漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2013年07月

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蘇武 《詩四首 其一》#1 古詩源  詩<100-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩842 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2758

 

 

詩四首 其一

骨肉緣枝葉,結交亦相因。

四海皆兄弟,誰爲行路人。

況我連枝樹,與子同一身。

昔爲鴛和鴦,今爲參與辰。

昔者長相近,邈若胡與秦。

惟念當乖離,恩情日以新。

鹿鳴思野草,可以嘉賓。

我有一樽酒,欲以贈遠人。

願子留斟酌,敘此平生親。

 

詩四首 其二

一遠別,千裏顧徘徊。

胡馬失其群,思心常依依。

何況雙飛龍,羽翼臨當乖。

幸有弦歌曲,可以中懷。

請爲遊子吟,泠泠一何悲。

絲竹厲清聲,慷慨有余哀。

長歌正激烈,中心以摧。

欲展清商曲,念子不得歸。

俯仰傷心,淚下不可揮。

願爲雙黃,送子俱遠飛。

 

詩四首 其三

結發爲夫妻,恩愛兩不疑。

在今夕,嬿婉及良時。

征夫懷往路,起視夜何其?

參辰皆已沒,去去從此辭。

行役在戰場,相見未有期。

握手一長歎,淚爲生別滋。

努力愛春華,莫忘歡樂時。

生當複來歸,死當長相思。

 

詩四首 其四

燭燭晨明月,馥馥秋蘭芳。

芬馨良夜發,隨風聞我堂。

征夫懷遠路,遊子戀故

寒冬十二月,晨起踐嚴霜。

俯觀江漢流,仰視浮雲翔。

良友遠別離,各在天一方。

山海隔中州,相去悠且長。

嘉會難再遇,歡樂殊未央。

願君崇令德,隨時愛景光。

 

 

詩四首 其一 #1

骨肉緣枝葉,結交亦相因。

兄弟というものは同じ根から出た枝や葉と同じ関係にあり、交際を結ぶ朋友もまた互いに頼り合うものである。

四海皆兄弟,誰爲行路人。

孔子も「四海の内は皆兄弟」だといったのであるから、誰でも路傍の人と見なすことはできない。

況我連枝樹,與子同一身。

昔爲鴛和鴦,今爲參與辰。

昔は鴛と鴦とのようによりそうて暮らしたのに、今は東西相いに隔たる参星と辰星との如く、遠ざかることとなった。

#2

昔者長相近,邈若胡與秦。

惟念當乖離,恩情日以新。

鹿鳴思野草,可以嘉賓。

我有一樽酒,欲以贈遠人。

願子留斟酌,敘此平生親。

 

#1

骨肉 枝葉に縁り、交りを結ぶも亦た相い因る。

四海 皆兄弟、誰か行路の人と爲さん。

況んや我は連枝の樹、子と同じく一身なるをや。

昔は鴛と鴦と爲り、今は参と辰と爲る。

#2

昔者は常に相い近づききしに、邈として胡と奉との若し。

惟だ念う乖離【かひん】するに當りて、恩情 日に以て新なるを。

鹿鳴きて野草を思う,以って嘉賓【かひん】【たと】う

我一樽の酒に有り,以って遠人に贈らんと欲っす。

願わくば子留りて斟酌【しんしゃく】し,此の平生の親を敘せよ。

 

600moon880

 



『詩四首 其一』 現代語訳と訳註

(本文)

骨肉緣枝葉,結交亦相因。

四海皆兄弟,誰爲行路人。

況我連枝樹,與子同一身。

昔爲鴛和鴦,今爲參與辰。

 

 

(下し文) #1

骨肉 枝葉に縁り、交りを結ぶも亦た相い因る。

四海 皆兄弟、誰か行路の人と爲さん。

況んや我は連枝の樹、子と同じく一身なるをや。

昔は鴛と鴦と爲り、今は参と辰と爲る。

 

 

(現代語訳)

(其の一)

兄弟というものは同じ根から出た枝や葉と同じ関係にあり、交際を結ぶ朋友もまた互いに頼り合うものである。

孔子も「四海の内は皆兄弟」だといったのであるから、誰でも路傍の人と見なすことはできない。

まして、私と君とは枝を連ねた樹の如き肉親の関係にあるのだから、なおさらである。

昔は鴛と鴦とのようによりそうて暮らしたのに、今は東西相いに隔たる参星と辰星との如く、遠ざかることとなった。

 

 

(訳注)

詩四首 其一

四首共に、蘇武が作った惜別の詩であるという。第一首は、匈奴に使する時に兄弟に別れ、第二首は匈奴から漢に帰る時に李陵に別れ、第三首は匈奴に使する時に妻に別れ、第四首は同じく友に別れる詩と伝えられている。

・蘇武(前142一前60年)字は子卿。前100年天漢元年で匈奴に使いし、拘留されて十九年間ったが、屈しなかった。後昭帝の時、匈奴と和親が爲り、始めて帰国し、典属国に拝せられた。この四首の詩はいずれも絶妙の傑作で、文選巻二九に載せてあるが、これを蘇武の作とするには古来異説があり、後人の擬作とするのが定説に近いとされる。

・四首 共に送別の詩で、第一首は兄弟に別れを叙べるものである。

 

骨肉緣枝葉,結交亦相因。

兄弟というものは同じ根から出た枝や葉と同じ関係にあり、交際を結ぶ朋友もまた互いに頼り合うものである。

 

四海皆兄弟,誰爲行路人。

孔子も「四海の内は皆兄弟」だといったのであるから、誰でも路傍の人と見なすことはできない。

・四海皆兄弟 論語・顔淵篇に「与人恭而有礼、四海之内、皆為兄弟也」(人と恭しくして礼あらば、四海の内皆兄弟たり)とある。

 

況我連枝樹,與子同一身。

まして、私と君とは枝を連ねた樹の如き肉親の関係にあるのだから、なおさらである。

 

昔爲鴛和鴦,今爲參與辰。

昔は鴛と鴦とのようによりそうて暮らしたのに、今は東西相いに隔たる参星と辰星との如く、遠ざかることとなった。

鴛和鴦 おしどりのオス()とメス ()

○参・辰 二つの星の名。参は西に在り、辰は東に在り、出没互いに相見ずという。

nat0002 

出師表-(まとめ)-諸葛亮 三国 詩<99-#14>Ⅱ李白に影響を与えた詩841 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2753

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前出師表1-1-1#1
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;
陛下の家臣である亮が申し上げます。 先帝(劉備)は、この国の基礎を作り始められてから、事業の道半ばにして、事業途中でほうぎょされました。
今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。
今、天下は三国に分かれ鼎立しており、わが益州の地は疲れ果ててしまい、これは本当に危急存亡の時、まさしく冬を迎えようとしているのです。
然侍衛之臣,不懈於內;
そんな中では、まず、陛下(劉禅)の護衛をしている兵士たちは怠慢の気持ちを起こすことがあってはなりません。
忠志之士,忘身於外者:
そして、忠義心を抱く役人たちでかためること、外部の守りをするものは自分の身を忘れることである。
蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
つまり、たいせつなのは、先帝(劉備)に特別の礼で接遇されたことを思い慕うこと、そして、その御恩を陛下に報いようとしなければならないと思うことであります。
誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。

1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;
宮廷の中と役所の中の者たちは、ともに一体となること。
陟罰臧否,不宜異同:
功績によって官位を上昇させることであり、、罰による官位の下降させることであり、人物の善し悪しの判断については、人によって異なる点があってはならないということです。
若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,
もし、やましいことや、悪事を行って法律を犯すこと、それに真心をもって善行をしたのだということになれば、役人に任じることにする。
論其刑賞,以昭陛下平明之治;
その刑罰と功績による褒美を与えることについて判断をさせるときには、陛下の公平で明らかな道理をはっきりとさせることによって判断をさせることにするのです。
不宜偏私,使內外異法也。
そのときには特定の人をえこひいきしたりして、国内・国外の法を曲げないようにすることです。
侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:
陛下に政務のことを申し上げる侍中(じちゅう)や役所の次官(じかん)である侍郞(じろう)の郭攸之(かくゆうし)や、費禕(ひい)や、董允(とういん)らは、彼らは皆な善良で実直であり、その志は真心があって素直であり、そのことを見抜かれた先の帝によって多くの者たちから選び出されて、そして陛下のためにのこされたのです。
愚以為宮中之事,事無大小,
彼等に任じて宮中の仕事をすすめていき、仕事の大小の差をつけないこと。
悉以咨之,然後施行,
すべて彼等に相談をすること。そういうことしたうえで実施すること。
必得裨補闕漏,有所廣益。
必ずよく手落ちとなっている部分を助けて補うこと。そうすれば、利益になるところが大きいのです。

1-1-3#3
將軍向寵,性行淑均,
将軍の向寵(こうちょう)は、性質と行いは穏やかで公平である。
曉暢軍事,試用之於昔日,
軍事に関する道理に通じており、すこし前のこと、彼を試みに用いています。
先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:
先帝(劉備)は彼を賞賛して能力のある人と仰せられています。このことで、衆人して議論により、彼を軍の指揮官としたのです。
愚以為營中之事,事無大小,
まず、わが身を愚として、彼に経営・軍事上のことを任せること。それは事の大小を問わずということです。
悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。
すべてのことをよく相談するのです。かれは、必ずよく軍・部隊をうち解けさせて、その個々人の優劣を見極め、能力にあった役割を与えてくれるのです。
親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;
才能や仁徳にすぐれた家臣に親しんで、人格の劣ったくだらない者たちを遠ざけるのは、これは前漢という国が盛えた所以なのです。
親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。
一方で小人という人格の劣ったくだらない者たちと親しんで、賢臣という才能や人格にすぐれた家臣たちを遠ざけるのは、これは後漢末期に、國が衰えてしまった理由なのです。

1-1-4#4
先帝在時,每與臣論此事,
先帝(劉備)がご存命の時、常に私と次の事を議論している。
未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!
まず、後漢の国家を衰えさせ痛恨の極みである桓帝と霊帝の時代を嘆いていた。
侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,
侍中や、中央官庁の長官である尚書や、宰相の次官である長史や、軍の相談に当たる役人の参軍の者たちは、彼等はすべて志がまっすぐですぐれたもの、大義のためには命を惜しまない家臣たちを配する事である。
願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。
陛下にはその者たちと親しまれ、信頼されること。それによって漢の王室が栄えること。日々計画的にすること、そうしてその結果を待つようにすることを願うのです。

4岳陽樓詩人003















1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。


1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。

1-2-2#6
受命以來,夙夜憂慮,
私はそのご命令を受けて以来、朝早くから夜遅くまで、思い悩んでおります。
恐付託不效,以傷先帝之明;
人に頼むことによって成果を出すことが出来ないことをいつも恐れ、それが先帝の道理の明るさを傷つけてしまうのではないかということを恐れておるのです。
故五月渡瀘,深入不毛。
そこで五月に瀘水を渡って、作物が十分に育たないといわれた土地の中へと深く入っていくのです。
今南方已定,甲兵已足,
現在は南方はすでに平定しましたが、武器とよろいかぶと兵力はすでに十分にそろっております。
當獎帥三軍,北定中原,
今こそ大軍を統率して北にある天下の中央部である中原を平定する北伐をせねばならないのです。
庶竭駑鈍,攘除奸兇,
皆でその鈍い才能のかぎりを尽くして、魏の悪者たちを払い除くのです。
興復漢室,還於舊都:
漢の王室を元通りに復興することです。都を昔の都に戻すことです。
此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。
家臣を集め、そして先帝の御霊にそのはたらきを報告するのです。
至於斟酌損益,進盡忠言,
そして北伐の損益・功績をさしはかり、忠誠信に基づいた発言の限りを進言させます。
則攸之、依、允等之任也。
すなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれを任せるのです。
1-2-3 #7
願陛下托臣以討賊興復之效,
願わくば陛下は託された臣下は託されたことで北伐で魏の賊を討ち、元通りに復興させるのに役割を果たす。
不效則治臣之罪,以告先帝之靈;
元通りに復興させる役割を果たせないときにはこれは罪で私をはじめとする臣下の者に問い、以て先帝の霊に報告をさせるのです。
若無興復之言,則責攸之、依、允等之咎,
もし、漢を元通りに復興させなければ、すなわちすなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれをとがめることにするのです。
以彰其慢。陛下亦宜自謀,
そして彼等の怠慢を明らかに致します。陛下もまたご自身で調べられることです。
以諮諏善道,察納雅言,深追先帝遺詔。
そして臣下に意見を求めて相談して正しい方向へ導き、良い言葉を聞き入れて、深く先の帝のご臨終の時のお言葉を思い出していただきたいのです。
臣不勝受恩感激!今當遠離,
私は陛下の御恩を受けて感激をこらえることができません。今、私は任務を受けて陛下の元を遠く離れるのです。
臨表涕泣,不知所云。
此れだけの心意を申し上たことで涙を流しっぱなしで、何を言うべきかわからないほどです。


1-1-1#1
臣の亮言わく:先帝、業を創【はじ】めて未だ半ばならずして中道にして崩殂し、
今の天下は参に分かたれ、益州【えきしゅう】は疲弊し、此れ誠の危急存亡の秋なり。然るに侍衛【じえい】の臣は内に懈【おこた】らず、忠志【ちゅうし】の士は身を外に忘るるは、蓋し先帝の殊遇【しゅぐう】を追うて、之を陛下に報いんと欲すればなり。誠に宜しく聖徳【せいとく】を開張【かいちょう】するに、光【おお】いなる先帝の遺徳【いとく】を以てすべく、志士【しし】の気を恢弘【かいこう】し、妄りに菲薄【ひはく】に自【よ】りて、喩えを引きて義を失うて、以て忠諫【ちゅうかん】の路を塞ぐべからざるなり。

1-1-2#2
宮中・府中は俱に一体となり、
陟罰【ちょくばつ】・臧否【ぞうひ】、宜しく異同あるべからず。
若し奸を作して科を犯して忠善【ちゅうぜん】を為すに及びては、宜しく有司【ゆうし】に付して
其の刑賞を論ずるに、陛下の平明の理を昭【あき】らかにするを以てし、
宜しく偏私【へんし】して、内外の法を異ならしむべからず。
侍中【じちゅう】﹑侍郎【じろう】の郭攸之【かくゆうし】﹑費禕【ひい】﹑董允【とういん】らは、此れ皆な良実【りょうじつ】にして、志慮【しりょ】は忠純【ちゅうじゅん】にして、是を以て先帝は簡抜【かんばつ】して以て陛下に遺す。
愚は以て宮中の事を為し、事に大小 無く、
悉く之に咨(はか)るを以て、然る後に施行され、
必ず能く闕漏(けつろう)を裨補(ひほ)して、広く益する所有り。

 1-1-3#3
将軍の向寵【こうちょう】は、性行は淑均【しゅっきん】にす、
軍事に暁暢【ぎょうちょう】し、試みに昔日に用いる、
先帝は之を称して能と曰【い】い、是を以て衆議は寵を挙げて督と為す。
愚は以て営中【えいちゅう】の事を為し、事は大小無し。
悉く之に咨るを以て、必ず能く行陳【こうじん】して和睦し、優劣の所を得しむ。
賢臣に親しみて、小人を遠ざくるは、此れ先の漢の興隆せし所以なり;
小人に親しみ、賢臣を遠ざくるは、此れ後漢の傾頽【けいたい】せし所以なり。

1-1-4#4
先帝の在時、毎に臣と此の事を論じ、
未だ嘗て歎息して桓﹑霊を痛恨せざることあらざるなり。
侍中【じちゅう】、文書の発行をつかさどる尚書【しょうしょ】や、長史【ちょうし】﹑参軍【さんぐん】は、此れ悉く貞良 死節の臣にして、
願わくは陛下は之に親しみ之を信じ、則ち漢室の隆【さかん】なるを、日に計りて待つべきなり。

1-1-5#5
臣は本と布衣【ふい】にして、南陽に躬耕【きゅうこう】し、
苟【いやし】くも性命を乱世に全うし、諸侯に聞達【ぶんたつ】せらるるを求めず。
先帝は臣を以て卑鄙【ひひ】とせず、猥【みだ】りに自ら枉屈(おうくつ)し、
参【み】たび臣を草廬の中に顧みて、臣に諮【はか】るに当世の事を以てす。
是に由りて感激し、遂【つい】に先帝に以て駆馳【くち】を許さる。
後に傾覆に値【あ】い、任を敗軍の際に受けて、
命を危難の間に奉り、爾来【じらい】二十有一年なり。
先帝は臣の謹慎なるを知りて、故に崩に臨みて臣に寄するに大事を以てするなり。

1-1-6#6
命を受けて以来、夙夜【しゅくや】に憂歎【ゆうたん】し、託付【たくふ】して效【こう】あらずして、以て先帝の明を傷つくるを恐れ、
故に五月に瀘【ろ】に渡り、深く不毛に入る。
今は南方は已に定まり、兵甲は已に足り、
当に奨めて参軍を率い、北に中原を定めて、
庶【ことごと】く駑鈍【どどん】を竭【つく】し、姦凶【かんきょう】を攘【はら】い除き、
漢室を興復【こうふく】し、旧都に還らんとすべし。此れ臣の先帝に報いて、陛下の職分に忠なる所以なり。損益を斟酌するに至り、進んで忠言を尽し、則ち攸之﹑禕﹑允の任なり。

1-1-7#7
願わくは陛下の臣に託するに討賊【とうぞく】興復の效【こう】を以てせんことを;
效あらざれば、則ち臣の罪を治めて、以て先帝の霊に告げん。
若【も】し徳を興すの言 無くば、則ち攸之﹑依﹑允等の咎を責め、以て其の慢を彰らかにせん。
陛下は亦た宜しく自ら課して、以て善道を諮諏【ししゅ】し、
雅言【がげん】を察納【さつのう】し、深く先帝の遺詔(いしょう)を追うべし。
臣は恩を受けて感激に勝えず、今、遠離に当たりて、
表に臨みて涕泣【ていきゅう】し、云【い】う所を知らず。


後出師表 #1
亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷にあります。
皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
そのどちらも魏の賊軍が多くおるのです。ところが、我々がその賊軍を破ることができなくて反対に賊軍に打ち破られている現状なのです。
則此病不在兵少也、在一人耳。
つまりこの苦しい状況は我々の兵の数が少ないからではなく、その敗北の戦略責任はわたくし、ただ一人にあるのです。
今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
今はまず、兵の数を減らして将軍の数を少なくすること、刑罰を明らかにして間違ったところについて明らかにすること、それから、事態に臨機応変に対処する方策を立てるためにいろんなことを引きあわせて調べることに致すことなのです。
若不能然者、雖兵多何益!
もしそうすることができなければ、我々の兵の数が多くても何の利益があるというのでしょうか。
自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
こから後は、もろもろの事態に忠臣愛国、真心を維持し国をおもう、ひたすらに私のこれまでの過失を責めることに励みます。
則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」
そうすれば万事定まって、賊は死ぬことになるでしょう。功績はつま先立ちをするように期待をして待つことができます」と。

#2 

於是考微労、甄烈壮、
これからは微に入り細に入って苦労することをおしまず、勇ましく激しい兵士を育てるのです。
引咎責躬、布所失於天下、
責任の所在をはっきりさせ、信賞必罰にします。そして、天下の人にも過失のあるところを公明正大にします。
厲兵講武、以為後図、
それには兵士たちを鍛えて武術を鍛錬させる、まずそんな風に将来の計画をたてます。
戎士簡練、民忘其敗矣。
兵士たちは選び出されて鍛えてゆき、民衆は前に戦に負けたことも忘れるほどになる。
亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。

私、亮は以下を把握しています、それは“呉の孫権が魏の曹休を破り、魏の兵は東に下がって、関中地方での勢力が弱まっている”のです。

渓谷003







#3
十一月、上言曰:
そこで十一月になったので、主君(劉禅)に以下のように申し上げる。
「先帝慮漢﹑賊不両立、
「先帝(劉備)は漢の再興に配慮されて、賊(魏)に並び立ってはいけないと思っておられた。
王業不偏安、故託臣以討賊也。
それに天下を治めるための事業は安定している状況とは言えなく、それゆえ、先帝は家臣の私に後のこと、賊討伐を託されたのです。
以先帝之明、量臣之才、
先帝の明晰な知恵によって、家臣の才能を推量なされた。
故知臣伐賊才弱敵強也;
魏という敵が強いことを理解しておられ、賊を征伐するには家臣の才能が乏しいと思っておられた。
そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです。

然不伐賊、王業亦亡、
だからといって賊を討伐てず、それによって天下統一して治めることも失ってしまうことはできない。
惟坐待亡、孰与伐之?
ただ目の前の状況をそのままにして自分が滅びるのを待つようであれば、一体誰が賊を討伐できるのだろうか?
是故託臣而弗疑也。

そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです。


#4
臣受命之日、寝不安席、
家臣としてその命令を受けた日は、寝るのに寝床に安心して居ることはできませんでした。
食不甘味、思惟北征、
食事をするときもその味をあじわくこともできませんし、ただ、私の気持ちは魏を討つ北征にあるだけでした。
宜先入南、故五月渡瀘、
そのためにはまず南方を平定しなければいけないのです。ゆえに五月に瀘水渡り攻め込むことにしたのです。
深入不毛、并日而食。
土地の性質が悪く農作物も十分に育たないような土地に深く入り込んで、二日に一度食事を取るほどの苦心をしたのです。
臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、
家臣の私はその苦しみを自ら惜しいと思わないわけではないのです。天下統一を治めることを常に考えてこの蜀の都を他の二国に比較して劣ることのない状態に保つことはできていない現状なのです。
故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。
ゆえに危険を冒してでも先帝が私に託されたご意思を大切にして万事を行っているのです。しかしあれこれと文句をつける者たちはこれを良いはかりごとではないと言っているのです。
今賊適疲於西、又務於東、
現在、賊軍は西のまもりをするのに疲弊しており、その状態でまた呉対策の東に備えているのです。
兵法乘労、此進趨之時也。

兵法の基本は相手が疲れ苦労しているときそれに乗じること、この趨勢に時機を逸しないで進攻することなのです。
DCF00017












99-#5

謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。

曙00199-#6 
繇﹑王朗各拠州郡、

御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
論安言計、動引聖人、
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。
群疑満腹、衆難塞胸、
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。

今歳不戦、明年不征、

孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。
使孫策坐大、遂并江東、
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。
此臣之未解二也。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です。2-2-3#7

曹操智計,殊絕於人,其用兵也,
曹操の知力と計略は、すぐれていて他の人たちとは全く違い、その兵法を用いることにある。
仿怫孫、吳,然困於南陽,
まるで兵法の書物でも有名な孫子(そんし)や呉子(ごし)を思わせるほどのものです。そうであるにもかかわらず、南陽の地で苦しめられた。

險於烏巢,危於祁連,

烏巣(うそう)では危険であったし、祁連(きれん)山でも危うい状況であった。
逼於黎陽,幾敗北山,
黎陽(れいよう)の地では敵に迫られて、北山では何度も敗北したのだ。
殆死潼關,然後偽定一時耳;
潼関では全軍ほとんど全滅状態なり、その後にやっと一時の見せかけ安定状態に持ちこたえたのです。
況臣才弱,而欲以不危而定之:
ましてや陛下の臣下である私の才能は乏しいのですから、それなのに危険を冒さずに国を安定させようとすることなどできるはずがないのです。
此臣之未解三也。
これは臣下の私がいまだに理解していないことの三点目です。

曙0012-2-4#8

曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,
曹操は五回も昌霸を攻めましたが攻め落とすことはできず、四回も巣湖(そうこ)を越えても覇業をなし遂げることはできなかった。
任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,
そこで李服を用いてはかりごとを立案し、夏侯淵将軍に任せたが、戦いに敗れてしまった。
先帝每稱操為能,猶有此失;
それでも先帝は常に曹操を有能な人物だと賞賛しておられた。そしてこの有能な人物を失ってはいけないと考えられていたのです。
況臣弩下,何能必勝:
しかし、先帝があれほど賞賛された曹操までがこんな様子なのですから、ましてや才能に乏しい私などは、どうして必勝することができると言えましょうか。
此臣之未解四也。
これは臣下の私がいまだ理解していない四点目です。

#9 
自臣到漢中、中間期年耳、
私が漢中に行きましてから、ただ半年が経っただけであります。
然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。
それなのに趙雲・陽群(ようい)・馬玉・閻芝(えんし)・丁立(ていりつ)・白壽(はくじゅ)・劉郃(りゅうこう)、鄧銅(とうどう)という部下たちや、その下の曲長・屯将(とんしょう)の地位にある者たちの七十数名を失うだけでなく、先頭で突撃していく将軍はいなくなってしまいました。
賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、
賨叟(そうそう)・青羌(せいきょう)といった異民族の兵や陛下のそば近くに使える騎士やその他の勇敢な騎士千人余りを失ったのです。
此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、
この者たちは皆、数十年の間に四方の各地にいた精鋭たちを寄せ集めたもので、一つの州の人員だけで構成されているわけではないのです。
百舌鳥02若復数年、則損参分之二也、
もしこの先数年も同じような状況を重ねるのであれば、さらに三分の二を失うこととおもわれます。
当何以図敵?
そうなればどうやって敵にはかりごとを行うことができるでしょうか。
此臣之未解五也。
これは臣下の私がいまだ理解していない五点目です。

#10
今民窮兵疲,而事不可息;
今、民衆は生活に苦しく、兵は疲労してしまっておりますが、それでも有事は休むことなく必ずやって来るのです。
事不可息,則住與行,勞費正等;
その有事が休むことなくやって来る状況であれば、その場に止まるにしても先に行くにしても、そのための労働と、そのための費えは常に等しいのです。
而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:
しかしながら今はこのことに対してはきちんとした計画を立てることができていないで、賊に一つの州を与えることで持久できているのです。
此臣之未解六也。
これは臣下の私がいまだ理解していない六点目です。

#1

亮曰く、「大軍は祁山【きざん】・箕谷【きこく】に在りて、
皆な賊多し、而るに賊を破る能わずして賊の破る所となるのは、
則ち此の病は兵の少なきにあらず、一人に在るのみ。
今、兵を減じ将を省かんとして、罰を明らかにし過ちを思い、変通【へんつう】の道を将来に校【くら】ぶ;
若【も】し然る能わざれば、兵の多きと雖も何の益かあらん。
今より已後【いご】、諸【もろも】ろを忠に国を慮【おもんばか】ること有りて、但だ吾の闕【けつ】を攻めることを勤めば、
則ち事は定まるべくして、賊は死すべし、功は足を蹻【あ】げて待つべし」と。

#2
是に於て微に労を考え、烈壮【れっそう】を甄【そだ】て、
引咎【いんきゅう】して躬【み】を責め、天下に失うところを布【の】べ、
兵を厲【みが】き武を講じて、以て後図【こうと】を為し、
戎士【じゅうし】は簡練【かんれん】し、民は其の敗るるを忘る。

亮は孫権の曹休を破り、魏の兵は東に下り、関中は虚弱たるを聞けり。
#3

十一月、上言して曰く、
「先帝は漢を慮【おもんぱか】り﹑賊に両立せず、
王業は偏【ひとえ】には安からず、故に臣に託して以て賊を討たんとするなり。
先帝の明を以て、臣の才を量れば、
故に臣の賊を伐つに才の弱く敵の強きを知るなり。
然るに賊を伐たず、王業も亦た亡び、
惟だ坐して亡ぶるを待つ、孰【いずれ】か与【とも】に之を伐たん?

