漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2011年11月

望木瓜山 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -233

望木瓜山 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -233


朝廷追放を機に、李白は現実世界への強い不満と同時に、理想の世への強烈なあこがれを抱くにいたった。道士としての生き方の中に、世俗的な政治の世界での栄達を混入することの誤りに気づいたのだと思われる。自己の内なる世界に深く向き合うことを通して、彼は自己覚醒する。これ以後の李白は専一に仙界の日々を願うようになり、また深みのある山の詩を書くようになっていく。


望木瓜山
早起見日出。 暮見棲鳥還。
客心自酸楚。 況對木瓜山。


木瓜山を望む
早く起きて 日の出づるを見、幕に棲鳥の還るを見る。
客心 白のずから酸楚、況んや木瓜山に対するをや。

nat0022


望木瓜山 現代語訳と訳註
(本文)
望木瓜山
早起見日出。 暮見棲鳥還。
客心自酸楚。 況對木瓜山。

(下し文)木瓜山を望む
早く起きて 日の出る を見、幕に横島の還る を見る。
客心 自(おのずから)酸楚、況や木瓜山に対する をや。


(現代語訳)
毎日、朝早く起きて日の出を見て、日の暮れにねぐらにいそぐ鳥のかえってゆくのを見る。(おなじことをしているだけなのだ。)
でもその当たり前も、旅先にあるわたしの心は、自然とかなしくなり、そしてすっぱいものを食べたときの感覚になってくる。それというのは、すっぱい味を連想させる木瓜山を前にしては、なおさらのことだ。


(訳注) 望木瓜山
木瓜山 湖南省常徳県洞庭湖の西側に位置し、陶淵明の。桃源郷に近いところ。詩の雰囲気も陶淵明の雰囲気を持っている。もうひとつは、秋浦、いまの安徽省貴地県と、どちらにも木瓜山という山があり、ともに李白がよく遊んだところ。この詩はどちらなのか、わからない。


早起見日出。 暮見棲鳥還。
毎日、朝早く起きて日の出を見て、日の暮れにねぐらにいそぐ鳥のかえってゆくのを見る。(おなじことをしているだけなのだ。)
○ 榛鳥 ねぐらに帰る鳥。


客心自酸楚。 況對木瓜山
でもその当たり前も、旅先にあるわたしの心は、自然とかなしくなり、そしてすっぱいものを食べたときの感覚になってくる。それというのは、すっぱい味を連想させる木瓜山を前にしては、なおさらのことだ。
客心 旅人の心。○酸楚 すっぱい。つらい、かなしい。○木瓜 ばら科の落葉溶木。和名ボケ。実は形が小瓜のよう、味は酸味を帯びる。

木瓜00
                      木瓜の花                                                   木瓜の実



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贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -232

贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229
「王判官に贈る 時に余帰隠し廬山屏風畳に居る」李白


756年至徳元年、廬山の屏風畳にいた頃の作。王判官はわかっていないが、別離後、久しく会っていない彼に、これまでの自己の足跡を語り今の心境を寄せたものである。


贈王判官時余歸隱居廬山屏風畳
昔別黃鶴樓、蹉跎淮海秋。
昔、君と別れの酒を酌み交わしたのは黄鶴楼だった、なかなか別れがたく、ぐずぐず過ごした淮海の秋がとても懐かしい。
俱飄零落葉、各散洞庭流。』
お互いに放浪の身で、枯葉のように疲れ切っていた、 だけど 各々分散する洞庭の流のようにわかれたのだ。』
中年不相見、蹭蹬游吳越。
暫くの間、お互い音信不通であったのだ、これといった目標がないままに江南地方で遊んだ。
何處我思君、天台綠蘿月。』
それでもどこにいても私は君のことを考えていた、緑の蔦のおい茂る天台山に登って月影をあおぎながら。』
會稽風月好、卻繞剡溪回。
会稽地方はさわやかな風、すばらしい月が印象的なところだ。 中でも剡溪の辺りは。気に入ったので何回も廻りまわった。
云山海上出、人物鏡中來。
海上に湧き上がってくる雲の山はひとのかたちを出してきた、時には水面が鏡のようになり雲の人物を写してこちらに来るようでもあった
一度浙江北、十年醉楚台。
ひとたび この銭塘江わたって浙江の北に旅した。 十年たった今、楚の国の中心だったところにいて、こうして酒に酔っている。
荊門倒屈宋、梁苑傾鄒枚。』
荊州では屈原、宋玉に傾倒した、江蘇地方では梁の国の食客であった鄒陽、枚乗、司馬相如らに傾倒して学んだのだ。
苦笑我夸誕、知音安在哉。』
苦しいことも笑えることもわたしは大げさに言い立てたりしたのだ。 よく心の中を知りあっている人はどこにいるのだろうか。』
大盜割鴻溝、如風掃秋葉。
いまや大盜賊化して略奪の限りを尽くす安禄山の叛乱軍は項羽と劉邦が対峙したように潼関でにらみ合っている。天下に吹く風というものは 落ち葉を掃き清めてくれるものである。
吾非濟代人、且隱屏風疊。』
わたしは経済人ではないし、大衆迎合などできないのだ、 且くはここ屏風疊に隱れているのだ。』
中夜天中望、憶君思見君。
昼も夜も大空を仰ぎ見ている、それは君のことを憶い 君と会えること思って見上げるのだ。
明朝拂衣去、永與海鷗群。』

しかし、明朝になったら、ここの衣を拂って去ることにしよう、これからずっと永く 海鷗とでも遊ぼうと思うのだ。』

「王判官に贈る 時に余帰隠し廬山屏風畳に居る」
むかし黄鶴楼に別れ、蹉跎(さた)たり 淮海(わいかい)の 秋。
ともに零落の葉を飄(ひ るがへ)し、おのおの洞庭の流に散ず。』
中年あい見(まみ)えず、蹭蹬(そうとう) 呉越に遊ぶ。
何の処かわれ君を思う、天台 緑蘿(りょくら)の月。』
会稽 風月好し、かえって剡溪(えんけい)を繞(めぐ)って廻(かへ)る。
雲山 海上に出で、人物 鏡中に来る。
ひとたび 浙江を度(わたり)て 北し、十年 楚台に酔う。
荊門に屈宋を倒し、梁苑には鄒枚を傾く。』
苦笑す わが誇誕(こたん)、知音(ちいん) いづこ にありや。
大盗 鴻溝を割(さ)く、風の秋葉を掃うがごとし。
われは代を済(すくう)の人にはあらず、しばらく屏風畳に隠れる。』

中夜 天中を望み、君を憶うて 君を見んことを思う。
明朝 衣を払って去り、永く海鴎と群せん。』


nat0019


贈王判官時余歸隱居廬山屏風畳 現代語訳と訳註
(本文)
昔別黃鶴樓、蹉跎淮海秋。
俱飄零落葉、各散洞庭流。』
中年不相見、蹭蹬游吳越。
何處我思君、天台綠蘿月。』
會稽風月好、卻繞剡溪回。
云山海上出、人物鏡中來。
一度浙江北、十年醉楚台。
荊門倒屈宋、梁苑傾鄒枚。』
苦笑我夸誕、知音安在哉。』
大盜割鴻溝、如風掃秋葉。
吾非濟代人、且隱屏風疊。』
中夜天中望、憶君思見君。
明朝拂衣去、永與海鷗群。』


(下し文)

むかし黄鶴楼に別れ、蹉跎(さた)たり 淮海(わいかい)の 秋。
ともに零落の葉を飄(ひ るがへ)し、おのおの洞庭の流に散ず。』
中年あい見(まみ)えず、蹭蹬(そうとう) 呉越に遊ぶ。
何の処かわれ君を思う、天台 緑蘿(りょくら)の月。』
会稽 風月好し、かえって剡溪(えんけい)を繞(めぐ)って廻(かへ)る。
雲山 海上に出で、人物 鏡中に来る。
ひとたび 浙江を度(わたり)て 北し、十年 楚台に酔う。
荊門に屈宋を倒し、梁苑には鄒枚を傾く。』
苦笑す わが誇誕(こたん)、知音(ちいん) いづこ にありや。
大盗 鴻溝を割(さ)く、風の秋葉を掃うがごとし。
われは代を済(すくう)の人にはあらず、しばらく屏風畳に隠れる。』
中夜 天中を望み、君を憶うて 君を見んことを思う。
明朝 衣を払って去り、永く海鴎と群せん。』


(現代語訳)

昔、君と別れの酒を酌み交わしたのは黄鶴楼だった、なかなか別れがたく、ぐずぐず過ごした淮海の秋がとても懐かしい。
お互いに放浪の身で、枯葉のように疲れ切っていた、 だけど 各々分散する洞庭の流のようにわかれたのだ。』
暫くの間、お互い音信不通であったのだ、これといった目標がないままに江南地方で遊んだ。
それでもどこにいても私は君のことを考えていた、緑の蔦のおい茂る天台山に登って月影をあおぎながら。』
会稽地方はさわやかな風、すばらしい月が印象的なところだ。 中でも剡溪の辺りは。気に入ったので何回も廻りまわった。
海上に湧き上がってくる雲の山はひとのかたちを出してきた、時には水面が鏡のようになり雲の人物を写してこちらに来るようでもあった
一度この銭塘江わたって浙江の北に旅した。 十年たった今、楚の国の中心だったところにいて、こうして酒に酔っている。
荊州では屈原、宋玉に傾倒した、江蘇地方では梁の国の食客であった鄒陽、枚乗、司馬相如らに傾倒して学んだのだ。
苦しいことも笑えることもわたしは大げさに言い立てたりしたのだ。 よく心の中を知りあっている人はどこにいるのだろうか。』
いまや大盜賊化して略奪の限りを尽くす安禄山の叛乱軍は項羽と劉邦が対峙したように潼関でにらみ合っている。天下に吹く風というものは 落ち葉を掃き清めてくれるものである。
わたしは経済人ではないし、大衆迎合などできないのだ、 且くはここ屏風疊に隱れているのだ。』
昼も夜も大空を仰ぎ見ている、それは君のことを憶い 君と会えること思って見上げるのだ。
しかし、明朝になったら、ここの衣を拂って去ることにしよう、これからずっと永く 海鷗とでも遊ぼうと思うのだ。』


(訳注)
昔別黃鶴樓、蹉跎淮海秋。

昔、君と別れの酒を酌み交わしたのは黄鶴楼だった、なかなか別れがたく、ぐずぐず過ごした淮海の秋がとても懐かしい。
黄鶴楼 江夏(現在の湖北省武漢市武昌地区)の黄鶴(鵠)磯に在った楼の名。(現在は蛇山の山上に再建)。仙人と黄色い鶴に関する伝説で名高い。黄鶴伝説 『列異伝れついでん』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。○広陵 揚州(江蘇省揚州市)の古名。○蹉跎 つまずいて時機を失すること。 [形動タリ]時機を逸しているさま。不遇であるさま。○淮海  上海の中心的な繁華街の一つ。(4)


俱飄零落葉、各散洞庭流。』
お互いに放浪の身で、枯葉のように疲れ切っていた、 だけど 各々分散する洞庭の流のようにわかれたのだ。』 ○飄 放浪の身.○零落  枯葉


中年不相見、蹭蹬游吳越。
暫くの間、お互い音信不通であったのだ、これといった目標がないままに江南地方で遊んだ。
蹭蹬 不遇で志を得ないさま


何處我思君、天台綠蘿月。』
それでもどこにいても私は君のことを考えていた、緑の蔦のおい茂る天台山に登って月影をあおぎながら。』


會稽風月好、卻繞剡溪回。
会稽地方はさわやかな風、すばらしい月が印象的なところだ。 中でも剡溪の辺りは。気に入ったので何回も廻りまわった。


云山海上出、人物鏡中來。
海上に湧き上がってくる雲の山はひとのかたちを出してきた、時には水面が鏡のようになり雲の人物を写してこちらに来るようでもあった。


一度浙江北、十年醉楚台。
一度この銭塘江わたって浙江の北に旅した。 十年たった今、楚の国の中心だったところにいて、こうして酒に酔っている。
一度 剡渓にいたので銭塘江を渡るという意味。○楚台 その国の諸台、政治、軍事の中心であったところ。


荊門倒屈宋、梁苑傾鄒枚。』
荊州では屈原、宋玉に傾倒した、江蘇地方では梁の国の食客であった鄒陽、枚乗、司馬相如らに傾倒して学んだのだ。
荊門 荊州。秋下荊門 李白 4     渡荊門送別 李白 5屈宋 荊州 生れの屈原(1)・宋玉(2)などの詩人。○梁苑傾鄒枚 梁の孝王の食客だった鄒陽、枚乗(3)で司馬相如らと共にした。枚乗ばい じょう前漢淮陰の人で賦や文章を得意とした遊説の徒。


苦笑我夸誕、知音安在哉。』
苦しいことも笑えることもわたしは大げさに言い立てたりしたのだ。 よく心の中を知りあっている人はどこにいるのだろうか。』
誇誕 大げさに言い立てること。見栄を張って、ぎょうさんそうに誇ること。○知音 よく心の中を知りあっている人。親友。


大盜割鴻溝、如風掃秋葉。
いまや大盜賊化して略奪の限りを尽くす安禄山の叛乱軍は項羽と劉邦が対峙したように潼関でにらみ合っている。天下に吹く風というものは 落ち葉を掃き清めてくれるものである。


吾非濟代人、且隱屏風疊。』
わたしは経済人ではないし、大衆迎合などできないのだ、 且くはここ屏風疊に隱れているのだ。』
濟代人 経済人。大衆迎合のひと。そろばん勘定で動く人。


中夜天中望、憶君思見君。
昼も夜も大空を仰ぎ見ている、それは君のことを憶い 君と会えること思って見上げるのだ。


明朝拂衣去、永與海鷗群。』
しかし、明朝になったら、ここの衣を拂って去ることにしよう、これからずっと永く 海鷗とでも遊ぼうと思うのだ。』
海鷗群 世の中の人。庶民。・海鷗は遊女ということも考えられる。


参考------------------------------------
(1)屈原(くつげん) [前340ころ~前278ころ] 中国、戦国時代の楚(そ)の政治家・詩人。名は平。原は字(あざな)。楚の王族に生まれ、懐王に仕え内政・外交に活躍したが、汨羅(べきら)に身を投じたという。

(2)宋玉(そうぎょく) ? 中国、戦国時代、楚(そ)の文人。楚王に仕え、のち落魄の生涯を送ったといわれるが、生没年・伝記ともに未詳。屈原の弟子とされる。

(3)枚 乗(ばい じょう、生没年不詳)は、前漢の人。字は叔。淮陰の人。賦や文章を得意とした遊説の徒。
呉王劉濞の郎中となっていたが、呉王が漢に対し恨みを持ち反逆しようとすると、枚乗は上書してそれを諌めた。しかしながら呉王はそれを取り上げなかったので、枚乗は呉を去って梁へ行き、梁王劉武の元に就いた。
景帝前3年(紀元前154年)に呉王はついに他の六国と共に反乱を起こし(呉楚七国の乱)、晁錯の誅殺を反乱の名目に掲げた。漢はそれを知ると晁錯を殺して諸侯に謝罪した。枚乗は再び呉王に対し書を奉り、速やかに兵を帰還させることを説いたが呉王は用いず、反乱は失敗に終わり呉王は滅びた。
役人となることを喜ばず、病気と称して官を辞して再度梁の賓客となった。梁の賓客の中でも彼が最も賦に長じていた。

(4)淮海 上海の中心的な繁華街の一つ。
広義の淮海路は人民路から西蔵南路までの淮海東路、西蔵南路から崋山路までの淮海中路、崋山路から虹橋路までの淮海西路の三つを含む。淮海東路は373メートル、淮海西路は1506メートルである。終端は越境路まで続いている。淮海西路と淮海東路は淮海中路に繋がっているが一本道とは言えず、中路と東西路は趣が異なる。



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送内尋廬山女道士李騰空二首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -231

送内尋廬山女道士李騰空二首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -231



其一
君尋騰空子。 應到碧山家。
水舂云母碓。 風掃石楠花。
若愛幽居好。 相邀弄紫霞。
 
送內尋廬山女道士李騰空二首  其二
多君相門女。 學道愛神仙。
君も、今君が会おうとしている人も、名門の門閥で、しかも 宰相の家の娘ではないか、そうでありながら、「道」を学んでおり、道教、神仙思想を愛するのである。
素手掬青靄。 羅衣曳紫煙。
神仙の世界に入って、万物の創生される青い靄を白い手で掬い取るのだ、そして薄絹の衣裳をつけて、香しいお香の霞がたなびく「気」を引き寄せるのだ。
一往屏風疊。 乘鸞著玉鞭。

こうして、一度、女道士李騰空の屏風畳の仙居にゆくのである、神霊の精の鸞鳥に乗って天子に正しいことができる宝玉で飾った鞭を使うであろう。

内が廬山の女道士李騰空を尋ぬるを送る 二首 其の二
多とす  君が相門(しょうもん)の女(じょ)にして
道(みち)を学び神仙(しんせん)を愛するを
素手(そしゅ)  青靄(せいあい)を掬(きく)し
羅衣(らい)   紫烟(しえん)を曳く
一(ひと)たび屏風畳(へいふうじょう)に往(ゆ)かば
鸞(らん)に乗って玉鞭(ぎょくべん)を著(つ)けん
宮島(3)

送内尋廬山女道士李騰空二首 其二 現代語訳と訳註
(本文) 其二
多君相門女。 學道愛神仙。
素手掬青靄。 羅衣曳紫煙。
一往屏風疊。 乘鸞著玉鞭。

(下し文) 其の二
多とす  君が相門(しょうもん)の女(じょ)にして、道(みち)を学び神仙(しんせん)を愛するを。
素手(そしゅ)  青靄(せいあい)を掬(きく)し、羅衣(らい)   紫烟(しえん)を曳く。
一(ひと)たび屏風畳(へいふうじょう)に往(ゆ)かば、鸞(らん)に乗って玉鞭(ぎょくべん)を著(つ)けん。


(現代語訳)
君も、今君が会おうとしている人も、名門の門閥で、しかも 宰相の家の娘ではないか、そうでありながら、「道」を学んでおり、道教、神仙思想を愛するのである。
神仙の世界に入って、万物の創生される青い靄を白い手で掬い取るのだ、そして薄絹の衣裳をつけて、香しいお香の霞がたなびく「気」を引き寄せるのだ。
こうして、一度、女道士李騰空の屏風畳の仙居にゆくのである、神霊の精の鸞鳥に乗って天子に正しいことができる宝玉で飾った鞭を使うであろう。


(訳注)
多君相門女。 學道愛神仙。

君も、今君が会おうとしている人も、名門の門閥で、しかも 宰相の家の娘ではないか、そうでありながら、「道」を学んでおり、道教、神仙思想を愛するのである。
相門女 李白に妻宗氏が宰相を出したような家の娘である。今回会うのは、少し前の宰相李林甫の娘である。○ 道教の「道」。○神仙 神仙思想。


素手掬青靄。 羅衣曳紫煙。
神仙の世界に入って、万物の創生される青い靄を白い手で掬い取るのだ、そして薄絹の衣裳をつけて、香しいお香の霞がたなびく「気」を引き寄せるのだ。
青靄 道教の修行の場に漂うもの。李白『訪載天山道士不遇』「野竹分青靄、飛泉挂碧峰。」(野竹の林は青い靄を分かつように立っている。滝の飛沫(しぶき)が緑の峰にかかっている。) 。○紫煙 香を焚くことによる煙。


一往屏風疊。 乘鸞著玉鞭。
こうして、一度、女道士李騰空の屏風畳の仙居にゆくのである、神霊の精の鸞鳥に乗って天子に正しいことができる宝玉で飾った鞭を使うであろう。
屏風疊 五郎峰の麓の村。 ○乘鸞 鸞は神霊の精が鳥と化したものとされている。「鸞」は雄の名であり、雌は「和」と呼ぶのが正しいとされる。鳳凰が歳を経ると鸞になるとも、君主が折り目正しいときに現れるともいい、その血液は粘りがあるために膠として弓や琴の弦の接着に最適とある。○玉鞭 宝形句で飾られた鞭、天子の正しい政を示す。捌き。


(解説)
○五言古詩
○押韻 仙。煙。鞭。

 内(妻)に対する其の二の詩で、「多とす 君が相門の女にして 道を学び神仙を愛するを」と、宗氏が宰相を出したような家の娘でありながら、道教を学んで神仙を愛するのは、奇特なことだと褒めている。李白自身、743年天宝三載、朝廷を追放となった李白は東魯の家に帰り、杜甫と遊び、ひとときを過ごした後、北海の高尊師、如貴道士に頼んで道士の免許(道録)を授かっている。

 詩中ではしばしば神仙の世界への憧れを詠っている。この詩は李白が屏風畳に行く前らしく、妻のほうが先に行って、李白があとから行ったものである。夫婦二人でしばらく鷹山に住んでいたのだ。


 李白の夢想した理想世界とは、天災や疫病・戦争などがなく、君主は英明で臣下も賢明、また物資が豊かで経済が安定し、家族が円満で、人々が健康で長生きし、徳義がそなわり等といったものであったろう。しかし、その夢はかなわず、政治の世界での挫折感は、李白を深く苦悩させることとなった。
しかし、この頃、李白は名山に遊ぶことを夢に見、廬山に棲み、詠ったのである。

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送内尋廬山女道士李騰空二首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -230

送内尋廬山女道士李騰空二首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -230


金陵から江をさかのぼって廬山に入り、五老峰の下の屏風畳にしばらく隠棲することにした。
756年至徳元年五十六歳のときである。安禄山が天下を二分してしまった危機を打開したいとは思うが、いまはなにもできない。まずは屏風畳に隠れ住むよりしかたがないと李白は考え、廬山の諸名勝を眺めながら、世俗を超越して無心に塵山の自然に融けこんだ。ここで生涯を送ろうと考えたのである。(「贈王判官、時余帰隠居廬山屏風畳」(王判官に贈る。時に余は帰隠して廬山の屏風畳に居る)廬山を詠んだ詩は多いが、そのすべてがこのとき詠んだかどうかは明らかではない。廬山の名勝の瀑布を望む詩「廬山の瀑布を望む」二首があるが、若き時代、蜀より長江を下ってここを過ぎたとき立ち寄ったとも考えられるが、746年の作として掲載した。

望廬山五老峯 李白  李白特集350 -226

望廬山瀑布水 二首其一 #1 350 -227

望廬山瀑布水二首 其一#2とまとめ350 -228

望廬山瀑布 二首其二(絶句) 李白特集350 -229



望廬山瀑布 二首其二
日照香炉生紫煙、遥看瀑布挂前川。
飛流直下三千尺、疑是銀河落九天。


李白は、廬山屏風畳には妻宗氏と棲んでいた。宗氏は李白の三人目の妻で、魏顥の『李翰林集』序に、「終に宗に娶る」とあるの。梁園にいるとき結婚した妻である。この妻が廬山の女道士李騰空(宰相李林甫の娘)を尋ねるのを送った「内の廬山の女道士 李騰空を尋ぬる を送る」二首がある。李騰空は屏風畳の辺に住んでいた。
 この詩は李白が屏風畳に行く前らしく、妻のほうが先に行って、李白があとから行ったものである。夫婦二人でしばらく鷹山に住んでいたのだ。

送内尋廬山女道士李騰空二首 其一   
君尋騰空子 応到碧山家。
君が 女道士の騰空子を尋ねてゆこうとしている、そこには間違いなく仙界の緑あふれた家に到るだろうとおもう。
水舂雲母碓 風掃石楠花。
そこの景色は、水車がまわり臼で雲母を搗く音が絶え間なく聞こえている、春風が石楠花の花を揺らせ、のどかな様子だろう。
若恋幽居好 相邀弄紫霞。

もしそのまま静かで奥深い趣のある生活をしたいなら、彼女は共に朝の光に照らされて紫色に映え霞をあつめ、万物を細やかに大切にする生活ができると大歓迎してくれるだろう。


内の廬山の女道士 李騰空を尋ぬる を送る  二首其の一
君は尋ぬ  騰空子(とうくうし)、応(まさ)に碧山(へきざん)の家に到るべし。
水は舂(うすづ)く  雲母(うんも)の碓(うす)、風は掃(はら)う  石楠(せきなん)の花。
若(も)し幽居(ゆうきょ)の好(よ)さを恋わば、相邀(あいむか)えて紫霞(しか)を弄(ろう)せん。

56moonetsujo250

送内尋廬山女道士李騰空二首 其一 現代語訳と訳註
(本文)

君尋騰空子 応到碧山家。
水舂雲母碓 風掃石楠花。
若恋幽居好 相邀弄紫霞。

(下し文)
内の廬山の女道士 李騰空を尋ぬる を送る  二首其の一
君は尋ぬ  騰空子(とうくうし)、応(まさ)に碧山(へきざん)の家に到るべし。
水は舂(うすつ)く  雲母(うんも)の碓(うす)、風は掃(はら)う  石楠(せきなん)の花。
若(も)し幽居(ゆうきょ)の好(よ)さを恋わば、相邀(あいむか)えて紫霞(しか)を弄(ろう)せん。

(現代語下し文)
君が  騰空子を尋ねてゆくなら、たぶん緑の山中の家に到るだろう
水車の臼で雲母を搗き、風が石楠花の花を散らす
もし静かで奥深い生活を恋(した)いなら、迎えて共に紫霞などとあそぶだろう。

(現代語訳)
君が 女道士の騰空子を尋ねてゆこうとしている、そこには間違いなく仙界の緑あふれた家に到るだろうとおもう。
そこの景色は、水車がまわり臼で雲母を搗く音が絶え間なく聞こえている、春風が石楠花の花を揺らせ、のどかな様子だろう。
もしそのまま静かで奥深い趣のある生活をしたいなら、彼女は共に朝の光に照らされて紫色に映え霞をあつめ、万物を細やかに大切にする生活ができると大歓迎してくれるだろう。


(訳注)
君尋騰空子 応到碧山家。

君が 女道士の騰空子を尋ねてゆこうとしている、そこには間違いなく仙界の緑あふれた家に到るだろうとおもう。
騰空子 752年まで宰相をしていた李林甫二人の娘の内の一人、李騰空。女道士道士で、屏風畳の辺に住んでいた。歿直前から権威は奈落に落ち、死後も鄭重には扱われなかった。娘としては肩身の狭い生活を送っていた。 ○碧山家 緑豊かな山の中の家であるが、李白は憧れを込めて、仙人の里という意味で「碧」を使っている。


水舂雲母碓 風掃石楠花。
そこの景色は、水車がまわり臼で雲母を搗く音が絶え間なく聞こえている、春風が石楠花の花を揺らせ、のどかな様子だろう。
 うすづ・く 臼、搗くとおなじ。○雲母 道教に欠かせない金丹を作る原材料の一つ。 ○風掃石楠花 シャクナゲ(石南花)は、ツツジ科日本ではその多くのものがツツジと称される。低木花の総称である。低い位置で咲き誇っている、つつじを思い浮かべると、いっぱいに咲いている花を風が散らしたら趣は半減する。春ののどかな風が花びらを揺らせていくと見たほうが味わいが深い。


若恋幽居好 相邀弄紫霞。
もしそのまま静かで奥深い趣のある生活をしたいなら、彼女は共に朝の光に照らされて紫色に映え霞をあつめ、万物を細やかに大切にする生活ができると大歓迎してくれるだろう。
若恋 もし~をしたいなら。○幽居 奥まった静かなたたずまいを言う。竹林の奥の方。○ 趣向 ○弄 女同士繊細なものに目を向け万物を愛する気持ちで取り扱うこと。○紫霞 朝の光に照らされて紫色に映えて見えるもやのこと。道教では万物はすべて塵の様なものの集まりである。特に朝の紫霞を集めると不老長寿の薬になるといわれている。


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望廬山瀑布 二首其二(絶句) 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229

望廬山瀑布 二首其二(絶句) 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229

日本人には「望廬山瀑布」として、この絶句の方が広く知られている。五言古詩「望廬山瀑布 二首其一」の要約篇七言絶句「望廬山瀑布水二首 其二」としている。李白は以下の詩でも同じ手法をとっている。
越女詞 五首 其一~其五の絶句五首を五言律詩「採連曲」にまとめ、五言絶句「淥水曲」 にしている。
また、雑言古詩「襄陽歌」を五言絶句「襄陽曲」其一~其四にしている。

■李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集

越女詞 五首 其一 李白12

越女詞 五首 其二 李白13

越女詞五首其三 14其四 12-5其五

李白10  採蓮曲

淥水曲  李白 11



李白と道教48襄陽歌ⅰ 李白と道教48襄陽歌 ⅱ

李白と道教(7)襄陽曲49から52




望廬山瀑布水二首 其一
西登香爐峰。南見瀑布水。』
挂流三百丈。噴壑數十里。
欻如飛電來。隱若白虹起。
初驚河漢落。半洒云天里。』
仰觀勢轉雄。壯哉造化功。
海風吹不斷。江月照還空。』
空中亂潀射。左右洗青壁。
飛珠散輕霞。流沫沸穹石。』
而我樂名山。對之心益閑。
無論漱瓊液。且得洗塵顏。
且諧宿所好。永愿辭人間。』

望廬山瀑布 二首其二
日照香炉生紫煙、遥看瀑布挂前川。
太陽が香炉峰を照らしはじめると 光に映えて紫のかすみがわきあがってくる、この嶺の上から遥か彼方に一筋の瀧がみえる  まるで向こうの川まで掛けた川のようになってみえる。
飛流直下三千尺、疑是銀河落九天。

