漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2012年08月

燕歌行 謝霊運(康楽) 詩<79-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩508 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1341

燕歌行 謝霊運(康楽) 詩<79-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩508 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1341

     
  同じ日のブログ 
     1341燕歌行 謝霊運(康楽) 詩<79-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩508 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1341 
     1342城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#26>Ⅱ中唐詩422 紀頌之の漢詩ブログ1345 
     1343天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     


燕歌行
孟冬初寒節氣成,悲風入閨霜依庭,
秋蟬噪栁燕辭楹,念君行役怨邊城,
君何崎嶇乆徂征,豈無膏沐感鸛鳴,

10月初旬に初めての寒気団が到来して、「立冬」という始めて冬の氣配が現れて來る、夫のことは悲しみでもいい、私の閨にまで風が運び入ってくるけれど霜は庭に降りてほしい。
秋蟬は柳の木で騒いで泣いていた、ツバメも軒の柱からいなくなっている。夫の役目として辺境の城塞勤めについて恨みの思いでいっぱいなのである。
對君不樂淚沾纓,闢窗開幌弄秦箏,
調絃促柱多哀聲,遙夜明月鑒帷屏,
誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。

孟冬 初めて寒く節氣は成り,悲風 閨【ねや】に入り霜は庭に依る,
秋蟬【しゅうぜん】栁に噪【さわ】ぎ燕は楹【はしら】を辭【じ】し,君の行役して邊城を怨むを念う,
君 何んぞ崎嶇【きく】乆しく徂征【そせい】す,豈膏沐【こうもく】する無く鸛鳴【かんめい】を感ずる,

君に對し樂しまず 淚 纓【えい】を沾【うる】おす,闢窗を開け幌を秦箏【しんそう】を弄ぶ,
調絃し柱を促し哀聲多く,遙なる夜の明月 帷屏【いへい】を鑒【て】らす,
誰か知らん河漢【かかん】は淺く且つ清きを,展轉【てんてん】思服し明星を悲しむ。




現代語訳と訳註
(本文)
燕歌行
孟冬初寒節氣成,悲風入閨霜依庭,
秋蟬噪栁燕辭楹,念君行役怨邊城,
君何崎嶇乆徂征,豈無膏沐感鸛鳴,


(下し文)
燕歌行
孟冬 初めて寒く節氣は成り,悲風 閨【ねや】に入り霜は庭に依る,
秋蟬【しゅうぜん】栁に噪【さわ】ぎ燕は楹【はしら】を辭【じ】し,君の行役して邊城を怨むを念う,
君 何んぞ崎嶇【きく】乆しく徂征【そせい】す,豈膏沐【こうもく】する無く鸛鳴【かんめい】を感ずる,


(現代語訳)
10月初旬に初めての寒気団が到来して、「立冬」という始めて冬の氣配が現れて來る、夫のことは悲しみでもいい、私の閨にまで風が運び入ってくるけれど霜は庭に降りてほしい。
秋蟬は柳の木で騒いで泣いていた、ツバメも軒の柱からいなくなっている。夫の役目として辺境の城塞勤めについて恨みの思いでいっぱいなのである。


(訳注)
燕歌行

内容的には古詩十九首其十七の初二句に酷似している。詩題としては、文選魏の文帝、玉台新詠にもある。題材は同様なものである。ただ、七言楽府、七言詩はこの時代には本遯ど完成されていたいうことになる。



初寒節氣成,悲風入閨霜依庭,
孟冬 初めて寒く節氣は成り,悲風 閨【ねや】に入り霜は庭に依る,
10月初旬に初めての寒気団が到来して、「立冬」という始めて冬の氣配が現れて來る、夫のことは悲しみでもいい、私の閨にまで風が運び入ってくるけれど霜は庭に降りてほしい。
『古詩十九首其十七』「孟冬寒氣至,北風何慘慄?愁多知夜長,仰觀眾星列。 三五明月滿,四五詹兔缺。客從遠方來,遺我一書札。 上言長相思,下言久別離。置書懷袖中,三歲字不滅。 一心抱區區,懼君不識察。」

『悲陳陶』「孟冬十郡良家子、血作陳陶沢中水。野曠天清無戦声、四万義軍同日死。群胡帰来血洗箭、仍唱胡歌飲都市。都人廻面向北啼、日夜更望官軍至。」

悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152



秋蟬噪栁燕辭楹,念君行役怨邊城,
秋蟬【しゅうぜん】栁に噪【さわ】ぎ燕は楹【はしら】を辭【じ】し,君の行役して邊城を怨むを念う,
秋蟬は柳の木で騒いで泣いていた、ツバメも軒の柱からいなくなっている。夫の役目として辺境の城塞勤めについて恨みの思いでいっぱいなのである。
秋蟬 李白『留別廣陵諸公』「還家守清真,孤節勵秋蟬。」(還家 清真を守る,孤節 秋蟬 勵く。)“家に帰ると誠心誠意を守る、一人、季節の代わりを迎える秋の蝉のようにはげむのだ。”○還家 いえにかえる。○清真 清らかな眞實。○孤節 季節の変わり目。○秋蟬 夏から秋に変わる季節の移り変わりのむなしさをいう。他のものが流されていく中で、信念を貫く意味をいう。○ 励む、 はげます



君何崎嶇乆徂征,豈無膏沐感鸛鳴,
君 何んぞ崎嶇【きく】乆しく徂征【そせい】す,豈膏沐【こうもく】する無く鸛鳴【かんめい】を感ずる,
あなたはどうして厳しく困難で行きっぱなしの出征にいったのですか、わたしは身だしなみをしても仕方がなくコウノトリが啼くことも感じることもありはしないのです。
崎嶇【きく】険しいこと。容易でないこと。また、辛苦すること。1 山道の険しいさま。2 世渡りの厳しく困難なさま。・徂征 :(1) 行く,去る.(2) 死ぬ.:【せい】1 旅に行く。「征衣」2 敵・罪人を討ちに行く。「征夷(せいい)・征討・征伐・征服/遠征・出征・東征」3 征服する。「征圧」

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1338

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1338


     
  同じ日のブログ 
     1338『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1338 
     1339城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#24>Ⅱ中唐詩420 紀頌之の漢詩ブログ1339 
     1340遺懷 杜甫 <291> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1340 杜甫詩 700- 411 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

東君
暾將出兮東方,照吾檻兮扶桑。
朝日は赤々として東の空に出ようとし、扶桑にある我が宮殿の欄干を照らしはじめている。
撫余馬兮安驅,夜皎皎兮既明。
わたしの馬を撫でてやり、静かにさせて駆けだすと、夜は白々と明けて、もう明るく輝いている。
駕龍輈兮乘雷,載雲旗兮委蛇。
竜に車を引かせて雷雲に乗り、雲の旗をひらめかせて、ゆらゆらとたなびいている。
長太息兮將上,心低佪兮顧懷。
わたしは大きな長いため息をついて、いよいよ一気に天に上ろうとすると、心は去りがたく後ろのほうを振り返る。
羌聲色兮娛人,觀者憺兮忘歸。」

ああ、歌声や美しい巫女の私をなぐさめる、見るものは皆心安らかに帰るのを忘れる。

緪瑟兮交鼓,簫鍾兮瑤虡,

音律におうじて調子を合わせているうちに、神々がやってきて、日を蔽うように天から降りあつまる。
張りつめた瑟の糸を締め、鼓をかわるがわるに打ち交わし、鍾をうち、簴(きょ)を瑤るがせる。
鳴箎兮吹竽,思靈保兮賢姱。
横笛を鳴らして、縦笛を吹けいている、そして巫女の徳すぐれてかしこく見た目が美しいことを思うのである。
翾飛兮翠曾,展詩兮會舞。
巫女たちは飛びまわり、カワセミのように飛び上がる、そして詩を歌いながら舞いまわっている。
應律兮合節,靈之來兮蔽日。」

青雲衣兮白霓裳,舉長矢兮射天狼。
太陽のわたしは青雲の上衣に白霓の裳をつける、太陽光線の長矢を以て天狼星を射る。
操余弧兮反淪降,援北斗兮酌桂漿。
私はそれを操って弓を持って下方へむかって降りてきて、北斗星の柄杓をとって肉桂の漿を酌むのである。
撰余轡兮高駝翔,杳冥冥兮以東行。」
そしてわが手綱を振り上げて高く駆け上って、はるかな暗黒の中をわたしは東へと行くのである。


暾【とん】として將に東方に出でんとし、吾が檻【かん】を扶桑【ふそう】に照らす。
餘が馬を撫して安驅すれば、夜は晈晈【こうこう】として既に明らかなり。
龍輈【りょうちゅう】に駕して雷に乘り、雲旗を載【た】てて委蛇たり。
長太息して將に上らんとすれど、心は低佪して顧【かへり】み懷ふ。
羌【ああ】聲色の人を娛ましむる、觀る者憺として歸るを忘る。」

瑟を緪【こう】し鼓を交へ、鍾を簫【う】ち簴【きょ】を瑤す。
箎【ち】鳴らし竽を吹き、靈保の賢姱【けんか】なるを思ふ。
翾飛【けんぴ】して翠曾し、詩を展【の】べて會舞す。」

律に應じて節に合すれば、靈の來ること日を蔽ふ。

餘が弧を操【と】りて反って淪降【りんこう】し、北斗を援【と】りて桂漿【けいしゅう】を酌【く】む。
餘が轡を撰【も】ちて高く駝翔【ちしゃう】し、杳として冥冥として以て東に行く。」


現代語訳と訳註
(本文)

青雲衣兮白霓裳、舉長矢兮射天狼。
操餘弧兮反淪降、援北斗兮酌桂漿。
撰餘轡兮高駝翔、杳冥冥兮以東行。


(下し文)
青雲の衣白霓の裳、長矢を舉げて天狼を射る。
餘が弧を操【と】りて反って淪降【りんこう】し、北斗を援【と】りて桂漿【けいしゅう】を酌【く】む。
餘が轡を撰【も】ちて高く駝翔【ちしゃう】し、杳として冥冥として以て東に行く。


(現代語訳)
太陽のわたしは青雲の上衣に白霓の裳をつける、太陽光線の長矢を以て天狼星を射る。
私はそれを操って弓を持って下方へむかって降りてきて、北斗星の柄杓をとって肉桂の漿を酌むのである。
そしてわが手綱を振り上げて高く駆け上って、はるかな暗黒の中をわたしは東へと行くのである。


(訳注)
青雲衣兮白霓裳、舉長矢兮射天狼。
太陽のわたしは青雲の上衣に白霓の裳をつける、太陽光線の長矢を以て天狼星を射る。
青雲衣兮白霓裳 高天にある青い雲の上衣をまとい、白い虹のはかまをつけることで、太陽神の象徴でそのいでたちのことである。・天狼 星の名。東井の星の南にあって、侵椋をつかさどる。秦の分野に当たる。冬によく見える星である。これを射る長欠は、太陽の光線を見たてた。


操餘弧兮反淪降、援北斗兮酌桂漿。
私はそれを操って弓を持って下方へむかって降りてきて、北斗星の柄杓をとって肉桂の漿を酌むのである。
 弓。弧矢も星の名。補注に「説文に日く、木弓なりと。晋志に、弧の九星は狼の東南に在り。天弓なり。盗賊に備ふるを主ると。」と。・反淪降 返り立ちもどって、下界に降りる。倫降はしずみくだる。日没のこと。・北斗 北斗七星。ひしゃくの形をしているので、祭りの酒を酌む器として、日神はこれを取る。既に夕空の星が出ていることをいう。・桂漿 肉柱入りの薄い酒。菜はこんずのこと。


撰餘轡兮高駝翔、杳冥冥兮以東行。
そしてわが手綱を振り上げて高く駆け上って、はるかな暗黒の中をわたしは東へと行くのである。
・撰 持ち上げる。・轡 たづな。・配 馳に同じ。はせる。・杳冥冥今以東行 太陽が日没後、遠い暗黒の空を東に行くこと。古代にはそのように考えられていた。


 この篇は、昇り行く朝日としての東君が、自分を祭る地上の祭儀に心ひかれて去り難く思う。その祭儀の盛観に、日神は遂に高い空から降りてくる。太陽神は天狼星を射て、天空を征服し、赫赫とした神威を輝かし、北斗を取って供えられた桂策を酌んで、この祭りを享ける。やがて暗黒の空の中を東へ去るという。

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩506 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1335

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩506 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1335


     
  同じ日のブログ 
     1335『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩506 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1335 
     1336城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#23>Ⅱ中唐詩419 紀頌之の漢詩ブログ1336 
     1337即事 杜甫 <290> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

東君
暾將出兮東方,照吾檻兮扶桑。
朝日は赤々として東の空に出ようとし、扶桑にある我が宮殿の欄干を照らしはじめている。
撫余馬兮安驅,夜皎皎兮既明。
わたしの馬を撫でてやり、静かにさせて駆けだすと、夜は白々と明けて、もう明るく輝いている。
駕龍輈兮乘雷,載雲旗兮委蛇。
竜に車を引かせて雷雲に乗り、雲の旗をひらめかせて、ゆらゆらとたなびいている。
長太息兮將上,心低佪兮顧懷。
わたしは大きな長いため息をついて、いよいよ一気に天に上ろうとすると、心は去りがたく後ろのほうを振り返る。
羌聲色兮娛人,觀者憺兮忘歸。」

ああ、歌声や美しい巫女の私をなぐさめる、見るものは皆心安らかに帰るのを忘れる。
緪瑟兮交鼓,簫鍾兮瑤虡,鳴箎兮吹竽,思靈保兮賢姱。
張りつめた瑟の糸を締め、鼓をかわるがわるに打ち交わし、鍾をうち、簴(きょ)を瑤るがせる。
横笛を鳴らして、縦笛を吹けいている、そして巫女の徳すぐれてかしこく見た目が美しいことを思うのである。
翾飛兮翠曾,展詩兮會舞。
巫女たちは飛びまわり、カワセミのように飛び上がる、そして詩を歌いながら舞いまわっている。
應律兮合節,靈之來兮蔽日。」

音律におうじて調子を合わせているうちに、神々がやってきて、日を蔽うように天から降りあつまる。

青雲衣兮白霓裳,舉長矢兮射天狼。
操余弧兮反淪降,援北斗兮酌桂漿。
撰余轡兮高駝翔,杳冥冥兮以東行。」

暾【とん】として將に東方に出でんとし、吾が檻【かん】を扶桑【ふそう】に照らす。
餘が馬を撫して安驅すれば、夜は晈晈【こうこう】として既に明らかなり。
龍輈【りょうちゅう】に駕して雷に乘り、雲旗を載【た】てて委蛇たり。
長太息して將に上らんとすれど、心は低佪して顧【かへり】み懷ふ。
羌【ああ】聲色の人を娛ましむる、觀る者憺として歸るを忘る。」

瑟を緪【こう】し鼓を交へ、鍾を簫【う】ち簴【きょ】を瑤す。
箎【ち】鳴らし竽を吹き、靈保の賢姱【けんか】なるを思ふ。
翾飛【けんぴ】して翠曾し、詩を展【の】べて會舞す。
律に應じて節に合すれば、靈の來ること日を蔽ふ。」

餘が弧を操【と】りて反って淪降【りんこう】し、北斗を援【と】りて桂漿【けいしゅう】を酌【く】む。
餘が轡を撰【も】ちて高く駝翔【ちしゃう】し、杳として冥冥として以て東に行く。」


現代語訳と訳註
(本文)

緪瑟兮交鼓、簫鍾兮瑤簴。
鳴箎兮吹竽、思靈保兮賢姱。
翾飛兮翠曾、展詩兮會舞。
應律兮合節、靈之來兮蔽日。


(下し文)
瑟を緪【こう】し鼓を交へ、鍾を簫【う】ち簴【きょ】を瑤す。
箎【ち】鳴らし竽を吹き、靈保の賢姱【けんか】なるを思ふ。
翾飛【けんぴ】して翠曾し、詩を展【の】べて會舞す。
律に應じて節に合すれば、靈の來ること日を蔽ふ。


(現代語訳)
張りつめた瑟の糸を締め、鼓をかわるがわるに打ち交わし、鍾をうち、簴(きょ)を瑤るがせる。
横笛を鳴らして、縦笛を吹けいている、そして巫女の徳すぐれてかしこく見た目が美しいことを思うのである。
巫女たちは飛びまわり、カワセミのように飛び上がる、そして詩を歌いながら舞いまわっている。
音律におうじて調子を合わせているうちに、神々がやってきて、日を蔽うように天から降りあつまる。


(訳注)
緪瑟兮交鼓、簫鍾兮瑤簴。

張りつめた瑟の糸を締め、鼓をかわるがわるに打ち交わし、鍾をうち、簴(きょ)を瑤るがせる。
緪瑟 緪をはりつめた瑟(こと)。・交鼓 二個かわるがわるにあわせて打つ鼓。・ 古くから撃つという動詞に読む。手偏が付いたテキストもある。・ 鐘に同じ。・瑤 瑤は玉で飾る。・ 鐘や磬を吊る台。


鳴箎兮吹竽、思靈保兮賢姱。
横笛を鳴らして、縦笛を吹けいている、そして巫女の徳すぐれてかしこく見た目が美しいことを思うのである。
 音チ。ちのふえ。一尺四寸の横笛。竿と同様な竹で作った笛の類。・霊保 祭りに奉仕する巫女のこと。『詩経』に「神保是れ格る」「神保聿【ここ】に騰【あが】る」等の語がある。これはかたしろ、神霊の下るかたしろ。やはり巫のこと。・賢姱 徳すぐれてみめうるわしいこと。姱は美。


翾飛兮翠曾、展詩兮會舞。
巫女たちは飛びまわり、カワセミのように飛び上がる、そして詩を歌いながら舞いまわっている。
翾飛 小さく飛び軽く揚がる。鳥の飛ぶように舞う。・翠曾 かわせみの鳥のように身軽に飛びあがる。曾は翾(あがる)に同じ。巫女が身軽に舞うさま。・展詩 詩を叙べる。詩はここでは歌詞。・会舞 集まり舞う。


應律兮合節、靈之來兮蔽日。
音律におうじて調子を合わせているうちに、神々がやってきて、日を蔽うように天から降りあつまる。
 調子・拍子。節度。・靈之來兮蔽日 霊は日神東君が、自分に従って来る衆神をいう。日を蔽うはむらがる形容。

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332


     
  同じ日のブログ 
 

1332

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332 
 

1333

城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#22>Ⅱ中唐詩418 紀頌之の漢詩ブログ1333 
 

1334

山寺 杜甫 <289> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1334 杜甫詩 700- 409 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
 2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
 2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
 2012/1/11唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     
『楚辞・九歌』東君 屈原詩


暾將出兮東方、照吾檻兮扶桑。

朝日は赤々として東の空に出ようとし、扶桑にある我が宮殿の欄干を照らしはじめている。
撫余馬兮安驅,夜皎皎兮既明。
わたしの馬を撫でてやり、静かにさせて駆けだすと、夜は白々と明けて、もう明るく輝いている。
駕龍輈兮乘雷,載雲旗兮委蛇。
竜に車を引かせて雷雲に乗り、雲の旗をひらめかせて、ゆらゆらとたなびいている。
長太息兮將上,心低佪兮顧懷。
わたしは大きな長いため息をついて、いよいよ一気に天に上ろうとすると、心は去りがたく後ろのほうを振り返る。
羌聲色兮娛人,觀者憺兮忘歸。」



ああ、歌声や美しい巫女の私をなぐさめる、見るものは皆心安らかに帰るのを忘れる。

緪瑟兮交鼓,簫鍾兮瑤虡,鳴箎兮吹竽,思靈保兮賢姱。
翾飛兮翠曾,展詩兮會舞。
應律兮合節,靈之來兮蔽日。」

青雲衣兮白霓裳,舉長矢兮射天狼。
操余弧兮反淪降,援北斗兮酌桂漿。
撰余轡兮高駝翔,杳冥冥兮以東行。」

暾【とん】として將に東方に出でんとし、吾が檻【かん】を扶桑【ふそう】に照らす。
餘が馬を撫して安驅すれば、夜は晈晈【こうこう】として既に明らかなり。
龍輈【りょうちゅう】に駕して雷に乘り、雲旗を載【た】てて委蛇たり。
長太息して將に上らんとすれど、心は低佪して顧【かへり】み懷ふ。
羌【ああ】聲色の人を娛ましむる、觀る者憺として歸るを忘る。」

瑟を緪【こう】し鼓を交へ、鍾を簫【う】ち簴【きょ】を瑤す。
箎【ち】鳴らし竽を吹き、靈保の賢姱【けんか】なるを思ふ。
翾飛【けんぴ】して翠曾し、詩を展【の】べて會舞す。
律に應じて節に合すれば、靈の來ること日を蔽ふ。」

餘が弧を操【と】りて反って淪降【りんこう】し、北斗を援【と】りて桂漿【けいしゅう】を酌【く】む。
餘が轡を撰【も】ちて高く駝翔【ちしゃう】し、杳として冥冥として以て東に行く。」


現代語訳と訳註
(本文)

『楚辞・九歌「東君」』屈原
暾將出兮東方、照吾檻兮扶桑。
撫餘馬兮安驅、夜晈晈兮既明。
駕龍輈兮乘雷、載雲旗兮委蛇。
長太息兮將上、心低佪兮顧懷。
羌聲色兮娛人、觀者憺兮忘歸。


(下し文)
暾【とん】として將に東方に出でんとし、吾が檻【かん】を扶桑【ふそう】に照らす。
餘が馬を撫して安驅すれば、夜は晈晈【こうこう】として既に明らかなり。
龍輈【りょうちゅう】に駕して雷に乘り、雲旗を載【た】てて委蛇たり。
長太息して將に上らんとすれど、心は低佪して顧【かへり】み懷ふ。
羌【ああ】聲色の人を娛ましむる、觀る者憺として歸るを忘る。


(現代語訳)
朝日は赤々として東の空に出ようとし、扶桑にある我が宮殿の欄干を照らしはじめている。
わたしの馬を撫でてやり、静かにさせて駆けだすと、夜は白々と明けて、もう明るく輝いている。
竜に車を引かせて雷雲に乗り、雲の旗をひらめかせて、ゆらゆらとたなびいている。
わたしは大きな長いため息をついて、いよいよ一気に天に上ろうとすると、心は去りがたく後ろのほうを振り返る。
ああ、歌声や美しい巫女の私をなぐさめる、見るものは皆心安らかに帰るのを忘れる。


(訳注)
『楚辞・九歌「東君」』屈原
楚辞(そじ)は中国戦国時代の楚地方に於いて謡われた詩の様式のこと。またはそれらを集めた詩集の名前である。全17巻。その代表として屈原の『離騒』が挙げられる。北方の『詩経』に対して南方の『楚辞』であり、共に後代の漢詩に流れていく源流の一つとされる。また賦の淵源とされ、合わせて辞賦と言われる。
九歌は一種の祭祀歌であると考えられる。湖南省あたりを中心にして、神につかえる心情を歌ったものとするのが、有力な説である。九歌と総称されるが、歌の数は十一ある。
「東君」は太陽の神を祭る歌であって、太陽神の自述の歌辞である。
補注の題下に「博雅に曰く、朱明・輝霊・東君は日なりと。漢書郊祀志に東君有り。」とある。辞中に太陽の神格表象を客観的に述べている所があり、楽劇詩の性質として、自己を客観的に述べるものはよくある。巫が太陽神の東君に扮して、その神威を自讃したものである。


暾將出兮東方、照吾檻兮扶桑。
朝日は赤々として東の空に出ようとし、扶桑にある我が宮殿の欄干を照らしはじめている。
【トン】朝日の初めてさすあかりの形容。・ おはしま。欄干。・吾 東君の自称。・扶桑 東海の日の出る所にあるという神木。日本の別名とされる。『山海経』海外東経に「湯谷の上に扶桑有り。」と。『説文』に「樽桑は神木、日の出づる所なり。」とある。


撫餘馬兮安驅、夜晈晈兮既明。
わたしの馬を撫でてやり、静かにさせて駆けだすと、夜は白々と明けて、もう明るく輝いている。
 しずかに。・ 東君の自称。・晈晈 白くあかるいさま。


駕龍輈兮乘雷、載雲旗兮委蛇。
竜に車を引かせて雷雲に乗り、雲の旗をひらめかせて、ゆらゆらとたなびいている。
竜輈 竜に引かせる空を飛ぶ船のような車。輈は車の轅(ながえ)、馬をつける所。・ 車をひかせる。・乘雷 雷のようにとどろく車に乗る。輪の音の形容を雷というとともに、太陽が雲間を行く様子をもあわせて表現する。・載雲旗兮委蛇 たなびく雲間をすすむ日輪をいう。雲の旗を立てて、ゆらゆらとその旗をたなびかせている。委蛇は音読みでヰィ、またヰダ、ゆらゆらと動く形容とする。


長太息兮將上、心低佪兮顧懷。
わたしは大きな長いため息をついて、いよいよ一気に天に上ろうとすると、心は去りがたく後ろのほうを振り返る。
長大息 ためいきをつく。後句、聯の低佪・顧懷とともに、太陽が上ろうとする前に、遅々としてためらっている様に見えるのをいう。また次聯の祭儀の盛んな様子にひかれて、長大息したともいえる。・低佪 歩きまわって進まないこと。


羌聲色兮娛人、觀者憺兮忘歸。
ああ、歌声や美しい巫女の私をなぐさめる、見るものは皆心安らかに帰るのを忘れる。
 あぁ。感動助詞。・声色 祭祀に供する歌唱や巫女の色美しいことをさす。一に色声に作る。・娯人 人をたのしませる。この人は、日神自身のことをいう。・観者 この祭儀を観る者、衆人と神自身もふくめて。・ 心安んじて。

緩歌行 謝霊運(康楽) 詩<77>Ⅱ李白に影響を与えた詩504 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1329

緩歌行 謝霊運(康楽) 詩<77>Ⅱ李白に影響を与えた詩504 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1329

     
  同じ日のブログ 
     1329緩歌行 謝霊運(康楽) 詩<77>Ⅱ李白に影響を与えた詩504 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1329 
     1330城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#21>Ⅱ中唐詩417 紀頌之の漢詩ブログ1330 
     1331寓目 杜甫 <288> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1331 杜甫詩 700- 408 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     


緩歌行
飛客結靈友,凌空萃丹丘,
仙人は神と巫女とをむすび、空を凌ぐ高い所は昼夜常に明光をあつめる処である。
習習和風起,采采彤雲浮,
しゅうしゅうとしてなごやかに風が起こり、さいさいとしてあざやかな赤い浮雲にかわっていく。
娥皇發湘浦,霄明出河洲,
娥皇という湘水の神は湘水の淵浦に出発してくれ、夜明けになれば、大河の中州に出没する。
宛宛連螭轡,裔裔振龍旒。

ねうねとして長く続く水中には蛟に手綱をつけて連なっているし、えいえいとして空を飛んでいくのは龍が人ぶりうねっている。

現代語訳と訳註
(本文)
緩歌行
飛客結靈友,凌空萃丹丘,
習習和風起,采采彤雲浮,
娥皇發湘浦,霄明出河洲,
宛宛連螭轡,裔裔振龍旒。


(下し文)
飛客【ひきゃく】霊友と結び、空を凌ぎ丹丘に萃【あつ】まる。
習習な和風起こり、采采として彤雲【たんうん】浮かぶ。
娥皇【がこう】は湘浦を発し、霄明【しょうめい】に河洲【かしゅう】に出ず。
宛宛として螭【みずち】の轡【たづな】を連ね、裔裔【えいえい】として竜の旒【ながえ】を振るう。


(現代語訳)
仙人は神と巫女とをむすび、空を凌ぐ高い所は昼夜常に明光をあつめる処である。
しゅうしゅうとしてなごやかに風が起こり、さいさいとしてあざやかな赤い浮雲にかわっていく。
娥皇という湘水の神は湘水の淵浦に出発してくれ、夜明けになれば、大河の中州に出没する。
ねうねとして長く続く水中には蛟に手綱をつけて連なっているし、えいえいとして空を飛んでいくのは龍が人ぶりうねっている。


