漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

2012年01月

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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梁甫吟 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -295

梁甫吟 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -295


梁甫吟
#1
長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
大声を発してながく、ながく吟じてみる、梁甫吟をうたっては時機の到来を待つのだ。いつになれば、うららかな春を見ることがあるのか。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
君は知っているだろう。朝歌の牛殺しのおじいさん(太公望)が、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の時、西方にきて、渭水のほとりで釣りをしていて文王と出会ったのをたことを。 
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかしていくのだ。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
十年もの長い問、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむべきようになっていた。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。

すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしない。はじめは、世間のふつうの人といささか似ているというものであったのだ。

#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。

#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。
齊相殺之費二桃。吳楚弄兵無劇孟。
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。
張公兩龍劍。 神物合有時。
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。


梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。
#3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦(しゅくしゃく) 晦冥(かいめい) 風雨を起す、
閶闔(しょうこう)の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞(すうぐ)は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。
韓愈の地図00
 

現代語訳と訳註
(本文)
#1
長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。


(下し文) 梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。


(現代語訳)
梁甫山
大声を発してながく、ながく吟じてみる、梁甫吟をうたっては時機の到来を待つのだ。いつになれば、うららかな春を見ることがあるのか。
君は知っているだろう。朝歌の牛殺しのおじいさん(太公望)が、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の時、西方にきて、渭水のほとりで釣りをしていて文王と出会ったのをたことを。 
白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかしていくのだ。
十年もの長い問、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむべきようになっていた。
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしない。はじめは、世間のふつうの人といささか似ているというものであったのだ。


nat0026
(訳注)
○梁甫吟
 楽府の古い題の一つ。梁甫は、梁父とも書き、むかしの斉の国、いまの山東省の、泰山のふもとにある、570mの小さな山の名である。そこは、古代の迷信では、死者のたましいの帰る場所とされていた。「梁甫吟」はもともと、葬いの歌であったという。また、骨子(孔子の弟子)の作ったものであるという。骨子が泰山のふもとに耕していたところ、天が大雪をふらし、凍ること旬日、帰ることができず、その父母を思って、巣山歌を作ったと、「琴挽」という本に見える、それが「梁甫吟」の起源であるという。現在「楽府詩集」に収められている一首は、「三国志」の立役者である諸葛亮(孔明)の作と伝えられている。それは次の歌である。
諸葛亮(孔明)「梁甫吟」
歩出斉城門  遥望蕩陰里
里中有三墳  塁塁正相似
問是誰家墓  田疆古冶子
力能排南山  文能絶地紀
一朝被讒言  二桃殺三士
誰能為此謀  国相斉晏子
下し文
歩して斉の城門を出で  遥に蕩陰の里を望む 
里中に三墳有り  塁塁として正に相似たり
問う是れ誰が家の墓ぞ  田疆古冶氏
力を能く南山を排し  文を能く地紀を絶つ
一朝 讒言を被りて  二桃 三士を殺す
誰か能く此の謀を為せる  国相斉の晏子なり

現代訳
梁甫の歌;
斉の城門を歩いて出て、遠くに蕩陰(地名)の村を眺めるとそこにお墓が三基ある 並んで立っていて、よく似ていた。
これはどちらのお墓ですかと聞いてみた。
これが有名な公孫接・田開彊・古冶子のお墓です。
三人は南山を動かすほど力が強く、大地の四隅を繋ぐ紐を切るほど学問もできる人たちでした
ところが、ひとたび、讒言を言われ、二つの桃でもって三人を殺してしまった。
誰がこんなはかりごとをしたのですか? それは斉の宰相の晏嬰です

これは、詭計をもちいて人を殺した、斉の量子の故事をうたったものである。「力排南山三壯士。齊相殺之費二桃」参照。李白のこの詩は、その故事をふくみつつ、主題を少しかえ、不遇の志士の時機到来を待つ気持をうたいあげる。


長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
(長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。)
大声を発してながく、ながく吟じてみる、梁甫吟をうたっては時機の到来を待つのだ。いつになれば、うららかな春を見ることがあるのか。
長哺 長く、すみきった声を出して詩歌を吟じる。○陽春 陽気のみちみちた春。春という季節は、万物をはぐくみ育てる、それにも似た君主の慈愛恩恵を、暗に意味する。「楚辞」の「九弁」に、「恐らくは慈死して陽春を見るを碍ざらん」(恐らくは忽ち死んで春を見られねであろう)という句が、君主から放逐されて絶望の意中を述べたところに見える。

君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
(君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。)
君は知っているだろう。朝歌の牛殺しのおじいさん(太公望)が、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の時、西方にきて、渭水のほとりで釣りをしていて文王と出会ったのをたことを。 
朝歌屠叟 朝歌は地名。大むかし、殷の時代のみやこ、河南省にあった。屠叟は、屠牛(牛殺し)のじいさん。朝歌の牛殺しのじじいとは、周の太公望、呂尚のことである。伝説によると、かれはかつて朝歌において牛殺しをしていたことがあり、棘津(河南省延津県)においては行商人をしていたし、橎渓(いまの駅西省宝鶏県の東南にあり、源は南山から出、北に流れて渭水に入る)では魚を釣っていた。八十歳のときに、はじめて周の文王に出遇った。文王は立ちどころにその人物を見抜き、この人こそ自分の父の大公が、かねがね望んでいた軍師である、だから太公望と呼ぶといって連れて帰り、非常に重くかれを用いた。かれは、文王の子の武王をたすけて駿を討ち、天下を定め、斉の国の始祖となった。○渭浜渭水のほとり。


寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
(寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。)
白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかしていくのだ。
壮気 意気さかんに。○経論 天下をおさめ人民をすくう方策。


廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
(広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。)

十年もの長い問、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむべきようになっていた。
三千六百鉤 鉤はつりばり。一年は三百六十日、十年で三千六百日っ毎日表を垂れると、十年で三千六百鈎となる。太公望は八十歳のときから洞水のほとりで釣りをし、九十歳のときに文王に遇った、その間の十年間(一説では、七十から八十までの間)釣りをしていたことをさす。また、清の沈徳潜の説では、三千六百鈎は、天下をことごとく釣ることで、文王を釣り出したという意味に解する。○風期風塵、または、風采に同じ。人品。びとがら。○ しらぬうちに。しらず、しらず。○文王 文王(未詳- 紀元前1152年-紀元前1056年 寿命 97才)は、中国の周朝の始祖。姓は姫、諱は昌。父季歴と母太任の子。周王朝の創始者である武王の父にあたる。文王は商に仕えて、三公(特に重要な三人の諸侯)の地位にあり、父である季歴の死後に周の地を受け継ぎ、岐山のふもとより本拠地を灃河(渭河の支流である。湖南省の澧水とは字が異なる。)の西岸の豊邑(正しくは豐邑。後の長安の近く)に移し、仁政を行ってこの地を豊かにしていた。


大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。
(大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。)
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしない。はじめは、世間のふつうの人といささか似ているというものであったのだ。
虎変 「易経」に「大人虎変」とあるのに基づく。虎の毛皮のもようの鮮やかなように、非凡な大人物は、あざやかに変化する。「君子豹変」も出典は同じく、現在使われるような惑い意味ではなく、本来は、君子が過を改めて善にうつることの際立って著しいことを意味する。「大人」というのは「君子」よりも、一枚上の人物。○当年 当時。○頗似 いささか似ている。頻はいささか。(顔は少であり甚ではない。)○尋常 ふつう。なみ。

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哭宣城善醸紀叟 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -294

哭宣城善醸紀叟 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -294


紀叟黄泉裏、還應醸老春。
夜臺無暁日、沽酒與何人。

紀叟 黄泉の裏、還た 應に 老春を醸(かも) す。
夜臺 暁日 無きに、酒を沽りて何人に與たう。


紀おじいさんは黄泉の国にいってしまった、でもきっとまた、「老春」の酒を醸造している。
冥土には明るいお日様は照らされてはないだろう、それにわたしがいないのにそのお酒はどんな人に売るというのか。


哭宣城善醸紀叟
宣城 地図e5座標。○善醸 上手に醸造する。○紀叟 紀というおじいさん。
 rihakustep足跡


紀叟黄泉裏、還應醸老春。
紀叟 黄泉の裏、還た 應に 老春を醸(かも) す。
紀おじいさんは黄泉の国にいってしまった、でもきっとまた、「老春」の酒を醸造している。
黄泉 黄泉の国。地下に死者の世界があると考え、そこを黄泉と呼んだ。黄は、五行思想で、土を表象し、方向性としては中央を意味する。泉は地下の世界、それゆえに、兵馬庸は地下に地上と同じ世界を作った。○老春 お酒の名前。(若さをよみがえらせる。歳を重ねていくことをよろこぶ。ということであろうか。)

夜臺無暁日、沽酒與何人。
夜臺 暁日 無きに、酒を沽りて何人に與たう。
冥土には明るいお日様は照らされてはないだろう、それに(真の酒飲みでこよなく酒を愛するわたしがいないのに)そのお酒はどんな人に売るというのか。
夜臺 冥土。墓の穴。墳墓。○暁日 夜明けの太陽。朝日。明るいお日様。○沽酒 売っている酒。

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「戴老酒店」
戴老黄泉下 還應醸大春 
夜臺無李白 沽酒與何人

戴老(たいろう)は黄泉(こうせん)の下にて、
還(な)ほ応(まさ)に大春(だいしゅん)を醸(かも)すなるべし。
夜台には李白無きに、何人に酒を沽(う)り与へんや。

酒造り名人の戴の爺さんは死んじまったが、黄泉の国でも、
きっと自慢の銘酒「大春」を造っているに違いない。
しかし、冥土には(真の酒飲みでこよなく酒を愛する)李白はいないのだ、
いったい誰にその酒を飲ませるつもりなのだろう。

○大春 酒の銘柄。○夜臺 あの世。

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答友人贈烏紗帽 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -293

答友人贈烏紗帽 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -293


答友人贈烏紗帽
領得烏紗帽,全勝白接蘺。
山人不照鏡,稚子道相宜。


答友人贈烏紗帽 李白                           
烏紗帽を領得して、全く白接蘺(り)に勝(まさ)る。
山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜(よろ)しと道(い)う。


 鳥紗帽たしかに受け取りました                         
 白接蘺よりずっといい                             
 鏡で見てみたわけじゃないけど                         
 子供は似合うと言ってます                           
李白
       ウィキペディア  李白像
 
現代語訳と訳註
(本文)
答友人贈烏紗帽
領得烏紗帽,全勝白接蘺。
山人不照鏡,稚子道相宜。


(下し文)
烏紗帽を領得して、全く白接蘺(り)に勝(まさ)る。
山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜(よろ)しと道(い)う。


(現代語訳)
烏紗帽を届けてくれて確かに受け取りました。白い接羅の帽子よりすべてに勝っている。
山で隠遁すべき人間が街にいるこの私が鏡を見るまでのことはないのだ、山間ではないけれど子供たちはよく似合ってるといっている。


(訳注) 答友人贈烏紗帽
領得烏紗帽,全勝白接蘺。
烏紗帽を領得して、全く白接蘺(り)に勝(まさ)る。
烏紗帽を届けてくれて確かに受け取りました。白い接羅の帽子よりすべてに勝っている。
烏紗帽:絹で出来た礼装用の黒い帽子。
白接羅:白い接羅(せつり)。接羅は帽子の一種。昔、荊の地方長官だった山簡が被っていたことで有名。
山簡は竹林の七賢人である山濤の息子だが、それよりなにより酔ってこの白接蘺を前後反対に被り
町なかで馬に乗ったほどの「酔っぱらい」ぶりで名高い。              
「山公」と言えば酔っぱらいの代名詞であり、李白はしばしば自分をこの山簡に例えている。 

山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 ○白接蘺 接蘺は帽子。


山人不照鏡,稚子道相宜。
山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜(よろ)しと道(い)う。
山で隠遁すべき人間が街にいるこの私が鏡を見るまでのことはないのだ、山間ではないけれど子供たちはよく似合ってるといっている。
○山人 山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。ここでは李白自身のことを指す。


     
 帽子01

帽子02
帽子03
 
  唐太宗戴幞頭 禮官戴幞頭 兩文人戴幞頭 
 帽子04
帽子05
帽子06
 
  長腳羅幞頭 翹腳幞頭 翹腳幞頭
 
    

   時代を遡ると、元代の雑劇に登場する山人は例外なくみな占い師であり、かつ自称ではなく他称である。また陸遊の〈新裁道帽示帽工〉(《劍南詩稿》卷39)では、「山人手段雖難及」と帽子作りの職人を山人と呼んでおり、《東京夢華録》巻 5 〈京瓦技芸〉等にみえる張山人は都会の寄席芸人であるなど、総じて山人とは「技術之士」(《太平廣記》巻72「張山人」)であったといえる。同じ現象は唐代にも見られる。宋初の《文苑英華》巻231「隠逸二・山人」に収める唐代の山人の詩の多くには売薬についての記述が見える。そもそも山人という語の出典は、南斉の孔稚圭「北山移文」(《文選》巻43)の「山人去兮曉猿驚」にあり、本来山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。いわゆる「終南の捷径」によって官途を求めた李泌のような人物もまた山人であったし、李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。現に李白は「答友人贈烏紗帽」(《李白集校注》巻19)で「山人不照鏡、稚子道相宜」と自ら山人を称している

 
「山公」
李白と道教48襄陽歌 ⅰ

李白と道教(7)襄陽曲49から52

阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩

秋浦歌十七首 其七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集251350

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 烏紗帽00烏紗帽平巾幘(さく)帽00平巾幘(さく)帽

 
    

襄陽曲四首 李白
「あの儒教者の立派な人格者の晉の羊公でさえ、台石の亀の頭は、むざんに欠け落ちてしまって、苔だらけ。『涙を堕す碑』とよばれるのに、涙さえおとすことも出来ない。心も羊公のために、悲しむことさえ出来ない。
清々しい風、明月を眺め、その上、酒を飲むなら、これにまさることはない。」
どんなに笑われても、山公(山簡先生)のように生きたい。という李白であった。
 中国では、昔から、茶屋、居酒屋のようなにぎやかに人を集めた場所で、「三国志」、とか、「王昭君」、「西施」など節をつけ、唄いながら講談をした。襄陽は交通の要衝で、大きな歓楽街もあった。そこで詠われた詩の「襄陽楽」を題材にして李白が詠ったのだが、同じ内容の絶句四首がある。李白の考え方をよく表している。(再掲)

現代語訳と訳註

李白『襄陽曲四首其一』
(本文)

襄陽行樂處、歌舞白銅蹄。
江城回淥水、花月使人迷。


(下し文)
嚢陽 行楽の処、歌舞 白銅鞋
江城 淥水回(めぐ)り、花月 人をして迷わせる


(現代語訳)
嚢陽はたのしい行楽の場所だ。人びとは、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったりする。
江にのぞむこのまちは、うつくしい水にとりまかれ、なまめかしい花と月とが、人の心をまよわせる。

(訳注)
○裏陽曲 六朝の栄の隋王寵が作ったといわれる「嚢陽楽」という歌謡に、「朝に嚢陽城を発し、暮に大隄の宿に至る。大隄の諸女児、花顛郡の目を驚かす」とある。嚢陽曲は、すなわち賽陽楽であり、李白のこの第一首の結句は、隋王誕の歌の結句と似ている。なお、李白の、次にあげた「大隄の曲」、および 前の「嚢陽の歌」を参照されたい。○襄陽 いまの湖北省襄陽県。漢水にのぞむ町。李白はこの地から遠からぬ安陸に、三十歳前後の頃、定住していた。また、李白の敬愛する先輩の詩人、孟浩然は、裏陽の旧家の出身であり、一度は杜甫に連れられ玄宗にお目通りしたが仕えず、この地の隠者として終った。・白銅蹄 六朝時代に襄陽に流行した童謡の題。 ○淥水 清らかな水。 ○花月 花と月と。風流なあそびをさそうもの。(売春の誘い込みも含むと考えればわかりやすい)


李白 襄陽曲四首 其二
(本文)

山公醉酒時。 酩酊高陽下。
頭上白接籬。 倒著還騎馬。


(下し文)

山公 酒に酔う時、酩酊し 高陽の下
頭上の 白接籬、倒しまに着けて還(また)馬に騎(のる)

(現代語訳)
山簡先生はいつもお酒に酔っている、酩酊してかならず高陽池のほとりでおりていた。
あたまの上には、白い帽子。それを逆さにかぶりながら、それでも馬をのりまわした。

(訳註)
○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 ○白接離 接寵は帽子。



李白 襄陽曲四首 其三
(本文)

峴山臨漢江、水淥沙如雪。
上有墮淚碑、青苔久磨滅。

(下し文)
峴山 漢江に臨み、水は緑に 抄は雪の如し
上に堕涙の碑有り、青苔に 久しく磨滅す

(現代語訳)
峴山は漢江に臨んでそびえたつ、ながれる水は清く澄み、川辺の砂は雪の白さだ。
山上には「墮淚碑」が有り、 青苔におおわれたまま永いので磨滅したように彫刻が見えない。
(こんなに哀れに苔だらけになってしまっている。ここで泣けるのか)

(訳註)
○峴山 襄陽県の東南にある山で、漢水にのぞむ。唐代の名勝の地。○漢江 漢水とおなじ。長江の一番大きな支流。 ○堕涙碑 晋の羊祜は、荊州の都督(軍事長官)として襄陽のまちを治めて人望があった。かれは生前、峴に登って酒を飲み、詩を作つたが、かれが死ぬと、襄陽の人びとはその人となりを偲んで、山上に石碑を立てた。その碑をみる人は、かれを思い出して涙を堕さないではいられなかったので、堕涙碑と名づけられた。名づけ親は、羊祜の後任で荊州の都督となった杜預、(杜甫の遠い先祖にあたる)である。



李白 襄陽曲四首 其四
(本文)

且醉習家池。 莫看墮淚碑。
山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。

(下し文)

且らく酔わん 習家の池、堕涙の碑を看る莫れ。
山公 馬に上らんと欲すれは、笑殺す 嚢陽の児。

 (現代語訳)
ともかく、習家池で酔いつぶれよう、墮淚碑になんか見てもしかたがない。
山公先生が馬に乗ろうとして、襄陽の子供たちが笑い転げてくれ。(その方がどんなにいいか)

(訳注)
○習家池 山簡がいつも酔っぱらった高陽池のこと。漢の習郁という人が、養魚のためにこの池をつくり、池のまわりの高い堤に竹などを植え、ハスやヒシで水面をおおい、以来、遊宴の名所となったと「世説」の注に見える。○笑殺 穀は調子を強める字。


 死んで世に名を残したって、苔むすだけだろう。それなら、一生どれだけ飲めるのかといっても、たかが知れている。人に笑われたって今を楽しむほうがいい。ここで、酒好きな李白の「酒」を論じるのではない。(酒については別のところで述べる予定。)


 子供についての考え方、に続いて、わらべ歌について、李白の考えを詠ったものだが、端的に言うと、峴山の羊祜、「堕涙碑」は儒教の精神を示している。それに対して、山簡を山公と山翁呼んでいるが、李白は自分のことをしばしばそう詠っている。竹林の七賢山濤の子の山簡、つまり、山簡先生と同じように自分もたとえ子供に笑われたって、酒を飲むほうがいいといっている。酒を飲むというのは現実社会、今生きていることを示すのである。(李白は山東で竹渓の六逸と称し遊ぶ)


 李白は、自分の道徳観を故事になぞらえて正当化する手法をとっている。しかも、わかりやすいわらべ歌を題材にしているのである。

 襄陽は、道教の宗派最大の聖地、武当山のおひざ元、門前町なのだ。ここでも道教の接点があるのだ。
(長安で寓居していた終南山も道教の本家地がある。元丹邱の関連でよく出てくる地名である。)
 しかし、のちに、この道教のつながりで、中央官僚、しかも皇帝が李白のために新しいポストを作って迎えられるのだから、「大作戦」成功を見るのである。

贈從弟南平太守之遙二首 其二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -292

贈從弟南平太守之遙二首 其二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -292

其二
東平與南平。 今古兩步兵。
東平と南平の二人、今も昔も軍隊の基本は歩兵戦略にあるものだ。
素心愛美酒。 不是顧專城。
純真な心でおいしいお酒を愛することが一番だ。このことはもっぱら城郭の中にいて戦のことは考えることはないということだ。
謫官桃源去。 尋花几處行。
謫仙人といわれたこの私は桃源の里を去ろうと思う。花を訪ねて歩くのでゆく当てのない旅をすることになろう。
秦人如舊識。 出戶笑相迎。

素直で純真な心を持った君たちは、私の過去の歴史を知ってくれたことは唐王朝のことを理解したものと思う。ここの扉から出ていったら今度会う時は互いに笑って迎え合おうではないか。

從弟の南平の太守之遙に贈る二首 其の二
東平と南平。 今は古(いにしえ) 兩の步兵。
素心 美酒を愛し。 是 專城を顧ず。
謫官 桃源を去り。花を尋ねて 几そ處行す。
秦人 舊きを識るが如し。 出戶 笑って相い迎う。


其二 現代語訳と訳註
(本文)

東平與南平。 今古兩步兵。
素心愛美酒。 不是顧專城。
謫官桃源去。 尋花几處行。
秦人如舊識。 出戶笑相迎。

(下し文)  其の二
東平と南平。 今も古(いにしえ) 兩の步兵。
素心 美酒を愛し。 是 專城を顧ず。
謫官 桃源を去り。花を尋ねて 几そ處行す。
秦人 舊きを識るが如し。 出戶 笑って相い迎う。

(現代語訳)
東平と南平の二人、今も昔も軍隊の基本は歩兵戦略にあるものだ。
純真な心でおいしいお酒を愛することが一番だ。このことはもっぱら城郭の中にいて戦のことは考えることはないということだ。
謫仙人といわれたこの私は桃源の里を去ろうと思う。花を訪ねて歩くのでゆく当てのない旅をすることになろう。
素直で純真な心を持った君たちは、私の過去の歴史を知ってくれたことは唐王朝のことを理解したものと思う。ここの扉から出ていったら今度会う時は互いに笑って迎え合おうではないか。


(訳注)
東平與南平。 今古兩步兵。
東平と南平。 今も古(いにしえ)も 兩の步兵。

東平と南平の二人、今も昔も軍隊の基本は歩兵戦略にあるものだ。
○今と昔、両方とも、東平と南平の両人、歩兵の戦略が戦の基本である。


素心愛美酒。 不是顧專城。
素心 美酒を愛し。 是 專城を顧ず。
純真な心でおいしいお酒を愛することが一番だ。このことはもっぱら城郭の中にいて戦のことは考えることはないということだ。
素心 純真な心。なのも染まっていない、損得でない心。○愛美酒 美人を伴って飲むお酒であるから、酒を愛し、美人を愛すという意味。○專城 叛乱軍という先の見えない勢力に対して加担をするなという意味。


謫官桃源去。 尋花几處行。
謫官 桃源を去り。花を尋ねて 几そ處行す。
謫仙人といわれたこの私は桃源の里を去ろうと思う。花を訪ねて歩くのでゆく当てのない旅をすることになろう。
謫官 元役人であったということ。役人を辞めた謫仙人。○桃源 隠遁生活の象徴。○尋花 美人を訪ね歩くということ。決まった幕下には入らないということ、謝安の「両手に妓女を携えて」の精神をいうものである。


秦人如舊識。 出戶笑相迎。
秦人 舊きを識るが如し。 出戶 笑って相い迎う。
素直で純真な心を持った君たちは、私の過去の歴史を知ってくれたことは唐王朝のことを理解したものと思う。ここの扉から出ていったら今度会う時は互いに笑って迎え合おうではないか。
miyajima 697


其一 #1
少年不得意。 落魄無安居。
愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
漢家天子馳駟馬。赤車蜀道迎相如。
天門九重謁聖人。龍顏一解四海春。
#2
彤庭左右呼萬歲。拜賀明主收沉淪。
翰林秉筆回英眄。麟閣崢嶸誰可見。
承恩初入銀台門。著書獨在金鑾殿。
龍駒雕鐙白玉鞍。象床綺席黃金盤。
當時笑我微賤者。卻來請謁為交歡。
#3
一朝謝病游江海。 疇昔相知几人在。
前門長揖後門關。 今日結交明日改。
愛君山岳心不移。 隨君云霧迷所為。
夢得池塘生春草。 使我長價登樓詩。
別後遙傳臨海作。 可見羊何共和之。

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贈從弟南平太守之遙二首 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -291

贈從弟南平太守之遙二首 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -291

「天宝の初め、玄宗皇帝は詔を下して李白を召して、金馬門に入らしめ、ここで畏くも輦(こし)を下りて徒歩で迎へられること、かの商山の四皓を漢の高祖が 迎へた如くし、七宝の牀を以て食を賜い、御手ずから羹(あつもの)をととのえて食べさされ、宣うには『卿(おんみ)は布衣(フイ:平民)なるに、その名が朕に知れたというのは、もとより道義を蓄(たくわ)へたのでなけれ ば、どうしてここに及ぼう』と。

金鑾殿に置き、翰林官の中に入れしめ、問うに国政を以てしたまい、ひそか に詔を草せしめたまうた。」

 金鑾殿(きんらんでん)は漢代の名称で、唐代の右銀台門であらう。金鑾殿はこの門を入ったところにある御殿である。玄宗 が賢士を優遇したことは「開元天宝遺事」にも多く見えているから、李白に対して、かくの如き待遇があったといふのも、あながち誇張と見るべきではなかろうが、李白が朝廷時代のことを詩にしたのは、それで、喰うことができたからであろう。長期間無収入ではどうしようもない。詩文を金にし、酒にするには、詩中にきらめくもの雲の上の生活をにじませることにあった。詩そのものが素晴らしいうえに、天子のところで活躍された人だということで、敬われたのであろう。

 安禄山に酔う叛乱、洛陽、長安があっさり陥落し、玄宗は蜀に走ったのである。これは、李白の胸に電撃が走ったものだった。朝廷で何度も顔を合わせており、叛乱軍が王朝軍を徹底的な掃討をかけていたなら、李白も捕獲されればただでは済まないはずである。だから江南から出ようとしなかったのであろう。
miyajima 681

贈從弟南平太守之遙二首
( 太白自注:南平時因飲酒過度。貶武陵。)

其一 #1
少年不得意。 落魄無安居。
愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
漢家天子馳駟馬。赤車蜀道迎相如。
天門九重謁聖人。龍顏一解四海春。
#2
彤庭左右呼萬歲。拜賀明主收沉淪。
翰林秉筆回英眄。麟閣崢嶸誰可見。
承恩初入銀台門。著書獨在金鑾殿。
龍駒雕鐙白玉鞍。象床綺席黃金盤。
當時笑我微賤者。卻來請謁為交歡。
#3
一朝謝病游江海。 疇昔相知几人在。
ある朝、病気を理由に職を辞して長江江南地方に游旅に出た。その頃互いに知り合った幾人かの知人がいる。
前門長揖後門關。 今日結交明日改。
朝廷に入る、翰林院に仕えるときには恭しくしたものだが官を辞してからは朝廷の門に至ることはない、今日になってその頃知り合ったものと友好を結んで明日にはこれを改めてしまうことになるのだ
愛君山岳心不移。 隨君云霧迷所為。
君は隠遁生活の山岳を愛しているが心だけでは映らない。君についていこうと思うけど雲霧の中に、あるいはその流れにどうしていいのかわからない現状なのではないか。
夢得池塘生春草。 使我長價登樓詩。
夢得るには池や堤に春の草が生えているようにあるのだ。この私をさせようとしている人生の中で最も価値があることというのは高楼登ってあたりを眺め、詩を詠うことにあるのだ
別後遙傳臨海作。 可見羊何共和之

君と別れて後は、遙か先から伝ってくる滄海に臨んだ詩を作るのである。しかし異民族の叛乱軍の輩とはこうした詩を唱和することはできないのだから。


從弟の南平の太守之遙に贈る二首#1
少年 意を得ず、魄 落く 安ぞ居む無し。
愿みて 任公子に隨う。吞みて舟に魚を釣んうと欲す。
常時 飲酒 風景 逐。壯心 與に遂う 功名疏(うと)んず。
蘭 谷底に生え 人鋤えず。云 高山に在る 空しく舒を卷く。
漢家の天子  駟馬(しば)を馳せ、赤軍もて蜀道に相如 (しょうじょ)を迎ふ。
天門 九重(きゅうちょう) 聖人に謁し、龍顔 一たび解くれば四海 春なり。
#2
彤庭(とうてい)に左右 万歳を呼ばひ、拝賀す 明主の沈淪(ち んりん)を收むるを。
翰林 筆を秉(と)って 英眄(えいべん)を回(めぐ)らし、麟閣 崢嶸(そうこう) たり誰か見るべき。
恩を承(う)けて初めて 入る銀台門、0書を著してひとり金鑾殿にあり。
寵鉤(ちょうこう) 雕鐙(ちょうとう)  白玉の鞍 賜った名馬には玉を刻んだあぶみや白玉の鞍をおかせ、象牀(ぞうしょう) 綺 席 黄金の盤
当時わが微賤なるを笑ひし者、かへって来って謁を請うて交歓をなす。
#3
一朝病を謝(つ)げて江海に遊べば、疇昔(ちゅうしゃく)の相知 幾人か在る。
前門には長揖(ちょうゆう)して後門は関 (とざ)す、 今日 交りを結んで明日は改まる。
君を愛するは山岳 心 移さず。君に隨うは云霧 為す所を迷う。
夢 池塘を得 春草生える。我 長價に使う 登樓の詩。
別後 遙に傳う 臨海と作す。 可見 羊 何ぞ 共に之を和す

鳥居(3)

