮。
天書美片善。清芬播無窮。
歸來入咸陽。談笑皆王公。

一朝去金馬。飄落成飛蓬。
賓客日疏散。玉樽亦已空。
才力猶可倚。不慚世上雄。
閑作東武吟。曲盡情未終。
書此謝知己。扁舟尋釣翁 。



李白の友人の任華は、このときの李白の姿を「李白に寄す」の中に次のごとく歌っている。


寄李白  任華 
権臣炉盛名
葦犬多吠撃
有数放君
却蹄隠冷感
高歌大笑出関去


権臣は盛名を歩み
群犬は貯ゆる声多し
勅 有りて君を放ち
却って隠輪の処に帰せしめ
高歌大笑して関より出でて去る



任華が見た李白の「高歌大笑」は果たして何を意味するか。李白の心境は複雑なものがあったにちがいない。




東武吟 一出東門后書懷留別翰林諸公―

歌は辞任の寂しさと宮中出仕のころの回想から始まる。
「自分は、何のしごともできず辞任することは、残念ではある。思えば、三年前に天子から目をかけられて翰林院に召されることになった。それは光栄なことであった。また、天子の行幸にもいつも随行する。鷹山で作った駅はいささかおはめにあずかり、その評判は広く伝わった。都に帰ると、人々から尊敬され、話し相手は王公貴族はかりである。そのときはじつに愉快の極みであった」と、長安時代の生活の楽しさを思い出している。


「東武吟」―還山留別金門知己-
好古笑流俗。素聞賢達風。
方希佐明主。長揖辭成功。
白日在高天。回光燭微躬。
古(いにしえ)を好(この)んで  流俗(りゅうぞく)を笑い、素(もと)  賢達(けんたつ)の風(ふう)を聞く
方(まさ)に希(こいねが)う 明主(めいしゅ)を佐(たす)け、長揖(ちょうゆう)して成功を辞(じ)せんことを
白日(はくじつ)  青天に在り、廻光(かいこう)  微躬(びきゅ)を燭(てら)す



恭承鳳凰詔。欻起云蘿中。
清切紫霄迥。優游丹禁通。
君王賜顏色。聲價凌煙虹。
乘輿擁翠蓋。扈從金城東。
寶馬麗絕景。錦衣入新丰。
恭(うやうや)しく鳳凰(ほうおう)の詔を承(う)け、歘(たちま)ち雲蘿(うんら)の中(うち)より起(た)つ
澄みわたる雲居(くもい)のかなた、宮中に出入りして悠然と歩く
天子は  謁見を賜わり、名声は  虹をも凌ぐほどである
天子の輦(くるま)が  翠羽の蓋(かさ)を差し上げて、長安の東の離宮に行幸(みゆき)する
名馬絶景のような駿馬を馳(はし)らせ、錦の衣(ころも)を着て新豊にはいる



依岩望松雪。對酒鳴絲桐。
因學揚子云。獻賦甘泉宮。
天書美片善。清芬播無窮。
歸來入咸陽。談笑皆王公。
巌にもたれて松の雪を眺め、酒を酌みながら琴を奏でる
漢の揚雄が賦を献じた故事にならい、離宮に扈従(こじゅう)して詩を奉ると
勅書をもって お褒めの言葉をいただき限りない栄誉に浴する
長安に帰ってくれば交際するのは  もっぱら王公貴族のみ



ここで歌は一転して追放後のことになる。

一朝去金馬。飄落成飛蓬。
賓客日疏散。玉樽亦已空。
才力猶可倚。不慚世上雄。
閑作東武吟。曲盡情未終。
書此謝知己。扁舟尋釣翁 。
だが  ひとたび翰林院を去り、転落して  飛蓬の身となれば
よい客人は日に日に疎遠となり、酒樽もからになる
だが 
私の才能は衰えておらず、世の豪雄にひけは取らない、
暇にまかせて東武吟を口にすれば、曲が終わっても感興はつきない
そこでこの詩を書いて知己に贈り、小舟に乗って  釣りする翁を尋ねるとしよう



「さて、一朝にして翰林院を去ると零落して飛蓬のように、あてどなくさまよう身となってしまった」。「飛蓬」は風が吹くと根もとが切れて舞い上がる植物で、曹植が転々として国換えになる身をしばしは喩えたことばである。
また、「賓客もまばらになって、酒樽ももう空になってしまった」。「玉樽は己に空し」とは、李白らしい表現である。「しかし、まだ頼むべき才力はあり、評判をとった名に噺ずかしくない力は持っている」。まだまだ活躍はできると自信のほどを示している。しかし、内心は寂しくてやり切れなかったであろう。
長安を去って寂しい気持ちにはなるが、まだ「頼むむべき才力はある」といって、勇気を奮い起こし、自信をとり戻して長安をあとにするが、まずは「この詩を作って隠棲を願いつつ友人たちに別れを告げて去って行こう」といって歌い終わる。


李白は、長安に住むこと足かけ三年、時に四十四歳、以後、再び長安には姿を現わさなかった。

同王昌齡送族弟襄歸桂陽 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白179

同王昌齡送族弟襄歸桂陽 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白179


 漢の成帝の寵した飛燕皇后のことは、事実はともかくとして、この頃の人士には、記述については非常に簡単ではあったが正史である『漢書』に、優れた容姿を表現する記述がある。
その出生は卑賤であり、幼少時に長安にたどり着き、号を飛燕とし歌舞の研鑽を積み、その美貌が成帝の目にとまり後宮に迎えられた。後宮では成帝の寵愛を受け、更に妹の趙合徳を昭儀として入宮されることも実現している。成帝は趙飛燕を皇后とすることを計画する。太后の強い反対を受けるが前18年12月に許皇后を廃立し、前16年に遂に立皇后が実現した。前7年、成帝が崩御すると事態が一変する。成帝が急死したことよりその死因に疑問の声が上がり、妹の趙合徳が自殺に追い込まれている。こうした危機を迎えた趙飛燕であるが、自ら子がなかったため哀帝の即位を支持、これにより哀帝が即位すると皇太后としての地位が与えられた。しかし前1年に哀帝が崩御し平帝が即位すると支持基盤を失った

王莽により宗室を乱したと断罪され皇太后から孝成皇后へ降格が行われ、更に庶人に落とされ間もなく自殺した。

六朝時代の作なる小説「飛燕外伝」を通じてよく知られていたのである。この「飛燕外伝」に見える飛燕皇后は、宮中に入る前にすでに鳥を射る者と通じ、立后後も多くの者と姦通している。唐時代に、朝廷内のものがこの小説を知らぬはずはない。李白が朝廷に上がった段階では、楊貴妃ではなく女道士としての太真としていた。玄宗の息子の寿王の王妃であったものを奪い取ったものであることも周知のことであった。朝廷内における地位としては確立していない段階ではあったが、趙飛燕は痩身体型、楊太真は細身、グラマラスな体系であった。
これを以て貴妃に比したのは、李白にとって慎重を欠いたというだけなのか、どんな意図があったのか。

李白の詩の特徴の一は、巧みに故事をとらえて、現在の事柄と連関させる方法である。そのため現実は浪曼化され、美化される。抽象化、誇張ということもありうる。

当然、写実から遠ざかることもある。詩とは、本来そうしたものである。

歌が善く、舞を善くし、君王の寵愛はくらべるものもなく、肌膚こまやかに、姿態楚々たる美人ということを詠いあげ、曖昧模糊に表現することで、美を表出したのである。傾国などの表現とはまったくちがったものであった。