是の故に臣に託して疑わざるなり。 
#4
臣の命を受くるの日、寝ても席に安んぜず、
食べても味を甘しとせず、思は惟【た】だ北征にあるのみ。宜しく先んじて南に入るべし、
故に五月に瀘【ろ】を渡り、深く不毛に入り、
日を并【あわ】せて食らう。
臣は自ら惜まざるに非ざるなり、王業を顧みて偏に蜀都【しょくと】を全【まっと】うするを得ず、
故に危難を冒して以て先帝の遺意【いい】を奉ずるなり、而れども議する者は非計を為すと謂う。
今、賊は適きて西に疲れ、又た東に務む、
兵法は労するに乗ず、此れ進趨の時なり。

#-5

 謹んで其の事を陳【の】ぶれば左の如し:
 高帝【こうてい】の明なるは日月に並び、謀臣【ぼうしん】は淵深【しんえん】なり、
然れども険【けん】を渉【わた】りて創【きず】を被【こうむ】り、危くして然る後に安し。
今の陛下は未だ高帝に及ばず、謀臣は良・平に如かず、

而れども長計【ちょうけい】を以て勝を計り、坐して天下を定めんと欲するは、此れ臣の未だ解せざるの一なり。
#-6

劉繇【りゅうよう】・王朗は各【おのお)の州郡に拠りて、
安きを論じて計を言い、動くに聖人を引くも、
群疑【ぐんぎ】は腹を満たし、衆難【しゅうなん】は胸を塞【ふさ】ぎ、
今歳【こんさい】にして戦わず、明年にして征せず、
孫策【そんさく】をして坐【いながら】に大ならしめて、遂に江東を并【あわ】さる、

此れ臣の未だ解せざるの二なり。

#7
曹操の智計【ちけい】は殊【こと】に人に絶し、其の兵を用いるや、
孫・呉を髣彿【ほうふつ】とさせる、然るに南陽に困しみ、
烏巣【うそう】に険しく、祁連【きれん】に危うく、
黎陽【れいよう】に偪【せま】られ、幾たびも北山【ほくざん】に敗れ、
殆【ほと】んど潼関に死し、然る後に偽りて一時を定むるのみ、
況んや臣の才の弱く、而して以て危うからずして之を定めんと欲するにおいてをや。

此れ臣の未だ解せざるの参【さん】なり。
#8
曹操は五たび昌霸【しょうは】を攻めて下せず、四たび巣湖【そうこ】を越ゆるも成らず、
李服【りふく】を任用して李服は之を図り、夏侯に委ねて夏侯は敗亡す。
先帝は毎に操【そう】を称して能と為すこと、猶お此を失うこと有るがごとし。
況んや臣の駑下【どか】なるにおいてをや。何ぞ必勝を能くせん?
此れ臣の未だ解せざるの四なり。

 #9
臣の漢中に到りてより、中間にして期年するのみにて、
然るに趙雲【ちょううん】・陽群【ようい】・馬玉・閻芝【えんし】・丁立【ていりつ】・白壽【はくじゅ】・劉郃【りゅうこう】、鄧銅【とうどう】ら及び曲長【きょくちょう】・屯将の七十餘人を喪い、突将は前に無し。
賨叟【そうそう】・青羌【せいきょう】・散騎【さんき】・武騎一千餘人を喪い、
此れ皆な数十年の内に四方の精鋭を糾合【きゅうごう】せし所にして、一州の有する所に非ず、
若し数年を復【ふたた】びすれば、則ち参分の二を損するなり、
当に何を以て敵に図すべきや?
此れ臣の未だ解せざるの五なり。

#10 

今、民は窮して兵は疲れ、而るに事は息むべからず。
事は息むべからずして、則ち住【とど】まると行くと労するも費やすも正に等し。
而れども今は之を図るに及ばず、一州の地を以て賊に与えて持久す、

此れ臣の未だ解せざるの六なり。 

出師表-後出師表(まとめ)-諸葛亮  詩<99-#13>Ⅱ李白に影響を与えた詩840 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2748

出師表-後出師表(まとめ)-諸葛亮 後出師表は呉にいた諸葛亮の親族、諸葛喬や諸葛恪が伝承したもので、蜀に残っていなくとも不自然ではない。陳寿が三国志に収録しなかったのは、魏王朝を「賊」呼ばわりするなど表現が過激だからであろう。いずれにしても、内容的に優れたものではない。何らかのものを諸葛亮が劉禅に書いたのではあろうが、こんな内容の薄さではなかったであろう。


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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
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李商隠詩 
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出師表-後出師表(まとめ)-諸葛亮  詩<99-#13>Ⅱ李白に影響を与えた詩840 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2748

後出師表 #1
亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷にあります。
皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
そのどちらも魏の賊軍が多くおるのです。ところが、我々がその賊軍を破ることができなくて反対に賊軍に打ち破られている現状なのです。
則此病不在兵少也、在一人耳。
つまりこの苦しい状況は我々の兵の数が少ないからではなく、その敗北の戦略責任はわたくし、ただ一人にあるのです。
今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
今はまず、兵の数を減らして将軍の数を少なくすること、刑罰を明らかにして間違ったところについて明らかにすること、それから、事態に臨機応変に対処する方策を立てるためにいろんなことを引きあわせて調べることに致すことなのです。
若不能然者、雖兵多何益!
もしそうすることができなければ、我々の兵の数が多くても何の利益があるというのでしょうか。
自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
こから後は、もろもろの事態に忠臣愛国、真心を維持し国をおもう、ひたすらに私のこれまでの過失を責めることに励みます。
則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」
そうすれば万事定まって、賊は死ぬことになるでしょう。功績はつま先立ちをするように期待をして待つことができます」と。


亮曰く、「大軍は祁山【きざん】・箕谷【きこく】に在りて、
皆な賊多し、而るに賊を破る能わずして賊の破る所となるのは、
則ち此の病は兵の少なきにあらず、一人に在るのみ。
今、兵を減じ将を省かんとして、罰を明らかにし過ちを思い、変通【へんつう】の道を将来に校【くら】ぶ;
若【も】し然る能わざれば、兵の多きと雖も何の益かあらん。
今より已後【いご】、諸【もろも】ろを忠に国を慮【おもんばか】ること有りて、但だ吾の闕【けつ】を攻めることを勤めば、
則ち事は定まるべくして、賊は死すべし、功は足を蹻【あ】げて待つべし」と。


#2 
於是考微労、甄烈壮、
これからは微に入り細に入って苦労することをおしまず、勇ましく激しい兵士を育てるのです。
引咎責躬、布所失於天下、
責任の所在をはっきりさせ、信賞必罰にします。そして、天下の人にも過失のあるところを公明正大にします。
厲兵講武、以為後図、
それには兵士たちを鍛えて武術を鍛錬させる、まずそんな風に将来の計画をたてます。
戎士簡練、民忘其敗矣。
兵士たちは選び出されて鍛えてゆき、民衆は前に戦に負けたことも忘れるほどになる。
亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。

私、亮は以下を把握しています、それは“呉の孫権が魏の曹休を破り、魏の兵は東に下がって、関中地方での勢力が弱まっている”のです。

是に於て微に労を考え、烈壮【れっそう】を甄【そだ】て、
引咎【いんきゅう】して躬【み】を責め、天下に失うところを布【の】べ、
兵を厲【みが】き武を講じて、以て後図【こうと】を為し、
戎士【じゅうし】は簡練【かんれん】し、民は其の敗るるを忘る。
亮は孫権の曹休を破り、魏の兵は東に下り、関中は虚弱たるを聞けり。

渓谷003







#3
十一月、上言曰:
そこで十一月になったので、主君(劉禅)に以下のように申し上げる。
「先帝慮漢﹑賊不両立、
「先帝(劉備)は漢の再興に配慮されて、賊(魏)に並び立ってはいけないと思っておられた。
王業不偏安、故託臣以討賊也。
それに天下を治めるための事業は安定している状況とは言えなく、それゆえ、先帝は家臣の私に後のこと、賊討伐を託されたのです。
以先帝之明、量臣之才、
先帝の明晰な知恵によって、家臣の才能を推量なされた。
故知臣伐賊才弱敵強也;
魏という敵が強いことを理解しておられ、賊を征伐するには家臣の才能が乏しいと思っておられた。
そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです。

然不伐賊、王業亦亡、
だからといって賊を討伐てず、それによって天下統一して治めることも失ってしまうことはできない。
惟坐待亡、孰与伐之?
ただ目の前の状況をそのままにして自分が滅びるのを待つようであれば、一体誰が賊を討伐できるのだろうか?
是故託臣而弗疑也。

そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです
 
十一月、上言して曰く、
「先帝は漢を慮【おもんぱか】り﹑賊に両立せず、
王業は偏【ひとえ】には安からず、故に臣に託して以て賊を討たんとするなり。
先帝の明を以て、臣の才を量れば、
故に臣の賊を伐つに才の弱く敵の強きを知るなり。
然るに賊を伐たず、王業も亦た亡び、
惟だ坐して亡ぶるを待つ、孰【いずれ】か与【とも】に之を伐たん?

是の故に臣に託して疑わざるなり。 


#4
臣受命之日、寝不安席、
家臣としてその命令を受けた日は、寝るのに寝床に安心して居ることはできませんでした。
食不甘味、思惟北征、
食事をするときもその味をあじわくこともできませんし、ただ、私の気持ちは魏を討つ北征にあるだけでした。
宜先入南、故五月渡瀘、
そのためにはまず南方を平定しなければいけないのです。ゆえに五月に瀘水渡り攻め込むことにしたのです。
深入不毛、并日而食。
土地の性質が悪く農作物も十分に育たないような土地に深く入り込んで、二日に一度食事を取るほどの苦心をしたのです。
臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、
家臣の私はその苦しみを自ら惜しいと思わないわけではないのです。天下統一を治めることを常に考えてこの蜀の都を他の二国に比較して劣ることのない状態に保つことはできていない現状なのです。
故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。
ゆえに危険を冒してでも先帝が私に託されたご意思を大切にして万事を行っているのです。しかしあれこれと文句をつける者たちはこれを良いはかりごとではないと言っているのです。
今賊適疲於西、又務於東、
現在、賊軍は西のまもりをするのに疲弊しており、その状態でまた呉対策の東に備えているのです。
兵法乘労、此進趨之時也。

兵法の基本は相手が疲れ苦労しているときそれに乗じること、この趨勢に時機を逸しないで進攻することなのです。

臣の命を受くるの日、寝ても席に安んぜず、
食べても味を甘しとせず、思は惟【た】だ北征にあるのみ。宜しく先んじて南に入るべし、
故に五月に瀘【ろ】を渡り、深く不毛に入り、
日を并【あわ】せて食らう。
臣は自ら惜まざるに非ざるなり、王業を顧みて偏に蜀都【しょくと】を全【まっと】うするを得ず、
故に危難を冒して以て先帝の遺意【いい】を奉ずるなり、而れども議する者は非計を為すと謂う。
今、賊は適きて西に疲れ、又た東に務む、
兵法は労するに乗ず、此れ進趨の時なり。

DCF00017












99-#5

謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。

#-5

 謹んで其の事を陳【の】ぶれば左の如し:
 高帝【こうてい】の明なるは日月に並び、謀臣【ぼうしん】は淵深【しんえん】なり、
然れども険【けん】を渉【わた】りて創【きず】を被【こうむ】り、危くして然る後に安し。
今の陛下は未だ高帝に及ばず、謀臣は良・平に如かず、

而れども長計【ちょうけい】を以て勝を計り、坐して天下を定めんと欲するは、此れ臣の未だ解せざるの一なり。

曙00199-#6 
繇﹑王朗各拠州郡、

御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
論安言計、動引聖人、
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。
群疑満腹、衆難塞胸、
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。

今歳不戦、明年不征、

孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。
使孫策坐大、遂并江東、
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。
此臣之未解二也。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です
#-6
劉繇【りゅうよう】・王朗は各【おのお)の州郡に拠りて、
安きを論じて計を言い、動くに聖人を引くも、
群疑【ぐんぎ】は腹を満たし、衆難【しゅうなん】は胸を塞【ふさ】ぎ、
今歳【こんさい】にして戦わず、明年にして征せず、
孫策【そんさく】をして坐【いながら】に大ならしめて、遂に江東を并【あわ】さる、

此れ臣の未だ解せざるの二なり。

2-2-3#7
曹操智計,殊絕於人,其用兵也,
曹操の知力と計略は、すぐれていて他の人たちとは全く違い、その兵法を用いることにある。
仿怫孫、吳,然困於南陽,
まるで兵法の書物でも有名な孫子(そんし)や呉子(ごし)を思わせるほどのものです。そうであるにもかかわらず、南陽の地で苦しめられた。

險於烏巢,危於祁連,

烏巣(うそう)では危険であったし、祁連(きれん)山でも危うい状況であった。
逼於黎陽,幾敗北山,
黎陽(れいよう)の地では敵に迫られて、北山では何度も敗北したのだ。
殆死潼關,然後偽定一時耳;
潼関では全軍ほとんど全滅状態なり、その後にやっと一時の見せかけ安定状態に持ちこたえたのです。
況臣才弱,而欲以不危而定之:
ましてや陛下の臣下である私の才能は乏しいのですから、それなのに危険を冒さずに国を安定させようとすることなどできるはずがないのです。
此臣之未解三也。
これは臣下の私がいまだに理解していないことの三点目です。

#7
曹操の智計【ちけい】は殊【こと】に人に絶し、其の兵を用いるや、
孫・呉を髣彿【ほうふつ】とさせる、然るに南陽に困しみ、
烏巣【うそう】に険しく、祁連【きれん】に危うく、
黎陽【れいよう】に偪【せま】られ、幾たびも北山【ほくざん】に敗れ、
殆【ほと】んど潼関に死し、然る後に偽りて一時を定むるのみ、
況んや臣の才の弱く、而して以て危うからずして之を定めんと欲するにおいてをや。

此れ臣の未だ解せざるの参【さん】なり。
曙0012-2-4#8

曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,
曹操は五回も昌霸を攻めましたが攻め落とすことはできず、四回も巣湖(そうこ)を越えても覇業をなし遂げることはできなかった。
任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,
そこで李服を用いてはかりごとを立案し、夏侯淵将軍に任せたが、戦いに敗れてしまった。
先帝每稱操為能,猶有此失;
それでも先帝は常に曹操を有能な人物だと賞賛しておられた。そしてこの有能な人物を失ってはいけないと考えられていたのです。
況臣弩下,何能必勝:
しかし、先帝があれほど賞賛された曹操までがこんな様子なのですから、ましてや才能に乏しい私などは、どうして必勝することができると言えましょうか。
此臣之未解四也。
これは臣下の私がいまだ理解していない四点目です。

#8
曹操は五たび昌霸【しょうは】を攻めて下せず、四たび巣湖【そうこ】を越ゆるも成らず、
李服【りふく】を任用して李服は之を図り、夏侯に委ねて夏侯は敗亡す。
先帝は毎に操【そう】を称して能と為すこと、猶お此を失うこと有るがごとし。
況んや臣の駑下【どか】なるにおいてをや。何ぞ必勝を能くせん?
此れ臣の未だ解せざるの四なり。


 

#9 
自臣到漢中、中間期年耳、
私が漢中に行きましてから、ただ半年が経っただけであります。
然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。
それなのに趙雲・陽群(ようい)・馬玉・閻芝(えんし)・丁立(ていりつ)・白壽(はくじゅ)・劉郃(りゅうこう)、鄧銅(とうどう)という部下たちや、その下の曲長・屯将(とんしょう)の地位にある者たちの七十数名を失うだけでなく、先頭で突撃していく将軍はいなくなってしまいました。
賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、
賨叟(そうそう)・青羌(せいきょう)といった異民族の兵や陛下のそば近くに使える騎士やその他の勇敢な騎士千人余りを失ったのです。
此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、
この者たちは皆、数十年の間に四方の各地にいた精鋭たちを寄せ集めたもので、一つの州の人員だけで構成されているわけではないのです。
百舌鳥02若復数年、則損参分之二也、
もしこの先数年も同じような状況を重ねるのであれば、さらに三分の二を失うこととおもわれます。
当何以図敵?
そうなればどうやって敵にはかりごとを行うことができるでしょうか。
此臣之未解五也。
これは臣下の私がいまだ理解していない五点目です。

臣の漢中に到りてより、中間にして期年するのみにて、
然るに趙雲【ちょううん】・陽群【ようい】・馬玉・閻芝【えんし】・丁立【ていりつ】・白壽【はくじゅ】・劉郃【りゅうこう】、鄧銅【とうどう】ら及び曲長【きょくちょう】・屯将の七十餘人を喪い、突将は前に無し。
賨叟【そうそう】・青羌【せいきょう】・散騎【さんき】・武騎一千餘人を喪い、
此れ皆な数十年の内に四方の精鋭を糾合【きゅうごう】せし所にして、一州の有する所に非ず、
若し数年を復【ふたた】びすれば、則ち参分の二を損するなり、
当に何を以て敵に図すべきや?
此れ臣の未だ解せざるの五なり。

#10
今民窮兵疲,而事不可息;
今、民衆は生活に苦しく、兵は疲労してしまっておりますが、それでも有事は休むことなく必ずやって来るのです。
事不可息,則住與行,勞費正等;
その有事が休むことなくやって来る状況であれば、その場に止まるにしても先に行くにしても、そのための労働と、そのための費えは常に等しいのです。
而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:
しかしながら今はこのことに対してはきちんとした計画を立てることができていないで、賊に一つの州を与えることで持久できているのです。
此臣之未解六也。
これは臣下の私がいまだ理解していない六点目です。

今、民は窮して兵は疲れ、而るに事は息むべからず。
事は息むべからずして、則ち住【とど】まると行くと労するも費やすも正に等し。
而れども今は之を図るに及ばず、一州の地を以て賊に与えて持久す、
此れ臣の未だ解せざるの六なり。


 

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#12>Ⅱ李白に影響を与えた詩839 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2743

諸葛亮《出師表-後出師表》 その後に呉の孫権は考え方を変えて我々との同盟にそむいた。そして、関羽は策略にはまり、惨敗したのです。それはホトトギスが足を滑らせた時ように、ちぐはぐになものだったのです。その後、曹操が死すと息子の曹丕が皇帝を名乗るのです。

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#12
然後呉更違盟、関羽毀敗、
その後に呉の孫権は考え方を変えて我々との同盟にそむいた。そして、関羽は策略にはまり、惨敗したのです。
秭帰蹉跌、曹丕称帝。
それはホトトギスが足を滑らせた時ように、ちぐはぐになものだったのです。その後、曹操が死すと息子の曹丕が皇帝を名乗るのです。
凡事如是、難可逆見。
事態はおおよそここまで述べたようなものですが、これをあらかじめ予見して動くことは難しいことなのです。
臣鞠躬尽力、死而後已、
臣下である私は、身を挺して国家にお仕えし、死ぬまで全力を尽す所存です。
至於成敗利鈍、非臣之明所能逆睹也」
この先成功するか失敗するか、幸運に遭うか不運に遭うかは、私の知恵ではあらかじめうまく予測することはできません。(全力で取り組んで勝利を手にしないといけないのです)。」と。
是有散関之役。
この後、北伐・散関(隴西・関中西)での戦いとなっていくのです。
此表、亮集所無、出張儼黙記。
この劉禅に対する諸葛亮の意思を表明する文章は、諸葛亮が編集したものではなく、呉の張儼【ちょうげん】の『黙記【もくき】』という孔明を評論した文集の中に記されたものである。
#12
然る後に呉は更【かわ】りて盟を違え、関羽は毀敗【きはい】し、
秭帰【しき】は蹉跌【さてつ】し、曹丕は帝を称す。
凡【およ】そ事は是の如くにして、逆【あらかじ】め見るべくは難し。
臣は鞠躬【きくきゅう】尽力し、死して後に已(や)む、
成敗【せいばい】利鈍【りどん】に至りては、臣の明の能く逆【あらかじ】め睹【み】るに非ざるなり」と。
 是に散関【さんかん】の役【えき】有り。
 此の表、亮の集むる無き所にして、張儼【ちょうげん】の黙記【もくき】より出す。
幻日環01













『出師表-後出師表』 現代語訳と訳註
(本文) 99-#12
然後呉更違盟、関羽毀敗、秭帰蹉跌、曹丕称帝。凡事如是、難可逆見。臣鞠躬尽力、死而後已、至於成敗利鈍、非臣之明所能逆睹也」
 是有散関之役。此表、亮集所無、出張儼黙記。


(下し文) #12
然る後に呉は更【かわ】りて盟を違え、関羽は毀敗【きはい】し、
秭帰【しき】は蹉跌【さてつ】し、曹丕は帝を称す。
凡【およ】そ事は是の如くにして、逆【あらかじ】め見るべくは難し。
臣は鞠躬【きくきゅう】尽力し、死して後に已(や)む、
成敗【せいばい】利鈍【りどん】に至りては、臣の明の能く逆【あらかじ】め睹【み】るに非ざるなり」と。
 是に散関【さんかん】の役【えき】有り。
 此の表、亮の集むる無き所にして、張儼【ちょうげん】の黙記【もくき】より出す。



(現代語訳)
その後に呉の孫権は考え方を変えて我々との同盟にそむいた。そして、関羽は策略にはまり、惨敗したのです。
それはホトトギスが足を滑らせた時ように、ちぐはぐになものだったのです。その後、曹操が死すと息子の曹丕が皇帝を名乗るのです。
事態はおおよそここまで述べたようなものですが、これをあらかじめ予見して動くことは難しいことなのです。
臣下である私は、身を挺して国家にお仕えし、死ぬまで全力を尽す所存です。
この先成功するか失敗するか、幸運に遭うか不運に遭うかは、私の知恵ではあらかじめうまく予測することはできません。(全力で取り組んで勝利を手にしないといけないのです)。」と。
この後、北伐・散関(隴西・関中西)での戦いとなっていくのです。
この劉禅に対する諸葛亮の意思を表明する文章は、諸葛亮が編集したものではなく、呉の張儼【ちょうげん】の『黙記【もくき】』という孔明を評論した文集の中に記されたものである。


(訳注) 99-#12
然後呉更違盟、関羽毀敗、
その後に呉の孫権は考え方を変えて我々との同盟にそむいた。そして、関羽は策略にはまり、惨敗したのです。
・関羽毀敗 関羽は当初、完璧な守りを見せていたが、219年、当陽まで引き返したのち、孫権が江陵に自ら軍を率いてきていることを知り、それを恐れて西の麦城に拠った。援軍を上庸の劉封・孟達に求めたが拒絶された。孫権から降伏を勧告する使者が派遣されてくると、関羽は降伏を受けるふりをして逃走した。しかし219年12月、臨沮において関羽は関平らと共に退路を断たれ、捕虜となり斬首された。完璧な人間というのはいないということだろうか、関羽が敗れたことは、蜀のその後はじり貧になり、劉備の敗北につながる。この敗北は関羽の評価に大きな汚点である。結果からするとなぜ関羽が、劉備が、諸葛亮が、その後において、神格化されるのかわからない点である。


秭帰蹉跌、曹丕称帝。
それはホトトギスが足を滑らせた時ように、ちぐはぐになものだったのです。その後、曹操が死すと息子の曹丕が皇帝を名乗るのです。
・秭帰蹉跌 関羽は偽りごとの策略によって敗れてしまい、それはホトトギスが足を滑らせるように、ちぐはぐになって失敗したということをいう。
・曹丕称帝 建安25年(220年)に父が逝去すると、魏王に即位し丞相職を受け継ぐ。王位についたばかりの頃、私兵四千家あまりを統率して孟達が魏に帰伏し、大いに喜び孟達を厚遇した。当時、大勢の臣下のうちで、孟達への待遇があまりに度はずれであり、また地方の鎮めの任を任すべきでないと考えるものがあった。これを耳にすると、「私が彼の異心なきことを保証する。これも例えてみれば、蓬の茎で作った矢で蓬の原を射るようなものだ(毒を以て毒を制すの意)」といった。その後、献帝に禅譲を迫って皇帝の座に即いた。


凡事如是、難可逆見。
事態はおおよそここまで述べたようなものですが、これをあらかじめ予見して動くことは難しいことなのです。


臣鞠躬尽力、死而後已、
臣下である私は、身を挺して国家にお仕えし、死ぬまで全力を尽す所存です。

曙001
至於成敗利鈍、非臣之明所能逆睹也」
この先成功するか失敗するか、幸運に遭うか不運に遭うかは、私の知恵ではあらかじめうまく予測することはできません。(全力で取り組んで勝利を手にしないといけないのです)。」と。


是有散関之役。
この後、北伐・散関(隴西・関中西)での戦いとなっていくのです。
・散関 開中四塞の一つ、隴西にある塞を云う。秦は東に函谷関、南に武関、西に散関、北に語関があって、自然の要塞の地である。函谷関より西をかんちゅう関中という。
北伐は227年から234年まで、5度行われている。ここでいう「建興6年(228年)春、諸葛亮は漢中より魏へ侵攻した。魏延は、自らが別働隊の兵1万を率い、諸葛亮の本隊と潼関で合流する作戦を提案したが、諸葛亮はこれを許可しなかった。魏延はその後も北伐の度にこの作戦を提案するが、いずれも諸葛亮により退けられている。
諸葛亮は宿将の趙雲をおとりに使って、郿を攻撃すると宣伝し、曹真がそちらに向かった隙を突いて、魏の西方の領地に進軍した。この動きに南安・天水・安定の3郡(いずれも現在の甘粛省に属する)は蜀に寝返った。魏はこの動きに対して張郃を派遣した。諸葛亮は戦略上の要地である街亭の守備に、かねてから才能を評価していた馬謖を任命したが、馬謖は配下の王平の諫言を無視して山上に布陣し、張郃により山の下を包囲され、水の供給源を断たれて敗北した。街亭を失ったことで蜀軍は進軍の拠点を失い、全軍撤退を余儀なくされた(街亭の戦い)。撤退時に諸葛亮は西県を制圧して1000余家を蜀に移住させた。
撤退後、諸葛亮は馬謖らを処刑したほか(「泣いて馬謖を斬る」の語源)、自らも位を3階級下げて右将軍になったが、引き続き丞相の職務を執行した。」というものをいう。


此表、亮集所無、出張儼黙記。
この劉禅に対する諸葛亮の意思を表明する文章は、諸葛亮が編集したものではなく、呉の張儼【ちょうげん】の『黙記【もくき】』という孔明を評論した文集の中に記されたものである。

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#9
自臣到漢中、中間期年耳、
私が漢中に行きましてから、ただ半年が経っただけであります。
然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。
それなのに趙雲・陽群(ようい)・馬玉・閻芝(えんし)・丁立(ていりつ)・白壽(はくじゅ)・劉郃(りゅうこう)、鄧銅(とうどう)という部下たちや、その下の曲長・屯将(とんしょう)の地位にある者たちの七十数名を失うだけでなく、先頭で突撃していく将軍はいなくなってしまいました。
賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、
賨叟(そうそう)・青羌(せいきょう)といった異民族の兵や陛下のそば近くに使える騎士やその他の勇敢な騎士千人余りを失ったのです。
此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、
この者たちは皆、数十年の間に四方の各地にいた精鋭たちを寄せ集めたもので、一つの州の人員だけで構成されているわけではないのです。
若復数年、則損参分之二也、
もしこの先数年も同じような状況を重ねるのであれば、さらに三分の二を失うこととおもわれます。
当何以図敵?
そうなればどうやって敵にはかりごとを行うことができるでしょうか。
此臣之未解五也。
これは臣下の私がいまだ理解していない五点目です。

臣の漢中に到りてより、中間にして期年するのみにて、
然るに趙雲【ちょううん】・陽群【ようい】・馬玉・閻芝【えんし】・丁立【ていりつ】・白壽【はくじゅ】・劉郃【りゅうこう】、鄧銅【とうどう】ら及び曲長【きょくちょう】・屯将の七十餘人を喪い、突将は前に無し。
賨叟【そうそう】・青羌【せいきょう】・散騎【さんき】・武騎一千餘人を喪い、
此れ皆な数十年の内に四方の精鋭を糾合【きゅうごう】せし所にして、一州の有する所に非ず、
若し数年を復【ふたた】びすれば、則ち参分の二を損するなり、
当に何を以て敵に図すべきや?
此れ臣の未だ解せざるの五なり。

