漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

2012年03月

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<2> 九日従宋公戯馬台集送孔令詩#1 詩集 355

 
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孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<2> 九日従宋公戯馬台集送孔令詩#1 詩集 355

この詩までの概略

405年 21歳、霊運初めて士官、琅邪王大司馬行参軍となる。
412年 28歳、太尉参軍となるが、途中免職。
416年 32歳、諮議参軍となり、中書省に転ず。
417年 33歳、世子中軍諮議・黄門侍郎となる。
418年 義照十四年八四一八)霊運は三十四歳となった。その年の九月九日、重陽の日、宋公すなわち劉裕と戯馬台(彭城=今の江蘇省銅山県の南にあった)所で、孔令つまり孔靖を送る宴会が盛大に開かれ、そのとき、「九日宋公の戯馬台の集に従って孔令を送る」の作が生まれた。霊運の作品のなかで年代のはっきりしている最初のものである。これは『文選』巻二十の 「公讌」の部に選ばれ、後世の人々にも愛唱されている。

九日、従宋公戯馬台集、送孔令詩(九日宋公の戯馬台の集に従って孔令を送る)
重陽の日に戯馬台において孔靖を送る宴会が盛大に開かれた時に作る詩。
季秋邊朔苦、旅鴈違霜雪。
晩秋になると、北方の邊塞地は艱難辛苦に満ちている。旅ゆく雁は、霜や雪をさけるように既にここにきている。
凄凄陽卉腓、皎皎寒潬洯。
寒々とものさびしく夏草はすっかり枯れてしまっている、月明かりはこうこうと光り輝いて辺りはさむざむとした深い淵がありみずは清く澄んでいる。
良辰感聖心、雲旗興暮節。
しかしここでは一年で最も良い日である、天子のみ心が感じられる日なのである。王朝の戦いの御旗は年の瀬にはかかげられる。
鳴葭戻朱宮、蘭巵獻時哲。
葦笛の音は宮中のなかにもどってくる。蘭の酒盃は時哲孔令に献じられた。
餞宴光有孚、和樂隆所缺。
餞別のための宴は光り輝き天子の真心として伝わってくる。音楽は合奏され宴のかけたところを再び盛り上げてくれる。

在宥天下理、吹萬羣方悦。歸客遂海隅、脱冠謝朝列。
弭棹薄枉渚、指景待樂闋。河流有急瀾、浮驂無緩轍。
豈伊川途念、宿心愧將別。彼美丘園道、喟焉傷薄劣。

(九日宋公の戯馬台の集に従って孔令を送る)
季秋【ばんしゅう】 辺朔【くにざかい】の苦しみ、旅ゆく雁も霜雪を違ける。
凄凄【さむさむ】として陽卉【しげりくさ】も腓【しぼ】み、皎皎【きょうきょう】寒潬【さむきふち】洯【きよ】し。
良辰【りょうしん】は聖心を感ぜしめ、雲旗【みはた】は暮節に興こり。
鳴葭【あしのふえ】 朱宮に戻【いた】る、蘭巵【らんし】もて時哲(孔令)に献じ。
餞宴【わかれのうたげ】 光【おお】いに孚【まこと】有り、和楽して缺【か】けたる所を隆【さか】んにす。

宥【ゆる】うする在りて天下 埋【おさ】まり、吹万【あたたか】くすれば群方 悦【よろこ】ぶ。
帰客は海隅に遂【ゆ】かんとし、冠を脱し朝列を謝す。
棹【さお】を弭【とど】め枉がれる渚に薄【いた】り、景【ひ】を指し楽の闋【お】わるを待つ。
河流 急なる瀾【なみ】有り、浮驂【ゆくそえうま】は緩【ゆる】き轍【わだち】なし。
豈に伊れ川途の念いのみならんや、宿心ありて将に別れんとするに愧ず。
彼の美しき丘園の道、喟焉【なげきて】薄劣【おとれる】を傷む。


現代語訳と訳註  #1
(本文)
九日、従宋公戯馬台集、送孔令詩
季秋邊朔苦、旅鴈違霜雪。
凄凄陽卉腓、皎皎寒潬洯。
良辰感聖心、雲旗興暮節。
鳴葭戻朱宮、蘭巵獻時哲。
餞宴光有孚、和樂隆所缺。


(下し文) (九日宋公の戯馬台の集に従って孔令を送る)
季秋【ばんしゅう】 辺朔【くにざかい】の苦しみ、旅ゆく雁も霜雪を違ける。
凄凄【さむさむ】として陽卉【しげりくさ】も腓【しぼ】み、皎皎【きょうきょう】寒潬【さむきふち】洯【きよ】し。
良辰【りょうしん】は聖心を感ぜしめ、雲旗【みはた】は暮節に興こり。
鳴葭【あしのふえ】 朱宮に戻【いた】る、蘭巵【らんし】もて時哲(孔令)に献じ。
餞宴【わかれのうたげ】 光【おお】いに孚【まこと】有り、和楽して缺【か】けたる所を隆【さか】んにす。


(現代語訳)
重陽の日に戯馬台において孔靖を送る宴会が盛大に開かれた時に作る詩。
晩秋になると、北方の邊塞地は艱難辛苦に満ちている。旅ゆく雁は、霜や雪をさけるように既にここにきている。
寒々とものさびしく夏草はすっかり枯れてしまっている、月明かりはこうこうと光り輝いて辺りはさむざむとした深い淵がありみずは清く澄んでいる。
しかしここでは一年で最も良い日である、天子のみ心が感じられる日なのである。王朝の戦いの御旗は年の瀬にはかかげられる。
葦笛の音は宮中のなかにもどってくる。蘭の酒盃は時哲孔令に献じられた。
餞別のための宴は光り輝き天子の真心として伝わってくる。音楽は合奏され宴のかけたところを再び盛り上げてくれる。


(訳注)
九日、従宋公戯馬台集、送孔令詩

(九日宋公の戯馬台の集に従って孔令を送る)
重陽の日に戯馬台において孔靖を送る宴会が盛大に開かれた時に作る詩。
九日 重陽の日。○宋公 劉裕(りゅう ゆう)は、南朝の宋の初代皇帝。廟号は高祖、諡号は武帝。字は徳與。幼名は寄奴。彭城県綏輿里(現在の江蘇省徐州市銅山県)が本籍であるが、実質は南徐州晋陵郡丹徒県京口里。○戯馬台 彭城=今の江蘇省銅山県の南にあった○孔令つまり孔靖


季秋邊朔苦、旅鴈違霜雪。
(季秋【ばんしゅう】 辺朔【くにざかい】の苦しみ、旅ゆく雁も霜雪を違ける。)
晩秋になると、北方の邊塞地は艱難辛苦に満ちている。旅ゆく雁は、霜や雪をさけるように既にここにきている。


凄凄陽卉腓、皎皎寒潬洯。
(凄凄【さむさむ】として陽卉【しげりくさ】も腓【しぼ】み、皎皎【きょうきょう】寒潬【さむきふち】洯【きよ】し。)
寒々としてものさびしく夏草はすっかり枯れてしまっている、月明かりはこうこうと光り輝いて辺りはさむざむとした深い淵がありみずは清く澄んでいる。
凄凄 寒く冷たいさま。寒々とものさびしいさま。また、涼しいさま。○陽卉 夏草が生い茂っているさま。○
色が変わる。○皎皎 明るく光り輝くさま。特に、太陽・月・雪などにいう。○寒潬 辺りは凍てつく深い淵。○ いさぎよい。自動的に生成されること。


良辰感聖心、雲旗興暮節。
(良辰【りょうしん】は聖心を感ぜしめ、雲旗【みはた】は暮節に興こり。)
しかしここでは一年で最も良い日である、天子のみ心が感じられる日なのである。王朝の戦いの御旗は年の瀬にはかかげられる。
良辰 よい日。吉日。吉辰。事を成すに及んで、日を選ぶこと。○聖心 聖人の心。天子のみ心。○雲旗 『離騷其二:楚辞・屈原』「載雲旗之委蛇」(雲旗の委蛇【いい】たるを載く)○暮節 陰暦十二月。


鳴葭戻朱宮、蘭巵獻時哲。
(鳴葭【あしのふえ】 朱宮に戻【いた】る、蘭巵【らんし】もて時哲(孔令)に献じ。)
葦笛の音は宮中のなかにもどってくる。蘭の酒盃は時哲孔令に献じられた。
鳴葭 「葦」と「葭」とは同じ草。 ○蘭巵 酒杯の一。鉢形で、両側に環状の取っ手がある大杯。○時哲 当時のもっとも明智の人。孔令。孔季恭。


餞宴光有孚、和樂隆所缺。
(餞宴【わかれのうたげ】 光【おお】いに孚【まこと】有り、和楽して缺【か】けたる所を隆【さか】んにす。)
餞別のための宴は光り輝き天子の真心として伝わってくる。音楽は合奏され宴のかけたところを再び盛り上げてくれる。
餞宴 餞別のための宴。○ 孚は信。天子の真心。『詩経、大雅、文王』「萬邦作孚」○和樂 音楽、合奏○ 宴の盛り上がりが落ちかけたところ。

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運 會吟行#3 詩集 354

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運 會吟行#3 詩集 354

(3)3/3

生まれつき政治家として培養され、育てられたため、期待され、その自覚も強く、自分は恵まれた身でありながら、いかに庶民のために献身するかという温かさもけっして忘れてはいない江南の山水詩人であった。
唐になると、山水詩人といわれた孟浩然(689―740)、王維(699-759)に、情熱の詩人李白(701-762)に、愛国の詩人杜甫(712-770)に愛され、消化されて、それぞれに大きな影を静かに落としている。特に孟浩然、李白は、強く霊運文学を意識し、これに大きな目標をおいていたらしいことは、注目せねばならないことだ。


謝霊運(しゃれいうん、385―433)
會吟行 謝霊運 
六引緩清唱、三調佇繁音。列筵皆静寂、咸共聆會吟。」
會吟自有初、請従文明敷。敷績壺冀始、刊木至江汜。
列宿柄天文、負海横地理。』
連峯競千仭、背流各百里。滮池漑粳稲、軽雲曖松杞。
兩京愧佳麗、三都豈能似。層臺指中天、飛燕躍廣途、鷁首戯清沚。』
肆呈窈窕容、路曜嬌娟子。
市場、店は嫋やかな様子を現わし、路には美しき娘たちが楽しげに歩いている。
自乗彌世代、賢達不可紀。
この地の風習、文化はおのずから世代のすみずにひろがっている、優れた人材は時空を超えているのである。
勾践善廢興、越叟識行止。
春秋の勾践は廃位してからこの地の風興を喜びよくした、越叟は旅をするのをやめこの山から釣りをして多くの食材をここの民に与え認識された。
范蟸出江湖、栴福入城市。
春秋の范蟸は江川、湖から出て越王に仕えた。栴福は会稽の城郭に入り、市場を繁栄させた。
東方就旅逸、梁鴻去桑梓。
前漢の東方朔は朝隠の中で会稽によく旅行に来ていた、後漢の梁鴻は隠遁して桑や梓の農耕作業をするために行った。
牽綴書士風、辭殫意未己。』

こうしたこの地の士太夫の風紀は書物に書きつづられてきた、官を辞することはもう出し尽くしたが私のこの地で過ごしたいという決意というのはやむことはない。

六引は清らかなる唱【うた】を緩【ゆる】くし、三調は繁なる音を佇【とど】む
筵に列する皆な静寂にして、咸【あまね】し 共に会の吟を聆【き】け。
会の吟には自から初めに有り、請う文明 従り敷【の】べん。」
績を敷くくこと壺【こ】冀【き】より始まれり、木を刊【か】りて江氾【こうし】に至れり。
列宿は天文 を柄【あき】らかにし、海を負うて地理横【よこ】たう。』

連なれる峰は千便【せんじん】を競い、背【そむ】き流れるは各おの百里。
破【なが】れる池は梗【うるち】と稲とに漑【そそ】ぎ、軽き雲は松と杷【おうち】とに唆【くら】し。
両京も佳麗【かれい】に悦【は】ず、三都豈に能く似んや。
層【かさ】なる台は中天より指【うつく】しく、飛燕【ひえん】は広き途【みち】に躍【おど】り、鶴首【げきしゅ】は清き沚【なぎさ】に戯る。』

肆【しつ】は窃充【おだやか】な容【すがた】を呈【あら】わし、路は婚姻【なまめか】しき子を曜【かが】やかす。
自乗 世代を弥【わた】り、賢達(の人)紀【しる】す可からず。
勾践【こうせん】は廃興を善【よ】くし、越叟【えつそう】は行くと止【とど】まるを識り。
范蟸【はんれい】は江湖に出で、栴福は城市に入り。
東方は旅逸【たび】に就き、梁鴻【りょうこう】は桑梓【ふるさと】を去れり。
牽綴【つづ】って士風を害す、辞 殫【つ】くるも意 未だ己まず。』


keikoku00

現代語訳と訳註
(本文)

肆呈窈窕容、路曜嬌娟子。
自乗彌世代、賢達不可紀。
勾践善廢興、越叟識行止。
范蟸出江湖、栴福入城市。
東方就旅逸、梁鴻去桑梓。
牽綴書士風、辭殫意未己。』

(下し文)
肆【しつ】は窃充【おだやか】な容【すがた】を呈【あら】わし、路は婚姻【なまめか】しき子を曜【かが】やかす。
自乗 世代を弥【わた】り、賢達(の人)紀【しる】す可からず。
勾践【こうせん】は廃興を善【よ】くし、越叟【えつそう】は行くと止【とど】まるを識り。
范蟸【はんれい】は江湖に出で、栴福は城市に入り。
東方は旅逸【たび】に就き、梁鴻【りょうこう】は桑梓【ふるさと】を去れり。
牽綴【つづ】って士風を害す、辞 殫【つ】くるも意 未だ己まず。』

(現代語訳)
市場、店は嫋やかな様子を現わし、路には美しき娘たちが楽しげに歩いている。
この地の風習、文化はおのずから世代のすみずにひろがっている、優れた人材は時空を超えているのである。
春秋の勾践は廃位してからこの地の風興を喜びよくした、越叟は旅をするのをやめこの山から釣りをして多くの食材をここの民に与え認識された。
春秋の范蟸は江川、湖から出て越王に仕えた。栴福は会稽の城郭に入り、市場を繁栄させた。
前漢の東方朔は朝隠の中で会稽によく旅行に来ていた、後漢の梁鴻は隠遁して桑や梓の農耕作業をするために行った。
こうしたこの地の士太夫の風紀は書物に書きつづられてきた、官を辞することはもう出し尽くしたが私のこの地で過ごしたいという決意というのはやむことはない。


(訳注)
肆肆呈窈窕容、路曜嬌娟子。

市場、店は嫋やかな様子を現わし、路には美しき娘たちが楽しげに歩いている。
 店。市。『周禮、天官、内宰』「正其肆、陳其貨賄。」(其の肆を正し、其の貨賄を陳す。)○窈窕【ようちょう】美しくしとやかなさま。上品で奥ゆかしいさま。○嬌娟 なまめかしい。うつくしい。たのしそう。


自乗彌世代、賢達不可紀。
この地の風習、文化はおのずから世代のすみずにひろがっている、優れた人材は時空を超えているのである。
 あまねし。広く端まで行きわたっている。すみずみまで行きわたっているさま。○賢達 各方面に優れた人々。


勾践善廢興、越叟識行止。
春秋の勾践は廃位してからこの地の風興を喜びよくした、越叟は旅をするのをやめこの山から釣りをして多くの食材をここの民に与え認識された。
勾践【こうせん】? - 紀元前465年は、中国春秋時代後期の越の王。范蠡の補佐を得て当時華南で強勢を誇っていた呉を滅ぼした。春秋五覇の一人に数えられることもある。句践とも表記される。○越叟『荘子』任公子にある。○任公子 子明は会稽山の山頂から沖に届くくらいの竿を作り、餌も去勢牛五十頭ほど用意し、一年かけて釣り上げた。それを村人に食べ物を配った。『荘子』任公子にある。 常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。


范蟸出江湖、栴福入城市。
集住の范蟸は江川、湖から出て越王に仕えた。栴福は会稽の城郭に入り、市場を繁栄させた。
范蟸(はんれい)春秋時代末期、越の人。呉越同舟の故事が出来た時代の人物、越王勾践に仕え、呉を滅ぼした後、すべてを投げ出し、他国に名を変えて、商売を始め、大金持ちになるという人物である。


東方就旅逸、梁鴻去桑梓。
前漢の東方朔は朝隠の中で会稽によく旅行に来ていた、後漢の梁鴻は隠遁して桑や梓の農耕作業をするために行った。
東方 東方朔前154‐前93年。中国,前漢時代の文学者。字は曼倩。滑稽と弁舌とで武帝に侍した,御伽衆(おとぎしゆう)的な人物。うだつの上がらぬ彼を嘲笑した人々に答えて〈答客難〉を書く。彼は,自分は山林に世を避けるのではなく朝廷にあって隠遁しているのだと主張する。この〈朝隠(ちよういん)〉の思想は六朝人の関心をあつめ,例えば彼の生き方をたたえる夏侯湛〈東方朔画賛〉には王羲之の書がのこることで有名である。○梁鴻は、後漢の梁鴻は字を伯鸞といい、扶風平陵の人。勉学に励み、博学多才で立派な人格だった。そのため、多くの人が自分の娘を嫁にして欲しいと望んだが、彼は受け入れなかった。 同じ県に孟光という、醜い容貌ながら、よい品性を持った女性がいた。


牽綴書士風、辭殫意未己。
こうしたこの地の士太夫の風紀は書物に書きつづられてきた、官を辞することはもう出し尽くしたが私のこの地で過ごしたいという決意というのはやむことはない。


孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運 會吟行#2 詩集 353

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運 會吟行 詩集 353

はじめに(2) 2/3

彼の生涯が奇に満ち、不幸の連続であったこが、恵まれた家柄であったことと悲運な障害というギャップにこそ偉大な文学の生まれた要素である。
緑したたり、水の豊かな江南を主材料とする風雅な文学は、乾いた黄土を中心とする異民族の脅威を受け続けた北の文学とは、いろいろの意味で大きな変化をみせる。古くからこの地においては複雑な政治の変化、権力を中心にした人間どうしの醜い争いというものが地域性として持っているものであり、門閥、家柄がすべての地域であり、時代であった。謝霊運は有り余る財力と非凡な天から与えられた才能をもっていたが、ついに自己の欲望が達せられないままであった。
美しい風景をみて、日々の生活のなかで、山水詩として彼の詩の大きな特質となった。その単に山水の美のみを詠ったのではなく、複雑な社会における人間の真筆なる生き方を歌ったことは、後世の詩人に多大な影響を与えた。戦のためや艶歌を喜ばれたものから自然と人間としての生き方を山水の表現の中で詠いあげたのである。はかない人の世の「無常」「空」をみつめて当時新しい宗教として説かれた浄土教へ傾斜していったことを詩に生かしたのだ。

謝霊運(しゃれいうん、385―433)

會吟行 謝霊運 
六引緩清唱、三調佇繁音。列筵皆静寂、咸共聆會吟。」
會吟自有初、請従文明敷。敷績壺冀始、刊木至江汜。
列宿柄天文、負海横地理。』

連峯競千仭、背流各百里。
会稽の山の峰々は千仇の高さを競い、その嶺から各方面に流れる川は百里の長さをもっている。
滮池漑粳稲、軽雲曖松杞。
あふれ出る池の水は粳と稲とに漑ぎ、軽き雲は松と杞にその影を落としている。
兩京愧佳麗、三都豈能似。
その町の美しさは、いまの長安や洛陽もその綺麗さに恥じ入るであろうし、さらに魏や呉や蜀の三国鼎立の都もこのちの美しさには及ばない。
層臺指中天、飛燕躍廣途、鷁首戯清沚。』

この町の、重なる楼台は古えの周の穆王の作った中天よりも高く、高い垣には姫垣をさらに積み、大路には漢の文帝が愛した名馬飛燕とみま違えるほどの駿馬が闊歩し、船は波がおさまる静かな清き水の湊に多く泊まる。

肆呈窈窕容、路曜嬌娟子。
自乗彌世代、賢達不可紀。
勾践善廢興、越叟識行止。
范蟸出江湖、栴福入城市。
東方就旅逸、梁鴻去桑梓。
牽綴書士風、辭殫意未己。』

六引は清らかなる唱【うた】を緩【ゆる】くし、三調は繁なる音を佇【とど】む
筵に列する皆な静寂にして、咸【あまね】し 共に会の吟を聆【き】け。
会の吟には自から初めに有り、請う文明 従り敷【の】べん。」
績を敷くくこと壺【こ】冀【き】より始まれり、木を刊【か】りて江氾【こうし】に至れり。
列宿は天文 を柄【あき】らかにし、海を負うて地理横【よこ】たう。』

連なれる峰は千便【せんじん】を競い、背【そむ】き流れるは各おの百里。
破【なが】れる池は梗【うるち】と稲とに漑【そそ】ぎ、軽き雲は松と杷【おうち】とに唆【くら】し。
両京も佳麗【かれい】に悦【は】ず、三都豈に能く似んや。
層【かさ】なる台は中天より指【うつく】しく、飛燕【ひえん】は広き途【みち】に躍【おど】り、鶴首【げきしゅ】は清き沚【なぎさ】に戯る。』

肆【しつ】は窃充【おだやか】な容【すがた】を呈【あら】わし、路は婚姻【なまめか】しき子を曜【かが】やかす。
自乗 世代を弥【わた】り、賢達(の人)紀【しる】す可からず。
勾践【こうせん】は廃興を善【よ】くし、越叟【えつそう】は行くと止【とど】まるを識り。
范蟸【はんれい】は江湖に出で、栴福は城市に入り。
東方は旅逸【たび】に就き、梁鴻【りょうこう】は桑梓【ふるさと】を去れり。
牽綴【つづ】って士風を害す、辭 殫【つ】くるも意 未だ己まず。』




現代語訳と訳註
(本文)

連峯競千仭、背流各百里。
滮池漑粳稲、軽雲曖松杞。
兩京愧佳麗、三都豈能似。
層臺指中天、飛燕躍廣途、鷁首戯清沚。』


(下し文)
連なれる峰は千便【せんじん】を競い、背【そむ】き流れるは各おの百里。
破【なが】れる池は梗【うるち】と稲とに漑【そそ】ぎ、軽き雲は松と杷【おうち】とに唆【くら】し。
両京も佳麗【かれい】に悦【は】ず、三都豈に能く似んや。
層【かさ】なる台は中天より指【うつく】しく、飛燕【ひえん】は広き途【みち】に躍【おど】り、鶴首【げきしゅ】は清き沚【なぎさ】に戯る。』


(現代語訳)
会稽の山の峰々は千仇の高さを競い、その嶺から各方面に流れる川は百里の長さをもっている。
あふれ出る池の水は粳と稲とに漑ぎ、軽き雲は松と杞にその影を落としている。
その町の美しさは、いまの長安や洛陽もその綺麗さに恥じ入るであろうし、さらに魏や呉や蜀の三国鼎立の都もこのちの美しさには及ばない。
この町の、重なる楼台は古えの周の穆王の作った中天よりも高く、高い垣には姫垣をさらに積み、大路には漢の文帝が愛した名馬飛燕とみま違えるほどの駿馬が闊歩し、船は波がおさまる静かな清き水の湊に多く泊まる。


(訳注)
連峯競千仭、背流各百里。

会稽の山の峰々は千仇の高さを競い、その嶺から各方面に流れる川は百里の長さをもっている。
○千仭の連峰がもたらす、川の恵み、水の恵み、農耕の恵みをいう。


滮池漑粳稲、軽雲曖松杞。
あふれ出る池の水は粳と稲とに漑ぎ、軽き雲は松と杞にその影を落としている。
 わきでる、あふれでる。○粳稲 うるちと稲。○ くこ。おうち、楠に似た葉を持つ、木目が細やかでなめらかなので、食器類などに使う。景色が良いだけでなく実際に役だっていることをいう。


兩京愧佳麗、三都豈能似。
その町の美しさは、いまの長安や洛陽もその綺麗さに恥じ入るであろうし、さらに魏や呉や蜀の三国鼎立の都もこのちの美しさには及ばない。


層臺指中天、飛燕躍廣途、鷁首戯清沚。」
この町の、重なる楼台は古えの周の穆王の作った中天よりも高く、高い垣には姫垣をさらに積み、大路には漢の文帝が愛した名馬飛燕とみま違えるほどの駿馬が闊歩し、船は波がおさまる静かな清き水の湊に多く泊まる。」
層臺 政治をつかさどるところ。瑤台 李白「古朗月行」「清平調詞其一」につかう。崑崙山にある神仙の居所。『拾遺記』に「崑崙山……傍らに瑤台十二有り、各おの広さ千歩。皆な五色の玉もて台の基と為す」というように十二層の楼台。十二は道教の聖数に由来する。ここでは李白、謝朓の「玉階怨」のイメージを重ねているように見える。か○指中天 ○飛燕 漢の武帝は大宛より天馬を得たことがある。飛燕という駿馬である。大宛(フェルガーナ)種の駿馬。○鷁首【げきしゅ】船首に鷁を彫刻した舟。

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<1> 會吟行 詩集 352

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運 會吟行 詩集 347

はじめに(1) 1/3
孟浩然、李白の詩に詠われている会稽はかつて東晋(317-419)の文化が花を開いたところである。この地のシンボルは会稽山で紹興県と嵊県にまたがる小丘陵の重なる山塊で、その主峰香炉峰はわずか海抜300mの丘で愛されたものである。我々日本人には「臥薪嘗胆」「会稽の恥」ということで知れ渡っている地だ。
この土地の生んだ偉大な詩人に謝霊運(385-433)は、その文名は存命中においてははなはだしく著名で、彼が一詩を作ると、都じゅうにただちに知られ、人々の口から口へと愛唱されたと、彼の死後八年たって生まれた宋の沈約(441-513)は、生々しい伝承を、尊敬をこめて『朱書』の本伝に生き生きと記載している。のちに伝記文学の代表的なものとして、『文選』に選ばれ、多くの後世の知識人に愛読された。

謝霊運(しゃれいうん、385―433)

會吟行 謝霊運 
会稽を吟ずる歌
六引緩清唱、三調佇繁音。
古典の六引の曲は清らかなる合唱によってこの宴場を弛緩させてくれる。それに今はやっている三調「清・平・側という曲の調子」は盛繁な音であるがこれらをひとまず止めてほしい。
列筵皆静寂、咸共聆會吟。」
この宴席に列する人々は皆な静寂にして、全員で共に会稽の吟を聞いてくれないか。
會吟自有初、請従文明敷。
会稽吟にはどうしてもまず初めに歌われるべきこと有るのである。古代の三皇五帝が作り上げた礼節の文明が受け継がれてきているところなのだ。
敷績壺冀始、刊木至江汜。
その功績は壺・巽州(陝西・河北・山西省)から始まって、次々に木を伐り長江の下流域を平定した。
列宿柄天文、負海横地理。』

列なれる星座は、天体の現象、日・月・星辰の模様を九天に整列させ、海を背負うようにこの地形は横たわっている。』
連峯競千仭、背流各百里。滮池漑粳稲、軽雲曖松杞。
兩京愧佳麗、三都豈能似。
層臺指中天、飛燕躍廣途、鷁首戯清沚。』
肆呈窈窕容、路曜嬌娟子。自乗彌世代、賢達不可紀。
勾践善廢興、越叟識行止。范蟸出江湖、栴福入城市。
東方就旅逸、梁鴻去桑梓。牽綴書士風、辭殫意未己。』

