漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2013年01月

贈徐幹 (3) 曹植 魏詩<30>文選 贈答二 661 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1861

贈徐幹 (3) 曹植 魏詩


  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩贈徐幹 (3) 曹植 魏詩<30>文選 贈答二 661 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1861 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩原道 韓退之(韓愈)詩<115-2>Ⅱ中唐詩574 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1862 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2)  <384>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集田家元日 孟浩然 (01/31) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩楊柳枝 之六 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-62-15-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1864 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 

古詩十九首 (1) 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
*****************************************************************


贈徐幹 (3) 曹植 魏詩<30>文選 贈答二 661 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1861


贈徐幹
驚風飄白日,忽然歸西山。
突然の風はかがやくあの太陽でさえ吹き翻す、そして、こつぜんとして西の山へ追い帰えしたのだ。
圓景光未滿,眾星粲以繁。
月がまるくはならないように事を成功させるという目標がまだたっせいされないままなのだ、多くの星が索然とまたたいているように賢臣たちはかがやいているのだ。
志士榮世業,小人亦不閒。
斯くいう様に志をもつ君は、後世にのこす著述にうちこみ立派に出来上がっている、徳のない小人の自分達は暇をとってでも手助けすることはできなかったのだ。
聊且夜行遊,遊彼雙闕間。
そんな気持ちで私はしばらくの夜の散策を思いたち、朝廷御門のあたりを歩きまわったのだ。

文昌鬱雲興,迎風高中天。
文昌殿はもくもくと雲がわきおこるかのようであり、迎風観は周の穆王の中天台のように神人が沿って降りて来るほどに聾えたつのである。
春鳩鳴飛棟,流猋激櫺軒。
子を作る季節の鳩は高い棟木でなきあうものであり、旋風がふけは格子窓やてすりにあたって激しく音をたてるものである。
(なにかを成せばそれに応えたものがあるものであるはずだが、それなのに、徐幹が後世に残す業績、「中論」を著わし、一家言を成しているのに、貧者でいるのだ。)

顧念蓬室士,貧賤誠足憐。
だが、ヨモギで葺いたあばらやに住む貧士ではないか、君の貧士のさまを思いやれば、その貧窮ぶり、誠に同情にたえぬ。
薇藿弗充虛,皮褐猶不全。
わらびや豆では、すき腹をみたせるものではなく、あらい毛皮の短い着物なので、身をおおうに十分ではないのだ。
慷慨有悲心,興文自成篇。

しかし、君はわきたつ壮士の志に悲愁をひめ、「中論」を作ったことは、おのずとその一篇の文章となるものなのである。

寶棄怨何人?和氏有其愆。
昔、楚卞下の和氏の故事にいう宝玉はただの石だとかえり見られず、だれを怨むことがあるだろうか。和氏自身の方が出処進退を誤ったのだ。(ほう玉の鑑定に問題があったのであって玉には責任があるわけではない。)
彈冠俟知己,知己誰不然?
役人になろうと、冠の塵をはらって、知己をの推挙を待ったというけれども、その知己自身も同じように棄てられる境遇であるかも知れない。
良田無晚歲,膏澤多豐年。
しかし、良田であるなら収穫がおそくなることはないし、めぐみの雨には豊作の年が多い。
亮懷璵璠美,積久德愈宣。
まこと名玉のような美徳をそなえていれば、ひさしく年月をつむにつれて、徳がそなわり、ますます光沢を増してくるものなのだ。
親交義在敦,申章復何言。

私との親しい交りは、情義に厚いことで成立っている。私はこれ以上の言葉を重ねてのべるだけの必要性はないと思っている。

(徐幹に贈る)
驚風は白日を飄えし,忽然として西山に歸える。
圓景は光り未だ滿たず,眾星は粲として以って繁し。
志士は世業を榮え,小人も亦た閒ならず。
聊且【しばら】く夜行きて遊び,彼の雙闕【そうけつ】の間に遊ぶ。

文昌は鬱として雲のごとく興こり,迎風は中天に高し。
春鳩は飛棟に鳴き,流猋【りゅうひょう】櫺軒【れいけん】に激す。
顧【かえ】って蓬室の士を念えば,貧賤【ひんせん】誠に憐むに足れり。
薇藿【びかく】は虛しきに充たず,皮褐も猶お全からず。
慷慨【こがい】して悲心有り,文を興せば自ら篇を成す。

寶【たから】は棄てらるるも何人かを怨まん?和氏【かし】に其の愆【あやまち】有り。
冠を彈きて知己【ちき】を俟つも,知己誰か不然【しか】らざらん?
良田には晚歲無く,膏澤には豐年多し。
亮【まこと】に璵璠【よはん】の美を懷けば,久しきを積んで德愈【いよい】よ宣ぶ。
親交の義は敦きに在り,章を申【かさ】ねて復た何をか言わん。

贈徐幹 曹植

『贈徐幹』 現代語訳と訳註
(本文)

寶棄怨何人?和氏有其愆。
彈冠俟知己,知己誰不然?
良田無晚歲,膏澤多豐年。
亮懷璵璠美,積久德愈宣。
親交義在敦,申章復何言。


(下し文)
寶【たから】は棄てらるるも何人かを怨まん?和氏【かし】に其の愆【あやまち】有り。
冠を彈きて知己【ちき】を俟つも,知己誰か不然【しか】らざらん?
良田には晚歲無く,膏澤には豐年多し。
亮【まこと】に璵璠【よはん】の美を懷けば,久しきを積んで德愈【いよい】よ宣ぶ。
親交の義は敦きに在り,章を申【かさ】ねて復た何をか言わん。


(現代語訳)
昔、楚卞下の和氏の故事にいう宝玉はただの石だとかえり見られず、だれを怨むことがあるだろうか。和氏自身の方が出処進退を誤ったのだ。(ほう玉の鑑定に問題があったのであって玉には責任があるわけではない。)
役人になろうと、冠の塵をはらって、知己をの推挙を待ったというけれども、その知己自身も同じように棄てられる境遇であるかも知れない。
しかし、良田であるなら収穫がおそくなることはないし、めぐみの雨には豊作の年が多い。
まこと名玉のような美徳をそなえていれば、ひさしく年月をつむにつれて、徳がそなわり、ますます光沢を増してくるものなのだ。
私との親しい交りは、情義に厚いことで成立っている。私はこれ以上の言葉を重ねてのべるだけの必要性はないと思っている。


(訳注)
贈徐幹
文選 贈答二、古詩源巻五
○徐幹 (170-217年)字は偉長、北海郡劇県(山東、日日楽県警の人。零落した旧家の出で、高い品行と美麗典雅な文章で知られた。建安年間に曹操に仕え、司空軍謀祭酒掾属・五官将文学に進んだ。隠士的人格者で、文質兼備であると曹丕から絶賛された。『《建安七子》の一人であるが、博雅達識の君子としての名声高く《七子母中に異彩をはなった。曹雪り「佳境い諾懐き質を抱き、悟淡寡慾にして、箕山の志あり。彬彬たる君子と酎っべし。「中論」二十余笛を著わし、辞義典雅にして、後に伝うるに足る。此の子不朽たり。」(「呉質に与うる書」)と評されている。この詩の制作時期は216年建安二十一年頃と推定される。


寶棄怨何人?和氏有其愆。
昔、楚卞下の和氏の故事にいう宝玉はただの石だとかえり見られず、だれを怨むことがあるだろうか。和氏自身の方が出処進退を誤ったのだ。(ほう玉の鑑定に問題があったのであって玉には責任があるわけではない。)
○和氏 春秋時代の楚の卞下のひと。彼は璞玉(みがいていないたま)を楚山で手に入れ、楚の武王に献じょうとしたが、宝玉ではなくただの石だと鑑定きれて左足を切られ、楚の成王に献じょうとして、又石と鑑定されて右足を切られた。文王の時になって、ようやく宝玉であることを認められた。「和氏之璧」として有名。ことは「韓非子」和氏に見える。
○怒 過失、罪。


彈冠俟知己,知己誰不然?
役人になろうと、冠の塵をはらって、知己をの推挙を待ったというけれども、その知己自身も同じように棄てられる境遇であるかも知れない。
○弾冠 冠は官吏のかぶりもの、官途につこうとして、先ず冠上の塵をはらうこと。


良田無晚歲,膏澤多豐年。
しかし、良田であるなら収穫がおそくなることはないし、めぐみの雨には豊作の年が多い。
○晩歳 おそいとり入れ、歳は秋のみのり。
○膏沢 めぐみの雨。「良田」の四句は徐幹にたとえる。


亮懷璵璠美,積久德愈宣。
まこと名玉のような美徳をそなえていれば、ひさしく年月をつむにつれて、徳がそなわり、ますます光沢を増してくるものなのだ。
○売 まことに。
○璵璠 美玉。魯国の宝とつたえる。「左伝」定公五年の条に見える。
○宜 光輝きをます。多くの人に知られて仰がれること。


親交義在敦,申章復何言。
私との親しい交りは、情義に厚いことで成立っている。私はこれ以上の言葉を重ねてのべるだけの必要性はないと思っている。
○申 重ねる。

贈徐幹 (2) 曹植 魏詩<29>文選 贈答二 660 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1857

贈徐幹 (2) 曹植 魏詩

***********************************************************************************
漢詩・唐詩など 5つのブログで紹介しています。 
◆◆◆2013年1月30日紀頌之の5つの漢文ブログ◆◆◆  

Ⅰ.李白と李白に影響を与えた詩集 
古代中国の結婚感、女性感について述べる三国時代の三曹の一人、曹植の詩 
贈徐幹 (2) 曹植 魏詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67787694.html


Ⅱ.中唐詩・晩唐詩 
 唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ 
原道 韓退之(韓愈)詩
 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6243542.html


Ⅲ.杜甫詩1000詩集 
"●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 
●理想の地を求めて旅をする
南鄰 杜甫 
 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/archives/67787409.html


Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集
田園作 孟浩然
(01/30) 
http://kanshi100x100.blog.fc2.com/blog-entry-615.html
 
Ⅴ.晩唐五代詞詩・宋詞詩 
 森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”彼女の詩の先生として登場する 晩唐期の詩人 温庭筠(おんていいん)の作品を訳註解説する。 
楊柳枝 之五 温庭筠  
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/archives/22603360.html

***********************************************************************************

贈徐幹 (2) 曹植 魏詩<29>文選 贈答二 660 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1857


贈徐幹
驚風飄白日,忽然歸西山。
突然の風はかがやくあの太陽でさえ吹き翻す、そして、こつぜんとして西の山へ追い帰えしたのだ。
圓景光未滿,眾星粲以繁。
月がまるくはならないように事を成功させるという目標がまだたっせいされないままなのだ、多くの星が索然とまたたいているように賢臣たちはかがやいているのだ。
志士榮世業,小人亦不閒。
斯くいう様に志をもつ君は、後世にのこす著述にうちこみ立派に出来上がっている、徳のない小人の自分達は暇をとってでも手助けすることはできなかったのだ。
聊且夜行遊,遊彼雙闕間。

そんな気持ちで私はしばらくの夜の散策を思いたち、朝廷御門のあたりを歩きまわったのだ。

文昌鬱雲興,迎風高中天。
文昌殿はもくもくと雲がわきおこるかのようであり、迎風観は周の穆王の中天台のように神人が沿って降りて来るほどに聾えたつのである。
春鳩鳴飛棟,流猋激櫺軒。
子を作る季節の鳩は高い棟木でなきあうものであり、旋風がふけは格子窓やてすりにあたって激しく音をたてるものである。
(なにかを成せばそれに応えたものがあるものであるはずだが、それなのに、徐幹が後世に残す業績、「中論」を著わし、一家言を成しているのに、貧者でいるのだ。)
顧念蓬室士,貧賤誠足憐。
だが、ヨモギで葺いたあばらやに住む貧士ではないか、君の貧士のさまを思いやれば、その貧窮ぶり、誠に同情にたえぬ。
薇藿弗充虛,皮褐猶不全。
わらびや豆では、すき腹をみたせるものではなく、あらい毛皮の短い着物なので、身をおおうに十分ではないのだ。
慷慨有悲心,興文自成篇。

しかし、君はわきたつ壮士の志に悲愁をひめ、「中論」を作ったことは、おのずとその一篇の文章となるものなのである。

寶棄怨何人?和氏有其愆。
彈冠俟知己,知己誰不然?
良田無晚歲,膏澤多豐年。
亮懷璵璠美,積久德愈宣。
親交義在敦,申章復何言。

(徐幹に贈る)
驚風は白日を飄えし,忽然として西山に歸える。
圓景は光り未だ滿たず,眾星は粲として以って繁し。
志士は世業を榮え,小人も亦た閒ならず。
聊且【しばら】く夜行きて遊び,彼の雙闕【そうけつ】の間に遊ぶ。

文昌は鬱として雲のごとく興こり,迎風は中天に高し。
春鳩は飛棟に鳴き,流猋【りゅうひょう】櫺軒【れいけん】に激す。
顧【かえ】って蓬室の士を念えば,貧賤【ひんせん】誠に憐むに足れり。
薇藿【びかく】は虛しきに充たず,皮褐も猶お全からず。
慷慨【こがい】して悲心有り,文を興せば自ら篇を成す。

寶【たから】は棄てらるるも何人かを怨まん?和氏【かし】に其の愆【あやまち】有り。
冠を彈きて知己【ちき】を俟つも,知己誰か不然【しか】らざらん?
良田には晚歲無く,膏澤には豐年多し。
亮【まこと】に璵璠【よはん】の美を懷けば,久しきを積んで德愈【いよい】よ宣ぶ。
親交の義は敦きに在り,章を申【かさ】ねて復た何をか言わん。


銅雀臺00

『贈徐幹』 現代語訳と訳註
(本文)

文昌鬱雲興,迎風高中天。
春鳩鳴飛棟,流猋激櫺軒。
顧念蓬室士,貧賤誠足憐。
薇藿弗充虛,皮褐猶不全。
慷慨有悲心,興文自成篇。


(下し文)
文昌は鬱として雲のごとく興こり,迎風は中天に高し。
春鳩は飛棟に鳴き,流猋【りゅうひょう】櫺軒【れいけん】に激す。
顧【かえ】って蓬室の士を念えば,貧賤【ひんせん】誠に憐むに足れり。
薇藿【びかく】は虛しきに充たず,皮褐も猶お全からず。
慷慨【こがい】して悲心有り,文を興せば自ら篇を成す。


(現代語訳)
文昌殿はもくもくと雲がわきおこるかのようであり、迎風観は周の穆王の中天台のように神人が沿って降りて来るほどに聾えたつのである。
子を作る季節の鳩は高い棟木でなきあうものであり、旋風がふけは格子窓やてすりにあたって激しく音をたてるものである。
(なにかを成せばそれに応えたものがあるものであるはずだが、それなのに、徐幹が後世に残す業績、「中論」を著わし、一家言を成しているのに、貧者でいるのだ。)
が、ヨモギで葺いたあばらやに住む貧士ではないか、君の貧士のさまを思いやれば、その貧窮ぶり、誠に同情にたえぬ。
わらびや豆では、すき腹をみたせるものではなく、あらい毛皮の短い着物なので、身をおおうに十分ではないのだ。
しかし、君はわきたつ壮士の志に悲愁をひめ、「中論」を作ったことは、おのずとその一篇の文章となるものなのである。


(訳注)
贈徐幹

文選 贈答二、古詩源巻五
○徐幹 (170-217年)字は偉長、北海郡劇県(山東、日日楽県警の人。零落した旧家の出で、高い品行と美麗典雅な文章で知られた。建安年間に曹操に仕え、司空軍謀祭酒掾属・五官将文学に進んだ。隠士的人格者で、文質兼備であると曹丕から絶賛された。『《建安七子》の一人であるが、博雅達識の君子としての名声高く《七子母中に異彩をはなった。曹雪り「佳境い諾懐き質を抱き、悟淡寡慾にして、箕山の志あり。彬彬たる君子と酎っべし。「中論」二十余笛を著わし、辞義典雅にして、後に伝うるに足る。此の子不朽たり。」(「呉質に与うる書」)と評されている。この詩の制作時期は216年建安二十一年頃と推定される。


文昌鬱雲興,迎風高中天。
文昌殿はもくもくと雲がわきおこるかのようであり、迎風観はも周の穆王の中天台のように神人が沿って降りて来るほどに聾えたつのである。
○文昌 郡の都の宮中にある正殿の莞朝廷の公式の儀式が行われた。
○鬱 雲や気の起るさま。
○迎風 邪城中の高閣の名。
○高中天 神人が沿って降りて来ると考え「中天台」を建て、天空の宮殿に遊んだという。『列子」周穆王篇の話「周の穆王、中天の台を築く。」も同じ類型のものであろう。たらしい。


春鳩鳴飛棟,流猋激櫺軒。
子を作る季節の鳩は高い棟木でなきあうものであり、旋風がふけは格子窓やてすりにあたって激しく音をたてるものである。
(なにかを成せばそれに応えたものがあるものであるはずだが、それなのに、徐幹が後世に残す業績、「中論」を著わし、一家言を成しているのに、貧者でいるのだ。)
○春鳩 オスはクルクルと鳴くとき喉を大きく膨らませて泣き、雌はピーピーなく。
○流森 疾風、旋風。
○櫺軒 櫺はレンジ、格子窓。軒はてすり。


顧念蓬室士,貧賤誠足憐。
だが、ヨモギで葺いたあばらやに住む貧士ではないか、君の貧士のさまを思いやれば、その貧窮ぶり、誠に同情にたえぬ。
○蓬室士 ヨモギで葺いたあばらやに住む貧士。ここでは徐幹をさしていう。徐幹晩年の貧窮ぶりは「全三国文」に載せる無名氏の「中論序」にくわしい。


薇藿弗充虛,皮褐猶不全。
わらびや豆では、すき腹をみたせるものではなく、あらい毛皮の短い着物なので、身をおおうに十分ではないのだ。
○薇蕾 ゼンマイと豆。粗食をいう。
○充虚 虚は空腹で充分腹を満たせるものではないこと。
○皮褐 着物は単衣でその上に粗末な毛皮の短い着物を着る、貧乏人の衣料である。


慷慨有悲心,興文自成篇。
しかし、君はわきたつ壮士の志に悲愁をひめ、「中論」を作ったことは、おのずとその一篇の文章となるものなのである。
○慷慨 「憤慨は、壮士志を心に得ざるなり。」という。曹植はこの語を多用する。

雜詩六首其六 曹植 魏詩<23>古詩源 巻三 女性詩649 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1813

情詩 曹植 魏詩<17>古詩源 巻三 643 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1789

燕歌行二首 其一 曹丕(魏文帝) 魏詩<4-2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻三 623 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1709

興文 「中論」を作ったこと。


贈徐幹 曹植

贈徐幹 (1) 曹植 魏詩<28>文選 贈答二 659 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1853

贈徐幹 (1) 曹植 魏詩


  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩贈徐幹 (1) 曹植 魏詩<28>文選 贈答二 659 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1853 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩「学問を進めるための解明文」進学解(まとめ) 韓退之(韓愈)詩<114-16>Ⅱ中唐詩572 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1854 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集戲韋偃為雙松圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -19-2)  <382> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1855 杜甫詩1000-382-563/1500 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集澗南園即時貽皎上入  孟浩然 (01/29) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩楊柳枝 之四 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-60-13-# 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1856 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 

古詩十九首 (1) 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
*****************************************************************


贈徐幹 (1) 曹植 魏詩<28>文選 贈答二 659 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1853




贈徐幹
驚風飄白日,忽然歸西山。
突然の風はかがやくあの太陽でさえ吹き翻す、そして、こつぜんとして西の山へ追い帰えしたのだ。
圓景光未滿,眾星粲以繁。
月がまるくはならないように事を成功させるという目標がまだたっせいされないままなのだ、多くの星が索然とまたたいているように賢臣たちはかがやいているのだ。
志士榮世業,小人亦不閒。
斯くいう様に志をもつ君は、後世にのこす著述にうちこみ立派に出来上がっている、徳のない小人の自分達は暇をとってでも手助けすることはできなかったのだ。
聊且夜行遊,遊彼雙闕間。

そんな気持ちで私はしばらくの夜の散策を思いたち、朝廷御門のあたりを歩きまわったのだ。
文昌鬱雲興,迎風高中天。
春鳩鳴飛棟,流猋激櫺軒。
顧念蓬室士,貧賤誠足憐。
薇藿弗充虛,皮褐猶不全。
慷慨有悲心,興文自成篇。

寶棄怨何人?和氏有其愆。
彈冠俟知己,知己誰不然?
良田無晚歲,膏澤多豐年。
亮懷璵璠美,積久德愈宣。
親交義在敦,申章復何言。

(徐幹に贈る)
驚風は白日を飄えし,忽然として西山に歸える。
圓景は光り未だ滿たず,眾星は粲として以って繁し。
志士は世業を榮え,小人も亦た閒ならず。
聊且【しばら】く夜行きて遊び,彼の雙闕【そうけつ】の間に遊ぶ。

文昌は鬱として雲のごとく興こり,迎風は中天に高し。
春鳩は飛棟に鳴き,流猋【りゅうひょう】櫺軒【れいけん】に激す。
顧【かえ】って蓬室の士を念えば,貧賤【ひんせん】誠に憐むに足れり。
薇藿【びかく】は虛しきに充たず,皮褐も猶お全からず。
慷慨【こがい】して悲心有り,文を興せば自ら篇を成す。

寶【たから】は棄てらるるも何人かを怨まん?和氏【かし】に其の愆【あやまち】有り。
冠を彈きて知己【ちき】を俟つも,知己誰か不然【しか】らざらん?
良田には晚歲無く,膏澤には豐年多し。
亮【まこと】に璵璠【よはん】の美を懷けば,久しきを積んで德愈【いよい】よ宣ぶ。
親交の義は敦きに在り,章を申【かさ】ねて復た何をか言わん。

tsuki001

『贈徐幹』 現代語訳と訳註
(本文)

驚風飄白日,忽然歸西山。
圓景光未滿,眾星粲以繁。
志士榮世業,小人亦不閒。
聊且夜行遊,遊彼雙闕間。


(下し文)
(徐幹に贈る)
驚風は白日を飄えし,忽然として西山に歸える。
圓景は光り未だ滿たず,眾星は粲として以って繁し。
志士は世業を榮え,小人も亦た閒ならず。
聊且【しばら】く夜行きて遊び,彼の雙闕【そうけつ】の間に遊ぶ。


(現代語訳)
突然の風はかがやくあの太陽でさえ吹き翻す、そして、こつぜんとして西の山へ追い帰えしたのだ。
月がまるくはならないように事を成功させるという目標がまだたっせいされないままなのだ、多くの星が索然とまたたいているように賢臣たちはかがやいているのだ。
斯くいう様に志をもつ君は、後世にのこす著述にうちこみ立派に出来上がっている、徳のない小人の自分達は暇をとってでも手助けすることはできなかったのだ。
そんな気持ちで私はしばらくの夜の散策を思いたち、朝廷御門のあたりを歩きまわったのだ。


(訳注)
贈徐幹

文選 贈答二、古詩源巻五
○徐幹 (170-217年)字は偉長、北海郡劇県(山東、日日楽県警の人。零落した旧家の出で、高い品行と美麗典雅な文章で知られた。建安年間に曹操に仕え、司空軍謀祭酒掾属・五官将文学に進んだ。隠士的人格者で、文質兼備であると曹丕から絶賛された。『《建安七子》の一人であるが、博雅達識の君子としての名声高く《七子母中に異彩をはなった。曹雪り「佳境い諾懐き質を抱き、悟淡寡慾にして、箕山の志あり。彬彬たる君子と酎っべし。「中論」二十余笛を著わし、辞義典雅にして、後に伝うるに足る。此の子不朽たり。」(「呉質に与うる書」)と評されている。この詩の制作時期は216年建安二十一年頃と推定される。


驚風飄白日,忽然歸西山。
突然の風はかがやくあの太陽でさえ吹き翻す、そして、こつぜんとして西の山へ追い帰えしたのだ。
○驚風 突風。疾風。真実を吹き飛ばす、讒言、横槍、という意味を含む。
○白日 1 照り輝く太陽。2 真昼。白昼。3 身が潔白であることのたとえ。白日の下に晒す隠されていた物事を世間に公開する。ここは厳然と輝く真実、嘘のない忠誠心、目標というところ。
古詩十九首之一.
行行重行行、與君生別離。
相去萬餘里、各在天一涯。
道路阻且長、會面安可知。
胡馬依北風、越鳥巣南枝。
相去日已遠、衣帯日已緩。
浮雲蔽白日、遊子不顧返。
思君令人老、歳月忽已晩。
棄捐勿復道、努力加餐飯。
古詩十九首之一 (1) 漢詩<88>Ⅱ李白に影響を与えた詩520 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1377
○西山
 日の入る山。


圓景光未滿,眾星粲以繁。
月がまるくはならないように事を成功させるという目標がまだ、達成されないままなのだ、多くの星が索然とまたたいているように賢臣たちはかがやいているのだ。
〇円景 月をさす。景は光。事を成功させるという目標。
○以 その上。


志士榮世業,小人亦不閒。
斯くいう様に志をもつ君は、後世にのこす著述にうちこみ立派に出来上がっている、徳のない小人の自分達は暇をとってでも手助けすることはできなかったのだ。
○志士 徐幹をさす。
○世業 後世に残す業績。ここでは徐幹が「中論」を著わし、一家言を成せるをいう。
○小人 「大学」に「小人閉居して不善をなす。」と見える。無徳、不肖の輩をさしていう。


聊且夜行遊,遊彼雙闕間。
そんな気持ちで私はしばらくの夜の散策を思いたち、宮殿の外にある楼門のあたりを歩きまわったのだ。
○夜行遊 「古詩」に「昼短くして夜の長きに苦しむ、何んぞ燭を乗りて遊ばざる。」と見える。
○雙闕 「古詩十九首」第三首
青青陵上栢、磊磊礀中石。
人生大地間、忽如遠行客。
斗酒相娯楽、聊厚不為薄。
駆車策駑馬、遊戯宛與洛。
洛中何欝欝、冠帯自相索。
長衢羅夾巷、王侯多第宅。
両宮遥相望、双闕百余尺。
極宴娯心意、戚戚何所迫。
雨宮逢かに相望むに、雙闕百余尺なり。」と見える。宮殿の外にある楼門のこと。
宮島(3)

芙蓉池作 曹丕 魏詩<27> 文選 遊覧 詩658 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1849

芙蓉池作 曹丕 魏詩<27> 

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩芙蓉池作 曹丕 魏詩<27> 文選 遊覧 詩658 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1849 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-15>Ⅱ中唐詩571 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1850 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集戲韋偃為雙松圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -19-1)  <382> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1851 杜甫詩1000-382-562/1500 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集登峴山亭,寄晉陵張少府 孟浩然 (01/28) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩楊柳枝 之三 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-59-12-# 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1852 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 

古詩十九首 (1) 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
*****************************************************************
芙蓉池作 曹丕 魏詩<27> 文選 遊覧 詩658 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1849



