漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2012年06月

初発石首城 謝霊運(康楽) 詩<56-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩446 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1155

初発石首城 謝霊運(康楽) 詩<56-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩446 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1155


初發石首城
珪尚可磨,斯言易為緇。
天子に賜る白い玉は磨けば磨け砕け良いことになるが、言葉は讒言など黒く汚れたものでも容易にもちいられている。
雖抱中孚爻,猶勞貝錦詩。
誠、真心というものを易の卦のようにして大事にしているのであるが、それでもなおいろんな讒言によって苦労をしているのだ。
寸心若不亮,微命察如絲。
自分のほんの少しの気持ちが、もし人に明るくはっきりしていることができないのであれば、私の徴命は察するに糸のように危ういことである。
日月垂光景,成貸遂兼茲。」
太陽や月のように我々に暖かい慈愛を施してくれる文帝は私に光景を垂れてくだされた、誰もがするように賄賂を贈ることをしてでも臨川の内守を何とか勤め上げることにしよう。
#2
出宿薄京畿,晨裝摶魯颸。
私は宿を出て金陵の都、京幾に滞留したのである、午前中に旅の装いをして旅途中の涼風をとらえたのである。
重經平生別,再與朋知辭。
重ねて常日頃の別をした後で、再び朋友に別れの辞を与えることができる。
故山日已遠,風波豈還時。
故郷の山野は日ごとに既に遠くなっているし、大風か大波がおこってくれればこれで、かえり時になるのであろう。
苕苕萬里帆,茫茫終何之?」

苕苕として万里に向かう帆を高く掲げ、茫茫としてはっきりしないのについにどこに行けばよいのだろう。
#3
游當羅浮行,息必廬霍期。

皎皎として何もなく広々として明るさを発っしているおもう心境である、論語子罕でいう節奏を持った男が欺かれてしまうことはあってほしくないのだ。
旅をし、遊ぶといえばまさに羅浮山に行かねばならないのだ、心の癒し・憩うといえば必ず廬山の絶景であろうし、六安瓜片の緑茶の産地霍山に時期をみていくことである。
越海淩三山,遊湘曆九嶷。
そして、越の地方からは海を越えて温州に至る三山を陵ぐものである。湘江で遊び九嶷山を経ていくのもよいのである。
欽聖若旦暮,懷賢亦淒其。
聖人をつつしみ敬うのは朝が晩になるように当然のこととしている、そして賢人を懐うことは亦た、それが悲しくて,胸ふさがるのである。
皎皎明發心,不為歲寒欺。」


(初めて石首城を発す)
白き珪【けい】は尚 磨く可きも,斯の言は緇【くろ】と為し易し。
中孚【ちゅうふ】の爻【こう】を抱くと雖ども,猶 貝錦【ばいきん】詩に勞するごとし。
寸心【すんしん】の若し不亮【あき】らかならずんば,微命は察するに絲の如く。
日月 光景を垂れ,貸を成して遂に茲【これ】を兼ねしむ。」
#2
出宿をて京畿【けいき】に薄【いた】り,晨に裝いて魯颸【ろし】摶つ。
重ねて平生の別を經て,再び朋知に辭を與【あた】う。
故山【こざん】日に已に遠く,風波もて豈 還る時あらんや。
苕苕【ちょうちょう】萬里の帆,茫茫【ぼうぼう】終【つい】に何れに之かん?」
#3
游びには當に羅浮【らふ】に行くべし,息うは必ず廬 霍に期す。
海を越えて三山を淩ぎ,湘に遊びて九嶷【きゅうぎ】を曆ん。
欽聖【きんせい】旦暮【たんぼ】の若く,懷賢【かいけん】亦た 淒其【せいき】たり。
皎皎【きょうきょう】明發を心し,歲寒に欺【あざむ】かるるを為さず。」



現代語訳と訳註
(本文)

游當羅浮行,息必廬霍期。越海淩三山,遊湘曆九嶷。
欽聖若旦暮,懷賢亦淒其。皎皎明發心,不為歲寒欺。」

(下し文)#3
游びには當に羅浮【らふ】に行くべし,息うは必ず廬 霍に期す。
海を越えて三山を淩ぎ,湘に遊びて九嶷【きゅうぎ】を曆ん。
欽聖【きんせい】旦暮【たんぼ】の若く,懷賢【かいけん】亦た 淒其【せいき】たり。
皎皎【きょうきょう】明發を心し,歲寒に欺【あざむ】かるるを為さず。」


(現代語訳)
旅をし、遊ぶといえばまさに羅浮山に行かねばならないのだ、心の癒し・憩うといえば必ず廬山の絶景であろうし、六安瓜片の緑茶の産地霍山に時期をみていくことである。
そして、越の地方からは海を越えて温州に至る三山を陵ぐものである。湘江で遊び九嶷山を経ていくのもよいのである。
聖人をつつしみ敬うのは朝が晩になるように当然のこととしている、そして賢人を懐うことは亦た、それが悲しくて,胸ふさがるのである。
皎皎として何もなく広々として明るさを発っしているおもう心境である、論語子罕でいう節奏を持った男が欺かれてしまうことはあってほしくないのだ。


(訳注) #3
游當羅浮行,息必廬霍期。

旅をし、遊ぶといえばまさに羅浮山に行かねばならないのだ、心の癒し・憩うといえば必ず廬山の絶景であろうし、六安瓜片の緑茶の産地霍山に時期をみていくことである。
羅浮 羅浮山のこと。広東省恵州市博楽県長寧鎮にある。 広州の東90キロに位置する羅浮山は古くは東樵山といわれ南海の西樵山と姉妹関係にある。広東四大名山の一つで、道教の聖地として中国十大名山の一つにも数えられている。主峰飛雲頂は海抜1296m、は香港の北、広州市の東、東莞市の北東に所在する山である。広東省の道教の聖地「羅浮山」羅浮仙ラフセン:隋の趙師雄が梅の名所の羅浮山で羅をまとった美女と出会い酒を酌み交わす酒に酔い伏し梅の樹の下で気が付いた美女は梅の精で羅浮仙ラフセンと呼ばれた故事もある。
李白『江西送友人之羅浮
爾去之羅浮、我還憩峨眉。
中閥道萬里、霞月逼相思。
如尋楚狂子、瓊樹有芳枝。
李白『金陵江上遇蓬池隱者』
心愛名山游、身隨名山遠。
羅浮麻姑台、此去或未返。
『安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰』
云臥三十年、好閑復愛仙。 蓬壺雖冥絕、鸞鶴心悠然。
歸來桃花岩、得憩云窗眠。對嶺人共語、飲潭猿相連。
時升翠微上、邈若羅浮巔。 兩岑抱東壑、一嶂橫西天。
樹雜日易隱、崖傾月難圓。芳草換野色、飛蘿搖春煙。
入遠構石室、選幽開上田。 獨此林下意、杳無區中緣。

永辭霜台客、千載方來旋。
道教の寺観の傍には、娼屋のようなところがあった。祠もあって、旅人も宿泊できるものであったようだ。
廬山 江西省九江市南部にある名山。峰々が作る風景の雄大さ、奇絶さ、険しさ、秀麗さが古来より有名で、「匡廬奇秀甲天下」(匡廬の奇秀は天下一である)と称えられてきた(匡廬とは廬山の別名)。・霍山 安徽省六安市に位置する。六安瓜片(緑茶)の産地


越海淩三山,遊湘曆九嶷。
そして、越の地方からは海を越えて温州に至る三山を陵ぐものである。湘江で遊び九嶷山を経ていくのもよいのである。
三山 会稽始寧から南に三山(現浙江省富陽縣三山)がある。東方三神山の一山として に移動。蓬萊、方丈、瀛州(えいしゅう)は東海の三神山であり、不老不死の仙人が住むと伝えられている。・九嶷山 洞庭湖の南部で、瀟水と湘江が合流する一帯の景色は「瀟湘湖南」と称されて親しまれてきた。これに古代の帝王・舜が葬られたとされている九嶷山を取り入れた景観もまたその美しさで知られ、多くの詩が詠まれてきた(劉禹錫の「瀟湘曲」など)。


欽聖若旦暮,懷賢亦淒其。
聖人をつつしみ敬うのは朝が晩になるように当然のこととしている、そして賢人を懐うことは亦た、それが悲しくて,胸ふさがるのである。
1 つつしみ敬う。「欽仰・欽羨(きんせん)・欽慕」2 天子に関する物事に付けて敬意を示す語。「欽定・欽命」・旦暮 1 朝晩。あけくれ。旦夕。 2 時機が迫っていること。・ (凄) (1) 寒い,冷え冷えする.(2) もの寂しい,うらさびれた.《―(悽)》悲しい,胸ふさがる.


皎皎明發心,不為歲寒欺。」
皎皎として何もなく広々として明るさを発っしているおもう心境である、論語子罕でいう節奏を持った男が欺かれてしまうことはあってほしくないのだ。
皎皎(皓皓)【こうこう】1 白く光り輝くさま。清らかなさま。2 何もなく広々としているさま。
歳寒【さいかん】 寒さの厳しい時節。冬季。冬。歳寒の松柏、論語子罕:子曰:歲寒,然後知松柏之後凋也"。松や柏が厳寒にも葉の緑を保っているところから、節操が堅く、困難にあっても屈しないことのたとえ。

初発石首城 謝霊運(康楽) 詩<56-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩445 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1152

初発石首城 謝霊運(康楽) 詩<56-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩445 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1152


初發石首城
白珪尚可磨,斯言易為緇。
天子に賜る白い玉は磨けば磨け砕け良いことになるが、言葉は讒言など黒く汚れたものでも容易にもちいられている。
雖抱中孚爻,猶勞貝錦詩。
誠、真心というものを易の卦のようにして大事にしているのであるが、それでもなおいろんな讒言によって苦労をしているのだ。
寸心若不亮,微命察如絲。
自分のほんの少しの気持ちが、もし人に明るくはっきりしていることができないのであれば、私の徴命は察するに糸のように危ういことである。
日月垂光景,成貸遂兼茲。」

太陽や月のように我々に暖かい慈愛を施してくれる文帝は私に光景を垂れてくだされた、誰もがするように賄賂を贈ることをしてでも臨川の内守を何とか勤め上げることにしよう。
#2
出宿薄京畿,晨裝摶魯颸。
私は宿を出て金陵の都、京幾に滞留したのである、午前中に旅の装いをして旅途中の涼風をとらえたのである。
重經平生別,再與朋知辭。
重ねて常日頃の別をした後で、再び朋友に別れの辞を与えることができる。
故山日已遠,風波豈還時。
故郷の山野は日ごとに既に遠くなっているし、大風か大波がおこってくれればこれで、かえり時になるのであろう。
苕苕萬里帆,茫茫終何之?」
苕苕として万里に向かう帆を高く掲げ、茫茫としてはっきりしないのについにどこに行けばよいのだろう。
#3
游當羅浮行,息必廬霍期。越海淩三山,遊湘曆九嶷。
欽聖若旦暮,懷賢亦淒其。皎皎明發心,不為歲寒欺。」


(初めて石首城を発す)
白き珪【けい】は尚 磨く可きも,斯の言は緇【くろ】と為し易し。
中孚【ちゅうふ】の爻【こう】を抱くと雖ども,猶 貝錦【ばいきん】詩に勞するごとし。
寸心【すんしん】の若し不亮【あき】らかならずんば,微命は察するに絲の如く。
日月 光景を垂れ,貸を成して遂に茲【これ】を兼ねしむ。」
#2
出宿をて京畿【けいき】に薄【いた】り,晨に裝いて魯颸【ろし】摶つ。
重ねて平生の別を經て,再び朋知に辭を與【あた】う。
故山【こざん】日に已に遠く,風波もて豈 還る時あらんや。
苕苕【ちょうちょう】萬里の帆,茫茫【ぼうぼう】終【つい】に何れに之かん?」
#3
游びには當に羅浮【らふ】に行くべし,息うは必ず廬 霍に期す。
海を越えて三山を淩ぎ,湘に遊びて九嶷【きゅうぎ】を曆ん。
欽聖【きんせい】旦暮【たんぼ】の若く,懷賢【かいけん】亦た 淒其【せいき】たり。
皎皎【きょうきょう】明發を心し,歲寒に欺【あざむ】かるるを為さず。」


現代語訳と訳註
(本文)

出宿薄京畿,晨裝摶魯颸。重經平生別,再與朋知辭。
故山日已遠,風波豈還時。苕苕萬里帆,茫茫終何之?」


(下し文)#2
出宿をて京畿【けいき】に薄【いた】り,晨に裝いて魯颸【ろし】摶つ。
重ねて平生の別を經て,再び朋知に辭を與【あた】う。
故山【こざん】日に已に遠く,風波もて豈 還る時あらんや。
苕苕【ちょうちょう】萬里の帆,茫茫【ぼうぼう】終【つい】に何れに之かん?」


(現代語訳)
私は宿を出て金陵の都、京幾に滞留したのである、午前中に旅の装いをして旅途中の涼風をとらえたのである。
重ねて常日頃の別をした後で、再び朋友に別れの辞を与えることができる。
故郷の山野は日ごとに既に遠くなっているし、大風か大波がおこってくれればこれで、かえり時になるのであろう。
苕苕として万里に向かう帆を高く掲げ、茫茫としてはっきりしないのについにどこに行けばよいのだろう。


(訳注) #2
出宿薄京畿,晨裝摶魯颸。
私は宿を出て金陵の都、京幾に滞留したのである、午前中に旅の装いをして旅途中の涼風をとらえたのである。
京畿(けいき)は、漢字文化圏で京師(みやこ)および京師周辺の地域のこと。・魯颸 旅途中の涼風。


重經平生別,再與朋知辭。
重ねて常日頃の別をした後で、再び朋友に別れの辞を与えることができる。
平生 ふだん。いつも。つね日ごろ。副詞的にも用いる。・朋知 朋友の。


故山日已遠,風波豈還時。
故郷の山野は日ごとに既に遠くなっているし、大風か大波がおこってくれればこれで、かえり時になるのであろう。


苕苕萬里帆,茫茫終何之?」
苕苕として万里に向かう帆を高く掲げ、茫茫としてはっきりしないのについにどこに行けばよいのだろう。
苕苕 高いさま。超然。・茫茫 ひろびろと広大なさま

初発石首城 謝霊運(康楽) 詩<56-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩444 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1149

初発石首城 謝霊運(康楽) 詩<56-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩444 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1149


謝霊運は、臨川の内史をもって呼ぶ習慣があったがこの地の内史になったのは天子の特別なるおばしめしで、彼にとっては思わざる栄転であったとされるが、謝霊運は喜んではいなかった。
その臨川に赴任するとき、都の建康の西にあった石首城、すなわち石頭城を出発するときにその感慨を歌ったものに「初めて石首城を発す」がある。これは『文選』の巻二十六の「行旅」の部に引用されているが、この詩にはその不満の感情が実によく歌われているからである。



初發石首城
白珪尚可磨,斯言易為緇。
天子に賜る白い玉は磨けば磨け砕け良いことになるが、言葉は讒言など黒く汚れたものでも容易にもちいられている。
雖抱中孚爻,猶勞貝錦詩。
誠、真心というものを易の卦のようにして大事にしているのであるが、それでもなおいろんな讒言によって苦労をしているのだ。
寸心若不亮,微命察如絲。
自分のほんの少しの気持ちが、もし人に明るくはっきりしていることができないのであれば、私の徴命は察するに糸のように危ういことである。
日月垂光景,成貸遂兼茲。」
太陽や月のように我々に暖かい慈愛を施してくれる文帝は私に光景を垂れてくだされた、誰もがするように賄賂を贈ることをしてでも臨川の内守を何とか勤め上げることにしよう
#2
出宿薄京畿,晨裝摶魯颸。重經平生別,再與朋知辭。
故山日已遠,風波豈還時。苕苕萬里帆,茫茫終何之?」
#3
游當羅浮行,息必廬霍期。越海淩三山,遊湘曆九嶷。
欽聖若旦暮,懷賢亦淒其。皎皎明發心,不為歲寒欺。」


(初めて石首城を発す)
白き珪【けい】は尚 磨く可きも,斯の言は緇【くろ】と為し易し。
中孚【ちゅうふ】の爻【こう】を抱くと雖ども,猶 貝錦【ばいきん】詩に勞するごとし。
寸心【すんしん】の若し不亮【あき】らかならずんば,微命は察するに絲の如く。
日月 光景を垂れ,貸を成して遂に茲【これ】を兼ねしむ。」
#2
出宿をて京畿【けいき】に薄【いた】り,晨に裝いて魯颸【ろし】摶つ。
重ねて平生の別を經て,再び朋知に辭を與【あた】う。
故山【こざん】日に已に遠く,風波もて豈 還る時あらんや。
苕苕【ちょうちょう】萬里の帆,茫茫【ぼうぼう】終【つい】に何れに之かん?」

#3
游びには當に羅浮【らふ】に行くべし,息うは必ず廬 霍に期す。
海を越えて三山を淩ぎ,湘に遊びて九嶷【きゅうぎ】を曆ん。
欽聖【きんせい】旦暮【たんぼ】の若く,懷賢【かいけん】亦た 淒其【せいき】たり。
皎皎【きょうきょう】明發を心し,歲寒に欺【あざむ】かるるを為さず。」


現代語訳と訳註
(本文) 初發石首城

白珪尚可磨,斯言易為緇。雖抱中孚爻,猶勞貝錦詩。
寸心若不亮,微命察如絲。日月垂光景,成貸遂兼茲。」


(下し文)
白き珪【けい】は尚 磨く可きも,斯の言は緇【くろ】と為し易し。
中孚【ちゅうふ】の爻【こう】を抱くと雖ども,猶 貝錦【ばいきん】詩に勞するごとし。
寸心【すんしん】の若し不亮【あき】らかならずんば,微命は察するに絲の如く。
日月 光景を垂れ,貸を成して遂に茲【これ】を兼ねしむ。」


(現代語訳)

天子に賜る白い玉は磨けば磨け砕け良いことになるが、言葉は讒言など黒く汚れたものでも容易にもちいられている。
誠、真心というものを易の卦のようにして大事にしているのであるが、それでもなおいろんな讒言によって苦労をしているのだ。
自分のほんの少しの気持ちが、もし人に明るくはっきりしていることができないのであれば、私の徴命は察するに糸のように危ういことである。
太陽や月のように我々に暖かい慈愛を施してくれる文帝は私に光景を垂れてくだされた、誰もがするように賄賂を贈ることをしてでも臨川の内守を何とか勤め上げることにしよう


(訳注)
初發石首城

石首城 石頭城のこと。建康の都の西にある石頭城から任地臨川に赴くときに作った。
江蘇省南京市清涼山。 本楚金陵城, 漢建安十七年孫權重築改名。 城負山面江, 南臨秦淮河口, 當交通要沖, 六朝時為建康軍事重鎮。
戦国時代,周?王三十六年(前333年)に楚が越を滅ぼした。この時楚の威王が金陵邑を今の南京に建設した。同時に、今の 清凉山と呼ばれるところに城を築いた。秦始皇帝二十四年(前223年),楚を滅ぼし、金陵邑を秣陵?とした。三国時代,孫権は、秣陵を建業と改称、清凉山 に石頭城を建設した。当時、長江は清凉山下流を流れていて、石頭城の軍事的重要性は突出していた。呉では、水軍もっとも重要な水軍基地とし、以後数百年 間、軍事上の要衝となった。南北朝時代、何度も勝負の帰趨に大きな役割を果たした。
石頭城は清凉山の 西の天然の障壁をなし、山の周囲に築城したもの。周囲7里(現在の6里)あり 北は大江に接し南は秦淮河に接している。南向きに二つ門があり、東に向かって一つ,南門の西に西門があった。内部には石頭庫、石頭倉と呼ばれる倉庫があっ た。高所には烽火台があった。呉以降南朝でも重要性は変わらなかった。
南京清涼山後方位置(南京時内で30分距離)にある石頭城は南北の長さ3km,城遺跡は赤い色,城内には大量の河工石があって高さが0.3-0.7m,一番高いところは17mに達する自然岩石で造成され中間部位何ヶ所は飛び出してきた赤い色の水成岩になって険悪な顔と似て(鬼脸城)という。 本城は楚威王の金陵邑として楚威王7年(333年)に建造した。秦始皇帝二十四年(前223年),楚を滅ぼし、金陵邑を秣陵とした。東漢建安16年(211年)呉の孫権は秣陵(今日南京)に遷都して翌年に石頭山金陵邑旧跡に城を築いて石頭と名付けた。 明洪武2年(1369年)石頭城を応天府城(現南京)の一つ部分で再建した。 長江の軍事要地に当たるので歴代軍事家らの必須争奪地域になったし,石城虎距という名前を持つようになった。


白珪尚可磨,斯言易為緇。
天子に賜る白い玉は磨けば磨け砕け良いことになるが、言葉は讒言など黒く汚れたものでも容易にもちいられている。
白珪 【けい】諸侯に封じる時に、天子が授ける玉。「珪璧(けいへき)」白い玉はまた磨けばいいが、言葉は黒く汚れ易い、とある。『詩經』大雅、抑篇「白圭之玷,尚可磨也。斯言之玷,不可爲也。」(白圭の(王占)けたるは、なお磨くべし、この言の(王占)けたるは、為(おさ)むべからず。)、白い玉の欠けたのは、また磨けばいいが、言葉を誤ると改めようがない、とあるを引く。 ・ 悪口


雖抱中孚爻,猶勞貝錦詩。
誠、真心というものを易の卦のようにして大事にしているのであるが、それでもなおいろんな讒言によって苦労をしているのだ。
中孚 誠、真心ということ。・(こう)は、易の卦を構成する基本記号。
貝錦詩 議言


寸心若不亮,微命察如絲。
自分のほんの少しの気持ちが、もし人に明るくはっきりしていることができないのであれば、私の徴命は察するに糸のように危ういことである。
寸心 ほんの少しの気持ち。自分の気持ちをへりくだっていう語。


日月垂光景,成貸遂兼茲。」
太陽や月のように我々に暖かい慈愛を施してくれる文帝は私に光景を垂れてくだされた、誰もがするように賄賂を贈ることをしてでも臨川の内守を何とか勤め上げることにしよう
 宝。まいなう、賄賂を贈ること。・茲 江西省の臨川の内史という役につけられたが、これは謝霊運を太守扱いにするというもので実質謝霊運の上に大守がいた。

石室山詩 謝霊運(康楽) 詩<55-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩443 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1146

石室山詩 謝霊運(康楽) 詩<55-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩443 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1146


石室山詩
石室のある山での詩
清旦索幽異。放舟越坰郊。
すがすがしい 朝に、静かな此の別荘を目指してやって來る、それから小舟をきしから解き放って郊外の離れたところを超えてゆく。
苺苺蘭渚急。藐藐苔嶺高。
野イチゴがたくさん実っている、蘭が咲き誇る渚は急流である。はるか遠くまで映しい苔が生え高い峰の上まで続いている。
石室冠林陬。飛泉發山椒。
山懐に巌の空洞になっている、石橋か、冠のように変わった場所がある、泉から湧き出す水が滝となって飛び散り山の頂から噴出している。
虛泛徑千載。崢嶸非一朝。
小舟をむなしく浮かべている千年も前からの道としている、この石室山は高く聳えているのはこの朝だけではない。


#2
鄉村絕聞見。樵蘇限風霄。
人里、村は見えなくなってしまい、人々の生活の音も聞こえなくなった。木こりと草刈だけが風流な景色とこの大空を見ているだろう。
微戎無遠覽。總笄羨升喬。
あの昔の微子啓と公子罷戎の同盟を結んだはるかに遠い出来事として見ることはできないし、髪の毛を束ねて役人の簪をつけたとして趙升や王子喬の仙人を羨ましがっているのだ。
靈域久韜隱。如與心賞交。
この浄土に近い霊域においてこれからずっと久しく弓や剣を入れてつつんでしまいこんでしまうのだ、如来と共に心を賞賛し念仏を唱えていくのである。
合歡不容言。摘芳弄寒條。
浄土に行ける喜びを共にすることが分かってくると説明やなんか必要としない。香しい草花を摘み取り、まだ装いをしていない冬の木の枝を遊んで枯れ木に花が咲かせてやるとことにしよう。

#2
鄉村【ごうそん】 聞見【ぶんけん】を絕ち、樵【きこり】と蘇【くさかり】は風霄【ふうせい】に限【はば】まる。
微戎【びじゅう】のため遠覽【えんらん】する無し、總笄【そうべん】より升 喬を羨みしも。
靈域【れいいき】久しく韜隱【とういん】し、如し與に心賞【しんしょう】の交わりせば。
合歡【ごうかん】言を容【い】れず、芳を摘み寒條【かんじょう】を弄【もてあそ】ぶ。


夜明けを待って朝早く石室山の名勝を訪ねようとして、家を出ると、たちまちのうちに郊外に出てしまった。すると、遥か彼方に石室山が高く聾えていた。そこは人里遠く離れていて、人を寄せつけない。私は若いときから王子喬が仙人となったことにあこがれていたが、仙山に近づくこともできなかった。今、この名山を眺め、霊運の心の中にはさまざまな思い出が去来していたことであったろう。