六引は清らかなる唱【うた】を緩【ゆる】くし、三調は繁なる音を佇【とど】む
筵に列する皆な静寂にして、咸【あまね】し 共に会の吟を聆【き】け。
会の吟には自から初めに有り、請う文明 従り敷【の】べん。」
績を敷くくこと壺【こ】冀【き】より始まれり、木を刊【か】りて江氾【こうし】に至れり。
列宿は天文 を柄【あき】らかにし、海を負うて地理横【よこ】たう。』

連なれる峰は千便【せんじん】を競い、背【そむ】き流れるは各おの百里。
破【なが】れる池は梗【うるち】と稲とに漑【そそ】ぎ、軽き雲は松と杷【おうち】とに唆【くら】し。
両京も佳麗【かれい】に悦【は】ず、三都豈に能く似んや。
層【かさ】なる台は中天より指【うつく】しく、飛燕【ひえん】は広き途【みち】に躍【おど】り、鶴首【げきしゅ】は清き沚【なぎさ】に戯る。』

肆【しつ】は窃充【おだやか】な容【すがた】を呈【あら】わし、路は婚姻【なまめか】しき子を曜【かが】やかす。
自乗 世代を弥【わた】り、賢達(の人)紀【しる】す可からず。
勾践【こうせん】は廃興を善【よ】くし、越叟【えつそう】は行くと止【とど】まるを識り。
范蟸【はんれい】は江湖に出で、栴福は城市に入り。
東方は旅逸【たび】に就き、梁鴻【りょうこう】は桑梓【ふるさと】を去れり。
牽綴【つづ】って士風を害す、辞 殫【つ】くるも意 未だ己まず。』


現代語訳と訳註
(本文)
會吟行 謝霊運 
六引緩清唱、三調佇繁音。
列筵皆静寂、咸共聆會吟。」
會吟自有初、請従文明敷。
敷績壺冀始、刊木至江汜。
列宿柄天文、負海横地理。』

(下し文)
六引は清らかなる唱【うた】を緩【ゆる】くし、三調は繁なる音を佇【とど】む
筵に列する皆な静寂にして、咸【あまね】し 共に会の吟を聆【き】け。
会の吟には自から初めに有り、請う文明 従り敷【の】べん。」
績を敷くくこと壺【こ】冀【き】より始まれり、木を刊【か】りて江氾【こうし】に至れり。
列宿は天文 を柄【あき】らかにし、海を負うて地理横【よこ】たう。』

(現代語訳)
会稽を吟ずる歌

古典の六引の曲は清らかなる合唱によってこの宴場を弛緩させてくれる。それに今はやっている三調「清・平・側という曲の調子」は盛繁な音であるがこれらをひとまず止めてほしい。
この宴席に列する人々は皆な静寂にして、全員で共に会稽の吟を聞いてくれないか。
会稽吟にはどうしてもまず初めに歌われるべきこと有るのである。古代の三皇五帝が作り上げた礼節の文明が受け継がれてきているところなのだ。
その功績は壺・巽州(陝西・河北・山西省)から始まって、次々に木を伐り長江の下流域を平定した。
列なれる星座は、天体の現象、日・月・星辰の模様を九天に整列させ、海を背負うようにこの地形は横たわっている。』


(訳注)
會吟行

会稽を吟ずる歌
『文選』巻二十七「楽府」として選定されている。○會 江蘇省会稽。会稽は海にも近く、気温も薯からず、寒からず、湿度も割合に高い。それゆえ、植物もよく茂り、物産の豊かな地であった。会稽はかつて東晋(317-419)の文化が花を開いたところである。この地のシンボルは会稽山で紹興県と嵊県にまたがる小丘陵の重なる山塊で、その主峰香炉峰はわずか海抜300mの丘で愛されたものである。


六引緩清唱、三調佇繁音。
古典の六引の曲は清らかなる合唱によってこの宴場を弛緩させてくれる。それに今はやっている三調「清・平・側という曲の調子」は盛繁な音であるがこれらをひとまず止めてほしい。
六引 古典の六引の曲。六つの弦楽器による合奏と合唱など。○三調 清・平・側という曲の調子


列筵皆静寂、咸共聆會吟。」
この宴席に列する人々は皆な静寂にして、全員で共に会稽の吟を聞いてくれないか。
列筵 宴席に身分役職により居並ぶ状況をいう。○咸共 みんな全員でいっしょに。○ 聞け。○會吟 会稽吟。会稽で古くからつたえられた詩。


會吟自有初、請従文明敷。
会稽吟にはどうしてもまず初めに歌われるべきこと有るのである。古代の三皇五帝が作り上げた礼節の文明が受け継がれてきているところなのだ。
文明 古代から引き継がれる礼節の君主三皇五帝、堯舜禹の文明が土着化している。


敷績壺冀始、刊木至江汜。
その功績は壺・巽州(陝西・河北・山西省)から始まって、次々に木を伐り長江の下流域を平定した。
壺 禹穴禹が皇帝になった後、“巡守大越(見守り続けた大越)”ここで病死してしまったため、会稽山の麓に埋葬した。禹陵は古くは、禹穴と呼ばれ、大禹の埋葬地となった。大禹陵は会稽山とは背中合わせにあり、前には、禹池がある。
冀始 古代九州をしめす。冀州、兗州、青州、徐州、揚州、荊州、豫州、梁州、雍州を指


列宿柄天文、負海横地理。』
列なれる星座は、天体の現象、日・月・星辰の模様を九天に整列させ、海を背負うようにこの地形は横たわっている。』
○愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。任公子の故事。子明は会稽山の山頂から沖に届くくらいの竿を作り、餌も去勢牛五十頭ほど用意し、一年かけて釣り上げた。それを村人に食べ物を配った。『荘子』任公子にある。という故事ができるほど、海の幸にも恵まれている地の理をいう。

助詞の整理と解説(2)あえて 敢、肯

助詞の整理と解説(2)あえて 敢、肯

2



あえて

カン

コウ

 


2  敢 肯  あえて  カン、コウ   

敢は ……する勇気がある、遠慮なしにする。 肯は ……する気がある。


近聞下詔喧都邑,肯使騏驎地上行。」(近ろ聞く詔を下して都邑に喧しと、肯て麒麟をして地上に行かしめんや

驄馬行 杜甫kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 102


五言絶句 『答武陵田太守』  王昌齡
 仗劍行千里,微軀一言。
 曾爲大梁客,不負信陵恩。

(「武陵の田太守に答ふ」劍に仗(よ)りて 千里を行き,微軀(びく) 敢(あえ)て感ず。曾て 大梁の客と爲りたれば,信陵の恩に負(そむ)かず。)

客至』  杜甫 七言律詩
舍南舍北皆春水、但見群鷗日日來。
花徑不曾緣客掃、篷門今始為君開。
盤飧市遠無兼味、樽酒家貧只舊醅。
與鄰翁相對飲、隔籬呼取盡餘杯。

(舎南(しゃなん)舎北(しゃほく)皆 春水(しゅんすい)、但見る群鷗の日日に來るを。花径 曾(かつ)て客に縁って掃(はら)わず、篷門(ほうもん)今始めて君が為に開く。盤飧(ばんそん)市 遠くして兼味(けんみ)無く、樽酒(そんしゅ) 家貧にして只だ旧醅(きゅうばい)あるのみ
肯(あえ)て隣翁と相(あい)対して飲まんや、籬(まがき)を隔てて呼び取りて余杯(よはい)を尽さしめん。)



老將行』王維 七言古詩 一部
少年十五二十時、步行奪取胡馬騎。
射殺山中白額虎、肯數鄴下黃鬚兒。
 ・・・・・・・・・・・・
(少年 十五、二十の時、步行 胡馬を奪取して騎る。射殺す 山中 白額の虎、肯て數えんや鄴下(ぎょうか)黃鬚(こうしゅ)の兒。




上に疑問の助字がつくと反語となる。
安くんぞ敢て

和虜猶懷惠,防邊詎敢。」(虜に和するすら猶 恵に懐(な)つく、辺を防ぐに 詎(なん)ぞ敢て驚かさんや送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 189


誰か肯で」。しかし

誰肯艱難際,豁達露心肝。」(誰か 肯(あえ)て 艱難(かんなん)の際、豁達(かつたつ) 心肝(しんかん)を露(あら)わさん。) 

彭衙行 #4 杜甫 135 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132




但使閭閻還揖讓,敢論松竹久荒蕪。」(但だ開閉をして還た揖譲せしめば、敢て論ぜんや松竹の久しく荒蕪するを)『將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公 五首 其一


問之不肯道姓名,但道困苦乞為奴。」(之に問えども 肯て 姓名を這わず、但だ 這う困苦なり乞う奴と為らんと。)『哀王孫』
不敢長語臨交衢,且為王孫立斯須。」(敢て 長話して 交衝に臨まず、且つ王孫の為めに立つこと斯須。) 

哀王孫 杜甫140  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 140-#1

助詞の整理と解説(1)相 あい

助詞の整理と解説(1)相 あい

1


あい

ソウ

ショウ

 


1  相  あい  ソウ  ショウ  

・動詞としては、たすける、みるの義、

送魯郡劉長史遷弘農長史  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白187

翰林讀書言懷呈集賢諸學士 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白176 と玄宗(8



・名詞としては、宰相、人相の義のときは去声(灰)。

送内尋廬山女道士李騰空二首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -231


・助字としては平声。助字(副詞)の古義は互いにの意味。


『望天門山』李白          
天門中断楚江開、碧水東流至北回。
両岸青山対出、孤帆一片日返来。

(天門山を望む)
天門(てんもん)  中断して楚江(そこう)開き、碧水(へきすい)  東流して北に至りて回(めぐ)る。
両岸の青山(せいざん)  相対して出で、孤帆(こはん)  一片  日返(にっぺん)より来(きた)る)。


『回郷偶書』 賀知章
少小離家老大回、郷音無改鬢毛衰。
児童相見不識、笑問客従何処來 。

(郷に回りて偶たまがい書す)
少小家を離れて 老大にして回る、郷音改まる無く 鬢毛衰す。
児童相い見て相い識らず、笑って問う 客は何処より来たると

しかし最も多いのは、或る動詞が単に相手または対象があることを示す接頭辞であることを示す機能である。「児童相見て相識らず 不相識」(賀知章、郷に回りて偶たま書す、七絶)。この場合の相手は作者白身。「相追送す」のごとく、二字の動詞の上にもつく。「更(こも)ごも相誚(そし)る」「逓(たが)いに相祖述(そじゅつ)す」のように、更相・逓相(かわるがわる、じゃんじゅんに)と、相の上にまた副詞がつくこともあ


「羌村 三首 其一」
崢嶸赤雲西,日腳下平地。
柴門鳥雀噪,歸客千裡至。』
妻孥怪我在,驚定還拭淚。
世亂遭飄蕩,生還偶然遂。
鄰人滿牆頭,感嘆亦歔欷。
夜闌更秉燭,對如夢寐。』

崢嶸(そうこう)たる赤雲(せきうん)の西、日脚(にっきゃく) 平地に下る。
柴門(さいもん)  鳥雀(ちょうじゃく)噪(さわ)ぎ、帰客(きかく)    千里より至る。
妻孥(さいど)は我(われ)の在るを怪しみ、驚き定まって還(ま)た涙を拭う。
世乱れて飄蕩(ひょうとう)に遭(あ)い、生還  偶然に遂げたり。
隣人  牆頭(しょうとう)に満ち、感歎して亦(ま)た歔欷(きょき)す。
夜(よる)闌(たけなわ)にして更に燭(しょく)を秉(と)り、相対(あいたい)すれば夢寐(むび)の如し。

l  峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大) 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -310

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盛唐詩 萬山潭作 孟浩然<42> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -349

盛唐詩 萬山潭作 孟浩然<42> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -349
卷159_39 「萬山潭作」孟浩然

萬山潭作
垂釣坐磐石,水清心亦閑。
大きな石に座って釣糸を垂れる。水は澄み切って、静かな心地がする。
魚行潭樹下,猿掛島藤間。
この川の淵に魚は岸辺の木のもとを列をなして泳ぎ、猿は解佩渚の島の木の蔦から蔦へと飛び移る。
游女昔解佩,傳聞於此山。
漢水の女神が昔、鄭交甫に佩珠を譲り受けた。その伝え聞く話は、確かこの山ことだった。
求之不可得,沿月棹歌還。
女神が現れないかと待ってみたが、姿を見せずじまいだ。私は舟歌を口ずさみながら、月の進む方へと舟を漕いで帰っていく。


(万山潭の作)
釣を垂れて盤石に坐す、水清らかにして心も亦閑なり。
魚は行く潭樹の下、猿は掛かる島藤の間。
游女 昔 佩を解きしは、伝え聞く 此の山に於いてすと。
之を求むるも得べからず、月に沿い棹歌して還る。

55moon

現代語訳と訳註
(本文)
萬山潭作
垂釣坐磐石,水清心亦閑。
魚行潭樹下,猿掛島藤間。
游女昔解佩,傳聞於此山。
求之不可得,沿月棹歌還。


(下し文) (万山潭の作)
釣を垂れて盤石に坐す、水清らかにして心も亦閑なり。
魚は行く潭樹の下、猿は掛かる島藤の間。
游女 昔 佩を解きしは、伝え聞く 此の山に於いてすと。
之を求むるも得べからず、月に沿い棹歌して還る。

(現代語訳)
大きな石に座って釣糸を垂れる。水は澄み切って、静かな心地がする。
この川の淵に魚は岸辺の木のもとを列をなして泳ぎ、猿は解佩渚の島の木の蔦から蔦へと飛び移る。
漢水の女神が昔、鄭交甫に佩珠を譲り受けた。その伝え聞く話は、確かこの山ことだった。
女神が現れないかと待ってみたが、姿を見せずじまいだ。私は舟歌を口ずさみながら、月の進む方へと舟を漕いで帰っていく。

(訳注)
垂釣坐磐石,水清心亦閑。

大きな石に座って釣糸を垂れる。水は澄み切って、静かな心地がする。


魚行潭樹下,猿掛島藤間。
この川の淵に魚は岸辺の木のもとを列をなして泳ぎ、猿は解佩渚の島の木の蔦から蔦へと飛び移る。
魚行 仙界の魚、赤鱗を意識している。川の淵にすみ赤い鱗をもつという。梁の江淹(444-505)の別れの賦に「駟馬は仰秣を驚かし淵魚は赤燐を䵷ぐ聳ぐ。」とあり、李善注に、「伯牙瑟を鼓すれば淵魚出でて聴き、弧巴琴を鼓すれば六馬仰いで秣う。」という、漢の韓嬰の「韓詩外伝」の言葉をひいている。瓠巴は上古の楚の琴の名手。伯牙は春秋時代の琴の名手。○潭樹下 万山の下、沈碑潭。○ 解佩渚のこと。

襄陽一帯

游女昔解佩,傳聞於此山。
漢水の女神が昔、鄭交甫に佩珠を譲り受けた。その伝え聞く話は、確かこの山ことだった。
游女 漢水の神の名。文選、張衡『南都賦』「耕父揚光於清泠之淵、游女弄珠於漢皐之曲。」(耕父 光を清泠の淵に揚げ、游女 珠を漢皐之曲に弄ぶ。)○昔解佩 鄭交甫が女神から約束を反故にされた故事であり、鄭交甫は、漢水のほとりで江妃二女(長江の女神)と言葉を交わし、佩玉を貰い受けたが、数十歩あるいたところで懐の佩玉は消え失せ、女神の姿も見えなくなった(『列仙伝』)。李商隠『碧城三首』其二 。銜は鳳がくちばしにくわえることをいう。阮籍詠懐詩二首に詳しい。○傳聞 伝え聞く話


求之不可得,沿月棹歌還。
女神が現れないかと待ってみたが、姿を見せずじまいだ。私は舟歌を口ずさみながら、月の進む方へと舟を漕いで帰っていく。
求之 これを求めた。女神が現れないかと待ってみた。○沿月 月の進む方へと舟を進める。○棹歌 船頭の船こぎ歌。漢武帝『秋風辭』「横中流兮揚素波、簫鼓鳴兮發棹歌。」(中流にたわりて素波を揚げ、簫鼓鳴りて棹歌を發す。)李白留別廣陵諸公』「乘興忽復起,棹歌溪中船。興に乗じて忽ち復た起き、櫂歌す 渓中の船

盛唐詩 夜歸鹿門山歌 孟浩然<41> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -348

盛唐詩 夜歸鹿門山歌 孟浩然<41> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -348


孟浩然は、襄陽城の東南漢水を渡ってひと山越えたあたり、鹿門山の麓に隠遁している。体があまり丈夫でなく気ままな生活をしていたようだ。
鹿門山の明け方を詠い、真昼、真夏、を詠う。そして、この詩で夜を詠う。
曉朝『登鹿門山懐古』
真昼『澗南園即時貽皎上人』『輿黄侍御北津泛舟』
真夏『仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊』
元旦『田家元旦』

卷159_62 「夜歸鹿門山歌」孟浩然

夜歸鹿門山歌

山寺鐘鳴晝已昏,漁梁渡頭爭渡喧。
山に鐘の音が響き、昼の日差しは既に傾き黄昏れている。漁梁洲の渡し場は舟に乗ろうとする人か押しかけてにぎやかになってくる。
人隨沙路向江村,余亦乘舟歸鹿門。
人々は岸辺に沿って川べりの村に向かい、私もまた舟を漕いで鹿門山の我が家へ帰る。
鹿門月照開煙樹,忽到龐公棲隱處。
鹿門山の月が行く手を照らして、夕もやに包まれていた木々は姿を現し、忽ちのうちに、古の龐徳公が隠れ住んだ地に到着した。
巌扉松徑長寂寥,惟有幽人夜來去。

我が家の岩の門も松の小道もとこしえに静寂であり、ただ、世捨て人が心の赴くままに、夜、出入りするだけである。

(夜、鹿門山に帰る歌)
山寺 鐘鳴りて 昼已に昏く、漁梁の渡頭 渡を争いて喧し。
人は沙路に随いて 江村に向かう、余も 亦 舟に乘りて 鹿門に帰る。
鹿門 月照りて 煙樹開き、忽ち到る 龐公 棲隠の処。
巌扉 松径 長えに寂寥、唯だ 幽人の夜来去する有るのみ。


現代語訳と訳註
(本文)

山寺鐘鳴晝已昏,漁梁渡頭爭渡喧。
人隨沙路向江村,余亦乘舟歸鹿門。
鹿門月照開煙樹,忽到龐公棲隱處。
岩扉松徑長寂寥,惟有幽人夜來去。

(下し文) (夜、鹿門山に帰る歌)
山寺 鐘鳴りて 昼已に昏く、漁梁の渡頭 渡を争いて喧し。
人は沙路に随いて 江村に向かう、余も 亦 舟に乘りて 鹿門に帰る。
鹿門 月照りて 煙樹開き、忽ち到る 龐公 棲隠の処。
巌扉 松径 長えに寂寥、唯だ 幽人の夜来去する有るのみ。


(現代語訳)
山に鐘の音が響き、昼の日差しは既に傾き黄昏れている。漁梁洲の渡し場は舟に乗ろうとする人か押しかけてにぎやかになってくる。
人々は岸辺に沿って川べりの村に向かい、私もまた舟を漕いで鹿門山の我が家へ帰る。
鹿門山の月が行く手を照らして、夕もやに包まれていた木々は姿を現し、忽ちのうちに、古の龐徳公が隠れ住んだ地に到着した。
我が家の岩の門も松の小道もとこしえに静寂であり、ただ、世捨て人が心の赴くままに、夜、出入りするだけである。

嚢陽一帯00

(訳注)
山寺鐘鳴晝已昏,漁梁渡頭爭渡喧。
 【首聯】
山に鐘の音が響き、昼の日差しは既に傾き黄昏れている。漁梁洲の渡し場は舟に乗ろうとする人か押しかけてにぎやかになってくる
○山寺 鹿門寺。○鐘鳴 夕暮れ4時ごろ鐘を鳴らす。○漁梁 地図に見える通り大きな中州である。
孟浩然『峴山送張去非遊巴東』
峴山南郭外,送別每登臨。
沙岸江村近,松門山寺深。
一言予有贈,三峽爾將尋。
祖席宜城酒,征途雲夢林。
蹉跎遊子意,眷戀故人心。
去矣勿淹滯,巴東猿夜吟。


人隨沙路向江村,余亦乘舟歸鹿門。 【頷聯】
人々は岸辺に沿って川べりの村に向かい、私もまた舟を漕いで鹿門の我が家へ帰る。
江村 孟浩然の郷里襄陽における住まいである。それは襄州襄陽県の県城の東南方、峴山を漢水を挟んで鹿門山が位置し、漢水、鹿門山の南までを江村としている。澗南園 漢水の南。谷川の傍に畑を持っていた。
峴山送張去非遊巴東
峴山南郭外,送別每登臨。
沙岸江村近,松門山寺深。
一言予有贈,三峽爾將尋。
祖席宜城酒,征途雲夢林。
蹉跎遊子意,眷戀故人心。
去矣勿淹滯,巴東猿夜吟。
鹿門山 鹿門山は旧名を蘇嶺山という。建武年間(25~56年)、襄陽侯の習郁が山中に祠を建立し、神の出入り口を挟んで鹿の石像を二つ彫った。それを俗に「鹿門廟」と呼び、廟のあることから山の名が付けられた。ここの「鹿門」は江村の対語であるので鹿門の隠棲している家を指す。


鹿門月照開煙樹,忽到龐公棲隱處。 【頸聯】
鹿門山の月が行く手を照らして、夕もやに包まれていた木々は姿を現し、忽ちのうちに、古の龐徳公が隠れ住んだ地に到着した。
龐公 「襄陽耆舊記」龐德公と劉表、諸葛孔明らと問答をまとめて書いた史書。龐德公の隠棲という雰囲気を残した丹桂遺跡が近くにある。


岩扉松徑長寂寥,惟有幽人夜來去。 【尾聯】
我が家の岩の門も松の小道もとこしえに静寂であり、ただ、世捨て人が心の赴くままに、夜、出入りするだけである。


 鹿門山は孟浩然の隠棲していた山で、孟浩然の故郷、襄陽の郊外にある。孟浩然は科挙に合格できず、官吏として仕えた経歴かない。官を得るために様々な人と交遊を結び推挙を求めたか、その甲斐なく人生の大半を隠棲と遊歴に費やした。そのために孟浩然の事跡には不明な点が多く、生没年はもちろん科挙受験の年にも異説がある。
 孟浩然は晩年、張九齢の従事として開元】。五年暮れから翌年春まで職に就いたことがある。

盛唐詩 秋登蘭山寄張五 孟浩然<40> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -347

盛唐詩 秋登蘭山寄張五 孟浩然<40> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -347


卷159_4 「秋登蘭山寄張五」孟浩然

秋登蘭山寄張
9月9日に、肉親の健康を願って蘭山に登り、張家の五番目の弟に寄せる。
北山白雲裏,隱者自怡悅。
北の山は白雲の中に有る、この景色はこの地に隠棲している者にとっておのずから慶び満足するものである。
相望試登高,心飛逐鳥滅。
私もそうだから君もこちらを眺めるだろう試みに高い山に登ってみるとするなら、ここだけは飛んでいき鳥を追って地平線の向こうに消えていく。
愁因薄暮起,興是清秋發。
しかし困った事には夕暮れになって薄暗くなることだ、風興な気持ちは、この清々しい秋が発散している。
時見歸村人,沙行渡頭歇。
そんな気分に浸っていると村にむかって帰るひとがいる、河江の砂地を歩いて意気渡し場のところまで行って休んでいる。
天邊樹若薺,江畔舟如月。
大空と川とのほとりに木樹がまるで、ナズナのように見える、河江の畔には船がまるで月のように止まっている。
何當載酒來,共醉重陽節。

この場所は高い山に登ったのと同じだからた、ちょうどよく酒をぶら下げてやって來る、そしたら一緒に重陽の節句として祝って酔おうではないか。


(秋登蘭山寄張五)
北山 白雲の裏、隠者 自ら恰悦す。
相望み 試みに登高すれば、心は飛び 鳥の滅するを逐ふ。
愁因は薄暮に起こり、興は是れ清秋に登す。
時に見る 歸村の人、沙行 渡頭に歇む。
天邊 樹は薺のごとく、江畔 舟は月のごとし。
何か当に酒を載せて來り、共に重陽の節に酔ふべし。

a謝霊運011
  

          
現代語訳と訳註
(本文)

北山白雲裏,隱者自怡悅。
相望試登高,心飛逐鳥滅。
愁因薄暮起,興是清秋發。
時見歸村人,沙行渡頭歇。
天邊樹若薺,江畔舟如月。
何當載酒來,共醉重陽節。


(下し文)
秋、蘭山に登り張五に寄せる
北山 白雲の裏、隠者 自ら恰悦【いえつ】す。
相望み 試みに登高すれば、心は飛び 鳥の滅するを逐ふ。
愁因は薄暮に起こり、興は是れ清秋に發す。
時に見る 歸村の人、平沙 渡頭に歇む。
天邊 樹は薺のごとく、江畔 舟は月のごとし。
何か当に酒を載せて來り、共に重陽の節に酔ふべし。


(現代語訳)
9月9日に、肉親の健康を願って蘭山に登り、張家の五番目の弟に寄せる。
北の山は白雲の中に有る、この景色はこの地に隠棲している者にとっておのずから慶び満足するものである。
私もそうだから君もこちらを眺めるだろう試みに高い山に登ってみるとするなら、ここだけは飛んでいき鳥を追って地平線の向こうに消えていく。
しかし困った事には夕暮れになって薄暗くなることだ、風興な気持ちは、この清々しい秋が発散している。
そんな気分に浸っていると村にむかって帰るひとがいる、河江の砂地を歩いて意気渡し場のところまで行って休んでいる。
大空と川とのほとりに木樹がまるで、ナズナのように見える、河江の畔には船がまるで月のように止まっている。
大空と川とのほとりに木樹がまるで、ナズナのように見える、河江の畔には船がまるで月のように止まっている。
この場所は高い山に登ったのと同じだからた、ちょうどよく酒をぶら下げてやって來る、そしたら一緒に重陽の節句として祝って酔おうではないか。


(訳注)
秋登蘭山寄張五

9月9日に、肉親の健康を願って蘭山に登り、張家の五番目の弟に寄せる。
 9月9日重陽節。○蘭山 浙江省蘭渓の北にある山。天台―建徳―桐盧―蘭渓―金華―会稽。○張五 張家の五番目の弟。


北山白雲裏,隱者自怡悅。
北の山は白雲の中に有る、この景色はこの地に隠棲している者にとっておのずから慶び満足するものである。
恰悦【いえつ】喜び楽しむこと。喜んで満足する。『文選、傳毅、舞賦』「觀者稱麗、莫不恰悦。」(觀る者麗しと稱し、恰悦せざる莫し。)


相望試登高,心飛逐鳥滅。
私もそうだから君もこちらを眺めるだろう試みに高い山に登ってみるとするなら、ここだけは飛んでいき鳥を追って地平線の向こうに消えていく。
 たがいに。相手がいない場合も、自分がそうだから、君もそうだろう。○登高 重陽にはたかい所に登る。「遥知兄弟登高処、遍挿茱萸少一人。」(遥かに知る兄弟高きに登る処、遍く茱萸を挿して一人を少くを。)kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 145 九月九日憶山東兄弟  王維
陳子昂『峴山懷古』「秣馬臨荒甸、登高覽舊都。」
李白『古風 其三十九』「登高望四海。 天地何漫漫。」


愁因薄暮起,興是清秋發。
しかし困った事には夕暮れになって薄暗くなることだ、風興な気持ちは、この清々しい秋が発散している。
愁因 秋は困ったもの原因がある。白雲と日暮れが速いこと。○薄暮起 秋の夕暮はつるべ落としという。あっという間に薄暗くなってしまう。○ 風流、趣興。○清秋 すがすがしい秋。重陽の節句の常套語。


