漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2012年09月

古詩十九首之十六 漢の無名氏 (16)-2 漢詩<103-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩538 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1431

古詩十九首之十六 漢の無名氏 (16)-2 漢詩<103-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩538 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1431

     
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古詩十九首之第十六首
凜凜歲雲暮,螻蛄夕鳴悲。
りんりんするような寒さで、歳も暮れかかり、寒吟虫が夜悲しげに鳴く季節となった。
涼風率已厲,遊子寒無衣。
冷風が急にはげしく吹き初める時節になってしまったが、旅に出たままの夫は寒さにそなえた着がえを持っていないのである。
錦衾遺洛浦,同袍與我違。
新婚当時は、わたしは洛浦の女神がきる錦の衾をおくられたものであったが、今は一つ褞袍をともにするという情愛ということがそむいてなくなってしまった。
獨宿累長夜,夢想見容輝。
ひとり寝のながながしい夜を随分重ねる間に、想いが夢になりあなたのすがたを見たのである。
良人惟古歡,枉駕惠前綏。
夢の中の夫は、ただ昔の楽しさを思っているようで、わざわざ車を向けて私に「乗りなさい」と、取り綱を授けてくれたのです。
#2
願得常巧笑,攜手同車歸。
願うことはいつまでも笑顔で夫に向かいたいとおもいつづけたいものと、そして、ともに手を取り、同じ車で帰って来たのであった。
既來不須臾,又不處重闈。
やかてこの家に来たと思ったらいきなり夢は破れて、夫はこの奥の閨にいないのである。
亮無晨風翼,焉能淩風飛?
ほんとのところはやふさの翼をもっていないわたしだから、どうして風を凌いで、遠い旅先の夫の所へ飛んで行けるというのか。
眄睞以適意,引領遙相希。
かなたの空をかえり見て気をはらし、えりくびをさしのべて遙かに望んで見るだけのことなのだ。
徒倚懷感傷,垂涕沾雙扉。
こんな悲しみを胸にいだいて、そこにためらいとどまる、涙は左右の門扉までをぬらすほどなのだ。


凛凛として歳云に暮れ、螻蛄【ろうこ】夕に鳴き悲しむ。
涼風 率【にわ】かに己に厲【はげ】しく、遊子寒くして衣無し。
錦衾【きんきん】洛浦【らくほ】に遣【おく】りしも、同抱我と違【たが】へり。
獨り宿して長夜を累【かさ】ね、夢に想うて容輝を見る。
良人古歡【こかん】を惟【おも】ひ、駕を枉【ま】げて前綏【ぜんすい】を恵まる。

#2
願はくは長く巧笑【こうしょう】するを得んと、手を携へ車を同じうして歸る。
既に来りて須臾【しゅゆ】ならず、又重闈【ちょうい】に盛らず。
亮【もこと】に晨風【しんふう】の翼無し、蔦【いずく】んぞ能く風を凌いで飛ばん。
眄睞【べんらい】以て意に適【かな】ひ、領【くび】を引いて遙かに相希【のぞ】む。
徒倚【しい】して感傷を懐【いだ】き、涕を垂れて雙扉【そうひ】を沾【うるお】す。




現代語訳と訳註
(本文)
第十六首 #2
願得常巧笑,攜手同車歸。
既來不須臾,又不處重闈。
亮無晨風翼,焉能淩風飛?
眄睞以適意,引領遙相希。
徒倚懷感傷,垂涕沾雙扉。


(下し文)
願はくは長く巧笑【こうしょう】するを得んと、手を携へ車を同じうして歸る。
既に来りて須臾【しゅゆ】ならず、又重闈【ちょうい】に盛らず。
亮【もこと】に晨風【しんふう】の翼無し、蔦【いずく】んぞ能く風を凌いで飛ばん。
眄睞【べんらい】以て意に適【かな】ひ、領【くび】を引いて遙かに相希【のぞ】む。
徒倚【しい】して感傷を懐【いだ】き、涕を垂れて雙扉【そうひ】を沾【うるお】す。


(現代語訳)
願うことはいつまでも笑顔で夫に向かいたいとおもいつづけたいものと、そして、ともに手を取り、同じ車で帰って来たのであった。
やかてこの家に来たと思ったらいきなり夢は破れて、夫はこの奥の閨にいないのである。
ほんとのところはやふさの翼をもっていないわたしだから、どうして風を凌いで、遠い旅先の夫の所へ飛んで行けるというのか。
かなたの空をかえり見て気をはらし、えりくびをさしのべて遙かに望んで見るだけのことなのだ。
こんな悲しみを胸にいだいて、そこにためらいとどまる、涙は左右の門扉までをぬらすほどなのだ。


(訳注)
願得常巧笑,攜手同車歸。

願うことはいつまでも笑顔で夫に向かいたいとおもいつづけたいものと、そして、ともに手を取り、同じ車で帰って来たのであった。
巧笑 にこにこした笑顔。


既來不須臾,又不處重闈。
やかてこの家に来たと思ったらいきなり夢は破れて、夫はこの奥の閨にいないのである。
重闈 闈は閏の小門、門を幾つもはいった奥の内室の意。


亮無晨風翼,焉能淩風飛?
ほんとのところはやふさの翼をもっていないわたしだから、どうして風を凌いで、遠い旅先の夫の所へ飛んで行けるというのか。
晨風 はやぶさの額。詩経・秦夙中の篇名。秦の康公が賢臣を棄てたのをそしった詩。
『詩経、秦風、』晨風 鴪彼晨風
鴥彼晨風.鬱彼北林.未見君子.憂心欽欽.
如何如何.忘我實多
山有苞櫟.隰有六駮.未見君子.憂心靡樂.
如何如何.忘我實多


眄睞以適意,引領遙相希。
かなたの空をかえり見て気をはらし、えりくびをさしのべて遙かに望んで見るだけのことなのだ。
眄睞 眄は斜視、ふりかえり視る。睞は旁視、見まわす。
引領 えりくびを延ばして遠方を望みみる。


徒倚懷感傷,垂涕沾雙扉。
こんな悲しみを胸にいだいて、そこにためらいとどまる、涙は左右の門扉までをぬらすほどなのだ。
徒倚  ためらいとどまる。

古詩十九首之十六 漢の無名氏(16)-1 漢詩<103-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩537 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1428

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古詩十九首之第十六首
凜凜歲雲暮,螻蛄夕鳴悲。
りんりんするような寒さで、歳も暮れかかり、寒吟虫が夜悲しげに鳴く季節となった。
涼風率已厲,遊子寒無衣。
冷風が急にはげしく吹き初める時節になってしまったが、旅に出たままの夫は寒さにそなえた着がえを持っていないのである。
錦衾遺洛浦,同袍與我違。
新婚当時は、わたしは洛浦の女神がきる錦の衾をおくられたものであったが、今は一つ褞袍をともにするという情愛ということがそむいてなくなってしまった。
獨宿累長夜,夢想見容輝。
ひとり寝のながながしい夜を随分重ねる間に、想いが夢になりあなたのすがたを見たのである。
良人惟古歡,枉駕惠前綏。
夢の中の夫は、ただ昔の楽しさを思っているようで、わざわざ車を向けて私に「乗りなさい」と、取り綱を授けてくれたのです。

願得常巧笑,攜手同車歸。
既來不須臾,又不處重闈。
亮無晨風翼,焉能淩風飛?
眄睞以適意,引領遙相希。
徒倚懷感傷,垂涕沾雙扉。

凛凛として歳云に暮れ、螻蛄【ろうこ】夕に鳴き悲しむ。
涼風 率【にわ】かに己に厲【はげ】しく、遊子寒くして衣無し。
錦衾【きんきん】洛浦【らくほ】に遣【おく】りしも、同抱我と違【たが】へり。
獨り宿して長夜を累【かさ】ね、夢に想うて容輝を見る。
良人古歡【こかん】を惟【おも】ひ、駕を枉【ま】げて前綏【ぜんすい】を恵まる。

願はくは長く巧笑【こうしょう】するを得んと、手を携へ車を同じうして歸る。
既に来りて須臾【しゅゆ】ならず、又重闈【ちょうい】に盛らず。
亮【もこと】に晨風【しんふう】の翼無し、蔦【いずく】んぞ能く風を凌いで飛ばん。
眄睞【べんらい】以て意に適【かな】ひ、領【くび】を引いて遙かに相希【のぞ】む。
徒倚【しい】して感傷を懐【いだ】き、涕を垂れて雙扉【そうひ】を沾【うるお】す。


現代語訳と訳註
(本文)

凜凜歲雲暮,螻蛄夕鳴悲。
涼風率已厲,遊子寒無衣。
錦衾遺洛浦,同袍與我違。
獨宿累長夜,夢想見容輝。
良人惟古歡,枉駕惠前綏。


(下し文)
凛凛として歳云に暮れ、螻蛄夕に鳴き悲しむ。
涼風 勢かに己に厲しく、遊子寒くして衣無し。
錦衾洛浦に遣りしも、同抱我と違へり。
獨り宿して長夜を累ね、夢に想うて容輝を見る。
良人古歡を惟ひ、駕を枉げて前綏を恵まる。


(現代語訳)
りんりんするような寒さで、歳も暮れかかり、寒吟虫が夜悲しげに鳴く季節となった。
冷風が急にはげしく吹き初める時節になってしまったが、旅に出たままの夫は寒さにそなえた着がえを持っていないのである。
新婚当時は、わたしは洛浦の女神がきる錦の衾をおくられたものであったが、今は一つ褞袍をともにするという情愛ということがそむいてなくなってしまった。
ひとり寝のながながしい夜を随分重ねる間に、想いが夢になりあなたのすがたを見たのである。
夢の中の夫は、ただ昔の楽しさを思っているようで、わざわざ車を向けて私に「乗りなさい」と、取り綱を授けてくれたのです。


(訳注)
第十六首

・第十六首 遠行の夫を思う妻の詩。夢をかりて新婚の思い出を叙し、過去と現在とを対照させている。この歌も上流社会のものが、宮妓、官妓の立場に立つとして、フィクションで描いているものである。


凜凜歲雲暮,螻蛄夕鳴悲。
りんりんするような寒さで、歳も暮れかかり、寒吟虫が夜悲しげに鳴く季節となった。
凛凛 寒気が皮膚をさし、鳥肌になる様子。刺戟する寒さのさま。
螻蛄 けらの類。寒吟虫。


涼風率已厲,遊子寒無衣。
冷風が急にはげしく吹き初める時節になってしまったが、旅に出たままの夫は寒さにそなえた着がえを持っていないのである。


錦衾遺洛浦,同袍與我違。
新婚当時は、わたしは洛浦の女神がきる錦の衾をおくられたものであったが、今は一つ褞袍をともにするという情愛ということがそむいてなくなってしまった。
洛浦 洛水の入江、神女容妃のいる所。容妃は伏義の女で、洛水に溺死してその女神となったという。洛浦の地を詩に登場の女のいる所とたとえとし、容妃を女に比していう。
同袍 一つどてらを着る仲、袍はわたいれ、また長い下着にもいう。詩経・秦風に「豈衣無しと曰はんや、子と褞袍を同じくせん」とある。窮迫した生活で袖を共同するような朋友を意味する語であるが、ここは夫婦の情交の意。


獨宿累長夜,夢想見容輝。
ひとり寝のながながしい夜を随分重ねる間に、想いが夢になりあなたのすがたを見たのである。


良人惟古歡,枉駕惠前綏
夢の中の夫は、ただ昔の楽しさを思っているようで、わざわざ車を向けて私に「乗りなさい」と、取り綱を授けてくれたのです。
柾駕 車の道を曲げる、わざわざ来訪する意。
前綏 綏は草に乗る時につかまるためのつりひも。礼記に初婚の際、靖が婦のために車を駕し、綏を授けるということがある。そこでこれを単に事前上車の素と解する説と、前句の古歓を新婚当初の歓びと見て、前鮫も前に花嫁の日、夫に手渡された紋と解する説とある。


凛凛として歳云に暮れ、螻蛄【ろうこ】夕に鳴き悲しむ。
涼風 率【にわ】かに己に厲【はげ】しく、遊子寒くして衣無し。
錦衾【きんきん】洛浦【らくほ】に遣【おく】りしも、同抱我と違【たが】へり。
獨り宿して長夜を累【かさ】ね、夢に想うて容輝を見る。
良人古歡【こかん】を惟【おも】ひ、駕を枉【ま】げて前綏【ぜんすい】を恵まる。

願はくは長く巧笑【こうしょう】するを得んと、手を携へ車を同じうして歸る。
既に来りて須臾【しゅゆ】ならず、又重闈【ちょうい】に盛らず。
亮【もこと】に晨風【しんふう】の翼無し、蔦【いずく】んぞ能く風を凌いで飛ばん。
眄睞【べんらい】以て意に適【かな】ひ、領【くび】を引いて遙かに相希【のぞ】む。
徒倚【しい】して感傷を懐【いだ】き、涕を垂れて雙扉【そうひ】を沾【うるお】す。

古詩十九首之十五 漢の無名氏(15) 漢詩<102>Ⅱ李白に影響を与えた詩536 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1425

古詩十九首之十五 漢の無名氏(15) 漢詩<102>Ⅱ李白に影響を与えた詩536 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1425

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
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古詩十九首之第十五首
生年不滿百,常懷千歲憂。
人間は百歳までは生きられないのだ、なのにどうして日夜、千年後のことまで考えて憂いをいだくのである。
晝短苦夜長,何不秉燭遊!
秋になると昼が短く、夜が長いのを苦にするようになる、だったらどうして燭を照らして、夜を日につぎ遊ばないのだ。
為樂當及時,何能待來茲?
楽しみを求めるにはつとめて今ある機会を逃さないようにするのがよいのだ。あてにもならない来年のことなど、待ってもどうなるというものではないのである。
愚者愛惜費,但為後世嗤。
愚かな者は、いたずらに費用を出し惜しんで金をためるものだが、そうであればただ後の人々に笑われるだけである。
卡人王子喬,難可蜿等期。
王子喬は仙人になり不老長生を得たと伝えるが、常人にはうねうね続く年寿をすべきであっても、とてもできないことなのだ。


現代語訳と訳註
(本文)
第十五首
生年不滿百,常懷千歲憂。
晝短苦夜長,何不秉燭遊!
為樂當及時,何能待來茲?
愚者愛惜費,但為後世嗤。
卡人王子喬,難可蜿等期。


(下し文)
生年は百に満たず、常に千歳の憂を懐く。
晝は短くして夜の長きに苦しみ、何ぞ燭を秉って遊ばざる。
欒しみを為すは常に時に及ぶべし、何ぞ能く來茲【らいし】を待たん。
愚者は費を愛惜し、但後世の嗤【わらい】と為るのみ。
仙人王子喬は、蜿【えん】に期を等しうす可きこと難し。


(現代語訳)
人間は百歳までは生きられないのだ、なのにどうして日夜、千年後のことまで考えて憂いをいだくのである。
秋になると昼が短く、夜が長いのを苦にするようになる、だったらどうして燭を照らして、夜を日につぎ遊ばないのだ。
楽しみを求めるにはつとめて今ある機会を逃さないようにするのがよいのだ。あてにもならない来年のことなど、待ってもどうなるというものではないのである。
愚かな者は、いたずらに費用を出し惜しんで金をためるものだが、そうであればただ後の人々に笑われるだけである。
王子喬は仙人になり不老長生を得たと伝えるが、常人にはうねうね続く年寿をすべきであっても、とてもできないことなのだ。


(訳注)
第十五首

・第十五首 生命のうつろいやすく、青春の再び得がたいことを欺じ、世の愚人をそしった詩。


生年不滿百,常懷千歲憂。
人間は百歳までは生きられないのだ、なのにどうして日夜、千年後のことまで考えて憂いをいだくのである。
・この二句は千古の名言である。


晝短苦夜長,何不秉燭遊!
秋になると昼が短く、夜が長いのを苦にするようになる、だったらどうして燭を照らして、夜を日につぎ遊ばないのだ。
秉燭遊 手にとり持つこと。この句も後世に影響あるもの。
春夜宴桃李園序 李白116

古風五十九首 其二十三 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白167
羌村三首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 220

為樂當及時,何能待來茲?
楽しみを求めるにはつとめて今ある機会を逃さないようにするのがよいのだ。あてにもならない来年のことなど、待ってもどうなるというものではないのである。
及時 時を失わず、間に合うようにする。
來茲 来年。


愚者愛惜費,但為後世嗤。
愚かな者は、いたずらに費用を出し惜しんで金をためるものだが、そうであればただ後の人々に笑われるだけである。


卡人王子喬,難可蜿等期。
王子喬は仙人になり不老長生を得たと伝えるが、常人にはうねうね続く年寿をすべきであっても、とてもできないことなのだ。
 (1) (蛇などが)のたくり進む,くねくね進む蜿蜒而上くねくねと登る.(2) (川や道が)蜿蜒(えんえん)たる,うねうね続く.
 期間、年寿。
王子喬 周の太子晋、好んで笠を吹き、道士浮丘公に伴なわれて常山に上り仙人となったという。
西門行
出西門、歩念之、今日不作樂、當待何時。
夫爲樂、爲樂當及時。
何能坐愁拂鬱、當復待來茲。
飲醇酒、炙肥牛、請呼心所歡、可用解愁憂。
人生不滿百、常懷千歳憂。
晝短而夜長、何不秉燭游。
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
人壽非金石、年命安可期。
貪財愛惜費、但爲後世嗤。

西門行 【せいもんきょう】
西門を出で、歩みて之を念う、今日 樂しみを作さずんば、當【まさ】に何れの時をか待つべき。
夫れ樂しみを爲さん、樂しみを爲すには當に時に及ぶべし。
何んぞ能く坐し愁えて鬱を拂いて、當に復た來茲を待んや。
醇酒【じゅんしゅ】を飲み、肥牛【ひぎゅう】を炙り、請する心に歡ぶ所を呼べば、用って愁憂を解く可けん。
人生は百に滿たず、常に千歳の憂いを懷う。
晝【ひる】短くして夜長く、何ぞ燭游を秉らざるや。
仙人王子喬に非らざるより、計會して壽命【じゅみょう】を與に期するを難し。
仙人王子喬に非らざるより、計會して壽命【じゅみょう】を與に期するを難し。
人壽は金石に非らず、年命安くんぞ期す可けん。
財を貪【むさぼ】りて費を愛惜すれば、但 後世の嗤【わらび】と爲るのみ。

西門行 漢の無名氏 詩<81>Ⅱ李白に影響を与えた詩511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1350



鸞鳳 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 111

仙人の王子喬。鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。
 伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。伊川(いせん)、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公(ふきゅうこう)に誘われ中岳嵩山(すうざん)に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。
 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。(『列仙伝』)



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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

古詩十九首之第十四首
去者日以疏,生者日已親。
別れて去りゆく者には日一日と思い出すのもまばらになり、今相い接する者には日ごとに親密になっていくのは世の常である。
出郭門直視,但見丘與墳。
今、私は、城郭の外に出て、前方を見渡すと、目に入るものはただ丘と墓があるだけで、もう忘れ去られた人々なのである。
古墓犁為田,松柏摧為薪。
古い墓はいつか鋤きかえされて田地となっていき、常緑をほこる墓上の松柏も伐りたおされて薪とされてしまうものだ。
白楊多悲風,蕭蕭愁殺人!
今は、あたりの白楊に悲しい秋風がおおくおとずれ、しゅうしゅうと鳴って人をひたすら愁えしめるのみである。
思還故里閭,欲歸道無因。

秋になれば儚さが増してくる、そう思うと、故郷が懐かしく、帰りたいとは思うが、道は遠く世は乱れ、帰る道すら求めがたいのである。




現代語訳と訳註
(本文)
第十四首
去者日以疏,生者日已親。
出郭門直視,但見丘與墳。
古墓犁為田,松柏摧為薪。
白楊多悲風,蕭蕭愁殺人!
思還故里閭,欲歸道無因。


(下し文)
去る者は日ゝに以て疎く、来る者は日ゝに以て親しむ。
郭門を出でて直視すれば、但丘と墳とを見るのみ。
古墓は犁【す】かれて田と爲り、松柏は摧【くだ】かれて薪と爲る。
白楊【はくよう】悲風多く、蕭蕭として人を愁殺【しゅうさい】す。
故の里閭【りりょ】に還らんことを思ひ、歸らんと欲するも道因る無し。


(現代語訳)
別れて去りゆく者には日一日と思い出すのもまばらになり、今相い接する者には日ごとに親密になっていくのは世の常である。
今、私は、城郭の外に出て、前方を見渡すと、目に入るものはただ丘と墓があるだけで、もう忘れ去られた人々なのである。
古い墓はいつか鋤きかえされて田地となっていき、常緑をほこる墓上の松柏も伐りたおされて薪とされてしまうものだ。
今は、あたりの白楊に悲しい秋風がおおくおとずれ、しゅうしゅうと鳴って人をひたすら愁えしめるのみである。
秋になれば儚さが増してくる、そう思うと、故郷が懐かしく、帰りたいとは思うが、道は遠く世は乱れ、帰る道すら求めがたいのである。


(訳注)
第十四首

・第十四首 悲愁の秋になり異郷の古墓を見ると、帰郷を思う詩。寡婦の詩と逆のもので例が多い。


去者日以疏,生者日已親。
別れて去りゆく者には日一日と思い出すのもまばらになり、今相い接する者には日ごとに親密になっていくのは世の常である。
去者・来者 文選の諸注では「去者は死を謂ひ、来者は生を謂ふ」とあり、。しかし必ずしもかく生・死に限るにことはない。もっと広く解したほうがよい。また、一説に過去と将来の意に見るものもある。


出郭門直視,但見丘與墳。
今、私は、城郭の外に出て、前方を見渡すと、目に入るものはただ丘と墓があるだけで、もう忘れ去られた人々なのである。
・郭門 城郭の門。郭は都市の四周をめぐらすかこい。
丘・墳 墓地のある丘、項は土を盛った塚、土饅頭。


古墓犁為田,松柏摧為薪。
古い墓はいつか鋤きかえされて田地となっていき、常緑をほこる墓上の松柏も伐りたおされて薪とされてしまうものだ。


白楊多悲風,蕭蕭愁殺人!
今は、あたりの白楊に悲しい秋風がおおくおとずれ、しゅうしゅうと鳴って人をひたすら愁えしめるのみである。
白楊 はこやなぎ。
愁殺 殺は一種の接尾語で、ただ程度の甚だしいことにいう。用例、忙殺、恨殺、悩殺など。
 

思還故里閭,欲歸道無因。
秋になれば儚さが増してくる、そう思うと、故郷が懐かしく、帰りたいとは思うが、道は遠く世は乱れ、帰る道すら求めがたいのである。
里閭 五家を隣とし、五隣を里とする。閭は里の門。以下の二句を死者の心と見ることもできる。

古詩十九首之十三 漢の無名氏(13)-2 漢詩<100-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩534 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1419

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   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

古詩十九首之第十三首 #1
驅車上東門,遙望郭北墓。
車を走らせて、洛陽の上東門を出ていく、遥かに城郭の北なる北邙山、墓地を眺める。
白楊何蕭蕭,松柏夾廣路。
白楊はものしゅうしゅうとさびしく立ちならんでいるのだろうか、松や柏の木が墓陵の広い路の両側に茂っている。
下有陳死人,杳杳即長暮。
その地下には昔死んだ人々があり、暗い暗い中に永遠の夜を過ごしている。
潛寐黃泉下,千載永不寤。
彼らは地下の黄泉国にひそまり寝ていて、いつまでも千年も目ざめることはないのである。
#2
浩浩陰陽移,年命如朝露。
四季陰陽の変北はこうこうと果てしもなく、そこに住む人間の命は朝露のようなものである。
人生忽如寄,壽無金石固。
人生はたちまち去っていくものであり、この世は無情であり、つかの間であり、寿命は金石の如く不変ではない。
萬歲更相送,賢聖莫能度。
これまでの幾万年の間、人は互いに送られて死んでいった。聖人であっても賢人といえどもこの運命は避けては通れないものなのだ。
服食求神仙,多為藥所誤。
不老長寿の仙薬などを服用して長生を求めても、多くはその薬に誤られて身を失うことになる。
不如飲美酒,被服紈與素。
そんなできないことより生前に美酒を飲み、美服を着て、日々を楽しく暮らすことである。
#1
車を上東門に驅【か】り、遙かに郭北【かくほく】の墓を望む。
白楊【はくよう】何ぞ蕭蕭【しょうしょう】たる、松柏 廣路【こうろ】を夾【はさ】む。
下に陳死【ちんし】の人有り、杳杳【ようよう】として長暮【ちょうぼ】に即【つ】く。
黄泉【こうせん】の下に潜【ひそ】み寐【い】ねて、千載長く寤【さ】めず。
#2
浩浩として陰陽移り、年命【ねんめい】朝露の如し。
人生忽【こつ】として寄するが如く、寿には金石の固き無し。
萬歳更【こもご】も相送り、賢聖【けんせい】能く度る莫し。
服食して神仙を求むれは、多くは薬の誤る所と為る。
如かず美酒を飲みて、紈【がん】と素【そ】とを被服せんには。