芙蓉池作
乘輦夜行遊,逍遙步西園。
春もたけなわであり、車に乗って夜の行楽にでかける。春風にぶらぶらと車を引かせて銅雀台につく。
雙渠相灌溉,嘉木繞通川。
この園に流れ込む二つの堀の流れはどちらもそそぎこんでいる。堀の堤にきれいな木々が植えてあり、その木を廻りきれいな川が水を堀に注ぎ込んでいる。
卑枝拂羽蓋,修條摩蒼天。
低い枝をはった木々は車の羽の被いをかすめる、長く伸びた枝は高くそびえ、は天に接するほどなのだ。
驚風拂輪轂,飛鳥翔我前。
こんな夜に無粋な風は追い風となって車の進みを助け、無粋な鳥が飛んできて私の前を遮るのだ。(曹丕に媚を売って來る奸臣らを指すもの)
丹霞夾明月,華星出雲間。
丹庭の中のかがり火で赤い霞に包まれ、雲とともにきれいな月を挟んで見える。華やかな星が雲間から出てるように、華やかに男女がとばりの中で楽しんでいる。
上天垂光彩,五色一何鮮。
そんなことでここにいる男女の上に光りにかがやき、五色のいろにおおわれて何と鮮やかなことだろうか。
壽命非松喬,誰能得神仙。
人の寿命というものは赤松子と王子喬のように不老長寿というわけにはいかないものだ。誰がどうやっても仙人のようにはなれないのだから今のこの時を愉しもうではないか。
遨遊快心意,保己終百年。

だから、ここに心行くまで大いに遊び、この限られた人生をこうした気持ちを保って百年の人生を極めていきたいものなのだ。」

輦【れん】に乗りて夜行きて遊び、逍遥して西園に歩す。
双渠【そうきょ】相い漑灌【がいかん】し、嘉木【かぼく】通川を繞る。
卑枝は羽蓋【うがい】を払い、脩条【しゅうじょう】は蒼天を摩す。
驚風は輪轂【りんこく】を扶け、飛鳥は我が前を翔ける。
丹霞【たんか】名月を挟み、華星【かせい】は雲間より出づ。
上天は光彩を垂れ、五色一に何ぞ鮮やかなる。
寿命は松喬に非ず、誰か能く神仙たるを得ん。
遨遊して心意を快くし、己を保ちて百年を終えん。


『芙蓉池作』曹丕 現代語訳と訳註
(本文)

乗輦夜行游、逍遥歩西園。双渠相漑灌、嘉木繞通川。
卑枝払羽蓋、脩条摩蒼天。驚風扶輪轂、飛鳥翔我前。
丹霞挟名月、華星出雲間。上天垂光彩、五色一何鮮。
寿命非松喬、誰能得神仙。遨游快心意、保己終百年。


(下し文)
輦【れん】に乗りて夜行きて遊び、逍遥して西園に歩す。
双渠【そうきょ】相い漑灌【がいかん】し、嘉木【かぼく】通川を繞る。
卑枝は羽蓋【うがい】を払い、脩条【しゅうじょう】は蒼天を摩す。
驚風は輪轂【りんこく】を扶け、飛鳥は我が前を翔ける。
丹霞【たんか】名月を挟み、華星【かせい】は雲間より出づ。
上天は光彩を垂れ、五色一に何ぞ鮮やかなる。
寿命は松喬に非ず、誰か能く神仙たるを得ん。
遨遊して心意を快くし、己を保ちて百年を終えん。


(現代語訳)
春もたけなわであり、車に乗って夜の行楽にでかける。春風にぶらぶらと車を引かせて銅雀台につく。
この園に流れ込む二つの堀の流れはどちらもそそぎこんでいる。堀の堤にきれいな木々が植えてあり、その木を廻りきれいな川が水を堀に注ぎ込んでいる。
低い枝をはった木々は車の羽の被いをかすめる、長く伸びた枝は高くそびえ、は天に接するほどなのだ。
こんな夜に無粋な風は追い風となって車の進みを助け、無粋な鳥が飛んできて私の前を遮るのだ。(曹丕に媚を売って來る奸臣らを指すもの)
丹庭の中のかがり火で赤い霞に包まれ、雲とともにきれいな月を挟んで見える。華やかな星が雲間から出てるように、華やかに男女がとばりの中で楽しんでいる。
そんなことでここにいる男女の上に光りにかがやき、五色のいろにおおわれて何と鮮やかなことだろうか。
人の寿命というものは赤松子と王子喬のように不老長寿というわけにはいかないものだ。誰がどうやっても仙人のようにはなれないのだから今のこの時を愉しもうではないか。
だから、ここに心行くまで大いに遊び、この限られた人生をこうした気持ちを保って百年の人生を極めていきたいものなのだ。」


(訳注)
芙蓉池作

銅雀園で、211年建安16年曹丕主催の宴での作。


乘輦夜行遊,逍遙步西園。
春もたけなわであり、車に乗って夜の行楽にでかける。春風にぶらぶらと車を引かせて銅雀台につく。
・西園 河南省臨漳縣、鄴城宮の銅雀園。


雙渠相灌溉,嘉木繞通川。
この園に流れ込む二つの堀の流れはどちらもそそぎこんでいる。堀の堤にきれいな木々が植えてあり、その木を廻りきれいな川が水を堀に注ぎ込んでいる。
・雙渠 二つ並んだ運河。
・通川 流れていてとどまらない川。掘割に注ぎ込む水の事であろう。


卑枝拂羽蓋,修條摩蒼天。
低い枝をはった木々は車の羽の被いをかすめる、長く伸びた枝は高くそびえ、は天に接するほどなのだ。
・羽蓋 羽で飾った車の蓋。
・修條 長い枝。


驚風拂輪轂,飛鳥翔我前。
こんな夜に無粋な風は追い風となって車の進みを助け、無粋な鳥が飛んできて私の前を遮るのだ。(曹丕に媚を売って來る奸臣らを指すもの)


丹霞夾明月,華星出雲間。
丹庭の中のかがり火で赤い霞に包まれ、雲とともにきれいな月を挟んで見える。華やかな星が雲間から出てるように、華やかに男女がとばりの中で楽しんでいる。
・丹霞 赤い色の雲気。かがり火の火で香煙や靄に映る妖艶な雰囲気を云う。或は丹庭の中でのことを謂うものであろうか。
・明月 通常仲秋の場合明月であるが、この月は美人を指すもの。華星、雲間 は男性を示すもので、春の行楽と雲間によって、この園内の帷を意味し、其処で一対の男女が遊ぶということである。


上天垂光彩,五色一何鮮。
そんなことでここにいる男女の上に光りにかがやき、五色のいろにおおわれて何と鮮やかなことだろうか。


壽命非松喬,誰能得神仙。
人の寿命というものは赤松子と王子喬のように不老長寿というわけにはいかないものだ。誰がどうやっても仙人のようにはなれないのだから今のこの時を愉しもうではないか。
松喬 赤松子と王子喬のこと。どちらも仙人に随って嵩山にのぼったというもの。赤松子:伝説上の仙人で神農のころの雨師水玉を服用し、それを神農にも教えた。自焼することで火によって尸解したという。西王母の石室に宿り風雨とともに山を上り下りした。炎帝(神農)の末娘が赤松子を追ってきて仙人になり、二人とも姿を消した。黄帝の曾孫の高辛氏の時代に再び雨師になったというもの。
王子喬:周の霊王の太子の姫晋であるとする。笙の笛を吹くことを好み,鳳凰の鳴声を模することができた。道士の浮丘公に会い,つれられて嵩高山(すうこうざん)に入って仙人となった。魏晋南北朝時代以来,赤松子とならんで古代の仙人の代表とされ,詩文や絵画に登場することが多い。


遨遊快心意,保己終百年。
だから、ここに心行くまで大いに遊び、この限られた人生をこうした気持ちを保って百年の人生を極めていきたいものなのだ。」





公讌  曹植
公子敬愛客、終宴不知疲。
清夜游西園、飛蓋相追随。
明月澄清景、列宿正参差。
秋蘭被長坂、朱華冒緑池。
潜魚躍清波、好鳥鳴高枝。
神飇接丹轂、軽輦随風移。
飄颻放志意、千秋長若斯。

公子 客を敬愛し、宴を終るまで疲るるを知らず。
清夜 西園に遊び、蓋を飛ばして相追随す。
明月 清景を澄え、列宿 正に参差たり。
秋蘭は長坂を被い、朱華は緑池を冒う。
潜魚 清波に躍り、好鳥 高枝に鳴く。
神風 丹轂に接わり、軽輦 風に随いて移る
飄颻として 志意を放にし、千秋 長えに斯くの若くならん。

曹丕公子は賓客を敬愛され、宴会が終るまでお役を務められても疲れ知らずである。
宴は秋の清々しい夜になり、西園の銅雀園での遊びもたけなわになり、客たちはおのおの飛蓋の車がつき従って軽快に疾走している。
ときに、仲秋の明月の影はすずやかな光を風景にたたえている、大空につらなる薄くなっていく銀河、多くの星々は、いまやあちこちに点滅するだけだ。
かんばしい秋の蘭と美しい女性は、この長い坂道にいっぱいにおおっている、赤い荷花が縁り一面の池に覆い尽くすほど咲いている。
水にひそむ魚は、時におどり出て清らなる波をおこす、かわいい小鳥が、高い枝でさえずる。
公子の乗る朱塗りの車がとおりすぎると神がかりなふしぎな風を伴っている、転ろやかな輦は風のまにまに移動していく。
私はゆらゆらと天にものぼるここちがし、心のはせゆくがままにまかせる。ああいついつまでも、このようでありたいものだ。


曹植000

公讌 曹植 魏詩<26> 女性詩657 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1845

公讌 曹植 

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩公讌 曹植 魏詩<26> 女性詩657 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1845 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-14>Ⅱ中唐詩570 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1846 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集戲題王宰畫山水圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -18-2)  <381> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1847 杜甫詩1000-382-561/1500 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集峴山送蕭員外之荊州 孟浩然 (01/27) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩楊柳枝 之二 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-58-11-# 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1848 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 

古詩十九首 (1) 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
*****************************************************************


公讌 曹植 魏詩<26> 女性詩657 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1845


銅雀園で、211年建安16年兄の曹丕主催の宴に、曹植が出席したときに作った

もので、曹丕の『芙蓉池の作』に応えたものでもあります。


公讌  曹植
公子敬愛客、終宴不知疲。
曹丕公子は賓客を敬愛され、宴会が終るまでお役を務められても疲れ知らずである。
清夜游西園、飛蓋相追随。
宴は秋の清々しい夜になり、西園の銅雀園での遊びもたけなわになり、客たちはおのおの飛蓋の車がつき従って軽快に疾走している。
明月澄清景、列宿正参差。
ときに、仲秋の明月の影はすずやかな光を風景にたたえている、大空につらなる薄くなっていく銀河、多くの星々は、いまやあちこちに点滅するだけだ。
秋蘭被長坂、朱華冒緑池。
かんばしい秋の蘭と美しい女性は、この長い坂道にいっぱいにおおっている、赤い荷花が縁り一面の池に覆い尽くすほど咲いている。
潜魚躍清波、好鳥鳴高枝。
水にひそむ魚は、時におどり出て清らなる波をおこす、かわいい小鳥が、高い枝でさえずる。
神飇接丹轂、軽輦随風移。
公子の乗る朱塗りの車がとおりすぎると神がかりなふしぎな風を伴っている、転ろやかな輦車は風のまにまに移動していく。
飄颻放志意、千秋長若斯。
私はゆらゆらと天にものぼるここちがし、心のはせゆくがままにまかせる。ああいついつまでも、このようでありたいものだ。
公子 客を敬愛し、宴を終るまで疲るるを知らず。
清夜 西園に遊び、蓋を飛ばして相追随す。
明月 清景を澄え、列宿 正に参差たり。
秋蘭は長坂を被い、朱華は緑池を冒う。
潜魚 清波に躍り、好鳥 高枝に鳴く。
神風 丹轂に接わり、軽輦 風に随いて移る
飄颻として 志意を放にし、千秋 長えに斯くの若くならん。

銅雀臺00


『公讌』曹植 現代語訳と訳註
(本文)
公讌  
公子敬愛客、終宴不知疲。
清夜游西園、飛蓋相追随。
明月澄清景、列宿正参差。
秋蘭被長坂、朱華冒緑池。
潜魚躍清波、好鳥鳴高枝。
神飇接丹轂、軽輦随風移。
飄颻放志意、千秋長若斯。


(下し文)
公子 客を敬愛し、宴を終るまで疲るるを知らず。
清夜 西園に遊び、蓋を飛ばして相追随す。
明月 清景を澄え、列宿 正に参差たり。
秋蘭は長坂を被い、朱華は緑池を冒う。
潜魚 清波に躍り、好鳥 高枝に鳴く。
神風 丹轂に接わり、軽輦 風に随いて移る
飄颻として 志意を放にし、千秋 長えに斯くの若くならん。


(現代語訳)
曹丕公子は賓客を敬愛され、宴会が終るまでお役を務められても疲れ知らずである。
宴は秋の清々しい夜になり、西園の銅雀園での遊びもたけなわになり、客たちはおのおの飛蓋の車がつき従って軽快に疾走している。
ときに、仲秋の明月の影はすずやかな光を風景にたたえている、大空につらなる薄くなっていく銀河、多くの星々は、いまやあちこちに点滅するだけだ。
かんばしい秋の蘭と美しい女性は、この長い坂道にいっぱいにおおっている、赤い荷花が縁り一面の池に覆い尽くすほど咲いている。
水にひそむ魚は、時におどり出て清らなる波をおこす、かわいい小鳥が、高い枝でさえずる。
公子の乗る朱塗りの車がとおりすぎると神がかりなふしぎな風を伴っている、転ろやかな輦車は風のまにまに移動していく。
私はゆらゆらと天にものぼるここちがし、心のはせゆくがままにまかせる。ああいついつまでも、このようでありたいものだ。


(訳注)
公讌 
公の宴会のこと。これに対して、私的な宴会は私宴・曲宴などといわれる。この詩は鄴城宮の銅雀園で、兄の曹丕(のちの220年魏王に即位文帝)に従って宴会に出席した時、作ったもの。
曹丕「芙蓉池作」に和した形跡が処処に認められる。
作詩の時期は建安十六年とされる。
『芙蓉池作』曹丕
乗輦夜行游、逍遥歩西園。双渠相漑灌、嘉木繞通川。
卑枝払羽蓋、脩条摩蒼天。驚風扶輪轂、飛鳥翔我前。
丹霞挟名月、華星出雲間。上天垂光彩、五色一何鮮。
寿命非松喬、誰能得神仙。遨游快心意、保己終百年。
輦に乗りて夜行きて遊び、逍遥して西園に歩む。
双渠 相漑灌し、嘉木 通川を繞る。
卑き枝は羽蓋を払い、脩き条は蒼天を摩す。
驚風は輪轂を扶け、飛鳥は我が前を翔ける。
丹霞 名月を挟み、華星は雲間より出づ。
上天は光彩を垂れ、五色一に何ぞ鮮やかなる。
寿命は松喬に非ず、誰か能く神仙たるを得ん。
遨遊して心意を快くし、己を保ちて百年を終えん。


公子敬愛客、終宴不知疲。
曹丕公子は賓客を敬愛され、宴会が終るまでお役を務められても疲れ知らずである。
○公子 諸侯の子を公子とよぶ。ここでは兄の曹丕をさす。


清夜游西園、飛蓋相追随。
宴は秋の清々しい夜になり、西園の銅雀園での遊びもたけなわになり、客たちはおのおの飛蓋の車がつき従って軽快に疾走している。
○西園 銅雀園。張載の「魏都賦」の注に「文昌殿の西に銅爵(雀)園あり、国中に魚池あり。」という。
○飛蓋 蓋とは車につけるおおい。飛蓋の飛は、車が軽快に疾走する形容。


明月澄清景、列宿正参差。
ときに、仲秋の明月の影はすずやかな光を風景にたたえている、大空につらなる薄くなっていく銀河、多くの星々は、いまやあちこちに点滅するだけだ。
○澄 李善は「字書」に「樫は湛なり。」というのを引く。
〇清景 清らかな光。景は影に同じ。
○列宿 つらなる星宿。銀河。
○参差 あちこちに、いりまじるさま。


秋蘭被長坂、朱華冒緑池。
かんばしい秋の蘭と美しい女性は、この長い坂道にいっぱいにおおっている、赤い荷花が縁り一面の池に覆い尽くすほど咲いている。
○被 おおう。「楚辞」招魂に「皋の蘭は径を被い」と見える。
○朱華 荷の花をさす。
○冒 おおう。


潜魚躍清波、好鳥鳴高枝。
水にひそむ魚は、時におどり出て清らなる波をおこす、かわいい小鳥が、高い枝でさえずる。


神飇接丹轂、軽輦随風移。
公子の乗る朱塗りの車がとおりすぎると神がかりなふしぎな風を伴っている、転ろやかな輦車は風のまにまに移動していく。
○神飈 神速なる疾風の意。司馬相加「上林賦-に「驚風を凌ぎ、駭瘭を経、虚無に乗じて、神と供にし」と見える。「上林賦」及び、前掲の曹丕の詩句をあわせ考えれば、神霊とともなる疾風の意に解しても面白い。
○丹轂 轂は車輪の中心の円木。丹轂とは、皇太子・諸侯らが乗る朱塗りの車をいう(「続漢書」輿服志)。
○軽輦 軽快なてぐるま。輦は人がひく車だが、特に天子の車をさすことが多い。


飄颻放志意、千秋長若斯。
私はゆらゆらと天にものぼるここちがし、心のはせゆくがままにまかせる。ああいついつまでも、このようでありたいものだ。
○飄颻 大きくゆれ動くさま。また、ひるがえりあがるさま。
『古詩十九首 第十二首』
東城高且長,逶迤自相屬。
回風動地起,秋草萋已綠。
四時更變化,歲暮一何速!
晨風懷苦心,蟋蟀傷局促。
蕩滌放情志,何為自結束!蕩滌として情志を放にす、何為ぞ自ら結束する。」と見え、張衡「息玄賦」に「親楓として神挙り、欲するところを
達しくす。」とも見える。

喜雨 曹植 魏詩<26>古詩源 巻三 656 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1841

喜雨 曹植


  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩喜雨 曹植 魏詩<26>古詩源 巻三 656 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1841 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-13>Ⅱ中唐詩569 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1842 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集戲題王宰畫山水圖歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -18-1)  <381> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1843 杜甫詩1000-381-560/1500 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集過故人莊 孟浩然 (01/26) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩楊柳枝 (之一) 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-57-10-# 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1844 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 

古詩十九首 (1) 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
*****************************************************************


喜雨 曹植 魏詩<26>古詩源 巻三 656 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1841



喜雨
天覆何彌廣!苞育此群生。
天のめぐみはどれほど広大無辺に地上をおおいつくして、この天の恵みに包まれて人民たちを、豊かにはぐくんでいるのである。
棄之必憔悴,惠之則滋榮。
その天がもし人民を棄てられたならば、彼らは必ず憔悴しておとろえていくものであり、反対に恵みをあたえられたならば、間違いなく繁栄することになるのである。
慶雲從北來,鬱述西南征。
めでたいことの前兆となる瑞雲は北より飛来し、むらむらと立ちのぼる雲気は西南に向かって進むものだ。
時雨終夜降,長雷周我廷。
時節にほどよくふる雨は、夜半にふるものであり、それは長く尾を引く雷鳴が、我が庭をめぐるものである。
嘉種盈膏壤,登秋必有成。

よい種苗は、豊沃な壌圡にこそ満ちみちるものであり、これらのことがあいまって、みのりの秋に、かならずゆたかな収穫に恵まれることであろう。

天の覆う何ぞ弥【あまねく】く広くして、此の群生を苞育【ほういく】するや。
之を棄つれば必ず憔悴し、之を恵めば則ち滋榮【じえい】す。
慶雲【けいうん】北従り来り、鬱述【うつじゅつ】として西南に征く。
時雨【じう】中夜に降り、長雷【ちょうらい】我が庭を周る。
嘉種【かしゅ】膏壤【こうじょう】に盈【み】ち、登秋【とうしゅう】必ず成る有り。


『喜雨』曹植 現代語訳と訳註
(本文)
喜雨
天覆何彌廣!苞育此群生。
棄之必憔悴,惠之則滋榮。
慶雲從北來,鬱述西南征。
時雨終夜降,長雷周我廷。
嘉種盈膏壤,登秋必有成。


(下し文)
天の覆う何ぞ弥【あまねく】く広くして、此の群生を苞育【ほういく】するや。
之を棄つれば必ず憔悴し、之を恵めば則ち滋榮【じえい】す。
慶雲【けいうん】北従り来り、鬱述【うつじゅつ】として西南に征く。
時雨【じう】中夜に降り、長雷【ちょうらい】我が庭を周る。
嘉種【かしゅ】膏壤【こうじょう】に盈【み】ち、登秋【とうしゅう】必ず成る有り。


(現代語訳)
天のめぐみはどれほど広大無辺に地上をおおいつくして、この天の恵みに包まれて人民たちを、豊かにはぐくんでいるのである。
その天がもし人民を棄てられたならば、彼らは必ず憔悴しておとろえていくものであり、反対に恵みをあたえられたならば、間違いなく繁栄することになるのである。
めでたいことの前兆となる瑞雲は北より飛来し、むらむらと立ちのぼる雲気は西南に向かって進むものだ。
時節にほどよくふる雨は、夜半にふるものであり、それは長く尾を引く雷鳴が、我が庭をめぐるものである。
よい種苗は、豊沃な壌圡にこそ満ちみちるものであり、これらのことがあいまって、みのりの秋に、かならずゆたかな収穫に恵まれることであろう。


(訳注)
喜雨
 228年太和二年夏の作と推定される。時に曹植はふたたび蕹丘(河南省杞県)に国替えになった。この詩は、日照りが続いた後の雨に感謝し、曹植が詠んだものです。
「北堂書鈔」巻百五十六にはこ『喜雨』の詩をひいて、「大和二年、大いに旱し、三麥採りいれせず百姓飢餓に分す」という序をつけている。この序は不完全なものであるし。また曹植の作と断定されたものではないが、我々は、はっきりするまでは採用することとする。尚、盛唐・杜甫に同名の詩がある。

喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 157


天覆何彌廣!苞育此群生。
天のめぐみはどれほど広大無辺に地上をおおいつくして、この天の恵みに包まれて人民たちを、豊かにはぐくんでいるのである。
○天 晴に天子をさしていう。
○弥 あまねし。
○苞育 ゆたかに育てる。
○群生 人民。


棄之必憔悴,惠之則滋榮。
その天がもし人民を棄てられたならば、彼らは必ず憔悴しておとろえていくものであり、反対に恵みをあたえられたならば、間違いなく繁栄することになるのである。
○棄之、恵之 之は人民をさす。また、「之」の中に、曹植自身をもさすともいえる。
○滋栄 しげりさかえる。

 
慶雲從北來,鬱述西南征。
めでたいことの前兆となる瑞雲は北より飛来し、むらむらと立ちのぼる雲気は西南に向かって進むものだ。
○慶雲 めでたいことの前兆となる雲。瑞雲。ここでは雨雲のこと。卿雲、景雲と同じ。
○従北来 夏、北風吹けば雨ふるという。
○鬱述 気の上るさま。鬱律ともいう。


時雨終夜降,長雷周我廷。
時節にほどよくふる雨は、夜半にふるものであり、それは長く尾を引く雷鳴が、我が庭をめぐるものである。
○周 めぐる。この字「あまねし」と読んで一面にとどろきわたると解することも可能と思う。


嘉種盈膏壤,登秋必有成。
よい種苗は、豊沃な壌圡にこそ満ちみちるものであり、これらのことがあいまって、みのりの秋に、かならずゆたかな収穫に恵まれることであろう。
○膏壤 豊沃な壌土。
○登秋 みのりの秋。
○成 みのる。


朔風 (五章) 曹植 魏詩<25-#5>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1837



  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩朔風 (五章) 曹植 魏詩<25-#5>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1837 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-12>Ⅱ中唐詩568 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1838 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集題壁上韋偃畫馬歌 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -17-1)  <380> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1839 杜甫詩1000-380-559/1500 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大) 孟浩然 (01/25) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩贈少年 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-56-9-# 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1840 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 

古詩十九首 (1) 漢詩       http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩    http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html   
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩      http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩     http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上    http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー   http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー   http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人  http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
*****************************************************************

朔風 (五章) 曹植 魏詩<25-#5>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1837


朔風
朔風 (一章) 曹植
仰彼朔風,用懷魏都。願騁代馬,倏忽北徂。
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。

凱風永至,思彼蠻方。願隨越鳥,翻飛南翔。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。


朔風 (二章) 曹植
四氣代謝,懸景運周。別如俯仰,脫若三秋。
四季の気候が移り変わりが気になり始める、天空にかかる光の循環も移り変わる。
君と別れを過ごしたのは、今思えば目を動かすほどの一瞬のうちのようである、惜別の気持ちから脱するのにこの秋の三カ月もかかってしまい、一日過ごすのも遅く感じたものなのだ。

昔我初遷,朱華未希。今我旋止,素雪雲飛。

その昔、私がはじめて、この地から他へ転任したと、きには、あかい花はまだ相当残っていたものだ。
今、私がふたたび帰ってくる池の辺に来てみたのだが、まっ白な雪が樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見え、そしてまた雪が舞い飛び降ってくる。

朔風 (三章) 曹植
俯降千仞,仰登天阻。風飄蓬飛,載離寒暑。
うつむいて千切の渓谷に降りていく、行軍は時には、仰ぎ見つつ天にとどくばかりのけわしい山を登る。
まるで風に吹かれて転蓬のように舞とんでいくように、この夏冬をすごして足かけ二年もすぎた。

千仞易陟,天阻可越。昔我同袍,今永乖別。
我が魏軍は勇猛で千切の高さも、容易く登ってしまう、けわしい山も、越える意気込み強く越えていく。
だが、昔、私が親密にしていた兄弟と、今や、望みもしないのに永遠のわかれをしているのだ。



朔風 (四章) 曹植
子好芳草,豈忘爾貽。繁華將茂,秋霜悴之。
君は芳香をはなつ草木が好きだし、どうして、それを君におくることを忘れることがあろうか。
だけど、この気候が続けば多くの花がこれから満開に咲こうとするだろが、秋の霜はこれを枯らしてしまうのだ。

君不垂眷,豈雲其誠。秋蘭可喻,桂樹冬榮。
たとえ明帝陛下が、小人の讒言を聞き入れ目をかけられなくとも、それがどうして陛下の誠、本心であろうはずがない。
私の忠誠心は、人に知られずとも芳香をはなつ秋の蘭にたとえるとおりであり、また、厳冬にもめげず花を開く桂樹の如くたとえるものである。

朔風 (五章) 曹植
弦歌盪思,誰與銷愁。
絃楽器に合せて歌う絃歌は、人の心を癒し、優しく楽しましてくれるものなのだ、だから、誰とともにこの憂愁を消せばよいのであろうか。
臨川慕思,何為泛舟。
川にむかって、心の友を慕い思うのである、しかしどうやって、舟を浮べればよいのだろうか。
豈無和樂,游非我憐。
この地でも、絃楽器に合せて歌うなごやかな楽しい宴会がないわけではないのだ、ただその宴会の仲間が、心を分け合った私の同志ではないということなのだ。
誰忘泛舟,愧無榜人。
私がどうして、舟を浮べることを忘れるとだれがいうのか、ただ、恥ずかしいことには、その舟をあやつってくれる船頭がいないことなのだ。

弦歌【げんか】思いを盪【とろか】すも,誰と與に愁いを銷【け】さん。
川に臨んで慕い思うも,何為【なんす】れぞ舟を泛べん。
豈に和樂【わらく】無からんや,游ぶこと我が憐に非らず。
誰か舟を泛べるを忘れんや,愧ずらくは榜人無きを。


