漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2014年06月

21 《古風五十九首之二十一》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳270古風,五十九首之二十一郢客吟白雪, <21> Ⅰ李白詩1171 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4403

(此の詩は知音の難きことを慨し、兼ねて、高才世に受け入れられないことを悲しんで作ったものである。)楚の都、郢の街中に来ている客人が、よく、最高の調をもって知られる「白雪」の曲を吟ずるのであるが、その歌は余韻嫋嫋として、青天に飛び上がり、とこしえにその響きを絶えさせないというのである。

 
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Index-22

製作年:  743  天寶二年  43

卷別: 巻一  卷一六一 

文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二十一 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

古風,五十九首之二十一 

(此の詩は知音の難きことを慨し、兼ねて、高才世に受け入れられないことを悲しんで作ったものである。)

郢客吟白雪,遺響飛青天。 

楚の都、郢の街中に来ている客人が、よく、最高の調をもって知られる「白雪」の曲を吟ずるのであるが、その歌は余韻嫋嫋として、青天に飛び上がり、とこしえにその響きを絶えさせないというのである。

徒勞歌此曲,舉世誰為傳。 

しかし、その曲が高尚なだけに、世にこれを解する者はいないのである、だからいくら骨を折って、これを歌ったところで、誰に伝わるわけでなく、到底、無駄なことである。

試為巴人唱,和者乃數千。 

これに反して、試みに巴の人の曲を詠えば、その曲が卑しいだけに大勢にもてはやされ、和する者は数千の多きに及んだのである。

吞聲何足道,歎息空淒然。 

此れは昔から流伝している故事であるが、人間のことは、すべてこの通り、なんでも卑しいものでなければ、通らないので、声を呑んで泣いたところで、仕方がないから、ただ凄然として、嘆息するのみである。

 

(古風,五十九首の二十一

郢客【えいかく】白雪を吟ずれば,遺響 青天に飛ぶ。

徒勞 此の曲を歌う,舉世 誰が為に傳えん。

試みに巴人の唱を為せば,和する者 乃ち數千。

聲を吞む 何ぞ道うに足らん,歎息 空しく淒然。 

太白山00 

 

『古風,五十九首之二十一』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之二十一 

郢客吟白雪,遺響飛青天。 

徒勞歌此曲,舉世誰為傳。 

試為巴人唱,和者乃數千。 

吞聲何足道,歎息空淒然。 

 

(下し文)

(古風,五十九首の二十一

郢客【えいかく】白雪を吟ずれば,遺響 青天に飛ぶ。

徒勞 此の曲を歌う,舉世 誰が為に傳えん。

試みに巴人の唱を為せば,和する者 乃ち數千。

聲を吞む 何ぞ道うに足らん,歎息 空しく淒然。 

 

(現代語訳)

(此の詩は知音の難きことを慨し、兼ねて、高才世に受け入れられないことを悲しんで作ったものである。)

楚の都、郢の街中に来ている客人が、よく、最高の調をもって知られる「白雪」の曲を吟ずるのであるが、その歌は余韻嫋嫋として、青天に飛び上がり、とこしえにその響きを絶えさせないというのである。

しかし、その曲が高尚なだけに、世にこれを解する者はいないのである、だからいくら骨を折って、これを歌ったところで、誰に伝わるわけでなく、到底、無駄なことである。

これに反して、試みに巴の人の曲を詠えば、その曲が卑しいだけに大勢にもてはやされ、和する者は数千の多きに及んだのである。

此れは昔から流伝している故事であるが、人間のことは、すべてこの通り、なんでも卑しいものでなければ、通らないので、声を呑んで泣いたところで、仕方がないから、ただ凄然として、嘆息するのみである。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之二十一 

(此の詩は知音の難きことを慨し、兼ねて、高才世に受け入れられないことを悲しんで作ったものである。)

 

郢客吟白雪,遺響飛青天。 

楚の都、郢の街中に来ている客人が、よく、最高の調をもって知られる「白雪」の曲を吟ずるのであるが、その歌は余韻嫋嫋として、青天に飛び上がり、とこしえにその響きを絶えさせないというのである。

○郢客 宋玉の對楚王間に「客に郢に歌うもの有り。その始めを下里巴人という。その陽阿薤蕗を爲や、国中属して和する者数十人。引商刻羽、泛してもって流徴すれば国中属して和する者数人にすぎざるのみ。これその曲彌よ高くして共和彌よ寡し」とある。郢は楚の都。・對郢客(?-前174年),朝宗室,西楚王,《史》作劉郢。其父楚元王劉交是漢高祖劉邦的弟弟。前178年,其父劉交死后,劉郢継位。一共在位四年。前174年,劉郢去世,謚號夷,他儿子戊嗣位,即七国之乱的楚王