現代語訳と訳註
(本文)

浩浩陰陽移,年命如朝露。
人生忽如寄,壽無金石固。
萬歲更相送,賢聖莫能度。
服食求神仙,多為藥所誤。
不如飲美酒,被服紈與素。


(下し文)
浩浩として陰陽移り、年命【ねんめい】朝露の如し。
人生忽【こつ】として寄するが如く、寿には金石の固き無し。
萬歳更【こもご】も相送り、賢聖【けんせい】能く度る莫し。
服食して神仙を求むれは、多くは薬の誤る所と為る。
如かず美酒を飲みて、紈【がん】と素【そ】とを被服せんには。


(現代語訳)
四季陰陽の変北はこうこうと果てしもなく、そこに住む人間の命は朝露のようなものである。
人生はたちまち去っていくものであり、この世は無情であり、つかの間であり、寿命は金石の如く不変ではない。
これまでの幾万年の間、人は互いに送られて死んでいった。聖人であっても賢人といえどもこの運命は避けては通れないものなのだ。
不老長寿の仙薬などを服用して長生を求めても、多くはその薬に誤られて身を失うことになる。
そんなできないことより生前に美酒を飲み、美服を着て、日々を楽しく暮らすことである。


(訳注)
浩浩陰陽移,年命如朝露。

四季陰陽の変北はこうこうと果てしもなく、そこに住む人間の命は朝露のようなものである。
陰陽移 陰気と陽気の変移、四季の変化。


人生忽如寄,壽無金石固。
人生はたちまち去っていくものであり、この世は無情であり、つかの間であり、寿命は金石の如く不変ではない。


萬歲更相送,賢聖莫能度。
これまでの幾万年の間、人は互いに送られて死んでいった。聖人であっても賢人といえどもこの運命は避けては通れないものなのだ。
 度越、越えのがれる。


服食求神仙,多為藥所誤。
不老長寿の仙薬などを服用して長生を求めても、多くはその薬に誤られて身を失うことになる。
服食 仙薬を服し、仙人になる術、道家の養生法。


不如飲美酒,被服紈與素。
そんなできないことより生前に美酒を飲み、美服を着て、日々を楽しく暮らすことである。
・執・素 ねりぎぬ・きざぬ、華美な衣服。

古詩十九首之十三 漢の無名氏(13)-1 漢詩<100-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩533 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1416

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古詩十九首之第十三首 #1
驅車上東門,遙望郭北墓。
車を走らせて、洛陽の上東門を出ていく、遥かに城郭の北なる北邙山、墓地を眺める。
白楊何蕭蕭,松柏夾廣路。
白楊はものしゅうしゅうとさびしく立ちならんでいるのだろうか、松や柏の木が墓陵の広い路の両側に茂っている。
下有陳死人,杳杳即長暮。
その地下には昔死んだ人々があり、暗い暗い中に永遠の夜を過ごしている。
潛寐黃泉下,千載永不寤。
彼らは地下の黄泉国にひそまり寝ていて、いつまでも千年も目ざめることはないのである。
#2
浩浩陰陽移,年命如朝露。人生忽如寄,壽無金石固。萬歲更相送,賢聖莫能度。服食求神仙,多為藥所誤。
不如飲美酒,被服紈與素。
#1
車を上東門に驅【か】り、遙かに郭北【かくほく】の墓を望む。
白楊【はくよう】何ぞ蕭蕭【しょうしょう】たる、松柏 廣路【こうろ】を夾【はさ】む。
下に陳死【ちんし】の人有り、杳杳【ようよう】として長暮【ちょうぼ】に即【つ】く。
黄泉【こうせん】の下に潜【ひそ】み寐【い】ねて、千載長く寤【さ】めず。
#2
浩浩として陰陽移り、年命【ねんめい】朝露の如し。
人生忽【こつ】として寄するが如く、寿には金石の固き無し。
萬歳更【こもご】も相送り、賢聖【けんせい】能く度る莫し。
服食して神仙を求むれは、多くは薬の誤る所と為る。
如かず美酒を飲みて、紈【がん】と素【そ】とを被服せんには。


現代語訳と訳註
(本文)

驅車上東門,遙望郭北墓。
白楊何蕭蕭,松柏夾廣路。
下有陳死人,杳杳即長暮。
潛寐黃泉下,千載永不寤。


(下し文)
車を上東門に驅【か】り、遙かに郭北【かくほく】の墓を望む。
白楊【はくよう】何ぞ蕭蕭【しょうしょう】たる、松柏 廣路【こうろ】を夾【はさ】む。
下に陳死【ちんし】の人有り、杳杳【ようよう】として長暮【ちょうぼ】に即【つ】く。
黄泉【こうせん】の下に潜【ひそ】み寐【い】ねて、千載長く寤【さ】めず。


 (現代語訳)
車を走らせて、洛陽の上東門を出ていく、遥かに城郭の北なる北邙山、墓地を眺める。
白楊はものしゅうしゅうとさびしく立ちならんでいるのだろうか、松や柏の木が墓陵の広い路の両側に茂っている。
その地下には昔死んだ人々があり、暗い暗い中に永遠の夜を過ごしている。
彼らは地下の黄泉国にひそまり寝ていて、いつまでも千年も目ざめることはないのである。


(訳注)
第十三首

・第十三首 人生の無常を説いて、いたずらに長生を求めるより、現世の快楽に憂いを忘れようとする自得の意を述べた。


驅車上東門,遙望郭北墓。
車を走らせて、洛陽の上東門を出ていく、遥かに城郭の北なる北邙山、墓地を眺める。
・上東門 洛陽城門の名。
・郭北 洛陽城の北、北邙山。


白楊何蕭蕭,松柏夾廣路。
白楊はものしゅうしゅうとさびしく立ちならんでいるのだろうか、松や柏の木が墓陵の広い路の両側に茂っている。
白楊 はこやなぎ、ポプラの類。墓の木。


下有陳死人,杳杳即長暮。
その地下には昔死んだ人々があり、暗い暗い中に永遠の夜を過ごしている。
陳死人 昔死んだ人。
杳杳 冥冥と同じく、暗い意。
長暮 永久に暗い墓の意。


潛寐黃泉下,千載永不寤。
彼らは地下の黄泉国にひそまり寝ていて、いつまでも千年も目ざめることはないのである。


古詩十九首之十二 漢の無名氏(12)-2 漢詩<99-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩532 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1413

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古詩十九首之第十二首
#1
東城高且長,逶迤自相屬。
東の城壁は高く且つ長く、うねうねと続き互いにつながっている。
回風動地起,秋草萋已綠。
旋風が地を動かして吹きはじめても、秋の草は既に夏から繁って緑の色を連ねている。
四時更變化,歲暮一何速!
四季がかわるがわる変化して、としのくれとなるのもまことに早いことであろうか。
晨風懷苦心,蟋蟀傷局促。
古人の歌った『晨風』の詩には見棄てられた臣の苦愁をものがたる意があり、「蟋蟀」の詩には持っている才能を発揮できないことに心を痛めるものである。
蕩滌放情志,何為自結束!

自分はそんな思いはさっぱりと洗い去って、かって気ままにくらそうと思う。何もわが身を束縛することはないのではなかろうか。
東城 高く且つ長く、逶迤【いい】として自ら相属す。
廻風地を動かして起り、秋草萋【せい】として以【すで】に緑なり。
四時更【こもご】も變化し、歳暮【さいぼ】一に何ぞ速【すみや】かなる。
晨風【しんふう】苦心を懐【いだ】き、蟋蟀【しつしゅつ】 局促【きょくそく】を傷む。
蕩滌【とうてき】して情志を【ほしいまま】にせん、何為【なんす】れぞ自ら結束する。
#2
燕趙多佳人,美者顏如玉。
燕や趙の北地には美人が多く、その美人の顔ははれやかな玉のようである。
被服羅裳衣,當戶理清曲。
そしてうす絹の衣裳を身にまとっているいて、戸口に立ってすんだ音色の曲をかなでているのだ。
音響一何悲!弦急知柱促。
そのひびきのひとつひとつのなんと悲しげなものであるのだろう。絃の音のテンポを急にし、琴柱を動かして絃の間をせばめ、絃声を高くしたりするのだ。
馳情整巾帶,沈吟聊躑躅。
これを聴いてしまったら万感迫る思いを美人にはせ、まず自分の身なりをととのえるのであり、詩をうち沈みながら吟じてしばらく立ちどまるのである。
思為雙飛燕,銜泥巢君屋。

自分の思いはいっそつがいとなって飛ぶ燕ともなりたいものであり、泥を口に銜えてあなたの屋根の下に暮らしたいと思うのである。

燕趙佳人多く、美なる者顏【かんばせ】玉の如し。
羅【うすもの】の裳衣を被服し、戸に当りて清曲を理【おさ】む。
音響一に何ぞ悲しき、絃急【げんきゅう】にして柱【ことじ】の促【せま】れるを知る。
情を馳せて巾帯を整へ、沈吟して聊【しばら】く躑躅【てきちょく】す。
思ふ雙飛燕【ひえん】と為りて、泥を銜んで君が屋に巢くはんことを。


現代語訳と訳註
(本文)#2
燕趙多佳人,美者顏如玉。
被服羅裳衣,當戶理清曲。
音響一何悲!弦急知柱促。
馳情整巾帶,沈吟聊躑躅。
思為雙飛燕,銜泥巢君屋。


(下し文)
燕趙佳人多く、美なる者顏【かんばせ】玉の如し。
羅【うすもの】の裳衣を被服し、戸に当りて清曲を理【おさ】む。
音響一に何ぞ悲しき、絃急【げんきゅう】にして柱【ことじ】の促【せま】れるを知る。
情を馳せて巾帯を整へ、沈吟して聊【しばら】く躑躅【てきちょく】す。
思ふ雙飛燕【ひえん】と為りて、泥を銜んで君が屋に巢くはんことを。


(現代語訳)
燕や趙の北地には美人が多く、その美人の顔ははれやかな玉のようである。
そしてうす絹の衣裳を身にまとっているいて、戸口に立ってすんだ音色の曲をかなでているのだ。
そのひびきのひとつひとつのなんと悲しげなものであるのだろう。絃の音のテンポを急にし、琴柱を動かして絃の間をせばめ、絃声を高くしたりするのだ。
これを聴いてしまったら万感迫る思いを美人にはせ、まず自分の身なりをととのえるのであり、詩をうち沈みながら吟じてしばらく立ちどまるのである。
自分の思いはいっそつがいとなって飛ぶ燕ともなりたいものであり、泥を口に銜えてあなたの屋根の下に暮らしたいと思うのである。


(訳注) #2
燕趙多佳人,美者顏如玉。

燕や趙の北地には美人が多く、その美人の顔ははれやかな玉のようである。
・燕趙 周末北方の二国で、今の河北省。古来美人を産すといわれる。この句以下五聯をもって、別に一首として、芸妓を口説く詩とされた。いわば古代のラブレターというところである。


被服羅裳衣,當戶理清曲。
そしてうす絹の衣裳を身にまとっているいて、戸口に立ってすんだ音色の曲をかなでているのだ。


音響一何悲!弦急知柱促。
そのひびきのひとつひとつのなんと悲しげなものであるのだろう。絃の音のテンポを急にし、琴柱を動かして絃の間をせばめ、絃声を高くしたりするのだ。
・柱促 琴の絃を支える柱を動かして絃の間をせばめ、絃声を高くすること。


馳情整巾帶,沈吟聊躑躅。
これを聴いてしまったら万感迫る思いを美人にはせ、まず自分の身なりをととのえるのであり、詩をうち沈みながら吟じてしばらく立ちどまるのである。
・巾帯 頭巾と帯、李善注文選には、中帯とある。したぎの帯の意、身仕度をととのえる意。
躑躅 たちもとおる、足を止めて進まぬさま。また足ぶみすること。


思為雙飛燕,銜泥巢君屋。
自分の思いはいっそつがいとなって飛ぶ燕ともなりたいものであり、泥を口に銜えてあなたの屋根の下に暮らしたいと思うのである。


古代のラブレター
燕趙多佳人,美者顏如玉。
被服羅裳衣,當戶理清曲。
音響一何悲!弦急知柱促。
馳情整巾帶,沈吟聊躑躅。
思為雙飛燕,銜泥巢君屋。

燕趙佳人多く、美なる者顏【かんばせ】玉の如し。
羅【うすもの】の裳衣を被服し、戸に当りて清曲を理【おさ】む。
音響一に何ぞ悲しき、絃急【げんきゅう】にして柱【ことじ】の促【せま】れるを知る。
情を馳せて巾帯を整へ、沈吟して聊【しばら】く躑躅【てきちょく】す。
思ふ雙飛燕【ひえん】と為りて、泥を銜んで君が屋に巢くはんことを。

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古詩十九首 第十二首
#1
東城高且長,逶迤自相屬。
東の城壁は高く且つ長く、うねうねと続き互いにつながっている。
回風動地起,秋草萋已綠。
旋風が地を動かして吹きはじめても、秋の草は既に夏から繁って緑の色を連ねている。
四時更變化,歲暮一何速!
四季がかわるがわる変化して、としのくれとなるのもまことに早いことであろうか。
晨風懷苦心,蟋蟀傷局促。
古人の歌った『晨風』の詩には見棄てられた臣の苦愁をものがたる意があり、「蟋蟀」の詩には持っている才能を発揮できないことに心を痛めるものである。
蕩滌放情志,何為自結束!
自分はそんな思いはさっぱりと洗い去って、かって気ままにくらそうと思う。何もわが身を束縛することはないのではなかろうか。
東城 高く且つ長く、逶迤【いい】として自ら相属す。
廻風地を動かして起り、秋草萋【せい】として以【すで】に緑なり。
四時更【こもご】も變化し、歳暮【さいぼ】一に何ぞ速【すみや】かなる。
晨風【しんふう】苦心を懐【いだ】き、蟋蟀【しつしゅつ】 局促【きょくそく】を傷む。
蕩滌【とうてき】して情志を【ほしいまま】にせん、何為【なんす】れぞ自ら結束する。

#2
燕趙多佳人,美者顏如玉。被服羅裳衣,當戶理清曲。
音響一何悲!弦急知柱促。馳情整巾帶,沈吟聊躑躅。
思為雙飛燕,銜泥巢君屋。

燕趙佳人多く、美なる者顏【かんばせ】玉の如し。
羅【うすもの】の裳衣を被服し、戸に当りて清曲を理【おさ】む。
音響一に何ぞ悲しき、絃急【げんきゅう】にして柱【ことじ】の促【せま】れるを知る。
情を馳せて巾帯を整へ、沈吟して聊【しばら】く躑躅【てきちょく】す。
思ふ雙飛燕【ひえん】と為りて、泥を銜んで君が屋に巢くはんことを。


現代語訳と訳註
(本文)

東城高且長,逶迤自相屬。
回風動地起,秋草萋已綠。
四時更變化,歲暮一何速!
晨風懷苦心,蟋蟀傷局促。
蕩滌放情志,何為自結束!


(下し文)
東城 高く且つ長く、逶迤【いい】として自ら相属す。
廻風地を動かして起り、秋草萋【せい】として以【すで】に緑なり。
四時更【こもご】も變化し、歳暮【さいぼ】一に何ぞ速【すみや】かなる。
晨風【しんふう】苦心を懐【いだ】き、蟋蟀【しつしゅつ】 局促【きょくそく】を傷む。
蕩滌【とうてき】して情志を【ほしいまま】にせん、何為【なんす】れぞ自ら結束する。


(現代語訳)
東の城壁は高く且つ長く、うねうねと続き互いにつながっている。
旋風が地を動かして吹きはじめても、秋の草は既に夏から繁って緑の色を連ねている。
四季がかわるがわる変化して、としのくれとなるのもまことに早いことであろうか。
古人の歌った『晨風』の詩には見棄てられた臣の苦愁をものがたる意があり、「蟋蟀」の詩には持っている才能を発揮できないことに心を痛めるものである。
自分はそんな思いはさっぱりと洗い去って、かって気ままにくらそうと思う。何もわが身を束縛することはないのではなかろうか。


(訳注)
第十二首
#1
・第十二首 歳月の過ぎ易いことを歎じて、行楽をほしいままにするの意を述べた。


東城高且長,逶迤自相屬。
東の城壁は高く且つ長く、うねうねと続き互いにつながっている。
達適 うねうねと続くさま。


回風動地起,秋草萋已綠。
旋風が地を動かして吹きはじめても、秋の草は既に夏から繁って緑の色を連ねている。
妻以緑 妻は草の盛んに茂るさま。
「以」「己」は互いに通ずる。一説に妻は凄に通ずると見、秋草の己に凄然として緑の衰うこととも解する。


四時更變化,歲暮一何速!
四季がかわるがわる変化して、としのくれとなるのもまことに早いことであろうか。


晨風懷苦心,蟋蟀傷局促。
古人の歌った『晨風』の詩には見棄てられた臣の苦愁をものがたる意があり、「蟋蟀」の詩には持っている才能を発揮できないことに心を痛めるものである。
晨風 はやぶさの額。詩経・秦夙中の篇名。秦の康公が賢臣を棄てたのをそしった詩。
『詩経、秦風、』晨風 鴪彼晨風
鴥彼晨風.鬱彼北林.未見君子.憂心欽欽.
如何如何.忘我實多
山有苞櫟.隰有六駮.未見君子.憂心靡樂.
如何如何.忘我實多

蟋蟀 こおろぎ。『詩経・唐風、蟋蟀』の篇名。晋の僖公が倹約に過ぎるのをそしった詩。今楽しまなければ月日はサッサと去って行く。勤勉で油断をしない人になれという内容のもの。
詩経・唐風、蟋蟀 
蟋蟀在堂、歲聿其莫。 今我不樂、日月其除。
無已大康、職思其居。 好樂無荒、良士瞿瞿。

蟋蟀在堂、歲聿其逝。 今我不樂、日月其邁。
無已大康、職思其外。 好樂無荒、良士蹶蹶。

蟋蟀在堂、役車其休。 今我不樂、日月其慆。
無已大康、職思其憂。 好樂無荒.良士休休。
傷局促 蛙蜂の声が年の暮れを告げるのに、良士の才を伸ばし得ずして局促しているのをなげく。局促はかがまりこせつく。


蕩滌放情志,何為自結束!
自分はそんな思いはさっぱりと洗い去って、かって気ままにくらそうと思う。何もわが身を束縛することはないのではなかろうか。
蕩滌 洗い流す。

古詩十九首之十一 漢の無名氏(11) 漢詩<98>Ⅱ李白に影響を与えた詩530 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1407

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   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

古詩十九首 第十一首
回車駕言邁,悠悠涉長道。
行く当てもなく車の向きをかえ、行く当てもなく馬に引かせてはるばる長い道をゆく。
四顧何茫茫,東風搖百草。
四方をかえりみるとはてしもない広野はぼうっとひろがる、春風はあたり一面の草々をゆり動かしている。
所遇無故物,焉得不速老。
そこここで出遇うものはもと見たものとおなじものが何一つないのだ、どういうものかわたしが老いてゆくのも道理なのだ。
盛衰各有時,立身苦不早。
人生に繁栄と衰退はつきものである。そういうことだから早く立身出世できないのは苦しいことなのだ。
人生非金石,豈能長壽考?
人は生まれながらにして金石のように堅固ではないのだから、どうしていつまでも長生きすることはできるというのか。
奄忽隨物化,榮名以為寶。
たちまち周囲の事物と同様に変化し、しぼうしてしまうのだから、それから後に残る名誉、名声が残ることだけが大切なのだ。

車を廻らして駕して言に邁【ゆ】き、悠悠として長道を涉る。
四顧すれば何ぞ茫茫たる、東風百草を搖【うご】かす。
遇ふ所 故物無し、焉んぞ速かに老いざるを得んや。
盛衰各おの時有り、立身早からざるを苦しむ。
人生は金石に非ず、豈能く長く寿考【じゅこう】ならんや。
奄忽【えんこつ】として物に隨って化す、栄名【えいめい】以て宝と爲さん。


現代語訳と訳註
(本文)
第十一首
回車駕言邁,悠悠涉長道。
四顧何茫茫,東風搖百草。
所遇無故物,焉得不速老。
盛衰各有時,立身苦不早。
人生非金石,豈能長壽考?
奄忽隨物化,榮名以為寶。


(下し文)
車を廻らして駕して言に邁き、悠悠として長道を涉る。
四顧すれば何ぞ茫茫たる、東風百草を搖【うご】かす。
遇ふ所 故物無し、焉んぞ速かに老いざるを得んや。
盛衰各おの時有り、立身早からざるを苦しむ。
人生は金石に非ず、豈能く長く寿考【じゅこう】ならんや。
奄忽【えんこつ】として物に隨って化す、栄名【えいめい】以て宝と爲さん。


(現代語訳)
行く当てもなく車の向きをかえ、行く当てもなく馬に引かせてはるばる長い道をゆく。
四方をかえりみるとはてしもない広野はぼうっとひろがる、春風はあたり一面の草々をゆり動かしている。
そこここで出遇うものはもと見たものとおなじものが何一つないのだ、どういうものかわたしが老いてゆくのも道理なのだ。
人生に繁栄と衰退はつきものである。そういうことだから早く立身出世できないのは苦しいことなのだ。
人は生まれながらにして金石のように堅固ではないのだから、どうしていつまでも長生きすることはできるというのか。
たちまち周囲の事物と同様に変化し、しぼうしてしまうのだから、それから後に残る名誉、名声が残ることだけが大切なのだ。


(訳注)
第十一首

・第十一首 志を得ないおのれを自らいましめて、名を後世に立てようと期する詩。


回車駕言邁,悠悠涉長道。
行く当てもなく車の向きをかえ、行く当てもなく馬に引かせてはるばる長い道をゆく。
廻車 車往く所なくして廻る。暗に致仕して出直す意味。
駕言 言は助字。「ここに」または「われ」と訓ず。


四顧何茫茫,東風搖百草。
四方をかえりみるとはてしもない広野はぼうっとひろがる、春風はあたり一面の草々をゆり動かしている。
東風 五行思想で春:東:青である。


所遇無故物,焉得不速老。
そこここで出遇うものはもと見たものとおなじものが何一つないのだ、どういうものかわたしが老いてゆくのも道理なのだ。


盛衰各有時,立身苦不早。
人生に繁栄と衰退はつきものである。そういうことだから早く立身出世できないのは苦しいことなのだ。


人生非金石,豈能長壽考?
人は生まれながらにして金石のように堅固ではないのだから、どうしていつまでも長生きすることはできるというのか。
非金石 人の生死あること、金石ように長久不変なものであることはないの意。


奄忽隨物化,榮名以為寶
たちまち周囲の事物と同様に変化し、しぼうしてしまうのだから、それから後に残る名誉、名声が残ることだけが大切なのだ。
 変化、死亡すること。

古詩十九首之十 漢の無名氏(10) 漢詩<97>Ⅱ李白に影響を与えた詩529 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1404

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   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

古詩十九首 第十首
迢迢牽牛星,皎皎河漢女。
纖纖擢素手,札札弄機杼。
終日不成章,泣涕零如雨。
河漢清且淺,相去復幾許。
盈盈一水間,脈脈不得語。

天の川を隔ててはるかかなたには彦星がいて、こちらにはこうこうと白くかがやく天の川の織姫がいる。
そのきわめてほっそりした白い手を織姫はぬき出していて、サッサッとした音で織具の杼【ひ】をいそがしく通している。
終日織っても彦星を思う心の乱れでなかなか布地のあや模様ができあがらないのだ、涕、泪で雨のようにこぼれている。
この日天の河は清くすんでその上浅いという。彦星との距離も遠くはないのだ。そして逢えば互いに去って行く、また会えるのはどれほどのもないのだ。
そうして、天の川は、水みちわたるただ一筋の川となり、二人はそれを隔ててことば一つ交わさず、目と目でじっと見つめるばかりなのだろう。

銀河002

現代語訳と訳註
(本文)
古詩十九首 第十首
迢迢牽牛星,皎皎河漢女。
纖纖擢素手,札札弄機杼。
終日不成章,泣涕零如雨。
河漢清且淺,相去復幾許。
盈盈一水間,脈脈不得語。


(下し文)
迢迢【ちょうちょう】たる牽牛星、皎皎【こうこう】たる河漢の女。
纖纖【せんせん】として素手【そしゅ】を擢【ぬき】んで、札札【さつさつ】として機抒【きちょ】を弄【ろう】す。
終日【しゅうじつ】章を成さず、泣涕【きゅうてい】零【お】ちて雨の如し。
河漢清くして且つ浅し、相去る復た幾許【いくばく】ぞ。
盈盈【えいえい】たる一水の間、脈脈として語るを得ず。


