漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2014年01月

班孟堅(班固)《東都賦》(24) 文選 賦 賦<113―24>18分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1026 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3678

班固《東都賦》(24) 誰もが心ゆたかに、まよう心もなくなって、玉の光沢あるように美しく、鉦鐘の鳴るような道義の言を吐く。されば中国大陸の端から端までの行政区の中心には学校を林立し、村には塾があって、その門には人がみちあふれる。


2014年1月31日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(24) 文選 賦 賦<113―24>18分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1026 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3678
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《潮州刺史謝上表》(7)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <939>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3679韓愈詩-242-(7)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -17 鳳樓春一首 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-427-11-#17  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3682
 
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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班孟堅(班固)《東都賦》(24) 文選 賦 賦<1132418分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1026 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3678

 

 

(24) 13-1

於是百姓滌瑕盪穢,而鏡至清。

(百官の役割) さて百官のもろ人は、過去の過失を清め、面目を一新し、天子のけがれなき明徳に範を仰いで光明正大、卓越した知徳に導かれる。

形神寂漠,耳目弗營。

身心は不安動揺もなく平静、耳目は外物にまどわされぬ。

嗜欲之源滅,廉恥之心生。

財貨富貴をたしなむ欲も消えていき、廉恥の心が生まれる。

莫不優游而自得,玉潤而金聲。

誰もが心ゆたかに、まよう心もなくなって、玉の光沢あるように美しく、鉦鐘の鳴るような道義の言を吐く。

是以四海以,學校如林,庠序盈門。

されば中国大陸の端から端までの行政区の中心には学校を林立し、村には塾があって、その門には人がみちあふれる。

 (25) #132

獻酬交錯,俎豆莘莘。

下舞上歌,蹈德詠仁。

登降飫宴之禮既畢,因相與嗟歎玄德,讜言弘

咸含和而吐氣,頌曰:盛哉乎斯世!」

 

(26)14-1

「今論者但知誦虞夏之書,詠殷周之詩。

講羲文之易,論孔氏之春秋。

罕能精古今之清濁,究漢德之所由。

唯子頗識舊典,又徒馳騁乎末流。

(27)  14-2

溫故知新已難,而知德者鮮矣!

且夫僻界西戎,險阻四塞,脩其防禦。

孰與處乎土中,平夷洞達,萬方輻湊?

秦嶺九嵕,涇渭之川。

(28)  14-3

曷若四瀆五嶽,帶河泝洛,圖書之淵?

建章甘泉,館御列仙。

孰與靈臺明堂,統和天人?

太液昆明,鳥獸之囿。

曷若辟雍海流,道德之富?

(29)  14-4

游俠踰侈,犯義侵禮。

孰與同履法度,翼翼濟濟也?

子徒習秦阿房之造天,而不知京洛之有制也;

識函谷之可關,而不知王者之無外也。

 

(24) #13

是に於いて百姓 瑕【きず】を滌【すす】ぎ穢【けがれ】を盪【とろ】かして,至清に鏡む。

形神 寂漠として,耳目 營わず。

嗜欲【しよく】の源 滅【き】え,廉恥【れんち】の心生ず。

優游【ゆうゆう】して自得し,玉のごとく潤うて金のごとく聲ならざるは莫し。

是を以て四海の以,學校 林の如く,庠序【しょうじょ】門に盈つ。

(25) 

獻酬【けんしゅう】交錯し,俎豆【そとう】莘莘【しんしん】たり。

下に舞い 上に歌う,德を蹈【ふ】み仁を詠ず。

登降 飫宴【ようえん】の禮 既に畢【おわ】り,因って相い與【とも】に玄德を嗟歎【さたん】し,讜言【とうげん】【こうぜい】す。

咸【ことごと】く和を含みて氣を吐き,頌して曰く:盛んなる哉 斯の世!」と。

 

宮島(8) 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (24) #13

於是百姓滌瑕盪穢,而鏡至清。

形神寂漠,耳目弗營。

嗜欲之源滅,廉恥之心生。

莫不優游而自得,玉潤而金聲。

是以四海以,學校如林,庠序盈門。

 

(下し文)(24) #13

是に於いて百姓 瑕【きず】を滌【すす】ぎ穢【けがれ】を盪【とろ】かして,至清に鏡む。

形神 寂漠として,耳目 營わず。

嗜欲【しよく】の源 滅【き】え,廉恥【れんち】の心生ず。

優游【ゆうゆう】して自得し,玉のごとく潤うて金のごとく聲ならざるは莫し。

是を以て四海の以,學校 林の如く,庠序【しょうじょ】門に盈つ。

 

(現代語訳)

(百官の役割) さて百官のもろ人は、過去の過失を清め、面目を一新し、天子のけがれなき明徳に範を仰いで光明正大、卓越した知徳に導かれる。

身心は不安動揺もなく平静、耳目は外物にまどわされぬ。

財貨富貴をたしなむ欲も消えていき、廉恥の心が生まれる。

誰もが心ゆたかに、まよう心もなくなって、玉の光沢あるように美しく、鉦鐘の鳴るような道義の言を吐く。

されば中国大陸の端から端までの行政区の中心には学校を林立し、村には塾があって、その門には人がみちあふれる。

寒花004 

 

(訳注) (24) 13

於是百姓滌瑕盪穢,而鏡至清。

(百官の役割) さて百官のもろ人は、過去の過失を清め、面目を一新し、天子のけがれなき明徳に範を仰いで光明正大、卓越した知徳に導かれる。

百姓 百官のもろ人。

滌瑕盪穢 環は、玉のきず。秘は、垢と同じく外からついたよごれ。過失を改め面目を一新する。

鏡至清 『淮南子』の淑異訓に「太治に鏡みる者は大明に視る」とある。大明とは、『荘子』の在宥篇「智の照らすこと日月の如し」とあり、転じて卓越した知徳をいう。

 

形神寂漠,耳目弗營。

身心は不安動揺もなく平静、耳目は外物にまどわされぬ。

寂漠 音の止んだ後の静けさ。形神すなわち身心の不安動揺がなくなった後の平静、倫理的には潔白で清廉、光明正大の境地。実は漠にも作る。

営 惑う。

 

嗜欲之源滅,廉恥之心生。

財貨富貴をたしなむ欲も消えていき、廉恥の心が生まれる。

廉恥 『管子』の牧民篇に「国に四維あり。一に日く礼。二に日く義。三に日く廉。四に日く恥」とある。

 

莫不優游而自得,玉潤而金聲。

誰もが心ゆたかに、まよう心もなくなって、玉の光沢あるように美しく、鉦鐘の鳴るような道義の言を吐く。

優游 悠々自適。

自得 悠々と思いに任せて、自ら楽しむ。

王潤 玉の光沢があること。ここは美しい人格の比喩。

金声 鐘や鉦の音。ここは善言を吐く声。善言も道義ある言の意である。

 

是以四海以,學校如林,庠序盈門。

されば中国大陸の端から端までの行政区の中心には学校を林立し、村には塾があって、その門には人がみちあふれる。

四海以 中国大陸の端から端まで。

学校 教育の郡国以下村に至るまで普及することをいう。郷(大きな村)と聚(小村)の学校あるいは塾。
珠櫻001 

班孟堅(班固)《東都賦》(23) 文選 賦 賦<113―23>18分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1025 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3673

班固《東都賦》(23)器は陶器や匏を使い、服は白と黒を主とする。繊細美粟を恥じて身につけず、綺麗なものははしたないものとして宝としない。そして『荘子、天地篇』にいう「黄金は山にすてさり、珠玉は淵に沈めてしまう。」のとおり、貨財を利としてはいけない、富貴にすり寄って益を得ることしないとした。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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班孟堅(班固)《東都賦》(23) 文選 賦 賦<113―23>18分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1025 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3673
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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班孟堅(班固)《東都賦》(23) 文選 賦 賦<1132318分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1025 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3673

 

 

12 (勧農)-1

「於是聖上睹萬方之歡,又沐浴於膏澤,

(勧農) この時、聖上は、万国の人々が歓喜にみち、また恩沢にうるおうさまを目にとめる。

懼其侈心之將萌,而怠於東作也,

心を用いるべきは、おごりの心がきざし、農耕を怠るようになりかねないことである。

乃申舊章,下明詔。

そこで先王の憲章を重ねて訓令告示して、勧農の大詔を下すのである、

命有司,班憲度。

それから、有司に命じて、法令を配布する。

昭節儉,示太素。

万事倹約の旨を明らかにし、質撲なるべきことをお示しなさる。

去後宮之麗飾,損乘輿之服御。

それからは、後宮の華麗な装飾をすて去り、天子自身の衣服や車馬を減じられた。

 

12-2

抑工商之淫業,興農桑之盛務。

工商のはでな経営・淫猥な業務を抑え、大事な農業の発展向上をはかられる。

遂令海棄末而反本,背偽而歸真。

ついで国中に命令し、工商の末業を棄て、天下の大本である農に返り、虚飾に背をむけ、質実に帰るように求められた。

女脩織紝,男務耕耘。

かくて女は織物を織り、男は耕転をつとめ、安定させた。

器用陶匏,服尚素玄。

器は陶器や匏を使い、服は白と黒を主とする。

恥纖靡而不服,賤奇麗而弗珍。

繊細美粟を恥じて身につけず、綺麗なものははしたないものとして宝としない。

捐金於山,沈珠於淵。

そして『荘子、天地篇』にいう「黄金は山にすてさり、珠玉は淵に沈めてしまう。」のとおり、貨財を利としてはいけない、富貴にすり寄って益を得ることしないとした。

 

12(勧農)-1

「是に於いて聖上 萬方の歡睹,又た膏澤【こうたく】に沐浴するをみる。

其の侈心【ししん】の將に萌【きざし】を懼れ,而して於東作を怠らんとするをおそれんや。

乃ち舊章【きゅうしょう】を申べ,明詔を下す。

有司に命じ,憲度を班【わか】つ。

節儉【せっけん】を昭【あきらか】にし,太素を示す。

後宮の麗飾を去【す】て,乘輿の服御を損【へら】す。

12-2

工商の淫業【いんぎょう】を抑へ,農桑の盛務を興す。

遂に海して末を棄て本に反り,偽に背いて真に歸せしむ。

女は織紝【しょくじん】を脩め,男は耕耘【こううん】を務む。

器は陶匏【とうほう】を用い,服は素玄を尚【たつと】ぶ。

纖靡【せんぴ】を恥じて服せず,奇麗を賤【いやし】んで珍と弗【せ】ず。

金を山に捐【す】て,珠を淵に沈む。

sunrise001 

 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) 12-2

抑工商之淫業,興農桑之盛務。

遂令海棄末而反本,背偽而歸真。

女脩織紝,男務耕耘。

器用陶匏,服尚素玄。

恥纖靡而不服,賤奇麗而弗珍。

捐金於山,沈珠於淵。

 

(下し文)12-2

工商の淫業【いんぎょう】を抑へ,農桑の盛務を興す。

遂に海に令して末を棄て本に反り,偽に背いて真に歸せしむ。

女は織紝【しょくじん】を脩め,男は耕耘【こううん】を務む。

器は陶匏【とうほう】を用い,服は素玄を尚【たつと】ぶ。

纖靡【せんぴ】を恥じて服せず,奇麗を賤【いやし】んで珍と弗【せ】ず。

金を山に捐【す】て,珠を淵に沈む。

 

bijo06

(現代語訳)

工商のはでな経営・淫猥な業務を抑え、大事な農業の発展向上をはかられる。

ついで国中に命令し、工商の末業を棄て、天下の大本である農に返り、虚飾に背をむけ、質実に帰るように求められた。

かくて女は織物を織り、男は耕転をつとめ、安定させた。

器は陶器や匏を使い、服は白と黒を主とする。

繊細美粟を恥じて身につけず、綺麗なものははしたないものとして宝としない。

そして『荘子、天地篇』にいう「黄金は山にすてさり、珠玉は淵に沈めてしまう。」のとおり、貨財を利としてはいけない、富貴にすり寄って益を得ることしないとした。

 

(訳注) 12-2

抑工商之淫業,興農桑之盛務。

工商のはでな経営・淫猥な業務を抑え、大事な農業の発展向上をはかられる。

○淫業 はでな経営・淫猥な業務

○農桑 農耕と養蚕(ようさん)

 

遂令海棄末而反本,背偽而歸真。

ついで国中に命令し、工商の末業を棄て、天下の大本である農に返り、虚飾に背をむけ、質実に帰るように求められた。

 

女脩織紝,男務耕耘。

かくて女は織物を織り、男は耕転をつとめ安定させた。

○織紝 布を織ること。はたおり。

 

器用陶匏,服尚素玄。

器は陶器や匏を使い、服は白と黒を主とする。

○匏 ひさご【瓠/匏/瓢】とは。意味や解説。《古くは「ひさこ」とも》1 ユウガオ・ヒョウタンなどの総称。また、その果実。なりひさご。《季 秋》2 ヒョウタンの果実を、内部の果肉を取り去って中空にし、乾燥させて容器としたもの。水・酒・穀物などを入れる。

○素玄 白と黒、色彩のないもの、そまつなもの。

 

恥纖靡而不服,賤奇麗而弗珍。

繊細美粟を恥じて身につけず、綺麗なものははしたないものとして宝としない。

○繊靡 細目の糸で織ったかとりの美麗なもの。公主・貴人・妃以上、その下列侯、三百石、二百石の婦人の服色は、錦から𥿻まで色彩に富むものを用いるが、「賈人は紺標(あさぎ色)のみ」とある。

 

捐金於山,沈珠於淵。

そして『荘子、天地篇』にいう「黄金は山にすてさり、珠玉は淵に沈めてしまう。」のとおり、貨財を利としてはいけない、富貴にすり寄って益を得ることしないとした。

○捐金於山,沈珠於淵 『荘子、天地篇』に基づく「若然者、藏金於山、藏珠於淵;不利貨財、不近貴富。不樂壽、不哀夭;不榮通、不醜窮」(然るが若き者は、金を山に臧し、珠を淵に蔵し、貨財を利とせず、富貴に近づかず。壽を樂しまず、夭を哀しまず;通を榮とせず、窮を醜とせず。)という。
漢魏隋唐の洛陽城 

班孟堅(班固)《東都賦》(22)(勧農)-1 文選 賦 賦<113―22>18分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1024 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3668

班固《東都賦》(22) そこで先王の憲章を重ねて訓令告示して、勧農の大詔を下すのである、それから、有司に命じて、法令を配布する。万事倹約の旨を明らかにし、質撲なるべきことをお示しなさる。それからは、後宮の華麗な装飾をすて去り、天子自身の衣服や車馬を減じられた。


2014年1月29日 の紀頌之5つのブログ
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班孟堅(班固)《東都賦》(22)(勧農)-1 文選 賦 賦<113―22>18分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1024 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3668
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班孟堅(班固)《東都賦》(22) 文選 賦 賦<113―2218分割38回 李白に影響を与えた詩1024 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3668

hinode0100

 

12(勧農)-1

「於是聖上睹萬方之歡,又沐浴於膏澤,

(勧農) この時、聖上は、万国の人々が歓喜にみち、また恩沢にうるおうさまを目にとめる。

懼其侈心之將萌,而怠於東作也,

心を用いるべきは、おごりの心がきざし、農耕を怠るようになりかねないことである。

乃申舊章,下明詔。

そこで先王の憲章を重ねて訓令告示して、勧農の大詔を下すのである、

命有司,班憲度。

それから、有司に命じて、法令を配布する。

昭節儉,示太素。

万事倹約の旨を明らかにし、質撲なるべきことをお示しなさる。

去後宮之麗飾,損乘輿之服御。

それからは、後宮の華麗な装飾をすて去り、天子自身の衣服や車馬を減じられた。

 

12-2

抑工商之淫業,興農桑之盛務。

遂令海棄末而反本,背偽而歸真。

女脩織紝,男務耕耘。

器用陶匏,服尚素玄。

恥纖靡而不服,賤奇麗而弗珍。

捐金於山,沈珠於淵。

 

12(勧農)-1

「是に於いて聖上 萬方の歡を睹,又た膏澤【こうたく】に沐浴するをみる。

其の侈心【ししん】の將に萌【きざし】を懼れ,而して於東作を怠らんとするをおそれんや。

乃ち舊章【きゅうしょう】を申べ,明詔を下す。

有司に命じ,憲度を班【わか】つ。

節儉【せっけん】を昭【あきらか】にし,太素を示す。

後宮の麗飾を去【す】て,乘輿の服御を損【へら】す。

12-2

工商の淫業【いんぎょう】を抑へ,農桑の盛務を興す。

遂に海に令して末を棄て本に反り,偽に背いて真に歸せしむ。

女は織紝【しょくじん】を脩め,男は耕耘【こううん】を務む。

器は陶匏【とうほう】を用い,服は素玄を尚【たつと】ぶ。

纖靡【せんぴ】を恥じて服せず,奇麗を賤【いやし】んで珍と弗【せ】ず。

金を山に捐【す】て,珠を淵に沈む。

珠櫻001

 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文)  12(勧農)-1

「於是聖上睹萬方之歡,又沐浴於膏澤,

懼其侈心之將萌,而怠於東作也,

乃申舊章,下明詔。

命有司,班憲度。

昭節儉,示太素。

去後宮之麗飾,損乘輿之服御。

 

(下し文) 12(勧農)-1

「是に於いて聖上 萬方の歡を睹,又た膏澤【こうたく】に沐浴するをみる。

其の侈心【ししん】の將に萌【きざし】を懼れ,而して於東作を怠らんとするをおそれんや。

乃ち舊章【きゅうしょう】を申べ,明詔を下す。

有司に命じ,憲度を班【わか】つ。

節儉【せっけん】を昭【あきらか】にし,太素を示す。

後宮の麗飾を去【す】て,乘輿の服御を損【へら】す。

 

(現代語訳)

(勧農) この時、聖上は、万国の人々が歓喜にみち、また恩沢にうるおうさまを目にとめる。

心を用いるべきは、おごりの心がきざし、農耕を怠るようになりかねないことである。

そこで先王の憲章を重ねて訓令告示して、勧農の大詔を下すのである、

それから、有司に命じて、法令を配布する。

万事倹約の旨を明らかにし、質撲なるべきことをお示しなさる。

それからは、後宮の華麗な装飾をすて去り、天子自身の衣服や車馬を減じられた。

カンナ223 

(訳注) 12(勧農)-1

「於是聖上睹萬方之歡,又沐浴於膏澤,

(勧農) この時、聖上は、万国の人々が歓喜にみち、また恩沢にうるおうさまを目にとめる。

睹 目にとめる。

沐浴 体の一部またはすべてを清める行為。ただし表現としては、宗教的な儀式を指すことが多く、また宗教によって呼び名も異なる。乳児の体を洗うことも含まれる。

 

懼其侈心之將萌,而怠於東作也,

心を用いるべきは、おごりの心がきざし、農耕を怠るようになりかねないことである。

侈心 自然におごるようになる心。

東作 農作。東は春を意味する。61年永平三年、春正月に勧農の詔を出す。「朕は郊祀を奉じ、霊台に登り、史官を見、儀度(渾天儀と日月星辰の行度)を正す。夫れ春は歳の始めなり。始めその正を得れば、則ち三時成る有り。有司其れ勉めて時気に順ひ、農桑を勧めただし、以て朕が意に称へよ」とある。

 

乃申舊章,下明詔。

そこで先王の憲章を重ねて訓令告示して、勧農の大詔を下すのである、

旧章 古の聖王の礼楽の制度。

 

命有司,班憲度。

それから、有司に命じて、法令を配布する。

 

昭節儉,示太素。

万事倹約の旨を明らかにし、質撲なるべきことをお示しなさる。

太素 質僕。質実。

 

去後宮之麗飾,損乘輿之服御。

それからは、後宮の華麗な装飾をすて去り、天子自身の衣服や車馬を減じられた。

乗輿 天子の車服または鑾輅の意から、天子そのものを指す。


むくげの花02

班孟堅(班固)《東都賦》(21)#11(有徳の餐宴)-2 文選 賦 賦<113―21>18分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1023 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3663

班固《東都賦》(21)五音の音色が高くあがり、六つの陽律をかなでつくす。そして、九功の歌をうたい、八列八人、六十四人で舞を舞う。詔と武の古楽もそなわり、太古の楽も全部かなでられる。また、四夷の音楽が、かわるがわる演奏される、これこそが天子の徳の広く及ぶしるしである。北夷の音楽の「【きん】」、東夷の音楽の「【はい】」、南夷の音楽の「兜【とう】」、西夷の音楽の「離【り】」、この四つのうちの一つでも欠けてそろわぬものはない。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(21)#11(有徳の餐宴)-2 文選 賦 賦<113―21>18分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1023 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3663
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《潮州刺史謝上表》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <936>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3664韓愈詩-242-(4)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-7-#1 《釋悶》 蜀中転々 杜甫 <657-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3665 杜甫詩1000-657-1-927/1500751-1
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 268 《梁國惠康公主挽歌,二首之一》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3666 (01/28)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -14 賀明朝二首 其一 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-424-11-#14  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3667
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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班孟堅(班固)《東都賦》(21)11(有徳の餐宴)-2 文選 賦 賦<1132118分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1023 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3663

 

 

(20)11(有徳の餐宴)-1

是日也,天子受四海之圖籍,膺萬國之貢珍。

(有徳の饗宴) その日は、天子は四海の地図と戸籍とを掌にうけとられ、万国のみつぐ珍宝を嘉納される。

撫諸夏,外綏百蠻。

内は中華の国をいたわられ、外は百蛮の異国を安らかにされる。

爾乃盛禮興樂,供帳置乎雲龍之庭。

かくて儀礼を盛大にし、音楽を演奏する。宴席のため張りまわした幔幕を、洛陽雲龍門のある庭にすえる。

陳百寮而贊群后,究皇儀而展帝容。

百官を次々に配置して、万国の君主をみちびかせて引見なさり、天子は盛大な礼義のきわみを尽くして、帝王の威容を示される。

於是庭實千品,旨酒萬鍾。

この時、庭一面に陳列する責物の品は千という数、美酒の鋼壺は万という数である。

列金罍,班玉觴。

黄金の酒樽をずらりとならべ、玉のサカズキを一人一人に分けられる。

嘉珍御,太牢饗。

八種の珍味をすすめ、牛、羊と豚の三品そろった料理でもてなされる。

爾乃食舉雍徹,太師奏樂。

かくして、饗宴の音楽に「食挙」と「雍徹」の二つあり、宮廷音楽長が音楽を演奏する。

陳金石,布絲竹。

鐘と磬とをならべ、琴や瑟、笛や簫の管絃を配置する。

 

 (21)11(有徳の餐宴)-2

鐘鼓鏗鍧,管絃燁煜。

鍾鼓をうつ音がひびき、管絃の音が鳴りわたる。
抗五聲,極六律。

五音の音色が高くあがり、六つの陽律をかなでつくす。
歌九功,舞八佾。

そして、九功の歌をうたい、八列八人、六十四人で舞を舞う。

韶武備,泰古畢。

詔と武の古楽もそなわり、太古の楽も全部かなでられる。

四夷間奏,德廣所及。

また、四夷の音楽が、かわるがわる演奏される、これこそが天子の徳の広く及ぶしるしである。

僸佅兜離,罔不具集。

北夷の音楽の「【きん】」、東夷の音楽の「【はい】」、南夷の音楽の「兜【とう】」、西夷の音楽の「離【り】」、この四つのうちの一つでも欠けてそろわぬものはない。

萬樂備,百禮

演奏すべき音楽はすべてぬかりなく、行うべき儀礼はすべていきとどいている。

皇歡浹,群臣醉。

天子のよろこびは下々にうるおい、群臣はそれに酔う。

降煙熅,調元氣。

天も感じて和楽の気を下し、天の気まで人に調和させる。

然後撞鐘告罷,百寮遂退。」

このあと、鐘を撞きこれで終わりと仰せ出されると、百官はこれを受けて退出する。

 

(20)11(有徳の餐宴)-1

是の日や,天子 四海の圖籍を受け,萬國の貢珍を膺【う】く。

には諸夏を撫で,外には百蠻を綏んず。

爾して乃ち禮を盛んにして樂を興し,供帳して乎雲龍の庭に置く。

百寮を陳【つら】ねて群后を贊【たす】け,皇儀【こうぎ】を究めて帝容を展ぶ。

是に於いて庭實【ていじつ】千品あり,旨酒【ししゅ】萬鍾【ばんしょう】あり。

金罍【きんらい】を列ね,玉觴【ぎょくしょう】を班【わか】つ。

嘉珍【かちん】御【すす】めて,太牢饗【う】く。

爾して乃ち食舉【しょくきょ】雍徹【ようてつ】,太師 樂を奏す。

金石を陳ね,絲竹を布く。

 

 (21)11(有徳の餐宴)-2

鐘鼓【しょうこ】鏗鍧【こうこう】として,管絃 燁煜【よういく】たり。

五聲を抗【あ】げ,六律を極む。

歌九功をい,八佾【はちいつ】を舞う。

韶武【しょうぶ】備りて,泰古 畢【おわ】る。

四夷 間に奏し,德廣 及ぶ所。

僸佅【きんばい】兜離【とうり】,具【つぶさ】に集【いた】らざる罔【な】し。

萬樂 備りて,百禮 【いた】る。

皇歡 浹【あまね】く,群臣 醉う。

煙熅【えんいん】を降【くだ】して,元氣を調【ととの】う。

然る後 鐘を撞【つ】いて罷めんことを告げ,百寮 遂に退【しりぞ】く。」

花蕊夫人006 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (21)11(有徳の餐宴)-2

鐘鼓鏗鍧,管絃燁煜。

抗五聲,極六律。

歌九功,舞八佾。

韶武備,泰古畢。

四夷間奏,德廣所及。

僸佅兜離,罔不具集。

萬樂備,百禮

皇歡浹,群臣醉。

降煙熅,調元氣。

然後撞鐘告罷,百寮遂退。」

 

(下し文)

(21)11(有徳の餐宴)-2

鐘鼓【しょうこ】鏗鍧【こうこう】として,管絃 燁煜【よういく】たり。

五聲を抗【あ】げ,六律を極む。

歌九功をい,八佾【はちいつ】を舞う。

韶武【しょうぶ】備りて,泰古 畢【おわ】る。

四夷 間に奏し,德廣 及ぶ所。

僸佅【きんばい】兜離【とうり】,具【つぶさ】に集【いた】らざる罔【な】し。

萬樂 備りて,百禮 【いた】る。

皇歡 浹【あまね】く,群臣 醉う。

煙熅【えんいん】を降【くだ】して,元氣を調【ととの】う。

然る後 鐘を撞【つ】いて罷めんことを告げ,百寮 遂に退【しりぞ】く。」

 

(現代語訳)

(有徳の饗宴)#2 

鍾鼓をうつ音がひびき、管絃の音が鳴りわたる。

五音の音色が高くあがり、六つの陽律をかなでつくす。

そして、九功の歌をうたい、八佾、八列八人、六十四人で舞を舞う。

詔と武の古楽もそなわり、太古の楽も全部かなでられる。

また、四夷の音楽が、かわるがわる演奏される、これこそが天子の徳の広く及ぶしるしである。

北夷の音楽の「【きん】」、東夷の音楽の「【はい】」、南夷の音楽の「兜【とう】」、西夷の音楽の「離【り】」、この四つのうちの一つでも欠けてそろわぬものはない。

演奏すべき音楽はすべてぬかりなく、行うべき儀礼はすべていきとどいている。

天子のよろこびは下々にうるおい、群臣はそれに酔う。

天も感じて和楽の気を下し、天の気まで人に調和させる。

このあと、鐘を撞きこれで終わりと仰せ出されると、百官はこれを受けて退出する。

 

oushokun01 

(訳注) (20)11(有徳の餐宴)-

鐘鼓鏗鍧,管絃燁煜。

鍾鼓をうつ音がひびき、管絃の音が盛んに鳴りわたる。

鐘鼓 鐘の音と大鼓の音、二つが入りまじる擬音。

燁煜 声の盛んなさま。燁も「盛」の意(『玉篇』)。管弦の音が最高調に達してひびく。煜も「盛」の意。

 

抗五聲,極六律。

五音の音色が高くあがり、六つの陽律をかなでつくす。

五声 富商角徴羽の五音階。また各音階を主音とするものをいう場合もある。

六律 低音より高音へ黄鐘・太蔟・姑洗・甤賓・萌則・夷射の六つを律という。大呂・爽鐘・中呂・林鐘・南呂・応鐘の六つを呂という。律呂を合わせ十二律と呼ぶが、その場合の順序は六律が奇数番目、六呂が偶数番目におかれる。黄鐘(律)の次が大呂(呂)となるように以下これに準する。律を陽声、呂を陰声という。この順序は三分損益法から生ずるじ、この十二律の半音階を主音とした場合、たとえばハ調・ニ調・ホ調・へ調・ト調などという場合と似てくる。

 

歌九功,舞八佾。

そして、九功の歌をうたい、八佾、八列八人、六十四人で舞を舞う。

歌九功 九功は六府(水・火・金・木・土・穀)と三事(正徳・利用・厚生)とをいう。この自然と人文との九つの功を歌う。九歌ともいう。「九功惟れ叙し、九叙歌をなし、…これを勧むるに九歌を以てす」(『尚書』の大禹謨)。

八佾 八列の意。一列八人で合計六十四人で舞う。

 

韶武備,泰古畢。

詔と武の古楽もそなわり、太古の楽も全部かなでられる。

韶武 舜の楽と周の武王の楽。(『論語』の八佾篇)。

泰古 大宅 

 

四夷間奏,德廣所及。

また、四夷の音楽が、かわるがわる演奏される、これこそが天子の徳の広く及ぶしるしである。

四夷 阿夷の楽。北夷は、東夷は、南夷は兜、西夷は離と称する。

徳広 『詩経』(漢広篇)「徳広く及ぶ所なり」。

 

僸佅兜離,罔不具集。

北夷の音楽の「【きん】」、東夷の音楽の「【はい】」、南夷の音楽の「兜【とう】」、西夷の音楽の「離【り】」、この四つのうちの一つでも欠けてそろわぬものはない。

 

萬樂備,百禮

演奏すべき音楽はすべてぬかりなく、行うべき儀礼はすべていきとどいている。

 

皇歡浹,群臣醉。

天子のよろこびは下々にうるおい、群臣はそれに酔う。

浹 うるおす。向こうのものがこちらにとおる。

 

降煙熅,調元氣。

天も感じて和楽の気を下し、天の気まで人に調和させる。

煙熅 天の和気。

調元気 元気は天の気のことだが、それを調和する。すなわち音楽上の和楽の気にすること。

 

然後撞鐘告罷,百寮遂退。」

このあと、鐘を撞きこれで終わりと仰せ出されると、百官はこれを受けて退出する。
海棠花022 

班孟堅(班固)《東都賦》(20)#11(有徳の餐宴)-1 文選 賦<113―20>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1022 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3658

班固《東都賦》(20) 儀礼を盛大にし、音楽を演奏する。宴席のため張りまわした幔幕を、洛陽雲龍門のある庭にすえる。百官を次々に配置して、万国の君主をみちびかせて引見なさり、天子は盛大な礼義のきわみを尽くして、帝王の威容を示される。この時、庭一面に陳列する責物の品は千という数、美酒の鋼壺は万という数である。黄金の酒樽をずらりとならべ、玉のサカズキを一人一人に分けられる。八種の珍味をすすめ、牛、羊と豚の三品そろった料理でもてなされる。


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班孟堅(班固)《東都賦》(20)11(有徳の餐宴)-1 文選 賦<1132018分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1022 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3658

 

 

(20)11(有徳の餐宴)-1

是日也,天子受四海之圖籍,膺萬國之貢珍。

(有徳の饗宴) その日は、天子は四海の地図と戸籍とを掌にうけとられ、万国のみつぐ珍宝を嘉納される。

撫諸夏,外綏百蠻。

内は中華の国をいたわられ、外は百蛮の異国を安らかにされる。

爾乃盛禮興樂,供帳置乎雲龍之庭。

かくて儀礼を盛大にし、音楽を演奏する。宴席のため張りまわした幔幕を、洛陽雲龍門のある庭にすえる。

陳百寮而贊群后,究皇儀而展帝容。

百官を次々に配置して、万国の君主をみちびかせて引見なさり、天子は盛大な礼義のきわみを尽くして、帝王の威容を示される。

於是庭實千品,旨酒萬鍾。

この時、庭一面に陳列する責物の品は千という数、美酒の鋼壺は万という数である。

列金罍,班玉觴。

黄金の酒樽をずらりとならべ、玉のサカズキを一人一人に分けられる。

嘉珍御,太牢饗。

八種の珍味をすすめ、牛、羊と豚の三品そろった料理でもてなされる。

爾乃食舉雍徹,太師奏樂。

かくして、饗宴の音楽に「食挙」と「雍徹」の二つあり、宮廷音楽長が音楽を演奏する。

陳金石,布絲竹。

鐘と磬とをならべ、琴や瑟、笛や簫の管絃を配置する。

 

 (21)11(有徳の餐宴)-2

鐘鼓鏗鍧,管絃燁煜。

抗五聲,極六律。

歌九功,舞八佾。

韶武備,泰古畢。

四夷間奏,德廣所及。

僸佅兜離,罔不具集。

萬樂備,百禮

皇歡浹,群臣醉。

降煙熅,調元氣。

然後撞鐘告罷,百寮遂退。」

 

(20)11(有徳の餐宴)-1

是の日や,天子 四海の圖籍を受け,萬國の貢珍を膺【う】く。

には諸夏を撫で,外には百蠻を綏んず。

爾して乃ち禮を盛んにして樂を興し,供帳して乎雲龍の庭に置く。

百寮を陳【つら】ねて群后を贊【たす】け,皇儀【こうぎ】を究めて帝容を展ぶ。

是に於いて庭實【ていじつ】千品あり,旨酒【ししゅ】萬鍾【ばんしょう】あり。

金罍【きんらい】を列ね,玉觴【ぎょくしょう】を班【わか】つ。

嘉珍【かちん】御【すす】めて,太牢饗【う】く。

爾して乃ち食舉【しょくきょ】雍徹【ようてつ】,太師 樂を奏す。

金石を陳ね,絲竹を布く。

 

 (21)11(有徳の餐宴)-2

鐘鼓【しょうこ】鏗鍧【こうこう】として,管絃 燁煜【よういく】たり。

五聲を抗【あ】げ,六律を極む。

歌九功をい,八佾【はちいつ】を舞う。

韶武【しょうぶ】備りて,泰古 畢【おわ】る。

四夷 間に奏し,德廣 及ぶ所。

僸佅【きんばい】兜離【とうり】,具【つぶさ】に集【いた】らざる罔【な】し。

萬樂 備りて,百禮 【いた】る。

皇歡 浹【あまね】く,群臣 醉う。

煙熅【えんいん】を降【くだ】して,元氣を調【ととの】う。

然る後 鐘を撞【つ】いて罷めんことを告げ,百寮 遂に退【しりぞ】く。」

唐時代 韓愈関連01漢魏隋唐の洛陽城 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (20)11(有徳の餐宴)-1

是日也,天子受四海之圖籍,膺萬國之貢珍。

撫諸夏,外綏百蠻。

爾乃盛禮興樂,供帳置乎雲龍之庭。

陳百寮而贊群后,究皇儀而展帝容。

於是庭實千品,旨酒萬鍾。

列金罍,班玉觴。

嘉珍御,太牢饗。

爾乃食舉雍徹,太師奏樂。

陳金石,布絲竹。

 

(下し文)

是の日や,天子 四海の圖籍を受け,萬國の貢珍を膺【う】く。

には諸夏を撫で,外には百蠻を綏んず。

爾して乃ち禮を盛んにして樂を興し,供帳して乎雲龍の庭に置く。

百寮を陳【つら】ねて群后を贊【たす】け,皇儀【こうぎ】を究めて帝容を展ぶ。

是に於いて庭實【ていじつ】千品あり,旨酒【ししゅ】萬鍾【ばんしょう】あり。

金罍【きんらい】を列ね,玉觴【ぎょくしょう】を班【わか】つ。

嘉珍【かちん】御【すす】めて,太牢饗【う】く。

爾して乃ち食舉【しょくきょ】雍徹【ようてつ】,太師 樂を奏す。

金石を陳ね,絲竹を布く。

 

(現代語訳)

(有徳の饗宴) その日は、天子は四海の地図と戸籍とを掌にうけとられ、万国のみつぐ珍宝を嘉納される。

内は中華の国をいたわられ、外は百蛮の異国を安らかにされる。

かくて儀礼を盛大にし、音楽を演奏する。宴席のため張りまわした幔幕を、洛陽雲龍門のある庭にすえる。

百官を次々に配置して、万国の君主をみちびかせて引見なさり、天子は盛大な礼義のきわみを尽くして、帝王の威容を示される。

この時、庭一面に陳列する責物の品は千という数、美酒の鋼壺は万という数である。

黄金の酒樽をずらりとならべ、玉のサカズキを一人一人に分けられる。

八種の珍味をすすめ、牛、羊と豚の三品そろった料理でもてなされる。

かくして、饗宴の音楽に「食挙」と「雍徹」の二つあり、宮廷音楽長が音楽を演奏する。

鐘と磬とをならべ、琴や瑟、笛や簫の管絃を配置する。

カンナ223 

(訳注) (20)11(有徳の餐宴)-1

是日也,天子受四海之圖籍,膺萬國之貢珍。

(有徳の饗宴) その日は、天子は四海の地図と戸籍とを掌にうけとられ、万国のみつぐ珍宝を嘉納される。

図籍 ここは地図と戸籍。『戦国策』に「九鼎により、国籍を按じ、天子を挟み以て天下に令す」(秦策)。

 受ける。

 