吟白雪 古琴曲吟『白雪』曲。中國十大琵琶曲文曲中代表作品之一中国著名十大古曲之一。

○遺響 余韻。

 

徒勞歌此曲,舉世誰為傳。 

しかし、その曲が高尚なだけに、世にこれを解する者はいないのである、だからいくら骨を折って、これを歌ったところで、誰に伝わるわけでなく、到底、無駄なことである。

 

試為巴人唱,和者乃數千。 

これに反して、試みに巴の人の曲を詠えば、その曲が卑しいだけに大勢にもてはやされ、和する者は数千の多きに及んだのである。

 

吞聲何足道,歎息空淒然。 

此れは昔から流伝している故事であるが、人間のことは、すべてこの通り、なんでも卑しいものでなければ、通らないので、声を呑んで泣いたところで、仕方がないから、ただ凄然として、嘆息するのみである。
李白図102 

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安期生は、一度去った後「秦の始皇帝が使者を遣わして、いくら尋ねてもわからず、東海は蒼蒼として、ただ煙霧の立ち込めるのに任せ、何処にいるか知る由もなかった」と同じく、私としても、この世を辞せし後は、たとえ帝王が捜されたとしても見つかるはずもなく区々たる親友の交誼など特に問うまでもないことなのである。

 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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Index-23-1 744年天寶三年44365古風,五十九首之二十昔我遊齊都,

製作年:  744  天寶三年  44 

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二十 

及地點:  臨淄 (河南道 青州 臨淄) 別名:齊都     

華不注山 (河南道 齊州 華不注山) 別名:華不注峰     

 

 

古風,五十九首之二十 #1

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

昔我遊齊都,登華不注峰。

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

含笑凌倒景,欣然願相從。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

かくして一たび天にしまえばいつ帰るともわからないから、暫時 暇を盗んで、親友に暇乞いをしてから、これと語り合おうとすれば、再三涙にむせび、言葉も出ないのである。

勗君青松心,努力保霜雪。

そうしていうには、君はつとめて堅強なる心を保有し、かの丘に生える松が霜と雪にたゆまぬように努力して養生することがよいのである。

世路多險艱,白日欺紅顏。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である

分手各千里,去去何時還。

ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

世復幾時,倏如飄風度。

さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。

 

空聞紫金經,白首愁相誤。

折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

このように思い悩んでから、忽然として大悟し、そこで自ら大笑いして言うには、いましも沈吟して別れを惜しむは、畢竟、「誰がためにするのか、まったく人間離れをするものではない」という。

名利徒煎熬,安得閒余步。

このような愚痴な了見も出るので、世間におれば、名利のために煮られたり、炒られたりして終始忙しく駆け回らねばならない。どうして私が足並みを静かにしようかと、そんなことは少しも自分に役がない。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

遠游に出かけて翻然高挙、かの赤松子に随って、ゆっくりと仙術の修行をなそうと思うので、かの安期生が赤玉の靴を留めて、遙かに東、蓬莱山にいったとおなじく、わたしもまた遺跡を人間に留めたまま立ち去ろうとするのである。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

安期生は、一度去った後「秦の始皇帝が使者を遣わして、いくら尋ねてもわからず、東海は蒼蒼として、ただ煙霧の立ち込めるのに任せ、何処にいるか知る由もなかった」と同じく、私としても、この世を辞せし後は、たとえ帝王が捜されたとしても見つかるはずもなく区々たる親友の交誼など特に問うまでもないことなのである。

 

古風,五十九首の二十

昔 我 齊都に遊び,華 不注の峰に登る。

茲の山 何ぞ峻秀,綠翠 芙蓉の如し。

蕭颯たる 古仙人,了に知る是れ赤松なるを。

予に一の白鹿を借し,自ら兩の青龍を挾む。

笑を含んで倒景を凌ぎ,欣然として相い從わんことを願う。

 

泣いて親友と別れ,語らんと欲して再三 咽ぶ。

君が青松の心を勗め,努力して霜雪を保てよ。

世路 險艱多く,白日 紅顏を欺く。

分手をてば各の千里,去去 何れの時か還らん。

世に在り 復た幾時ぞ,倏として 飄風の度るが如し。

 

空しく聞く 紫金經を,白首 相い誤るを愁う。

己を撫して忽ち自ら笑う,沈吟 誰が為めの故ぞ。

名利 徒らに煎熬【せんごう】,安んぞ余が步みを閒にするを得ん。

終に赤玉の舄【くつ】を留め,東 蓬萊の路に上る。

秦帝 如し我を求めなば,蒼蒼として但だ煙霧のみ。

 