飛び出している流れが真下に落ちている 三千尺という長さだ。まるで大空の一番高い所から、天の川が落ちてくるのかと思えるのだ。



日は香炉(こうろ)を照らして紫煙(しえん)を生ず

遥かに看()る  瀑布の前川(ぜんせん)を挂()かるを

飛流(ひりゅう)   直下(ちょっか)  三千尺

疑うらくは是()れ  銀河の九天より落つるかと



絶句としてのきれいな対句

日照香炉紫煙遥看瀑布

飛流直下三千尺、疑是銀河落九天



五言絶句としても
香炉生紫煙、瀑布挂前川。
直下三千尺、銀河落九天。



四六駢儷文に読める
日照遥看 飛流疑是


香炉瀑布 直下銀河

紫煙

三千尺落九天




望廬山瀑布 二首其二 現代語訳と訳註

(本文)
日照香炉生紫煙、遥看瀑布挂前川。
飛流直下三千尺、疑是銀河落九天。


(下し文)
日は香炉(こうろ)を照らして紫煙(しえん)を生ず
遥かに看(み)る  瀑布の前川(ぜんせん)を挂(か)かるを
飛流(ひりゅう)   直下(ちょっか)  三千尺
疑うらくは是(こ)れ  銀河の九天より落つるかと


(現代語下し文)
香炉峰に陽がさすと  紫の靄(もや)がわいてくる、遥か彼方に一筋の瀧  まるで向こうの川まで掛けた川。
飛び出す流れは直下して三千尺、まるで天から  銀河が落ちてくる。


 (現代語訳)
太陽が香炉峰を照らしはじめると 光に映えて紫のかすみがわきあがってくる、この嶺の上から遥か彼方に一筋の瀧がみえる  まるで向こうの川まで掛けた川のようになってみえる。
飛び出している流れが真下に落ちている 三千尺という長さだ。まるで大空の一番高い所から、天の川が落ちてくるのかと思えるのだ。


(訳注)
日照香炉生紫煙、遥看瀑布挂前川。
太陽が香炉峰を照らしはじめると 光に映えて紫のかすみがわきあがってくる、この嶺の上から遥か彼方に一筋の瀧がみえる  まるで向こうの川まで掛けた川のようになってみえる。
○日照 日は白日、太陽のこと。○香炉 香炉峰: 白居易の詩の一節(「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」)や『枕草子』への引用などで知られる。○紫煙 紫のかすみ。煙は、香炉の縁語。○瀑布 滝。○前川 向こうの川。別の本では長川となっているが、景色としては前川の方が奥深い。


飛流直下三千尺、疑是銀河落九天。
飛び出している流れが真下に落ちている 三千尺という長さだ。まるで大空の一番高い所から、天の川が落ちてくるのかと思えるのだ。
○飛流 見上げる高い所から流れが飛び出してくる○銀河 天の川。○九天 中華思想で天地は九で区分される。地は九州、天は九天、その真ん中を示す語である。


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望廬山瀑布 二首其二(絶句) 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229

望廬山瀑布 二首其二(絶句) 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229

日本人には「望廬山瀑布」として、この絶句の方が広く知られている。五言古詩「望廬山瀑布 二首其一」の要約篇七言絶句「望廬山瀑布水二首 其二」としている。李白は以下の詩でも同じ手法をとっている。
越女詞 五首 其一~其五の絶句五首を五言律詩「採連曲」にまとめ、五言絶句「淥水曲」 にしている。
また、雑言古詩「襄陽歌」を五言絶句「襄陽曲」其一~其四にしている。

■李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集

越女詞 五首 其一 李白12

越女詞 五首 其二 李白13

越女詞五首其三 14其四 12-5其五

李白10  採蓮曲

淥水曲  李白 11

 

李白と道教48襄陽歌ⅰ 李白と道教48襄陽歌 ⅱ

李白と道教(7)襄陽曲49から52


 望廬山瀑布水二首 其一
西登香爐峰。南見瀑布水。』
挂流三百丈。噴壑數十里。
欻如飛電來。隱若白虹起。
初驚河漢落。半洒云天里。』
仰觀勢轉雄。壯哉造化功。
海風吹不斷。江月照還空。』
空中亂潀射。左右洗青壁。
飛珠散輕霞。流沫沸穹石。』
而我樂名山。對之心益閑。
無論漱瓊液。且得洗塵顏。
且諧宿所好。永愿辭人間。』

望廬山瀑布 二首其二
日照香炉生紫煙、遥看瀑布挂前川。
香炉峰に陽がさすと  紫の靄(もや)がわいてくる、遥か彼方に一筋の瀧  まるで向こうの川まで掛けた川。
飛流直下三千尺、疑是銀河落九天。

飛び出す流れは直下して三千尺、まるで天から  銀河が落ちてくる。

日は香炉(こうろ)を照らして紫煙(しえん)を生ず
遥かに看(み)る  瀑布の前川(ぜんせん)を挂(か)かるを
飛流(ひりゅう)   直下(ちょっか)  三千尺
疑うらくは是(こ)れ  銀河の九天より落つるかと


絶句としてのきれいな対句

日照香炉紫煙遥看瀑布

飛流直下三千尺、疑是銀河落九天

 

四六駢儷文に読める

日照遥看 飛流疑是

香炉瀑布 直下銀河

紫煙

三千尺落九天



nat0002

望廬山瀑布 二首其二 現代語訳と訳註
(本文)

日照香炉生紫煙、遥看瀑布挂前川。
飛流直下三千尺、疑是銀河落九天。

(下し文)
日は香炉(こうろ)を照らして紫煙(しえん)を生ず
遥かに看(み)る  瀑布の前川(ぜんせん)を挂(か)かるを
飛流(ひりゅう)   直下(ちょっか)  三千尺
疑うらくは是(こ)れ  銀河の九天より落つるかと


(現代語下し文)
香炉峰に陽がさすと  紫の靄(もや)がわいてくる、遥か彼方に一筋の瀧  まるで向こうの川まで掛けた川。
飛び出す流れは直下して三千尺、まるで天から  銀河が落ちてくる。


 (現代語訳)
太陽が香炉峰を照らしはじめると 光に映えて紫のかすみがわきあがってくる、この嶺の上から遥か彼方に一筋の瀧がみえる  まるで向こうの川まで掛けた川のようになってみえる。
飛び出している流れが真下に落ちている 三千尺という長さだ。まるで大空の一番高い所から、天の川が落ちてくるのかと思えるのだ。


(訳注)
日照香炉生紫煙、遥看瀑布挂前川。

太陽が香炉峰を照らしはじめると 光に映えて紫のかすみがわきあがってくる、この嶺の上から遥か彼方に一筋の瀧がみえる  まるで向こうの川まで掛けた川のようになってみえる。
日照 日は白日、太陽のこと。○香炉 香炉峰: 白居易の詩の一節(「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」)や『枕草子』への引用などで知られる。○紫煙 紫のかすみ。煙は、香炉の縁語。○瀑布 滝。○前川 向こうの川。別の本では長川となっているが、景色としては前川の方が奥深い。


飛流直下三千尺、疑是銀河落九天。
飛び出している流れが真下に落ちている 三千尺という長さだ。まるで大空の一番高い所から、天の川が落ちてくるのかと思えるのだ。
飛流 見上げる高い所から流れが飛び出してくる○銀河 天の川。○九天 中華思想で天地は九で区分される。地は九州、天は九天、その真ん中を示す語である。

望廬山瀑布水二首 其一#2とまとめ 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -228

望廬山瀑布水二首 其一#2とまとめ 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -228


望廬山瀑布水二首 其一
#1
西登香爐峰。南見瀑布水。』
挂流三百丈。噴壑數十里。
欻如飛電來。隱若白虹起。
初驚河漢落。半洒云天里。』
仰觀勢轉雄。壯哉造化功。
海風吹不斷。江月照還空。』
#2
空中亂潀射。左右洗青壁。
水のかたまりがどっと流れ落る、空中でぶつかり、いりみだれ、打ち合っている、そして左右に砕けて、青苔のむす岩壁に降りかかり洗う。
飛珠散輕霞。流沫沸穹石。』
とびちる水玉はうすい霞にかわってゆく、水泡まじりのながれは大岩の中から沸騰して湧き出ているようだ。
而我樂名山。對之心益閑。
これほどの景色の中でわたしは名山をこころから楽しむことができる、山とむかいあっていると心が落ち着きのびのびするのである。
無論漱瓊液。且得洗塵顏。
仙人の玉の薬液で口をそそいるのではない、ここにある滝のしぶき、水で俗世界の塵にまみれた顔を洗うことが出来る。
且諧宿所好。永愿辭人間。』

これはともかく、自分の元から一番気に入った場所なのだ。永久に人のすむ世界にわかれをつげ隠遁したいと思うのだ。
 

西のかた香炉峰(こうろほう)に登り、南のかた瀑布(ばくふ)の水を見る。
流れを掛くること三百丈、壑(たに)に噴(ふ)くこと数十里。
歘(くつ)として飛電(ひでん)の 来(きた)るが如く、隠(いん)として白虹(はくこう)の 起(た)つが若(ごと)し。
初めは驚く  河漢(かかん)の 落ちて、半(なか)ば 雲天(うんてん)の裏(うち)より灑(そそ)ぐかと。
仰ぎ観(み)れば   勢い転(うた)た 雄(ゆう)なり、壮(さかん)なる哉  造化(ぞうか)の功(こう)。
海風(かいふう)  吹けども断(た)たず、江月(こうげつ)  照らすも還(ま)た 空(くう)なり。』

空中に乱れて潨射(そうせき)し、左右(さゆう)  青壁(せいへき)を洗う。
飛珠(ひしゅ)  軽霞(けいか)を散じ、流沫(りゅうまつ)  穹石(きゅうせき)に沸(わ)く。
而(しこう)して  我(われ)は名山を楽しみ、之に対して心益々閑(のびやか)なり。
論ずる無かれ  瓊液(けいえき)に漱(すす)ぐを、且つは得たり  塵顔(じんがん)を洗う を。
且つは諧(かなう)  宿(もとよ)り好む所、永(ひさし)く願う 人間(じんかん)を辞する を。




望廬山瀑布水二首 其一 #2 現代語訳と訳註
(本文)#2

空中亂潀射。左右洗青壁。
飛珠散輕霞。流沫沸穹石。』
而我樂名山。對之心益閑。
無論漱瓊液。且得洗塵顏。
且諧宿所好。永愿辭人間。』

(下し文)
空中に乱れて潨射(そうせき)し、左右(さゆう)  青壁(せいへき)を洗う。
飛珠(ひしゅ)  軽霞(けいか)を散じ、流沫(りゅうまつ)  穹石(きゅうせき)に沸(わ)く。
而(しこう)して  我(われ)は名山を楽しみ、之に対して心益々閑(のびやか)なり。
論ずる無かれ  瓊液(けいえき)に漱(すす)ぐを、且つは得たり  塵顔(じんがん)を洗う を。
且つは諧(かなう)  宿(もとよ)り好む所、永(ひさし)く願う 人間(じんかん)を辞する を。

(現代語訳)
水のかたまりがどっと流れ落る、空中でぶつかり、いりみだれ、打ち合っている、そして左右に砕けて、青苔のむす岩壁に降りかかり洗う。
とびちる水玉はうすい霞にかわってゆく、水泡まじりのながれは大岩の中から沸騰して湧き出ているようだ。
これほどの景色の中でわたしは名山をこころから楽しむことができる、山とむかいあっていると心が落ち着きのびのびするのである。
仙人の玉の薬液で口をそそいるのではない、ここにある滝のしぶき、水で俗世界の塵にまみれた顔を洗うことが出来る。
これはともかく、自分の元から一番気に入った場所なのだ。永久に人のすむ世界にわかれをつげ隠遁したいと思うのだ。


(訳注)
空中亂潀射。左右洗青壁。
水のかたまりがどっと流れ落る、空中でぶつかり、いりみだれ、打ち合っている、そして左右に砕けて、青苔のむす岩壁に降りかかり洗う。
 水があつまること。

飛珠散輕霞。流沫沸穹石。』
とびちる水玉はうすい霞にかわってゆく、水泡まじりのながれは大岩の中から沸騰して湧き出ているようだ。
○穹 大岩。

而我樂名山。對之心益閑。
これほどの景色の中でわたしは名山をこころから楽しむことができる、山とむかいあっていると心が落ち着きのびのびするのである。

無論漱瓊液。且得洗塵顏。
人の玉の薬液で口をそそいるのではない、ここにある滝のしぶき、水で俗世界の塵にまみれた顔を洗うことが出来る
 仙人の薬。○塵頗 俗讐まみれた顔。

且諧宿所好。永愿辭人間。』
これはともかく、自分の元から一番気に入った場所なのだ。永久に人のすむ世界にわかれをつげ隠遁したいと思うのだ。
 1 調和する。やわらぐ。「諧声・諧調・諧和/和諧」 2 冗談。ユーモア。「諧謔(かいぎゃく)/俳諧」 [名のり]なリ・ゆき。3.気に入る。○ つつしむ。ひかえる。隠遁する意味に使う。○人間 俗人のすむ世界。



まとめ

望廬山瀑布水二首 其一
#1
西登香爐峰。南見瀑布水。』
挂流三百丈。噴壑數十里。
欻如飛電來。隱若白虹起。
初驚河漢落。半洒云天里。』
仰觀勢轉雄。壯哉造化功。
海風吹不斷。江月照還空。』
#2
空中亂潀射。左右洗青壁。
飛珠散輕霞。流沫沸穹石。』
而我樂名山。對之心益閑。
無論漱瓊液。且得洗塵顏。
且諧宿所好。永愿辭人間。』

(一般下し文)
西のかた香炉峰(こうろほう)に登り、南のかた瀑布(ばくふ)の水を見る。』
流れを掛くること三百丈、壑(たに)に噴(ふ)くこと数十里。
歘(くつ)として 飛電(ひでん)の 来(きた)るが如く、隠(いん)として白虹(はくこう)の 起(た)つが若(ごと)し。
初めは驚く  河漢(かかん)の 落ちて、半(なかば) 雲天(うんてん)の裏(うち)より灑(そそ)ぐかと。』
仰ぎ観(み)れば   勢い転(うたた) 雄(ゆう)なり、壮(さかん)なる哉  造化(ぞうか)の功(こう)。
海風(かいふう)  吹けども断(た)たず、江月(こうげつ)  照らすも還(また) 空(くう)なり。』
#2
空中に乱れて潨射(そうせき)し、左右(さゆう)  青壁(せいへき)を洗う。
飛珠(ひしゅ)  軽霞(けいか)を散じ、流沫(りゅうまつ)  穹石(きゅうせき)に沸(わ)く。』
而(しこう)して  我(われ)は名山を楽しみ、之に対して心益々閑(のびやか)なり。
論ずる無かれ  瓊液(けいえき)に漱(すす)ぐを、且つは 得 たり  塵顔(じんがん)を洗う を。
且つは 諧(かなう)  宿(もとよ)り好む所、永(ひさし)く願う   人間(じんかん)を辞する を。』


(現代語下し文)廬山の瀑布を望む 二首其の一
西のかた  香炉峰に登ると、南に瀧の落ちるのが見える。』
岸壁にかかる高さは三百丈、谷間のしぶきは数十里にわたる。
稲妻のように落ちるかと思えば、朦朧として白い虹が立つようだ。
はじめは 銀河が落ちるかと驚き、雲海から注ぐかと息をのむ。』
仰ぎ見れば  勢いはますます強く、大自然の壮大な力に圧倒される。
海からの風にも 吹きちぎられることはなく、江上の月の光は なすところなく照っている。』
水は乱れて 空中でぶつかり合い、苔むすあたりの岩肌を洗う。
飛び散る水は 軽やかな霞となって広がり、流れる飛沫は 岩にあたって舞いあがる。』
かくて私は 名山に遊び、山と向かい合って 心はますますのどかである。
清らかな水で 口を漱ぐのは当然のこと、俗塵にまみれた顔を 洗うこともできるのだ。
かねてからの私の好みに合っているところだ、俗世から辞してつつましくすることが  永い間の願いであるからだ。』


(解説)
 この詩は瀧に注目し、瀧の雄大さを長江の雄大さを交えて描いている。「河漢」(銀河)が落ちるかと驚き、「雲天」(雲海)から注ぐか、と、非常に斬新な表現であらわしている。

瀧は自然の壮大な力の象徴としてさらに細かく描写し、流れ落ちる瀧の水は空中でぶつかり合い、飛沫となって舞い上がる。李白詩の強烈な表現力は、この次に集約される。


仰觀勢轉雄。壯哉造化功。
海風吹不斷。江月照還空。』

仰ぎ観(み)れば   勢い転(うたた) 雄(ゆう)なり、壮(さかん)なる哉  造化(ぞうか)の功(こう)。
海風(かいふう)  吹けども断(た)たず、江月(こうげつ)  照らすも還(また) 空(くう)なり。』

天を仰ぎ見てみると、見れば見るほど勢いは雄大である。なんとすばらしいものだろう、天の造化のたくみには感心させられる。
はるばると海辺から風がたえまなく吹きよせてくる。
この雄大な長江を照らした月のひかりは、水に反射してその光を大空にかえしている。』

「江月照還空」「飛珠散輕霞。流沫沸穹石。」李白ならではの感覚である。


安禄山の叛乱軍が各地で好き勝手なことをしていても、李白一人でできることは、叛乱軍に捕まらないことであった。「謫仙人」と都での有名人であったため、下手な動きはできなかった。李白の知っている武将たちも次々と叛乱軍に降伏していた時期である。


名山をこよなく愛した李白の感想は、山と向かい「心益々閑」となった李白は、清らかな水で口をすすぎ、俗世の塵にまみれた顔を洗い清め、「人間を辞」し、隠遁したいと願うのである。

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望廬山瀑布水 二首其一 #1李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -227

 

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望廬山瀑布水二首 其一
#1
西登香爐峰。南見瀑布水。』
西に位置する香炉峰に登った、南のほうには瀑布の水が見える。
挂流三百丈。噴壑數十里。
水の流れが落ちかかる長さは、三百丈になる。一気に落ちる勢いでもって谷間に噴出す、その距離は数十里にたっする。
欻如飛電來。隱若白虹起。
時に稲光が走ったように見えるかと思えることがある、あるいは、暗いとこからばあっと真っ白な橋がかかり、虹が立ったように見えるのである。
初驚河漢落。半洒云天里。』
これを見て初めて驚いた、まるで天の川が落ちてきたのかと思うほどなのだ、そしてそれが空の雲の中にそそぎこまれているような錯覚をしてしまうのだ。
仰觀勢轉雄。壯哉造化功。
天を仰ぎ見てみると、見れば見るほど勢いは雄大である。なんとすばらしいものだろう、天の造化のたくみには感心させられる。
はるばると海辺から風がたえまなく吹きよせてくる。

海風吹不斷。江月照還空。』
この雄大な長江を照らした月のひかりは、水に反射してその光を大空にかえしている。』
#2
空中亂潀射。左右洗青壁。
飛珠散輕霞。流沫沸穹石。』
而我樂名山。對之心益閑。
無論漱瓊液。且得洗塵顏。
且諧宿所好。永愿辭人間。』

西のかた香炉峰(こうろほう)に登り、南のかた瀑布(ばくふ)の水を見る。
流れを掛くること三百丈、壑(たに)に噴(ふ)くこと数十里。
歘(くつ)として 飛電(ひでん)の 来(きた)るが如く、隠(いん)として白虹(はくこう)の 起(た)つが若(ごと)し。
初めは驚く  河漢(かかん)の 落ちて、半(なかば) 雲天(うんてん)の裏(うち)より灑(そそ)ぐかと。
仰ぎ観(み)れば   勢い転(うたた) 雄(ゆう)なり、壮(さかん)なる哉  造化(ぞうか)の功(こう)。
海風(かいふう)  吹けども断(た)たず、江月(こうげつ)  照らすも還(また) 空(くう)なり。』
#2
空中に乱れて潨射(そうせき)し、左右(さゆう)  青壁(せいへき)を洗う。
飛珠(ひしゅ)  軽霞(けいか)を散じ、流沫(りゅうまつ)  穹石(きゅうせき)に沸(わ)く。
而(しこう)して  我(われ)は名山を楽しみ、之に対して心益々閑(のびやか)なり。
論ずる無かれ  瓊液(けいえき)に漱(すす)ぐを、且つは 得 たり  塵顔(じんがん)を洗う を。
且つは 諧(かなう)  宿(もとよ)り好む所、永(ひさし)く願う   人間(じんかん)を辞する を。

望廬山瀑布水二首其一 現代語訳と訳註
(本文) #1
西登香爐峰。南見瀑布水。』
挂流三百丈。噴壑數十里。
欻如飛電來。隱若白虹起。
初驚河漢落。半洒云天里。』
仰觀勢轉雄。壯哉造化功。
海風吹不斷。江月照還空。』


(下し文)
西のかた香炉峰(こうろほう)に登り、南のかた瀑布(ばくふ)の水を見る。
流れを掛くること三百丈、壑(たに)に噴(ふ)くこと数十里。
歘(くつ)として飛電(ひでん)の来(きた)るが如く、隠(いん)として白虹(はくこう)の起(た)つが若(ごと)し。
初めは驚く  河漢(かかん)の落ちて、半(なか)ば雲天(うんてん)の裏(うち)より灑(そそ)ぐかと。
仰ぎ観(み)れば   勢い転(うた)た雄(ゆう)なり、壮(さかん)なる哉  造化(ぞうか)の功(こう)。
海風(かいふう)  吹けども断(た)たず、江月(こうげつ)  照らすも還(ま)た空(くう)なり。』

(現代語訳)
西に位置する香炉峰に登った、南のほうには瀑布の水が見える。
水の流れが落ちかかる長さは、三百丈になる。一気に落ちる勢いでもって谷間に噴出す、その距離は数十里にたっする。
時に稲光が走ったように見えるかと思えることがある、あるいは、暗いとこからばあっと真っ白な橋がかかり、虹が立ったように見えるのである。
これを見て初めて驚いた、まるで天の川が落ちてきたのかと思うほどなのだ、そしてそれが空の雲の中にそそぎこまれているような錯覚をしてしまうのだ。
天を仰ぎ見てみると、見れば見るほど勢いは雄大である。なんとすばらしいものだろう、天の造化のたくみには感心させられる。
はるばると海辺から風がたえまなく吹きよせてくる。
この雄大な長江を照らした月のひかりは、水に反射してその光を大空にかえしている。』


(訳注)
西登香爐峰。南見瀑布水。』

西に位置する香炉峰に登った、南のほうには瀑布の水が見える。
廬山 主峰で江西省最高峰。海抜1,474メートル。九江の南にそびえる名山。北は長江、東から南にかけては鄱陽湖と、三方が水にのぞみ、西は陸地に臨む。奇峰が多く天下の璧号いわれる。○香炉峰 廬山の西北の峰で、細長くて尖が円く、ちょうど香炉(香を焚く糞)に似ている。
廬山は断層の運動によって地塊が周囲からせりあがった断層地塊山地であり、その中に川や谷、湖沼、峰など多様な相貌をもつ。中国における第四紀の氷河が形成した地形の典型とも評され、この観点からジオパーク(世界地質公園)に指定されている。主峰の漢陽峰(大漢陽峰)は海抜が1,474メートルであるが、その周囲には多数の峰がそびえ、その間に渓谷、断崖絶壁、瀑布、洞窟など複雑な地形が生じている。
五老峰: 海抜1,436メートルの奇岩の峰。形が、五人の老人が座っているように見えることからきている。
漢陽峰: ピラミッド状の形をした廬山の主峰で江西省最高峰。海抜1,474メートル。
香炉峰: 白居易の詩の一節(「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」)や『枕草子』への引用などで知られる。
三畳泉: 落差155メートルの大きな滝。
龍首崖: 空中に突き出した崖。明代の寺院・天池寺の跡地に近い。
含鄱口: 五老峰と太乙峰の間の谷間。鄱陽湖に面しているため、湖からの水蒸気がここで霧となって峰々を覆い隠している。


挂流三百丈。噴壑數十里。
水の流れが落ちかかる長さは、三百丈になる。一気に落ちる勢いでもって谷間に噴出す、その距離は数十里にたっする。
 掛と同じ。○ 谷、谷間。


欻如飛電來。隱若白虹起。
時に稲光が走ったように見えるかと思えることがある、あるいは、暗いとこからばあっと真っ白な橋がかかり、虹が立ったように見えるのである。
忽と同じ。にわかに。○飛電 稲妻。○隠 不分明のさま。


初驚河漢落。半洒云天里。』
これを見て初めて驚いた、まるで天の川が落ちてきたのかと思うほどなのだ、そしてそれが空の雲の中にそそぎこまれているような錯覚をしてしまうのだ。
河漢 天の川。○半洒 半分灌ぐかのように見えるという意味。○云天里 空の雲かたまりの中。


仰觀勢轉雄。壯哉造化功。
天を仰ぎ見てみると、見れば見るほど勢いは雄大である。なんとすばらしいものだろう、天の造化のたくみには感心させられる。


海風吹不斷。江月照還空。』
はるばると海辺から風がたえまなく吹きよせてくる。この雄大な長江を照らした月のひかりは、水に反射してその光を大空にかえしている。』
海風 世界のはてから吹きよせる風。

日本の河と違い長江は大河である。その雄大な景色を言うのである。日本で考えれば、瀬戸内海の中に千数百メートルの山があり、その山から100メートル以上の滝の水が落ちている。大きな川の鏡のような水面に月が映る、滝の山水画の世界である。

(#2につづく。)
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望廬山五老峯 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -226

廬山は断層の運動によって地塊が周囲からせりあがった断層地塊山地であり、その中に川や谷、湖沼、峰など多様な相貌をもつ。中国における第四紀の氷河が形成した地形の典型とも評され、この観点からジオパーク(世界地質公園)に指定されている。主峰の漢陽峰(大漢陽峰)は海抜が1,474メートルであるが、その周囲には多数の峰がそびえ、その間に渓谷、断崖絶壁、瀑布、洞窟など複雑な地形が生じている。


 五老峰: 海抜1,436メートルの奇岩の峰。形が、五人の老人が座っているように見えることからきている。
 漢陽峰: ピラミッド状の形をした廬山の主峰で江西省最高峰。海抜1,474メートル。
 香炉峰: 白居易の詩の一節(「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」)や『枕草子』への引用などで知られる。
 三畳泉: 落差155メートルの大きな滝。
 龍首崖: 空中に突き出した崖。明代の寺院・天池寺の跡地に近い。
 含鄱口: 五老峰と太乙峰の間の谷間。鄱陽湖に面しているため、湖からの水蒸気がここで霧となって峰々を覆い隠している。

望廬山五老峯
廬山東南五老峯,青天削出金芙蓉。
廬山の東南に五老峰がある、青空の中から金色かがやく芙蓉の花を削り出したかのようだ。 
九江秀色可攬結,吾將此地巣雲松。

長江の支流、分流である九江のすばらしい景色が手に取るように見える。わたしはこの地で浮き世を離れ、高い雲のかかった松に巣を作って隠棲しようと思う。


廬山の五老峰を望む

廬山東南 五老峯,青天 削り出だす 金芙蓉。

九江の秀色を 攬結(らんけつ)す可(べ)き,

吾(われ) 此(こ)の地を將(も)って 雲松に巣(すく)はん。



望廬山五老峯 現代語訳と訳註
(本文)

廬山東南五老峯,青天削出金芙蓉。
九江秀色可攬結,吾將此地巣雲松。

(下し文) 廬山の五老峰を望む
廬山 東南  五老峯,
青天 削り出だす  金芙蓉。
九江の秀色を  攬結(らんけつ)す可(べ)き,
吾(われ) 此(こ)の地を將(も)って  雲松に巣(すく)はん。


李白の足跡55

(現代語訳)
廬山の東南に五老峰がある、青空の中から金色かがやく芙蓉の花を削り出したかのようだ。 
長江の支流、分流である九江のすばらしい景色が手に取るように見える。わたしはこの地で浮き世を離れ、高い雲のかかった松に巣を作って隠棲しようと思う。


(訳注)
望廬山五老峰

廬山の東南部分の嶺。本来、山の麓側(陽湖側=東側)からの眺めによって呼ばれた嶺嶺。五つ六つの嶺の稜線が、恰も五人の老人が背を丸めて並んでいるようにも、肩を組んで並んでいるかのようにも見えることから呼ばれた。李白は五老峰の近くの山の中に太白書堂を建ててそこに隠棲しようとした。


廬山東南五老峰、青天削出金芙蓉。
廬山の東南に五老峰がある、青空の中から金色かがやく芙蓉の花を削り出したかのようだ。 
東南 廬山は山塊、山地といった山で、その山塊の東南部分が五老峰にあたる。○削出 彫り出す。 ○金芙蓉 金色に輝くハスの花。また、金色に輝く芙蓉の花。五老峰が陽光で黄金色に輝く。


九江秀色可攬結、吾將此地巣雲松。
長江の支流、分流である九江のすばらしい景色が手に取るように見える。わたしはこの地で浮き世を離れ、高い雲のかかった松に巣を作って隠棲しようと思う。
九江 北側の眼下にある尋陽(いまの江西省九江市)のあたりには、長江の九つの支流があつまって、廬山の北を流れる。現・九江市がある。 ・秀色 ひいでた景色。すぐれた景色。 ○攬結 刈り取った稲束のようにとりまとめる。とりあつめる。○ すくう。巣を作る。ここでは、隠棲するの意。 ○雲松 浮き世を離れ、雲のかかった背の高い松。


○押韻 峯、蓉。松。


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金陵酒肆留別 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 225