現代語訳と訳註
(本文)
#2
鄉村絕聞見。樵蘇限風霄。微戎無遠覽。總笄羨升喬。
靈域久韜隱。如與心賞交。合歡不容言。摘芳弄寒條。


(下し文)#2
鄉村【ごうそん】 聞見【ぶんけん】を絕ち、樵【きこり】と蘇【くさかり】は風霄【ふうせい】に限【はば】まる。
微戎【びじゅう】のため遠覽【えんらん】する無し、總笄【そうべん】より升 喬を羨みしも。
靈域【れいいき】久しく韜隱【とういん】し、如し與に心賞【しんしょう】の交わりせば。
合歡【ごうかん】言を容【い】れず、芳を摘み寒條【かんじょう】を弄【もてあそ】ぶ。


(現代語訳)
人里、村は見えなくなってしまい、人々の生活の音も聞こえなくなった。木こりと草刈だけが風流な景色とこの大空を見ているだろう。
あの昔の微子啓と公子罷戎の同盟を結んだはるかに遠い出来事として見ることはできないし、髪の毛を束ねて役人の簪をつけたとして趙升や王子喬の仙人を羨ましがっているのだ。
この浄土に近い霊域においてこれからずっと久しく弓や剣を入れてつつんでしまいこんでしまうのだ、如来と共に心を賞賛し念仏を唱えていくのである。
浄土に行ける喜びを共にすることが分かってくると説明やなんか必要としない。香しい草花を摘み取り、まだ装いをしていない冬の木の枝を遊んで枯れ木に花が咲かせてやるとことにしよう。


(訳注)#2
鄉村絕聞見。樵蘇限風霄。

人里、村は見えなくなってしまい、人々の生活の音も聞こえなくなった。木こりと草刈だけが風流な景色とこの大空を見ているだろう。
樵蘇 木こりと草刈人。・風・ 大空。はるかな天。


微戎無遠覽。總笄羨升喬。
あの昔の微子啓と公子罷戎の同盟を結んだはるかに遠い出来事として見ることはできないし、髪の毛を束ねて役人の簪をつけたとして趙升や王子喬の仙人を羨ましがっているのだ。
微戎 微子啓(鄭の王)と罷戎(楚の公子)のこと。B.C.564閏12月、鄭が晋についたので、楚恭王は鄭を討たれ、その後楚と和睦したので、公子罷戎は鄭に使いして同盟を結んだ。・總笄 總は髪の毛を束ねること。笄はかんざし。・ 趙升のこと。漢代の仙人,生卒年均不詳,道教天師道創始者張道陵の弟子。・ 王子喬【おうしきょう】のこと。中国、周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙(しょう)を吹いて雲中を飛んだという。


靈域久韜隱。如與心賞交。
この浄土に近い霊域においてこれからずっと久しく弓や剣を入れてつつんでしまいこんでしまうのだ、如来と共に心を賞賛し念仏を唱えていくのである。
韜隱 弓や剣を入れておく袋。つつむ。つつんでしまいこむ。また、中に隠す。ゆごて。弓を射るとき、つるが当たるのをふせぐため、左腕につけるかわのこて。自分の才能・地位・本心などを隠して表に出さないこと。節操を知り、自分をひけらかさないこと。


合歡不容言。摘芳弄寒條。
浄土に行ける喜びを共にすることが分かってくると説明やなんか必要としない。香しい草花を摘み取り、まだ装いをしていない冬の木の枝を遊んで枯れ木に花が咲かせてやるとことにしよう。
合歡 (1)喜びをともにすること。 (2)男女が共寝すること。 (3)「合歓木(ごうかんぼく)」の略。・寒條 秋冬樹木的枝條。 晉陶潛《歸鳥》詩: “翼翼歸鳥, 戢羽寒條。

石室山詩 謝霊運(康楽) 詩<55-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩442 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1143

石室山詩 謝霊運(康楽) 詩<55-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩442 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1143


当時の役人にとって詩文能力というのは、名声を博すための絶対条件であった。また、同時に腕力についても一定程度は最低限の素養としても不可欠であった。謝霊運は、その両方を兼ね備え、その上当時もっとも重要であった出自家柄も申し分なかった。ただ、支配者層から見れば、浄土教に傾倒しており、言いなりにならなかったことが彼の人生を安定したものにしなかった要因であろうと思う。『宋書』『南書』などの記述は、支配者側を正当化するためのものでしかないので、謝霊運の側から見れば真反対であるということになる。謝霊運の詩80篇を見る限り精神構造がおかしいと思われるものは全くない。


石室山詩
石室のある山での詩
清旦索幽異。放舟越坰郊。
すがすがしい 朝に、静かな此の別荘を目指してやって來る、それから小舟をきしから解き放って郊外の離れたところを超えてゆく。
苺苺蘭渚急。藐藐苔嶺高。
野イチゴがたくさん実っている、蘭が咲き誇る渚は急流である。はるか遠くまで映しい苔が生え高い峰の上まで続いている。
石室冠林陬。飛泉發山椒。
山懐に巌の空洞になっている、石橋か、冠のように変わった場所がある、泉から湧き出す水が滝となって飛び散り山の頂から噴出している。
虛泛徑千載。崢嶸非一朝。
小舟をむなしく浮かべている千年も前からの道としている、この石室山は高く聳えているのはこの朝だけではない。

#2
鄉村絕聞見。樵蘇限風霄。微戎無遠覽。總笄羨升喬。
靈域久韜隱。如與心賞交。合歡不容言。摘芳弄寒條。


清旦【せいたん】に 幽異【ゆうい】を索【もと】めんとし、舟を放ちて坰郊【けいこう】を越す。
苺苺【ぼうぼう】として蘭のある渚は急にし、藐藐【ぼうぼう】しき苔のある嶺は高し。
石室は林陬【りんしゅ】に冠たり、飛泉【ひせん】は山椒【さんしゅく】に發す。
虛しく泛かび千載に徑る、崢嶸【そうこう】は一朝に非ず。
#2
鄉村【ごうそん】 聞見【ぶんけん】を絕ち、樵【きこり】と蘇【くさかり】は風霄【ふうせい】に限【はば】まる。
微戎【びじゅう】のため遠覽【えんらん】する無し、總笄【そうべん】より升 喬を羨みしも。
靈域【れいいき】久しく韜隱【とういん】し、如し與に心賞【しんしょう】の交わりせば。
合歡【ごうかん】言を容【い】れず、芳を摘み寒條【かんじょう】を弄【もてあそ】ぶ。


現代語訳と訳註
(本文)

清旦索幽異。放舟越坰郊。苺苺蘭渚急。藐藐苔嶺高。
石室冠林陬。飛泉發山椒。虛泛徑千載。崢嶸非一朝。


(下し文)
清旦【せいたん】に 幽異【ゆうい】を索【もと】めんとし、舟を放ちて坰郊【けいこう】を越す。
苺苺【ぼうぼう】として蘭のある渚は急にし、藐藐【ぼうぼう】しき苔のある嶺は高し。
石室は林陬【りんしゅ】に冠たり、飛泉【ひせん】は山椒【さんしゅく】に發す。
虛しく泛かび千載に徑る、崢嶸【そうこう】は一朝に非ず。


(現代語訳)
石室のある山での詩
すがすがしい 朝に、静かな此の別荘を目指してやって來る、それから小舟をきしから解き放って郊外の離れたところを超えてゆく。
野イチゴがたくさん実っている、蘭が咲き誇る渚は急流である。はるか遠くまで映しい苔が生え高い峰の上まで続いている。
山懐に巌の空洞になっている、石橋か、冠のように変わった場所がある、泉から湧き出す水が滝となって飛び散り山の頂から噴出している。
小舟をむなしく浮かべている千年も前からの道としている、この石室山は高く聳えているのはこの朝だけではない。


(訳注)
石室山詩

石室のある山での詩
石室山  爛柯(らんか)山、現衢州(くしゅう)市の東南13キロ。もと石室山・石橋山ともいう。いずれも山に石室・石橋があるための命名である。爛柯山の名は後述の爛柯の故事が流布した唐代に始まり、それ以後、山の通称となる。道教の方では七十二福地の一(唐末・杜光庭「洞天福地記」)であり、北宋・張君房『雲笈七籤(うんきゅうしちせん)』巻27には七十二福地第三十に爛柯山をあげる。主峰の海抜は約180メートル。東西2キロ、南北1・9キロ。仙霞嶺の余脈である。 従来、永嘉郡(浙江省温州市永嘉県)の楠渓のほとりの山を指しているという注釈があるが、浙江省の名勝地をくまなく歩いている謝霊運は蘭渓や金華の銭塘江の上流で訪れているのである。参考として盛唐 孟浩然『尋天台山』「吾友太乙子,餐霞臥赤城。欲尋華頂去,不憚惡溪名。歇馬憑雲宿,揚帆截海行。高高翠微裏,遙見石樑橫。」『舟中曉望』「掛席東南望,青山水國遙。舳艫爭利涉,來往接風潮。問我今何去,天臺訪石橋。坐看霞色曉,疑是赤城標。」『越中逢天臺太乙子』「仙穴逢羽人,停艫向前拜。問余涉風水,何處遠行邁。登陸尋天臺,順流下吳會。茲山夙所尚,安得問靈怪。上逼青天高,俯臨滄海大。雞鳴見日出,常覿仙人旆。往來赤城中,逍遙白雲外。莓苔異人間,瀑布當空界。福庭長自然,華頂舊稱最。永此從之游,何當濟所屆。」

唐代、爛柯山の詩跡化は急速に進んだ。中唐の孟郊「爛柯石」詩には、
仙界一日内,人間千載窮。
雙棋未遍局,萬物皆爲空。
樵客返歸路,斧柯爛從風。
唯馀石橋在,猶自凌丹虹。
仙界 一日の内、人間(じんかん)(人の世) 千歳窮(つ)く。
双棋未だ局を徧(あまね)くせざるに、万物 皆な空と為る。
樵客(しょうかく)返帰の路、斧の柯(え) 爛(くさ)りて風に従う。
唯だ余(あま)す 石橋在りて、猶自(なお) 丹虹凌(しの)ぐを。

(紅い虹が天空高くかかるよう)と歌われる。
石室00


清旦索幽異。放舟越坰郊。
すがすがしい 朝に、静かな此の別荘を目指してやって來る、それから小舟をきしから解き放って郊外の離れたところを超えてゆく。
清旦 すがすがしい 朝。  ・坰郊 都から遠く離れた地。国境に近接する地区。


苺苺蘭渚急。藐藐苔嶺高。
野イチゴがたくさん実っている、蘭が咲き誇る渚は急流である。はるか遠くまで映しい苔が生え高い峰の上まで続いている。
苺苺 野イチゴがたくさん実っているさま。・藐藐 ①美しいさま。②人の教えが耳に入らない。③はるかとおい、高く遠いさま。④盛んなさま。多いさま。


石室冠林陬。飛泉發山椒。
山懐に巌の空洞になっている、石橋か、冠のように変わった場所がある、泉から湧き出す水が滝となって飛び散り山の頂から噴出している。
石室 巌により空洞で石橋のようになっている。【写真参考】 ・ 石室がアーチを描いて冠状になっている。・林陬 やまのふもと。林の中の村里。林があり坂道の過度のあたり。・山椒 山のいただき。

ishibashi00
虛泛徑千載。崢嶸非一朝。
小舟をむなしく浮かべている千年も前からの道としている、この石室山は高く聳えているのはこの朝だけではない。
崢嶸 たかくそびえるさま。

西陵遇風獻康楽 その5 謝惠運 謝霊運(康楽) 詩<54>Ⅱ李白に影響を与えた詩441 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1140

西陵遇風獻康楽 その5 謝惠運 謝霊運(康楽) 詩<54>Ⅱ李白に影響を与えた詩441 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1140




 謝靈運

 謝惠連

酬従弟謝惠連 五首

西陵遇風獻康楽 五首

従弟の恵連に酬ゆ 五首

西陵にて風に遇い康楽に獻ず五首

(その1

(その1

寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。

我行指孟春、春仲尚未發。

岩壑寓耳目,歡愛隔音容。

趣途遠有期、念離情無歇。

賞心望,長懷莫與同。

成装候良辰、漾舟陶嘉月。

末路令弟,開顏披心胸

瞻塗意少悰、還顧情多闕。

(その2

(その2)

心胸既雲披,意得鹹在斯。

哲兄感仳別、相送越垌

淩澗尋我室,散帙問所知。

飲餞野亭館、分袂澄湖

夕慮曉月流,朝忌曛日馳。

悽悽留子言、眷眷浮客

悟對無厭歇,聚散成分離

迴塘隠艫栧、遠望絶形

(その3

(その3

分離別西,回景歸東

靡靡即長路,戚戚抱遙

別時悲已甚,別後情更

悲遙但自弭,路長當語

傾想遲嘉音,果枉濟江

行行道轉遠,去去情彌

辛勤風波事,款曲洲渚

昨發浦陽汭,今宿浙江

(その4

(その4)

洲渚既淹,風波子行

屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛

務協華京想,詎存空穀

零雨潤墳澤、落雪灑林

猶復恵来章,祇足攬余

浮氛晦崖巘、積素成原

儻若果歸言,共陶暮春

曲汜薄停旅、通川絶行

(その5

(その5)

暮春雖未交,仲春善遊

臨津不得済、佇楫阻風波。

山桃發紅萼,野蕨漸紫

蕭條洲渚際、気色少諧和。

鳴嚶已悅豫,幽居猶郁

西瞻興遊歎、東睇起悽歌。

夢寐佇歸舟,釋我吝與

積憤成疢痗、無萱將如何。



西陵遇風獻康楽 謝惠連
謝恵連(394~433)   会稽の太守であった謝方明の子。陳郡陽夏の人。謝霊運の従弟にあたる。大謝:霊運に対して小謝と呼ばれ、後に謝朓を加えて“三謝”とも称された。元嘉七年(430)、彭城王・劉義慶のもとで法曹行参軍をつとめた。詩賦にたくみで、謝霊運に対して小謝と称された。『秋懐』『擣衣』は『詩品』でも絶賛され、また楽府体詩にも優れた。『詩品』中。謝恵連・何長瑜・荀雍・羊濬之らいわゆる四友とともに詩賦や文章の創作鑑賞を楽しんだ。四友の一人。



西陵にて風に遇い康楽に獻ず(その1)
我が行 孟春【もうしゅん】を指すに、春仲【はるなかば】なるも尚 未だ發せず。
途に趣くこと遠く期有り、離【わかれ】を念うて情 歇【や】む無し。
装【よそおい】成して良辰【りょうしん】を候【ま】ち、舟を漾【うかべ】て嘉月を陶【たの】しむ。
塗【みち】を瞻て意に悰【たのしみ】少し、還顧【かんこ】すれば情に闕【か】くること多し。

(その2)
哲兄【てっけい】は仳別【ひべつ】に感じ、相送って垌林【けいりん】を越え。
野亭【やてい】の館に飲餞【いんせん】し、澄湖【とうこ】の陰に分袂【ぶんぺい】す。
悽悽【せいせい】たり留子【りゅうし】の言、眷眷【けんけん】たり浮客【ふかく】の心。
迴塘【かいとう】に櫨挽【ろえい】隠れ、遠望【えんぼう】形音【けいおん】絶ゆ。

(その3)
靡靡【びび】として長路に即【つ】き、戚戚【せきせき】として遙なる悲みを抱く。
悲 遙なるは 但 自ら弭【や】む。路の長ぎに當【まさ】に誰とか語るべき。
行き行ぎて道 轉【うたた】遠く、去り去りて 情 彌【いよい】よ遅し。
昨【きのう】は浦陽【ほよう】の汭【ほとり】を發し、今【きょう】は浙江の湄【みぎわ】に宿る。

(その4)
屯雲【ちゅううん】は曾嶺【そうれい】を蔽【おお】い、驚風【きょうふう】飛流【ひりゅう】を湧かす。
零雨【れいう】墳澤【ふんたく】を潤おし、落雪【らいせつ】林邱【りんきゅう】に灑【そそ】ぐ。
浮氛【ふふん】崖巘【がいけん】に晦【くら】く、積素【せきそ】原疇【げんちゅう】を成【まどわ】す。
曲汜【きょくし】薄【しばら】く旅を停【とど】め、通川【つうせん】に行舟【こうしゅう】を絶つ。

(その5)
津【しん】に臨めど済【わた】り得ず、楫【かじ】を佇【とど】めて風波【ふうは】阻【へだ】てらる。
蕭條【しょうじょう】洲渚【しゅうちょ】の際、気色【けしょく】諧和【かいわ】すること少し。
西に瞻【み】て遊歎【ゆうたん】を興し、東に睇【み】て悽歌【せいか】を起す。
積憤【せきふん】疢痗【ちんばい】を成す、萱【けん】無くば將に如何【いかん】せんとす。



現代語訳と訳註
(本文)
(その5)
臨津不得済、佇楫阻風波。
蕭條洲渚際、気色少諧和。
西瞻興遊歎、東睇起悽歌。
積憤成疢痗、無萱將如何。


(下し文) (その5)
津【しん】に臨めど済【わた】り得ず、楫【かじ】を佇【とど】めて風波【ふうは】阻【へだ】てらる。
蕭條【しょうじょう】洲渚【しゅうちょ】の際、気色【けしょく】諧和【かいわ】すること少し。
西に瞻【み】て遊歎【ゆうたん】を興し、東に睇【み】て悽歌【せいか】を起す。
積憤【せきふん】疢痗【ちんばい】を成す、萱【けん】無くば將に如何【いかん】せんとす。



(現代語訳) (その5)
川の渡場のそばまで来ても渡ることができず、私は舟の楫をとどめて風波のために始寧に帰ることは阻まれている。
蕭条としてものさびしい川の中州のなぎさの際には、風雲によって暗い状態になっており、たのしく心やわらぐものが少ないのだ。
西の方向を眺めてみると他国に遊ぶ旅人達の嘆きを共にすることになり、東のかた郷里、始寧の方角を視てはこの悲しい歌を作ることになるのである。
なかなか帰れないことでつもり積もった憤怒のために私は病気になってしまった。もし憂えを忘れるという萱草が無かったら、わたしはいかにしたらよいというのであろうか。


(訳注)(その5)
臨津不得済、佇楫阻風波。

川の渡場のそばまで来ても渡ることができず、私は舟の楫をとどめて風波のために始寧に帰ることは阻まれている。
渡し場


蕭條洲渚際、気色少諧和。
蕭条としてものさびしい川の中州のなぎさの際には、風雲によって暗い状態になっており、たのしく心やわらぐものが少ないのだ。
蕭條 ものさびしい。・諧和 楽しく和やかた気分。


西瞻興遊歎、東睇起悽歌。
西の方向を眺めてみると他国に遊ぶ旅人達の嘆きを共にすることになり、東のかた郷里、始寧の方角を視てはこの悲しい歌を作ることになるのである。
遊歎 旅にある人の憂い欺き。・悽歌 悲しい歌。この詩をさす。


積憤成疢痗、無萱將如何。
なかなか帰れないことでつもり積もった憤怒のために私は病気になってしまった。もし憂えを忘れるという萱草が無かったら、わたしはいかにしたらよいというのであろうか。
積憤 積もって久しい憤り。・疢痗 病気。疢はわずらい、は病。・ 萱草、諼草、忘れ草。忘憂草。
詩経、衛風伯兮篇に「焉諼得草、言樹之背。願言伯思、使我心痗。」(焉くんぞ諼草を得ん。言に背に樹えん。願いて言に伯を思い、我が心をして痗ましむ)とある。
我憂いを忘れるために、何処かで、もの忘れする草をみつけ、それを裏座敷に植えたい。一生懸命あなたのことばかり思いつめていると、私の心は病気になりそう。
.「雅音徘徊(さまよい)して、清婉(きよらかこやさしく)誦すベし」と。

酬従弟謝惠運 五首その(5) 謝霊運(康楽) 詩<53>Ⅱ李白に影響を与えた詩440 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1137

酬従弟謝惠運 五首その(5) 謝霊運(康楽) 詩<53>Ⅱ李白に影響を与えた詩440 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1137

(5)
暮春雖未交,仲春善遊遨。
始寧の晩春のひと時を楽しもうということでいまだに友好を交わすことはないと言いながらも、今は中春であり広い空や海を)漫遊することをよろこぶ。
山桃發紅萼,野蕨漸紫苞。
その頃には山に桃の花が咲き、ガクアジサイ花が咲き、白・水色から紅・紫赤色に変化する。野にはワラビが顔をだし、紫苞をつみとるのである。
鳴嚶已悅豫,幽居猶郁陶。
また、生き歳往けるもの友人を求めて鳴き、友人同士が仲よく語り合いそのよろこび楽しみをを示すのである。しずかな独り住いであってもなお晴れやかな楽しみの時なのだ。
夢寐佇歸舟,釋我吝與勞。
そして舟に帰ってそのまま待っているとしても、始寧に帰った時のことを眠って夢を見るのである、少し君のための労力を出し惜しみをしているわたしのことを理解してほしい。


(5)
暮春 未だ交わらずと雖も,仲春にても善く遊遨【たのし】まん。
山桃は紅萼【こうがく】を發し,野蕨【やけつ】は紫苞【しほう】を漸【すす】む。
鳴嚶【めいえい】 已に悅豫【えつしょう】し,幽居猶お 郁陶【ゆうとう】す。夢寐【むび】にも歸舟【きしゅう】を佇【ま】ち,我の吝【けち】と勞とを釋【と】かん。


現代語訳と訳註
(本文)
(その5)
暮春雖未交,仲春善遊遨。山桃發紅萼,野蕨漸紫苞。
鳴嚶已悅豫,幽居猶郁陶。夢寐佇歸舟,釋我吝與勞。


(下し文)(その5)
暮春 未だ交わらずと雖も,仲春にても善く遊遨【たのし】まん。
山桃は紅萼【こうがく】を發し,野蕨【やけつ】は紫苞【しほう】を漸【すす】む。
鳴嚶【めいえい】 已に悅豫【えつしょう】し,幽居猶お 郁陶【ゆうとう】す。夢寐【むび】にも歸舟【きしゅう】を佇【ま】ち,我の吝【けち】と勞とを釋【と】かん。


(現代語訳)
始寧の晩春のひと時を楽しもうということでいまだに友好を交わすことはないと言いながらも、今は中春であり広い空や海を)漫遊することをよろこぶ。
その頃には山に桃の花が咲き、ガクアジサイ花が咲き、白・水色から紅・紫赤色に変化する。野にはワラビが顔をだし、紫苞をつみとるのである。
また、生き歳往けるもの友人を求めて鳴き、友人同士が仲よく語り合いそのよろこび楽しみをを示すのである。しずかな独り住いであってもなお晴れやかな楽しみの時なのだ。
そして舟に帰ってそのまま待っているとしても、始寧に帰った時のことを眠って夢を見るのである、少し君のための労力を出し惜しみをしているわたしのことを理解してほしい。


(訳注)
暮春雖未交,仲春善遊遨。

始寧の晩春のひと時を楽しもうということでいまだに友好を交わすことはないと言いながらも、今は中春であり広い空や海を)漫遊することをよろこぶ。
・遊遨 (広い空や海を)漫遊する,遍歴する。


山桃發紅萼,野蕨漸紫苞。
その頃には山に桃の花が咲き、ガクアジサイ花が咲き、白・水色から紅・紫赤色に変化する。野にはワラビが顔をだし、紫苞をつみとるのである。
紅萼 ガクアジサイの園芸品種。初夏に花が咲き、装飾花が白・水色から紅・紫赤色に変化する。・紫苞 苞(ほう)とは、植物用語の一つで、花や花序の基部にあって、つぼみを包んでいた葉のことをいう。


鳴嚶已悅豫,幽居猶郁陶。
また、生き歳往けるもの友人を求めて鳴き、友人同士が仲よく語り合いそのよろこび楽しみをを示すのである。しずかな独り住いであってもなお晴れやかな楽しみの時なのだ。
鳴嚶 1 鳥が仲よく鳴き交わしたり、友人を求めて鳴いたりすること。また、その声。 2 友人同士が仲よく語り合うこと。「詩経」小雅・伐木の「伐木丁丁、鳥鳴嚶々、出於幽谷、遷干喬木。」嚶として其れ鳴くは其の友を求むる声」・悅豫 喜び楽しむ。予はたのしむ。・ 1 香りがいい。かぐわしい。 2 文化が盛んなさま。  1 焼き物。「陶器・陶工・陶土/彩陶・製陶」2 人格を練りあげる。教え導く。「陶冶(とうや)/薫陶」3 うちとけて楽しい。「陶酔・陶然」4 もやもやして晴れない。「鬱陶(うっとう)」


夢寐佇歸舟,釋我吝與勞。
そして舟に帰ってそのまま待っているとしても、始寧に帰った時のことを眠って夢を見るのである、少し君のための労力を出し惜しみをしているわたしのことを理解してほしい。
 び【寐】[漢字項目]とは。意味や解説。[音]ビ(漢)[訓]ねるねむる。ねる。「寤寐(ごび)・夢寐」眠って夢を見ること。また、その間。
けち. 金銭や品物を惜しがって出さないこと。また、そのようなさまや人。 こせこせして卑しいこと。気持ちのせまいこと。また、そのさま。 【吝い】しわい. けちである。しみったれている。 【吝か】やぶさか. 物惜しみするようす。けち。 ためらうさま。思いきりの悪いさま。

西陵遇風獻康楽 その4 謝惠運 謝霊運(康楽) 詩<52>Ⅱ李白に影響を与えた詩439 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1134

西陵遇風獻康楽 その4 謝惠運 謝霊運(康楽) 詩<52>Ⅱ李白に影響を与えた詩439 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1134


