漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

2012年02月

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

孟浩然 留別王侍御維)李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -324

 
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孟浩然 留別王侍御維)李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -324


留別王侍御維 孟浩然
王維侍御に詩を書き残して別れ行く。 
寂寂竟何待,朝朝空自歸。
ひっそりとして何のおとさた進展もなく、この上何を待っていたらよいというのか。 毎朝いつも、むなしく自分から決着をつけて決断して帰ることにする。
欲尋芳草去,惜與故人違。
この上は、芳(かぐわ)しい草の咲くところや薬草を尋ねて隠棲したしようと去る。残念なことだが、古くからの友人の王維君と別れることとなる。
當路誰相假,知音世所稀。
重要な地位についている者の誰に頼っていこうかとしても王維君あなたぐらいのものしかいない。真実の理解者は、世に稀(まれ)なものということだ。 
祗應守索寞,還掩故園扉。
ただ、こうなったら、隠遁者の侘(わ)び・寂(さ)びの気持ちを固守していくのだ。なおまた、故郷の隠棲居所のトビラを閉ざして浮き世との交渉を断とうとおもっている。



王侍御維に留別す     
寂寂(せきせき)  竟つひに何をか待たん,朝朝(てうてう)  空しく自(みづ)から歸る。
芳草(はうさう)を  尋(たづね)んと欲ほっして去り,惜をしむらくは  故人と違たがふ。
當路(たう ろ)  誰(たれ)か 相(あひ)假(かり)ん,知音(ち いん)  世に稀(まれ)なる所。
祗(ただ)應(まさ)に  索寞(さくばく)を守り,還(また)  故園の扉を掩(おほふ)べし。



現代語訳と訳註
(本文) 留別王侍御維

寂寂竟何待,朝朝空自歸。
欲尋芳草去,惜與故人違。
當路誰相假,知音世所稀。
祗應守索寞,還掩故園扉。


(下し文) 王侍御維に留別す     
寂寂せきせき  竟つひに何をか待たん,朝朝てうてう  空しく自みづから歸る。
芳草はうさうを  尋たづねんと欲ほっして去り,惜をしむらくは  故人と違たがふ。
當路たう ろ  誰たれか 相あひ假かりん,知音ち いん  世に稀まれなる所。
祗ただ應まさに  索寞さくばくを守り,還また  故園の扉を掩おほふべし。


(現代語訳)
王維侍御に詩を書き残して別れ行く。 
ひっそりとして何のおとさた進展もなく、この上何を待っていたらよいというのか。 毎朝いつも、むなしく自分から決着をつけて決断して帰ることにする。
この上は、芳(かぐわ)しい草の咲くところや薬草を尋ねて隠棲したしようと去る。残念なことだが、古くからの友人の王維君と別れることとなる。
重要な地位についている者の誰に頼っていこうかとしても王維君あなたぐらいのものしかいない。真実の理解者は、世に稀(まれ)なものということだ。 
ただ、こうなったら、隠遁者の侘(わ)び・寂(さ)びの気持ちを固守していくのだ。なおまた、故郷の隠棲居所のトビラを閉ざして浮き世との交渉を断とうとおもっている。


(訳注)
留別王侍御維

王維侍御に詩を書き残して別れ行く。 
○就職活動で挫折して、不本意なまま郷里に帰っていく時の詩になろう。 
留別 旅立つ人が詩を書き残して別れる。とどまる人へのいとまごいの詩を作る。「送別」の対義語。○王侍御維 侍御の官位にある王維。〔姓+官職+名〕と表現する。王維侍御。 ○侍御 天子の側に仕える官。


寂寂竟何待、朝朝空自歸。
ひっそりとして何のおとさた進展もなく、この上何を待っていたらよいというのか。 毎朝いつも、むなしく自分から決着をつけて決断して帰ることにする。
寂寂 ひっそりとして寂しい。 ○竟 ついに。とうとう。 ○ 何をか。反問、反語の語気。 ○ まつ。待機する。○朝朝 毎朝。朝朝には白居易の『長恨歌』に「聖主朝朝暮暮情」楚の襄王が巫山で夢に神女と契った時、神女は朝は巫山の雲となり夕べには雨になるといった故事がある。宋玉『高唐賦』によると、楚の襄王と宋玉が雲夢の台に遊び、高唐の観を望んだところ、雲気(雲というよりも濃い水蒸気のガスに近いもの)があったので、宋玉は「朝雲」と言った。襄王がそのわけを尋ねると、宋玉は「昔者先王嘗游高唐,怠而晝寢,夢見一婦人…去而辭曰:妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨,朝朝暮暮,陽臺之下。」と答えた。「巫山之夢」に基づく。○ いたずらに。むなしく。○自歸 自分で結末をつける。自分から諦めて帰る意で、決意して帰ること。


欲尋芳草去、惜與故人違。
この上は、芳(かぐわ)しい草の咲くところや薬草を尋ねて隠棲したしようと去る。残念なことだが、古くからの友人の王維君と別れることとなる。
欲 …たい。…う。 ○尋 訪問する。たずねる。○芳草 よいかおりのする草。春の草。薬草を摘みとる。○…去:…を訪問しに行く。○ 残念な(ことには)。惜しい(ことには)。 ○ …と。○故人 古くからの友だち。旧友。ここでは、王維を指す。 ○ 離れる。遠ざかる。去る。


當路誰相假、知音世所稀
重要な地位についている者の誰に頼っていこうかとしても王維君あなたぐらいのものしかいない。真実の理解者は、世に稀(まれ)なものということだ。 
當路 重要な地位についている者。要路にいる者。 ○ …ていく。○ 借りる。よる。請う。○知音 知己。自分の琴の演奏の良さを理解していくれる親友のこと。伯牙は琴を能くしたが、鍾子期はその琴の音によって、伯牙の心を見抜いたという。転じて自分を理解してくれる知人。 ○- …(とする)ところ。動詞などに附いて、名詞化するする働きをする。○ まれ(だ)。


祗應守索寞、還掩故園扉。
ただ、こうなったら、隠遁者の侘(わ)び・寂(さ)びの気持ちを固守していくのだ。なおまた、故郷の隠棲居所のトビラを閉ざして浮き世との交渉を断とうとおもっている。
○祗應 ただ…だけだろう。ただまさに。ちょうど…だろう。=只應。○ 只(ただ)。○ 当然…であろう。まさに…べし。○ 固持する。○索寞 失意のさま。もの寂しいさま。○ また。なおもまた。 ・掩 閉じる。 ・故園 故郷。現・湖北省襄陽の鹿門山。 ○ とびら。開き戸。ここでは柴扉のことで、粗末な隠居所の扉の意になる。 ○ …扉 トビラを閉ざして(浮き世との交渉を断つ)。
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歳暮帰南山(北闕休上書)


卷160_87  歲暮歸故園


「歲暮歸南山(一題作歸故園作)」孟浩然
年の暮れに南山へ帰る(年がせまってきた澗南園に帰るのに王維の故園によって行こう。)
北闕休上書,南山歸敝廬。
年の暮れになるのを機会に藍田の輞川荘に暫く休暇をいただくために天子に休暇届を出した。私もしばらくいて、南山の澗南園に帰ろうと思う。
不才明主棄,多病故人疏。
どうせ自分には才能がなく、せっかくの天子からもすでに見限られており、その上最近は病気がちであり、引っ込み思案になって旧友とも疎遠になっている。(わたしには詩文の才能がある。天子から見放されようが友達と疎遠になろうがこの詩才をいかしてやっていく。)
白髮催年老,青陽逼歲除。
もうすでに白髪の方が増えてしまって寄る年波、老いてきて真っ白になるのだろう。のどかな春の陽気は大晦日が迫っているのだから間もなくなのだ。
永懷愁不寐,松月夜窗虛。

横になって長い時間、反省をしている、思いがめぐって寂しい気持ちになって眠れない。松の木のを超えて月明かりが窓から入ってくるこの庵には明るすぎて帰って空虚なものになってしまう。 


北闕 書を上つるを休め、南山 敞廬しょうろに帰る。
不才 明主棄て、多病 故人疎なり。
白髪 年老を催し、青陽 歳除に逼る。
永懐 愁いて寐いねられず、松月 夜牕そう虚し。


現代語訳と訳註
(本文)

北闕休上書,南山歸敝廬。
不才明主棄,多病故人疏。
白髮催年老,青陽逼歲除。
永懷愁不寐,松月夜窗虛。


(下し文)
北闕 書を上つるを休め、南山 敞廬しょうろに帰る。
不才 明主棄て、多病 故人疎なり。
白髪 年老を催し、青陽 歳除に逼る。
永懐 愁いて寐いねられず、松月 夜牕そう虚し。


(現代語訳)
年の暮れに南山へ帰る(年がせまってきた澗南園に帰るのに王維の故園によって行こう。)
年の暮れになるのを機会に藍田の輞川荘に暫く休暇をいただくために天子に休暇届を出した。私もしばらくいて、南山の澗南園に帰ろうと思う。
どうせ自分には才能がなく、せっかくの天子からもすでに見限られており、その上最近は病気がちであり、引っ込み思案になって旧友とも疎遠になっている。(わたしには詩文の才能がある。天子から見放されようが友達と疎遠になろうがこの詩才をいかしてやっていく。)
もうすでに白髪の方が増えてしまって寄る年波、老いてきて真っ白になるのだろう。のどかな春の陽気は大晦日が迫っているのだから間もなくなのだ。
横になって長い時間、反省をしている、思いがめぐって寂しい気持ちになって眠れない。松の木のを超えて月明かりが窓から入ってくるこの庵には明るすぎて帰って空虚なものになってしまう。


(訳注)
歳暮帰南山「故園」 孟浩然
年の暮れに南山へ帰る
年がせまってきた澗南園に帰るのに王維の故園によって行こう。
最初の2句目に南山とあるため澗南園の隠棲の関係者と考えるが、詩の内容からすれば、「故園」に変える方が理解しやすい。つまり、王維の別業に帰ることと考えられる。実際には王維に対して、別れを告げるため、王維の別業を意識させて、自分の故郷の澗南園に帰るということを言っている。孟浩然は浪人中だから。


北闕休上書,南山歸敝廬。
年の暮れになるのを機会に藍田の輞川荘に暫く休暇をいただくために天子に休暇届を出した。私もしばらくいて、南山の澗南園に帰ろうと思う。
北闕 大明宮の北門。上奏謁見をする人の出入りする所。 禁中。大明宮の中で丹砂の庭鬼があるとこで謁見するが紫宸殿は真ん中あたりに位置するが、大明宮そのものは長安城の北にあり南に向いてたてられていた。休暇の上申書をねがいでる。それ相応な地位のもので、もちろん孟浩然ではない。王維であろう。○北闕 得家書 得家書 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 182「北闕妖氛滿,西郊白露初。」(北闕妖気満つ、西郊白露の初)、官僚でない孟浩然が上奏文を出して休みを取ることはない。王維が休みを取ったのだろう。
休上書 休暇届。○南山 王維にとっては、終南山、藍田野輞川荘、王後年にとって、鹿門山の南の澗南園青山の見える○敝廬 『夏日南亭懷辛大』「散發乘夕涼,開軒臥閑敞。」『田園作』「弊廬隔塵喧」『澗南園即時貽皎上人』「弊廬在郭外,素產惟田園。」襄陽の孟浩然の農園を示している。


不才明主棄,多病故人疏。
どうせ自分には才能がなく、せっかくの天子からもすでに見限られており、その上最近は病気がちであり、引っ込み思案になって旧友とも疎遠になっている。(わたしには詩文の才能がある。天子から見放されようが友達と疎遠になろうがこの詩才をいかしてやっていく。)
明主 天子。粛宗皇帝、757年杜甫が粛兆区の折に掃海したとき、皇帝を侮辱するととれる分を差し出した。○ 採用されない。○故人 沢山の詩人たちが友人としていた。○ 疎遠になること。中国人がこういうことを言うことは自虐的に言っているのではなく、反対の意味のことを言うのである。


白髮催年老,青陽逼歲除。
もうすでに白髪の方が増えてしまって寄る年波、老いてきて真っ白になるのだろう。のどかな春の陽気は大晦日が迫っているのだから間もなくなのだ。
白髮 白髪交じりの頭は二毛とか斑という表現。ここは白髪の方が多い状況であろう。○催年老 寄る年波によってもよおした。○青陽 五行思想で青は春、東をあらわす。 ○歲除 大みそか。除夜。「霜鬢明朝又一年。」ということ。


永懷愁不寐,松月夜窗虛。
横になって長い時間、反省をしている、思いがめぐって寂しい気持ちになって眠れない。松の木のを超えて月明かりが窓から入ってくるこの庵には明るすぎて帰って空虚なものになってしまう。
永懷 長い時間かけておもうこと。○愁不寐 今までのことを思い悩んで、愁は寂しいこと、反省するという場合のうれい。○松月 松は男性としての希望、月は情勢を示し、男女間の寂しさを感じ取らせる。○夜窗 月の光が入ってくる窓である。通常は閨をいう。○ 隠棲をする住居に月明かりははって明るすぎるために逆に旧居になる。友なし、女なし、ごちそうなし、あるのは反省があるばかり。


この頃孟浩然は何をやってもうまく行かず、悲観的な発想をしていたのだ。いわゆるマイナス思考だ。
しかし、これが詩人としての才能の栄養素になるのである。詩人には貧乏であり、挫折が肥やしになる。何事もうまくいく詩人は全くいない。



これに対して王維は次のように詠っている。


 bamb05176
 送孟六帰襄陽  王維

杜門不欲出、久与世情疎。
以此為長策、勧君帰旧盧。
酔歌田舎酒、笑読古人書。
好是一生事、無労献子虚。


門を杜して出ずるを欲せず、久しく世情と疎なり
此を以って長策と為し、君に勧めて旧盧に帰らしむ
酔うて歌う田舎の酒、笑って読む古人の書
好し是れ一生の事、労する無れ子虚を献ずるを


王維は親友である孟浩然を慮って語りかける。孟浩然も科挙に合格せず、故郷に戻ることになるが、王維との別離を深く悲しむのである。心通じ合う者同士の心遣いが読み取れる作品である。
 人は夢破れた時、その傷心を癒すのは、帰心を誘う故郷の山河なのであろうか。それとも徹底した悲しみを受け入れて、其処から生まれ来る真の生命の覚悟なのであろうか。


孟浩然 仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 #2 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -320

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 田家が緑の樹木で囲まれた幽閑な場所、林澗であることも重要な点である。孟浩然か陶淵明を慕う理由もまたここに存在している。こうした陶淵明をしたい気持ちを詠ったものが「仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊」がある。


仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊
嚐讀高士傳,最嘉陶征君。日耽田園趣,自謂羲皇人。
予複何爲者,棲棲徒問津。中年廢丘壑,上國旅風塵。」
忠欲事明主,孝思侍老親。
忠義心を持って天子の仕事をしたいと思うのであるが、思い悩み考えるのは年取った親がそれをのぞんでいるのである。
歸來當炎夏,耕稼不及春。
しかしこうして炎天の夏に帰ってきたのである、土地を耕して農作物を作っているだがまだ次の春まで及ぶことはない。
扇枕北窗下,采芝南澗濱。
この夏はしばらくここで北の寝室の窓辺に涼んでいくのだ、薬草を摘み取ったりして南の谷川の川辺の浜で過ごす。
因聲謝同列,吾慕潁陽真。」

詩を吟じることによって謝霊運と同じ境地に達していると思い、そして私は穎川の南でのみみをあらった許由を本当に慕っているのである。


仲夏 漢南園に歸る,京邑の耆舊に寄せる
#1
嘗て高士傳を讀み、最も陶徴君を嘉せり。
日び田園の趣きに耽り、自ら謂う義皇の人と。
予は復た何為る者ぞ、棲棲として徒らに津を問う。
中年にして丘壡を廢し、上國 風塵に旅す。」
#2
忠 明主に事へんと欲し、孝 老親に侍せんことを思ふ。
歸来 炎暑を冒し、耕稼 春に及ばず。
枕を扇す 北窗の下、芝を采る 南澗の濱。
聾に因りて同列に謝す、吾は穎陽の真を慕ふと。」

nat0022


現代語訳と訳註
(本文)

忠欲事明主,孝思侍老親。
歸來當炎夏,耕稼不及春。
扇枕北窗下,采芝南澗濱。
因聲謝同列,吾慕潁陽真。」

(下し文)
忠 明主に事へんと欲し、孝 老親に侍せんことを思ふ。
歸来 炎暑を冒し、耕稼 春に及ばず。
枕を扇す 北窗の下、芝を采る 南澗の濱。
聾に因りて同列に謝す、吾は穎陽の真を慕ふと。」

(現代語訳)
忠義心を持って天子の仕事をしたいと思うのであるが、思い悩み考えるのは年取った親がそれをのぞんでいるのである。
しかしこうして炎天の夏に帰ってきたのである、土地を耕して農作物を作っているだがまだ次の春まで及ぶことはない。
この夏はしばらくここで北の寝室の窓辺に涼んでいくのだ、薬草を摘み取ったりして南の谷川の川辺の浜で過ごす。
詩を吟じることによって謝霊運と同じ境地に達していると思い、そして私は穎川の南でのみみをあらった許由を本当に慕っているのである。
宮島(5)

(訳注)#2
忠欲事明主,孝思侍老親。
忠 明主に事へんと欲し、孝 老親に侍せんことを思ふ。
忠義心を持って天子の仕事をしたいと思うのであるが、思い悩み考えるのは年取った親がそれをのぞんでいるのである。
明主 天子。○侍老親 年老いた親が待っている。親としては一族の名誉のためにも仕官しほしいと願っているが、心配もしてくれている。


歸來當炎夏,耕稼不及春。
歸来 炎暑を冒し、耕稼 春に及ばず。
しかしこうして炎天の夏に帰ってきたのである、土地を耕して農作物を作っているだがまだ次の春まで及ぶことはない。


扇枕北窗下,采芝南澗濱。
枕を扇す 北窗の下、芝を采る 南澗の濱。
この夏はしばらくここで北の寝室の窓辺に涼んでいくのだ、薬草を摘み取ったりして南の谷川の川辺の浜で過ごす。
扇枕北窗下 陶淵明『与子儼等疏』に「常言五六月中,北窗下臥,遇涼風暫至,自謂是羲皇上人。」(五六月中、北窗の下に臥すれば涼風の暫かに至るに遇ひ、自ら謂へらく是れ義皇の人なり)とあるのをふまえている。孟浩然は田園における陶淵明の姿を確かに見ていたのである。○采芝 『登鹿門山懐古』「金澗餌芝朮,石床臥苔蘚。」(金澗に芝朮(しじゅつ)を養ひ、石床 苔蘇に臥す。)・養芝朮 貴重な薬草をそだてる。○南澗 澗南園のこと。


因聲謝同列,吾慕潁陽真。」
聾に因りて同列に謝す、吾は穎陽の真を慕ふと。」
詩を吟じることによって謝霊運と同じ境地に達していると思い、そして私は穎川の南でのみみをあらった許由を本当に慕っているのである。
『田園作』でも「望斷金馬門,勞歌采樵路。」(望み斷つ 金馬門,勞歌す 采樵の路。)


解説
 ここに描かれた陶淵明について、「風雅、隠棲等の超俗性か端的に表れた」ものとして捉え、「官を棄て、世俗との交渉を断って自適の境を楽しむ、まことに風雅の隠者というにふきわしい姿にであると指摘する。そのうえで、こうした陶淵明像を描くことの背後には、自らが経阿から隠遁へと意識が転換したことを都のの旧友たちに対して弁明する意図があったと解釈している。陶淵明の隠者としての姿は、孟浩然の隠遁生活の支えであったから、「かけがえのないものと」なったとするのである。
 半官半隠は孟浩然の最大の願いであった。張九齢が左遷されてこの地にくるまで官に仕えることはなかった。

komichi03  
嚐讀高士傳,最嘉陶征君。
日耽田園趣,自謂羲皇人。
予複何爲者,棲棲徒問津。
中年廢丘壑,上國旅風塵。」
忠欲事明主,孝思侍老親。
歸來當炎夏,耕稼不及春。
扇枕北窗下,采芝南澗濱。
因聲謝同列,吾慕潁陽真。」


仲夏 漢南園に歸る,京邑の耆舊に寄せる
嘗て高士傳を讀み、最も陶徴君を嘉せり。
日び田園の趣きに耽り、自ら謂う義皇の人と。
予は復た何為る者ぞ、棲棲として徒らに津を問う。
中年にして丘壡を廢し、上國 風塵に旅す。」
忠 明主に事へんと欲し、孝 老親に侍せんことを思ふ。
歸来 炎暑を冒し、耕稼 春に及ばず。
枕を扇す 北窗の下、芝を采る 南澗の濱。
聾に因りて同列に謝す、吾は穎陽の真を慕ふと。」

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孟浩然 仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 #1 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -319

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 田家が緑の樹木で囲まれた幽閑な場所、林澗であることも重要な点である。孟浩然か陶淵明を慕う理由もまたここに存在している。こうした陶淵明をしたい気持ちを詠ったものが「仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊」である。


仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊
夏の盛りに澗南園に帰った、長安近くの邑に棲む「耆舊」によせる。
嚐讀高士傳,最嘉陶征君。
以前から「高士伝」をはじめとして隠棲した人たちの書をよく読んでいる、その中で最も忠君であった陶淵明のことが喜ばしいと思う。
日耽田園趣,自謂羲皇人。
毎日、この田園の自然に浸り趣きを感じることに耽るのである。自分で陶淵明や謝霊運のように天子に忠議する人間というのである。
予複何爲者,棲棲徒問津。
わたしは今またどうしたらよいのであろうか、隠棲して生活しているのであるが、それであってもなおかつ人生の道をたずねるのである。
中年廢丘壑,上國旅風塵。」
人生も半ばになってこうした隠棲を辞めようとしている、国の都に上がり俗人の世界に旅をしようかとしている。

忠欲事明主,孝思侍老親。歸來當炎夏,耕稼不及春。
扇枕北窗下,采芝南澗濱。因聲謝同列,吾慕潁陽真。」



仲夏 漢南園に歸る,京邑の耆舊に寄せる
#1
嘗て高士傳を讀み、最も陶徴君を嘉せり。
日び田園の趣きに耽り、自ら謂う義皇の人と。
予は復た何為る者ぞ、棲棲として徒らに津を問う。
中年にして丘壡を廢し、上國 風塵に旅す。」

#2
忠 明主に事へんと欲し、孝 老親に侍せんことを思ふ。
歸来 炎暑を冒し、耕稼 春に及ばず。
枕を扇す 北窗の下、芝を采る 南澗の濱。
聾に因りて同列に謝す、吾は穎陽の真を慕ふと。」

nat0026

仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 現代語訳と訳註
(本文)#1
嚐讀高士傳,最嘉陶征君。
日耽田園趣,自謂羲皇人。
予複何爲者,棲棲徒問津。
中年廢丘壑,上國旅風塵。」


(下し文)
仲夏 漢南園に歸る,京邑の耆舊に寄せる
嘗て高士傳を讀み、最も陶徴君を嘉せり。
日び田園の趣きに耽り、自ら謂う義皇の人と。
予は復た何為る者ぞ、棲棲として徒らに津を問う。
中年にして丘壡を廢し、上國 風塵に旅す。」


(現代語訳)
夏の盛りに澗南園に帰った、長安近くの邑に棲む「耆舊」によせる。
以前から「高士伝」をはじめとして隠棲した人たちの書をよく読んでいる、その中で最も忠君であった陶淵明のことが喜ばしいと思う。
毎日、この田園の自然に浸り趣きを感じることに耽るのである。自分で陶淵明や謝霊運のように天子に忠議する人間というのである。
わたしは今またどうしたらよいのであろうか、隠棲して生活しているのであるが、それであってもなおかつ人生の道をたずねるのである。
人生も半ばになってこうした隠棲を辞めようとしている、国の都に上がり俗人の世界に旅をしようかとしている。

komichi03  
嚐讀高士傳,最嘉陶征君。
日耽田園趣,自謂羲皇人。
予複何爲者,棲棲徒問津。
中年廢丘壑,上國旅風塵。」
忠欲事明主,孝思侍老親。
歸來當炎夏,耕稼不及春。
扇枕北窗下,采芝南澗濱。
因聲謝同列,吾慕潁陽真。」


仲夏 漢南園に歸る,京邑の耆舊に寄せる
嘗て高士傳を讀み、最も陶徴君を嘉せり。
日び田園の趣きに耽り、自ら謂う義皇の人と。
予は復た何為る者ぞ、棲棲として徒らに津を問う。
中年にして丘壡を廢し、上國 風塵に旅す。」
忠 明主に事へんと欲し、孝 老親に侍せんことを思ふ。
歸来 炎暑を冒し、耕稼 春に及ばず。
枕を扇す 北窗の下、芝を采る 南澗の濱。
聾に因りて同列に謝す、吾は穎陽の真を慕ふと。」

(訳注)
仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊

仲夏 漢南園に歸る,京邑の耆舊に寄せる
夏の盛りに澗南園に帰った、長安近くの邑に棲む「耆舊」によせる。
仲夏 夏のなかば。また、陰暦5月の異称。中夏。○漢南園 澗南園のこと。孟浩然の『澗南園即時貽皎上人』○ 邑里。いなか。街の郊外の田園にかこまれた数軒の家が固まったようなところ。『過故人莊』孟浩然○耆舊 「襄陽耆舊記」龐德公と劉表、諸葛孔明らと問答をまとめて書いた史書。龐德公の隠棲という雰囲気を残した丹桂遺跡が近くにある。ここでは王維のことを示唆するのではなかろうか。○耆舊 「襄陽耆舊記」龐德公と劉表、諸葛孔明らと問答をまとめて書いた史書。龐德公の隠棲という雰囲気を残した丹桂遺跡が近くにある。ここでは王維のことを示唆するのではなかろうか。


嚐讀高士傳,最嘉陶征君。
嘗て高士傳を讀み、最も陶徴君を嘉せり。
以前から「高士伝」をはじめとして隠棲した人たちの書をよく読んでいる、その中で最も忠君であった陶淵明のことが喜ばしいと思う。
高士傳 『史記』「伯夷列伝第一」 に「甫謐高士傳云・・「許由字武仲。堯聞致天下而譲焉、乃退而遁於中嶽潁水陽、箕山之下隠。堯又召爲九州長、由不欲聞之、洗耳於穎水濱。」(皇甫謐『高士伝』に云ふ、許由、字は武仲。尭、天下を致して譲らんとするを聞き、乃ち退いて中嶽潁水の陽、箕山の下に遁れ隠る。尭、又た召して九州の長と為さんとす。由、之を聞くを欲せず、耳を潁水の浜に洗ふ。)


日耽田園趣,自謂羲皇人。
日び田園の趣きに耽り、自ら謂う義皇の人と。
毎日、この田園の自然に浸り趣きを感じることに耽るのである。自分で陶淵明や謝霊運のように天子に忠議する人間というのである。


予複何爲者,棲棲徒問津。
予は復た何為る者ぞ、棲棲として徒らに津を問う。
わたしは今またどうしたらよいのであろうか、隠棲して生活しているのであるが、それであってもなおかつ人生の道をたずねるのである。
問津 学問の道をたずねる、人生の道をたずねる。


中年廢丘壑,上國旅風塵。」
中年にして丘壡を廢し、上國 風塵に旅す。」
人生も半ばになってこうした隠棲を辞めようとしている、国の都に上がり俗人の世界に旅をしようかとしている。
丘壑(キウガク) おかと谷と、隱者の棲息する處。
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孟浩然 登鹿門山懐古 #2 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -320

登鹿門山懐古 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -320

 
 孟略然は、故郷の鹿門山に自適の暮らしをし、季節の訪れも気づかず、あくせくと過ごす俗人の世界に対して、悠然と自然にとけ入った世界が歌われている。
「ぬくぬく春の眠りを貪っている」のは、宮仕えの生活を拒否した、つまり世俗の巷を低く見ている入物であり、詩人にとってあこがれの生活である。立身出世とは全く縁のない世界、悠然たる『高士』の世界である。この詩は、内容からして孟浩然の若いころの作品である。

卷159_35 登鹿門山懐古孟浩然


登鹿門山懐古孟浩然
#1
清曉因興來,乘流越江峴。沙禽近方識,浦樹遙莫辨。
漸至鹿門山,山明翠微淺。岩潭多屈曲,舟楫屢回轉。
昔聞龐德公,采藥遂不返。
#2
金澗餌芝朮,石床臥苔蘚。
黄金に輝く谷川の透きとった水際に貴重な薬草を育てている。その岩壁には緑の苔がびっしり生えている。
紛吾感耆舊,結攬事攀踐。
わたしの心の中では複雑なものがある。「襄陽耆舊記」の龐德公のように生きたいとは思っている。もう一方では、家族からも期待されている頭髪を束ねて結い直し、官位に付き上り詰めるということも考えるのである。
隱跡今尚存,高風邈已遠。
確かに、龐德公が隠棲された史蹟は今なお残っているのであるが、『高士』の風はぼんやりとして来て今や遠くなりつつあるのだ。
白雲何時去,丹桂空偃蹇。
龐德公の隠棲という雰囲気を残した白雲がいつしかきえさって、その丹桂遺跡はその場所に空しく広がっているだけなのである。
探討意未窮,回艇夕陽晚。

鹿門山のあちこちを奥深く隅々までさぐり調べたのだがその気持ちはいまだ窮まってはいない。今すぐ隠棲するわけではないので夕日が落ちて暮れてきているなかで、船を廻して帰ろうと思う。

#1
清暁 興来るに因り、流れに乗りて江峴を越ゆ。
沙禽 近づきて方に識り、浦樹 遙かに辨ずる莫し
漸く鹿門山に至れば、山明らかにして翠微浅し。
岩潭 屈曲多く、舟楫 屡々回り転ず。
昔聞く 龐徳公、業を採りて遂に返らずと。
#2
金澗に芝朮(しじゅつ)を養ひ、石床 苔蘇に臥す。
紛として 吾 耆舊(ききゅう)に感じ、攬を結びて攀踐(はんせん)を事とす。
隠跡 今尚は存するも、高風 邈(ばく)として已に遠し。
白雲 何れの時にか去らん、丹桂 空しく偃蹇(えんけん)たり。
探討 意未だ窮まらず、艇を回らす 夕陽の晩。


現代語訳と訳註
(本文) #2

金澗餌芝朮,石床臥苔蘚。
紛吾感耆舊,結攬事攀踐。
隱跡今尚存,高風邈已遠。
白雲何時去,丹桂空偃蹇。
探討意未窮,回艇夕陽晚。


(下し文)#2
金澗に芝朮(しじゅつ)を養ひ、石床 苔蘇に臥す。
紛として 吾 耆舊(ききゅう)に感じ、攬を結びて攀踐(はんせん)を事とす。
隠跡 今尚は存するも、高風 邈(ばく)として已に遠し。
白雲 何れの時にか去らん、丹桂 空しく偃蹇(えんけん)たり。
探討 意未だ窮まらず、艇を回らす 夕陽の晩。