#10
今民窮兵疲,而事不可息;
今、民衆は生活に苦しく、兵は疲労してしまっておりますが、それでも有事は休むことなく必ずやって来るのです。
事不可息,則住與行,勞費正等;
その有事が休むことなくやって来る状況であれば、その場に止まるにしても先に行くにしても、そのための労働と、そのための費えは常に等しいのです。
而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:
しかしながら今はこのことに対してはきちんとした計画を立てることができていないで、賊に一つの州を与えることで持久できているのです。
此臣之未解六也。
これは臣下の私がいまだ理解していない六点目です。

今、民は窮して兵は疲れ、而るに事は息むべからず。
事は息むべからずして、則ち住【とど】まると行くと労するも費やすも正に等し。
而れども今は之を図るに及ばず、一州の地を以て賊に与えて持久す、
此れ臣の未だ解せざるの六なり。

DCF00017













99-3-1#11
夫難平者,事也。
そもそも平穏というのは保つのが難しいもので、有事をかんがえていなければいけないのです。
昔先帝敗軍於楚,當此時,
昔、先帝は楚の土地で戦に敗れた、まさにそのときであります。
曹操拊手,謂天下已定。
曹操は自分の思う通りになったということをポンと手を打って喜んで、これで天下は落ち着いたと言ったのです。
然後先帝東連吳、越,西取巴、蜀,
その後に、先帝は東の呉や越を支配していた孫権と同盟をして、西の巴州や蜀州を攻め取った。
舉兵北征,夏侯授首:
その後さらに兵を挙げて北に遠征し、魏の将軍の夏侯淵の首を取りました。
此操之失計,而漢事將成也。
これは曹操の失策であり、漢の再興という事業が今まさに実現しようとしていたときでした。

夫れ平らかなり難きは、事なり。
昔、先帝は軍を楚に敗れ、此の時に当たり、
曹操は拊手【ふしゅ】し、天下は以て定まれりと謂えり。
然る後、先帝は東に呉・越を連ねて、西に巴・蜀を取り、
兵を挙げて北征し、夏侯の首を授かる、
此れ操の失計にして漢の事の将に成らんとするなり。


『出師表-後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
99-3-1#11
夫難平者,事也。
昔先帝敗軍於楚,當此時,
曹操拊手,謂天下已定。
然後先帝東連吳、越,西取巴、蜀,
舉兵北征,夏侯授首:
此操之失計,而漢事將成也。


(下し文)
夫れ平らかなり難きは、事なり。
昔、先帝は軍を楚に敗れ、此の時に当たり、
曹操は拊手【ふしゅ】し、天下は以て定まれりと謂えり。
然る後、先帝は東に呉・越を連ねて、西に巴・蜀を取り、
兵を挙げて北征し、夏侯の首を授かる、
此れ操の失計にして漢の事の将に成らんとするなり。


(現代語訳)
そもそも平穏というのは保つのが難しいもので、有事をかんがえていなければいけないのです。
昔、先帝は楚の土地で戦に敗れた、まさにそのときであります。
曹操は自分の思う通りになったということをポンと手を打って喜んで、これで天下は落ち着いたと言ったのです。
その後に、先帝は東の呉や越を支配していた孫権と同盟をして、西の巴州や蜀州を攻め取った。
その後さらに兵を挙げて北に遠征し、魏の将軍の夏侯淵の首を取りました。
これは曹操の失策であり、漢の再興という事業が今まさに実現しようとしていたときでした。


(訳注)99-3-1#11
夫難平者,事也。
そもそも平穏というのは保つのが難しいもので、有事をかんがえていなければいけないのです。


昔先帝敗軍於楚,當此時,
昔、先帝は楚の土地で戦に敗れた、まさにそのときであります。
・敗軍 劉表が没し、劉表の後を継いだ劉琮が曹操に降伏した。諸葛亮は劉琮を討って荊州を奪ってしまえと進言したが、劉備は「忍びない」と言って断り、逃亡した。劉備が逃亡すると、劉琮配下や周辺の住民十数万が付いてきた。そのためその歩みは非常に遅く、すぐにでも曹操軍に追いつかれそうであった。ある人が住民を捨てて早く行軍し江陵を確保するべきだと劉備に進言したが、「大事を成すには人をもって大本としなければならない。私についてきた人たちを捨てるのは忍びない」と言って住民と共に行軍を続けた。
その後曹操の軽騎兵隊に追いつかれて大打撃を受け、劉備の軍勢すら散り散りで妻子と離ればなれになり、娘は曹操に捕らえられるという悲惨な状況だった。


曹操拊手,謂天下已定。
曹操は自分の思う通りになったということをポンと手を打って喜んで、これで天下は落ち着いたと言ったのです。
・拊手 ぽんとてをうつ、我が意を得たりと喜ぶさま。


然後先帝東連吳、越,西取巴、蜀,
その後に、先帝は東の呉や越を支配していた孫権と同盟をして、西の巴州や蜀州を攻め取った。


舉兵北征,夏侯授首:
その後さらに兵を挙げて北に遠征し、魏の将軍の夏侯淵の首を取りました。
・夏侯 夏侯淵(かこうえん)


此操之失計,而漢事將成也。
これは曹操の失策であり、漢の再興という事業が今まさに実現しようとしていたときでした。
DCF00018

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これは臣下の私がいまだ理解していない五点目です。

臣の漢中に到りてより、中間にして期年するのみにて、
然るに趙雲【ちょううん】・陽群【ようい】・馬玉・閻芝【えんし】・丁立【ていりつ】・白壽【はくじゅ】・劉郃【りゅうこう】、鄧銅【とうどう】ら及び曲長【きょくちょう】・屯将の七十餘人を喪い、突将は前に無し。
賨叟【そうそう】・青羌【せいきょう】・散騎【さんき】・武騎一千餘人を喪い、
此れ皆な数十年の内に四方の精鋭を糾合【きゅうごう】せし所にして、一州の有する所に非ず、
若し数年を復【ふたた】びすれば、則ち参分の二を損するなり、
当に何を以て敵に図すべきや?
此れ臣の未だ解せざるの五なり。

#10
今民窮兵疲,而事不可息;
今、民衆は生活に苦しく、兵は疲労してしまっておりますが、それでも有事は休むことなく必ずやって来るのです。
事不可息,則住與行,勞費正等;
その有事が休むことなくやって来る状況であれば、その場に止まるにしても先に行くにしても、そのための労働と、そのための費えは常に等しいのです。
而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:
しかしながら今はこのことに対してはきちんとした計画を立てることができていないで、賊に一つの州を与えることで持久できているのです。
此臣之未解六也。
これは臣下の私がいまだ理解していない六点目です。

今、民は窮して兵は疲れ、而るに事は息むべからず。
事は息むべからずして、則ち住【とど】まると行くと労するも費やすも正に等し。
而れども今は之を図るに及ばず、一州の地を以て賊に与えて持久す、
此れ臣の未だ解せざるの六なり。

DCF00018













『出師表-後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
#10
今民窮兵疲,而事不可息;
事不可息,則住與行,勞費正等;
而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:
此臣之未解六也。


(下し文)
今、民は窮して兵は疲れ、而るに事は息むべからず。
事は息むべからずして、則ち住【とど】まると行くと労するも費やすも正に等し。
而れども今は之を図るに及ばず、一州の地を以て賊に与えて持久す、
此れ臣の未だ解せざるの六なり。


(現代語訳)
百舌鳥02今、民衆は生活に苦しく、兵は疲労してしまっておりますが、それでも有事は休むことなく必ずやって来るのです。
その有事が休むことなくやって来る状況であれば、その場に止まるにしても先に行くにしても、そのための労働と、そのための費えは常に等しいのです。
しかしながら今はこのことに対してはきちんとした計画を立てることができていないで、賊に一つの州を与えることで持久できているのです。
これは臣下の私がいまだ理解していない六点目です。


(訳注) #10
今民窮兵疲,而事不可息;
今、民衆は生活に苦しく、兵は疲労してしまっておりますが、それでも有事は休むことなく必ずやって来るのです。


事不可息,則住與行,勞費正等;
その有事が休むことなくやって来る状況であれば、その場に止まるにしても先に行くにしても、そのための労働と、そのための費えは常に等しいのです。


而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:
しかしながら今はこのことに対してはきちんとした計画を立てることができていないで、賊に一つの州を与えることで持久できているのです。


此臣之未解六也。
これは臣下の私がいまだ理解していない六点目です。

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#9>Ⅱ李白に影響を与えた詩836 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2728

諸葛亮 《出師表-後出師表》それなのに趙雲・陽群(ようい)・馬玉・閻芝(えんし)・丁立(ていりつ)・白壽(はくじゅ)・劉郃(りゅうこう)、鄧銅(とうどう)という部下たちや、その下の曲長・屯将(とんしょう)の地位にある者たちの七十数名を失うだけでなく、先頭で突撃していく将軍はいなくなってしまいました。


2013年7月25日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#9>Ⅱ李白に影響を与えた詩836 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2728


#9
自臣到漢中、中間期年耳、
私が漢中に行きましてから、ただ半年が経っただけであります。
然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。
それなのに趙雲・陽群(ようい)・馬玉・閻芝(えんし)・丁立(ていりつ)・白壽(はくじゅ)・劉郃(りゅうこう)、鄧銅(とうどう)という部下たちや、その下の曲長・屯将(とんしょう)の地位にある者たちの七十数名を失うだけでなく、先頭で突撃していく将軍はいなくなってしまいました。
賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、
賨叟(そうそう)・青羌(せいきょう)といった異民族の兵や陛下のそば近くに使える騎士やその他の勇敢な騎士千人余りを失ったのです。
此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、
この者たちは皆、数十年の間に四方の各地にいた精鋭たちを寄せ集めたもので、一つの州の人員だけで構成されているわけではないのです。
若復数年、則損参分之二也、
もしこの先数年も同じような状況を重ねるのであれば、さらに三分の二を失うこととおもわれます。
当何以図敵?
そうなればどうやって敵にはかりごとを行うことができるでしょうか。
此臣之未解五也。
これは臣下の私がいまだ理解していない五点目です。


臣の漢中に到りてより、中間にして期年するのみにて、
然るに趙雲【ちょううん】・陽群【ようい】・馬玉・閻芝【えんし】・丁立【ていりつ】・白壽【はくじゅ】・劉郃【りゅうこう】、鄧銅【とうどう】ら及び曲長【きょくちょう】・屯将の七十餘人を喪い、突将は前に無し。
賨叟【そうそう】・青羌【せいきょう】・散騎【さんき】・武騎一千餘人を喪い、
此れ皆な数十年の内に四方の精鋭を糾合【きゅうごう】せし所にして、一州の有する所に非ず、
若し数年を復【ふたた】びすれば、則ち参分の二を損するなり、
当に何を以て敵に図すべきや?
此れ臣の未だ解せざるの五なり。


『出師表-後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)

自臣到漢中、中間期年耳、
然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、
此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、
若復数年、則損参分之二也、
当何以図敵?
此臣之未解五也。


(下し文)
臣の漢中に到りてより、中間にして期年するのみにて、
然るに趙雲【ちょううん】・陽群【ようい】・馬玉・閻芝【えんし】・丁立【ていりつ】・白壽【はくじゅ】・劉郃【りゅうこう】、鄧銅【とうどう】ら及び曲長【きょくちょう】・屯将の七十餘人を喪い、突将は前に無し。
賨叟【そうそう】・青羌【せいきょう】・散騎【さんき】・武騎一千餘人を喪い、
此れ皆な数十年の内に四方の精鋭を糾合【きゅうごう】せし所にして、一州の有する所に非ず、
若し数年を復【ふたた】びすれば、則ち参分の二を損するなり、
当に何を以て敵に図すべきや?
此れ臣の未だ解せざるの五なり。


(現代語訳)
私が漢中に行きましてから、ただ半年が経っただけであります。
それなのに趙雲・陽群(ようい)・馬玉・閻芝(えんし)・丁立(ていりつ)・白壽(はくじゅ)・劉郃(りゅうこう)、鄧銅(とうどう)という部下たちや、その下の曲長・屯将(とんしょう)の地位にある者たちの七十数名を失うだけでなく、先頭で突撃していく将軍はいなくなってしまいました。
賨叟(そうそう)・青羌(せいきょう)といった異民族の兵や陛下のそば近くに使える騎士やその他の勇敢な騎士千人余りを失ったのです。
この者たちは皆、数十年の間に四方の各地にいた精鋭たちを寄せ集めたもので、一つの州の人員だけで構成されているわけではないのです。
もしこの先数年も同じような状況を重ねるのであれば、さらに三分の二を失うこととおもわれます。
そうなればどうやって敵にはかりごとを行うことができるでしょうか。
これは臣下の私がいまだ理解していない五点目です。


(訳注)
自臣到漢中、中間期年耳、

私が漢中に行きましてから、ただ半年が経っただけであります。


然喪趙雲、陽羣、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。
それなのに趙雲・陽群(ようい)・馬玉・閻芝(えんし)・丁立(ていりつ)・白壽(はくじゅ)・劉郃(りゅうこう)、鄧銅(とうどう)という部下たちや、その下の曲長・屯将(とんしょう)の地位にある者たちの七十数名を失うだけでなく、先頭で突撃していく将軍はいなくなってしまいました。
・趙雲 (未詳- 229年)は、中国後漢末期から三国時代の蜀の将軍。字は子龍(しりゅう)。冀州常山郡真定県(現在の河北省石家荘市正定県)の人。封号は永昌亭侯。諡は順平侯。子は趙統・趙広。
・陽羣
・馬玉
・閻芝 蜀の巴西太守。劉備が夷陵で敗れた時に、諸県で兵五千を集め加勢した。
・丁立
・白壽
・劉郃
・鄧銅


賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、
賨叟(そうそう)・青羌(せいきょう)といった異民族の兵や陛下のそば近くに使える騎士やその他の勇敢な騎士千人余りを失ったのです。


此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、
この者たちは皆、数十年の間に四方の各地にいた精鋭たちを寄せ集めたもので、一つの州の人員だけで構成されているわけではないのです。


若復数年、則損参分之二也、
もしこの先数年も同じような状況を重ねるのであれば、さらに三分の二を失うこととおもわれます。


当何以図敵?
そうなればどうやって敵にはかりごとを行うことができるでしょうか。


此臣之未解五也。
これは臣下の私がいまだ理解していない五点目です。

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#8>Ⅱ李白に影響を与えた詩835 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2723

諸葛亮 《出師表-後出師表》 先帝があれほど賞賛された曹操までがこんな様子なのですから、ましてや才能に乏しい私などは、どうして必勝することができると言えましょうか。これは臣下の私がいまだ理解していない四点目です。


2013年7月24日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 
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謝靈運詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー
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孟浩然の詩
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#8>Ⅱ李白に影響を与えた詩835 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2723


99-#5
謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。
99-#6
劉繇﹑王朗各拠州郡、
御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
論安言計、動引聖人、
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。
群疑満腹、衆難塞胸、
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。
今歳不戦、明年不征、
孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。
使孫策坐大、遂并江東、
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。
此臣之未解二也。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です
2-2-3#7
曹操智計,殊絕於人,其用兵也,
曹操の知力と計略は、すぐれていて他の人たちとは全く違い、その兵法を用いることにある。
仿怫孫、吳,然困於南陽,
まるで兵法の書物でも有名な孫子(そんし)や呉子(ごし)を思わせるほどのものです。そうであるにもかかわらず、南陽の地で苦しめられた。
險於烏巢,危於祁連,
烏巣(うそう)では危険であったし、祁連(きれん)山でも危うい状況であった。
逼於黎陽,幾敗北山,
黎陽(れいよう)の地では敵に迫られて、北山では何度も敗北したのだ。
殆死潼關,然後偽定一時耳;
潼関では全軍ほとんど全滅状態なり、その後にやっと一時の見せかけ安定状態に持ちこたえたのです。
況臣才弱,而欲以不危而定之:
ましてや陛下の臣下である私の才能は乏しいのですから、それなのに危険を冒さずに国を安定させようとすることなどできるはずがないのです。
此臣之未解三也。
これは臣下の私がいまだに理解していないことの三点目です。

2-2-4#8
曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,
曹操は五回も昌霸を攻めましたが攻め落とすことはできず、四回も巣湖(そうこ)を越えても覇業をなし遂げることはできなかった。
任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,
そこで李服を用いてはかりごとを立案し、夏侯淵将軍に任せたが、戦いに敗れてしまった。
先帝每稱操為能,猶有此失;
それでも先帝は常に曹操を有能な人物だと賞賛しておられた。そしてこの有能な人物を失ってはいけないと考えられていたのです。
況臣弩下,何能必勝:
しかし、先帝があれほど賞賛された曹操までがこんな様子なのですから、ましてや才能に乏しい私などは、どうして必勝することができると言えましょうか。
此臣之未解四也。
これは臣下の私がいまだ理解していない四点目です。

曙001#-5
 謹んで其の事を陳【の】ぶれば左の如し:
 高帝【こうてい】の明なるは日月に並び、謀臣【ぼうしん】は淵深【しんえん】なり、
然れども険【けん】を渉【わた】りて創【きず】を被【こうむ】り、危くして然る後に安し。
今の陛下は未だ高帝に及ばず、謀臣は良・平に如かず、
而れども長計【ちょうけい】を以て勝を計り、坐して天下を定めんと欲するは、此れ臣の未だ解せざるの一なり。
#-6
劉繇【りゅうよう】・王朗は各【おのお)の州郡に拠りて、
安きを論じて計を言い、動くに聖人を引くも、
群疑【ぐんぎ】は腹を満たし、衆難【しゅうなん】は胸を塞【ふさ】ぎ、
今歳【こんさい】にして戦わず、明年にして征せず、
孫策【そんさく】をして坐【いながら】に大ならしめて、遂に江東を并【あわ】さる、
此れ臣の未だ解せざるの二なり。
#7
曹操の智計【ちけい】は殊【こと】に人に絶し、其の兵を用いるや、
孫・呉を髣彿【ほうふつ】とさせる、然るに南陽に困しみ、
烏巣【うそう】に険しく、祁連【きれん】に危うく、
黎陽【れいよう】に偪【せま】られ、幾たびも北山【ほくざん】に敗れ、
殆【ほと】んど潼関に死し、然る後に偽りて一時を定むるのみ、
況んや臣の才の弱く、而して以て危うからずして之を定めんと欲するにおいてをや。
此れ臣の未だ解せざるの参【さん】なり。
#8
曹操は五たび昌霸【しょうは】を攻めて下せず、四たび巣湖【そうこ】を越ゆるも成らず、
李服【りふく】を任用して李服は之を図り、夏侯に委ねて夏侯は敗亡す。
先帝は毎に操【そう】を称して能と為すこと、猶お此を失うこと有るがごとし。
況んや臣の駑下【どか】なるにおいてをや。何ぞ必勝を能くせん?
此れ臣の未だ解せざるの四なり。


『出師表-後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
2-2-4#8
曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,
任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,
先帝每稱操為能,猶有此失;
況臣弩下,何能必勝:
此臣之未解四也。


(下し文) 2-2-4#8
曹操は五たび昌霸【しょうは】を攻めて下せず、四たび巣湖【そうこ】を越ゆるも成らず、
李服【りふく】を任用して李服は之を図り、夏侯に委ねて夏侯は敗亡す。
先帝は毎に操【そう】を称して能と為すこと、猶お此を失うこと有るがごとし。
況んや臣の駑下【どか】なるにおいてをや。何ぞ必勝を能くせん?
此れ臣の未だ解せざるの四なり。

(現代語訳)
曹操は五回も昌霸を攻めましたが攻め落とすことはできず、四回も巣湖(そうこ)を越えても覇業をなし遂げることはできなかった。
そこで李服を用いてはかりごとを立案し、夏侯淵将軍に任せたが、戦いに敗れてしまった。
それでも先帝は常に曹操を有能な人物だと賞賛しておられた。そしてこの有能な人物を失ってはいけないと考えられていたのです。
しかし、先帝があれほど賞賛された曹操までがこんな様子なのですから、ましてや才能に乏しい私などは、どうして必勝することができると言えましょうか。
これは臣下の私がいまだ理解していない四点目です。


(訳注) 2-2-4#8
満月003曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,
曹操は五回も昌霸を攻めましたが攻め落とすことはできず、四回も巣湖(そうこ)を越えても覇業をなし遂げることはできなかった。
・昌霸(しょうは)昌豨(シヤウキ)(?~206)ともいう《先主伝》。はじめ臧霸・孫観・呉敦・尹礼らとともに軍勢を集めて呂布に味方していたが、建安三年(一九八)に呂布が敗北すると曹操に降服した。同五年に劉備が下邳で曹操に叛いたとき、昌豨は東海郡において劉備に呼応したが、まもなく鎮圧された《武帝紀・先主伝》。その後四度叛し計五度降伏している。


任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,
そこで李服を用いてはかりごとを立案し、夏侯淵将軍に任せたが、戦いに敗れてしまった。
・李服 王子服(おう しふく、未詳- 200年)のこと。後漢末期の人物。字は子由。名を王服、または李服とも。 曹操暗殺計画に加わった罪で、200年(建安5年)に処刑されている。 『正史』では、献帝の密命により董承や劉備が中心となり計画した。曹操暗殺計画に加担した
・夏侯 夏侯 淵(かこう えん、未詳- 建安24年(219年)1月)は、中国、後漢末の武将。字は妙才。夏侯惇の族弟。正妻は曹操の妻の妹。従子に夏侯尚。子に夏侯覇ら。 軍の拠点間の迅速な移動やそれに基づいた奇襲攻撃、前線型武将の指揮、兵糧監督などの後方支援を得意とし、その迅速な行軍は「三日で五百里、六日で千里」と称えられた(『魏略』)。


先帝每稱操為能,猶有此失;
それでも先帝は常に曹操を有能な人物だと賞賛しておられた。そしてこの有能な人物を失ってはいけないと考えられていたのです。


況臣弩下,何能必勝:
しかし、先帝があれほど賞賛された曹操までがこんな様子なのですから、ましてや才能に乏しい私などは、どうして必勝することができると言えましょうか。


此臣之未解四也。
これは臣下の私がいまだ理解していない四点目です。

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#7>Ⅱ李白に影響を与えた詩834 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2718

諸葛亮 《出師表-後出師表》#7曹操の知力と計略は、すぐれていて他の人たちとは全く違い、その兵法を用いることにある。まるで兵法の書物でも有名な孫子や呉子を思わせるほどのものです。そうであるにもかかわらず、南陽の地で苦しめられた。


2013年7月23日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor棠梨花和李太尉 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-235--#91  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2722
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー
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孟浩然の詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
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李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#7>Ⅱ李白に影響を与えた詩834 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2718


99-#5
謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。
99-#6
劉繇﹑王朗各拠州郡、
御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
論安言計、動引聖人、
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。
群疑満腹、衆難塞胸、
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。
今歳不戦、明年不征、
孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。
使孫策坐大、遂并江東、
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。
此臣之未解二也。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です。
2-2-3#7
曹操智計,殊絕於人,其用兵也,
曹操の知力と計略は、すぐれていて他の人たちとは全く違い、その兵法を用いることにある。
仿怫孫、吳,然困於南陽,
まるで兵法の書物でも有名な孫子(そんし)や呉子(ごし)を思わせるほどのものです。そうであるにもかかわらず、南陽の地で苦しめられた。
險於烏巢,危於祁連,
烏巣(うそう)では危険であったし、祁連(きれん)山でも危うい状況であった。
逼於黎陽,幾敗北山,
黎陽(れいよう)の地では敵に迫られて、北山では何度も敗北したのだ。
殆死潼關,然後偽定一時耳;
潼関では全軍ほとんど全滅状態なり、その後にやっと一時の見せかけ安定状態に持ちこたえたのです。
況臣才弱,而欲以不危而定之:
ましてや陛下の臣下である私の才能は乏しいのですから、それなのに危険を冒さずに国を安定させようとすることなどできるはずがないのです。
此臣之未解三也。
これは臣下の私がいまだに理解していないことの三点目です。

華山0002-2-4#8
曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,
任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,
先帝每稱操為能,猶有此失;
況臣弩下,何能必勝:
此臣之未解四也。

#7
曹操の智計【ちけい】は殊【こと】に人に絶し、其の兵を用いるや、
孫・呉を髣彿【ほうふつ】とさせる、然るに南陽に困しみ、
烏巣【うそう】に険しく、祁連【きれん】に危うく、
黎陽【れいよう】に偪【せま】られ、幾たびも北山【ほくざん】に敗れ、
殆【ほと】んど潼関に死し、然る後に偽りて一時を定むるのみ、
況んや臣の才の弱く、而して以て危うからずして之を定めんと欲するにおいてをや。
此れ臣の未だ解せざるの参【さん】なり。


『出師表-後出師表』-諸葛亮 現代語訳と訳註
(本文)
2-2-3#7
曹操智計,殊絕於人,其用兵也,
仿怫孫、吳,然困於南陽,
險於烏巢,危於祁連,
逼於黎陽,幾敗北山,
殆死潼關,然後偽定一時耳;
況臣才弱,而欲以不危而定之:
此臣之未解三也。


(下し文)
曹操の智計【ちけい】は殊【こと】に人に絶し、其の兵を用いるや、
孫・呉を髣彿【ほうふつ】とさせる、然るに南陽に困しみ、
烏巣【うそう】に険しく、祁連【きれん】に危うく、
黎陽【れいよう】に偪【せま】られ、幾たびも北山【ほくざん】に敗れ、
殆【ほと】んど潼関に死し、然る後に偽りて一時を定むるのみ、
況んや臣の才の弱く、而して以て危うからずして之を定めんと欲するにおいてをや。
此れ臣の未だ解せざるの参【さん】なり。


(現代語訳)
曹操の知力と計略は、すぐれていて他の人たちとは全く違い、その兵法を用いることにある。
まるで兵法の書物でも有名な孫子(そんし)や呉子(ごし)を思わせるほどのものです。そうであるにもかかわらず、南陽の地で苦しめられた。
烏巣(うそう)では危険であったし、祁連(きれん)山でも危うい状況であった。
黎陽(れいよう)の地では敵に迫られて、北山では何度も敗北したのだ。
潼関では全軍ほとんど全滅状態なり、その後にやっと一時の見せかけ安定状態に持ちこたえたのです。
ましてや陛下の臣下である私の才能は乏しいのですから、それなのに危険を冒さずに国を安定させようとすることなどできるはずがないのです。
これは臣下の私がいまだに理解していないことの三点目です。


(訳注)2-2-3#7
曹操智計,殊絕於人,其用兵也,
曹操の知力と計略は、すぐれていて他の人たちとは全く違い、その兵法を用いることにある。
・智計 知力と計略。


仿怫孫、吳,然困於南陽,
まるで兵法の書物でも有名な孫子(そんし)や呉子(ごし)を思わせるほどのものです。そうであるにもかかわらず、南陽の地で苦しめられた。
・孫 春秋時代の思想家孫武の作とされる兵法書。後に武経七書の一つに数えられている。古今東西の兵法書のうち最も著名なものの一つである。 『孫子』の成立以前は、戦争の勝敗は天運に左右されるという考え方が強かった。孫武は戦史研究の結果から、戦争には勝った理由、負けた理由があり得ることを分析した。『孫子』の意義はここにある。 著者と目される孫武は、紀元前500年ごろに生きた人物で、当時新興国であった呉に仕え、その勢力拡大に大いに貢献した。
・吳 春秋戦国時代に著されたとされる兵法書。武経七書の一つ。古くから『孫子』と並び評されていた。しかし著者ははっきりとしない。中身の主人公でもある呉起またはその門人が著者であると言われるが、定かではない。 内容は呉起を主人公とした物語形式となっている。現存している『呉子』は六篇だが、『漢書』「芸文志」には「呉子四十八篇」と記されている。 部隊編制の方法、状況・地形毎の戦い方、兵の士気の上げ方、騎兵・戦車・弩・弓の運用方法などを説いている。
・南陽 春秋時代には楚に属する宛と呼ばれる都市であり、金属工業が盛んだった。秦の時代に強制的に移民が送り込まれて南陽郡が設置され、前漢の時代に発展が進んだ。後漢を興した光武帝は、この都市周辺の南陽盆地を勢力基盤としていた。後漢後期の140年(永和5)では、南陽郡の人口は52万戸で全土で最高を記録している。その後も、中国における経済、文化の中心地の一つとして発展を続けた。古代中国の科学者、文学者で地震計を発明したとされる張衡が南陽の出身である。