(訳注)
緩歌行

緩やかなテンポの歌。『楚辞・九歌「東君」』屈原 東君とは日の神のこと。歌は太陽が東の空から昇って、天空を一周し、最後には暗闇の中を再び東へと戻っていく行程を描いている。その間に、天女たちが、日の神を迎え、管弦を以てもてなすさまが歌われる。このような雰囲気と遊びの感覚でこの詩を読むことであろう。
また内容からも白居易の楊貴妃の悲哀をうたった『長恨歌』も参考になろうか。「驪宮高處入青雲,仙樂風飄處處聞;緩歌謾舞凝絲竹, 盡日君王看不足。」


飛客結靈友,凌空萃丹丘,
仙人は神と巫女とをむすび、空を凌ぐ高い所は昼夜常に明光をあつめる処である。
飛客 仙人。・靈友 神。たましい。命。優れたもの。巫女。・丹丘 昼夜常に明るい処。『楚辞、遠遊』「仍羽人於丹丘兮、留不死之旧郷。」(羽人に丹丘に仍い、不死の旧郷に留まる。)「夕べに明光に宿る。」とあり、明光はすなわち丹邱である。


習習和風起,采采彤雲浮,
しゅうしゅうとしてなごやかに風が起こり、さいさいとしてあざやかな赤い浮雲にかわっていく。
詩経・小雅・谷風> 習習谷風,維風及雨。 習習たる谷風、これ風と雨と將恐將懼,維予與女。 はた恐れはた懼る。・采采 詩経・周南・芣苢. 「采采芣苢、薄言采之。 采采芣苢、薄言有之。」芣苢を采り采り薄言采之 薄【いささ】か言【ここ】に之【これ】を采る。


娥皇發湘浦,霄明出河洲,
娥皇という湘水の神は湘水の淵浦に出発してくれ、夜明けになれば、大河の中州に出没する。
娥皇 尭(ぎょう)帝の二人の娘で、姉を娥皇・妹を女英といい、共に舜の妃となったが、舜が没すると、悲しんで湘江に身を投げて水神となったという。(湘水の神)『楚辞』の九歌。・霄明 【しょうめい】夜明け。


宛宛連螭轡,裔裔振龍旒。
ねうねとして長く続く水中には蛟に手綱をつけて連なっているし、えいえいとして空を飛んでいくのは龍が人ぶりうねっている。
宛宛 うねうねとして長く続くさま。龍が伸び縮むさま。
裔裔 行くさま。宋玉『神女賦』「歩裔裔兮曜殿堂。」飛んでいくさま。裔の用語解説 - [音]エイ(呉)(漢) [訓]すえ1 遠い子孫。「後裔・神裔・苗裔・末裔・余裔」 2 遠い辺境。「四裔」




『楚辞・九歌「東君」』屈原
東君
暾將出兮東方,照吾檻兮扶桑。
朝日は赤々として東の空に出ようとし、扶桑にある我が宮殿の欄干を照らしはじめている。
撫余馬兮安驅,夜皎皎兮既明。
わたしの馬を撫でてやり、静かにさせて駆けだすと、夜は白々と明けて、もう明るく輝いている。
駕龍輈兮乘雷,載雲旗兮委蛇。
竜に車を引かせて雷雲に乗り、雲の旗をひらめかせて、ゆらゆらとたなびいている。
長太息兮將上,心低佪兮顧懷。
わたしは大きな長いため息をついて、いよいよ一気に天に上ろうとすると、心は去りがたく後ろのほうを振り返る。
羌聲色兮娛人,觀者憺兮忘歸。」
ああ、歌声や美しい巫女の私をなぐさめる、見るものは皆心安らかに帰るのを忘れる。
緪瑟兮交鼓,簫鍾兮瑤虡,
張りつめた瑟の糸を締め、鼓をかわるがわるに打ち交わし、鍾をうち、簴(きょ)を瑤るがせる。
鳴箎兮吹竽,思靈保兮賢姱。
横笛を鳴らして、縦笛を吹けいている、そして巫女の徳すぐれてかしこく見た目が美しいことを思うのである。
翾飛兮翠曾,展詩兮會舞。
巫女たちは飛びまわり、カワセミのように飛び上がる、そして詩を歌いながら舞いまわっている。
應律兮合節,靈之來兮蔽日。」
音律におうじて調子を合わせているうちに、神々がやってきて、日を蔽うように天から降りあつまる。

青雲衣兮白霓裳,舉長矢兮射天狼。
太陽のわたしは青雲の上衣に白霓の裳をつける、太陽光線の長矢を以て天狼星を射る。
操余弧兮反淪降,援北斗兮酌桂漿。
私はそれを操って弓を持って下方へむかって降りてきて、北斗星の柄杓をとって肉桂の漿を酌むのである。
撰余轡兮高駝翔,杳冥冥兮以東行。」
そしてわが手綱を振り上げて高く駆け上って、はるかな暗黒の中をわたしは東へと行くのである。

暾【とん】として將に東方に出でんとし、吾が檻【かん】を扶桑【ふそう】に照らす。
餘が馬を撫して安驅すれば、夜は晈晈【こうこう】として既に明らかなり。
龍輈【りょうちゅう】に駕して雷に乘り、雲旗を載【た】てて委蛇たり。
長太息して將に上らんとすれど、心は低佪して顧【かへり】み懷ふ。
羌【ああ】聲色の人を娛ましむる、觀る者憺として歸るを忘る。」

瑟を緪【こう】し鼓を交へ、鍾を簫【う】ち簴【きょ】を瑤す。
箎【ち】鳴らし竽を吹き、靈保の賢姱【けんか】なるを思ふ。
翾飛【けんぴ】して翠曾し、詩を展【の】べて會舞す。
律に應じて節に合すれば、靈の來ること日を蔽ふ。」

餘が弧を操【と】りて反って淪降【りんこう】し、北斗を援【と】りて桂漿【けいしゅう】を酌【く】む。
餘が轡を撰【も】ちて高く駝翔【ちしゃう】し、杳として冥冥として以て東に行く。」

悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩503 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1326

悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩503 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1326



     
  同じ日のブログ 
     1326悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩503 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1326 
     1327城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#20>Ⅱ中唐詩416 紀頌之の漢詩ブログ1327 
     1328雨晴 杜甫 <287> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1328 杜甫詩 700- 407 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     


悲哉行
萋萋春草生,王孫遊有情,
さかんに茂っている春の草木がのびている、「楚辞」で詠う王孫は遊んでいて情をもっている。
差池鷰始飛,夭裊桃始榮,
翼を動かしツバメが飛び始めるし、若くやわらかくしなりながら桃が初めて栄える。
灼灼桃悅色,飛飛燕弄聲,
あでやかな桃は喜びの色になり、飛び回るツバメは声を上げる。
檐上雲結陰,澗下風吹清,
軒端の上にいたツバメが飛び立ち、雲の影に入っていく、谷の下には風が吹きすがすがしさを運ぶ。
幽樹雖改觀,終始在初生。
薄暗い木の陰に姿を改めているとしても、初めから終わりまで、うぶなものとしてあるのだ。

松蔦歡蔓延,樛葛欣虆縈,
風がこちらに来たからといってそれに頼ってしまってはいけない。鳥が去って行く様にどうして聞き流してしまうのだろうか。
松に絡むつたは蔓延していることを歓喜するし、その纏わって蔦はからみ纏わることを欣喜雀躍する。
眇然遊宦子,晤言時未并,
取るに足りないことであるが故郷を離れて務めている役人がいる、相対してうちとけて語ることは時に全く意に沿わないものがいる。
鼻感改朔氣,眼傷變節榮,
鼻が感じることは、秋が改ためられて北方から吹いてくる寒気であるし、目が傷つくことは季節の華やかに栄えるのが変化していくことである。
侘傺豈徒然,澶漫絕音形,
志を失うことはどうしてやるべき事がなくて、手持ち無沙汰なさまということだ、
風來不可托,鳥去豈為聽。


現代語訳と訳註
(本文)

松蔦歡蔓延,樛葛欣虆縈,
眇然遊宦子,晤言時未并,
鼻感改朔氣,眼傷變節榮,
侘傺豈徒然,澶漫絕音形,
風來不可托,鳥去豈為聽。


(下し文)
松の蔦【つた】蔓延【まんえん】を歓び、樛【まつわ】れる葛 虆縈【るいし】するを欣ぶ
眇然【びょうぜん】たり遊宦【ゆうかん】の子、悟言す時に未だ并【あ】わざるを。
鼻にて朔気に改むるを感じ、眼は節の栄ゆるを変ずるを傷む。
侘傺【たてい】豈 徒然ならんや、澶漫【たんまん】に音形 絶ゆ。
風来たるも託す可からず、鳥去り 豈 聴くを為さんや。


(現代語訳)
松に絡むつたは蔓延していることを歓喜するし、その纏わって蔦はからみ纏わることを欣喜雀躍する。
取るに足りないことであるが故郷を離れて務めている役人がいる、相対してうちとけて語ることは時に全く意に沿わないものがいる。
鼻が感じることは、秋が改ためられて北方から吹いてくる寒気であるし、目が傷つくことは季節の華やかに栄えるのが変化していくことである。

志を失うことはどうしてやるべき事がなくて、手持ち無沙汰なさまということだ、
風がこちらに来たからといってそれに頼ってしまってはいけない。鳥が去って行く様にどうして聞き流してしまうのだろうか。


(訳注)
松蔦歡蔓延,樛葛欣虆縈,
松に絡むつたは蔓延していることを歓喜するし、その纏わって蔦はからみ纏わることを欣喜雀躍する。
松蔦 この詩に言う松は、男性、男性に局所。蔦は女性を示す。


眇然遊宦子,晤言時未并,
取るに足りないことであるが故郷を離れて務めている役人がいる、相対してうちとけて語ることは時に全く意に沿わないものがいる。
・眇然 小さいさま。取るに足りないさま。・遊宦 故郷を離れて務めている役人。・晤言【ごげん】相対してうちとけて語ること。また、そのことば。(「悟」「晤」は、あう、むかいあうの意)


鼻感改朔氣,眼傷變節榮,
鼻が感じることは、秋が改ためられて北方から吹いてくる寒気であるし、目が傷つくことは季節の華やかに栄えるのが変化していくことである。
朔氣 北方から吹いてくる寒気。


侘傺豈徒然,澶漫絕音形,
志を失うことはどうしてやるべき事がなくて、手持ち無沙汰なさまということだ、
侘傺 志を失う。・徒然 やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なさま。・澶漫 ほしいままなこと。緩やかに長いさま。


風來不可托,鳥去豈為聽。
風がこちらに来たからといってそれに頼ってしまってはいけない。鳥が去って行く様にどうして聞き流してしまうのだろうか。


この詩は、謝靈運の他の詩と比較して疑問のおこる詩である。内容的、語句のつかい方など若い時のものなら理解もできるが異なる語句が随所にある。詩経と楚辞の語句をそのまま使用したり、その内容・背景を借用するということ基づいて作るというより、直接使用している。謝靈運に艶詩は不得手である。

悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩502 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1323

悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩502 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1323


     
  同じ日のブログ 
     1323悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩502 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1323 
     1324城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#19>Ⅱ中唐詩415 紀頌之の漢詩ブログ1324 
     1325東樓 杜甫 <286> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1325 杜甫詩 700- 406 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     



悲哉行
萋萋春草生,王孫遊有情,
さかんに茂っている春の草木がのびている、「楚辞」で詠う王孫は遊んでいて情をもっている。
差池鷰始飛,夭裊桃始榮,
翼を動かしツバメが飛び始めるし、若くやわらかくしなりながら桃が初めて栄える。
灼灼桃悅色,飛飛燕弄聲,
あでやかな桃は喜びの色になり、飛び回るツバメは声を上げる。
檐上雲結陰,澗下風吹清,
軒端の上にいたツバメが飛び立ち、雲の影に入っていく、谷の下には風が吹きすがすがしさを運ぶ。
幽樹雖改觀,終始在初生。

薄暗い木の陰に姿を改めているとしても、初めから終わりまで、うぶなものとしてあるのだ。
松蔦歡蔓延,樛葛欣虆縈,眇然遊宦子,晤言時未并,
鼻感改朔氣,眼傷變節榮,侘傺豈徒然,澶漫絕音形,
風來不可托,鳥去豈為聽。

宮島(3)

現代語訳と訳註
(本文)

悲哉行
萋萋春草生,王孫遊有情,差池鷰始飛,夭裊桃始榮,
灼灼桃悅色,飛飛燕弄聲,檐上雲結陰,澗下風吹清,
幽樹雖改觀,終始在初生。


(下し文)
悲哉行
萋萋として春草生じ,王孫 遊ぶに情有る,
差池【さち】に鷰【つばめ】始めて飛び,夭裊【ようい】の桃 始めて榮え,
灼灼【しゃくしゃく】桃 悅ぶ色あり,飛飛として燕聲を弄す,
檐の上の雲 陰を結び,澗の下 風吹きて清し,
幽樹 觀を改むと雖も,終始 初生に在り。


(現代語訳)
さかんに茂っている春の草木がのびている、「楚辞」で詠う王孫は遊んでいて情をもっている。
翼を動かしツバメが飛び始めるし、若くやわらかくしなりながら桃が初めて栄える。
あでやかな桃は喜びの色になり、飛び回るツバメは声を上げる。
軒端の上にいたツバメが飛び立ち、雲の影に入っていく、谷の下には風が吹きすがすがしさを運ぶ。
薄暗い木の陰に姿を改めているとしても、初めから終わりまで、うぶなものとしてあるのだ。


(訳注)
悲哉行

悲哀を歌うとされるがそうした表現を借りて、男女の交わりをうたう。貴族の遊びの中で詠われた艶歌である。


萋萋春草生,王孫遊有情,
さかんに茂っている春の草木がのびている、「楚辞」で詠う王孫は遊んでいて情をもっている。
萋萋【せいせい】草木の茂っているさま。さいさい。・王孫遊 「楚辞・招隠士」 「王孫遊兮不帰、春草生兮萋萋」(王孫遊びて帰らず、春草生じて萋萋たり)・・王孫 楊 王孫(よう おうそん、生没年不詳)は、前漢の武帝の時代の人。自らを裸葬にさせた。 黄老の術を学び、家は千金を生む仕事を行っていた。
謝靈運『登池上樓』「池塘生春草,園柳變鳴禽。」登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  詩集 395 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1002

差池鷰始飛,夭裊桃始榮,
翼を動かしツバメが飛び始めるし、若くやわらかくしなりながら桃が初めて栄える。
差池 等しくないさま。互い違いにするさま。羽を伸ばす形容。『詩経、北風』「燕燕干飛、差池其羽」(燕燕は干き飛ぶに、其の羽を差池にす)


灼灼桃悅色,飛飛燕弄聲,
あでやかな桃は喜びの色になり、飛び回るツバメは声を上げる。
『詩経國風 周南』桃夭「桃之夭夭 灼灼其華」若々しい桃の木、艶艶した其の華(その様に美しい)


檐上雲結陰,澗下風吹清,
軒端の上にいたツバメが飛び立ち、雲の影に入っていく、谷の下には風が吹きすがすがしさを運ぶ。
【のき】1 屋根の下端で、建物の壁面より外に突出している部分。2 庇(ひさし)。


幽樹雖改觀,終始在初生。
薄暗い木の陰に姿を改めているとしても、初めから終わりまで、うぶなものとしてあるのだ。

君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩501 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1320

君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩501 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1320

     
  同じ日のブログ 
     1320君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩501 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1320 
     1321城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#18>Ⅱ中唐詩414 紀頌之の漢詩ブログ1321 
     1322貽阮隱居 杜甫 <285-#2> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1322 杜甫詩 700- 405 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
     2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全約150首(1~187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

君子有所思行
總駕越鍾陵,還願望京畿,
君子の車馬は臨川から鍾陵をこえていく、また都に帰ろうと願って見回している。
躑躅周名都,遊目倦忘歸,
このあたりの名都というところには見て回り足ぶみして行くことが出来ない、遊び回っていて変えることをついつい忘れてしまう。
市鄽無阨室,世族有高闈,
市場のお店には区分けされた部屋はないし、代々血統が続いてきた一族というものは宮中の小門の血筋、皇后の血縁なのである。
密親麗華苑,軒甍飭通逵,
近しい親族には華麗で輝かしい学究者もいる。軒端の瓦が大通りに面するように我々一族はこの血統に対応しているのだ。
孰是金張樂,諒由燕趙詩,

一族においていずれの時にか前漢宣帝に仕へて權勢を振ひし者の金日磾と張安世のように權力ある貴族のようになれるだろうし、本当の所、燕趙詩でいうところの親しい者が去っていったことを詠うのである。

長夜恣酣飲,窮年弄音徽,
別れの長い夜は酒をくみ交わすのが最も盛んになり、飲みまくる。人の一生涯は琴の音に象徴されるようにもてあそぶ。
盛往速露墮,衰來疾風飛,
それは盛んなる年頃においては、露がしたたり落ちる間のようであり、衰え始めると風で飛ばされるほど速いものだ。
餘生不歡娛,何以竟暮歸,
残された命、歓楽と娯楽をしないというなら、なにをもって人生の最期を迎えられるというのか。
寂寥曲肱子,瓢飲療朝饑,
人の気配がなく、寂しい感じがする肱を曲げて枕の代わりとして休むことができる、飲みものはただ瓢にある水をのみ、朝もひもじいきわめて質素な生活のなかで療養できる。
所秉自天性,貧富豈相譏。
盛者必衰の人生において自分の天性のものにのっとり生きていくものであり、貧しかろうと富んでいようとどうして人から謗られるというのか。


現代語訳と訳註
(本文)

長夜恣酣飲,窮年弄音徽,盛往速露墮,衰來疾風飛,
餘生不歡娛,何以竟暮歸,寂寥曲肱子,瓢飲療朝饑,
所秉自天性,貧富豈相譏。


(下し文)
長夜【ちょうや】酣飲【かんいん】するを恣【ほしいまま】にし,窮年【きゅうねん】弄音徽【おんび】を【mてあそ】ぶ,
盛の往くは露の墮つるより速く,衰の來たるは風の飛ぶより疾【はや】し,
餘生 歡娛せざれば,何を以って竟に暮歸せん,
寂寥【せきりょう】たる肱を曲げる子,瓢飲【ひょういん】朝饑【ちょうき】を療せん,
秉【と】る所 天性よりし,貧富 豈に相い譏【そし】らん。


(現代語訳)
別れの長い夜は酒をくみ交わすのが最も盛んになり、飲みまくる。人の一生涯は琴の音に象徴されるようにもてあそぶ。
それは盛んなる年頃においては、露がしたたり落ちる間のようであり、衰え始めると風で飛ばされるほど速いものだ。
残された命、歓楽と娯楽をしないというなら、なにをもって人生の最期を迎えられるというのか。
人の気配がなく、寂しい感じがする肱を曲げて枕の代わりとして休むことができる、飲みものはただ瓢にある水をのみ、朝もひもじいきわめて質素な生活のなかで療養できる。
盛者必衰の人生において自分の天性のものにのっとり生きていくものであり、貧しかろうと富んでいようとどうして人から謗られるというのか。


(訳注)
長夜恣酣飲,窮年弄音徽,
別れの長い夜は酒をくみ交わすのが最も盛んになり、飲みまくる。人の一生涯は琴の音に象徴されるようにもてあそぶ。
酣飲 行事・季節などが最も盛んになった時。盛りが極まって、それ以後は衰えに向かう時。また、そのようなさま。真っ盛り。真っ最中。・窮年 人の一生涯。・【しるし】. 細い組みひものしるし。転じて、小さい物で全体を代表させたしるし。


盛往速露墮,衰來疾風飛,
それは盛んなる年頃においては、露がしたたり落ちる間のようであり、衰え始めると風で飛ばされるほど速いものだ。


餘生不歡娛,何以竟暮歸,
残された命、歓楽と娯楽をしないというなら、なにをもって人生の最期を迎えられるというのか。
暮歸 人生の最期。


寂寥曲肱子,瓢飲療朝饑,
人の気配がなく、寂しい感じがする肱を曲げて枕の代わりとして休むことができる、飲みものはただ瓢にある水をのみ、朝もひもじいきわめて質素な生活のなかで療養できる。
寂寥 【せきりょう】とは。人の気配がなく、寂しい感じがするさま。また、心が満たされず、寂しいさま。・曲肱 『論語』に記された顔回の、肱を曲げて枕の代わりとして休み、飲みものはただ瓢にある水のみという、きわめて質素な生活のなかで、人間の生きてゆく方法を追究したことを述べる。・饑【ひだる】い、空腹である。ひもじい。


所秉自天性,貧富豈相譏。
盛者必衰の人生において自分の天性のものにのっとり生きていくものであり、貧しかろうと富んでいようとどうして人から謗られるというのか。


長夜【ちょうや】酣飲【かんいん】するを恣【ほしいまま】にし,窮年【きゅうねん】弄音徽【おんび】を【mてあそ】ぶ,
盛の往くは露の墮つるより速く,衰の來たるは風の飛ぶより疾【はや】し,
餘生 歡娛せざれば,何を以って竟に暮歸せん,
寂寥【せきりょう】たる肱を曲げる子,瓢飲【ひょういん】朝饑【ちょうき】を療せん,
秉【と】る所 天性よりし,貧富 豈に相い譏【そし】らん。

君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩500 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1317

君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩500 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1317

     
  同じ日のブログ 
     1317君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩500 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1317 
     1318城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#17>Ⅱ中唐詩413 紀頌之の漢詩ブログ1318 
     1319貽阮隱居 杜甫 <285-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1319 杜甫詩 700- 404 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
 2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
    2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全約150首(1~187回) 
 2012/1/11唐宋詩 Ⅰ李商隠 187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     
君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#1>


君子有所思行
總駕越鍾陵,還願望京畿,
君子の車馬は臨川から鍾陵をこえていく、また都に帰ろうと願って見回している。
躑躅周名都,遊目倦忘歸,
このあたりの名都というところには見て回り足ぶみして行くことが出来ない、遊び回っていて変えることをついつい忘れてしまう。
市鄽無阨室,世族有高闈,
市場のお店には区分けされた部屋はないし、代々血統が続いてきた一族というものは宮中の小門の血筋、皇后の血縁なのである。
密親麗華苑,軒甍飭通逵,
近しい親族には華麗で輝かしい学究者もいる。軒端の瓦が大通りに面するように我々一族はこの血統に対応しているのだ。
孰是金張樂,諒由燕趙詩,

一族においていずれの時にか前漢宣帝に仕へて權勢を振ひし者の金日磾と張安世のように權力ある貴族のようになれるだろうし、本当の所、燕趙詩でいうところの親しい者が去っていったことを詠うのである。

長夜恣酣飲,窮年弄音徽,盛往速露墮,衰來疾風飛,
餘生不歡娛,何以竟暮歸,寂寥曲肱子,瓢飲療朝饑,
所秉自天性,貧富豈相譏。




現代語訳と訳註
(本文)

總駕越鍾陵,還願望京畿,躑躅周名都,遊目倦忘歸,
市鄽無阨室,世族有高闈,密親麗華苑,軒甍飭通逵,
孰是金張樂,諒由燕趙詩,


(下し文)
總駕【そうが】は鍾陵【しょうりょう】を越え,還た願って京畿を望む,
躑躅【てきちょく】名都を周り,遊目し倦【う】みて歸るを忘る,
市鄽【してん】には阨き室無く,世族高き闈【くらい】に有り,密親は麗華苑【かえん】より,軒の甍【いらか】は通逵【つうき】を飭【かざ】る,
孰【いずれ】か是れ金張の樂しみ,諒【まこと】に燕や趙の詩に由らん,


(現代語訳)
君子の車馬は臨川から鍾陵をこえていく、また都に帰ろうと願って見回している。
このあたりの名都というところには見て回り足ぶみして行くことが出来ない、遊び回っていて変えることをついつい忘れてしまう。
市場のお店には区分けされた部屋はないし、代々血統が続いてきた一族というものは宮中の小門の血筋、皇后の血縁なのである。
近しい親族には華麗で輝かしい学究者もいる。軒端の瓦が大通りに面するように我々一族はこの血統に対応しているのだ。
一族においていずれの時にか前漢宣帝に仕へて權勢を振ひし者の金日磾と張安世のように權力ある貴族のようになれるだろうし、本当の所、燕趙詩でいうところの親しい者が去っていったことを詠うのである。


(訳注)
總駕越鍾陵,還願望京畿,

君子の車馬は臨川から鍾陵をこえていく、また都に帰ろうと願って見回している。
總駕 君子の車馬。・鍾陵 現在江西省高安県・京畿 漢字文化圏で京師(みやこ)および京師周辺の地域のこと。


躑躅周名都,遊目倦忘歸,
このあたりの名都というところには見て回り足ぶみして行くことが出来ない、遊び回っていて変えることをついつい忘れてしまう。
・躑躅 中国で毒性のあるツツジを羊が誤って食べたところ、足ぶみしてもがき、うずくまってしまったと伝えられています。このようになることを躑躅(てきちょく)と言う漢字で表しています。通常はつつじのことあるが、ここでは足ぶみして行くことが出来ない様子をいう。


市鄽無阨室,世族有高闈,
市場のお店には区分けされた部屋はないし、代々血統が続いてきた一族というものは宮中の小門の血筋、皇后の血縁なのである
・鄽 みせ。・世族 代々血統が続いてきた一族。・ 宮中の小門。奥の部屋。


密親麗華苑,軒甍飭通逵,
近しい親族には華麗で輝かしい学究者もいる。軒端の瓦が大通りに面するように我々一族はこの血統に対応しているのだ。
・密親 近しい親族。・華苑 1 囲いをして、植物を植え、または、鳥獣を放し飼いにする所。その。「外苑・御苑(ぎょえん)・禁苑」2 学問・芸術の集まる所。・通逵 【つうき】往来の激しいにぎやかな通り、本道。


孰是金張樂,諒由燕趙詩,
一族においていずれの時にか前漢宣帝に仕へて權勢を振ひし者の金日磾と張安世のように權力ある貴族のようになれるだろうし、本当の所、燕趙詩でいうところの親しい者が去っていったことを詠うのである。
金張 金日磾と張安世と。二人は前漢宣帝に仕へて權勢を振ひし者。轉じて權力ある貴族の義とす。
燕趙詩 燕詩:「燕詩示劉叟」燕に託して、親子の情をうたいあげる。心に強く訴えかけてくる詩である。劉叟の息子が老いた親を置いて家を出て行き、帰ってこなくなったことについて、詠った。或いは、劉叟に仮託して、親しい者が去っていったことをいうのか。


(君子 思う所有るの行)
總駕【そうが】は鍾陵【しょうりょう】を越え,還た願って京畿を望む,
躑躅【てきちょく】名都を周り,遊目し倦【う】みて歸るを忘る,
市鄽【してん】には阨き室無く,世族高き闈【くらい】に有り,密親は麗華苑【かえん】より,軒の甍【いらか】は通逵【つうき】を飭【かざ】る,
孰【いずれ】か是れ金張の樂しみ,諒【まこと】に燕や趙の詩に由らん,

泰山吟 謝霊運(康楽) 詩<74>Ⅱ李白に影響を与えた詩499 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1314

     
  同じ日のブログ 
 

1314

泰山吟 謝霊運(康楽) 詩<74>Ⅱ李白に影響を与えた詩499 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1314 
 

1315

城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#16>Ⅱ中唐詩412 紀頌之の漢詩ブログ1315 
 

1316

太平寺泉眼 杜甫 <284-#3> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1316 杜甫詩 700- 403 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
 2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
 2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全約150首(1~185回) 
 2012/1/11唐宋詩 Ⅰ李商隠 187 行次西郊作一百韻  白文  現代語訳 (全文) 
     



泰山吟 謝霊運(康楽) 詩<74>Ⅱ李白に影響を与えた詩499 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1314





泰山、石閭山で封じて、明堂という祠を建てた。世の中が安寧になると行われるものなのだがどうして今暗いままなのか、明堂という祠を建てることなどできないで、ただ霊に対してこの詩篇を納めるだけなのだ。