(現代語訳)
黄金に輝く谷川の透きとった水際に貴重な薬草を育てている。その岩壁には緑の苔がびっしり生えている。
わたしの心の中では複雑なものがある。「襄陽耆舊記」の龐德公のように生きたいとは思っている。もう一方では、家族からも期待されている頭髪を束ねて結い直し、官位に付き上り詰めるということも考えるのである。
確かに、龐德公が隠棲された史蹟は今なお残っているのであるが、『高士』の風はぼんやりとして来て今や遠くなりつつあるのだ。
龐德公の隠棲という雰囲気を残した白雲がいつしかきえさって、その丹桂遺跡はその場所に空しく広がっているだけなのである。
鹿門山のあちこちを奥深く隅々までさぐり調べたのだがその気持ちはいまだ窮まってはいない。今すぐ隠棲するわけではないので夕日が落ちて暮れてきているなかで、船を廻して帰ろうと思う。


(訳註)
金澗餌芝朮,石床臥苔蘚。

金澗に芝朮(しじゅつ)を養ひ、石床 苔蘇に臥す。
黄金に輝く谷川の透きとった水際に貴重な薬草を育てている。その岩壁には緑の苔がびっしり生えている。
金澗 谷川の透きとった水の巌底に太陽光線が当たった景色をいう。王維『遊化感寺』「瓊峰當戸拆、金澗透林鳴。」(瓊峰 戸に当たりて拆け、金澗 林を透して鳴る。)『澗南園即時貽皎上入』  孟浩然 
養芝朮 貴重な薬草をそだてる。


紛吾感耆舊,結攬事攀踐。
紛として 吾 耆舊(ききゅう)に感じ、攬を結びて攀踐(はんせん)を事とす。
わたしの心の中では複雑なものがある。「襄陽耆舊記」の龐德公のように生きたいとは思っている。もう一方では、家族からも期待されている頭髪を束ねて結い直し、官位に付き上り詰めるということも考えるのである。
 入り混じること。○耆舊 「襄陽耆舊記」龐德公と劉表、諸葛孔明らと問答をまとめて書いた史書。○結攬 攬結 刈り取った稲束のようにとりまとめる。とりあつめる。【攬】[漢字項目]の意味は?国語辞書。 [音]ラン(呉)(漢) 取り集めて持つ。手中に収める。「 収攬 ・ 総攬 」○攀踐 官位に付き上り詰めること。孟浩然は『高士』にあこがれる。


隱跡今尚存,高風邈已遠。
隠跡 今尚は存するも、高風 邈(ばく)として已に遠し。
確かに、龐德公が隠棲された史蹟は今なお残っているのであるが、『高士』の風はぼんやりとして来て今や遠くなりつつあるのだ。


白雲何時去,丹桂空偃蹇。
白雲 何れの時にか去らん、丹桂 空しく偃蹇(えんけん)たり。
龐德公の隠棲という雰囲気を残した白雲がいつしかきえさって、その丹桂遺跡はその場所に空しく広がっているだけなのである。
丹桂 鹿門山にある龐徳公の隠居跡。○偃蹇(えんけん)  1 物が延び広がったり高くそびえたりしているさま。また、多く盛んなさま。2 おごり高ぶるさま。


探討意未窮,回艇夕陽晚。
探討 意未だ窮まらず、艇を回らす 夕陽の晩。
鹿門山のあちこちを奥深く隅々までさぐり調べたのだがその気持ちはいまだ窮まってはいない。今すぐ隠棲するわけではないので夕日が落ちて暮れてきているなかで、船を廻して帰ろうと思う。
探討 奥深く隅々までさぐり調べること。調べ究めること。探究。

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 孟浩然は、故郷の鹿門山に自適の暮らしをし、季節の訪れも気づかず、あくせくと過ごす俗人の世界に対して、悠然と自然にとけ入った世界が歌われている。
「ぬくぬく春の眠りを貪っている」のは、宮仕えの生活を拒否した、つまり世俗の巷を低く見ている入物であり、詩人にとってあこがれの生活である。立身出世とは全く縁のない世界、悠然たる『高士』の世界である。この詩は、内容からして孟浩然の若いころの作品である。

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卷159_35 登鹿門山懐古孟浩然


登鹿門山懐古孟浩然
鹿門山に登り古えを懐かしむ
#1
清曉因興來,乘流越江峴。
初夏の清々しい明け方、風興の気分によってここに来ている。漢水の流れに乗って峴山が川を越えて見る。
沙禽近方識,浦樹遙莫辨。
砂浜にいる水鳥に近づくとこちらを向いて気が付いたようだ。入り江の奥の樹林は遙か遠くにあり、瓣別することができない。
漸至鹿門山,山明翠微淺。
しばらく山の道を進んでゆくと鹿門山にいたるのだけれど、山に日の光が射していて、山の中腹の浅いところが見える。
岩潭多屈曲,舟楫屢回轉。
大岩と淵で、川は折れ曲がりが多い、舟の楫をしばしば使って舳先をめくらして進む。
昔聞龐德公,采藥遂不返。

ここには昔、後漢の龐徳公の有名な故事がある。薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかったというものだ。

#2
金澗餌芝朮,石床臥苔蘚。
紛吾感耆舊,結攬事攀踐。
隱跡今尚存,高風邈已遠。
白雲何時去,丹桂空偃蹇。
探討意未窮,回艇夕陽晚。

鹿門山に登り古えを懐かしむ#1
清暁 興来るに因り、流れに乗りて江峴を越ゆ。
沙禽 近づきて方に識り、浦樹 遙かに辨ずる莫し
漸く鹿門山に至れば、山明らかにして翠微浅し。
岩潭 屈曲多く、舟楫 屡々回り転ず。
昔聞く 龐徳公、業を採りて遂に返らずと。

#2
金澗に芝朮(しじゅつ)を養ひ、石床 苔蘇に臥す。
紛として 吾 耆舊(ききゅう)に感じ、攬を結びて攀踐(はんせん)を事とす。
隠跡 今尚は存するも、高風 邈(ばく)として已に遠し。
白雲 何れの時にか去らん、丹桂 空しく偃蹇(えんけん)たり。
探討 意未だ窮まらず、艇を回らす 夕陽の晩。

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現代語訳と訳註
(本文) #1

清曉因興來,乘流越江峴。
沙禽近方識,浦樹遙莫辨。
漸至鹿門山,山明翠微淺。
岩潭多屈曲,舟楫屢回轉。
昔聞龐德公,采藥遂不返。


(下し文) #1
清暁 興来るに因り、流れに乗りて江峴を越ゆ。
沙禽 近づきて方に識り、浦樹 遙かに辨ずる莫し
漸く鹿門山に至れば、山明らかにして翠微浅し。
岩潭 屈曲多く、舟楫 屡々回り転ず。
昔聞く 龐徳公、業を採りて遂に返らずと。


(現代語訳)
鹿門山に登り古えを懐かしむ
初夏の清々しい明け方、風興の気分によってここに来ている。漢水の流れに乗って峴山が川を越えて見る。
砂浜にいる水鳥に近づくとこちらを向いて気が付いたようだ。入り江の奥の樹林は遙か遠くにあり、瓣別することができない。
しばらく山の道を進んでゆくと鹿門山にいたるのだけれど、山に日の光が射していて、山の中腹の浅いところが見える。
大岩と淵で、川は折れ曲がりが多い、舟の楫をしばしば使って舳先をめくらして進む。
ここには昔、後漢の龐徳公の有名な故事がある。薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかったというものだ。


(訳注) #1
登鹿門山懐古
鹿門山に登り古きを懐かしむ
鹿門山 鹿門山は旧名を蘇嶺山という。建武年間(25~56年)、襄陽侯の習郁が山中に祠を建立し、神の出入り口を挟んで鹿の石像を二つ彫った。それを俗に「鹿門廟」と呼び、廟のあることから山の名が付けられた。


清曉因興來,乘流越江峴。
清暁 興来るに因り、流れに乗りて江峴を越ゆ。
初夏の清々しい明け方、風興の気分によってここに来ている。漢水の流れに乗って峴山が川を越えて見る。
清曉 清々しい明け方。


沙禽近方識,浦樹遙莫辨。
沙禽 近づきて方に識り、浦樹 遙かに辨ずる莫し。
砂浜にいる水鳥に近づくとこちらを向いて気が付いたようだ。入り江の奥の樹林は遙か遠くにあり、瓣別することができない。
沙禽 砂浜にいる水鳥。○浦樹 漢水に灌ぎこむ襄水の入り江の奥の樹林。○ 辯ではなく瓣別すること。


漸至鹿門山,山明翠微淺。
漸く鹿門山に至れば、山明らかにして翠微浅し。
しばらく山の道を進んでゆくと鹿門山にいたるのだけれど、山に日の光が射していて、山の中腹の浅いところが見える。
○翠微 山の中腹。李白『游泰山六首 其六』、同『下終南山過斛斯山人宿置酒』


岩潭多屈曲,舟楫屢回轉。
岩潭 屈曲多く、舟楫 屡々回り転ず。
大岩と淵で、川は折れ曲がりが多い、舟の楫をしばしば使って舳先をめくらして進む。
岩潭 大岩と淵。襄陽に沈碑潭という名勝があるがここでは襄水を登っているのであろう。


昔聞龐德公,采藥遂不返。
昔聞く 龐徳公、業を採りて遂に返らずと
ここには昔、後漢の龐徳公の有名な故事がある。薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかったというものだ。
龐德公 東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。


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(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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孟浩然 夏日南亭懷辛大 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -318

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卷159_13 「夏日南亭懷辛大」孟浩然

李白


夏日南亭懷辛大
山光忽西落,池月漸東上。
峴山からの西日がさしていたがすぐに山の端にしずんでいった、峴首亭から習家池へと散策していくと池に月が影を落として東の鹿門山からのぼってくる。
散發乘夕涼,開軒臥閑敞。
髪の束ねた簪を抜いて髪の毛をさばいたら夕涼みにはもってこいの格好で乗ってきた。亭の長廊下の窓からの眺めは開けていて、少し小高く、閑静な広々とした場所なので横になる。
荷風送香氣,竹露滴清響。
池の蓮の上を抜けてきた風はほのかな香りを運んでくる、静かな竹林の葉に落ちた露が落ちたしずくの音が響く。
欲取鳴琴彈,恨無知音賞。
しずかな竹林には琴を弾きならしてくれる人を呼びたいと思っている、ところが残念な事にはあの音を鑑賞したことを覚えている君はいない。
感此懷故人,中宵勞夢想。

やはり、この感情は友人を懐かしむのであり、様々なことが夢心に浮かび思い悩んで夜が更けてしまう。

夏日に南亭で辛大に懐う
山光 忽ち西に落ち、池月 漸く東に上る。
髪を散じて夕涼に乗じ、軒を開きて間敞に臥す。
荷風 香気を送り、竹露 清響を滴らす。
琴を弾き鳴らしむるものを取(よ)ばんと欲するも、恨むらくは音の賞するを知るは無し。
此に感じて故人を懐ひ、中霽 夢想を勞す

 宮島(3)

現代語訳と訳註
(本文)
夏日南亭懷辛大
山光忽西落,池月漸東上。
散發乘夕涼,開軒臥閑敞。
荷風送香氣,竹露滴清響。
欲取鳴琴彈,恨無知音賞。
感此懷故人,中宵勞夢想。

(下し文) 夏日に南亭で辛大に懐う
山光 忽ち西に落ち、池月 漸く東に上る。
髪を散じて夕涼に乗じ、軒を開きて間敞に臥す。
荷風 香気を送り、竹露 清響を滴らす。
琴を弾き鳴らしむるものを取(よ)ばんと欲するも、恨むらくは音の賞するを知るは無し。
此に感じて故人を懐ひ、中霽 夢想を勞す


(現代語訳)
峴山からの西日がさしていたがすぐに山の端にしずんでいった、峴首亭から習家池へと散策していくと池に月が影を落として東の鹿門山からのぼってくる。
髪の束ねた簪を抜いて髪の毛をさばいたら夕涼みにはもってこいの格好で乗ってきた。亭の長廊下の窓からの眺めは開けていて、少し小高く、閑静な広々とした場所なので横になる。
池の蓮の上を抜けてきた風はほのかな香りを運んでくる、静かな竹林の葉に落ちた露が落ちたしずくの音が響く。
しずかな竹林には琴を弾きならしてくれる人を呼びたいと思っている、ところが残念な事にはあの音を鑑賞したことを覚えている君はいない。
やはり、この感情は友人を懐かしむのであり、様々なことが夢心に浮かび思い悩んで夜が更けてしまう。


(訳注)
夏日南亭懷辛大

夏日に南亭で辛大に懐う
南亭 詩の雰囲気と西側に山があることから、襄陽城南西方向峴山中腹の峴首亭とする。南は夏を示す季語である。○辛大 辛家の長男。孟浩然とこの亭に来た友人であろう。


山光忽西落,池月漸東上。
山光 忽ち西に落ち、池月 漸く東に上る。
峴山からの西日がさしていたがすぐに山の端にしずんでいった、峴首亭から習家池へと散策していくと池に月が影を落として東の鹿門山からのぼってくる。
山光 峴山に落ちかかった夕日。○池月 峴首亭から南にむかってすこし進むと山簡の行楽した高陽池、習家池がある。○東上 東の方、鹿門山から月がのぼる。習家池から東に鹿門山が位置する。


散發乘夕涼,開軒臥閑敞。
髪を散じて夕涼に乗じ、軒を開きて間敞に臥す。
髪の束ねた簪を抜いて髪の毛をさばいたら夕涼みにはもってこいの格好で乗ってきた。亭の長廊下の窓からの眺めは開けていて、少し小高く、閑静な広々とした場所なので横になる。
散發 正式な場所では髪を束ねて簪で止めていたのを、それをほどいた。夕涼みだから髪の毛に風を当てることをいう。○開軒 亭の長廊下の窓が開けているさま。・ 亭の長廊下の窓。『登峴山亭,寄晉陵張少府』
峴首風湍急,雲帆若鳥飛。憑軒試一問,張翰欲來歸。」『澗南園即時貽皎上人』「弊廬在郭外,素產惟田園。左右林野曠,不聞朝市喧。釣竿垂北澗,樵唱入南軒。書取幽棲事,將尋靜者論。」王維『少年行四首 其四』「漢家君臣歓宴終、高議雲台論戦功。天子臨軒賜侯印、将軍佩出明光宮。」○閑敞 少し小高く、閑静な広々とした場所。


荷風送香氣,竹露滴清響。
荷風 香気を送り、竹露 清響を滴らす。
池の蓮の上を抜けてきた風はほのかな香りを運んでくる、静かな竹林の葉に落ちた露が落ちたしずくの音が響く。
荷風 池の蓮を抜けてきた風をいう。○竹露 竹の葉の露。前の聯の静けさを受けた句で清閑をいう。王維『竹里館』「独坐幽篁裏、弾琴復長嘯。深森人不知、明月来相照。」場所的には襄水の川べりの竹林に急流か滝から霧のような水しぶきが竹の葉に落ちているような情景ではなかろうか。静けさをしずくの滴り音であらわしている。


欲取鳴琴彈,恨無知音賞。
琴を弾き鳴らしむるものを取(よ)ばんと欲するも、恨むらくは音の賞するを知るは無し。
しずかな竹林には琴を弾きならしてくれる人を呼びたいと思っている、ところが残念な事にはあの音を鑑賞したことを覚えている君はいない。
鳴琴彈 琴をひきならす者。○知音 音を鳴らすものを知る。・ 鑑賞する。ここでは辛大のことをいう。


感此懷故人,中宵勞夢想。
此に感じて故人を懐ひ、中霽 夢想を勞す
やはり、この感情は友人を懐かしむのであり、様々なことが夢心に浮かび思い悩んで夜が更けてしまう。



解説

この詩は、孟浩然がその場にいたのではなく、そう昔のことではない友人と別れた峴山の峴首亭を思い浮かべて作ったのであろう。情景の動きと時間の経過に関しては、歳をまたいで移動するものである。詩は、唐時代に流行した、詩の中に自然を鏤める趣向を凝らしている。
 「夏日」、「南亭」、「山光」、「池月」、「夕涼」、「閑敞」、「荷風」、「香氣」、「竹露」、「清響」、「琴彈」、「夢想」とつづいていくのである。律詩で終わるべき詩に一韻を追加する形で友人の辛君との友情を強調している。自然の美を詠うために友情の意味の言葉が足らなくて一韻を追加したのか。いずれにしても、この詩の時期の孟浩然の行動範囲、友好関係が矮小化していたものと推定できる。「弊居」の書斎において作られたものであろう。

夏日
南亭
懷辛大
山光西落池月東上
散發夕涼開軒閑敞
荷風香氣竹露清響
欲取琴彈,恨無音賞
感此故人中宵夢想

夏日南亭懷辛大⑪

忽↔漸↔乘↔臥↔送↔滴↔鳴↔知↔懷↔勞


対句 a:d b:e c:f


        
 夏日 南亭 懷辛大 
 abcdef
1山光西落池月東上
2散發夕涼開軒閑敞
3荷風香氣竹露清響
4欲取琴彈恨無音賞
5感此故人中宵夢想

季語・語の進行    
山光→西落→池月→東上。→
散發→夕涼→開軒→閑敞。→
荷風→香氣→竹露→清響。→
欲取→琴彈→恨無→音賞。→
感此→故人→中宵→夢想。



南山下與老圃期種瓜 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -317

南山下與老圃期種瓜 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -317

 南山は陶淵明が廬山をいい、李白、杜甫は終南山をいう。襄陽の南に祖先から受け継いだ荘園で隠遁生活をしたいという。士官を目指して、長安に書生をすること、諸国を旅する事をしていると先祖から受け継ぐ荘園において隠遁することが大切なのか。

卷160_88 「南山下與老圃期種瓜」孟浩然


南山下與老圃期種瓜
樵牧南山近,林閭北郭賒。
木こりと牛馬をかっている人たちが鹿門山の南の山近くにいる。邑に入り口には木々が門のように林立し、北に遠くはるかに襄陽城が見える。
先人留素業,老圃作鄰家。
先祖からの荘園をうけついでいて、老練な隣人が農園を経営している。
不種千株橘,惟資五色瓜。
千株の橘柑を植えてはいないが、ただ、五色の瓜をはよくできる。
邵平能就我,開徑剪蓬麻。
秦の東陵侯のようにこの荘園に就いて、道を開き転蓬して旅をしたりや単に麻を育てていくことを断ち切って本気で隠遁生活になろうとするか。

南の山の下で老圃に瓜を種える期。
樵牧南山に近く、林閭北郭に賒(とお)し。
先人富農を留め、老圃鄰家と作(な)る。
千株の橘を種えず、惟だ五色の瓜を資(と)る。
邵平能く我に就きて、径を開き蓬麻を剪るか。

現代語訳と訳註
(本文)
南山下與老圃期種瓜
樵牧南山近,林閭北郭賒。
先人留素業,老圃作鄰家。
不種千株橘,惟資五色瓜。
邵平能就我,開徑剪蓬麻。


(下し文) 南の山の下で老圃に瓜を種える期。
樵牧 南山に近く、林閭 北郭に賒(とお)し。
先人 富農を留め、老圃 鄰家と作(な)る。
千株の橘を種えず、惟だ 五色の瓜を資(と)る。
邵平 能く我に就きて、径を開き 蓬麻を剪るか。


(現代語訳)
木こりと牛馬をかっている人たちが鹿門山の南の山近くにいる。邑に入り口には木々が門のように林立し、北に遠くはるかに襄陽城が見える。
先祖からの荘園をうけついでいて、老練な隣人が農園を経営している。
千株の橘柑を植えてはいないが、ただ、五色の瓜をはよくできる。
秦の東陵侯のようにこの荘園に就いて、道を開き転蓬して旅をしたりや単に麻を育てていくことを断ち切って本気で隠遁生活になろうとするか。


(訳注)
樵牧南山近,林閭北郭賒。

樵牧南山に近く、林閭北郭に賒(とお)し。
木こりと牛馬をかっている人たちが鹿門山の南の山近くにいる。邑に入り口には木々が門のように林立し、北に遠くはるかに襄陽城が見えるい。
樵牧 木こりと牛馬を飼う人。○   1 村里の入り口にある門。また、門。 2 《中国、周代の制度で、25戸を1区として閭と称したところから》村。また、都市で、町の一区画。○北郭 北にある城郭。


先人留素業,老圃作鄰家。
先人素業を留め、老圃鄰家と作(な)る。
先祖からの荘園をうけついでいて、老練な隣人が農園を経営している。


不種千株橘,惟資五色瓜。
千株の橘を種えず、惟だ五色の瓜を資(と)る。
千株の橘柑を植えてはいないが、ただ、五色の瓜をはよくできる。
不種千株橘 『田園作』「卜鄰近三徑,植果盈千樹。」(鄰をトすること三徑に近く、果を植えて干樹に盈つ。
)果物の木がいっぱいうえられているとしている。ここでは、受験のため長安にいっていたり、廬山、江南、湘南を旅をしたため、果物の木の植え替えができなかったことをいうのである。
五色瓜 青門の瓜売りは五色の瓜を杜陵につくっていたこと、官を辞して瓜をたくさん栽培したことをいう。泰の東陵侯に封じられていた卲平は秦が滅びると布衣(庶民)の身となり、長安の門の東で瓜を栽培し、それが美味だったので「東陵の瓜」と称された。
卲平 東陵の瓜は五色であったことは次に示す。
「曰:邵平故秦東陵侯,秦滅後,為布衣,種瓜長安城東。種瓜有五色,甚美,故世謂之東陵瓜,又云青門瓜」。魏・阮籍も卲平の東陵の瓜は五色をふまえて「詠懐詩」(『文選』巻二三)其六に「昔聞く東陵の瓜、近く青門の外に在りと。……五色 朝日に輝き、嘉賓 四面に会す」とする。李白『古風五十九首 其九』「青門種瓜人。 舊日東陵侯。」(青門に瓜を種うるの人は、旧日の東陵侯なり。)


邵平能就我,開徑剪蓬麻。
邵平能く我に就きて、径を開き蓬麻を剪るか。
秦の東陵侯のようにこの荘園に就いて、道を開き転蓬の旅をしたり、単に麻を育てていくことを断ち切って本気で隠遁生活になろうとするか。


解説
まず「南山」については、ほとんどの注釈が襄陽の峴山であるとされるが、他の詩などから鹿門山であることがわかる。「澗南園即時貽皎上人」、「田園作」「題張野入園直」を見ると、峴山を題した詩の内容と、鹿門山、南山、田園と詠う場合とが違っている。
南山、鹿門山の場合労働者、農作物について述べるものが多い。峴山と詠う場合は送別に関したものがおおいのだ。孟浩然は別れ、景色を詠う場合が峴山で、隠遁生活、農事のことの場合、「田家、田園作、澗南園」を詩にとる場合.「林間」郊外の林野の住まい、ここでは孟浩然の荘園を指すものが多い。南山を鹿門山の南とするならば、かなりの詩の位置が特定される。孟浩然は自然の描写、心の描写が動的にとらえられるため、同じの中に2~3か所の場所が存在する場合がある。孟浩然の詩の理解のためには動的な描写を意識して捉えていかないと孟浩然の理解はできない。
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田家元日 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -316

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卷160_104 「田家元日」孟浩然


田家元日
昨夜鬥回北,今朝歲起東。
昨夜、北の星が北に回ってきて、そうしてこの朝、新しい年が生まれ起きてくる。
我年已強仕,無祿尚憂農。
我年 已に強仕なるに、禄無くして尚を農を憂ふ。わたしも年を重ね元気ではたらける、俸禄はないことは農作物の出来いかんが憂いの種なのだ。
桑野就耕父,荷鋤隨牧童。
桑畑や田野でおやじさんと一緒に野良仕事をし、鋤を担いで牧童のあとをついて行く。
田家占氣候,共說此年豐。

こうした、農家というものは気候を占う、一緒になって今年の豊作を願って主張し合うのだ。


昨夜 斗北に回り、今朝 歳 東に起つ。
我年 已に強仕なるに、禄無くして尚を農を憂ふ。
桑野 父 耕に就き、鋤を荷いて牧童に隨う。
田家 気候を占い、共に説く 此の年の豊を。
嚢陽一帯00

現代語訳と訳註
(本文)

昨夜鬥回北,今朝歲起東。
我年已強仕,無祿尚憂農。
桑野就耕父,荷鋤隨牧童。
田家占氣候,共說此年豐。

(下し文)
昨夜 斗北に回り、今朝 歳 東に起つ。
我年 已に強仕なるに、禄無くして尚を農を憂ふ。
桑野 父 耕に就き、鋤を荷いて牧童に隨う。
田家 気候を占い、共に説く 此の年の豊を。

(現代語訳)
昨夜、北の星が北に回ってきて、そうしてこの朝、新しい年が生まれ起きてくる。
我年 已に強仕なるに、禄無くして尚を農を憂ふ。
わたしも年を重ね元気ではたらける、俸禄はないことは農作物の出来いかんが憂いの種なのだ。
桑畑や田野でおやじさんと一緒に野良仕事をし、鋤を担いで牧童のあとをついて行く。
こうした、農家というものは気候を占う、一緒になって今年の豊作を願って主張し合うのだ。

安陸・南陽・嚢陽 李白00

(訳注)
昨夜鬥回北,今朝歲起東。

昨夜 斗北に回り、今朝 歳 東に起つ。
昨夜、北の星が北に回ってきて、そうしてこの朝、新しい年が生まれ起きてくる。
○斗 中國における六つ星により形成される星座。天廟を指す。玄武の蛇身。北極星を含む星座。太陽は西側の天涯に落ち、地の底を抜けて、東から生まれるというのが天体感であり、それを象徴する北の星をいう。悪気を消すことを意味する。斗(牛宿 女宿 虚宿 危宿 室宿 壁宿)


我年已強仕,無祿尚憂農。
我年 已に強仕なるに、禄無くして尚を農を憂ふ。
わたしも年を重ね元気ではたらける、俸禄はないことは農作物の出来いかんが憂いの種なのだ。

強仕 強く元気のいいさま。働き盛り。○無祿 士官していないので俸禄がないこと。○憂農 今後の農作物の出来について心配をすること。

桑野就耕父,荷鋤隨牧童。
桑野 父 耕に就き、鋤を荷いて牧童に隨う。

桑畑や田野でおやじさんと一緒に野良仕事をし、鋤を担いで牧童のあとをついて行く。
桑野 桑畑や田野畑。○耕父 おやじさんと一緒に野良仕事をすること。 


田家占氣候,共說此年豐。
田家 気候を占い、共に説く 此の年の豊を。

こうした、農家というものは気候を占う、一緒になって今年の豊作を願って主張し合うのだ。


305 孟浩然 与諸子登峴山  ①(世の移ろい、季節の変化を詠う)
309  〃   輿黄侍御北津泛舟②
310  〃   峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)
311  〃   過故人莊      ④
312  〃   峴山送蕭員外之荊州  ⑤
313  〃   登峴山亭寄晉陵張少府 ⑥
314  〃   澗南園即時貽皎上人  ⑦
315  〃   田園作   ⑧
316  〃   田園作元旦⑨
317  〃   南山下與老圃期種瓜⑩
318  〃   夏日南亭懷辛大⑪
319  〃   登鹿門山懐古 ⑫
320  〃   宿建徳江    ⑬
321  〃   仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊   ⑭
322  〃   秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 ⑮
323  〃   歳暮帰南山   ⑯
324  〃   登安陽城樓   ⑰
325  〃   與顏錢塘登障樓望潮作 ⑱
326  〃   下層石  ⑲
327  〃         ⑳
(襄陽・峴山・鹿門山をあつかったものでほかに 九日懷襄陽 、 峴山餞房琯、崔宗之 、 傷峴山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登峴山 ・・・・・etc.と峴山襄陽を詩題としたものが多くある。)

306 張九齢 登襄陽峴山
307 陳子昂 峴山懷古 
308 張 説   還至端駅前与高六別処
328 李 白  襄陽曲四首 其一
329  〃    襄陽曲四首 其二
330  〃    襄陽曲四首 其三
331  〃    襄陽曲四首 其四
332  〃    襄陽歌
333  〃    峴山懐古
*(番号の順でこのブログに掲載する)



詩人名生年 - 歿年 概  要
陳子昴
(ちんすこう)
661年 - 702年六朝期の華美さを脱して漢代の建安文学にみられるような堅固さを理想とする詩を作り、盛唐の質実な詩の礎を築いた。
張九齢 (ちょうきゅうれい)678年 - 740年陳子昂の詩と並んで「神味超逸」の風があり、阮籍の「詠懐詩」の流れをくむ「感遇詩」12種の連作が有名。著作に『張曲江集』20巻がある。字は子寿。韶州曲江の人。幼少の頃、南方に流されてきた張説に才能を認められた。長安二年(702)、進士に及第した。左拾遺となり、玄宗の信任を得て左補闕・司勲員外郎を歴任。張説の腹心として活躍した。のちに中書舎人から工部侍郎・中書令(宰相)に至った。李林甫と衝突し、玄宗の信頼を失って荊州長史に左遷された。『曲江張先生集』。
孟浩然 (もうこうねん)689年 - 740年盛唐の詩人。王維とともに「王孟」と並称され、山水自然派の詩人として知られるが、王維が自然の静的な面を客観的に歌うのに比して、より主観的に、自然を人間に親しいものとしてとらえる傾向を持つ。「春眠暁(あかつき)を覚えず」など、日本でも著名な作品が多い。襄陽出身。諱は浩、浩然は字。鹿門山に隠棲し、40才頃に進士に応じて落第し、王維との親交によって玄宗に謁見しながらも、「不才にして明主に棄てられ…」の句で官途を失い、郷里に隠棲した。襄陽長史に遷された張九齢の幕下に加わり、致仕後は江南を巡って王昌齢とも親交したが、まもなく襄陽で病死した。
 盛唐期にあって王維らとともに田園詩人群を形成し、王維とともに後の韋応物・柳宗元と併称される。ともに山水美を訴求しながら、王維の客観的・傍観的・静的態度と異なり、主観的・親近的・動的追及を旨とし、特に『春暁』は人口に膾炙している。
白   (りはく)701年 - 762年中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。

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田園作 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -315