險於烏巢,危於祁連,
烏巣(うそう)では危険であったし、祁連(きれん)山でも危うい状況であった。
・烏巢 215年に起こった戦いが有名で、孫権が劉備に荊州の一部返還を求めた際、劉備側から条件として曹操を攻めるように依頼されたことから始まった。孫権率いる大軍勢が張遼・楽進・李典を大将とする少数の曹操軍に大敗を喫したことで知られている。208年、赤壁の戦いで孫権、劉備の連合軍は烏林で曹操の軍を打ち破り曹操はまず江陵にそして荊州守備を部将たちに任せると許昌へと撤退した。周瑜らの曹操迎撃軍と劉備軍はそのまま江陵方面に進軍し荊州の制圧を開始したが、この時柴桑に駐屯していた孫権は余勢を駆ってか自ら軍を率いて江水を下り合肥城へと侵攻を開始した。
・祁連 祁連山草原和世界第三大峽谷的黑河大峽谷。


逼於黎陽,幾敗北山,
黎陽(れいよう)の地では敵に迫られて、北山では何度も敗北したのだ。
・黎陽 官渡の戦いで敗れた袁紹は病没した後、袁譚と袁尚が袁家の後継をめぐり争った。曹操は内紛につけこんで袁譚・袁尚と黎陽で戦い、これを破った。
・北山 夏侯淵が敗北すると、曹公は漢中の地を争い、北山の麓に運んだ軍糧米は数千万囊もあった。


殆死潼關,然後偽定一時耳;
潼関では全軍ほとんど全滅状態なり、その後にやっと一時の見せかけ安定状態に持ちこたえたのです。
・潼関 南流した黄河が華山につき当たって東に向かう屈曲点に位置し,また西からは渭水が注いで天下の険をなし,古来中原地方から関中に入る最大の要地として有名である。


況臣才弱,而欲以不危而定之:
ましてや陛下の臣下である私の才能は乏しいのですから、それなのに危険を冒さずに国を安定させようとすることなどできるはずがないのです。


此臣之未解三也。
これは臣下の私がいまだに理解していないことの三点目です。

nat0002

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#6>Ⅱ李白に影響を与えた詩833 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2713

諸葛亮 《出師表-後出師表》#6 御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。


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謝靈運詩
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孟郊詩
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李商隠詩
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出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#6>Ⅱ李白に影響を与えた詩833 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2713


99-#5
謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。
99-#6
劉繇﹑王朗各拠州郡、
御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
論安言計、動引聖人、
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。
群疑満腹、衆難塞胸、
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。
今歳不戦、明年不征、
孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。
使孫策坐大、遂并江東、
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。
此臣之未解二也。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です。

#-5
 謹んで其の事を陳【の】ぶれば左の如し:
 高帝【こうてい】の明なるは日月に並び、謀臣【ぼうしん】は淵深【しんえん】なり、
然れども険【けん】を渉【わた】りて創【きず】を被【こうむ】り、危くして然る後に安し。
今の陛下は未だ高帝に及ばず、謀臣は良・平に如かず、
而れども長計【ちょうけい】を以て勝を計り、坐して天下を定めんと欲するは、此れ臣の未だ解せざるの一なり。
#-6
劉繇【りゅうよう】・王朗は各【おのお)の州郡に拠りて、
安きを論じて計を言い、動くに聖人を引くも、
群疑【ぐんぎ】は腹を満たし、衆難【しゅうなん】は胸を塞【ふさ】ぎ、
今歳【こんさい】にして戦わず、明年にして征せず、
孫策【そんさく】をして坐【いながら】に大ならしめて、遂に江東を并【あわ】さる、
此れ臣の未だ解せざるの二なり。


『後出師表』 現代語訳と訳註
(本文) 99
-#6
竹林0021劉繇﹑王朗各拠州郡、
論安言計、動引聖人、
群疑満腹、衆難塞胸、
今歳不戦、明年不征、
使孫策坐大、遂并江東、
此臣之未解二也。


(下し文) #-6
劉繇【りゅうよう】・王朗は各【おのお)の州郡に拠りて、
安きを論じて計を言い、動くに聖人を引くも、
群疑【ぐんぎ】は腹を満たし、衆難【しゅうなん】は胸を塞【ふさ】ぎ、
今歳【こんさい】にして戦わず、明年にして征せず、
孫策【そんさく】をして坐【いながら】に大ならしめて、遂に江東を并【あわ】さる、
此れ臣の未だ解せざるの二なり。


(現代語訳)
御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。
孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です。


(訳注) #6
劉繇﹑王朗各拠州郡、
御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
・劉繇(りゅう よう、156年 - 197年)は、中国後漢末期の政治家。字は正礼。青州東莱郡牟平県(山東省煙台市牟平区)の人。漢の皇族の一人で、前漢の高祖の孫である斉の孝王劉将閭(劉肥の子)の少子の牟平共侯劉渫の直系末孫にあたる。祖父は劉本(劉丕とも、平原郡般県令)。父は劉輿(劉方とも、山陽太守)。伯父は劉寵(字は祖栄、会稽太守。陳王劉寵とは別人。)・劉韙。兄は劉岱ら。子は劉基・劉鑠・劉尚。『三国志』呉志に伝がある。
・王朗 王 朗(おう ろう、未詳 - 太和2年(228年))は、中国後漢末期から三国時代の政治家。徐州東海郡郯県(現:江蘇省連雲港市東海県)の人。字は景興。子は王粛。甥(兄の子)は王詳。孫は王元姫。『三国志』魏書に伝がある。『魏略』によれば、元の諱は厳であったという。なお、于禁を曹操に推挙した同姓同名の別人がいる。


論安言計、動引聖人、
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。


群疑満腹、衆難塞胸、
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。


今歳不戦、明年不征、
孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。


使孫策坐大、遂并江東、
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。


此臣之未解二也。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です。
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出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#5>Ⅱ李白に影響を与えた詩832 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2708

諸葛亮 《出師表-後出師表》 高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。


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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor吳使君 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-233--#89  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2712
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#5>Ⅱ李白に影響を与えた詩832 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2708


後出師表 99-#1
亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
則此病不在兵少也、在一人耳。
今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
若不能然者、雖兵多何益!
自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」

99-#2
 於是考微労、甄烈壮、引咎責躬、布所失於天下、厲兵講武、以為後図、戎士簡練、民忘其敗矣。亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。
 
99-#3
 十一月、上言曰:
「先帝慮漢﹑賊不両立、王業不偏安、故託臣以討賊也。以先帝之明、量臣之才、故知臣伐賊才弱敵強也;然不伐賊、王業亦亡、惟坐待亡、孰与伐之?是故託臣而弗疑也。
99-#4
臣受命之日、寝不安席、食不甘味、思惟北征、宜先入南、故五月渡瀘、深入不毛、并日而食。臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。今賊適疲於西、又務於東、兵法乘労、此進趨之時也。
 
99-#5
謹陳其事如左:
高帝明並日月、謀臣淵深、
然渉険被創、危然後安。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑
平、而欲以長計取勝、
坐定天下、此臣之未解一也。
99-#6
劉繇﹑王朗各拠州郡、論安言計、
動引聖人、群疑満腹、衆難塞胸、
今歳不戦、明年不征、使孫策坐大、
遂并江東、此臣之未解二也。

99-#7
曹操智計殊絶於人、其用兵也、
髣彿孫﹑呉、然困於南陽、険於烏巣、危於祁連、偪於黎陽、幾敗北山、殆死潼関、然後偽定一時耳、況臣才弱、而欲以不危而定之、此臣之未解参也。

99-#8
 曹操五攻昌霸不下、四越巣湖不成、任用李服而李服図之、委夏侯而夏侯敗亡、先帝毎称操為能、猶有此失、況臣駑下、何能必勝?此臣之未解四也。

99-#9
 自臣到漢中、中間期年耳、然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、若復数年、則損参分之二也、当何以図敵?此臣之未解五也。
99-#10
 今民窮兵疲、而事不可息、事不可息、則住与行労費正等、而不及今図之、欲以一州之地与賊持久、此臣之未解六也。
99-#11
 夫難平者、事也。昔先帝敗軍於楚、当此時、曹操拊手、謂天下以定。
然後先帝東連呉﹑越、西取巴﹑蜀、挙兵北征、夏侯授首、此操之失計而漢事将成也。
99-#12
然後呉更違盟、関羽毀敗、秭帰蹉跌、曹丕称帝。凡事如是、難可逆見。臣鞠躬尽力、死而後已、至於成敗利鈍、非臣之明所能逆睹也」
 是有散関之役。此表、亮集所無、出張儼黙記。


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出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#5>Ⅱ李白に影響を与えた詩832 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2708


99-#5
謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。
99-#6
劉繇﹑王朗各拠州郡、
論安言計、動引聖人、
群疑満腹、衆難塞胸、
今歳不戦、明年不征、
使孫策坐大、遂并江東、
此臣之未解二也。

#-5
 謹んで其の事を陳【の】ぶれば左の如し:
 高帝【こうてい】の明なるは日月に並び、謀臣【ぼうしん】は淵深【しんえん】なり、
然れども険【けん】を渉【わた】りて創【きず】を被【こうむ】り、危くして然る後に安し。
今の陛下は未だ高帝に及ばず、謀臣は良・平に如かず、
而れども長計【ちょうけい】を以て勝を計り、坐して天下を定めんと欲するは、此れ臣の未だ解せざるの一なり。
#-6
 劉繇【りゅうよう】・王朗は各【おのお)の州郡に拠りて、
安きを論じて計を言い、動くに聖人を引くも、
群疑【ぐんぎ】は腹を満たし、衆難【しゅうなん】は胸を塞【ふさ】ぎ、
今歳【こんさい】にして戦わず、明年にして征せず、
孫策【そんさく】をして坐【いながら】に大ならしめて、遂に江東を并【あわ】さる、
此れ臣の未だ解せざるの二なり。


『後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
99-#5
謹陳其事如左:
高帝明並日月、謀臣淵深、
然渉険被創、危然後安。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
而欲以長計取勝、坐定天下、此臣之未解一也。


(下し文) #-5
 謹んで其の事を陳【の】ぶれば左の如し:
 高帝【こうてい】の明なるは日月に並び、謀臣【ぼうしん】は淵深【しんえん】なり、
然れども険【けん】を渉【わた】りて創【きず】を被【こうむ】り、危くして然る後に安し。
今の陛下は未だ高帝に及ばず、謀臣は良・平に如かず、
而れども長計【ちょうけい】を以て勝を計り、坐して天下を定めんと欲するは、此れ臣の未だ解せざるの一なり。


(現代語訳)
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。


(訳注) 99-#5
謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。


高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。
・高帝: 漢の高祖のこと。
・高祖: (紀元前 247 ~紀元前 195 )前漢の初代皇帝で、
   在位は紀元前 206 ~紀元前 195 です。姓名は劉邦で字は季です。江蘇省の沛の人。項羽らとともに秦を滅ぼした。のちに項羽と争って帝位につき漢王朝をたて、都を長安に定めた。沛公のこと。
・謀臣: はかりごとの巧みな部下。
・淵深: 奥深いこと。


然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。


今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
・張良: (未詳~前 189 )前漢の高祖の謀臣で、字は子房。先祖は秦に滅ぼされた韓の国の宰相であったので、秦に報復するため始皇帝を博浪沙で討とうとしたが失敗した。
のち、蕭何や・韓信らとともに高祖を輔佐して天下を統一させた。漢の三傑の一人に挙げられている。
・陳平:(未詳- 紀元前178年)は、中国秦末から前漢初期にかけての政治家・軍師。 当初は魏咎・項羽などに仕官するものの長続きせず、最終的には劉邦に仕え、項羽との戦い(楚漢戦争)の中で危機に陥る劉邦を、さまざまな献策で救った。その後、劉邦の遺言により丞相となり、呂雉亡き後の呂氏一族を滅ぼして劉氏の政権を守るという功績を立てた。

而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
・長計: すぐれた計画。


此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。
白砂渡船場イメージ

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩831 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2703

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出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩831 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2703


#3
十一月、上言曰:
そこで十一月になったので、主君(劉禅)に以下のように申し上げる。
「先帝慮漢﹑賊不両立、
「先帝(劉備)は漢の再興に配慮されて、賊(魏)に並び立ってはいけないと思っておられた。
王業不偏安、故託臣以討賊也。
それに天下を治めるための事業は安定している状況とは言えなく、それゆえ、先帝は家臣の私に後のこと、賊討伐を託されたのです。
以先帝之明、量臣之才、
先帝の明晰な知恵によって、家臣の才能を推量なされた。
故知臣伐賊才弱敵強也;
だからといって賊を討伐てず、それによって天下統一して治めることも失ってしまうことはできない。
然不伐賊、王業亦亡、
ただ目の前の状況をそのままにして自分が滅びるのを待つようであれば、一体誰が賊を討伐できるのだろうか?
惟坐待亡、孰与伐之?
そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです。

ただ目の前の状況をそのままにして自分が滅びるのを待つようであれば、一体誰が賊を討伐できるのだろうか?

是故託臣而弗疑也。

#4
臣受命之日、寝不安席、
家臣としてその命令を受けた日は、寝るのに寝床に安心して居ることはできませんでした。
食不甘味、思惟北征、
食事をするときもその味をあじわくこともできませんし、ただ、私の気持ちは魏を討つ北征にあるだけでした。
宜先入南、故五月渡瀘、
そのためにはまず南方を平定しなければいけないのです。ゆえに五月に瀘水渡り攻め込むことにしたのです。
深入不毛、并日而食。
土地の性質が悪く農作物も十分に育たないような土地に深く入り込んで、二日に一度食事を取るほどの苦心をしたのです。
臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、
家臣の私はその苦しみを自ら惜しいと思わないわけではないのです。天下統一を治めることを常に考えてこの蜀の都を他の二国に比較して劣ることのない状態に保つことはできていない現状なのです。
故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。
ゆえに危険を冒してでも先帝が私に託されたご意思を大切にして万事を行っているのです。しかしあれこれと文句をつける者たちはこれを良いはかりごとではないと言っているのです。
今賊適疲於西、又務於東、
現在、賊軍は西のまもりをするのに疲弊しており、その状態でまた呉対策の東に備えているのです。
兵法乘労、此進趨之時也。

兵法の基本は相手が疲れ苦労しているときそれに乗じること、この趨勢に時機を逸しないで進攻することなのです。


『出師表-後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
#4
曙001臣受命之日、寝不安席、
食不甘味、思惟北征、
宜先入南、故五月渡瀘、
深入不毛、并日而食。
臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、
故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。
今賊適疲於西、又務於東、
兵法乘労、此進趨之時也。


(下し文) #4
臣の命を受くるの日、寝ても席に安んぜず、
食べても味を甘しとせず、思は惟【た】だ北征にあるのみ。宜しく先んじて南に入るべし、
故に五月に瀘【ろ】を渡り、深く不毛に入り、
日を并【あわ】せて食らう。
臣は自ら惜まざるに非ざるなり、王業を顧みて偏に蜀都【しょくと】を全【まっと】うするを得ず、
故に危難を冒して以て先帝の遺意【いい】を奉ずるなり、而れども議する者は非計を為すと謂う。
今、賊は適きて西に疲れ、又た東に務む、
兵法は労するに乗ず、此れ進趨の時なり。


(現代語訳)
家臣としてその命令を受けた日は、寝るのに寝床に安心して居ることはできませんでした。
食事をするときもその味をあじわくこともできませんし、ただ、私の気持ちは魏を討つ北征にあるだけでした。
そのためにはまず南方を平定しなければいけないのです。ゆえに五月に瀘水渡り攻め込むことにしたのです。
土地の性質が悪く農作物も十分に育たないような土地に深く入り込んで、二日に一度食事を取るほどの苦心をしたのです。
家臣の私はその苦しみを自ら惜しいと思わないわけではないのです。天下統一を治めることを常に考えてこの蜀の都を他の二国に比較して劣ることのない状態に保つことはできていない現状なのです。
ゆえに危険を冒してでも先帝が私に託されたご意思を大切にして万事を行っているのです。しかしあれこれと文句をつける者たちはこれを良いはかりごとではないと言っているのです。
現在、賊軍は西のまもりをするのに疲弊しており、その状態でまた呉対策の東に備えているのです。
兵法の基本は相手が疲れ苦労しているときそれに乗じること、この趨勢に時機を逸しないで進攻することなのです。


(訳注) #4
臣受命之日、寝不安席、
家臣としてその命令を受けた日は、寝るのに寝床に安心して居ることはできませんでした。


食不甘味、思惟北征、
食事をするときもその味をあじわくこともできませんし、ただ、私の気持ちは魏を討つ北征にあるだけでした。


宜先入南、故五月渡瀘、
そのためにはまず南方を平定しなければいけないのです。ゆえに五月に瀘水渡り攻め込むことにしたのです。
・瀘: 川の名。瀘水。今の金沙江。雲南省を流れて、四川省で岷江と合流して長江に合流。


深入不毛、并日而食。
土地の性質が悪く農作物も十分に育たないような土地に深く入り込んで、二日に一度食事を取るほどの苦心をしたのです。
・不毛: 土地の性質が悪くて、農作物が十分に育たない土地。ここでは魏のことをいう。諸葛亮の問題点であるが攻め込む際に蜀量を豊富に持っていかないで現地での調達を考えているので、肥沃でない処責めていくという意味になる


臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、
家臣の私はその苦しみを自ら惜しいと思わないわけではないのです。天下統一を治めることを常に考えてこの蜀の都を他の二国に比較して劣ることのない状態に保つことはできていない現状なのです。


故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。
ゆえに危険を冒してでも先帝が私に託されたご意思を大切にして万事を行っているのです。しかしあれこれと文句をつける者たちはこれを良いはかりごとではないと言っているのです。


今賊適疲於西、又務於東、
現在、賊軍は西のまもりをするのに疲弊しており、その状態でまた呉対策の東に備えているのです。


兵法乘労、此進趨之時也。
兵法の基本は相手が疲れ苦労しているときそれに乗じること、この趨勢に時機を逸しないで進攻することなのです。
華山000

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩830 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2698

諸葛亮 《出師表-後出師表》 そこで十一月になったので、主君(劉禅)に以下のように申し上げる。
「先帝(劉備)は漢の再興に配慮されて、賊(魏)に並び立ってはいけないと思っておられた。


2013年7月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩830 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2698


後出師表 #1
亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷にあります。
皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
そのどちらも魏の賊軍が多くおるのです。ところが、我々がその賊軍を破ることができなくて反対に賊軍に打ち破られている現状なのです。
則此病不在兵少也、在一人耳。
つまりこの苦しい状況は我々の兵の数が少ないからではなく、その敗北の戦略責任はわたくし、ただ一人にあるのです。
今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
今はまず、兵の数を減らして将軍の数を少なくすること、刑罰を明らかにして間違ったところについて明らかにすること、それから、事態に臨機応変に対処する方策を立てるためにいろんなことを引きあわせて調べることに致すことなのです。
若不能然者、雖兵多何益!
もしそうすることができなければ、我々の兵の数が多くても何の利益があるというのでしょうか。
自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
こから後は、もろもろの事態に忠臣愛国、真心を維持し国をおもう、ひたすらに私のこれまでの過失を責めることに励みます。
則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」
そうすれば万事定まって、賊は死ぬことになるでしょう。功績はつま先立ちをするように期待をして待つことができます」と。


亮曰く、「大軍は祁山【きざん】・箕谷【きこく】に在りて、
皆な賊多し、而るに賊を破る能わずして賊の破る所となるのは、
則ち此の病は兵の少なきにあらず、一人に在るのみ。
今、兵を減じ将を省かんとして、罰を明らかにし過ちを思い、変通【へんつう】の道を将来に校【くら】ぶ;
若【も】し然る能わざれば、兵の多きと雖も何の益かあらん。
今より已後【いご】、諸【もろも】ろを忠に国を慮【おもんばか】ること有りて、但だ吾の闕【けつ】を攻めることを勤めば、
則ち事は定まるべくして、賊は死すべし、功は足を蹻【あ】げて待つべし」と。


#2
於是考微労、甄烈壮、
これからは微に入り細に入って苦労することをおしまず、勇ましく激しい兵士を育てるのです。
引咎責躬、布所失於天下、
責任の所在をはっきりさせ、信賞必罰にします。そして、天下の人にも過失のあるところを公明正大にします。
厲兵講武、以為後図、
それには兵士たちを鍛えて武術を鍛錬させる、まずそんな風に将来の計画をたてます。
戎士簡練、民忘其敗矣。
兵士たちは選び出されて鍛えてゆき、民衆は前に戦に負けたことも忘れるほどになる。
亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。

私、亮は以下を把握しています、それは“呉の孫権が魏の曹休を破り、魏の兵は東に下がって、関中地方での勢力が弱まっている”のです。

是に於て微に労を考え、烈壮【れっそう】を甄【そだ】て、
引咎【いんきゅう】して躬【み】を責め、天下に失うところを布【の】べ、
兵を厲【みが】き武を講じて、以て後図【こうと】を為し、
戎士【じゅうし】は簡練【かんれん】し、民は其の敗るるを忘る。
亮は孫権の曹休を破り、魏の兵は東に下り、関中は虚弱たるを聞けり。

渓谷003







#3
十一月、上言曰:
そこで十一月になったので、主君(劉禅)に以下のように申し上げる。
「先帝慮漢﹑賊不両立、
「先帝(劉備)は漢の再興に配慮されて、賊(魏)に並び立ってはいけないと思っておられた。
王業不偏安、故託臣以討賊也。
それに天下を治めるための事業は安定している状況とは言えなく、それゆえ、先帝は家臣の私に後のこと、賊討伐を託されたのです。
以先帝之明、量臣之才、
先帝の明晰な知恵によって、家臣の才能を推量なされた。
故知臣伐賊才弱敵強也;
魏という敵が強いことを理解しておられ、賊を征伐するには家臣の才能が乏しいと思っておられた。
そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです。

然不伐賊、王業亦亡、
だからといって賊を討伐てず、それによって天下統一して治めることも失ってしまうことはできない。
惟坐待亡、孰与伐之?
ただ目の前の状況をそのままにして自分が滅びるのを待つようであれば、一体誰が賊を討伐できるのだろうか?
是故託臣而弗疑也。

そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです
 
十一月、上言して曰く、
「先帝は漢を慮【おもんぱか】り﹑賊に両立せず、
王業は偏【ひとえ】には安からず、故に臣に託して以て賊を討たんとするなり。
先帝の明を以て、臣の才を量れば、
故に臣の賊を伐つに才の弱く敵の強きを知るなり。
然るに賊を伐たず、王業も亦た亡び、
惟だ坐して亡ぶるを待つ、孰【いずれ】か与【とも】に之を伐たん?
是の故に臣に託して疑わざるなり。
#4
臣受命之日、寝不安席、
食不甘味、思惟北征、
宜先入南、故五月渡瀘、
深入不毛、并日而食。
臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、
故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。
今賊適疲於西、又務於東、
兵法乘労、此進趨之時也。
DCF00017











 


『出師表-後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
十一月、上言曰:
「先帝慮漢﹑賊不両立、
王業不偏安、故託臣以討賊也。
以先帝之明、量臣之才、
故知臣伐賊才弱敵強也;
然不伐賊、王業亦亡、
惟坐待亡、孰与伐之?
是故託臣而弗疑也。


(下し文) #3
 十一月、上言して曰く、
「先帝は漢を慮【おもんぱか】り﹑賊に両立せず、
王業は偏【ひとえ】には安からず、故に臣に託して以て賊を討たんとするなり。
先帝の明を以て、臣の才を量れば、
故に臣の賊を伐つに才の弱く敵の強きを知るなり。
然るに賊を伐たず、王業も亦た亡び、
惟だ坐して亡ぶるを待つ、孰【いずれ】か与【とも】に之を伐たん?
是の故に臣に託して疑わざるなり。


(現代語訳)
そこで十一月になったので、主君(劉禅)に以下のように申し上げる。
「先帝(劉備)は漢の再興に配慮されて、賊(魏)に並び立ってはいけないと思っておられた。
それに天下を治めるための事業は安定している状況とは言えなく、それゆえ、先帝は家臣の私に後のこと、賊討伐を託されたのです。
先帝の明晰な知恵によって、家臣の才能を推量なされた。
魏という敵が強いことを理解しておられ、賊を征伐するには家臣の才能が乏しいと思っておられた。

だからといって賊を討伐てず、それによって天下統一して治めることも失ってしまうことはできない。
ただ目の前の状況をそのままにして自分が滅びるのを待つようであれば、一体誰が賊を討伐できるのだろうか?
そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです。


(訳注) #3
十一月、上言曰:
そこで十一月になったので、主君(劉禅)に以下のように申し上げる。


「先帝慮漢﹑賊不両立、
「先帝(劉備)は漢の再興に配慮されて、賊(魏)に並び立ってはいけないと思っておられた。


王業不偏安、故託臣以討賊也。
それに天下を治めるための事業は安定している状況とは言えなく、それゆえ、先帝は家臣の私に後のこと、賊討伐を託されたのです。
王業:帝王として天下をおさめる事業。


以先帝之明、量臣之才、
先帝の明晰な知恵によって、家臣の才能を推量なされた。


故知臣伐賊才弱敵強也;
魏という敵が強いことを理解しておられ、賊を征伐するには家臣の才能が乏しいと思っておられた。


然不伐賊、王業亦亡、
だからといって賊を討伐てず、それによって天下統一して治めることも失ってしまうことはできない。


惟坐待亡、孰与伐之?
ただ目の前の状況をそのままにして自分が滅びるのを待つようであれば、一体誰が賊を討伐できるのだろうか?