『朔風 (五章)』 曹植 現代語訳と訳註
(本文)
弦歌盪思,誰與銷愁。臨川慕思,何為泛舟。
豈無和樂,游非我憐。誰忘泛舟,愧無榜人。


(下し文)
俯して千仞を降り,仰ぎて天阻に登る。
風飄【ふうひょう】蓬飛【ほうひ】し,載【すなわ】ち寒暑を離れたり。
千仞 陟【のぼ】り易く,天阻 越ゆ可し。
昔 我が同袍,今や永く乖別【かいべつ】す。


(現代語訳)
絃楽器に合せて歌う絃歌は、人の心を癒し、優しく楽しましてくれるものなのだ、だから、誰とともにこの憂愁を消せばよいのであろうか。
川にむかって、心の友を慕い思うのである、しかしどうやって、舟を浮べればよいのだろうか。
この地でも、絃楽器に合せて歌うなごやかな楽しい宴会がないわけではないのだ、ただその宴会の仲間が、心を分け合った私の同志ではないということなのだ。
私がどうして、舟を浮べることを忘れるとだれがいうのか、ただ、恥ずかしいことには、その舟をあやつってくれる船頭がいないことなのだ。


(訳注)
朔風 
(五章) 
この段の趣旨は、彼の孤立無接の悲しみを、兄弟(恐らくは彪)もしくは心の友に訴えたもの。


弦歌盪思,誰與銷愁。
絃楽器に合せて歌う絃歌は、人の心を癒し、優しく楽しましてくれるものなのだ、だから、誰とともにこの憂愁を消せばよいのであろうか。
○絃歌 絃楽器に合せて歌う歌唱。
○盪思 悲しい思いあらい流す。


臨川慕思,何為泛舟。
川にむかって、心の友を慕い思うのである、しかしどうやって、舟を浮べればよいのだろうか。
○慕思 「文選」では暮恩(日くれて思う、時すでにおそしの意。)に作るが、ここでは日暮れより曹植の優しさを表現から良いと思うので、「曹集」に従うことにした。
○何為汎舟 何為は何以と同じ、何によってか、どうして、の意。舟を汎べるすべがない。

 
豈無和樂,游非我憐。
この地でも、絃楽器に合せて歌うなごやかな楽しい宴会がないわけではないのだ、ただその宴会の仲間が、心を分け合った私の同志ではないということなのだ。
○和楽 絃歌の和樂。兄弟及び君臣が、融和して楽しむこと。「詩経」小雅、常棣に「兄弟既に具い、和楽して孺しむ。」と見え、同じく小雅、鹿鳴には「瑟を鼓し琴を鼓し、和楽して湛たのし。」と見える。「常棣」は兄弟の宴会、「鹿鳴」は君臣の宴会を歌ったもの。
○我憐 我が同志。「論語」里仁篇に「徳は孤ならず、必ず憐あり。」と見える。


誰忘泛舟,愧無榜人。
私がどうして、舟を浮べることを忘れるとだれがいうのか、ただ、恥ずかしいことには、その舟をあやつってくれる船頭がいないことなのだ。
○榜人 船頭。この句は、自分に多くの束縛をうけて、自由のない身をなげいたもの。

朔風 (四章) 曹植 魏詩<25-#4>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1833

朔風


  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩朔風 (四章) 曹植 魏詩<25-#4>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1833 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-11>Ⅱ中唐詩567 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1834 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-2)  <379> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1835 杜甫詩1000-379-558/1500 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集輿黄侍御北津泛舟 孟浩然 (01/24) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『一翦梅  李清照』  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-55-8-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1836 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 



謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

**************************************************************


朔風 (四章) 曹植 魏詩<25-#4>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1833


朔風 (一章) 曹植
仰彼朔風,用懷魏都。願騁代馬,倏忽北徂。
凱風永至,思彼蠻方。願隨越鳥,翻飛南翔。
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。

朔風 (二章) 曹植
四氣代謝,懸景運周。別如俯仰,脫若三秋。
昔我初遷,朱華未希。今我旋止,素雪雲飛。
四季の気候が移り変わりが気になり始める、天空にかかる光の循環も移り変わる。
君と別れを過ごしたのは、今思えば目を動かすほどの一瞬のうちのようである、惜別の気持ちから脱するのにこの秋の三カ月もかかってしまい、一日過ごすのも遅く感じたものなのだ。
その昔、私がはじめて、この地から他へ転任したと、きには、あかい花はまだ相当残っていたものだ。
今、私がふたたび帰ってくる池の辺に来てみたのだが、まっ白な雪が樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見え、そしてまた雪が舞い飛び降ってくる。

朔風 (三章) 曹植
俯降千仞,仰登天阻。風飄蓬飛,載離寒暑。
千仞易陟,天阻可越。昔我同袍,今永乖別。
うつむいて千切の渓谷に降りていく、行軍は時には、仰ぎ見つつ天にとどくばかりのけわしい山を登る。
まるで風に吹かれて転蓬のように舞とんでいくように、この夏冬をすごして足かけ二年もすぎた。
我が魏軍は勇猛で千切の高さも、容易く登ってしまう、けわしい山も、越える意気込み強く越えていく。
だが、昔、私が親密にしていた兄弟と、今や、望みもしないのに永遠のわかれをしているのだ。

俯して千仞を降り,仰ぎて天阻に登る。
風飄【ふうひょう】蓬飛【ほうひ】し,載【すなわ】ち寒暑を離れたり。
千仞 陟【のぼ】り易く,天阻 越ゆ可し。
昔 我が同袍,今や永く乖別【かいべつ】す。


朔風 (四章) 曹植
子好芳草,豈忘爾貽。
君は芳香をはなつ草木が好きだし、どうして、それを君におくることを忘れることがあろうか。
繁華將茂,秋霜悴之。
だけど、この気候が続けば多くの花がこれから満開に咲こうとするだろが、秋の霜はこれを枯らしてしまうのだ。
君不垂眷,豈雲其誠。
たとえ明帝陛下が、小人の讒言を聞き入れ目をかけられなくとも、それがどうして陛下の誠、本心であろうはずがない。
秋蘭可喻,桂樹冬榮。
私の忠誠心は、人に知られずとも芳香をはなつ秋の蘭にたとえるとおりであり、また、厳冬にもめげず花を開く桂樹の如くたとえるものである。

朔風 (四章) 
子 芳草を好む、豈に爾に貽【おく】るを忘れんや。
繁華 将に茂らんとし、秋霜 之れを悴【か】らす。
君 眷【けん】を垂れざるも、豈に其の誠【まこと】なりと云【い】わんや。
秋蘭 喩【たと】う可く、桂樹【けいじゅ】 冬に栄【はな】さく。


朔風 (五章) 曹植
弦歌盪思,誰與銷愁。臨川慕思,何為泛舟。
豈無和樂,游非我憐。誰忘泛舟,愧無榜人。


秋蘭003『古詩十九首之第六首』漢の無名氏蘭澤多芳草


『朔風 (四章) 』曹植 現代語訳と訳註
(本文)
子好芳草,豈忘爾貽。繁華將茂,秋霜悴之。
君不垂眷,豈雲其誠。秋蘭可喻,桂樹冬榮。


(下し文)
朔風
子 芳草を好む、豈に爾に貽【おく】るを忘れんや。
繁華 将に茂らんとし、秋霜 之れを悴【か】らす。
君 眷【けん】を垂れざるも、豈に其の誠【まこと】なりと云【い】わんや。
秋蘭 喩【たと】う可く、桂樹【けいじゅ】 冬に栄【はな】さく。


(現代語訳)
君は芳香をはなつ草木が好きだし、どうして、それを君におくることを忘れることがあろうか。
だけど、この気候が続けば多くの花がこれから満開に咲こうとするだろが、秋の霜はこれを枯らしてしまうのだ。
たとえ明帝陛下が、小人の讒言を聞き入れ目をかけられなくとも、それがどうして陛下の誠、本心であろうはずがない。
私の忠誠心は、人に知られずとも芳香をはなつ秋の蘭にたとえるとおりであり、また、厳冬にもめげず花を開く桂樹の如くたとえるものである。


(訳注)
朔風 (四) 曹植

〇第四段は、彪又は心の友を、話し相手として、明帝(曹叡)に対する自己の忠節の誠を披瀝したものと考える。


子好芳草,豈忘爾貽。
君は芳香をはなつ草木が好きだし、どうして、それを君におくることを忘れることがあろうか。
子・爾 彪もしくは心の友をさすあるいは、明帝をさすとの説もあるが、それは間接的にさしていうのである。
○芳革 かんばしい草。多くは蘭をさす。毎年花を咲かせる多年草。河原や池の側など水辺に好んで自生するふじばかのことをいう。
『古詩十九首之第六首』漢の無名氏
第六首

涉江采芙蓉,澤多芳草。采之欲遺誰,所思在遠道。
還顧望舊鄉,長路漫浩浩。同心而離居,憂傷以終老。

江を捗【わた】りて芙蓉【ふよう】を采る、蘭澤【らんたく】芳草【ほうそう】多し。
之を采りて誰にか遺【おく】らんと欲する、思ふ所は遠道【えんどう】に在り。
還【めぐ】り顧【かえりみ】て 旧郷を望めば、長路漫として浩浩たらん。
同心にして離屈【りきょ】せば、憂傷【ゆうしょう】して以て終に老いなん。古詩十九首之六 (6) 漢詩<93>Ⅱ李白に影響を与えた詩525 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1392
○貽 おくりものとする。


繁華將茂,秋霜悴之。
だけど、この気候が続けば多くの花がこれから満開に咲こうとするだろが、秋の霜はこれを枯らしてしまうのだ。
○繁華 多くの花。君子にたとえるとの説もある。
○秋霜 讒言を云って貶める小人にたとえるもの。
○悴 そこなう。枯らす。


君不垂眷,豈雲其誠。
たとえ明帝陛下が、小人の讒言を聞き入れ目をかけられなくとも、それがどうして陛下の誠、本心であろうはずがない。
 明帝をさすと考えたい。
 目をかけること。
○豈雲其誠 作者の忠誠心という解釈など諸説あるが、ここはこじつけず「陛下の自分に対する気持ちが本心ではない。」という順当な訳しにした。


秋蘭可喻,桂樹冬榮。
私の忠誠心は、人に知られずとも芳香をはなつ秋の蘭にたとえるとおりであり、また、厳冬にもめげず花を開く桂樹の如くたとえるものである。
○秋蘭の二句 「秋蘭」「桂樹」「冬榮」の語は忠誠をあらわす語である。人がいなくてもかんばしくかおる蘭、厳冬にあっても花さく桂は、自己の忠誠は、君に顧みられずとも、かわることがないという意味である。
○秋蘭 清廉潔白の表象。「楚辞」離騒に「秋蘭を縶ぎてもって佩となす。」と見える。
○桂樹冬栄 桂は南方産の常緑喬木で、「南方草木状」に見える。木犀に似た木。栄は花さくこと。「楚辞」遠遊に「桂樹の冬に栄さくを麗とす。」と見える。

朔風 (三章) 曹植 魏詩<25-#3>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1829

朔風 (三章) 曹植

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩朔風 (三章) 曹植 魏詩<25-#3>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1829 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-10>Ⅱ中唐詩566 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1830 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集還至端駅前与高六別処 張説  (01/23) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『瀟湘神  劉禹錫』  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-54-7-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1832 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

**************************************************************




朔風 (三章) 曹植 魏詩<25-#3>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1829


朔風
朔風 (一) 曹植
仰彼朔風,用懷魏都。願騁代馬,倏忽北徂。
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。

凱風永至,思彼蠻方。願隨越鳥,翻飛南翔。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。

朔風 (二) 曹植
四氣代謝,懸景運周。別如俯仰,脫若三秋。
四季の気候が移り変わりが気になり始める、天空にかかる光の循環も移り変わる。
君と別れを過ごしたのは、今思えば目を動かすほどの一瞬のうちのようである、惜別の気持ちから脱するのにこの秋の三カ月もかかってしまい、一日過ごすのも遅く感じたものなのだ。

昔我初遷,朱華未希。今我旋止,素雪雲飛。

その昔、私がはじめて、この地から他へ転任したと、きには、あかい花はまだ相当残っていたものだ。
今、私がふたたび帰ってくる池の辺に来てみたのだが、まっ白な雪が樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見え、そしてまた雪が舞い飛び降ってくる。

朔風 (三) 曹植
俯降千仞,仰登天阻。
うつむいて千切の渓谷に降りていく、行軍は時には、仰ぎ見つつ天にとどくばかりのけわしい山を登る。
風飄蓬飛,載離寒暑。
まるで風に吹かれて転蓬のように舞とんでいくように、この夏冬をすごして足かけ二年もすぎた。
千仞易陟,天阻可越。
我が魏軍は勇猛で千切の高さも、容易く登ってしまう、けわしい山も、越える意気込み強く越えていく。
昔我同袍,今永乖別。
だが、昔、私が親密にしていた兄弟と、今や、望みもしないのに永遠のわかれをしているのだ。

俯して千仞を降り,仰ぎて天阻に登る。
風飄【ふうひょう】蓬飛【ほうひ】し,載【すなわ】ち寒暑を離れたり。
千仞 陟【のぼ】り易く,天阻 越ゆ可し。
昔 我が同袍,今や永く乖別【かいべつ】す。


朔風 (四) 曹植
子好芳草,豈忘爾貽。繁華將茂,秋霜悴之。
君不垂眷,豈雲其誠。秋蘭可喻,桂樹冬榮。

朔風 (五) 曹植
弦歌盪思,誰與銷愁。臨川慕思,何為泛舟。
豈無和樂,游非我憐。誰忘泛舟,愧無榜人。

華山000

『朔風 (三)』曹植 現代語訳と訳註
(本文) 
俯降千仞,仰登天阻。風飄蓬飛,載離寒暑。
千仞易陟,天阻可越。昔我同袍,今永乖別。


(下し文)
俯して千仞を降り,仰ぎて天阻に登る。
風飄【ふうひょう】蓬飛【ほうひ】し,載【すなわ】ち寒暑を離れたり。
千仞 陟【のぼ】り易く,天阻 越ゆ可し。
昔 我が同袍,今や永く乖別【かいべつ】す。


(現代語訳)
うつむいて千切の渓谷に降りていく、行軍は時には、仰ぎ見つつ天にとどくばかりのけわしい山を登る。
まるで風に吹かれて転蓬のように舞とんでいくように、この夏冬をすごして足かけ二年もすぎた。
我が魏軍は勇猛で千切の高さも、容易く登ってしまう、けわしい山も、越える意気込み強く越えていく。
だが、昔、私が親密にしていた兄弟と、今や、望みもしないのに永遠のわかれをしているのだ。


(訳注)
朔風 (三) 
○この第三段は、あいつぐ転任と兄弟の離散を悲しんだもの。ここの詩句は「詩経」小雅、小明に学ぶ所が多い。小明の詩を毛序は、大臣が乱世に役人となっているのを後悔したもの、と見ている。


俯降千仞,仰登天阻。
うつむいて千切の渓谷に降りていく、行軍は時には、仰ぎ見つつ天にとどくばかりのけわしい山を登る。
・千仞 谷や海などが非常に深いこと。 天に聳えるような路のため、 進もうとするのをさまたげる、防ぎとめる、また、こばむ、 気持ちがくじける、ひるむ。深い谷をさすと考えてもよい。例は舌代の長さの単位で、周尺七尺位という。
○天阻 天険と同じ。天にとどくばかりの高い険阻な山のこと。


風飄蓬飛,載離寒暑。
まるで風に吹かれて転蓬のように舞とんでいくように、この夏冬をすごして足かけ二年もすぎた。
○風飄蓬飛「風のごとくひるがえり、蓬のごとく飛ぶ。」と読む。蓬とはよもぎ。風が吹けば、根よりぬけ、風のままに転ずるので、古来、人生無常の喩に頻用される。ここでは転戰移駐がつづいて二か所におちつけないのを悲しむ。
○載離寒暑 載は即ちで、詩経によく用いられる助字で、意味はない。離はあう、経験する。寒暑は前段来の状況に従えば、夏冬を過ごし足かけ二年繰返したことをいう。


千仞易陟,天阻可越。
我が魏軍は勇猛で千切の高さも、容易く登ってしまう、けわしい山も、越える意気込み強く越えていく。
○陟 登る、進む。この千切の二句、内容的にかさなるので、それをきらってか、「降千仞」に対しては陟、千切の深い谷をわたる意である。


昔我同袍,今永乖別。
だが、昔、私が親密にしていた兄弟と、今や、望みもしないのに永遠のわかれをしているのだ。
○同袍 袍とはマント、夜は蒲団の代用とする。その袍を共用するものとは、極めて親密な間柄の人のこと。ここでは彼の兄弟をさしていう。その兄弟は、任城主彰(黄初四年に死す。)や白馬王彪をさすと思われるが、すでに逝去した文帝曹丕と考えてもよい。同袍は「詩経」秦風、無衣に見える。
・乖別 そむきはなれること。結びつきがはなれること。望みもしないのに永遠のわかれをした。

朔風 (二章) 曹植 魏詩<25-#2>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1825

朔風 (二章) 曹植 魏詩


  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩朔風 (二章) 曹植 魏詩<25-#2>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1825 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-9>Ⅱ中唐詩565 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1826 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集石筍行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -15-2)  <378> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1827 杜甫詩1000-378-556/1500 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集峴山懷古 陳子昂 (01/22) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩瑶瑟怨 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-53-6-# 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1828 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)

謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

**************************************************************

朔風 (二章) 曹植 魏詩<25-#2>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1825


朔風
朔風 (一) 曹植
仰彼朔風,用懷魏都。願騁代馬,倏忽北徂。
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。

凱風永至,思彼蠻方。願隨越鳥,翻飛南翔。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。

彼の朔風を仰ぎ、用って魏都を懐う。
願わくは代馬を験せ、候忽として北に祖かん。
凱風 永かに至り、彼の蛮方を思う。
願わくは越鳥に随い、翻飛して南に翔けらん。


朔風 (二) 曹植
四氣代謝,懸景運周。
四季の気候が移り変わりが気になり始める、天空にかかる光の循環も移り変わる。
別如俯仰,脫若三秋。
君と別れを過ごしたのは、今思えば目を動かすほどの一瞬のうちのようである、惜別の気持ちから脱するのにこの秋の三カ月もかかってしまい、一日過ごすのも遅く感じたものなのだ。
昔我初遷,朱華未希。
その昔、私がはじめて、この地から他へ転任したと、きには、あかい花はまだ相当残っていたものだ。
今我旋止,素雪雲飛。
今、私がふたたび帰ってくる池の辺に来てみたのだが、まっ白な雪が樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見え、そしてまた雪が舞い飛び降ってくる。

四氣は代謝し,懸景【けんけい】は運周す。
別しは俯仰【ふぎょう】の如く,脫せしは三秋の若くす。
昔我 初めて遷りしとき,朱華【しゅか】未だ希れならず。
今我 旋【かえ】り止めゆき,素雪【そせつ】雲にして飛ぶ。

朔風 (三) 曹植
俯降千仞,仰登天阻。風飄蓬飛,載離寒暑。
千仞易陟,天阻可越。昔我同袍,今永乖別。

朔風 (四) 曹植
子好芳草,豈忘爾貽。繁華將茂,秋霜悴之。
君不垂眷,豈雲其誠。秋蘭可喻,桂樹冬榮。

朔風 (五) 曹植
弦歌盪思,誰與銷愁。臨川慕思,何為泛舟。
豈無和樂,游非我憐。誰忘泛舟,愧無榜人。

雪の庭

『朔風 (二)』 現代語訳と訳註
(本文) 

朔風 (二) 曹植
四氣代謝,懸景運周。別如俯仰,脫若三秋。
昔我初遷,朱華未希。今我旋止,素雪雲飛。


 (下し文)
四氣は代謝し,懸景【けんけい】は運周す。
別しは俯仰【ふぎょう】の如く,脫せしは三秋の若くす。
昔我 初めて遷りしとき,朱華【しゅか】未だ希れならず。
今我 旋【かえ】り止めゆき,素雪【そせつ】雲にして飛ぶ。


(現代語訳)
四季の気候が移り変わりが気になり始める、天空にかかる光の循環も移り変わる。
君と別れを過ごしたのは、今思えば目を動かすほどの一瞬のうちのようである、惜別の気持ちから脱するのにこの秋の三カ月もかかってしまい、一日過ごすのも遅く感じたものなのだ。
その昔、私がはじめて、この地から他へ転任したと、きには、あかい花はまだ相当残っていたものだ。
今、私がふたたび帰ってくる池の辺に来てみたのだが、まっ白な雪が樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見え、そしてまた雪が舞い飛び降ってくる。
 

(訳注)
朔風 
(二) 
朔風 北風。この詩の制作年代に関しては定説がない。朱緒曾は明帝(曹叡)の228年太和二年、浚儀(河南省開封の北)より、再び蕹丘(河南省杷県)に國がえになった頃の作品と推定し、古直・金冠英両氏もこれに同じ、詩中に、転蓬の嘆きや、乖別の悲しみなどが見えることを、推定の理由にあげている。ここではそれに従う。
「古詩紀」のように内容により、八句ずつの五段に分け、五章分割する。其の二。


四氣代謝,懸景運周。
四季の気候が移り変わりが気になり始める、天空にかかる光の循環も移り変わる。
〇四気 四季の気候。
○代謝 うつりかわる、交替する。
○懸景 天空にかかる光の意で、日月星辰をさす。
○運周 循環運動をすること。


別如俯仰,脫若三秋。
君と別れを過ごしたのは、今思えば目を動かすほどの一瞬のうちのようである、惜別の気持ちから脱するのにこの秋の三カ月もかかってしまい、一日過ごすのも遅く感じたものなのだ。
○俯仰 目を伏せ眼を上に仰ぎ見る間、ほんの一瞬にすぎさってしまうこと。たが、中国人の表現としては、別れてからは、日のたつのがおそく、一日一日がまるで九か月の長さにも思われる。」と解することもできる。
○脱 たちまち。あるいは、ゆるやかなるさま。或は、惜別の感情を脱するためには秋の三が月もかかってしまったよいう意味でもあろう。
〇三秋 早秋、仲秋、晩秋の三秋で、それが一日の朝昼晩にあたるということ。詩経経」召南篇から九か月という説もあるがそれでは三年ということになりまちがい。ここでは、相当長い期間の意味であって先の意味に用いるもの。


昔我初遷,朱華未希。
その昔、私がはじめて、この地から他へ転任したと、きには、あかい花はまだ相当残っていたものだ。
○初遷 浚儀に移った時をさす。「魏志」の本伝に大和元年授儀に遷し封ぜられ、二年復た蕹丘に還える旨の記載がある。
○朱筆 あかい花。蓮の花という。
○未希 まだ大分残っていた。希は稀に同じ。凋落していないこと。


今我旋止,素雪雲飛。
今、私がふたたび帰ってくる池の辺に来てみたのだが、まっ白な雪が樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見え、そしてまた雪が舞い飛び降ってくる。 
○旋 めぐりかえる。
○止 文末につく助字で、とどまる意味はなく、決定の気特をあらわすというのであるが、ここは前の句を受けて池の辺、はすの花を見に来てみたということ。
○素雪 白雪
○云 樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見える。

朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1821

朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1821 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-8>Ⅱ中唐詩564 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1822 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集石筍行 杜甫 <378> 1 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -15-1) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1823 杜甫詩1000-377-555/1500 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集登襄陽峴山 張九齢 (01/21) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩商山早行 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-52-5-# 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1824 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)


謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人  http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首


◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
         http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
         http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                         http://3rd.geocities.jp/miz910yh/
****************************************************************

朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1821




朔風
朔風 (一) 曹植
仰彼朔風,用懷魏都。
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
願騁代馬,倏忽北徂。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。
凱風永至,思彼蠻方。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
願隨越鳥,翻飛南翔。

天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。

朔風 (二) 曹植
四氣代謝,懸景運周。別如俯仰,脫若三秋。
昔我初遷,朱華未希。今我旋止,素雪雲飛。

朔風 (三) 曹植
俯降千仞,仰登天阻。風飄蓬飛,載離寒暑。
千仞易陟,天阻可越。昔我同袍,今永乖別。

朔風 (四) 曹植
子好芳草,豈忘爾貽。繁華將茂,秋霜悴之。
君不垂眷,豈雲其誠。秋蘭可喻,桂樹冬榮。

朔風 (五) 曹植
弦歌盪思,誰與銷愁。臨川慕思,何為泛舟。
豈無和樂,游非我憐。誰忘泛舟,愧無榜人。

oushokun04

『朔風 (一)』 現代語訳と訳註
(本文) 

仰彼朔風,用懷魏都。願騁代馬,倏忽北徂。
凱風永至,思彼蠻方。願隨越鳥,翻飛南翔。


(下し文)
彼の朔風を仰ぎ,用って魏都を懐う。
願わくは代馬を験せ、候忽として北に徂かん。
凱風 永かに至り、彼の蛮方を思う。
願わくは越鳥に随い、翻飛して南に翔けらん。


(現代語訳)
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。


(訳注)
朔風 (一) 
○朔風
 北風。この詩の制作年代に関しては定説がない。朱緒曾は明帝(曹叡)の228年太和二年、浚儀(河南省開封の北)より、再び蕹丘(河南省杷県)に國がえになった頃の作品と推定し、古直・金冠英両氏もこれに同じ、詩中に、転蓬の嘆きや、乖別の悲しみなどが見えることを、推定の理由にあげている。ここではそれに従う。
「古詩紀」のように内容により、八句ずつの五段に分け、五章分割する。


仰彼朔風,用懷魏都。
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
○用 それによって。
○魏都 当時の皇都洛陽。武帝(曹操)が葬られている故都鄴城とも考えられる。「懐魏都」とは、都に参上して、誤解をとき、政治に参画したい気持をあらわすものであろう。文帝を優しくするという意にとる説もある。


願騁代馬,倏忽北徂。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。
○代馬 代郡(山西省北部の地名)に産する馬。
○倏忽 たちまちに。走ることのはやい形容。
○狙 ゆく。

凱風永至,思彼蠻方。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
○凱風 南風。「詩経」邶風、凱風に「凱風南よりす。」と見える。
○永 はるかに。
○蛮方 「礼記」王制に「南方を蛮という」と見える。ここでは、仇敵たる呉をさす。「思彼蛮方」は、呉に遠征するという意をあらわす。上の「懐魏都」に対するもの。

中華思想における方位・民族呼称。
東夷(とうい)靑 - 古代は漠然と中国大陸沿岸部、後には日本・朝鮮などの東方諸国。人の同類とされ、習俗が仁で君子不老の国とされており、蔑称かどうか議論がある(後述)。
西戎(せいじゅう)白- 所謂西域と呼ばれた諸国など。羊を放牧する人で、人と羊の同類。春秋戦国時代は秦王朝をこれに当てた。(蘇軾「夷狄論」)
北狄(ほくてき)黒 - 匈奴・鮮卑・契丹・蒙古などの北方諸国。犬の同類。
南蛮(なんばん)赤- 東南アジア諸国や南方から渡航してきた西洋人など。虫の同類。
例えば、「東夷」については孟子に、古代の聖王・舜は東夷の人であるという説があるため、蔑称ではないという主張も存在し、外国宛の文書に相手国を「東夷」と記して蔑称であるか、そうでないか問題になったこともあるという(陳舜臣の説)。