田園作 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -315
 
卷159_46 「田園作」孟浩然
718年開元六年三十歳の時の襄陽における作品

田園作

弊廬隔塵喧,惟先養恬素。
わたしが棲んでいる家は、襄陽城の街中の塵や喧騒からは離れたところにある。そうしてこれまで、よけいなことを考えず素直な性格、質素にすることがいいことだと教えられ生きてきた。
卜鄰近三徑,植果盈千樹。
近くには数軒の家は建っていて近くに三つの小道がある。果樹の木を植えたりしてたくさんの木々がいっぱいになっている。
粵余任推遷,三十猶未遇。
ああ、私は、時に流されたままこの田舎に生きてきた。三十にして立つというがまだその境遇にはなっていない。
書劍時將晚,丘園日已暮。
この年では官僚になるというのはすでに遅いのかもしれない。ちょうど、この丘や畑が暮れていくのと同じことなのだ。
晨興自多懷,晝坐常寡悟。
朝起きた時には実にたくさんのことを思い浮かべるのだが、日中に座禅を組んで瞑想するのであるが悟りの様なものはあまりない。
沖天羨鴻鵠,爭食羞雞鶩。
大空に向かって飛び立つ鴻鳥や鵠鳥のように中央朝廷の大人物をうらやましくおもうし、エサを争って食べる鶏や鶩のように物欲丸出しというのは恥ずかしいことと思う。
望斷金馬門,勞歌采樵路。
金馬門をくぐって中央朝廷につかえることの希望は捨てることになるし、仕事をする人の歌を唄って、木こりの杣道を歩いているようなものだ。
鄉曲無知己,朝端乏親故。
かの鄉曲で隠遁した老子のように知己に富んでいるわけではないし、かといって、朝廷への推薦してくれるコネを持った親戚友人はいないのだ。
誰能為揚雄,一薦甘泉賦。
だれが朝廷に入り楊雄のようになろうというのか、彼のように、「甘泉の賦」のように詩賦を奏上したいのだ。


田園の作
弊廬の塵喧を隔つるは、惟れ先の恬素を尚べばなり
鄰をトすること三徑に近く、果を植えて干樹に盈つ。
粵(ここに)余、推遷に任せ,三十にして猶 未だ遇はず。
書劍 時 將に晚れんとし,丘園 日 已に暮る。
晨に興くれば自ら懷うこと多し,晝に坐すれば常に悟ること寡す。
沖天する鴻鵠を羨み,爭食する雞鶩を羞じる。
望み斷つ 金馬門,勞歌す 采樵の路。
鄉曲 知己無く,朝端 親故乏し。
誰か能く揚雄と為すか,一たび甘泉の賦を薦めん。



現代語訳と訳註
(本文)

弊廬隔塵喧,惟先養恬素。卜鄰近三徑,植果盈千樹。
粵余任推遷,三十猶未遇。書劍時將晚,丘園日已暮。
晨興自多懷,晝坐常寡悟。沖天羨鴻鵠,爭食羞雞鶩。
望斷金馬門,勞歌采樵路。鄉曲無知己,朝端乏親故。
誰能為揚雄,一薦甘泉賦。


(下し文)
弊廬の塵喧を隔つるは、惟れ先の恬素を尚べばなり
鄰をトすること三徑に近く、果を植えて干樹に盈つ。
粵(ここに)余、推遷に任せ,三十にして猶 未だ遇はず。
書劍 時 將に晚れんとし,丘園 日 已に暮る。
晨に興くれば自ら懷うこと多し,晝に坐すれば常に悟ること寡す。
沖天する鴻鵠(こうこく)を羨み,爭食する雞鶩(けいぼく)を羞じる。
望み斷つ 金馬門,勞歌す 采樵の路。
鄉曲 知己無く,朝端 親故乏し。
誰か能く揚雄と為すか,一たび甘泉の賦を薦めん。


(現代語訳)
わたしが棲んでいる家は、襄陽城の街中の塵や喧騒からは離れたところにある。そうしてこれまで、よけいなことを考えず素直な性格、質素にすることがいいことだと教えられ生きてきた。
近くには数軒の家は建っていて近くに三つの小道がある。果樹の木を植えたりしてたくさんの木々がいっぱいになっている。
ああ、私は、時に流されたままこの田舎に生きてきた。
三十にして立つというがまだその境遇にはなっていない。
この年では官僚になるというのはすでに遅いのかもしれない。ちょうど、この丘や畑が暮れていくのと同じことなのだ。
朝起きた時には実にたくさんのことを思い浮かべるのだが、日中に座禅を組んで瞑想するのであるが悟りの様なものはあまりない。
大空に向かって飛び立つ鴻鳥や鵠鳥のように中央朝廷の大人物をうらやましくおもうし、エサを争って食べる鶏や鶩のように物欲丸出しというのは恥ずかしいことと思う。
金馬門をくぐって中央朝廷につかえることの希望は捨てることになるし、仕事をする人の歌を唄って、木こりの杣道を歩いているようなものだ。
かといって、鄉曲で隠遁した老子のようには知己に富んでいるわけではないし、かといって、朝廷への推薦してくれるコネを持った親戚友人はいないのだ。
だれが朝廷に入り楊雄のようになろうというのか、彼のように、「甘泉の賦」のように詩賦を奏上したいのだ。



(訳注)
弊廬隔塵喧,惟先養恬素。

弊廬の塵喧を隔つるは、惟れ先の恬素(てんそ)を尚(とうと)べばなり。
わたしが棲んでいる家は、襄陽城の街中の塵や喧騒からは離れたところにある。そうしてこれまで、よけいなことを考えず素直な性格、質素にすることがいいことだと教えられ生きてきた。
弊廬 わたしが棲んでいる屋根を蘆で拭いている家のかまど。かまどは家を指す。○塵喧 襄陽城の街中の塵や喧騒。○恬素 物欲のないあっさりとしているさま。よけいなことを考えず素直な性格、質素にする。先祖からうけついだもの。土地をいう。○產 生産する。作物を作る。生産して経営する。○田園 前の「産」と園で従僕がいて小作させていたことがわかる。しかし、大規模なものではない。孟浩然『澗南園即時貽皎上人』ではこの聯と同じ意味を「弊廬在郭外,素產惟田園。」とする。


卜鄰近三徑,植果盈千樹。
鄰をトすること三徑に近く、果を植えて干樹に盈つ。
近くには数軒の家は建っていて近くに三つの小道がある。果樹の木を植えたりしてたくさんの木々がいっぱいになっている。
卜鄰 近くには数軒の家は建っている。接近して立っているのではないが遠くではない様子をいう。○三徑 三本の小道。○植果 果樹の木


粵余任推遷,三十猶未遇。
粵(ここに)余、推遷に任せ,三十にして猶 未だ遇はず。
ああ、私は、時に流されたままこの田舎に生きてきた。三十にして立つというがまだその境遇にはなっていない。
 ここに、<ああ>嘆息の語。○推遷 推し進め、移り変わる。時の流れのままに押し流される。○三十 論語「三十而立」に対して孟浩然自身の生活態度をいうのである。これにより、科挙の試験を意識したのである。


書劍時將晚,丘園日已暮。
書劍 時 將に晚れんとし,丘園 日 已に暮る。
この年では官僚になるというのはすでに遅いのかもしれない。ちょうど、この丘や畑が暮れていくのと同じことなのだ。
書劍 書と剣は当時の文人の必要アイテムで官僚の意味。科挙試験へのチャレンジは、通常十代の後半から、長安に上京して始める。ここと先頭の二句が絡んでくる。つまり、物欲、名誉欲、権威に対する欲が全くなかったことから、作詩が好きで、詩経、古文を暗誦することをしてこなかったのではなかろうか。

晨興自多懷,晝坐常寡悟。
晨に興くれば自ら懷うこと多し,晝に坐すれば常に悟ること寡す。
朝起きた時には実にたくさんのことを思い浮かべるのだが、日中に座禅を組んで瞑想するのであるが悟りの様なものはあまりない。


沖天羨鴻鵠,爭食羞雞鶩。
沖天する鴻鵠を羨み,爭食する雞鶩を羞じる。

大空に向かって飛び立つ鴻鳥や鵠鳥のように中央朝廷の大人物をうらやましくおもうし、エサを争って食べる鶏や鶩のように物欲丸出しというのは恥ずかしいことと思う。
沖天 大空の真ん中。朝廷。鴻鵠 (1)鴻(おおとり)や鵠(くぐい)など、大きな鳥。 (2)大人物。英雄。
屈原『卜居』「寧與黃鵠比翼乎、將與雞鶩爭食乎」   (寧ろ黃鵠と翼を比(なら)べんか、將雞鶩(けいぼく)と食を爭はんか)に基づいている。


望斷金馬門,勞歌采樵路。
望み斷つ 金馬門,勞歌す 采樵の路。

金馬門をくぐって中央朝廷につかえることの希望は捨てることになるし、仕事をする人の歌を唄って、木こりの杣道を歩いているようなものだ。
○金馬門 中国、漢代の未央宮 (びおうきゅう) の門の一。側臣が出仕して下問を待つ所。金馬。金門。


鄉曲無知己,朝端乏親故。
鄉曲 知己無く,朝端 親故乏し。
かの鄉曲で隠遁した老子のようには知己に富んでいるわけではないし、かといって、朝廷への推薦してくれるコネを持った親戚友人はいないのだ。
鄉曲 老子のことを指す。『史記』「.老子者,楚苦縣厲鄉曲仁里人也,姓李氏,名耳,字耼,周守藏室之史也」とみえる。○朝端 朝廷へ推薦してくれる端っこの方にでも引っ掛かりがあるかどうか。○親故 親族、知人。


誰能為揚雄,一薦甘泉賦。
誰か能く揚雄と為すか,一たび甘泉の賦を薦めん。
だれが朝廷に入り楊雄のようになろうというのか、彼のように、「甘泉の賦」のように詩賦を奏上したいのだ。
○揚雄 楊雄とも書く。(前53-後18) 中国、前漢の文人・学者。字(あざな)は子雲。宮廷詩人として作った「甘泉賦」「羽猟(うりよう)賦」「長楊賦」などの美文が有名。



解説
冒頭四句について、「弊廬」は、襄陽の澗南の居を指している。ここでは、襄陽城から漢水を挟んで距離を匿いたところに田園を営み、都市の俗塵・喧噪から隔絶して生活している。先祖が静かで質素な生活を尊んだことを継承するものだと述べている。作品では人生の区切りの歳である三十にして、有力なつてもなく、いまだ仕官の途が見いだせない焦燥か歌われる。先祖の処世を継承し、都市という世俗、換言すれば利益重視の人間関係の世界に関わってこなかったことのように書き、一方では、勉強不足であると述べている。利益ついきゅう、処世術をしなかったからという言い訳の部分だけではない。中國の人は日本人型の潔い反省はしない。
安徽の勉強が苦手であった孟浩然は独自の山水田園の世界感を作っていくことになるのである。古今東西、詩人は精神的に追い詰められたり、貧乏でなければ創造性豊かな「いい詩」は書けないのである。
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澗南園即時貽皎上入  孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -314

澗南園即時貽皎上入  孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -314


 孟浩然の郷里・襄陽における作品を示す。襄陽は、孟浩然がその生涯の多くの時間を過ごし、彼の一風の形成の場となったことはいうまでもない。

306 張九齢 登襄陽峴山
307 陳子昂 峴山懷古 
308 張 説   還至端駅前与高六別処

305 孟浩然 与諸子登峴山  ①(世の移ろい、季節の変化を詠う)
309  〃   輿黄侍御北津泛舟②
310  〃   峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)
311  〃   過故人莊      ④
312  〃   峴山送蕭員外之荊州  ⑤
313  〃   登峴山亭寄晉陵張少府
314  〃   澗南園即時貽皎上人  ⑦
315  〃   田園作   ⑧
316  〃   田園作元旦⑨
317  〃   南山下與老圃期種瓜⑩
318  〃   夏日南亭懷辛大⑪
319  〃   登鹿門山懐古 ⑫
320  〃   宿建徳江    ⑬
321  〃   仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊   ⑭
322  〃   秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 ⑮
323  〃   歳暮帰南山   ⑯
324  〃   登安陽城樓   ⑰
325  〃   與顏錢塘登障樓望潮作 ⑱
326  〃   下贛石  ⑲
327  〃         ⑳
(襄陽・峴山・鹿門山をあつかったものでほかに 九日懷襄陽 、 峴山餞房琯、崔宗之 、 傷峴山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登峴山 ・・・・・etc.と峴山襄陽を詩題としたものが多くある。)

328 李 白  襄陽曲四首 其一
329  〃    襄陽曲四首 其二
330  〃    襄陽曲四首 其三
331  〃    襄陽曲四首 其四
332  〃    襄陽歌
333  〃    峴山懐古
*(番号の順でこのブログに掲載する)

卷160_24 「澗南即事,貽皎上人」孟浩然

澗南園即時貽皎上人
襄陽の私の澗南の農園で即興で貽皎上人に詠った詩。
弊廬在郭外,素產惟田園。
わたしの粗末な庵は襄陽城の郊外にあり、先祖から受け継いだ土地においてを田ばたで作物をつくっているのだ。
左右林野曠,不聞朝市喧。
左右見渡して、林野、田畑が広がっているし、襄陽城での朝市の喧噪は全く聞こえてこない。
釣竿垂北澗,樵唱入南軒。
釣り竿は北側の漢水に灌ぐ谷川にたれるのである。その場所から南の高く上がった山の中に入っていくと樵が木挽き歌をうたっている。
書取幽棲事,將尋靜者論。

こうして一人静かな隠棲をしていることの風興な事を詩に書きとめる、随ってもっぱらの楽しみはお上人の様な静清なお方と論を交合わせるため訪ねてくださることなのだ。


澗南園で即時にて貽皎上人に。
弊廬 郭外に在り、素より惟だ田園に產とす。
左右 林野 曠く、朝市の喧しきを聞かず。
釣竿 北澗に垂れ、樵唱 南軒に入る。
幽棲の事を書取して、還た静者の言を尋ねん。


詩題に見える「澗南園」は、孟浩然の郷里襄陽における住まいである。それは襄州襄陽県の県城の東南方、峴山を漢水を挟んで鹿門山が位置し、漢水、鹿門山の南までを江村としている。また襄陽県は「漢代以降、南北(華北と華南の勢力か激突する地点であり、南北を結ぶ交通の要衝として経済的に重視された重要地点であった。そして、漢江の水運を利用した物資の集散地たる商港として、南朝以来繁栄し、遊楽の都市であった。大堤がそれである。地図に示す通り、襄陽城と漢水の間に一詩北征から流れてきた漢水が大きく南に大きく湾曲したところであったため、堤の長い場所であった。


現代語訳と訳註
(本文) 澗南園即時貽皎上人
弊廬在郭外,素產惟田園。
左右林野曠,不聞朝市喧。
釣竿垂北澗,樵唱入南軒。
書取幽棲事,將尋靜者論。


(下し文) 澗南園で即時にて貽皎上人に。
弊廬 郭外に在り、素產 惟田園あり。
左右 林野 曠く、朝市の喧しきを聞かず。
釣竿 北澗に垂れ、樵唱 南軒に入る。
幽棲の事を書取して、還た静者の言を尋ねん


(現代語訳)
襄陽の私の澗南の農園で即興で貽皎上人に詠った詩。
わたしの粗末な庵は襄陽城の郊外にあり、先祖から受け継いだ土地においてを田ばたで作物をつくっているのだ。
左右見渡して、林野、田畑が広がっているし、襄陽城での朝市の喧噪は全く聞こえてこない。
釣り竿は北側の漢水に灌ぐ谷川にたれるのである。その場所から南の高く上がった山の中に入っていくと樵が木挽き歌をうたっている。
こうして一人静かな隠棲をしていることの風興な事を詩に書きとめる、随ってもっぱらの楽しみはお上人の様な静清なお方と論を交合わせるため訪ねてくださることなのだ


(訳注)
澗南園即時貽皎上人

襄陽の私の澗南の農園で即興で貽皎上人に詠った詩。
澗南園 漢水の南。谷川の傍に畑を持っていた。孟浩然の郷里襄陽における住まいである。それは襄州襄陽県の県城の東南方、峴山を漢水を挟んで鹿門山が位置し、漢水、鹿門山の南までを江村としている。○即時 その場で即興で詠った詩。○上人 仏教における高僧への敬称。修行を積み、智徳を備えた高僧に対して用いられる。

弊廬在郭外,素產惟田園。
弊廬 郭外に在り、素より惟だ田園に產とす。
わたしの粗末な庵は襄陽城の郊外にあり、先祖から受け継いだ土地においてを田ばたで作物をつくっているのだ。
弊廬 隠遁しているあばら家の庵。○郭外 襄陽城の郊外○素產 先祖からうけついだもの。土地をいう。・ 生産する。作物を作る。生産して経営する。○田園 前の「産」と園で従僕がいて小作させていたことがわかる。しかし、大規模なものではない。


左右林野曠,不聞朝市喧。
左右 林野 曠く、朝市の喧しきを聞かず。
左右見渡して、林野、田畑が広がっているし、襄陽城での朝市の喧噪は全く聞こえてこない。
左右 辺りを見回してみていること。○林野 森と原っぱ、田畑がひろがっている。○朝市 襄陽城の市場。朝の位置には大勢が集まる。○ 朝市の喧噪。襄陽は当時かなりの都市であった。


釣竿垂北澗,樵唱入南軒。
釣竿 北澗に垂れ、樵唱 南軒に入る。
釣り竿は北側の漢水に灌ぐ谷川にたれるのである。その場所から南の高く上がった山の中に入っていくと樵が木挽き歌をうたっている。
釣竿 釣りをする。隠遁者は散歩することを含む。○北澗 漢水は孟浩然の家の北の方に流れており、その漢水に聞か向きに流れ灌ぎこむきこむ谷川のこと。○樵唱 木こりが木挽き歌を唄うこと。○ 山の中に入っていく。○南軒 南に向けて高く上がること。軒は欄干、家の軒、久という意味とここでは、誘われて高く上がっていくことをいう。。


書取幽棲事,將尋靜者論。
幽棲の事を書取して、還た静者の言を尋ねん。
こうして一人静かな隠棲をしていることの風興な事を詩に書きとめる、随ってもっぱらの楽しみはお上人の様な静清なお方と論を交合わせるため訪ねてくださることなのだ
○書取 書き留める。詩を作ること。○幽棲 一人で隠遁生活をしていること。○ 仕事。事件。ここでは、山水の風流な興味を抱いたことをいう。○將 まさに。もって、ここでは自分の楽しみになることに導く意味を持つ。○尋 こちらから行くことをいうのであるが、ここでは来訪されること。○靜者 静清なお方。清廉なひと。○ 論議、哲学、詩を論ずることなどを指す。


解説
 この孟浩然の詩「澗南即事,貽皎上人」においてまず、注目するのは、この襄陽県城という大きく繁華な都市の描かれ方である。「郭」「朝市喧」として描写された県城か、それぞれ「外」「不聞」という字句か示すように、詩人との場所的に距離を置いた存在として描かれていることがあげられる。「喧」から隔絶したことを強調すること、孟浩然が大きな町影響下にない隠遁をしていることを強調したいのである。
 そして、その静かな景色は、朝から始まり、やがて昼には北の谷川に釣り糸を垂れ、そして、木挽き歌を聴くため南の山の中に入っていく。こんな生活をしてることを理解できるのは、清廉な人だけだろう。
 「出世欲や、物欲のある人には到底理解できないことであろう」と詩を締める。この詩も風景、心理を動的にとらえているのである。

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登峴山亭,寄晉陵張少府 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -313

登峴山亭,寄晉陵張少府 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -313
(峴山の亭に登る。晋陵の張少府に寄せる。)



305 孟浩然 与諸子登峴山  ①(世の移ろい、季節の変化を詠う)
309  〃   輿黄侍御北津泛舟②
310  〃   峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)
311  〃   過故人莊      ④
312  〃   峴山送蕭員外之荊州  ⑤
313  〃   登峴山亭寄晉陵張少府
314  〃   澗南園即時貽皎上人  ⑦
315  〃   田園作   ⑧
316  〃   田園作元旦⑨
317  〃   南山下與老圃期種瓜⑩
318  〃   夏日南亭懷辛大⑪
319  〃   登鹿門山懐古 ⑫
320  〃   宿建徳江    ⑬
321  〃   仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊   ⑭
322  〃   秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 ⑮
323  〃   歳暮帰南山   ⑯
324  〃   登安陽城樓   ⑰
325  〃   與顏錢塘登障樓望潮作 ⑱
326  〃   下贛石  ⑲
327  〃         ⑳
(襄陽・峴山・鹿門山をあつかったものでほかに 九日懷襄陽 、 峴山餞房琯、崔宗之 、 傷峴山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登峴山 ・・・・・etc.と峴山襄陽を詩題としたものが多くある。)

306 張九齢 登襄陽峴山
307 陳子昂 峴山懷古 
308 張 説   還至端駅前与高六別処
328 李 白  襄陽曲四首 其一
329  〃    襄陽曲四首 其二
330  〃    襄陽曲四首 其三
331  〃    襄陽曲四首 其四
332  〃    襄陽歌
333  〃    峴山懐古
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孟浩然詩全集 卷160_161 「登峴山亭,寄晉陵張少府」
全集245首中絶句は約一割の26首である。孟浩然といえば、『春眠』「不覺曉,處處聞啼鳥。夜來風雨聲,花落知多少。」である。このブログはストーリーがないわけではないが、第一に考えていることは、できるだけマイナーなものを取り上げる。李白のブログに孟浩然を割り込ませて進めている。

 孟浩然は、襄陽城の東南漢水を渡ってひと山越えたあたり、鹿門山の麓に隠遁している。体があまり丈夫でなく気ままな生活をしていたようだ。友人が訪ねてきて別れる場所は、峴山に登って、襄陽の街を眺めると詩には出てくるが、この詩に登場する峴首亭がお目当てだったのではないだろうか。

登峴山亭,寄晉陵張少府
峴山に登り峴首亭にいってみると、晋の張翰少府の気持ちがよくわかりこの詩を寄せる。
峴首風湍急,雲帆若鳥飛。
峴山の鼻先にある峴首亭にいるが、川の流れと急な風が吹いていて、舟の雲帆ままるで都営が飛んでいくように見える。
憑軒試一問,張翰欲來歸。

亭の欄干に寄りかかったところで、あなたにちょっと一言聞いてみるけど、晋の張翰少府が、秋風が吹いたら、鱠を食べないと自分の人生ではないといって官を辞して呉の郷里に帰ったけれどあなたも帰ろうと思っているのではないのか。

峴山の亭に登る。晋陵の張少府に寄せる。
峴首 風湍 急にして,雲帆 鳥の飛ぶが若し。
軒に憑(よ)りて試みに一たび問わん,張翰 來り歸らんと欲するか。


現代語訳と訳註
(本文) 登峴山亭,寄晉陵張少府

峴首風湍急,雲帆若鳥飛。
憑軒試一問,張翰欲來歸。

(下し文) (峴山の亭に登る。晋陵の張少府に寄せる。)
峴首 風湍 急にして,雲帆 鳥の飛ぶが若し。
軒に憑(よ)りて試みに一たび問わん,張翰 來り歸らんと欲するか。

(現代語訳)
峴山に登り峴首亭にいってみると、晋の張翰少府の気持ちがよくわかりこの詩を寄せる。
峴山の鼻先にある峴首亭にいるが、川の流れと急な風が吹いていて、舟の雲帆ままるで都営が飛んでいくように見える。
亭の欄干に寄りかかったところで、あなたにちょっと一言聞いてみるけど、晋の張翰少府が、秋風が吹いたら、鱠を食べないと自分の人生ではないといって官を辞して呉の郷里に帰ったけれどあなたも帰ろうと思っているのではないのか。
嚢陽一帯00

(訳注)
登峴山亭寄晉陵張少府

峴山の亭に登る。晋陵の張少府に寄せる。
峴山に登り峴首亭にいってみると、晋の張翰少府の気持ちがよくわかりこの詩を寄せる。
峴山 襄陽城の南十里にある。孫堅が襄陽を攻撃したとき、黄祖(あるいは呂公)はこの山に潜んで孫堅を射殺した。○ 峴首亭のこと。○少府 後漢での少府は、宮中の御物、衣服、珍宝、御膳を担当すると注釈されている。秩禄は中二千石。丞は1人である。属官には以下のものがあり、中常侍等の宦官の各職官に加え、侍中、尚書令、御史中丞等のような政務の中枢をつかさどる職官が係属されている。


峴首風湍急,雲帆若鳥飛。
峴首 風湍 急にして,雲帆 鳥の飛ぶが若し。
峴山の鼻先にある峴首亭にいるが、川の流れと急な風が吹いていて、舟の雲帆ままるで都営が飛んでいくように見える。
風湍 急な風と水の流れが速い。 ・ 流れが急である. 急流.杜甫『将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首其四』 
常苦沙崩損藥欄,也從江檻落風湍
新松恨不高千尺,惡竹應須斬萬竿。
生理只憑黃閣老,衰顏欲付紫金丹。
三年奔走空皮骨,信有人間行路難。
雲帆 雲のように大きな船の帆。
送蕭三十一之魯中、兼問稚子伯禽 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-208
六月南風吹白沙,吳牛喘月氣成霞。
水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。
夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。
高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。
我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。
君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。


憑軒試一問,張翰欲來歸。
軒に憑(よ)りて試みに一たび問わん、張翰 來り帰らんと欲するか
亭の欄干に寄りかかったところで、あなたにちょっと一言聞いてみるけど、晋の張翰少府が、秋風が吹いたら、鱠を食べないと自分の人生ではないといって官を辞して呉の郷里に帰ったけれどあなたも帰ろうと思っているのではないのか
憑軒 欄干によりかかるさま。・憑1 よりかかる。頼みにする。よりどころ。「憑拠/証憑・信憑」 2 霊がのり移る。つく。○翰 【翰藻】かんそう. 詩・文章のこと。 「藻」は言葉のあや。 【翰墨】かんぼく. 筆と墨。 「翰墨を座右に置く」; 文学のこと。 書いたもの。文章のこと。 筆跡。 【翰林】かんりん. 学者・文人の仲間。文書の集まっている所の意から。 「学林・儒林」; 「 翰林院 ( かんりんいん ) 」1.の略。ここでは翰林院に仕える張君ということ。又西晋の文人張翰をもじっているという解釈とする。張翰については後述している。


DCF00199


解説と参考(張翰)
起句、嚢陽の峴山のもと、風が吹き付ける漢水の急激な流れの描写と、承句、それに乗って雲のような大きな帆を膨らませて鳥のように進む舟の描写は、スピード感に満ちた活動性を持ち、さらにはその「秋風」にのって張翰のように故郷へ帰りたいのかと心の動きを描いている。視線、心理どちらも動的にとらえていく孟浩然の秀作である。。

晉陵 張翰
蓴羹鱸膾(じゅんこうろかい) 《四熟》 1.故郷(ふるさと)の味。 類:●お袋の味 2.故郷を思う気持ちが抑えられなくなることの喩え。 類:●里心が付く 故事:「晋書-文苑伝・張翰」「翰因見秋風起,乃思呉中菰菜、蓴羮、鱸魚膾」 晋の張翰(ちょうかん)は、秋風に逢って、故郷の蓴菜(じゅんさい)の羹(あつもの)と鱸(すずき)の膾(なます)の味を思い出し、辞職して帰郷した。


 張翰は夏侯湛のこと。
この西晋太康期に「新」をもって評された文人に夏侯湛・張翰がいる。
夏侯湛包有盛才、文章宏富、善構新詞、而美容観、與溢岳友善。
          (晋書 侯湛傳)

張翰有清才美望、博學善蜀文、造次立成、辭義清新。
           (文士傳 世説識鑒注所引)

張翰字季鷹、呉郡人也。文藻新麗。
          (今書七志 文選巻二十九注所引)

夏侯湛はその美貌ゆえに潘岳とともに「連壁」ともてはやされた美男子である。

張翰は陸機と同じく呉郡の出身である。呉滅亡後、西晋に仕えた張翰は同郡出身の顧栄にその複雑な心境を述べ、又その顧栄が死んだ時弔問に出向いて、生前共に楽しんだ琴を撫して激しく慟哭したということが『世説』に見えるが、その顧栄のために「妻に贈る詩」を代作したのが陸機であった。張翰が有名なのは折角、西晋朝に仕えながら秋風の立つのを見て、故郷呉の鱸魚の鱠が恋しく、この人生、地位のためにあの美味を捨てられようかと職を投げ打って呉に馬を走らせた曠達ぶりによってであるが、なるほど「江東の歩兵(阮籍)」と時人の評目を得るだけの常識破りな人物であった。
張翰の文学は、『文選』の雑詩を示し、「短篇に鋭いものを見せる」と言い、『詩品』は、「季鷹の黄華の唱は美を具へずと雖も、文彩は高麗なり」(中品)と評す。


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峴山送蕭員外之荊州 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -312

峴山送蕭員外之荊州 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -312


305 孟浩然 与諸子登峴山     ①(世の移ろい、季節の変化を詠う)
309  〃   輿黄侍御北津泛舟②
310  〃   峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)
311  〃   過故人莊      ④
312  〃   峴山送蕭員外之荊州  ⑤
313  〃   登峴山亭寄晉陵張少府
314  〃   澗南園即時貽皎上人  ⑦
315  〃   田園作   ⑧
316  〃   田家元旦⑨
317  〃   南山下與老圃期種瓜⑩
318  〃   夏日南亭懷辛大⑪
319  〃   登鹿門山懐古 ⑫
320  〃   宿建徳江    ⑬
321  〃   仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊   ⑭
322  〃   秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 ⑮
323  〃   歳暮帰南山   ⑯
324  〃   登安陽城樓   ⑰
325  〃   與顏錢塘登障樓望潮作 ⑱
326  〃   下贛石  ⑲
327  〃         ⑳
(襄陽・峴山・鹿門山をあつかったものでほかに 九日懷襄陽 、 峴山餞房琯、崔宗之 、 傷峴山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登峴山 ・・・・・etc.と峴山襄陽を詩題としたものが多くある。)