現代語訳と訳註
(本文)
泰山吟
岱宗秀維岳,崔崒剌雲天,
岝崿既嶮巇,觸石輒芊綿,
登封瘗崇壇,降禪藏肅然,
石閭何晻藹,明堂祕靈篇。


(下し文)
岱宗【たいそう】は維嶽【いがく】より秀【ひい】で、崔崒【さいしゅつ】して雲天を刺す。
岝崿【さくがく】既に嶮巇しく、石に触るれば輒ち芊綿す。
登封【とうほう】し崇壇【しゅうだん】に痙【うず】む、降禅【こうぜん】し蔵すること粛然たり。
石閭【せきりょ】何ぞ晻藹【うすぐら】き、明宝 秘霊篇。


(現代語訳)
我らが崇高に思う泰山は封禅をする太い綱でつながっている山々の中で秀でた山である。その山は高く嶮しく雲を衝き天まで突き抜けるものなのだ。
高くそびえる山には登るには峻嶮すぎる、やまは石岩でできておりそこには封禅の碑文が彫られており、連綿と続いている。
古代より天下が安寧になるとこの山に登り封禅を行った、前漢の武帝は泰山で封じて粛然山で禅師納めた。
瘗 地中にふかくうずめる。墓にうずめる。
泰山、石閭山で封じて、明堂という祠を建てた。世の中が安寧になると行われるものなのだがどうして今暗いままなのか、明堂という祠を建てることなどできないで、ただ霊に対してこの詩篇を納めるだけなのだ。


(訳注)
泰山吟

楚調曲にて歌う。全篇、泰山の高く険しき霊場を歌う。
この詩は黄節によると、宋の太祖が、在位が長かったので、泰山にて封禅せんとして、使いを遣わしたとき、霊運がこの篇を作ったのであろうと推定されているが、謝靈運が皇帝の封禅に対して、賛同し、心から希望し喜んでいるわけではないことがよく読めるものではなかろうか。


岱宗秀維岳,崔崒剌雲天,
我らが崇高に思う泰山は封禅をする太い綱でつながっている山々の中で秀でた山である。その山は高く嶮しく雲を衝き天まで突き抜けるものなのだ。
岱宗 泰山の別名。・維岳 封禅をする太い綱でつながっている山々。・崔崒 高く嶮しいさま。


岝崿既嶮巇,觸石輒芊綿,
高くそびえる山には登るには峻嶮すぎる、やまは石岩でできておりそこには封禅の碑文が彫られており、連綿と続いている。
岝崿 山の高い形容。・嶮巇 山道が峻険なようすをいう。峻険の中でも峻険なさま。・ 広く人々に告げ知らせること。また、その人。・ 草がしげる。山の青々としたさま。


登封瘗崇壇,降禪藏肅然,
古代より天下が安寧になるとこの山に登り封禅を行った、前漢の武帝は泰山で封じて粛然山で禅師納めた。
 地中にふかくうずめる。墓にうずめる。・肅然 粛然山


石閭何晻藹,明堂祕靈篇。
泰山、石閭山で封じて、明堂という祠を建てた。世の中が安寧になると行われるものなのだがどうして今暗いままなのか、明堂という祠を建てることなどできないで、ただ霊に対してこの詩篇を納めるだけなのだ。
石閭 石閭山在山東泰安縣南四十五里
明堂 .祠明堂.
封禅の儀式は、封と禅に分かれた2つの儀式の総称を指し、天に対して感謝する「封」の儀式と地に感謝する「禅」の儀式の2つ構成されていると言われている。

司馬遷の『史記』(卷二十八封禪書第六)の注釈書である『史記三家注』によれば、
「正義此泰山上築土為壇以祭天,報天之功,故曰封.此泰山下小山上除地,報地之功,故曰禪.(『史記正義』には、泰山の頂に土を築いて壇を作り天を祭り、天の功に報いるのが封で、その泰山の下にある小山の地を平らにして、地の功に報いるのが禅だ、とある。)」
『史記三家注』では続いて『五経通義』から「易姓而王,致太平,必封泰山,(王朝が変わって太平の世が至ったならば、必ず泰山を封ぜよ)」という言葉を引用している。

前漢 武帝劉徹
元封元年(紀元前110年) 封泰山、禅粛然山
元封2年(紀元前109年)  封泰山、祠明堂
元封5年(紀元前106年)  封泰山、祠明堂
太初元年(紀元前104年) 封泰山、禅蒿里山
太初3年(紀元前102年)  封泰山、禅石閭山
天漢3年(紀元前98年)   封泰山、祠明堂
太始4年(紀元前93年)   封泰山、禅石閭山
征和4年(紀元前89年)   封泰山、禅石閭山

後漢
光武帝劉秀  建武32年(56年) 封泰山、禅梁父山
章帝 劉烜  元和2年(85年) 柴祭泰山、祠明堂
安帝 劉祜  延光3年(124年) 柴祭泰山、祠明堂


我らが崇高に思う泰山は封禅をする太い綱でつながっている山々の中で秀でた山である。その山は高く嶮しく雲を衝き天まで突き抜けるものなのだ。
岝崿既嶮巇,觸石輒芊綿,
高くそびえる山には登るには峻嶮すぎる、やまは石岩でできておりそこには封禅の碑文が彫られており、連綿と続いている。
登封瘗崇壇,降禪藏肅然,
古代より天下が安寧になるとこの山に登り封禅を行った、前漢の武帝は泰山で封じて粛然山で禅師納めた。
石閭何晻藹,明堂祕靈篇。

折楊柳行 その二 謝霊運(康楽) 詩<73-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩498 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1311

 同じ日のブログ
13111311 折楊柳行 その二 謝霊運(康楽) 詩<73-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩498 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1311
13121312 城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#15>Ⅱ中唐詩411 紀頌之の漢詩ブログ1312
13131313 太平寺泉眼 杜甫 <284-#2> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1313 杜甫詩 700- 402
 
李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡
2011/7/11李商隠 1 錦瑟
2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全約150首
2012/1/11唐宋詩 Ⅰ李商隠 187 行次西郊作一百韻  白文  現代語訳 (全文)




折楊柳行二首 その一
鬱鬱河邊樹,青青田野草,舍我故鄉客,將適萬里道,妻妾牽衣袂,抆淚沾懷抱,還拊幼童子,顧托兄與嫂,辭訣未及終,嚴駕一何早,負笮引文舟,飢渴常不飽,誰令爾貧賤,咨嗟何所道。

その二 #1
騷屑出穴風,揮霍見日雪,
もう、騒々しく風が吹くのは穴から出て吹いてくる。夏の日に攪乱するような病気の症状があったがすでに日々雪をみるような寒い時期になっている。
颼颼無乆搖,皎皎幾時潔,
しゅうしゅうと雨や風の音がかすかである紫雨が何も揺らすことはない静かに降っている。そうして何もなく広々としているさまいずれの時になれば讒言などない清らかな時代が来るのだろうか。
未覺泮春冰,巳復謝秋節,

春になっての氷が解け始めそれが半ばになるかどうかはまだわからない。と思っていたら、また、中秋節も去ってしまった。
騒屑【そうせつ】として穴より出ずる風、揮霍【きかく】して日ごと雪を見る。
颼颼【そうそう】として久しく揺らすこと無く、皎皎として幾時か潔からん。
未だ覚らず春氷を泮【と】くを、己に復た秋節を謝す。
#2
空對尺素遷,獨視寸陰滅,
詩歌を書いてはまた書くしかしそれがむなしい手紙でしかないのだ。そして、ただ一人このわずかにすぎていく時間を見るだけなのだ。
否桑未易繫,泰茅難重拔,
桑や梓の農耕作業をするために隠遁するということが出来ないでいるが易では天下無法の乱世が来る、泰は小往き大来るであり、蚕は茅の葉を棚にして飼う茅を抜くとその根が連なって抜けるように、多くの同士とともに積極的に活動すれば、吉というが難しい。
桑茅迭生運,語默寄前哲。

桑と茅は重要でたがいに運命を生じるものである。この別れの時において、言葉を語るのではなくて易経の考えでもって代えることにする。
空しく尺素【しゃくそ】の遷【うつ】るに対し、独り寸陰【すんいん】の滅するを視る。
否桑【ひそう】未だ繋け易からず、泰茅【たいぼう】重ねて抜け難し。
桑茅【そうぼう】迭【たが】いに生運し、語黙して前哲に寄す

折楊柳0002


現代語訳と訳註
(本文)

折楊柳行二首 その二
#2
空對尺素遷,獨視寸陰滅,
否桑未易繫,泰茅難重拔,
桑茅迭生運,語默寄前哲。


(下し文)
空しく尺素【しゃくそ】の遷【うつ】るに対し、独り寸陰【すんいん】の滅するを視る。
否桑【ひそう】未だ繋け易からず、泰茅【たいぼう】重ねて抜け難し。
桑茅【そうぼう】迭【たが】いに生運し、語黙して前哲に寄す。


(現代語訳)
詩歌を書いてはまた書くしかしそれがむなしい手紙でしかないのだ。そして、ただ一人このわずかにすぎていく時間を見るだけなのだ。
桑や梓の農耕作業をするために隠遁するということが出来ないでいるが易では天下無法の乱世が来る、泰は小往き大来るであり、蚕は茅の葉を棚にして飼う茅を抜くとその根が連なって抜けるように、多くの同士とともに積極的に活動すれば、吉というが難しい。

桑と茅は重要でたがいに運命を生じるものである。この別れの時において、言葉を語るのではなくて易経の考えでもって代えることにする。

(訳注)
空對尺素遷,獨視寸陰滅,

詩歌を書いてはまた書くしかしそれがむなしい手紙でしかないのだ。そして、ただ一人このわずかにすぎていく時間を見るだけなのだ。
尺素 一尺ほどの白絹。伝言文転じて一首の詩を意味する。・寸陰 僅かの時間。光陰矢の如し。


否桑未易繫,泰茅難重拔,
桑や梓の農耕作業をするために隠遁するということが出来ないでいるが易では天下無法の乱世が来る、泰は小往き大来るであり、蚕は茅の葉を棚にして飼う茅を抜くとその根が連なって抜けるように、多くの同士とともに積極的に活動すれば、吉というが難しい。
否桑 桑や梓の農耕作業をするために隠遁するということが出来ないこと。易の卦に託し繋ぐこと。(天地否) 天下無法の乱世が来るのは人災である。
泰茅 易経 泰は小往き大来る。天地交わるは泰なり。蚕は茅の葉を棚にして飼う。茅を抜くとその根が連なって抜けるように、多くの同士とともに積極的に活動すれば、吉という。


桑茅迭生運,語默寄前哲。
桑と茅は重要でたがいに運命を生じるものである。この別れの時において、言葉を語るのではなくて易経の考えでもって代えることにする。

折楊柳行 その二 謝霊運(康楽) 詩<73-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩497 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1308

折楊柳行 その二 謝霊運(康楽) 詩<73-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩497 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1308

1309 韓愈のブログ 城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#14>Ⅱ中唐詩410 紀頌之の漢詩ブログ1309
1310 杜甫のブログ 太平寺泉眼 杜甫 <284-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1310 杜甫詩 700- 401


折楊柳行二首 その一
鬱鬱河邊樹,青青田野草,舍我故鄉客,將適萬里道,妻妾牽衣袂,抆淚沾懷抱,還拊幼童子,顧托兄與嫂,辭訣未及終,嚴駕一何早,負笮引文舟,飢渴常不飽,誰令爾貧賤,咨嗟何所道。

その二 #1
騷屑出穴風,揮霍見日雪,
もう、騒々しく風が吹くのは穴から出て吹いてくる。夏の日に攪乱するような病気の症状があったがすでに日々雪をみるような寒い時期になっている。
颼颼無乆搖,皎皎幾時潔,
しゅうしゅうと雨や風の音がかすかである紫雨が何も揺らすことはない静かに降っている。そうして何もなく広々としているさまいずれの時になれば讒言などない清らかな時代が来るのだろうか。
未覺泮春冰,巳復謝秋節,

春になっての氷が解け始めそれが半ばになるかどうかはまだわからない。と思っていたら、また、中秋節も去ってしまった。
騒屑【そうせつ】として穴より出ずる風、揮霍【きかく】して日ごと雪を見る。
颼颼【そうそう】として久しく揺らすこと無く、皎皎として幾時か潔からん。
未だ覚らず春氷を泮【と】くを、己に復た秋節を謝す。

#2
空對尺素遷,獨視寸陰滅,
否桑未易繫,泰茅難重拔,
桑茅迭生運,語默寄前哲。

youryuu05

 現代語訳と訳註
(本文)

折楊柳行二首 その二
騷屑出穴風,揮霍見日雪,颼颼無乆搖,皎皎幾時潔,未覺泮春冰,巳復謝秋節,


(下し文)
騒屑【そうせつ】として穴より出ずる風、揮霍【きかく】して日ごと雪を見る。
颼颼【そうそう】として久しく揺らすこと無く、皎皎として幾時か潔からん。
未だ覚らず春氷を泮【と】くを、己に復た秋節を謝す。


(現代語訳)
もう、騒々しく風が吹くのは穴から出て吹いてくる。夏の日に攪乱するような病気の症状があったがすでに日々雪をみるような寒い時期になっている。
しゅうしゅうと雨や風の音がかすかである紫雨が何も揺らすことはない静かに降っている。そうして何もなく広々としているさまいずれの時になれば讒言などない清らかな時代が来るのだろうか。
春になっての氷が解け始めそれが半ばになるかどうかはまだわからない。と思っていたら、また、中秋節も去ってしまった。


(訳注)
騷屑出穴風,揮霍見日雪,
もう、騒々しく風が吹くのは穴から出て吹いてくる。夏の日に攪乱するような病気の症状があったがすでに日々雪をみるような寒い時期になっている
騒屑 行ったり来たり、騒々しい風の音。紛擾のさま、四苦八苦している。杜甫『自京赴奉先縣詠懷五百字』「生常免租税、名不隸征伐。撫迹猶酸辛、平人固騒屑。」揮霍 揮霍撩乱;日射病や暑気あたり、江戸時代には夏に起こる激しい吐き気や下痢を伴う急性の病気をいった。「霍(カク)」=慌ただしく飛ぶ鳥の羽音。すみやか・ はやい。鶴。


颼颼無乆搖,皎皎幾時潔,
しゅうしゅうと雨や風の音がかすかである紫雨が何も揺らすことはない静かに降っている。そうして何もなく広々としているさまいずれの時になれば讒言などない清らかな時代が来るのだろうか。
・颼颼【そうそう】雨や風の音がかすかであるさま。しゅうしゅう。・皎皎【こうこう/皓皓】1 白く光り輝くさま。清らかなさま。2 何もなく広々としているさま。


未覺泮春冰,巳復謝秋節,
春になっての氷が解け始めそれが半ばになるかどうかはまだわからない。と思っていたら、また、中秋節も去ってしまった。
 分散する,分解する.・ さる。
秋節 旧暦8月15日の中秋節は、春節(旧正月)、元宵節、端午節とならぶ「中国の四大伝統祭り」と呼ばれている。この日の夜は一家団欒して、庭に供え物をならべ、月を拝んで月見をする。


折楊柳行 その一 謝霊運(康楽) 詩<72-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩496 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1305

折楊柳行 その一 謝霊運(康楽) 詩<72-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩496 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1305


折楊柳行二首 その一
鬱鬱河邊樹,青青田野草,舍我故鄉客,將適萬里道,妻妾牽衣袂,抆淚沾懷抱,還拊幼童子,顧托兄與嫂,辭訣未及終,嚴駕一何早,負笮引文舟,飢渴常不飽,誰令爾貧賤,咨嗟何所道。

騷屑出穴風,揮霍見日雪,颼颼無乆搖,皎皎幾時潔,未覺泮春冰,巳復謝秋節,空對尺素遷,獨視寸陰滅,否桑未易繫,泰茅難重拔,桑茅迭生運,語默寄前哲。


折楊柳行二首 その一
別れに楊柳を折って輪にして健康を祈る。
鬱鬱河邊樹,青青田野草,
草木がよく茂っていて大河の川辺のきもしげる田畑や野原もあおあおと草がしげる。
舍我故鄉客,將適萬里道,
わたしは故郷を棄てて旅路に立とうとしている。まさに万里の先までこの路を行こうとしているのだ。
妻妾牽衣袂,抆淚沾懷抱,
妻や妾妻はころも袂をひっぱり涙をかくしている、涙を拭き収めて懐は潤いでいっぱいになる。
還拊幼童子,顧托兄與嫂,
幼児と童子の手を引いて兄と兄嫁に留守の間を託して預ける。
辭訣未及終,嚴駕一何早,
別れの言葉がまだ終わっていないのに、一呼吸置く間もなく車が来たのだ。
負笮引文舟,飢渴常不飽,
竹で編んだ袋から筆を取り出して彩舟の飾りのように短冊に詩をしたためる。どんなときでも心から案じることは飽きることはない。
誰令爾貧賤,咨嗟何所道。

誰がお前たちを貧賤にしようというのか、ああ、これ以上何と言えばいいのだろうか。

(楊柳を折るの行 二首)その一
鬱鬱【うつうつ】たる河辺の柳、青青たる野田の草。
我を舎【す】つ故郷の客、将に万里の道を適【ゆ】かんとす。
妻妾【さいしょう】は衣袂【いべい】を牽【ひ】き、涙を抆【おさ】めつつ懐抱【ふところ】を沾【うる】おす。
還【かえ】って幼童の子を拊で、顧みて兄と嫂とに托す。
辞訣【じけつ】未だ終わるに及ばざるに、駕【くるま】を厳【ととの】えること一【いつ】に何ぞ早き。
笮【えびら】を負い文舟【ぶんしゅう】を引き、飢渇して常に飽かず。
誰か爾【なんじ】をして貧賤【ひんせん】ならしむ、咨嗟【ああ】何の道【い】う所ぞ。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
還拊幼童子,顧托兄與嫂,辭訣未及終,嚴駕一何早,負笮引文舟,飢渴常不飽,誰令爾貧賤,咨嗟何所道。


(下し文)
還【かえ】って幼童の子を拊で、顧みて兄と嫂とに托す。
辞訣【じけつ】未だ終わるに及ばざるに、駕【くるま】を厳【ととの】えること一【いつ】に何ぞ早き。
笮【えびら】を負い文舟【もんしゅう】を引き、飢渇して常に飽かず。
誰か爾【なんじ】をして貧賤【ひんせん】ならしむ、咨嗟【ああ】何の道【い】う所ぞ。


(現代語訳)
幼児と童子の手を引いて兄と兄嫁に留守の間を託して預ける。
別れの言葉がまだ終わっていないのに、一呼吸置く間もなく車が来たのだ。
竹で編んだ袋から筆を取り出して彩舟の飾りのように短冊に詩をしたためる。どんなときでも心から案じることは飽きることはない。
誰がお前たちを貧賤にしようというのか、ああ、これ以上何と言えばいいのだろうか。



(訳注)
還拊幼童子,顧托兄與嫂,

幼児と童子の手を引いて兄と兄嫁に留守の間を託して預ける。


辭訣未及終,嚴駕一何早,
別れの言葉がまだ終わっていないのに、一呼吸置く間もなく車が来たのだ。


負笮引文舟,飢渴常不飽,
竹で編んだ袋から筆を取り出して彩舟の飾りのように短冊に詩をしたためる。どんなときでも心から案じることは飽きることはない。
・笮 せまい。竹で編んだ野地下。えびら。・文舟 あやぶね。
・渴 のどがからからだ.・渴 ~をいやす.切に,心底から渴念思い慕う,心から案じる.

誰令爾貧賤,咨嗟何所道。
誰がお前たちを貧賤にしようというのか、ああ、これ以上何と言えばいいのだろうか。

折楊柳行 その一 謝霊運(康楽) 詩<72-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩495 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1302

折楊柳行 その一 謝霊運(康楽) 詩<72-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩495 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1302


折楊柳行二首 その一
鬱鬱河邊樹,青青田野草,舍我故鄉客,將適萬里道,妻妾牽衣袂,抆淚沾懷抱,還拊幼童子,顧托兄與嫂,辭訣未及終,嚴駕一何早,負笮引文舟,飢渴常不飽,誰令爾貧賤,咨嗟何所道。
その二

騷屑出穴風,揮霍見日雪,颼颼無乆搖,皎皎幾時潔,未覺泮春冰,巳復謝秋節,空對尺素遷,獨視寸陰滅,否桑未易繫,泰茅難重拔,桑茅迭生運,語默寄前哲。

(楊柳を折るの行 二首)その一
鬱鬱【うつうつ】たる河辺の柳、青青たる野田の草。
我を舎【す】つ故郷の客、将に万里の道を適【ゆ】かんとす。
妻妾【さいしょう】は衣袂【いべい】を牽【ひ】き、涙を抆【おさ】めつつ懐抱【ふところ】を沾【うる】おす。
還【かえ】って幼童の子を拊で、顧みて兄と嫂とに托す。
辞訣【じけつ】未だ終わるに及ばざるに、駕【くるま】を厳【ととの】えること一【いつ】に何ぞ早き。
笮【えびら】を負い文舟【ぶんしゅう】を引き、飢渇して常に飽かず。
誰か爾【なんじ】をして貧賤【ひんせん】ならしむ、咨嗟【ああ】何の道【い】う所ぞ。

youryuu05

折楊柳行二首 その一
別れに楊柳を折って輪にして健康を祈る。
鬱鬱河邊樹,青青田野草。
草木がよく茂っていて大河の川辺のきもしげる田畑や野原もあおあおと草がしげる。
舍我故鄉客,將適萬里道。
わたしは故郷を棄てて旅路に立とうとしている。まさに万里の先までこの路を行こうとしているのだ。
妻妾牽衣袂,抆淚沾懷抱。

妻や妾妻はころも袂をひっぱり涙をかくしている、涙を拭き収めて懐は潤いでいっぱいになる。

(楊柳を折るの行 二首)その一
鬱鬱【うつうつ】たる河辺の柳、青青たる野田の草。
我を舎【す】つ故郷の客、将に万里の道を適【ゆ】かんとす。
妻妾【さいしょう】は衣袂【いべい】を牽【ひ】き、涙を抆【おさ】めつつ懐抱【ふところ】を沾【うる】おす。

折楊柳0002


現代語訳と訳註
(本文)
折楊柳行二首 その一
鬱鬱河邊樹,青青田野草。
舍我故鄉客,將適萬里道。
妻妾牽衣袂,抆淚沾懷抱。


(下し文)
(楊柳を折るの行 二首)その一
鬱鬱【うつうつ】たる河辺の柳、青青たる野田の草。
我を舎【す】つ故郷の客、将に万里の道を適【ゆ】かんとす。
妻妾【さいしょう】は衣袂【いべい】を牽【ひ】き、涙を抆【おさ】めつつ懐抱【ふところ】を沾【うる】おす。


(現代語訳)
別れに楊柳を折って輪にして健康を祈る。
草木がよく茂っていて大河の川辺のきもしげる田畑や野原もあおあおと草がしげる。
わたしは故郷を棄てて旅路に立とうとしている。まさに万里の先までこの路を行こうとしているのだ。
妻や妾妻はころも袂をひっぱり涙をかくしている、涙を拭き収めて懐は潤いでいっぱいになる。


(訳注)
折楊柳行二首 その一
別れに楊柳を折って輪にして健康を祈る。
詩題の「折楊柳」は、前漢の張騫が西域から持ち帰った音楽を素にして出来たものだが、この時の辞は、魏晉時代に亡失してしまっているという。晉代には兵事の労苦が陳べられるようになり、それが南朝の梁、陳に始まり唐代ではさらにひろがった。
『折楊柳』の曲調。別離の曲。離愁を覚えるということ。王翰の『涼州詞』「秦中花鳥已應闌,塞外風沙猶自寒。夜聽胡笳折楊柳,敎人意氣憶長安。」、李白に『春夜洛城聞笛』「誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。」とある。


鬱鬱河邊樹,青青田野草。
草木がよく茂っていて大河の川辺のきもしげる田畑や野原もあおあおと草がしげる。
・鬱鬱【うつうつ】1 心の中に不安や心配があって思い沈むさま。2 草木がよく茂っているさま。


舍我故鄉客,將適萬里道。
わたしは故郷を棄てて旅路に立とうとしている。まさに万里の先までこの路を行こうとしているのだ。


妻妾牽衣袂,抆淚沾懷抱。
妻や妾妻はころも袂をひっぱり涙をかくしている、涙を拭き収めて懐は潤いでいっぱいになる。
衣袂 取り付けられ腕を覆う衣服の部分

豫章行 謝霊運(康楽) 詩<71>Ⅱ李白に影響を与えた詩494 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1299

豫章行 謝霊運(康楽) 詩<71>Ⅱ李白に影響を与えた詩494 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1299



豫章行
短生旅長世,恒覺白日欹。
人が生きるというのは短いものであるが、世の中に旅に出るのは長いものである。太陽が常に真上にある時には何とも思わなかったのに傾き始めて気が付くのである。
覽鏡睨頹容,華顏豈乆期。
鏡を取り出して衰えた顔を写してよくよく見るのである。華やかな顔でいられるのはどうしてその時期が久しいものでありえないのであろうか。
茍無廻戈術,坐觀落崦嵫。

傾きかけた太陽を戻したという『淮南子』にある「廻戈の術」はもちあわせていない。ということで、そぞろに歩くのは山海経』の「西山」にあるという太陽が沈んでいく崦嵫山の烏鼠洞の穴のほとりを歩く行と思うのである。

豫章行
短生にして長世に旅し,恒に白日 欹【かたぶ】くを覺ゆ。
鏡を覽りて頹容を睨【にら】み,華顏【かがん】豈に乆期ならん。
茍【いや】しくも廻戈の術無くんば,坐【そぞ】ろに崦嵫【えんじ】に落つを觀ん。


坐ろに咤噛(山) に落つるを観ん


現代語訳と訳註
(本文)
豫章行
短生旅長世,恒覺白日欹。
覽鏡睨頹容,華顏豈乆期。
茍無廻戈術,坐觀落崦嵫。


(下し文)
豫章行
短生にして長世に旅し,恒に白日 欹【かたぶ】くを覺ゆ。
鏡を覽りて頹容を睨【にら】み,華顏【かがん】豈に乆期ならん。
茍【いや】しくも廻戈の術無くんば,坐【そぞ】ろに崦嵫【えんじ】に落つを觀ん。


(現代語訳)
人が生きるというのは短いものであるが、世の中に旅に出るのは長いものである。太陽が常に真上にある時には何とも思わなかったのに傾き始めて気が付くのである。
鏡を取り出して衰えた顔を写してよくよく見るのである。華やかな顔でいられるのはどうしてその時期が久しいものでありえないのであろうか。
傾きかけた太陽を戻したという『淮南子』にある「廻戈の術」はもちあわせていない。ということで、そぞろに歩くのは山海経』の「西山」にあるという太陽が沈んでいく崦嵫山の烏鼠洞の穴のほとりを歩く行と思うのである。


(訳注)
豫章行

清調曲で歌う。この古辞は、白楊のはかない運命を歌ったものであるが、霊運はその詩意を強く意識して、人生の無常を歌ったもので、題材も内容もきわめて月並みである。豫章行苦相篇 傅玄 女のさだめ 六朝時代(3)
親友、謝蕙連にも同題の作がある。古辞には古詩十九首、挽歌、に同様な内容が見える。


短生旅長世,恒覺白日欹。
人が生きるというのは短いものであるが、世の中に旅に出るのは長いものである。太陽が常に真上にある時には何とも思わなかったのに傾き始めて気が付くのである。


覽鏡睨頹容,華顏豈乆期。
鏡を取り出して衰えた顔を写してよくよく見るのである。華やかな顔でいられるのはどうしてその時期が久しいものでありえないのであろうか。


茍無廻戈術,坐觀落崦嵫。
傾きかけた太陽を戻したという『淮南子』にある「廻戈の術」はもちあわせていない。ということで、そぞろに歩くのは山海経』の「西山」にあるという太陽が沈んでいく崦嵫山の烏鼠洞の穴のほとりを歩く行と思うのである。
廻戈術 『淮南子』にある物語で、魯の陽公が韓と戦争をしたとき、日が暮れようとしたので、まさに没せんとした日を呼びもどしたということである。・崦嵫 崦嵫山のこと。『山海経』の「西山」に烏鼠洞の穴山の西南にあるといい、下に虞泉があって太陽の入るところとされている。