太白山001

『古風,五十九首之二十』 現代語訳と訳註

(本文)

 

(下し文)

空しく聞く 紫金經を,白首 相い誤るを愁う。

己を撫して忽ち自ら笑う,沈吟 誰が為めの故ぞ。

名利 徒らに煎熬【せんごう】,安んぞ余が步みを閒にするを得ん。

終に赤玉の舄【くつ】を留め,東 蓬萊の路に上る。

秦帝 如し我を求めなば,蒼蒼として但だ煙霧のみ。

 

(現代語訳)

折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

このように思い悩んでから、忽然として大悟し、そこで自ら大笑いして言うには、いましも沈吟して別れを惜しむは、畢竟、「誰がためにするのか、まったく人間離れをするものではない」という。

このような愚痴な了見も出るので、世間におれば、名利のために煮られたり、炒られたりして終始忙しく駆け回らねばならない。どうして私が足並みを静かにしようかと、そんなことは少しも自分に役がない。

遠游に出かけて翻然高挙、かの赤松子に随って、ゆっくりと仙術の修行をなそうと思うので、かの安期生が赤玉の靴を留めて、遙かに東、蓬莱山にいったとおなじく、わたしもまた遺跡を人間に留めたまま立ち去ろうとするのである。

安期生は、一度去った後「秦の始皇帝が使者を遣わして、いくら尋ねてもわからず、東海は蒼蒼として、ただ煙霧の立ち込めるのに任せ、何処にいるか知る由もなかった」と同じく、私としても、この世を辞せし後は、たとえ帝王が捜されたとしても見つかるはずもなく区々たる親友の交誼など特に問うまでもないことなのである。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之二十 

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

李白図102 

空聞紫金經,白首愁相誤。

折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

○紫金經 紫金:赤銅(しゃくどう)の異称。古くは「黄治」や「黄白」とも呼ばれた金丹は、不老不死の効果を持つ薬の製造と服薬により仙人になることを目指すという点から、道教と密接に関連していた。後漢時代に左慈という人物が神人から授かった「金丹仙経」をごく少数の集団を経て伝えられたという。

 

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

このように思い悩んでから、忽然として大悟し、そこで自ら大笑いして言うには、いましも沈吟して別れを惜しむは、畢竟、「誰がためにするのか、まったく人間離れをするものではない」という。

 

名利徒煎熬,安得閒余步。

このような愚痴な了見も出るので、世間におれば、名利のために煮られたり、炒られたりして終始忙しく駆け回らねばならない。どうして私が足並みを静かにしようかと、そんなことは少しも自分に役がない。

 

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

遠游に出かけて翻然高挙、かの赤松子に随って、ゆっくりと仙術の修行をなそうと思うので、かの安期生が赤玉の靴を留めて、遙かに東、蓬莱山にいったとおなじく、わたしもまた遺跡を人間に留めたまま立ち去ろうとするのである。

○赤玉舄 安期生が赤玉の靴。『列仙伝』 の安期先生も 「赤玉の. 暮」 をのこ し、 『神仙伝』 の茄子訓も棺中にくつを一つのこ していった。 安期先生瑯邪の阜郷(山東省)の人で、秦始皇帝(BC259BC210)が巡遊したとき三日三晩共に語らい、赤玉くつ一足を返礼し、蓬莱山に愚老を捜すように書面を残して去る

○蓬萊路 古代中国で東の海上(海中)にある仙人が住むといわれていた仙境の1つ。道教の流れを汲む神仙思想のなかで説かれるものである。

 

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

安期生は、一度去った後「秦の始皇帝が使者を遣わして、いくら尋ねてもわからず、東海は蒼蒼として、ただ煙霧の立ち込めるのに任せ、何処にいるか知る由もなかった」と同じく、私としても、この世を辞せし後は、たとえ帝王が捜されたとしても見つかるはずもなく区々たる親友の交誼など特に問うまでもないことなのである。

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顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要であるここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

 
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Index-23-1 744年天寶三年44365古風,五十九首之二十昔我遊齊都,

製作年:  744  天寶三年  44 

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二十 

及地點:  臨淄 (河南道 青州 臨淄) 別名:齊都     

華不注山 (河南道 齊州 華不注山) 別名:華不注峰     

 

 