是故託臣而弗疑也。
そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです。

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩829 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2693

諸葛亮孔明《出師表-後出師表》これからは微に入り細に入って苦労することをおしまず、勇ましく激しい兵士を育てるのです。責任の所在をはっきりさせ、信賞必罰にします。そして、天下の人にも過失のあるところを公明正大にします。


2013年7月18日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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後出師表 #1
亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷にあります。
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つまりこの苦しい状況は我々の兵の数が少ないからではなく、その敗北の戦略責任はわたくし、ただ一人にあるのです。
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今はまず、兵の数を減らして将軍の数を少なくすること、刑罰を明らかにして間違ったところについて明らかにすること、それから、事態に臨機応変に対処する方策を立てるためにいろんなことを引きあわせて調べることに致すことなのです。
若不能然者、雖兵多何益!
もしそうすることができなければ、我々の兵の数が多くても何の利益があるというのでしょうか。
自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
こから後は、もろもろの事態に忠臣愛国、真心を維持し国をおもう、ひたすらに私のこれまでの過失を責めることに励みます。
則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」
そうすれば万事定まって、賊は死ぬことになるでしょう。功績はつま先立ちをするように期待をして待つことができます」と。


亮曰く、「大軍は祁山【きざん】・箕谷【きこく】に在りて、
皆な賊多し、而るに賊を破る能わずして賊の破る所となるのは、
則ち此の病は兵の少なきにあらず、一人に在るのみ。
今、兵を減じ将を省かんとして、罰を明らかにし過ちを思い、変通【へんつう】の道を将来に校【くら】ぶ;
若【も】し然る能わざれば、兵の多きと雖も何の益かあらん。
今より已後【いご】、諸【もろも】ろを忠に国を慮【おもんばか】ること有りて、但だ吾の闕【けつ】を攻めることを勤めば、
則ち事は定まるべくして、賊は死すべし、功は足を蹻【あ】げて待つべし」と。


#2
於是考微労、甄烈壮、
これからは微に入り細に入って苦労することをおしまず、勇ましく激しい兵士を育てるのです。
引咎責躬、布所失於天下、
責任の所在をはっきりさせ、信賞必罰にします。そして、天下の人にも過失のあるところを公明正大にします。
厲兵講武、以為後図、
それには兵士たちを鍛えて武術を鍛錬させる、まずそんな風に将来の計画をたてます。
戎士簡練、民忘其敗矣。
兵士たちは選び出されて鍛えてゆき、民衆は前に戦に負けたことも忘れるほどになる。
亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。

私、亮は以下を把握しています、それは“呉の孫権が魏の曹休を破り、魏の兵は東に下がって、関中地方での勢力が弱まっている”のです。

是に於て微に労を考え、烈壮【れっそう】を甄【そだ】て、
引咎【いんきゅう】して躬【み】を責め、天下に失うところを布【の】べ、
兵を厲【みが】き武を講じて、以て後図【こうと】を為し、
戎士【じゅうし】は簡練【かんれん】し、民は其の敗るるを忘る。
亮は孫権の曹休を破り、魏の兵は東に下り、関中は虚弱たるを聞けり。

渓谷003







『出師表-後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
曙001於是考微労、甄烈壮、
引咎責躬、布所失於天下、
厲兵講武、以為後図、
戎士簡練、民忘其敗矣。
亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。


(下し文)
是に於て微に労を考え、烈壮【れっそう】を甄【そだ】て、
引咎【いんきゅう】して躬【み】を責め、天下に失うところを布【の】べ、
兵を厲【みが】き武を講じて、以て後図【こうと】を為し、
戎士【じゅうし】は簡練【かんれん】し、民は其の敗るるを忘る。
亮は孫権の曹休を破り、魏の兵は東に下り、関中は虚弱たるを聞けり。


(現代語訳)
これからは微に入り細に入って苦労することをおしまず、勇ましく激しい兵士を育てるのです。
責任の所在をはっきりさせ、信賞必罰にします。そして、天下の人にも過失のあるところを公明正大にします。
それには兵士たちを鍛えて武術を鍛錬させる、まずそんな風に将来の計画をたてます。
兵士たちは選び出されて鍛えてゆき、民衆は前に戦に負けたことも忘れるほどになる。
私、亮は以下を把握しています、それは“呉の孫権が魏の曹休を破り、魏の兵は東に下がって、関中地方での勢力が弱まっている”のです。
私、亮は以下を把握しています、それは“呉の孫権が魏の曹休を破り、魏の兵は東に下がって、関中地方での勢力が弱まっている”のです。


(訳注) #2
於是考微労、甄烈壮、
これからは微に入り細に入って苦労することをおしまず、勇ましく激しい兵士を育てるのです。
・烈壮: 勇ましく、激しいこと。


引咎責躬、布所失於天下、
責任の所在をはっきりさせ、信賞必罰にします。そして、天下の人にも過失のあるところを公明正大にします。
・引咎: 責任を負う。


厲兵講武、以為後図、
それには兵士たちを鍛えて武術を鍛錬させる、まずそんな風に将来の計画をたてます。
・講武: 武術を習って鍛錬する。
・後図: 将来への計画。


戎士簡練、民忘其敗矣。
兵士たちは選び出されて鍛えてゆき、民衆は前に戦に負けたことも忘れるほどになる。
・簡練: 選び出して鍛える。


亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。
私、亮は以下を把握しています、それは“呉の孫権が魏の曹休を破り、魏の兵は東に下がって、関中地方での勢力が弱まっている”のです。
・関中:函谷関から長安地方。
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出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩828 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2688

諸葛亮《後出師表》、我々がその賊軍を破ることができなくて反対に賊軍に打ち破られている現状なのです。#1 亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷にあります。そのどちらも魏の賊軍が多くおるのです。ところが

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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩828 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2688



後出師表 #1
 亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、則此病不在兵少也、在一人耳。今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;若不能然者、雖兵多何益!自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」
#2
 於是考微労、甄烈壮、引咎責躬、布所失於天下、厲兵講武、以為後図、戎士簡練、民忘其敗矣。亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。
 
#2
 十一月、上言曰:
「先帝慮漢﹑賊不両立、王業不偏安、故託臣以討賊也。以先帝之明、量臣之才、故知臣伐賊才弱敵強也;然不伐賊、王業亦亡、惟坐待亡、孰与伐之?是故託臣而弗疑也。
#3
臣受命之日、寝不安席、食不甘味、思惟北征、宜先入南、故五月渡瀘、深入不毛、并日而食。臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。今賊適疲於西、又務於東、兵法乘労、此進趨之時也。
 
#4
謹陳其事如左:
高帝明並日月、謀臣淵深、然渉険被創、危然後安。今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、而欲以長計取勝、坐定天下、此臣之未解一也。
#5
劉繇﹑王朗各拠州郡、論安言計、動引聖人、群疑満腹、衆難塞胸、今歳不戦、明年不征、使孫策坐大、遂并江東、此臣之未解二也。

#6
曹操智計殊絶於人、其用兵也、髣彿孫﹑呉、然困於南陽、険於烏巣、危於祁連、偪於黎陽、幾敗北山、殆死潼関、然後偽定一時耳、況臣才弱、而欲以不危而定之、此臣之未解参也。

#7
 曹操五攻昌霸不下、四越巣湖不成、任用李服而李服図之、委夏侯而夏侯敗亡、先帝毎称操為能、猶有此失、況臣駑下、何能必勝?此臣之未解四也。

#8
 自臣到漢中、中間期年耳、然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、若復数年、則損参分之二也、当何以図敵?此臣之未解五也。
#9
 今民窮兵疲、而事不可息、事不可息、則住与行労費正等、而不及今図之、欲以一州之地与賊持久、此臣之未解六也。
#10
 夫難平者、事也。昔先帝敗軍於楚、当此時、曹操拊手、謂天下以定。然後先帝東連呉﹑越、西取巴﹑蜀、挙兵北征、夏侯授首、此操之失計而漢事将成也。然後呉更違盟、関羽毀敗、秭帰蹉跌、曹丕称帝。凡事如是、難可逆見。臣鞠躬尽力、死而後已、至於成敗利鈍、非臣之明所能逆睹也」
 
 是有散関之役。此表、亮集所無、出張儼黙記。
 

後出師表 #1
亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷にあります。
皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
そのどちらも魏の賊軍が多くおるのです。ところが、我々がその賊軍を破ることができなくて反対に賊軍に打ち破られている現状なのです。
則此病不在兵少也、在一人耳。
つまりこの苦しい状況は我々の兵の数が少ないからではなく、その敗北の戦略責任はわたくし、ただ一人にあるのです。
今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
今はまず、兵の数を減らして将軍の数を少なくすること、刑罰を明らかにして間違ったところについて明らかにすること、それから、事態に臨機応変に対処する方策を立てるためにいろんなことを引きあわせて調べることに致すことなのです。
若不能然者、雖兵多何益!
もしそうすることができなければ、我々の兵の数が多くても何の利益があるというのでしょうか。
自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
こから後は、もろもろの事態に忠臣愛国、真心を維持し国をおもう、ひたすらに私のこれまでの過失を責めることに励みます。
則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」
そうすれば万事定まって、賊は死ぬことになるでしょう。功績はつま先立ちをするように期待をして待つことができます」と。


亮曰く、「大軍は祁山【きざん】・箕谷【きこく】に在りて、
皆な賊多し、而るに賊を破る能わずして賊の破る所となるのは、
則ち此の病は兵の少なきにあらず、一人に在るのみ。
今、兵を減じ将を省かんとして、罰を明らかにし過ちを思い、変通【へんつう】の道を将来に校【くら】ぶ;
若【も】し然る能わざれば、兵の多きと雖も何の益かあらん。
今より已後【いご】、諸【もろも】ろを忠に国を慮【おもんばか】ること有りて、但だ吾の闕【けつ】を攻めることを勤めば、
則ち事は定まるべくして、賊は死すべし、功は足を蹻【あ】げて待つべし」と。

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『後出師表』 現代語訳と訳註
(本文) 
#1
亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
則此病不在兵少也、在一人耳。
今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
若不能然者、雖兵多何益!
自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」


(下し文)
亮曰く、「大軍は祁山【きざん】・箕谷【きこく】に在りて、
皆な賊多し、而るに賊を破る能わずして賊の破る所となるのは、
則ち此の病は兵の少なきにあらず、一人に在るのみ。
今、兵を減じ将を省かんとして、罰を明らかにし過ちを思い、変通【へんつう】の道を将来に校【くら】ぶ;
若【も】し然る能わざれば、兵の多きと雖も何の益かあらん。
今より已後【いご】、諸【もろも】ろを忠に国を慮【おもんばか】ること有りて、但だ吾の闕【けつ】を攻めることを勤めば、
則ち事は定まるべくして、賊は死すべし、功は足を蹻【あ】げて待つべし」と。


(現代語訳)
亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷にあります。
そのどちらも魏の賊軍が多くおるのです。ところが、我々がその賊軍を破ることができなくて反対に賊軍に打ち破られている現状なのです。
つまりこの苦しい状況は我々の兵の数が少ないからではなく、その敗北の戦略責任はわたくし、ただ一人にあるのです。
今はまず、兵の数を減らして将軍の数を少なくすること、刑罰を明らかにして間違ったところについて明らかにすること、それから、事態に臨機応変に対処する方策を立てるためにいろんなことを引きあわせて調べることに致すことなのです。
もしそうすることができなければ、我々の兵の数が多くても何の利益があるというのでしょうか。
こから後は、もろもろの事態に忠臣愛国、真心を維持し国をおもう、ひたすらに私のこれまでの過失を責めることに励みます。
そうすれば万事定まって、賊は死ぬことになるでしょう。功績はつま先立ちをするように期待をして待つことができます」と。


(訳注)
後出師表 
#1
建興6年(228年)、諸葛亮は劉禅に再び「出師表」を上奏したとされている。この時の文章は、先の「出師表」と区別して「後出師表」と呼ばれている。しかし、この文章は『三国志』の本文では言及されず、裴松之の注釈の中で、習鑿歯『漢晋春秋』から引用され、さらに陳寿の編纂した『諸葛亮集』にも見えず、呉の張儼『黙記』に見えると書かれている上、歴史事実との相違点が多い。こうしたことから後世の偽作とする見方が有力である。


鷹将亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷に魏の曹真が在集している。
・祁山﹑箕谷 諸葛亮はまず斜谷道から郿を奪うと宣伝し、趙雲・鄧芝を囮とし、箕谷に布陣させた。魏の曹真が全軍を率いてこの方面に向かった隙に、自らは軍を率いて西に回り込み、祁山を攻めた。諸葛亮のこの動きに呼応して、天水・南安・安定の3郡が蜀に寝返った。この時、魏の天水郡の武将であった姜維が蜀に降伏している。


皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
そのどちらも魏の賊軍が多くおるのです。ところが、我々がその賊軍を破ることができなくて反対に賊軍に打ち破られている現状なのです。


則此病不在兵少也、在一人耳。
つまりこの苦しい状況は我々の兵の数が少ないからではなく、その敗北の戦略責任はわたくし、ただ一人にあるのです。


今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
今はまず、兵の数を減らして将軍の数を少なくすること、刑罰を明らかにして間違ったところについて明らかにすること、それから、事態に臨機応変に対処する方策を立てるためにいろんなことを引きあわせて調べることに致すことなのです。
・校: いろんな事を引きあわせて調べる。
・変通: あらゆる物事に臨機応変に対処する。


若不能然者、雖兵多何益!
もしそうすることができなければ、我々の兵の数が多くても何の利益があるというのでしょうか。


自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
こから後は、もろもろの事態に忠臣愛国、真心を維持し国をおもう、ひたすらに私のこれまでの過失を責めることに励みます。


則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」
そうすれば万事定まって、賊は死ぬことになるでしょう。功績はつま先立ちをするように期待をして待つことができます」と。
・已後: それから後。
・闕: 欠点や過失のことです。

出師表-前出師表(まとめ)-諸葛亮 漢詩<97-#8>Ⅱ李白に影響を与えた詩827 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2683


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李商隠詩
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出師表-前出師表(まとめ)-諸葛亮 漢詩<97-#8>Ⅱ李白に影響を与えた詩827 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2683


前出師表1-1-1#1
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;
陛下の家臣である亮が申し上げます。 先帝(劉備)は、この国の基礎を作り始められてから、事業の道半ばにして、事業途中でほうぎょされました。
今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。
今、天下は三国に分かれ鼎立しており、わが益州の地は疲れ果ててしまい、これは本当に危急存亡の時、まさしく冬を迎えようとしているのです。
然侍衛之臣,不懈於內;
そんな中では、まず、陛下(劉禅)の護衛をしている兵士たちは怠慢の気持ちを起こすことがあってはなりません。
忠志之士,忘身於外者:
そして、忠義心を抱く役人たちでかためること、外部の守りをするものは自分の身を忘れることである。
蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
つまり、たいせつなのは、先帝(劉備)に特別の礼で接遇されたことを思い慕うこと、そして、その御恩を陛下に報いようとしなければならないと思うことであります。
誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。

1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;
宮廷の中と役所の中の者たちは、ともに一体となること。
陟罰臧否,不宜異同:
功績によって官位を上昇させることであり、、罰による官位の下降させることであり、人物の善し悪しの判断については、人によって異なる点があってはならないということです。
若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,
もし、やましいことや、悪事を行って法律を犯すこと、それに真心をもって善行をしたのだということになれば、役人に任じることにする。
論其刑賞,以昭陛下平明之治;
その刑罰と功績による褒美を与えることについて判断をさせるときには、陛下の公平で明らかな道理をはっきりとさせることによって判断をさせることにするのです。
不宜偏私,使內外異法也。
そのときには特定の人をえこひいきしたりして、国内・国外の法を曲げないようにすることです。
侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:
陛下に政務のことを申し上げる侍中(じちゅう)や役所の次官(じかん)である侍郞(じろう)の郭攸之(かくゆうし)や、費禕(ひい)や、董允(とういん)らは、彼らは皆な善良で実直であり、その志は真心があって素直であり、そのことを見抜かれた先の帝によって多くの者たちから選び出されて、そして陛下のためにのこされたのです。
愚以為宮中之事,事無大小,
彼等に任じて宮中の仕事をすすめていき、仕事の大小の差をつけないこと。
悉以咨之,然後施行,
すべて彼等に相談をすること。そういうことしたうえで実施すること。
必得裨補闕漏,有所廣益。
必ずよく手落ちとなっている部分を助けて補うこと。そうすれば、利益になるところが大きいのです。

1-1-3#3
將軍向寵,性行淑均,
将軍の向寵(こうちょう)は、性質と行いは穏やかで公平である。
曉暢軍事,試用之於昔日,
軍事に関する道理に通じており、すこし前のこと、彼を試みに用いています。
先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:
先帝(劉備)は彼を賞賛して能力のある人と仰せられています。このことで、衆人して議論により、彼を軍の指揮官としたのです。
愚以為營中之事,事無大小,
まず、わが身を愚として、彼に経営・軍事上のことを任せること。それは事の大小を問わずということです。
悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。
すべてのことをよく相談するのです。かれは、必ずよく軍・部隊をうち解けさせて、その個々人の優劣を見極め、能力にあった役割を与えてくれるのです。
親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;
才能や仁徳にすぐれた家臣に親しんで、人格の劣ったくだらない者たちを遠ざけるのは、これは前漢という国が盛えた所以なのです。
親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。
一方で小人という人格の劣ったくだらない者たちと親しんで、賢臣という才能や人格にすぐれた家臣たちを遠ざけるのは、これは後漢末期に、國が衰えてしまった理由なのです。

1-1-4#4
先帝在時,每與臣論此事,
先帝(劉備)がご存命の時、常に私と次の事を議論している。
未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!
まず、後漢の国家を衰えさせ痛恨の極みである桓帝と霊帝の時代を嘆いていた。
侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,
侍中や、中央官庁の長官である尚書や、宰相の次官である長史や、軍の相談に当たる役人の参軍の者たちは、彼等はすべて志がまっすぐですぐれたもの、大義のためには命を惜しまない家臣たちを配する事である。
願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。
陛下にはその者たちと親しまれ、信頼されること。それによって漢の王室が栄えること。日々計画的にすること、そうしてその結果を待つようにすることを願うのです。

4岳陽樓詩人003















1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。


1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。

1-2-2#6
受命以來,夙夜憂慮,
私はそのご命令を受けて以来、朝早くから夜遅くまで、思い悩んでおります。
恐付託不效,以傷先帝之明;
人に頼むことによって成果を出すことが出来ないことをいつも恐れ、それが先帝の道理の明るさを傷つけてしまうのではないかということを恐れておるのです。
故五月渡瀘,深入不毛。
そこで五月に瀘水を渡って、作物が十分に育たないといわれた土地の中へと深く入っていくのです。
今南方已定,甲兵已足,
現在は南方はすでに平定しましたが、武器とよろいかぶと兵力はすでに十分にそろっております。
當獎帥三軍,北定中原,
今こそ大軍を統率して北にある天下の中央部である中原を平定する北伐をせねばならないのです。
庶竭駑鈍,攘除奸兇,
皆でその鈍い才能のかぎりを尽くして、魏の悪者たちを払い除くのです。
興復漢室,還於舊都:
漢の王室を元通りに復興することです。都を昔の都に戻すことです。
此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。
家臣を集め、そして先帝の御霊にそのはたらきを報告するのです。
至於斟酌損益,進盡忠言,
そして北伐の損益・功績をさしはかり、忠誠信に基づいた発言の限りを進言させます。
則攸之、依、允等之任也。
すなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれを任せるのです。
1-2-3 #7
願陛下托臣以討賊興復之效,
願わくば陛下は託された臣下は託されたことで北伐で魏の賊を討ち、元通りに復興させるのに役割を果たす。
不效則治臣之罪,以告先帝之靈;
元通りに復興させる役割を果たせないときにはこれは罪で私をはじめとする臣下の者に問い、以て先帝の霊に報告をさせるのです。
若無興復之言,則責攸之、依、允等之咎,
もし、漢を元通りに復興させなければ、すなわちすなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれをとがめることにするのです。
以彰其慢。陛下亦宜自謀,
そして彼等の怠慢を明らかに致します。陛下もまたご自身で調べられることです。
以諮諏善道,察納雅言,深追先帝遺詔。
そして臣下に意見を求めて相談して正しい方向へ導き、良い言葉を聞き入れて、深く先の帝のご臨終の時のお言葉を思い出していただきたいのです。
臣不勝受恩感激!今當遠離,
私は陛下の御恩を受けて感激をこらえることができません。今、私は任務を受けて陛下の元を遠く離れるのです。
臨表涕泣,不知所云。
此れだけの心意を申し上たことで涙を流しっぱなしで、何を言うべきかわからないほどです。


1-1-1#1
臣の亮言わく:先帝、業を創【はじ】めて未だ半ばならずして中道にして崩殂し、
今の天下は参に分かたれ、益州【えきしゅう】は疲弊し、此れ誠の危急存亡の秋なり。然るに侍衛【じえい】の臣は内に懈【おこた】らず、忠志【ちゅうし】の士は身を外に忘るるは、蓋し先帝の殊遇【しゅぐう】を追うて、之を陛下に報いんと欲すればなり。誠に宜しく聖徳【せいとく】を開張【かいちょう】するに、光【おお】いなる先帝の遺徳【いとく】を以てすべく、志士【しし】の気を恢弘【かいこう】し、妄りに菲薄【ひはく】に自【よ】りて、喩えを引きて義を失うて、以て忠諫【ちゅうかん】の路を塞ぐべからざるなり。

1-1-2#2
宮中・府中は俱に一体となり、
陟罰【ちょくばつ】・臧否【ぞうひ】、宜しく異同あるべからず。
若し奸を作して科を犯して忠善【ちゅうぜん】を為すに及びては、宜しく有司【ゆうし】に付して
其の刑賞を論ずるに、陛下の平明の理を昭【あき】らかにするを以てし、
宜しく偏私【へんし】して、内外の法を異ならしむべからず。
侍中【じちゅう】﹑侍郎【じろう】の郭攸之【かくゆうし】﹑費禕【ひい】﹑董允【とういん】らは、此れ皆な良実【りょうじつ】にして、志慮【しりょ】は忠純【ちゅうじゅん】にして、是を以て先帝は簡抜【かんばつ】して以て陛下に遺す。
愚は以て宮中の事を為し、事に大小 無く、
悉く之に咨(はか)るを以て、然る後に施行され、
必ず能く闕漏(けつろう)を裨補(ひほ)して、広く益する所有り。

 1-1-3#3
将軍の向寵【こうちょう】は、性行は淑均【しゅっきん】にす、
軍事に暁暢【ぎょうちょう】し、試みに昔日に用いる、
先帝は之を称して能と曰【い】い、是を以て衆議は寵を挙げて督と為す。
愚は以て営中【えいちゅう】の事を為し、事は大小無し。
悉く之に咨るを以て、必ず能く行陳【こうじん】して和睦し、優劣の所を得しむ。
賢臣に親しみて、小人を遠ざくるは、此れ先の漢の興隆せし所以なり;
小人に親しみ、賢臣を遠ざくるは、此れ後漢の傾頽【けいたい】せし所以なり。

1-1-4#4
先帝の在時、毎に臣と此の事を論じ、
未だ嘗て歎息して桓﹑霊を痛恨せざることあらざるなり。
侍中【じちゅう】、文書の発行をつかさどる尚書【しょうしょ】や、長史【ちょうし】﹑参軍【さんぐん】は、此れ悉く貞良 死節の臣にして、
願わくは陛下は之に親しみ之を信じ、則ち漢室の隆【さかん】なるを、日に計りて待つべきなり。

1-1-5#5
臣は本と布衣【ふい】にして、南陽に躬耕【きゅうこう】し、
苟【いやし】くも性命を乱世に全うし、諸侯に聞達【ぶんたつ】せらるるを求めず。
先帝は臣を以て卑鄙【ひひ】とせず、猥【みだ】りに自ら枉屈(おうくつ)し、
参【み】たび臣を草廬の中に顧みて、臣に諮【はか】るに当世の事を以てす。
是に由りて感激し、遂【つい】に先帝に以て駆馳【くち】を許さる。
後に傾覆に値【あ】い、任を敗軍の際に受けて、
命を危難の間に奉り、爾来【じらい】二十有一年なり。
先帝は臣の謹慎なるを知りて、故に崩に臨みて臣に寄するに大事を以てするなり。

1-1-6#6
命を受けて以来、夙夜【しゅくや】に憂歎【ゆうたん】し、託付【たくふ】して效【こう】あらずして、以て先帝の明を傷つくるを恐れ、
故に五月に瀘【ろ】に渡り、深く不毛に入る。
今は南方は已に定まり、兵甲は已に足り、
当に奨めて参軍を率い、北に中原を定めて、
庶【ことごと】く駑鈍【どどん】を竭【つく】し、姦凶【かんきょう】を攘【はら】い除き、
漢室を興復【こうふく】し、旧都に還らんとすべし。此れ臣の先帝に報いて、陛下の職分に忠なる所以なり。損益を斟酌するに至り、進んで忠言を尽し、則ち攸之﹑禕﹑允の任なり。

1-1-7#7
願わくは陛下の臣に託するに討賊【とうぞく】興復の效【こう】を以てせんことを;
效あらざれば、則ち臣の罪を治めて、以て先帝の霊に告げん。
若【も】し徳を興すの言 無くば、則ち攸之﹑依﹑允等の咎を責め、以て其の慢を彰らかにせん。
陛下は亦た宜しく自ら課して、以て善道を諮諏【ししゅ】し、
雅言【がげん】を察納【さつのう】し、深く先帝の遺詔(いしょう)を追うべし。
臣は恩を受けて感激に勝えず、今、遠離に当たりて、
表に臨みて涕泣【ていきゅう】し、云【い】う所を知らず。



後出師表
2-1-1#1
先帝慮漢、賊不兩立,王業不偏安,故托臣以討賊也。以先帝之明,量臣之才,故知臣伐賊,才弱敵強也。然不伐賊,王業亦亡。惟坐而待亡,孰與伐之?是故托臣而弗疑也。
2-1-2#2
臣受命之日,寢不安席,食不甘味;思惟北征,宜先入南:故五月渡瀘,深入不毛,並日而食。──臣非不自惜也:顧王業不可偏安於蜀都,故冒危難以奉先帝之遺意。而議者謂為非計。今賊適疲於西,又務於東,兵法“乘勞”:此進趨之時也。謹陳其事如左:


2-2-1#3
高帝明並日月,謀臣淵深,然涉險被創,危然後安;今陛下未及高帝,謀臣不如良、平,而欲以長策取勝,坐定天下:此臣之未解一也。劉繇、王朗,各據州郡,論安言計,動引聖人,群疑滿腹,眾難塞胸;今歲不戰,明年不征,使孫策坐大,遂並江東:此臣之未解二也。
2-2-2#4
曹操智計,殊絕於人,其用兵也,仿怫孫、吳,然困於南陽,險於烏巢,危於祁連,逼於黎陽,幾敗北山,殆死潼關,然後偽定一時耳;況臣才弱,而欲以不危而定之:此臣之未解三也。
2-2-3#5
曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,先帝每稱操為能,猶有此失;況臣弩下,何能必勝:此臣之未解四也。自臣到漢中,中間期年耳,然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉合、鄧銅等,及驅長屯將七十余人,突將無前,叢叟、青羌,散騎武騎一千余人,
2-2-4#6
此皆數十年之內,所糾合四方之精銳,非一州之所有;若複數年,則損三分之二也。──當何以圖敵:此臣之未解五也。今民窮兵疲,而事不可息;事不可息,則住與行,勞費正等;而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:此臣之未解六也。

2-3-1#7
夫難平者,事也。昔先帝敗軍於楚,當此時,曹操拊手,謂天下已定。──然後先帝東連吳、越,西取巴、蜀,舉兵北征,夏侯授首:此操之失計,而漢事將成也。──然後吳更違盟,關羽毀敗,秭歸蹉跌,曹丕稱帝:凡事如是,難可逆見。臣鞠躬盡瘁,死而後已;至於成敗利鈍,非臣之明所能逆睹也。

出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#7>Ⅱ李白に影響を与えた詩826 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2678

諸葛亮 《出師表-前出師表》願わくば陛下は託された臣下は託されたことで北伐で魏の賊を討ち、元通りに復興させるのに役割を果たす。元通りに復興させる役割を果たせないときにはこれは罪で私をはじめとする臣下の者に問い、以て先帝の霊に報告をさせるのです。


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1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。

1-2-2#6
受命以來,夙夜憂慮,
私はそのご命令を受けて以来、朝早くから夜遅くまで、思い悩んでおります。
恐付託不效,以傷先帝之明;
人に頼むことによって成果を出すことが出来ないことをいつも恐れ、それが先帝の道理の明るさを傷つけてしまうのではないかということを恐れておるのです。
故五月渡瀘,深入不毛。
そこで五月に瀘水を渡って、作物が十分に育たないといわれた土地の中へと深く入っていくのです。
今南方已定,甲兵已足,
現在は南方はすでに平定しましたが、武器とよろいかぶと兵力はすでに十分にそろっております。
當獎帥三軍,北定中原,
今こそ大軍を統率して北にある天下の中央部である中原を平定する北伐をせねばならないのです。
庶竭駑鈍,攘除奸兇,
皆でその鈍い才能のかぎりを尽くして、魏の悪者たちを払い除くのです。
興復漢室,還於舊都:
漢の王室を元通りに復興することです。都を昔の都に戻すことです。
此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。
家臣を集め、そして先帝の御霊にそのはたらきを報告するのです。
至於斟酌損益,進盡忠言,
そして北伐の損益・功績をさしはかり、忠誠信に基づいた発言の限りを進言させます。
則攸之、依、允等之任也。
すなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれを任せるのです。
1-2-3 #7
願陛下托臣以討賊興復之效,
願わくば陛下は託された臣下は託されたことで北伐で魏の賊を討ち、元通りに復興させるのに役割を果たす。
不效則治臣之罪,以告先帝之靈;
元通りに復興させる役割を果たせないときにはこれは罪で私をはじめとする臣下の者に問い、以て先帝の霊に報告をさせるのです。
若無興復之言,則責攸之、依、允等之咎,
もし、漢を元通りに復興させなければ、すなわちすなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれをとがめることにするのです。
以彰其慢。陛下亦宜自謀,
そして彼等の怠慢を明らかに致します。陛下もまたご自身で調べられることです。
以諮諏善道,察納雅言,深追先帝遺詔。
そして臣下に意見を求めて相談して正しい方向へ導き、良い言葉を聞き入れて、深く先の帝のご臨終の時のお言葉を思い出していただきたいのです。
臣不勝受恩感激!今當遠離,
私は陛下の御恩を受けて感激をこらえることができません。今、私は任務を受けて陛下の元を遠く離れるのです。
臨表涕泣,不知所云。
此れだけの心意を申し上たことで涙を流しっぱなしで、何を言うべきかわからないほどです。