願隨越鳥,翻飛南翔。
天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。
○越鳥 越の国(浙江省紹興附近)の鳥。「古詩」に古詩十九 第一首
行行重行行、與君生別離。
相去萬餘里、各在天一涯。
道路阻且長、會面安可知。
胡馬依北風、越鳥巣南枝。
相去日已遠、衣帯日已緩。
浮雲蔽白日、遊子不顧返。
思君令人老、歳月忽已晩。
棄捐勿復道、努力加餐飯。
胡馬北風に依り、越鳥南枝に巣くう。と見える。

古詩十九首 (1) 漢詩<88


三良詩 曹植 魏詩<24>文選 詠史 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1817

三良詩 曹植 魏詩<24>文選 詠史

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩三良詩 曹植 魏詩<24>文選 詠史 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1817 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-7>Ⅱ中唐詩563 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1818 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集石犀行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -14-2)  <377> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1819 杜甫詩1000-377-554/1500 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集孟浩然 与諸子登峴山 (01/20) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩春日野行 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-51-4-# 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1820 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)

謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

*******************************************************************************************


三良詩 曹植 魏詩<24>文選 詠史 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1817


三良詩
功名不可為、忠義我所安。
功名は天の差配によるもので自分だけで為せるものではない。忠義こそは私の心のよりどころとするところであるのだ。
秦穆先下世、三臣皆自殘。
かつて秦の穆公が世を去るにあたって,三臣の良臣は皆自害して後を追ったのである。
生時等榮樂、既沒同憂患。
かれらは生きている時には主君と栄楽を共に等しくしていた,死んでからは憂患を同じものとしたのである。
誰言捐軀易?殺身誠獨難。
自らの命を捨てることは容易いことなんて一体誰が言うというのか? 自身を殺すということこそ難しいことは他にはないのだ。
攬涕登君墓、臨穴仰天歎。
涙の顔を拭いて三人の良臣の墓に登り,墓穴に臨んで天を仰いでまた嘆息するのである。
長夜何冥冥?一往不復還。
この墓穴は冥冥とし暗く、そこではなんと夜が長く明けないのであろうか? そこに入った人はもう二度と還っては来られないのだ。
黄鳥為悲鳴、哀哉傷肺肝。
樹木で囀るウグイスは三人の良臣を悲しみの声で鳴いている。ああ、哀しいことか!心もこの身も傷つけてしまうばかりのことである。
(三良の詩)
功名は為す可からざず、忠義は我の安んずる所なり。
秦穆先ず下世して,三臣は皆自ら残【そこな】う。
生時に栄楽を等しくし、既に没して憂患を同じくす。
誰が言う軀を損【す】つるは易しと、身を殺すは誠に独り難し。
涕を攬【と】りて君の墓に登り、穴に臨み天を仰ぎて歎ず。
長夜の何ぞ冥冥たる、一たび往きて復た還らず。
黄鳥為に悲鳴し、哀しい哉肺肝【はいかん】を傷ましむ。

曉鶯005

『三良詩』 現代語訳と訳註
(本文)
三良詩
功名不可為、忠義我所安。
秦穆先下世、三臣皆自殘。
生時等榮樂、既沒同憂患。
誰言捐軀易?殺身誠獨難。
攬涕登君墓、臨穴仰天歎。
長夜何冥冥?一往不復還。
黄鳥為悲鳴、哀哉傷肺肝。


(下し文)(三良の詩)
功名は為す可からざず、忠義は我の安んずる所なり。
秦穆先ず下世して,三臣は皆自ら残【そこな】う。
生時に栄楽を等しくし、既に没して憂患を同じくす。
誰が言う軀を損【す】つるは易しと、身を殺すは誠に独り難し。
涕を攬【と】りて君の墓に登り、穴に臨み天を仰ぎて歎ず。
長夜の何ぞ冥冥たる、一たび往きて復た還らず。
黄鳥為に悲鳴し、哀しい哉肺肝【はいかん】を傷ましむ。


(現代語訳)
功名は天の差配によるもので自分だけで為せるものではない。忠義こそは私の心のよりどころとするところであるのだ。
かつて秦の穆公が世を去るにあたって,三臣の良臣は皆自害して後を追ったのである。
かれらは生きている時には主君と栄楽を共に等しくしていた,死んでからは憂患を同じものとしたのである。
自らの命を捨てることは容易いことなんて一体誰が言うというのか? 自身を殺すということこそ難しいことは他にはないのだ。
涙の顔を拭いて三人の良臣の墓に登り,墓穴に臨んで天を仰いでまた嘆息するのである。
この墓穴は冥冥とし暗く、そこではなんと夜が長く明けないのであろうか? そこに入った人はもう二度と還っては来られないのだ。
樹木で囀るウグイスは三人の良臣を悲しみの声で鳴いている。ああ、哀しいことか!心もこの身も傷つけてしまうばかりのことである。


(訳注)
三良詩
歴史に借りて時事を風刺する詠史詩である。
〇三良 秦の穆公(春秋時代の諸侯)が死んだ時、殉死した百七十七人の中に、子車(子輿氏ともいう)の子の良臣、奄息・仲行・鍼虎の三人がいた。彼らは何れも善良のほまれが高い人であったので、秦国の人々は「黄鳥」の詩を作って哀しんだ。その事は「左伝」文公六年に見える。なお「詩経」秦風に「黄鳥」という篇があり、「毛詩序」には、国人がこの『三良』を哀しみ、殉死させた穆公を責めた詩であるという。曹植のこの詩の制作時期は不明だが、「文選」五臣注では、曹植が父の操に殉死することができなかったのを後悔して作ったというから、建安二十五年以後のものと見ているようだ。しかし、建安二十年、曹植が張魯征伐に従軍した時、穆公の墓を通って作ったという説もあり、一定しない。三良に託して曹植自身の苦衷を吐露したものと考える。


功名不可為、忠義我所安。
功名は天の差配によるもので自分だけで為せるものではない。忠義こそは私の心のよりどころとするところであるのだ。
○功名不可為 功名が立てられるか否かは、天の意志によるもので、自分の意志ではなんともできないもの。またこの句は、功名は自分の問題とするものではないという。

秦穆先下世、三臣皆自殘。
かつて秦の穆公が世を去るにあたって,三臣の良臣は皆自害して後を追ったのである。
○秦の穆公。
○下世 死ぬこと。
〇自殘 自殺。自害。


生時等榮樂、既沒同憂患。
かれらは生きている時には主君と栄楽を共に等しくしていた,死んでからは憂患を同じものとしたのである。
生時の二句「秦本紀」の『征義』に引いいて應劭曰く:「秦穆公與群臣飲,酒酣,公曰:『生共此樂,死共此哀。』於是奄息、仲行、鍼虎許諾。」(秦穆公群臣と飲む。酒酣なるとき、公日く、生きて此の楽しみを共にし、死しては此の表しみを共にせんと。ここにおいて奄息・仲行・鍼虎許諾せり。公の荒ずるに及び、皆死に従えり。黄鳥の詩は為めに作らるるなり。)という言葉を引く。

 
誰言捐軀易?殺身誠獨難。
自らの命を捨てることは容易いことなんて一体誰が言うというのか? 自身を殺すということこそ難しいことは他にはないのだ。


攬涕登君墓、臨穴仰天歎。
涙の顔を拭いて三人の良臣の墓に登り,墓穴に臨んで天を仰いでまた嘆息するのである。
○臨穴仰天歎 「詩経」秦風、黄鳥に「臨其穴.惴惴其慄。彼蒼者天.殲我良人。」(その穴に臨み、憶憶としてそれ慄る。彼の蒼たるは天なり、我が良人を殲しぬ。)と見える。
○穴 墓穴。


長夜何冥冥?一往不復還。
この墓穴は冥冥として暗く、そこではなんと夜が長く明けないのであろうか? そこに入った人はもう二度と還っては来られないのだ。
長夜 永遠のくらい夜。


黄鳥為悲鳴、哀哉傷肺肝!
樹木で囀るウグイスは三人の良臣を悲しみの声で鳴いている。ああ、哀しいことか!心もこの身も傷つけてしまうばかりのことである。
黄鳥為悲鳴 「詩経」秦風に「黄鳥篇」三良の死を悼んだことを詠う。黄鳥は今では黄雀という。うぐいすの一種。

雜詩六首其六 曹植 魏詩<23>古詩源 巻三 女性詩649 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1813

雜詩六首其六 曹植



  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩雜詩六首其六 曹植 魏詩<23>古詩源 巻三 女性詩649 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1813 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-6>Ⅱ中唐詩562 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1814 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(2部)浣花渓の草堂(2 -13) 遣興 杜甫 <376>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1811 杜甫詩1000-376-552/1500 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集晩菊 韓退之(韓愈)詩<91> (01/19) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『寄岳州李員外遠』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-50-3-# 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1816 七言律詩 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)

謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首


雜詩六首其六 曹植 魏詩<23>古詩源 巻三 女性詩649 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1813


雜詩六首 其六
飛觀百餘尺,臨牖御欞軒。
飛び上がれば百余尺の高さである、このそびえたつ楼閣も櫺窓を動かしてすりによりかかって遠くを望のである。
遠望周千里,朝夕見平原。
遠く見わたせば、千里のかなたまで一望できる、私は毎日朝と夕べに、どこまでもひろがる平原をながめるのである。
烈士多悲心,小人偷自閒。
烈士として名をのこしたいものは、悲しみを心にいだくことが多いもので、とるにたらないものは、ただいい加減に、なんにもせずに暮らしているものだ。
國讎亮不塞,甘心思喪元。
わが国に盾つく国や国内の不満分子どもは、たしかにまだ絶滅させてはいないのだ。私が満足したいとおもうことは、喜んでこの首を犠牲にしていいと思っていることである。
拊劍西南望,思欲赴太山。
今はこうして剣をなでつつ、この楼閣で西と南の方をながめてはいるが、戰場で功をなし名を挙げて、泰山に赴き天につげたいものだ。
弦急悲聲發,聆我慷慨言。

この思いで瑟の弦をたたくと、事態は切迫しているかのように悲しい音が響き渡る。天よどうか、私のたかぶる悲憤の言葉をおききたまえ。

其の六
觀るに飛ぶ 百餘尺,牖【ゆう】に臨む 御欞【ぎょれい】の軒。
遠望して千里に周く,朝夕 平原を見る。
烈士は悲心多く,小人は偷にして自から閒なり。
國讎【こくしゅう】亮【まこと】に塞きず,甘心するは元【こうべ】を喪わんことを思う。
劍を拊【ふ】して西南を望み,思いて太山に赴かんと欲す。
弦 急にして悲聲を發し,我が慷慨【こうがい】の言を聆【き】け。

汜水関などの地図

『雜詩六首』其六 現代語訳と訳註
(本文)

飛觀百餘尺,臨牖御欞軒。遠望周千里,朝夕見平原。烈士多悲心,小人偷自閒。
國讎亮不塞,甘心思喪元。拊劍西南望,思欲赴太山。弦急悲聲發,聆我慷慨言。


(下し文)
觀るに飛ぶ 百餘尺,牖【ゆう】に臨む 御欞【ぎょれい】の軒。
遠望して千里に周く,朝夕 平原を見る。
烈士は悲心多く,小人は偷にして自から閒なり。
國讎【こくしゅう】亮【まこと】に塞きず,甘心するは元【こうべ】を喪わんことを思う。
劍を拊【ふ】して西南を望み,思いて太山に赴かんと欲す。
弦 急にして悲聲を發し,我が慷慨【こうがい】の言を聆【き】け。


(現代語訳)
飛び上がれば百余尺の高さである、このそびえたつ楼閣も櫺窓を動かしてすりによりかかって遠くを望のである。
遠く見わたせば、千里のかなたまで一望できる、私は毎日朝と夕べに、どこまでもひろがる平原をながめるのである。
烈士として名をのこしたいものは、悲しみを心にいだくことが多いもので、とるにたらないものは、ただいい加減に、なんにもせずに暮らしているものだ。
わが国に盾つく国や国内の不満分子どもは、たしかにまだ絶滅させてはいないのだ。私が満足したいとおもうことは、喜んでこの首を犠牲にしていいと思っていることである。
今はこうして剣をなでつつ、この楼閣で西と南の方をながめてはいるが、戰場で功をなし名を挙げて、泰山に赴き天につげたいものだ。
この思いで瑟の弦をたたくと、事態は切迫しているかのように悲しい音が響き渡る。天よどうか、私のたかぶる悲憤の言葉をおききたまえ。


(訳注)
其六
 214年建安十九年、曹操が呉を討つにあたって、曹植を留めて甄城を守らせた時、曹植が遠征を思って作ったものである。しかし、内容的に「其五」の詩と語句の似通ったものがあるのは続編ということであろう。


飛觀百餘尺,臨牖御欞軒。
飛び上がれば百余尺の高さである、このそびえたつ楼閣も櫺窓を動かしてすりによりかかって遠くを望のである。
○飛観 観は楼閣。飛は高いさまをいう、落ちるという表現で高さをあらわさないので、100尺余り飛び上がったという。。
○御欞 櫺子のまどをあける。窓とてすり。御は動かすこと。格子窓、軒はてすり。れんじ窓を動かして手摺の掴まる。

遠望周千里,朝夕見平原。
遠く見わたせば、千里のかなたまで一望できる、私は毎日朝と夕べに、どこまでもひろがる平原をながめるのである。

烈士多悲心,小人偷自閒。
烈士として名をのこしたいものは、悲しみを心にいだくことが多いもので、とるにたらないものは、ただいい加減に、なんにもせずに暮らしているものだ。
〇烈士 征伐、革命、維新などにおいて戦い功績を残し、名を遺したものの人物の称号をいう。
○偷 物事をゆるがせにして安逸をむさぼる。


國讎亮不塞,甘心思喪元。
わが国に盾つく国や国内の不満分子どもは、たしかにまだ絶滅させてはいないのだ。私が満足したいとおもうことは、喜んでこの首を犠牲にしていいと思っていることである。
○国儲 敵国、呉と局をさす。
○塞 とだえる、なくなる。
○甘心 自らが満足するという意味。
○元 あたま、首のこと。

拊劍西南望,思欲赴太山。
今はこうして剣をなでつつ、この楼閣で西と南の方をながめてはいるが、戰場で功をなし名を挙げて、泰山に赴き天につげたいものだ。
○拊 なでる、かるくうつ。
○西南 甄城から西は許都、蜀、南は、呉。
○太山 泰山(山東省にある。)のこと。五嶽の一つ。古来、重要な祭典が行われ、出征の時も、ここでその旨を天に告げる。前の聯に「烈士、小人」とある。孔子の「登泰山而小天下」(泰山に登れば天下はなん. と小さく見えることか)ということも意味するかもしれない。


弦急悲聲發,聆我慷慨言。
この思いで瑟の弦をたたくと、事態は切迫しているかのように悲しい音が響き渡る。天よどうか、私のたかぶる悲憤の言葉をおききたまえ。
○弦 瑟の弦。
○慷慨 「壮士の志を心に得ざるなり」と、胸にこみあげる感情をいう。



雜詩(六首)其一
高台多悲風,朝日照北林。之子在萬里,江湖回且深。方舟安可極,離思故難任。
孤雁飛南遊,過庭長哀吟。翹思慕遠人,願欲托遺音。形影忽不見,翩翩傷我心。

其二
轉蓬離本根,飄颻長隨風。何意回飆舉,吹我入雲中。高高上無極,天路安可窮。
類此遊客子,捐軀遠從戎。毛褐不掩形,薇藿常不充。去去莫復道,沈憂令人老。

其三
西北有織婦,綺縞何繽紛。明晨秉機杼,日昃不成文。太息終長夜,悲嘯入青雲。
妾身入空閨,良人行從軍。自期三年歸,今已歷九春。飛鳥繞樹翔,噭噭鳴索群。
願為南流景,馳光見我君。

其四
南國有佳人,容華若桃李。朝游江北岸,夕宿瀟湘沚。
時俗薄朱顏,誰為發皓齒。俯仰歲將暮,榮耀難久恃。

其五
僕夫早嚴駕,吾將遠行游。遠遊欲何之?吳國為我仇。將騁萬里途,東路安足由。
江介多悲風,淮泗馳急流。願欲一輕濟,惜哉無方舟。閒居非吾志,甘心赴國憂。

其六
飛觀百餘尺,臨牖御欞軒。遠望周千里,朝夕見平原。烈士多悲心,小人偷自閒。
國讎亮不塞,甘心思喪元。拊劍西南望,思欲赴太山。弦急悲聲發,聆我慷慨言。

喜雨
天覆何彌廣,苞育此群生。棄之必憔悴,惠之則滋榮。慶雲從北來,郁述西南征。
時雨終夜降,長雷周我廷。嘉種盈膏壤,登秋必有成。

雜詩六首其五 曹植 魏詩<22>古詩源 巻三 女性詩648 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1809

雜詩六首其五 曹植



  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩雜詩六首其五 曹植 魏詩<22>古詩源 巻三 女性詩648 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1809 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-5>Ⅱ中唐詩561 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1810 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(2部)浣花渓の草堂(2 -13) 遣興 杜甫 <376>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1811 杜甫詩1000-376-552/1500 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集新竹 韓退之(韓愈)詩<90> (01/18) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『河傳』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-49-2-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1812 
     

謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人  http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首


雜詩六首其五 曹植 魏詩<22>古詩源 巻三 女性詩648 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1809

雜詩六首 其五
僕夫早嚴駕,吾將遠行游。
御者たちよ、朝早くから厳重に車の準備をしておきなさいと命じておいた。私はこれから遠い旅行に出かけるのだ。
遠遊欲何之?吳國為我仇。
遠い旅行・行軍は、どこへ行こうというのか。いうまでもない、呉の国は、われわれの仇敵ではないか。
將騁萬里途,東路安足由。
まさに、万里の道を勇んではせ行こうとする。だから蕹丘への東へ行く道なんか、遠回りして通って行く理由を云うだけのものを持ち合わせないだろう。
江介多悲風,淮泗馳急流。
長江下流域のあたりは、悲しい風が吹きすさみ、准水や泗水水の流れは、まことに急である。
願欲一輕濟,惜哉無方舟。
私はそれらの大河を一挙にしてわたりたいとは思うが、ああ口惜しいことには、ならべるだけの箱舟がないのだ。
閒居非吾志,甘心赴國憂。
隠遁者のようにのんびりくらすことは私の志ではない。私が満足できることは、国の将来を心配してその解決のために赴く仕事がしたいのだ。

其の五
僕夫早く駕を嚴めよ,吾將に遠く行きて游ばんとす。
遠く遊びて何くにか之かんと欲する?吳國は我が仇するを為す。
將に萬里の途を騁せんとす,東路安んぞ由るに足らん。
江介 悲風を多くし,淮泗 急流を馳す。
願わくは一たび輕く濟らんと欲すれども,惜しい哉 方舟無し。
閒居は吾が志に非ず,心に甘んじて國憂に赴かん。

李白 済南

『雜詩六首』 其五 現代語訳と訳註
(本文)

僕夫早嚴駕,吾將遠行游。遠遊欲何之?吳國為我仇。將騁萬里途,東路安足由。
江介多悲風,淮泗馳急流。願欲一輕濟,惜哉無方舟。閒居非吾志,甘心赴國憂。


(下し文)
其の五

僕夫早に駕を厳しめよ,吾將に遠く行きて游ばんとす。
遠く遊びて何くにか之かんと欲する?吳國は我が仇するを為す。
將に萬里の途を騁せんとす,東路安んぞ由るに足らん。
江介 悲風を多くし,淮泗 急流を馳す。
願わくは一たび輕く濟らんと欲すれども,惜しい哉 方舟無し。
閒居は吾が志に非ず,心に甘んじて國憂に赴かん


(現代語訳)
御者たちよ、朝早くから厳重に車の準備をしておきなさいと命じておいた。私はこれから遠い旅行に出かけるのだ。
遠い旅行・行軍は、どこへ行こうというのか。いうまでもない、呉の国は、われわれの仇敵ではないか。
まさに、万里の道を勇んではせ行こうとする。だから蕹丘への東へ行く道なんか、遠回りして通って行く理由を云うだけのものを持ち合わせないだろう。
長江下流域のあたりは、悲しい風が吹きすさみ、准水や泗水水の流れは、まことに急である。
私はそれらの大河を一挙にしてわたりたいとは思うが、ああ口惜しいことには、ならべるだけの箱舟がないのだ。
隠遁者のようにのんびりくらすことは私の志ではない。私が満足できることは、国の将来を心配してその解決のために赴く仕事がしたいのだ。


(訳注)
雜詩六首 其五
○其五
の詩は蕹丘(河南省杷県)に国がえになった後の作品。時期は223年黄初四年以後で、曹植の「情詩」「白馬王彪に贈る」詩と同時頃の作と推定される。


僕夫早嚴駕,吾將遠行游。
御者たちよ、朝早くから厳重に車の準備をしておきなさいと命じておいた。私はこれから遠い旅行に出かけるのだ。
○僕夫 御者。
○早厳駕 朝早くから車馬の整備を厳重にしている。早は夙と同じ、朝早くの意。厳は厳重に整備すること。馭者は夜明けと同時に出発できるようにしているもので、ことさら、ここで「早」「厳」の語を使うことは「致命急なり」と命が下っていることを示すものである。
 早に駕を厳しめよと読み、「御者よ、朝早く起き、車の準備をいそげ。」という命令文に解することも可能である。
○行遊 行遊は旅すること。行軍すること。


遠遊欲何之?吳國為我仇。
遠い旅行・行軍は、どこへ行こうというのか。いうまでもない、呉の国は、われわれの仇敵ではないか。
○呉国 当時、魏・呉・蜀の三国鼎立、それぞれ独立し、交戦状態にあった。呉の君主は孫権。蜀が魏を攻め、魏が呉を攻め、呉が蜀を攻めるということである。劉備が223年夷陵の戦いで呉軍に大敗。白帝城にて陣没することにより、三権鼎立はしばらく続く。


將騁萬里途,東路安足由。
まさに、万里の道を勇んではせ行こうとする。だから蕹丘への東へ行く道なんか、遠回りして通って行く理由を云うだけのものを持ち合わせないだろう。(曹丕に対する言い訳が立たない))
○東路 曹植の封地蕹丘をさす、蕹丘は首都洛陽より東にあたる。
○由 ……のコースを通って行く理由。


江介多悲風,淮泗馳急流。
長江下流域のあたりは、悲しい風が吹きすさみ、准水や泗水水の流れは、まことに急である。
○江介多悲風 介は間、長江下流域附近(揚子江と呼ばれたあたり)の地をさす。
○淮洒 淮水は安徽・江蘇の北部を流れる川。淮水と泗水には運河が通じている、蕹丘に行くには泗水を渡らねはならぬ。


願欲一輕濟,惜哉無方舟。
私はそれらの大河を一挙にしてわたりたいとは思うが、ああ口惜しいことには、ならべるだけの箱舟がないのだ。
○願欲 出征したくても、その願いをはたす手だてのないことをなげいたもの
〇一軽済 済は渡。この河川は軽く渡れるような河川ではないからこそ、願うのである。
○方舟 舟をならべ、橋にする。方は二つ並べること。狭い河川の場合ひき船の場合、橋にする場合船頭が居なくて船だけの状態を云う。曹丕『又清河作一首』「方舟戲長水,湛淡自浮沈。」又清河作一首 曹丕(魏文帝) 魏詩<4 後世杜甫『發秦州』「密竹復冬笋、清池可方舟。」“同谷紀行(1)” 發秦州 杜甫 <321#1  


閒居非吾志,甘心赴國憂。
隠遁者のようにのんびりくらすことは私の志ではない。私が満足できることは、国の将来を心配してその解決のために赴く仕事がしたいのだ。
○閒居 のんびりくらすこと。渓谷、林澗を意味し、隠棲生活を云う。
○甘心 自らが満足するという意味。

雜詩六首其四 曹植 魏詩<21>古詩源 巻三 女性詩647 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1805

雜詩六首 其四 曹植

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩雜詩六首其四 曹植 魏詩<21>古詩源 巻三 女性詩647 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1805 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-4>第2段の2Ⅱ中唐詩560 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1806 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(2部)浣花渓の草堂(2 -12) 雲山 杜甫 <375>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1807 杜甫詩1000-375-551/1500 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集送李翺 韓退之(韓愈)詩<89> (01/17) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『訴衷情』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-48-1-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1808 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                             http://3rd.geocities.jp/miz910yh/


雜詩六首其四 曹植 魏詩<21>古詩源 巻三 647 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1805


曹植
192年(初平3年) - 232年(太和6年)11月28日)は、中国後漢末から三国時代の人物で、魏の皇族。字は子建。陳王に封じられ、諡は思であったことから陳思王とも呼ばれる。唐の李白・杜甫以前における中国を代表する文学者として、「詩聖」の評価を受けた人物でもある。才高八斗(八斗の才)・七歩の才の語源。建安文学の三曹の一人。
沛国譙県(現在の安徽省亳州市)の人。曹操の五男として生まれる。生母の卞氏は倡家(歌姫)の出身であるが、『世説新語』賢媛篇に名を列ねるほどの賢婦であった。同母兄に文帝曹丕・任城威王曹彰。同母弟に蕭懐王曹熊。子は曹苗(早世)・曹志。他に2人の娘がいた。
異母兄の曹昂と曹鑠が早世すると、197年(建安2年)頃[3]に卞氏が正室に上げられ、曹植は曹操の正嫡の三男となる。幼い頃より詩など数十万言を諳んじ、自身も詩人であった曹操に寵愛された。211年(建安16年)、平原侯(食邑5000戸)に封じられ、214年、臨葘侯(同)に転封される。


雜詩六首   其四
南國有佳人,容華若桃李。
南の国には美しい人がいる。容貌の華やかなことは、桃や李の花のようである。
朝游江北岸,夕宿瀟湘沚。
ところが、朝には長江から洞庭湖の北岸に遊營し、夕べには洞庭湖の南の瀟湘の水ぎわに宿営する毎日が続いている。
時俗薄朱顏,誰為發皓齒。
時代の好みの流行は、若いその美しい顔立ちなど見むきもしてくれない。その美人は誰のために、白い歯をみせて歌えばよいのであろうか。
俯仰歲將暮,榮耀難久恃。
頭をあげさげする一瞬のうちに、今年もはや暮れようとしている。その華やいだ輝きも、何時までも持続できるというものではないのである。
南国に佳人有り、容華 桃李の若し。
朝に 江北の岸に遊び、夕に 瀟湘の沚に宿す。
時俗 朱顔を薄んず、誰が為にか皓歯を発かん。
俯仰すれば 歳将に暮れんとす、栄耀 久しくは恃み難し。

Chrysanthemum

『雜詩六首其四』 現代語訳と訳註
(本文)

其四
南國有佳人,容華若桃李。
朝游江北岸,夕宿瀟湘沚。
時俗薄朱顏,誰為發皓齒。
俯仰歲將暮,榮耀難久恃。


(下し文)
南国に佳人有り、容華 桃李の若し。
朝に 江北の岸に遊び、夕に 瀟湘の沚に宿す。
時俗 朱顔を薄んず、誰が為にか皓歯を発かん。
俯仰すれば 歳将に暮れんとす、栄耀 久しくは恃み難し。


