漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2011年12月

古朗月行 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 264/350

 
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古朗月行 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 264/350

古朗月行#1
爺さんが月をみて歌う。
小時不識月、呼作白玉盤。
小さい時分、月のことを何であるか知らなかった。白い玉のお皿、お盆と呼んでいた。
又疑瑤台鏡、飛在青云端。
そしてまた、十二層の楼台すむ仙女の使う鏡と間違って思っていた、それに鏡が空を飛んで青い雲の端にひっかかっているのかと思っていた。
仙人垂兩足、桂樹何團團。
よく見ると、仙人が両足を垂らしているようにもみえた。桂の樹木が何と奥の奥までこんもりと茂っているのだ。
白兔搗藥成、問言與誰餐。
白うさぎは仙薬を搗いて作りあげるのだが、「いったいだれに食べさすの。」などとたずねたものだ。
#2
蟾蜍蝕圓影、大明夜已殘。
羿昔落九烏、天人清且安。
陰精此淪惑、去去不足觀。
憂來其如何、淒愴摧心肝。

1

小時(しょうじ)月を識(し)らず、呼んで白玉(はくぎよく)の盤(はち)と作(な)す。

又た疑ふ瑤台(ようだい)の鏡、飛んで碧雲(へきうん)の端に在るかと。

又た疑う 瑶台の鏡、飛んで青雲の端に在るかと。

仙人 両足を垂る、桂樹 何ぞ団団たる。

白兔 薬を搗いて成る、問うて言う 誰に与えて餐(さん)せしむるかと。


#2
蟾蜍(せんじょ)は 円影を蝕し、大明 夜已に残く。
羿(げい)は昔 九鳥を落とし、天人 清く且つ安し。
陰精(いんせい) 此に淪惑(りんわく)、去去 観るに足らず。
憂 來りて 其れ如何、悽愴(せいそう) 心肝を摧(くだ)く。

tsuki001



古朗月行 現代語訳と訳註
(本文)#1

小時不識月、呼作白玉盤。
又疑瑤台鏡、飛在青云端。
仙人垂兩足、桂樹何團團。
白兔搗藥成、問言與誰餐。

(下し文) #1
小時(しょうじ)月を識(し)らず、呼んで白玉(はくぎよく)の盤(はち)と作(な)す。
又た疑ふ瑤台(ようだい)の鏡、飛んで碧雲(へきうん)の端に在るかと。
又た疑う 瑶台の鏡、飛んで青雲の端に在るかと。
仙人 両足を垂る、桂樹 何ぞ団団たる。
白兔 薬を搗いて成る、問うて言う 誰に与えて餐(さん)せしむるかと。


(現代語訳)
爺さんが月をみて歌う。
小さい時分、月のことを何であるか知らなかった。白い玉のお皿、お盆と呼んでいた。
そしてまた、十二層の楼台すむ仙女の使う鏡と間違って思っていた、それに鏡が空を飛んで青い雲の端にひっかかっているのかと思っていた。
よく見ると、仙人が両足を垂らしているようにもみえた。桂の樹木が何と奥の奥までこんもりと茂っているのだ。
白うさぎは仙薬を搗いて作りあげるのだが、「いったいだれに食べさすの。」などとたずねたものだ。


(訳注)
古朗月行 

爺さんが月をみて歌う
○飽照の楽府に「代朗月行」というのがある。


小時不識月、呼作白玉盤。
小さい時分、月のことを何であるか知らなかった。白い玉のお皿、お盆と呼んでいた。


又疑瑤台鏡、飛在青云端。
そしてまた、十二層の楼台すむ仙女の使う鏡と間違って思っていた、それに鏡が空を飛んで青い雲の端にひっかかっているのかと思っていた。
瑤台 仙女の居所。十二層の楼台。十二は道教の聖数に由来する。ここでは謝朓の「玉階怨」「清平調詞其一」


仙人垂兩足、桂樹何團團。
よく見ると、仙人が両足を垂らしているようにもみえた。桂の樹木が何と真ん丸で奥の奥までこんもりと茂っているのだ。
仙人垂両足 中国の古代神話によると、月世界には仙人がすみ、桂の樹が生えている。毎月中ごろになると、仙人の両足が見えはじめ、月がしだいにまるくなるにつれ、桂の樹がはっきりと見えてくる。○団団 丸いまるいさま。


白兔搗藥成、問言與誰餐。
白うさぎは仙薬を搗いて作りあげるのだが、「いったいだれに食べさすの。」などとたずねたものだ。
白兎搗藥 中国古代神話によると、月世界では白いうさぎがいつも仙薬をついている。中國の月の神話は、多様である。陰陽思想、五行思想、道教思想にそれぞれ幾通りもある。ほとんどが、その時期の王朝のことを比喩するものであるから、それぞれの時代で少しずつ変化し、付け加えられたものである。


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登邯鄲洪波台置酒観発兵 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 263/350

登邯鄲洪波台置酒観発兵 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 263/350
(邯鄲の洪波台に登り置酒して兵を発するを観る)

李白の行動を752年春まで戻る。場所は、広平・邯鄲に遊んでいる。李林甫は病気がちになり、権力移譲が安禄山、楊国忠、哥舒翰の方向へ、始まっていたのだ。安禄山のもとには、当時の王朝に不満をもつ者が集結し始め始めたのだ。李白もある程度の期待をもって安禄山に接近したということであろう。
         

登邯鄲洪波台置酒觀發兵

我把兩赤羽。 來游燕趙間。
各地から、ここに集まっているが、私は、赤羽根矢など武具を携えてここに来た。安禄山の治める燕趙の地方に旅して来て、いろんなことを経験している。
天狼正可射。 感激無時閑。
南で、楊国忠の軍が大敗したが、天下の敵は北方の異民族であり、まさにいま、この異民族を討つべきときなのだ。この地に来て、わたしの胸は高鳴り、敵に向かう気持ちは最高潮に達していて、 心は片時もやすまらないのだ。
觀兵洪波台。 倚劍望玉關。
天下は不安定な時期であり、洪波の司令部から出陣していく徴兵された兵隊の行進を見ている、剣や弓矢でもって西域の戦いに向けて玉門関に向かうのであろう。
請纓不系越。 且向燕然山。
漢の終軍(しゅうぐん)は何度も北方民族への使者となる詩、纓(冠を着けるための永い紐)を請うて南越王を縛り上げてくると言って出掛けたが、越を従えることはできなかった。いまは北のかた敵の本陣である燕然山に向かうときである。
風引龍虎旗。 歌鐘昔追攀。
風は天子から将軍を任じられたこと示す龍虎の旗をなびかせ行進する。鳴る鐘の音(ね)に、昔のこと、天子から下命を受けたことなどを次々に想い出す。
擊筑落高月。 投壺破愁顏。
筑を鳴らしてうたうときは月が昇り月の沈むときまで酒を酌み交わすものだ。投壺の勝負を競うときは昔の愁いも何もかも打ち破ってどよめきおお笑いをするものだ。
遙知百戰勝。 定掃鬼方還。

西域で高仙之が敗れ、安禄山は、南詔を討って大敗し、大食国を討って大敗したが、これからはわが軍はきっと百戦連勝してくれるはずである、そして、異民族の軍を打ち破って、平らげて凱旋してくれるであろう。


(邯鄲の洪波台に登り置酒して兵を発するを観る)

我 両(ふたつ)の赤羽(せきう)を把(と)り、燕趙(えんちょう)の間(かん)に来遊す。
天狼(てんろう)  正(まさ)に射る可く、感激 時に閑(かん)なる無し。
兵を洪波台(こうはだい)に観(み)んとし、剣を倚(あわ)せて玉関(ぎょくかん)に望む
纓(えい)を請(こ)うて越(えつ)を繋(つな)がず、且(しばら)く燕然山(えんぜんざん)に向かう。
風は龍虎の旗を引き、歌鐘(かしょう)は昔を追攀(ついはん)す。
撃筑(げきちく) 高くある月 )落としむ、投壺(とうこ) 愁顔(しゅうがん)を破る。
遥かに知る  百戦を勝つを、鬼方(きほう)を定掃(ていそう)して還(かえ)らんとす。

邯冉唐宋時代の地図00邯鄲かんたん

登邯鄲洪波台置酒觀發兵 現代語訳と訳註
(本文)

我把兩赤羽。 來游燕趙間。
天狼正可射。 感激無時閑。
觀兵洪波台。 倚劍望玉關。
請纓不系越。 且向燕然山。
風引龍虎旗。 歌鐘昔追攀。
擊筑落高月。 投壺破愁顏。
遙知百戰勝。 定掃鬼方還。

(下し文)
我 両(ふたつ)の赤羽(せきう)を把(と)り、燕趙(えんちょう)の間(かん)に来遊す。
天狼(てんろう)  正(まさ)に射る可く、感激 時に閑(かん)なる無し。
兵を洪波台(こうはだい)に観(み)んとし、剣を倚(あわ)せて玉関(ぎょくかん)に望む
纓(えい)を請(こ)うて越(えつ)を繋(つな)がず、且(しばら)く燕然山(えんぜんざん)に向かう。
風は龍虎の旗を引き、歌鐘(かしょう)は昔を追攀(ついはん)す。
撃筑(げきちく) 高くある月 )落としむ、投壺(とうこ) 愁顔(しゅうがん)を破る。
遥かに知る  百戦を勝つを、鬼方(きほう)を定掃(ていそう)して還(かえ)らんとす。

(現代語訳)
各地から、ここに集まっているが、私は、赤羽根矢など武具を携えてここに来た。安禄山の治める燕趙の地方に旅して来て、いろんなことを経験している。
南で、楊国忠の軍が大敗したが、天下の敵は北方の異民族であり、まさにいま、この異民族を討つべきときなのだ。この地に来て、わたしの胸は高鳴り、敵に向かう気持ちは最高潮に達していて、 心は片時もやすまらないのだ。
天下は不安定な時期であり、洪波の司令部から出陣していく徴兵された兵隊の行進を見ている、剣や弓矢でもって西域の戦いに向けて玉門関に向かうのであろう。
漢の終軍(しゅうぐん)は何度も北方民族への使者となる詩、纓(冠を着けるための永い紐)を請うて南越王を縛り上げてくると言って出掛けたが、越を従えることはできなかった。いまは北のかた敵の本陣である燕然山に向かうときである。
風は天子から将軍を任じられたこと示す龍虎の旗をなびかせ行進する。鳴る鐘の音(ね)に、昔のこと、天子から下命を受けたことなどを次々に想い出す。
筑を鳴らしてうたうときは月が昇り月の沈むときまで酒を酌み交わすものだ。投壺の勝負を競うときは昔の愁いも何もかも打ち破ってどよめきおお笑いをするものだ。
西域で高仙之が敗れ、安禄山は、南詔を討って大敗し、大食国を討って大敗したが、これからはわが軍はきっと百戦連勝してくれるはずである、そして、異民族の軍を打ち破って、平らげて凱旋してくれるであろう。


(訳注)
我把兩赤羽。 來游燕趙間。

各地から、ここに集まっているが、私は、赤羽根矢など武具を携えてここに来た。安禄山の治める燕趙の地方に旅して来て、いろんなことを経験している。
兩赤羽 二本の赤羽根の矢。戦いに参加できる武器を携えていたことを言う。安禄山軍に参加するつもりであった。 ○來游 着ていて経験しているさま。現在進行形。○燕趙 春秋十二列国で北京から遼東半島にかけを示す国で、北京を都とした。趙(ちょう)は、戦国時代に存在した国(紀元前403年 - 紀元前228年)で、戦国七雄の一つに数えられる。国姓は趙。首府は邯鄲。


天狼正可射。 感激無時閑。
南で、楊国忠の軍が大敗したが、天下の敵は北方の異民族であり、まさにいま、この異民族を討つべきときなのだ。この地に来て、わたしの胸は高鳴り、敵に向かう気持ちは最高潮に達していて、 心は片時もやすまらないのだ。
天狼 朝廷内は、大きくいえば、三分されていた。李林甫が病死して以後、安禄山と楊国忠が雌雄を決して対峙していて、どっちつかず、時代に流されるグループであった。戦いも、王朝内部で一触即発を抱えながら、北方へは安禄山、南方へ楊国忠、第三グループが西域を担当していたが。北方の安禄山に一番の生き王があったのだ。ここでは以上のことを踏まえて、天敵の胡、異民族ということを表現している。


觀兵洪波台。 倚劍望玉關。
天下は不安定な時期であり、洪波の司令部から出陣していく徴兵された兵隊の行進を見ている、剣や弓矢でもって西域の戦いに向けて玉門関に向かうのであろう。
洪波台 邯鄲の東平郡成安城にあった軍司令部で、その地域の行政も兼ねて行うところ。徴兵されたものが集結して、ここから北方辺境守備、玉門関に向かうこともあったのだろう。この時西域の局地戦が激しくなっていた。ただ、李白は洪波(おおなみ)。洪濤(こうとう)。をよく使っている。同時期の 『西嶽雲臺歌送丹邱子』「巨靈咆哮擘兩山、洪波噴箭射東海。」 (黄河の神は雄叫びをあげて両山を引き裂く、荒れ狂う波は飛沫を挙げながら東海へ。』) 『梁園吟』「洪波浩盪迷舊國,路遠西歸安可得。」(ふり返って、阮籍どのの「蓬池の詠懐詩」を憶いおこし、それに因んで「清らかな池に大波が立つ」と吟詠する。)と時代の不安定を詠う場合に使っている。
 2)李白と道教 李白46西岳云台歌送丹邱子

李白42 梁園吟



請纓不系越。 且向燕然山。
漢の終軍(しゅうぐん)は何度も北方民族への使者となる詩、纓(冠を着けるための永い紐)を請うて南越王を縛り上げてくると言って出掛けたが、越を従えることはできなかった。いまは北のかた敵の本陣である燕然山に向かうときである。
請纓不系越 漢の終軍は匈奴に使者を出すという話を聞くと、自ら使者となることを願い出た。武帝は彼を諫大夫とした。その後、南越が漢と和親を結ぶと、武帝は終軍を南越に遣わし、王に長安への入朝を勧めさせようとした。終軍は「長い紐をいただければ南越王をつないで連れてきましょう」と言った。終軍は南越王を説得し、王は国を挙げて漢に従うこととしたが、南越の宰相である呂嘉は降伏を欲せず、挙兵して王や漢の使者を殺し、終軍も死んだ(元鼎5年(紀元前112年))。
燕然山 漢の武帝の時代、李広利弐師将軍が戦は勝利していたが、孤立した。その時、味方を信じ切れず、燕然山まで退却し大敗をした。「燕然山之恥」といわれ、以来その場所が異民族の本拠地、象徴的な場所として使われる。


風引龍虎旗。 歌鐘昔追攀。
風は天子から将軍を任じられたこと示す龍虎の旗をなびかせ行進する。鳴る鐘の音(ね)に、昔のこと、天子から下命を受けたことなどを次々に想い出す。
龍虎旗 天子から将軍を任じられたこと示す旗。竜虎将軍の旗。○追攀 ついはん 追は招く、攀はあがる、で朝廷に召されたこと言うのであるが、前句で下命を受けた旗であるから、李白自身の天子からの命を受けたことを示すものである。


擊筑落高月。 投壺破愁顏。
筑を鳴らしてうたうときは月が昇り月の沈むときまで酒を酌み交わすものだ。投壺の勝負を競うときは昔の愁いも何もかも打ち破ってどよめきおお笑いをするものだ。
撃筑 ・ 楽器の一種。形は琴に似ていて、左手で首をおさえ、右手で竹を持ち、たたいて鳴らす。李白『醉後贈從甥高鎮』「欲邀擊筑悲歌飲、正值傾家無酒錢。」 故事に云う「筑を撃ちならし悲歌慷慨する」悲壮歌を歌う時は仲間をむかえて酒を飲みたいものだが、ちょうどいま、家計は傾き、酒を買う銭も無いのが正直なところだ。・撃筑悲歌 筑は、中国古代の楽器。形は琴に似ていて、竹尺で綾を撃ち鳴らす。戦国時代の燕の国の侠客、荊軻は、酒がすきで、かれの友だちである犬殺しや高漸離という筑の名手と、毎日、燕の市中で酒を飲んだ。酔いがまわると、高漸離が筑を撃ち、荊封がそれにあわせて悲壮な歌をうたった。いっしょに慷慨して泣き、傍に人がいないかのようにふるまった。話は、「史記」刺客列伝に見える。

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投壺(とうこ). 太鼓の胴の形をした壺(つぼ)へ矢を投げ入れ、勝負を争う遊び。 つぼうちとも呼ばれる。投扇興のルーツと言われる二人対戦の遊び。 中国周の時代には既にあり、 四書五経の一つ「礼記(らいき)」には、紀元前500年頃に遊ばれたことが記載されている。


遙知百戰勝。 定掃鬼方還。
西域で高仙之が敗れ、安禄山は、南詔を討って大敗し、大食国を討って大敗したが、これからはわが軍はきっと百戦連勝してくれるはずである、そして、異民族の軍を打ち破って、平らげて凱旋してくれるであろう。
遙知 この時、外敵とやる気なしのようにどこもかしこも大敗している。国内の権力闘争に勢力が向けられていて、外敵に兵を向けられていなかったのである。国内の政治をしっかりして、王朝の国力を向上させるというものはいなくなって、奸臣が朝廷に蔓延していた。李白の正義感、任侠の気持ちが安禄山とどくということは全くなかった。


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古風 其四十八 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 262/350

古風 其四十八 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 262/350


其四十八
秦皇按寶劍。 赫怒震威神。
秦の始皇は宝飾の剣をなでさすりながら、烈火のように怒った時、すばらしい威力を天下に示した。
逐日巡海右。 驅石駕滄津。
権力者威光を示す最大のもの太陽を誘導することをめざし、西の山の向こう、海の更に右側を巡幸し、石を駆使して大海原に橋をかけようとした。
征卒空九寓。 作橋傷萬人。
兵卒を徴用し尽くしたので、国中はからになってしまった。橋の建設にすべての人が何らかの傷を負ったのだ。
但求蓬島藥。 豈思農扈春。
そればかりか始皇帝はただ仙人の島、蓬莱島の仙薬ばかりをほしがったのだ、最も大切な春の農耕の仕事など全く念頭になかったのだ。
力盡功不贍。 千載為悲辛。

国力は尽きはててしまい、仙薬の効能もなったく無かったのだ。その国力の衰えは、千年もの長きにわたって悲しみと辛い思いをしていくのである。


古風 其の四十八

秦皇 宝剣をじ、赫怒(かくど)して威神(いしん)を震(ふる)う。

日を逐いて海右(かいゆう)を巡り、石を駆って津に駕()す。

卒を()して九寓を空(むな)しゅうし、橋を作りて万人を傷つく。

但だ蓬島(ほうとう)の薬を求め、豈に農(のうこ)の春を思わんや。

力尽きて 功 ()らず、千載(せんざい) 為に悲辛(ひしん)す。


宮島(1)


古風 其四十八 現代語訳と訳註
(本文)

秦皇按寶劍、赫怒震威神。
逐日巡海右、驅石駕滄津。
征卒空九寓、作橋傷萬人。
但求蓬島藥、豈思農扈春。
力盡功不贍、千載為悲辛。


(下し文) 其の四十八
秦皇 宝剣を按じ、赫怒(かくど)して威神(いしん)を震(ふる)う。
日を逐いて海右(かいゆう)を巡り、石を駆って滄津に駕(が)す。
卒を征(め)して九寓を空(むな)しゅうし、橋を作りて万人を傷つく。
但だ蓬島(ほうとう)の薬を求め、豈に農扈(のうこ)の春を思わんや。
力尽きて 功 贍(た)らず、千載(せんざい) 為に悲辛(ひしん)す。


(現代語訳)
秦の始皇はほう宝飾の剣をなでさすりながら、烈火のように怒った時、すばらしい威力を天下に示した。
権力者威光を示す最大のもの太陽を誘導することをめざし、西の山の向こう、海の更に右側を巡幸し、石を駆使して大海原に橋をかけようとした。
兵卒を徴用し尽くしたので、国中はからになってしまった。橋の建設にすべての人が何らかの傷を負ったのだ。
そればかりか始皇帝はただ仙人の島、蓬莱島の仙薬ばかりをほしがったのだ、最も大切な春の農耕の仕事など全く念頭になかったのだ。
国力は尽きはててしまい、仙薬の効能もなったく無かったのだ。その国力の衰えは、千年もの長きにわたって悲しみと辛い思いをしていくのである。


(訳注)
秦皇按寶劍、赫怒震威神。

秦の始皇はほう宝飾の剣をなでさすりながら、烈火のように怒った時、すばらしい威力を天下に示した。
秦皇 秦の始皇帝。○威神 神威に同じ。すばらしい威力。


逐日巡海右、驅石駕滄津。
権力者威光を示す最大のもの太陽を誘導することをめざし、西の山の向こう、海の更に右側を巡幸し、石を駆使して大海原に橋をかけようとした。
海右 中國では古来から四方には海があり、西の山の向こうには海がありその海の果てには崖があって、その場所に太陽が沈むとされていた。方向性は北、北斗七星を背にして左が東、右が西になる。西の山の向こうの海の更に右側ということになる。○駆石 「三斉略記」という本に次のような話が見える。秦の始皇帝は、東海を渡れるような巨大な石橋をつくり、日の出る所を見たいと思った。すると、一人の魔法使が現われ、石を追いやって海に投じた。城陽にある十云山の石がことごとく起きあがり、高高と東に傾き、互につれだって歩いてゆくように見えた。石の歩き方がおそいと、魔法使はムチをふるった。石はみな血を流し、真っ赤になった、という。○ 架。かける。○滄津 大海。


征卒空九寓。 作橋傷萬人。
兵卒を徴用し尽くしたので、国中はからになってしまった。橋の建設にすべての人が何らかの傷を負ったのだ。
 兵卒。〇九寓 九州。中国全土を九つに区分。九州は九区分の真ん中を除いた八の州を示すが、九寓の場合は単に九の州という意味。空の場合は九天。


但求蓬島藥。 豈思農扈春。
そればかりか始皇帝はただ仙人の島、蓬莱島の仙薬ばかりをほしがったのだ、最も大切な春の農耕の仕事など全く念頭になかったのだ。
蓬島薬 蓬島は、東海の中にあると信じられた仙人の島、蓬莱島の略。そこに産する不老長生の仙薬。「史記」の始皇本紀によると、始豊の二十八年、斉人の徐市を派遣し、童男童女数千人を出して海上に仙人を求めさせた。同三十二年、韓終・侯公・石生に仙人の不死の薬を求めさせた。同三十七年、方士の徐市らは、海上に仙薬を求めて、数年になるが得られず、費用が多いだけだったので、罰せられることを恐れ、「蓬莱では仙薬を得られるのですが、いつも途中で大鮫に妨げられて島に行くことができないのです。船に連穹(矢をつづけさまに発射できる仕掛の石弓)をつけて下さい」と報告している。始皇帝と仙薬、徐市の詩によく登場する有名な逸話である。○農扈春 扈は1.したがう。主君のあとにつきしたがう。主君のお供をする。2.はびこる。ここでは、春の訪れに伴って当然やるべき農業、耕作種まきをいう。


力盡功不贍。 千載為悲辛。
国力は尽きはててしまい、仙薬の効能もなったく無かったのだ。その国力の衰えは、千年もの長きにわたって悲しみと辛い思いをしていくのである
 足る。十分である。


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秋浦歌十七首 其十七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 261/350

 
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秋浦歌十七首 其十七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 261/350

しばらく滞在した秋浦、村人たちは李白が叛乱軍を征伐に行く水軍に参画するのに別れを惜しんでくれただ。


秋浦歌十七首其十七

波一地。了了語聲聞。

闇與山僧別。低頭禮白云。



      

秋浦の歌十七首 其の十七

(ちょうは) 一歩(いっぽ)の地なり、了了(りょうりょう)なり 語声(ごせい)聞こゆ。
(やみ)
(たす) 山僧(さんそう) 別れ、頭(こうべ)を低()れて白雲に礼(れい)す。




