盤石篇-#4 曹植 魏<60-#4>
2013年3月31日 | 同じ日の紀頌之5つのブログ |
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盤石篇 #1
盤石山巔石,飄颻澗底蓬。
我本泰山人,何為客淮東?
雚葭彌斥土,林木無分重。
岸岩若崩缺,湖水何洶洶。
#2
蚌蛤被濱涯,光彩如錦虹。
高彼凌雲霄,浮氣象螭龍。
鯨脊若丘陵,須若山上松。
呼吸吞船紵,澎濞戲中鴻。
#3
方舟尋高價,珍寶麗以通。
一舉必千里,乘幹舉帆幢。
經危履險阻,未知命所鍾。
常恐沈黃壚,下與黿鱉同。
#4
南極蒼梧野,游眄窮九江。
中夜指參辰,欲師當定從。
仰天長太息,思想懷故邦。
乘桴何所志,吁嗟我孔公。
盤石篇
盤石山巓石,飄颻澗底蓬。
その山にはどっしりと根をはる山頂の盤石の石がある。ひらひらと風に吹かれる谷底には飄転するよもぎがある。
我本泰山人,何為客淮東?
私は、もとは泰山の人間である、それがどうして東海・淮東を旅する身となったのだろう。
雚葭彌斥土,林木無分重。
ヒメヨシは東の海浜辛い土地一面に生い茂りるものであり、木々などは林とならずあまり見えないのだ。
岸岩若崩缺,湖水何洶洶。
きりたつ岸巌はくだけ落ちているかのようである。そこにはどういうわけかドオードオーとものすごい潮騒がしているのである。
蚌蛤被濱涯,光彩如錦虹。
はまぐりが海辺をおおうほどあるといい、水面には日をうけ光彩を放つさまは、あざやかな五色の虹を思わせる。
高彼凌雲霄,浮氣象螭龍。
高い波浪は空の雲をもしのぐほどのすごさであり、浪からの立ちのぼる蜃気はまるでみずちが龍のように暴れているようだ。
鯨脊若丘陵,須若山上松。
そして、大鯨の背であり丘陵のようである、そしてひげのようであり、山上の松のようである。
呼吸吞船紵,澎濞戲中鴻。
おおきなみずちが呼吸すれば張り子のふねのようでのみ込まれてしまうであろうし、わきたつ波浪は、たわむれあそぶ大鳥たちかと見まごうほどである。
方舟尋高價,珍寶麗以通。
高価な珍しい品物をさがしもとめ舟をたくさんならべてたくさん積みこむ。その中に珍宝があり、それはきれいなものであり、国の流通を良くするものである。
一舉必千里,乘幹舉帆幢。
ひとたび船出すれば、かならず千里の海路わたるし、追い風に乗る、帆柱をあげる風をうけてすすむのである。
經危履險阻,未知命所鍾。
時には危険に遭遇して恐しい目にもあうこともある。どのような運命にぶつかるかについては分かっているわけではないのだ。
常恐沈黃壚,下與黿鱉同。
航行に際していつも、黄泉の国、深く沈んむこともあるのだし、大亀とスッポンと行動をともにするようになりはしないかと、恐れをいだいているものなのだ。
#4
南極蒼梧野,游眄窮九江。
私は南の方は蒼梧の野のはてまで行ったし、九の大江の合流点からそれぞれの源までも、見きわめられた。
中夜指參辰,欲師當定從。
夜なかになれば、西のからすき星と東のなかご星を指さして、行動の師とするという、二つの星の命ずるままに、行動しょうとしたこともあった。
仰天長太息,思想懷故邦。
天をあおぎみて長い嘆息をもらしてしまう。飛び出た故郷を懐かしく思い、想像にかれてたまらなかったのだ。
乘桴何所志,吁嗟我孔公。
孔子はいかだに乗ろうと言われたが、いかだに乗っていずこへ行けばよいのか。ああ!我が孔子はどうなのだ。
南して蒼梧【そうご】の野を極め、眄【め】を遊ばせて九江を窮む。
中夜 参と辰とを指し、師となし当に従うところを定むべきを欲す。
天を仰ぎて長嘆【ちょうたん】息し、思い想うて故邦を懐かしむ。
桴【いかだ】に乗りて何の志す所ぞ、呼嵯 我が孔公。
『盤石篇』 現代語訳と訳註
(本文) #4
南極蒼梧野,游眄窮九江。
中夜指參辰,欲師當定從。
仰天長太息,思想懷故邦。
乘桴何所志,吁嗟我孔公。