苦寒行 謝霊運(康楽) 詩<70>Ⅱ李白に影響を与えた詩493 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1296

苦寒行 謝霊運(康楽) 詩<70>Ⅱ李白に影響を与えた詩493 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1296



寒行
嵗嵗層冰合,紛紛霰雪落。
ここ毎年、寒さが厳しく氷の層が何層にも重なって厚くなっている。雪も深深と積もりあられ、雹も落ちる。
浮陽减清暉,寒禽呌悲壑。
雲間に浮ぶ太陽はきれいに晴れたかがやきをなくしてきたし、山野で厳しい冬の中を生きている鳥でさえこの寒さのため谷で哀しく泣き叫んでいる。
饑爨煙不興,渴汲水枯涸。
飢饉は釜戸さえ煙をあげなくなってしまったし、井戸は水を汲めないほど枯渇し、木も枯れ、川の水も涸れた。

歳歳【さいさい】 層【そう】冰合【ひょうごう】し、紛紛として霰【あられ】や雪 落つ。
浮陽【ふよう】も清暉【せいき】を減じ、寒禽【かんきん】も悲しく壑【たに】に叫び。
飢えたる爨【かまど】の煙 興こらず、汲むこと渇き水も枯【か】れ涸【か】れぬ。



現代語訳と訳註
(本文)
苦寒行
嵗嵗層冰合,紛紛霰雪落。
浮陽减清暉,寒禽呌悲壑。
饑爨煙不興,渴汲水枯涸。


(下し文)
歳歳【さいさい】 層【そう】冰合【ひょうごう】し、紛紛として霰【あられ】や雪 落つ。
浮陽【ふよう】も清暉【せいき】を減じ、寒禽【かんきん】も悲しく壑【たに】に叫び。
飢えたる爨【かまど】の煙 興こらず、汲むこと渇き水も枯【か】れ涸【か】れぬ。


(現代語訳)
ここ毎年、寒さが厳しく氷の層が何層にも重なって厚くなっている。雪も深深と積もりあられ、雹も落ちる。
雲間に浮ぶ太陽はきれいに晴れたかがやきをなくしてきたし、山野で厳しい冬の中を生きている鳥でさえこの寒さのため谷で哀しく泣き叫んでいる。
飢饉は釜戸さえ煙をあげなくなってしまったし、井戸は水を汲めないほど枯渇し、木も枯れ、川の水も涸れた。


(訳注)
苦寒行
清調曲。この詩は飢饉の年の天候不順を歌い、そして、鳥も食物に困り、悲しげに鳴く。人間たちはもっと困り、かまどの煙も起きず、水さえ滴れてしまったと、実に悲惨な状態を巧みに歌っている。経験したことを詩にするのではなく、想像して歌ったものである。


嵗嵗層冰合,紛紛霰雪落。
ここ毎年、寒さが厳しく氷の層が何層にも重なって厚くなっている。雪も深深と積もりあられ、雹も落ちる。


浮陽减清暉,寒禽呌悲壑。
雲間に浮ぶ太陽はきれいに晴れたかがやきをなくしてきたし、山野で厳しい冬の中を生きている鳥でさえこの寒さのため谷で哀しく泣き叫んでいる。
寒禽【かんきん】 山野・川・海などで厳しい冬の中を生きている鳥。冬の鳥。

饑爨煙不興,渴汲水枯涸。
飢饉は釜戸さえ煙をあげなくなってしまったし、井戸は水を汲めないほど枯渇し、木も枯れ、川の水も涸れた。




苦寒行   魏 武帝
北上太行山,艱哉何巍巍!
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
谿谷少人民,雪落何霏霏!
延頸長嘆息,遠行多所懷。
我心何怫鬱?思欲一東歸。
水深橋梁絕,中路正徘徊。
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
行行日已遠,人馬同時饑。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
悲彼東山詩,悠悠令我哀。
北のかた太行山に上れば 艱き哉 何ぞ巍巍たる
羊腸の坂 詰屈し 車輪 之れが為に摧く
樹木 何ぞ蕭瑟たる 北風 声正に悲し
熊羆 我に対して蹲まり 虎豹 路を夾んで啼く
谿谷 人民少なく 雪落つること 何ぞ霏霏たる
頸を延ばして長歎息し 遠行して懐う所多し
我が心 何ぞ怫鬱たる 一たび東帰せんと思欲す
水深くして橋梁絶え 中路 正に徘徊す
迷惑して故路を失い 薄暮 宿棲無し
行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う
嚢を担い 行きて薪を取り 氷を斧りて持て糜を作る
彼の東山の詩を悲しみ 悠悠として我れを哀しましむ
北上して太行山脈を越えようと必死なのに、道は大変険しく山は高く聳え立っている。
羊腸坂は曲がりくねっていて、兵車の車輪も砕けかねない。
樹木がうらさびしげに立ちつくし、北風がぴゅうぴゅうと吹きつけている。
熊や羆が低く身構えて我々をうかがい、虎や豹が道の両側から吠えかかってくる。
山間のため住む人も稀で、雪はしんしんと降りしきる。
首を伸ばして遠くを眺めやれば思わず溜息がもれるし、遠征する身ともなれば思いは更に増すばかり。
心に言いしれぬ不安が溢れ、いっそのこと、一旦東に引き返そうかとも思ってしまう。
谷川の水が深いのに渡るべき橋もなく、途中あちこち道を探しまわった。
だが、さんざん迷った挙げ句に元来た道を見失い、夕暮になっても泊るべき宿さえない。
山中を行軍して既に日数を重ね、人も馬もともに飢えてしまった。
袋を担いで行って薪を取り、氷を断ち割ってきて粥を作り、辛うじて寒さと飢えを凌いでいる状態だ。
あの周公東征の労苦を称えた「東山」の詩を思い起こすと、心に一層深い哀しみが広がってゆく。


苦寒行    陸機 
北游幽朔城,涼野多險艱。
俯入穹谷底,仰陟高山盤。
凝冰結重澗,積雪被長巒。
陰雲興岩側,悲風鳴樹端。
不 白日景,但聞寒鳥喧。
猛虎憑林嘯,玄猿臨岸嘆。
夕宿喬木下,慘慘恆鮮歡。
渴飲堅冰漿,饑待零露餐。
離思固已久,寤寐莫與言。
劇哉行役人,慊慊恆苦寒。
 

苦寒行      謝霊運
嵗嵗層冰合,紛紛霰雪落。
浮陽减清暉,寒禽呌悲壑。
饑爨煙不興,渴汲水枯涸。
  又
樵蘇無夙飲,鑿冰煑朝飡。
悲矣採薇唱,苦哉有餘酸。
 
苦寒    韓愈
四時各平分,一氣不可兼。
隆寒奪春序,顓頊固不廉。
太昊弛維綱,畏避但守謙。
遂令黄泉下,萌牙夭句尖。」

草木不複抽,百味失苦甜。
凶飆攪宇宙,铓刃甚割砭。
日月雖雲尊,不能活烏蟾。
羲和送日出,恇怯頻窺覘。」

炎帝持祝融,呵噓不相炎。
而我當此時,恩光何由沾。
肌膚生鱗甲,衣被如刀鐮。
氣寒鼻莫嗅,血凍指不拈。」

濁醪沸入喉,口角如銜箝。
將持匕箸食,觸指如排簽。
侵鑪不覺暖,熾炭屢已添。
探湯無所益,何況纊與縑。」

虎豹僵穴中,蛟螭死幽潛。
熒惑喪纏次,六龍冰脱髯。
芒碭大包内,生類恐盡殲。
啾啾窗間雀,不知已微纖。
擧頭仰天鳴,所願晷刻淹。」

不如彈射死,卻得親炰燖。
鸞皇苟不存,爾固不在占。
其餘蠢動儔,俱死誰恩嫌。
伊我稱最靈,不能女覆苫。
悲哀激憤歎,五藏難安恬。」

中宵倚牆立,淫淚何漸漸。
天王哀無辜,惠我下顧瞻。
褰旒去耳纊,調和進梅鹽。
賢能日登禦,黜彼傲與憸。
生風吹死氣,豁達如褰簾。」

懸乳零落堕,晨光入前檐。
雪霜頓銷釋,土脈膏且黏。
豈徒蘭蕙榮,施及艾與蒹。
日萼行鑠鑠,風條坐襜襜。
天乎苟其能,吾死意亦厭。」

苦寒 韓愈<45>#1 Ⅱ韓退之(韓愈)詩320 紀頌之の漢詩ブログ 1039

長歌行 謝霊運(康楽) 詩<69-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩492 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1293

長歌行 謝霊運(康楽) 詩<69-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩492 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1293


長歌行  謝靈運
倐爍夕星流,昱奕朝露團。
星が突然明るく照り輝いて夕方の空に流れて行く、夜が明け、あかるくかがやき始め朝露が丸くなりひかる。
粲粲烏有停,泫泫豈暫安。
鳥が翅をひろげると太陽に映えて鮮やかに輝き庭園に留まっている、枝にとまった取りの動きで朝露の玉はしとしと落ちてい駆動してもうしばらく葉の上に置いたままにしておいてやらないのか。
徂齡速飛電,頹節騖驚湍。
それはこの年が去り、歳を重ねることも空を走る稲光よりも早い。秋の季節の最盛期の木々の葉が色ずきそして落葉するのは早瀬の流れより早くて驚かされる。
覽物起悲緒,顧已識憂端。
万物の衰えていくのを見ることはその衰えていく悲しみの根源がなんであるかを見ることである。自分を顧みると憂いの根源は認識しているので会う。
朽貌改鮮色,悴容變柔顏。

朽ち果てていくその姿容貌が鮮やかな色に生き生きとすることが出来る。やつれてしまった顔が若さあふれる顔に変わる

倐爍【しゅくしゃく】 夕の星は流れ、昱奕【いくえき】に朝の露は団【あつ】まる
粲粲【さんさん】として鳥 停まる有り、泫泫【けんげん】と豈に暫く安んぜんや。
徂【さ】る齢は飛電よりも速く、頹【おとろ】えたる節は驚湍【きょうたん】よりも騖【はせ】る。
物を覧て悲しみの緒を起こし、己れを顧みて憂いの端を識る。
朽ちる貌は鮮色を改め、悴【やつ】れたる容 柔顔を変う。

#2
變改茍催促,容色烏盤桓。
変化と改修というものはどういうわけか催促されるものであるが、顔色の変化についてはどうしてぐずぐずするというのであろうか。
亹亹衰期迫,靡靡壯志闌。
まじめで勤勉であっても衰退期は逼って來るし、ゆっくりのんびりと進んでいるようであっても勇壮な気持ちをみなぎらせいることもある。
既慙臧孫慨,復愧楊子歎。
既にある臧武仲が孟孫の讒言によって慚を受けたことと同じ仕打ちを受けた詩、また、揚子が悩み嘆いた多岐亡羊の故事のように私も悩んだ。
寸陰果有逝,尺素竟無觀。
わずかの時間が果たしてすぎゆくだけであり、一尺の絹地に書く手紙はついに見ることはない。
幸賖道念戚,且取長歌歡。
願うことならば浄土にゆく道をひたすらおもいうれうのであるが、それでしばらくはこの長歌を吟じて喜ぶということにしたいものだ。

変改 苛しくも催促せば、容色も烏【いず】くんぞ盤桓【はんこう】せん。
亹亹【びび】として衰期迫り、靡靡【びび】として壮志闌【たけなわ】なり。
既に臧孫【ぞうそん】の慨【なげ】きに慙【は】じ、復た楊子の歎きに愧ず。
寸陰 果たして逝く有り、尺素も竟に観る無し。
幸わくは道を念う戚【うれ】いを賖【か】して、且【しばら】く長歌の歡びを取らん。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
變改茍催促,容色烏盤桓。
亹亹衰期迫,靡靡壯志闌。
既慙臧孫慨,復愧楊子歎。
寸陰果有逝,尺素竟無觀。
幸賖道念戚,且取長歌歡。


(下し文)
変改 苛しくも催促せば、容色も烏【いず】くんぞ盤桓【はんこう】せん。
亹亹【びび】として衰期迫り、靡靡【びび】として壮志闌【たけなわ】なり。
既に臧孫【ぞうそん】の慨【なげ】きに慙【は】じ、復た楊子の歎きに愧ず。
寸陰 果たして逝く有り、尺素【せきそ】も竟に観る無し。
幸わくは道を念う戚【うれ】いを賖【か】して、且【しばら】く長歌の歡びを取らん。


(現代語訳)
変化と改修というものはどういうわけか催促されるものであるが、顔色の変化についてはどうしてぐずぐずするというのであろうか。
まじめで勤勉であっても衰退期は逼って來るし、ゆっくりのんびりと進んでいるようであっても勇壮な気持ちをみなぎらせいることもある。
既にある臧武仲が孟孫の讒言によって慚を受けたことと同じ仕打ちを受けた詩、また、揚子が悩み嘆いた多岐亡羊の故事のように私も悩んだ。
わずかの時間が果たしてすぎゆくだけであり、一尺の絹地に書く手紙はついに見ることはない。
願うことならば浄土にゆく道をひたすらおもいうれうのであるが、それでしばらくはこの長歌を吟じて喜ぶということにしたいものだ。


(訳注) #2
變改茍催促,容色烏盤桓。

変化と改修というものはどういうわけか催促されるものであるが、顔色の変化についてはどうしてぐずぐずするというのであろうか。


亹亹衰期迫,靡靡壯志闌。
まじめで勤勉であっても衰退期は逼って來るし、ゆっくりのんびりと進んでいるようであっても勇壮な気持ちをみなぎらせいることもある。
・亹亹 休まず努力する様子。進む様子。靡靡 靡き従う様子。ゆっくり歩く様子。靡;1 風や水の勢いに従って横にゆらめくように動く。「柳が風に―・く」2 他の意志や威力などに屈したり、引き寄せられたりして服従する。また、女性が男性に言い寄られて承知する。


既慙臧孫慨,復愧楊子歎。
既にある臧武仲が孟孫の讒言によって慚を受けたことと同じ仕打ちを受けた詩、また、揚子が悩み嘆いた多岐亡羊の故事のように私も悩んだ。
臧孫慨 臧孫は臧武仲という。孔子と同じ魯の御三家の一つである季孫氏に寵愛されていたが、孟孫氏には嫌われていた。孟孫氏は季孫氏と臧武仲の仲を裂こうと諮って、季孫氏に対して臧武仲が謀反をたくらんでいる讒言した。孟孫氏の策略で季孫氏は臧武仲を攻撃したため、臧武仲をやむを得ず魯国を去る事になった。 ・楊子歎 多岐亡羊の故事のこと。目標が羊一匹であっても、岐れ路、岐れ路と迷いこんで追求するようでは結局それを見失ってしまう。学問の道もそのようなもので、帰一する大事なポイントを見失うような追究の仕方は無意味である。


寸陰果有逝,尺素竟無觀。
わずかの時間が果たしてすぎゆくだけであり、一尺の絹地に書く手紙はついに見ることはない。
寸陰【すんいん】わずかの時間。「―を惜しむ」・尺素 1尺の絹布の意で、文字を書くのに用いたところから短い手紙。尺書。


幸賖道念戚,且取長歌歡。
願うことならば浄土にゆく道をひたすらおもいうれうのであるが、それでしばらくはこの長歌を吟じて喜ぶということにしたいものだ。
 親類。 うれえる。身近にひしひしと感ずる。思い 煩 ( わずら ) う。 【戚む】いたむ. 深く悲しむ。うれえる。 【戚える】うれえる. 心を悩ます。心を痛めて心配する。思い煩う。 【戚戚】せきせき. うれえて思い煩うようす。 【戚然】せきぜん. うれえ悲しむさま。 【哀戚】あいせき
古辞の最終句では、「少壮不努力、老大徒傷悲。」(少壮努力せずんは、老大徒らに傷悲せん。)
古辞については長歌行 謝霊運(康楽) 詩<69-#1>参照

長歌行 謝霊運(康楽) 詩<69-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩491 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1290

長歌行 謝霊運(康楽) 詩<69-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩491 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1290



古詩源 第三巻 楽府歌辭 『長歌行』
平調曲でその志を歌う。この古辞は、人生は無常であって英華もけっして久しく続かないゆえ、大いに努力すべきである、という内容を歌う。


古辞  相和歌辞『長歌行
青青園中葵、朝露待日晞。
陽春布徳澤、萬物生光輝。
常恐秋節至、焜黄華葉衰。
百川東到海、何時復西歸。
少壮不努力、老大徒傷悲。

青青たる園中の葵、朝露日を待ちて暗く。
陽春徳浮を布き、萬物光輝を生ず。
常に恐る秋節の至りて、棍黄として華葉の衰へんことを。
百川東して海に到らば、何れの時か復た西に辟らん。
少壮努力せずんは、老大徒らに傷悲せん。

青々とした園のあおい、それをうるおす朝露もつかのま、やがて日の光を受ければかわく。うららかな春が恵みの光を与えると、万物は輝くように生き生きと伸びる。しかしひとたび秋の季節が訪れると、その美しい花も葉も、色あせて見るかげもなく衰えはてる。
人生もまた同じで、東に流れる川の水、ひとたび去って海にいたれば、いつまた西に帰られるというのか、若いときにいそしまぬ悔いを、老いて気が付きやり直そうとしても、それはむなしいことであろう。


長歌行 謝霊運(康楽) 詩<69-#1>

長歌行  謝靈運
倐爍夕星流,昱奕朝露團。
星が突然明るく照り輝いて夕方の空に流れて行く、夜が明け、あかるくかがやき始め朝露が丸くなりひかる。
粲粲烏有停,泫泫豈暫安。
鳥が翅をひろげると太陽に映えて鮮やかに輝き庭園に留まっている、枝にとまった取りの動きで朝露の玉はしとしと落ちてい駆動してもうしばらく葉の上に置いたままにしておいてやらないのか。
徂齡速飛電,頹節騖驚湍。
それはこの年が去り、歳を重ねることも空を走る稲光よりも早い。秋の季節の最盛期の木々の葉が色ずきそして落葉するのは早瀬の流れより早くて驚かされる。
覽物起悲緒,顧已識憂端。
万物の衰えていくのを見ることはその衰えていく悲しみの根源がなんであるかを見ることである。自分を顧みると憂いの根源は認識しているので会う。
朽貌改鮮色,悴容變柔顏。
朽ち果てていくその姿容貌が鮮やかな色に生き生きとすることが出来る。やつれてしまった顔が若さあふれる顔に変わる。
倐爍【しゅくしゃく】 夕の星は流れ、昱奕【いくえき】に朝の露は団【あつ】まる
粲粲【さんさん】として鳥 停まる有り、泫泫【けんげん】と豈に暫く安んぜんや。
徂【さ】る齢は飛電よりも速く、頹【おとろ】えたる節は驚湍【きょうたん】よりも騖【はせ】る。
物を覧て悲しみの緒を起こし、己れを顧みて憂いの端を識る。
朽ちる貌は鮮色を改め、悴【やつ】れたる容 柔顔を変う。

#2
變改茍催促,容色烏盤桓。亹亹衰期迫,靡靡壯志闌。
既慙臧孫慨,復愧楊子歎。寸陰果有逝,尺素竟無觀。
幸賖道念戚,且取長歌歡。

#2
変改 苛しくも催促せば、容色も烏【いず】くんぞ盤桓【はんこう】せん。
亹亹【びび】として衰期迫り、靡靡【びび】として壮志闌【たけなわ】なり。
既に臧孫【ぞうそん】の慨【なげ】きに慙【は】じ、復た楊子の歎きに愧ず。
寸陰 果たして逝く有り、尺素も竟に観る無し。
幸わくは道を念う戚【うれ】いを賖【か】して、且【しばら】く長歌の歡びを取らん。


現代語訳と訳註
(本文) 長歌行
倐爍夕星流,昱奕朝露團。粲粲烏有停,泫泫豈暫安。
徂齡速飛電,頹節騖驚湍。覽物起悲緒,顧已識憂端。
朽貌改鮮色,悴容變柔顏。


(下し文)
倐爍【しゅくしゃく】 夕の星は流れ、昱奕【いくえき】に朝の露は団【あつ】まる
粲粲【さんさん】として鳥 停まる有り、泫泫【けんげん】と豈に暫く安んぜんや。
徂【さ】る齢は飛電よりも速く、頹【おとろ】えたる節は驚湍【きょうたん】よりも騖【はせ】る。
物を覧て悲しみの緒を起こし、己れを顧みて憂いの端を識る。
朽ちる貌は鮮色を改め、悴【やつ】れたる容 柔顔を変う。


(現代語訳)
星が突然明るく照り輝いて夕方の空に流れて行く、夜が明け、あかるくかがやき始め朝露が丸くなりひかる。
鳥が翅をひろげると太陽に映えて鮮やかに輝き庭園に留まっている、枝にとまった取りの動きで朝露の玉はしとしと落ちてい駆動してもうしばらく葉の上に置いたままにしておいてやらないのか。
それはこの年が去り、歳を重ねることも空を走る稲光よりも早い。秋の季節の最盛期の木々の葉が色ずきそして落葉するのは早瀬の流れより早くて驚かされる。
万物の衰えていくのを見ることはその衰えていく悲しみの根源がなんであるかを見ることである。自分を顧みると憂いの根源は認識しているので会う。
朽ち果てていくその姿容貌が鮮やかな色に生き生きとすることが出来る。やつれてしまった顔が若さあふれる顔に変わる。


(訳注)
長歌行

古詩源 第三巻 楽府歌辭 『長歌行』の詩に基づいて作られている。人間、若い若いといっても、人生はどんどん老齢化していってしまう。それは自然が日ごとに変わってゆくようなものである。


倐爍夕星流,昱奕朝露團。
星が突然明るく照り輝いて夕方の空に流れて行く、夜が明け、あかるくかがやき始め朝露が丸くなりひかる。
 突然,たちまち。・ 明るく照り輝くさま。・昱奕 あかるくかがやく


粲粲烏有停,泫泫豈暫安。
鳥が翅をひろげると太陽に映えて鮮やかに輝き庭園に留まっている、枝にとまった取りの動きで朝露の玉はしとしと落ちてい駆動してもうしばらく葉の上に置いたままにしておいてやらないのか。
粲粲 美しく光り輝くさま。鮮やかに輝くさま。・泫泫 滴(しずく)が垂れる,滴(したた)る.泫然 はらはらと(涙がこぼれるさま)


徂齡速飛電,頹節騖驚湍。
それはこの年が去り、歳を重ねることも空を走る稲光よりも早い。秋の季節の最盛期の木々の葉が色ずきそして落葉するのは早瀬の流れより早くて驚かされる。


覽物起悲緒,顧已識憂端。
万物の衰えていくのを見ることはその衰えていく悲しみの根源がなんであるかを見ることである。自分を顧みると憂いの根源は認識しているので会う。


朽貌改鮮色,悴容變柔顏。
朽ち果てていくその姿容貌が鮮やかな色に生き生きとすることが出来る。やつれてしまった顔が若さあふれる顔に変わる。

日出東南隅行 謝霊運(康楽) 詩<68>Ⅱ李白に影響を与えた詩490 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1287

日出東南隅行 謝霊運(康楽) 詩<68>Ⅱ李白に影響を与えた詩490 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1287


五言楽府
日出東南隅行
柏梁冠南山,桂宮燿北泉。
漢の柏梁台とは今のこの国の建業の南山での天子の冠である。桂宮の天子の歓楽の御殿は北泉湖に影を落としている。
晨風拂幨幌,朝日照閨軒。
そこでは早朝に吹く風に庭の幔幕をはらってしまうし、今日もまた朝日が、処女が閨の軒端を照らすのを閨で見るのである。
美人臥屏席,懷蘭秀瑤璠。
美しい宮女はかこまれた部屋に置いて寝たままであるし、蘭の花のようにすぐれた美しい宝玉のことを思うのである。
皎潔秋松氣,淑德春景暄。

穢れのないものにとって清々しい秋の風か、青松のような節度を持った男なのか、節操のある淑女にとってこの春景色は暖かさを呼んでいることだろう。
(日は東南の隅に出ずる行【うた】)
柏梁【はくりょう】は南山【なんざん】に冠たり,桂宮【けいきゅう】は北泉【ほくせん】に燿【かがや】く。
晨風【しんぷう】幨幌【たんこう】を拂い,朝日【あさひ】閨軒【けいけん】を照す。
美人【びじん】屏席【へいせき】に臥し,蘭【らん】瑤璠【ようはん】より秀いずるを懷う。
皎潔【こうけつ】秋松【しゅうしょう】の氣,淑德【しゅくとく】春景【しゅんけい】暄【あたたか】なり。


現代語訳と訳註
(本文)

日出東南隅行
柏梁冠南山,桂宮燿北泉。
晨風拂幨幌,朝日照閨軒。
美人臥屏席,懷蘭秀瑤璠。
皎潔秋松氣,淑德春景暄。


(下し文)
(日は東南の隅に出ずる行【うた】)
柏梁【はくりょう】は南山【なんざん】に冠たり,桂宮【けいきゅう】は北泉【ほくせん】に燿【かがや】く。
晨風【しんぷう】幨幌【たんこう】を拂い,朝日【あさひ】閨軒【けいけん】を照す。
美人【びじん】屏席【へいせき】に臥し,蘭【らん】瑤璠【ようはん】より秀いずるを懷う。
皎潔【こうけつ】秋松【しゅうしょう】の氣,淑德【しゅくとく】春景【しゅんけい】暄【あたたか】なり。


(現代語訳)
漢の柏梁台とは今のこの国の建業の南山での天子の冠である。桂宮の天子の歓楽の御殿は北泉湖に影を落としている。
そこでは早朝に吹く風に庭の幔幕をはらってしまうし、今日もまた朝日が、処女が閨の軒端を照らすのを閨で見るのである。
美しい宮女はかこまれた部屋に置いて寝たままであるし、蘭の花のようにすぐれた美しい宝玉のことを思うのである。
穢れのないものにとって清々しい秋の風か、青松のような節度を持った男なのか、節操のある淑女にとってこの春景色は暖かさを呼んでいることだろう。


(訳注)
 日出東南隅行

玉台新詠 古楽府六首『日出東南隅行』、古詩源 第三巻 楽府歌辭 『陌上桑』の詩に基づいて作られている。君主が戦場に送り出している美人を手に入れようとしたが、節操を持った女性に拒絶されたという話であるが、この時代美人はすべて君主のものということで全国に貝を掬い取る網、兔を取る網を各地に仕掛けていた。こうした、権力者批判していることがこれらの背景にある。顔延之の秋古詩などを詠い、謝宣遠ら四友(謝蕙連、羊璿之、何長瑜、筍蕹)らと和唱している中で作られているのであろう。このページ末部に参考として掲載


柏梁冠南山,桂宮燿北泉。
漢の柏梁台とは今のこの国の建業の南山での天子の冠である。桂宮の天子の歓楽の御殿は北泉湖に影を落としている。
柏梁 前116年、漢の武帝が長安の西北に築いた、高さ数十丈の楼台。梁(はり)に香柏を用いたのでこの名がある。冠南山 呉代265年に、南山(現深圳南山区)に塩官が置かれたことから、漢代の塩官も南山に置かれた。桂宮 漢長安城には未央宮、長楽宮、北宮、桂宮があった。・北泉 宮殿の南側にある池湖。
「柏梁詩」 柏梁台は武帝の元封三年(前103年)に作られたもので、台は長安城中北門内にあり、香栢の木をもって梁としたのでこの名があるという。台成るや帝は群臣および地方官を召して、よく七言詩を作るものには上座を与えた。その時、群臣らが一人一句ずつ聯ねたと伝えるのがこの詩である。


晨風拂幨幌,朝日照閨軒。
そこでは早朝に吹く風に庭の幔幕をはらってしまうし、今日もまた朝日が、処女が閨の軒端を照らすのを閨で見るのである。
晨風 早朝に吹く風。あさかぜ。・幨幌【たんこう・ほろ】 とばり、 ほろ、 たちきれる。・閨軒 ねやの軒端。処女の女性が初めての夜を過ごし、夜通し眠れず夜明けを迎える。そのとき上を向いて寝ているので軒端に朝日が差してくるのが強烈に目に刻まれる様子をいう。


