初発石首城 謝霊運(康楽) 詩<56-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩446 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1155
初發石首城
白珪尚可磨,斯言易為緇。
天子に賜る白い玉は磨けば磨け砕け良いことになるが、言葉は讒言など黒く汚れたものでも容易にもちいられている。
雖抱中孚爻,猶勞貝錦詩。
誠、真心というものを易の卦のようにして大事にしているのであるが、それでもなおいろんな讒言によって苦労をしているのだ。
寸心若不亮,微命察如絲。
自分のほんの少しの気持ちが、もし人に明るくはっきりしていることができないのであれば、私の徴命は察するに糸のように危ういことである。
日月垂光景,成貸遂兼茲。」
太陽や月のように我々に暖かい慈愛を施してくれる文帝は私に光景を垂れてくだされた、誰もがするように賄賂を贈ることをしてでも臨川の内守を何とか勤め上げることにしよう。
#2
出宿薄京畿,晨裝摶魯颸。
私は宿を出て金陵の都、京幾に滞留したのである、午前中に旅の装いをして旅途中の涼風をとらえたのである。
重經平生別,再與朋知辭。
重ねて常日頃の別をした後で、再び朋友に別れの辞を与えることができる。
故山日已遠,風波豈還時。
故郷の山野は日ごとに既に遠くなっているし、大風か大波がおこってくれればこれで、かえり時になるのであろう。
苕苕萬里帆,茫茫終何之?」
苕苕として万里に向かう帆を高く掲げ、茫茫としてはっきりしないのについにどこに行けばよいのだろう。
#3
游當羅浮行,息必廬霍期。
皎皎として何もなく広々として明るさを発っしているおもう心境である、論語子罕でいう節奏を持った男が欺かれてしまうことはあってほしくないのだ。旅をし、遊ぶといえばまさに羅浮山に行かねばならないのだ、心の癒し・憩うといえば必ず廬山の絶景であろうし、六安瓜片の緑茶の産地霍山に時期をみていくことである。
越海淩三山,遊湘曆九嶷。
そして、越の地方からは海を越えて温州に至る三山を陵ぐものである。湘江で遊び九嶷山を経ていくのもよいのである。
欽聖若旦暮,懷賢亦淒其。
聖人をつつしみ敬うのは朝が晩になるように当然のこととしている、そして賢人を懐うことは亦た、それが悲しくて,胸ふさがるのである。
皎皎明發心,不為歲寒欺。」
(初めて石首城を発す)
白き珪【けい】は尚 磨く可きも,斯の言は緇【くろ】と為し易し。
中孚【ちゅうふ】の爻【こう】を抱くと雖ども,猶 貝錦【ばいきん】詩に勞するごとし。
寸心【すんしん】の若し不亮【あき】らかならずんば,微命は察するに絲の如く。
日月 光景を垂れ,貸を成して遂に茲【これ】を兼ねしむ。」
#2
出宿をて京畿【けいき】に薄【いた】り,晨に裝いて魯颸【ろし】摶つ。
重ねて平生の別を經て,再び朋知に辭を與【あた】う。
故山【こざん】日に已に遠く,風波もて豈 還る時あらんや。
苕苕【ちょうちょう】萬里の帆,茫茫【ぼうぼう】終【つい】に何れに之かん?」
#3
游びには當に羅浮【らふ】に行くべし,息うは必ず廬 霍に期す。
海を越えて三山を淩ぎ,湘に遊びて九嶷【きゅうぎ】を曆ん。
欽聖【きんせい】旦暮【たんぼ】の若く,懷賢【かいけん】亦た 淒其【せいき】たり。
皎皎【きょうきょう】明發を心し,歲寒に欺【あざむ】かるるを為さず。」
現代語訳と訳註
(本文)
游當羅浮行,息必廬霍期。越海淩三山,遊湘曆九嶷。
欽聖若旦暮,懷賢亦淒其。皎皎明發心,不為歲寒欺。」
(下し文)#3
游びには當に羅浮【らふ】に行くべし,息うは必ず廬 霍に期す。
海を越えて三山を淩ぎ,湘に遊びて九嶷【きゅうぎ】を曆ん。
欽聖【きんせい】旦暮【たんぼ】の若く,懷賢【かいけん】亦た 淒其【せいき】たり。
皎皎【きょうきょう】明發を心し,歲寒に欺【あざむ】かるるを為さず。」
(現代語訳)
旅をし、遊ぶといえばまさに羅浮山に行かねばならないのだ、心の癒し・憩うといえば必ず廬山の絶景であろうし、六安瓜片の緑茶の産地霍山に時期をみていくことである。