#3 現代語訳と訳註
(本文) #3

一朝謝病游江海。 疇昔相知几人在。
前門長揖後門關。 今日結交明日改。
愛君山岳心不移。 隨君云霧迷所為。
夢得池塘生春草。 使我長價登樓詩。
別後遙傳臨海作。 可見羊何共和之。


(下し文) #3
一朝病を謝(つ)げて江海に遊べば、疇昔(ちゅうしゃく)の相知 幾人か在る。
前門には長揖(ちょうゆう)して後門は関 (とざ)す、 今日 交りを結んで明日は改まる。
君を愛するは山岳 心 移さず。君に隨うは云霧 為す所を迷う。
夢 池塘を得 春草生える。我 長價に使う 登樓の詩。
別後 遙に傳う 臨海と作す。 可見 羊 何ぞ 共に之を和す。


(現代語訳)
ある朝、病気を理由に職を辞して長江江南地方に游旅に出た。その頃互いに知り合った幾人かの知人がいる。
朝廷に入る、翰林院に仕えるときには恭しくしたものだが官を辞してからは朝廷の門に至ることはない、今日になってその頃知り合ったものと友好を結んで明日にはこれを改めてしまうことになるのだ
君は隠遁生活の山岳を愛しているが心だけでは映らない。君についていこうと思うけど雲霧の中に、あるいはその流れにどうしていいのかわからない現状なのではないか。
夢得るには池や堤に春の草が生えているようにあるのだ。この私をさせようとしている人生の中で最も価値があることというのは高楼登ってあたりを眺め、詩を詠うことにあるのだ。
君と別れて後は、遙か先から伝ってくる滄海に臨んだ詩を作るのである。しかし異民族の叛乱軍の輩とはこうした詩を唱和することはできないのだから。


(訳注)
一朝謝病遊江海 疇昔相知幾人在

一朝病を謝(つ)げて江海に遊べば、疇昔の相知 幾人か在る。
ある朝、病気を理由に職を辞して長江江南地方に游旅に出た。その頃互いに知り合った幾人かの知人がいる。
○疇昔 むかし。また、きのう。


前門長揖後門關 今日結交明日改
前門には長揖(ちょうゆう)して後門は関 (とざ)す、 今日 交りを結んで明日は改まる。
朝廷に入る、翰林院に仕えるときには恭しくしたものだが官を辞してからは朝廷の門に至ることはない、今日になってその頃知り合ったものと友好を結んで明日にはこれを改めてしまうことになるのだ
前門・後門 入門することと、退門すること。

侍従遊宿温泉宮作 李白129  都長安(翰林院供奉)

侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌李白131

玉壺吟 雑言古詩李白130

長揖 中国の礼法。両手を組み合わせて前方やや上にあげ、そのまま下におろす略式の礼。


愛君山岳心不移。 隨君云霧迷所為。
君を愛するは山岳 心 移さず。君に隨うは云霧 為す所を迷う。
君は隠遁生活の山岳を愛しているが心だけでは映らない。君についていこうと思うけど雲霧の中に、あるいはその流れにどうしていいのかわからない現状なのではないか。
愛君山岳 李白は道教に関わり合いを持ち続けた。中國の名山には必ず寺観があり、素での隠遁はしないものの名山にある道教の寺観を活用していた。どっぷり道教に使っていたわけではないが、李白詩に多大な影響を与えているのは間違いないことである。


夢得池塘生春草。 使我長價登樓詩。
夢 池塘を得 春草生える。我 長價に使う 登樓の詩。
夢得るには池や堤に春の草が生えているようにあるのだ。この私をさせようとしている人生の中で最も価値があることというのは高楼登ってあたりを眺め、詩を詠うことにあるのだ。


別後遙傳臨海作。 可見羊何共和之。
別後 遙に傳う 臨海と作す。 可見 羊 何ぞ 共に之を和す。
君と別れて後は、遙か先から伝ってくる滄海に臨んだ詩を作るのである。しかし異民族の叛乱軍の輩とはこうした詩を唱和することはできないのだから。

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贈從弟南平太守之遙二首 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -290

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贈從弟南平太守之遙二首
( 太白自注:南平時因飲酒過度。貶武陵。)

其一 #1
少年不得意。 落魄無安居。
愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
漢家天子馳駟馬。赤車蜀道迎相如。
天門九重謁聖人。龍顏一解四海春。
#2
彤庭左右呼萬歲。拜賀明主收沉淪。
朱漆で飾った天子の庭に左右に別れ整列し、天子の夜を「万年続く」と唱呼したものだ。そこでお目にかかっていたものが今や叛乱軍の手に落ち、落ちぶれたものとなっている。
翰林秉筆回英眄。麟閣崢嶸誰可見。
王朝の翰林院で筆を執って、詔を起草した者たちはかしこそうな目つきでながめまわしたものだ。あの麒麟閣に飾られた賢臣たちを今このように世の中が嶮しい時にあたって誰が見ることができるというのか。
承恩初入銀台門。著書獨在金鑾殿。
天子に翰林の役を仰せつかって初めて銀台門を通過でき翰林院に入れる。書をしたためるとそれを天子のいる金鑾殿に一人で持参できるのだ。
龍駒雕鐙白玉鞍。象床綺席黃金盤。
天子から賜った名馬には天子の好みの足踏み金具、細工彫の馬具、白く輝く宝飾の鞍をつけた。象牙のこしかけ、絹の敷物、黄金の皿で食事したのだ。
當時笑我微賤者。卻來請謁為交歡。

わたしが王朝に仕えていた当時、私の地位がわずかに低いからと笑いかけてきたものがいた、ところがそれが却って今たたえ合って交歓しているのである。

#3
一朝謝病游江海。 疇昔相知几人在。
前門長揖後門關。 今日結交明日改。
愛君山岳心不移。 隨君云霧迷所為。
夢得池塘生春草。 使我長價登樓詩。
別後遙傳臨海作。 可見羊何共和之。
#1
從弟の南平の太守之遙に贈る二首 其の一
少年 意を得ず、魄 落く 安ぞ居む無し。
愿みて 任公子に隨う。吞みて舟に魚を釣んうと欲す。
常時 飲酒 風景 逐。壯心 與に遂う 功名疏(うと)んず。
蘭 谷底に生え 人鋤えず。云 高山に在る 空しく舒を卷く。
漢家の天子  駟馬(しば)を馳せ、赤軍もて蜀道に相如 (しょうじょ)を迎ふ。
天門 九重(きゅうちょう) 聖人に謁し、龍顔 一たび解くれば四海 春なり。
#2
彤庭(とうてい)に左右 万歳を呼ばひ、拝賀す 明主の沈淪(ち んりん)を收むるを。
翰林 筆を秉(と)って 英眄(えいべん)を回(めぐ)らし、麟閣 崢嶸(そうこう) たり誰か見るべき。
恩を承(う)けて初めて 入る銀台門、0書を著してひとり金鑾殿にあり。
寵鉤(ちょうこう) 雕鐙(ちょうとう)  白玉の鞍 賜った名馬には玉を刻んだあぶみや白玉の鞍をおかせ、象牀(ぞうしょう) 綺 席 黄金の盤
当時わが微賤なるを笑ひし者、かへって来って謁を請うて交歓をなす。

#3
一朝病を謝(つ)げて江海に遊べば、疇昔(ちゅうしゃく)の相知 幾人か在る。
前門には長揖(ちょうゆう)して後門は関 (とざ)す、 今日 交りを結んで明日は改まる。
君を愛するは山岳 心 移さず。君に隨うは云霧 為す所を迷う。
夢 池塘を得 春草生える。我 長價に使う 登樓の詩。
別後 遙に傳う 臨海と作す。 可見 羊 何ぞ 共に之を和す。



#2 現代語訳と訳註
(本文) #2

彤庭左右呼萬歲。拜賀明主收沉淪。
翰林秉筆回英眄。麟閣崢嶸誰可見。
承恩初入銀台門。著書獨在金鑾殿。
龍駒雕鐙白玉鞍。象床綺席黃金盤。
當時笑我微賤者。卻來請謁為交歡。


(下し文)
彤庭(とうてい)に左右 万歳を呼ばひ、拝賀す 明主の沈淪(ち んりん)を收むるを。
翰林 筆を秉(と)って 英眄(えいべん)を回(めぐ)らし、麟閣 崢嶸(そうこう) たり誰か見るべき。
恩を承(う)けて初めて 入る銀台門、0書を著してひとり金鑾殿にあり。
寵鉤(ちょうこう) 雕鐙(ちょうとう)  白玉の鞍 賜った名馬には玉を刻んだあぶみや白玉の鞍をおかせ、象牀(ぞうしょう) 綺 席 黄金の盤
当時わが微賤なるを笑ひし者、かへって来って謁を請うて交歓をなす。


(現代語訳)
朱漆で飾った天子の庭に左右に別れ整列し、天子の夜を「万年続く」と唱呼したものだ。そこでお目にかかっていたものが今や叛乱軍の手に落ち、落ちぶれたものとなっている。
王朝の翰林院で筆を執って、詔を起草した者たちはかしこそうな目つきでながめまわしたものだ。あの麒麟閣に飾られた賢臣たちを今このように世の中が嶮しい時にあたって誰が見ることができるというのか。
天子から賜った名馬には天子の好みの足踏み金具、細工彫の馬具、白く輝く宝飾の鞍をつけた。象牙のこしかけ、絹の敷物、黄金の皿で食事したのだ。
わたしが王朝に仕えていた当時、私の地位がわずかに低いからと笑いかけてきたものがいた、ところがそれが却って今たたえ合って交歓しているのである。


(訳注)
彤庭左右呼萬歳、拜賀明主收沈淪。
彤庭(とうてい)に左右 万歳を呼ばひ、拝賀す 明主の沈淪(ち んりん)を收むるを。
朱漆で飾った天子の庭に左右に別れ整列し、天子の夜を「万年続く」と唱呼したものだ。そこでお目にかかっていたものが今や叛乱軍の手に落ち、落ちぶれたものとなっている。
彤庭 (とうてい)朱漆で飾った天子の庭。天子の宮殿の正殿の正面階段から続く庭は朱漆で赤く塗られている。かいだんは「丹陛」という。李商隠『有感二首其 二』「丹陛猶敷奏、彤庭歘戦争。」とある。○萬歳 万年。○明主 あなた様。天子様。○沈淪 (ちんりん)しずみおちぶれた賢人。


翰林秉筆囘英眄 麟閣崢嶸誰可見
翰林 筆を秉(と)って 英眄(えいべん)を回(めぐ)らし、麟閣 崢嶸(そうこう) たり誰か見るべき。
王朝の翰林院で筆を執って、詔を起草した者たちはかしこそうな目つきでながめまわしたものだ。あの麒麟閣に飾られた賢臣たちを今このように世の中が嶮しい時にあたって誰が見ることができるというのか。
翰林 李白がいた翰林院のこと。唐の玄宗が738年(開元26年)に設けた翰林学士院がその起源で、唐中期以降、主に詔書の起草に当たった役所のことをいう。○英眄 (えいべん) かしこそうな目つきでながめまわすこと。○麟閣 麒麟閣。漢代、長安の宮中にあった高殿。武帝が麒麟を献上されたとき築いたといわれる。宣帝のとき、11人の功臣の肖像などが飾られた。○崢嶸   山や谷のけわしさ。  人生のけわしさ。


承恩初入銀臺門 著書獨在金鑾殿
恩を承(う)けて初めて 入る銀台門、書を著してひとり金鑾殿にあり。
天子に翰林の役を仰せつかって初めて銀台門を通過でき翰林院に入れる。書をしたためるとそれを天子のいる金鑾殿に一人で持参できるのだ。


龍鉤雕鐙白玉鞍 象牀綺席黄金盤
寵鉤(ちょうこう)雕鐙(ちょうとう) 白玉の鞍、象牀(ぞうしょう) 綺 席 黄金の盤
天子から賜った名馬には天子の好みの足踏み金具、細工彫の馬具、白く輝く宝飾の鞍をつけた。象牙のこしかけ、絹の敷物、黄金の皿で食事したのだ。
寵鉤(ちょうこう) 天子の好みの足踏み金具。○雕鐙(ちょうとう) 細工彫の馬具。○白玉鞍 白く輝く宝飾の鞍。○象牀 (ぞうしょう) 象牙のこしかけ ○綺 席 絹の敷物。○黄金盤 黄金の皿で食事する。


當時笑我微賤者 却來請謁爲交歡
当時わが微賤なるを笑ひし者、かへって来って謁を請うて交歓をなす。
わたしが王朝に仕えていた当時、私の地位がわずかに低いからと笑いかけてきたものがいた、ところがそれが却って今たたえ合って交歓しているのである。

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贈從弟南平太守之遙二首 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -289

贈從弟南平太守之遙二首 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -289


贈從弟南平太守之遙二首
( 太白自注:南平時因飲酒過度。貶武陵。)

其一 #1
少年不得意。 落魄無安居。
成年は意識を得ない、落ちぶれた魂は安らかに落ち着くとこもない。
愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
したがって私は、謹んで、会稽山の釣り人任公子に従っていく、酒を飲んで船に乗って魚を釣り上げようと思う。
常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
いつもながら、酒を飲んで風流に景色を追うのである、意気盛んな心はともに追い求めこの名をはせて流されるのである。
蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
蘭の花が谷の底の方に生えていると人は鋤とることはできない、雲が高い山にかかって、むなしく巻いたりのばしたりして広がっているのだ。
漢家天子馳駟馬。赤車蜀道迎相如。
唐王朝の天子は4頭立ての馬車で夜明けに出発した、南方を守る軍隊は蜀へ通じる道に司馬相如の様な賢臣がお迎えをしている。
天門九重謁聖人。龍顏一解四海春。

天へと続く門は九つの門で守られ聖天子に拝謁できるのである、本来の天子のお顔をひとたび拝見したならその放たれる佳気で世界は春を迎えた気分になるものである。
#2
彤庭左右呼萬歲。拜賀明主收沉淪。
翰林秉筆回英眄。麟閣崢嶸誰可見。
承恩初入銀台門。著書獨在金鑾殿。
龍駒雕鐙白玉鞍。象床綺席黃金盤。
當時笑我微賤者。卻來請謁為交歡。
#3
一朝謝病游江海。 疇昔相知几人在。
前門長揖後門關。 今日結交明日改。
愛君山岳心不移。 隨君云霧迷所為。
夢得池塘生春草。 使我長價登樓詩。
別後遙傳臨海作。 可見羊何共和之。
#1
從弟の南平の太守之遙に贈る二首 其の一
少年 意を得ず、魄 落く 安ぞ居む無し。
愿みて 任公子に隨う。吞みて舟に魚を釣んうと欲す。
常時 飲酒 風景 逐。壯心 與に遂う 功名疏(うと)んず。
蘭 谷底に生え 人鋤えず。云 高山に在る 空しく舒を卷く。
漢家の天子  駟馬(しば)を馳せ、赤軍もて蜀道に相如 (しょうじょ)を迎ふ。
天門 九重(きゅうちょう) 聖人に謁し、龍顔 一たび解くれば四海 春なり。

#2
彤庭(とうてい)に左右 万歳を呼ばひ、拝賀す 明主の沈淪(ち んりん)を收むるを。
翰林 筆を秉(と)って 英眄(えいべん)を回(めぐ)らし、麟閣 崢嶸(そうこう) たり誰か見るべき。
恩を承(う)けて初めて 入る銀台門、0書を著してひとり金鑾殿にあり。
寵鉤(ちょうこう) 雕鐙(ちょうとう)  白玉の鞍 賜った名馬には玉を刻んだあぶみや白玉の鞍をおかせ、象牀(ぞうしょう) 綺 席 黄金の盤
当時わが微賤なるを笑ひし者、かへって来って謁を請うて交歓をなす。
#3
一朝病を謝(つ)げて江海に遊べば、疇昔(ちゅうしゃく)の相知 幾人か在る。
前門には長揖(ちょうゆう)して後門は関 (とざ)す、 今日 交りを結んで明日は改まる。
君を愛するは山岳 心 移さず。君に隨うは云霧 為す所を迷う。
夢 池塘を得 春草生える。我 長價に使う 登樓の詩。
別後 遙に傳う 臨海と作す。 可見 羊 何ぞ 共に之を和す。

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#4

其二
東平與南平。 今古兩步兵。
素心愛美酒。 不是顧專城。
謫官桃源去。 尋花几處行。
秦人如舊識。 出戶笑相迎。

東平と南平。 今は古(いにしえ) 兩の步兵。
素心 美酒を愛し。 是 專城を顧ず。
謫官 桃源を去り。花を尋ねて 几そ處行す。
秦人 舊きを識るが如し。 出戶 笑って相い迎う。


贈從弟南平太守之遙二首 其一 現代語訳と訳註
(本文)#1
少年不得意。 落魄無安居。
愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
漢家天子馳駟馬。赤車蜀道迎相如。
天門九重謁聖人。龍顏一解四海春。


(下し文)
少年 意を得ず、魄 落く 安ぞ居む無し。
愿みて 任公子に隨う。吞みて舟に魚を釣んうと欲す。
常時 飲酒 風景 逐。壯心 與に遂う 功名疏(うと)んず。
蘭 谷底に生え 人鋤えず。云 高山に在る 空しく舒を卷く。
漢家の天子  駟馬(しば)を馳せ、赤軍もて蜀道に相如 (しょうじょ)を迎ふ。
天門 九重(きゅうちょう) 聖人に謁し、龍顔 一たび解くれば四海 春なり。

(現代語訳)
成年は意識を得ない、落ちぶれた魂は安らかに落ち着くとこもない。
したがって私は、謹んで、会稽山の釣り人任公子に従っていく、酒を飲んで船に乗って魚を釣り上げようと思う。
いつもながら、酒を飲んで風流に景色を追うのである、意気盛んな心はともに追い求めこの名をはせて流されるのである。
蘭の花が谷の底の方に生えていると人は鋤とることはできない、雲が高い山にかかって、むなしく巻いたりのばしたりして広がっているのだ。
唐王朝の天子は4頭立ての馬車で夜明けに出発した、南方を守る軍隊は蜀へ通じる道に司馬相如の様な賢臣がお迎えをしている。
天へと続く門は九つの門で守られ聖天子に拝謁できるのである、本来の天子のお顔をひとたび拝見したならその放たれる佳気で世界は春を迎えた気分になるものである。


(訳注) 其一 #1
少年不得意、落魄無安居。

少年 意を得ず、魄 落く 安ぞ居む無し。
成年は意識を得ない、落ちぶれた魂は安らかに落ち着くとこもない。
 1 人の肉体に宿り、活力を生み出すもの。たましい。「気魄・魂魄」 2 月のかげの部分。「生魄」 3 落ちぶれる。「落魄」 .


愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
愿(つつし)みて 任公子に隨う。吞みて舟に魚を釣んうと欲す。
したがって私は、謹んで、会稽山の釣り人任公子に従っていく、酒を飲んで船に乗って魚を釣り上げようと思う。
 つつしむ。誠実である。○任公子 子明は会稽山の山頂から沖に届くくらいの竿を作り、餌も去勢牛五十頭ほど用意し、一年かけて釣り上げた。それを村人に食べ物を配った。『荘子』任公子にある。


常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
常時 飲酒 風景 逐。壯心 與に遂う 功名疏(うと)んず。
いつもながら、酒を飲んで風流に景色を追うのである、意気盛んな心はともに追い求めこの名をはせて流されるのである。
壯心 雄々しき心。意気盛んな心。


蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
蘭 谷底に生え 人鋤えず。云 高山に在る 空しく舒を卷く。
蘭の花が谷の底の方に生えていると人は鋤とることはできない、雲が高い山にかかって、むなしく巻いたりのばしたりして広がっているのだ。
○卷舒 巻いたりのばしたりすること。広げることとしまうこと。


漢家天子馳駟馬、赤軍蜀道迎相如。
(漢家の天子  駟馬(しば)を馳せ、赤軍もて蜀道に相如 (しょうじょ)を迎ふ。)
唐王朝の天子は4頭立ての馬車で夜明けに出発した、南方を守る軍隊は蜀へ通じる道に司馬相如の様な賢臣がお迎えをしている。
○天子 玄宗のことをたとえる。○駟馬 四頭立ての馬車。○赤軍 南方へ向かう軍隊。○相如 蜀出身の詩人司馬相如。李白のこと。


天門九重謁聖人、龍顏一解四海春。
天門 九重(キュウチョウ) 聖人に謁し、龍顔 一たび解くれば四海 春なり。
天へと続く門は九つの門で守られ聖天子に拝謁できるのである、本来の天子のお顔をひとたび拝見したならその放たれる佳気で世界は春を迎えた気分になるものである。
龍顏 龍の顔というのは想像上の動物であるが、同時に仙界と王朝を示すものであり、皇帝の顔を示す。○九重 天子の門は九。○聖人 聖天子 

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江上吟  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -288

江上吟  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -288



江上吟
長江の船の上での歌。 
木蘭之枻沙棠舟,玉簫金管坐兩頭。
長江に浮べる船は、木蘭のすばらしい櫂は欠かせず、沙棠の美事な舟というものだ。きれいに飾った立派な簫の笛に立派な笛の奏者を前後の舳先(へさき)に坐らせるのだ。 
美酒尊中置千斛,載妓隨波任去留。
船上での宴はまずは美酒、大きめの盃を用意し、酒龜には千斛のたくさんの美酒を用意する。そして妓女を舟に乗せて、波のままに流れにまかせ、去ることも、とどまることも、自然の流れに任せるものなのだ。
仙人有待乘黄鶴,海客無心隨白鴎。
風流を興じる仙人というものは黄鶴に乗るまでの間でも興を有するもので、その後、空を飛んでいく。この船に乗っている漁師は無心であるものだ、だから白い鴎を従わせられるのだ。 
屈平詞賦懸日月,楚王臺榭空山丘。
愛国の人、屈原の詩は、太陽や月を天に輝いて仰いでいるのだ。屈原の君王であった楚王の楼閣を覧古される山や丘に空しく残っているというだけだ。
興酣落筆搖五嶽,詩成笑傲凌滄洲。
風流な興がたけなわになるにつれて、詩を作り出されてくる、その勢いは、国の霊山として崇拝される五嶽をも揺るがすものである。その詩が出来上がって傲然と笑うにしたがえば、その境地は仙境の滄洲の仙人をも凌ぐものなのだ。
功名富貴若長在,漢水亦應西北流。

風流を興じるものにとって、名誉や財産、地位というものが、もし永遠に存在するというのならば、漢水の流れが逆流して、西北方向に流れるということをいうことになるのだ。
             

江上吟
木蘭(もくらん)の枻(かい) 沙棠(さとう)の舟,
玉簫(ぎょくしょう) 金管(きんかん)  兩頭(りょうとう)に 坐(ざ)す。
美酒 尊中(そんちゅう)千斛(せんこく)を置き,妓を載せて波に 隨ひて去留(きょりゅう)に 任(まか)す。
仙人 待つ有りて 黄鶴(こうかく)に 乘り,海客(かいきゃく)心 無くして 白鴎(はくおう) 隨(したが)ふ。
屈平(くっぺい)の詞賦(しふ)は 日月(じつげつ)を 懸(か)くるも,楚王(そおう)の臺榭(だいしゃ)は 山丘(さんきゅう)に 空し。
興(きょう)酣(たけなは)にして 筆(ふで)を 落とせば  五嶽を 搖(うご)かし,詩 成りて 笑傲(しょうごう)すれば  滄洲(そうしゅう)を 凌(しの)ぐ。
功名(こうみょう)富貴(ふうき) 若(も)し 長(とこしな)へに在(あ)らば,漢水(かんすい)も亦(ま)た 應(まさ)に 西北に 流るべし。

55moon


江上吟 現代語訳と訳註
(本文)

木蘭之枻沙棠舟,玉簫金管坐兩頭。
美酒尊中置千斛,載妓隨波任去留。
仙人有待乘黄鶴,海客無心隨白鴎。
屈平詞賦懸日月,楚王臺榭空山丘。
興酣落筆搖五嶽,詩成笑傲凌滄洲。
功名富貴若長在,漢水亦應西北流。


(下し文)
木蘭(もくらん)の枻(かい) 沙棠(さとう)の舟,
玉簫(ぎょくしょう) 金管(きんかん)  兩頭(りょうとう)に 坐(ざ)す。
美酒 尊中(そんちゅう)千斛(せんこく)を置き,妓を載せて波に 隨ひて去留(きょりゅう)に 任(まか)す。
仙人 待つ有りて 黄鶴(こうかく)に 乘り,海客(かいきゃく)心 無くして 白鴎(はくおう) 隨(したが)ふ。
屈平(くっぺい)の詞賦(しふ)は 日月(じつげつ)を 懸(か)くるも,楚王(そおう)の臺榭(だいしゃ)は 山丘(さんきゅう)に 空し。
興(きょう)酣(たけなは)にして 筆(ふで)を 落とせば  五嶽を 搖(うご)かし,詩 成りて 笑傲(しょうごう)すれば  滄洲(そうしゅう)を 凌(しの)ぐ。
功名(こうみょう)富貴(ふうき) 若(も)し 長(とこしな)へに在(あ)らば,漢水(かんすい)も亦(ま)た 應(まさ)に 西北に 流るべし。

(現代語訳)
長江の船の上での歌。              
長江に浮べる船は、木蘭のすばらしい櫂は欠かせず、沙棠の美事な舟というものだ。きれいに飾った立派な簫の笛に立派な笛の奏者を前後の舳先(へさき)に坐らせるのだ。 
船上での宴はまずは美酒、大きめの盃を用意し、酒龜には千斛のたくさんの美酒を用意する。そして妓女を舟に乗せて、波のままに流れにまかせ、去ることも、とどまることも、自然の流れに任せるものなのだ。
風流を興じる仙人というものは黄鶴に乗るまでの間でも興を有するもので、その後、空を飛んでいく。この船に乗っている漁師は無心であるものだ、だから白い鴎を従わせられるのだ。 
愛国の人、屈原の詩は、太陽や月を天に輝いて仰いでいるのだ。屈原の君王であった楚王の楼閣を覧古される山や丘に空しく残っているというだけだ。
風流な興がたけなわになるにつれて、詩を作り出されてくる、その勢いは、国の霊山として崇拝される五嶽をも揺るがすものである。その詩が出来上がって傲然と笑うにしたがえば、その境地は仙境の滄洲の仙人をも凌ぐものなのだ。

風流を興じるものにとって、名誉や財産、地位というものが、もし永遠に存在するというのならば、漢水の流れが逆流して、西北方向に流れるということをいうことになるのだ。
宮島(1)

(訳注)
江上吟

長江の船の上での歌。
○漢水が長江に流入する武漢地域での作であるが、李白の「金陵の江上にて蓬池隠者に遇う」と内容的に同じ時期とした。


木蘭之枻沙棠舟,玉簫金管坐兩頭。
木蘭(もくらん)の枻(かい) 沙棠(さとう)の舟,玉簫(ぎょくしょう) 金管(きんかん)  兩頭(りょうとう)に 坐(ざ)す。
長江に浮べる船は、木蘭のすばらしい櫂は欠かせず、沙棠の美事な舟というものだ。きれいに飾った立派な簫の笛に立派な笛の奏者を前後の舳先(へさき)に坐らせるのだ。 
木蘭〔もくらん〕モクレン。アララギ。香木の舟。蘭は美称で、実際に木蘭(モクレン)でできた舟とは限らない。舟を表す一種の詞語。 中国の民間伝説の女主人公。老病の父に代わり男装して出征。十数年の奮戦の後,恩賞を得て女性の姿に戻って帰郷する。北中国の民間歌謡が伝承され,釈智匠の《古今楽録》に収める《木蘭詩(辞)》がある。○ …の。節奏のために使う。・ 〔えい〕舟のかい(櫂)のこと。「鼓」はここでは揺らすこと。かいを漕いで、舟を出した。屈原の漁父の辞に「漁父、莞爾として笑み、枻を鼓して去る」とある。 泛泛 ( はんはん ). ゆらゆらと浮かんでいる様子。○沙棠 〔さとう〕棠(やまなし)に似た木。こりんご。果樹の一種。材は、舟を造るのに用いる。 ○玉簫 立派なしょうのふえ。立派な管楽器。 ○金管 立派な管楽器。 ○ すわる。 ○兩頭 前後の舳先(へさき)。
 
美酒尊中置千斛,載妓隨波任去留。
美酒 尊中(そんちゅう)千斛(せんこく)を置き,妓を載せて波に 隨ひて去留(きょりゅう)に 任(まか)す。
船上での宴はまずは美酒、大きめの盃を用意し、酒龜には千斛のたくさんの美酒を用意する。そして妓女を舟に乗せて、波のままに流れにまかせ、去ることも、とどまることも、自然の流れに任せるものなのだ。
美酒 うまい酒。贅沢な酒。王維の王維 少年行「新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。」や、王翰の『涼州詞』その一首に「葡萄美酒夜光杯,欲飮琵琶馬上催。醉臥沙場君莫笑,古來征戰幾人回。」や。李白の李白56客中行 李白57夜下征虜亭 李白58春怨 李白59陌上贈美人に「蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。但使主人能醉客,不知何處是他鄕。」 とある。 ○尊中 酒器の中に。=樽中。 ○千斛 極めて多量を謂う。 ○ 〔こく〕桝(ます)。口が小さく底が広く四角になった升。容量の単位。一斛=一石(こく)=十斗=59.44リットル(唐代)。○載妓 妓女を(舟に)乗せる。 ○隨波 波のままに。流れのままに。 ○去留 去ると留まると。自然のなりゆき。


