漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2013年06月

《蒿里曲》 無名氏  挽歌 漢・樂府<92>古詩源 巻三 811 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2603

無名氏  《蒿里曲》かの嵩里の土地はそもそもどのような者の棲みかであろう。そこには賢愚の差別なしに人の霊魂をとりおさめてある。


2013年6月30日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
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《蒿里曲》 無名氏  挽歌 漢・樂府<92>古詩源 巻三 811 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2603
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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遊太平公主山莊 韓愈(韓退之) <146>Ⅱ中唐詩724 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2604
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor寄詞 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-212-78-#72  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2607
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

 

《蒿里曲》 無名氏  挽歌 漢・樂府<92>古詩源 巻三 811 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2603

漢・樂府
蒿里曲
(士大夫や平民の葬送の際の歌)
蒿里誰家地,聚斂魂魄無賢愚。
かの嵩里の土地はそもそもどのような者の棲みかであろう。そこには賢愚の差別なしに人の霊魂をとりおさめてある。
鬼伯一何相催促,人命不得少踟蹰。
死神の促しかたのさても急なことであろう。ひとたびこれに誘われたら、人の命はしばしもこの世にたちどまることはできないということだ。

蒿里の曲
蒿里 誰が家の地ぞ,魂魄を聚斂して 賢愚無し。
鬼伯 一に何ぞ 相ひ催促し,人命 少【しばら】くも 踟蹰【ちちゅう】するを得ず。




『蒿里曲』 現代語訳と訳註
takadonosky01(本文)

蒿里曲
蒿里誰家地,聚斂魂魄無賢愚。
鬼伯一何相催促,人命不得少踟蹰。


(下し文)
蒿里の曲
蒿里 誰が家の地ぞ,魂魄を聚斂して 賢愚無し。
鬼伯 一に何ぞ 相ひ催促し,人命 少【しばら】くも 踟蹰【ちちゅう】するを得ず。


(現代語訳)
(士大夫や平民の葬送の際の歌)
かの嵩里の土地はそもそもどのような者の棲みかであろう。そこには賢愚の差別なしに人の霊魂をとりおさめてある。
死神の促しかたのさても急なことであろう。ひとたびこれに誘われたら、人の命はしばしもこの世にたちどまることはできないということだ。


(訳注)
蒿里曲
(士大夫や平民の葬送の際の歌)
漢代の挽歌。殯(もがり)の時に歌う。貴人の葬送には『薤露歌』「薤上露,何易晞。露晞明朝更復落,人死一去何時歸。」を歌う。蒿里の本来の意は、泰山の南にある山の名。人が死ぬと魂がここに来るという。墓地のこと。
曹操『蒿里行』
關東有義士,興兵討群凶。初期會盟津,乃心在咸陽。
軍合力不齊,躊躇而雁行。勢利使人爭,嗣還自相戕。
淮南弟稱號,刻璽於北方。鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
白骨露於野,千里無鷄鳴。生民百遺一,念之斷人腸。


蒿里誰家地,聚斂魂魄無賢愚。
かの嵩里の土地はそもそもどのような者の棲みかであろう。そこには賢愚の差別なしに人の霊魂をとりおさめてある。
・蒿里 地名。山東省泰山の南にある。この曲によって墓地の通称に転用される。
・罪敵 あつめおさめる。何もかもとりこむこと。
・魂塊 人が死ぬと、魂と塊とに分離し、魂は遊離して天上に上り、塊は肉体に属
して地中に入る。
・蒿里:泰山の南にある山の名。人が死ぬと魂がここに来るという。墓地のことでもある。後、墓地の意で使われる。 ・誰家:どこの。だれの。 ・地:ところ。
・聚斂:集め収める。(税を)取り立てる。 ・魂魄:たましい。霊魂。 ・魂:天から受ける陽のたましい。また、精神の働きを司る。 ・魄:地から受ける陰のたましい。また、肉体の生命を司る。 ・無賢愚:差異がなくなる。平等である。賢者も愚人も同様になる。


鬼伯一何相催促,人命不得少踟蹰。
死神の促しかたのさても急なことであろう。ひとたびこれに誘われたら、人の命はしばしもこの世にたちどまることはできないということだ。
・鬼伯 伯は長、死をつかさどる神。
踟蹰 ためらう。躊躇。ものが行き悩むさま。ためらう。躊躇する。物が連なるさま。
yuugure02

《麥秀歌》 (殷末周初・箕子) <91>古詩源 巻一 古逸 810 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2598

(殷末周初・箕子)《麥秀歌》 麦の穂は、ずんずんのびている。稲や黍はみずみずしくそだっている。ああ、これがわが祖国の都のあとなのか。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《麥秀歌》 (殷末周初・箕子) <91>古詩源 巻一 古逸 810 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2598



麥秀歌  (殷末周初・箕子)
(麥秀の歌)
麥秀漸漸兮,禾黍油油。
麦の穂はずんずんのびている。稲や黍はみずみずしくそだっている。ああ、これがわが祖国の都のあとなのか。
彼狡僮兮,不與我好兮。

この荒廃のなんとはなはだしいことよ。これというのもあの生意気な紂のやつが、わしと仲悪く、わしの諌めを聞いてくれなかったからだ。

麥秀の歌
麥 秀でで  漸漸たり,禾黍  油油たり。
彼の狡僮,我と 好からざりき。


『麥秀歌』 現代語訳と訳註
DCF00106(本文)
麥秀歌
麥秀漸漸兮,禾黍油油。
彼狡僮兮,不與我好兮。


(下し文)
麥秀の歌
麥 秀でで  漸漸たり,禾黍  油油たり。
彼の狡僮,我と 好からざりき。


(現代語訳)
(麥秀の歌)
麦の穂はずんずんのびている。稲や黍はみずみずしくそだっている。ああ、これがわが祖国の都のあとなのか。
この荒廃のなんとはなはだしいことよ。これというのもあの生意気な紂のやつが、わしと仲悪く、わしの諌めを聞いてくれなかったからだ。


(訳注)
麥秀歌

麦秀歌 『史記・宋微子世家第八』に、周の武王が笑子を朝鮮に封じた。箕子は紂王の親戚で、かつて紂の暴虐を諌めたが、聴かれなかった。後周に朝する時、殷の廃墟を過ぎ、禾黍の生ぜるを傷んだが、今は周の代であるから声をあげて泣くこともできず、麦秀の歌を作ったとある。尚書大伝には、これを紂の庶兄微子の作としてある。
『史記・宋微子世家第八』に、歌とともに載っている。「其後箕子朝周,過故殷虚(墟),感宮室毀壞,生禾黍,箕子傷之,欲哭則不可,欲泣爲其近婦人,乃作麥秀之詩以歌詠之。…殷民聞之,皆爲流涕。」となっている。最古の歌の一。なお、これと同じモチーフのものに、『詩經』王風『黍離』がある。「彼黍離離,彼稷之苗。行邁靡靡,中心搖搖。知我者謂我心憂,不知我者謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉。」 『黍離』は、西周の武王の都であった鎬京が、廃墟となってキビが生い茂るさまを見て、亡国の悲嘆に耽っている詩。こちらは有名で、豪放詞でしばしば引用されている。なお、この第三句に似た詩が『詩經・鄭風』の『狡童』に「彼狡童兮,不與我言兮。維子之故,使我不能餐兮。 彼狡童兮,不與我食兮。維子之故,使我不能息兮。」とある。
箕子:殷の紂王の同母の庶兄になる。殷が滅んだ後、周の武王に赦されて、周に仕えた。


麥秀漸漸兮,禾黍油油。
麦の穂はずんずんのびている。稲や黍はみずみずしくそだっている。ああ、これがわが祖国の都のあとなのか。
麥秀:麦の穂。麦の穂がみのる。普通、後者にとるが、後の句との続き具合から見ると、前者の意ではないのか。・秀:動詞:しげる。(花やイネが)咲く。
漸漸:麦ののぎのさま。麦の秀でるさま。・兮:語調を整える虚辞。取り立てた意味はない。上句の末尾や、一句のなかの節奏に附くことが多い。「…て、」。上代詩によく見られる。
禾黍:イネとキビ。イネやキビ。ここは後者。 
油:うるわしく盛んに生えてる。つやつやした。生き生きした。


彼狡僮兮,不與我好兮。
この荒廃のなんとはなはだしいことよ。これというのもあの生意気な紂のやつが、わしと仲悪く、わしの諌めを聞いてくれなかったからだ。
:あの。かの。 
狡僮:悪童。ずるがしこいやつ。殷の紂王のことをいう。『史記・宋微子世家第八』本文の記述で「所謂狡童者,紂也。」とある。・狡:わるがしこい。ずるい。はしこい。・僮:こども。わらは。
不與:…と。…と…いっしょに…する。 ・我:わたし(と)。・好:よい。 

《薤露歌》 無名氏挽歌 漢魏詩<90>古詩源 巻五 809 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2593

無名氏挽歌 《薤露歌》 露は乾いても、翌朝になれば、また再び降りるが、それに反して、人が死んで、一たび去ってしまえば、いつ帰ってくるのだろうか。つゆのように又にらの上にかえることはないのである

2013年6月28日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《薤露歌》 無名氏挽歌 漢魏詩<90>古詩源 巻五 809 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2593


薤露歌
(人生のはかない挽歌の歌)
薤上露、何易晞。
人の生命は草葉にやどる露よりもはかないものだという。まことに、にらの上の露のかわきやすきことよ。
露晞明朝更復落。
けれど露は今日かわいているのに、明朝はまた新しくやどり、そしておちる。
人死一去何時歸。
人はいったん死んだら、いつまた帰り来るのだろうか。永久に帰らないのだ。

薤露【かいろ】の歌
薤上【かいじょう】の露、何ぞ晞【かわ】き易き。
露 晞【かわ】けば 明朝 更に復た落つ。
人 死して一たび去れば何れの時か歸らん。


『薤露歌』 現代語訳と訳註
DCF002102(本文)

薤露歌
薤上露、何易晞。
露晞明朝更復落。
人死一去何時歸。


(下し文)
薤露【かいろ】の歌
薤上【かいじょう】の露、何ぞ晞【かわ】き易き。
露 晞【かわ】けば 明朝 更に復た落つ。
人 死して一たび去れば何れの時か歸らん。


(現代語訳)
(人生のはかない挽歌の歌)
人の生命は草葉にやどる露よりもはかないものだという。まことに、にらの上の露のかわきやすきことよ。
けれど露は今日かわいているのに、明朝はまた新しくやどり、そしておちる。
人はいったん死んだら、いつまた帰り来るのだろうか。永久に帰らないのだ。
(露は乾いても、翌朝になれば、また再び降りるが、それに反して、人が死んで、一たび去ってしまえば、いつ帰ってくるのだろうか。つゆのように又にらの上にかえることはないのである)


(訳注)
薤露歌

人生のはかない挽歌の歌
・薤 にら。草の名。地中にできる卵状の白い鱗茎りんけいは食用とする。らっきょう。おおにら。ユリ科の多年草。原産地は中国。鱗茎は卵形で白色。一種の臭気があるが、漬けて食用にする。
(薤露蒿里)人生のはかないことのたとえ。
「薤露」「蒿里」ともに挽歌(葬送の時の哀悼歌)の曲。
漢の田横でんおうが高祖に仕えることを恥じて自殺した時、その死を悼んで門人が作った挽歌で、武帝の時、李延年が二曲を分けて「薤露」は王侯貴族の葬送に、「蒿里」は下級官吏・士大夫・庶人の葬式に用いた。「薤露」は、薤らっきょうの葉に置いた露が乾きやすく落ちやすいのを命のはかなさにたとえたことから。「蒿里」はもと、山の名で、人が死ぬとその霊魂がここに集まり来るといわれた。
『蒿里曲』「蒿里誰家地,聚斂魂魄無賢愚。鬼伯一何相催促,人命不得少踟。」になる。なお、曹操にも『蒿里行』「關東有義士,興兵討群凶。初期會盟津,乃心在咸陽。軍合力不齊,躊躇而雁行。勢利使人爭,嗣還自相。淮南弟稱號,刻璽於北方。鎧甲生虱,萬姓以死亡。白骨露於野,千里無鷄鳴。生民百遺一,念之斷人腸。」がある。


薤上露、何易晞。
人の生命は草葉にやどる露よりもはかないものだという。まことに、にらの上の露のかわきやすきことよ。
・薤上露
・何:なぜ。何と。疑問、詠嘆の辞。 
・易:容易に。たやすく。
・晞:かわく。日の出。日光にさらす。


露晞明朝更復落。
けれど露は今日かわいているのに、明朝はまた新しくやどり、そしておちる。
*漢・古樂府『長歌行』では、「青青園中葵,朝露待日晞。」と、時間の経過を詠って使われている。 ・明朝:明日の朝。 ・更復:さらにまた。 ・落:下りる。


人死一去何時歸。
人はいったん死んだら、いつまた帰り来るのだろうか。永久に帰らないのだ。
(露は乾いても、翌朝になれば、また再び降りるが、それに反して、人が死んで、一たび去ってしまえば、いつ帰ってくるのだろうか。つゆのように又にらの上にかえることはないのである) 
・人死:人が死ぬ。 ・一去:ひとたび去る。荊軻の『易水歌』「壯士一去兮不復還。」と文型は同じ。 ・何時:いつ。 ・歸:かえる。本来の場所である自宅や故郷、墓所にかえること。


真竹003

《薤露行》 武帝 魏詩<89-#2>古詩源 巻五 808 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2588

《曹操詩全集︰薤露行》#2つぎに賊臣である董卓がかわって国軍をにぎり、少帝大后を殺し、帝京をほろぼした。国のあり方、帝業の基礎もくつがえしてしまい、二十数代続いた宗廟でさえも焼かれたのである。


2013年6月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《薤露行》 武帝 魏詩<89-#2>古詩源 巻五 808 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2588



薤露行 
(ニラの葉に降りた夜露の様な出来事を詠う)
惟漢廿二世,所任誠不良。
漢はこれまで二十二代継承している。しかし、官に任ずるものはけっして誠実、機宜・適宜な者たちということではなかった。
沐猴而冠帶,知小而謀疆。
何進の如きはまことに昔からいわれる「沐猴而冠」とさるが冠をつけたようなもので、矩識が無く、頭が空っぽの者で、ただ謀略・強暴のみで施政した。
猶豫不敢斷,因狩執君王。
それでいて政治については何事においてもぐずぐずして断行できず、狩りにかこつけて少帝(劉弁)をとらえたのである。
白虹為貫日,己亦先受殃。
古来より乱世を呼ぶ「幻日環」現象があらわれた。捕えられた少帝はます宦官に殺されてしまった。
#2
賊臣持國柄,殺主滅宇京。
つぎに賊臣である董卓がかわって国軍をにぎり、少帝大后を殺し、帝京をほろぼした。
蕩覆帝基業,宗廟以燔喪。
国のあり方、帝業の基礎もくつがえしてしまい、二十数代続いた宗廟でさえも焼かれたのである。
播越西遷移,號泣而且行。
洛陽を焼き尽くして長安遷都を行った、洛陽の人士は号泣してこれに従った。
瞻彼洛城郭,微子為哀傷。
荒廃した洛陽の城郭を眺めては、彼の微子の「麦秀の歌」をうたって哀傷せざるを得ないということなのだ。

(薤露【かいろ】の行【うた】)
惟【これ】漢の二十二世、任ずる所 誠に良からず。
沐猴【もっこう】にして冠帶【かんたい】し、知小にして謀は疆【つよ】し。
猶預【ゆうよ】して敢て断ぜす、狩りに困りて君王を執【とら】ふ。
白虹爲めに日を貫き、己も亦た先づ殃【わずらい】を受く。
#2
賊臣 國柄を持ち,主を殺して宇京【うけい】を滅す。
帝の基業を蕩覆【とうふく】し,宗廟【そうびょう】以って燔喪【はんそう】す。
播越【はえつ】西に遷移【せんい】し,號泣【ごうきゅう】して且つ行く。
彼の洛城の郭を瞻【み】て,微子【びし】為めに哀傷す。




『薤露行』 現代語訳と訳註
姑蘇台02(本文)
#2
賊臣持國柄,殺主滅宇京。
蕩覆帝基業,宗廟以燔喪。
播越西遷移,號泣而且行。
瞻彼洛城郭,微子為哀傷


(下し文) #2
賊臣 國柄を持ち,主を殺して宇京【うけい】を滅す。
帝の基業を蕩覆【とうふく】し,宗廟【そうびょう】以って燔喪【はんそう】す。
播越【はえつ】西に遷移【せんい】し,號泣【ごうきゅう】して且つ行く。
彼の洛城の郭を瞻【み】て,微子【びし】為めに哀傷す。