秋浦歌十七首 其十七 現代語訳と訳註
(本文) 其十七

祧波一步地。 了了語聲聞。
闇與山僧別。 低頭禮白云。


(下し文) 其の十七
祧波(ちょうは) 一歩(いっぽ)の地なり、了了(りょうりょう)なり 語声(ごせい)聞こゆ。
闇(やみ)に 與(たす)く 山僧(さんそう) 別れ、頭(こうべ)を低(た)れて白雲に礼(れい)す。


(現代語訳)
王朝は波のように代々受け継がれていくものであるがそれはひとたび歩き始めたその地の始まるものである。このたびの戦は大義がはっきりとしており天下世間の人々から語句、声援が聞こえてくるのである。
暗闇に紛れてわたしは村人と別れを告げたのだ。そして、結をあらにして天子の入り法に向かって深々と頭を下げ礼を取ったのだ。


(訳注)
祧波一步地。 了了語聲聞。

王朝は波のように代々受け継がれていくものであるがそれはひとたび歩き始めたその地の始まるものである。このたびの戦は大義がはっきりとしており天下世間の人々から語句、声援が聞こえてくるのである。
祧波 代々受け継がれていく傾向というもの。・ ちゅう(1) 先代の跡を継ぐ. (2) 遠い祖先を祭る廟。・ 水面が揺れて生じる起伏。傾向。走って逃げる。眼遣い。○了了 はっきり。(形動タリ)物事がはっきりわかるさま。あきらかなさま。 「霊知本性ひとり了了として鎮常なり/正法眼蔵」

闇與山僧別。 低頭禮白云。
暗闇に紛れてわたしは村人と別れを告げたのだ。そして、結をあらにして天子の入り法に向かって深々と頭を下げ礼を取ったのだ。
 昼間は叛乱軍の兵士が居るので、夜の行動を示す。黙って。○ 与えられる。たすける。やる。○山僧 山にいる僧侶という意味もあるが、通常僧侶が自分を謙遜して使うもので、「拙僧」という意味である。お坊さんに向かって、「拙僧」とは言わない。李白が僧侶と別れたという解釈はおかしい。したがって、謫仙人といわれた風体の李白が自分自身のことを謙遜の言葉として「山僧」という表現をして村人に別れを告げたのである。○白雲 天帝。ここでは、玄宗のこと。


(解説)新説「秋浦の歌」終わりにあたって。***********
 この詩においても解釈が難解のため、従来、語句の写し間違いということにして、無理やり抒情詩を作り上げられてきた。

 「祧波」の「祧」(ちょう)を桃(とう)に、「波」(は)を陂(ひ)にかってに修正し、無理やり地名にする。

 一歩地を小さな土地としている。

 この秋浦の歌は詩経にイメージを借りて、戦に出る前の軍師の李白がその気持ちを詠いあげるというものである。通常、了了という語は天から、霊からのお告げもの様なものがはっきりに聞こえたことを言う。

 「了了語聲聞」 ここでは長い間重税に不満を持っていて、一時は叛乱軍に心情的に味方していた世間が、とんでもない異民族の叛乱であったと気が付き、世論は討伐に味方するように変わってきたので、李白に頑張ってくれという声援を送ったのははっきり聞こえてきたというものである。

 蛇足ではあるが、この時期、100年から20,30年前までは地方長官が地方の人民に対して手厚い行政を行い、人徳のあるのもほど中央に政府の高官になり仕組みであった。これを私利私欲の藩鎭、地方長官のシステムに変えていったのが李林甫からで、755年ごろになると、重税に耐えかねて逃村、難民が激増したのである。不平不満は人民の中に渦巻いたのである。そこに反乱の手が上がったのである、不平不満の人民が一時的に応援を向けたのである。ところが反乱軍は盗賊の叛乱であった。国の意見は二分され、一方では、これまでの政府批判があるものの、討伐を願う声が次第に大きくなっていった。


 お寺のお坊さんに別れる側の人間が「山僧」という語は用いない、身分制の厳格な時代、中国の文化としても等対してさげすんだ言い方をする場合は、敵の場合だけではなかろうか。

 白雲についても白い雲か、天帝にしか使わないものである。唐王朝は、古代から血脈が受け継が手てきた王朝であって、これが、異民族の混血のものに穢されてはいけないのだ。

 秋浦の歌十七首とひとまとめにしての最後の歌が抒情のみの意味しかないというのはどうしても解せない。儒教的な解釈では、見えないのかもしれない。


通常の解釈(愚訳)を紹介する。

桃陂は  ほんの小さな土地
村人の話し声もはっきり聞こえる
山寺の僧と黙って別れ
白雲寺に向かって頭をさげる

これでは、(桃陂という小さな土地で村人にこそこそ噂をされて出ていかないといけなくなった。世話になったくそ坊主に別れも告げず飛び出した。しかし暫く言って頭だけは下げた。)こんな意味の詩がいい詩であるといえるのか、不思議である。

 新説「秋浦の歌」ということになるのかもしれない。このような解釈は今まで全くないと思うが、しかし、この方が、李白の詩らしい解釈ではなかろうか。李白は一語、一句、単純な読み方をしない。いくつもの意味に掛け合わせたり、故事をふんだんに使う詩人である。この秋浦の歌のみ単純な解釈が通説になっているのはなぜなのか。長い間疑問を持っていたもののひとつである。


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秋浦歌十七首 其十六 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集260/350

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秋浦歌十七首其十六
秋浦田舍翁。 采魚水中宿。
妻子張白鷴。 結罝映深竹。

 

秋浦の歌 十七首 其の十六

秋浦の田舎翁(でんしゃおう)、魚(うお)を采()りて水中に宿す。

妻子は白(はくかん)に張(ちょう)し、結(けつしょ)  深竹(しんちく)に映ず。




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秋浦歌十七首 其十六 現代語訳と訳註
(本文) 其十六
秋浦田舍翁。 采魚水中宿。
妻子張白鷴。 結罝映深竹。


(下し文) 其の十六
秋浦の田舎翁(でんしゃおう)、魚(うお)を采(と)りて水中に宿す。
妻子は白鷴(はくかん)に張(ちょう)し、結罝(けつしょ)  深竹(しんちく)に映ず。


(現代語訳)
詩経で周公の叛乱軍征伐のように私も召喚されているけれど、ここ秋浦に留まっているもう初老の田舎爺なのだ、魚を取るように東征して平定しようと出発の準備で真冬にここに留まっているのである。
出征の夫のいない家を守っているここの妻子は、兵士の嫌がる雨、その雨の好きな白鷴を網にかけて捕えようとしている、竹林の奥の方にはっきりとわかるけれど網をしかけているのだ。


(訳注)
秋浦田舍翁。 采魚水中宿。

詩経で周公の叛乱軍征伐のように私も召喚されているけれど、ここ秋浦に留まっているもう初老の田舎爺なのだ、魚を取るように東征して平定しようと出発の準備で真冬にここに留まっているのである。
田舍翁 李白のこと。秋浦に留まっている自分のことを転句の出征兵士の妻子と対比させて表現するものである。○水中宿 五行思想から真冬の河川という意味と川の中ほどにという意味を含む。・宿 詩経の東山、周公が殷の残党を征伐すべく東方に軍を進める。又、同じ詩経の九罭(こあみ)魚を取る網のことを詠いつつ、中央朝廷が周公を呼び戻す時、その地のものがその帰還を惜しむということ。しばらくその地に宿したということに基づく。

妻子張白鷴。 結罝映深竹。
出征の夫のいない家を守っているここの妻子は、兵士の嫌がる雨、その雨の好きな白鷴を網にかけて捕えようとしている、竹林の奥の方にはっきりとわかるけれど網をしかけているのだ。
 鳥を捕える網を張ること。〇白鷴 鶴に似た雨の好きな鳥。江南に産する雉の一種。白い色で、背には細かい黒い紋があって、飼畜できるという。その羽の姿は刀の白刃にも例えられる。詩経『東山』に「鷴鳴于垤、婦歎于室」夫のいない家を守る妻子は部屋の中にいるということに基づいている。○ 鳥や獣を捕える網。ここは、妻子の心意気を言い、出征するものへ檄を飛ばす意味であろう。詩経 『兔罝』
 

解説

李白は詩経のイメージを借りて詠っている。以下に示す解釈は一般的なものだがこれでは、ただ抒情的に解釈するだけで全く意味不明である。
一般の愚訳
秋浦のいなかのじいさんは、魚をとって川の上で夜をあかす。
妻子たちは白いきじを捕ろうとする。網をはっているのが、竹林の奥にくっきりと見える。

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秋浦歌十七首 其十五 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集259/350

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秋浦歌十七首其十五

其十五

白發三千丈。 愁似個長。

不知明鏡里。 何處得秋霜。


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秋浦の歌 十七首 其の十五

白髪  三千丈、愁いに縁()って  箇(かく)の似(ごと)く長し。

知らず  明鏡(めいきょう)の裏(うち)、何(いず)れの処にか秋霜(しゅうそう)を得たる。

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秋浦歌十七首 其十五 現代語訳と訳註
(本文) 其十五

白發三千丈。 緣愁似個長。
不知明鏡里。 何處得秋霜。


(下し文) 其の十五
白髪  三千丈、愁いに縁(よ)って  箇(かく)の似(ごと)く長し。
知らず  明鏡(めいきょう)の裏(うち)、何(いず)れの処にか秋霜(しゅうそう)を得たる。


(現代語訳)
白髪が三千丈にもなった!
いろんな愁がつもりつもっている、この白髪の白さと長さは愁いの多さと長さが同じなのだ。
月明りのあかるい鏡の中の私の頭へ、いったい何処から秋の霜がふってきたのか、わたしにはさっぱりわからない


(訳注) 其十五
白發三千丈。 緣愁似個長。

白髪が三千丈にもなった!
いろんな愁がつもりつもっている、この白髪の白さと長さは愁いの多さと長さが同じなのだ。
○この詩は唐詩選に見える。○個長 箇のながさ。

不知明鏡里。 何處得秋霜。
月明りのあかるい鏡の中の私の頭へ、いったい何処から秋の霜がふってきたのか、わたしにはさっぱりわからない


 「白髪三千丈」の詩は、秋浦歌十七首中の代表作としてしばしば取り上げられる作品で、唐詩選の中でも目を引く秀作である。
 この詩は李白が老いたことを感嘆しているような解釈もあるが、この詩のテーマは愁いなのである。唐王朝の中には私利私欲の奸臣だらけで、奢侈と大敗で天下の道理が正道でなくなってきた。欲のあるものが国を操り、賢人は隠遁していく。天子が聖人を引き上げていくことが全くなくなってしまった。その結果、安禄山の叛乱を引き起こしてしまった。


 水軍参加で、誰もが思うことはもう少し若ければと思うものである。青雲の志は若い自分の表現である。表現は歳を重ねて抜群である。心に秘めたものをさりげなくいっているのである。それをいやまだまだこれからだという表現をしないで、自分の心は前を向いてこれから戦に向かう、鏡の中の自分の頭を見ると凍えた川を進んでいく間に霜がのっただけなのだ。その十四句を受けているのである。



 

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秋浦歌十七首 其十四 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集258/350

秋浦歌十七首 其十四 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 258/350
安禄山の叛乱に対し、冬にかけて洛陽に攻め上ろうということを詠ったものである。表向きの意味は、村の銅の精練作業とだぶらせている。


秋浦歌十七首其十四

爐火照天地。紅星亂紫煙。

赧郎明月夜。歌曲動寒川。





秋浦の歌十七首 其の十四

炉火(ろか)  天地を照らし、紅星(こうせい)  紫烟(しえん)を乱す。

赧郎(たんろう)  明月の夜、歌曲(かきょく)  寒川(かんせん)を動かす。


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秋浦歌十七首 其十四現代語訳と訳註
(本文) 其十四
爐火照天地。 紅星亂紫煙。
赧郎明月夜。 歌曲動寒川。


(下し文) 其の十四
炉火(ろか)  天地を照らし、紅星(こうせい)  紫烟(しえん)を乱す。
赧郎(たんろう)  明月の夜、歌曲(かきょく)  寒川(かんせん)を動かす。


(現代語訳)
都や各地で烽火が夜空を焦がした、ここ秋浦の街では精錬所の溶鉱炉が赤々と燃える。大空に火星が不思議なきらめきを示し不吉な予感である。しばらくしたら安禄山が反乱を起こし、しばらくして天子の宮殿を攻め落としたそうだとわかった。
安禄山は洛陽で滅んだ周の赧王のようにまもなく滅びる運命をもっている、永王軍に参加した心配しおそれ顔の男が月に明るく照らされる静かな夜だ。ここに集結した永王水軍の兵たちは戦に向かう歌を唄って、凍えそうな川を進んでいく。


(訳注)其十四
爐火照天地。 紅星亂紫煙。

都や各地で烽火が夜空を焦がした、ここ秋浦の街では精錬所の溶鉱炉が赤々と燃える。大空に火星が不思議なきらめきを示し不吉な予感である。安禄山が反乱を起こし、しばらくして天子の宮殿を攻め落としたそうだとわかった。
○炉火 秋浦は唐代には銀と銅の産地であった。それらの原鉱をとかす熔鉱炉の火。ということと、都や各地で烽火があがること挿す。○紅星 五行思想では火星を示し、熒惑守心(熒惑心を守る)といい、不吉の前兆とされた。「心」とは、アンタレスが所属する星官(中国の星座)心宿のこと。


五行
五色青(緑)玄(黒)
五方西
五時土用
節句人日上巳端午七夕重陽
五星歳星(木星)螢惑(火星)填星(土星)太白(金星)辰星(水星)

宣城のことを紅星と表現したとも考えられる。そうすると秋浦の近くで烽火があり夜空を焦がしてもおかしくない。○紫煙 天子の宮殿の厳かな香による霞。天子の宮殿。


赧郎明月夜。 歌曲動寒川。
安禄山は洛陽で滅んだ周の赧王のようにまもなく滅びる運命をもっている、永王軍に参加した心配しおそれ顔の男が月に明るく照らされる静かな夜だ。ここに集結した永王水軍の兵たちは戦に向かう歌を唄って、凍えそうな川を進んでいく。
○赧郎 心配し畏れながらの表情を顔に浮かべる男。 ・ 心配しおそれる。赧は周朝の第37代の王最後の王を示し、洛陽で最後の王であった。
赧王(たんおう)は、周朝の第37代の王最後の王。慎靚王の子。在位期間は59年であり、周朝における最長在位の君主であった。在位中は周王室の影響力はわずかに王畿(現在の洛陽附近)に限定されるようになっていた。李白はこのことを「安禄山畏れるに足らず」とかんがえた。


愚訳(この訳では語句の働きが全くないこのような詩は子供の時でもない。物語性もない。)
炉の焔は  天地を焦がし
煙のなかで 火花がはじける
明月の夜に 火に照らされる男たち
その歌声が 冷たい川に轟きわたる

其十四
爐火照天地。 紅星亂紫煙。
赧郎明月夜。 歌曲動寒川。



解説
通常の解釈をしたのでは、面白くもなんともない愚作になってしまう。李白が、この秋浦の歌の時だけ、普通の歌人のようになってしまったのだろうか。20年も若い時の詩と同次元の解釈をしたのではおかしい。李白が永王鄰の幕下に入るまでの約2年杭州から九江、廬山の間を行き来している。756年12月永王軍に参加しているその間安全な連絡方法はこの秋浦の歌であるとしたら非常に興味深い詩がたくさん出てくる。このブログはその可能性を追求している。通常、李白の詩の中での秋浦の歌十七首は其十五の「白髪三千丈」とつけた詩みたいに其一、其二が紹介される程度である。其四から其十四までは、関連性が尻切れトンボのように解釈され、ぐさくあつかいがほとんだている。この詩は全体を756年の秋に作ったものか、加筆をされたものである。十三、十四は驚くような意味に展開したのである。


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秋浦歌十七首 其十三 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -257/350

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秋浦歌十七首其十三
淥水淨素月、月明白鷺飛。
郎聽采菱女、一道夜歌歸。

 
       

秋浦の歌 十七首 其の十三

(ろくすい) 素月(そげつ)(きよ)らかに、

月明らかにして白鷺(はくろ)飛ぶ。

(ろう)は聴く  菱(ひし)を採()る女、

一道(いちどう)  夜に歌いて帰る。


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秋浦歌十七首其十三 現代語訳と訳註
(本文) 其十三

淥水淨素月。 月明白鷺飛。
郎聽采菱女。 一道夜歌歸。


(下し文) 其の十三
淥水(ろくすい)  素月(そげつ)浄(きよ)らかに、月明らかにして白鷺(はくろ)飛ぶ。
郎(ろう)は聴く  菱(ひし)を採(と)る女、一道(いちどう)  夜に歌いて帰る。


(現代語訳)
この平天湖すみきった水面に白く輝く月の影を映してさらに清らかにしてくれる。月明かりは真昼のように照らすので白鷺は飛んでいる。
こんな美しい光景の中に叛乱軍の慰安婦が大勢いるのだ、明るいから少しは恥ずかしさはないのか、なんの臆面もなく一本道で道すがら、一緒に唄いながら歩いている。(しかし白鷺は永王軍をしめし、藩鎭諸侯も永王軍にすり寄る。)


(訳注)
淥水淨素月、月明白鷺飛。

この平天湖すみきった水面に白く輝く月の影を映してさらに清らかにしてくれる。月明かりは真昼のように照らすので白鷺は飛んでいる。
淥水 すみきった水。平天湖をしめす。其十二参照。○素月 しろい月。

淥水=白 素=白 月=白 、月=白 明=白 白鷺=白 ここで一句に3つの白、聯で6つの白を挿入している。まず起句から、淥水は透明な水昼は緑に見え、夜は黒で、月明かりで白ある。素月は霜月で澄み切ったもの、汚れていないものをいう、それをさらに清らかにする。そういう景色とはどんな景色なのか?承句の白鷺は常識的にはつがいもしくは複数でいるもの。そうであればたくさんの白があることになる。しかし、白鷺が夜飛ぶのか?飛ばない。これも不思議な光景である。


郎聽采菱女。 一道夜歌歸。
こんな美しい光景の中に叛乱軍の慰安婦が大勢いるのだ、明るいから少しは恥ずかしさはないのか、なんの臆面もなく一本道で道すがら、一緒に唄いながら歩いている。(しかし白鷺は永王軍で藩鎭諸侯も永王軍にすり寄る。)
 男。ここでは叛乱軍の兵士。○採菱 菱の実(食用)をつみとる。慰安婦を示す。〇一道 ひとすじの遺。あるいは「みちすがら」という意味? 

 転句において男女が出る、この時代の菱摘みは食料用のはず、そして、沼地である。水に浮いて育ち、水面一面に葉が敷き詰められたような景色である。李白の『蘇台覧古』『越女詞』『淥水曲』などと違っている。結句では道すがら詠って帰るのである。

絶句として、起承転結、李白は、まず、景色の面白さをうたい、清らかなものがさらに清らかであう一転、採菱女と男が道で詠いながら帰っていく景色のギャップを詠ったのだ、夜飛ぶはずのない白鷺が飛び、月が明るいと男女は何もできないはずが堂々と歩くという、この詩は李白の詩の面白さだけなのだろうか、次々と疑問が湧き出てくるのである。ここまで疑問を持っているのは文献を探してもなかなか見つからない。

 秋浦の歌十七首全体不思議なものが多いのであるが、作時を756年秋に設定すると詩における不可解な点はすべて謎は解けた。

 ここでも、李白は安禄山に協力する潘鎮の兵士からマークされていたのだろう。したがって、異民族の文か。漢民族ではしないこと、中国人の奥ゆかしさがなく、平気でやれる民族性を秋浦のうつくしい自然の中に不思議な出来事があると詩の中に織り込んだと考える。


李白『蘇台覧古』では菱歌と月の表現が見える
旧苑荒台楊柳新、菱歌清唱不勝春。
只今惟有西江月、曾照呉王宮裏人。


李白が中国四大美人の一人と呼ばれる西施をうたっているが俗説では絶世の美女である彼女にも一点欠点があったともいわれており、それは大根足であったとされ、常にすその長い衣が欠かせなかったといわれている。逆に四大美女としての画題となると、彼女が川で足を出して洗濯をする姿に見とれて魚達は泳ぐのを忘れてしまったという俗説から「沈魚美人」と称された。それを踏まえて、越女詞の天真爛漫な純真な美しさをうたった。

越女詞其一 李白
長干吳兒女,眉目豔新月。
屐上足如霜,不着鴉頭襪。
長干の呉の娘は、眉目麗しく星や月にも勝る
木靴の足は霜の如く、真白き素足の美しさ

越女詞 五首 其四
東陽素足女,會稽素舸郎。
相看月未墮,白地斷肝腸。
東陽生まれの素足の女と、会稽の白木の舟の船頭とが顔を見あわせている。
月が沈まないので、わけもなくせつない思いにくれている。
○東陽 いまの浙江省東陽県。会稽山脈の南方にある。○素足女 この地方は美人の多い子で有名。素足の女は、楚の国の王を籠絡した女性西施が其ふっくらとした艶的の魅力により語の句に警告させその出発殿のすあしのおんなであった。○会稽 いまの浙江省紹興。会稽山脈の北端にある。○素舸 白木の舟。○郎 若い男。〇白地 口語の「平白地」の略。わけもなく、いわれなく。○肝腸 きもとはらわた


淥水曲          
淥水明秋日、南湖採白蘋。
荷花嬌欲語、愁殺蕩舟人。
(下し文) 
淥水曲(りょくすいきょく)
淥水秋日(しゅうじつ)に明らかに
南湖  白蘋(はくひん)を採る
荷花(かか)  嬌(きょう)として語らんと欲す
愁殺(しゅうさつ)す舟を蕩(うご)かすの人
淥水は、澄んだ川や湖。詩の趣旨は「採蓮曲」と同じ。「白蘋」は水草の名。四葉菜、田字草ともいう。根は水底から生え、葉は水面に浮き、五月ごろ白い花が咲く。白蘋摘みがはじまるころには、蓮の花も咲いている。「南湖」という湖は江南のどこかにあるもので特定はげきないようだ。「愁殺」の殺はこれ以上なというような助詞として用いられている。前の句に「荷花:蓮の花があでやかで艶めかしく物言いたげ」な思いに対して、「船を動かす娘たちのこれ以上耐えられない思い」を対比させている。


 以上みたように、男女を詠いつつもどこかに、気恥ずかしさ、奥ゆかしさを感じさせるものである。
 しかし秋浦の歌十三の男女には、秋浦の美しい自然の景色の中で何の臆面もなくそれに及ぶような雰囲気はどこかに違和感を生じるものであり、異民族の風習ということにはなりはしないか。


其十三
淥水淨素月。 月明白鷺飛。
郎聽采菱女。 一道夜歌歸。
すみきった水にきよらかに、しろい月が浮ぶ。月明りのなかを、白さぎが飛ぶ。
男はじっと聞いている。菱採り女の歌声に聴きほれて
夜道をいっしょに  歌って帰る


秋浦歌十七首 其十二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -256/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其十二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -256/350





秋浦歌十七首其十二

水如一匹練。此地即平天。

耐可乘明月。看花上酒船。

 



秋浦の歌十七首 其の十二

水は一匹の練(れん)の如し、

此の地 即ち 平天(へいてん)なり。

()く  明月に乗じて、

花を看るには 酒船(しゅせん)に上る可し。

55moon



秋浦歌十七首 其十二 現代語訳と訳註
(本文)  其十二

水如一匹練。 此地即平天。
耐可乘明月。 看花上酒船。



(下し文) 其の十二
水は一匹の練(れん)の如し、此の地  即ち 平天(へいてん)なり。
耐(よ)く  明月に乗じて、花を看るには  酒船(しゅせん)に上る可し。

 (現代語訳)
永王軍により、蜀からこの地、すなわち平天湖あたりまで平定されたので、長江は、ゆっくりとはるか遠くまで流れゆく水面一疋の練り絹のように穏やかである。
戦いを進めて長安奪還するには今夜の明月にのっていくことべきであろう、そうすれば花のさくころには都で花見ができるだろう、そして攻め入った戦艦は酒の宴の船になることだろう。


(訳注)
水如一匹練。 此地即平天。
永王軍により、蜀からこの地、すなわち平天湖あたりまで平定されたので、長江は、ゆっくりとはるか遠くまで流れゆく水面一疋の練り絹のように穏やかである。
 織物二反を単位として数えることば。○ ねりぎぬ。灰汁などで煮てやわらかくした絹。白く光沢がある。○平天 天に平らかに連なっているという意味と、平天湖という湖をしめす。この湖は池州の西南3kmほどのところにあり、斉山の麓にあって清渓に通じていたのではないだろうか。