306 張九齢 登襄陽峴山
307 陳子昂 峴山懷古 
308 張 説   還至端駅前与高六別処
328 李 白  襄陽曲四首 其一
329  〃    襄陽曲四首 其二
330  〃    襄陽曲四首 其三
331  〃    襄陽曲四首 其四
332  〃    襄陽歌
333  〃    峴山懐古
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詩人名生年 - 歿年 概  要
陳子昴
(ちんすこう)
661年 - 702年六朝期の華美さを脱して漢代の建安文学にみられるような堅固さを理想とする詩を作り、盛唐の質実な詩の礎を築いた。
張九齢 (ちょうきゅうれい)678年 - 740年陳子昂の詩と並んで「神味超逸」の風があり、阮籍の「詠懐詩」の流れをくむ「感遇詩」12種の連作が有名。著作に『張曲江集』20巻がある。字は子寿。韶州曲江の人。幼少の頃、南方に流されてきた張説に才能を認められた。長安二年(702)、進士に及第した。左拾遺となり、玄宗の信任を得て左補闕・司勲員外郎を歴任。張説の腹心として活躍した。のちに中書舎人から工部侍郎・中書令(宰相)に至った。李林甫と衝突し、玄宗の信頼を失って荊州長史に左遷された。『曲江張先生集』。
孟浩然 (もうこうねん)689年 - 740年盛唐の詩人。王維とともに「王孟」と並称され、山水自然派の詩人として知られるが、王維が自然の静的な面を客観的に歌うのに比して、より主観的に、自然を人間に親しいものとしてとらえる傾向を持つ。「春眠暁(あかつき)を覚えず」など、日本でも著名な作品が多い。襄陽出身。諱は浩、浩然は字。鹿門山に隠棲し、40才頃に進士に応じて落第し、王維との親交によって玄宗に謁見しながらも、「不才にして明主に棄てられ…」の句で官途を失い、郷里に隠棲した。襄陽長史に遷された張九齢の幕下に加わり、致仕後は江南を巡って王昌齢とも親交したが、まもなく襄陽で病死した。
 盛唐期にあって王維らとともに田園詩人群を形成し、王維とともに後の韋応物・柳宗元と併称される。ともに山水美を訴求しながら、王維の客観的・傍観的・静的態度と異なり、主観的・親近的・動的追及を旨とし、特に『春暁』は人口に膾炙している。
白   (りはく)701年 - 762年中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。
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卷160_133 「峴山送蕭員外之荊州」孟浩然



峴山送蕭員外之荊州
荊州幕府の員外官の蕭君を峴山で荊州に帰るのを見送って作った詩。
峴山江岸曲,郢水郭門前。
峴山は漢江の川岸が大きく湾曲したなかにある。漢水は襄陽城郭門の前を郢州に向かって流れている。
自古登臨處,非今獨黯然。
昔より襄陽のものは別れに峴山にのぼって、城郭を眺めるもの、でも今の私は、一人憂えて暗い気持ちになどなってはいない。
亭樓明落照,井邑秀通川。
峴首亭の高楼は日が落ちて、ともし火を照らし始めている。町や村は川を通して秀逸な景色を見せている。
澗竹生幽興,林風入管弦。
谷川に沿った竹林は静かに奥まっており風興の気持ちを起させ、風は林を抜け、管弦楽の中にひこんでくれる。
再飛鵬激水,一舉鶴沖天。
大鳥は水を激しく蹴って飛び立ちを繰り返している。鶴は、天に向かって一直線に飛び上がり、ひとたび飛び上がっていくだけだ。
佇立三荊使,看君駟馬旋。

立ちどまって友情の証の三荊を使わし、君を見て、四頭だての馬車を廻そうではないか。


峴山にて蕭員外の荊州に之くを送る
峴山 江岸 曲り,郢水 郭門 前にす。
古き自り登臨する處,今に非らず 獨り黯然す。
亭樓 明落 照らし,井邑 通川 秀でる。
澗竹 幽興に生え,林風 管弦に入る。
鵬は激水にして再び飛び,鶴は沖天に一たび 舉る。
佇立(ちょりつ)して三荊(さんけい)を使し,君を看て駟馬を旋(めぐ)らす。

 

現代語訳と訳註
(本文)
峴山送蕭員外之荊州  孟浩然
峴山送蕭員外之荊州
峴山江岸曲,郢水郭門前。
自古登臨處,非今獨黯然。
亭樓明落照,井邑秀通川。
澗竹生幽興,林風入管弦。
再飛鵬激水,一舉鶴衝天。
佇立三荊使,看君駟馬旋。  


(下し文) 峴山にて蕭員外の荊州に之くを送る
峴山 江岸 曲り,郢水 郭門 前にす。
古き自り登臨する處,今に非らず 獨り黯然す。
亭樓 明落 照らし,井邑 通川 秀でる。
澗竹 幽興に生え,林風 管弦に入る。
鵬は激水にして再び飛び,鶴は沖天に一たび 舉る。
佇立(ちょりつ)して三荊(さんけい)を使し,君を看て駟馬を旋(めぐ)らす。


(現代語訳)
荊州幕府の員外官の蕭君を峴山で荊州に帰るのを見送って作った詩。
峴山は漢江の川岸が大きく湾曲したなかにある。漢水は襄陽城郭門の前を郢州に向かって流れている。
昔より襄陽のものは別れに峴山にのぼって、城郭を眺めるもの、でも今の私は、一人憂えて暗い気持ちになどなってはいない。
峴首亭の高楼は日が落ちて、ともし火を照らし始めている。町や村は川を通して秀逸な景色を見せている。
谷川に沿った竹林は静かに奥まっており風興の気持ちを起させ、風は林を抜け、管弦楽の中にひこんでくれる。
大鳥は水を激しく蹴って飛び立ちを繰り返している。鶴は、天に向かって一直線に飛び上がり、ひとたび飛び上がっていくだけだ。
立ちどまって友情の証の三荊を使わし、君を見て、四頭だての馬車を廻そうではないか。


(訳注)
峴山送蕭員外之荊州

峴山にて蕭員外の荊州に之くを送る。
荊州幕府の員外官の蕭君を峴山で荊州に帰るのを見送って作った詩。
峴山 襄陽城の南十里にある。孫堅が襄陽を攻撃したとき、黄祖(あるいは呂公)はこの山に潜んで孫堅を射殺した。○員外 【員外官】いんげかん 律令制で、令 (りょう) に定められた定員以外の官吏。


峴山江岸曲,郢水郭門前。
峴山 江岸 曲り,郢水 郭門 前にす。
峴山は漢江の川岸が大きく湾曲したなかにある。漢水は襄陽城郭門の前を郢州に向かって流れている。
郭、門前 三国志の舞台。・関羽水淹七軍の地。・樊城。・魚梁洲。・襄陽城。・解佩渚。・沈碑潭。・諸葛亮故居。・万山。・望楚山。・古檀渓。・襄水。・峴山。・墮淚碑。峴首亭。・羊杜祠。・習家池(高揚)。・鹿門山。鹿門寺。など襄陽の名勝である。


自古登臨處,非今獨黯然。
古き自り登臨する處,今に非らず 獨り黯然す。
昔より襄陽のものは別れに峴山にのぼって、城郭を眺めるもの、でも今の私は、一人憂えて暗い気持ちになどなってはいない
黯然 黒いさま。暗いさま。憂えるさま。顔色を変えるさま。


亭樓明落照,井邑秀通川。
亭樓 明落 照らし,井邑 通川 秀でる。
峴首亭の高楼は日が落ちて、ともし火を照らし始めている。町や村は川を通して秀逸な景色を見せている。


澗竹生幽興,林風入管弦。
澗竹 幽興に生え,林風 管弦に入る。
谷川に沿った竹林は静かに奥まっており風興の気持ちを起させ、風は林を抜け、管弦楽の中にひこんでくれる。

○この句は孟浩然らしい「」と「」の素晴らしい表現である。

再飛鵬激水,一舉鶴沖天。
鵬は激水にして再び飛び,鶴は沖天に一たび 舉る。
大鳥は水を激しく蹴って飛び立ちを繰り返している。鶴は、天に向かって一直線に飛び上がり、ひとたび飛び上がっていくだけだ。
 伝説の鵬の鳥ではなく。アホウドリのような大きな鳥をいうのであろう。○激水 水を激しく蹴って飛び立つさま。○沖天 天に向かって一直線に飛び上がるさま。○自分はここで飛んで行ったりもどたりしているが、君はきっとここをとびたてば一直線に中央朝廷にまで上がっていくだろう、と持ち上げているのであろう。


佇立三荊使,看君駟馬旋。
佇立(ちょりつ)して三荊(さんけい)を使し,君を看て駟馬を旋(めぐ)らす。
立ちどまって友情の証の三荊を使わし、君を見て、四頭だての馬車を廻そうではないか。
佇立 たちどまる。たたずむ。○三荊 大切に育てたものが分散し、喩え枯れたとしても心は枯れない。再びめぐり会えばまた栄えるということの故事。「我が三荊、別れを惜しむがために枯れたり。吾等留まるべし。復た返りて栄(はなさ)かむや。」『注好選』
駟馬 4頭立ての馬車。また、その馬車を引く4頭の馬。しめ。

嚢陽一帯00
安陸・南陽・嚢陽 李白00


解説

●前の詩と同様に峴山における送別のうたである。第二句「郢水」(えいすい)_は、蕭員外が向かう荊州の治所一江陵県(湖北省江陵県)すなわち春秋戦国の楚の郡である郢の方へと流れてゆく川という意味である。
「郭門」は漢水を北に臨む襄陽県城である。送別の地と蕭員外の向かう地を「峴山」「郢水」として対にし、全句、ソフトタッチ、抒情的な対句で表現されている孟浩然の秀作である。


三荊 昔、三人の兄弟ありき。田祖・田達・田音といふ。即ちその祖の家に前栽あり。四季に花を開く荊三茎ありて、一花は白、一花は赤、一花は紫なり。往代より相伝へて財(たから)となして、色に随ひ香に付きて、千万の喜び余りあり。人々願ふと雖も、未だ他所にあらず。即ち父母亡せて後に、この三人身極めて貧し。相語らひて曰はく、「我が家を売りて他国に移住せむ。」と。時に隣国の人、三荊を買ふ。已に之を売りて値を得つ。その明旦に、三荊花落ち、葉枯れたり。三人之を見て嘆ず。未だ、此のごとき事をば見ず、と。呪して曰はく、「我が三荊、別れを惜しむがために枯れたり。吾等留まるべし。復た返りて栄(はなさ)かむや。」と。即ち値を返す。明くる日に随ひて元のごとく盛りなり。故に去らず。是をもつて、契をば三荊といふなり。『注好選』より。


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過故人莊 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -311

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305 孟浩然 与諸子登峴山  ①(世の移ろい、季節の変化を詠う)
309  〃   輿黄侍御北津泛舟②
310  〃   峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)
311  〃   過故人莊      ④
312  〃   峴山送蕭員外之荊州  ⑤
313  〃   登峴山亭寄晉陵張少府
314  〃   澗南園即時貽皎上人  ⑦
315  〃   田園作    ⑧
316  〃   田家元旦  ⑨
317  〃   南山下與老圃期種瓜⑩
318  〃   夏日南亭懷辛大⑪
319  〃   登鹿門山懐古 ⑫
320  〃   宿建徳江    ⑬
321  〃   仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊   ⑭
322  〃   秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 ⑮
323  〃   歳暮帰南山   ⑯
324  〃   登安陽城樓   ⑰
325  〃   與顏錢塘登障樓望潮作 ⑱
326  〃   下贛石  ⑲
327  〃         ⑳
(襄陽・峴山・鹿門山をあつかったものでほかに 九日懷襄陽 、 峴山餞房琯、崔宗之 、 傷峴山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登峴山 ・・・・・etc.と峴山襄陽を詩題としたものが多くある。)

306 張九齢 登襄陽峴山
307 陳子昂 峴山懷古 
308 張 説   還至端駅前与高六別処
328 李 白  襄陽曲四首 其一
329  〃    襄陽曲四首 其二
330  〃    襄陽曲四首 其三
331  〃    襄陽曲四首 其四
332  〃    襄陽歌
333  〃    峴山懐古
*(番号の順でこのブログに掲載する)


詩人名生年 - 歿年 概  要
陳子昴
(ちんすこう)
661年 - 702年六朝期の華美さを脱して漢代の建安文学にみられるような堅固さを理想とする詩を作り、盛唐の質実な詩の礎を築いた。
張九齢 (ちょうきゅうれい)678年 - 740年陳子昂の詩と並んで「神味超逸」の風があり、阮籍の「詠懐詩」の流れをくむ「感遇詩」12種の連作が有名。著作に『張曲江集』20巻がある。字は子寿。韶州曲江の人。幼少の頃、南方に流されてきた張説に才能を認められた。長安二年(702)、進士に及第した。左拾遺となり、玄宗の信任を得て左補闕・司勲員外郎を歴任。張説の腹心として活躍した。のちに中書舎人から工部侍郎・中書令(宰相)に至った。李林甫と衝突し、玄宗の信頼を失って荊州長史に左遷された。『曲江張先生集』。
孟浩然 (もうこうねん)689年 - 740年盛唐の詩人。王維とともに「王孟」と並称され、山水自然派の詩人として知られるが、王維が自然の静的な面を客観的に歌うのに比して、より主観的に、自然を人間に親しいものとしてとらえる傾向を持つ。「春眠暁(あかつき)を覚えず」など、日本でも著名な作品が多い。襄陽出身。諱は浩、浩然は字。鹿門山に隠棲し、40才頃に進士に応じて落第し、王維との親交によって玄宗に謁見しながらも、「不才にして明主に棄てられ…」の句で官途を失い、郷里に隠棲した。襄陽長史に遷された張九齢の幕下に加わり、致仕後は江南を巡って王昌齢とも親交したが、まもなく襄陽で病死した。
 盛唐期にあって王維らとともに田園詩人群を形成し、王維とともに後の韋応物・柳宗元と併称される。ともに山水美を訴求しながら、王維の客観的・傍観的・静的態度と異なり、主観的・親近的・動的追及を旨とし、特に『春暁』は人口に膾炙している。
白   (りはく)701年 - 762年中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。


卷160_85 「過故人莊」孟浩然

過故人莊
古い友人の邑里へ行く。
故人具雞黍,邀我至田家。
古い友人が、鶏(ニワトリ)と黍(きび)の料理でわたし心からもてなしをしてくれる準備している。わたしはその友人の農家に招いてくれたので行ったのだ。
綠樹村邊合,青山郭外斜。
緑の樹々が、村の周囲に繁り合わさっている。はるかとおくに青く春の峴山が、襄陽城郭の外側、向こうの方に斜めに見えている。 
開筵面場圃,把酒話桑麻。
穀類を乾燥させる庭に面したところに筵をひろげて、酒盃をとって、桑や麻の故事、商山芝であるとか、東陵の瓜のことなど、人の「道」の事を話題にするのだ。
待到重陽日,還來就菊花。
今度は、九月九日の重陽の節句を待って、菊花を愛で、菊花酒を飲みたいとおもうので、また友人の家を訪れるのだ。

故人の莊に過ぎる     
故人 鷄黍(けいしょ)を 具(そろ)へ、我を邀(むか)へて 田家(でんか)に 至らしむ。
綠樹 村邊(そんぺん)に 合(がっ)し、青き山 郭外(かくがい)に 斜めなり。
筵(むしろ)を開きて 場圃(じょうほ)に 面し、酒を把(とり)て 桑麻(そうま) を 話す。
重陽(ちょうよう)の日を 待ち到り、還(また)來(きた)りて 菊花(きくか)に就(つ)かん。

tanbo955



現代語訳と訳註
(本文) 過故人莊

故人具雞黍,邀我至田家。
綠樹村邊合,青山郭外斜。
開筵面場圃,把酒話桑麻。
待到重陽日,還來就菊花。

(下し文)
故人の莊に過ぎる     
故人 鷄黍(けいしょ)を 具(そろ)へ、我を邀(むか)へて 田家(でんか)に 至らしむ。
綠樹 村邊(そんぺん)に 合(がっ)し、青き山 郭外(かくがい)に 斜めなり。
筵(むしろ)を開きて 場圃(じょうほ)に 面し、酒を把(とり)て 桑麻(そうま) を 話す。
重陽(ちょうよう)の日を 待ち到り、還(また)來(きた)りて 菊花(きくか)に就(つ)かん。

(現代語訳)
古い友人の邑里へ行く。
古い友人が、鶏(ニワトリ)と黍(きび)の料理でわたし心からもてなしをしてくれる準備している。わたしはその友人の農家に招いてくれたので行ったのだ。
緑の樹々が、村の周囲に繁り合わさっている。はるかとおくに青く春の峴山が、襄陽城郭の外側、向こうの方に斜めに見えている。 
穀類を乾燥させる庭に面したところに筵をひろげて、酒盃をとって、桑や麻の故事、商山芝であるとか、東陵の瓜のことなど、人の「道」の事を話題にするのだ。
今度は、九月九日の重陽の節句を待って、菊花を愛で、菊花酒を飲みたいとおもうので、また友人の家を訪れるのだ。


(訳注)
過故人莊

古い友人の邑里へ行く。
陶淵明(陶潛)の
『歸園田居』五首其二
野外罕人事,窮巷寡輪鞅。白日掩荊扉,虚室絶塵想。
時復墟曲中,披草共來往。相見無雜言,但道桑麻長。
桑麻日已長,我土日已廣。常恐霜霰至,零落同草莽。
卷159_46 「田園作」孟浩然
弊廬隔塵喧,惟先養恬素。卜鄰近三徑,植果盈千樹。
粵余任推遷,三十猶未遇。書劍時將晚,丘園日已暮。
晨興自多懷,晝坐常寡悟。沖天羨鴻鵠,爭食羞雞鶩。
望斷金馬門,勞歌采樵路。鄉曲無知己,朝端乏親故。
誰能為揚雄,一薦甘泉賦。
故人 昔からの友人。古いなじみ。 古い友人。○ 邑里。いなか。街の郊外の田園にかこまれた数軒の家が固まったようなところ

故人具雞黍,邀我至田家。
古い友人が、鶏(ニワトリ)と黍(きび)の料理でわたし心からもてなしをしてくれる準備している。わたしはその友人の農家に招いてくれたので行ったのだ。
 そろえる。支度をする。準備をする。○鷄黍〔けいしょ〕ニワトリを殺し、きび飯をたいてもてなすこと。転じて、人を心からもてなすこと。 ○邀 〔えう〕まねく。呼ぶ。迎える。 ○ 行き着く。くる。 ○田家 〔でんか〕いなか家。農家。

綠樹村邊合,青山郭外斜。
緑の樹々が、村の周囲に繁り合わさっている。はるかとおくに青く春の峴山が、襄陽城郭の外側、向こうの方に斜めに見えている。 
村邊 村の周り。村はずれ。 ○合 合わさる。いっしょにする。ひとまとめにする。
郭外 襄陽城郭の外側、向こう側。孟浩然の自然を動的に表現、遠近法的表現する。また、青は五行思想で春を意味する。孟浩然は、春の季語として、青山を使っている。『峴山餞房琯、崔宗之』『登安陽城樓』『舟中曉望』『送友人之京』などに見える。城郭の向こうに小高い山、春の峴山を遙かに望むことを意味する。そびえる山には斜めという表現をしない。この「青き山」は次の「桑麻」の語にかかり、邵平などの故事に繋がっていく。


開筵面場圃,把酒話桑麻。
穀類を乾燥させる庭に面したところに筵をひろげて、酒盃をとって、桑や麻の故事、商山芝であるとか、東陵の瓜のことなど、人の「道」の事を話題にするのだ。
開筵 酒宴の筵を開く意。 ○ 面する。向かう。 ○場圃 〔じょうほ〕農家の前の穀物を干す広場。家の前の穀物干し場。○把酒 酒器、酒盃を持つ。 ○ 話す。後出・陶潛の『歸園田居』其二でいえば「道」。○桑麻 〔そうま〕桑(くわ)と麻(あさ)。商山芝、とか、東陵の瓜、など故事について、話をすること。桑は絹、麻は麻布を意味し、穀物以外に農事の基本であり、貨幣と同じ扱いであったもの。ここでは、人の「道」の話をすることである。前の聯での青山もこの句の桑麻にかかっている。この句までは春の時期の話である。次に秋に移っていく。
「古風」 第九首李白109
喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 157

待到重陽日,還來就菊花。
今度は、九月九日の重陽の節句を待って、菊花を愛で、菊花酒を飲みたいとおもうので、また友人の家を訪れるのだ。
待到- …になるのを待って。 ○重陽 陰暦九月九日。九は陽の数の極みで、九が重なるから重陽という。この日、高い所に登り、家族を思い、菊酒を飲んで厄災を祓う慣わし。菊の節供。この日、茱萸(しゅゆ、朝鮮呉茱萸を神の毛に挿しておく。 ○ また。 ○ つく。近づく。 ○菊花 重陽の日に吉祥を呼ぶとされて、珍重される花。




広陵の人、邵平は、秦の時代に東陵侯であったが、秦が漢に破れると、平民となり、青門の門外で瓜畑を経営した。瓜はおいしく、当時の人びとはこれを東陵の瓜 押とよんだ。

○商山芝 商山は長安の東商商州にある山の名、漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。○往者 さきには、これも昔時をさす。○東門瓜 漢の初め、卲平というものが長安の城の東門外で五色の瓜を作って売っていた、彼はもと秦の東陵侯であったという。

李白『古風其九』「青門種瓜人。 舊日東陵侯。」 ・種瓜人 広陵の人、邵平は、秦の時代に東陵侯であったが、秦が漢に破れると、平民となり、青門の門外で瓜畑を経営した。瓜はおいしく、当時の人びとはこれを東陵の瓜 押とよんだ。
東陵の瓜 召平は、広陵の人である。世襲の秦の東陵侯であった。秦末期、陳渉呉広に呼応して東陵の街を斬り従えようとしたが失敗した。後すぐに陳渉が敗死し、秦軍の脅威に脅かされた。長江の対岸の項梁勢力に目をつけ、陳渉の使者に成り済まし項梁を楚の上柱国に任命すると偽り、項梁を秦討伐に引きずり出した。後しばらくしてあっさり引退し平民となり、瓜を作って悠々と暮らしていた。貧困ではあったが苦にする様子も無く、実った瓜を近所の農夫に分けたりしていた。その瓜は特別旨かったので人々は『東陵瓜』と呼んだ。召平は、かつて秦政府から東陵侯の爵位を貰っていたからである。後、彼は漢丞相の蕭何の相談役となり、適切な助言・計略を蕭何に与えた。蕭何は、何度も彼のあばら家を訪ねたという。蕭何が蒲団の上で死ねたのも彼のおかげである。

喜晴  杜甫
皇天久不雨,既雨晴亦佳。出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
青熒陵陂麥,窈窕桃李花。春夏各有實,我饑豈無涯。』
干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。甘澤不猶愈,且耕今未賒。
丈夫則帶甲,婦女終在家。力難及黍稷,得種菜與麻。』
千載商山芝,往者東門瓜。其人骨已朽,此道誰疵瑕?
英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。顧慚味所適,回手白日斜。
漢陰有鹿門,滄海有靈查。焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』

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峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大) 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -310

峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大) 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -310


305 孟浩然 与諸子登峴山  ①(世の移ろい、季節の変化を詠う)
309  〃   輿黄侍御北津泛舟②
310  〃   峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)
311  〃   過故人莊      ④
312  〃   峴山送蕭員外之荊州  ⑤
313  〃   登峴山亭寄晉陵張少府
314  〃   澗南園即時貽皎上人  ⑦
315  〃   田園作    ⑧
316  〃   田家元旦  ⑨
317  〃   南山下與老圃期種瓜⑩
318  〃   夏日南亭懷辛大⑪
319  〃   登鹿門山懐古 ⑫
320  〃   宿建徳江    ⑬
321  〃   仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊   ⑭
322  〃   秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 ⑮
323  〃   歳暮帰南山   ⑯
324  〃   登安陽城樓   ⑰
325  〃   與顏錢塘登障樓望潮作 ⑱
326  〃   下贛石  ⑲
327  〃         ⑳
(襄陽・峴山・鹿門山をあつかったものでほかに 九日懷襄陽 、 峴山餞房琯、崔宗之 、 傷峴山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登峴山 ・・・・・etc.と峴山襄陽を詩題としたものが多くある。)

306 張九齢 登襄陽峴山
307 陳子昂 峴山懷古 
308 張 説   還至端駅前与高六別処
328 李 白  襄陽曲四首 其一
329  〃    襄陽曲四首 其二
330  〃    襄陽曲四首 其三
331  〃    襄陽曲四首 其四
332  〃    襄陽歌
333  〃    峴山懐古
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詩人名生年 - 歿年 概  要
陳子昴
(ちんすこう)
661年 - 702年六朝期の華美さを脱して漢代の建安文学にみられるような堅固さを理想とする詩を作り、盛唐の質実な詩の礎を築いた。
張九齢 (ちょうきゅうれい)678年 - 740年陳子昂の詩と並んで「神味超逸」の風があり、阮籍の「詠懐詩」の流れをくむ「感遇詩」12種の連作が有名。著作に『張曲江集』20巻がある。字は子寿。韶州曲江の人。幼少の頃、南方に流されてきた張説に才能を認められた。長安二年(702)、進士に及第した。左拾遺となり、玄宗の信任を得て左補闕・司勲員外郎を歴任。張説の腹心として活躍した。のちに中書舎人から工部侍郎・中書令(宰相)に至った。李林甫と衝突し、玄宗の信頼を失って荊州長史に左遷された。『曲江張先生集』。
孟浩然 (もうこうねん)689年 - 740年盛唐の詩人。王維とともに「王孟」と並称され、山水自然派の詩人として知られるが、王維が自然の静的な面を客観的に歌うのに比して、より主観的に、自然を人間に親しいものとしてとらえる傾向を持つ。「春眠暁(あかつき)を覚えず」など、日本でも著名な作品が多い。襄陽出身。諱は浩、浩然は字。鹿門山に隠棲し、40才頃に進士に応じて落第し、王維との親交によって玄宗に謁見しながらも、「不才にして明主に棄てられ…」の句で官途を失い、郷里に隠棲した。襄陽長史に遷された張九齢の幕下に加わり、致仕後は江南を巡って王昌齢とも親交したが、まもなく襄陽で病死した。
 盛唐期にあって王維らとともに田園詩人群を形成し、王維とともに後の韋応物・柳宗元と併称される。ともに山水美を訴求しながら、王維の客観的・傍観的・静的態度と異なり、主観的・親近的・動的追及を旨とし、特に『春暁』は人口に膾炙している。
白   (りはく)701年 - 762年中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。


卷160_135 「峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)」孟浩然

峴山送張去非遊巴東
峴山南郭外,送別每登臨。
峴山が見える襄陽城の南側の郊外にいる。友と別れるとき送別の度にこの山に登って眼下に望むのだ。
沙岸江村近,松門山寺深。
砂浜のある岸が続き川沿いの村が近くにある。松並木の門がある鹿門寺は奥深い山にある。
一言予有贈,三峽爾將尋。
一詩を作った私はこれに記して贈る。三峡に君をこちらから訪ねようと。
祖席宜城酒,征途雲夢林。
送別の宴席では宜城の酒にきまっている。之からの旅の道は、雲霧の澤、林を抜けていくのである。
蹉跎遊子意,眷戀故人心。
不遇で時機を待っている旅人であるが志はある。同じ思いを持っている友人としての心を大切にしたい。
去矣勿淹滯,巴東猿夜吟。

ここから去りなさい、早瀬に留まることはない。巴東の猿が夜さびしげに吟じてくれる。

峴山 南郭の外、送別毎に登臨す。
沙岸 江村の近、松門 山寺 深し。
一言 余は贈る有り、三峡 爾 相 尋る。
祖席 宜城の酒、征途 雲夢の林。
蹉跎 遊子の意、眷戀 故人の心。
去るべし 滝に滞る勿れ、巴東 猿 夜吟す。
 
現代語訳と訳註
(本文)

峴山南郭外,送別每登臨。
沙岸江村近,松門山寺深。
一言予有贈,三峽爾將尋。
祖席宜城酒,征途雲夢林。
蹉跎遊子意,眷戀故人心。
去矣勿淹滯,巴東猿夜吟。


(下し文)

峴山 南郭の外、送別毎に登臨す。
沙岸 江村の近、松門 山寺 深し。
一言 余は贈る有り、三峡 爾 相 尋る。
祖席 宜城の酒、征途 雲夢の林。
蹉跎 遊子の意、眷戀 故人の心。
去るべし 滝に滞る勿れ、巴東 猿 夜吟す


(現代語訳)

峴山が見える襄陽城の南側の郊外にいる。友と別れるとき送別の度にこの山に登って眼下に望むのだ。
砂浜のある岸が続き川沿いの村が近くにある。松並木の門がある鹿門寺は奥深い山にある。
一詩を作った私はこれに記して贈る。三峡に君をこちらから訪ねようと。
送別の宴席では宜城の酒にきまっている。之からの旅の道は、雲霧の澤、林を抜けていくのである。
不遇で時機を待っている旅人であるが志はある。同じ思いを持っている友人としての心を大切にしたい。
ここから去りなさい、早瀬に留まることはない。巴東の猿が夜さびしげに吟じてくれる。


(訳注)

峴山送朱太非道巴東 孟浩然

峴山南郭外、送別毎登臨。
峴山 南郭の外、送別毎に登臨す。
峴山が見える襄陽城の南側の郊外にいる。友と別れるとき送別の度にこの山に登って眼下に望むのだ。


沙岸江村近、松門山寺深。
沙岸 江村の近、松門 山寺 深し。
砂浜のある岸が続き川沿いの村が近くにある。松並木の門がある鹿門寺は奥深い山にある。


一言余有贈、三峡爾相尋。
一言 余は贈る有り、三峡 爾 相 尋る。
一詩を作った私はこれに記して贈る。三峡に君をこちらから訪ねようと。


祖席宜城酒、征途雲夢林。
祖席 宜城の酒、征途 雲夢の林。
送別の宴席では宜城の酒にきまっている。之からの旅の道は、雲霧の澤、林を抜けていくのである。
祖席 送別の宴席。○宜城酒 裏陽が名酒. の産地であつた。襄州宜城(現在湖北宜城県)○雲夢  古代中国で湖北省の武漢一帯にあったとされる大湿地。のち、長江と漢水が沖積して平原となった。武漢付近に散在する湖沼はその跡。


蹉跎遊子意、眷戀故人心。
蹉跎 遊子の意、眷戀 故人の心。
不遇で時機を待っている旅人であるが志はある。同じ思いを持っている友人としての心を大切にしたい。
蹉跎 つまずいて時機を失すること。 [形動タリ]時機を逸しているさま。不遇であるさま。 ...○眷戀 愛着の思いにひかれること。恋いこがれること。眷の用語解説 - [音]ケン(呉)(漢) [訓]かえりみる1 振り返って見る。目をかける。「眷顧・眷恋」 2 身うち。「眷属


去矣勿滝滞、巴東猿夜吟。
去るべし 滝に滞(とどこお)る勿れ、巴東 猿 夜吟す。
ここから去りなさい早瀬に留まることはない。巴東の猿が夜さびしげに吟じてくれる。
○巴東 巴東県(はとう-けん)は現在中国湖北省恩施トゥチャ族ミャオ族自治州に位置する県。ここは三峡を超えて三巴の東。


この詩は、孟浩然自身の住まいである澗南園付近で友人を送ったものであるが、冒頭四句、「送別」において「毎」に_その場として選んだ「峴山」とその近くの「江村」「山寺」は、「郭」の喧噪に対して静かに存在するものとして峴山からの眺め、景色を教えてくれる。