(現代語訳)
天の川を隔ててはるかかなたには彦星がいて、こちらにはこうこうと白くかがやく天の川の織姫がいる。
そのきわめてほっそりした白い手を織姫はぬき出していて、サッサッとした音で織具の杼【ひ】をいそがしく通している。
終日織っても彦星を思う心の乱れでなかなか布地のあや模様ができあがらないのだ、涕、泪で雨のようにこぼれている。
この日天の河は清くすんでその上浅いという。彦星との距離も遠くはないのだ。そして逢えば互いに去って行く、また会えるのはどれほどのもないのだ。
そうして、天の川は、水みちわたるただ一筋の川となり、二人はそれを隔ててことば一つ交わさず、目と目でじっと見つめるばかりなのだろう。


(訳注)
古詩十九首 第十首

・第十首 牽牛・織女の二星を借りて、男女相思の情を叙べた詩。


迢迢牽牛星,皎皎河漢女。
天の川を隔ててはるかかなたには彦星がいて、こちらにはこうこうと白くかがやく天の川の織姫がいる。
迢迢 はるかなさま。
皎皎 白く明るいさま。旧暦6月の終わりごろから7月になると天の川がはっきりと見えるようになる。ことをいう。
河漢女 河漢は天の川、女は織女星、たなばたつめ。一年に一度を限って牽牛星と天の川で出逢う。
あまのがわ。天河・銀河・経河・河漢・銀漢・雲漢・星漢・天津・漠津等はみなその異名である。
詩経の大雅•棫樸、「倬彼雲漢、爲章于天。」小雅大東などに雲漢,銀河,天河がみえる。
天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412


纖纖擢素手,札札弄機杼。
そのきわめてほっそりした白い手を織姫はぬき出していて、サッサッとした音で織具の杼【ひ】をいそがしく通している。
 ぬき出す。腕まくり。
札札 機を織る音。
機杼 織具の杼【ひ】。緯糸を巻いた「管」をいれ
る具。これを左右に往来させて布地を織る。


終日不成章,泣涕零如雨。
終日織っても彦星を思う心の乱れでなかなか布地のあや模様ができあがらないのだ、涕、泪で雨のようにこぼれている。
 綵。織り模様。
泣涕 二字ともなみだ。


河漢清且淺,相去復幾許。
この日天の河は清くすんでその上浅いという。彦星との距離も遠くはないのだ。そして逢えば互いに去って行く、また会えるのはどれほどのもないのだ。


盈盈一水間,脈脈不得語。
そうして、天の川は、水みちわたるただ一筋の川となり、二人はそれを隔ててことば一つ交わさず、目と目でじっと見つめるばかりなのだろう。
脈脈 じっと見つめるさま。


古詩十九首之九 (9) 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩528 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1401

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古詩十九首 第九首
庭中有奇樹,綠葉發華滋。
庭の中にめずらしい樹があって、緑の葉の中につややかな花が咲いている。
攀條折其榮,將以遺所思。
その小枝をひきよせ、盛りの花を手折って、それを思う人に贈ろうと思う。
馨香盈懷袖,路遠莫致之。
花の香りは私の懐にも袖にもみちあふれているが、あの人とは路が遠くてその花を届けることができない。
此物何足貴,但感別經時。
花の枝はどうして貴重なものにするに足るものでしょうか、それはただ長い間、別れているので思いのほどを送りたいだけなのです。


現代語訳と訳註
(本文)
第九首
庭中有奇樹,綠葉發華滋。
攀條折其榮,將以遺所思。
馨香盈懷袖,路遠莫致之。
此物何足貴,但感別經時。


(下し文)
庭中に奇樹【きじゅ】有り、緑葉 華滋【かじゅ】を發【ひら】く。
條【えだ】を攀【よ】じて其の栄【はな】を折り、將に以て思ふ所に遺らんとす。
馨香【けいこう】懐袖【かいしゅう】に盈【み】つれども、路遠くして之を致す莫し。
此物何ぞ貴ぶに足らんや、但別れて時を経たるに感ずるのみ。


(現代語訳)
庭の中にめずらしい樹があって、緑の葉の中につややかな花が咲いている。
その小枝をひきよせ、盛りの花を手折って、それを思う人に贈ろうと思う。
花の香りは私の懐にも袖にもみちあふれているが、あの人とは路が遠くてその花を届けることができない。
花の枝はどうして貴重なものにするに足るものでしょうか、それはただ長い間、別れているので思いのほどを送りたいだけなのです。


(訳注)
第九首

・第九首 久しく別れている人を懐う詩。その構成および内容は第六首に似ている。


庭中有奇樹,綠葉發華滋。
庭の中にめずらしい樹があって、緑の葉の中につややかな花が咲いている。
発華滋 華滋を熟語として、花の咲き誇る潤沢なる様子。


攀條折其榮,將以遺所思。
その小枝をひきよせ、盛りの花を手折って、それを思う人に贈ろうと思う。
攀條 撃は下から上をひき、よじのぼること。枝をひきよせること。
 盛りの花。


馨香盈懷袖,路遠莫致之。
花の香りは私の懐にも袖にもみちあふれているが、あの人とは路が遠くてその花を届けることができない。


此物何足貴,但感別經時。
花の枝はどうして貴重なものにするに足るものでしょうか、それはただ長い間、別れているので思いのほどを送りたいだけなのです。


古詩十九首之八 (8) 漢詩<95>Ⅱ李白に影響を与えた詩527 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1398

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結婚の約束をしたままで迎えに来てくれない、待つ身の娘、遅いことに心を痛める娘心を詠う。

古詩十九首 第八首
冉冉孤生竹,結根泰山阿。
すくっとしなやかに伸びてゆく一本の竹がある、泰山の入り組んだところに根を張っている。
與君為新婚,兔絲附女蘿。
あなたとはじめて結婚することになるというのは、女蘿であるあなたに兔絲「ねなしかつら」のわたしがまつわりつくようなものです。
兔絲生有時,夫婦會有宜。
この「ねなしかつら」には生える時節があります、夫婦の交じり合うにも適切な時期があるものだ。
千里遠結婚,悠悠隔山陂。
あなたとははるか千里も離れていて結婚をすることにした、はるばるとはなれている間はいくつもの山阪に隔てられている。
思君令人老,軒車來何遲!
あなたを思うと身の老い衰えるような気持ちなる、お迎えの車が来るのがなんと遅いのであろうか。
傷彼蕙蘭花,含英揚光輝。
あの蕙や蘭の花も心痛めている、咲き出そうするのを内に秘めてあざやかな色を示している。
過時而不采,將隨秋草萎。
その花をとらないままでときを過ごしている、まさにこのままでは秋草ともどもしぼんでしまうということです。
君亮執高節,賤妾亦何為!

あなたが高貴な節操で操を固く守っているなら、このわたしはいつまでもお待ちするだけどうしようもないのです。


現代語訳と訳註
(本文)
第八首
冉冉孤生竹,結根泰山阿。與君為新婚,兔絲附女蘿。兔絲生有時,夫婦會有宜。千里遠結婚,悠悠隔山陂。
思君令人老,軒車來何遲!傷彼蕙蘭花,含英揚光輝。過時而不采,將隨秋草萎。君亮執高節,賤妾亦何為!


(下し文) 第八首
冉冉たる孤生の竹,根を泰山の阿【くま】に結ぶ。
君と新婚を爲すは、兎絲の女羅に附くなり。
免絲生ずるに時有り、夫婦会するに宜有り。
千里遠く婿を結び、悠悠山陂を隔つ。
君を思へば人をして老いしむ、軒車何ぞ乗ること遲き。
傷む彼の恵蘭の花、英を含みて光輝を揚ぐ。
時を過ぎて采らずんは、將に秋草の萎むに随はんとするを。
君亮に高節を執らば、賤妾亦何をか焉さん。


(現代語訳)
すくっとしなやかに伸びてゆく一本の竹がある、泰山の入り組んだところに根を張っている。
あなたとはじめて結婚することになるというのは、女蘿であるあなたに兔絲「ねなしかつら」のわたしがまつわりつくようなものです。
この「ねなしかつら」には生える時節があります、夫婦の交じり合うにも適切な時期があるものだ。
あなたとははるか千里も離れていて結婚をすることにした、はるばるとはなれている間はいくつもの山阪に隔てられている。
あなたを思うと身の老い衰えるような気持ちなる、お迎えの車が来るのがなんと遅いのであろうか。
あの蕙や蘭の花も心痛めている、咲き出そうするのを内に秘めてあざやかな色を示している。
その花をとらないままでときを過ごしている、まさにこのままでは秋草ともどもしぼんでしまうということです。
あなたが高貴な節操で操を固く守っているなら、このわたしはいつまでもお待ちするだけどうしようもないのです。


(訳注)
第八首

結婚の約束をしたままで迎えに来てくれない、待つ身の娘、遅いことに心を痛める娘心を詠う。結婚の遅いことに心を痛める娘心を詠う。この詩も一定以上の地位ある男性が女性のことを撃ったものである。


冉冉孤生竹,結根泰山阿。
すくっとしなやかに伸びてゆく一本の竹がある、泰山の入り組んだところに根を張っている。
再再 次第に進むさま。また、炉と同義に見て、弱表の義、なよなよとのひている意。
 山の隈、入りくんだところ。


與君為新婚,兔絲附女蘿。
あなたとはじめて結婚することになるというのは、女蘿であるあなたに兔絲「ねなしかつら」のわたしがまつわりつくようなものです。
・免糸・女蘿 共に蔓草、木に附くを女羅といい、草にまとうを免糸という。


兔絲生有時,夫婦會有宜。
この「ねなしかつら」には生える時節があります、夫婦の交じり合うにも適切な時期があるものだ。


千里遠結婚,悠悠隔山陂。
あなたとははるか千里も離れていて結婚をすることにした、はるばるとはなれている間はいくつもの山阪に隔てられている。
・山陂 山阪。


思君令人老,軒車來何遲!
あなたを思うと身の老い衰えるような気持ちなる、お迎えの車が来るのがなんと遅いのであろうか。
軒車 大夫以上の乗用車。轅が上方に反って前高になっている。


傷彼蕙蘭花,含英揚光輝。
あの蕙や蘭の花も心痛めている、咲き出そうするのを内に秘めてあざやかな色を示している。
蕙、蘭 共に香草、婦人自らにたとえる。


過時而不采,將隨秋草萎。
その花をとらないままでときを過ごしている、まさにこのままでは秋草ともどもしぼんでしまうということです。


君亮執高節,賤妾亦何為!
あなたが高貴な節操で操を固く守っているなら、このわたしはいつまでもお待ちするだけどうしようもないのです。
高節 心を他に移さず、独身を守る意。

古詩十九首之七 (7) 漢詩<94>Ⅱ李白に影響を与えた詩526 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1395

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星をかりて、立身出世し誠意を失った旧友を責めた詩。

     
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古詩十九首 第七首
明月皎夜光,促織鳴東壁。
中秋の月はこうこうと明るくかがやいていて、こおろぎが東の書斎の壁下で鳴いている。
玉衡指孟冬,眾星何歷歷。
北斗七星の柄杓の柄に当たる玉衡星は初冬の方角を指し、多くの星が行列をなしてきらめいている。
白露沾野草,時節忽復易。
白露の季節になった、露は野の草をうるおして、時節はたちまち秋は更けてゆく。
秋蟬鳴樹間,玄鳥逝安適。
秋せみはいまだ樹の間に鳴いているが、つばめはもうどこかへ去ってしまった。
昔我同門友,高舉振六翮。
昔わが同門の友も季節の変わりと同じで、今出世していたく羽振りのよい者のことである。
不念攜手好,棄我如遺跡。
その同門の彼らはかつて手を携えた付き合いをしたことを忘れて、わたしなど道に残した足跡のように棄てている。
南箕北有鬥,牽牛不負軛。
八月の夜空の南に箕の星があり、北には北斗星があり、「箕」といい「斗」といってもそれは名ばかりで実がともなわない。牽牛星にしても同じことで、車を引くくび木がかけられているわけではない。
良無盤石固,虛名復何益?

ほんとに盤石のような堅固な実意がなければ、朋友という虚名だけではなんの役にも立たない。

銀河002

現代語訳と訳註
(本文)
第七首
明月皎夜光,促織鳴東壁。
玉衡指孟冬,眾星何歷歷。
白露沾野草,時節忽復易。
秋蟬鳴樹間,玄鳥逝安適。
昔我同門友,高舉振六翮。
不念攜手好,棄我如遺跡。
南箕北有鬥,牽牛不負軛。
良無盤石固,虛名復何益?


(下し文)
明月皎として夜光り、促織【そくしょく】東壁に鳴く。
玉衡【ぎょくこう】孟冬を指し、衆星 何ぞ歴歴たる。
白露 野草を沾【うるお】し、時節 忽ち復た易【かわ】る
秋蝉【しゅうぜん】樹閒【じゅかん】に鳴き、玄烏 逝【さ】りて安くにか適【ゆ】く。
昔我が同門の友、高擧して六翮【りくかく】を振ふ。
手を携へし好【よしみ】を念はず、我を棄つること遺跡の如し。
南には箕【き】北には斗有り、牽牛【けんぎゅう】軛【やく】を負はず、
良に盤石【ばんじゃく】の固きこと無くんは、虚名【きょめい】復た何の益かあらん。


(現代語訳)
中秋の月はこうこうと明るくかがやいていて、こおろぎが東の書斎の壁下で鳴いている。
北斗七星の柄杓の柄に当たる玉衡星は初冬の方角を指し、多くの星が行列をなしてきらめいている。
白露の季節になった、露は野の草をうるおして、時節はたちまち秋は更けてゆく。
秋せみはいまだ樹の間に鳴いているが、つばめはもうどこかへ去ってしまった。
昔わが同門の友も季節の変わりと同じで、今出世していたく羽振りのよい者のことである。
その同門の彼らはかつて手を携えた付き合いをしたことを忘れて、わたしなど道に残した足跡のように棄てている。
八月の夜空の南に箕の星があり、北には北斗星があり、「箕」といい「斗」といってもそれは名ばかりで実がともなわない。牽牛星にしても同じことで、車を引くくび木がかけられているわけではない。
ほんとに盤石のような堅固な実意がなければ、朋友という虚名だけではなんの役にも立たない。


(訳注)
第七首
・第七首 星をかりて、立身出世し誠意を失った旧友を責めた詩。


明月皎夜光,促織鳴東壁。
中秋の月はこうこうと明るくかがやいていて、こおろぎが東の書斎の壁下で鳴いている。
・促織 こおろぎ、また、はたおり。
東壁 東の書斎の壁。西の窓は閨の窓。


玉衡指孟冬,眾星何歷歷。
北斗七星の柄杓の柄に当たる玉衡星は初冬の方角を指し、多くの星が行列をなしてきらめいている。
玉衡 北斗七星の第五星、斗柄に当たる。「玉衡孟冬を指す」とは斗柄の指す方位が、初冬の月に当たっているの意。
 「北斗七星の中央の星」玉衡星と牽牛星。衡は北斗七星の第五星。『爾雅』に星紀は斗宿と牽牛星とある。
謝霊運 『擣衣』 -#1
衡紀無淹度、晷運倐如催。白露園滋菊、秋風落庭槐。
肅肅莎雞羽、烈烈寒螿啼。夕陰結空幕、霄月皓中閨。
歴歴 分明のさま、また行列のさま。


白露沾野草,時節忽復易。
白露の季節になった、露は野の草をうるおして、時節はたちまち秋は更けてゆく。
白露 二十四節気 : 処暑→白露→秋分 二十四節気の一つ。旧暦八月(葉月)の節気。 大気が冷えて来て、露が出来始める頃。


秋蟬鳴樹間,玄鳥逝安適
秋せみはいまだ樹の間に鳴いているが、つばめはもうどこかへ去ってしまった。
秋蟬 ツクツクボーシ。
玄鳥 燕。


昔我同門友,高舉振六翮。
昔わが同門の友も季節の変わりと同じで、今出世していたく羽振りのよい者のことである。
六翮 副は羽の茎。巽の利き羽は六枚、それにはいずれも太い茎が通っている。故に六新は羽翼の意。


不念攜手好,棄我如遺跡。
その同門の彼らはかつて手を携えた付き合いをしたことを忘れて、わたしなど道に残した足跡のように棄てている。
遺跡 あとに残した足あと。顧みる価値のないこと。


南箕北有鬥,牽牛不負軛。
八月の夜空の南に箕の星があり、北には北斗星があり、「箕」といい「斗」といってもそれは名ばかりで実がともなわない。牽牛星にしても同じことで、車を引くくび木がかけられているわけではない。
 牛の頭にかけて、車を引かせるための頸木。
 

良無盤石固,虛名復何益?
ほんとに盤石のような堅固な実意がなければ、朋友という虚名だけではなんの役にも立たない。
宮島(3)

古詩十九首之六 (6) 漢詩<93>Ⅱ李白に影響を与えた詩525 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1392

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

古詩十九首 第六首
涉江采芙蓉,蘭澤多芳草。
江水をわたって蓮の花をとるのである、蘭草の茂った沢があり、たくさんの芳しい草花が咲いている。
采之欲遺誰,所思在遠道。
それをとって誰におくろうというのか。わが思う人は遠い旅路にいったままなのだ。
還顧望舊鄉,長路漫浩浩。
ふりかえって故郷の方を眺めると、はてしもない長い路がひろびろと続いているのを見られるのだ。
同心而離居,憂傷以終老。

慕う思いは、同じ心の二人でありながら、離れはなれにくらしているのだ、そのため憂と悲しみにくれてついには老いこんでしまうというものだ。

pla051

現代語訳と訳註
(本文)
 第六首
涉江采芙蓉,蘭澤多芳草。
采之欲遺誰,所思在遠道。
還顧望舊鄉,長路漫浩浩。
同心而離居,憂傷以終老。


(下し文)
江を捗【わた】りて芙蓉【ふよう】を采る、蘭澤【らんたく】芳草【ほうそう】多し。
之を采りて誰にか遺【おく】らんと欲する、思ふ所は遠道【えんどう】に在り。
還【めぐ】り顧【かえりみ】て 旧郷を望めば、長路漫として浩浩たらん。
同心にして離屈【りきょ】せば、憂傷【ゆうしょう】して以て終に老いなん。


(現代語訳)
江水をわたって蓮の花をとるのである、蘭草の茂った沢があり、たくさんの芳しい草花が咲いている。
それをとって誰におくろうというのか。わが思う人は遠い旅路にいったままなのだ。
ふりかえって故郷の方を眺めると、はてしもない長い路がひろびろと続いているのを見られるのだ。
慕う思いは、同じ心の二人でありながら、離れはなれにくらしているのだ、そのため憂と悲しみにくれてついには老いこんでしまうというものだ。


(訳注)
第六首
第六首 芳草をとって思う人に遣るのは男女・夫婦の間に多いから、この詩も男女相愛の情を述べたもの。


涉江采芙蓉,蘭澤多芳草。
江水をわたって蓮の花をとるのである、蘭草の茂った沢があり、たくさんの芳しい草花が咲いている。
芙蓉 蓮花。『楚辞』離騒で、「芰荷以爲衣兮,集芙蓉以爲裳」(芰荷を製して以て衣と為し、芙蓉を集めて以て裳と為す)とうたわれ、高潔で孤高に生きる君子の袴とされた花。
 毎年花を咲かせる多年草です。河原や池の側など水辺に好んで自生するふじばかのこと。


采之欲遺誰,所思在遠道。
それをとって誰におくろうというのか。わが思う人は遠い旅路にいったままなのだ。


還顧望舊鄉,長路漫浩浩。
ふりかえって故郷の方を眺めると、はてしもない長い路がひろびろと続いているのを見られるのだ。
還顧 旋願、回敵に同じ。頭をめぐらしてかえりみること。
浩浩 ひろびろとしてほてなきさま。


同心而離居,憂傷以終老。
慕う思いは、同じ心の二人でありながら、離れはなれにくらしているのだ、そのため憂と悲しみにくれてついには老いこんでしまうというものだ。

古詩十九首之五 (5) 漢詩<92>Ⅱ李白に影響を与えた詩524 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1389

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2012年12月1日から連載開始
唐五代詞詩・宋詞詩

『菩薩蠻 一』温庭筠   花間集

 
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

古詩十九首 第五首
西北有高樓,上與浮雲齊。
その富貴の家には西北の場所に高楼があるものだ、上れば上は浮雲の高さと同じ位ほどのものである。
交疏結綺窗,阿閣三重階。
組み合わせのすかし彫り込みに花模様の彩絹の窓をつけた四方が解放され望み台のある三階建てである。
上有弦歌聲,音響一何悲。
その上から瑟筝を鼓ち絃歌の声が聞こえてくるが、その音のひびきのなんと悲しいことであろうか。
誰能為此曲?無乃杞梁妻!
誰がこんなに能くあの曲を作ったのであろうか、それこそはあの悲曲の主、斉の杞梁の妻、孟姜女のような人ではあるまいか。
清商隨風發,中曲正徘徊。
琴と笛の和調で澄んだ音調で秋のもの悲しい声調の曲が風にのってひびいてくるが、曲の中ほどで、正規の引きであったり、ためらいかけた音階であったりする。
一彈再三嘆,慷慨有餘哀。
ひとたび弾いては再三なげき、なげいてもなげいても悲しみのつきない様子なのである。
不惜歌者苦,但傷知音希,
歌う人はその身の苦しさを惜しみはしなが、曲の心を知ってくれる聴き手がすくないことを悲しむというものだろう。
願為雙鴻鵠,奮翅起高飛。

願うことはひとつがいの鴻鵠にでもなりたいというものだろうし、翼をふるい空高く飛びたいと思うことであろう。

現代語訳と訳註
(本文)
第五首
西北有高樓,上與浮雲齊。
交疏結綺窗,阿閣三重階。
上有弦歌聲,音響一何悲。
誰能為此曲?無乃杞梁妻!
清商隨風發,中曲正徘徊。
一彈再三嘆,慷慨有餘哀。
不惜歌者苦,但傷知音希,
願為雙鴻鵠,奮翅起高飛。


(下し文)
西北に高楼有り、上は浮雲と斉し。
交疏 綺を結ぶ窓、阿閣 三重の階。
上に弦歌の声あり、音響 一に何ぞ悲しき。
誰が能く此の局を為す、無乃杞梁の妻ならんか。
清商【せいかん】風に随って発し、中曲にいて正に徘徊す。
一たび弾じて再三歎く、慷慨して 余哀有り。
歌う者の苦しみを惜しまず、但だ知音の稀なるを傷む。
願はくは双鳴の鶴と為りて、翅を奮いて起って高飛せんことを。


(現代語訳)
その富貴の家には西北の場所に高楼があるものだ、上れば上は浮雲の高さと同じ位ほどのものである。
組み合わせのすかし彫り込みに花模様の彩絹の窓をつけた四方が解放され望み台のある三階建てである。
その上から瑟筝を鼓ち絃歌の声が聞こえてくるが、その音のひびきのなんと悲しいことであろうか。
誰がこんなに能くあの曲を作ったのであろうか、それこそはあの悲曲の主、斉の杞梁の妻、孟姜女のような人ではあるまいか。
琴と笛の和調で澄んだ音調で秋のもの悲しい声調の曲が風にのってひびいてくるが、曲の中ほどで、正規の引きであったり、ためらいかけた音階であったりする。
ひとたび弾いては再三なげき、なげいてもなげいても悲しみのつきない様子なのである。
歌う人はその身の苦しさを惜しみはしなが、曲の心を知ってくれる聴き手がすくないことを悲しむというものだろう。
願うことはひとつがいの鴻鵠にでもなりたいというものだろうし、翼をふるい空高く飛びたいと思うことであろう。


(訳注)
第五首

富貴の家に嫁いだの人(芸妓が第二夫人として)が部屋に訪れる人がなく孤独で、音楽に托して意中を表わし、知音の人を求めようとする意を述べた詩である。


西北有高樓,上與浮雲齊。
その富貴の家には西北の場所に高楼があるものだ、上れば上は浮雲の高さと同じ位ほどのものである。
西北有高樓 西に閨があり、北には妾夫のかこわれた部屋があり、高楼がある。


交疏結綺窗,阿閣三重階。
組み合わせのすかし彫り込みに花模様の彩絹の窓をつけた四方が解放され望み台のある三階建てである。
交疏結綺窗 格子窓。すかし彫りの、組み合わせに彩色の紋様を彫り込み綵絹を張った飾り窓。富貴の家の娼妾の部屋の窓。
阿閣 四方が解放されていて屋根があり,あがつまや風の高殿。