耐可乘明月。 看花上酒船。
戦いを進めて長安奪還するには今夜の明月にのっていくことべきであろう、そうすれば花のさくころには都で花見ができるだろう、そして攻め入った戦艦は酒の宴の船になることだろう。
耐可 当時の口語。「能可」「寧可」とおなじ。むしろ……すべし。長江に映る明月にのる、つまり船団に乗り込み攻め入ったらよいのではないか。長江の支配権は永王銀が抑えたのだ夏から秋にかけ、安禄山討伐の募集をかけて集結してきた諸侯により、数万の軍団になったのである。


(解説)
長江にあった叛乱軍を詩題に追い詰め、蜀から金陵あたりまで、永王軍が一気に抑えた。実際には、玄宗皇帝が長江中流域の荊州、江陵から金陵付近の潘鎮諸公が永王軍に集結して恭順をあらわしたため闘う前で、平定されていったのである。
 粛宗は北の霊武から南下して長安洛陽を奪還する。永王は水路、蜀から東征し、金陵から北上して運河を都まで攻め入ること、この作戦を詩にしたものではないだろうか。李白は、この詩の段階ではまだ永王軍に参加しているわけではないので、漠然とした様子を詠ったのである。



通常の解釈
川の水はちょうど一疋のねりぎぬのように、良くのびて、白く光っている。ここは天に平らかに連なっている。
いっそのこと、明月にのぼって、花をながめ酒の船にのりたいものだ。
(多くの本、WEBでも大方上のような解釈である、これは大きなパズルの一個を取り出して、そのなかにあがかれているものだけを見ているから、意味不明になる。この秋浦の歌十七首、こじつけか意味不明の解釈ばかりである。)



 

秋浦歌十七首 其十一 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-255/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其十一 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集-255/350



秋浦歌十七首其十一

邏人橫鳥道、江祖出魚梁。

水急客舟疾、山花拂面香。

 


 


秋浦の歌十七首 其の十一

邏人(らじん)  鳥道(ちょうどう)に横たわり、

江祖(こうそ)  魚梁(ぎょりょう)に出()ず。

水急にして客舟(かくしゅう)(はや)く、

山花(さんか) 面(おもて)を払って香(かんば)し。
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秋浦歌十七首 其十一 現代語訳と訳註
(本文) 其十一
邏人橫鳥道、江祖出魚梁。
水急客舟疾、山花拂面香。


(下し文) 其の十一
邏人(らじん)  鳥道(ちょうどう)に横たわり、江祖(こうそ)  魚梁(ぎょりょう)に出(い)ず。
水急にして客舟(かくしゅう)疾(はや)く、山花(さんか)  面(おもて)を払って香(かんば)し。


(現代語訳)
叛乱軍の憲兵は鳥道と呼ばれるようなところまで検門している。雄々しく流れる長江にヤナ猟のように出没して検問している。
水の流れの急なうちに旅人は船を疾風のように走らせるのだ。憲兵たちは山椒の様なものを顔に付け香を放っていた。


(訳注)
邏人橫鳥道、江祖出魚梁。

叛乱軍の憲兵は鳥道と呼ばれるようなところまで検門している。雄々しく流れる長江にヤナ猟のように出没して検問している。
邏人(らじん)  安禄山の叛乱軍の憲兵・邏 見まわる。巡察する。「邏卒/警邏・巡邏 羅叉とする訳本がある「人」が「叉」の写し間違いだという、そして無理やり羅叉石としている。それは間違い。○鳥道 大空の鳥のとぶ道。○魚梁 やな。川で魚をとる仕掛け。川での検問。反乱軍の検問は盗賊のような検問だったという。


水急客舟疾、山花拂面香。
水の流れの急なうちに旅人は船を疾風のように走らせるのだ。憲兵たちは山椒の様なものを顔に付け香を放っていた。
山花 木の実の山椒のこと。刺激臭のある木の実を指すから、やはり元来中国語の輸入されたもの。昔の日本人もまさか山椒魚が魚で無い事はわかっていた




ここまでの秋浦の歌其五から其十一 五言古詩として見ていくと物語性が出てくる。
秋浦多白猿。超騰若飛雪。
牽引條上兒。飲弄水中月。」
愁作秋浦客。強看秋浦花。
山川如剡縣。風日似長沙。」
醉上山公馬。寒歌寧戚牛。
空吟白石爛。淚滿黑貂裘。」
秋浦千重嶺。水車嶺最奇。
天傾欲墮石。水拂寄生枝。」
江祖一片石。青天掃畫屏。
題詩留萬古。綠字錦苔生。」
千千石楠樹。萬萬女貞林。
山山白鷺滿。澗澗白猿吟。
君莫向秋浦。猿聲碎客心。」
邏人橫鳥道。江祖出魚梁。
水急客舟疾。山花拂面香。」

#5
秋浦のこんなところ伝説の盗賊白猿みたいなものが多くいる、突然大暴れをして略奪していく、それは雪が舞っているかのように襲っているのだ。
木の枝の上から子猿を引っぱるように、女こともを連れ去っていく、持って行った酒を喰らって、月影に美女相手にしてじゃれついている。ひどい秋になったものだ。
#6
国の危機に対して愁をいだきながら旅人となって秋浦に来た、そこに尋ねてきてくれた人がいる。二人は話し合い秋浦の花を見たのである。
山と川のように立ち上がり行動する、隠遁していた剡県地方から立ち上がった謝霊運、王羲之。風と日の光のように悔しい思いを胸に秘めて命を絶った屈原の長沙での生き方を選ぶべきなのか。どちらにするか思案している。
#7
酔った時には、山簡のように馬に乗ってふざけてみるのは賢人であることを示している。寒い時には、甯戚のように、牛の角をたたいて貧乏をうたうと名君が見出してくれるかもしれない。
しかし、「白い石があざやかなりー」と歌ってみても、自分を用いてくれる度量の君王がいない。蘇秦のようにボロボロになった黒貂の皮ごろもに、涙がいっぱいになる。

#8
秋浦にきてからはるかに連なる峰の道よりいろんな異民族の部隊が出た。水軍と兵車を要した永王の軍が最も期待されるのだ。
天下はこのため不穏になり、王朝も転覆させようとして反乱を起こし、唐王朝は傾いた。永王の軍でもって、天下を揺るがす叛乱軍を追っ払っていくのだ。
#9
その石は大空に届くかのように大きな画屏風のようであっても、長江の流れは昔も今も大きな河川として流れていることは天の理であり、変わることのないものだ、どんなにりっぱな人格者といわれても一片の石は石なのだ。
石に詩をかきつけて万古に留めようとするのだが、字が緑色になり錦の苔が生えてしまう。
(ここで其七の「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。 空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」
とつながってくるのである。山公のように普段は飲んだくれていてもここはやるときなのだ)

派手な色をした千本のシャクナゲが植えられてそれが千か所続いている。地味だが守り抜く万本のネズミモチの木が植えられ、それが万か所続いているという。
#10
山は連綿と続き白鷺があふれている、谷という谷にまでここ秋浦には安禄山叛乱軍の異民族の兵士の白猿が民謡を吟じているのだ。
永王の君はこの秋浦に向かってきてはいけない、野蛮な猿がせっかくの旅心を砕いてしまうことだろう。

叛乱軍の憲兵は鳥道と呼ばれるようなところまで検門している。雄々しく流れる長江に箭な量のように出没して検問している。
水の流れの急なうちに旅人は船を疾風のように走らせるのだ。憲兵たちは山椒の様なものを顔に付け香を放っていた。
#11
叛乱軍の憲兵は鳥道と呼ばれるようなところまで検門している。雄々しく流れる長江にヤナ猟のように出没して検問している。
水の流れの急なうちに旅人は船を疾風のように走らせるのだ。憲兵たちは山椒の様なものを顔に付け香を放っていた。



秋浦の歌 其十二につづく。



秋浦歌十七首 其十 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集-254/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。

秋浦歌十七首 其十 李白
Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集-254/350



秋浦歌十七首其三

千千石楠樹。萬萬女貞林。

山山白鷺滿。澗澗白猿吟。

君莫向秋浦。猿聲碎客心。

 





秋浦の歌十七首 其の十

千千たり 石楠(せきなん)の樹(じゅ)

万万たり 女貞(じょてい)の林(りん)

山山に白鷺(はくろ)満ち、

澗澗(かんかん)に白猿(はくえん)吟ず。

君 秋浦に向く莫(なか)れ、 

猿声(えんせい)  客心を砕かん。



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秋浦歌十七首 其十 現代語訳と訳註
(本文) 其三
千千石楠樹。 萬萬女貞林。
山山白鷺滿。 澗澗白猿吟。
君莫向秋浦。 猿聲碎客心。


(下し文) 其の十
千千たり  石楠(せきなん)の樹(じゅ)、万万たり  女貞(じょてい)の林(りん)。
山山に白鷺(はくろ)満ち、澗澗(かんかん)に白猿(はくえん)吟ず。
君  秋浦に向く莫(なか)れ、猿声(えんせい)  客心を砕かん。

(現代語訳)
派手な色をした千本のシャクナゲが植えられてそれが千か所続いている。地味だが守り抜く万本のネズミモチの木が植えられ、それが万か所続いているという。
山は連綿と続き白鷺があふれている、谷という谷にまでここ秋浦には安禄山叛乱軍の異民族の兵士の白猿が民謡を吟じているのだ。
永王の君はこの秋浦に向かってきてはいけない、野蛮な猿がせっかくの旅心を砕いてしまうことだろう。


(訳注)
千千石楠樹。 萬萬女貞林。
派手な色をした千本のシャクナゲが植えられてそれが千か所続いている。地味だが守り抜く万本のネズミモチの木が植えられ、それが万か所続いているという。
石楠 しゃくなげ。北半球の亜寒帯から熱帯山地までのきわめて広い範囲に分布し、南限は赤道を越えて南半球のニューギニア・オーストラリアに達する。特にヒマラヤ周辺には非常に多くの種が分布する。野生状態でも変種が数多く、また園芸植物としても数多くの品種がある。そのため、種類数は定義によって大きく異なるが、おそらく数百種類はあると思われる。いずれも派手で大きな花に特徴がある。花の色は白あるいは赤系統が多いが、黄色の場合もある。つつじ科の花である。石楠花の花ことば:威厳、警戒、危険、荘厳シャクナゲは葉にロードトキシンなどのケイレン毒を含む有毒植物である。摂取すると吐き気や下痢、呼吸困難を引き起こすことがある。葉に利尿・強壮の効果があるとして茶の代わりに飲む習慣を持つ人が多く存在するが、これはシャクナゲに「石南花」という字が当てられているため、これを漢方薬の「石南」と同一のもの(この2つに関連性はない)と勘違いしたためであり、シャクナゲにこのような薬効は存在しない。
シャクナゲは常緑広葉樹にもかかわらず寒冷地にまで分布している。○女貞 ねずみもち。中国のある皇帝がこの樹の実を煎じ飲んでいたところ、強精・強壮作用が強く、皇后を日々愛していたため皇后は十分満足し、皇帝に永遠の貞淑を誓ったという。この木が満々と生えている光景は逃げ隠れる場所のように感じる。花言葉は「先導」「先見」「慈愛」


山山白鷺滿。 澗澗白猿吟。
山は連綿と続き白鷺があふれている、谷という谷にまでここ秋浦には安禄山叛乱軍の異民族の兵士の白猿が民謡を吟じているのだ。
 川のある谷間。


君莫向秋浦。 猿聲碎客心。
永王の君はこの秋浦に向かってきてはいけない、野蛮な猿がせっかくの旅心を砕いてしまうことだろう。


754年に秋から756年秋まで、約2年間、李白の行動は、金陵、宣城、剡中、会稽、廬山、屏風畳、などを転々としている。この詩の秋浦の歌は756年秋の作と見れば、内容もすべてが納得できるものとして位置づけされる。李白は永王の水軍が長江の中流域において、その戦力を増強しているのを理解していた。永王は玄宗の16番目の子供である。756年6末7月初かけて荊州の長官程度だったものを玄宗が蜀に逃避する際立ち寄って、山南、江西、嶺南、黔中の四道の節度使を命じている。このため、永王は、江陵において、将士数万を募った。ここに数万の兵力が集結していくのである。李白はこのことを秋浦の歌其十で詠ったのだ。李白が永王の軍に加わるのは12月である。


 


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秋浦歌十七首 其九 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -253/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。
秋浦歌十七首 其九 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -253/350


秋浦歌十七首其九

江祖一片石、青天掃畫屏。
題詩留萬古、 綠字錦苔生。
 
      
秋浦の歌 十七首 其の九
江祖(こうそ) 一片の石、青天(せいてん)  画屏(がへい)を掃(はら)う。
詩を題して万古(ばんこ)に留(とど)むれば、緑字(りょくじ) 錦苔(きんたい)を生ぜん。
宮島(1)


秋浦歌十七首 其九 現代語訳と訳註
(本文) 其九

江祖一片石。 青天掃畫屏。
題詩留萬古。 綠字錦苔生。


(下し文) 其の九
江祖(こうそ) 一片の石、青天(せいてん)  画屏(がへい)を掃(はら)う。
詩を題して万古(ばんこ)に留(とど)むれば、緑字(りょくじ) 錦苔(きんたい)を生ぜん。


(現代語訳)
その石は大空に届くかのように大きな画屏風のようであっても、長江の流れは昔も今も大きな河川として流れていることは天の理であり、変わることのないものだ、どんなにりっぱな人格者といわれても一片の石は石なのだ。

石に詩をかきつけて万古に留めようとするのだが、字が緑色になり錦の苔が生えてしまう。(ここで其七の「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。
空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」
とつながってくるのである。)

(訳注)
江祖一片石、青天掃畫屏。

その石は大空に届くかのように大きな画屏風のようであっても、長江の流れは昔も今も大きな河川として流れていることは天の理であり、変わることのないものだ、どんなにりっぱな人格者といわれても一片の石は石なのだ。
○江祖 秋浦の町の西南にある。大きな石が水際に突立ち、その高さ数丈、江祖石と名づける、といのが従来の解釈であるが、襄陽歌の「襄王雲雨今安在、江水東流猿夜聲。」江水東流という思想のことを示す語である。古来より川の流れは流れ去るもので、歳月等の時間で一度去って再び帰らないものである。・東流:東に向かって流れる。東流するのは中国の川の通常の姿であり、天理でもある。古来、時間の推移を謂う。○一片石 李白『襄陽歌』「君不見晉朝羊公一片石、龜頭剥落生莓苔。」(君は見ないか。あの立派な人格者の晋の羊公でさえ、いまは一かけらの石じゃないか。台石の亀の頭は、むざんに欠け落ちてしまって、苔が生えるじゃないか。) ・君不見:諸君、見たことがありませんか。詩をみている人に対する呼びかけ。樂府体に使われる。「君不聞」もある。そこで詩のリズムが大きく変化する。 ・晉朝羊公一片石: 晉朝 (西)晋。265年~419年。三国の魏に代わり、265年権臣司馬炎が建てた国。280年、呉を併せて天下を統一したが、八王の乱で、匈奴の劉曜らによって316年に滅ぼされた。 ・羊公 呉と闘った西晋の名将・羊のこと。山を愛し、善政をしたため、羊の没後、民衆は羊が愛した山を望むところに石碑を築いた。 ・一片石 羊の石碑。前出の堕涙碑(紫字部分)のこと。 ・龜頭:石碑の土台の亀の頭。石碑の土台部分は亀のような形をして、甲羅に碑を背負っている形になっている。あの亀のような動物は想像上のもので贔屓〔ひいき〕という。 ・剥落:剥げ落ちる。 ・莓苔:〔ばい〕こけ。○画屏 画にかいたびようぶ。


題詩留萬古。 綠字錦苔生。
石に詩をかきつけて万古に留めようとするのだが、字が緑色になり錦の苔が生えてしまう。(ここで其七の「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。
空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」
とつながってくるのである。)
○題詩 石に詩をかきつけること。○萬古 これからさきのこと。遠い将来から今を見るという表現。 ○綠字 苔によって緑色になる。詩碑ができた時だけであとは誰も管理するものがいなくて放置されることを言う。○錦 皮肉表現で詩碑ができた当初は金か漆で文字を塗るが、誰もいなくて苔の錦となる。○苔生 苔、草木に覆われるさまをいう。
 これも襄陽曲其四に「涙亦不能爲之墮、心亦不能爲之哀。」
「涙を堕す碑」とよばれるのに、涙さえおとすことも出来ない。心もかれのために、かなしむことが出来ない。
・亦:…もまた。・不能:…ことはできない。・爲:…のために。 ・之:(古びてしまった)羊の堕涙碑。・墮:(涙を)落とす。・哀:哀しむ。
襄陽曲其四
且醉習家池。 莫看墮淚碑。
山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。


(解説)
 李白は儒教者のように見た目からの人格者というものに少しの憧れをもっていなくて、山簡のように子供に笑われていてもしっかりとして清談をしていた。学問をどんなにしていてもそれを表に出さず、いざという時には必ず役に立てられるものだ。いい君主に出会って登用された時は役割を立派に果たす。若い時に夢を抱いて述べることは誰でもするが、秋浦歌其四「猿聲催白發。 長短盡成絲。」とあるように55,56歳の白髪になって云うにはそれなりの理由、すなわち、永王の軍にはせ参じること決意したに他ならない。

秋浦歌十七首 其八 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集252/350


秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。
秋浦歌十七首 其八 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集252/350



秋浦歌十七首其八
 

秋浦千重嶺、水車嶺最奇。

天傾欲墮石、水拂寄生枝。



秋浦の歌 十七首 其の八

秋浦 千重(せんちょう)の嶺(みね)

水車 嶺(みね)は最も奇なり

天傾いて石を堕(おと)さんと欲し

水は 寄生(きせい)の枝(えだ)を払う


現代的下し文
千重にも連なる秋浦の峰
なかでも水車嶺は その嶺は特別いいのだ
天は傾いて 岩が落ちてくるかと見え
水は宿り木の枝を払って流れてゆく
(通常の解釈はこの読みのとおりである)

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紀 頌之の異訳
秋浦歌十七首其八 現代語訳と訳註
(本文)

秋浦千重嶺。 水車嶺最奇。
天傾欲墮石。 水拂寄生枝。

(下し文) 其の八
秋浦 千重(せんちょう) 嶺(みね)、水車  嶺最 奇なり。
天 堕石を欲して傾く、水は 寄生枝を払わん。


(現代語訳)
秋浦にきてからはるかに連なる峰の道よりいろんな異民族の部隊が出た。水軍と兵車を要した永王の軍が最も期待されるのだ。
天下はこのため不穏になり、王朝も転覆させようとして反乱を起こし、唐王朝は傾いた。永王の軍でもって、天下を揺るがす叛乱軍を追っ払っていくのだ。


(訳注)

秋浦千重嶺。 水車嶺最奇。
秋浦にきてからはるかに連なる峰の道よりいろんな異民族の部隊が出た。水軍と兵車を要した永王の軍が最も期待されるのだ。
千重嶺 千の数ほど山道が重なる。○水車 浙江省 杭州 桐廬県 水車嶺、というのが通説であるが、水車嶺と秋浦と間に黄山があり、200km以上離れており、場所的に無理があるということ、水車はこの山ではなく水軍と兵車というように考えられる。○嶺最奇 山脈として最もすてきなものである


天傾欲墮石。 水拂寄生枝。
天下はこのため不穏になり、王朝も転覆させようとして反乱を起こし、唐王朝は傾いた。永王の軍でもって、天下を揺るがす叛乱軍を追っ払っていくのだ。
 天下。唐国家。○ 傾国。○墮石 安禄山の叛乱。○ 永王の水軍。○寄生枝 反乱軍に抑えられた領地を示す。


秋浦の水辺には山が迫っていて、幾重にも連なる峰が見える。なかでも水車嶺は岩が倒れかかってくるように聳えており、その横を岩に寄生している木の枝を払うようにして水が流れていると詠う。李白は小舟で川を下っていることになる。
通上の解釈では、突然、愁いも故事もなくなり、抒情詩に変わることになる。それに加え何ら関係のない、一度も李白の詩に登場していない水車嶺という場所が出てくるのである。特に七首の詩がおかしくなってしまう。私の訳を通して読んでみたら李白の心の動きがよくわかる。振り返って、秋浦の歌十七首のそれぞれの語をみてみよう。
其 一 秋浦 長秋 人愁 客愁 大樓。
 長安 江水流  江水 淚 揚州。
  
其 二 秋浦 猿 夜愁  黃山 白頭
 清溪 隴水 斷腸 薄游 久游。
 雨淚 孤舟
  
其 三 秋浦 錦駝鳥
 山雞 淥水
  
其 四 兩鬢 秋浦 一朝 
 猿聲 白發 長短 成絲。
  
其 五 秋浦 白猿 飛雪
 上兒 水中月。
  
其 六 愁 秋浦客 秋浦花
 山川 剡縣 風日 長沙
  
其 七 山公馬 寧戚牛。
 白石爛 淚 黑貂裘
  
其 八 秋浦 千重嶺  水車 嶺最奇。
 天傾 墮石 水 寄生枝。



其六
愁作秋浦客。 強看秋浦花。
山川如剡縣。 風日似長沙。

(下し文)
愁えて秋浦の客と作(な)り、強(し)いて秋浦の花を看(み)る。
山川(さんせん)は  剡県(せんけん)の如く、風日(ふうじつ)は  長沙(ちょうさ)に似るに。

(現代語訳)
国の危機に対して愁をいだきながら旅人となって秋浦に来た、そこに尋ねてきてくれた人がいる。二人は話し合い秋浦の花を見たのである。
山と川のように立ち上がり行動する、隠遁していた剡県地方から立ち上がった。風と日の光のように悔しい思いを胸に秘めて命を絶った屈原の長沙での生き方を選ぶべきなのか。どちらにするか思案している。


其七
醉上山公馬、寒歌甯戚牛。
空吟白石爛、淚滿黑貂裘。

(下し文) 其の七
酔うて上る  山公(さんこう)の馬、寒歌(かんか)するは  寧戚(ねいせき)の牛。
空しく白石爛(はくせきらん)を吟ずれば、泪は満つ  黒貂(こくちょう)の裘(かわごろも)。

(現代語訳)
酔った時には、山簡のように馬に乗ってふざけてみるのは賢人であることを示している。寒い時には、甯戚のように、牛の角をたたいて貧乏をうたうと名君が見出してくれるかもしれない。
しかし、「白い石があざやかなりー」と歌ってみても、自分を用いてくれる度量の君王がいない。蘇秦のようにボロボロになった黒貂の皮ごろもに、涙がいっぱいになる。

秋浦歌十七首 其七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集251/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。

秋浦歌十七首 其七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集251/350


秋浦歌十七首 其七
醉上山公馬、寒歌甯戚牛。
空吟白石爛、淚滿黑貂裘。


秋浦の歌十七首 其の七

酔うて上る 山公(さんこう)の馬

寒歌(かんか)するは  寧戚(ねいせき)の牛

空しく白石爛(はくせきらん)を吟ずれば

泪は満つ 黒貂(こくちょう)の裘(かわごろも)

李白の足跡5


秋浦歌十七首 其七 現代語訳と訳註
(本文)
其七
醉上山公馬、寒歌甯戚牛。
空吟白石爛、淚滿黑貂裘。
 

(下し文) 其の七
酔うて上る  山公(さんこう)の馬、寒歌(かんか)するは  寧戚(ねいせき)の牛。
空しく白石爛(はくせきらん)を吟ずれば、泪は満つ  黒貂(こくちょう)の裘(かわごろも)。


(現代語訳)
酔った時には、山簡のように馬に乗ってふざけてみるのは賢人であることを示している。寒い時には、甯戚のように、牛の角をたたいて貧乏をうたうと名君が見出してくれるかもしれない。
しかし、「白い石があざやかなりー」と歌ってみても、自分を用いてくれる度量の君王がいない。蘇秦のようにボロボロになった黒貂の皮ごろもに、涙がいっぱいになる。