時見歸村人,沙行渡頭歇。
そんな気分に浸っていると村にむかって帰るひとがいる、河江の砂地を歩いて意気渡し場のところまで行って休んでいる。
○時見 しばらくしてみると。○歸村 山に登った人たちが帰るのを見ること。○沙行 川が大きくて砂浜が長くある。○渡頭 船着き場。渡し場。○ 船を待つのに休んでいることを示す。


天邊樹若薺,江畔舟如月。
大空と川とのほとりに木樹がまるで、ナズナのように見える、河江の畔には船がまるで月のように止まっている。
天邊 大空と山の端、大空と水面、水平線。○ なずな。茱萸のように感じることをいう。○舟如月 小船は船首、船尾が反りあがっているので三日月ということで、高い山に上がったと同じ情景とする。


何當載酒來,共醉重陽節。
この場所は高い山に登ったのと同じだからた、ちょうどよく酒をぶら下げてやって來る、そしたら一緒に重陽の節句として祝って酔おうではないか。
何當 この場所は水面が空みたいで船が三日月。山に登ったのと同じようなものだ。○重陽節 九月九日、重陽節に、茱萸(「ぐみ」の一種)の枝をかざして兄弟や親しい友人が小高い丘に登り、菊の花びらを浮かべた酒を飲み、粽を食べて健康を祈るものなのだ。


重陽の節句は高い所に登って、菊酒を飲み風習であるが、川のほとりに居ても高い山に登ったのと同じ景色である。それだったら重陽の節句をここでしよう、というもので、村人は、故郷を離れて旅や、戦に行っている人たちの健康を願って山登りをして帰ってきた。きっと白雲で見えないし、暗くなってきて見合ない高い所に登っても相手には届かなかったのではないか。
川面に浮んだ一槽の船は三日月なのだ。高い山は雲に隠れて登っても仕方がない。君が山に登って私のことを祝ってくれるように、ここに居ても同じように祝ってあげられる。
 孟浩然の着眼点の素晴らしさは他に例を見ない面白いものである。孟浩然の時代までの詩人は武人が多く万能選手のように何でもできる人間であることが条件みたいなものであったが、此のものぐさで、ある意味、不真面目ともいえるものである。詩人は新境地を作り上げたのだ。


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盛唐詩 晚泊潯陽望廬山 孟浩然<39> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -346

盛唐詩 晚泊潯陽望廬山 孟浩然<39> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -346


卷160_51 「晚泊潯陽望廬山」孟浩然

晩泊潯陽望香爐峰
掛席幾千里,名山都未逢。
帆を上げて幾千里漂泊の旅をしているのだろう、この名山のことは都で聞いてはいたがまだ見てはいないのだ。
泊舟潯陽郭,始見香爐峰。
夕暮れてきたので船を潯陽の湊に停泊させる。するとどうだろう初めて香爐峰を見ることができたのだ。
嘗讀遠公傳,永懷塵外蹤。
この廬山にはあこがれて読んだ慧遠の仏教書や伝記にちなんだ土地である。わたしはこれまで長い間遠公の俗世を隠遁し「塵外」にしてその足跡を残されたことに思いをはせるのである。
東林精舍近,日暮但聞鐘。
その東林精舎近くに来ている。日暮れてくると黄昏(こうこん)の座禅をしてるのだろう、わたしはただひたすら「空」になって鐘の音を聞いている。

晩 潯陽に泊して香爐峰を望む
席を掛けて幾千里、名山 都て未だ逢はず。
舟を潯陽の郭に泊め、始めて香爐峰を見たり。
嘗て遠公の伝を読み、永く塵外の蹤を懐く。
東林精舎近く、日暮れて 但【た】だ 鐘を聞けり。

韓愈の地図00


現代語訳と訳註
(本文)
晩泊潯陽望香爐峰
掛席幾千里,名山都未逢。
泊舟潯陽郭,始見香爐峰。
嘗讀遠公傳,永懷塵外蹤。
東林精舍近,日暮但聞鐘。


(下し文) 晩 潯陽に泊して香爐峰を望む
席を掛けて幾千里、名山 都て未だ逢はず。
舟を潯陽の郭に泊め、始めて香爐峰を見たり。
嘗て遠公の伝を読み、永く塵外の蹤を懐く。
東林精舎近く、日暮れて 但【た】だ 鐘を聞けり。


(現代語訳)
帆を上げて幾千里漂泊の旅をしているのだろう、この名山のことは都で聞いてはいたがまだ見てはいないのだ。
夕暮れてきたので船を潯陽の湊に停泊させる。するとどうだろう初めて香爐峰を見ることができたのだ。
この廬山にはあこがれて読んだ慧遠の仏教書や伝記にちなんだ土地である。わたしはこれまで長い間遠公の俗世を隠遁し「塵外」にしてその足跡を残されたことに思いをはせるのである。
その東林精舎近くに来ている。日暮れてくると黄昏(こうこん)の座禅をしてるのだろう、わたしはただひたすら「空」になって鐘の音を聞いている。


(訳注)
掛席幾千里,名山都未逢。

帆を上げて幾千里漂泊の旅をしているのだろう、この名山のことは都で聞いてはいたがまだ見てはいないのだ。
○掛 帆をあげる。旅をいう。旅の基本は船である。席はむしろ。謝霊運『游赤石進帆海詩』「揚帆采石華、掛席拾海月。」(帆を揚げて石華を采り、席を掛げて海月を拾う。)仕官を諦めて会稽・天台・銭塘江に遊ぶのであるが襄陽から漢水を下り長江に入り潯陽に入ったことをしめす。この時、謝霊運の詩のイメージをもって詠う詩が多い。


泊舟潯陽郭,始見香爐峰。
夕暮れてきたので船を潯陽の湊に停泊させる。するとどうだろう はじめて香爐峰を見ることができたのだ。
潯陽 現在の江西省の揚子江岸九江市付近に置かれた郡と県の名称。この付近で揚子江は潯陽江とよばれ、白居易の「琵琶(びわ)行」に歌われた。 城郭。街。○香爐峰廬山 主峰で江西省最高峰。海抜1,474メートル。九江の南にそびえる名山。北は長江、東から南にかけては鄱陽湖と、三方が水にのぞみ、西は陸地に臨む。奇峰が多く天下の璧号いわれる。○香炉峰 廬山の西北の峰で、細長くて尖が円く、ちょうど香炉(香を焚く糞)に似ている。
廬山は断層の運動によって地塊が周囲からせりあがった断層地塊山地であり、その中に川や谷、湖沼、峰など多様な相貌をもつ。中国における第四紀の氷河が形成した地形の典型とも評され、この観点からジオパーク(世界地質公園)に指定されている。主峰の漢陽峰(大漢陽峰)は海抜が1,474メートルであるが、その周囲には多数の峰がそびえ、その間に渓谷、断崖絶壁、瀑布、洞窟など複雑な地形が生じている。
五老峰: 海抜1,436メートルの奇岩の峰。形が、五人の老人が座っているように見えることからきている。
漢陽峰: ピラミッド状の形をした廬山の主峰で江西省最高峰。海抜1,474メートル。
香炉峰: 白居易の詩の一節(「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」)や『枕草子』への引用などで知られる。
三畳泉: 落差155メートルの大きな滝。
龍首崖: 空中に突き出した崖。明代の寺院・天池寺の跡地に近い。
含鄱口: 五老峰と太乙峰の間の谷間。鄱陽湖に面しているため、湖からの水蒸気がここで霧となって峰々を覆い隠している。


嘗讀遠公傳,永懷塵外蹤。
この廬山にはあこがれて読んだ慧遠の仏教書や伝記にちなんだ土地である。わたしはこれまで長い間遠公の俗世を隠遁し「塵外」にしてその足跡を残されたことに思いをはせるのである。
遠公傳 慧遠(えおん、334年 - 416年)は、中国の東晋、廬山に住んだ高僧。隋代、浄影寺の慧遠と区別して廬山の慧遠とも呼ばれる。俗姓は賈氏。中国仏教界の中心的人物の一人である。『高僧伝』巻6「晋廬山釈慧遠伝」がある。


東林精舍近,日暮但聞鐘。
その東林精舎近くに来ている。日暮れてくると黄昏(こうこん)の読経をしてるのだろう、わたしはただひたすら「空」になって鐘の音を聞いている。
東林精舍 慧遠は46,7歳で西林寺から東林寺に移り、48歳の時に開祖となる。以来92歳で亡くなるまで、山を下りなかったということになっている。。
<虎渓三笑>儒教、仏教、道教の三人の賢者が話しに夢中のあまり、気がつくと思いも掛けないところまで来ていたという故事に基づいている。 中国浄土教の開祖で廬山(江西省にある山)の東林精舎の主、慧遠(えおん)法師は来客を見送る際は精舎の下の虎渓という谷川の手前で足を止めまだ虎渓を渡ったことがなかった。 ところがある日、詩人・陶淵明(とうえんめい)と道士の陸修静(りくしゅうせい)の二文人高士を見送った時には、話に夢中で虎渓を越えてしまい虎の吠える声を聞いて初めてそれと気づいた三人はここで大笑をしたという. ○【た】だ 1.ひとり、それだけ。もっぱら、ひたすら。しかし。いたずらに、むなしく。2.おおよそ。すべて。3.かたぬぐ。4.ほしいまま。5.たわむ。別には「空」と作る。その場合も仏教的な空として「空」として聞く、雑念を払って、、煩悩を討ち消す巣鐘の音をひたすら聞くだけということである。○
『夏日辮玉法師茅齋』
夏日茅齋裏,無風坐亦涼。竹林深筍穊,籐架引梢長。
燕覓巢窠處,蜂來造蜜房。物華皆可玩,花蕊四時芳。
(夏日 辮玉法師の茅齋にて)
夏日 茅齋の裏、風無けれども坐すれば亦た涼し。竹林深筍穊おお)く、籐架 梢を引きて長し。
燕は巢窠の處を覓め、蜂は蜜を造る房に來たる。物華 皆翫ぶべし、花蕊  四時 芳し。
四時 ・1年の四つの季節、春夏秋冬の総称。四季。・1か月中の四つの時。(かい)・(さく)・弦・望。・一日中の4回の読経の時。早晨(そうしん)(朝午前4時)・晡時(ほじ)(昼午前10時)・黄昏(こうこん)(夕方午後8時)・後夜(ごや)(夜午後8時)の座禅。ここでは一日中の4回の読経のとき。

盛唐詩 游鳳林寺西嶺 孟浩然<38> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -345

盛唐詩 游鳳林寺西嶺 孟浩然<38> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -345

(鳳林寺の西嶺に遊ぶ)
卷160_58 「游鳳林寺西嶺」孟浩然



游鳳林寺西嶺
共喜年華好,來游水石間。
長い冬が過ぎ共に春のうららかな日差しになったことを喜んでいる、自然の中に入り込むと清々しい水が岩間を流れている。
煙容開遠樹,春色滿幽山。
春の霞で覆われていた遠くの山の木樹までみえるほど霞が晴れてくる、すると、万物の芽吹く春景色の色か奥深い山にまでいっぱいに満ちているではないか。
壺酒朋情洽,琴歌野興閑。
壷の酒は友情を確かめるものであり、酒を酌み、杯を挙げようではないか。琴を弾き、歌を歌うことは、その音が野外の自然おなかに広がって興雅な気持ちにしてくれる。
莫愁歸路暝,招月伴人還。

とことん飲んだから帰り道は暗くなったけれどそれを愁うるものではない、月が出るまで呑んでいよう、そうすれば我々に月を付き添わせて一緒に帰れば良いではないか。


(鳳林寺の西嶺に遊ぶ)
共に年華【ねんか】の好【よ】きを喜び、来たりて遊ぶ水石の間。
煙容【えんよう】 遠樹を開き、春色 幽山に満つ。
壷酒 朋情 洽【ごう】し、琴歌 野興【やきょう】 閑なり。
愁う莫かれ 帰路の瞑【くら】きを、月を招き人を伴いて還らん。 
 

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現代語訳と訳註
(本文) 游鳳林寺西嶺
共喜年華好,來游水石間。
煙容開遠樹,春色滿幽山。
壺酒朋情洽,琴歌野興閑。
莫愁歸路暝,招月伴人還。


(下し文)
(鳳林寺の西嶺に遊ぶ)
共に年華【ねんか】の好【よ】きを喜び、来たりて遊ぶ水石の間。
煙容【えんよう】 遠樹を開き、春色 幽山に満つ。
壷酒 朋情 洽【ごう】し、琴歌 野興【やきょう】 閑なり。
愁う莫かれ 帰路の瞑【くら】きを、月を招き人を伴いて還らん。 


(現代語訳)
長い冬が過ぎ共に春のうららかな日差しになったことを喜んでいる、自然の中に入り込むと清々しい水が岩間を流れている。
春の霞で覆われていた遠くの山の木樹までみえるほど霞が晴れてくる、すると、万物の芽吹く春景色の色か奥深い山にまでいっぱいに満ちているではないか。
壷の酒は友情を確かめるものであり、酒を酌み、杯を挙げようではないか。琴を弾き、歌を歌うことは、その音が野外の自然おなかに広がって興雅な気持ちにしてくれる。
とことん飲んだから帰り道は暗くなったけれどそれを愁うるものではない、月が出るまで呑んでいよう、そうすれば我々に月を付き添わせて一緒に帰れば良いではないか。

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(訳注)
共喜年華好,來游水石間。
 【首聯】
長い冬が過ぎ共に春のうららかな日差しになったことを喜んでいる、自然の中に入り込むと清々しい水が岩間を流れている。
年華 年月。春のひかり。青春のころ。寿命。


煙容開遠樹,春色滿幽山。 【頷聯】
春の霞で覆われていた遠くの山の木樹までみえるほど霞が晴れてくる、すると、万物の芽吹く春景色の色か奥深い山にまでいっぱいに満ちているではないか。
煙容 霞によって作り出された容貌。霞が雲海のように覆っている景色を連想させる。其れが晴れると、近くの林澗の水から木々、遠くの木樹まで春景色になっている。「煙容」によって強調されたのである。


壺酒朋情洽,琴歌野興閑。 【頸聯】
壷の酒は友情を確かめるものであり、酒を酌み杯を挙げようではないか、琴を弾き、歌を歌うことは、その音が野外の自然おなかに広がって興雅な気持ちにしてくれる。
 あう。かなう。つうじる。『詩経、大雅、江漢』「洽此四国。」(此の四国を洽う。)○ のどか。みやびやか。うるわしい。『文選、賈誼、鵬鳥賦』「貌甚閑暇。」(貌は甚だ閑暇。)―善曰く、閑暇は驚き恐れざるなり。-


莫愁歸路暝,招月伴人還。 【尾聯】
とことん飲んだから帰り道は暗くなったけれどそれを愁うるものではない、月が出るまで呑んでいよう、そうすれば我々に月を付き添わせて一緒に帰れば良いではないか。


万物との同化、万物の目ぶときを楽しむ風流、あるいは、道教の「道」の生き方、今この時を楽しむことを感じる詩で、李白の世界観と共通している。春、酒を題材にするとそうなるのであろうか。孟浩然の特徴である大パノラマは頷聯の「煙容」という語であろう。
 第ハ句の「月」は、まだ孟浩然の目の前には現れていない。夜が更けて滞り道が判らなくなったら、月を招いて我々を連れていってもらおう、というのである。
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盛唐詩 宿桐廬江寄廣陵舊遊 孟浩然<37> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -347

盛唐詩 宿桐廬江寄廣陵舊遊 孟浩然<37> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -347
宿桐廬江寄廣陵舊遊    孟浩然


宿桐廬江寄廣陵舊遊
桐建德(浙江省桐廬県の南)は、わたしの故郷とか寓居とするところではなく、昔出かけた廣陵の人ことを思い出して作る詩。
山暝聽猿愁,滄江急夜流。
建德附近の桐廬江一帯の山は暗くなって猿のもの悲しい鳴き声を聽きいってしまう、青々として深い銭塘江は流れが急で夜もその流れがわかる。
風鳴兩岸葉,月照一孤舟。
風は鳴り、兩岸が移動し、木の葉がゆれる。月は輝きを増し、ただ一人の旅人が孤舟にいる。
建德非吾土,維揚憶舊遊。
建德は、わたしの住まいとするところではない。維揚に昔出かけたときの人のことを思い出している。 
還將兩行涙,遙寄海西頭。

その時も泣いたが、なおまた、二筋の涙をながし、遙かに海西の青海湖のほとりのあなたの許(もと)に、この詩文を差しだそう。


桐廬江に宿して 廣陵の舊遊に寄す     
山 暝【くらく】して 猿愁を聽き,滄江【そうこう】 急ぎて夜に流る。
風は鳴る 兩岸の葉,月は照らす 一孤舟【しゅう】。
建德【けんとく】は 吾が土【と】に非ず,維揚【いよう】は 舊遊を憶ふ。
還【また】 兩行の涙を將【もっ】て,遙かに 海西【かいせい】の頭【ほとり】に寄す。


 現代語訳と訳註
(本文)
宿桐廬江寄廣陵舊遊
山暝聽猿愁,滄江急夜流。
風鳴兩岸葉,月照一孤舟。
建德非吾土,維揚憶舊遊。
還將兩行涙,遙寄海西頭。

(下し文)
桐廬江に宿して 廣陵の舊遊に寄す     
山 暝【くらく】して 猿愁を聽き,滄江【そうこう】 急ぎて夜に流る。
風は鳴る 兩岸の葉,月は照らす 一孤舟【しゅう】。
建德【けんとく】は 吾が土【と】に非ず,維揚【いよう】は 舊遊を憶ふ。
還【また】 兩行の涙を將【もっ】て,遙かに 海西【かいせい】の頭【ほとり】に寄す。


(現代語訳)
桐建德(浙江省桐廬県の南)は、わたしの故郷とか寓居とするところではなく、昔出かけた廣陵の人ことを思い出して作る詩。

建德附近の桐廬江一帯の山は暗くなって猿のもの悲しい鳴き声を聽きいってしまう、青々として深い銭塘江は流れが急で夜もその流れがわかる。
風は鳴り、兩岸が移動し、木の葉がゆれる。月は輝きを増し、ただ一人の旅人が孤舟にいる。
建德は、わたしの住まいとするところではない。維揚に昔出かけたときの人のことを思い出している。 
その時も泣いたが、なおまた、二筋の涙をながし、遙かに海西の青海湖のほとりのあなたの許(もと)に、この詩文を差しだそう。

(訳注)
宿桐廬江寄廣陵舊遊

建德(浙江省桐廬県の南)は、わたしの故郷とか寓居とするところではなく、昔出かけた廣陵の人ことを思い出して作る詩。


宿桐廬江寄廣陵舊遊
桐廬江沿い浙江省建德市に来て滞在していたが、旧友の居る広陵(江蘇省揚州市)を懐かしんで、揚州に手紙で詩を送った。731年長安での仕官活動が不調に終わった後、江浙(江淮)を旅したときの作品。
宿 宿泊する。泊まる。○桐廬江 桐江のこと。銭塘江の中流。現・浙江省桐廬県境。杭州の西南80キロメートルのところ。

宿建徳江 孟浩然 「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -329

 手紙で詩を贈る。○廣陵 江蘇省揚州市の旧名。「維揚」「海西頭」の指すところに同じ。○舊遊 古い交際。旧交。以前、共に遊んだことのある友だち。


山暝聽猿愁,滄江急夜流。 【首聯】
建德附近の桐廬江一帯の山は暗くなって猿のもの悲しい鳴き声を聽きいってしまう、青々として深い銭塘江は流れが急で夜もその流れがわかる。
 暗い。日が暮れる。○ 耳をすまして聞く。意識をもって、聞き耳を立てて聞く。ここは「聞」とするのもあるが、その場合は「聞こえてくる」の意。○猿愁 引き裂くように引っ張って鳴く。猿のもの悲しい鳴き声。○滄江 青い川。作者の今居るところの桐廬江を指す。○ 急な流れ。 ○夜流 夜にも流れる。夜であっても流れが見て取れるという意味自然の景色を詠ってもその中に動きのあることを表現する孟浩然の詩風である。。


風鳴兩岸葉,月照一孤舟。 【頷聯】
風は鳴り、兩岸が移動し、木の葉がゆれる。月は輝きを増し、ただ一人の旅人が孤舟にいる。
孤舟 ただ一つの舟。孤独な(人生の)旅人の形容。
秋浦歌十七首其二
秋浦猿夜愁。 黃山堪白頭。
清溪非隴水。 翻作斷腸流。
欲去不得去。 薄游成久游。
何年是歸日。 雨淚下孤舟。
前の聯から「山暝」「猿愁」「」「夜流」「風鳴」「兩岸」「葉」「月照」「一」などすべてが孤舟を強調するための語である。それでいてそれらすべてのものが動くのであり、その中に一層の小舟がいるのである。


建德非吾土,維揚憶舊遊。 【頸聯】
建德は、わたしの住まいとするところではない。維揚に昔出かけたときの人のことを思い出している。 
建德 現・浙江省建德市。○ …ではない。あらず。○吾土 わたしの居住するところ。○維揚 古代の揚州の発祥地で、江蘇省揚州市区の西部の地名。○ 思い出す。また、思う。覚える。


還將兩行涙,遙寄海西頭。 【尾聯】
その時も泣いたが、なおまた、二筋の涙をながし、遙かに海西の青海湖のほとりのあなたの許(もと)に、この詩文を差しだそう。  
なおまた。○將 …をもって。…を。○兩行涙 ふたならびの涙。二筋の涙。○遙寄 遥か遠くに手紙で詩を送る。○海西頭 唐時代、海西は「海西布」で知られるように青海湖を意味し、現在でもチベット族モンゴル族系を示す。
『黄河二首』其一「黄河北岸海西軍、推鼓鳴鐘天下聞。鐵馬長鳴不知數、胡人高鼻動成羣。」(黄河の北岸 海西の軍、鼓を推(う)ち鐘を鳴らして天下に聞ゆ。鐵馬 長鳴して數を知らず、胡人 高鼻にして動((ややも)すれば羣を成す。)―この詩では「海西」援軍を求めたウイグルの騎兵隊の軍をいう。―
黄河二首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 193

ここでは昔の友人がはるか遠き地に赴任したということとであろう。


五言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】で構成。同じ四分割の絶句の起承転結の一線の曲折にはならない。中の【頷聯】【頸聯】については対句が絶対条件である。


 山は日か暮れて猿の悲しげな声か聞こえてくる。青黒い水を湛えた川の、夜の流れはますます急である。嵐が吹き、両岸の木々の葉をざわざわと鳴らす。空に懸かる月は、ひそやかに孤独な】岐の小舟を照らしている。建徳は我が故郷ではない、それゆえ寂しさがこみ上げてきて、揚州で別れた旧友を思わずにはいられない。我が頬を垂らす涙を川に託して、遥か青海湖の西にいる友へ思いを寄せるばかりだ。

盛唐詩 望洞庭湖贈張丞相 孟浩然<36> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -343

      
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2012年12月1日から連載開始
唐五代詞詩・宋詞詩

『菩薩蠻 一』温庭筠   花間集

   
盛唐詩 望洞庭湖贈張丞相 孟浩然<36> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -343


望洞庭湖贈張丞相
洞庭湖を望み、その情景を詩として張九齢丞相に贈る。
八月湖水平,涵虚混太淸。
仲秋、八月洞庭湖の湖水は平らかである。うつろな穴湖の窪みのおくまで水で涵(ひた)し、大空と水面は混じり合っている。
氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。
靄(もや)は、雲夢沢の大きな湿地帯、湖に湧き上がってきている。波は、岳陽城に打ち寄せて、揺るがせている。
欲濟無舟楫,端居恥聖明。
渡ろうとするが、舟とかじ、天子をたすける臣下の仕官するつてが無く、渡りたいが、つても無く、何事もしないでぼんやりと平生を過ごしているのは、聖明の天子様に恥じ入るばかりである。
坐觀垂釣者,徒有羨魚情。
坐って釣糸を垂れている者を見ていると、自分から釣られていく魚を羨む気持ち、それは仕官したいと願う気持ちが無闇に起こってくる。 


洞庭湖を望み 張丞相に贈る     
八月 湖水 平らかに,虚【きょ】を涵【ひた】して  太淸【たいせい】に混ず。
氣は蒸【む】す 雲夢【うんぼう】澤【たく】,波は撼【ゆる】がす 岳陽【がくよう】城。
濟【わた】らんと欲するに 舟楫【しゅうしふ】無く,端居して 聖明【せいめい】に恥づ。
坐して 釣を垂る者を 觀【み】るに,徒【いたづら】に 魚【うお】を羨【うらや】むの情 有り。



現代語訳と訳註
(本文)
望洞庭湖贈張丞相
八月湖水平,涵虚混太淸。
氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。
欲濟無舟楫,端居恥聖明。
坐觀垂釣者,徒有羨魚情。

(下し文) 洞庭湖を望み 張丞相に贈る     
八月 湖水 平らかに,虚【きょ】を涵【ひた】して  太淸【たいせい】に混ず。
氣は蒸【む】す 雲夢【うんぼう】澤【たく】,波は撼【ゆる】がす 岳陽【がくよう】城。
濟【わた】らんと欲するに 舟楫【しゅうしふ】無く,端居して 聖明【せいめい】に恥づ。
坐して 釣を垂る者を 觀【み】るに,徒【いたづら】に 魚【うお】を羨【うらや】むの情 有り。


(現代語訳)
洞庭湖を望み、その情景を詩として張九齢丞相に贈る。
仲秋、八月洞庭湖の湖水は平らかである。うつろな穴湖の窪みのおくまで水で涵(ひた)し、大空と水面は混じり合っている。
靄(もや)は、雲夢沢の大きな湿地帯、湖に湧き上がってきている。波は、岳陽城に打ち寄せて、揺るがせている。
渡ろうとするが、舟とかじ、天子をたすける臣下の仕官するつてが無く、渡りたいが、つても無く、何事もしないでぼんやりと平生を過ごしているのは、聖明の天子様に恥じ入るばかりである。
坐って釣糸を垂れている者を見ていると、自分から釣られていく魚を羨む気持ち、それは仕官したいと願う気持ちが無闇に起こってくる。 


(訳注)
望洞庭湖贈張丞相

洞庭湖を望み、その情景を詩して張九齢丞相に贈る。
洞庭湖 湖南省北東部にある中国最大の淡水湖。湘水(湘江)、沅水(沅江)などが流れ込んで長江に注ぐ。湖畔や湖中には岳陽楼や君山などがあり、瀟湘八景などの名勝に富む。
杜甫『登岳陽樓』
昔聞洞庭水,今上岳陽樓。呉楚東南坼,乾坤日夜浮。
親朋無一字,老病有孤舟。戎馬關山北,憑軒涕泗流。
張丞相 張九齢。或いは、張説。○丞相 天子を助けて政治を行う最高の官。宰相。総理大臣。相国。


八月湖水平,涵虚混太淸。
仲秋、八月洞庭湖の湖水は平らかである。うつろな穴湖の窪みのおくまで水で涵(ひた)し、大空と水面は混じり合っている。
八月 旧暦の中秋八月で、今の九月から十月。○湖水 洞庭湖の湖水。○涵虚 〔かんきょ〕澄み切った湖水。大地の窪み(虚(きょ))を涵(ひた)す澄んだ湖水。杜甫『登岳陽樓』「呉楚東南坼,乾坤日夜浮。」 ということ。)○太淸 大空。天空。


氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。
靄(もや)は、雲夢沢の大きな湿地帯、湖に湧き上がってきている。波は、岳陽城に打ち寄せて、揺るがせている。
氣蒸 霞(かすみ)や靄(もや)がわきあがる。○雲夢澤 〔うんぼうたく〕春秋・楚の国にあった大きな湖と大きな湿地帯。現・湖北省南部一帯。北限は安陸、南限は長江で、長江を夾んで洞庭湖・岳陽に近く、東は武漢、西は沙市一帯にあった、一辺100キロメートルほどで、洞庭湖の五、六倍ある広い湖沼。(北:安陸、南:岳陽、東:武漢、西は沙市。これで囲まれる内側が雲夢沢。また、長江北岸にあった沢を雲沢、南岸の夢沢、合わせて雲夢沢ともいう。○【かん】動かす。揺るがす。騒がす。○岳陽城 湖南省の北端の洞庭湖の東北に位置し、長江へ連なる水路の口にある岳陽の街。なお、その西門が岳陽楼。


欲濟無舟楫,端居恥聖明。
渡ろうとするが、舟とかじ、天子をたすける臣下の仕官するつてが無く、渡りたいが、つても無く、何事もしないでぼんやりと平生を過ごしているのは、聖明の天子様に恥じ入るばかりである。  
 …たい。…う。○ 渡る。○舟楫 天子の政治を助ける臣下の喩え。本来の意は、舟と楫(かじ)。ここは、前者の意。○端居 閑居。ふだん。平生。○ 自分の悪いところを認めてはじいる。○聖明 天子を呼ぶ尊称。天子の明徳。すぐれた聡明さ。


坐觀垂釣者,徒有羨魚情。
坐って釣糸を垂れている者を見ていると、自分から釣られていく魚を羨む気持ち、それは仕官したいと願う気持ちが無闇に起こってくる。 
坐觀 坐って観察する。よそ事のように見る。○垂釣者 釣り針を垂れて、釣りをしている者。ここでは、太公望を謂う。周・文王の賢臣・呂尚のこと。呂尚が渭水の岸で釣りをしていた時、文王が見いだし、「我が太公が待ち望んでいた人物だ」と喜び、太公望と呼んだ。武王を佐(たす)けて殷の紂王を滅ぼし、功によって斉に封じられた。『史記・齊太公世家』「呂尚蓋嘗窮困,年老矣,以漁釣奸周西伯。西伯將出獵,卜之,曰『所獲非龍非彲,非虎非羆;所獲霸王之輔』。於是周西伯獵,果遇太公於渭之陽,與語大説,曰:『自吾先君太公曰『當有聖人適周,周以興』。子真是邪?吾太公望子久矣。』故號之曰『太公望』,載與倶歸,立爲師。」とあり、晩唐・温庭筠の『渭上題三首』之三に「煙水何曾息世機,暫時相向亦依依。所嗟白首磻谿叟,一下漁舟更不歸。」○徒有 いたずらに起こってくる。むなしく起こってくる。漫然と起こってくる。○羨魚情 (釣られていく)魚を羨む気持ち。(何もしないで)仕官していく者を羨ましく思う気持ち。「太公望」については「姜太公釣魚」〔自発的に自分で罠にかかる(魚)=姜太公(呂尚)は真っ直ぐな針で魚を釣り、世を避けていた。従って、姜太公の針で釣られるものは自分から好んでかかったものである〕ということで、作者も釣られたい=仕官したいということを詠う。渭水で釣りをしていたところを文王が「これぞわが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」と。羨魚という語は『漢書・禮樂志』に「古人『淮南子』有言:臨淵羨魚,不如歸而結網。」とある。

盛唐詩 送朱大入秦 孟浩然<35> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -342

盛唐詩 送朱大入秦 孟浩然<35> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -342

送朱大入秦
遊人五陵去,寶劍直千金。
分手脱相贈,平生一片心。
 
朱大の秦に入るを 送る
遊人 五陵に 去る,寶劍 直(あたひ)千金。
手を分つとき 脱して 相ひ贈る,平生 一片の心。



侠客であるあなたは長安の游侠の徒の多く住む五陵に行くというこれはわたしが宝として大切に秘蔵する剣で、その値は千金になる。 
別れに際して、これをはずしてあなたに贈ろう。普段からのわたしのあなたに対する心を表すために。


解説
送朱大入秦

朱家の長男が旧秦地である長安に行くのを送別する。 
○送 見送る。送別する。○朱大 朱家の長男。「大」は排行で長男の意。○入秦 長安に行く。旧秦地である関中に行く。陝西南部に入る。
東晉・陶潛の『詠荊軻』
燕丹善養士,志在報強嬴;招集百夫良,歲暮得荊卿。
君子死知己,提劍出燕京。素驥鳴廣陌,慷慨送我行。
雄髮指危冠,猛氣沖長纓。飲餞易水上,四座列群英。
漸離擊悲筑,宋意唱高聲,蕭蕭哀風逝,淡淡寒波生。
商音更流涕,羽奏壯士驚;心知去不歸,且有後世名。
登車何時顧,飛蓋入秦庭。淩厲越萬裏,逶迤過千城。
圖窮事自至,豪主正怔營,惜哉劍術疏,奇功遂不成。
其人雖已沒,千載有餘情。


遊人五陵去、寶劍直千金。
侠客であるあなたは長安の游侠の徒の多く住む五陵に行くというこれはわたしが宝として大切に秘蔵する剣で、その値は千金になる。 
遊人 侠客。遊客。職業を持たないで遊んでいる人。○五陵 長安の游侠の徒の多く住む所の名。
李白『少年行』「五陵年少金市東,銀鞍白馬度春風。落花踏盡遊何處,笑入胡姫酒肆中。」・五陵 高祖劉邦の長陵、恵帝劉盈の安陵、景帝劉啓の陽陵、武帝劉徹の茂陵、昭帝劉弗之の平陵をいう。○ 去る。行く。○寶劍:宝として大切に秘蔵する剣。 ・ ねうち。値段。値。○千金 大金。

李白と道教48襄陽歌 ⅰ

落日欲沒山西,倒著接花下迷。襄陽小兒齊拍手,街爭唱白銅。傍人借問笑何事,笑殺山公醉似泥。杓,鸚鵡杯。百年三萬六千日,一日須傾三百杯。遙看漢水鴨頭綠,恰似葡萄初醗。此江若變作春酒,壘麹便築糟丘臺。千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。車旁側挂一壺酒,鳳笙龍管行相催。咸陽市中歎黄犬,何如月下傾金罍。君不見晉朝羊公一片石,龜頭剥落生莓苔。涙亦不能爲之墮,心亦不能爲之哀。清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。舒州杓,力士鐺。李白與爾同死生,襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。」

李白 89 將進酒(李白と道教)

「君不見黄河之水天上來,奔流到海不復回。君不見高堂明鏡悲白髮,朝如青絲暮成雪。人生得意須盡歡,莫使金尊空對月。天生我材必有用,千金散盡還復來。烹羊宰牛且爲樂,會須一飮三百杯。岑夫子,丹丘生。將進酒,杯莫停。與君歌一曲,請君爲我傾耳聽。鐘鼓饌玉不足貴,但願長醉不用醒。古來聖賢皆寂寞,惟有飮者留其名。陳王昔時宴平樂,斗酒十千恣歡謔。主人何爲言少錢,徑須沽取對君酌。五花馬,千金裘。呼兒將出換美酒,與爾同銷萬古愁。


分手脱相贈、平生一片心。
別れに際して、これをはずしてあなたに贈ろう。普段からのわたしのあなたに対する心を表すために。 
分手 別れる。関係を絶つ。○ とる。はずす。○相贈 …に贈る。○:…ていく。…てくる。動詞の前に附き、動作が対象に及ぶ表現。○平生 ふだん。平素。平常。○一片心 ひとつの心
哭晁卿衡 李白  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 163


日本晁卿辭帝都,征帆一片遶蓬壺。
明月不歸沈碧海,白雲愁色滿蒼梧。

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盛唐詩 送杜十四之江南 孟浩然<34> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -341

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卷160_180 「送杜十四之江南(一題作送杜晃進士之東吳)」孟浩然

送杜十四之江南
杜家の十四男が江南方面赴任に対しての詩。
荊吳相接水為鄉,君去春江正淼茫。
荊の地方と呉の地方とは、水郷となって接しあっている。あなたがこれからゆく春の長江は、ちょうど水が広々と拡がっている。 
日暮征帆何處泊,天涯一望斷人腸。

日が暮れると、一つだけ旅する小舟はどこに泊ることになるのだろうか。空のはてまでをグルッと見渡してみて人と接することなく、断腸の思いがする。


杜十四の 江南に 之【ゆ】くを 送る       
荊呉【けいご】 相ひ接して  水 鄕と爲す,君 去りて 春江  正に 淼茫【べうばう】。
日暮 弧舟 何【いづ】れの處にか 泊する,天涯 一望  人の膓【はらわた】を 斷つ。


李白の足跡55


現代語訳と訳註
(本文)

送杜十四之江南
荊呉相接水爲鄕,君去春江正淼茫。
日暮弧舟何處泊,天涯一望斷人膓。

(下し文) 杜十四の 江南に 之【ゆ】くを 送る       
荊呉【けいご】 相ひ接して  水 鄕と爲す,君 去りて 春江  正に 淼茫【べうばう】。
日暮 弧舟 何【いづ】れの處にか 泊する,天涯 一望  人の膓【はらわた】を 斷つ。


(現代語訳)
杜家の十四男が江南方面赴任に対しての詩。
荊の地方と呉の地方とは、水郷となって接しあっている。あなたがこれからゆく春の長江は、ちょうど水が広々と拡がっている。 
日が暮れると、一つだけ旅する小舟はどこに泊ることになるのだろうか。空のはてまでをグルッと見渡してみて人と接することなく、断腸の思いがする。 


(訳注)
送杜十四之江南

杜家の十四男が江南方面赴任に対しての詩。
 見送る。 ○杜十四 杜家の十四男。十四は排行。 ○ 行く。 ○江南 長江下流以南の地。


荊呉相接水爲鄕、君去春江正淼茫。
荊の地方と呉の地方とは、水郷となって接しあっている。あなたがこれからゆく春の長江は、ちょうど水が広々と拡がっている。 
荊呉 〔けいご〕荊は楚の国の別名。現在の湖北、湖南省あたり。呉は現在の江蘇省。 ○相接 つながっている。 ○爲鄕 里とする。くにとなる。水郷となる。 ○水爲鄕 水郷となっている。 ○春江 春の長江の流れ。 ○正 ちょうど。 ○淼茫【びょうぼう】長江と平野の水の広々としたさま。


日暮弧舟何處泊、天涯一望斷人膓。
日が暮れると、一つだけ旅する小舟はどこに泊ることになるのだろうか。空のはてまでをグルッと見渡してみて人と接することなく、断腸の思いがする。 
日暮 日が暮れる。日暮れ。○弧舟 ぽつんと一つだけある小舟。一人旅や、ひとりぼっちの人生をも謂う。○何處 どこ。○【はく】とまる。(船を)船着き場にとめる。○天涯【てんがい】空のはて。○一望 広い眺めを一目で見渡すこと。○斷人膓 人と接することがなく断腸の思いをさせる。
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盛唐詩 宿天台桐柏觀#2 孟浩然<32> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -339

盛唐詩 宿天台桐柏觀#2 孟浩然<32> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -339

☆唐百、方外志巻二八、全唐詩巻159_28 「宿天臺桐柏觀」孟浩然

便宜上2分割して掲載



宿天台桐柏觀
#1
海行信風帆,夕宿逗雲島。緬尋滄洲趣,近愛赤城好。
捫蘿亦踐苔,輟棹恣探討。息陰憩桐柏,采秀弄芝草。
鶴唳清露垂,雞鳴信潮早。
#2
願言解纓紱,從此去煩惱。
官職への未練を捨て去り、世俗の束縛から解き放たれ、これからは煩悩を捨て去ろうと願っている。
高步淩四明,玄蹤得三老。
世俗から高く離れて歩み、四明山などを凌駕、自然と万物に同化し、老子の解いた「道」に従って学び周代、天子が三老五更と父兄の礼をもった人のようになりたいのだ。
紛吾遠遊意,學彼長生道。
私の世俗から遠くにはなれ修学する意志は益々盛んになっている、こうなったらこの地で老子の教えにいう「長生の道」を学ぶしかない。
日夕望三山,雲濤空浩浩。
昼も夜もかの神仙三山を遠望すれば、波のような雲がはるかひろびろと広がっている。

#1
海汎風帆に信【まか】せ、夕宿雲島に逗【とど】まる。
緬【はるか】に尋ぬ滄洲の趣、近くに愛す赤城の好きを。
蘿【かずら】を捫【ひ】き亦た苔を踐【ふ】み、棹を輟【と】めて窮討を恣【ほしいまま】にす。
陰に息み桐柏に憩【いこふ、秀を采りて芝草を弄ぶ。
鶴唳きて清露垂れ、鷄鳴きて信潮早し。
#2
言【われ】願はくば 纓紱【えいふつ】を解き、此より煩惱【ぼんのう】を去らん。
高歩して四明を凌ぎ、玄蹤に二老を得ん。
紛たるかな吾が遠遊の意、學ばんかな彼の長生の道。
日夕三山を望めば、雲濤【うんとう】空しく浩浩たり。


現代語訳と訳註
(本文) 宿天台桐柏觀
 #2
願言解纓紱,從此去煩惱。
高步淩四明,玄蹤得三老。
紛吾遠遊意,學彼長生道。
日夕望三山,雲濤空浩浩。』

(下し文)#2
言【われ】願はくば 纓紱【えいふつ】を解き、此より煩惱【ぼんのう】を去らん。
高歩して四明を凌ぎ、玄蹤に三老を得ん。
紛たるかな吾が遠遊の意、學ばんかな彼の長生の道。
日夕三山を望めば、雲濤【うんとう】空しく浩浩たり。


(現代語訳)
わたしは官職への未練を捨て去り、世俗の束縛から解き放たれ、これからは煩悩を捨て去ろうと願っている。
世俗から高く離れて歩み、四明山などを凌駕、自然と万物に同化し、老子の解いた「道」に従って学び周代、天子が三老五更と父兄の礼をもった人のようになりたいのだ。
私の世俗から遠くにはなれ修学する意志は益々盛んになっている、こうなったらこの地で老子の教えにいう「長生の道」を学ぶしかない。
昼も夜もかの神仙三山を遠望すれば、波のような雲がはるかひろびろと広がっている。


(訳注)
願言解纓紱,從此去煩惱。
わたしは官職への未練を捨て去り、世俗の束縛から解き放たれ、これからは煩悩を捨て去ろうと願っている。
願言 言はわれ。このような詩の場合、自分が願ことを言うわけであり、助辞より、「われ」のほうが強調度が高くなる。『詩経、小雅、彤弓』「受言蔵之。」(受けて言は之を蔵す。)○解纓紱 纓は冠のひも。紱は印綬。文苑の絡も同じく、ひもの類。自分を拘束するものを表す○煩惱 仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働きを言う。 原始仏教では、人の苦の原因を自らの煩悩ととらえ、解脱による涅槃への道が求められた。


高步淩四明,玄蹤得三老。
世俗から高く離れて歩み、四明山などを凌駕、自然と万物に同化し、老子の解いた「道」に従って学び周代、天子が三老五更と父兄の礼をもった人のようになりたいのだ。
高歩 世俗から高く離れて歩むこと。左思『詠史詩其五』に「被褐出閶闔、高歩追許由」(褐を被りて閶闔を出で、高歩して許由を追う)-そまつな服をまとって都の閶闔門から出て、高くかまえて古の隠者である許由のあとを追いたい―とある。・許由 中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者である。 伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。○四明 四明山。友人の賀知章がそこに棲む。賀知章:盛唐の詩人。659年~744年浙江の四明山に取った四明狂客と号する。越州永興(現・浙江省蕭山県)の人をいう。四明山をはじめ、唐の時代は雁蕩山、雪竇山、天目山、天台山、仙都山など全て道教にちなんだ山である。宋の時代以降は天台宗の本山とした。○玄蹤 玄はみち。老子の解いた道の性質。時間空間を超えた天地万物の根源である絶対的な道の性格を「玄」という。『老子』「同謂之玄」玄蹤は老子の解いた道に従って学ぶこと。蹤は先人の道を究めた跡。○三老 三老五更。中国、周代、天子が父兄の礼をもって養った長老の称。


紛吾遠遊意,學彼長生道。
私の世俗から遠くにはなれ修学する意志は益々盛んになっている、こうなったらこの地で老子の教えにいう「長生の道」を学ぶしかない。
○紛 盛んな様。『楚辞、離騒』に「紛吾既有此内美兮」(紛として吾既に此の内に美有り)―私の内には既に盛んな美質がある―とある。○遠遊 修学のために遠方に行く。『論語、里仁』「子曰、父母在不遠游。遊必有方。」(子曰父母在りせば遠游せず。遊べば必ず方有り。)○長生道 『老子、第五九章』に「深根固柢、長生久視之道」(根を深く固柢くし、長生久しく之を道と視る)―根を深く固くし、長生きをする道―とある


日夕望三山,雲濤空浩浩。
昼も夜もかの神仙三山を遠望すれば、波のような雲がはるかひろびろと広がっている。
○日夕 「朝な夕なに」。○三山 道教でいう神仙三山。東海のかなたにある蓬莱・方丈・瀛州の三山。○雲濤 雲海の名勝で有名なところである。○浩浩 雲海が広々と広がる様。


五言古詩。
韻字  島・好・討・草・早・悩・老・道・浩

遙か遠くからようやく天台山に到着したことから歌い始め、隠者や神仙に思いをはせながら山中を遊行する様を歌う。謝眺や謝霊運の詩を踏まえた表現があり、また孫綽の賦から取った語句も散見する。ただし、六朝期や初唐の作品の多くが、孫綽の賦から有名な語(例えば「瀑布」「琪樹」など)を引くに留まっていたのに対し、孟浩然は詩句を自らの詩の中に織り込んでる点で異なっている。自らの天台山体験を踏まえながら孫綽の賦を振り返っているのであろう。


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 宿天台桐柏觀
#1
海行信風帆,夕宿逗雲島。
緬尋滄洲趣,近愛赤城好。
捫蘿亦踐苔,輟棹恣探討。
息陰憩桐柏,采秀弄芝草。
鶴唳清露垂,雞鳴信潮早。
#2
願言解纓紱,從此去煩惱。
高步淩四明,玄蹤得三老。
紛吾遠遊意,學彼長生道。
日夕望三山,雲濤空浩浩。
 #1
海汎風帆に信【まか】せ、夕宿雲島に逗【とど】まる。
緬【はるか】に尋ぬ滄洲の趣、近くに愛す赤城の好きを。
蘿【かずら】を捫【ひ】き亦た苔を踐【ふ】み、棹を輟【と】めて窮討を恣【ほしいまま】にす。
陰に息み桐柏に憩【いこふ、秀を采りて芝草を弄ぶ。
鶴唳きて清露垂れ、鷄鳴きて信潮早し。
#2
言【われ】願はくば 纓紱【えいふつ】を解き、此より煩惱【ぼんのう】を去らん。
高歩して四明を凌ぎ、玄蹤に二老を得ん。
紛たるかな吾が遠遊の意、學ばんかな彼の長生の道。
日夕三山を望めば、雲濤【うんとう】空しく浩浩たり。


司馬承禎(しば・しょうてい、643年 - 735年)は、唐の玄宗の時の著名な道士。茅山派・第12代宗師。
字を子微といい、天台山に住んでいた。721年に玄宗皇帝から宮中に迎え入れられ、帝に親しく法籙(道士としての資格)を授けた。天台山に桐柏観と王屋山に陽台観を、そして五嶽に真君祠を建立したのは承禎の進言によるという。737年に道士を諫議大夫という大役に任命し、741年には崇玄学という道教の学校を設置し、その卒業生が科挙の及第者と同等に官吏となれるようにしたなど、政治に道教が深く関わるようになったのは、玄宗に対する承禎の影響力を物語る。

陳子昂・李白・孟浩然・宋之問・王維・賀知章などと交遊があり、『坐忘論』・『天隠子』・『服気精義論』・『道体論』などを著した。彼の学識は老子・荘子に精通し、その思想は「道禅合一」を特徴とし、それまでの道教が煉丹・服薬・祈祷を中心としたものだったのを、修養を中心としたものへと転換した。こうした迷信・神秘からの脱却傾向は弟子の呉筠へと引き継がれた。

桐柏観(桐柏観)同時期の詩であり、内容的には孟浩然とも考えられる作品がある。

桐柏観
上盡崢嶸萬仭巓、四山圍繞洞中天。
秋風吹月瓊臺曉、試問人間過幾年。

(桐柏観)
上は崢嶸を盡くす萬仭の巓、四山圍繞す洞中の天。
秋風月を吹く瓊臺の曉、試問す人間幾年を過ぐと。

(口語訳)
高々とその険しさを極めた万仭の巓にあり周囲を山々に囲まれて、洞中の天のよう秋風が月に吹き寄せ、やがて瓊臺で朝を迎えたが(短い時間しかすぎていないのに)
(仙界と俗世とでは時間の早さが違うので)お尋ねします、人間世界では何年が過ぎたのですか
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盛唐詩 宿天台桐柏觀#1 孟浩然<32> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -339

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孟浩然の道教の詩

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盛唐詩 越中逢天臺太乙子 孟浩然<29> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -336


宿天台桐柏觀
桐柏観
尋天台山



宿天台桐柏觀孟浩然(天台の桐柏觀に宿す)

☆唐百、方外志巻二八、全唐詩巻159_28 「宿天臺桐柏觀」孟浩然

便宜上2分割して掲載

宿天台桐柏觀
#1
海行信風帆,夕宿逗雲島。
滄海の仙界にむかって、帆は風をうけてふくらみ、風にまかせて進んでいる。
緬尋滄洲趣,近愛赤城好。
はるかに隠者や神仙の趣のするこの土地にやって來る。船は進んで、赤城山のすばらしさを身近に愛でることができるようになる。
捫蘿亦踐苔,輟棹恣探討。
私は船から離れ、好き勝手にあたりを訪ねまわる、山中に分け入り、蔦をつかみ、また苔を踏んで自然にひたるのである。
息陰憩桐柏,采秀弄芝草。
秀でた華を摘んだり、薬草、霊芝を手にもてあそんだりする、そうして、木陰で休み、桐柏観で憩うのである。
鶴唳清露垂,雞鳴信潮早。

ここの自然は素晴らしく、それは鶴が声をあげ、清らかな露が滴るのである。この自然の時の経過は、鶏が鳴き、潮の流れが早さによってわかるのである。
#2
願言解纓紱,從此去煩惱。高步淩四明,玄蹤得三老。
紛吾遠遊意,學彼長生道。日夕望三山,雲濤空浩浩。

#1
海汎風帆に信【まか】せ、夕宿雲島に逗【とど】まる。
緬【はるか】に尋ぬ滄洲の趣、近くに愛す赤城の好きを。
蘿【かずら】を捫【ひ】き亦た苔を踐【ふ】み、棹を輟【と】めて窮討を恣【ほしいまま】にす。
陰に息み桐柏に憩【いこふ、秀を采りて芝草を弄ぶ。
鶴唳きて清露垂れ、鷄鳴きて信潮早し。
#2
言【われ】願はくば 纓紱【えいふつ】を解き、此より煩惱【ぼんのう】を去らん。
高歩して四明を凌ぎ、玄蹤に三老を得ん。
紛たるかな吾が遠遊の意、學ばんかな彼の長生の道。
日夕三山を望めば、雲濤【うんとう】空しく浩浩たり。


現代語訳と訳註
(本文) 宿天台桐柏觀

海行信風帆,夕宿逗雲島。
緬尋滄洲趣,近愛赤城好。
捫蘿亦踐苔,輟棹恣探討。
息陰憩桐柏,采秀弄芝草。
鶴唳清露垂,雞鳴信潮早。』

(下し文) #1
海汎風帆に信【まか】せ、夕宿雲島に逗【とど】まる。
緬【はるか】に尋ぬ滄洲の趣、近くに愛す赤城の好きを。
蘿【かずら】を捫【ひ】き亦た苔を踐【ふ】み、棹を輟【と】めて窮討を恣【ほしいまま】にす。
陰に息み桐柏に憩【いこふ、秀を采りて芝草を弄ぶ。
鶴唳きて清露垂れ、鷄鳴きて信潮早し。


(現代語訳)
滄海の仙界にむかって、帆は風をうけてふくらみ、風にまかせて進んでいる。
はるかに隠者や神仙の趣のするこの土地にやって來る。船は進んで、赤城山のすばらしさを身近に愛でることができるようになる。
私は船から離れ、好き勝手にあたりを訪ねまわる、山中に分け入り、蔦をつかみ、また苔を踏んで自然にひたるのである。
秀でた華を摘んだり、薬草、霊芝を手にもてあそんだりする、そうして、木陰で休み、桐柏観で憩うのである。
ここの自然は素晴らしく、それは鶴が声をあげ、清らかな露が滴るのである。この自然の時の経過は、鶏が鳴き、潮の流れが早さによってわかるのである。


(訳注)
宿天台桐柏觀

天台山の西部地域にある道観「桐柏觀」に宿をとった。
桐柏観 天台山の西部地域にある道観。呉孫権の創建になるなどの伝説があるが、確実なのは唐睿宗が司馬承禎のために重修したこと「天台山記」にみある。又承禎は玄宗に進言し、天台山に桐柏観と王屋山に陽台観を、そして五嶽に真君祠を建立したという。かつては、麓の天台観から登った先にあり、奥深い山奥に突然開けた仙境のような雰囲気をなしていたらしい。天台道教の中心であったが、現在はダムが造られて移転しており、周囲に荘厳な雰囲気はない。山中道観ではあるが、かなり大型の施設であり、唐代には外来者の宿泊施設になっていたのである。又、一般的に寺観、道教の祠は妓女の救済場所にもなっていたようだ。


海行信風帆,夕宿逗雲島。
滄海の仙界にむかって、帆は風をうけてふくらみ、風にまかせて進んでいる。
夕べには、雲の上の仙人の島に逗留する
○海行 天台山は仙界ということで捉えられていたので、神秘性、カリスマ性を持たせる語としている。ここでは、滄海を暗示させる。


緬尋滄洲趣,近愛赤城好。
はるかに隠者や神仙の趣のするこの土地にやって來る。船は進んで、赤城山のすばらしさを身近に愛でることができるようになる。
滄洲 実際の地名というよりは、水辺の土地をいい、隠者の住むところを象徴する。前聯の「海行」がかかる。謝眺『之宣城、出新林浦、向版橋』『文選』巻二七に「既懽懐禄情、復協滄州趣」(禄を得たいという心情にもかない、また隠遁したいという心にもかなうのだ)とある。李白『夜泊黄山聞殷十四呉吟』「朝来果是滄州逸、酤酒提盤飯霜栗。」『春日獨酌 二首 其二』「我有紫霞想、緬懷滄洲間。」


捫蘿亦踐苔,輟棹恣探討。
私は船から離れ、好き勝手にあたりを訪ねまわる、山中に分け入り、蔦をつかみ、また苔を踏んで自然にひたるのである。
○捫蘿、踐苔 蔦をつかみ、苔を践む、は、孫綽の賦にある天台山遊行の常套句。
孟浩然『寄天臺道士』
海上求仙客,三山望幾時。
焚香宿華頂,裛露采靈芝。
屢躡莓苔滑,將尋汗漫期。
倘因松子去,長與世人辭。
輟棹 棹をやめる、舟をすてる。船から離れること。この聯は倒句として読む。