金陵酒肆留別 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 225



「漢水の下流、長江をさかのぼり、廬山の頂きに登りたいと思う。香炉峰の紫煙は消えて、瀑布は大空より落下しているであろう。その廬山の高いところに登り、そのまま星によじ登って、大空のかなたに行くとすれば、この俗世界ともお別れであり、諸君とも別れだ。手を振ってかなたの世界より気持ちをこめて別れの挨拶しょう」。廬山に登って隠棲しょうという気持ちを表わしている。これが俗世に希望を失った李白のこの時の真情である。また、金陵の酒場では、飲み友だちが集まってきて、俗世との別れという気持ちで、李白の奔放な性格まるだしの大騒ぎの送別の宴が催されている。

金陵酒肆留別

白門柳花滿店香、吳姬壓酒喚客嘗。
金陵城の白門の土手に柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし  酒場は香ばしい匂いで満ちあふれている、呉の国の美女がしぼり酒をだし、客を呼び、味見をさせている。
金陵子弟來相送、欲行不行各盡觴。
金陵の諸公、子弟たちが 集まって別れの宴を開いてくれ、行こうとするが立ち去りがたく、心ゆくまで杯を重ね合う
請君問取東流水、別意與之誰短長。
諸君尋ねてみたらよいと思う、長江流れは当たり前のように東流する水に、別れるということの意味がどれほどなのか、 どちらが深く長いか、短いのかと。


金陵の酒肆にて留別す

白門の柳花(りゅうか)に  満店 香(かん)ばし、呉姫(ごき)は酒を圧して 客を喚びて嘗()めしむ。

金陵の子弟(してい) 来りて相い送り、行かんと欲して行かず  各々觴(さかずき)を尽くす。

請う君 問取れ  東流(とうりゅう)の水に、別意(べつい)と之(これ)と  誰か長短なるやと。



 天門から北へ流れていた長江が東へ向きを変えると、舟はやがて江寧(こうねい・江蘇省南京市)の渡津(としん)に着く。江寧郡城は六朝の古都建康(けんこう)の跡である。雅名を金陵(きんりょう)といい、李白はほとんどの詩に「金陵」の雅名を用いている。金陵の渡津は古都の南郊を流れる秦淮河(しんわいか)の河口にあり、長干里(ちょうかんり)と横塘(おうとう)の歓楽地があ。そして白門をくぐると、酒旗高楼が林立している。



金陵酒肆留別 現代語訳と訳註
(本文)

風吹柳花満店香、呉姫圧酒喚客嘗。
金陵子弟来相送、欲行不行各尽觴。
請君問取東流水、別意与之誰長短


(下し文) 金陵の酒肆にて留別す
白門の柳花(りゅうか)に  満店 香(かん)ばし、呉姫(ごき)は酒を圧して  客を喚びて嘗(な)めしむ。
金陵の子弟(してい) 来りて相い送り、行かんと欲して行かず  各々觴(さかずき)を尽くす。
請う君  問取れ  東流(とうりゅう)の水に、別意(べつい)と之(これ)と  誰か長短なるやと。


(現代語訳)
金陵城の白門の土手に柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし  酒場は香ばしい匂いで満ちあふれている、呉の国の美女がしぼり酒をだし、客を呼び、味見をさせている。
金陵の諸公、子弟たちが 集まって別れの宴を開いてくれ、行こうとするが立ち去りがたく、心ゆくまで杯を重ね合う
諸君尋ねてみたらよいと思う、長江流れは当たり前のように東流する水に、別れるということの意味がどれほどなのか、 どちらが深く長いか、短いのかと。


(訳注) 金陵酒肆留別
○金陵  
現在の南京市。金陵城西樓月下吟 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 212参照)。○酒肆  酒を飲ませる店。酒場。○留別 別れの気持を書き留める。旅立つ人が詩を書きのこす場合の用語。人を送る場合の用語「送別」の対語。
          
白門柳花満店香、呉姫圧酒喚客嘗。
金陵城の白門の土手に柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし  酒場は香ばしい匂いで満ちあふれている、呉の国の美女がしぼり酒をだし、客を呼び、味見をさせている。
○白門 金陵城の中の歓楽街に入る門。五行思想で西は白色、西側から入るため白門としていた。白門を金陵の色町があまりに有名であり、南京そのものを示す語になっている。一つ。○柳花 「柳絮」(柳のワタ)。初夏のころ種子をつけて飛ぶ柳のワタを花と見てこういう。○呉姫 呉(現在の南京市や蘇州市など)の地方のむすめ。「姫」は女性の美称。呉の国には美女が多いとされていた。○圧酒 新しく醸した酒をモロミごと樽に入れ、強く圧縮して絞り出す。○ 味わわせる。

金陵子弟来相送、欲行不行各尽觴。
金陵の諸公、子弟たちが 集まって別れの宴を開いてくれ、行こうとするが立ち去りがたく、心ゆくまで杯を重ね合う
子弟 わかものたち。詩題に諸公とあるので全体的には諸公。○相送 (わたしを)送る。相手がいる場合に使う、相は動作に対象のある場合に用いる副詞。〇 角製のさかずき。

請君問取東流水、別意与之誰長短。
諸君尋ねてみたらよいと思う、長江流れは当たり前のように東流する水に、別れるということの意味がどれほどなのか、 どちらが深く長いか、短いのかと。
問取 取は、助字化され軽く添えた用法。○東流水 金陵のまちに添って東に流れる長江の水。中国では川の流れは東流するものとして当たり前のこととされている。○ どちら。この「誰」は、疑問詞としての広い用法。「だれ」ではない。



 李白は秋から翌年の春にかけて、金陵の街で過ごし、地元の知識人や若い詩人たちと交流した。半年近く滞在した後、756年開元十四年、暮春に舟を出し、さらに東へ進む。詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。

 李白は秋から翌年の春にかけて、金陵の街で過ごし、地元の知識人や若い詩人たちと交流した。半年近く滞在した後、756年開元十四年、暮春に舟を出し、さらに東へ進む。詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。
金陵から江をさかのぼって鷹山に入り、五老峰の下の屏風畳にしばらく隠棲することにした。756年至徳元年五十六歳のときである。安禄山が天下を二分してしまった危機を打開したいとは思うが、叛乱軍に見つかれば生きてはおれない。もはや世を救える人物たりえない、ここは屏風畳に隠れ住むよりしかたがないと李白は考えたのだ。かくて廬山の諸名勝を眺めながら、世俗を超越して無心に廬山の自然に融けこんで、ここで生涯を送ろうと考えるほかなかったようだ。


○詩型 七言古詩
○押韻 香、送、觴。/嘗、短。

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留別金陵諸公 224 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 223-#2

留別金陵諸公 224 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 223-#2

rihakustep足跡
   金陵に来た李白は、旧知の友人たちとの再会を喜びつつ酒を飲み、一時を楽しんで、やがて廬山を目指して旅立ってゆく。「金陵の諸公に留別す」では、その送別の宴で、廬山に隠棲したい胸の中を明らかにしている詩である。

留別金陵諸公  #1
海水昔飛動。 三龍紛戰爭。
鐘山危波瀾。 傾側駭奔鯨。
黃旗一掃蕩。 割壤開吳京。
六代更霸王。 遺跡見都城。
至今秦淮間。 禮樂秀群英。
#2
地扇鄒魯學。詩騰顏謝名。
この地の湧き上がる風は老荘孟子の思想、孔子の儒教を学ばせている、詩歌はここで盛んになり、顔延之、謝霊運、謝朓の名声を博したのだ。
五月金陵西。祖余白下亭。
いまは五月、晩春から初夏である、清風が山川を洗う時節、金陵城の西側にいる、旅立つ私を白下亭に招いてくれている。
欲尋盧峰頂、先繞漢水行。
わたしは江西の盧山の山頂に登ろうと思っているのだ、それにはまず麓をぐるりとめぐり、漢水をさかのぼっていくのだ。
香炉紫煙滅、瀑布落太清。
盧峰の香炉峰の紫の霞も消え、名高い滝の落下がとてもはっきりと見えることだろう。
若攀星辰去、揮手緬含情。
そこまで行けば手を延ばすだけで星々に届くだろうから、手を延ばそうと思うけど、今ここで君の手を握るわたしの手は、離れ難い思いを拭い去れはしない。


#2
地扇 魯學を鄒。 詩騰 顏謝の名。
五月 金陵の西。 祖余 白下亭。
盧峰の頂を尋ね、先に漢水を繞(めぐ)り行かんと欲す。
香炉の紫煙滅し、瀑布落ちること太(はなは)だ清ならん。
もし星辰を攀じり去らんも、手を揮うに緬として情を含まん。



留別金陵諸公 -#2 現代語訳と訳註
(本文)

地扇鄒魯學。詩騰顏謝名。
五月金陵西。祖余白下亭。
欲尋盧峰頂、先繞漢水行。
香炉紫煙滅、瀑布落太清。
若攀星辰去、揮手緬含情。

(下し文)
地扇 魯學を鄒。 詩騰 顏謝の名。
五月 金陵の西。 祖余 白下亭。
盧峰の頂を尋ね、先に漢水を繞(めぐ)り行かんと欲す。
香炉の紫煙滅し、瀑布落ちること太(はなは)だ清ならん。
もし星辰を攀じり去らんも、手を揮うに緬として情を含まん。

(現代語訳)
この地の湧き上がる風は老荘孟子の思想、孔子の儒教を学ばせている、詩歌はここで盛んになり、顔延之、謝霊運、謝朓の名声を博したのだ。
いまは五月、晩春から初夏である、清風が山川を洗う時節、金陵城の西側にいる、旅立つ私を白下亭に招いてくれている。
わたしは江西の盧山の山頂に登ろうと思っているのだ、それにはまず麓をぐるりとめぐり、漢水をさかのぼっていくのだ。
盧峰の香炉峰の紫の霞も消え、名高い滝の落下がとてもはっきりと見えることだろう。
そこまで行けば手を延ばすだけで星々に届くだろうから、手を延ばそうと思うけど、今ここで君の手を握るわたしの手は、離れ難い思いを拭い去れはしない。


(訳注)
地扇鄒魯學。詩騰顏謝名。

この地の湧き上がる風は老荘孟子の思想、孔子の儒教を学ばせている、詩歌はここで盛んになり、顔延之、謝霊運、謝朓の名声を博したのだ。
地扇 その地の湧き上がる風 ○鄒魯學 鄒と魯の国の学問、鄒は孟子、魯は孔子。老荘思想、儒教。
詩騰 詩の高ぶり。○顏謝 顔 延之と謝霊運の山水詩人。文末に参考として掲載。


五月金陵西。祖余白下亭。
いまは五月、晩春から初夏である、清風が山川を洗う時節、金陵城の西側にいる、旅立つ私を白下亭に招いてくれている。
祖余 旅に出るわたし。


欲尋盧峰頂、先繞漢水行。
わたしは江西の盧山の山頂に登ろうと思っているのだ、それにはまず麓をぐるりとめぐり、漢水をさかのぼっていくのだ。


香炉紫煙滅、瀑布落太清。
盧峰の香炉峰の紫の霞も消え、名高い滝の落下がとてもはっきりと見えることだろう。


若攀星辰去、揮手緬含情。
そこまで行けば手を延ばすだけで星々に届くだろうから、手を延ばそうと思うけど、今ここで君の手を握るわたしの手は、離れ難い思いを拭い去れはしない。


------- 参考 --------------

謝霊運  385~433 南朝の宋の詩人。陽夏(河南省)の人。永嘉太守・侍中などを歴任。のち、反逆を疑われ、広州で処刑された。江南の自然美を精緻(せいち)な表現によって山水詩にうたった。

顔 延之(がん えんし) 384年 - 456年 、)は中国南北朝時代、宋の文学者。字は延年。本籍地は琅邪郡臨沂県(現在の山東省臨沂市)。宋の文帝や孝武帝の宮廷文人として活躍し、謝霊運・鮑照らと「元嘉三大家」に総称される。また謝霊運と併称され「顔謝」とも呼ばれる。

謝朓(しゃちょう) 464年 - 499 南北朝時代、南斉の詩人。現存する詩は200首余り、その内容は代表作とされる山水詩のほか、花鳥風月や器物を詠じた詠物詩、友人・同僚との唱和・離別の詩、楽府詩などが大半を占める。竟陵八友のひとり


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漢詩李白 233 留別金陵諸公  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 223-#1


留別金陵諸公  #1
海水昔飛動。 三龍紛戰爭。
鐘山危波瀾。 傾側駭奔鯨。
黃旗一掃蕩。 割壤開吳京。
六代更霸王。 遺跡見都城。
至今秦淮間。 禮樂秀群英。
-#2
地扇鄒魯學。 詩騰顏謝名。
五月金陵西。 祖余白下亭。
欲尋廬峰頂。 先繞漢水行。
香爐紫煙滅。 瀑布落太清。
若攀星辰去。 揮手緬含情。
( 跡一作都 ) ( 都一作空 )

#1
海水 昔 飛動し、三龍 紛として戦争す。
鐘山 波瀾に危うく、傾側して奔鯨を駭(おどろ)かす。
黄旗一たび掃蕩し、割り尽くして呉京を開けり。 
六代 更に霸王、遺跡 都城を見る。
今に至る秦淮の間、禮樂 群英 秀し。
#2
地扇 魯學を鄒。 詩騰 顏謝の名。
五月 金陵の西。 祖余 白下亭。
盧峰の頂を尋ね、先に漢水を繞(めぐ)り行かんと欲す。
香炉の紫煙滅し、瀑布落ちること太(はなは)だ清ならん。
もし星辰を攀じり去らんも、手を揮うに緬として情を含まん。


-#1
海水昔飛動、三龍紛戦争。
むかし、金陵のあたりまで海水が飛びあがるように遡ってきたことがあった。三匹の龍が激しく争い戦ったのだ。
鐘山危波瀾、傾側駭奔鯨。
金陵山は「王気がある」ことからみだされ渦に呑みこまれそうになった、傾き崩れ自在な巨鯨のような始皇帝によって驚かされたのだ。
黄旗一掃蕩、割尽開呉京。
黄色い旗を建てて帝王が現われ、混乱を収拾したのだ、壊され傾いた部分を打ち壊して、呉の都、金陵を開いたのだ。
六代更霸王、遺跡見都城。
六朝といわれるように国々が交代し王がつづいた、その後遺跡となって帝都では無くなったが東南の都の城郭をみている。
至今秦淮間、禮樂秀群英。
今にいたるも金陵の秦淮河のほとりは華やかだ、礼儀と音楽、礼記と楽記の文人の秀でたものがあつまり英知の中心の地なのだ。

海水 昔 飛動し、三龍 紛として戦争す。
鐘山 波瀾に危うく、傾側して奔鯨を駭(おどろ)かす。
黄旗一たび掃蕩し、割り尽くして呉京を開けり。 
六代 更に霸王、遺跡 都城を見る。
今に至る秦淮の間(ほとり)、禮樂 秀(すぐれ) 群る英。


留別金陵諸公 現代語訳と訳註
(本文)

海水昔飛動。 三龍紛戰爭。
鐘山危波瀾。 傾側駭奔鯨。
黃旗一掃蕩。 割壤開吳京。
六代更霸王。 遺跡見都城。
至今秦淮間。 禮樂秀群英。

(下し文)
海水 昔 飛動し、三龍 紛として戦争す。
鐘山 波瀾に危うく、傾側して奔鯨を駭(おどろ)かす。
黄旗一たび掃蕩し、割り尽くして呉京を開けり。 
六代 更に霸王、遺跡 都城を見る。
今に至る秦淮の間(ほとり)、禮樂 秀群の英(はな)。

(現代語訳)
むかし、金陵のあたりまで海水が飛びあがるように遡ってきたことがあった。三匹の龍が激しく争い戦ったのだ。
金陵山は「王気がある」ことからみだされ渦に呑みこまれそうになった、傾き崩れ自在な巨鯨のような始皇帝によって驚かされたのだ。
黄色い旗を建てて帝王が現われ、混乱を収拾したのだ、壊され傾いた部分を打ち壊して、呉の都、金陵を開いたのだ。
六朝といわれるように国々が交代し王がつづいた、その後遺跡となって帝都では無くなったが東南の都の城郭をみている。
今にいたるも金陵の秦淮河のほとりは華やかだ、礼儀と音楽、礼記と楽記の文人の秀でたものがあつまり英知の中心の地なのだ。


(訳注)
海水昔飛動、三龍紛戦争。
むかし、金陵のあたりまで海水が飛びあがるように遡ってきたことがあった。三匹の龍が激しく争い戦ったのだ。
この二句の根拠戦国時代に呉と楚と秦の三国がここ金陵の地で戦いがあったことを示している。
 
鐘山危波瀾、傾側駭奔鯨。
金陵山は「王気がある」ことからみだされ渦に呑みこまれそうになった、傾き崩れ自在な巨鯨のような始皇帝によって驚かされたのだ。
この二句の根拠 春秋時代に呉がこの地に城を築いたことに始まる。戦国時代に呉を征服した楚は金陵邑を設置。その後秦朝による統一事業が達成され、始皇帝がこの地に巡幸してきた際に、「この地に王者の気がある」と言われ、それに怒って地形を無理やり変えてこの地の気を絶とうとした。また名前も金から秣(まぐさ)の秣陵県と改称している。このことを示している。○鐘山 金陵の東の郊外にある紫金山(鍾山)を金陵山と呼ぶところから生まれた。-現在の南京市の雅名。李白は特にこの名を愛用している。金陵 現在の南京市。六朝の古都。南朝の各朝の首都。金陵、建業、建、建康、南京。戦国時代の楚の威王が金を埋めて王気を鎮めたことによる。○奔鯨 秦の始皇帝を指す。


黄旗一掃蕩、割尽開呉京。
黄色い旗を建てて帝王が現われ、混乱を収拾したのだ、壊され傾いた部分を打ち壊して、呉の都、金陵を開いたのだ。
黄旗 孫権による呉の建国。○呉京 呉の都、建業(金陵)とした。


六代更霸王、 遺跡見都城。
六朝といわれるように国々が交代し王がつづいた、その後遺跡となって帝都では無くなったが東南の都の城郭をみている。
かつては呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳(以上の6朝を総称して六朝)、王朝の都であった。


至今秦淮間、 禮樂秀群英。
今にいたるも金陵の秦淮河のほとりは華やかだ、礼儀と音楽、礼記と楽記の文人の秀でたものがあつまり英知の中心の地なのだ。
禮樂礼儀と音楽、礼記と楽記、周から漢にかけて儒学者がまとめた礼に関する書物を、戴聖が編纂したものである。全49篇。これは唐代以降、五経の1つとして尊重された。楽記‐一説に前漢の武帝のときに河間献王が編纂させたといわれている。その他、公孫尼子、荀子などの説もある。○長江と秦淮河の辺には歓楽街があった。



○押韻 動、争。鯨。京。城。英。

玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -222

漢詩李白 222 玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -222


#1
昨玩西城月。 青天垂玉鉤。
朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。』
兩岸拍手笑。 疑是王子猷。
酒客十數公。 崩騰醉中流。』
#2
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。
半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。』
我憶君到此。 不知狂與羞。
一月一見君。 三杯便回橈。
舍舟共連袂。 行上南渡橋。
興發歌綠水。 秦客為之搖。』
#3
雞鳴復相招。 清宴逸云霄。
翌朝また招かれお相いした、清々しい時の宴の盛り上がりは大空高くひろがっているのだ。
贈我數百字。 字字凌風飇。
私に贈ってくれた数百字、字と字はつむじかぜを凌ぐ勢いのあるものである。
系之衣裘上。 相憶每長謠。』

この詩文を衣裳のように身に着けていく、そうしてこの長謡を歌う時はいつも思い抱いていることだろう


玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御 #3 現代語訳と訳註
(本文) #3

雞鳴復相招。 清宴逸云霄。
贈我數百字。 字字凌風飇。
系之衣裘上。 相憶每長謠。』

(下し文)
雞鳴に復た相い招かれ、清宴は雲霄に逸る
我に贈る数百字、字字風飇を凌ぐ
之を衣裘の上に繋け、相い憶うて毎に長謡せん

(現代語訳)
翌朝また招かれお相いした、清々しい時の宴の盛り上がりは大空高くひろがっているのだ。
私に贈ってくれた数百字、字と字はつむじかぜを凌ぐ勢いのあるものである。
この詩文を衣裳のように身に着けていく、そうしてこの長謡を歌う時はいつも思い抱いていることだろう。

(訳注)
雞鳴復相招。 清宴逸云霄。

翌朝また招かれお相いした、清々しい時の宴の盛り上がりは大空高くひろがっているのだ。
雞鳴 朝食を庭のテーブルでとる。


贈我數百字。 字字凌風飇
私に贈ってくれた数百字、字と字はつむじかぜを凌ぐ勢いのあるものである。
風飇 こころにつむじかぜをおこすこと。


系之衣裘上。 相憶每長謠。
この詩文を衣裳のように身に着けていく、そうしてこの長謡を歌う時はいつも思い抱いていることだろう。
系之 この詩文、長詩。○衣裘 きもの。


翌朝また招宴にあずかり、その宴会の盛んな気は空にも上るほど。きみはつむじ風をしのぐ勢いある数百字の長詩を贈ってくれた。これを身につけて、いつも思い出して歌い続けよう」。

この詩は崔侍御との友情の詩であるが、前半は遊興にふける歌で、徹底的に酒に酔う、しかも乱れに乱れていくほど、風流を味わえる。友情もしっかり確認し合えるというのが李白である。儒教の人たちから、理解されないのが、酔い乱れることと、風流を味わうというところであろうか。


鉤。樓。頭。裘。/笑。猷。流。侯。揄。羞。橈。橋。搖。/招。霄。飇。謠。


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玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御

昨玩西城月。 青天垂玉鉤。
朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。』
兩岸拍手笑。 疑是王子猷。
酒客十數公。 崩騰醉中流。』
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。
半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。』
我憶君到此。 不知狂與羞。
一月一見君。 三杯便回橈。
舍舟共連袂。 行上南渡橋。
興發歌綠水。 秦客為之搖。』
雞鳴復相招。 清宴逸云霄。
贈我數百字。 字字凌風飇。
系之衣裘上。 相憶每長謠。』


(金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹す。日晩れて酔いに乗じて紫綺裳、烏紗巾を著け、酒客数人と、秦淮に樟歌し、石頭に往きて、崔四侍御を訪ぬ)

昨(きのう)西城の月を翫(たの)しむ、青天に玉の鉤を垂る。
朝に金陵の酒を清い、孫楚の楼に歌い吹く。
忽ち繍衣の人を憶い、船に乗って石頭に往く。
烏紗巾を草かに豪り、紫椅裳を倒に披る。』
両岸のもの手を拍ちて笑い、疑うらくは是れ王子献ならんかと。
酒客は十数公、崩勝れて中流に酔う。』
諺浪れて海客を綽い、喧呼びて陽侯に倣る。
半道にて呉姫に逢い、簾を巻きて野でて椰拾う。
我は君を憶いて此に到る、狂と差とを知らず。
月下に一たび君に見えは、三杯にて便ちに槙を廻らさん。
舟を捨てて共に袂を連ね、行きて南渡の橋に上る。
興発こりて綠水を歌えば、秦客之が為に揺らぐ。』
雞鳴に復た相い招かれ、清宴は雲霄に逸る
我に贈る数百字、字字風飇を凌ぐ
之を衣裘の上に繋け、相い憶うて毎に長謡せん。』


『金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹しつづけた。それでも朝からさらに飲んで、日暮れになって酔いにまかせて朝廷の制服、紫綺裳、烏紗巾を着て、酒客数人と、船に乗り込み秦淮に行き着くまで舟歌の樟歌をうたった。そして石頭に着いたので、崔四侍御を訪ねたのである。』

昨晩、金陵の西にある孫楚亭で月を楽しむ。大空はいっぱいに広がっていて、三日月は光り輝く鉤をを垂らしたようである。
朝になると金陵の売り酒を持ってこさせた、孫楚楼に楽曲を歌い笛を吹いて楽しんだ。
それから長安の朝廷で刺繍のある着飾った宮廷人をおもいだし、船に乗って石頭に往くのである。
烏紗巾をおふざけで阿弥陀にかぶり、紫椅裳を裏返しに着てみたのだ。
両岸にいた人たちは手をたたいて笑いっている、これは風流のひとであった王子猷の再来かと驚いている。
舟の中では十数人がぐでんぐでんに酔っぱらってくずれている。

たわむれて海客をのせたまま竿を持ち舟をこいだり、どなりあって、陽侯たちをたかぶらせたりしている。
船を進めていく途中にて呉の美人妓女に逢った、簾を巻きあげて顔をだして、野卑な声をかけて冷やかすのだ。』

わたしは崔君のことを憶い逢いたくてここ石頭まで来たのだ、途中でこんなに酔いつぶれてしまって、だから恥ずかしくて仕方がない。でも大目に見てこんな醜態知らないことにしくれないか。
月がこんなに美しいし、君にこうして会えた、だから、ほんの三杯でも飲んだら、舟のかいをこいで帰るよ。
舟から上がって共に袂をそろえよう、そして南渡橋を渡っていこう。
ともに、風流な興が湧いてきて昔の歌曲、『綠水』を歌うと、長安(秦)から来た崔侍御も、それにつれて調子を合わせている。

翌朝また招かれお相いした、清々しい時の宴の盛り上がりは大空高くひろがっているのだ。
私に贈ってくれた数百字、字と字はつむじかぜを凌ぐ勢いのあるものである。
この詩文を衣裳のように身に着けていく、そうしてこの長謡を歌う時はいつも思い抱いていることだろう。

玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -221

漢詩李白 221 玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -221

(金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹す。日晩れて酔いに乗じて紫綺裳、烏紗巾をけ、酒客数人と、秦淮に歌し、石頭に往きて、崔四侍御を訪ぬ)


玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御
#1
昨玩西城月。 青天垂玉鉤。
朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。』
兩岸拍手笑。 疑是王子猷。
酒客十數公。 崩騰醉中流。』
#2
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。
たわむれて海客をのせたまま竿を持ち舟をこいだり、どなりあって、陽侯たちをたかぶらせたりしている。
半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。』
船を進めていく途中にて呉の美人妓女に逢った、簾を巻きあげて顔をだして、野卑な声をかけて冷やかすのだ。』
我憶君到此。 不知狂與羞。
わたしは崔君のことを憶い逢いたくてここ石頭まで来たのだ、途中でこんなに酔いつぶれてしまって、だから恥ずかしくて仕方がない。でも大目に見てこんな醜態知らないことにしくれないか。
一月一見君。 三杯便回橈。
月がこんなに美しいし、君にこうして会えた、だから、ほんの三杯でも飲んだら、舟のかいをこいで帰るよ。
舍舟共連袂。 行上南渡橋。
舟から上がって共に袂をそろえよう、そして南渡橋を渡っていこう。
興發歌綠水。 秦客為之搖。』

ともに、風流な興が湧いてきて昔の歌曲、『綠水』を歌うと、長安(秦)から来た崔侍御も、それにつれて調子を合わせている。
#3
雞鳴復相招。 清宴逸云霄。
贈我數百字。 字字凌風飇。
系之衣裘上。 相憶每長謠。』

諺浪(たわむ)れて海客を掉(ゆす)り、喧呼し陽侯に倣(おご)る。
半道にて呉姫に逢い、簾を巻きて出でて揶揄(からか)う。』
我は君を憶いて此に到る、狂と羞とを知らず。
月下に一たび君に見えは、三杯にて便ちに槙を廻らさん。
舟を捨てて共に袂を連ね、行きて南渡の橋に上る。
興発こりて綠水を歌えば、秦客之が為に揺らぐ。』


玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御 #2 現代語訳と訳註
(本文) #2
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。
半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。』
我憶君到此。 不知狂與羞。
一月一見君。 三杯便回橈。
舍舟共連袂。 行上南渡橋。
興發歌綠水。 秦客為之搖。』


(下し文)
諺浪れて海客を棹い、喧呼びて陽侯に倣る。
半道にて呉姫に逢い、簾を巻きて野でて椰拾う。』
我は君を憶いて此に到る、狂と差とを知らず。
月下に一たび君に見えは、三杯にて便ちに槙を廻らさん。
舟を捨てて共に枚を連ね、行きて南渡の橋に上る。
興発こりて綠水を歌えば、秦客之が為に揺らぐ。』


(現代語訳)
たわむれて海客をのせたまま竿を持ち舟をこいだり、どなりあって、陽侯たちをたかぶらせたりしている。
船を進めていく途中にて呉の美人妓女に逢った、簾を巻きあげて顔をだして、野卑な声をかけて冷やかすのだ。』
わたしは崔君のことを憶い逢いたくてここ石頭まで来たのだ、途中でこんなに酔いつぶれてしまって、だから恥ずかしくて仕方がない。でも大目に見てこんな醜態知らないことにしくれないか。
月がこんなに美しいし、君にこうして会えた、だから、ほんの三杯でも飲んだら、舟のかいをこいで帰るよ。
舟から上がって共に袂をそろえよう、そして南渡橋を渡っていこう。
ともに、風流な興が湧いてきて昔の歌曲、『綠水』を歌うと、長安(秦)から来た崔侍御も、それにつれて調子を合わせている。


(訳注)
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。

たわむれて海客をのせたまま竿を持ち舟をこいだり、どなりあって、陽侯たちの酔った勢いををたかぶらせたりしている。
諺浪 たわむれること。○掉 ゆらせる。○海客 海上を旅行する人。諸方を流れ歩く人。○ おごりたかぶる。陽侯


半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。
船を進めていく途中にて呉の美人妓女に逢った、簾を巻きあげて顔をだして、野卑な声をかけて冷やかすのだ。』


我憶君到此。 不知狂與羞。
わたしは崔君のことを憶い逢いたくてここ石頭まで来たのだ、途中でこんなに酔いつぶれてしまって、だから恥ずかしくて仕方がない。でも大目に見てこんな醜態知らないことにしくれないか。
○王子猷のある雪のある、月明らかな夜、友人戴逵を思い出して船で剡渓までいって彼の門まで行ったが、興ざめしてじき返したという風流人。(前述)この句以降、この王子猷の風流に乗っている。