そして、越の地方からは海を越えて温州に至る三山を陵ぐものである。湘江で遊び九嶷山を経ていくのもよいのである。
聖人をつつしみ敬うのは朝が晩になるように当然のこととしている、そして賢人を懐うことは亦た、それが悲しくて,胸ふさがるのである。
皎皎として何もなく広々として明るさを発っしているおもう心境である、論語子罕でいう節奏を持った男が欺かれてしまうことはあってほしくないのだ。
(訳注) #3
游當羅浮行,息必廬霍期。
旅をし、遊ぶといえばまさに羅浮山に行かねばならないのだ、心の癒し・憩うといえば必ず廬山の絶景であろうし、六安瓜片の緑茶の産地霍山に時期をみていくことである。
○羅浮 羅浮山のこと。広東省恵州市博楽県長寧鎮にある。 広州の東90キロに位置する羅浮山は古くは東樵山といわれ南海の西樵山と姉妹関係にある。広東四大名山の一つで、道教の聖地として中国十大名山の一つにも数えられている。主峰飛雲頂は海抜1296m、は香港の北、広州市の東、東莞市の北東に所在する山である。広東省の道教の聖地「羅浮山」羅浮仙ラフセン:隋の趙師雄が梅の名所の羅浮山で羅をまとった美女と出会い酒を酌み交わす酒に酔い伏し梅の樹の下で気が付いた美女は梅の精で羅浮仙ラフセンと呼ばれた故事もある。
李白『江西送友人之羅浮』
爾去之羅浮、我還憩峨眉。
中閥道萬里、霞月逼相思。
如尋楚狂子、瓊樹有芳枝。
李白『金陵江上遇蓬池隱者』
心愛名山游、身隨名山遠。
羅浮麻姑台、此去或未返。
『安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰』
云臥三十年、好閑復愛仙。 蓬壺雖冥絕、鸞鶴心悠然。
歸來桃花岩、得憩云窗眠。對嶺人共語、飲潭猿相連。
時升翠微上、邈若羅浮巔。 兩岑抱東壑、一嶂橫西天。
樹雜日易隱、崖傾月難圓。芳草換野色、飛蘿搖春煙。
入遠構石室、選幽開上田。 獨此林下意、杳無區中緣。
永辭霜台客、千載方來旋。
道教の寺観の傍には、娼屋のようなところがあった。祠もあって、旅人も宿泊できるものであったようだ。
・廬山 江西省九江市南部にある名山。峰々が作る風景の雄大さ、奇絶さ、険しさ、秀麗さが古来より有名で、「匡廬奇秀甲天下」(匡廬の奇秀は天下一である)と称えられてきた(匡廬とは廬山の別名)。・霍山 安徽省六安市に位置する。六安瓜片(緑茶)の産地
越海淩三山,遊湘曆九嶷。
そして、越の地方からは海を越えて温州に至る三山を陵ぐものである。湘江で遊び九嶷山を経ていくのもよいのである。
・三山 会稽始寧から南に三山(現浙江省富陽縣三山)がある。東方三神山の一山として に移動。蓬萊、方丈、瀛州(えいしゅう)は東海の三神山であり、不老不死の仙人が住むと伝えられている。・九嶷山 洞庭湖の南部で、瀟水と湘江が合流する一帯の景色は「瀟湘湖南」と称されて親しまれてきた。これに古代の帝王・舜が葬られたとされている九嶷山を取り入れた景観もまたその美しさで知られ、多くの詩が詠まれてきた(劉禹錫の「瀟湘曲」など)。
欽聖若旦暮,懷賢亦淒其。
聖人をつつしみ敬うのは朝が晩になるように当然のこととしている、そして賢人を懐うことは亦た、それが悲しくて,胸ふさがるのである。
・欽1 つつしみ敬う。「欽仰・欽羨(きんせん)・欽慕」2 天子に関する物事に付けて敬意を示す語。「欽定・欽命」・旦暮 1 朝晩。あけくれ。旦夕。 2 時機が迫っていること。・淒 (凄) (1) 寒い,冷え冷えする.(2) もの寂しい,うらさびれた.《―(悽)》悲しい,胸ふさがる.
皎皎明發心,不為歲寒欺。」
皎皎として何もなく広々として明るさを発っしているおもう心境である、論語子罕でいう節奏を持った男が欺かれてしまうことはあってほしくないのだ。
・皎皎(皓皓)【こうこう】1 白く光り輝くさま。清らかなさま。2 何もなく広々としているさま。
・歳寒【さいかん】 寒さの厳しい時節。冬季。冬。歳寒の松柏、論語子罕:子曰:歲寒,然後知松柏之後凋也"。松や柏が厳寒にも葉の緑を保っているところから、節操が堅く、困難にあっても屈しないことのたとえ。