撫諸夏,外綏百蠻。

内は中華の国をいたわられ、外は百蛮の異国を安らかにされる。

 安んずる。『後漢書』は接(もてなす)に作る。

 

爾乃盛禮興樂,供帳置乎雲龍之庭。

かくて儀礼を盛大にし、音楽を演奏する。宴席のため張りまわした幔幕を、洛陽雲龍門のある庭にすえる。

供帳 帳(とばり)を設く。広義には一切の設備をすること。

雲龍 洛陽にある門の名。

 

陳百寮而贊群后,究皇儀而展帝容。

百官を次々に配置して、万国の君主をみちびかせて引見なきり、天子は盛大な礼義のきわみを尽くして、帝王の威容を示される。

皇儀 皇は大、儀は儀礼。

 

於是庭實千品,旨酒萬鍾。

この時、庭一面に陳列する責物の品は千という数、美酒の鋼壺は万という数である。

庭実 庭一ぱいにならべた貢物の類い。

 

列金罍,班玉觴。

黄金の酒樽をずらりとならべ、玉のサカズキを一人一人に分けられる。

 

嘉珍御,太牢饗。

八種の珍味をすすめ、牛、羊と豚の三品そろった料理でもてなされる。

嘉珍 格別珍しい食物。八珍といい八種ある。

大牢 牛・羊・豕の三牲をさす。・三犠 毛羽をつけたままの生贄の三種類。また雁・鶩(家鴨)雉ともいう。

・五牲 五種の生贄。馴鹿・鹿・クシカ・兔(『左氏伝』昭公二十五年の杜注)。またクジカ・鹿・熊・狼・野豕とも、牛・羊・豕・犬・鶏の説もある。

 

爾乃食舉雍徹,太師奏樂。

かくして、饗宴の音楽に「食挙」と「雍徹」の二つあり、宮廷音楽長が音楽を演奏する。

食挙 食事の最中の音楽。挙は音楽を奏すること。「『楽府詩集』に「殿中御飯食挙」七曲、「太楽食挙」十三曲とあり、漢代以後の歌辞をのせ、『宋書』の楽志に曲目の名あり。

雍徹 『詩経』の周頌の一篇雍の詩を歌い、食膳を下げること。

太帥 律呂を掌る楽官の長。

 

陳金石,布絲竹。

鐘と磬とをならべ、琴や瑟、笛や簫の管絃を配置する。

石 磬:中国古代の体鳴楽器。石あるいは玉の板に彫刻をほどこしたものを架につるして,木づちで打奏する。後には金属製となった。殷代には,大形の磬を一つつるした〈特磬〉が存在し,周代以来,雅楽で用いられた。

絲竹 絲:弦楽器、琴や瑟。竹:管楽器、笙笛、笛や簫。

花蕊夫人006 

班孟堅(班固)《東都賦》(19)#10-2 文選 賦<113―19>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1021 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3653

班固《東都賦》(19) 西のかたは黄河の水源をゆさぶり、東のかたは東海の岸の水を波立たせる。北のかたは、最果ての幽州の岸をゆるがせるし、南のかたは太陽直下の地のはてまで照りわたる。この外に異国異境があり、隔絶した往来のない土地である。さすがの武帝も征服せず、さすがの宣帝もまだ臣としたことのない匈奴の呼韓が入朝した


2014年1月26日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(19)#10-2 文選 賦<113―19>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1021 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3653
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《潮州刺史謝上表》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <934>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3654韓愈詩-242-(2)#1-2
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 746廣徳2年764年―6-#2 《憶昔,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <656-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3655 杜甫詩1000-656-2-925/1500750-2
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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 266 《華山女》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3656 (01/26)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -12 南鄉子八首 其八 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-422-11-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3657
 
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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班孟堅(班固)《東都賦》(19)102 文選 賦<1131918分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1021 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3653

 

 

(18)#10(神を敬うと仁徳の施政)―1

於是薦三犧,效五牲。

(神を敬いと仁徳の施政) つぎに、天・地・宗廟を祭り、三つの生贅をささげ、五種の犠牲をたてまつる。

禮神祇,懷百靈。

天神地神をうやまい、もろもろの神々を心におもい、なぐさめられる。

覲明堂,臨辟雍。

群臣たちを明堂に召して謁見し、天子の辟雍大学に臨席される。

揚緝熙,宣皇風。

明徳のくもりなき光を高くかかげ、天子の教えをひろめなさる。
登靈臺,考休徵。

陰陽天文を観察する霊台に登って、陰陽の気のよきしるしを観察なされる。

俯仰乎乾坤,參象乎聖躬。

上は天のキザシを見、下は地のキザシを見て、聖なる御身をこれにくらべ合わせ、天地と徳を同じように形取り、ならびたつようにしたいと思われる。

目中夏而布德,瞰四裔而抗稜。

中国をよく見て教えを施し、四海のはてを望見して御稜威【みいず】をふるわれる。

 (19)#10(神を敬うと仁徳の施政)2

西盪河源,東澹海漘。

西のかたは黄河の水源をゆさぶり、東のかたは東海の岸の水を波立たせる。

北動幽崖,南燿朱垠。

北のかたは、最果ての幽州の岸をゆるがせるし、南のかたは太陽直下の地のはてまで照りわたる。

殊方別區,界而不鄰。

この外に異国異境があり、隔絶した往来のない土地である。

自孝武之所不征,孝宣之所未臣。

さすがの武帝も征服せず、さすがの宣帝もまだ臣としたことのない匈奴の呼韓が入朝した

莫不陸讋水慄,奔走而來賓。

陸路に気を失い水路におそれおののいた、それで顔色変えて旅をいそいで、來服しない国は一つとしてない。

遂綏哀牢,開永昌。

かくて辺境の哀牢王を懐柔し、嘉牢・博南の二県とその地四県を合し永昌郡を開設する。

春王三朝,會同漢京。

春、年の始まり、王の正月、歳と月日の三つが始まる元旦には、列国の諸侯が来朝し漢の東都に参集拝謁する。

 

(18)#101

是に於いて三犧を薦め,效五牲を【いた】す。

神祇を禮して,百靈を懷【なず】く。

明堂に覲【ぎん】し,辟雍【へきよう】に臨む。

緝熙【しんき】を揚げ,皇風を宣ぶ。

靈臺に登り,休徵【きゅうちょう】を考う。

乾坤【けんこん】を俯仰【ふぎょう】し,聖躬【せいきゅう】を參象【さんしょう】す。

中夏を目して德を布き,四裔【しえい】を瞰【み】て稜【みいず】を抗【あ】ぐ。

(19)#10(神を敬うと仁徳の施政)―2

西のかた河源を盪【とろか】し,東のかた海漘【かいしん】に澹【ただよ】わす。

北のかた幽崖を動し,南のかた朱垠【しゅぎん】に燿【かがや】かす。

殊方 別區,界 えて鄰【ちか】からず。

孝武 征せざりし所に自り,孝宣 之れ未だ臣とせざりし所による。

陸に讋【おのの】き水に慄【おそ】れ,奔走して來賓せざるは莫し。

遂に哀牢【あいろう】を綏【やす】んじて,永昌を開く。

春 王は三朝し,漢京に會同す。

京畿道関内道00 



『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (19)#10(神を敬うと仁徳の施政)―2

西盪河源,東澹海漘。

北動幽崖,南燿朱垠。

殊方別區,界而不鄰。

自孝武之所不征,孝宣之所未臣。

莫不陸讋水慄,奔走而來賓。

遂綏哀牢,開永昌。

春王三朝,會同漢京。

 

(下し文)

(19)#10(神を敬うと仁徳の施政)―2

西のかた河源を盪【とろか】し,東のかた海漘【かいしん】に澹【ただよ】わす。

北のかた幽崖を動し,南のかた朱垠【しゅぎん】に燿【かがや】かす。

殊方 別區,界 えて鄰【ちか】からず。


孝武 征せざりし所に自り,孝宣 之れ未だ臣とせざりし所による。

陸に讋【おのの】き水に慄【おそ】れ,奔走して來賓せざるは莫し。

遂に哀牢【あいろう】を綏【やす】んじて,永昌を開く。

 

(現代語訳)

西のかたは黄河の水源をゆさぶり、東のかたは東海の岸の水を波立たせる。

北のかたは、最果ての幽州の岸をゆるがせるし、南のかたは太陽直下の地のはてまで照りわたる。

この外に異国異境があり、隔絶した往来のない土地である。

さすがの武帝も征服せず、さすがの宣帝もまだ臣としたことのない匈奴の呼韓が入朝した

陸路に気を失い水路におそれおののいた、それで顔色変えて旅をいそいで、來服しない国は一つとしてない。

かくて辺境の哀牢王を懐柔し、嘉牢・博南の二県とその地四県を合し永昌郡を開設する。

春、年の始まり、王の正月、歳と月日の三つが始まる元旦には、列国の諸侯が来朝し漢の東都に参集拝謁する。

hinode0100 

(訳注) (19)#10(神を敬うと仁徳の施政)―2

西盪河源,東澹海漘。

西のかたは黄河の水源をゆさぶり、東のかたは東海の岸の水を波立たせる。

河源 黄河の水源、隴西など甘粛省の西部。

海 上が平らかで下の水が深い崖の意。

漘 水が揺れる。

 

北動幽崖,南燿朱垠。

北のかたは、最果ての幽州の岸をゆるがせるし、南のかたは太陽直下の地のはてまで照りわたる。

幽崖 北方の地、陰気のあつまる所。幽都ともいう。「朔方をいう」古の流刑の地。

燿 『後漢書』は超に作る、躍と同じ。動くの意あり。塗、活も動の意あり。是なるに近い。

朱唄 南の果て。娘は崖または畔(望、ほとり。朱は南方は赤色に当たる。太陽直下の意。

 

殊方別區,界而不鄰。

この外に異国異境があり、隔絶した往来のない土地である。

別区 異国異境。

 

自孝武之所不征,孝宣之所未臣。

さすがの武帝も征服せず、さすがの宣帝もまだ臣としたことのない匈奴の呼韓が入朝した

自孝武之所不征,孝宣之所未臣 『後漢書』は「所不能征」に作る。「孝宣」の条も「所不能臣」に作る。武帝は武力、宣帝は徳化を以て四夷に対した。宣帝の時、匈奴の呼韓が入朝した。

 

莫不陸讋水慄,奔走而來賓。

陸路に気を失い水路におそれおののいた、それで顔色変えて旅をいそいで、來服しない国は一つとしてない。

 気を失う。

 おののく(広雅)。

来賓 釆服。

 

遂綏哀牢,開永昌。

かくて辺境の哀牢王を懐柔し、嘉牢・博南の二県とその地四県を合し永昌郡を開設する。

 困って。

哀牢 益州の境外の哀牢王が入朝、69年永平十二年帰属す、嘉牢・博南の二県を置く(『後漢書』西南夷伝)後、建武元年そむき、二県と他の四県を合し、六県を永昌郡を置く(同上)。

 

春王三朝,會同漢京。

春、年の始まり、王の正月、歳と月日の三つが始まる元旦には、列国の諸侯が来朝し漢の東都に参集拝謁する。

春王 春秋の筆法「元年、春、王の正月」に基づいていう。春秋では周王、ここでは東漢の明帝。

会同 周制では諸侯の参朝をいう。会は臨時の参朝、同は諸侯が参集する。
むくげの花02 

班孟堅(班固)《東都賦》(18)#10(神を敬うと仁徳の施政)―1 文選 賦<113―18>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1020 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3648

班固《東都賦》(18)(神を敬いと仁徳の施政) つぎに、天・地・宗廟を祭り、三つの生贅をささげ、五種の犠牲をたてまつる。天神地神をうやまい、もろもろの神々を心におもい、なぐさめられる。群臣たちを明堂に召して謁見し、天子の辟雍大学に臨席される。陰陽天文を観察する霊台に登って、陰陽の気のよきしるしを観察なされる。


2014年1月25日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
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班孟堅(班固)《東都賦》(18)#10(神を敬うと仁徳の施政)―1 文選 賦<1131818分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1020 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3648
(18)#10
(神を敬うと仁徳の施政)―1

 

 

(18)#10(神を敬うと仁徳の施政)―1

於是薦三犧,效五牲。

(神を敬いと仁徳の施政) つぎに、天・地・宗廟を祭り、三つの生贅をささげ、五種の犠牲をたてまつる。

禮神祇,懷百靈。

天神地神をうやまい、もろもろの神々を心におもい、なぐさめられる。

覲明堂,臨辟雍。

群臣たちを明堂に召して謁見し、天子の辟雍大学に臨席される。

揚緝熙,宣皇風。

明徳のくもりなき光を高くかかげ、天子の教えをひろめなさる。

登靈臺,考休徵。

陰陽天文を観察する霊台に登って、陰陽の気のよきしるしを観察なされる。

俯仰乎乾坤,參象乎聖躬。

上は天のキザシを見、下は地のキザシを見て、聖なる御身をこれにくらべ合わせ、天地と徳を同じように形取り、ならびたつようにしたいと思われる。

目中夏而布德,瞰四裔而抗稜。

中国をよく見て教えを施し、四海のはてを望見して御稜威【みいず】をふるわれる。

 (19)#10(神を敬うと仁徳の施政)―2

西盪河源,東澹海漘。

北動幽崖,南燿朱垠。

殊方別區,界而不鄰。

自孝武之所不征,孝宣之所未臣。

莫不陸讋水慄,奔走而來賓。

遂綏哀牢,開永昌。

春王三朝,會同漢京。

 

(18)#101

是に於いて三犧を薦め,效五牲を【いた】す。

神祇を禮して,百靈を懷【なず】く。

明堂に覲【ぎん】し,辟雍【へきよう】に臨む。

緝熙【しんき】を揚げ,皇風を宣ぶ。

靈臺に登り,休徵【きゅうちょう】を考う。

乾坤【けんこん】を俯仰【ふぎょう】し,聖躬【せいきゅう】を參象【さんしょう】す。

中夏を目して德を布き,四裔【しえい】を瞰【み】て稜【みいず】を抗【あ】ぐ。

(19)#10(神を敬うと仁徳の施政)―2

西のかた河源を盪【とろか】し,東のかた海漘【かいしん】に澹【ただよ】わす。

北のかた幽崖を動し,南のかた朱垠【しゅぎん】に燿【かがや】かす。

殊方 別區,界 えて鄰【ちか】からず。

孝武 征せざりし所に自り,孝宣 之れ未だ臣とせざりし所による。

陸に讋【おのの】き水に慄【おそ】れ,奔走して來賓せざるは莫し。

遂に哀牢【あいろう】を綏【やす】んじて,永昌を開く。

春 王は三朝し,漢京に會同す。

茶苑 

 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (18)#10(神を敬うと仁徳の施政)―1

於是薦三犧,效五牲。

禮神祇,懷百靈。

覲明堂,臨辟雍。

揚緝熙,宣皇風。

登靈臺,考休徵。

俯仰乎乾坤,參象乎聖躬。

目中夏而布德,瞰四裔而抗稜。

 

(下し文)(18)#10―1

是に於いて三犧を薦め,效五牲を【いた】す。

神祇を禮して,百靈を懷【なず】く。

明堂に覲【ぎん】し,辟雍【へきよう】に臨む。

緝熙【しんき】を揚げ,皇風を宣ぶ。

靈臺に登り,休徵【きゅうちょう】を考う。

乾坤【けんこん】を俯仰【ふぎょう】し,聖躬【せいきゅう】を參象【さんしょう】す。

中夏を目して德を布き,四裔【しえい】を瞰【み】て稜【みいず】を抗【あ】ぐ。

 

(現代語訳)

(神を敬いと仁徳の施政) つぎに、天・地・宗廟を祭り、三つの生贅をささげ、五種の犠牲をたてまつる。

天神地神をうやまい、もろもろの神々を心におもい、なぐさめられる。

群臣たちを明堂に召して謁見し、天子の辟雍大学に臨席される。

明徳のくもりなき光を高くかかげ、天子の教えをひろめなさる。

陰陽天文を観察する霊台に登って、陰陽の気のよきしるしを観察なされる。

上は天のキザシを見、下は地のキザシを見て、聖なる御身をこれにくらべ合わせ、天地と徳を同じように形取り、ならびたつようにしたいと思われる。

中国をよく見て教えを施し、四海のはてを望見して御稜威【みいず】をふるわれる。

漢魏隋唐の洛陽城 

(訳注)(18)#10(神を敬うと仁徳の施政)―1

於是薦三犧,效五牲。

(神を敬いと仁徳の施政) つぎに、天・地・宗廟を祭り、三つの生贅をささげ、五種の犠牲をたてまつる。

三犠 毛羽をつけたままの生贄の三種類。また雁・鶩(家鴨)雉ともいう。

五牲 五種の生贄。馴鹿・鹿・クシカ・兔(『左氏伝』昭公二十五年の杜注)。またクジカ・鹿・熊・狼・野豕とも、牛・羊・豕・犬・鶏の説もある。(『左氏伝』昭公十一年の杜注)。

 

禮神祇,懷百靈。

天神地神をうやまい、もろもろの神々を心におもい、なぐさめられる。

百霊 もろもろの神霊、百神。

 

覲明堂,臨辟雍。

群臣たちを明堂に召して謁見し、天子の辟雍大学に臨席される。

明堂 諸侯に謁見しその尊卑を明らかにする建物。宗廟を中心として合わせて九室ありという(『大戴礼』)。時代により異なる。月令、周礼の考工記などにみえる。

辟雍 天子の大学の名。辟は明、蕹は和という意とも、また学校のまわりを水沢でとりまくところから名づけたともいう。一説辟は壁、その玉の円形に象るともいう。『白虎通』に「天子辟雍を立つるは何ぞや。礼楽を行ひ、徳化を宣ぶる所以なり」とある。

 

揚緝熙,宣皇風。

明徳のくもりなき光を高くかかげ、天子の教えをひろめなさる。

緝熙 光明。照は光の末が広くひろがる。

皇風 大いなる教え。

 

登靈臺,考休徵。

陰陽天文を観察する霊台に登って、陰陽の気のよきしるしを観察なされる。

霊台 陰陽天文を観察する台。

考休教 休は美、徵はしるし。考は前の世の西漢と引きくらべる。

 

俯仰乎乾坤,參象乎聖躬。

上は天のキザシを見、下は地のキザシを見て、聖なる御身をこれにくらべ合わせ、天地と徳を同じように形取り、ならびたつようにしたいと思われる。

参象 天地の徳に象どり並び立つ(参)。

 

目中夏而布德,瞰四裔而抗稜。

中国をよく見て教えを施し、四海のはてを望見して御稜威【みいず】をふるわれる。

目 視と同じ、見たいと思ってみる。

中夏 中華。中國。

瞰 望む。

稜 威光。
唐時代 韓愈関連01 

班孟堅(班固)《東都賦》(17)#9-2 文選 賦<113―17>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1019 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3643

班固《東都賦》(17)狩猟は、いくら楽しくとも限りがあると知り、獲物はいくら殺しても取り尽くすべきものでないと知る。馬は余力を残して足をあがき、士卒の興奮がまだ冷めやらないのにかたよる。天子の前駆の車は帰路につき、副車は徐行する。


2014年1月24日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(17)#9-2 文選 賦<113―17>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1019 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3643
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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班孟堅(班固)《東都賦》(17)#9-2 文選 賦<1131718分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1019 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3643

 

16)#9(狩りの作法)-1

遂集乎中囿,陳師按屯。

(狩りの作法) 程なく上林苑に到着し、集合すると、軍勢を整列させ集団を案内する。

駢部曲,列校隊。

大小の部と曲との二組に分けて列をそろえる。部曲あわせて五百人単位の校と、百人単位の隊とを整列させる。

勒三軍,誓將帥。

それから中軍・左軍・右軍の三軍を編成統率し、将帥に号令を下す。

然後舉烽伐鼓,申令三驅。

その後で烽火をうちあげ、陣太鼓をうち鳴らし、命令を反復し伝達して、三駆の礼法どおり、三度を限りとして獲物を追いかける。

輶車霆激,驍騎電騖。

小まわりの利く軽率は迅雷のように宙を飛んで走り、駿馬にまたがる勇猛果敢の騎兵は稲妻のごとく疾走する。

由基發射,范氏施御。

古ならば養由基といったところの弓の名射手が、矢をはなち、范氏といったところの名御者が、馬車を馭す。

 

(17)#9-2

弦不睼禽,轡不詭遇。

弦をはじいても、正面に待ちかまえて射ることもしないのに、手綱をさばいても、待ち伏せてしとめることもしない。

飛者未及翔,走者未及去。

飛ぶ鳥は翔けるいとまもなく、走る獣は逃げるいとまもない。

指顧倏忽,獲車已實。

あっという間、たちまちにして、獲物の車は満載になっている。

樂不極盤,殺不盡物。

ということから、狩猟は、いくら楽しくとも限りがあると知り、獲物はいくら殺しても取り尽くすべきものでないと知る。

馬踠餘足,士怒未

馬は余力を残して足をあがき、士卒の興奮がまだ冷めやらないのにかたよる。

先驅復路,屬車案節。

天子の前駆の車は帰路につき、副車は徐行する。

 

遂に中囿【ちゅうゆう】に集り,師を陳【つら】ね屯を按じ。

部曲を駢【なら】べ,校隊を列ぬ。

三軍を勒して,將帥に誓う。

然る後 烽を舉げ鼓を伐ち,令を申【かさ】ねて三驅す。

輶車【ゆうしゃ】は霆【いかづち】のごとく激し,驍騎【ぎょうき】は電【いなずま】のごとく騖【は】す。

由基【ゆうき】射を發し,范氏 御を施す。

 

弦は睼禽【ていきん】せず,轡は詭遇【きぐう】せず。

飛ぶ者は未だ翔【かけ】るに及ばず,走る者は未だ去るに及ばず。

指顧【しこ】倏忽【しゅくこつ】,獲車【かくしゃ】已に實【みつ】る。

樂しむも盤【たのし】みを極めず,殺すも物を盡さず。

馬は餘足を踠【あが】いて,士の怒り 未だ【つ】きざる。

先驅 路に復【かえ】り,屬車【ぞくしゃ】節を案ず。

福建省茶 煎じる 

 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (17)#9-2

弦不睼禽,轡不詭遇。

飛者未及翔,走者未及去。

指顧倏忽,獲車已實。

樂不極盤,殺不盡物。

馬踠餘足,士怒未

先驅復路,屬車案節。

 

(下し文)

弦は睼禽【ていきん】せず,轡は詭遇【きぐう】せず。

飛ぶ者は未だ翔【かけ】るに及ばず,走る者は未だ去るに及ばず。

指顧【しこ】倏忽【しゅくこつ】,獲車【かくしゃ】已に實【みつ】る。

樂しむも盤【たのし】みを極めず,殺すも物を盡さず。

馬は餘足を踠【あが】いて,士の怒り 未だ【つ】きざる。

先驅 路に復【かえ】り,屬車【ぞくしゃ】節を案ず。

 

(現代語訳)

弦をはじいても、正面に待ちかまえて射ることもしないのに、手綱をさばいても、待ち伏せてしとめることもしない。

飛ぶ鳥は翔けるいとまもなく、走る獣は逃げるいとまもない。

あっという間、たちまちにして、獲物の車は満載になっている。

ということから、狩猟は、いくら楽しくとも限りがあると知り、獲物はいくら殺しても取り尽くすべきものでないと知る。

馬は余力を残して足をあがき、士卒の興奮がまだ冷めやらないのにかたよる。

天子の前駆の車は帰路につき、副車は徐行する。

あさがお002 

(訳注) (17)#9-2

弦不睼禽,轡不詭遇。

弦をはじいても、正面に待ちかまえて射ることもしないのに、手綱をさばいても、待ち伏せてしとめることもしない。

睼禽 腱は迎えて視る。正面からくる鳥獣を待ち受けてとる。

詭遇 あざむいて出会いがしらに殺すこと

 

飛者未及翔,走者未及去。

飛ぶ鳥は翔けるいとまもなく、走る獣は逃げるいとまもない。

 

指顧倏忽,獲車已實。

あっという間、たちまちにして、獲物の車は満載になっている。

條忽 候に作るものあり、ともに同義。たちまち、指顧と同じ。

 

樂不極盤,殺不盡物。

ということから、狩猟は、いくら楽しくとも限りがあると知り、獲物はいくら殺しても取り尽くすべきものでないと知る。

盤 楽しみ。そのすてがたい気味をもつ。

 

馬踠餘足,士怒未

馬は余力を残して足をあがき、士卒の興奮がまだ冷めやらないのにかたよる。

 ここは泄と同じ。散じ去る、つきる。発する。唐の太宗の諱、李世民の諱を避ける。傾:(1) (ある方向に)片寄る,偏向する.(2) 倒れる,崩壊する.(3) 逆さにして中味をぶちまける,中味を空(から)にする.(4) (全力を)傾ける,傾注する.

 

先驅復路,屬車案節。

天子の前駆の車は帰路につき、副車は徐行する。

按節 徐行する。按は轡をひかえる。節は馬の歩調の節度あること。

幻日環01 

班孟堅(班固) 《東都賦》(16)#9(狩りの作法)-1 文選 賦<113―16>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1018 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3638

班固《東都賦》(16)(狩りの作法) 程なく上林苑に到着し、集合すると、軍勢を整列させ集団を案内する。大小の部と曲との二組に分けて列をそろえる。部曲あわせて五百人単位の校と、百人単位の隊とを整列させる。それから中軍・左軍・右軍の三軍を編成統率し、将帥に号令を下す。その後で烽火をうちあげ、陣太鼓をうち鳴らし、命令を反復し伝達して、三駆の礼法どおり、三度を限りとして獲物を追いかける。小まわりの利く軽率は迅雷のように宙を飛んで走り、駿馬にまたがる勇猛果敢の騎兵は稲妻のごとく疾走する。

2014年1月23日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固) 《東都賦》(16)#9(狩りの作法)-1 文選 賦<113―16>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1018 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3638
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《答柳柳州食蝦蟆》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <931>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3639韓愈詩-241-#3
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 746廣徳2年764年―5-#1 《憶昔,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <655-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3640 杜甫詩1000-655-1-922/1500749-1
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 263 《招揚之罦一首》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3641 (01/23)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -9 南鄉子八首 其五 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-419-11-#9  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3642
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
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班孟堅(班固) 《東都賦》(16)#9(狩りの作法)-1 文選 賦<113―16>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1018 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3638


 

#9(狩りの作法)-1

遂集乎中囿,陳師按屯。

(狩りの作法) 程なく上林苑に到着し、集合すると、軍勢を整列させ集団を案内する。

駢部曲,列校隊。

大小の部と曲との二組に分けて列をそろえる。部曲あわせて五百人単位の校と、百人単位の隊とを整列させる。

勒三軍,誓將帥。

それから中軍・左軍・右軍の三軍を編成統率し、将帥に号令を下す。

然後舉烽伐鼓,申令三驅。

その後で烽火をうちあげ、陣太鼓をうち鳴らし、命令を反復し伝達して、三駆の礼法どおり、三度を限りとして獲物を追いかける。

輶車霆激,驍騎電騖。

小まわりの利く軽率は迅雷のように宙を飛んで走り、駿馬にまたがる勇猛果敢の騎兵は稲妻のごとく疾走する。

由基發射,范氏施御。

古ならば養由基といったところの弓の名射手が、矢をはなち、范氏といったところの名御者が、馬車を馭す。

 

弦不睼禽,轡不詭遇。

飛者未及翔,走者未及去。

指顧倏忽,獲車已實。

樂不極盤,殺不盡物。

馬踠餘足,士怒未

先驅復路,屬車案節。

 

遂に中囿【ちゅうゆう】に集り,師を陳【つら】ね屯を按じ。

部曲を駢【なら】べ,校隊を列ぬ。

三軍を勒して,將帥に誓う。

然る後 烽を舉げ鼓を伐ち,令を申【かさ】ねて三驅す。

輶車【ゆうしゃ】は霆【いかづち】のごとく激し,驍騎【ぎょうき】は電【いなずま】のごとく騖【は】す。

由基【ゆうき】射を發し,范氏 御を施す。 

 

弦は睼禽【ていきん】せず,轡は詭遇【きぐう】せず。

飛ぶ者は未だ翔【かけ】るに及ばず,走る者は未だ去るに及ばず。

指顧【しこ】倏忽【しゅくこつ】,獲車【かくしゃ】已に實【みつ】る。

樂しむも盤【たのし】みを極めず,殺すも物を盡さず。

馬は餘足を踠【あが】いて,士の怒り 未だ【つ】きざる。

先驅 路に復【かえ】り,屬車【ぞくしゃ】節を案ず。

 

木蘭02 

 (狩りの作法)-1

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) #9

遂集乎中囿,陳師按屯。

駢部曲,列校隊。

勒三軍,誓將帥。

然後舉烽伐鼓,申令三驅。

輶車霆激,驍騎電騖。

由基發射,范氏施御。

 

(下し文) #9

遂に中囿【ちゅうゆう】に集り,師を陳【つら】ね屯を按じ。

部曲を駢【なら】べ,校隊を列ぬ。

三軍を勒して,將帥に誓う。

然る後 烽を舉げ鼓を伐ち,令を申【かさ】ねて三驅す。

輶車【ゆうしゃ】は霆【いかづち】のごとく激し,驍騎【ぎょうき】は電【いなずま】のごとく騖【は】す。

由基【ゆうき】射を發し,范氏 御を施す。

 

(現代語訳)

(狩りの作法) 程なく上林苑に到着し、集合すると、軍勢を整列させ集団を案内する。

大小の部と曲との二組に分けて列をそろえる。部曲あわせて五百人単位の校と、百人単位の隊とを整列させる。

それから中軍・左軍・右軍の三軍を編成統率し、将帥に号令を下す。

その後で烽火をうちあげ、陣太鼓をうち鳴らし、命令を反復し伝達して、三駆の礼法どおり、三度を限りとして獲物を追いかける。

小まわりの利く軽率は迅雷のように宙を飛んで走り、駿馬にまたがる勇猛果敢の騎兵は稲妻のごとく疾走する。

古ならば養由基といったところの弓の名射手が、矢をはなち、范氏といったところの名御者が、馬車を馭す。

 

(訳注) #9

遂集乎中囿,陳師按屯。

(狩りの作法) 程なく上林苑に到着し、集合すると、軍勢を整列させ集団を案内する。

遂 ついで、程なく。

中囿 上林中。

師 軍勢。

案屯 兵の集団を考えて分ける。

 

駢部曲,列校隊。

大小の部と曲との二組に分けて列をそろえる。部曲あわせて五百人単位の校と、百人単位の隊とを整列させる。

駢部曲 兵を部と、その小わけの曲とに分け、大小の部隊を設ける。駢はその列をそろえてならべる。

校隊 校は五百人の兵員、隊は百人ないし、二百人、『後漢書』の百官志に「将軍皆部あり。大将の軍営は五部、部に校尉一人あり。部の下に曲あり・曲に軍侯(敵情偵察の武官)一人あり」とある。校尉軍候は部曲の長。

 

勒三軍,誓將帥。

それから中軍・左軍・右軍の三軍を編成統率し、将帥に号令を下す。

勒三軍 三軍を編成する。三軍は軍隊の全体をいう。『周礼』の大司馬によれば「王は六軍‥二軍は一万二千五百人」という。六軍で七万五千人、これを三つに分け、中軍・左軍・右軍とする。

 

然後舉烽伐鼓,申令三驅。

その後で烽火をうちあげ、陣太鼓をうち鳴らし、命令を反復し伝達して、三駆の礼法どおり、三度を限りとして獲物を追いかける。

三駆 天子は四面を囲んで狩猟しない。一面だけあけて、三両を囲む。一面をあけて逃げ道をこしらえる。動物をとり尽くさぬ仁心から生まれたという。その他三度これを射れば後は逃がすのが軍礼という。駆は狩猟の意。

 

輶車霆激,驍騎電騖。

小まわりの利く軽率は迅雷のように宙を飛んで走り、駿馬にまたがる勇猛果敢の騎兵は稲妻のごとく疾走する。

輶車 軽車の一種で駆逆の車。禽獣を追い出してこれを迎えとらえる車。軽は行動自由自在の意。

 

由基發射,范氏施御。

古ならば養由基といったところの弓の名射手が、矢をはなち、范氏といったところの名御者が、馬車を馭す。

由基 養由基、古の名射手。「養由基甲をあつめて之を射り、七札を徹す」。

范氏 禹の時の御車。「夏の徳盛んなる時、二龍降る。禹范氏をして之を御せしめ、以て南方を経(ゆ〉く」(括地図)。
木蘭00 

班孟堅(班固)《東都賦》(15)#8(行列の威容)―2 文選 賦<113―13>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1017 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3633

班固《東都賦》(15) 千という車馬が雷のようにとどろけば、万という騎馬は入り乱れる。大兵は原野一面にひろがり戈と鋋をふるえば雲まではらうのだ。羽旄で指揮すれば、虹をひと掃きし、旌旗で鼓舞すれば、ひらりひらりと天にひるがえる。きらきらと火花のように放たれ、かがやき、きらめきは大空をはしって五彩の色が飛びかう。


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班孟堅(班固)《東都賦》(15)#8(行列の威容)―2 文選 賦<1131318分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1017 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3633

 

 

#8

於是發鯨魚,鏗華鐘。

(行列の威容) この時、鯨魚の撞木をとりあげて、飾り模様の鐘をつき鳴らす。

登玉輅,乘時龍。

天子は玉飾りのお車に乗られて、季節に応じた毛色の駿馬を革につける。

鳳蓋棽麗,龢鑾玲瓏。

鳳凰を飾りつけた車の蓋は、しなやかに擁みゆれ、車の前部、側面に下る鈴は、りんりんと鳴る。

天官景從,寢威盛容。

百官・小吏は、影のようにその後にお供して、威容を盛大にする。

山靈護野,屬御方神。

山の神々は原野を守護し、四方の神々は、お供する車の御者となって道案内をする。

雨師汎灑,風伯清塵。

雨の神は道に水をまき、風の神は塵を払う。

 

千乘雷起,萬騎紛紜。

千という車馬が雷のようにとどろけば、万という騎馬は入り乱れる。

元戎竟野,戈鋋彗雲。

大兵は原野一面にひろがり戈と鋋をふるえば雲まではらうのだ。

羽旄掃霓,旌旗拂天。

羽旄で指揮すれば、虹をひと掃きし、旌旗で鼓舞すれば、ひらりひらりと天にひるがえる。

焱焱炎炎,揚光飛文。

きらきらと火花のように放たれ、かがやき、きらめきは大空をはしって五彩の色が飛びかう。

吐爓生風,山。

火焔を吐けば、そこに風が生じ、くわえて山野の風を吸いまたつよく吹き出すのである。

日月為之奪明,丘陵為之搖震。

そのために日月も光を奪われて暗く、また丘陵もゆらいで震動する。

 

是に於いて發鯨魚を【あ】げ,華鐘を鏗【つ】く。

玉輅【ぎょくろ】に登り,時龍【じりょう】に乘る。

鳳蓋 棽麗【りんり】にして,龢鑾【わらん】玲瓏【れいろう】たり。

天官 景のごとく從い,威を寢【さかん】にし容を盛にす。

山靈 野を護り,屬御【ぞくぎょ】に方神あり。

雨師 汎灑【はんさい】し,風伯 塵を清む。

 

千乘 雷のごとく起り,萬騎 紛紜【ふんうん】たり。

元戎【げんじゅう】 野に竟【わた】り,戈鋋【かせん】雲を彗【はら】い。

羽旄【うぼう】霓【にじ】を掃い,旌旗【せいき】天を拂う。

焱焱 炎炎として,光を揚げ文を飛ばす。

爓【ほのお】を吐き風を生じ,野を山を【は】く

日月も之が為に明を奪われ,丘陵も之が為に搖震す。

木蘭02 

 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) 82

千乘雷起,萬騎紛紜。

元戎竟野,戈鋋彗雲。

羽旄掃霓,旌旗拂天。

焱焱炎炎,揚光飛文。

吐爓生風,山。

日月為之奪明,丘陵為之搖震。

 

 

(下し文)

千乘雷起,萬騎紛紜。

元戎竟野,戈鋋彗雲。

羽旄掃霓,旌旗拂天。

焱焱炎炎,揚光飛文。

吐爓生風,山。

日月為之奪明,丘陵為之搖震。

 