上有弦歌聲,音響一何悲。
その上から瑟筝を鼓ち絃歌の声が聞こえてくるが、その音のひびきのなんと悲しいことであろうか。


誰能為此曲?無乃杞梁妻!
誰がこんなに能くあの曲を作ったのであろうか、それこそはあの悲曲の主、斉の杞梁の妻、孟姜女のような人ではあるまいか。
杞梁妻 斉の国に杞梁殖の妻が,夫の戦死を悲しみ城下で哭いていた。7日のち城壁が崩れ為に,その父と夫と子を失い悲しみを琴を奏でて歌った。歌い終わると河に身を投じて死んだ。(列女伝)孟姜女 斉の杞梁の妻; 万里の長城の人夫であった夫が過酷な労働で死んだことを知った孟姜女が号泣すると万里の長城が崩れた故事
一去燕山更不歸。造得寒衣無人送,不免自家送征衣。 一般的な見方としては、孟姜女と杞梁は夫婦であり、「杞梁の妻」とは孟姜女を指す。


清商隨風發,中曲正徘徊。
琴と笛の和調で澄んだ音調で秋のもの悲しい声調の曲が風にのってひびいてくるが、曲の中ほどで、正規の引きであったり、ためらいかけた音階であったりする。
清商 宮・商・角・微・羽。の五音の第2音,琴と笛の和調で澄んだ音調で秋のもの悲しい声調。魏文帝 『燕歌行』「援琴鳴絃發清商、短歌微吟不能長。」(琴を援き絃を鳴らして清商【せいかん】を發し、短歌 微吟【びぎん】長くするを能わず。)
杜甫『秋笛』
 清商欲盡奏,奏苦血沾衣。他日傷心極,徵人白骨歸。
 相逢恐恨過,故作發聲微。不見秋雲動,悲風稍稍飛。
徘徊 (1)目的もなく、うろうろと歩きまわること。うろつくこと。 「夜の巷(ちまた)を―する」 (2)葛藤からの逃避、精神病・痴呆などにより、無意識のうちに目的なく歩きまわること。ここではおとをためらい弾きをする。


一彈再三嘆,慷慨有餘哀。
ひとたび弾いては再三なげき、なげいてもなげいても悲しみのつきない様子なのである。


不惜歌者苦,但傷知音希,
歌う人はその身の苦しさを惜しみはしなが、曲の心を知ってくれる聴き手がすくないことを悲しむというものだろう。
知音 知己。自分の琴の演奏の良さを理解していくれる親友のこと。伯牙は琴を能くしたが、鍾子期はその琴の音によって、伯牙の心を見抜いたという。転じて自分を理解してくれる知人。
『列子、湯問』「伯牙善鼓琴。鐘子期善聽。伯牙鼓琴。志在登高山。鐘子期曰。善哉。巍巍兮若泰山。志在流水。鍾子期曰。善哉。洋洋兮若江河。伯牙所念。鐘子期必得之。伯牙游於泰山之陰。卒逢暴雨。止於巖下心悲。乃援琴而鼓之。初為霖雨之操。更造崩山之音。曲毎奏。鐘子期輒窮其趣。伯牙乃舍琴而嘆曰。善哉善哉。子之聽。夫志想象。猶吾心也。吾於何逃聲哉。」 
(下し文)
伯牙善く琴を鼓し、鍾子期善く聴く。
伯牙琴を鼓し、志泰山登るに在り、鍾子期曰く、善い哉、巍巍兮として泰山の若し、と。
志流水に在らば、鍾子期曰く、 善い哉、琴を鼓する、洋洋兮として江河の若し、と。
伯牙の念ふ所、鐘子期必ず之を得。
伯牙、泰山の陰に遊び、卒に暴雨に逢ふ。
巖下に止まりて心悲しみ、乃ち琴を援りて之を鼓す。
初め「霖雨の操」を為し、更に「崩山の音」を造す。
曲奏する毎に、鐘子期輒ち其の趣きを窮む。
伯牙乃ち琴を舎きて嘆じて曰く、善い哉、善い哉、子の聴く。
夫れ志を想像する、猶ほ吾が心のごときなり。
吾れ何に於いて声を逃れんや、と。


願為雙鴻鵠,奮翅起高飛。
願うことはひとつがいの鴻鵠にでもなりたいというものだろうし、翼をふるい空高く飛びたいと思うことであろう。
鴻鵠 「鴻」はおおとり、「鵠」はくぐいで、ともに大きな鳥、大人物のたとえ。
杜甫『三川觀水漲二十韻』「舉頭向蒼天,安得騎鴻鵠?」

三川觀水漲二十韻 杜甫 130 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 127-4

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

盛宴に列して自己の貧賎を憤る自嘲の詩。


 古詩十九首 第四首  
今日良宴会、歓楽難具陳。
今日のよい宴会出席している、その歓楽の様子はくわしくは述べたくないというものだ。
弾筝奮逸響、新声妙入神。
それは台上にひく十三絃琴の音のすぐれたひびきを聞けば、新曲の妙は人間わざとも思えない。
令徳唱高言、識曲聴其真。
さて高徳の人がりっぱな歌詞を歌えば、曲を識る者にはその真意がわかる。
斉心同所願、含意倶未申。
今日の宴会はそうした良友のみを集められており、いわばみな同心の人で、その理想も同じであるが、その意はなかなか申される通りにはいかないものなのだ。
人生寄一世、奄忽若飆塵。
人のこの世に在るは風に吹かれる塵のようなもの、たちまち吹き飛ばされてしまうものなのだ。
何不策高足、先拠要路津。
どうして、自分の持つ才能を発揮し、まず要路の人に伝手を求めることである。
無為守窮賎、轗軻長苦心。
儒者はそういうことしないで貧賎を貫き通し、不遇のままにいつまでも苦労をするものである。

第四首(今日の良宴会)
今日の良宴会、歓楽は具【つぶさ】に陳【の】べ難し。
筝を弾いて逸響【いつきょう】を奮【るる】い、新声 の妙 神に入る。
令徳【れいとく】高言を唱【とな】へば、曲を識りて其の真を聴く。    
心を斉しくして願う所を同じくするも、意を含みて倶【とも】に未だ申べず。
人生 一世に寄せること、奄忽【えんこつ】として飆塵【ひょうじん】の若し。
何ぞ高足に策【むち】うちて、先づ要路の津に拠らずして。
無為に窮賎【きゅうせん】を守り、轗軻【かんか】長【とこしな】しえに苦心する。


現代語訳と訳註
(本文)
第四首  
今日良宴会、歓楽難具陳。
弾筝奮逸響、新声妙入神。
令徳唱高言、識曲聴其真。
斉心同所願、含意倶未申。
人生寄一世、奄忽若飆塵。
何不策高足、先拠要路津。
無為守窮賎、轗軻長苦心。


(下し文)
第四首(今日の良宴会)
今日の良宴会、歓楽は具【つぶさ】に陳【の】べ難し。
筝を弾いて逸響【いつきょう】を奮【るる】い、新声 の妙 神に入る。
令徳【れいとく】高言を唱【とな】へば、曲を識りて其の真を聴く。    
心を斉しくして願う所を同じくするも、意を含みて倶【とも】に未だ申べず。
人生 一世に寄せること、奄忽【えんこつ】として飆塵【ひょうじん】の若し。
何ぞ高足に策【むち】うちて、先づ要路の津に拠らずして。
無為に窮賎【きゅうせん】を守り、轗軻【かんか】長【とこしな】しえに苦心する。


(現代語訳)
今日のよい宴会出席している、その歓楽の様子はくわしくは述べたくないというものだ。
それは台上にひく十三絃琴の音のすぐれたひびきを聞けば、新曲の妙は人間わざとも思えない。
さて高徳の人がりっぱな歌詞を歌えば、曲を識る者にはその真意がわかる。
今日の宴会はそうした良友のみを集められており、いわばみな同心の人で、その理想も同じであるが、その意はなかなか申される通りにはいかないものなのだ。
人のこの世に在るは風に吹かれる塵のようなもの、たちまち吹き飛ばされてしまうものなのだ。
どうして、自分の持つ才能を発揮し、まず要路の人に伝手を求めることである。
儒者はそういうことしないで貧賎を貫き通し、不遇のままにいつまでも苦労をするものである。


(訳注)
第四首 
 
この詩は知音知己の良友が、楽しい宴会の感動から、短い人生の間に、互いに尊敬する人物が才能を発揮する機会も無く窮賤に苦しむことを惜しみ概いた詩である。


今日良宴会、歓楽難具陳。
今日のよい宴会出席している、その歓楽の様子はくわしくは述べたくないというものだ。


弾筝奮逸響、新声妙入神。
それは台上にひく十三絃琴の音のすぐれたひびきを聞けば、新曲の妙は人間わざとも思えない。
 十三絃琴。
逸響 優れた響き。
・妙入神 霊妙なる神秘性を感じる域にはいること。又は怪しく不思議な程,上手なこと。


令徳唱高言、識曲聴其真。
さて高徳の人がりっぱな歌詞を歌えば、曲を識る者にはその真意がわかる。
令徳 善良な徳を積んだ人柄のもの。儒者の人格。
高言 功徳を積んだものが詩に歌った優れた歌詞。


斉心同所願、含意倶未申。
今日の宴会はそうした良友のみを集められており、いわばみな同心の人で、その理想も同じであるが、その意はなかなか申される通りにはいかないものなのだ。


人生寄一世、奄忽若飆塵。
人のこの世に在るは風に吹かれる塵のようなもの、たちまち吹き飛ばされてしまうものなのだ。
奄忽 たちまち見えなくなる。
・飆塵 風に翻る塵。飆は暴風または旋風。


何不策高足、先拠要路津。
どうして、自分の持つ才能を発揮し、まず要路の人に伝手を求めることである。
高足 足の速い馬,転じて,才能を言う。
要路津 要路は権力者。大切な場所(政治上の地位))
 立場上優位な場所。地位,出世上の利用となるひと,


無為守窮賎、轗軻長苦心。
儒者はそういうことしないで貧賎を貫き通し、不遇のままにいつまでも苦労をするものである。
・轗軻 車が行き悩む事,物事のうまくいかないさま。不遇の意。


古詩十九首之三 (3) 漢詩<90>Ⅱ李白に影響を与えた詩522 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1383

古詩十九首之三 (3) 漢詩<90>Ⅱ李白に影響を与えた詩522 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1383

     
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古詩十九首  第三首
青青陵上栢、磊磊礀中石。
青々とした丘の上には柏の木があり、ごろごろとした谷川の石、自然は常にこのようなものだ。
人生大地間、忽如遠行客。
天地の間において人生のはかないものであり、遠出した旅人がたちまちのうちに過ぎ去るようなものである。
斗酒相娯楽、聊厚不為薄。
せめては一斗の酒を酌みかわしてともに楽しむことであり、そうすれば結構これで十分であるし、不足などとは考えない。
駆車策駑馬、遊戯宛與洛。
足の鈍い馬であってもむちうって車ででかけるのである、宛の街や洛陽の都で遊びまくる。
洛中何欝欝、冠帯自相索。
これらの街はさすが花の都の盛んなことである。衣冠束帯姿のおえら万が、右往左往している。
長衢羅夾巷、王侯多第宅。
東西南北の大通りに小路を規則的に列ねており、そこには王侯の邸宅が建ち並んでいる。
両宮遥相望、双闕百余尺。
南北に向かい合う両宮殿ははるかにとおくのぞみ合っている、そびえ立つ宮門の高い楼閣の高さは百余尺もある。
極宴娯心意、戚戚何所迫。
この繁華街ではこころゆくまで酒宴歓楽に喜び、人生の憂い悲しみは、どうして身に迫り近寄ることがあろうか。


青青たる陵上【りょうじょう】の栢【はく】、磊磊【らいらい】たる礀中【かんちゅう】の石。
人の大地の間に生る、忽ち遠行の客の如し。
斗酒 相い娯楽しみて、聊【しばら】く厚しとして 薄しと為さざらん。
車を駆て 駑馬【どば】に策【むちう】ちて、宛と洛とに遊戯【ゆうぎ】す。
洛中 何ぞ欝欝【うつうつ】として、冠帯【かんたい】自ら相い索【もと】む。
長衢【ちょうく】夾巷【きょうこう】に羅【つら】なり、王侯 第宅【ていたく】多し。
両宮 遥かに相い望む、双闕【そうけつ】百余尺あり。
宴を極めて 心意を娯【たのし】ましぶれば、戚戚【せきせき】として 何の迫る所ぞ。


現代語訳と訳註
(本文)
第三首
青青陵上栢、磊磊礀中石。
人生大地間、忽如遠行客。
斗酒相娯楽、聊厚不為薄。
駆車策駑馬、遊戯宛與洛。
洛中何欝欝、冠帯自相索。
長衢羅夾巷、王侯多第宅。
両宮遥相望、双闕百余尺。
極宴娯心意、戚戚何所迫。


(下し文)
青青たる陵上【りょうじょう】の栢【はく】、磊磊【らいらい】たる礀中【かんちゅう】の石。
人の大地の間に生る、忽ち遠行の客の如し。
斗酒 相い娯楽しみて、聊【しばら】く厚しとして 薄しと為さざらん。
車を駆て 駑馬【どば】に策【むちう】ちて、宛と洛とに遊戯【ゆうぎ】す。
洛中 何ぞ欝欝【うつうつ】として、冠帯【かんたい】自ら相い索【もと】む。
長衢【ちょうく】夾巷【きょうこう】に羅【つら】なり、王侯 第宅【ていたく】多し。
両宮 遥かに相い望む、双闕【そうけつ】百余尺あり。
宴を極めて 心意を娯【たのし】ましぶれば、戚戚【せきせき】として 何の迫る所ぞ。


(現代語訳)
青々とした丘の上には柏の木があり、ごろごろとした谷川の石、自然は常にこのようなものだ。
天地の間において人生のはかないものであり、遠出した旅人がたちまちのうちに過ぎ去るようなものである。
せめては一斗の酒を酌みかわしてともに楽しむことであり、そうすれば結構これで十分であるし、不足などとは考えない。
足の鈍い馬であってもむちうって車ででかけるのである、宛の街や洛陽の都で遊びまくる。
これらの街はさすが花の都の盛んなことである。衣冠束帯姿のおえら万が、右往左往している。
東西南北の大通りに小路を規則的に列ねており、そこには王侯の邸宅が建ち並んでいる。
南北に向かい合う両宮殿ははるかにとおくのぞみ合っている、そびえ立つ宮門の高い楼閣の高さは百余尺もある。
この繁華街ではこころゆくまで酒宴歓楽に喜び、人生の憂い悲しみは、どうして身に迫り近寄ることがあろうか。


(訳注)
第三首
山間から都会の人間の現実世界に身を駆って、享楽と野心の中に憂いを消そうとする。最後の一句中の「戚戚」の言葉の底。人生の憂いこそ、この詩の基調である。
・第三首 人生は無常であるが、それを悲しむよりは命に安んじてしばらく行楽しょうとの意。


青青陵上栢、磊磊礀中石。
青々とした丘の上には柏の木があり、ごろごろとした谷川の石、自然は常にこのようなものだ。
・陵 高丘。
・柏 このてがしわ、ひはに似た一種の常緑樹。
・磊 磊石のごろごろしたさま
・礀 石間の水


人生大地間、忽如遠行客。
天地の間において人生のはかないものであり、遠出した旅人がたちまちのうちに過ぎ去るようなものである。


斗酒相娯楽、聊厚不為薄。
せめては一斗の酒を酌みかわしてともに楽しむことであり、そうすれば結構これで十分であるし、不足などとは考えない。
・聊厚不為薄 酒を飲んで楽しみ,多少厚くても厭わず,又,薄しともしない,転じて,しばらく,之は結構なご馳走だと思い,つまらぬものと思うまい.


駆車策駑馬、遊戯宛與洛。
足の鈍い馬であってもむちうって車ででかけるのである、宛の街や洛陽の都で遊びまくる。
・駑馬 足の鈍い馬では,あるがの意.
・宛與洛 河南省の南陽の宛県と洛陽


洛中何欝欝、冠帯自相索。
これらの街はさすが花の都の盛んなことである。衣冠束帯姿のおえら万が、右往左往している。
・欝 繁盛の状態
・冠帯 衣冠束帯,即ち貴族官僚人
・自相索 訪問し合うのを常としていること。 相追い求める。右往左往している。


長衢羅夾巷、王侯多第宅。
東西南北の大通りに小路を規則的に列ねており、そこには王侯の邸宅が建ち並んでいる。
・長衢 長い大通、衢は四方に通ずる都大路。
・羅 羅列,連なり並ぶ
第宅 邸宅


両宮遥相望、双闕百余尺。
南北に向かい合う両宮殿ははるかにとおくのぞみ合っている、そびえ立つ宮門の高い楼閣の高さは百余尺もある。
・両宮 漢代には洛陽に南北の両宮があり、七里を隔てて相対した。
・双闕 宮門の左右にある高い楼閣。


極宴娯心意、戚戚何所迫。
この繁華街ではこころゆくまで酒宴歓楽に喜び、人生の憂い悲しみは、どうして身に迫り近寄ることがあろうか。 
・戚戚 憂い,悲しみ
・何所迫 どうして身に迫り近寄ることがあろうか

古詩十九首之二 (2) 漢詩<89>Ⅱ李白に影響を与えた詩521 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1380

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古詩十九 第ニ首
青青河畔艸、欝欝園中柳。
春の青々と河のほとりの草叢でみんながいて、さかんに茂る園の柳は生き生きとしている。
盈盈楼上女、皎皎当窓牅。
見あげると高殿には、瑞々しく艶やかな女が、真白い顔を輝かして窓のほとりにのぞかせている。
娥娥紅紛粧、繊繊出素手。
そしてその女は嫦娥のように美しい紅粉のよそおい、せんせんとほっそりとした白い手を窓に当てているのが目につく。
昔為倡家女、今為蕩子婦。
彼女は昔、歓楽街娼屋の娼女であったが、今は蕩子の妾妻となっている。
蕩子行不帰、空牀難独守。
放蕩の男は出たまま帰る様子は全くない、妾女はひとり寝のさびしさに堪えがたいようすである。

青青 河畔の艸【くさ】、欝欝【うつうつ】たる園中の柳。
盈盈【えいえい】たる 楼上の女、皎皎【こうこう】として窓牅【そうゆう】に当たる。
娥娥【がが】たる紅紛の粧【よそお】い、繊繊【せんせん】として素手【そしゅ】を出す。
昔は 倡家【しょうか】の女為り、今は 蕩子【とうし】の婦【つま】と為る。
蕩子は行きて帰らず、空牀 独り守ること難し。

    
現代語訳と訳註
(本文)
第ニ首
青青河畔艸、欝欝園中柳。
盈盈楼上女、皎皎当窓牅。
娥娥紅紛粧、繊繊出素手。
昔為倡家女、今為蕩子婦。
蕩子行不帰、空牀難独守。


(下し文)
青青 河畔の艸【くさ】、欝欝【うつうつ】たる園中の柳。
盈盈【えいえい】たる 楼上の女、皎皎【こうこう】として窓牅【そうゆう】に当たる。
娥娥【がが】たる紅紛の粧【よそお】い、繊繊【せんせん】として素手【そしゅ】を出す。
昔は 倡家【しょうか】の女為り、今は 蕩子【とうし】の婦【つま】と為る。
蕩子は行きて帰らず、空牀 独り守ること難し。


(現代語訳)
春の青々と河のほとりの草叢でみんながいて、さかんに茂る園の柳は生き生きとしている。
見あげると高殿には、瑞々しく艶やかな女が、真白い顔を輝かして窓のほとりにのぞかせている。
そしてその女は嫦娥のように美しい紅粉のよそおい、せんせんとほっそりとした白い手を窓に当てているのが目につく。
彼女は昔、歓楽街娼屋の娼女であったが、今は蕩子の妾妻となっている。
放蕩の男は出たまま帰る様子は全くない、妾女はひとり寝のさびしさに堪えがたいようすである。


(訳注)    
第ニ首

此の詩は、遊治郎に身受をされた妓女の不幸な結婚をした婦人が一人寂しく留守をしているのを同情した詩。


青青河畔艸、欝欝園中柳。
春の青々と河のほとりの草叢でみんながいて、さかんに茂る園の柳は生き生きとしている。
青河畔艸 五行思想で青は春で男女の性行為が盛んな様子をイメージさせる。
鬱々 さかんに茂っているさま。柳は女性のしなやかさを示す。


盈盈楼上女、皎皎当窓牅。
見あげると高殿には、瑞々しく艶やかな女が、真白い顔を輝かして窓のほとりにのぞかせている。
皎皎 色白くひかるさま
窓牅 窓のほとりにもたれている様子。


娥娥紅紛粧、繊繊出素手。
そしてその女は嫦娥のように美しい紅粉のよそおい、せんせんとほっそりとした白い手を窓に当てているのが目につく。
娥娥 女の美しい形容。嫦娥 これは裏切られた愛の恨みを古い神話に託した歌。○嫦娥 神話中の女性。神話の英雄、羿(がい)が西方極遠の地に存在する理想国西王母の国の仙女にお願いしてもらった不死の霊薬を、その妻の嫦娥がぬすみ飲み、急に身軽くなって月世界まで飛びあがり月姫となった。漢の劉安の「淮南子」覧冥訓に登場する。なお、魯迅(1881-l936)にこの神話を小説化した「羿月」がいげつと題する小説がある。
裏切られた心の痛み故に、夜のあけるまで、こうして星や月を眺めているのだ。あなたはいま何処にいるのだろうか。月の精である嫦娥は、夫の不在中に不思議な薬を飲み、その為に空に舞いあがったのだという。そのように、人間の世界を去った嫦娥は、しかしきっと、その薬
をぬすみ飲んだ事をくやんでいるだろう。
青青と広がる天空、その極みなる、うすみどりの空の海原、それを眺めつつ、夜ごと、嫦娥は傷心しているに違いない。私を裏切った私の懐しき恋人よ。君もまた新しい快楽をなめて、身分高い人のもとに身を寄せたことを悔いながら、寒寒とした夜を過しているのではなかろうか。李商隠 『嫦娥』 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集約130首 詩の背景1.道教 2.芸妓 3.嫦娥と李商隠


昔為倡家女、今為蕩子婦。
彼女は昔、歓楽街娼屋の娼女であったが、今は蕩子の妾妻となっている。
倡家 遊女屋
蕩子 放蕩の男子。いわゆる貴公子という場合もある。


蕩子行不帰、空牀難独守。
放蕩の男は出たまま帰る様子は全くない、妾女はひとり寝のさびしさに堪えがたいようすである。

古詩十九首之一 (1) 漢詩<88>Ⅱ李白に影響を与えた詩520 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1377

     
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2012年12月1日から連載開始
唐五代詞詩・宋詞詩

『菩薩蠻 一』温庭筠   花間集

 
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

古詩十九首.其之一は「文選」にも見える.一人の一時の作でない,名称の纏めから,「文選」では作者不明.「玉台新詠」では,19首中8首は漢の枚乗の作品として収められているが、今日ではそれは疑われていて、漢の武帝時代の作ではないとされはじめている。ここでは、その考察をしない。この詩は後世に多大な影響を持つものであることでここに紹介するものである。

古詩十九首 (1) 漢詩<88>Ⅱ李白に影響を与えた詩520 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1377


古詩十九 第一首.
行行重行行、與君生別離。
別れて旅立って、昨日も今日も、歩み進めておられることでしょう、わたしは『楚辞』で世の中で最も悲しいことといわれた「生きて離別すること」で悲しみにあふれているのです。
相去萬餘里、各在天一涯。
あなたは去って行き、万里を隔てて各々が天の一方に暮らす身の上になっているのです。
道路阻且長、會面安可知。
その間の道は山河を隔て険しくそして長く果てしなく遠いのです。又逢える日は何時の日の事でしょう、
胡馬依北風、越鳥巣南枝。
北方異民族の馬は北風に身をよせていななき、南方越の鳥は技を求めて巣くうと申します。(それもこれも故郷の忘れ難いものばかり、わたしは故郷にはなり得ていないのですか。)
相去日已遠、衣帯日已緩。
故郷を去るとすべて故郷は忘れがたいものなのに、お別れしてから、日数も遠く過ぎました。悲しさのあまり、身もやせ細って、衣も帯も日増しにゆるくなるばかりです。
浮雲蔽白日、遊子不顧返。
あの浮雲はお日様をおおいかくしているから、旅人のあなたには見えないので、あなたはお帰りなさらないというのでしょう。
思君令人老、歳月忽已晩。
あなたのことを思うとにわかに年がふけるようですし、それに本当に歳月は早く暮れていくのです。
棄捐勿復道、努力加餐飯。

わが身の棄てられたことなど今さらなに言いたくありません、あなたが務めて食事をとられ、お体を大切になさいますように思い願っております。

行き行き重ねて行き行く、君と生きて別離す。
相去ること萬餘里、各々天の一涯に在り。
道路 阻にして且つ長し、會面 安くんぞ知る可けんや。
胡馬 北風に依り、越鳥 南枝に巣くう。
相去りし 日々已に遠く、衣帯は 日々已に緩む。
浮雲は 白日を蔽い、遊子は 返り顧ず。
君を思い 人をして老いせしむ、歳月 忽ち已に晩れる。
棄捐 復た道う勿からん、努力し 餐飯を加えよ。


現代語訳と訳註
(本文)
第一首.
行行重行行、與君生別離。
相去萬餘里、各在天一涯。
道路阻且長、會面安可知。
胡馬依北風、越鳥巣南枝。
相去日已遠、衣帯日已緩。
浮雲蔽白日、遊子不顧返。
思君令人老、歳月忽已晩。
棄捐勿復道、努力加餐飯。


(下し文)
行き行き重ねて行き行く、君と生きて別離す。
相去ること萬餘里、各々天の一涯に在り。
道路 阻にして且つ長し、會面 安くんぞ知る可けんや。
胡馬 北風に依り、越鳥 南枝に巣くう。
相去りし 日々已に遠く、衣帯は 日々已に緩む。
浮雲は 白日を蔽い、遊子は 返り顧ず。
君を思い 人をして老いせしむ、歳月 忽ち已に晩れる。
棄捐 復た道う勿からん、努力し 餐飯を加えよ。


(現代語訳)
別れて旅立って、昨日も今日も、歩み進めておられることでしょう、わたしは『楚辞』で世の中で最も悲しいことといわれた「生きて離別すること」で悲しみにあふれているのです。
あなたは去って行き、万里を隔てて各々が天の一方に暮らす身の上になっているのです。
その間の道は山河を隔て険しくそして長く果てしなく遠いのです。又逢える日は何時の日の事でしょう、
北方異民族の馬は北風に身をよせていななき、南方越の鳥は技を求めて巣くうと申します。(それもこれも故郷の忘れ難いものばかり、わたしは故郷にはなり得ていないのですか。)
故郷を去るとすべて故郷は忘れがたいものなのに、お別れしてから、日数も遠く過ぎました。悲しさのあまり、身もやせ細って、衣も帯も日増しにゆるくなるばかりです。
あの浮雲はお日様をおおいかくしているから、旅人のあなたには見えないので、あなたはお帰りなさらないというのでしょう。
あなたのことを思うとにわかに年がふけるようですし、それに本当に歳月は早く暮れていくのです。
わが身の棄てられたことなど今さらなに言いたくありません、あなたが務めて食事をとられ、お体を大切になさいますように思い願っております。


(訳注)
第一首.