美人臥屏席,懷蘭秀瑤璠。
美しい宮女はかこまれた部屋に置いて寝たままであるし、蘭の花のようにすぐれた美しい宝玉のことを思うのである。


皎潔秋松氣,淑德春景暄。
穢れのないものにとって清々しい秋の風か、青松のような節度を持った男なのか、節操のある淑女にとってこの春景色は暖かさを呼んでいることだろう。


相和歌辭︰相和曲
陌上桑. (日出東南隅行)
日出東南隅、照我秦氏樓。
秦氏有好女、自名為羅敷。
羅敷善蠶桑、採桑城南隅。
青絲為籠系、桂枝為籠鉤。
頭上倭墮髻、耳中明月珠。
緗綺為下裙、紫綺為上襦。
行者見羅敷、下擔捋髭須。
少年見羅敷、脫帽著幛頭。
耕者忘其犁、鋤者忘其鋤。
來歸相怨怒、使君從南來。
五馬立踟躕、使君遣吏往。
問此誰家姝、秦氏有好女。
自名為羅敷、羅敷年幾何。
二十尚不足、十五頗有餘。
使君謝羅敷、寧可共載不。
羅敷前致辭、使君一何愚。
使君自有婦、羅夫自有夫。

東方千餘騎、夫婿居上頭。
何用識夫婿、白馬從驪駒。
青絲系馬尾、黃金絡馬頭。
腰中鹿盧劍、可值千萬餘。
十五府小史、二十朝大夫。
三十侍中郎、四十專城居。
為人潔白皙、髯髯頗有須。
盈盈公府步、冉冉府中趨。
坐中數千人、皆言夫婿殊。

東南の隅から出た朝日が、まず、わが秦氏の高殿を照らす。その秦氏の美しい娘がいて自ら羅敷と名乗っている。羅敷は養蚕が上手、城郭の南隅で桑つみをする。そのいでたちは青い糸を籠のひもにし、桂の枝を籠のさげ柄にし、頭の上に垂れ髪のまげをむすび耳には明月の珠をかざり、浅黄色のあやぎぬを裳にし、紫のあやぎぬを上衣としている。
その美しい姿に道行く男は荷物をおろして見とれ、ひげをひねって体裁ぶり、若者は彼の女を見ると帽をぬいて、髻をつつんだ頭をあらわして気どって見せる。田を耕す人は犂を忘れ、畑をすく人は鋤を休めて見とれる。家に帰ってから怨んだり怒ったり、夫婦争いをするのも、じつはただ羅敷を見たことがもとなのだ。
ある日、国の太守が南の方からやって来て羅敷を見とめ、五頭立の馬車もそこに立ちどまって進もうとしない。太守は下役をよこしてたずねる。「これはどこの娘さんか」と。人々が答えた。
「秦家の美しい娘、その名は羅敷と申します」「年はいくつか」「二十にはまだならぬが、十五は大分過ぎています」
太守はそこで羅敷にあいさつし、「どうだ、わしの車で一緒に行くことはできぬか」と。羅敷が進み出て申しあげる。「太守さまはほんとにおばかさんだ。あなたさまにはもともと奥さまがいらっしゃるし、わたしにも夫があります。東地方千余騎の軍隊、わたしの夫はその頭にいます。
夫を何で見わけるかといえば、白い馬に黒の若駒を従え、青糸の紐をしりがいにし、黄金のおもがいをかざり、自分の腰には鹿盧の剣をおびている。その価は千万金余もする名剣。十五の歳に役所の書記だった夫は、二十で朝廷の大夫、三十では侍従職、四十では一城の主となりました。生まれつきのすっきりした色白、ふさふさとしたあごひげ、堂々と役所を歩み、さっさと役所内を急ぎまわる。威風あたりをはらって同坐の人々数千人、みなわたしの夫が目立ってすぐれていると申します」 と。

歳暮 謝霊運(康楽) 詩<67>Ⅱ李白に影響を与えた詩489 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1284

歳暮 謝霊運(康楽) 詩<67>Ⅱ李白に影響を与えた詩489 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1284


歳 暮
殷憂不能寐,苦此夜難頹。
深い憂いのために眠ることができず、この歳暮は苦しみ、夜が長くても頽廃的になり難いのだ。
明月照積雪,朔風勁且哀。
月は明く一面に積もった雪を照らし、冬の北風は強く吹きそして哀しい音を立てている。
運往無淹物,年逝覺已催。
今年も時がめぐり過ぎゆくと、旧のままに久しく留まるものなどなにもなく、年が去り行くことがすでに私をせき立てているようにおもわれる。
(闕文)
(闕文とされていている。)


現代語訳と訳註
(本文)

歳 暮
殷憂不能寐,苦此夜難頹。
明月照積雪,朔風勁且哀。
運往無淹物,年逝覺已催。
(闕文)

(下し文) 歳 暮
殷憂【いんゆう】して寐【い】ぬる能はず、此の夜の頹【くず】し難きに苦【くるし】む。
明月【めいげつ】は積雪を照らし、朔風【さくふう】は勁【つよ】くして且哀し。
運 往【ゆ】いて掩【とど】まる物無く、年 逝【ゆ】いて己に催【もよお】すを覺ゆ。
(闕文)


(現代語訳)
深い憂いのために眠ることができず、この歳暮は苦しみ、夜が長くても頽廃的になり難いのだ。
月は明く一面に積もった雪を照らし、冬の北風は強く吹きそして哀しい音を立てている。
今年も時がめぐり過ぎゆくと、旧のままに久しく留まるものなどなにもなく、年が去り行くことがすでに私をせき立てているようにおもわれる。
(闕文で伝わらない)


(訳注)
歳 暮


殷憂不能寐,苦此夜難頹。
深い憂いのために眠ることができず、この歳暮は苦しみ、夜が長くても頽廃的になり難いのだ。
殷憂 憂愁の甚だしいもの。殷殷は憂えること。以下に基づく。
『詩経、邶風、(出門)』
出自北門、憂心殷殷。
終窭且貧、莫知我艱。
已焉哉。
天実為之,謂之何哉。
私は北門を出る、心中憂鬱で気が重い。貧しくて生活が行き詰っているのに、誰も私の辛さなやみはわからない。でも仕方がない。全ては天がなせるわざだ。どうあがいても変わらない。
・頽 くずす。頽廃的になる。


明月照積雪,朔風勁且哀。
月は明く一面に積もった雪を照らし、冬の北風は強く吹きそして哀しい音を立てている。
朔風 北風。朔は北。・勁 強い。


運往無淹物,年逝覺已催。
今年も時がめぐり過ぎゆくと、旧のままに久しく留まるものなどなにもなく、年が去り行くことがすでに私をせき立てているようにおもわれる。
・掩物 久しく留まるもの。・已催 すでにせき立てている。


謝霊運の年の暮とおなじ世界感を盛唐詩人 高適の有名な七言絶句『除夜作』である。
219 高適 こうせき 702頃~765

 旅の空、一人迎える大みそかの夜。
 詩人を孤独が襲う。


  除夜作 

 旅館寒燈獨不眠,客心何事轉悽然。


 故鄕今夜思千里,霜鬢明朝又一年。



寒々とした旅館のともしびのもと、一人過ごす眠れぬ除夜をすごす。ああ、本当にさみしい。
旅の寂しさは愈々増すばかり・・・・・・・・・・。
今夜は大晦日。
故郷の家族は、遠く旅に出ている私のことを思ってくれているだろう。
夜が明けると白髪頭の置いたこの身に、また一つ歳を重ねるのか・・・・。



 作者 高適は河南省開封市に祀られています。三賢祠と呼ばれるその杜は李白、杜甫、高適の三詩人が共に旅をした場所である。記念して建立されている。
 詩人高適は50歳で初めて詩に志し、たちまち大詩人の名声を得て、1篇を吟ずるごとに好事家の伝えるところとなった。吐蕃との戦いに従事したので辺塞詩も多く残されている。詩風は「高古豪壮」とされる。李林甫に忌まれて蜀に左遷されて?州を通ったときに李白・杜甫と会い、詩の味わいが高まった。
李林甫に捧げた詩も残されており、「好んで天下の治乱を談ずれども、事において切ならず」と評された。『高常侍集』8巻がある。

 
 霜鬢明朝又一年
 ああ、大晦日の夜が過ぎると、また一つ年を取ってしまう。年々頭の白髪も増えていく、白髪の数と同じだけ愁いが増えてゆくのか
 当時、「数え」で歳を計算する、新年を迎えると年を取るのだ。

旅館寒燈獨不眠,客心何事轉悽然。
故鄕今夜思千里,霜鬢明朝又一年。


 旅先で一人過ごす大晦日、故郷にいれば家族そろって団欒し、みんなで酒を酌み交わしていたことだ。

:故鄕 今夜  千里を 思う
自分が千里離れた故郷を偲ぶのではなく、故郷の家族が自分を思ってくれるだろうという中国人の発想の仕方である。中華思想と同じ発想法で、多くの詩人の詩に表れている。
 しかしそれが作者の孤独感を一層引き立て、望郷の念を掻き立てるのだ。

入華子岡是麻源第三谷 謝霊運(康楽) 詩<66-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩488 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1281

入華子岡是麻源第三谷 謝霊運(康楽) 詩<66-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩488 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1281


入華子崗是麻源第三穀
南州實炎德,桂樹淩寒山。
南方の地は暖かで山の桂の木は冬の寒さにもしぼむことなく青さを残している。
銅陵映碧潤,石磴瀉紅泉。
谷をゆけば銅鉱山は碧の谷川に映し、石段の坂には丹沙の中から、紅色の水が流れ出る。
既枉隱淪客,亦棲肥遯賢。
ここにはかって隱淪という世俗から隠れ住む人が来たし、同様に、肥遯の人も棲んだ。
險徑無測度,天路非術阡。
山道は険しくてその高さを測りしることができない、天にのぼる路のようで、それは常なみの道ではない。
遂登羣峯首,邈若升雲煙。
かくて、ついに群山中の最も高い華子崗に登と、はるか雲にのぼった思いがするのである。
(華子崗に入る、是れ麻源の第三谷なり)
南州は実に炎徳【えんとく】あり、桂樹【けいじゅ】は寒山を凌ぐ。
銅陵【どうりょう】は碧潤【へきかん】に映じ、石磴【せきとう】は紅泉【こうせん】を瀉【そそ】ぐ。
既に隱淪【いんりん】の客を枉【ま】げ、亦た肥遯【ひとん】の賢を棲【す】ましむ。
險徑【けんけい】は測度【そくたく】する無く、天路【てんろ】術阡【じゅつせん】に非ず。
遂に群峰【ぐんほう】の首【いただき】に登れば、邈【ばく】として雲煙【うんえん】に升【のぼ】るが若し。

#2
羽人絕髣髴,丹丘徒空筌。
今ここで、仙人、華子期の姿はおぼろげで見えず、ただ丹丘の仙人の住む山にはその跡が残り、魚のいないやなしろと同様であるばかりである。
圖牒複摩滅,碑版誰聞傳?
仙人の地図と系図といえばもはや擦り切れてなくなり、碑や版も誰が聞き伝えているというのか、それはないだろう。
莫辯百世後,安知千載前。
百世代の後の事はわかるものではないし、千年前の事などもどうしてわかろうか。
且申獨往意,乘月弄潺湲。
それで外物に左右されず、一人で行く心を伸ばそうとて、月下にさらさらと流れる水の音を聞いて楽しむのである。
恒充俄頃用,豈為古今然!
かくてしばらくの間、眼前の光景に心を楽しませることを常に思うことであるが、古今にわたる長久の事のために来たわけではないのである。

羽人【うじん】髣髴【ほうふつ】を絕ち,丹丘【たんきゅう】は徒【いたずら】に空筌【くうぜん】となる。
圖牒【とちょう】複た摩滅【まめつ】し,碑版【ひはん】誰か聞き傳えんや?
百世【ひゃくせい】の後を辯ずる莫し,安んぞ千載【せんさい】の前を知らん。
且つ獨往【どくおう】の意を申【の】べ,月に乘じて潺湲【せんかん】を弄【ろう】す。
恒【たうね】に俄頃【がけい】の用に充【あ】つ,豈に古今の然るを為さんや!


つまり、昔、華子期の住んでいた名勝を訪ね、その情景を詠じている。道なき山路を登り、脚下に雲を踏みしめてゆくと、そこにはすでに仙人の遺跡も消え失せてしまっていたと悲しげにいう。そして、私は「豊に古今の馬に 然せんや」という。つまり、昔のことを尊重し、今を否定するような仙人になるためではない、という。
臨川郡にいての霊運の行動について、『朱書』の本伝では、郡に在りて遊放すること永嘉に異ならず。
と簡単に記している。この記事から考えてみると、相変わらず、ストレス解消のため、あちこちの名勝を訪ねて歩くということは少しも変わらなかったらしい。
さて、やがて不幸な一生を送らねはならなかった霊運の残された作品のなかで、その制作年代の不明なものを、次にまとめてみることにしよう。



現代語訳と訳註
(本文)
#2
羽人絕髣髴,丹丘徒空筌。
圖牒複摩滅,碑版誰聞傳?
莫辯百世後,安知千載前。
且申獨往意,乘月弄潺湲。
恒充俄頃用,豈為古今然!


(下し文) #2
羽人【うじん】髣髴【ほうふつ】を絕ち,丹丘【たんきゅう】は徒【いたずら】に空筌【くうぜん】となる。
圖牒【とちょう】複た摩滅【まめつ】し,碑版【ひはん】誰か聞き傳えんや?
百世【ひゃくせい】の後を辯ずる莫し,安んぞ千載【せんさい】の前を知らん。
且つ獨往【どくおう】の意を申【の】べ,月に乘じて潺湲【せんかん】を弄【ろう】す。
恒【たうね】に俄頃【がけい】の用に充【あ】つ,豈に古今の然るを為さんや!


(現代語訳)
今ここで、仙人、華子期の姿はおぼろげで見えず、ただ丹丘の仙人の住む山にはその跡が残り、魚のいないやなしろと同様であるばかりである。
仙人の地図と系図といえばもはや擦り切れてなくなり、碑や版も誰が聞き伝えているというのか、それはないだろう。
百世代の後の事はわかるものではないし、千年前の事などもどうしてわかろうか。
それで外物に左右されず、一人で行く心を伸ばそうとて、月下にさらさらと流れる水の音を聞いて楽しむのである。
かくてしばらくの間、眼前の光景に心を楽しませることを常に思うことであるが、古今にわたる長久の事のために来たわけではないのである。


(訳注) #2
羽人絕髣髴,丹丘徒空筌。
今ここで、仙人、華子期の姿はおぼろげで見えず、ただ丹丘の仙人の住む山にはその跡が残り、魚のいないやなしろと同様であるばかりである。
羽人 仙人。ここは華子期さす。 『楚辞』遠遊に「仍羽人於丹邱兮、留不死之旧郷(飛僊に従って常明のところに行き、神僊のいます不死の郷に留まる)」とある。天台山に隠棲する人をいうに基づく。あるいは、孫綽『遊天台山賦』に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」とある。福を生じるもとの庭。道教では不老を自然に同化するということで死を回避する。自然に帰ることでもある。○髣髴 おぼろげなこと。○丹丘 仙人の住む山。○ やな、魚をとらえる竹製の器。


圖牒複摩滅,碑版誰聞傳?
仙人の地図と系図といえばもはや擦り切れてなくなり、碑や版も誰が聞き伝えているというのか、それはないだろう。
○圖 地図と系図。○碑 金や石に刻きんだ文字。ここでは、囲牒とともに仙家の記録。

莫辯百世後,安知千載前。
百世代の後の事はわかるものではないし、千年前の事などもどうしてわかろうか。
百世後 百世代の後の事。○千載前 千年前の事。


且申獨往意,乘月弄潺湲。
それで外物に左右されず、一人で行く心を伸ばそうとて、月下にさらさらと流れる水のおとをきいて楽しむのである。
獨往 ただ一人で行く。外物に左右されず、一人で行く。『荘子、在宥』「出入六合、遊乎九州、獨往獨來。是謂獨有。」


恒充俄頃用,豈為古今然!
かくてしばらくの間、眼前の光景に心を楽しませることを常に思うことであるが、古今にわたる長久の事のために来たわけではないのである。
○充 当てる、術える。○ やくだてる。

入華子岡是麻源第三谷 謝霊運(康楽) 詩<66-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩487 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1278

入華子岡是麻源第三谷 謝霊運(康楽) 詩<66-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩487 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1278



入華子崗是麻源第三穀五言
南州實炎德,桂樹淩寒山。
南方の地は暖かで山の桂の木は冬の寒さにもしぼむことなく青さを残している。
銅陵映碧潤,石磴瀉紅泉。
谷をゆけば銅鉱山は碧の谷川に映し、石段の坂には丹沙の中から、紅色の水が流れ出る。
既枉隱淪客,亦棲肥遯賢。
ここにはかって隱淪という世俗から隠れ住む人が来たし、同様に、肥遯の人も棲んだ。
險徑無測度,天路非術阡。
山道は険しくてその高さを測りしることができない、天にのぼる路のようで、それは常なみの道ではない。
遂登羣峯首,邈若升雲煙。
かくて、ついに群山中の最も高い華子崗に登と、はるか雲にのぼった思いがするのである。
(華子崗に入る、是れ麻源の第三谷なり)
南州は実に炎徳【えんとく】あり、桂樹【けいじゅ】は寒山を凌ぐ。
銅陵【どうりょう】は碧潤【へきかん】に映じ、石磴【せきとう】は紅泉【こうせん】を瀉【そそ】ぐ。
既に隱淪【いんりん】の客を枉【ま】げ、亦た肥遯【ひとん】の賢を棲【す】ましむ。
險徑【けんけい】は測度【そくたく】する無く、天路【てんろ】術阡【じゅつせん】に非ず。
遂に群峰【ぐんほう】の首【いただき】に登れば、邈【ばく】として雲煙【うんえん】に升【のぼ】るが若し。

#2
羽人絕髣髴,丹丘徒空筌。圖牒複摩滅,碑版誰聞傳?
莫辯百世後,安知千載前。且申獨往意,乘月弄潺湲。
恒充俄頃用,豈為古今然!


臨川に着いた宝達は、型のごとく、下役人の出迎えを受け、何日かは歓迎の宴会が続いたことであろう。役人としてやるべき仕事はあったかもしれぬが、心にはちきれんほどの不満をもっていた霊運は、そのうえ、永嘉の時代のごとく、理想に燃える若さもなくなってい、政治に夢はもてなくなっていた。ただ残っていたのは、相変わらず名勝を訪ねて賞でるということのみであった。おそらく、臨川付近の名勝はあちこち見て歩き、いくつかの詩作はしたであろうが、今は『文選』の巻二十六の「行旅」の部に「華子崗に入る。走れ麻原の第三谷」の詩が残っているのみである。この「華子崗」とは、臨川から撫江をさらに一五キロ以上さかのぼった、今の建昌の南城県にあり、昔、商山の四皓の一人であった用里生の弟子の華子期が住んでいたところといわれる。また、「麻源」とは後世、孫の手の原形の手をもって知られる麻姑仙人がいたところと伝えられる。李白『西嶽雲臺歌送丹邱子』「明星玉女備灑掃、麻姑搔背指爪輕。」にみられる。神仙伝「麻姑」に基づく。


現代語訳と訳註
(本文)
入華子崗是麻源第三穀五言
南州實炎德,桂樹淩寒山。銅陵映碧潤,石磴瀉紅泉。
既枉隱淪客,亦棲肥遯賢。險徑無測度,天路非術阡。
遂登羣峯首,邈若升雲煙。


(下し文)
(華子崗に入る、是れ麻源の第三谷なり)
南州は実に炎徳【えんとく】あり、桂樹【けいじゅ】は寒山を凌ぐ。
銅陵【どうりょう】は碧潤【へきかん】に映じ、石磴【せきとう】は紅泉【こうせん】を瀉【そそ】ぐ。
既に隱淪【いんりん】の客を枉【ま】げ、亦た肥遯【ひとん】の賢を棲【す】ましむ。
險徑【けんけい】は測度【そくたく】する無く、天路【てんろ】術阡【じゅつせん】に非ず。
遂に群峰【ぐんほう】の首【いただき】に登れば、邈【ばく】として雲煙【うんえん】に升【のぼ】るが若し。


(現代語訳)
南方の地は暖かで山の桂の木は冬の寒さにもしぼむことなく青さを残している。
谷をゆけば銅鉱山は碧の谷川に映し、石段の坂には丹沙の中から、紅色の水が流れ出る。
ここにはかって隱淪という世俗から隠れ住む人が来たし、同様に、肥遯の人も棲んだ。
山道は険しくてその高さを測りしることができない、天にのぼる路のようで、それは常なみの道ではない。
かくて、ついに群山中の最も高い華子崗に登と、はるか雲にのぼった思いがするのである。


(訳注)
入華子崗是麻源第三穀五言

文選巻二十六、行旅(上)218謝靈運の山居の図によれば、「商山の四皓のひとりであるところの甪里」の弟子なる華子期がこの山頂にいたと言い伝えられ、それで華子崗という。そこの風景をみて所感をのべたのである。
商山は長安の東南商州にある山の名、漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。


南州實炎德,桂樹淩寒山。
南方の地は暖かで山の桂の木は冬の寒さにもしぼむことなく青さを残している。


銅陵映碧潤,石磴瀉紅泉。
谷をゆけば銅鉱山は碧の谷川に映し、石段の坂には丹沙の中から、紅色の水が流れ出る。
 石の段。○紅泉 丹沙の中から、水が流れ出るので、色は紅。


既枉隱淪客,亦棲肥遯賢。
ここにはかって隱淪という世俗から隠れ住む人が来たし、同様に、肥遯の人も棲んだ。
 曲、まげる。○隱淪 世俗から隠れ住む。○ 止、久しくとどまる。ただし、この詩では、枉げると棲は同意に用いたのであろう。○肥遯 世をのがれかくれるという意味。肥は飛。隱淪と肥遯は、独往の意をふくむ。○ すぐれた人、高士の意味。「客」字も、そのような高士をさす。


險徑無測度,天路非術阡。
山道は険しくてその高さを測りしることができない、天にのぼる路のようで、それは常なみの道ではない。

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<65-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩486 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1275

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<65-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩486 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1275



登臨海嶠、發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。
臨海の高く鋭い山を登るために、疆中を出立するときに作る。この詩はその時従弟の謝蕙連にあたえ、羊璿之、何長瑜、筍蕹らには示したもので四友共にこの詩を唱和したものである。
(臨海嶠に登らんとて、初め彊中を寄せしとき作る。從弟惠連に与え 羊何に見して共に之に和せしむ。)
その1
杪秋臨遠山,山遠行不近。
晩秋になって遠い臨海山を尋ねようとするが、その山への路をすすむにはとても近くはない
與子別山阿,含酸赴脩畛。
君と山の隈までいって別れようということであったが、寂しくなる、悲しみの情をいだきつつ田畑の中の長い路を行った。
中流袂就判,欲去情不忍。
そして中流で君と袂を分かちおえる、たち去ろうとおもうのであるが別れたくない情にたえられない。
顧望脰未悁,汀曲舟已隱。
ふりかえっては君を望み、首すじがまだ疲れず名残りもつきないうちに、早くも君の舟は岸の曲りかどで隠れてしまった。
杪秋に遠山を尋ねんとす、山遠くして行くに近からず。
子と山阿に別れ、酸を含みて脩畛に赴く。
中流にて袂は判に就き、去らんと欲して情忍びず。
顧望して脰は未だ悁れざるに、汀曲に舟は己に隱る。

その2
隱汀絕望舟,驚棹逐驚流。
君の舟は岸の曲りに望むのに絶たれて隠れてしまい、わたしは棹を早めて波たつ流れを追いかけ進む。
欲抑一生歡,并奔千里遊。
これまでどおり君と共に楽しみたい心をおさえ、と同時に君とともに千里の遠きに行きたいのに、それはできないことなのだ。
日落當棲薄,繫纜臨江樓。
日は落ち、暗くなり舟を泊める時になったので、ともづなを臨江樓のほとりにつないだ。
豈惟夕情歛,憶爾共淹留。
夕方の色がおさまり晩になったというばかりでなく、君を憶う心も更に深いので、それらのためにこの江楼に留ったのである。
汀【てい】に隱れて望舟【ぼうしゅう】を絕ち,棹【さお】を驚【は】せて驚流【けいりゅう】を逐う。
一生の歡【かん】を抑んと欲す,并【なら】びに千里の遊に奔らんと。
日落ちて當【まさ】に棲薄【せいはく】すべし,纜【ともずな】を繫ぐ臨江樓。
豈惟だ夕情の歛むらんや,爾【なんじ】を憶いて共に淹留【えんりゅう】す。

その3
淹留昔時歡,復增今日歎。
この楼(臨江樓)にとどまっていると、かつて君と歓び遊んだことを思いだし、するとまた今日の離別の悲しさは更に増してくる。
茲情已分慮,况乃協悲端。
この哀しい情はわたしの思慮をかき乱し分裂する上に、ましてや時あたかも悲しさをそそる秋である。
秋泉鳴北澗,哀猿響南巒。
北の谷川には水の音が鳴り、南の連なった山々には猿の声が哀しげにひびいている。
戚戚新別心,悽悽久念攢。
憂いに満ち満ちた君と別れたばかりの心であり、胸にあつまり迫るのは往時を思う念が悲しくも起こるからである。
掩留【えんりゅう】するに昔時【せきじ】の歓のために、復た今日の歎【たん】を檜す。
茲【こ】の情は己に慮【おもんばかり】を分つ、況んや乃【すなわ】ち悲端【ひたん】に協【かな】えるをや。
秋泉【しゅうせん】は北澗【ほくかん】に鳴り、哀猿【あいえん】は南巒【なんらん】に響く。
戚戚【せきせき】たり新に別るるの心、悽悽【せいせい】として久念【きゅうねん】攢【あつ】まる。

その4
攢念攻別心,旦發清溪陰。
臨江楼にいると思う念があつまり、ここを別離しようとする心を攻めたてられるのである、明朝こそは清溪の南を出発することにしょう。
暝投剡中宿,明登天姥岑。
そして明日の夕刻には剡中にいって宿り、更にその翌朝は剡中の天姥山(臨海嶠)に登ろうと思う。
高高入雲霓,還期那可尋。
そして高い高い雲に分け入ったとしたら、帰りには尋遠山によると約束していたがその時期はいつになるかわからない。
倘遇浮丘公,長絕子徽音。
あるいは、もし、山中で浮丘公のような仙人にあうようなことがあったならは、王子喬がそのまま山にとどまったように永久に君のおたよりを貰えぬことになるだろう。 
攢念【さんねん】は別心を攻め,旦【あした】に清溪【せいけい】の陰を發す。
暝【ゆうべ】に剡中【せんちゅう】の宿に投じ,明【あした】に天姥【てんろう】の岑【みね】に登る。
高高【こうこう】として雲霓【うんけい】に入り,還期【かんき】は那ぞ尋ぬ可きや。
倘【も】し浮丘公【ふきゅうこう】に遇えば,長く子の徽音【きいん】を絕たん。


現代語訳と訳註
(本文) その4
攢念攻別心,旦發清溪陰。暝投剡中宿,明登天姥岑。
高高入雲霓,還期那可尋。倘遇浮丘公,長絕子徽音。


(下し文) その4
攢念【さんねん】は別心を攻め,旦【あした】に清溪【せいけい】の陰を發す。
暝【ゆうべ】に剡中【せんちゅう】の宿に投じ,明【あした】に天姥【てんろう】の岑【みね】に登る。
高高【こうこう】として雲霓【うんけい】に入り,還期【かんき】は那ぞ尋ぬ可きや。
倘【も】し浮丘公【ふきゅうこう】に遇えば,長く子の徽音【きいん】を絕たん。