一月一見君。三杯便回橈。
月がこんなに美しいし、君にこうして会えた、だから、ほんの三杯でも飲んだら、舟のかいをこいで帰るよ。


舍舟共連袂。 行上南渡橋。
舟から上がって共に袂をそろえよう、そして南渡橋を渡っていこう。

連袂 袂を分かつの反対語。

興發歌綠水。 秦客為之搖。
ともに、風流な興が湧いてきて昔の歌曲、『綠水』を歌うと、長安(秦)から来た崔侍御も、それにつれて調子を合わせている。


「船頭をからかったり、波の神にどなりちらす。途中、遊女に会えば、簾を上げて出てひやかす」。酔客の酔態が出ている。こうした酔態を歌うことは、李白の得意とするところで、他の詩人にはあまり見られない。さて、これから崖侍御訪問ということになる。
「狂」と「羞」といっているのは、急に思いついて崖侍御の住む石頭までやって来た行動と、舟中の異常な酔態を指していっているもので、要するに「きみに会いたくなったので、やって来た。三杯も飲めば帰る」は門まで来て帰ったが、という。背後には王子猷の風流をまねしていることを意識して、王子猷とおなじように自分は君と飲めば帰るという。気心の知れている、風流を理解しあえる友人なのであろう。儒教的な考え、見方からは理解されないものかもしれない。。
「舟から上がって共に南渡橋を渡る。興が湧いて昔の歌曲、『緑水』を歌うと、長安(秦)から来た崔侍御も、それにつれて調子を合わせる」。

玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -220

漢詩李白 220 玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -220

(金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹す。日晩れて酔いに乗じて紫綺裳、烏紗巾をけ、酒客数人と、秦淮に歌し、石頭に往きて、崔四侍御を訪ぬ)



金城付近の自然を鑑賞し、好きな月を楽しみ、友人たちと酒を飲み、歌姫をひやかし、歓楽の興に浸りこんでいる李白の姿が、このころ見られる。長安追放のことなどすべて過去のものとして忘れ去ってしまったかのようである。


鉤。樓。頭。裘。/笑。猷。流。侯。揄。羞。橈。橋。搖。/招。霄。飇。謠。


玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御
『金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹しつづけた。それでも朝からさらに飲んで、日暮れになって酔いにまかせて朝廷の制服、紫綺裳、烏紗巾を着て、酒客数人と、船に乗り込み秦淮に行き着くまで舟歌の樟歌をうたった。そして石頭に着いたので、崔四侍御を訪ねたのである。』

#1
昨玩西城月。 青天垂玉鉤。
昨晩、金陵の西にある孫楚亭で月を楽しむ。大空はいっぱいに広がっていて、三日月は光り輝く鉤をを垂らしたようである。
朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
朝になると金陵の売り酒を持ってこさせた、孫楚楼に楽曲を歌い笛を吹いて楽しんだ。
忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
それから長安の朝廷で刺繍のある着飾った宮廷人をおもいだし、船に乗って石頭に往くのである。
草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。』
烏紗巾をおふざけで阿弥陀にかぶり、紫椅裳を裏返しに着てみたのだ。
兩岸拍手笑。 疑是王子猷。
両岸にいた人たちは手をたたいて笑いっている、これは風流のひとであった王子猷の再来かと驚いている。
酒客十數公。 崩騰醉中流。』

舟の中では十数人がぐでんぐでんに酔っぱらってくずれている。


 
#2
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。
半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。』
我憶君到此。 不知狂與羞。
一月一見君。 三杯便回橈。
舍舟共連袂。 行上南渡橋。
興發歌綠水。 秦客為之搖。』
#3
雞鳴復相招。 清宴逸云霄。
贈我數百字。 字字凌風飇。
系之衣裘上。 相憶每長謠。』




(金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹す。日晩れて酔いに乗じて紫綺裳、烏紗巾をけ、酒客数人と、秦淮に歌し、石頭に往きて、崔四侍御を訪ぬ)


#1
昨(きのう)西城の月を翫(たの)しむ、青天に玉の鉤を垂る。
朝に金陵の酒を清い、孫楚の楼に歌い吹く。
忽ち繍衣の人を憶い、船に乗って石頭に往く。
烏紗巾を草かに豪り、紫椅裳を倒に披る。』
両岸のもの手を拍ちて笑い、疑うらくは是れ王子献ならんかと。
酒客は十数公、崩勝れて中流に酔う。』

諺浪れて海客を綽い、喧呼びて陽侯に倣る。
半道にて呉姫に逢い、簾を巻きて野でて椰拾う。
我は君を憶いて此に到る、狂と差とを知らず。
月下に一たび君に見えは、三杯にて便ちに槙を廻らさん。
舟を捨てて共に枚を連ね、行きて南渡の橋に上る。
興発こりて漁水を歌えば、秦客之が為に揺らぐ。』
難鴨に復た相い招かれ、清宴は雲番に逸る
我に贈る数百字、字字風鵬を凌ぐ
之を衣裳の上に繋け、い憶うて毎に長謡せん』


 現代語訳と訳註
詩題
玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御

(本文) #1
昨玩西城月。 青天垂玉鉤。
朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。』
兩岸拍手笑。 疑是王子猷。
酒客十數公。 崩騰醉中流。』

(下し文)
詩題

(金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹す。日晩れて酔いに乗じて紫綺裳、烏紗巾をけ、酒客数人と、秦淮に歌し、石頭に往きて、崔四侍御を訪ぬ)

#1
昨西城の月を翫しむ、青天に玉の釣を垂る。
朝に金陵の酒を清い、孫楚の楼に歌い吹く。
忽ち繍衣の人を憶い、船に乗って石頭に往く。
烏紗巾を草(おろそ)かに裹(かぶ)り、紫椅裳を倒(うら)に披(き)る。』
両岸のもの手を拍ちて笑い、疑うらくは是れ王子献ならんかと。
酒客は十数公、崩勝(よいくず)れて中流に酔う。』


(現代語訳)
『金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹しつづけた。それでも朝からさらに飲んで、日暮れになって酔いにまかせて朝廷の制服、紫綺裳、烏紗巾を着て、酒客数人と、船に乗り込み秦淮に行き着くまで舟歌の樟歌をうたった。そして石頭に着いたので、崔四侍御を訪ねたのである。』

昨晩、金陵の西にある孫楚亭で月を楽しむ。大空はいっぱいに広がっていて、三日月は光り輝く鉤をを垂らしたようである。
朝になると金陵の売り酒を持ってこさせた、孫楚楼に楽曲を歌い笛を吹いて楽しんだ。
それから長安の朝廷で刺繍のある着飾った宮廷人をおもいだし、船に乗って石頭に往くのである。
烏紗巾をおふざけで阿弥陀にかぶり、紫椅裳を裏返しに着てみたのだ。
両岸にいた人たちは手をたたいて笑いっている、これは風流のひとであった王子猷の再来かと驚いている。
舟の中では十数人がぐでんぐでんに酔っぱらってくずれている。


(訳注)詩題
玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御
金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹しつづけた。それでも朝からさらに飲んで、日暮れになって酔いにまかせて朝廷の制服、紫綺裳、烏紗巾を着て、酒客数人と、船に乗り込み秦淮に行き着くまで舟歌の樟歌をうたった。そして石頭に着いたので、崔四侍御を訪ねたのである。
孫楚 東晋の酒を愛した詩人。彼の名に因んだ酒楼があったという。○紫綺裳、烏紗巾 ともに李白が、長安の翰林供奉時代に着ていた宮中の官吏服であろう。酔ったまぎれに、昔を思い出しつつ、かつての宮中における李白の権威を見せつける気持ちもあったのであろう。○崖四侍御 名は分からない。排行は四で、侍御史である。


#1
昨玩西城月。 青天垂玉鉤。

昨晩、金陵の西にある孫楚亭で月を楽しむ。大空はいっぱいに広がっていて、三日月は光り輝く鉤をを垂らしたようである
西城 金陵の西にある孫楚亭 ○翫 たのしむ。○玉の鉤 光るもので作った簾を巻き上げて止めるものが三日月に見えるのか、三日月を行として大空に垂しているといったのか。

朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
朝になると金陵の売り酒を持ってこさせた、孫楚楼に楽曲を歌い笛を吹いて楽しんだ。
 売っている酒。


忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
それから長安の朝廷で刺繍のある着飾った宮廷人をおもいだし、船に乗って石頭に往くのである。
繡衣人 長安の朝廷で刺繍のある着飾った宮廷人


草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。 』
烏紗巾をおふざけで阿弥陀にかぶり、紫椅裳を裏返しに着てみたのだ。
烏紗巾 黒の紗の頭巾。○紫綺裳 紫のあや絹の上着。この服は後に掲載の「金陵の江上にて、蓬池隠者に遇う」詩を見ると、隠者と飲み、「わが紫扮装を解き、且く金陵の酒に換う」といって、酒に換えてしまうのである。


兩岸拍手笑。 疑是王子猷

両岸にいた人たちは手をたたいて笑いっている、これは風流のひとであった王子猷の再来かと驚いている。
王子猷 王子猷 王徽之[おうきし](?~388年)王徽之は書聖晋の王羲之の第五番目の子供で、彼もまた行・草書を善くしました。『世説新語』「任誕」に
「王子猷嘗暫寄人空宅住、便令種竹。或問、暫住何煩爾。
王嘯詠良久、直指竹曰、何可一日無此君」
(王子猷はかつて他人の空家にしばらく仮住まいをしていたが、すぐに竹を植えさせた。ある人が尋ねた。「少しの間しか住まないのに、どうしてわざわざそんなことをするのですか。」王はやや久しく嘯詠[うそぶ]いてから、竹をまっすぐ指して言った。「どうして一日でも此の君が無くてよかろうか」と。)  たとえ仮住まいであっても、風流な生活を忘れない王徽之は文人の典型と言うべきひとであった。 王徽之にはまた、「人琴倶亡(人と琴ともにほろぶ)」という言葉を残している。これは琴の名手であった弟の王献之(344~386年、字は子敬)の死に際して発した言葉で、『世説新語』(「傷逝篇第十七」)。にみえる。


酒客十數公。 崩騰醉中流。』
舟の中では十数人がぐでんぐでんに酔っぱらってくずれている。
○崩騰 ぐでんぐでんに酔っぱらっているさま

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經亂離後天恩流夜郎 、憶舊游書懷贈江夏韋太守良宰 安史の乱と李白(5) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 219

漢詩李白 219 經亂離後天恩流夜郎 、憶舊游書懷贈江夏韋太守良宰 安史の乱と李白(5) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 219

(乱を経て離れて後、天恩により夜郎に流さる、旧游を憶い懐を書す、江夏の韋太守良宰に贈る)


安禄山によって長安が陥れられた悲惨な情況は、洛陽の陥落よりさらに悲惨で、李白の胸をえぐるものがある。
のちに李白が、永王璘に荷担した罪に問われ、夜郎に流されたとき、十年くらい前、その当時を思い出して作った大長篇の詩があるが、李白詩中最長篇で、五言、百六十六句から成る超大作で、李白の経歴を述べた自叙伝的詩でもある。

「經亂離後天恩流夜郎 、憶舊游書懷贈江夏韋太守良宰」(乱離を経て後、天恩ありて夜郎に流さる。旧遊を憶いて懐いを害し、江夏の葦太守良宰に贈る)である。その中に、長安の陥落を歌っている。(この詩をもってブログ李白詩350の最終回にする予定なのだが、ここでは詩のちょうど中ごろ、安禄山の部分だけをここで取り上げる)


經亂離後天恩流夜郎 、憶舊游書懷贈江夏韋太守良宰
(安禄山の乱関係個所)

漢甲連胡兵、沙塵暗云海。
王朝軍の甲冑をつけた兵士は叛乱軍と入交り、連らなったのだ、そのため、国中が沙塵のため暗くなるほどであった
草木搖殺氣、星辰無光彩。
草木だが、これは普通に人まで内通や、裏切りにより殺し合いが起こる雰囲気がただよい、揺れているのだ、星は砂塵で見えなくなり光彩を放っておらず、生きる希望までなくなってしまうのだ。
白骨成丘山、蒼生竟何罪。
大殺戮がなされたのでおびただしい白骨は丘山ほどの高さになった、青々とした草原であり人民に何の罪かあるというのか。
函關壯帝居、國命懸哥舒。
函谷関、潼関は長安、王朝を守る生命線であるため勇壮に戦ってほしい、天下国家の命運は哥舒翰総司令官に懸かっているのだ。
長戟三十萬、開門納凶渠。
長戟(ちょうげき)の三十万、門を開いて凶暴、虐殺、殺戮、略奪の限りを尽くした兇渠(かしら)を長安にまで入場させてしまった。
公卿如犬羊、忠讜醢輿菹。
役に立たない公卿は犬羊のように追い詰められ、為すところがない。召使のようにされている。忠義のもの、朝臣だったものはことごとく塩辛、塩漬物にされてしまったのである。


(乱を経て離れて後、天恩により夜郎に流さる、旧游を憶い懐を書す、江夏の韋太守良宰に贈る)

漢の甲は胡兵に連なり、沙塵のため雲海は暗し。
草木には殺気揺らぎ、星辰には光彩無し。
白骨は丘山と成る、蒼生は竟に何の罪かあらん。
函関は帝居を壮んならしめ、国命は哥舒(かじょ)に懸かる。
長戟(ちょうげき)の三十万、門を開いて兇渠(かしら)を納(い)る
公卿は犬羊を奴(つかう)うがごとくされ、忠讜(ただ)しきものは醢(かい)と菹(しょ)にせらる。


經亂離後天恩流夜郎 、憶舊游書懷贈江夏韋太守良宰
(安禄山の謀叛)  現代語訳と訳註 解説
(本文)
漢甲連胡兵、沙塵暗云海。
草木搖殺氣、星辰無光彩。
白骨成丘山、蒼生竟何罪。
函關壯帝居、國命懸哥舒。
長戟三十萬、開門納凶渠。
公卿如犬羊、忠讜醢輿菹。

(下し文)
漢の甲は胡兵に連なり、沙塵のため雲海は暗し。
草木には殺気揺らぎ、星辰には光彩無し。
白骨は丘山と成る、蒼生は竟に何の罪かあらん。
函関は帝居を壮んならしめ、国命は哥舒(かじょ)に懸かる。
長戟(ちょうげき)の三十万、門を開いて兇渠(かしら)を納(い)る
公卿は犬羊を奴(つかう)うがごとくされ、忠讜(ただ)しきものは醢(かい)と菹(しょ)にせらる。

(現代語訳)
王朝軍の甲冑をつけた兵士は叛乱軍と入交り、連らなったのだ、そのため、国中が沙塵のため暗くなるほどであった
草木だが、これは普通に人まで内通や、裏切りにより殺し合いが起こる雰囲気がただよい、揺れているのだ、星は砂塵で見えなくなり光彩を放っておらず、生きる希望までなくなってしまうのだ。
大殺戮がなされたのでおびただしい白骨は丘山ほどの高さになった、青々とした草原であり人民に何の罪かあるというのか。
函谷関、潼関は長安、王朝を守る生命線であるため勇壮に戦ってほしい、天下国家の命運は哥舒翰総司令官に懸かっているのだ。
長戟(ちょうげき)の三十万、門を開いて凶暴、虐殺、殺戮、略奪の限りを尽くした兇渠(かしら)を長安にまで入場させてしまった。
役に立たない公卿は犬羊のように追い詰められ、為すところがない。召使のようにされている。忠義のもの、朝臣だったものはことごとく塩辛、塩漬物にされてしまったのである。


(訳註)
漢甲連胡兵、沙塵暗云海。

王朝軍の甲冑をつけた兵士は叛乱軍と入交り、連らなったのだ、そのため、国中が沙塵のため暗くなるほどであった。
漢甲 王朝軍の甲冑をつけた兵士。○胡兵 安禄山はトルコ人との混血5か国語を話した。その兵士の中には、税逃れや、異国、異民族の兵士がたくさんいたので、胡といったもの。○沙塵 戦いの際の巻き起こる砂塵。両軍合わせると40万を超え、人馬でいえば100万位かもしれない○暗云海 ここでの雲海は、世の中、国中という意味。

草木搖殺氣、星辰無光彩。
草木だが、これは普通に人まで内通や、裏切りにより殺し合いが起こる雰囲気がただよい、揺れているのだ、星は砂塵で見えなくなり光彩を放っておらず、生きる希望までなくなってしまうのだ。
草木 草木だが、これは普通に人のことも意味する。○搖殺氣 内通や、裏切りにより殺し合いが起こる雰囲気を言う。○星辰 大空の星。○無光彩 実際に砂塵により見えなくなったのであろうが、ここには希望の星まで見合なくなったという意味が込められている。


白骨成丘山、蒼生竟何罪。
大殺戮がなされたのでおびただしい白骨は丘山ほどの高さになった、青々とした草原であり人民に何の罪かあるというのか。
白骨 この反乱によって殺された人のこと。○成丘山 世界史上最高の最大の大殺戮がなされたのでおびただしい数であった。○蒼生 青々とした草原であり人民という意味。


函關壯帝居、國命懸哥舒。
函谷関、潼関は長安、王朝を守る生命線であるため勇壮に戦ってほしい、天下国家の命運は哥舒翰総司令官に懸かっているのだ。
函關 函谷関、潼関。○壯帝居、長安、王朝を守る生命線であるということ。○國命 天下国家の命運。○懸哥舒 総司令官の哥舒翰。この前に洛陽を守りきらなかった高之仙を処刑している。高仙之は743年タラスの戦いでは成果を上げている。


長戟三十萬、開門納凶渠。
長戟(ちょうげき)の三十万、門を開いて凶暴、虐殺、殺戮、略奪の限りを尽くした兇渠(かしら)を長安にまで入場させてしまった。
○長戟 長い戟を持った兵士。○三十萬 唐の国軍、三十萬。○開門 国の命運をかけた函谷関、潼関より入れてしまった。○納凶渠 反乱軍のかしらというだけでなく、凶暴、虐殺、殺戮、略奪の限りを尽くしたかしらということ。


公卿如犬羊、忠讜醢輿菹
役に立たない公卿は犬羊のように追い詰められ、為すところがない。召使のようにされている。忠義のもの、朝臣だったものはことごとく塩辛、塩漬物にされてしまったのである。
公卿 貴族官僚諸侯。○忠讜 忠義のもの、朝臣。○醢輿菹 塩辛、塩漬物。



唐と安禄山の軍隊と入りまじった戦いのため、兵馬の挙げる砂塵は天をも暗くし、草木には殺気がただよい、空の星も輝きが薄れる、戦死者の白骨は山と積まれる悲惨な状態である。戦乱のために苦しむのは民草である。いったい人民に何の罪があるというのか。
李白はおそらく為政者の楊国忠・高力士たちを思い浮かべて歌っているのであろう。政治がよくなければ迷惑するのは民草、人民である。                
「函谷関が堅固であることが天子のいる長安を支えることになるし、天下の運命はひとみかん潼関を守る総司令官の哥舒翰にかかっている。長き戟を持った唐の軍隊三十万もおりながら、戦い敗れて、関門を開いて叛乱軍安禄山を潼関より入れてしまった。情けないことだ。一挙に長安は占領され、役にたたぬ公卿たちは犬羊のごとく追いまわされ、なすところを知らず。忠義の者は塩辛や塩漬けにされてしまった。叛乱軍の横暴略奪は悲惨を極めた」と、当時の乱離の様を追憶している。杜甫もしきりに安禄山の乱を歌い、その悲惨さを多く歌っているが、詩人ならずとも、当時の人々に特技た衝撃は大きかった。この時、玄宗の周りには、楊貴妃一族、奸臣、高力士などの宦官勢力だけであった。



經亂離後天恩流夜郎 、憶舊游書懷贈江夏韋太守良宰

天上白玉京。 十二樓五城。 仙人撫我頂。 結發受長生。
誤逐世間樂。 頗窮理亂情。 九十六聖君。 浮云挂空名。
天地睹一擲。 未能忘戰爭。 試涉霸王略。 將期軒冕榮。
時命乃大謬。 棄之海上行。 學劍翻自哂。 為文竟何成。
劍非萬人敵。 文竊四海聲。 兒戲不足道。 五噫出西京。
臨當欲去時。 慷慨淚沾纓。 嘆君倜儻才。 標舉冠群英。
開筵引祖帳。 慰此遠徂征。 鞍馬若浮云。 送余驃騎亭。
歌鐘不盡意。 白日落昆明。 十月到幽州。 戈(鋋)若羅星。
君王棄北海。 掃地借長鯨。 呼吸走百川。 燕然可摧傾。
心知不得語。 卻欲棲蓬瀛。 彎弧懼天狼。 挾矢不敢張。
攬涕黃金台。 呼天哭昭王。 無人貴駿骨。 (騄)耳空騰驤。
樂毅儻再生。 于今亦奔亡。 蹉跎不得意。 驅馬還貴鄉。
逢君聽弦歌。 肅穆坐華堂。 百里獨太古。 陶然臥羲皇。
徵樂昌樂館。 開筵列壺觴。 賢豪問青娥。 對燭儼成行。
醉舞紛綺席。 清歌繞飛梁。 歡娛未終朝。 秩滿歸咸陽。
祖道擁萬人。 供帳遙相望。 一別隔千里。 榮枯異炎涼。
炎涼几度改。 九土中橫潰。

漢甲連胡兵。 沙塵暗云海。 草木搖殺氣。 星辰無光彩。
白骨成丘山。 蒼生竟何罪。 函關壯帝居。 國命懸哥舒。
長戟三十萬。 開門納凶渠。 公卿如犬羊。 忠讜醢輿菹。

 二聖出游豫。 兩京遂丘墟。 帝子許專征。 秉旄控強楚。
節制非桓文。 軍師擁熊虎。 人心失去就。 賊勢騰風雨。
惟君固房陵。 誠節冠終古。 仆臥香爐頂。 餐霞漱瑤泉。
門開九江轉。 枕下五湖連。 半夜水軍來。 潯陽滿旌旃。
空名適自誤。 迫脅上樓船。 徒賜五百金。 棄之若浮煙。
辭官不受賞。 翻謫夜郎天。 夜郎萬里道。 西上令人老。
掃蕩六合清。 仍為負霜草。 日月無偏照。 何由訴蒼昊。
良牧稱神明。 深仁恤交道。 一忝青云客。 三登黃鶴樓。
顧慚檷處士。 虛對鸚鵡洲。 樊山霸氣盡。 寥落天地秋。
江帶峨嵋雪。 川橫三峽流。 萬舸此中來。 連帆過揚州。
送此萬里目。 曠然散我愁。 紗窗倚天開。 水樹綠如發。
窺日畏銜山。 促酒喜得月。 吳娃與越艷。 窈窕夸鉛紅。
呼來上云梯。 合笑出帘櫳。 對客小垂手。 羅衣舞春風。
賓跪請休息。 主人情未極。 覽君荊山作。 江鮑堪動色。
清水出芙蓉。 天然去雕飾。 逸興橫素襟。 無時不招尋。
朱門擁虎士。 列戟何森森。 剪鑿竹石開。 縈流漲清深。
登台坐水閣。 吐論多英音。 片辭貴白璧。 一諾輕黃金。
謂我不愧君。 青鳥明丹心。 五色云間鵲。 飛鳴天上來。
傳聞赦書至。 卻放夜郎回。 暖氣變寒谷。 炎煙生死灰。
君登鳳池去。 忽棄賈生才。 桀犬尚吠堯。 匈奴笑千秋。
中夜四五嘆。 常為大國憂。 旌旆夾兩山。 黃河當中流。
連雞不得進。 飲馬空夷猶。 安得羿善射。 一箭落旌頭。

經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350-218 -#3

漢詩李白 218 經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350-218 -#3



#1
雙鵝飛洛陽。五馬渡江徼。
何意上東門。胡雛更長嘯。
中原走豺虎。烈火焚宗廟。
太白晝經天。頹陽掩余照。
王城皆蕩覆。世路成奔峭。
四海望長安。顰眉寡西笑。
蒼生疑落葉。白骨空相吊。
連兵似雪山。破敵誰能料。
我垂北溟翼。且學南山豹。』
#2
崔子賢主人。歡娛每相召。
胡牀紫玉笛。卻坐青云叫。
楊花滿州城。置酒同臨眺。
忽思剡溪去。水石遠清妙。
雪盡天地明。風開湖山貌。
悶為洛生詠。醉發吳越調。』

 
-#3
經亂後將避地剡中留贈崔宣城
赤霞動金光。日足森海嶠。
北の方から起した赤い霞に覆われて天子の御威光まですみにおいやった、日一日と海と山を森のように蹂躙している。
獨散萬古意。閑垂一溪釣。
わたしはひとりさまざまにある思いを振り捨てて、閑(しづか)にここ剡渓において釣糸を垂れるのである。
猿近天上啼。人移月邊棹。
猿が近くまできて大空まで響きわたるような声で啼いている、人は月が川面に映る当たりで棹(さをさ)している。
無以墨綬苦。來求丹砂要。
君のように県令のしるし墨綬(ボクジュ)においての苦労するだけだ、官を辞してここに来て隠遁して丹砂の要である「道」を探求しようではないか。
華發長折腰。將貽陶公誚。』
 
白髪の頭をして、最敬礼をして長く腰を折るようなことを続けていると、まさに陶淵明からの批判を残すことをしているだけではないか。


乱を経たるの後将に地を剡中に避けんとし留めて崔宣城に贈る
双鵝 洛陽に飛び、五馬 江徼(コウキョウ)を渡る
なんぞ意(おも)はん上東門、胡雛(コスウ)さらに長嘯せんとは。
中原 豺虎を走らせ、烈火 宗廟を焚く。
太白 昼 天を経(わた)り、頽陽 余照を掩(おほ)ふ。 
王城みな蕩覆し、世路 奔峭となる。
四海 長安を望み、眉を嚬(ひそ)めて西笑寡(すくな)し。
蒼生 落葉と疑ひ、白骨むなしくあひ弔ふ。
兵を連ねて雪山に似たり、敵を破ることたれかよく料(はか)らん。
われ北溟の翼を垂れ、しばらく南山の豹を学ぶ。』
崔子は賢主人、歓媒つねにあひ召す。
胡牀 紫玉の笛、かへって青雲に坐して叫ぶ。
楊花 州城に満ち、酒を置いてともに臨眺す。
ただちまち剡溪に去るを思ふ、水石 遠く清妙なり。
雪 天地明らかに盡す、風は湖山の貌を開く。
悶えて洛生の詠をなし、酔うて呉越の調を発す。』

赤霞 金光を動かし、日足 海に森たり。

ひとり万古の意を散じ、閑(しづか)に一渓の釣を垂る。

猿近天上啼 猿は天上に近づいて啼き、人は月辺に移って棹(さをさ)す。

墨綬(ボクジュ)の苦をもって、来りて丹砂の要を求むるなかれ。

華髪 長く腰を折らば、まさに陶公の誚(そしり)を貽(のこ)さんとす。』



經亂後將避地剡中留贈崔宣城 -#3 現代語訳と訳註
(本文)

經亂後將避地剡中留贈崔宣城
赤霞動金光。日足森海嶠。
獨散萬古意。閑垂一溪釣。
猿近天上啼。人移月邊棹。
無以墨綬苦。來求丹砂要。
華發長折腰。將貽陶公誚。』 

(下し文)
赤霞 金光を動かし、日足 海嶠に森たり。
ひとり万古の意を散じ、閑(しづか)に一渓の釣を垂る。
猿近天上啼 猿は天上に近づいて啼き、人は月辺に移って棹(さをさ)す。
墨綬(ボクジュ)の苦をもって、来りて丹砂の要を求むるなかれ。
華髪 長く腰を折らば、まさに陶公の誚(そしり)を貽(のこ)さんとす。

(現代語訳)
北の方から起した赤い霞に覆われて天子の御威光まですみにおいやった、日一日と海と山を森のように蹂躙している。
わたしはひとりさまざまにある思いを振り捨てて、閑(しづか)にここ剡渓において釣糸を垂れるのである。
猿が近くまできて大空まで響きわたるような声で啼いている、人は月が川面に映る当たりで棹(さをさ)している。
君のように県令のしるし墨綬(ボクジュ)においての苦労するだけだ、官を辞してここに来て隠遁して丹砂の要である「道」を探求しようではないか。
白髪の頭をして、最敬礼をして長く腰を折るようなことを続けていると、まさに陶淵明からの批判を残すことをしているだけではないか。


(訳註)
赤霞動金光。日足森海嶠。

北の方から起した赤い霞に覆われて天子の御威光まですみにおいやった、日一日と海と山を森のように蹂躙している。
海嶠。海と山。


獨散萬古意。閑垂一溪釣。
わたしはひとりさまざまにある思いを振り捨てて、閑(しづか)にここ剡渓において釣糸を垂れるのである。


猿近天上啼。人移月邊棹。
猿が近くまできて大空まで響きわたるような声で啼いている、人は月が川面に映る当たりで棹(さをさ)している。

無以墨綬苦。來求丹砂要。
君のように県令のしるし墨綬(ボクジュ)においての苦労するだけだ、官を辞してここに来て隠遁して丹砂の要である「道」を探求しようではないか。
墨綬 県令のしるし。○丹砂要。丹砂から不老長生の薬を作る要訣。


華發長折腰。將貽陶公誚。』 
白髪の頭をして、最敬礼をして長く腰を折るようなことを続けていると、まさに陶淵明からの批判を残すことをしているだけではないか。
華發 白髪頭○長折腰 役人の深いお辞儀。最敬礼。○ 残す。 ○陶公誚 陶淵明からの批判。


(解説)