此の詩は妻が帰らぬ夫の身を切切と思う情が流露された詩である.文字通り自然な愛情の歌とみるべきであろうが、中国の註釈家達は、古来総べての詩は道義や政治の為のものであるとして、此の詩にも裏面の意味を強いて求めようとする傾向がある。


行行重行行、與君生別離。
別れて旅立って、昨日も今日も、歩み進めておられることでしょう、わたしは『楚辞』で世の中で最も悲しいことといわれた「生きて離別すること」で悲しみにあふれているのです。
行行 留守居の女性の言葉。「閔子侍側誾誾如也,子路行行如也。」(閔子【 びんし】 、 側に侍す、誾誾如【ぎんぎんじょ】たり。子路【しろ】、行行如【こうこうじょ】たり。)
生離別 世の中で最も悲しいことは生きて離別することである.『楚辞』九歌第二 (六)少司命「悲莫悲兮生別離 樂莫樂兮新相知. 」(悲しきは生別離より悲しきはなく、楽しきは新相知より楽しきはなし。)


相去萬餘里、各在天一涯。
あなたは去って行き、万里を隔てて各々が天の一方に暮らす身の上になっているのです。
天一涯:天の果て.空と空の果て,
相去 互いにと読むが女は動かないで男の身が遠くに去る場合も互いにという語を使う。


道路阻且長、會面安可知。
その間の道は山河を隔て険しくそして長く果てしなく遠いのです。又逢える日は何時の日の事でしょう、
阻且長;山河を隔て険しく,そして,長い。


胡馬依北風、越鳥巣南枝。
北方異民族の馬は北風に身をよせていななき、南方越の鳥は技を求めて巣くうと申します。(それもこれも故郷の忘れ難いものばかり、わたしは故郷にはなり得ていないのですか。)
胡馬依北風:北方,または西方の匈奴の馬.北方の異民族(遊牧・騎馬民族)に生まれた馬は北風が吹いてくると北風に向いて嘶き,身を寄せて故郷を懐かしがるようにみえることから、故郷の忘れ難い例えとしている。
・越鳥巣南枝:南方の越の国で生まれた鳥は北の土地に連れていっも,南向きの枝に巣をかける.この句も故郷の忘れ難い例えである。


相去日已遠、衣帯日已緩。
故郷を去るとすべて故郷は忘れがたいものなのに、お別れしてから、日数も遠く過ぎました。悲しさのあまり、身もやせ細って、衣も帯も日増しにゆるくなるばかりです。
・衣帯:(1)着物と帯.装束(2)着物の帯


浮雲蔽白日、遊子不顧返。
あの浮雲はお日様をおおいかくしているから、旅人のあなたには見えないので、あなたはお帰りなさらないというのでしょう。
・浮雲:(1)浮き雲,空にうかんでいる雲.(2)自分に全く関係の無い物事の例え存在性のうすい例え,また,軽いものの例え,(論語・述而)「不義而富且貴,於我如浮雲」(3)悪人の例え,浮雲が太陽の光を遮るから言う.
・遊子:他郷にある人,旅び人.(史・高祖紀 「遊子悲故郷」)(4)人生。


思君令人老、歳月忽已晩。
あなたのことを思うとにわかに年がふけるようですし、それに本当に歳月は早く暮れていくのです。


棄捐勿復道、努力加餐飯。
わが身の棄てられたことなど今さらなに言いたくありません、あなたが務めて食事をとられ、お体を大切になさいますように思い願っております。

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漢武帝故事によれば、帝は河東(山西省) に行幸して、后土(地の神)を祀った時、汾河の中流に船をうかべて、群臣と酒くみかわし、帝京をかえりみ、欣然としてこの歌を作ったとある。


武帝:漢の武帝。(前156年~前87年)前漢の第7代皇帝(在位:紀元前141年3月9日 - 紀元前87年3月29日)。諱は徹。廟号は世宗。正式な諡号は孝武皇帝。初代皇帝高祖劉邦の曾孫に当たり、父は景帝で、生母は王氏。また、皇太子に立てられる前の王号は膠東王(こうとうおう)。

これらの体制と文景の治による多大な蓄積を背景に、宿敵匈奴への外征を開始する。高祖劉邦が冒頓単于に敗れて以来、漢はその孫の軍臣単于が君臨する匈奴に対して低姿勢で臨んでいたが、武帝は反攻作戦を画策する。
かつて匈奴に敗れて西へ落ちていった大月氏へ張騫を派遣する。大月氏との同盟で匈奴の挟撃を狙ったが、同盟は失敗に終わった。しかし張騫の旅行によりそれまで漠然としていた北西部の情勢がはっきりとわかるようになった事が後の対匈奴戦に大きく影響した。
武帝は衛青とその甥の霍去病の両将軍を登用して、匈奴に当たらせ、幾度と無く匈奴を打ち破り、西域を漢の影響下に入れた。更に李広利に命じて、大宛(現/中央アジアのフェルガナ地方)を征服し、汗血馬を獲得した。また南越国に遠征し、郡県に組み入れ、衛氏朝鮮を滅ぼして楽浪郡を初めとする漢四郡を朝鮮に置いた。
これらの成果により前漢の版図は最大にまで広がり、武帝の治世は前漢の全盛期と賞される。高祖劉邦にすら成し遂げられなかった匈奴打倒を達成した武帝は泰山に封禅の儀式を行って、自らの功績を上天に報告した。
武帝の治世の前期は漢の最盛期であり、中国史上において栄光の時代の一つでもあった。しかし、文景の治による蓄積によっての繁栄であるという見方もあり、後半の悪政も含めて考えれば武帝の評価は分かれる所である。彼自身、外交や遠征などの派手な事業については特筆すべき事柄が多いが、内政に関して見るべきものがない。むしろ、こうした地道な政治を後手に回していたきらいがあり、さかんな造作もあいまって治世末には農民反乱が頻発した。このため、後世は秦の始皇帝と並び「(英邁な資質ではあるが)大事業で民衆を疲弊させた君主」の代表例として、しばしば引き合いに出されることとなる。


秋風辭
秋風起兮白雲飛,草木黄落兮雁南歸。
秋風湧き上がり吹いて、白雲が飛び季節の変わりを知らせてくれる。草木が黄ばんで散り落ち、雁は南の方へ帰っていく。
蘭有秀兮菊有芳,懷佳人兮不能忘。
秋蘭(ふじばかま)は、君子が佩びるめでたい草であり、菊はよい花の薫りがする草である。それを見て美人をなつかしく思い、忘れることができない。 
汎樓船兮濟汾河,橫中流兮揚素波。
高楼のある屋形船を浮かべて、汾河を渡る。簫と太鼓を鳴らせば、舟歌が起こる。
簫鼓鳴兮發櫂歌,歡樂極兮哀情多。
川の流れの中程に横たえると、白い波が揚がる。群臣たちと酒をくみかわして楽しみごとが極まれば、哀しみの思いが多くなる。 
少壯幾時兮奈老何。
年若く意気盛んな時がどれほどの時間になろうか、品性は儚いものであるから、やがて迎える老年をどのようにしようか。


(秋風の辭)
秋風起こりて 白雲飛び,草木黄落して 雁南歸す。
蘭には秀【しう】有りて 菊には芳【ほう】有り,佳人を懷【おも】うて忘るる能【あた】わず。
樓船を汎【うか】べて汾河を濟【わた】り,中流を橫わりて素波【そは】を揚【あ】ぐ。
簫鼓【そうこ】鳴りて櫂歌【とうか】を發っし,歡樂 極りて哀情多し。
少壯【しょうそう】幾時【いくとき】ぞ老いを奈何【いか】にせん。


・樂府
古代の民歌。本来は漢の武帝が音楽を司る役所・楽府を設置して、音曲や歌謡を採取した処。後、そこで歌われた歌謡と詩体が同じものをも樂府と云い、同形式の古代歌謡の意味を持つようになった。「樂府」「古樂府」「漢樂府」「樂府體」「樂府詩」「樂府歌辭」ともいう。このことは、填詞(宋詞)が唐の教坊の曲に端を発しているものが多いのと酷似している。片や、漢・樂府→同一音楽の歌謡(樂府)、片や、唐・教坊→同一音楽(詞牌)の歌詞(填詞)となり、詩歌の発展の姿がよく分かる。この作品は、宋の郭茂倩『樂府詩集』巻八十四「雜歌謠辭」、『古詩源』巻一「古逸」、『文選』巻四十五等の中にある。


現代語訳と訳註
(本文)
秋風辭
秋風起兮白雲飛,草木黄落兮雁南歸。
蘭有秀兮菊有芳,懷佳人兮不能忘。
汎樓船兮濟汾河,橫中流兮揚素波。
簫鼓鳴兮發櫂歌,歡樂極兮哀情多。
少壯幾時兮奈老何。


(下し文) (秋風の辭)
秋風起こりて 白雲飛び,草木黄落して 雁南歸す。
蘭には秀【しう】有りて 菊には芳【ほう】有り,佳人を懷【おも】うて忘るる能【あた】わず。
樓船を汎【うか】べて汾河を濟【わた】り,中流を橫わりて素波【そは】を揚【あ】ぐ。
簫鼓【そうこ】鳴りて櫂歌【とうか】を發っし,歡樂 極りて哀情多し。
少壯【しょうそう】幾時【いくとき】ぞ老いを奈何【いか】にせん。


(現代語訳)
秋風湧き上がり吹いて、白雲が飛び季節の変わりを知らせてくれる。草木が黄ばんで散り落ち、雁は南の方へ帰っていく。
秋蘭(ふじばかま)は、君子が佩びるめでたい草であり、菊はよい花の薫りがする草である。それを見て美人をなつかしく思い、忘れることができない。 
高楼のある屋形船を浮かべて、汾河を渡る。簫と太鼓を鳴らせば、舟歌が起こる。
川の流れの中程に横たえると、白い波が揚がる。群臣たちと酒をくみかわして楽しみごとが極まれば、哀しみの思いが多くなる。 
年若く意気盛んな時がどれほどの時間になろうか、品性は儚いものであるから、やがて迎える老年をどのようにしようか。


(訳注)
秋風辭

漢魏六朝に流行した辞賦の影響で対句をよくしている。この詩は武帝が汾河の南方(現・山西省万栄県汾水)を巡行した際のもの。自然の情景を詠みながら、老いていく人生の歎きを詠っている。人生の悲哀を語りかけてくる。 
辞 散文の要素を持った詩体のこと。


秋風起兮白雲飛、草木黄落兮雁南歸。
秋風湧き上がり吹いて、白雲が飛び季節の変わりを知らせてくれる。草木が黄ばんで散り落ち、雁は南の方へ帰っていく。 
秋風 西風。あきかぜ。参考に下記の詩をあげた。
李白『三五七言』
秋風清、    秋月明。
落葉衆還散、  寒鴉棲復驚。
相思相見知何日、此時此夜難怠惰。
三五七言 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白171 玄宗(4


宿贊公房
〔原注〕 賛。京師大雲寺主。謫此安置。
杖錫何來此,秋風已颯然。
雨荒深院菊,霜倒半池蓮。
放逐寧違性?虛空不離禪。
相逢成夜宿,隴月向人圓。
宿贊公房 杜甫 <279> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1286 杜甫詩 700- 393

 おきる。吹き始める。 
 語調を整える助辞。押韻に似た音楽的な働きをする。古代の詩歌に多く見られる。特に『楚辞』、『詩経』に多くみる。古文復興の韓愈も好んで使用している。 
白雲飛 白雲が飛ぶ。白雲が起こる。白雲:用法により「移ろう人間の世・無情」に対して、「不変の自然・真理」という意味合いとともに、超俗的な雰囲気を持つ語で、仏教、浄土、極楽、道教では、仙界、天界の趣をもつもの。ここでは、時節の変化の意味で使う。
黄落 黄ばんで散る。落葉。 
 渡り鳥。 
南歸 南の方へ帰っていく。 秋が深まって、北方のこの場所から雁は、南の方へ帰っていく。


蘭有秀兮菊有芳、懷佳人兮不能忘。
秋蘭(ふじばかま)は、君子が佩びるめでたい草であり、菊はよい花の薫りがする草である。それを見て美人をなつかしく思い、忘れることができない。 
 ここでは、秋蘭で、フジバカマ。『史記、孔子世家』「孔子歷聘諸侯,莫能用。自衛反魯,隱谷之中,見香蘭獨茂,喟然嘆曰:“夫蘭當為王者香,今乃獨茂,與眾草為伍。”乃止車,援琴鼓之。自傷不逢時,托辭於香蘭雲。」『楚辞』『離騒』「帝高陽之苗裔兮,朕皇考曰伯庸。攝提貞於孟陬兮,惟庚寅吾以降。皇覽揆余初度兮,肇錫余以嘉名。名余曰正則兮,字余曰靈均。紛吾既有此内美兮,又重之以脩能。扈江離與辟兮,秋蘭以爲佩。」春蘭は、一般的なランになる。
 「名詞」めでたい草。動詞のばあい、ひいでる、花が咲く。稲や草の花が咲く。
 「名詞」よい花の薫り。動詞のばあい、花がかおる。
佳人 美人。宮妓。みめかたちのよい女。


汎樓船兮濟汾河、簫鼓鳴兮發櫂歌
高楼のある屋形船を浮かべて、汾河を渡る。簫と太鼓を鳴らせば、舟歌が起こる。
汎 うかべる。 
樓船 二階造りの船。屋形船。『楚辭九歌 河伯』「與女遊兮九河,衝風起兮橫波。……與女遊兮河之渚,流澌紛兮將來下。」黄河の神を祭る詩、黄河の女神の話を背景にしたもの。
 わたる。川を渡る。 
汾河 黄河の支流。汾水。五台山を水源に山西省の寧武県に源を発し、河津県で黄河に注ぎ込む。


橫中流兮揚素波、歡樂極兮哀情多
川の流れの中程に横たえると、白い波が揚がる。群臣たちと酒をくみかわして楽しみごとが極まれば、哀しみの思いが多くなる。 
橫 横たえる。横ざまにする。動詞。 
中流 川の流れの中程。河の真ん中
素波 白い波。白い波を揚げて、川の流れの中程を横切ることをいう。
簫鼓 ふえと太鼓。管楽器と打楽器で、音楽の謂い。・簫:古代のものは、ハーモニカ状に竹管の吹き口が並んだ楽器。なお、笙は吹き口が一箇所で形状は似ているものの大きく異なる。 
・發 おこる。発する。声に出す。 
櫂歌 櫂を漕ぐ時の歌声。舟歌。
・歡樂 歓楽。楽しみごと。 
極 きわまる。 
哀情 かなしみの思い。


少壯幾時兮奈老何
年若く意気盛んな時がどれほどの時間になろうか、品性は儚いものであるから、やがて迎える老年をどのようにしようか。 
・少壯 年若く意気盛んな時。年の若いことまた、その時期。二十歳代、三十歳代ぐらいまでの世代。
・幾時 どれほどの時間だろうか。 
・奈老何 老年をどのようにしようか。

上留田行 謝霊運(康楽) 詩<86>Ⅱ李白に影響を与えた詩518 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1371

上留田行 謝霊運(康楽) 詩<86>Ⅱ李白に影響を与えた詩518 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1371

     
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   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

上留田行
薄遊出彼東道,上留田,
少しばかり遊びをしようと東山に向かう道に出発しようとする、留田の高楼に上ろう。
薄遊出彼東道,上留田,
少しばかり遊びをしようと東山に向かう道に出発しようとする、留田の高楼に上ろう。
循聽一何矗矗,上留田,
何度も聞いているとひと度どうしてなのか背伸びをグウッとして見るのだ、留田の高楼に上ろう。
澄川一何皎皎,上留田,
澄みきった川に対しているとひと度どうしてなのか背伸びをしたら明るく光り輝く日がこうこうとしている、留田の高楼に上ろう。
悠哉逷矣征夫,上留田,
ゆったりできたなあ、遠くに出ようとしている出征していく太夫がいる、留田の高楼に上ろう。
悠哉逷矣征夫,上留田,
ゆったりできたなあ、遠くに出ようとしている出征していく太夫がいる、留田の高楼に上ろう。
兩服上阪電遊,上留田,
脱いだ服をきちんと折りたたんで、奥座敷に上がり込んで稲光がするほどの遊びをしている、留田の高楼に上ろう。
舫舟下遊颷驅,上留田,
船を並べて舟遊びをして楽しむのであるそして風のように立ち去っていく、留田の高楼に上ろう。
此別既久無適,上留田,
この場所と別れてしまうとしばらくは、とても長くこんなたのしみはないのだ、留田の高楼に上ろう。
此別既久無適,上留田,

この場所と別れてしまうとしばらくは、とても長くこんなたのしみはないのだ、留田の高楼に上ろう。

寸心繫在萬里,上留田,
そんな男の心の内は万里の先にあるけれどこことつながっている、留田の高楼に上ろう。
尺素遵此千夕,上留田,
手紙をもらえばここで毎日夕方になればこれを読むのです、留田の高楼に上ろう。
秋冬迭相去就,上留田,
秋がさり冬がくるとたがいに互いを思ってどう身を処するかの態度をきめる、留田の高楼に上ろう。
素雪紛紛鶴委,上留田,
白い雪がしんしんと降れば鶴に気持ちをゆだねる、留田の高楼に上ろう。
清風飈飈入袖,上留田,
新年の清々しい風が飄々と吹いて袖口から入り、留田の高楼に上ろう。
嵗云暮矣增憂,上留田,
そしてまた暮になり、年の暮れの憂いが増すのである、留田の高楼に上ろう。
嵗云暮矣增憂,上留田,
そしてまた暮になり、年の暮れの憂いが増すのである、留田の高楼に上ろう。
誠知運來詎抑,上留田,
今となって本当に知ったことは、運命・人生にとってどうしても自分を抑制行くことが大切であるということだ、留田の高楼に上ろう。
熟視年往莫留,上留田。
年を重ねた経験のある目で見ると年齢が行くと抑制したりしないことだ、留田の高楼に上ろう。


薄【いささ】か遊び彼の東の道に出でん,上留田,
薄【いささ】か遊び彼の東の道に出でん,上留田,
聴くに循【したが】って一に何ぞ矗矗【ちくちく】たる,上留田,
澄める川一に何ぞ皎皎【きょうきょう】たる,上留田,
悠【ゆう】なるかな逷【とお】きかな征夫は,上留田,
服を両つにして阪を上り電【いなびかり】のごと遊び,上留田,
舟を舫【なら】べ下り遊び颷【かぜ】のごとく駆く,上留田,
此より別れて既に久しく適【たの】しみ無し,上留田,
此より別れて既に久しく適【たの】しみ無し,上留田

寸心は繋【か】けて万里に在り,上留田,
尺素【しゃくそ】は比の千夕に遵【もち】う,上留田,
秋冬迭【たが】いに相い去り就く,上留田,
秋冬迭【たが】いに相い去り就く,上留田,
素雪【そせつ】は紛粉として鶴のごとく委【ゆだ】ね,上留田,
清風飈飈【ひょうひょう】として袖に入る,上留田,
歳 云に暮れ憂いを増す,上留田,
歳 云に暮れ憂いを増す,上留田,
誠に知る運り来たり詎【いか】んぞ抑【ふせ】がん,上留田,
熟視すれば年往【ゆ】きて留まる美し,上留田,


現代語訳と訳註
(本文)

寸心繫在萬里,上留田,
尺素遵此千夕,上留田,
秋冬迭相去就,上留田,
素雪紛紛鶴委,上留田,
清風飈飈入袖,上留田,
嵗云暮矣增憂,上留田,
嵗云暮矣增憂,上留田,
誠知運來詎抑,上留田,
熟視年往莫留,上留田。


(下し文)
寸心は繋【か】けて万里に在り,上留田,
尺素【しゃくそ】は比の千夕に遵【もち】う,上留田,
秋冬迭【たが】いに相い去り就く,上留田,
秋冬迭【たが】いに相い去り就く,上留田,
素雪【そせつ】は紛粉として鶴のごとく委【ゆだ】ね,上留田,
清風飈飈【ひょうひょう】として袖に入る,上留田,
歳 云に暮れ憂いを増す,上留田,
歳 云に暮れ憂いを増す,上留田,
誠に知る運り来たり詎【いか】んぞ抑【ふせ】がん,上留田,
熟視すれば年往【ゆ】きて留まる美し,上留田,


(現代語訳)
そんな男の心の内は万里の先にあるけれどこことつながっている、留田の高楼に上ろう。
手紙をもらえばここで毎日夕方になればこれを読むのです、留田の高楼に上ろう。
秋がさり冬がくるとたがいに互いを思ってどう身を処するかの態度をきめる、留田の高楼に上ろう。
白い雪がしんしんと降れば鶴に気持ちをゆだねる、留田の高楼に上ろう。
新年の清々しい風が飄々と吹いて袖口から入り、留田の高楼に上ろう。
そしてまた暮になり、年の暮れの憂いが増すのである、留田の高楼に上ろう。
そしてまた暮になり、年の暮れの憂いが増すのである、留田の高楼に上ろう。
今となって本当に知ったことは、運命・人生にとってどうしても自分を抑制行くことが大切であるということだ、留田の高楼に上ろう。
年を重ねた経験のある目で見ると年齢が行くと抑制したりしないことだ、留田の高楼に上ろう。


(訳注)
寸心繫在萬里,上留田,

そんな男の心の内は万里の先にあるけれどこことつながっている、留田の高楼に上ろう。
・寸心 【すんしん】ほんの少しの気持ち。自分の気持ちをへりくだっていう語。


尺素遵此千夕,上留田,
手紙をもらえばここで毎日夕方になればこれを読むのです、留田の高楼に上ろう。
尺素 手紙をいう詩語。長さ一尺のしろぎぬに書いたので尺素という。古楽府「飲馬長城窟行」に「児を呼びて鯉魚を君れば、中に尺素の書有り」。


秋冬迭相去就,上留田,
秋がさり冬がくるとたがいに互いを思ってどう身を処するかの態度をきめる、留田の高楼に上ろう。
・迭 入れかわる。抜けて他のものとかわる。
去就 1 背き離れることと、つき従うこと。 2 どう身を処するかの態度。進退。


素雪紛紛鶴委,上留田,
白い雪がしんしんと降れば鶴に気持ちをゆだねる、留田の高楼に上ろう。
素雪 白い雪。


清風飈飈入袖,上留田,
新年の清々しい風が飄々と吹いて袖口から入り、留田の高楼に上ろう。
清風 清々しい風流な時がやってくる。清々しい風は秋口の風、新春の風をいう。