(現代語訳)(その四)
臨江楼にいると思う念があつまり、ここを別離しようとする心を攻めたてられるのである、明朝こそは清溪の南を出発することにしょう。
そして明日の夕刻には剡中にいって宿り、更にその翌朝は剡中の天姥山(臨海嶠)に登ろうと思う。
そして高い高い雲に分け入ったとしたら、帰りには尋遠山によると約束していたがその時期はいつになるかわからない。
あるいは、もし、山中で浮丘公のような仙人にあうようなことがあったならは、王子喬がそのまま山にとどまったように永久に君のおたよりを貰えぬことになるだろう。 


(訳注) その4
攢念攻別心,旦發清溪陰。
臨江楼にいると思う念があつまり、ここを別離しようとする心を攻めたてられるのである、明朝こそは清溪の南を出発することにしょう。
・攢 あつまる。葬らないで棺に土をかけること。うがつ。


暝投剡中宿,明登天姥岑。
そして明日の夕刻には剡中にいって宿り、更にその翌朝は剡中の天姥山(臨海嶠)に登ろうと思う。
剡中 浙江省嵊県。・天姥 山の名。浙江省新昌県の南部にある、主峰「撥雲尖」は標高817m。『太平寰宇記』(江南道八「越州、剡県」所引)の『後呉録』によれば、この山に登ると天姥(天上の老女)の歌う声が聞こえる、と伝えられる。


高高入雲霓,還期那可尋。
そして高い高い雲に分け入ったとしたら、帰りには尋遠山によると約束していたがその時期はいつになるかわからない。
・還期 帰る時期の約束。その1 
杪秋臨遠山,山遠行不近。
與子別山阿,含酸赴脩畛。
中流袂就判,欲去情不忍
顧望脰未悁,汀曲舟已隱。


倘遇浮丘公,長絕子徽音。
あるいは、もし、山中で浮丘公のような仙人にあうようなことがあったならは、王子喬がそのまま山にとどまったように永久に君のおたよりを貰えぬことになるだろう。 
/・浮斤公 列仙伝に「王子喬は好んで笠を吹く。道人の浮丘公は接して以て嵩山にのぼる」。周の霊王の太子。笙を吹くことを好み、とりわけ鳳凰の鳴き声を出すことが得意だった。王子喬がある時、河南省の伊水と洛水を漫遊した時に、浮丘公という道士に出逢った。王子喬は、その道士について嵩山に登っていった。そこにいること三十余年、浮丘公の指導の下、仙人になった。その後、王子喬は白い鶴に乗って、飛び去った、という『列仙傳』に出てくる故事中の人物。○微音 りっぱななたより。

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<65-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩485 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1272

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<65-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩485 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1272


この詩は、臨海山に登るべく、彊中を出発した時の作。




登臨海嶠、發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。
臨海の高く鋭い山を登るために、疆中を出立するときに作る。この詩はその時従弟の謝蕙連にあたえ、羊璿之、何長瑜、筍蕹らには示したもので四友共にこの詩を唱和したものである。
(臨海嶠に登らんとて、初め彊中を寄せしとき作る。從弟惠連に与え 羊何に見して共に之に和せしむ。)
その1
杪秋臨遠山,山遠行不近。
晩秋になって遠い臨海山を尋ねようとするが、その山への路をすすむにはとても近くはない
與子別山阿,含酸赴脩畛。
君と山の隈までいって別れようということであったが、寂しくなる、悲しみの情をいだきつつ田畑の中の長い路を行った。
中流袂就判,欲去情不忍。
そして中流で君と袂を分かちおえる、たち去ろうとおもうのであるが別れたくない情にたえられない。
顧望脰未悁,汀曲舟已隱。
ふりかえっては君を望み、首すじがまだ疲れず名残りもつきないうちに、早くも君の舟は岸の曲りかどで隠れてしまった。
杪秋に遠山を尋ねんとす、山遠くして行くに近からず。
子と山阿に別れ、酸を含みて脩畛に赴く。
中流にて袂は判に就き、去らんと欲して情忍びず。
顧望して脰は未だ悁れざるに、汀曲に舟は己に隱る。

その2
隱汀絕望舟,驚棹逐驚流。
君の舟は岸の曲りに望むのに絶たれて隠れてしまい、わたしは棹を早めて波たつ流れを追いかけ進む。
欲抑一生歡,并奔千里遊。
これまでどおり君と共に楽しみたい心をおさえ、と同時に君とともに千里の遠きに行きたいのに、それはできないことなのだ。
日落當棲薄,繫纜臨江樓。
日は落ち、暗くなり舟を泊める時になったので、ともづなを臨江樓のほとりにつないだ。
豈惟夕情歛,憶爾共淹留。
夕方の色がおさまり晩になったというばかりでなく、君を憶う心も更に深いので、それらのためにこの江楼に留ったのである。
汀【てい】に隱れて望舟【ぼうしゅう】を絕ち,棹【さお】を驚【は】せて驚流【けいりゅう】を逐う。
一生の歡【かん】を抑んと欲す,并【なら】びに千里の遊に奔らんと。
日落ちて當【まさ】に棲薄【せいはく】すべし,纜【ともずな】を繫ぐ臨江樓。
豈惟だ夕情の歛むらんや,爾【なんじ】を憶いて共に淹留【えんりゅう】す。

その3
淹留昔時歡,復增今日歎。
この楼(臨江樓)にとどまっていると、かつて君と歓び遊んだことを思いだし、するとまた今日の離別の悲しさは更に増してくる。
茲情已分慮,况乃協悲端。
この哀しい情はわたしの思慮をかき乱し分裂する上に、ましてや時あたかも悲しさをそそる秋である。
秋泉鳴北澗,哀猿響南巒。
北の谷川には水の音が鳴り、南の連なった山々には猿の声が哀しげにひびいている。
戚新別心,悽悽久念攢。

憂いに満ち満ちた君と別れたばかりの心であり、胸にあつまり迫るのは往時を思う念が悲しくも起こるからである。
掩留【えんりゅう】するに昔時【せきじ】の歓のために、復た今日の歎【たん】を檜す。
茲【こ】の情は己に慮【おもんばかり】を分つ、況んや乃【すなわ】ち悲端【ひたん】に協【かな】えるをや。
秋泉【しゅうせん】は北澗【ほくかん】に鳴り、哀猿【あいえん】は南巒【なんらん】に響く。
戚戚【せきせき】たり新に別るるの心、悽悽【せいせい】として久念【きゅうねん】攢【あつ】まる。

その4
攢念攻別心,旦發清溪陰。暝投剡中宿,明登天姥岑。
高高入雲霓,還期那可尋。倘遇浮丘公,長絕子徽音。



keikoku00

現代語訳と訳註
(本文)
その3
淹留昔時歡,復增今日歎。茲情已分慮,况乃協悲端。
秋泉鳴北澗,哀猿響南巒。戚戚新別心,悽悽久念攢。


(下し文) その3
掩留【えんりゅう】するに昔時【せきじ】の歓のために、復た今日の歎【たん】を檜す。
茲【こ】の情は己に慮【おもんばかり】を分つ、況んや乃【すなわ】ち悲端【ひたん】に協【かな】えるをや。
秋泉【しゅうせん】は北澗【ほくかん】に鳴り、哀猿【あいえん】は南巒【なんらん】に響く。
戚戚【せきせき】たり新に別るるの心、悽悽【せいせい】として久念【きゅうねん】攢【あつ】まる。


(現代語訳)
この楼(臨江樓)にとどまっていると、かつて君と歓び遊んだことを思いだし、するとまた今日の離別の悲しさは更に増してくる。
この哀しい情はわたしの思慮をかき乱し分裂する上に、ましてや時あたかも悲しさをそそる秋である。
北の谷川には水の音が鳴り、南の連なった山々には猿の声が哀しげにひびいている。
憂いに満ち満ちた君と別れたばかりの心であり、胸にあつまり迫るのは往時を思う念が悲しくも起こるからである。


(訳注) その3
淹留昔時歡,復增今日歎。
この楼(臨江樓)にとどまっていると、かつて君と歓び遊んだことを思いだし、するとまた今日の離別の悲しさは更に増してくる。

 
茲情已分慮,况乃協悲端。
この哀しい情はわたしの思慮をかき乱し分裂する上に、ましてや時あたかも悲しさをそそる秋である。
悲端 哀しい心ばえ。秋のこと。宋玉『楚辞、九辯』に、「悲しいかな秋の気たるや」。


秋泉鳴北澗,哀猿響南巒。
北の谷川には水の音が鳴り、南の連なった山々には猿の声が哀しげにひびいている。
 山の形の長く狭いもの。連なった山々。


戚戚新別心,悽悽久念攢。
憂いに満ち満ちた君と別れたばかりの心であり、胸にあつまり迫るのは往時を思う念が悲しくも起こるからである。
新別 あらたに別れる。今しがた別れたばかりの、の意味。○久念 旧畔のおもい。

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<65-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩484 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1269

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<65-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩484 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1269


この詩は、臨海山に登るべく、彊中を出発した時の作。


登臨海嶠、發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。
臨海の高く鋭い山を登るために、疆中を出立するときに作る。この詩はその時従弟の謝蕙連にあたえ、羊璿之、何長瑜、筍蕹らには示したもので四友共にこの詩を唱和したものである。
(臨海嶠に登らんとて、初め彊中を寄せしとき作る。從弟惠連に与え 羊何に見して共に之に和せしむ。)
その1
杪秋臨遠山,山遠行不近。
晩秋になって遠い臨海山を尋ねようとするが、その山への路をすすむにはとても近くはない
與子別山阿,含酸赴脩畛。
君と山の隈までいって別れようということであったが、寂しくなる、悲しみの情をいだきつつ田畑の中の長い路を行った。
中流袂就判,欲去情不忍。
そして中流で君と袂を分かちおえる、たち去ろうとおもうのであるが別れたくない情にたえられない。
顧望脰未悁,汀曲舟已隱。

ふりかえっては君を望み、首すじがまだ疲れず名残りもつきないうちに、早くも君の舟は岸の曲りかどで隠れてしまった。
杪秋に遠山を尋ねんとす、山遠くして行くに近からず。
子と山阿に別れ、酸を含みて脩畛に赴く。
中流にて袂は判に就き、去らんと欲して情忍びず。
顧望して脰は未だ悁れざるに、汀曲に舟は己に隱る。
その2
隱汀絕望舟,驚棹逐驚流。
君の舟は岸の曲りに望むのに絶たれて隠れてしまい、わたしは棹を早めて波たつ流れを追いかけ進む。
欲抑一生歡,并奔千里遊。
これまでどおり君と共に楽しみたい心をおさえ、と同時に君とともに千里の遠きに行きたいのに、それはできないことなのだ。
日落當棲薄,繫纜臨江樓。
日は落ち、暗くなり舟を泊める時になったので、ともづなを臨江樓のほとりにつないだ。
豈惟夕情歛,憶爾共淹留。

夕方の色がおさまり晩になったというばかりでなく、君を憶う心も更に深いので、それらのためにこの江楼に留ったのである。
汀【てい】に隱れて望舟【ぼうしゅう】を絕ち,棹【さお】を驚【は】せて驚流【けいりゅう】を逐う。
一生の歡【かん】を抑んと欲す,并【なら】びに千里の遊に奔らんと。
日落ちて當【まさ】に棲薄【せいはく】すべし,纜【ともずな】を繫ぐ臨江樓。
豈惟だ夕情の歛むらんや,爾【なんじ】を憶いて共に淹留【えんりゅう】す。
a謝霊運永嘉ルート02

その3
淹留昔時歡,復增今日歎。茲情已分慮,况乃協悲端。
秋泉鳴北澗,哀猿響南巒。戚戚新別心,悽悽久念攢。
その4
攢念攻別心,旦發清溪陰。暝投剡中宿,明登天姥岑。
高高入雲霓,還期那可尋。倘遇浮丘公,長絕子徽音。



現代語訳と訳註
(本文) その2

隱汀絕望舟,驚棹逐驚流。
欲抑一生歡,并奔千里遊。
日落當棲薄,繫纜臨江樓。
豈惟夕情歛,憶爾共淹留。


(下し文)
汀【てい】に隱れて望舟【ぼうしゅう】を絕ち,棹【さお】を驚【は】せて驚流【けいりゅう】を逐う。
一生の歡【かん】を抑んと欲す,并【なら】びに千里の遊に奔らんと。
日落ちて當【まさ】に棲薄【せいはく】すべし,纜【ともずな】を繫ぐ臨江樓。
豈惟だ夕情の歛むらんや,爾【なんじ】を憶いて共に淹留【えんりゅう】す。


(現代語訳) (その二)
君の舟は岸の曲りに望むのに絶たれて隠れてしまい、わたしは棹を早めて波たつ流れを追いかけ進む。
これまでどおり君と共に楽しみたい心をおさえ、と同時に君とともに千里の遠きに行きたいのに、それはできないことなのだ。
日は落ち、暗くなり舟を泊める時になったので、ともづなを臨江樓のほとりにつないだ。
夕方の色がおさまり晩になったというばかりでなく、君を憶う心も更に深いので、それらのためにこの江楼に留ったのである。


(訳注) #2
隱汀絕望舟,驚棹逐驚流。
君の舟は岸の曲りに望むのに絶たれて隠れてしまい、わたしは棹を早めて波たつ流れを追いかけ進む。


欲抑一生歡,并奔千里遊。
これまでどおり君と共に楽しみたい心をおさえ、と同時に君とともに千里の遠きに行きたいのに、それはできないことなのだ。
一生之歓 列子に、公孫朝の言「一生の歓を尽くし、当年の楽しみを窮めんと欲す」。謝悪運は、それと反対である。「抑歡」は遠く別れることに、「奔遊」は、離別の悲しさが増すことにかかる。


日落當棲薄,繫纜臨江樓。
日は落ち、暗くなり舟を泊める時になったので、ともづなを臨江樓のほとりにつないだ。
棲薄 二字とも、とまる、泊。


豈惟夕情歛,憶爾共淹留。
夕方の色がおさまり晩になったというばかりでなく、君を憶う心も更に深いので、それらのためにこの江楼に留ったのである。
 おさまる。収斂。やむ。○共沌留 「夕情斂」と「憶爾」のふたつのことにとどまる。

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<66-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩475 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1242

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<66-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩475 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1242
  文選447
この詩は、臨海山に登るべく、彊中を出発した時の作。


登臨海嶠、發疆中作、與從弟惠連、可見羊何共和之。

臨海の高く鋭い山を登るために、疆中を出立するときに作る。この詩はその時従弟の謝蕙連にあたえ、羊璿之、何長瑜、筍蕹らには示したもので四友共にこの詩を唱和したものである。
その1

杪秋臨遠山,山遠行不近。
晩秋になって遠い臨海山を尋ねようとするが、その山への路をすすむにはとても近くはない
與子別山阿,含酸赴脩畛。
君と山の隈までいって別れようということであったが、寂しくなる、悲しみの情をいだきつつ田畑の中の長い路を行った。
中流袂就判,欲去情不忍。
そして中流で君と袂を分かちおえる、たち去ろうとおもうのであるが別れたくない情にたえられない。
顧望脰未悁,汀曲舟已隱。

ふりかえっては君を望み、首すじがまだ疲れず名残りもつきないうちに、早くも君の舟は岸の曲りかどで隠れてしまった。

keikoku00

その2
隱汀絕望舟,驚棹逐驚流。欲抑一生歡,并奔千里遊。
日落當棲薄,繫纜臨江樓。豈惟夕情歛,憶爾共淹留。
その3
淹留昔時歡,復增今日歎。茲情已分慮,况乃協悲端。
秋泉鳴北澗,哀猿響南巒。戚戚新別心,悽悽久念攢。
その4
攢念攻別心,旦發清溪陰。暝投剡中宿,明登天姥岑。
高高入雲霓,還期那可尋。倘遇浮丘公,長絕子徽音。

宮島(5)

現代語訳と訳註
(本文)

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。
杪秋臨遠山,山遠行不近。
與子別山阿,含酸赴脩畛。
中流袂就判,欲去情不忍。
顧望脰未悁,汀曲舟已隱。

(下し文)
(臨海嶠に登らんとて、初め彊中を寄せしとき作る。從弟惠連に与え 羊何に見して共に之に和せしむ。)
杪秋に遠山を尋ねんとす、山遠くして行くに近からず。
子と山阿に別れ、酸を含みて脩畛に赴く。
中流にて袂は判に就き、去らんと欲して情忍びず。
顧望して脰は未だ悁れざるに、汀曲に舟は己に隱る。


(現代語訳)
臨海の高く鋭い山を登るために、疆中を出立するときに作る。この詩はその時従弟の謝蕙連にあたえ、羊璿之、何長瑜、筍蕹らには示したもので四友共にこの詩を唱和したものである。
晩秋になって遠い臨海山を尋ねようとするが、その山への路をすすむにはとても近くはない
君と山の隈までいって別れようということであったが、寂しくなる、悲しみの情をいだきつつ田畑の中の長い路を行った。
そして中流で君と袂を分かちおえる、たち去ろうとおもうのであるが別れたくない情にたえられない。
ふりかえっては君を望み、首すじがまだ疲れず名残りもつきないうちに、早くも君の舟は岸の曲りかどで隠れてしまった。


(訳注)
登臨海嶠、發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。
臨海の高く鋭い山を登るために、疆中を出立するときに作る。この詩はその時従弟の謝蕙連にあたえ、羊璿之、何長瑜、筍蕹らには示したもので四友共にこの詩を唱和したものである。
臨海嶠 臨海の高く鋭い山・嶠 高く鋭い山。・疆中 ・羊何
四友沈約の宋書の謝霊伝には「謝霊運は東に帰ってから、謝恵連や、東海の何長瑜、頴川の筍蕹、太山の羊璿之と文章をもって会し、共に山沢の遊びをなした。時人は、これを四友といった」ことが見える。又これらのことを詠ったものに李白『翰林讀書言懷呈集賢諸學士』がある。
翰林讀書言懷呈集賢諸學士
晨趨紫禁中。 夕待金門詔。
觀書散遺帙。 探古窮至妙。
片言苟會心。 掩卷忽而笑。
青蠅易相點。 白雪難同調。
本是疏散人。 屢貽褊促誚。
云天屬清朗。 林壑憶游眺。
或時清風來。 閑倚檐下嘯。
嚴光桐廬溪。 謝客臨海嶠。
功成謝人間。 從此一投釣。

林讀書言懷呈集賢諸學士 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白176 と玄宗(8


孟浩然『將適天臺、留別臨安李主簿』孟浩然が、天台山へ向かう途上、浙江の臨安県で知人に別れた留別の詩である。孟浩然は謝霊運『登臨海嶠、初發疆中作』とほぼ同じルートで天台山へ向かっている。これは、謝霊運の詩に基づき詩作したものである。
將適天臺,留別臨安李主簿
枳棘君尚棲,匏瓜吾豈系。
念離當夏首,漂泊指炎裔。
江海非墮游,田園失歸計。
定山既早發,漁浦亦宵濟。
泛泛隨波瀾,行行任艫枻。
故林日已遠,群木坐成翳。
羽人在丹丘,吾亦從此逝。孟浩然の官界への深い失望感が表され、天台山はイメージとしてうたっているので、具体性、動的な観察表現は全くない。ゆったりと波にまかせて進んだ先にあること、木陰をなす川筋の先にあることなど、天台山への道のりが、快適な自然の中にあること、すべてがイメージだけのものである。

盛唐詩 將適天臺,留別臨安李主簿 孟浩然26 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -333


杪秋臨遠山,山遠行不近。
晩秋になって遠い臨海山を尋ねようとするが、その山への路をすすむにはとても近くはない。
杪秋 晩秋。杪:木の梢。木の末端部をいうことから、杪秋、杪冬とつかう。

與子別山阿,含酸赴脩畛。
君と山の隈までいって別れようということであったが、寂しくなる、悲しみの情をいだきつつ田畑の中の長い路を行った。
脩畛 五臣江本にしたがって「珍」を「瞼」とした。田畑の中の長い道。


中流袂就判,欲去情不忍。
そして中流で君と袂を分かちおえる、たち去ろうとおもうのであるが別れたくない情にたえられない。
就判 就:つく、おえる。判:別れる、離れる。

顧望脰未悁,汀曲舟已隱。
ふりかえっては君を望み、首すじがまだ疲れず名残りもつきないうちに、早くも君の舟は岸の曲りかどで隠れてしまった。
:くびすじ、うなじ。:腹を立てる。なやむ。あせる。名残の思い。

還至梁城作 顔延之(延年) 詩<12-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩482 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1263

還至梁城作 顔延之(延年) 詩<12-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩482 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1263


還至梁城作
眇默軌路長,憔悴征戍勤。
私の帰り道はなかなで遠く長くなっている、洛陽にへの旅にでて職務に邁進しているためと憂苦のために顔色がくろくやつれている。
昔邁先徂師,今來後歸軍。
かつて北伐にゆく行軍に従い、その先となって洛陽におもむいたのだが、今は帰りの軍の後についてもどることになる。
振策睠東路,傾側不及群。
鞭を振りあげて東のかた帰路を視つつ、前に倒れるくらい道を急ぐけれども、軍に追いつくことができないのだ。
息徒顧將夕,極望梁陳分。
従者のものたちを休息させ、見まわすに、時はすでにタ方近くになっている、はるか遠くを望むと梁と陳との分れ目の国境線のあたりが見える。
故國多喬木,空城凝寒雲。」
旧国であるこの梁城には高い大木が茂っているが、さびれ果てた城郭には寒そうな雲がたちこめている。
(還【かえ】りて梁城に至る作)
眇默【びょうもく】として軌路【きろ】は長く,憔悴【しょうすい】して征戍【せいじゅ】に勤【つと】む。
昔 邁きしとき徂師【そし】に先だち,今 來たるとき歸軍【きぐん】に後【おく】る。
策【むち】を振【あ】げて東路【とうろ】を睠【かえり】み,傾側【けいそく】すれども群に及ばず。
徒【と】を息【いこ】えて顧みるに將に夕べにならんとし,望を極むれば 梁陳【ちん・りょう】 分る。
故國【ここく】には喬木【きょうぼく】多く,空城には寒雲【かんうん】凝【こ】る。
#2
丘壟填郛郭,銘志滅無文。
旧都の城壁の外には墳墓が多くある、その墓の銘や誌は磨滅して、文宇は読めない。
木石扃幽闥,黍苗延高墳。
木や石は散乱して墓の門をふさぎ、黍の苗が高い墳塚の上に生い茂るという荒れ方である。
惟彼雍門子,吁嗟孟嘗君。
昔雍門于が孟賞君に言ったことを思いだして嘆かわしくなる。
愚賤同堙滅,尊貴誰獨聞?
まことに尊貴の人といえども、愚賤のものと同じょうに、亡びて跡かたもなくなるのであり、尊貴だけが亡びずして称せられることなど、何とてあり得ないことなのだ。
曷為久遊客?憂念坐自殷。」

それにつけても、わたしはどうしてこのように、久しく他郷に在ることか、憂い心がおのずから深まるのである。
#2
丘壟【きゅうろう】は郛郭【ふかく】に填【み】ち,銘志【めいし】は無文【むもん】に滅【きえ】る。
木石【ぼくせい】は幽闥【ゆうたつ】を扃【とざ】し,黍苗【しょびょう】は高墳【こうふん】に延【の】ぶ。
惟【おも】う彼の雍門子【ようもんし】,吁嗟 孟嘗君【もうしょうくん】。
愚賤【ぐせん】と同じく堙滅【いんめつ】す,尊貴【そんき】とて誰か獨り聞こえん?
曷【なん】為【す】れぞ久遊【きゅうゆう】の客か?憂念【ゆうねん】坐ろに自ら殷んなり。


現代語訳と訳註
(本文) #2

丘壟填郛郭,銘志滅無文。
木石扃幽闥,黍苗延高墳。
惟彼雍門子,吁嗟孟嘗君。
愚賤同堙滅,尊貴誰獨聞?
曷為久遊客?憂念坐自殷。」


(下し文)#2
丘壟【きゅうろう】は郛郭【ふかく】に填【み】ち,銘志【めいし】は無文【むもん】に滅【きえ】る。
木石【ぼくせい】は幽闥【ゆうたつ】を扃【とざ】し,黍苗【しょびょう】は高墳【こうふん】に延【の】ぶ。
惟【おも】う彼の雍門子【ようもんし】,吁嗟 孟嘗君【もうしょうくん】。
愚賤【ぐせん】と同じく堙滅【いんめつ】す,尊貴【そんき】とて誰か獨り聞こえん?
曷【なん】為【す】れぞ久遊【きゅうゆう】の客か?憂念【ゆうねん】坐ろに自ら殷んなり。


(現代語訳) #2
旧都の城壁の外には墳墓が多くある、その墓の銘や誌は磨滅して、文宇は読めない。
木や石は散乱して墓の門をふさぎ、黍の苗が高い墳塚の上に生い茂るという荒れ方である。
昔雍門于が孟賞君に言ったことを思いだして嘆かわしくなる。
まことに尊貴の人といえども、愚賤のものと同じょうに、亡びて跡かたもなくなるのであり、尊貴だけが亡びずして称せられることなど、何とてあり得ないことなのだ。
それにつけても、わたしはどうしてこのように、久しく他郷に在ることか、憂い心がおのずから深まるのである。


(訳注) #2
丘壟填郛郭,銘志滅無文。
旧都の城壁の外には墳墓が多くある、その墓の銘や誌は磨滅して、文宇は読めない。
丘壟 おか。墓地をさす。○郛郭 外ぐるわ。城壁。○銘・誌 死者の生前の功徳などを石碑に刻した文章。


木石扃幽闥,黍苗延高墳。
木や石は散乱して墓の門をふさぎ、黍の苗が高い墳塚の上に生い茂るという荒れ方である。
木石 もと墓を造った時に用いた材料。○ とず。戸じまりのための横木。かんぬき。○幽闘 奥深く見える門。○ ここは、茎、幹(匹)の意。○ 延びている。満ち茂ること。


惟彼雍門子,吁嗟孟嘗君。
昔雍門于が孟賞君に言ったことを思いだして嘆かわしくなる。
雍門子 桓子新論に「雍門周は孟嘗君に見えて曰く、臣はひそかに悲しむ、干秋万歳の後には墳墓に荊辣の生じ、行人これを見て『孟嘗君の尊貴なるも、乃ち是の如きか』と日はんことを、と」。
桓子新論曰:雍門周見孟嘗君曰:臣竊悲千秋萬歲後,墳墓生荊棘,行人見之曰:孟嘗君尊貴乃如是乎!毛詩曰:吁嗟女兮。封禪書曰:堙滅而不稱。列子曰:伏羲以來,三十餘萬歲,賢愚好醜,無不消滅。


愚賤同堙滅,尊貴誰獨聞?
まことに尊貴の人といえども、愚賤のものと同じょうに、亡びて跡かたもなくなるのであり、尊貴だけが亡びずして称せられることなど、何とてあり得ないことなのだ。


曷為久遊客?憂念坐自殷。」
それにつけても、わたしはどうしてこのように、久しく他郷に在ることか、憂い心がおのずから深まるのである。

還至梁城作 顔延之(延年) 詩<12-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩481 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1260

還至梁城作 顔延之(延年) 詩<12-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩481 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1260


現代語訳と訳註
(本文) 文選 220
還至梁城作
眇默軌路長,憔悴征戍勤。
昔邁先徂師,今來後歸軍。
振策睠東路,傾側不及群。
息徒顧將夕,極望梁陳分。
故國多喬木,空城凝寒雲。」
私の帰り道はなかなで遠く長くなっている、洛陽にへの旅にでて職務に邁進しているためと憂苦のために顔色がくろくやつれている。
かつて北伐にゆく行軍に従い、その先となって洛陽におもむいたのだが、今は帰りの軍の後についてもどることになる。
鞭を振りあげて東のかた帰路を視つつ、前に倒れるくらい道を急ぐけれども、軍に追いつくことができないのだ。
従者のものたちを休息させ、見まわすに、時はすでにタ方近くになっている、はるか遠くを望むと梁と陳との分れ目の国境線のあたりが見える。
旧国であるこの梁城には高い大木が茂っているが、さびれ果てた城郭には寒そうな雲がたちこめている。
#2
丘壟填郛郭,銘志滅無文。
木石扃幽闥,黍苗延高墳。
惟彼雍門子,吁嗟孟嘗君。
愚賤同堙滅,尊貴誰獨聞?
曷為久遊客?憂念坐自殷。」