 この詩は「王城皆蕩覆」といっているから、長安陥落後のものと思われる。叛乱軍の猖獗は江南をも恐怖に陥れた。
この詩の前半は叛乱軍に陥った人民の苦痛を述べ、王朝軍がすべきことをしていない、作戦、統率がとれいいないことを、後半では剡溪の静かで、隠遁するにはもってこいの様子をあらわしていてして、太公望のように釣り糸を垂らすべき時期とし、陶淵明のようにさっさと辞職せよといって崔太守をもここへ誘うのである。


本文

#1
雙鵝飛洛陽。五馬渡江徼。
何意上東門。胡雛更長嘯。
中原走豺虎。烈火焚宗廟。
太白晝經天。頹陽掩余照。
王城皆蕩覆。世路成奔峭。
四海望長安。顰眉寡西笑。
蒼生疑落葉。白骨空相吊。
連兵似雪山。破敵誰能料。
我垂北溟翼。且學南山豹。』
#2
崔子賢主人。歡娛每相召。
胡牀紫玉笛。卻坐青云叫。
楊花滿州城。置酒同臨眺。
忽思剡溪去。水石遠清妙。
雪盡天地明。風開湖山貌。
悶為洛生詠。醉發吳越調。』
 
-#3
經亂後將避地剡中留贈崔宣城
赤霞動金光。日足森海嶠。
獨散萬古意。閑垂一溪釣。
猿近天上啼。人移月邊棹。
無以墨綬苦。來求丹砂要。
華發長折腰。將貽陶公誚。』 

現代語訳
#1
晋の孝懐帝の時、二羽の鵝があらわれ国が乱れる前兆となった。その鵝が洛陽に飛びに飛んできた、それぞれ難を逃れたが、そのご五王は江南にのがれた故事があるように長江を渡りの国境の帆に逃げるのだ。
どんな思いがあって洛陽城の門を破り陥落させたのか、そして皇帝罠乗るとはなんにもわからない胡の子供の様なものではないか、ああ、本当に情けない。
王朝の主たる地域の平原を豺虎のように暴行略奪の限りを尽くしている 街の至る所に火をかけ、尊い宗廟までを焚くことをしている。
革命の兆、金星が真昼でも天空を渡っていくのが見えたという、夕日のような明かりが点を焦がし、いつまでも夜空を赤く染めているのである。
歴代の王朝の都であったところの城郭みな破壊され、ひっくり返えされている、天下の道はどこにおいてもあわただしく、騒がしさが厳しい状況なのだ。
四方の果てまでこんな有様で、長安の様子をを望み見てみる、誰もが眉をひそめている、かっては世界の中心国際都市手反映し、「西笑」といって一番楽しい所としていたのにその場所もなくなっているという。
青々と生い茂って生えている樹木さえ、落葉したのかと間違えてしまう、屍は白骨となり、誰も弔うものがいなくてむなしく白骨同士で弔いをしているのだ。
攻め入った兵は連ん綿と続いて入場し、まるで雪山になったかのようである。こうした叛乱軍を打ち破ることができる能力を持ったもの誰かいないのか。
わたしとしては少しの間、図南の鵬翼を休めることにする、そうして、しばらく南山の豹のこじをを学び、まず叛乱軍に見つからず、情勢分析を行うことから始めよう。』
#2
崔殿は世の中のことよくわかる賢人である宴主なのだ、よろこびたのしむことをするのにいつも気の合う人を招待している。
腰掛けがある、紫のかがやいている笛がある、そうして希望に燃えて青雲の志を胸に坐って思いのたけを叫ぶのである。
柳が芽を吹き柳絮が飛ぶ花さき乱れる剡中の城である。盛大に酒宴を催すことでここに集まり花を眺め、青雲の志に挑むのである。
そんなに時がたたないうちに官を辞して剡溪に来ることを考えたらどうか、ここ剡溪は水の流れ、石渓、はるか先まで清々しいものであるのだ。
雪という世の筋道は天地の暗いところまで明らかにしている、風という世論の力は湖山の貌というべき悪奴らをやっつけたい。
洛陽の書生の詩歌を詠音するにもなやみもだえている、呉や越の国の音調を発して酔うのである。
#3
北の方から起した赤い霞に覆われて天子の御威光まですみにおいやった、日一日と海と山を森のように蹂躙している。
わたしはひとりさまざまにある思いを振り捨てて、閑(しづか)にここ剡渓において釣糸を垂れるのである。
猿が近くまできて大空まで響きわたるような声で啼いている、人は月が川面に映る当たりで棹(さをさ)している。
君のように県令のしるし墨綬(ボクジュ)においての苦労するだけだ、官を辞してここに来て隠遁して丹砂の要である「道」を探求しようではないか。
白髪の頭をして、最敬礼をして長く腰を折るようなことを続けていると、まさに陶淵明からの批判を残すことをしているだけではないか。


下し文
乱を経たるの後将に地を剡中に避けんとし留めて崔宣城に贈る
双鵝 洛陽に飛び、五馬 江徼(コウキョウ)を渡る
なんぞ意(おも)はん上東門、胡雛(コスウ)さらに長嘯せんとは。
中原 豺虎を走らせ、烈火 宗廟を焚く。
太白 昼 天を経(わた)り、頽陽 余照を掩(おほ)ふ。 
王城みな蕩覆し、世路 奔峭となる。
四海 長安を望み、眉を嚬(ひそ)めて西笑寡(すくな)し。
蒼生 落葉と疑ひ、白骨むなしくあひ弔ふ。
兵を連ねて雪山に似たり、敵を破ることたれかよく料(はか)らん。
われ北溟の翼を垂れ、しばらく南山の豹を学ぶ。』
#2
崔子は賢主人、歓媒つねにあひ召す。
胡牀 紫玉の笛、かへって青雲に坐して叫ぶ。
楊花 州城に満ち、酒を置いてともに臨眺す。
ただちまち剡溪に去るを思ふ、水石 遠く清妙なり。
雪 天地明らかに盡す、風は湖山の貌を開く。
悶えて洛生の詠をなし、酔うて呉越の調を発す。
#3
赤霞 金光を動かし、日足 海嶠に森たり。
ひとり万古の意を散じ、閑(しづか)に一渓の釣を垂る。
猿近天上啼 猿は天上に近づいて啼き、人は月辺に移って棹(さをさ)す。
墨綬(ボクジュ)の苦をもって、来りて丹砂の要を求むるなかれ。
華髪 長く腰を折らば、まさに陶公の誚(そしり)を貽(のこ)さんとす。

經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 217-#2

漢詩李白 217 經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 217-#2


經亂後將避地剡中留贈崔宣城
#1
雙鵝飛洛陽。五馬渡江徼。
何意上東門。胡雛更長嘯。
中原走豺虎。烈火焚宗廟。
太白晝經天。頹陽掩余照。
王城皆蕩覆。世路成奔峭。
四海望長安。顰眉寡西笑。
蒼生疑落葉。白骨空相吊。
連兵似雪山。破敵誰能料。
我垂北溟翼。且學南山豹。』

#2
崔子賢主人。歡娛每相召。
崔殿は世の中のことよくわかる賢人である宴主なのだ、よろこびたのしむことをするのにいつも気の合う人を招待している。
胡牀紫玉笛。卻坐青云叫。
腰掛けがある、紫のかがやいている笛がある、そうして希望に燃えて青雲の志を胸に坐って思いのたけを叫ぶのである。
楊花滿州城。置酒同臨眺。
柳が芽を吹き柳絮が飛ぶ花さき乱れる剡中の城である。盛大に酒宴を催すことでここに集まり花を眺め、青雲の志に挑むのである。
忽思剡溪去。水石遠清妙。
そんなに時がたたないうちに官を辞して剡溪に来ることを考えたらどうか、ここ剡溪は水の流れ、石渓、はるか先まで清々しいものであるのだ。
雪盡天地明。風開湖山貌。
雪という世の筋道は天地の暗いところまで明らかにしている、風という世論の力は湖山の貌というべき悪奴らをやっつけたい。
悶為洛生詠。醉發吳越調。』

洛陽の書生の詩歌を詠音するにもなやみもだえている、呉や越の国の音調を発して酔うのである

#3
赤霞動金光。日足森海嶠。
獨散萬古意。閑垂一溪釣。
猿近天上啼。人移月邊棹。
無以墨綬苦。來求丹砂要。
華發長折腰。將貽陶公誚。』

 

乱を経たるの後将に地を剡中に避けんとし留めて崔宣城に贈る
双鵝 洛陽に飛び、五馬 江徼(コウキョウ)を渡る
なんぞ意(おも)はん上東門、胡雛(コスウ)さらに長嘯せんとは。
中原 豺虎を走らせ、烈火 宗廟を焚く。
太白 昼 天を経(わた)り、頽陽 余照を掩(おほ)ふ。 
王城みな蕩覆し、世路 奔峭となる。
四海 長安を望み、眉を嚬(ひそ)めて西笑寡(すくな)し。
蒼生 落葉と疑ひ、白骨むなしくあひ弔ふ。
兵を連ねて雪山に似たり、敵を破ることたれかよく料(はか)らん。
われ北溟の翼を垂れ、しばらく南山の豹を学ぶ。』


崔子は賢主人、歓媒つねにあひ召す。
胡牀 紫玉の笛、かへって青雲に坐して叫ぶ。
楊花 州城に満ち、酒を置いてともに臨眺す。
ただちまち剡溪に去るを思ふ、水石 遠く清妙なり。
雪 天地明らかに盡す、風は湖山の貌を開く。
悶えて洛生の詠をなし、酔うて呉越の調を発す。』

赤霞 金光を動かし、日足 海嶠に森たり。
ひとり万古の意を散じ、閑(しづか)に一渓の釣を垂る。
猿近天上啼 猿は天上に近づいて啼き、人は月辺に移って棹(さをさ)す。
墨綬(ボクジュ)の苦をもって、来りて丹砂の要を求むるなかれ。
華髪 長く腰を折らば、まさに陶公の誚(そしり)を貽(のこ)さんとす。


經亂後將避地剡中留贈崔宣城 現代語訳と訳註 #2
(本文)#2

崔子賢主人。歡娛每相召。
胡牀紫玉笛。卻坐青云叫。
楊花滿州城。置酒同臨眺。
忽思剡溪去。水石遠清妙。
雪盡天地明。風開湖山貌。
悶為洛生詠。醉發吳越調。』
 
 (下し文)
崔子は賢主人、歓娛つねにあひ召す。
胡牀 紫玉の笛、かへって青雲に坐して叫ぶ。
楊花 州城に満ち、酒を置いてともに臨眺す。
ただちまち剡溪に去るを思ふ、水石 遠く清妙なり。
雪 天地明らかに盡す、風は湖山の貌を開く。
悶えて洛生の詠をなし、酔うて呉越の調を発す。
 
(現代語訳)
崔殿は世の中のことよくわかる賢人である宴主なのだ、よろこびたのしむことをするのにいつも気の合う人を招待している。
腰掛けがある、紫のかがやいている笛がある、そうして希望に燃えて青雲の志を胸に坐って思いのたけを叫ぶのである。
柳が芽を吹き柳絮が飛ぶ花さき乱れる剡中の城である。盛大に酒宴を催すことでここに集まり花を眺め、青雲の志に挑むのである。
そんなに時がたたないうちに官を辞して剡溪に来ることを考えたらどうか、ここ剡溪は水の流れ、石渓、はるか先まで清々しいものであるのだ。
雪という世の筋道は天地の暗いところまで明らかにしている、風という世論の力は湖山の貌というべき悪奴らをやっつけたい。
洛陽の書生の詩歌を詠音するにもなやみもだえている、呉や越の国の音調を発して酔うのである。


(訳註)

崔子賢主人。歡娛每相召。』
崔殿は世の中のことよくわかる賢人である宴主なのだ、よろこびたのしむことをするのにいつも気の合う人を招待している。
歡娛 よろこびたのしむこと。


胡牀紫玉笛。卻坐青云叫。
腰掛けがある、紫のかがやいている笛がある、そうして希望に燃えて青雲の志を胸に坐って思いのたけを叫ぶのである。
胡牀 中国北方の胡国から伝えられたという、一人用の腰掛け。戸外の行事の席や休息のために用いた。 
 
楊花滿州城。置酒同臨眺。
柳が芽を吹き柳絮が飛ぶ花さき乱れる剡中の城である。盛大に酒宴を催すことでここに集まり花を眺め、青雲の志に挑むのである。
楊花 しだれ柳、○置 盛大に酒宴を催すこと。また、酒宴のこと。・「置酒」は酒宴を開くこと。「高会」は盛大な宴会のこと。 臨眺 見晴らし。ながめ。「眺望・遠眺・臨眺」 [解字] 形声。「目」+音符「兆」(=左右に分ける)。視線を左右に走らせて遠くを見る意。ここでは前の聯の「坐青云叫」をうけているので、安禄山の叛乱に対してどう考えどうするのか話し合おうといことになる。ここで、置酒、賢人、青云、臨眺という語が関連している。


忽思剡溪去。水石遠清妙。
そんなに時がたたないうちに官を辞して剡溪に来ることを考えたらどうか、ここ剡溪は水の流れ、石渓、はるか先まで清々しいものであるのだ。

雪盡天地明。風開湖山貌。
雪という世の筋道は天地の暗いところまで明らかにしている、風という世論の力は湖山の貌というべき悪奴らをやっつけたい。


悶為洛生詠。醉發吳越調。
洛陽の書生の詩歌を詠音するにもなやみもだえている、呉や越の国の音調を発して酔うのである。
洛生詠 洛陽の書生の詠音重濁。○吳越調 呉や越の国の音調。

召。叫。眺。妙。貌。調。


經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 216

漢詩李白 216 經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 216

李白は安禄山と仲がいいわけなく、むしろ楊貴妃に排除されていたので、叛乱軍も李白に対していい感情はない。暫く安徽省、浙江省、金陵、宣城、剡中、そして江西省廬山と逃避している。この詩は廬山に行く前の作品で756年の前半であろう。

經亂後將避地剡中留贈崔宣城
#1
雙鵝飛洛陽。五馬渡江徼。
晋の孝懐帝の時、二羽の鵝があらわれ国が乱れる前兆となった。その鵝が洛陽に飛びに飛んできた、それぞれ難を逃れたが、そのご五王は江南にのがれた故事があるように長江を渡りの国境の帆に逃げるのだ。
何意上東門。胡雛更長嘯。
どんな思いがあって洛陽城の門を破り陥落させたのか、そして皇帝罠乗るとはなんにもわからない胡の子供の様なものではないか、ああ、本当に情けない。
中原走豺虎。烈火焚宗廟。
王朝の主たる地域の平原を豺虎のように暴行略奪の限りを尽くしている 街の至る所に火をかけ、尊い宗廟までを焚くことをしている。
太白晝經天。頹陽掩余照。
革命の兆、金星が真昼でも天空を渡っていくのが見えたという、夕日のような明かりが点を焦がし、いつまでも夜空を赤く染めているのである。
王城皆蕩覆。世路成奔峭。
歴代の王朝の都であったところの城郭みな破壊され、ひっくり返えされている、天下の道はどこにおいてもあわただしく、騒がしさが厳しい状況なのだ。
四海望長安。顰眉寡西笑。
四方の果てまでこんな有様で、長安の様子をを望み見てみる、誰もが眉をひそめている、かっては世界の中心国際都市手反映し、「西笑」といって一番楽しい所としていたのにその場所もなくなっているという。
蒼生疑落葉。白骨空相吊。
青々と生い茂って生えている樹木さえ、落葉したのかと間違えてしまう、屍は白骨となり、誰も弔うものがいなくてむなしく白骨同士で弔いをしているのだ。
連兵似雪山。破敵誰能料。
攻め入った兵は連ん綿と続いて入場し、まるで雪山になったかのようである。こうした叛乱軍を打ち破ることができる能力を持ったもの誰かいないのか。
我垂北溟翼。且學南山豹。』
わたしとしては少しの間、図南の鵬翼を休めることにする、そうして、しばらく南山の豹のこじをを学び、まず叛乱軍に見つからず、情勢分析を行うことから始めよう。』


#2
崔子賢主人。歡娛每相召。
胡牀紫玉笛。卻坐青云叫。
楊花滿州城。置酒同臨眺。
忽思剡溪去。水石遠清妙。
雪盡天地明。風開湖山貌。
悶為洛生詠。醉發吳越調。
赤霞動金光。日足森海嶠。
獨散萬古意。閑垂一溪釣。
猿近天上啼。人移月邊棹。
無以墨綬苦。來求丹砂要。
華發長折腰。將貽陶公誚。』 


乱を経たるの後将に地をに避けんとし留めて崔宣城に贈る

双鵝 洛陽に飛び、五馬 江徼(コウキョウ)を渡る

なんぞ意(おも)はん上東門、胡雛(コスウ)さらに長嘯せんとは。

中原 豺虎を走らせ、烈火 宗廟を焚く。

太白 昼 天を経(わた)り、頽陽 余照を掩(おほ)ふ。 

王城みな蕩覆し、世路 奔峭となる。

四海 長安を望み、眉を(ひそ)めて西笑寡(すくな)し。

蒼生 落葉と疑ひ、白骨むなしくあひ弔ふ。

兵を連ねて雪山に似たり、敵を破ることたれかよく料(はか)らん。

われ北溟の翼を垂れ、しばらく南山の豹を学ぶ。』
 
崔子は賢主人、歓媒つねにあひ召す。
胡牀 紫玉の笛、かへって青雲に坐して叫ぶ。
楊花 州城に満ち、酒を置いてともに臨眺す。
ただちまち剡溪に去るを思ふ、水石 遠く清妙なり。
雪 天地明らかに盡す、風は湖山の貌を開く。
悶えて洛生の詠をなし、酔うて呉越の調を発す。
赤霞 金光を動かし、日足 海嶠に森たり。
ひとり万古の意を散じ、閑(しづか)に一渓の釣を垂る。
猿近天上啼 猿は天上に近づいて啼き、人は月辺に移って棹(さをさ)す。
墨綬(ボクジュ)の苦をもって、来りて丹砂の要を求むるなかれ。
華髪 長く腰を折らば、まさに陶公の誚(そしり)を貽(のこ)さんとす。


經亂後將避地剡中留贈崔宣城 現代語訳と訳註
(本文)#1

雙鵝飛洛陽。五馬渡江徼。
何意上東門。胡雛更長嘯。
中原走豺虎。烈火焚宗廟。
太白晝經天。頹陽掩余照。
王城皆蕩覆。世路成奔峭。
四海望長安。顰眉寡西笑。
蒼生疑落葉。白骨空相吊。
連兵似雪山。破敵誰能料。
我垂北溟翼。且學南山豹。』


(下し文)
乱を経たるの後将に地を剡中に避けんとし留めて崔宣城に贈る
双鵝 洛陽に飛び、五馬 江徼(コウキョウ)を渡る
なんぞ意(おも)はん上東門、胡雛(コスウ)さらに長嘯せんとは。
中原 豺虎を走らせ、烈火 宗廟を焚く。
太白 昼 天を経(わた)り、頽陽 余照を掩(おほ)ふ。 
王城みな蕩覆し、世路 奔峭となる。
四海 長安を望み、眉を嚬(ひそ)めて西笑寡(すくな)し。
蒼生 落葉と疑ひ、白骨むなしくあひ弔ふ。
兵を連ねて雪山に似たり、敵を破ることたれかよく料(はか)らん。
われ北溟の翼を垂れ、しばらく南山の豹を学ぶ。』


(現代語訳)
晋の孝懐帝の時、二羽の鵝があらわれ国が乱れる前兆となった。その鵝が洛陽に飛びに飛んできた、それぞれ難を逃れたが、そのご五王は江南にのがれた故事があるように長江を渡りの国境の帆に逃げるのだ。
どんな思いがあって洛陽城の門を破り陥落させたのか、そして皇帝罠乗るとはなんにもわからない胡の子供の様なものではないか、ああ、本当に情けない。
王朝の主たる地域の平原を豺虎のように暴行略奪の限りを尽くしている 街の至る所に火をかけ、尊い宗廟までを焚くことをしている。
革命の兆、金星が真昼でも天空を渡っていくのが見えたという、夕日のような明かりが点を焦がし、いつまでも夜空を赤く染めているのである。
歴代の王朝の都であったところの城郭みな破壊され、ひっくり返えされている、天下の道はどこにおいてもあわただしく、騒がしさが厳しい状況なのだ。
四方の果てまでこんな有様で、長安の様子をを望み見てみる、誰もが眉をひそめている、かっては世界の中心国際都市手反映し、「西笑」といって一番楽しい所としていたのにその場所もなくなっているという。
青々と生い茂って生えている樹木さえ、落葉したのかと間違えてしまう、屍は白骨となり、誰も弔うものがいなくてむなしく白骨同士で弔いをしているのだ。
攻め入った兵は連ん綿と続いて入場し、まるで雪山になったかのようである。こうした叛乱軍を打ち破ることができる能力を持ったもの誰かいないのか。
わたしとしては少しの間、図南の鵬翼を休めることにする、そうして、しばらく南山の豹のこじをを学び、まず叛乱軍に見つからず、情勢分析を行うことから始めよう。』

(訳註)
剡中(せんちゅう浙江省嵊県fg-5・6)宣城(せんじょう安徽省宣城市宣州区e―3)

rihakustep足跡

雙鵝飛洛陽。五馬渡江徼。
晋の孝懐帝の時、二羽の鵝があらわれ国が乱れる前兆となった。その鵝が洛陽に飛びに飛んできた、それぞれ難を逃れたが、そのご五王は江南にのがれた故事があるように長江を渡りの国境の帆に逃げるのだ。
雙鵝 晋の孝懐帝の時、二羽の鵝があらわれ国が乱れる前兆となった。○五馬 晋の太安中の童謡に五馬游渡江云々、その後五王江南にのがれた。○江徼。国境である長江。


何意上東門。胡雛更長嘯。
どんな思いがあって洛陽城の門を破り陥落させたのか、そして皇帝罠乗るとはなんにもわからない胡の子供の様なものではないか、ああ、本当に情けない。
東門 洛陽の門。○胡雛 こすう胡雛 五胡十六国の時代、後趙の帝位に就いた羯の石勒の故事。少年の頃、物売りをしているとその声を聞いた王衍は、「さきの胡雛、吾れその声視の奇志有るを観る。恐らくは将に天下の息をなさん」と言って収監しようとしたがすでに去ったあとだった(『晋書』載記四)。「胡雛」はえびすの幼子。胡人の子供に対する蔑称。ここでは李白から見て蔑称の胡の子供並みであると安禄山のことを示す。


中原走豺虎。烈火焚宗廟。
王朝の主たる地域の平原を豺虎のように暴行略奪の限りを尽くしている 街の至る所に火をかけ、尊い宗廟までを焚くことをしている。
中原 中華文化の発祥地である黄河中下流域にある平原のこと。狭義では春秋戦国時代に周の王都があった現在の河南省一帯を指していたが、後に漢民族の勢力拡大によって広く黄河中下流域を指すようになった。  ○宗廟 宗廟(そうびょう)とは、中国において、氏族が先祖に対する祭祀を行う廟のこと。ここでは洛陽付近亡山の中国の歴代王朝の宗廟をしめす。


太白晝經天。頹陽掩余照。
革命の兆、金星が真昼でも天空を渡っていくのが見えたという、夕日のような明かりが点を焦がし、いつまでも夜空を赤く染めているのである。 
太白 革命の兆、太白は金星。○頹陽 夕日。○掩余照 名残りの光。


王城皆蕩覆。世路成奔峭。
歴代の王朝の都であったところの城郭みな破壊され、ひっくり返えされている、天下の道はどこにおいてもあわただしく、騒がしさが厳しい状況なのだ。
王城 歴代の王朝の都であったところの城郭。○蕩覆 破壊され、ひっくり返る。王室が滅亡する際の語として使われている。「王室蕩覆」資治通鑑・漢紀。に基づく。○成奔峭 騒がしく、厳しい様子がさらに高く嶮しいさまをいう。


四海望長安。顰眉寡西笑。
四方の果てまでこんな有様で、長安の様子をを望み見てみる、誰もが眉をひそめている、かっては世界の中心国際都市手反映し、「西笑」といって一番楽しい所としていたのにその場所もなくなっているという。
西笑。 もとは長安を楽しいところといって西の方をむいて笑ったが。


蒼生疑落葉。白骨空相吊。
青々と生い茂って生えている樹木さえ、落葉したのかと間違えてしまう、屍は白骨となり、誰も弔うものがいなくてむなしく白骨同士で弔いをしているのだ。

連兵似雪山。破敵誰能料。
攻め入った兵は連ん綿と続いて入場し、まるで雪山になったかのようである。こうした叛乱軍を打ち破ることができる能力を持ったもの誰かいないのか。
連兵 攻め入った兵は当初15万人とされ、その後投降し他ので数十万の兵であったのだ。その中に北方出身者が多く、漢民族の黒い帽子に対して、毛皮の帽子をかぶっていたので単なる山ではなく、雪山という表現をしたのだろう。


我垂北溟翼。且學南山豹。
わたしとしては少しの間、図南の鵬翼を休めることにする、そうして、しばらく南山の豹のこじをを学び、まず叛乱軍に見つからず、情勢分析を行うことから始めよう。』
○北溟翼。極北の海にいた鯤(こん)という巨大な魚が鵬(ほう)という鳥に化け、海上を三千里飛び、旋風(ゆむじかぜ)に乗って九万里の高さに上り、南の空へ飛んでいこうとしている。「荘子-逍遥遊」「絶雲気、負青天、然後図南、且適南冥也」に基づくもの。北海の鵬の図南のつばさ。大事業をしようとする志・計画。図南の鵬翼(ほうよく)。○學南山豹。南山の黒豹はその毛皮を美しくするために霧雨の中で七日間何も食べずに毛皮を潤すことから、富谷名声にこだわらず、その前に、勉強し力を蓄えることを言う。ここでは、叛乱軍に見つからず、情勢分析を行って、同志を募ろうというところか。
(つづく)

扶風豪士歌 安史の乱と李白(3) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 215

漢詩李白 215 扶風豪士歌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 215


安史の乱と李白(2)Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 214


李白は、安禄山の反乱の起こった報を、宣城で聞いた。かつて宮中で会っている男であり、ふつうの人と容貌もちがうし、数か国語もしゃべり、玄宗にとり入り、能弁の男という印象がある。李白のような倣岸不遜の者から見れば、当時の高力士と同じく俗物に見えた。腰が低く権力者にとり入る性格の持ち主であって、李白とはまったく性格が合わない。むろん親しくつきあったわけではないであろう。しかし、その男が謀反を起こし、しかも東都洛陽を占領したと聞けば、李白の任侠心が許さない。

憤慨の心を抱きつつ、李白は、一生住んでもよいと思った宣城をあとにして、また流浪の旅に出る。行く先は旧遊の地、刻中(浙江省煉県)である。江南で最も山水美に富む所で、近くは刻漢の名勝地があり、かつて李白は、長安に入る前に滞在して、その山水美を楽しんだ所である。
おそらく旧遊の山水美を思い出して、煩憂の思いを消そうとしたのかもしれない。ただ、李白のこの旅を、難を避けるためとする説もあるが、必ずしもそれだけとは考えられない。やはり剣中の山水美にひかれることが多かったであろう。途中、太湖近くの漢陽(江蘇省)を通ってゆく。

この県の役人をしている宋捗に、今の気持ちを訴えて、自分は経世済民の策を実現したいと思いながら、天子の側近となったが、姦邪の臣のために重言をこうむり、天子とは疎遠の間柄になったが、しかし自分は、「何れの日か中原を清らかにして、天歩を廓げんことを相い期す」といっている。中原の乱れを救って、天子が安らかに巡幸されるようにと考えているという。この喪乱に対して、天下を安泰にしようとした決意を示したものである。この李白の決意にかかわらず、洛陽陥落の悲報はもたらされて、「扶風の豪士の歌」に李白は胸を痛めるようすがみえる。

扶風豪士歌

洛陽三月飛胡沙。 洛陽城中人怨嗟。
天津流水波赤血。 白骨相撐如亂麻。
我亦東奔向吳國。 浮云四塞道路賒。』
 
東方日出啼早鴉。 城門人開掃落花。
梧桐楊柳拂金井。 來醉扶風豪士家。
扶風豪士天下奇。 意氣相傾山可移。
作人不倚將軍勢。 飲酒豈顧尚書期。』

雕盤綺食會眾客。 吳歌趙舞香風吹。
原嘗春陵六國時。 開心寫意君所知。
堂中各有三千士。 明日報恩知是誰。』
 
撫長劍。一揚眉。 清水白石何離離。
脫吾帽。向君笑。 飲君酒。為君吟。
張良未逐赤松去。 橋邊黃石知我心。』


扶風 豪士の歌
洛陽 三月に胡沙飛び、洛陽城中 人は怨み嗟く
天津の流水は波も赤血なり、白骨相い培(つちかえ)えて乱るる麻の如し
我も亦た東に奔り呉国に向かわんとす、浮雲は四もに塞がり道路は除かなり』
東方 日出で早に鴉啼く。 城門 人 開たて落花 掃く。
梧桐(こどう)楊柳(ようりゅう)金井(きんせい)拂う。醉うて來る扶風豪士の家。
扶風 豪士 天下の奇。 意氣 相傾けて山移すべし。
人を作す 將軍の勢に倚らず。 飲酒して豈 尚書の期を顧る。』

雕盤 綺食 眾客に會う。 吳歌 趙舞 香風 吹く。
原(もともと)嘗(かつて)春陵 六國の時。心開きて意を寫し君の知る所。
堂中 各々三千士 有り。 明日 恩に報いること是誰ぞ知る。』
 