(現代語訳)
南の国には美しい人がいる。容貌の華やかなことは、桃や李の花のようである。
ところが、朝には長江から洞庭湖の北岸に遊營し、夕べには洞庭湖の南の瀟湘の水ぎわに宿営する毎日が続いている。
時代の好みの流行は、若いその美しい顔立ちなど見むきもしてくれない。その美人は誰のために、白い歯をみせて歌えばよいのであろうか。
頭をあげさげする一瞬のうちに、今年もはや暮れようとしている。その華やいだ輝きも、何時までも持続できるというものではないのである。


(訳注)
其四

○其四の詩は、南国にすむ美人の空しく世に埋もれるのに託して、曹植自身の不遇を訴えたものと見られる。黄節は異母弟の曹彪を傷んで作ったという。曹彪は哉初三年呉王に封ぜられ、同五年に寿春県(安徽省寿県)に改め封ぜられ、同七年白馬(河南省滑県の東)にうつし封ぜられた。曹彪は七年までは南方の安徴の地にいたわけだ。


南國有佳人,容華若桃李。
南の国には美しい人がいる。容貌の華やかなことは、桃や李の花のようである。
○南国 南方の国。越の国には美人が多い
〇佳人 美しい人。美しい女性。美人。かじんはくめい【佳人薄命】《蘇軾「薄命佳人詩」から》美人は、病弱で早死にしたり、運命にもてあそばれて、不幸になったりすることが多いということ。曹植自身をたとえたもの、曹彪にたとえるとの説もある。
○容華 容貌の華やかなこと。


朝游江北岸,夕宿瀟湘沚。
ところが、朝には長江から洞庭湖の北岸に遊營し、夕べには洞庭湖の南の瀟湘の水ぎわに宿営する毎日が続いている。
○瀟湘沚 瀟、湘ともに洞庭湖に流入する川の名。瀟水は湖南省零陵県の西北で湘水と合流して洞庭湖にそそぐ。沚はみぎわ。
○朝游江北岸,夕宿瀟湘沚 任地を転転して居処の定まらないことをたとえたもの。楚辞 九歌 湘夫人 「朝騁騖兮江皋,夕弭節兮北渚。 鳥次兮屋上,水周兮堂下。(朝に航皐を騁驁て、夕に節を北渚に弭む)と見える。なお「夕宿」の句を、「文選」は「日夕宿湘沚、日夕れば湘の沚に宿す」に作るが、「古詩源」「曹集」によった。 


時俗薄朱顏,誰為發皓齒。
時代の好みの流行は、若いその美しい顔立ちなど見むきもしてくれない。その美人は誰のために、白い歯をみせて歌えばよいのであろうか。
○薄 けいべつする。
○発皓歯 白い歯をみせて、歌をうたうこと。
「楚辞」大招、宋玉「笛賦」などの歌唱の場面に「皓歯」を用いた例が見える。皓歯の用語解説 - 白くきれいな歯。多く「明眸(めいぼう)皓歯」の形で、美人の形容に用いる。


俯仰歲將暮,榮耀難久恃。
頭をあげさげする一瞬のうちに、今年もはや暮れようとしている。その華やいだ輝きも、何時までも持続できるというものではないのである。
○俯仰 ふしあおぐ意から時間の経過の極めてはやいことに用いた。「荘子」在宥篇に「其疾俛仰之間而再撫四海之外」(その疾きこと、俛仰の間にして再び四海の外に撫む。)と見える。
○栄耀 はなのかがやき、美人の桃李のような容貌についていう。

雜詩六首其三 曹植 魏詩<20>古詩源 巻三 三国時代の詩646 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1801

雜詩六首其三 曹植 魏詩<20>


  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩雜詩六首其三 曹植 魏詩<20>古詩源 巻三 三国時代の詩646 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1801 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-3>Ⅱ中唐詩559 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1802 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(2部)浣花渓の草堂(2 -11) 所思 杜甫 <374>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1803 杜甫詩 1000- 550 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集洛橋晚望 Ⅶ孟郊(孟東野)詩<25> (01/16) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『遐方怨 二首之二 』(憑繡檻)温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-47-16-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1804 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                             http://3rd.geocities.jp/miz910yh/




雜詩六首其三 曹植 魏詩<20>古詩源 巻三 三国時代の詩646 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1801


其三
西北有織婦,綺縞何繽紛。
北から西へ移動した天の川には織女がいます。女の織りなす精巧な絹織物は、天の川でその輝きが何と入り乱れていることでありましょうか。
明晨秉機杼,日昃不成文。
女は朝早くから機おりの杼を手にとっていますが、日がかたむく頃になっても、あや模様を仕上げることができません。
太息終長夜,悲嘯入青雲。
だから、女は大きくためいきをつきながら長い夜をあかしてしまうのです。そして、おおきな悲しい嘆息が、はるか高い雲のなかにはいって行くのです。
妾身入空閨,良人行從軍。
このわたしはというと夫のいない閏にはいっていくだけなのです。あの人はでかけて従軍しているからなのです。
自期三年歸,今已歷九春。
出発の時私に、三年たてば帰ってくるよ、と言ったのです。なのに、今はすでに九春が経ているのです。
飛鳥繞樹翔,噭噭鳴索群。
空を飛ぶ一羽の鳥が、樹をめぐって旋回していきます、きょうきょうと悲しげな鳴き声をあげて仲間の群れをもとめているのです。
願為南流景,馳光見我君。

願うことなら、あの南の呉の方にmけて星が流れに託したい、その星光は馳せて行き、我が夫を見つけてくれることでしょう。

其の三
西北に織婦【しょくふ】有り,綺縞何ぞ繽紛たり。
明晨機杼を秉り,日昃【かたむ】くも文を成さず。
太息して長夜を終え,悲嘯【ひしょう】青雲に入る。
妾身 空閨に入り,良人 行きて軍に從う。
自ら期す三年にして歸らんと,今は已に九春を歷たり。飛鳥 樹を繞りて翔【かけ】り,噭噭【きょうきょう】として鳴きて群を索【もと】む。
願わくは南流の景と為りて,光を馳せて我が君に見【まみ】えん。


銀河002

『雜詩六首』其三 現代語訳と訳註
(本文)
其三
西北有織婦,綺縞何繽紛。明晨秉機杼,日昃不成文。太息終長夜,悲嘯入青雲。
妾身入空閨,良人行從軍。自期三年歸,今已歷九春。飛鳥繞樹翔,噭噭鳴索群。
願為南流景,馳光見我君。


(下し文)
西北に織婦【しょくふ】有り,綺縞何ぞ繽紛たり。
明晨機杼を秉り,日昃【かたむ】くも文を成さず。
太息して長夜を終え,悲嘯【ひしょう】青雲に入る。
妾身 空閨に入り,良人 行きて軍に從う。
自ら期す三年にして歸らんと,今は已に九春を歷たり。飛鳥 樹を繞りて翔【かけ】り,噭噭【きょうきょう】として鳴きて群を索【もと】む。
願わくは南流の景と為りて,光を馳せて我が君に見【まみ】えん。


(現代語訳)
北から西へ移動した天の川には織女がいます。女の織りなす精巧な絹織物は、天の川でその輝きが何と入り乱れていることでありましょうか。
女は朝早くから機おりの杼を手にとっていますが、日がかたむく頃になっても、あや模様を仕上げることができません。
だから、女は大きくためいきをつきながら長い夜をあかしてしまうのです。そして、おおきな悲しい嘆息が、はるか高い雲のなかにはいって行くのです。
このわたしはというと夫のいない閏にはいっていくだけなのです。あの人はでかけて従軍しているからなのです。
出発の時私に、三年たてば帰ってくるよ、と言ったのです。なのに、今はすでに九春が経ているのです。
空を飛ぶ一羽の鳥が、樹をめぐって旋回していきます、きょうきょうと悲しげな鳴き声をあげて仲間の群れをもとめているのです。

願うことなら、あの南の呉の方にmけて星が流れに託したい、その星光は馳せて行き、我が夫を見つけてくれることでしょう。

(訳注)
其三

○其三の詩は、225年黄初五年七月より、227年七年七月にかけて行われた、曹丕の呉遠征と結びつけ、曹丕の帰りをまつ曹植の心情を、良人の帰りをまつ妻の心情に託したもの。元来、このような主題は楽府や古詩がよく採りあげるところである故、曹植がそれらに擬して作ったものと見る。


西北有織婦,綺縞何繽紛。
北から西へ移動した天の川には織女がいます。女の織りなす精巧な絹織物は、天の川でその輝きが何と入り乱れていることでありましょうか。
○西北 天の川が北から西へ移動した。ここは時間の経過を示す。魏文帝『燕歌行』「明月皎皎照我床,星漢西流夜未央。」折からの仲秋の名月はこうこうと私の閨の床を照らしています。天の川は西の空に流れて薄くなりましたがまだ夜明けになるには早すぎます。
・星漢 天の川。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。夏に明るくなっていた天の川も秋になると光度が落ちて來るので川を渡ることが出来ないとされるもの。
・織婦 曹丕が足かけ3年にわたり呉を攻めたこと。
『古詩十九首 第五首』第五首「西北有高樓,上與浮雲齊。交疏結綺窗,阿閣三重階。上有弦歌聲,音響一何悲。誰能為此曲?無乃杞梁妻!清商隨風發,中曲正徘徊。一彈再三嘆,慷慨有餘哀。不惜歌者苦,但傷知音希,願為雙鴻鵠,奮翅起高飛。
・織婦 ・牽牛織女 牽牛星、織女星、この二星は七月七日の夕、一年に一回逢い会するといわれる。織女星が烏鵠のわたした橋をわたって牽牛星の方へゆくというもの。 また、「漢武内伝」に見える漢の武帝劉徹(紀元前157-87)と西王母の逢瀬を指す。承華殿に閑居していた武帝の前に、青い鳥の化身の美女が現われ、妾は墉宮の王子登というもの、七月七日に道教西の理想郷の仙女西王母が来ることをお伝えにきましたと言った。武帝は延霊台に登って待ったところ、果して七夕の夜に西王母がやって来たという。
○綺縞 綺はあや絹、縞は自絹。ともに精巧な絹織物のこと。
○績紛 盛んにあやなすさま。


明晨秉機杼,日昃不成文。
女は朝早くから機おりの杼を手にとっていますが、日がかたむく頃になっても、あや模様を仕上げることができません。
○明晨 朝早く。
○機杼 はたのひのこと。
○文 あや模様。
 

太息終長夜,悲嘯入青雲。
だから、女は大きくためいきをつきながら長い夜をあかしてしまうのです。そして、おおきな悲しい嘆息が、はるか高い雲のなかにはいって行くのです。

○嘯 いぶき、いきづき。

妾身入空閨,良人行從軍。
このわたしはというと夫のいない閏にはいっていくだけなのです。あの人はでかけて従軍しているからなのです。



自期三年歸,今已歷九春。
出発の時私に、三年たてば帰ってくるよ、と言ったのです。なのに、今はすでに九春が経ているのです。
〇九春 季善注に従えば、春季は早春、盛春、晩春の一年三春であり、九春は三年になる。


飛鳥繞樹翔,噭噭鳴索群。
空を飛ぶ一羽の鳥が、樹をめぐって旋回していきます、きょうきょうと悲しげな鳴き声をあげて仲間の群れをもとめているのです。
○噭噭 悲哀のこもる鳴声。


願為南流景,馳光見我君。
願うことなら、あの南の呉の方にmけて星が流れに託したい、その星光は馳せて行き、我が夫を見つけてくれることでしょう。
○流景 文脈からは呉の方へ流れる星に願いを掛けることを云う。日光や月光ならばどこにも同じように照らすのであり「南」と方向を示す語がおかしくなるので、初句の銀河、織婦を出していることから星の動きを云うものである。特にこの詩は曹丕が3年物長期にわたって出兵をしていることへ批判的な気持ちをあらわしている。したがって太陽や月では意味をなさない。

雜詩六首其二 曹植 魏詩<19>古詩源 巻三 女性詩645 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1797

雜詩六首其二 曹植 魏詩<19>

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩雜詩六首其二 曹植 魏詩<19>古詩源 巻三 女性詩645 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1797 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-2>Ⅱ中唐詩558 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1798 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(2部)浣花渓の草堂(2 -10) 野老 杜甫 <373>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1799 杜甫詩 1000- 549 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集祖席 秋字 韓退之(韓愈)詩<88> (01/15) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『遐方怨 二首之一』(花半坼)温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-46-15-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1800 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                             http://3rd.geocities.jp/miz910yh/



雜詩六首其二 曹植 魏詩<19>古詩源 巻三 女性詩645 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1797


雜詩六首 其二
轉蓬離本根,飄颻長隨風。
転びゆく蓬は、もとの根より離れ、ひらひらと、遠く風の吹くまにまにひるがえってとばされる。
何意回飆舉,吹我入雲中。
ところが、思いがけなくも、つむじ風が巻きおこったとすると我々蓬は雲中高く吹きあげられてしまうのだ。
高高上無極,天路安可窮。
高く高く吹き上げられると、どこまでも限りなく飛ばされるのだ。しかし、天の路こそは、どうしてその窮極の先まで行くというのか。
類此遊客子,捐軀遠從戎。
これはさすらう旅人に似ているというものであり、その身を犠牲にして、遠く従軍するというのはこのことをいうものなのだ。
毛褐不掩形,薇藿常不充。
その旅人が冬にきる短い皮ごろもは、身体を全ておおうことにならないし、食べるものも、わらびや豆の葉などで、いつも腹をみたすことはできないのである。
去去莫復道,沈憂令人老。

こんな話はやめなければ、そうだもうもうやめよう。二度とこのような言葉は繰りかえすことはしない。こんな深い憂愁な気分でいることは人をふけさせるものでしかないのだ。

轉蓬は本根より離れ,飄颻として長く風に隨う。
何んぞ意わん回飆【かいひょう】の舉がり,我を吹きて雲中に入れんとは。
高高と上りて極り無く,天路 安んぞ窮む可かんや。
類たり此の遊客の子,軀を捐てて遠く戎に從う。
毛褐 形を掩わず,薇藿【びかく】常に充たざるに。去り去りて復た道う莫れ,沈憂 人をして老わしむ。

轉蓬001

『雜詩六首』 現代語訳と訳註
(本文)
其二
轉蓬離本根,飄颻長隨風。何意回飆舉,吹我入雲中。
高高上無極,天路安可窮。類此遊客子,捐軀遠從戎。
毛褐不掩形,薇藿常不充。去去莫復道,沈憂令人老。


(下し文)
轉蓬は本根より離れ,飄颻として長く風に隨う。
何んぞ意わん回飆【かいひょう】の舉がり,我を吹きて雲中に入れんとは。
高高と上りて極り無く,天路 安んぞ窮む可かんや。
類たり此の遊客の子,軀を捐てて遠く戎に從う。
毛褐 形を掩わず,薇藿【びかく】常に充たざるに。去り去りて復た道う莫れ,沈憂 人をして老わしむ。


(現代語訳)
転びゆく蓬は、もとの根より離れ、ひらひらと、遠く風の吹くまにまにひるがえってとばされる。
ところが、思いがけなくも、つむじ風が巻きおこったとすると我々蓬は雲中高く吹きあげられてしまうのだ。
高く高く吹き上げられると、どこまでも限りなく飛ばされるのだ。しかし、天の路こそは、どうしてその窮極の先まで行くというのか。
これはさすらう旅人に似ているというものであり、その身を犠牲にして、遠く従軍するというのはこのことをいうものなのだ。
その旅人が冬にきる短い皮ごろもは、身体を全ておおうことにならないし、食べるものも、わらびや豆の葉などで、いつも腹をみたすことはできないのである。
こんな話はやめなければ、そうだもうもうやめよう。二度とこのような言葉は繰りかえすことはしない。こんな深い憂愁な気分でいることは人をふけさせるものでしかないのだ。


(訳注)
雜詩六首其二

○其二は蕹丘(河南省杷県)に国がえになったのちの作と思われるから、223黄初四年以後の作品とされる。


轉蓬離本根,飄颻長隨風。
転びゆく蓬は、もとの根より離れ、ひらひらと、遠く風の吹くまにまにひるがえってとばされる。
○転蓬 風に吹かれて転びゆく蓬。蓬は菊科の多年生草本、蓬は秋風が吹くや、根より抜けて風のまにまに飛ぶ。「飛蓬」ともいう。はかない人生の此喩として頻用される。多くの詩人が点々と旅する身を詠う。漂泊についても使う。
○飄颻 風にひるがえるさま。

何意回飆舉,吹我入雲中。
ところが、思いがけなくも、つむじ風が巻きおこったとすると我々蓬は雲中高く吹きあげられてしまうのだ。
○回飆 旋風。親は上から下に吹く風。


高高上無極,天路安可窮。
高く高く吹き上げられると、どこまでも限りなく飛ばされるのだ。しかし、天の路こそは、どうしてその窮極の先まで行くというのか。


類此遊客子,捐軀遠從戎。
これはさすらう旅人に似ているというものであり、その身を犠牲にして、遠く従軍するというのはこのことをいうものなのだ。


毛褐不掩形,薇藿常不充。
その旅人が冬にきる短い皮ごろもは、身体を全ておおうことにならないし、食べるものも、わらびや豆の葉などで、いつも腹をみたすことはできないのである。
○毛褐 粗末な皮の短い着物、又あらい毛織の短い着物ともいう。貧しい人の冬の衣料。毛は皮ごろも、褐は短いきもの。「淮南子」斉俗訓に見えるもの。
○薇藿 薇はわらび、藿は豆の葉。


去去莫復道,沈憂令人老。
こんな話はやめなければ、そうだもうもうやめよう。二度とこのような言葉は繰りかえすことはしない。こんな深い憂愁な気分でいることは人をふけさせるものでしかないのだ。
○老 押韵の字、最後の二句で、前の十句と韵をふみかえた。古楽府の手法である。

雜詩六首 其一 曹植 魏詩<18>古詩源 巻三 女性詩644 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1793

雜詩六首 其一 曹植 魏詩<18>


  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩雜詩六首 其一 曹植 魏詩<18>古詩源 巻三 女性詩644 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1793 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩進学解 韓退之(韓愈)詩<114-1>Ⅱ中唐詩557 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1794 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(2部)浣花渓の草堂(2 -9) 江漲 杜甫 <372>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1795 杜甫詩 1000- 548 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集祖席前字 韓退之(韓愈)詩<87> (01/14) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『夢江南 之二』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-45-14-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1796 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                             http://3rd.geocities.jp/miz910yh/



雜詩六首 其一 曹植 魏詩<18>古詩源 巻三 女性詩644 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1793


雑詩六首  其一
高臺多悲風。朝日照北林。
この鄄城にも秋の強い風が毎日あたるようになってきている。ここに照る朝日が北の最果ての欝欝たる北林を同じように照らしている。
之子在萬里。江湖迥且深。
弟の曹彪ははるか万里の先にいったままでいる、君との間には大江、湖沼が横たわっており、遙か先であり、奥深い所であるという。
方舟安可極。離思故難任。
舟を並べて渡ろうとしても、とても行けるものでもないし、そうとは思いながらも、離ればなれに住むことは、堪え難い思いでいるのだ。
孤雁飛南遊。過庭長哀吟。
群れを離れた一羽の雁が南をめざしていることをおもいだし、庭のはるか上の空を横切って飛び過ぎて、声長く哀しげに鳴くのをきくのである。
翹思慕遠人。願欲託遺音。
私の感情はつのり、遠方の君の事を慕わしくおもい起こすのだ。せめてこの意を雁に伝言として託したいと思うのた。
形影忽不見。翩翩傷我心。

その雁の形も影も忽ち我が視界から消えてしまう。それから、どっと私の心は悲しみにおそわれるのだ。

高臺【こうだい】悲風多し、朝日北林を照らす。
之の子萬里に在り、江湖迥に且つ深し。
舟に方ぶるも安んぞ極る可き、離思故より任へ難し。
孤雁飛んで南に遊ぶ、庭を過ぎりて長く哀吟す。
思を翹【あ】げて遠人を慕う、願はくは遺音【いおん】を託せんと欲す。
形影忽ち見えず、翩翩【へんぺん】として我が心を傷ましむ。


『雑詩六首』 其一 現代語訳と訳註
(本文)
雑詩六首  其一
高臺多悲風。朝日照北林。
之子在萬里。江湖迥且深。
方舟安可極。離思故難任。
孤雁飛南遊。過庭長哀吟。
翹思慕遠人。願欲託遺音。
形影忽不見。翩翩傷我心。


(下し文)
高臺【こうだい】悲風多し、朝日北林を照らす。
之の子萬里に在り、江湖迥に且つ深し。
舟に方ぶるも安んぞ極る可き、離思故より任へ難し。
孤雁飛んで南に遊ぶ、庭を過ぎりて長く哀吟す。
思を翹【あ】げて遠人を慕う、願はくは遺音【いおん】を託せんと欲す。
形影忽ち見えず、翩翩【へんぺん】として我が心を傷ましむ。


(現代語訳)
この鄄城にも秋の強い風が毎日あたるようになってきている。ここに照る朝日が北の最果ての欝欝たる北林を同じように照らしている。
弟の曹彪ははるか万里の先にいったままでいる、君との間には大江、湖沼が横たわっており、遙か先であり、奥深い所であるという。
舟を並べて渡ろうとしても、とても行けるものでもないし、そうとは思いながらも、離ればなれに住むことは、堪え難い思いでいるのだ。
群れを離れた一羽の雁が南をめざしていることをおもいだし、庭のはるか上の空を横切って飛び過ぎて、声長く哀しげに鳴くのをきくのである。
私の感情はつのり、遠方の君の事を慕わしくおもい起こすのだ。せめてこの意を雁に伝言として託したいと思うのた。
その雁の形も影も忽ち我が視界から消えてしまう。それから、どっと私の心は悲しみにおそわれるのだ。


(訳注)
雑詩六首  其一

曹操の死後、鄄城にあって221-222(黄初二.三年)のころ作ったものとされる。鄄城県(けんじょう-けん)は現在の山東省菏沢市に位置する県。曹植の異母弟である曹彪を思って作ったといわれるものである。

sas0010

高臺多悲風。朝日照北林。
この鄄城にも秋の強い風が毎日あたるようになってきている。ここに照る朝日が北の最果ての欝欝たる北林を同じように照らしている。
・高臺 鄄城の幕府・政治処。
・悲風 秋の強い風。宋玉『九辨』「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰」、魏 武帝『苦寒行』「北上太行山,艱哉何巍巍! 羊腸阪詰屈,車輪為之摧。 樹木何蕭瑟,北風聲正悲!」とある。これ以降、蕭瑟、悲愁、惆悵がセットのように使われる。特に宋玉『九辨』は「悲秋」感情のバイブルのようなものである。『古詩十九首之第十四首』「去者日以疏,生者日已親。出郭門直視,但見丘與墳。古墓犁為田,松柏摧為薪。白楊多悲風,蕭蕭愁殺人!思還故里閭,欲歸道無因。・北林 遠く北の果ての林
『詩経、秦風、』晨風 鴪彼晨風.鴥彼晨風.鬱彼北林.未見君子.憂心欽欽.如何如何.忘我實多山有苞櫟.隰有六駮.未見君子.憂心靡樂.如何如何.忘我實多」とある。また、魏文帝『又清河作一首』「方舟戲長水,湛淡自浮沈。弦歌發中流,悲響有餘音。音聲入君懷,淒愴傷人心。心傷安所念,但願恩情深。願為晨風鳥,雙飛翔北林。」


之子在萬里。江湖迥且深。
弟の曹彪ははるか万里の先にいったままでいる、君との間には大江、湖沼が横たわっており、遙か先であり、奥深い所であるという。
・之子在萬里 この頃弟の曹彪が袁紹の残党を追って幽州以北討伐軍を出していた。
・江湖 黄河、濟河、大甄潭など。


方舟安可極。離思故難任。
舟を並べて渡ろうとしても、とても行けるものでもないし、そうとは思いながらも、離ればなれに住むことは、堪え難い思いでいるのだ。
・方舟 はこぶね。船頭も輓男もいない様子を云う。魏文帝『又清河作一首』「方舟戲長水,湛淡自浮沈。弦歌發中流,悲響有餘音。」


孤雁飛南遊。過庭長哀吟。
群れを離れた一羽の雁が南をめざしていることをおもいだし、庭のはるか上の空を横切って飛び過ぎて、声長く哀しげに鳴くのをきくのである。
・過庭 庭から見える範囲の空。
・長哀吟 雁が鳴くように私も詩を詠って泣くのだ。


翹思慕遠人。願欲託遺音。
私の感情はつのり、遠方の君の事を慕わしくおもい起こすのだ。せめてこの意を雁に伝言として託したいと思うのた。


形影忽不見。翩翩傷我心。
その雁の形も影も忽ち我が視界から消えてしまう。それから、どっと私の心は悲しみにおそわれるのだ。


情詩 曹植 魏詩<17>古詩源 巻三 643 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1789

情詩 曹植 魏詩


  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 李白と李白に影響を与えた詩情詩 曹植 魏詩<17>古詩源 巻三 女性詩643 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1789 
 中唐詩・晩唐詩崋山女 韓退之(韓愈)詩<113-4>Ⅱ中唐詩556 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1790 
 杜甫詩1000詩集成都(2部)浣花渓の草堂(2 -8) 江村 杜甫 <371>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1791 杜甫詩 1000- 547 
 ブログ漢・唐・宋詞詩集莎柵聯句 韓退之(韓愈)詩<86> (01/13) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『夢江南 之一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-44-13-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1792 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  

◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
            漢詩03 http://3rd.geocities.jp/miz910yh/
            漢詩07 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
            漢詩08 http://kanbuniinkai8.dousetsu.com


情詩 曹植 魏詩<17>古詩源 巻三 643 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1789



建安中の作とし、223年黄初四年

情詩
微陰翳陽景,清風飄我衣。
うすい雲が太陽の光をかげらせている、秋の初めのすずやかな風が私のきものをひらひらさせる。
游魚潛淥水,翔鳥薄天飛。
水に遊ぶ魚は縁りなす澄み切った水にひそんでいるものであり、高い空をかける鳥というものはあの臼雲の上を高く自由に飛んでいくのである。
眇眇客行士,徭役不得歸。
だが、はるかかなたに出征した軍人は、遠距離の公務をおびた旅であり、帰ることができない。
始出嚴霜結,今來白露晞。
兵士が出発するのは、きびしい霜柱がたちはじめる晩秋九月の頃であるが、今また秋はめぐりくる白い露が寒さにかわいて霜を結ぶ頃になってくる。
遊者歎黍離,處者歌式微。
旅人は『詩経』「黍離」の詩になげきをよせるのであり、家で留守居をする者は、「式微」の詩を歌って、どうして帰えれないのかと悲しむものである。
慷慨對嘉賓,悽愴內傷悲。
私はたかぶる感情をいだきつつ、このましいお客の前に坐っている。いたましくて、心のうちはやぶれんばかりである。

情詩
徴陰 陽景を翳くし、清風 我が衣を飄えす。
遊魚は淥水に潜み、翔鳥は天に薄りて飛ぶ。
眇眇たり客行の士、徭役して帰るを得ず。
始め出でしとき厳霜結び、今来れば 白露晞く。
遊者は黍離を歎じ、処る者は式微を歌う。
慷慨して嘉賓に対し、悽愴して内に傷悲す。