(訳注)
醉上山公馬。 寒歌甯戚牛。
酔った時には、山簡のように馬に乗ってふざけてみるのは賢人であることを示している。寒い時には、甯戚のように、牛の角をたたいて貧乏をうたうと名君が見出してくれるかもしれない。
山公 西晋の山簡のこと。荊州の知事として湖北省の荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。山簡は泥酔しているのではなく、この時、談義はしているのである。竹林の七賢人の山濤の子であり、山簡はそのような儒教的・既成の倫理観を捨て, 外聞を気にせず, 己に正直にして自由にふるまった。李白が山簡を詠い讃える重要な点である。李白は儒教的価値観に徹底的に嫌気を示している。山簡を象徴的に詠うのである。○甯戚 春秋時代の斉の国の人。生活に困っていた時に、牛の角を叩きながら「牛を飯う歌」をうたって、自分の貧窮と希望とをのべた斉の桓公がそれを聞いて大臣にしたという。道教でいう名君を示す。

空吟白石爛。 淚滿黑貂裘。
しかし、「白い石があざやかなりー」と歌ってみても、自分を用いてくれる度量の君王がいない。蘇秦のようにボロボロになった黒貂の皮ごろもに、涙がいっぱいになる。
白石爛 寧戚の歌の中の文句。白い石がぴかぴか光る。爛1 ただれる。くさる。やわらかくなってくずれる。「爛熟/糜爛(びらん)・腐爛」 2 あふれんばかりに光り輝く。あざやか。「爛然・爛漫・爛爛/絢爛(けんらん)・燦爛(さんらん)」 ○黑貂裘 黒いてん(いたち科の動物)の皮ごろも。戦国時代の論客、蘇秦が、秦の王にまみえて自分の説を進言したが、十回進言して用いられず、その時、蘇秦は非常に困窮して黑貂裘皮ごろもはボロボロだし、黄金百斤はなくなっていた。「戦国策」に見える話の故事を用いる。
名君といわれた桓公の故事を例にとっているのだが、李白はその桓公の背後に魯仲連の存在なくして語れないものであること、李白は、永王鄰のもとに走ることを示唆した詩ではなかろうか。


 
 其の七の詩に「秋浦」という言葉を使わなくて、山簡、甯戚、蘇秦を用いることで、自らの決意をあらわしたかった。したがって、場所と時を示す「秋浦」を使う必要がなかったのだ。李白は、他のどんな詩人より山公(山簡)を例に用いた。「山公馬」というのが特に好んだ。
 李白は、儒教に嫌気がしていたことについては多く詠っている。

寧戚牛というのは春秋斉の桓公時代の説話で、斉に仕えたいと思った寧戚が、斉都臨淄の城門外にたどりついて野宿をした。すると、桓公が門から出てきた。そこで寧戚は連れていた牛に飼い葉をやりながら牛の角をたたいて歌をうたった。その歌が「白石爛」で、それを聞いた桓公は寧戚を上卿に取り立てたという。桓公は名君といわれた。それだけの眼力があったということであるが、太公望の故事と並べて語られる。李白は、嘗て太公望のようにして朝廷に迎えられたしかし、朝廷を追放されたので、こんどは、寧戚を例にとったのだ。
 李白は空しく「白石爛」を吟ずるのだが、名君に認められることもなく「泪は満つ 黒貂の裘」と詠う。 

李白50 襄陽曲四首
其二
山公醉酒時。 酩酊高陽下。
頭上白接籬。 倒著還騎馬。

山簡先生はいつもお酒に酔っている、酩酊してかならず高陽池のほとりでおりていた。
あたまの上には、白い帽子。それを逆さにかぶりながら、それでも馬をのりまわした。

○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 ○白接離 接寵は帽子。

山公 酒に酔う時、酩酊し 高陽の下
頭上の 白接籬、倒しまに着けて還(また)馬に騎(のる)

詠懐詩  阮籍
夜中不能寐、起坐弾鳴琴。
薄帷鑒明月、清風吹我襟。
孤鴻號外野、朔鳥鳴北林。
徘徊将何見、憂思独傷心。

酒を飲む場所が、酒場でなく野酒、竹林なのは老荘思想の「山林に世塵を避ける」ということの実践である。お酒を飲みながら、老子、荘子、または王弼の「周易注」などを教科書にして、活発な論議(清談、玄談)をしていた。談義のカムフラージュのためである。
この思想は、子供にからかわれても酒を飲むほうがよい。峴山の「涙堕碑」か、山公かとの選択(李白襄陽曲四首)につながっていく

 仙人思想は、隠遁を意味するわけであるが、宗教につてすべての宗教上のすべてのこと、すべての行事等も、皇帝の許可が必要であった。一揆、叛乱の防止のためであるが、逆に、宗教は国家運営に協力方向に舵を切っていったのである。その結果道教は、不老長寿の丸薬、回春薬を皇帝に提供し、古苦境にまで発展したのである。老荘思想の道教への取り込みにより道教内で老境思想は矛盾しないものであった。

秋浦歌十七首 其六  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集250/350


秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。

秋浦歌十七首 其六  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集250/350

李白の詩の中でまともに解釈されていない詩のひとつである。さらっと読んで行ってもすぐ解釈できるが、何か引っかかる詩なのである。裏の裏の意味があるのか、暗号なのか、不思議な詩なのである。



其六
愁作秋浦客。 強看秋浦花。
山川如剡縣。 風日似長沙。


愁えて秋浦の客と作()り、強()いて秋浦の花を看()る。

山川(さんせん)は  (せんけん)の如く、風日(ふうじつ)は 長沙(ちょうさ)に似るに。




秋浦歌十七首 其六 現代語訳と訳註
(本文) 其六

愁作秋浦客。 強看秋浦花。
山川如剡縣。 風日似長沙。


(下し文)
愁えて秋浦の客と作(な)り、強(し)いて秋浦の花を看(み)る。
山川(さんせん)は  剡県(せんけん)の如く、風日(ふうじつ)は  長沙(ちょうさ)に似るに。


(現代語訳)
国の危機に対して愁をいだきながら旅人となって秋浦に来た、そこに尋ねてきてくれた人がいる。二人は話し合い秋浦の花を見たのである。
山と川のように立ち上がり行動する、隠遁していた剡県地方から立ち上がった。風と日の光のように悔しい思いを胸に秘めて命を絶った屈原の長沙での生き方を選ぶべきなのか。どちらにするか思案している。



(訳注)
愁作秋浦客。 強看秋浦花。

国の危機に対して愁をいだきながら旅人となって秋浦に来た、そこに尋ねてきてくれた人がいる。二人は話し合い秋浦の花を見たのである。
 初句はじめに使うことは珍しい。安史の乱はすべての人にとっての愁いである。秋浦を上句と下句に使って強調している。○秋浦花 強いてみる花とは、李白にとって、美人である。あるいは女よりもっといいこと。

  愁 作 秋浦 客 = 愁秋浦・・・・作秋浦・・・・秋浦客
  強 看 秋浦 花。= 強秋浦・・・・看秋浦・・・・秋浦花


秋浦について:
① 安徽省貴地県。唐代には池州と呼ばれた。銭塘江の最上流にある。しかし長江にもすぐいける。
② 長沙と剡渓の中間に位置する。
③ 隠遁という意味でなく敵から逃避し、隠れたのではないかと思うところ。
④ 安禄山の叛乱を示唆する語。(秋:秋、浦:謀叛)



山川如剡縣。 風日似長沙。
山と川のように立ち上がり行動する、隠遁していた剡県地方から立ち上がった。風と日の光のように悔しい思いを胸に秘めて命を絶った屈原の長沙での生き方を選ぶべきなのか。どちらにするか思案している。
剡縣 浙江省剡県。町の南に剡渓があり、両岸の景色がうつくしく、六朝時代にはことに人びとに愛貸された。謝霊運、王羲之に李白自身を映したのであろう。
長沙 唐時代の長沙郡をさす。帯湘、洞庭などの名勝がすべて郡内にある。同時に長沙は、屈原を連想させる。



1 秋浦歌十七首 其六 について

 李白は自分の書いた詩を違った形で詠いあげるということが多い。その視点からこの詩を見ると、この詩に近いイメージの詩は、「贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊」ということになる。この形をとることによって、詩に味わい深さを増すのである。

贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229


贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊
昔別黃鶴樓、蹉跎淮海秋。
俱飄零落葉、各散洞庭流。』
中年不相見、蹭蹬游吳越。
何處我思君、天台綠蘿月。』
會稽風月好、卻繞剡溪回。
云山海上出、人物鏡中來。
一度浙江北、十年醉楚台。
荊門倒屈宋、梁苑傾鄒枚。』
むかし黄鶴楼に別れ、蹉跎(さた)たり 淮海(わいかい)の 秋。
ともに零落の葉を飄(ひ るがへ)し、おのおの洞庭の流に散ず。』
中年あい見(まみ)えず、蹭蹬(そうとう) 呉越に遊ぶ。
何の処かわれ君を思う、天台 緑蘿(りょくら)の月。』
会稽 風月好し、かえって剡溪(えんけい)を繞(めぐ)って廻(かへ)る。
雲山 海上に出で、人物 鏡中に来る。
ひとたび 浙江を度(わたり)て 北し、十年 楚台に酔う。
荊門に屈宋を倒し、梁苑には鄒枚を傾く。』

昔、君と別れの酒を酌み交わしたのは黄鶴楼だった、なかなか別れがたく、ぐずぐず過ごした淮海の秋がとても懐かしい。
お互いに放浪の身で、枯葉のように疲れ切っていた、 だけど 各々分散する洞庭の流のようにわかれたのだ。』
暫くの間、お互い音信不通であったのだ、これといった目標がないままに江南地方で遊んだ。
それでもどこにいても私は君のことを考えていた、緑の蔦のおい茂る天台山に登って月影をあおぎながら。』
会稽地方はさわやかな風、すばらしい月が印象的なところだ。 中でも剡溪の辺りは。気に入ったので何回も廻りまわった。


2.秋浦歌十七首 其六 について 

 一般的な解釈は次のとおりである。
 この詩には「秋浦」が二回も出てきて、しかも対句になっている。転結句は複雑な感情を五言絶句という短い詩形に押し込めているので、すこし分かりにくい。

秋浦の山川風日が剡県や長沙のように美しく似ているのに、それを愁えてみる、強いてみるというように心から楽しめない感情を述べている。なぜなら、それは剡県や長沙を訪れたころはまだ若く希望に燃えていたので、虚心坦懐に風物に没入できたのに、いまはそうでないと言っていると解するべきである。


 このうえのような解釈では、①なぜ愁いなのか、何に対して愁いなのか。②なぜ強いるのか、なぜ強いたのか。③秋浦の花とはなんなのか。
「愁えてみる、強いてみるというように心から楽しめない感情を述べている。なぜなら、それは剡県や長沙を訪れたころはまだ若く希望に燃えていたので、虚心坦懐に風物に没入できたのに、いまはそうでない」
初めの2句の説明、解釈にはなっていない。

結論をいうと
① 愁いは国へのの愁いということである。李白は長安での宮廷内のみならずかなり知れ渡った「謫仙人」であった。だから、叛乱軍に掴まると危ない。国のために何かおこしたいが何もできない。それを「憂い」ているのだ。
② 強いたのは、尋ね人があったのだ。李白はもう第一線には立てないと自覚していた。情報を伝えに来て、花は咲かせないかもしれないが「看る」ことはできるかもしれない。
③ 秋浦の客は李白自身と来客であった。
その話し合いの中でで生まれた共通の決意。それが「花」なのだ。

 転結の句は李白の大好きな剡渓の景色、と同時に謝霊運、王之義は、隠遁していても、国の存亡の時その地から立ち上がった。長沙地方の風光明美と同時に、愁いをもって汨羅に身を投げた屈原の行動。秋浦の花は剡渓から立ち上がることを示すのである。



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秋浦歌十七首 其五 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集249/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其五 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集249/350



秋浦歌十七首其五
秋浦多白猿、超騰若飛雪。
牽引條上兒、飲弄水中月。


      

秋浦の歌 十七首 其の五
秋浦  白猿(はくえん)多く、超騰(ちょうとう)すること飛雪(ひせつ)の若(ごと)し。
条上(じょうじょう)の児(こ)を牽引(けんいんし)し、飲みて弄(もてあそ)ぶ  水中(すいちゅう)の月。


nat0022

現代語訳と訳註
(本文) 其五

秋浦多白猿、超騰若飛雪。
牽引條上兒、飲弄水中月。


(下し文) 秋浦歌十七首 其五      

秋浦の歌 十七首 其の五
秋浦  白猿(はくえん)多く、超騰(ちょうとう)すること飛雪(ひせつ)の若(ごと)し。
条上(じょうじょう)の児(こ)を牽引(けんいんし)し、飲みて弄(もてあそ)ぶ  水中(すいちゅう)の月。


(現代語訳)
秋浦のこんなところ伝説の盗賊白猿みたいなものが多くいる、突然大暴れをして略奪していく、それは雪が舞っているかのように襲っているのだ。


(訳注)
秋浦多白猿、超騰若飛雪。
秋浦のこんなところ伝説の盗賊白猿みたいなものが多くいる、突然大暴れをして略奪していく、それは雪が舞っているかのように襲っているのだ。
白猿 白猿伝説。六朝の梁の時代のこと。平南将軍の藺欽(りんきん)が南方遠征に派遣された時に、別将の欧陽紇(おうようこつ)も同様に南方の長楽の地を占領し、異民族の居住地を次々に平定していった。ところで彼には美人の妻がおり、白猿神のさらわれたことに関する故事、伝説にもとづくもので、安禄山に参画した盗賊に近い者たちという意味であろう。○超騰 とびはねる。突然大暴れをして略奪していく。


牽引條上兒、飲弄水中月。
木の枝の上から子猿を引っぱるように、女こともを連れ去っていく、持って行ったさけを喰らって、月影に美女相手にしてじゃれついている。なんて秋になったのだ。
牽引 引っぱる。○水中月 水に映るの月影。月は女性、水に映すほどの美人の女性。



(この詩の理解のために。)
通常の訳はつぎのとおり、
いま、秋浦には白い猿がたくさんいる。とんだりはねたりしている様子は、飛ぶ雪のようにみえる。
木の枝の上から子猿を引っぱってきて、谷川で水を飲みながら、水中の月影にじゃれている。

であるが、これではなぜ、白猿についてみれば意味不明になる。安禄山の兵士は、黄色隊、白隊、茶隊、帽子や、お面をつけていたという記述は多く残されている。  

杜甫「悲陳陶 杜甫 700- 152


また、白猿について、参考として読んでみると、李白のこの詩はこの伝説に基づいているのである。
六朝時代からある怪奇伝説「白猿伝説」六朝の梁の時代のこと。平南将軍の藺欽(りんきん)や別将の欧陽紇は南方の長楽の地を占領し、異民族の居住地を次々に平定していった。そのとき美人の妻を遠征に帯同していた。ある明け方に一陣の怪風が吹いたかと思うと、その時には妻は既にさらわれていた。

欧陽紇は血眼になって方々へ妻を捜し回り、数ヶ月後に岩窟の入り口が見つかった。その岩窟の門の前で、女たちが歌い合ったり笑い合ったりしていた。この岩窟は白猿神の住処であり、女たちはみな彼にさらわれて来たのだ。欧陽紇の妻もやはり同じように白猿神にさらわれたのであった。彼は岩窟に忍び込んで妻との再会を果たした。白猿神は不思議な力を持っていて、正面から戦いを挑めば百人がかりでも倒せない。


白い衣をまとい、美しいあごひげを伸ばした男が、杖をついて女たち従えながらやって来た。これこそが白猿神の変化した姿である。彼は犬が走り回っているのを見つけると、立所に捕まえてその肉を引き裂き、ムシャムシャと食べ始めた。満腹になると今度は女たちに酒を勧められる。数斗飲んだ所でふらふらになると、やはり女たちが介添えをして岩窟へと去って行った。そこで彼は部下と共に武器を手にとって入ってみると、正体を現した。

白猿神
が寝台に手足を縛られ、ジタバタともがいていた。欧陽紇と部下がその体を剣で斬りつけても、鉄か岩を打っているように傷ひとつ付かない。しかしヘソの下を刺すと、血が一気に吹き出てきた。白猿神は、「わしはお前にではなく、天に殺されたのだ。それにお前の妻はわしの子を身籠もっておる。だがその子を殺すでないぞ。偉大な君主に出会って一族を繁栄させるであろうからな!」と捨てぜりふを残して絶命した。

欧陽紇は白猿神の宝物を積み込み、女たちを引き連れて帰って行った。そして女たちをそれぞれ里に帰してやった。一年後に彼の妻は男の子を出産したが、その容貌はかの白猿神にそっくりであった。これが欧陽詢(おうようじゅん)である。その後欧陽紇は陳の武帝(陳覇先)に誅殺された。欧陽詢は父の友人・江総に匿われて難を逃れた。彼は成人してから書道家・学者として有名となり、隋に仕えた。また友人の李淵が唐王朝を立てると今度は唐に降り、高祖・太宗の二代に仕えた。

秋浦歌十七首 其四 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集248/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其四 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集248/350

秋浦歌十七首其四

兩鬢入秋浦。 一朝颯已衰。
安禄山が乱を起こしてから秋浦に来きたが、洛陽、長安の二つの都が敵の手に落ち私の左右の鬢も一度にさっと衰えたのだ。
猿聲催白發。 長短盡成絲。
猿の哀しい啼き声は悲愴感漂うように、安禄山に寝返った諸公達も煩く鳴いて、わたしの白髪は増え、髪はことごとく糸のように細くなる。このまま安禄山の天下になってしまうのか

両鬢(りょうびん)  秋浦に入りて、一朝(いっちょう)  颯(さつ)として已(すで)に衰う。

猿声(えんせい)  白髪(はくはつ)を催(うなが)し、長短(ちょうたん)  尽(ことごと)く糸と成る。


nat0022




 現代語訳と訳註
(本文) 秋浦歌十七首 其四

兩鬢入秋浦。 一朝颯已衰。
猿聲催白發。 長短盡成絲。

(下し文) 秋浦の歌 十七首 其の四
両鬢(りょうびん)  秋浦に入りて、一朝(いっちょう)  颯(さつ)として已(すで)に衰う。
猿声(えんせい)  白髪(はくはつ)を催(うなが)し、長短(ちょうたん)  尽(ことごと)く糸と成る。

(現代語訳)
安禄山が乱を起こしてから秋浦に来きたが、洛陽、長安の二つの都が敵の手に落ち私の左右の鬢も一度にさっと衰えたのだ。
猿の哀しい啼き声は悲愴感漂うように、安禄山に寝返った諸公達も煩く鳴いて、わたしの白髪は増え、髪はことごとく糸のように細くなる。このまま安禄山の天下になってしまうのか



(訳注)
兩鬢入秋浦。 一朝颯已衰。

安禄山が乱を起こしてから秋浦に来きたが、洛陽、長安の二つの都が敵の手に落ち私の左右の鬢も一度にさっと衰えたのだ。
兩鬢 左右のおでこ生え際、もみあげ。洛陽と長安を比喩している。○入 入城する。陥落させる。○秋浦 銭塘江最上流の盆地のようなところ。今の安徽省貴池県。唐代では池州と呼ばれた。李白のこの秋浦歌十七首のはじめの詩、ほとんど各詩に必ず秋浦の語が挿入されている。(はいらないのは、7,9、10,11,12,13,14,15,17で安禄山の乱を感じ取れるもの) 、入っているのは、この詩のようにそう鬢を長安と洛陽と思わなければ、ただの抒情詩なのである。秋浦にはそのものの場所を示すことと、秋に叛乱した、秋は西を示すということで、安禄山の動向を心配している詩と考えて、抒情詩であると同時に李白は、乱の行くすえを案じている詩といえるのである。○一朝 ある朝。○颯已衰 一気におとろえた。両鬢に白髪が一気に増えてしまったように洛陽長安が一気に陥落して、国中大混乱であるという意味である。


猿聲催白發。 長短盡成絲。
猿の哀しい啼き声は悲愴感漂うように、安禄山に寝返った諸公達も煩く鳴いて、わたしの白髪は増え、髪はことごとく糸のように細くなる。このまま安禄山の天下になってしまうのか
猿聲 この猿は日本猿と違い手長猿で、啼き方に悲哀が籠って長く引っ張るように鳴く。悲しいこと寂しいことの代名詞である。と同時に、安禄山に媚を売って追随している諸侯を示す。○長短 白髪の長短。別に、安禄山への寝返りの強弱を示す。



(解説)
其の四の詩では「猿声」、中國の南辺に棲む手長猿の哀しい啼き声を歌うのは安禄山に迎合して、略奪をして行った潘鎮、諸侯が多くいたことを比喩したのである。叛乱後わずか1カ月足らずで洛陽が落ち、兵の数は数倍で圧倒的に王朝軍が強いはずで、早晩、おさまるものと誰もが思っていた。ところが半年後には、長安が落ちたのである。中國の二つの都が叛乱軍の手に落ちたので、情勢は一変し安禄山の側に寝返るものが増えたのである。日頃不満を持っていた者たちに多く見られた。そして大殺戮に加担したのである。。
 もし、李白が安禄山を支持するならこの詩に「秋浦」という語はなかったはずである。私は秋浦にいる。国家存亡のこの危機を心配している。李白はそう発信したかったのだ。


秋浦歌十七首 其三 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集247/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其三 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集247/350


 秋浦歌は李白の人生への思いが込められているものである。その二で「青渓は朧水に非ざるに 翻って断腸の流れを作す」は古楽府にある詩句を踏まえ、また、李白自身が「古風 其二十二  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白181参照)で「秦水 朧首に別れ 幽咽して悲声多し」と詠っている。杜甫も出塞九首 其三 杜甫 で隴山のことを詠っている。
 先行き不安な時期に唄っている。現代人にとって「人生」を考えるにつけて、この頃の李白の詩は参考になるものが多い。


秋浦歌十七首其三

秋浦錦駝鳥。 人間天上稀。
山雞羞淥水。 不敢照毛衣。

ここ秋浦に錦の駝鳥がいる、人の世に、いや、天上をふくめてもこの美しさは稀というものだ。
さすがの山鶏も、この清らかな水の前で恥ずかしくなって、自分の羽毛をうつして見ることをできはしないだろう。


秋浦の錦(きんぎんちょう)、人間(じんかん)  天上に稀なり。

山鶏(さんけい)  (ろくすい)に羞じ、敢えて毛衣(もうい)を照らさず。

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現代語訳と訳註
(本文) 其三

秋浦錦駝鳥、人間天上稀。
山雞羞淥水、不敢照毛衣。



(下し文) 秋浦の歌 十七首  其の三
秋浦の錦鄞鳥(きんぎんちょう)、人間(じんかん)  天上に稀なり。
山鶏(さんけい)  淥水(ろくすい)に羞じ、敢えて毛衣(もうい)を照らさず。


(現代語訳)
ここ秋浦に錦の駝鳥がいる、人の世に、いや、天上をふくめてもこの美しさは稀というものだ。
さすがの山鶏も、この清らかな水の前で恥ずかしくなって、自分の羽毛をうつして見ることをできはしないだろう。



秋浦歌十七首  其三 (訳注)
秋浦錦駝鳥、人間天上稀。
ここ秋浦に錦の駝鳥がいる、人の世に、いや、天上をふくめてもこの美しさは稀というものだ。
錦軒鳥 錦の羽毛をもつダチョウ。


山雞羞淥水、不敢照毛衣。
さすがの山鶏も、この清らかな水の前で恥ずかしくなって、自分の羽毛をうつして見ることをできはしないだろう。
山鶏 錦鶏(きんけい)。キジ科の鳥。自分の美しい羽毛の色を愛し、終日水に映して自分の影に見とれ、しまいに目がくらんで溺れ死ぬという。○淥水 みどりの水。澄んだ川や湖。