(現代語訳)
つぎに賊臣である董卓がかわって国軍をにぎり、少帝大后を殺し、帝京をほろぼした。
国のあり方、帝業の基礎もくつがえしてしまい、二十数代続いた宗廟でさえも焼かれたのである。
洛陽を焼き尽くして長安遷都を行った、洛陽の人士は号泣してこれに従った。
荒廃した洛陽の城郭を眺めては、彼の微子の「麦秀の歌」をうたって哀傷せざるを得ないということなのだ。


(訳注) #2
薤露行 
ニラの葉に降りた夜露の様な出来事を詠う
・薤露行 漢代の挽歌に「薤露歌」がある(このブログの数日後)。作者、曹操はその題か借りて、漢末の乱世を歎じたのである。


賊臣持國柄,殺主滅宇京。
つぎに賊臣である董卓がかわって国軍をにぎり、少帝大后を殺し、帝京をほろぼした。
・賊臣 何進に次いで董卓が変わって実権を握る。


蕩覆帝基業,宗廟以燔喪。
国のあり方、帝業の基礎もくつがえしてしまい、二十数代続いた宗廟でさえも焼かれたのである。
蕩覆 国家をくつがえす。蕩は「物事に締まりがなくだらしないさま」。蕩駘(トウタイ=かってきままにする、ふける)、蕩漾(トウヨウ=ただようさま、水が揺れ動くさま)
燔喪 焼かれ失われること。


播越西遷移,號泣而且行。
洛陽を焼き尽くして長安遷都を行った、洛陽の人士は号泣してこれに従った。
播越 播は遷移・去ること。越は遠方という意で、「遠方にうつりさまよう」こと。洛陽を焼き尽くして長安遷都を行ったことを示す。


瞻彼洛城郭,微子為哀傷
荒廃した洛陽の城郭を眺めては、彼の微子の「麦秀の歌」をうたって哀傷せざるを得ないということなのだ。
微子為哀傷 殷の遺臣微子が、故都を過ぎ麦秀の歌(数日後のブログ掲載)を歌って詠歎した故事を指し、曹操自らを以て微子に比した。
銅雀臺00

《薤露行》 武帝 魏詩<89-#1>古詩源 巻五 805 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2573

曹操詩全集 《薤露行》漢はこれまで二十二代継承している。しかし、官に任ずるものはけっして誠実、機宜・適宜な者たちということではなかった。

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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《薤露行》 武帝 魏詩<89-#1>古詩源 巻五 805 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2573

《曹操詩全集︰薤露行》

 
 
薤露行 
惟漢廿二世,所任誠不良。
(ニラの葉に降りた夜露の様な出来事を詠う)
満月003沐猴而冠帶,知小而謀疆。
漢はこれまで二十二代継承している。しかし、官に任ずるものはけっして誠実、機宜・適宜な者たちということではなかった。
猶豫不敢斷,因狩執君王。
何進の如きはまことに昔からいわれる「沐猴而冠」とさるが冠をつけたようなもので、矩識が無く、頭が空っぽの者で、ただ謀略・強暴のみで施政した。
白虹為貫日,己亦先受殃。

それでいて政治については何事においてもぐずぐずして断行できず、狩りにかこつけて少帝(劉弁)をとらえたのである。
古来より乱世を呼ぶ「幻日環」現象があらわれた。捕えられた少帝はます宦官に殺されてしまった。

#2
賊臣持國柄,殺主滅宇京。
蕩覆帝基業,宗廟以燔喪。
播越西遷移,號泣而且行。
瞻彼洛城郭,微子為哀傷
(薤露【かいろ】の行【うた】)
惟【これ】漢の二十二世、任ずる所 誠に良からず。
沐猴【もっこう】にして冠帶【かんたい】し、知小にして謀は疆【つよ】し。
猶預【ゆうよ】して敢て断ぜす、狩りに困りて君王を執【とら】ふ。
白虹爲めに日を貫き、己も亦た先づ殃【わずらい】を受く。

#2
賊臣 國柄を持ち,主を殺して宇京【うけい】を滅す。
帝の基業を蕩覆【とうふく】し,宗廟【そうびょう】以って燔喪【はんそう】す。
播越【はえつ】西に遷移【せんい】し,號泣【ごうきゅう】して且つ行く。
彼の洛城の郭を瞻【み】て,微子【びし】為めに哀傷す。


『薤露行』 現代語訳と訳註
(本文) 
惟漢廿二世,所任誠不良。
沐猴而冠帶,知小而謀疆。
猶豫不敢斷,因狩執君王。
白虹為貫日,己亦先受殃。


(下し文)
(薤露【かいろ】の行【うた】)
惟【これ】漢の二十二世、任ずる所 誠に良からず。
沐猴【もっこう】にして冠帶【かんたい】し、知小にして謀は疆【つよ】し。
猶預【ゆうよ】して敢て断ぜす、狩りに困りて君王を執【とら】ふ。
白虹爲めに日を貫き、己も亦た先づ殃【わずらい】を受く。


(現代語訳)
(ニラの葉に降りた夜露の様な出来事を詠う)
漢はこれまで二十二代継承している。しかし、官に任ずるものはけっして誠実、機宜・適宜な者たちということではなかった。
何進の如きはまことに昔からいわれる「沐猴而冠」とさるが冠をつけたようなもので、矩識が無く、頭が空っぽの者で、ただ謀略・強暴のみで施政した。
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(訳注)
薤露行 
ニラの葉に降りた夜露の様な出来事を詠う
・薤露行 漢代の挽歌に「薤露歌」がある(このブログの数日後)。作者、曹操はその題か借りて、漢末の乱世を歎じたのである。


惟漢廿二世,所任誠不良。
漢はこれまで二十二代継承している。しかし、官に任ずるものはけっして誠実、機宜・適宜な者たちということではなかった。
・二十二世 漢は前後通じて二十三帝。


沐猴而冠帶,知小而謀疆。
何進の如きはまことに昔からいわれる「沐猴而冠」とさるが冠をつけたようなもので、矩識が無く、頭が空っぽの者で、ただ謀略・強暴のみで施政した。
・沐猴而冠 猿が冠をかぶること。表題のみ美にして心のともなわぬことをいい、『史記.卷七.項羽本紀』。「後或亦用沐猴而冠指. 獼猴性急,不能若人久著冠帶,比喻性情暴躁。」人の項羽をそしった語である。ここでは“何進”に比した。
・謀疆 宦官を誅殺しようとした謀を指すもの。


猶豫不敢斷,因狩執君王。
それでいて政治については何事においてもぐずぐずして断行できず、狩りにかこつけて少帝(劉弁)をとらえたのである。


白虹為貫日,己亦先受殃。
古来より乱世を呼ぶ「幻日環」現象があらわれた。捕えられた少帝はます宦官に殺されてしまった。
・白虹為貫日 日傘の一現象をいい、幻日環という。幻日環(げんじつかん、英語:parhelic circle)とは、天頂を中心として太陽を通る光の輪が見られる大気光学現象のことである。月でも同様の現象が見られることがあり、こちらは幻月環(げんげつかん)と呼ばれる。中国では戦乱の前兆となすものとされる。

《龜雖壽》 武帝 魏詩<88-#2>古詩源 巻五 806 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2578

曹操 《龜雖壽》龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。

2013年6月25日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《龜雖壽》 武帝 魏詩<88-#2>古詩源 巻五 806 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2578
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩桃源圖 韓愈(韓退之) <145>Ⅱ中唐詩719 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2579
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Ⅲ杜甫詩1000詩集《通泉縣署屋壁後薛少保畫鶴》  楽府(五言古詩) 成都6-(25-#2) 杜甫 <488-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2580 杜甫詩1000-488-#2-710/1500
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性摩訶池宴 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-207-73-#67  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2582
 
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《龜雖壽》 武帝 魏詩<88-#2>古詩源 巻五 806 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2578


龜雖壽
百舌鳥02神龜雖壽,猶有竟時。
龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。
騰蛇乘霧,終為土灰。
天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。
老驥伏櫪,志在千里;
けれども彼の駿馬はたとい老衰して厩に伏していても、その志は千里の遠きをかけめぐりたいとおもっている。
烈士暮年,壯心不已。
そのように老いてなお壮心やみがたく大志を成さんと欲する烈士はすくない。
盈縮之期,不但在天;
これを思うに命運の長短はただ天のみの定めるところとは限らないのである。
養怡之福,可得永年。
自ら和楽の心を養い得れば、寿命を永くできる幸福も求めがたくはないということだ。
幸甚至哉!歌以詠志。
この道を悟ることができたことは幸いなことである。そこでこれを歌ってわが志を述べる。

亀は壽なりと雖も
神龜は壽なりと雖も,猶お竟わるの時有り。
騰蛇は霧を乘せども,終に土灰と為る。
老驥 櫪に伏しても,志は千里に在り;
烈士 暮年に,壯心 已まず。
盈縮 の期は,但だ天に在らず;
養怡 の福は,永年を得べし。
幸 甚だ至れる哉!歌うて以て志を詠ず。





『龜雖壽』 現代語訳と訳註
展望四阿01(本文)
神龜雖壽,猶有竟時。
騰蛇乘霧,終為土灰。
老驥伏櫪,志在千里;
烈士暮年,壯心不已。
盈縮之期,不但在天;
養怡之福,可得永年。
幸甚至哉!歌以詠志。

(下し文)
亀は壽なりと雖も
神龜は壽なりと雖も,猶お竟わるの時有り。
騰蛇は霧を乘せども,終に土灰と為る。
老驥 櫪に伏しても,志は千里に在り;
烈士 暮年に,壯心 已まず。
盈縮 の期は,但だ天に在らず;
養怡 の福は,永年を得べし。
幸 甚だ至れる哉!歌うて以て志を詠ず。


(現代語訳)
龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。
天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。
けれども彼の駿馬はたとい老衰して厩に伏していても、その志は千里の遠きをかけめぐりたいとおもっている。
そのように老いてなお壮心やみがたく大志を成さんと欲する烈士はすくない。
これを思うに命運の長短はただ天のみの定めるところとは限らないのである。
自ら和楽の心を養い得れば、寿命を永くできる幸福も求めがたくはないということだ。
この道を悟ることができたことは幸いなことである。そこでこれを歌ってわが志を述べる。


(訳注)
神龜雖壽,猶有竟時。

龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。


騰蛇乘霧,終為土灰。
天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。
・騰蛇 星の名であるが、ここでは天に昇る蛇の意味。


老驥伏櫪,志在千里;
けれども彼の駿馬はたとい老衰して厩に伏していても、その志は千里の遠きをかけめぐりたいとおもっている。
・老驥 老衰した駿馬。
・伏櫪 櫪は厩の根太板。


烈士暮年,壯心不已。
そのように老いてなお壮心やみがたく大志を成さんと欲する烈士はすくない。


盈縮之期,不但在天;
これを思うに命運の長短はただ天のみの定めるところとは限らないのである。
・盈縮之期 長短の生命。


養怡之福,可得永年。
自ら和楽の心を養い得れば、寿命を永くできる幸福も求めがたくはないということだ。
・養怡之福 和楽の心情を養うことによって得る幸福。


幸甚至哉!歌以詠志。
この道を悟ることができたことは幸いなことである。そこでこれを歌ってわが志を述べる。

《龜雖壽》 武帝 魏詩<88-#1>古詩源 巻五 805 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2573

曹操 《龜雖壽》龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。


2013年6月24日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《龜雖壽》 武帝 魏詩<88-#1>古詩源 巻五 805 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2573


龜雖壽
minamo008神龜雖壽,猶有竟時。
龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。
騰蛇乘霧,終為土灰。
天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。
老驥伏櫪,志在千里;
けれども彼の駿馬はたとい老衰して厩に伏していても、その志は千里の遠きをかけめぐりたいとおもっている。
#2
烈士暮年,壯心不已。
盈縮之期,不但在天;
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亀は壽なりと雖も
神龜は壽なりと雖も,猶お竟わるの時有り。
騰蛇は霧を乘せども,終に土灰と為る。
老驥 櫪に伏しても,志は千里に在り;







『龜雖壽』 現代語訳と訳註
(本文)

神龜雖壽,猶有竟時。
騰蛇乘霧,終為土灰。
老驥伏櫪,志在千里;


(下し文)
亀は壽なりと雖も
神龜は壽なりと雖も,猶お竟わるの時有り。
騰蛇は霧を乘せども,終に土灰と為る。
老驥 櫪に伏しても,志は千里に在り;


(現代語訳)
龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。
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けれども彼の駿馬はたとい老衰して厩に伏していても、その志は千里の遠きをかけめぐりたいとおもっている。


(訳注)
oushokun04神龜雖壽,猶有竟時。
龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。


騰蛇乘霧,終為土灰。
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・騰蛇 星の名であるが、ここでは天に昇る蛇の意味。


老驥伏櫪,志在千里;
けれども彼の駿馬はたとい老衰して厩に伏していても、その志は千里の遠きをかけめぐりたいとおもっている。
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《觀滄海 曹操》 武帝 魏詩<87-#2>古詩源 巻五 804 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2568

 
 
觀滄海 
東臨碣石,以觀滄海。
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
水何澹澹,山島竦峙。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。
樹木叢生,百草豐茂。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。
秋風蕭瑟,洪波涌起。
折から秋風がさわさわとさびしく吹き起こり、大浪がたちあがりさわぎたつ。
日月之行,若出其中;
太陽と月もその中から運行し出し、そのなかにしずむようであるし、
星漢燦爛,若出其里。
キラキラと輝く星影や天の川も、その中から現れ出る手、その裏に沈むようである。
幸甚至哉!歌以詠志。
この蒼海の景を観ることのできたことは、なんと幸いなことであろうか。そこでこれを歌ってわが志を述べる。sas0024














『觀滄海』 現代語訳と訳註
(本文)
東臨碣石,以觀滄海。
水何澹澹,山島竦峙。
樹木叢生,百草豐茂。
秋風蕭瑟,洪波涌起。
日月之行,若出其中;
星漢燦爛,若出其里。
幸甚至哉!歌以詠志。


(下し文) 滄海を觀る
東のかた碣石【けつせき】に臨み,以て滄海を觀る。
水 何ぞ澹澹【】たる,山島 竦峙【しょうじ】せり。
樹木 叢生【そうせい】し,百草 豐茂す。
秋風 蕭瑟【しょうしつ】して,洪波【こうは】涌起【ようき】す。
日月【じつげつ】の行,其の中より出づるが若く;
星漢 燦爛【さんらん】として,其の里【うら】より出づるが若く。
幸 甚だ至れる哉!歌って以って志を詠ず。


(現代語訳)
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。
折から秋風がさわさわとさびしく吹き起こり、大浪がたちあがりさわぎたつ。
太陽と月もその中から運行し出し、そのなかにしずむようであるし、
キラキラと輝く星影や天の川も、その中から現れ出る手、その裏に沈むようである。
この蒼海の景を観ることのできたことは、なんと幸いなことであろうか。そこでこれを歌ってわが志を述べる。


(訳注)
觀滄海
東海三山に至る広大な海原を見る。
・滄海 東海三山に至る広大な海原。海に臨む地方。自分が隠棲したいと思っているところ。


東臨碣石,以觀滄海。
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
・碣石  山の名。古来有名であるが、その所在については説が一様でない。海岸の山であるという。東海ということから泰山をイメージするというのではないか。


水何澹澹,山島竦峙。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。


樹木叢生,百草豐茂。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。


秋風蕭瑟,洪波涌起。
折から秋風がさわさわとさびしく吹き起こり、大浪がたちあがりさわぎたつ。
・蕭瑟 秋風が草木に鳴るさわさわという音。宋玉 『九辯』一段目 「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰,憭慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,」


日月之行,若出其中;
太陽と月もその中から運行し出し、そのなかにしずむようであるし、


星漢燦爛,若出其里。
キラキラと輝く星影や天の川も、その中から現れ出る手、その裏に沈むようである。
・星漢 天の川。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。夏に明るくなっていた天の川も秋になると光度が落ちて來るので川を渡ることが出来ないとされるもの。


幸甚至哉!歌以詠志。
この蒼海の景を観ることのできたことは、なんと幸いなことであろうか。そこでこれを歌ってわが志を述べる。

《觀滄海 曹操》 武帝 魏詩<87-#1> 平原侯值 803 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2563

曹操《觀滄海》東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。


2013年6月22日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《觀滄海 曹操》 武帝 魏詩<87-#1>  平原侯值 803 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2563
 