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輿黄侍御北津泛舟 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -309

輿黄侍御北津泛舟 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -309



305 孟浩然 与諸子登峴山  ①(世の移ろい、季節の変化を詠う)
309  〃   輿黄侍御北津泛舟②
310  〃   峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)
311  〃   過故人莊      ④
312  〃   峴山送蕭員外之荊州  ⑤
313  〃   登峴山亭寄晉陵張少府
314  〃   澗南園即時貽皎上人  ⑦
315  〃   田園作   ⑧
316  〃   田園作元旦⑨
317  〃   南山下與老圃期種瓜⑩
318  〃   夏日南亭懷辛大⑪
319  〃   登鹿門山懐古 ⑫
320  〃   宿建徳江    ⑬
321  〃   仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊   ⑭
322  〃   秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 ⑮
323  〃   歳暮帰南山   ⑯
324  〃   登安陽城樓   ⑰
325  〃   與顏錢塘登障樓望潮作 ⑱
326  〃   下贛石  ⑲
327  〃         ⑳
(襄陽・峴山・鹿門山をあつかったものでほかに 九日懷襄陽 、 峴山餞房琯、崔宗之 、 傷峴山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登峴山 ・・・・・etc.と峴山襄陽を詩題としたものが多くある。)

306 張九齢 登襄陽峴山
307 陳子昂 峴山懷古 
308 張 説   還至端駅前与高六別処
328 李 白  襄陽曲四首 其一
329  〃    襄陽曲四首 其二
330  〃    襄陽曲四首 其三
331  〃    襄陽曲四首 其四
332  〃    襄陽歌
333  〃    峴山懐古
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輿黄侍御北津泛舟
黄県令と北津の渡し場から舟を泛べる。
津無蛟龍患,日夕常安流。
湧き出る水がなくて蛟龍が患ってくれている。だから、ひがな一日、漢水もずっと穏やかに流れてくれている。
本欲避驄馬,何如同鹢舟。
はじめから、青白交じりの元気のいい馬での遊びを避けたいと思っている。どうしたことか鷁首のついた船での遊びをするというどちらも同じように避けたいところだ。
豈伊今日幸,曾是昔年游。
できることならこの遊びで今日の一日何事もなく幸せ過ごせたらいい。以前、ずっと昔のことであるがこの遊びをしたことがある。
莫奏琴中鶴,且隨波上鷗。
琴を弾いてくれているのに自分詠う順番がも割ってこないでくれ、そうして、波間に浮かぶ鴎は詠わないから従っていく。
堤緣九里郭,山面百城樓。
大堤は九里四方の郭に妓楼街がある。そこから峴山に向かって、樓閣の屋根が連なっている。
自顧躬耕者,才非管樂儔。
自分からこうして隠遁して一から畑を耕すことから始めているものであるから、文才はあっても管楽、音楽のたぐいは才能はないのである。
聞君薦草澤,從此泛滄洲。

あなたに聞くのですがこのまま民間人を勧めますか、そうであれば、ここにいることこの中州に浮んでいることは隠遁して棲んでいるところということなのだ。


黄侍御と北津に舟を泛ぶ。
津 無くして蛟龍 患い,日夕して常に安(おだやか)に 流る。
本より驄馬 避んと欲す,何んぞ鹢舟 同うするが如し。
豈(ねがわく)ば 伊れ 今日 幸なれ,曾て是 昔年游ぶ。
琴に中りて鶴(かく)を奏ずる莫れ,且 波上の鷗(おう)に隨う。
堤は縁る九里の郭、山は面す百の城樓。
自から躬耕の者を顧る,才 管樂の儔(ちゅう)に非らず。
君に聞く草澤を薦めるや,從って此れ 滄洲に泛ぶと。

宮島(1)


現代語訳と訳註
(本文) 輿黄侍御北津泛舟
津無蛟龍患,日夕常安流。
本欲避驄馬,何如同鹢舟。
豈伊今日幸,曾是昔年游。
莫奏琴中鶴,且隨波上鷗。
堤緣九里郭,山面百城樓。
自顧躬耕者,才非管樂儔。
聞君薦草澤,從此泛滄洲。


(下し文) 黄侍御と北津に舟を泛ぶ。
津 無くして蛟龍 患い,日夕して常に安(おだやか)に 流る。
本より驄馬 避んと欲す,何んぞ鹢舟 同うするが如し。
豈(ねがわく)ば 伊れ 今日 幸なれ,曾て是 昔年游ぶ。
琴に中りて鶴(かく)を奏ずる莫れ,且 波上の鷗(おう)に隨う。
堤は縁る九里の郭、山は面す百の城樓。
自から躬耕の者を顧る,才 管樂の儔(ちゅう)に非らず。
君に聞く草澤を薦めるや,從って此れ 滄洲に泛ぶと。


(現代語訳)
黄県令と北津の渡し場から舟を泛べる。
湧き出る水がなくて蛟龍が患ってくれている。だから、ひがな一日、漢水もずっと穏やかに流れてくれている。
はじめから、青白交じりの元気のいい馬での遊びを避けたいと思っている。どうしたことか鷁首のついた船での遊びをするというどちらも同じように避けたいところだ。
できることならこの遊びで今日の一日何事もなく幸せ過ごせたらいい。以前、ずっと昔のことであるがこの遊びをしたことがある。
琴を弾いてくれているのに自分詠う順番がも割ってこないでくれ、そうして、波間に浮かぶ鴎は詠わないから従っていく。
大堤は九里四方の郭に妓楼街がある。そこから峴山に向かって、樓閣の屋根が連なっている。
自分からこうして隠遁して一から畑を耕すことから始めているものであるから、文才はあっても管楽、音楽のたぐいは才能はないのである。
あなたに聞くのですがこのまま民間人を勧めますか、そうであれば、ここにいることこの中州に浮んでいることは隠遁して棲んでいるところということなのだ。

嚢陽一帯00

(訳注)
輿黄侍御北津泛舟

黄県令と北津の渡し場から舟を泛べる。
黄侍御 黄県令。○北津 襄陽の大堤側と対岸の樊城を結ぶ渡し場と思われる。地図を参考にしてみるとよく理解できる。漢水が大きく湾曲した上流部に大堤があり、そこから見た景色を詠っている。孟浩然の詩特有の時間の経過、視線の動きを感じさせる詩である。


津無蛟龍患,日夕常安流。
津 無くして蛟龍 患い,日夕して常に安(おだやか)に 流る。
湧き出る水がなくて蛟龍が患ってくれている。だから、ひがな一日、漢水もずっと穏やかに流れてくれている。

○津 船着き場。湧水。ここでは、、川の底から湧いてくる水の動きを意味する。蛟龍が騒いで起こるとされていた。○蛟竜 みずちと竜。蛇に似て足があり人を食うという。川の流れが乱流になることをいう動きのある表現に繋がっている。○病気になる。わずらわしいことがあって休む。○日夕 太陽が昇って夕暮れになるまで。一日中。ここでも日と夕と時間の経過を表す語がつかわれている。○常安流 常時、安定した流水である。王維の詩は静止画表現であるのに孟浩然は動画表現である。李白・杜甫は使い分けることが多い。

本欲避驄馬,何如同鹢舟。
本より驄馬 避んと欲す,何んぞ鹢舟 同うするが如し。
はじめから、青白交じりの元気のいい馬での遊びを避けたいと思っている。どうしたことか鷁首のついた船での遊びをするというどちらも同じように避けたいところだ。
驄馬 青白色の馬。○鷁舟 水難除けに鷁首を船首に飾っている船のこと。高貴なものがのる舟遊びをする舟。


豈伊今日幸,曾是昔年游。
豈(ねがわく)ば 伊れ 今日 幸なれ,曾て是 昔年游ぶ。
できることならこの遊びで今日の一日何事もなく幸せ過ごせたらいい。以前、ずっと昔のことであるがこの遊びをしたことがある。
 これ。人を指す。二人称。


莫奏琴中鶴,且隨波上鷗。
琴に中りて鶴を奏ずる莫れ,且 波上の鷗に隨う。
琴を弾いてくれているのに自分詠う順番がも割ってこないでくれ、そうして、波間に浮かぶ鴎は詠わないから従っていく。


堤緣九里郭,山面百城樓。
堤は縁る九里の郭、山は面す百の城樓。
大堤は九里四方の城郭の手前に妓楼街がある。そこから峴山に向かって、樓閣の屋根が連なっている。
 「大堤」のこと。ちなみに大堤は、唐代にあって、襄陽の城を西北から東南にめぐり流れる漢江ぞいを中心とする長大な堤防付近に栄えた「妓楼街」の名称でもある。李白「大堤曲」○九里郭 襄陽の城郭。


自顧躬耕者,才非管樂儔。
自から躬耕の者を顧る,才 管樂の儔(ちゅう)に非らず。
自分からこうして隠遁して一から畑を耕すことから始めているものであるから、文才はあっても管楽、音楽のたぐいは才能はないのである。
躬耕 天子が畑を耕す礼式のこと。この場合、能力のあるものが、一から畑を耕すことから始めるという意味である。この語は諸葛孔明がこの地で若いころ梁甫吟を唄って農耕をしたことを意味するものである。○ 友。類い。匹敵。


聞君薦草澤,從此泛滄洲。
君に聞く草澤を薦めるや,從って此れ 滄洲に泛ぶと。
あなたに聞くのですがこのまま民間人を勧めますか、そうであれば、ここにいることこの中州に浮んでいることは隠遁して棲んでいるところということなのだ。
草澤 草原や湿原。官僚にならない民間人。能力を持ちながら隠遁したもの。○滄洲 川が湾曲して中州になっているところ。隠者の住むところ。


輿黄侍御北津泛舟
津無蛟龍患,日夕常安流。
本欲避驄馬,何如同鹢舟。
豈伊今日幸,曾是昔年游。
莫奏琴中鶴,且隨波上鷗。
堤緣九里郭,山面百城樓。
自顧躬耕者,才非管樂儔。
聞君薦草澤,從此泛滄洲。


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還至端駅前与高六別処 張説 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -308

還至端駅前与高六別処 張説 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -308


305 孟浩然 与諸子登峴山  ①(世の移ろい、季節の変化を詠う)
309  〃   輿黄侍御北津泛舟②
310  〃   峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)
311  〃   過故人莊      ④
312  〃   峴山送蕭員外之荊州  ⑤
313  〃   登峴山亭寄晉陵張少府
314  〃   澗南園即時貽皎上人  ⑦
315  〃   田園作   ⑧
316  〃   田園作元旦⑨
317  〃   南山下與老圃期種瓜⑩
318  〃   夏日南亭懷辛大⑪
319  〃   登鹿門山懐古 ⑫
320  〃   宿建徳江    ⑬
321  〃   仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊   ⑭
322  〃   秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 ⑮
323  〃   歳暮帰南山   ⑯
324  〃   登安陽城樓   ⑰
325  〃   與顏錢塘登障樓望潮作 ⑱
326  〃   下層石  ⑲
327  〃         ⑳
(襄陽・峴山・鹿門山をあつかったものでほかに 九日懷襄陽 、 峴山餞房琯、崔宗之 、 傷峴山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登峴山 ・・・・・etc.と峴山襄陽を詩題としたものが多くある。)

306 張九齢 登襄陽峴山
307 陳子昂 峴山懷古 
308 張 説   還至端駅前与高六別処
328 李 白  襄陽曲四首 其一
329  〃    襄陽曲四首 其二
330  〃    襄陽曲四首 其三
331  〃    襄陽曲四首 其四
332  〃    襄陽歌
333  〃    峴山懐古
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盛唐時代の政治家で詩人でもあった張説(ちょうえつ)が詠んだものであるが、峴山を題材にしてはいないが、世の移ろいを詠うものとして、孟浩然・張九齢・陳子昂・張説と目線が同じであることでここに掲載する。李白の峴山懐古、襄陽曲四首、襄陽歌、大堤曲での李白の目線に触れたいと思う。
   

還至端駅前与高六別処 張説

還至端駅前与高六別処
また、端州駅に来たまえからの仲間である排行六番目の高戩とここで別れる。
旧館分江口、凄然望落暉。
かつて高戩と泊まったこの旅籠は北江と西江の合流地点付近にある。ふたりはものさびしく、いたましい気持ちで沈みゆく太陽を眺めている。
相逢伝旅食、臨別換征衣。
相手の高戩に長安に旅立つことをつたえる。別れにあたって互いの旅装を交換し合うことにするのだ。
昔記山川是、今傷人代非。 
昔から山河はとこしえに変わらない、普遍なものとして記録されている。しかし、今の傷付いた世は太宗の時代にはなかったのものだ。
往来皆此路、生死不同帰。

行きかう人は皆この路、それぞれの道を通るものだ。人が生まれたことと、人が死ぬということは同じところに帰るということはないのだ。


(還 端駅に至り 前与の高六と処で別る)
旧館 分江の口、凄然として落暉を望む。
相逢うて旅食を伝え、別れに臨んでは征衣を換う。
昔記せし山川は是なるも、今傷む人代の非なるを。
往来皆此の路なるに、生死帰るを同じうせず。

現代語訳と訳註
(本文)
還至端駅前与高六別処
旧館分江口、凄然望落暉。
相逢伝旅食、臨別換征衣。
昔記山川是、今傷人代非。 
往来皆此路、生死不同帰。(下し文)
(還 端駅に至り 前与高六と処で別る)
旧館 分江の口、凄然として落暉を望む。
相逢うて旅食を伝え、別れに臨んでは征衣を換う。
昔記せし山川は是なるも、今傷む人代の非なるを。
往来皆此の路なるに、生死帰るを同じうせず。


(現代語訳)
また、端州駅に来たまえからの仲間である排行六番目の高戩とここで別れる。
かつて高戩と泊まったこの旅籠は北江と西江の合流地点付近にある。ふたりはものさびしく、いたましい気持ちで沈みゆく太陽を眺めている。
相手の高戩に長安に旅立つことをつたえる。別れにあたって互いの旅装を交換し合うことにするのだ。
昔から山河はとこしえに変わらない、普遍なものとして記録されている。しかし、今の傷付いた世は太宗の時代にはなかったのものだ。
行きかう人は皆この路、それぞれの道を通るものだ。人が生まれたことと、人が死ぬということは同じところに帰るということはないのだ。


(訳注)
還至端駅前与高六別処

(還 端駅に至り 前与の高六と処で別る)
また、端州駅に来たまえからの仲間である排行六番目の高戩とここで別れる。
端溪(端州)駅 現在の広東省肇慶市(ざおちんし)高要県。端溪硯の名産地。
高六 … 高戩こうせん。張説と共に則武天に諫言をし、再三、流刑に処された。宰相魏元忠を高要尉へ左遷し、高戩、張説は嶺表へ流した。○ 排行六のこと。 同姓の親族の中で同世代の兄弟やいとこたちを、男子は男子、女子は女子で別々に年齢順に番号をつけて呼ぶこと。 一族ではない他人が排行で呼ぶことは、よほど親しいということ。科挙の同輩などの付き合いにより交際が深まったものが多い。


旧館分江口、凄然望落暉。
(旧館 分江の口、凄然として落暉を望む。)
かつて高戩と泊まったこの旅籠は北江と西江の合流地点付近にある。ふたりはものさびしく、いたましい気持ちで沈みゆく太陽を眺めている。
旧館 かつて高六と泊まった旅館。○分江 西江と北江とが合流する地点。 川筋が分かれるところ。
口 … 『全唐詩』では「日」に作り、「一作口」との注あり。○凄然 [1]寒く冷ややかなさま。[2]ものさびしく、いたましいさま。○落暉  沈む太陽。落日。


相逢傳旅食、臨別換征衣。
(相逢うて旅食を伝え、別れに臨んでは征衣を換う。)
相手の高戩に長安に旅立つことをつたえる。別れにあたって互いの旅装を交換し合うことにするのだ。
旅食 旅先での弁当。これから旅に出ること。征衣  旅ごろも。旅装。


昔記山川是、今傷人代非。
(昔は記(おぼゆ) 山川の是なるを、今は傷む 人代の非なるを。)
昔から山河はとこしえに変わらない、普遍なものとして記録されている。しかし、今の傷付いた世は太宗の時代にはなかったのものだ。
人代 人間の世界。世の中。代を使っているのは唐の太宗、李世民の諱を避けたため。高戩、張説は則武天により左遷され、戻され、また左遷された。その後、玄宗期には宰相になる。大宗は諫言を受け入れた。又、地方で仁徳のある官僚を中央に引き上げるシステムを構築した。則武天も当初は張説の還元を受け入れていた。


往来皆此路、生死不同帰。
(往来 皆此この路なるに、生死 帰えるを同じうせず。)
行きかう人は皆この路、それぞれの道を通るものだ。人が生まれたことと、人が死ぬということは同じところに帰るということはないのだ。


旧館分江口、凄然望落暉。
相逢伝旅食、臨別換征衣。
昔記山川是、今傷人代非。 
往来皆此路、生死不同帰。


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[峴山の詩] 陳子昂 峴山懷古 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -307

[峴山の詩] 陳子昂 峴山懷古 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -307
(孟浩然・張九齢・陳子昂・張説・李白「峴山」懐古について)


305 孟浩然 与諸子登峴山  ①(世の移ろい、季節の変化を詠う)
309  〃   輿黄侍御北津泛舟②
310  〃   峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)
311  〃   過故人莊      ④
312  〃   峴山送蕭員外之荊州  ⑤
313  〃   登峴山亭寄晉陵張少府
314  〃   澗南園即時貽皎上人  ⑦
315  〃   田園作   ⑧
316  〃   田園作元旦⑨
317  〃   南山下與老圃期種瓜⑩
318  〃   夏日南亭懷辛大⑪
319  〃   登鹿門山懐古 ⑫
320  〃   宿建徳江    ⑬
321  〃   仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊   ⑭
322  〃   秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 ⑮
323  〃   歳暮帰南山   ⑯
324  〃   登安陽城樓   ⑰
325  〃   與顏錢塘登障樓望潮作 ⑱
326  〃   下層石  ⑲
327  〃         ⑳
(襄陽・峴山・鹿門山をあつかったものでほかに 九日懷襄陽 、 峴山餞房琯、崔宗之 、 傷峴山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登峴山 ・・・・・etc.と峴山襄陽を詩題としたものが多くある。)

306 張九齢 登襄陽峴山
307 陳子昂 峴山懷古 
308 張 説   還至端駅前与高六別処
328 李 白  襄陽曲四首 其一
329  〃    襄陽曲四首 其二
330  〃    襄陽曲四首 其三
331  〃    襄陽曲四首 其四
332  〃    襄陽歌
333  〃    峴山懐古
*(番号の順でこのブログに掲載する)

  
張 説  667年 - 730年  陳子昴 661年 - 702年  張九齢 678年 - 740年
孟浩然 689年 - 740年  李 白  701年 - 762年


詩人名生年 - 歿年 概  要
陳子昴
(ちんすこう)
661年 - 702年六朝期の華美さを脱して漢代の建安文学にみられるような堅固さを理想とする詩を作り、盛唐の質実な詩の礎を築いた。
張九齢 (ちょうきゅうれい)678年 - 740年陳子昂の詩と並んで「神味超逸」の風があり、阮籍の「詠懐詩」の流れをくむ「感遇詩」12種の連作が有名。著作に『張曲江集』20巻がある。字は子寿。韶州曲江の人。幼少の頃、南方に流されてきた張説に才能を認められた。長安二年(702)、進士に及第した。左拾遺となり、玄宗の信任を得て左補闕・司勲員外郎を歴任。張説の腹心として活躍した。のちに中書舎人から工部侍郎・中書令(宰相)に至った。李林甫と衝突し、玄宗の信頼を失って荊州長史に左遷された。『曲江張先生集』。 
孟浩然     (もうこうねん)689年 - 740年盛唐の詩人。王維とともに「王孟」と並称され、山水自然派の詩人として知られるが、王維が自然の静的な面を客観的に歌うのに比して、より主観的に、自然を人間に親しいものとしてとらえる傾向を持つ。「春眠暁(あかつき)を覚えず」など、日本でも著名な作品が多い。襄陽出身。諱は浩、浩然は字。鹿門山に隠棲し、40才頃に進士に応じて落第し、王維との親交によって玄宗に謁見しながらも、「不才にして明主に棄てられ…」の句で官途を失い、郷里に隠棲した。襄陽長史に遷された張九齢の幕下に加わり、致仕後は江南を巡って王昌齢とも親交したが、まもなく襄陽で病死した。
 盛唐期にあって王維らとともに田園詩人群を形成し、王維とともに後の韋応物・柳宗元と併称される。ともに山水美を訴求しながら、王維の客観的・傍観的・静的態度と異なり、主観的・親近的・動的追及を旨とし、特に『春暁』は人口に膾炙している。
  白   (りはく)701年 - 762年中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。


峴山懷古 陳子昂
秣馬臨荒甸、登高覽舊都。
愛馬に秣をあたえ荒れ果てた耕作田を眺める。高い所にのぼって襄陽の旧い街を見入る。
猶悲墮淚碣、尚想臥龍圖。
どうしても仁徳をもってこの地を治めてくれた羊祜のために人々は涙を流して立てた堕涙碣の前に来ると哀しさがこみ上げる。それとこに近くにある、隆中において梁父吟を吟じながら農耕に励み、三顧の礼でむかえられ、読む人に涙を誘う忠君の「出師表」を書いた諸葛亮を思うのである。
城邑遙分楚、山川半入吳。
襄陽の城郭の街ははるかなさきでわかれて楚になる。山が続き、漢水が下って呉の国になる。
丘陵徒自出、賢聖幾凋枯。
恵まれた自然の丘陵があるのでいたずらに権力者は出現した。賢者、聖仁は次第に枯渇していった。
野樹蒼煙絕、津樓晚氣孤。
野山に青々とした木々が鬱蒼と立ち、春霞さえ断ち切った。船着き場にある高殿は日暮れになるとそこだけめだった。
誰知萬里客、懷古正踟躕。

誰が知るのであろうか、遠くはるかなところまでいる多くの住民のことを、古くから、本当の話、行ったり来たり、良かったり悪かったりというものなのだ。

馬を秣(まぐさ)し 荒甸(こうでん)に臨む、高きに登りて舊都を覽る。
猶(なお)悲しむ堕涙(だるい)の碣(けつ),尚(なお)想う臥竜(がりょう)の図。
城邑 遙か楚に分る、山川 半ば吳に入る。
丘陵 徒に自ら出ず、賢聖 幾に凋枯す。
野樹 蒼煙絕ち、津樓 晚氣に孤す。
誰か知る萬里客、懷古して正に踟躕(ちちゅう)せんとすを。


現代語訳と訳註
(本文)

峴山懷古 陳子昂
秣馬臨荒甸、登高覽舊都。
猶悲墮淚碣、尚想臥龍圖。
城邑遙分楚、山川半入吳。
丘陵徒自出、賢聖幾凋枯。
野樹蒼煙絕、津樓晚氣孤。
誰知萬里客、懷古正踟躕。

(下し文)
馬を秣し荒甸に臨む、高きに登りて舊都を覽る。
猶(な)お悲しむ堕涙(だるい)の碣(けつ),尚(な)お想う臥竜(がりょう)の図。
城邑 遙か楚に分る、山川 半ば吳に入る。
丘陵 徒に自ら出ず、賢聖 幾に凋枯す。
野樹 蒼煙絕ち、津樓 晚氣に孤す。
誰か知る萬里客、懷古して正に踟躕(ちちゅう)せんとす。

(現代語訳)
愛馬に秣をあたえ荒れ果てた耕作田を眺める。高い所にのぼって襄陽の旧い街を見入る。
どうしても仁徳をもってこの地を治めてくれた羊祜のために人々は涙を流して立てた堕涙碣の前に来ると哀しさがこみ上げる。それとこに近くにある、隆中において梁父吟を吟じながら農耕に励み、三顧の礼でむかえられ、読む人に涙を誘う忠君の「出師表」を書いた諸葛亮を思うのである。
襄陽の城郭の街ははるかなさきでわかれて楚になる。山が続き、漢水が下って呉の国になる。
恵まれた自然の丘陵があるのでいたずらに権力者は出現した。賢者、聖仁は次第に枯渇していった。
野山に青々とした木々が鬱蒼と立ち、春霞さえ断ち切った。船着き場にある高殿は日暮れになるとそこだけめだった。
誰が知るのであろうか、遠くはるかなところまでいる多くの住民のことを、古くから、本当の話、行ったり来たり、良かったり悪かったりというものなのだ。

(訳注)
秣馬臨荒甸、登高覽舊都。
馬を秣し荒甸に臨む、高きに登りて舊都を覽る。
愛馬に秣をあたえ荒れ果てた耕作田を眺める。高い所にのぼって襄陽の旧い街を見入る。


猶悲墮淚碣、尚想臥龍圖。
猶(な)お悲しむ堕涙(だるい)の碣(けつ),尚(な)お想う臥竜(がりょう)の図。
どうしても仁徳をもってこの地を治めてくれた羊祜のために人々は涙を流して立てた堕涙碣の前に来ると哀しさがこみ上げる。それとこに近くにある、隆中において梁父吟を吟じながら農耕に励み、三顧の礼でむかえられ、読む人に涙を誘う忠君の「出師表」を書いた諸葛亮を思うのである。

墮淚碣 羊祜は字を叔子という。武帝(司馬炎)は呉討伐の志を立て、羊祜を都督荊州諸軍事とし、部隊を率いて南夏(中国南部)に進駐させた。学問所を開設して遠近を手懐け、はなはだ江漢(長江・漢水)流域の民心を手に入れた。呉の人々に対しては大いなる信義を示した。卒去したとき、南方の州の人々は市場に出かけた日に羊祜の死を知り、号泣しない者がなかった。市場を閉めたあとも、至るところで泣き声が挙がった。国境を守る呉の将兵たちもまた彼のために泣いた。その仁徳の広がりはこれほどであった。○臥龍圖 臥竜と同じ。建興5年(227年)、諸葛亮は北伐を決行する。北伐にあたり上奏した「出師表」は名文として有名であり、「これを読んで泣かない者は不忠の人に違いない」(『文章規範』の評語)と称賛された。諸葛亮は荊州で弟と共に晴耕雨読の生活に入り、好んで「梁父吟」を歌っていた。


城邑遙分楚、山川半入吳。
城邑 遙か楚に分る、山川 半ば吳に入る。
襄陽の城郭の街ははるかなさきでわかれて楚になる。山が続き、漢水が下って呉の国になる。
城邑 城壁にかこまれた町。転じて、人家の多い土地。都会。みやこ。


丘陵徒自出、賢聖幾凋枯。
丘陵 徒に自ら出ず、賢聖 幾に凋枯す。
恵まれた自然の丘陵があるのでいたずらに権力者は出現した。賢者、聖仁は次第に枯渇していった。


野樹蒼煙絕、津樓晚氣孤。
野樹 蒼煙絕ち、津樓 晚氣に孤す。
野山に青々とした木々が鬱蒼と立ち、春霞さえ断ち切った。船着き場にある高殿は日暮れになるとそこだけめだった


誰知萬里客、懷古正踟躕。
誰か知る萬里客、懷古して正に踟躕(ちちゅう)せんとす。
誰が知るのであろうか、遠くはるかなところまでいる多くの住民のことを、古くから、本当の話、行ったり来たり、良かったり悪かったりというものなのだ。
踟躕 クモが巣を作るときの、行ったり来たり。行きつ戻りつしている様子を表したものである



堕涙碑(だるいひ)とは晋の将軍羊祜を祀った碑である。
概要
荊州の都督として陸抗と対峙していた羊祜は、荊州の領民を労わるはおろか 相対していた呉の将兵にまで礼節を以て臨み敵味方問わずから尊崇を集めていた。 そんな羊祜も病を得、重篤の身となると後任に杜預を推挙して没したが、 彼の死を惜しんだ民により生前彼が好んだ峴山に碑が建立された。 その碑を見た者は皆在りし日の羊祜を偲んで涙を堕とすに及んだと言う。
墮淚碣 羊祜は字を叔子という。武帝(司馬炎)は呉討伐の志を立て、羊祜を都督荊州諸軍事とし、部隊を率いて南夏(中国南部)に進駐させた。学問所を開設して遠近を手懐け、はなはだ江漢(長江・漢水)流域の民心を手に入れた。呉の人々に対しては大いなる信義を示した。卒去したとき、南方の州の人々は市場に出かけた日に羊祜の死を知り、号泣しない者がなかった。市場を閉めたあとも、至るところで泣き声が挙がった。国境を守る呉の将兵たちもまた彼のために泣いた。その仁徳の広がりはこれほどであった。

羊祜は山や川を愛し、いつも風景を楽しむために峴山へ行き、酒宴を開いて語り合ったり、詩を詠んだりして、ひねもす飽きることがなかった。あるとき感慨深げにため息を吐き、従事中郎鄒湛らの方へ振り返って「宇宙が誕生して、そしてこの山があり、賢明な名士が来訪してはこの山を登って遠望する。我や貴卿のような人は多かったんだろうなあ!しかし、みんな跡形もなく消えてしまった。悲しいことじゃないか。もし百年後でも知覚があるならば、霊魂になってこの山を登ってみたいものだ」と言った。鄒湛は言った。「公の恩徳は四海の頂点、道義は先哲を継承され、声望は立派でいらっしゃいます。必ずやこの山とともに語り継がれることでしょう。鄒湛ごとき弱輩者は、公のおっしゃる通りになるだけです。」

羊祜が卒去したのち、襄陽の百姓たちは羊祜が日ごろ楽しんでいた場所に石碑と廟所を建て、季節ごとに供物を捧げて祭った。その石碑を見れば涙を流さぬ者はなく、そのことから杜預は「堕涙碑」と名付けた。碑文は蜀の李安が書いたものである。李安は別名を李興といった。むかし荊州の諸葛亮旧宅に碣を書いたが、その文章も立派だったし、羊公(羊祜)が卒去したとき、その碑文も巧妙だった。当時の人々はようやくその才能に感服したのであった。

楊世安は記室・主簿の職務に当たることになり(?)、羊祜の石碑を読み終えると、長いため息を吐いて「大丈夫たる者、名声を樹立することを心がけねばなあ。吾は聡明でないが、自分だけが考えないわけにはいかないぞ」と言い、それからは政務に励み、職務では寛容さと簡略さを心がけた。荊州の人々は羊祜の名を避け、(「戸」が「祜」と同音なので)家屋はみな「門」と呼び、戸曹は「辞曹」と改称した。

司馬徽が蜀の諸葛亮(諸葛孔明)をたとえた言葉。


峴山懷古    陳子昂
秣馬臨荒甸 登高覽舊都
猶悲墮淚碣 尚想臥龍圖
城邑遙分楚 山川半入吳
丘陵徒自出 賢聖幾凋枯
野樹蒼煙絕 津樓晚氣孤
誰知萬里客 懷古正踟躕