長劍を撫るい。一(ひとたび)眉を揚る。 清水白石 何ぞ離れ離れになるぞ。
吾が帽を脱ぎて君に向かって笑い。君の酒を飲み君が為に吟ず。
張良は末だ赤松を逐いて去らず、橋辺の黄石のみ我が心を知る。』




扶風豪士歌
扶風の豪士の歌

洛陽三月飛胡沙。 洛陽城中人怨嗟。
洛陽の三月といえば牡丹梨花の咲き誇る嬉しい時節、ところがどうだ、異民族交じりの軍隊が砂塵を建てているではないか。洛陽城の街中のすべての人は怨み嗟くのである。
 
天津流水波赤血。 白骨相撐如亂麻。
叛乱の勢いはここ天津の方まで広がって河江の流水、波までも赤血色に染まっている、戦いの後には白骨が積み重ねられていて粗雑な麻布のようにひどい状況なのだ。


我亦東奔向吳國。 浮云四塞道路賒。』
町中東に逃げているわたしも同じように東に向かって走り、呉の国あたにまで行こうとしている、叛乱軍は四方八方に配置されており道路には検問所のようになっている。

「扶風」郡はのち鳳翔郡と改める。長安の西に当たる。ここ出身の「豪士」とは、だれであるか分からない。李白が乱を避けて東呉に来ているとき、彼も難を避けて来ていて、意気投合した仲というのが、王玲の説である。
冒頭いきなり、洛陽が賊の手に落ち、戦乱のために血が流れ、死者の白骨が横たわることを歌う。李白の胸の痛みをまず歌ったわけで、「三月」とは天宝十五年へ童ハ)の三月であろう。「賊軍の兵馬の砂塵が洛陽春三月に舞い上がる」。常ならば花の咲く好時節であるべきなのに。「人々は怨嗟の声をあげる。あの天津橋の下を流れる洛水の水は、死傷者の血で赤くなっている。戦死着の白骨は、乱麻のように重なりあっている。自分は東のかた呉国(長江下流一帯)に行こうと思っているが、浮雲にさえぎられて道路もはるかに感ぜられる」。「浮雲」はよく邪悪の者の比喩と使われるが、ここも旅するに困難な事態でもあったのであろうか。


東方日出啼早鴉。 城門人開掃落花。
東方の國に来れば来て観て夜明けの早起きの鶏のように、がやがや騒いでいる、城門には人が多く集まって早くから開かれているようだ春の花々はみなたたきおとさててしまっている。
 
梧桐楊柳拂金井。 來醉扶風豪士家。
鳳凰が棲む青桐の葉っぱ、女たちの土手の楊、湖水の柳、金を拂えば町にいられる。よってふらふら歩いていると長安の西の扶風地方出身の豪士の家にきている。

扶風豪士天下奇。 意氣相傾山可移。
扶風地方出身の豪士というのは天下の中でも気骨もので通っている。その気性というのは互いに酒を酌み交わし気心が知れたら山をも動かすほどなのだ。


作人不倚將軍勢。 飲酒豈顧尚書期。』
普通の人たちで成り立ち立派な対象に統率された軍隊ではないのだ。まあひとまず酒を飲んでしばらくしたら、郭子儀尚書が約束を果たしてくれるはずである。』


雕盤綺食會眾客。 吳歌趙舞香風吹。
大皿に盛られた御馳走を集まった客人たちはきれいに食べたようだ。呉の歌がうたわれ、趙の国の舞が踊られ香わしい風が吹きわたっている。


原嘗春陵六國時。 開心寫意君所知。
もともとかっては穏やかな丘陵地帯で、斉・楚・燕・韓・魏・趙のじだいがあったのだ。心を開いて意気を確かめ合っていれば天子の知るところである。


六国(りっこく)とは、戦国時代、秦以外の六つの大国、斉・楚・燕・韓・魏・趙をいう
。秦が西周の故地に入って周の文化をある程度受け継いだのに対して六国では独自の文化が花開いた。文字も周秦の籀文と違い、各国で独特の文字が使われた。


堂中各有三千士。 明日報恩知是誰。』
朝廷の宮殿にはそれぞれ三千の兵士がいる。さあ、明日こそ天子の御恩に報いようではないか、これは誰が知るというのか。


撫長劍。一揚眉。 清水白石何離離。
長剣をもってなぎ払い、まなじりをあげて怒りを示そう。「清水白石」という澄み切った水の中の白石のように、清く正しい考えというもの、理解してくれる人だけ理解してくれればいいのだ。


脫吾帽。向君笑。 飲君酒。為君吟。
私は帽子を脱いでしまい、きみにむかってほほえむ。
君の差し出す酒を飲み、君のために吟じよう。


張良未逐赤松去。 橋邊黃石知我心。』
張良ほどの人間はまだ赤松を置いたままでは去りはしないものだ。わが心を知ってくれる黄石公のごとき人が出てほしい。そして、再び活躍する場を与えてはしいという。


詩は続いて、豪士の家を訪ねて酒を飲み、意気投合する。そして、豪士の才能を称え、肝胆相照らす仲となっている。そして終わりに、

君と飲んでいると、君の豪士たる所以が分かり、「君に尊敬の念を抱きつつ御馳走になって君のために歌をうたうわけである。


自分はまだ志を得ない漢の張良のようなもの、仙人の赤松の跡を逐って上昇するほど、脱俗的の気分にはなっていない」。張良は下郡の杷橋のもとで黄石公から兵法を授けられ、その後、漢の高祖に仕えて出世して留侯にまでなった。「その黄石公に比すべき人のみ、わが気持ちが分かってくれるものだ」と歌う。最後の句は、李白の希望を述べ、わが心を知ってくれる黄石公のごとき人が出てほしい。そして、再び活躍する場を与えてはしいという。前途に対しての希望はまだまだ消えてはいない。賊軍の侵入の悲惨を歌いながら、それに刺激されて任侠心が勃然とよみがえってきたのであろうか。


参考
張 良
(ちょう りょう、? - 紀元前186年)は、秦末期から前漢初期の政治家・軍師。字は子房。諡は文成。劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、劉邦の覇業を大きく助けた。蕭何・韓信と共に漢の三傑とされる。劉邦より留(江蘇省徐州市沛県の東南)に領地を授かったので留侯とも呼ばれる。子には嗣子の張不疑と少子の張辟彊がいる。


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白ブログ210安史の乱と李白(2)で書いたように、始まりは安禄山の乱、その時李白は敬慕する謝跳曾遊の地に一生を送る気持ちでいた。都追放は大きな痛手であった。心の平静をとり戻したとき、突如、安禄山の謀反の報が入って、詩人を驚愕させた。時に755年天宝十四年11月、李白55歳のことである。安禄山については、李白も長安時代、宮中で会っている。それが叛乱を起こしたと聞き、李白は驚をとおりこしたにちがいない。

 安禄山は、異民族出身でありながら、天宝の初め、平底節度使兼花陽節度使となり、東北地方の実権を握り、長安にしばしば参朝、玄宗に媚辞の男でうまくとり入り信任を得ているのである。楊貴妃に至っては、自分の利益と安禄山の野望が合致にして、このヒグマのような男を楊貴妃の養子にしているのである。馬に乗ること、歩くことも困難なくらい肥満の男であったのだ。750年天宝10年には河東節度使も兼ねるほどの勢力を得、玄宗の絶大の信任を得るに至った。初めは宰相李林甫には頭が上がらなかった。752年李林甫が病死以後、楊氏一族の楊国忠が宰相となるに及んで、楊国忠と対立して、勢力を争うようになってきた。玄宗は安禄山に宰相の地位を与えようとしたが、楊国忠に反対されて実現されなかった。安禄山は、長安から詣陽(北京)に引き揚げてしまった。この時、両者の力を均等にできていたなら、歴史はちがっていたかもしれない。しかし、着々と反乱の準備をととのえた。叛乱前の不穏な動きは、李白、杜甫の詩にもある。

幽州胡馬客歌 李白 紀頌之の漢詩 李白193

行行游且獵篇 李白 紀頌之の漢詩 李白194

聽胡人吹笛 李白 Kanbuniinkai李白特集350- 207


 ついに755年天宝14年11月9日、配下の軍隊十五万人を率いて洛陽に向かって進軍を開始した。そして、一か月後には洛陽を陥落させて、年を越して洛陽でみずから大燕皇帝と名のった。玄宗は哥舒翰に命じて潼関で防備させ、さらに洛陽の回復を命じたが、やがて安禄山軍のため潼関の守りも破られてしまった。この敗戦の前に、玄宗は、朝臣、賢臣の郭子儀を讒言によって詩を命じている。朝臣、賢臣の団結、体制の回復をすべき時、奸臣、宦官らの讒言を取り入れる王朝のたいせいでしかなかったのである。


756年
 天宝十五年六月、玄宗は、楊貴妃姉妹・楊国忠・高力士を従えて蜀に豪塵することになった。蜀に行く途中、長安の西に馬鬼駅があるが、ここが悲劇の場所である。玄宗の率いる軍隊によって楊国忠・楊貴妃の姉妹が殺され、ついで楊貴妃も絞死するという事態になった。この玄宗と楊貴妃の悲恋物語は、のちに白楽天の「長恨歌」によって有名となったことは周知のとおりである、玄宗は蜀に行ったが、皇太子は北方の霊武に行き、即位して、至徳と改元する。これが粛宗である。それは七月のことである。安禄山は長安に入り、略奪をほしいままにして、長安は大混乱となった。

李白は、安禄山の反乱の起こった報を、宣城で聞いた。かつて宮中で会っている男であり、ヒグマのようである、ジャンボ蝦蟇にしか見えない容貌であった。この男は数か国語もしゃべり、玄宗にとり入り、能弁の男であった。  
李白とは正反対の男であり、腰が低く権力者に媚を売ってとり入る性格の持ち主であって親しくつきことなどまったくなかった。しかし、その男が謀反を起こし、しかも東都洛陽を占領したと聞けば、李白の任侠心が許さない。
憤慨の心を抱きつつ、李白は、一生住んでもよいと思った宣城をあとにして、また流浪の旅に出る。行く先は旧遊の地、刻中(新江省煉県)である。江南で最も山水美に富む所で、近くは刻漢の名勝地があり、かつて李白は、長安に入る前に滞在して、その山水美を楽しんだ所である。

--------------古風其十九
この「古風」五十九首中、「その十九」には、はじめに、仙人となって天上に上り、大空を飛んで下界を見る表現をとり、空想的に描いた神仙の世界を歌っているが、その大空から現実の「下界を見れば」として洛陽辺のことを歌う。


古風五十九首 其十九

西岳蓮花山。 迢迢見明星。
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
素手把芙蓉。 虛步躡太清。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
邀我登云台。 高揖衛叔卿。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流血涂野草。 豺狼盡冠纓。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。



古風 其の十九

西のかた蓮花山に上れば、迢迢として 明星を見る。

素手 芙蓉を把り、虚歩して 太晴を躡む。

霓裳 広帯を曳き、諷払 天に昇り行く。

我を邀えて雲台に登り、高く揖す 衛叔卿。

恍恍として 之と与に去り、鴻に駕して紫冥を凌ぐ

俯して洛陽川を視れば、茫茫として胡兵走る。

流血 野草にまみれ。 豺狼盡々冠纓。





風五十九首 其十九 現代語訳と訳註
(本文)

西岳蓮花山。 迢迢見明星。 素手把芙蓉。 虛步躡太清。
霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。 邀我登云台。 高揖衛叔卿。

恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。 俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
流血涂野草。 豺狼盡冠纓。

(下し文)
古風 其の十九
西のかた蓮花山に上れば、迢迢として 明星を見る。
素手 芙蓉を把り、虚歩して 太晴を躡む。
霓裳 広帯を曳き、諷払 天に昇り行く。
我を邀えて雲台に登り、高く揖す 衛叔卿。
恍恍として 之と与に去り、鴻に駕して紫冥を凌ぐ
俯して洛陽川を視れば、茫茫として胡兵走る。
流血 野草に涂まみれ。 豺狼盡々冠纓。


(現代語訳)
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。


(訳註)
西岳蓮花山。 迢迢見明星。
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
蓮花山 華山の最高峰。華山は西嶽ともいい、嵩山(中嶽・河南)、泰山(東嶽・山東)、衡山(南嶽・湖南)、恒山(北嶽・山西)とともに五嶽の一つにかぞえられ、中国大陸の西方をつかさどる山の神とされている。陝西省と山西省の境、黄河の曲り角にある。蓮花山の頂には池があり、千枚の花びらのある蓮の花を生じ、それをのむと羽がはえて自由に空をとぶ仙人になれるという。
 ○迢迢 はるかなさま。李白「長相思」につかう。○明星 もと華山にすんでいた明星の玉女という女の仙人。


素手把芙蓉。 虛步躡太清。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
素手 しろい手。○芙蓉 蓮の異名。○虚歩 空中歩行。○太清 大空。


霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
○霓裳 虹の裾。○諷払 ひらりひらり。裳と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風を切って飛行する形容。


邀我登云台。 高揖衛叔卿。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
雲台 崋山の東北にそびえる峰。○高揖 手を高くあげる敬礼。○衛叔卿 中叫という所の人で、雲母をのんで仙人になった。漢の武帝は仙道を好んだ。武帝が殿上に閑居していると、突然、一人の男が雲の車にのり、白い鹿にその車をひかせて天からおりて来た。仙道を好む武帝に厚遇されると思い来たのだった。童子のような顔色で、羽の衣をき、星の冠をかむっていた。武帝は誰かとたずねると、「わたしは中山の衛叔卿だ。」と答えた。皇帝は「中山の人ならば、朕の臣じゃ。近う寄れ、苦しゅうないぞ。」邸重な礼で迎えられると期待していた衛叔卿は失望し、黙然としてこたえず、たちまち所在をくらましてしまったという。


恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
恍恍 うっとり、夢見心地。○ 雁の一種。大きな鳥。○繋冥 天。


俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
俯視 見下ろす。高いところから下を見下ろす。○洛陽川 河南省の洛陽のあたりの平地。川は、河川以外にその平地をさすことがある。○茫茫 ひろびろと広大なさま。○胡兵 えびすの兵。安禄山の反乱軍。玄宗の755天宝14載11月9日、叛旗をひるがえした安禄山の大軍は、いまの北京から出発して長安に向い、破竹の勢いで各地を席捲し、同年12月13日には、も東都洛陽を陥落した。


流血涂野草。 豺狼盡冠纓。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。
豺狼 山犬と狼。○冠浬 かんむりのひも。



 洛陽には洛水が流れている。「その辺りは胡兵たるぞく叛乱軍がいずこにも走りまわっている。戦いのために、野草が血塗られている。財狼に比すべき叛乱軍軍は、みな衣冠束帯をつけて役人となり、横暴を極めている」。「流血は野草を塗らし、財狼のもの尽く冠の樫をす」には、安禄山の配下の者が、にわか官僚となって、かってな振舞いをしていることに対する李白の憤りがこめられている。
安禄山によって長安が陥れられた悲惨な情況は、洛陽の陥落よりまして李白の胸をえぐるものがあった。



--------------------扶風の豪士の歌へ



安史の乱 と李白 (1)Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 213

安史の乱

概要
1. 755年11月初から763年にかけて、范陽・北方の辺境地域(現北京周辺)の三つの節度使を兼任する安禄山とその部下の史思明及びその子供達によって引き起こされた大規模な反乱である。

安禄山の乱

2. 反乱した安禄山の軍に対する唐の国軍の大部分はほとんどが経験の少ない傭兵で、全く刃が立たず、安禄山率いる反乱軍は挙兵からわずか1ヶ月で、唐の東都(中国の中心と考えられていた)洛陽を陥落させた。


3. 安禄山は皇帝(聖武)を名乗り、さらに長安へと侵攻を開始し6月長安の手前最後の砦である潼関が破られる。玄宗は蜀(現在の四川省)へと逃れる。その途上の馬嵬で、楊国忠、息子の楊暄・楊出・楊曉・楊晞兄弟、楊貴妃も絞殺された。


4. 玄宗は退位し、皇太子の李亨が霊武で粛宗として即位した。
安反乱軍は常に内紛を起こし、安禄山は息子慶緒に殺され、さらに史思明に殺害され権力は変わっていく。この反乱勢力の分裂は各地の叛乱を呼び起こす。しかし、一つの力にまとまらないものはやがて他国に援軍を求めた唐の国軍に制圧されることになる


5.王朝内部では、宦官勢力が強くなり、国全体では、潘鎮が地方の王気取りになっていき、王朝は実質支配を限定されたものとなっていく。しかしこれから150年唐王朝は続くのである。
 


叛乱軍の侵攻

●杜甫が奉先県の家族のもとで幼子の死を嘆いているころ、幽州の指陽(今の北京)では安禄山が兵を挙げていた。杜甫44歳の時である。

●その時李白は敬慕する謝跳曾遊の地、宜城に一生を送りたいと思いつつあったとき、突如、安禄山の報が入って、驚愕させた。時に李白55歳の時である。


■ 安禄山の叛乱  755年 11月~

755 天宝十四年11月 9日、「逆賊・楊国忠を討て」と勅命を受けたと偽り、息子の安慶緒、高尚、厳荘、孫孝哲、阿史那承慶らと范陽で反乱を起こす。15万人の大軍を率いて夜半に洛陽への進軍する。太原、河北の諸郡は全て降伏させた。


12月13日には東都洛陽を陥してしまった。そうして翌年の6月18日には長安に入城する。その間の様子を少し詳しく述べると、


755 11月16日-朝廷では安西節度使封常清を召して対策を下問。封常清を先鋒部隊の大将として洛陽に進発させた。


755 12月 2日-高仙芝が総司令官として東に向かった。


755 12月 6日-陳留(河南省開封の陳留)陥落。


755 12月10日-鄭州(河南省許昌の鄭県)陥落。


755 12月13日-洛陽陥落。敗れた封常清は、高仙芝とともに洛陽と長安の間にある潼関で安禄山軍をくい止めようとしたが、監軍(目付)として従っていた嘗者の辺令誠の蔑言により、両名は玄宗より死を賜わった。そのあとは河西・院右の節度使哥舒翰に引き継がれた。


756 天宝15年元旦-安禄山は洛陽で帝位に即き、大燕聖武皇帝と称した。
 史思明と蔡希徳が常山を陥落させ、河北の奪還に成功した。しかし、唐側の郭子儀と李光弼によって、史思明が敗北し、さらに顔真卿が激しい抵抗を重ね、再び河北の情勢は危うくなる。再度、史思明が郭子儀と李光弼に敗北したことにより、河北の十数郡が唐に奪回される。南方も唐側の張巡らの活躍によって、配下の尹士奇や令狐潮の進軍を止められてしまう。


河北において、常山太守の顔杲卿と平原太守顔真卿が唐のために決起したため、叛乱軍は潼関攻撃を止め、河北へと引き返すところへ追いつめられた。

潼関に陣を布いた哥舒翰は、叛乱軍と対峙して動かなかったが、その間に平原太守の顔真卿ら河北の軍が賊の後方を撹乱したため、安禄山は花陽への一時撤退を考えはじめていた。ところが朝廷では、楊国忠らが哥舒翰の待期作戦に業をにやし、潼関を出て戦うよう督促。
 
叛乱軍の侵攻
756 6月 4日 潼関を出た哥舒翰は、函谷関の西、霊宝県で安禄山軍と戦って大敗。潼関へ逃げ帰ったのち、部下に強要されて賊に降った。
孫孝哲、張通儒、安守忠、田乾真に長安、関中を治めさせた。陳希烈、張均、張洎らは叛乱軍に降伏し、王維は捕らえられ、洛陽に連行された。長安、洛陽は、大虐殺を行ったので長安洛陽での反抗反撃がなくなり略奪の限りを尽くし、悲惨な状況になる。潼関の勝利に甘んじて唐国軍をそれ以上追わなかった。

杜甫乱前後の図003鳳翔

756 6月 10日 宮中で御前会議が開かれ、楊国忠は蜀(四川省) への行幸を請い、玄宗はそれを了承。


756 6月13日早朝-玄宗は貴妃姉妹、皇子、皇孫、楊国忠および側近の者だけを連れ、陳玄礼の率いる近衛兵に衛られて西に向かった。


756 6月14日 馬嵬の駅で護衛の兵たちは、このような事態を招いた責任を問い、楊国忠および韓国夫人・秦国夫人を殺害。さらに楊貴妃に死を賜うことを要求。玄宗はやむをえずそれに従った。玄宗は皇太子(李亨)に討賊の任を与えてあとに残し、皇太子は西北の辺境にある霊武(寧夏回族自治区霊武)に逃れ、群臣に推されて帝位に即く(粛宗)。


756 6月18日-賊軍は長安へ入城。


756 6月19日-玄宗の一行は散開(隣酉省宝鶏市西南)に至る。


756 7月  唐側は態勢を立て直すのに成功した。関中の豪族たちが唐側についた。また、河北では顔真卿が抵抗を続け、南では張巡の守る雍丘を陥落できない状況が続いていた。


756 7月 唐の皇太子李亨が粛宗として、霊武で即位、郭子儀が軍を率いて加わった。唐軍が勢力回復するかと思われたが、房琯(杜甫のおさな馴染み)が敗れ、郭子儀と李光弼が山西に退き、史思明が河北で勝利し、顔真卿も平原を放棄し河南に逃げる。


756 7月28日 ようやく成都へ到着。


757 至徳2年(757年)正月、安慶緒は安禄山を殺害しこの乱は安慶緒によって続けられる。さらに、安慶緒は史思明に殺され、引き継がれたために安史の乱と呼ばれるようになり、史思明の子・史朝義が殺される763年まで続いていくことになった。この後も、安禄山の旧領はその配下であった3人が節度使として任命され、「河北三鎮」として唐に反抗的な態度を続けることになる。

金陵城西樓月下吟 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 212

金陵城西樓月下吟 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 212


金陵城西樓月下吟
金陵夜寂涼風發、獨上高樓望呉越。
金陵城は、しずかに夜が更けてゆく、夜も更けて涼やかな風が吹きはじめた、私はただ独り高楼に登るのである、はるか遠く呉越ちほうを思い望むのである。
白雲映水揺空城、白露垂珠滴秋月。
白雲は長江の水に映り、人気のない静かな城郭がその影を水面に揺らす、白露が真珠のように結すばれ、、澄み切った秋の月光に照らされて滴り落ちてくる。
月下沉吟久不歸、古来相接眼中稀。
こんな月光のもとに沈んだ低い声詩で吟じていると、ここから帰えられないでじっと立っているのだ。
古来、相い継ぐべき詩人は、私の眼中にほとんどいない。

解道澄江浄如練、令人長憶謝玄暉。

ああこの風景だ、「澄江、浄きこと練の如し」と詠っている、これこそよく表現しているものだ。この詩句は、この私に、かの謝玄暉を憶い慕わせ続けてくれるものだ。



金陵城の西楼 月下の吟
金陵 夜 寂として 涼風発り、独り高楼に上りて 呉越を望む。

白雲 水に映じて空城を揺り、白露 珠を垂れて秋月に滴る。

月下に沈吟して 久しく帰らず、古来 相い接ぐもの 眼中に稀なり。

()い解()たり、「澄江浄きこと練(ねりぎぬ)の如し」と、人をして 長く謝玄暉()を憶わ令む。






金陵城西樓月下吟 現代語訳と訳註 解説
(本文)

金陵夜寂涼風發、獨上高樓望呉越。
白雲映水揺空城、白露垂珠滴秋月。
月下沉吟久不歸、古来相接眼中稀。
解道澄江浄如練、令人長憶謝玄暉。

(下し文)
金陵 夜 寂として 涼風発り、独り高楼に上りて 呉越を望む。
白雲 水に映じて空城を揺り、白露 珠を垂れて秋月に滴る。
月下に沈吟して 久しく帰らず、古来 相い接ぐもの 眼中に稀なり。
道(い)い解(え)たり、「澄江浄きこと練(ねりぎぬ)の如し」と、人をして 長く謝玄暉(謝朓)を憶わ令む。

(現代語訳)
金陵城は、しずかに夜が更けてゆく、夜も更けて涼やかな風が吹きはじめた、私はただ独り高楼に登るのである、はるか遠く呉越ちほうを思い望むのである。
白雲は長江の水に映り、人気のない静かな城郭がその影を水面に揺らす、白露が真珠のように結すばれ、、澄み切った秋の月光に照らされて滴り落ちてくる。
こんな月光のもとに沈んだ低い声詩で吟じていると、ここから帰えられないでじっと立っているのだ。
古来、相い継ぐべき詩人は、私の眼中にほとんどいない。
ああこの風景だ、「澄江、浄きこと練の如し」と詠っている、これこそよく表現しているものだ。この詩句は、この私に、かの謝玄暉を憶い慕わせ続けてくれるものだ。


(訳註)

金陵城西樓月下吟
金陵のまちの西楼にて、月下の吟。
金陵 現在の南京市。六朝の古都。南朝の各朝の首都。金陵、建業、建、建康、南京。東の郊外にある紫金山(鍾山)を金陵山と呼ぶところから生まれた。-現在の南京市の雅名。李白は特にこの名を愛用している。○吟 詩歌の一体。


金陵夜寂涼風發、獨上高樓望呉越。
金陵城は、しずかに夜が更けてゆく、夜も更けて涼やかな風が吹きはじめた、私はただ独り高楼に登るのである、はるか遠く呉越ちほうを思い望むのである。
呉越 呉(江蘇省―宜城)と越(浙江省―会稽)の地方。金陵の東方に当たる。


白雲映水揺空城、白露垂珠滴秋月。
白雲は長江の水に映り、人気のない静かな城郭がその影を水面に揺らす、白露が真珠のように結ばれ、澄み切った秋の月光に照らされて滴り落ちてくる。


月下沉吟久不歸、古来相接眼中稀。
こんな月光のもとに沈んだ低い声詩で吟じていると、ここから帰えられないでじっと立っているのだ。
古来、相い継ぐべき詩人は、私の眼中にほとんどいない。

沈吟 声をおさえて吟ずる。「低吟」「微吟」。


解道澄江浄如練、令人長憶謝玄暉。
ああこの風景だ、「澄江、浄きこと練の如し」と詠っている、これこそよく表現しているものだ。この詩句は、この私に、かの謝玄暉を憶い慕わせ続けてくれるものだ。
解道 「能道」(能く這えり)と同じ。表現の巧みさを誉める言葉。○澄江浄如練 澄んだ長江は練のように浄らかだ。南朝時代の斉の謝桃「晩登三山還望京邑」(澄江静かなること練の如し)をさす。○玄暉-謝朓の字。李白は特に謝朓を敬愛し、すぐれた詩人として思慕する詩を数多く作っている。


○詩型 七言古詩
○韻字 発・越・月/帰・稀・暉

謝公亭 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 211

謝公亭 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 211


金陵から、その南にある宣城に李白の足は延びるが、金陵・宜城に至るまでの行動は、じつは明瞭にその足跡をたどることはできない。金陵は、李白の行動の中心的位置にある。したがって、作時の特定も難しい。朝廷の官吏の制服を着て、先人の詩の舞台を訪ね歩く生活を送っていた。
 rihakustep足跡

754天宝十三年には、宜城に遊んだことは間違いないとされている。宣城は金陵の南西に長江を登ったところにあり、この地は李白の思慕する六朝の斉の謝朓が太守をしていたところである。謝朓の遺跡を訪ねて、謝謝の追憶にふけりながら、ここでも多くの優れた作品を残している。

斉の謝朓464年 - 499は、当時五言詩の担い手であり、山水詩に優れ、朱の謝霊運と並び称せられ、霊運を大謝、桃を小謝という。その詩は清新さをもち、唐詩にも似たところがあって、李白・杜甫に好まれた。宜城の太守となり、江南の風景を歌い、亭を作って詩人花雲らと遊んだ。優れた詩人ではあるが、事件に坐して、下獄死亡した。三十六歳である。現存する詩は200首余り、その内容は代表作とされる山水詩のほか、花鳥風月や器物を詠じた詠物詩、友人・同僚との唱和・離別の詩、楽府詩などが大半を占める。竟陵八友のひとり。
[作品]
謝朓①玉階怨 ②王孫遊 ④同王主薄有所思 ⑤遊東田 ⑥金谷聚 


謝公亭 
謝公離別處。 風景每生愁。
謝公亭は いろんな別離がありそのためにある場所なのだ。辺りの風景は どんな別れに対してもいつも哀愁を感じさせているのだ
客散青天月。 山空碧水流。
ここの客は別離の人々、青い夜空に月が輝くその下で 散り散りになっていく。だれもいなくなった山あいのこの亭には 青い、青い水だけが流れているのだ。
池花春映日。 窗竹夜鳴秋。
池に目をやれば池の中に、池の辺に春の花が日の光を受けて色明るく映えている。亭の窓辺に見える竹林からは秋の夜風を受けてさらさらと鳴りわたっていく。
今古一相接。 長歌懷舊游。
この謝公亭は、今の様々な別れも過去あったさまざまな出来事もそれぞれ結び合わせてくれて一にしてしまうのだ。ここで緩やかな調べを歌いうとむかしの日の交遊、遭遇、出来事のかずかずが懐かしく思い起こされるのだ。




謝亭 離別の處、風景 (つね)に愁を生ず。

客は散ず 青天の月、山 空しくして碧水 流れる。

池花 春 日に映じ、窗竹 夜 秋に鳴る。

今古 ひとえに相接する、長歌して舊游を懷う。





謝公亭 現代語訳と訳註 解説
(本文)

謝公離別處。 風景每生愁。
客散青天月。 山空碧水流。
池花春映日。 窗竹夜鳴秋。
今古一相接。 長歌懷舊游。


(下し文)
謝亭 離別の處、 風景 每(つね)に愁を生ず。
客は散ず 青天の月、 山 空しくして碧水 流れる。
池花 春 日に映じ、 窗竹 夜 秋に鳴る。
今古 ひとえに相接する、長歌して舊游を懷う。