DCF00018








『出師表-前出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
#7
願陛下托臣以討賊興復之效,
不效則治臣之罪,以告先帝之靈;
若無興復之言,則責攸之、依、允等之咎,以彰其慢。陛下亦宜自謀,以諮諏善道,
察納雅言,深追先帝遺詔。
臣不勝受恩感激!今當遠離,
臨表涕泣,不知所云。


(下し文)
願わくは陛下の臣に託するに討賊【とうぞく】興復の效【こう】を以てせんことを;
效あらざれば、則ち臣の罪を治めて、以て先帝の霊に告げん。
若【も】し徳を興すの言 無くば、則ち攸之﹑依﹑允等の咎を責め、以て其の慢を彰らかにせん。
陛下は亦た宜しく自ら課して、以て善道を諮諏【ししゅ】し、
雅言【がげん】を察納【さつのう】し、深く先帝の遺詔(いしょう)を追うべし。
臣は恩を受けて感激に勝えず、今、遠離に当たりて、
表に臨みて涕泣【ていきゅう】し、云【い】う所を知らず。


(現代語訳)
願わくば陛下は託された臣下は託されたことで北伐で魏の賊を討ち、元通りに復興させるのに役割を果たす。
元通りに復興させる役割を果たせないときにはこれは罪で私をはじめとする臣下の者に問い、以て先帝の霊に報告をさせるのです。
もし、漢を元通りに復興させなければ、すなわちすなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれをとがめることにするのです。
そして彼等の怠慢を明らかに致します。陛下もまたご自身で調べられることです。
そして臣下に意見を求めて相談して正しい方向へ導き、良い言葉を聞き入れて、深く先の帝のご臨終の時のお言葉を思い出していただきたいのです。
私は陛下の御恩を受けて感激をこらえることができません。今、私は任務を受けて陛下の元を遠く離れるのです。
此れだけの心意を申し上たことで涙を流しっぱなしで、何を言うべきかわからないほどです。


(訳注)#7
願陛下托臣以討賊興復之效,
願わくば陛下は託された臣下は託されたことで北伐で魏の賊を討ち、元通りに復興させるのに役割を果たす。
・興復: 元通りに復興させる


不效則治臣之罪,以告先帝之靈;
元通りに復興させる役割を果たせないときにはこれは罪で私をはじめとする臣下の者に問い、以て先帝の霊に報告をさせるのです。


若無興復之言,則責攸之、依、允等之咎,
もし、漢を元通りに復興させなければ、すなわちすなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれをとがめることにするのです。


以彰其慢。陛下亦宜自謀,
そして彼等の怠慢を明らかに致します。陛下もまたご自身で調べられることです。


以諮諏善道,察納雅言,深追先帝遺詔。
そして臣下に意見を求めて相談して正しい方向へ導き、良い言葉を聞き入れて、深く先の帝のご臨終の時のお言葉を思い出していただきたいのです。
・諮諏: 臣下に公の問題について相談をする。
・察納: よく調べて意見を聞き入れる。
・雅言: 角の取れたきれいな言葉。


臣不勝受恩感激!今當遠離,
私は陛下の御恩を受けて感激をこらえることができません。今、私は任務を受けて陛下の元を遠く離れるのです。


臨表涕泣,不知所云。
此れだけの心意を申し上たことで涙を流しっぱなしで、何を言うべきかわからないほどです。


・攸之 郭攸之(かく ゆうし、生没年不詳)のこと。中国の後漢時代末期から三国時代にかけての政治家。蜀(蜀漢)の官僚、政治家。字は演長。荊州南陽郡の人。才能と学問で当時の人に名を知られる。劉備に仕えた時代の事績は残らないが、出師表によれば、費禕・董允らと共に劉備によって抜擢されたという。劉備の死後は引き続き劉禅に仕えた。
・依 費禕(ひ い、? - 253年)は、中国後漢末期から三国時代の人で、蜀漢の政治家・武将。字は文偉。費伯仁・費観の同族。費承・費恭の父。娘は皇太子劉璿の妃。『三国志』蜀書に伝が立っている。荊州江夏郡鄳(現在の湖北省武漢市江夏区)の人。
・允 董允(とう いん、? - 246年)は、中国三国時代の蜀漢の政治家。字は休昭。父は董和。孫は董宏(晋の巴西太守)[1]。『三国志』蜀書に独立の伝がある[2]。
章武元年(221年)、劉備が即位し、劉禅を皇太子に立てると、その側近(太子舎人、次いで太子洗馬)として抜擢された。建興元年(223年)、劉禅が即位すると、黄門侍郎に任じられた。
終南山03

出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#6>Ⅱ李白に影響を与えた詩825 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2673

諸葛亮《出師表-前出師表》私はそのご命令を受けて以来、朝早くから夜遅くまで、思い悩んでおります。人に頼むことによって成果を出すことが出来ないことをいつも恐れ、それが先帝の道理の明るさを傷つけてしまうのではないかということを恐れておるのです。


2013年7月14日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
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出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#6>Ⅱ李白に影響を与えた詩825 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2673
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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盆池,五首之四 韓愈(韓退之) <159>Ⅱ中唐詩738 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2674
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Ⅲ杜甫詩1000詩集 LiveDoor魏十四侍御就弊廬相別 成都 杜甫 <497>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2675 杜甫詩1000-497-729/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor送扶煉師 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-226-92-#82 H:\Ⅴ唐宋詞詩&女性\薛濤\78送扶煉師30.docx 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2677
 
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#6>Ⅱ李白に影響を与えた詩825 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2673


1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。

1-2-2#6
受命以來,夙夜憂慮,
私はそのご命令を受けて以来、朝早くから夜遅くまで、思い悩んでおります。
恐付託不效,以傷先帝之明;
人に頼むことによって成果を出すことが出来ないことをいつも恐れ、それが先帝の道理の明るさを傷つけてしまうのではないかということを恐れておるのです。
故五月渡瀘,深入不毛。
そこで五月に瀘水を渡って、作物が十分に育たないといわれた土地の中へと深く入っていくのです。
今南方已定,甲兵已足,
現在は南方はすでに平定しましたが、武器とよろいかぶと兵力はすでに十分にそろっております。
當獎帥三軍,北定中原,
今こそ大軍を統率して北にある天下の中央部である中原を平定する北伐をせねばならないのです。
庶竭駑鈍,攘除奸兇,
皆でその鈍い才能のかぎりを尽くして、魏の悪者たちを払い除くのです。
興復漢室,還於舊都:
漢の王室を元通りに復興することです。都を昔の都に戻すことです。
此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。
家臣を集め、そして先帝の御霊にそのはたらきを報告するのです。
至於斟酌損益,進盡忠言,
そして北伐の損益・功績をさしはかり、忠誠信に基づいた発言の限りを進言させます。
則攸之、依、允等之任也。
すなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれを任せるのです。
1-2-3 #7
願陛下托臣以討賊興復之效,
不效則治臣之罪,以告先帝之靈;
若無興復之言,則責攸之、依、允等之咎,
以彰其慢。陛下亦宜自謀,
以諮諏善道,察納雅言,深追先帝遺詔。
臣不勝受恩感激!今當遠離,
臨表涕泣,不知所云。


『出師表-前出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
受命以來,夙夜憂慮,
恐付託不效,以傷先帝之明;
故五月渡瀘,深入不毛。
今南方已定,甲兵已足,
當獎帥三軍,北定中原,
庶竭駑鈍,攘除奸兇,
興復漢室,還於舊都:
此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。
至於斟酌損益,進盡忠言,
則攸之、依、允等之任也。


(下し文)
命を受けて以来、夙夜【しゅくや】に憂歎【ゆうたん】し、託付【たくふ】して效【こう】あらずして、以て先帝の明を傷つくるを恐れ、
故に五月に瀘【ろ】に渡り、深く不毛に入る。
今は南方は已に定まり、兵甲は已に足り、
当に奨めて参軍を率い、北に中原を定めて、
庶【ことごと】く駑鈍【どどん】を竭【つく】し、姦凶【かんきょう】を攘【はら】い除き、
漢室を興復【こうふく】し、旧都に還らんとすべし。此れ臣の先帝に報いて、陛下の職分に忠なる所以なり。損益を斟酌するに至り、進んで忠言を尽し、則ち攸之﹑禕﹑允の任なり。


(現代語訳)
私はそのご命令を受けて以来、朝早くから夜遅くまで、思い悩んでおります。
人に頼むことによって成果を出すことが出来ないことをいつも恐れ、それが先帝の道理の明るさを傷つけてしまうのではないかということを恐れておるのです。
そこで五月に瀘水を渡って、作物が十分に育たないといわれた土地の中へと深く入っていくのです。
現在は南方はすでに平定しましたが、武器とよろいかぶと兵力はすでに十分にそろっております。
今こそ大軍を統率して北にある天下の中央部である中原を平定する北伐をせねばならないのです。
皆でその鈍い才能のかぎりを尽くして、魏の悪者たちを払い除くのです。
漢の王室を元通りに復興することです。都を昔の都に戻すことです。
家臣を集め、そして先帝の御霊にそのはたらきを報告するのです。
そして北伐の損益・功績をさしはかり、忠誠信に基づいた発言の限りを進言させます。
すなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれを任せるのです。


(訳注)1-2-2#6
百舌鳥02受命以來,夙夜憂慮,
私はそのご命令を受けて以来、朝早くから夜遅くまで、思い悩んでおります。
・夙夜: 朝早くから夜遅くまで。


恐付託不效,以傷先帝之明;
人に頼むことによって成果を出すことが出来ないことをいつも恐れ、それが先帝の道理の明るさを傷つけてしまうのではないかということを恐れておるのです。
・託付: 人に頼む。


故五月渡瀘,深入不毛。
そこで五月に瀘水を渡って、作物が十分に育たないといわれた土地の中へと深く入っていくのです。
・瀘: 瀘水という川。雲南省から四川省の岷江(びんこう)と合流して長江となる。
・不毛:作物が十分に育たない土地。


今南方已定,甲兵已足,
現在は南方はすでに平定しましたが、武器とよろいかぶと兵力はすでに十分にそろっております。


當獎帥三軍,北定中原,
今こそ大軍を統率して北にある天下の中央部である中原を平定する北伐をせねばならないのです。


庶竭駑鈍,攘除奸兇,
皆でその鈍い才能のかぎりを尽くして、魏の悪者たちを払い除くのです。
・駑鈍: 才能が鈍いこと。
・姦凶: 悪者。魏国。


興復漢室,還於舊都:
漢の王室を元通りに復興することです。都を昔の都に戻すことです。


此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。
家臣を集め、そして先帝の御霊にそのはたらきを報告するのです。


至於斟酌損益,進盡忠言,
そして北伐の損益・功績をさしはかり、忠誠信に基づいた発言の限りを進言させます。


則攸之、依、允等之任也。
すなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれを任せるのです。
・攸之 郭攸之(かく ゆうし、生没年不詳)のこと。中国の後漢時代末期から三国時代にかけての政治家。蜀(蜀漢)の官僚、政治家。字は演長。荊州南陽郡の人。才能と学問で当時の人に名を知られる。劉備に仕えた時代の事績は残らないが、出師表によれば、費禕・董允らと共に劉備によって抜擢されたという。劉備の死後は引き続き劉禅に仕えた。
・依 費禕(ひ い、? - 253年)は、中国後漢末期から三国時代の人で、蜀漢の政治家・武将。字は文偉。費伯仁・費観の同族。費承・費恭の父。娘は皇太子劉璿の妃。『三国志』蜀書に伝が立っている。荊州江夏郡鄳(現在の湖北省武漢市江夏区)の人。
・允 董允(とう いん、? - 246年)は、中国三国時代の蜀漢の政治家。字は休昭。父は董和。孫は董宏(晋の巴西太守)[1]。『三国志』蜀書に独立の伝がある[2]。
章武元年(221年)、劉備が即位し、劉禅を皇太子に立てると、その側近(太子舎人、次いで太子洗馬)として抜擢された。建興元年(223年)、劉禅が即位すると、黄門侍郎に任じられた。

出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#5>Ⅱ李白に影響を与えた詩824 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2668

諸葛亮《出師表-前出師表》#5 臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。


2013年7月13日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 
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1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。

1-2-2#6
受命以來,夙夜憂慮,
恐付託不效,以傷先帝之明;
故五月渡瀘,深入不毛。
今南方已定,甲兵已足,
當獎帥三軍,北定中原,
庶竭駑鈍,攘除奸兇,
興復漢室,還於舊都:
此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。
至於斟酌損益,進盡忠言,
則攸之、依、允等之任也。


『出師表-前出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
由是感激,遂許先帝以驅馳。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。


(下し文)
臣は本と布衣【ふい】にして、南陽に躬耕【きゅうこう】し、
苟【いやし】くも性命を乱世に全うし、諸侯に聞達【ぶんたつ】せらるるを求めず。
先帝は臣を以て卑鄙【ひひ】とせず、猥【みだ】りに自ら枉屈(おうくつ)し、
参【み】たび臣を草廬の中に顧みて、臣に諮【はか】るに当世の事を以てす。
是に由りて感激し、遂【つい】に先帝に以て駆馳【くち】を許さる。
後に傾覆に値【あ】い、任を敗軍の際に受けて、
命を危難の間に奉り、爾来【じらい】二十有一年なり。
先帝は臣の謹慎なるを知りて、故に崩に臨みて臣に寄するに大事を以てするなり。


(現代語訳)
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。

yuugure02















(訳注) 1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
・布衣: 庶民。
・南陽:今の河南省南陽市にあたる場所です。諸葛孔明の故郷であり、後漢の光武帝の育った所。
・躬耕(きゅうこう): 自分で田畑を耕す。


苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
・聞達: 有名になって出世をすること。
・諸侯: 君主のこと。


先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
・卑鄙: 下品で田舎びていることです。
・枉屈(おうくつ): 身分の高い人がへりくだって来訪する。


三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
・草廬: 襄陽の草葺きの庵(いおり)のこと。(地図参照)
・当世: 今の世の中。


由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
・駆馳: 駆け回って人のために尽くす。


後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
・傾覆: 国が滅びること。


奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。


先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。
謹慎: 行いが慎み深いこと。
大事: 国家の重大な仕事。
sas0024

出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩823 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2663

諸葛亮《出師表-前出師表》#4 先帝(劉備)がご存命の時、常に私と次の事を議論している。まず、後漢の国家を衰えさせ痛恨の極みである桓帝と霊帝の時代を嘆いていた。


2013年7月12日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor和段相公登武擔寺西臺 姚康 唐五代詞・宋詩 薛濤-224-90-#80  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2667
 
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩823 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2663


諸葛亮
前出師表1-1-1#1
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;
陛下の家臣である亮が申し上げます。 先帝(劉備)は、この国の基礎を作り始められてから、事業の道半ばにして、事業途中でほうぎょされました。
今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。
今、天下は三国に分かれ鼎立しており、わが益州の地は疲れ果ててしまい、これは本当に危急存亡の時、まさしく冬を迎えようとしているのです。
然侍衛之臣,不懈於內;
そんな中では、まず、陛下(劉禅)の護衛をしている兵士たちは怠慢の気持ちを起こすことがあってはなりません。
忠志之士,忘身於外者:
そして、忠義心を抱く役人たちでかためること、外部の守りをするものは自分の身を忘れることである。
蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
つまり、たいせつなのは、先帝(劉備)に特別の礼で接遇されたことを思い慕うこと、そして、その御恩を陛下に報いようとしなければならないと思うことであります。
誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。

1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;
宮廷の中と役所の中の者たちは、ともに一体となること。
陟罰臧否,不宜異同:
功績によって官位を上昇させることであり、、罰による官位の下降させることであり、人物の善し悪しの判断については、人によって異なる点があってはならないということです。
若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,
もし、やましいことや、悪事を行って法律を犯すこと、それに真心をもって善行をしたのだということになれば、役人に任じることにする。
論其刑賞,以昭陛下平明之治;
その刑罰と功績による褒美を与えることについて判断をさせるときには、陛下の公平で明らかな道理をはっきりとさせることによって判断をさせることにするのです。
不宜偏私,使內外異法也。
そのときには特定の人をえこひいきしたりして、国内・国外の法を曲げないようにすることです。
侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:
陛下に政務のことを申し上げる侍中(じちゅう)や役所の次官(じかん)である侍郞(じろう)の郭攸之(かくゆうし)や、費禕(ひい)や、董允(とういん)らは、彼らは皆な善良で実直であり、その志は真心があって素直であり、そのことを見抜かれた先の帝によって多くの者たちから選び出されて、そして陛下のためにのこされたのです。
愚以為宮中之事,事無大小,
彼等に任じて宮中の仕事をすすめていき、仕事の大小の差をつけないこと。
悉以咨之,然後施行,
すべて彼等に相談をすること。そういうことしたうえで実施すること。
必得裨補闕漏,有所廣益。
必ずよく手落ちとなっている部分を助けて補うこと。そうすれば、利益になるところが大きいのです。

1-1-3#3
將軍向寵,性行淑均,
将軍の向寵(こうちょう)は、性質と行いは穏やかで公平である。
曉暢軍事,試用之於昔日,
軍事に関する道理に通じており、すこし前のこと、彼を試みに用いています。
先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:
先帝(劉備)は彼を賞賛して能力のある人と仰せられています。このことで、衆人して議論により、彼を軍の指揮官としたのです。
愚以為營中之事,事無大小,
まず、わが身を愚として、彼に経営・軍事上のことを任せること。それは事の大小を問わずということです。
悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。
すべてのことをよく相談するのです。かれは、必ずよく軍・部隊をうち解けさせて、その個々人の優劣を見極め、能力にあった役割を与えてくれるのです。
親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;
才能や仁徳にすぐれた家臣に親しんで、人格の劣ったくだらない者たちを遠ざけるのは、これは前漢という国が盛えた所以なのです。
親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。
一方で小人という人格の劣ったくだらない者たちと親しんで、賢臣という才能や人格にすぐれた家臣たちを遠ざけるのは、これは後漢末期に、國が衰えてしまった理由なのです。

1-1-4#4
先帝在時,每與臣論此事,
先帝(劉備)がご存命の時、常に私と次の事を議論している。
未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!
まず、後漢の国家を衰えさせ痛恨の極みである桓帝と霊帝の時代を嘆いていた。
侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,
侍中や、中央官庁の長官である尚書や、宰相の次官である長史や、軍の相談に当たる役人の参軍の者たちは、彼等はすべて志がまっすぐですぐれたもの、大義のためには命を惜しまない家臣たちを配する事である。
願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。
陛下にはその者たちと親しまれ、信頼されること。それによって漢の王室が栄えること。日々計画的にすること、そうしてその結果を待つようにすることを願うのです。

4岳陽樓詩人003











『出師表-前出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
#4
先帝在時,每與臣論此事,
未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!
侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,
願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。


(下し文)
先帝の在時、毎に臣と此の事を論じ、
未だ嘗て歎息して桓﹑霊を痛恨せざることあらざるなり。
侍中【じちゅう】、文書の発行をつかさどる尚書【しょうしょ】や、長史【ちょうし】﹑参軍【さんぐん】は、此れ悉く貞良 死節の臣にして、
願わくは陛下は之に親しみ之を信じ、則ち漢室の隆【さかん】なるを、日に計りて待つべきなり。


(現代語訳)
先帝(劉備)がご存命の時、常に私と次の事を議論している。
まず、後漢の国家を衰えさせ痛恨の極みである桓帝と霊帝の時代を嘆いていた。
侍中や、中央官庁の長官である尚書や、宰相の次官である長史や、軍の相談に当たる役人の参軍の者たちは、彼等はすべて志がまっすぐですぐれたもの、大義のためには命を惜しまない家臣たちを配する事である。
陛下にはその者たちと親しまれ、信頼されること。それによって漢の王室が栄えること。日々計画的にすること、そうしてその結果を待つようにすることを願うのです。


(訳注) #4
先帝在時,每與臣論此事,
先帝(劉備)がご存命の時、常に私と次の事を議論している。


未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!
まず、後漢の国家を衰えさせ痛恨の極みである桓帝と霊帝の時代を嘆いていた。


侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,
侍中や、中央官庁の長官である尚書や、宰相の次官である長史や、軍の相談に当たる役人の参軍の者たちは、彼等はすべて志がまっすぐですぐれたもの、大義のためには命を惜しまない家臣たちを配する事である。
尚書 中央官庁の役人。尚書省(しょうしょしょう)とは、中国で後漢代から元代まで存在した省。唐の三省六部体制の元で中書省・門下省の取り決めた事を六部に伝える役割を果たした。前漢代には尚書は少府(皇帝の私的財産を扱う部署)に属し、上奏を取り扱う役職であった。皇帝に対し何らかの上奏を行いたいと思う者は正副二つの上表書を尚書に提出し、尚書は副の方を閲覧し、それが良くないと思えばこれを皇帝には上奏しないということが出来た。つまり上奏を皇帝に見せるか否かは尚書が決定するということであり、そのため絶大な権限を誇った。宣帝の時代、これを憂慮した魏相はこうした故事は皇帝の耳目を塞ぐものであるとして廃止するように求め、宣帝は魏相を給事中に任じた上で、この故事を廃止させた(『漢書』魏相伝)。
長史 宰相の輔佐をする次官。長史という職権、職責の重さがあまりよく知られてないので、楊儀がその職にあって諸葛孔明に全幅の信頼を寄せられた。
参軍 軍事の相談に当たる役人。参軍と言う職は軍事アドバイザーであるが、軍を統率する司令官が参軍の言うことを無視すればそれだけの職であり、司令官の罪に連座させる諸葛亮の意図を図りかねる。三国志の著者・陳寿の父も馬謖の参軍と言うことでコン刑(屈辱刑であり、五体を損ねる肉刑に次ぐ重刑、降格とは比べものにならない)を受けたのだ。総司令官である諸葛亮も丞相から右将軍に降格し、諸将に詫びている。
貞良 志がまっすぐですぐれていること。
死節 大義のために死ぬ。


願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。
陛下にはその者たちと親しまれ、信頼されること。それによって漢の王室が栄えること。日々計画的にすること、そうしてその結果を待つようにすることを願うのです。

出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩822 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2658

諸葛亮《出師表-前出師表》#3 将軍の向寵【こうちょう】は、性質と行いは穏やかで公平である。軍事に関する道理に通じており、すこし前のこと、彼を試みに用いています。


2013年7月11日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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諸葛亮
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1-1-1#1
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そして、忠義心を抱く役人たちでかためること、外部の守りをするものは自分の身を忘れることである。
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誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。

1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;
宮廷の中と役所の中の者たちは、ともに一体となること。
陟罰臧否,不宜異同:
功績によって官位を上昇させることであり、、罰による官位の下降させることであり、人物の善し悪しの判断については、人によって異なる点があってはならないということです。
若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,
もし、やましいことや、悪事を行って法律を犯すこと、それに真心をもって善行をしたのだということになれば、役人に任じることにする。
論其刑賞,以昭陛下平明之治;
その刑罰と功績による褒美を与えることについて判断をさせるときには、陛下の公平で明らかな道理をはっきりとさせることによって判断をさせることにするのです。
不宜偏私,使內外異法也。
そのときには特定の人をえこひいきしたりして、国内・国外の法を曲げないようにすることです。
侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,
陛下に政務のことを申し上げる侍中(じちゅう)や役所の次官(じかん)である侍郞(じろう)の郭攸之(かくゆうし)や、費禕(ひい)や、董允(とういん)らは、彼らは皆な善良で実直であり、
志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:
その志は真心があって素直であり、そのことを見抜かれた先の帝によって多くの者たちから選び出されて、そして陛下のためにのこされたのです。
愚以為宮中之事,事無大小,
彼等に任じて宮中の仕事をすすめていき、仕事の大小の差をつけないこと。
悉以咨之,然後施行,
すべて彼等に相談をすること。そういうことしたうえで実施すること。
必得裨補闕漏,有所廣益。
必ずよく手落ちとなっている部分を助けて補うこと。そうすれば、利益になるところが大きいのです。

1-1-3#3
將軍向寵,性行淑均,
将軍の向寵(こうちょう)は、性質と行いは穏やかで公平である。
曉暢軍事,試用之於昔日,
軍事に関する道理に通じており、すこし前のこと、彼を試みに用いています。
先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:
先帝(劉備)は彼を賞賛して能力のある人と仰せられています。このことで、衆人して議論により、彼を軍の指揮官としたのです。
愚以為營中之事,事無大小,
まず、わが身を愚として、彼に経営・軍事上のことを任せること。それは事の大小を問わずということです。
悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。
すべてのことをよく相談するのです。かれは、必ずよく軍・部隊をうち解けさせて、その個々人の優劣を見極め、能力にあった役割を与えてくれるのです。
親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;
才能や仁徳にすぐれた家臣に親しんで、人格の劣ったくだらない者たちを遠ざけるのは、これは前漢という国が盛えた所以なのです。
親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。
一方で小人という人格の劣ったくだらない者たちと親しんで、賢臣という才能や人格にすぐれた家臣たちを遠ざけるのは、これは後漢末期に、國が衰えてしまった理由なのです。

1-1-4#4
先帝在時,每與臣論此事,未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。

渓谷003







『出師表-前出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
1-1-3#3
曙001將軍向寵,性行淑均,
曉暢軍事,試用之於昔日,
先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:
愚以為營中之事,事無大小,
悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。
親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;
親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。


(下し文) 1-1-3#3
将軍の向寵【こうちょう】は、性行は淑均【しゅっきん】にす、
軍事に暁暢【ぎょうちょう】し、試みに昔日に用いる、
先帝は之を称して能と曰【い】い、是を以て衆議は寵を挙げて督と為す。
愚は以て営中【えいちゅう】の事を為し、事は大小無し。
悉く之に咨るを以て、必ず能く行陳【こうじん】して和睦し、優劣の所を得しむ。
賢臣に親しみて、小人を遠ざくるは、此れ先の漢の興隆せし所以なり;
小人に親しみ、賢臣を遠ざくるは、此れ後漢の傾頽【けいたい】せし所以なり。


(現代語訳)
将軍の向寵【こうちょう】は、性質と行いは穏やかで公平である。
軍事に関する道理に通じており、すこし前のこと、彼を試みに用いています。
先帝(劉備)は彼を賞賛して能力のある人と仰せられています。このことで、衆人して議論により、彼を軍の指揮官としたのです。
まず、わが身を愚として、彼に経営・軍事上のことを任せること。それは事の大小を問わずということです。
すべてのことをよく相談するのです。かれは、必ずよく軍・部隊をうち解けさせて、その個々人の優劣を見極め、能力にあった役割を与えてくれるのです。
才能や仁徳にすぐれた家臣に親しんで、人格の劣ったくだらない者たちを遠ざけるのは、これは前漢という国が盛えた所以なのです。
一方で小人という人格の劣ったくだらない者たちと親しんで、賢臣という才能や人格にすぐれた家臣たちを遠ざけるのは、これは後漢末期に、國が衰えてしまった理由なのです。