しかし、李白は早い時期に云っておくべきこと、すなわち正論があった。それは、玄宗にこんな女、それ以上のめり込むべきでない趙飛燕の末期におけるものは悲劇そのものである。それを教訓として一線を画して対処されるべきといいたかったのだ。それを聞き入れられたとしたら、朝廷は安禄山の乱を生むことはなかったし、李白ももっと生かされたであろう。楊貴妃に問題があることは誰もが分かっていたが、問題点を指摘するものより、それを自己のためにうまく利用できるかということしかなかったのである。
その正論は、「浮云蔽紫闥。 白日難回光。」(古風三十七)朝廷内、内も外も上も下も、暗雲が垂れ込め」発言する場発揮することはなかった。
榮華東流水。 萬事皆波瀾。
白日掩徂輝。 浮云無定端。
梧桐巢燕雀。 枳棘棲鴛鸞。 (古風三十九)
また、梧桐にしか止まらない猜疑心の塊のような小人、枳殻ととげばかりでもって邪魔をする者たちばかりであった。詩を完全に評価、詩人として評価してくれた賀知章は李白が入朝して間もなく引退して鏡湖周辺をご褒美に賜り故郷に帰っていった。李白の飛び出た杭にいち早く気が付き老い先短い命を故郷で過ごしたいと思うのは当然のことだったのだ。

 かくて李林甫の率いる官僚と高力氏の率いる宦官の巣窟の宮廷との双方から攻撃を受けた詩人は、長安を去るよりほかなかった。

 

同王昌齡送族弟襄歸桂陽  

秦地見碧草、楚謠對清樽。 
唐の都長安の地において君は青々と凛とした草のようである、これから帰る湖南の地には古くからの民謡があり、聖人の飲む清酒の樽があるのだ。
把酒爾何思、鷓鴣啼南園。
清酒をくみ上げ君は何を思い語るのであろうか、そこの地方の野山、庭園ににたくさんいる鷓鴣が啼くように普通のことを言っていてはいけない。
予欲羅浮隱、猶懷明主恩。
自分は蓬莱山中の一峰に隠遁したとしても、天の明主の御恩は思い続けるであろう。
躊躇紫宮戀、孤負滄洲言。
 
いろんなことがあっても、ここ天子の宮をこいしているからなかなか決めかねているのだ、ひとり神仙のすむ滄浪洲へ行くという言葉を言い出せないのだ。


 

唐の都長安の地において君は青々と凛とした草のようである、これから帰る湖南の地には古くからの民謡があり、聖人の飲む清酒の樽があるのだ。

清酒をくみ上げ君は何を思い語るのであろうか、そこの地方の野山、庭園ににたくさんいる鷓鴣が啼くように普通のことを言っていてはいけない。

自分は蓬莱山中の一峰に隠遁したとしても、天の明主の御恩は思い続けるであろう。

いろんなことがあっても、ここ天子の宮をこいしているからなかなか決めかねているのだ、ひとり神仙のすむ滄浪洲へ行くという言葉を言い出せないのだ。

 

 

 


王昌齢と同じく族弟襄が桂陽に帰るを送る
秦地 碧草を見、楚謡 清樽に対す。 
酒を把(と)ってなんぢ何をか思ふ、鷓鴣(シャコ)  南園に啼く。 
予は羅浮に隠れんと欲すれども、なほ明主の恩を懐(おも)ふ。
紫宮の恋に躊躇し、ひとり滄洲の言に負く
 

 

 

 

 

秦地見碧草、楚謠對清樽。 

唐の都長安の地において君は青々と凛とした草のようである、これから帰る湖南の地には古くからの民謡があり、聖人の飲む清酒の樽があるのだ。

碧草 李白は碧という語をよく使う。ここでは若草のこれから伸びようとするものへの表現である。○ 襄の赴く桂陽(湖南省)は昔の楚の地。

 


把酒爾何思、鷓鴣啼南園。

清酒をくみ上げ君は何を思い語るのであろうか、そこの地方の野山、庭園ににたくさんいる鷓鴣が啼くように普通のことを言っていてはいけない。

鷓鴣(シャコ)南方に多い鳥。 なくから生け捕られ、食用にされる。○ 清と濁とある。濁り酒は賢人、すなわち酒を飲みながら政治批判をすることをいうが、ここでは、ことさら清といっている。自分が政治的批判をして懲りたことを顕わしている

 


予欲羅浮隱、猶懷明主恩。

自分は蓬莱山中の一峰に隠遁したとしても、天の明主の御恩は思い続けるであろう。

○羅浮 蓬莱山中の一峰。

 


躊躇紫宮戀、孤負滄洲言。
 

いろんなことがあっても、ここ天子の宮をこいしているからなかなか決めかねているのだ、ひとり神仙のすむ滄浪洲へ行くという言葉を言い出せないのだ。

紫宮 紫微に同じく天子の宮。○滄洲 神仙のすむ滄浪洲へ行くという言葉を言い出せないのだ。

 

 

玄宗の恩を思い、宮廷を恋しくは思いながらも、彼は帝に暇を乞うた。

 玄宗はさすがにその才を惜んで慰撫した。しかし、辞意の決意の堅さを知り、金を賜って許した。君臣の間柄に他の不純なもののまじらなかったことが、李白にとってせめてもの慰めであった。

古風 其三十九 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白178

 

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古風 其三十九 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白178

いよいよ、長安朝廷を辞する時が来たのか。
それにつけても、この3年何だったのか。三顧の礼をもって迎えられたかと思うと次の日から天地が転化したような扱い、頼りにした道教の仲間も、すべてが宦官のいいなり、朝廷は李林甫の横暴がまかり通る。どんなに正論を言っても、天子のところには届かない。そればかりか、その天子たるや、気ままな性格そのもので、云い無、やりっぱなし、のその時政治。家臣は、やりたい放題。
酒は楽しく飲むもの。ここでの酒は酔うためのもの。こんな自分ではなかった。


古風 其三十九      
登高望四海。 天地何漫漫。
高い山に登り、四方、天下を見わたすと、天も地もはるか ひろびろとして人の世の出来事の小さいことか。
霜被群物秋。 風飄大荒寒。
霜が降り被い尽くし、すべて穀物が実り秋になった、突風が吹いて  ひろびろとした荒野は寒々として誰もいない。
榮華東流水。 萬事皆波瀾。
過去の王朝で経験している栄華なものは東へ流れる水のようにそこに留まらない、この朝廷でのなにもかもの出来事、総ての事柄、大波の間に漂っている。
白日掩徂輝。 浮云無定端。
白日の下の正論というものが、李林甫のつまらぬものにその輝きは覆い隠され、浮雲のような宦官たちは常識の端がないように思うがままにしている。
梧桐巢燕雀。 枳棘棲鴛鸞。
燕と雀の小人物が青桐にかこまれたところに巣を作っており、大人物がいるかといえばそうではなく、おしどりと鸞鳳がからたちととげのように人の邪魔をしている。
且復歸去來。 劍歌行路難。
ともかくもまた「歸去來」の辞を詠おう、そして剣を叩いて 「行路難」を吟じよう。


高い山に登り、四方、天下を見わたすと、天も地もはるか ひろびろとして人の世の出来事の小さいことか。
霜が降り被い尽くし、すべて穀物が実り秋になった、突風が吹いて  ひろびろとした荒野は寒々として誰もいない。
過去の王朝で経験している栄華なものは東へ流れる水のようにそこに留まらない、この朝廷でのなにもかもの出来事、総ての事柄、大波の間に漂っている。
白日の下の正論というものが、李林甫のつまらぬものにその輝きは覆い隠され、浮雲のような宦官たちは常識の端がないように思うがままにしている。
燕と雀の小人物が青桐にかこまれたところに巣を作っており、大人物がいるかといえばそうではなく、おしどりと鸞鳳がからたちととげのように人の邪魔をしている。
ともかくもまた「歸去來」の辞を詠おう、そして剣を叩いて 「行路難」を吟じよう。



古風 其の三十九
登高(とうこう)して四海(しかい)を望めば、天地  何ぞ漫漫(まんまん)たる
霜は被(おお)って群物(ぐんぶつ)秋なり、風は飄(ひるがえ)って大荒(たいこう)寒し
栄華  東流(とうりゅう)の水、万事  皆(みな)波瀾(はらん)
白日  徂暉(そき)を掩(おお)い、浮雲  定端(じょうたん)無し
梧桐(ごとう)に燕雀(えんじゃく)を巣(すく)わしめ、枳棘(ききょく)に鴛鸞(えんらん)を棲(す)ましむ
且(しばら)く復(ま)た帰去来(かえりなん)、剣歌(けんか)す  行路難(ころなん)