仙人有待乘黄鶴,海客無心隨白鴎。
仙人 待つ有りて 黄鶴(こうかく)に 乘り,海客(かいきゃく)心 無くして 白鴎(はくおう) 隨(したが)ふ。
風流を興じる仙人というものは黄鶴に乗るまでの間でも興を有するもので、その後、空を飛んでいく。この船に乗っている漁師は無心であるものだ、だから白い鴎を従わせられるのだ。 
仙人 不老不死の術を得た人。人界を離れて山中に住み、変幻自在の術を得た人。 ○有待 …を待っていて。は風流を興じる気持ちがあるということ。 ○黄鶴 仙人の乗る黄色い仙鶴。なお、黄鶴樓は湖北省武昌(現・武漢)の西南の蛇山北黄鵠(長江右岸)ににある楼の名。老人が酒代の代わりに店の壁に黄鶴を描き、やがてその黄鶴にまたがって白雲に乗って去っていった伝説上の仙人を指す。李白の黄鶴について次のような詩がある。
黄鶴楼送孟浩然之広陵  李白15
蜀道難 李白
古風五十九首 其十五 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白152
送儲邕之武昌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白174 と玄宗(7)
登金陵鳳凰臺 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 210
贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -232
秋浦歌十七首 其六  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集250/350海客 海辺の人。『列子』で謂う海上之人。「海辺の人で、カモメがすきな者がいて、毎朝海辺へ行って、カモメと遊んでいた。集まってくるカモメの数は百に止まらなかった。そこで、その者の父親が、『わたしは、カモメがお前に付き随って遊んでいるという噂を聞いているが、お前、そのカモメを取ってこい。わたしがあそんでやろう』と言った。そこで、息子は翌朝海辺へ行って(言われたとおりに捕まえようとしたが)カモメは降りては来なかった。」『列子・黄帝篇』「海上之人有好鴎鳥者,毎旦之海上,從鴎鳥游。鴎鳥之至者,百住而不止。其父曰:『吾聞鴎鳥皆從汝游,汝取來,吾玩之。』明日之海上,鴎鳥舞而不下也。」とある。 ○無心 心中に何もとらわれた心がないこと。ここでは、漁師の人がカモメを捕まえる気がないときは、カモメと戯れられたことを指す。次の句の屈原の話し相手が漁師である。この句が次の句を呼び込んでいくものである。○ したがう。○白鴎 白いカモメ。前出『列子・黄帝篇』に出てくる人の心を読むカモメ。


屈平詞賦懸日月,楚王臺榭空山丘。
屈平(くっぺい)の詞賦(しふ)は 日月(じつげつ)を 懸(か)くるも,楚王(そおう)の臺榭(だいしゃ)は 山丘(さんきゅう)に 空し。
愛国の人、屈原の詩は、太陽や月を天に輝いて仰いでいるのだ。屈原の君王であった楚王の楼閣を覧古される山や丘に空しく残っているというだけだ。
屈平 楚・屈原のこと。『楚辭』『漁父の辞』の一部の作者。楚の国を憂いて汨羅に身を投じた王族の政治家。詩人。 ○詞賦 屈原の『楚辭』を指す。屈原の強烈な愛国の情から選出したのが『楚辞』で、その中でも代表作とされる『離騒』は後世の愛国の士から愛された。
なお、『漁父辞』の冒頭「屈原 既に放たれて」から洟垂れ小僧のことを屈原ということがあったようである。 ・懸 つりさげる。かかげる。かける。 ・日月 太陽と月。○楚王 春秋戦国時代の楚の王。古代の南部中国の帝王。靈王、襄王、懷王、莊王などか。

李白8  蘇台覧古
李白9  越中覧古
 ○臺榭 うてな。高台の上の御殿。楼閣。 ○山丘 山と丘。物の多いさま。墳墓。重いことの形容。


興酣落筆搖五嶽,詩成笑傲凌滄洲。
興(きょう)酣(たけなは)にして 筆(ふで)を 落とせば  五嶽を 搖(うご)かし,詩 成りて 笑傲(しょうごう)すれば  滄洲(そうしゅう)を 凌(しの)ぐ。
風流な興がたけなわになるにつれて、詩を作り出されてくる、その勢いは、国の霊山として崇拝される五嶽をも揺るがすものである。その詩が出来上がって傲然と笑うにしたがえば、その境地は仙境の滄洲の仙人をも凌ぐものなのだ。
 風流にたのしいこと。悦ぶこと。心に趣(おもむ)きを感じる。おもしろみ。興味。興趣。 ・ 物事の真っ盛り。酒宴のさなか。たけなわ。○落筆 筆をおろす。書き始める。 ○五嶽 五つの霊山。
•東岳泰山(山東省泰安市泰山区)標高1,545m。
•南岳衡山(湖南省衡陽市衡山県)標高1,298m。
•中岳嵩山(河南省鄭州市登封市)標高1,440m。
•西岳華山(陝西省渭南市華陰市)標高2,160m。
•北岳恒山(山西省大同市渾源県)標高2,016,m。 
詩成 詩ができあがる。詩(が)なる。 ○笑傲 〔しょうごう〕あざわらっていばる。○滄洲 仙人の住むところ。滄浪洲。


功名富貴若長在,漢水亦應西北流。
功名(こうみょう)富貴(ふうき) 若(も)し 長(とこしな)へに在(あ)らば,漢水(かんすい)も亦(ま)た 應(まさ)に 西北に 流るべし。
風流を興じるものにとって、名誉や財産、地位というものが、もし永遠に存在するというのならば、漢水の流れが逆流して、西北方向に流れるということをいうことになるのだ。
功名 てがら。手柄を立て名をあげること。 ○富貴 金持ちで身分が高い。 ○長在 いつまでもある。永遠に存在する。李白の古風五十九首 其十一 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白140に「黄河走東溟,白日落西海。逝川與流光,飄忽不相待。春容捨我去,秋髮已衰改。人生非寒松,年貌豈長在。吾當乘雲,吸景駐光彩。」とある。 ○漢水 梁州(現・陝西省)の方から東南方向に向かって流れ、襄陽(現・湖北省)を経て、漢陽で長江に注ぎ込む大河。 ○ …もまた。 ・ きっと…だろう。 ○西北流 漢水が逆流するということ。漢水は、東南方向に向かって流れている。

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送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287

送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287


送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈
おいの良が謝安のように二人妓女と会稽に逝くのを送り出すときに、たわむれにこの詩を作って贈るもである。
攜妓東山去。 春光半道催。
芸者をつれて、むかし謝安が遊んだように東山に出かけるが、春の日の光は途中で人をせきたてることだろう。
遙看若桃李。 雙入鏡中開。

きっと、二人の妓女が赤い桃花と白い李花がさいているのようだろう、そして、二人の妓女は鏡湖の中に入って、舟を浮かべ宴は、はなやかに開かれているだろう、わたしは、はるかに長江流れからこの地から見ているのだ。


姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
遙(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。


pla044
 

現代語訳と訳註
(本文)

送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈
攜妓東山去。 春光半道催。
遙看若桃李。 雙入鏡中開。

(下し文) 姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
遙(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。

 
(現代語訳)
おいの良が謝安のように二人妓女と会稽に逝くのを送り出すときに、たわむれにこの詩を作って贈るもである。
芸者をつれて、むかし謝安が遊んだように東山に出かけるが、春の日の光は途中で人をせきたてることだろう。
きっと、二人の妓女が赤い桃花と白い李花がさいているのようだろう、そして、二人の妓女は鏡湖の中に入って、舟を浮かべ宴は、はなやかに開かれているだろう、わたしは、はるかに長江流れからこの地から見ているのだ。


(訳注)
送姪良携二妓赴会稽戯有此贈
(姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り)
おいの良が謝安のように二人妓女と会稽に逝くのを送り出すときに、たわむれにこの詩を作って贈るもである。
姪良 李白の甥の李良。くわしい事蹄はわからない。○会稽 いまの浙江省紹興市附近。このあたりは水郷で、たいへん景色がよい。
李白憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270 
我今攜謝妓。 長嘯絕人群。
欲報東山客。 開關掃白云

我 今 謝妓を攜え。 長嘯して 人群を絕つ。
東山の客に報わんと欲っす。關を開いて 白云を掃く。

攜妓東山去。 春光半道催。
(妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。)
芸者をつれて、むかし謝安が遊んだように東山に出かけるが、春の日の光は途中で人をせきたてることだろう。
東山 紹興市の東の上虞県の西南にあり、菅の謝安(字は安石)がここに隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亨の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携妓 謝安の故事をふまえる。


遙看若桃李。 雙入鏡中開。
(遙(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。)
きっと、二人の妓女が赤い桃花と白い李花がさいているのようだろう、そして、二人の妓女は鏡湖の中に入って、舟を浮かべ宴は、はなやかに開かれているだろう、わたしは、はるかに長江流れからこの地から見ているのだ。
○若桃李 魏の曹植の詩に「南国に佳人有り、容華は桃李の若し」とある。○鏡中開 会稽は山陰ともいわれるが、このあたりは山水がぅるわしく、白くかがやく水と翠の巌とが互に映発して、鏡のごとく、絵のようである。だから王孝之が言った。「山陰の路をあるいて行くのは、鏡の中に入って遊ぶようなものだ」と。なお、山陰には、鏡湖という湖がある。鏡、月、湖、妓女を示す語で、「鏡中開」ということは、性行為を意味するものである。
李白對酒憶賀監二首 其二 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白135
狂客歸四明。 山陰道士迎。
敕賜鏡湖水。 為君台沼榮。
人亡余故宅。 空有荷花生。
念此杳如夢。 淒然傷我情。

李白『送賀賓客帰越  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白137
『送賀賓客帰越』       
鏡湖流水漾清波、狂客帰舟逸興多。
山陰道士如相見、応写黄庭換白鵝。
天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって 面白いことでしょう
○鏡湖 山陰にある湖。天宝二年、賀知章は年老いたため、官をやめ郷里に帰りたいと奏上したところ、玄宗は詔して、鏡湖剡川の地帯を賜わり、鄭重に送別した。○漾清波、○水漾 陝西省漢水の上流の嶓冢山から流れ出る川の名であるが、澄み切って綺麗な流れということで、きれいなものの比較対象として使われる。きれいな心の持ち主の賀知章が長安のひと山越えて、漢水のきれいな水に乗って鏡湖に帰ってきたいうこと。○ 

李白 93 春日酔起言志

李白 97 把酒問月




李白 112 游泰山六首 (一作天寶元年四月從故御道上泰山)





裴十八図南歸嵩山 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白164

題江夏修静寺 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白197

贈王大勧入高鳳石門山幽居 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 200

前有樽酒行二首 其一  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 203

經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 216





秋浦歌十七首 其十七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 261/350

憶東山二首其一 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -269

憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270

江西送友人之羅浮 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -280

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唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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金陵江上遇蓬池隱者 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -286

金陵江上遇蓬池隱者 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -286
金陵の江上にて蓬池隱者に遇う


金陵江上遇蓬池隱者 時于落星石上

心愛名山游、身隨名山遠。
羅浮麻姑台、此去或未返。
遇君蓬池隱、就我石上飯。
空言不成歡、強笑惜日晚。
綠水向雁門、黃云蔽龍山。
嘆息兩客鳥、徘徊吳越間。』
#2
共語一執手、留連夜將久。
二人で真剣に語り合って、お互い引き止めながら夜が更けていくのに長いこと一緒にいる。
解我紫綺裘、且換金陵酒。
私の持っていた朝廷で来ていた官吏服を荷物から出してきて、それを金陵の酒に変えてしばらくの間、飲んだのだ。
酒來笑復歌、興酣樂事多。
酒が来ると笑うながら飲み、それから歌って飲んだ、酔うことがたけなわになり、音楽でもってたのしみが多くなった。
水影弄月色、清光奈愁何。
月は長江の水に影を落とし、月の色に遊んだのだ、清々しいこの光は愁いが浮かんで来てどうしようもないのである
明晨挂帆席、離恨滿滄波。』
朝が来て明るくなり、舟で座っていた席を立った、惜しみつつ別れ、そのあとには青々とした波が続いていた。


金陵の江上にて蓬池の隱者に遇う 于の時落星 石上にて
心愛 名山に游ぶ。 身隨 名山遠。
羅浮麻姑台。 此を去る或は未だ返らず。
君に蓬池の隱に遇う。我 石上の飯に就く。

空言 歡び成ず。 強いて笑う日晚惜む。
綠水 雁門に向う。 黃云 蔽龍山。
嘆息す兩客の鳥。 徘徊す吳越の間。 』
#2
共に語り 一に手を執る。留連し將に久しき夜となる。
我 紫綺裘を解き。且く金陵酒に換う。
酒 來りて笑い復た歌う。 興 酣(たけなわ)にして樂しむ事 多し。
水影 月色に弄ぶ。 清光 愁 奈何。
明晨 帆席を挂け。 離恨 滄波を滿つ。

宮島(1)

 現代語訳と訳註
(本文) #2
 久。酒。/歌、多。何。波。
共語一執手、留連夜將久。
解我紫綺裘、且換金陵酒。
酒來笑復歌、興酣樂事多。
水影弄月色、清光奈愁何。
明晨挂帆席、離恨滿滄波。』


(下し文) #2
共に語り 一に手を執る。留連し將に久しき夜となる。
我 紫綺裘を解き。且く金陵酒に換う。
酒 來りて笑い復た歌う。 興 酣(たけなわ)にして樂しむ事 多し。
水影 月色に弄ぶ。清光に愁う奈何(いかならん)。
明けて晨(あした) 帆席を挂け。 離恨 滄波を滿つ。


(現代語訳)
二人で真剣に語り合って、お互い引き止めながら夜が更けていくのに長いこと一緒にいる。
私の持っていた朝廷で来ていた官吏服を荷物から出してきて、それを金陵の酒に変えてしばらくの間、飲んだのだ。
酒が来ると笑うながら飲み、それから歌って飲んだ、酔うことがたけなわになり、音楽でもってたのしみが多くなった。
月は長江の水に影を落とし、月の色に遊んだのだ、清々しいこの光は愁いが浮かんで来てどうしようもないのである
朝が来て明るくなり、舟で座っていた席を立った、惜しみつつ別れ、そのあとには青々とした波が続いていた。


(訳注)
共語一執手、留連夜將久。

(共に語り 一に手を執る。留連し將に久しき夜となる。)
二人で真剣に語り合って、お互い引き止めながら夜が更けていくのに長いこと一緒にいる。
○留連 遊興にふけって、家に帰るのを忘れること。中国では「大安」:「奉安」と言われ「友引」は「先負」と「先勝」の間で「ひきわけ」(共引)ということで、「留連」:「友引」とも表現されていた。


解我紫綺裘、且換金陵酒
(我 紫綺裘を解き。且く金陵酒に換す。)
私の持っていた朝廷で来ていた官吏服を荷物から出してきて、それを金陵の酒に変えてしばらくの間、飲んだのだ。
紫綺裳烏紗巾 ともに李白が、長安の翰林供奉時代に着ていた宮中の官吏服であろう。酔ったまぎれに、昔を思い出しつつ、かつての宮中における李白の権威を見せつける気持ちもあったのであろう。○「紫綺裘を解き。且く金陵酒に換う。」官吏の服で権威を示して酒にしたのかもしれない。長安以外の地方ではでたまにしか、官吏の服を見ない、税金の取り立て位の権威をもって酒にしたので、質に入れて金にしたのではない。


酒來笑復歌、興酣樂事多。
(酒 來りて笑い復た歌う。興 酣(たけなわ) 樂しむ事 多し。)
酒が来ると笑うながら飲み、それから歌って飲んだ、酔うことがたけなわになり、音楽でもってたのしみが多くなった。
興酣 酔って最高の気分、それが風流の内であること。李白の気分の乗った時の常套語。李白は琵琶、琴、笙を奏でたのでいろいろしたのであろう。
 
水影弄月色、清光奈愁何。
(水影 月色に弄ぶ。 清光に愁う奈何(いかならん)。
月は長江の水に影を落とし、月の色に遊んだのだ、清々しいこの光は愁いが浮かんで来てどうしようもないのである
奈愁何 押韻のため奈何愁を奈愁何としたもの。

明晨挂帆席、離恨滿滄波。
(明けて晨(あした) 帆席を挂け。 離恨 滄波を滿つ。)
朝が来て明るくなり、舟で座っていた席を立った、惜しみつつ別れ、そのあとには青々とした波が続いていた。
離恨 別離の悲しみ。人と別れるつらさ。○滄波 隠遁生活にあこがれを持つ李白は、その生活を連想させる滄海とともにこの語をよく使う。

(1)金陵における李白
金陵のエピソードが『旧唐書』 に載せられている。長安を追放されてから、(乃ち江湖を浪跡い、終日沈いに飲む。時に侍御史の崔宗之、金陵に謫官され、白と詩酒もて唱和す。嘗て月夜舟に乗って采石(南京と当塗の中間にある采石磯) より金陵に達る。白は官錦袍を舟中に衣、顧り瞻みて笑倣いし、傍らに人無きが若し。)とある。久しぶりに長安時代における旧友の飲み仲間の崖宗之に会い、都の生活を思い起こし、詩を作り、酒を飲み、唱和したりして、楽しい会合であった。あるときには、月夜に揚子江に舟を浮かべ、采石磯より金陵まで下った。そのときには、長安時代に着た官錦袖を着て、あたりを顧みて平然と笑い、傍若無人の態度をとったという。長安時代の李白に返り、かつての李白の面目が再びよみがえってきたようである


(2)羅浮麻姑台。
麻姑の名は『神仙伝』の巻二「王遠」と巻七「麻姑」の項に見られるが、麻姑に関する部分の記述はほとんど同じである。
漢の孝桓帝の代に、神仙の王遠が平民である蔡経の家に降臨し、使者をやって麻姑を呼び寄せた。麻姑は蔡経の弟の妻が出産数日後であることを遠目から知ると、しばらく近づかぬように言いつけ、清めのために少量の米粒を持ってこさせた。このとき地面に撒いた米は、悉く丹砂(巻七では真珠)に変わったという。
蔡経は麻姑の爪が鳥のように伸びているのを見ると、彼女が神人であるにもかかわらず、心中「この爪で背中を掻けたら気持ちが良いだろう」と考えた。この心を見抜いた王遠は蔡経を捕まえて怒った。このとき蔡経は背を鞭で打たれたが、鞭を打つ人の姿は見えなかったという。
また同様の話は三国時代の『列異伝』にも見られ、この書では、麻姑の爪で背中を掻きたいと思った蔡経は彼女の怒りを買って地に倒れ、両目から血を流したという。


唐宋詩 
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金陵江上遇蓬池隱者 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -285

金陵江上遇蓬池隱者 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -285

(金陵の江上にて蓬池隱者に遇う)

金陵江上遇蓬池隱者 時于落星石上

金陵の長江に浮ぶ船の上で蓬池の隱者に出遭った。(この時は冬で岩にのぼる)
  

心愛名山游、身隨名山遠。
わたしは心の底から名山を尋ねそこで隠遁生活して過ごすことを愛している。しかし自分自身として名山で隠遁することには ほど遠い。
羅浮麻姑台、此去或未返。
羅浮山の仙女麻姑がいるという仙境の修行場があるというのに ここを去ることができず仙境に帰ることもできないでいる。
遇君蓬池隱、就我石上飯。
こうして蓬莱山頂の池の傍で隠遁生活していた君に偶然出会ったのだ。その昔我々は石の上に座禅をして修行をすることにしていた。
空言不成歡、強笑惜日晚。
でもそれは絵空事になってしまって、無理やり笑ってその日を惜しみながら過ごした。
綠水向雁門、黃云蔽龍山。
澄みきった清流は雁門山からながれている、黄色い雲は龍山を覆い尽くして冬の訪れを知らせてくれる。
嘆息兩客鳥、徘徊吳越間。』

ため息が出る、いまのわたしは雨の中の烏のような旅人で、呉越をずっと旅をして回っている

#2
共語一執手、留連夜將久。 解我紫綺裘、且換金陵酒。
酒來笑復歌、興酣樂事多。 水影弄月色、清光奈愁何。
明晨挂帆席、離恨滿滄波。』

金陵の江上にて蓬池の隱者に遇う 于の時落星 石上にて
心愛 名山に游ぶ。 身隨 名山遠。
羅浮麻姑台。 此を去る或は未だ返らず。
君に蓬池の隱に遇う。我 石上の飯に就く。

空言 歡び成ず。 強いて笑う日晚惜む。
綠水 雁門に向う。 黃云 蔽龍山。
嘆息す兩客の鳥。 徘徊す吳越の間。 』
#2
共に語り 一に手を執る。留連し將に久しき夜となる。
我 紫綺裘を解き。且く金陵酒に換う。
酒 來りて笑い復た歌う。 興 酣(たけなわ)にして樂しむ事 多し。
水影 月色に弄ぶ。清光に愁う奈何(いかならん)。
明けて晨(あした) 帆席を挂け。 離恨 滄波を滿つ。



金陵江上遇蓬池隱者 #1現代語訳と訳註
(本文)

金陵江上遇蓬池隱者 時于落星石上 #1
心愛名山游、身隨名山遠。
羅浮麻姑台、此去或未返。
遇君蓬池隱、就我石上飯。
空言不成歡、強笑惜日晚。
綠水向雁門、黃云蔽龍山。
嘆息兩客鳥、徘徊吳越間。』


(下し文)  #1
金陵の江上にて蓬池の隱者に遇う 于の時落星 石上にて
心愛 名山に游ぶ。 身隨 名山遠。
羅浮麻姑台。 此を去る或は未だ返らず。
君に蓬池の隱に遇う。我 石上の飯に就く。

空言 歡び成ず。 強いて笑う日晚惜む。
綠水 雁門に向う。 黃云 龍山を蔽う。
嘆息す兩客の鳥。 徘徊す吳越の間。 』

 (現代語訳)
金陵の長江に浮ぶ船の上で蓬池の隱者に出遭った。(この時は冬で岩にのぼる)
わたしは心の底から名山を尋ねそこで隠遁生活して過ごすことを愛している。しかし自分自身として名山で隠遁することには ほど遠い。
羅浮山の仙女麻姑がいるという仙境の修行場があるというのに ここを去ることができず仙境に帰ることもできないでいる。
こうして蓬莱山頂の池の傍で隠遁生活していた君に偶然出会ったのだ。その昔我々は石の上に座禅をして修行をすることにしていた。
でもそれは絵空事になってしまって、無理やり笑ってその日を惜しみながら過ごした。
澄みきった清流は雁門山からながれている、黄色い雲は龍山を覆い尽くして冬の訪れを知らせてくれる。
ため息が出る、いまのわたしは雨の中の烏のような旅人で、呉越をずっと旅をして回っている


金陵江上遇蓬池隱者 #1  (訳注)
金陵江上遇蓬池隱者 時于落星石上
金陵の江上にて蓬池隱者に遇う (この時 星落ち 石の上にて)
金陵の長江に浮ぶ船の上で蓬池の隱者に出遭った。(この時は冬で岩にのぼる)
落星 星が落ちて、地面に落ちると石となる。北落は北斗七星であり、時期として冬を示す。○石上 樹下、石上等で自発的に坐禅すること。

心愛名山游、身隨名山遠。
(心愛 名山に游ぶ。 身隨 名山 遠し。)
わたしは心の底から名山を尋ねそこで隠遁生活して過ごすことを愛している。しかし自分自身として名山で隠遁することには ほど遠い。
名山 李白は名山を尋ねるのが好きで各地の名山を題材にしている。すべて道教の寺観のある山である。

訪載天山道士不遇 李白1

峨眉山月歌 李白 2

望天門山  李白 6

李白16 登太白峯 希望に燃えて太白山に上る。

李白31 関山月

(2)李白と道教 李白46西岳云台歌送丹邱子

李白85 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰

李白 87 下終南山過斛斯山人宿置酒

李白 112游泰山六首 (一作天寶元年四月從故御道上泰山)

夢遊天姥吟留別李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166

望廬山五老峯 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350-226

望廬山瀑布水 二首其一#1李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -227

望廬山瀑布二首其二(絶句) 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229

送内尋廬山女道士李騰空二首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350-230

送内尋廬山女道士李騰空二首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350-231

贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350-229

望木瓜山 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350-233

尋高鳳石門山中元丹丘 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234

夜泊黄山聞殷十四呉吟 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -266

憶東山二首其一 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -269

憶東山二首其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270


羅浮麻姑台、此去或未返。
(羅浮麻姑台。 此を去る或は未だ返らず。)
羅浮山の仙女麻姑がいるという仙境の修行場があるというのに ここを去ることができず仙境に帰ることもできないでいる。
羅浮 羅浮山のこと。広東省恵州市博楽県長寧鎮にある。 広州の東90キロに位置する羅浮山は古くは東樵山といわれ南海の西樵山と姉妹関係にある。広東四大名山の一つで、道教の聖地として中国十大名山の一つにも数えられている。主峰飛雲頂は海抜1296m、は香港の北、広州市の東、東莞市の北東に所在する山である。広東省の道教の聖地「羅浮山」羅浮仙ラフセン:隋の趙師雄が梅の名所の羅浮山で羅をまとった美女と出会い酒を酌み交わす酒に酔い伏し梅の樹の下で気が付いた美女は梅の精で羅浮仙ラフセンと呼ばれた故事もある。○麻姑台 仙女麻姑、道教の寺観の一部。江西送友人之羅浮 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -280

遇君蓬池隱、就我石上飯。
(君に蓬池の隱に遇う。我 石上の飯に就く。)
こうして蓬莱山頂の池の傍で隠遁生活していた君に偶然出会ったのだ。その昔我々は石の上に座禅をして修行をすることにしていた。
○蓬池隠 、阮籍「蓬池の詠懐詩」 詳細 参照

李白42 梁園吟
李白42 梁園吟 (2)
梁園吟 まとめ 李白42


空言不成歡、強笑惜日晚。
(空しく言う 歡び成ずと。 強いて笑う日晚に惜む。)
でもそれは絵空事になってしまって、無理やり笑ってその日を惜しみながら過ごした。


綠水向雁門、黃云蔽龍山。
綠水 雁門に向う。 黃云 龍山を蔽う。
澄みきった清流は雁門山からながれている、黄色い雲は龍山を覆い尽くして冬の訪れを知らせてくれる。
雁門 江蘇省にある山の名前。山西省代県のそばにある関所。 別に万里の長城に近く、北の国境である。〇龍庭 句奴の王の単子が天をまつるところ。そこは砂漠地帯である。
黃云 黄色の雲。麦や稲が熟して一面が黄色になっているさま。○龍山 安徽省にある山。

嘆息兩客鳥、徘徊吳越間。
嘆息す兩客の鳥。 徘徊す吳越の間。
ため息が出る、いまのわたしは雨の中の烏のような旅人で、呉越をずっと旅をして回っている。

金陵江上遇蓬池隱者 #1 につづく

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早春寄王漢陽  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -284

早春寄王漢陽  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -284


早春寄王漢陽
早春に王漢陽に寄せる。
聞道春還未相識、走傍寒梅訪消息。
今年も春がめぐってきたと誰からともなく聞いたけれど、どこにも見あたりはしない、寒中に咲いている梅があった、春のたよりをたずねてみるにはその木の傍に寄ってみることなのだ。
昨夜東風入武昌、陌頭楊柳黃金色。
ゆうべも、東の春風は、もう武昌に入って、大道の町角の柳絮やこがね色柳の芽が芽吹いたという。
碧水浩浩云茫茫、美人不來空斷腸。
碧の澄んだ水は、ひろびろとひろがっている、雲ははるかかなたまでつづいている。王君と別れるこの場には美人の芸妓が来るかと思ったがこなかった残念でたまらないことだろう。
預拂青山一片石、與君連日醉壺觴。

青い山でみつけた一つの石をきれいに払い清めて預けよう、君といっしょに連日、新種の壺酒の紐をほどいて酔いたいのだ。


早春 王漢陽に寄す
聞遠く春還ると 未だ相識らず、走って寒梅に傍うて 消息を訪う。
昨夜東風 武昌に入る、陌頭の楊柳 黄金の色。
碧水は浩浩 雲は茫茫、美人来らず 空しく断腸す。
預め払う青山一片の石、君と連日 壺觴に酔わん。

CIMG3107


早春寄王漢陽 現代語訳と訳註
(本文)  早春寄王漢陽

聞道春還未相識、走傍寒梅訪消息。
昨夜東風入武昌、陌頭楊柳黃金色。
碧水浩浩云茫茫、美人不來空斷腸。
預拂青山一片石、與君連日醉壺觴。


(下し文) 早春 王漢陽に寄す
聞道く春還ると 未だ相識らず、走って寒梅に傍うて 消息を訪う。
昨夜東風 武昌に入る、陌頭の楊柳 黄金の色。
碧水は浩浩 雲は茫茫、美人来らず 空しく断腸す。
預め払う青山一片の石、君と連日 壺觴に酔わん。


(現代語訳)
早春に王漢陽に寄せる。
今年も春がめぐってきたと誰からともなく聞いたけれど、どこにも見あたりはしない、寒中に咲いている梅があった、春のたよりをたずねてみるにはその木の傍に寄ってみることなのだ。
ゆうべも、東の春風は、もう武昌に入って、大道の町角の柳絮やこがね色柳の芽が芽吹いたという。
碧の澄んだ水は、ひろびろとひろがっている、雲ははるかかなたまでつづいている。王君と別れるこの場には美人の芸妓が来るかと思ったがこなかった残念でたまらないことだろう。
青い山でみつけた一つの石をきれいに払い清めて預けよう、君といっしょに連日、新種の壺酒の紐をほどいて酔いたいのだ。

DCF00110

(訳注)   早春寄王漢陽
早春に漢陽で王に寄せる。
王漢陽漢陽(いまの湖北省漢陽県)の県令であった王某。


聞道春還未相識、走傍寒梅訪消息。
今年も春がめぐってきたと誰からともなく聞いたけれど、どこにも見あたりはしない、寒中に咲いている梅があった、春のたよりをたずねてみるにはその木のの傍に寄ってみることなのだ。
寒梅 寒中に咲く梅。黄梅のこと。芸妓を示すこともある。○消息たより。