(現代語訳)
謝公亭は いろんな別離がありそのためにある場所なのだ。辺りの風景は どんな別れに対してもいつも哀愁を感じさせているのだ
ここの客は別離の人々、青い夜空に月が輝くその下で 散り散りになっていく。だれもいなくなった山あいのこの亭には 青い、青い水だけが流れているのだ。
池に目をやれば池の中に、池の辺に春の花が日の光を受けて色明るく映えている。亭の窓辺に見える竹林からは秋の夜風を受けてさらさらと鳴りわたっていく。
この謝公亭は、今の様々な別れも過去あったさまざまな出来事もそれぞれ結び合わせてくれて一にしてしまうのだ。ここで緩やかな調べを歌いうとむかしの日の交遊、遭遇、出来事のかずかずが懐かしく思い起こされるのだ。


(訳註)

謝亭離別處。 風景每生愁。
謝公亭は いろんな別離がありそのためにある場所なのだ。辺りの風景は どんな別れに対してもいつも哀愁を感じさせているのだ
謝公亭 安徽省宣城県の郊外にあった。李白の敬愛する六朝の詩人、謝朓むかし宜州の長官であったとき建てた。苑雲という人が湖南省零陵県の内史となって行ったとき、謝朓は出来たばかりの亭で送別し、詩を作っている。○風景 同じ景色も春夏秋冬、天候によって違うもの。○每生愁 どんな条件下であってもいつも哀愁を伴うところである。晴れの日は晴れの日の哀愁が、雨の日、風の日、木枯らし、真夏の炎天の日それぞれの別れを見ている風景。凄い句である。


客散青天月。 山空碧水流。
ここの客は別離の人々、青い夜空に月が輝くその下で 散り散りになっていく。だれもいなくなった山あいのこの亭には 青い、青い水だけが流れているのだ。
碧水 別れを終えた後の月明かりの中の澄み切った水を連想させる色である。意味慎重な泣別れであろうか。

池花春映日。 窗竹夜鳴秋。
池に目をやれば池の中に、池の辺に春の花が日の光を受けて色明るく映えている。亭の窓辺に見える竹林からは秋の夜風を受けてさらさらと鳴りわたっていく。
池花春映日 この句は若い人の別れを感じさせてくれる。○窗竹夜鳴秋 風流な別れだろうか。出征兵士を送っているのか。

今古一相接。 長歌懷舊游。
この謝公亭は、今の様々な別れも過去あったさまざまな出来事もそれぞれ結び合わせてくれて一にしてしまうのだ。ここで緩やかな調べを歌いうとむかしの日の交遊、遭遇、出来事のかずかずが懐かしく思い起こされるのだ。
舊游 謝朓の時代の交友のありさまを言う。苑雲との交流を意識している。


(解説)
「ここは友人の花雲が零陵郡(湖南省零陵県)に赴任しょうとして謝桃が送別の宴を張ったところである。美しい風景も、その離別のことを思えば、見ていると悲しみの情が湧いてくる」。いったい、謝霊運は、山水の美を客観的に眺めて歌った詩人であるが、謝眺は、同じ山水の美を歌っておりながら、その中に憂愁の情をからませて歌った詩人である。自然の風景に愁いを感ずる詩人であった。そのことを意識しながら、それをさらにさまざまな場面、舞台を思い起こさせ「風景は毎に愁いを生ずる」と歌ったのである。
次の二行は、亭付近の静かな美しい風景であり、その表現も、謝眺が風景の美しきを歌う詩に似ている。あえて似せているのかもしれない。さて、「古えのことを思い浮かべて浸っていると、謝跳の遊びが思い出され、歌を歌い続けて彼を懐かしく偲んでいる」という。

 李白は尊敬しある時はその詩を模倣もした謝朓ゆかりの亭に来た。昼間は多くの人がここで別れた。出征前のひと時を過ごしたのか。同じ景色を愛でても後にはその景色だけが残っている。別れの悲しみを月、清い水、花、窓辺を静かに詠っている。別れを悲しみだけで詠わない李白、自慢の形式である。


宮島(1)

謝亭 離別の處、 風景 每(つね)に愁を生ず。
客は散ず 青天の月、 山 空しくして碧水 流れる。
池花 春 日に映じ、 窗竹 夜 秋に鳴る。
今古 ひとえに相接する、長歌して舊游を懷う。

登金陵鳳凰臺 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 210

登金陵鳳凰臺 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 210

                 
久しぶりに長安時代における旧友の飲み仲間の崖宗之に会い、都の生活を思い起こし、詩を作り、酒を飲み、唱和したりして、楽しい会合であった。月夜に揚子江に舟を浮かべ、采石磯より金陵まで下った。そのときには、長安時代に着た官錦袖を着て、あたりを顧みて平然と笑い、傍若無人の態度をとったという。金陵における李白の作は多数に上るが、有名な「金陵の鳳風台に登る」である。


登金陵鳳凰臺
鳳凰臺上鳳凰遊,鳳去臺空江自流。
かつてこの鳳凰台に鳳凰が舞い、遊んでいた、鳳凰は飛び去り、その栄光の台だけがむなしくありその傍らを長江は何の変りもなくゆったりと流れてゆく。
呉宮花草埋幽徑,晉代衣冠成古丘。
三国時代孫権が金陵を建業として都をここにおいた、宮殿の花の宮女や草ともする宦官は、人気のない奥深いところに埋れ消えてしまった。 東晋も建康(金陵)に都を置いた、衣冠束帯の貴族、富豪のものも、古い墳墓の土になっている。
三山半落靑天外,二水中分白鷺洲。
金陵南西の遠くに三山がある、澄み切った大空が広がり山々はまるで大空の向こうへ半ば零れ落ちそうである。一筋に雄々しく流れる長江の中州、白鷺洲のところで別れて流れている。
總爲浮雲能蔽日,長安不見使人愁。

唐王朝は、結局、雲が日を覆い隠すように、奸臣、邪臣が、天子の明徳を覆い隠しておるだけだ。そのせいで長安が見えないのだ、わたしの心は悲しい思いに沈んでいるのだ。
 
金陵の鳳凰臺に 登る
鳳凰臺(ほうおうだい)上  鳳凰 遊び,鳳 去り 臺 空(むな)しくして  江(こう) 自(おのづか)ら流る。
呉宮(ごきゅう)の花草(かそう)は  幽徑(ゆうけい)に 埋(うず)もれ,晉代(しんだい)の衣冠(いかん)は  古丘(こきゅう)と成る。
三山 半(なか)ば落つ  靑天の外(ほか),二水 中分す  白鷺洲(はくろしゅう)。
總(す)べて 浮雲  能(よ)く日を 蔽(おお)うが 為に,長安 見えず  人をして 愁(うれ)いしむ。

李白の足跡300

登金陵鳳凰臺 現代語訳と訳註 解説

(本文)
鳳凰臺上鳳凰遊,鳳去臺空江自流。
呉宮花草埋幽徑,晉代衣冠成古丘。
三山半落靑天外,二水中分白鷺洲。
總爲浮雲能蔽日,長安不見使人愁。

(下し文)
鳳凰臺(ほうおうだい)上  鳳凰 遊び,鳳 去り  臺 空(むな)しくして  江(こう) 自(おのづか)ら流る。
呉宮(ごきゅう)の花草(かそう)は  幽徑(ゆうけい)に 埋(うず)もれ,晉代(しんだい)の衣冠(いかん)は  古丘(こきゅう)と 成る。
三山 半(なか)ば 落つ  靑天の外(ほか),二水 中分す  白鷺洲(はくろしゅう)。
總(す)べて 浮雲  能(よ)く 日を 蔽(おお)うが 為に,長安 見えず  人をして 愁(うれ)いしむ。


(現代語訳)
かつてこの鳳凰台に鳳凰が舞い、遊んでいた、鳳凰は飛び去り、その栄光の台だけがむなしくありその傍らを長江は何の変りもなくゆったりと流れてゆく。
三国時代孫権が金陵を建業として都をここにおいた、宮殿の花の宮女や草ともする宦官は、人気のない奥深いところに埋れ消えてしまった。 東晋も建康(金陵)に都を置いた、衣冠束帯の貴族、富豪のものも、古い墳墓の土になっている。
金陵南西の遠くに三山がある、澄み切った大空が広がり山々はまるで大空の向こうへ半ば零れ落ちそうである。一筋に雄々しく流れる長江の中州、白鷺洲のところで別れて流れている。
唐王朝は、結局、雲が日を覆い隠すように、奸臣、邪臣が、天子の明徳を覆い隠しておるだけだ。そのせいで長安が見えないのだ、わたしの心は悲しい思いに沈んでいるのだ。


(訳注)

登金陵鳳凰臺
金陵の鳳凰台に登る。 
金陵 現在の南京市。六朝の古都。南朝の各朝の首都。金陵、建業、建、建康、南京。東の郊外にある紫金山(鍾山)を金陵山と呼ぶところから生まれた。戦国時代の楚の威王が金を埋めて王気を鎮めたことによる。○鳳凰臺 南京城の南西にある台。南朝・宋の元嘉十四年(437年)に、孔雀のようで五色の模様のある美しい鳴き声の鳥が集まったことに因って、築いた台とされるが実際に築かれたものか不明。。現・南京市の鳳凰山上とされる。


鳳凰臺上鳳凰遊、鳳去臺空江自流。
かつてこの鳳凰台に鳳凰が舞い、遊んでいた、鳳凰は飛び去り、その栄光の台だけがむなしくありその傍らを長江は何の変りもなくゆったりと流れてゆく。
鳳去 鳳凰は飛び去った。○臺空 鳳凰台は、なにもなくなった。 ○江自流 長江は人の世の思惑や栄枯盛衰とは関わることなく、いつも変わることなく流れている。


呉宮花草埋幽徑、晉代衣冠成古丘。
三国時代孫権が金陵を建業として都をここにおいた、宮殿の花の宮女や草ともする宦官は、人気のない奥深いところに埋れ消えてしまった。 東晋も建康(金陵)に都を置いた、衣冠束帯の貴族、富豪のものも、古い墳墓の土になっている。
呉宮 三国の呉の孫権が建業(金陵、南京)に都を置いたことによる。 
花草 花と草。宮女と宦官のこと。 ○幽徑 奥深い小道。人気のない静かな小道。
晉代衣冠 東晋もここに都を置いた、その時の権門。東晋の貴族。 
衣冠 貴顕。権門富貴。貴族。 
 ~となる。~と変わった。
古丘 古い墳墓。

三山半落靑天外、二水中分白鷺洲。
金陵南西の遠くに三山がある、澄み切った大空が広がり山々はまるで大空の向こうへ半ば零れ落ちそうである。一筋に雄々しく流れる長江の中州、白鷺洲のところで別れて流れている。
三山 金陵の南西にある山で南北に三つの峰が並んでいるとされる。清涼山、獅子山等。李白流の表現でポコポコと山が見えるというこの句全体、遠近法、立体感を出す表現になっている。 
半落 青空の向こうへ半ば落ちている。
靑天外 青空のむこうがわ。
二水 長江の二筋の川。 
中分 川の流れは、中州で分流する。
白鷺洲 はくろしゅう、長江へ注入する秦淮河の合流点付近の中州の名。

總爲浮雲能蔽日、長安不見使人愁。
唐王朝は、結局、雲が日を覆い隠すように、奸臣、邪臣が、天子の明徳を覆い隠しておるだけだ。そのせいで長安が見えないのだ、わたしの心は悲しい思いに沈んでいるのだ。 
總爲 すべて~のために。結局~のために。
浮雲 天子に讒言し、事実を隠し、自己の利益にのみで動く。宦官の高力士、宰相李林甫、のち宰相楊国忠、節度使安禄山、等を指す。 
蔽日 天子の明徳を覆い遮る。 
天子。ここでは、玄宗のことになる。 
長安 天子のいる首都長安。現・西安。 
使人愁 人を悲しくさせる。「人」は、ここでは作者のことになる。

rihakustep足跡

(解説)

この詩は、崔顥の「黄鶴楼」に触発されて作ったものといわれている。「鳳凰台」 の遺跡は今の南京城内にあるが、六朝、宋の元嘉年間に、瑞鳥の鳳風が城内の山にとまったのを記念して、台を建てたという。むろん李白のころは、その台がまだあった。「昔、この台に鳳凰が遊んだというが、今はその鳥も来ず、台だけがむなしく残り、近くを流れる江はそれなりに流れている。その昔の呉の宮殿に咲いた花草は奥深い小路を埋めている。ここは三国時代に呉の孫権が都して宮殿を建てた所である。また、東晋時代も都した所でもある。その時代の衣冠をつけた役人たちも、今は死んでしまい、古い墓が残されているだけである」。

長安を追放されて、五、六年たつが、なお玄宗のことを心配している詩になる。そうなると李白の感慨はさらに一転することになる。
金陵付近の風景、長江を上下するときの風物は、李白の追放の悲しみと旅愁を慰め、しばし自然の美しさにすべてを忘れることもあった。金陵をさかのぼって、白壁山を過ぎ、安微の銅陵県の東南にある天門山に到達した。

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聽胡人吹笛 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 209

聽胡人吹笛 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 209


聽胡人吹笛 ( 觀一作)

胡人吹玉笛。 一半是秦聲。
胡人がきれいに輝いている笛曲を吹いている、一曲あって次の曲の半ばまで聞いていると漢の宮廷音楽の曲だ。
十月吳山曉。 梅花落敬亭。
初冬の十月は 呉山の夜明けがうつくしい。梅花落の曲を聞けば  春の敬亭山を想い出す。
愁聞出塞曲。 淚滿逐臣纓。
出塞の曲を聞けば、悲しみの愁いは胸に満ちてくる、思い出せばいっぱいの涙にあふれてくる、自分は天子から朝臣の徴の冠の紐を賜った事に執着しているのである。
卻望長安道。 空懷戀主情。

やはり私は 長安の朝廷へ通ずる道を望んでいる、(それが宦官の讒言などにより通じないので)今はただ、むなしいことだけれど天子を恋い慕い詩を作るのである。


(下し文)

胡人(こじん)  玉笛(ぎょくてき)を吹く、一半は是()れ秦声(しんせい)

十月 呉山(ござん)の暁(あかつき)、梅花  敬亭(けいてい)に落つ。

愁えて出塞(しゅっさい)の曲を聞けば、涙は逐臣(ちくしん)の纓(えい)に満つ。

(かえ)って長安の道を望み、空しく主(しゅ)を恋うるの情を懐(いだ)く。



miyajima 709330


聽胡人吹笛 李白 現代語訳と訳註 解説・参考

(本文)
胡人吹玉笛。 一半是秦聲。
十月吳山曉。 梅花落敬亭。
愁聞出塞曲。 淚滿逐臣纓。
卻望長安道。 空懷戀主情。

(下し文)
胡人(こじん)  玉笛(ぎょくてき)を吹く、一半は是(こ)れ秦声(しんせい)。
十月  呉山(ござん)の暁(あかつき)、梅花  敬亭(けいてい)に落つ。
愁えて出塞(しゅっさい)の曲を聞けば、涙は逐臣(ちくしん)の纓(えい)に満つ。
却(かえ)って長安の道を望み、空しく主(しゅ)を恋うるの情を懐(いだ)く。


(現代語訳)
胡人がきれいに輝いている笛曲を吹いている、一曲あって次の曲の半ばまで聞いていると漢の宮廷音楽の曲だ。
初冬の十月は 呉山の夜明けがうつくしい。梅花落の曲を聞けば  春の敬亭山を想い出す。
出塞の曲を聞けば、悲しみの愁いは胸に満ちてくる、思い出せばいっぱいの涙にあふれてくる、自分は天子から朝臣の徴の冠の紐を賜った事に執着しているのである。
やはり私は 長安の朝廷へ通ずる道を望んでいる、(それが宦官の讒言などにより通じないので)今はただ、むなしいことだけれど天子を恋い慕い詩を作るのである。


(訳註)
胡人吹玉笛。 一半是秦聲。

胡人がきれいに輝いている笛曲を吹いている、一曲あって次の曲の半ばまで聞いていると漢の宮廷音楽の曲だ。
玉笛 きれいに輝いている笛。漢の王朝で作曲された宮廷音楽という意味。○秦聲 漢の曲を奏でていることを示す。胡人は笛の名手が多く、笛を吹くといえば胡人と思われていたのでこの表現をしている。


十月吳山曉。 梅花落敬亭。
初冬の十月は 呉山の夜明けがうつくしい。梅花落の曲を聞けば  春の敬亭山を想い出す。
十月吳山曉 この句は下句の梅花落と関連する。梅花落というのは、「霜中能作花。露中能作實。」(霜中に能く花を作し、露中に能く実を作す)梅花は霜の中で花を咲かせ、霜の中で実を結んでいる。初冬10月は初霜、呉山の暁に木々の葉に霜の花が咲き、きれいということを示している。李白の詩は、この奥深さ、味わいの深さが楽しい。○梅花落 笛の曲に「梅花落」というものがある。この詩は、その曲を頭において作詩している。鮑照の詩(解説・参考1と2)


愁聞出塞曲。 淚滿逐臣纓。
出塞の曲を聞けば、悲しみの愁いは胸に満ちてくる、思い出せばいっぱいの涙にあふれてくる、自分は天子から朝臣の徴の冠の紐を賜った事に執着しているのである。
出塞曲 漢代の宮中音楽「楽府」、李延年等は『出塞』『入塞』の曲を作っている。この曲をもとに王昌齢、王之渙、高適など、笛曲、梅花落、出塞と結びつく。李白26 塞下曲六首参考 ○逐纓臣 一度天子に仕えたが都を追われた朝臣。纓は天子から賜れた冠の紐。 


卻望長安道。 空懷戀主情。
やはり私は 長安の朝廷へ通ずる道を望んでいる、(それが宦官の讒言などにより通じないので)今はただ、むなしいことだけれど天子を恋い慕い詩を作るのである。



(解説・参考)
○ 詩型 五言古詩
○ 押韻 聲。亭。/纓。情。



 李白は自分の詩の編纂を若き詩人魏万(のち顥と改名)に頼んでいる。この詩はそのことをうかがわせる詩である。
 854年天宝十三年、広陵(揚州)に姿を現わす。広陵では彼を最も崇拝し、兄弟のごとき交わりを結んだ魏万と出会った。魏万は、李白の名を慕って、山東・開封地方を訪ね、ついで南下して、江蘇・浙江省に至って、広陵ではじめて会った。山西にある王屋山に隠遁して王屋山人と号した。李白五十四歳のときである。魏万は、このときのことを『李翰林集』序で、(白を訪れんとして、天台に遊び、広陵に還り、之を見る。眸子烔然けり。哆ること餞えたる虎の如く、或いは是れ束帯し、風流にして醞籍やかなり。)
といっている。“詩を詠う時、ひとみが輝いて、飢えた虎のように素晴らしい句が次々に吐き出されてくる。その詩は、風流であり、卓越した雰囲気をかもしだしている。”と魏万は李白に心酔しているのである。


 李白の方は、「送王屋山人魏萬還王屋 并序」(王屋山人魏万の王屋に還るを送る)で、(身には日本の裳を著て、昂蔵りて風塵より出ず)といって、世俗を超越した態度をとって、隠遁している王屋山に還ってゆく姿を歌っている。この「日本裳」が、阿倍仲麻呂から贈られた日本の布で作ったものであること、その自注に明らかであり(「哭晁卿衡 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白163参照)。互いに肝胆相照らして、以後、諸所を歴遊し、共に金陵に至って別れる。この遍歴は李白にとって久しぶりの楽しいものであった。

 二人の友情の厚かったことは、詩の贈答はむろんのこと、このとき、李白は、その詩文をことごとく出して、魏万に文集を編纂させたことである。自分の詩文集を編纂させることは、自己の情報がすべてわかるわけで、場合によっては首が飛ぶことになるかもしれない。全くの心を許した仲でなければできないことである。この詩文集は、861年上元末、李白生前中にできたが、現存しない。ただ、魏万(顥)の序文が残り、いきさつが分かるのである。

 金陵に至っては一つのエピソードが『旧唐書』 に載せられている。長安を追放されてから、(乃ち江湖を浪跡い、終日沈いに飲む。時に侍御史の崔宗之、金陵に謫官され、白と詩酒もて唱和す。嘗て月夜舟に乗って采石(南京と当塗の中間にある采石磯) より金陵に達る。白は官錦袍を舟中に衣、顧り瞻みて笑倣いし、傍らに人無きが若し。)とある。久しぶりに長安時代における旧友の飲み仲間の崖宗之に会い、都の生活を思い起こし、詩を作り、酒を飲み、唱和したりして、楽しい会合であった。あるときには、月夜に揚子江に舟を浮かべ、采石磯より金陵まで下った。そのときには、長安時代に着た官錦袖を着て、あたりを顧みて平然と笑い、傍若無人の態度をとったという。長安時代の李白に返り、かつての李白の面目が再びよみがえってきたようである



参考1
杜甫は「春日李白を憶う」の中で、李白の詩の俊逸さを (鮑照の詩のようだ)と例えている。
「清新庾開府、俊逸鮑参軍。」(清新 庾開府(ゆかいふ)、俊逸 鮑参軍(ほうさんぐん)。)
清新なる君の詩風は、北周の庚信のようであり、それと俊逸な詩風は宋の飽照のようである。

春日憶李白 杜甫25


参考2
「梅花落」 鮑照
中庭雜樹多、偏為梅咨嗟。
問君何獨然、念其霜中能作花。
露中能作實、搖蕩春風媚春日。
念爾零落逐寒風、徒有霜華無霜質。
 
中庭に雜樹多きも、偏えに梅の為に咨嗟す。
君に問う 何ぞ独り然るや、
「念え 其霜中に能く花を作し、
露中に能く実を作すを。
春風に搖蕩し 春日に媚ぶるも、
念え 爾らは零落して寒風を逐い、
徒らに霜華有って霜質無きを。」


鮑照 412 頃-466 六朝時代、宋の詩人。字(あざな)は明遠。元嘉年間の三大詩人の一人として謝霊運・顔延之と併称された。



 毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
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李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi
kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首

送蕭三十一之魯中、兼問稚子伯禽 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-208

送蕭三十一之魯中、兼問稚子伯禽 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-208


送蕭三十一之魯中、兼問稚子伯禽

六月南風吹白沙,吳牛喘月氣成霞。
今年も六月になった、真夏の南風が、中州の白沙を吹き巻き上げて逝く、暑い呉(ご)の国の牛は、月が出てきたのを日(太陽)と間違えてあえぎ泣いている、湿った氣は、霞にかわる。
水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。
江南の水や湖の多い地方は蒸され、ひどく熱いこんなところを住いにすることは嫌なことだ、昼間の炎天下、はるか遠くまで路をゆくひとも、行車もまったくない。
夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。
大夫士たるきみがどうして大運河をゆくのか。船の雲帆にはそよそよと風が吹いている、ゆっくりと金陵に別れを告げるのだ。
高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。
この屋敷の高い所にお座敷があり、門に倚って旅立つ孔子の子、伯魚を見ているようである。魯の國に孔子の故郷で「趨庭の處」ということが分かっているところだ。自分も子供のことが思い出された。
我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。
我が家は、汶水の砂丘のそばにある集落のなかにある。かれこれ3年も帰っていない、妻が全く交わっていないので腸が断ち切れるほどの思いがある。
君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。

君がそこに立ち寄ってくれたなら、息子の伯禽の様子(姉の平陽のこと)を知らせてほしい、きっともう小車を操り、白羊に騎ったりするくらい大きくなっていることだろう。


六月、南風(はや)、白沙を吹き、呉牛、月に喘いで、氣、霞を成す。

水國鬱蒸、處(を)るべからず、時炎に、路遠くして、行車なし。

夫子如何ぞ、江路を渉る。雲帆嫋嫋(じょうじょう)、金陵に去る。

高堂、門に倚って伯魚を望む、魯中正に是れ趨庭の處(ところ)。

我が家、寄せて在り沙丘の傍、三年歸らず、空しく斷腸。

君が行、すでに識る伯禽子、應(まさ)に小車に駕して白羊に騎すべし。



送蕭三十一魯中。兼問稚子伯禽 現代語訳と訳註解説
(本文)

六月南風吹白沙,吳牛喘月氣成霞。
水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。
夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。
高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。
我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。
君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。


(下し文)
六月、南風、白沙を吹き、呉牛、月に喘いで、氣、霞を成す。
水國鬱蒸、處(を)るべからず、時炎に、路遠くして、行車なし。
夫子如何ぞ、江路を渉る。雲帆嫋嫋(じょうじょう)、金陵に去る。
高堂、門に倚って伯魚を望む、魯中正に是れ趨庭の處(ところ)。
我が家、寄せて在り沙丘の傍、三年歸らず、空しく斷腸。
君が行、すでに識る伯禽子、應(まさ)に小車に駕して白羊に騎すべし。


(現代語訳)
今年も六月になった、真夏の南風が、中州の白沙を吹き巻き上げて逝く、暑い呉(ご)の国の牛は、月が出てきたのを日(太陽)と間違えてあえぎ泣いている、湿った氣は、霞にかわる。
江南の水や湖の多い地方は蒸され、ひどく熱いこんなところを住いにすることは嫌なことだ、昼間の炎天下、はるか遠くまで路をゆくひとも、行車もまったくない。
大夫士たるきみがどうして大運河をゆくのか。船の雲帆にはそよそよと風が吹いている、ゆっくりと金陵に別れを告げるのだ。
この屋敷の高い所にお座敷があり、門に倚って旅立つ孔子の子、伯魚を見ているようである。魯の國に孔子の故郷で「趨庭の處」ということが分かっているところだ。自分も子供のことが思い出された。
我が家は、汶水の砂丘のそばにある集落のなかにある。かれこれ3年も帰っていない、妻が全く交わっていないので腸が断ち切れるほどの思いがある。
君がそこに立ち寄ってくれたなら、息子の伯禽の様子(姉の平陽のこと)を知らせてほしい、きっともう小車を操り、白羊に騎ったりするくらい大きくなっていることだろう。


(訳註)

蕭三十一の魯中に之くを送り、兼ねて稚子伯禽に問ふ 

六月南風吹白沙,吳牛喘月氣成霞。
今年も六月になった、真夏の南風が、中州の白沙を吹き巻き上げて逝く、暑い呉(ご)の国の牛は、月が出てきたのを日(太陽)と間違えてあえぎ泣いている、湿った氣は、霞にかわる。
○吳牛喘月 暑い呉(ご)の国の牛は、月が出てきたのを日(太陽)と間違えてあえぐ。ひどく恐れる喩(たと)え。また、取り越し苦労の喩えに使われる語である。


水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。
江南の水や湖の多い地方は蒸され、ひどく熱いこんなところを住いにすることは嫌なことだ、昼間の炎天下、はるか遠くまで路をゆくひとも、行車もまったくない。
水國 江南の水や湖の多い地方。○鬱蒸 密閉して蒸すこと。また、蒸されること。ひどく熱いこと。


夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。
大夫士たるきみがどうして大運河をゆくのか。船の雲帆にはそよそよと風が吹いている、ゆっくりと金陵に別れを告げるのだ。
嫋嫋 やわらかいよわい。風のそよぐさま。


高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。
この屋敷の高い所にお座敷があり、門に倚って旅立つ孔子の子、伯魚を見ているようである。魯の國に孔子の故郷で「趨庭の處」ということが分かっているところだ。自分も子供のことが思い出された。
伯魚 孔子の子。親より先に死んだ。○趨庭 庭さきを走りまわる。 『論語』季氏篇に、孔子の子の伯魚(鯉)が「鯉趨而過庭」(庭を趨って過ぎたとき)、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とつまり、詩経と書経を学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。この『論語』のことばを使用するのは、魯の國に孔子の故郷である曲阜があることによる。


我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。
我が家は、汶水の砂丘のそばにある集落のなかにある。かれこれ3年も帰っていない、妻が全く交わっていないので腸が断ち切れるほどの思いがある。
斷腸 性交渉を前提としたやるせない思いを言う。


君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。
君がそこに立ち寄ってくれたなら、息子の伯禽の様子(姉の平陽のこと)を知らせてほしい、きっともう小車を操り、白羊に騎ったりするくらい大きくなっていることだろう。
伯禽 1歳違いの下の男の子。姉は平陽。この頃8~10歳くらいだろう



(解説)
○七言歌行 
○押韻  沙,霞。車。去。處。/傍,腸。羊。  
 

 この詩は、簫某が魯に行くということを聞きつけ、送別の詩を贈ったものだ。朝廷を追われ、洛陽で杜甫と遭遇し、斉、魯で遊んだその1年半の間、李白は、「魯の女」、汶水の砂邱の家を中心に行動した。
 金陵での旅客生活も随分経過した。江南地方は蒸し暑くて生きた心地がしない。君は北の過ごしやすい所に行く。孔子の教えの地であるから儒学の勉強をするのもいいね。ついでに僕の長男伯禽の様子を知らせてくれと有りがたい。もう3年も帰っていないのである。少しは家族のことが気にかかったのか、外交辞令のあいさつ程度なのか、李白は家族に対してシャイなのか、詩に残していない。
その数少ない家族の詩は次の通り。

南陵別兒童入京 李白121

内別赴徴 三首 其一李白122

内別赴徴 三首 其二李白123

内別赴徴 三首 其三李白124

寄東魯二稚子李白47

現代と違って、家族の在り方、女性の生き方について考えられないほどの違いがある。男はプレイボーイで当たり前、通い婚があった、子供と留守を守るのは当たり前、詩だがって、家族のことを取り上げる風潮はないのである。また、恥ずかしい、はしたないことであるのである。逆に言えば、李白のこれらの詩は、家族のことを精一杯心配してるということかもしれない。