 
觀滄海 
(東海三山に至る広大な海原を見る)
東臨碣石,以觀滄海。
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
水何澹澹,山島竦峙。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。
樹木叢生,百草豐茂。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。
王屋山01#2
秋風蕭瑟,洪波涌起。
日月之行,若出其中;
星漢燦爛,若出其里。
幸甚至哉!歌以詠志。
滄海を觀る
東のかた碣石【けつせき】に臨み,以て滄海を觀る。
水 何ぞ澹澹【】たる,山島 竦峙【しょうじ】せり。
樹木 叢生【そうせい】し,百草 豐茂す。

秋風 蕭瑟【しょうしつ】して,洪波【こうは】涌起【ようき】す。
日月【じつげつ】の行,其の中より出づるが若く;
星漢 燦爛【さんらん】として,其の里【うら】より出づるが若く。
幸 甚だ至れる哉!歌って以って志を詠ず。
 

『觀滄海』 現代語訳と訳註
(本文)
東臨碣石,以觀滄海。
水何澹澹,山島竦峙。
樹木叢生,百草豐茂。
#2
秋風蕭瑟,洪波涌起。
日月之行,若出其中;
星漢燦爛,若出其里。
幸甚至哉!歌以詠志。


(下し文)
滄海を觀る
東のかた碣石【けつせき】に臨み,以て滄海を觀る。
水 何ぞ澹澹【】たる,山島 竦峙【しょうじ】せり。
樹木 叢生【そうせい】し,百草 豐茂す。


(現代語訳)
(東海三山に至る広大な海原を見る。)
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。


(訳注)
觀滄海
東海三山に至る広大な海原を見る。
・滄海 東海三山に至る広大な海原。海に臨む地方。自分が隠棲したいと思っているところ。


東臨碣石,以觀滄海。
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
・碣石  山の名。古来有名であるが、その所在については説が一様でない。海岸の山であるという。東海ということから泰山をイメージするというのではないか。


水何澹澹,山島竦峙。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。


樹木叢生,百草豐茂。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。


《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#3> 古詩源 802 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2558

魏武帝《短歌行》#3 東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 


2013年6月21日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#3> 古詩源 802 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2558
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃源行》 王維  <#1>715 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2559
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#3>  古詩源 802 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2558


短歌行   曹操
#1
対酒当歌、人生幾何。
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。
譬如朝露、去日苦多。
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
慨当以慷、幽思難忘。
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
何以解憂、唯有杜康。
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
青青子衿、悠悠我心。
遥かに離れていく詩経に「青い襟の愛しい女(ひと)よ。」はるかになっていくわたしの思い。

#2
但為君故、沈吟至今。
ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。
呦呦鹿鳴、食野之苹。
ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。
我有嘉賓、鼓瑟吹笙。
わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 
明明如月、何時可採。
月のように、はっきりとしていても、いつ優れた人材を拾い取ることができようか。
憂従中來、不可断絶。
憂いは心の中から起こってくる。それを断ち切ることはできないのだ。

#3
越陌度阡、枉用相存。
東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。
契闊談讌、心念旧恩。
万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 
月明星稀、烏鵲南飛。
月が明るく照り亘るので、星影が目立たなくなっている。そこにカササギが南に向かって飛んでいく。 
繞樹三匝、何枝可依。
木の周りをぐるぐると何度もまわって、カササギがどの枝に留まろうかというだけではなく、人物がどこの陣営につくのか、誰に属するのか、その帰趨をもいう。
山不厭高、海不厭深。
山は、多くの土砂や岩石が慕い寄って、高さが増すことを厭がらないので、ますます高くなり、徳を慕って、人の寄ってくることを拒まなければ、ますます立派なものになることをいう。海の水は、多くの水が慕い寄って、深みが増すことを厭がらないので、ますます深くなり。
周公吐哺、天下帰心。
周公は、食事を中断してまでして、来客に面会した。 天下の人心を獲得したのだ。


短歌行 
酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。
譬へば 朝露の如く,去日 苦【はなは】だ多し。
慨して 當に以って 慷すべきも,憂思 忘れ難し。
何を以ってか 憂ひを解かん,唯だ 杜康の有るのみ。
青青たる 子の衿,悠悠たる 我が心。

#2
但だ 君が為め 故,沈吟して  今に至る。
呦呦 として 鹿 鳴き,野の苹を  食ふ。
我に  嘉賓 有り,瑟を 鼓し  笙を 吹く。
明明たること月の如きも,何の時か 輟【と】る可けんや。
憂ひは 中從り來たり,斷絶す可【べ】からず。

#3
陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;
契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。
月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。
樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。
山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。
周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。

泰山の道観

















『短歌行』 現代語訳と訳註
 (本文)
#3
菖蒲03越陌度阡、枉用相存。
契闊談讌、心念旧恩。
月明星稀、烏鵲南飛。
繞樹三匝、何枝可依。
山不厭高、海不厭深。
周公吐哺、天下帰心。


(下し文) #3
陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;
契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。
月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。
樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。
山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。
周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。


(現代語訳)
東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。
万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 
月が明るく照り亘るので、星影が目立たなくなっている。そこにカササギが南に向かって飛んでいく。 
木の周りをぐるぐると何度もまわって、カササギがどの枝に留まろうかというだけではなく、人物がどこの陣営につくのか、誰に属するのか、その帰趨をもいう。
山は、多くの土砂や岩石が慕い寄って、高さが増すことを厭がらないので、ますます高くなり、徳を慕って、人の寄ってくることを拒まなければ、ますます立派なものになることをいう。海の水は、多くの水が慕い寄って、深みが増すことを厭がらないので、ますます深くなり。
周公は、食事を中断してまでして、来客に面会した。 天下の人心を獲得したのだ。


(訳注) #3
越陌度阡、枉用相存。
東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。
・陌:道。田の東西に通じるあぜみち。=陌阡。 
・阡:道。南北に通じるあぜみち。
・枉:まげて。・用:もって。 
・相存:ねぎらう。見舞う。あい問う。 
・存:問う。見舞う。ねぎらう。


契闊談讌、心念旧恩。
万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 
・契闊:久闊を叙する。久しぶりでお目にかかる。ひさしぶり。ぶさた。堅い契りを結ぶ。離れることと合うことと。離合。
・談讌:語らいながら酒盛りをする。・讌:さかもり。≒宴。
・舊恩:旧誼。


月明星稀、烏鵲南飛。
月が明るく照り亘るので、星影が目立たなくなっている。そこにカササギが南に向かって飛んでいく。 
・烏鵲:カササギ。


繞樹三匝、何枝可依。
木の周りをぐるぐると何度もまわって、カササギがどの枝に留まろうかというだけではなく、人物がどこの陣営につくのか、誰に属するのか、その帰趨をもいう。
・匝:めぐる。めぐり。


山不厭高、海不厭深。
山は、多くの土砂や岩石が慕い寄って、高さが増すことを厭がらないので、ますます高くなり、徳を慕って、人の寄ってくることを拒まなければ、ますます立派なものになることをいう。海の水は、多くの水が慕い寄って、深みが増すことを厭がらないので、ますます深くなり。


周公吐哺、天下帰心。
周公は、食事を中断してまでして、来客に面会した。 天下の人心を獲得したのだ。
・周公:周公旦のこと。古代の聖人。周の文王の子で、武王の弟になる。武王の子の成王を補佐して、人材の発掘に努め、制度、礼楽を定めて、周王朝の基礎を固めた。人材の登用を重視して、高い位に在るにも拘わらずに、一回の洗髪を三度中断したり、一回の食事を三度中断してまでして賢士の来客に面会した。 
・吐哺:食べかけで口に含んでいる食物を吐き出して(までして、人物の来訪に会った)故事をいう。食事を中断してまでして、来客に面会したことをいう。『史記・魯周公世家第三』に「周公戒伯禽曰:『我文王之子,武王之弟,成王之叔父,我於天下亦不賤矣。然我一沐三捉髮;一飯三吐哺,起以待士,猶恐失天下之賢人。子之魯,慎無以國驕人。』」とある。

《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#2> 古詩源 801 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2553

魏武帝《短歌行》 ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 

2013年6月20日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《短歌行》 魏武帝 魏詩<86-#2> 古詩源 801 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2553
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Ⅲ杜甫詩1000詩集姜楚公畫角鷹歌【案:姜皎,上邽人,善畫鷹鳥,官至太常,封楚國公。】 楽府(七言歌行) 成都6-(21) 杜甫 <483>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2555 杜甫詩1000-483-705/1500
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性上川主武元衡相國二首 其一 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-202-68-#62  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2557
 
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登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#2>  古詩源 801 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2553


短歌行   曹操
#1
対酒当歌、人生幾何。
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。
譬如朝露、去日苦多。
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
慨当以慷、幽思難忘。
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
何以解憂、唯有杜康。
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
青青子衿、悠悠我心。
遥かに離れていく詩経に「青い襟の愛しい女(ひと)よ。」はるかになっていくわたしの思い。

#2
kagaribi00但為君故、沈吟至今。
ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。
呦呦鹿鳴、食野之苹。
ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。
我有嘉賓、鼓瑟吹笙。
わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 
明明如月、何時可採。
月のように、はっきりとしていても、いつ優れた人材を拾い取ることができようか。
憂従中來、不可断絶。
憂いは心の中から起こってくる。それを断ち切ることはできないのだ。

#3
越陌度阡、枉用相存。
契闊談讌、心念旧恩。
月明星稀、烏鵲南飛。
繞樹三匝、何枝可依。
山不厭高、海不厭深。
周公吐哺、天下帰心。


短歌行 
酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。
譬へば 朝露の如く,去日 苦【はなは】だ多し。
慨して 當に以って 慷すべきも,憂思 忘れ難し。
何を以ってか 憂ひを解かん,唯だ 杜康の有るのみ。
青青たる 子の衿,悠悠たる 我が心。

#2
但だ 君が為め 故,沈吟して  今に至る。
呦呦 として 鹿 鳴き,野の苹を  食ふ。
我に  嘉賓 有り,瑟を 鼓し  笙を 吹く。
明明たること月の如きも,何の時か 輟【と】る可けんや。
憂ひは 中從り來たり,斷絶す可【べ】からず。

#3
陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;
契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。
月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。
樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。
山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。
周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。


『短歌行』 現代語訳と訳註
 (本文)
#2
但為君故、沈吟至今。
呦呦鹿鳴、食野之苹。
我有嘉賓、鼓瑟吹笙。
明明如月、何時可採。
憂従中來、不可断絶。


(下し文) #2
但だ 君が為め 故,沈吟して  今に至る。
呦呦 として 鹿 鳴き,野の苹を  食ふ。
我に  嘉賓 有り,瑟を 鼓し  笙を 吹く。
明明たること月の如きも,何の時か 輟【と】る可けんや。
憂ひは 中從り來たり,斷絶す可【べ】からず。


(現代語訳)
ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。
ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。
わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 
月のように、はっきりとしていても、いつ優れた人材を拾い取ることができようか。
憂いは心の中から起こってくる。それを断ち切ることはできないのだ。


(訳注) #2
満月003但為君故、沈吟至今。
ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。


呦呦鹿鳴、食野之苹。
ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。
 ・呦呦:鹿の鳴き声。擬声語。『詩經』に出てくる。「小雅・鹿鳴」「呦呦鹿鳴,食野之苹。我有嘉賓,鼓瑟吹笙。吹笙鼓簧,承筐是將。人之好我,示我行周。」が一解となり、「呦呦鹿鳴,食野之蒿。…」「呦呦鹿鳴,食野之。…」として、「呦呦鹿鳴,食野之…」を繰り返して、使っている。「呦呦鹿鳴,食野之苹」に同じ。前記『詩經』では解が移るとともに「苹」(ヨモギ)、「蒿」(クサヨモギ)、「」(アシ)とシカの食べるものが変わっていく。蛇足だが『三國演義』では、「食野之苹」を「食野之萍」としているものの、「萍」はウキクサなので、少し苦しい。


我有嘉賓、鼓瑟吹笙。
わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 
・嘉賓:曹操が天下平定のために人材を広く集め、賢士を招いたことをに基づく。


明明如月、何時可採。
月のように、はっきりとしていても、いつ優れた人材を拾い取ることができようか。
・輟:やめる。とどめる。とどまる。中途でちょっととどまること。≒とする。 ・:とる。拾い取る。ここは、仮に「優れた人材」を拾い取る、としたが、前後の続き具合や、彼の歴史的存在から多様に読みとれる。


憂従中來、不可断絶。
憂いは心の中から起こってくる。それを断ち切ることはできないのだ。

《短歌行》 魏武帝  魏詩<86-#1> 古詩源 800 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2548

魏武帝 《 短歌行 》 酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 

2013年6月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《短歌行》 魏武帝  魏詩<86-#1> 古詩源 800 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2548
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃花源詩》 陶淵明(陶潜)  <#2>713 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2549
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集海棕行 楽府(七言歌行) 成都6-(20) 杜甫 <482-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2550 杜甫詩1000-482-#2-704/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性續嘉陵驛詩獻武相國 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-201-67-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2552
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



《短歌行》 魏武帝  魏詩<86-#1>  古詩源 800 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2548


三国時代(さんごくじだい)は中国の時代区分の一つ。狭義では後漢滅亡(220年)から、広義では黄巾の乱の蜂起(184年)から[要出典]、西晋による中国再統一(280年)までを指す。229年までに魏(初代皇帝:曹丕)、蜀(蜀漢)(初代皇帝:劉備)、呉(初代皇帝:孫権)が成立、中国国内に3人の皇帝が同時に立った。黄巾の乱(こうきんのらん、中国語:黃巾之亂)は、中国後漢末期の184年(中平1年)に太平道の教祖張角が起こした農民反乱。目印として黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いた事から、この名称がついた。また、小説『三国志演義』では反乱軍を黄巾“賊”と呼称している。「黄巾の乱」は後漢が衰退し三国時代に移る一つの契機となった。


建安文学 (けんあんぶんがく)  後漢末期、建安年間(196年 - 220年)、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。辞賦に代わり、楽府と呼ばれる歌謡を文学形式へと昇華させ、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出した。激情的で、反骨に富んだ力強い作風の物も多く、戦乱の悲劇から生じた不遇や悲哀、社会や民衆の混乱に対する想い、未来への不安等をより強く表現した作品が、数多く残されている。建安の三曹七子 1)孔融・2)陳琳・3)徐幹・4)王粲・5)応瑒・6)劉楨・8)阮瑀、建安の七子と曹操・曹丕・曹植の三曹を同列とし、建安の三曹七子と呼称する。   


短歌行   曹操
#1
対酒当歌  人生幾何
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。
譬如朝露  去日苦多
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
慨当以慷  幽思難忘
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
何以解憂  唯有杜康
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
青青子衿  悠悠我心

遥かに離れていく詩経に「青い襟の愛しい女(ひと)よ。」はるかになっていくわたしの思い。


#2
但為君故  沈吟至今
呦呦鹿鳴  食野之苹
我有嘉賓  鼓瑟吹笙
明明如月  何時可採
憂従中來  不可断絶

#3
越陌度阡  枉用相存
契闊談讌  心念旧恩
月明星稀  烏鵲南飛
繞樹三匝  何枝可依
山不厭高  海不厭深
周公吐哺  天下帰心


短歌行 
酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。
譬へば 朝露の如く,去日 苦【はなは】だ多し。
慨して 當に以って 慷すべきも,憂思 忘れ難し。
何を以ってか 憂ひを解かん,唯だ 杜康の有るのみ。
青青たる 子の衿,悠悠たる 我が心。

#2
但だ 君が為め 故,沈吟して  今に至る。
呦呦 として 鹿 鳴き,野の苹を  食ふ。
我に  嘉賓 有り,瑟を 鼓し  笙を 吹く。
明明たること月の如きも,何の時か 輟【と】る可けんや。
憂ひは 中從り來たり,斷絶す可【べ】からず。

#3
陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;
契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。
月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。
樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。
山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。
周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。


『短歌行』 現代語訳と訳註
(本文) 短歌行 
  曹操
#1
対酒当歌、人生幾何。
譬如朝露、去日苦多。
慨当以慷、幽思難忘。
何以解憂、唯有杜康。
青青子衿、悠悠我心。


DCF002102(下し文)
短歌行 
酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。
譬【たと】えば 朝露の如く,去日 苦【はなは】だ多し。
慨して 當に以って 慷すべきも,幽思 忘れ難し。
何を以ってか 憂ひを解かん,唯だ 杜康の有るのみ。
青青たる 子の衿,悠悠たる 我が心。


(現代語訳)
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
遥かに離れていく詩経に「青い襟の愛しい女(ひと)よ。」はるかになっていくわたしの思い。


(訳注)
短歌行
:古楽府「相和歌・平調曲」。
武帝(曹操)(155年 – 220)後漢末の武将、政治家、詩人、兵法家。後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作った。建安文学の担い手の一人であり、子の曹丕・曹植と合わせて「三曹」と称される。現存する彼の詩作品は多くないが、そこには民衆や兵士の困苦を憐れむ気持ちや、乱世平定への気概が感じられる。表現自体は簡潔なものが多いが、スケールが大きく大望を望んだ文体が特徴である。 
・短歌行 ・観蒼海 ・圡不同 ・亀雖寿 ・蒿里行 ・苦寒行 ・卻東西行 