昨夜東風入武昌、陌頭楊柳黃金色。
ゆうべも、東の春風は、もう武昌に入って、大道の町角の柳絮やこがね色柳の芽が芽吹いたという。
東風 はるかぜ。○武昌湖北省武昌。漢陽のすぐ東。漢水と長江の合流するところ。○陌頭 町角。大通りの交差点の曲がり角。春風には青緑となるが黄金色は真ん中を表す語で次の聯の美人の真ん中、断腸で下半身の真ん中という意味を含んでおり、李白の遊び心十分の言い回しである。○楊柳 楊柳は男女を示す。また楊は芸妓の色町を示す語である。柳は男性であるが、細柳は女性を示す語として、つかわれる。


碧水浩浩云茫茫、美人不來空斷腸。
碧の澄んだ水は、ひろびろとひろがっている、雲ははるかかなたまでつづいている。王君と別れるこの場には美人の芸妓が来るかと思ったがこなかった残念でたまらないことだろう。
 ○浩浩 水のひろびろしたさま。○美人 よき人。友人にもいう。ここでは断腸という語に対しての語であるから、芸妓のことと思われる。断腸は胸のもやもやではなく下半身のもやもやをいう。


預拂青山一片石、與君連日醉壺觴。
青い山でみつけた一つの石をきれいに払い清めて預けよう、君といっしょに連日、新種の壺酒の紐をほどいて酔いたいのだ。
醉壺觴 酒つぼとさかずき。壺酒は新酒は春の呼び声とともにある。新種の壺酒は油紙のような蓋をして黄色の紐で封印がしてある。この2句も男女の交わりを連想させる語を使用している。

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越中秋懷 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -283

越中秋懷 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -283
越中に行っているときの詩と思われるものに「越中秋懐」がある。

李白の足跡5

越中秋懷
越水繞碧山。 周回數千里。
越中の水域、金陵、廬山、黄山、宣城、会稽、など、長江下流域、銭塘江の流域の緑濃き山をめぐり歩いた、その巡り歩いた距離は、数千里にもなるだろう。
乃是天鏡中。 分明畫相似。
この地方の長江の流れ、湖こそは、月が影を落とし、天を映して自分の風流にあたって満足させる。又、明らかなことは、絵の描かれた景色に似ていることである。
愛此從冥搜。 永懷臨湍游。
わたしはこの地を愛してやまないそして、静かな隠遁のできる所をさがす、長い間その静かな場所、臨湍で遊ぶことを思っているのだ。
一為滄波客。 十見紅蕖秋。 」
一度、旅人としてここの仙界の様な海の波を見てからというもの、もう十度も秋の赤い蓮の花の咲くのを見たことになる。
觀濤壯天險。 望海令人愁。
また、海の波涛が天に届くかのようなこともある、ここに来て海を眺めると人は愁いに浸ってしまうのだ。
路遐迫西照。 歲晚悲東流。
旅路のはるかに長いこの路を西日が焦がしている、もう今年も終わりそうだ人生も川の流れが東流するのと同じように流れていくのだ。
何必探禹穴。 逝將歸蓬丘。
どうして、古代の禹帝の埋葬先を探さないといけないのだろうか、それより仙人の棲むとされる蓬莱山の丘に帰るのがいいのだ。
不然五湖上。 亦可乘扁舟。」

そうでなければ、越中の五大湖の上にただ一槽の船でもいいから浮かべている方が良いのである。

越水 碧山を繞る。 周回すること數千里。
是れ乃ち天鏡に中(あた)る、分明 相い似ること畫なり。
此を愛して 從って冥を搜し、永く臨湍に游ぶこと懷う
一たび滄波の客と為し、十たび紅蕖の秋を見る。
濤を觀ること 天に壯じて 險し、海を望むこと 人をして愁わしむ。
路遐(ろか) 西照に迫る、歲晚(さいばん) 東流 悲し。
何ぞ必ず 禹穴を探さん、將て蓬丘に歸らんとして逝かん。
然ずんば 五湖に上ざる、亦 扁舟に乘るべし。

 戦国時代勢力図

越中秋懷 現代語訳と訳註
(本文)
里。似。/搜、游。秋。愁。/照、流。丘。舟。
越水繞碧山、周回數千里。
乃是天鏡中、分明畫相似。」
愛此從冥搜、永懷臨湍游。
一為滄波客、十見紅蕖秋。
觀濤壯天險、望海令人愁。」
路遐迫西照、歲晚悲東流。
何必探禹穴、逝將歸蓬丘。
不然五湖上、亦可乘扁舟。」

(下し文)
越水 碧山を繞る。 周回すること數千里。
是れ乃ち天鏡に中る。 分明 相い似ること畫なり。」
此を愛して 從って冥を搜し。 永く臨湍に游ぶこと懷う
一たび滄波の客と為し。 十たび紅蕖の秋を見る。
濤を觀ること 天に壯じて 險し。海を望むこと 人をして愁わしむ。」
路遐(ろか) 西照に迫る。 歲晚(さいばん) 東流 悲し。
何ぞ必ず 禹穴を探さん。將て蓬丘に歸らんとして逝かん。
然ずんば 五湖に上ざる。 亦 扁舟に乘るべし。」


(現代語訳)
越中の水域、金陵、廬山、黄山、宣城、会稽、など、長江下流域、銭塘江の流域の緑濃き山をめぐり歩いた、その巡り歩いた距離は、数千里にもなるだろう。
この地方の長江の流れ、湖こそは、月が影を落とし、天を映して自分の風流にあたって満足させる。又、明らかなことは、絵の描かれた景色に似ていることである。
わたしはこの地を愛してやまないそして、静かな隠遁のできる所をさがす、長い間その静かな場所、臨湍で遊ぶことを思っているのだ。
一度、旅人としてここの仙界の様な海の波を見てからというもの、もう十度も秋の赤い蓮の花の咲くのを見たことになる。
また、海の波涛が天に届くかのようなこともある、ここに来て海を眺めると人は愁いに浸ってしまうのだ。
旅路のはるかに長いこの路を西日が焦がしている、もう今年も終わりそうだ人生も川の流れが東流するのと同じように流れていくのだ。
どうして、古代の禹帝の埋葬先を探さないといけないのだろうか、それより仙人の棲むとされる蓬莱山の丘に帰るのがいいのだ。
そうでなければ、越中の五大湖の上にただ一槽の船でもいいから浮かべている方が良いのである。


(訳注)
越水繞碧山。 周回數千里。

(越水 碧山を繞る。 周回すること數千里。)
越中の水域、金陵、廬山、黄山、宣城、会稽、など、長江下流域、銭塘江の流域の緑濃き山をめぐり歩いた、その巡り歩いた距離は、数千里にもなるだろう。
越水 春秋時代の越の国、杭州を中心にして、金陵、廬山、黄山、宣城、会稽、など、長江下流域、銭塘江りゅうき流域を示す。○碧山 緑豊かな山であるが、李白は憧れを込めて、仙人の里という意味で「碧」を使っている。○ 周回 前句の越水の地域を周回すること。○數千里 直線距離でないため実際の距離でなく沢山の距離を示す。。


乃是天鏡中。 分明畫相似。
(是れ乃ち天鏡に中る、分明 畫 相い似たり。)
この地方の長江の流れ、湖こそは、月が影を落とし、天を映して自分の風流にあたって満足させる。又、明らかなことは、絵の描かれた景色に似ていることである。
乃是 乃は判断、断定を強調する。これこそ~である。○天鏡 天の鏡の意味から、月を指す。あるいは、湖を指す。ここでは、鏡湖、西湖などであろう。○分明の用語解説 - [名・形動](スル)《古くは「ふんめい」とも》 1 他との区別がはっきりしていること。あきらかなこと。また、そのさま。ぶんみょう。「―な事実」 2 明らかになること。


愛此從冥搜。 永懷臨湍游。
(此を愛して 從って冥を搜し、永く臨湍に游ぶこと懷う。)
わたしはこの地を愛してやまないそして、静かな隠遁のできる所をさがす、長い間その静かな場所、臨湍で遊ぶことを思っているのだ。
臨湍 かって隋の時代に存在した湖南省、浙江省にの県名、地方の名前。


一為滄波客。 十見紅蕖秋。 」
(一たび滄波の客と為し。 十たび紅蕖の秋を見る。」)
一度、旅人としてここの仙界の様な海の波を見てからというもの、もう十度も秋の赤い蓮の花の咲くのを見たことになる。
滄波 水の青さ・清らかさを李白は滄海をイメ―ジして使う。『古風 其十二』。隠遁を意識した語。仙境に至るまでの蒼海に釣り糸を垂れるという意味の使い方をする。○紅蕖 紅色の蓮のはな。


觀濤壯天險。 望海令人愁。
(濤を觀ること 天に壯じて 險し、海を望むこと 人をして愁わしむ。)
また、海の波涛が天に届くかのようなこともある、ここに来て海を眺めると人は愁いに浸ってしまうのだ。


路遐迫西照。 歲晚悲東流。
(路遐(ろか) 西照に迫る、歲晚(さいばん) 東流 悲し。)
旅路のはるかに長いこの路を西日が焦がしている、もう今年も終わりそうだ人生も川の流れが東流するのと同じように流れていくのだ。
路遐 旅路の長いこと。。○東流 東が下流で流れ去る、消えていくこと、中國の川の流れは、東に向かって流れるものであり、常識であることの意味でつかわれる。


何必探禹穴。 逝將歸蓬丘。
(何ぞ必ず 禹穴を探さん、將て蓬丘に歸らんとして逝かん。)
どうして、古代の禹帝の埋葬先を探さないといけないのだろうか、それより仙人の棲むとされる蓬莱山の丘に帰るのがいいのだ。
禹穴 禹が皇帝になった後、“巡守大越(見守り続けた大越)”ここで病死してしまったため、会稽山の麓に埋葬した。禹陵は古くは、禹穴と呼ばれ、大禹の埋葬地となった。大禹陵は会稽山とは背中合わせにあり、前には、禹池がある。○蓬丘 蓬莱山の丘。仙界の丘を指すし、隠遁をしめしている。


不然五湖上、亦可乘扁舟。」
(然ずんば 五湖に上ざる。 亦 扁舟に乘るべし。)
そうでなければ、越中の五大湖の上にただ一槽の船でもいいから浮かべている方が良いのである。
扁舟 小さな舟。小舟。『東武吟』、『古風五十九首 第十八』、『把酒問月』、『宣州謝朓樓餞別校書叔雲』、『秋登宣城謝眺北楼』などあるが、李白の憧れとして詩の終わりに使い結んでいる。

doteiko012


越中」の美しい風景を歌い、紅色の蓮花を見ることすでに十度、浙江の海を望んで波を見て、壮大な景色を味わっているが、やはり歳月の移りゆくのを悲しんでいる。
そして終わりに、仙境に行きたいがそれは難しく、それより江湖に扁舟を浮かべて、人知れずどこかに行ってしまうほうがよいかもしれぬ、と歌っている。安禄山の乱のために、政治参加への希望をどう変えていくのか悶々の日々の詩である。李白は、刻中、越中に落ち着くこともなく、また旅に出る。永王鄰への参加には並々ならぬ決意が必要だったのだ。



隠遁で「扁舟」を浮かべて暮らしたいと願う詩である。
さらば長安よ「東武吟」 (出東門后書懷留別翰林諸公 )  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白180』、

古風五十九首 第十八 李白

李白 97 把酒問月』、
李白 66 宣州謝朓樓餞別校書叔雲』、
李白68秋登宣城謝眺北楼 李白69久別離 李白70估客行

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金陵聽韓侍御吹笛 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -282

金陵聽韓侍御吹笛 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -282

李白の心は揺れ動いていた。都は叛乱軍によって、略奪はほしいまま、残忍な行為がまかり通っていたのだ。駆けつけて、なんとかしたくても、地方の県令、州知事みんな様子見をしている。どちらかを支持することを鮮明にすると、危険である。態勢を分析し、その後に態度を決めるというのが叛乱後の世情であった。

 李白は敵仙人として、叛乱軍にも知られていたから、隠れながらの様子見をせざるを得なかった。永王軍に参加をして初めて、力強い詩、立場を明確にした詩を作るのである。酒の席に招待してくれたことへのお礼の詩であろう。

金陵聽韓侍御吹笛
韓公吹玉笛、倜儻流英音。
韓公殿は宮廷音楽の玉のような笛を吹いた。志が大きく、人にすぐれ、独立自由なお方である、さすがに美しい音色は誰の耳に心地よく流れている。
風吹繞鐘山、萬壑皆龍吟。 
その音色は、吹いてきた風に乗って、金陵山を廻っている。多くの谷、奥深いたににまで、三龍の歌が吟じられ響き渡っていく。
王子停鳳管、師襄掩瑤琴。
王朝門閥貴族の王子が鳳笙を吹くのをやめ、魯国の琴の名演奏家、師襄でさえも瑤琴を布で覆い隠していまうほどの音色なのである。
余韻渡江去、天涯安可尋。
 
その音色の余韻は、長江の流れを渡り消えていく、人の人生もこの音色のようであり響いて余韻を残すということであろう。少し気楽になってまた尋ねることにしようと思う。

金陵 韓侍御吹笛を聽く
韓公 玉笛を吹く、倜儻(てきとう) 英音 流る。
風吹 鐘山を繞る、 萬壑 皆 龍を吟ず。
王子 鳳管を停む、 師襄 瑤琴を掩く。
余韻 江を渡り去る、 天涯 安ぞ尋むべし。


宮島(1)

金陵聽韓侍御吹笛 現代語訳と訳註
(本文)

韓公吹玉笛、倜儻流英音。
風吹繞鐘山、萬壑皆龍吟。
王子停鳳管、師襄掩瑤琴。
余韻渡江去、天涯安可尋。

(下し文)
公 玉笛を吹く、倜儻(てきとう) 英音 流る。
風吹 鐘山を繞る、 萬壑 皆 龍を吟ず。
王子 鳳管を停む、 師襄 瑤琴を掩く。
余韻 渡江して去る、 天涯 安じて尋るべし。

(現代語訳)
韓公殿は宮廷音楽の玉のような笛を吹いた。志が大きく、人にすぐれ、独立自由なお方である、さすがに美しい音色は誰の耳に心地よく流れている。
 その音色は、吹いてきた風に乗って、金陵山を廻っている。多くの谷、奥深いたににまで、三龍の歌が吟じられ響き渡っていく。
王朝門閥貴族の王子が鳳笙を吹くのをやめ、魯国の琴の名演奏家、師襄でさえも瑤琴を布で覆い隠していまうほどの音色なのである。
その音色の余韻は、長江の流れを渡り消えていく、人の人生もこの音色のようであり響いて余韻を残すということであろう。少し気楽になってまた尋ねることにしようと思う。

(訳注)
韓公吹玉笛。 倜儻流英音。

韓公殿は宮廷音楽の玉のような笛を吹いた。志が大きく、人にすぐれ、独立自由なお方である、さすがに美しい音色は誰の耳に心地よく流れている。
玉笛 きれいに輝いている笛。漢の王朝で作曲された宮廷音楽という意味。○倜儻 志が大きく、人にすぐれ、独立自由であること。○英音 美しい音色。・英:はなぶさ。特に実をつけない花。 優れている、美しい。叡および穎の代用字としても用いる。


風吹繞鐘山。 萬壑皆龍吟。
その音色は、吹いてきた風に乗って、金陵山を廻っている。多くの谷、奥深いたににまで、三龍の歌が吟じられ響き渡っていく。
鐘山 金陵の東の郊外にある紫金山(鍾山)を金陵山と呼ぶところから生まれた。-現在の南京市の雅名。李白は特にこの名を愛用している。金陵 現在の南京市。六朝の古都。南朝の各朝の首都。金陵、建業、建、建康、南京。戦国時代の楚の威王が金を埋めて王気を鎮めたことによる。○龍吟 呉と楚と秦の三国がここ金陵の地で戦ったことを「三龍紛戦争」ということで詠う。


王子停鳳管。 師襄掩瑤琴。
王朝門閥貴族の王子が鳳笙を吹くのをやめ、魯国の琴の名演奏家、師襄でさえも瑤琴を布で覆い隠していまうほどの音色である。
鳳管 笙笛のこと。管楽器の一。匏(ほう)の上に17本の長短の竹管を環状に 立てたもので、竹管の根元に簧(した)、下方側面に指孔がある。 匏の側面の吹き口から吹いたり吸ったりして鳴らす。 笙の笛。鳳笙(ほうしょう)。 ○師襄 魯国の琴の名演奏家、師襄のこと。


余韻渡江去。 天涯安可尋。
その音色の余韻は、長江の流れを渡り消えていく、人の人生もこの音色のようであり響いて余韻を残すということであろう。少し気楽になってまた尋ねることにしようと思う。


李白が江南で書いた同じイメージを持つ歌がある。
聽胡人吹笛 李白 ・参考

(本文)
胡人吹玉笛。 一半是秦聲。
十月吳山曉。 梅花落敬亭。
愁聞出塞曲。 淚滿逐臣纓。
卻望長安道。 空懷戀主情。

(下し文)
胡人(こじん)  玉笛(ぎょくてき)を吹く、一半は是(こ)れ秦声(しんせい)。
十月  呉山(ござん)の暁(あかつき)、梅花  敬亭(けいてい)に落つ。
愁えて出塞(しゅっさい)の曲を聞けば、涙は逐臣(ちくしん)の纓(えい)に満つ。
却(かえ)って長安の道を望み、空しく主(しゅ)を恋うるの情を懐(いだ)く。

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望金陵漢江 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -281

望金陵漢江 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -281
李白の詩もたくさんある。初めの予定と次第に変わって行きつ戻りつして予定をオーバーしてしまう。現在唐宋詩について、杜甫700首の予定でけいさいしている。李白は350首の予定であったが、杜甫、李白について予定はあって無い様なものである。ひとまず掲載して後日整理をしていくことにしている。厳密に時系列に並べなおすことが難しい李白である。時系列より、気の赴くまま、掲載を続けていくこととしよう。今回は、猛虎行の中で魚を釣ってゆっくり暮らそうと隠遁への憧れを李白が強がって述べたことと同様のものである。
 
望金陵漢江 李白210 
 
金陵望漢江
漢江回萬里、派作九龍盤。
漢水と長江は万里をめぐって大河と成している。その九ある支流はまるで九龍の大皿のようなものである。
橫潰豁中國、崔嵬飛迅湍。
山が迫り早瀬となると水しぶきは峻岳に飛ぶようにこの地からの文化は決潰し横にひろがり、国の中心に溢れひろがっているのだ。
六帝淪亡後、三吳不足觀。
文化の華が開いた六朝時代が滅亡してから後というもの、今の州知事の蕭曹以外に三呉の地に見るべきリーダーの者いないのだ。
我君混區宇、垂拱眾流安。
天下は、何にもしないで「開元の治」と邊あんな時代を過ごした。ところが、わが党の玄宗は異民族の混血などに平安だった区切りの内側、あらたな節度使にして、反乱を起こす原因を作った。
今日任公子、滄浪罷釣竿。
だから、安禄山の叛乱によって、今日のように乱れてしまっていたら、任公子が居たらどうするであろう。隠遁して、会稽山の山の上から釣竿に糸を垂れている場合ではなかろう。


金陵にて漢江を望む
漢江(かんこう)  万里を廻(めぐ)り、派を作(な)す 九龍の盤。
横潰(おうかい)し 中国 豁(ひろ)し、崔嵬(さいかい)  迅湍(じんたん) 飛ぶ。
六帝(りくてい)  淪亡(りんぼう)の後、三呉(さんご)   観るに足らず。
我が君  区宇(くう)を混(こん)じ、垂拱(すいきょう)し 衆流(しゅうりゅう) 安し。 
今日の任公子(じんこうし)、滄浪(そうろう) 釣竿(ちょうかん)を罷(や)めたり。


toujidaimap216



金陵望漢江 現代語訳と訳註
(本文) 
盤。湍。觀。安。竿。
漢江回萬里。 派作九龍盤。
橫潰豁中國。 崔嵬飛迅湍。
六帝淪亡後。 三吳不足觀。
我君混區宇。 垂拱眾流安。
今日任公子。 滄浪罷釣竿。


(下し文)
漢江(かんこう)  万里を廻(めぐ)り、派を作(な)す 九龍の盤。
横潰(おうかい)し 中国 豁(ひろ)し、崔嵬(さいかい)  迅湍(じんたん) 飛ぶ。
六帝(りくてい)  淪亡(りんぼう)の後、三呉(さんご)   観るに足らず。
我が君  区宇(くう)を混(こん)じ、垂拱(すいきょう)し 衆流(しゅうりゅう) 安し。 
今日の任公子(じんこうし)、滄浪(そうろう) 釣竿(ちょうかん)を罷(や)めたり。


(現代語訳)
漢水と長江は万里をめぐって大河と成している。その九ある支流はまるで九龍の大皿のようなものである。
山が迫り早瀬となると水しぶきは峻岳に飛ぶようにこの地からの文化は決潰し横にひろがり、国の中心に溢れひろがっているのだ。
文化の華が開いた六朝時代が滅亡してから後というもの、今の州知事の蕭曹以外に三呉の地に見るべきリーダーの者いないのだ。
天下は、何にもしないで「開元の治」と邊あんな時代を過ごした。ところが、わが党の玄宗は異民族の混血などに平安だった区切りの内側、あらたな節度使にして、反乱を起こす原因を作った。
だから、安禄山の叛乱によって、今日のように乱れてしまっていたら、任公子が居たらどうするであろう。隠遁して、会稽山の山の上から釣竿に糸を垂れている場合ではなかろう。

宮島(1)

(訳注)
漢江回萬里、派作九龍盤。
漢水と長江は万里をめぐって大河と成している。その九ある支流はまるで九龍の大皿のようなものである。
漢江 漢水、湘水など九の支流が集まって合流して長江を大河にしている。


橫潰豁中國、崔嵬飛迅湍。
山が迫り早瀬となると水しぶきは峻岳に飛ぶようにこの地からの文化は決潰し横にひろがり、国の中心に溢れひろがっているのだ。
橫潰 ・横 横に広がる・潰1 秩序ある形がくずれる。乱れ散り散りになる。「潰走・潰滅・潰乱/決潰・崩潰」 2 ただれてくずれる。○豁 [音]カツ広々と開けているさま。あけっぴろげ。「豁然・豁達」○崔嵬の用語解説 - [ト・タル][文][形動タリ]山で、岩や石がごろごろしていて険しいさま。「―たる岩山」 [形動ナリ]堂や塔などが高くそびえているさま。
○この聯は倒句として見る。


六帝淪亡後、三吳不足觀。
文化の華が開いた六朝時代が滅亡してから後というもの、今の州知事の蕭曹以外に三呉の地に見るべきリーダーの者いないのだ。
六帝 通常、古代の聖帝を示す語であるが、下句対句の三呉から、六朝南北朝時代をしめすものである。と。○  1 さざなみ。「淪(りんい)」 2 沈む。落ちぶれる。「淪没・淪滅・淪落/沈淪」○三吳 吳の地の吳郡・吳興・會稽をさす。ここの州の知事と友人関係であったことは、「猛虎行」でも述べていた。


我君混區宇、垂拱眾流安。
天下は、何にもしないで「開元の治」と邊あんな時代を過ごした。ところが、わが党の玄宗は異民族の混血などに平安だった区切りの内側、あらたな節度使にして、反乱を起こす原因を作った。
區宇 区切りの内側。宇は「天地四方上下」つまり上下前後左右、三次元空間全体、漢「淮南子斉俗訓」。 「宇」は「天」、「宙」は「地」を意味する。○垂拱 書経(武成)「垂拱而天下治」。衣の袖を垂れ、手をこまぬく意。何もせず、なすがままに任せること。通常は、何にもしないで天下がよく治まっていることにいう。垂裳(すいしよう)。この聯も倒句としてみるとよくわかる。


今日任公子、滄浪罷釣竿。
だから、安禄山の叛乱によって、今日のように乱れてしまっていたら、任公子が居たらどうするであろう。
隠遁して、会稽山の山の上から釣竿に糸を垂れている場合ではなかろう。
任公子 子明は会稽山の山頂から沖に届くくらいの竿を作り、餌も去勢牛五十頭ほど用意し、一年かけて釣り上げた。それを村人に食べ物を配った。『荘子』任公子にある。○滄浪 通常、あおあおとした波。蒼波(そうは)。 (滄浪)川の名。中国湖北省を流れる漢水の一部の異称という。ここでは前句の任公子から神仙の棲む島までの滄海、つまり隠遁して魚を釣る青々とした海でという意味である。


猛虎行#4 
溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。

「猛虎行」の詩とこの「望金陵漢江」と天下の騒乱を何とかしたいのではあるが、李白の胸の内は、どうしようもないためにいたたまれないのである。

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江西送友人之羅浮 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -280

江西送友人之羅浮 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -280


江西送友人之羅浮 「廬山諮」詩の他に,「江西送友人之羅浮」と題する詩の中でも,李白は自らを「楚狂」
と称している。

江西送友人之羅浮
爾去之羅浮、我還憩峨眉。
君はここから旅たち羅浮山に行く、私は峨眉山にでもかえって休息をする。
中閥道萬里、霞月逼相思。
羅浮山と峨眉山では道を万里離れてしまう。月に綺麗な霞がかかっていて互いの思いにより隔たりは狭まるであろう。
如尋楚狂子、瓊樹有芳枝。
それで江南の楚の国が好きで君と同じように道教の仙人になっているであろう。玉のようにきれいな樹木、仙境の樹木や王宮の宮殿の樹木、きれいな女性と一緒にいることだろう。


江西で友人の羅浮に之くを送る
爾は去りて羅浮に之き、我は還りて峨眉に憩う。
中閥 道 万里、霞月 遥かに相思わん。
如し楚の狂子を尋ぬれば、瓊樹 芳枝有らん。

miyajima 709330

江西送友人之羅浮 現代語訳と訳註
(本文)
爾去之羅浮、我還憩峨眉。
中閥道萬里、霞月逼相思。
如尋楚狂子、瓊樹有芳枝。

(下し文)
爾は去りて羅浮に之き、我は還りて峨眉に憩う。
中閥 道 万里、霞月 遥かに相思わん。
如し楚の狂子を尋ぬれば、瓊樹 芳枝有らん。

(現代語訳)
君はここから旅たち羅浮山に行く、私は峨眉山にでもかえって休息をする。
羅浮山と峨眉山では道を万里離れてしまう。月に綺麗な霞がかかっていて互いの思いにより隔たりは狭まるであろう。
それで江南の楚の国が好きで君と同じように道教の仙人になっているであろう。玉のようにきれいな樹木、仙境の樹木や王宮の宮殿の樹木、きれいな女性と一緒にいることだろう。


(訳注)
爾去之羅浮、我還憩峨眉。
君はここから旅たち羅浮山に行く、私は峨眉山にでもかえって休息をする。
羅浮 羅浮山のこと。広東省恵州市博楽県長寧鎮にある。 広州の東90キロに位置する羅浮山は古くは東樵山といわれ南海の西樵山と姉妹関係にある。広東四大名山の一つで、道教の聖地として中国十大名山の一つにも数えられている。主峰飛雲頂は海抜1296m、は香港の北、広州市の東、東莞市の北東に所在する山である。広東省の道教の聖地「羅浮山」羅浮仙ラフセン:隋の趙師雄が梅の名所の羅浮山で羅をまとった美女と出会い酒を酌み交わす酒に酔い伏し梅の樹の下で気が付いた美女は梅の精で羅浮仙ラフセンと呼ばれた故事もある。○峨眉 峨眉山は山の名前。道教や中国の仏教の聖地で、中国三大霊山(五台山、天台山、峨眉山)や中国四大仏教名山(五台山、九華山、普陀山、峨眉山)の一つである。26の寺院を有し、普賢菩薩の霊場とされる。一番高い峰が万仏頂(標高3,098メートル)で、頂まで32の名刹が続いている。後漢時代から仏教施設の建設が始まり、南宋時代に最盛期を迎えた。
中國歴史rihaku00

中閥道萬里、霞月逼相思。
羅浮山と峨眉山では道を万里離れてしまう。月に綺麗な霞がかかっていて互いの思いにより隔たりは狭まるであろう。
中閥 敷居。通常功績を記した門柱を言う。ここでは峨眉山と羅浮山を柱に見立てた敷居とすることから隔たった距離を示す。○霞月 朝焼け、夕焼け。美しい。艶めかしい。かすむ。かすみたなびくつき。ここでは、前の聯の羅浮と峨眉がすべて美人、女性を連想させる語である。○ 1 圧倒するような勢いで近づいてくる。押し寄せる。また、せり出している。


如尋楚狂子、瓊樹有芳枝。
それで江南の楚の国が好きで君と同じように道教の仙人になっているであろう。玉のようにきれいな樹木、仙境の樹木や王宮の宮殿の樹木、きれいな女性と一緒にいることだろう。
楚狂 道教の拠点。隠遁を意味する。晋の謝安、謝朓、王羲之のように芸妓を携えての本拠地。これら中央朝廷から離れた隠者が、時機が到来する前この地にいたことを示す語である。○瓊樹 玉のようにきれいな樹木。仙境の樹木。王宮の宮殿の樹木。○芳枝 かぐわしい細い枝。美人の細い腕をいうのであろう。

 羅浮山と峨眉山とは,隔たること万里。もし君が私を訪ねてきてくれることがあるならば,私の所には玉の樹に芳しい花が咲いていることだろうと歌う。「瓊樹」は,仙境を連想させる詩語である。つまり,君が尋ねてきてくれる頃には,自分はすでに仙道を成就して仙境に居るだろう、と歌っているのである。


 総じて,李白が自ら任じた「狂」は,俗世から距離を置いたアウトサイダー,もしくは俗世を超脱した世界に住む仙人としての「楚狂」であり,後に述べる儒家的な杜甫の場合とは大きく異なり,道家的,ないしは道教的な傾向の強いものであった。