(その4)
屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛流。
とどまって動かない雲は重なる嶺蔽っている、突風はしぶきを浪立つ流れを湧きあげている。
零雨潤墳澤、落雪灑林邱。
降る雨は土手も沢地も一面になって潤している、山の方では飛び散る雪は林にも丘にもふりそそいでいる。
浮氛晦崖巘、積素成原疇。
ただよう靄は崖も峰も暗くしてかすんであいる、ふり積もった雪は原野と田畑の区別をわからなくしている。
曲汜薄停旅、通川絶行舟。

曲がりこんだ入り江の岸に暫くわが旅の一行を停めているが、流れる川には行く舟は全く絶えてしまった。



屯雲【ちゅううん】は曾嶺【そうれい】を蔽【おお】い、驚風【きょうふう】飛流【ひりゅう】を湧かす。
零雨【れいう】墳澤【ふんたく】を潤おし、落雪【らいせつ】林邱【りんきゅう】に灑【そそ】ぐ。
浮氛【ふふん】崖巘【がいけん】に晦【くら】く、積素【せきそ】原疇【げんちゅう】を成【まどわ】す。
曲汜【きょくし】薄【しばら】く旅を停【とど】め、通川【つうせん】に行舟【こうしゅう】を絶つ。



現代語訳と訳註
(本文) (
その4)
屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛流。
零雨潤墳澤、落雪灑林邱。
浮氛晦崖巘、積素成原疇。
曲汜薄停旅、通川絶行舟。


(下し文)
屯雲【ちゅううん】は曾嶺【そうれい】を蔽【おお】い、驚風【きょうふう】飛流【ひりゅう】を湧かす。
零雨【れいう】墳澤【ふんたく】を潤おし、落雪【らいせつ】林邱【りんきゅう】に灑【そそ】ぐ。
浮氛【ふふん】崖巘【がいけん】に晦【くら】く、積素【せきそ】原疇【げんちゅう】を成【まどわ】す。
曲汜【きょくし】薄【しばら】く旅を停【とど】め、通川【つうせん】に行舟【こうしゅう】を絶つ。


(現代語訳) (その四)
とどまって動かない雲は重なる嶺蔽っている、突風はしぶきを浪立つ流れを湧きあげている。
降る雨は土手も沢地も一面になって潤している、山の方では飛び散る雪は林にも丘にもふりそそいでいる。
ただよう靄は崖も峰も暗くしてかすんであいる、ふり積もった雪は原野と田畑の区別をわからなくしている。
曲がりこんだ入り江の岸に暫くわが旅の一行を停めているが、流れる川には行く舟は全く絶えてしまった。


(訳注)(その4)
屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛流。

とどまって動かない雲は重なる嶺蔽っている、突風はしぶきを浪立つ流れを湧きあげている。
屯雲 とどまって動かない雲 ・曾嶺 重なる嶺。 ・飛流 しぶき浪立つ流れ。


零雨潤墳澤、落雪灑林邱。
降る雨は土手も沢地も一面になって潤している、山の方では飛び散る雪は林にも丘にもふりそそいでいる。
墳沢 土手や沢地。高低一面に。


浮氛晦崖巘、積素成原疇。
ただよう靄は崖も峰も暗くしてかすんであいる、ふり積もった雪は原野と田畑の区別をわからなくしている。
浮氛 ただより靄、水気。・晦崖巘 崖も峰も暗い。 ・積素 ふり積もる雪。 ・成原疇 成は惑。野原と田畑などの区別がわからなくする。


曲汜薄停旅、通川絶行舟。
曲がりこんだ入り江の岸に暫くわが旅の一行を停めているが、流れる川には行く舟は全く絶えてしまった。
曲汜 曲がりこんだ入り江の岸。 ・ しばらく。 ・停旅 旅の一行を停める。 ・通川 通じ流れる川水、 ・絶行舟 行く舟か絶えた。


酬従弟謝惠運 五首その(4) 謝霊運(康楽) 詩<51>Ⅱ李白に影響を与えた詩438 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1131

酬従弟謝惠運 五首その(4) 謝霊運(康楽) 詩<51>Ⅱ李白に影響を与えた詩438 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1131


洲渚既淹時,風波子行遲,
務協華京想,詎存空穀期。
猶復恵来章,祇足攬余思。
儻若果歸言,共陶暮春時。
中州の水際ですでにそのまま長くいつづける、船が出発できない風が吹き、船を転覆させる大波が君の行程を遅らせてしまう。
帝都での思いというものは逢うことははっきりしない。どうにかして始寧の谷間で逢うことの約束があるわけではないのだが何時でもいいから、会いたいものだ。
できるなら、また、手紙をくれると嬉しいのだけれど、手紙が来ないと私の心は乱れてしまうのだ。
若し変えることが出来るのであればともに、始寧の晩春のひと時を楽しもうではないか。



現代語訳と訳註
(本文)
(その4)
洲渚既淹時,風波子行遲,
務協華京想,詎存空穀期。
猶復恵来章,祇足攬余思。
儻若果歸言,共陶暮春時。


(下し文)
(その4) 
洲渚【しゅうしょ】既に淹時【えんじ】せば,風波【ふうは】子の行くこと遲し,務【とお】く華京【かきょう】の想に協【かな】えり,詎【なん】ぞ 空穀【くうこく】に 期を存せん。
猶 復た来章【らいしょう】を恵む,祇【まさ】に足余【よ】の思いを攬【みだ】す。
儻若【もし】歸言【きごん】を果しなば,共に陶【たのし】まん 暮春の時を。


(現代語訳)
中州の水際ですでにそのまま長くいつづける、船が出発できない風が吹き、船を転覆させる大波が君の行程を遅らせてしまう。
帝都での思いというものは逢うことははっきりしない。どうにかして始寧の谷間で逢うことの約束があるわけではないのだが何時でもいいから、会いたいものだ。
できるなら、また、手紙をくれると嬉しいのだけれど、手紙が来ないと私の心は乱れてしまうのだ。
若し変えることが出来るのであればともに、始寧の晩春のひと時を楽しもうではないか。


(訳注)
洲渚既淹時,風波子行遲,
中州の水際ですでにそのまま長くいつづける、船が出発できない風が吹き、船を転覆させる大波が君の行程を遅らせてしまう。
洲渚【しゅうしょ】 洲渚  州(す)の水際。旅先の中州の渚。


務協華京想,詎存空穀期。
帝都での思いというものは逢うことははっきりしない。どうにかして始寧の谷間で逢うことの約束があるわけではないのだが何時でもいいから、会いたいものだ。
務協 務:つとめる、おもむく。はっきりしない。協:かなう。逢う。和合する。・空穀期 谷で逢う約束があるのではない。


猶復恵来章,祇足攬余思。
できるなら、また、手紙をくれると嬉しいのだけれど、手紙が来ないと私の心は乱れてしまうのだ。
来章 手紙が来ること


儻若果歸言,共陶暮春時。
若し変えることが出来るのであればともに、始寧の晩春のひと時を楽しもうではないか。

暮春 晩春。春から初夏へ移り際。新暦では4月終りから5月初めのころ。

西陵遇風獻康楽 その3 謝惠運 謝霊運(康楽) 詩<50>Ⅱ李白に影響を与えた詩437 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1128

西陵遇風獻康楽 その3 謝惠運 謝霊運(康楽) 詩<50>Ⅱ李白に影響を与えた詩437 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1128



(3)
靡靡即長路,戚戚抱遙悲。
離れがたい気持ちは足どりを遅くしつつ、遠い旅路についている、憂いもち傷む心ではてしなぎ別れの悲しみを抱いて行くのである。
悲遙但自弭,路長當語誰。
はてしなぎ別れの悲しみは、しかしそれでもやはり自ずから止むのであろうが、長い道中に誰と語ってよいやらどうすべきであろうか。賢兄と別れては語るべき友もないのがいよいよ遠くさびしいのだ。
行行道轉遠,去去情彌遲。
行けども行けども道はいよいよ遠く、離れ去れば雛れるほど賢兄を思う憐はますます残って絶つことができない。
昨發浦陽汭,今宿浙江湄。

それにしても昨日は浦陽江の北の岸を発って、今日は浙江のほとりに宿ったのである。

靡靡【びび】として長路に即【つ】き、戚戚【せきせき】として遙なる悲みを抱く。
悲 遙なるは 但 自ら弭【や】む。路の長ぎに當【まさ】に誰とか語るべき。
行き行ぎて道 轉【うたた】遠く、去り去りて 情 彌【いよい】よ遅し。
昨【きのう】は浦陽【ほよう】の汭【ほとり】を發し、今【きょう】は浙江の湄【みぎわ】に宿る。


現代語訳と訳註
(本文)
(3)
靡靡即長路,戚戚抱遙悲。
悲遙但自弭,路長當語誰。
行行道轉遠,去去情彌遲。
昨發浦陽汭,今宿浙江湄。


(下し文)
靡靡【びび】として長路に即【つ】き、戚戚【せきせき】として遙なる悲みを抱く。
悲 遙なるは 但 自ら弭【や】む。路の長ぎに當【まさ】に誰とか語るべき。
行き行ぎて道 轉【うたた】遠く、去り去りて 情 彌【いよい】よ遅し。
昨【きのう】は浦陽【ほよう】の汭【ほとり】を發し、今【きょう】は浙江の湄【みぎわ】に宿る。


(現代語訳)
離れがたい気持ちは足どりを遅くしつつ、遠い旅路についている、憂いもち傷む心ではてしなぎ別れの悲しみを抱いて行くのである。
はてしなぎ別れの悲しみは、しかしそれでもやはり自ずから止むのであろうが、長い道中に誰と語ってよいやらどうすべきであろうか。賢兄と別れては語るべき友もないのがいよいよ遠くさびしいのだ。
行けども行けども道はいよいよ遠く、離れ去れば雛れるほど賢兄を思う憐はますます残って絶つことができない。

それにしても昨日は浦陽江の北の岸を発って、今日は浙江のほとりに宿ったのである。

(訳注) (3)
靡靡即長路,戚戚抱遙悲。

離れがたい気持ちは足どりを遅くしつつ、遠い旅路についている、憂いもち傷む心ではてしなぎ別れの悲しみを抱いて行くのである。
靡靡 足の進みのおそい形容。 ・遙悲 久しくはるかな悲哀。 ・戚戚 憂い悲しむさま。また、憂い恐れるさま。

悲遙但自弭,路長當語誰。
はてしなぎ別れの悲しみは、しかしそれでもやはり自ずから止むのであろうが、長い道中に誰と語ってよいやらどうすべきであろうか。賢兄と別れては語るべき友もないのがいよいよ遠くさびしいのだ。
 止む。・当語誰 思い切れない。

行行道轉遠,去去情彌遲。
行けども行けども道はいよいよ遠く、離れ去れば雛れるほど賢兄を思う憐はますます残って絶つことができない。
転遠 いよいよ遠い。 ・情弥遅 君を恋うる竹はますますぐずぐずとして、

昨發浦陽汭,今宿浙江湄。
それにしても昨日は浦陽江の北の岸を発って、今日は浙江のほとりに宿ったのである。
浦陽汭 消浦陽は浙江省にある江の名。は支流の注ぐ所。また水の北をいう。 ・浙江 曲折が多いので浙江という。また江ともいう。下流は銭塘江。 ・ ほとり。岸。

酬従弟謝惠運 五首その(3) 謝霊運(康楽) 詩<49>Ⅱ李白に影響を与えた詩436 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1125

酬従弟謝惠運 五首その(3) 謝霊運(康楽) 詩<49>Ⅱ李白に影響を与えた詩436 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1125


 謝靈運 謝惠連
酬従弟謝惠連 五首西陵遇風獻康楽 五首
従弟の恵連に酬ゆ 五首西陵にて風に遇い康楽に獻ず五首
(その1(その1
寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。我行指孟春、春仲尚未發。
岩壑寓耳目,歡愛隔音容。趣途遠有期、念離情無歇。
賞心望,長懷莫與同。成装候良辰、漾舟陶嘉月。
末路令弟,開顏披心胸瞻塗意少悰、還顧情多闕。
(その2(その2)
心胸既雲,意得鹹在哲兄感仳別、相送越垌
淩澗尋我室,散帙問所飲餞野亭館、分袂澄湖
夕慮曉月流,朝忌曛日悽悽留子言、眷眷浮客
悟對無厭歇,聚散成迴塘隠艫栧、遠望絶形
(その3(その3
分離別西,回景歸東靡靡即長路,戚戚抱遙
別時悲已甚,別後情更悲遙但自弭,路長當語
傾想遲嘉音,果枉濟江行行道轉遠,去去情彌
辛勤風波事,款曲洲渚昨發浦陽汭,今宿浙江
(その4(その4)
洲渚既淹,風波子行屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛
務協華京想,詎存空穀零雨潤墳澤、落雪灑林
猶復恵来章,祇足攬余浮氛晦崖巘、積素成原
儻若果歸言,共陶暮春曲汜薄停旅、通川絶行
(その5(その5)
暮春雖未交,仲春善遊臨津不得済、佇楫阻風
山桃發紅萼,野蕨漸紫蕭條洲渚際、気色少諧
鳴嚶已悅豫,幽居猶郁西瞻興遊歎、東睇起悽
夢寐佇歸舟,釋我吝與積憤成疢痗、無萱將如

酬従弟謝惠運 五首 
従弟の恵連に酬ゆ 五首 
(その1)
(その1)
寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。
病の床について人と会うのを謝絶した、それから後名跡を訪れることはなく雲に隠れる峯に隠棲した。
岩壑寓耳目,歡愛隔音容。
ひととの交じりを断って岩の谷間の水音に耳や目を寄せた。愛しい人とも声を聞くことも隔たったのである。
永絕賞心望,長懷莫與同。
その隠棲生活は長く続いた、景観を賞賛する心でここで臨んだのだ。そして長期間にわたって同じ気持ちで過ごすことはなかった。
末路值令弟,開顏披心胸。
晩年になって、弟の君と逢うことが出来た。そして顔を開いたし、心を打ち解け、胸襟を開いたのだ。
(その2)
心胸既雲披,意得鹹在斯。
心と胸の中の本音を既にうちあけて話したら、互いの思いはここで納得し合うことが出来た。
淩澗尋我室,散帙問所知。
そうしたら、隠棲している谷を越えて私の庵を尋ねてくる。読書をしてわからないところを質問をしてくる。
夕慮曉月流,朝忌曛日馳。
夕べに明け方の月かが流れ落ちるのかと思い、朝には夕日が落ちるのを嫌ったように朝と夕を間違えるほど楽しい時を過ごした。
悟對無厭歇,聚散成分離。
向かい合ってみると厭になって辞めることはなく、集った後で散したらその後は分れて離れたままである。
(その3)
分離別西川,回景歸東山。
惠連と西川で別れた、わたしは景色を廻って会稽の東山に帰った。
別時悲已甚,別後情更延。
別れるときはそれまで以上に甚だ悲しい思いをしていた、別れた後は心情としてさらに伸びたようだ。
傾想遲嘉音,果枉濟江篇。
想いを謝蕙連の方に傾けて良い便りをこころまちにしている。果して私の贈った詩「濟江篇」の気持ちを忘れたりはしないのだ。
辛勤風波事,款曲洲渚言。
辛いおもいをして勤めていておだやかでないしごとがあるものだ,その旅先の中州の渚からこちらに手紙をくれたらいいのだ。

離して西川にて別れ,回景【かいけい】して東山に歸れり。
別れし時 悲しみ已に甚しきも,別れて後 情け更に延ぶ。
想いを傾けて嘉音【かおん】を遲【ま】ちしに,果して濟江【せいこう】の篇を枉【まげ】られぬ。
辛勤【して】風波【ふうは】の事,款曲【かんきょく】して洲渚【しゅうしょ】の言。


(その4) 
洲渚既淹時,風波子行遲, 洲渚【しゅうしょ】既に淹時【えんじ】せば,風波【ふうは】子の行くこと遲し,
務協華京想,詎存空穀期。 務【とお】く華京【かきょう】の想に協【かな】えり,詎【なん】ぞ 空穀【くうこく】に 期を存せん。
猶復恵来章,祇足攬余思。 猶 復た来章【らいしょう】を恵む,祇【まさ】に足余【よ】の思いを攬【みだ】す。
儻若果歸言,共陶暮春時。 儻若【もし】歸言【きごん】を果しなば,共に陶【たのし】まん 暮春の時を。
(その5) (その5)
暮春雖未交,仲春善遊遨。 暮春 未だ交わらずと雖も,仲春にても善く遊遨【たのし】まん。
山桃發紅萼,野蕨漸紫苞。 山桃は紅萼【こうがく】を發し,野蕨【やけつ】は紫苞【しほう】を漸【すす】む。
鳴嚶已悅豫,幽居猶郁陶。 鳴嚶【めいえい】 已に悅豫【えつしょう】し,幽居猶お 郁陶【ゆうとう】す。
夢寐佇歸舟,釋我吝與勞。 夢寐【むび】にも歸舟【きしゅう】を佇【ま】ち,我の吝【けち】と勞とを釋【と】かん。



現代語訳と訳註
(本文)
(その3)
分離別西川,回景歸東山。
別時悲已甚,別後情更延。
傾想遲嘉音,果枉濟江篇。
辛勤風波事,款曲洲渚言。


(下し文) (その3)
分離して西川にて別れ,回景【かいけい】して東山に歸れり。
別れし時 悲しみ已に甚しきも,別れて後 情け更に延ぶ。
想いを傾けて嘉音【かおん】を遲【ま】ちしに,果して濟江【せいこう】の篇を枉【まげ】られぬ。
辛勤【して】風波【ふうは】の事,款曲【かんきょく】して洲渚【しゅうしょ】の言。


(現代語訳)
惠連と西川で別れた、わたしは景色を廻って会稽の東山に帰った。
別れるときはそれまで以上に甚だ悲しい思いをしていた、別れた後は心情としてさらに伸びたようだ。
想いを謝蕙連の方に傾けて良い便りをこころまちにしている。果して私の贈った詩「濟江篇」の気持ちを忘れたりはしないのだ。
辛いおもいをして勤めていておだやかでないしごとがあるものだ,その旅先の中州の渚からこちらに手紙をくれたらいいのだ。


(訳注) (その3)
分離別西川,回景歸東山。

惠連と西川で別れた、わたしは景色を廻って会稽の東山に帰った。
○東山 浙江省上虞県の西南にあり、会稽(紹興)からいうと東の山であり、名勝地。晋の太傅であった謝安がむかしここに隠居して、なかなか朝廷の招きに応じなかったので有名。山上には謝安の建てた白雲堂、明月堂のあとがあり、山上よりの眺めは絶景だという。薔薇洞というのは、かれが妓女をつれて宴をもよおした所と伝えられている。


別時悲已甚,別後情更延。
別れるときはそれまで以上に甚だ悲しい思いをしていた、別れた後は心情としてさらに伸びたようだ。


傾想遲嘉音,果枉濟江篇。
想いを謝蕙連の方に傾けて良い便りをこころまちにしている。果して私の贈った詩「濟江篇」の気持ちを忘れたりはしないのだ。
嘉音 良い便り。濟江篇 謝惠連に贈った謝靈運の詩篇. 《昭明文選》卷二十五南朝宋•謝靈運《酬從弟惠連》 傾想遲嘉音,果枉濟江篇。 《昭明文選》卷二十五南朝宋•謝惠連《西陵遇風獻康樂》 昨發浦陽汭,今宿浙江湄。屯雲蔽曾嶺,驚風涌飛流。零雨潤墳澤,落雪灑林丘。


辛勤風波事,款曲洲渚言。
辛いおもいをして勤めていておだやかでないしごとがあるものだ,その旅先の中州の渚からこちらに手紙をくれたらいいのだ。
款曲【かんきょく】うちとてけ交わる
洲渚【しゅうしょ】洲渚  州(す)の水際の言。旅先の中州の渚からこちらに手紙。


(その3)
分離して西川にて別れ,回景【かいけい】して東山に歸れり。
別れし時 悲しみ已に甚しきも,別れて後 情け更に延ぶ。
想いを傾けて嘉音【かおん】を遲【ま】ちしに,果して濟江【せいこう】の篇を枉【まげ】られぬ。
辛勤【して】風波【ふうは】の事,款曲【かんきょく】して洲渚【しゅうしょ】の言。

西陵遇風獻康楽 その2 謝惠運 詩<48>Ⅱ李白に影響を与えた詩435 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1122

西陵遇風獻康楽 その2 謝惠運 詩<48>Ⅱ李白に影響を与えた詩435 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1122


西陵遇風獻康楽 謝蕙連
謝恵連(394~433)   会稽の太守であった謝方明の子。陳郡陽夏の人。謝霊運の従弟にあたる。大謝:霊運に対して小謝と呼ばれ、後に謝朓を加えて“三謝”とも称された。元嘉七年(430)、彭城王・劉義慶のもとで法曹行参軍をつとめた。詩賦にたくみで、謝霊運に対して小謝と称された。『秋懐』『擣衣』は『詩品』でも絶賛され、また楽府体詩にも優れた。『詩品』中。謝恵連・何長瑜・荀雍・羊濬之らいわゆる四友とともに詩賦や文章の創作鑑賞を楽しんだ。四友の一人。


 謝靈運 謝惠連
酬従弟謝惠連 五首西陵遇風獻康楽 五首

従弟の恵連に酬ゆ 五首

西陵にて風に遇い康楽に獻ず五首

(その1(その1

寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。

我行指孟春、春仲尚未發。

岩壑寓耳目,歡愛隔音容。

趣途遠有期、念離情無歇。

賞心望,長懷莫與同。

成装候良辰、漾舟陶嘉月。

末路令弟,開顏披心胸

瞻塗意少悰、還顧情多闕。

(その2(その2)

心胸既雲,意得鹹在

哲兄感仳別、相送越垌

淩澗尋我室,散帙問所

飲餞野亭館、分袂澄湖

夕慮曉月流,朝忌曛日

悽悽留子言、眷眷浮客

悟對無厭歇,聚散成

迴塘隠艫栧、遠望絶形

(その3(その3

分離別西,回景歸東

靡靡即長路,戚戚抱遙

別時悲已甚,別後情更

悲遙但自弭,路長當語

傾想遲嘉音,果枉濟江

行行道轉遠,去去情彌

辛勤風波事,款曲洲渚

昨發浦陽汭,今宿浙江

(その4(その4)

洲渚既淹,風波子行

屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛

務協華京想,詎存空穀

零雨潤墳澤、落雪灑林

猶復恵来章,祇足攬余

浮氛晦崖巘、積素成原

儻若果歸言,共陶暮春

曲汜薄停旅、通川絶行

(その5(その5)

暮春雖未交,仲春善遊

臨津不得済、佇楫阻風

山桃發紅萼,野蕨漸紫

蕭條洲渚際、気色少諧

鳴嚶已悅豫,幽居猶郁

西瞻興遊歎、東睇起悽

夢寐佇歸舟,釋我吝與

積憤成疢痗、無萱將如


西陵遇風獻康楽(その1)
都建康の西陵で病気になったので康楽兄上に近況をお知らせする詩。
我行指孟春、春仲尚未發。
私の旅は春のはじめのつもりであったのに、仲春二月になってもやはりまだ出発しないでいる。
趣途遠有期、念離情無歇。
旅の途に向かうことは遠く以前に心に決めていたが、別れを思えばさびしい気持ちが尽きない。
成装候良辰、漾舟陶嘉月。
旅装も出来上がって門出の良い日を待ちながら、船を浮かべて春の好ましい月を楽しむのである。
瞻塗意少悰、還顧情多闕。
そうはいっても、行く手の途をながめてみると心に楽しみが少なく、あと振り返ってみるなら、ここに留まるには、気持の上で満足することはないことの方が多いのを覚えるのである。


西陵にて風に遇い康楽に獻ず(その1)
我が行 孟春【もうしゅん】を指すに、春仲【はるなかば】なるも尚 未だ發せず。
途に趣くこと遠く期有り、離【わかれ】を念うて情 歇【や】む無し。
装【よそおい】成して良辰【りょうしん】を候【ま】ち、舟を漾【うかべ】て嘉月を陶【たの】しむ。
塗【みち】を瞻て意に悰【たのしみ】少し、還顧【かんこ】すれば情に闕【か】くること多し。

(その2)
哲兄感仳別、相送越垌林。
賢兄は私との別れに心を感きわまったようだ、互いの別れのために野の林を越えて遠く送って下さいました。
飲餞野亭館、分袂澄湖陰。
郊外の宿場の館で贐の酒宴を催してくれ、澄んだ入江の南岸でたもとを分かち別れを惜しまれた。
悽悽留子言、眷眷浮客心。
後に留まる貴君のことばは悲しみに満ち、旅人の私はいつまでも心引かれて顧みるのであった。
迴塘隠艫栧、遠望絶形音。
舟は進みやがで曲がった岸に楫や舟のへさきが隠れて、はるかな眺めの中に人々の姿も声も絶えてしまった。


(その2)
哲兄【てっけい】は仳別【ひべつ】に感じ、相送って垌林【けいりん】を越え。
野亭【やてい】の館に飲餞【いんせん】し、澄湖【とうこ】の陰に分袂【ぶんぺい】す。
悽悽【せいせい】たり留子【りゅうし】の言、眷眷【けんけん】たり浮客【ふかく】の心。
迴塘【かいとう】に櫨挽【ろえい】隠れ、遠望【えんぼう】形音【けいおん】絶ゆ。


現代語訳と訳註
(本文)