(訳注) 1-1-3#3
將軍向寵,性行淑均,
将軍の向寵【こうちょう】は、性質と行いは穏やかで公平である。
・淑均 穏やかで公平で正しいことをおこなう。


曉暢軍事,試用之於昔日,
軍事に関する道理に通じており、すこし前のこと、彼を試みに用いています。
・暁暢 物事の道理によく通じている。


先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:
先帝(劉備)は彼を賞賛して能力のある人と仰せられています。このことで、衆人して議論により、彼を軍の指揮官としたのです。
行陳 軍隊の部隊のことで、陳は列ねることを云う「陣(じん)」のこと。


愚以為營中之事,事無大小,
まず、わが身を愚として、彼に経営・軍事上のことを任せること。それは事の大小を問わずということです。


悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。
すべてのことをよく相談するのです。かれは、必ずよく軍・部隊をうち解けさせて、その個々人の優劣を見極め、能力にあった役割を与えてくれるのです。
・咨 ① 諮(はか)る,相談する.② 公文書


親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;
才能や仁徳にすぐれた家臣に親しんで、人格の劣ったくだらない者たちを遠ざけるのは、これは前漢という国が盛えた所以なのです。
・賢臣(けんしん): 才能や仁徳にすぐれた家臣のことです。
・興隆(こうりゅう): さかんになって栄えることです。


親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。
一方で小人という人格の劣ったくだらない者たちと親しんで、賢臣という才能や人格にすぐれた家臣たちを遠ざけるのは、これは後漢末期に、國が衰えてしまった理由なのです。
傾頽(けいたい): 勢力が衰えることです。

出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩821 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2653

諸葛亮《出師表-前出師表》#2 宮廷の中と役所の中の者たちは、ともに一体となること。功績によって官位を上昇させることであり、罰による官位の下降させることであり、人物の善し悪しの判断については、人によって異なる点があってはならないということです。


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

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諸葛亮
『前出師表』#1 
(前出師の表)#1
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;
陛下の家臣である亮が申し上げます。 先帝(劉備)は、この国の基礎を作り始められてから、事業の道半ばにして、事業途中でほうぎょされました。
今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。
今、天下は三国に分かれ鼎立しており、わが益州の地は疲れ果ててしまい、これは本当に危急存亡の時、まさしく冬を迎えようとしているのです。
然侍衛之臣,不懈於內;
そんな中では、まず、陛下(劉禅)の護衛をしている兵士たちは怠慢の気持ちを起こすことがあってはなりません。
忠志之士,忘身於外者:
そして、忠義心を抱く役人たちでかためること、外部の守りをするものは自分の身を忘れることである。
蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
つまり、たいせつなのは、先帝(劉備)に特別の礼で接遇されたことを思い慕うこと、そして、その御恩を陛下に報いようとしなければならないと思うことであります。
誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。
1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;
宮廷の中と役所の中の者たちは、ともに一体となること。
陟罰臧否,不宜異同:
功績によって官位を上昇させることであり、、罰による官位の下降させることであり、人物の善し悪しの判断については、人によって異なる点があってはならないということです。
若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,
もし、やましいことや、悪事を行って法律を犯すこと、それに真心をもって善行をしたのだということになれば、役人に任じることにする。
論其刑賞,以昭陛下平明之治;
その刑罰と功績による褒美を与えることについて判断をさせるときには、陛下の公平で明らかな道理をはっきりとさせることによって判断をさせることにするのです。
不宜偏私,使內外異法也。
そのときには特定の人をえこひいきしたりして、国内・国外の法を曲げないようにすることです。
侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:
陛下に政務のことを申し上げる侍中や役所の次官である侍郞の郭攸之(かくゆうし)や、費禕(ひい)や、董允(とういん)らは、彼らは皆な善良で実直であり、その志は真心があって素直であり、そのことを見抜かれた先の帝によって多くの者たちから選び出されて、そして陛下のためにのこされたのです。
愚以為宮中之事,事無大小,
彼等に任じて宮中の仕事をすすめていき、仕事の大小の差をつけないこと。
悉以咨之,然後施行,
すべて彼等に相談をすること。そういうことしたうえで実施すること。
必得裨補闕漏,有所廣益。
必ずよく手落ちとなっている部分を助けて補うこと。そうすれば、利益になるところが大きいのです。

1-1-3#3
必得裨補闕漏,有所廣益。將軍向寵,性行淑均,曉暢軍事,試用之於昔日,先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:愚以為營中之事,事無大小,悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。

1-1-4#4
先帝在時,每與臣論此事,未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。

600moon880



『出師表-前出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;
陟罰臧否,不宜異同:
若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,
論其刑賞,以昭陛下平明之治;
不宜偏私,使內外異法也。
侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:
愚以為宮中之事,事無大小,
悉以咨之,然後施行,
必得裨補闕漏,有所廣益。


(下し文) 1-1-2#2
宮中・府中は俱に一体となり、
陟罰【ちょくばつ】・臧否【ぞうひ】、宜しく異同あるべからず。
若し奸を作して科を犯して忠善【ちゅうぜん】を為すに及びては、宜しく有司【ゆうし】に付して
其の刑賞を論ずるに、陛下の平明の理を昭【あき】らかにするを以てし、
宜しく偏私【へんし】して、内外の法を異ならしむべからず。
侍中【じちゅう】﹑侍郎【じろう】の郭攸之【かくゆうし】﹑費禕【ひい】﹑董允【とういん】らは、此れ皆な良実【りょうじつ】にして、志慮【しりょ】は忠純【ちゅうじゅん】にして、是を以て先帝は簡抜【かんばつ】して以て陛下に遺す。
愚は以て宮中の事を為し、事に大小 無く、
悉く之に咨(はか)るを以て、然る後に施行され、
必ず能く闕漏(けつろう)を裨補(ひほ)して、広く益する所有り。


(現代語訳)
宮廷の中と役所の中の者たちは、ともに一体となること。
功績によって官位を上昇させることであり、、罰による官位の下降させることであり、人物の善し悪しの判断については、人によって異なる点があってはならないということです。
もし、やましいことや、悪事を行って法律を犯すこと、それに真心をもって善行をしたのだということになれば、役人に任じることにする。
その刑罰と功績による褒美を与えることについて判断をさせるときには、陛下の公平で明らかな道理をはっきりとさせることによって判断をさせることにするのです。そのときには特定の人をえこひいきしたりして、国内・国外の法を曲げないようにすることです。
陛下に政務のことを申し上げる侍中や役所の次官である侍郞の郭攸之(かくゆうし)や、費禕(ひい)や、董允(とういん)らは、彼らは皆な善良で実直であり、その志は真心があって素直であり、そのことを見抜かれた先の帝によって多くの者たちから選び出されて、そして陛下のためにのこされたのです。
彼等に任じて宮中の仕事をすすめていき、仕事の大小の差をつけないこと。
すべて彼等に相談をすること。そういうことしたうえで実施すること。
必ずよく手落ちとなっている部分を助けて補うこと。そうすれば、利益になるところが大きいのです。


(訳注)1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;
宮廷の中と役所の中の者たちは、ともに一体となること。
・府中 政府の役所の中のこと。


陟罰臧否,不宜異同:
功績によって官位を上昇させることであり、、罰による官位の下降させることであり、人物の善し悪しの判断については、人によって異なる点があってはならないということです。
・陟罰  家臣をほめて官位を上げることと、罰して官位をさげること。
・臧否  人物の善し悪しの判断のこと。


若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,
もし、やましいことや、悪事を行って法律を犯すこと、それに真心をもって善行をしたのだということになれば、役人に任じることにする。
・犯科  罪によって法律を犯す。
・忠善  真心によって善を行う。
・有司  役人、あるいは官吏。


論其刑賞,以昭陛下平明之治;
その刑罰と功績による褒美を与えることについて判断をさせるときには、陛下の公平で明らかな道理をはっきりとさせることによって判断をさせることにするのです。
・平明  公平で誰の目にも明らかなことを指す。


不宜偏私,使內外異法也。
そのときには特定の人をえこひいきしたりして、国内・国外の法を曲げないようにすることです。
・偏私 特定の人をえこひいきすること。


侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:
陛下に政務のことを申し上げる侍中や役所の次官である侍郞の郭攸之(かくゆうし)や、費禕(ひい)や、董允(とういん)らは、彼らは皆な善良で実直であり、その志は真心があって素直であり、そのことを見抜かれた先の帝によって多くの者たちから選び出されて、そして陛下のためにのこされたのです。
・侍中 天子に政務のことを申し上げる役人のこと。
・侍郞 役所の次官に当たる役人のこと。
・良実 善良で実直な人格のこと。
・忠純 真心があって素直なこと。
・簡抜 多くの者たちの中から抜擢すること。


愚以為宮中之事,事無大小,
彼等に任じて宮中の仕事をすすめていき、仕事の大小の差をつけないこと。


悉以咨之,然後施行,
すべて彼等に相談をすること。そういうことしたうえで実施すること。
・咨 相談することです。


必得裨補闕漏,有所廣益。
必ずよく手落ちとなっている部分を助けて補うこと。そうすれば、利益になるところが大きいのです。
・闕漏 手抜かりのこと。
・裨補 物事の悪いところを助けて補うこと。
華山000

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩820 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2648


出師表--諸葛亮
前出師表
鷹将1-1-1#1
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。然侍衛之臣,不懈於內;忠志之士,忘身於外者:蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;陟罰臧否,不宜異同:若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,論其刑賞,以昭陛下平明之治;不宜偏私,使內外異法也。侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:愚以為宮中之事,事無大小,悉以咨之,然後施行,
1-1-3#3
必得裨補闕漏,有所廣益。將軍向寵,性行淑均,曉暢軍事,試用之於昔日,先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:愚以為營中之事,事無大小,悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。
1-1-4#4
先帝在時,每與臣論此事,未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。

1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,由是感激,遂許先帝以驅馳。後值傾覆,受任於敗軍之際,奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
1-2-2#6
受命以來,夙夜憂慮,恐付託不效,以傷先帝之明;故五月渡瀘,深入不毛。今南方已定,甲兵已足,當獎帥三軍,北定中原,庶竭駑鈍,攘除奸兇,興復漢室,還於舊都:此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。至於斟酌損益,進盡忠言,則攸之、依、允等之任也。
1-2-3 #7
願陛下托臣以討賊興復之效,不效則治臣之罪,以告先帝之靈;若無興復之言,則責攸之、依、允等之咎,以彰其慢。陛下亦宜自謀,以諮諏善道,察納雅言,深追先帝遺詔。臣不勝受恩感激!今當遠離,臨表涕泣,不知所云。


後出師表
2-1-1#1
先帝慮漢、賊不兩立,王業不偏安,故托臣以討賊也。以先帝之明,量臣之才,故知臣伐賊,才弱敵強也。然不伐賊,王業亦亡。惟坐而待亡,孰與伐之?是故托臣而弗疑也。
2-1-2#2
臣受命之日,寢不安席,食不甘味;思惟北征,宜先入南:故五月渡瀘,深入不毛,並日而食。──臣非不自惜也:顧王業不可偏安於蜀都,故冒危難以奉先帝之遺意。而議者謂為非計。今賊適疲於西,又務於東,兵法“乘勞”:此進趨之時也。謹陳其事如左:


2-2-1#3
高帝明並日月,謀臣淵深,然涉險被創,危然後安;今陛下未及高帝,謀臣不如良、平,而欲以長策取勝,坐定天下:此臣之未解一也。劉繇、王朗,各據州郡,論安言計,動引聖人,群疑滿腹,眾難塞胸;今歲不戰,明年不征,使孫策坐大,遂並江東:此臣之未解二也。
2-2-2#4
曹操智計,殊絕於人,其用兵也,仿怫孫、吳,然困於南陽,險於烏巢,危於祁連,逼於黎陽,幾敗北山,殆死潼關,然後偽定一時耳;況臣才弱,而欲以不危而定之:此臣之未解三也。
2-2-3#5
曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,先帝每稱操為能,猶有此失;況臣弩下,何能必勝:此臣之未解四也。自臣到漢中,中間期年耳,然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉合、鄧銅等,及驅長屯將七十余人,突將無前,叢叟、青羌,散騎武騎一千余人,
2-2-4#6
此皆數十年之內,所糾合四方之精銳,非一州之所有;若複數年,則損三分之二也。──當何以圖敵:此臣之未解五也。今民窮兵疲,而事不可息;事不可息,則住與行,勞費正等;而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:此臣之未解六也。

2-3-1#7
夫難平者,事也。昔先帝敗軍於楚,當此時,曹操拊手,謂天下已定。──然後先帝東連吳、越,西取巴、蜀,舉兵北征,夏侯授首:此操之失計,而漢事將成也。──然後吳更違盟,關羽毀敗,秭歸蹉跌,曹丕稱帝:凡事如是,難可逆見。臣鞠躬盡瘁,死而後已;至於成敗利鈍,非臣之明所能逆睹也。




『前出師表』#1 
(前出師の表)#1
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;
陛下の家臣である亮が申し上げます。 先帝(劉備)は、この国の基礎を作り始められてから、事業の道半ばにして、事業途中でほうぎょされました。
今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。
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忠志之士,忘身於外者:
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蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
つまり、たいせつなのは、先帝(劉備)に特別の礼で接遇されたことを思い慕うこと、そして、その御恩を陛下に報いようとしなければならないと思うことであります。
誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。


  
『前出師表』#1 現代語訳と訳註
(本文)
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;
今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。
然侍衛之臣,不懈於內;
忠志之士,忘身於外者:
蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。


(下し文)
臣の亮言わく:先帝、業を創【はじ】めて未だ半ばならずして中道にして崩殂し、
今の天下は参に分かたれ、益州【えきしゅう】は疲弊し、此れ誠の危急存亡の秋なり。然るに侍衛【じえい】の臣は内に懈【おこた】らず、忠志【ちゅうし】の士は身を外に忘るるは、蓋し先帝の殊遇【しゅぐう】を追うて、之を陛下に報いんと欲すればなり。誠に宜しく聖徳【せいとく】を開張【かいちょう】するに、光【おお】いなる先帝の遺徳【いとく】を以てすべく、志士【しし】の気を恢弘【かいこう】し、妄りに菲薄【ひはく】に自【よ】りて、喩えを引きて義を失うて、以て忠諫【ちゅうかん】の路を塞ぐべからざるなり。


(現代語訳)
(前出師の表)#1
陛下の家臣である亮が申し上げます。 先帝(劉備)は、この国の基礎を作り始められてから、事業の道半ばにして、事業途中でほうぎょされました。
今、天下は三国に分かれ鼎立しており、わが益州の地は疲れ果ててしまい、これは本当に危急存亡の時、まさしく冬を迎えようとしているのです。
そんな中では、まず、陛下(劉禅)の護衛をしている兵士たちは怠慢の気持ちを起こすことがあってはなりません。
そして、忠義心を抱く役人たちでかためること、外部の守りをするものは自分の身を忘れることである。
つまり、たいせつなのは、先帝(劉備)に特別の礼で接遇されたことを思い慕うこと、そして、その御恩を陛下に報いようとしなければならないと思うことであります。
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。


(訳注)
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;

陛下の家臣である亮が申し上げます。 先帝(劉備)は、この国の基礎を作り始められてから、事業の道半ばにして、事業途中でほうぎょされました。
・創業  国の基礎を作り始めること。
・中道 物事を完成させる途中のこと。
・崩殂(ほうそ): 「崩御(ほうぎょ)」、天子(てんし)、つまり皇帝が亡くなること。
・殂とは、(帝が)死ぬという意味


今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。
今、天下は三国に分かれ鼎立しており、わが益州の地は疲れ果ててしまい、これは本当に危急存亡の時、まさしく冬を迎えようとしているのです。


然侍衛之臣,不懈於內;
そんな中では、まず、陛下(劉禅)の護衛をしている兵士たちは怠慢の気持ちを起こすことがあってはなりません。


忠志之士,忘身於外者:
そして、忠義心を抱く役人たちでかためること、外部の守りをするものは自分の身を忘れることである。
・忠志 忠義のこころざし。心のこもったこころざしのこと。


蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
つまり、たいせつなのは、先帝(劉備)に特別の礼で接遇されたことを思い慕うこと、そして、その御恩を陛下に報いようとしなければならないと思うことであります。
・殊遇 特別の礼を尽くしてもてなす待遇のこと。


誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
・聖徳 天子(皇帝)の人格と知恵。仁義、慈愛、道徳。
・開張 開いて広げる。
・遺徳 亡くなった人ののこした徳。
・志士 国家や社会のために尽くそうという志を持つ人。
・恢弘 広める。


不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。
・菲薄 通常は自分の人格や能力を謙遜していう言葉であるが、ここでは諸葛亮が諫言する語として用いているもので、陛下はまだ修業のみ、まだまだ勉強中のみですよというほどの意味。
・忠諫 真心によって相手をいさめること。

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

諸葛亮 《梁甫吟》斉の城門から歩み出ると遙か先に蕩陰の里が見える。蕩陰の里の中に三つの墳墓があり、似よった形をなしてつらなっている。誰の家系の墓かとたずねてみる。田彊・古冶子(・公孫接ら)のものだという。

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643


「梁甫吟」
(梁甫の詩を吟じる。)
歩出齊城門、遙望蕩陰里。
斉の城門から歩み出ると遙か先に蕩陰の里が見える。
里中有三墓、累累正相似。
蕩陰の里の中に三つの墳墓があり、似よった形をなしてつらなっている。
問是誰家墓、田彊古冶子。
誰の家系の墓かとたずねてみる。田彊・古冶子(・公孫接ら)のものだという。
力能排南山、文能絶地紀。
彼らが合わせれば、その力は南山をもおしのけるほどであり、文才はというと、天柱地維を震動させるほどの人物ということだ。
一朝被讒言、二桃殺三士。
それほどの者でも、いったん讒言というものにあうと、妟子の故事「三士に二桃」でいうように、この三士は殺されてしまったではないか。
誰能為此謀、國相齊晏子。
誰がそんな謀計をしたのだろうか、それは斉の宰相晏子である。

 (梁甫の吟)
歩して齊の城門を出で、遙かに蕩陰里を望む。
里中に三墳有り、累累として正に相似たり。
問う是れ誰が家の墓ぞ、田強 古冶子。
力は能く南山を排し、文は能く地紀を絶つ。
一朝讒言を被り、二桃三士を殺す。
誰か能く此の謀 を為す、國相齊の晏子なり。

嚢陽一帯00












『梁甫吟』 現代語訳と訳註
(本文)
歩出齊城門、遙望蕩陰里。
里中有三墓、累累正相似。
問是誰家墓、田彊古冶子。
力能排南山、文能絶地紀。
一朝被讒言、二桃殺三士。
誰能為此謀、國相齊晏子。


(下し文)
(梁甫の吟)
歩して齊の城門を出で、遙かに蕩陰里を望む。
里中に三墳有り、累累として正に相似たり。
問う是れ誰が家の墓ぞ、田強 古冶子。
力は能く南山を排し、文は能く地紀を絶つ。
一朝讒言を被り、二桃三士を殺す。
誰か能く此の謀 を為す、國相齊の晏子なり。


(現代語訳)
(梁甫の詩を吟じる。)
斉の城門から歩み出ると遙か先に蕩陰の里が見える。
蕩陰の里の中に三つの墳墓があり、似よった形をなしてつらなっている。
誰の家系の墓かとたずねてみる。田彊・古冶子(・公孫接ら)のものだという。
彼らが合わせれば、その力は南山をもおしのけるほどであり、文才はというと、天柱地維を震動させるほどの人物ということだ。
それほどの者でも、いったん讒言というものにあうと、妟子の故事「三士に二桃」でいうように、この三士は殺されてしまったではないか。
誰がそんな謀計をしたのだろうか、それは斉の宰相晏子である。


(訳注)
諸葛亮孔明
・諸葛亮 (181-234)字は孔明、陽都(山東折水県の南) の人。蜀漢の名臣で、三国時代第一流の人物。劉備三顧の礼に感激して襄陽(湖北省)の隠居を出で、曹操を赤壁に破って丞相となり、劉備の死後はその千割禅を助けて幾を討ったが、陣中に病没した。その 「出師表」は赤誠の発露と文品の高いのによって称せられる。


「梁甫吟」
(梁甫の詩を吟じる。)
・梁甫吟 梁甫は泰山の麓にある山。この題名は、この山に近い地方の人物を詠んだためか、或いはこの附近の地で作ったからであろう。三国志に諸葛亮は好んで梁甫吟を為したとあるから、常にこれを愛吟したと思われる。


歩出齊城門 遙望蕩陰里
斉の城門から歩み出ると遙か先に蕩陰の里が見える。
・斉城門 斉の古城は山東省臨湽県にあった。斉(齊、せい、紀元前1046年 - 紀元前386年)は周代、春秋時代、戦国時代初頭に亘って現在の山東省を中心に存在した国(諸侯)。周建国の功臣太公望によって立てられた国である。
・蕩陰里 斉城附近の里名。


里中有三墓 累累正相似
蕩陰の里の中に三つの墳墓があり、似よった形をなしてつらなっている。
・累累 相連なるさま。


問是誰家墓 田彊古冶子
誰の家系の墓かとたずねてみる。田彊・古冶子(・公孫接ら)のものだという。


力能排南山 文能絶地紀
彼らが合わせれば、その力は南山をもおしのけるほどであり、文才はというと、天柱地維を震動させるほどの人物ということだ。
・南山 斉城南方の山。
・地紀 地経に同じ、大地を維持する大綱。古伝説では天柱地維があって天地が安定を保つと考えた。それを絶つとは天地を震動する意。


一朝被讒言 二桃殺三士
それほどの者でも、いったん讒言というものにあうと、妟子の故事「三士に二桃」でいうように、この三士は殺されてしまったではないか。
・二桃殺三士 三士とは田開彊・古冶子・公孫接。三人は斉の景公に仕え、勇力の士であった。宰相妟子は景公に請うて二桃を三士に与え、功のすぐれた者がこれを食うべきだという。そこで公孫接と田閑粥がまず功をいい、次に古治子がいうと、二士はこれにおよばぬのを認め、功がおよはぬのに桃を取るのは貪るものであり、貪って死なないのは勇がないと考えて共に桃を返して自殺した。古治子はこれを見ておのれひとり生き永らえるのは不仁不義であるとしてまた死んだ、事は妟子春秋・巻二に詳しい。


誰能為此謀 國相齊晏子
誰がそんな謀計をしたのだろうか、それは斉の宰相晏子である。
・國相齊晏子 晏嬰(あんえい、未詳 - 紀元前500年)は、中国春秋時代の斉の政治家。氏は晏、諱は嬰、字は仲、諡は平。莱の夷維の人。父は晏弱(晏桓子)。子は晏圉(あんぎょ)。妻の名及び生まれは史書に記載なし。霊公、荘公光、景公の3代に仕え、上を憚ることなく諫言を行った。名宰相として評価が高く、晏平仲、もしくは晏子と尊称される。

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・名相晏子が何故この計をなしたか。晏子春秋の伝うる所では三勇士が晏子に礼を失したのをふくんで、景公に君臣の義を知らぬ勇士を養うのは、国を危くする本だと諌めたとある。晏子としては別に理由があったのでもあろうが、諸葛亮は「被讒言」といって晏子の狭量を責めている。中国にはこのような子供だましのような逸話が多く残っている。掘り下げて考えればいくらでも背景から考えられるが、歴史の必然性というものを重要視しない国民性の典型の逸話の一つである。


卻東西門行 漢詩<95-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩818 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2638

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

卻東西門行 漢詩<95-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩818 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2638


卻東西門行
(東西の門にかかわる歌)
鴻雁出塞北、乃在無人郷。
雁は塞北の地に産し、人里でなくだれもいない所にいたのである。
挙翅萬里餘、行止自成行。
翼をあげて万里の遠方の更に向こうに飛び立っても、その動作には一定の行動がある。
冬節食南稲、春日復北翔。
冬の季節には南に行ってそこの稲を食い、春はまた北に飛びかえるのである。
田中有轉蓬、随風遠飄揚。
田の中にはえているよもぎは風の吹くままに遠く飛びあがる。
長與故根絶、萬歳不相當。
もとの根と離れては、永久に互いに会うことはないのである。
#2
奈何此征夫、安得去四方。
それにも似たこの出征の士卒どうなるのであろうか、それに今さら四方への遠征軍をやめてここを立ち去ることなどがどうしてできよう。
戎馬不解鞍、鎧甲不離傍。
兵器と軍馬には鞍をとくことなでできないし、鎧と甲冑は兵士の身を離すこともできないのだ。
冉冉老将至、何時反故郷。
そうしている間に月日はいたずらに過ぎ去り、老いの身がせまりくる。いつになったら故郷に帰れるというのだろうか。
神龍藏深泉、猛獣歩高岡。
神の龍は深い淵の奥底に隠れ、い泉にかくれ、猛獣は高い岡を歩いてそこに安住している。
狐死歸首丘、故郷安可忘。
狐は死んでも、自分の故丘に首を向けるといぅのに、われらがどうして故郷を忘れることがあるというのか。

(卻【きゃく】東西門の行【うた】)
鴻雁 塞北に出で、乃ち無人の郷に在り。
翅【はね】を挙ぐること萬里餘、行止 自ら行を成す。
冬節に南稲【なんとう】を食し、春日に復た北に翔る。
田中に轉蓬有り、風に随って遠く飄揚【ひょうよう】す。
長く故根と絶ち、萬歳まで相ひ當たらず。

此の征夫を奈何せん、安んぞ四方を去るを得ん。
戎馬 鞍を解かず、鎧甲【がいこう】傍を離れず。
冉冉【ぜんぜん】として老いは将に至らんとす、何れの時にか故郷に反らん。
神龍は深泉に藏【かく】れ、猛獣は高岡【こうこう】に歩す。
狐死して歸って丘に首【むか】ふ、故郷 安んぞ忘るべけんや。



『卻東西門行』 現代語訳と訳註
鷹将 (本文)
#2
奈何此征夫、安得去四方。
戎馬不解鞍、鎧甲不離傍。
冉冉老将至、何時反故郷。
神龍藏深泉、猛獣歩高岡。
狐死歸首丘、故郷安可忘。


(下し文)
此の征夫を奈何せん、安んぞ四方を去るを得ん。
戎馬 鞍を解かず、鎧甲【がいこう】傍を離れず。
冉冉【ぜんぜん】として老いは将に至らんとす、何れの時にか故郷に反らん。
神龍は深泉に藏【かく】れ、猛獣は高岡【こうこう】に歩す。
狐死して歸って丘に首【むか】ふ、故郷 安んぞ忘るべけんや。


(現代語訳)
それにも似たこの出征の士卒どうなるのであろうか、それに今さら四方への遠征軍をやめてここを立ち去ることなどがどうしてできよう。
兵器と軍馬には鞍をとくことなでできないし、鎧と甲冑は兵士の身を離すこともできないのだ。
そうしている間に月日はいたずらに過ぎ去り、老いの身がせまりくる。いつになったら故郷に帰れるというのだろうか。
神の龍は深い淵の奥底に隠れ、い泉にかくれ、猛獣は高い岡を歩いてそこに安住している。
狐は死んでも、自分の故丘に首を向けるといぅのに、われらがどうして故郷を忘れることがあるというのか。


(訳注)#2
奈何此征夫、安得去四方。
それにも似たこの出征の士卒どうなるのであろうか、それに今さら四方への遠征軍をやめてここを立ち去ることなどがどうしてできよう。
・此征矢 部下の士卒を指していう。


戎馬不解鞍、鎧甲不離傍。
兵器と軍馬には鞍をとくことなでできないし、鎧と甲冑は兵士の身を離すこともできないのだ。


冉冉老将至、何時反故郷。
そうしている間に月日はいたずらに過ぎ去り、老いの身がせまりくる。いつになったら故郷に帰れるというのだろうか。
・冉冉 月日の過ぎ去るをいう。


神龍藏深泉、猛獣歩高岡。
神の龍は深い淵の奥底に隠れ、い泉にかくれ、猛獣は高い岡を歩いてそこに安住している。


狐死歸首丘、故郷安可忘。
狐は死んでも、自分の故丘に首を向けるといぅのに、われらがどうして故郷を忘れることがあるというのか。
・首丘 狐が死する時は敢盾のある丘に首を向けてたおれるという。死んでもなお郷里を思うこと。