対酒当歌、人生幾何。
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。


譬如朝露、去日苦多。
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
・去日:過ぎ去った日々。過去の日々。 
・苦:はなはだ。たいそう。副詞。


慨当以慷、幽思難忘。
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
・慨:いきどおる。 
・慷:なげく。いきどおりなげく。


何以解憂、唯有杜康。
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
杜康:初めて酒を造った人の名。転じて、酒。ここでは、酒の意。


青青子衿、悠悠我心。
遥かに離れていく詩経にあるように「青い襟の愛しい女(ひと)よ。・・・・」はるかになっていくわたしの思い。
『詩經』「國風・鄭風、子衿篇」男が女を慕う歌として、「青青子衿,悠悠我心。縱我不往,子寧不嗣音。  青青子佩,悠悠我思。縱我不往,子寧不來。」(青々としたあなた(恋人、また、学生)の襟、はるかになっていくわたしの思い。たとえ、わたしがいかなくとも、どうして…してくれないのか)とあり、それにもとずいている。
・子:あなた。
ここでは曹操は、人材を欲して、この言葉を使った。

《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#3>平原侯值瑒 799 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2543

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。


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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#3>平原侯值瑒 799 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2543


平原侯植
公子不及世事,但美遨遊,然頗有憂生之嗟。
公子曹植は俗世間のことに関心をもたず、ただ、遊びたのしむことを美しとし好んだ。しかし、いささか生を憂える歎きがある。
朝遊登鳳閣,日暮集華沼。
朝になるまで風閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。
傾柯引弱枝,攀條摘蕙草。
そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。
徙倚窮騁望,目極盡所討。
しずかにさまよいながら、遙か遠くを眺めると、見わたす限りすべてわが心を惹くのである。
#2
西顧太行山,北眺邯鄲道。
すなわち西のかたに大行のけわしい山を望み、北のかたに邯鄲への大道を見る。
平衢修且直,白楊信褭褭。
その平らな道は長く且つまっすぐにつらなりすすむ、白楊は風になびき、なよなよとしている。
副君命飲宴,歡娛寫懷抱。
やがて太子の命で酒盛りが催され、客は皆よろこんで興を尽くす。
良遊匪晝夜,豈雲晚與早。
かくて楽しい遊びは昼と夜、また夜おそくとか朝はやくとかの別なく催される。
#3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。
哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
哀しげな歌声は空の鵠をも下り舞わすほどであり、また余韻は清んだ天にまでもとどく。
中山不知醉,飲德方覺飽。
中山の名酒を十分のんでも猶お酔えないが、太子のめぐみに深く浴したことが身にしみて思われる。
願以黃發期,養生念將老。
この上願うところは、生を養い寿を保って、年老いて黄髪の期まで生きたいことである。

王屋山01平原侯【へいげんこう】植【ち】
公子は世事【せいじ】に及ばず,但だ遨遊【ごうゆう】を美みず,然れども頗しく憂生【ゆうせい】の嗟有り。

朝に遊びて登鳳閣にり,日暮れて華沼に集る。
柯を傾けて弱枝を引き,條を攀ぢて蕙草を摘む。
徙倚【しい】して騁望【ていぼう】を窮め,目極りて討ぬる所をく盡す。
#2
西のかた太行の山を顧み,北のかた邯鄲【かんたん】の道を眺む。
平衢【へいく】は修とし且つ直とす,白楊は信に褭褭【じょうじょう】たり。
副君は飲宴【いんえん】を命じ,歡娛【かんご】して懷抱【かいほう】を寫【つ】くす。
良遊は晝夜に匪ず,豈に雲【い】わんや晚と早とに。
#3
眾賓は悉【ことごと】く精妙にして,清辭もて蘭藻を灑ぐ。
哀音は回鵠を下し,餘哇【よあ】は清昊【せいこう】に徹す。
中山にも醉を知らず,德を飲んで方に飽くを覺ゆ。
願はくは黃發の期を以って,生を養いて將に老んと念う。


『平原侯植』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
中山不知醉,飲德方覺飽。
願以黃發期,養生念將老。


(下し文) #3
眾賓は悉【ことごと】く精妙にして,清辭もて蘭藻を灑ぐ。
哀音は回鵠を下し,餘哇【よあ】は清昊【せいこう】に徹す。
中山にも醉を知らず,德を飲んで方に飽くを覺ゆ。
願はくは黃發の期を以って,生を養いて將に老んと念う。


(現代語訳)
衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。
哀しげな歌声は空の鵠をも下り舞わすほどであり、また余韻は清んだ天にまでもとどく。
中山の名酒を十分のんでも猶お酔えないが、太子のめぐみに深く浴したことが身にしみて思われる。
この上願うところは、生を養い寿を保って、年老いて黄髪の期まで生きたいことである。


(訳注) #3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。
・灑 水をまき注ぐ。ここは蘭藻の如き清辞を吐くこと。


哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
哀しげな歌声は空の鵠をも下り舞わすほどであり、また余韻は清んだ天にまでもとどく。
・下廻鵠 鵠(白鳥)下り舞わす。韓子に「師曂が清徴を奏するに、玄鵠二八ありて廊門に集る」という、それにたとえた。
・餘哇 「哇」は、吐く。また、捏声。ここは、歌ごえ。韻の意か。列子に「辞談は謳を秦青に学び、辞して帰る。青は郊衝に餞し、節を撫して悲歌す、声は林木を震(H)かし、撃は行雲を過む」というものにたとえた。
・徹 通る。いたる。


中山不知醉,飲德方覺飽。
中山の名酒を十分のんでも猶お酔えないが、太子のめぐみに深く浴したことが身にしみて思われる。
・中山 そこには美酒を産する。ここは銘酒にたとえたこととなる。なお漢書の「中山王なる勝」のことを用いたということでもある。すなわち、「建元三年、中山王勝ら来朝す。天子置酒す、勝は発声を聞いて泣く。其の故を問ふに、勝は対へて日く、臣は聞けり、悲しめる者には素欷を為すべからず、思ふ者には歎息を為すべからず(歓款の声を聞けば、悲思ますます甚しくなるをいふ)、故に高漸離の筑を易水の上【ほとり】に撃つや、荊軻は之がために(首を)低(た)れて、復た食ふこと能はず。今、臣は心結ばれて日久し。幼抄の芦を聞く毎に涕泣の横集するを知らざるなり」という。この故事によるとすれば、曹椿は、心に憂生の念があるので、太子の恵みには十分感ずるが、酒には酔えぬ、というのであろう。
・飲德方覺飽 詩経、大雅、既酔篇に「既に酔ふに酒を以てし、既に飽くに徳を以てす。君子万年、爾の景福を介にせん」という。酒に酔い、また恵みをうけて飽き足ること。君子も爾も、王をさす。


願以黃發期,養生念將老。
この上願うところは、生を養い寿を保って、年老いて黄髪の期まで生きたいことである。
・黄髪期 年老いて髪が黄いろになるとき。

《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#2>平原侯值瑒 798 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2538


謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》 すなわち西のかたに大行のけわしい山を望み、北のかたに邯鄲への大道を見る。その平らな道は長く且つまっすぐにつらなりすすむ、白楊は風になびき、なよなよとしている。


2013年6月17日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#2>平原侯值瑒 798 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2538
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#4>711 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2539
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集又觀打魚 楽府(七言歌行) 成都6-(18) 杜甫 <481-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2540 杜甫詩1000-481-#2-702/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性酬祝十三秀才 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-199-65-#59  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2542
 
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#2>平原侯值瑒 798 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2538



平原侯植
公子不及世事,但美遨遊,然頗有憂生之嗟。
公子曹植は俗世間のことに関心をもたず、ただ、遊びたのしむことを美しとし好んだ。しかし、いささか生を憂える歎きがある。
朝遊登鳳閣,日暮集華沼。
朝になるまで風閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。
傾柯引弱枝,攀條摘蕙草。
そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。
徙倚窮騁望,目極盡所討。
しずかにさまよいながら、遙か遠くを眺めると、見わたす限りすべてわが心を惹くのである。
#2
西顧太行山,北眺邯鄲道。
すなわち西のかたに大行のけわしい山を望み、北のかたに邯鄲への大道を見る。
平衢修且直,白楊信褭褭。
その平らな道は長く且つまっすぐにつらなりすすむ、白楊は風になびき、なよなよとしている。
副君命飲宴,歡娛寫懷抱。
やがて太子の命で酒盛りが催され、客は皆よろこんで興を尽くす。
良遊匪晝夜,豈雲晚與早。
かくて楽しい遊びは昼と夜、また夜おそくとか朝はやくとかの別なく催される。
泰山の夕日02#3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
中山不知醉,飲德方覺飽。
願以黃發期,養生念將老。

平原侯【へいげんこう】植【ち】
公子は世事【せいじ】に及ばず,但だ遨遊【ごうゆう】を美みず,然れども頗しく憂生【ゆうせい】の嗟有り。

朝に遊びて登鳳閣にり,日暮れて華沼に集る。
柯を傾けて弱枝を引き,條を攀ぢて蕙草を摘む。
徙倚【しい】して騁望【ていぼう】を窮め,目極りて討ぬる所をく盡す。
#2
西のかた太行の山を顧み,北のかた邯鄲【かんたん】の道を眺む。
平衢【へいく】は修とし且つ直とす,白楊は信に褭褭【じょうじょう】たり。
副君は飲宴【いんえん】を命じ,歡娛【かんご】して懷抱【かいほう】を寫【つ】くす。
良遊は晝夜に匪ず,豈に雲【い】わんや晚と早とに。
#3
眾賓は悉【ことごと】く精妙にして,清辭もて蘭藻を灑ぐ。
哀音は回鵠を下し,餘哇【よあ】は清昊【せいこう】に徹す。
中山にも醉を知らず,德を飲んで方に飽くを覺ゆ。
願はくは黃發の期を以って,生を養いて將に老んと念う。


『平原侯植』現代語訳と訳註
白楊02(本文)
#2
西顧太行山,北眺邯鄲道。
平衢修且直,白楊信褭褭。
副君命飲宴,歡娛寫懷抱。
良遊匪晝夜,豈雲晚與早。


(下し文) #2
西のかた太行の山を顧み,北のかた邯鄲【かんたん】の道を眺む。
平衢【へいく】は修とし且つ直とす,白楊は信に褭褭【じょうじょう】たり。
副君は飲宴【いんえん】を命じ,歡娛【かんご】して懷抱【かいほう】を寫【つ】くす。
良遊は晝夜に匪ず,豈に雲【い】わんや晚と早とに。


(現代語訳)
すなわち西のかたに大行のけわしい山を望み、北のかたに邯鄲への大道を見る。
その平らな道は長く且つまっすぐにつらなりすすむ、白楊は風になびき、なよなよとしている。
やがて太子の命で酒盛りが催され、客は皆よろこんで興を尽くす。
かくて楽しい遊びは昼と夜、また夜おそくとか朝はやくとかの別なく催される。


(訳注) #2
西顧太行山,北眺邯鄲道。
すなわち西のかたに大行のけわしい山を望み、北のかたに邯鄲への大道を見る。
・大行山 河内の野王県にある、けわしい山。古の詩には、人生行路の穀難にたとえて、しばしば、引かれる。   魏 武帝『苦寒行』「北上太行山,艱哉何巍巍! 羊腸阪詰屈,車輪為之摧。・・・・」(北のかた太行山に上れば 艱き哉 何ぞ巍巍たる。羊腸の坂 詰屈し 車輪 之れが為に摧く)
・邯鄲道 史記、張釈之伝に「文帝は、寵妾なる供夫人に、㶚陵の北頭から、見おろす新豊街道を指ざし示し、『あれが、汝の故郷の邯鄲に赴く道ぞ』といい、夫人に瑟をひかせ、自らは、その曲にあわせて歌い、惨棲悲懐した」ことをいう。


平衢修且直,白楊信褭褭。
その平らな道は長く且つまっすぐにつらなりすすむ、白楊は風になびき、なよなよとしている。
・白楊 1 ヤマナラシの別名。 2 ドロノキの別名。
・衢 四方八方に通ずる道。
・褭褭 なよやかな形容。


副君命飲宴,歡娛寫懷抱。
やがて太子の命で酒盛りが催され、客は皆よろこんで興を尽くす。
・副君 漢書に「疏広の白く、太子は国の儲副の君なり」。天子の副。もうけの君。
・写寫 のべ洩らす。尽くす。
・懷抱 思い。考え。


良遊匪晝夜,豈雲晚與早。
かくて楽しい遊びは昼と夜、また夜おそくとか朝はやくとかの別なく催される。

《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#1>平原侯值瑒 797 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2533

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》 朝になるまで風閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。

2013年6月16日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#1>平原侯值瑒 797 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2533
108  平原侯植


平原侯植
公子不及世事,但美遨遊,然頗有憂生之嗟。
公子曹植は俗世間のことに関心をもたず、ただ、遊びたのしむことを美しとし好んだ。しかし、いささか生を憂える歎きがある。

朝遊登鳳閣,日暮集華沼。
朝になるまで風閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。
傾柯引弱枝,攀條摘蕙草。
そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。
徙倚窮騁望,目極盡所討。

しずかにさまよいながら、遙か遠くを眺めると、見わたす限りすべてわが心を惹くのである。
折楊柳0002#2
西顧太行山,北眺邯鄲道。
平衢修且直,白楊信褭褭。
副君命飲宴,歡娛寫懷抱。
良遊匪晝夜,豈雲晚與早。
#3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
中山不知醉,飲德方覺飽。
願以黃發期,養生念將老。

平原侯【へいげんこう】植【ち】
公子は世事【せいじ】に及ばず,但だ遨遊【ごうゆう】を美みず,然れども頗しく憂生【ゆうせい】の嗟有り。

朝に遊びて登鳳閣にり,日暮れて華沼に集る。
柯を傾けて弱枝を引き,條を攀ぢて蕙草を摘む。
徙倚【しい】して騁望【ていぼう】を窮め,目極りて討ぬる所をく盡す。

#2
西のかた太行の山を顧み,北のかた邯鄲【かんたん】の道を眺む。
平衢【へいく】は修とし且つ直とす,白楊は信に褭褭【じょうじょう】たり。
副君は飲宴【いんえん】を命じ,歡娛【かんご】して懷抱【かいほう】を寫【つ】くす。
良遊は晝夜に匪ず,豈に雲【い】わんや晚と早とに。
#3
DCF002102眾賓は悉【ことごと】く精妙にして,清辭もて蘭藻を灑ぐ。
哀音は回鵠を下し,餘哇【よあ】は清昊【せいこう】に徹す。
中山にも醉を知らず,德を飲んで方に飽くを覺ゆ。
願はくは黃發の期を以って,生を養いて將に老んと念う。


『平原侯植』 現代語訳と訳註
(本文)

公子不及世事,但美遨遊,然頗有憂生之嗟。

朝遊登鳳閣,日暮集華沼。
傾柯引弱枝,攀條摘蕙草。
徙倚窮騁望,目極盡所討。


(下し文)
平原侯【へいげんこう】植【ち】
公子は世事【せいじ】に及ばず,但だ遨遊【ごうゆう】を美みず,然れども頗しく憂生【ゆうせい】の嗟有り。

朝に遊びて登鳳閣にり,日暮れて華沼に集る。
柯を傾けて弱枝を引き,條を攀ぢて蕙草を摘む。
徙倚【しい】して騁望【ていぼう】を窮め,目極りて討ぬる所をく盡す。


(現代語訳)
公子曹植は俗世間のことに関心をもたず、ただ、遊びたのしむことを美しとし好んだ。しかし、いささか生を憂える歎きがある。
朝になるまで風閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。
そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。
しずかにさまよいながら、遙か遠くを眺めると、見わたす限りすべてわが心を惹くのである。


(訳注)
平原侯植
公子不及世事,但美遨遊,然頗有憂生之嗟。
公子曹植は俗世間のことに関心をもたず、ただ、遊びたのしむことを美しとし好んだ。しかし、いささか生を憂える歎きがある。

朝遊登鳳閣,日暮集華沼。
朝になるまで鳳閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。
・鳳閣・華沼 「鳳」も「華」も美称。「登鳳閣」を、役づとめ、と見ないで遊びとしている。


傾柯引弱枝,攀條摘蕙草。
そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。
・弱枝 柳のわかい枝。


徙倚窮騁望,目極盡所討。
しずかにさまよいながら、遙か遠くを眺めると、見わたす限りすべてわが心を惹くのである。
・窮騁望 目のとどく限り、目をはなって遠くを望む。
・討 たずねること。