夜坐吟 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-207

夜坐吟 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-207


夜坐吟 李白
冬夜夜寒覺夜長、沈吟久坐坐北堂。
冬の夜は、夜の寒さがきびしければ厳しいほど、夜がますます長く感じられるものである。うれいの詩を吟じれば沈みこみ、ながい時間をじっと座れば座るほど、北の奥座敷に坐わることになる。
冰合井泉月入閨、金鉱青凝照悲啼。
寒さが増して氷が井戸にはりつめた、月の光が閨の部屋に冷たくさしこんでいる。黄金の油皿の火が青くこりかたまるほどの長い時間がたっている、悲しい泣きはらした顔を照らしだしている。
金釭滅、啼轉多、掩妾涙、聴君歌。
黄金の油皿の火がきえると、ますますひどく泣けてくる。わたしの涙をかくして、あなたの歌を聞きましょう。
歌有聲、妾有情、情聾合、兩無違。
歌はあなたのよい声でいい。わたしのこころには情がある。わたしの情と、いい声のあなたを、兩の手のように合わせ、たがいにちぐはぐのないようにしましょう。
一語不入意、従君萬曲梁塵飛。

一つのことばが、わたしの心情に響かないなら、あなたが万曲を歌ったとしても、それはただ、梁の上の塵を飛ばすほど澄みきった声であろうと、わたしに関係のないことなのよ、すきにしなさい。

夜坐吟

冬夜 夜は寒くして 夜の長きを覚ゆ、沈吟 久しく坐して北堂に坐す。

氷は井泉に合し 月は閏に入る、金紅青く凝って悲啼を照らす。

金紅滅し、啼くこと転(うた)た多し。

妾が涙を掩い、君が歌を聴く。

歌には声有り、妾には情有り。

情声合して、両つながら違(たご)う無けん。

一語 意に入らずんば、君が万曲梁塵(りょうじん)の飛ぶに従(ま)かせん。



夜坐吟 現代訳と訳註 解説。

(本文)
夜坐吟 李白

冬夜夜寒覺夜長、沈吟久坐坐北堂。
冰合井泉月入閨、金鉱青凝照悲啼。
金紅滅、啼轉多、掩妾涙、聴君歌。
歌有聲、妾有情、情聾合、兩無違。
一語不入意、従君萬曲梁塵飛。
  
(下し文)
冬夜 夜は寒くして 夜の長きを覚ゆ、沈吟 久しく坐して北堂に坐す。
氷は井泉に合し 月は閏に入る、金紅青く凝って悲啼を照らす。
金紅滅し、啼くこと転(うた)た多し。
妾が涙を掩い、君が歌を聴く。
歌には声有り、妾には情有り。
情声合して、両つながら違(たご)う無けん。
一語 意に入らずんば、君が万曲梁塵(りょうじん)の飛ぶに従(ま)かせん。
  
(現代語訳)
冬の夜は、夜の寒さがきびしければ厳しいほど、夜がますます長く感じられるものである。うれいの詩を吟じれば沈みこみ、ながい時間をじっと座れば座るほど、北の奥座敷に坐わることになる。
寒さが増して氷が井戸にはりつめた、月の光が閨の部屋に冷たくさしこんでいる。黄金の油皿の火が青くこりかたまるほどの長い時間がたっている、悲しい泣きはらした顔を照らしだしている。
黄金の油皿の火がきえると、ますますひどく泣けてくる。
わたしの涙をかくして、あなたの歌を聞きましょう。
歌はあなたのよい声でいい。わたしのこころには情がある。わたしの情と、いい声のあなたを、兩の手のように合わせ、たがいにちぐはぐのないようにしましょう。


一つのことばが、わたしの心情に響かないなら、あなたが万曲を歌ったとしても、それはただ、梁の上の塵を飛ばすほど澄みきった声であろうと、わたしに関係のないことなのよ、すきにしなさい。

  
夜坐吟(語訳と訳註)
  
夜坐吟 六朝の、飽照の詩集に「代夜坐吟」と題する楽府。
冬夜沈沈夜坐吟、含聲未発已知心。
霜入幕、風度林、 朱灯滅、 朱顔尋。
体君歌、逐君音、 不貴声、 貴意探。


この詩は、冬の夜に人の歌うのを聞いて、歌の声のよさよりも歌う心の深さを貴ぶ、とうたっている。李白も、同じリズムを借り、同じ発想によっている。

冬夜夜寒覺夜長、沈吟久坐坐北堂。
冬の夜は、夜の寒さがきびしければ厳しいほど、夜がますます長く感じられるものである。うれいの詩を吟じれば沈みこみ、ながい時間をじっと座れば座るほど、北の奥座敷に坐わることになる。
沈吟 かんがえこむこと。うれえなげくこと。○北堂 北向の奥の部室婦人がここに住む。


冰合井泉月入閨、金鉱青凝照悲啼。
寒さが増して氷が井戸にはりつめた、月の光が閨の部屋に冷たくさしこんでいる。黄金の油皿の火が青くこりかたまるほどの長い時間がたっている、悲しい泣きはらした顔を照らしだしている。
冰井合 井戸の水が氷って音を立てる。。○ 美人の寝室。


金紅滅、啼轉多、掩妾涙、聴君歌。
黄金の油皿の火がきえると、ますますひどく泣けてくる。
わたしの涙をかくして、あなたの歌を聞きましょう。
金釭 釭は、ともしぴの油皿。それが黄金づくり。○ ますます。○ 女の一人称。


歌有聲、妾有情、情聾合、兩無違。
歌はあなたのよい声でいい。わたしのこころには情がある。わたしの情と、いい声のあなたを、兩の手のように合わせ、たがいにちぐはぐのないようにしましょう。


一語不入意、従君萬曲梁塵飛。
一つのことばが、わたしの心情に響かないなら、あなたが万曲を歌ったとしても、それはただ、梁の上の塵を飛ばすほど澄みきった声であろうと、わたしに関係のないことなのよ、すきにしなさい。
 なるが儘にまかせる。したいようにしなさい、わたしには関係ないことだ。〇万曲 情をふくんだ一曲には心を動かされるが、情のない万曲のいい声で歌っても気にもとまらない。○梁塵飛 漢の劉向の「別録」に、漢はじまって以来の名歌手といわれる魯の人虞公は、声がすみきっていて、歌うと、梁の上につもった塵までが動いたという美声の故事。



(解説)
 冬の長き夜が、一人寝の場合長くなり、待ち人が来ないと更に長く感じる。近頃はちっとも来てくれないので毎夜泣き腫らしていた。今日も泣き腫らしていたら私の心を動かすようないい声のあなたが来てくれた。心とあなたの思いやりのある歌声できっと固く結ばれるはず。
心で結び合いたいと願っている。心が結ばれたら、あなたが来ない寒い夜もきっと泣かないでいられると思う。
 
 梁の上の塵、梁に朝日が射すなど梁の語は女性目線で寝転んで上を見ている、つまり、性交を意味している。
あなたのいい声で私の心に響かせてくれたら、明日から泣かないで済むという。
 一夜の情交でも心が通じ合うことを夢見ている妓女の詩である。


醉後贈從甥高鎮  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-206

醉後贈從甥高鎮  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-206


醉後贈從甥高鎮
酔いが回った後にいとこの高鎮に贈った詩。
馬上相逢揖馬鞭、客中相見客中憐。』
たがいに馬の上で出あい、馬の鞭を高くふりあげて敬礼する。たがいに流浪の身であるのを見て、たがいに同情しあう。
欲邀擊筑悲歌飲、正值傾家無酒錢。
故事に云う「筑を撃ちならし悲歌慷慨する」悲壮歌を歌う時は仲間をむかえて酒を飲みたいものだが、ちょうどいま、家計は傾き、酒を買う銭も無いのが正直なところだ。
江東風光不借人、枉殺落花空自春。』
江南の風光明美な恵まれた地方であっても人を助けてはくれないのだ、いたずらにむなしく花びらを散らし、空虚に春がすぎていくのである。
黃金逐手快意盡、昨日破產今朝貧。
黄金は手あたりしだい、思うがまま、気ままに使いはたした。きのうすべて使い果たしたので、今朝はもう貧乏の極みなのだ。
丈夫何事空嘯傲、不如燒卻頭上巾。
男一人、プライドを捨てないで空威張りを決め込んでも何にもならないのだ。それより、頭の上の窮屈な平巾幘の帽子など焼いてしまった方がよいのだろう。
君為進士不得進、我被秋霜生旅鬢。
君は高進士試験に及第している、まだ官吏になれないけれども立派なものだ。旅の身のぼくは鬢の毛に秋の霜のよぅな白髪が生えてきている。
時清不及英豪人、三尺童兒重廉藺。』
太平の時代の恩恵は、英豪の人にはかえって及ばないものだ。三尺の背ぐらいしかない子供でも、讒言によって貶められた廉塵や蘭相如をばかにしているではないか。
匣中盤劍裝鞞魚、閑在腰間未用渠。
わが家の武具箱の中には、サメの鞘に入れた一ふりの盤剣がある、ぶらぶら、腰にぶらさげるだけで、一度もそれを使ったことはないものだ。
且將換酒與君醉、醉歸托宿吳專諸。』
その盤剣を酒に換えてきて、君とともに酔うことにしよう。酔ったあげくは、呉の刺客、専諸のところへでもころがり込もうじゃないか。




醉後贈從甥高鎮 現代語訳と訳註
(本文)

馬上相逢揖馬鞭、客中相見客中憐。』
欲邀擊筑悲歌飲、正值傾家無酒錢。
江東風光不借人、枉殺落花空自春。』
黃金逐手快意盡、昨日破產今朝貧。
丈夫何事空嘯傲、不如燒卻頭上巾。
君為進士不得進、我被秋霜生旅鬢。
時清不及英豪人、三尺童兒重廉藺。』
匣中盤劍裝鞞魚、閑在腰間未用渠。
且將換酒與君醉、醉歸托宿吳專諸。』

(下し文)
馬上相逢うて 馬鞭を揖(いつ)し、客中相見て 客中に憐れむ。
撃筑悲歌を邀(むか)えて飲まんと欲するも、正に値(お)う家を傾けて酒銭の無きに。
江東の風光 人に借(か)さず、枉殺す落花 空しく自のずから春なるを。
黄金手を逐うて 意の快(まま)に尽き、咋日産を破りて 今朝貧なり。
丈夫何事ぞ 空しく嘯傲(しょうごう)する、如(し)かず頭上の巾を焼却せんには。
君は進士と為るも 進むを得ず、我は秋霜 旅鬢に生ぜらる。
時清けれど英豪の人に及ばず、三尺の童児も廉藺に唾す。
匣中の盤剣 鞞魚を装うも、閑(あだ)に腰間に在って 未だ渠(かれ)を用いず。
且つ将って酒に換えて 君と与に酔い、酔帰して呉の専諸に託宿せんとす。

(現代語訳)
酔いが回った後にいとこの高鎮に贈った詩。
たがいに馬の上で出あい、馬の鞭を高くふりあげて敬礼する。たがいに流浪の身であるのを見て、たがいに同情しあう。
故事に云う「筑を撃ちならし悲歌慷慨する」悲壮歌を歌う時は仲間をむかえて酒を飲みたいものだが、ちょうどいま、家計は傾き、酒を買う銭も無いのが正直なところだ。
江南の風光明美な恵まれた地方であっても人を助けてはくれないのだ、いたずらにむなしく花びらを散らし、空虚に春がすぎていくのである。
黄金は手あたりしだい、思うがまま、気ままに使いはたした。きのうすべて使い果たしたので、今朝はもう貧乏の極みなのだ。
男一人、プライドを捨てないで空威張りを決め込んでも何にもならないのだ。それより、頭の上の窮屈な平巾幘の帽子など焼いてしまった方がよいのだろう。
君は高進士試験に及第している、まだ官吏になれないけれども立派なものだ。旅の身のぼくは鬢の毛に秋の霜のよぅな白髪が生えてきている。
太平の時代の恩恵は、英豪の人にはかえって及ばないものだ。三尺の背ぐらいしかない子供でも、讒言によって貶められた廉塵や蘭相如をばかにしているではないか。
わが家の武具箱の中には、サメの鞘に入れた一ふりの盤剣がある、ぶらぶら、腰にぶらさげるだけで、一度もそれを使ったことはないものだ。
その盤剣を酒に換えてきて、君とともに酔うことにしよう。酔ったあげくは、呉の刺客、専諸のところへでもころがり込もうじゃないか。


(語訳と訳註)
醉後贈從甥高鎮
酔いが回った後にいとこの高鎮に贈った詩。
従甥 自分の家の女子が他家に嫁入して生んだ子。○高鎮 李白の詩「従甥高五に贈別す」の高五と同人物であるらしい。


馬上相逢揖馬鞭、客中相見客中憐。』
たがいに馬の上で出あい、馬の鞭を高くふりあげて敬礼する。たがいに流浪の身であるのを見て、たがいに共感しあう。
敬礼する。○客中旅のさなか。○ 共感する。


欲邀擊筑悲歌飲、正值傾家無酒錢。
故事に云う「筑を撃ちならし悲歌慷慨する」悲壮歌を歌う時は仲間をむかえて酒を飲みたいものだが、ちょうどいま、家計は傾き、酒を買う銭も無いのが正直なところだ。
撃筑悲歌 筑は、中国古代の楽器。形は琴に似ていて、竹尺で綾を撃ち鳴らす。戦国時代の燕の国の侠客、荊軻は、酒がすきで、かれの友だちである犬殺しや高漸離という筑の名手と、毎日、燕の市中で酒を飲んだ。酔いがまわると、高漸離が筑を撃ち、荊封がそれにあわせて悲壮な歌をうたった。いっしょに慷慨して泣き、傍に人がいないかのようにふるまった。話は、「史記」刺客列伝に見える。


江東風光不借人、枉殺落花空自春。』
江南の風光明美な恵まれた地方であっても人を助けてはくれないのだ、いたずらにむなしく花びらを散らし、空虚に春がすぎていくのである。
江東 江南に同じ。長江下流域南地方、江蘇・浙江省方面。湖水が多く、風光明美な地方。○枉殺 枉は、むなしく、いたずらに。殺は、強調の字。


黃金逐手快意盡、昨日破產今朝貧。
黄金は手あたりしだい、思うがまま、気ままに使いはたした。きのうすべて使い果たしたので、今朝はもう貧乏の極みなのだ。
よい。
逐手 手あたりしだい。○快意 思うがまま


丈夫何事空嘯傲、不如燒卻頭上巾。
男一人、プライドを捨てないで空威張りを決め込んでも何にもならないのだ。それより、頭の上の窮屈な平巾幘の帽子など焼いてしまった方がよいのだろう。
嘯傲 自由奔放に鼻歌に吟じてみる。プライドを捨てないで空威張りを決め込むこと。○頭上巾 平巾幘(さく)帽。平巾幘(さく)帽00
 平巾幘(さく)帽


君為進士不得進、我被秋霜生旅鬢。
君は高進士試験に及第している、まだ官吏になれないけれども立派なものだ。旅の身のぼくは鬢の毛に秋の霜のよぅな白髪が生えてきている。
進士官吏登用試験の及第者。


時清不及英豪人、三尺童兒重廉藺。』
太平の時代の恩恵は、英豪の人にはかえって及ばないものだ。三尺の背ぐらいしかない子供でも、讒言によって貶められた廉塵や蘭相如をばかにしているではないか。
英素人すぐれた能力のある人。○廉藺 簾頗と藺相如。「刎頸の交わり」の故事で知られる「史記」列伝に見える人物。どちらも戦国時代の趙の国の大臣で、廉顔は軍事上、囁相加は外交上、それぞれ特別の手柄を立てたので有名。奸臣による讒言のため、晩年は無能呼ばわりされた。


匣中盤劍裝鞞魚、閑在腰間未用渠。
わが家の武具箱の中には、サメの鞘に入れた一ふりの盤剣がある、ぶらぶら、腰にぶらさげるだけで、一度もそれを使ったことはないものだ。
はこ,武道具箱○盤劍 盤状の劍。○鞞魚 さめ皮で刀のさやをつくる。鞘のこと。○ かれ。指示代名詞。


且將換酒與君醉、醉歸托宿吳專諸。』
その盤剣を酒に換えてきて、君とともに酔うことにしよう。酔ったあげくは、呉の刺客、専諸のところへでもころがり込もうじゃないか。
專諸 戦国時代の呉の国の侠客。呉の公子光すなわち後の呉王闔閭のために呉王僚を刺殺した。「史記」刺客列伝に見える。


秋日登揚州西霊塔 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-205

秋日登揚州西霊塔 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-205 


秋日登揚州西霊塔 李白

宝塔凌蒼蒼、登攀覧四荒。
宝塔は 青々とした大空を凌駕するように立っている、登ってみれば  世界の果てまですべて見渡せる。
頂高元気合、標出海雲長。
宝塔の頂は高く聳えて森羅万象の基本となる「気」が集合しておるのだ、その先端は抜き出ており、海、雲より長いのだ。
万象分空界、三天接画梁。
宝塔の頂は高く聳えて森羅万象の基本となる「気」が集合しておるのだ、その先端は抜き出ており、海、雲より長いのだ。
水揺金刹影、日動火珠光。』
金色に輝くこの寶塔の影は池の水面に揺れ動く、太陽のかがやきは、 火の珠(たま)で輝き動いているのだ。
鳥払瓊簷度、霞連繡栱張。
赤玉で飾った軒端をかすめて鳥は飛びかう、夕焼けの空は、四方に張った幔幕の向こうに拡がっている。
目随征路断、心逐去帆揚。
宝塔から見る目は旅路の見える限りをみつめるのである、そして心は、去りゆく船の帆影を高めていてそれを追いかける。
露浩梧楸白、風催橘柚黄。
晩秋の桐や楸(ひさぎ)の実は、露を受けて白くなっている、風に吹かれて蜜柑は熟れ黄色に色付きゆれる。
玉毫如可見、於此照迷方。』

もしも玉毫の仏は一万八千世界を見とおせるという、そのちからで、いまここで迷える方向を照らしてほしい。


秋日登揚州西霊塔 李白 現代語訳と訳註、解説

(本文)
宝塔凌蒼蒼、登攀覧四荒。
頂高元気合、標出海雲長。
万象分空界、三天接画梁。
水揺金刹影、日動火珠光。』
鳥払瓊簷度、霞連繡栱張。
目随征路断、心逐去帆揚。
露浩梧楸白、風催橘柚黄。
玉毫如可見、於此照迷方。』

(下し文)


    
(下し文) 秋日 揚州の西霊塔に登る
宝塔(ほうとう)は蒼蒼(そうそう)を凌(しの)ぎ、登攀(とうはん)して四荒(しこう)を覧(み)る。
頂きは高くして元気(げんき)と合し、標(ひょう)は出でて海雲(かいうん)長し。
万象(ばんしょう)  空界(くうかい)を分(わか)ち、三天(さんてん)   画梁(がりょう)に接す。
水は金刹(こんせつ)の影を揺(うご)かし、日は火珠(かしゅ)の光を動かす。
鳥は瓊簷(けいえん)を払って度(わた)り、霞(か)は繡栱(しゅうきょう)に連なって張(は)る。
目は征路(せいろ)に随って断(た)え、心は去帆(きょはん)を逐(お)うて揚(あ)がる。
露浩(おお)しくて梧楸(ごしゅう)白く、風催(うなが)して橘柚(きつゆう)黄なり。
玉毫(ぎょくごう)  如(も)し見る可(べ)くんば、此(ここ)に於いて迷方(めいほう)を照らさん。

(現代語訳)
宝塔は 青々とした大空を凌駕するように立っている、登ってみれば  世界の果てまですべて見渡せる。
宝塔の頂は高く聳えて森羅万象の基本となる「気」が集合しておるのだ、その先端は抜き出ており、海、雲より長いのだ。
金色に輝くこの寶塔の影は池の水面に揺れ動く、太陽のかがやきは、 火の珠(たま)で輝き動いているのだ。
赤玉で飾った軒端をかすめて鳥は飛びかう、夕焼けの空は、四方に張った幔幕の向こうに拡がっている。
宝塔から見る目は旅路の見える限りをみつめるのである、そして心は、去りゆく船の帆影を高めていてそれを追いかける。
晩秋の桐や楸(ひさぎ)の実は、露を受けて白くなっている、風に吹かれて蜜柑は熟れ黄色に色付きゆれる。
もしも玉毫の仏は一万八千世界を見とおせるという、そのちからで、いまここで迷える方向を照らしてほしい。

(語訳と訳註)
宝塔凌蒼蒼、登攀覧四荒。
宝塔は 青々とした大空を凌駕するように立っている、登ってみれば  世界の果てまですべて見渡せる。
蒼蒼 大空が青々と広がっているさま。 ○登攀 上りあががること。 ○四荒 四方の果ての先には海があると考えられていた。天涯、など。


頂高元気合、標出海雲長。
宝塔の頂は高く聳えて森羅万象の基本となる「気」が集合しておるのだ、その先端は抜き出ており、海、雲より長いのだ。


万象分空界、三天接画梁。
すべての自然の現象というものは、空の界を分けている、天、地、人と日、月、星の三霊三界は、天の架け橋の梁に接している。


水揺金刹影、日動火珠光。
金色に輝くこの寶塔の影は池の水面に揺れ動く、太陽のかがやきは、 火の珠(たま)で輝き動いているのだ。
金刹 金色に輝くこの寶塔


鳥払瓊簷度、霞連繡栱張。
赤玉で飾った軒端をかすめて鳥は飛びかう、夕焼けの空は、四方に張った幔幕の向こうに拡がっている。
瓊簷 赤玉の彫刻で飾った軒端。○繡栱張 四方に張った幔幕。

目随征路断、心逐去帆揚。
宝塔から見る目は旅路の見える限りをみつめるのである、そして心は、去りゆく船の帆影を高めていてそれを追いかける。


露浩梧楸白、風催橘柚黄。
晩秋の桐や楸(ひさぎ)の実は、露を受けて白くなっている、風に吹かれて蜜柑は熟れ黄色に色付きゆれる。
梧楸白 桐や楸(ひさぎ)の実


玉毫如可見、於此照迷方。
もしも玉毫の仏は一万八千世界を見とおせるという、そのちからで、いまここで迷える方向を照らしてほしい。
照迷方 一万八千世界、迷えるものの行く末を照らすこと。

(解説)
・詩型 五言排律
・押韻 蒼、荒。長。梁。光。/張。揚。黄。方。


 揚州に向かっていた李白が、揚州に着いたころ、晩秋になっていた。揚州の「西霊塔」(せいれいとう)は、当時の塔のなかでは最も高いものであった。ここにきたものは必ず西霊塔に登った。

塔から夕焼けの空が「繡栱」(桝形)の向こうに拡がっているのを眺め、旅の行く末を思い、揚州の渡津(としん)を出てゆく船の帆影に胸の高まるのを覚えた。しかし、自然がおのずからその実りをもたらすように、自明のこととして自分の将来を見定めることはできません。
 「玉毫」は仏の額の巻き毛のことで、東方一万八千世界を照らすといいます。もしも未来が分かるというのなら、いまここで迷える方向を照らしてほしいと詩を結び、李白は東魯を旅立っては来たものの行くべき人生の方向が定まらず、心に迷いを生じていることを告白しています。

前有樽酒行二首 其二  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 204

前有樽酒行二首 其二  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 204

前有樽酒行 其二  

琴奏龍門之緑桐、玉壺美酒晴若空。
琴というものは、竜門山の緑の桐で作ったもので演奏するにかぎる。玉の壺にたたえたうまい酒というのは、晴れた空のようにすみきっていて空っぽに見えるのがいい。
催絃拂柱與君飲、看朱成碧顔始紅。
絃をかきならし、琴柱をうごかしながら、君といっしょに飲む。赤い物が青い色に見えたり、ほろ酔いで顔もほんのりあかくなったり、悪酔いをしたりしている。
胡姫貌如花、當壚笑春風。
ペルシャ人の女は、顔立ちがはっきりして花のようだ。酒をうりながら、色香を振りまいて誘ってくる。
笑春風、舞羅衣。
春風のほほえみという誘いに乗ったので、うすぎぬの衣で舞っている。
君今不酔將安歸。

さあ君、いまこそ酔おうではないか。いまさら何処へどう落ち着こうというのか。


前有樽酒行 其の二
琴は竜門の緑桐を奏し、玉壺美酒 清くして空しきが若し。
絃を催し柱(ことじ)を払って君と飲む、朱を看て碧と成れば顔始めて紅なり。
胡姫の貌 花の如し、壚に当って 春風に笑う。
春風に笑い、羅衣を舞う。
君今酔わずして将に安くにか帰らんとする。


前有樽酒行 其二 現代語訳と訳註 解説

(本文)
琴奏龍門之緑桐、玉壺美酒晴若空。
催絃拂柱與君飲、看朱成碧顔始紅。
胡姫貌如花、當壚笑春風。
笑春風、舞羅衣。
君今不酔將安歸。
  
(下し文)
琴は竜門の緑桐を奏し、玉壺美酒 清くして空しきが若し。
絃を催し柱(ことじ)を払って君と飲む、朱を看て碧と成れば顔始めて紅なり。
胡姫の貌 花の如し、壚に当って 春風に笑う。
春風に笑い、羅衣を舞う。
君今酔わずして将に安くにか帰らんとする。
  
(現代語訳)
琴というものは、竜門山の緑の桐で作ったもので演奏するにかぎる。玉の壺にたたえたうまい酒というのは、晴れた空のようにすみきっていて空っぽに見えるのがいい。
絃をかきならし、琴柱をうごかしながら、君といっしょに飲む。赤い物が青い色に見えたり、ほろ酔いで顔もほんのりあかくなったり、悪酔いをしたりしている。
ペルシャ人の女は、顔立ちがはっきりして花のようだ。酒をうりながら、色香を振りまいて誘ってくる。
春風のほほえみという誘いに乗ったので、うすぎぬの衣で舞っている。
さあ君、いまこそ酔おうではないか。いまさら何処へどう落ち着こうというのか。


(語訳と訳註)

琴奏龍門之緑桐、玉壺美酒晴若空。
琴というものは、竜門山の緑の桐で作ったもので演奏するにかぎる。玉の壺にたたえたうまい酒というのは、晴れた空のすみきっていて空っぽに見えるのがいい。
竜門之縁桐 「周礼」に、竜門の琴宏は、祖先のみたまやの中で之を演奏する、とある。鄭玄の注によると、竜門は山の名で、この山の桐は、高さが百尺で枝がなく、琴の材料に用いられる。〇晴若空 晴れた空のようにすみきっていて空っぽに見える。


催絃拂柱與君飲、看朱成碧顔始紅。
絃をかきならし、琴柱をうごかしながら、君といっしょに飲む。赤い物が青い色に見えたり、ほろ酔いで顔もほんのりあかくなったり、悪酔いをしたりしている。
催絃 絃舷をせきたてる。せわしく絃をかきならす。○払柱 琴柱をはらう。「払」は琴そのものを女性とするので、性行為の比喩である。自由奔放に琴をひくことと表現する。○看朱成碧 赤い色が青く見える。ここでは、酔って物の見分けがつかなくなること、ほろ酔いであったり、悪酔いをしたものと解釈する。


胡姫貌如花、當壚笑春風。
ペルシャ人の女は、かおだちがはっきりして花のようだ。酒をうりながら、色香を振りまいて誘ってくる。
胡姫 外人の女。当時、長安の酒場にイラン系の美女がいて、歌ったり舞ったりお酌したりした。李白によく登場するが、杜甫の詩にも見える。○貌如花 目鼻立ちが大きくはっきりしている。○当墟 櫨は、酒がめを置く所。漢の文人司馬相加が、美しい女房の卓文君を壚のそばに坐らせ、酒を売らせた話は有名である。「史記」や「漢書」に見える。当壚は、酒を売ること。(おカンの番をすると解することが多い)○笑春風 色香を振りまいて誘うこと。中国古代王朝周幽王は、一人の絶世の美女の気を引こうとしたために、国を滅ぼした。


笑春風、舞羅衣。
春風のほほえみという誘いに乗ったので、うすぎぬの衣で舞っている。
蘿衣 うすぎぬの衣。


君今不酔將安歸。
さあ君、いまこそ酔おうではないか。いまさら何処へどう落ち着こうというのか。


(解説)
琴は、龍門之緑桐、酒は、玉壺で寝かせた清酒がいい。
それがそろったら、美女の微笑が一番だ。
今更どこへどうするというのだ。とにかく飲もう。

美女微笑と傾国はよく詠われる。また胡女となればペルシャの女となる。唐の時代は長安は国際都市で、西方白人系の女性が流入していたのである。

参考 美女微笑と傾国
 紀元前8世紀頃、中国古代王朝の一つ、周の12代目幽王は、一人の絶世の美女の気を引こうとしたために、国を滅ぼし一切合切を失う羽目になってしまった。その絶世の美女は襃似(ほうじ)という王妃だった。「その唇は珊瑚のごとく、その歯は真珠のごとく、その指は、のみで彫られた硬玉のごとし」とうたわれているように、彼女は、さまざまな文献、言い伝えにその美しさが表現されるほどの美女であった。
 幽王は、この絶世の美女に溺愛するあまり、正妃と正妃の産んだ子を廃して、褒似を妃として、その子を皇太子にしてしまうほどであった。しかし、どうしたことか、これほどの寵愛を受けているにもかかわらず、彼女は、幽王のもとに来てからは、ただの一度として笑ったことはなかった。そこで、のろしを上げ、各地から慌てて馳せ参じてくる諸候の狼狽ぶった表情を見て、微笑を誘い、これをくりかえした。オオカミ少年と同様、適の侵略に対抗できず、国を滅ぼした。

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