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(孟浩然・張九齢・陳子昂・張説・李白「峴山」懐古について)


305 孟浩然 与諸子登峴山  ①(世の移ろい、季節の変化を詠う)
309  〃   輿黄侍御北津泛舟②
310  〃   峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)
311  〃   過故人莊      ④
312  〃   峴山送蕭員外之荊州  ⑤
313  〃   登峴山亭寄晉陵張少府
314  〃   澗南園即時貽皎上人  ⑦
315  〃   田園作   ⑧
316  〃   田園作元旦⑨
317  〃   南山下與老圃期種瓜⑩
318  〃   夏日南亭懷辛大⑪
319  〃   登鹿門山懐古 ⑫
320  〃   宿建徳江    ⑬
321  〃   仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊   ⑭
322  〃   秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 ⑮
323  〃   歳暮帰南山   ⑯
324  〃   登安陽城樓   ⑰
325  〃   與顏錢塘登障樓望潮作 ⑱
326  〃   下層石  ⑲
327  〃         ⑳
(襄陽・峴山・鹿門山をあつかったものでほかに 九日懷襄陽 、 峴山餞房琯、崔宗之 、 傷峴山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登峴山 ・・・・・etc.と峴山襄陽を詩題としたものが多くある。)

306 張九齢 登襄陽峴山
307 陳子昂 峴山懷古 
308 張 説   還至端駅前与高六別処
328 李 白  襄陽曲四首 其一
329  〃    襄陽曲四首 其二
330  〃    襄陽曲四首 其三
331  〃    襄陽曲四首 其四
332  〃    襄陽歌
333  〃    峴山懐古
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詩人名生年 - 歿年 概  要
陳子昴
(ちんすこう)
661年 - 702年六朝期の華美さを脱して漢代の建安文学にみられるような堅固さを理想とする詩を作り、盛唐の質実な詩の礎を築いた。
張九齢 (ちょうきゅうれい)678年 - 740年陳子昂の詩と並んで「神味超逸」の風があり、阮籍の「詠懐詩」の流れをくむ「感遇詩」12種の連作が有名。著作に『張曲江集』20巻がある。字は子寿。韶州曲江の人。幼少の頃、南方に流されてきた張説に才能を認められた。長安二年(702)、進士に及第した。左拾遺となり、玄宗の信任を得て左補闕・司勲員外郎を歴任。張説の腹心として活躍した。のちに中書舎人から工部侍郎・中書令(宰相)に至った。李林甫と衝突し、玄宗の信頼を失って荊州長史に左遷された。『曲江張先生集』。 
孟浩然     (もうこうねん)689年 - 740年盛唐の詩人。王維とともに「王孟」と並称され、山水自然派の詩人として知られるが、王維が自然の静的な面を客観的に歌うのに比して、より主観的に、自然を人間に親しいものとしてとらえる傾向を持つ。「春眠暁(あかつき)を覚えず」など、日本でも著名な作品が多い。襄陽出身。諱は浩、浩然は字。鹿門山に隠棲し、40才頃に進士に応じて落第し、王維との親交によって玄宗に謁見しながらも、「不才にして明主に棄てられ…」の句で官途を失い、郷里に隠棲した。襄陽長史に遷された張九齢の幕下に加わり、致仕後は江南を巡って王昌齢とも親交したが、まもなく襄陽で病死した。
 盛唐期にあって王維らとともに田園詩人群を形成し、王維とともに後の韋応物・柳宗元と併称される。ともに山水美を訴求しながら、王維の客観的・傍観的・静的態度と異なり、主観的・親近的・動的追及を旨とし、特に『春暁』は人口に膾炙している。
  白   (りはく)701年 - 762年中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。


登襄陽峴山 張九齢


登襄陽峴山
襄陽の峴山に登る
昔年亟攀践、征馬復来過。
ここで昔、劉備は挙兵し、早いうちに皇帝に即位した、このあたりの守りを関羽に任せ、この地で度々戦いが繰り広げられたのである。
信若山河舊、誰知歳月何。
信義・信頼というものは山河のように昔から変わらないものだ、この歳月の流れをだれが知っているというのか。
蜀相吟安在、羊公碣已磨。
諸葛孔明は、隆中において諸葛亮は梁父吟を吟じながら農耕に励んだが今はどこにいるのだろう、羊祜公はこの地のために役立った、この地の人々によって建てられた堕涙碑の文字も風化し既に読めなくなっている。
令圖尚寂寞、嘉會亦蹉跌。
戦をすすめるはかりごと、法令、律令が定められたが今はさびしい限りだ。それでうまく行ったこともあればうまくいかなくて挫折したこともあったのだ。
宛宛攀城岸、悠悠漢水波。
樊城は水攻めに会い、その城の岸は水位の伸び縮みした。漢江の波はゆったりと揺れていた。
逶迱春日逍、感寄客情多。
陽炎は春の日にも遙かにゆらゆら揺れるものである。古きことを思いここを訪れる人、旅人は多感し、感情をたかぶらせるのだ。
地本原林秀、朝来煙景和。
この地は、地形、地質、本来持っているものの恵みが秀逸なものである。朝が来ると霞(かすみ)たなびく春の景色もこのちを和ませてくれる。
同心不同賞、留歎此巌阿。
同じ志を持っているということで同じ賞賛をされるということはない。嘆きをここにとどめているのは大岩の窪みの沈碑潭に残しているのだ。


襄陽の峴山に登る
昔年、亟(すみや)かに攀践し、
征馬、復た来り過ぐ
信(まこと)に山河の旧(ふる)きが若き
誰か知らん、歳月の何(いくば)くなるを
蜀相の吟、安くにか在る、羊公の碣、已に磨したり。
令図、尚ほ寂寞、嘉会、亦た蹉跌。
宛宛たり、攀城の岸、悠悠たり、漢水の波
逶迱(いた)として春日遠く、感は寄せて客情多し。
地、本と原林、秀で、朝来、煙景、和す
同心、賞を同にせず、留歎す、此の巌の阿(くま)に


登襄陽峴山 現代語訳と訳註
(本文) 登襄陽峴山

昔年亟攀践、征馬復来過。
信若山河舊、誰知歳月何。
蜀相吟安在、羊公碣已磨。
令圖尚寂寞、嘉會亦蹉跌。
宛宛攀城岸、悠悠漢水波。
逶迱春日逍、感寄客情多。
地本原林秀、朝来煙景和。
同心不同賞、留歎此巌阿。


(下し文) 襄陽の峴山に登る
昔年、亟(すみや)かに攀践し、征馬、復た来り過ぐ。
信(まこと)に山河の旧(ふる)きが若き、誰か知らん、歳月の何(いくば)くなるを。
蜀相の吟、安くにか在る、羊公の碣、已に磨したり。
令図 尚ほ寂寞、嘉会 亦た蹉跌。
宛宛たり、攀城の岸、悠悠たり、漢水の波。
逶迱(いた)として春日遠く、感は寄せて客情多し。
地、本と原林、秀で、朝来、煙景、和す。
同心、賞を同にせず、留歎す、此の巌の阿(くま)に。


(現代語訳)
襄陽の峴山に登る
ここで昔、劉備は挙兵し、早いうちに皇帝に即位した、このあたりの守りを関羽に任せ、この地で度々戦いが繰り広げられたのである。
信義・信頼というものは山河のように昔から変わらないものだ、この歳月の流れをだれが知っているというのか。
諸葛孔明は、隆中において諸葛亮は梁父吟を吟じながら農耕に励んだが今はどこにいるのだろう、羊祜公はこの地のために役立った、この地の人々によって建てられた堕涙碑の文字も風化し既に読めなくなっている。
戦をすすめるはかりごと、法令、律令が定められたが今はさびしい限りだ。それでうまく行ったこともあればうまくいかなくて挫折したこともあったのだ。
樊城は水攻めに会い、その城の岸は水位の伸び縮みした。漢江の波はゆったりと揺れていた。
樊城は水攻めに会い、その城の岸は水位の伸び縮みした。漢江の波はゆったりと揺れていた。
陽炎は春の日にも遙かにゆらゆら揺れるものである。古きことを思いここを訪れる人、旅人は多感し、感情をたかぶらせるのだ。
この地は、地形、地質、本来持っているものの恵みが秀逸なものである。朝が来ると霞(かすみ)たなびく春の景色もこのちを和ませてくれる。

同じ志を持っているということで同じ賞賛をされるということはない。嘆きをここにとどめているのは大岩の窪みの沈碑潭に残しているのだ。


(訳注)
登襄陽峴山

襄陽の峴山に登る
襄陽 襄陽は、峴山・万山・鹿門山といった優美な山々に囲まれ、漠水・白水(現在の唐白河)といった清らかな緑水に抱かれた、山水豊かな都市として、あるいはまた古来から中国の南北を繋ぐ交通の要衝として開けた、商業盛んな繁華な都市としてその名を知られている。また、歴史的にも文化的にも詩的素材の宝庫と言ってよい。○峴山 襄陽城の南十里にある。孫堅が襄陽を攻撃したとき、黄祖(あるいは呂公)はこの山に潜んで孫堅を射殺した。羊祜の墮淚碣がある。

昔年亟攀践、征馬復来過。
昔年、亟(すみや)かに攀践し、征馬、復た来り過ぐ
ここで昔、劉備は挙兵し、早いうちに皇帝に即位した、このあたりの守りを関羽に任せ、この地で度々戦いが繰り広げられたのである。
 すみやかに。たるまずに、急いで。 「棘」に当てた用法。 〔キ〕しばしば。 【亟やか】すみやか. 手間取らずに急いで。あわただしく。すぐさま。 【亟遊】きゆう. よく行くこと。 「亟遊の地」 「曾遊」. 【亟行】きょくこう. 急いで行くこと。○攀践 攀は引っ張る。あがる、で朝廷に召されたこと言う。践はふむ。. 【踏む・履む・践む】 1.合わす。入る。交わる。乗る。収(治)める。継ぐ。連ねる。現す。表す。保つ。留める。 2.狭める。締める。抱える。押す。攻める。潰す。 3.離れる/離す。放つ。開く。 4.正の方向に離れる/離す。高まる・勢い付く・栄る


信若山河舊、誰知歳月何。
信(まこと)に山河の旧(ふる)きが若き、誰か知らん、歳月の何(いくば)くなるを
信義・信頼というものは山河のように昔から変わらないものだ、この歳月の流れをだれが知っているというのか。


蜀相吟安在、羊公碣已磨。
蜀相の吟、安くにか在る、羊公の碣、已に磨したり。
諸葛孔明は、隆中において諸葛亮は梁父吟を吟じながら農耕に励んだが今はどこにいるのだろう、羊祜公はこの地のために役立った、この地の人々によって建てられた堕涙碑の文字も風化し既に読めなくなっている。
○蜀相 隆中において諸葛亮は梁父吟を吟じながら農耕に励んだ。○ 梁父吟。○羊公 堕涙碑。羊公石。已磨


令圖尚寂寞、嘉會亦蹉跌。
令図、尚ほ寂寞、嘉会、亦た蹉跌。
戦をすすめるはかりごと、法令、律令が定められたが今はさびしい限りだ。それでうまく行ったこともあればうまくいかなくて挫折したこともあったのだ。
令圖 巧いはかりごと。決まり事を書き留める。諸葛亮の「出仕の表」○嘉会 はかりごとがうまくいくこと。○蹉跌 つまずくこと。失敗し行きづまること。挫折(ざせつ)。


宛宛攀城岸、悠悠漢水波。
宛宛たり、攀城の岸、悠悠たり、漢水の波。
樊城は水攻めに会い、その城の岸は水位の伸び縮みした。漢江の波はゆったりと揺れていた。
宛宛 龍が伸び縮みするさま。やわらかくしなやかなさま。龍は諸葛亮をイメージする語でもあるが。○攀城岸 樊城の戦い(はんじょうのたたかい)は、後漢時代の建安24年(219年)に起こった劉備軍の関羽と曹操軍(曹仁・于禁・徐晃)並びに孫権軍(呂蒙・陸遜)の合戦である。○悠悠漢水波
関羽は水陸両軍を率い、子の関平・都督の趙累らと共に樊城を守る曹仁を攻撃した。曹仁の援軍として、七軍を率いた于禁が駆けつけるが、折からの悪天候により大洪水が起こり、七軍は水没。関羽は船団を率いて攻撃をかけ、于禁と彼が率いていた3万の兵を降伏させ、龐徳を斬った。また、このとき荊州刺史の胡修・南郷太守の傅方らが関羽に降っている。関羽は樊城を完全に包囲し、別将を派遣して呂常が守る襄陽までも包囲した。関羽水淹七軍


逶迱春日逍、感寄客情多。
逶迱(いた)として春日遠く、感は寄せて客情多し。
陽炎は春の日にも遙かにゆらゆら揺れるものである。古きことを思いここを訪れる人、旅人は多感し、感情をたかぶらせるのだ。
逶迱 いい(委蛇)」に同じ。くねくねと曲がっているさま○ さまよう○


地本原林秀、朝来煙景和。
地、本と原林、秀で、朝来、煙景、和す。
この地は、地形、地質、本来持っているものの恵みが秀逸なものである。朝が来ると霞(かすみ)たなびく春の景色もこのちを和ませてくれる。
煙景 霞(かすみ)たなびく春の景色。○地本 地の利が本物である。○原林秀 原野や森林が秀でていること。


同心不同賞、留歎此巌阿。
同心、賞を同にせず、留歎す、此の巌の阿(くま)に。
同じ志を持っているということで同じ賞賛をされるということはない。嘆きをここにとどめているのは大岩の窪みの沈碑潭に残しているのだ。
○同心 同じ志。○此巌阿 漢水杜預沈碑潭、

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「峴山の詩」孟浩然 与諸子登峴山 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -305

峴山懐古 峴山の詩  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -305


305 孟浩然 与諸子登峴山  ①(世の移ろい、季節の変化を詠う)
309  〃   輿黄侍御北津泛舟②
310  〃   峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)
311  〃   過故人莊      ④
312  〃   峴山送蕭員外之荊州  ⑤
313  〃   登峴山亭寄晉陵張少府
314  〃   澗南園即時貽皎上人  
315  〃   田園作   
316  〃   田園作元旦
317  〃   南山下與老圃期種瓜
318  〃   夏日南亭懷辛大
319  〃   登鹿門山懐古 
320  〃   宿建徳江    
321  〃   仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊   
322  〃   秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 
323  〃   歳暮帰南山   
324  〃   登安陽城樓   
325  〃   與顏錢塘登障樓望潮作 ⑱
326  〃   下贛石  ⑲
327  〃   夏日辮玉法師茅齋      
328  〃   題長安主人壁
329  〃  
330  〃  
(襄陽・峴山・鹿門山をあつかったものでほかに 九日懷襄陽 、 峴山餞房琯、崔宗之 、 傷峴山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登峴山 ・・・・・etc.と峴山襄陽を詩題としたものが多くある。)

306 張九齢 登襄陽峴山
307 陳子昂 峴山懷古 
308 張 説   還至端駅前与高六別処
328 李 白  襄陽曲四首 其一
329  〃    襄陽曲四首 其二
330  〃    襄陽曲四首 其三
331  〃    襄陽曲四首 其四
332  〃    襄陽歌
333  〃    峴山懐古
*(番号の順でこのブログに掲載する)

  
張 説 667年 - 730年
陳子昴661年 - 702年
張九齢678年 - 740年
孟浩然689年 - 740年
李 白 701年 - 762年


ほぼ同時期の詩人の同じ峴山をテーマをとらえてみた。詩人の性格が分かって面白い。

詩人名生年 - 歿年 概  要
陳子昴
(ちんすこう)
661年 - 702年六朝期の華美さを脱して漢代の建安文学にみられるような堅固さを理想とする詩を作り、盛唐の質実な詩の礎を築いた。
張九齢 (ちょうきゅうれい)678年 - 740年陳子昂の詩と並んで「神味超逸」の風があり、阮籍の「詠懐詩」の流れをくむ「感遇詩」12種の連作が有名。著作に『張曲江集』20巻がある。字は子寿。韶州曲江の人。幼少の頃、南方に流されてきた張説に才能を認められた。長安二年(702)、進士に及第した。左拾遺となり、玄宗の信任を得て左補闕・司勲員外郎を歴任。張説の腹心として活躍した。のちに中書舎人から工部侍郎・中書令(宰相)に至った。李林甫と衝突し、玄宗の信頼を失って荊州長史に左遷された。『曲江張先生集』。 
孟浩然     (もうこうねん)689年 - 740年盛唐の詩人。王維とともに「王孟」と並称され、山水自然派の詩人として知られるが、王維が自然の静的な面を客観的に歌うのに比して、より主観的に、自然を人間に親しいものとしてとらえる傾向を持つ。「春眠暁(あかつき)を覚えず」など、日本でも著名な作品が多い。襄陽出身。諱は浩、浩然は字。鹿門山に隠棲し、40才頃に進士に応じて落第し、王維との親交によって玄宗に謁見しながらも、「不才にして明主に棄てられ…」の句で官途を失い、郷里に隠棲した。襄陽長史に遷された張九齢の幕下に加わり、致仕後は江南を巡って王昌齢とも親交したが、まもなく襄陽で病死した。
 盛唐期にあって王維らとともに田園詩人群を形成し、王維とともに後の韋応物・柳宗元と併称される。ともに山水美を訴求しながら、王維の客観的・傍観的・静的態度と異なり、主観的・親近的・動的追及を旨とし、特に『春暁』は人口に膾炙している。
  白   (りはく)701年 - 762年中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。

<孟浩然>
与諸子登峴山
諸子と峴山に登る。
人事有代謝、往来成古今。
ここで見る人の世の営みというものは、次々と入れ替わりがあるものだ、栄枯盛衰は古代から今の時代へ時の移ろいを成しているのである。
江山留勝跡、我輩復登臨。
この襄陽の地、漢江と峴山があり、景勝の跡を多く残している。われら同輩はたびたび峴山に登り、この地を見渡すのである。
水落漁梁浅、天寒雲夢深。
季節が変わり、いま水嵩が減った川では、やなが浅く露になり、空は寒々としてはるかであり、梁父吟を唄って歩く、雲夢の沢は深く広がっている。
羊公碑尚在、読罷涙浩襟。

峴山に羊公の碑が今なお残っている、その碑文を読むうち涙がとめどなく流れ着物の襟を濡らしてしまい、その先を読むことができないのである。


人事に代謝あり、往来は古今を成す。
江山勝跡を留め、我が輩 また登臨す。
水落ちて魚梁浅く、天寒くして夢沢深し。
羊公の碑 なお在り、読を罷はず 一に襟をぬらす。


張九齢 登襄陽峴山
襄陽の峴山に登る
昔年亟攀践、征馬復来過。
信若山河舊、誰知歳月何。
蜀相吟安在、羊公碣已磨。
令圖尚寂寞、嘉會亦蹉跌。
宛宛攀城岸、悠悠漢水波。
逶迱春日逍、感寄客情多。
地本原林秀、朝来煙景和。
同心不同賞、留歎此巌阿。

昔年、亟(すみや)かに攀践し、
征馬、復た来り過ぐ
信(まこと)に山河の旧(ふる)きが若き
誰か知らん、歳月の何(いくば)くなるを
蜀相の吟、安くにか在る、羊公の碣、已に磨したり。
令図、尚ほ寂寞、嘉会、亦た蹉跌。
宛宛たり、攀城の岸、悠悠たり、漢水の波
逶迱(いた)として春日遠く、感は寄せて客情多し。
地、本と原林、秀で、朝来、煙景、和す
同心、賞を同にせず、留歎す、此の巌の阿(くま)に 

峴山懷古 陳子昂
秣馬臨荒甸、登高覽舊都。
猶悲墮淚碣、尚想臥龍圖。
城邑遙分楚、山川半入吳。
丘陵徒自出、賢聖幾凋枯。
野樹蒼煙絕、津樓晚氣孤。
誰知萬里客、懷古正踟躕。

馬を秣(まぐさ)し 荒甸(こうでん)に臨む、高きに登りて舊都を覽る。
猶(なお)悲しむ堕涙(だるい)の碣(けつ),尚(なお)想う臥竜(がりょう)の図。
城邑 遙か楚に分る、山川 半ば吳に入る。
丘陵 徒に自ら出ず、賢聖 幾に凋枯す。
野樹 蒼煙絕ち、津樓 晚氣に孤す。
誰か知る萬里客、懷古して正に踟躕(ちちゅう)せんとすを。

宮島(1)



与諸子登峴山 孟浩然
○孟浩然 盛唐の詩人。689-740。李白より11歳ほど年長の友人。襄陽陽(湖北省襄樊市)の出身。王維・葦応物・柳宗元と並んで、唐代の代表的な自然詩人とされる。○孟浩然は、近くの峴山に登り、そこに建てられていた羊公=羊祜の徳を称えた碑を見てこの世の無常に思いを致し、以下のように詠んだ。


現代語訳と訳註
(本文)
与諸子登峴山
人事有代謝、往来成古今。
江山留勝跡、我輩復登臨。
水落漁梁浅、天寒雲夢深。
羊公碑尚在、読罷涙浩襟。

(下し文) 諸子と峴山に登る
人事に代謝あり、往来は古今を成す。
江山勝跡を留め、我が輩 また登臨す。
水落ちて魚梁浅く、天寒くして夢沢深し。
羊公の碑 なお在り、読を罷はず 一に襟をぬらす。


(現代語訳)
諸子と峴山に登る。
ここで見る人の世の営みというものは、次々と入れ替わりがあるものだ、栄枯盛衰は古代から今の時代へ時の移ろいを成しているのである。
この襄陽の地、漢江と峴山があり、景勝の跡を多く残している。われら同輩はたびたび峴山に登り、この地を見渡すのである。
季節が変わり、いま水嵩が減った川では、やなが浅く露になり、空は寒々としてはるかであり、梁父吟を唄って歩く、雲夢の沢は深く広がっている。
峴山に羊公の碑が今なお残っている、その碑文を読むうち涙がとめどなく流れ着物の襟を濡らしてしまい、その先を読むことができないのである。 


(訳注)
与諸子登峴山

諸子と峴山に登る。
峴山 襄陽城の南十里にある。孫堅が襄陽を攻撃したとき、黄祖(あるいは呂公)はこの山に潜んで孫堅を射殺した。

人事有代謝、往来成古今。
ここで見る人の世の営みというものは、次々と入れ替わりがあるものだ、栄枯盛衰は古代から今の時代へ時の移ろいを成しているのである。
人事 人の世の営み。仕事、出来事、事件。○代謝 次々と入れ替わる。 ○往来 ここでは栄枯盛衰という意味。○古今 古代から今まで。

江山留勝跡、我輩復登臨。
この襄陽の地、漢江と峴山があり、景勝の跡を多く残している。われら同輩はたびたび峴山に登り、この地を見渡すのである。
江山 漢江と峴山。○勝跡 三国志の舞台。・関羽水淹七軍の地。・樊城。・魚梁洲。・襄陽城。・解佩渚。・沈碑潭。・諸葛亮故居。・万山。・望楚山。古檀渓。襄水。峴山。・墮淚碑。峴首亭。・羊杜祠。・習家池(高揚)。・鹿門山。鹿門寺。「襄陽」「襄中」「峴山」「峴首」「刑襄」「堕涙碑」「羊公石」「山公楼」「習家池」「高陽池」「大堤」「鹿門」「洞湖」などある。


水落漁梁浅、天寒雲夢深。
季節が変わり、いま水嵩が減った川では、やなが浅く露になり、空は寒々としてはるかであり、梁父吟を唄って歩く、雲夢の沢は深く広がっている。
水落 世の移ろいを意識をさせるもので、季節が変わったことをいう。○漁梁浅 やなが浅く露になることをいう。峴山のふもとの漢水では鯿魚が捕れ、脂がのって旨い。むかし捕獲を禁止したとき槎頭で水を仕切ったことがあったので、「槎頭鯿」と呼ばれる。 ○雲夢 雲夢の沢(うんぼうのたく)湖北省の湿地帯。関羽水淹七軍の地 湿原はひろがっている。諸葛亮、十六歳の時、叔父が殺されてからは、襄陽北西の隆中で晴耕雨読の日を送りながら、襄陽士人、後漢では一流の名門である崔州平、徐庶、遊学仲間の石韜、孟建、らと交わる。
○峴山から南に八百歩、西に坂道を下って百歩のところに習家の養魚池がある。漢の侍中であった習郁が范蠡の『養魚法』に倣ったもので、中には釣り用の台が一つ設けられている。(習郁は)臨終のとき「我を養魚池の近くに埋葬してくれ」と息子に遺言した。池の傍らに高い堤があり、ずらっと竹や長楸が植えられ、芙蓉が水面を覆っている。これこそ酒宴の名所であろう。山季倫(山簡)はこの地で遊ぶたび、泥酔せずに帰ることはなく、いつも「これは我にとっての高陽池なのだ」と言っていた。


羊公碑尚在、読罷涙浩襟。
峴山に羊公の碑が今なお残っている、その碑文を読むうち涙がとめどなく流れ着物の襟を濡らしてしまい、その先を読むことができないのである。 
羊公 荊州の都督として陸抗と対峙していた羊祜は、荊州の領民を労わるはおろか 相対していた呉の将兵にまで礼節を以て臨み敵味方問わずから尊崇を集めていた。 そんな羊祜も病を得、重篤の身となると後任に杜預を推挙して没した。○ 羊祜が病死、死を惜しんだ民により生前彼が好んだ峴山に碑が建立された。 その碑を見た者は皆在りし日の羊祜を偲んで涙を堕とすに及んだ。墮淚碣という。○涙浩襟 ここを訪れる人は、なみだをながすのをとめられない。作者も抜群のロケーションを表現しているのである。


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(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))

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北上行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -304

北上行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -304


北上行 #1
北上何所苦,北上緣太行。
磴道盤且峻,巉岩凌穹蒼。
馬足蹶側石,車輪摧高岡。
沙塵接幽州,烽火連朔方。
殺氣毒劍戟,嚴風裂衣裳。
奔鯨夾黄河,鑿齒屯洛陽。
前行無歸日,返顧思舊鄉。」
#2
慘戚冰雪里,悲號絕中腸。
真冬の逃行で氷雪の中で悲惨を極めるひどい悲しみの中に有る、泣き叫ぶこと胸も腹も張り裂けんばかりに追い詰められたのである。
尺布不掩體,皮膚劇枯桑。
着の身着のままで逃げだしたのでわずかな布きれでは体を覆うこともできない、寒空の中皮膚は寒さに痛いほどになり、まるで枯葉のようになった。
汲水澗穀阻,采薪隴坂長。
谷沿いの道とはいえ水を汲むには谷川が深いのだ、薪を採るにも岡や 山坂は長いのだ。
猛虎又掉尾,磨牙皓秋霜。
猛虎は勢いよく襲いかかろうと 尾を振り立てている、牙は磨かれていて秋の白い霜よりも白いのだ。
草木不可餐,饑飲零露漿。
あたりの草木も尽きてしってもう食べるものさえなくなった、飲むもの無く飢えてしまいこぼれる露のしずくを啜ってのんだのだ。
歎此北上苦,停驂爲之傷。
この艱難辛苦しても北上したのだ、あまりに悲惨で馬車をとめてこの痛み苦しみを記しておくのである。
何日王道平,開顏睹天光。
いつになったら天子が正道の道を平穏に取り戻してくれるのか、安心して顔を出して歩ける日になり、晴々として 天光を受けることができるのだろうか。


#2
惨戚(さんせき)たり 冰雪の裏、悲しみ号(さけ)びて中腸を絶たつ。
尺布(せきふ)は体を掩(おお)わず、皮膚は枯れし桑よりも劇(はげ)し。
水を汲むには 澗谷(かんこく)に阻(へだ)てられ、薪を采るには 隴坂 長し。
猛虎は 又 尾を掉(ふる)い、牙を磨きて 秋霜よりも皓(しろ)し。
草木 餐(くら)う可からざれば、飢えて零(こぼ)れし露の漿(しる)を飲む。
此の北上の苦しみを嘆き、驂(さん)を停(とど)めて 之が為に傷む。
何れの日か 王道平らかにして、開顔 天光を覩みん。


現代語訳と訳註
(本文) #2
慘戚冰雪里,悲號絕中腸。
尺布不掩體,皮膚劇枯桑。
汲水澗穀阻,采薪隴坂長。
猛虎又掉尾,磨牙皓秋霜。
草木不可餐,饑飲零露漿。
歎此北上苦,停驂爲之傷。
何日王道平,開顏睹天光。


(下し文) #2
惨戚(さんせき)たり 冰雪の裏、悲しみ号(さけ)びて中腸を絶たつ。
尺布(せきふ)は体を掩(おお)わず、皮膚は枯れし桑よりも劇(はげ)し。
水を汲むには 澗谷(かんこく)に阻(へだ)てられ、薪を采るには 隴坂 長し。
猛虎は 又 尾を掉(ふる)い、牙を磨きて 秋霜よりも皓(しろ)し。
草木 餐(くら)う可からざれば、飢えて零(こぼ)れし露の漿(しる)を飲む。
此の北上の苦しみを嘆き、驂(さん)を停(とど)めて 之が為に傷む。
何れの日か 王道平らかにして、開顔 天光を覩みん。


(現代語訳)
真冬の逃行で氷雪の中で悲惨を極めるひどい悲しみの中に有る、泣き叫ぶこと胸も腹も張り裂けんばかりに追い詰められたのである。
着の身着のままで逃げだしたのでわずかな布きれでは体を覆うこともできない、寒空の中皮膚は寒さに痛いほどになり、まるで枯葉のようになった。
谷沿いの道とはいえ水を汲むには谷川が深いのだ、薪を採るにも岡や 山坂は長いのだ。
猛虎は勢いよく襲いかかろうと 尾を振り立てている、牙は磨かれていて秋の白い霜よりも白いのだ。
あたりの草木も尽きてしってもう食べるものさえなくなった、飲むもの無く飢えてしまいこぼれる露のしずくを啜ってのんだのだ。
この艱難辛苦しても北上したのだ、あまりに悲惨で馬車をとめてこの痛み苦しみを記しておくのである。
いつになったら天子が正道の道を平穏に取り戻してくれるのか、安心して顔を出して歩ける日になり、晴々として 天光を受けることができるのだろうか。

黄河二首 杜甫

(訳注) #2
慘戚冰雪里,悲號絕中腸。
惨戚(さんせき)たり 冰雪の裏、悲しみ号(さけ)びて中腸を絶たつ。
真冬の逃行で氷雪の中で悲惨を極めるひどい悲しみの中に有る、泣き叫ぶこと胸も腹も張り裂けんばかりに追い詰められたのである。
惨戚 惨と戚のどちらも、ひどく悲しむいみをもっている。悲惨を極めるひどい悲しみという意味。