《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#3> 應瑒 796 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2528

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》今また河曲の遊びに従うに、従者は笛を吹いて路を開き、黄河のほとり蘭の生ずる水辺に舟をうかべる。あるいは郤克の故事のように拙い身を以て朱塗りの階段をのぼり、衆賢とならび坐して宴席につらなり太子に侍したのである。


2013年6月15日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#3> 應瑒 796 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2528
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#2>709 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2529
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Ⅲ杜甫詩1000詩集觀打魚歌 楽府(七言歌行) 成都6-(16) 杜甫 <480-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2530 杜甫詩1000-480-#2-700/1500
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#3>  應瑒 796 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2528

詩人李白5x5阮瑀(?~212)
  字は元瑜。陳留郡尉氏の人。蔡邕に師事して、学問を修めた。曹洪が書記として任用しようとしたが従わず、笞打たれた。建安初年、曹操によって司空軍謀祭酒・記室に任ぜられた。陳琳とともに章表書記にすぐれ、檄文の起草にあたった。倉曹掾属に上った。若くして没して、曹丕に惜しまれた。建安七子のひとり。『阮元瑜集』。


建安の七子の一人である阮瑀(未詳~212)、字は阮喩について、すでに曹丕は「呉質に与うる書」で「元喩書記翩翩を致して楽を足す」といい、「典論」の「論文」で「琳・瑀の章表書記今の雋なり」と、評しているが、謝霊運もその小序で、


107
擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 阮瑀について。)
管書記之任,有優渥之言。
阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。
#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。
金羈相馳逐,聯翩何窮已。
金に輝くオモガイをつけた立派な馬がたがいに、戦闘をはげしくした、群雄は馬を馳せて追い合い、それがつづいて止むことがなかった。
慶雲惠優渥,微薄攀多士。
この時喜ばしくめでたい雲のごとく湧き上がる勢力になった曹操公は厚いめぐみを垂れられたのだ、才能うすき私自身も衆賢の後につづいて共にめぐみをうけることになった。
念昔渤海時,南皮戲清沚。
思い浮かべることは、それより前の事、太子に従い渤海郡の南皮にあったとき、水清き渚に遊びたわむれたりしたことからはじまったのだ。
#3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。
今また河曲の遊びに従うに、従者は笛を吹いて路を開き、黄河のほとり蘭の生ずる水辺に舟をうかべる。
躧步陵丹梯,並坐侍君子。
あるいは郤克の故事のように拙い身を以て朱塗りの階段をのぼり、衆賢とならび坐して宴席につらなり太子に侍したのである。
妍談既愉心,哀弄信睦耳。
かくて談論の美しき言葉は人びとの心を楽しましてくれ、音楽の哀調は心ゆくばかり耳をやわらげよろこばしてくれたのだ。
傾酤系芳醑,酌言豈終始。
貴重な香のたかい美酒をのんだあとで、買ってきた酒をもかたむけ、酒くみかわしていつまでも終ることがない良好な主従関係にあった。
自從食蓱來,唯見今日美。
これまでも宴で酒肴にあずかり侍してきたが、ただ今日のようにりつばな宴席は始めてである。


(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「阮瑀」)
書記の任を管【つかさど】る,故に優渥【ゆうあく】の言有り。

#2
河洲には沙塵【さじん】多く,風悲しみて黃雲起る。
金羈は相い馳逐【ちちく】し,聯翩【れんぺん】何んぞ窮り已まん。
慶雲は優渥【ゆうあく】を惠み,微薄は多士を攀づ。
念う 昔 渤海の時,南皮にて清沚【せいし】に戲れしを。

#3
今複た河曲に遊び,葭を鳴らして蘭汜【らんし】に泛ぶ。
躧步【しほ】して丹梯【たんてい】を陵ぎ,並び坐して君子に侍す。
妍談【けんだん】は既に心を愉しましめ,哀弄【あいろう】は信【まこと】に耳を睦【やわら】ぐ。
酤【こ】を傾けて芳醑【ほうしょ】を系ぎ,酌言は豈に終始あらんや。
蓱【へい】を食いしより來【このかた】,唯だ今日の美を見る。


『擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀』 現代語訳と訳註
 (本文)
#3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。
躧步陵丹梯,並坐侍君子。
妍談既愉心,哀弄信睦耳。
傾酤系芳醑,酌言豈終始。
自從食蓱來,唯見今日美。


(下し文) #3
今複た河曲に遊び,葭を鳴らして蘭汜【らんし】に泛ぶ。
躧步【しほ】して丹梯【たんてい】を陵ぎ,並び坐して君子に侍す。
妍談【けんだん】は既に心を愉しましめ,哀弄【あいろう】は信【まこと】に耳を睦【やわら】ぐ。
酤【こ】を傾けて芳醑【ほうしょ】を系ぎ,酌言は豈に終始あらんや。
蓱【へい】を食いしより來【このかた】,唯だ今日の美を見る。


(現代語訳)
今また河曲の遊びに従うに、従者は笛を吹いて路を開き、黄河のほとり蘭の生ずる水辺に舟をうかべる。
あるいは郤克の故事のように拙い身を以て朱塗りの階段をのぼり、衆賢とならび坐して宴席につらなり太子に侍したのである。
かくて談論の美しき言葉は人びとの心を楽しましてくれ、音楽の哀調は心ゆくばかり耳をやわらげよろこばしてくれたのだ。
貴重な香のたかい美酒をのんだあとで、買ってきた酒をもかたむけ、酒くみかわしていつまでも終ることがない良好な主従関係にあった。
これまでも宴で酒肴にあずかり侍してきたが、ただ今日のようにりつばな宴席は始めてである。


(訳注) #3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。

今また河曲の遊びに従うに、従者は笛を吹いて路を開き、黄河のほとり蘭の生ずる水辺に舟をうかべる。
〇河曲 黄河のほとり。曲は蛇行する川の隈になったところを云う。淵で舟遊びを愉しめるところ。曹丕の「呉質に与ふる書」にも、「時に駕して遊び、北のかた河曲に遵ふ。従者は茄を鳴らして以て路を啓き、文学は後事に託粟す」という。


躧步陵丹梯,並坐侍君子。
あるいは郤克の故事のように拙い身を以て朱塗りの階段をのぼり、衆賢とならび坐して宴席につらなり太子に侍したのである。
〇躧步陵丹梯 春秋時代の晋の政治家、将軍。紀元前592年の春に郤克は、斉に断道(山西省)で行われる諸侯会議への参加を求めるために外交の使者として赴いたが、斉(頃公)とその母の蕭同叔子に自分の怪異な風貌を笑われるという大恥辱を受けてしまう。
謝霊運の「永初三年七月十六日之郡初発」(永初三年七月十六日、都に之かんとして、初めて郡を発す」(翌にも見えた。ここでは、不具者の如く拙いわが身、の意。山水詩人、謝霊運 永初三年七月十六日之郡初発都 詩集 370

妍談既愉心,哀弄信睦耳。
かくて談論の美しき言葉は人びとの心を楽しましてくれ、音楽の哀調は心ゆくばかり耳をやわらげよろこばしてくれたのだ。
〇哀弄 「弄」は、小曲、音楽のしらべ。


傾酤系芳醑,酌言豈終始。
貴重な香のたかい美酒をのんだあとで、買ってきた酒をもかたむけ、酒くみかわしていつまでも終ることがない良好な主従関係にあった。
〇酤 一夜づくりの酒。販売するための酒。
〇芳醑 貴重な香のたかい美酒。
〇酌言 詩経、小雅、瓠葉篇に「幡幡瓠葉、采之亨之。 君子有酒、酌言嘗之。」(幡幡たる瓠葉、之を采り之を亨る。 君子酒あり。酌みて言【ここ】に之を嘗む。。」主従関係のよいことをあらわす語句である。


自從食蓱來,唯見今日美。
これまでも宴で酒肴にあずかり侍してきたが、ただ今日のようにりつばな宴席は始めてである。
〇食蓱 詩経、小雅、鹿鳴篇に「呦呦鹿鳴、食野之苹。我有嘉賓、鼓瑟吹笙。 吹笙鼓簧、承筐是將。人之好我、示我周行。」呦呦として鹿鳴き、野の苹を食(は)む。我に嘉賓あり、瑟を鼓し笠を吹く」と見え、その詩の序には、群臣嘉賓を燕するものという。「苹」は大萍、よもぎの類いで、陸生と水生がある。
〇今日美 このころの宴游は、昼は外で、夜は内で、ひきつづいておこなうことが多い。昼に、河曲の遊びをして、夜は室内或はそれに準じた場所。日々初めてということは毎日経験していない宴席であったということである。
花蕊夫人002

《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#2> 劉楨 795 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2523

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《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#2>  劉楨 795 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2523


阮瑀(?~212)
  字は元瑜。陳留郡尉氏の人。蔡邕に師事して、学問を修めた。曹洪が書記として任用しようとしたが従わず、笞打たれた。建安初年、曹操によって司空軍謀祭酒・記室に任ぜられた。陳琳とともに章表書記にすぐれ、檄文の起草にあたった。倉曹掾属に上った。若くして没して、曹丕に惜しまれた。建安七子のひとり。『阮元瑜集』。


建安の七子の一人である阮瑀(未詳~212)、字は阮喩について、すでに曹丕は「呉質に与うる書」で「元喩書記翩翩を致して楽を足す」といい、「典論」の「論文」で「琳・瑀の章表書記今の雋なり」と、評しているが、謝霊運もその小序で、

泰山の夕日02












107
擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 阮瑀について。)
管書記之任,有優渥之言。
阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。
#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。
金羈相馳逐,聯翩何窮已。
金に輝くオモガイをつけた立派な馬がたがいに、戦闘をはげしくした、群雄は馬を馳せて追い合い、それがつづいて止むことがなかった。
慶雲惠優渥,微薄攀多士。
この時喜ばしくめでたい雲のごとく湧き上がる勢力になった曹操公は厚いめぐみを垂れられたのだ、才能うすき私自身も衆賢の後につづいて共にめぐみをうけることになった。
念昔渤海時,南皮戲清沚。
思い浮かべることは、それより前の事、太子に従い渤海郡の南皮にあったとき、水清き渚に遊びたわむれたりしたことからはじまったのだ。
王屋山01#3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。
躧步陵丹梯,並坐侍君子。
妍談既愉心,哀弄信睦耳。
傾酤系芳醑,酌言豈終始。
自從食蓱來,唯見今日美。


(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「阮瑀」)
書記の任を管【つかさど】る,故に優渥【ゆうあく】の言有り。

#2
河洲には沙塵【さじん】多く,風悲しみて黃雲起る。
金羈は相い馳逐【ちちく】し,聯翩【れんぺん】何んぞ窮り已まん。
慶雲は優渥【ゆうあく】を惠み,微薄は多士を攀づ。
念う 昔 渤海の時,南皮にて清沚【せいし】に戲れしを。

#3
今複た河曲に遊び,葭を鳴らして蘭汜【らんし】に泛ぶ。
躧步【しほ】して丹梯【たんてい】を陵ぎ,並び坐して君子に侍す。
妍談【けんだん】は既に心を愉しましめ,哀弄【あいろう】は信【まこと】に耳を睦【やわら】ぐ。
酤【こ】を傾けて芳醑【ほうしょ】を系ぎ,酌言は豈に終始あらんや。
蓱【へい】を食いしより來【このかた】,唯だ今日の美を見る。



『擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
金羈相馳逐,聯翩何窮已。
慶雲惠優渥,微薄攀多士。
念昔渤海時,南皮戲清沚。


(下し文)#2
河洲には沙塵【さじん】多く,風悲しみて黃雲起る。
金羈は相い馳逐【ちちく】し,聯翩【れんぺん】何んぞ窮り已まん。
慶雲は優渥【ゆうあく】を惠み,微薄は多士を攀づ。
念う 昔 渤海の時,南皮にて清沚【せいし】に戲れしを。


(現代語訳)
黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。
金に輝くオモガイをつけた立派な馬がたがいに、戦闘をはげしくした、群雄は馬を馳せて追い合い、それがつづいて止むことがなかった。
この時喜ばしくめでたい雲のごとく湧き上がる勢力になった曹操公は厚いめぐみを垂れられたのだ、才能うすき私自身も衆賢の後につづいて共にめぐみをうけることになった。
思い浮かべることは、それより前の事、太子に従い渤海郡の南皮にあったとき、水清き渚に遊びたわむれたりしたことからはじまったのだ。


(訳注)#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。
〇河洲の句 黄河のほとり、沙吹雪のようすを云う。袁紹と黄河を対峙してのようすが浮かんでくる。大軍移動での砂塵が舞う。謝靈運『緩歌行』「飛客結靈友,凌空萃丹丘,習習和風起,采采彤雲浮,娥皇發湘浦,霄明出河洲,宛宛連螭轡,裔裔振龍旒。」
〇風悲の句 秋の足の長い風を云う。「風悲とは、風急にして悲しきこと。黄雲とは、黄河流域の挨塵の色の黄なるものが雲のように湧き上がることを云う。といい、淮南子には「黄泉の浜は上りて黄雲となる」とある。


金羈相馳逐,聯翩何窮已。
金に輝くオモガイをつけた立派な馬がたがいに、戦闘をはげしくした、群雄は馬を馳せて追い合い、それがつづいて止むことがなかった。
〇金羈 帝は、馬のおもがい。それを一部の金を使い輝いている、りつぱな飾りつきのものであるため「金」字を加えた。


慶雲惠優渥,微薄攀多士。
この時喜ばしくめでたい雲のごとく湧き上がる勢力になった曹操公は厚いめぐみを垂れられたのだ、才能うすき私自身も衆賢の後につづいて共にめぐみをうけることになった。
〇攀多士 多士にすがりつく。謙遜語で多くの兵と同様にたよりにされた、あるいは恵みを受けたという意味。


念昔渤海時,南皮戲清沚。
思い浮かべることは、それより前の事、太子に従い渤海郡の南皮にあったとき、水清き渚に遊びたわむれたりしたことからはじまったのだ。
〇南皮 曹盃の「異質に与ふる書」にも、「昔日の南皮の道を念ふ毎に、誠に忘るべからず」という。

《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#1> 劉楨 794 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2518

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 蔡邕に師事して、学問を修めた。曹洪が書記として任用しようとしたが従わず、笞打たれた。建安初年、曹操によって司空軍謀祭酒・記室に任ぜられた。陳琳とともに章表書記にすぐれ、檄文の起草にあたった。


 

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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩酬藍田崔丞立之詠雪見寄 韓愈(韓退之) <144-#2>Ⅱ中唐詩708 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2524
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#1>  劉楨 794 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2518


建安文学の文学者 
有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。"   

阮瑀(?~212)
  字は元瑜。陳留郡尉氏の人。蔡邕に師事して、学問を修めた。曹洪が書記として任用しようとしたが従わず、笞打たれた。建安初年、曹操によって司空軍謀祭酒・記室に任ぜられた。陳琳とともに章表書記にすぐれ、檄文の起草にあたった。倉曹掾属に上った。若くして没して、曹丕に惜しまれた。建安七子のひとり。『阮元瑜集』。

終南山03

建安の七子の一人である阮瑀(未詳~212)、字は阮喩について、すでに曹丕は「呉質に与うる書」で「元喩書記翩翩を致して楽を足す」といい、「典論」の「論文」で「琳・瑀の章表書記今の雋なり」と、評しているが、謝霊運もその小序で、


107

擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 阮瑀について。)
管書記之任,有優渥之言。

阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。
#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
金羈相馳逐,聯翩何窮已。
慶雲惠優渥,微薄攀多士。
念昔渤海時,南皮戲清沚。
#3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。
躧步陵丹梯,並坐侍君子。
妍談既愉心,哀弄信睦耳。
傾酤系芳醑,酌言豈終始。
自從食蓱來,唯見今日美。


(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「阮瑀」)
 
書記の任を管【つかさど】る,故に優渥【ゆうあく】の言有り。

#2
河洲には沙塵【さじん】多く,風悲しみて黃雲起る。
金羈は相い馳逐【ちちく】し,聯翩【れんぺん】何んぞ窮り已まん。
慶雲は優渥【ゆうあく】を惠み,微薄は多士を攀づ。
念う 昔 渤海の時,南皮にて清沚【せいし】に戲れしを。
#3
今複た河曲に遊び,葭を鳴らして蘭汜【らんし】に泛ぶ。
躧步【しほ】して丹梯【たんてい】を陵ぎ,並び坐して君子に侍す。
妍談【けんだん】は既に心を愉しましめ,哀弄【あいろう】は信【まこと】に耳を睦【やわら】ぐ。
酤【こ】を傾けて芳醑【ほうしょ】を系ぎ,酌言は豈に終始あらんや。
蓱【へい】を食いしより來【このかた】,唯だ今日の美を見る。



『擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀』 現代語訳と訳註
紅梅002(本文)
管書記之任,有優渥之言。


(下し文)
書記の任を管【つかさど】る,故に優渥【ゆうあく】の言有り。


(現代語訳)
阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。


(訳注)
阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。



擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀

(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 阮瑀について。)


管書記之任,有優渥之言。

4岳陽樓詩人003
建安文学 (けんあんぶんがく)  後漢末期、建安年間(196年 - 220年)、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。辞賦に代わり、楽府と呼ばれる歌謡を文学形式へと昇華させ、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出した。激情的で、反骨に富んだ力強い作風の物も多く、戦乱の悲劇から生じた不遇や悲哀、社会や民衆の混乱に対する想い、未来への不安等をより強く表現した作品が、数多く残されている。建安の三曹七子 1)孔融・2)陳琳・3)徐幹・4)王粲・5)応瑒・6)劉楨・8)阮瑀、建安の七子と曹操・曹丕・曹植の三曹を同列とし、建安の三曹七子と呼称する。   

 
1)孔 融 (こう ゆう) 153年 - 208年   後漢末期の人。字は文挙。孔子20世の孫に当たる。出身地も遠祖の孔子と同じく青州魯国の曲阜県である。父は孔宙、兄は孔襃。子の名は不詳。 


2)陳 琳(ちん りん)  ? - 217年  後漢末期の文官。建安七子の1人。字は孔璋。広陵郡洪邑の出身。はじめ大将軍の何進に仕え、主簿を務めた。何進が宦官誅滅を図って諸国の豪雄に上洛を促したとき、これに猛反対している。何進の死後は冀州に難を避け、袁紹の幕僚となる。官渡の戦いの際、袁紹が全国に飛ばした曹操打倒の檄文を書いた。 飲馬長城窟行    易公孫瓚與子書


3)王 粲(おう さん) 177年 - 217年 、)は、中国、後漢末の文学者・学者・政治家。字は仲宣。王龔の曾孫、王暢の孫、王謙の子。王凱の従兄弟。子に男子二名。山陽郡高平県(現山東省)の人。曽祖父の王龔、祖父の王暢は漢王朝において三公を務めた。文人として名を残し、建安の七子の一人に数えられる。 登樓賦   公讌詩   詠史詩   七哀詩三首   從軍詩五首


4)徐幹 (とかん)  ? - 217年  
北海郡劇県の出身。字は偉長。零落した旧家の出で、高い品行と美麗典雅な文章で知られた。建安年間に曹操に仕え、司空軍謀祭酒掾属・五官将文学に進んだ。隠士的人格者で、文質兼備であると曹丕から絶賛された。『詩品』では下品に分類される。 


5)応瑒 (おうとう) ?~217   字は徳璉。汝南郡南頓の人。応珣の子。応劭の甥。学者の家の出で、曹操に召し出され、丞相掾属に任ぜられた。平原侯(曹植)の庶子を経て、五官将文学に上った。建安七子のひとり。 


6)劉 楨 (りゅう てい) ? - 217年
後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)[1]。
曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。


劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)[1]。
曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。
劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。" 贈従弟三首


7)阮瑀 (げんう) ?~212  陳留尉氏の出身。字は元瑜。蔡邕に就いて学問を修め、曹洪の招聘を拒否して鞭打たれたこともあったが、建安初年に曹操の司空軍謀祭酒・記室となった。章表書記において陳琳と双璧と謳われたが若くして病死し、殊に曹丕に惜しまれたという。『詩品』では下品に位する。 
王琰(おうえん) 177~217 後漢から魏(ぎ)にかけての文人。高平(山東省)の人。字(あざな)は仲宣。博覧多識で知られる。詩賦に長じ、建安七子の一人。「従軍詩」「七哀詩」「登楼賦」など。  「従軍詩」「七哀詩」「登楼賦」

《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#3> 劉楨 793 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2513

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 列をなして坐するとまるで屋根を支える屋根裏の花の垂木のようにならんだのだ。そして金の大盃には清酒が満ちほどに注がれた。


2013年6月12日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#3>  劉楨 793 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2513


106  應瑒
應瑒【おうとう】(未詳―217)、字は徳漣について、早く、曹丕は「呉質に与うる書」で、「徳漣は常に斐然として述作の意あり。其の才学は以って書を著わすに足れり。美志遂げず。良に痛惜すべし」といい、「典論」の「論文」で、「應瑒は和にして壮ならず」と評しているが、謝霊運はその小序で、「汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。」汝水と頴水との付近の士なり。世の乱れに流離し、頗る浅薄の欺き有り。と、彼の作風について曹丕と同じように評している。

moon2011






擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
顧我梁川時,緩步集潁許。
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
<応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。>
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。
#2
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
天下昔未定,托身早得所。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
晚節值眾賢,會同庇天宇。
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。
#3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
始奏延露曲,繼以闌夕語。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
傾軀無遺慮,在心良已敘。
列をなして坐するとまるで屋根を支える屋根裏の花の垂木のようにならんだのだ。そして金の大盃には清酒が満ちほどに注がれた。
宴は延露の曲を合奏することから始まり、それにつづいての談論は夜おそくまで夜を徹して行われた。
また、からかい笑いがあり、嘲り戯れがあったり、そして即答の応酬があり、気まりわるがって止めることなどないのである。
かくて、この身も心も太子に傾けまかせることとし、心にあることはすべて叙べたのである。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「應瑒」)
<汝潁【じょえい】の士なり,世故に流離し,頗【すこ】しく飄薄【ひょうはく】の歎有り。> 

嗷嗷【ごうごう】たる雲中の鴈,翮【つばさ】を舉げて委羽よりす。
涼を弱水の湄【ほとり】に求め,寒を長沙の渚に違く。
顧うに我 梁川の時,緩步して潁許に集る。
#2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。
#3
坐を列ねて華榱【かすい】に蔭れ,金樽には清醑【せいしょ】を盈たす。
始むるに延露の曲を奏し,繼ぐに闌夕【らんせき】の語を以ってす。
調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。
軀を傾けて慮を遺すこと無く,心に在りて良に已に敘【の】ぶ。


『擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒』 現代語訳と訳註
鷹将(本文) #3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
始奏延露曲,繼以闌夕語。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
傾軀無遺慮,在心良已敘。


(下し文)
#3
坐を列ねて華榱【かすい】に蔭れ,金樽には清醑【せいしょ】を盈たす。
始むるに延露の曲を奏し,繼ぐに闌夕【らんせき】の語を以ってす。
調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。
軀を傾けて慮を遺すこと無く,心に在りて良に已に敘【の】ぶ。


(現代語訳)
列をなして坐するとまるで屋根を支える屋根裏の花の垂木のようにならんだのだ。そして金の大盃には清酒が満ちほどに注がれた。
宴は延露の曲を合奏することから始まり、それにつづいての談論は夜おそくまで夜を徹して行われた。
また、からかい笑いがあり、嘲り戯れがあったり、そして即答の応酬があり、気まりわるがって止めることなどないのである。
かくて、この身も心も太子に傾けまかせることとし、心にあることはすべて叙べたのである。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
謝霊運は応場が若いときあっちこっちと職をさがしつつ旅をし、ついに、漢末の戦乱に会い、困窮していたが、曹操に出会い、各地を転戦し、功績をたて、幸福な生活をすることができるようになったという。すなわち、不幸な出発から幸福な生活を歌っているのは徐幹、劉楨の場合と同じである。


#3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
列をなして坐するとまるで屋根を支える屋根裏の花の垂木のようにならんだのだ。そして金の大盃には清酒が満ちほどに注がれた。
〇榱 たるき。屋根を支えるため、棟から軒先に渡す長い木材。はえき。たりき。たるきがた【垂木形】屋根のつまに、垂木と平行に取り付ける板。たるきだけ【垂木竹】竹で作った垂木。また、それに用いる竹。かやぶきの屋根など.


始奏延露曲,繼以闌夕語。
宴は延露の曲を合奏することから始まり、それにつづいての談論は夜おそくまで夜を徹して行われた。
〇延露曲 李善は、港南子の「表れ采菱を歌ひ、陽阿を発するも、都人は之を聴けば、延露の以て和せるに若(し)かず」を引く。現行本の港南子、人間訓には、「此の延路・陽局に若かず」とある。延路と陽局とは、都歌曲のこと。
〇聞夕 夜おそいこと。「聞」は、おそい。尽きる。


調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
また、からかい笑いがあり、嘲り戯れがあったり、そして即答の応酬があり、気まりわるがって止めることなどないのである。
〇慚沮 「沮」は、勢いがなくなる、沮喪。酬答することを止める。


傾軀無遺慮,在心良已敘。
かくて、この身も心も太子に傾けまかせることとし、心にあることはすべて叙べたのである。

《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#2> 792 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2508

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。


 

2013年6月11日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#2> 792 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2508
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和武相公鎮蜀時,詠使宅韋太尉所養孔雀 韓愈(韓退之) <143>Ⅱ中唐詩706 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2514
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#2> 792 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2508


106  應瑒
應瑒【おうとう】(未詳―217)、字は徳漣について、早く、曹丕は「呉質に与うる書」で、「徳漣は常に斐然として述作の意あり。其の才学は以って書を著わすに足れり。美志遂げず。良に痛惜すべし」といい、「典論」の「論文」で、「應瑒は和にして壮ならず」と評しているが、謝霊運はその小序で、「汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。」汝水と頴水との付近の士なり。世の乱れに流離し、頗る浅薄の欺き有り。と、彼の作風について曹丕と同じように評している。


擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
顧我梁川時,緩步集潁許。
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
<応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。>
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。
#2
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
天下昔未定,托身早得所。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
晚節值眾賢,會同庇天宇。
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。
#3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
始奏延露曲,繼以闌夕語。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
傾軀無遺慮,在心良已敘。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「應瑒」)
<汝潁【じょえい】の士なり,世故に流離し,頗【すこ】しく飄薄【ひょうはく】の歎有り。> 

嗷嗷【ごうごう】たる雲中の鴈,翮【つばさ】を舉げて委羽よりす。
涼を弱水の湄【ほとり】に求め,寒を長沙の渚に違く。
顧うに我 梁川の時,緩步して潁許に集る。
#2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。
#3
坐を列ねて華榱【かすい】に蔭れ,金樽には清醑【せいしょ】を盈たす。
始むるに延露の曲を奏し,繼ぐに闌夕【らんせき】の語を以ってす。
調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。
軀を傾けて慮を遺すこと無く,心に在りて良に已に敘【の】ぶ。


『擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒』 現代語訳と訳註
(本文)
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
天下昔未定,托身早得所。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
晚節值眾賢,會同庇天宇。


(下し文) #2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。


(現代語訳)
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。


(訳注) #2
擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
謝霊運は応場が若いときあっちこっちと職をさがしつつ旅をし、ついに、漢末の戦乱に会い、困窮していたが、曹操に出会い、各地を転戦し、功績をたて、幸福な生活をすることができるようになったという。すなわち、不幸な出発から幸福な生活を歌っているのは徐幹、劉楨の場合と同じである。


一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
〇淪薄 淪①. 隠れ沈む・こと(さま)。 ②. 世をのがれて隠れること。薄 いきつくこと。ここでは落ちぶれ果て行き着くところまで行ったという意味。


天下昔未定,托身早得所。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
〇昔未定 過去のおちぶれて、まだ定まらなかった時のことを言ったものである。
〇早得所 身を託する所を得たこと。曹操に託するを得たことをいう。


官度廁一卒,烏林預艱阻。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
〇官度 後漢末期の200年に官渡(現在の河南省中牟の近く)に於いて曹操と袁紹との間で行われた戦い。
〇烏林 呉の孫権の将なる周瑜は、劉備の軍と連合して、赤壁より烏林にわたる戦に、曹操の軍を破る。


晚節值眾賢,會同庇天宇。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。
〇晩節 晩年。ここは、そののち晩年まで、とでも解す。
〇眾賢 建安の三曹七賢。
〇庇 おおう。護りたすける。
〇天宇 曹操から、曹丕に仕えることが出来たことを云う。 

《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#1> 791 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2503

《擬魏太子鄴中集詩八首》 謝靈運  こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
 

2013年6月10日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩雪後寄崔二十六丞公 韓愈(韓退之) <142-#3>Ⅱ中唐詩705 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2509
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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#1> 791 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2503

106  應瑒
應瑒【おうとう】(未詳―217)、字は徳漣について、早く、曹丕は「呉質に与うる書」で、「徳漣は常に斐然として述作の意あり。其の才学は以って書を著わすに足れり。美志遂げず。良に痛惜すべし」といい、「典論」の「論文」で、「應瑒は和にして壮ならず」と評しているが、謝霊運はその小序で、「汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。」汝水と頴水との付近の士なり。世の乱れに流離し、頗る浅薄の欺き有り。と、彼の作風について曹丕と同じように評している。


擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
<応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。>
鷹将嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
顧我梁川時,緩步集潁許。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。
#2
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
天下昔未定,托身早得所。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
晚節值眾賢,會同庇天宇。
#3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
始奏延露曲,繼以闌夕語。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
傾軀無遺慮,在心良已敘。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「應瑒」)
<汝潁【じょえい】の士なり,世故に流離し,頗【すこ】しく飄薄【ひょうはく】の歎有り。> 

嗷嗷【ごうごう】たる雲中の鴈,翮【つばさ】を舉げて委羽よりす。
涼を弱水の湄【ほとり】に求め,寒を長沙の渚に違く。
顧うに我 梁川の時,緩步して潁許に集る。
#2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。
#3
坐を列ねて華榱【かすい】に蔭れ,金樽には清醑【せいしょ】を盈たす。
始むるに延露の曲を奏し,繼ぐに闌夕【らんせき】の語を以ってす。
調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。
軀を傾けて慮を遺すこと無く,心に在りて良に已に敘【の】ぶ。


『擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒』 現代語訳と訳註
(本文)
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
顧我梁川時,緩步集潁許。


(下し文)
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「應瑒」)
<汝潁【じょえい】の士なり,世故に流離し,頗【すこ】しく飄薄【ひょうはく】の歎有り。> 

嗷嗷【ごうごう】たる雲中の鴈,翮【つばさ】を舉げて委羽よりす。
涼を弱水の湄【ほとり】に求め,寒を長沙の渚に違く。
顧うに我 梁川の時,緩步して潁許に集る。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
<応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。>
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
謝霊運は応場が若いときあっちこっちと職をさがしつつ旅をし、ついに、漢末の戦乱に会い、困窮していたが、曹操に出会い、各地を転戦し、功績をたて、幸福な生活をすることができるようになったという。すなわち、不幸な出発から幸福な生活を歌っているのは徐幹、劉楨の場合と同じである。


汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。
〇汝穎 汝水(現在の汝河。河南省に発し淮河に注ぐ。)穎水(河南省嵩山南麓を流れる河で、淮河の主要な川である。)「穎水に耳を洗う」という許由の故事がある。
〇飄薄 さすらい。「薄」は迫。


嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
〇翮 羽の茎。
〇委羽 委羽山。委羽山. イウサン. 中国神話の山で、はるか北の果てにあり、永遠に日が差さないとされた山。羽山のことだともいわれる。


求涼弱水湄,違寒長沙渚。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
〇弱水 崑崙山の東に在るという神話上の川の名。中国東北部にある、松花江ともいわれている。


顧我梁川時,緩步集潁許。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。
〇梁川 戦国時代の魏は、大梁にうつったので、「梁」ともいう。

《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#3> 790 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2498

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。

2013年6月9日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#3> 790 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2498
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性酬辛員外折花見遺 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-191-57-#51  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2502
 
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#3> 790 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2498


劉楨(未詳~-217)、字は公幹。彼の作品についてすでに曹丕は「呉質に与うる書」で「公幹は逸気あり。但だ未だ遵からざるのみ。その五言詩の善なるは時人に妙絶せり」といい、「典論」の「論文」で「劉禎は壮にして密ならず」と、評しているが、霊運はその中序で、
(卓犖れたる偏人〈文才のある人〉而して文に最も気有り。得る所頗る経奇なり。)

・劉楨が若いとき、貧乏して山東の田舎にいたこと、
・出世しようとして旅をしつつ許都に行き、曹操と知り会って召しかかえられるようになったこと。
・曹操に従い、各地を転戦して、いろいろのことを見学し、治乱のことについて学習することができたこと。
・多くの英才と仲よく政治を行ない、毎日、宴会に追われ楽しい日を送った。