 当時の道教は、逃げてきたり、年を取って捨てられた娼婦の受け入れをしていた。そのあたりから、山の名前と女性と結びついてくるのである。隠遁をすることと女性が一体化している李白流である。それは決して不真面目ということなのである。女性を人と見ない時代であっても李白流の女性論ということではなかろうか。
 


蜀の峨眉山出身の蘇東坡が羅浮山を詠っている。

食茘枝 蘇東坡(蘇軾) 

羅浮山下四時春,盧橘楊梅次第新。
日噉茘枝三百顆,不辭長作嶺南人。

茘枝(れい し)を食す             
羅浮山下は  四時(しいじ) 春、盧橘(ろ きつ)楊梅(ようばい)次第に新たなり。
日に噉(く)らう 茘枝(れいし) 三百顆、辭せず  長(とこし)へに 嶺南人(れいなんじん)と作(な)るを。

○食茘枝:レイシを食べる。 ・茘枝 れいし。中国南方原産の果物。赤い果皮の中に白色半透明で薫り高い果肉の果物。南方方言経由の呼称ではライチ。


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猛虎行 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -279

猛虎行 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -279
「猛虎行」は李白が溧陽(江蘇省常州市の南に位置する西湖の西端から50km位西に行ったあたり)にいるとき作った詩である。
この地で草書の名人張旭(杜甫「飲中人仙歌」にも出る)と遇って、酒を飲んで歓を尽くし、別れに際して作ったもので、亡国の感慨を歌ったものである。
4回に分けて掲載。その4回目

#1 吟、琴/道、倒、草、城、寧。
朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』 旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。 一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

#2 時、止、市/貧、臣、人/此、士/鱗、人』
頗似楚漢時。 翻覆無定止。 朝過博浪沙。 暮入淮陰市。』
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。 暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。」
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。 有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』 ( 玉一作長 )

#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。 有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。 三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』


#4 春、人、塵、賓、親。
溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
いま、溧陽の酒場で三月春たけなわのころである。いつもなら柳や、春の花が咲き乱れているのに叛乱軍により人を殺しているので愁えで茫茫としたけしきになっている。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
叛乱軍には異民族の緑眼の胡人の野郎が異国の玉笛を吹いているのだ、白紵曲の呉歌の声は高く上がり、ここにいる叛乱軍を塵のようにふっ飛ばすのである。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
私と張旭二人、こうして会っているのは久しぶりのことでとても楽しいものだ、牛を殺して料理をし、太鼓をうちならし音高く、みんな大勢であつまってこの会を大いに楽しむのである。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。

自分は別れてから東海に行って釣りをして隠者の生活をしよう。魚が釣れたら、こんなものが釣れたと笑いつつ送ってよこし、互いの友情を温めようではないか。

猛虎の行 ( 此の詩、蕭士に贇に云う、是れ偽作。 )
#1
朝に 猛虎の行を作す、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』
#2

頗 似て楚漢の時。 翻 覆て定むる止るることなし。
朝 博 浪沙を過ぎ。 暮 淮陰の市に入る。
張良 未だ 韓信の貧に遇わず。劉項 存亡すること兩に臣在る。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲 古きこと此の如し。今時 亦 青云の士棄る。
策 有り 敢て龍鱗を犯さず。身を竄して 南國に 胡塵を避ける。
寶書 玉劍 高閣に挂る。金鞍 駿馬 故人は散る。』
#3
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3
#4
溧陽の酒楼に三月の春、楊花は茫茫たり、人を愁殺せしむ。
胡の雛(こども )緑の眼にて玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)は梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見えば且く楽しみを為せ、牛を槌(う)ち鼓を撾きて衆賓を会す。
我は此より去って東海に釣りせん、魚を得ば笑って寄せて情相親しまん。
五重塔(2)
 


猛虎行#4 現代語訳と訳註
(本文) #4

溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。

(下し文) #4
溧陽の酒楼 三月の春、楊花 茫茫 人を愁殺せしむ。
胡の雛 緑の眼 玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見え 且く楽しみを為せ、牛を槌ち 鼓を樋きて 衆賓を会す。
我 此より去って東海に釣りせん、魚を得ば 笑って寄せて情 相親しまん。


(現代語訳)
いま、溧陽の酒場で三月春たけなわのころである。いつもなら柳や、春の花が咲き乱れているのに叛乱軍により人を殺しているので愁えで茫茫としたけしきになっている。
叛乱軍には異民族の緑眼の胡人の野郎が異国の玉笛を吹いているのだ、白紵曲の呉歌の声は高く上がり、ここにいる叛乱軍を塵のようにふっ飛ばすのである。
私と張旭二人、こうして会っているのは久しぶりのことでとても楽しいものだ、牛を殺して料理をし、太鼓をうちならし音高く、みんな大勢であつまってこの会を大いに楽しむのである。
自分は別れてから東海に行って釣りをして隠者の生活をしよう。魚が釣れたら、こんなものが釣れたと笑いつつ送ってよこし、互いの友情を温めようではないか。


(訳注)
#4
 春、人、塵、賓、親。

溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
溧陽の酒楼 三月の春、楊花 茫茫 人を愁殺せしむ。
いま、溧陽の酒場で三月春たけなわのころである。いつもなら柳や、春の花が咲き乱れているのに叛乱軍により人を殺しているので愁えで茫茫としたけしきになっている。
溧陽 現在江蘇省常州市に位置する県級市。  三月春 三月は春の終わり、科挙試験、地方においても試験が終わり合格者は貴族の庭に自由に出入りし、祝ってもらえる。長安の貴族の庭には牡丹、梨の花が咲き乱れ、柳絮が飛び交っていた。叛乱軍は略奪、強奪を残虐にしていた。


胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
胡の雛 緑の眼 玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)梁の塵を飛ばす。

叛乱軍には異民族の緑眼の胡人の野郎が異国の玉笛を吹いているのだ、白紵曲の呉歌の声は高く上がり、ここにいる叛乱軍を塵のようにふっ飛ばすのである。
胡雛 当時の漢人が異民族に対する蔑視の表現であり、「胡のくそガキ」という意味である。○呉歌の白紵(はくちょ) 李白「白紵辞」李白81白紵辭其一  82白紵辭其二  83 巴女詞  晋の時代、呉の地方に白紵の舞というのが起った。白紵というのは、麻の着物の美白なもの。それを着て舞い、その舞の歌を白紵辞と言った。
○梁塵 溧陽の地は梁の国の中心であった。その地にいた叛乱軍、異民族の兵士を示す。


丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
丈夫相い見え 且く楽しみを為せ、牛を槌ち 鼓を樋きて 衆賓を会す。
私と張旭二人、こうして会っているのは久しぶりのことでとても楽しいものだ、牛を殺して料理をし、太鼓をうちならし音高く、みんな大勢であつまってこの会を大いに楽しむのである。
丈夫 張旭のこと。○相見 二人があっていること ○且為楽 久しぶりのことでとても楽しいもの。○槌牛 牛を殺して料理をする。○撾鼓 太鼓をうちならし音高くするさま。 ○会衆賓 州知事や地元の文人などがみんなで集まることを言う。


我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。
我 此より去って東海に釣りせん、魚を得ば 笑って寄せて情 相親しまん。
自分は別れてから東海に行って釣りをして隠者の生活をしよう。魚が釣れたら、こんなものが釣れたと笑いつつ送ってよこし、互いの友情を温めようではないか。
釣東海 「東海に釣りをする」は、『荘子』「外物」篇に、任公子が、大きな釣針で牛五十頭を餌にして、会稽山でうずくまり東海に糸を投じたという寓話にもとづくものである。○得魚笑寄 風流人、隠者の楽しみの表現である。


 張旭とは長安時代の飲み仲間である。気心知れている友人である。モれに対しては思う気持ちを偽りなく打ち明けられる。おそらくこのときは、剣中まで行って隠遁でもするつもりではなかったろうか。自分は「策がある」が認められないし、今や安禄山の乱まで起きて大混乱の世である。前途に対する希望は失いかけていたにちがいない。


 深陽から剣中に向かってゆくが、どの道を通ったか分からない。この地方は、かつての呉・越の地である。長安を追放されて以後、詐梁を中心に各地に遊び、南はこの地を通り、会稽方面まで行っている。あるいはそれより前、長安に入る以前にも、この呉・越の地を遍歴していると思われる。この地に関係する詩に、『唐詩選』にも収められている有名な「蘇台にて古えを覧る」と[越中にて古えを覧る]がある。同時期の作でないかもしれないが、亡国の悲しみを歌うところを見ると、安禄山の乱後、乱を避けて刻中に行く途中、呉・越の地を通りつつ、国家の危機を感じて、亡国の感慨を歌ったものではなかろうか。

李白8  蘇台覧古

李白9  越中覧古


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猛虎行 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -278

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「猛虎行」は李白が溧陽(江蘇省常州市の南に位置する西湖の西端から50km位西に行ったあたり)にいるとき作った詩である。
この地で草書の名人張旭(杜甫「飲中人仙歌」にも出る)と遇って、酒を飲んで歓を尽くし、別れに際して作ったもので、亡国の感慨を歌ったものである。
4回に分けて掲載。その3回目


猛虎行
#1 吟、琴/道、倒、草、城、寧。
朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

#2 時、止、市/貧、臣、人/此、士/鱗、人』
頗似楚漢時。 翻覆無定止。
朝過博浪沙。 暮入淮陰市。』
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。」
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』 ( 玉一作長 )

#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
そういうことでここ最近、旅人となって宣城にきたのだ。鈴を制止して通き交うこと二千石の酒である。
有時六博快壯心。繞床三匝呼一擲。
そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。
楚人每道張旭奇。心藏風云世莫知。
ここ宣城の楚の国の人、いつも「道」をもとめており、  張旭は興味深い好ましい人間なのだ。 心に秘めて思っていることは機会をつかんで世の中で活躍するには世の人に知られないことだ。 
三吳邦伯皆顧盼。四海雄俠兩追隨。
呉地方の三呉の州知事はどの地域も政治的に振り返ってじっとにらみを利かせている。中国全土においても英雄的なこと、任侠的な事、そのどちらも実行しようとしているのだ。
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』

漢の創業の功臣蕭何や曹参が曾て江蘇省の沛県の中の官吏であった。そこから、龍をかかげて鳳凰に附隋して時期が来たときことを成したのだ。

#4 春、人、塵、賓、親。
溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。


猛虎の行 ( 此の詩、蕭士に贇に云う、是れ偽作。 )
#1
朝に 猛虎の行を作す、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』
#2

頗 似て楚漢の時。 翻 覆て定むる止るることなし。
朝 博 浪沙を過ぎ。 暮 淮陰の市に入る。
張良 未だ 韓信の貧に遇わず。劉項 存亡すること兩に臣在る。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲 古きこと此の如し。今時 亦 青云の士棄る。
策 有り 敢て龍鱗を犯さず。身を竄して 南國に 胡塵を避ける。
寶書 玉劍 高閣に挂る。金鞍 駿馬 故人は散る。』
#3
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3

#4
溧陽の酒楼に三月の春、楊花は茫茫たり、人を愁殺せしむ。
胡の雛(こども )緑の眼にて玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)は梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見えば且く楽しみを為せ、牛を槌(う)ち鼓を撾きて衆賓を会す。
我は此より去って東海に釣りせん、魚を得ば笑って寄せて情相親しまん。


DCF00208


現代語訳と訳註
(本文)
#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。
昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。
三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』


(下し文)
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3


(現代語訳)
そういうことでここ最近、旅人となって宣城にきたのだ。鈴を制止して通き交うこと二千石の酒である。
そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。
ここ宣城の楚の国の人、いつも「道」をもとめており、  張旭は興味深い好ましい人間なのだ。 心に秘めて思っていることは機会をつかんで世の中で活躍するには世の人に知られないことだ。 
呉地方の三呉の州知事はどの地域も政治的に振り返ってじっとにらみを利かせている。中国全土においても英雄的なこと、任侠的な事、そのどちらも実行しようとしているのだ。
漢の創業の功臣蕭何や曹参が曾て江蘇省の沛県の中の官吏であった。そこから、龍をかかげて鳳凰に附隋して時期が来たときことを成したのだ。


(訳注)#3
昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。
三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』

(訳注)

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
そういうことでここ最近、旅人となって宣城にきたのだ。鈴を制止して通き交うこと二千石の酒である。


有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。
六博 紀元前後の漢時代を中心に戦国時代から魏晋時代に流行した2人用の盤上遊戯。 3~40cm四方の盤上で、さいころを使って各自12個の駒を進める。
 盤にはアルファベットのLやTのような記号が描かれているが、複数の種類が発見されている。 駒を進めるためにはさいころを用いるが、6本の棒状のものや18面体のものが発見されている。双六のようなレースゲームであるという説と、駒を取り合う戦争ゲームであるという説がある。多くはふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれるというもの。○繞床 床を廻る○三匝 三匝さんかいまわる 三方を囲む 、○一擲 一回賽を投げろと連呼する
梁園吟  李白42


楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。
ここ宣城の楚の国の人、いつも「道」をもとめており、  張旭は興味深い好ましい人間なのだ。 心に秘めて思っていることは機会をつかんで世の中で活躍するには世の人に知られないことだ。 
○風云 機会をつかんで世の中で活躍する
 
三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。
呉地方の三呉の州知事はどの地域も政治的に振り返ってじっとにらみを利かせている。中国全土においても英雄的なこと、任侠的な事、そのどちらも実行しようとしているのだ。
三吳 吳の地の吳郡・吳興・會稽をさす。○邦伯 州の長官。刺史。○盼顧 振り返ってじっと見る。 ○四海 天下。中国全土。○雄俠 英雄的な任侠の人を言う。


蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』
漢の創業の功臣蕭何や曹参が曾て江蘇省の沛県の中の官吏であった。そこから、龍をかかげて鳳凰に附隋して時期が来たときことを成したのだ。
蕭曹 漢の創業の功臣蕭何しょうかや曹参そうしん曾て○沛中 沛公、劉邦。江蘇省の沛県の官吏であったと作す。

-----------------------------------------------------------------
李白『梁園吟』
連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』
「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』
〇五白-購博の重義が黒く裏が白い五つのサイコロを投げて、すべて黒の場合(六里嘉最上、すべて白の場合〔五日)がその次、とする。〇六博-賭博の毎→二箇のコマを、六つずつに分けて賽する。〇分嘉酒-二つのグループ(曹)に分かれて酒の勝負をする。○酎-酒興の盛んなさま。○馳曙-馳けるように過ぎゆく日の光、時間。

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猛虎行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -277

猛虎行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -277

「猛虎行」は李白が溧陽(江蘇省常州市の南に位置する西湖の西端から50km位西に行ったあたり)にいるとき作った詩である。
この地で草書の名人張旭(杜甫「飲中人仙歌」にも出る)と遇って、酒を飲んで歓を尽くし、別れに際して作ったもので、亡国の感慨を歌ったものである。
4回に分けて掲載。その2回目
宮島(5)

#1 吟、琴/道、倒、草、城、寧。

朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

#2 時、止、市/貧、臣、人/此、士/鱗、人』

頗似楚漢時。 翻覆無定止。
趙の将軍廉頗が楚との戦いで活躍したときは今の唐の時代と似ている。趙楚の戦いも形勢は変わりやすかった、攻めたり攻められたり、体制は流動的で態勢がきまったわけではない。
朝過博浪沙。 暮入淮陰市。』
張良は朝に鉄槌を投げて暗殺未遂をした博浪沙をすぎた。夕方にはもう韓信が漂母に出会った淮陰の街に着いていた。
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
張良は韓信が貧しかったうちには未だであっていない.劉邦と項羽は存亡をかけた両雄が鴻門の会を結べたのは張良と韓信の存在があったからだ。
暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。」
張良は暫くして下邳では黄石公に平方の戦略を習って倒すことができたのである。韓信は川で漂泊をしているおばあさんに御馳走になりこれを主人とすることで立派な人として抜擢されたのだ。
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
張良という賢人と韓信という哲人でさえあくせくしていたのも昔のことであるがここにいる、私と張旭の二人があくせくするのも当たり前だろう。今、こんな時世であるから、もう若い時に描いていた、天下国家を動かそうなんていう青雲の志い詩を持った指導者なんていらないのだろう。
有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
策略はいくらでもあるだから無理をして粛宗の龍と永王の鱗をどちらかということ時期ではないはずなのだ。自分らは張良のように身を竄して、湖南や浙江の南國に叛乱軍を避け、情勢をよく見ることにしていよう。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』
( 玉一作長 )
今、叛乱軍によって、翰林院の大切な宝のような書物、受け継がれてきた輝く宝飾で飾られた剣、それらの価値のわからない奴ら間、高閣にただ置かれているだけで生かし切ることができないのだ。貴族以上の身分のものが付ける馬の鞍つけて、優れて走り抜ける馬に乗っていた長安時代の友人、官僚の友人たちは今はもういないのだ。

#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。
三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』

#4 春、人、塵、賓、親。

溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。


猛虎の行 ( 此の詩、蕭士に贇に云う、是れ偽作。 )
#1
朝に 猛虎の行を作す、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』

#2
頗 似て楚漢の時。 翻 覆て定むる止るることなし。
朝 博 浪沙を過ぎ。 暮 淮陰の市に入る。
張良 未だ 韓信の貧に遇わず。劉項 存亡すること兩に臣在る。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲 古きこと此の如し。今時 亦 青云の士棄る。
策 有り 敢て龍鱗を犯さず。身を竄して 南國に 胡塵を避ける。
寶書 玉劍 高閣に挂る。金鞍 駿馬 故人は散る。』

#3
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3
#4
溧陽の酒楼に三月の春、楊花は茫茫たり、人を愁殺せしむ。
胡の雛(こども )緑の眼にて玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)は梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見えば且く楽しみを為せ、牛を槌(う)ち鼓を撾きて衆賓を会す。
我は此より去って東海に釣りせん、魚を得ば笑って寄せて情相親しまん。

猛虎の行 #2 現代語訳と訳註
(本文)#2

頗似楚漢時。 翻覆無定止。
朝過博浪沙。 暮入淮陰市。
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』

(下し文)
頗 似て楚漢の時。 翻覆して定むる止むることなし。

朝に博浪の沙を過ぎる。 暮に淮陰の市に入る。
張良 未だ韓信の貧しきに遇わず。劉項存亡在兩臣。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲として 古きこと此くの如し。今時 亦た青云の士 棄る。
策 有りて 敢て龍鱗を犯さず。竄身 南國に胡塵を避く。
寶書 玉劍 高閣に挂かる。金鞍 駿馬 故人に散す。』

(現代語訳)#2
趙の将軍廉頗が楚との戦いで活躍したときは今の唐の時代と似ている。趙楚の戦いも形勢は変わりやすかった、攻めたり攻められたり、体制は流動的で態勢がきまったわけではない。
張良は朝に鉄槌を投げて暗殺未遂をした博浪沙をすぎた。夕方にはもう韓信が漂母に出会った淮陰の街に着いていた。
張良は韓信が貧しかったうちには未だであっていない.劉邦と項羽は存亡をかけた両雄が鴻門の会を結べたのは張良と韓信の存在があったからだ。
張良は暫くして下邳では黄石公に平方の戦略を習って倒すことができたのである。韓信は川で漂泊をしているおばあさんに御馳走になりこれを主人とすることで立派な人として抜擢されたのだ。
張良という賢人と韓信という哲人でさえあくせくしていたのも昔のことであるがここにいる、私と張旭の二人があくせくするのも当たり前だろう。今、こんな時世であるから、もう若い時に描いていた、天下国家を動かそうなんていう青雲の志い詩を持った指導者なんていらないのだろう。
策略はいくらでもあるだから無理をして粛宗の龍と永王の鱗をどちらかということ時期ではないはずなのだ。自分らは張良のように身を竄して、湖南や浙江の南國に叛乱軍を避け、情勢をよく見ることにしていよう。
今、叛乱軍によって、翰林院の大切な宝のような書物、受け継がれてきた輝く宝飾で飾られた剣、それらの価値のわからない奴ら間、高閣にただ置かれているだけで生かし切ることができないのだ。貴族以上の身分のものが付ける馬の鞍つけて、優れて走り抜ける馬に乗っていた長安時代の友人、官僚の友人たちは今はもういないのだ。


(訳注)#2
頗似楚漢時。 翻覆無定止。
趙の将軍廉頗が楚との戦いで活躍したときは今の唐の時代と似ている。趙楚の戦いも形勢は変わりやすかった、攻めたり攻められたり、体制は流動的で態勢がきまったわけではない。
廉頗(れんぱ、生没年不詳)は、中国戦国時代の趙の将軍。藺相如との関係が「刎頸の交わり」として有名。○翻覆 上に向けたり、下に向けること。変わりやすいこと。


朝過博浪沙。 暮入淮陰市。
張良は朝に鉄槌を投げて暗殺未遂をした博浪沙をすぎた。夕方にはもう韓信が漂母に出会った淮陰の街に着いていた。
博浪沙 いまの河南省原陽県(陽武)。開封の近くにある。李白『經下邳圯橋懷張子房』「椎秦博浪沙」
漢の高祖(鋸鰯の参謀として漢の帝国樹立に功績があり、斎何、韓信とともに、創業の表といわれている。のち、大名に封ぜられ、留侯と呼ばれた。張良の先祖は韓の人で、祖父も父も韓国の宰相をつとめた。
淮陰市 韓信が人生を変えた漂母と出会った街。


張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
張良は韓信が貧しかったうちには未だであっていない.劉邦と項羽は存亡をかけた両雄が鴻門の会を結べたのは張良と韓信の存在があったからだ。
張良・韓信 張良・蕭何・韓信で漢の三傑。○劉項 秦軍を撃破した漢の劉邦、楚の項羽
鴻門の会 咸陽占領を巡る項羽と劉邦の咸陽城外での講和会議。懐王はかねて咸陽を陥落させた者を関中王とすると宣していたが、咸陽を開城させた劉邦は項羽の接近に対して関門を閉じ、一時は交戦となるところを張良・項伯の周旋で鴻門での和睦となった。会盟中、項羽の軍師の范増は劉邦暗殺を謀ったが、項伯・樊噲・張良の機転で果たせず、散会後に項羽を「豎子、ともに図るに足りず」と罵り、これが後の項羽と范増の不和の最初になったという。   

暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。
張良は暫くして下邳では黄石公に平方の戦略を習って倒すことができたのである。韓信は川で漂泊をしているおばあさんに御馳走になりこれを主人とすることで立派な人として抜擢されたのだ。
○この聯は 注釈を参照。
經下邳圯橋懷張子房 李白-272

扶風豪士歌 安史の乱と李白(3215

淮陰書懷寄王宗成李白350-199

李白32 玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二



賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
張良という賢人と韓信という哲人でさえあくせくしていたのも昔のことであるがここにいる、私と張旭の二人があくせくするのも当たり前だろう。今、こんな時世であるから、もう若い時に描いていた、天下国家を動かそうなんていう青雲の志い詩を持った指導者なんていらないのだろう。
○賢【賢哲】 (名・形動) [文]ナリ [1]賢人と哲人。[2]賢明で道理に通じていること。
棲棲 いそがしいさま。落ち着かないさま。あくせくする。○青云士
經亂後將避地剡中留贈崔宣城 李白-217-2

古風五十九首 其四十 李白198


有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
策略はいくらでもあるだから無理をして粛宗の龍と永王の鱗をどちらかということ時期ではないはずなのだ。自分らは張良のように身を竄して、湖南や浙江の南國に叛乱軍を避け、情勢をよく見ることにしていよう。
龍鱗 下句の胡塵が対句であるから、ここでは、唐王朝、天子を指す。李白は、玄宗から追放を受けた訳で、龍:玄宗と鱗:粛宗ともいえるが、のち、永王鄰の軍に参加することを考えると、兄弟仲があまり良くなかった:粛宗で、:永王璘というのが妥当であろうと思う。




寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』
今、叛乱軍によって、翰林院の大切な宝のような書物、受け継がれてきた輝く宝飾で飾られた剣、それらの価値のわからない奴ら間、高閣にただ置かれているだけで生かし切ることができないのだ。貴族以上の身分のものが付ける馬の鞍つけて、優れて走り抜ける馬に乗っていた長安時代の友人、官僚の友人たちは今はもういないのだ。
寶書 翰林院の大切な宝のような書物。○挂高閣 朝廷内の高閣に置いている。それを生かし切ることができないことをいう。金鞍 貴族以上の身分のものが付ける馬の鞍。 ○駿馬 優れて走り抜ける馬。 ○故人 長安時代の友人、官僚の友人をいう。




○張子房 張良のこと。子房はそのあざな。漢の高祖(鋸鰯の参謀として漠の帝国樹立に功績があり、斎何、韓信とともに、創業の表といわれている。のち、大名に封ぜられ、留侯と呼ばれた。張良の先祖は韓の人で、祖父も父も韓国の宰相をつとめた。秦が韓を滅ぼした時、張良はまだ少年であったが、家財を投げ出して晴箸を求め、秦の始皇帝を警うと決意した。

家柄からして、韓のために仇を報いざるを得なかったのである。かれは捨海君という異民族の夏に力の強い男を芸してもらい、大きな鉄のハンマーをつくり、案の始皇帝が博浪汐という所に行幸したのを狙撃させた。狙いは外れて予備の車にあたった。始皇帝は大いに怒った。天下に犯人をもとめ、捜索は非常にきびしかった。張良は変名して下警身をかくしていた。ある日のこと、張良がぶらぶら散歩して下邸の土橋にさしかかると、一人のじいさんがそまつな着物をきて張良のそばに寄ってきた。

いきなり、自分の靴を橋の下におとし、張良の顔をみて言った。「小僧、おりで靴を警て来い」張良はびっくりした。殴ってやろうかと思ったが、年よりだから、がまんして→りてゆき靴を拾った。じいさんは言った。「わしにはかせろ」張良は是や靴を拾った以上仕方がない。誓まずいて、はかせてやった。じいさんは足で受け、笑って立ち去った。張良があっけにとられて後姿を見送っていると、しばらくして引きかえしてきたじいさんが言った。

「小僧、警がいのある奴だ。音のち、明け方にわしと此所で会晋」張良は怪しみながらも「はい」と答えた。音たって夜明けに張良が行くと、じいさんは先に来ている。そして怒って言う。「老人と約束七で遅れるとは何事だー・」去りながら言った。「音のち、朝早く会おう」こんどは妄鶏がなくころ張良は行った。じいさんはやっぱ。先に来ていた。また怒って言う。「おくれるとは何事だー三富のち、もっと早く来い」張良、こんどこそはと、夜中にもならないうちに行った。しばらくするとじいさんがやってきて、はじめてニ…コした。「こうこなくちゃいかん」-警書を菅出して言った。「これを読めば、王者の師となれる。十年のち、出掌る。

十三年のち、小僧はわしを済北の穀城山のふきに見つけるであろう、黄石がつま。わしなんだ」言い至ると、さっと姿晶した。夜が明けてその書をよく見ると、太公望の兵書であった。張良はふしぎに思い、いつ登れを詞読した。

やがて高祖が兵をあげる主柄豊てたが、十三年のち、高祖に従って済北を過ぎたとき、張良ははたして黄色
の石を見つけたので、警できてそれをまつったということであった。



淮陰書懷寄王宗成 李白
暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。』
日暮れに淮陰に着き、宿をとることができました。幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれたのです
○漂母 史記、韓信の故事。淮陰にいたころ貧乏だった。人の家に居候ばかりして、嫌われていた。ある日、綿晒しに来たおばあさんが、釣りをしていた韓信を植えている様子を見て、食事をとらせた。綿晒しが終わるまで、数十日食事をさせてくれた。漂は綿をさらすこと。

予為楚壯士。 不是魯諸生。
私は楚の雄壮な武士であります、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではないのです。
○楚壯士 楚の国は勇壮な武士をたくさん出している。○魯諸生 山東省魯の孔子の里。

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首
飢從漂母食。閑綴羽陵簡。
●后稷(こうしょく)は、伝説上の周王朝の姫姓の祖先。中国の農業の神として信仰されている。
●漂母 韓 信(かん しん、生未詳 - 紀元前196年)は、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、他人の家に上がり込んでは居候するという遊侠無頼の生活に終始していた。こんな有様であったため、淮陰の者はみな韓信を見下していた。とある亭長の家に居候していたが、嫌気がした亭長とその妻は韓信に食事を出さなくなった。いよいよ当てのなくなった韓信は、数日間何も食べないで放浪し、見かねた老女に数十日間食事を恵まれる有様であった。韓信はその老女に「必ず厚く御礼をする」と言ったが、老女は「あんたが可哀想だからしてあげただけのこと。御礼なんて望んでいない」といわれた。老女が真綿を晒す老女であったことから、漂母という。
●丹徒の布衣者と一斛いっこくの檳榔びんろう
 劉 穆之(りゅう ぼくし、360年 - 417年)は、中国五胡十六国時代の東晋末期に劉裕(宋の武帝)に仕えた政治家のことさす。若く貧しかった頃は、妻の兄である江氏の家に食事を乞いに行っては、しばしば辱められ、妻にも行くのを止められたが、これを恥としなかった。後に劉穆之は江氏の祝いの宴会に赴き、食後の消化に檳榔を求めたが、江氏の兄弟に「いつも腹を空かしているのにそんなものがいるのか」とからかわれた。妻は髪を切った金で兄弟に代わり劉穆之に食事を出したが、これ以後、劉穆之の身繕いをしなくなった。後に劉穆之は丹陽尹となると、妻の兄弟を呼び寄せようとした。妻が泣いて劉穆之に謝ると、劉穆之は「もともと怨んでもいないのだから、心配することもない」といい、食事で満腹になると金の盆に盛った1斛の檳榔を彼らに進めたという。

唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

猛虎行 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -276

猛虎行 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -276
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猛虎行-張旭と飲む

「君に尊敬の念を抱きつつ御馳走になって君のために歌をうたうわけである。自分はまだ志を得ない漢の張良のようなもの、仙人の赤松の跡を逐って上昇するほど、脱俗的の気分にはなっていない。」
張良は下郡の杷橋のもとで黄石公から兵法を授けられ、その後、漢の高祖に仕えて出世して留侯にまでなった。「その黄石公に比すべき人のみ、わが気持ちが分かってくれるものだ」と歌う。最後の句は、李白の希望を述べ、わが心を知ってくれる黄石公のごとき人が出てほしい。そして、再び活躍する場を与えてはしいという。前途に対しての希望はまだまだ消えてはいない。ぞく叛乱軍の侵入の悲惨を歌いながら、それに刺激されて任侠心が勃然とよみがえってきたのであろうか。

洛陽には洛水が流れている。「その辺りは胡兵たる賊軍がいずこにも走りまわっている。戦いのために、野草が血塗られている。財狼に比すべき賊軍は、みな衣冠束帯をつけて役人となり、横暴を極めている」。「流血は野草を塗らし、財狼のもの尽く冠の樫をす」には、安禄山の配下の者が、にわか官僚となって、横暴な振舞いをしていることに対する李白の憤りがこめられている。

凡そ生死の場に損入する遊侠者の悪い部面として賭博行為がつきまとう.したがって司馬遷が遊侠者の性格を述べるに当り,正義に外れる場合のあり得る事を前提とした意中にはこのような行為も入るわけである.
李白「梁園吟」には組分けして滑を賭け遊び暮したことが彼の実際経験としで述べられているが,より切実感を盛った描写としては「猛虎行」がある.これは楽府体の詩であるが辞中の言菜では,溧陽で張旭に留別するに際し作ったものとされている.この中には  李白が安禄山の乱を避けて宣城に至り,この地の太守と親交があったことを語り,また時には自ら  六博をなして賭博的享楽中にその壮心を慰めた様子も詠われている.李白がこのような放浪の旅をしきりに痛快にできたのは,尋常一様の士として、過去の作品の軌を異にするものである.詩の注釈に蕭士賛はこの詩を李白のではないと凝っている。

李白の詩は、論理の流れが滑らかで、使われている語が幾様にも掛けことばとされている。それでいても論理の錯誤はない。立て板に水が流れるような詩であることが一番で、押韻のために無駄な語を使用しない。 しかし、この詩は一貫性がない。論理性もしっかりしていない。この詩は倫理的でないことに尽きる。
だからといって李白のものではないとは言えない。いや、李白の詩、全体的な作品から見て、もう一つの大きな時期的なもの、政情不安、治安も不安な時期であったことが、この詩にさせたものであるようにおもえるのである。
儒教的な視点で李白の詩は語れない。遊侠的実践を好ましくないものとして位置づけ、遊侠・任侠は不正義につながるという儒教者の教条主義的な見方では理解できないのかもしれない。

蕭士賛は論理が通っていない偽物といい
「猛虎行」蕭士賛曰,按此詩似非太自之作,用事既無倫理.徒爾辟鴬狂誕之辞,首尾不相應,詠絡不相貫串 語意斐率.悲欺失拠,必是他人詩,竄入集中,歳久難別. 
王琦は時期的に合致、飲んだ席でのことであり、本物という。
李太白文集韓註巻六 「猛虎行」琦夜是詩当天宝十五載之春,太白与張旭相遇於溧陽,而太白又将遨遊東越,与張旭宴別而作也. 