DCF00200

『情詩』 現代語訳と訳註
(本文) 情詩

微陰翳陽景,清風飄我衣。
游魚潛淥水,翔鳥薄天飛。
眇眇客行士,徭役不得歸。
始出嚴霜結,今來白露晞。
遊者歎黍離,處者歌式微。
慷慨對嘉賓,悽愴內傷悲。


(下し文) 情詩
徴陰 陽景を翳くし、清風 我が衣を飄えす。
遊魚は淥水に潜み、翔鳥は天に薄りて飛ぶ。
眇眇たり客行の士、徭役して帰るを得ず。
始め出でしとき厳霜結び、今来れば 白露晞く。
遊者は黍離を歎じ、処る者は式微を歌う。
慷慨して嘉賓に対し、悽愴して内に傷悲す。


(現代語訳)
うすい雲が太陽の光をかげらせている、秋の初めのすずやかな風が私のきものをひらひらさせる。
水に遊ぶ魚は縁りなす澄み切った水にひそんでいるものであり、高い空をかける鳥というものはあの臼雲の上を高く自由に飛んでいくのである。
だが、はるかかなたに出征した軍人は、遠距離の公務をおびた旅であり、帰ることができない。
兵士が出発するのは、きびしい霜柱がたちはじめる晩秋九月の頃であるが、今また秋はめぐりくる白い露が寒さにかわいて霜を結ぶ頃になってくる。
旅人は『詩経』「黍離」の詩になげきをよせるのであり、家で留守居をする者は、「式微」の詩を歌って、どうして帰えれないのかと悲しむものである。
私はたかぶる感情をいだきつつ、このましいお客の前に坐っている。いたましくて、心のうちはやぶれんばかりである。
私はたかぶる感情をいだきつつ、このましいお客の前に坐っている。いたましくて、心のうちはやぶれんばかりである。


(訳注)
情詩
「王台新詠」には「雑詩」とある。この詩は、故郷を遙か離れて旅に出ている者が、その望郷の思い、また留守居の妻の行役中の夫に対する思慕の情をベースにおいて、兄文帝に対しての忠誠を誓ったのを詠ったものである。
この詩の制作時期は建安中の作とし、223年黄初四年の作である。


微陰翳陽景,清風飄我衣。
うすい雲が太陽の光をかげらせている、秋の初めのすずやかな風が私のきものをひらひらさせる。
・陰 かげ。雲。
・翳 かげらす、おおう。
・陽景 太陽の光。


游魚潛淥水,翔鳥薄天飛。
水に遊ぶ魚は縁りの澄み切った水にひそんでいるもおであり、高い空をかける鳥というものはあの臼雲の上を高く自由に飛んでいくのである。


眇眇客行士,徭役不得歸。
だが、はるかかなたに出征した軍人は、遠距離の公務をおびた旅であり、帰ることができない。
・眇眇 はるかなさま。
・徭役 遠距離の公務をおびた旅行。従軍の旅。
 

始出嚴霜結,今來白露晞。
兵士が出発するのは、きびしい霜柱がたちはじめる晩秋九月の頃であるが、今また秋はめぐりくる白い露が寒さにかわいて霜を結ぶ頃になってくる。
・嚴霜結 きびしい霜柱がたつことで、時節からいえば、晩秋から冬にかけての間がそれに当る。「楚辞」九弁(宋玉の作)には「秋既先戒以白露兮,冬又申之以嚴霜。」秋既に先ず戒めるに白露を以ってし、冬又之に申ぬるに嚴霜を以ってす」と見える。九弁に従えば、その時期は冬のことである。『為焦仲卿妻作』「今日大風寒,寒風摧樹木,嚴霜結庭蘭。」でも冬に使う。ここは夏の終わりから冬になって行く時間の経過をあらわす。
しかし「礼記」月令には「是の月(季秋とはすなわち陰暦の九月をさす)や、霜始めて降り」と見える。その時期を、月令に従って陰暦の九月のことと考えられる。ただ、この時の戦いは魏は220年までに曹操が北方を制覇しており、この前年より呉にたいする挑発威嚇の出兵をしている時期であることから真冬の事となる。。
・白露晞 白い露がかわいて霜となる。と、晞はかわく。『詩経、國風』秦風、蒹葭「蒹葭萋萋、白露未晞。所謂伊人、在水之畔」(蒹葭は萋萋たり、白露未だ晞かず、所謂伊の人、水の畔に在り。)と見え、部箋に「未だ蹄かずとは、未だ霜と為らざるなり」という。


遊者歎黍離,處者歌式微。
旅人は『詩経』「黍離」の詩になげきをよせるのであり、家で留守居をする者は、「式微」の詩を歌って、どうして帰えれないのかと悲しむものである。
・黍離 「詩経」王風の篇名。毛序によれば、「周の大夫行役して宗周に至り、故の宗廟・宮室を過ぐるに、尽く未黍と為れり。周室の転覆を悼み、彷徨して去くに忍びずして、この詩を作れり。」という。兄の死を悲しみで作ったものと解するという説もある。
・式微 「詩経」邶風の篇名。毛序では、黎侯が故国より追われ、衛の国に寓居していた時、彼の臣が帰国をすすめたもの、という。その詩に「式くて微【おとろ】え、式くて微う、胡んぞ帰らざる。」という一節がある。即位して間もない文帝に自己の忠節のかわらぬことを訴えたものと見ている。曹植が「歌式微」といったのは、この式微の詩が「胡不帰」の三字を含むが故に、家で帰りを待つ者が歌う詩として適当なものであるからである。


慷慨對嘉賓,悽愴內傷悲。
私はたかぶる感情をいだきつつ、このましいお客の前に坐っている。いたましくて、心のうちはやぶれんばかりである。
・慷慨【こうがい】1 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。「社会の矛盾を―する」「悲憤―」2 意気が盛んなこと。・促管 笛の音が急なこと。
・嘉賓 このましいお客。
・悽愴 いたみかなしむ。
・內傷悲 心のうちはやぶれんばかりである

鰕鱓篇 曹植 魏詩<16>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 女性詩642 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1785

鰕鱓篇 曹植

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩鰕鱓篇 曹植 魏詩<16>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 女性詩642 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1785 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩崋山女 韓退之(韓愈)詩<113-3>Ⅱ中唐詩555 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1786 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(2部)浣花渓の草堂(2 -7) 田舍 杜甫 <370>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1787 杜甫詩 1000- 54 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集嘲鼾睡二首 其二 韓退之(韓愈)詩<85> (01/12) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『渭上題三首』 之三温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-42-11-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1784 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  

◎漢文委員会のHP 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
     漢詩03 http://3rd.geocities.jp/miz910yh/
     漢詩07 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
     漢詩08 http://kanbuniinkai8.dousetsu.com

鰕鱓篇 曹植 魏詩<16>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 女性詩642 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1785


鰕鱓篇 

192年(初平3年) - 232年(太和6年)11月28日)は、中国後漢末から三国時代の人物で、魏の皇族。字は子建。陳王に封じられ、諡は思であったことから陳思王とも呼ばれる。唐の李白・杜甫以前における中国を代表する文学者として、「詩聖」の評価を受けた人物でもある。才高八斗(八斗の才)・七歩の才の語源。建安文学の三曹の一人。
沛国譙県(現在の安徽省亳州市)の人。曹操の五男として生まれる。生母の卞氏は倡家(歌姫)の出身であるが、『世説新語』賢媛篇に名を列ねるほどの賢婦であった。同母兄に文帝曹丕・任城威王曹彰。同母弟に蕭懐王曹熊。子は曹苗(早世)・曹志。他に2人の娘がいた。
異母兄の曹昂と曹鑠が早世すると、197年(建安2年)頃[3]に卞氏が正室に上げられ、曹植は曹操の正嫡の三男となる。幼い頃より詩など数十万言を諳んじ、自身も詩人であった曹操に寵愛された。211年(建安16年)、平原侯(食邑5000戸)に封じられ、214年、臨葘侯(同)に転封される。

鰕鱓篇  *〔鱼+旦〕を鱓としてあてて表示。

鰕鱓篇
鰕鱣游潢潦、不知江海流。
燕雀戲藩柴、安識鴻鵠游。
世士此誠明、大德固無儔。
駕言登五岳、然後小陵丘。

小魚とどじょうは大きな水だまりに泳いでいるから、大江や大海、水の流れについては知らないものだ。
燕や雀は桓根の内にたわむれているのだから、鴻や鵠のような大きな鳥のような遊びは知らない。
世間一般の士太夫というものは、この人の持つ考えはよくわかるのであるが、大徳を行う人はもとより誰もが真似をできるものではなく、これを知ることは容易でない。
馬車を駆って五嶽の上にのぼって、はじめてほかの山や岡の小さいのがわかる。
#2
俯觀上路人、勢利惟是謀。
そして目を下にして路を行き交う人々を観察する、するとみな権勢傲欲私利私欲をのみ謀るものばかりである。
讎高念皇家、遠懷柔九州。
敵国の勢いが強盛になると王室の安危を思いそぶりをして、自己の安泰のために遠く九州の地まで懐柔政策をとるようになる。
撫劍而雷音、猛氣縱橫浮。
かくて剣を撫でて大声をあげて威嚇し、猛々しいよそおいを見せつつ自己の利益をほしいままにするのである。
泛泊徒嗷嗷、誰知壯士憂。
しかしその影に漂泊しつづけ、いたずらに歎き悲しむものがあるのである、このさすらう壮士のいだく心の憂いを誰が知るのであろうか。

鰕鱓篇【かせんへん】
鰕鱓【かせん】潢潦【こうりょう】に游いで、江海の流れを知らず。
燕雀【えんじゃく】藩柴【はんさい】を戲れ、安んぞ鴻鵠の游びを識らん。
世士【せいし】此れ誠明なり、大德【だいとく】固【もと】より儔【たぐい】無し。
駕して言【ここ】に五岳に登り、然る後 陵丘【りょうきゅう】を小す。
俯して路に上るの人を觀るに、勢利【せいり】惟だ是れをのみ謀る。
讎【あだ】高くして皇家を念い、遠く九州を柔【やす】んぜんことを懷う。
劍を撫して雷音あり、猛氣【もうき】縱橫に浮ぶ。
泛泊【しはく】して徒らに嗷嗷【ごうごう】たり、誰か知る壯士の憂を。


『鰕鱓篇』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
俯觀上路人、勢利惟是謀。
讎高念皇家、遠懷柔九州。
撫劍而雷音、猛氣縱橫浮。
泛泊徒嗷嗷、誰知壯士憂。


(下し文)
俯して路に上るの人を觀るに、勢利【せいり】惟だ是れをのみ謀る。
讎【あだ】高くして皇家を念い、遠く九州を柔【やす】んぜんことを懷う。
劍を撫して雷音あり、猛氣【もうき】縱橫に浮ぶ。
泛泊【しはく】して徒らに嗷嗷【ごうごう】たり、誰か知る壯士の憂を。


(現代語訳)
そして目を下にして路を行き交う人々を観察する、するとみな権勢傲欲私利私欲をのみ謀るものばかりである。
敵国の勢いが強盛になると王室の安危を思いそぶりをして、自己の安泰のために遠く九州の地まで懐柔政策をとるようになる。
かくて剣を撫でて大声をあげて威嚇し、猛々しいよそおいを見せつつ自己の利益をほしいままにするのである。
しかしその影に漂泊しつづけ、いたずらに歎き悲しむものがあるのである、このさすらう壮士のいだく心の憂いを誰が知るのであろうか。


(訳注) #2
鰕鱓篇
「井の中の蛙大海を知らず。」ということをいろんな角度から詠う。
私利私欲の自分を守るために国の権力を利用し、自分は実際に戦いには出ずひとにやらせる。単に強欲のものである。


俯觀上路人、勢利惟是謀。
そして目を下にして路を行き交う人々を観察する、するとみな権勢傲欲私利私欲をのみ謀るものばかりである。
・勢利惟是謀 権勢傲欲私利私欲。


讎高念皇家、遠懷柔九州。
敵国の勢いが強盛になると王室の安危を思いそぶりをして、自己の安泰のために遠く九州の地まで懐柔政策をとるようになる。
・讎高念皇家 讎高は敵国外患の強盛なる意に解した。


撫劍而雷音、猛氣縱橫浮。
かくて剣を撫でて大声をあげて威嚇し、猛々しいよそおいを見せつつ自己の利益をほしいままにするのである。
・撫剣而雷音 憶慨し、怖がらせる。威嚇する意。


泛泊徒嗷嗷、誰知壯士憂。
しかしその影に漂泊しつづけ、いたずらに歎き悲しむものがあるのである、このさすらう壮士のいだく心の憂いを誰が知るのであろうか。
・泛泊/汎泊 江湖に漂泊すること。

鰕鱓篇 曹植 魏詩<15>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 女性詩641 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1781

鰕鱓篇 曹植

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩鱓篇 曹植 魏詩<15>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 女性詩641 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1781 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩崋山女 韓退之(韓愈)詩<113-2>Ⅱ中唐詩554 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1782 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(2部)浣花渓の草堂(2 -6) 狂夫 杜甫 <369>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1783 杜甫詩 1000- 545 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集嘲鼾睡二首 其一 韓退之(韓愈)詩<84> (01/11) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『渭上題三首 之二』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-42-11 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1784 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                             http://3rd.geocities.jp/miz910yh/

鰕鱓篇 曹植 魏詩<15>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 女性詩641 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1781

鰕鱓篇 
曹植【そうち】

192年(初平3年) - 232年(太和6年)11月28日)は、中国後漢末から三国時代の人物で、魏の皇族。字は子建。陳王に封じられ、諡は思であったことから陳思王とも呼ばれる。唐の李白・杜甫以前における中国を代表する文学者として、「詩聖」の評価を受けた人物でもある。才高八斗(八斗の才)・七歩の才の語源。建安文学の三曹の一人。
沛国譙県(現在の安徽省亳州市)の人。曹操の五男として生まれる。生母の卞氏は倡家(歌姫)の出身であるが、『世説新語』賢媛篇に名を列ねるほどの賢婦であった。同母兄に文帝曹丕・任城威王曹彰。同母弟に蕭懐王曹熊。子は曹苗(早世)・曹志。他に2人の娘がいた。
異母兄の曹昂と曹鑠が早世すると、197年(建安2年)頃[3]に卞氏が正室に上げられ、曹植は曹操の正嫡の三男となる。幼い頃より詩など数十万言を諳んじ、自身も詩人であった曹操に寵愛された。211年(建安16年)、平原侯(食邑5000戸)に封じられ、214年、臨葘侯(同)に転封される。

鰕鱓篇  *〔鱼+旦〕を鱓としてあてて表示。



鰕鱓篇
鰕鱣游潢潦、不知江海流。
小魚とどじょうは大きな水だまりに泳いでいるから、大江や大海、水の流れについては知らないものだ。
燕雀戲藩柴、安識鴻鵠游。
燕や雀は桓根の内にたわむれているのだから、鴻や鵠のような大きな鳥のような遊びは知らない。
世士此誠明、大德固無儔。
世間一般の士太夫というものは、この人の持つ考えはよくわかるのであるが、大徳を行う人はもとより誰もが真似をできるものではなく、これを知ることは容易でない。
駕言登五岳、然後小陵丘。

馬車を駆って五嶽の上にのぼって、はじめてほかの山や岡の小さいのがわかる。
#2
俯觀上路人、勢利惟是謀。
讎高念皇家、遠懷柔九州。
撫劍而雷音、猛氣縱橫浮。
泛泊徒嗷嗷、誰知壯士憂。

鰕鱓篇【かせんへん】
鰕鱓【かせん】潢潦【こうりょう】に游いで、江海の流れを知らず。
燕雀【えんじゃく】藩柴【はんさい】を戲れ、安んぞ鴻鵠の游びを識らん。
世士【せいし】此れ誠明なり、大德【だいとく】固【もと】より儔【たぐい】無し。
駕して言【ここ】に五岳に登り、然る後 陵丘【りょうきゅう】を小す。
俯して路に上るの人を觀るに、勢利【せいり】惟だ是れをのみ謀る。
讎【あだ】高くして皇家を念い、遠く九州を柔【やす】んぜんことを懷う。
劍を撫して雷音あり、猛氣【もうき】縱橫に浮ぶ。
泛泊【しはく】して徒らに嗷嗷【ごうごう】たり、誰か知る壯士の憂を。

華山000

『鰕鱓篇』 現代語訳と訳註
(本文)
鰕鱓游潢潦、不知江海流。
燕雀戲藩柴、安識鴻鵠游。
世士此誠明、大德固無儔。
駕言登五岳、然後小陵丘。

(下し文)
鰕鱓【かせん】潢潦【こうりょう】に游いで、江海の流れを知らず。
燕雀【えんじゃく】藩柴【はんさい】を戲れ、安んぞ鴻鵠の游びを識らん。
世士【せいし】此れ誠明なり、大德【だいとく】固【もと】より儔【たぐい】無し。
駕して言【ここ】に五岳に登り、然る後 陵丘【りょうきゅう】を小す。


(現代語訳)
小魚とどじょうは大きな水だまりに泳いでいるから、大江や大海、水の流れについては知らないものだ。
燕や雀は桓根の内にたわむれているのだから、鴻や鵠のような大きな鳥のような遊びは知らない。
世間一般の士太夫というものは、この人の持つ考えはよくわかるのであるが、大徳を行う人はもとより誰もが真似をできるものではなく、これを知ることは容易でない。
馬車を駆って五嶽の上にのぼって、はじめてほかの山や岡の小さいのがわかる。


(訳注)
鰕鱓篇
「井の中の蛙大海を知らず。」ということをいろんな角度から詠う。
私利私欲の自分を守るために国の権力を利用し、自分は実際に戦いには出ずひとにやらせる。単に強欲のものである。


鰕鱣游潢潦、不知江海流。
小魚とどじょうは大きな水だまりに泳いでいるから、大江や大海、水の流れについては知らないものだ。
・鰕鰕 別に「鰕鱓篇」ともいう。小魚。鱓はうみへび、また小魚である。陸におけるウミヘビと云えば土壌ということになろうか
・潢潦 地上にたまった雨水。大きな水だまり。


燕雀戲藩柴、安識鴻鵠游。
燕や雀は桓根の内にたわむれているのだから、鴻や鵠のような大きな鳥のような遊びは知らない。
・藩柴 まがきの柴、垣根。
・鴻鵠 おおとり、白鳥の類。


世士此誠明、大德固無儔。
世間一般の士太夫というものは、この人の持つ考えはよくわかるのであるが、大徳を行う人はもとより誰もが真似をできるものではなく、これを知ることは容易でない。
・世士 世間一般の士太夫。諸本、世事に作る。
・儔 【匹儔】匹敵すること。同じたぐい・仲間とみなすこと。また、その相手。


駕言登五岳、然後小陵丘。
馬車を駆って五嶽の上にのぼって、はじめてほかの山や岡の小さいのがわかる。
・五岳 陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。
華山(西嶽;2,160m陝西省渭南市華陰市)
嵩山(中嶽;1,440m河南省鄭州市登封市)、
泰山(東嶽;1,545m山東省泰安市泰山区)、
衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、
恒山(北嶽;2,016,m山西省大同市渾源県)
小陵丘 『孟子』尽心上、「揚子法言」学行篇に、孔子が泰山に登って天下を小としたとあるが、儒教の型にはまって、結局他人と同じようにするせこせこした部分を批判し、もっと自然にすべきであると説いていることを示す。孟荘の思想は、儒教を乗り越えるところから始まったもの。
杜甫 『望 嶽』
岱宗夫如何,齊魯青未了。
造化鍾神秀,陰陽割昏曉。
盪胸生曾雲,決眥入歸鳥。
會當凌絶頂,一覽衆山小。
曹植000

楽府二首 昭昭篇  明帝 魏詩<14-#2>玉臺新詠集 巻二 女性詩640 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1777

楽府二首 昭昭篇  魏明帝

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩楽府二首 昭昭篇  明帝 魏詩<14-#2>玉臺新詠集 巻二 女性詩640 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1777 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩華山女 韓退之(韓愈)詩<113-1>Ⅱ中唐詩553 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1778 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(2部)浣花渓の草堂(2 -5) 賓至 杜甫 <368>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1779 杜甫詩 1000- 544 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集孟東野失子 韓退之(韓愈)詩<83-#5> (01/10) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『渭上題三首 之一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-41-10-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1780 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                             http://3rd.geocities.jp/miz910yh/


楽府二首 昭昭篇  明帝 魏詩<14-#2>玉臺新詠集 巻二 女性詩640 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1777


楽府二首昭昭篇
昭昭素明月,輝光燭我床。
仲秋の名月は真っ白で明るくかがやいている。きらめき耀く光が私の寝牀を照らしている。
憂人不能寐,耿耿夜何長。
ひとりでねむるその人をして心配で憂いに沈むあまりよく眠ることが出来ないでいる。心が安らかでいることが出来ず眠れないでくよくよと夜長を過ごすが何と長いことかと思う。
微風吹閨闥,羅帷自飄揚。
折からそよ風が閨に入る小門に通り抜けてはいる。薄着のとばりが自然な感じで翻りうごく。
攬衣曳長帶,屣履下高堂。
その風に誘われて、衣を手に取り、長い帯を引きずっている。そして、草履をはいて登楼のある奥座敷に降りて行ったのです。
#2
東西安所之,徘徊以彷徨。
東に行くところも西にも行く当てがないし、ぶらぶらとするだけでだだ彷徨い歩くのです。
春鳥翻南飛,翩翩獨翱翔。
春から居たツガイの鳥は寒くなればひるがって南に飛んでいくけれど、ひらひらと飛んでいるのは孤独でいる鳥で空を駆け回るだけでなのです。
悲聲命儔匹,哀鳴傷我腸。
そして、その鳥はつがいの相手の意のv日について悲しい声で鳴くのである。そんな悲しい鳴き声を聞くとひとりですごすわたしも下腹にせつない痛みを覚えるのです。
感物懷所思,泣涕忽沾裳。
いろんなもの見るにつけてあの人の事、感情移入してしまうし、こんな気持ちでいると涙は溢れていつの間にか衣裳も濡れてしまっているのです。
佇立吐高吟,舒憤訴穹蒼。
それでもしばらく佇んで声を限りに高声で吟じ歌うのです。この張り裂けそうな胸の内をあの大空にぶちまけて訴えてみるのです。
楽府二首昭昭篇
昭昭たる素明の月,輝光 我が床を燭らす。
憂人寐ぬる能わず,耿耿【こうこう】として夜何ぞ長き。
微風閨闥【けいたつ】を吹き,羅帷【らい】自ら飄揚【ひょうよう】す。
衣を攬【と】りて長帶を曳き,屣履【しり】して高堂を下る。
#2
東西安【いずく】に之【ゆ】く所ぞ,徘徊して以て彷徨【ほうこう】。
春鳥【しゅんちょう】南に翻って飛ぶ,翩翩【へんぺん】として獨り翱翔【こうしょう】す。
悲聲【ひせい】儔匹【ちゅうひつ】に命じ,哀鳴して我が腸を傷ましむ。
物を感じて所思を懷えば,泣涕【りゅうてい】忽【たちま】ち裳【もすそ】を沾【うるお】す。
佇立して高吟を吐き,憤を舒べて穹蒼【きゅうそう】を訴【つと】う。


『楽府二首昭昭篇』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
東西安所之,徘徊以彷徨。
春鳥翻南飛,翩翩獨翱翔。
悲聲命儔匹,哀鳴傷我腸。
感物懷所思,泣涕忽沾裳。
佇立吐高吟,舒憤訴穹蒼。

(下し文) #2
東西安【いずく】に之【ゆ】く所ぞ,徘徊して以て彷徨【ほうこう】。
春鳥【しゅんちょう】南に翻って飛ぶ,翩翩【へんぺん】として獨り翱翔【こうしょう】す。
悲聲【ひせい】儔匹【ちゅうひつ】に命じ,哀鳴して我が腸を傷ましむ。
物を感じて所思を懷えば,泣涕【りゅうてい】忽【たちま】ち裳【もすそ】を沾【うるお】す。
佇立して高吟を吐き,憤を舒べて穹蒼【きゅうそう】を訴【つと】う。


(現代語訳)
東に行くところも西にも行く当てがないし、ぶらぶらとするだけでだだ彷徨い歩くのです。
春から居たツガイの鳥は寒くなればひるがって南に飛んでいくけれど、ひらひらと飛んでいるのは孤独でいる鳥で空を駆け回るだけでなのです。
そして、その鳥はつがいの相手の意のv日について悲しい声で鳴くのである。そんな悲しい鳴き声を聞くとひとりですごすわたしも下腹にせつない痛みを覚えるのです。
いろんなもの見るにつけてあの人の事、感情移入してしまうし、こんな気持ちでいると涙は溢れていつの間にか衣裳も濡れてしまっているのです。
それでもしばらく佇んで声を限りに高声で吟じ歌うのです。この張り裂けそうな胸の内をあの大空にぶちまけて訴えてみるのです。


(訳注) #2
東西安所之,徘徊以彷徨。

東に行くところも西にも行く当てがないし、ぶらぶらとするだけでだだ彷徨い歩くのです。


春鳥翻南飛,翩翩獨翱翔。
春から居たツガイの鳥は寒くなればひるがって南に飛んでいくけれど、ひらひらと飛んでいるのは孤独でいる鳥で空を駆け回るだけでなのです。
春鳥 春からいた鳥。ツバメを意味し、春に来て巣作り子作りをする。仲の良い鳥が秋になり、南へ飛ぶ。


悲聲命儔匹,哀鳴傷我腸。
そして、その鳥はつがいの相手の意のv日について悲しい声で鳴くのである。そんな悲しい鳴き声を聞くとひとりですごすわたしも下腹にせつない痛みを覚えるのです。
儔匹 ともがら。なかま。この場合つがいの相手。


感物懷所思,泣涕忽沾裳。
いろんなもの見るにつけてあの人の事、感情移入してしまうし、こんな気持ちでいると涙は溢れていつの間にか衣裳も濡れてしまっているのです。


佇立吐高吟,舒憤訴穹蒼。
それでもしばらく佇んで声を限りに高声で吟じ歌うのです。この張り裂けそうな胸の内をあの大空にぶちまけて訴えてみるのです。


楽府二首 昭昭篇  明帝 魏詩<14-#1>玉台新詠 巻二 639 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1773

楽府二首 昭昭篇  明帝

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩楽府二首 昭昭篇  明帝 魏詩<14-#1>玉台新詠 巻二 639 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1773 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩調張籍 韓退之(韓愈)詩<112-#4>Ⅱ中唐詩552 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1774 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(2部)浣花渓の草堂(2 -4) 有客 杜甫 <367> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1775 杜甫詩 700- 543 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集孟東野失子 韓退之(韓愈)詩<83-#4> (01/09) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『春日寄岳州從事李員外二首』之二 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-40-9-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1776 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                             http://3rd.geocities.jp/miz910yh/



楽府二首 昭昭篇  明帝 魏詩<14-#1>玉台新詠 巻二  639 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1773


楽府二首昭昭篇
昭昭素明月,輝光燭我床。
仲秋の名月は真っ白で明るくかがやいている。きらめき耀く光が私の寝牀を照らしている。
憂人不能寐,耿耿夜何長。
ひとりでねむるその人をして心配で憂いに沈むあまりよく眠ることが出来ないでいる。心が安らかでいることが出来ず眠れないでくよくよと夜長を過ごすが何と長いことかと思う。
微風吹閨闥,羅帷自飄揚。
折からそよ風が閨に入る小門に通り抜けてはいる。薄着のとばりが自然な感じで翻りうごく。
攬衣曳長帶,屣履下高堂。