登高望四海。 天地何漫漫。
高い山に登り、四方、天下を見わたすと、天も地もはるか ひろびろとして人の世の出来事の小さいことか。
登高 九月九日の重陽の日の風習で、高い山に登り、家族を思い、菊酒を飲んで厄災を払う習わし。後漢の桓景の故事に基づいた重陽の風習の一。魏・曹植の「茱萸自有芳,不若桂與蘭」や魏・阮籍の『詠懷詩』其十「昔年十四五,志尚好書詩。被褐懷珠玉,顏閔相與期。開軒臨四野,登高望所思。丘墓蔽山岡,萬代同一時。千秋萬歳後,榮名安所之。乃悟羨門子,今自嗤。」 ○四海 古来から四方の地の果ては海となっているからそれの内の意》国内。世の中。天下。また、世界。 『孟子』尽心上に、孔子が泰山に登って天下を小としたとあるをイメージしている。



霜被群物秋。 風飄大荒寒。
霜が降り被い尽くし、すべて穀物が実り秋になった、突風が吹いて  ひろびろとした荒野は寒々として誰もいない。
霜被 霜が降り被い ○群物秋 霜が降り被い ○風飄 ヒューと風が吹く ○大荒 ひろびろとした荒野 ○ 寒々として誰もいない。

 

榮華東流水。 萬事皆波瀾。
過去の王朝で経験している栄華なものは東へ流れる水のようにそこに留まらない、この朝廷でのなにもかもの出来事、総ての事柄、大波の間に漂っている。
東流 中國の大河は東流している。水は東に流れるもの。其の位置にはとどまらない。いつかは消えていくもの。 ○萬 すべてのことがら。



白日掩徂輝。 浮云無定端。
白日の下の正論というものが、李林甫のつまらぬものにその輝きは覆い隠され、浮雲のような宦官たちは常識の端がないように思うがままにしている。
白日 日中の太陽。天子の威光。正論。○浮云 うきぐも。李白は朝廷内の宦官のことを暗天の比喩としていうことが多い。 ○無定端 定めの端がない。好き勝手なことをする。



梧桐巢燕雀。 枳棘棲鴛鸞。
燕と雀の小人物が青桐にかこまれたところに巣を作っており、大人物がいるかといえばそうではなく、おしどりと鸞鳳がからたちととげのように人の邪魔をしている。
梧桐 あおぎり。玄宗と楊貴妃の生活を示したもの。元代の戯曲「梧桐雨」がある。また、『荘子』秋水篇の故事を用いる。荘子が梁の国の宰相恵子を訪れようとすると、それは宰相の地位を奪い取ろうとしているのだという重言があった。恐れる恵子に向かって荘子はたとえ話を持ち出す。南方に「鴛雛」という鳥がいて、梧桐にしか止まらず、練実(竹の実)しか食べず、清浄な水しか飲まない。鶴が「腐鼠」を食べていたところに鴛雛が通りかかると、鶴はにらみつけて「嚇」と叫んだ。今あなたは梁の国を取られはしないか恐れて威嚇するのか、と恵子に言った。猜疑心を抱きつつの後宮生活を示す。○燕雀 小人物のこと。趙飛燕。楊貴妃の事。 ○枳棘 からたちととげ。人の邪魔をすること。 ○棲鴛鸞 おしどりと鸞鳳。楊貴妃とその兄弟の事。
この聯は『史記』・陳渉世家に「燕雀安知鴻鵠之志哉」(燕雀いずくんぞ鴻鵠之志を知るや。:小人物は大人物、鴻鵠の志を知ることができようか)の一節に基づくもの。



且復歸去來。 劍歌行路難。
ともかくもまた「歸去來」の辞を詠おう、そして剣を叩いて 「行路難」を吟じよう。
歸去來 陶淵明が仕官80日あまりで官を辞して故郷に帰った時の辞。 ○劍歌 孟嘗君(もうしょうくん)に苦言を呈した馮驩(ふうかん)は剣の柄をたたき詩を吟じた。○行路難 古楽府の名。 

古風 其三十七 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白177

古風 其三十七 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白177


 宮廷に入り一年が過ぎ、政事の現実がどのようなものであるか何もかもすぐに分かった李白、うかつに発言できないもどかしさ、それは日に日に増していくのであった。李白は宮廷詩人として、芸人のような接遇、李白の矜持はボロボロにされていくのである。しかも、その思いは天子に全く伝わらないのである。
 古来、慟哭し、号泣すれば、天は答えてくれた。しかし、今はどうなっているのだ。袖も、着物もぐっしょりと濡れるほどに泣くのに何の返事もないのだ。これまで飲んだ酒は涙につながるお酒はなかった。しかし、今は、なんなのだ。どうすればいいのだ。李白の胸の内を詠いあげている「古風其の三十七」と「古風其の三十九」である。




古風 其三十七

其三十七
燕臣昔慟哭。 五月飛秋霜。
戦国時代の燕の鄒衍は、燕の恵王に忠誠を尽くしたが讒言のため捕えられた。鄒衍は天を仰いで慟哭したところ、天もその誠心に感じ、夏五月にかかわらず、秋の霜を降らせ風に飛んだ。
庶女號蒼天。 震風擊齊堂。
また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。
精誠有所感。 造化為悲傷。
つまり、天を感じさせる誠さえあれば、天も悲しんでくれるものだ」。誠実に生きることがたいせつだ、自分も誠実に生きてきた。姦物どもの非難・中傷はあろうが、天も知って悲しんでくれるであろうというのがそれである。
而我竟何辜。 遠身金殿旁。
ところで、「誠実に生きた自分には何の罪があるのか、天子のおられる金堂殿から遠ざけられてしまった」。
浮云蔽紫闥。 白日難回光。
陰険な者たちにより、この朝廷は暗闇のように被われている。真昼の太陽の輝きが照らすことさえ難しくなっている。それほど正当なことが天子に届かないものになっているのだ。
群沙穢明珠。 眾草凌孤芳。
思えは宮中には誠実ならざる姦物が多くけがれてしまっている。こうした何の考えのしないただの草の集まりみたいな朝廷の現状を嘆き、なさけなくなるのだ。
古來共嘆息。 流淚空沾裳。

それは昔から嘆かわしいことはおなじようにあった。これを思うと、ただ涙が流れて着物をぬらせてしまう。



戦国時代の燕の鄒衍は、燕の恵王に忠誠を尽くしたが讒言のため捕えられた。鄒衍は天を仰いで慟哭したところ、天もその誠心に感じ、夏五月にかかわらず、秋の霜を降らせ風に飛んだ。
また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。
つまり、天を感じさせる誠さえあれば、天も悲しんでくれるものだ」。誠実に生きることがたいせつだ、自分も誠実に生きてきた。姦物どもの非難・中傷はあろうが、天も知って悲しんでくれるであろうというのがそれである。
ところで、「誠実に生きた自分には何の罪があるのか、天子のおられる金堂殿から遠ざけられてしまった」。
陰険な者たちにより、この朝廷は暗闇のように被われている。真昼の太陽の輝きが照らすことさえ難しくなっている。それほど正当なことが天子に届かないものになっているのだ。
思えは宮中には誠実ならざる姦物が多くけがれてしまっている。こうした何の考えのしないただの草の集まりみたいな朝廷の現状を嘆き、なさけなくなるのだ。
それは昔から嘆かわしいことはおなじようにあった。これを思うと、ただ涙が流れて着物をぬらせてしまう。


燕臣 昔 慟哭す。 五月にして 秋霜飛ぶ。
庶女 蒼天 號。 震風 齊堂を擊つ。
精誠 感ずる所有り。 造化 悲傷を為す。
而我 竟に何んぞ辜す。 遠身 金殿の旁。
浮云 紫闥を蔽う。 白日 光 回り難し。
群沙 明珠を穢れ。 眾草 孤芳 凌す。
古來 共に嘆息す。 流淚 沾裳 空し。