息陰憩桐柏,采秀弄芝草。
秀でた華を摘んだり、薬草、霊芝を手にもてあそんだりする、そうして、木陰で休み、桐柏観で憩うのである。
息陰 木陰で休むこと。孟浩然の鹿門山に関する詩にはこの聯の思いは同じものである。
孟浩然『登鹿門山懐古』
清曉因興來,乘流越江峴。
沙禽近方識,浦樹遙莫辨。
漸至鹿門山,山明翠微淺。
岩潭多屈曲,舟楫屢回轉。
昔聞龐德公,采藥遂不返。
金澗餌芝朮,石床臥苔蘚。
紛吾感耆舊,結攬事攀踐。
隱跡今尚存,高風邈已遠。
白雲何時去,丹桂空偃蹇。
探討意未窮,回艇夕陽晚。
『田園作』『澗南即事,貽皎上人』『仲夏歸漢南園,寄京邑耆』『夏日辮玉法師茅齋』などイメージが同じものである。この聯も倒句として見る。


鶴唳清露垂,雞鳴信潮早。
ここの自然は素晴らしく、それは鶴が声をあげ、清らかな露が滴るのである。この自然の時の経過は鶏が鳴き、潮の流れが早さによってわかるのである。
鶴唳、鷄鳴 唳は鳥などが鳴く。鶴は風光明媚、自然に対するものをいい、鶏は時の経過によって生じることを詠うのである。○信潮 一定の間隔で必ず満干する潮。
この聯はSV構文である。



 minamo008
 宿天台桐柏觀
海行信風帆,夕宿逗雲島。
緬尋滄洲趣,近愛赤城好。
捫蘿亦踐苔,輟棹恣探討。
息陰憩桐柏,采秀弄芝草。
鶴唳清露垂,雞鳴信潮早。
願言解纓紱,從此去煩惱。
高步淩四明,玄蹤得三老。
紛吾遠遊意,學彼長生道。
日夕望三山,雲濤空浩浩。
海汎風帆に信【まか】せ、夕宿雲島に逗【とど】まる。
緬【はるか】に尋ぬ滄洲の趣、近くに愛す赤城の好きを。
蘿【かずら】を捫【ひ】き亦た苔を踐【ふ】み、棹を輟【と】めて窮討を恣【ほしいまま】にす。
陰に息み桐柏に憩【いこふ、秀を采りて芝草を弄ぶ。
鶴唳きて清露垂れ、鷄鳴きて信潮早し。
願はくは言【ここ】に纓紱【えいふつ】を解き、此より煩惱【ぼんのう】を去らん。
高歩して四明を凌ぎ、玄蹤に二老を得ん。
紛たるかな吾が遠遊の意、學ばんかな彼の長生の道。
日夕三山を望めば、雲濤【うんとう】空しく浩浩たり。

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盛唐詩 尋天台山 孟浩然<31> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -338

盛唐詩 尋天台山 孟浩然<31> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -338


☆前集巻上、勝蹟録巻一
★唐百、方外志巻27、全唐詩巻160、古今巻125
卷160_49 「尋天臺山」孟浩然


尋天台山
吾友太乙子,餐霞臥赤城。
太乙先生はわが友でもある。仙界のように霞を食らって赤城山(天台山)を住処としている。
欲尋華頂去,不憚惡溪名。
私も隠棲生活の最高峰の華頂峰を尋ねていこう。そこが、昔から、悪渓と呼ばれるところであるということは一向に構わないことである。
歇馬憑雲宿,揚帆截海行。
かくして雲に乗ったような奥深い所で馬を憩わせ、帆をあげて海を断ち切って渡っていく。
高高翠微裏,遙見石樑橫。
高く聳える山の中腹になかにある、それは遙かなところに石橋が滝のうえに横たわっているのが見える。

(天台山を尋ぬ)
吾が友太乙子、霞を飡ひて赤城に臥す。
華頂を尋ね去らんと欲す、悪谿の名を憚らずして。
馬を歇す雲に憑りし宿に、帆を揚げて海を截ちて行く。
高高たる翠微の裏、遙に見る石梁の橫たわるを。


現代語訳と訳註
(本文) 尋天台山
吾友太乙子,餐霞臥赤城。
欲尋華頂去,不憚惡溪名。
歇馬憑雲宿,揚帆截海行。
高高翠微裏,遙見石樑橫。


(下し文) (天台山を尋ぬ)
吾が友太乙子、霞を飡ひて赤城に臥す。
華頂を尋ね去らんと欲す、悪谿の名を憚らずして。
馬を歇す雲に憑りし宿に、帆を揚げて海を截ちて行く。
高高たる翠微の裏、遙に見る石梁の橫たわるを。


(現代語訳)
太乙先生はわが友でもある。仙界のように霞を食らって赤城山(天台山)を住処としている。
私も隠棲生活の最高峰の華頂峰を尋ねていこう。そこが、昔から、悪渓と呼ばれるところであるということは一向に構わないことである。
かくして雲に乗ったような奥深い所で馬を憩わせ、帆をあげて海を断ち切って渡っていく。
高く聳える山の中腹になかにある、それは遙かなところに石橋が滝のうえに横たわっているのが見える。

(訳注)
吾友太乙子,餐霞臥赤城。

太乙先生はわが友でもある。仙界のように霞を食らって赤城山(天台山)を住処としている。
餐霞 中国の道教において、仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得た人、羽人、僊人ともするものが誤解されがちではあるがこの場合の霞とは朝日と夕日のことを指しており、逆に霧や本当の霞などは食べてはいけないものとされている。自然への同化をいうものである。


欲尋華頂去,不憚惡溪名。
私も隠棲生活の最高峰の華頂峰を尋ねていこう。そこが、昔から、悪渓と呼ばれるところであるということは一向に構わないことである。
惡溪 固有名詞ならば、浙江省の川。「元和郡県志」巻二六には、急流や瀬の連続であったので悪渓と呼ばれていたのを、隋の開皇中に「麗水」に改めたという。また「新唐書」地理志では、水怪が多いため悪渓と呼ばれていたが、段成式が善政を布いたところ、水怪が去った。そこで民は好渓と呼ぶようになったという。孔子が盗泉の名をはばかってその水を飲まなかったが、自分は天台山を思慕してやまないので、孔子とは異なって悪渓という名をはばからないのだ、ということである。儒者の行為、考え方を否定するというもの。


歇馬憑雲宿,揚帆截海行。
かくして雲に乗ったような奥深い所で馬を憩わせ、帆をあげて海を断ち切って渡っていく。
歇馬 馬を休ませる、あるいは休んでいる馬。庾信「帰田詩」に「樹陰逢歇馬、魚潭見酒船(木陰では休んでいる馬がおり、魚の潜む深い淵には酒を運ぶ船が見える)」とある。李白『奔亡道中五首』「歇馬傍春草、欲行遠道迷」(馬を歇(とど)めて春草(しゅんそう)に傍(そ)い、行かんと欲して遠道(えんどう)に迷う)○憑雲 謝恵連「雪賦」(「文選」巻一三)に「憑雲陞降、從風飄零(雲に乗って上下し、風に吹かれて漂い落ちる)」とある。○揚帆…謝霊運「遊赤意志進航海」に「揚帆采石華、挂席拾海月」とある。孫綽『遊天台山賦』に「赤城霞起以建標」とある。赤城山は赤土の砂礫が層をなしており、あたかも城壁の如くであるのでこの名がある。また唐徐霊府「天台山記」には「石色赩然如朝霞(その石が赤く輝いていて朝焼けのようである)」とあり、朝靄夕霞が漂い纏うのも、この山にまつわる慣用的表現である。


高高翠微裏,遙見石樑橫。
高く聳える山の中腹になかにある、それは遙かなところに石橋が滝のうえに横たわっているのが見える。
翠微 青い山々に靄が立ち込めているさま。山の八合目あたり。萌黄いろ。男女のことを示唆するばあいもある。○石樑 天台山の中腹にある石橋の下から流れ落ちる滝があることをいう。
『舟中曉望』
掛席東南望,青山水國遙。
舳艫爭利涉,來往接風潮。
問我今何去,天臺訪石橋。
坐看霞色曉,疑是赤城標。


■解説
五言律詩。
韻字 「城・名・行・横」


天台山に太乙子という道士を訪ねて。孟浩然が天台山を訪れたのは、この道士に会いに行くことも目的の一つであったのだろう。太一子については何も分かっていない。孟浩然の天台山訪問が、730年開元十八年頃で、司馬承禎が天台山を去ったのが727年同十五年である。司馬承禎門下の道士たちがまだたくさん残っている。そうした人々の中の一人に、孟浩然が接見したのである。既に親交があったものだ。この詩は天台山訪問を、全体的に振り返って書いたものであろう。

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 尋天台山
吾友太乙子,餐霞臥赤城。
欲尋華頂去,不憚惡溪名。
歇馬憑雲宿,揚帆截海行。
高高翠微裏,遙見石樑橫。


 (天台山を尋ぬ)
吾が友太乙子、霞を飡ひて赤城に臥す。
華頂を尋ね去らんと欲す、悪谿の名を憚らずして。
馬を歇す雲に憑りし宿に、帆を揚げて海を截ちて行く。
高高たる翠微の裏、遙に見る石梁の橫たわるを。

 舟中曉望
掛席東南望,青山水國遙。
舳艫爭利涉,來往接風潮。
問我今何去,天臺訪石橋。
坐看霞色曉,疑是赤城標。

(舟中にて曉に望む)
席を掛けて東南に望めば、青山 水國 遙かなり。
舳艫 利渉を爭ひ、來往 風潮に接す。
我に問ふ 今何くに去ると、天台に石橋を訪ねんとす。
坐く看る霞色の曉、疑ふらくは是れ赤城の標か。


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盛唐詩 越中逢天臺太乙子#2 孟浩然<30> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -337

盛唐詩 越中逢天臺太乙子#2 孟浩然<30> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -337

孟浩然(越中の天台山で太乙先生に逢う)

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☆前集巻上
★文苑巻二二七(道門)、唐百、全唐詩巻一五九、古今巻一二五、孟浩然集巻一
卷159_43 「越中逢天臺太乙子」孟浩然

越中逢天臺太乙子
仙穴逢羽人,停艫向前拜。問余涉風水,何處遠行邁。
登陸尋天臺,順流下吳會。茲山夙所尚,安得問靈怪。
上逼青天高,俯臨滄海大。』
#2
雞鳴見日出,常覿仙人旆。
鶏が鳴けば朝日が出て一日が始まる。ここでは毎日修行している仙人とその旗じるしとに直接お会いできる。
往來赤城中,逍遙白雲外。
赤城山の中で司馬承禎先生の教えを学び上り下りしている。洞窟岩場から生じる白雲は遠くはるかなところに去っていくように先生も朝廷に召されて全国を回られている。
莓苔異人間,瀑布當空界。
苔生した石橋のあたりはもはや人間世界とは異なる気配があり瀑布が一筋、空を区切るように流れ落ちている。
福庭長自然,華頂舊稱最。
ここにあるすべての自然物は福のもとにあるもので、不死の庭である。中でも華頂峰は古くから福境として最もすばらしいとされている。
永此從之游,何當濟所屆。

以前から思っていたことは「この地において自然と同化できるということを学び、遊んで、何時の時か窮極の境地にいたること」なのである。

僊穴にて羽人に逢はんとし、艫を停めて前に向ひて拜す
余に問ふ風水を渉り、何事ぞ遠く行邁すと。
陸に登りて天台を尋ね、流れに順ひて呉會に下る。
茲の山夙【つと】に尚ぶ所、安んぞ靈怪を聞くを得ん。
上は青天の高きに逼り、俯して滄海の大なるに臨む。』
#2
鷄鳴きて日の出づるを見、毎に神僊と會ふ。
來去す 赤城の中、逍遙たり 白雲の外。
莓苔は人間に異なり、瀑布は空界を作せり。
福庭は長く不死にして、華頂は舊より最と稱す。
永く懷ふ 此に從ひて遊び、何當【いつ】か届【いた】る所に濟らんことを。』


現代語訳と訳註
(本文) #2

雞鳴見日出,常覿仙人旆。
往來赤城中,逍遙白雲外。
莓苔異人間,瀑布當空界。
福庭長自然,華頂舊稱最。
永此從之游,何當濟所屆。


(下し文) #2
鷄鳴きて日の出づるを見、毎に神僊と會ふ。
來去す 赤城の中、逍遙たり 白雲の外。
莓苔は人間に異なり、瀑布は空界を作せり。
福庭は長く不死にして、華頂は舊より最と稱す。
永く懷ふ 此に從ひて遊び、何當【いつ】か届【いた】る所に濟らんことを。』


(現代語訳)
鶏が鳴けば朝日が出て一日が始まる。ここでは毎日修行している仙人とその旗じるしとに直接お会いできる。
赤城山の中で司馬承禎先生の教えを学び上り下りしている。洞窟岩場から生じる白雲は遠くはるかなところに去っていくように先生も朝廷に召されて全国を回られている。
苔生した石橋のあたりはもはや人間世界とは異なる気配があり瀑布が一筋、空を区切るように流れ落ちている。
ここにあるすべての自然物は福のもとにあるもので、不死の庭である。中でも華頂峰は古くから福境として最もすばらしいとされている。
以前から思っていたことは「この地において自然と同化できるということを学び、遊んで、何時の時か窮極の境地にいたること」なのである。


(訳注)#2
雞鳴見日出,常覿仙人旆。

鶏が鳴けば朝日が出て一日が始まる。ここでは毎日修行している仙人とその旗じるしとに直接お会いできる。
○雞鳴 一般的な朝を告げる鶏か。あるいは神話上のことなら、「玄中記」(「芸文類聚」巻九一鶏)に「東南有桃都山。上有大樹。名曰桃都。枝相去三千里、上有天鷄。日初出、照此木、天鷄即鳴。天下鷄皆隨之」とある。○覿 結果・効果が即座に表れる・こと(さま)。まともに見ること。覿面【てきめん】面と向かうこと。また、そのさま。○旆 日月と昇竜・降竜とを描いた大きな旗。これは、天子、将軍が用いた。堂々たる旗印。草木の生い茂ったさま。


往來赤城中,逍遙白雲外。
赤城山の中で司馬承禎先生の教えを学び上り下りしている。洞窟岩場から生じる白雲は遠くはるかなところに去っていくように先生も朝廷に召されて全国を回られている。
赤城、白雲 赤城は孫綽賦に既出の、天台山を代表する赤城山。白雲は一般的には神仙に関わる象徴だが、天台山と関わらせてみると、司馬承禎が白雲を称していた。司馬承禎は、天台山に住んでいた。721年に玄宗皇帝から宮中に迎え入れられ、帝に親しく法籙(道士としての資格)を授けた。天台山に桐柏観と王屋山に陽台観を、そして五嶽に真君祠を建立したのは承禎の進言によるという。737年に道士を諫議大夫という大役に任命し、741年には崇玄学という道教の学校を設置し、その卒業生が科挙の及第者と同等に官吏となれるようにしたなど、政治に道教が深く関わるようになったのは、玄宗に対する承禎の影響力を物語る。山肌が火のように赤く、形が城のように見える赤城山には、18の洞窟があり、仏教と道教の神がまつられ、なかでも玉京洞は、道教の神仙が住むとされている。李白『送賀賓客帰越』:


莓苔異人間,瀑布當空界。
苔生した石橋のあたりはもはや人間世界とは異なる気配があり瀑布が一筋、空を区切るように流れ落ちている。
○莓苔 青い苔。孫綽「遊天台山賦」に「踐莓苔之滑石、搏壁立之翠屏」とある。○瀑布、界 孫綽「遊天台山賦」に「瀑布飛流以界道」とある。

望廬山瀑布 二首其二(絶句) 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229

夢遊天姥吟留別李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166

福庭長自然,華頂舊稱最。
ここにあるすべての自然物は福のもとにあるもので、不死の庭である。中でも華頂峰は古くから福境として最もすばらしいとされている。
福庭 幸いの土地。「羽人」」、孫綽『遊天台山賦』に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」とある。福を生じるもとの庭。道教では不老を自然に同化するということで死を回避する。自然に帰ることでもある。○華頂、最 浙江省中部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1138m。華頂峰、仏朧峰、唐渓峰の三つの峰からなり、それが不思議にも三台星宿(オリオン座の三つ星)に応じている福境ゆえに「天台」と名づけられたという。華頂峰は福境の「最」という位置づけなのである。徐霊府「天台山記」に「上華頂峰。此天台極高処也(華頂峰に至る。ここは天台山の最高峰である)」とある。


永此從之游,何當濟所屆。
以前から思っていたことは「この地において自然と同化できるということを学び、遊んで、何時の時か窮極の境地にいたること」なのである
永此從之游 この地において自然と同化できるということを学ぶということ。○濟所届 木華「海賦」(「文選」巻一二)に「一越三千、不終朝而濟所届(一気に三千里を越えて、朝の内に目的地に到達する)」とある。



解説
五言古詩。
韻字 拝・邁・怪・界・届
           会・大・会・外・最


この山陰地方で語るべきは、謝朓と王羲之である。謝朓は別に取り上げているので王羲之について概略を述べる。
王羲之(303年 - 361年)は書道史上、最も優れた書家で書聖と称される。末子の王献之と併せて二王(羲之が大王、献之が小王)あるいは羲献と称され、また顔真卿と共に中国書道界の二大宗師とも謳われた。
「書道の最高峰」とも言われ、近代書道の体系を作り上げ、書道を一つの独立した芸術としての地位を確保し、後世の書道家達に大きな影響を与えた。その書の中では『蘭亭序』・『楽毅論』・『十七帖』・『集王聖教序』が特に有名で、他に『黄庭経』・『喪乱帖』・『孔侍中帖』・『興福寺断碑』などがある。
 
 王羲之は魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の家に生まれ、東晋建国の元勲であった同族の王導や王敦らから一族期待の若者として将来を嘱望され、東晋の有力者である郗鑒の目にとまりその女婿となり、またもう一人の有力者であった征西将軍・庾亮からは、彼の幕僚に請われて就任し、その人格と識見を称えられた。その後、護軍将軍に就任するも、しばらくして地方転出を請い、右軍将軍・会稽内史(会稽郡の長官、現在の浙江省紹興市付近)となった。

 会稽に赴任すると、山水に恵まれた土地柄を気に入り、次第に詩、酒、音楽にふける清談の風に染まっていき、ここを終焉の地と定め、当地に隠棲中の謝安や孫綽・許詢・支遁ら名士たちとの交遊を楽しんだ。一方で会稽一帯が飢饉に見舞われた時は、中央への租税の減免を要請するなど、この地方の頼りになる人材となった。
 
354年、かねてより羲之と不仲であった王述(琅邪王氏とは別系統の太原王氏の出身)が会稽内史を管轄する揚州刺史となり、王羲之は王述の下になることを恥じ、翌355年、病気を理由に官を辞して隠遁する。官を辞した王羲之はその後も会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、道教の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごしたという。

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越中逢天臺太乙子
仙穴逢羽人,停艫向前拜。
問余涉風水,何處遠行邁。
登陸尋天臺,順流下吳會。
茲山夙所尚,安得問靈怪。
上逼青天高,俯臨滄海大。』
雞鳴見日出,常覿仙人旆。
往來赤城中,逍遙白雲外。
莓苔異人間,瀑布當空界。
福庭長自然,華頂舊稱最。
永此從之游,何當濟所屆。』
僊穴にて羽人に逢はんとし、艫を停めて前に向ひて拜す。
余に問ふ風水を渉り、何事ぞ遠く行邁すと。
陸に登りて天台を尋ね、流れに順ひて呉會に下る。
茲の山夙【つと】に尚ぶ所、安んぞ靈怪を聞くを得ん。
上は青天の高きに逼り、俯して滄海の大なるに臨む。』
鷄鳴きて日の出づるを見、毎に神僊と會ふ。
來去す 赤城の中、逍遙たり 白雲の外。
莓苔は人間に異なり、瀑布は空界を作せり。
福庭は長く不死にして、華頂は舊より最と稱す。
永く懷ふ 此に從ひて遊び、何當【いつ】か届【いた】る所に濟らんことを。』

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盛唐詩 越中逢天臺太乙子 孟浩然<29> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -336

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孟浩然

☆前集巻上
★文苑巻二二七(道門)、唐百、全唐詩巻一五九、古今巻一二五、孟浩然集巻一
卷159_43 「越中逢天臺太乙子」孟浩然

越中逢天臺太乙子
越中の天台山で太乙先生に逢う。
仙穴逢羽人,停艫向前拜。
ここにある仙人の隠棲する禹穴で有名なところであり、㶚人である太乙先生に逢うことになる。船を止めて、前に進み拝顔に向かうのである。
問余涉風水,何處遠行邁。
わたしにここの風光と河水を渡っていくのかと問われるだろう、そして心の中を揺れ動かしていてどこに行くのはなぜですかということを聞かれる。
登陸尋天臺,順流下吳會。
孫綽に倣い、陸に上がって天台山を尋ねようとし川に沿って呉の会稽の地へ下るためとこたえる。
茲山夙所尚,安得問靈怪。
この山はかねてより尊崇されてきたところでなんとか神霊のことを聞きたいものだと思っていたのです。
上逼青天高,俯臨滄海大。』

この山に登れば、上は高い青天にも近づくことができ伏して眺めれば眼下に滄海が広がっているのが見える。』
雞鳴見日出,常覿仙人旆。往來赤城中,逍遙白雲外。
莓苔異人間,瀑布當空界。福庭長自然,華頂舊稱最。
永此從之游,何當濟所屆。


僊穴にて羽人に逢はんとし、艫を停めて前に向ひて拜す
余に問ふ風水を渉り、何事ぞ遠く行邁すと。
陸に登りて天台を尋ね、流れに順ひて呉會に下る。
茲の山夙【つと】に尚ぶ所、安んぞ靈怪を聞くを得ん。
上は青天の高きに逼り、俯して滄海の大なるに臨む。』

鷄鳴きて日の出づるを見、毎に神僊と會ふ。
來去す 赤城の中、逍遙たり 白雲の外。
莓苔は人間に異なり、瀑布は空界を作せり。
福庭は長く不死にして、華頂は舊より最と稱す。
永く懷ふ 此に從ひて遊び、何當【いつ】か届【いた】る所に濟らんことを。』

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現代語訳と訳註
(本文)
越中逢天臺太乙子
仙穴逢羽人,停艫向前拜。
問余涉風水,何處遠行邁。
登陸尋天臺,順流下吳會。
茲山夙所尚,安得問靈怪。
上逼青天高,俯臨滄海大。』


(下し文)
越中逢天臺太乙子
僊穴にて羽人に逢はんとし、艫を停めて前に向ひて拜す
余に問ふ風水を渉り、何事ぞ遠く行邁すと。
陸に登りて天台を尋ね、流れに順ひて呉會に下る。
茲の山夙【つと】に尚ぶ所、安んぞ靈怪を聞くを得ん。
上は青天の高きに逼り、俯して滄海の大なるに臨む。』


(現代語訳)
越中の天台山で太乙先生に逢う。
ここにある仙人の隠棲する禹穴で有名なところであり、㶚人である太乙先生に逢うことになる。船を止めて、前に進み拝顔に向かうのである。
わたしにここの風光と河水を渡っていくのかと問われるだろう、そして心の中を揺れ動かしていてどこに行くのはなぜですかということを聞かれる。
孫綽に倣い、陸に上がって天台山を尋ねようとし川に沿って呉の会稽の地へ下るためとこたえる。
この山はかねてより尊崇されてきたところでなんとか神霊のことを聞きたいものだと思っていたのです。
この山に登れば、上は高い青天にも近づくことができ伏して眺めれば眼下に滄海が広がっているのが見える。』


(訳注)
越中逢天臺太乙子

越中の天台山で太乙先生に逢う。
越中 浙江省あたりを指す。天台山での作であろう。○太一子 道士の名、不詳。『尋天台山』にも登場する。太一は太乙とも。天地創造の元気、天神、星など。字号によく用いられる。


仙穴逢羽人,停艫向前拜。
ここにある仙人の隠棲する禹穴で有名なところであり、㶚人である太乙先生に逢うことになる。船を止めて、前に進み拝顔に向かうのである。
仙穴 浙江省紹興府の会稽山にある南の葬処。・禹穴 禹が皇帝になった後、“巡守大越(見守り続けた大越)”ここで病死してしまったため、会稽山の麓に埋葬した。禹陵は古くは、禹穴と呼ばれ、大禹の埋葬地となった。大禹陵は会稽山とは背中合わせにあり、前には、禹池がある。隠遁をしめしている。『越中秋懷』 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -283○羽人 『楚辞』遠遊に「仍羽人於丹邱兮、留不死之旧郷(飛僊に従って常明のところに行き、神僊のいます不死の郷に留まる)」とある。天台山に隠棲する人を、ここでは太乙先生のことである。


問余涉風水,何處遠行邁。
わたしにここの風光と河水を渡っていくのかと問われるだろう、そして心の中を揺れ動かしていてどこに行くのはなぜですかということを聞かれる。
風水 風光と河水。○ 行く。『詩経』王風、黍離に「行邁靡靡、中心揺揺」(道をとぼとぼとたどり、心の中は揺れ動く)とある。


登陸尋天臺,順流下吳會。
孫綽に倣い、陸に上がって天台山を尋ねようとし川に沿って呉の会稽の地へ下るためとこたえる。
○登陸尋天台 孫綽の賦の表現。○登陸 孫綽「遊天台山賦序」に「渉海則有方丈蓬莱、陸則有四明天台」とある。語注。○呉會 後漢時代には、会稽郡を呉と会稽の二郡としていた。浙江省あたりを差し、ここでは天台山のある地域を指す。

 
茲山夙所尚,安得問靈怪。
この山はかねてより尊崇されてきたところでなんとか神霊のことを聞きたいものだと思っていたのです。
靈怪 ここでは神霊のことか。○


上逼青天高,俯臨滄海大。』
この山に登れば、上は高い青天にも近づくことができ伏して眺めれば眼下に滄海が広がっているのが見える。』
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盛唐詩 春暁 孟浩然29 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -336



孟浩然『春暁』 と王維『田園楽』

729年王維30歳、孟浩然40歳。二人は世俗から離れた田園、澗林にいる。
春の眠りを詩に詠う。



孟浩然は、字も浩然ともいい、襄州襄陽(湖北省)の人。
その世系や事蹟には不明な点が多い。

没年は740年開元二十八年、通説では卒年を五十二歳とし、溯って生年を則天朝の689年永昌元年とする。
<しかし山本巌は、卒年を五十歳とし、生年を則天朝の天授二年(六九一)とする説を唱えている。>
若い頃、地元の鹿門山に隠棲し、白雲道士のものとで修学したらしい。『田園作』など、隠棲生活を記している。
のちに洛陽に出て士人と交わり、


727年、開元十五年38歳、には長安に赴いて科挙の試験を受けたが落第。失意の彼は故郷に帰るが、40歳までは受験したのか、長安と襄陽を往来しているようだ。

731年、同十九年41歳に越の地を遊覧する。天台山を訪れたのはこの折であったと思われる。道教、天台山に関する詩を多く残している。
そののち故郷に戻ったが、

737年同二十五年(48歳)には、丞相であった張九齢の従事となっている。
740年同二十八年(52歳)に、王昌齢に看取られて没している。



 その境遇は李白に類似している。交友関係は李白と酷似し、ほとんどが道教に関連した者たちと思われ、それも多くの詩人たちが受け入れる、司馬承禎とそのの系統のものであった。司馬承禎(643年~735年)は老子・荘子に精通し、その思想は「道禅合一」を特徴とし、それまでの道教が煉丹・服薬・祈祷を中心としたものだったのを、修養を中心としたものへと転換した。こうした迷信・神秘からの脱却傾向は弟子の呉筠へと引き継がれている。李白は孟浩然の影響をかなり受けているのも、道教とその境遇に起因しているものと思われるのである。王維との交流の内密度の濃かった期間は、727年~730年かけてと思われる。