その風に誘われて、衣を手に取り、長い帯を引きずっている。そして、草履をはいて登楼のある奥座敷に降りて行ったのです。
#2
東西安所之,徘徊以彷徨。
春鳥翻南飛,翩翩獨翱翔。
悲聲命儔匹,哀鳴傷我腸。
感物懷所思,泣涕忽沾裳。
佇立吐高吟,舒憤訴穹蒼。

楽府二首昭昭篇
昭昭たる素明の月,輝光 我が床を燭らす。
憂人寐ぬる能わず,耿耿【こうこう】として夜何ぞ長き。
微風閨闥【けいたつ】を吹き,羅帷【らい】自ら飄揚【ひょうよう】す。
衣を攬【と】りて長帶を曳き,屣履【しり】して高堂を下る。

#2
東西安【いずく】に之【ゆ】く所ぞ,徘徊して以て彷徨【ほうこう】。
春鳥【しゅんちょう】南に翻って飛ぶ,翩翩【へんぺん】として獨り翱翔【こうしょう】す。
悲聲【ひせい】儔匹【ちゅうひつ】に命じ,哀鳴して我が腸を傷ましむ。
物を感じて所思を懷えば,泣涕【りゅうてい】忽【たちま】ち裳【もすそ】を沾【うるお】す。
佇立して高吟を吐き,憤を舒べて穹蒼【きゅうそう】を訴【つと】う。



『楽府二首 昭昭篇』 現代語訳と訳註
(本文)
楽府二首昭昭篇
昭昭素明月,輝光燭我床。
憂人不能寐,耿耿夜何長。
微風吹閨闥,羅帷自飄揚。
攬衣曳長帶,屣履下高堂。


(下し文)
昭昭たる素明の月,輝光 我が床を燭らす。
憂人寐ぬる能わず,耿耿【こうこう】として夜何ぞ長き。
微風閨闥【けいたつ】を吹き,羅帷【らい】自ら飄揚【ひょうよう】す。
衣を攬【と】りて長帶を曳き,屣履【しり】して高堂を下る。


(現代語訳)
仲秋の名月は真っ白で明るくかがやいている。きらめき耀く光が私の寝牀を照らしている。
ひとりでねむるその人をして心配で憂いに沈むあまりよく眠ることが出来ないでいる。心が安らかでいることが出来ず眠れないでくよくよと夜長を過ごすが何と長いことかと思う。
折からそよ風が閨に入る小門に通り抜けてはいる。薄着のとばりが自然な感じで翻りうごく。
その風に誘われて、衣を手に取り、長い帯を引きずっている。そして、草履をはいて登楼のある奥座敷に降りて行ったのです。


(訳注)
楽府二首昭昭篇

作者、魏明帝(204-239)文帝曹丕の長男。曹叡、字は元仲。生母は甄氏。220年、数え15歳で武徳侯、翌年に斉公、222年には平原王に封ぜられた。
曹叡は生まれつきの美貌に加え、床に届くほどの長い髪を持ち、「天姿秀出」と絶賛された、という話を古老から聞いたという。16歳の時、母の甄氏は、父の曹丕に殺された。226年、父の曹丕が病床で重体に陥ってから、皇太子に立てられた。母の甄氏が曹丕の勘気に触れて死を賜っていたこともあり、即位以前の曹叡は公の場に出ることが少なく、曹叡の人物を知る者は司馬懿など限られた人々しかいなかったという。同年5月に曹丕が亡くなると皇帝に即位した。
曹叡は即位後、真っ先に母の名誉回復を行うべく行動し、甄氏は文昭皇后という諡号を与えられ、諡された。


昭昭素明月,輝光燭我床。
仲秋の名月は真っ白で明るくかがやいている。きらめき耀く光が私の寝牀を照らしている。
・素明月 真っ白で明るい仲秋の名月。


憂人不能寐,耿耿夜何長。
ひとりでねむるその人をして心配で憂いに沈むあまりよく眠ることが出来ないでいる。心が安らかでいることが出来ず眠れないでくよくよと夜長を過ごすが何と長いことかと思う。
・耿耿 光が明るく輝くさま。気にかかることがあって、心が安らかでないさま。『詩経、柏舟』「耿耿」耿耿不寐、如有隱憂。」(耿耿として寐ねられず、隱憂あるが如し)とみえる。


微風吹閨闥,羅帷自飄揚。
折からそよ風が閨に入る小門に通り抜けてはいる。薄着のとばりが自然な感じで翻りうごく。
・闥 闥は小門あるいは門扉。


攬衣曳長帶,屣履下高堂。
その風に誘われて、衣を手に取り、長い帯を引きずっている。そして、草履をはいて登楼のある奥座敷に降りて行ったのです。
・攬衣曳長帶 この句は残された妻の様子をいう。
・屣履 草履。
・高堂 高楼のある建物の奥座敷。

種瓜篇 明帝 魏詩<13>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 638 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1769

楽府二首 種瓜篇 明帝

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩種瓜篇 明帝 魏詩<13>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 638 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1769 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩調張籍 韓退之(韓愈)詩<112-#3>Ⅱ中唐詩551 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1770 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(2部)浣花渓の草堂(2 -3) 為農 杜甫 <366>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1771 杜甫詩 700- 542 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集孟東野失子 韓退之(韓愈)詩<83-#3> (01/08) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『 春日寄岳州從事李員外二首 』之一 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-39-8-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1772 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)

各詩人の目次
謝靈運詩    http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html
孟浩然の詩  http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html
李商隠詩    http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
女性詩人    http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html
孟郊詩     http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html
李商隠詩    http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html


◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
     漢詩03 http://3rd.geocities.jp/miz910yh/
     漢詩07 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
     漢詩08 http://kanbuniinkai8.dousetsu.com


種瓜篇 明帝 魏詩<13>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 638 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1769


楽府二首 種瓜篇
種瓜東井上、冉冉自踰垣。
種瓜を春先に東にある方形の畑に植えて育っている。だんだんと伸びて自ら垣棚をつたってきている。
与君新為婚、瓜葛相結連。
あなたと新たに結婚したことによって、もともと瓜か葛のよう互いに結ばれたり、連なったりする仲になっています。
寄託不肖躯、有如倚太山。
ふつつかな私があなたに身を託したいと思うのは、まるであの泰山に連なり寄り添う山々のようです。
兎絲無根株、蔓延自登縁。
「ネナシカズラ」に根も株もないものだが、自ら蔓を伸ばしていくにはものに寄り添って昇ってゆくものです。
萍藻託清流、常恐身不全。
浮き草と藻は清らかな流にその身を託して流れる、だけどその身はいつも自身が安全でないことを恐れているのです。
被蒙丘山恵、賤妾執拳拳。
大変にたくさん丘や山の恩恵をうけており、いただいている。妻のわたくしはそれにそむかないようにしっかりと持って、まもってゆきます。
天日照知之、想君亦倶然。
天の太陽はこの世を明るく照らし、これをご覧になっているのでご存知です。あなたもまた、同じようにしてくださいますか。

種瓜を東井の上【ほとり】に、冉冉として自ら垣を踰ゆ。
君と新たに婚を為し、瓜葛は相結連す。
不肖の躯を寄託し、太山に寄るが如くなる有り。
兎糸に根株【こんしゅ】無きも、蔓延【なんえん】自ら登縁す。
萍藻【へいそう】清流に託し、常に身の全【まつた】からずを恐る。
丘山【きゅうざん】の恵を被蒙【ひもう】し、賤妾【せんしょう】執って拳拳たり。
天日之を照知せん、想うに君も亦倶【とも】に然【しか】らん。

瓢箪003


『楽府二首 種瓜篇』 現代語訳と訳註
(本文)

種瓜東井上、冉冉自踰垣。
与君新為婚、瓜葛相結連。
寄託不肖躯、有如倚太山。
兎絲無根株、蔓延自登縁。
萍藻託清流、常恐身不全。
被蒙丘山恵、賤妾執拳拳。
天日照知之、想君亦倶然。


(下し文)
種瓜を東井の上【ほとり】に、冉冉として自ら垣を踰ゆ。
君と新たに婚を為し、瓜葛は相結連す。
不肖の躯を寄託し、太山に寄るが如くなる有り。
兎糸に根株【こんしゅ】無きも、蔓延【なんえん】自ら登縁す。
萍藻【へいそう】清流に託し、常に身の全【まつた】からずを恐る。
丘山【きゅうざん】の恵を被蒙【ひもう】し、賤妾【せんしょう】執って拳拳たり。
天日之を照知せん、想うに君も亦倶【とも】に然【しか】らん。


(現代語訳)
種瓜を春先に東にある方形の畑に植えて育っている。だんだんと伸びて自ら垣棚をつたってきている。
あなたと新たに結婚したことによって、もともと瓜か葛のよう互いに結ばれたり、連なったりする仲になっています。
ふつつかな私があなたに身を託したいと思うのは、まるであの泰山に連なり寄り添う山々のようです。
「ネナシカズラ」に根も株もないものだが、自ら蔓を伸ばしていくにはものに寄り添って昇ってゆくものです。
浮き草と藻は清らかな流にその身を託して流れる、だけどその身はいつも自身が安全でないことを恐れているのです。
大変にたくさん丘や山の恩恵をうけており、いただいている。妻のわたくしはそれにそむかないようにしっかりと持って、まもってゆきます。
天の太陽はこの世を明るく照らし、これをご覧になっているのでご存知です。あなたもまた、同じようにしてくださいますか。

DCF00067
(訳注)
種瓜東井上、冉冉自踰垣。
種瓜を春先に東にある方形の畑に植えて育っている。だんだんと伸びて自ら垣棚をつたってきている。
・種瓜 種瓜の植え込みは春であること。瓜は勤勉実直な人を云う。五色瓜:青門の瓜売りは五色の瓜を杜陵につくっていたこと、官を辞して瓜をたくさん栽培したことをいう。泰の東陵侯に封じられていた卲平は秦が滅びると布衣(庶民)の身となり、長安の門の東で瓜を栽培し、それが美味だったので「東陵の瓜」と称された。
卲平 東陵の瓜は五色であったことは次に示す。
「曰:邵平故秦東陵侯,秦滅後,為布衣,種瓜長安城東。種瓜有五色,甚美,故世謂之東陵瓜,又云青門瓜」。魏・阮籍も卲平の東陵の瓜は五色をふまえて「詠懐詩」(『文選』巻二三)其六に「昔聞く東陵の瓜、近く青門の外に在りと。……五色 朝日に輝き、嘉賓 四面に会す」とする。李白『古風五十九首 其九』「青門種瓜人。 舊日東陵侯。」(青門に瓜を種うるの人は、旧日の東陵侯なり。)
・東井 家の東方には井戸を掘らないので家から、庭、園があり所の一角に畑があるか、あるいは砧をたたくための井戸端であるがそのほとりであろう
・冉冉 しだいに進んでいくさま。また、徐々に侵していくさま。
・垣 周囲を囲むように作られた工作物や植栽で,材料,形式によって多くの種類がある。


与君新為婚、瓜葛相結連。
あなたと新たに結婚したことによって、もともと瓜か葛のよう互いに結ばれたり、連なったりする仲になっています。

寄託不肖躯、有如倚太山。
ふつつかな私があなたに身を託したいと思うのは、まるであの泰山に連なり寄り添う山々のようです。
る【あやかる】1 影響を受けて同様の状態になる。感化されてそれと同じようになる。ふつう、よい状態になりたい意に用いられる。2 影響を受けて変化する。動揺する。
・太山 泰山。五岳の東岳。この山に寄り添うように5つの山が連なる。泰山は、山東省泰安市にある山。高さは1,545m(最高峰は玉皇頂と呼ばれる)。 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山(=五岳)のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。


兎絲無根株、蔓延自登縁。
「ネナシカズラ」に根も株もないものだが、自ら蔓を伸ばしていくにはものに寄り添って昇ってゆくものです。
兎絲 兎絲子(としし). 基 原, ヒルガオ科兎絲 (ハマネナシカズラ)の成熟種子を乾燥したもの。ネナシカズラ。


萍藻託清流、常恐身不全。
浮き草と藻は清らかな流にその身を託して流れる、だけどその身はいつも自身が安全でないことを恐れているのです。
・萍藻 浮草と藻


被蒙丘山恵、賤妾執拳拳。
大変にたくさん丘や山の恩恵をうけており、いただいている。妻のわたくしはそれにそむかないようにしっかりと持って、まもってゆきます。
丘山 丘は孔子が生まれた尼丘山から孔子の事さす。
・拳拳 うやうやしく掌り守っていく。


天日照知之、想君亦倶然。
天の太陽はこの世を明るく照らし、これをご覧になっているのでご存知です。あなたもまた、同じようにしてくださいますか。



李白『古風其九』「青門種瓜人。 舊日東陵侯。」 ・・種瓜人 広陵の人、邵平は、秦の時代に東陵侯であったが、秦が漢に破れると、平民となり、青門の門外で瓜畑を経営した。瓜はおいしく、当時の人びとはこれを東陵の瓜 押とよんだ。
東陵の瓜 召平は、広陵の人である。世襲の秦の東陵侯であった。秦末期、陳渉呉広に呼応して東陵の街を斬り従えようとしたが失敗した。後すぐに陳渉が敗死し、秦軍の脅威に脅かされた。長江の対岸の項梁勢力に目をつけ、陳渉の使者に成り済まし項梁を楚の上柱国に任命すると偽り、項梁を秦討伐に引きずり出した。後しばらくしてあっさり引退し平民となり、瓜を作って悠々と暮らしていた。貧困ではあったが苦にする様子も無く、実った瓜を近所の農夫に分けたりしていた。その瓜は特別旨かったので人々は『東陵瓜』と呼んだ。召平は、かつて秦政府から東陵侯の爵位を貰っていたからである。後、彼は漢丞相の蕭何の相談役となり、適切な助言・計略を蕭何に与えた。蕭何は、何度も彼のあばら家を訪ねたという。蕭何が蒲団の上で死ねたのも彼のおかげである。

塘上行 甄后 魏詩<12-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 637 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1765

塘上行 甄后

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩塘上行 甄后 魏詩<12-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 637 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1765 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩調張籍 韓退之(韓愈)詩<112-#2>Ⅱ中唐詩550 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1766 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(2)浣花渓の草堂(2 -2) 梅雨 杜甫 <365>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1767 杜甫詩 700- 541 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集孟東野失子 韓退之(韓愈)詩<83-#2> (01/07) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『送李億東歸』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-38-7-# 全唐詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1768 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                             http://3rd.geocities.jp/miz910yh/



塘上行 甄后 魏詩<12-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 637 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1765


中国古代の著名な美女とされる。袁熙に嫁し,後、曹丕の妻となる。当時は一夫多妻であるから側室のような立場である。魏明帝、曹叡の母である。
甄后は曹操と曹丕が争った絶世の美女
甄后は代々の官吏の家に生まれ、衰紹の次男衰照に嫁いだ絶世の美女。その美しさは河北や中原じゆうに響き渡り、曹操は早くから彼女に目をつけていたといえ衰家陣営が敗れ、その本拠地である鄭が陥落すると、曹操は取り残された彼女を手にすべく、その屋敷へと突入する。しかし、曹操を出し抜いて彼女をゲットしていた不届き者がいた。曹操の嫡男、曹丕である。曹操は「今度の戦いでいちばん得しおったのはヤツだ」との言葉とともに、曹丕が彼女を娶ることを許したという。
その後、甄后は曹丕の息子として曹叡を産み、曹丕が魏の帝位に就くとともに皇后となった。しかし、わずかその七カ月後に、曹丕から自殺を強いられることになる。曹丕の寵愛が彼女から郭后、李貴人らに移ったことに対して恨み言を言ったからというものであった。
曹操、曹丕が争った絶世の美女甄后。曹丕の弟である曹植も彼女に惹かれていたようである。しかし、さすがは当代きっての詩人だけあって、その恋慕の表現は父や兄と違い、ロマンチックである。彼は彼女をモチーフにして「洛神賦」という詩を作り、兄嫁への恋慕を昇華させたのである。
実際には曹丕が最もプライドを傷つけられること、弟の曹植と相思相愛になった事が大きな理由であろうと思う。曹植は甄后に対する愛の気持ちを詩にしている。その代表格が後日取り上げる『洛神賦』である。


塘上行
蒲生我池中,其葉何離離。
蒲がわたしの庭の池にはえている。その葉はなんと今の私たち夫婦のように離れ離れに立ちならんでいることでしょう。
傍能行仁義,莫若妾自知。
夫婦一緒のころは、あなたがあまねく仁徳義理儀礼の道を行なわれていた。そのことは、こんなわたしでも一番よく承知していることなのです。
眾口鑠黃金,使君生別離。
ところが「衆口金を鑠し」というようにあなたは多くの人々からあれやこれやの告げ口に迷わされ、わたしと生き別れをすることにおいやられたのです。
念君去我時,獨愁常苦悲。
あなたがわたしの所から離れていった時からあなたを思い続けているのです。それは一人さびしく、ひとり悲しく、いつも苦しんでいたのです。
想見君顏色,感結傷心脾。
あなたの顔、姿かたちを思いうかべてみるのです。でも結局はそのことで感傷的になってしまい、心も体も傷ついてしまうのです。
念君常苦悲,夜夜不能寐。
いつもあなたのことを思いだしてはいつも悲しくて苦しくてつらいのです。夜は夜とて、頭から離れずよく眠ることもできないのです。

莫以豪賢故,棄捐素所愛?
たしかに今あなたは最も勢いが強い偉い人になられたからといって、今の地位からすれば低位の身分であった時の愛し合った妻を見すてることすべきではありません。
莫以魚肉賤,棄捐蔥與薤?
魚や肉に比べて値が安いからとて葱やラッキョウを棄ててはならいはずです。
莫以麻枲賤,棄捐菅與蒯?
また、麻や枲に比べて安いからとて、菅や蒯の類を棄てるということしてはならないのです。
ものではありません。

出亦復何苦,入亦復何愁。
あなたがまたここを去り、戦に出発されても何と苦しいことか、それがまた、国にお戻りになられてもこれもまた何と苦しいことなのです。
邊地多悲風,樹木何修修!
国境の辺地には悲しい風が毎日吹きつづけるでしょう、樹木を抜ける風はひぃゅぅびゅぅと鳴きつづけるでしょう。
從君致獨樂,延年壽千秋。
あなたは従軍していてもこちらの事に無頓着で、ひとり楽しんでおられることでしょう。それならばよいことで千年万年の福寿を保たれますように願っております。

蒲は我が池中に生ず、其の葉何ぞ離離たる。
傍【あまね】く能く仁義を行ふは、妾が自ら知るに若くは美し
衆 口は黄金をも轢し、君をして生きながら別離せしむ。
念ふ君が我を去りし時、濁り愁ひて常に苦悲せり。
君が顔色を想見し、感結んで心脾を傷ましめり。
君を念うて常に苦悲し、夜夜来ぬる能はず。
賢豪の故を以て、素愛せし所を弄掲する莫れ。
魚肉を以てすれば購なりとも、葱と薙とを弄掲する莫れ。
麻臭を以てすれば賎なりとも、菅と割とを弄摘する莫れ。
出づるも亦復た苦愁し、入るも亦復た苦愁す。
遠地に悲夙多し、樹木何ぞ傾傾たる。
軍に従って猫柴を致す、延年轟は千秋。


桃園001
現代語訳と訳註
(本文)

莫以豪賢故,棄捐素所愛?
莫以魚肉賤,棄捐蔥與薤?
莫以麻枲賤,棄捐菅與蒯?
出亦復何苦,入亦復何愁。
邊地多悲風,樹木何修修!
從君致獨樂,延年壽千秋。


(下し文)
賢豪の故を以て、素愛せし所を弄掲する莫れ。
魚肉を以てすれば購なりとも、葱と薙とを弄掲する莫れ。
麻臭を以てすれば賎なりとも、菅と割とを弄摘する莫れ。
出づるも亦復た苦愁し、入るも亦復た苦愁す。
遠地に悲夙多し、樹木何ぞ傾傾たる。
軍に従って猫柴を致す、延年轟は千秋。


(現代語訳)
たしかに今あなたは最も勢いが強い偉い人になられたからといって、今の地位からすれば低位の身分であった時の愛し合った妻を見すてることすべきではありません。
魚や肉に比べて値が安いからとて葱やラッキョウを棄ててはならいはずです。
また、麻や枲に比べて安いからとて、菅や蒯の類を棄てるということしてはならないのです。
ものではありません。
あなたがまたここを去り、戦に出発されても何と苦しいことか、それがまた、国にお戻りになられてもこれもまた何と苦しいことなのです。
国境の辺地には悲しい風が毎日吹きつづけるでしょう、樹木を抜ける風はひぃゅぅびゅぅと鳴きつづけるでしょう。

あなたは従軍していてもこちらの事に無頓着で、ひとり楽しんでおられることでしょう。それならばよいことで千年万年の福寿を保たれますように願っております。


(訳注)
莫以豪賢故,棄捐素所愛?
たしかに今あなたは最も勢いが強い偉い人になられたからといって、今の地位からすれば低位の身分であった時の愛し合った妻を見すてることすべきではありません。
・素所愛 貧賎時の妻。


莫以魚肉賤,棄捐蔥與薤?
魚や肉に比べて値が安いからとて葱やラッキョウを棄ててはならいはずです。
・魚肉 魚と獣肉。
・賤 価の廉なること。


莫以麻枲賤,棄捐菅與蒯?
また、麻や枲に比べて安いからとて、菅や蒯の類を棄てるということしてはならないのです。
ものではありません。
・菅蒯 蒯は、菅の一類、茎の高さ四尺、その繊維を織物とする。
この「莫れ」の3聯6句は母親がその息子に教え諭すような句である。


出亦復何苦,入亦復何愁。
あなたがまたここを去り、戦に出発されても何と苦しいことか、それがまた、国にお戻りになられてもこれもまた何と苦しいことなのです。


邊地多悲風,樹木何修修!
国境の辺地には悲しい風が毎日吹きつづけるでしょう、樹木を抜ける風はひぃゅぅびゅぅと鳴きつづけるでしょう。
・修修 羽の音、柿木の風に鳴る声にあてた。日本人的には通り抜ける風が鳴くという考えで、中国人的には木々が風に啼かされるということである。


從君致獨樂,延年壽千秋。
あなたは従軍していてもこちらの事に無頓着で、ひとり楽しんでおられることでしょう。それならばよいことで千年万年の福寿を保たれますように願っております。


塘上行
蒲生我池中,其葉何離離。
傍能行仁義,莫若妾自知。
眾口鑠黃金,使君生別離。
念君去我時,獨愁常苦悲。
想見君顏色,感結傷心脾。
念君常苦悲,夜夜不能寐。

莫以豪賢故,棄捐素所愛?
莫以魚肉賤,棄捐蔥與薤?
莫以麻枲賤,棄捐菅與蒯?
出亦復何苦,入亦復何愁。
邊地多悲風,樹木何修修!
從君致獨樂,延年壽千秋。


蒲は我が池中に生ず、其の葉何ぞ離離たる。
傍【あまね】く能く仁義を行ふは、妾が自ら知るに若くは美し
衆 口は黄金をも轢し、君をして生きながら別離せしむ。
念ふ君が我を去りし時、濁り愁ひて常に苦悲せり。
君が顔色を想見し、感結んで心脾を傷ましめり。
君を念うて常に苦悲し、夜夜来ぬる能はず。
賢豪の故を以て、素愛せし所を弄掲する莫れ。
魚肉を以てすれば購なりとも、葱と薙とを弄掲する莫れ。
麻臭を以てすれば賎なりとも、菅と割とを弄摘する莫れ。
出づるも亦復た苦愁し、入るも亦復た苦愁す。
遠地に悲夙多し、樹木何ぞ傾傾たる。
軍に従って猫柴を致す、延年轟は千秋。

塘上行 甄后 魏詩<12-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 636 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1761

塘上行 甄后



  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩塘上行 甄后 魏詩<12-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 636 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1761 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩調張籍 韓退之(韓愈)詩<112-1>Ⅱ中唐詩548 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1758 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(2)浣花渓の草堂(2-1) 蜀相 杜甫 <364>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1763 杜甫詩 700- 540 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集孟東野失子 韓退之(韓愈)詩<83-#1> (01/06) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『玉胡蝶』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-37-6-# 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1764 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)

謝靈運詩    http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html
孟浩然の詩   http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html
李商隠詩    http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
女性詩人    http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html
孟郊詩      http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html
李商隠詩    http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html



塘上行 甄后 魏詩<12-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 636 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1761



中国古代の著名な美女とされる。袁熙に嫁し,後、曹丕の妻となる。当時は一夫多妻であるから側室のような立場である。魏明帝、曹叡の母である。
甄后は曹操と曹丕が争った絶世の美女
甄后は代々の官吏の家に生まれ、衰紹の次男衰照に嫁いだ絶世の美女。その美しさは河北や中原じゆうに響き渡り、曹操は早くから彼女に目をつけていたといえ衰家陣営が敗れ、その本拠地である鄭が陥落すると、曹操は取り残された彼女を手にすべく、その屋敷へと突入する。しかし、曹操を出し抜いて彼女をゲットしていた不届き者がいた。曹操の嫡男、曹丕である。曹操は「今度の戦いでいちばん得しおったのはヤツだ」との言葉とともに、曹丕が彼女を娶ることを許したという。
その後、甄后は曹丕の息子として曹叡を産み、曹丕が魏の帝位に就くとともに皇后となった。しかし、わずかその七カ月後に、曹丕から自殺を強いられることになる。曹丕の寵愛が彼女から郭后、李貴人らに移ったことに対して恨み言を言ったからというものであった。
曹操、曹丕が争った絶世の美女甄后。曹丕の弟である曹植も彼女に惹かれていたようである。しかし、さすがは当代きっての詩人だけあって、その恋慕の表現は父や兄と違い、ロマンチックである。彼は彼女をモチーフにして「洛神賦」という詩を作り、兄嫁への恋慕を昇華させたのである。
実際には曹丕が最もプライドを傷つけられること、弟の曹植と相思相愛になった事が大きな理由であろうと思う。曹植は甄后に対する愛の気持ちを詩にしている。その代表格が後日取り上げる『洛神賦』である。


塘上行
蒲生我池中,其葉何離離。
蒲がわたしの庭の池にはえている。その葉はなんと今の私たち夫婦のように離れ離れに立ちならんでいることでしょう。
傍能行仁義,莫若妾自知。
夫婦一緒のころは、あなたがあまねく仁徳義理儀礼の道を行なわれていた。そのことは、こんなわたしでも一番よく承知していることなのです。
眾口鑠黃金,使君生別離。
ところが「衆口金を鑠し」というようにあなたは多くの人々からあれやこれやの告げ口に迷わされ、わたしと生き別れをすることにおいやられたのです。
念君去我時,獨愁常苦悲。
あなたがわたしの所から離れていった時からあなたを思い続けているのです。それは一人さびしく、ひとり悲しく、いつも苦しんでいたのです。
想見君顏色,感結傷心脾。
あなたの顔、姿かたちを思いうかべてみるのです。でも結局はそのことで感傷的になってしまい、心も体も傷ついてしまうのです。
念君常苦悲,夜夜不能寐。
いつもあなたのことを思いだしてはいつも悲しくて苦しくてつらいのです。夜は夜とて、頭から離れずよく眠ることもできないのです。