(下し文)
(還【かえ】りて梁城に至る作)
眇默【びょうもく】として軌路【きろ】は長く,憔悴【しょうすい】して征戍【せいじゅ】に勤【つと】む。
昔 邁きしとき徂師【そし】に先だち,今 來たるとき歸軍【きぐん】に後【おく】る。
策【むち】を振【あ】げて東路【とうろ】を睠【かえり】み,傾側【けいそく】すれども群に及ばず。
徒【と】を息【いこ】えて顧みるに將に夕べにならんとし,望を極むれば 梁陳【ちん・りょう】 分る。
故國【ここく】には喬木【きょうぼく】多く,空城には寒雲【かんうん】凝【こ】る。
#2
丘壟【きゅうろう】は郛郭【ふかく】に填【み】ち,銘志【めいし】は無文【むもん】に滅【きえ】る。
木石【ぼくせい】は幽闥【ゆうたつ】を扃【とざ】し,黍苗【しょびょう】は高墳【こうふん】に延【の】ぶ。
惟【おも】う彼の雍門子【ようもんし】,吁嗟 孟嘗君【もうしょうくん】。
愚賤【ぐせん】と同じく堙滅【いんめつ】す,尊貴【そんき】とて誰か獨り聞こえん?
曷【なん】為【す】れぞ久遊【きゅうゆう】の客か?憂念【ゆうねん】坐ろに自ら殷んなり。


(現代語訳)
私の帰り道はなかなで遠く長くなっている、洛陽にへの旅にでて職務に邁進しているためと憂苦のために顔色がくろくやつれている。
かつて北伐にゆく行軍に従い、その先となって洛陽におもむいたのだが、今は帰りの軍の後についてもどることになる。
鞭を振りあげて東のかた帰路を視つつ、前に倒れるくらい道を急ぐけれども、軍に追いつくことができないのだ。
従者のものたちを休息させ、見まわすに、時はすでにタ方近くになっている、はるか遠くを望むと梁と陳との分れ目の国境線のあたりが見える。
旧国であるこの梁城には高い大木が茂っているが、さびれ果てた城郭には寒そうな雲がたちこめている。


(訳注)
還至梁城作   顔延年(延之)
文選 行旅 下220
洛陽に使いし、それから帰る途中、梁国の都に着いた時の作。
■ 梁国 河南・安徽・山東省の交界部。
 秦の碭郡。 8県、38.7千戸、106.7千人(A2年)/ 9県、83.3千戸、431.3千人(140年)
 治所は碭(安徽省宿州市碭山)。  ・睢陽・蒙(河南省商丘市区) ・虞(商丘市虞城) ・已氏(山東省渮沢市曹県)

眇默軌路長,憔悴征戍勤。
私の帰り道はなかなで遠く長くなっている、洛陽にへの旅にでて職務に邁進しているためと憂苦のために顔色がくろくやつれている。
○眇默 遠く、ひっそりしたこと。『楚辭、九章』「石巒に登って遠く望めば,路は眇眇として默默たり。」(登石巒兮遠望,路眇眇兮默默。)○軌路 車で帰るから、軌といった。○憔悴 憂苦のために顔色がくろくやつれる。『楚辭、漁夫』「屈原既放,游於江潭,行吟澤畔,顏色憔悴,形容枯槁。」(屈原既に放れて,江潭に於游び,行々く澤畔に吟ず,顏色憔悴し,形容枯槁す。)○征戌 行き守る。洛陽に使いしたことをさす。左氏傳「勤戍五年。」

昔邁先徂師,今來後歸軍。
かつて北伐にゆく行軍に従い、その先となって洛陽におもむいたのだが、今は帰りの軍の後についてもどることになる。

振策睠東路,傾側不及群。
鞭を振りあげて東のかた帰路を視つつ、前に倒れるくらい道を急ぐけれども、軍に追いつくことができないのだ。
○傾側 ここは、からだが、前に傾き倒れる意。楚辭「肩傾側而不容兮,固陿腹而不得息。」


息徒顧將夕,極望梁陳分。
従者のものたちを休息させ、見まわすに、時はすでにタ方近くになっている、はるか遠くを望むと梁と陳との分れ目の国境線のあたりが見える。
○徒 徒侶、なかま。ここは従者。

故國多喬木,空城凝寒雲。」
旧国であるこの梁城には高い大木が茂っているが、さびれ果てた城郭には寒そうな雲がたちこめている。
○故國の句 ・故国 梁国。孟子の梁恵王篇に「觀喬木,知舊都」(いはゆる故国とは、喬木有るの謂にあらず)とみえるから、「旧国には大木があるものだ」との考え方もあったということ。○空城 梁城をさす。なむしきさまは、次の諸句にのべてある

秋胡詩 (9) 顔延之(延年) 詩<11>Ⅱ李白に影響を与えた詩480 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1257

秋胡詩 (9) 顔延之(延年) 詩<11>Ⅱ李白に影響を与えた詩480 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1257



魯国の秋胡子の妾なる潔婦についてのべた。
列女伝

魯秋潔婦. 潔婦者,魯秋胡子妻也。既納之五日,去而宦於陳,五年乃歸。未至家,見路旁婦人採桑,秋胡子悅之,下車謂曰:若曝採桑,吾行道,願託桑蔭下,下齎休焉。婦人採桑不輟,秋胡子謂曰:力田不如逢豐年,力桑不如見國卿。吾有金,願以與夫人。婦人曰:『採桑力作,紡績織紝以供衣食,奉二親養。夫子已矣,不願人之金。秋胡遂去。歸至家,奉金遺母,使人呼其婦。婦至,乃嚮採桑者也,秋胡子慚。婦曰:子束髮脩身,辭親往仕,五年乃還,當所悅馳驟,揚塵疾至。今也乃悅路傍婦人,下子之糧,以金予之,是忘母也。忘母不孝,好色淫泆,是污行也,污行不義。夫事親不孝, 則事君不忠。處家不義,則治官不理。孝義並亡,必不遂矣。妾不忍見,子改娶矣,妾亦不嫁。遂去而東走,投河而死。
(下し文)

秋胡子は、潔婦を納れ、五日にして、去りて陳に宦す。五年にして帰る。末だ其の家に至らざるとき、路傍に美しき婦人の方に桑を採るもの有るを見る。秋胡子は車より下り、謂うげて日く、いま吾に金あり、願はくは以て夫人に与へんと。婦人日く、嘻、妾は桑を採りて二親に奉ず。人の金を願わずと。秋湖子遂に去り、帰って家に至り金を奉じて其の母に遣る。その母、人をして其の婦を呼ばしむ。婦至る、乃ち向に桑を採りしものなり。秋湖は之を見て慙(は)づ。婦人日く、髪を束ね身む修め、親を辞し往いて仕ふ。五年にして乃ち還るを得たり。まさに親戚を見るべきなるに、今や乃ち路傍の婦人を悦びて、子の装を下し、金を以て之に与へんとす。これ母を忘るるの不孝なり。妾は不孝の人を見るに忍びずと。遂に去りて走り、自ら河に投じて裾す」(列女伝 秋胡子)
(大意)

魯の潔婦は秋胡子の妻である。新婚五日、秋湖は単身陳に赴任した。五年後に帰宅の道で、桑摘む美女を見て金を贈ろうとした。美人は拒絶したので、帰って母に贈った。妻を見ると、さきの採桑の美女であった。妻は五年振りの帰省に、道端の女を悦んで、母を忘れる不孝な人にはまみえないといって、遂に河に投死した。(西京雑記もほぼ同じ)とある。

顔延年はこの説話を詠んだ詩。


秋胡詩 顔延之(延年)
(1)
椅梧傾高鳳,寒谷待鳴律。
空高く飛ぶ鳳凰の方へと桐の木は枝を傾けて止りに来るのを待っている、寒くつめたい谷は鄒衍が律菅を吹き鳴らしてくれるのを待っている。
影響豈不懷?自遠每相匹。
それと同じく男女の場合も、形に影が従い声に琴が応ずるごとく、互いに思いあうもので、遠くはなれたところにいても、どこにいても夫婦であるのが常である。
婉彼幽閑女,作嫔君子室。
うるわしき彼のしとやかな女「潔婦」は、徳のある人の家、秋胡の家にとついで妻となった。
峻節貫秋霜,明豔侔朝日。
高くすぐれた、厳しい節操のあるかの女は秋霜を貫き凌ぐほどのものであり、辺りを照らすそのあでやかさは朝日の光が輝くようなのと同じである。
嘉運既我從,欣願自此畢。
良い運の巡り合わせは自分に従いついている。すでに嫁にした上は、これからによろこばしい願いが満足に遂げられることと妻はおもったのだ。
椅梧【いご】は高鳳【こうほう】に傾き、寒谷【かんこく】は鳴律【めいりつ】を待つ。
影響豈懐はざらんや、遠きより毎に相匹【ひつ】す。
婉たる彼の幽閑【ゆうかん】の女、君子の室に嫔【ひん】と作【な】る。
峻節【しゅんせつ】は秋霜を貫き、明豔【めいえん】は朝日に博し。
嘉運【かうん】は既に我に從へり、欣願【きんがん】比より垂らん。
(2)
燕居未及好,良人顧有違。
夫婦が和らいで暮らし、また仲睦まじくなるまでになっていないのに、夫はそれとは違って遠くへ別れることになった。
脫巾千裏外,結绶登王畿。
平民の頭巾を脱いで官僚の冠をつけ、千里の彼方に仕官して、官印の綬を腰に結んで王の治められる都、陳である「王畿」に上るのであった。
戒徒在昧旦,左右來相依。
しもべの者を戒めて朝まだきに出発の準備を整える。そうして、左右の従者も夫の傍に来て寄り添う。
驅車出郊郭,行路正威遲。
やがて車を駆って城外の野に出ると、行く路はまさに遙か先までうねうねと続いている。
存爲久離別,沒爲長不歸。
これから後、生存しても久しい別離となり、死ねば永遠に帰ってこられない、哀しいことである。
燕居【えんきょ】未だ好するに及ばざる,良人顧って違【さ】る有り。
巾【きん】を千裏の外に脫して,綬を結んで王畿【おうき】に登る。
徒を戒しむること昧旦【まいたん】に在り,左右來って相依る。
車を驅りて郊郭【こうかく】を出で,行路正に威遲【いち】たり。
存して久しき離別を爲し,沒して長き不歸を爲さん。
(3)  
嗟余怨行役,三陟窮晨暮。
ああわれ秋胡は役目のための旅を悲しみながら、詩経の巻耳や陟岵の篇にしばしは険阻な山路をのぼると歌ってある、ように、朝から夜おそくまで旅を続ける。
嚴駕越風寒,解鞍犯霜露。
車を厳重に整えて、風の寒い山を越え、鞍を解き馬を休めて、霜露を蒙って野宿する。
原隰多悲涼,回飙卷高樹。
低い湿地の草原には悲しみやさびしさがみちて、つむじ風は高い木を吹き巻いている。
離獸起荒蹊,驚鳥縱橫去。
群れを離れたけものが草深い小道に飛び出し、物に驚いた鳥が散乱して去って行く。
悲哉遊宦子,勞此山川路。

悲しいことだ、役目のために他国に旅する私は、この山川の路に苦労しているのである。
嗟【ああ】余【われ】は行役【こうえき】を怨む,三び陟【のぼ】りて晨暮【しんぼ】を窮む。
駕【が】を嚴【いま】しめて風寒【ふうかん】を越え,鞍【くら】を解いて霜露【そうろ】を犯す。
原隰【げんしゅう】に悲涼【ひりょう】多く,回飙【かいひょう】は高樹【こうじゅ】を卷く。
離獸【りじゅう】は荒蹊【こうけい】に起り,驚鳥【きょうちょう】は縦横に去る。
悲しい哉、遊宦【ゆうかん】の子、此の山川【さんせん】の路に勞【つか】る。

(4)  
超遙行人遠,宛轉年運徂。
はるかにも旅ゆく人、夫、秋湖は遠ざかり、めぐりめぐって年はうつりゆく。
良時爲此別,日月方向除。
あの新婚の良い時に別れてから月日はちょうど年が改たまろうとしている。
孰知寒暑積,僶俛見榮枯!
誰も知らないうちに、寒いときがあり、暑さがやってきて歳を重ねている、それはつとめて速かに花を咲かせ、そして枯れてゆくのを見るのである。
歲暮臨空房,涼風起坐隅。
こうして月日が過ぎ、はからずも年の暮れに夫のいないさびしい部屋に入って見る、寒い風が坐席のかたわらから吹きおこる。(そばには夫の温か味があったのに)
寢興日已寒,白露生庭蕪。
寝て起ききて日一日と日を重ね、としをかさねて、もう既に寒い季節になっている、私の操である白露の玉は庭の真ん中で輝くほどであったがしげみの陰に置くころとなった。
超遙【ちょうよう】として行人【こうじん】は遠く,宛轉【えんてん】年運は徂【ゆ】く。
良時【りょうじ】此の別れを爲せしとき,日月は方【まさ】に除に向【なん】なんとす。
孰【たれ】か知らん寒暑【かんしょ】の積りて,僶俛【びんべん】榮枯【えいこ】を見るを!
歲暮に空房【くうぼう】に臨むに,涼風【りょうふう】坐隅【ざぐう】に起る。
寢興【しんこう】日ごとに已に寒く,白露は庭蕪【ていぶ】生ず。
(5)  
勤役從歸願,反路遵山河。
役所勤めのうちにも帰省の願いが聞き入れられ、帰り道は山や河に沿って帰って行く。
昔辭秋未素,今也歲載華。
昔、いとま乞いをしたときは秋もまだ深くない落葉のない時期であったが、今は歳も新たに春の花が咲いている。
蠶月觀時暇,桑野多經過。
春の蚕を飼う月にちょうどよい休暇をもらったのだ、帰り道は先々さかりの桑畑を通った。
佳人從所務,窈窕援高柯。
そこには美しい女が務めの桑摘みをしていた、見目麗しい様子で高い枝をひきよせて桑の葉を摘んでいた。
傾城誰不顧,弭節停中阿。
世にもまれなその美人は一たび顧みれば人の城を傾けるといわれる魅力あるその美貌を、誰が振り向かないということがあるだろうか。秋湖も車の速度をとめて路の曲がり角に立ちどまって見とれてしまったのである。
勤役【きんえき】歸願【きがん】に從い,反路【はんろ】山河に遵【したが】う。
昔 辭せしとき秋未だ素ならず,今や歲は載【すなわ】ち華【はな】さく。
蠶月【さんげつ】時暇【じか】を觀,桑野【そうや】經過すること多し。
佳人【かじん】は務むる所に從う,窈窕【ようちょう】として高柯【こうか】を援【ひ】く。
傾城【けいじょう】誰か顧みざらん,節を弭【おさ】えて中阿【ちゅうあ】に停【とど】まる。
(6)  
年往誠思勞,事遠闊音形。
年はすぎ往き、誠意や思慕の心は疲れてしまい維持しなかった、それに路は遠く隔たって声も姿も久しく見聞きしていない。
雖爲五載別,相與昧平生。
五年もの別れをしていたのだけれども、お互いに平生の様子をなにもわからなかったものだ。
舍車遵往路,凫藻馳目成。
秋湖は車をおりて今来た道にしたがって戻った、秋湖は鴨が水草を得て喜んで踊り進むようにして、桑畑に美人に目くばせして「今夜の情交」の約束をしようとした。
南金豈不重?聊自意所輕。
秋湖が贈ろうとした南国産の金はどうして重い値打ちがないであろうか、しかし、秋湖の妻はとにかく自分の心でそれを軽いつまらないものと思ったのである。
義心多苦調,密比金玉聲。
彼女は貞節を重しとするためにお金を拒んだのである。その節義の心は秋湖にとって多くの苦い響きの言葉で語られたが、その声は全く金玉の美しく清い音にも似ていていた。
年往きて誠に思は勞するも、事遠くして音形は闊【とお】し。
五載の別を爲すと雖も、相與に平生に昧し。
車を捨てて往路に遵【したが】ひ、凫藻【ふそう】して目成【もくせい】を馳す。
南金壹重からざらんや。聊【いささか】か自ら意に握んずる所なり。
義心に苦調【くちょう】多し。密に金玉【きんぎょく】の聲に比す。

(第七首)
高節難久淹,朅來空複辭。
高くすぐれた操をまもる婦人のもとに久しく留まることは難しいことである、秋湖は行きつもどりつしながらもむなしくまた別れをつげて去ったのだ。
遲遲前途盡,依依造門基。
秋湖の足どりは遅れがちながらも行く道を尽くしてしまう、後に心を引かれながらも家の門の土台に行き着いた。
上堂拜嘉慶,入室問何之。
秋胡は奥座敷に上がって母に拝して健康を歓び祝った、夫婦の奥室に入って、妻がどこに行ったのかを問う。
日暮行采歸,物色桑榆時。
母は答えた、妻女は夕暮れ頃には帰って來るでしょう。それはいろんな物の色がわからなくなる、桑や楡の木立に日の入る黄昏時になるころでしょう。
美人望昏至,慚歎前相持。
美人は日の黄昏を望みながら家に到着する、さきに夫と途中で相応酬して、夫の心の不義なのを知ったことをはじめて恥じ入り、そして嘆くのである。
(高節【こうせつ】には久しくは淹【とどま】り難く、朅來【けつらい】して空しく複た辭す。
遲遲【ちち】として前途【ぜんと】盡【つ】き,依依【いい】として門基【もんき】に造【いた】る。
堂に上りて嘉慶【かけい】を拜し、室に入りて問う何に之けると。
日暮【にっぽ】には行【ゆくゆ】く采り歸らん,物色【ぶっしょく】桑榆【そうゆ】の時にと。
美人は昏【ゆうべ】を望みて至り,慚【は】じ歎【なげ】く前に相い持【じ】せしを。

(第八首)
有懷誰能已?聊用申苦難。
心に思うことがあるのを苦難であっても誰がやめることができよう。それ故、妻は少しばかり苦しい胸の内を述べてみる。
離居殊年載,一別阻河關。
あの日別れてから離れて住んで年は移りゆく、一たび別れてのちは黄河の関所を隔て消息も絶えてしまった。
春來無時豫,秋至恒早寒。
私は春が来でも時節のたのしみもなく、秋になるといつも早く寒くなるであろう夫の赴任地の事を思った。
明發動愁心,閨中起長歎。
そして夜通し明け方まで憂い、心配し眠れない時を過ごし、夜は初夜を引きずって、ねやで立ち上がり長いためいぎをついていたものだった。
慘淒歲方晏,日落遊子顔。
心がいたみ悲しみの中でこの年も暮れてゆくのでした。夫の貴君が夕日の落ちる時にはますます旅人のやつれ顔をしておられる姿を思っていたのです。
懐ふこと有れば誰か能く已【や】まん、聯【いささ】か用て苦難を申【の】べん。
離居【りきょ】して年載【ねんさい】を殊【こと】にし、一別して河關【かかん】に阻【へだ】てらる。
春末るも時に豫【たの】しむこと無く、秋至れば恒に早く寒かるべし。
明發【めいはつ】まて愁心を動かし、閨中【けいちゅう】に起って長歎【ちょうたん】す。
慘淒【さんせい】す歳【とし】方【まさ】に晏【く】るるときには、日は落つらん遊子【ゆうし】の顔にと。
(9)  
高張生絕弦,聲急由調起。
琴瑟も高い調子に張ると絶ち切れる絃が生じるように、みさおを高く立て通すためには命を絶つこともある。音声のきびしく悲しいのは曲のしらべが高まるように恨みか深いから、言葉も痛切になるのです。
自昔枉光塵,結言固終始。
昔、貴君がわざわざ来られて私を妻に迎えられてから、終始、固く変わるまいと失婦の約束をしたのです。
如何久爲別,百行諐諸己。
しかしこのように、久しく別れているうちに、あなたはすべての行勤に貴君自身が徳義を破ったのをどうしからよいというのですか。
君子失明義,誰與偕沒齒!
孔子家語「淫乱は男女より生ず。男女、別なければ、夫婦、義か失う。」といわれる通り、貴君が、明らかた道義にそむくことをされるなら、誰がともに一生を終えることができようか。
愧彼行露詩,甘之長川汜。

とても一緒に暮らせるものではありません。『詩経、召南』石露篇に貞節の婚人には無礼を加えることができないことを歌っているが、私はその詩に恥じると思うのです。それゆえ甘んじて大川の岸に行って身を投げて死のうと思うのです。
高張【こうちょう】は絕弦【ぜつげん】を生じ,聲の急なるは調の起るに由る。
昔 光塵【こうじん】を枉げて自より,言を結びて終始を固くす。
如何ぞ久しく別を爲し,百行諸れ己に諐【あやま】るや。
君子 明義【めいぎ】を失す,誰と與【とも】にか偕【とも】に齒【よわい】を沒せむ!
彼の「行露詩」に愧ず,甘んじて長川【ちょうせん】の汜【ほとり】に之【ゆ】かん。


現代語訳と訳註
(本文) (9) 
 
高張生絕弦,聲急由調起。
自昔枉光塵,結言固終始。
如何久爲別,百行諐諸己。
君子失明義,誰與偕沒齒!
愧彼行露詩,甘之長川汜。


(下し文)
高張【こうちょう】は絕弦【ぜつげん】を生じ,聲の急なるは調の起るに由る。
昔 光塵【こうじん】を枉げて自より,言を結びて終始を固くす。
如何ぞ久しく別を爲し,百行諸れ己に諐【あやま】るや。
君子 明義【めいぎ】を失す,誰と與【とも】にか偕【とも】に齒【よわい】を沒せむ!
彼の「行露詩」に愧ず,甘んじて長川【ちょうせん】の汜【ほとり】に之【ゆ】かん。


(現代語訳) (第九首)
琴瑟も高い調子に張ると絶ち切れる絃が生じるように、みさおを高く立て通すためには命を絶つこともある。音声のきびしく悲しいのは曲のしらべが高まるように恨みか深いから、言葉も痛切になるのです。
昔、貴君がわざわざ来られて私を妻に迎えられてから、終始、固く変わるまいと失婦の約束をしたのです。
しかしこのように、久しく別れているうちに、あなたはすべての行勤に貴君自身が徳義を破ったのをどうしからよいというのですか。
孔子家語「淫乱は男女より生ず。男女、別なければ、夫婦、義か失う。」といわれる通り、貴君が、明らかた道義にそむくことをされるなら、誰がともに一生を終えることができようか。
とても一緒に暮らせるものではありません。『詩経、召南』石露篇に貞節の婚人には無礼を加えることができないことを歌っているが、私はその詩に恥じると思うのです。それゆえ甘んじて大川の岸に行って身を投げて死のうと思うのです。


 (訳注)
高張生絕弦,聲急由調起。

琴瑟も高い調子に張ると絶ち切れる絃が生じるように、みさおを高く立て通すためには命を絶つこともある。音声のきびしく悲しいのは曲のしらべが高まるように恨みか深いから、言葉も痛切になるのです。
高張生紬絃 生は致す意。節操を立てるため、命を致す(自殺)を期することにたとえた。 琴の絃を声高く張れば絶ち切れる絃も生じる。みさお強く立て通せば生命か絶つこともある。筋を通すには命を懸けるの喩え。○声急由調趙 恨みか深いのて、辞も痛切になることにたとえた。
声急由調起 音声のぜまって悲しげなことは曲調が高まるのによる。妻の苦言は恨みの深いためであるという意味を、音曲の理にたとえた。この「秋湖詩」は歌い語りの詩であるから、両句は音曲上のことでいう。 


自昔枉光塵,結言固終始。
昔、貴君がわざわざ来られて私を妻に迎えられてから、終始、固く変わるまいと失婦の約束をしたのです。
枉光塵 わざわざお迎えを頂いて婚礼をした。光塵は人の車の迹に起こる塵の美称。光は輝く意味で美称。光塵 秋胡の光と塵をさす。○結言 佩び帯を結んで約束をする。楚辞、離騒「吾令豐隆乘雲兮,求虙妃之所在解佩纕以結言兮」佩纕を解いて以て言を結ぶ。」


如何久爲別,百行諐諸己。
しかしこのように、久しく別れているうちに、あなたはすべての行勤に貴君自身が徳義を破ったのをどうしからよいというのですか。
百行 あらゆる行ない。○諐諸己 あやまつ、失。秋湖自身徳義を破ったことをいう。


君子失明義,誰與偕沒齒!
孔子家語「淫乱は男女より生ず。男女、別なければ、夫婦、義か失う。」といわれる通り、貴君が、明らかた道義にそむくことをされるなら、誰がともに一生を終えることができようか。
 ○失明義 孔子家語「淫乱は男女より生ず。男女、別なければ、夫婦、義か失ふ。」


愧彼行露詩,甘之長川汜。
とても一緒に暮らせるものではありません。『詩経、召南』石露篇に貞節の婚人には無礼を加えることができないことを歌っているが、私はその詩に恥じると思うのです。それゆえ甘んじて大川の岸に行って身を投げて死のうと思うのです。
傀彼行露詩 愧とは、はずかしく思うこと。「貞女は、霜露を犯して礼に違ふことをせず、而るに我は生を貪りて義を棄つるをなさば、彼の貞女に劣る。故に愧づることあり」という注がある。
 『詩経、召南』石露篇に「厭浥行露、豈不夙夜、謂行多露。」(厭浥たる行の露、豈夙夜せざらんや、謂ふ行に露の多しと。)詩の序に「彊暴の男も、貞女 を侵凌すること能ばず」という。○甘 満足して。みずから願って。○ 爾雅に、「決れて復た河に入る水」というのは、再び本流に合流する所の支流のこと。ここは「水涯」(入水自殺)をいう。○長川汜 大川の岸。汜は岸。


高張【こうちょう】は絕弦【ぜつげん】を生じ,聲の急なるは調の起るに由る。
昔 光塵【こうじん】を枉げて自より,言を結びて終始を固くす。
如何ぞ久しく別を爲し,百行諸れ己に諐【あやま】るや。
君子 明義【めいぎ】を失す,誰と與【とも】にか偕【とも】に齒【よわい】を沒せむ!
彼の「行露詩」に愧ず,甘んじて長川【ちょうせん】の汜【ほとり】に之【ゆ】かん。

秋胡詩 (8) 顔延之(延年) 詩<10>Ⅱ李白に影響を与えた詩479 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1254

秋胡詩 (8) 顔延之(延年) 詩<10>Ⅱ李白に影響を与えた詩479 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1254