尺布不掩體,皮膚劇枯桑。
尺布(せきふ)は体を掩(おお)わず、皮膚は枯れし桑よりも劇(はげ)し。

着の身着のままで逃げだしたのでわずかな布きれでは体を覆うこともできない、寒空の中皮膚は寒さに痛いほどになり、まるで枯葉のようになった。
 わずか。六尺。ものさし。


汲水澗穀阻,采薪隴坂長。
水を汲むには 澗谷(かんこく)に阻(へだ)てられ、薪を采るには 隴坂 長し。
谷沿いの道とはいえ水を汲むには谷川が深いのだ、薪を採るにも岡や 山坂は長いのだ。
澗穀 谷川沿いのこと。・穀は谷。○  地形が険しい。「険阻」 2 遮り止める。はばむ。○ おか。あぜ。隴山。
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猛虎又掉尾,磨牙皓秋霜。

猛虎は 又 尾を掉(ふる)い、牙を磨きて 秋霜よりも皓(しろ)し。
猛虎は勢いよく襲いかかろうと 尾を振り立てている、牙は磨かれていて秋の白い霜よりも白いのだ。
【掉尾】ちょうび 《尾を振る意。慣用読みで「とうび」とも》物事が、最後になって勢いの盛んになること。


草木不可餐,饑飲零露漿。
草木 餐(くら)う可からざれば、飢えて零(こぼ)れし露の漿(しる)を飲む。
あたりの草木も尽きてしってもう食べるものさえなくなった、飲むもの無く飢えてしまいこぼれる露のしずくを啜ってのんだのだ。
 飢える。 ○零露 しずく。つゆ。○漿 みずをのむこと。


歎此北上苦,停驂爲之傷。
此の北上の苦しみを嘆き、驂(さん)を停(とど)めて 之が為に傷む。
この艱難辛苦しても北上したのだ、あまりに悲惨で馬車をとめてこの痛み苦しみを記しておくのである。
爲之傷 このことについて傷をつけることと為す。


何日王道平,開顏睹天光。
何れの日か 王道平らかにして、開顔 天光を覩みん。
いつになったら天子が正道の道を平穏に取り戻してくれるのか、安心して顔を出して歩ける日になり、晴々として 天光を受けることができるのだろうか
○叛乱軍のために、各地で、武者狩りをしていたし、略奪、盗賊が横行したのである。安禄山の軍には1/4ぐらい異民族の兵がいた。

nat0002

李白の安禄山の叛乱について情報が少なかったのか、他の詩人の叛乱をとらえた詩とは違っている。特に杜甫の詩と違うのは、杜甫は蘆子関や長安の叛乱軍にとらえられ、拘束されたこと、自分の目で見て確認したことを詩にしていることが違うのである。
 李白は叛乱軍に掴まっていたら、まともではおれなかったであろう。この詩「北上行」は聞いた話を詩にしているのである。李白らしい詩である。

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北上行 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -303

北上行 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -303
安禄山の乱

安史の乱 年譜
 ○756年6月,玄 宗 の命令 に より,哥舒翰軍 は潼関より東に出撃.哥舒翰は敗北して敵の手 中に.長 安では楊 国忠の主張に より,蜀(四川)へ の蒙塵を決定.
○756年6月13日 未明,玄 宗,皇 太子夫妻,楊 貴妃 とその一族,楊 国忠一家,公主たちが,極 秘裏 に宮殿 を脱 出.
○その後,玄宗は蜀へ 蒙塵し,皇 太子 は捲土重来を期して霊武へ向かう.霊武は西北辺境の要衝であり,かつ朔方節度使・郭子儀の本拠地.
756年07月,皇太子は群臣の懇望を受けて,蜀にある玄宗を上皇にまつりあげ,粛宗として霊武で即位.至徳と改元.
756年09月,粛 宗 はウイグルに援軍を求めるために使者 を漠北のモンゴリアに派遣使者とな ったのは,王族の一人(敦 煙郡王承粟)と トルコ系武将の僕固懐恩とソグド系 武将の石定番.
756年8~9月杜甫蘆子関付近で捕縛される
・756年10月にオルホン河畔のオルドバリクで会見.ウイグルの第2代 可汗 ・磨延畷(葛 勒可汗)は 喜んで,可敦(qatun;可汗の正妻)の妹をめあわ自分の娘とした上で,これを承粟に嬰す.さ らにウイグルの首領を答礼の使者として派遣してきたので,粛宗はこれを彭原に出迎え,ウ イグル王女を砒伽公主 に封 じた.
・756年011~12月[通 鑑 によれ ば7~12月],安史勢力側 の阿史那従礼 が突廠・同羅 ・僕骨軍5000騎 を率い,河曲にあった九(姓?)府・六胡州の勢力数万も合わせて,行在=霊武 を襲わんとした。
・756年12月郭子儀は,磨延啜自身が率いて南下してきたウィグル本軍を陰山と黄河の間にある呼延谷で迎え,これと合流、
・一方これ以前 に葛遷支率いる ウイグル別働 隊2000騎 がまず范陽を攻撃したが,成功せずにそこから太原方面に移動.
・郭子儀軍はこれ らのウイグル本軍並びに別働隊と協力して,阿史那従礼軍を斥け,河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部,す なわちオルドスを中心に,そ の外側の陰山山脈以南を合わせた一帯;現在の内蒙古自治区の一部とちんにし陝西省~寧夏回族自治区の北辺)を 平定した.


北上行 #1
北上何所苦,北上緣太行。
北への避難をすることは、どうして人を苦しめるのか、北へ向かっていくことは 太行山に沿って行かねばならないのだ。
磴道盤且峻,巉岩凌穹蒼。
馬は 突き出た石に足をとられたりしたし、車輪が 岡を越えようとして砕け散ったりする。
馬足蹶側石,車輪摧高岡。
石の多い急な坂道は平坦だったり、曲がりくねって険しく、切り立った険しいがけ岩山が 天空にそそり立っている。
沙塵接幽州,烽火連朔方。
叛乱軍の巻き起こす砂塵は 幽州から起こったのだ、戦火、烽火は西の方から、この場所から北の方まで連なっている。
殺氣毒劍戟,嚴風裂衣裳。
叛乱軍の横暴は殺気をはびこらせている。それは 剣戟よりも人を恐怖に陥らせ、傷つけているのだ。そこに吹きすさぶ北風は、衣装を引き裂いて吹くほど厳しいものである。
奔鯨夾黄河,鑿齒屯洛陽。
暴れまわる、狂った鯨であるかのように安史軍は 黄河を越え、悪獣の牙の安禄山は 洛陽に居座って皇帝と称している。
前行無歸日,返顧思舊鄉。」

人々は、ただ、北へ逃げるだけで いつになったら帰れるのかわかりはしない、厳しい北風の中人々は、振りかえって 戦のなかったころの故郷を思うのである。
#2
慘戚冰雪里,悲號絕中腸。
尺布不掩體,皮膚劇枯桑。
汲水澗穀阻,采薪隴坂長。
猛虎又掉尾,磨牙皓秋霜。
草木不可餐,饑飲零露漿。
歎此北上苦,停驂爲之傷。
何日王道平,開顏睹天光。
#1
北上何の苦しむ所ぞ、北上は太行(たいこう)に縁よる。
磴道(とうどう) 盤(わだかま)り且つ峻(けわし)く、巉岩(ざんがん) 穹蒼(きゅうそう)を凌(しの)ぐ。
馬足は側石に蹶(つまず)き、車輪は高き崗(おか)に摧(くだ)かる。
沙塵は幽州に接し、烽火は朔方(さくほう)に連なる。
殺気は剣戟(けんげき)よりも毒なり、厳風は衣裳を裂く。
奔鯨(ほんげい) 黄河を夾み、鑿歯(さくし) 洛陽に屯(たむろ)す。
前(すす)み行きて 帰る日無ければ、返顧して 旧郷を思う。

#2
惨戚(さんせき)たり 冰雪の裏、悲しみ号(さけ)びて中腸を絶たつ。
尺布(せきふ)は体を掩(おお)わず、皮膚は枯れし桑よりも劇(はげ)し。
水を汲むには 澗谷(かんこく)に阻(へだ)てられ、薪を采るには 隴坂 長し。
猛虎は 又 尾を掉(ふる)い、牙を磨きて 秋霜よりも皓(しろ)し。
草木 餐(くら)う可からざれば、飢えて零(こぼ)れし露の漿(しる)を飲む。
此の北上の苦しみを嘆き、驂(さん)を停(とど)めて 之が為に傷む。
何れの日か 王道平らかにして、開顔 天光を覩みん。
黄河二首 杜甫


現代語訳と訳註
(本文) 北上行 #1
北上何所苦,北上緣太行。
磴道盤且峻,巉岩凌穹蒼。
馬足蹶側石,車輪摧高岡。
沙塵接幽州,烽火連朔方。
殺氣毒劍戟,嚴風裂衣裳。
奔鯨夾黄河,鑿齒屯洛陽。
前行無歸日,返顧思舊鄉。」


(下し文) #1
北上何の苦しむ所ぞ、北上は太行(たいこう)に縁よる。
磴道(とうどう) 盤(わだかま)り且つ峻(けわし)く、巉岩(ざんがん) 穹蒼(きゅうそう)を凌(しの)ぐ。
馬足は側石に蹶(つまず)き、車輪は高き崗(おか)に摧(くだ)かる。
沙塵は幽州に接し、烽火は朔方(さくほう)に連なる。
殺気は剣戟(けんげき)よりも毒なり、厳風は衣裳を裂く。
奔鯨(ほんげい) 黄河を夾み、鑿歯(さくし) 洛陽に屯(たむろ)す。
前(すす)み行きて 帰る日無ければ、返顧して 旧郷を思う。


(現代語訳)
北上行 #1

北への避難をすることは、どうして人を苦しめるのか、北へ向かっていくことは 太行山に沿って行かねばならないのだ。
馬は 突き出た石に足をとられたりしたし、車輪が 岡を越えようとして砕け散ったりする。
石の多い急な坂道は平坦だったり、曲がりくねって険しく、切り立った険しいがけ岩山が 天空にそそり立っている。
叛乱軍の巻き起こす砂塵は 幽州から起こったのだ、戦火、烽火は西の方から、この場所から北の方まで連なっている。
叛乱軍の横暴は殺気をはびこらせている。それは 剣戟よりも人を恐怖に陥らせ、傷つけているのだ。そこに吹きすさぶ北風は、衣装を引き裂いて吹くほど厳しいものである。
暴れまわる、狂った鯨であるかのように安史軍は 黄河を越え、悪獣の牙の安禄山は 洛陽に居座って皇帝と称している。
人々は、ただ、北へ逃げるだけで いつになったら帰れるのかわかりはしない、厳しい北風の中人々は、振りかえって 戦のなかったころの故郷を思うのである。


(訳注) #1
北上行 
755年 李白は年末に妻の宗氏と義弟の家族をつれて、南へ向かった。「北上行」は黄河周辺の住民が戦禍を避けて北の太行山中に逃げ込む様子を想像で詠った詩である。
 
北上何所苦,北上緣太行。
北上何の苦しむ所ぞ、北上は太行(たいこう)に縁よる。
北への避難をすることは、どうして人を苦しめるのか、北へ向かっていくことは 太行山に沿って行かねばならないのだ。
○人民の戦を避ける心理としては、勝っている方へ行くことである。当時の戦争は歩兵戦が基本であり、平野部を避けたのである。


磴道盤且峻,巉岩凌穹蒼。
磴道(とうどう) 盤(わだかま)り且つ峻(けわし)く、巉岩(ざんがん) 穹蒼(きゅうそう)を凌(しの)ぐ。
石の多い急な坂道は平坦だったり、曲がりくねって険しく、切り立った険しいがけ岩山が 天空にそそり立っている。
磴道 石の多い坂道。○盤且峻 平坦だったり、曲がっているそれからけわしくなる。 ○巉岩 切り立った険しいがけ。高くそびえた岩。○凌穹蒼  上に出る。こえる。しのぐ。 相手を踏みつけにする。天空,大空 苍穹 青空。


馬足蹶側石,車輪摧高岡。
馬足は側石に蹶(つまず)き、車輪は高き崗(おか)に摧(くだ)かる。
馬は 突き出た石に足をとられたりしたし、車輪が 岡を越えようとして砕け散ったりする。


沙塵接幽州,烽火連朔方。
沙塵は幽州に接し、烽火は朔方(さくほう)に連なる。
叛乱軍の巻き起こす砂塵は 幽州から起こったのだ、戦火、烽火は西の方から、この場所から北の方まで連なっている。
沙塵 安禄山の叛乱を示すが、15万の軍勢であったから、隊列は砂塵を巻き起こした。○朔方 北のほう。


殺氣毒劍戟,嚴風裂衣裳。
殺気は剣戟(けんげき)よりも毒なり、厳風は衣裳を裂く。
叛乱軍の横暴は殺気をはびこらせている。それは 剣戟よりも人を恐怖に陥らせ、傷つけているのだ。そこに吹きすさぶ北風は、衣装を引き裂いて吹くほど厳しいものである。
○殺氣 不満分子や、盗賊などが入り混じるもので殺戮、略奪が横行した。○劍戟 戦の剣や矛によるもの。○嚴風 おりしも冬の真っただ中、山中に逃れたのである。


奔鯨夾黄河,鑿齒屯洛陽。
奔鯨(ほんげい) 黄河を夾み、鑿歯(さくし) 洛陽に屯(たむろ)す。
暴れまわる、狂った鯨であるかのように安史軍は 黄河を越え、悪獣の牙の安禄山は 洛陽に居座って皇帝と称している。
奔鯨 安禄山の軍、忠思明の軍に異民族、不満の潘鎮など連合軍を安史軍という。○鑿歯 猛獣の牙。


前行無歸日,返顧思舊鄉。」
前(すす)み行きて 帰る日無ければ、返顧して 旧郷を思う。
人々は、ただ、北へ逃げるだけで いつになったら帰れるのかわかりはしない、厳しい北風の中人々は、振りかえって 戦のなかったころの故郷を思うのである。
○安史の乱によって人口は半減したといわれる。均田法を基礎とした住民登録の租が崩壊したことをいう。この租は律令国家として、租庸調と府兵制の基礎であった。

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留別廣陵諸公 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -302

留別廣陵諸公 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -302
3分割の3回目

この詩の内容は、二十六句ほとんど殆どすべてが李白自身の過去の生活を歴史的に叙述し反省しているものである。送別の宴を開いてくれた「広陵の諸公」に感謝してその地をあとにすることをいうもので、李白に多く見える、自らを山簡になぞらえて詠っているものである。

憶昔作少年,結交趙與燕。
金羈絡駿馬,錦帶橫龍泉。
寸心無疑事,所向非徒然。
晚節覺此疏,獵精草太玄。
空名束壯士,薄俗棄高賢。」#1
中迴聖明顧,揮翰淩雲煙。
騎虎不敢下,攀龍忽墮天。
還家守清真,孤節勵秋蟬。
煉丹費火石,採藥窮山川。」#2
臥海不關人,租稅遼東田。
蒼海にいっては俗世界の人とは関係することなくしずかに臥せているのだ。年貢は、はるかさきの東田に謝朓と同じように狩りをすることである。
乘興忽復起,棹歌溪中船。
風流なこころで興に乗って来たなら、たちまちまた起き上がるのである。そうしたら船頭の歌を聴きながら剡渓の船の中にいる。
臨醉謝葛強,山公欲倒鞭。
酒に酔うにあたって、山簡公に愛された武将の葛強となることを許されて。私にとっても山簡公に鞭打たれ倒されたいと思っている。
狂歌自此別,垂釣滄浪前。」#3
夢中になって歌を唄い、そしてここにおいて別れを告げる。目標は、東海の蒼海の波に釣り糸を垂れたいのである。
#1
憶う昔 少年と作るとき,交りを結ぶ 趙と燕 。
金羈 駿馬(しゅんめ)に絡む,錦帶 龍泉 橫わる。
寸心 疑う事 無し,向う所 徒然にあらず。
晚節 此疏を覺ゆ,獵精 太玄 草す。
空名 壯士を束ね,薄俗 高賢を棄す。」

#2
中迴らす 聖明 顧る,翰を揮って雲煙を淩ぐ。
騎虎 敢えて下らず,龍を攀げて 忽 天を墮つ。
還家 清真を守る,孤節 秋蟬 勵く。
丹を煉り 火石を費やす,藥を採る 山川を窮す。」

#3
海に臥す 人に關せず,租稅 東田に遼す。
興に乗じて忽ち復た起き、櫂歌す 渓中の船
酔うに臨みて葛強に謝し、山公は鞭を倒まにせんと欲す
狂歌して此れ自り別れ、 釣りを垂れん滄浪の前。」


現代語訳と訳註
(本文) #3

臥海不關人,租稅遼東田。
乘興忽復起,棹歌溪中船。
臨醉謝葛強,山公欲倒鞭。
狂歌自此別,垂釣滄浪前。」

(下し文) #3
海に臥す 人に關せず,租稅 東田に遼す。
興に乗じて忽ち復た起き、櫂歌す 渓中の船
酔うに臨みて葛強に謝し、山公は鞭を倒まにせんと欲す
狂歌して此れ自り別れ、 釣りを垂れん滄浪の前。」

(現代語訳)
蒼海にいっては俗世界の人とは関係することなくしずかに臥せているのだ。年貢は、はるかさきの東田に謝朓と同じように狩りをすることである。
風流なこころで興に乗って来たなら、たちまちまた起き上がるのである。そうしたら船頭の歌を聴きながら剡渓の船の中にいる。
酒に酔うにあたって、山簡公に愛された武将の葛強となることを許されて。私にとっても山簡公に鞭打たれ倒されたいと思っている。
夢中になって歌を唄い、そしてここにおいて別れを告げる。目標は、東海の蒼海の波に釣り糸を垂れたいのである。
鳥居(3)


(訳注) #3
臥海不關人,租稅遼東田。

海に臥す 人に關せず,租稅 東田に遼す。
蒼海にいっては俗世界の人とは関係することなくしずかに臥せているのだ。年貢は、はるかさきの東田に謝朓と同じように狩りをすることである。
○租 租庸調がの内の租はは土地にかかるもので、戸籍を意味する。李白は朝廷に上がっているので免除されているので隠遁者に自由になれることを県令の前でいっている。○東田 東の狩り場 謝朓の「遊東田」に基づいている。

乘興忽復起,棹歌溪中船。
興に乗じて忽ち復た起き、櫂歌す 渓中の船
風流なこころで興に乗って来たなら、たちまちまた起き上がるのである。そうしたら船頭の歌を聴きながら剡渓の船の中にいる。

臨醉謝葛強,山公欲倒鞭。
酔うに臨みて葛強に謝し、山公は鞭を倒まにせんと欲す
酒に酔うにあたって、山簡公に愛された武将の葛強となることを許されて。私にとっても山簡公に鞭打たれ倒されたいと思っている。
○葛強(かつきょう)は晋の将軍山簡(さんかん)に愛された部将で、二人の信頼関係は杜甫も好きな話題である。山簡の葛強への信任、葛強の山簡に対する忠誠心は自分と同じだ。李白は山公を10首も詠っている。
自分を山公としたいところ、県令などの手前、葛強に置き換えたのである。

狂歌自此別,垂釣滄浪前。」
狂歌して此れ自り別れ、 釣りを垂れん滄浪の前。」
夢中になって歌を唄い、そしてここにおいて別れを告げる。目標は、東海の蒼海の波に釣り糸を垂れたいのである。


解説

この詩の内容は、二十六句ほとんど殆どすべてが李白自身の過去の生活を歴史的に叙述し反省しているものである。送別の宴を開いてくれた「広陵の諸公」に感謝してその地をあとにすることをいうもので、李白に多く見える、自らを山簡になぞらえて詠っているものである。
「裏陽歌」の冒頭部分にいう「傍人借問笑何事,笑殺山公酔似泥」も,表面的には山簡の故事をふまえているが、李白自身の事でもある。
「秋浦歌十七首」其七の「酔上山公馬」,「江夏贈章南陵水」の「山公酔後能騎馬」,「留別廣陵諸公」の「山公欲倒鞭」,さらに「尋魯城北お居士失道落蒼耳中見通置酒摘蒼耳作」に「酎宋上馬去,却笑高陽池」,「魯中都東棲酔起作」に「昨日東棲酔,還應倒接羅」というように,泥酔したまま馬に跨り,帽子を逆さまにかぶった滑稽な酔態を詠むものである。
「答友人贈烏紗帽」、「襄陽曲四首」などもこのブログに掲載している
山公、謝安など一見飲んだくれであるもことに及べが力を発揮する李白の矜持の表現である。

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留別廣陵諸公 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -301

留別廣陵諸公 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -301
3分割の2回目

この詩の内容は、二十六句ほとんど殆どすべてが李白自身の過去の生活を歴史的に叙述し反省しているものである。送別の宴を開いてくれた「広陵の諸公」に感謝してその地をあとにすることをいうもので、李白に多く見える、自らを山簡になぞらえて詠っているものである。


留別廣陵諸公
憶昔作少年,結交趙與燕。
金羈絡駿馬,錦帶橫龍泉。
寸心無疑事,所向非徒然。
晚節覺此疏,獵精草太玄。
空名束壯士,薄俗棄高賢。」#1
中迴聖明顧,揮翰淩雲煙。
わたしは世の中いろんな人物の中から、徳にすぐれて聡明な天子に三顧の礼で請われたのである、筆と墨でふるって朝廷の中で認められる存在となった。
騎虎不敢下,攀龍忽墮天。
いったん虎の背に乗ったなら、あえて降りることなどない、龍は立ち上がっていったなら天から落ちることなどないのだ。
還家守清真,孤節勵秋蟬。
家に帰ると誠心誠意を守る、一人、季節の代わりを迎える秋の蝉のようにはげむのだ。
煉丹費火石,採藥窮山川。」#2
火を炙り石を削ることに精を費やして金丹を練るのだ、山や川を極めて薬草を採取したのだ。
臥海不關人,租稅遼東田。
乘興忽復起,棹歌溪中船。
臨醉謝葛強,山公欲倒鞭。
狂歌自此別,垂釣滄浪前。」#3

#1
憶う昔 少年と作るとき,交りを結ぶ 趙と燕 。
金羈 駿馬(しゅんめ)に絡む,錦帶 龍泉 橫わる。
寸心 疑う事 無し,向う所 徒然にあらず。
晚節 此疏を覺ゆ,獵精 太玄 草す。
空名 壯士を束ね,薄俗 高賢を棄す。」

#2
中にて迴らす 聖明 顧る,翰を揮って雲煙を淩ぐ
騎虎 敢えて下らず,龍を攀げて 忽 天を墮つ。
還家 清真を守る,孤節 秋蟬 勵く。
丹を煉り 火石を費やす,藥を採る 山川を窮す。」

#3
海に臥す 人に關せず,租稅 東田に遼す。
興に乗じて忽ち復た起き、櫂歌す 渓中の船
酔うに臨みて葛強に謝し、山公は鞭を倒まにせんと欲す
狂歌して此れ自り別れ、 釣りを垂れん滄浪の前。」
宮島(3)

留別廣陵諸公 現代語訳と訳註
(本文) #2

中迴聖明顧,揮翰淩雲煙。
騎虎不敢下,攀龍忽墮天。
還家守清真,孤節勵秋蟬。
煉丹費火石,採藥窮山川。」

(下し文)#2
中にて迴らす 聖明 顧る,翰を揮って雲煙を淩ぐ
騎虎 敢えて下らず,龍を攀げて 忽 天を墮つ。
還家 清真を守る,孤節 秋蟬 勵く。
丹を煉り 火石を費やす,藥を採る 山川を窮す。」


(現代語訳)
わたしは世の中いろんな人物の中から、徳にすぐれて聡明な天子に三顧の礼で請われたのである、筆と墨でふるって朝廷の中で認められる存在となった。
いったん虎の背に乗ったなら、あえて降りることなどない、龍は立ち上がっていったなら天から落ちることなどないのだ。
家に帰ると誠心誠意を守る、一人、季節の代わりを迎える秋の蝉のようにはげむのだ。
火を炙り石を削ることに精を費やして金丹を練るのだ、山や川を極めて薬草を採取したのだ。


(訳注)#2
中迴聖明顧,揮翰淩雲煙。

中にて迴らす 聖明 顧る,翰を揮って雲煙を淩ぐ。
わたしは世の中いろんな人物の中から、徳にすぐれて聡明な天子に三顧の礼で請われたのである、筆と墨でふるって朝廷の中で認められる存在となった。
聖明  天子が徳にすぐれて聡明なこと。○ 翰墨】かんぼく. 筆と墨。 「翰墨を座右に置く」; 文学のこと。 書いたもの。文章のこと。 筆跡。 【翰林】かんりん. 学者・文人の仲間。文書の集まっている所の意から。 「学林・儒林」; 「 翰林院 ( かんりんいん ) 」1.の略


騎虎不敢下,攀龍忽墮天。
騎虎 敢えて下らず,龍を攀げて 忽 天を墮つ。
いったん虎の背に乗ったなら、あえて降りることなどない、龍は立ち上がっていったなら天から落ちることなどないのだ。
騎虎 虎(とら)の背に乗ること。『隋書』「独孤皇后伝」虎に乗った者は途中で降りると虎に食われてしまうので降りられないように、やりかけた物事を、行きがかり上途中でやめることができなくなることのたとえ。


還家守清真,孤節勵秋蟬。
還家 清真を守る,孤節 秋蟬 勵く。
家に帰ると誠心誠意を守る、一人、季節の代わりを迎える秋の蝉のようにはげむのだ。
還家 いえにかえる。○清真 清らかな眞實。○孤節 季節の変わり目。○秋蟬 夏から秋に変わる季節の移り変わりのむなしさをいう。他のものが流されていく中で、信念を貫く意味をいう。○ 励む、 はげます


煉丹費火石,採藥窮山川。」
丹を煉り 火石を費やす,藥を採る 山川を窮す。」
火を炙り石を削ることに精を費やして金丹を練るのだ、山や川を極めて薬草を採取したのだ。
煉丹 道教の隠遁者を夢見ていた李白の詩には金丹のこと、仙薬のことは50首以上多くある。時代としては、媚薬、回春薬というに対しての嫌悪というものはなかったようである。


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留別廣陵諸公 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -300

留別廣陵諸公 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -300
3分割1回目

この詩の内容は、二十六句ほとんど殆どすべてが李白自身の過去の生活を歴史的に叙述し反省しているものである。送別の宴を開いてくれた「広陵の諸公」に感謝してその地をあとにすることをいうもので、李白に多く見える、自らを山簡になぞらえて詠っているものである。
tsuki0882

留別廣陵諸公

憶昔作少年,結交趙與燕。
わたしが、青年のであった頃思っていたことだ、趙の国の人で劇辛のように燕のくにの軍師となり趙、燕、など五国連合に導いたことを夢見ていた。
金羈絡駿馬,錦帶橫龍泉。
わたしが朝廷に上がった時は金の馬飾りを駿馬に飾り付けていて、錦の帯には龍雲沸き立つ玄宗皇帝に仕えて横に侍っていたものだ。
寸心無疑事,所向非徒然。
これらのことは、たとえわずかなところまで疑うことなど全くない。自分の向かうところ無意味に過ごすことなど思ってもみないことだった。
晚節覺此疏,獵精草太玄。
しかし、この年になって、このように疎んじられたことを感じている、それでもいま、私は、純粋に漢代の哲学書「太玄経」を勉強し「道」を求めていっているのだ。
空名束壯士,薄俗棄高賢。」
#1
空しい名であっても名を遺したいりっぱな壯士はたくさんいる、薄俗な世間の人たちは高貴な賢人であってもすてさるものだ。

中迴聖明顧,揮翰淩雲煙。
騎虎不敢下,攀龍忽墮天。
還家守清真,孤節勵秋蟬。
煉丹費火石,採藥窮山川。」#2
臥海不關人,租稅遼東田。
乘興忽復起,棹歌溪中船。
臨醉謝葛強,山公欲倒鞭。
狂歌自此別,垂釣滄浪前。」#3

#1
憶う昔 少年と作るとき,交りを結ぶ 趙と燕 。
金羈 駿馬(しゅんめ)に絡む,錦帶 龍泉 橫わる。
寸心 疑う事 無し,向う所 徒然にあらず。
晚節 此疏を覺ゆ,獵精 太玄 草す。
空名 壯士を束ね,薄俗 高賢を棄す。」

#2
中にて迴らす 聖明 顧る,翰を揮って雲煙を淩ぐ
騎虎 敢えて下らず,龍を攀げて 忽 天を墮つ。
還家 清真を守る,孤節 秋蟬 勵く。
丹を煉り 火石を費やす,藥を採る 山川を窮す。」

#3
海に臥す 人に關せず,租稅 東田に遼す。
興に乗じて忽ち復た起き、櫂歌す 渓中の船
酔うに臨みて葛強に謝し、山公は鞭を倒まにせんと欲す
狂歌して此れ自り別れ、 釣りを垂れん滄浪の前。」
DCF00208

留別廣陵諸公 現代語訳と訳註
(本文)

憶昔作少年,結交趙與燕。
金羈絡駿馬,錦帶橫龍泉。
寸心無疑事,所向非徒然。
晚節覺此疏,獵精草太玄。
空名束壯士,薄俗棄高賢。」#1

(下し文)
昔 少年と作るを憶う,交りを結ぶ 趙と燕 。
金羈 駿馬に絡む,錦帶 龍泉 橫わる。
寸心 疑う事 無し,向う所 徒然にあらず。
晚節 此疏を覺ゆ,獵精 太玄 草す。
空名 壯士を束ね,薄俗 高賢を棄す。」


(現代語訳)
わたしが、青年のであった頃思っていたことだ、趙の国の人で劇辛のように燕のくにの軍師となり趙、燕、など五国連合に導いたことを夢見ていた。
わたしが朝廷に上がった時は金の馬飾りを駿馬に飾り付けていて、錦の帯には龍雲沸き立つ玄宗皇帝に仕えて横に侍っていたものだ。
これらのことは、たとえわずかなところまで疑うことなど全くない。自分の向かうところ無意味に過ごすことなど思ってもみないことだった。
しかし、この年になって、このように疎んじられた
ことを感じている、それでもいま、私は、純粋に漢代の哲学書「太玄経」を勉強し「道」を求めていっているのだ。
空しい名であっても名を遺したいりっぱな壯士はたくさんいる、薄俗な世間の人たちは高貴な賢人であってもすてさるものだ。