李白10  採蓮曲
淥水曲  李白 11

(解説)
 貴族、富豪のものは権力と資力により、美女を集めることができる。この頃の潘鎮は君王化していた。中央の王朝の命をも拒絶するものが出始めていた。贅を治めないものも出始め、これを抑えるため、節度使を設置したり、潘鎮同士を互いにけん制させることを行った。山鳥はまさに地方に君臨する潘鎮のことである。権力者はさらに強い権力者には弱いものであるということである。
 美人についてもいえる、上には上がいるということ、でもその最上級の美人であっても年老いて、その地位を後退せざるを得ないのである。
 李白は足かけ3年の朝廷生活で、権力者の頽廃ぶりを目にして、特に李林甫の末路を学習したのである。
一般論ではあるが、この詩の山鷄を李白自身のことと比喩しているとの解説を見かけるが、悲観的な見方であり、間違いである。
自分の人生光を、が、不安であるのではなく、この詩句にいうのは、王朝の行く末が不安なのである。野心はあっても欲がないのが李白である。杜甫とはすこし違った詩人の矜持を感じる。


秋浦歌十七首 其二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集-246/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。

秋浦歌十七首 其二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集-246/350
 
 其の一で、姿勢を正して長安に向き合うという気持ちが込められていた。長江は世に出ることを目指してはじめて下った江であり、その長江に向かって問いかけ、自分の初心に問いかけたのだ。


秋浦歌十七首其二


其二
秋浦猿夜愁。 黃山堪白頭。
秋浦で、秋が深まってきて猿がかなしそうに啼く夜になると愁いで胸いっぱいになる。ここからすこし南に黄山がある、もう冬になろうというのか、私のように愁いが募って、白髪頭になろうとしている。
清溪非隴水。 翻作斷腸流。
清渓の水は隴頭の水ほどではないけれど、やっぱり君との性交を思い出す腸を断ち切る声に聞こえてくるのだ。
欲去不得去。 薄游成久游。
ここにいると、ここを去ろうと思うのだけれどなぜか去り得ないのだ。ちょっとのつもりの滞在がながい滞在となってしまった。
何年是歸日。 雨淚下孤舟。

もう一二年で、思いを遂げて帰る日となる。いまは雨のように涙をながしながら、この川にただ一槽の小舟にのって下っている。

其の二
秋浦  猿は夜愁(うれ)う、黄山  白頭(はくとう)に堪えたり。
青渓(せいけい)は朧水(ろうすい)に非(あら)ざるに、翻(かえ)って断腸(だんちょう)の流れを作(な)す。
去らんと欲(ほっ)して去るを得ず、薄遊(はくゆう)  久遊(きゅうゆう)と成る
何(いず)れの年か  是(こ)れ帰る日ぞ、泪を雨(ふ)らせて孤舟(こしゅう)に下る。

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秋浦歌十七首其二 現代語訳と訳註
(本文) 其二

秋浦猿夜愁。 黃山堪白頭。
清溪非隴水。 翻作斷腸流。
欲去不得去。 薄游成久游。
何年是歸日。 雨淚下孤舟。


(下し文) 其の二
秋浦  猿は夜愁(うれ)う、黄山  白頭(はくとう)に堪えたり。
青渓(せいけい)は朧水(ろうすい)に非(あら)ざるに、翻(かえ)って断腸(だんちょう)の流れを作(な)す。
去らんと欲(ほっ)して去るを得ず、薄遊(はくゆう)  久遊(きゅうゆう)と成る
何(いず)れの年か  是(こ)れ帰る日ぞ、泪を雨(ふ)らせて孤舟(こしゅう)に下る。

(現代語訳)
秋浦で、秋が深まってきて猿がかなしそうに啼く夜になると愁いで胸いっぱいになる。ここからすこし南に黄山がある、もう冬になろうというのか、私のように愁いが募って、白髪頭になろうとしている。
清渓の水は隴頭の水ほどではないけれど、やっぱり君との性交を思い出す腸を断ち切る声に聞こえてくるのだ。
ここにいると、ここを去ろうと思うのだけれどなぜか去り得ないのだ。ちょっとのつもりの滞在がながい滞在となってしまった。
もう一二年で、思いを遂げて帰る日となる。いまは雨のように涙をながしながら、この川にただ一槽の小舟にのって下っている。


(訳注)
秋浦猿夜愁。 黃山堪白頭。

秋浦で、秋が深まってきて猿がかなしそうに啼く夜になると愁いで胸いっぱいになる。ここからすこし南に黄山がある、もう冬になろうというのか、私のように愁いが募って、白髪頭になろうとしている。
黄山 山の名。秋浦の南方にある。会稽山、天望山、天台山、廬山など李白が愛した名山が集まっている場所だ。


清溪非隴水。 翻作斷腸流。
清渓の水は隴頭の水ほどではないけれど、やっぱり君との性交を思い出す腸を断ち切る声に聞こえてくるのだ。
清渓 秋浦の近くにある。安徽省貴池地方を北西に流れて長江にそそぐ川。その西側を流れる、秋浦河とともにその美しさにより景勝地となっている。別名、白洋河。

李白64清溪半夜聞笛 66清溪行 67 宿清溪主人

隴水 隴水は甘粛省。「隴頭歌」という古い歌に「隴頭の流水は、鳴声幽咽す。造かに秦川を望み、肝腸断絶す」とある。○隴水 甘粛省隴山から長安方面に流れる渭水に合流する川の名。チベット;吐蕃との国境をながれる。○腸斷 腹の底からの感情を示す。悲哀の具象的表現。「楽府特集」二十五巻≪横笛曲辞≫「隴頭の流水、鳴声幽咽す。はるかに秦川(長安)を望み、心肝断絶す。」李白「清溪半夜聞笛」参照 杜甫「前出塞九首 其三 杜甫」 杜甫 「三秦記」にいう「隴山の頂に泉有りて、清水四に注ぐ、東のかた秦川を望めば四五里なるが如し。俗歌に『陣頭の流水、鳴声幽咽す。遙かに秦川を望めば、肝腸断絶す』という」と。隴山は今の陝西省鳳翔府隴州の北西にあって、ここを経て甘粛省の方へ赴くが、長安地方の眺望がこれよりみえなくなる様子を詠った歌である。鳴咽の水とはむせびなくような水流をいう。腸断声とは水自身に人をして腸をたたしめるような声のあることをいう。○水赤刃傷手 事実は刃が手をきずつけるから血が染まって水が赤くなるのであるが、我々がであう経験からすれば水が赤いのではっとおどろいてみると刃が手をきずつけていることが知られるということになる。 

欲去不得去。 薄游成久游。
ここにいると、ここを去ろうと思うのだけれどなぜか去り得ないのだ。ちょっとのつもりの滞在がながい滞在となってしまった。
薄遊しばらくの旅行。


何年是歸日。 雨淚下孤舟。
もう一二年で、思いを遂げて帰る日となる。いまは雨のように涙をながしながら、この川にただ一槽の小舟にのって下っている
 清溪の下流にすすむと銭塘江に灌がれ、蕭山方面でまた妻のいる開封方面から遠ざかることになる。



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秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。
秋浦歌十七首 其一

其一
秋浦長似秋。 蕭條使人愁。
客愁不可度。 行上東大樓。
正西望長安。 下見江水流。
寄言向江水。 汝意憶儂不。
遙傳一掬淚。 為我達揚州。


其二
秋浦猿夜愁。 黃山堪白頭。
清溪非隴水。 翻作斷腸流。
欲去不得去。 薄游成久游。
何年是歸日。 雨淚下孤舟。


其三
秋浦錦駝鳥。 人間天上稀。
山雞羞淥水。 不敢照毛衣。


其四
兩鬢入秋浦。 一朝颯已衰。
猿聲催白發。 長短盡成絲。


其五
秋浦多白猿。 超騰若飛雪。
牽引條上兒。 飲弄水中月。
 
其六
愁作秋浦客。 強看秋浦花。
山川如剡縣。 風日似長沙。
 
其七
醉上山公馬。 寒歌寧戚牛。
空吟白石爛。 淚滿黑貂裘。

其八
秋浦千重嶺。 水車嶺最奇。
 天傾欲墮石。 水拂寄生枝。
 
其九
江祖一片石。 青天掃畫屏。
題詩留萬古。 綠字錦苔生。
 
其十
千千石楠樹。 萬萬女貞林。
山山白鷺滿。 澗澗白猿吟。
君莫向秋浦。 猿聲碎客心。
 
其十一
邏人橫鳥道。江祖出魚梁。
水急客舟疾。  山花拂面香。
 
其十二
水如一匹練。 此地即平天。
耐可乘明月。 看花上酒船。
 
其十三
淥水淨素月。 月明白鷺飛。
郎聽采菱女。 一道夜歌歸。
 
其十四
爐火照天地。 紅星亂紫煙。
赧郎明月夜。 歌曲動寒川。
 
其十五
白發三千丈。 緣愁似個長。
不知明鏡里。 何處得秋霜。
 
其十六
秋浦田舍翁。 采魚水中宿。
妻子張白鷴。 結罝映深竹。
 
其十七
祧波一步地。  了了語聲聞。
闇與山僧別。 低頭禮白云。

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秋浦歌十七首  其一
秋浦長似秋。 蕭條使人愁。
客愁不可度。 行上東大樓。
正西望長安。 下見江水流。
寄言向江水。 汝意憶儂不。
遙傳一掬淚。 為我達揚州。

秋浦(しゅうほ) 長(とこし)えに秋に似たり、蕭条(しょうじょう) 人をして愁えしむ。
客愁(かくしゅう) 度(すく)う可からず、行きて東(ひがし)の大楼に上る。
正西(せいせい)して長安を望む、下に江水(こうすい)の流るるを見る。
言(げん)を寄せて江水に向かい、汝の意(い)  儂(われ)を憶(おも)うや不(いな)や。
遥かに一掬(いっきく)の泪(なみだ)を伝え、我が為に揚州(ようしゅう)に達せよ。

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現代語訳と訳註
(本文) 其一
秋浦長似秋。 蕭條使人愁。
客愁不可度。 行上東大樓。
正西望長安。 下見江水流。
寄言向江水。 汝意憶儂不。
遙傳一掬淚。 為我達揚州。


(下し文)
秋浦(しゅうほ) 長(とこし)えに秋に似たり、蕭条(しょうじょう) 人をして愁えしむ。
客愁(かくしゅう) 度(すく)う可からず、行きて東(ひがし)の大楼に上る。
正西(せいせい)して長安を望む、下に江水(こうすい)の流るるを見る。
言(げん)を寄せて江水に向かい、汝の意(い)  儂(われ)を憶(おも)うや不(いな)や。
遥かに一掬(いっきく)の泪(なみだ)を伝え、我が為に揚州(ようしゅう)に達せよ。


 (現代語訳)
秋浦はその名のとおり、いつでも秋のようだ。ここのものさびしさは、人を愁にとじこめる。
旅客としてここの愁はまことに始末におえないものだ。そこで東のかたの大楼山にのぼってみる。
真西の方、秋の真っ最中にあたって長安の方をながめるのだ、眼下にひろがる長江、水の流れを見ている。
ここでわたしは言葉をあなたに寄せようと、長江の流れに向っている。君の心はわたしをおぼえていてくれるかどうか。
ひとすくいの涙は遠い所から伝えてくれて、わしのために、ここと中間の揚州にまで送りとどけてくれないか。


 (訳注) 秋浦の歌 其の一
秋浦長似秋。 蕭條使人愁。

秋浦はその名のとおり、いつでも秋のようだ。ここのものさびしさは、人を愁にとじこめる。
○秋浦 いまの安徽省貴地県。唐代には池州と呼ばれた。揚子江沿岸にある。○粛条 さびしいこと。

客愁不可度。 行上東大樓
旅客としてここの愁はまことに始末におえないものだ。そこで東のかたの大楼山にのぼってみる。
 わたる。かぞえる。計画する。かんがえる。○大樓 秋浦の北の大楼山。

自代内贈 #1~#3 李白
寶刀截流水。無有斷絕時。妾意逐君行。纏綿亦如之。」
別來門前草。秋黃春轉碧。掃盡更還生。萋萋滿行跡。
鳴鳳始相得。雄驚雌各飛。游云落何山。一往不見歸。
估客發大樓。知君在秋浦。梁苑空錦衾。陽台夢行雨。
妾家三作相。失勢去西秦。猶有舊歌管。淒清聞四鄰。」
曲度入紫云。啼無眼中人。妾似井底桃。開花向誰笑。
君如天上月。不肯一回照。窺鏡不自識。別多憔悴深。
安得秦吉了。為人道寸心。」


正西望長安。 下見江水流。
真西の方、秋の真っ最中にあたって長安の方をながめるのだ、眼下にひろがる長江、水の流れを見ている。
正西 真西という意味と秋の真っ最中。


寄言向江水。 汝意憶儂不。
ここでわたしは言葉をあなたに寄せようと、長江の流れに向っている。君の心はわたしをおぼえていてくれるかどうか。
 一人称の人代名詞。近世では女性が親しい相手に対して用いたが、現代では男性が、同輩以下の相手に対して用いる。


遙傳一掬淚。 為我達揚州。
ひとすくいの涙は遠い所から伝えてくれて、わしのために、ここと中間の揚州にまで送りとどけてくれないか。
 両手ですくう。○揚州 江蘇省揚州。長江の下流にあり、当時から繁華な大都会であった。ここから運河を北上し、洛陽、長安に向かう。宋州(河南省商丘市)にのこしたままにしている妻宗氏に、秋浦から書信を出したのだ。

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宣城見杜鵑花 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-244/-350

宣城見杜鵑花 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-244/-350
宣城にて杜鵑の花を見る

754天宝十三年から、宜城に遊んだことは間違いない。宣城は金陵の南西に長江を登ったところにあり、この地は李白の思慕する六朝の斉の謝朓が太守をしていたところである。謝朓の遺跡を訪ねて、謝謝の追憶にふけりながら、ここでも多くの優れた作品を残している。


天宝十四載(755)になり、李白は宣城で二度目の春を迎えた。二十四歳で蜀を出てから(旅立ちの詩「眉山月歌 李白 2」)一度も郷里に帰ることのなかった。宣城の杜鵑(つつじ)の花をみて、故郷の春の盛りを思い出さずにはいられなかった。
 「杜鵑花」はつつじだが、「子規鳥」(ほととぎす)は別名を「杜鵑」(とけん)ともいい、古代の蜀王杜宇の化身とされているのだ。この詩は「不如帰去」(帰り去くに如かず)と望郷の想いで鳴いた声、吐いた血が赤いつつじの花になったという伝説に基づいている。


宣城見杜鵑花  李白
蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑花。
一叫一廻腸一斷,三春三月憶三巴。

 

宣城にて 杜鵑花を見る
蜀國に 曾て聞く  子規(しき)の鳥,宣城に 還また 見る  杜鵑(とけん)の花。
一叫 一廻  腸(はらわた) 一斷,三春 三月 三巴(さんぱ)を 憶おもう。

杜鵑
ホトトギス
鳥  春の鳥 自然大博物館より

植物 
token hana
秋の花 杜鵑花
tsuzji00
つつじは春。

皐月躑躅(さつきつつじ)」を 省略したもの。つつじの一種。 ・「杜鵑花」とも書く。 杜鵑花(ほととぎす)が鳴く頃に咲く花で あることから。 ・江戸時代から人気があって園芸化がすすみ、 現在、1500種ほどもあるらしい。
 

宣城見杜鵑花 現代語訳と訳註
(本文)

蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑花。
一叫一廻腸一斷,三春三月憶三巴。


(下し文)

蜀國に 曾て聞く  子規(しき)の鳥,宣城に 還また 見る  杜鵑(とけん)の花。
一たび叫(な)くこと 一廻  腸(はらわた) 一斷を,三たび春すこと 三月 憶(こころ)の三巴(さんは)。


(現代語訳)

蜀の国にいた頃、かつて子規鳥(ホトトギス)を聞いたことがあったが。今宣城で、杜鵑花(ツツジ)を見た。
一たび鳴けば、一回断腸の思いがして。春の三か月のうち季春の三月に、(故郷の蜀の国の)三巴の地域を思い出してしまう。



(訳注)
宣城見杜鵑花
 現・安徽省南部の宣城で、杜鵑花(ツツジ)を見て故郷のことを思い出した。全対格で構成、また数字を有効に使っている。この詩の主旨は「今、宣城で杜鵑花(ツツジの花)を見て、昔、故郷で聞いた子規鳥(ホトトギス)のことを思い出した」ということである。その聯想のキーワードは【ホトトギス】。⇒「杜鵑花(ツツジの花)」と「子規鳥(ホトトギス)」のことである。「杜鵑」も「子規」もホトトギスのことで、そこから聯想された。・杜鵑花:ツツジの花。なお、「杜鵑」はホトトギスのことでもある。「子規鳥」とはホトトギスのことである。
 
 

蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑花。
蜀の国にいた頃、かつて子規鳥(ホトトギス)を聞いたことがあったが。今宣城で、杜鵑花(ツツジ)を見た。 
蜀國 現・四川省。また、現・四川省にあった三国時代の王国。蜀漢。ここでは李白の故郷の意として使われている。○曾聞 昔、聞いたことがある。かつて耳にした。 ○子規鳥 ホトトギス。

燕臺詩四首 其二-#1 現代語訳と訳註
(本文)其二-#1
前閣雨簾愁不巻、後堂芳樹陰陰見。
石城景物類黄泉、夜半行郎空柘彈。」
綾扇喚風閶闔天、軽帷翠幕波淵旋。
蜀魂寂寞有伴未、幾夜瘴花開木棉。』
(下し文)
前閣の雨簾 愁(うれい)て巻かず、後堂の芳樹 陰陰として 見 ゆ。
石城の景物 黄泉に類し、夜半の行郎 空しく柘彈(しゃだん)す。
綾扇(りょうせん) 風を喚(よぶ) 閶闔(しょうこう)の天、軽帷(けいい) 翠幕(すいばく) 波 淵旋(えんせん)す。
蜀魂(しょくこん) 寂寞(せきばく)たり 伴有るや未だしや、幾夜か 瘴花(しょうか)を 木棉(もくめん)を開く。』


李商隠1錦瑟 詩注参照。
錦瑟無端五十弦、一弦一柱思華年。
莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。
滄海月明珠有涙、藍田日暖玉生煙。
此情可待成追憶、只是當時已惘然。
(下し文)
錦瑟きんしつ端無はし なくも  五十弦ご じうげん,一弦いちげん一柱いっちゅう  華年かねんを思う。
莊生さうせいの曉夢ぎょう む は  蝴蝶こ ちょう に迷い,望帝ぼうていの春心しゅんしん は  杜鵑 と けん に托たくす。
滄海そうかい 月 明あきらかにして  珠たまに涙 有り,藍田らんでん 日ひ 暖かにして  玉は煙を 生ず。
此の情 追憶と成なるを 待つ可べけんや,
只 是れ 當時より  已すでに惘然ぼうぜん。

杜鵑花 (ツツジ)とは、「杜鵑(ホトトギス)の花」(鳴いて血を吐くホトトギスのように赤い花)の意で、そこから故郷の杜鵑(ホトトギス)ことを思い出した、ということ。 


一叫一廻腸一斷,三春三月憶三巴。
一たび鳴けば、一回断腸の思いがして。春の三か月のうち季春の三月に、(故郷の蜀の国の)三巴の地域を思い出してしまう。
「一叫一廻腸一斷,三春三月憶三巴」と「一」や「三」のリズミカルな繰り返しで構成された詠いやすい詩句である。 
一叫 一たび鳴く。 ○一廻 一回。 ○腸 〔ちゃう〕はらわた。性に関する思い、もどかしさ。 ○腸斷 断腸の思いになる。妻との性交の思いを言う。断腸と春が繋がっている。 ○三春 春の三か月。陰暦の孟春(正月)、仲春(二月)、季春(三月)。三度の春。三年。 ○三月 〔さんぐゎつ〕陰暦・三月は季春で、春の最後の月。また、三ヶ月。 ○ 〔おく〕思い出す。忘れない。 ○三巴 現・四川省の東半分の郡名。後漢に置かれた巴・巴東・巴西の三郡の地域。ここでは、前出・「蜀國」とほぼ同意で、作者・李白の故郷の意として使われている。「巴」は四川省東部一帯を指す古名。巴の國に属する山といえは巫山があり、楚の懐王が巫山の神女と夢のなかで交わった故事を連想させる。李商隠 6 「重過聖女詞」(重ねて聖女詞を過ぎる)詩注参照。





() 國 曾  子規 鳥,



() 城 還  杜鵑 花。





()  一  腸一斷



()  三  憶三巴



こういう「お遊び」をたくさんしている李白の天才たる所以である。



 

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秋浦寄内 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-243/-350

秋浦寄内 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-243/-350

 李白の閨怨の詩人としてのべている。

 李白の居住は少年時代以来、流転を極めてゐる。僅かに最初の結婚の頃、即ち安陸時代と後の開封居住の頃とにやや定住の跡が見られる位で、その他の住ひは永きは数年、短きは一年に足らず、羈旅の生涯といっても過言ではない。芭蕉の如き無配偶者、西行の如き世捨人ならいざ知らず、彼は妻子を有していたのである。子に対する愛情は既に述べた。妻に対してはどうであったろうか。私はこれを李白に閨怨の詩の多い所以と解したい。

李白の足跡55

 李白の旅には妻子を伴うことは殆どなかったと見られる。現に安禄山の乱後、彼が宣城より剡渓にゆき、また西に引返して盧山に赴こうとした途中、秋浦(安徽省貴池県)で妻に送った詩がこれだ。
 

秋浦寄內
我今尋陽去。辭家千里余。
私は旅をつづけているが、今度は、尋陽に旅立とうとしている。家を出てから  千里を越える道のりだ。
結荷倦水宿。卻寄大雷書。
旅の支度で荷物をととのえている、ここは水辺での舟宿なのだ、いつか君と読んだことのある鮑照の大雷の書信ように旅先から詩を送る。
雖不同辛苦。愴離各自居。
艱難苦労を同じ場所で共にしているわけではないが、離れていることは痛ましく思うことだが心がつながっているのだから各々自からの気持ちを強く持って生きていくのである。
我自入秋浦。三年北信疏。
秋浦を気に入って来たのだが、三年になろうとしているが、北からの便りというものが、ほとんど途絶えてない。
北信 北からのたより。北の方の社会情勢が緊迫してきているためかと心配する。
紅顏愁落盡。白發不能除。
ほんのり赤く美しい顔であったがしっかりしているとはいえ心配する気持ちで落ち込み沈んでいるだろう、きっと、白髪が抜き取ることできないほどになっている。
有客自梁苑。手攜五色魚。
梁園の方から訪ねてくれた客があった、手に携えてきてくれた錦織の五色の短冊があった。
開魚得錦字。歸問我何如。
短冊の封を切ると錦織の文字が現われたのだ、いかがですか、いつお帰りになるのですかとわたしへの労わりの問いがあったのだ。
江山雖道阻。意合不為殊。

広くて遙かな長江や山々に道はへだてられているけれど、憶いはひとつ合致していて違いがあろうはずはない。

秋浦にて内(ない)に寄す
われいま尋陽に去り 家を辞すること千里余。
結荷 水宿を見る かえって寄す大雷の書。
辛苦を同じくせずといえども、離れを愴(いた)んで おのおのみずから居る。
わが秋浦に入ってより、三年 北信疎なり。 
紅顔 落日を愁へ、白髪 除く あたわず。
客あり梁苑よりし、手に五色の魚を携(たづさ) ふ。
魚を開きて錦字を得るに、帰ってわがいかん を問う。
江山に道 阻(へだ)たる といえども、意合すれば殊なれりとなさず。


秋浦寄內 現代語訳と訳註
(本文) 秋浦寄內

我今尋陽去。辭家千里余。結荷倦水宿。卻寄大雷書。
雖不同辛苦。愴離各自居。我自入秋浦。三年北信疏。
紅顏愁落盡。白發不能除。有客自梁苑。手攜五色魚。
開魚得錦字。歸問我何如。江山雖道阻。意合不為殊。


(下し文) 秋浦にて内(ない)に寄す
われいま尋陽に去り 家を辞すること千里余。
結荷 水宿を見る かえって寄す大雷の書。
辛苦を同じくせずといえども、離れを愴(いた)んで おのおのみずから居る。
わが秋浦に入ってより、三年 北信疎なり。 
紅顔 落日を愁へ、白髪 除く あたわず。
客あり梁苑よりし、手に五色の魚を携(たづさ) ふ。
魚を開きて錦字を得るに、帰ってわがいかん を問う。
江山に道 阻(へだ)たる といえども、意合すれば殊なれりとなさず。