(現代語訳)

千という車馬が雷のようにとどろけば、万という騎馬は入り乱れる。

大兵は原野一面にひろがり戈と鋋をふるえば雲まではらうのだ。

羽旄で指揮すれば、虹をひと掃きし、旌旗で鼓舞すれば、ひらりひらりと天にひるがえる。

きらきらと火花のように放たれ、かがやき、きらめきは大空をはしって五彩の色が飛びかう。

火焔を吐けば、そこに風が生じ、くわえて山野の風を吸いまたつよく吹き出すのである。

そのために日月も光を奪われて暗く、また丘陵もゆらいで震動する。

 

(訳注)

千乘雷起,萬騎紛紜。

千という車馬が雷のようにとどろけば、万という騎馬は入り乱れる。

 

元戎竟野,戈鋋彗雲。

大兵は原野一面にひろがり戈と鋋をふるえば雲まではらうのだ。

元戎 大兵。『漢書』に「元戒を統辞す」の師古の注に「大衆なり」(董賢伝)とある。

 

羽旄掃霓,旌旗拂天。

羽旄で指揮すれば、虹をひと掃きし、旌旗で鼓舞すれば、ひらりひらりと天にひるがえる。

羽施 旗の一種、雉の羽との尾で飾る。帝王の遊車に建て指揮に用う。

掃一掃する。

族旗 族は五彩の羽を竿頭につけた族、士卒を精進せしむるもの。旗は熊や虎の絵のある旗、伐星に象る旗(如はな)あり、士卒を集合させるもの。

払 少しずつはらうこと。旗がひらりひらりとすること。

 

焱焱炎炎,揚光飛文。

きらきらと火花のように放たれ、かがやき、きらめきは大空をはしって五彩の色が飛びかう。

簸放 火華(『説文』)、火花。火光ともいう。

炎 火光の上ること(『訳文』)、森とほぼ同義。ここではともに狩猟の車馬、曳誕(こぼこ)、族旗などのきらきら光ること。

揚光飛文 揚は光が上にきらめく。飛文の飛はとびかう、文は光彩。

 

吐爓生風,山。

火焔を吐けば、そこに風が生じ、くわえて山野の風を吸いまたつよく吹き出すのである。

吐爛 偶は火光、物に当たって火花を出す。

飲野 欲は「歓(す)う也」(『説文』)、すする、飲むの意。吸うこと。

欺山 「気を吹く也」(『説文ヒ、山気(山風)を吐く。『後漢書』は「吹野燦山」に作る。放談以下は林立する旗旗のひるがえるさま。山野の気を吸いまた吹くのは、風に動く形容であろう。日月も暗く、大地も動くとは、行列の威容に圧倒されたさまの形容。

 

日月為之奪明,丘陵為之搖震。

そのために日月も光を奪われて暗く、また丘陵もゆらいで震動する。
綬帶鳥00 

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#8

於是發鯨魚,鏗華鐘。

(行列の威容) この時、鯨魚の撞木をとりあげて、飾り模様の鐘をつき鳴らす。

登玉輅,乘時龍。

天子は玉飾りのお車に乗られて、季節に応じた毛色の駿馬を革につける。

鳳蓋棽麗,龢鑾玲瓏。

鳳凰を飾りつけた車の蓋は、しなやかに擁みゆれ、車の前部、側面に下る鈴は、りんりんと鳴る。

天官景從,寢威盛容。

百官・小吏は、影のようにその後にお供して、威容を盛大にする。

山靈護野,屬御方神。

山の神々は原野を守護し、四方の神々は、お供する車の御者となって道案内をする。

雨師汎灑,風伯清塵。

雨の神は道に水をまき、風の神は塵を払う。

 

千乘雷起,萬騎紛紜。

元戎竟野,戈鋋彗雲。

羽旄掃霓,旌旗拂天。

焱焱炎炎,揚光飛文。

吐爓生風,山。

日月為之奪明,丘陵為之搖震。

 

是に於いて發鯨魚を【あ】げ,華鐘を鏗【つ】く。

玉輅【ぎょくろ】に登り,時龍【じりょう】に乘る。

鳳蓋 棽麗【りんり】にして,龢鑾【わらん】玲瓏【れいろう】たり。

天官 景のごとく從い,威を寢【さかん】にし容を盛にす。

山靈 野を護り,屬御【ぞくぎょ】に方神あり。

雨師 汎灑【はんさい】し,風伯 塵を清む。

 

千乘 雷のごとく起り,萬騎 紛紜【ふんうん】たり。

元戎【げんじゅう】 野に竟【わた】り,戈鋋【かせん】雲を彗【はら】い。

羽旄【うぼう】霓【にじ】を掃い,旌旗【せいき】天を拂う。

焱焱 炎炎として,光を揚げ文を飛ばす。

爓【ほのお】を吐き風を生じ,野を山を【は】く

日月も之が為に明を奪われ,丘陵も之が為に搖震す。

漢魏隋唐の洛陽城 

 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) #8

於是發鯨魚,鏗華鐘。

登玉輅,乘時龍。

鳳蓋棽麗,龢鑾玲瓏。

天官景從,寢威盛容。

山靈護野,屬御方神。

雨師汎灑,風伯清塵。

 

(下し文) #8

是に於いて發鯨魚を【あ】げ,華鐘を鏗【つ】く。

玉輅【ぎょくろ】に登り,時龍【じりょう】に乘る。

鳳蓋 棽麗【りんり】にして,龢鑾【わらん】玲瓏【れいろう】たり。

天官 景のごとく從い,威を寢【さかん】にし容を盛にす。

山靈 野を護り,屬御【ぞくぎょ】に方神あり。

雨師 汎灑【はんさい】し,風伯 塵を清む。

 

(現代語訳)

(行列の威容) この時、鯨魚の撞木をとりあげて、飾り模様の鐘をつき鳴らす。

天子は玉飾りのお車に乗られて、季節に応じた毛色の駿馬を革につける。

鳳凰を飾りつけた車の蓋は、しなやかに擁みゆれ、車の前部、側面に下る鈴は、りんりんと鳴る。

百官・小吏は、影のようにその後にお供して、威容を盛大にする。

山の神々は原野を守護し、四方の神々は、お供する車の御者となって道案内をする。

雨の神は道に水をまき、風の神は塵を払う。

 

(訳注) #8

於是發鯨魚,鏗華鐘。

(行列の威容) この時、鯨魚の撞木をとりあげて、飾り模様の鐘をつき鳴らす。

発鯨魚 発は挙、とりあげる。鯨魚は鯨の形をした撞目、撞木。

鏗 撃つ。つく、たたく。

 

登玉輅,乘時龍。

天子は玉飾りのお車に乗られて、季節に応じた毛色の駿馬を革につける。

登玉輅 登は上にあがる。玉輅は珠玉で飾った天子の車。

乗時龍 乗は馬に革をつける。龍は高さ八尺以上の馬。時は五行思想で春は靑、夏は赤、秋は白、冬は黒(『礼記』月令)の毛色の馬を用いる、これを時龍という。

 

鳳蓋棽麗,龢鑾玲瓏。

鳳凰を飾りつけた車の蓋は、しなやかに擁みゆれ、車の前部、側面に下る鈴は、りんりんと鳴る。

鳳蓋 車のおおいとなる蓋(髭)に鳳凰の飾りがつくもの。また天子の儀快をいう。

棽麗 木の枝条がおおいたれるさま。麗は儷に同じ。意味はともに同じ。棽も麗も同義。傘のようにおおう鳳蓋の形容である。前後の文意によれは、玉輅すなわち鳳皇の串は動いているから、「鳳蓋を張る」(「西京の賦」)そのきぬがさが、しなやかにたわみながらゆれること。

龢鑾 車の軾(前部の横木)にあるを和といい、衡にあるを鑾(『後漢書』は鸞に作る)という、ともに金の鈴。

玲聴 鈴の音、双声。もとは玉の声。

 

天官景從,寢威盛容。

百官・小吏は、影のようにその後にお供して、威容を盛大にする。

天官 百官・小吏をいう。天の星座に尊卑の序列官位があり、その天にかたどり天子にも百官庶僚がある。故に天官という。

寝 盛と同義。

 

山靈護野,屬御方神。

山の神々は原野を守護し、四方の神々は、お供する車の御者となって道案内をする。

属御 属車の御者。属幸は天子のそえぐるま(副車)、佐車ともいう。

方神 四方の神。ここでは鹵簿の先払いとなる。人を戒める警蹕と同じであろう。『周礼』によると狩猟がすむと、獲物をささげて方神をまつる(大司馬)。「甘泉の拭」には「八神弁りて警蹕す」とある。

 

雨師汎灑,風伯清塵。

雨の神は道に水をまき、風の神は塵を払う。

汎灑 水をまく。
杜甫乱前後の図001奉先 

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(狩りの準備) さて、四時の季節の推移のままに春は春の蒐()り、冬は冬の狩りを行い、車や兵卒をすぐり武を練る時になる。すると、必ず王者の礼式を定めた王制をもって事にあたり、詩経に詠う国風や小雅大雅の詩をもって今に問う。すなわち、「騶虞」の詩を見ては、狩りは農閑期、生き物は食べず。「駟鐵」の詩を見ては、黒毛の良馬をそろえる。
 

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(13)#7(狩の準備)

若乃順時節而蒐狩,簡車徒以講武。

(狩りの準備) さて、四時の季節の推移のままに春は春の蒐()り、冬は冬の狩りを行い、車や兵卒をすぐり武を練る時になる。

則必臨之以王制,考之以風雅。

すると、必ず王者の礼式を定めた王制をもって事にあたり、詩経に詠う国風や小雅大雅の詩をもって今に問う。

歷騶虞,覽駟鐵。

すなわち、「騶虞」の詩を見ては、狩りは農閑期、生き物は食べず。「駟鐵」の詩を見ては、黒毛の良馬をそろえる。

嘉車攻,采吉日。

「車攻」の詩を見ては、串を堅固に準備する。「吉日」の詩を見ては、吉日を選ぶ。

禮官整儀,乘輿乃出。

礼儀担当の礼官が、行列の威儀を整えて、天子の行幸ははじめて出発する。

 

唐時代 韓愈関連01 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) #7

若乃順時節而蒐狩,簡車徒以講武。

則必臨之以王制,考之以風雅。

歷騶虞,覽駟鐵。

嘉車攻,采吉日。

禮官整儀,乘輿乃出。

 

(下し文) #7

若し乃ち時節に順って蒐狩【しゅうしゅ】し,車徒を簡【えら】んで以って武を講ず。

則ち必ず之に臨むに王制を以てし,之を考えうるに風雅を以てす。

騶虞【すうぐ】を歷【へ】,駟鐵【してつ】を覽る。

車攻を嘉【よみ】し,吉日を采る。

禮官 儀を整へ,乘輿【じょうよ】乃ち出づ。

 

(現代語訳)

(狩りの準備) さて、四時の季節の推移のままに春は春の蒐()り、冬は冬の狩りを行い、車や兵卒をすぐり武を練る時になる。

すると、必ず王者の礼式を定めた王制をもって事にあたり、詩経に詠う国風や小雅大雅の詩をもって今に問う。

すなわち、「騶虞」の詩を見ては、狩りは農閑期、生き物は食べず。「駟鐵」の詩を見ては、黒毛の良馬をそろえる。

「車攻」の詩を見ては、串を堅固に準備する。「吉日」の詩を見ては、吉日を選ぶ。

礼儀担当の礼官が、行列の威儀を整えて、天子の行幸ははじめて出発する。

 

杏の花01(訳注) #7

若乃順時節而蒐狩,簡車徒以講武。

(狩りの準備) さて、四時の季節の推移のままに春は春の蒐()り、冬は冬の狩りを行い、車や兵卒をすぐり武を練る時になる。

時節 四時の狩りの季節。農閑期に狩りする。

蒐狩 「春の猟を蒐といい、夏を苗といい、秋を獮といい、冬を狩という」(『左伝』隠公五年)。『漢書』刑法志は『左伝』と同じ。『白虎通義』は、春は田といい、夏は苗といい、秋は蒐といい、冬は狩というとあり、冬を除けば、他の三つは一致しない。しかし『穀梁伝』の春を田、秋を蒐というのと同じ。

簡 優秀なものをえらぶ。

 

則必臨之以王制,考之以風雅。

すると、必ず王者の礼式を定めた王制をもって事にあたり、詩経に詠う国風や小雅大雅の詩をもって今に問う。

王制 『礼記』の王制篇。「天子諸侯、事無ければ歳に三たび田【かり】す。…事無くして田せざるを不敬といふ。田して礼に以らざるを天物を暴ふと日ふ」とある。不敬とは祭祀や賓客の礼を簡略にすること。前記『白虎通義』に狩猟の義を述べて、「上は宗廟に共へ、下は以て士衆を簡集するなり」とある(前項、本項の『白虎通義』の文は今本の『白虎通』にはない)。また獲物を取り尽くすのを禁ずるの外、狩りの順序として天子、諸侯、大夫そして最後に百姓という個に行うことなどを王制に述べて、狩りにも礼をふむことを求めている。

風雅 『詩経』の国風とそれに小雅の雅を合わせていう。

 

歷騶虞,覽駟鐵。

すなわち、「騶虞」の詩を見ては、狩りは農閑期、生き物は食べず。「駟鐵」の詩を見ては、黒毛の良馬をそろえる。

歴 視る。『爾雅釈詁」に「歴は相なり」、相は視るの意。

騶虞 国風召南の一篇。「蒐田(かり)するに時を以てし、仁なること騶虞の如し」(『毛詩』序)騶虞は生物を食わぬといわれる義獣)。

覽駟 秦風の一筋。秦の襄公が諸侯となって田猟した時の歌といわれる。「覽駟、孔だ阜なり」の句がある。鐵は深黒色の馬、くろこま

 

嘉車攻,采吉日。

「車攻」の詩を見ては、串を堅固に準備する。「吉日」の詩を見ては、吉日を選ぶ。

車攻 小雅の一簾。周の宣王が諸侯を東都に会し、田猟して車徒をえらんだ歌という。「我が車既に攻し」の句あり。

吉日 小雅の一筋。宣王の狩猟をはめた歌という。「吉日維れ戊」とあり。

 

禮官整儀,乘輿乃出。

礼儀担当の礼官が、行列の威儀を整えて、天子の行幸ははじめて出発する。

礼官 儀礼を掌る官。『周礼』春官に「礼官の属、太宗伯、卿一人」、『史記』儒林伝に「徐生、容を以て礼官大夫と為る」、『漢書』景帝紀に「礼官礼儀を具へて奏せよ」(詔)、また「西都の賦」に「礼官の甲科を総(す)ベ、百郡の廉孝を群む」とある。

整 『後漢書』は整を正に作る。

乗興 天子の車、または天子のこと。蔡邕の独断に「天子至尊にして、敢て渫瀆して之をはず。天子の車駕に大駕、法駕、小駕あり。大駕は則ち公卿奉引し、千乗万騎を備ふ。法駕は、公(卿)鹵簿中に在らず、唯執金吾奉引し、侍中驂乗す」とある。大駕、法篤の別を行列の大小によって分類するが、これに続く属車の数も一定していたわけではなく、三十六乗とも四十六乗ともいう。執金吾だけが奉引する場合もあるが、『後漢書』の輿服志には、「河南の平、執金吾と洛揚の令とが奉引し」そして「奉車郎は馬を御し、侍中は駿東(陪乗)す」とある。犬鷲、法駕も車の大小からいえば大略、六頭立ての車。

班孟堅(班固)《東都賦》(12)#6(奢りを避ける) 文選 賦<113―10>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1014 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3618

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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班孟堅(班固)《東都賦》(12)#6(奢りを避ける) 文選 賦<1131018分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1014 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3618

 

 

(12)#6(奢りを避ける)

於是皇城之,宮室光明,闕庭神麗。

(奢りをさける)このため宮城の内では、官室はくもりなく清らかにひかり輝き、宮殿のお庭は神々しきまでの美しさなれば、

奢不可踰,儉不能侈。

奢れるものは、礼をこえてまで贅沢できず、つづまやかなものは、いまさら派手にしたくともできない。

外則因原野以作苑,填流泉而為沼。

宮城の外では、外苑を作るにしても原野をそのまま利用し、沼を作るにしても流泉をそのまま利用する。

發蘋藻以潛魚,豐圃草以毓獸。

水草をしげらせて魚をひそませてやり、広大な畑に草を茂らせて獣をそだてる。

制同乎梁鄒,誼合乎靈囿。

その作り方は、古の天子の狩り場という「梁都」と同じょうにされ、その道理は、生きものが楽しんだという周の文王の霊園の心にぴたりと合う。

pla033 

 

(奢りを避ける)

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) #6

於是皇城之,宮室光明,闕庭神麗。

奢不可踰,儉不能侈。

外則因原野以作苑,填流泉而為沼。

發蘋藻以潛魚,豐圃草以毓獸。

制同乎梁鄒,誼合乎靈囿。

 

(下し文)

是に於て皇城の,宮室光明にして,闕庭神麗す。

奢も踰ゆ可からず,儉も侈【おご】る能わず。

外は則ち原野に因りて以って苑と作し,填流泉に【したが】って沼と為す。

蘋藻【ひんそう】を發して以って魚を潛め,圃草を豐かにして以て獸を毓【やしな】う。

制 梁鄒【りょうすう】に同じく,誼 靈囿に合【かな】えり。

 

 

(現代語訳)

(奢りをさける)このため宮城の内では、官室はくもりなく清らかにひかり輝き、宮殿のお庭は神々しきまでの美しさなれば、

奢れるものは、礼をこえてまで贅沢できず、つづまやかなものは、いまさら派手にしたくともできない。

宮城の外では、外苑を作るにしても原野をそのまま利用し、沼を作るにしても流泉をそのまま利用する。

水草をしげらせて魚をひそませてやり、広大な畑に草を茂らせて獣をそだてる。

その作り方は、古の天子の狩り場という「梁都」と同じょうにされ、その道理は、生きものが楽しんだという周の文王の霊園の心にぴたりと合う。

漢魏隋唐の洛陽城 

 

(訳注)

於是皇城之,宮室光明,闕庭神麗。

(奢りをさける)このため宮城の内では、官室はくもりなく清らかにひかり輝き、宮殿のお庭は神々しきまでの美しさなれば、

光明 光明正大の意をふくむ。誰が見ても隠すべきものがなく、くもりなく光り、清潔であり、礼法にかなうさま。

闕庭 闕は宮闕、宮殿。

 

奢不可踰,儉不能侈。

奢れるものは、礼をこえてまで贅沢できず、つづまやかなものは、いまさら派手にしたくともできない。

 

外則因原野以作苑,填流泉而為沼。

宮城の外では、外苑を作るにしても原野をそのまま利用し、沼を作るにしても流泉をそのまま利用する。

填 順の意。李善は「昭明(『文選』の作者)諱は順、故に改めて填と為す」という。

 

發蘋藻以潛魚,豐圃草以毓獸。

水草をしげらせて魚をひそませてやり、広大な畑に草を茂らせて獣をそだてる。

蘋藻 水草の名。『毛伝』に「蘋は大洴なり。藻は聚藻なり」という。

圃 李注では博の意とする。『韓詩』では圃草に作り、『後漢書』李賢注も同じであるが、『毛詩』の車攻篇には甫に作り、その伝に「甫は大なり」とある。

毓 育と同音同義。

 

制同乎梁鄒,誼合乎靈囿。

その作り方は、古の天子の狩り場という「梁都」と同じょうにされ、その道理は、生きものが楽しんだという周の文王の霊園の心にぴたりと合う。

梁鄒 魯詩伝に「古、梁鄒あり、梁都とは天子の田(猟)なり」。狩り場の名。

誼 義と同音同義。道理。

霊囿 周の文王の囿。囿は禽獣の類を養うところ。『毛詩』大雅の霊台篇に「王霊囿」に在り。麀鹿の伏す攸」とある。
珠櫻001 

班孟堅(班固)《東都賦》(11)#5(永平の治)-2 文選 賦<113―9>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1013 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3613

班固《東都賦》(11) 四方の諸侯を観察して巡狩され、万国の風俗の善悪を目のとどく限りご覧なされる。教化のおよぶ所を視察され、天子の明徳の光をはなたれ、それが幽遠の僻地まで照らしなさる。この後永平三年、周の旧制を増して、洛都を造営する。


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班孟堅(班固)《東都賦》(11)#5(永平の治)-2 文選 賦<113918分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1013 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3613

 

 

(10)#5-1

「至乎永平之際,重熙而累洽。

(永平の治) さて、第二代明帝が父帝の後をつぎ永平と号する年になると、天子の盛徳は重なり大いに光り、その恩沢はつもり広くうるおう。

盛三雍之上儀,脩袞龍之法服。

明堂・霊台・辟雍の三雍の御儀を盛大に行われ、天子は巻龍模様の大礼服を整えられる。

鋪鴻藻,信景鑠。

そこで大詔を述べて、先帝の美徳を宣揚する。

揚世廟,正雅樂。

光武の廟位を高くして世祖と尊号を奉り、雅楽を正して大予楽と改める。

人神之和允洽,群臣之序既肅。

祭主の明帝も光武帝の霊も相和合しうちやわらぎ、群臣の序列もすでに失礼なきよう整っている。

乃動大輅,遵皇衢。

そこで十月長安に向け、天子は車駕を進められ、行幸道路ぞいに走る。

 

(11)#5-2

省方巡狩,躬覽萬國之有無。

四方の諸侯を観察して巡狩され、万国の風俗の善悪を目のとどく限りご覧なされる。

考聲教之所被,散皇明以瀦幽。

教化のおよぶ所を視察され、天子の明徳の光をはなたれ、それが幽遠の僻地まで照らしなさる。

然後增周舊,脩洛邑。

この後永平三年、周の旧制を増して、洛都を造営する。

扇巍巍,顯翼翼。

宮殿楼門は高大の上に羽を高大に、またその規模も目立つが上にも目立つように建てられている。

光漢京于諸夏,總八方而為之極。

漢のみやこを中華にかがやかし、天下の四方の果てはもとより四隅のかたすみ、八方まで掌握し、洛陽をその中心となされた。

 

「永平の際に至りて,重熙【ちょうき】累洽【るいこう】す。

三雍の上儀をに盛にし,袞龍の法服を脩む。

鴻藻【こうそう】を鋪【し】き,景鑠【けいしゃく】を信【の】べ。

世廟【せいびょう】を揚げ,雅樂【ががく】を正す。

人神の和 允【まこと】に洽【あまね】く,群臣の序 既に肅【つつし】む。

乃ち大輅【たいろ】を動かし,皇衢【こうく】に遵【したが】う。

 

方を省みて巡狩し,萬國の有無を躬覽【きゅうらん】す。

聲教の被むる所を考え,皇明を散じて以て幽を瀦【てら】す。

然る後 周の舊を增して,洛邑を脩む。

巍巍【ぎぎ】たるを扇し,翼翼たるを顯【あらわ】す。

漢京を諸夏に光【かがや】かし,八方を總て之が極と為す。

 

DCF00048 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (11) #5-2

省方巡狩,躬覽萬國之有無。

考聲教之所被,散皇明以瀦幽。

然後增周舊,脩洛邑。

扇巍巍,顯翼翼。

光漢京于諸夏,總八方而為之極。

 

(下し文)

方を省みて巡狩し,萬國の有無を躬覽【きゅうらん】す。

聲教の被むる所を考え,皇明を散じて以て幽を瀦【てら】す。

然る後 周の舊を增して,洛邑を脩む。

巍巍【ぎぎ】たるを扇し,翼翼たるを顯【あらわ】す。

漢京を諸夏に光【かがや】かし,八方を總て之が極と為す。

 

(現代語訳)

四方の諸侯を観察して巡狩され、万国の風俗の善悪を目のとどく限りご覧なされる。

教化のおよぶ所を視察され、天子の明徳の光をはなたれ、それが幽遠の僻地まで照らしなさる。

この後永平三年、周の旧制を増して、洛都を造営する。

宮殿楼門は高大の上に羽を高大に、またその規模も目立つが上にも目立つように建てられている。

漢のみやこを中華にかがやかし、天下の四方の果てはもとより四隅のかたすみ、八方まで掌握し、洛陽をその中心となされた。

 

(訳注) #5-2

省方巡狩,躬覽萬國之有無。

四方の諸侯を観察して巡狩され、万国の風俗の善悪を目のとどく限りご覧なされる。

方 四方。                    

狩 牧民の意。

躬覽 一本には「窮」に作る。

万国之有無 李善注は万国の風俗の善悪とする。また李周翰は万国の土物の有無とす。

 

考聲教之所被,散皇明以瀦幽。

教化のおよぶ所を視察され、天子の明徳の光をはなたれ、それが幽遠の僻地まで照らしなさる。

瀦幽 幽遠の僻地。瀦:(1) (水が)たまる.(2) 水たまり.

 

然後增周舊,脩洛邑。

この後永平三年、周の旧制を増して、洛都を造営する。

周旧 周の成王の時の洛邑。西暦60年永平三年、北宮・諸官府を起こす(明帝紀)。

 

扇巍巍,顯翼翼。

宮殿楼門は高大の上に羽を高大に、またその規模も目立つが上にも目立つように建てられている。

扇巍巍,顯翼翼 『後漢書』は「翩翩巍巍,顕顕翼翼」に作る。大意同じ。巍巍は高大、翼翼は法度あること。建築を増修したさまをいう。扇は揚げる意。

 

光漢京于諸夏,總八方而為之極。

漢のみやこを中華にかがやかし、天下の四方の果てはもとより四隅のかたすみ、八方まで掌握し、洛陽をその中心となされた。

諸夏 夏は華であり、中華である。

極 国土の中心の意。
茶苑 

班孟堅(班固)《東都賦》(10)#5(永平の治)-1 文選 賦<113―8>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1012 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3608

班固《東都賦》(10) 明堂・霊台・辟雍の三雍の御儀を盛大に行われ、天子は巻龍模様の大礼服を整えられる。そこで大詔を述べて、先帝の美徳を宣揚する。光武の廟位を高くして世祖と尊号を奉り、雅楽を正して大予楽と改める。祭主の明帝も光武帝の霊も相和合しうちやわらぎ、群臣の序列もすでに失礼なきよう整っている。そこで十月長安に向け、天子は車駕を進められ、行幸道路ぞいに走る。


2014年1月17日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(10)#5(永平の治)-1 文選 賦<113―8>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1012 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3608
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《初南食貽元十八協律 》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <925>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3609韓愈詩-238-3
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 746廣徳2年764年―3-5 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <656>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3610 杜甫詩1000-656-916/1500746-5
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 257 《秋懐詩十一首之七(7)》韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3611 (01/17)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -3 浣渓沙 三首 其三 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-413-11-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3612
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

班孟堅(班固)《東都賦》(10)#5(永平の治)-1 文選 賦<113818分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1012 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3608

 

 

(10)#5-1

「至乎永平之際,重熙而累洽。

(永平の治) さて、第二代明帝が父帝の後をつぎ永平と号する年になると、天子の盛徳は重なり大いに光り、その恩沢はつもり広くうるおう。

盛三雍之上儀,脩袞龍之法服。

明堂・霊台・辟雍の三雍の御儀を盛大に行われ、天子は巻龍模様の大礼服を整えられる。

鋪鴻藻,信景鑠。

そこで大詔を述べて、先帝の美徳を宣揚する。

揚世廟,正雅樂。

光武の廟位を高くして世祖と尊号を奉り、雅楽を正して大予楽と改める。

人神之和允洽,群臣之序既肅。

祭主の明帝も光武帝の霊も相和合しうちやわらぎ、群臣の序列もすでに失礼なきよう整っている。

乃動大輅,遵皇衢。

そこで十月長安に向け、天子は車駕を進められ、行幸道路ぞいに走る。

 

(11)#5-2

省方巡狩,躬覽萬國之有無。

考聲教之所被,散皇明以瀦幽。

然後增周舊,脩洛邑。

扇巍巍,顯翼翼。

光漢京于諸夏,總八方而為之極。

 

「永平の際に至りて,重熙【ちょうき】累洽【るいこう】す。

三雍の上儀をに盛にし,袞龍の法服を脩む。

鴻藻【こうそう】を鋪【し】き,景鑠【けいしゃく】を信【の】べ。

世廟【せいびょう】を揚げ,雅樂【ががく】を正す。

人神の和 允【まこと】に洽【あまね】く,群臣の序 既に肅【つつし】む。

乃ち大輅【たいろ】を動かし,皇衢【こうく】に遵【したが】う。

 

方を省みて巡狩し,萬國の有無を躬覽【きゅうらん】す。

聲教の被むる所を考え,皇明を散じて以て幽を瀦【てら】す。

然る後 周の舊を增して,洛邑を脩む。

巍巍【ぎぎ】たるを扇し,翼翼たるを顯【あらわ】す。

漢京を諸夏に光【かがや】かし,八方を總て之が極と為す。

 

漢魏隋唐の洛陽城 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (10)#5-1

「至乎永平之際,重熙而累洽。

盛三雍之上儀,脩袞龍之法服。

鋪鴻藻,信景鑠。

揚世廟,正雅樂。

人神之和允洽,群臣之序既肅。

乃動大輅,遵皇衢。

 

(下し文) (10)#5-1

「永平の際に至りて,重熙【ちょうき】累洽【るいこう】す。

三雍の上儀をに盛にし,袞龍の法服を脩む。

鴻藻【こうそう】を鋪【し】き,景鑠【けいしゃく】を信【の】べ。

世廟【せいびょう】を揚げ,雅樂【ががく】を正す。

人神の和 允【まこと】に洽【あまね】く,群臣の序 既に肅【つつし】む。

乃ち大輅【たいろ】を動かし,皇衢【こうく】に遵【したが】う。

 

(現代語訳)

(永平の治) さて、第二代明帝が父帝の後をつぎ永平と号する年になると、天子の盛徳は重なり大いに光り、その恩沢はつもり広くうるおう。

明堂・霊台・辟雍の三雍の御儀を盛大に行われ、天子は巻龍模様の大礼服を整えられる。

そこで大詔を述べて、先帝の美徳を宣揚する。

光武の廟位を高くして世祖と尊号を奉り、雅楽を正して大予楽と改める。

祭主の明帝も光武帝の霊も相和合しうちやわらぎ、群臣の序列もすでに失礼なきよう整っている。

そこで十月長安に向け、天子は車駕を進められ、行幸道路ぞいに走る。

 

唐時代 韓愈関連01 

(訳注) (10)#5-1

「至乎永平之際,重熙而累洽。

(永平の治) さて、第二代明帝が父帝の後をつぎ永平と号する年になると、天子の盛徳は重なり大いに光り、その恩沢はつもり広くうるおう。

重熙而累洽 (盛徳)を重ね、治(恩沢)を累(つ)む。天子の盛徳は重なり大いに光り、その恩沢はつもり広くうるおう。

 

盛三雍之上儀,脩袞龍之法服。

明堂・霊台・辟雍の三雍の御儀を盛大に行われ、天子は巻龍模様の大礼服を整えられる。

三雍 辟雍(天子の設けた大学)・明堂(先帝を祭る所)・霊台(天の気を観測する所)。天地、君臣、人民が皆和らぐという意味。西暦59年永平二年正月、光武帝を明堂に祭り、終わって霊台にのぼり気の変化をうかがい、三月辟雍で大射の礼を行う。

褒龍 巻龍紋様のある天子の礼服。この時、公卿百官の冠や服装の制もきまった。

 

鋪鴻藻,信景鑠。

そこで大詔を述べて、先帝の美徳を宣揚する。

鋪鴻藻 大いなる文藻をつらねのべる。詔書を換発すること。

信景轢 大いなる美を申(の)べること。光武の美点を詔書の中に記す。「先帝辟乱反正し以て天下を寧んず。泰山に封し、明堂を建て、辟舞を立て、起雲台を起し、大道を恢弘し、之を八極に被らしむ。而るに胤子成康の質なし。……」(明確紀)。

 

揚世廟,正雅樂。

光武の廟位を高くして世祖と尊号を奉り、雅楽を正して大予楽と改める。

揚世廟 光武の廟を尊び、世祖と号したことをいう。世祖は一世の祖という意。武帝を世宗というも、一世の宗の意。祖は功あるにいい、宗は徳あるにいう。光武は中興の功あるによる。

正雅楽 詔して郊廟の楽を改めて大予楽とす。『後漢書』予に作る。

 

人神之和允洽,群臣之序既肅。

祭主の明帝も光武帝の霊も相和合しうちやわらぎ、群臣の序列もすでに失礼なきよう整っている。

人神 祭主の明帝、光武帝の霊のこと

允洽 心底からなれあってうちとける。相和合すと同じ。

羣臣 『後漢書』は君臣に作る。百官。

 

乃動大輅,遵皇衢。

そこで十月長安に向け、天子は車駕を進められ、行幸道路ぞいに走る。

大輅 大路とも書く。天子の車をいう。「永平二年十月西に巡狩し、長安に幸し、高廟を祠る。」(明帝紀)。
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班孟堅(班固)《東都賦》(9)#4(知徳兼備の光武帝)-3 文選 賦<113―7>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1011 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3603

班固《東都賦》(9) 法制を守り、古礼に考えて、泰山で天を祭り、天下統一の成功を石に刻まれたことは、世宗武帝にまさるかがやかしい盛儀です。六経を案じ考えて、徳のほどを考え、遠く古制にのっとって帝業を天に告げられたことは、徳と知との仁聖の二つのものが兼ねそなわり、帝王の道に欠けたところが一つもないのです。


2014年1月16日 の紀頌之5つのブログ
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班孟堅(班固)《東都賦》(9)#4(知徳兼備の光武帝)-3 文選 賦<113718分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1011 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3603

 

 

(知徳兼備の光武帝)

 (7)#4-1

且夫建武之元,天地革命

(知徳兼備の光武帝) そもそも建武元年、天地は命を改めて世は変わった。

四海之,更造夫婦,肇有父子。

四海の内は、あらたに夫婦の道がたち、父子の道がはじまる。

君臣初建,人倫寔始。

はじめて君臣において上下の関係ができあがり、人倫の秩序が立つようにされた。

斯乃伏犧氏之所以基皇德也。。

このことは、古の伏犠氏が至高無上の人倫を基本にした所以です。

分州土,立市朝,

原野を区画し九州に分け、市場を立て、
作舟輿,造器械,

舟車を作り、器械を造られた。

斯乃軒轅氏之所以開帝功也。

このことは、古の軒轅氏黄帝が帝業を開いた所以です。

 

龔行天罰,應天順人,斯乃湯武之所以昭王業也。

かしこみて天の罰を行い、天に応じ人に順われた。このことは、殿の湯玉、周の武王が王業を明示された所以です。

遷都改邑,有殷宗中興之則焉;

都邑を洛陽に移されたのは、殷の盤庚が河北より河南に遷都して祖先の湯玉の古都に都し、殷の中興をはかった前例が則となる。

即土之中,有周成隆平之制焉。

国土の中央洛陽に都を建設されたのは、周の成王が洛陽に都し太平を招いた先例が法となる。

不階尺土一人之柄,同符乎高祖。

一尺の土、一人の力にもたよらないで、身を起こして天子の位に上ったのは、西漢の高祖と全く同じです。

克己復禮,以奉終始,允恭乎孝文。

私欲を抑えて礼法をふみ、生者死者に人の道を尽くされたのは、まことに父帝高祖に尽くした文帝よりも、深い恭敬の色があったからです。

憲章稽古,封岱勒成,儀炳乎世宗。

法制を守り、古礼に考えて、泰山で天を祭り、天下統一の成功を石に刻まれたことは、世宗武帝にまさるかがやかしい盛儀です。

案六經而校德,眇古昔而論功,

六経を案じ考えて、徳のほどを考え、遠く古制にのっとって帝業を天に告げられたことは、

仁聖之事既該,而帝王之道備矣。

徳と知との仁聖の二つのものが兼ねそなわり、帝王の道に欠けたところが一つもないのです。

 

 

且つ夫れ建武の元【はじめ】,天地 命を革【あらた】む

四海の,更に夫婦を造し,肇めて父子有る。

君臣 初めに建ち,人倫 寔【ここ】に始まる。

斯れ乃ち伏犧【ふくぎ】氏の皇德を基とする所以【ゆえん】也。

州土を分ち,市朝を立つ,

舟輿【しゅうよ】を作り,器械を造る,

斯れ乃ち軒轅【けんえん】氏の帝功を開ける所以【ゆえん】也。

 

龔【つつし】んで天罰を行い,天に應じ人に順う,斯れ乃ち湯武の王業を昭【あきら】かにする所以【ゆえん】也。

都を遷し邑を改めしは,殷宗【いんそう】中興の則に有り;

即土の中に【つ】けるは,周成 隆平の制有り。

尺土一人の柄【へい】に階【よ】らざるは,符を高祖にじう同す。

 

己に克ち禮を復【ふく】み,以って終始に奉ぜしは,允に孝文より恭む。

憲章稽古し,岱を封じ成を勒せしは,儀 世宗より炳【かがや】く。

六經を案じて德を校【かんが】え,古昔【こせき】を眇【はる】かにして功を論ぜしは,

仁聖の事既に該【そな】わり,帝王の道備【そなわ】れり。」

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(7)#4(知徳兼備の光武帝)-3

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文)

克己復禮,以奉終始,允恭乎孝文。

憲章稽古,封岱勒成,儀炳乎世宗。

案六經而校德,眇古昔而論功,

仁聖之事既該,而帝王之道備矣。

 

(下し文)

己に克ち禮を復【ふく】み,以って終始に奉ぜしは,允に孝文より恭む。

憲章稽古し,岱を封じ成を勒せしは,儀 世宗より炳【かがや】く。

六經を案じて德を校【かんが】え,古昔【こせき】を眇【はる】かにして功を論ぜしは,

仁聖の事既に該【そな】わり,帝王の道備【そなわ】れり。」

 

(現代語訳)

私欲を抑えて礼法をふみ、生者死者に人の道を尽くされたのは、まことに父帝高祖に尽くした文帝よりも、深い恭敬の色があったからです。

法制を守り、古礼に考えて、泰山で天を祭り、天下統一の成功を石に刻まれたことは、世宗武帝にまさるかがやかしい盛儀です。

六経を案じ考えて、徳のほどを考え、遠く古制にのっとって帝業を天に告げられたことは、

徳と知との仁聖の二つのものが兼ねそなわり、帝王の道に欠けたところが一つもないのです。

 

 

(訳注)

克己復禮,以奉終始,允恭乎孝文。

私欲を抑えて礼法をふみ、生者死者に人の道を尽くされたのは、まことに父帝高祖に尽くした文帝よりも、深い恭敬の色があったからです。

克己復礼 「克己復礼を仁となす」(『論語、顔淵篇』)、仁とは寛容で秩序にしたがうこと。顔淵問仁。 (子曰)「克己復礼為仁」儒教で説く5つの徳目を五常または五徳といい、仁・義・礼・智・信を指す。三綱(君臣・父子・夫婦間の道徳)とあわせ、「三綱五常」とする。

終始 「生は人の始めなり。死は人の終りなり。終始供に善くして、人の道畢(聴)る」(『荀子』礼論)。

孝文 西漢の文帝。高祖の子。文帝は宗廟を守り、先帝の宮室を始め車騎・苑囿に至るまで増設を許さず、民生の利をはかり、また兄弟の諸王、臣下にも寛大であり、商業より農業を基本においた。異民族に対しても、匈奴とは友好関係を結び、南越にも徳化政策をとり、兵を動かすにも控え目であった。刑罰も死罪を少なくすることに努め、要するに民生の休養と秩序と礼儀の確立を期した。それが仁でもあり死者生者に対する人らしい道を尽くしたことに当たる (『漢書』文帝紀)。

 

憲章稽古,封岱勒成,儀炳乎世宗。

法制を守り、古礼に考えて、泰山で天を祭り、天下統一の成功を石に刻まれたことは、世宗武帝にまさるかがやかしい盛儀です。

憲章 法制を守る。

稽古 いにしえの道を考える。

対岱 東嶽泰山に封禅の礼を行う。天地山川の神を祭る。封は土もりする。

位宗 西漢の武帝。

 

案六經而校德,眇古昔而論功,

六経を案じ考えて、徳のほどを考え、遠く古制にのっとって帝業を天に告げられたことは、

六經 儒教で基本経典とされる詩經、書經、易經、禮經、樂經、春秋經で、楽經を除いて五経とする。

校德 徳のほどを考える。

 

仁聖之事既該,而帝王之道備矣。」

徳と知との仁聖の二つのものが兼ねそなわり、帝王の道に欠けたところが一つもないのです。

仁聖 最高の徳と知。末曾有の戦乱をたてなおすためには、秩序の確立、民生の安定が必要であった。寛容(仁)もそのための政策であり、聡明で事態の予見に長ずることは、後世の繁栄を導く。
唐時代 韓愈関連01 



















東都賦 (1)1-1

東都主人喟然而歎曰:

「痛乎風俗之移人也!