(訳注)
憶昔作少年,結交趙與燕。
憶う昔 少年と作るとき,交りを結ぶ 趙と燕 。
わたしが、青年のであった頃思っていたことだ、趙の国の人で劇辛のように燕のくにの軍師となり趙、燕、など五国連合に導いたことを夢見ていた。
憶昔 この詩は李白の反省の詩である。この句は自然体にかかっている。○趙與燕 劇辛はもともと趙の人であったが、先の趙と燕との戦後交渉のときに 燕王に気に入られて燕の相国になった者である。秦の始皇帝に対抗して同盟を結んだ。・劇辛樂毅感恩分 劇辛は趙の国出身の人物で、郭隗の進言を聞き入れた燕昭王が「隗より始めよ」と富国強兵の為の人材優遇を始めて以降に、楽毅や鄒衍らと同様に、賢人を求め優遇する燕昭王の元へと赴き、燕の臣となった。楽毅は、戦国燕の武将で、昭王を助けて仇敵の斉を五国連合を率いて打ち破り、斉を滅亡寸前にまで追い込んだ稀代の軍略家。
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古風五十九首 其三 李白



金羈絡駿馬,錦帶橫龍泉。
金羈 駿馬に絡む,錦帶 龍泉 橫わる。
わたしが朝廷に上がった時は金の馬飾りを駿馬に飾り付けていて、錦の帯には龍雲沸き立つ玄宗皇帝に仕えて横に侍っていたものだ。
駿馬 足の速い優れた馬。○ 玄宗を示す。


寸心無疑事,所向非徒然。
寸心 疑う事 無し,向う所 徒然にあらず。
これらのことは、たとえわずかなところまで疑うことなど全くない。自分の向かうところ無意味に過ごすことなど思ってもみないことだった。
徒然 あてもなく。いたずらに。無意味に。空しいさま。


晚節覺此疏,獵精草太玄。
晚節 此疏を覺ゆ,獵精 太玄 草す。

しかし、この年になって、このように疎んじられたことを感じている、それでもいま、私は、純粋に漢代の哲学書「太玄経」を勉強し「道」を求めていっているのだ。
○晚節 晩年。季節の終わり。末の世。末年。晩年における節操。晩年 老後。○獵精 一生懸命に勉学に励むこと。○太玄 中国、漢代の哲学書。10巻。揚雄撰。易に老荘思想を取り入れ、易占を社会情勢に応じた合理的なものにしようとしたもので、易の陰陽二元論の代わりに、始・中・終の三元をもって宇宙万物を説明した。


空名束壯士,薄俗棄高賢。
空名 壯士を束ね,薄俗 高賢を棄す。」
空しい名であっても名を遺したいりっぱな壯士はたくさんいる、薄俗な世間の人たちは高貴な賢人であってもすてさるものだ。


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望九華山贈青陽韋仲堪 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -299

望九華山贈青陽韋仲堪 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -299



望九華山贈青陽韋仲堪
「九華山を望み、青陽県令の韋仲堪に贈る」

昔在九江上、遥望九華峰 。
一昔まえもここ九の大きな流れが集まる長江のほとりで眺めていたものだ、そして、この隠遁の山である九華山を遥かに望みやったこともあった。
天河挂緑水、秀出九芙蓉 。
銀河が緑水の屏風の瀑布となって崖にかかり、そこに九つの芙蓉のごとき峰々がすばらしく抜きん出ているのである。
我欲一揮手、誰人可相従 。
私は、手を振って、俗世にさよならしようと思っているのだが、いったい誰がわたしに付き従ってくれるだろうか。
君為東道主、於此臥雲松 。
東道の主たる青陽県令の韋仲堪君が案内役になってくれるというから、私はこの山で雲と松の間に寝っころがるとしよう。

〔九華山を望み青陽の韋仲堪に贈る〕
昔 九江の上に在り、遥かに九華の峰を望む。
天河 緑水を挂け、秀出す 九芙蓉。
我 ひとたび手を揮(ふる)はんと欲す、誰人か相ひ従ふべき?
君は東道の主為り、此に於いて雲松に臥せん。


現代語訳と訳註
(本文)

昔在九江上、遥望九華峰 。
天河挂緑水、秀出九芙蓉 。
我欲一揮手、誰人可相従 。
君為東道主、於此臥雲松 。

(下し文)
昔 九江の上に在り、遥かに九華の峰を望む。
天河 緑水を挂け、秀出す 九芙蓉。
我 ひとたび手を揮(ふる)はんと欲す、誰人か相ひ従ふべき?
君は東道の主為り、此に於いて雲松に臥せん。


(現代語訳)
「九華山を望み、青陽県令の韋仲堪に贈る」
一昔まえもここ九の大きな流れが集まる長江のほとりで眺めていたものだ、そして、この隠遁の山である九華山を遥かに望みやったこともあった。
銀河が緑水の屏風の瀑布となって崖にかかり、そこに九つの芙蓉のごとき峰々がすばらしく抜きん出ているのである。
私は、手を振って、俗世にさよならしようと思っているのだが、いったい誰がわたしに付き従ってくれるだろうか。
東道の主たる青陽県令の韋仲堪君が案内役になってくれるというから、私はこの山で雲と松の間に寝っころがるとしよう。


(訳注)
望九華山贈青陽韋仲堪

「九華山を望み、青陽県令の韋仲堪に贈る」

昔在九江上、遥望九華峰 。
昔 九江の上に在り、遥かに九華の峰を望む。
一昔まえもここ九の大きな流れが集まる長江のほとりで眺めていたものだ、そして、この隠遁の山である九華山を遥かに望みやったこともあった。
九江 長江中流右岸にある水陸交通の要地。長江と鄱陽湖への入口に当たる。○九華峰 九華山は、安徽省青陽県西南に位置する連峰(主峰の十王峰は1342m)で、いわゆる景勝の地「皖南」を代表する名山として、そしてまた、峨眉山、五台山、普陀山と並んで中国仏教四大聖地の一つでもある。この山は、唐代の前半に至るまでは、九子山という名称であった。李白のこの詩で命名されたようである。


天河挂緑水、秀出九芙蓉 。
天河 緑水を挂け、秀出す 九芙蓉。
銀河が緑水の屏風の瀑布となって崖にかかり、そこに九つの芙蓉のごとき峰々がすばらしく抜きん出ているのである。
天河 天の河、銀河。○九芙蓉 蓮の花、蕾を山頂に頂く山々。
望廬山瀑布水二首其一#2とまとめ 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -228

贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350-229



我欲一揮手、誰人可相従 。
我 ひとたび手を揮(ふる)はんと欲す、誰人か相ひ従ふべき?
私は、手を振って、俗世にさよならしようと思っているのだが、いったい誰がわたしに付き従ってくれるだろうか。
○ここまで出た名勝の地は道教の聖地を意味するもので隠遁することを意味している。


君為東道主、於此臥雲松 。
君は東道の主為り、此に於いて雲松に臥せん。
東道の主たる青陽県令の韋仲堪君が案内役になってくれるというから、私はこの山で雲と松の間に寝っころがるとしよう。
東道 浙江、会稽の海岸地方をいう。○雲松 隠遁を意味するが、別の意味では芸妓も意味する。謝安の「芸妓を携えて」の地方である。

憶東山二首其一 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -269

送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287


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(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))

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梁甫吟 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -298

梁甫吟 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -298

tsuki0882


#1
長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。

#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。

#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。
焦原の絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、偉い素振りをするものだ。
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。
焦原の絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、えらそぶったりするものだ。
齊相殺之費二桃。吳楚弄兵無劇孟。
斉の宰相(妟子)はかれらを殺すのに、わずか二つの桃をついやしただけだった。また、呉楚七国は兵をあげ反乱をくわだてながら、劇孟というような立派で勇壮な人物を味方にしなかった。
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。
だから、反乱を鎮圧した周亜夫は、七国の反乱を無駄な骨折りをしたものだと、せせら笑った。簗甫吟を吟じて、ここに至れば、声はまことに悲壮となる。
張公兩龍劍。 神物合有時。
むかし張公のもっていた二つの宝剣が、別別に失われたにもかかわらず、二頭の竜となってあらわれたという故事もある。非常にすぐれたものは、その働き場所を得るには、時期というものが合わなければならないのだ。
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。

竜虎が風雲に出会って活躍したように、牛の屠殺と釣三昧から一躍、身を起した太公望という人もいる。今の世の君主が動揺不安の境遇にあるとき、わたしこそが、それを安定させる人であるのだ。

梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。
#3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦(しゅくしゃく) 晦冥(かいめい) 風雨を起す、
閶闔(しょうこう)の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞(すうぐ)は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。


戦国時代勢力図


現代語訳と訳註
(本文)

側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。
齊相殺之費二桃。吳楚弄兵無劇孟。
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。
張公兩龍劍。 神物合有時。
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。


(下し文)
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。


(現代語訳)
焦原の絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、偉い素振りをするものだ。
焦原の絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、えらそぶったりするものだ。
斉の宰相(妟子)はかれらを殺すのに、わずか二つの桃をついやしただけだった。また、呉楚七国は兵をあげ反乱をくわだてながら、劇孟というような立派で勇壮な人物を味方にしなかった。
だから、反乱を鎮圧した周亜夫は、七国の反乱を無駄な骨折りをしたものだと、せせら笑った。
むかし張公のもっていた二つの宝剣が、別別に失われたにもかかわらず、二頭の竜となってあらわれたという故事もある。非常にすぐれたものは、その働き場所を得るには、時期というものが合わなければならないのだ。
竜虎が風雲に出会って活躍したように、牛の屠殺と釣三昧から一躍、身を起した太公望という人もいる。今の世の君主が動揺不安の境遇にあるとき、わたしこそが、それを安定させる人であるのだ。

sangaku880

(訳注) #4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。

焦原の絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、えらそうなそぶりをするものだ。
智者可巻 知恵ある者は、政治が道をはずれ、筋の通らぬ時代には、自己の才能や知恵をふところに巻きこんで、世に出ない。「論語」の「衛の霊公」に「君子なる哉、蘧伯玉。邦に道あれば則ち仕え、邦に道なければ則ち巻きて懐(いだ)く可し」とある。

世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。

世間の人は、わたしを鴻の鳥羽の毛より軽く見くびっているのである。むかし、力自慢では南山でもおしのけるという三人の壮士がいた。
力排南山三壯士 諸葛亮(諸葛孔明)『梁甫吟』#1で全文掲載 説明は以下が詳しい。
力能排南山  文能絶地紀
一朝被讒言  二桃殺三士
誰能為此謀  国相斉晏子
力を能く南山を排し  文を能く地紀を絶つ
一朝 讒言を被りて  二桃 三士を殺す
誰か能く此の謀を為せる  国相斉の晏子なり

「二桃もて三士を殺す」「妟子春秋」に見える故事。春秋時代の斉の景公の部下に、公孫接・田開疆・古冶子という三人の勇士がいた。力が非常に強く、虎をなぐり殺した。ある日、斉の国の大臣である量子(曇嬰)が彼らの前を通りすぎたが、三人は起ち上ろうともしない。妟子は景公にお目通りして言った。「かれらは勇気とカの持主ですが、礼節を知りません。君臣上下の分別がありません。これを放っておくと危険ですから、殺してしまうべきです。」国王は同意したが、三人の勇士を刺殺することのできる者はいない。妟子は一計を案じた。かれは国王の名によって、二つの桃を三人に送りとどけ、各自の能力をくらべあって、能力の大きい者が桃を食わないかと言った。まず公孫接が言うには「按は、第一にいのししを打ち殺し、第二に虎の子をも打ち殺した。この接の能力などは、十分に桃を食うねうちがある。人と同じには見てもろうまい。」桃をつかんで起ち上った。次に田閉彊が言った。「わたしは、武器をとって敵の大軍をしりぞけること二度。この開彊の能力などは、十分に桃を食うねうちがあり、人と同じには見てもろうまい。」やはり、桃をつかんで起ち上った。さいごに古冶子が言った。「わたしは、かつて主君に従って黄河をわたったとき、大きなスッポンが三頭立の馬車の左の副馬にくらいつき、黄河の中流に柱のように突立っている砥柱山の流れに引きずりこんだ。この冶は、流れに逆らうこと百歩、流れに順うこと九里、大スッポンをつかまえて殺し、左手で副馬の尾をあやつり、右手にスッポンの頭をひっさげ、おどりあがって岸に出た。人びとがみな、河伯(黄河の神様)だと言うので、この冶がよく見ると、それは大スッポンの首だった。この冶の能力などは、やはり桃を食うねうちがあり、人と同じには見てもろうまい。お二方、どうして桃をかさえないのか。」公孫接と田開彊が言った。「われわれの勇はあなたに及ばない。能力もあなたに及ばない。桃を取ってゆずらないのは欲が深い。そして又、死なないのは勇気がない。」二人とも、その桃をかえし、自分の手で首をしめて死んだ。古冶子は言った。「二人が死んだのに、冶がひとり生きているのは不仁である。人に恥をかかせながら、自分だけが誇っているのは、不義である。そうした自分の行為を遺憾に思いながら死なないのは勇気がない。」これまた、その桃をかえし、自分の手で首をしめて死んだ。景公は、三人を鄭重に葬った。


齊相殺之費二桃。吳楚弄兵無劇孟。
斉の宰相(妟子)はかれらを殺すのに、わずか二つの桃をついやしただけだった。また、呉楚七国は兵をあげ反乱をくわだてながら、劇孟というような立派で勇壮な人物を味方にしなかった。
○吳楚弄兵無劇孟。 漢の景帝三年(紀元前154年)、呉楚等七国が反乱を起したとき、景帝は大将軍の竇嬰、太尉の周亞夫を派遣して鎮圧させた。周亞夫は東方にむかい河南に至ろうとしたとき、当時の有名な侠客であった劇孟を味方に得た。東天は喜んで言った。「呉や楚は天下を争うような大事を企てながら、劇孟を求めない。わたしは、かれらが何もできないことを知るだけだ。」「漢書」に見える話であるが、強大であった呉楚の分断作戦と補給路を断つことで戦意を失わせ、内部分解させた。
 
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。
だから、反乱を鎮圧した周亜夫は、七国の反乱を無駄な骨折をしたものだと、せせら笑った。
簗甫吟を吟じて、ここに至れば、声はまことに悲壮となる。
〇咍 せせら笑う。


張公兩龍劍。 神物合有時。
むかし張公のもっていた二つの宝剣が、別別に失われたにもかかわらず、二頭の竜となってあらわれたという故事もある。非常にすぐれたものは、その働き場所を得るには、時期というものが合わなければならないのだ。
張公両竜剣 竜泉、太阿という二つの宝剣が、豫章と豐城とで出土し、張華と雷煥の二人が、おのおのその一刀を待ったと伝えられる。その後、張華が誅せられ、剣のありかを失った。雷煥が亡くなったのち、子の雷華が剣を持って旅をし、延平津に通りかかった時、剣が突然、腰間から躍り出て水中におちた。人を水にもぐらせてさがしたが、剣は見つからず、しかし、長さ数丈の二頭の竜を見たという。


風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。
竜虎が風雲に出会って活躍したように、牛の屠殺と釣三昧から一躍、身を起した太公望という人もいる。今の世の君主が動揺不安の境遇にあるとき、わたしこそが、それを安定させる人であるのだ。
風雲感會 「易経」に「竜は雲に従い、虎は風に従う」とある。竜虎が風雲に出会うように、英雄が時を得て、めざましく活躍すること。○屠釣 牛殺しや釣をしていた男。太公望をさす。○大人 ここではおそらく君主をさす。○幌帆 「書経」や「易経」に見える言葉、(机隈・離礁)と意味は同じく、動揺して不安なありさま。 


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梁甫吟 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -297

梁甫吟 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -297


#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。

#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
天帝のおそばには、飾り立て輝く穹女が大勢ならび、投壷のゲームをやっていた。半日のあいだ、壷に投げこむ矢がはずれるたびに、天帝が大いに笑い、イナズマの閃光があったのだ。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
ピカッと光っては、忽ち暗闇となり、暴風雨がまきおこる。天に通じる御門は九重にとざされ、通りぬけることができなくなった。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
九重の門にひたいをぶっつけて門をたたくと、門番がおこった。それからくもりではない太陽の光も、わたくしの真心を照らし出してはくれなくなった。
杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
むかし、杞の国の人は、何事も起らないのに、天の傾くことを憂えた。わたしも、また、杞憂をいだかざるを得ない。竊寙(せつゆ)という怪獣が、牙をみがいて、われ先に人の肉を食おうとしているというのだ。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。
また、騶虞という仁獣は、生きている草の茎さえ折らないように、注意ぶかく歩いているというのに、朝廷には悪人がはびこり、善人は消極的である。これはわたしなら、飛びまわる手長猿を片手でつかみながら、片手で斑の虎をなぐり殺すことさえできるというものだ。
#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。
齊相殺之費二桃。吳楚弄兵無劇孟。
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。
張公兩龍劍。 神物合有時。
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。

#2
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。
#3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦(しゅくしゃく) 晦冥(かいめい) 風雨を起す、
閶闔(しょうこう)の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞(すうぐ)は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。

 
現代語訳と訳註
(本文) #3

帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。


(下し文) #3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦(しゅくしゃく) 晦冥(かいめい) 風雨を起す、
閶闔(しょうこう)の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞(すうぐ)は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。


(現代語訳)
天帝のおそばには、飾り立て輝く穹女が大勢ならび、投壷のゲームをやっていた。半日のあいだ、壷に投げこむ矢がはずれるたびに、天帝が大いに笑い、イナズマの閃光があったのだ。
ピカッと光っては、忽ち暗闇となり、暴風雨がまきおこる。天に通じる御門は九重にとざされ、通りぬけることができなくなった。
九重の門にひたいをぶっつけて門をたたくと、門番がおこった。それからくもりではない太陽の光も、わたくしの真心を照らし出してはくれなくなった。
むかし、杞の国の人は、何事も起らないのに、天の傾くことを憂えた。わたしも、また、杞憂をいだかざるを得ない。竊寙(せつゆ)という怪獣が、牙をみがいて、われ先に人の肉を食おうとしているというのだ。
また、騶虞という仁獣は、生きている草の茎さえ折らないように、注意ぶかく歩いているというのに、朝廷には悪人がはびこり、善人は消極的である。これはわたしなら、飛びまわる手長猿を片手でつかみながら、片手で斑の虎をなぐり殺すことさえできるというものだ。

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(訳注) #3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
天帝のおそばには、飾り立て輝く穹女が大勢ならび、投壷のゲームをやっていた。半日のあいだ、壷に投げこむ矢がはずれるたびに、天帝が大いに笑い、イナズマの閃光があったのだ。
帝努授壷多玉女 帝は上帝(玄宗のこと)、天の神。天上と仙境と宮廷を同じ表現でいう場合がある。投壺は、矢を壷に投げこむ遊戯。「神異経」に「東王公が玉女と投壺をしてあそんだ。千二百本の矢を投じたが、矢が壷にうまく入ると天はすすりなき、はずれると天が笑った」とある。また、むかしの人は、雨のふらないときに、いなずまが光ると、天が笑った、と考えた。〇三時一昼夜が十二時。昼の一日が六時だから、三時は半日(現在の六時間)に当る。


倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
ピカッと光っては、忽ち暗闇となり、暴風雨がまきおこる。天に通じる御門は九重にとざされ、通りぬけることができなくなった。
倏爍 極めて短い時間、光がひらめく。○晦瞑 くらい。○閶闔 天の門。

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九門 九重の門。これらは大明宮のことを指す
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玉壺吟 :雑言古詩 李白

侍従遊宿温泉宮作 :李白

2)李白と道教 李白46西岳云台歌送丹邱子

 

以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
九重の門にひたいをぶっつけて門をたたくと、門番がおこった。それからくもりではない太陽の光も、わたくしの真心を照らし出してはくれなくなった。
閽者 門番。


杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
むかし、杞の国の人は、何事も起らないのに、天の傾くことを憂えた。わたしも、また、杞憂をいだかざるを得ない。竊寙(せつゆ)という怪獣が、牙をみがいて、われ先に人の肉を食おうとしているというのだ。
杷国無事憂天傾「列子」に見える故事。杞という国のある人が、天がもし崩れおちるなら、身の置きどころがないと、無用の心配をし、夜も眠れず食欲もなくなった。つまり、神経疾患になった。こういった取りこし苦労を「杞憂」という語源である。○貕貐「山海経」に見える怪獣。少咸という山に獣がすみ、そのかたちは牛のごとく、体は赤く、顔は人、足は馬、名を竊寙(せつゆ)という。なき声は赤子のようで、こいつは人を食う。貕貐はすなわち竊寙である。


騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。
また、騶虞という仁獣は、生きている草の茎さえ折らないように、注意ぶかく歩いているというのに、朝廷には悪人がはびこり、善人は消極的である。これはわたしなら、飛びまわる手長猿を片手でつかみながら、片手で斑の虎をなぐり殺すことさえできるというものだ。
騶虞 白い虎。体に黒いもようがあり、尾は胴体より長い。生きた動物を食わず、生えている草をふみつけない。想像上の仁獣である。「詩経国風上」騶虞はなさけあるけものとされ、仁徳のある君主の期待をもつ者として登場する。○手技飛操持彫虎 猿と虎と戦うことを比喩して、貧窮と疎賤の二つに対して常にたたかい、これにうちかつことだという。儒教の言葉、故事である。○焦原 山東省の莒(きょ)県の南三十六里のところに、横山と呼ばれる大きな岩があり、それが焦原である。広さ五十歩、百幅(幅は、両手を左右にひろげた幅)の深さの谷川に臨み、非常に危険な場所である。莒の国でも、これに近づこうとする者がいなかったが、一人の勇者があらわれ、後向きに歩いて崖のはしで足のかかとをそろえた。世にたたえられたが、そもそも正義ということは、この焦原のように高いものだ。そして賢者は、正義のためには、どんなに危険をおかしてでも、足のかかとを焦原の石の上にそろえるようなことをやってのけ、しかも、少しも苦痛を言わない。儒教の一節。


帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
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杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
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梁甫吟 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -296

梁甫吟 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -296


梁甫吟
#1
長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。

#2
君不見高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。
君は知っているだろう。高陽の大酒のみ(酈生食其)が、荒草の中から身をおこし、山東の鼻の高いおやじさん(漢の高祖)に会釈くらいの軽い挨拶をしたことを。
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
門を入って最敬礼をしないのである、そして雄弁にまくしたてた。沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公のきげんをとったのだ。
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
酈生は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
独りよがりの頑固者と呼ばれ、おちぶれていた者でも、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。

わたしは、竜のうろこをつかみ、よじのぼって、賢明な君主にお目通りしたいと思っていたが、カミナリ公が、がらごろごろと天の太鼓をうちならしてあわせてくれないのだ。

#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。

#3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦(しゅくしゃく) 晦冥(かいめい) 風雨を起す、
閶闔(しょうこう)の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞(すうぐ)は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。


宮島(3)


現代語訳と訳註
(本文)
#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。


(下し文)
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。

(現代語訳)
君は知っているだろう。高陽の大酒のみ(酈生食其)が、荒草の中から身をおこし、山東の鼻の高いおやじさん(漢の高祖)に会釈くらいの軽い挨拶をしたことを。
門を入って最敬礼をしないのである、そして雄弁にまくしたてた。沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公のきげんをとったのだ。
酈生は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
独りよがりの頑固者と呼ばれ、おちぶれていた者でも、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
わたしは、竜のうろこをつかみ、よじのぼって、賢明な君主にお目通りしたいと思っていたが、カミナリ公が、がらごろごろと天の太鼓をうちならしてあわせてくれないのだ。


(訳注)#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。

君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
君は知っているだろう。高陽の大酒のみ(酈生食其)が、荒草の中から身をおこし、山東の鼻の高いおやじさん(漢の高祖)に会釈くらいの軽い挨拶をしたことを。
高陽酒徒 高陽は地名。いまの河南省杞県の西。陳留県に属した。酒徒は酒のみ。高陽の呑み助とは、漢の酈食其(れきいき)のことで、陳留県高陽郷の人である。読書を好んだ。(酈生の生は、読書人に対する呼び方。)家が貧しくて、おちぶれ、仕事がなくて衣食に困った。県中の人がみな、かれを狂生と呼んだ。沛公(のちの漢の高祖)が軍をひきいて陳留の郊外を攻略したとき、沛公の旗本の騎士で、たまたま酈生と同じ村の青年がいた。その青年に会って酈生は言った。「おまえが沛公にお目通りしたらこのように申しあげろ。臣の村に、酈生という者がおります。年は六十あまり、身のたけ八尺、人びとはみな彼を狂生と呼んでいますが、彼みずからは、わたしは狂生ではないと、申しております、と。」騎士は酈生におしえられたとおりに言った。沛公は高陽の宿舎まで来て、使を出して酈生を招いた。酈生が来て、入って謁見すると、沛公はちょうど、床几に足を投げ出して坐り、二人の女に足を洗わせていたが、そのままで酈生と面会した。酈生は部屋に入り、両手を組み合わせて会釈しただけで、ひざまずく拝礼はしなかった。そして言った。「足下は秦を助けて諸侯を攻めようとされるのか。それとも、諸侯をひきいて秦を破ろうとされるのか。」沛公は罵って言った。「小僧め。そもそも天下の者がみな、秦のために長い間くるしめられた。だから諸侯が連合して秦を攻めている。それにどうして、秦を助けて諸侯を攻めるなどと申すのか。」酈生は言った。「徒党をあつめ、義兵をあわせて、必ず無道の秦を課しょうとされるなら、足を投げ出したまま年長者に面会するのはよろしくありません。」沛公は足を洗うのをやめ、起ち上って着物をつくろい、酈生を上座にまねいて、あやまった。酈生はそこでむかし戦国時代に、列国が南北または東西に結んで、強国に対抗したり同盟したりした、いわゆる六国の合縦連衡の話をした。沛公は喜び鄭生に食をたまい、「では、どうした計略をたてるのか」ときいた。酈生は、強い秦をうちやぶるには、まず、天下の要害であり、交通の要処である保留を攻略すべきであると進言し、先導してそこを降伏させた。沛公は、酈生に広野君という号を与えた。酈生は遊説の士となり、馳せまわって諸侯の国に使した。漢の三年に、漢王(沛公)は酈生をつかわして斉王の田広に説かせ、酈生は、車の横木にもたれて安坐しながら、斉の七十余城を降服させた。酈生がはじめて沛公に謁見した時のことは、次のようにも伝わっている。酈生が会いに来たとき、沛公はちょうど足を洗っていたが、取次にきた門番に「どんな男か」とたずねた。「一見したところ、儒者のような身なりをしております」と門番がこたえた。沛公は言った。「おれはいま天下を相手に仕事をしているのだ。儒者などに会う暇はない。」門番が出ていって、その旨をつたえると、酈生は目をいからし、剣の柄に手をかけ、門番をどなりつけた。「おれは高陽の酒徒だ。儒者などではない。」門番は腰をぬかして沛公に報告した。「客は天下の壮士です。」かくして酈生は沛公に謁見することができた。○草中 草がぼうぼうと等見た野原の中。民間、在野。○長揖 両手を前でくみあわせて上から下へ腹の辺までさげる。敬礼の一種であるが、王に対する最敬礼でなく、軽い会釈にすぎない。○山東隆準公 のちに漢の高祖となる沛公すなわち劉邦をさす。沛の豊邑(いまの江蘇省豊県)の人である。豊県は、山東省にちかい。「史記」の高祖本紀に、高祖は生れつき「隆準にして竜顔」とある。隆は高い。準は、音がセツ、鼻柱のこと、隆準公は、鼻の高いおやじさん。
高適の詩(2)塞上聞吹笛  田家春望 参照


入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
門を入って最敬礼をしないのである、そして雄弁にまくしたてた。沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公のきげんをとったのだ。
 身体をかがめ、手のあたりまで頭をさげる、おじぎ。○ 走らせる。雄弁に語ることの意。〇両女輯洗来趨風 沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公のきげんをとったのだ。。○趨風 風のように走りまわる。


東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
酈生は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
東下斉城七十二 漢王(沛公)の三年の秋、楚の項羽は漢を撃って賛陽(河南)を攻め落した。漢の軍は退却して河南の肇県と洛陽の間に立てこもった。一方、沛公の部将である韓信が、東の方で斉の国を攻めていた。酈生はこのとき、沛公に進言し、斉を漢の東方の同盟国とするために斉王の田広を説得する案を出した。沛公は同意した。酈生は斉におもむき、田広に会って言った。「王は、天下の帰一するところを知っておられますか」「知らぬ」「王が天下の帰一するところを知っておられるなら、斉の国をたもてましょうが、もし知っておられないなら、斉の国はたもてないでしょう」「天下はどこに帰一するだろうか」「漢王に帰一しましょう」「どういう根拠で、そう言うのか。」酈生はそこで、雄弁をふるって天下の形勢を論じ、楚の項王の不徳をのべ、漢の沛公の人徳をのぺ、「後れて漢に帰服する国が先ず亡びましょう。王がはやく漢王に降服されるなら、斉の国はたもてましょうが、もし漢に降らなければ、たちまち危険滅亡がやって来ましょう」とまくしたてた。田広は酈生のことばを信じ、斉の七十二城をあけわたした。韓信はそれをきくと、軍隊を動かして斉を掌った。漢軍の来襲をきいた斉玉田広は、だまされたと知り、酈生に向い、「汝が漢軍の侵入をとめたら、わしは汝を生かしておくが、さもなければ、汝を煮殺してしまうぞ」と言った。野生「大事業をなす者は、細かい事はどうでもよい。わたしは、おまえごときのために前言を変えはせぬ。」斉王はついに、酈生を煮殺し、兵をひきいて東方に逃げた。「史記」酈生陸質列伝。○旋蓬 風にふかれて飛びまわるヨモギの穂
 
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
独りよがりの頑固者と呼ばれ、おちぶれていた者でも、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
狂客 きちがい扱いにされた余計者。一つのことに夢中になって他の意見を取り入れない頑固者。杜甫も狂夫とつかう。○落魄おちぶれる。「史記」弥生の伝に「家貧にして落塊、以て衣食の業を為す無し」とあるのを用いた。


我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。
わたしは、竜のうろこをつかみ、よじのぼって、賢明な君主にお目通りしたいと思っていたが、カミナリ公が、がらごろごろと天の太鼓をうちならしてあわせてくれないのだ。
攣竜 竜のうろこにすがる。君主の知遇を得ること。○明主 賢明な君主。玄宗をさす。○砰訇 大きな音。○天鼓 かみなり。星の名前。天から鼓が降った夢を見て身ごもった母から生まれた少年「天鼓」は、本当に天から降った鼓を打って妙なる音を響かせた。話を聞いた帝に鼓を召されることになったので、惜しんで山に隠れ、見つけられて川に沈められたが、鼓は鳴りやまなかった。父が呼ばれて打つと鼓は鳴り、川辺で管弦講によって弔うと天鼓の霊が現れて舞を舞うという。宇宙は大きく、空は澄み渡り、心も澄み渡る。清らかな世界という意味。

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