「旧唐書」巻一九○下、「新唐書」巻二○三本伝。「唐才子伝」巻二。「孟浩然集」は諸本あるが、四部叢刊初輯所収は四巻本。和刻本に「孟浩然詩集」(不分巻、元文四年刊「和刻本漢詩集成唐詩第一」)、同「孟浩然詩集(襄陽集)」巻中(北村可昌点、元禄三年刊「和刻本漢詩集成唐詩第一」)がある。


 孟浩然は若いころ、磊落な生活をしていて、30代後半まで、基本的に襄陽鹿門山で隠棲し、各有名寺観を旅した。そして、727~732年頃(この時も定住ではない)唐の都、長安に上京。この時期に張九齢、諸光義、崔顥、李邕、賀知章、李白、王昌齢、王維、岑参、崔敏童、賈至、高適、裴迪と長安にはいたのである。孟浩然は道教の影響を強く受けている詩人との付き合いが多かったようで王維、李白、岑参、詩人仲間はすぐに打ち解けた。でもその中で孟浩然は王維と詩に対して、山水、自然に関して底辺にあるものに好感を持てた。この時朝廷で、一方では、「一芸に秀でたもの」を李園に集め、六朝から続く雅な艶歌を好み、他方では、文人を忌み嫌い狡猾な宰相李林甫が台頭し、文人の登用、重用の排除し頽廃が蔓延して行っていた。
 士官を目指す詩人たちもこの李林甫により夢を壊されていく。

当時朝廷の出勤は夜明けで、鶏人が夜明けを告げるころは朝廷に出勤した。春は合格発表がある時で、孟浩然は落第をしたので、及第の象徴、牡丹が咲き乱れるこの季節は街を歩くのも嫌なのである。万物が芽吹く希望の春ではない孟浩然の「春」を詠うのが春暁である。王維の『田園楽』と比較してみると面白い。

春曉   孟浩然

春眠不覺曉,處處聞啼鳥。
夜來風雨聲,花落知多少。


春の眠りは心地よいので、夜が明けるのも分からずに眠ってしまう。ふと目覚めるとあちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる。
そういえばゆうべの雨風の音が激しかったが、今朝の庭にはどれほどの花がたくさん散ったことだろう。


春曉
春眠 曉を覺えず,處處 啼鳥を聞く。
夜來 風雨の聲, 落つること 知りぬ多少ぞ。


現代語訳と訳註
(本文)
春曉
春眠不覺曉,處處聞啼鳥。
夜來風雨聲,花落知多少。

(下し文) 春曉
春眠 曉を覺えず,處處 啼鳥を聞く。
夜來 風雨の聲, 落つること 知りぬ多少ぞ。

(現代語訳)
春の眠りは心地よいので、夜が明けるのも分からずに眠ってしまう。ふと目覚めるとあちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる。
そういえばゆうべの雨風の音が激しかったが、今朝の庭にはどれほどの花がたくさん散ったことだろう。


(訳注)春曉
春の夜明け。詩人は床からは出ない。春の朝に目覚めていても、時間経過順に、淡々と詠われている。


春眠不覺曉,處處聞啼鳥。
春の眠りは心地よいので、夜が明けるのも分からずに眠ってしまう。ふと目覚めるとあちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる
(この春はむかつくので、昨日の夜しこたま酒を飲んだため、早く起きることはしない。布団の中に何時までもいつづけていても小鳥の声が聞えてくる。)
春眠 春の季節の睡眠。 ○不覺曉 日の出の時を覚えていない。寝坊をすること。○ …を覚えている。知っている。気づく。「覺」には、「覚醒」の意がある。○ あかつき。あけぼの。夜明け。○處處 ところどころ。ほうぼう。いたるところ。○ きこえる。聞こえてくる。品からすると「きく」の場合は、「聽」が良いのだが。○啼鳥 鳴く鳥。さえずる鳥。

夜來風雨聲,花落知多少。
そういえばゆうべの雨風の音が激しかったが、今朝の庭にはどれほどの花がたくさん散ったことだろう。
(遅くまで酒を飲んだので、春の嵐雨の音がしていたの知っているし、花が吹き飛ばされて落ちているだろうと思っているがそれを見たいとは思はない。)
夜來 昨夜。夜間。また、昨夜来の意。その場合、「-來」は「~から」の意。○風雨聲 雨風の音。酒を飲んだこと。○花落 花が散る。○知 わかる。この語で、作者の推量を表している。○多少 どれほど、どれくらい。多い。少ない。

この詩は単に春の眠りの心地よさを詠っているのではないところにこの詩の良さがある。試験に落第していること、早起きをして朝廷勤めをしている者を見ることが嫌であること、少し暖かくなって、布団の中ので居心地が良いこと、雨が降り続くのかと思っていたらきっと晴れたのだろうということ、後悔卑屈を全く感じさせないところ、等々、この詩を興味あるものにしている。落第してこんな詩が書けるのも孟浩然くらいではなかろうか。もう一人、李白もそうである。襄陽、峴山、鹿門山、天台山、道教、謝霊運、、、孟浩然と李白に共通点は多い。このブログで李白特集に孟浩然を取り上げているのはその意味を示すことにある。
この詩、春暁、山水田園詩については王維との調和感もある。


この詩で寝坊して、寝床の中から、昨夜の雨風の様子から始まり春たけなわの咲き誇る庭の花の状況の移り変わりをよく表していて、布団の中で、世俗のことなんか気にするより、昨夜の風雨で散った花弁も庭中に散らばって、それが美しいような情景を彷彿させるのである。
 最後の句には小僧さん早く起きてせっかく美しい庭をきれいにするなよという意味を込めている。

五言絶句 ○韻 暁、鳥、少 




 この詩を読んだ王維は早起きして掃除をしては興が覚めると詩を作っている。


田園楽 王維
珍しい六言の絶句
歌うのに心地良いように、二言の語で啖呵を切るようにつくっている。


桃紅復含宿雨、柳緑更帯春煙。  
花落家童未掃、鶯啼山客猶眠。 
 


桃の花は、夕べの雨を含んでつやつやといっそう紅色あざやか、柳は青さを増して、春のかすみにけむる。
花が庭先に散り敷かれている、召使いの少年は掃き清めたりはしない。ウグイスがしきりに鳴くのに山荘のあるじはまだまだ夢うつつの中に有る。


は紅にして、復【ま】た宿雨【しゅくう】を含み、柳は緑にして、更に春煙【しゅんえん】を帯ぶ。
花落ちて 家僮 未【いま】だ掃【は】らわず、鶯啼いて 山客 猶【な】お 眠る。


 この詩の作者王維は高級官僚であったが、孟浩然のように自然の中での暮らしを愛していた。宮使いの合間に都の郊外にある山荘、輞川荘で悠々自適の生活を楽しんでいた。
 こうした生き方を「半官半隠」といい、この生活は詩人の憧れで古くから多くの詩人が詠っている。王維の詩も孟浩然の詩もテーマは同じでも品格にはずいぶんの差がある。王維はその情景を静かに語りかけている。裏も表もなく。

 同じように花が咲き、風雨があり、鶯が鳴き、庭に散った花が誰も踏みつけていないきれいな模様となっていて、だけど布団の中で眺めている。そして、あたりは他の煩わしいことは何にもない。すべての事象が、山水画のように静けさの世界を作り出している。

 二人の詩の違いは少しずつ感じるものではあるが、人をとっても穏やかにしてくれくる詩であることは間違いない。


現代語訳と訳註
(本文)
田園楽
桃紅復含宿雨、柳緑更帯春煙。  
花落家童未掃、鶯啼山客猶眠。


(下し文)
桃は紅にして、復【ま】た宿雨【しゅくう】を含み、柳は緑にして、更に春煙【しゅんえん】を帯ぶ。
花落ちて 家僮 未【いま】だ掃【は】らわず、鶯啼いて 山客 猶【な】お 眠る。


(現代語訳)

(訳注) 田園楽 
春のぼんやりした、けだるい情景の中で。
王維は高級官僚であったが、孟浩然のように自然の中での暮らしを愛していた。妻との早い死別がそれを強めた。宮使いの合間に、都の郊外にある山荘で悠々自適の生活を楽しんだ。
こうした『半官半隠』が、王維の地位や名誉は必ずしも心を満たすものではなく、次第に朝廷での務め、短料としての意欲は失っていくのである。熱心な仏教徒であった母の影響であるのかもしれない。しかし、詩の持っている品格は王維独特のものである。


桃紅復含宿雨、柳緑更帯春煙。  

桃の花は、夕べの雨を含んでつやつやといっそう紅色あざやか、柳は青さを増して、春のかすみにけむる。
宿雨 前日から降り続いている雨。○春煙 雨靄。


花落家童未掃、鶯啼山客猶眠。  
花が庭先に散り敷かれている、召使いの少年は掃き清めたりはしない。ウグイスがしきりに鳴くのに山荘のあるじはまだまだ夢うつつの中に有る。
家僮 召使。○山客 山荘の主。王維のこと。

雨と靄、遠くの景色は春煙で水墨画の様なモノトーンの世界、その中に桃の紅と柳の緑が色あざやかに詠い込まれる。

 雨に濡れた庭の土はもっとも黒い。その上に散り敷かれた花、花びらも美しいのだろう。急いで召使に履かせたりはしない。自然のまま、自然の風情が一番きれいだ。鶯が鳴く中、朝寝坊をする
休みはたっぷり取って山荘でのんびり田園生活する。

桃紅+復含+宿雨、柳緑+更帯+春煙。  
花落+家童+未掃、鶯啼+山客+猶眠。
句、句。がそれぞれ対になる:対句。句、+句。を聯。聯の最後の語が韻です。絶句は対句にこだわらないものであるがこの詩は対と韻は欠かせない。
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盛唐詩 寄天台道士 孟浩然<27> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -334

盛唐詩 寄天台道士 孟浩然<27> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -334


全唐詩巻 孟浩然集巻卷160_22 「寄天臺道士」

寄天臺道士
海上求仙客,三山望幾時。
始皇帝の命を受け徐福らが海上に神仙を求めて旅立った、その三神山を望んでから一体どれくらいの年月がたったのだろう。
焚香宿華頂,裛露采靈芝。
しかし、海上に神薬を求める道などなく、天台山において香を焚いて華頂峰に宿泊し自然と同化している。そして、露に潤いながら霊芝を摘み取るのである。
屢躡莓苔滑,將尋汗漫期。
しばしば、苔生した滑りやすい滝上の石橋を渡るのである。そして、広大無辺で計り知れないひろい神仙的世界で過ごす約束を果たしに行くのである。
倘因松子去,長與世人辭。

もしもそれがかなうなら、赤松子に連れて行ってもらって、この人間世界から永遠にお別れをすることできるということなのだ。


天臺の道士に寄せる
海上に仙客を求め、三山 望むこと幾時ぞ。
香を焚きて華頂に宿し、露に裛【うるお】いて靈芝を采る。
屢しば躡【ふ】む莓苔【ばいたい】の滑なるを、將に尋ねんとす汗漫の期。
儻し松子に因りて去らば、長く世人と辭せん。

keikoku00
 

現代語訳と訳註
(本文)
寄天臺道士
海上求仙客,三山望幾時。
焚香宿華頂,裛露采靈芝。
屢躡莓苔滑,將尋汗漫期。
倘因松子去,長與世人辭。


(下し文) 天臺の道士に寄せる
海上に仙客を求め、三山 望むこと幾時ぞ。
香を焚きて華頂に宿し、露に裛ひて靈芝を采る。
屢しば踐む莓苔の滑なるを、將に尋ねんとす汗漫の期。
儻し松子に因りて去らば、長く世人と辭せん。


(現代語訳)
始皇帝の命を受け徐福らが海上に神仙を求めて旅立った、その三神山を望んでから一体どれくらいの年月がたったのだろう。
しかし、海上に神薬を求める道などなく、天台山において香を焚いて華頂峰に宿泊し自然と同化している。そして、露に潤いながら霊芝を摘み取るのである。
しばしば、苔生した滑りやすい滝上の石橋を渡るのである。そして、広大無辺で計り知れないひろい神仙的世界で過ごす約束を果たしに行くのである。
もしもそれがかなうなら、赤松子に連れて行ってもらって、この人間世界から永遠にお別れをすることできるということなのだ。


(訳注)
海上求仙客,三山望幾時。
始皇帝の命を受け徐福らが海上に神仙、神薬を求めて旅立った、その三神山を望んでから一体どれくらいの年月がたったのだろう。
海上求僊客 「史記」秦始皇本紀などでいう、徐福らに海上の三神山を求めさせた話を踏まえるならば、孟浩然の時代から九百年以上前のこととなる。司馬遷の『史記』秦始皇本紀の二十八年(前二十九)の条によれば、徐福らは始皇帝に、海上に三神山〔蓬莱・方丈・瀛洲)があり、仙人が住んでいるので、童男童女を供に、不老不死の妙薬を求めに行きたいと上書した。始皇帝は二十年(前221年)に中国を統一し、あらゆる願望を満たしており、最後の望みは、自分を不老不死の身にすることだけであつた。そこで、徐福を遣わし、童男童女数千人をつけ、巨額の背高川をかけた。ところが九年後、徐福は薬を得ずに戻ってきた。そして、薬は見つけたが、大きな鮫に邪魔されてたどりつくことができない、と偽りの報告をしたという。


焚香宿華頂,裛露采靈芝。
しかし、海上に神薬を求める道などなく、天台山において香を焚いて華頂峰に宿泊し自然と同化している。そして、露に潤いながら霊芝を摘み取るのである。
裛露 陶淵明『飲酒二十首』から其七「秋菊有佳色、裛露掇其英。」(秋菊 佳色あり、露を裛みて其の英を掇り)秋の菊がきれいに色づいているので、露にぬれながら花びらをつみとる。


屢躡莓苔滑,將尋汗漫期。
しばしば、苔生した滑りやすい滝上の石橋を渡るのである。そして、広大無辺で計り知れないひろい神仙的世界で過ごす約束を果たしに行くのである。
 踏む。踏みつける。 履く。はきものを履く。 追う。あとをつける。従う。○莓苔 苔が群生しているさま。 ○汗漫 広大無辺で計り知れないこと。水面などが広々としてはてしないこと。また、そのさま。『淮南子』≪‧道應訓≫「吾與汗漫期於九垓之外。」とあり、淮南子に見える天界遊行・古代の宇宙観をいう。廬敖という存在が、遠遊して世界を経巡ったと誇ったところ、ある存在がそれをまだまだ小さいことだとして高誘注で「吾与汗漫、期于九垓之上。吾不可以久(私は汗漫と九天の上で逢う約束をしている。お前の相手をしている暇はない)」として雲の彼方へ消えていった、という説話を載せる。


倘因松子去,長與世人辭。
もしもそれがかなうなら、赤松子に連れて行ってもらって、この人間世界から永遠にお別れをすることできるということなのだ。
倘(儻)  もしも,仮に 倘有困难 なにか困難があれば。○赤松子 黄帝の八代前、神農の時代の雨師(雨の神、または雨乞い)。自分の体を焼いて仙人となった尸解仙とされ、後世では仙人の代名詞となり劉邦の家臣張良も彼について言及している。そこでは、赤松子と同一視され、黄色い石の化身と言われ、そのため黄石公と称される。張子房に太公望が記した兵法書を授けたとされるものだ。 



解説
五言律詩。
韻字  時・芝・期・辞。


始皇帝の神三山探訪説話や「淮南子」に見られる神仙説などをちりばめ、天台山の神仙的雰囲気を描いているが、孟浩然は、司馬承禎の影響を強く受け、「道禅合一」を特徴としたものを受け入れている。この詩は、呉筠に受け継がれた道教の寺観を尋ねてのものである。その後、呉筠は李白の朝廷へ招かれるのに尽力している。孟浩然と李白の人生観の共通性を感じる詩である。


司馬承禎(しば・しょうてい、643年 - 735年)は、唐の玄宗の時の著名な道士。茅山派・第12代宗師。

字を子微といい、天台山に住んでいた。721年に玄宗皇帝から宮中に迎え入れられ、帝に親しく法籙(道士としての資格)を授けた。天台山に桐柏観と王屋山に陽台観を、そして五嶽に真君祠を建立したのは承禎の進言によるという。737年に道士を諫議大夫という大役に任命し、741年には崇玄学という道教の学校を設置し、その卒業生が科挙の及第者と同等に官吏となれるようにしたなど、政治に道教が深く関わるようになったのは、玄宗に対する承禎の影響力を物語る。

陳子昂・李白・孟浩然・宋之問・王維・賀知章などと交遊があり、『坐忘論』・『天隠子』・『服気精義論』・『道体論』などを著した。彼の学識は老子・荘子に精通し、その思想は「道禅合一」を特徴とし、それまでの道教が煉丹・服薬・祈祷を中心としたものだったのを、修養を中心としたものへと転換した。こうした迷信・神秘からの脱却傾向は弟子の呉筠へと引き継がれた。
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盛唐詩 將適天臺,留別臨安李主簿 孟浩然26 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -333

盛唐詩 將適天臺,留別臨安李主簿 孟浩然26 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -333


將に天台に適かんとし臨安の李主簿に留別す 孟浩然
☆前集巻上
★文苑巻二八六(留別)、唐百、全唐詩巻一五九、孟浩然集(四部叢刊初編)巻
一卷159_15 「將適天臺,留別臨安李主簿」孟浩然


將適天臺,留別臨安李主簿
今まさに天台山に赴くところだ、旅立ちの別れに際して臨安の李主簿にこの詩を。
枳棘君尚棲,匏瓜吾豈系。
いま、居心地の非常に悪いあなたにふさわしくない低い地位に留まられている。私もひさご瓜のようにただぶら下がって、人に認められないでいるだけというのはいやなものである。
念離當夏首,漂泊指炎裔。
もう初夏で更に熱くなろうという時に、あなたとお別れして船旅で漂いながら南の異民族の住む土地を目指していこうとしている。
江海非墮游,田園失歸計。
長江を下り、湖海を漂泊して行くのはただ無駄に過ごしてしまってはいけない。若い時に田園に隠遁し、仕官を目指しはじめた時が遅く、計画の時機を逸してしまったのだ。
定山既早發,漁浦亦宵濟。
定山を早朝に出発し、漁浦潭を宵には渡る(あの謝康楽先生がされたことなのだ)。
泛泛隨波瀾,行行任艫枻。
ひろびろとした水面を波にまかせて漂い、船の行くままに進んでゆく。
故林日已遠,群木坐成翳。
故郷の澗南園の素晴らしい林は日々遠く離れていっている、この辺りの群生している大木に囲まれているとまあ日陰となってはくれるようだ。(空気中の湿度多さをいい、故郷の林間の清々しさを思うのである)
羽人在丹丘,吾亦從此逝。

仙境の道士たちは丹を練り、天台山で道を求めてしゅぎょうしている。私もまたその地へ赴いていこうとしている。



(將に天台に適【ゆ】かんとし臨安の李主簿に留別す)
枳棘【ききょく】に君 尚お棲み、匏瓜【ほうか】吾豈に繋がらん。
離れを念がうこと 夏首に當り、漂泊して夷裔【いえい】を指す。
江海は堕遊にあらず、田園に歸計を失う。
定山既に早く發っし、漁浦 亦た宵に濟【わた】る。
泛泛として波瀾に隨い、行行として艫枻【ろえい】に任す。
故林 日に已に遠く、群木坐【むなし】く翳【かげ】を成す。
羽人 丹邱に在り、吾も亦た此より逝かん。



現代語訳と訳註
(本文)
將適天臺,留別臨安李主簿
枳棘君尚棲,匏瓜吾豈系。
念離當夏首,漂泊指炎裔。
江海非墮游,田園失歸計。
定山既早發,漁浦亦宵濟。
泛泛隨波瀾,行行任艫枻。
故林日已遠,群木坐成翳。
羽人在丹丘,吾亦從此逝。


(下し文) (將に天台に適【ゆ】かんとし臨安の李主簿に留別す)
枳棘【ききょく】に君 尚お棲み、匏瓜【ほうか】吾豈に繋がらん。
離れを念がうこと 夏首に當り、漂泊して夷裔【いえい】を指す。
江海は堕遊にあらず、田園に歸計を失う。
定山既に早く發っし、漁浦 亦た宵に濟【わた】る。
泛泛として波瀾に隨い、行行として艫枻【ろえい】に任す。
故林 日に已に遠く、群木坐【むなし】く翳【かげ】を成す。
羽人 丹邱に在り、吾も亦た此より逝かん。


(現代語訳)
今まさに天台山に赴くところだ、旅立ちの別れに際して臨安の李主簿にこの詩を。
いま、居心地の非常に悪いあなたにふさわしくない低い地位に留まられている。私もひさご瓜のようにただぶら下がって、人に認められないでいるだけというのはいやなものである。
もう初夏で更に熱くなろうという時に、あなたとお別れして船旅で漂いながら南の異民族の住む土地を目指していこうとしている。
長江を下り、湖海を漂泊して行くのはただ無駄に過ごしてしまってはいけない。若い時に田園に隠遁し、仕官を目指しはじめた時が遅く、計画の時機を逸してしまったのだ。
ひろびろとした水面を波にまかせて漂い、船の行くままに進んでゆく。
定山を早朝に出発し、漁浦潭を宵には渡る(あの謝康楽先生がされたことなのだ)。
故郷の澗南園の素晴らしい林は日々遠く離れていっている、この辺りの群生している大木に囲まれているとまあ日陰となってはくれるようだ。(空気中の湿度多さをいい、故郷の林間の清々しさを思うのである)
仙境の道士たちは丹を練り、天台山で道を求めてしゅぎょうしている。私もまたその地へ赴いていこうとしている。



(訳注)
將適天臺,留別臨安李主簿

今まさに天台山に赴くところだ、旅立ちの別れに際して臨安の李主簿にこの詩を。
臨安 杭州府臨安県。○李主簿 不詳。主簿は職名で、県に置かれ、文書の管理を任務とする。


枳棘君尚棲,匏瓜吾豈系。
いま、居心地の非常に悪いあなたにふさわしくない低い地位に留まられている。私もひさご瓜のようにただぶら下がって、人に認められないでいるだけというのはいやなものである。
枳棘【ききょく】 からたちといばら。心にとげのある人や、居心地の非常に悪い場所などをたとえていう。いずれもとげのある低木。『後漢書』巻七六覧伝に、主簿という低い地位についていた仇覧に、上司である王渙が「枳棘非鸞鳳所棲(枳棘といった悪木は鸞や鳳凰のようなすぐれた鳥が宿るところではない)」と述べた挿話がある。賢人に似合わない低い地位。○匏瓜 ひさご・ふくべの類。苦くて食べられないとされ、『論語』‐陽貨篇の「吾豈匏瓜哉、焉能繋而不食」(瓜ではあるまいに、ぶら下がっていて食べられないでいるということができようか)から、人に認められないこと、起用してもらえないことのたとえに用いられる。


念離當夏首,漂泊指炎裔。
もう初夏で更に熱くなろうという時に、あなたとお別れして船旅で漂いながら南の異民族の住む土地を目指していこうとしている。
夏首 初夏。○炎裔 南方の異民族、またそこに近い地方。炎が南方を象徴し、南の夷狄の住む土地という意味。


江海非墮游,田園失歸計。
長江を下り、湖海を漂泊して行くのはただ無駄に過ごしてしまってはいけない。若い時に田園に隠遁し、仕官を目指しはじめた時が遅く、計画の時機を逸してしまったのだ。
○堕遊 生産に携わらずただ遊んでいること、またその人。○帰計 聞き従うべき計略、手だて。「史記」淮陰侯列伝に「僕委心帰計、願足下勿辞(私は従うべき策のままにしようと思います、どうかあなたも辞することはやめてください)」とある。ここは、及第する人間は十五歳を過ぎて長安に登り、受験を始めるもので自分は40歳近くになって始めたことを示すものである。挫折というより後悔を表現するものである。


定山既早發,漁浦亦宵濟。
定山を早朝に出発し、漁浦潭を宵には渡る(あの謝康楽先生がされたことなのだ)。
定山、漁浦 地名。謝霊運「富春渚」(「文選」巻二六)に「宵済漁浦潭、旦及富春郭。定山緬雲霧、赤亭無淹薄(夜明けには漁浦という名の淵を出発し、朝に富春の城郭に着いた。定山は雲や霧の彼方にかすみ、赤亭のあたりは流れが早くて船を留めることができない)」とあり、どちらも富春江沿いの地名である。謝霊運は始寧から永嘉へ赴く途上に富春渚を経由したようだが、孟浩然は臨安から富春に至り、そこから謝霊運が来た道を逆にたどったようである。謝 霊運(しゃ れいうん、385年(太元10年) - 433年(元嘉10年))は、中国東晋・南朝宋の詩人・文学者。本籍は陳郡陽夏(現河南省太康)。魏晋南北朝時代を代表する詩人で、山水を詠じた詩が名高く、「山水詩」の祖とされる。六朝時代を代表する門閥貴族である謝氏の出身で、祖父の謝玄は淝水の戦いで前秦の苻堅の大軍を撃破した東晋の名将である。祖父の爵位である康楽公を継いだため、後世では謝康楽とも呼ばれる。聡明で様々な才能に恵まれたが性格は傲慢で、大貴族出身だったことも災いし、後に刑死した。
漁浦については、孟浩然に『早發漁浦潭』の詩がある。
卷159_49  早發漁浦潭 孟浩然
東旭早光芒,渚禽已驚聒。臥聞漁浦口,橈聲暗相撥。
日出氣象分,始知江湖闊。美人常晏起,照影弄流沫。
飲水畏驚猿,祭魚時見獺。舟行自無悶,況值晴景豁。


泛泛隨波瀾,行行任艫枻。
ひろびろとした水面を波にまかせて漂い、船の行くままに進んでゆく。
泛泛 浮かび漂う様。文苑の如く汎汎ならば、水が漲る様。○波瀾 波。○枻 艫は船の舳先や船尾。枻は舟をこぐかい。あわせて動いている船を表す。


故林日已遠,群木坐成翳。
故郷の澗南園の素晴らしい林は日々遠く離れていっている、この辺りの群生している大木に囲まれているとまあ日陰となってはくれるようだ。(空気中の湿度多さをいい、故郷の林間の清々しさを思うのである)
故林 故郷の澗南園の林間を指す。


羽人在丹丘,吾亦從此逝。
仙境の道士たちは丹を練り、天台山で道を求めてしゅぎょうしている。私もまたその地へ赴いていこうとしている。
羽人 中国の道教において、仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得た人を指す。羽人、僊人ともいう。 道教の不滅の真理である、道(タオ)を体現した人とされる。○丹丘 胡紫陽の事蹟は李白の作「漢東紫陽先生碑銘」あり、ここに詳しく伝えられている。 「胡紫陽は代々道士の家に生れ、九歳で出家し、十二歳から穀類を食うことをやめ(これが修行の第一段階である)、二十歳にして衡山(五嶽の一、南嶽、湖南省衡陽の北)に遊んだ。(この後は欠文があって判りにくいが、その後、召されて威儀及び天下採経使といふ道教の官に任ぜられ、隋州に飡霞楼を置いたなどのことが書かれている。)彼の道統は漢の三茅(茅盈、茅固、茅衷の三兄弟)、晋の許穆父子等に流を発し、その後、陳の陶弘景(陶隠居)、その弟子唐の王遠知(昇元先生)、その弟子潘師正(体元先生)、その弟子で李白とも交りのあった司馬承禎(貞一先生)を経て、李含光より伝はった。弟子は三千余人あったが、天宝の初、その高弟元丹邱はこれに嵩山(スウザン)及び洛陽に於いて伝籙をなさんことを乞うたが、病と称して往かぬといふ高潔の士であった。その後、いくばくもなくして玄宗に召されると、止むを得ないで赴いたが、まもなく疾と称して帝城を辞した。その去る時には王公卿士みな洛陽の龍門まで送ったが、葉県(河南省)まで来て、王喬(また王子喬、王子晋といい周の王子で仙人だったと)の祠に宿ったとき、しずかに仙化した。この年十月二十三日、隋州の新松山に葬った。時に年六十二歳であった。」 と示しており、李白が紫陽と親交あり、紫陽の説教の十中の九を得たことをいっている。李白にはまた別に「隋州の紫陽先生の壁に題す」という詩があり、紫陽との交りを表している。しかし胡紫陽先生よりも、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、12首もある。
「楚辞」遠遊に「仍羽人於丹丘兮、留不死之旧郷」、孫綽「遊天台山賦」に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」とある。