子實秦人,矜夸館室,保界河山,

信識昭襄而知始皇矣,烏睹大漢之云為乎?

夫大漢之開元也,奮布衣以登皇位,

由數期而創萬代,

蓋六籍所不能談,前聖靡得言焉。

 

 (2)1-2

當此之時,功有橫而當天,討有逆而順民。

故婁敬度勢而獻其,蕭公權宜而拓其制。

時豈泰而安之哉?計不得以已也。

吾子曾不是睹,顧曜後嗣之末造,不亦暗乎。

今將語子以建武之治,永平之事。

監于太清,以變子之惑志。」

 

 

(3)2-1

「往者王莽作逆,漢祚中缺。

天人致誅,六合相滅。

于時之亂,生人幾亡,鬼神泯

壑無完柩,郛罔遺室。

 

(4)#2-2

原野厭人之肉,川谷流人之血。

秦項之災猶不克半,書契以來未之或紀。

故下人號而上訴,上帝懷而降監。

乃致命乎聖皇。

 

(5)3-1

於是聖皇乃握乾符,闡坤珍。

披皇圖,稽帝文。

赫然發憤,應若興雲。

霆擊昆陽,憑怒雷震。

遂超大河,跨北嶽。

立號高邑,建都河洛。

紹百王之荒屯,因造化之盪滌。

 

(6)3-2

體元立制,繼天而作。

系唐統,接漢緒。

茂育群生,恢復疆宇。

勳兼乎在昔,事勤乎三五。

豈特方軌並跡,紛綸后辟,

治近古之所務,蹈一聖之險易云爾哉?

 

 

(7)#4-1

且夫建武之元,天地革命

四海之,更造夫婦,肇有父子。

君臣初建,人倫寔始。

斯乃伏犧氏之所以基皇德也。。

分州土,立市朝,

作舟輿,造器械,

斯乃軒轅氏之所以開帝功也。

(8)

龔行天罰,應天順人,斯乃湯武之所以昭王業也。

遷都改邑,有殷宗中興之則焉;

即土之中,有周成隆平之制焉。

不階尺土一人之柄,同符乎高祖。

(9)

克己復禮,以奉終始,允恭乎孝文。

憲章稽古,封岱勒成,儀炳乎世宗。

案六經而校德,眇古昔而論功,

仁聖之事既該,而帝王之道備矣。

 

 

#5

「至乎永平之際,重熙而累洽。盛三雍之上儀,脩袞龍之法服。鋪鴻藻,信景鑠。揚世廟,正雅樂。人神之和允洽,群臣之序既肅。乃動大輅,遵皇衢。省方巡狩,躬覽萬國之有無。考聲教之所被,散皇明以瀦幽。然後增周舊,脩洛邑。扇巍巍,顯翼翼。光漢京于諸夏,總八方而為之極。

 

#6

於是皇城之,宮室光明,闕庭神麗。奢不可踰,儉不能侈。外則因原野以作苑,填流泉而為沼。發蘋藻以潛魚,豐圃草以毓獸。制同乎梁鄒,誼合乎靈囿。

 

#7

若乃順時節而蒐狩,簡車徒以講武。則必臨之以王制,考之以風雅。歷騶虞,覽駟鐵。嘉車攻,采吉日。禮官整儀,乘輿乃出。

 

#8

於是發鯨魚,鏗華鐘。登玉輅,乘時龍。鳳蓋棽麗,龢鑾玲瓏。天官景從,寢威盛容。山靈護野,屬御方神。雨師汎灑,風伯清塵。千乘雷起,萬騎紛紜。元戎竟野,戈鋋彗雲。羽旄掃霓,旌旗拂天。焱焱炎炎,揚光飛文。吐爓生風,山。日月為之奪明,丘陵為之搖震。

 

#9

遂集乎中囿,陳師按屯。駢部曲,列校隊。勒三軍,誓將帥。然後舉烽伐鼓,申令三驅。輶車霆激,驍騎電騖。由基發射,范氏施御。弦不睼禽,轡不詭遇。飛者未及翔,走者未及去。指顧倏忽,獲車已實。樂不極盤,殺不盡物。馬踠餘足,士怒未。先驅復路,屬車案節。

 

10

於是薦三犧,效五牲。禮神祇,懷百靈。覲明堂,臨辟雍。揚緝熙,宣皇風。登靈臺,考休徵。俯仰乎乾坤,參象乎聖躬。目中夏而布德,瞰四裔而抗稜。西盪河源,東澹海漘。北動幽崖,南燿朱垠。殊方別區,界而不鄰。自孝武之所不征,孝宣之所未臣。莫不陸讋水慄,奔走而來賓。遂綏哀牢,開永昌。春王三朝,會同漢京。

 

11

是日也,天子受四海之圖籍,膺萬國之貢珍。撫諸夏,外綏百蠻。爾乃盛禮興樂,供帳置乎雲龍之庭。陳百寮而贊群后,究皇儀而展帝容。於是庭實千品,旨酒萬鍾。列金罍,班玉觴。嘉珍御,太牢饗。爾乃食舉雍徹,太師奏樂。陳金石,布絲竹。鐘鼓鏗鍧,管絃燁煜。抗五聲,極六律。歌九功,舞八佾。韶武備,泰古畢。四夷間奏,德廣所及。僸佅兜離,罔不具集。萬樂備,百禮。皇歡浹,群臣醉。降煙熅,調元氣。然後撞鐘告罷,百寮遂退。」

 

12

「於是聖上睹萬方之歡,又沐浴於膏澤,懼其侈心之將萌,而怠於東作也,乃申舊章,下明詔。命有司,班憲度。昭節儉,示太素。去後宮之麗飾,損乘輿之服御。抑工商之淫業,興農桑之盛務。遂令海棄末而反本,背偽而歸真。女脩織紝,男務耕耘。器用陶匏,服尚素玄。恥纖靡而不服,賤奇麗而弗珍。捐金於山,沈珠於淵。

 

13

於是百姓滌瑕盪穢,而鏡至清。形神寂漠,耳目弗營。嗜欲之源滅,廉恥之心生。莫不優游而自得,玉潤而金聲。是以四海以,學校如林,庠序盈門。獻酬交錯,俎豆莘莘。下舞上歌,蹈德詠仁。登降飫宴之禮既畢,因相與嗟歎玄德,讜言弘。咸含和而吐氣,頌曰:盛哉乎斯世!」

 

14

「今論者但知誦虞夏之書,詠殷周之詩。講羲文之易,論孔氏之春秋。罕能精古今之清濁,究漢德之所由。唯子頗識舊典,又徒馳騁乎末流。溫故知新已難,而知德者鮮矣!且夫僻界西戎,險阻四塞,脩其防禦。孰與處乎土中,平夷洞達,萬方輻湊?秦嶺九嵕,涇渭之川。曷若四瀆五嶽,帶河泝洛,圖書之淵?建章甘泉,館御列仙。孰與靈臺明堂,統和天人?太液昆明,鳥獸之囿。曷若辟雍海流,道德之富?游俠踰侈,犯義侵禮。孰與同履法度,翼翼濟濟也?子徒習秦阿房之造天,而不知京洛之有制也;識函谷之可關,而不知王者之無外也。」

 

15

主人之辭未終,西都賓矍然失容。逡巡降階,然意下,捧手欲辭。主人曰:「復位,今將授子以五篇之詩。」賓既卒業,乃稱曰:「美哉乎斯詩!義正乎楊雄,事實乎相如。匪唯主人之好學,蓋乃遭遇乎斯時也。小子狂簡,不知所裁。既聞正道,請終身而誦之。」其詩曰:

 

16

明堂詩

於昭明堂,明堂孔陽。

聖皇宗祀,穆穆煌煌。

上帝宴饗,五位時序。

誰其配之,世祖光武。

普天率土,各以其職。

猗歟緝熙,允懷多福。

 

17

辟雍詩

乃流辟雍,辟雍湯湯。

聖皇蒞止,造舟為梁。

皤皤國老,乃父乃兄。

抑抑威儀,孝友光明。

於赫太上,示我漢行。

洪化惟神,永觀厥成。

 

18

靈臺詩

乃經靈臺,靈臺既崇。

帝勤時登,爰考休徵。

三光宣精,五行布序。

習習祥風,祁祁甘雨。

百穀蓁蓁,庶草蕃廡。

屢惟豊年,於皇樂胥。

 

19

寶鼎詩

嶽脩貢兮川效珍,吐金景兮歊浮雲。

寶鼎見兮色紛縕。煥其炳兮被龍文。

登祖廟兮享聖神。昭靈德兮彌億年。

 

20

白雉詩

靈篇兮披瑞圖,獲白雉兮效素烏。

嘉祥阜兮集皇都。

發皓羽兮奮翹英,容絜朗兮於純精。

彰皇德兮侔周成。永延長兮膺天慶。 

班孟堅(班固)《東都賦》(8)#4(知徳兼備の光武帝)-2 文選 賦<113―6>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1010 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3598

班固《東都賦》(8) 都邑を洛陽に移されたのは、殷の盤庚が河北より河南に遷都して祖先の湯玉の古都に都し、殷の中興をはかった前例が則となる。国土の中央洛陽に都を建設されたのは、周の成王が洛陽に都し太平を招いた先例が法となる。一尺の土、一人の力にもたよらないで、身を起こして天子の位に上ったのは、西漢の高祖と全く同じです。


2014年1月15日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(8)#4(知徳兼備の光武帝)-2 文選 賦<113―6>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1010 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3598
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《初南食貽元十八協律》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <923>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3599韓愈詩-238-1
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 746廣徳2年764年―3-3 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <654>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3600 杜甫詩1000-654-914/1500746-3
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 255 《秋懐詩十一首之五(5)》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3601 (01/15)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -1 浣渓沙 三首 其一 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-411-11-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3602
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

班孟堅(班固)《東都賦》(8)#4(知徳兼備の光武帝)-2 文選 賦<113618分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1010 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3598

 

 

(知徳兼備の光武帝)

 (7)#4-1

且夫建武之元,天地革命

(知徳兼備の光武帝) そもそも建武元年、天地は命を改めて世は変わった。

四海之,更造夫婦,肇有父子。

四海の内は、あらたに夫婦の道がたち、父子の道がはじまる。

君臣初建,人倫寔始。

はじめて君臣において上下の関係ができあがり、人倫の秩序が立つようにされた。

斯乃伏犧氏之所以基皇德也。。

このことは、古の伏犠氏が至高無上の人倫を基本にした所以です。

分州土,立市朝,

原野を区画し九州に分け、市場を立て、
作舟輿,造器械,

舟車を作り、器械を造られた。

斯乃軒轅氏之所以開帝功也。

このことは、古の軒轅氏黄帝が帝業を開いた所以です。

 

龔行天罰,應天順人,斯乃湯武之所以昭王業也。

かしこみて天の罰を行い、天に応じ人に順われた。このことは、殿の湯玉、周の武王が王業を明示された所以です。

遷都改邑,有殷宗中興之則焉;

都邑を洛陽に移されたのは、殷の盤庚が河北より河南に遷都して祖先の湯玉の古都に都し、殷の中興をはかった前例が則となる。

即土之中,有周成隆平之制焉。

国土の中央洛陽に都を建設されたのは、周の成王が洛陽に都し太平を招いた先例が法となる。

不階尺土一人之柄,同符乎高祖。

一尺の土、一人の力にもたよらないで、身を起こして天子の位に上ったのは、西漢の高祖と全く同じです。

 

克己復禮,以奉終始,允恭乎孝文。

憲章稽古,封岱勒成,儀炳乎世宗。

案六經而校德,眇古昔而論功,

仁聖之事既該,而帝王之道備矣。」

 

且つ夫れ建武の元【はじめ】,天地 命を革【あらた】む

四海の,更に夫婦を造し,肇めて父子有る。

君臣 初めに建ち,人倫 寔【ここ】に始まる。

斯れ乃ち伏犧【ふくぎ】氏の皇德を基とする所以【ゆえん】也。

州土を分ち,市朝を立つ,

舟輿【しゅうよ】を作り,器械を造る,

斯れ乃ち軒轅【けんえん】氏の帝功を開ける所以【ゆえん】也。

 

龔【つつし】んで天罰を行い,天に應じ人に順う,斯れ乃ち湯武の王業を昭【あきら】かにする所以【ゆえん】也。

都を遷し邑を改めしは,殷宗【いんそう】中興の則に有り;

即土の中に【つ】けるは,周成 隆平の制有り。

尺土一人の柄【へい】に階【よ】らざるは,符を高祖にじう同す。

 

己に克ち禮を復【ふく】み,以って終始に奉ぜしは,允に孝文より恭む。

憲章稽古し,岱を封じ成を勒せしは,儀 世宗より炳【かがや】く。

六經を案じて德を校【かんが】え,古昔【こせき】を眇【はる】かにして功を論ぜしは,

仁聖の事既に該【そな】わり,帝王の道備【そなわ】れり。」

杜甫乱前後の図001奉先 

 

(7)#4(知徳兼備の光武帝)-2

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文)

龔行天罰,應天順人,斯乃湯武之所以昭王業也。

遷都改邑,有殷宗中興之則焉;

即土之中,有周成隆平之制焉。

不階尺土一人之柄,同符乎高祖。

 

(下し文)

龔【つつし】んで天罰を行い,天に應じ人に順う,斯れ乃ち湯武の王業を昭【あきら】かにする所以【ゆえん】也。

都を遷し邑を改めしは,殷宗【いんそう】中興の則に有り;

即土の中に【つ】けるは,周成 隆平の制有り。

尺土一人の柄【へい】に階【よ】らざるは,符を高祖にじう同す。

 

(現代語訳)

かしこみて天の罰を行い、天に応じ人に順われた。このことは、殿の湯玉、周の武王が王業を明示された所以です。

都邑を洛陽に移されたのは、殷の盤庚が河北より河南に遷都して祖先の湯玉の古都に都し、殷の中興をはかった前例が則となる。

国土の中央洛陽に都を建設されたのは、周の成王が洛陽に都し太平を招いた先例が法となる。

一尺の土、一人の力にもたよらないで、身を起こして天子の位に上ったのは、西漢の高祖と全く同じです。

漢魏隋唐の洛陽城 

(訳注)

龔行天罰,應天順人,斯乃湯武之所以昭王業也。

かしこみて天の罰を行い、天に応じ人に順われた。このことは、殿の湯玉、周の武王が王業を明示された所以です。

 恭。つつしむ、それが顔や手足などにあらわれるさま。

 

遷都改邑,有殷宗中興之則焉;

都邑を洛陽に移されたのは、殷の盤庚が河北より河南に遷都して祖先の湯玉の古都に都し、殷の中興をはかった前例が則となる。

殷宗中興 「盤庚河を渡りて南し、復た成湯の故都に居り、成湯の政を行ひ、然る後般復た興れり」 (『史記』般本紀)。

 

即土之中,有周成隆平之制焉。

国土の中央洛陽に都を建設されたのは、周の成王が洛陽に都し太平を招いた先例が法となる。

土之中 地勢を土圭で測量し、都邑の正しい位置(中)を定める。土中が洛陽の都というわけである。

周成 周の成王。成壬は豊の邑(隣西省)から洛陽に都を営み、召話、洛論の二篇を作る。隆平は中興と大意同じ。

 

不階尺土一人之柄,同符乎高祖。

一尺の土、一人の力にもたよらないで、身を起こして天子の位に上ったのは、西漢の高祖と全く同じです。

階 困る。
DCF00048 

班孟堅(班固)《東都賦》(7)#4(知徳兼備の光武帝)-1 文選 賦<113―5>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1009 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3593

班固《東都賦》(7) そもそも建武元年、天地は命を改めて世は変わった。四海の内は、あらたに夫婦の道がたち、父子の道がはじまる。はじめて君臣において上下の関係ができあがり、人倫の秩序が立つようにされた。このことは、古の伏犠氏が至高無上の人倫を基本にした所以です。舟車を作り、器械を造られた。このことは、古の軒轅氏黄帝が帝業を開いた所以です。


2014年1月14日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(7)#4(知徳兼備の光武帝)-1 文選 賦<113―5>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1009 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3593
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《贈別元十八協律,六首之六》115韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <922>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3594韓愈詩-237
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 746廣徳2年764年―3-2 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <653>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3595 杜甫詩1000-653-913/1500746-2
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 254 《秋懐詩十一首之四(4)》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3596 (01/14)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 8 -11 酒泉子一首 毛文錫【もうぶんせき】ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-410-8-#11  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3597
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

班孟堅(班固)《東都賦》(7)#4(知徳兼備の光武帝)-1 文選 賦<113518分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1009 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3593    

 

 

(知徳兼備の光武帝)

 (7)#4-1

且夫建武之元,天地革命

(知徳兼備の光武帝) そもそも建武元年、天地は命を改めて世は変わった。

四海之,更造夫婦,肇有父子。

四海の内は、あらたに夫婦の道がたち、父子の道がはじまる。

君臣初建,人倫寔始。

はじめて君臣において上下の関係ができあがり、人倫の秩序が立つようにされた。

斯乃伏犧氏之所以基皇德也。。

このことは、古の伏犠氏が至高無上の人倫を基本にした所以です。

分州土,立市朝,

原野を区画し九州に分け、市場を立て、
作舟輿,造器械,

舟車を作り、器械を造られた。

斯乃軒轅氏之所以開帝功也。

このことは、古の軒轅氏黄帝が帝業を開いた所以です。

 

龔行天罰,應天順人,斯乃湯武之所以昭王業也。

遷都改邑,有殷宗中興之則焉;

即土之中,有周成隆平之制焉。

不階尺土一人之柄,同符乎高祖。

 

克己復禮,以奉終始,允恭乎孝文。

憲章稽古,封岱勒成,儀炳乎世宗。

案六經而校德,眇古昔而論功,

仁聖之事既該,而帝王之道備矣。」

 

且つ夫れ建武の元【はじめ】,天地 命を革【あらた】む

四海の,更に夫婦を造し,肇めて父子有る。

君臣 初めに建ち,人倫 寔【ここ】に始まる。

斯れ乃ち伏犧【ふくぎ】氏の皇德を基とする所以【ゆえん】也。

州土を分ち,市朝を立つ,

舟輿【しゅうよ】を作り,器械を造る,

斯れ乃ち軒轅【けんえん】氏の帝功を開ける所以【ゆえん】也。

 

龔【つつし】んで天罰を行い,天に應じ人に順う,斯れ乃ち湯武の王業を昭【あきら】かにする所以【ゆえん】也。

都を遷し邑を改めしは,殷宗【いんそう】中興の則に有り;

即土の中に【つ】けるは,周成 隆平の制有り。

尺土一人の柄【へい】に階【よ】らざるは,符を高祖にじう同す。

 

己に克ち禮を復【ふく】み,以って終始に奉ぜしは,允に孝文より恭む。

憲章稽古し,岱を封じ成を勒せしは,儀 世宗より炳【かがや】く。

六經を案じて德を校【かんが】え,古昔【こせき】を眇【はる】かにして功を論ぜしは,

仁聖の事既に該【そな】わり,帝王の道備【そなわ】れり。」

漢魏隋唐の洛陽城 

 

(7)#4(知徳兼備の光武帝)-1

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文)

且夫建武之元,天地革命

四海之,更造夫婦,肇有父子。

君臣初建,人倫寔始。

斯乃伏犧氏之所以基皇德也。。

分州土,立市朝,

作舟輿,造器械,

斯乃軒轅氏之所以開帝功也。

 

(下し文)

且つ夫れ建武の元【はじめ】,天地 命を革【あらた】む

四海の,更に夫婦を造し,肇めて父子有る。

君臣 初めに建ち,人倫 寔【ここ】に始まる。

斯れ乃ち伏犧【ふくぎ】氏の皇德を基とする所以【ゆえん】也。

州土を分ち,市朝を立つ,

舟輿【しゅうよ】を作り,器械を造る,

斯れ乃ち軒轅【けんえん】氏の帝功を開ける所以【ゆえん】也。

 

(現代語訳)

(知徳兼備の光武帝) そもそも建武元年、天地は命を改めて世は変わった。

四海の内は、あらたに夫婦の道がたち、父子の道がはじまる。

はじめて君臣において上下の関係ができあがり、人倫の秩序が立つようにされた。

このことは、古の伏犠氏が至高無上の人倫を基本にした所以です。

原野を区画し九州に分け、市場を立て、
舟車を作り、器械を造られた。

このことは、古の軒轅氏黄帝が帝業を開いた所以です。

DCF00048 

(訳注)

且夫建武之元,天地革命

(知徳兼備の光武帝) そもそも建武元年、天地は命を改めて世は変わった。

 

四海之,更造夫婦,肇有父子。

四海の内は、あらたに夫婦の道がたち、父子の道がはじまる。

造 なす。

 

君臣初建,人倫寔始。

はじめて君臣において上下の関係ができあがり、人倫の秩序が立つようにされた。

人倫 この句は『易経』の序卦伝「夫婦ありて然る後に父子あり。父子ありて然る後に君臣あり。君臣ありて然る後に上下あり。上下ありて然る後に礼儀錯く所あり」をふまえる。すなわち上下の縦の倫理を社会秩序とする。

 

斯乃伏犧氏之所以基皇德也。

このことは、古の伏犠氏が至高無上の人倫を基本にした所以です。

伏犠氏 三皇(伏犠・神農・黄帝)の一。人倫をたてる。三皇は『春秋緯運斗枢』(『風俗通』皇覇篇に引く)。唐の司馬貞補『史記』三皇本紀にある伏羲・女媧・神農 と

 

分州土,立市朝,

原野を区画し九州に分け、市場を立て、

市朝 市場〕 「市朝とは、君の国を建つる所以なり。国を建つる者必ず朝に面して市を後にす。王朝を立て而る后市を立つ」(『周礼』天官)。

 

作舟輿,造器械,

舟車を作り、器械を造られた。

 

斯乃軒轅氏之所以開帝功也。

このことは、古の軒轅氏黄帝が帝業を開いた所以です。

軒蛙氏 黄帝のこと「昔在 黄帝 野を画し州を分かつ」 (『漢書』地理志)。黄帝は市場を作り、商売を教え、舟車、器械を造る(『易』の繋辞伝)。器械とは礼楽や兵甲の器具をいう(同書、鄭玄注)。
唐時代 韓愈関連01 



東都賦 (1)1-1

東都主人喟然而歎曰:

「痛乎風俗之移人也!

子實秦人,矜夸館室,保界河山,

信識昭襄而知始皇矣,烏睹大漢之云為乎?

夫大漢之開元也,奮布衣以登皇位,

由數期而創萬代,

蓋六籍所不能談,前聖靡得言焉。

 

 (2)1-2

當此之時,功有橫而當天,討有逆而順民。

故婁敬度勢而獻其,蕭公權宜而拓其制。

時豈泰而安之哉?計不得以已也。

吾子曾不是睹,顧曜後嗣之末造,不亦暗乎。

今將語子以建武之治,永平之事。

監于太清,以變子之惑志。」

 

 

(3)2-1

「往者王莽作逆,漢祚中缺。

天人致誅,六合相滅。

于時之亂,生人幾亡,鬼神泯

壑無完柩,郛罔遺室。

 

(4)#2-2

原野厭人之肉,川谷流人之血。

秦項之災猶不克半,書契以來未之或紀。

故下人號而上訴,上帝懷而降監。

乃致命乎聖皇。

 

(5)3-1

於是聖皇乃握乾符,闡坤珍。

披皇圖,稽帝文。

赫然發憤,應若興雲。

霆擊昆陽,憑怒雷震。

遂超大河,跨北嶽。

立號高邑,建都河洛。

紹百王之荒屯,因造化之盪滌。

 

(6)3-2

體元立制,繼天而作。

系唐統,接漢緒。

茂育群生,恢復疆宇。

勳兼乎在昔,事勤乎三五。

豈特方軌並跡,紛綸后辟,

治近古之所務,蹈一聖之險易云爾哉?

 

 

(7)#4-1

且夫建武之元,天地革命

四海之,更造夫婦,肇有父子。

君臣初建,人倫寔始。

斯乃伏犧氏之所以基皇德也。。

分州土,立市朝,

作舟輿,造器械,

斯乃軒轅氏之所以開帝功也。

(8)

龔行天罰,應天順人,斯乃湯武之所以昭王業也。

遷都改邑,有殷宗中興之則焉;

即土之中,有周成隆平之制焉。

不階尺土一人之柄,同符乎高祖。

(9)

克己復禮,以奉終始,允恭乎孝文。

憲章稽古,封岱勒成,儀炳乎世宗。

案六經而校德,眇古昔而論功,

仁聖之事既該,而帝王之道備矣。

 

 

#5

「至乎永平之際,重熙而累洽。盛三雍之上儀,脩袞龍之法服。鋪鴻藻,信景鑠。揚世廟,正雅樂。人神之和允洽,群臣之序既肅。乃動大輅,遵皇衢。省方巡狩,躬覽萬國之有無。考聲教之所被,散皇明以瀦幽。然後增周舊,脩洛邑。扇巍巍,顯翼翼。光漢京于諸夏,總八方而為之極。

 

#6

於是皇城之,宮室光明,闕庭神麗。奢不可踰,儉不能侈。外則因原野以作苑,填流泉而為沼。發蘋藻以潛魚,豐圃草以毓獸。制同乎梁鄒,誼合乎靈囿。

 

#7

若乃順時節而蒐狩,簡車徒以講武。則必臨之以王制,考之以風雅。歷騶虞,覽駟鐵。嘉車攻,采吉日。禮官整儀,乘輿乃出。

 

#8

於是發鯨魚,鏗華鐘。登玉輅,乘時龍。鳳蓋棽麗,龢鑾玲瓏。天官景從,寢威盛容。山靈護野,屬御方神。雨師汎灑,風伯清塵。千乘雷起,萬騎紛紜。元戎竟野,戈鋋彗雲。羽旄掃霓,旌旗拂天。焱焱炎炎,揚光飛文。吐爓生風,山。日月為之奪明,丘陵為之搖震。

 

#9

遂集乎中囿,陳師按屯。駢部曲,列校隊。勒三軍,誓將帥。然後舉烽伐鼓,申令三驅。輶車霆激,驍騎電騖。由基發射,范氏施御。弦不睼禽,轡不詭遇。飛者未及翔,走者未及去。指顧倏忽,獲車已實。樂不極盤,殺不盡物。馬踠餘足,士怒未。先驅復路,屬車案節。

 

10

於是薦三犧,效五牲。禮神祇,懷百靈。覲明堂,臨辟雍。揚緝熙,宣皇風。登靈臺,考休徵。俯仰乎乾坤,參象乎聖躬。目中夏而布德,瞰四裔而抗稜。西盪河源,東澹海漘。北動幽崖,南燿朱垠。殊方別區,界而不鄰。自孝武之所不征,孝宣之所未臣。莫不陸讋水慄,奔走而來賓。遂綏哀牢,開永昌。春王三朝,會同漢京。

 

11

是日也,天子受四海之圖籍,膺萬國之貢珍。撫諸夏,外綏百蠻。爾乃盛禮興樂,供帳置乎雲龍之庭。陳百寮而贊群后,究皇儀而展帝容。於是庭實千品,旨酒萬鍾。列金罍,班玉觴。嘉珍御,太牢饗。爾乃食舉雍徹,太師奏樂。陳金石,布絲竹。鐘鼓鏗鍧,管絃燁煜。抗五聲,極六律。歌九功,舞八佾。韶武備,泰古畢。四夷間奏,德廣所及。僸佅兜離,罔不具集。萬樂備,百禮。皇歡浹,群臣醉。降煙熅,調元氣。然後撞鐘告罷,百寮遂退。」

 

12

「於是聖上睹萬方之歡,又沐浴於膏澤,懼其侈心之將萌,而怠於東作也,乃申舊章,下明詔。命有司,班憲度。昭節儉,示太素。去後宮之麗飾,損乘輿之服御。抑工商之淫業,興農桑之盛務。遂令海棄末而反本,背偽而歸真。女脩織紝,男務耕耘。器用陶匏,服尚素玄。恥纖靡而不服,賤奇麗而弗珍。捐金於山,沈珠於淵。

 

13

於是百姓滌瑕盪穢,而鏡至清。形神寂漠,耳目弗營。嗜欲之源滅,廉恥之心生。莫不優游而自得,玉潤而金聲。是以四海以,學校如林,庠序盈門。獻酬交錯,俎豆莘莘。下舞上歌,蹈德詠仁。登降飫宴之禮既畢,因相與嗟歎玄德,讜言弘。咸含和而吐氣,頌曰:盛哉乎斯世!」

 

14

「今論者但知誦虞夏之書,詠殷周之詩。講羲文之易,論孔氏之春秋。罕能精古今之清濁,究漢德之所由。唯子頗識舊典,又徒馳騁乎末流。溫故知新已難,而知德者鮮矣!且夫僻界西戎,險阻四塞,脩其防禦。孰與處乎土中,平夷洞達,萬方輻湊?秦嶺九嵕,涇渭之川。曷若四瀆五嶽,帶河泝洛,圖書之淵?建章甘泉,館御列仙。孰與靈臺明堂,統和天人?太液昆明,鳥獸之囿。曷若辟雍海流,道德之富?游俠踰侈,犯義侵禮。孰與同履法度,翼翼濟濟也?子徒習秦阿房之造天,而不知京洛之有制也;識函谷之可關,而不知王者之無外也。」

 

15

主人之辭未終,西都賓矍然失容。逡巡降階,然意下,捧手欲辭。主人曰:「復位,今將授子以五篇之詩。」賓既卒業,乃稱曰:「美哉乎斯詩!義正乎楊雄,事實乎相如。匪唯主人之好學,蓋乃遭遇乎斯時也。小子狂簡,不知所裁。既聞正道,請終身而誦之。」其詩曰:

 

16

明堂詩

於昭明堂,明堂孔陽。

聖皇宗祀,穆穆煌煌。

上帝宴饗,五位時序。

誰其配之,世祖光武。

普天率土,各以其職。

猗歟緝熙,允懷多福。

 

17

辟雍詩

乃流辟雍,辟雍湯湯。

聖皇蒞止,造舟為梁。

皤皤國老,乃父乃兄。

抑抑威儀,孝友光明。

於赫太上,示我漢行。

洪化惟神,永觀厥成。

 

18

靈臺詩

乃經靈臺,靈臺既崇。

帝勤時登,爰考休徵。

三光宣精,五行布序。

習習祥風,祁祁甘雨。

百穀蓁蓁,庶草蕃廡。

屢惟豊年,於皇樂胥。

 

19

寶鼎詩

嶽脩貢兮川效珍,吐金景兮歊浮雲。

寶鼎見兮色紛縕。煥其炳兮被龍文。

登祖廟兮享聖神。昭靈德兮彌億年。

 

20

白雉詩

靈篇兮披瑞圖,獲白雉兮效素烏。

嘉祥阜兮集皇都。

發皓羽兮奮翹英,容絜朗兮於純精。

彰皇德兮侔周成。永延長兮膺天慶。 

班孟堅(班固)《東都賦》(聖帝の中の聖帝) 文選 賦<113―4>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1008 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3588

班固《東都賦》(聖帝の中の聖帝)天意に法り制度を定めて、天に継いで君主となる。堯を祖とする唐陶氏の高貴の身を受けつぎ、大漢の事業を引き受ける。その功績は前王にまさり、政は三皇五帝にまさる努力をされた。軌範と痕跡、形跡を全て列挙して同じ道を歩んでいくこととし、おおかたの前代の帝王の事が衆多であろうとそれぞれ整頓する。そして現在から近い古き代において務められた治世する。光武帝が、こうした型どおりのことを踏襲した一聖帝に過ぎなかったと、どうしていえるというのか。


2014年1月13日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(聖帝の中の聖帝) 文選 賦<113―4>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1008 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3588
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(聖帝の中の聖帝) 文選 賦<113418分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1008 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3588

 

 

(5)3-1

於是聖皇乃握乾符,闡坤珍。

(聖帝の中の聖帝) この時、聖帝は始めて上天の祥瑞を掌中に握り、大地の符瑞の書をひろげる。

披皇圖,稽帝文。

河図の巻き物を開き、天文をみてわが身のことと知る。

赫然發憤,應若興雲。

かっと激怒し奮いたつと、人民は雲の湧き起こるように呼応する。

霆擊昆陽,憑怒雷震。

王莾の昆陽城を急襲し、怒り狂って雷のようにどよめく。

遂超大河,跨北嶽。

つづいて黄河をひととび、五山の北の恒山をひとまたぎ。

立號高邑,建都河洛。

高という邑で天子と号して、帝都を洛陽に建設する。

紹百王之荒屯,因造化之盪滌。

歴代百王の轍難の後をひきつぎ、悪を浄化一新する天地の意志にしたがわれる。

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(6)3-2

體元立制,繼天而作。

天意に法り制度を定めて、天に継いで君主となる。

系唐統,接漢緒。

堯を祖とする唐陶氏の高貴の身を受けつぎ、大漢の事業を引き受ける。

茂育群生,恢復疆宇。

生あるものをすべて繁殖させ、国土をもとどおり回復された。
勳兼乎在昔,事勤乎三五。

その功績は前王にまさり、政は三皇五帝にまさる努力をされた。

豈特方軌並跡,紛綸后辟,

軌範と痕跡、形跡を全て列挙して同じ道を歩んでいくこととし、おおかたの前代の帝王の事が衆多であろうとそれぞれ整頓する。

治近古之所務,蹈一聖之險易云爾哉?