「函谷関が堅固であることが天子のいる長安を支えることになるし、天下の運命は潼関を守る総司令官の哥舒翰にかかっている。ところが、長き仗を持った唐の軍隊三十万もおりながら、戦い敗れて、関門を開いて賊軍安禄山を潼関より入れてしまった。情けないことだ。一挙に長安は占領され、役にたたぬ公卿たちは犬羊のごとく追いまわされ、なすところを知らず。忠義の者は塩辛や塩漬けにされてしまった。賊軍の横暴略奪は悲惨を極めた」と、当時の乱離の様を追憶している。杜甫もしきりに安禄山の乱を歌い、その悲惨さを多く歌っているが、詩人ならずとも、当時の人々に特に衝撃は大きかった。
李商隠

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「猛虎行」は李白が溧陽(江蘇省常州市の南に位置する西湖の西端から50km位西に行ったあたり)にいるとき作った詩である。
この地で草書の名人張旭(杜甫「飲中人仙歌」にも出る)と遇って、酒を飲んで歓を尽くし、別れに際して作ったもので、亡国の感慨を歌ったものである。
4回に分けて掲載。

猛虎行 ( 此詩蕭士贇云是偽作 )
猛虎のうた ( 此の詩は、蕭士贇が言うに李白の作ではない偽作である。)
#1 吟、琴/道、倒、草、城、寧。

朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
朝に猛虎の歌を作って、日暮れに猛虎の歌を吟じている。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
腹立たしくて腸がちぎれんばかりに怒りがわいてくる関中には天子はいなくて隴山の奥に行ってしまって水が流れてくるばかり。今はただ涙が流れて止まらない、雍城で大敗しその門前で寂しく琴音が響く。
旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
今や叛乱軍の軍旗が風に翻っている渭水、洛水の両岸を抑えられてしまった。戦いの際に打ち鳴らされる太鼓は吹きの山々に轟き、これを倒してもらいたいのだ。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
しかし、長安にいた臣下の者たちは、叛乱軍に進んで虜になってしまった。その捕虜たちの奸臣たちは叛乱軍の馬たちに託して洛陽に送られたのだ。
一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
ひとたび輸送され、ひとたび消失して関中の兵は叛乱軍に下ったのだ。明日に降参した者たちは、ゆうべには幽州の薊の城郭から叛乱は始まったのだ。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

安禄山の叛乱以来そのオオガメは大海原切り開いて出てくることはない。大魚と龍も大暴れしてどうしてそのままおとなしくしておられるものか。

#2 時、止、市/貧、臣、人/此、士/鱗、人』

頗似楚漢時。 翻覆無定止。
朝過博浪沙。 暮入淮陰市。』
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。」
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』 ( 玉一作長 )

#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
有時六博快壯心。繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。心藏風云世莫知。
三吳邦伯皆顧盼。四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』

#4 春、人、塵、賓、親。

溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。

猛虎の行 (注 此の詩、蕭士贇に云う、是れ偽作。 )
#1
朝に 猛虎の行を作す、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』
#2
頗 似て楚漢の時。 翻 覆て定むる止るることなし。
朝 博 浪沙を過ぎ。 暮 淮陰の市に入る。
張良 未だ 韓信の貧に遇わず。劉項 存亡すること兩に臣在る。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲 古きこと此の如し。今時 亦 青云の士棄る。
策 有り 敢て龍鱗を犯さず。身を竄して 南國に 胡塵を避ける。
寶書 玉劍 高閣に挂る。金鞍 駿馬 故人は散る。』
#3
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3
#4
溧陽の酒楼に三月の春、楊花は茫茫れて人を愁殺せしむ。
胡の雛緑の眼にて玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)は梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見えば且く楽しみを為せ、牛を槌ち鼓を樋きて衆賓を会す。
我は此より去って東海に釣りせん、魚を得ば笑って寄せて情相親しまん。


杜甫乱前後の図003鳳翔渭水は秦州から右側に流れ長安を過ぎて、潼関で黄河と合流する。合流して黄河は東流(右に)して洛陽方面から来た洛水と合流する。 


猛虎行 現代語訳と訳註
(本文) #1

猛虎行 ( 此詩蕭士贇云是偽作 )
朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

(下し文)
猛虎の行  ( 此の詩、蕭士贇は云う、是れ偽作。 )
朝に 猛虎の行を作し、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』

(現代語訳)
猛虎のうた ( 此の詩は、蕭士贇が言うに李白の作ではない偽作である。)
朝に猛虎の歌を作って、日暮れに猛虎の歌を吟じている。
腹立たしくて腸がちぎれんばかりに怒りがわいてくる関中には天子はいなくて隴山の奥に行ってしまって水が流れてくるばかり。今はただ涙が流れて止まらない、雍城で大敗しその門前で寂しく琴音が響く。
今や叛乱軍の軍旗が風に翻っている渭水、洛水の両岸を抑えられてしまった。戦いの際に打ち鳴らされる太鼓は吹きの山々に轟き、これを倒してもらいたいのだ。
しかし、長安にいた臣下の者たちは、叛乱軍に進んで虜になってしまった。その捕虜たちの奸臣たちは叛乱軍の馬たちに託して洛陽に送られたのだ。
ひとたび輸送され、ひとたび消失して関中の兵は叛乱軍に下ったのだ。明日に降参した者たちは、ゆうべには幽州の薊の城郭から叛乱は始まったのだ。

安禄山の叛乱以来そのオオガメは大海原切り開いて出てくることはない。大魚と龍も大暴れしてどうしてそのままおとなしくしておられるものか。

(訳注)
猛虎行 ( 此詩蕭士贇云是偽作 )

猛虎のうた ( 此の詩は、蕭士贇が言うに李白の作ではない偽作である。)
猛虎 安禄山の叛乱、叛乱軍の残虐で略奪をほしいままにしたことを踏まえていう。○蕭士 草書を完成させた立派な人。○ 美しい草書 ○偽作 陸機作のものの贋作ということにしてイメージを借りた。

猛虎行 陸機  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -274


朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
朝に猛虎の歌を作って、日暮れに猛虎の歌を吟じている。
○猛虎 自分の意に副わない敵対する側を指すもの。ここでは、反乱軍安禄山の軍が、勝手気ままな治政を行い、各地で略奪をほしいままに繰り返した。唐王朝の貞観の治により、地方の隅々まで、潤っていたものが、官僚取立て制度のシステムの崩壊から、税負担が大きくなり、唐王朝に対する不満があり、安禄山もその不満を受けて当初は支持をされていた。ところが、その軍は、胡の帽子をかぶり、野党、盗賊の群れであった。民衆の支持はたちまち離れた。李白は、陸機の「猛虎行」の雰囲気を借りて歌ったものである。


腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
腹立たしくて腸がちぎれんばかりに怒りがわいてくる関中には天子はいなくて隴山の奥に行ってしまって水が流れてくるばかり。今はただ涙が流れて止まらない、雍城で大敗しその門前で寂しく琴音が響く。
○雍門 756年雍丘の戦いにおいて唐王朝軍が大敗している。○


旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
今や叛乱軍の軍旗が風に翻っている渭水、洛水の両岸を抑えられてしまった。戦いの際に打ち鳴らされる太鼓は吹きの山々に轟き、これを倒してもらいたいのだ。
旌旗 反乱軍の軍旗。○繽紛 ひらひらと風に翻っているさま。○兩河道 黄河の分水、渭水は長安を西に上流を流域とする川と洛陽も黄河の分水の洛水にそっている。この時両都市を反乱軍が抑えていた。 ○戰鼓 戦いの陣列を整える陣太鼓。○驚山 太鼓の音が山に轟いて、そこに住む人間にとって脅威であった。


秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
しかし、長安にいた臣下の者たちは、叛乱軍に進んで虜になってしまった。その捕虜たちの奸臣たちは叛乱軍の馬たちに託して洛陽に送られたのだ。
秦人 長安、洛陽の朝廷の官僚、臣下。○半作 官僚として王朝軍の筋を通さないこと。○燕地囚 反乱軍の捕虜となること。 ○胡馬 反乱軍の軍馬。○翻銜 馬の轡の向きを変える。ここでは西に向かう馬を東に帰ることで、反乱軍の本拠地洛陽に向かうことを示す。○洛陽草 洛陽で捕虜として仕えること。

一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
ひとたび輸送され、ひとたび消失して関中の兵は叛乱軍に下ったのだ。明日に降参した者たちは、ゆうべには幽州の薊の城郭から叛乱は始まったのだ。
幽薊 反乱軍が決起したところを示す。:幽州。・薊:古代中国の都市。春秋戦国時代には、燕の都が置かれた。現在の北京市。


巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』
安禄山の叛乱以来そのオオガメは大海原切り開いて出てくることはない。大魚と龍も大暴れしてどうしてそのままおとなしくしておられるものか。
巨鰲 オオガメ  李白『懷仙歌』 懷仙歌 李白 111
「堯舜之事不足驚。 自余囂囂直可輕。
 巨鰲莫戴三山去。 我欲蓬萊頂上行。」
(尭舜の事は驚くに足らず自余のものの囂囂(きょうきょう)たるは直だ軽んず可し。巨鰲は三山を戴きつつ去ること莫かれ、我は蓬莱の頂上に行かんと欲す)
儒教を国のおしえ覇道として堯帝と舜帝のやったことなど私にとっては驚くべきことではない、まして私に嘆いたり、心配してうるさいものはただ値打ちのない軽んじられるものなのだ
ただ大亀いる、仙人の住む三山をはるか先に背負っていってしまってはいけない、私はこれから蓬萊山の頂上に行こうと思っている。

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猛虎行#2 陸機  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -275

猛虎行#2 陸機  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -275

 父が亡くし、兄が死んででも守ろうとした祖国、その祖国を滅ぼした国に仕えるときの気持ちをしにしたものである。
 故国にいる間は同郷の士に畏れられていたが、晋に仕え始めてからは呉出身の人士のリーダー的存在となっている。
 儒学に親しみ、礼に外れることはなかったという。また、相当に負けん気の強い人物であったらしく、たびたび晋の官人と衝突している。それが、彼の不運な最期を招いたのかもしれない。

「猛虎行」その内容から、晋に仕官し始めてからの作で、敵のもとに仕える心情を詠っている。
李白の「猛虎行」はこの詩にイメージを借りているので、李白の詩の前に掲載することとした。儒学に嫌気を持っていた李白、李白の猛虎行は偽作とされている根拠が陸機の詩にあるのだろうか。

猛虎行
渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
悪木豈無枝、志士多苦心。整駕肅時命、杖策將尋遠。
飢食猛虎窟、寒栖野雀林。」日歸功未建、時往歳載陰。-#1
崇雲臨岸駭、鳴條随風吟。
崇高な雰囲気の雲は崖のように立ち上り驚かす、枝を鳴らせて風は吹きいつまでも吟じてくれている。
靜言幽谷底、長嘯高山岑。
しずかで奥深い谷の底にいる時にはこころのなかで思いを巡らせるのだ、そして高い山の峰にいるときには胸をはって長く自分の作った詩を唄ってみるのだ。
急絃無懦響、亮節難爲音。
張りつめた琴の絃で早く強く引けば、低く鈍い音は出ないものだ、心晴れ晴れとして出る高い声で気持ちというものは、この琴によっては弾くことで表せない。
人生誠未易、曷云開此衿。
人生は、誠に容易なものではない、今、どうして此の衿を開いて休んでいられるというものではないのだ。
眷我耿介懐、俯仰愧古今。」-#2

我が心に抱いた崇高で堅固な志をかえりみると、俯したり仰ぎみて、古今の人に恥じ入るばかりなのである。

○韻 陰、心、遠、林/建、陰、吟、岑、音、衿、今

猛虎の行(うた)
渇すれども盗泉の水を飲まず、熱けれど悪木の陰に息(いこ)わず。
悪木には豈(あ)に枝なからんや、志士は苦心多し。
駕を整えて時命を肅(つつし)み、杖(むち)を取りてまさに遠く尋ねんとす。
飢えては猛虎の窟(あな)に食らい、寒ければ野雀の林に栖(す)む。
日歸(おもむ)いて功は未だ建たず、時往(ゆ)いて歳は載(すなわ)ち陰(く)る。
#2
崇雲(しゅううん)は岸に臨みて駭(おどろ)き、鳴條(めいじょう)は風に従って吟ず。
靜言(せいげん)す幽谷の底、長嘯(ちょうしょう)す高山の岑(みね)。
急絃には懦響(だきょう)無く、亮節(りょうせつ)には音を為し難し。
人生は誠に未だ易からず、曷(いずく)んぞ云(ここ)に此の衿を開かん
我が耿介(こうかい)の懐(おもい)を眷(かえり)み、俯仰して古今に愧(は)ず。

猛虎行 陸機 #2 現代語訳と訳註
(本文)
崇雲臨岸駭、鳴條随風吟。
靜言幽谷底、長嘯高山岑。
急絃無懦響、亮節難爲音。
人生誠未易、曷云開此衿。
眷我耿介懐、俯仰愧古今。」-#2

(下し文) #2
崇雲(しゅううん)は岸に臨みて駭(おどろ)き、鳴條(めいじょう)は風に従って吟ず。
靜言(せいげん)す幽谷の底、長嘯(ちょうしょう)す高山の岑(みね)。
急絃には懦響(だきょう)無く、亮節(りょうせつ)には音を為し難し。
人生は誠に未だ易からず、曷(いずく)んぞ云(ここ)に此の衿を開かん
我が耿介(こうかい)の懐(おもい)を眷(かえり)み、俯仰して古今に愧(は)ず。

(現代語訳)
崇高な雰囲気の雲は崖のように立ち上り驚かす、枝を鳴らせて風は吹きいつまでも吟じてくれている。
しずかで奥深い谷の底にいる時にはこころのなかで思いを巡らせるのだ、そして高い山の峰にいるときには胸をはって長く自分の作った詩を唄ってみるのだ。
張りつめた琴の絃で早く強く引けば、低く鈍い音は出ないものだ、心晴れ晴れとして出る高い声で気持ちというものは、この琴によっては弾くことで表せない。
人生は、誠に容易なものではない、今、どうして此の衿を開いて休んでいられるというものではないのだ。
我が心に抱いた崇高で堅固な志をかえりみると、俯したり仰ぎみて、古今の人に恥じ入るばかりなのである。



(訳注)#2
崇雲臨岸駭 鳴條随風吟

崇高な雰囲気の雲は崖のように立ち上り驚かす、枝を鳴らせて風は吹きいつまでも吟じてくれている。
○自分の意志に反した戦いの中で、自然は何も変わっていないことを示す。


靜言幽谷底 長嘯高山岑
しずかで奥深い谷の底にいる時にはこころのなかで思いを巡らせるのだ、そして高い山の峰にいるときには胸をはって長く自分の作った詩を唄ってみるのだ。
○この聯も戦いに来ている自分を風流なことをするにより慰めていると考えられる。


急絃無懦響 亮節難爲音
張りつめた琴の絃で早く強く引けば、低く鈍い音は出ないものだ、心晴れ晴れとして出る高い声で気持ちというものは、この琴によっては弾くことで表せない。
○この詩は,儒教者の陸機が人生観を述べるのにこうした舞台を想像して詩を作っている。 ○亮節 淸く明かるさを持った仁徳に対する淸操。ここでは心晴れ晴れとして出る高い声で詠う詩の一節を言う。


人生誠未易 曷云開此衿
人生は、誠に容易なものではない、今、どうして此の衿を開いて休んでいられるというものではないのだ。 


眷我耿介懐 俯仰愧古今
我が心に抱いた崇高で堅固な志をかえりみると、俯したり仰ぎみて、古今の人に恥じ入るばかりなのである。
耿介 かたく志を守って譲らぬこと。詩人としては誇りだが、政治生活の中ではうとまれるものでもあったろう。


 父が亡くなる直前まで心配し、兄が死んででも守ろうとした祖国。その祖国を滅ぼした国に仕えるとき、彼は気持ちだったのだろう……。
 故国にいる間は同郷の士に畏れられていたが、晋に仕え始めてからは呉出身の人士のリーダー的存在となっている。
 儒学に親しみ、礼に外れることはなかったという。また、相当に負けん気の強い人物であったらしく、たびたび晋の官人と衝突している。(まあこれは呉の方言を馬鹿にされたり、祖父や父を嘲られたことに起因するが)それが、彼の不運な最期を招いたのかもしれない。


陸機(りく き) 261年 - 303年 永安4年(261年) - 太安2年(303年))は、呉・西晋の文学者・政治家・武将。字は士衡。呉の四姓(朱・張・顧・陸)の一つ、陸氏の出身で、祖父・父は三国志演義の登場人物としても有名な陸遜・陸抗。本籍は呉郡呉(今の江蘇省蘇州市)。ただし家は呉の都であった建業(現在の江蘇省南京市)の南や、祖父の封地であった華亭(雲間とも。現在の上海市松江区)等にあったようである。七尺もの身の丈を持ち、その声は鐘のように響きわたったという。儒学の教養を身につけ、礼に外れることは行なわなかった。同じく著名な弟の陸雲と合わせて「二陸」とも呼ばれる。文弱で親しみやすい弟に比して、陸機は郷党から畏れられていたが、洛陽に出て西晋に仕えてからは、兄弟ともに呉出身の人士のリーダー的存在であった。西晋のみならず、六朝時代を代表する文学者の一人であり、同時代に活躍した潘岳と共に、「潘陸」と並び称されている。特に「文賦(文の賦)」は、中国文学理論の代表的著作として名高い。また書家としては、彼の「平復帖」(北京故宮博物院所蔵)が現存する最古の有名書家による真跡とされる。
陸機(りくき) あざなは士衡(しこう) 中国西晋時代の詩人
呉の名族陸家の出身 祖父に陸遜、父に陸坑を持つ

261(0) 陸抗の四男として誕生
274(13) 父・陸抗病死・兄弟で父の兵を継ぐ
   (この間に三番目の兄が死亡か)
280(19) 戦で二人の兄を失う。祖国呉が晋に滅ぼされる。
|        この間、弟とともに故郷に籠る。
290(29) 周囲の説得に応じて晋に士官。

301(40) 陸機の仕えていた趙王司馬倫、帝位簒奪を狙うが誅殺される。
        側近であった陸機は周囲の計らいによって罪を許される。
303(42) 讒言による謀反の疑いをかけられ、処刑。
       弟、息子も連座して、陸家直系の血も絶えた。
                   

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 父が亡くし、兄が死んででも守ろうとした祖国、その祖国を滅ぼした国に仕えるときの気持ちをしにしたものである。
 故国にいる間は同郷の士に畏れられていたが、晋に仕え始めてからは呉出身の人士のリーダー的存在となっている。
 儒学に親しみ、礼に外れることはなかったという。また、相当に負けん気の強い人物であったらしく、たびたび晋の官人と衝突している。それが、彼の不運な最期を招いたのかもしれない。

「猛虎行」その内容から、晋に仕官し始めてからの作で、敵のもとに仕える心情を詠っている。
李白の「猛虎行」はこの詩にイメージを借りているので、李白の詩の前に掲載することとした。儒学に嫌気を持っていた李白、李白の猛虎行は偽作とされている根拠が陸機の詩にあるのだろうか。


猛虎行
渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
孔子はのどが渇いても、「盗泉」という名の泉の水は飲まず、どんなに熱くとも、「悪木」という名の木の下には休まない。
悪木豈無枝、志士多苦心。
「悪木」に日よけとなる枝がないわけではないが、 志の高きものはあれこれと思い悩むものである。
整駕肅時命、杖策將尋遠。
馬車を整えて、時の帝の命令を頂き、 馬にまたがり、鞭を手にして、いざこれより遠き敵のもとへすすんでいくのだ。
飢食猛虎窟、寒栖野雀林。」
今は、自分の考えとは違うことである猛虎のすむ洞窟に飢えたときには食を求め、寒い時には野雀の住む林にも泊まるような、何が正義かわからないいくさにかかわっている。
日歸功未建、時往歳載陰。-
#1
こんなことをしていて日々は過ぎてゆくが、いまだに何の功績もないのだ、時はさらに流れ、もう年が暮れてしまう時期になった。

崇雲臨岸駭、鳴條随風吟。
靜言幽谷底、長嘯高山岑。
急絃無懦響、亮節難爲音。
人生誠未易、曷云開此衿。
眷我耿介懐、俯仰愧古今。」-#2

○韻 陰、心、遠、林/建、陰、吟、岑、音、衿、今

猛虎の行(うた)
渇すれども盗泉の水を飲まず、熱けれど悪木の陰に息(いこ)わず。
悪木には豈(あ)に枝なからんや、志士は苦心多し。
駕を整えて時命を肅(つつし)み、杖(むち)を取りてまさに遠く尋ねんとす。
飢えては猛虎の窟(あな)に食らい、寒ければ野雀の林に栖(す)む。
日歸(おもむ)いて功は未だ建たず、時往(ゆ)いて歳は載(すなわ)ち陰(く)る。

#2
崇雲(しゅううん)は岸に臨みて駭(おどろ)き、鳴條(めいじょう)は風に従って吟ず。
靜言(せいげん)す幽谷の底、長嘯(ちょうしょう)す高山の岑(みね)。
急絃には懦響(だきょう)無く、亮節(りょうせつ)には音を為し難し。
人生は誠に未だ易からず、曷(いずく)んぞ云(ここ)に此の衿を開かん
我が耿介(こうかい)の懐(おもい)を眷(かえり)み、俯仰して古今に愧(は)ず。



猛虎行 現代語訳と訳註
(本文)

渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
悪木豈無枝、志士多苦心。
整駕肅時命、杖策將尋遠。
飢食猛虎窟、寒栖野雀林。」
日歸功未建、時往歳載陰。-#1


(下し文)
猛虎の行(うた)

渇すれども盗泉の水を飲まず、熱けれど悪木の陰に息(いこ)わず。
悪木には豈(あ)に枝なからんや、志士は苦心多し。
駕を整えて時命を肅(つつし)み、杖(むち)を取りてまさに遠く尋ねんとす。
飢えては猛虎の窟(あな)に食らい、寒ければ野雀の林に栖(す)む。
日歸(おもむ)いて功は未だ建たず、時往(ゆ)いて歳は載(すなわ)ち陰(く)る。


(現代語訳)
孔子はのどが渇いても、「盗泉」という名の泉の水は飲まず、どんなに熱くとも、「悪木」という名の木の下には休まない。
「悪木」に日よけとなる枝がないわけではないが、 志の高きものはあれこれと思い悩むものである。
馬車を整えて、時の帝の命令を頂き、 馬にまたがり、鞭を手にして、いざこれより遠き敵のもとへすすんでいくのだ。
今は、自分の考えとは違うことである猛虎のすむ洞窟に飢えたときには食を求め、寒い時には野雀の住む林にも泊まるような、何が正義かわからないいくさにかかわっている。
こんなことをしていて日々は過ぎてゆくが、いまだに何の功績もないのだ、時はさらに流れ、もう年が暮れてしまう時期になった。


(訳注)
渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
孔子はのどが渇いても、「盗泉」という名の泉の水は飲まず、どんなに熱くとも、「悪木」という名の木の下には休まない。
○孔子の故事の引用。そのように立派に生きたいということ。「飢えては猛虎の穴に食らい 凍えては野雀の林に栖む」より、その志に反するという悔しさを表す儒教者の教えをいう。陸機の教条的なことを示す一語といえる。


悪木豈無枝、志士多苦心。
「悪木」に日よけとなる枝がないわけではないが、 志の高きものはあれこれと思い悩むものである。
志士多苦心 聖人を意識して、常日頃、論語を確認して悩むことを示す。


整駕肅時命 杖策將尋遠
馬車を整えて、時の帝の命令を頂き、 馬にまたがり、鞭を手にして、いざこれより遠き敵のもとへすすんでいくのだ。
○士太夫は武具をそろえ、馬を調教し、馬車を仕立てておくもの、だがそれが自己の利益のために使われることがあってはならない。


飢食猛虎窟 寒栖野雀林
今は、自分の考えとは違うことである猛虎のすむ洞窟に飢えたときには食を求め、寒い時には野雀の住む林にも泊まるような、何が正義かわからないいくさにかかわっている。
猛虎窟 野盗盗賊のようなまねをするさま。○野雀林 雀の巢のあるはやしでやすむことは、農家や、村の中で勝手に泊まることのさまをいう。


日歸功未建 時往歳載陰
こんなことをしていて日々は過ぎてゆくが、いまだに何の功績もないのだ、時はさらに流れ、もう年が暮れてしまう時期になった
日歸 日が沈むことを繰り返すこと。何日も過ぎたことを言う。
功未建 「以義建功」(義をもって功を建てる)の基本からして何らの功績をあげられて異なこと。○載陰 『神農本草』「秋冬為陰」(秋冬を陰と為す)

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經下邳圯橋懷張子房 #2 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -273

經下邳圯橋懷張子房 #2 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -273


經下邳圯橋懷張子房    
子房未虎嘯、破產不為家。
滄海得壯士、椎秦博浪沙。』
報韓雖不成、天地皆振動。
潛匿游下邳、豈曰非智勇。』-#1
我來圯橋上、懷古欽英風。
わたしは子房が黄石公にであった下邳の土橋の上に来ていた、故事を思い、その英雄の風貌をうやまうものなのだ。
惟見碧流水、曾無黃石公。
そこにはただ目の前には苔むした青々とした水の流れがあるだけで、かの黃石公はもとより姿を現わすはずがないのだ。
嘆息此人去、蕭條徐泗空。』
#2
張良がこの世からいなくなってから、徐州と泗州とよばれる下邳の地方一帯が急にひっそりしてしまった、それに今この乱れた世に誰も出ないのかと思うと、ためいきが出てくるのだ。


下邳(かひ)の圯橋(いきょう)を經て張子房を懷う
子房 未だ虎 嘯せざり、產を破って 家を為さず。
滄海に 壯士を得て、秦を椎(つい)す 博浪沙。
韓に報じて 成らずと雖も、天地 皆 振動せり。
潜匿(せんとく)して 下邳(かひ)に遊ぶ、豈 智勇(ちゆう)に 非ずと 曰わんや。』-#1
我 圯橋(いきょう)の上に來り、古(いにしえ)を懐うて、英風を欽(しと)う。
唯だ見る 碧流(へきりゅう)の水、曾て無し 黄石(こうせき)公(こう)。
嘆息す 此の人去りて、蕭條(しょうじょう)徐泗(じょし)の空しきを。』-#2