このうえは、「唯だ羨うは粛粛たる翰もて 繽紛れて高冥に戻らんことを」と、その願望を歌っている。この詩も、劉楨の幸運を歌い、詩意は前述の王粲『《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運』とは願望については異なるが、通してなはだしく似ている。


105
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
<劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。>
貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
既覽古今事,頗識治亂情。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
歡友相解達,敷奏究平生。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
#3
朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。
かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。
これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。
かっては辰時と楽事とは伴うものではないと思っていたのであるが、今やこの楽しみの願いいがかなうとなると、両者をあわせ持つことができたのである。
ただこの上とも望むことは、鳥が羽音をたてておごそかに飛びあがり、空高くにいたるごとく、吾も貴い地位にのぼりたいとおもうのである。


(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。
#2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。
#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。


『擬魏太子鄴中集詩八首 』 現代語訳と訳註
(本文) 劉楨#3
王屋山01朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。


(下し文)#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。


(現代語訳)
かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。
これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。
かっては辰時と楽事とは伴うものではないと思っていたのであるが、今やこの楽しみの願いいがかなうとなると、両者をあわせ持つことができたのである。
ただこの上とも望むことは、鳥が羽音をたてておごそかに飛びあがり、空高くにいたるごとく、吾も貴い地位にのぼりたいとおもうのである。


(訳注)#3
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)。曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。
劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。 
 


朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。
・牛羊下 詩経、王風、君子子役篇に「鷄は括に棲り、日は夕となる、羊牛下り括(か)る」という。
・括揭 「括揭」はとまり木にとまること。鶏のとまり木。「括」「揭」同じ。


終歲非一日,傳巵弄新聲。
これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。


辰事既難諧,歡願如今並。
かっては辰時と楽事とは伴うものではないと思っていたのであるが、今やこの楽しみの願いいがかなうとなると、両者をあわせ持つことができたのである。


唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。
ただこの上とも望むことは、鳥が羽音をたてておごそかに飛びあがり、空高くにいたるごとく、吾も貴い地位にのぼりたいとおもうのである。
・羨 愛慕をねがう。
・粛粛 羽の声。 (1)しずかなさま。ひっそりとしているさま。  (2)おごそかなさま。曹植『棄婦篇』「歭躇還入房、肅肅帷幕聲。」とよくつかう。
・翰 長く堅い羽毛。
・繽紛 ひらひら飛ぶさま。

《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#2> 789 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2493

 謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。

2013年6月8日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#2> 789 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2493


鷹将劉楨(未詳~-217)、字は公幹。彼の作品についてすでに曹丕は「呉質に与うる書」で「公幹は逸気あり。但だ未だ遵からざるのみ。その五言詩の善なるは時人に妙絶せり」といい、「典論」の「論文」で「劉禎は壮にして密ならず」と、評しているが、霊運はその中序で、
(卓犖れたる偏人〈文才のある人〉而して文に最も気有り。得る所頗る経奇なり。)

・劉楨が若いとき、貧乏して山東の田舎にいたこと、
・出世しようとして旅をしつつ許都に行き、曹操と知り会って召しかかえられるようになったこと。
・曹操に従い、各地を転戦して、いろいろのことを見学し、治乱のことについて学習することができたこと。
・多くの英才と仲よく政治を行ない、毎日、宴会に追われ楽しい日を送った。

このうえは、「唯だ羨うは粛粛たる翰もて 繽紛れて高冥に戻らんことを」と、その願望を歌っている。この詩も、劉楨の幸運を歌い、詩意は前述の王粲『《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運』とは願望については異なるが、通してなはだしく似ている。


105
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
<劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。>
貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
既覽古今事,頗識治亂情。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
歡友相解達,敷奏究平生。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
#3
朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。
#2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。
#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。


『擬魏太子鄴中集詩八首 』 現代語訳と訳註
竹林0021(本文) 劉楨
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
既覽古今事,頗識治亂情。
歡友相解達,敷奏究平生。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。


(下し文) #2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。


(現代語訳)
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。


(訳注) #2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
黎陽津 魏の主要の港である黎陽。
紀郢城 劉表がいる楚の紀城や郢城。


既覽古今事,頗識治亂情。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。


歡友相解達,敷奏究平生。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
・相解達 「解」は説。李善は「相談説して進達するなり」といい、李周翰も同じ。何燈は、それを非とし「古今治乱のことをLるので、親友らと互いに、響えを引いて話しあった」意とする。
・平生 古今治乱の事情について、かねてしる所の知識をさす。


矧荷明哲顧,知深覺命輕。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
・矧荷 いわんや~をうける。それに加えて~をうける
・明哲顧 明智の太子の恩顧。
・知深 知己の恩の深く。王逸の晋書に「孔短日く、士は知遇の恩に死し、命をして軽からしむ」。

《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#1> 788 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2488

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》 劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。


 

2013年6月7日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#1> 788 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2488
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩雪後寄崔二十六丞公 韓愈(韓退之) <142-#1>Ⅱ中唐詩703 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2499
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集遭田父泥飲美嚴中丞 五言古詩 成都6-(10-#2) 杜甫 <475>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2490 杜甫詩1000-476-692/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 鏡離台 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-189-55-#49  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2492
 
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#1> 788 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2488



劉楨(未詳~-217)、字は公幹。彼の作品についてすでに曹丕は「呉質に与うる書」で「公幹は逸気あり。但だ未だ遵からざるのみ。その五言詩の善なるは時人に妙絶せり」といい、「典論」の「論文」で「劉禎は壮にして密ならず」と、評しているが、霊運はその中序で、
(卓犖れたる偏人〈文才のある人〉而して文に最も気有り。得る所頗る経奇なり。)

・劉楨が若いとき、貧乏して山東の田舎にいたこと、
・出世しようとして旅をしつつ許都に行き、曹操と知り会って召しかかえられるようになったこと。
・曹操に従い、各地を転戦して、いろいろのことを見学し、治乱のことについて学習することができたこと。
・多くの英才と仲よく政治を行ない、毎日、宴会に追われ楽しい日を送った。

このうえは、「唯だ羨うは粛粛たる翰もて 繽紛れて高冥に戻らんことを」と、その願望を歌っている。この詩も、劉楨の幸運を歌い、詩意は前述の王粲『《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運』とは願望については異なるが、通してなはだしく似ている。


105
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
<劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。>
貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
既覽古今事,頗識治亂情。
歡友相解達,敷奏究平生。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
#3
朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。
#2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。
#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。


銅雀臺00







『擬魏太子鄴中集詩八首 』 現代語訳と訳註
(本文) 劉楨
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
貧居晏裏閈,少小長東平。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
廣川無逆流,招納廁羣英。


(下し文)
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)。曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。
劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。 


卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。
・卓犖 すぐれて他からぬきんでていること。また 、そのさま。
・偏人 文才のある人。
・而文 ここに「文」とは、主としてかれの詩をさす。


貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
・裏閈 貧しい村里。
・東平 斉國地方。山東省泰安市に位置する県。


河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
・河兗 斉河、兗州をいう。
・沖要 要衝。
・淪飄 戦乱がはげしくなること。波にただよう。
・薄 至る。
・許京 許都。獻帝は、洛陽から許州に遷ったので京といった。


廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
・広川無逆流 管子に「善く君たるものは。宜しく江海に法るべし。江海は細流を逆まず、故に百谷の長となる」。
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《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#3>文選 雜擬 上 787 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2483

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《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#3>文選 雜擬 上 787 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2483


擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)
少無宦情,有箕潁之心事,
徐幹は年わかいころから官につく気特はなく、頴山と穎水とは近くにあり、許由と巣父が耳を洗い隠遁したように隠遁の心をいだいたが、戦乱にあって世に仕えることとなった。そのような人であるのである。
故仕世多素辭。
彼の文は、おおむね質素で、かざりがない。
伊昔家臨淄,提攜弄齊瑟。
われは嘗て古の斉の都なる臨淄にいたころ、朋友とともに斉瑟をかきならすのである。
置酒飲膠東,淹留憩高密。
また膠東では宴をして酒をのみ、高密では滞在して憩い遊ぶのである。
#2
此歡謂可終,外物始難畢。
このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。
搖盪箕濮情,窮年迫憂栗。
許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。
末塗幸休明,棲集建薄質。
しかるに、晩年幸いにも美しく明らかな世にゆきつくことができ、乏しき才能のわが身も衆賢とともに曹公に仕えるを得たのである。
已免負薪苦,仍游椒蘭室。

薪をになう賤しい仕事をする労苦からまぬがれた上、さらに山椒や蘭をぬりこめた太子の高貴な室に遊ぶことさえゆるされた。
#3
清論事究萬,美話信非一。
かくて清く超俗の談論はあらゆることにいきわたり、善美な話は、まことに一つの題材ではないのである。
行觴奏悲歌,永夜系白日。
また杯が座卓をめぐるほどに悲歌を奏し、宴は真昼から夜にひきつがれて、いつまでもつづく。
華屋非蓬居,時髦豈餘匹?
ただこの華麗な家はわが住まいとすべきわが蓬居とは異なり、ここにあそぶ当代の俊才もどうしても、蓬居に住み、野人とともにありたいということなのだ。
中飲顧昔心,悵焉若有失。
それで宴に列席していながらも、嘗ての隠遁の心をおもいだしては、何かしら失うことあるようなので、我はうれいなげくのである。


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『擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
清論事究萬,美話信非一。行觴奏悲歌,永夜系白日。
華屋非蓬居,時髦豈餘匹?中飲顧昔心,悵焉若有失。


DCF002102(下し文) #3
清論 事は萬を究め,美話 信に一に非ず。
行觴に悲歌を奏し,永き夜 白日に系ぐ。
華屋は蓬居に非ず,時髦 豈に餘は匹いならんや?
中飲にして昔の心を顧う,悵焉として失う有るが若し。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)-#3
かくて清く超俗の談論はあらゆることにいきわたり、善美な話は、まことに一つの題材ではないのである。
また杯が座卓をめぐるほどに悲歌を奏し、宴は真昼から夜にひきつがれて、いつまでもつづく。
ただこの華麗な家はわが住まいとすべきわが蓬居とは異なり、ここにあそぶ当代の俊才もどうしても、蓬居に住み、野人とともにありたいということなのだ。
それで宴に列席していながらも、嘗ての隠遁の心をおもいだしては、何かしら失うことあるようなので、我はうれいなげくのである。
それで宴に列席していながらも、嘗ての隠遁の心をおもいだしては、何かしら失うことあるようなので、我はうれいなげくのである。


(訳注) #3
清論 事 究萬,美話 信 非一。

かくて清く超俗の談論はあらゆることにいきわたり、善美な話は、まことに一つの題材ではないのである。
・清論 清く超俗の談論。


行觴 奏 悲歌,永夜 系 白日。
また杯が座卓をめぐるほどに悲歌を奏し、宴は真昼から夜にひきつがれて、いつまでもつづく。
・行觴 酒杯を廻すこと
・悲歌 清んだ響きは悲しげにきこえる。「徐幹は、もと宦情なし。故に悲歌あり、悲歎こもごも懐に集る」


華屋 非 蓬居,時髦 豈 餘匹?
ただこの華麗な家はわが住まいとすべきわが蓬居とは異なり、ここにあそぶ当代の俊才もどうしても、蓬居に住み、野人とともにありたいということなのだ。
・蓬居 蓬の住居。野人の家。隠遁者の住まい。


中飲 顧 昔心,悵焉 若 有失。
それで宴に列席していながらも、嘗ての隠遁の心をおもいだしては、何かしら失うことあるようなので、我はうれいなげくのである。
・悵焉 なげきかなしむ。・焉①ようすを表す語に添える助字。状態を示す。「溘焉(こうえん)・忽焉(こつえん) 」 ② 「ここに」の意を添える助字。「終焉」

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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

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擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)
少無宦情,有箕潁之心事,
徐幹は年わかいころから官につく気特はなく、頴山と穎水とは近くにあり、許由と巣父が耳を洗い隠遁したように隠遁の心をいだいたが、戦乱にあって世に仕えることとなった。そのような人であるのである。
故仕世多素辭。
彼の文は、おおむね質素で、かざりがない。
伊昔家臨淄,提攜弄齊瑟。
われは嘗て古の斉の都なる臨淄にいたころ、朋友とともに斉瑟をかきならすのである。
置酒飲膠東,淹留憩高密。
また膠東では宴をして酒をのみ、高密では滞在して憩い遊ぶのである。
#2
此歡謂可終,外物始難畢。
このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。
搖盪箕濮情,窮年迫憂栗。
許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。
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已免負薪苦,仍游椒蘭室。

薪をになう賤しい仕事をする労苦からまぬがれた上、さらに山椒や蘭をぬりこめた太子の高貴な室に遊ぶことさえゆるされた。
#3
清論事究萬,美話信非一。行觴奏悲歌,永夜系白日。
華屋非蓬居,時髦豈餘匹?中飲顧昔心,悵焉若有失。
 


『擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹』 現代語訳と訳註
takadonosky01(本文)
#2
此歡謂可終,外物始難畢。搖盪箕濮情,窮年迫憂栗。
末塗幸休明,棲集建薄質。已免負薪苦,仍游椒蘭室。


(下し文) #2

此の歡をば終ふ可しと謂ひしに、外物のため始めて【お】へ難し。
箕濮【きばく】の情を搖盪【ようとう】し、年を窮めて憂栗【ゆうりつ】に迫らる。
末塗【まつと】には幸に休明にあひ、棲集【せいしゅう】は薄質に逮【およぶ】ぶ。
己に負薪【ふしん】の苦しみを免れ、仍お椒蘭【しょうらん】の室に游ぶ。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)-#2
このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。
許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。
しかるに、晩年幸いにも美しく明らかな世にゆきつくことができ、乏しき才能のわが身も衆賢とともに曹公に仕えるを得たのである。
薪をになう賤しい仕事をする労苦からまぬがれた上、さらに山椒や蘭をぬりこめた太子の高貴な室に遊ぶことさえゆるされた。


(訳注) #2
擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹

(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)


此歡謂可終,外物始難畢。
このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。
・外物  1 自分以外の事物。外界の事物。 2 自我の働きの外にあり、客観的世界に存在するもの。客観的実在。
・終・畢 ともに、「此歓」をきわめつくすこと。


搖盪箕濮情,窮年迫憂栗。
許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。
・搖盪 うごかし、はらう。
・箕濮 箕山は許由らの隠居したところ、濮水は荘周が隠遁して釣などをしたところという。


末塗幸休明,棲集建薄質。
しかるに、晩年幸いにも美しく明らかな世にゆきつくことができ、乏しき才能のわが身も衆賢とともに曹公に仕えるを得たのである。
・塗 1 ぬる。「塗装・塗布・塗抹・塗料」2 泥。泥にまみれる。「塗炭/泥塗」3 道路。
・棲集 至り、とまる。ここは衆賢が、曹公のもとに來たこと。


已免負薪苦,仍游椒蘭室。
薪をになう賤しい仕事をする労苦からまぬがれた上、さらに山椒や蘭をぬりこめた太子の高貴な室に遊ぶことさえゆるされた
・負薪 ・負薪之憂 士が自分の病気を謙遜して言う。禄が十分でなく、薪を背負って働いたので病気になったという意味。「負薪」は、生活のために雑用や力仕事をすることの喩え。苦役。
・椒蘭室 『楚辞、離騒』第十四段「覧椒蘭其若茲兮」(椒蘭を覧るに其れ茲の若しかくのごとし)
大戴礼に「君子と遊ぶときは、必ず蘭正の室に入るが如し。久しくして聞かず、則ち之と化すればなり」という。
サンショウ(はじかみ)とラン(ふじばかま)。香りのよい植物の代名詞。転じて、「皇后の親類、外戚」転じて賢人ということもある。

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#1>文選 雜擬 上 785 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2473


擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)
少無宦情,有箕潁之心事,
徐幹は年わかいころから官につく気特はなく、頴山と穎水とは近くにあり、許由と巣父が耳を洗い隠遁したように隠遁の心をいだいたが、戦乱にあって世に仕えることとなった。そのような人であるのである。
故仕世多素辭。
彼の文は、おおむね質素で、かざりがない。
伊昔家臨淄,提攜弄齊瑟。
われは嘗て古の斉の都なる臨淄にいたころ、朋友とともに斉瑟をかきならすのである。
置酒飲膠東,淹留憩高密。

また膠東では宴をして酒をのみ、高密では滞在して憩い遊ぶのである。
#2
此歡謂可終,外物始難畢。搖盪箕濮情,窮年迫憂栗。
末塗幸休明,棲集建薄質。已免負薪苦,仍游椒蘭室。
#3
清論事究萬,美話信非一。行觴奏悲歌,永夜系白日。
華屋非蓬居,時髦豈餘匹?中飲顧昔心,悵焉若有失。
 


『擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹』 現代語訳と訳註
(本文)

少無宦情,有箕潁之心事,故仕世多素辭。
伊昔家臨淄,提攜弄齊瑟。
置酒飲膠東,淹留憩高密。


(下し文)
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 徐幹)
少くして官情無く、箕頴の心有り。事故ありて世に仕ふ。素辞多し。
伊れ昔 臨淄に家し、提攜して齊瑟を弄す。
置酒して膠東に飲み,淹留して高密に憩う。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)
徐幹は年わかいころから官につく気特はなく、頴山と穎水とは近くにあり、許由と巣父が耳を洗い隠遁したように隠遁の心をいだいたが、戦乱にあって世に仕えることとなった。そのような人であるのである。
彼の文は、おおむね質素で、かざりがない。
われは嘗て古の斉の都なる臨淄にいたころ、朋友とともに斉瑟をかきならすのである。
また膠東では宴をして酒をのみ、高密では滞在して憩い遊ぶのである。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)
○徐幹 (170-217年)字は偉長、北海郡劇県(山東、日日楽県警の人。零落した旧家の出で、高い品行と美麗典雅な文章で知られた。建安年間に曹操に仕え、司空軍謀祭酒掾属・五官将文学に進んだ。隠士的人格者で、文質兼備であると曹丕から絶賛された。『《建安七子》の一人であるが、博雅達識の君子としての名声高く《七子母中に異彩をはなった。曹雪り「佳境い諾懐き質を抱き、悟淡寡慾にして、箕山の志あり。彬彬たる君子と酎っべし。「中論」二十余笛を著わし、辞義典雅にして、後に伝うるに足る。此の子不朽たり。」(「呉質に与うる書」)と評されている。
贈徐幹 (1) 曹植 魏詩<28>文選 贈答二 659 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1853


少無宦情,有箕潁之心事,
徐幹は年わかいころから官につく気特はなく、頴山と穎水とは近くにあり、許由と巣父が耳を洗い隠遁したように隠遁の心をいだいたが、戦乱にあって世に仕えることとなった。そのような人であるのである。
・官 仕える。
・箕潁 頴山と穎水とは近くにある。堯のとき、許由と巣父とが、そこに隠居していたといわれる。


故仕世多素辭。
彼の文は、おおむね質素で、かざりがない。
・素辭 質素で、かざりがない。


伊昔家臨淄,提攜弄齊瑟。
われは嘗て古の斉の都なる臨淄にいたころ、朋友とともに斉瑟をかきならすのである。
・臨溜 史記、蘇秦伝に「臨潤は、甚だ富みて実(み)つ。その民は、竿を吹き、琴を弾じ、筑を撃たざるなし」といわれるほど、音楽ずきの地であった。
齊瑟 斉国に産する繋。


置酒飲膠東,淹留憩高密。
また膠東では宴をして酒をのみ、高密では滞在して憩い遊ぶのである。
・膠東・高密 ともに斉の地名。

宮島(8)

《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#3>文選 雜擬 上 784 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2468

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首    陳琳》 
太子は客を愛しており、疲れたということはなかったし、宴を催し共にたのしんでは時がたつのも忘れ、夜昼の区別もなかったという。

2013年6月3日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首    陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#3>文選 雜擬 上 784 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2468


有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。


陳琳
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
袁本初書記之士,故述喪亂事多。
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
董氏淪關西,袁家擁河北。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
單民易周章,窘身就羈勒。

孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 陳琳)
袁 本初が書記の士なり,故に喪亂の事を述ぶること多し。

皇漢は屯邅【とんせん】に逢い,天下は氛慝【ふんとく】に遭う。
董氏は關西を淪【しず】め,袁家は河北を擁す。
單民は周章し易く,身を窘【くる】しめて羈勒【きろく】に就く。
#2
豈意事乖己,永懷戀故國。
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。
相公實勤王,信能定蝥賊。
ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。
複覩東都輝,重見漢朝則。
人々はまたかさねて、東都洛陽・漢朝の光輝ける礼法・法律などを見るにいたった。
餘生幸已多,矧乃值明德。

戦乱にあった私自身は生きのこっただけでも幸いが多いというべきなのである。ましてや明徳の太子にあい知遇をうけるにいたるとは何とした幸いであろう。
#2
豈に意わんや己に乖【そむ】くを事にせんや,永く懷いて故國を戀う。
相公は實に王に勤め,信に能く蝥賊【ぼうぞく】を定む。
複た東都の輝を覩て,重ねて漢朝の則を見る。
餘生は幸にして已に多し,矧【いわ】んや乃ち明德に值えるを。
#3
DCF002102愛客不告疲,飲燕遺景刻。
太子は客を愛しており、疲れたということはなかったし、宴を催し共にたのしんでは時がたつのも忘れ、夜昼の区別もなかったという。
夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
夜、音楽をきいては明けの明星が爛然と輝くころまでに至り、朝に、遊びに出かけては日ぐれまでも楽しむ。
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
哀調をおびた音楽の声は梁上の塵を動かし、ひっきりなく酒杯をすすめては夜の静かな雰囲気を破ってにぎやかにするのである。
且盡一日娛,莫知古來惑。
このようにして、まあ一日中を楽しみ、酒は人の心をまどわすと古から言われた酒・色・財の三つの不惑とをも忘れてはいけない。

#3
客を愛して疲を告げず、飲燕して景刻を遺る。
夜聴いて星闌を極め、朝に遊んで曛黑を窮む。
哀哇は梁埃を動かし、急觴は幽默を蕩ふ。
且つ一日の娯しみを盡し、古来の惑を知ること莫し。



『擬魏太子鄴中集詩八首  陳琳』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
愛客不告疲,飲燕遺景刻。
夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
且盡一日娛,莫知古來惑。


(下し文) #3
客を愛して疲を告げず、飲燕して景刻を遺る。
夜聴いて星闌を極め、朝に遊んで曛黑を窮む。
哀哇は梁埃を動かし、急觴は幽默を蕩ふ。
且つ一日の娯しみを盡し、古来の惑を知ること莫し。


(現代語訳)
太子は客を愛しており、疲れたということはなかったし、宴を催し共にたのしんでは時がたつのも忘れ、夜昼の区別もなかったという。
夜、音楽をきいては明けの明星が爛然と輝くころまでに至り、朝に、遊びに出かけては日ぐれまでも楽しむ。
哀調をおびた音楽の声は梁上の塵を動かし、ひっきりなく酒杯をすすめては夜の静かな雰囲気を破ってにぎやかにするのである。
このようにして、まあ一日中を楽しみ、酒は人の心をまどわすと古から言われた酒・色・財の三つの不惑とをも忘れてはいけない。

takadonosky01
(訳注) #3
愛客不告疲,飲燕遺景刻。

太子は客を愛しており、疲れたということはなかったし、宴を催し共にたのしんでは時がたつのも忘れ、夜昼の区別もなかったという。
・景刻 「景」は日かげ。「刻」は時間。昼夜を一百刻となすという。


夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
夜、音楽をきいては明けの明星が爛然と輝くころまでに至り、朝に、遊びに出かけては日ぐれまでも楽しむ。
・極/窮 二字とも、きわめる。ここは、至るの意。
・星闌 明けの明星が爛然と輝くことを云う。『詩経、鄭風、女日鷄鳴篇』に「士興きて夜を視よ、明星は爛たるあらん」という。

 
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
哀調をおびた音楽の声は梁上の塵を動かし、ひっきりなく酒杯をすすめては夜の静かな雰囲気を破ってにぎやかにするのである。
・哀哇 はなはだ哀しいこと。「哇」は、気がふさがって伸びないこと。


且盡一日娛,莫知古來惑。
このようにして、まあ一日中を楽しみ、酒は人の心をまどわすと古から言われた酒・色・財の三つの不惑とをも忘れてはいけない。
・古來惑 古来からいわれる酒・色・財の三つの不惑。

《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#2>文選 雜擬 上 783 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2463

謝靈運《擬魏太子鄴中集詩八首    陳琳》
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。


2013年6月2日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#2>文選 雜擬 上 783 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2463
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。北樓 韓愈(韓退之) <135>Ⅱ中唐詩696 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2464
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集溪漲 成都6-(6-#1) 杜甫 <471-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2465 杜甫詩1000-471-687/1500
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。


陳琳
DCF002102(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
袁本初書記之士,故述喪亂事多。
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
董氏淪關西,袁家擁河北。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
單民易周章,窘身就羈勒。
孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである。
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 陳琳)
袁 本初が書記の士なり,故に喪亂の事を述ぶること多し。

皇漢は屯邅【とんせん】に逢い,天下は氛慝【ふんとく】に遭う。
董氏は關西を淪【しず】め,袁家は河北を擁す。
單民は周章し易く,身を窘【くる】しめて羈勒【きろく】に就く。

#2
豈意事乖己,永懷戀故國。
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。
相公實勤王,信能定蝥賊。
ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。
複覩東都輝,重見漢朝則。
人々はまたかさねて、東都洛陽・漢朝の光輝ける礼法・法律などを見るにいたった。
餘生幸已多,矧乃值明德。

戦乱にあった私自身は生きのこっただけでも幸いが多いというべきなのである。ましてや明徳の太子にあい知遇をうけるにいたるとは何とした幸いであろう。
豈に意わんや己に乖【そむ】くを事にせんや,永く懷いて故國を戀う。
相公は實に王に勤め,信に能く蝥賊【ぼうぞく】を定む。
複た東都の輝を覩て,重ねて漢朝の則を見る。
餘生は幸にして已に多し,矧【いわ】んや乃ち明德に值えるを。
#3
愛客不告疲,飲燕遺景刻。
夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
且盡一日娛,莫知古來惑。


『擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
takadonosky01豈意事乖己,永懷戀故國。
相公實勤王,信能定蝥賊。
複覩東都輝,重見漢朝則。
餘生幸已多,矧乃值明德。


(下し文) #2
豈に意わんや己に乖【そむ】くを事にせんや,永く懷いて故國を戀う。
相公は實に王に勤め,信に能く蝥賊【ぼうぞく】を定む。
複た東都の輝を覩て,重ねて漢朝の則を見る。
餘生は幸にして已に多し,矧【いわ】んや乃ち明德に值えるを。


(現代語訳)
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。
ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。
人々はまたかさねて、東都洛陽・漢朝の光輝ける礼法・法律などを見るにいたった。
戦乱にあった私自身は生きのこっただけでも幸いが多いというべきなのである。ましてや明徳の太子にあい知遇をうけるにいたるとは何とした幸いであろう。


(訳注) #2
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
1)陳琳は後漢の建安の七子の一人。秦の万里の長城建設に後漢の衰亡を重ね合わせているという。
2)陳 琳(ちん りん)  未詳 - 217年  後漢末期の文官。建安七子の1人。字は孔璋。広陵郡洪邑の出身。はじめ大将軍の何進に仕え、主簿を務めた。何進が宦官誅滅を図って諸国の豪雄に上洛を促したとき、これに猛反対している。何進の死後は冀州に難を避け、袁紹の幕僚となる。官渡の戦いの際、袁紹が全国に飛ばした曹操打倒の檄文を書いた。

豈意事乖己,永懷戀故國。
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。


相公實勤王,信能定蝥賊。
ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。
・相公 丞相であった曹操。
・定 平定する。
・蝥賊 乱賊である董卓と衰紹。
衰紹の家は四代続いて三公(太尉・司徒・司空)を輩出した名門である。衰紹白身も董卓が洛陽を占領した中平六年(一八九)にはすでに司隷校尉(整旨視総監)という要職にあった。


複覩東都輝,重見漢朝則。
人々はまたかさねて、東都洛陽・漢朝の光輝ける礼法・法律などを見るにいたった。
・則 法則。一定の決まり。法律。制度。『詩経、大雅、烝民』「天生烝民、有物有則。」


餘生幸已多,矧乃值明德。
戦乱にあった私自身は生きのこっただけでも幸いが多いというべきなのである。ましてや明徳の太子にあい知遇をうけるにいたるとは何とした幸いであろう。
・餘生幸已多 陳琳は、袁紹に仕えたとき、「袁紹のために豫州に儌す」なる文で曹操の罪状をかぞえたて、かつ、その祖先をも、ののしりはずかしめた。しかるに、陳琳が曹操に帰してのち、曹操は、陳琳を殺さなかった。

《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#1>文選 雜擬 上 782 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2458

《擬魏太子鄴中集詩八首  陳琳》 謝靈運 
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。



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《擬魏太子鄴中集詩八首  陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#1>文選 雜擬 上 782 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2458


王屋山01建安文学
建安文学 (けんあんぶんがく)  後漢末期、建安年間(196年 - 220年)、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。辞賦に代わり、楽府と呼ばれる歌謡を文学形式へと昇華させ、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出した。激情的で、反骨に富んだ力強い作風の物も多く、戦乱の悲劇から生じた不遇や悲哀、社会や民衆の混乱に対する想い、未来への不安等をより強く表現した作品が、数多く残されている。建安の三曹七子 1)孔融・2)陳琳・3)徐幹・4)王粲・5)応瑒・6)劉楨・8)阮瑀、建安の七子と曹操・曹丕・曹植の三曹を同列とし、建安の三曹七子と呼称する。

 

有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。


擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
袁本初書記之士,故述喪亂事多。
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
董氏淪關西,袁家擁河北。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
單民易周章,窘身就羈勒。

孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである。
 (魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 陳琳)

袁 本初が書記の士なり,故に喪亂の事を述ぶること多し。


皇漢は屯邅【とんせん】に逢い,天下は氛慝【ふんとく】に遭う。
董氏は關西を淪【しず】め,袁家は河北を擁す。
單民は周章し易く,身を窘【くる】しめて羈勒【きろく】に就く。

#2
豈意事乖己,永懷戀故國。
相公實勤王,信能定蝥賊。
複覩東都輝,重見漢朝則。
餘生幸已多,矧乃值明德。
#3
愛客不告疲,飲燕遺景刻。
夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
且盡一日娛,莫知古來惑。


『擬魏太子鄴中集詩八首  陳琳』 現代語訳と訳註
(本文) 陳琳

袁本初書記之士,故述喪亂事多。
皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
董氏淪關西,袁家擁河北。
單民易周章,窘身就羈勒。


(下し文)
 (魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 陳琳)

袁 本初が書記の士なり,故に喪亂の事を述ぶること多し。


皇漢は屯邅【とんせん】に逢い,天下は氛慝【ふんとく】に遭う。
董氏は關西を淪【しず】め,袁家は河北を擁す。
單民は周章し易く,身を窘【くる】しめて羈勒【きろく】に就く。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)

1)陳琳は後漢の建安の七子の一人。秦の万里の長城建設に後漢の衰亡を重ね合わせているという。
2)陳 琳(ちん りん)  未詳 - 217年  後漢末期の文官。建安七子の1人。字は孔璋。広陵郡洪邑の出身。はじめ大将軍の何進に仕え、主簿を務めた。何進が宦官誅滅を図って諸国の豪雄に上洛を促したとき、これに猛反対している。何進の死後は冀州に難を避け、袁紹の幕僚となる。官渡の戦いの際、袁紹が全国に飛ばした曹操打倒の檄文を書いた。
陳琳『飲馬長城窟行』   
飲馬長城窟、水寒傷馬骨。
往謂長城吏、慎莫稽留太原卒。
官作自有程、挙築諧汝声。
男児寧当格闘死、何能怫鬱築長城。
万里の長城の岩穴で馬に水を飲ませてしまうと、その水は冷たく馬の骨まで傷つけるほどだ
俺は監督の役人に言ってやった
「どうか太原から来ている人足を帰してやってください」
訴えを聞いた役人は「お上の仕事には工程が決められているのだ。文句を言わずに杵を取って声を合わせて働け」と言う
人足は「男たるもの戦いの中で死ぬならまだしも、なんでこんな長城を築くやるせない仕事で朽ち果てるのは嫌だ」と憤懣をもらす


袁本初書記之士,故述喪亂事多。
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、字が本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
・衰 衰紹、字(あざな)は本初。霊帝の死後,宦官(かんがん)の専横を抑圧。皇帝の廃立を行なっ た董卓(とうたく)を洛陽(らくよう)から追放して,冀州(きしゆう)を中心に勢力を伸ばし, 山東の曹操(そうそう)と対立した。官渡(河南省)の戦いで敗れ病没。


皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
・屯邅 艱難辛苦。時運や国家の困難。・邅:ゆきなやむ。めぐりくる。
・氛慝 不善な気象。


董氏淪關西,袁家擁河北。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
・淪 沈む。


單民易周章,窘身就羈勒。
孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである。
・周章 慣れて、あわてふためく。
・窘 くるしめる。
・羈勒 馬のおもがいと、くつばみと。

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