哲兄感仳別、相送越垌林。
飲餞野亭館、分袂澄湖陰。
悽悽留子言、眷眷浮客心。
迴塘隠艫栧、遠望絶形音。

(下し文) (その2)
哲兄【てっけい】は仳別【ひべつ】に感じ、相送って垌林【けいりん】を越え。
野亭【やてい】の館に飲餞【いんせん】し、澄湖【とうこ】の陰に分袂【ぶんぺい】す。
悽悽【せいせい】たり留子【りゅうし】の言、眷眷【けんけん】たり浮客【ふかく】の心。
迴塘【かいとう】に櫨挽【ろえい】隠れ、遠望【えんぼう】形音【けいおん】絶ゆ。


(現代語訳)
賢兄は私との別れに心を感きわまったようだ、互いの別れのために野の林を越えて遠く送って下さいました。
郊外の宿場の館で贐の酒宴を催してくれ、澄んだ入江の南岸でたもとを分かち別れを惜しまれた。
後に留まる貴君のことばは悲しみに満ち、旅人の私はいつまでも心引かれて顧みるのであった。
舟は進みやがで曲がった岸に楫や舟のへさきが隠れて、はるかな眺めの中に人々の姿も声も絶えてしまった。


(訳注) (その二)
哲兄感仳別、相送越垌林。
賢兄は私との別れに心を感きわまったようだ、互いの別れのために野の林を越えて遠く送って下さいました。
哲兄 賢兄に同じ。 ・仳 別れ。


飲餞野亭館、分袂澄湖陰。
郊外の宿場の館で贐の酒宴を催してくれ、澄んだ入江の南岸でたもとを分かち別れを惜しまれた。
 爾雅に「。野外を林と日ひ、林外な桐と臼ふ、」と。郊外、秋野。・飲餞はなむけの宴を催す。・野亭鮮 郊外にある宿場の旅館。・澄湖陰 澄んだ入江の南岸。陰は水の南。


悽悽留子言、眷眷浮客心。
後に留まる貴君のことばは悲しみに満ち、旅人の私はいつまでも心引かれて顧みるのであった。
留子 残留する人。謝霊運を指す。・眷眷 心引かれて顧みる。・浮客 行方定めぬ旅人。


迴塘隠艫栧、遠望絶形音。
舟は進みやがで曲がった岸に楫や舟のへさきが隠れて、はるかな眺めの中に人々の姿も声も絶えてしまった。
迴塘 曲がった岸。・艫栧 舟のへさきとかじ。・絶形音 姿も声も絶えてわからなくなる。

酬従弟謝惠運 五首その(2) 謝霊運(康楽) 詩<47>Ⅱ李白に影響を与えた詩433 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1116

酬従弟謝惠運 五首その(2) 謝霊運(康楽) 詩<47>Ⅱ李白に影響を与えた詩433 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1116


 謝靈運 謝惠連
酬従弟謝惠連 五首西陵遇風獻康楽 五首

従弟の恵連に酬ゆ 五首

西陵にて風に遇い康楽に獻ず五首

(その1(その1

寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。

我行指孟春、春仲尚未發。

岩壑寓耳目,歡愛隔音容。

趣途遠有期、念離情無歇。

賞心望,長懷莫與同。

成装候良辰、漾舟陶嘉月。

末路令弟,開顏披心胸

瞻塗意少悰、還顧情多闕。

(その2(その2)

心胸既雲,意得鹹在

哲兄感仳別、相送越垌

淩澗尋我室,散帙問所

飲餞野亭館、分袂澄湖

夕慮曉月流,朝忌曛日

悽悽留子言、眷眷浮客

悟對無厭歇,聚散成

迴塘隠艫栧、遠望絶形

(その3(その3

分離別西,回景歸東

靡靡即長路,戚戚抱遙

別時悲已甚,別後情更

悲遙但自弭,路長當語

傾想遲嘉音,果枉濟江

行行道轉遠,去去情彌

辛勤風波事,款曲洲渚

昨發浦陽汭,今宿浙江

(その4(その4)

洲渚既淹,風波子行

屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛

務協華京想,詎存空穀

零雨潤墳澤、落雪灑林

猶復恵来章,祇足攬余

浮氛晦崖巘、積素成原

儻若果歸言,共陶暮春

曲汜薄停旅、通川絶行

(その5(その5)

暮春雖未交,仲春善遊

臨津不得済、佇楫阻風

山桃發紅萼,野蕨漸紫

蕭條洲渚際、気色少諧

鳴嚶已悅豫,幽居猶郁

西瞻興遊歎、東睇起悽

夢寐佇歸舟,釋我吝與

積憤成疢痗、無萱將如




酬従弟謝惠運 五首
(その1)
寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。
病の床について人と会うのを謝絶した、それから後名跡を訪れることはなく雲に隠れる峯に隠棲した。
岩壑寓耳目,歡愛隔音容。
ひととの交じりを断って岩の谷間の水音に耳や目を寄せた。愛しい人とも声を聞くことも隔たったのである。
永絕賞心望,長懷莫與同。
その隠棲生活は長く続いた、景観を賞賛する心でここで臨んだのだ。そして長期間にわたって同じ気持ちで過ごすことはなかった。
末路值令弟,開顏披心胸。
晩年になって、弟の君と逢うことが出来た。そして顔を開いたし、心を打ち解け、胸襟を開いたのだ。
(その2)
心胸既雲披,意得鹹在斯。
心と胸の中の本音を既にうちあけて話したら、互いの思いはここで納得し合うことが出来た。
淩澗尋我室,散帙問所知。
そうしたら、隠棲している谷を越えて私の庵を尋ねてくる。読書をしてわからないところを質問をしてくる。
夕慮曉月流,朝忌曛日馳。
夕べに明け方の月かが流れ落ちるのかと思い、朝には夕日が落ちるのを嫌ったように朝と夕を間違えるほど楽しい時を過ごした。
悟對無厭歇,聚散成分離。
向かい合ってみると厭になって辞めることはなく、集った後で散したらその後は分れて離れたままである。

(その3)
分離別西川,回景歸東山。別時悲已甚,別後情更延。
傾想遲嘉音,果枉濟江篇。辛勤風波事,款曲洲渚言。
(その4)
洲渚既淹時,風波子行遲,務協華京想,詎存空穀期。
猶復恵来章,祇足攬余思。儻若果歸言,共陶暮春時。
(その5)
暮春雖未交,仲春善遊遨。山桃發紅萼,野蕨漸紫苞。
鳴嚶已悅豫,幽居猶郁陶。夢寐佇歸舟,釋我吝與勞。


(従弟謝惠運に酬ゆ五首)
(その1)
瘵【やまい】に寢【い】ね 人徒【じんと】を謝し,滅跡【めつせき】して雲峯【うんほう】に入れり。
岩壑【がんがく】耳目【じもく】を寓【よ】せ,歡愛【かんあい】音容【おんよう】を隔てり。
永絕【えいぜつ】して賞心【しょうしん】を望み,長懷【ちょうかい】して 與に同じくするを莫きを。
末路【ばんねん】令弟【おとうと】に值【あ】い,開顏【かいがん】心胸【しんきょう】を披【ひら】けり。

(その2)
心胸【しんきょう】既【すで】に雲【いう】を披【ひら】け,意得ること鹹【みな】斯【ここ】に在りき。
澗【たに】を淩ぎ 我が室を尋ね,散帙【さんしつ】知れる所を問える。
夕には曉月【ぎょうげつ】の流れるを慮【おもんばか】り,朝には曛日【くんじつ】の馳するを忌【い】めり。
悟對【ごたい】して 厭歇【えんけつ】すること無く,聚散【しゅうさん】して 分離を成しぬ。

(その3)
分離して西川にて別れ,回景【かいけい】して東山に歸れり。
別れし時 悲しみ已に甚しきも,別れて後 情け更に延ぶ。
想いを傾けて嘉音【かおん】を遲【ま】ちしに,果して濟江【せいこう】の篇を枉【まげ】られぬ。
辛勤【して】風波【ふうは】の事,款曲【かんきょく】して洲渚【しゅうしょ】の言。
(その4) 
洲渚【しゅうしょ】既に淹時【えんじ】せば,風波【ふうは】子の行くこと遲し,務【とお】く華京【かきょう】の想に協【かな】えり,詎【なん】ぞ 空穀【くうこく】に 期を存せん。
猶 復た来章【らいしょう】を恵む,祇【まさ】に足余【よ】の思いを攬【みだ】す。
儻若【もし】歸言【きごん】を果しなば,共に陶【たのし】まん 暮春の時を。
(その5)
暮春 未だ交わらずと雖も,仲春にても善く遊遨【たのし】まん。
山桃は紅萼【こうがく】を發し,野蕨【やけつ】は紫苞【しほう】を漸【すす】む。
鳴嚶【めいえい】 已に悅豫【えつしょう】し,幽居猶お 郁陶【ゆうとう】す。夢寐【むび】にも歸舟【きしゅう】を佇【ま】ち,我の吝【けち】と勞とを釋【と】かん。


現代語訳と訳註
(本文)
(その2)
心胸既雲披,意得鹹在斯。
淩澗尋我室,散帙問所知。
夕慮曉月流,朝忌曛日馳。
悟對無厭歇,聚散成分離。


(下し文) (その2)
心胸【しんきょう】既【すで】に雲【いう】を披【ひら】け,意得ること鹹【みな】斯【ここ】に在りき。
澗【たに】を淩ぎ 我が室を尋ね,散帙【さんしつ】知れる所を問える。
夕には曉月【ぎょうげつ】の流れるを慮【おもんばか】り,朝には曛日【くんじつ】の馳するを忌【い】めり。
悟對【ごたい】して 厭歇【えんけつ】すること無く,聚散【しゅうさん】して 分離を成しぬ。


(現代語訳)
心と胸の中の本音を既にうちあけて話したら、互いの思いはここで納得し合うことが出来た。
そうしたら、隠棲している谷を越えて私の庵を尋ねてくる。読書をしてわからないところを質問をしてくる。
夕べに明け方の月かが流れ落ちるのかと思い、朝には夕日が落ちるのを嫌ったように朝と夕を間違えるほど楽しい時を過ごした。
向かい合ってみると厭になって辞めることはなく、集った後で散したらその後は分れて離れたままである。


(訳注) (その2)
心胸既雲披,意得鹹在斯。
心胸【しんきょう】既【すで】に雲【いう】を披【ひら】け,意得ること鹹【みな】斯【ここ】に在りき。
心と胸の中の本音を既にうちあけて話したら、互いの思いはここで納得し合うことが出来た。


淩澗尋我室,散帙問所知。
澗【たに】を淩ぎ 我が室を尋ね,散帙【さんちつ】知れる所を問える。
そうしたら、隠棲している谷を越えて私の庵を尋ねてくる。読書をしてわからないところを質問をしてくる。
散帙 書帙をうち開くこと。また讀書することをさす。(ちつ)とは、和本を包んで保存する装具の一種。


夕慮曉月流,朝忌曛日馳。
夕には曉月【ぎょうげつ】の流れるを慮【おもんばか】り,朝には曛日【くんじつ】の馳するを忌【い】めり。
夕べに明け方の月かが流れ落ちるのかと思い、朝には夕日が落ちるのを嫌ったように朝と夕を間違えるほど楽しい時を過ごした。
・曉月 あけがたのつき。・曛日 夕日、入日、黄昏時のことをいう。気に入った時の経過の表現として、朝・夕の表現をよく使う。
『登石門最高頂』「晨策尋絕壁,夕息在山棲。疏峰抗高館,對嶺臨回溪。」『石門在永嘉』「早聞夕飈急、晩見朝日暾。」『晚出西射堂』「步出西城門,遙望城西岑。連鄣疊巘崿,青翠杳深沈。曉霜楓葉丹,夕曛嵐氣陰。」


悟對無厭歇,聚散成分離。
悟對【ごたい】して 厭歇【えんけつ】すること無く,聚散【しゅうさん】して 分離を成しぬ。
向かい合ってみると厭になって辞めることはなく、集った後で散したらその後は分れて離れたままである。
厭歇 きらってやめる。・聚散 人々がより集まって仲間をつくったり、また別々に分かれたりすること。・聚散【しゅうさん】1 集まったり散ったりすること。2 生産地から集めた品物を消費地へ送り出すこと。


西陵遇風獻康楽(その2)
哲兄感仳別、相送越垌林。
飲餞野亭館、分袂澄湖陰。
悽悽留子言、眷眷浮客心。
迴塘隠艫栧、遠望絶形音。


(その2)
哲兄【てっけい】は仳別【ひべつ】に感じ、相送って垌林【けいりん】を越え。
野亭【やてい】の館に飲餞【いんせん】し、澄湖【とうこ】の陰に分袂【ぶんぺい】す。
悽悽【せいせい】たり留子【りゅうし】の言、眷眷【けんけん】たり浮客【ふかく】の心。
迴塘【かいとう】に櫨挽【ろえい】隠れ、遠望【えんぼう】形音【けいおん】絶ゆ。


西陵遇風獻康楽 その1 謝惠運 詩<46>Ⅱ李白に影響を与えた詩433 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1116

西陵遇風獻康楽 その1 謝惠運 詩<46>Ⅱ李白に影響を与えた詩433 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1116



 謝靈運

 謝惠連

酬従弟謝惠連 五首

西陵遇風獻康楽 五首

従弟の恵連に酬ゆ 五首

西陵にて風に遇い康楽に獻ず五首

(その1

(その1

寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。

我行指孟春、春仲尚未發。

岩壑寓耳目,歡愛隔音容。

趣途遠有期、念離情無歇。

賞心望,長懷莫與同。

成装候良辰、漾舟陶嘉月。

末路令弟,開顏披心胸

瞻塗意少悰、還顧情多闕。

(その2

(その2)

心胸既雲披,意得鹹在斯。

哲兄感仳別、相送越垌

淩澗尋我室,散帙問所知。

飲餞野亭館、分袂澄湖

夕慮曉月流,朝忌曛日馳。

悽悽留子言、眷眷浮客

悟對無厭歇,聚散成分離

迴塘隠艫栧、遠望絶形

(その3

(その3

分離別西,回景歸東

靡靡即長路,戚戚抱遙

別時悲已甚,別後情更

悲遙但自弭,路長當語

傾想遲嘉音,果枉濟江

行行道轉遠,去去情彌

辛勤風波事,款曲洲渚

昨發浦陽汭,今宿浙江

(その4

(その4)

洲渚既淹,風波子行

屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛

務協華京想,詎存空穀

零雨潤墳澤、落雪灑林

猶復恵来章,祇足攬余

浮氛晦崖巘、積素成原

儻若果歸言,共陶暮春

曲汜薄停旅、通川絶行

(その5

(その5)

暮春雖未交,仲春善遊

臨津不得済、佇楫阻風波。

山桃發紅萼,野蕨漸紫

蕭條洲渚際、気色少諧和。

鳴嚶已悅豫,幽居猶郁

西瞻興遊歎、東睇起悽歌。

夢寐佇歸舟,釋我吝與

積憤成疢痗、無萱將如何。



西陵遇風獻康楽 謝惠連
謝恵連(394~433)   会稽の太守であった謝方明の子。陳郡陽夏の人。謝霊運の従弟にあたる。大謝:霊運に対して小謝と呼ばれ、後に謝朓を加えて“三謝”とも称された。元嘉七年(430)、彭城王・劉義慶のもとで法曹行参軍をつとめた。詩賦にたくみで、謝霊運に対して小謝と称された。『秋懐』『擣衣』は『詩品』でも絶賛され、また楽府体詩にも優れた。『詩品』中。謝恵連・何長瑜・荀雍・羊濬之らいわゆる四友とともに詩賦や文章の創作鑑賞を楽しんだ。四友の一人。


西陵遇風獻康楽(その1)
都建康の西陵で病気になったので康楽兄上に近況をお知らせする詩。
我行指孟春、春仲尚未發。
私の旅は春のはじめのつもりであったのに、仲春二月になってもやはりまだ出発しないでいる。
趣途遠有期、念離情無歇。
旅の途に向かうことは遠く以前に心に決めていたが、別れを思えばさびしい気持ちが尽きない。
成装候良辰、漾舟陶嘉月。
旅装も出来上がって門出の良い日を待ちながら、船を浮かべて春の好ましい月を楽しむのである。
瞻塗意少悰、還顧情多闕。
そうはいっても、行く手の途をながめてみると心に楽しみが少なく、あと振り返ってみるなら、ここに留まるには、気持の上で満足することはないことの方が多いのを覚えるのである。


西陵にて風に遇い康楽に獻ず(その1)
我が行 孟春【もうしゅん】を指すに、春仲【はるなかば】なるも尚 未だ發せず。
途に趣くこと遠く期有り、離【わかれ】を念うて情 歇【や】む無し。
装【よそおい】成して良辰【りょうしん】を候【ま】ち、舟を漾【うかべ】て嘉月を陶【たの】しむ。
塗【みち】を瞻て意に悰【たのしみ】少し、還顧【かんこ】すれば情に闕【か】くること多し。


現代語訳と訳註
(本文)

西陵遇風獻康楽(その1)
我行指孟春、春仲尚未發。
趣途遠有期、念離情無歇。
成装候良辰、漾舟陶嘉月。
瞻塗意少悰、還顧情多闕。

(下し文)
西陵にて風に遇い康楽に獻ず(その1)
我が行 孟春【もうしゅん】を指すに、春仲【はるなかば】なるも尚 未だ發せず。
途に趣くこと遠く期有り、離【わかれ】を念うて情 歇【や】む無し。
装【よそおい】成して良辰【りょうしん】を候【ま】ち、舟を漾【うかべ】て嘉月を陶【たの】しむ。
塗【みち】を瞻て意に悰【たのしみ】少し、還顧【かんこ】すれば情に闕【か】くること多し。


(現代語訳)
都建康の西陵で病気になったので康楽兄上に近況をお知らせする詩。
私の旅は春のはじめのつもりであったのに、仲春二月になってもやはりまだ出発しないでいる。
旅の途に向かうことは遠く以前に心に決めていたが、別れを思えばさびしい気持ちが尽きない。
旅装も出来上がって門出の良い日を待ちながら、船を浮かべて春の好ましい月を楽しむのである。
そうはいっても、行く手の途をながめてみると心に楽しみが少なく、あと振り返ってみるなら、ここに留まるには、気持の上で満足することはないことの方が多いのを覚えるのである。


(訳注)
西陵遇風獻康楽

都建康の西陵で病気になったので康楽兄上に近況をお知らせする詩。
西綾 西陵は都建康の西とされる。・遇風 風流な景色に出遭ったという意味であるが、ここでは風邪か、痛風か、肝臓の病気になったと思われる。台風などに出遭う場合にも使う。・献康楽 康楽侯謝靈運は従兄であったから尊んで獻ずという。この詩は文選に一首とあり、五節一連の詩であるが、節ごとに韻を換えている。


我行指孟春、春仲尚未發。
私の旅は春のはじめのつもりであったのに、仲春二月になってもやはりまだ出発しないでいる。
孟春 初春。・春仲 二月 


趣途遠有期、念離情無歇。
旅の途に向かうことは遠く以前に心に決めていたが、別れを思えばさびしい気持ちが尽きない。
趣途 途に向かう。・遠有期 すでに遙か前に心に期をきめていた。


成装候良辰、漾舟陶嘉月。
旅装も出来上がって門出の良い日を待ちながら、船を浮かべて春の好ましい月を楽しむのである。
良辰 良い時。「安静風無き時なり」・漾 うかべる。・陶嘉月 楚辞九懐篇「嘉月を陶滲みて駕を総ぶ」謝靈運『酬従弟謝蕙連 五首その4』「儻若果歸言,共陶暮春時。」


瞻塗意少悰、還顧情多闕。
そうはいっても、行く手の途をながめてみると心に楽しみが少なく、あと振り返ってみるなら、ここに留まるには、気持の上で満足することはないことの方が多いのを覚えるのである。
 たのしみ。・多闕 意に満たないことが多い。




(謝霊運のその1)
酬従弟謝惠連 五首
(その1)
寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。
岩壑寓耳目,歡愛隔音容。
永絕賞心望,長懷莫與同。
末路值令弟,開顏披心胸。
病の床について人と会うのを謝絶した、それから後名跡を訪れることはなく雲に隠れる峯に隠棲した。
ひととの交じりを断って岩の谷間の水音に耳や目を寄せた。愛しい人とも声を聞くことも隔たったのである。
その隠棲生活は長く続いた、景観を賞賛する心でここで臨んだのだ。そして長期間にわたって同じ気持ちで過ごすことはなかった。
晩年になって、弟の君と逢うことが出来た。そして顔を開いたし、心を打ち解け、胸襟を開いたのだ。

(従弟謝惠運に酬ゆ五首)
(その1)
瘵【やまい】に寢【い】ね 人徒【じんと】を謝し,滅跡【めつせき】して雲峯【うんほう】に入れり。
岩壑【がんがく】耳目【じもく】を寓【よ】せ,歡愛【かんあい】音容【おんよう】を隔てり。
永絕【えいぜつ】して賞心【しょうしん】を望み,長懷【ちょうかい】して 與に同じくするを莫きを。
末路【ばんねん】令弟【おとうと】に值【あ】い,開顏【かいがん】心胸【しんきょう】を披【ひら】けり。

酬従弟謝惠連 五首その(1) 謝霊運(康楽) 詩<45>Ⅱ李白に影響を与えた詩432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1113

酬従弟謝惠連 五首その(1) 謝霊運(康楽) 詩<45>Ⅱ李白に影響を与えた詩432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1113


謝霊運が懐かしい都を出て、再び隠遁のため故郷始寧に向かうときの感情を歌ったものである。朝早く旅立ちをするのが当時の習いであったが、ちょうど大風の吹いている日であった。それも、向かい風で歩きにくいものであった。しかし、出発の日は清明節、陽暦の四月五日または六日にあたるが、旅立つにはきわめて縁起のよい日であった。再び都に来たが、無念にも、再び故郷に隠遁しに帰る謝霊運の心情は、さぞかし感慨無量なものがあったと思う。
なお、このころの作らしいものに、「酬従弟謝惠運」(従弟の恵連に酬ゆ)という題の作品が残っている。


 謝靈運 謝惠連
酬従弟謝惠連 五首西陵遇風獻康楽 五首
従弟の恵連に酬ゆ 五首西陵にて風に遇い康楽に獻ず五首
(その1(その1
寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。我行指孟春、春仲尚未發。
岩壑寓耳目,歡愛隔音容。趣途遠有期、念離情無歇。
賞心望,長懷莫與同。成装候良辰、漾舟陶嘉月。
末路令弟,開顏披心胸瞻塗意少悰、還顧情多闕。
(その2(その2)
心胸既雲,意得鹹在哲兄感仳別、相送越垌
淩澗尋我室,散帙問所飲餞野亭館、分袂澄湖
夕慮曉月流,朝忌曛日悽悽留子言、眷眷浮客
悟對無厭歇,聚散成迴塘隠艫栧、遠望絶形
(その3(その3
分離別西,回景歸東靡靡即長路,戚戚抱遙
別時悲已甚,別後情更悲遙但自弭,路長當語
傾想遲嘉音,果枉濟江行行道轉遠,去去情彌
辛勤風波事,款曲洲渚昨發浦陽汭,今宿浙江
(その4(その4)
洲渚既淹,風波子行屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛
務協華京想,詎存空穀零雨潤墳澤、落雪灑林
猶復恵来章,祇足攬余浮氛晦崖巘、積素成原
儻若果歸言,共陶暮春曲汜薄停旅、通川絶行
(その5(その5)
暮春雖未交,仲春善遊臨津不得済、佇楫阻風
山桃發紅萼,野蕨漸紫蕭條洲渚際、気色少諧
鳴嚶已悅豫,幽居猶郁西瞻興遊歎、東睇起悽
夢寐佇歸舟,釋我吝與積憤成疢痗、無萱將如


酬従弟謝惠連 五首
(その1)
寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。
病の床について人と会うのを謝絶した、それから後名跡を訪れることはなく雲に隠れる峯に隠棲した。
岩壑寓耳目,歡愛隔音容。
ひととの交じりを断って岩の谷間の水音に耳や目を寄せた。愛しい人とも声を聞くことも隔たったのである。
永絕賞心望,長懷莫與同。
その隠棲生活は長く続いた、景観を賞賛する心でここで臨んだのだ。そして長期間にわたって同じ気持ちで過ごすことはなかった。
末路值令弟,開顏披心胸。
晩年になって、弟の君と逢うことが出来た。そして顔を開いたし、心を打ち解け、胸襟を開いたのだ。

(その2)
心胸既雲披,意得鹹在斯。淩澗尋我室,散帙問所知。
夕慮曉月流,朝忌曛日馳。悟對無厭歇,聚散成分離。
(その3)
分離別西川,回景歸東山。別時悲已甚,別後情更延。
傾想遲嘉音,果枉濟江篇。辛勤風波事,款曲洲渚言。
(その4)
洲渚既淹時,風波子行遲,務協華京想,詎存空穀期。
猶復恵来章,祇足攬余思。儻若果歸言,共陶暮春時。
(その5)
暮春雖未交,仲春善遊遨。山桃發紅萼,野蕨漸紫苞。
鳴嚶已悅豫,幽居猶郁陶。夢寐佇歸舟,釋我吝與勞。


(従弟謝惠連に酬ゆ五首)
(その1)
瘵【やまい】に寢【い】ね 人徒【じんと】を謝し,滅跡【めつせき】して雲峯【うんほう】に入れり。
岩壑【がんがく】耳目【じもく】を寓【よ】せ,歡愛【かんあい】音容【おんよう】を隔てり。
永絕【えいぜつ】して賞心【しょうしん】を望み,長懷【ちょうかい】して 與に同じくするを莫きを。
末路【ばんねん】令弟【おとうと】に值【あ】い,開顏【かいがん】心胸【しんきょう】を披【ひら】けり。