卻東西門行 漢詩<94-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩817 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2633

魏・武帝(曹操)《卻東西門行》 雁は塞北の地に産し、人里でなくだれもいない所にいたのである。翼をあげて万里の遠方の更に向こうに飛び立っても、その動作には一定の行動がある。冬の季節には南に行ってそこの稲を食い、春はまた北に飛びかえるのである。


2013年7月6日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor段相國游武擔寺病不能從題寄 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-219-85-#79  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2642
 
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

卻東西門行 漢詩<94-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩817 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2633

卻東西門行
(東西の門にかかわる歌)
鴻雁出塞北、乃在無人郷。
雁は塞北の地に産し、人里でなくだれもいない所にいたのである。
挙翅萬里餘、行止自成行。
翼をあげて万里の遠方の更に向こうに飛び立っても、その動作には一定の行動がある。
冬節食南稲、春日復北翔。
冬の季節には南に行ってそこの稲を食い、春はまた北に飛びかえるのである。
田中有轉蓬、随風遠飄揚。
田の中にはえているよもぎは風の吹くままに遠く飛びあがる。
長與故根絶、萬歳不相當。

もとの根と離れては、永久に互いに会うことはないのである。
#2
奈何此征夫、安得去四方。
戎馬不解鞍、鎧甲不離傍。
冉冉老将至、何時反故郷。
神龍藏深泉、猛獣歩高岡。
狐死歸首丘、故郷安可忘。

(卻【きゃく】東西門の行【うた】)
鴻雁 塞北に出で、乃ち無人の郷に在り。
翅【はね】を挙ぐること萬里餘、行止 自ら行を成す。
冬節に南稲【なんとう】を食し、春日に復た北に翔る。
田中に轉蓬有り、風に随って遠く飄揚【ひょうよう】す。
長く故根と絶ち、萬歳まで相ひ當たらず。

takadonosky01此の征夫を奈何せん、安んぞ四方を去るを得ん。
戎馬 鞍を解かず、鎧甲【がいこう】傍を離れず。
冉冉【ぜんぜん】として老いは将に至らんとす、何れの時にか故郷に反らん。
神龍は深泉に藏【かく】れ、猛獣は高岡【こうこう】に歩す。
狐死して歸って丘に首【むか】ふ、故郷 安んぞ忘るべけんや。


『卻東西門行』 現代語訳と訳註
(本文)
鴻雁出塞北、乃在無人郷。
挙翅萬里餘、行止自成行。
冬節食南稲、春日復北翔。
田中有轉蓬、随風遠飄揚。
長與故根絶、萬歳不相當。


(下し文)
(卻【きゃく】東西門の行【うた】)
鴻雁 塞北に出で、乃ち無人の郷に在り。
翅【はね】を挙ぐること萬里餘、行止 自ら行を成す。
冬節に南稲【なんとう】を食し、春日に復た北に翔る。
田中に轉蓬有り、風に随って遠く飄揚【ひょうよう】す。
長く故根と絶ち、萬歳まで相ひ當たらず。


(現代語訳)
(東西の門にかかわる歌)
雁は塞北の地に産し、人里でなくだれもいない所にいたのである。
翼をあげて万里の遠方の更に向こうに飛び立っても、その動作には一定の行動がある。
冬の季節には南に行ってそこの稲を食い、春はまた北に飛びかえるのである。
田の中にはえているよもぎは風の吹くままに遠く飛びあがる。
もとの根と離れては、永久に互いに会うことはないのである。


(訳注)
卻東西門行

(東西の門にかかわる歌)
・卻東西門行 出征して帰り得ざるをいたむ詩でしめる。五行思想で東の門から旅立つことを出世門であり、西の門から帰って來るのが基本となる。兵士は西の門から出兵した。


鴻雁出塞北、乃在無人郷。
雁は塞北の地に産し、人里でなくだれもいない所にいたのである。
・鴻雁 鴻は「ひしくい」といい、雁の大いなるもの。


挙翅萬里餘、行止自成行。
翼をあげて万里の遠方の更に向こうに飛び立っても、その動作には一定の行動がある。
・行止 行くと止まると。挙止、動作の意。


冬節食南稲、春日復北翔。
冬の季節には南に行ってそこの稲を食い、春はまた北に飛びかえるのである。


田中有轉蓬、随風遠飄揚。
田の中にはえているよもぎは風の吹くままに遠く飛びあがる。
・轉蓬 枯れて転倒せる蓬。


長與故根絶、萬歳不相當。
もとの根と離れては、永久に互いに会うことはないのである。
終南山03

苦寒行 漢詩<94-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩816 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2628

《曹操:苦寒行》#3 どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。


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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


苦寒行 漢詩<94-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩816 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2628


苦寒行 
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
北上太行山,艱哉何巍巍!
王屋山01袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。
#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。
延頸長嘆息,遠行多所懷。
頸をのばしてながめ、深い溜息をついて嘆きのぞきこむ。この遠征をやりとげるには多くいろんなところをおもわないといけない。
我心何怫郁?思欲一東歸。
われわれの心はなんということか憂いに沈んでしなうのである。こんなにつらいと、一度でいい、東の故郷へ帰ってしまいと思うのである。
水深橋梁絕,中路正徘徊。
漳水の水深は深く、しかも橋が途中でなくなっている。行軍もその道も半ばにして本格的に右往左往するだけなのだ。
#3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。
行行日已遠,人馬同時饑。
行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
ふくろをかついで薪をとりにいってきて、氷を斧で切りだしてきて粥を作ったのだ。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。

かの偉大な周公が遠征に苦労した悲しい「東山詩」を思い、遥かに離れていき、私の心は憂い哀しいのである。


(苦寒の行【うた】)
北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。
羊腸阪は詰屈【きつくつ】たり、車輪 之が爲に摧【くだ】く。
樹木の何ぞ蕭索たるや、北風 聲は正しく悲しきもの。
熊羆は我に對して蹲【うずくま】り、虎豹は路を夾【はさ】んで啼くのみ。
#2
谿谷【けいこく】 人民 少く、雪落 何ぞ霏霏【ひひ】たるや。
頸【くび】を延ばし 長く歎息し、遠く行けば 懐【おも】う所 多し。
我が心 何ぞ怫鬱【ふつうつ】たる、一たび東に歸らんと思欲【しよく】す 。
水深くして橋梁 絶え、中路 正に徘徊す。
#3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
 彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。


『苦寒行』 現代語訳と訳註
 (本文)
#3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
行行日已遠,人馬同時饑。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。


(下し文) #3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
 彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。


(現代語訳)
どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。
行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。
ふくろをかついで薪をとりにいってきて、氷を斧で切りだしてきて粥を作ったのだ。
かの偉大な周公が遠征に苦労した悲しい「東山詩」を思い、遥かに離れていき、私の心は憂い哀しいのである。


(訳注) #3
苦寒行 大行山の氷雪を冒して進む行役の苦難を述べたものである。


迷惑失故路,薄暮無宿棲。
どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。
・宿棲 旅籠だけでなく、下男などが家財道具を持参しているのでかなりの人数が眠れる場所ということ。


行行日已遠,人馬同時饑。
行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。


擔囊行取薪,斧冰持作糜。
ふくろをかついで薪をとりにいってきて、氷を斧で切りだしてきて粥を作ったのだ。
・斧氷 斧で氷をわること。
・糜 おかゆ。


悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。
かの偉大な周公が遠征に苦労した悲しい「東山詩」を思い、遥かに離れていき、私の心は憂い哀しいのである。
・東山詩 『詩経』豳風東山篇、周公東征し三年にして帰り、士を慰労したのをたたえて、時の大夫が作ったのだと伝える。
・悠悠 『詩經』「國風・鄭風、子衿篇」男が女を慕う歌として、「青青子衿,悠悠我心。縱我不往,子寧不嗣音。  青青子佩,悠悠我思。縱我不往,子寧不來。」(青々としたあなた(恋人、また、学生)の襟、はるかになっていくわたしの思い。たとえ、わたしがいかなくとも、どうして…してくれないのか)とあり、それにもとずいている。
nat0002

苦寒行 漢詩<94-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩815 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2623

《曹操:苦寒行》石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。

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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


苦寒行 漢詩<94-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩815 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2623


苦寒行 
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
北上太行山,艱哉何巍巍!
袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。
#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。
延頸長嘆息,遠行多所懷。
頸をのばしてながめ、深い溜息をついて嘆きのぞきこむ。この遠征をやりとげるには多くいろんなところをおもわないといけない。
我心何怫郁?思欲一東歸。
われわれの心はなんということか憂いに沈んでしなうのである。こんなにつらいと、一度でいい、東の故郷へ帰ってしまいと思うのである。
水深橋梁絕,中路正徘徊。
漳水の水深は深く、しかも橋が途中でなくなっている。行軍もその道も半ばにして本格的に右往左往するだけなのだ。
#3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
行行日已遠,人馬同時饑。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。


(苦寒の行【うた】)
北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。
羊腸阪は詰屈【きつくつ】たり、車輪 之が爲に摧【くだ】く。
樹木の何ぞ蕭索たるや、北風 聲は正しく悲しきもの。
熊羆は我に對して蹲【うずくま】り、虎豹は路を夾【はさ】んで啼くのみ。
#2
谿谷【けいこく】 人民 少く、雪落 何ぞ霏霏【ひひ】たるや。
頸【くび】を延ばし 長く歎息し、遠く行けば 懐【おも】う所 多し。
我が心 何ぞ怫鬱【ふつうつ】たる、一たび東に歸らんと思欲【しよく】す 。
水深くして橋梁 絶え、中路 正に徘徊す。
#3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
 彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。


『苦寒行』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
延頸長嘆息,遠行多所懷。
我心何怫郁?思欲一東歸。
水深橋梁絕,中路正徘徊。


(下し文) #2
谿谷【けいこく】 人民 少く、雪落 何ぞ霏霏【ひひ】たるや。
頸【くび】を延ばし 長く歎息し、遠く行けば 懐【おも】う所 多し。
我が心 何ぞ怫鬱【ふつうつ】たる、一たび東に歸らんと思欲【しよく】す 。
水深くして橋梁 絶え、中路 正に徘徊す。


(現代語訳)
石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。
頸をのばしてながめ、深い溜息をついて嘆きのぞきこむ。この遠征をやりとげるには多くいろんなところをおもわないといけない。
われわれの心はなんということか憂いに沈んでしなうのである。こんなにつらいと、一度でいい、東の故郷へ帰ってしまいと思うのである。
漳水の水深は深く、しかも橋が途中でなくなっている。行軍もその道も半ばにして本格的に右往左往するだけなのだ。


(訳注)
・太行 太行山脈山西省、河南省、河北省の三つの省の境界部分に位置する。太行山脈は東の華北平野と西の山西高原(黄土高原の最東端)の間に、北東から南西へ400kmにわたり伸びており、平均標高は1,500mから2,000mである。最高峰は河北省張家口市の小五台山で、標高2,882m。山脈の東にある標高1,000mほどの蒼岩山は自然の奇峰や歴史ある楼閣などの多い風景区となっている。山西省・山東省の地名は、この太行山脈の西・東にあることに由来する。

華山000











#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。
・溪谷 石佛谷:河北贊皇縣,有世界最大的天然迴音壁。五台山は文殊菩薩、峨眉山は普賢菩薩、九華山はお地蔵様、普陀山は観音様の住む聖地とされている。
五台山の五台とは5つの平らな峰という意味で、平均海抜は1000m以上あり、風が強く、背の高い木は育っていない。道も険しく、五月でも綿入れの上着を着るほど寒いところ。また、ラマ教徒の聖地にもなっている。
・霏霏 雪がしんしんと降っているさま。


延頸長嘆息,遠行多所懷。
頸をのばしてながめ、深い溜息をついて嘆きのぞきこむ。この遠征をやりとげるには多くいろんなところをおもわないといけない。
・長嘆息 長いためいき。
・遠行 遠征。


我心何怫郁?思欲一東歸。
われわれの心はなんということか憂いに沈んでしなうのである。こんなにつらいと、一度でいい、東の故郷へ帰ってしまいと思うのである。
・怫郁 憂いに沈んで心のふさがるさま。
・東帰 故郷に帰るのをさす。


水深橋梁絕,中路正徘徊。
漳水の水深は深く、しかも橋が途中でなくなっている。行軍もその道も半ばにして本格的に右往左往するだけなのだ。
・水 漳水のこと考える。大行山脈から東流する主要な河川である。水深が深くて渡れない河川である。
白砂渡船場イメージ

苦寒行 漢詩<94-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩814 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2618

《曹操詩︰苦寒行》袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。


2013年7月3日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
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苦寒行 漢詩<94-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩814 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2618
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor贈遠二首 其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-216-82-#76  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2627
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


苦寒行 漢詩<94-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩814 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2618


200年官渡の戦いで袁紹軍を破る。
202年袁紹病没。
206年、建安11年 甄后は曹叡(明帝)を生む。
曹操が袁紹の甥高幹を討つために太行山脈を超えた時の詩『苦寒行』。この遠征は残党狩りであった。
「三国志演義」にの遠征はまったくふれられていないし、この詩も出ていないてんから、曹操の実体験のものではなく創作であろう。


 
 
苦寒行 
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
北上太行山,艱哉何巍巍!
袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。
#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
延頸長嘆息,遠行多所懷。
我心何怫郁?思欲一東歸。
水深橋梁絕,中路正徘徊。
#3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
行行日已遠,人馬同時饑。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。


(苦寒の行【うた】)
北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。
羊腸阪は詰屈【きつくつ】たり、車輪 之が爲に摧【くだ】く。
樹木の何ぞ蕭索たるや、北風 聲は正しく悲しきもの。
熊羆は我に對して蹲【うずくま】り、虎豹は路を夾【はさ】んで啼くのみ。
#2
谿谷【けいこく】 人民 少く、雪落 何ぞ霏霏【ひひ】たるや。
頸【くび】を延ばし 長く歎息し、遠く行けば 懐【おも】う所 多し。
我が心 何ぞ怫鬱【ふつうつ】たる、一たび東に歸らんと思欲【しよく】す 。
水深くして橋梁 絶え、中路 正に徘徊す。
#3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。

黄河二首 杜甫

















『苦寒行』 現代語訳と訳註
(本文)  
北上太行山,艱哉何巍巍!
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。


(下し文)
(苦寒の行【うた】)
北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。
羊腸阪は詰屈【きつくつ】たり、車輪 之が爲に摧【くだ】く。
樹木の何ぞ蕭索たるや、北風 聲は正しく悲しきもの。
熊羆は我に對して蹲【うずくま】り、虎豹は路を夾【はさ】んで啼くのみ。


(現代語訳)
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。


(訳注)
苦寒行 
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
曹操が袁紹の甥高幹を討つために太行山脈を超えた時の詩とされる。態勢が決まっている闘いなので曹操が直接軍を率いてこの詩を作ったのではなく、こんな辛苦をした戰であったろうと功勲をもって戻ってきたものを讃えるものであった。

北上太行山,艱哉何巍巍!
袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
・北上 中原から北に向かって攻め上ること。この時の模様を後世の李白『北上行』がある。
yamanoki02北上行 #1
北上何所苦,北上緣太行。
磴道盤且峻,巉岩凌穹蒼。
馬足蹶側石,車輪摧高岡。
沙塵接幽州,烽火連朔方。
殺氣毒劍戟,嚴風裂衣裳。
奔鯨夾黄河,鑿齒屯洛陽。
前行無歸日,返顧思舊鄉。」
北への避難をすることは、どうして人を苦しめるのか、北へ向かっていくことは 太行山に沿って行かねばならないのだ。
馬は 突き出た石に足をとられたりしたし、車輪が 岡を越えようとして砕け散ったりする。
石の多い急な坂道は平坦だったり、曲がりくねって険しく、切り立った険しいがけ岩山が 天空にそそり立っている。
叛乱軍の巻き起こす砂塵は 幽州から起こったのだ、戦火、烽火は西の方から、この場所から北の方まで連なっている。
叛乱軍の横暴は殺気をはびこらせている。それは 剣戟よりも人を恐怖に陥らせ、傷つけているのだ。そこに吹きすさぶ北風は、衣装を引き裂いて吹くほど厳しいものである。
暴れまわる、狂った鯨であるかのように安史軍は 黄河を越え、悪獣の牙の安禄山は 洛陽に居座って皇帝と称している。
人々は、ただ、北へ逃げるだけで いつになったら帰れるのかわかりはしない、厳しい北風の中人々は、振りかえって 戦のなかったころの故郷を思うのである。
#2
慘戚冰雪里,悲號絕中腸。
尺布不掩體,皮膚劇枯桑。
汲水澗穀阻,采薪隴坂長。
猛虎又掉尾,磨牙皓秋霜。
草木不可餐,饑飲零露漿。
歎此北上苦,停驂爲之傷。
何日王道平,開顏睹天光。
真冬の逃行で氷雪の中で悲惨を極めるひどい悲しみの中に有る、泣き叫ぶこと胸も腹も張り裂けんばかりに追い詰められたのである。
着の身着のままで逃げだしたのでわずかな布きれでは体を覆うこともできない、寒空の中皮膚は寒さに痛いほどになり、まるで枯葉のようになった。
谷沿いの道とはいえ水を汲むには谷川が深いのだ、薪を採るにも岡や 山坂は長いのだ。
猛虎は勢いよく襲いかかろうと 尾を振り立てている、牙は磨かれていて秋の白い霜よりも白いのだ。
あたりの草木も尽きてしってもう食べるものさえなくなった、飲むもの無く飢えてしまいこぼれる露のしずくを啜ってのんだのだ。
この艱難辛苦しても北上したのだ、あまりに悲惨で馬車をとめてこの痛み苦しみを記しておくのである。
いつになったら天子が正道の道を平穏に取り戻してくれるのか、安心して顔を出して歩ける日になり、晴々として 天光を受けることができるのだろうか

北上行 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -303

北上行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -304

太行山 大行山の氷雪を冒して進む行役の苦難を述べたものである。
ぞ~たる強調。 
巍巍 けわしいさま。 


羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
羊腸坂 高幹の占拠する大原晋陽の北に在る。やつ坂の名。羊の腸のように屈曲しているので名づけた。


樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
北風 強い寒気による冬の風は吹き足が長く悲鳴のように吹き付ける。零下三、四十度の強い風を云う。
蕭瑟 寂しい感じ。ものさびしく風の吹くさま。


熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。
熊羆 熊やヒグマ。 
虎豹 虎や豹。
nat0002

《蒿里行》 武帝 魏詩<93-#1>古詩源 巻五 812 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2608

《曹操詩全集︰蒿里行》はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。


2013年7月2日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
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江漢答孟郊 韓愈(韓退之) <147-#2>Ⅱ中唐詩726 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2614
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Ⅲ杜甫詩1000詩集 LiveDoor奉贈射洪李四丈 成都 杜甫 <492>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2615 杜甫詩1000-492-717/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor贈遠二首 其一 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-215-81-#75  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2622
 
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《蒿里行》 武帝 魏詩<93-#1>古詩源 巻五 812 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2608
 
 
蒿里行-#1 
關東有義士,興兵討群凶。
関東に義士の袁紹があり、兵を起こして董卓など羣凶を討とうとしていた。
初期會盟津,乃心在咸陽。
はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。
軍合力不齊,躊躇而雁行。
その諸軍は合軍したのだがも、その力は董卓軍にならぶものではなかった。ためらいがちに追撃して、あえて先を争うほどに戦うものはなかった。
勢利使人爭,嗣還自相戕。
やがて袁紹・袁術・孫堅など勢力利権がかえって人を争わせる結果となり、連合の諸将もひきついで互いに殺しあうことになっていたのだ。
竹林0021#2
淮南弟稱號,刻璽於北方。
鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
白骨露於野,千里無雞鳴。
生民百遺一,念之斷人腸。

嵩里行
関東に義士有り、兵を興して羣凶を討つ。
初め期して盟津に會せしが、乃ち心は咸陽に在り。
軍合するも力は齊しからず、躊躇して雁行す。
勢利 人をして爭いはじめ、嗣ぎて還って自ら相戕う。

#2
准南の弟はのこぎり號を稱し、璽を北方に刻せり。
鎧甲に蟣虱を生じ、萬姓以て死亡す。
白骨野に露はれ、千里 鶏鳴 無し。
生民百に一を遺す、之を念えば人の腸 を断たしむ。

 
『蒿里行』 現代語訳と訳註
(本文)
蒿里行-#1 
關東有義士,興兵討群凶。
初期會盟津,乃心在咸陽。
軍合力不齊,躊躇而雁行。
勢利使人爭,嗣還自相戕。


(下し文)
嵩里行
関東に義士有り、兵を興して羣凶を討つ。
初め期して盟津に會せしが、乃ち心は咸陽に在り。
軍合するも力は齊しからず、躊躇して雁行す。
勢利 人をして爭いはじめ、嗣ぎて還って自ら相戕う。


(現代語訳)
関東に義士の袁紹があり、兵を起こして董卓など羣凶を討とうとしていた。
はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。
その諸軍は合軍したのだがも、その力は董卓軍にならぶものではなかった。ためらいがちに追撃して、あえて先を争うほどに戦うものはなかった。
やがて袁紹・袁術・孫堅など勢力利権がかえって人を争わせる結果となり、連合の諸将もひきついで互いに殺しあうことになっていたのだ。


(訳注)
蒿里行-#1 
・蒿里行 蒿里もまた漢代の挽歌である。
蒿里曲
蒿里誰家地,聚斂魂魄無賢愚。
鬼伯一何相催促,人命不得少踟蹰。
前篇を承けて、また漢未の乱をいたむ詩である。


關東有義士,興兵討群凶。
関東に義士の袁紹があり、兵を起こして董卓など羣凶を討とうとしていた。
・義士 袁紹を指す。賊徒董卓を伐つの盟主であるからその段階のことでこのようにいった。
・羣凶 董卓・呂布・李傕・郭汜の屬。


初期會盟津,乃心在咸陽。
はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。
・初期會盟津・乃心在咸陽 盟津は洛陽東北の地名。この句は書経の泰誓にみえる。「惟十有三年春、大に孟津に会す」の語をふまえて、武王の紂王を伐った時とは反対に諸軍を盟津に会しながら、洛陽の董卓の軍に向わずして、咸陽に天子を擁立しょうとしたことをいう。


軍合力不齊,躊躇而雁行。
その諸軍は合軍したのだがも、その力は董卓軍にならぶものではなかった。ためらいがちに追撃して、あえて先を争うほどに戦うものはなかった。
・雁行 雁が泣び飛ぶよう斜めに相次いで行くこと。ここは敵軍を追撃すること緩くして敢えて先を争わぬこと。


勢利使人爭,嗣還自相戕。
やがて袁紹・袁術・孫堅など勢力利権がかえって人を争わせる結果となり、連合の諸将もひきついで互いに殺しあうことになっていたのだ。
・勢利使人爭 袁紹・袁術・孫堅など、互いに勢力を争ったことをいう。
yuugure02

《蒿里行》 武帝 魏詩<93-#2>古詩源 巻五 813 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2613

武帝 《蒿里行》 淮南にあった袁紹の弟袁術が、みずから帝号を称した。孫堅の国璽を奪って、北方に即位することとなったのだ。かくて兵乱は永くつづいたのだが、戦士の鎧甲にはしらみがわき、万民が死亡したのだ。


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《蒿里行》 武帝 魏詩<93-#2>古詩源 巻五 813 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2613


蒿里行-#1 
關東有義士,興兵討群凶。
関東に義士の袁紹があり、兵を起こして董卓など羣凶を討とうとしていた。
初期會盟津,乃心在咸陽。
はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。
軍合力不齊,躊躇而雁行。
その諸軍は合軍したのだがも、その力は董卓軍にならぶものではなかった。ためらいがちに追撃して、あえて先を争うほどに戦うものはなかった。
勢利使人爭,嗣還自相戕。
やがて袁紹・袁術・孫堅など勢力利権がかえって人を争わせる結果となり、連合の諸将もひきついで互いに殺しあうことになっていたのだ。
#2
淮南弟稱號,刻璽於北方。
淮南にあった袁紹の弟袁術が、みずから帝号を称した。孫堅の国璽を奪って、北方に即位することとなったのだ。
鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
かくて兵乱は永くつづいたのだが、戦士の鎧甲にはしらみがわき、万民が死亡したのだ。
白骨露於野,千里無雞鳴。
白骨は野にさらされ、千里四方に鷄の声は聞くことはなくなった。
生民百遺一,念之斷人腸。
生民は百のうちの一を残すのみということになり、これを思えば腸も断ちきられるようである。

満月003嵩里行
関東に義士有り、兵を興して羣凶を討つ。
初め期して盟津に會せしが、乃ち心は咸陽に在り。
軍合するも力は齊しからず、躊躇して雁行す。
勢利 人をして爭いはじめ、嗣ぎて還って自ら相戕う。
#2
准南の弟はのこぎり號を稱し、璽を北方に刻せり。
鎧甲に蟣虱を生じ、萬姓以て死亡す。
白骨野に露はれ、千里 鶏鳴 無し。
生民百に一を遺す、之を念えば人の腸 を断たしむ。


『蒿里行』 現代語訳と訳註
(本文) #2
淮南弟稱號,刻璽於北方。
鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
白骨露於野,千里無雞鳴。
生民百遺一,念之斷人腸。


(下し文)#2
准南の弟はのこぎり號を稱し、璽を北方に刻せり。
鎧甲に蟣虱を生じ、萬姓以て死亡す。
白骨野に露はれ、千里 鶏鳴 無し。
生民百に一を遺す、之を念えば人の腸 を断たしむ。 


(現代語訳)
淮南にあった袁紹の弟袁術が、みずから帝号を称した。孫堅の国璽を奪って、北方に即位することとなったのだ。
かくて兵乱は永くつづいたのだが、戦士の鎧甲にはしらみがわき、万民が死亡したのだ。
白骨は野にさらされ、千里四方に鷄の声は聞くことはなくなった。
生民は百のうちの一を残すのみということになり、これを思えば腸も断ちきられるようである。


(訳注)#2
淮南弟稱號,刻璽於北方。
淮南にあった袁紹の弟袁術が、みずから帝号を称した。孫堅の国璽を奪って、北方に即位することとなったのだ。
・淮南弟 袁紹の従弟袁術は揚州刺史を殺してその州を領していた。
・刻璽於北方 袁術が孫堅の伝えた国璽を奪って北方寿春に帝号を僭したこと。

鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
かくて兵乱は永くつづいたのだが、戦士の鎧甲にはしらみがわき、万民が死亡したのだ。
・蟣虱 蟣・虱、共に、しらみをいう。

白骨露於野,千里無雞鳴。
白骨は野にさらされ、千里四方に鷄の声は聞くことはなくなった。
・無難鳴 人家のないこと。

生民百遺一,念之斷人腸。
生民は百のうちの一を残すのみということになり、これを思えば腸も断ちきられるようである。


600moon880





嵩里行
関東に義士有り、兵を興して羣凶を討つ。
初め期して盟津に會せしが、乃ち心は咸陽に在り。
軍合するも力は齊しからず、躊躇して雁行す。
勢利 人をして爭いはじめ、嗣ぎて還って自ら相戕う。
准南の弟はのこぎり號を稱し、璽を北方に刻せり。
鎧甲に蟣虱を生じ、萬姓以て死亡す。
白骨野に露はれ、千里 鶏鳴 無し。
生民百に一を遺す、之を念えば人の腸 を断たしむ。 


蒿里行-#1 
關東有義士,興兵討群凶。
初期會盟津,乃心在咸陽。
軍合力不齊,躊躇而雁行。
勢利使人爭,嗣還自相戕。
#2
淮南弟稱號,刻璽於北方。
鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
白骨露於野,千里無雞鳴。
生民百遺一,念之斷人腸。

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