嵗云暮矣增憂,上留田,
そしてまた暮になり、年の暮れの憂いが増すのである、留田の高楼に上ろう。


嵗云暮矣增憂,上留田,
そしてまた暮になり、年の暮れの憂いが増すのである、留田の高楼に上ろう。


誠知運來詎抑,上留田,
今となって本当に知ったことは、運命・人生にとってどうしても自分を抑制行くことが大切であるということだ、留田の高楼に上ろう。


熟視年往莫留,上留田。
年を重ねた経験のある目で見ると年齢が行くと抑制したりしないことだ、留田の高楼に上ろう。
熟視 年を重ねた経験のある目で見ること。

上留田行 謝霊運(康楽) 詩<81-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩509 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1344

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上留田行
薄遊出彼東道,上留田,
少しばかり遊びをしようと東山に向かう道に出発しようとする、留田の高楼に上ろう。
薄遊出彼東道,上留田,
少しばかり遊びをしようと東山に向かう道に出発しようとする、留田の高楼に上ろう。
循聽一何矗矗,上留田,
何度も聞いているとひと度どうしてなのか背伸びをグウッとして見るのだ、留田の高楼に上ろう。
澄川一何皎皎,上留田,
澄みきった川に対しているとひと度どうしてなのか背伸びをしたら明るく光り輝く日がこうこうとしている、留田の高楼に上ろう。
悠哉逷矣征夫,上留田,
ゆったりできたなあ、遠くに出ようとしている出征していく太夫がいる、留田の高楼に上ろう。
悠哉逷矣征夫,上留田,
ゆったりできたなあ、遠くに出ようとしている出征していく太夫がいる、留田の高楼に上ろう。
兩服上阪電遊,上留田,
脱いだ服をきちんと折りたたんで、奥座敷に上がり込んで稲光がするほどの遊びをしている、留田の高楼に上ろう。
舫舟下遊颷驅,上留田,
船を並べて舟遊びをして楽しむのであるそして風のように立ち去っていく、留田の高楼に上ろう。
此別既久無適,上留田,
この場所と別れてしまうとしばらくは、とても長くこんなたのしみはないのだ、留田の高楼に上ろう。
此別既久無適,上留田,
この場所と別れてしまうとしばらくは、とても長くこんなたのしみはないのだ、留田の高楼に上ろう。

寸心繫在萬里,上留田,
尺素遵此千夕,上留田,
秋冬迭相去就,上留田,
素雪紛紛鶴委,上留田,
清風飈飈入袖,上留田,
嵗云暮矣增憂,上留田,
嵗云暮矣增憂,上留田,
誠知運來詎抑,上留田,
熟視年往莫留,上留田。
 

薄【いささ】か遊び彼の東の道に出でん,上留田,
薄【いささ】か遊び彼の東の道に出でん,上留田,
聴くに循【したが】って一に何ぞ矗矗【ちくちく】たる,上留田,
澄める川一に何ぞ皎皎【きょうきょう】たる,上留田,
悠【ゆう】なるかな逷【とお】きかな征夫は,上留田,
服を両つにして阪を上り電【いなびかり】のごと遊び,上留田,
舟を舫【なら】べ下り遊び颷【かぜ】のごとく駆く,上留田,
此より別れて既に久しく適【たの】しみ無し,上留田,
此より別れて既に久しく適【たの】しみ無し,上留田,

寸心は繋【か】けて万里に在り,上留田,
尺素【しゃくそ】は比の千夕に遵【もち】う,上留田,
秋冬迭【たが】いに相い去り就く,上留田,
秋冬迭【たが】いに相い去り就く,上留田,
素雪【そせつ】は紛粉として鶴のごとく委【ゆだ】ね,上留田,
清風飈飈【ひょうひょう】として袖に入る,上留田,
歳 云に暮れ憂いを増す,上留田,
歳 云に暮れ憂いを増す,上留田,
誠に知る運り来たり詎【いか】んぞ抑【ふせ】がん,上留田,
熟視すれば年往【ゆ】きて留まる美し,上留田,


現代語訳と訳註
(本文)
上留田行
薄遊出彼東道,上留田,
薄遊出彼東道,上留田,
循聽一何矗矗,上留田,
澄川一何皎皎,上留田,
悠哉逷矣征夫,上留田,
悠哉逷矣征夫,上留田,
兩服上阪電遊,上留田,
舫舟下遊颷驅,上留田,
此別既久無適,上留田,
此別既久無適,上留田,


(下し文)
留田に上がるの行【うた】
薄【いささ】か遊び彼の東の道に出でん,上留田,
薄【いささ】か遊び彼の東の道に出でん,上留田,
聴くに循【したが】って一に何ぞ矗矗【ちくちく】たる,上留田,
澄める川一に何ぞ皎皎【きょうきょう】たる,上留田,
悠【ゆう】なるかな逷【とお】きかな征夫は,上留田,
服を両つにして阪を上り電【いなびかり】のごと遊び,上留田,
舟を舫【なら】べ下り遊び颷【かぜ】のごとく駆く,上留田,
此より別れて既に久しく適【たの】しみ無し,上留田,
此より別れて既に久しく適【たの】しみ無し,上留田,

(現代語訳)
少しばかり遊びをしようと東山に向かう道に出発しようとする、留田の高楼に上ろう。
少しばかり遊びをしようと東山に向かう道に出発しようとする、留田の高楼に上ろう。
何度も聞いているとひと度どうしてなのか背伸びをグウッとして見るのだ、留田の高楼に上ろう。
澄みきった川に対しているとひと度どうしてなのか背伸びをしたら明るく光り輝く日がこうこうとしている、留田の高楼に上ろう。
ゆったりできたなあ、遠くに出ようとしている出征していく太夫がいる、留田の高楼に上ろう。
脱いだ服をきちんと折りたたんで、奥座敷に上がり込んで稲光がするほどの遊びをしている、留田の高楼に上ろう。
船を並べて舟遊びをして楽しむのであるそして風のように立ち去っていく、留田の高楼に上ろう。
この場所と別れてしまうとしばらくは、とても長くこんなたのしみはないのだ、留田の高楼に上ろう。
この場所と別れてしまうとしばらくは、とても長くこんなたのしみはないのだ、留田の高楼に上ろう。


(訳注)
上留田行

宏調曲で歌う。この詩は魏の文帝、曹丕がそうであったのであろうか、同句の繰り返しが非常に多い。
上留田行  曹丕(貧乏な男をうたう) 
居世一何不同、上留田行。
富人食稲與粱、上留田行。
貧子食糟與糠、上留田行。
貧賤亦何傷、上留田行。
禄命懸在蒼天、上留田行。


今爾歎息、将欲誰怨、上留田行。
世に居る 一に何ぞ同じからざる、上留田行。
富人は稲と粱を食い、上留田行。
貧子は糟と糠を食い、上留田行。
貧賤なるも亦た何んぞ傷まん、上留田行。
禄命 懸りて蒼天に在り、上留田行。
今 爾 歎息し、将に誰れをか怨まんとす、上留田行。

謝靈運の詩から想像して、留田というのは歓楽街であろうと思う。○○○ 留田のおねえちゃんとはやし立てるようなイメージをする。謝安の芸妓を携えて東山
始寧の別荘の南に楼があり、そこで漢の謝安の故事、朝廷の誘いに乗らず始寧の芸妓を携えて遊んだことにならい、芸妓を待っていたが来なかったときの感情を歌ったものである
送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈
攜妓東山去。 春光半道催。
遙看若桃李。 雙入鏡中開。
 姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
遙(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。
○漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。
送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287


薄遊出彼東道,上留田,
少しばかり遊びをしようと東山に向かう道に出発しようとする、留田の高楼に上ろう。


薄遊出彼東道,上留田,
少しばかり遊びをしようと東山に向かう道に出発しようとする、留田の高楼に上ろう。


循聽一何矗矗,上留田,
何度も聞いているとひと度どうしてなのか背伸びをグウッとして見るのだ、留田の高楼に上ろう。
【じゅん】 決まったルールにしたがう。よる。「循守・循吏/因循」2 あちこちとめぐる。「循環」
矗矗【ちくちく】直立して伸びるさま。そびえ立つさま。


澄川一何皎皎,上留田,
澄みきった川に対しているとひと度どうしてなのか背伸びをしたら明るく光り輝く日がこうこうとしている、留田の高楼に上ろう。
皎皎【こうこう】明るく光り輝くさま。特に、太陽・月・雪などにいう。こうこう。


悠哉逷矣征夫,上留田,
ゆったりできたなあ、遠くに出ようとしている出征していく太夫がいる、留田の高楼に上ろう。
 ゆったりとどこまでも長く続く。・ とおく。・征夫 出征していく太夫。武士。


悠哉逷矣征夫,上留田,
ゆったりできたなあ、遠くに出ようとしている出征していく太夫がいる、留田の高楼に上ろう。


兩服上阪電遊,上留田,
脱いだ服をきちんと折りたたんで、奥座敷に上がり込んで稲光がするほどの遊びをしている、留田の高楼に上ろう。
・阪 坂道のこと。普通、坂と書く。


舫舟下遊颷驅,上留田,
船を並べて舟遊びをして楽しむのであるそして風のように立ち去っていく、留田の高楼に上ろう。
舫舟 舟と舟をつなぎあわせてあること、または、杭などに舟をつなぎとめることで、そのつなぎとめているものを「舫綱」という。

此別既久無適,上留田,
この場所と別れてしまうとしばらくは、とても長くこんなたのしみはないのだ、留田の高楼に上ろう。

此別既久無適,上留田,
この場所と別れてしまうとしばらくは、とても長くこんなたのしみはないのだ、留田の高楼に上ろう。

鞠歌行 謝霊運(康楽) 詩<80>Ⅱ李白に影響を与えた詩508 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1341

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   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

鞠歌行
德不孤兮必有鄰,唱和之契冥相因,
論語に「徳は孤ならず 必ず隣有り。」とあるが、これを唱和してこれを約束として実行すれば知らず知らずして互いに仲間内になっている。
譬如虬虎兮來風雲,亦如形聲影響陳,
たとえば水中の王者の蛟と陸の王者猛虎がほえてあばれれば風雲急をつげるというものだ、またその姿と声を聴けばその影響は言葉に尽くせない。
心歡賞兮嵗易淪,隱玉藏彩疇識真,
琴の音に合わせ歌うと心の底から喜び褒め称えることをして生き歳いきる時が沈み易くなる、『瑟操』に歌う「和氏の璧」のとおり、玉の良さを隠して磨かなければ誰もそのものが本物かどうかを知らなかったのだ。
叔牙顯,夷吾親,郢既歿,匠寢斤,
管鮑の交わりの鮑叔牙があらわれ、管 夷吾は親しくするし、荘子に言う「揮斤扶木」の郢人は既沒しているし、匠石は腕自慢のまさかりを仕舞いこみ寝ている。
覽古籍,信伊人,永言知巳感良辰。

古い書物を読んでいくと、そこに出る主人公については白井置けるものであるし、古くから長い年月掛けて伝えられた言葉というのは自分の知識として知っておく必要があり、人生が吉日に感じられるというものである。

徳は孤ならず 必ず隣有りと、唱和の契り冥【ひそ】かに相い因【よ】る。
誓【たと】えば虯虎【きゅうこ】の風雲を来たすが如く、亦た形声 影響 陳【ちん】ずるが如し。
心歡【しんかん】賞びて歳は淪【しず】み易し、玉を隠し彩を蔵し疇【たれ】か真なるを識らん。
叔牙は顯【あら】われ 夷吾は親しむ、郢は既に歿し 匠は斤【まさかり】を寝【や】む。
古籍を覧るに 伊の人を信じ、知己と永言し良辰に感ず。


現代語訳と訳註
(本文)

德不孤兮必有鄰,唱和之契冥相因,
譬如虬虎兮來風雲,亦如形聲影響陳,
心歡賞兮嵗易淪,隱玉藏彩疇識真,
叔牙顯,夷吾親,郢既歿,匠寢斤,
覽古籍,信伊人,永言知巳感良辰。


(下し文)
徳は孤ならず 必ず隣有りと、唱和の契り冥【ひそ】かに相い因【よ】る。
誓【たと】えば虯虎【きゅうこ】の風雲を来たすが如く、亦た形声 影響 陳【ちん】ずるが如し。
心歡【しんかん】賞びて歳は淪【しず】み易し、玉を隠し彩を蔵し疇【たれ】か真なるを識らん。
叔牙は顯【あら】われ 夷吾は親しむ、郢は既に歿し 匠は斤【まさかり】を寝【や】む。
古籍を覧るに 伊の人を信じ、知己と永言し良辰に感ず。


(現代語訳)
論語に「徳は孤ならず 必ず隣有り。」とあるが、これを唱和してこれを約束として実行すれば知らず知らずして互いに仲間内になっている。
たとえば水中の王者の蛟と陸の王者猛虎がほえてあばれれば風雲急をつげるというものだ、またその姿と声を聴けばその影響は言葉に尽くせない。
琴の音に合わせ歌うと心の底から喜び褒め称えることをして生き歳いきる時が沈み易くなる、『瑟操』に歌う「和氏の璧」のとおり、玉の良さを隠して磨かなければ誰もそのものが本物かどうかを知らなかったのだ。
管鮑の交わりの鮑叔牙があらわれ、管 夷吾は親しくするし、荘子に言う「揮斤扶木」の郢人は既沒しているし、匠石は腕自慢のまさかりを仕舞いこみ寝ている。
古い書物を読んでいくと、そこに出る主人公については白井置けるものであるし、古くから長い年月掛けて伝えられた言葉というのは自分の知識として知っておく必要があり、人生が吉日に感じられるというものである。


(訳注)
鞠歌行

平調曲で歌う。この詩は実に多くの故事を用いて詩意を展開する。


德不孤兮必有鄰,唱和之契冥相因。
論語に「徳は孤ならず 必ず隣有り。」とあるが、これを唱和してこれを約束として実行すれば知らず知らずして互いに仲間内になっている。
德不孤兮必有鄰 『論語』子曰、「徳不孤、必有鄰」。(子曰く、徳は孤ならず 必ず隣有り。)
先生が言われた。『道徳を実践する者は孤立しない。必ずその徳を慕って集まってくる隣人(同志・仲間)がある。』
社会において正しい道を実直に実践する君子は、周囲から受け容れられず孤立しているかのように見えることもあるが、実際には必ずそういった道徳的な人生に感化される仲間を生み出すものであり、道徳の実践者は孤独ではないのである。孤高の君子は正しき道を踏み行っていれば、必ず良き理解者や支援者を得ることができるという孔子の処世訓である。


譬如虬虎兮來風雲,亦如形聲影響陳,
たとえば水中の王者の蛟と陸の王者猛虎がほえてあばれれば風雲急をつげるというものだ、またその姿と声を聴けばその影響は言葉に尽くせない。


心歡賞兮嵗易淪,隱玉藏彩疇識真,
琴の音に合わせ歌うと心の底から喜び褒め称えることをして生き歳いきる時が沈み易くなる、『瑟操』に歌う「和氏の璧」のとおり、玉の良さを隠して磨かなければ誰もそのものが本物かどうかを知らなかったのだ。
・この二句は『瑟操』に歌う「卞和の玉の話」に基づいている。中國古代有名的玉-和氏璧,就是在玉璞的辨認上有歧見,而發生一則故事。話說春秋戰國時代,楚國人卞和在楚山得到一塊玉璞,獻給楚厲王,厲王命令
玉工檢視,玉工說是石不是玉,於是厲玉大怒,叫人砍去卞和的左腳。
楚の国にいた卞和(べんか)という人が、山中で玉の原石を見つけて楚の厲王(蚡冒)に献上した。厲王は玉石に詳しい者に鑑定させたところとただの雑石だと述べたので、厲王は怒って卞和の右足の筋を切断する刑をくだした。厲王没後、卞和は同じ石を武王に献上したが結果は同じで、今度は左足切断の刑に処せられた。文王即位後、卞和はその石を抱いて3日3晩泣き続けたので、文王がその理由を聞き、試しにと原石を磨かせたところ名玉を得たという。その際、文王は不明を詫び、卞和を称えるためその名玉に卞和の名を取り「和氏の璧」と名付けた。


叔牙顯,夷吾親,郢既歿,匠寢斤,
管鮑の交わりの鮑叔牙があらわれ、管 夷吾は親しくするし、荘子に言う「揮斤扶木」の郢人は既沒しているし、匠石は腕自慢のまさかりを仕舞いこみ寝ている。
叔牙 鮑叔牙(ほうしゅくが、生没年不詳)は中国春秋時代の斉の政治家。姓は姒、氏は封地から鮑、諱は牙、字は叔。鮑叔の方が一般的。桓公に仕えた。
夷吾 管 夷吾(かん いご)は、中国の春秋時代における斉の政治家である。桓公に仕え、覇者に押し上げた。
伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)は、古代中国・殷代末期の孤竹国(現在地不明、一説に河北省唐山市周辺)の王子の兄弟である。高名な隠者で、儒教では聖人とされる。/
郢、匠 『荘子』による荘子が恵子の墓をよぎったときの話で、「揮斤扶木」の二人の名人郢と匠の故事。 郢人(えいひと)の左官の鼻先に薄く塗った土を、匠石(しょうせき)という大工が手斧(ちょうな)を振って傷つけることなくこれを落としたという。 ここでは、釈迦・弥陀二尊の意が一致していることを喩えたもの。郢匠揮斤.【釋義】:比喻純熟、高超的技藝。 【出處】:《莊子•徐無鬼》載,匠石揮斧削去郢人塗在鼻翼上的白粉,而不傷其人。
『史記』による管仲・飽叔の仲のよい交わりのこと
順東門行 謝霊運(康楽) 詩<80>Ⅱ李白に影響を与えた詩510 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1347


覽古籍,信伊人,永言知巳感良辰。
古い書物を読んでいくと、そこに出る主人公については白井置けるものであるし、古くから長い年月掛けて伝えられた言葉というのは自分の知識として知っておく必要があり、人生が吉日に感じられるというものである。
良辰【りょうしん】よい日。吉日。吉辰。


擣衣 謝惠連 詩<83-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩515 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1362

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   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

擣衣 (謝惠連)
 布帛を、きぬたにのせて擣つ。そして衣を仕立てて、遠く出征した夫に送ろうとする、妻の心をのべたもの。


擣衣
衡紀無淹度、晷運倐如催。
玉衛星はそのすじみちに従ってとどまることなく動きめぐり、天日の運行はせきたてられるようにただしく速かに動きすすむ。
白露滋園菊、秋風落庭槐。
こうして、白露は中庭園の菊をしっとりとうるおしてくれるし、秋風は庭のえんじゅの葉を吹き落す。
肅肅莎雞羽、烈烈寒螿啼。
こおろぎは羽を動かし粛々と音をたてて、秋蟬、ひぐらしは烈烈と鳴いてうったえる。
夕陰結空幕、霄月皓中閨。」
また、夕方になると暗い雰囲気が人陰のない部屋の幕にこもり結び、宵月はねやの中まで白々とさしこみ照らす。
美人戒裳服、端飭相招攜。
美しい人達は着物を出して身づくろいをしている、そして飾り整えて互いに招きあって手を携えて行くのである。
簪玉出北房、鳴金步南階。
頭には玉のかんざしをさし北の部屋から出てきた、黄金でかざった腰の佩び珠を鳴らしながら南の階段へと歩いてくる。
楣高砧響發、楹長杵聲哀。
衣を打つ場所は軒が高くきぬたをうつ音を発しているし、柱が長いのできねの音が悲しげにひびきわたっちる。
微芳起兩袖、輕汗染雙題。」
そして、きぬたをうつ両方の袖からほのかなかおりが起ってくる、またかるい汗が両方の額じゅうを染めている。
紈素既已成、君子行不歸。
白ぎぬを既に縫い終わってしまったが、私の主は旅の行く先からまだ帰ってこない。
裁用笥中刀、縫為萬里衣。
さて箱の中から裁断刀を出して白ぎぬをたちきり、万里の遠くにある夫のための着物を縫い上げる。
盈篋自予手、幽緘俟君開。
それをわが手でこころをこめて箱につめこんだのだ、念いりに荷造りしたのを、あなたが封印の深い閉じ目解き開かれるのを待つのである。
腰帶准疇昔、不知今是非。」
ただ着物の腰まわりや帯の長さなどは以前のままにしたが、今はそれでよいのか、わるいのか、わからないので心配と悲しみに耐えられないのである。

擣衣【とうい】(衣を擣つ)
衡紀【こうき】は度に淹【とど】まる無く、晷運【きうん】は倐【たちま】ちにして催【うなが】すが如し。
白露は園菊【えんぎく】に滋【しげ】く、秋風は庭槐【ていかい】を落す。
粛粛【しゅくしゅく】として莎雞【さけい】は羽【はね】ふるい、烈烈として寒螿【かんしょう】は啼く。
夕陰は空幕に結び、霄月【しょうげつ】は中閨【ちゅうけい】に皓【ひろ】し。」

美人は裳服を戒【いあまし】め、端飭【たんしょく】して相い招攜【しょうけい】す。
簪玉【しんぎょく】もて北房より野で、鳴金【めいきん】もて南階【なんかい】に歩す。
楣【のき】は高くして砧響【ちんきょう】發し、楹【はしら】は長くして杵聲【しょせい】哀し。
微芳【びほう】は両袖に起り、軽汗【けいかん】は雙題【そうだい】を染む。」

紈素【がんそ】は既己【すで】に成れり、君子は行きて未だ歸らず。
裁つに笥中【しちゅう】の刀を用【もつ】てし、縫ひて萬里の衣と為す。
篋【はこ】に盈【み】たすは余【わ】が手よりし、幽鍼【ゆうかん】は君が開くを俟【ま】つ。
腰帯【ようたい】は疇昔【ちゅうせき】に準【なぞら】へたり、今の是非を知らず。」


現代語訳と訳註
(本文)

紈素既已成、君子行不歸。
裁用笥中刀、縫為萬里衣。
盈篋自予手、幽緘俟君開。
腰帶准疇昔、不知今是非。」


(下し文)
紈素【がんそ】は既己【すで】に成れり、君子は行きて未だ歸らず。
裁つに笥中【しちゅう】の刀を用【もつ】てし、縫ひて萬里の衣と為す。
篋【はこ】に盈【み】たすは余【わ】が手よりし、幽鍼【ゆうかん】は君が開くを俟【ま】つ。
腰帯【ようたい】は疇昔【ちゅうせき】に準【なぞら】へたり、今の是非を知らず。」


(現代語訳)
白ぎぬを既に縫い終わってしまったが、私の主は旅の行く先からまだ帰ってこない。
さて箱の中から裁断刀を出して白ぎぬをたちきり、万里の遠くにある夫のための着物を縫い上げる。
それをわが手でこころをこめて箱につめこんだのだ、念いりに荷造りしたのを、あなたが封印の深い閉じ目解き開かれるのを待つのである。
ただ着物の腰まわりや帯の長さなどは以前のままにしたが、今はそれでよいのか、わるいのか、わからないので心配と悲しみに耐えられないのである。


 (訳注)
紈素既已成、君子行不歸。

白ぎぬを既に縫い終わってしまったが、私の主は旅の行く先からまだ帰ってこない。
紈素 白の練り絹。細い絹織物を紈であり、素は白。・君子 夫。主。


裁用笥中刀、縫為萬里衣。
さて箱の中から裁断刀を出して白ぎぬをたちきり、万里の遠くにある夫のための着物を縫い上げる。
 四角な箱。こおり。・萬里衣 万里の旅に出ている人のために作る衣。


盈篋自予手、幽緘俟君開。
それをわが手でこころをこめて箱につめこんだのだ、念いりに荷造りしたのを、あなたが封印の深い閉じ目解き開かれるのを待つのである。
 長方形の竹の器。竹の行李。・幽緘 封印の深い閉じ目。


腰帶准疇昔、不知今是非。」
ただ着物の腰まわりや帯の長さなどは以前のままにしたが、今はそれでよいのか、わるいのか、わからないので心配と悲しみに耐えられないのである。
腰帶 衣の腰幅と帯。・ したがう。なぞらえる。ここでは、もとの裁(た)ち方・寸法を基準にすること。・疇昔 その昔。

擣衣 謝惠連 詩<83-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩514 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1359

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擣衣
衡紀無淹度、晷運倐如催。
玉衛星はそのすじみちに従ってとどまることなく動きめぐり、天日の運行はせきたてられるようにただしく速かに動きすすむ。
白露滋園菊、秋風落庭槐。
こうして、白露は中庭園の菊をしっとりとうるおしてくれるし、秋風は庭のえんじゅの葉を吹き落す。
肅肅莎雞羽、烈烈寒螿啼。
こおろぎは羽を動かし粛々と音をたてて、秋蟬、ひぐらしは烈烈と鳴いてうったえる。
夕陰結空幕、霄月皓中閨。」