(現代語訳)
私は旅をつづけているが、今度は、尋陽に旅立とうとしている。家を出てから  千里を越える道のりだ。
旅の支度で荷物をととのえている、ここは水辺での舟宿なのだ、いつか君と読んだことのある鮑照の大雷の書信ように旅先から詩を送る。
艱難苦労を同じ場所で共にしているわけではないが、離れていることは痛ましく思うことだが心がつながっているのだから各々自からの気持ちを強く持って生きていくのである。
秋浦を気に入って来たのだが、三年になろうとしているが、北からの便りというものが、ほとんど途絶えてない。
北信 北からのたより。北の方の社会情勢が緊迫してきているためかと心配する。
ほんのり赤く美しい顔であったがしっかりしているとはいえ心配する気持ちで落ち込み沈んでいるだろう、きっと、白髪が抜き取ることできないほどになっている。
梁園の方から訪ねてくれた客があった、手に携えてきてくれた錦織の五色の短冊があった。
短冊の封を切ると錦織の文字が現われたのだ、いかがですか、いつお帰りになるのですかとわたしへの労わりの問いがあったのだ。
広くて遙かな長江や山々に道はへだてられているけれど、憶いはひとつ合致していて違いがあろうはずはない。


(訳注)  秋浦寄内  

我今尋陽去 辭家千里餘 
私は旅をつづけているが、今度は、尋陽に旅立とうとしている。家を出てから  千里を越える道のりだ。
尋陽 唐の江州、今の江西省九江。○ 今日ではなく、今度は。○ 去々。さあいこう。


結荷見水宿 却寄大雷書
旅の支度で荷物をととのえている、ここは水辺での舟宿なのだ、いつか君と読んだことのある鮑照の大雷の書信ように旅先から詩を送る。
結荷 荷物をととのえる。○水宿 舟のやどり場。
大雷書 大雷池は湖北省の望江県にある。南朝宋の詩人鮑照(ほうしょう)が舟旅の途中、大雷池(安徽省舒城県付近の池)のほとりから妹に書信を送った故事にもとづいており、旅先からの便りを詩的に表現したもの


雖不同辛苦 愴離各自居
艱難苦労を同じ場所で共にしているわけではないが、離れていることは痛ましく思うことだが心がつながっているのだから各々自からの気持ちを強く持って生きていくのである。
 おなじばしょでおなじように。○愴離 離れていることは痛ましく思うこと。○各自居 この語句は通常言えない語である。この妻はかなりしっかりしていて、自己主張もあったようである。この妻は李白に世の中に認められもっと評価されることを願っていることを語っていたのだろう。


我自入秋浦 三年北信疏
秋浦を気に入って来たのだが、三年になろうとしているが、北からの便りというものが、ほとんど途絶えてない。
北信 北からのたより。北の方の社会情勢が緊迫してきているためかと心配する。


紅顏愁落盡 白髮不能除
ほんのり赤く美しい顔であったがしっかりしているとはいえ心配する気持ちで落ち込み沈んでいるだろう、きっと、白髪が抜き取ることできないほどになっている。


有客自梁苑 手攜五色魚
梁園の方から訪ねてくれた客があった、手に携えてきてくれた錦織の五色の短冊があった。
梁苑 梁園に同じ、開封の街。○五色魚 錦織、五色の短冊。一般女性の手紙は機織りで文字を織り込んで意思表示をするというのが当時の方法であった。砧と機織りは当時の家に残された女性を象徴するものである。紙に書くのは生意気なことで奥ゆかしさがない。短い分を錦に織ったのだ。


開魚得錦字 歸問我何如
短冊の封を切ると錦織の文字が現われたのだ、いかがですか、いつお帰りになるのですかとわたしへの労わりの問いがあったのだ。
○開魚 錦に織りこんだ手紙、妻よりの手紙。


江山雖道阻 意合不爲殊
広くて遙かな長江や山々に道はへだてられているけれど、憶いはひとつ合致していて違いがあろうはずはない。



(解説)
秋も終わりに近づくと、李白は池州から尋陽(江西省九江市)に行く。宋州(河南省商丘市)にのこしたままにしている妻宗氏に、秋浦から書信を出したのだ。751年天宝十載に宋州に立ち寄って以来、四年もの間、妻のもとにもどっていない李白であった。


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獨不見 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集242/350

獨不見 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集242/350
征夫を思う詩で「獨不見」(独り見えず)といふ楽府(がふ)は少し趣を異にしていて面白い。


獨不見
白馬誰家子。 黃龍邊塞兒。
白馬に乗って勇ましく駆け出したのはどこの家系のものだ、ここは契丹と対陣している北方の辺境地域の塞で戦に挑んでいる若者である。
天山三丈雪。 豈是遠行時。
匈奴の天山には三丈の雪があるという、でもこの積雪を見るのは、よほど敵地に攻め入った時だけである。
春蕙忽秋草。 莎雞鳴曲池。
春の若草が生え、草の香りの恵まれたと思ったら、それはわずかのあいだで、たちまちに秋草は枯れていき 、キリギリスが西池に鳴くのである。
風摧寒梭響。 月入霜閨悲。
冬の突風はしゅろの木の寒棕を吹き飛ばしてしまうほどくだくような音を響かせているし、それでも月のひかりはこんな霜の夜でも閨に入ってくるのでよけいに悲しさがますのである。
憶與君別年。 種桃齊蛾眉。
あなたを送り出した別離の年、桃の木を植えたのですそれは私の眉毛の大きさと同じくらいだったのです。
桃今百余尺。 花落成枯枝。
その桃の木はいまや百余尺もあるほどに育ちました、しかし三年以上も帰らないのでせっかくの花は落ちてしまい枯枝だけになってしまっているのです。
終然獨不見。 流淚空自知。

とうとういくら待っても私ひとりでいてあなたは見えないのです、じっと門の先を見ていて涙がとめどなく流れているのに誰もそのことを言ってくれるわけではなく自分で知るのです。


白馬たが家の子ぞ、 黄龍辺塞の児。
天山三丈の雪、あにこれ遠行の時ならんや。
春蕙たちまちに秋草 莎雞(さけい) 西池に鳴く。
風は寒棕(かんそう)を摧(くだ)いて響き、月は霜閨に入って悲しむ。
憶ふ君と別るるの年、桃を種ゑて蛾眉に斉し。
桃いま百余尺、花落ちて枯枝と成る。
終然としてひとり見えず、流涙むなしくみづから知る。
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現代語訳と訳註
(本文)

白馬誰家子。 黃龍邊塞兒。
天山三丈雪。 豈是遠行時。
春蕙忽秋草。 莎雞鳴曲池。
風摧寒梭響。 月入霜閨悲。
憶與君別年。 種桃齊蛾眉。
桃今百余尺。 花落成枯枝。
終然獨不見。 流淚空自知。

(下し文)
白馬たが家の子ぞ、 黄龍辺塞の児。
天山三丈の雪、あにこれ遠行の時ならんや。
春蕙たちまちに秋草 莎雞(さけい) 西池に鳴く。
風は寒棕(かんそう)を摧(くだ)いて響き、月は霜閨に入って悲しむ。
憶ふ君と別るるの年、桃を種ゑて蛾眉に斉し。
桃いま百余尺、花落ちて枯枝と成る。
終然としてひとり見えず、流涙むなしくみづから知る。


(現代語訳)
白馬に乗って勇ましく駆け出したのはどこの家系のものだ、ここは契丹と対陣している北方の辺境地域の塞で戦に挑んでいる若者である。
匈奴の天山には三丈の雪があるという、でもこの積雪を見るのは、よほど敵地に攻め入った時だけである。
春の若草が生え、草の香りの恵まれたと思ったら、それはわずかのあいだで、たちまちに秋草は枯れていき 、キリギリスが西池に鳴くのである。
冬の突風はしゅろの木の寒棕を吹き飛ばしてしまうほどくだくような音を響かせているし、それでも月のひかりはこんな霜の夜でも閨に入ってくるのでよけいに悲しさがますのである。
あなたを送り出した別離の年、桃の木を植えたのですそれは私の眉毛の大きさと同じくらいだったのです。
その桃の木はいまや百余尺もあるほどに育ちました、しかし三年以上も帰らないのでせっかくの花は落ちてしまい枯枝だけになってしまっているのです。
とうとういくら待っても私ひとりでいてあなたは見えないのです、じっと門の先を見ていて涙がとめどなく流れているのに誰もそのことを言ってくれるわけではなく自分で知るのです。


(訳注)
白馬誰家子、黄龍邊塞兒。
白馬に乗って勇ましく駆け出したのはどこの家系のものだ、ここは契丹と対陣している北方の辺境地域の塞で戦に挑んでいる若者である。 
黄龍 契丹との対陣の地。750年以降、安禄山の軍内に契丹軍が入り込んでいた。753年安禄山は契丹を破り契丹内の奚という国の軍を完全支配かにおく。755年の叛乱時はじゅうような一翼を担った。○邊塞 国境の塞


天山三丈雪、豈是遠行時。
匈奴の天山には三丈の雪があるという、でもこの積雪を見るのは、よほど敵地に攻め入った時だけである。
天山 匈奴中の山。遠行敵地の奥に攻め入ること


春蕙忽秋草、莎雞鳴西池。
春の若草が生え、草の香りの恵まれたと思ったら、それはわずかのあいだで、たちまちに秋草は枯れていき 、キリギリスが西池に鳴くのである。
莎雞 きりぎりす。


風摧寒椶響、月入霜閨悲。
冬の突風はしゅろの木の寒棕を吹き飛ばしてしまうほどくだくような音を響かせているし、それでも月のひかりはこんな霜の夜でも閨に入ってくるのでよけいに悲しさがますのである。
寒椶しゅろの一種。霜閨霜夜の夫のゐない寝室。


憶與君別年、種桃齊蛾眉。
あなたを送り出した別離の年、桃の木を植えたのですそれは私の眉毛の大きさと同じくらいだったのです。
 この霜の句は別の意味にもとれる。女性を示す語として使用され、「桃栗三年で実を成す。」ここでは桃が妻で、「齊蛾眉」蛾眉を慎んでいた。つまり化粧など全くしないということである。つつましく生活をしているという意味にもとれる。

また、徴兵されて出征する義務が3年であったところから、桃木でそれを表現するのであるが、この詩は、その頃戦況が話題となっていた契丹のことを、景色として借りたもので、4番目の妻宋氏にあてた詩であろうと思う。

桃今百餘尺、花落成枯枝。
その桃の木はいまや百余尺もあるほどに育ちました、しかし三年以上も帰らないのでせっかくの花は落ちてしまい枯枝だけになってしまっているのです。
○この下の句も、若くてはちきれそうだった桃の様な素肌が衰えてしまったという意味。
 
終然獨不見、流涙空自知。
とうとういくら待っても私ひとりでいてあなたは見えないのです、じっと門の先を見ていて涙がとめどなく流れているのに誰もそのことを言ってくれるわけではなく自分で知るのです。
○流れる涙は、あなたに拭いてもらいたい。ということで思いが強調されている。男性の青雲の志を女は歯を食いしばって我慢し、支えていくという時代である。
耐え忍んでいる姿をどう表現するか、というのが李白のテーマだったのかもしない。


 別れる時、自分の蛾眉の大きさであった桃が百余尺となり、更に枯れたといって別れの時間の経過の長さをあらわしている。同様に、春の若草がたちまち黄草に変わる。そして自分は轉蓬であるというのが、李白の得意の手法で、人として、好意的に見れるか見れないか分れる所である。李白という詩人が妻と同じところで過ごしていてこれだけの詩が作れるのかというと、それは絶対にできないのである。


これまでの女性を詠ったものの内、このブログでは以下のように40首近くの多きにわたる。

李白10  採蓮曲

淥水曲  李白 11

越女詞 五首 其一 李白12

越女詞 五首 其二 李白13

越女詞五首其三 14其四 12-5其五

李白18 相逢行 19  玉階怨

李白20 辺塞詩 (春思、秋思)

李白22 子夜呉歌 春と夏

李白24 子夜呉歌其三 秋 と25 冬

李白37 静夜思 五言絶句 李白は浮気者?

李白38 酬坊州王司馬与閻正字対雪見贈

李白39玉階怨 満たされぬ思いの詩。

李白41 烏夜啼

李白42 梁園吟

李白と道教(3 李白47 寄東魯二稚子

李白53大堤曲 李白54怨情 李白55贈内

李白56客中行 李白57夜下征虜亭 李白58春怨 李白59陌上贈美人

李白66 遠別離 67長門怨二首其一 68其二

李白69丁都護歌 李白 五言古詩 70 勞勞亭 五言絶句 李白 71 勞勞亭歌 七言古詩

李白81白紵辭其一  82白紵辭其二  83 巴女詞

李白 84長干行

春夜桃李園宴序 李白116

南陵別兒童入京 李白121就活大作戦」大成功

内別赴徴 三首 其一李白122

内別赴徴 三首 其二李白123

内別赴徴 三首 其三李白124

烏棲曲 李白125花の都長安(翰林院供奉)

送内尋廬山女道士李騰空二首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -230

送内尋廬山女道士李騰空二首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -231

贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229

黄葛篇 李白 李白特集350 -237

妾薄命 李白 李白特集350 -238

自代内贈 #1 李白 239 李白特集350 -239-#1

自代内贈 #2 李白 240 李白特集350 -239#2


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李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

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自代内贈 #3 李白 241 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239―#3

自代内贈 #-3 李白 241 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239―#3

李白が妻に代って詠じた詩である。



自代内贈 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#1
自代内贈 #2 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#2
自代内贈 #3 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#3



自代內贈
寶刀截流水。無有斷絕時。妾意逐君行。纏綿亦如之。」
別來門前草。秋黃春轉碧。掃盡更還生。萋萋滿行跡。
鳴鳳始相得。雄驚雌各飛。」―#1
游云落何山。一往不見歸。估客發大樓。知君在秋浦。梁苑空錦衾。陽台夢行雨。妾家三作相。失勢去西秦。猶有舊歌管。淒清聞四鄰。」―#2
曲度入紫云。啼無眼中人。
曲のリズムは心地よいもので朝もやから立ち上って雲まで上がるのです、だけど、一人に気が付いて涙を浮かべ、眼に留まる人などいないのです。
妾似井底桃。開花向誰笑。
わたしは井戸の底で冷やすために下した桃のようなものなのです 花を開いたとして、誰に向って笑んだらよいのですか。
君如天上月。不肯一回照。
あなたは大空にのぼった月のようなものです、こうして一度照らしていても二度と照らしはしないのです。
窺鏡不自識。別多憔悴深。
鏡をのぞき見ても自分でも見わけがつかない、別れてからこんなに長くなったので憔悴が深くなってしまったものですから。
安得秦吉了。為人道寸心。」―#3

いまさらどうして九官鳥がいるっていうの、でも人につたえるためにわたしの心の中を言ってもらおう。


時。之。/碧。跡。飛。/歸。浦。雨。秦。鄰。/云。人。/笑。照。/深。心。

自ら内に代りて贈る
#-1
宝刀流水を截(た)つとも、断絶の時あるなし。
妾が意 君を逐うて行く、纏綿(てんめん)またかくのごとし。
別れてこのかた門前の草 秋は黄に春はまた碧(みどり)なり。
掃い尽せば更にまた生じ 萋萋(せいせい)として行跡に満つ。
鳴鳳 はじめあい得しが 雄驚いて雌おのおの飛ぶ。

#-2
遊雲いづれの山にか落つ 一たび往いて帰るを見ず。
估客大楼を発し 知る 君が秋浦にあるを。
梁苑むなしく錦衾 陽台 行雨を夢む。
妾が家は三たび相となりしが 勢を失って西秦を去る。
なほ旧歌管あり 凄清 四鄰に聞ゆ。

#-3
曲度(きょくど)  紫雲に入り 啼いて眼中の人なし。
妾は井底の桃のごとく 花を開けども誰に向ってか笑まむ。
君は天上の月のごとく あへて一たびも廻照せず。
鏡を窺ふもみづからも識らず 別多くして憔悴(しょうすい)深し。
いづくんぞ秦吉了(はっかちょう) 人のために寸心を道(い)はしめん。

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自代内贈 #-3 現代語訳と訳註
(本文)

曲度入紫云。啼無眼中人。妾似井底桃。開花向誰笑。
君如天上月。不肯一回照。 窺鏡不自識。別多憔悴深。
安得秦吉了。為人道寸心。」―#3

(下し文) #-3
曲度(きょくど)  紫雲に入り 啼いて眼中の人なし。
妾は井底の桃のごとく 花を開けども誰に向ってか笑まむ。
君は天上の月のごとく あへて一たびも廻照せず。
鏡を窺ふもみづからも識らず 別多くして憔悴(しょうすい)深し。
いづくんぞ秦吉了(はっかちょう) 人のために寸心を道(い)はしめん。

(現代語訳)
曲のリズムは心地よいもので朝もやから立ち上って雲まで上がるのです、だけど、一人に気が付いて涙を浮かべ、眼に留まる人などいないのです。
わたしは井戸の底で冷やすために下した桃のようなものなのです 花を開いたとして、誰に向って笑んだらよいのですか。
あなたは大空にのぼった月のようなものです、こうして一度照らしていても二度と照らしはしないのです。
鏡をのぞき見ても自分でも見わけがつかない、別れてからこんなに長くなったので憔悴が深くなってしまったものですから。
いまさらどうして九官鳥がいるっていうの、でも人につたえるためにわたしの心の中を言ってもらおう。

(訳注)#-3
曲度入紫云。啼無眼中人。

曲のリズムは心地よいもので朝もやから立ち上って雲まで上がるのです、だけど、一人に気が付いて涙を浮かべ、眼に留まる人などいないのです。
曲度 曲のリズム。#2にでた楽人の奏でる曲 ○紫雲 曙を彩る彩雲。前夜の紫煙が上り詰めてできる問うこと。○眼中 目にあたる、とまる。

妾似井底桃。開花向誰笑。
わたしは井戸の底で冷やすために下した桃のようなものなのです 花を開いたとして、誰に向って笑んだらよいのですか。
 妾は女性がかわいらしく自分のことを言う時に使う。めかけではない。○井底桃 戸の底で冷やすために下した桃。井は井戸。


君如天上月。不肯一回照。
あなたは大空にのぼった月のようなものです、こうして一度照らしていても二度と照らしはしないのです。


窺鏡不自識。別多憔悴深。
鏡をのぞき見ても自分でも見わけがつかない、別れてからこんなに長くなったので憔悴が深くなってしまったものですから。
窺鏡 鏡をのぞきこむ。○自識 自分でも見わけがつかない。○別多 別れてからこんなに長くなったこと。 ○憔悴深 こころがふさぎ込み身も痩せ細ったさま。


安得秦吉了。為人道寸心。」
いまさらどうして九官鳥がいるっていうの、でも人のためにわたしの心の中を言ってもらおう。
秦吉了 はっかちょう九官鳥。○寸心 心。



杜甫は、自分の気持ちをストレートに、誠実に詩に歌っている。詩に見る杜甫の妻について、他の詩人の家族に対する考え方。
月夜の背景  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 143

月夜 杜甫   kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 144

月夜 解説   kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 145

儒教的見方からは、李白は、誠実さに欠ける、人の口を借りたり、相手が李白のことを「きっとこのように思っているであろう」と間接的に李白の考えをあらわしている。このような表現法に終始している。だから、数多く、娼婦や、妓女、あるいは線上に送り出した妻、行商人の妻というように景色を借りて妻のことを語っているのである。
 この詩のように、妻が特定できるのは少ない。特定できるものから判断して、4人の妻がいたことになっている。
 
この詩は明清の詩人が多く作った閨怨の詩よりも清新である。ところでここで問題になるのは、その梁苑にゐる妻とは誰かといふことである。李白の結婚に関しては魏顥(魏万)以外に拠るものがない。
それによると李白が妻を四度娶っていたことをいっている。①最初は許氏を娶って一男一女を生み(前述)、②次に劉氏を娶って離婚し、③三たび魯の一婦人を娶って一子頗黎(ハリ)を生んだという。杜甫と斉趙で遊んだ直後である。④四度目の結婚を「終ニ於宋ニ娶ル」といっている。そこで開封にいた妻は、この後の二人の中のどれかでなければならないが、この詩でみると新婚の情を湛へているやうな所もあるから、宋に娶った妻のようである。ところでまたこの宋が地を指すのか、姓を指すのかが問題になるが、李白が後に夜郎に流される時、宗璟といふ者に贈った詩があって、その姉が自分に嫁いだ趣をのべているから、宋は宗の誤りで、宗氏の婦人を娶ったと解すべきだろう。そうするとこの詩の「妾家三作相」というのは、則天武后の治世に三度宰相になった宗楚客の家の出ということになり、この婦人の素性は一層はっきりして来る。
この詩に表はれた孤閨にある自分の妻の心情をこれに代って詠ずるといふ詩作の態度が、李白の多くの閏怨の詩の基盤であったといふことである。即ち彼は自己の生活が常に羈旅にあり、そのため妻とは殆どすべて別居の状態にあったが、この別居に関しては彼もたえず責任を感じていた。従って妻の立場になって考へることしかできなかったということだ。
李白らしい表現ということなのだ。古表現を多くの人が指示したことが歴史の結果として理解する。いずれにしても、儒教的な思考の持ち主には理解が難しいということではある。

自代内贈 #2 李白 240 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239―#2

自代内贈 #2 李白 240 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239―#2

李白が妻に代って詠じた詩である。


自代内贈 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#1
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自代內贈
寶刀截流水。無有斷絕時。妾意逐君行。纏綿亦如之。」
別來門前草。秋黃春轉碧。掃盡更還生。萋萋滿行跡。
鳴鳳始相得。雄驚雌各飛。」―#1
游云落何山。一往不見歸。
鳳凰も帰るところがあり、大空に浮んでいる雲もどこかの山のいわやの中に隠遁していく、でも、あなたはいったん旅に出ていくと帰ってくるということを全くしないのです。
估客發大樓。知君在秋浦。
先日、旅の行商人に聞いたところによると大楼山を出発したということだった、それで、あなたが秋浦にいるということを知ったのです。
梁苑空錦衾。陽台夢行雨。
あなたとの梁苑での二人だけの暮らしというのがむなしい気がします、朝廷につかえ、官僚として十分な働きをすることは夢です。
妾家三作相。失勢去西秦。
わたしの実家は則天武后の治世に三度宰相になった宗氏です、その後は、政権の交代で勢を失って長安を去ったのです。
猶有舊歌管。淒清聞四鄰。」―#
2
しかし、いまでもなお古くからの詩歌、歌人、笛、管楽器をするものがおります、卓越してすずしく清い音をたてているということは天下に知られているのです。
曲度入紫云。啼無眼中人。妾似井底桃。開花向誰笑。
君如天上月。不肯一回照。 窺鏡不自識。別多憔悴深。
安得秦吉了。為人道寸心。」―#3

時。之。/碧。跡。飛。/歸。浦。雨。秦。鄰。/云。人。/笑。照。/深。心。

自ら内に代りて贈る

#-1
宝刀流水を截(た)つとも、断絶の時あるなし。
妾が意 君を逐うて行く、纏綿(てんめん)またかくのごとし。
別れてこのかた門前の草 秋は黄に春はまた碧(みどり)なり。
掃い尽せば更にまた生じ 萋萋(せいせい)として行跡に満つ。
鳴鳳 はじめあい得しが 雄驚いて雌おのおの飛ぶ。

#-2
遊雲いづれの山にか落つ 一たび往いて帰るを見ず。
估客大楼を発し 知る 君が秋浦にあるを。
梁苑むなしく錦衾 陽台 行雨を夢む。
妾が家は三たび相となりしが 勢を失って西秦を去る。
なほ旧歌管あり 凄清 四鄰に聞ゆ。

#-3
曲度(キョクド)  紫雲に入り 啼いて眼中の人なし。
妾は井底の桃のごとく 花を開けども誰に向ってか笑まむ。
妾は井底の桃のごとく 花を開けども誰に向ってか笑まむ。
君は天上の月のごとく あへて一たびも廻照せず。
鏡を窺ふもみづからも識らず 別多くして憔悴(ショウスイ)深し。
いづくんぞ秦吉了 人のために寸心を道(い)はしめん。

宮島(3)

自代内贈 #2 現代語訳と訳註
(本文)