燕臣昔慟哭。 五月飛秋霜。
戦国時代の燕の鄒衍は、燕の恵王に忠誠を尽くしたが讒言のため捕えられた。鄒衍は天を仰いで慟哭したところ、天もその誠心に感じ、夏五月にかかわらず、秋の霜を降らせ風に飛んだ。
燕臣 鄒衍(前305-前240)天地万物は陰陽二つの性質を持ち、その消長によって変化する(日・春・南・男などが陽、月・秋・夜・女・北などが陰)とする陰陽説と、万物組成の元素を土・木・金・火・水とする五行説とをまとめ、自然現象から世の中の動き、男女の仲まであらゆることをこの陰陽五行説によって説明。彼の説は占いや呪術とも結びついて後世に多大な影響を与えた。どれほど影響があるかは「陽気」「陰気」という言葉や、曜日の名前を思い浮かべればすぐわかる。○飛秋霜 秋に降りる霜が降り、風に飛んだ。



庶女號蒼天。 震風擊齊堂。
また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。
庶女 斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられた。



精誠有所感。 造化為悲傷。
つまり、天を感じさせる誠さえあれば、天も悲しんでくれるものだ」。誠実に生きることがたいせつだ、自分も誠実に生きてきた。姦物どもの非難・中傷はあろうが、天も知って悲しんでくれるであろうというのがそれである。



而我竟何辜。 遠身金殿旁。
ところで、「誠実に生きている自分には何の罪があるのか、天子のおられる金堂殿から遠ざけられてしまうのだ」。



浮云蔽紫闥。 白日難回光。
陰険な者たちにより、この朝廷は暗闇のように被われている。真昼の太陽の輝きが照らすことさえ難しくなっている。それほど正当なことが天子に届かないものになっているのだ。



群沙穢明珠。 眾草凌孤芳。
思えは宮中には誠実ならざる姦物が多くけがれてしまっている。こうした何の考えのしないただの草の集まりみたいな朝廷の現状を嘆き、なさけなくなるのだ。
○群 ただ集まっている砂。誠実ならざる姦物が多い ○ けがれている。荒れ果てる。



古來共嘆息。 流淚空沾裳。
それは昔から嘆かわしいことはおなじようにあった。これを思うと、ただ涙が流れて着物をぬらせてしまう。



○韻  霜、堂、傷、傍、光、芳、裳。




この涙は、李林甫の横暴、加えて宦官たちの陰険・陰謀、正論が上に全く上がらない朝廷の現状を嘆く悲しみの涙であり、思う仕事を何一つさせてもらえない無念の涙、こんなところに長居はできないとおもったにちがいない。

翰林讀書言懷呈集賢諸學士 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白176 と玄宗(8)

翰林讀書言懷呈集賢諸學士 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白176


玄宗(9)
李白が長安を追われる直接の原因となったのは、魏顥の『李翰林集』序によると、「張洎の讒言」であったとされる。張洎は、もとの宰相張説の子で、玄宗の娘を妻にして、玄宗に寵愛された人であるが、のち安禄山に寝返り、その宰相となる。朝廷に召される10年前、李白は長安に来ている。その時道教の友人に張洎を紹介されているのだ。張洎に終南山の麓に居を紹介され、わずかの間棲んでいる。

李白32 玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二



その頃、張洎とうまくいっていなかったのか、李白も後のフォローに問題点があったであろうと思う。朝廷内の影響力を持つ人物からの助言、援助は考えられないもであったのはまちがいない。
劉全白の「翰林学士李君碣記」にも、「同列者の謗る所と為る」とあるが、これも中書舎人であった張洎のことかもしれない。

さらに、高力士の讒言というのも伝えられる。
『太平広記』巻204に引く『松窓録』によると、「高力士はかつての脱靴のことを怨みに思っていた」ところ、楊貴妃が「清平調詞」(三首)を吟じているのを聞いて、「飛燕を以って妃子を指すは、これを闇しむこと甚だしきなり」と謹言し、「貴妃も然りとした」という。宮女程度ならまだしも、王妃である。「清平調詞」(三首)貴妃の側からすれば手放しで喜べる内容ではない。4,50年かけて築いてきた地位、飛ぶ鳥を落とす勢いのある高力士にとって、昨日、今日入朝したての李白の奔放不覇な性格と態度、朝廷内でうまくゆくはずはない。


誰も味方してくれない状態の中で、李白は酔態を晒すばかりであったろう。入朝したいきさつからも、詩文を立ちどころに書き上げた才能はある意味当たり前の事なのである。それを当たり前のこととされると、高力士をはじめ禁中の者から見ると、李白のような倣慢無礼のやつ、天子の前でも何ものも恐れない態度をとるやつは許せなかったにちがいない。何かのきっかけを待って李白を陥れられるのは時間の問題であったろう。


翰林院供奉の職として、天子の詔勅を草する者としては、酔態は異常である。「宮中行楽詩」十首を作ったときも、寧王のところで飲んでいたのを召されて、ふらふらした状態であった。また、『松窓録』にある「清平調詞」三章を作った話も、「宿酲未だ解けざるに苦しむ」と、二日酔いのさめぬ苦しさの中に筆を執った。この『松窓録』にある一連の話は楽史の『李翰林別集』序にも見る。

范伝正の「李公新墓碑」には、、玄宗が、白蓮池に舟を浮かべて遊んでいたとき、呼び出されて、序を作らされた。このとき、李白は翰林中で酒を飲んでいたので、高力士に助けられて舟に登ったとある。これも、『太平広記』引く『琴言』にあるが、『携言』では、「白蓮花開序」を作ったとある。そのとき大酔していたので、女官たちが、冷水をかけて、醒まして、一気に筆を執って書き上げ、修正もしなかったという、とある。

魏顥の『李翰林集』序では、また別の話を伝える。すなわち、天子に召されたとき、李白は高官の家で飲んでいた。たまたま「半酔」の状態であったが、「出師詔」を作った。下書きもせずに一切しなかった。
これだけで、高力士の讒言がたとえなくとも、はじめから禁中の高官連中から快く思われていない李白が正規の官に就任できなかったのは、当然のことである。


李白自身も、もはや居るべき所ではないと感じ、晩かれ早かれ、宮中を出てゆく運命にあった。李白は、当時の高官たちの悪意に満ちた非難、冷笑をひしひしと身に感じていた。



翰林讀書言懷呈集賢諸學士
晨趨紫禁中。 夕待金門詔。
朝礼に間に合うように急ぎ足で歩く、天子の住居にて執務にあたる。夕べには翰林学士院で待詔している。
觀書散遺帙。 探古窮至妙。
また、古い書物をひもどいて読みあさり、古しえよりの至理をきわめるのが仕事である。
片言苟會心。 掩卷忽而笑。
一言一句でも感動するものがあれば、書物を閉じてふと笑えむのである。
青蠅易相點。 白雪難同調。
青い蝿はその糞で白い玉を汚しがちのもの、お高く留まった「白雪の歌」は歌いにくいもので和せるものではないのだ。
本是疏散人。 屢貽褊促誚。
自分はもともと気ままの人物であり、しばしば、偏狭な人物であると非難されるばかりである。
云天屬清朗。 林壑憶游眺。
本当は晴天なのに、宮廷というのはこのように雲が重たくかかっている、山林幽谷はそこにあり、わが心を慰めてくれるのは、自然の美しい眺めなのである。
或時清風來。 閑倚檐下嘯。
ときには清々しい風流な時もやってくる。そういうひとときの合間には、欄干によりかかり、あるいは下河原でのどかに詩を吟ずるのである。
嚴光桐廬溪。 謝客臨海嶠。
厳光は宮廷のことなど考えず桐廬溪で釣り糸を垂れたのだ、謝霊雲は左遷されるとき臨海の山のいただきに登った。
功成謝人間。 從此一投釣。