そして現在から近い古き代において務められた治世する。光武帝が、こうした型どおりのことを踏襲した一聖帝に過ぎなかったと、どうしていえるというのか。

 

(5)3-1

是に於いて聖皇乃ち乾符を握り,坤珍【こんちん】を闡【ひら】く。

皇圖【こうと】を披【ひら】き,稽帝文を【かんが】う。

赫然【かくぜん】として憤【いきどおり】を發すれば,應ずること興雲【こううん】の若し。

昆陽を霆擊【ていげき】し,憑怒して雷震す。

遂に大河を超え,北嶽に跨る。

號を高邑に立て,都を河洛に建つ。

百王の荒屯【こうちゅん】を紹【つ】ぎ,造化の盪滌【とうてき】に因る。

 

(6)3-2

元を體し制を立て,天に繼いで作【おこ】る。

唐統を系【つな】ぎ,漢緒を接【う】ける。

群生を茂育【もいく】し,疆宇【きょうう】を恢復【かいふく】す。

勳 在昔【むかし】を兼ね,事 三五よりも勤めたり。

豈に特【た】だ軌を方【なら】べ跡を並べ,紛綸【ふんりん】たる后辟【こうへき】にす,

近古の所務を治め,一聖の險易を蹈【ふ】むと爾【しか】云ん哉?

DCF00208 

 

『東都賦』(6) 現代語訳と訳註

(本文) (6)3-2

體元立制,繼天而作。

系唐統,接漢緒。

茂育群生,恢復疆宇。

勳兼乎在昔,事勤乎三五。

豈特方軌並跡,紛綸后辟,

治近古之所務,蹈一聖之險易云爾哉?

 

(下し文)

元を體し制を立て,天に繼いで作【おこ】る。

唐統を系【つな】ぎ,漢緒を接【う】ける。

群生を茂育【もいく】し,疆宇【きょうう】を恢復【かいふく】す。

勳 在昔【むかし】を兼ね,事 三五よりも勤めたり。

豈に特【た】だ軌を方【なら】べ跡を並べ,紛綸【ふんりん】たる后辟【こうへき】にす,

近古の所務を治め,一聖の險易を蹈【ふ】むと爾【しか】云ん哉?

 

(現代語訳)

天意に法り制度を定めて、天に継いで君主となる。

堯を祖とする唐陶氏の高貴の身を受けつぎ、大漢の事業を引き受ける。

生あるものをすべて繁殖させ、国土をもとどおり回復された。
その功績は前王にまさり、政は三皇五帝にまさる努力をされた。

軌範と痕跡、形跡を全て列挙して同じ道を歩んでいくこととし、おおかたの前代の帝王の事が衆多であろうとそれぞれ整頓する。

そして現在から近い古き代において務められた治世する。光武帝が、こうした型どおりのことを踏襲した一聖帝に過ぎなかったと、どうしていえるというのか。

 

 

(訳注) (6)3-2

體元立制,繼天而作。

天意に法り制度を定めて、天に継いで君主となる。

体元 元は天、休は天意に法る。

継天而作 「天下の主と為る者は天なり。天に継ぐ者は君なり」(『穀梁伝』宣公十五年)。

 

系唐統,接漢緒。

堯を祖とする唐陶氏の高貴の身を受けつぎ、大漢の事業を引き受ける。

唐統 唐陶氏堯の系譜、高祖は「唐帝より出づ」(高祖頌)。

 

茂育群生,恢復疆宇。

生あるものをすべて繁殖させ、国土をもとどおり回復された。

疆宇 領土。国土。

 

勳兼乎在昔,事勤乎三五。

その功績は前王にまさり、政は三皇五帝にまさる努力をされた。

兼 超越する、まさる。

三五 三皇五帝。三皇は神、五帝は聖人としての性格を持つとされた。三皇五帝につぃて諸説あり、三皇は『春秋緯運斗枢』(『風俗通』皇覇篇に引く)。唐の司馬貞補『史記』三皇本紀にある伏羲・女媧・神農 とするが一般的だ。五更についても同様で、聖人として『大載礼記』・『史記』では黄帝・顓頊・嚳・尭・舜であり、『世経』では少昊・顓頊・嚳・尭・舜であり、では嚳・尭・舜・禹・湯と見える。それらを考慮して、黄帝・堯・舜・禹・湯というのが一般的である。

 

豈特方軌並跡,紛綸后辟,

軌範と痕跡、形跡を全て列挙して同じ道を歩んでいくこととし、おおかたの前代の帝王の事が衆多であろうとそれぞれ整頓する。

方軌並跡 趣の同じこと。「軌」【き】1 車の両輪の間の幅。2 車が通ったあとのくぼみ。わだち。3 一定の法則。みちすじ。軌範。軌を一にする1 《韓愈「秋懐詩」其一から》車の通った跡を同じくするように、立場や方向を同じくする。「跡」 《「足()()」の意》1 何かが通っていったしるし。「靴の―」「船の通った―」「頬(ほお)を伝う涙の―」「犯人の―を追う」2 (傷には多く「痕」と書く)以前に何かが行われたしるし。痕跡。形跡。

紛綸 衆多のさま。

后辟 帝王。

 

治近古之所務,蹈一聖之險易云爾哉?

そして現在から近い古き代において務められた治世する。光武帝が、こうした型どおりのことを踏襲した一聖帝に過ぎなかったと、どうしていえるというのか。

近古 上古・中古そして近古。現在から近い古き代。前時代。

一聖一人の聖帝。光武の功業は単に乱を平げただけでなく、歴代帝王の事業を合わせただけの偉業をなしとげたことをいう。

険易 治乱。

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光武帝(こうぶてい、前6 - 57年;在位期間        25 - 57年)は後漢王朝の初代皇帝。南陽蔡陽(湖北省棗陽市)の人。王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱を統一し、漢王朝の再興として後漢王朝を建てた。諡号の光武帝は漢朝を中興したことより「光」、禍乱を平定したことより「武」の文字が採用された。「隴を得て蜀を望む」「志有る者は事竟に成る」「柔よく剛を制す」(『黄石公記』(=『三略』)の引用)などの言葉を残している(『後漢書』本紀1上・下・本伝)。



東都賦 (1)1-1

東都主人喟然而歎曰:

「痛乎風俗之移人也!

子實秦人,矜夸館室,保界河山,

信識昭襄而知始皇矣,烏睹大漢之云為乎?

夫大漢之開元也,奮布衣以登皇位,

由數期而創萬代,

蓋六籍所不能談,前聖靡得言焉。

 

 (2)1-2

當此之時,功有橫而當天,討有逆而順民。

故婁敬度勢而獻其,蕭公權宜而拓其制。

時豈泰而安之哉?計不得以已也。

吾子曾不是睹,顧曜後嗣之末造,不亦暗乎。

今將語子以建武之治,永平之事。

監于太清,以變子之惑志。」

 

 

(3)2-1

「往者王莽作逆,漢祚中缺。

天人致誅,六合相滅。

于時之亂,生人幾亡,鬼神泯

壑無完柩,郛罔遺室。

 

(4)#2-2

原野厭人之肉,川谷流人之血。

秦項之災猶不克半,書契以來未之或紀。

故下人號而上訴,上帝懷而降監。

乃致命乎聖皇。

 

(5)3-1

於是聖皇乃握乾符,闡坤珍。

披皇圖,稽帝文。

赫然發憤,應若興雲。

霆擊昆陽,憑怒雷震。

遂超大河,跨北嶽。

立號高邑,建都河洛。

紹百王之荒屯,因造化之盪滌。

 

(6)3-2

體元立制,繼天而作。

系唐統,接漢緒。

茂育群生,恢復疆宇。

勳兼乎在昔,事勤乎三五。

豈特方軌並跡,紛綸后辟,

治近古之所務,蹈一聖之險易云爾哉?

 

 

(7)#4-1

且夫建武之元,天地革命

四海之,更造夫婦,肇有父子。

君臣初建,人倫寔始。

斯乃伏犧氏之所以基皇德也。。

分州土,立市朝,

作舟輿,造器械,

斯乃軒轅氏之所以開帝功也。

(8)

龔行天罰,應天順人,斯乃湯武之所以昭王業也。

遷都改邑,有殷宗中興之則焉;

即土之中,有周成隆平之制焉。

不階尺土一人之柄,同符乎高祖。

(9)

克己復禮,以奉終始,允恭乎孝文。

憲章稽古,封岱勒成,儀炳乎世宗。

案六經而校德,眇古昔而論功,

仁聖之事既該,而帝王之道備矣。

 

 

#5

「至乎永平之際,重熙而累洽。盛三雍之上儀,脩袞龍之法服。鋪鴻藻,信景鑠。揚世廟,正雅樂。人神之和允洽,群臣之序既肅。乃動大輅,遵皇衢。省方巡狩,躬覽萬國之有無。考聲教之所被,散皇明以瀦幽。然後增周舊,脩洛邑。扇巍巍,顯翼翼。光漢京于諸夏,總八方而為之極。

 

#6

於是皇城之,宮室光明,闕庭神麗。奢不可踰,儉不能侈。外則因原野以作苑,填流泉而為沼。發蘋藻以潛魚,豐圃草以毓獸。制同乎梁鄒,誼合乎靈囿。

 

#7

若乃順時節而蒐狩,簡車徒以講武。則必臨之以王制,考之以風雅。歷騶虞,覽駟鐵。嘉車攻,采吉日。禮官整儀,乘輿乃出。

 

#8

於是發鯨魚,鏗華鐘。登玉輅,乘時龍。鳳蓋棽麗,龢鑾玲瓏。天官景從,寢威盛容。山靈護野,屬御方神。雨師汎灑,風伯清塵。千乘雷起,萬騎紛紜。元戎竟野,戈鋋彗雲。羽旄掃霓,旌旗拂天。焱焱炎炎,揚光飛文。吐爓生風,山。日月為之奪明,丘陵為之搖震。

 

#9

遂集乎中囿,陳師按屯。駢部曲,列校隊。勒三軍,誓將帥。然後舉烽伐鼓,申令三驅。輶車霆激,驍騎電騖。由基發射,范氏施御。弦不睼禽,轡不詭遇。飛者未及翔,走者未及去。指顧倏忽,獲車已實。樂不極盤,殺不盡物。馬踠餘足,士怒未。先驅復路,屬車案節。

 

10

於是薦三犧,效五牲。禮神祇,懷百靈。覲明堂,臨辟雍。揚緝熙,宣皇風。登靈臺,考休徵。俯仰乎乾坤,參象乎聖躬。目中夏而布德,瞰四裔而抗稜。西盪河源,東澹海漘。北動幽崖,南燿朱垠。殊方別區,界而不鄰。自孝武之所不征,孝宣之所未臣。莫不陸讋水慄,奔走而來賓。遂綏哀牢,開永昌。春王三朝,會同漢京。

 

11

是日也,天子受四海之圖籍,膺萬國之貢珍。撫諸夏,外綏百蠻。爾乃盛禮興樂,供帳置乎雲龍之庭。陳百寮而贊群后,究皇儀而展帝容。於是庭實千品,旨酒萬鍾。列金罍,班玉觴。嘉珍御,太牢饗。爾乃食舉雍徹,太師奏樂。陳金石,布絲竹。鐘鼓鏗鍧,管絃燁煜。抗五聲,極六律。歌九功,舞八佾。韶武備,泰古畢。四夷間奏,德廣所及。僸佅兜離,罔不具集。萬樂備,百禮。皇歡浹,群臣醉。降煙熅,調元氣。然後撞鐘告罷,百寮遂退。」

 

12

「於是聖上睹萬方之歡,又沐浴於膏澤,懼其侈心之將萌,而怠於東作也,乃申舊章,下明詔。命有司,班憲度。昭節儉,示太素。去後宮之麗飾,損乘輿之服御。抑工商之淫業,興農桑之盛務。遂令海棄末而反本,背偽而歸真。女脩織紝,男務耕耘。器用陶匏,服尚素玄。恥纖靡而不服,賤奇麗而弗珍。捐金於山,沈珠於淵。

 

13

於是百姓滌瑕盪穢,而鏡至清。形神寂漠,耳目弗營。嗜欲之源滅,廉恥之心生。莫不優游而自得,玉潤而金聲。是以四海以,學校如林,庠序盈門。獻酬交錯,俎豆莘莘。下舞上歌,蹈德詠仁。登降飫宴之禮既畢,因相與嗟歎玄德,讜言弘。咸含和而吐氣,頌曰:盛哉乎斯世!」

 

14

「今論者但知誦虞夏之書,詠殷周之詩。講羲文之易,論孔氏之春秋。罕能精古今之清濁,究漢德之所由。唯子頗識舊典,又徒馳騁乎末流。溫故知新已難,而知德者鮮矣!且夫僻界西戎,險阻四塞,脩其防禦。孰與處乎土中,平夷洞達,萬方輻湊?秦嶺九嵕,涇渭之川。曷若四瀆五嶽,帶河泝洛,圖書之淵?建章甘泉,館御列仙。孰與靈臺明堂,統和天人?太液昆明,鳥獸之囿。曷若辟雍海流,道德之富?游俠踰侈,犯義侵禮。孰與同履法度,翼翼濟濟也?子徒習秦阿房之造天,而不知京洛之有制也;識函谷之可關,而不知王者之無外也。」

 

15

主人之辭未終,西都賓矍然失容。逡巡降階,然意下,捧手欲辭。主人曰:「復位,今將授子以五篇之詩。」賓既卒業,乃稱曰:「美哉乎斯詩!義正乎楊雄,事實乎相如。匪唯主人之好學,蓋乃遭遇乎斯時也。小子狂簡,不知所裁。既聞正道,請終身而誦之。」其詩曰:

 

16

明堂詩

於昭明堂,明堂孔陽。

聖皇宗祀,穆穆煌煌。

上帝宴饗,五位時序。

誰其配之,世祖光武。

普天率土,各以其職。

猗歟緝熙,允懷多福。

 

17

辟雍詩

乃流辟雍,辟雍湯湯。

聖皇蒞止,造舟為梁。

皤皤國老,乃父乃兄。

抑抑威儀,孝友光明。

於赫太上,示我漢行。

洪化惟神,永觀厥成。

 

18

靈臺詩

乃經靈臺,靈臺既崇。

帝勤時登,爰考休徵。

三光宣精,五行布序。

習習祥風,祁祁甘雨。

百穀蓁蓁,庶草蕃廡。

屢惟豊年,於皇樂胥。

 

19

寶鼎詩

嶽脩貢兮川效珍,吐金景兮歊浮雲。

寶鼎見兮色紛縕。煥其炳兮被龍文。

登祖廟兮享聖神。昭靈德兮彌億年。

 

20

白雉詩

靈篇兮披瑞圖,獲白雉兮效素烏。

嘉祥阜兮集皇都。

發皓羽兮奮翹英,容絜朗兮於純精。

彰皇德兮侔周成。永延長兮膺天慶。 

班孟堅(班固)《東都賦》(5) 文選 賦<113―3>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1007 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3583

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班孟堅(班固)《東都賦》(5) 文選 賦<113318分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1007 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3583

 

 

(5)3-1

於是聖皇乃握乾符,闡坤珍。

(聖帝の中の聖帝) この時、聖帝は始めて上天の祥瑞を掌中に握り、大地の符瑞の書をひろげる。

披皇圖,稽帝文。

河図の巻き物を開き、天文をみてわが身のことと知る。

赫然發憤,應若興雲。

かっと激怒し奮いたつと、人民は雲の湧き起こるように呼応する。

霆擊昆陽,憑怒雷震。

王莾の昆陽城を急襲し、怒り狂って雷のようにどよめく。

遂超大河,跨北嶽。

つづいて黄河をひととび、五山の北の恒山をひとまたぎ。

立號高邑,建都河洛。

高という邑で天子と号して、帝都を洛陽に建設する。

紹百王之荒屯,因造化之盪滌。

歴代百王の轍難の後をひきつぎ、悪を浄化一新する天地の意志にしたがわれる。 

(6)3-2

體元立制,繼天而作。

系唐統,接漢緒。

茂育群生,恢復疆宇。

勳兼乎在昔,事勤乎三五。

豈特方軌並跡,紛綸后辟,

治近古之所務,蹈一聖之險易云爾哉?

 

(5)3-1

是に於いて聖皇乃ち乾符を握り,坤珍【こんちん】を闡【ひら】く。

皇圖【こうと】を披【ひら】き,稽帝文を【かんが】う。

赫然【かくぜん】として憤【いきどおり】を發すれば,應ずること興雲【こううん】の若し。

昆陽を霆擊【ていげき】し,憑怒して雷震す。

遂に大河を超え,北嶽に跨る。

號を高邑に立て,都を河洛に建つ。

百王の荒屯【こうちゅん】を紹【つ】ぎ,造化の盪滌【とうてき】に因る。

 

(6)3-2

體元立制,繼天而作。

系唐統,接漢緒。

茂育群生,恢復疆宇。

勳兼乎在昔,事勤乎三五。

豈特方軌並跡,紛綸后辟,

治近古之所務,蹈一聖之險易云爾哉?

pla024 

 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (5)3-1

於是聖皇乃握乾符,闡坤珍。

披皇圖,稽帝文。

赫然發憤,應若興雲。

霆擊昆陽,憑怒雷震。

遂超大河,跨北嶽。

立號高邑,建都河洛。

紹百王之荒屯,因造化之盪滌。

 

 (下し文) (5)3-1

是に於いて聖皇乃ち乾符を握り,坤珍【こんちん】を闡【ひら】く。

皇圖【こうと】を披【ひら】き,稽帝文を【かんが】う。

赫然【かくぜん】として憤【いきどおり】を發すれば,應ずること興雲【こううん】の若し。

昆陽を霆擊【ていげき】し,憑怒して雷震す。

遂に大河を超え,北嶽に跨る。

號を高邑に立て,都を河洛に建つ。

百王の荒屯【こうちゅん】を紹【つ】ぎ,造化の盪滌【とうてき】に因る。

 

(現代語訳)

(聖帝の中の聖帝) この時、聖帝は始めて上天の祥瑞を掌中に握り、大地の符瑞の書をひろげる。

河図の巻き物を開き、天文をみてわが身のことと知る。

かっと激怒し奮いたつと、人民は雲の湧き起こるように呼応する。

王莾の昆陽城を急襲し、怒り狂って雷のようにどよめく。

つづいて黄河をひととび、五山の北の恒山をひとまたぎ。

高という邑で天子と号して、帝都を洛陽に建設する。

歴代百王の轍難の後をひきつぎ、悪を浄化一新する天地の意志にしたがわれる。

 

(訳注) (5)3-1

於是聖皇乃握乾符,闡坤珍。

(聖帝の中の聖帝) この時、聖帝は始めて上天の祥瑞を掌中に握り、大地の符瑞の書をひろげる。

乾符 天の符瑞、祥瑞。乾は天、坤(地)の珍に対す。

坤珍 大地の符瑞、帝は天帝の志。光武帝は神秘的な未来記(讃緯)を信奉し、縁起をかついだ。

終南山04 

披皇圖,稽帝文。

河図の巻き物を開き、天文をみてわが身のことと知る。

皇圖 河図、皇は天の意。

帝文 天文。河南省の薬県。光武帝は更始元年王莾の軍十万がこの城下に迫ったが、決死の三千の兵をもって、敵の中堅を突破し、激雷と暴風雨の中で、数える溺死者を出して敗走した。

 

赫然發憤,應若興雲。

かっと激怒し奮いたつと、人民は雲の湧き起こるように呼応する。

 

霆擊昆陽,憑怒雷震

王莾の昆陽城を急襲し、怒り狂って雷のようにどよめく。

昆陽 城下に迫ったが、決死の三千の兵をもって、敵の中堅を突破し、激雷と暴風雨の中で、

(『後漢書』光武帝紀)。

憑悠 揚雄の方言に「憑は怒なり」とある。

 

遂超大河,跨北嶽。

つづいて黄河をひととび、五山の北の恒山をひとまたぎ。

北嶽 恒山。北岳。恒山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、北岳。中国山西省大同市渾源県にあり、北を司るとされる。最高標高は2,016m。中国本土では五指に入る最高峰である。八仙のひとり張果老が住まうとされている。

 

 

立號高邑,建都河洛。

高という邑で天子と号して、帝都を洛陽に建設する。

立号高邑 高邑は河北省の県名。もと鎬という。光武が皇帝と号してから高とす。

河洛 洛陽。

 

紹百王之荒屯,因造化之盪滌。

歴代百王の轍難の後をひきつぎ、悪を浄化一新する天地の意志にしたがわれる。

荒屯 艱難。百王は歴代の帝王の意。

造化 天地。天地の神々。

盪滌 除去する。

班孟堅(班固)《東都賦》(4)#2(光武帝の即位)-2 文選 賦<113―2>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1006 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3578

班固《東都賦》(4) この軍は敵味方の識別に眉を赤く塗ったので赤眉軍と称されている。王莽の朝廷軍である太師軍・更始軍は強引な兵糧徴収などで民心を失い、世間では「寧ろ逢うなら赤眉軍、太師軍には逢うな、太師ならまだしも更始軍であれば殺される」と囃される有り様であった。また同時期に王匡が貧民を集結し緑林山を拠点に叛乱を起こしている(緑林軍)。
 

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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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班孟堅(班固)《東都賦》(4)2(光武帝の即位)-2 文選 賦<113218分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1006 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3578

 

DCF00048 

王莽が禅譲により新朝を開くと、周代の政治を理想とし現実を無視した政策を実施したため民心は離れ、国内各地で叛乱が発生し、匈奴・西羌・高句麗等周辺諸国・諸族の反感を買った。

14年(天鳳元年)、山東の琅邪郡で呂母なる老女が県令に殺害された息子の仇を撃つために私財を投じて数千の徒党を集め、反乱を起こした。呂母は県令を殺害した後に死去するが、一旦集まった軍勢は法が過酷であり賦税が重いことを理由に解散せず、18年(天鳳5年)、同郷の樊宗が兵を挙げると合流し一大勢力となった。この軍は敵味方の識別に眉を赤く塗ったので赤眉軍と称されている。王莽の朝廷軍である太師軍・更始軍は強引な兵糧徴収などで民心を失い、世間では「寧ろ逢うなら赤眉軍、太師軍には逢うな、太師ならまだしも更始軍であれば殺される」と囃される有り様であった。また同時期に王匡が貧民を集結し緑林山を拠点に叛乱を起こしている(緑林軍)。

 

 

(3)2-1

「往者王莽作逆,漢祚中缺。

(光武帝の即位) 昔日、王莾が大逆をはかり、漢の皇位は一時空位となった。

天人致誅,六合相滅。

天と人、ともに彼を誅殺し、天下をあげてうちほろぼしたのだ。

于時之亂,生人幾亡,鬼神泯

この時の戦乱に、生民はほとんど死に絶えて、亡者も消えて現れないほどであった。

壑無完柩,郛罔遺室。

谷間にはまともな死体がなく、村里には残る人家もない。

 

(4)#2-2

原野厭人之肉,川谷流人之血。

原野には人の肉に満ちあふれ、河水の水流は人の血を流していった。

秦項之災猶不克半,書契以來未之或紀。

秦の始皇帝や項羽の戦禍でも、この半ばにも達しない。文字あってこのかた、まだこれほどの惨禍を記録したものはない。

故下人號而上訴,上帝懷而降監。

されば、大地の民草は号泣して上天に哀訴し、天の神はあわれに思われて下界を見られのである。

乃致命乎聖皇。

それで、はじめて聖帝の光武帝に天子となるよう命じなされた。

 

 (3)2-1

「往者【むかし】王莽【おうもう】 逆を作して,漢祚【かんそ】中ごろ缺【か】く。

天人 誅を致して,六合 相い滅す。

時の亂に于【おい】て,生人 幾【ほと】んど亡し,鬼神 泯【びんぜつ】す

【たに】には完柩【かんきゅう】無く,郛【さと】には遺室罔【な】し

 (4)#2-2

原野は人の肉に厭【あつ】せられ,川谷は人の血を流す。

秦項の災も猶お半【なかば】なるを克【あた】わず,書契より以來 未だ之【これ】を紀する或【あ】らず。

故に下人 號【な】いて上訴し,上帝 懷いて 降監【こうかん】す。

乃ち命を聖皇に致せり。

 

 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (4)#2-2

原野厭人之肉,川谷流人之血。

秦項之災猶不克半,書契以來未之或紀。

故下人號而上訴,上帝懷而降監。

乃致命乎聖皇。

唐時代 韓愈関連01 

(下し文) (4)#2-2

原野は人の肉に厭【あつ】せられ,川谷は人の血を流す。

秦項の災も猶お半【なかば】なるを克【あた】わず,書契より以來 未だ之【これ】を紀する或【あ】らず。

故に下人 號【な】いて上訴し,上帝 懷いて 降監【こうかん】す。

乃ち命を聖皇に致せり。

 

(現代語訳)

原野には人の肉に満ちあふれ、河水の水流は人の血を流していった。

秦の始皇帝や項羽の戦禍でも、この半ばにも達しない。文字あってこのかた、まだこれほどの惨禍を記録したものはない。

されば、大地の民草は号泣して上天に哀訴し、天の神はあわれに思われて下界を見られのである。

それで、はじめて聖帝の光武帝に天子となるよう命じなされた。

 

(訳注) (4)#2-2

光武帝(こうぶてい、前6 - 57年;在位期間     25 - 57年)は後漢王朝の初代皇帝。南陽蔡陽(湖北省棗陽市)の人。王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱を統一し、漢王朝の再興として後漢王朝を建てた。諡号の光武帝は漢朝を中興したことより「光」、禍乱を平定したことより「武」の文字が採用された。「隴を得て蜀を望む」「志有る者は事竟に成る」「柔よく剛を制す」(『黄石公記』(=『三略』)の引用)などの言葉を残している(『後漢書』本紀1上・下・本伝)。

 

原野厭人之肉,川谷流人之血。

原野には人の肉に満ちあふれ、河水の水流は人の血を流していった。

原野厭人之肉 楊雄の『法言』に「秦将白起長平の戦に四十万人死し、原野は人の肉に厭き、川谷は人の血を流す」とある。

 

秦項之災猶不克半,書契以來未之或紀。

秦の始皇帝や項羽の戦禍でも、この半ばにも達しない。文字あってこのかた、まだこれほどの惨禍を記録したものはない。

秦項 秦皇と項羽。

書契 文字をいう。

 

故下人號而上訴,上帝懷而降監。

されば、大地の民草は号泣して上天に哀訴し、天の神はあわれに思われて下界を見られのである。

下人 下民、生民。

 

乃致命乎聖皇。

それで、はじめて聖帝の光武帝に天子となるよう命じなされた。

堅皇 光武帝。

 

 

22年(地皇3年)冬、劉秀の兄の劉縯(りゅうえん)が挙兵する。最初は思うように兵が集まらずに苦しんでいたが、慎重な性格と評判であった劉秀が参加すると、劉秀の判断を信じ叛乱に参加する者が増えるようになった。この反乱軍は舂陵軍と称されている。

挙兵時には劉秀は貧しく馬を買うことができず牛に乗っており、緑林軍に合流してから朝廷軍より捕獲した馬に乗るようになったという逸話がある。

まもなく緑林軍は疫病が蔓延したために、南陽を拠点として新市軍と、南郡を拠点とする下江軍に分裂した。新市軍は南陽の豪族の平林軍(この軍には劉秀の本家筋に当たる劉玄が加わっていた)や劉縯の舂陵軍と連合した。後にこの連合軍が下江軍を再度吸収、劉縯が淯陽で官軍を打ち破った。連合軍が南陽宛城を包囲した後、新皇帝を擁立すべく新市・平林軍の部将らが協議を行った。劉縯擁立の動きもあったが、実績のある有能な人物を擁立すると自らの勢力が弱体化することを恐れた新市・平林軍の部将らはこれを却下し、凡庸な人物と見做されていた劉玄が更始帝として擁立されることとなった。

 

23年(更始元年)夏、更始帝討伐を計画した王莽は洛陽から100万と号する(戦闘兵42万、残りは輸送兵)軍を出発させた。しかし王莽は軍事の知識・経験に乏しく、朝廷軍は63派の兵法家を同行させる、猛獣を引き連れるなどの常識外れの編成を行った。王莽軍は劉秀が拠点としていた昆陽城を包囲・攻撃した。劉秀は夜陰に乗じ僅か13騎で昆陽城を脱出、近県3千の兵を集め、昆陽包囲軍と対決する。王莽軍は総大将が数千を率いて迎撃したが、劉秀やその部下の奮闘により大敗を喫した(昆陽の戦い)。

昆陽の勝利に前後して劉縯も宛城を落城させている。これにより縯秀兄弟の名声は高まり、その名声を恐れた更始帝は両者への牽制を始める。劉玄即位に反対していた劉縯の部下が、更始帝により官位が授けられた際に固辞したため、更始帝はこれを反逆として誅殺しようとした。この時、劉縯は部下を擁護したため、更始帝はこれを口実として劉縯をも殺害した。この事件に際し劉秀は宛城に到着すると、更始帝に兄の非礼を謝罪し、また周囲が劉縯の弔問に訪問しても事件については一切語らず、自ら災禍に巻き込まれるのを防いでいる。

昆陽・宛県での結果を知ってそれまで傍観していた地方の豪族が次々と更始帝軍に合流し、更始帝軍は短期間で一大勢力と成長した。更始帝軍は洛陽と長安(当時は常安)を陥落させ、更始帝は洛陽、長安(当時は常安)へ遷都する。洛陽が都城とされていた時まで、劉秀は更始帝と側近達に昆陽での戦功と劉縯の弟であることから危険視され、中央から出ることが出来なかったが、河北へ派遣する適当な武将がおらず、大司徒劉賜が「諸家の子独り文叔有って用いる可し」と推挙したために赴任を命ぜられた。これによって劉秀への監視が解かれ、長安に遷都した更始帝の朝政が乱れ民心を失うことで、劉秀に自立の機会が与えられることとなった。

 

23年(更始元年)冬、劉秀は河北へと向かう。河北で劉秀が邯鄲を離れ北上した際、邯鄲で王郎が漢の成帝の落胤であると称し劉林や李育らと挙兵、劉秀の首に10万戸の賞金を掛けて捕えようとした。そのため劉秀は鄧禹、王覇、馮異ら僅かな部下を率いて河北を転戦することとなった。それは厳しい行軍となり極寒の中馮異が薪を集め鄧禹がたき火をし豆粥や麦飯で寒さと飢えをしのぐ状態であったと伝えられている。

その後は王郎を拒否し劉秀の庇護を求める信都郡の太守任光とその配下の李忠と萬脩、和成郡の太守邳彤らが劉秀を迎え入れ、地方豪族の劉植、耿純が陣営に加わる。これにより任光、李忠、萬脩、邳彤、劉植、耿純は後世に雲台二十八将として名を連ねることとなった。

劉秀は王郎の配下で10余万の兵を持っていた真定王の劉楊(『漢書』に拠る。『後漢書』は、「劉揚」に作る)への工作を開始し、劉楊の妹が豪族の郭昌に嫁いで産んだ娘、すなわち劉楊の姪の郭聖通(後の郭皇后)を劉秀が娶ることで、劉楊を更始帝陣営に組込むことに成功した。

こうして王郎と対峙する中、精鋭の烏桓突騎を擁する漁陽郡と上谷郡が劉秀側につき、後世の雲台二十八将とされる呉漢、蓋延、王梁(以上漁陽)、景丹、寇恂、耿弇(以上上谷)らを派遣して劉秀と合流した。これにより勢いを増した劉秀軍は王郎軍を撃破、24年夏には邯鄲を陥落させ、王郎は逃走中に斬死する。

劉秀の勢力を恐れた更始帝は、劉秀を蕭王とし兵を解散させて長安に呼び戻そうとしたが、劉秀は河北の平定が完了していないとこれを拒否し、自立する道を選択した。その後は銅馬軍なる地方勢力軍を下し、その兵力を旗下に入れた劉秀軍は数十万を越える勢力となった。


25
年(建武元年)、河内の実力者となった劉秀は部下により皇帝即位を上奏された。幽州からの凱旋途中において2度までは固辞したが、3度目の要請には「之を思わん」と返答、『赤伏符』という讖文を奏上された4度目の要請で即位を受諾し6月に即位、元号を建武とした。

この年、更始帝は西進してきた赤眉軍に降伏後殺害される。その赤眉軍も長安やその周囲を略奪し、食糧が尽きたことにより山東への帰還を図った。27年(建武3年)、光武帝(劉秀)の派遣した大司徒鄧禹・征西大将軍馮異は赤眉軍攻撃を行う。一旦は敗北した馮異は、その敗れた軍を立て直して赤眉軍を撃破、西への退路を絶ち、東の宜陽で待ち構えていた光武帝軍は戦うことなく、兵糧の尽きた赤眉軍を下して配下に入れた。


30
年(建武6年)には山東を平定、33年(建武9年)には隴西を攻略し隗囂は病み且つ餓えて死し、継いだ子の隗純を降伏させ(34年建武10年)、36年(建武12年)に蜀の公孫述を滅ぼしここに中国統一を達成した。


光武帝は洛陽を最初に都城と定め、長安を陥落させた後も、荒廃した長安に遷都することなく洛陽をそのまま都城とした。漢王朝を火徳とする光武帝は洛のサンズイを嫌い、洛陽を雒陽と改めた[4]

また光武帝は中国統一と前後して奴卑の解放や租税の軽減、軍士の帰農といった政策により王朝の基礎となる人民の生活の安定を図る一方、統治機構を整備して支配を確立した。

56年に建武中元と改元して封禅の儀式を実施し、その翌年に死去した。
漢魏隋唐の洛陽城 



東都賦 (1)1-1

東都主人喟然而歎曰:

「痛乎風俗之移人也!

子實秦人,矜夸館室,保界河山,

信識昭襄而知始皇矣,烏睹大漢之云為乎?

夫大漢之開元也,奮布衣以登皇位,

由數期而創萬代,

蓋六籍所不能談,前聖靡得言焉。

 

 (2)1-2

當此之時,功有橫而當天,討有逆而順民。

故婁敬度勢而獻其,蕭公權宜而拓其制。

時豈泰而安之哉?計不得以已也。

吾子曾不是睹,顧曜後嗣之末造,不亦暗乎。

今將語子以建武之治,永平之事。

監于太清,以變子之惑志。」

 

 

(3)2-1

「往者王莽作逆,漢祚中缺。

天人致誅,六合相滅。

于時之亂,生人幾亡,鬼神泯

壑無完柩,郛罔遺室。

 

(4)#2-2

原野厭人之肉,川谷流人之血。

秦項之災猶不克半,書契以來未之或紀。

故下人號而上訴,上帝懷而降監。

乃致命乎聖皇。

 

(5)3-1

於是聖皇乃握乾符,闡坤珍。

披皇圖,稽帝文。

赫然發憤,應若興雲。

霆擊昆陽,憑怒雷震。

遂超大河,跨北嶽。

立號高邑,建都河洛。

紹百王之荒屯,因造化之盪滌。

 

(6)3-2

體元立制,繼天而作。

系唐統,接漢緒。

茂育群生,恢復疆宇。

勳兼乎在昔,事勤乎三五。

豈特方軌並跡,紛綸后辟,

治近古之所務,蹈一聖之險易云爾哉?