經下邳圯橋懷張子房 現代語訳と訳註
(本文)
#2
我來圯橋上、懷古欽英風。
惟見碧流水、曾無黃石公。
嘆息此人去、蕭條徐泗空。』


(下し文) -#2
我 圯橋(いきょう)の上に來り、古(いにしえ)を懐うて、英風を欽(しと)う。
唯だ見る 碧流(へきりゅう)の水、曾て無し 黄石(こうせき)公(こう)。
嘆息す 此の人去りて、蕭條(しょうじょう)徐泗(じょし)の空しきを。』


(現代語訳)
わたしは子房が黄石公にであった下邳の土橋の上に来ていた、故事を思い、その英雄の風貌をうやまうものなのだ。
そこにはただ目の前には苔むした青々とした水の流れがあるだけで、かの黃石公はもとより姿を現わすはずがないのだ。
張良がこの世からいなくなってから、徐州と泗州とよばれる下邳の地方一帯が急にひっそりしてしまった、それに今この乱れた世に誰も出ないのかと思うと、ためいきが出てくるのだ。



(訳注)
我來圯橋上、懷古欽英風。

わたしは子房が黄石公にであった下邳の土橋の上に来ていた、故事を思い、その英雄の風貌をうやまうものなのだ。
圯橋:いきょう 土橋。○ うやまう。つつしむ。


惟見碧流水、曾無黃石公。
そこにはただ目の前には苔むした青々とした水の流れがあるだけで、かの黃石公はもとより姿を現わすはずがないのだ。
曾無 「曾」は「無」を強調する字。○英風 英雄の風貌。


嘆息此人去、蕭條徐泗空。』#2
張良がこの世からいなくなってから、徐州と泗州とよばれる下邳の地方一帯が急にひっそりしてしまった、それに今この乱れた世に誰も出ないのかと思うと、ためいきが出てくるのだ。
徐泗 徐州と泗州。いまの江薪省徐州から安徽省池原にいたる一帯の地方。下邸はこの地方にある。


 この頃この詩の言う「扶風」:鳳翔に粛宗皇帝は行在所(仮の朝廷)を置いていた。西から東の長安を攻め入る体制を整えていた。
 安禄山を秦の始皇帝に見立て、張良、韓信などの英雄の出現を李白自身、永王璘に求めたのであろうか。張旭らとの清談をする中ではもっと露骨な議論があったのであろうが、洛陽、長安を攻め落とすのはなかなか難しい状況であったのであろう。


「扶風豪士歌」 李白
洛陽三月飛胡沙。 洛陽城中人怨嗟。
天津流水波赤血。 白骨相撐如亂麻。
(洛陽 三月に胡沙飛び、洛陽城中 人は怨み嗟く
天津の流水は波も赤血なり、白骨相い培(つちかえ)えて乱るる麻の如し)

撫長劍。一揚眉。 清水白石何離離。
脫吾帽。向君笑。 飲君酒。為君吟。
張良未逐赤松去。 橋邊黃石知我心。』
(長劍を撫るい。一(ひとたび)眉を揚る。 清水白石 何ぞ離れ離れになるぞ。
吾が帽を脱ぎて君に向かって笑い。君の酒を飲み君が為に吟ず。
張良は末だ赤松を逐いて去らず、橋辺の黄石のみ我が心を知る)

扶風豪士歌 安史の乱と李白(3) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 215


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經下邳圯橋懷張子房 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -272

 

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經下邳圯橋懷張子房 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -272


安禄山の叛乱が起こって以来、南方地方を転々としている李白であるが、友人と酒を酌み交わすときに決まって、酔うと李白は韓信,張良の気分に浸ったようだ。既に掲載した「扶風豪士歌」扶風豪士歌 安史の乱と李白(3) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 215こののち掲載予定の「猛虎行」題名が面白い猛虎(叛乱軍)に立ち向かう任侠の士としてうたうもの(李白が作ったのではないという説もある)、そしてここに挙げる「經下邳圯橋懷張子房」である。


經下邳圯橋懷張子房    
子房未虎嘯、破產不為家。
下邳という地方の圯橋を通りかかってここの出身の張子房を懷(おも)いおこすのである。
滄海得壯士、椎秦博浪沙。』
張子房はまだ獲物を決めかねた虎がほえているだけで、仇を取ろうとしなかった、それは財産を売り払ってでも家の再興をなしえることをしなかったのだ。
報韓雖不成、天地皆振動。
しかし、無鉄砲にも、蒼海君から屈強な若者を譲り得て、博浪抄で秦の始皇帝の行列に鉄椎を投げつけさせた。
韓のためにくわだてた復讐は不成功におわったが、天も地も皆、なりひびくほどの喝采を受けたのだ。

潛匿游下邳、豈曰非智勇。』-#1

そのため、始皇帝は犯人を捕まえるため、大捜査を繰り広げたので、張子房はひそかに下邳の村に潜伏し勉強したのだ、そしてこれを智略と勇気を備えることといわずにおれようか。

我來圯橋上、懷古欽英風。
惟見碧流水、曾無黃石公。
嘆息此人去、蕭條徐泗空。』#2

下邳(かひ)の圯橋(いきょう)を經て張子房を懷う
子房 未だ虎 嘯せざり、產を破って 家を為さず。
滄海に 壯士を得て、秦を椎(つい)す 博浪沙。
韓に報じて 成らずと雖も、天地 皆 振動せり。
潜匿(せんとく)して 下邳(かひ)に遊ぶ、豈 智勇(ちゆう)に 非ずと 曰わんや。』-#1

我 圯橋(いきょう)の上に來り、古(いにしえ)を懐うて、英風を欽(しと)う。
唯だ見る 碧流(へきりゅう)の水、曾て無し 黄石(こうせき)公(こう)。
嘆息す 此の人去りて、蕭條(しょうじょう)徐泗(じょし)の空しきを。』-#2



經下邳圯橋懷張子房 現代語訳と訳註
(本文) 經下邳圯橋懷張子房 -#1

子房未虎嘯、破產不為家。
滄海得壯士、椎秦博浪沙。』
報韓雖不成、天地皆振動。
潛匿游下邳、豈曰非智勇。』


(下し文) 下邳の圯橋を經て張子房を懷う-#1
子房 未だ虎 嘯せざり、產を破って 家を為さず。
滄海に 壯士を得て、秦を椎(つい)す 博浪沙。
韓に報じて 成らずと雖も、天地 皆 振動せり。
潜匿(せんとく)して 下邳(かひ)に遊ぶ、豈 智勇(ちゆう)に 非ずと 曰わんや。』


(現代語訳)
下邳という地方の圯橋を通りかかってここの出身の張子房を懷(おも)いおこすのである。
張子房はまだ獲物を決めかねた虎がほえているだけで、仇を取ろうとしなかった、それは財産を売り払ってでも家の再興をなしえることをしなかったのだ。
しかし、教えを乞うてから、蒼海君から屈強な若者を譲り得て、博浪抄で秦の始皇帝の行列に鉄椎を投げつけさせた。
韓のためにくわだてた復讐は不成功におわったが、天も地も皆、なりひびくほどの喝采を受けたのだ。
そのため、始皇帝は犯人を捕まえるため、大捜査を繰り広げたので、張子房はひそかに下邳の村に潜伏し勉強したのだ、そしてこれを智略と勇気を備えることといわずにおれようか。


(訳注)
經下邳圯橋懷張子房

下邳という地方の圯橋を通りかかってここの出身の張子房を懷(おも)いおこすのである。
下邳:かひ いまの江蘇省北端の邳県の東にある。○圯橋:いきょう 土橋。○張子房 張良(ちょうりょう、生年未詳― 紀元前186年)は、秦末期から前漢初期の政治家・軍師。字は子房。諡は文成。劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、劉邦の覇業を大きく助けた。蕭何・韓信と共に漢の三傑とされる。劉邦より留(江蘇省徐州市沛県の東南)に領地を授かったので留侯とも呼ばれる。子には嗣子の張不疑と少子の張辟彊がいる。漢の高祖(鋸鰯の参謀として漢の帝国樹立に功績があり、斎何、韓信とともに、創業の表といわれている。のち、大名に封ぜられ、留侯と呼ばれた。張良の先祖は韓の人で、祖父も父も韓国の宰相をつとめた。

(この詩の背景としての逸話のまとめ)
・秦が韓を滅ぼした時、張良はまだ少年であったが、家財を投げ出して暗殺者を求め、秦の始皇帝を襲うと決意した。
・家柄からして、韓のために仇を報いざるを得なかったのである。
・かれは滄海君という異民族の酋長に力強い男を世話してもらう。
・大きなハンマーを作り、秦の始皇帝を博浪沙というところに行幸していたのを狙撃させた。
・狙いは外れて予備の車にあたった。
・始皇帝は大いに怒った。天下に犯人をもとめ、捜索は非常にきびしかった。

・張良は変名して下邳に身をかくしていた。ある日のこと、張良がぶらぶら散歩して下邸の土橋にさしかかると、一人のじいさんがそまつな着物をきて張良のそばに寄ってきた。
・いきなり、自分の靴を橋の下におとし、張良の顔をみて言った。「小僧、靴をとってきてくれ!」張良はびっくりした。
・殴ってやろうかと思ったが、年よりだから、がまんして降りていき靴を拾った。
・じいさんは言った。「わしにはかせろ」張良は是や靴を拾った以上仕方がない。膝まずいて、はかせてやった。
・じいさんは足で受け、笑って立ち去った。張良があっけにとられて後姿を見送っていると、しばらくして引きかえしてきたじいさんが言った。「小僧、教えがいのある奴だ。五日のち、明け方にわしと此所で会おう」
・張良は怪しみながらも「はい」と答えた。五日たって夜明けに張良が行くと、じいさんは先に来ている。
・そして怒って言う。「老人と約束してで遅れるとは何事だ!#!」去りながら言った。
・「五日のち、朝早く会おう」こんどは番鶏がなくころ張良は行った。じいさんはやっぱ。先に来ていた。・また怒って言う。「おくれるとは何事だ!」「五日のち、もっと早く来い」と。
・張良、こんどこそはと、夜中にもならないうちに行った。しばらくするとじいさんがやってきて、はじめてニコニコした。「こうこなくちゃいかん」
・一篇の書をとり出して言った。「これを読めば、王者の師となれる。十年のち、出世る。十三年のち、小僧はわしを済北の穀城山のふもとに見つけるであろう、黄石がつまりわしなんだ」言いおわると、さっと姿をけした。
・夜が明けてその書をよく見ると、太公望の兵書であった。張良はふしぎに思ったが、毎日これを通読した。やがて高祖が兵をあげると手柄を立てたのだ。
・十三年のち、高祖に従って済北を過ぎたとき、張良ははたして黄色の石を見つけたので、とってきてそれをまつったということである。


子房未虎嘯、破產不為家。
張子房はまだ獲物を決めかねた虎がほえているだけで、仇を取ろうとしなかった、それは財産を売り払ってでも家の再興をなしえることをしなかったのだ。
子房 張良。○虎嘯 虎がうそぶく、仕留める獲物を特定しないで空吼えをしていること。義臣が聖主にあって出世し天下に羽振。をきかせること。別に秦の始皇帝が天下に横暴を繰り返した。ここでは、安禄山を暗示させている。○破產 資産を売り払うこと。

滄海得壯士、椎秦博浪沙。』
しかし、無鉄砲にも、蒼海君から屈強な若者を譲り得て、博浪抄で秦の始皇帝の行列に鉄椎を投げつけさせた。
滄海 滄海君。異民族の酋長。○壯士  ○椎 椎(ハンマー)を投げつける。○ 秦の始皇帝。○博浪沙 いまの河南省原陽県(陽武)。開封の近くにある。

報韓雖不成、天地皆振動。
韓のためにくわだてた復讐は不成功におわったが、天も地も皆、なりひびくほどの喝采を受けたのだ。
○報韓 秦に敗れた韓の敵討ち。○天地皆振動 秦の始皇帝の徹底した統治に嫌気を持っていた人々、天下に離散した韓の関係者たちの喝采を浴びたこと。


潛匿游下邳、豈曰非智勇。』
そのため、始皇帝は犯人を捕まえるため、大捜査を繰り広げたので、張子房はひそかに下邳の村に潜伏し勉強したのだ、そしてこれを智略と勇気を備えることといわずにおれようか。
潛匿 ひそかに潜伏しかくれる。○游 勉強する。○智勇 智略と勇気を備えること。
張良が下邳に潜伏していることと、、李白、張旭らが逃避しているのを重ねている。

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答湖州迦葉司馬問白是何人 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -271

答湖州迦葉司馬問白是何人 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -271

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答湖州迦葉司馬問白是何人

青蓮居士謫仙人。 酒肆藏名三十春。
湖州司馬何須問。 金粟如來是後身。

 

青蓮(せいれん)居士(こじ)謫仙人(たくせんにん)、 酒肆(しゅし) 名を藏すること三十春(さんじゅうしゅん)。
湖州(こしゅう)の司馬 何ぞ問いを須いん、金粟(こんぞく)如來(にょらい)是れ身を後にす。

 

 

答湖州迦葉司馬問白是何人 現代語訳と訳註

(本文)
青蓮居士謫仙人。 酒肆藏名三十春。
湖州司馬何須問。 金粟如來是後身。

 

(下し文)

青蓮(せいれん)居士(こじ)謫仙人(たくせんにん)、 酒肆(しゅし) 名を藏すること三十春(さんじゅうしゅん)。
湖州(こしゅう)の司馬 何ぞ問いを須いん、金粟(こんぞく)如來(にょらい)是れ身を後にす。

 

(現代語訳)
湖州の迦葉司馬が「李白はどんな人物か」とたずねたのに答える。
仏教を勉強して青蓮居士と名乗り、道教を勉強して道士となり賀知章公から謫仙人と称せられた、酒場にて酒を飲むこと三十度春の新酒を飲んでおり、その名で蔵ができるほどだ。
湖州の司馬どのは、わざわざわたしに問われてなんとされるのか、金粟如来の生まれかわり、維摩居士こそ、このわたくしであるように、いい米が実ってくれれば、いいお酒ができるというもので、もっと本質を見る勉強をなされよ。

 

(訳注)
答湖州迦葉司馬問白是何人

湖州の迦葉司馬が「李白はどんな人物か」とたずねたのに答える。
湖州 現在の浙江省呉興。1981年、呉興県を廃止して湖州市に併せる。唐代には、湖州とも呉輿とも呼ばれていた。戦国時代の楚考烈王15年(紀元前248年)、楚国の春申君(楚の相の敬称)黄歇が封ぜられ城を築き、菰城と名付ける(菰が多い為)。下菰城とも。○迦葉司馬 -「迦葉」という姓の司馬。摩訶迦葉(まかかしょう)「頭陀第一」と讃えられる仏教教団の重鎮。釈迦亡き後の教団を指導した。釈迦の弟子中「迦葉」の名を持つ者は多く、また各々それなりに軽からざる人物である。例えば、成道前からの修行仲間にして最初の仏弟子の1人である十力迦葉。或いは、釈迦に随従することになる出家の弟子1250人の内、実にその1000人を率いてそっくり入信した迦葉3兄弟、即ち優楼頻螺(うるびんら)迦葉・伽耶(がや)迦葉・那提(なだい)迦葉 等。 しかしそれらの迦葉に比べても彼の功績はずば抜けて偉大である為、特にその名に「摩訶」(「大」の意)を冠して「摩訶迦葉」と呼び慣わす。ここの「迦葉」は、それを姓とする中国人は、インドからの帰化人を遠祖とするとされている。(宋、鄭樵『通志』巻二十九「諸方復姓」)。「司馬」 は、刺史・長史に次ぐ州の属官。科挙に及第したてで配属されていることが多い。この詩は、たずねたのが「迦葉司馬」という仏教を連想させる姓の役人だったので、結句において「金粟如來の後身」という仏教的な人間として自分を説明したもの。
 

青蓮居士謫仙人。 酒肆藏名三十春。
仏教を勉強して青蓮居士と名乗り、道教を勉強して道士となり賀知章公から謫仙人と称せられた、酒場にて酒を飲むこと三十度春の新酒を飲んでおり、その名で蔵ができるほどだ。
青蓮居士 李白の自称。李白の出身地が蜀の「青蓮郷」だったから、ともいわれるがそれだけでは李白に人間的深まりがなくなる。・「青蓮」は水蓮の一種。仏典では白蓮華、紅蓮華、青蓮華、黄蓮華があり、このうち青蓮華と黄蓮華がスイレンと言われている。仏典に頻出して、仏の眼に喩えられるものである。また、阿弥陀如来立像の蓮台というように仏像の台に出てくるようになる。・「居士」は、在家の仏教信徒。ここでは、釈迦の弟子維摩詰居士を連想した表現。○謫仙人 天上界から人間界に流涌(左遷)されてきた仙人。李白にとってきわめて重要な意味をもつ別称。 神仙にたとえられるような非凡な才能をもった人。道教からの評価、詩人としても最大の評価といえる。李白の詩才をほめて使っている。李白『對酒憶賀監其一』「長安一相見,呼我謫仙人。」(長安に 一たび相ひ見(まみ)え,我を謫仙人と呼ぶ。) 
○酒肆 酒を飲ませる店。酒場。李白『金陵酒肆留別』、『少年行』など。○ ここでは、収蔵し、とどめる、の意。酒を貯蔵する蔵と掛けて名を収蔵する酒に喩えて。○三十春 ただ、三十回春を迎えてきたというだけでなく、この句の初めの「酒」、「蔵」、「春」と言う意味から、この春には新豊の春の一番の酒を表している。酒を楽しむものの至福の時なのだ。王維『少年行』 「新豊の美酒 斗十千咸陽の遊侠 少年多し」、風雨』 李商隠など数多くの詩人が新豊の美酒を詠っている。李白の詩は、掘り下げれば、奥が深いものなのだ。それは、短い詩ばかり読んでいてはわからないことが多いということなのだ。

李白『楊叛兒



湖州司馬何須問。 金粟如來是後身。
湖州の司馬どのは、わざわざわたしに問われてなんとされるのか、金粟如来の生まれかわり、維摩居士こそ、このわたくしであるように、いい米が実ってくれれば、いいお酒ができるというもので、もっと本質を見る勉強をなされよ。
何須 なんとなす。必要がない。・「不須」もちいずの類語。○金葉如来 - 維摩居士の前身。金菜如来がこの世に来化して維摩居士になったとされる。ここでは実った稲穂を指すものと思 われ、それによってうまい酒が作られることの比喩という意味を含む。○後身 生まれかわり。「前身」 の対語。仏教説話としては、「金栗如来の後身」は「維摩居士」 であり、いいお米の生まれ変わりはいいお酒なのだ。

 

解説

○韻字 人・春・身。


30年酒を飲んできたことの結論である。勉強しつつも今を喜び、今を楽しく生きていても自分のみに勉強の積重ねはなされているものだ。量から質への変化を成しているのであるから、見た目だけの判断、聞いてわかろうとするものではないということを教えたものである。自らの勉学の深さ、高さによって物事は見るものである。見てわからないから、聞いてわかろうとする、科挙及第間もない若者に教えたのであろうと思われる詩である。詩人は、苦労している、それも並みのものではない。苦労が多ければ多いほど、その一字一句が味わい深いものとなっている。



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憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270

憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270

李白、会稽、紹興滞在中の作である。内容から、永王鄰の軍への参加より前の作である。朝廷に召される前に訪れたところ。謝安をまねて遊んだ。朝廷に上がる以上は隠遁以外で再び訪れることとは思っていなかった場所なのだ。
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其二
我今攜謝妓。 長嘯絕人群。
欲報東山客。 開關掃白云。

我 今 謝妓を攜え。 長嘯して 人群を絕つ。
東山の客に報わんと欲っす。關を開いて 白云を掃く。


憶東山二首其二 現代語訳と訳註
(本文) 其二
我今攜謝妓。 長嘯絕人群。
欲報東山客。 開關掃白云。


(下し文)
我 今 謝妓を攜え。 長嘯して 人群を絕つ。
東山の客に報わんと欲っす。關を開いて 白云を掃く。

(現代語訳)
私は今謝安が東山で芸妓ととも過ごしていたころと同じだ、気合を入れて、時が来れば、長い歌を吟じて奸臣の輩を絶滅させるのだ。
謝安のように東山の客としていた以上は同じように時期が来れば立ち上がって、国を救おうと思っている。長安の状態を打開して叛乱軍を平定して偽の皇帝と名乗っているものを払い落としてみせる。


(訳注)
我今攜謝妓。 長嘯絕人群。

私は今謝安が東山で芸妓ととも過ごしていたころと同じだ、気合を入れて、時が来れば、長い歌を吟じて奸臣の輩を絶滅させるのだ。
攜謝妓 晉の時代の謝安は、あざなを安石といい、四十歳になるまで浙江省の東山という山にこもって、ゆうゆうと寝てくらし、朝廷のお召しに応じなかった。当時の人びとは寄ると彼のうわさをした。「安石が出てこないと、人民はどうなるんだ」。時期が来るまで、待っている賢者というものは、一喜一憂しない。敵を油断させる方法にも幾通りもある。ここに言う「芸妓を携えて」というのは、国外のみならず国内にも敵がおり、国を建てなおすにも相手の状況の分析を行い、時機が到来して立ち上がったのであるが、東山に白雲堂、明月堂のあとがあり、山上よりの眺めは絶景だという。薔薇洞というのは、かれが妓女をつれて宴をもよおした所といわれ、妓女と酒を飲んで時期を待っていたことを言う。謝安について李白『送裴十八図南歸嵩山其二』「謝公終一起、相與済蒼生。」とあり、送裴十八図南歸嵩山 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白164
また、李白『梁園吟』「東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晩。」とある。

長嘯 李白が長嘯という語を使うのはそれを機に行動を起こす場合の言葉としている李白42 梁園吟.。
經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 216
李白『經亂後將避地剡中留贈崔宣城」(乱を経たるの後将に地を剡中に避けんとし留めて崔宣城に贈る)では、安禄山の叛乱軍を小馬鹿にして長嘯している。
「雙鵝飛洛陽。五馬渡江徼。
何意上東門。胡雛更長嘯。」
(双鵝 洛陽に飛び、五馬 江徼(コウキョウ)を渡る
なんぞ意(おも)はん上東門、胡雛(コスウ)さらに長嘯せんとは。)
東門 洛陽の門。○胡雛 こすう胡雛 五胡十六国の時代、後趙の帝位に就いた羯の石勒の故事。少年の頃、物売りをしているとその声を聞いた王衍は、「さきの胡雛、吾れその声視の奇志有るを観る。恐らくは将に天下の息をなさん」と言って収監しようとしたがすでに去ったあとだった(『晋書』載記四)。「胡雛」はえびすの幼子。胡人の子供に対する蔑称。ここでは李白から見て蔑称の胡の子供並みであると安禄山のことを示す。
また、李白 『贈王大勧入高鳳石門山幽居』

贈王大勧入高鳳石門山幽居 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 200

「投躯寄天下、長嘯尋豪英。」(躯を投げて天下に寄せ、長嘯して豪英を尋ねんとす。) 天下にこの一身を寄せるという気持ちを持ち続け、、世俗など超越した「優れた人物を尋ね歩く」という詩をいつまでも詠い続けるのである。
李白『游泰山六首其一』

李白 112 游泰山六首 (一作天寶元年四月從故御道上泰山)
「天門一長嘯。萬里清風來。」
天への門に向かって一たび長く唄い叫んだ、すると万里の先より清々しい風が吹いて釆た
天門に一たび長噴すれば、万里より清風釆たる

使い方としては「長嘯して~する」、ということである。



欲報東山客。 開關掃白云。
謝安のように東山の客としていた以上は同じように時期が来れば立ち上がって、国を救おうと思っている。長安の状態を打開して叛乱軍を平定して偽の皇帝と名乗っているものを払い落としてみせる。
東山客 謝安と同じ志を持っている李白のこという。○開關 関は関中で通常は長安をさすが、京畿とかんがえ洛陽を含む叛乱軍を指すと考える方が良い。
白云 天上にあるもの、手に届かないものであり、温かく見守るものの象徴としている。東山を思う二首の場合、天子を指している。其一では、希望夢であり、粛宗を指し、其の二では叛乱軍の大燕皇帝を指すものと思う。
李白『憶東山二首 其一』憶東山二首其一 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -269
不向東山久。 薔薇几度花。
白云還自散。 明月落誰家。
白雲は李白の希望、夢であった。白雲に対する明月は玄宗皇帝をあらわす

秋浦歌十七首 其十七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 261/350
祧波一步地。  了了語聲聞。
闇與山僧別。 低頭禮白云。
暗闇に紛れてわたしは村人と別れを告げたのだ。そして、結をあらにして天子の入り法に向かって深々と頭を下げ礼を取ったのだ。

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李白、会稽、紹興滞在中の作である。内容から、永王鄰の軍への参加より前の作である。朝廷に召される前に訪れたところ。謝安をまねて遊んだ。朝廷に上がる以上は隠遁以外で再び訪れることとは思っていなかった場所なのだ。



憶東山二首  李白
其一
不向東山久。 薔薇几度花。
白云還自散。 明月落誰家。

向わざること東山に久し、薔薇 幾度(いくたび)か花く。
白雲また自ら散す、明月 誰が家に落ちん。

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憶東山二首 其一 現代語訳と訳註
(本文)

其一
不向東山久。 薔薇几度花。
白云還自散。 明月落誰家。

(下し文)
向わざること東山に久(ひさ)し、薔薇 幾度(いくたび)か花(さ)く。
白雲 また自ら散(さん)す、明月 誰が家に落ちん。

(現代語訳)
二度と東山にはいかないと決めていてもう長いこと行っていない、薔薇の花も幾度も咲いただろうが花の様な芸妓たちは元気でいるのだろうか。白雲は自然に散り去っていく、美しい月は、輝くような芸妓は今日は誰の家にいるのだろうか。

(訳注)
不向東山久。 薔薇几度花。
二度と東山にはいかないと決めていてもう長いこと行っていない、薔薇の花も幾度も咲いただろうが、花の様な芸妓たちは元気でいるのだろうか。
不向 向わないと決めたこと。起承転結、それぞれの初めが対語になっている。不向に対して、薔薇は堅い約束を示す。
起:不向  承:薔薇  
転:白云  結:明月

東山 浙江省上虞県の西南にあり、会稽(紹興)からいうと東の山であり、名勝地。晋の太傅であった謝安がむかしここに隠居して、なかなか朝廷の招きに応じなかったので有名。山上には謝安の建てた白雲堂、明月堂のあとがあり、山上よりの眺めは絶景だという。薔薇洞というのは、かれが妓女をつれて宴をもよおした所と伝えられている。謝安(320年 - 385年)は中国東晋の政治家。王義之らと同時期のひと。
○几(幾)  数詞. 1.いくつ; 2.いくつか. 名詞. 1.(~儿)小さな机; 2.ひじかけ. 副詞. 1.〈書〉ほとんど.