今は務めの身、天子から招かれた身分、一応はやることだけはしとげて、それから天子にお暇乞いをして、もっぱら釣り糸を垂れる身分となりたい。


朝礼に間に合うように急ぎ足で歩く、天子の住居にて執務にあたる。夕べには翰林学士院で待詔している。
また、古い書物をひもどいて読みあさり、古しえよりの至理をきわめるのが仕事である。
一言一句でも感動するものがあれば、書物を閉じてふと笑えむのである。
青い蝿はその糞で白い玉を汚しがちのもの、お高く留まった「白雪の歌」は歌いにくいもので和せるものではないのだ。
自分はもともと気ままの人物であり、しばしば、偏狭な人物であると非難されるばかりである。
本当は晴天なのに、宮廷というのはこのように雲が重たくかかっている、山林幽谷はそこにあり、わが心を慰めてくれるのは、自然の美しい眺めなのである。
ときには清々しい風流な時もやってくる。そういうひとときの合間には、欄干によりかかり、あるいは下河原でのどかに詩を吟ずるのである。
厳光は宮廷のことなど考えず桐廬溪で釣り糸を垂れたのだ、謝霊雲は左遷されるとき臨海の山のいただきに登った。
今は務めの身、天子から招かれた身分、一応はやることだけはしとげて、それから天子にお暇乞いをして、もっぱら釣り糸を垂れる身分となりたい。


晨には紫禁の中に趨り。 夕には金門の詔を待つ。
書を観て遺帙を散き、古探り至妙を窮む
片言 苟し心に会せば、巻を掩いて忽ちにして笑う
青き蝿は相い点し易く、白雪は同調し難し
本もと是れ疎散なる人にして屡しば褊促なる誚りを貽す
雲天は清朗と属り、林林壑に遊朓を憶う
時或りて清風来たり、閒ま欄下に倚って囁く
厳光の桐廬の溪、謝客の臨海の嶠
功成りて人君に謝し、此より一えに釣を投げん





晨趨紫禁中。 夕待金門詔。
朝礼に間に合うように急ぎ足で歩く、天子の住居にて執務にあたる。夕べには翰林学士院で待詔している。
 夜明けに朝礼がある。○趨 急ぎ足で歩く。○紫禁 皇居、天子の住居。○金門 右銀台門、翰林学士院を示す。 ○ 天子からの詔をまっている。
自分のしごとは、「禁中に出て、翰林院で天子の詔を待っている身。「金門」は漢の金馬門、漢の武帝は、ここで学士を集めて詔を待たせた。金馬門は唐では、右銀台門に当たり、ここを入ると翰林学士院がある。よって翰林学士院で待詔すことをかくいった。


觀書散遺帙。 探古窮至妙。
また、古い書物をひもどいて読みあさり、古しえよりの至理をきわめるのが仕事である。
遺帙 古い書物をひもどいて読み  ○探古窮至妙 古しえよりの至理をきわめるのが仕事である



片言苟會心。 掩卷忽而笑。
一言一句でも感動するものがあれば、書物を閉じてふと笑えむのである。



青蠅易相點。 白雪難同調。
青い蝿はその糞で白い玉を汚しがちのもの、お高く留まった「白雪の歌」は歌いにくいもので和せないのだ。
青蠅 青い蝿。○相點 糞で白い玉を汚す。○白雪難同調 潔白の人にとっては、人の中傷非難はありがち、また高傑の人には俗人はついてこない。いま自分はそれと同じである。「白雪」は曲の名であり、宋玉の「楚王の問いに対う」に、俗な曲は和する者が多かったが、陽春・白雪のような高尚な曲は、和する者数十人にすぎなかったという。これにもとづき、高傑の人物は孤立しがちのものであることにたとえる。
 

本是疏散人。 屢貽褊促誚。
自分はもともと気ままの人物であり、しばしば、偏狭な人物であると非難されるばかりである。
本是 自分はもともと。○疏散人気ままな人物。○ 屢貽褊促誚。この表現をみると、李白は宮中において、すでに非難攻撃を受けていることを十分知っている。そして、宮廷の人々とは合わないことも十分知っている。とすると、聾一昆よって追放さかることがなくても、李白のほうも、もはやみずから出てゆく時が来ていると覚悟していたにちがいない。



云天屬清朗。 林壑憶游眺。
本当は晴天なのに、宮廷というのはこのように雲が重たくかかっている、山林幽谷はそこにあり、わが心を慰めてくれるのは、自然の美しい眺めなのである。
云天 宮中は魑魅魍魎が住み着くところ。○林壑 山林幽谷の自然を愛す。○憶游眺 自然に浸り詩歌を詠う。



或時清風來。 閒倚檐下嘯。
ときには清々しい風流な時もやってくる。そういうひとときの合間には、欄干によりかかり、あるいは下河原でのどかに詩を吟ずるのである。
清風來 清々しい風流な時もやってくる。○(うそぶ)くはのどの奥から声を出す。六朝人は、よく山水に遊んで噴く習慣があり、世俗を超越した隠遁者の超俗的態度であったが、唐に入ると、声を出さずに、そうした態度だけをすることも「囁」といった。ここも必ずしも声を出さずに、俗たちを低く見る態度をとったとみてもよい。ここでは自然の風景によって心の憂いをはらすともに、宮廷の俗人たちを無視した気持ちも表わしているとみられる。

 

嚴光桐廬溪。 謝客臨海嶠。
厳光は宮廷のことなど考えず桐廬溪で釣り糸を垂れたのだ、謝霊雲は左遷されるとき臨海の山のいただきに登った。
厳光 後漢の「厳光」(字は子陵)は、光武帝と若いころ友人であったが、光武帝が即位してから、招かれても応ぜず、桐廬溪でいつも釣りをしていた。この渓は今、杭州湾に流れこむ富春江を湖えと厳陵瀬の急瑞があり、厳光が釣りをしていたところといわれる。○謝客 六朝、宋の大詩人謝霊運も、この江を潤って永嘉(温州)の太守に左遷されるとき、この厳陵瀬のことを歌っている。彼は幼名を客児と呼ばれたために、当時から「謝客」と加阿客とか呼ばれていた。永嘉の太守をやめて、故郷の会稽に帰って、しばしばこの付近の山水探勝を試み、臨海(今の臨海県)の山にも登っている。



功成謝人間。 從此一投釣。
今は務めの身、天子から招かれた身分、一応はやることだけはしとげて、それから天子にお暇乞いをして、もっぱら釣り糸を垂れる身分となりたい。
功成謝人間 謝には「臨海晴」の詩がある。ともに世間との交渉を断ち、山水に遊んだ人。「こうした人々がうらやましく、自分もそうした身分になりたい。」という。


○韻  中、詔、妙、笑、調、誚、眺、嘯、嶠、釣。

ここでは自由の身になることを望んでいる。ただ天子に対してやるべき「功」だけはやって、それが「成」きあがったらという。「功」とは、翰林院における与えられた職務である。宮中の宮人官僚たちの非難冷笑を受けて、もはや相容れないと感じ、翰林院を去る時期を、李白はうかがっていたにちがいない。その機会は、高力士、あるいは張泊の讒言であったかもしれないが、それよりも李白にとって政治的助言の場が全くなく、芸人のような処遇に耐えきれないものがあった。それは、李白の矜持に触れるものであったからである。

戦城南   李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白175 戦争

戦城南   李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白175 戦争
雑言古詩



玄宗ものがたり(8)

皇太子側の皇甫惟明が李林甫を弾効する上奏文が、玄宗皇帝の指示で張本人の李林甫の元に届けられる。李林甫は皇太子派の意図を知りそれに備える。一方、皇太子派は皇帝の許可なく外出ができる「元宵節」に行動を開始するが大失敗。李林甫の力をまざまざ見せつられることになってしまう。

 玄宗は、宦官の侍従長・高力士を驃騎大将軍という歴史始まって以来の高い地位に任命する。一方で、李林甫糾弾の計画に失敗した皇太子派の韋堅と皇甫惟明が懲罰される。皇太子自身には咎めは無かったものの、李林甫との権力争いで部下を巻き込んだ事を悔い、争いは避けて耐える決意をする。