 

 

(7)#4-1

且夫建武之元,天地革命

四海之,更造夫婦,肇有父子。

君臣初建,人倫寔始。

斯乃伏犧氏之所以基皇德也。。

分州土,立市朝,

作舟輿,造器械,

斯乃軒轅氏之所以開帝功也。

(8)

龔行天罰,應天順人,斯乃湯武之所以昭王業也。

遷都改邑,有殷宗中興之則焉;

即土之中,有周成隆平之制焉。

不階尺土一人之柄,同符乎高祖。

(9)

克己復禮,以奉終始,允恭乎孝文。

憲章稽古,封岱勒成,儀炳乎世宗。

案六經而校德,眇古昔而論功,

仁聖之事既該,而帝王之道備矣。

 

 

#5

「至乎永平之際,重熙而累洽。盛三雍之上儀,脩袞龍之法服。鋪鴻藻,信景鑠。揚世廟,正雅樂。人神之和允洽,群臣之序既肅。乃動大輅,遵皇衢。省方巡狩,躬覽萬國之有無。考聲教之所被,散皇明以瀦幽。然後增周舊,脩洛邑。扇巍巍,顯翼翼。光漢京于諸夏,總八方而為之極。

 

#6

於是皇城之,宮室光明,闕庭神麗。奢不可踰,儉不能侈。外則因原野以作苑,填流泉而為沼。發蘋藻以潛魚,豐圃草以毓獸。制同乎梁鄒,誼合乎靈囿。

 

#7

若乃順時節而蒐狩,簡車徒以講武。則必臨之以王制,考之以風雅。歷騶虞,覽駟鐵。嘉車攻,采吉日。禮官整儀,乘輿乃出。

 

#8

於是發鯨魚,鏗華鐘。登玉輅,乘時龍。鳳蓋棽麗,龢鑾玲瓏。天官景從,寢威盛容。山靈護野,屬御方神。雨師汎灑,風伯清塵。千乘雷起,萬騎紛紜。元戎竟野,戈鋋彗雲。羽旄掃霓,旌旗拂天。焱焱炎炎,揚光飛文。吐爓生風,山。日月為之奪明,丘陵為之搖震。

 

#9

遂集乎中囿,陳師按屯。駢部曲,列校隊。勒三軍,誓將帥。然後舉烽伐鼓,申令三驅。輶車霆激,驍騎電騖。由基發射,范氏施御。弦不睼禽,轡不詭遇。飛者未及翔,走者未及去。指顧倏忽,獲車已實。樂不極盤,殺不盡物。馬踠餘足,士怒未。先驅復路,屬車案節。

 

10

於是薦三犧,效五牲。禮神祇,懷百靈。覲明堂,臨辟雍。揚緝熙,宣皇風。登靈臺,考休徵。俯仰乎乾坤,參象乎聖躬。目中夏而布德,瞰四裔而抗稜。西盪河源,東澹海漘。北動幽崖,南燿朱垠。殊方別區,界而不鄰。自孝武之所不征,孝宣之所未臣。莫不陸讋水慄,奔走而來賓。遂綏哀牢,開永昌。春王三朝,會同漢京。

 

11

是日也,天子受四海之圖籍,膺萬國之貢珍。撫諸夏,外綏百蠻。爾乃盛禮興樂,供帳置乎雲龍之庭。陳百寮而贊群后,究皇儀而展帝容。於是庭實千品,旨酒萬鍾。列金罍,班玉觴。嘉珍御,太牢饗。爾乃食舉雍徹,太師奏樂。陳金石,布絲竹。鐘鼓鏗鍧,管絃燁煜。抗五聲,極六律。歌九功,舞八佾。韶武備,泰古畢。四夷間奏,德廣所及。僸佅兜離,罔不具集。萬樂備,百禮。皇歡浹,群臣醉。降煙熅,調元氣。然後撞鐘告罷,百寮遂退。」

 

12

「於是聖上睹萬方之歡,又沐浴於膏澤,懼其侈心之將萌,而怠於東作也,乃申舊章,下明詔。命有司,班憲度。昭節儉,示太素。去後宮之麗飾,損乘輿之服御。抑工商之淫業,興農桑之盛務。遂令海棄末而反本,背偽而歸真。女脩織紝,男務耕耘。器用陶匏,服尚素玄。恥纖靡而不服,賤奇麗而弗珍。捐金於山,沈珠於淵。

 

13

於是百姓滌瑕盪穢,而鏡至清。形神寂漠,耳目弗營。嗜欲之源滅,廉恥之心生。莫不優游而自得,玉潤而金聲。是以四海以,學校如林,庠序盈門。獻酬交錯,俎豆莘莘。下舞上歌,蹈德詠仁。登降飫宴之禮既畢,因相與嗟歎玄德,讜言弘。咸含和而吐氣,頌曰:盛哉乎斯世!」

 

14

「今論者但知誦虞夏之書,詠殷周之詩。講羲文之易,論孔氏之春秋。罕能精古今之清濁,究漢德之所由。唯子頗識舊典,又徒馳騁乎末流。溫故知新已難,而知德者鮮矣!且夫僻界西戎,險阻四塞,脩其防禦。孰與處乎土中,平夷洞達,萬方輻湊?秦嶺九嵕,涇渭之川。曷若四瀆五嶽,帶河泝洛,圖書之淵?建章甘泉,館御列仙。孰與靈臺明堂,統和天人?太液昆明,鳥獸之囿。曷若辟雍海流,道德之富?游俠踰侈,犯義侵禮。孰與同履法度,翼翼濟濟也?子徒習秦阿房之造天,而不知京洛之有制也;識函谷之可關,而不知王者之無外也。」

 

15

主人之辭未終,西都賓矍然失容。逡巡降階,然意下,捧手欲辭。主人曰:「復位,今將授子以五篇之詩。」賓既卒業,乃稱曰:「美哉乎斯詩!義正乎楊雄,事實乎相如。匪唯主人之好學,蓋乃遭遇乎斯時也。小子狂簡,不知所裁。既聞正道,請終身而誦之。」其詩曰:

 

16

明堂詩

於昭明堂,明堂孔陽。

聖皇宗祀,穆穆煌煌。

上帝宴饗,五位時序。

誰其配之,世祖光武。

普天率土,各以其職。

猗歟緝熙,允懷多福。

 

17

辟雍詩

乃流辟雍,辟雍湯湯。

聖皇蒞止,造舟為梁。

皤皤國老,乃父乃兄。

抑抑威儀,孝友光明。

於赫太上,示我漢行。

洪化惟神,永觀厥成。

 

18

靈臺詩

乃經靈臺,靈臺既崇。

帝勤時登,爰考休徵。

三光宣精,五行布序。

習習祥風,祁祁甘雨。

百穀蓁蓁,庶草蕃廡。

屢惟豊年,於皇樂胥。

 

19

寶鼎詩

嶽脩貢兮川效珍,吐金景兮歊浮雲。

寶鼎見兮色紛縕。煥其炳兮被龍文。

登祖廟兮享聖神。昭靈德兮彌億年。

 

20

白雉詩

靈篇兮披瑞圖,獲白雉兮效素烏。

嘉祥阜兮集皇都。

發皓羽兮奮翹英,容絜朗兮於純精。

彰皇德兮侔周成。永延長兮膺天慶。 

班孟堅(班固)《東都賦》(3)#2(光武帝の即位)-1 文選 賦<113―1>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1005 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3573

(班固)《東都賦》(3) 他の農民軍にくらべ比較的紀律もあり、結局王莾の宮殿に迫り、その内部の裏切りもあって王莾は殺される。赤眉軍は長安に入城したが、末央宮を始め市街を焼き、また県邑を掠奪、漢の帝王后妃の墓をあはき、西都二百年の文物はほとんど破壊された。赤眉軍は桂官に駐屯し、赤眉に推された牧童劉盆子は皇帝となり、城中にいたが、統制のとれぬ赤眉軍は伏敵に潰走し、


2014年1月10日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 743廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#4》 蜀中転々 杜甫 <653>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3575 杜甫詩1000-653-909/1500743
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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班孟堅(班固)《東都賦》(3)2(光武帝の即位)-1 文選 賦<113118分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1005 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3573

 

 

西漢末、王莾の失政で、大規模の農民一揆が起こった。刑州の餞饉を磯に農民は結集し王葬の軍を破り、瑯琊の農民もたち上がり、また王の軍を破り、数十万人にふくれあがった。これが眉を赤くそめたいわゆる赤眉軍といわれる農民軍であり、勢力は黄河南北の大平原に広がった。また黄河北岸の大平原(冀州・兗州)にも大小の一揆が起こり、数百万になったといわれる。刑州、浪郡と冀・兗二州との農民蜂起に加えて、地主の指導する農民軍があった。これが後に光武帝となる南陽の蒙強劉秀の軍隊である。これは他の農民軍にくらべ比較的紀律もあり、結局王莾の宮殿に迫り、その内部の裏切りもあって王莾は殺される。赤眉軍は長安に入城したが、末央宮を始め市街を焼き、また県邑を掠奪、漢の帝王后妃の墓をあはき、西都二百年の文物はほとんど破壊された。赤眉軍は桂官に駐屯し、赤眉に推された牧童劉盆子は皇帝となり、城中にいたが、統制のとれぬ赤眉軍は伏敵に潰走し、「大いに驚き乱れ走り、自ら川谷に投じ、死者十余万」という惨事が起こり、関中の飢饉も重なって、「人は相食ひ、城郭は皆空しく、白骨は野を蔽ふ」であった。光武帝はこれを鎮定して、劉盆子を許した(范文瀾著『中国通史簡編』と『後漢書』とによる)。

 

 

(3)2-1

「往者王莽作逆,漢祚中缺。

(光武帝の即位) 昔日、王莾が大逆をはかり、漢の皇位は一時空位となった。

天人致誅,六合相滅。

天と人、ともに彼を誅殺し、天下をあげてうちほろぼしたのだ。

于時之亂,生人幾亡,鬼神泯

この時の戦乱に、生民はほとんど死に絶えて、亡者も消えて現れないほどであった。

壑無完柩,郛罔遺室。

谷間にはまともな死体がなく、村里には残る人家もない。

 

(4)#2-2

原野厭人之肉,川谷流人之血。

秦項之災猶不克半,書契以來未之或紀。

故下人號而上訴,上帝懷而降監。

乃致命乎聖皇。

 

 (3)2-1

「往者【むかし】王莽【おうもう】 逆を作して,漢祚【かんそ】中ごろ缺【か】く。

天人 誅を致して,六合 相い滅す。

時の亂に于【おい】て,生人 幾【ほと】んど亡し,鬼神 泯【びんぜつ】す

【たに】には完柩【かんきゅう】無く,郛【さと】には遺室罔【な】し

 (4)#2-2

原野は人の肉に厭【あつ】せられ,川谷は人の血を流す。

秦項の災も猶お半【なかば】なるを克【あた】わず,書契より以來 未だ之【これ】を紀する或【あ】らず。

故に下人 號【な】いて上訴し,上帝 懷いて 降監【こうかん】す。

聖皇せり

唐時代 韓愈関連01 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (3)2-1

「往者王莽作逆,漢祚中缺。

天人致誅,六合相滅。

于時之亂,生人幾亡,鬼神泯

壑無完柩,郛罔遺室。

 

(下し文) (3)2-1

「往者【むかし】王莽【おうもう】 逆を作して,漢祚【かんそ】中ごろ缺【か】く。

天人 誅を致して,六合 相い滅す。

時の亂に于【おい】て,生人 幾【ほと】んど亡し,鬼神 泯【びんぜつ】す

【たに】には完柩【かんきゅう】無く,郛【さと】には遺室罔【な】し

 

(現代語訳)

(光武帝の即位) 昔日、王莾が大逆をはかり、漢の皇位は一時空位となった。

天と人、ともに彼を誅殺し、天下をあげてうちほろぼしたのだ。

この時の戦乱に、生民はほとんど死に絶えて、亡者も消えて現れないほどであった。

谷間にはまともな死体がなく、村里には残る人家もない。

 

 

(訳注) (3)2-1

光武帝(こうぶてい、前6 - 57年;在位期間     25 - 57年)は後漢王朝の初代皇帝。南陽蔡陽(湖北省棗陽市)の人。王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱を統一し、漢王朝の再興として後漢王朝を建てた。諡号の光武帝は漢朝を中興したことより「光」、禍乱を平定したことより「武」の文字が採用された。「隴を得て蜀を望む」「志有る者は事竟に成る」「柔よく剛を制す」(『黄石公記』(=『三略』)の引用)などの言葉を残している(『後漢書』本紀1上・下・本伝)。

 

 

「往者王莽作逆,漢祚中缺。

(光武帝の即位) 昔日、王莾が大逆をはかり、漢の皇位は一時空位となった。

漢祚中缺 祚は皇位、中欠は王莾が漢を奪い、南陽(後漢)の劉秀が光武帝となるまで十四年の空白があった。

 

天人致誅,六合相滅。

天と人、ともに彼を誅殺し、天下をあげてうちほろぼしたのだ。

 

于時之亂,生人幾亡,鬼神泯

この時の戦乱に、生民はほとんど死に絶えて、亡者も消えて現れないほどであった。

生人 生民。唐の太宗の諱を避け人とす。

鬼神 死者の魂塊、それが人体のまま冥土にあるもの。

 

壑無完柩,郛罔遺室。

谷間にはまともな死体がなく、村里には残る人家もない。

完枢 完全な死骸。『釈名』に「牀に在るを尸といひ、棺にあるを柩といふ」。
漢魏隋唐の洛陽城 

班孟堅(班固)《東都賦》(2)#1-2 文選 賦<112―50>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1004 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3568

班固《東都賦》(2) 兵卒の婁敬は地勢を考えて長安を都とせよと説得し、将軍蕭何は臨機応変の処置をとり、未央宮の造営を推進する。この時まさかぜいたくしてここに落ち着いておられるものか。計略上やむを得なかったからである。あなたは、とんとここを看破できず、かえって後嗣の武帝や成帝などの退廃的な神仙好みの建築や後宮の華麗な造作を誇示なさるが、実はよくわかっておられないからである。

 

2014年1月9日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《贈別元十八協律,六首之一》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <917>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3569韓愈詩-232-3
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

班孟堅(班固)《東都賦》(2)1-2 文選 賦<1125018分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1004 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3568

 

 

東都賦 (1)1-1

東都主人喟然而歎曰:

東都洛陽の主人は、ふっとため息ついて話かける。

「痛乎風俗之移人也!

「胸がが痛む。風俗が人を変えるというのか。

子實秦人,矜夸館室,保界河山,

貴君はまことに秦のお人である。秦の宮室を得意になって誇り、大河黄河や嵩山をたのみにされる。

信識昭襄而知始皇矣,烏睹大漢之云為乎?

たしかに西周を征服した秦の昭襄王のことをわきまえ、天下統一の始皇帝のことも存じておられるようだ。それにしても大湊の主張や行為については、どうしてしっかりとお目をとめられないのか。

夫大漢之開元也,奮布衣以登皇位,

そも大漢の高祖が国を開かれる時、民間より身を起こして、皇位に登り、

由數期而創萬代,

数年にして万世の基礎をきずかれた。

蓋六籍所不能談,前聖靡得言焉。

これは思うに六籍の古典も語れぬことであったし、前代の聖人も予言できなかったことである。

 (2)1-2

當此之時,功有橫而當天,討有逆而順民。

天下を定める時にあたり、武力は非道だったが天意にかなうところがあり、計画は反逆ではあったが民意にそうところがあった。

故婁敬度勢而獻其,蕭公權宜而拓其制。

だから兵卒の婁敬は地勢を考えて長安を都とせよと説得し、将軍蕭何は臨機応変の処置をとり、未央宮の造営を推進する。

時豈泰而安之哉?計不得以已也。

この時まさかぜいたくしてここに落ち着いておられるものか。計略上やむを得なかったからである。

吾子曾不是睹,顧曜後嗣之末造,不亦暗乎。

あなたは、とんとここを看破できず、かえって後嗣の武帝や成帝などの退廃的な神仙好みの建築や後宮の華麗な造作を誇示なさるが、実はよくわかっておられないからである。

今將語子以建武之治,永平之事。

これからあなたに、東都の光武帝の建武の治、明帝の永平の政を語る。
監于太清,以變子之惑志。

その飾りなき無為の治世に照らし手本とし、西都の豪華に眩惑したあなたの心を改めたい。

 

(東都賦)

東都の主人、喟然【きぜん】として歎じて曰く:

「痛ましいかな風俗の人を移すや!

子は實に秦人なり,館室を矜夸【きょうか】し,河山を保界す,

信【まこと】に昭襄【しょうじょう】を識り始皇を知るも,烏【いずく】んぞ大漢の云為【うんい】を睹【み】んや?

夫【そ】れ大漢の元を開くや,布衣より奮【おこ】りて以て皇位に登り,

數期【すうき】に由りて萬代を創【はじ】む。

蓋【けだ】し六籍【りくせき】も談ずる能わず,前聖も得て言う靡【な】き所なり。

(2)1-2

此の時に當り,功橫【ほしいまま】なるも天に當る有り,討【とう】逆【さから】えども民に順なる有り。

故に婁敬【ろうけい】勢を度【はか】りて其の【ぜい】,蕭公宜しきを權【はか】りて其の制を拓【ひら】けり

時 豈に泰【おご】りて安り之【な】らんや?計【はかりごと】以て已むを得ざればなり。

吾子【ごし】曾て是う睹【み】ず,顧って曜後嗣【こうし】の末造【まつぞう】を【かがやか】すは,亦た暗からずや。

今 將に子に語る建武の治,永平の事を以てす。

太清に監【かんが】み,以て子の惑志【わくし】を變ぜんとす。」

漢魏隋唐の洛陽城 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (2)1-2

當此之時,功有橫而當天,討有逆而順民。

故婁敬度勢而獻其,蕭公權宜而拓其制。

時豈泰而安之哉?計不得以已也。

吾子曾不是睹,顧曜後嗣之末造,不亦暗乎。

今將語子以建武之治,永平之事。

監于太清,以變子之惑志。」

 

 

(下し文)

此の時に當り,功橫【ほしいまま】なるも天に當る有り,討【とう】逆【さから】えども民に順なる有り。

故に婁敬【ろうけい】勢を度【はか】りて其の【ぜい】を獻じ,蕭公宜しきを權【はか】りて其の制を拓【ひら】けり。

時 豈に泰【おご】りて安り之【な】らんや?計【はかりごと】以て已むを得ざればなり。

吾子【ごし】曾て是う睹【み】ず,顧って曜後嗣【こうし】の末造【まつぞう】を【かがやか】すは,亦た暗からずや。

今 將に子に語る建武の治,永平の事を以てす。

太清に監【かんが】み,以て子の惑志【わくし】を變ぜんとす。」

 

(現代語訳)

天下を定める時にあたり、武力は非道だったが天意にかなうところがあり、計画は反逆ではあったが民意にそうところがあった。

だから兵卒の婁敬は地勢を考えて長安を都とせよと説得し、将軍蕭何は臨機応変の処置をとり、未央宮の造営を推進する。

この時まさかぜいたくしてここに落ち着いておられるものか。計略上やむを得なかったからである。

あなたは、とんとここを看破できず、かえって後嗣の武帝や成帝などの退廃的な神仙好みの建築や後宮の華麗な造作を誇示なさるが、実はよくわかっておられないからである。

これからあなたに、東都の光武帝の建武の治、明帝の永平の政を語る。
その飾りなき無為の治世に照らし手本とし、西都の豪華に眩惑したあなたの心を改めたい。

 

(訳注) (2)1-2

當此之時,功有橫而當天,討有逆而順民。

天下を定める時にあたり、武力は非道だったが天意にかなうところがあり、計画は反逆ではあったが民意にそうところがあった。

功有橫而當天 『後漢書』「高祖、関中に入り、秦王の子嬰は降りて、而して五星東井に聚る」とある。子嬰は二世皇帝胡亥の兄の子で、その死後即位して王という。高祖が秦軍を破りこれを降服させた。武力で秦を倒すことを「功は横」といい、星が東井の分野に集まるのは「天意に当る」である。漢の元年のことである。当は、順う。

 

故婁敬度勢而獻其,蕭公權宜而拓其制。

だから兵卒の婁敬は地勢を考えて長安を都とせよと説得し、将軍蕭何は臨機応変の処置をとり、未央宮の造営を推進する。

婁敬 蕭何。蕭何。高祖の相国(宰相)となる。 何(しょう か、? - 紀元前193年)は、秦末から前漢初期にかけての政治家。劉邦に天下を取らせた、漢の三傑の一人。『西都賦』「蕭曹魏邴,謀謨乎其上。」高祖の宰相蕭何・曹参や、宣帝の宰相魏相・邴吉などは、その堂上で国事の方針を決めた。

権宜 権は、手段をえらばずまに合わせる。臨機応変に処置して目的に合すること。

拓 推進する。

 

時豈泰而安之哉?計不得以已也。

この時まさかぜいたくしてここに落ち着いておられるものか。計略上やむを得なかったからである。

泰 おごる。「時」は「是」と同じに読む説あり。末央宮の造営をいそいだのは、蕭何の建言による。未央宮は南面しているが、東闕・北闕の大門を立て、前殿・武庫・大倉を造った。その壮麗に高祖は怒って「成敗のほどはまだわからないのに、宮室は度を過ぎるぞ」と責めた。しかし蕭何は「天下が定まらないからこそ宮室を完成させねはならぬ。天子は四海を家とする。壮麗でないと権威もない。後世もこれ以上のものがないように建てたい」(高市紀、漢の七年)といった。

計 はかりごと。「功」「計」は諸本によって異同があり、五臣本は「攻」「討」に作り、班固伝は「功」「討」に作り、「順人」も「民」ではない。

 

吾子曾不是睹,顧曜後嗣之末造,不亦暗乎。

あなたは、とんとここを看破できず、かえって後嗣の武帝や成帝などの退廃的な神仙好みの建築や後宮の華麗な造作を誇示なさるが、実はよくわかっておられないからである。

吾子 親愛をこめた二人称。

末造 挙世。後世の子孫の造す所。武帝の神仙、成帝の後宮に関する豪華と執着とを指す。ともに「西都の賦」「西京の賦」を参照のこと。

 

今將語子以建武之治,永平之事。

これからあなたに、東都の光武帝の建武の治、明帝の永平の政を語る。

建武 光武帝の年号。光武帝(こうぶてい、前6 - 57年)は後漢王朝の初代皇帝。南陽蔡陽(湖北省棗陽市)の人。王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱を統一し、漢王朝の再興として後漢王朝を建てた。諡号の光武帝は漢朝を中興したことより「光」、禍乱を平定したことより「武」の文字が採用された。

永平 明帝の年号。明帝(めいてい)は、後漢の第2代皇帝。明帝の治世は、光武帝、章帝と並び、約200年続いた後漢朝では安定した全盛期を現出した。馬皇后(光武帝配下の武将馬援の娘)は陰皇后とともに賢夫人とされ、自制によって外戚勢力が抑制されていたことがその理由として考えられている。和帝以降は幼少の皇帝が続き、幼少の皇帝の外戚勢力と宦官勢力とが政争を繰り広げ、結果として後漢の滅亡の大きな要因となった。

 

監于太清,以變子之惑志。」

その飾りなき無為の治世に照らし手本とし、西都の豪華に眩惑したあなたの心を改めたい。

太清 無為の飾りのない世。質朴で虚偽や欲望のない世界。

唐時代 韓愈関連01 

班孟堅(班固)《東都賦》(1)#1(はじめに)-1 文選 賦<112―49>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1003 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3563

班固《東都賦》(1) 東都洛陽の主人は、ふっとため息ついて話かける。「胸がが痛む。風俗が人を変えるというのか。貴君はまことに秦のお人である。秦の宮室を得意になって誇り、大河黄河や嵩山をたのみにされる。たしかに西周を征服した秦の昭襄王のことをわきまえ、天下統一の始皇帝のことも存じておられるようだ。それにしても大湊の主張や行為については、どうしてしっかりとお目をとめられないのか。


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班孟堅(班固)《東都賦》(1)1(はじめに)-1 文選 賦<1124918分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1003 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3563

 


東都賦 (1)1-1

東都主人喟然而歎曰:

東都洛陽の主人は、ふっとため息ついて話かける。

「痛乎風俗之移人也!

「胸がが痛む。風俗が人を変えるというのか。

子實秦人,矜夸館室,保界河山,

貴君はまことに秦のお人である。秦の宮室を得意になって誇り、大河黄河や嵩山をたのみにされる。

信識昭襄而知始皇矣,烏睹大漢之云為乎?

たしかに西周を征服した秦の昭襄王のことをわきまえ、天下統一の始皇帝のことも存じておられるようだ。それにしても大湊の主張や行為については、どうしてしっかりとお目をとめられないのか。

それにしても大湊の主張や行為については、どうしてしっかりとお目をとめられないのか。

夫大漢之開元也,奮布衣以登皇位,

そも大漢の高祖が国を開かれる時、民間より身を起こして、皇位に登り、

由數期而創萬代,

数年にして万世の基礎をきずかれた。

蓋六籍所不能談,前聖靡得言焉。

これは思うに六籍の古典も語れぬことであったし、前代の聖人も予言できなかったことである。

 (2)1-2

當此之時,功有橫而當天,討有逆而順民。

故婁敬度勢而獻其,蕭公權宜而拓其制。

時豈泰而安之哉?計不得以已也。

吾子曾不是睹,顧曜後嗣之末造,不亦暗乎。

今將語子以建武之治,永平之事。

監于太清,以變子之惑志。」

 


(東都賦)

東都の主人、喟然【きぜん】として歎じて曰く:

「痛ましいかな風俗の人を移すや!

子は實に秦人なり,館室を矜夸【きょうか】し,河山を保界す,

信【まこと】に昭襄【しょうじょう】を識り始皇を知るも,烏【いずく】んぞ大漢の云為【うんい】を睹【み】んや?

夫【そ】れ大漢の元を開くや,布衣より奮【おこ】りて以て皇位に登り,

數期【すうき】に由りて萬代を創【はじ】む。

蓋【けだ】し六籍【りくせき】も談ずる能わず,前聖も得て言う靡【な】き所なり。

(2)1-2

當此之時,功有橫而當天,討有逆而順民。

故婁敬度勢而獻其,蕭公權宜而拓其制。

時豈泰而安之哉?計不得以已也。

吾子曾不是睹,顧曜後嗣之末造,不亦暗乎。

今將語子以建武之治,永平之事。

監于太清,以變子之惑志。」

漢魏隋唐の洛陽城 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (1)1-1

東都主人喟然而歎曰:

「痛乎風俗之移人也!

子實秦人,矜夸館室,保界河山,

信識昭襄而知始皇矣,烏睹大漢之云為乎?

夫大漢之開元也,奮布衣以登皇位,

由數期而創萬代,

蓋六籍所不能談,前聖靡得言焉。

 

(下し文)

(東都賦)

東都の主人、喟然【きぜん】として歎じて曰く:

「痛ましいかな風俗の人を移すや!

子は實に秦人なり,館室を矜夸【きょうか】し,河山を保界す,

信【まこと】に昭襄【しょうじょう】を識り始皇を知るも,烏【いずく】んぞ大漢の云為【うんい】を睹【み】んや?

夫【そ】れ大漢の元を開くや,布衣より奮【おこ】りて以て皇位に登り,

數期【すうき】に由りて萬代を創【はじ】む。

蓋【けだ】し六籍【りくせき】も談ずる能わず,前聖も得て言う靡【な】き所なり。

 


(現代語訳)

東都洛陽の主人は、ふっとため息ついて話かける。

「胸がが痛む。風俗が人を変えるというのか。

貴君はまことに秦のお人である。秦の宮室を得意になって誇り、大河黄河や嵩山をたのみにされる。

たしかに西周を征服した秦の昭襄王のことをわきまえ、天下統一の始皇帝のことも存じておられるようだ。それにしても大湊の主張や行為については、どうしてしっかりとお目をとめられないのか。

たしかに西周を征服した秦の昭襄王のことをわきまえ、天下統一の始皇帝のことも存じておられるようだ。それにしても大湊の主張や行為については、どうしてしっかりとお目をとめられないのか。

そも大漢の高祖が国を開かれる時、民間より身を起こして、皇位に登り、

数年にして万世の基礎をきずかれた。

これは思うに六籍の古典も語れぬことであったし、前代の聖人も予言できなかったことである。

唐時代 韓愈関連01

 


(訳注) (1)1-1

東都主人喟然而歎曰:

東都洛陽の主人は、ふっとため息ついて話かける。

喟然 ため息をつくさま。嘆息するさま。

 


「痛乎風俗之移人也!

「胸がが痛む。風俗が人を変えるというのか。

 


子實秦人,矜夸館室,保界河山,

貴君はまことに秦のお人である。秦の宮室を得意になって誇り、大河黄河や嵩山をたのみにされる。

保界 保も界も、たのむの意。あてにする。

河山 河は黄河。山は嵩山。

 


信識昭襄而知始皇矣,烏睹大漢之云為乎?

たしかに西周を征服した秦の昭襄王のことをわきまえ、天下統一の始皇帝のことも存じておられるようだ。それにしても大湊の主張や行為については、どうしてしっかりとお目をとめられないのか。

昭襄 昭襄王(しょうじょうおう)は、中国戦国時代・秦の第28代君主、第3代の王。孝文王 (柱)(安国君)の父。始皇帝(政)の曾祖父。昭王とも呼ばれる。生年:前325年~没年:前251年(在位期間             306 - 251年)、王は晩年西周を征服、その九鼎を獲得した。始皇帝の天下統一に先だち六國をすでに制していた。秦の地は四周要害にかこまれ、六国は攻めあぐんだ。「西都の賦」もその要害の地をうたっている。

知 始皇帝、か「天下を虐害」(李周翰の注)してまで奢侈を極めたことをわきまえていること。

始皇 始皇帝紀元前259 - 紀元前210年)は、中国戦国時代の秦王(在位紀元前246 - 紀元前221年)。姓は嬴(えい)、諱は政(せい)。天下統一は紀元前221年。六国を次々と滅ぼす。政治経済、軍事、文化を改革統制した。しかし匈奴征伐では國内の人民の貧困、食糧不足などを招き、若者は徴集され、また南方越の討伐でも逃亡者が出て不安な情勢を作った。土木工事では阿房官の建設に徒刑者七十余万を使役し、長城の築城、馳道の建設など巨費を使い人を苦しめた。「両都の胱」「二京の賦」に出てくる「馳道」(天子貴人のおなり道)や「閣道」(わたり廊下)は、大工事であった。前者は東は燕・斉、南は呉・楚の地に至る。道幅五十歩、高さ三丈、鉄の錐でかため靑松が植えられた。後者は咸陽の郡から甘泉殿に至る。

 


夫大漢之開元也,奮布衣以登皇位,

そも大漢の高祖が国を開かれる時、民間より身を起こして、皇位に登り、

布衣 民間の人。「高祖日く、吾布衣を以て三尺の剣を提(さ)げ天下を取る」(『漢書』の高祖本紀)。

 


由數期而創萬代,

数年にして万世の基礎をきずかれた。

期 一周年。ここは数期の意。

 


蓋六籍所不能談,前聖靡得言焉。

これは思うに六籍の古典も語れぬことであったし、前代の聖人も予言できなかったことである。

六籍 詩・書・易・春秋・礼・楽の六経。五経(ごけい・ごきょう)または六経(りっけい・りくけい)は、儒教で基本経典とされる5種類または6種類の経書の総称。すなわち『詩経』・『書経』・『礼経』・『楽経』・『易経』・『春秋経』の六経であり、『楽経』を除いたものが「五経」である。


DCF00048



東都賦 (1)1-1

東都主人喟然而歎曰:

「痛乎風俗之移人也!

子實秦人,矜夸館室,保界河山,

信識昭襄而知始皇矣,烏睹大漢之云為乎?

夫大漢之開元也,奮布衣以登皇位,

由數期而創萬代,

蓋六籍所不能談,前聖靡得言焉。

 

 (2)1-2

當此之時,功有橫而當天,討有逆而順民。

故婁敬度勢而獻其,蕭公權宜而拓其制。

時豈泰而安之哉?計不得以已也。

吾子曾不是睹,顧曜後嗣之末造,不亦暗乎。

今將語子以建武之治,永平之事。

監于太清,以變子之惑志。」

 

 

(3)2-1

「往者王莽作逆,漢祚中缺。

天人致誅,六合相滅。

于時之亂,生人幾亡,鬼神泯

壑無完柩,郛罔遺室。

 

(4)#2-2

原野厭人之肉,川谷流人之血。

秦項之災猶不克半,書契以來未之或紀。

故下人號而上訴,上帝懷而降監。

乃致命乎聖皇。

 

(5)3-1

於是聖皇乃握乾符,闡坤珍。

披皇圖,稽帝文。

赫然發憤,應若興雲。

霆擊昆陽,憑怒雷震。

遂超大河,跨北嶽。

立號高邑,建都河洛。

紹百王之荒屯,因造化之盪滌。

 

(6)3-2

體元立制,繼天而作。

系唐統,接漢緒。

茂育群生,恢復疆宇。

勳兼乎在昔,事勤乎三五。

豈特方軌並跡,紛綸后辟,

治近古之所務,蹈一聖之險易云爾哉?