(下し文)
南して蒼梧【そうご】の野を極め、眄【め】を遊ばせて九江を窮む。
中夜 参と辰とを指し、師となし当に従うところを定むべきを欲す。
天を仰ぎて長嘆【ちょうたん】息し、思い想うて故邦を懐かしむ。
桴【いかだ】に乗りて何の志す所ぞ、呼嵯 我が孔公。
(現代語訳)
私は南の方は蒼梧の野のはてまで行ったし、九の大江の合流点からそれぞれの源までも、見きわめられた。
夜なかになれば、西のからすき星と東のなかご星を指さして、行動の師とするという、二つの星の命ずるままに、行動しょうとしたこともあった。
天をあおぎみて長い嘆息をもらしてしまう。飛び出た故郷を懐かしく思い、想像にかれてたまらなかったのだ。
孔子はいかだに乗ろうと言われたが、いかだに乗っていずこへ行けばよいのか。ああ!我が孔子はどうなのだ。
(訳注) #4
南極蒼梧野,游眄窮九江。
南の方は蒼梧の野のはてまで行ったし、九の大江の合流点からそれぞれの源までも、見きわめられた。
〇蒼梧野 舜の葬られた所、「礼記」檀弓に見える。蒼梧は山名で、別名を九嶷山という。湖南省寧遠県の東南にある。中国,湖南省寧遠県にある山。聖王舜(しゆん)の死去した地と伝えられる。九嶷山(きゆうぎざん)。
〇游眄 游目と同じ、視線を縦横にはせること。游は横目で見ること。「
〇九江 長江下流域、九の大江の集まるところ、現在の九江のあたり。
中夜指參辰,欲師當定從。
夜なかになれば、西のからすき星と東のなかご星を指さして、行動の師とするという、二つの星の命ずるままに、行動しょうとしたこともあった。
〇中夜 夜中。
○参辰 二つの星の名。参は西方にあって最も明るい星、唐鋤星(からすきぼし)、二十八宿の一つで西方白虎七宿の第7宿。距星はオリオン座ζ星(三つ星の東端の星)。からすき星のこと。辰は心とも書き、東方にあって最も明るい星、なかご星のこと。古人はこの二つの星を季節を知るに用いたり、またこの詩にあるように方向を知るのに用いた。
〇欲師当定従 参と辰の星座の動きによって崆峒を決めること。星座を先生として、その指示するままに行動を決定しょうということである。欲は「将」と同義で、未来詞として用いられている。当は・…:するのが当然、……するのがよいの意。
仰天長太息,思想懷故邦。
天をあおぎみて長い嘆息をもらしてしまう。飛び出た故郷を懐かしく思い、想像にかれてたまらなかったのだ。
○故邦 故郷。ここでは蕃山。
乘桴何所志,吁嗟我孔公。
孔子はいかだに乗ろうと言われたが、いかだに乗っていずこへ行けばよいのか。ああ!我が孔子はどうなのだ。
○孔公 孔子のこと。
○この二句は『論語』「公冶長」に基づいている。
子曰、道不行、乗桴浮於海、従我者其由也与、子路聞之喜、子曰、由也好勇過我、無所取材。
(子曰く、道行われず、桴(いかだ)に乗りて海に浮かばん。我に従う者は、それ由(ゆう)か。子路(しろ)これを聞きて喜ぶ。子曰く、由は勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所なからん。)
先生が言われた。『(中国では)正しき道が行われない。筏(いかだ)に乗って海に浮かぼう(海の向こうの遥か遠くの国に行こうか)。私についてくる者は、由であろうか。』子路がそれを聞いて喜んだ。先生は言われた。『由は、武勇(勇敢)を好むことは私以上である。しかし、筏の材料は得るところがないな。』
晩年の孔子は、諸侯にその献言を用いられることもなく、徳治政治の実現に対してやや悲観的になっていた。そこで、愛弟子の一人である子路に向かい、
『筏にでも乗って、海の向こうの東夷の国にでも行き、そこで仁や礼の徳を普及するかな』と問いかけたのである。孔子は、勇敢で剛毅な子路の性質を深く愛して期待していたが、同時に、子路の後先を省みない無鉄砲なまでの直情径行ぶりを危惧していた部分もあったという。