解説
五言古詩。
韻字 繋・裔・計・濟・枻・翳・逝

この詩は、天台山へ向かう途上、浙江の臨安県で知人に別れた留別の詩である。孟浩然は謝霊運『登臨海嶠、初發疆中作』とほぼ同じルートで天台山へ向かっている。これは、謝霊運の詩に基づき詩作したものである。孟浩然の官界への深い失望感が表され、天台山はイメージとしてうたっているので、具体性、動的な観察表現は全くない。ゆったりと波にまかせて進んだ先にあること、木陰をなす川筋の先にあることなど、天台山への道のりが、快適な自然の中にあること、すべてがイメージだけのものである。

またすぐれた道士が修行をする聖地として捉えられている。これから訪れる、未だ見ぬ天台山に対する期待感が込められている。この詩には、謝霊運を踏まえたものは見られるが、孫綽の「遊天台山賦」や司馬承禎に関わる詩句は見られない。
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盛唐詩 舟中曉望 孟浩然 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -332

盛唐詩 舟中曉望 孟浩然 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -332


卷160_90 「舟中曉望」孟浩然
☆前集巻上、許本巻一
★唐百、方外志巻二七、古今巻一二五、孟浩然集巻三

舟中曉望
掛席東南望,青山水國遙。
帆をあげて船を出し東南の方角を眺めれば青々とした山々や水郷が遙かかなたに横たわっている。
舳艫爭利涉,來往接風潮。
船は先を争うように順調に進んでいる。この往来では風や潮が一緒になって舟を進める。
問我今何去,天臺訪石橋。
わたしに「どこへ向かっていますか」と質問されたら、、「天台山へ行って、石橋の下から流れ落ちる滝を訪ねているのです」。
坐看霞色曉,疑是赤城標。
進みにしたがって、霞たなびく曉の中であのあかくかがやいている岩山が次第に見えてきた。これこそ、天台山の目印、赤城山ではないだろうか。(前から見たかったのだ)


(舟中にて曉に望む)
席を掛けて東南に望めば、青山水國遙かなり。
舳艫利渉を爭ひ、來往風潮に接す。
我に問ふ今何くに去ると、天台に石橋を訪ねんとす。
坐く看る霞色の曉、疑ふらくは是れ赤城の標か。

ishibashi00

現代語訳と訳註
(本文) 舟中曉望

掛席東南望,青山水國遙。
舳艫爭利涉,來往接風潮。
問我今何去,天臺訪石橋。
坐看霞色曉,疑是赤城標。

(下し文)
(舟中にて曉に望む)
席を掛けて東南に望めば、青山 水國 遙かなり。
舳艫 利渉を爭ひ、來往 風潮に接す。
我に問ふ 今何くに去ると、天台に石橋を訪ねんとす。
坐く看る霞色の曉、疑ふらくは是れ赤城の標か。

(現代語訳)
帆をあげて船を出し東南の方角を眺めれば青々とした山々や水郷が遙かかなたに横たわっている。
船は先を争うように順調に進んでいる。この往来では風や潮が一緒になって舟を進める。
わたしに「どこへ向かっていますか」と質問されたら、、「天台山へ行って、石橋の下から流れ落ちる滝を訪ねているのです」。
進みにしたがって、霞たなびく曉の中であのあかくかがやいている岩山が次第に見えてきた。これこそ、天台山の目印、赤城山ではないだろうか。(前から見たかったのだ)

宮島(5)


(訳注)
舟中曉望

曉望 赤城山は暁の語と併称されることが多い。


掛席東南望,青山水國遙。
帆をあげて船を出し東南の方角を眺めれば青々とした山々や水郷が遙かかなたに横たわっている。
挂席 帆を上げること。○青山 遠くに見える春の山。
孟浩然卷160_51 「晚泊潯陽望廬山」孟浩然
掛席幾千里,名山都未逢。泊舟潯陽郭,始見香爐峰。
嘗讀遠公傳,永懷塵外蹤。東林精舍近,日暮但聞鐘。
卷159_34 「彭蠡湖中望廬山」孟浩然
太虛生月暈,舟子知天風。掛席候明發,眇漫平湖中。
中流見匡阜,勢壓九江雄。黤黕容霽色,崢嶸當曉空。
香爐初上日,瀑布噴成虹。久欲追尚子,況茲懷遠公。
我來限於役,未暇息微躬。淮海途將半,星霜歲欲窮。
寄言岩棲者,畢趣當來同。
「彭蠡湖中望廬山」に「挂席候明発、渺漫平湖中」の表現があるが、更に溯れば謝霊運「遊赤石進航海」に「揚帆采石華、挂席拾海月(帆をあげて海草を採り、蓆を掲げて海月を採集に行く)」の句がある。


舳艫爭利涉,來往接風潮。
船は先を争うように順調に進んでいる。この往来では風や潮が一緒になって舟を進める。
舳艫 船の船首と船尾のせりあがっている部分。単に船といわないのは船の方向性と動きのある雰囲気を出すものである、○利渉 船が流れに沿って順調にすすむこと。利は素早い、理にかなったということ。渉は渡、進むこと。
卷159_48 「自潯陽泛舟經明海」孟浩然
大江分九流,淼淼成水鄉。舟子乘利涉,往來至潯陽。
因之泛五湖,流浪經三湘。觀濤壯枚發,吊屈痛沉湘。
魏闕心恒在,金門詔不忘。遙憐上林雁,冰泮也回翔。
孟浩然は「泛舟経湖海」に「舟子乗利渉、往来逗潯陽」、
卷160_98 「夜渡湘水(一作崔國輔詩)」孟浩然
客舟貪利涉,暗裏渡湘川。露氣聞芳杜,歌聲識採蓮。
榜人投岸火,漁子宿潭煙。行侶時相問,潯陽何處邊。
「夜渡湘水」に「客行貪利渉、夜裏渡湘川」などと頻用する。○風潮  風と潮。謝霊運「入彭蠡湖口」(「文選」巻二六)に「客遊倦水宿、風潮難具論(船旅の水上の宿りにも飽き、風や潮の困難さは詳しく論ずるまでもない)」とある。唐百などの如く「任風潮」ならば「風や潮に任せて行く」となる。


問我今何去,天臺訪石橋。
わたしは質問する、「どこへ向かっていますか」、「天台山へ行って、石橋の下から流れ落ちる滝を訪ねているのです」。
天台山(てんだいさん)は、中国浙江省中部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1,138m。洞栢峰・仏隴峰・赤城峰・瀑布峰などの峰々が存在する。中国三大霊山の一つ。仏教との関係では、呉の赤烏中(238年 - 251年)に仏教寺院が建立された、という伝承がある。支遁や曇光、竺曇猷らの僧が、この山中に住した。また、後漢のころから道教の聖地ともされていた。石橋の下から流れ落ちる滝がある。


坐看霞色曉,疑是赤城標。
進みにしたがって、霞たなびく曉の中であのあかくかがやいている岩山が次第に見えてきた。これこそ、天台山の目印、赤城山ではないだろうか。(前から見たかったのだ)
霞色、赤城標 赤城山は赤土の砂礫が層をなしており、あたかも城壁のようであるのでこの名がついた。また、その石が赤く輝いていて朝焼けのようであるということで、朝靄夕霞が漂い纏うこの山にまつわる慣用的表現である。


解説
五言律詩。
韻字 遥・潮・橋・標。

東南方向、天台山へ向かう、まもなく赤城山に至ろうとしている船旅の途上を詠うものである。道教の本山のあるところ、長安では友人たちの話題になっていた景色である。赤城山はまさしく天台山の入り口に聳える特徴的な景観をなしている。この詩は、聞いており想像していた赤城山の景勝が、孟浩然特有の船の動きのなかで、目の前に現れようとしていることへの期待と、目の当たりにしての感動を動的に描いたものである。
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盛唐詩 下贛石 孟浩然 「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -331

盛唐詩 下贛石 孟浩然 「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -331


孟浩然は目で捉えたものをそのものの奥にある心のなかを詠うことはしない、事物の置かれている環境、事物そのものの動きを描く。随って事物を、自然界をできるだけ自然の動きの中で詠おうとしている。他の詩人にはない感覚である。『宿建徳江』(建徳の江に宿す)では同じ銭塘江の中流の人影もない荒野の岸辺に一夜を過ごしてものであった。


卷160_157 「下贛石」孟浩然


下贛石
贛水の難所を下る
贛石三百里,沿洄千嶂間。
贛江の岩場の航行の難所は三百里もある、江はその間に曲がり、多くある険しい峰に沿っている。
沸聲常活活,洊勢亦潺潺。
両岸の崖がせまり急カーブが続き、湧き上がるような音を立てて、常にごうごうと音を立て、その流れの勢いが激しく流れる。
跳沫魚龍沸,垂藤猿狖攀。
船頭も崖が崩れ落ちそうな岸に悪戦苦闘している。そのように私は見入ってしまって、自分自身が険難の場所にいることさえ忘れるほどである。
榜人苦奔峭,而我忘險艱。
進みゆく船は流れに乗っている、わたしの心情もますます心地良く満足している。
放溜情彌愜,登艫目自閑。
船の船首に登ってながめてみると、風を切り水しぶきで自然に目を閉じてしまう。
暝帆何處宿,遙指落星灣。

やがて帆も暗くなってきたどこかで泊まることになる。見上げるとはるか遠くに星が瞬きその影を静かな水面に湾に映している。


贛【かん】の石【いわお】を下る
贛【かん】の石【いわお】 三百里なり、沿洄す千嶂の間。
沸聲【ふつせい】 常に活活【かつかつ】たり、洊勢【せんせい】 亦た潺潺【せんせん】たり。
跳沫【ちょうばつ】 魚龍沸き、垂藤【すいとう】 猿狖【えんゆう】攀【はん】ず。
榜人【ぼうじん】 奔峭【ほんしょう】に苦しみ、而るに我は険艱【けんかん】を忘る。
放溜【ほうりゅう】情 彌【いよいよ】愜【かな】う、登艦【とうかん】 目 自ら閑なり。
瞑帆【めいほ】 何処にか宿する、遥かに指す星 湾に落つ。

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現代語訳と訳註
(本文)

下贛石
贛石三百里,沿洄千嶂間。
沸聲常活活,洊勢亦潺潺。
跳沫魚龍沸,垂藤猿狖攀。
榜人苦奔峭,而我忘險艱。
放溜情彌愜,登艫目自閑。
暝帆何處宿,遙指落星灣。


(下し文) 贛【かん】の石【いわお】を下る
贛【かん】の石【いわお】 三百里なり、沿洄す千嶂の間。
沸聲【ふつせい】 常に活活【かつかつ】たり、洊勢【せんせい】 亦た潺潺【せんせん】たり。
跳沫【ちょうばつ】 魚龍沸き、垂藤【すいとう】 猿狖【えんゆう】攀【はん】ず。
榜人【ぼうじん】 奔峭【ほんしょう】に苦しみ、而るに我は険艱【けんかん】を忘る。
放溜【ほうりゅう】情 彌【いよいよ】愜【かな】う、登艦【とうかん】 目 自ら閑なり。
瞑帆【めいほ】 何処にか宿する、遥かに指す星 湾に落つ。


(現代語訳)
贛水の難所を下る
贛江の岩場の航行の難所は三百里もある、江はその間に曲がり、多くある険しい峰に沿っている。
両岸の崖がせまり急カーブが続き、湧き上がるような音を立てて、常にごうごうと音を立て、その流れの勢いが激しく流れる。
船頭も崖が崩れ落ちそうな岸に悪戦苦闘している。そのように私は見入ってしまって、自分自身が険難の場所にいることさえ忘れるほどである。
進みゆく船は流れに乗っている、わたしの心情もますます心地良く満足している。船の船首に登ってながめてみると、風を切り水しぶきで自然に目を閉じてしまう。
やがて帆も暗くなってきたどこかで泊まることになる。見上げるとはるか遠くに星が瞬きその影を静かな水面に湾に映している。

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(訳注)
下贛石
贛【かん】の石【いわお】を下る
贛水の岩石急流の難所を下る

贛石三百里,沿洄千嶂間。
贛【かん】の石【いわお】 三百里なり、沿洄す千嶂の間。
贛江の岩場の航行の難所は三百里もある、江はその間に曲がり、多くある険しい峰に沿っている。
贛石 贛江(かんこう、拼音: gan jiāng )、あるいは贛水(かんすい)は、中華人民共和国を流れる川の一つで、鄱陽湖に流入している長江右岸の支流。江西省を南北に貫く江西最大の川である。江西省の別名・「贛」(かん)はこの川に由来する。長さは751km(支流の源流まで合わせた長さは991km)。現在の江西省贛水のうち、贛県から万安県に至るまでの十八灘のこと。難所として知られていた。○三百里 1里は576mだから173kmである。○千嶂 険しい峰が多いこと。


沸聲常活活,洊勢亦潺潺。
沸聲【ふつせい】 常に活活【かつかつ】たり、洊勢【せんせい】 亦た潺潺【せんせん】たり。
両岸の崖がせまり急カーブが続き、湧き上がるような音を立てて、常にごうごうと音を立て、その流れの勢いが激しく流れる。
 いたる、水いたる(水が自然に流れてくる)。 2 しきりに、ひきつづき。○潺潺 水がさらさらと流れるさま。


跳沫魚龍沸,垂藤猿狖攀
跳沫【ちょうばつ】 魚龍沸き、垂藤【すいとう】 猿狖【えんゆう】攀【はん】ず。
江川の龍も魚も水しぶきを揚げて跳ね上がり、岸では藤のつるにおなが猿がよじのぼる
猿狖 黒い尾長ざる。


榜人苦奔峭,而我忘險艱。
榜人【ぼうじん】 奔峭【ほんしょう】に苦しみ、而るに我は険艱【けんかん】を忘る。
船頭も崖が崩れ落ちそうな岸に悪戦苦闘している。そのように私は見入ってしまって、自分自身が険難の場所にいることさえ忘れるほどである。
榜人 漁師。○奔峭 騒がしく、厳しい様子がさらに高く嶮しいさまをいう。


放溜情彌愜,登艫目自閑。
放溜【ほうりゅう】情 彌【いよいよ】愜【かな】う、登艦【とうかん】 目 自ら閑なり。
進みゆく船は流れに乗っている、わたしの心情もますます心地良く満足している。船の船首に登ってながめてみると、風を切り水しぶきで自然に目を閉じてしまう。
 ○登艫 船の船首に登ってながめてみると


暝帆何處宿,遙指落星灣
瞑帆【めいほ】 何処にか宿する、遥かに指す星 湾に落つ。
やがて帆も暗くなってきたどこかで泊まることになる。見上げるとはるか遠くに星が瞬きその影を静かな水面に湾に映している。
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盛唐詩 與顏錢塘登障樓望潮作 孟浩然 「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -330


盛唐詩 與顏錢塘登障樓望潮作 孟浩然 「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -330


孟浩然は目で捉えたものをそのものの奥にある心のなかを詠うことはしない、事物の置かれている環境、事物そのものの動きを描く。随って事物を、自然界をできるだけ自然の動きの中で詠おうとしている。他の詩人にはない感覚である。『宿建徳江』(建徳の江に宿す)では同じ銭塘江の中流の人影もない荒野の岸辺に一夜を過ごしてものであった。
 この詩は、当時も仲秋に銭塘江の逆流を見物、観光が流行していた様子が描かれている。

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與顏錢塘登障樓望潮作(孟浩然 唐詩)

  百里聞雷震,鳴弦暫輟彈。
百里四方に雷のような音とあたりの空気を振動させる轟音が聞こえてくる。優雅に琴の弦を鳴らし、暫くして引くのをやめる。
  府中連騎出,江上待潮觀。
杭州の幕府からも急いで馬を連ねて飛び出して、銭塘江の上に特別な潮の動きがみられるのを待っている。
  照日秋雲迥,浮天渤澥寬。
太陽は燦々と照り輝いており、秋の雲は流れている。天に浮ぶほど垂直に立ち上がった壁の様な大波が河江いっぱいにひろがって逆流してきている。
  驚濤來似雪,一坐凛生寒。
その驚く様な大波のその頂には雪のようであり、まるで雪崩がおこったようにやってきて、ひとたびここに座って見ていると凛としてまさに寒さを感じてくるのである。


百里 雷聲震い、鳴弦 暫し弾くを輟(や)む。
府中 騎を連ねて出で、江上 潮を待ちて観る。
日に照らされて 秋雲逈かに、天を浮かべて 渤澥寛【ひろ】し。
驚濤 來たること雪の似【ごと】し、一坐 凛として寒を生ず。

 


現代語訳と訳註
(本文)

 百里聞雷震,鳴弦暫輟彈。
 府中連騎出,江上待潮觀。
 照日秋雲迥,浮天渤澥寬。
 驚濤來似雪,一坐凛生寒。


(下し文)
百里 雷聲震い、鳴弦 暫し弾くを輟(や)む。
府中 騎を連ねて出で、江上 潮を待ちて観る。
日に照らされて 秋雲逈かに、天を浮かべて 渤澥寛(ひろ)し。
驚濤 來たること雪の似(ごと)し、一坐 凛として寒を生ず。


(現代語訳)
百里四方に雷のような音とあたりの空気を振動させる轟音が聞こえてくる。優雅に琴の弦を鳴らし、暫くして引くのをやめる。
杭州の幕府からも急いで馬を連ねて飛び出して、銭塘江の上に特別な潮の動きがみられるのを待っている。
太陽は燦々と照り輝いており、秋の雲は流れている。天に浮ぶほど垂直に立ち上がった壁の様な大波が河江いっぱいにひろがって逆流してきている。
その驚く様な大波のその頂には雪のようであり、まるで雪崩がおこったようにやってきて、ひとたびここに座って見ていると凛としてまさに寒さを感じてくるのである。


(訳注)
 百里聞雷震,鳴弦暫輟彈。

百里四方に雷のような音とあたりの空気を振動させる轟音が聞こえてくる。優雅に琴の弦を鳴らし、暫くして引くのをやめる。
雷震 雷のような音とドルビーサラウンドのように空気を振動させて響きが伝わってくるさま。○鳴弦 遊興の名所でもあるこの地では琴はどこかで引かれている。○ 逆流現象の音を待っていた様子をあらわす語。○輟彈 引くのをやめる。ただやめるのではなく一斉にピタッと揃えて辞めること。・ 隊列の進行が瞬時に止まることをいう。


 府中連騎出,江上待潮觀。
杭州の幕府からも急いで馬を連ねて飛び出して、銭塘江の上に特別な潮の動きがみられるのを待っている。
府中 宮中に対して、政治を行う場所。律令制の州幕府所在地。


 照日秋雲迥,浮天渤澥寬。
太陽は燦々と照り輝いており、秋の雲は流れている。天に浮ぶほど垂直に立ち上がった壁の様な大波が河江いっぱいにひろがって逆流してきている。
渤澥  たちあがる、湧き上がる大波。・ とだえた流、並の低い部分をいう。湾。海の名。ここでは垂直に立ち上がった壁の様な大波が逆流してくることをいう。銭塘江の逆流を「渤澥」と表現しているのも孟浩然らしい動きのあるものである。


 驚濤來似雪,一坐凛生寒。
その驚く様な大波のその頂には雪のようであり、まるで雪崩がおこったようにやってきて、ひとたびここに座って見ていると凛としてまさに寒さを感じてくるのである。



解説
・銭塘江のラッパ状の河口と太陽や月の引力による満潮時によって起きる現象で、特に旧暦の8月18日に起きるものが「銭塘の秋涛」で知られている。潮の高さが歴史上9メートルもあったという。近年は3~5メートルの高さに安定している。潮が線を引き、唸りをたて、雷の音をして流れてくるため、「壮観無天下」(壮観天下なし)と称えられ、この詩では「驚濤來似雪」(驚濤 來たること雪の似【ごと】し“怒涛は雪崩のよう”)としている。

・潮を見る風習が唐の時代から始まり、宋の時代盛んになり、ずっと現在まで伝わっている。

・平穏な秋空の下、それとは対照的な銭塘潮が、正に怒濤となって押し寄せる様子と、それを見て圧倒される人々の緊張やざわつきが臨場感をともなって伝わってくる。一画面一画面が動的な描写であり、活動感に満ちたものとなっている。そして、今まで接写していた情景は急に鳥瞰図にかわるのが頸聯で、背景として、銭塘潮のダイナミズムを際立たせ、その中で、再度接写し「渤澥」と表現し、更に「寬」と鳥瞰図に戻る。遠→近→遠としている。

宿建徳江 孟浩然 「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -329

宿建徳江 孟浩然 「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -329

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孟浩然の「自然(月)と人」についてみてみる。


宿建徳江
移舟泊烟渚、日暮客愁新。  
野曠天低樹、江清月近人。


建徳の江に宿す 

舟を移して 烟渚に泊す、日暮 客愁 新たなり。
野曠【むなし】くして 天 樹に低【た】れ、江清くして 月 人に近し。


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現代語訳と訳註
(本文)

移舟泊烟渚、日暮客愁新。  
野曠天低樹、江清月近人。
 

(下し文)
舟を移して 烟渚に泊す、日暮 客愁 新たなり。
野曠【むなし】くして 天 樹に低【た】れ、江清くして 月 人に近し。


(現代語訳)
銭塘江中流あたり、建徳に宿泊する
私は船を夕靄に包まれた岸辺と漕ぎ寄せさせ、今夜の泊りの用意をする。やがて日は暮れ、旅の愁が新たなものとしてわいてきて胸に迫る。
がらんとしてさびしい原野がひろがり、天空が木々樹の上に低くたれさがっている。銭塘江の水は清くすみきっていて、水面に映る月だけがそ私の身近にあるものだ。


(訳注) 宿建徳江
銭塘江中流あたり、建徳に宿泊する
建徳江 建徳は県名。いま浙江省に属する。その川は銭塘江の中流である。


移舟泊烟渚、日暮客愁新。  
私は船を夕靄に包まれた岸辺と漕ぎ寄せさせ、今夜の泊りの用意をする。やがて日は暮れ、旅の愁が新たなものとしてわいてきて胸に迫る。
烟渚 もやのたちこめた砂浜。


野曠天低樹、江清月近人。  
がらんとしてさびしい原野がひろがり、天空が木々樹の上に低くたれさがっている。銭塘江の水は清くすみきっていて、水面に映る月だけがそ私の身近にあるものだ。
野曠 がらんとして人けのないのが曠。○ ここでは孟浩然自身をさす。

この詩の「人」は作者自身であるが、不特定な人をいう場合もある。王維の『輞川集』「竹里館」
獨坐幽篁裏,彈琴復長嘯。
深林人不知,明月來相照。
竹里館
獨り坐す  幽篁の 裏(うち),琴を弾じて  復(ま)た 長嘯す。
深林  人 知らず,明月  來りて 相ひ照らす。


孟浩然は自身の視線が中心であり、視線の動きが自然の動きとしている。李白などは「月」が自分の動きについてくると、山が動くのに月が自分の動きについてくるというものだが、そうした動きのないはずの「天」「月」も時間の経過で動くというだけでなく、「樹」「人」のほうにひきよせたように描いている。孟浩然が宋の謝霊運に学ぶところがあり、その詩的感覚が同質の傾向を持つと指摘する中で、その例として、右の孟詩の転句・結句と、次に掲げる謝霊運の「初去郡」詩(『文選』巻二十六「行旅」)中の二句とを対比している。
・・・・・・・・・・
負心二十載、於今廢将迎。
理棹遄還期、遵渚騖修垌。
遡渓終水渉、登嶺始山行。
野曠沙岸浄、天高秋月明。
憩石挹飛泉、攀林搴落英。

・・・・・・・・・・
心に負くこと二十載、今において将迎を廢め。
棹を理めて 還る期を遄くし、渚に遵いて修き垌を騖す。
渓を遡り終に水を渉り、嶺に登らんとして始めて山行す。
野は曠くして 沙岸は浄く、天高くして 秋月明らかなり。

謝霊運の詩の大意は、悟った人間は浮世から脱出すべきものである。「低き位をみずから耕すに代えた」というものである。隠棲する心情を詠うための「自然」である。

孟浩然詩の「天」「月」に対して、謝詩の「沙岸」は清いままで動きがなく、また「秋月」は天空に懸かったまま静止していないと隠棲の心情があらわせないと考えている。孟浩然と謝霊運とは、自分の心情の表現として自然描写における詩的感覚が同様であるとしても、描写された自然が動いているか静止しているかという点で、大きな違いがあるといえる。
謝霊運に学んでいるのは李白にもしばしばある。月が上がり落ちていく様子であり、舟を移動する、歩行している・・・・・。

題長安主人壁 孟浩然「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 李白特集350 -328

題長安主人壁 孟浩然「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 李白特集350 -328

題長安主人壁
 久廢南山田,叨陪東閣賢。
しばらく鹿門山の澗南園にある田畑を耕すのをやめて久しくなる、そして、自分の気に沿わないまま「東閣に詔せられた賢人」のように陪席している。
 欲隨平子去,猶未獻甘泉。
平津侯がなされたように待詔の身分になることを辞めて隠棲したいと思っているのだが、今なお楊雄が「甘泉賦」を奉献したようなことができていない。
 枕籍琴書滿,褰帷遠岫連。
書籍を枕にし、音楽と読書という風流な事ばかり満ち溢れている。とばりをかかげてみるとはるか遠くに山の峰々が連なっている。
 我來如昨日,庭樹忽鳴蟬。
わたしが澗南園を離れ長安に来たのがまだほんの昨日のようである。荘園の木々には蝉が鳴いていることだろう。
 促織驚寒女,秋風感長年。
やがてコオロギが鳴き始めると貧しい女が寒くなるのを思って驚くのである。そして秋風の西からの風が強くなると長くここにいることを感じさせるのだ。
 授衣當九月,無褐竟誰憐。

冬の衣を準備する九月になっている、着物もなく、毛織物もなければ竟に誰も憐れんではくれない、わたしの情況がまさしくそうなっているのだ。


久しく南山の田を廢し、明りに東閣の賢に陪す。
平子に隨ひて去らんと欲するも、猶は未だ甘泉を献ぜず。
枕籍 琴書満ち、帷を褰ぐれば 遠岫連なる。
我来ること昨日のごときも、庭樹 忽ち蝉鴫く。
促織 寒女を驚かし、秋風 長年を感ぜしむ。
衣を授く 九月に當たる、褐無きも竟に誰か憐れまん。

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現代語訳と訳註
(本文)

久廢南山田,叨陪東閣賢。
欲隨平子去,猶未獻甘泉。
枕籍琴書滿,褰帷遠岫連。
我來如昨日,庭樹忽鳴蟬。
促織驚寒女,秋風感長年。
授衣當九月,無褐竟誰憐。

(下し文)
久しく南山の田を廢し、叨【みだ】りに東閣の賢に陪す。
平子に隨ひて去らんと欲するも、猶は未だ甘泉を献ぜず。
枕席 琴書満ち、帷を褰ぐれば 遠岫連なる。
我来ること昨日のごときも、庭樹 忽ち蝉鴫く。
促織 寒女を驚かし、秋風 長年を感ぜしむ。
衣を授く 九月に當たる、褐無きも竟に誰か憐れまん。