游云落何山。一往不見歸。
估客發大樓。知君在秋浦。
梁苑空錦衾。陽台夢行雨。
妾家三作相。失勢去西秦。
猶有舊歌管。淒清聞四鄰。」―#2

(下し文)
遊雲いづれの山にか落つ 一たび往いて帰るを見ず。
估客大楼を発し 知る 君が秋浦にあるを。
梁苑むなしく錦衾 陽台 行雨を夢む。
妾が家は三たび相となりしが 勢を失って西秦を去る。
なほ旧歌管あり 凄清 四鄰に聞ゆ。

(現代語訳)
鳳凰も帰るところがあり、大空に浮んでいる雲もどこかの山のいわやの中に隠遁していく、でも、あなたはいったん旅に出ていくと帰ってくるということを全くしないのです。
先日、旅の行商人に聞いたところによると大楼山を出発したということだった、それで、あなたが秋浦にいるということを知ったのです。
あなたとの梁苑での二人だけの暮らしというのがむなしい気がします、朝廷につかえ、官僚として十分な働きをすることは夢です。
わたしの実家は則天武后の治世に三度宰相になった宗氏です、その後は、政権の交代で勢を失って長安を去ったのです。
しかし、いまでもなお古くからの詩歌、歌人、笛、管楽器をするものがおります、卓越してすずしく清い音をたてているということは天下に知られているのです。


(訳注)#-2
游云落何山。一往不見歸。

鳳凰も帰るところがあり、大空に浮んでいる雲もどこかの山のいわやの中に隠遁していく、でも、あなたはいったん旅に出ていくと帰ってくるということを全くしないのです。
遊雲 大空に浮んでいる雲。昔から、中国では雲は巌谷の割れ目、奥まったところから発生し、また楚聲帰っていくとされて絲ことを踏まえる。○一往 ひとたび旅に出ていくこと。


估客發大樓。知君在秋浦。
先日、旅の行商人に聞いたところによると大楼山を出発したということだった、それで、あなたが秋浦にいるということを知ったのです。
估客 行商人。○大樓 秋浦の北の大楼山。


梁苑空錦衾。陽台夢行雨。
あなたとの梁苑での二人だけの暮らしというのがむなしい気がします、朝廷につかえ、官僚として十分な働きをすることは夢です。
梁苑 前漢の文帝の子、景帝の弟、梁孝王劉武が築いた庭園。現在の河南省商丘市東南5kmに在った、と考えられる。この句により、開封にいた妻4人目の妻であることがわかる。○錦衾 きんきん にしきのふすま。李白たちの閨。○陽台 朝廷、政治の中心でつかさどる。 ○行雨 朝廷につかえ、官僚として十分な働きをするさま。


妾家三作相。失勢去西秦。
わたしの実家は則天武后の治世に三度宰相になった宗氏です、その後は、政権の交代で勢を失って長安を去ったのです。
三作相 則天武后の治世に三度宰相になった宗○失勢 則天武后が病死をすると王朝は、政権争いになり、玄宗のクーデターで様変わりしたため、それまでの高級官僚は排斥されたことを言う。○西秦 西都長安のこと


猶有舊歌管。淒清聞四鄰。」
しかし、いまでもなお古くからの詩歌、歌人、笛、管楽器をするものがおります、卓越してすずしく清い音をたてているということは天下に知られているのです。
舊歌管 古くからの詩歌、歌人、笛、管楽器をするものがおり淒清聞 すずしく清い音をたてて。○四鄰:四隣。四囲の国。周り。周囲。

自代内贈 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#1

自代内贈 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#1

李白が妻に代って詠じた詩である。


自代内贈 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#1
自代内贈 #2 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#2
自代内贈 #3 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#3

自代內贈
寶刀截流水。無有斷絕時。
宝刀でもって流水をたちきったとしても、断絶するのは瞬間で、きれるものではない。
妾意逐君行。纏綿亦如之。」
私の思いというものはあなたに従い衝いてゆくもの、纏わりついた綿のように心にまつわりついて離れない。
別來門前草。秋黃春轉碧。
別れてこのかた、私はあなたを待つ、門前の草のようなものです。 秋は黄色の草になり枯れ、そして春になればまた碧(みどり)なる。それの繰り返し。
掃盡更還生。萋萋滿行跡。
草を抜いて掃除をするように、あなたへの思いを消そうとするのですが、なおさら生えてくるように思いが募るばかり。それは萋萋として草が茂って来て、あなたの旅立ちの跡をいっぱいにしている。
鳴鳳始相得。雄驚雌各飛。」-#
1
つがいの鳳凰はいっしょに鳴いて、はじめは互いに心を通い合わせていた。雄の鳳凰は驚いて、雌もつづいておのおの飛びあがるのです

游云落何山。一往不見歸。估客發大樓。知君在秋浦。
梁苑空錦衾。陽台夢行雨。妾家三作相。失勢去西秦。
猶有舊歌管。淒清聞四鄰。」-#2
曲度入紫云。啼無眼中人。妾似井底桃。開花向誰笑。
君如天上月。不肯一回照。 窺鏡不自識。別多憔悴深。
安得秦吉了。為人道寸心。」-#3

時。之。/碧。跡。飛。/歸。浦。雨。秦。鄰。/云。人。/笑。照。/深。心。

自ら内に代りて贈る
#-1
宝刀流水を截(た)つとも、断絶の時あるなし。
妾が意 君を逐うて行く、纏綿(てんめん)またかくのごとし。
別れてこのかた門前の草 秋は黄に春はまた碧(みどり)なり。
掃い尽せば更にまた生じ 萋萋(せいせい)として行跡に満つ。
鳴鳳 はじめあい得しが 雄驚いて雌おのおの飛ぶ。

#-2
遊雲いづれの山にか落つ 一たび往いて帰るを見ず。
估客大楼を発し 知る 君が秋浦にあるを。
梁苑むなしく錦衾 陽台 行雨を夢む。
妾が家は三たび相となりしが 勢を失って西秦を去る。
なほ旧歌管あり 凄清 四鄰に聞ゆ。

#-3
曲度(キョクド)  紫雲に入り 啼いて眼中の人なし。
妾は井底の桃のごとく 花を開けども誰に向ってか笑まむ。
妾は井底の桃のごとく 花を開けども誰に向ってか笑まむ。
君は天上の月のごとく あへて一たびも廻照せず。
鏡を窺ふもみづからも識らず 別多くして憔悴(ショウスイ)深し。
いづくんぞ秦吉了 人のために寸心を道(い)はしめん。

宮島(5)

自代内贈#1 現代語訳と訳註
(本文)#1

寶刀截流水。無有斷絕時。妾意逐君行。纏綿亦如之。」
別來門前草。秋黃春轉碧。掃盡更還生。萋萋滿行跡。
鳴鳳始相得。雄驚雌各飛。」

(下し文)#1
宝刀流水を截つとも、断絶の時あるなし。
妾が意 君を逐うて行く、纏綿(テンメン)またかくのごとし。
別れてこのかた門前の草 秋は黄(?)に春はまた碧(みどり)なり。
掃い尽せば更にまた生じ 萋萋(せいせい)として行跡に満つ。
鳴鳳 はじめあい得しが 雄驚いて雌おのおの飛ぶ。

(現代語訳)#1
宝刀でもって流水をたちきったとしても、断絶するのは瞬間で、きれるものではない。
私の思いというものはあなたに従い衝いてゆくもの、纏わりついた綿のように心にまつわりついて離れない。
別れてこのかた、私はあなたを待つ、門前の草のようなものです。 秋は黄色の草になり枯れ、そして春になればまた碧(みどり)なる。それの繰り返し。
草を抜いて掃除をするように、あなたへの思いを消そうとするのですが、なおさら生えてくるように思いが募るばかり。それは萋萋として草が茂って来て、あなたの旅立ちの跡をいっぱいにしている。
つがいの鳳凰はいっしょに鳴いて、はじめは互いに心を通い合わせていた。雄の鳳凰は驚いて、雌もつづいておのおの飛びあがるのです。


(訳注)#1
自代内贈
 
自ら内に代りて贈る


寶刀截流水。無有斷絕時。
宝刀でもって流水をたちきったとしても、断絶するのは瞬間で、きれるものではない。
 [音]セツ(漢) [訓]たつ きるずばりとたち切る。「截然・截断/断截・直截・半截」 ◆「截」を「サイ」と読むのは「裁」などとの混同による。 .


妾意逐君行。纏綿亦如之。」
私の思いというものはあなたに従い衝いてゆくもの、纏わりついた綿のように心にまつわりついて離れない。
妾意 私の思い。・妾は女性がかわいらしく自分のことを言う時に使う。めかけではない。・意はおもい。○纏綿 まつわり離れがたいさま。1 からみつくこと。「蔦(つた)が木に纏綿する」「選手の移籍に纏綿する問題」 2 複雑に入り組んでいること。心にまつわりついて離れないさま。「情緒纏綿として去りがたい」


別來門前草。秋黃春轉碧。
別れてこのかた、私はあなたを待つ、門前の草のようなものです。 秋は黄色の草になり枯れ、そして春になればまた碧(みどり)なる。それの繰り返し。
門前草 自分の家の門前の草。待つ身の表現として使われる。○それの繰り返し。○ 青々とした緑で覆われるさま。は性的な意味のこもった語である。


掃盡更還生。萋萋滿行跡。
草を抜いて掃除をするように、あなたへの思いを消そうとするのですが、なおさら生えてくるように思いが募るばかり。それは萋萋として草が茂って来て、あなたの旅立ちの跡をいっぱいにしている。
掃盡 草を抜いて掃除をするように、あなたへの思いを消そうとする。○更還生 なおさら生えてくるように思いが募るばかり。○萋萋 草の茂った様。


鳴鳳始相得。雄驚雌各飛。」
つがいの鳳凰はいっしょに鳴いて、はじめは互いに心を通い合わせていた。雄の鳳凰は驚いて、雌もつづいておのおの飛びあがるのです。
鳴鳳 鳳凰が鳴く。つがいでいるのが基本の鳥。○始相得 はじめは互いに心を通い合わせているさま。

妾薄命 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -238

妾薄命 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -238
漢 陳皇后の詩

色におぼれて、嫉妬に狂った女の詩。班婕妤は趙飛燕に嫉妬し、漢の陳皇后の嫉妬は尋常ではなかった。

妾薄命
漢帝寵阿嬌、貯之黃金屋。
漢の武帝は皇太子の時、阿嬌を見初め、いつくしんだ、これよって金で飾られた家に住まわせたのだ。
咳唾落九天、隨風生珠玉。
その権力と勢力、天下の真ん中だということを知らしめた、風までもそれに従い珠玉を生じていった。
寵極愛還歇、妒深情卻疏。
天子の寵愛が極限まで行ったその後に別の后妃に移った時、嫉妬心が深く人の心も疎んじていった。
長門一步地、不肯暫回車。
一族でさえひとたびその地を歩んだ、その後、車馬さえ回ってこなくなった。
雨落不上天、水覆難再收。
雨が落ちてくるように天子のもとに上がることはなくなった、こぼされた水は再び元に収まることはないのだ。
君情與妾意、各自東西流。
天子の愛情と后妃の思いはそれぞれ西と東に別れて流れたようなものだ。
昔日芙蓉花、今成斷根草。
昔は確かに、芙蓉の花のように 華麗に咲く花のような后妃であったが、それも廃位となった今はただ、根無し草となり、飛蓬のように、零落して各地を流浪するしかなくなったのだ。
以色事他人、能得幾時好。
色香をもって、人につかえることしかできないものが、一体どれほどの期間、すばらしい時間とすることができるというのであろうか。

漢帝 阿嬌 寵(いつく) しむ、之を黃金の屋に貯(おさ)む。
咳唾(がいだ) 九天に落つ、風隨う 珠玉 生ず。
寵極 愛 還た歇(つきる)、妒み深く 情 卻く疏(うと)んず。
長門 一たび 地を步む、肯って 暫く 回車されず。
雨落 天に上らず、水覆 再び收り難し。
君情 與 妾意、各々自ら 東西に流る。
昔日  芙蓉の花,今 成る  斷根の草。
色を以て  他人に事(つか)へ,能(よ)く  幾時(いくとき)の 好(よろし)きを  得たりや。

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妾薄命 現代語訳と訳註
(本文)

漢帝寵阿嬌、貯之黃金屋。
咳唾落九天、隨風生珠玉。 」
寵極愛還歇、妒深情卻疏。
長門一步地、不肯暫回車。
雨落不上天、水覆難再收。 」
君情與妾意、各自東西流。
昔日芙蓉花、今成斷根草。
以色事他人、能得幾時好。 」

○押韻 屋。玉。/歇、疏。車。收。/流。草。好

(下し文)
漢帝 阿嬌 寵(いつく) しむ、之を黃金の屋に貯(おさ)む。
咳唾(がいだ) 九天に落つ、風隨う 珠玉 生ず。
寵極 愛 還た歇(つきる)、妒み深く 情 卻く疏(うと)んず。
長門 一たび 地を步む、肯って 暫く 回車されず。
雨落 天に上らず、水覆 再び收り難し。
君情 與 妾意、各々自ら 東西に流る。
昔日  芙蓉の花,今 成る  斷根の草。
色を以て  他人に事(つか)へ,能(よ)く  幾時(いくとき)の 好(よろし)きを  得たりや。

(現代語訳)
漢の武帝は皇太子の時、阿嬌を見初め、いつくしんだ、これよって金で飾られた家に住まわせたのだ。
その権力と勢力、天下の真ん中だということを知らしめた、風までもそれに従い珠玉を生じていった。
天子の寵愛が極限まで行ったその後に別の后妃に移った時、嫉妬心が深く人の心も疎んじていった。
一族でさえひとたびその地を歩んだ、その後、車馬さえ回ってこなくなった。
雨が落ちてくるように天子のもとに上がることはなくなった、こぼされた水は再び元に収まることはないのだ。
天子の愛情と后妃の思いはそれぞれ西と東に別れて流れたようなものだ。
昔は確かに、芙蓉の花のように 華麗に咲く花のような后妃であったが、それも廃位となった今はただ、根無し草となり、飛蓬のように、零落して各地を流浪するしかなくなったのだ。
色香をもって、人につかえることしかできないものが、一体どれほどの期間、すばらしい時間とすることができるというのであろうか。


(訳注)
曹植に同名の「妾薄命」があり、後部に掲載あり。(2)
漢帝寵阿嬌、貯之黃金屋。
漢の武帝は皇太子の時、阿嬌を見初め、いつくしんだ、これよって金で飾られた家に住まわせたのだ。
阿嬌 漢の武帝の后の幼名。(漢武故事)。「阿」は親しみを表す語。「嬌」は〕美しい女性。美人。文末に
(1)阿嬌陳后妃ものがたり 参照。
漢の武帝について李商隠特集。
宮詞 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 62

漢宮詞 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 63

賈生 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64

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咳唾落九天、隨風生珠玉。
その権力と勢力、天下の真ん中だということを知らしめた、風までもそれに従い珠玉を生じていった。
咳唾 せきとつばき。権力・勢力の強いさま。一言一句が珠玉の言葉になること。 ○九天 中華思想で天地は九で区分される。地は九州、天は九天、その真ん中を示す語である大空の真ん中。天下の中心。○風隨 かぜのふくままに。○珠玉 生ず。

寵極愛還歇、妒深情卻疏。
天子の寵愛が極限まで行ったその後に別の后妃に移った時、嫉妬心が深く人の心も疎んじていった。
寵極 天子の寵愛○愛還歇、別の后妃に移った○妒深 嫉妬心が深く。
 
長門一步地、不肯暫回車
一族でさえひとたびその地を歩んだ、その後、車馬さえ回ってこなくなった。
長門 一族○回車 お迎えの車馬。。

雨落不上天、水覆難再收。
雨が落ちてくるように天子のもとに上がることはなくなった、こぼされた水は再び元に収まることはないのだ。
雨落 天に上らず、○水覆難再收 覆水盆に返らず。
 
君情與妾意、各自東西流。
天子の愛情と后妃の思いはそれぞれ西と東に別れて流れたようなものだ。
君情 天子の愛情○妾意 后妃の思い○東西流る。
 

昔日芙蓉花、今成斷根草。
昔は確かに、芙蓉の花のように 華麗に咲く花のような后妃であったが、それも廃位となった今はただ、根無し草となり、飛蓬のように、零落して各地を流浪するしかなくなったのだ。
昔日 むかし。○芙蓉花 フヨウの花。華麗に咲く花の女王でもある。そのように、天子の側にいて芙蓉花のように愛でられる位置にいたものだった(が)。 ○今成 今は…となった。 ○斷根草 根無し草。飛蓬、転蓬。 *零落して各地を流浪するさまをいう。


以色事他人、能得幾時好。
色香をもって、人につかえることしかできないものが、一体どれほどの期間、すばらしい時間とすることができるというのであろうか。
以色 色香をもって。色事で。 ○ つかえる。動詞。 ・他人 ほかの人。○能得 …が可能である。 ○ よく。 ○ 得る。 ○幾時 どれほどの時間。 ○ よい。
 




 



趙飛燕と班婕妤
衛子夫と陳皇后

(1)陳皇后のものがたり
阿嬌
:陳皇后(ちん こうごう、生没年不詳)は、前漢の武帝の最初の皇后。武帝の従姉妹に当たる。
母は武帝の父である景帝の同母姉の館陶長公主劉嫖、父は堂邑侯陳午である。
『漢武故事』によると、館陶長公主は娘を皇太子に娶わせようと思ったが、当時の皇太子である劉栄の母栗姫が長公主と仲が悪かった。そこで長公主は景帝に王夫人の子である劉徹(武帝)を褒め、王夫人を皇后、劉徹を皇太子にすることに成功した。
長公主はまだ幼い皇太子の劉徹と娘の阿嬌を会わせ、劉徹に「阿嬌を得たいかい?」と訊いた。劉徹は「もし阿嬌を得る事ができたら、金の建物に住まわせるよ」と答えたので、長公主は喜んで娘を彼に娶わせ、阿嬌は皇太子妃となった。

 武帝が即位すると彼女は皇后となり、寵愛をほしいままにしたが、10年以上子が出来なかった。一方で衛子夫が武帝に寵愛されたと聞くと、嫉妬心 皇后は彼女の死を願い、一族も弟の衛青を連れ去り監禁するほどだった。皇后は呪術を用いて呪い、それが発覚して元光5年(紀元前130年)に廃位された。
母の館陶長公主は武帝の姉の平陽公主に「皇帝は私がいなければ皇太子になれなかったのに、どうして我が娘を捨てるのだ」と訊いたが、平陽公主は「子が出来ないからです」と答えた。皇后は子が出来るようにと医者に多額の金を使ったが、結局子は出来なかった。
十数年後に館陶長公主が死亡し、その数年後には陳皇后も死亡した。



 



(2)
妾薄命二首 其一 曹植(曹子建)

(本文)
携玉手喜同車  比上雲閣飛除
釣台蹇産清虚  池塘霊沼可娯
仰汎龍舟緑波  俯擢神草枝柯
想彼宓妃洛河  退詠漢女湘娥
(下し文)
玉手を携え同車を喜び  比びて雲閣の飛除を上がる
釣台は蹇産とし清虚  池塘霊沼を娯しむべし
仰ぎて龍舟を緑波に汎べ  俯して神草の枝柯を擢く
彼の宓妃の洛河を想い  退きて漢女湘娥を詠ず


 



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黄葛篇 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -237

黄葛篇 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -237
  

 女性の無限の哀怨を湛える、寵愛を得ないことに李白はたくさん詠っている。
「玉階怨」「妾薄命」、「長信宮」、「長門怨」二首、もみなこれと同じ趣を詠っている。
 以上のものとは異って、内妻の地位、別れの原因を具体的にしない閨怨の詩も多い。
「黄葛篇」もこの類である。


黃葛篇
黃葛生洛溪、黃花自綿冪。
黄い葛は洛水の溪谷に生えている。その黄色の花はそっと大切に真綿で覆われているのである。
青煙蔓長條、繚繞几百尺。
春の青いかすみがかかり、その葛のつたは細長い枝となっている。くねくねと湾曲、もつれあっていること数百尺の長さだ。
閨人費素手、采緝作絺綌。
その内妻は白い素肌のままでてにとり、絲にしてつむいで、細糸とあら糸の葛布を織ったのだ。
縫為絕國衣、遠寄日南客。
遠くへだたった国へ行っているあの人の衣用に縫っている。越南の日南方面へ行く旅人に夫へ渡してもらうため託する。
蒼梧大火落、暑服莫輕擲。
越何の地方、蒼梧県だといっても大火の星が西に流れると秋が来るのだ、軽はずみに夏服だと思って投げ出すことがあってはならない。
此物雖過時、是妾手中跡。
この葛を縒って織った着物を縫った。このようなことが過ぎたけれども、残された妻の手中になかに跡として残っているのだ。

冪。尺。綌。客。/落、擲。跡。

黄葛(こうかつ)は洛溪に生じ、黄花 自(おのずから) 綿冪(めんべき)。
青煙 長條を蔓(はびこ)らし、繚繞(りょうじょう) 幾百尺。
閨人 素手を費し、採緝(さいしゅう)して絺綌(ちげき)を作る。
縫ひて絶国の衣となし、遠く日南の客に 寄す。
蒼梧に大火落つるとも、暑服 軽(かろがろし)く擲(なげう)つなかれ。
この物 時を過ぎると いへども、これ妾が手中の跡。

nat0022

黃葛篇 現代語訳と訳註
(本文)

黃葛生洛溪、黃花自綿冪。
青煙蔓長條、繚繞几百尺。
閨人費素手、采緝作絺綌。
縫為絕國衣、遠寄日南客。
蒼梧大火落、暑服莫輕擲。
此物雖過時、是妾手中跡。


(下し文)
黄葛(こうかつ)は洛溪に生じ、黄花 自(おのずから) 綿冪(めんべき)。
青煙 長條を蔓(はびこ)らし、繚繞(りょうじょう) 幾百尺。
閨人 素手を費し、採緝(さいしゅう)して絺綌(ちげき)を作る。
縫ひて絶国の衣となし、遠く日南の客に 寄す。
蒼梧に大火落つるとも、暑服 軽(かろがろし)く擲(なげう)つなかれ。
この物 時を過ぎると いへども、これ妾が手中の跡。


(現代語訳)
黄い葛は洛水の溪谷に生えている。その黄色の花はそっと大切に真綿で覆われているのである。
春の青いかすみがかかり、その葛のつたは細長い枝となっている。くねくねと湾曲、もつれあっていること数百尺の長さだ。
その内妻は白い素肌のままでてにとり、絲にしてつむいで、細糸とあら糸の葛布を織ったのだ。
遠くへだたった国へ行っているあの人の衣用に縫っている。越南の日南方面へ行く旅人に夫へ渡してもらうため託する。
越何の地方、蒼梧県だといっても大火の星が西に流れると秋が来るのだ、軽はずみに夏服だと思って投げ出すことがあってはならない。
この葛を縒って織った着物を縫った。このようなことが過ぎたけれども、残された妻の手中になかに跡として残っているのだ。


(訳注)
黃葛生洛溪、黃花自綿冪。

黄い葛は洛水の溪谷に生えている。その黄色の花はそっと大切に真綿で覆われているのである。
黄葛 マメ科のつる性の多年草。花と根が黄色である。根を用いて食品の葛粉や漢方薬が作られる。秋の七草の一つ。○洛溪 洛水の谷間。・洛水陝西(せんせい)省南部にある華山に源を発し、河南省に入って北東に流れ、洛陽の南を通り黄河に注ぐ川。長さ420キロ。洛河。○綿冪 (メンベキ)若のように細かに覆い被さっている。


青煙蔓長條、繚繞几百尺。
春の青いかすみがかかり、その葛のつたは細長い枝となっている。くねくねと湾曲、もつれあうすること数百尺の長さだ。
青煙 春の青いかすみ。○長條 細長い枝。○繚繞 もつれあう、まつわりめぐること。また、くねくねと湾曲すること。

閨人費素手、采緝作絺綌。
その内妻は白い素肌のままでてにとり、絲にしてつむいで、細糸とあら糸の葛布を織ったのだ。
閨人 寝室を共にする人。閨の人。妻の場合。めかけの場合。娼婦の場合。○素手 白い素肌で
○採緝 (サイシュウ)絲にしてつむぐ。○絺綌 (チゲキ)細糸とあら糸の葛布。