(その2)
心胸【しんきょう】既【すで】に雲【いう】を披【ひら】け,意得ること鹹【みな】斯【ここ】に在りき。
澗【たに】を淩ぎ 我が室を尋ね,散帙【さんしつ】知れる所を問える。
夕には曉月【ぎょうげつ】の流れるを慮【おもんばか】り,朝には曛日【くんじつ】の馳するを忌【い】めり。
悟對【われとたい】して 厭歇【けんけつ】すること無く,聚散【しゅうさん】して 分離を成しぬ。

(その3)
分離して西川にて別れ,回景【かいけい】して東山に歸れり。
別れし時 悲しみ已に甚しきも,別れて後 情け更に延ぶ。
想いを傾けて嘉音【かおん】を遲【ま】ちしに,果して濟江【せいこう】の篇を枉【まげ】られぬ。
辛勤【して】風波【ふうは】の事,款曲【かんきょく】して洲渚【しゅうしょ】の言。
(その4) 
洲渚【しゅうしょ】既に淹時【えんじ】せば,風波【ふうは】子の行くこと遲し,務【とお】く華京【かきょう】の想に協【かな】えり,詎【なん】ぞ 空穀【くうこく】に 期を存せん。
猶 復た来章【らいしょう】を恵む,祇【まさ】に足余【よ】の思いを攬【みだ】す。
儻若【もし】歸言【きごん】を果しなば,共に陶【たのし】まん 暮春の時を。
(その5)
暮春 未だ交わらずと雖も,仲春にても善く遊遨【たのし】まん。
山桃は紅萼【こうがく】を發し,野蕨【やけつ】は紫苞【しほう】を漸【すす】む。
鳴嚶【めいえい】 已に悅豫【えつしょう】し,幽居猶お 郁陶【ゆうとう】す。夢寐【むび】にも歸舟【きしゅう】を佇【ま】ち,我の吝【けち】と勞とを釋【と】かん。



現代語訳と訳註
(本文) 酬従弟謝惠連 五首 (その1)
寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。
岩壑寓耳目,歡愛隔音容。
永絕賞心望,長懷莫與同。
末路值令弟,開顏披心胸。


(下し文) (その1)
瘵【やまい】に寢【い】ね 人徒【じんと】を謝し,滅跡【めつせき】して雲峯【うんほう】に入れり。
岩壑【がんがく】耳目【じもく】を寓【よ】せ,歡愛【かんあい】音容【おんよう】を隔てり。
永絕【えいぜつ】して賞心【しょうしん】を望み,長懷【ちょうかい】して 與に同じくするを莫きを。
末路【ばんねん】令弟【おとうと】に值【あ】い,開顏【かいがん】心胸【しんきょう】を披【ひら】けり。


(現代語訳)
病の床について人と会うのを謝絶した、それから後名跡を訪れることはなく雲に隠れる峯に隠棲した。
ひととの交じりを断って岩の谷間の水音に耳や目を寄せた。愛しい人とも声を聞くことも隔たったのである。
その隠棲生活は長く続いた、景観を賞賛する心でここで臨んだのだ。そして長期間にわたって同じ気持ちで過ごすことはなかった。
晩年になって、弟の君と逢うことが出来た。そして顔を開いたし、心を打ち解け、胸襟を開いたのだ。


(訳注) 酬従弟謝惠連 五首 (その1)
寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。
病の床について人と会うのを謝絶した、それから後、名跡を訪れることはなく雲に隠れる峯に隠棲した。
滅跡 名跡を訪れることはないこと。


岩壑寓耳目,歡愛隔音容。
ひととの交じりを断って岩の谷間の水音に耳や目を寄せた。愛しい人とも声を聞くことも隔たったのである。
歡愛 愛しい人。


永絕賞心望,長懷莫與同。
その隠棲生活は長く続いた、景観を賞賛する心でここで臨んだのだ。そして長期間にわたって同じ気持ちで過ごすことはなかった。


末路值令弟,開顏披心胸。
晩年になって、弟の君と逢うことが出来た。そして顔を開いたし、心を打ち解け、、胸襟を開いたのだ。
末路 晩年。

謝恵連のその1
西陵遇風獻康楽(その1)
我行指孟春、春仲尚未發。
趣途遠有期、念離情無歇。
成装候良辰、漾舟陶嘉月。
瞻塗意少悰、還顧情多闕。


都建康の西陵で病気になったので康楽兄上に近況をお知らせする詩。
私の旅は春のはじめのつもりであったのに、仲春二月になってもやはりまだ出発しないでいる。
旅の途に向かうことは遠く以前に心に決めていたが、別れを思えばさびしい気持ちが尽きない。
旅装も出来上がって門出の良い日を待ちながら、船を浮かべて春の好ましい月を楽しむのである。
そうはいっても、行く手の途をながめてみると心に楽しみが少なく、あと振り返ってみるなら、ここに留まるには、気持の上で満足することはないことの方が多いのを覚えるのである。


西陵にて風に遇い康楽に獻ず(その1)
我が行 孟春【もうしゅん】を指すに、春仲【はるなかば】なるも尚 未だ發せず。
途に趣くこと遠く期有り、離【わかれ】を念うて情 歇【や】む無し。
装【よそおい】成して良辰【りょうしん】を候【ま】ち、舟を漾【うかべ】て嘉月を陶【たの】しむ。
塗【みち】を瞻て意に悰【たのしみ】少し、還顧【かんこ】すれば情に闕【か】くること多し。

入東道路詩 謝霊運(康楽) 詩<44#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩431 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1110

入東道路詩 謝霊運(康楽) 詩<44#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩431 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1110


謝霊運が懐かしい都を出て、再び隠遁のため故郷始寧に向かうときの感情を歌ったものである。朝早く旅立ちをするのが当時の習いであったが、ちょうど大風の吹いている日であった。それも、向かい風で歩きにくいものであった。しかし、出発の日は清明節、陽暦の四月五日または六日にあたるが、旅立つにはきわめて縁起のよい日であった。再び都に来たが、無念にも、再び故郷に隠遁しに帰る謝霊運の心情は、さぞかし感慨無量なものがあったと思う。


入東道路詩(東の道路に入るの詩)#1
整駕辭金門.命旅惟詰朝.
懷居顧歸雲.指塗泝行飆.
屬值清明節.榮華感和韶.
陵隰繁綠杞.墟囿粲紅桃.
#2
鷕鷕翬方雊.纖纖麥垂苗.
オスの雉の鳴き声はきょうきょうと今まさに啼いている。しょうしょうと麥は作物栽培の畑に植え付けた苗は育ち垂れている。
隱軫邑里密.緬邈江海遼.
春の盛りの村里は春の息吹がひそかに進んでいる。はるかに遠い江河と東海がはるかにある。
滿目皆古事.心賞貴所高.
目に見えるかぎりのものすべて皆故事にかかわるものだ。そして、それは心に賞賛するものでと音いことは高い志を持ち続けることである。
魯連謝千金.延州權去朝.
魯中連は千金をもってしても高節を守って誰にも仕えず、春秋時代の呉の季札は清廉賢哲を以って知られ朝、固辞して朝立ち去った。
行路既經見.願言寄吟謠.

人生の行路は既に、経験してわかってきた、、願うことなら、詩にして吟じたり、民用にして語り伝えたい。



(東の道路に入るの詩)
駕を整えて金門を辞す、旅を命ず惟【こ】れ 詰朝【きつちょう】。
居を懐かしみ帰る雲を顧みる、塗を指し飆【おおかぜ】に泝【さかのぼ】り 行く。
属【たまた】ま 清明【せいめい】の節に値【あ】う、栄華 感じて韶【しょう】に和す。
陵隰【りょうしつ】に繁れる緑の杞【き】、墟園【きょえん】に粲【さん】たる紅桃【こうとう】。
#2
鷕鷕【えいえい】として翬【きじ】は方に雊【な】く、纖纖【せんせん】として麦は苗に垂る。
隱軫【いんしん】として邑里は密、緬邈【めんばく】として江海 遼かなり。
満目 皆な古事、心の賞するは高き所を貴ぶ。
魯連【ろれん】は千金を謝し、延州は権【かり】に朝を去る。
行路 既に見を経たり、願わくは言 吟謡に寄せんことを。


現代語訳と訳註
(本文) #2

鷕鷕翬方雊.纖纖麥垂苗.
隱軫邑里密.緬邈江海遼.
滿目皆古事.心賞貴所高.
魯連謝千金.延州權去朝.
行路既經見.願言寄吟謠.


(下し文)#2
鷕鷕【えいえい】として翬【きじ】は方に雊【な】く、纖纖【せんせん】として麦は苗に垂る。
隱軫【いんしん】として邑里 密かに、緬邈【めんばく】として江海 遼かなり。
満目 皆な古事、心の賞するは高き所を貴ぶ。
魯連【ろれん】は千金を謝し、延州は権【かり】に朝を去る。
行路 既に見を経たり、願わくは言 吟謡に寄せんことを。
 

(現代語訳)#2
オスの雉の鳴き声はきょうきょうと今まさに啼いている。しょうしょうと麥は作物栽培の畑に植え付けた苗は育ち垂れている。
春の盛りの村里は春の息吹がひそかに進んでいる。はるかに遠い江河と東海がはるかにある。
目に見えるかぎりのものすべて皆故事にかかわるものだ。そして、それは心に賞賛するものでと音いことは高い志を持ち続けることである。
魯中連は千金をもってしても高節を守って誰にも仕えず、春秋時代の呉の季札は清廉賢哲を以って知られ朝、固辞して朝立ち去った。
人生の行路は既に、経験してわかってきた、、願うことなら、詩にして吟じたり、民用にして語り伝えたい。


(訳注)#2
鷕鷕翬方雊.纖纖麥垂苗.

鷕鷕【きょうきょう】として翬【きじ】は方に雊【な】く、纖纖【せんせん】として麦は苗に垂る。
オスの雉の鳴き声はきょうきょうと今まさに啼いている。しょうしょうと麥は作物栽培の畑に植え付けた苗は育ち垂れている。
鷕鷕 オスの雉の鳴き声のさま。・ 作物栽培や植林を行う場合に畑や林地に植えつける若い植物を苗


軫邑里密.緬邈江海遼.
隱軫【いんしん】として邑里 密かに、緬邈【めんばく】として江海 遼かなり。
春の盛りの村里は春の息吹がひそかに進んでいる。はるかに遠い江河と東海がはるかにある。
・隱 さかんなさま。・緬邈 1 はるかに遠い。「緬邈(めんばく)」 2 細く長い糸。


滿目皆古事.心賞貴所高.
満目 皆な古事、心の賞するは高き所を貴ぶ。
目に見えるかぎりのものすべて皆故事にかかわるものだ。そして、それは心に賞賛するものでと音いことは高い志を持ち続けることである。
満目 見わたすかぎり。目に見えるかぎり。


魯連謝千金.延州權去朝.
魯連【ろれん】は千金を謝し、延州は権【かり】に朝を去る。
魯中連は千金をもってしても高節を守って誰にも仕えず、春秋時代の呉の季札は清廉賢哲を以って知られ朝、固辞して朝立ち去った。
魯連 魯仲連(約西元前305年~西元前245年)戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。・延州 季札(きさつ、生没年不詳)は、中国春秋時代の呉で活躍した政治家。姓は姫。呉の初代王寿夢の少子。清廉賢哲を以って知られ、延陵の季子として知られる。


行路既經見.願言寄吟謠.
行路 既に見を経たり、願わくは言 吟謡に寄せんことを。
人生の行路は既に、経験してわかってきた、、願うことなら、詩にして吟じたり、民用にして語り伝えたい。




延州權去朝.兄弟相続・末子相続の風習を儒教的な美談をいう。
春秋呉王寿夢は息子のうち賢人として名高い季札を跡継ぎとしたいと思ったが、季札は兄を差し置いて王位に即くことを拒み、野に下った。それでも諦め切れなかった寿夢は、死に際して季札に後を継がせるように遺言したので長子の諸樊は季札の元へ赴いて王位につくことを願ったが、季札はまたしてもこれを拒んだ。そこで季札以外の兄弟たちは相談して王位を兄弟で継承していくことにし、ひとまず諸樊が王位に即いた。
諸樊の死後、次子余祭は季札に即位を願ったが季札はこれを拒んだ。そこで余祭はせめて領内の一都市の治世を担当してもらうように望み、季札もこれを断りきれず延陵の地に封ぜられた。季札はこの地を見事に治め、この後季札は延陵の季子と呼ばれるようになる。
その後、三男余昧の死後、またしても使者が季札の元を訪れて王位に就くことを願ったが、季札はまたしてもこれを拒み、王位は結局余昧の子である僚[2]へと継承された。これを不服に思った諸樊の子の光が呉王僚を殺して闔閭として即位すると、呉は最盛期を迎えて春秋五覇の一国に数えられるまでになった。

入東道路詩 謝霊運(康楽) 詩<44#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩430 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1107

入東道路詩 謝霊運(康楽) 詩<44#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩430 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1107
(東の道路に入るの詩)


謝霊運の行動に対しては、始寧の田舎に隠遁していたのに、急に都に呼びよせられ、謝霊運は不満であっても、他からみれば高い位を与えられ、常に天子の宴会などでは詩文の才をもてはやされたことは、一方では快く思わなかった人も多くした。それは、諫言、讒言とされた。こうして、文帝のこの温かい思いやりも謝霊運には普通なら静かに故郷に帰って謹慎をしているべきであったが、暇はでき、金はある、食物も豊かであり、そのうえ、名酒のあるところで、毎日毎日、気ままな生活をした。そこで自己の不満をだれかれとなくぶちまけていたことが、都に届いた。謝霊運の反対派によい口実を与える結果になった。遠く都の建康まで、誇張されて伝えられた。ついに、御史中丞の樽隆の進言でその官位を退かねはならなくなったのは、428年元嘉五年、謝霊運四十四歳のときである。再任してからおよそ三年めのことであった。
この時、作った作に、「東の道路に入るの詩」がある。従游京口北固應詔詩は都に来た時の詩であるがこの詩と比較しても面白い。


入東道路詩 #1
都を出て東の始寧に向かう道路に入る。
整駕辭金門.命旅惟詰朝.
御車用の馬を整えて金馬門を辞して城郭を出る。この旅を命じられたのは昨日でこの朝、旅立てということであった。
懷居顧歸雲.指塗泝行飆.
都の居宅を懐かしみながら帰りに向かう雲を顧みた。道を目指していき始めると春の大風が向かい風となる。
屬值清明節.榮華感和韶.
時節は姓名節であり、旅立つには最適の時節である。春の宮廷の栄華を祝う詔楽の音楽はこの旅立に合わせてくれる感じである。
陵隰繁綠杞.墟囿粲紅桃.

丘や窪地の湿地などに緑のクコの木が広がり、村落の農地、庭園に赤く桃の花が咲き誇る。
#2
鷕鷕翬方雊.纖纖麥垂苗.
隱軫邑里密.緬邈江海遼.
滿目皆古事.心賞貴所高.
魯連謝千金.延州權去朝.
行路既經見.願言寄吟謠.


(東の道路に入るの詩)
駕を整えて金門を辞す、旅を命ず惟【こ】れ 詰朝【きつちょう】。
居を懐かしみ帰る雲を顧みる、塗を指し飆【おおかぜ】に泝【さかのぼ】り 行く。
属【たまた】ま 清明【せいめい】の節に値【あ】う、栄華 感じて韶【しょう】に和す。
陵隰【りょうしつ】に繁れる緑の杞【き】、墟園【きょえん】に粲【さん】たる紅桃【こうとう】。
#2
鷕鷕【えいえい】として翬【きじ】は方に雊【な】く、纖纖【せんせん】として麦は苗に垂る。
隱軫【いんしん】として邑里は密、緬邈【めんばく】として江海 遼かなり。
満目 皆な古事、心の賞するは高き所を貴ぶ。
魯連【ろれん】は千金を謝し、延州は権【かり】に朝を去る。
行路 既に見を経たり、願わくは言 吟謡に寄せんことを。


現代語訳と訳註
(本文)
#1
入東道路詩
整駕辭金門.命旅惟詰朝.
懷居顧歸雲.指塗泝行飆.
屬值清明節.榮華感和韶.
陵隰繁綠杞.墟囿粲紅桃.


(下し文)
(東の道路に入るの詩)
駕を整えて金門を辞す、旅を命ず惟【こ】れ 詰朝【きつちょう】。
居を懐かしみ帰る雲を顧みる、塗を指し飆【おおかぜ】に泝【さかのぼ】り 行く。
属【たまた】ま 清明【せいめい】の節に値【あ】う、栄華 感じて韶【しょう】に和す。
陵隰【りょうしつ】に繁れる緑の杞【き】、墟園【きょえん】に粲【さん】たる紅桃【こうとう】。


(現代語訳)
都を出て東の始寧に向かう道路に入る。
御車用の馬を整えて金馬門を辞して城郭を出る。この旅を命じられたのは昨日でこの朝、旅立てということであった。
都の居宅を懐かしみながら帰りに向かう雲を顧みた。道を目指していき始めると春の大風が向かい風となる。
時節は姓名節であり、旅立つには最適の時節である。春の宮廷の栄華を祝う詔楽の音楽はこの旅立に合わせてくれる感じである。
丘や窪地の湿地などに緑のクコの木が広がり、村落の農地、庭園に赤く桃の花が咲き誇る。


(訳注) #1
入東道路詩

(東の道路に入るの詩)
都を出て東の始寧に向かう道路に入る。


整駕辭金門.命旅惟詰朝.
駕を整えて金門を辞す、旅を命ず惟【こ】れ 詰朝【きつちょう】。
御車用の馬を整えて金馬門を辞して城郭を出る。この旅を命じられたのは昨日でこの朝、旅立てということであった。
金門 金馬門:漢代の未央宮(びおうきゅう)の門の一。側臣が出仕して下問を待つ所。金馬。金門。・詰朝 明日の明方、明旦。


懷居顧歸雲.指塗泝行飆.
居を懐かしみ帰る雲を顧みる、塗を指し飆【おおかぜ】に泝【さかのぼ】り 行く。
都の居宅を懐かしみながら帰りに向かう雲を顧みた。道を目指していき始めると春の大風が向かい風となる。


屬值清明節.榮華感和韶.
属【たまた】ま 清明【せいめい】の節に値【あ】う、栄華 感じて韶【しょう】に和す。
時節は姓名節であり、旅立つには最適の時節である。春の宮廷の栄華を祝う詔楽の音楽はこの旅立に合わせてくれる感じである。
清明節 、二十四節気の第5。三月節(旧暦2月後半 - 3月前半)。現在広まっている定気法では太陽黄経が15度のときで4月5日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。恒気法では冬至から7/24年(約106.53日)後で4月7日ごろ。
期間としての意味もあり、この日から、次の節気の穀雨前日までである。・韶(楽) 古来より中国の宮廷に伝わる音楽。その音はあるいは勇ましくあるいは寂しく溜息がもれるという。


陵隰繁綠杞.墟囿粲紅桃.
陵隈【りょうわい】に繁れる緑の杞【き】、墟囿【きょゆう】に粲【さん】たる紅桃【こうとう】。
丘や窪地の湿地などに緑のクコの木が広がり、村落の農地、庭園に赤く桃の花が咲き誇る。
陵隰 山陵和低湿之地。陵隰相望。・綠杞 クコ・墟囿 おか、村落の農地。庭園の迹。墟は丘。囿は庭、庭園。御苑のような庭園。従遊京口北固應詔 #1
玉璽誡誠信、黄屋示崇高。事為名教用、道以神理超。
昔聞汾水遊、今見塵外鑣。鳴笳發春渚、税鑾登山椒。
張組眺倒景、列筵矚歸潮。遠巌映蘭薄、白日麗江皐。
原濕荑縁柳、墟囿散紅桃。皇心美陽澤、萬象咸光昭。
顧己枉維縶、撫志慙場苗。工拙各所宜、終以返林巣。
曾是縈舊想、覽物奏長謡。

田南樹園激流植援 謝霊運(康楽) 詩<43#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩429 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1104

田南樹園激流植援 謝霊運(康楽) 詩<43#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩429 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1104


田南樹園激流植援 #1
樵隱俱在山,由來事不同。
不同非一事,養痾亦園中。
中園屏氛雜,清曠招遠風。
蔔室倚北阜,啟扉面南江。
激澗代汲井,插槿當列墉。
#2
羣木既羅戶,眾山亦對牕。
園中に群がる木々がすでに戸口に連なり並んでいる、多くの山々もまた高窓からまともに見える。
靡迤趨下田,迢遞瞰高峯。
うねうねと続いた低い田を歩いたり、遠く聾えた高い峯をながめたりする。
寡欲不期勞,即事罕人功。
欲が少ないことは、この山居のため、日常の煩わしさで心身を疲れさそうとは思わないし、物事はあるがままに、人の力を用いることはまれであった。
唯開蔣生徑,永懷求羊蹤。
ただ漢の蔣詡のように幽居の庭に3筋の径(こみち)をつくり、松・菊・竹を植えた、また高士である求仲と羊仲が俗世をさけてその道を歩いて遊んだことを永く慕わしく思おもうのである。
賞心不可忘,妙善冀能同。
この山水の風景を賞賛する心を忘れることはできない。それにただ念仏を唱え浄土にゆくすぐれて善い真理を悟って、どうか善悪、死生を同一視できる念仏することの願う。この山水幽遠の境地にいて、浄土を求めたいと思うのである。


(田の南園に樹え流れに激ぎ援を植う)
樵【しょう】と隠【いん】とは俱【とも】に山に在れども、由来 車は同じからず。
同じからざるは一事に非ず、痾【やまい】を養うも亦た園中にあり。
園中 氛【よごれ】と 雑 を屏【しりぞ】け、清曠【せいこう】して遠風【えんぷう】を招く。
室を卜【ぼく】いて北皐【ほくふ】に倚り、扉を啓【ひら】いて南の江に画す。
澗【かん】を激【そそ】いで井に汲むに代え、槿【きん】を插して糖【かき】を列【ならび】に当つ。
#2
群木は既に戸に羅なり、衆山も亦た窗に対す。
靡迤【びい】りて下の田に趨き、迢遞なる高峰を瞰【み】る。
寡欲【かよく】労にしてを期せず、事に即して人の功を竿なくす。
唯だ蒋生【しょうせい】の蓮を開き、永く求羊【きゅうよう】の踪【あと】をを懐う。
覚心 忘る可からず、妙善【みょうぜん】をば能く同じくせんことを冀【ねが】う。


現代語訳と訳註
(本文)
田南樹園激流植援 #2
羣木既羅戶,眾山亦對牕。
靡迤趨下田,迢遞瞰高峯。
寡欲不期勞,即事罕人功。
唯開蔣生徑,永懷求羊蹤。
賞心不可忘,妙善冀能同。


(下し文) #2
群木は既に戸に羅なり、衆山も亦た窗に対す。
靡迤【びい】りて下の田に趨き、迢遞なる高峰を瞰【み】る。
寡欲【かよく】労にしてを期せず、事に即して人の功を竿なくす。
唯だ蒋生【しょうせい】の蓮を開き、永く求羊【きゅうよう】の踪【あと】をを懐う。
覚心 忘る可からず、妙善【みょうぜん】をば能く同じくせんことを冀【ねが】う。


(現代語訳)
園中に群がる木々がすでに戸口に連なり並んでいる、多くの山々もまた高窓からまともに見える。
うねうねと続いた低い田を歩いたり、遠く聾えた高い峯をながめたりする。
欲が少ないことは、この山居のため、日常の煩わしさで心身を疲れさそうとは思わないし、物事はあるがままに、人の力を用いることはまれであった。
ただ漢の蔣詡のように幽居の庭に3筋の径(こみち)をつくり、松・菊・竹を植えた、また高士である求仲と羊仲が俗世をさけてその道を歩いて遊んだことを永く慕わしく思おもうのである。
この山水の風景を賞賛する心を忘れることはできない。それにただ念仏を唱え浄土にゆくすぐれて善い真理を悟って、どうか善悪、死生を同一視できる念仏することの願う。この山水幽遠の境地にいて、浄土を求めたいと思うのである。


(訳注) #2
羣木既羅戶,眾山亦對牕。
園中に群がる木々がすでに戸口に連なり並んでいる、多くの山々もまた高窓からまともに見える。
 高まど、 てんまど、 けむだし。


靡迤趨下田,迢遞瞰高峯。
うねうねと続いた低い田を歩いたり、遠く聾えた高い峯をながめたりする。
靡迤 うねうねと連らなるさま。○迢遞 遠く聳えたさま。○ 見下ろす。眺める。


寡欲不期勞,即事罕人功。
欲が少ないことは、この山居のため、日常の煩わしさで心身を疲れさそうとは思わないし、物事はあるがままに、人の力を用いることはまれであった。
寡欲 物欲が少ない。○不期労 山居のために必ずしも心身を疲らそうと思わない。○即事 物事についてそのままで。○罕人功 人手を煩わすことがまれである。


唯開蔣生徑,永懷求羊蹤。
ただ漢の蔣詡のように幽居の庭に3筋の径(こみち)をつくり、松・菊・竹を植えた、また高士である求仲と羊仲が俗世をさけてその道を歩いて遊んだことを永く慕わしく思おもうのである。
○蔣生徑 漢代の蒋詡(しょうく)が、幽居の庭に3筋の径(こみち)をつくり、松・菊・竹を植えた故事から庭につけた3本のこみちのことをいう。○求羊蹤 羊仲・求仲の歩いた足あと。彼等の行為。
二仲; 開徑; 羊仲; 羊求; 求仲; 求羊; 三三徑; 三徑詡; 開三徑; 開竹徑; 求羊徑; 求羊蹤; 徑三三; 蔣生徑; 蔣詡徑; 徑開高士; 避地蔣生; 蔣生難再逢; 開徑;. 3. 三徑 • 二仲; 開徑; 羊仲; 羊求; 求仲; 求羊; 三三徑; 三徑詡; 開三徑; 開竹徑; 求羊徑;