秋胡詩 顔延之(延年)
(1)
椅梧傾高鳳,寒谷待鳴律。
空高く飛ぶ鳳凰の方へと桐の木は枝を傾けて止りに来るのを待っている、寒くつめたい谷は鄒衍が律菅を吹き鳴らしてくれるのを待っている。
影響豈不懷?自遠每相匹。
それと同じく男女の場合も、形に影が従い声に琴が応ずるごとく、互いに思いあうもので、遠くはなれたところにいても、どこにいても夫婦であるのが常である。
婉彼幽閑女,作嫔君子室。
うるわしき彼のしとやかな女「潔婦」は、徳のある人の家、秋胡の家にとついで妻となった。
峻節貫秋霜,明豔侔朝日。
高くすぐれた、厳しい節操のあるかの女は秋霜を貫き凌ぐほどのものであり、辺りを照らすそのあでやかさは朝日の光が輝くようなのと同じである。
嘉運既我從,欣願自此畢。
良い運の巡り合わせは自分に従いついている。すでに嫁にした上は、これからによろこばしい願いが満足に遂げられることと妻はおもったのだ。
椅梧【いご】は高鳳【こうほう】に傾き、寒谷【かんこく】は鳴律【めいりつ】を待つ。
影響豈懐はざらんや、遠きより毎に相匹【ひつ】す。
婉たる彼の幽閑【ゆうかん】の女、君子の室に嫔【ひん】と作【な】る。
峻節【しゅんせつ】は秋霜を貫き、明豔【めいえん】は朝日に博し。
嘉運【かうん】は既に我に從へり、欣願【きんがん】比より垂らん。
(2)
燕居未及好,良人顧有違。
夫婦が和らいで暮らし、また仲睦まじくなるまでになっていないのに、夫はそれとは違って遠くへ別れることになった。
脫巾千裏外,結绶登王畿。
平民の頭巾を脱いで官僚の冠をつけ、千里の彼方に仕官して、官印の綬を腰に結んで王の治められる都、陳である「王畿」に上るのであった。
戒徒在昧旦,左右來相依。
しもべの者を戒めて朝まだきに出発の準備を整える。そうして、左右の従者も夫の傍に来て寄り添う。
驅車出郊郭,行路正威遲。
やがて車を駆って城外の野に出ると、行く路はまさに遙か先までうねうねと続いている。
存爲久離別,沒爲長不歸。
これから後、生存しても久しい別離となり、死ねば永遠に帰ってこられない、哀しいことである。
燕居【えんきょ】未だ好するに及ばざる,良人顧って違【さ】る有り。
巾【きん】を千裏の外に脫して,綬を結んで王畿【おうき】に登る。
徒を戒しむること昧旦【まいたん】に在り,左右來って相依る。
車を驅りて郊郭【こうかく】を出で,行路正に威遲【いち】たり。
存して久しき離別を爲し,沒して長き不歸を爲さん。
(3)  
嗟余怨行役,三陟窮晨暮。
ああわれ秋胡は役目のための旅を悲しみながら、詩経の巻耳や陟岵の篇にしばしは険阻な山路をのぼると歌ってある、ように、朝から夜おそくまで旅を続ける。
嚴駕越風寒,解鞍犯霜露。
車を厳重に整えて、風の寒い山を越え、鞍を解き馬を休めて、霜露を蒙って野宿する。
原隰多悲涼,回飙卷高樹。
低い湿地の草原には悲しみやさびしさがみちて、つむじ風は高い木を吹き巻いている。
離獸起荒蹊,驚鳥縱橫去。
群れを離れたけものが草深い小道に飛び出し、物に驚いた鳥が散乱して去って行く。
悲哉遊宦子,勞此山川路。

悲しいことだ、役目のために他国に旅する私は、この山川の路に苦労しているのである。
嗟【ああ】余【われ】は行役【こうえき】を怨む,三び陟【のぼ】りて晨暮【しんぼ】を窮む。
駕【が】を嚴【いま】しめて風寒【ふうかん】を越え,鞍【くら】を解いて霜露【そうろ】を犯す。
原隰【げんしゅう】に悲涼【ひりょう】多く,回飙【かいひょう】は高樹【こうじゅ】を卷く。
離獸【りじゅう】は荒蹊【こうけい】に起り,驚鳥【きょうちょう】は縦横に去る。
悲しい哉、遊宦【ゆうかん】の子、此の山川【さんせん】の路に勞【つか】る。

(4)  
超遙行人遠,宛轉年運徂。
はるかにも旅ゆく人、夫、秋湖は遠ざかり、めぐりめぐって年はうつりゆく。
良時爲此別,日月方向除。
あの新婚の良い時に別れてから月日はちょうど年が改たまろうとしている。
孰知寒暑積,僶俛見榮枯!
誰も知らないうちに、寒いときがあり、暑さがやってきて歳を重ねている、それはつとめて速かに花を咲かせ、そして枯れてゆくのを見るのである。
歲暮臨空房,涼風起坐隅。
こうして月日が過ぎ、はからずも年の暮れに夫のいないさびしい部屋に入って見る、寒い風が坐席のかたわらから吹きおこる。(そばには夫の温か味があったのに)
寢興日已寒,白露生庭蕪。
寝て起ききて日一日と日を重ね、としをかさねて、もう既に寒い季節になっている、私の操である白露の玉は庭の真ん中で輝くほどであったがしげみの陰に置くころとなった。
超遙【ちょうよう】として行人【こうじん】は遠く,宛轉【えんてん】年運は徂【ゆ】く。
良時【りょうじ】此の別れを爲せしとき,日月は方【まさ】に除に向【なん】なんとす。
孰【たれ】か知らん寒暑【かんしょ】の積りて,僶俛【びんべん】榮枯【えいこ】を見るを!
歲暮に空房【くうぼう】に臨むに,涼風【りょうふう】坐隅【ざぐう】に起る。
寢興【しんこう】日ごとに已に寒く,白露は庭蕪【ていぶ】生ず。
(5)  
勤役從歸願,反路遵山河。
役所勤めのうちにも帰省の願いが聞き入れられ、帰り道は山や河に沿って帰って行く。
昔辭秋未素,今也歲載華。
昔、いとま乞いをしたときは秋もまだ深くない落葉のない時期であったが、今は歳も新たに春の花が咲いている。
蠶月觀時暇,桑野多經過。
春の蚕を飼う月にちょうどよい休暇をもらったのだ、帰り道は先々さかりの桑畑を通った。
佳人從所務,窈窕援高柯。
そこには美しい女が務めの桑摘みをしていた、見目麗しい様子で高い枝をひきよせて桑の葉を摘んでいた。
傾城誰不顧,弭節停中阿。
世にもまれなその美人は一たび顧みれば人の城を傾けるといわれる魅力あるその美貌を、誰が振り向かないということがあるだろうか。秋湖も車の速度をとめて路の曲がり角に立ちどまって見とれてしまったのである。
勤役【きんえき】歸願【きがん】に從い,反路【はんろ】山河に遵【したが】う。
昔 辭せしとき秋未だ素ならず,今や歲は載【すなわ】ち華【はな】さく。
蠶月【さんげつ】時暇【じか】を觀,桑野【そうや】經過すること多し。
佳人【かじん】は務むる所に從う,窈窕【ようちょう】として高柯【こうか】を援【ひ】く。
傾城【けいじょう】誰か顧みざらん,節を弭【おさ】えて中阿【ちゅうあ】に停【とど】まる。
(6)  
年往誠思勞,事遠闊音形。
年はすぎ往き、誠意や思慕の心は疲れてしまい維持しなかった、それに路は遠く隔たって声も姿も久しく見聞きしていない。
雖爲五載別,相與昧平生。
五年もの別れをしていたのだけれども、お互いに平生の様子をなにもわからなかったものだ。
舍車遵往路,凫藻馳目成。
秋湖は車をおりて今来た道にしたがって戻った、秋湖は鴨が水草を得て喜んで踊り進むようにして、桑畑に美人に目くばせして「今夜の情交」の約束をしようとした。
南金豈不重?聊自意所輕。
秋湖が贈ろうとした南国産の金はどうして重い値打ちがないであろうか、しかし、秋湖の妻はとにかく自分の心でそれを軽いつまらないものと思ったのである。
義心多苦調,密比金玉聲。
彼女は貞節を重しとするためにお金を拒んだのである。その節義の心は秋湖にとって多くの苦い響きの言葉で語られたが、その声は全く金玉の美しく清い音にも似ていていた。
年往きて誠に思は勞するも、事遠くして音形は闊【とお】し。
五載の別を爲すと雖も、相與に平生に昧し。
車を捨てて往路に遵【したが】ひ、凫藻【ふそう】して目成【もくせい】を馳す。
南金壹重からざらんや。聊【いささか】か自ら意に握んずる所なり。
義心に苦調【くちょう】多し。密に金玉【きんぎょく】の聲に比す。

(第七首)
高節難久淹,朅來空複辭。
高くすぐれた操をまもる婦人のもとに久しく留まることは難しいことである、秋湖は行きつもどりつしながらもむなしくまた別れをつげて去ったのだ。
遲遲前途盡,依依造門基。
秋湖の足どりは遅れがちながらも行く道を尽くしてしまう、後に心を引かれながらも家の門の土台に行き着いた。
上堂拜嘉慶,入室問何之。
秋胡は奥座敷に上がって母に拝して健康を歓び祝った、夫婦の奥室に入って、妻がどこに行ったのかを問う。
日暮行采歸,物色桑榆時。
母は答えた、妻女は夕暮れ頃には帰って來るでしょう。それはいろんな物の色がわからなくなる、桑や楡の木立に日の入る黄昏時になるころでしょう。
美人望昏至,慚歎前相持。
美人は日の黄昏を望みながら家に到着する、さきに夫と途中で相応酬して、夫の心の不義なのを知ったことをはじめて恥じ入り、そして嘆くのである。
(高節【こうせつ】には久しくは淹【とどま】り難く、朅來【けつらい】して空しく複た辭す。
遲遲【ちち】として前途【ぜんと】盡【つ】き,依依【いい】として門基【もんき】に造【いた】る。
堂に上りて嘉慶【かけい】を拜し、室に入りて問う何に之けると。
日暮【にっぽ】には行【ゆくゆ】く采り歸らん,物色【ぶっしょく】桑榆【そうゆ】の時にと。
美人は昏【ゆうべ】を望みて至り,慚【は】じ歎【なげ】く前に相い持【じ】せしを。

(第八首)
有懷誰能已?聊用申苦難。
心に思うことがあるのを苦難であっても誰がやめることができよう。それ故、妻は少しばかり苦しい胸の内を述べてみる。
離居殊年載,一別阻河關。
あの日別れてから離れて住んで年は移りゆく、一たび別れてのちは黄河の関所を隔て消息も絶えてしまった。
春來無時豫,秋至恒早寒。
私は春が来でも時節のたのしみもなく、秋になるといつも早く寒くなるであろう夫の赴任地の事を思った。
明發動愁心,閨中起長歎。
そして夜通し明け方まで憂い、心配し眠れない時を過ごし、夜は初夜を引きずって、ねやで立ち上がり長いためいぎをついていたものだった。
慘淒歲方晏,日落遊子顔。

心がいたみ悲しみの中でこの年も暮れてゆくのでした。夫の貴君が夕日の落ちる時にはますます旅人のやつれ顔をしておられる姿を思っていたのです。
懐ふこと有れば誰か能く已【や】まん、聯【いささ】か用て苦難を申【の】べん。
離居【りきょ】して年載【ねんさい】を殊【こと】にし、一別して河關【かかん】に阻【へだ】てらる。
春末るも時に豫【たの】しむこと無く、秋至れば恒に早く寒かるべし。
明發【めいはつ】まて愁心を動かし、閨中【けいちゅう】に起って長歎【ちょうたん】す。
慘淒【さんせい】す歳【とし】方【まさ】に晏【く】るるときには、日は落つらん遊子【ゆうし】の顔にと。
 (9)  
高張生絕弦,聲急由調起。自昔枉光塵,結言固終始。
如何久爲別,百行諐諸己。君子失明義,誰與偕沒齒!
愧彼《行露》詩⑿,甘之長川汜⒀。[1]



現代語訳と訳註
(本文) (8)
  

有懷誰能已?聊用申苦難。
離居殊年載, 一別阻河關。
春來無時豫, 秋至恒早寒。
明發動愁心, 閨中起長歎。
慘淒歲方晏, 日落遊子顔。


(下し文)
懐ふこと有れば誰か能く已【や】まん、聯【いささ】か用て苦難を申【の】べん。
離居【りきょ】して年載【ねんさい】を殊【こと】にし、一別して河關【かかん】に阻【へだ】てらる。
春末るも時に豫【たの】しむこと無く、秋至れば恒に早く寒かるべし。
明發【めいはつ】まて愁心を動かし、閨中【けいちゅう】に起って長歎【ちょうたん】す。
慘淒【さんせい】す歳【とし】方【まさ】に晏【く】るるときには、日は落つらん遊子【ゆうし】の顔にと。


(現代語訳) (第八首)
心に思うことがあるのを苦難であっても誰がやめることができよう。それ故、妻は少しばかり苦しい胸の内を述べてみる。
あの日別れてから離れて住んで年は移りゆく、一たび別れてのちは黄河の関所を隔て消息も絶えてしまった。
私は春が来でも時節のたのしみもなく、秋になるといつも早く寒くなるであろう夫の赴任地の事を思った。
そして夜通し明け方まで憂い、心配し眠れない時を過ごし、夜は初夜を引きずって、ねやで立ち上がり長いためいぎをついていたものだった。
心がいたみ悲しみの中でこの年も暮れてゆくのでした。夫の貴君が夕日の落ちる時にはますます旅人のやつれ顔をしておられる姿を思っていたのです。


 (訳注)
有懷誰能已?聊用申苦難。

心に思うことがあるのを苦難であっても誰がやめることができよう。それ故、妻は少しばかり苦しい胸の内を述べてみる。


離居殊年載,一別阻河關。
あの日別れてから離れて住んで年は移りゆく、一たび別れてのちは黄河の関所を隔て消息も絶えてしまった。
殊年載 年が変わる。 ・阻河関 黄河の関所を隔て行くこともできない。


春來無時豫,秋至恒早寒。
私は春が来でも時節のたのしみもなく、秋になるといつも早く寒くなるであろう夫の赴任地の事を思った。
無時豫 時節に楽しむこともない。豫は逸楽。 


明發動愁心,閨中起長歎。
そして夜通し明け方まで憂い、心配し眠れない時を過ごし、夜は初夜を引きずって、ねやで立ち上がり長いためいぎをついていたものだった。
明発 早朝、夜が明けて光が発する時。夜は初夜を引きずっているということ。 
 

慘淒歲方晏,日落遊子顔。
心がいたみ悲しみの中でこの年も暮れてゆくのでした。夫の貴君が夕日の落ちる時にはますます旅人のやつれ顔をしておられる姿を思っていたのです。
慘淒 心がいたみ悲しむ。 ・ 暮れる。 ・遊子顔 夫の旅にやっれた顔を思い浮かべる。

秋胡詩 (7) 顔延之(延年) 詩<9>Ⅱ李白に影響を与えた詩478 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1251

秋胡詩 (7) 顔延之(延年) 詩<9>Ⅱ李白に影響を与えた詩478 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1251


秋胡詩 顔延之(延年)
(1)
椅梧傾高鳳,寒谷待鳴律。
空高く飛ぶ鳳凰の方へと桐の木は枝を傾けて止りに来るのを待っている、寒くつめたい谷は鄒衍が律菅を吹き鳴らしてくれるのを待っている。
影響豈不懷?自遠每相匹。
それと同じく男女の場合も、形に影が従い声に琴が応ずるごとく、互いに思いあうもので、遠くはなれたところにいても、どこにいても夫婦であるのが常である。
婉彼幽閑女,作嫔君子室。
うるわしき彼のしとやかな女「潔婦」は、徳のある人の家、秋胡の家にとついで妻となった。
峻節貫秋霜,明豔侔朝日。
高くすぐれた、厳しい節操のあるかの女は秋霜を貫き凌ぐほどのものであり、辺りを照らすそのあでやかさは朝日の光が輝くようなのと同じである。
嘉運既我從,欣願自此畢。
良い運の巡り合わせは自分に従いついている。すでに嫁にした上は、これからによろこばしい願いが満足に遂げられることと妻はおもったのだ。
椅梧【いご】は高鳳【こうほう】に傾き、寒谷【かんこく】は鳴律【めいりつ】を待つ。
影響豈懐はざらんや、遠きより毎に相匹【ひつ】す。
婉たる彼の幽閑【ゆうかん】の女、君子の室に嫔【ひん】と作【な】る。
峻節【しゅんせつ】は秋霜を貫き、明豔【めいえん】は朝日に博し。
嘉運【かうん】は既に我に從へり、欣願【きんがん】比より垂らん。
(2)
燕居未及好,良人顧有違。
夫婦が和らいで暮らし、また仲睦まじくなるまでになっていないのに、夫はそれとは違って遠くへ別れることになった。
脫巾千裏外,結绶登王畿。
平民の頭巾を脱いで官僚の冠をつけ、千里の彼方に仕官して、官印の綬を腰に結んで王の治められる都、陳である「王畿」に上るのであった。
戒徒在昧旦,左右來相依。
しもべの者を戒めて朝まだきに出発の準備を整える。そうして、左右の従者も夫の傍に来て寄り添う。
驅車出郊郭,行路正威遲。
やがて車を駆って城外の野に出ると、行く路はまさに遙か先までうねうねと続いている。
存爲久離別,沒爲長不歸。
これから後、生存しても久しい別離となり、死ねば永遠に帰ってこられない、哀しいことである。
燕居【えんきょ】未だ好するに及ばざる,良人顧って違【さ】る有り。
巾【きん】を千裏の外に脫して,綬を結んで王畿【おうき】に登る。
徒を戒しむること昧旦【まいたん】に在り,左右來って相依る。
車を驅りて郊郭【こうかく】を出で,行路正に威遲【いち】たり。
存して久しき離別を爲し,沒して長き不歸を爲さん。
(3)  
嗟余怨行役,三陟窮晨暮。
ああわれ秋胡は役目のための旅を悲しみながら、詩経の巻耳や陟岵の篇にしばしは険阻な山路をのぼると歌ってある、ように、朝から夜おそくまで旅を続ける。
嚴駕越風寒,解鞍犯霜露。
車を厳重に整えて、風の寒い山を越え、鞍を解き馬を休めて、霜露を蒙って野宿する。
原隰多悲涼,回飙卷高樹。
低い湿地の草原には悲しみやさびしさがみちて、つむじ風は高い木を吹き巻いている。
離獸起荒蹊,驚鳥縱橫去。
群れを離れたけものが草深い小道に飛び出し、物に驚いた鳥が散乱して去って行く。
悲哉遊宦子,勞此山川路。

悲しいことだ、役目のために他国に旅する私は、この山川の路に苦労しているのである。
嗟【ああ】余【われ】は行役【こうえき】を怨む,三び陟【のぼ】りて晨暮【しんぼ】を窮む。
駕【が】を嚴【いま】しめて風寒【ふうかん】を越え,鞍【くら】を解いて霜露【そうろ】を犯す。
原隰【げんしゅう】に悲涼【ひりょう】多く,回飙【かいひょう】は高樹【こうじゅ】を卷く。
離獸【りじゅう】は荒蹊【こうけい】に起り,驚鳥【きょうちょう】は縦横に去る。
悲しい哉、遊宦【ゆうかん】の子、此の山川【さんせん】の路に勞【つか】る。

(4)  
超遙行人遠,宛轉年運徂。
はるかにも旅ゆく人、夫、秋湖は遠ざかり、めぐりめぐって年はうつりゆく。
良時爲此別,日月方向除。
あの新婚の良い時に別れてから月日はちょうど年が改たまろうとしている。
孰知寒暑積,僶俛見榮枯!
誰も知らないうちに、寒いときがあり、暑さがやってきて歳を重ねている、それはつとめて速かに花を咲かせ、そして枯れてゆくのを見るのである。
歲暮臨空房,涼風起坐隅。
こうして月日が過ぎ、はからずも年の暮れに夫のいないさびしい部屋に入って見る、寒い風が坐席のかたわらから吹きおこる。(そばには夫の温か味があったのに)
寢興日已寒,白露生庭蕪。
寝て起ききて日一日と日を重ね、としをかさねて、もう既に寒い季節になっている、私の操である白露の玉は庭の真ん中で輝くほどであったがしげみの陰に置くころとなった。
超遙【ちょうよう】として行人【こうじん】は遠く,宛轉【えんてん】年運は徂【ゆ】く。
良時【りょうじ】此の別れを爲せしとき,日月は方【まさ】に除に向【なん】なんとす。
孰【たれ】か知らん寒暑【かんしょ】の積りて,僶俛【びんべん】榮枯【えいこ】を見るを!
歲暮に空房【くうぼう】に臨むに,涼風【りょうふう】坐隅【ざぐう】に起る。
寢興【しんこう】日ごとに已に寒く,白露は庭蕪【ていぶ】生ず。
(5)  
勤役從歸願,反路遵山河。
役所勤めのうちにも帰省の願いが聞き入れられ、帰り道は山や河に沿って帰って行く。
昔辭秋未素,今也歲載華。
昔、いとま乞いをしたときは秋もまだ深くない落葉のない時期であったが、今は歳も新たに春の花が咲いている。
蠶月觀時暇,桑野多經過。
春の蚕を飼う月にちょうどよい休暇をもらったのだ、帰り道は先々さかりの桑畑を通った。
佳人從所務,窈窕援高柯。
そこには美しい女が務めの桑摘みをしていた、見目麗しい様子で高い枝をひきよせて桑の葉を摘んでいた。
傾城誰不顧,弭節停中阿。
世にもまれなその美人は一たび顧みれば人の城を傾けるといわれる魅力あるその美貌を、誰が振り向かないということがあるだろうか。秋湖も車の速度をとめて路の曲がり角に立ちどまって見とれてしまったのである。
勤役【きんえき】歸願【きがん】に從い,反路【はんろ】山河に遵【したが】う。
昔 辭せしとき秋未だ素ならず,今や歲は載【すなわ】ち華【はな】さく。
蠶月【さんげつ】時暇【じか】を觀,桑野【そうや】經過すること多し。
佳人【かじん】は務むる所に從う,窈窕【ようちょう】として高柯【こうか】を援【ひ】く。
傾城【けいじょう】誰か顧みざらん,節を弭【おさ】えて中阿【ちゅうあ】に停【とど】まる。
(6)  
年往誠思勞,事遠闊音形。
年はすぎ往き、誠意や思慕の心は疲れてしまい維持しなかった、それに路は遠く隔たって声も姿も久しく見聞きしていない。
雖爲五載別,相與昧平生。
五年もの別れをしていたのだけれども、お互いに平生の様子をなにもわからなかったものだ。
舍車遵往路,凫藻馳目成。
秋湖は車をおりて今来た道にしたがって戻った、秋湖は鴨が水草を得て喜んで踊り進むようにして、桑畑に美人に目くばせして「今夜の情交」の約束をしようとした。
南金豈不重?聊自意所輕。
秋湖が贈ろうとした南国産の金はどうして重い値打ちがないであろうか、しかし、秋湖の妻はとにかく自分の心でそれを軽いつまらないものと思ったのである。
義心多苦調,密比金玉聲。
彼女は貞節を重しとするためにお金を拒んだのである。その節義の心は秋湖にとって多くの苦い響きの言葉で語られたが、その声は全く金玉の美しく清い音にも似ていていた。
年往きて誠に思は勞するも、事遠くして音形は闊【とお】し。
五載の別を爲すと雖も、相與に平生に昧し。
車を捨てて往路に遵【したが】ひ、凫藻【ふそう】して目成【もくせい】を馳す。
南金壹重からざらんや。聊【いささか】か自ら意に握んずる所なり。
義心に苦調【くちょう】多し。密に金玉【きんぎょく】の聲に比す。

 (第七首)
高節難久淹,朅來空複辭。
高くすぐれた操をまもる婦人のもとに久しく留まることは難しいことである、秋湖は行きつもどりつしながらもむなしくまた別れをつげて去ったのだ。
遲遲前途盡,依依造門基。
秋湖の足どりは遅れがちながらも行く道を尽くしてしまう、後に心を引かれながらも家の門の土台に行き着いた。
上堂拜嘉慶,入室問何之。
秋胡は奥座敷に上がって母に拝して健康を歓び祝った、夫婦の奥室に入って、妻がどこに行ったのかを問う。
日暮行采歸,物色桑榆時。
母は答えた、妻女は夕暮れ頃には帰って來るでしょう。それはいろんな物の色がわからなくなる、桑や楡の木立に日の入る黄昏時になるころでしょう。
美人望昏至,慚歎前相持。
美人は日の黄昏を望みながら家に到着する、さきに夫と途中で相応酬して、夫の心の不義なのを知ったことをはじめて恥じ入り、そして嘆くのである。
 (高節【こうせつ】には久しくは淹【とどま】り難く、朅來【けつらい】して空しく複た辭す。
遲遲【ちち】として前途【ぜんと】盡【つ】き,依依【いい】として門基【もんき】に造【いた】る。
堂に上りて嘉慶【かけい】を拜し、室に入りて問う何に之けると。
日暮【にっぽ】には行【ゆくゆ】く采り歸らん,物色【ぶっしょく】桑榆【そうゆ】の時にと。
美人は昏【ゆうべ】を望みて至り,慚【は】じ歎【なげ】く前に相い持【じ】せしを。
8)  
有懷誰能已?聊用申苦難。離居殊年載,一別阻河關。春來無時豫,秋至恒早寒。明發⑽動愁心,閨中起長歎。慘淒歲方晏,日落遊子顔。
(9)  
高張生絕弦,聲急由調起。自昔枉光塵,結言固終始。如何久爲別,百行諐⑾諸己。君子失明義,誰與偕沒齒!愧彼《行露》詩⑿,甘之長川汜⒀。[1]


現代語訳と訳註
(本文)
(7)  
高節難久淹,朅來空複辭。遲遲前途盡,依依造門基。
上堂拜嘉慶,入室問何之。日暮行采歸,物色桑榆時。
美人望昏至,慚歎前相持。


(下し文)
高節【こうせつ】には久しくは淹【とどま】り難く、朅來【けつらい】して空しく複た辭す。
遲遲【ちち】として前途【ぜんと】盡【つ】き,依依【いい】として門基【もんき】に造【いた】る。
堂に上りて嘉慶【かけい】を拜し、室に入りて問う何に之けると。
日暮【にっぽ】には行【ゆくゆ】く采り歸らん,物色【ぶっしょく】桑榆【そうゆ】の時にと。
美人は昏【ゆうべ】を望みて至り,慚【は】じ歎【なげ】く前に相い持【じ】せしを。


(現代語訳) (第七首)
高くすぐれた操をまもる婦人のもとに久しく留まることは難しいことである、秋湖は行きつもどりつしながらもむなしくまた別れをつげて去ったのだ。
秋湖の足どりは遅れがちながらも行く道を尽くしてしまう、後に心を引かれながらも家の門の土台に行き着いた。
秋胡は奥座敷に上がって母に拝して健康を歓び祝った、夫婦の奥室に入って、妻がどこに行ったのかを問う。
母は答えた、妻女は夕暮れ頃には帰って來るでしょう。それはいろんな物の色がわからなくなる、桑や楡の木立に日の入る黄昏時になるころでしょう。
美人は日の黄昏を望みながら家に到着する、さきに夫と途中で相応酬して、夫の心の不義なのを知ったことをはじめて恥じ入り、そして嘆くのである。


(訳注)
高節難久淹,朅來空複辭。
高くすぐれた操をまもる婦人のもとに久しく留まることは難しいことである、秋湖は行きつもどりつしながらもむなしくまた別れをつげて去ったのだ。
高節 潔婦の高いみさお。 ・追来 去來に同じ。行きつもどりつする。去り難くして去る。去りなむ、いざ。


遲遲前途盡,依依造門基。
秋湖の足どりは遅れがちながらも行く道を尽くしてしまう、後に心を引かれながらも家の門の土台に行き着いた。
依依 後に心がひかれるさま。 ・門基 わが家の門の土台。


上堂拜嘉慶,入室問何之。
秋胡は奥座敷に上がって母に拝して健康を歓び祝った、夫婦の奥室に入って、妻がどこに行ったのかを問う。
拝嘉慶 母を拝して、その款嫌のよいことを喜ぶ。 ・問伺之 妾がどこに行ったかを問う。


日暮行采歸,物色桑榆時。
母は答えた、妻女は夕暮れ頃には帰って來るでしょう。それはいろんな物の色がわからなくなる、桑や楡の木立に日の入る黄昏時になるころでしょう。
行帰来 そろそろ帰って来るであろう。母の答え。 ・桑楡 日が家の西側の桑や楡のこずえに落ち
かかる頃。目暮れ前。後漢書馮異伝に「之を東隅に失ひて、之を桑楡に取む」とあり、注に「桑楡は晩なり」とある。


美人望昏至,慚歎前相持。
美人は日の黄昏を望みながら家に到着する、さきに夫と途中で相応酬して、夫の心の不義なのを知ったことをはじめて恥じ入り、そして嘆くのである。
頂作庖 目暮れになるのを望み見ながら。 ・前拒拉 さきに夫と途中で相応酬して、夫の心の不義なのを知ったこと。
・沈徳潜曰く「此の章は、其の母、人をして其の婦を呼ばしむ、至れば乃ち向の採桑の者なるを言ふなり」と。

プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
最新記事(画像付)
メッセージ

名前
メール
本文
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
最新記事(画像付)
記事検索
  • ライブドアブログ