また、夕方になると暗い雰囲気が人陰のない部屋の幕にこもり結び、宵月はねやの中まで白々とさしこみ照らす。
美人戒裳服、端飭相招攜。
美しい人達は着物を出して身づくろいをしている、そして飾り整えて互いに招きあって手を携えて行くのである。
簪玉出北房、鳴金步南階。
頭には玉のかんざしをさし北の部屋から出てきた、黄金でかざった腰の佩び珠を鳴らしながら南の階段へと歩いてくる。
楣高砧響發、楹長杵聲哀。
衣を打つ場所は軒が高くきぬたをうつ音を発しているし、柱が長いのできねの音が悲しげにひびきわたっちる。
微芳起兩袖、輕汗染雙題。」
そして、きぬたをうつ両方の袖からほのかなかおりが起ってくる、またかるい汗が両方の額じゅうを染めている。
紈素既已成、君子行不歸。
裁用笥中刀、縫為萬里衣。
盈篋自予手、幽緘俟君開。
腰帶准疇昔、不知今是非。」

擣衣【とうい】(衣を擣つ)
衡紀【こうき】は度に淹【とど】まる無く、晷運【きうん】は倐【たちま】ちにして催【うなが】すが如し。
白露は園菊【えんぎく】に滋【しげ】く、秋風は庭槐【ていかい】を落す。
粛粛【しゅくしゅく】として莎雞【さけい】は羽【はね】ふるい、烈烈として寒螿【かんしょう】は啼く。
夕陰は空幕に結び、霄月【しょうげつ】は中閨【ちゅうけい】に皓【ひろ】し。」

美人は裳服を戒【いあまし】め、端飭【たんしょく】して相い招攜【しょうけい】す。
簪玉【しんぎょく】もて北房より野で、鳴金【めいきん】もて南階【なんかい】に歩す。
楣【のき】は高くして砧響【ちんきょう】發し、楹【はしら】は長くして杵聲【しょせい】哀し。
微芳【びほう】は両袖に起り、軽汗【けいかん】は雙題【そうだい】を染む。」

紈素【がんそ】は既己【すで】に成れり、君子は行きて未だ歸らず。
裁つに笥中【しちゅう】の刀を用【もつ】てし、縫ひて萬里の衣と為す。
篋【はこ】に盈【み】たすは余【わ】が手よりし、幽鍼【ゆうかん】は君が開くを俟【ま】つ。
腰帯【ようたい】は疇昔【ちゅうせき】に準【なぞら】へたり、今の是非を知らず。」


現代語訳と訳註
(本文)

美人戒裳服、端飭相招攜。
簪玉出北房、鳴金步南階。
楣高砧響發、楹長杵聲哀。
微芳起兩袖、輕汗染雙題。」


(下し文)
美人は裳服を戒【いあまし】め、端飭【たんしょく】して相い招攜【しょうけい】す。
簪玉【しんぎょく】もて北房より野で、鳴金【めいきん】もて南階【なんかい】に歩す。
楣【のき】は高くして砧響【ちんきょう】發し、楹【はしら】は長くして杵聲【しょせい】哀し。
微芳【びほう】は両袖に起り、軽汗【けいかん】は雙題【そうだい】を染む。」


(現代語訳)
美しい人達は着物を出して身づくろいをしている、そして飾り整えて互いに招きあって手を携えて行くのである。
頭には玉のかんざしをさし北の部屋から出てきた、黄金でかざった腰の佩び珠を鳴らしながら南の階段へと歩いてくる。
衣を打つ場所は軒が高くきぬたをうつ音を発しているし、柱が長いのできねの音が悲しげにひびきわたっちる。
そして、きぬたをうつ両方の袖からほのかなかおりが起ってくる、またかるい汗が両方の額じゅうを染めている。


(訳注)
美人戒裳服、端飭相招攜。

美しい人達は着物を出して身づくろいをしている、そして飾り整えて互いに招きあって手を携えて行くのである。
美人 芸妓、ここではお妾さんというところであろうか、妻ではない。


簪玉出北房、鳴金步南階。
頭には玉のかんざしをさし北の部屋から出てきた、黄金でかざった腰の佩び珠を鳴らしながら南の階段へと歩いてくる。
簪玉 頭には玉のかんざし。・北房 かこわれた女性の部屋。・南階 外部に向けての出口のある階。


楣高砧響發、楹長杵聲哀。
衣を打つ場所は軒が高くきぬたをうつ音を発しているし、柱が長いのできねの音が悲しげにひびきわたっちる。
楣高 軒が高い衣をうつへや。井戸ばたのある部屋のようなところ。・楹長 柱が長い様子をいう。


微芳起兩袖、輕汗染雙題。」
そして、きぬたをうつ両方の袖からほのかなかおりが起ってくる、またかるい汗が両方の額じゅうを染めている。
雙題 左右二つの額。

擣衣 謝惠連 詩<83-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩513 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1356

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謝恵連(394~433)   会稽の太守であった謝方明の子。陳郡陽夏(河南省)の人。謝霊運の従弟にあたる。大謝:霊運に対して小謝と呼ばれ、後に謝朓を加えて“三謝”とも称された。幼いころから聰敏で十歳の時からよく文をつづった。430年元嘉七年、彭城王・劉義康のもとで法曹行参軍となる。詩賦にたくみで、謝霊運に対して小謝と称された。『秋懐』『擣衣』は『詩品』でも絶賛され、また楽府体詩にも優れた。『詩品』中。謝恵連・何長瑜・荀雍・羊濬之らいわゆる四友は謝靈運を頭としたグループであった。とともに詩賦や文章の創作鑑賞を楽しんだ。四友の一人。

酬従弟謝惠連 五首その(1) 謝霊運(康楽) 詩<45>Ⅱ李白に影響を与えた詩432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1113

西陵遇風獻康楽 その1 謝惠運 詩<46>Ⅱ李白に影響を与えた詩433 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1116



擣衣 (謝惠連)
 布帛を、きぬたにのせて擣つ。そして衣を仕立てて、遠く出征した夫に送ろうとする、妻の心をのべたもの。


擣衣
衡紀無淹度、晷運倐如催。
玉衛星はそのすじみちに従ってとどまることなく動きめぐり、天日の運行はせきたてられるようにただしく速かに動きすすむ。
白露滋園菊、秋風落庭槐。
こうして、白露は中庭園の菊をしっとりとうるおしてくれるし、秋風は庭のえんじゅの葉を吹き落す。
肅肅莎雞羽、烈烈寒螿啼。
こおろぎは羽を動かし粛々と音をたてて、秋蟬、ひぐらしは烈烈と鳴いてうったえる。
夕陰結空幕、霄月皓中閨。」
また、夕方になると暗い雰囲気が人陰のない部屋の幕にこもり結び、宵月はねやの中まで白々とさしこみ照らす。
美人戒裳服、端飭相招攜。
簪玉出北房、鳴金步南階。
楣高砧響發、楹長杵聲哀。
微芳起兩袖、輕汗染雙題。」
紈素既已成、君子行不歸。
裁用笥中刀、縫為萬里衣。
盈篋自予手、幽緘俟君開。
腰帶准疇昔、不知今是非。」

擣衣【とうい】(衣を擣つ)
衡紀【こうき】は度に淹【とど】まる無く、晷運【きうん】は倐【たちま】ちにして催【うなが】すが如し。
白露は園菊【えんぎく】に滋【しげ】く、秋風は庭槐【ていかい】を落す。
粛粛【しゅくしゅく】として莎雞【さけい】は羽【はね】ふるい、烈烈として寒螿【かんしょう】は啼く。
夕陰は空幕に結び、霄月【しょうげつ】は中閨【ちゅうけい】に皓【ひろ】し。」

美人は裳服を戒【いあまし】め、端飭【たんしょく】して相い招攜【しょうけい】す。
簪玉【しんぎょく】もて北房より野で、鳴金【めいきん】もて南階【なんかい】に歩す。
楣【のき】は高くして砧響【ちんきょう】發し、楹【はしら】は長くして杵聲【しょせい】哀し。
微芳【びほう】は両袖に起り、軽汗【けいかん】は雙題【そうだい】を染む。」

紈素【がんそ】は既己【すで】に成れり、君子は行きて未だ歸らず。
裁つに笥中【しちゅう】の刀を用【もつ】てし、縫ひて萬里の衣と為す。
篋【はこ】に盈【み】たすは余【わ】が手よりし、幽鍼【ゆうかん】は君が開くを俟【ま】つ。
腰帯【ようたい】は疇昔【ちゅうせき】に準【なぞら】へたり、今の是非を知らず。」


現代語訳と訳註
(本文)
擣衣 -#1
衡紀無淹度、晷運倐如催。
白露園滋菊、秋風落庭槐。
肅肅莎雞羽、烈烈寒螿啼。
夕陰結空幕、霄月皓中閨。


(下し文)
擣衣【とうい】(衣を擣つ)
衡紀【こうき】は度に淹【とど】まる無く、晷運【きうん】は倐【たちま】ちにして催【うなが】すが如し。
白露は園菊【えんぎく】に滋【しげ】く、秋風は庭槐【ていかい】を落す。
粛粛【しゅくしゅく】として莎雞【さけい】は羽【はね】ふるい、烈烈として寒螿【かんしょう】は啼く。
夕陰は空幕に結び、霄月【しょうげつ】は中閨【ちゅうけい】に皓【ひろ】し。」


(現代語訳)
玉衛星はそのすじみちに従ってとどまることなく動きめぐり、天日の運行はせきたてられるようにただしく速かに動きすすむ。
こうして、白露は中庭園の菊をしっとりとうるおしてくれるし、秋風は庭のえんじゅの葉を吹き落す。
こおろぎは羽を動かし粛々と音をたてて、秋蟬、ひぐらしは烈烈と鳴いてうったえる。
また、夕方になると暗い雰囲気が人陰のない部屋の幕にこもり結び、宵月はねやの中まで白々とさしこみ照らす。


(訳注)
擣衣 

絹布を砧でうって白練り絹に詩、衣を製する。秋の風物詩として手、出征の夫に送るために作業する女性について詠うものである。楽府題、雜曲歌辞。

『詩経』豳風(ひんぷう)「七月」(ふみづき)
七月流火、九月授衣。
一之日觱發、二之日栗烈。
無衣無褐、何以卒歲。
三之日于耜、四之日舉趾、同我婦子。
饁彼南畝、田畯至喜。
(七月には流る火あり、九月衣を授く。
一の日は觱發たり、二の日は栗烈たり。
衣無く褐無くんば、何を以てか歲を卒へん。
三の日 于(ここ)に耜(し)し、四の日 趾(あし)を舉ぐ、我が婦子とともに。
彼の南畝に饁(かれひ)す、田畯至り喜ぶ。)
に基づく句である。
<大意>七月には火星が西に流れる、九月には家族に衣を与えねばならぬ、十一月には風が寒くなり、十二月には激しく吹く、衣がなければ、どうして年を越せようか、明けて三月には鋤の手入れをし、四月には足を上げて耕さねばならぬ、我が妻子とともに、南の畑で働いていると、田んぼの役人さんがやってきて、喜びなさるだろう(流火:火は火星のこと、それが西へ流れるのを流火という、一之日:十一月をさす、田畯:田んぼを管轄する役人)

孟浩然『題長安主人壁』
久廢南山田,叨陪東閣賢。
欲隨平子去,猶未獻甘泉。
枕籍琴書滿,褰帷遠岫連。
我來如昨日,庭樹忽鳴蟬。
促織驚寒女,秋風感長年。
授衣當九月,無褐竟誰憐。
○促織 蟋蟀こおろぎ。中国ではこおろぎの鳴き声は機織りを促す声のように聞こえた。○寒女 貧乏な女。冬支度は井戸端で砧をたたいて冬着の準備をするため、その光景から冬支度をする女を寒女とする。 「擣(う)つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。○秋風 あきかぜ。西からの風。砂漠を越して山越えをし、砂塵の吹き降ろしの風になる。
○授衣 1 冬着の準備をすること。冬の用意をすること。2 陰暦9月の異称。

杜甫『擣衣』
亦知戍不返,秋至拭清砧。
已近苦寒月,況經長別心。
寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。
用盡閨中力,君聽空外音。

李白
李白『子夜呉歌其三 秋』

長安一片月、万戸擣衣声。
秋風吹不尽、総是玉関情。
何日平胡虜、良人罷遠征。

 
衡紀無淹度、晷運倐如催。
玉衛星はそのすじみちに従ってとどまることなく動きめぐり、天日の運行はせきたてられるようにただしく速かに動きすすむ。
 「北斗七星の中央の星」玉衡星と牽牛星。衡は北斗七星の第五星。『爾雅』に星紀は斗宿と牽牛星とある。・ すじみち、きまり。・ とどまる。・度 星の回転移動の度数・速度のこと。・ もよおし、うながす。追いかけ迫る意。・晷運 天日の運行。晷はひかげ。・ たちまち。


白露園滋菊、秋風落庭槐。
こうして、白露は中庭園の菊をしっとりとうるおしてくれるし、秋風は庭のえんじゅの葉を吹き落す。
・滋 潤す。・槐 えんじゅ。マメ科の植物。

槐001

肅肅莎雞羽、烈烈寒螿啼。
こおろぎは羽を動かし粛々と音をたてて、秋蟬、ひぐらしは烈烈と鳴いてうったえる。
肅肅 激しく飛ぶ鳥の羽の音。『詩経、唐風、鴇羽』「肅肅鴇羽、集于苞栩。」(肅肅たる鴇羽、苞栩に集る。)・莎雞 こおろぎ。促織。蟋蟀。・烈烈 声の多いさま。・寒螿 秋蟬。蝉に似て小さい、という。ひぐらしであろう。


夕陰結空幕、霄月皓中閨。
また、夕方になると暗い雰囲気が人陰のない部屋の幕にこもり結び、宵月はねやの中まで白々とさしこみ照らす。

東門行 漢の無名氏 詩<82>Ⅱ李白に影響を与えた詩512 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1353

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  【年代】:漢
  【作者】:漢無名氏
  【  題  】:東門行


東門行
出東門,不顧歸,來入門,悵欲悲。
城郭の東門を出て旅立ことを思い定めた、そう決意したらわが家に帰ろうとは思いはしない、妻子に心がひかれ門に入ってみると、いたましくまた悲しくなる。
盎中無斗儲,還視桁上無懸衣。
鉢の中には一升の米の貯えすらなく、ふり返って衛門掛けの上を見るに一枚の衣もかけてない。
拔劍出門去,兒女牽衣啼。
剣を抜いてうちふり、今度こそ心に決して門を出ると、わが児女が衣をひいて泣きわめいている。
他家但願富貴,賤妾與君共餔糜。
妻が「よその方はひたすら富貴を願うのに、わたしはあなたとともに貧苦に甘んじ、おかゆを食べてくらしてきました。と云い、続けて。
共餔糜,上用倉浪天故,下為黃口小兒。
共におかゆを食ってくらすのも、上の理由は天命によって貧苦の生活を余儀なくする、下の理由は幼い子供のためです。
今時清廉,難犯教言,君復自愛莫為非。
今の時代大切な事は清廉を重んじる世の中ですから、法律を犯すことはできませんから、あなたもどうぞ自重して、よくないことはしないでください。
今時清廉,難犯教言,君復自愛莫為非。
繰り返すけど、今の時代大切な事は清廉を重んじる世の中ですから、法律を犯すことはできませんから、あなたもどうぞ自重して、よくないことはしないでください。」と妻は続けたのだ。
行,吾去為遲。
夫はいう。「行かねばならないから行こう!。わたしは話している中に遅くなってしまった」。
平慎行,望君歸。
妻がまたいう「くれぐれも心を平かにもって行ないを供しみ、短気を起こされぬよう。あなたのお帰りをお待ち申します」

現代語訳と訳註
(本文)

東門行
出東門,不顧歸,來入門,悵欲悲。
盎中無斗儲,還視桁上無懸衣。

拔劍出門去,兒女牽衣啼。

他家但願富貴,賤妾與君共餔糜。
共餔糜,上用倉浪天故,下為黃口小兒。
今時清廉,難犯教言,君復自愛莫為非。
今時清廉,難犯教言,君復自愛莫為非。
行,吾去為遲。
平慎行,望君歸。


(下し文)
(東門行)
東門を出でて、締るを顧【おも】はず、来りて門に入り、悵として悲しまんと欲す。
盎中に斗儲無く、還って桁上【こうじょう】を視るに懸衣【けんい】無し。
剣を抜いて門を出で去けば、兒女衣を牽いて啼く。
「他家は但富貴を願ふに、餞妾【せんしょう】は君と共に糜【び】を餔【くら】ふ。
共に糜【び】を餔【くら】は、上は倉浪の天の故を用てし、下は黄口の小兒の爲めなり。
 今時清廉、教言を犯し難し、君復た自愛して非を為すこと莫れ。
今時清廉、教言を犯し難し、君復た自愛して非を為すこと莫れ。」
「行かん,吾れ去ることの為めに遲し。」
「平かに行を慎しめ,君が歸るを望まん」。


(現代語訳)
城郭の東門を出て旅立ことを思い定めた、そう決意したらわが家に帰ろうとは思いはしない、妻子に心がひかれ門に入ってみると、いたましくまた悲しくなる。
鉢の中には一升の米の貯えすらなく、ふり返って衛門掛けの上を見るに一枚の衣もかけてない。
剣を抜いてうちふり、今度こそ心に決して門を出ると、わが児女が衣をひいて泣きわめいている。
妻が「よその方はひたすら富貴を願うのに、わたしはあなたとともに貧苦に甘んじ、おかゆを食べてくらしてきました。と云い、続けて。
共におかゆを食ってくらすのも、上の理由は天命によって貧苦の生活を余儀なくする、下の理由は幼い子供のためです。
今の時代大切な事は清廉を重んじる世の中ですから、法律を犯すことはできませんから、あなたもどうぞ自重して、よくないことはしないでください。
繰り返すけど、今の時代大切な事は清廉を重んじる世の中ですから、法律を犯すことはできませんから、あなたもどうぞ自重して、よくないことはしないでください。」と妻は続けたのだ。
夫はいう。「行かねばならないから行こう!。わたしは話している中に遅くなってしまった」。
妻がまたいう「くれぐれも心を平かにもって行ないを供しみ、短気を起こされぬよう。あなたのお帰りをお待ち申します」


(訳注)
東門行

東門行 貧士が志をいだいて家を出る時、妻と問答する詩である。これを前出の西門行と比べると、共に長短句を混じた楽府であるが、思想的には相対立し、これは頗る道義的なものである。


出東門,不顧歸,來入門,悵欲悲。
城郭の東門を出て旅立ことを思い定めた、そう決意したらわが家に帰ろうとは思いはしない、妻子に心がひかれ門に入ってみると、いたましくまた悲しくなる。


盎中無斗儲,還視桁上無懸衣。
鉢の中には一升の米の貯えすらなく、ふり返って衛門掛けの上を見るに一枚の衣もかけてない。
 鉢や皿の類。・斗儲 一斗のたくわえ。一斗は大約わが一升ほど。・桁上 衛門掛けの上。ハンガーの上。


拔劍出門去,兒女牽衣啼。
剣を抜いてうちふり、今度こそ心に決して門を出ると、わが児女が衣をひいて泣きわめいている。
抜剣 決心せるさま。


他家但願富貴,賤妾與君共餔糜。
妻が「よその方はひたすら富貴を願うのに、わたしはあなたとともに貧苦に甘んじ、おかゆを食べてくらしてきました。と云い、続けて。


共餔糜,上用倉浪天故,下為黃口小兒。
共におかゆを食ってくらすのも、上の理由は天命によって貧苦の生活を余儀なくする、下の理由は幼い子供のためです。
上用 この用は、以に同じ。事の原因、理由を表わす語。・槍浪天 蒼天。蒼天の故とは天命によって貧苦の生活を余儀なくするとの意。・黄口 幼小の意。


今時清廉,難犯教言,君復自愛莫為非。
今の時代大切な事は清廉を重んじる世の中ですから、法律を犯すことはできませんから、あなたもどうぞ自重して、よくないことはしないでください。
教言 教令諭告の詞、法律のこと。


今時清廉,難犯教言,君復自愛莫為非。
繰り返すけど、今の時代大切な事は清廉を重んじる世の中ですから、法律を犯すことはできませんから、あなたもどうぞ自重して、よくないことはしないでください。」と妻は続けたのだ。


行,吾去為遲。
夫はいう。「行かねばならないから行こう!。わたしは話している中に遅くなってしまった」。


平慎行,望君歸。
妻がまたいう「くれぐれも心を平かにもって行ないを供しみ、短気を起こされぬよう。あなたのお帰りをお待ち申します」


東門行
出東門,不顧歸,來入門,悵欲悲。
盎中無斗儲,還視桁上無懸衣。
拔劍出門去,兒女牽衣啼,他家但願富貴,賤妾與君共餔糜。
共餔糜,上用倉浪天故,下為黃口小兒。
今時清廉,難犯教言,君復自愛莫為非。
今時清廉,難犯教言,君復自愛莫為非。
行,吾去為遲,平慎行,望君歸。

(東門行)
東門を出でて、締るを顧【おも】はず、来りて門に入り、悵として悲しまんと欲す。
盎中に斗儲無く、還って桁上【こうじょう】を視るに懸衣【けんい】無し。
剣を抜いて門を出で去けば、兒女衣を牽いて啼く。
「他家は但富貴を願ふに、餞妾【せんしょう】は君と共に糜【び】を餔【くら】ふ。
共に糜【び】を餔【くら】は、上は倉浪の天の故を用てし、下は黄口の小兒の爲めなり。
 今時清廉、教言を犯し難し、君復た自愛して非を為すこと莫れ。
今時清廉、教言を犯し難し、君復た自愛して非を為すこと莫れ。」
「行かん,吾れ去ることの為めに遲し。」
「平かに行を慎しめ,君が歸るを望まん」。

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第一回李商隠 1 錦瑟
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古詩源 漢の無名氏『西門行』。
西門行
出西門、歩念之、今日不作樂、當待何時。
歓楽街のある西門を出たのであるが、歩きながらおもいかえしてみる、今日、楽しいことはしていない、こんなことではいったいいつ楽しむことができるというのだ。
夫爲樂、爲樂當及時。
そもそも悦楽をえようというのなら、楽しむべき時に逃さないようにしないといけないのだ。
何能坐愁拂鬱、當復待來茲。
どうして座ったままでくよくよし悶々と苦悩したとしてまさに来年まで待たなければいけないなんてことはあるまいに。
飲醇酒、炙肥牛、請呼心所歡、可用解愁憂。
よい酒を飲み、肥えた牛の肉を炙り、自分の心から許せる相手をよびたいのだ、そのうえで初めて心の憂いを解消することが出来るというものなのだ。
人生不滿百、常懷千歳憂。
人生は百年にも満たないというのに、常に千年後の憂いを心配するおろかなものである。
晝短而夜長、何不秉燭游。
秋の日は昼は短くして夜は長いのが苦であるなら、明かりを照らし夜を比に継ぎ足して遊ばないのだ。(毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。)
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
仙人の王子喬ではないから寿命を数えたところで他人と寿命時期を同じようにすることなど難しいのだ。
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
王子喬のような仙人ではないから、寿命を数えたところでたかが知れたものということだ。
人壽非金石、年命安可期。
人の寿命は金石のように不変ではないのだ。いつまでもいきると予測できる命ではないのた。
財愛惜費、但爲後世嗤。
財貨をむさぼり、出費を惜しむことだけをしたとしても、その結果はただ、後世の笑われ草、嗤となるだけのことである。



現代語訳と訳註
(本文)
西門行

出西門、歩念之、今日不作樂、當待何時。
夫爲樂、爲樂當及時。
何能坐愁拂鬱、當復待來茲。
飲醇酒、炙肥牛、請呼心所歡、可用解愁憂。
人生不滿百、常懷千歳憂。
晝短而夜長、何不秉燭游。
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
人壽非金石、年命安可期。
貪財愛惜費、但爲後世嗤。


(下し文)
西門行 【せいもんきょう】
西門を出で、歩みて之を念う、今日 樂しみを作さずんば、當【まさ】に何れの時をか待つべき。
夫れ樂しみを爲さん、樂しみを爲すには當に時に及ぶべし。
何んぞ能く坐し愁えて鬱を拂いて、當に復た來茲を待んや。
醇酒【じゅんしゅ】を飲み、肥牛【ひぎゅう】を炙り、請する心に歡ぶ所を呼べば、用って愁憂を解く可けん。
人生は百に滿たず、常に千歳の憂いを懷う。
晝【ひる】短くして夜長く、何ぞ燭游を秉らざるや。
仙人王子喬に非らざるより、計會して壽命【じゅみょう】を與に期するを難し。
仙人王子喬に非らざるより、計會して壽命【じゅみょう】を與に期するを難し。
人壽は金石に非らず、年命安くんぞ期す可けん。
財を貪【むさぼ】りて費を愛惜すれば、但 後世の嗤【わらび】と爲るのみ。