賞心不可忘,妙善冀能同。
この山水の風景を賞賛する心を忘れることはできない。それにただ念仏を唱え浄土にゆくすぐれて善い真理を悟って、どうか善悪、死生を同一視できる念仏することの願う。この山水幽遠の境地にいて、浄土を求めたいと思うのである。
賞心 山水の風景を賞賛する心。○妙善 浄土宗の真理をいう。○冀能同 念仏を唱えることで、前任悪人の別なく浄土にゆける。


と歌う。始寧に帰った霊運は本宅以外に別荘をも作り、悠々と自適の生活にはいった。その別荘は、室を卜いて北の卓に借り、扉を啓けば南は江に面しその景が眺められ、そして潮水を敵いで升に汲むに代え、程を挿えて垣根の代わりにした、と描写し、そこからの眺めを、「群がれる木は既に戸に羅なり 衆くの山も亦た牌に対す 靡逼りて下の田に潜り 邁遽なる高峰を放る」と述べる。特に、欲寡なければ労を期せず、事に即して人の功苧なり、唯だ漠の蒋生の故事によって逆を開いた。と詠ずるのは、陶淵明の「帰去来辞」の「僮僕歡迎、稚子候門。三逕就荒、松菊猶存。」(僮僕は歡び迎へ、稚子 門に候(ま)つ。三径は荒に就(つ)き、松菊は猶お存せり)の内容と同じ考えをもっていたことを示す。貧しさをいとわず、役人生活を捨てた淵明。親戚・友人の切なる忠告を退けてやめた謝霊運がに求めたのは仏教的な心の自由であった。南亡く朝という特異な時代、二君に交えずの時代であっても、君主の禅譲ということからの嫌気は自然の美へあこがれ、自由な生活へのあこがれ、それは中国知識人の夢であり望みであったのだ。


#2
羣木既羅戶,眾山亦對牕。
靡迤趨下田,迢遞瞰高峯。
寡欲不期勞,即事罕人功。
唯開蔣生徑,永懷求羊蹤。
賞心不可忘,妙善冀能同。

群木は既に戸に羅なり、衆山も亦た窗に対す。
靡迤【びい】りて下の田に趨き、迢遞なる高峰を瞰【み】る。
寡欲【かよく】労にしてを期せず、事に即して人の功を竿なくす。
唯だ蒋生【しょうせい】の蓮を開き、永く求羊【きゅうよう】の踪【あと】をを懐う。
覚心 忘る可からず、妙善【みょうぜん】をば能く同じくせんことを冀【ねが】う。

田南樹園激流植援 謝霊運(康楽) 詩<42#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩428 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1101

田南樹園激流植援 謝霊運(康楽) 詩<42#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩428 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1101
(田の南園に樹え流れに激ぎ援を植うP134田の南園に樹え、流れに激ぎ援を植う)


始寧の隠世
『宋書』の本伝によると、謝霊運は

父祖ならびに始寧県に葬らる。併せて故宅及び有り。遂に籍を会稽に移し、別業を營す。山に傍い江を帯び、幽居の美を尽くす。隠士王弘之・孔淳之等と縦放(自由)を娯しみと為す。終焉の志有り。一詩の都邑に至る有る毎に、貴賤競い写さざるなし。

宿昔の間、士庶皆なし。遠近名を欽慕し京師を動かす。山居の賦を作る。


始寧は現在の浙江省上虞県である。海外貿易で有名な寧波の町から西に60km、名酒の町、紹興から東50kmのところにある。謝霊運は『山居賦』の自注に、

余が祖、車騎(謝玄)は大功を淮に建て、江左は横流の禍いを免るるを得たり。後に太博(謝安)既にずるに及び、建國己に輟む。是に於いて便ち駕を解いて東に帰り、以って君側の乱を避けんことを求む。廃興・隠顕は当に是れ賢達の心たるべし。故に神麗の所を選び、以って高棲の志を申ぶ。山川を経始し、実に此に基をおく。



会稽に籍を移し、別業=別荘に本拠をそこに移すことにした。このことははなはだ簡略にそれとなく記されている。それは晋の南渡に当たり、先祖の眠る故郷に自由に行けなくなったこと、また、この自然の美しい土地に魅せられたのであろうか。「山居賦」によれば、

其の居や湖を左にし、江を右にし、渚に往き、江に還り、山を西にし、阜を背にし。



山居の様子を述べ、農産物、あるいは水草・樹木・魚類・鳥類・獣類について書き、または、仏寺を歌い、仏道・浄土へのあこがれをいい、仏教を論じ、文学について私見を述べる。
始寧で霊運のやったことは、『文選』の巻三十の 「雑詩」に引用される 「田南樹園激流植援」(田の南園に樹え、流れに激ぎ援を植う)という詩に歌われた。



田南樹園激流植援 #1
田の南に庭を作り、流れをせき止めて水を庭にそそぎ庭わまわりに生垣を植える。
樵隱俱在山,由來事不同。
木こりと隠者とがともにこの山中に住んでいるが、もとより彼等のする事は同じではない。
不同非一事,養痾亦園中。
同じでないのは一つの事だけではなくて、私のように病気の保養をするのもまたこの園中での仕事の一つである。
中園屏氛雜,清曠招遠風。
荘園の中にうるさい雑事をしりぞけて、清らかにむなしい心で幽遠な気分、座禅のような気分を招き求めるのである。
蔔室倚北阜,啟扉面南江。
亀の甲を焼いて占い、庵の位置、方位を定めて、北山を背にして建てる、門の扉を南方の川江に向かって開いた。
激澗代汲井,插槿當列墉。
そして谷川を堰き止めて園にさそい注流させ、井戸水を汲む代わりにする、むくげの木を挿し植えて連ねて土塀の代用にあてるのだ。
#2
羣木既羅戶,眾山亦對牕。
靡迤趨下田,迢遞瞰高峯。
寡欲不期勞,即事罕人功。
唯開蔣生徑,永懷求羊蹤。
賞心不可忘,妙善冀能同。


(田の南園に樹え流れに激ぎ援を植う)
樵【しょう】と隠【いん】とは俱【とも】に山に在れども、由来 車は同じからず。
同じからざるは一事に非ず、痾【やまい】を養うも亦た園中にあり。
園中 氛【よごれ】と 雑 を屏【しりぞ】け、清曠【せいこう】して遠風【えんぷう】を招く。
室を卜【ぼく】いて北皐【ほくふ】に倚り、扉を啓【ひら】いて南の江に画す。
澗【かん】を激【そそ】いで井に汲むに代え、槿【きん】を插して糖【かき】を列【ならび】に当つ。
#2
群木は既に戸に羅なり、衆山も亦た窗に対す。
靡迤【びい】りて下の田に趨き、迢遞なる高峰を瞰【み】る。
寡欲【かよく】労にしてを期せず、事に即して人の功を竿なくす。
唯だ蒋生【しょうせい】の蓮を開き、永く求羊【】の踪【あと】をむるを懐う。
覚心 忘る可からず、妙善【みょうぜん】をば能く同じくせんことを巽【ねが】う
 


現代語訳と訳註
(本文) #1

田南樹園激流植援
樵隱俱在山,由來事不同。
不同非一事,養痾亦園中。
中園屏氛雜,清曠招遠風。
蔔室倚北阜,啟扉面南江。
激澗代汲井,插槿當列墉。


(下し文)
樵【しょう】と隠【いん】とは俱【とも】に山に在れども、由来 車は同じからず。
同じからざるは一事に非ず、痾【やまい】を養うも亦た園中にあり。
園中 氛【よごれ】と 雑 を屏【しりぞ】け、清曠【せいこう】して遠風【えんぷう】を招く。
室を卜【ぼく】いて北皐【ほくふ】に倚り、扉を啓【ひら】いて南の江に画す。
澗【かん】を激【そそ】いで井に汲むに代え、槿【きん】を插して糖【かき】を列【ならび】に当つ。

(現代語訳)
田の南に庭を作り、流れをせき止めて水を庭にそそぎ庭わまわりに生垣を植える。
木こりと隠者とがともにこの山中に住んでいるが、もとより彼等のする事は同じではない。
同じでないのは一つの事だけではなくて、私のように病気の保養をするのもまたこの園中での仕事の一つである。
荘園の中にうるさい雑事をしりぞけて、清らかにむなしい心で幽遠な気分、座禅のような気分を招き求めるのである。
亀の甲を焼いて占い、庵の位置、方位を定めて、北山を背にして建てる、門の扉を南方の川江に向かって開いた。
そして谷川を堰き止めて園にさそい注流させ、井戸水を汲む代わりにする、むくげの木を挿し植えて連ねて土塀の代用にあてるのだ。


(訳注)#1
田南樹園激流植援

田の南に庭を作り、流れをせき止めて水を庭にそそぎ庭わまわりに生垣を植える。
田南樹園激流植援 田の南に庭を作り、流れをせき止めて水を庭にそそぎ庭わまわりに生垣を植える。援は垣、いけがき。
○隠棲し始めた謝霊運は隠棲を意識過剰であったのだろう、いかにも隠者を意識した詩題となっている。


隱俱在山,由來事不同。
木こりと隠者とがともにこの山中に住んでいるが、もとより彼等のする事は同じではない。
樵隠 木こりと隠者。○事不同 仕事は同じではない。


不同非一事,養痾亦園中。
同じでないのは一つの事だけではなくて、私のように病気の保養をするのもまたこの園中での仕事の一つである。
養痾 病気の保養をする。


中園屏氛雜,清曠招遠風。
荘園の中にうるさい雑事をしりぞけて、清らかにむなしい心で幽遠な気分、座禅のような気分を招き求めるのである。
氛雜 うるさい雜事。氛は乱。○清曠 心がすずしくむなしい。○抑遠風 幽遠な気分を招く。一人静かに心を日常のことから遠ざける気分、座禅のような気分をいう。

蔔室倚北阜,啟扉面南江。
亀の甲を焼いて占い、庵の位置、方位を定めて、北山を背にして建てる、門の扉を南方の川江に向かって開いた。
蔔室【ぼくしつ】 蔔:卜。うらなって家を建てる。○倚北阜 北峯を背にする。


激澗代汲井,插槿當列墉。
そして谷川を堰き止めて園にさそい注流させ、井戸水を汲む代わりにする、むくげの木を挿し植えて連ねて土塀の代用にあてるのだ。
槿 むくげ。木槿。錦臾科の灌木。その花は朝開き夕に萎む。○ 土塀。

石壁精舎還湖中作 謝霊運(康楽) 詩<42#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩423 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1086

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石壁精舎還湖中作 謝霊運(康楽) 詩<42#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩423 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1086
(石壁精舎より湖中に還る作)


謝霊運は仏教の勉学と修行、その合間にあちこちと遊歩した。巫湖の南に南山、北に北山という山があったが、謝霊運はいつも石壁精舎の南山に居住し、南山から北山に向かおうとして、巫湖を経て、船中で眺めた美景を歌った秀作に、(石壁精舎より湖中に還る作)を作っている。これは『文選』の巻二十二の 「遊覧」に選ばれている。別に-『於南山往北山経湖中瞻眺』(南山より北山に往き湖中の瞻眺を経たり)―もある。


石壁精舍還湖中作詩
昏旦變氣候。山水含清暉。
午前中とくらべ夕がたになると気候が変わりってきた、(わたしの勉学修行に満足感があり)山も水も清々しい光を含んでいるようだ。
清暉能娛人。遊子憺忘歸。
その清らかな光彩は人をこころから楽しませることができ、旅ゆく人の心を和ませてたのしむため帰ることをわすれるのである。
出谷日尚早。入舟陽已微。
石壁精舎のある谷を出るときは日はまだ高かったが、船に乗るころには太陽はもう暗く微かになっていた。
林壑斂暝色。雲霞收夕霏。』
林や谷、山影に夕暮れの色が深くこめてきている、空は雲や夕霞に夕映えがはえていて、やまかげには夕靄がすっかり治まってしまっている。

#2
芰荷迭映蔚。蒲稗相因依。
舟の近くには菱と蓮と、たがいに色映えて繁り、岸辺には蒲(がま)と稗(ひえ)と.か寄り合って密生している。
披拂趨南徑。愉悅偃東扉。
覆われた小枝を拂って居室の南の小徑を小走りに歩き草をおしあけていき、私は心なごませわが家の東の窓辺に身を横たえるのである。
慮澹物自輕。意愜理無違。
私の心は静かにさっぱりしているので、煩わしい物情に惹かれることがないし、自然と物欲を軽視する考えであり、心を悩ますことがないのである。また私の心持ちは浄土を願うことだけなので、その浄土念仏の思想真理に違うことがないのである。
寄言攝生客。試用此道推。』

浄土念仏の思想真理により、物欲、自分の生命だけを大切に守ろうとする人々に言ってやりたいのだが、試みに浄土念仏の思想真理よって心安らぎ、物情・物欲に心惑わず、楽しんで浄土念仏の思想真理を唱えるだけでこころおちつくということを悟るようにしてみるのである。

(石壁精舎還湖中作。石壁精舎より湖中に還りて作る)
昏旦【こんたん】に気候【きこう】変じ、山水 清暉【せいき】を。
清暉 能く人を娯【たのし】ませ、游子【ゆうし】憺【やす】みて帰るを忘れる。
谷を出でて日尚はやく、舟に入りて陽已に微なり。
林壑【りんがく】瞑色【めいしょく】を斂【おさ】め、雲霞 夕霏【せきひ】を収む。」
#2
芰荷【きか】迭【たがい】に映蔚【えいい】し、蒲稗【ほはい】相い因【いん】依【い】す。
被払【ひふつ】して南径【なんけい】に趨【おもむ】き、愉悦【ゆえつ】して東扉【とうひ】に偃【ふ】す。
慮【おもい】澹【しずか】にして物自ら軽く、意 愜【かな】いて理 違【たが】う無し。
言を寄す摂生【せつせい】の客、試みに此処の道を用って推せ。」

nat0026


現代語訳と訳註
(本文)
#2
芰荷迭映蔚。蒲稗相因依。
披拂趨南徑。愉悅偃東扉。
慮澹物自輕。意愜理無違。
寄言攝生客。試用此道推。』


(下し文) #2
芰荷【きか】迭【たがい】に映蔚【えいい】し、蒲稗【ほはい】相い因【いん】依【い】す。
被払【ひふつ】して南径【なんけい】に趨【おもむ】き、愉悦【ゆえつ】して東扉【とうひ】に偃【ふ】す。
慮【おもい】澹【しずか】にして物自ら軽く、意 愜【かな】いて理 違【たが】う無し。
言を寄す摂生【せつせい】の客、試みに此処の道を用って推せ。」


(現代語訳)
舟の近くには菱と蓮と、たがいに色映えて繁り、岸辺には蒲(がま)と稗(ひえ)と.か寄り合って密生している。
覆われた小枝を拂って居室の南の小徑を小走りに歩き草をおしあけていき、私は心なごませわが家の東の窓辺に身を横たえるのである。
私の心は静かにさっぱりしているので、煩わしい物情に惹かれることがないし、自然と物欲を軽視する考えであり、心を悩ますことがないのである。また私の心持ちは浄土を願うことだけなので、その浄土念仏の思想真理に違うことがないのである。
浄土念仏の思想真理により、物欲、自分の生命だけを大切に守ろうとする人々に言ってやりたいのだが、試みに浄土念仏の思想真理よって心安らぎ、物情・物欲に心惑わず、楽しんで浄土念仏の思想真理を唱えるだけでこころおちつくということを悟るようにしてみるのである。


(訳注) #2
芰荷迭映蔚。蒲稗相因依。
舟の近くには菱と蓮と、たがいに色映えて繁り、岸辺には蒲(がま)と稗(ひえ)と.か寄り合って密生している。
芰荷 ひしとはす。○迭映蔚 たがいに色はえて茂っている。○満稗 がまとひえ。水草。○困依 寄りかかり合って生える。密生する。


披拂趨南徑。愉悅偃東扉。
覆われた小枝を拂って居室の南の小徑を小走りに歩き草をおしあけていき、私は心なごませわが家の東の窓辺に身を横たえるのである。
披払 小枝や草を推しわけ払う。○南径 家の南の小道。○東扉 家の東の扉の内。


慮澹物自輕。意愜理無違。
私の心は静かにさっぱりしているので、煩わしい物情に惹かれることがないし、自然と物欲を軽視する考えであり、心を悩ますことがないのである。また私の心持ちは浄土を願うことだけなので、その浄土念仏の思想真理に違うことがないのである。
○澹 淡。静かになごやかにさっぱりしている。○物自転 無欲であることで物欲を重んじない。○意愜 心持が快適である。念仏を唱えることで憂いが無くなり満足感を得る。○理無違 浄土念仏の真理にたがえることはない。


寄言攝生客。試用此道推。』
浄土念仏の思想真理により、物欲、自分の生命だけを大切に守ろうとする人々に言ってやりたいのだが、試みに浄土念仏の思想真理よって心安らぎ、物情・物欲に心惑わず、楽しんで浄土念仏の思想真理を唱えるだけでこころおちつくということを悟るようにしてみるのである。



(解説)
 謝霊運(385年(太元10年) - 433年(元嘉10年))は中国の東晋・南朝宋代を生きた詩人・官僚。陳郡陽夏(河南省太康)の人。爵位から謝康楽とも言われる。六朝期を代表する詩人で山水を詠じた詩が名高く、山水詩の祖とされる。

 河南省で、江南大族の出身であり、名将だった謝玄が祖父である。406年、20歳の時に皇帝に仕えたものの、謀反の疑いをかけられ、広州に流刑とされた後、その地でも疑いをかけられ、処刑の上、死体を市中にさらし者にされた。

謝霊運の浄土宗的な詩は、道教儒教に嫌気がしていた人民の喝采を得ていた。浄土教は為政者を必要としないしそうであり、謝霊運は危険分子とされたのである。そして、為政者に対し歯に衣着せぬ言動は、邪魔であった。多くの歴史書は為政者によって書かれる。謝霊運に残っているのは為政者が許せる範囲の詩文でしかない。気ままとかお坊ちゃんとかいうのは為政者の見方である。詩の一つ一つ見ていくと、世に伝えられている謝霊運像は間違いであるようにしか見えない。

石壁精舎還湖中作 謝霊運(康楽) 詩<42#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩422 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1083

石壁精舎還湖中作 謝霊運(康楽) 詩<42#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩422 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1083

(石壁精舎より湖中に還る作)


謝霊運は仏教の勉学と修行、その合間にあちこちと遊歩した。巫湖の南に南山、北に北山という山があったが、謝霊運はいつも石壁精舎の南山に居住し、南山から北山に向かおうとして、巫湖を経て、船中で眺めた美景を歌った秀作に、(石壁精舎より湖中に還る作)を作っている。これは『文選』の巻二十二の 「遊覧」に選ばれている。別に-『於南山往北山経湖中瞻眺』(南山より北山に往き湖中の瞻眺を経たり)―もある。



石壁精舍還湖中作詩
南の山の石壁精舍から北山の住まいへ帰る巫湖の中に船から見ての作詩。
昏旦變氣候。山水含清暉。
午前中とくらべ夕がたになると気候が変わりってきた、(わたしの勉学修行に満足感があり)山も水も清々しい光を含んでいるようだ。
清暉能娛人。遊子憺忘歸。
その清らかな光彩は人をこころから楽しませることができ、旅ゆく人の心を和ませてたのしむため帰ることをわすれるのである。
出谷日尚早。入舟陽已微。
石壁精舎のある谷を出るときは日はまだ高かったが、船に乗るころには太陽はもう暗く微かになっていた。
林壑斂暝色。雲霞收夕霏。』
林や谷、山影に夕暮れの色が深くこめてきている、空は雲や夕霞に夕映えがはえていて、やまかげには夕靄がすっかり治まってしまっている。

#2
芰荷迭映蔚。蒲稗相因依。
披拂趨南徑。愉悅偃東扉。
慮澹物自輕。意愜理無違。
寄言攝生客。試用此道推。』


(石壁精舎還湖中作。石壁精舎より湖中に還りて作る)
昏旦【こんたん】に気候【きこう】変じ、山水 清暉【せいき】を。
清暉 能く人を娯【たのし】ませ、游子【ゆうし】憺【やす】みて帰るを忘れる。
谷を出でて日尚はやく、舟に入りて陽已に微なり。
林壑【りんがく】瞑色【めいしょく】を斂【おさ】め、雲霞 夕霏【せきひ】を収む。」

#2
芰荷【きか】迭【たがい】に映蔚【えいい】し、蒲稗【ほはい】相い因【いん】依【い】す。
被払【ひふつ】して南径【なんけい】に趨【おもむ】き、愉悦【ゆえつ】して東扉【とうひ】に偃【ふ】す。
慮【おもい】澹【しずか】にして物自ら軽く、意 愜【かな】いて理 違【たが】う無し。
言を寄す摂生【せつせい】の客、試みに此処の道を用って推せ。」


現代語訳と訳註
(本文) 石壁精舍還湖中作詩

昏旦變氣候。山水含清暉。
清暉能娛人。遊子憺忘歸。
出谷日尚早。入舟陽已微。
林壑斂暝色。雲霞收夕霏。』


(下し文)
(石壁精舎還湖中作。石壁精舎より湖中に還りて作る)
昏旦【こんたん】に気候【きこう】変じ、山水 清暉【せいき】を。
清暉 能く人を娯【たのし】ませ、游子【ゆうし】憺【やす】みて帰るを忘れる。
谷を出でて日尚はやく、舟に入りて陽已に微なり。
林壑【りんがく】瞑色【めいしょく】を斂【おさ】め、雲霞 夕霏【せきひ】を収む。」


(現代語訳)
南の山の石壁精舍から北山の住まいへ帰る巫湖の中に船から見ての作詩。
午前中とくらべ夕がたになると気候が変わりってきた、(わたしの勉学修行に満足感があり)山も水も清々しい光を含んでいるようだ。
その清らかな光彩は人をこころから楽しませることができ、旅ゆく人の心を和ませてたのしむため帰ることをわすれるのである。
石壁精舎のある谷を出るときは日はまだ高かったが、船に乗るころには太陽はもう暗く微かになっていた。
林や谷、山影に夕暮れの色が深くこめてきている、空は雲や夕霞に夕映えがはえていて、やまかげには夕靄がすっかり治まってしまっている。

鳥居(3)

(訳注)
石壁精舍還湖中作詩

南の山の石壁精舍から北山の住まいへ帰る巫湖の中に船から見ての作詩。
石壁精舎 「精舎は今の読書斎走れなり」と。心をやすめて棲む所を精舎という。○湖中 謝霊運遊名山志に「巫湖は三面悉く高山水渚にのぞみ、山の渓澗凡そ五処。南の第一谷は今も在り。所謂石壁精舎なり」とある。
故郷の会稽の巫湖の中から見上げ眺めた風景。湖の南北の山に仏教修行館や謝霊運の居所があり、南山から北山に行く途中の作。
紹興中部の山会平原 (山陰―会稽平原) は, もともと沼沢地. であった。現在, 水郷風景が広がっている
会稽の曹娥なる女子は、その父が巫覡であったが、五月五日、(父は)神を迎えるため長江の大波に逆らって溺死した。紹興市東浦鎮。古い景観を残す水郷地帯。


昏旦變氣候。山水含清暉。
午前中とくらべ夕がたになると気候が変わりってきた、(わたしの勉学修行に満足感があり)山も水も清々しい光を含んでいるようだ


清暉能娛人。遊子憺忘歸。
その清らかな光彩は人をこころから楽しませることができ、旅ゆく人の心を和ませてたのしむため帰ることをわすれるのである。
 心をなごませて楽しむことができる。


谷日尚早。入舟陽已微。
石壁精舎のある谷を出るときは日はまだ高かったが、船に乗るころには太陽はもう暗く微かになっていた。
 口光。○林璧 林や谷の蔭。○赦瞑色 夕暮れの色を深くこめる。


林壑斂暝色。雲霞收夕霏。』
林や谷、山影に夕暮れの色が深くこめてきている、空は雲や夕霞に夕映えがはえていて、やまかげには夕靄がすっかり治まってしまっている。
雲霞 夕やけ雲。○夕霏 夕靄。

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立石壁招提精舎 謝霊運(康楽) 詩<41#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩421 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1080

立石壁招提精舎 謝霊運(康楽) 詩<41#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩421 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1080
(石壁に招提精舎を立つ)

浄土教に厚く帰依していた謝霊運は浮き世の無常を強く感じ、衆生済度をも兼ねて仏寺を建立した。それを詠じたものに、「石壁に招提精舎を立つ」の作がある。この精舎については諸説あるが読書斎であり、慧遠にいたく帰依し、浄土教を信じていたので、謝霊運の仏教修行の場であった。