(現代語訳)
しばらく鹿門山の澗南園にある田畑を耕すのをやめて久しくなる、そして、自分の気に沿わないまま「東閣に詔せられた賢人」のように陪席している。
平津侯がなされたように待詔の身分になることを辞めて隠棲したいと思っているのだが、今なお楊雄が「甘泉賦」を奉献したようなことができていない。
書籍を枕にし、音楽と読書という風流な事ばかり満ち溢れている。とばりをかかげてみるとはるか遠くに山の峰々が連なっている。
わたしが澗南園を離れ長安に来たのがまだほんの昨日のようである。荘園の木々には蝉が鳴いていることだろう。
やがてコオロギが鳴き始めると貧しい女が寒くなるのを思って驚くのである。そして秋風の西からの風が強くなると長くここにいることを感じさせるのだ。
冬の衣を準備する九月になっている、着物もなく、毛織物もなければ竟に誰も憐れんではくれない、わたしの情況がまさしくそうなっているのだ。


(訳注)
久廢南山田,叨陪東閣賢。
久しく南山の田を廢し、叨【みだ】りに東閣の賢に陪す。
しばらく鹿門山の澗南園にある田畑を耕すのをやめて久しくなる、そして、自分の気に沿わないまま「東閣に詔せられた賢人」のように陪席している。
南山 孟浩然の耕作している澗南園のこと。○東閣賢 漢の公孫弘が丞相となり、平津侯に封ぜられ、東閣を開いて賢士を招いた。ここは孟浩然が試験場に受験生と一緒に入ったことをいう。杜甫『奉贈鮮於京兆二十韻』で試験の内幕を詠っている。


欲隨平子去,猶未獻甘泉。
平子に隨ひて去らんと欲するも、猶は未だ甘泉を献ぜず。

平津侯がなされたように待詔の身分になることを辞めて隠棲したいと思っているのだが、今なお楊雄が「甘泉賦」を奉献したようなことができていない。
平子 平津侯。子は尊敬の語。孔子という様○献甘泉 揚維か「甘泉賦」を奉った時の話をふまえる。揚雄の文章が司馬相如に似ていると孝成帝に推薦する名があり、そのおかけで彼は承明殿に待詔となったというものである。その後、掲雄は「甘泉賦」を奉っている。ここでは、揚雄のように自分を推挙する人物が現れ、文学の臣として仕えることを願うのである。
田園作』。
弊廬隔塵喧,惟先養恬素。卜鄰近三徑,植果盈千樹。
粵余任推遷,三十猶未遇。書劍時將晚,丘園日已暮。
晨興自多懷,晝坐常寡悟。沖天羨鴻鵠,爭食羞雞鶩。
望斷金馬門,勞歌采樵路。鄉曲無知己,朝端乏親故。
誰能為揚雄,一薦甘泉賦。
聖明なる君主に文学の侍臣として仕え、活躍することをねがいとしいることから抜け出せない日々を過ごしている。


枕籍琴書滿,褰帷遠岫連。
枕席 琴書満ち、帷を褰ぐれば 遠岫連なる。

書籍を枕にし、音楽と読書という風流な事ばかり満ち溢れている。とばりをかかげてみるとはるか遠くに山の峰々が連なっている。
枕籍 1 互いの身を枕として寝ること。寄りかかり合って寝ること。 2 男女がともに寝ること。同衾(どうきん)。 3 書物を積んで枕とすること。また、書物が高く積んであること。○琴書 琴と書籍。また、音楽と読書。風流人の高尚な趣味のこと。○褰帳  即位式や朝賀の際、高御座(たかみくら)の御帳(みちょう)を女官によりかかげひらくこと。とばりあげ。○岫 1 山の洞穴。2 山の峰。


我來如昨日,庭樹忽鳴蟬。
我来ること昨日のごときも、庭樹 忽ち蝉鴫く。
わたしが澗南園を離れ長安に来たのがまだほんの昨日のようである。荘園の木々には蝉が鳴いていることだろう。


促織驚寒女,秋風感長年。
促織 寒女を驚かし、秋風 長年を感ぜしむ。

やがてコオロギが鳴き始めると貧しい女が寒くなるのを思って驚くのである。そして秋風の西からの風が強くなると長くここにいることを感じさせるのだ。
促織 蟋蟀こおろぎ。中国ではこおろぎの鳴き声は機織りを促す声のように聞こえた。○寒女 貧乏な女。冬支度は井戸端で砧をたたいて冬着の準備をするため、その光景から冬支度をする女を寒女とする。 「擣(う)つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。○秋風 あきかぜ。西からの風。砂漠を越して山越えをし、砂塵の吹き降ろしの風になる。


授衣當九月,無褐竟誰憐。
衣を授く 九月に當たる、褐無きも竟に誰か憐れまん。
冬の衣を準備する九月になっている、着物もなく、毛織物もなければ竟に誰も憐れんではくれない、わたしの情況がまさしくそうなっているのだ。
授衣 1 冬着の準備をすること。冬の用意をすること。2 陰暦9月の異称。
『詩経』豳風(ひんぷう)「七月」(ふみづき)
七月流火、九月授衣。
一之日觱發、二之日栗烈。
無衣無褐、何以卒歲。
三之日于耜、四之日舉趾、同我婦子。
饁彼南畝、田畯至喜。

(七月には流る火あり、九月衣を授く。
一の日は觱發たり、二の日は栗烈たり。
衣無く褐無くんば、何を以てか歲を卒へん。
三の日 于(ここ)に耜(し)し、四の日 趾(あし)を舉ぐ、我が婦子とともに。
彼の南畝に饁(かれひ)す、田畯至り喜ぶ。)
に基づく句である。
<大意>七月には火星が西に流れる、九月には家族に衣を与えねばならぬ、十一月には風が寒くなり、十二月には激しく吹く、衣がなければ、どうして年を越せようか、明けて三月には鋤の手入れをし、四月には足を上げて耕さねばならぬ、我が妻子とともに、南の畑で働いていると、田んぼの役人さんがやってきて、喜びなさるだろう(流火:火は火星のこと、それが西へ流れるのを流火という、一之日:十一月をさす、田畯:田んぼを管轄する役人)


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(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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夏日辮玉法師茅齋 孟浩然 「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -327

夏日辮玉法師茅齋 孟浩然 「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -327


夏日辮玉法師茅齋  孟浩然
夏日茅齋裏,無風坐亦涼。
真夏のある日、茅齋の庵の中にいる。風は吹いていないに座禅をするとそれでまた涼しい。
竹林深筍穊,藤架引梢長。
竹林の奥の方に行くとたけのこが密集して生えている、そして籐の編み込みが木の梢の長いものを引っ張るように掛かっている。
燕覓巢窠處,蜂來造蜜房。
つばめは巣作りの場所を探し求めている、ミツバチは蜜房造りに花の蜜を求めて飛んでくる。
物華皆可玩,花蕊四時芳。

万物、花はすべて注目していくべきである、花の芯が一日中4回の座禅のときにほのかな香りを出してくれている。


(夏日 玉法師の茅齋に辮す)
夏日 茅齋の裏、風無けれども坐すれば亦た涼し。
竹林深筍穊(おお)く、籐架 梢を引きて長し。
鷲は巢窠の庭を覚め、蜂は蜜を造る房に來たる。
物華 皆翫ぶべし、花蕊 四時芳し。


現代語訳と訳註
(本文)
夏日辮玉法師茅齋
夏日茅齋裏,無風坐亦涼。
竹林深筍穊,籐架引梢長。
燕覓巢窠處,蜂來造蜜房。
物華皆可玩,花蕊四時芳。

 
(下し文) 夏日 辮玉法師の茅齋にて
夏日 茅齋の裏、風無けれども坐すれば亦た涼し。
竹林深筍穊おお)く、籐架 梢を引きて長し。
燕は巢窠の處を覓め、蜂は蜜を造る房に來たる。
物華 皆翫ぶべし、花蕊  四時 芳し。


(現代語訳)
真夏のある日、茅齋の庵の中にいる。風は吹いていないに座禅をするとそれでまた涼しい。
竹林の奥の方に行くとたけのこが密集して生えている、そして籐の編み込みが木の梢の長いものを引っ張るように掛かっている。
つばめは巣作りの場所を探し求めている、ミツバチは蜜房造りに花の蜜を求めて飛んでくる。
万物、花はすべて注目していくべきである、花の芯が一日中4回の座禅のときにほのかな香りを出してくれている。


(訳注)
夏日辮玉法師茅齋

真夏のある日瓣玉法師の齊庵で。


夏日茅齋裏,無風坐亦涼。
真夏のある日、茅齋の庵の中にいる。風は吹いていないに座禅をするとそれでまた涼しい。
夏日 真夏のある日。○茅齋 茅で作った庵。○ 部屋の中。○ 座禅を組む。


竹林深筍穊,籐架引梢長。
竹林の奥の方に行くとたけのこが密集して生えている、そして籐の編み込みが木の梢の長いものを引っ張るように掛かっている。
竹林 竹林。隠棲生活の常套語。○ おくぶかい。○筍概 たけのこが密集している。○籐架 籐を編んだものが~にかかっている。木の梢の長いものを引いている。


燕覓巢窠處,蜂來造蜜房。
つばめは巣作りの場所を探し求めている、ミツバチは蜜房造りに花の蜜を求めて飛んでくる。
 つばめ。○覓 もとめる。○巢窠 巣作り。○ 場所。○ みつはち。○蜜房 ミツの蜂の巣。


華皆可玩,花蕊四時芳。
万物、花はすべて注目していくべきである、花の芯が一日中4回の座禅のときにほのかな香りを出してくれている。
物華 万物と花華。○翫 物事の意義をよく考える。○花蕊 花のめしべ。 ○四時 ・1年の四つの季節、春夏秋冬の総称。四季。・1か月中の四つの時。晦(かい)・朔(さく)・弦・望。・一日中の4回の座禅の時。早晨(そうしん)(朝午前4時)・晡時(ほじ)(昼午前10時)・黄昏(こうこん)(夕方午後8時)・後夜(ごや)(夜午後8時)の座禅。ここでは一日中の4回の座禅のとき。○ 芳しい。ほのかな香りがすること。


孟浩然の自然を愛して毎日中止してみている。それは、花や木、水、川だけでなく、燕、ミツバチについても詠っているのである。そして特徴的なのは、場所の移動、時の移動、そして「深」、「穊」、「引」と本来静的に見ているものを活動的に表現している。活動的に表現することで非常に細やかなものに感じられてくるのである。澗南園の風景を感じさせるものである。ただ単に田園の生活を詠うというものではないのは間違いない。孟浩然の凄い作品というべきものである。

 bamb05176 夏日辮玉法師茅齋
夏日茅齋裏,無風坐亦涼。
竹林深筍穊,籐架引梢長。
燕覓巢窠處,蜂來造蜜房。
物華皆可玩,花蕊四時芳。
 夏日 辮玉法師の茅齋にて
夏日 茅齋の裏、風無けれども坐すれば亦た涼し。
竹林深筍穊おお)く、籐架 梢を引きて長し。
燕は巢窠の處を覓め、蜂は蜜を造る房に來たる。
物華 皆翫ぶべし、花蕊  四時 芳し。



 


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秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 孟浩然 「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -326

秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 孟浩然 「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -326
孟浩然晩年の作

秦中苦雨思歸,贈袁左丞、賀侍郎(孟浩然 )
 苦學三十載,閉門江漢陰。
仕官を目指して学んできたがなかなかうまく行かず三十年も苦しんでいる。金馬門という試験を及第することができないでいて、今はこの漢水の江川の南にいる。
 用賢遭聖日,羈旅屬秋霖。
友人であり、後輩である杜甫に粛宗皇帝に会えたのである。自分の旅を続けていて秋の長雨は何時までも続いている。
 豈直昏墊苦,亦爲權勢沈。
そして実際に今この晩年になっても悩み苦しんでいる。それにまた、気持を維持し続けることもできず沈んでしまっている。
 二毛催白發,百鎰罄黄金。
白髪混じりから白髪にかわってきている。大金、ましてや黄金など空っぽの状態でいる。
 淚憶峴山堕,愁懷湘水深。
涙を流すことは峴山にある堕涙碑を思い浮かべることであり、湘水の深さを思えば屈原の愁いを懐かしく思う。
 謝公積憤懑,莊舄空謠吟。
謝霊運は奸臣たちに憤懣をつみかさねて隠棲していたし、梁父吟を歌っていた諸葛亮のようにはいかず田舎の田園で空しく謡うだけだ。
 躍馬非吾事,狎鷗宜我心。
馬を躍らせるのは自分の仕事でも目標でもはないのであり、馴れた小鳩になることなど私の心にはないのである。
 寄言當路者,去矣北山岑。

この詩を同じ思いをしているものによせる、しかしもう嵩山の向こうにあるそそりたつ頂といえる朝廷に仕官することはあきらめてこの隠遁生活に入るのである。


(秦中苦雨歸らんと思い袁左丞賀侍郎に贈る)
學に苦むこと 三十載、門を閉ざす江漢の陰。
賢を用ふ 聖日に遭ふに、羈旅 秋霖に屬す
豈に直に昏墊に苦しめらるる、亦た權勢の為に沈めらるる。
二毛 白髪を催し、百鎰 黄金 罄く。
涙して峴山の堕を憶ひ、愁ひて 湘水の深きを懐ふ。
謝公は憤懑を積み、莊舄は空しく謠吟す。
馬を躍らすは吾が事に非ず、鴎に狎るるは宜に我が心なり。
言を寄す 當路の者に、去りゆかん 北山の岑にと。

宮島(3)


現代語訳と訳註
(本文)
秦中苦雨思歸,贈袁左丞、賀侍郎
 苦學三十載,閉門江漢陰。
 用賢遭聖日,羈旅屬秋霖。
 豈直昏墊苦,亦爲權勢沈。
 二毛催白發,百鎰罄黄金。
 淚憶峴山堕,愁懷湘水深。
 謝公積憤懑,莊舄空謠吟。
 躍馬非吾事,狎鷗宜我心。
 寄言當路者,去矣北山岑。


(下し文) (秦中苦雨歸らんと思い袁左丞賀侍郎に贈る)
學に苦むこと 三十載、門を閉ざす江漢の陰。
賢を用ふ 聖日に遭ふに、羈旅 秋霖に屬す
豈に直に昏墊に苦しめらるる、亦た權勢の為に沈めらるる。
二毛 白髪を催し、百鎰 黄金 罄く。
涙して峴山の堕を憶ひ、愁ひて 湘水の深きを懐ふ。
謝公は憤懑を積み、莊舄は空しく謠吟す。
馬を躍らすは吾が事に非ず、鴎に狎るるは宜に我が心なり。
言を寄す 當路の者に、去りゆかん 北山の岑にと。


(現代語訳)
仕官を目指して学んできたがなかなかうまく行かず三十年も苦しんでいる。金馬門という試験を及第することができないでいて、今はこの漢水の江川の南にいる。
友人であり、詩の後輩である王維に粛宗皇帝に会えたのである。自分の旅を続けていて秋の長雨は何時までも続いている。
そして実際に今この晩年になっても悩み苦しんでいる。それにまた、気持を維持し続けることもできず沈んでしまっている。
白髪混じりから白髪にかわってきている。大金、ましてや黄金など空っぽの状態でいる。
涙を流すことは峴山にある堕涙碑を思い浮かべることであり、湘水の深さを思えば屈原の愁いを懐かしく思う。

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(訳注)
苦學三十載,閉門江漢陰。

學に苦むこと 三十載、門を閉ざす江漢の陰。
仕官を目指して学んできたがなかなかうまく行かず三十年も苦しんでいる。金馬門という試験を及第することができないでいて、今はこの漢水の江川の南にいる。
苦學三十載 この句は宋の謝霊運の「初去郡」詩(『文選』巻二十六「行旅」)に基づいている。
・・・・・・・・・・
負心二十載、於今廢将迎。
理棹遄還期、遵渚騖修垌。
遡渓終水渉、登嶺始山行。
野曠沙岸浄、天高秋月明。
憩石挹飛泉、攀林搴落英。
・・・・・・・・・・
心に負くこと二十載、今において将迎を廢め。
棹を理めて 還る期を遄くし、渚に遵いて修き垌を騖す。
渓を遡り終に水を渉り、嶺に登らんとして始めて山行す。
野は曠くして 沙岸は浄く、天高くして 秋月明らかなり。

謝霊運は、悟った人間は浮世から脱出すべきものである。「低き位をみずから耕すに代えた」というものである。ということを言っていて、孟浩然の心情はまさにおなじものであった。陶淵明にも『歸田園居』というのがあるが、山水、自然、田園について謝霊運の心情にちかく、学んでいる。○閉門 金馬門、朝廷の入り口の門であり、朝廷を意味する。したがって、進士試験に及第をしないこと。王維に玄宗に面会の機会を与えられてもそれを生かせなかったことで挫折したことを示すものである。○江漢陰 江は江川、漢は漢水、陰は南で、澗南園を意味する。


用賢遭聖日,羈旅屬秋霖。
賢を用ふ 聖日に遭ふに、羈旅 秋霖に屬す
友人であり、後輩である杜甫に粛宗皇帝に会えたのである。自分の旅を続けていて秋の長雨は何時までも続いている。
用賢遭聖日 この句は、王維が朝廷に宿直であった折、玄宗に会うことができたことを示すものである。王維は34才~35歳の頃であった。この後737年、張九齢は荊州長史に左遷され、その地で孟浩然を従事させる。孟浩然48歳の時であった○用賢 賢者に用意をしてもらうこと。この場合賢は王維のことである。○聖日 聖は天子のこと。日も天子のこと。○ 続く。おびる。注意する。つきしたがう。○秋霖 秋の初めに降りつづく雨。秋の長雨。秋雨(あきさめ)。


豈直昏墊苦,亦爲權勢沈。
豈に直に昏墊に苦しめらるる、亦た權勢の為に沈めらるる。
そして実際に今この晩年になっても悩み苦しんでいる。それにまた、気持を維持し続けることもできず沈んでしまっている。
昏墊 晩年になって悩み苦しむ。・:日暮れて暗くなる。・:しずみこむ。なやむ。○權勢 権力と勢力。


二毛催白發,百鎰罄黄金。
二毛 白髪を催し、百鎰【びゃくいつ】 黄金 罄く。
白髪混じりから白髪にかわってきている。大金、ましてや黄金など空っぽの状態でいる。
百鎰 大金。・:金の目方、一鎰は20両。  使い切る,空(から)になる(する) 告罄 空になる.


淚憶峴山堕,愁懷湘水深。
涙して峴山の堕を憶ひ、愁ひて 湘水の深きを懐ふ。
涙を流すことは峴山にある堕涙碑を思い浮かべることであり、湘水の深さを思えば屈原の愁いを懐かしく思う。
峴山堕 襄陽の南襄陽城の南十里にある。孫堅が襄陽を攻撃したとき、黄祖(あるいは呂公)はこの山に潜んで孫堅を射殺した。羊祜が荊州の都督として陸抗と対峙していた、荊州の領民を労わるはおろか 相対していた呉の将兵にまで礼節を以て臨み敵味方問わずから尊崇を集めていた。 そんな羊祜が病で没した。死を惜しんだ民により生前彼が好んだ峴山に碑が建立された。 その碑を見た者は皆在りし日の羊祜を偲んで涙を堕とすに及んだ。墮淚碣という。


謝公積憤懑,莊舄空謠吟。
謝公は憤懑を積み、莊舄は空しく謠吟す。
謝霊運は奸臣たちに憤懣をつみかさねて隠棲していたし、梁父吟を歌っていた諸葛亮のようにはいかず田舎の田園で空しく謡うだけだ。
莊舄 荘園。いなかの田園。 シャク、 サク、 セキ、 タク訓読み:かささぎ 謠吟襄陽は諸葛孔明が「梁甫吟」をうたって田園で耕作していた。


躍馬非吾事,狎鷗宜我心。
馬を躍らすは吾が事に非ず、鴎に狎るるは宜に我が心なり。
馬を躍らせるのは自分の仕事でも目標でもはないのであり、馴れた小鳩になることなど私の心にはないのである
狎鷗 馴れている鳩。・狎:動物が人に対して警戒心を解き従順になること。


寄言當路者,去矣北山岑。
言を寄す 當路の者に、去りゆかん 北山の岑にと。
この詩を同じ思いをしているものによせる、しかしもう嵩山の向こうにあるそそりたつ頂といえる朝廷に仕官することはあきらめてこの隠遁生活に入るのである。


(秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎)
  苦學三十載,閉門江漢陰。
 用賢遭聖日,羈旅屬秋霖。
 豈直昏墊苦,亦爲權勢沈。
 二毛催白發,百鎰罄黄金。
 淚憶峴山堕,愁懷湘水深。
 謝公積憤懑,莊舄空謠吟。
 躍馬非吾事,狎鷗宜我心。
 寄言當路者,去矣北山岑。


(秦中苦雨歸らんと思い袁左丞賀侍郎に贈る)
學に苦むこと 三十載、門を閉ざす江漢の陰。
賢を用ふ 聖日に遭ふに、羈旅 秋霖に屬す
豈に直に昏墊に苦しめらるる、亦た權勢の為に沈めらるる。
二毛 白髪を催し、百鎰 黄金 罄く。
涙して峴山の堕を憶ひ、愁ひて 湘水の深きを懐ふ。
謝公は憤懑を積み、莊舄は空しく謠吟す。
馬を躍らすは吾が事に非ず、鴎に狎るるは宜に我が心なり。
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登安陽城樓 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -325

登安陽城樓 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -325

登安陽城樓
縣城南面漢江流,江漲開成南雍州。
襄陽城の南の城壁に向かって漢水の江が流れていく。川はその水を満々とたたえてこの南の襄陽の街を開いている。
才子乘春來騁望,羣公暇日坐銷憂。
才知にすぐれ、頭の働きのすばやい人は春が来たらその陽気にのってここまで馳せ参じてけしきをながめるのである。太公望は、暇な日を過ごすのにじっとすわって心配事をすくなくしたのである。
樓臺晚映青山郭,羅綺晴驕綠水洲。
城郭の高台は夕日に映えていて城郭の向こうに春霞の山々がかすんで見えている。春になるとうつくしいあや絹は晴れた日には妖艶な感じになってくるし、澄み切った水にまた中州も春に驕っている。
向夕波搖明月動,更疑神女弄珠遊。
夕方になってきて満々とたたえた漢水の水面は揺れているそして明るい月がのぼってくる。更に月の仙女が輝く宝飾をもって遊んでいるのかと見間違うようである。


安陽城の樓に登る
縣城の南面に 漢江流る,江を漲らせて成を開く 南雍の州。
才子 春に乘じて 來騁を望む,羣公 暇日 坐して銷を憂う。
樓臺 晚に映ず 青山の郭,羅綺 晴に驕りて綠水の洲。
夕に向い 波搖 明月 動じ,更に疑う 神女 珠遊に弄る。

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現代語訳と訳註
(本文) 登安陽城樓

縣城南面漢江流,江漲開成南雍州。
才子乘春來騁望,羣公暇日坐銷憂。
樓臺晚映青山郭,羅綺晴驕綠水洲。
向夕波搖明月動,更疑神女弄珠遊。


(下し文)安陽城の樓に登る
縣城の南面に 漢江流る,江を漲らせて成を開く 南雍の州。
才子 春に乘じて 來騁を望む,羣公 暇日 坐して銷を憂う。
樓臺 晚に映ず 青山の郭,羅綺 晴に驕る綠水の洲。
夕に向い 波搖れ 明月 動ず,更に疑う 神女 珠遊に弄るかと。


(現代語訳)
襄陽城の南の城壁に向かって漢水の江が流れていく。川はその水を満々とたたえてこの南の襄陽の街を開いている。
才知にすぐれ、頭の働きのすばやい人は春が来たらその陽気にのってここまで馳せ参じてけしきをながめるのである。太公望は、暇な日を過ごすのにじっとすわって心配事をすくなくしたのである。
城郭の高台は夕日に映えていて城郭の向こうに春霞の山々がかすんで見えている。春になるとうつくしいあや絹は晴れた日には妖艶な感じになってくるし、澄み切った水にまた中州も春に驕っている。
夕方になってきて満々とたたえた漢水の水面は揺れているそして明るい月がのぼってくる。更に月の仙女が輝く宝飾をもって遊んでいるのかと見間違うようである。

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(訳注)
登安陽城樓

○安陽城 西には太行山脈がそびえ、そこから流れる漳河(しょうが、海河水系衛河の支流)が河北省邯鄲市との境を流れる。中国七大古都(北京、南京、杭州、西安、洛陽、開封、安陽)の一つである。約三千三百年前の商代後期の都で中国古代王朝の一つである殷の時代の遺跡「殷墟」があり、ヒエログリフ、楔形文字と並び世界三大古代文字の一つに数えられる甲骨文字が大量に出土している。


縣城南面漢江流,江漲開成南雍州。
縣城の南面に 漢江流る,江を漲らせて成を開く 南雍の州。
襄陽城の南の城壁に向かって漢水の江が流れていく。川はその水を満々とたたえてこの南の襄陽の街を開いている。
○縣城 襄陽城。○江漲 春の雪解け水が満々と水を湛えていること。別には、嶂と造るものがある。その場合安陽城の北側を流れる漳河のことを指すのか。○開成 世の人知を開発し、事業を完成すること。○雍州 湖北省襄陽。九州の一つ。古代王朝の安陽ということ。


才子乘春來騁望,羣公暇日坐銷憂。
才子 春に乘じて 來騁を望む,羣公 暇日 坐して銷を憂う。
才知にすぐれ、頭の働きのすばやい人は春が来たらその陽気にのってここまで馳せ参じてけしきをながめるのである。太公望は、暇な日を過ごすのにじっとすわって心配事をすくなくしたのである。
○才子 才知にすぐれ、頭の働きのすばやい人。多く男についていう。才人。才物。 2 抜けめがなく要領のよい人。○張公両竜剣 竜泉、太阿という二つの宝剣が、豫章と豐城とで出土し、張華と雷煥の二人が、おのおのその一刀を待ったと伝えられる。その後、張華が誅せられ、剣のありかを失った。雷煥が亡くなったのち、子の雷華が剣を持って旅をし、延平津に通りかかった時、剣が突然、腰間から躍り出て水中におちた。人を水にもぐらせてさがしたが、剣は見つからず、しかし、長さ数丈の二頭の竜を見たという。○羣公 太公望のこと。○暇日 暇な日。仕事のない日。○銷憂 心配を消す。
 

樓臺晚映青山郭,羅綺晴驕綠水洲。
樓臺 晚に映ず 青山の郭,羅綺 晴に驕る綠水の洲。
城郭の高台は夕日に映えていて城郭の向こうに春霞の山々がかすんで見えている。春になるとうつくしいあや絹は晴れた日には妖艶な感じになってくるし、澄み切った水にまた中州も春に驕っている。
○樓臺 建物などの高台見晴らし台。高閣、高楼、やぐら。○青山 孟浩然の自然を動的に表現、遠近法的表現する。また、青は春を意味する。城郭の向こうに小高い山、峴山を遙かに望むことを意味する。
過故人莊
故人具雞黍,邀我至田家。
綠樹村邊合,青山郭外斜。
開筵面場圃,把酒話桑麻。
待到重陽日,還來就菊花。
○羅綺「羅」は、うすぎぬ。「綺」はあやぎぬ。美しい衣服。


向夕波搖明月動,更疑神女弄珠遊。
夕に向い 波搖れ 明月 動ず,更に疑う 神女 珠遊に弄るかと。
夕方になってきて満々とたたえた漢水の水面は揺れているそして明るい月がのぼってくる。更に月の仙女が輝く宝飾をもって遊んでいるのかと見間違うようである。


この詩は安陽城を借りて、襄陽城の遊郭のある大堤あたりから襄陽城の向こうに見える峴山を詠っているようである。
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