 朝廷と後宮に軍隊に、暗雲がもたらされてくる。ひとつは、「安史の乱」を起こすくわせものの策士・安禄山の重用が、朝廷に不満と対立を生む。もうひとつは、楊貴妃は玄宗の浮気心に悩まされるようになる。道教への傾倒は不老不死につながり、それは回春薬につながる。金丹薬が、政治から女の方にしか関心を持たせなくしてゆくのである。宦官の軍隊が皇帝を守る物と矮小化され、従来の近衛軍三軍は、形骸化していったのである。
潘鎮はそれぞれ力をつけてきた、それを抑え、力の均衡を図るため節度使に力を与えてきたことで、叛乱をだれが起してもおかしくないほどの力をつけさせてしまったのだ。その筆頭格に安禄山がいた。


 安禄山は、辺境で戦いの火種をまき、国境防衛を名目に王忠嗣に援軍を要請、王忠嗣の兵力の一部を安禄山の配下に加えことに成功する。この軍勢で東北の敵を壊滅させ、野心を成就していくのである。





戦城南 

去年戦桑乾源、今年戦葱河道。
去年は、東のかた桑乾河の水源で戦い、今年は、西のかた葱嶺河の道辺で戦った。
洗兵滌支海上波、放馬天山雪中草。
刀剣の血のりを、条支の水辺の波で洗い落とした、戦いに疲れた馬を、天山の雪深き草原に解き放って休ませた。
萬里長征戦、三軍盡衰老。』
万里のかなた、遠く出征して戦いつづけ、三軍の将も士も、ことごとくみな老い衰えてしまった。』
匈奴以殺戮爲耕作、古来惟見白骨黄沙田。
異民族の匈奴たちは、人を殺すということを、まるで田畑を耕すような日々の仕事と思っている。昔からそこに見られるのは、白骨のころがる黄砂の土地ばかりだ。
秦家築城備胡處、漢家還有烽火燃』。
秦以前の王家から始まり、秦の始皇帝が本格的に長城を築いて、胡人の侵入に備えたところ、そこにはまた、漢民族のこの世になっても、危急を告げる烽火を燃やすのである。
烽火燃不息、征戦無己時。
烽火は燃えて、やむことがない。出征と戦闘も、やむときがない。
野戦格闘死、敗馬號鳴向天悲。
荒野での戦い、格闘して死ぬ、敗残した馬は、悲しげないななきは天にとどくよう向かう。
烏鳶啄人腸、銜飛上挂枯樹枝。
カラスやトビは、戦死者の腸をついばむ、口にくわえて舞いあがり、枯木の枝の上に引っかける。
士卒塗草莽、将軍空爾爲。
兵士たちは、草むらいちめんに倒れて死んでいる、その将軍がこんな空しい結果を招いたのだ。
乃知兵者是凶器、聖人不得己而用之。』

これで分かったことは「武器というものは不吉な道具、聖人はやむを得ない時しか使わない」という言葉の意味である。



去年は、東のかた桑乾河の水源で戦い、今年は、西のかた葱嶺河の道辺で戦った。
刀剣の血のりを、条支の水辺の波で洗い落とした、戦いに疲れた馬を、天山の雪深き草原に解き放って休ませた。
万里のかなた、遠く出征して戦いつづけ、三軍の将も士も、ことごとくみな老い衰えてしまった。』
異民族の匈奴たちは、人を殺すということを、まるで田畑を耕すような日々の仕事と思っている。昔からそこに見られるのは、白骨のころがる黄砂の土地ばかりだ。
秦以前の王家から始まり、秦の始皇帝が本格的に長城を築いて、胡人の侵入に備えたところ、そこにはまた、漢民族のこの世になっても、危急を告げる烽火を燃やすのである。
烽火は燃えて、やむことがない。出征と戦闘も、やむときがない。
荒野での戦い、格闘して死ぬ、敗残した馬は、悲しげないななきは天にとどくよう向かう。
カラスやトビは、戦死者の腸をついばむ、口にくわえて舞いあがり、枯木の枝の上に引っかける。
兵士たちは、草むらいちめんに倒れて死んでいる、その将軍がこんな空しい結果を招いたのだ。
これで分かったことは「武器というものは不吉な道具、
聖人はやむを得ない時しか使わない」という言葉の意味である。



城南に戦う
去年は桑乾の源に戦い、今年は葱河の道に戦う。
兵を洗う 条支 海上の波、馬を放つ 天山 雪中の草。
万里 長く征戦し、三軍 尽く衰老す。』
匈奴は殺戮を以て耕作と為す、古来 唯だ見る 白骨黄抄の田。
秦家 城を築いて胡に備えし処、漢家 還た烽火の燃ゆる有り。』
烽火 燃えて息まず、征戦 己むの時無し。
野戦 格闘して死す、敗馬 號鳴し 天に向って悲しむ。
烏鳶 人の腸を啄み、銜み飛んで上に挂く 枯樹の枝。
士卒 草莽に塗る、将軍 空しく爾か為せり。
乃ち知る 兵なる者は是れ凶器、聖人は己むを得ずして之を用うるを。



城南に戦う。
戦城南  742年の北方、西方での戦い。詩は後に掛かれたものであろう。玄宗ものがたり(8)時期的の背景になるものである。
漢代の古辞以来の厭戦・反戦的な作であり。天宝年間繰り返された西方、北方の戦争を批判するものである。領土拡張、略奪、強奪の犠牲者を思い、残されたものの悲しみ、悲惨さは誰もが知っていたことである。ここに至るまでの数百年間の間に他の周辺諸国との間に国力の違いが生まれた。農耕民族の生産高が倍増したためであった。当初はこれをもとにして、国土を拡大し、略奪により、さらに国力を増加させた。



去年戦桑乾源、今年戦葱河道。
去年は、東のかた桑乾河の水源で戦い、今年は、西のかた葱嶺河の道辺で戦った。
桑乾  山西省北部に源を発し、河北省東北部を流れる河。下流の北京地方を流れる部分は「永定河と呼ばれる。○葱河 葱嶺河の略称。葱嶺(パミ-ル高原)から現在の新疆イグル自治区を流れる葱嶺北河(カシュガル河)と葱嶺南河(ヤルカンド河)およびその下流のタリム河を含めた総称。



洗兵滌支海上波、放馬天山雪中草。
刀剣の血のりを、条支の水辺の波で洗い落とした、戦いに疲れた馬を、天山の雪深き草原に解き放って休ませた。
洗兵 血のりで汚れた兵器を洗う。○条支  西域の国名。所在地としては、地中海東岸、ペルシャ湾岸、中央アジアなどの西域の地名として象徴的に用いている。○天山 新顔ウイグル自治区を東西に横断する大山脈。またその東南、甘粛省の酒泉・張掖の南に横たわる祁連山も天山と呼ばれる。
五言古詩「関山月」参照。



萬里長征戦、三軍盡衰老。』
万里のかなた、遠く出征して戦いつづけ、三軍の将も士も、ことごとくみな老い衰えてしまった。』
三軍  大軍。もと周代の兵制。一軍が一万二千五百人。大国(諸侯)は三軍を、王(天子)は六軍をもつとされた。(『周礼』、夏官「司馬」)。


匈奴以殺戮爲耕作、古来惟見白骨黄沙田。
異民族の匈奴たちは、人を殺すということを、まるで田畑を耕すような日々の仕事と思っている。昔からそこに見られるのは、白骨のころがる黄砂の土地ばかりだ。
匈奴 漢代西北の騎馬民族、遊牧民。異民族の代称としても用いられる。



秦家築城備胡處、漢家還有烽火燃』。
秦以前の王家から始まり、秦の始皇帝が本格的に長城を築いて、胡人の侵入に備えたところ、そこにはまた、漢民族のこの世になっても、危急を告げる烽火を燃やすのである。
秦家築城 秦の始皇帝が慕情に命じて、万里の長城を築いたこと。○備胡 胡人(異民族)の侵入に備える。○漢家 漢王朝。暗に唐王朝をさす。○煙火 危急を知らせる煙火。蜂火台から煙火台へと連絡される。