 

 

(7)#4-1

且夫建武之元,天地革命

四海之,更造夫婦,肇有父子。

君臣初建,人倫寔始。

斯乃伏犧氏之所以基皇德也。。

分州土,立市朝,

作舟輿,造器械,

斯乃軒轅氏之所以開帝功也。

(8)

龔行天罰,應天順人,斯乃湯武之所以昭王業也。

遷都改邑,有殷宗中興之則焉;

即土之中,有周成隆平之制焉。

不階尺土一人之柄,同符乎高祖。

(9)

克己復禮,以奉終始,允恭乎孝文。

憲章稽古,封岱勒成,儀炳乎世宗。

案六經而校德,眇古昔而論功,

仁聖之事既該,而帝王之道備矣。

 

 

#5

「至乎永平之際,重熙而累洽。盛三雍之上儀,脩袞龍之法服。鋪鴻藻,信景鑠。揚世廟,正雅樂。人神之和允洽,群臣之序既肅。乃動大輅,遵皇衢。省方巡狩,躬覽萬國之有無。考聲教之所被,散皇明以瀦幽。然後增周舊,脩洛邑。扇巍巍,顯翼翼。光漢京于諸夏,總八方而為之極。

 

#6

於是皇城之,宮室光明,闕庭神麗。奢不可踰,儉不能侈。外則因原野以作苑,填流泉而為沼。發蘋藻以潛魚,豐圃草以毓獸。制同乎梁鄒,誼合乎靈囿。

 

#7

若乃順時節而蒐狩,簡車徒以講武。則必臨之以王制,考之以風雅。歷騶虞,覽駟鐵。嘉車攻,采吉日。禮官整儀,乘輿乃出。

 

#8

於是發鯨魚,鏗華鐘。登玉輅,乘時龍。鳳蓋棽麗,龢鑾玲瓏。天官景從,寢威盛容。山靈護野,屬御方神。雨師汎灑,風伯清塵。千乘雷起,萬騎紛紜。元戎竟野,戈鋋彗雲。羽旄掃霓,旌旗拂天。焱焱炎炎,揚光飛文。吐爓生風,山。日月為之奪明,丘陵為之搖震。

 

#9

遂集乎中囿,陳師按屯。駢部曲,列校隊。勒三軍,誓將帥。然後舉烽伐鼓,申令三驅。輶車霆激,驍騎電騖。由基發射,范氏施御。弦不睼禽,轡不詭遇。飛者未及翔,走者未及去。指顧倏忽,獲車已實。樂不極盤,殺不盡物。馬踠餘足,士怒未。先驅復路,屬車案節。

 

10

於是薦三犧,效五牲。禮神祇,懷百靈。覲明堂,臨辟雍。揚緝熙,宣皇風。登靈臺,考休徵。俯仰乎乾坤,參象乎聖躬。目中夏而布德,瞰四裔而抗稜。西盪河源,東澹海漘。北動幽崖,南燿朱垠。殊方別區,界而不鄰。自孝武之所不征,孝宣之所未臣。莫不陸讋水慄,奔走而來賓。遂綏哀牢,開永昌。春王三朝,會同漢京。

 

11

是日也,天子受四海之圖籍,膺萬國之貢珍。撫諸夏,外綏百蠻。爾乃盛禮興樂,供帳置乎雲龍之庭。陳百寮而贊群后,究皇儀而展帝容。於是庭實千品,旨酒萬鍾。列金罍,班玉觴。嘉珍御,太牢饗。爾乃食舉雍徹,太師奏樂。陳金石,布絲竹。鐘鼓鏗鍧,管絃燁煜。抗五聲,極六律。歌九功,舞八佾。韶武備,泰古畢。四夷間奏,德廣所及。僸佅兜離,罔不具集。萬樂備,百禮。皇歡浹,群臣醉。降煙熅,調元氣。然後撞鐘告罷,百寮遂退。」

 

12

「於是聖上睹萬方之歡,又沐浴於膏澤,懼其侈心之將萌,而怠於東作也,乃申舊章,下明詔。命有司,班憲度。昭節儉,示太素。去後宮之麗飾,損乘輿之服御。抑工商之淫業,興農桑之盛務。遂令海棄末而反本,背偽而歸真。女脩織紝,男務耕耘。器用陶匏,服尚素玄。恥纖靡而不服,賤奇麗而弗珍。捐金於山,沈珠於淵。

 

13

於是百姓滌瑕盪穢,而鏡至清。形神寂漠,耳目弗營。嗜欲之源滅,廉恥之心生。莫不優游而自得,玉潤而金聲。是以四海以,學校如林,庠序盈門。獻酬交錯,俎豆莘莘。下舞上歌,蹈德詠仁。登降飫宴之禮既畢,因相與嗟歎玄德,讜言弘。咸含和而吐氣,頌曰:盛哉乎斯世!」

 

14

「今論者但知誦虞夏之書,詠殷周之詩。講羲文之易,論孔氏之春秋。罕能精古今之清濁,究漢德之所由。唯子頗識舊典,又徒馳騁乎末流。溫故知新已難,而知德者鮮矣!且夫僻界西戎,險阻四塞,脩其防禦。孰與處乎土中,平夷洞達,萬方輻湊?秦嶺九嵕,涇渭之川。曷若四瀆五嶽,帶河泝洛,圖書之淵?建章甘泉,館御列仙。孰與靈臺明堂,統和天人?太液昆明,鳥獸之囿。曷若辟雍海流,道德之富?游俠踰侈,犯義侵禮。孰與同履法度,翼翼濟濟也?子徒習秦阿房之造天,而不知京洛之有制也;識函谷之可關,而不知王者之無外也。」

 

15

主人之辭未終,西都賓矍然失容。逡巡降階,然意下,捧手欲辭。主人曰:「復位,今將授子以五篇之詩。」賓既卒業,乃稱曰:「美哉乎斯詩!義正乎楊雄,事實乎相如。匪唯主人之好學,蓋乃遭遇乎斯時也。小子狂簡,不知所裁。既聞正道,請終身而誦之。」其詩曰:

 

16

明堂詩

於昭明堂,明堂孔陽。

聖皇宗祀,穆穆煌煌。

上帝宴饗,五位時序。

誰其配之,世祖光武。

普天率土,各以其職。

猗歟緝熙,允懷多福。

 

17

辟雍詩

乃流辟雍,辟雍湯湯。

聖皇蒞止,造舟為梁。

皤皤國老,乃父乃兄。

抑抑威儀,孝友光明。

於赫太上,示我漢行。

洪化惟神,永觀厥成。

 

18

靈臺詩

乃經靈臺,靈臺既崇。

帝勤時登,爰考休徵。

三光宣精,五行布序。

習習祥風,祁祁甘雨。

百穀蓁蓁,庶草蕃廡。

屢惟豊年,於皇樂胥。

 

19

寶鼎詩

嶽脩貢兮川效珍,吐金景兮歊浮雲。

寶鼎見兮色紛縕。煥其炳兮被龍文。

登祖廟兮享聖神。昭靈德兮彌億年。

 

20

白雉詩

靈篇兮披瑞圖,獲白雉兮效素烏。

嘉祥阜兮集皇都。

發皓羽兮奮翹英,容絜朗兮於純精。

彰皇德兮侔周成。永延長兮膺天慶。

班孟堅(班固)《西都賦》(48)#18(世々代々の繁栄)-2 文選 賦<112―48>最終回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1002 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3558

班固)《西都賦》(48) 世々代々人目を引く繁栄ぶりで、それぞれその所を失わず安んじて営む。私ごとき者では、ただ旧跡を遊覧し、西都長安のことを古老に聞いただけのことなのだ。十分の一ほどもわかっていないのかもしれない。だからもれなく列挙してうたいつくすわけにはまいりませぬ。

 

2014年1月7日  の紀頌之5つのブログ
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班孟堅(班固)《西都賦》(48)#18(世々代々の繁栄)-2 文選 賦<1124818分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1002 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3558

 

(18)#7-1

「其宮室也,體象乎天地,經緯乎陰陽。

(宮室の美)その宮室は、天と地との形に象り東西南北、陰陽の法に合わせてある。

據坤靈之正位,倣太紫之圓方。

南北、東西の方向を定め、坤の地勢の中正な位置、陰の正位置を足場として、祭政一致の政事をする明堂を造営し、星座大数の円形と星座紫宮の方形どおりに作りあげる。

樹中天之華闕,豐冠山之朱堂。

天に中する壮麗な未央官の宮門「東闕」と「北闕」とをうち建て、山上の冠のごとく朱塗りの殿堂を壮大に構築する。

其のかん宮室は、天地に象【かたど】り、陰陽を経緯し、

【こんれい】の正位にり、柴の方【えんぽう】に【なら】う。

中天の華闕【かけつ】を樹て、冠山の朱堂を豊にす。

  

(19)#7-2

因瑰材而究奇,抗應龍之虹梁。

珍木の材木を利用し、細工の妙を尽くして、翼をもつ応龍のごとく湾曲させた虹梁をせりあげる。

列棼橑以布翼,荷棟桴而高驤。

棟木と橑を次々と並べて屋限づまを翼のようにそりかえり、張り広がっていて、あたかも大小の棟木を肩に荷って空高くおどりあがらんばかりである。

雕玉瑱以居楹,裁金璧以飾璫。

堂内の大きな丸柱は、玉の礎を彫りさげてそこにすえ、屋根の榱の小口は、黄金の壁をしたててそのふち飾りとする。

發五色之渥彩,光爓朗以景彰。

そこから五色の美しい光彩をはなち、焔のような光があかあかと色とりどりに輝いている。

  

(20)#8(數々の宮殿)-1

於是左右平,重軒三階。

(數々の宮殿)ここ、宮殿の左(東)は階級【きざはし】の人道、右(西)は敷き瓦のなだらかな坂の車道。

閨房周通,門闥洞開。

二重の欄干と三段の階段とがあり、お局はここと道続きにとりまき、大門中門はそれぞれ相対している。

列鍾虡於中庭,立金人於端闈。

中庭に銅鐘の懸け台をおしならべ、正門に銅の人像を立てたのである。

仍增崖而衡閾,臨峻路而扉。

龍首の山の高い崖を利用して門の閾を構たえ、けわしい坂道を下に見て正門の扉が開いている。

徇以離宮別寢,承以崇臺閒館。

この未央宮のそばに、離宮・別殿が輪になってめぐり、それにあん接するように高台やがらんとした大きな館が建っている。

是に於て、左は、右は、重軒三階、

閏房周く通じ、門闥【もんたつ】【ほがらか】に開く。

鍾虡【しょうきょ】を中庭に列ね、金人を端闈【たんい】に立つ。

檜崖にりて閾【しきみ】を衡【よこた】へ、岐路に臨んで扉を啓【ひら】き、

徇【めぐ】らすに離宮別を以てし、承【うく】るに崇臺館を以てす。

(21)#8-2

煥若列宿,紫宮是環。

あたかももろもろの居並ぶ星座や紫微官の星座が天帝の紫宮のまわりをめぐるがごとく、照りかがやいている。

清涼宣溫,神仙長年。

清涼殿・宣温殿・神仙殿・長年殿がある。

金華玉堂,白虎麒麟。

そして、金華殿・玉堂殴・白虎殿・麒麟殿とあり、

區宇若茲,不可殫論。

御殿の区域は各々この通りであり、とてもことごとく語りつくせないのである。

增盤崔嵬,登降炤爛。

重なりあって屈曲する御殿あり、高々とそびえた御殿あり、高きも低きもともどもあざやかにかがやいている。

殊形詭制,每各異觀。

独特の形をしたものや珍しい造作のものや、一つ一つ各々外観が違っている。

乘茵步輦,惟所息宴。

手輿をかつがせたり、手車をひかせたりして、高貴の婦人たちがもっぱら息い安らぐ場所となっている。

 

煥【かん】として列宿の紫宮を是れるが若く、

清涼、宣温、神仙、長年、

金華、玉堂、白虎、麒麟、

區宇【くう】茲【かく】の若く、【ことごと】く諭ず可からず。

增盤【そうばん】崔嵬【さいかい】,登降 炤爛【しょうらん】

殊形【しゅけい】詭制【きせい】、毎に各のを異にす。

乘茵【じょういん】步輦【ほれん】、惟だ息宴する所のままなり。

#9(後宮の華麗)

(22)#9―1

後宮則有掖庭椒房,后妃之室。

(後宮の華麗) 後宮には、掖庭宮、椒房殿があり、ともに后妃のすまいである。

合歡增城,安處常寧。

それには、合歓殿・増城殿・安処殿・常寧殿があり、

茞若椒風,披香發越。

若殿・椒風殿・披香殿・発越殿とつづき、

蘭林蕙草,鴛鸞飛翔之列。

蘭林殿・蕙草殿・鴛鸞殿・飛翔殿の御殿がおしならぶのである。

 

(23)#9―2

昭陽特盛,隆乎孝成。

ことに昭陽殿は盛大で、成帝の代にはますます栄えた。

屋不呈材,牆不露形。

その棟梁の材木は木地をかくし、牆は形をむきださず、

裛以藻繡,絡以綸連。

五色のあや模様の錦蹄でまいてつつみこみ、靑糸の組みひもが巻きつけてある。
隨侯明月。錯落其間。

随侯の明月といわれる珠玉が、その中に入りまじる。

金釭銜璧,是為列錢。

轂鉄塾の黄金の環は、璧の帯のごとき横木を飾り、玉をふくみ、これを銭の行列さながらに連続させる。

 

(24)#9―3

翡翠火齊,流耀含英。

弱翠の羽飾りのある火斉の天明りは、遠くまで照らし光を内に含んでいる。

懸黎垂棘,夜光在焉。

天下の名宝、懸黎や垂棘の玉、それに夜光の玉もここにはそろっている。

於是玄墀釦砌,玉階彤庭。

ここの堂の前は漆塗りの黒色のたたき、階段は黄金塗りの敷きみぎわの瓦、白玉のきざはし、朱色の中庭がある。

礝磩綵緻,琳蒞青熒。

そこにあるのさざれ石は、色どりも美しくきめこまか、琳蒞の石は、青色に光っている。

珊瑚碧樹,周阿而生。

珊瑚や碧樹の玉石の林が、庭のくまをめぐり生えている。

 

(25)#9―4

紅羅颯纚,綺組繽紛。

宮女の紅い薄絹の長袖は長くうちなびき、あや絹の組みひもはもつれ乱れる。

曜華燭,俯仰如神。

そのまぶしいまでのうるわしさ、はなやかなおしゃれが照りかがやいて、身のこなしはまるで女神さながらである。

後宮之號,十有四位。

後宮の女性の称号に十四の位の別がある。

窈窕繁華,更盛迭貴。

しとやかな美女もあり、花盛りの美女もあり、たがいに栄達したがいに高貴の身となる。

處乎斯列者,蓋以百數。

この序列におる宮女はおよそ百をもって数える。

燕尾を垂らす 

#10-1

左右庭中,朝堂百寮之位。

(朝廷の百官) 未央宮の広庭の朝堂に左右して、百官の座がある。

蕭曹魏邴,謀謨乎其上。

高祖の宰相蕭何・曹参や、宣帝の宰相魏相・邴吉などは、その堂上で国事の方針を決めた。

佐命則垂統,輔翼則成化。

高祖受命の大業を手伝っては皇統を永く子孫に伝え、宣帝をたすけては太平の世とする。

流大漢之愷悌,盪亡秦之毒螫。

そして大漢の仁政を天下にはどこし、亡秦の虐政の毒害を一掃した。

故令斯人揚樂和之聲,作畫一之歌。

だから西都の人々は太平楽に合わせて和累の声を揚げ、「画一の歌」まで作ることとなったのだ。

#10-2

功德著乎祖宗,膏澤洽乎黎庶。

功業徳行ともに祖宗の先帝を顕彰し、その恩沢は、しもじもの民草にまでおよんだ。

又有天祿石渠,典籍之府。

さて未央宮の西は、天疎開・石渠閣という典籍を所蔵する書庫がある。

命夫惇誨故老,名儒師傅。

かの一意専心指南する古老、名儒、師、傳に命じて、

講論乎六蓺,稽合乎同異。

六芸を講論させ、諸説の同異を比較検討させる。

又有承明金馬,著作之庭。

また承明盧・金馬門という著作の官署がある。

大雅宏達,於茲為群。

すぐれた文学者や博学達識の学者が、ここには群れをなしている。

#10-3

元元本本,殫見洽聞。

根源、典籍の板木にさかのぼり、もれなく見聞して、

發篇章,校理秘文。

文章の意義を明らかにし、秘蔵の文献を校定整理する。

周以鉤陳之位,衛以嚴更之署。

星座鉤陳の六つの星が紫微官を守る位置にあるように、未央官の周囲には、夜警の官署を置いて護衛する。

總禮官之甲科,群百郡之廉孝。

礼官の試験の甲科に合格し郎中となった者をここにあつめ、また群国から推挙された廉直、孝行の士をよせあつめる。

虎賁贅衣,閹尹閽寺。

さらに虎賁の武土、近臣、宦官の長、門衛、中臣たちがおり、

陛戟百重,各有典司。

きざはしの下に戟戈を手にし、十重列、二十重列と整列して守護し、そのおのおのには監督の司が設けられている。

(29)11-1

周廬千列,徼道綺錯。

(閣道と建章宮) 未央宮の周囲は、衛卒の宿直の詰所が幾重にも列をつくり、巡視の道路が迷路のように入りまじる。

輦路經營,脩除飛閣。

輦車の通る閣道は、まっすぐな通路となる所もあれば、弧を画く通路となるところもあり、長く伸びた閣道と高々と架けわたした飛閣とが続く。

自未央而連桂宮,北彌明光而亙長樂。

閣道は末央宮から桂宮につらなり、北は明光殿に至り、そこから東の長楽宮にわたってゆく。

道而超西墉,建章而連外屬。

坂道を越えて登り西のかたの城郭を飛びこえ、建章官と合体してから宮外に続く。

設璧門之鳳闕,上觚稜而棲金爵。

璧門という建章宮の正門と鳳闕という望楼とを設け、屋眼は隅を高くそりあげて、金色の鳳凰が据えられている。

 (30)11-2

則別風之嶕嶢,眇麗巧而聳擢。

その内側に風の方向を知るという別風闕の望楼があり、高きが上にも高く、壮麗きわまる美観を呈し、細工の巧をつくしてそそり立つ。

張千門而立萬,順陰陽以開闔。

千という門を設け、万という門扉を立て、夜と昼とにしたがって開閉する。

爾乃正殿崔嵬,層構厥高,臨乎未央。

かくて建章宮の正殿は高大で層を重ねて構築され、その高さは未央の宮殿を下に見おろすほどである。

經駘盪而出馺娑,洞詣以與天梁。

四つの殿堂があり、駘盪殿を通り抜け馺娑殿より出て、殿をつきぬけると天梁殿に達する。

上反宇以蓋戴,激日景而納光。

殿堂を覆う屋根は、はね上がる飛簷の軒であるので、宮殿の美しい輝きが、外の日光に反射して逆光となり、宮室にさしこみ照りはえる。

 

(31)12(建章宮の高楼)-1

神明鬱其特起,遂偃蹇而上躋。

(建章宮の高楼)建章宮の神明台は、むくむくと身を起こして独りだちとなり、引き続き高々と上へ上へと高さ五十丈ものぼっていく。

軼雲雨於太半,虹霓迴帶於棼楣。

三分の二ほどのところで雲雨を追い抜き、最上層の棟と梁のまわりには虹が帯のようにとりまいている。

雖輕迅與僄狡,猶眙而不能階。

たとえ身軽く早業のものや、すばしこいものであっても、これにはたじろいて見つめるばかりで、そこまで一気にのぼりつくことができない。

攀井幹而未半,目眴轉而意迷。

井幹楼をよじのぼったら、まだ半分にも達しないのに、目はくらみ心は動転するほどだ。

舍櫺檻而卻倚,若顛墜而復稽。

手すりをはなしたら、後すざりしてよりかかろうとすれば、今にも転落しそうな気がして、またふみとどまる。

 (32)122

魂怳怳以失度,巡迴塗而下低。

魂はうつろに度を失い、まわりまわった道をめぐって下へおりてくる。

既懲懼於登望,降周流以徬徨。

高楼に登り遠くを望見するはもう懲りこりと思いとどまって、そこを降り処々をめぐり歩きして、先を急がず徘徊する。

步甬道以縈紆,又杳而不見陽。

高い閣道の渡り廊下の中にふみこんで、ぐるぐるまがりまがると、さらに奥は深くなり暗くて日もささぬ。

排飛闥而上出,若遊目於天表,似無依而洋洋。

そこで飛閣の屋根に張り出した小門をおしひらき上に出ると、あたかも天外をはるかに見わたすかのようで、すがるものとてなくて身は虚空にただようかのよう。

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(33)#13(神仙境)-1

前唐中而後太液,覽滄海之湯湯。

(神仙境) 建章宮の前には中庭があり池があり、そこにつながる後に太液の池があり、そちらに目をそそげば仙郷にむかう滄海がありそこにみずは滔滔と流れている。

揚波濤於碣石,激神岳之嶈嶈。

大きな波を碣石山にうち揚げるようにし、そして高い神岳にぶつかって奔流する。

濫瀛洲與方壺,蓬萊起乎中央。

太液の池には漏洲・方丈・壺梁の仙山がうかび、蓬莱山がその中央にそびえ立っている。

於是靈草冬榮,神木叢生。

ここには、霊草が冬も花を開き枯れることなく、太古以来の神木がむらがりそだっている。

巖峻崒,金石崢嶸。

けわしい山岳が高々とそびえ、金や石の峰がさかしくそそり立っている。

 (34)#13(神仙境)-2

抗仙掌以承露,擢雙立之金莖。

天に向かって仙人の掌をおしあげて甘露を受けるようにして、一対の直立する銅柱を高く上へのばす。

軼埃之混濁,鮮顥氣之清英。

塵挨によごれた下界のにごりを越えて、天の垢ない白い気の結ぶ露こそ清浄という次第なのだ。

騁文成之丕誕,馳五利之所刑。

これを建てた武帝は、方士の文成将軍の大ぼらにのり、方士の五利将軍の詐術をほしいままに実行したのだ。

庶松喬之群類,時遊從乎斯庭。

古代の赤松子や王子喬などの神仙どもが、常にこの庭で自分と遊んでもらいたいと思った。

實列仙之攸館,非吾人之所寧。

まことにその通りここは仙人たちの館であっても、われら人間の安んじて住む邸宅ではない。

 

(35)#14(上林苑の狩猟)-1

「爾乃盛游之壯觀,奮泰武乎上囿。

(上林苑の狩猟) さて、壮観を極める遊猟を盛大に行って、上林苑で錬武にはげむ。

因茲以威戎夸狄,耀威靈而講武事。

これで西戎を威圧し北狄に誇示し、武技を訓練して威力を遠く四方に示す。

命荊州使起鳥,詔梁野而驅獸。

荊州の人に命じて鳥を飛びたたせ、梁野の人に詔げて獣を追い出させる。

毛群闐,飛羽上覆。

獣の群れは苑内にいっぱいになり、鳥の群れはその上空を覆う。

接翼側足,集禁林而屯聚。

翼をまじえ足をそばだて立錐の余地もなく、上林の禁苑に集まって一所に群がり集まる。

 (36)#14-2

水衡虞人,修其營表。

神苑管理の水衛、虞人の役人が、狩人の隊伍を整える。

種別群分,部曲有署。

各部隊に分かれた各班に編成されて、部隊と班(曲)とにはそれぞれその長がいる。

罘網連紘,籠山絡野。

網はその紘を長々と張りまわし、山を包みこみ野をとりまいている。

列卒周匝,星羅雲布。

その周辺を勢子たちがぐるりと包囲して、星のごとく点々とつらなり、雲のごとく展開して待機する。

於是乘鑾輿,備法駕,帥群臣。

この時天子は御車に乗り、六頭立ての馬をしたて、群臣をひきいられている。

 (37) #14-3

披飛廉,入苑門。

都の飛廉館の門を左右に開いて出御され、上林苑の門内に入る。

遂繞酆鄗,歷上蘭。

続いて周の文王の古都である酆と、武王の古都である鄗の地の外郭をまわり、上蘭観を通過する。

六師發逐,百獸駭殫。

全軍はそれとばかりに起ちあがって獲物を追えば、百獣は驚きうろたえる。

震震爚爚,雷奔電激。

ごろごろ、ぴかぴかと急雷が鳴り稲妻が激突するかのように震動する。

草木塗地,山淵反覆。

草木は地にまみれ、山もくつがえれば淵もかたむく。

蹂躪其十二三,乃拗怒而少息。

獲物の十の二か三をふみにじってから、やっと昂奮をおさえてひと息つく。

(38)#15(上林苑の狩猟ⅱ)-1

爾乃期門佽飛,列刃鑽鍭,要趹追蹤。

かくて、「期門」の勇士と古の名剣士「佽飛」の武官の両々が、刃をつらねヤサキをそろえて、後足をけって走り来る獲物を待ち伏せ、逃げるものは追いかける。

鳥驚觸絲,獸駭鋒。

鳥は驚いて網にひっかかり、獣はうろたえ鋒にあたる。

機不虛掎,弦不再控。

だから、石弓の仕掛けを引くも一発必中はずすわけにはいかないし、弓弦をしぼる場合も一発必中しなければいけないのだ。

矢不單殺,中必疊雙。

矢は一つの獲物を射とめるだけでなく、あたれば必ず二つをつらぬく。

颮颮紛紛,矰繳相纏。

びゅうびゅうと次々に飛んで矰繳がまといついてとらえる。

風毛雨血,灑野蔽天。

毛は風に舞いあがり血は雨となってふり、原野一面にそそぎ天をおおう。

 

(39)#15-2

平原赤,勇士厲,

平原は赤く染まり、勇士はいきり立つ。

猿狖失木,豺狼懾竄。

黒手長大猿は木より落ち、狼はおそれおののき身をかくす。

爾乃移師趨險,並蹈潛穢。

かくて部隊を移し険阻な土地にそっと急がせて、深い草むらを列をなしてふみつけると、

窮虎奔突,狂兕觸蹶。

追いつめられた虎は飛ぶがごとく暴走突進し、狂った野牛はつまずきひっくりかえる。

許少施巧,秦成力折。

すばしこさで有名な古の許少のごときわざ師が、わざをかけてとりおさえる。

大力で有名な古の秦成のごとき力士が、力づくでとりひしぐ。

掎僄狡,扼猛噬。

すばしこい獣はその後足を引き倒し、威猛けだかにかみつく獣はその首をおさえこむ。

 

 

(40)#15-3

角挫脰,徒搏獨殺。

角を抜き頭をくじき、素手でうちすえ、ひとりで殺してしまう。

挾師豹,拖熊螭。

獅子や豹をかきいだき、熊や螭を引きずりこむ。

曳犀犛,頓象羆。

犀や犛牛を後にひっぱり、象や熊を引きよせる

超洞壑,越峻崖。

深い谷をとびこえ、けわしい崖をのり越える。

蹶嶄巖,鉅石隤。

きり立つ岩の峰に足をかけると、巨石は崩れる。

松柏仆,叢林摧。

松柏は横倒しされ、やぶはひしがれる。

草木無餘,禽獸殄夷。

残る草木一つだになく、禽獣はあますところなく殺される。

 

(41)16(狩猟後の饗宴と昆明地ⅰ)-1

於是天子乃登屬玉之館,歷長楊之榭。

さて、こうして、天子は、属玉の館に登り、長楊官の台樹を通りぬける。

覽山川之體勢,觀三軍之殺獲。

そこで、山川の形勢に目をとめて、全軍の殺戮した獲物を仔細に視察なさるのである。

原野蕭條,目極四裔。

原野は静まりかえり生物一つなく、四方の果てまで日はとどきわたる。

禽相鎮壓,獸相枕藉。

鳥は上に下にと重なりあい、獣はたおれて重なりあう。

然後收禽會眾,論功賜胙。

この後で獲物を収容して士卒を集合させ、功を論じて胙を賜う。

陳輕騎以行炰,騰酒車以斟酌。

軽騎兵の軍官が列を組んで肉を丸焼きにし、酒の車を馳せて酒をつぐ。

 

(42)#16-2

割鮮野食,舉烽命釂。

生き新鮮なよい肉を切り割いて野外で食事をとり、松明を合い図に乾杯せよとのご命令をくだされる。

饗賜畢,勞逸齊。

恩賜の饗宴が終わると、尽力を盡した者には重く、楽をした者には軽く、苦楽に合わせてねぎらわれた。

大路鳴鑾,容與徘徊。

天子の車は鈴を鳴らし、ゆっくり禁苑を旋回する。

集乎豫章之宇,臨乎昆明之池。

苑中の予章観の屋形に至り、昆明の池を見おろされる。

左牽牛而右織女,似雲漢之無涯。

左手に牽牛星、右手に織女星の石像があり、天の河のはてしない広がりに似ている。

茂樹蔭蔚,芳草被隄。

茂った木が青々と木蔭をつくり、芳香をはなつ草が堤をおおっている。

 

(43)#16-3

蘭茞發色,曄曄猗猗。

蘭やヨロイ草の花が色づき、草木や花が光沢にかがやき、美しくしげる。

若摛錦布繡,瀦燿乎其陂。

錦をしきひろげ、刺繍をしきのばすがごとく、その堤の法面にあざやかに光っている。

鳥則玄鶴白鷺,黃鵠鵁鸛。

そしていろんな鳥たちが、まず二千年をへて黒色に変じた老鶴の玄鶴・白鷺・黄鵠(はくちょう)・鵁鸛(ごいさぎ)がいて、

鶬鴰鴇,鳧鷖鴻鴈。

まなづる・(のがん)鳧鷖(かも)・おおとり、雁がいる。

朝發河海,夕宿江漢。

あしたに黄河北海を飛び立ち、夕べに長江・漢水に宿る。

沈浮往來,雲集霧散。

ゆき帰りにはここで沈んだり浮いたりしてから、雲のごとく集まり、霧のごとく散っていく。

 

(44)#17(狩猟後の饗宴と昆明地ⅱ)-1

於是後宮乘輅,登龍舟,

さて、後宮の后妃や官女は、車を乗りものにして、龍の形を画く舟にあがりこむ。

張鳳蓋,建華旗。

鳳凰をぬいとりした蓋を張り、五彩の色の旗を建てる。

袪黼帷,鏡清流。

刺繍模様の帳をかかげて、清流に影を写す奢侈をする。

靡微風,澹淡浮。

それらは微風の吹くままに、静かにゆれて浮かんでいる。

櫂女謳,鼓吹震。

櫂をとる女たちは声をそろえて唱い、鼓笛は鳴りひびかせる。

聲激越,謍厲天。

声ははげしくわき揚がり、大きくこだまして天にまでとどくものだ。

 

(45)172

鳥群翔,魚窺淵。

鳥はおどろき群れをなして旋回し、魚はおそれて淵に隠れようとする。

招白鷴,下雙鵠。

空に向かい白鷴の弩をひけば、つがいの白鳥が落ちてくる。

揄文竿,出比目。

水に浮かぶ窮翠の羽根飾りの竿をひきあげると、珍しい比目の魚を釣りあげる。

撫鴻罿,御繒繳。

方舟並騖,俛仰極樂

はこ舟はこれをつないで並ばせたり、走らせはせまわり、片時の間も心ゆくまで舟遊びを楽しまれる。

遂乃風舉雲搖,浮遊溥覽。

ついにはなんと風のようにふわりとあがり、雲のようにただよいうごく、そして、あてもなくぶらぶら歩きして、すみずみまで見てまわる。

長安城の位置関係 

(46)#173

前乘秦嶺,後越九嵕。

前方南は秦嶺の山に登り、後方北は九嵕の山を越える。

東薄河華,西涉岐雍。

東のかたは黄河と華山とに近づき、西のかたは岐山と薙県とを通過する。

宮館所歷,百有餘區,

この間に一々通った離宮別館は百有余箇所。

行所朝夕,儲不改供。

行幸して朝夕を過ごされる行在所であり、あらかじめ準備が整っていて、天子の御用に供する物はいつもと変わりがない。

禮上下而接山川,究休祐之所用。

天地の神々に爼豆をささげて、山川の神々を祭り、よき福のしるしの犠牲や玉帛の限りを尽くす。

采遊童之讙謠,第從臣之嘉頌。

戯れる児童のよろこびの童謡を採集し、王室の従臣の奉るめでたい頭歌をみて、その優劣を定められる。 

(47)#18(世々代々の繁栄)-1

于斯之時,都都相望,邑邑相屬。

(世々代々の繁栄) この時に、都市と郡市とは向かい合い、邑と邑とはつながり合う。

國藉十世之基,家承百年之業。

諸侯の国は十世の基礎の上にたち、大夫の家は百年の職業を継承する。

士食舊德之名氏,農服先疇之畎畝。

士人は善徳の祖先以来の名族のお蔭で衣食し、農民は先祖代々の田畑の耕作に従事する。

商循族世之所鬻,工用高曾之規矩。

商人は父祖代々の売ってきた品物を取りしきり、工人は祖先以来の家法の工具を使う。

粲乎隱隱,各得其所。」

世々代々人目を引く繁栄ぶりで、それぞれその所を失わず安んじて営む。

 (48)#18(世々代々の繁栄)-2

「若臣者,徒觀跡於舊墟,聞之乎故老。

私ごとき者では、ただ旧跡を遊覧し、西都長安のことを古老に聞いただけのことなのだ。

十分而未得其一端,故不能遍舉也。」

十分の一ほどもわかっていないのかもしれない。だからもれなく列挙してうたいつくすわけにはまいりませぬ。

 

斯の時に于【おい】て,都都【とと】相い望み,邑邑【ゆうゆう】相い屬【つづ】く。

國は十世の基に藉【よ】り,家は百年の業を承く。

士は舊德の名氏に食【は】み,農は先疇の畎畝【けんぽ】に服【つ】く。

商は族世の鬻【ひさ】ぐ所を循【おさ】,工は高曾の規矩【きく】を用う。

粲乎【さんこ】隱隱として,各の其の所を得たり。」

(48)#18(世々代々の繁栄)-2

「臣の若き者は,徒【ただ】に跡を舊墟に觀,之を故老【こぼ】に聞けるのみ。

十分にして未だ其の一端を得ず,故に遍ねく舉ぐる能わざるなり。」と。

 

 

『西都賦』 現代語訳と訳註

(本文)

(48)#18(世々代々の繁栄)-2

「若臣者,徒觀跡於舊墟,聞之乎故老。

十分而未得其一端,故不能遍舉也。」

 

 

(下し文)

(48)#18(世々代々の繁栄)-2

「臣の若き者は,徒【ただ】に跡を舊墟に觀,之を故老【こぼ】に聞けるのみ。

十分にして未だ其の一端を得ず,故に遍ねく舉ぐる能わざるなり。」と。

 

 

(現代語訳)

私ごとき者では、ただ旧跡を遊覧し、西都長安のことを古老に聞いただけのことなのだ。

十分の一ほどもわかっていないのかもしれない。だからもれなく列挙してうたいつくすわけにはまいりませぬ。

 

 

(訳注)

(48)#18(世々代々の繁栄)-2

「若臣者,徒觀跡於舊墟,聞之乎故老。

私ごとき者では、ただ旧跡を遊覧し、西都長安のことを古老に聞いただけのことなのだ。

○若臣者 私ごとき者というほどの意。

○跡於舊墟 名所と旧跡。

 

十分而未得其一端,故不能遍舉也。」

十分の一ほどもわかっていないのかもしれない。だからもれなく列挙してうたいつくすわけにはまいりませぬ。

班孟堅(班固)《西都賦》(47)#18(世々代々の繁栄)-1 文選 賦<112―47>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1001 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3553

班固《西都賦》(47)(世々代々の繁栄)この時に、都市と郡市とは向かい合い、邑と邑とはつながり合う。諸侯の国は十世の基礎の上にたち、大夫の家は百年の職業を継承する。士人は善徳の祖先以来の名族のお蔭で衣食し、農民は先祖代々の田畑の耕作に従事する。世々代々人目を引く繁栄ぶりで、それぞれその所を失わず安んじて営む。
 

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班孟堅(班固)《西都賦》(47)#18(世々代々の繁栄)-1 文選 賦<1124718分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1001 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3553    

 

 

(47)#18(世々代々の繁栄)-1

于斯之時,都都相望,邑邑相屬。

(世々代々の繁栄) この時に、都市と郡市とは向かい合い、邑と邑とはつながり合う。

國藉十世之基,家承百年之業。

諸侯の国は十世の基礎の上にたち、大夫の家は百年の職業を継承する。

士食舊德之名氏,農服先疇之畎畝。

士人は善徳の祖先以来の名族のお蔭で衣食し、農民は先祖代々の田畑の耕作に従事する。

商循族世之所鬻,工用高曾之規矩。

商人は父祖代々の売ってきた品物を取りしきり、工人は祖先以来の家法の工具を使う。

粲乎隱隱,各得其所。」

世々代々人目を引く繁栄ぶりで、それぞれその所を失わず安んじて営む。

 (48)#18(世々代々の繁栄)-2

「若臣者,徒觀跡於舊墟,聞之乎故老。

十分而未得其一端,故不能遍舉也。

 

斯の時に于【おい】て,都都【とと】相い望み,邑邑【ゆうゆう】相い屬【つづ】く。

國は十世の基に藉【よ】り,家は百年の業を承く。

士は舊德の名氏に食【は】み,農は先疇の畎畝【けんぽ】に服【つ】く。

商は族世の鬻【ひさ】ぐ所を循【おさ】,工は高曾の規矩【きく】を用う。

粲乎【さんこ】隱隱として,各の其の所を得たり。」

(48)#18(世々代々の繁栄)-2

「臣の若き者は,徒【ただ】に跡を舊墟に觀,之を故老【こぼ】に聞けるのみ。

十分にして未だ其の一端を得ず,故に遍ねく舉ぐる能わざるなり。」と。

上林苑01長安付近図00 

 

『西都賦』 現代語訳と訳註

(本文) 47)#18(世々代々の繁栄)-1

于斯之時,都都相望,邑邑相屬。

國藉十世之基,家承百年之業。

士食舊德之名氏,農服先疇之畎畝。

商循族世之所鬻,工用高曾之規矩。

粲乎隱隱,各得其所。」

 

(下し文)

斯の時に于【おい】て,都都【とと】相い望み,邑邑【ゆうゆう】相い屬【つづ】く。

國は十世の基に藉【よ】り,家は百年の業を承く。

士は舊德の名氏に食【は】み,農は先疇の畎畝【けんぽ】に服【つ】く。

商は族世の鬻【ひさ】ぐ所を循【おさ】,工は高曾の規矩【きく】を用う。

粲乎【さんこ】隱隱として,各の其の所を得たり。」

 

(現代語訳)

(世々代々の繁栄) この時に、都市と郡市とは向かい合い、邑と邑とはつながり合う。

諸侯の国は十世の基礎の上にたち、大夫の家は百年の職業を継承する。

士人は善徳の祖先以来の名族のお蔭で衣食し、農民は先祖代々の田畑の耕作に従事する。

商人は父祖代々の売ってきた品物を取りしきり、工人は祖先以来の家法の工具を使う。

世々代々人目を引く繁栄ぶりで、それぞれその所を失わず安んじて営む。

 

(訳注)47)#18(世々代々の繁栄)-1

于斯之時,都都相望,邑邑相屬。

(世々代々の繁栄) この時に、都市と郡市とは向かい合い、邑と邑とはつながり合う。

 

國藉十世之基,家承百年之業。

諸侯の国は十世の基礎の上にたち、大夫の家は百年の職業を継承する。

国 諸侯の国。

家 大夫の家。

 

士食舊德之名氏,農服先疇之畎畝。

士人は善徳の祖先以来の名族のお蔭で衣食し、農民は先祖代々の田畑の耕作に従事する。

旧徳之名氏 祖先の積善の徳による名族。名氏とは、名声と氏血族。それが世に知られていること。

先疇 先祖の桝田。

畎畝 みぞとうね。畎とは、広さ深さとも一尺。

 

商循族世之所鬻,工用高曾之規矩。

商人は父祖代々の売ってきた品物を取りしきり、工人は祖先以来の家法の工具を使う。

 理むと同じ。とりしきる。                                                     

族世 父祖代々。

 高祖と骨租。

規矩 ぶんまわしとさしがね。ここは工具の代表としてあげる。

 

粲乎隱隱,各得其所。」

世々代々人目を引く繁栄ぶりで、それぞれその所を失わず安んじて営む。

粲乎隱隱 目立つほど繁栄するさま。条とは麒明なさま。
漢長安図 

班孟堅(班固)《西都賦》(46)#17-3 文選 賦<112―46>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1000 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3548 (46)#17-3

班固《西都賦》(46) この間に一々通った離宮別館は百有余箇所。行幸して朝夕を過ごされる行在所であり、あらかじめ準備が整っていて、天子の御用に供する物はいつもと変わりがない。天地の神々に爼豆をささげて、山川の神々を祭り、よき福のしるしの犠牲や玉帛の限りを尽くす。戯れる児童のよろこびの童謡を採集し、王室の従臣の奉るめでたい頭歌をみて、その優劣を定められる。
 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《西都賦》(46)#17-3 文選 賦<112―46>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1000 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3548 (46)#17-3
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《瀧吏》嶺南行(4)-8韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <913>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3549韓愈詩-238
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 741 《又送(惠義寺園送辛員外)〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <648>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3550 杜甫詩1000-648-904/1500〔草堂逸詩拾遺-(17)〕
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 245 《歎昨日三首其一》盧仝 中唐詩  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3551 (01/05)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 10 -4 酒泉子一首 牛學士希濟(牛希濟)ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-401-10-#4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3552
 
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

班孟堅(班固)《西都賦》(46)#173 文選 賦<1124618分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1000 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3548  (46)#173

 

 

(44)#17(狩猟後の饗宴と昆明地ⅱ)-1

於是後宮乘輅,登龍舟,

さて、後宮の后妃や官女は、車を乗りものにして、龍の形を画く舟にあがりこむ。

張鳳蓋,建華旗。

鳳凰をぬいとりした蓋を張り、五彩の色の旗を建てる。

袪黼帷,鏡清流。

刺繍模様の帳をかかげて、清流に影を写す奢侈をする。

靡微風,澹淡浮。

それらは微風の吹くままに、静かにゆれて浮かんでいる。

櫂女謳,鼓吹震。

櫂をとる女たちは声をそろえて唱い、鼓笛は鳴りひびかせる。

聲激越,謍厲天。

声ははげしくわき揚がり、大きくこだまして天にまでとどくものだ。

 