莫以豪賢故,棄捐素所愛?
莫以魚肉賤,棄捐蔥與薤?
莫以麻枲賤,棄捐菅與蒯?
出亦復何苦,入亦復何愁。
邊地多悲風,樹木何修修!
從君致獨樂,延年壽千秋。

蒲は我が池中に生ず、其の葉何ぞ離離たる。
傍【あまね】く能く仁義を行ふは、妾が自ら知るに若くは美し
衆 口は黄金をも轢し、君をして生きながら別離せしむ。
念ふ君が我を去りし時、濁り愁ひて常に苦悲せり。
君が顔色を想見し、感結んで心脾を傷ましめり。
君を念うて常に苦悲し、夜夜来ぬる能はず。

#2
賢豪の故を以て、素愛せし所を弄掲する莫れ。
魚肉を以てすれば購なりとも、葱と薙とを弄掲する莫れ。
麻臭を以てすれば賎なりとも、菅と割とを弄摘する莫れ。
出づるも亦復た苦愁し、入るも亦復た苦愁す。
遠地に悲夙多し、樹木何ぞ傾傾たる。
軍に従って猫柴を致す、延年轟は千秋。

杏00紅白花00

『塘上行』#1 現代語訳と訳註
(本文)

塘上行
蒲生我池中,其葉何離離。
傍能行仁義,莫若妾自知。
眾口鑠黃金,使君生別離。
念君去我時,獨愁常苦悲。
想見君顏色,感結傷心脾。
念君常苦悲,夜夜不能寐。


(下し文)
蒲は我が池中に生ず、其の葉何ぞ離離たる。
傍【あまね】く能く仁義を行ふは、妾が自ら知るに若くは美し
衆 口は黄金をも轢し、君をして生きながら別離せしむ。
念ふ君が我を去りし時、濁り愁ひて常に苦悲せり。
君が顔色を想見し、感結んで心脾を傷ましめり。
君を念うて常に苦悲し、夜夜来ぬる能はず。


(現代語訳)
蒲がわたしの庭の池にはえている。その葉はなんと今の私たち夫婦のように離れ離れに立ちならんでいることでしょう。
夫婦一緒のころは、あなたがあまねく仁徳義理儀礼の道を行なわれていた。そのことは、こんなわたしでも一番よく承知していることなのです。
ところが「衆口金を鑠し」というようにあなたは多くの人々からあれやこれやの告げ口に迷わされ、わたしと生き別れをすることにおいやられたのです。
あなたがわたしの所から離れていった時からあなたを思い続けているのです。それは一人さびしく、ひとり悲しく、いつも苦しんでいたのです。
あなたの顔、姿かたちを思いうかべてみるのです。でも結局はそのことで感傷的になってしまい、心も体も傷ついてしまうのです。
いつもあなたのことを思いだしてはいつも悲しくて苦しくてつらいのです。夜は夜とて、頭から離れずよく眠ることもできないのです。


(訳注)
甄后  塘上行

・甄后 無極(河北)の人。初め衰棺の中子のために召された。後、文帝の夫人となり、寵せられて皇后となり明帝を生んだが、郭后に寵を奪われ、これを怨んだので帝の怒りにあい、死を賜わった。
・塘上行 塘は池のつつみ。第一句に地中の蒲を出して興をとったから名づけたものであろう。
この詩の作者については古来衆説がある。これを整理すると、①無名氏の古辞。②甄后作。③魏文帝作。④魏武帝作の四説となり、宋書や楽府詩集は、第四説に従っている。ここでは第二説によって甄后作と見ている。中には甄后が死を賜わって臨終に際して作ったのだとの伝説もあるが、物語としては面白いが辞世の詩の内容ではない。ここでは腰を読む基本として、思婦が遠行の夫に対して、思慕の情を述べたものと解し、その対象の相手が、曹丕なのか、曹植なのか、あるいは初婚の袁照なのかと想像して読むのが最も興味深いことであると思う。実際に真の作者にしかわからないことである。後世、陸機が同題の作を作っている。


蒲生我池中,其葉何離離。
蒲がわたしの庭の池にはえている。その葉はなんと今の私たち夫婦のように離れ離れに立ちならんでいることでしょう。


傍能行仁義,莫若妾自知。
夫婦一緒のころは、あなたがあまねく仁徳義理儀礼の道を行なわれていた。そのことは、こんなわたしでも一番よく承知していることなのです。
・傍 あまねくの義。
・行仁義 礼記の礼運篇に「父の慈、子の孝、兄の良、弟の弟、夫の義、婦の聴、君の仁、臣の忠、之を人の義と謂ふ」とあるに基づいた語。


眾口鑠黃金,使君生別離。
ところが「衆口金を鑠し」というようにあなたは多くの人々からあれやこれやの告げ口に迷わされ、わたしと生き別れをすることにおいやられたのです。
・衆口鑠黄金 『国語-周語・下』「故諺曰、衆心成城、衆口鑠金。」衆心成城、衆口鑠金。 衆心城を 成し、 衆口金を 鑠かす。民衆の声は金も溶かすほどの力を持つものである。讒言(ざんげん)や世評の恐ろしさを説いた言葉。 類:○衆口鑠金(しゃくきん)○民の口を防ぐは水を防ぐよりも甚し○積羽舟を沈む


念君去我時,獨愁常苦悲。
あなたがわたしの所から離れていった時からあなたを思い続けているのです。それは一人さびしく、ひとり悲しく、いつも苦しんでいたのです。


想見君顏色,感結傷心脾。
あなたの顔、姿かたちを思いうかべてみるのです。でも結局はそのことで感傷的になってしまい、心も体も傷ついてしまうのです。
・心脾 心臓・脾臓、すべての臓物、つまり、身体も心もということ。


念君常苦悲,夜夜不能寐。
いつもあなたのことを思いだしてはいつも悲しくて苦しくてつらいのです。夜は夜とて、頭から離れずよく眠ることもできないのです。


塘上行
蒲生我池中,其葉何離離。
傍能行仁義,莫若妾自知。
眾口鑠黃金,使君生別離。
念君去我時,獨愁常苦悲。
想見君顏色,感結傷心脾。
念君常苦悲,夜夜不能寐。

莫以豪賢故,棄捐素所愛?
莫以魚肉賤,棄捐蔥與薤?
莫以麻枲賤,棄捐菅與蒯?
出亦復何苦,入亦復何愁。
邊地多悲風,樹木何修修!
從君致獨樂,延年壽千秋。


蒲は我が池中に生ず、其の葉何ぞ離離たる。
傍【あまね】く能く仁義を行ふは、妾が自ら知るに若くは美し
衆 口は黄金をも轢し、君をして生きながら別離せしむ。
念ふ君が我を去りし時、濁り愁ひて常に苦悲せり。
君が顔色を想見し、感結んで心脾を傷ましめり。
君を念うて常に苦悲し、夜夜来ぬる能はず。
賢豪の故を以て、素愛せし所を弄掲する莫れ。
魚肉を以てすれば購なりとも、葱と薙とを弄掲する莫れ。
麻臭を以てすれば賎なりとも、菅と割とを弄摘する莫れ。
出づるも亦復た苦愁し、入るも亦復た苦愁す。
遠地に悲夙多し、樹木何ぞ傾傾たる。
軍に従って猫柴を致す、延年轟は千秋。

善哉行 謝靈運 宋詩<11-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 635 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1757

善哉行 謝靈運

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩善哉行 謝靈運 宋詩<11-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 635 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1757 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩秋懐詩十一首(11) 韓退之(韓愈)詩<111>Ⅱ中唐詩548 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1758 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(1)浣花渓の草堂(10) 堂成 杜甫 <363>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1759 杜甫詩 700- 539 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集剥啄行 韓退之(韓愈)詩<82-#3> (01/05) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『南歌子七首』 (七) 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-36-5-#14 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1760 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                             http://3rd.geocities.jp/miz910yh/


善哉行 謝靈運 宋詩<11-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 635 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1757


善哉行
陽谷躍升,虞淵引落。景曜東隅,晼晚西薄。
朝日は湯谷の扶桑樹から躍り上がるように昇り、やがて太陽は、はるか西方の虞淵に沈んで夜になる。
朝日は桑畑の向こうからかがやいて昇り、かたむいた夕日は楡の畑に落ちて小さくなり暗くなっていく。

三春燠敷,九秋蕭索。涼來溫謝,寒往暑却。
春の三季は気候が温暖になっていき花が咲き誇り散って庭に敷物をしてくれるし、九秋は太陽、月、風も花も葉も次第に物寂しくなっていく。
すずしい風が吹き始めると熱射、熱気が去って行くが、じきに凍える寒さが訪れて暑かったときのことはすべて忘却してしまう。

居德斯頤,積善嬉謔。
徳を持った行いはその人の顔に反映されるし、善意・善幸をつみかさねればそれも希望どおり喜んだ気持ちになり、冗談も弾むというものだ。
#2
陰灌陽叢,凋華墮蕚。
日陰に日陰が合流するかと思えば日向に明かりが集まることもあるが、しおれた花はその花の咢から落してゆくものだ。
歡去易慘,悲至難鑠。
歓喜した後に悲惨なことが来るということも容易にわかるが、悲しいことがきてしまったらいきいきして元気をよくしようとしてもなかなかしがたいということだ。
擊節當歌,對酒當酌。
節季を迎えると歌を唄い、酒の宴を行い必ず盃を酌み交わすのである。
鄙哉愚人,戚戚懷瘼。
都から離れた土地ということを歎くのは愚かな人であり、自分が病に侵されていることは憂い恐れることなのだ。
善哉達士,滔滔處樂。
物事に達観している人こそ善いことである、其処には楽しいことがとうとうと溢れているということだ。

善哉行
陽は谷より躍升し,虞淵して引き落つ。
景は曜く東隅に,晼【かたむ】きて晚れ西に薄【せま】る。
三春は燠敷し,九秋は蕭索す。
涼來たり溫謝【さ】り,寒往き暑さ却【しりぞ】く。
德に居り斯【ここ】に頤【やしな】う,善を積み嬉謔す。

#2
陰灌【あきら】かにし陽叢まる,凋【しぼ】む華は蕚より墮つ。
歡び去り慘【いた】み易く,悲しみ至り鑠【と】け難し。
擊節し當に歌うべし,對酒して當に酌【く】むべし。
鄙なる哉 愚人,戚戚として瘼【くる】しみを懷う。
善哉の達士,滔滔として樂に處す。

榿木栽5001

『善哉行』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
陰灌陽叢,凋華墮蕚。歡去易慘,悲至難鑠。
擊節當歌,對酒當酌。鄙哉愚人,戚戚懷瘼。
善哉達士,滔滔處樂。


(下し文) #2
陰灌【あきら】かにし陽叢まる,凋【しぼ】む華は蕚より墮つ。
歡び去り慘【いた】み易く,悲しみ至り鑠【と】け難し。
擊節し當に歌うべし,對酒して當に酌【く】むべし。
鄙なる哉 愚人,戚戚として瘼【くる】しみを懷う。
善哉の達士,滔滔として樂に處す。


(現代語訳)
日陰に日陰が合流するかと思えば日向に明かりが集まることもあるが、しおれた花はその花の咢から落してゆくものだ。
歓喜した後に悲惨なことが来るということも容易にわかるが、悲しいことがきてしまったらいきいきして元気をよくしようとしてもなかなかしがたいということだ。
節季を迎えると歌を唄い、酒の宴を行い必ず盃を酌み交わすのである。
都から離れた土地ということを歎くのは愚かな人であり、自分が病に侵されていることは憂い恐れることなのだ。
物事に達観している人こそ善いことである、其処には楽しいことがとうとうと溢れているということだ。


(訳注)
#2善哉行
四言楽府、瑟調曲。人生の苦しみを詠う。


陰灌陽叢,凋華墮蕚。
日陰に日陰が合流するかと思えば日向に明かりが集まることもあるが、しおれた花はその花の咢から落してゆくものだ。


歡去易慘,悲至難鑠。
歓喜した後に悲惨なことが来るということも容易にわかるが、悲しいことがきてしまったらいきいきして元気をよくしようとしてもなかなかしがたいということだ。
・鑠 とかす。とける。鉱石や金属をごたまぜにして、熱してとかす。また、熱せられて金属がとける。 あかあかとかがやくさま。いきいきして元気がよい。美しい。


擊節當歌,對酒當酌。
節季を迎えると歌を唄い、酒の宴を行い必ず盃を酌み交わすのである。


鄙哉愚人,戚戚懷瘼。
都から離れた土地ということを歎くのは愚かな人であり、自分が病に侵されていることは憂い恐れることなのだ。
・鄙 [1]都から離れた土地。いなか。―にはまれな美人[2]支配の及ばない未開地に住む人々。えびす。
・戚戚 憂い悲しむさま。また、憂い恐れるさま。
・瘼 病,困苦.


善哉達士,滔滔處樂。
物事に達観している人こそ善いことである、其処には楽しいことがとうとうと溢れているということだ。
・達士 ある物事に熟達した人。練達の士。物事に達観している人。風流に生きていくことで納得して生きていく人。隠棲はしていないが気持ち的には世俗の事にこだわらない生活をする人。
・滔滔 1 水がとどまることなく流れるさま。2 次から次へとよどみなく話すさま。

善哉行 謝靈運 宋詩<11-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 634 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1753

善哉行 謝靈運 宋詩<11-#1>

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩善哉行 謝靈運 宋詩<11-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 634 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1753 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩秋懐詩十一首(10) 韓退之(韓愈)詩<110>Ⅱ中唐詩547 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1754 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(1)浣花渓の草堂(9) 詣徐卿覓果栽 杜甫 <362> ..\杜甫と農業.doc 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1755 杜甫詩 700- 538 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集剥啄行 韓退之(韓愈)詩<82-#2> (01/04) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『南歌子七首』(六)温庭筠 ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-35-7-#13 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1756 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                             http://3rd.geocities.jp/miz910yh/


善哉行 謝靈運 宋詩<11-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 634 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1753


善哉行
陽谷躍升,虞淵引落。
朝日は湯谷の扶桑樹から躍り上がるように昇り、やがて太陽は、はるか西方の虞淵に沈んで夜になる。
景曜東隅,晼晚西薄。
朝日は桑畑の向こうからかがやいて昇り、かたむいた夕日は楡の畑に落ちて小さくなり暗くなっていく。
三春燠敷,九秋蕭索。
春の三季は気候が温暖になっていき花が咲き誇り散って庭に敷物をしてくれるし、九秋は太陽、月、風も花も葉も次第に物寂しくなっていく。
涼來溫謝,寒往暑却。
すずしい風が吹き始めると熱射、熱気が去って行くが、じきに凍える寒さが訪れて暑かったときのことはすべて忘却してしまう。
居德斯頤,積善嬉謔。
徳を持った行いはその人の顔に反映されるし、善意・善幸をつみかさねればそれも希望どおり喜んだ気持ちになり、冗談も弾むというものだ。
#2
陰灌陽叢,凋華墮蕚。歡去易慘,悲至難鑠。
擊節當歌,對酒當酌。鄙哉愚人,戚戚懷瘼。
善哉達士,滔滔處樂。

善哉行
陽は谷より躍升し,虞淵して引き落つ。
景は曜く東隅に,晼【かたむ】きて晚れ西に薄【せま】る。
三春は燠敷し,九秋は蕭索す。
涼來たり溫謝【さ】り,寒往き暑さ却【しりぞ】く。
德に居り斯【ここ】に頤【やしな】う,善を積み嬉謔す。

#2
陰灌【あきら】かにし陽叢まる,凋【しぼ】む華は蕚より墮つ。
歡び去り慘【いた】み易く,悲しみ至り鑠【と】け難し。
擊節し當に歌うべし,對酒して當に酌【く】むべし。
鄙なる哉 愚人,戚戚として瘼【くる】しみを懷う。
善哉の達士,滔滔として樂に處す。

真竹003

『善哉行』 現代語訳と訳註
(本文)
善哉行
陽谷躍升,虞淵引落。景曜東隅,晼晚西薄。
三春燠敷,九秋蕭索。涼來溫謝,寒往暑却。
居德斯頤,積善嬉謔。陰灌陽叢,凋華墮蕚。
歡去易慘,悲至難鑠。擊節當歌,對酒當酌。
鄙哉愚人,戚戚懷瘼。善哉達士,滔滔處樂。


(下し文) 善哉行
陽は谷より躍升し,虞淵して引き落つ。
景は曜く東隅に,晼【かたむ】きて晚れ西に薄【せま】る。
三春は燠敷し,九秋は蕭索す。
涼來たり溫謝【さ】り,寒往き暑さ却【しりぞ】く。
德に居り斯【ここ】に頤【やしな】う,善を積み嬉謔【きぎゃく】す。


(現代語訳)
朝日は湯谷の扶桑樹から躍り上がるように昇り、やがて太陽は、はるか西方の虞淵に沈んで夜になる。
朝日は桑畑の向こうからかがやいて昇り、かたむいた夕日は楡の畑に落ちて小さくなり暗くなっていく。
春の三季は気候が温暖になっていき花が咲き誇り散って庭に敷物をしてくれるし、九秋は太陽、月、風も花も葉も次第に物寂しくなっていく。
すずしい風が吹き始めると熱射、熱気が去って行くが、じきに凍える寒さが訪れて暑かったときのことはすべて忘却してしまう。
徳を持った行いはその人の顔に反映されるし、善意・善幸をつみかさねればそれも希望どおり喜んだ気持ちになり、冗談も弾むというものだ。


(訳注)
善哉行
四言楽府、瑟調曲。人生の苦しみを詠う。


陽谷躍升,虞淵引落。
朝日は湯谷の扶桑樹から躍り上がるように昇り、やがて太陽は、はるか西方の虞淵に沈んで夜になる。
・虞淵 中国神話中、太陽が沈むとされた山。はるか西方の地にあり、山裾に蒙水という川があり、その川に虞淵という深い淵がある。虞淵は禺谷ともいう。
 太陽は毎朝、東方にある湯谷の扶桑樹から昇るが、これが西に移動して崦嵫山中の虞淵まで来るとたそがれになるという。この先にさらに蒙谷という谷があり、ここに太陽が沈むと夜になるという。


景曜東隅,晼晚西薄。
朝日は桑畑の向こうからかがやいて昇り、かたむいた夕日は楡の畑に落ちて小さくなり暗くなっていく。
・東隅:東方日出處,指早晨;桑、(榆:指日落處,也指日暮。)
・晼晚: 日が西落ちる。楚辭.宋玉.九辯:七段「白日晼晚其將入兮,明月銷鑠而減毀。」(白日は晼晚して其れ將に入らんとす,明月は銷鑠して減毀す。)晼:日陰が傾く。


三春燠敷,九秋蕭索。
春の三季は気候が温暖になっていき花が咲き誇り散って庭に敷物をしてくれるし、九秋は太陽、月、風も花も葉も次第に物寂しくなっていく。
・三春 春の三季、早春、盛春、晩春。咲く花が全く違うことを云う場合。三年越しの春。経過年数の一区切りで使う。
・燠敷 和暖四布。氣候和暖、陽光明媚的春天
・九秋 1 秋の90日間のこと。《季 秋》2 画題で、秋にちなむ9種の風物。秋山・秋境・秋城・秋樹・秋燕・秋蝶・秋琴・秋笛・秋塘。または、9種を一組にした秋の花。桂花(けいか)・芙蓉(ふよう)・秋海棠(しゅうかいどう).
・蕭索 もの寂しいさま。うらぶれた感じのするさま。蕭条。


涼來溫謝,寒往暑却。
すずしい風が吹き始めると熱射、熱気が去って行くが、じきに凍える寒さが訪れて暑かったときのことはすべて忘却してしまう。


居德斯頤,積善嬉謔。
徳を持った行いはその人の顔に反映されるし、善意・善幸をつみかさねればそれも希望どおり喜んだ気持ちになり、冗談も弾むというものだ。
・頤(おとがい)はヒトの下あごまたは下あごの先端をさす語
・嬉謔 :にこにこしたくなる気持ちだ。自分の希望するとおりの状態であるので喜んでいる。喜ばしい気持ち。 :喜び楽しむ。

善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 633 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1749

善哉行 楽府歌辭 漢詩

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 633 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1749 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩秋懐詩十一首(9) 韓退之(韓愈)詩<109>Ⅱ中唐詩546 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1750 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(1)浣花渓の草堂(8) 又於韋處乞大邑瓷碗 杜甫 <361>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1751 杜甫詩 700- 537 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集剥啄行 韓退之(韓愈)詩<82-#1> (01/03) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『南歌子七首(五)』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-34-6-#12 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1752 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                             http://3rd.geocities.jp/miz910yh/



善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 633 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1749



古詩源巻二漢詩 楽府歌辭『善哉行』
善哉行  #1
來日大難,口燥唇乾。今日相樂,皆當喜歡。
その日が到来してきたがここまで生活も困窮しており、「焦唇乾舌」というありさまなのである。
今日盛宴に列する機会を得たのであるから大いに楽しみ、喜び、感激すべきであるのだ。

經歷名山,芝草翻翻。仙人王喬、奉藥一丸。
わが身は今や名山にはいって仙境に遊ぶ思いであるのだ。そこには薬草であり、霊芝が山ほど採れたように御馳走がひるがえように運ばれてきている。
仙人王子喬が貴重な丸薬一粒を恵みくださったようなものなのだ。

自惜袖短,內手知寒。慚無靈輒,以報趙宣。
自分の衣服は袖も短く、寒さを覚えると懐に手をいれるしかないのだ。  
昔、趙宣の故事に言う、「霊輒は貧窮のとき、趙宣に救われた恩義に感じて、後にその難を救うた」というが、われには今そのような報恩の道のないことがはずかしい。
#2
月沒參橫,北斗闌干。
月沈みきったが、参星は横たわっている。きらめきながら北斗七星が斜めに傾いている。
親交在門,饑不及餐。
親友の家を訪れ門をはいった、食に飢えているにもかかわらず、一飯の饗応もなしという対応であった。 
歡日尚少,戚日苦多。
私のこれまでは、苦しいことばかりの日々がおおく、楽しい日なんて滅多にないのである。
以何忘憂,彈箏酒歌。 
だけど、どうやってこの憂いを忘れることだできるのだろうか。幸いにこの宴に列して、琴の音を聞き、酒を飲み、歌をうたって、しばらく憂さを散じようと思う。
淮南八公,要道不煩,
昔、淮南王の八公が訪れて「仙術の要道」を説いたことで、私も日々の憂いなど気にかけないことにしている。
參駕六龍,遊戲雲端。
太陽神の乗る六竜を馬車の引手にして天をかけり、雲の上で遊戯したというが、わたしも仙術を得て天にのぼり、今日のこの日、苦を除きたいものである。

善哉行  #1                                
日來りて大に難く,口燥して唇乾く。今日 相い樂み,皆當に喜歡すべし。
經歷する名山,芝草翻翻たり。仙人王喬、藥一丸を奉ず。
自ら袖の短かきを惜み,手を內にして寒を知る。慚づらくは靈輒【れいちょう】の,以って趙宣【ちょうせん】に報ぜし無し。
#2
月沒し參橫たわり,北斗 闌干たり。親交 門に在り,饑えて餐するに及ばず。
歡ぶ日は尚お少く,戚日 苦多し。以って何ぞ憂を忘れん,箏を彈きて酒歌す。 

淮南の八公,道を要すも煩わず,參駕するは六龍,遊戲するは雲端たり。

sangaku880

『善哉行』 現代語訳と訳註
(本文)
善哉行  #2
月沒參橫,北斗闌干。親交在門,饑不及餐。
歡日尚少,戚日苦多。以何忘憂,彈箏酒歌。 
淮南八公,要道不煩,參駕六龍,遊戲雲端。


(下し文)善哉行  #2
月沒し參橫たわり,北斗 闌干たり。親交 門に在り,饑えて餐するに及ばず。
歡ぶ日は尚お少く,戚日 苦多し。以って何ぞ憂を忘れん,箏を彈きて酒歌す。 
淮南の八公,道を要すも煩わず,參駕するは六龍,遊戲するは雲端たり。


(現代語訳)
月沈みきったが、参星は横たわっている。きらめきながら北斗七星が斜めに傾いている。
親友の家を訪れ門をはいった、食に飢えているにもかかわらず、一飯の饗応もなしという対応であった。 
私のこれまでは、苦しいことばかりの日々がおおく、楽しい日なんて滅多にないのである。
だけど、どうやってこの憂いを忘れることだできるのだろうか。幸いにこの宴に列して、琴の音を聞き、酒を飲み、歌をうたって、しばらく憂さを散じようと思う。
昔、淮南王の八公が訪れて「仙術の要道」を説いたことで、私も日々の憂いなど気にかけないことにしている。
太陽神の乗る六竜を馬車の引手にして天をかけり、雲の上で遊戯したというが、わたしも仙術を得て天にのぼり、今日のこの日、苦を除きたいものである。


(訳注)
・善哉行
 以下六章は相和歌辞の宏調曲に属する。
詩は貧士が盛宴に列して、身の境遇を歎じ、感ずる所を述べたのである。四句一解、一章六解に分かれる。



月沒參横、北斗闌干。
月沈みきったが、参星は横たわっている。きらめきながら北斗七星が斜めに傾いている。          
参星 参宿(しんしゅく)、二十八宿の一つで西方白虎七宿の第7宿。距星はオリオン座ζ星(三つ星の東端の星)。
闌干 横斜のさま。また星のきらめくさまをいう。


親交在門、饑不及餐。
親友の家を訪れ門をはいった、食に飢えているにもかかわらず、一飯の饗応もなしという対応であった。             


歡日尚少、戚日苦多
私のこれまでは、苦しいことばかりの日々がおおく、楽しい日なんて滅多にないのである。


以何忘憂、彈箏酒歌。
だけど、どうやってこの憂いを忘れることだできるのだろうか。幸いにこの宴に列して、琴の音を聞き、酒を飲み、歌をうたって、しばらく憂さを散じようと思う。


淮南八公、要道不煩。
昔、淮南王の八公が訪れて「仙術の要道」を説いたことで、私も日々の憂いなど気にかけないことにしている。
・涯南八公 准南王劉安(漠高祖の孫)は方術を好んだ。時に八公という者が来て仙術を授け、白日王と共に昇天した。
八公の名字は詳かでない。
・要道 長寿の要術をいう。


參駕六龍、游戯雲端。
太陽神の乗る六竜を馬車の引手にして天をかけり、雲の上で遊戯したというが、わたしも仙術を得て天にのぼり、今日のこの日、苦を除きたいものである。
・参駕 そえ馬として車に駕するのである。
○六竜 太陽神の乗る、六頭立ての竜の引く車。義和という御者がそれを御して大空を東から西にめぐる、という神話に基づく。(『初学記』巻一,『准南子』「天文訓」など)。
また、「書経」五子之歌から》くさった縄で6頭の馬を御するように、非常に難しくて危ないこと
五竜 青竜・赤竜・黄竜・白竜・黒竜。 
蜀道難 李白「上有六龍回日之高標。」にある。


善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 632 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1745

善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#1>

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 632 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1745 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩秋懐詩十一首(8) 韓退之(韓愈)詩<108-#2>Ⅱ中唐詩545 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1746 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(1)浣花渓の草堂(7) 憑韋少府班覓松樹子 杜甫 <357>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1747 杜甫詩 700- 536 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#18><18最終回> (01/02) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『南歌子七首(四)』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-33-5-#11 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1748 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index