烽火燃不息、征戦無己時。
烽火は燃えて、やむことがない。出征と戦闘も、やむときがない。



野戦格闘死、敗馬號鳴向天悲。
荒野での戦い、格闘して死ぬ、敗残した馬は、悲しげないななきは天にとどくよう向かう。



烏鳶啄人腸、銜飛上挂枯樹枝。
カラスやトビは、戦死者の腸をついばむ、口にくわえて舞いあがり、枯木の枝の上に引っかける。
烏鳶  カラスやトビ。○衝  口にくわえる。この部分は、漢代の古辞の「城南に戦い郭北に死す、野に死して葬られず、烏食らう可し」を踏まえている。



士卒塗草莽、将軍空爾爲。
兵士たちは、草むらいちめんに倒れて死んでいる、その将軍がこんな空しい結果を招いたのだ。

塗葦葬 草むらの中で無残に死ぬこと。「塗」は、一面に広がる、ばらばらに広がるの意。ここは、兵士の血潮や肝・脳が草むらに広がる・散らばるの意。



乃知兵者是凶器、聖人不得己而用之。』
これで分かったことは「武器というものは不吉な道具、
聖人はやむを得ない時しか使わない」という言葉の意味である。
兵者是凶器、聖人不得己而用之  
『老子』(三十一章)の、「兵(武器)なる者は不祥(不吉)の器(道具)なり。君子の器に非ず。己むを得ずして之を用うるも、惜淡(執着しないこと)なるを上と為す」や、『六第』巻一「兵道」の「聖王は兵を号して凶器と為し、己むを得ずして之を用う」 ○聖人 古代のすぐれた為政者。


○韻  道・草・老/田・燃/時・悲・枝・為・之。

送儲邕之武昌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白174 と玄宗(7)

 
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送儲邕之武昌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白174
五言排律

玄宗(7)
742年、玉真公主、賀知章、呉筠らは詩人の李白を都に呼び寄せた。事前に賀知章が公主道観で面接し、蜀道難、烏夜亭、烏棲曲などすぐれた作品にたいし最大の評価をした。賀知章はそのまま玄宗に報告した。さっそく、玄宗は、彭勃と謝阿蛮を迎えに出し宮中に招き入れる。

李林甫と皇太子の李亨との権力闘争は尖鋭化してくる。この争いに巻き込まれたくない安禄山は都に身を潜め、玄宗と直接会う自らの目的のためにため策を練る。安禄山は、狡猾に玄宗皇帝に取り入る。
玄宗は、太真法師とした楊玉環を、正式に皇妃として迎える事を一気に進める。安禄山は科挙に対する不正を玄宗に告発する。事の真偽を確かめるため自ら試験官となり、不正を確かめた。玄宗の知らないところで科挙試験はゆがめられていたのだ。

 玄宗は、楊玉環に貴妃の地位を与え「楊貴妃」と名乗らせ、正式に皇妃として迎え入れた。さらに玄宗は、楊貴妃の親族を高い地位につけていく。
楊貴妃の父・楊玄儌は、娘が皇妃に迎えられた事で重用される楊家の行く末を心配していたが、逝去する。
その父の訃報が楊貴妃に伝えられた。

太子派の皇甫維明が西北警備で目覚しい武功を上げ、朝廷内の反対勢力を駆逐してきた宰相・李林甫を公に弾劾(だんがい)する。それを知った李林甫は、太子派の制圧を決める。
玄宗皇帝の元に、皇太子派の皇甫惟明将軍が吐藩の洪斉城を攻落したとの報告が入る。これで王忠嗣将軍が吐藩の石堡城を奪還すれば国境線がつながり西北は安泰となる。
この功績により、皇太子側の両将軍に軍事費の3分の2以上が与えられる事を警戒する李林甫は策略をめぐらす。


送儲邕之武昌
黄鶴西樓月、長江萬里情。
友と別れた黄鶴がいる西の方の高楼に月がかかる、長江のながれははるか万里のわが思い。
春風三十度、空憶武昌城。
あれから、春風は三十度めぐってきた、それにしても武昌城をむなしくも遠く憶いだす。
送爾難為別、銜杯惜未傾。
私の思いで多き地へ旅立つ君を送ること、この別れのひとときはことさらに辛い、杯をロにもっていくが、名残り惜しさになかなか杯を傾けられない。
湖連張欒地、山逐汎舟行。
船路に広がる江湖は、演奏させたという黄帝の徳をしめす咸池の楽洞庭湖の平野がひろびろと連なっている、長江に沿った山々は、君の船旅を逐うかのように、どこまでもその姿を見せてくれる。
諾謂楚人重、詩傳謝朓清。
楚の人は古くから「黄金百斤より一諾を得る」といわれ、信義を重んじ、詩歌について、謝朓の「清廉」が伝統になっている。
滄浪吾有曲、寄入悼歌聾。

仙境をおもわせる清らかな水、青々とした波、私には歌う曲がある、いまこれを送りとどけて、去りゆく君の船歌の聲に加えてください。



友と別れた黄鶴がいる西の方の高楼に月がかかる、長江のながれははるか万里のわが思い。
あれから、春風は三十度めぐってきた、それにしても武昌城をむなしくも遠く憶いだす。
私の思いで多き地へ旅立つ君を送ること、この別れのひとときはことさらに辛い、杯をロにもっていくが、名残り惜しさになかなか杯を傾けられない。
船路に広がる江湖は、演奏させたという黄帝の徳をしめす咸池の楽洞庭湖の平野がひろびろと連なっている、長江に沿った山々は、君の船旅を逐うかのように、どこまでもその姿を見せてくれる。
楚の人は古くから「黄金百斤より一諾を得る」といわれ、信義を重んじ、詩歌について、謝朓の「清廉」が伝統になっている。
仙境をおもわせる清らかな水、青々とした波、私には歌う曲がある、いまこれを送りとどけて、去りゆく君の船歌の聲に加えてください。



儲邕の武昌に之くを送る
黄鶴 西楼の月、長江 万里の情。
春風 三十度、空しく憶う 武昌城。
爾を送ってほ 別れを為し難く、杯を銜んでは 惜しみて未だ傾けず
湖は楽を張るの地に連なり、山は舟を汎ぶるの行を逐う。
諾には楚人の重きを謂い、詩には謝朓の清きを伝う。
滄浪 吾に曲有り、寄せて悼歌の声に入れん。



迭儲邕之武昌
儲邕が武昌に旅立つのを送る。
儲邕  李白の友人。伝記不詳。○武昌-現在の湖北省武漢市武昌地区。李白の時代の「武昌」は、正確には現在の都城市(武漢の東約六〇キロ)であり、「現在の武昌」は「江夏」と呼ばれていた。しかし、西晋・六朝期には「江夏」(「夏日」とも)がより広い「武昌郡」に属していたために、李白は「江夏」を「武昌」とも呼んでいる。ここは、その例に当たる。


黄鶴西樓月、長江萬里情。
友と別れた黄鶴がいる西の方の高楼に月がかかる、長江のながれははるか万里のわが思い。
黄鶴楼 江夏(現在の湖北省武漢市武昌地区)の黄鶴(鵠)磯に在った楼の名。(現在は蛇山の山上に再建)。仙人と黄色い鶴に関する伝説で名高い。
黄鶴伝説 『列異伝』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。
○「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」

黄鶴楼送孟浩然之広陵  李白15



春風三十度、空憶武昌城。
あれから、春風は三十度めぐってきた、それにしても武昌城をむなしくも遠く憶いだす。
三十度 十五回、二十回を超えたら三十という詩人感覚。



送爾難為別、銜杯惜未傾。
私の思いで多き地へ旅立つ君を送ること、この別れのひとときはことさらに辛い、杯をロにもっていくが、名残り惜しさになかなか杯を傾けられない。
○爾 「汝」の類語。二人称代名詞。○衝杯 杯を口にあてる。