(現代語訳)
歓楽街のある西門を出たのであるが、歩きながらおもいかえしてみる、今日、楽しいことはしていない、こんなことではいったいいつ楽しむことができるというのだ。
そもそも悦楽をえようというのなら、楽しむべき時に逃さないようにしないといけないのだ。
どうして座ったままでくよくよし悶々と苦悩したとしてまさに来年まで待たなければいけないなんてことはあるまいに。
よい酒を飲み、肥えた牛の肉を炙り、自分の心から許せる相手をよびたいのだ、そのうえで初めて心の憂いを解消することが出来るというものなのだ。
人生は百年にも満たないというのに、常に千年後の憂いを心配するおろかなものである。
秋の日は昼は短くして夜は長いのが苦であるなら、明かりを照らし夜を比に継ぎ足して遊ばないのだ。(毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。)
仙人の王子喬ではないから寿命を数えたところで他人と寿命時期を同じようにすることなど難しいのだ。
王子喬のような仙人ではないから、寿命を数えたところでたかが知れたものということだ。
人の寿命は金石のように不変ではないのだ。いつまでもいきると予測できる命ではないのた。
財貨をむさぼり、出費を惜しむことだけをしたとしても、その結果はただ、後世の笑われ草、嗤となるだけのことである。


(訳注)
西門行

・城郭における西門は遊郭のある歓楽街の門である。この詩は時を逸せず快楽を得るものだという享楽思想を詠ったもので貴族の遊びの歌である。したがって、駢儷文のような歯切れの良さと抑揚をもって詠うものであった。

出西門、歩念之、今日不作樂、當待何時。
歓楽街のある西門を出たのであるが、歩きながらおもいかえしてみる、今日、楽しいことはしていない、こんなことではいったいいつ楽しむことができるというのだ。


夫爲樂、爲樂當及時。
そもそも悦楽をえようというのなら、楽しむべき時に逃さないようにしないといけないのだ。


何能坐愁拂鬱、當復待來茲。
どうして座ったままでくよくよし悶々と苦悩したとしてまさに来年まで待たなければいけないなんてことはあるまいに。
來茲 来年。句の頭に來ると、謝靈運『白石巖下徑行田詩』「天鑒儻不孤。來茲驗微誠。」來茲[読み]まさに~すべし;応(應)~ [意味]おそらく(きっと)~だろう。

白石巌下径行田詩 #1 謝霊運<18>  詩集 383


飲醇酒、炙肥牛、請呼心所歡、可用解愁憂。
よい酒を飲み、肥えた牛の肉を炙り、自分の心から許せる相手をよびたいのだ、そのうえで初めて心の憂いを解消することが出来るというものなのだ。


人生不滿百、常懷千歳憂。
人生は百年にも満たないというのに、常に千年後の憂いを心配するおろかなものである。
この句からは、古詩十九首其十五とおなじ。

晝短而夜長、何不秉燭游。
秋の日は昼は短くして夜は長いのが苦であるなら、明かりを照らし夜を比に継ぎ足して遊ばないのだ。(毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。)
・秉燭 蝋燭を手に取るのではなく、燃えていると暗くなるので燃え尽きた部分を切ると再び明るくなる。このことで「燭を秉る」とは芯を取り換えることを言い、一晩中と意味になる。ここでは昼が短いので次の夜もつないでずっとということになる。秋から冬の長い夜全部つないでと考えると味わい深い。
古風五十九首 其二十三
秋露白如玉、團團下庭綠。
我行忽見之、寒早悲歲促。
人生鳥過目、胡乃自結束。
景公一何愚、牛山淚相續。
物苦不知足、得隴又望蜀。
人心若波瀾、世路有屈曲。
三萬六千日、夜夜當秉燭。
秋の霧は白くて宝玉のように輝いている。まるく、まるく、庭の木の下に広がっている縁の上におりている。
わたしの行く先々で、どこでもそれを見たものだ。寒さが早く来ている、悲しいことに年の瀬がおしせまっている。
人生は、鳥が目のさきをかすめて飛ぶ瞬間にひとしい。それなのに、どうして儒教者たちは自分で自分を束縛することをするのか。
むかしの斉の景公は、じつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はどうして死んでしまうのかと歎いて、涙をとめどもなく流した。
世間の人間が満足を知らないというのは困ったことだ。隴が手に入ると、蜀まで欲しくなるものなのだ。
人の心はあたかも大波のようだ。そして、処世の道には曲りくねりがある。
人生、三万六千日、毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。

古風 其二十三 李白113


春夜宴桃李園序 李白116

天地者,萬物之逆旅;
光陰者,百代之過客。

浮生若夢,爲歡幾何?
古人秉燭夜遊,良有以也。

陽春召我以煙景,大塊假我以文章。
會桃李之芳園,序天倫之樂事。
群季俊秀,皆爲惠連。
吾人詠歌,獨慚康樂。
幽賞未已,高談轉清。
開瓊筵以坐華,飛羽觴而醉月。
不有佳作,何伸雅懷?
如詩不成,罰依金谷酒斗數。

春夜桃李園宴序李白116


自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
仙人の王子喬ではないから寿命を数えたところで他人と寿命時期を同じようにすることなど難しいのだ。


自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
王子喬のような仙人ではないから、寿命を数えたところでたかが知れたものということだ。
王子喬に関する詩(1)  
謝霊運(康楽) 『登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。』 「倘遇浮丘公,長絕子徽音。」
あるいは、もし、山中で浮丘公のような仙人にあうようなことがあったならは、王子喬がそのまま山にとどまったように永久に君のおたよりを貰えぬことになるだろう。 
浮斤公 列仙伝に「王子喬は好んで笙を吹く。道人の浮丘公は接して以て嵩山にのぼる」。周の霊王の太子。笙を吹くことを好み、とりわけ鳳凰の鳴き声を出すことが得意だった。王子喬がある時、河南省の伊水と洛水を漫遊した時に、浮丘公という道士に出逢った。王子喬は、その道士について嵩山に登っていった。そこにいること三十余年、浮丘公の指導の下、仙人になった。その後、王子喬は白い鶴に乗って、飛び去った、という『列仙傳』に出てくる故事中の人物。
微音 りっぱななたより。
登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<65-4>Ⅱ李白に影響を与えた詩486 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1275

王子喬に関する詩(2)
謝靈運『石室山詩』「微戎無遠覽。總笄羨升喬。」
あの昔の微子啓と公子罷戎の同盟を結んだはるかに遠い出来事として見ることはできないし、髪の毛を束ねて役人の簪をつけたとして趙升や王子喬の仙人を羨ましがっているのだ。
微戎 微子啓(鄭の王)と罷戎(楚の公子)のこと。B.C.564閏12月、鄭が晋についたので、楚恭王は鄭を討たれ、その後楚と和睦したので、公子罷戎は鄭に使いして同盟を結んだ。・總笄 總は髪の毛を束ねること。笄はかんざし。・ 趙升のこと。漢代の仙人,生卒年均不詳,道教天師道創始者張道陵の弟子。・喬 王子喬【おうしきょう】のこと。中国、周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙(しょう)を吹いて雲中を飛んだという。
石室山詩 謝霊運(康楽) 詩<55-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩443 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1146

王子喬に関する詩(3)
孟浩然『將適天臺,留別臨安李主簿』「羽人在丹丘,吾亦從此逝。」
仙境の道士たちは丹を練り、天台山で道を求めてしゅぎょうしている。私もまたその地へ赴いていこうとしている。
羽人 中国の道教において、仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得た人を指す。羽人、僊人ともいう。 道教の不滅の真理である、道(タオ)を体現した人とされる。○丹丘 胡紫陽の事蹟は李白の作「漢東紫陽先生碑銘」あり、ここに詳しく伝えられている。 「胡紫陽は代々道士の家に生れ、九歳で出家し、十二歳から穀類を食うことをやめ(これが修行の第一段階である)、二十歳にして衡山(五嶽の一、南嶽、湖南省衡陽の北)に遊んだ。(この後は欠文があって判りにくいが、その後、召されて威儀及び天下採経使といふ道教の官に任ぜられ、隋州に飡霞楼を置いたなどのことが書かれている。)彼の道統は漢の三茅(茅盈、茅固、茅衷の三兄弟)、晋の許穆父子等に流を発し、その後、陳の陶弘景(陶隠居)、その弟子唐の王遠知(昇元先生)、その弟子潘師正(体元先生)、その弟子で李白とも交りのあった司馬承禎(貞一先生)を経て、李含光より伝はった。弟子は三千余人あったが、天宝の初、その高弟元丹邱はこれに嵩山(スウザン)及び洛陽に於いて伝籙をなさんことを乞うたが、病と称して往かぬといふ高潔の士であった。その後、いくばくもなくして玄宗に召されると、止むを得ないで赴いたが、まもなく疾と称して帝城を辞した。その去る時には王公卿士みな洛陽の龍門まで送ったが、葉県(河南省)まで来て、王喬(また王子喬、王子晋といい周の王子で仙人だったと)の祠に宿ったとき、しずかに仙化した。この年十月二十三日、隋州の新松山に葬った。時に年六十二歳であった。」 と示しており、李白が紫陽と親交あり、紫陽の説教の十中の九を得たことをいっている。李白にはまた別に「隋州の紫陽先生の壁に題す」という詩があり、紫陽との交りを表している。しかし胡紫陽先生よりも、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、12首もある。
「楚辞」遠遊に「仍羽人於丹丘兮、留不死之旧郷」、孫綽「遊天台山賦」に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」とある。
將適天臺,留別臨安李主簿 孟浩然26 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -333


王子喬に関する詩(4)
李白『古風五十九首 其七』「兩兩白玉童。雙吹紫鸞笙。」
左右に、白玉のように美しいお顔の童子う従えて、ともに紫檀で鷲のかたちの笙を奏でている。
○白玉童 白玉のような清らかな顔の童子。○紫鸞笙 王子喬という仙人は笙の名手であったが、かれの笙は紫檀で鳳翼にかたどって製ってあった。鸞は、鳳風の一種。

古風五十九首 其七 李白 108/350


人壽非金石、年命安可期。
人の寿命は金石のように不変ではないのだ。いつまでもいきると予測できる命ではないのた。


貪財愛惜費、但爲後世嗤。
財貨をむさぼり、出費を惜しむことだけをしたとしても、その結果はただ、後世の笑われ草、嗤となるだけのことである。

順東門行 謝霊運(康楽) 詩<79>Ⅱ李白に影響を与えた詩507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1338

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順東門行
出西門,眺雲間,揮斤扶木墜虞泉,
西門を出ることは閨を後にするか、歓楽から出ること、振り返ると薄もやの中に妓女をのぞむ。斧をふるいうまく枝を断ち切る『荘子』に出る二人の名人郢と匠の故事ように上手な技術で美人の泉を陥落させた。
信道人,鑒徂川,思樂暫捨誓不旋,
浄土信仰を信じる者にとって、川は低きに流れゆく当たり前のこととして、歓楽を思うことはしばらくは捨てると誓い人生を迷うことない。
閔九九,傷牛山,宿心載違徒昔言,
古代の禹帝の子啟【けい】が勤勉によって九辯九歌を得たのに死ねば憐れだし、孟子が言われた牛山の木にしても斧できればただの木で、前々からの志があってもそれは昔の人が言うようにはなりはしない。
競運落,務頹年,招命儕好相追牽,
良い時には思いもしなかったが運が落ちてきたら競争するし、年老いてくれば急に勤勉に務めるものだ。そして息の合った友達同士が招いたり、命じたりして、互いに追いもとめ、ひっぱりあう。
酌芳酤,奏繁絃,惜寸陰,情固然。
そうして、香しいお酒を酌み交わし、一所懸命に琴を演奏して、わずかの間も惜しむことなく、心情、感情、友情を固くするものである。
西門【せいもん】を出でて 雲間を眺め、斤【まさかり】を揮【ふる】いて木を扶【えぐ】り虞泉【ぐせん】に墜つ。
信の道の人 徂川【そせん】に鑒【かんが】み、楽を思うこと暫く捨てて旋【せん】せざるを誓う。
九九を閔【あわ】れみ 牛山を傷む、宿心 載【すなわ】ち違い徒【いたず】らに昔言す。
落運に競い 頽年は務め、儕好【さいこう】を招命して相い追牽【ついけん】す。
芳しき酤【さけ】を酌み 繁絃【はんげん】を奏し、惜しみ 情は固然【かた】し。

miyajima 709330


現代語訳と訳註
(本文)
順東門行
出西門,眺雲間,揮斤扶木墜虞泉,
信道人,鑒徂川,思樂暫捨誓不旋,
閔九九,傷牛山,宿心載違徒昔言,
競運落,務頹年,招命儕好相追牽,
酌芳酤,奏繁絃,惜寸陰,情固然。


(下し文)
西門【せいもん】を出でて 雲間を眺め、斤【まさかり】を揮【ふる】いて木を扶【えぐ】り虞泉【ぐせん】に墜つ。
信の道の人 徂川【そせん】に鑒【かんが】み、楽を思うこと暫く捨てて旋【せん】せざるを誓う。
九九を閔【あわ】れみ 牛山を傷む、宿心 載【すなわ】ち違い徒【いたず】らに昔言す。
落運に競い 頽年は務め、儕好【さいこう】を招命して相い追牽【ついけん】す。
芳しき酤【さけ】を酌み 繁絃【はんげん】を奏し、惜しみ 情は固然【かた】し。


(現代語訳)
西門を出ることは閨を後にするか、歓楽から出ること、振り返ると薄もやの中に妓女をのぞむ。斧をふるいうまく枝を断ち切る『荘子』に出る二人の名人郢と匠の故事ように上手な技術で美人の泉を陥落させた。
浄土信仰を信じる者にとって、川は低きに流れゆく当たり前のこととして、歓楽を思うことはしばらくは捨てると誓い人生を迷うことない。
古代の禹帝の子啟【けい】が勤勉によって九辯九歌を得たのに死ねば憐れだし、孟子が言われた牛山の木にしても斧できればただの木で、前々からの志があってもそれは昔の人が言うようにはなりはしない。
良い時には思いもしなかったが運が落ちてきたら競争するし、年老いてくれば急に勤勉に務めるものだ。そして息の合った友達同士が招いたり、命じたりして、互いに追いもとめ、ひっぱりあう。
そうして、香しいお酒を酌み交わし、一所懸命に琴を演奏して、わずかの間も惜しむことなく、心情、感情、友情を固くするものである。


(訳注)
順東門行

東門は志を以て家を出ること。謝恵連にも同題の作がある。詩は、古詩源 漢の無名氏『西門行』をまねて作る。
西門行
出西門、歩念之、今日不作樂、當待何時。
夫爲樂、爲樂當及時。
何能坐愁拂鬱、當復待來茲。
飲醇酒、炙肥牛、請呼心所歡、可用解愁憂。
人生不滿百、常懷千歳憂。
晝短而夜長、何不秉燭游。
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
人壽非金石、年命安可期。
貪財愛惜費、但爲後世嗤。


出西門,眺雲間,揮斤扶木墜虞泉
西門を出ることは閨を後にするか、歓楽から出ること、振り返ると薄もやの中に妓女をのぞむ。斧をふるいうまく枝を断ち切る『荘子』に出る二人の名人郢と匠の故事ように上手な技術で美人の泉を陥落させた。
西門 西は家でいえば閨であったり、城郭内では芸妓のいる歓楽街の門である。・揮斤扶木 『荘子』 に出る二人の名人郢と匠の故事。 郢人(えいひと)の左官の鼻先に薄く塗った土を、匠石(しょうせき)という大工が手斧(ちょうな)を振って傷つけることなくこれを落としたという。 ここでは、釈迦・弥陀二尊の意が一致していることを喩えたもの。郢匠揮斤.【釋義】:比喻純熟、高超的技藝。 【出處】:《莊子•徐無鬼》載,匠石揮斧削去郢人塗在鼻翼上的白粉,而不傷其人。


信道人,鑒徂川,思樂暫捨誓不旋,
浄土信仰を信じる者にとって、川は低きに流れゆく当たり前のこととして、歓楽を思うことはしばらくは捨てると誓い人生を迷うことない。
信道人 浄土信仰を信じる者。・徂川 川は低きに流れゆく当たり前のこと。東流と同義語。


閔九九,傷牛山,宿心載違徒昔言,
古代の禹帝の子啟【けい】が勤勉によって九辯九歌を得たのに死ねば憐れだし、孟子が言われた牛山の木にしても斧できればただの木で、前々からの志があってもそれは昔の人が言うようにはなりはしない。
閔九九 『楚辞、天問』「啟棘賓商,九辯九歌」(啟【けい】棘【ゆめ】に商【てい】に賓【ひん】し,九辯九歌あり。)聖人といわれる禹の一般の男女と同じに交友をしたのかと詠い、その子啟が災難に遭って拘禁されたが、後自由を得て、勤勉によって九辯九歌を得たのに死ねば憐れだ。・傷牛山 【孟子:告子章句上八】 『原文』 孟子曰、 牛山之木嘗美矣、 以其郊於大國也、 斧斤伐之、可以爲美乎。(孟子曰く、 牛山の木は 嘗て美なり。 其の大国に 郊するを以て、 斧斤【ふきん】之を伐る、以て美と為す可けんや。)・宿心 =宿志:かねてからの希望。前々からの志。・昔言 古人のことば。


競運落,務頹年,招命儕好相追牽,
良い時には思いもしなかったが運が落ちてきたら競争するし、年老いてくれば急に勤勉に務めるものだ。そして息の合った友達同士が招いたり、命じたりして、互いに追いもとめ、ひっぱりあう。
競運落 良い時には思いもしなかったが運が落ちてきたら競争する。・務頹年 年老いてくれば急に勤勉に務める。・儕好 息の合った友達同士。・相追牽 互いに追いもとめ、ひっぱりあうこと。


酌芳酤,奏繁絃,惜寸陰,情固然。
そうして、香しいお酒を酌み交わし、一所懸命に琴を演奏して、わずかの間も惜しむことなく、心情、感情、友情を固くするものである。

燕歌行 謝霊運(康楽) 詩<79-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩509 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1344

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燕歌行
孟冬初寒節氣成,悲風入閨霜依庭,
10月初旬に初めての寒気団が到来して、「立冬」という始めて冬の氣配が現れて來る、夫のことは悲しみでもいい、私の閨にまで風が運び入ってくるけれど霜は庭に降りてほしい。
秋蟬噪栁燕辭楹,念君行役怨邊城,
秋蟬は柳の木で騒いで泣いていた、ツバメも軒の柱からいなくなっている。
君何崎嶇乆徂征,豈無膏沐感鸛鳴,

夫の役目として辺境の城塞勤めについて恨みの思いでいっぱいなのである。
對君不樂淚沾纓,闢窗開幌弄秦箏,
夫に対して留守宅を守るわたしは自分が楽しいことなどはしないし、いつも涙にくれ嫁入りに付けた紐は湿り続けている。閨の窓を開き、とばりを挙げるのであるが、そして秦箏を引いて慰めているのである。
調絃促柱多哀聲,遙夜明月鑒帷屏,
琴の絃を調整し、琴柱を促すのである、悲しみの声を多くするのである。夜になるとはるか出征先を思い、名月が出ると思っている、とばりも多いも明月が照らすのである。
誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。

誰か知っているだろうか、天の川は浅いのだろうか、清流なのだろうか。寝返りを打ちながら、覚めているときはもちろん、寝ている時でも常に心に思っている、今日もかなしい星空を見るのです。


現代語訳と訳註
(本文)

對君不樂淚沾纓,闢窗開幌弄秦箏,
調絃促柱多哀聲,遙夜明月鑒帷屏,
誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。


(下し文)
君に對し樂しまず 淚 纓【えい】を沾【うる】おす,窗を闢【あ】け幌を開いて秦箏【しんそう】を弄ぶ,
調絃し柱を促し哀聲多く,遙なる夜の明月 帷屏【いへい】を鑒【て】らす,
誰か知らん河漢【かかん】は淺く且つ清きを,展轉【てんてん】思服し明星を悲しむ。


(現代語訳)
夫に対して留守宅を守るわたしは自分が楽しいことなどはしないし、いつも涙にくれ嫁入りに付けた紐は湿り続けている。閨の窓を開き、とばりを挙げるのであるが、そして秦箏を引いて慰めているのである。
琴の絃を調整し、琴柱を促すのである、悲しみの声を多くするのである。夜になるとはるか出征先を思い、名月が出ると思っている、とばりも多いも明月が照らすのである。
誰か知っているだろうか、天の川は浅いのだろうか、清流なのだろうか。寝返りを打ちながら、覚めているときはもちろん、寝ている時でも常に心に思っている、今日もかなしい星空を見るのです。


(訳注)
對君不樂淚沾纓,闢窗開幌弄秦箏,

君に對し樂しまず 淚 纓【えい】を沾【うる】おす,窗を闢【あ】け幌を開いて秦箏【しんそう】を弄ぶ,,
夫に対して留守宅を守るわたしは自分が楽しいことなどはしないし、いつも涙にくれ嫁入りに付けた紐は湿り続けている。閨の窓を開き、とばりを挙げるのであるが、そして秦箏を引いて慰めているのである。
【えい】1 冠の付属具で、背後の中央に垂らす部分。古くは、髻(もとどり)を入れて巾子(こじ)の根を引き締めたひもの余りを後ろに垂らした。のちには、幅広く長い形に作って巾子の背面の纓壺(えつぼ)に差し込んでつけた。女性が婚約をした時身につける飾りひも。・秦箏 箏では柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、琴(きん)では柱が無いことである。秦箏」は「十二弦の琴」で、「斉瑟は二十五弦の大きな琴」である。


調絃促柱多哀聲,遙夜明月鑒帷屏,
調絃し柱を促し哀聲多く,遙なる夜の明月 帷屏【いへい】を鑒【て】らす,
琴の絃を調整し、琴柱を促すのである、悲しみの声を多くするのである。夜になるとはるか出征先を思い、名月が出ると思っている、とばりも多いも明月が照らすのである。
帷屏 屏: 1 中を隠すために設けるもの。ついたてや垣根。2 閉じて外に出さない。ついたて。おおって防ぐ。


誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。
誰か知らん河漢【かかん】は淺く且つ清きを,展轉【てんてん】思服し明星を悲しむ。
誰か知っているだろうか、天の川は浅いのだろうか、清流なのだろうか。寝返りを打ちながら、覚めているときはもちろん、寝ている時でも常に心に思っている、今日もかなしい星空を見るのです。
展轉 (1)ころがること。回転すること。 (2)寝返りを打つこと。 「―して眠れぬ夜」 (3)巡り移ること。・思服 寤寐思服. 「寤寐思服(ごびしふく)」目覚めているときはもちろん、寝ている時でも常に心に思っていること。 切実に人を思うこと。 「寤寐」は目覚めることと寝る事。




参考(1)
古詩十九首其十七

孟冬寒氣至,北風何慘慄?愁多知夜長,仰觀眾星列。 三五明月滿,四五詹兔缺。客從遠方來,遺我一書札。 上言長相思,下言久別離。置書懷袖中,三歲字不滅。 一心抱區區,懼君不識察。
孟冬 寒氣至り、北風 何ぞ慘栗たる。
愁ひ多くして夜の長きを知り、仰いで衆星の列なるを觀る。
三五 明月滿ち、四五 蟾兔缺く。
客 遠方より來り、我に一書札を遺る。
上には長く相思ふと言ひ、下には久しく離別すと言ふ。
書を懷袖の中に置き、三歳なるも字滅せず。
一心に區區を抱き、君の識察せざらんことを懼る。


参考(2)
曹丕(曹子桓/魏文帝)の詩 『燕歌行』 

燕歌行
秋風蕭瑟天気涼、草木搖落露為霜、
羣燕辭帰雁南翔。
念君客遊思断腸、慊慊思帰戀故郷、
何為淹留寄他方。』

賤妾煢煢守空房、憂来思君不敢忘。
不覚涙下霑衣裳。
援琴鳴絃發清商、短歌微吟不能長。』

明月皎皎照我牀、星漢西流夜未央。
牽牛織女遥相望、爾獨何辜限河梁。』

(燕歌行)
秋風 蕭瑟として天気涼し、草木 搖落して 露 霜となり、羣燕 辭し帰りて 雁 南に翔る。
君が 客遊を念いて 思い腸を断ち、慊慊【けんけん】として帰るを思い故郷を戀【した】わん、何為れぞ淹留してか他方に寄る。
妾 煢々【けいけい】として空房を守り、憂い来りて君を思い 敢えて忘れず、覚えずも涙下りて衣裳を霑【うるお】す。
琴を援き絃を鳴らして清商【せいかん】を發し、短歌 微吟【びぎん】長くするを能わず。
明月 皎皎として我が牀を照らす、星漢【せいかん】西に流れ夜未だ央きず。
牽牛 織女 遥かに相望む、爾 独り何の辜【つみ】ありてか河梁【かりょう】に限らる。

燕歌行 玉台新詠 蕭子顯 「風光遅舞出青蘋、蘭條翠鳥鳴發春。」

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