(45)172

鳥群翔,魚窺淵。

鳥はおどろき群れをなして旋回し、魚はおそれて淵に隠れようとする。

招白鷴,下雙鵠。

空に向かい白鷴の弩をひけば、つがいの白鳥が落ちてくる。

揄文竿,出比目。

水に浮かぶ窮翠の羽根飾りの竿をひきあげると、珍しい比目の魚を釣りあげる。

撫鴻罿,御繒繳。

方舟並騖,俛仰極樂

はこ舟はこれをつないで並ばせたり、走らせはせまわり、片時の間も心ゆくまで舟遊びを楽しまれる。

遂乃風舉雲搖,浮遊溥覽。

ついにはなんと風のようにふわりとあがり、雲のようにただよいうごく、そして、あてもなくぶらぶら歩きして、すみずみまで見てまわる。

長安城の位置関係 

(46)#173

前乘秦嶺,後越九嵕。

前方南は秦嶺の山に登り、後方北は九嵕の山を越える。

東薄河華,西涉岐雍。

東のかたは黄河と華山とに近づき、西のかたは岐山と薙県とを通過する。

宮館所歷,百有餘區,

この間に一々通った離宮別館は百有余箇所。

行所朝夕,儲不改供。

行幸して朝夕を過ごされる行在所であり、あらかじめ準備が整っていて、天子の御用に供する物はいつもと変わりがない。

禮上下而接山川,究休祐之所用。

天地の神々に爼豆をささげて、山川の神々を祭り、よき福のしるしの犠牲や玉帛の限りを尽くす。

采遊童之讙謠,第從臣之嘉頌。

戯れる児童のよろこびの童謡を採集し、王室の従臣の奉るめでたい頭歌をみて、その優劣を定められる。

 

(44)17(狩猟後の饗宴と昆明地ⅱ)-1

是に於いて後宮 輅【さんろ】に乘り,龍舟に登り,

鳳蓋【ほうがい】を張り,建華旗をてる。

黼帷【ほる】を袪【かか】げ,清流に鏡【かんが】む。

微風に靡【なび】き,澹淡【たんたん】として浮ぶ。

櫂女【とうじょ】謳いて,鼓吹【こすい】震う。

聲 激越【げきえつ】し,謍【こう】として天に厲【いた】り。

(45)

鳥は群り翔【かけ】り,魚は淵に窺【うか】ぶ。

白鷴【はくかん】を招【あ】げ,雙鵠【そうこく】を下【おと】す。

文竿【ぶんかん】を揄【ひ】き,比目【ひもく】を出す。

鴻罿【おおとりあみ】を撫【と】り,繒繳【そうしゃく】を御す。

方舟 並べて騖【は】せ,俛仰【ふぎょう】して樂を極む

遂に乃ち風のごとく舉り雲のごとく搖【うご】く,浮遊して溥【あまね】く覽る。

(46)

前は秦嶺に乘【のぼ】り,後は九嵕【きゅうそう】を越える。

東は河華に薄【せま】り,西は岐雍【きよう】を涉る。

宮館の歷【ふ】る所,百有餘區あり,

行の朝夕する所,儲【たくわえ】供を改めず。

上下を禮して山川を接【まつ】り,休祐【きゅうゆう】の用うる所を究める。

遊童の讙謠【かんよう】を【と】り,從臣の嘉頌【かしょう】を第づ。

九峻山00

『西都』 現代語訳と訳註

(本文) (46)#173

前乘秦嶺,後越九嵕。

東薄河華,西涉岐雍。

宮館所歷,百有餘區,

行所朝夕,儲不改供。

禮上下而接山川,究休祐之所用。

采遊童之讙謠,第從臣之嘉頌。

 

(下し文) (46)

前は秦嶺に乘【のぼ】り,後は九嵕【きゅうそう】を越える。

東は河華に薄【せま】り,西は岐雍【きよう】を涉る。

宮館の歷【ふ】る所,百有餘區あり,

行の朝夕する所,儲【たくわえ】供を改めず。

上下を禮して山川を接【まつ】り,休祐【きゅうゆう】の用うる所を究める。

遊童の讙謠【かんよう】を【と】り,從臣の嘉頌【かしょう】を第づ。

 

(現代語訳)

前方南は秦嶺の山に登り、後方北は九嵕の山を越える。

東のかたは黄河と華山とに近づき、西のかたは岐山と薙県とを通過する。

この間に一々通った離宮別館は百有余箇所。

行幸して朝夕を過ごされる行在所であり、あらかじめ準備が整っていて、天子の御用に供する物はいつもと変わりがない。

天地の神々に爼豆をささげて、山川の神々を祭り、よき福のしるしの犠牲や玉帛の限りを尽くす。

戯れる児童のよろこびの童謡を採集し、王室の従臣の奉るめでたい頭歌をみて、その優劣を定められる。

 

 

(訳注) (46)#173

前乘秦嶺,後越九嵕。

前方南は秦嶺の山に登り、後方北は九嵕の山を越える。

 

東薄河華,西涉岐雍。

東のかたは黄河と華山とに近づき、西のかたは岐山と薙県とを通過する。

河華 黄河と華山。

 岐山と薙県。

 

宮館所歷,百有餘區,

この間に一々通った離宮別館は百有余箇所。

百有余区 「内外館一百四十五」あった。(『三輔黄図』)。

 

行所朝夕,儲不改供。

行幸して朝夕を過ごされる行在所であり、あらかじめ準備が整っていて、天子の御用に供する物はいつもと変わりがない。

行所の二句 贅をつくすこと。

 

禮上下而接山川,究休祐之所用。

天地の神々に爼豆をささげて、山川の神々を祭り、よき福のしるしの犠牲や玉帛の限りを尽くす。

接 祭る(『後漢書』注)。

所用 よき福のしるしの犠牲や玉帛の限りを尽くすことをいう。

 

采遊童之讙謠,第從臣之嘉頌。

戯れる児童のよろこびの童謡を採集し、王室の従臣の奉るめでたい頭歌をみて、その優劣を定められる。

讙謠 よろこびの童謡。童謡は下層の民の声を代弁する。王室はこれを気にした。

嘉頌 歌や朕の類のほめたたえるうた。たとえば宜帝は儒術を好み文豪王褒や張子喬らは、行幸の宮館で歌頌を作る。
 杜甫乱前後の図001奉先

班孟堅(班固)《西都賦》(45)#17-2 文選 賦<112―45>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩999 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3543

班固《西都賦》(45) はこ舟はこれをつないで並ばせたり、走らせはせまわり、片時の間も心ゆくまで舟遊びを楽しまれる。ついにはなんと風のようにふわりとあがり、雲のようにただよいうごく、そして、あてもなくぶらぶら歩きして、すみずみまで見てまわる。
 

2014年1月4日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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班孟堅(班固)《西都賦》(45)#17-2 文選 賦<112―45>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩999 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3543
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魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

班孟堅(班固)《西都賦》(45)172 文選 賦<1124518分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩999 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3543

 

 

(44)17(狩猟後の饗宴と昆明地ⅱ)-1

於是後宮乘輅,登龍舟,

さて、後宮の后妃や官女は、車を乗りものにして、龍の形を画く舟にあがりこむ。

張鳳蓋,建華旗。

鳳凰をぬいとりした蓋を張り、五彩の色の旗を建てる。

袪黼帷,鏡清流。

刺繍模様の帳をかかげて、清流に影を写す奢侈をする。

靡微風,澹淡浮。

それらは微風の吹くままに、静かにゆれて浮かんでいる。

櫂女謳,鼓吹震。

櫂をとる女たちは声をそろえて唱い、鼓笛は鳴りひびかせる。

聲激越,謍厲天。

声ははげしくわき揚がり、大きくこだまして天にまでとどくものだ。

 

(45)172

鳥群翔,魚窺淵。

鳥はおどろき群れをなして旋回し、魚はおそれて淵に隠れようとする。

招白鷴,下雙鵠。

空に向かい白鷴の弩をひけば、つがいの白鳥が落ちてくる。

揄文竿,出比目。

水に浮かぶ窮翠の羽根飾りの竿をひきあげると、珍しい比目の魚を釣りあげる。

撫鴻罿,御繒繳。

方舟並騖,俛仰極樂

はこ舟はこれをつないで並ばせたり、走らせはせまわり、片時の間も心ゆくまで舟遊びを楽しまれる。

遂乃風舉雲搖,浮遊溥覽。

ついにはなんと風のようにふわりとあがり、雲のようにただよいうごく、そして、あてもなくぶらぶら歩きして、すみずみまで見てまわる。

 

(46)#173

前乘秦嶺,後越九嵕。

東薄河華,西涉岐雍。

宮館所歷,百有餘區,

行所朝夕,儲不改供。

禮上下而接山川,究休祐之所用。

采遊童之讙謠,第從臣之嘉頌。

 

(44)17(狩猟後の饗宴と昆明地ⅱ)-1

是に於いて後宮 輅【さんろ】に乘り,龍舟に登り,

鳳蓋【ほうがい】を張り,建華旗をてる。

黼帷【ほる】を袪【かか】げ,清流に鏡【かんが】む。

微風に靡【なび】き,澹淡【たんたん】として浮ぶ。

櫂女【とうじょ】謳いて,鼓吹【こすい】震う。

聲 激越【げきえつ】し,謍【こう】として天に厲【いた】り。

(45)

鳥は群り翔【かけ】り,魚は淵に窺【うか】ぶ。

白鷴【はくかん】を招【あ】げ,雙鵠【そうこく】を下【おと】す。

文竿【ぶんかん】を揄【ひ】き,比目【ひもく】を出す。

鴻罿【おおとりあみ】を撫【と】り,繒繳【そうしゃく】を御す。

方舟 並べて騖【は】せ,俛仰【ふぎょう】して樂を極む

遂に乃ち風のごとく舉り雲のごとく搖【うご】く,浮遊して溥【あまね】く覽る。

(46)

前は秦嶺に乘【のぼ】り,後は九嵕【きゅうそう】を越える。

東は河華に薄【せま】り,西は岐雍【きよう】を涉る。

宮館の歷【ふ】る所,百有餘區あり,

行の朝夕する所,儲【たくわえ】供を改めず。

上下を禮して山川を接【まつ】り,休祐【きゅうゆう】の用うる所を究める。

遊童の讙謠【かんよう】を【と】り,從臣の嘉頌【かしょう】を第づ。

漢長安図

 

『西都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (45)172

鳥群翔,魚窺淵。

招白鷴,下雙鵠。

揄文竿,出比目。

撫鴻罿,御繒繳。

方舟並騖,俛仰極樂

遂乃風舉雲搖,浮遊溥覽。

 

(下し文) (45)

鳥は群り翔【かけ】り,魚は淵に窺【うか】ぶ。

白鷴【はくかん】を招【あ】げ,雙鵠【そうこく】を下【おと】す。

文竿【ぶんかん】を揄【ひ】き,比目【ひもく】を出す。

鴻罿【おおとりあみ】を撫【と】り,繒繳【そうしゃく】を御す。

方舟 並べて騖【は】せ,俛仰【ふぎょう】して樂を極む

遂に乃ち風のごとく舉り雲のごとく搖【うご】く,浮遊して溥【あまね】く覽る。

 

(現代語訳)

鳥はおどろき群れをなして旋回し、魚はおそれて淵に隠れようとする。

空に向かい白鷴の弩をひけば、つがいの白鳥が落ちてくる。

水に浮かぶ窮翠の羽根飾りの竿をひきあげると、珍しい比目の魚を釣りあげる。

はこ舟はこれをつないで並ばせたり、走らせはせまわり、片時の間も心ゆくまで舟遊びを楽しまれる。

ついにはなんと風のようにふわりとあがり、雲のようにただよいうごく、そして、あてもなくぶらぶら歩きして、すみずみまで見てまわる。

 

(訳注) (45)172

大明宮-座標02鳥群翔,魚窺淵。

鳥はおどろき群れをなして旋回し、魚はおそれて淵に隠れようとする。

窺 みょうとして見る。

 

招白鷴,下雙鵠。

空に向かい白鷴の弩をひけば、つがいの白鳥が落ちてくる。

招 挙ぐ。とりあげる。

白鷴 とび、しらきじの弓。弓弩の類(『後漢書』李賢注)。

下 落とす

 

揄文竿,出比目。

水に浮かぶ窮翠の羽根飾りの竿をひきあげると、珍しい比目の魚を釣りあげる。

 引きよせる。

竿 翡翠の羽飾りのついた釣り竿。

比目 比目魚【ひもくぎょ】とは。意味や解説。1 一つ目の魚で、2匹並んではじめて泳ぐことができるという、中国の伝説上の魚。仲のよい夫婦のたとえ。2 ヒラメやカレイのこと。「東方に比目魚有り。比はずんは行かず。其の名これを鰈と謂ふ」(『爾雅』)。左側に目のあるひらめと、右側に目のあるかれいと並んで始めておよぐ。「隻鵠」に対し、「比目」と対句にする。

 

撫鴻罿,御繒繳。

大きな鳥網を手にとったり、繒繳を使ったりする。

撫 手にもつ。

鴻 大の意。

罿 ショウ。むそう網、鳥網。

繒繳 【そうしゃく】いぐるみ。しかけ。

御 使いこなす。

 

方舟並騖,俛仰極樂

はこ舟はこれをつないで並ばせたり、走らせはせまわり、片時の間も心ゆくまで舟遊びを楽しまれる。

方舟 両船をならべる。謝靈運『擬魏太子鄴中集詩八首』「並載游鄴京,方舟泛河廣。」かくて公子とともに車を並べて乗って鄴京に遊んだり、舟をならべて広い河に浮べたりする。 曹植『盤石篇』「方舟尋高價,珍寶麗以通。」高価な珍しい品物をさがしもとめ舟をたくさんならべてたくさん積みこむ。その中に珍宝があり、それはきれいなものであり、国の流通を良くするものである。

騖 馬を走らせること。かけまわること。はたらくこと。

 

遂乃風舉雲搖,浮遊溥覽。

ついにはなんと風のようにふわりとあがり、雲のようにただよいうごく、そして、あてもなくぶらぶら歩きして、すみずみまで見てまわる。

溥覽 すみずみまで見てまわる。
hinode0100 

班孟堅(班固)《西都賦》(44)#17(狩猟後の饗宴と昆明地ⅱ)-1 文選 賦<112―44>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩998 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3538

班固《西都賦》(44) 後宮の后妃や官女は、車を乗りものにして、龍の形を画く舟にあがりこむ。鳳凰をぬいとりした蓋を張り、五彩の色の旗を建てる。刺繍模様の帳をかかげて、清流に影を写す奢侈をする。それらは微風の吹くままに、静かにゆれて浮かんでいる。櫂をとる女たちは声をそろえて唱い、鼓笛は鳴りひびかせる。声ははげしくわき揚がり、大きくこだまして天にまでとどくものだ。
 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《西都賦》(44)#17(狩猟後の饗宴と昆明地ⅱ)-1 文選 賦<112―44>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩998 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3538
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《瀧吏》嶺南行(4)-6韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <911>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3539韓愈詩-236
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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『花間集』継続中 
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班孟堅(班固)《西都賦》(44)17(狩猟後の饗宴と昆明地ⅱ)-1 文選 賦<1124418分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩998 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3538

 

茶苑 

(44)17(狩猟後の饗宴と昆明地ⅱ)-1

於是後宮乘輅,登龍舟,

さて、後宮の后妃や官女は、車を乗りものにして、龍の形を画く舟にあがりこむ。

張鳳蓋,建華旗。

鳳凰をぬいとりした蓋を張り、五彩の色の旗を建てる。

袪黼帷,鏡清流。

刺繍模様の帳をかかげて、清流に影を写す奢侈をする。

靡微風,澹淡浮。

それらは微風の吹くままに、静かにゆれて浮かんでいる。

櫂女謳,鼓吹震。

櫂をとる女たちは声をそろえて唱い、鼓笛は鳴りひびかせる。

聲激越,謍厲天。

声ははげしくわき揚がり、大きくこだまして天にまでとどくものだ。

 

(45)172

鳥群翔,魚窺淵。

招白鷴,下雙鵠。

揄文竿,出比目。

撫鴻罿,御繒繳。

方舟並騖,俛仰極樂

遂乃風舉雲搖,浮遊溥覽。

 

(46)#173

前乘秦嶺,後越九嵕。

東薄河華,西涉岐雍。

宮館所歷,百有餘區,

行所朝夕,儲不改供。

禮上下而接山川,究休祐之所用。

采遊童之讙謠,第從臣之嘉頌。

 

(44)17(狩猟後の饗宴と昆明地ⅱ)-1

是に於いて後宮 輅【さんろ】に乘り,龍舟に登り,

鳳蓋【ほうがい】を張り,建華旗をてる。

黼帷【ほる】を袪【かか】げ,清流に鏡【かんが】む。

微風に靡【なび】き,澹淡【たんたん】として浮ぶ。

櫂女【とうじょ】謳いて,鼓吹【こすい】震う。

聲 激越【げきえつ】し,謍【こう】として天に厲【いた】り。

(45)

鳥は群り翔【かけ】り,魚は淵に窺【うか】ぶ。

白鷴【はくかん】を招【あ】げ,雙鵠【そうこく】を下【おと】す。

文竿【ぶんかん】を揄【ひ】き,比目【ひもく】を出す。

鴻罿【おおとりあみ】を撫【と】り,繒繳【そうしゃく】を御す。

方舟 並べて騖【は】せ,俛仰【ふぎょう】して樂を極む

遂に乃ち風のごとく舉り雲のごとく搖【うご】く,浮遊して溥【あまね】く覽る。

(46)

前は秦嶺に乘【のぼ】り,後は九嵕【きゅうそう】を越える。

東は河華に薄【せま】り,西は岐雍【きよう】を涉る。

宮館の歷【ふ】る所,百有餘區あり,

行の朝夕する所,儲【たくわえ】供を改めず。

上下を禮して山川を接【まつ】り,休祐【きゅうゆう】の用うる所を究める。

遊童の讙謠【かんよう】を【と】り,從臣の嘉頌【かしょう】を第づ。

長安城の位置関係 

 

『西都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (44)17(狩猟後の饗宴と昆明地ⅱ)-1

於是後宮乘輅,登龍舟,

張鳳蓋,建華旗。

袪黼帷,鏡清流。

靡微風,澹淡浮。

櫂女謳,鼓吹震。

聲激越,謍厲天。

 

(下し文) (44)17(狩猟後の饗宴と昆明地ⅱ)-1

於是後宮乘輅,登龍舟,

張鳳蓋,建華旗。

袪黼帷,鏡清流。

靡微風,澹淡浮。

櫂女謳,鼓吹震。

聲激越,謍厲天。

 

(現代語訳)

さて、後宮の后妃や官女は、車を乗りものにして、龍の形を画く舟にあがりこむ。

鳳凰をぬいとりした蓋を張り、五彩の色の旗を建てる。

刺繍模様の帳をかかげて、清流に影を写す奢侈をする。

それらは微風の吹くままに、静かにゆれて浮かんでいる。

櫂をとる女たちは声をそろえて唱い、鼓笛は鳴りひびかせる。

声ははげしくわき揚がり、大きくこだまして天にまでとどくものだ。

 

(訳注)

(44)17(狩猟後の饗宴と昆明地ⅱ)-1

於是後宮乘輅,登龍舟,

さて、後宮の后妃や官女は、車を乗りものにして、龍の形を画く舟にあがりこむ。

較覇 竹材を箱型に編み、帳を張ることができるようにしたもの。人がひく。横幅があり臥車とすることもある。後宮の女のため幃がはりめぐらされ、脇に肘掛のある車。臥は身を横にしてやすめること。

龍舟 龍を画いた舟。、「龍舟鷁首」(りゅうとうげきす) 天子や貴人の乗る船。また、立派な船。竜の彫り物や鷁の頭を船首・船側につけた船。風流を楽しむ船。

 

張鳳蓋,建華旗。

鳳凰をぬいとりした蓋を張り、五彩の色の旗を建てる。

鳳蓋 鳳凰をぬいとりした蓋。

華旗 五彩の色の旗。

 

袪黼帷,鏡清流。

刺繍模様の帳をかかげて、清流に影を写す奢侈をする。

黼帷 刺繍模様の帳。

 

靡微風,澹淡浮。

それらは微風の吹くままに、静かにゆれて浮かんでいる。

澹淡 淡淡。風のまにまに静かにゆれるさま。

 

櫂女謳,鼓吹震。

櫂をとる女たちは声をそろえて唱い、鼓笛は鳴りひびかせる。

*舟遊びであり、すべて女性だけで舟を出す。

 

聲激越,謍厲天。

声ははげしくわき揚がり、大きくこだまして天にまでとどくものだ。

激越 声がはげしくあがる。越は、上へあがること。

 大いに。

 至りつくの意。


魚玄機が宮島に

班孟堅(班固)《西都賦》(43)#16-3 文選 賦<112―43>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩997 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3533

班固《西都賦》(43) 蘭やヨロイ草の花が色づき、草木や花が光沢にかがやき、美しくしげる。錦をしきひろげ、刺繍をしきのばすがごとく、その堤の法面にあざやかに光っている。そしていろんな鳥たちが、まず二千年をへて黒色に変じた老鶴の玄鶴・白鷺・黄鵠(はくちょう)・鵁鸛(ごいさぎ)がいて、まなづる・(のがん)鳧鷖(かも)・おおとり、雁がいる。

2014年1月2日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

 

班孟堅(班固)《西都賦》(43)163 文選 賦<1124318分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩997 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3533

 

 

(41)16(狩猟後の饗宴と昆明地ⅰ)-1

於是天子乃登屬玉之館,歷長楊之榭。

さて、こうして、天子は、属玉の館に登り、長楊官の台樹を通りぬける。

覽山川之體勢,觀三軍之殺獲。

そこで、山川の形勢に目をとめて、全軍の殺戮した獲物を仔細に視察なさるのである。

原野蕭條,目極四裔。

原野は静まりかえり生物一つなく、四方の果てまで日はとどきわたる。

禽相鎮壓,獸相枕藉。

鳥は上に下にと重なりあい、獣はたおれて重なりあう。

然後收禽會眾,論功賜胙。

この後で獲物を収容して士卒を集合させ、功を論じて胙を賜う。

陳輕騎以行炰,騰酒車以斟酌。

軽騎兵の軍官が列を組んで肉を丸焼きにし、酒の車を馳せて酒をつぐ。

 

(42)#16-2

割鮮野食,舉烽命釂。

生き新鮮なよい肉を切り割いて野外で食事をとり、松明を合い図に乾杯せよとのご命令をくだされる。

饗賜畢,勞逸齊。

恩賜の饗宴が終わると、尽力を盡した者には重く、楽をした者には軽く、苦楽に合わせてねぎらわれた。

大路鳴鑾,容與徘徊。

天子の車は鈴を鳴らし、ゆっくり禁苑を旋回する。

集乎豫章之宇,臨乎昆明之池。

苑中の予章観の屋形に至り、昆明の池を見おろされる。

左牽牛而右織女,似雲漢之無涯。

左手に牽牛星、右手に織女星の石像があり、天の河のはてしない広がりに似ている。

茂樹蔭蔚,芳草被隄。

茂った木が青々と木蔭をつくり、芳香をはなつ草が堤をおおっている。

 

(43)163

蘭茞發色,曄曄猗猗。

蘭やヨロイ草の花が色づき、草木や花が光沢にかがやき、美しくしげる。

若摛錦布繡,瀦燿乎其陂。

錦をしきひろげ、刺繍をしきのばすがごとく、その堤の法面にあざやかに光っている。

鳥則玄鶴白鷺,黃鵠鵁鸛。

そしていろんな鳥たちが、まず二千年をへて黒色に変じた老鶴の玄鶴・白鷺・黄鵠(はくちょう)・鵁鸛(ごいさぎ)がいて、

鶬鴰鴇,鳧鷖鴻鴈。

まなづる・(のがん)鳧鷖(かも)・おおとり、雁がいる。

朝發河海,夕宿江漢。

あしたに黄河北海を飛び立ち、夕べに長江・漢水に宿る。

沈浮往來,雲集霧散。

ゆき帰りにはここで沈んだり浮いたりしてから、雲のごとく集まり、霧のごとく散っていく。

 

(41)16(狩猟後の饗宴と昆明地ⅰ)-1

是に於いて天子 乃ち屬玉の館に登り,長楊の榭を歷る。

山川の體勢を覽,三軍の殺獲を觀る。

原野 蕭條として,目 四裔【しえい】を極める。

禽は相い鎮壓【ちんあつ】し,獸は相い枕藉【しんしゃ】す

然る後 禽を收め 眾を會し,功を論じ胙を賜う。

輕騎を陳【つら】ねて以て炰【ほう】を【や】り,酒車を騰【あ】げてて斟酌【しんしゃく】す

 

(42)162

鮮を割【さ】きて野に食らわしめ,烽を舉げて釂【しゃく】を命ず。

饗賜【きょうし】畢【おわ】り,勞逸【ろういつ】齊しく。

大路鑾【すず】を鳴らし,容與【ようよ】として徘徊す。

豫章【よしょう】の宇に集まり昆明の池に,臨む。

牽牛を左にし織女を右にし,雲漢の涯【かぎり】無きに似たり。

茂樹【もじゅ】蔭蔚【いんうつ】して,芳草 隄に被う。

 

(43)163

蘭茞【らんし】色を發し,曄曄【えうえう】猗猗【いい】とする。

錦を摛【の】ぶると繡【しゅう】を布【し】くとの若く,其の陂【つつみ】に瀦【てり】燿【かがや】く。

鳥には則ち玄鶴【げんかく】白鷺【はくろ】,黃鵠【こうこく】鵁鸛【こうかん】あり。

鶬鴰【そうか】鴇【ほうげき】,鳧鷖【ふえい】鴻鴈【こうがん】あり

朝に河海を發し,夕べに江漢に宿す。

沈浮【ちんふ】往來して,雲のごとく集り霧のごとく散ず。

 

 漢長安図

『西都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (43)163

蘭茞發色,曄曄猗猗。

若摛錦布繡,瀦燿乎其陂。

鳥則玄鶴白鷺,黃鵠鵁鸛。

鶬鴰鴇,鳧鷖鴻鴈。

朝發河海,夕宿江漢。

沈浮往來,雲集霧散。

 

 

 

(下し文)(43)163

蘭茞【らんし】色を發し,曄曄【えうえう】猗猗【いい】とする。

錦を摛【の】ぶると繡【しゅう】を布【し】くとの若く,其の陂【つつみ】に瀦【てり】燿【かがや】く。

鳥には則ち玄鶴【げんかく】白鷺【はくろ】,黃鵠【こうこく】鵁鸛【こうかん】あり。

鶬鴰【そうか】鴇【ほうげき】,鳧鷖【ふえい】鴻鴈【こうがん】あり。

朝に河海を發し,夕べに江漢に宿す。

沈浮【ちんふ】往來して,雲のごとく集り霧のごとく散ず。

 

(現代語訳)

蘭やヨロイ草の花が色づき、草木や花が光沢にかがやき、美しくしげる。

錦をしきひろげ、刺繍をしきのばすがごとく、その堤の法面にあざやかに光っている。

そしていろんな鳥たちが、まず二千年をへて黒色に変じた老鶴の玄鶴・白鷺・黄鵠(はくちょう)・鵁鸛(ごいさぎ)がいて、

まなづる・(のがん)鳧鷖(かも)・おおとり、雁がいる。

あしたに黄河北海を飛び立ち、夕べに長江・漢水に宿る。

ゆき帰りにはここで沈んだり浮いたりしてから、雲のごとく集まり、霧のごとく散っていく。

 

長安城の位置関係 

(訳注) (43)163

蘭茞發色,曄曄猗猗。

蘭やヨロイ草の花が色づき、草木や花が光沢にかがやき、美しくしげる。

曄曄 光沢にかがやいていること。

猗猗 美しくしげっていること

 

若摛錦布繡,瀦燿乎其陂。

錦をしきひろげ、刺繍をしきのばすがごとく、その堤の法面にあざやかに光っている。

陂 つつみの法面、斜面。

 

鳥則玄鶴白鷺,黃鵠鵁鸛。

そしていろんな鳥たちが、まず二千年をへて黒色に変じた老鶴の玄鶴・白鷺・黄鵠(はくちょう)・鵁鸛(ごいさぎ)がいて、

玄鶴 黒いつる。二千年をへて黒色に変じた老鶴。「上林の賦」にも見える。神仙境的にふさわしく鶴を修飾。

 

鶬鴰鴇,鳧鷖鴻鴈。

まなづる・(のがん)鳧鷖(かも)・おおとり、雁がいる。

鶬鴰はまなづる。鳧鷖はかもとかもめ。はのがん、は水鳥の一つで雁に似る。

 

朝發河海,夕宿江漢。

あしたに黄河北海を飛び立ち、夕べに長江・漢水に宿る。

 

沈浮往來,雲集霧散。

ゆき帰りにはここで沈んだり浮いたりしてから、雲のごとく集まり、霧のごとく散っていく。
nat0022 

班孟堅(班固)《西都賦》(42)#16-2 文選 賦<112―42>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩996 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3528

班固《西都賦》(42) 恩賜の饗宴が終わると、尽力を盡した者には重く、楽をした者には軽く、苦楽に合わせてねぎらわれた。天子の車は鈴を鳴らし、ゆっくり禁苑を旋回する。苑中の予章観の屋形に至り、昆明の池を見おろされる。左手に牽牛星、右手に織女星の石像があり、天の河のはてしない広がりに似ている。茂った木が青々と木蔭をつくり、芳香をはなつ草が堤をおおっている。
 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《瀧吏》嶺南行(4)-4韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <909>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3529韓愈詩-234
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 737 《閬州奉送二十四舅使,自京赴任青城〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <644>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3530 杜甫詩1000-644-900/1500 〔草堂逸詩拾遺-(13)〕
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 8 -11 喜遷鶯一首 毛文錫(毛司徒文錫)ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-397-8-#11  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3532
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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班孟堅(班固)《西都賦》(42)162 文選 賦<1124218分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩996 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3528

 

 

(41)16(狩猟後の饗宴と昆明地ⅰ)-1

於是天子乃登屬玉之館,歷長楊之榭。

さて、こうして、天子は、属玉の館に登り、長楊官の台樹を通りぬける。

覽山川之體勢,觀三軍之殺獲。

そこで、山川の形勢に目をとめて、全軍の殺戮した獲物を仔細に視察なさるのである。

原野蕭條,目極四裔。

原野は静まりかえり生物一つなく、四方の果てまで日はとどきわたる。

禽相鎮壓,獸相枕藉。

鳥は上に下にと重なりあい、獣はたおれて重なりあう。

然後收禽會眾,論功賜胙。

この後で獲物を収容して士卒を集合させ、功を論じて胙を賜う。

陳輕騎以行炰,騰酒車以斟酌。

軽騎兵の軍官が列を組んで肉を丸焼きにし、酒の車を馳せて酒をつぐ。

 

(42)162

割鮮野食,舉烽命釂。

生き新鮮なよい肉を切り割いて野外で食事をとり、松明を合い図に乾杯せよとのご命令をくだされる。

饗賜畢,勞逸齊。

恩賜の饗宴が終わると、尽力を盡した者には重く、楽をした者には軽く、苦楽に合わせてねぎらわれた。

大路鳴鑾,容與徘徊。

天子の車は鈴を鳴らし、ゆっくり禁苑を旋回する。

集乎豫章之宇,臨乎昆明之池。

苑中の予章観の屋形に至り、昆明の池を見おろされる。

左牽牛而右織女,似雲漢之無涯。

左手に牽牛星、右手に織女星の石像があり、天の河のはてしない広がりに似ている。

茂樹蔭蔚,芳草被隄。

茂った木が青々と木蔭をつくり、芳香をはなつ草が堤をおおっている。

 

 

(43)163

蘭茞發色,曄曄猗猗。

若摛錦布繡,瀦燿乎其陂。

鳥則玄鶴白鷺,黃鵠鵁鸛。

鶬鴰鴇,鳧鷖鴻鴈。

朝發河海,夕宿江漢。

沈浮往來,雲集霧散。

 

(41)16(狩猟後の饗宴と昆明地ⅰ)-1

是に於いて天子 乃ち屬玉の館に登り,長楊の榭を歷る。

山川の體勢を覽,三軍の殺獲を觀る。

原野 蕭條として,目 四裔【しえい】を極める。

禽は相い鎮壓【ちんあつ】し,獸は相い枕藉【しんしゃ】す

然る後 禽を收め 眾を會し,功を論じ胙を賜う。

輕騎を陳【つら】ねて以て炰【ほう】を【や】り,酒車を騰【あ】げてて斟酌【しんしゃく】す

 

(42)162

鮮を割【さ】きて野に食らわしめ,烽を舉げて釂【しゃく】を命ず。

饗賜【きょうし】畢【おわ】り,勞逸【ろういつ】齊しく。

大路鑾【すず】を鳴らし,容與【ようよ】として徘徊す。

豫章【よしょう】の宇に集まり昆明の池に,臨む。

牽牛を左にし織女を右にし,雲漢の涯【かぎり】無きに似たり。

茂樹【もじゅ】蔭蔚【いんうつ】して,芳草 隄に被う。

 

(43)163

蘭茞【らんし】色を發し,曄曄【えうえう】猗猗【いい】とする。

錦を摛【の】ぶると繡【しゅう】を布【し】くとの若く,其の陂【つつみ】に瀦【てり】燿【かがや】く。

鳥には則ち玄鶴【げんかく】白鷺【はくろ】,黃鵠【こうこく】鵁鸛【こうかん】あり。

鶬鴰【そうか】鴇【ほうげき】,鳧鷖【ふえい】鴻鴈【こうがん】あり

朝に河海を發し,夕べに江漢に宿す。

沈浮【ちんふ】往來して,雲のごとく集り霧のごとく散ず。

函谷関長安地図座標005 

 

『西都賦』 現代語訳と訳註

(本文) (42)162

割鮮野食,舉烽命釂。

饗賜畢,勞逸齊。

大路鳴鑾,容與徘徊。

集乎豫章之宇,臨乎昆明之池。

左牽牛而右織女,似雲漢之無涯。

茂樹蔭蔚,芳草被隄。

 

(下し文) (42)162

鮮を割【さ】きて野に食らわしめ,烽を舉げて釂【しゃく】を命ず。

饗賜【きょうし】畢【おわ】り,勞逸【ろういつ】齊しく。

大路鑾【すず】を鳴らし,容與【ようよ】として徘徊す。

豫章【よしょう】の宇に集まり昆明の池に,臨む。

牽牛を左にし織女を右にし,雲漢の涯【かぎり】無きに似たり。

茂樹【もじゅ】蔭蔚【いんうつ】して,芳草 隄に被う。

 

(現代語訳)

生き新鮮なよい肉を切り割いて野外で食事をとり、松明を合い図に乾杯せよとのご命令をくだされる。

恩賜の饗宴が終わると、尽力を盡した者には重く、楽をした者には軽く、苦楽に合わせてねぎらわれた。

天子の車は鈴を鳴らし、ゆっくり禁苑を旋回する。

苑中の予章観の屋形に至り、昆明の池を見おろされる。

左手に牽牛星、右手に織女星の石像があり、天の河のはてしない広がりに似ている。

茂った木が青々と木蔭をつくり、芳香をはなつ草が堤をおおっている。

 

上林苑01(訳注) (42)162

割鮮野食,舉烽命釂。

生き新鮮なよい肉を切り割いて野外で食事をとり、松明を合い図に乾杯せよとのご命令をくだされる。

釂 雀の形の酒杯。酒を飲みはすこと。

 

饗賜畢,勞逸齊。

恩賜の饗宴が終わると、尽力を盡した者には重く、楽をした者には軽く、苦楽に合わせてねぎらわれた。

労逸斉「労する者には之を厚くし、逸する者には之を薄くす。故に斉と言ふ」と。斉とは苦楽に合わせそろうように恩賞を施すこと。

 

大路鳴鑾,容與徘徊。

天子の車は鈴を鳴らし、ゆっくり禁苑を旋回する。

大路 天子の雫

鳴鑾 車の横木につける金の鈴。

 

集乎豫章之宇,臨乎昆明之池。

苑中の予章観の屋形に至り、昆明の池を見おろされる。

予章 観の名。昆明地の中にあった(『三輔黄図』)

 

左牽牛而右織女,似雲漢之無涯。

左手に牽牛星、右手に織女星の石像があり、天の河のはてしない広がりに似ている。

牽牛・織女「昆明地に二石人、牽牛・織女の像有り」(『漢官闘疏』)

 

茂樹蔭蔚,芳草被隄。

茂った木が青々と木蔭をつくり、芳香をはなつ草が堤をおおっている。

 つつみ。陂はつつみの斜面。

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