白云還自散。 明月落誰家。
白雲は自然に散り去っていくように長安を追われて旅の空なのだ、美しい月は、輝くような芸妓は今日、誰の家にいるのだろうか。(天子は誰の意見を取り入れるべきなのか、いまだわかっていないようだ)
白雲は李白の希望、夢であった。白雲に対する明月は玄宗皇帝をあらわす。李林甫と宦官高力士、楊貴妃、楊国忠ら奸臣の意見しか取り入れなくなり、異民族、混血などの節度使に力を与えたことなどを込めた詩であえう。
立身出世をするものは、おおらかにしているものであり、時期が来るのを待っているものだ。今を楽しく愉快に過ごしていないものがどうして人の上に立ってけん引していくことができるというのか。謝安は遊ぶときには芸妓を伴って、徹底的遊んだものである。

 天子に正しい意見、情報が伝わらなくなってしまって誰が正しいのかわからなくなってしまっている。謝安も自分も芸妓遊びをしたとしても物の本質を見失うことはないのだ。この地において咲く花は薔薇であるが、天子のもとには牡丹の花、楊貴妃の色香に狂ってしまっている。誰の意見を聞き入れるのか。

一般的な解釈
東山に足を向けなくなって久しいが、薔薇は幾度目の花をひらいたか。皇霞もう思い思いに散ってしまったことだろう。明月はさて誰の家の屋根に沈んだものか。
一般的な下し文
東山(とうざん)に向(む)かわざること久(ひさ)し、 薔薇(そうび)は幾度(いくたび)か花(はな)さきし 白雲(はくうん)の他(かれ)は自(おの)ずと散(ち)らん 明月(めいげつ)は誰(た)が家(いえ)にか落(お)つ。

  (東山にはずいぶんご無沙汰しているが、薔薇は何度咲いたやら、真白き雲はきままに散っていようが、月は誰の家の屋根へと沈み行くことか)。 



  このような李白の女性に対する性的な部分のみをこの詩の主題と解釈してはいけないのである。一般的な解釈をしてしまうと憶東山二首其二が意味不明になってしまう。李白は会稽、紹興に帰ってきてこの詩を作ったのではないのである。
 李白はいくつもの意味合いを込めて詠うのである。したがって、味わい深いのである。儒教的見方をすると李白がまた女性との性を詠っていると毛嫌いするようでは味わい深い李白の詩が死んでしまう。


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金郷迭韋八之西京 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -268

金郷迭韋八之西京 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -268

頌春00

金郷送韋八之西京
山東省滋陽県兗州金郷で長安に旅立つ韋八君を送る歌。
客自長安来、還辟長安去。
旅人の君は、長安から来たのだが、また旅人となって、あの大変な長安へ帰ってゆくのである。
狂風吹我心、西桂成陽樹。
長安に向かってくる風は狂おしいものでわたしの心を吹きとばし、西の方へはこんで長安の都をずっと見てきた木の枝にひっかけてしまうだろう。
此情不可道、此別何時遇。
思うことが多くて、この気持は言うことができないくらいなのだ、だから、大変なところへ行く君と別れるということになるがいつ又逢えることになるのだろうか。
望望不見君、連山起煙霧。

不安で、不安で仕方がない、眺めてみても、どんなに眺めたとしても君の姿は見えないのだ、あれだけ聳え、連なる山山に、靄がたちこめているのだ。


金郷にて韋八の西京に之くを送る
客は長安より来り、還た長安に帰り去る。
狂風 我が心を吹いて、酉のかた咸陽の樹に桂く。
此の情 道う可からず、此の別れ 何れの時か遇わん。
望み望めども 君を見ず、連山 煙霧を起す。


金郷送韋八之西京 現代語訳と訳註
(本文)
金郷迭韋八之西京
客自長安来、還辟長安去。
狂風吹我心、西桂成陽樹。
此情不可道、此別何時遇。
望望不見君、連山起煙霧。


(下し文) 金郷にて韋八の西京に之くを送る
客は長安より来り、還た長安に帰り去る。
狂風 我が心を吹いて、酉のかた咸陽の樹に桂く。
此の情 道う可からず、此の別れ 何れの時か遇わん。
望み望めども 君を見ず、連山 煙霧を起す。

(現代語訳)
山東省滋陽県兗州金郷で長安に旅立つ韋八君を送る歌。
旅人の君は、長安から来たのだが、また旅人となって、あの大変な長安へ帰ってゆくのである。
長安に向かってくる風は狂おしいものでわたしの心を吹きとばし、西の方へはこんで長安の都をずっと見てきた木の枝にひっかけてしまうだろう。
思うことが多くて、この気持は言うことができないくらいなのだ、だから、大変なところへ行く君と別れるということになるがいつ又逢えることになるのだろうか。
不安で、不安で仕方がない、眺めてみても、どんなに眺めたとしても君の姿は見えないのだ、あれだけ聳え、連なる山山に、靄がたちこめているのだ。


(訳注)
金郷迭韋八之西京

山東省滋陽県兗州金郷で長安に旅立つ韋八君を送る歌。
金郷 いまの山東省滋陽県(兗州)の近くにあった町の名。○韋八 この人のことはわからない。八は八郎。○西京 西の都、長安(いまの陝西省西安)のこと。東の都、洛陽に対する呼び方。特に、兩都が叛乱軍によって占拠されており、西の鳳翔から、長安にそして洛陽を奪回したことから、特に安史の乱の時期には西京というような表現が多く使われた。運河を使い、黄河を登るルートは叛乱軍の中を通るため、持物が強奪されるだけでなく、命も危ぶまれた。したがって長江の支流漢江を最上流に上り、山越えをするルートでいったのだ。


客自長安来、還辟長安去
旅人の君は、長安から来たのだが、また旅人となって、あの大変な長安へ帰ってゆくのである。
 旅人。韋八をさす。○長安来 反乱軍のことをうまく表現したもので、“行きはよいよい、帰りは恐い” を表現している。


風吹我心、西桂咸陽樹
長安に向かってくる風は狂おしいものでわたしの心を吹きとばし、西の方へはこんで長安の都をずっと見てきた木の枝にひっかけてしまうだろう。
狂風 李白の朝廷を追われたことを思い出して、朝廷内の冷ややかな目を強風というのか、安禄山の叛乱軍が、強奪、略奪をほしいままに行い、旧朝廷の人間たちは震え上がっていたことを示すもので、どちらも李白にとっていやなものでしかないのである。○咸陽 長安の渭水をへだてた対岸にあり、秦の時代の首都であるが、ここでは首都という意味で長安そのものをさす。詩人は、古い時代の地名を好んで使う。李白は秦樹という表現で長安の街を秦の昔からずっと見てきた樹という意味で使っている。


此情不可道、此別何時遇
思うことが多くて、この気持は言うことができないくらいなのだ、だから、大変なところへ行く君と別れるということになるがいつ又逢えることになるのだろうか。
此情 李白は長安の思いが言い表せないほどこみあげてくるものがあるのだ。それを強調するため次の句がある。○此別 ただでさえ大変なところへ帰るのに、今は、叛乱軍により、どうなることやら心配で仕方がないのだ。


望望不見君、連山起煙霧
不安で、不安で仕方がない、眺めてみても、どんなに眺めたとしても君の姿は見えないのだ、あれだけ聳え、連なる山山に、靄がたちこめているのだ。
望望不見君 望むというのは、景色であり、希望であり、はっきりしているものに使われる語デアるが、ここでは、まったく正反対の不安な状況を歌うものである。○連山起煙霧 連山も連なってはっきりしたものであるはずのものであるが、それが煙霧にかかっている。この時代、山東省は安禄山の拠点であり、黄河流域はまともな状態ではなかったのであろう。



(解説)
○詩型 五言律詩

○押韻 去、樹、遇、霧。


 都長安へ戻っていく旅人を送った詩。「狂風」は,詩人の心を掻きむしるような物狂おしい風である。金郷から遥か遠くの咸陽まで吹き通す強風であると同時に,「狂」字は,詩人の心の強い昂揚を表す。都に対する恋情・懐念が触発され,居ても立ってもいられない思いで心乱れる詩人の姿そのものとして描かれている。
 横江の白波が逆巻いて渡れない。狂ったように吹き荒れる強風が船頭たちを悩ませる。李白が自らの険難な前途を寓した詩として読めば,ここでもまた「狂風」は単なる自然現象としての烈風ではなく,詩人を取り巻く状況の困難,あるいは安禄山の乱が勃発した当時の政治的風波を象徴するものである。

横江西望阻西秦、漢水東連揚子津。
白浪如山那可渡、狂風愁殺峭帆人。
横江 西に望めば西秦と阻たり、
漢水 東に連なる揚子の津。
白浪 山の如し 那ぞ渡るべけんや、
狂風 愁殺す 峭帆の人 
(李白「横江詞六首」其三)



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贈韋侍御黄裳 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -267

贈韋侍御黄裳 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -267

頌春00

贈韋侍御黄裳
韋黄裳侍御に贈る
太華生長松,亭亭凌霜雪。
五岳の一、華山には高い老松が生えている。男として高く聳(そび)え立って、霜や雪をしのいで強いものである。
天與百尺高,豈爲微飆折。
天により百尺もの高さを与えられたが。 どうして微風で折れるというものであるものか。
桃李賣陽艷,路人行且迷。
私とあなたの元には徳を慕て人が自然と集まって来るのであり、女はモモやスモモは、艶やかであることを売り物にする。道行く人々というものはしばしば迷うものである。 
春光掃地盡,碧葉成黄泥。
万物が芽吹き育つ春の日ざしの気節というものは、いつかは地を払ってすっかりなくなるのだ。美しくみずみずしい緑色の葉であったものも、やがて落ちて大地の黄色い泥、人も塵泥となるものなのだ。 
願君學長松,慎勿作桃李。
お願いしたい、あなたは高い松の木が大きくなるまでにどれほどの時間を経ているかということを学んでほしい。どうか本来のモモやスモモであってほしいが、表面の美しさだけを追い求めるということだけは慎んでほしい。
受屈不改心,然後知君子。
屈辱を受け、無実の罪を冤(こうむ)ることがあったのですが心を変えることなかった。そういう試煉を経てみると、君子というものの値打ちが分かるのだ。

韋侍御黄裳に贈る       

太華に 長松 生じ,亭亭として 霜雪を 凌(しの)ぐ。
天  百尺(ひゃくせき)の高さを 與ふるも,豈(あ)に  微飆(びべう)の爲に 折れんや。
桃李 陽艷を 賣り,路人 行きて且(まさ)に 迷はんとす。
春光 地を 掃(は)き 盡(つ)くさば,碧葉  黄泥と成る。
願はくは 君 長松に學びて,慎(つつし)みて 桃李と作(な)る勿(なか)れ。
屈を 受くれども 心を 改めず,然(しか)る後に 君子なるを知る。


rika03


贈韋侍御黄裳 現代語訳と訳註
(本文)
贈韋侍御黄裳
太華生長松,亭亭凌霜雪。
天與百尺高,豈爲微飆折。
桃李賣陽艷,路人行且迷。
春光掃地盡,碧葉成黄泥。
願君學長松,慎勿作桃李。
受屈不改心,然後知君子。


(下し文) 韋侍御黄裳に贈る       
太華に  長松 生じ,亭亭として  霜雪を 凌(しの)ぐ。
天  百尺(ひゃくせき)の高さを 與ふるも,豈(あ)に  微飆(びべう)の爲に 折れんや。
桃李  陽艷を 賣り,路人  行きて 且(まさ)に 迷はんとす。
春光  地を 掃(は)き 盡(つ)くさば,碧葉  黄泥と 成る。
願はくは 君  長松に學びて,慎(つつし)みて  桃李と 作(な)る勿(なか)れ。
屈を 受くれども  心を 改めず,然(しか)る後に  君子なるを知る。


(現代語訳)
韋黄裳侍御に贈る
五岳の一、華山には高い老松が生えている。男として高く聳(そび)え立って、霜や雪をしのいで強いものである。
天により百尺もの高さを与えられたが。 どうして微風で折れるというものであるものか。
私とあなたの元には徳を慕て人が自然と集まって来るのであり、女はモモやスモモは、艶やかであることを売り物にする。道行く人々というものはしばしば迷うものである。 
万物が芽吹き育つ春の日ざしの気節というものは、いつかは地を払ってすっかりなくなるのだ。美しくみずみずしい緑色の葉であったものも、やがて落ちて大地の黄色い泥、人も塵泥となるものなのだ。 
お願いしたい、あなたは高い松の木が大きくなるまでにどれほどの時間を経ているかということを学んでほしい。どうか本来のモモやスモモであってほしいが、表面の美しさだけを追い求めるということだけは慎んでほしい。
屈辱を受け、無実の罪を冤(こうむ)ることがあったのですが心を変えることなかった。そういう試煉を経てみると、君子というものの値打ちが分かるのだ。


(訳注)
贈韋侍御黄裳

韋黄裳侍御に贈る
韋侍御黄裳 韋は姓、侍御は官職、黄裳は名。 ○侍御:天子の側に仕える官。○この作品は、韋黄裳が昇州刺史から蘇州刺史・浙西節度使となって行く時に、李白が贈ったもので、韋黄裳は落ち込んでいたのを、激励したものである。


太華生長松、亭亭凌霜雪。
五岳の一、華山には高い老松が生えている。男として高く聳(そび)え立って、霜や雪をしのいで強いものである。
太華 華山。五岳の一。陝西省華県の西、渭南県の東、長安と洛陽の間に聳(そび)える高峰。大華山。西岳。 ○ 生(は)えている。 ○長松 老松。大きくなった松。贈る韋黄裳を男性の象徴としての意味をもつ者。○亭亭 高く聳(そび)え立つさま。また、遠く遥かなさま。ここでは、前者の意。 ○ おしのける。しのぐ。 ○霜雪 霜と雪。霜や雪。厳しく困難な環境の譬喩。


天與百尺高、豈爲微飆折。
天により百尺もの高さを与えられたが。 どうして微風で折れるというものであるものか。
 天(が)。造物主(が)。神(が)。生まれながら(に)。 ○与える。 ○百尺 とても高い表現。25~30メートル程の高さ。○豈爲 どうして…のこととなろうか。 ○微飆 微風。


桃李賣陽艷、路人行且迷。
私とあなたの元には徳を慕て人が自然と集まって来るのであり、女はモモやスモモは、艶やかであることを売り物にする。道行く人々というものはしばしば迷うものである。 
桃李 モモとスモモ。モモやスモモ。「桃李不言、下自成渓。」(桃李言わざれども下自ずから蹊を成す』
桃や李(すもも)は何も言わないが、花の美しさに惹かれて多くの人が集まってくるから、木の下には自然と道ができる。徳望のある人のところには、自(みずか)ら求めなくても、その徳を慕て人が自然と集まって来ることの喩え。と同時に女性の象徴としての意味もかけている。 ○ 宣伝する。売り物にする。ひけらかす。得意になる。 ・陽艷 うわべが艶(あで)やかである。派手やかである。○路人 道行く人。往来する人。行人。赤の他人。 ○しようとする。まさに…んとす。同時進行を表す。かつ。短時間を表す。しばし。ここでは、最前者の意。 


春光掃地盡、碧葉成黄泥。
万物が芽吹き育つ春の日ざしの気節というものは、いつかは地を払ってすっかりなくなるのだ。美しくみずみずしい緑色の葉であったものも、やがて落ちて大地の黄色い泥、人も塵泥となるものなのだ。 
春光 万物が芽吹き育つ春の日ざし。春の風光。暖かい春の景色。 ○掃地 すっかりなくなる。地を払う。○ しつくす。すっかり。○碧葉 緑色の(美しくみずみずしい)葉。 ○ …となる。ここでは、葉が散って、腐葉土となること。 ○黄泥 大地の黄色い泥。人も塵と化すことを示す。


願君學長松、慎勿作桃李。
お願いしたい、あなたは高い松の木が大きくなるまでにどれほどの時間を経ているかということを学んでほしい。どうか本来のモモやスモモであってほしいが、表面の美しさだけを追い求めるということだけは慎んでほしい。
願君 あなたにお願いするが、(あなたは)…。○慎勿 どうか…しないようにしていただきたい。慎んで……なかれ。 ○(…と)なる。 ○桃李 ここでは、陽艷で浮華の物として使われている。


受屈不改心、然後知君子。
屈辱を受け、無実の罪を冤(こうむ)ることがあったのですが心を変えることなかった。そういう試煉を経てみると、君子というものの値打ちが分かるのだ。
受屈 いじめられる。虐待を受ける。屈辱を受ける。無実の罪を冤(こうむ)る。 ○不改心 心を変えない。「受屈不改心,然後知君子」前出『論語』子罕篇の「歳寒,然後知松柏之後凋也」。 ○然後 そうした後。 ○君子 立派な人士。自分が仕えたいと願える人物。 



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夜泊黄山聞殷十四呉吟 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -266

夜泊黄山聞殷十四呉吟 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -266
(夜黄山に泊して殷十四の呉吟を聞く)

頌春00

夜泊黄山聞殷十四呉吟
ある夜、黄山に泊って殷兄弟順の十四番目の呉歌を吟じたのを聞いいた。
昨夜誰爲具會吟、風生萬壑振空林。
ゆうべ、呉の地方の歌曲をうたっていたのは誰だったのか。風が谷という谷に吹き荒れ、葉を落しきった林に吹いたのだ。
龍驚不敢水中臥、猿嘯時間巌下音。
隠れ、寝ていた竜はびっくりして目をさまし、じっと寝ていることができなかった。猿の寂しいけど鋭いなき声が、時をおいて何度も、岩の下から聞こえてきた。
我宿黄山碧渓月、聴之却罷松間琴。
わたしはここ黄山に泊まった緑静かな渓谷の中で月を見て、この鳴き声を聞いていると今まで松の木の間で引いていた琴を止めてしまうほどだった。
朝来果是滄州逸、酤酒提盤飯霜栗。
けさになってから、はたしてそれは滄州にすむ隠者がおこしていた仕業であるとわかった。隠者には酒である、そこで酒を買い、肴をいれた皿をさげ持ち、粟飯を用意して訪ねたのだ。
半酣更發江海聲、客愁頓向杯中失。

黄山に宿をとったわたしは、碧の谷川の月を見ていたが、酒が半ばまわってくると、かれはさらにまた、自由なうた声を響かせうならせはじめた。その歌を耳にすると、旅の愁がいっぺんに、琴の手を頓挫して、杯の中にむかって消え失せさせてくれた。 


夜黄山に泊して殷十四の呉吟を聞く

昨夜 誰か呉会の吟を為す、風は万壑(ばんがく)に生じて 空林に振う。

竜は驚いて敢て水中に臥さず、猿は嘯いて時に聞く巌下の音。

我は宿す黄山碧渓(へきけい)の月、之を聴いて却って罷む 松間の琴。

朝来 果して是れ 滄洲の逸、酒をい盤を提げ 霜栗を飯す。

半酣 更に発す 江海の声、客愁 頓(とみ)に杯中に向って失す

56moon


夜泊黄山聞殷十四呉吟 現代語訳と訳註
(本文)

昨夜誰爲具會吟、風生萬壑振空林。
龍驚不敢水中臥、猿嘯時間巌下音。
我宿黄山碧渓月、聴之却罷松間琴。
朝来果是滄州逸、酤酒提盤飯霜栗。
半酣更發江海聲、客愁頓向杯中失。

(下し文)
昨夜 誰か呉会の吟を為す、風は万壑(ばんがく)に生じて 空林に振う。
竜は驚いて敢て水中に臥さず、猿は嘯いて時に聞く巌下の音。
我は宿す黄山碧渓(へきけい)の月、之を聴いて却って罷む 松間の琴。
朝来 果して是れ 滄洲の逸、酒を酤い盤を提げ 霜栗を飯す。
半酣 更に発す 江海の声、客愁 頓(とみ)に杯中に向って失す

(現代語訳)
ある夜、黄山に泊って殷兄弟順の十四番目の呉歌を吟じたのを聞いいた。
ゆうべ、呉の地方の歌曲をうたっていたのは誰だったのか。風が谷という谷に吹き荒れ、葉を落しきった林に吹いたのだ。
隠れ、寝ていた竜はびっくりして目をさまし、じっと寝ていることができなかった。猿の寂しいけど鋭いなき声が、時をおいて何度も、岩の下から聞こえてきた。
けさになってから、はたしてそれは滄州にすむ隠者がおこしていた仕業であるとわかった。隠者には酒である、そこで酒を買い、肴をいれた皿をさげ持ち、粟飯を用意して訪ねたのだ。
黄山に宿をとったわたしは、碧の谷川の月を見ていたが、酒が半ばまわってくると、かれはさらにまた、自由なうた声を響かせうならせはじめた。その歌を耳にすると、旅の愁がいっぺんに、琴の手を頓挫して、杯の中にむかって消え失せさせてくれた。 


(訳注)
夜泊黄山聞殷十四呉吟

ある夜、黄山に泊って殷兄弟順の十四番目の呉歌を吟じたのを聞いいた。
黄山 いまの安徽省当塗県にあり、むかし浮邱翁という者が鷄をここで飼ったと伝えられ、又の名を浮邱やまという。○殷十四 この人のくわしい事跡は不明。十四は、中国の大家族の中で、いとこをふくめた兄弟の順番を示す。殷家の十四番目の息子である。○呉吟 呉の国の歌曲。


昨夜誰爲具會吟、風生萬壑振空林
ゆうべ、呉の地方の歌曲をうたっていたのは誰だったのか。風が谷という谷に吹き荒れ、葉を落しきった林に吹いたのだ。
呉会 呉郡と会稽郡。すなわち、いまの江蘇省南部と浙江省北部。長江下流の南側、いわゆる江南の地方と蘇州と銭塘江流域、紹興がその中心地。〇万壑 万の谷。


龍驚不敢水中臥、猿嘯時間巌下音。
隠れ、寝ていた竜はびっくりして目をさまし、じっと寝ていることができなかった。猿の寂しいけど鋭いなき声が、時をおいて何度も、岩の下から聞こえてきた。
 架空の動物。水中に臥しているが、時を得て雲をよび天に昇るという。○猿嘯 猿のなき声。キァーキィーッツという鋭い声。

我宿黄山碧渓月、聴之却罷松間琴。
わたしはここ黄山に泊まった緑静かな渓谷の中で月を見て、この鳴き声を聞いていると今まで松の木の間で引いていた琴を止めてしまうほどだった。

朝来果是滄州逸、酤酒提盤飯霜栗。
けさになってから、はたしてそれは滄州にすむ隠者がおこしていた仕業であるとわかった。隠者には酒である、そこで酒を買い、肴をいれた皿をさげ持ち、粟飯を用意して訪ねたのだ。
朝来 朝になって。○滄州 東方の海上にあると信じられた仙人の島。○逸 隠者。○ 酒を買う。○飯霜栗 晩秋、霜のふる頃に熟した粟を、飯にまぜて炊く。


半酣更發江海聲、客愁頓向杯中失。
黄山に宿をとったわたしは、碧の谷川の月を見ていたが、酒が半ばまわってくると、かれはさらにまた、自由なうた声を響かせうならせはじめた。その歌を耳にすると、旅の愁がいっぺんに、琴の手を頓挫して、杯の中にむかって消え失せさせてくれた。 
江海声 自由な境涯にいる人のうた聲。長江、大海の上で気ままに歌うことを表す。○ 息に。



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古朗月行 #2 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 265/350

古朗月行 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 265/350
頌春00

#1
小時不識月、呼作白玉盤。
又疑瑤台鏡、飛在青云端。
仙人垂兩足、桂樹何團團。
白兔搗藥成、問言與誰餐。
#2
蟾蜍蝕圓影、大明夜已殘。
だが、月の中にはヒキガエルがすんでいて、月のまるい影を食べている。月明かりが大きく照らさている夜があり、欠けてしまって夜の明りがのこる。
羿昔落九烏、天人清且安。
大むかし十個の太陽があっって、日が定まらず困っていたので、弓の名手の羿が、九羽のカラスを射落すことによって、天は清らかに、人びとは安らかになった。
陰精此淪惑、去去不足觀。
天道には、陰と陽があり、陰の象徴である月の梧桐から追い出され后妃を殺し、沈みきって蜀まで迷い逃げた。叛乱軍は衰えるところなく時は、しだいに都を見るかげもないものにして行った。
憂來其如何、淒愴摧心肝。
この先行きに対し、憂いのおこるのをどうしたらよいのであろう。この国のことを考えるにつけ、いたみかなしみがとめどなく、わたしの心をこなごなにする。

#1
小時(しょうじ)月を識(し)らず、呼んで白玉(はくぎよく)の盤(はち)と作(な)す。
又た疑ふ瑤台(ようだい)の鏡、飛んで碧雲(へきうん)の端に在るかと。
又た疑う 瑶台の鏡、飛んで青雲の端に在るかと。
仙人 両足を垂る、桂樹 何ぞ団団たる。
白兔 薬を搗いて成る、問うて言う 誰に与えて餐(さん)せしむるかと。

2 

蟾蜍(せんじょ)は 円影を蝕し、大明 夜已に残く。

羿(げい)は昔 九鳥を落とし、天人 清く且つ安し。

陰精(いんせい) 此に淪惑(りんわく)、去去 観るに足らず。

憂 來りて 其れ如何、悽愴(せいそう) 心肝を摧(くだ)く。


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#2 現代語訳と訳註
(本文) #2

蟾蜍蝕圓影、大明夜已殘。
羿昔落九烏、天人清且安。
陰精此淪惑、去去不足觀。
憂來其如何、淒愴摧心肝。


(下し文) #2 
蟾蜍(せんじょ)は 円影を蝕し、大明 夜已に残く。
羿(げい)は昔 九鳥を落とし、天人 清く且つ安し。
陰精(いんせい) 此に淪惑(りんわく)、去去 観るに足らず。
憂 來りて 其れ如何、悽愴(せいそう) 心肝を摧(くだ)く。

(現代語訳)
だが、月の中にはヒキガエルがすんでいて、月のまるい影を食べている。月明かりが大きく照らさている夜があり、欠けてしまって夜の明りがのこる。
大むかし十個の太陽があっって、日が定まらず困っていたので、弓の名手の羿が、九羽のカラスを射落すことによって、天は清らかに、人びとは安らかになった。
天道には、陰と陽があり、陰の象徴である月の梧桐から追い出され后妃を殺し、沈みきって蜀まで迷い逃げた。叛乱軍は衰えるところなく時は、しだいに都を見るかげもないものにして行った。
この先行きに対し、憂いのおこるのをどうしたらよいのであろう。この国のことを考えるにつけ、いたみかなしみがとめどなく、わたしの心をこなごなにする。


(訳注)
蟾蜍蝕圓影、大明夜已殘。

だが、月の中にはヒキガエルがすんでいて、月のまるい影を食べている。月明かりが大きく照らさている夜があり、欠けてしまって夜の明りがのこる。
蟾蜍 月の中にすむヒキガエル。これに食われて月が欠けるという。○大明 月のこと。○ 不完全になる。月かける夜が残る。

羿昔落九烏、天人清且安。
大むかし十個の太陽があっって、日が定まらず困っていたので、弓の名手の羿が、九羽のカラスを射落すことによって、天は清らかに、人びとは安らかになった。
羿昔落九烏 「准南子」に見える話。大むかし、堯帝の時代に、天上に十個の太陽が出現して、地上の草木がみな焼けて枯れてしまった。堯帝は弓の名手の羿に命じて、穹を放ち太陽を退治させ、九つの太陽を射落した。太陽の中には一羽ずつの烏がすんでいたが、九羽の鳥がみな射られて死んだ。残ったのが三本足の八咫烏である。

陰精此淪惑、去去不足觀。
天道には、陰と陽があり、陰の象徴である月の梧桐から追い出され后妃を殺し、沈みきって蜀まで迷い逃げた。叛乱軍は衰えるところなく時は、しだいに都を見るかげもないものにして行った。
陰精 漢の張衡の「霊憲」に「月は陰精の宗」とある。ここでは、陰精はすなわち月。ここでの月は玄宗皇帝を示す。月の梧桐を追い出された鳳凰夫婦のことを言う。○淪惑 しすみ、まどう。○去去 やすむことなく進行するさま。


憂來其如何、淒愴摧心肝。
この先行きに対し、憂いのおこるのをどうしたらよいのであろう。この国のことを考えるにつけ、いたみかなしみがとめどなく、わたしの心をこなごなにする。
淒愴 いたみかなしむ。○心肝 こころ。くわしくいえば、心臓と肝臓。

 



解説 と このブログについて
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 太陽がかつて十個あったという神話は、殷王朝も共有していた(干支の「十干」や暦の「旬」に今も残る。この前後・相互関係は極めて複雑かつ微妙で、要するに不明である)。三本足のカラスは「八咫烏」(やたがらす)として有名である。



 月のウサギは道教の神・西王母(せいおうぼ)の神話に属しているが、西方の仙界・崑崙山(こんろんさん)に棲むその西王母に従うものにウサギがいる。ウサギは、上下対称で中央部を持って搗(つ)く杵(きね)でもって、餅ではなく不死の薬草を練って作る。


 以上の諸神話は習合し、定式化されたのは、数千年前であろう。それが時代に合わせて微調整され現代に至っているのである。現代も古代もそれほどのちがいはないのかもしれない。

太陽にはカラスが棲み(あるいは太陽の神使であり)、月(太陰)にはウサギが棲んで杵を搗くということになった。これを実証してくれたのが、楚とその先行文明を色濃く残した地・湖南省長沙市から出た、漢代の馬王堆(まおうたい)遺跡の帛画(はくが:絹衣に描かれた絵)である。そこには扶桑に宿る十個の太陽とカラス、それに三日月にウサギが描かれている。ところが、月にはより大きくヒキガエルが描かれ、しかもカラスは二本足であったのだ。


 十日の父、天を懲(こ)らしめよとだけ命じたのに、羿はわが子を射殺してしまった。英雄羿とその妻・嫦娥(じょうが)は天界を追放される。それでも不老不死を願う二人は崑崙山に西王母を訪ね、ウサギが煎じた例の妙薬を二人分もらった。


 ところが、嫦娥は勝手にその仙薬を一人で飲んでしまう。効果はてきめんで、たちまち仙界の月に嫦娥は昇る。しかしその報いかどうか、嫦娥の姿は月で蟾蜍(せんじょ:ヒキガエル)に変わってしまった。
月が天界で地上が俗界、また天界にいた神女が天の罰を受けて一度地上に墜ち、その後許されて月へ昇天するというのは、そう、ご存知「かぐや姫」の元型である。


 月には桂の樹木がうっそうと茂っていた。梧桐の葉に棲むとされるつがいの鳳凰は玄宗皇帝と楊貴妃に喩えられて詩に登場する。宮殿は一般のものが見られないものであり、贅の限りを尽くしたものはこのようのものでないということで、神格化につなげたものである。身分社会における神格化と、叛乱のできないほとのギリギリの貧困で留めることは、王朝の維持存続に不可欠のものであったのだ。
これらの伝説は王朝の宮廷の神格化のために作られたものといって過言ではない。それが、道教の神仙思想、陰陽道、などと結びつき伝説だけが、一人歩きした。科学力のない時代において、超常現象と伝説は神格化に必要不可欠のものであった。


 皇帝の死にたいし、新年号に改め、3年の喪に伏すことは数千年前から行われていることなのである。これを不思議なものとしないために、どの時代、どの王朝にも神話、伝説が必要であった。

 詩人がこうした神話、伝説を使う場合、そのほとんどが王朝の批判に使っている。表立って言えないことを神話の部隊の不可思議なものとして詠ったのである。李白の古風五十九首を全体を通してみると間違いなく批判している。一つ一つでは見えないものがとおしてみると見えるのである。それは、李白だけではなく、杜甫、王維、白居易、韓愈、李商隠・・・・それぞれの方向性に違いはあっても、王朝批判をしている。


 日本では、詩の一部分を切り取り、それをその時の都合に合わせて解釈して行くことがほとんどの詩の読み方であった。古詩の一部分を絶句のように、あるいは律詩のように一部分を切り取って都合よく紹介されているのはほとんどである。長詩を読まないとその詩人の性格がわからない。長詩にはその詩人の性格がすべて出ている。そしてそうした長詩の幾つかを重ね合わすといろんな人生が見えてくるのである。

 身分社会であること、どこで讒言されるかわからない時代である。詩人はその網をすり抜けて現代に遺産として残してくれたのである。

 このブログでは、できるだけその時の状況、政治体制などを考慮し、詩に書かれてあることの深い意味を紹介しようと思っている。そのため、一般的に本に書かれていることと違う解釈になっていること多いのである。これも、毎日少しずつ紹介しているので、論文の様な訳にはいかないが、李白350首特集はそれ全体で李白の研究論文ということかもしれない。



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