湖連張欒地、山逐汎舟行。
船路に広がる江湖は、演奏させたという黄帝の徳をしめす咸池の楽洞庭湖の平野がひろびろと連なっている、長江に沿った山々は、君の船旅を逐うかのように、どこまでもその姿を見せてくれる。 
張楽地 洞庭湖一帯をさす。『荘子』(天運篇)に、「帝張咸池楽洞庭野」(黄帝、咸池の楽[黄帝の作った天上の音楽]を洞庭の野に張る)とある。咸池 音楽の名前。 咸は「みな」、池は「施す」を意味し、この音楽は黄帝の徳が備わっていたことを明らかにするもの。○汎舟行 船を汎べてゆく行。



諾謂楚人重、詩傳謝朓清。
楚の人は古くから「黄金百斤より一諾を得る」といわれ、信義を重んじ、詩歌について、謝朓の「清廉」が伝統になっている。
諾謂楚人重 楚の国の出身者である季布は、任侠の徒として信義を重んじ、いちど承諾したことは必ず実行した。「黄金百斤を得るよりも、季布の一諾を得るほうがよい」という諺が生まれるほどだった。『史記』巻百「季布」列伝にもとづく。○詩伝謝朓清 六朝斉代の詩人謝朓は、その詩風がとくに清麗・清発であったことで名高い。



滄浪吾有曲、寄入悼歌聾。
仙境をおもわせる清らかな水、青々とした波、私には歌う曲がある、いまこれを送りとどけて、去りゆく君の船歌の聲に加えてください。
○滄浪 水の青さ・清らかさを李白は滄海をイメ―ジして使う。「古風」其十二では、滄波。○悼歌 カイをこぐ時の歌。舟うた。李白「越女詞」其三


○韻  倍、城、傾、行、清、声。


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古風 五十九首 其二十六 李白  Kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 李白173 と 玄宗(6)

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玄宗(6)
寿王との結婚を受け入れた楊玉環だが、玄宗と運命的な出会いをしてしまう。寿王を含めた兄弟たちの権力争いが大きくなっていく。
寿王の母の武恵妃は芙蓉園での演奏会で、楊玉環の発案という名目で、500人の近衛兵に鎧を着せ、武器を持たせる事を提案する。それは、自分たちの危機を感じていた李瑛たちが、これに乗じて動き出すと考えた武恵妃の罠だった。光王、鄂王がこの罠にはまり、偽の剣とみせかけて本物の剣を持ち込んだ事が発覚してしまう。


737年(開元25年)玄宗は、謀反を企てた李瑛と光王、鄂王を平民に落として都から追放。張九齢は自ら命を絶つ。李瑛を罠にはめた武恵妃は治療法のない重い病で没する。

玄宗は、見晴らしの良い場所に墓地を設けて敬陵と名づける。寿王は馬でその地を駈けた事で怒りを買い、母の墓の建立という重要な任務を忠王に取られてしまう。この情報操作は、宦官の手によるものであった。


738年(開元26年)、玄宗冊立の大典を行い、正式に忠王を皇太子とし、名を李亨と改める。大失態の寿王は皇太子の地位をめぐる後継者争いは、敗れてしまった。



740年の前後、李白は山東で竹渓の六逸と称して遊び、酒と詩作の生活をしていた。この中の一人呉筠が朝廷から呼び出された。道教の仲間であった
玄宗は驪陽宮で再び楊玉環と会い、美しい胡服姿に目を奪われる。妹である玉真に頼み、楊玉環を驪山華清宮に招き評価をさせる。

父である玄宗に楊玉環を奪われてしまう事は寿王苦しまたが、玄宗の絶対的な権力に抵抗することはできない。玄宗は寿王に、側室として魏来馨を与えられる
寿王は、楊玉環に、自分を皇太子にするよう様に頼むことしかなかった。
西暦740年(開元28年)に、玄宗皇帝は楊玉環を後宮に住まわせ、道号「太真法師」とし、宮中に道観を建てる。

742年玄宗は李林甫を人事部長官に任命すると共に、節度使の後任には皇太子側の勢力である王忠嗣と皇甫惟明を任命し、権力を分散させる。地方潘鎮の力が強まるのを抑える意味で、時期尚早との意見がある中、安禄山を平盧軍の節度使に抜擢する。李は持朝廷に召されるのである。


其二十六
碧荷生幽泉。 朝日艷且鮮。
みどりの蓮が、人目につかない泉に生えている。朝日をうけて、つややかで、その上、あざやかだ。
秋花冒綠水。 密葉羅青煙。
秋にひらく花は、綠の水の上におおいかぶさる。密生した葉は、青い靄に網をかぶせられたよう。
秀色空絕世。 馨香竟誰傳。
そのすばらしい色は絶世のうつくしさだが、そのよいかおりを、だれが世間につたえてくれよう。
坐看飛霜滿。 凋此紅芳年。
やがて霜がいちめんにふりかかる時節ともなれば、せっかくの紅い花びらのしおれてしまうのを、むざむざと見なければならぬ。
結根未得所。 願托華池邊。

根をおろすのに場所がわるかった。何とかできるものなら、華池のぞばに身をよせたいものだが。


みどりの蓮が、人目につかない泉に生えている。朝日をうけて、つややかで、その上、あざやかだ。
秋にひらく花は、綠の水の上におおいかぶさる。密生した葉は、青い靄に網をかぶせられたよう。
そのすばらしい色は絶世のうつくしさだが、そのよいかおりを、だれが世間につたえてくれよう。
やがて霜がいちめんにふりかかる時節ともなれば、せっかくの紅い花びらのしおれてしまうのを、むざむざと見なければならぬ。
根をおろすのに場所がわるかった。何とかできるものなら、華池のぞばに身をよせたいものだが。




古風其の二十六
碧荷(へきか)幽泉に生じ、朝日艶にして且つ鮮(あざや)かなり。
秋花綠水を冒(おお)い、密葉青煙を羅(あみ)す。
秀色 空しく絶世、馨香 誰か為に伝えん。
坐(そぞろ)に看る 飛霜(ひそう)満ちて、此の紅芳の年を凋(しぼ)ましむを。
根を結んで 未だ所を得ず、願わくは華池の辺に託せん。


碧荷生幽泉。 朝日艷且鮮。
みどりの蓮が、人目につかない泉に生えている。朝日をうけて、つややかで、その上、あざやかだ。
碧荷 みどり色の蓮。 ○幽泉 人目につかないところ。茂みの影の暗いところ。


秋花冒綠水。 密葉羅青煙。
秋にひらく花は、綠の水の上におおいかぶさる。密生した葉は、青い靄に網をかぶせられたよう。
綠水 澄み切った水。 ○羅青煙 青い靄に網をかぶせられる。


秀色空絕世。 馨香竟誰傳。
そのすばらしい色は絶世のうつくしさだが、そのよいかおりを、だれが世間につたえてくれよう。
馨香 よいかおり。


坐看飛霜滿。 凋此紅芳年。
やがて霜がいちめんにふりかかる時節ともなれば、せっかくの紅い花びらのしおれてしまうのを、むざむざと見なければならぬ。


結根未得所。 願托華池邊。
根をおろすのに場所がわるかった。何とかできるものなら、華池のぞばに身をよせたいものだが。
華池 西王母の住む崑崙山上にある池の名。(瑤地)


******もう一つの意味*********************
この詩も高貴なところで詠われる詩で、艶情詩である、
碧荷生幽泉。 朝日艷且鮮。
まだうら若い女性の局部は高貴なお方によって艶や科であっても新鮮。
○碧荷 まだうら若い女性。 ○幽泉 女性の局部。

秋花冒綠水。 密葉羅青煙。
(性交の描写)これは訳したくない。
秀色空絕世。 馨香竟誰傳。
そのすばらしい色は絶世の美しさだが、その好い香りは、伝えることができない。

坐看飛霜滿。 凋此紅芳年。
やがて年を重ねる、素晴らしかった紅い花弁もしおれてしまうものだ。
結根未得所。 願托華池邊。
寿王などでは所がわるい。天子の華清宮の側に身をよせるのがよい。
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