石壁立招提精舍詩
四城有頓躓。三世無極已。
浮歡昧眼前。沉照貫終始。
壯齡緩前期。頹年迫暮齒。
揮霍夢幻頃。飄忽風電起。
#2
良緣迨未謝。時逝不可俟。
天子との良縁はまだなく未だに心許せることにはなることがない。そうしている間に時は過ぎ去ってゆきやがてこの身が塵となっていくには忍びない。
敬擬靈鷲山。尚想祗洹軌。
ここを靈鷲山として霊山浄土の修行の場としたい、そしてその上祗洹精舎と位置付けたいのだ。
絕溜飛庭前。高林映窗裏。
この場所では、とどめ置くことはしないので精神統一の場から飛び立つこともある。高い林の上から窓辺に映る日常を見ることである。
禪室棲空觀。講宇析妙理。

心静かに修行しているこの空間を見て棲むことである、宇宙を講じてその真理を悟ることができる。

(石壁に招提精舎を立つ)
四城に頓瞑【とんめい】有り、三世【さんせい】は無極【はてなき】のみ。
浮きたる歓びは眼前を昧【くら】くし、沈照【ちんしょう】して終始を貫く。
壮齢【そうれい】 前期に緩【ゆる】く、頹年【たいねん】 暮歯【ろうじん】に迫り、揮霍【はや】きこと夢・幻【まぼろし】の頃、飄忽【ひょうこつ】に風電【ふうでん】 起こり。
#2
良縁【りょうえん】 未だ謝せざるに迨【いた】る、時は逝【ゆ】き挨つ可からず。
敬みて靈鷲山【りょうじゅせん】に擬し、尚お想う 祗洹【ぎおん】の軌。
絶溜【ぜつりゅう】 飛庭【ひてい】の前、高き林 窗裏【そうり】に映じ。
禅室【ぜんしつ】にて空観【くうかん】を棲【すま】し、講字【こくじ】にて妙理【みょうり】を析【わ】かつ。

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現代語訳と訳註
(本文)
#2
良緣迨未謝。時逝不可俟。
敬擬靈鷲山。尚想祗洹軌。
絕溜飛庭前。高林映窗裏。
禪室棲空觀。講宇析妙理。


(下し文) #2
良縁【りょうえん】 未だ謝せざるに迨【いた】る、時は逝【ゆ】き挨つ可からず。
敬みて靈鷲山【りょうじゅせん】に擬し、尚お想う 祗洹【ぎおん】の軌。
絶溜【ぜつりゅう】 飛庭【ひてい】の前、高き林 窗裏【そうり】に映じ。
禅室【ぜんしつ】にて空観【くうかん】を棲【すま】し、講字【こくじ】にて妙理【みょうり】を析【わ】かつ。


(現代語訳)
天子との良縁はまだなく未だに心許せることにはなることがない。そうしている間に時は過ぎ去ってゆきやがてこの身が塵となっていくには忍びない。
ここを靈鷲山として霊山浄土の修行の場としたい、そしてその上祗洹精舎と位置付けたいのだ。
この場所では、とどめ置くことはしないので精神統一の場から飛び立つこともある。高い林の上から窓辺に映る日常を見ることである。
心静かに修行しているこの空間を見て棲むことである、宇宙を講じてその真理を悟ることができる。


(訳注) #2
良緣迨未謝。時逝不可俟。
天子との良縁はまだなく未だに心許せることにはなることがない。そうしている間に時は過ぎ去ってゆきやがてこの身が塵となっていくには忍びない。


敬擬靈鷲山。尚想祗洹軌。
ここを靈鷲山として霊山浄土の修行の場としたい、そしてその上祗洹精舎と位置付けたいのだ。
霊鷲山【りょうじゅせん】インドのビハール州のほぼ中央に位置する山。釈迦仏が無量寿経や法華経を説いたとされる山として知られる。霊山浄土(りょうぜんじょうど) とされる。霊山会上ともいう。もし世界が毀損しても未来永劫、釈迦仏がここに常住して法を説くことを意味する。○祗洹 祇園精舎 祇樹給孤独園精舎は、中インドのシュラーヴァスティー(舎衛城)にあった寺院で、釈迦が説法を行ったとされる場所。天竺五精舎(釈迦在世にあった五つの寺院)の一つ。


絕溜飛庭前。高林映窗裏。
この場所では、とどめ置くことはしないので精神統一の場から飛び立つこともある。高い林の上から窓辺に映る日常を見ることである。
絕溜 とどめ置くことを拒絶する。○飛庭前 修行の場寄り飛び立つ。客観的に見ること。○高林 たかいはやし。○映窗裏 窓辺に映る。


禪室棲空觀。講宇析妙理。
心静かに修行しているこの空間を見て棲むことである、宇宙を講じてその真理を悟ることができる。
禪室 官を辞して初めて味わえる浄土宗の修行三昧の日々、心をやすめて棲むところであったものである。○棲空觀 この空間を見て棲むこと。○講宇 宇宙を講じること。○妙理 真理を悟ること。


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仏教へのあこがれは早くから憤っていたが、この詩では謝霊運は人生が無常で、夢・幻のようなもので、今、若いといっても、やがて老人となり、死が訪れる。そこで、その悩みから解脱するために、祇園精舎、仏寺を作り、霊山浄土を唱え、専心に仏教三昧の生活を送りたいという。役人生活をやめた現在、仏教専一にすることができるようになった。
謝霊運の温州永嘉での毎日は、自分の身が次第に塵となっていくような無力感でどうしようもなかったのであろう。こうして、故郷に帰り、石壁精舎を建立しやっと精神的に落ち着いたのである。この差霊運の心境をよく陶淵明と比較されるがかなり違っている。

立石壁招提精舎 謝霊運(康楽) 詩<41#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩420 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1077

立石壁招提精舎 謝霊運(康楽) 詩<41#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩420 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1077
(石壁に招提精舎を立つ)

浄土教に厚く帰依していた謝霊運は浮き世の無常を強く感じ、衆生済度をも兼ねて仏寺を建立した。それを詠じたものに、「石壁に招提精舎を立つ」の作がある。この精舎についてはしょせつあるが読書斎であり、慧遠にいたく帰依し、浄土教を信じていたので、謝霊運の仏教修行の場であった。


石壁立招提精舍詩
石壁という場所で、招提=修行場、書斎のような建物を建てての詩。
四城有頓躓。三世無極已。
城郭の四方にはもっぱらつまずくことがあるものだ、過去、現在、未来にわたってきわめることはないものだ。
浮歡昧眼前。沉照貫終始。
浮ついている歓びは目の前にあることでさえ見えないことがある、暗く沈んだり明るく照らされたりしてはじめから終わりまで貫くことである。
壯齡緩前期。頹年迫暮齒。
壮年の歳になることは人生の前半期であり緩やかに過ごすものであるが、人生の老年期には晩年にせまるのである。
揮霍夢幻頃。飄忽風電起。

ぱっとどびちり振り払うことは夢まぼろしという時もあるし、突然掻かき曇って風や雷がおこることもある。

#2
良緣迨未謝。時逝不可俟。
敬擬靈鷲山。尚想祗洹軌。
絕溜飛庭前。高林映窗裏。
禪室棲空觀。講宇析妙理。


(石壁に招提精舎を立つ)
四城に頓瞑【とんめい】有り、三世【さんせい】は無極【はてなき】のみ。
浮きたる歓びは眼前を昧【くら】くし、沈照【ちんしょう】して終始を貫く。
壮齢【そうれい】 前期に緩【ゆる】く、頹年【たいねん】 暮歯【ろうじん】に迫り、揮霍【はや】きこと夢・幻【まぼろし】の頃、飄忽【ひょうこつ】に風電【ふうでん】 起こり。

#2
良縁【りょうえん】 未だ謝せざるに迨【いた】る、時は逝【ゆ】き挨つ可からず。
敬みて靈鷲山【りょうじゅせん】に擬し、尚お想う 祗洹【ぎおん】の軌。
絶溜【ぜつりゅう】 飛庭【ひてい】の前、高き林 窗裏【そうり】に映じ。
禅室【ぜんしつ】にて空観【くうかん】を棲【すま】し、講字【こくじ】にて妙理【みょうり】を析【わ】かつ。


現代語訳と訳註
(本文)

石壁立招提精舍詩
四城有頓躓。三世無極已。
浮歡昧眼前。沉照貫終始。
壯齡緩前期。頹年迫暮齒。
揮霍夢幻頃。飄忽風電起。


(下し文)
四城に頓躓【とんち】有り、三世【さんせい】は無極【はてなき】のみ。
浮きたる歓びは眼前を昧【くら】くし、沈照【ちんしょう】して終始を貫く。
壮齢【そうれい】 前期に緩【ゆる】く、頹年【たいねん】 暮歯【ろうじん】に迫り、揮霍【はや】きこと夢・幻【まぼろし】の頃、飄忽【ひょうこつ】に風電【ふうでん】 起こり。


(現代語訳)
石壁という場所で、招提=修行場、書斎のような建物を建てての詩。
城郭の四方にはもっぱらつまずくことがあるものだ、過去、現在、未来にわたってきわめることはないものだ。
浮ついている歓びは目の前にあることでさえ見えないことがある、暗く沈んだり明るく照らされたりしてはじめから終わりまで貫くことである。
壮年の歳になることは人生の前半期であり緩やかに過ごすものであるが、人生の老年期には晩年にせまるのである。


(訳注)
石壁立招提精舍詩
石壁という場所で、招提=修行場、書斎のような建物を建てる。
官を辞して初めて味わえる浄土宗の修行三昧の日々、心をやすめて棲むところであったものである。
石壁 崖下のような場所。石壁という場所、地名。○ 建立したのである。○招提 修行場、書斎のような建物。○精舍 心をやすめて棲むところであったもの。


四城有頓躓。三世無極已。
城郭の四方にはもっぱらつまずくことがあるものだ、過去、現在、未来にわたってきわめることはないものだ。
四城 城郭の四方。○頓躓 頓1 いちずなさま。ひたすら。2 完全にその状態であるさま。3 向こう見ずなさま。また、強引で粗暴なさま。躓【ち】つまずくこと。また、失敗すること。○三世 過去、現在、未来。


浮歡昧眼前。沉照貫終始。
浮ついている歓びは目の前にあることでさえ見えないことがある、暗く沈んだり明るく照らされたりしてはじめから終わりまで貫くことである。
浮歡 浮ついている歓び。○昧眼前 目の前にあることでさえ見えないこと。○沉照 暗く沈んだり明るく照らされたりすること。○貫終始 はじめから終わりまで貫くこと。


壯齡緩前期。頹年迫暮齒。
壮年の歳になることは人生の前半期であり緩やかに過ごすものであるが、人生の老年期には晩年にせまるのである。
暮歯【ぼし】老年。晩年。


揮霍夢幻頃。飄忽風電起。
ぱっとどびちり振り払うことは夢まぼろしという時もあるし、突然掻かき曇って風や雷がおこることもある。
揮霍 ぱっとどびちり振り払うこと。○飄忽 突然掻かき曇る。○風電起 風や雷がおこること。

東陽溪中贈答二首その(2) 謝霊運(康楽) 詩<40#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩423 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1086

東陽溪中贈答二首その(2) 謝霊運(康楽) 詩<40#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩423 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1086


東陽溪中贈答二首
一 可憐誰家婦。緣流洗素足。
       明月在雲間。迢迢不可得。
二 可憐誰家郎。緣流乘素舸。
       但問情若為。月就雲中墮。


東陽溪中贈答二首 その(2)
可憐誰家郎。緣流乘素舸。
そこにいいおとこがいるがどこの家の若者だ、清らかな流れに一人で白い小舟に乗っている。
但問情若為。月就雲中墮。
越王勾践が船に乗ってここを通過した時と同じように質問する「情をなせるだろうか?」と、月に喩えていうとそれは雲の中に落ちていくというものだ。


憐れむ 可【べ】し  誰【た】が家の 郎【ろう】ぞ,淥流【ろくりゅう】に 素舸【こぶね】に 乘る。
但 問う  情 若為【いか】にと,月は雲中に就いて墮【お】つ。


現代語訳と訳註
(本文)

東陽溪中贈答二首 その(2)
可憐誰家郎。緣流乘素舸。
但問情若為。月就雲中墮。


(下し文)
憐れむ 可【べ】し  誰【た】が家の 郎【ろう】ぞ,淥流【ろくりゅう】に 素舸【こぶね】に 乘る。
但 問う  情 若為【いか】にと,月は雲中に就いて墮【お】つ。

(現代語訳)
そこにいいおとこがいるがどこの家の若者だ、清らかな流れに一人で白い小舟に乗っている。
越王勾践が船に乗ってここを通過した時と同じように質問する「情をなせるだろうか?」と、月に喩えていうとそれは雲の中に落ちていくというものだ。


(訳注)
(二)可憐誰家郎 (可憐なり誰が家の郎おとこ)
可憐誰家郎、淥流乗素舸
そこにいいおとこがいるがどこの家の若者だ、清らかな流れに一人で白い小舟に乗っている。
可憐 若々しくていい男。 ○誰家 どの家系。  ○ 若い男。○淥流:谷川の流れに沿って。 ○舸 白木の舟。 ○:白い。


但問情若爲、月就雲中堕。
越王勾践が船に乗ってここを通過した時と同じように質問する「情をなせるだろうか?」と、月に喩えていうとそれは雲の中に落ちていくというものだ。


西施ものがたり
 本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。

 現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施>>>西施と呼ばれるようになった。

 紀元前5世紀、越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されてたといわれている。

 この時の越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。
 呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。
 次は美女軍団が呉の国王を狂わせた。

 十八史略には、西施のきわめて美しかったこと、彼女にまつわるエピソードが記されている。西施は、呉王 夫差の寵姫となったが、あるとき胸の病となり、故郷の村に帰ってきた。西施は、痛む胸を手でおさえ、苦しみに眉をひそめて歩いた。それがかえって色香を引出し、村人の目を引いた。そのときに村に評判の醜女がいて、西施のまねた行動をした。それは、異様な姿に映り、かえって村人に嫌われた。これを「西施捧心」と表され、実もないのに真似をしても無駄なことだということだが、日本では、「これだけやっていますが、自分の力だけでなく、真似をしただけですよ」という謙遜の意味に使用されることが多い。


 このようにまれな美しさをそなえた西施は、呉王 夫差を虜(とりこ)にした。夫差は、西施のために八景を築き、その中でともに遊んだ。それぞれの風景の中には、所々に、席がもうけられ、優雅な宴(うたげ)がもよおされた。夏には、西施とともに船を浮かべ、西施が水浴すると、呉王 夫差は、その美しい肢体に見入った。こうして、夫差は悦楽の世界にひたり、政治も軍事も、そして民さえ忘れてしまい、傾国が始まったのである。


 越の策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。

呉が滅びた後の生涯は不明だが、勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。


 その後、長江で蛤がよく獲れるようになり、人々は西施の舌だと噂しあった。この事から、中国では蛤のことを西施の舌とも呼ぶようになった。また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もある。

東陽溪中贈答二首その(1) 謝霊運(康楽) 詩<40#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩422 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1083

東陽溪中贈答二首その(1) 謝霊運(康楽) 詩<40#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩422 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1083
東陽谿中贈答 謝靈運      *385~433年 南朝の宋の詩人。


東陽溪中贈答二首
一  可憐誰家婦、緣流洗素足。
   明月在雲間、迢迢不可得。

二  可憐誰家郎、緣流乘素舸。
   但問情若為、月就雲中墮。




東陽谿中贈答 その(1)
東陽の谷にあたって答えて贈る。その(1)
可憐誰家婦,淥流洗素足。
可愛らしい娘がいるが、誰の家系もご婦人なのだろうか、澄み切った谷の流れに、西施のように素足をだしての白い足を洗っている。
明月在雲間,迢迢不可得。

明月は、雲のむこうにあって抱かれているようだが、遥か彼方の存在だから、とても手にいれることはできはしない。 


東陽の谿中 答え贈る
可憐【かれん】なるは 誰【た】が家の 婦【おんな】ぞ,淥流【ろくりゅう】に 素足を 洗ふ。
明月  雲間に 在り,迢迢【ちょうちょう】として  得 可【べ】からず。


現代語訳と訳註
(本文)

東陽谿中贈答
可憐誰家婦,淥流洗素足。
明月在雲間,迢迢不可得。


(下し文)
東陽の谿中 答え贈る
可憐【かれん】なるは 誰【た】が家の 婦【おんな】ぞ,淥流【ろくりゅう】に 素足を 洗ふ。
明月  雲間に 在り,迢迢【ちょうちょう】として  得 可【べ】からず。


(現代語訳)
東陽の谷にあたって答えて贈る。
可愛らしい娘がいるが、誰の家系もご婦人なのだろうか、澄み切った谷の流れに、西施のように素足をだしての白い足を洗っている。
明月は、雲のむこうにあって抱かれているようだが、遥か彼方の存在だから、とても手にいれることはできはしない。 


(訳注)
東陽谿中贈答

東陽の谷にあたって答えて贈る。
東陽 浙江省東陽県。会稽山脈の南方にある
谿 (1)山または丘にはさまれた細長い溝状の低地。一般には河川の浸食による河谷が多い。成因によって川や氷河による浸食谷と断層や褶曲(しゆうきよく)による構造谷とに分ける。また、山脈に沿う谷を縦谷(じゆうこく)、山脈を横切るものを横谷(おうこく)という。(2)高い所にはさまれた低い部分。 (3)二つの屋根の流れが交わる所。


可憐誰家婦、縁流洗素足。
可愛らしい娘がいるが、誰の家系もご婦人なのだろうか、澄み切った谷の流れに、西施のように素足をだしての白い足を洗っている。
可憐 愛すべき娘。可愛らしい娘。 ・誰家 どの家系。 ・ おんな。 ・淥流:谷川の流れに沿って。 ・ あらう。 ・素足 白い足。 ・:白い。
東陽の素足の女は。○素足女 この地方は美人の多い子で有名。素足の女は、楚の国の王を籠絡した女性西施がそのふっくらとした艶的の魅力により
語の句に警告させその出発殿のすあしのおんなであった。


明月在雲間、迢迢不可得。
明月は、雲のむこうにあって抱かれているようだが、遥か彼方の存在だから、とても手にいれることはできはしない。 
明月 澄みわたった月。素足の女性、西施をイメージする。 ・雲間:雲の間。 ・迢迢 (ちょうちょう) 遥か。遠い。高い。 ・不可得 得ることができない。


(解説)
淥水=白 素=白 足=白 、明=白 月=白 雲=白 ここで一句に3つの白、次の句で6つの白を挿入している。淥水は透明な水昼は緑に見え、夜は黒で、月明かりで白ある。素月は霜月で澄み切ったもの、汚れていないものをいう、その清らかなそんざいが、雲のようにつかむことはできない。エロチックな雰囲気を出しつつも謝霊運には精一杯かもしれない。玉台新詠の中で最も艶歌らしくない詩である。



 越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた西施(施夷光)は谷川で洗濯をしている素足姿を見出されてたといわれている。策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。
 「あでやかな物言いたげな」は西施たちを意味し、同じように白蘋を取る娘たちも白い素足を出している。娘らには、何も魂胆はないけれど見ている作者に呉の国王のように心を動かされてしまう。若い娘らの魅力を詠ったものである。(当時は肌は白くて少し太めの足がよかったようだ) 李白に限らず、舟に乗って白蘋(浮き草)を採る娘たちを眺めるのは、とても素敵なひとときだったであろう。

夜宿石門詩 謝霊運(康楽) 詩<39#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩421 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1080

夜宿石門詩 謝霊運(康楽) 詩<39#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩421 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1080


夜宿石門詩
朝搴苑中蘭,畏彼霜下歇。
暝還雲際宿,弄此石上月。
鳥鳴識夜棲,木落知風發。」
異音同至听,殊響俱清越。
ちがった音がともに聞こえて来て、殊なつた響きかどれも皆清々しくて平常の域を越えてくる。
妙物莫為賞,芳醑誰與伐。
すぐれた物といって我がために誉めてくれる人がなく、芳しい酒は誰に自慢できるというのか。
美人竟不來,陽阿徒晞發。」

楚辞に私の慕うよい人はとうとう来ない。「夕宿兮帝郊、君誰須兮雲之際。與女遊兮九河、衝風至兮水揚波。與女沐兮咸池、晞女髮兮陽之阿。望美人兮未來、臨風怳兮浩歌。孔蓋兮翠旍、登九天兮撫彗星。」(夕に帝の郊【こう】に宿れば、君誰をか雲の際【はて】に須【ま】つ。女なんじと九河【きゅうか】に遊べば、衝風【しょうふう】至って水波を揚ぐ。女【なんじ】と咸池【かんち】に沐【もく】し、女【なんじ】の髪を陽【よう】の阿【あ】に晞【かわ】かさん。美人を望めどもいまだ来らず、風に臨【のぞ】んで怳【こう】として浩歌【こうか】す。)(少司命)とあるが、私も友人か来ないので、むなしく伝説の日の照る山の端で、ひとり髪を乾かすだけである。同じ心の友がいないのは寂しいことである。

(夜石門に宿る詩)
朝に苑中の蘭を搴【と】り、彼の霜下に歇【つ】くるを畏【おそ】る。
瞑【めい】に雲際【うんさい】の宿に還【かえ】り、此の石上の月を弄【もてあそ】ぶ。
鳥鳴いて夜棲むを識り、木落ちて風の發【おこ】るを知る。
異音【いおん】同じく听【せき】を致し、殊なれる響き 俱に清越たり。妙物 賞を為す莫く、芳【かおりよ】き醑【うまざけ】 誰と与にか伐【ほこ】らん。
美人 竟に來たらず、陽の阿【おか】にて徒【いたず】らに髪を晞【かわ】かす


現代語訳と訳註
(本文)

異音同至听,殊響俱清越。
妙物莫為賞,芳醑誰與伐。
美人竟不來,陽阿徒晞發。」


(下し文)
異音同じく寵に至り、殊響供に清越なり。
妙物も馬に賞する莫し。芳醇誰にか伐らん。
美人寛に来らず、陽阿に徒に髪を怖かすのみ。


(現代語訳)
ちがった音がともに聞こえて来て、殊なつた響きかどれも皆清々しくて平常の域を越えてくる。
すぐれた物といって我がために誉めてくれる人がなく、芳しい酒は誰に自慢できるというのか。
楚辞に私の慕うよい人はとうとう来ない。「夕宿兮帝郊、君誰須兮雲之際。與女遊兮九河、衝風至兮水揚波。與女沐兮咸池、晞女髮兮陽之阿。望美人兮未來、臨風怳兮浩歌。孔蓋兮翠旍、登九天兮撫彗星。」(夕に帝の郊【こう】に宿れば、君誰をか雲の際【はて】に須【ま】つ。女なんじと九河【きゅうか】に遊べば、衝風【しょうふう】至って水波を揚ぐ。女【なんじ】と咸池【かんち】に沐【もく】し、女【なんじ】の髪を陽【よう】の阿【あ】に晞【かわ】かさん。美人を望めどもいまだ来らず、風に臨【のぞ】んで怳【こう】として浩歌【こうか】す。)(少司命)とあるが、私も友人か来ないので、むなしく伝説の日の照る山の端で、ひとり髪を乾かすだけである。同じ心の友がいないのは寂しいことである。

(訳注)
異音同至听,殊響俱清越。
ちがった音がともに聞こえて来て、殊なつた響きかどれも皆清々しくて平常の域を越えてくる。
清越 清くて調子が高い。清々しさが平常の域を越えてくる。


妙物莫為賞,芳醑誰與伐。
私の作った興味ある変わった詩文に対して賞賛してくれる人はいない、それに香しい旨酒をだれと共に自慢できるというのか。
妙物 すぐれた物。たえなるもの。○芳醑 香ばしい酒。○伐 ほこる。


美人竟不來,陽阿徒晞發。」
楚辞に私の慕うよい人はとうとう来ない。「夕宿兮帝郊、君誰須兮雲之際。與女遊兮九河、衝風至兮水揚波。與女沐兮咸池、晞女髮兮陽之阿。望美人兮未來、臨風怳兮浩歌。孔蓋兮翠旍、登九天兮撫彗星。」(夕に帝の郊【こう】に宿れば、君誰をか雲の際【はて】に須【ま】つ。女なんじと九河【きゅうか】に遊べば、衝風【しょうふう】至って水波を揚ぐ。女【なんじ】と咸池【かんち】に沐【もく】し、女【なんじ】の髪を陽【よう】の阿【あ】に晞【かわ】かさん。美人を望めどもいまだ来らず、風に臨【のぞ】んで怳【こう】として浩歌【こうか】す。)(少司命)とあるが、私も友人か来ないので、むなしく伝説の日の照る山の端で、ひとり髪を乾かすだけである。同じ心の友がいないのは寂しいことである。
美人 美しい女性。佳人。芸妓のこと。○陽阿徒晞發 楚辞九歌少司命篇「「夕宿兮帝郊、君誰須兮雲之際。與女遊兮九河、衝風至兮水揚波。與女沐兮咸池、晞女髮兮陽之阿。望美人兮未來、臨風怳兮浩歌。孔蓋兮翠旍、登九天兮撫彗星。」(夕に帝の郊【こう】に宿れば、君誰をか雲の際【はて】に須【ま】つ。女なんじと九河【きゅうか】に遊べば、衝風【しょうふう】至って水波を揚ぐ。女【なんじ】と咸池【かんち】に沐【もく】し、女【なんじ】の髪を陽【よう】の阿【あ】に晞【かわ】かさん。美人を望めどもいまだ来らず、風に臨【のぞ】んで怳【こう】として浩歌【こうか】す。)と。陽阿は日の照る山の端の意味。九陽の丘。扶桑のほとりの伝説の地名。

夜宿石門詩 謝霊運(康楽) 詩<39#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩420 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1077

夜宿石門詩 謝霊運(康楽) 詩<39#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩420 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1077