縫為絕國衣、遠寄日南客。
遠くへだたった国へ行っているあの人の衣用に縫っている。越南の日南方面へ行く旅人に夫へ渡してもらうため託する。
○絶国 遠くへだたった国。○日南 漢の時、越南に置かれた郡。○ たびびと。雲南に徴兵で戦争に行っている夫へ渡してもらうため託する。


蒼梧大火落、暑服莫輕擲。
越何の地方、蒼梧県だといっても大火の星が西に流れると秋が来るのだ、軽はずみに夏服だと思って投げ出すことがあってはならない。
蒼梧 蒼梧県(そうご-けん)は中華人民共和国広西チワン族自治区梧州市に位置する県。 戦国時代より蒼梧、または倉吾の名で呼ばれている。○大火 「アレース(火星)に対抗するもの」という意味で、「アンタレス」この星の光が火星の赤い色によく似ているところからつけられた。蝎座の一等星で太陽の直径の230倍もあって、中国では「火」とか「大火」と呼ばれる。陰暦七月末から西に流れる。
(なげう) 投げ出すこと。捨ててかえりみないこと。


此物雖過時、是妾手中跡。
この葛を縒って織った着物を縫った。このようなことが過ぎたけれども、残された妻の手中になかに跡として残っているのだ。


(解説)
楊國忠の雲南戦線の戦いに敗れ、死者6万人をかぞえるも、なお徴兵し続けた。同じころ、西方のタラスの戦いも敗戦している。李白は、西方の勝ち負けは常日頃耳にしていたが、南方の戦で、負けてもなお兵力をつぎ込む楊国忠の無能さが言いたかったことであろう。

 「子夜呉歌」にも似た趣がある。これは南方にいる夫を思う情景に作っている。
 妻の征夫を懐うの情はひとたび翻せば、兵士の思郷の情である。

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尋高鳳石門山中元丹邱 李白236 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#3

尋高鳳石門山中元丹邱 李白236 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#3
(高鳳石門山中の元丹丘を尋ぬ)

751年 李白は、葉州(河南省平頂山市葉県)の石門山(別名、西唐山)に道教の先輩元丹邱を訪ねている。元丹邱は嵩山の山居から石門山に移っていたようだ。
 事前の約束もせずに突然この地を尋ねていったようだ。山路に難渋するようすが描かれている。

尋高鳳石門山中元丹邱 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#1
尋高鳳石門山中元丹邱 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#2
尋高鳳石門山中元丹邱 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#3



尋高鳳石門山中元丹邱
尋幽無前期、 乘興不覺遠。
蒼崖渺難涉、 白日忽欲晚。
未窮三四山、 已歷千萬轉。』-#1
寂寂聞猿愁、行行見云收。
高松來好月、空谷宜清秋。
溪深古雪在、石斷寒泉流。』-#2
峰巒秀中天、登眺不可盡。
高く突き出たような峰、大空の真ん中まで秀でている。登って眺めたいがとても登れるものではないということだ。
丹邱遙相呼、顧我忽而哂。
突然、元丹丘が遥か向こうから声をかけてきた、私を見てうなずきそしてにこやかに笑いかけてきた。
遂造窮谷間、始知靜者閑。
ついに来るところまで来たようだ、そのまま谷合いの奥まったところに行き着いた、そこで、はじめて隠者の静かな生活を知ることになった。
留歡達永夜、清曉方言還。』-#3

その日は永い夜を過ごし、夜を徹して歓談したのだ。 その談笑の達成感で清々しい朝を迎えた、やっと、言葉を交わすことから詩を書くことに変わっていくのである。


○ 遠。晚。轉。/愁、秋。流。/天、盡。哂。閑。還。


#1
幽(ゆう)を尋ねて前期(ぜんき)無く、興(きょう)に乗じて遠きを覚(おぼ)えず。
蒼崖(そうがい)  渺(びょう)として渉(わた)り難く、白日(はくじつ)  忽ち晩(く)れんと欲す。
未だ三四山(さんしざん)を窮(きわ)めず、已(すで)に歴(へ)たり  千万転(せんまんてん)。』
#2
寂寂(せきせき)として  猿の愁うるを聞き、行行(こうこう)  雲の収まるを見る。
高松(こうしょう) 好月(こうげつ)来たり、空谷(くうこく)  清秋(せいしゅう)に宜(よろ)し。
渓(たに)深くして古雪(こせつ)在り、石断(た)たれて寒泉(かんせん)流る。』
#3
峰巒(ほうらん)  中天(ちゅうてん)に秀(ひい)で、登眺(とうちょう)  尽(つ)くす可からず。』
丹邱(たんきゅう) 遥かに相(あい)呼び、我を顧みて  忽(こつ)として哂(わら)う。
遂に窮谷(きゅうこく)の間(かん)に造(いた)り、始めて静者(せいじゃ)の閒(かん)なるを知る。
留歓(りゅうかん)  永夜(えいや)に達し、清暁(せいぎょう)  方(まさ)に言(ここ)に還(いた)る。』

DCF00199

尋高鳳石門山中元丹丘 #3 現代語訳と訳註
(本文) #3
峰巒秀中天、登眺不可盡。
丹邱遙相呼、顧我忽而哂。
遂造窮谷間、始知靜者閑。
留歡達永夜、清曉方言還。』-#3


(現代語訳)
高く突き出たような峰、大空の真ん中まで秀でている。登って眺めたいがとても登れるものではないということだ。
突然、元丹丘が遥か向こうから声をかけてきた、私を見てうなずきそしてにこやかに笑いかけてきた。
ついに来るところまで来たようだ、そのまま谷合いの奥まったところに行き着いた、そこで、はじめて隠者の静かな生活を知ることになった。
その日は永い夜を過ごし、夜を徹して歓談したのだ。 その談笑の達成感で清々しい朝を迎えた、やっと、言葉を交わすことから詩を書くことに変わっていくのである。


(訳註)
峰巒秀中天、登眺不可盡。

高く突き出たような峰、大空の真ん中まで秀でている。登って眺めたいがとても登れるものではないということだ。
峰巒 高く突き出たような峰。○秀中天 大空の真ん中まで秀でている。 


丹邱遙相呼、顧我忽而哂。
突然、元丹丘が遥か向こうから声をかけてきた、私を見てうなずきそしてにこやかに笑いかけてきた。
忽而哂 ・忽:たちまち ゆるがせ1 たちまち。「忽焉(こつえん)・忽然」 2 おろそか。「忽略/軽忽・粗忽」
・「哂」=微笑する。歯を出してにっこりわらう。「笑」=顔がほどけて口が開いてわらう。花の開くのもいう。「嗤」=あざけりわらう。


遂造窮谷間、始知靜者閑。
ついに来るところまで来たようだ、そのまま谷合いの奥まったところに行き着いた、そこで、はじめて隠者の静かな生活を知ることになった。
遂造 ついに来るところまで来たさま。・造1 物をこしらえる。つくる。2 なす。行う。3 ある所まで行きつく。至る。4 急であわただしい。いたる・なり○靜者閑 静者が閑散としたところにいる。静かなものが静かな中にいる。静者は隠遁者、元丹邱。道教の道士は隠遁をして、「気」、万物を大事にする。自然を大切にする。あるがままなすがままの生活をするのである。


留歡達永夜、清曉方言還。』
その日は永い夜を過ごし、夜を徹して歓談したのだ。 その談笑の達成感で清々しい朝を迎えた、やっと、言葉を交わすことから詩を書くことに変わっていくのである。
留歡 再会の喜びが続いているさま。○達永夜 夜遅くまでがさらに続くことのさま。○清曉 夜を徹して歓談したのだ。その達成感で清々しい朝を迎えたことをあらわす。○方言還 言葉を交わしたことから詩を書くことに変わっていくさま。


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尋高鳳石門山中元丹邱 李白236

尋高鳳石門山中元丹邱
尋幽無前期、 乘興不覺遠。
蒼崖渺難涉、 白日忽欲晚。
未窮三四山、 已歷千萬轉。』-#1
寂寂聞猿愁、行行見云收。
高松來好月、空谷宜清秋。
溪深古雪在、石斷寒泉流。』-#2
峰巒秀中天、登眺不可盡。
丹邱遙相呼、顧我忽而哂。
遂造窮谷間、始知靜者閑。
留歡達永夜、清曉方言還。』-#3


#1
幽(ゆう)を尋ねて前期(ぜんき)無く、興(きょう)に乗じて遠きを覚(おぼ)えず。
蒼崖(そうがい)  渺(びょう)として渉(わた)り難く、白日(はくじつ)  忽ち晩(く)れんと欲す。
未だ三四山(さんしざん)を窮(きわ)めず、已(すで)に歴(へ)たり  千万転(せんまんてん)。』
#2
寂寂(せきせき)として  猿の愁うるを聞き、行行(こうこう)  雲の収まるを見る。
高松(こうしょう) 好月(こうげつ)来たり、空谷(くうこく)  清秋(せいしゅう)に宜(よろ)し。
渓(たに)深くして古雪(こせつ)在り、石断(た)たれて寒泉(かんせん)流る。』
#3
峰巒(ほうらん)  中天(ちゅうてん)に秀(ひい)で、登眺(とうちょう)  尽(つ)くす可からず。』
丹邱(たんきゅう) 遥かに相(あい)呼び、我を顧みて  忽(こつ)として哂(わら)う。
遂に窮谷(きゅうこく)の間(かん)に造(いた)り、始めて静者(せいじゃ)の閒(かん)なるを知る。
留歓(りゅうかん)  永夜(えいや)に達し、清暁(せいぎょう)  方(まさ)に言(ここ)に還(いた)る。』


(現代語訳)
心の許せる先輩に逢いたい気持ちを止めることができないでこんな奥まった静かなところまで前もっての 約束しないで来てしまった、途中の景色にも風流の趣があり、ノリノリになって遠いことなど全然気にならない。
切立った巌場に苔が生えており、その森がいつまでも続いていて歩くのに難儀をする。なかなかいきつかず真昼の太陽ももはや暮れようとしはじめている。
幾つかの山々を越え行き着くところに来たわけでもないのに、千回も万回も曲りくねったところを登ってきたような気がする。

まわりがさびしく気持ちまで寂しくなっていると、悲しげな猿の声を聞こえてくる、道をそのまま進んでいると雲がいつの間にか消えてゆくのが目に入る。
高い所にすっと立っている松の上にわたしの趣向によく合う綺麗な月が昇ってきた、人けのない谷というものは これほどの清々しい秋にふさわしいというものだ。
どこまでも続く奥深い渓谷、里では融けているのに残雪がある。岩の裂け目から、その融けた冷たい水が流れ出ている。
高く突き出たような峰、大空の真ん中まで秀でている。登って眺めたいがとても登れるものではないということだ。

高く突き出たような峰、大空の真ん中まで秀でている。登って眺めたいがとても登れるものではないということだ。
突然、元丹丘が遥か向こうから声をかけてきた、私を見てうなずきそしてにこやかに笑いかけてきた。
ついに来るところまで来たようだ、そのまま谷合いの奥まったところに行き着いた、そこで、はじめて隠者の静かな生活を知ることになった。
ついに来るところまで来たようだ、そのまま谷合いの奥まったところに行き着いた、そこで、はじめて隠者の静かな生活を知ることになった。
その日は永い夜を過ごし、夜を徹して歓談したのだ。 その談笑の達成感で清々しい朝を迎えた、やっと、言葉を交わすことから詩を書くことに変わっていくのである。

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尋高鳳石門山中元丹邱 李白235 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#2

尋高鳳石門山中元丹邱 李白235 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#2
(高鳳石門山中の元丹邱を尋ぬ)

751年 李白は、葉州(河南省平頂山市葉県)の石門山(別名、西唐山)に道教の先輩元丹丘を訪ねている。元丹邱は嵩山の山居から石門山に移っていたようだ。
 事前の約束もせずに突然この地を尋ねていったようだ。山路に難渋するようすが描かれている。(#2)
尋高鳳石門山中元丹邱 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#1
尋高鳳石門山中元丹邱 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#2
尋高鳳石門山中元丹邱 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#3


尋高鳳石門山中元丹邱
尋幽無前期、 乘興不覺遠。
蒼崖渺難涉、 白日忽欲晚。
未窮三四山、 已歷千萬轉。』-#1
寂寂聞猿愁、行行見云收。
まわりがさびしく気持ちまで寂しくなっていると、悲しげな猿の声を聞こえてくる、道をそのまま進んでいると雲がいつの間にか消えてゆくのが目に入る。
高松來好月、空谷宜清秋。
高い所にすっと立っている松の上にわたしの趣向によく合う綺麗な月が昇ってきた、人けのない谷というものは これほどの清々しい秋にふさわしいというものだ。
溪深古雪在、石斷寒泉流。』
どこまでも続く奥深い渓谷、里では融けているのに残雪がある。岩の裂け目から、その融けた冷たい水が流れ出ている。』
峰巒秀中天、登眺不可盡。』-
#2
高く突き出たような峰、大空の真ん中まで秀でている。登って眺めたいがとても登れるものではないということだ。』
丹邱遙相呼、顧我忽而哂。
遂造窮谷間、始知靜者閑。
留歡達永夜、清曉方言還。』-#3

○ 遠。晚。轉。/愁、秋。流。/天、盡。/哂。閑。還。


#1
幽(ゆう)を尋ねて前期(ぜんき)無く、興(きょう)に乗じて遠きを覚(おぼ)えず。
蒼崖(そうがい)  渺(びょう)として渉(わた)り難く、白日(はくじつ)  忽ち晩(く)れんと欲す。
未だ三四山(さんしざん)を窮(きわ)めず、已(すで)に歴(へ)たり  千万転(せんまんてん)。』

#2
寂寂(せきせき)として  猿の愁うるを聞き、行行(こうこう)  雲の収まるを見る。
高松(こうしょう) 好月(こうげつ)来たり、空谷(くうこく)  清秋(せいしゅう)に宜(よろ)し。
渓(たに)深くして古雪(こせつ)在り、石断(た)たれて寒泉(かんせん)流る。
峰巒(ほうらん)  中天(ちゅうてん)に秀(ひい)で、登眺(とうちょう)  尽(つ)くす可からず。』
#3
峰巒(ほうらん)  中天(ちゅうてん)に秀(ひい)で、登眺(とうちょう)  尽(つ)くす可からず。』
丹邱(たんきゅう) 遥かに相(あい)呼び、我を顧みて  忽(こつ)として哂(わら)う。
遂に窮谷(きゅうこく)の間(かん)に造(いた)り、始めて静者(せいじゃ)の閒(かん)なるを知る。
留歓(りゅうかん)  永夜(えいや)に達し、清暁(せいぎょう)  方(まさ)に言(ここ)に還(いた)る。』

DCF00213

尋高鳳石門山中元丹邱 #2 現代語訳と訳註
(本文) #2
寂寂聞猿愁、行行見云收。
高松來好月、空谷宜清秋。
溪深古雪在、石斷寒泉流。』
峰巒秀中天、登眺不可盡。』

(下し文)
寂寂(せきせき)として  猿の愁うるを聞き、行行(こうこう)  雲の収まるを見る。
高松(こうしょう) 好月(こうげつ)来たり、空谷(くうこく)  清秋(せいしゅう)に宜(よろ)し。
渓(たに)深くして古雪(こせつ)在り、石断(た)たれて寒泉(かんせん)流る。』
峰巒(ほうらん)  中天(ちゅうてん)に秀(ひい)で、登眺(とうちょう)  尽(つ)くす可からず。』

(現代語訳)#2
まわりがさびしく気持ちまで寂しくなっていると、悲しげな猿の声を聞こえてくる、道をそのまま進んでいると雲がいつの間にか消えてゆくのが目に入る。
高い所にすっと立っている松の上にわたしの趣向によく合う綺麗な月が昇ってきた、人けのない谷というものは これほどの清々しい秋にふさわしいというものだ。
どこまでも続く奥深い渓谷、里では融けているのに残雪がある。岩の裂け目から、その融けた冷たい水が流れ出ている。』
高く突き出たような峰、大空の真ん中まで秀でている。登って眺めたいがとても登れるものではないということだ。』


(訳注)#2
寂寂聞猿愁、行行見云收。
まわりがさびしく気持ちまで寂しくなっていると、悲しげな猿の声を聞こえてくる、道をそのまま進んでいると雲がいつの間にか消えてゆくのが目に入る。
寂寂 まわりがさびしく気持ちがさみしい。○猿愁 日本猿と違って、手足が長い。特に泣き声が、悲鳴のように長く引っ張って啼くため、悲愴感を出す場合に比喩としても使われる。○云收 雲がいつの間にか消えてゆくこと。雲も長く尾を引いていることで寂寞感をだす。

高松來好月、空谷宜清秋。
高い所にすっと立っている松の上にわたしの趣向によく合う綺麗な月が昇ってきた、人気のない谷というものは これこそ清々しい秋にふさわしいというものだ。
高松 高い所にすっと立っている松。○清秋 清々しい秋。 

溪深古雪在、石斷寒泉流。』
どこまでも続く奥深い渓谷、里では融けているのに残雪がある。岩の裂け目から、その融けた冷たい水が流れ出ている。
溪深 どこまでも続く奥深い渓谷。○古雪 里では融けているのに残雪がある 


峰巒秀中天、登眺不可盡。』
高く突き出たような峰、大空の真ん中まで秀でている。登って眺めたいがとても登れるものではないということだ。
峰巒 高く突き出たような峰。○秀中天 大空の真ん中まで秀でている。 


(解説)
中国人は高い山に登るのが好きである。それは、重陽の日だけではない。道教の影響かもしれないし、そういう土壌に道教が生まれてきたのかもしれない。山水画と詩歌高山はつきものなのである。
 この詩#2でも、「寂寂」+「猿愁」「行行」+「云收」「高松」+「好月」「空谷」+「清秋」。 「溪深」「古雪」「石斷」「泉流」「峰巒」「中天」「登眺」すべての句に山に関連した語が散りばめられており、作られている。しかもそれぞれの語が関連しあっているのである。上から読んでも下から読んでも意味が通るのである。

尋高鳳石門山中元丹丘 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234

 

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尋高鳳石門山中元丹丘 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234
(高鳳石門山中の元丹丘を尋ぬ)

751年 李白は、葉州(河南省平頂山市葉県)の石門山(別名、西唐山)に道教の先輩元丹丘を訪ねている。元丹丘は嵩山の山居から石門山に移っていたようだ。
 事前の約束もせずに突然この地を尋ねていったようだ。山路に難渋するようすが描かれている。名山を詠うだけでなく、尋ねるところを山水画風に詠う詩である。


尋高鳳石門山中元丹邱 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#1
尋高鳳石門山中元丹邱 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#2
尋高鳳石門山中元丹邱 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#3


尋高鳳石門山中元丹丘
尋幽無前期、 乘興不覺遠。
心の許せる先輩に逢いたい気持ちを止めることができないでこんな奥まった静かなところまで前もっての 約束しないで来てしまった、途中の景色にも風流の趣があり、ノリノリになって遠いことなど全然気にならない。
蒼崖渺難涉、 白日忽欲晚。
切立った巌場に苔が生えており、その森がいつまでも続いていて歩くのに難儀をする。なかなかいきつかず真昼の太陽ももはや暮れようとしはじめている。
未窮三四山、 已歷千萬轉。』-#1

幾つかの山々を越え行き着くところに来たわけでもないのに、千回も万回も曲りくねったところを登ってきたような気がする。』
寂寂聞猿愁、行行見云收。
高松來好月、空谷宜清秋。
溪深古雪在、石斷寒泉流。』
峰巒秀中天、登眺不可盡。』-#2
丹丘遙相呼、顧我忽而哂。
遂造窮谷間、始知靜者閑。
留歡達永夜、清曉方言還。』-#3

○ 遠。晚。轉。/愁、秋。流。/天、盡。/哂。閑。還。


#1
幽(ゆう)を尋ねて前期(ぜんき)無く、興(きょう)に乗じて遠きを覚(おぼ)えず。
蒼崖(そうがい)  渺(びょう)として渉(わた)り難く、白日(はくじつ)  忽ち晩(く)れんと欲す。
未だ三四山(さんしざん)を窮(きわ)めず、已(すで)に歴(へ)たり  千万転(せんまんてん)。』
#2
寂寂(せきせき)として  猿の愁うるを聞き、行行(こうこう)  雲の収まるを見る。
高松(こうしょう) 好月(こうげつ)来たり、空谷(くうこく)  清秋(せいしゅう)に宜(よろ)し。
渓(たに)深くして古雪(こせつ)在り、石断(た)たれて寒泉(かんせん)流る。
峰巒(ほうらん)  中天(ちゅうてん)に秀(ひい)で、登眺(とうちょう)  尽(つ)くす可からず。』
#3
峰巒(ほうらん)  中天(ちゅうてん)に秀(ひい)で、登眺(とうちょう)  尽(つ)くす可からず。』
丹丘(たんきゅう) 遥かに相(あい)呼び、我を顧みて  忽(こつ)として哂(わら)う。
遂に窮谷(きゅうこく)の間(かん)に造(いた)り、始めて静者(せいじゃ)の閒(かん)なるを知る。
留歓(りゅうかん)  永夜(えいや)に達し、清暁(せいぎょう)  方(まさ)に言(ここ)に還(いた)る。』

DCF00200

尋高鳳石門山中元丹丘 #1 現代語訳と訳註
(本文) #1
尋幽無前期、 乘興不覺遠。
蒼崖渺難涉、 白日忽欲晚。
未窮三四山、 已歷千萬轉。』-#1

(下し文) #1
幽(ゆう)を尋ねて前期(ぜんき)無く、興(きょう)に乗じて遠きを覚(おぼ)えず。
蒼崖(そうがい)  渺(びょう)として渉(わた)り難く、白日(はくじつ)  忽ち晩(く)れんと欲す。
未だ三四山(さんしざん)を窮(きわ)めず、已(すで)に歴(へ)たり  千万転(せんまんてん)。』

(現代語訳) #1
心の許せる先輩に逢いたい気持ちを止めることができないでこんな奥まった静かなところまで前もっての 約束しないで来てしまった、途中の景色にも風流の趣があり、ノリノリになって遠いことなど全然気にならない。
切立った巌場に苔が生えており、その森がいつまでも続いていて歩くのに難儀をする。なかなかいきつかず真昼の太陽ももはや暮れようとしはじめている。
幾つかの山々を越え行き着くところに来たわけでもないのに、千回も万回も曲りくねったところを登ってきたような気がする。』



(訳注) #1
尋幽無前期、 乘興不覺遠。

心の許せる先輩に逢いたい気持ちを止めることができないでこんな奥まった静かなところまで前もっての 約束しないで来てしまった、途中の景色にも風流の趣があり、ノリノリになって遠いことなど全然気にならない。
 奥に入り込んだその一番奥の静かなところにあることをあらわす。○前期 前は事前に、前もって、期は約束、逢うことを約束すること。恋詩、艶詩に再会の約束に多く使う。李白53『大堤曲』 「漢水臨襄陽。花開大堤暖。 佳期大堤下。淚向南云滿。春風無復情。吹我夢魂散。 不見眼中人。天長音信斷。」  ○乘興 風流の趣きにのって。○不覺遠 遠いことなど問題ではない。


蒼崖渺難涉、 白日忽欲晚。
切立った巌場に苔が生えており、その森がいつまでも続いていて歩くのに難儀をする。なかなかいきつかず真昼の太陽ももはや暮れようとしはじめている。
蒼崖 蒼には苔むすことと、遠近法で遠くの崖は青く見えることをさすことで、この詩の味わいが増す。○ 広々としたさま。 ○白日 真昼の太陽。


未窮三四山、 已歷千萬轉。』-#1
幾つかの山々を越え行き着くところに来たわけでもないのに、千回も万回も曲りくねったところを登ってきたような気がする。
未窮 窮は行き着くところ。○三四山 幾つかの山々。李白的山水画で奥行きを感じさせる表現である。 ○已歷 すでに~を経験した。○千萬轉 千回も万回も曲がっているさま。


(解説)
長安を追われて、ある時から、自然への表現が変わっていく。この詩は元丹丘の住む石門山中へ道行のように描かれている。山水画の中に李白が描かれ、移動していく様子、長安追放以前の詩にはない趣がある。

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