故郷始寧における謝霊運の日常生活はというに、たとえは、始寧の別荘の南に楼があり、そこで漢の謝安の故事、朝廷の誘いに乗らず始寧の芸妓を携えて遊んだことにならい、芸妓を待っていたが来なかったときの感情を歌ったものである。

南樓中望所遲客
杳杳日西頹,漫漫長路迫。
登樓為誰思?臨江遲來客。
與我別所期,期在三五夕。
圓景早已滿,佳人猶未適。
即事怨睽攜,感物方淒戚。』
孟夏非長夜,晦明如歲隔。
瑤華未堪折,蘭苕已屢摘。
路阻莫贈問,雲何慰離析?
搔首訪行人,引領冀良覿。』
(南樓の中にて遅つ所の客を望む)
杳杳【きょうきょう】として日は西に頹【くず】れ、漫漫として長き路は迫【せま】れり。
楼に登り 誰の為かと思う、江に臨み釆たる客を遅【ま】つ。
我と別れしとき期する所あり、期は三五の夕に在り。
円景【まるきつき】は早く己に満ちしに、佳人は殊に末だ適【いた】らず。
事に即【つ】きて睽【そむ】き攜【はな】れるを怨み、物に感じて方【まさ】に淒【いたみ】戚【うれ】う。
孟夏【もうか】は長き夜に非ざるも、晦明【かいめい】は歳の隔つるが如し。
瑤華【あさのはな】は未だ折るに堪えざれど、蘭苕【らんしょう】 己に屢【しばし】ば摘【つ】む。
路阻【へだ】たりて贈問【ぞうもん】する莫ければ、云何【いか】んぞ離析【りせき】を慰めん。
首を掻いて行人に訪ね、領【うなじ】を引いて良き覿【み】んことを冀【ねが】う。


送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈
攜妓東山去。 春光半道催。
遙看若桃李。 雙入鏡中開。
 姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
遙(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。


夜宿石門詩
ある夜石門に宿す時の詩。
朝搴苑中蘭,畏彼霜下歇。
朝になって庭園の中に咲く蘭の花を取る、それは秋の霜の下に枯れ尽きるのを心配するからなのだ。
暝還雲際宿,弄此石上月。
夕暮れになって引返し、高い所の雲のはての石門山に宿する、この山の石の上に登ってくる月を愛で楽しむのである。
鳥鳴識夜棲,木落知風發。」
鳥の鳴く声に彼等が夜、この林にやどっていることを認識し、木の葉の落ちるのをみて風の発する方向がわかる。
異音同至听,殊響俱清越。
妙物莫為賞,芳醑誰與伐。
美人竟不來,陽阿徒晞發。」

(夜石門に宿る詩)
朝に苑中の蘭を搴【と】り、彼の霜下に歇【つ】くるを畏【おそ】る。
瞑【めい】に雲際【うんさい】の宿に還【かえ】り、此の石上の月を弄【もてあそ】ぶ。
鳥鳴いて夜棲むを識り、木落ちて風の發【おこ】るを知る。
異音【いおん】同じく听【せき】を致し、殊なれる響き 俱に清越たり。
妙物 賞を為す莫く、芳【かおりよ】き醑【うまざけ】 誰と与にか伐【ほこ】らん。美人 竟に來たらず、陽の阿【おか】にて徒【いたず】らに髪を晞【かわ】かす



現代語訳と訳註
(本文)
夜宿石門詩
朝搴苑中蘭,畏彼霜下歇。
暝還雲際宿,弄此石上月。
鳥鳴識夜棲,木落知風發。」


(下し文)
朝に苑中の蘭を奉り、彼の霜下に駄くるを畏る。
瞑に雲際の宿に還り、此の石上の月を弄す。
鳥鳴いて夜棲むを識り、木落ちて凧の葬るを知る。


(現代語訳)
ある夜石門に宿す時の詩。
朝になって庭園の中に咲く蘭の花を取る、それは秋の霜の下に枯れ尽きるのを心配するからなのだ。
夕暮れになって引返し、高い所の雲のはての石門山に宿する、この山の石の上に登ってくる月を愛で楽しむのである。
鳥の鳴く声に彼等が夜、この林にやどっていることを認識し、木の葉の落ちるのをみて風の発する方向がわかる。


(訳注)
夜宿石門詩
ある夜石門に宿す時の詩。
石門 浙江省会稽道、始寧より少し南の浙江省嵊県の嘑山の南にある名勝にある里。謝霊運の別荘がある。


搴苑中蘭,畏彼霜下歇。
朝になって庭園の中に咲く蘭の花を取る、それは秋の霜の下に枯れ尽きるのを心配するからなのだ。
○搴 取る。○ 枯れ尽きる。


暝還雲際宿,弄此石上月。
夕暮れになって引返し、高い所の雲のはての石門山に宿する、この山の石の上に登ってくる月を愛で楽しむのである。
 暮れ。・めでる。


鳥鳴識夜棲,木落知風發。」
鳥の鳴く声に彼等が夜、この林にやどっていることを認識し、木の葉の落ちるのをみて風の発する方向がわかる。
。○夜棲 夜、巣に戻って樹上に宿ること

南樓中望所遅客 謝霊運(康楽) 詩<38#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩419 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1074

南樓中望所遅客 謝霊運(康楽) 詩<38#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩419 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1074
(南樓の中にて遅つ所の客を望む)


南樓中望所遅客
故郷始寧における謝霊運の日常生活はというに、たとえは、始寧の別荘の南に楼があり、そこで漢の謝安の故事、朝廷の誘いに乗らず始寧の芸妓を携えて遊んだことにならい、芸妓を待っていたが来なかったときの感情を歌ったものである。
『文選』の巻三十の雑詩に引用されている「南樓の中にて遅つ所の客を望む」の作がある。


南樓中望所遲客
杳杳日西頹,漫漫長路迫。
登樓為誰思?臨江遲來客。
與我別所期,期在三五夕。
圓景早已滿,佳人猶未適。
即事怨睽攜,感物方淒戚。』
孟夏非長夜,晦明如歲隔。
初夏になると長い夜ではなくなり、日が長いものである、夜明けは早く夜が来るのが遅くなる年を取るのに隔たりを感じるものである。
瑤華未堪折,蘭苕已屢摘。
崑崙山に咲く玉のように美しい花はいまだに折れることはぜったいにないものであるが、蘭の花に豌豆の鶴が巻き付けばそれはしばしば摘み取ってしまうものであろう。
路阻莫贈問,雲何慰離析?
ここに來る道が嶮しいのか、邪魔が入ったのか、いろいろ疑問を考えることはやめよう、慰めここを離れていこうとういのになんというのか、言いようはないであろう。
搔首訪行人,引領冀良覿。』
自分の首を掻きながら前を通っていく人を訪れた、「うなじを引いてこちらを見てくれませんか」といってみるのだ。


(南樓の中にて遅つ所の客を望む)
杳杳【きょうきょう】として日は西に頹【くず】れ、漫漫として長き路は迫【せま】れり。
楼に登り 誰の為かと思う、江に臨み釆たる客を遅【ま】つ。
我と別れしとき期する所あり、期は三五の夕に在り。
円景【まるきつき】は早く己に満ちしに、佳人は殊に末だ適【いた】らず。
事に即【つ】きて睽【そむ】き攜【はな】れるを怨み、物に感じて方【まさ】に淒【いたみ】戚【うれ】う。
孟夏【もうか】は長き夜に非ざるも、晦明【かいめい】は歳の隔つるが如し。
瑤華【あさのはな】は未だ折るに堪えざれど、蘭苕【らんしょう】 己に屢【しばし】ば摘【つ】む。
路阻【へだ】たりて贈問【ぞうもん】する莫ければ、云何【いか】んぞ離析【りせき】を慰めん。
首を掻いて行人に訪ね、領【うなじ】を引いて良き覿【み】んことを冀【ねが】う

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現代語訳と訳註
(本文)

孟夏非長夜,晦明如歲隔。
瑤華未堪折,蘭苕已屢摘。
路阻莫贈問,雲何慰離析?
搔首訪行人,引領冀良覿。』


(下し文)
孟夏【もうか】は長き夜に非ざるも、晦明【かいめい】は歳の隔つるが如し。
瑤華【あさのはな】は未だ折るに堪えざれど、蘭苕【らんしょう】 己に屢【しばし】ば摘【つ】む。
路阻【へだ】たりて贈問【ぞうもん】する莫ければ、云何【いか】んぞ離析【りせき】を慰めん。
首を掻いて行人に訪ね、領【うなじ】を引いて良き覿【み】んことを冀【ねが】う。


(現代語訳)
初夏になると長い夜ではなくなり、日が長いものである、夜明けは早く夜が来るのが遅くなる年を取るのに隔たりを感じるものである。
崑崙山に咲く玉のように美しい花はいまだに折れることはぜったいにないものであるが、蘭の花に豌豆の鶴が巻き付けばそれはしばしば摘み取ってしまうものであろう。
ここに來る道が嶮しいのか、邪魔が入ったのか、いろいろ疑問を考えることはやめよう、慰めここを離れていこうとういのになんというのか、言いようはないであろう。
自分の首を掻きながら前を通っていく人を訪れた、「うなじを引いてこちらを見てくれませんか」といってみるのだ。


(訳注)
孟夏非長夜,晦明如歲隔。

初夏になると長い夜ではなくなり、日が長いものである、夜明けは早く夜が来るのが遅くなる年を取るのに隔たりを感じるものである。
○孟夏 夏の初め。初夏。また、陰暦4月の異称。「孟」は初めの意。○晦明 晦明とは暗いと明るいで、夜と昼のこと。夜が長いのは歳を早くとり(日が早い)、昼が長いのは歳を取りにくい(日が遅い)。満月も早く見えなくなってしまうことをいう。


瑤華未堪折,蘭苕已屢摘。
崑崙山に咲く玉のように美しい花はいまだに折れることはぜったいにないものであるが、蘭の花に豌豆の鶴が巻き付けばそれはしばしば摘み取ってしまうものであろう。
○「神仙に通じる崑崙山にある理想郷の中腹大地」を指し、『瑤華』とは「玉のように美しい花」を指す言葉。○気にった美人は何かあっても許そうと思うが、その美人に邪魔をする輩は排除しよう。


路阻莫贈問,雲何慰離析?
ここに來る道が嶮しいのか、邪魔が入ったのか、いろいろ疑問を考えることはやめよう、慰めここを離れていこうとういのになんというのか、言いようはないであろう。
路阻 地形が険しい。「険阻」 2 遮り止める。はばむ。「阻害・阻隔・阻止○


搔首訪行人,引領冀良覿。』
自分の首を掻きながら前を通っていく人を訪れた、「うなじを引いてこちらを見てくれませんか」といってみるのだ。

南樓中望所遅客 謝霊運(康楽) 詩<38#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩418 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1071

南樓中望所遅客 謝霊運(康楽) 詩<38#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩418 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1071

(南樓の中にて遅つ所の客を望む)


南樓中望所遅客
故郷始寧における謝霊運の日常生活はというに、たとえは、始寧の別荘の南に楼があり、そこで漢の謝安の故事、朝廷の誘いに乗らず始寧の芸妓を携えて遊んだことにならい、芸妓を待っていたが来なかったときの感情を歌ったものである。
『文選』の巻三十の雑詩に引用されている「南樓の中にて遅つ所の客を望む」の作がある。


南樓中望所遲客
南の高殿の中でこちらに来る客が通り過ぎる場所でなかなか来ない客を待っている。
杳杳日西頹,漫漫長路迫。
日が西に沈みかけ辺りはだんだん薄暗くなってくる、長い一本道には広々として見渡しがよく、宵闇が迫ってくる。
登樓為誰思?臨江遲來客。
高楼に登るのは誰のために登るのだろうか? 大江の流れを眺めることは待っている客がなかなか来ないためである。
與我別所期,期在三五夕。
彼の人と私が逢う約束をしたのは別の場所であった。そしてその約束の日が来て十五夜の夜なのだ。
圓景早已滿,佳人猶未適。
真丸くなった月は早くも既にあがってしまう。芸妓を携え東山で過ごした謝安の故事を思い美人を待っているのだがまだ会えずにいるのだ。
即事怨睽攜,感物方淒戚。』

こんな故事にならって待っているのに攜相手にそむかれては怒りの気持ちになってしまう。いろんなことに感情を以て来たけれどこんなに辛くやりきれないものなのだろうか。
孟夏非長夜,晦明如歲隔。
瑤華未堪折,蘭苕已屢摘。
路阻莫贈問,雲何慰離析?
搔首訪行人,引領冀良覿。』

(南樓の中にて遅つ所の客を望む)
杳杳【きょうきょう】として日は西に頹【くず】れ、漫漫として長き路は迫【せま】れり。
楼に登り 誰の為かと思う、江に臨み釆たる客を遅【ま】つ。
我と別れしとき期する所あり、期は三五の夕に在り。
円景【まるきつき】は早く己に満ちしに、佳人は殊に末だ適【いた】らず。
事に即【つ】きて睽【そむ】き攜【はな】れるを怨み、物に感じて方【まさ】に淒【いたみ】戚【うれ】う。
孟夏【もうか】は長き夜に非ざるも、晦明【かいめい】は歳の隔つるが如し。
瑤華【あさのはな】は未だ折るに堪えざれど、蘭苕【らんしょう】 己に屢【しばし】ば摘【つ】む。
路阻【へだ】たりて贈問【ぞうもん】する莫ければ、云何【いか】んぞ離析【りせき】を慰めん。
首を掻いて行人に訪ね、領【うなじ】を引いて良き覿【み】んことを冀【ねが】う。
a謝霊運永嘉ルート02

現代語訳と訳註
(本文)
南樓中望所遲客
杳杳日西頹,漫漫長路迫。
登樓為誰思?臨江遲來客。
與我別所期,期在三五夕。
圓景早已滿,佳人猶未適。
即事怨睽攜,感物方淒戚。』

(下し文)
 杳杳【きょうきょう】として日は西に頹【くず】れ、漫漫として長き路は迫【せま】れり。
楼に登り 誰の為かと思う、江に臨み釆たる客を遅【ま】つ。
我と別れしとき期する所あり、期は三五の夕に在り。
円景【まるきつき】は早く己に満ちしに、佳人は殊に末だ適【いた】らず。
事に即【つ】きて睽【そむ】き攜【はな】れるを怨み、物に感じて方【まさ】に淒【いたみ】戚【うれ】う。


(現代語訳)
南の高殿の中でこちらに来る客が通り過ぎる場所でなかなか来ない客を待っている。
日が西に沈みかけ辺りはだんだん薄暗くなってくる、長い一本道には広々として見渡しがよく、宵闇が迫ってくる。
高楼に登るのは誰のために登るのだろうか? 大江の流れを眺めることは待っている客がなかなか来ないためである。
彼の人と私が逢う約束をしたのは別の場所であった。そしてその約束の日が来て十五夜の夜なのだ。
真丸くなった月は早くも既にあがってしまう。芸妓を携え東山で過ごした謝安の故事を思い美人を待っているのだがまだ会えずにいるのだ。
こんな故事にならって待っているのに攜相手にそむかれては怒りの気持ちになってしまう。いろんなことに感情を以て来たけれどこんなに辛くやりきれないものなのだろうか。


(訳注)
南樓中望所遲客

南の高殿の中でこちらに来る客が通り過ぎる場所でなかなか来ない客を待っている。
遲客 約束の時間に来ない客。約束をすっぽかされたもの。
送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287


杳杳日西頹,漫漫長路迫。
日が西に沈みかけ辺りはだんだん薄暗くなってくる、長い一本道には広々として見渡しがよく、宵闇が迫ってくる。
○杳杳 ほのかなさま。くらいさま。また、はるかなさま。○漫漫 広々と果てしないさま。
 

登樓為誰思?臨江遲來客。
高楼に登るのは誰のために登るのだろうか? 大江の流れを眺めることは待っている客がなかなか来ないためである。


與我別所期,期在三五夕。
彼の人と私が逢う約束をしたのは別の場所であった。そしてその約束の日が来て十五夜の夜なのだ。
 逢引の日のこと。佳期。○三五夕 十五夜の夜。月が昇り始める前から見るのが基本であるから、月がの場流前が約束の時である。


圓景早已滿,佳人猶未適。
真丸くなった月は早くも既にあがってしまう。芸妓を携え東山で過ごした謝安の故事を思い美人を待っているのだがまだ会えずにいるのだ。
佳人【かじん】 美しい女性。美人。芸妓のこと。


即事怨睽攜,感物方淒戚。』
こんな故事にならって待っているのに攜える相手にそむかれては怒りの気持ちになってしまう。いろんなことに感情を以て来たけれどこんなに辛くやりきれないものなのだろうか。
○晋の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。
李白『憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270

于南山往北山経湖中瞻眺 謝霊運<37>#2 詩集 417  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1068

于南山往北山経湖中瞻眺 謝霊運<37>#2 詩集 417  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1068
謝霊運はその退屈しのぎに、相変わらずあちこちと遊び歩いていたらしい。巫湖の南に南山、北に北山という山があったが、霊運はいつも南山に居住し、常に湖を船で渡っては遵造していた。かつて、南山から北山に行かんとして、船中で眺めた美景を歌ったものに、「南山より北山に往き湖中の瞻眺を経たり」を作っている。これは『文選』の巻二十二の 「遊覧」に選ばれている。




于南山往北山經湖中瞻眺
朝旦發陽崖,景落憩陰峯。
舍舟眺迥渚,停策倚茂松。 
側徑既窈窕,環洲亦玲瓏。
俛視喬木杪,仰聆大壑灇。 
石橫水分流,林密蹊絕蹤。』
解作竟何感,升長皆豐容。
天地の陰陽の気の結び目が解けて活動をはじめて春雷がおこり、結局何の物を感じ動かしたかわからぬが、陽気が立ち万物は生長して皆盛んに繁っているのである。
初篁苞綠籜,新蒲含紫茸。
初生の若竹は緑の皮に包まれ、新しい蒲の花は紫の毛房を含んで咲いている。
海鷗戲春岸,天雞弄和風。 
海カモメは春のおだやかな岸にたわむれており、金鷄鳥は春のなごやかな風に遊んでいる。
撫化心無厭,覽物眷彌重。
万物の化身、芽吹き、成長を撫でるように愛する私の心は飽くことを知らないが、春の物すべて見るに値する美しいものなのだ。だから愛でかえりみることがいよいよ重なってくるのである。
不惜去人遠,但恨莫與同。 
去って行く人が遠ざかるのを惜しみはしないけれど、ただ、わたしと共にこの地で同じ思いで遊ぶ人がいないのが残念である。
孤遊非情歎,賞廢理誰通?』
しかし、ただひとりここに遊ぶのが私の心からの歎きではないことは確かだ、この景色を観賞する美の心を捨てるというのであるなら、誰が真理に通ずることができるであろうか。それを私は惜しむのである。


(南山より北山に往き湖中の瞻眺を経たり)
朝旦【ちょうたん】に陽崖【ようがい】(南山)を発し、景【ひ】落ちて陰峰【いんぽう】(北山)に憩う。
舟を舎てて迥渚【かいしょ】を眺め、策【つえ】を停【とど】めて茂れる松に倚る。
側徑【そくけい】既に窃窕【ようちょう】、環洲も亦た玲瓏【れいろう】なり。
俛して喬木【きょうぼく】の杪【こずえ】を視、仰ぎて大壑の灇【そそ】ぐを聆く。
石は横たわりて水 流れを分かち、林は密にして蹊【みち】は蹤【あと】を絶つ。』
解作【かいさく】は竟に何をか感ぜしむる、升長【しょうちょう】皆な豐容【ぼうよう】たり。
初篁【しょこう】は綠籜【りょくたく】に苞まれ,新蒲は紫茸【しじょう】を含む。
海鴎【かいおう】は春岸に戯れ、天雞【てんけい】は風に和して 弄【もてあそ】ぶ。
化を撫して心 厭【あ】く無く、物を覧て眷【けん】彌【いよい】よ重なる。
惜しまず去る人の遠きを、但だ恨む与【とも】に同【とも】にする莫きを。
孤遊【こゆう】は情の歎ずるに非ず、賞すること廃れば理誰か通ぜん?』

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現代語訳と訳註
(本文)

解作竟何感,升長皆豐容。
初篁苞綠籜,新蒲含紫茸。
海鷗戲春岸,天雞弄和風。 
撫化心無厭,覽物眷彌重。
不惜去人遠,但恨莫與同。 
孤遊非情歎,賞廢理誰通?』

(下し文)
解作【かいさく】は竟に何をか感ぜしむる、升長【しょうちょう】皆な豐容【ぼうよう】たり。
初篁【しょこう】は綠籜【りょくたく】に苞まれ,新蒲は紫茸【しじょう】を含む。
海鴎【かいおう】は春岸に戯れ、天雞【てんけい】は風に和して 弄【もてあそ】ぶ。
化を撫して心 厭【あ】く無く、物を覧て眷【けん】彌【いよい】よ重なる。
惜しまず去る人の遠きを、但だ恨む与【とも】に同【とも】にする莫きを。
孤遊【こゆう】は情の歎ずるに非ず、賞すること廃れば理誰か通ぜん?』


(現代語訳)
天地の陰陽の気の結び目が解けて活動をはじめて春雷がおこり、結局何の物を感じ動かしたかわからぬが、陽気が立ち万物は生長して皆盛んに繁っているのである。
初生の若竹は緑の皮に包まれ、新しい蒲の花は紫の毛房を含んで咲いている。
海カモメは春のおだやかな岸にたわむれており、金鷄鳥は春のなごやかな風に遊んでいる。
万物の化身、芽吹き、成長を撫でるように愛する私の心は飽くことを知らないが、春の物すべて見るに値する美しいものなのだ。だから愛でかえりみることがいよいよ重なってくるのである。
去って行く人が遠ざかるのを惜しみはしないけれど、ただ、わたしと共にこの地で同じ思いで遊ぶ人がいないのが残念である。
しかし、ただひとりここに遊ぶのが私の心からの歎きではないことは確かだ、この景色を観賞する美の心を捨てるというのであるなら、誰が真理に通ずることができるであろうか。それを私は惜しむのである。


(訳注)
解作竟何感,升長皆豐容。

天地の陰陽の気の結び目が解けて活動をはじめて春雷がおこり、結局何の物を感じ動かしたかわからぬが、陽気が立ち万物は生長して皆盛んに繁っているのである。
解作 天地の陰陽の気が結び目が解けて活動をはじめること。易の解の卦に「天地解而雷雨作、雷雨作而百花草木皆甲坼。」天地が解け雷雨が作(おこ)り、雷雨が作り百花草木が皆、甲坼(種子の殻を破って発芽)する。○升長 草木の生長すること。易経の升の卦「升、元亨。用見大人。勿恤南征吉。彖曰、柔以時升、巽而順、剛中而應、是以大亨。用見大人、勿恤、有慶也。南征吉、志行也。象曰、地中生木、升。君子以順徳、積小以高大。」<升(しょう)は、元(おお)いに亨(とお)る。もって大人(たいじん)を見る。恤(うれ)うるなかれ。南征(なんせい)すれば吉(きつ)なり。彖(たん)に曰く、柔(じゅう)、時をもって升(のぼ)り、巽(そん)にして順(じゅん)、剛(ごう)中にして応ず、ここをもって大いに亨(とお)るなり。もって大人(たいじん)を見る、恤(うれ)うるなかれとは、慶びあるなり。南征(なんせい)すれば吉(きつ)なりとは、志(こころざし)行なわるるなり。象に曰く、地中に木を生ずるは升(しょう)なり。君子もって徳に順(したが)い、小を積みてもって高大(こうだい)なり。>


初篁苞綠籜,新蒲含紫茸。
初生の若竹は緑の皮に包まれ、新しい蒲の花は紫の毛房を含んで咲いている。
初篁 初生の若竹藪。初生の叢竹。○苞綠籜 みどりの竹の皮に包まれる。○紫茸 むらさきの毛房。


海鷗戲春岸,天雞弄和風。 
海カモメは春のおだやかな岸にたわむれており、金鷄鳥は春のなごやかな風に遊んでいる。


撫化心無厭,覽物眷彌重。
万物の化身、芽吹き、成長を撫でるように愛する私の心は飽くことを知らないが、春の物すべて見るに値する美しいものなのだ。だから愛でかえりみることがいよいよ重なってくるのである。


不惜去人遠,但恨莫與同。 
去って行く人が遠ざかるのを惜しみはしないけれど、ただ、わたしと共にこの地で同じ思いで遊ぶ人がいないのが残念である


孤遊非情歎,賞廢理誰通?』
しかし、ただひとりここに遊ぶのが私の心からの歎きではないことは確かだ、この景色を観賞する美の心を捨てるというのであるなら、誰が真理に通ずることができるであろうか。それを私は惜しむのである。
孤遊 ただひとりここに遊ぶ。○情歎 私の心からの歎き。○賞廢 の景色を観賞する美の心を捨てるというのであるなら○ 真実の道理。美しいものを見て過ごすこと、欲得利害や名誉、塵界の出来事かけ離れた穏やかな生活にこそ心理があるというのであろう。政治の第一線に残りたいということとこうした美や風流に対するあこがれは一致するものではない。晋が西晋にそして東晉にそして宋に禅譲され、徳の政治は完全に消滅していった。体調を崩したのは政治に対して強烈な嫌気であり、謝霊運の体の中からも自家中毒のように拒絶反応が出たものであった。この故郷での隠棲生活以降、謝霊運の山水詩人らしい側面が強調されるのである。


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