古風,五十九首之二十 #1

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

昔我遊齊都,登華不注峰。

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

含笑凌倒景,欣然願相從。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

かくして一たび天にしまえばいつ帰るともわからないから、暫時 暇を盗んで、親友に暇乞いをしてから、これと語り合おうとすれば、再三涙にむせび、言葉も出ないのである。

勗君青松心,努力保霜雪。

そうしていうには、君はつとめて堅強なる心を保有し、かの丘に生える松が霜と雪にたゆまぬように努力して養生することがよいのである。

世路多險艱,白日欺紅顏。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である

分手各千里,去去何時還。

ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

在世復幾時,倏如飄風度。

さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。

 

空聞紫金經,白首愁相誤。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

古風,五十九首の二十

昔 我 齊都に遊び,華 不注の峰に登る。

茲の山 何ぞ峻秀,綠翠 芙蓉の如し。

蕭颯たる 古仙人,了に知る是れ赤松なるを。

予に一の白鹿を借し,自ら兩の青龍を挾む。

笑を含んで倒景を凌ぎ,欣然として相い從わんことを願う。

 

泣いて親友と別れ,語らんと欲して再三 咽ぶ。

君が青松の心を勗め,努力して霜雪を保てよ。

世路 險艱多く,白日 紅顏を欺く。

分手をてば各の千里,去去 何れの時か還らん。

世に在り 復た幾時ぞ,倏として 飄風の度るが如し。

 

空しく聞く 紫金經を,白首 相い誤るを愁う。

己を撫して忽ち自ら笑う,沈吟 誰が為めの故ぞ。

名利 徒らに煎熬【せんごう】,安んぞ余が步みを閒にするを得ん。

終に赤玉の舄【くつ】を留め,東 蓬萊の路に上る。

秦帝 如し我を求めなば,蒼蒼として但だ煙霧のみ。

太白山00 

 

『古風,五十九首之二十』 現代語訳と訳註

(本文) #2

泣與親友別,欲語再三咽。

勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。

分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

 

(下し文)

泣いて親友と別れ,語らんと欲して再三 咽ぶ。

君が青松の心を勗め,努力して霜雪を保てよ。

世路 險艱多く,白日 紅顏を欺く。

分手をてば各の千里,去去 何れの時か還らん。

世に在り 復た幾時ぞ,倏として 飄風の度るが如し。

 

(現代語訳)

かくして一たび天にしまえばいつ帰るともわからないから、暫時 暇を盗んで、親友に暇乞いをしてから、これと語り合おうとすれば、再三涙にむせび、言葉も出ないのである。

そうしていうには、君はつとめて堅強なる心を保有し、かの丘に生える松が霜と雪にたゆまぬように努力して養生することがよいのである。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である

ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。

安史の乱当時の勢力図 

(訳注)

古風,五十九首之二十 

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

 

泣與親友別,欲語再三咽。

かくして一たび天にしまえばいつ帰るともわからないから、暫時 暇を盗んで、親友に暇乞いをしてから、これと語り合おうとすれば、再三涙にむせび、言葉も出ないのである。

 

勗君青松心,努力保霜雪。

そうしていうには、君はつとめて堅強なる心を保有し、かの丘に生える松が霜と雪にたゆまぬように努力して養生することがよいのである。

 

世路多險艱,白日欺紅顏。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である

 

分手各千里,去去何時還。

ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

 

在世復幾時,倏如飄風度。

さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。

○飄風 急に激しく吹く風。つむじかぜ。はやて。《「老子」23章から》「故飄風不終朝 驟雨不終日」飄風は朝を終えず驟雨は日を終えず。

つむじ風が朝の間じゅう吹きつづけることはないし、にわか雨が一日じゅう降りつづけることもない。不自然な出来事は長くは続かないというたとえ。
李白図102 

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(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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Index-23-1 744年天寶三年44365古風,五十九首之二十昔我遊齊都,

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卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二十 

及地點:  臨淄 (河南道 青州 臨淄) 別名:齊都     

華不注山 (河南道 齊州 華不注山) 別名:華不注峰     

 

 

古風,五十九首之二十 #1

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

昔我遊齊都,登華不注峰。

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

含笑凌倒景,欣然願相從。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。

分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

 #3

空聞紫金經,白首愁相誤。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

古風,五十九首の二十

昔 我 齊都に遊び,華 不注の峰に登る。

茲の山 何ぞ峻秀,綠翠 芙蓉の如し。

蕭颯たる 古仙人,了に知る是れ赤松なるを。

予に一の白鹿を借し,自ら兩の青龍を挾む。

笑を含んで倒景を凌ぎ,欣然として相い從わんことを願う。

 

泣いて親友と別れ,語らんと欲して再三 咽ぶ。

君が青松の心を勗め,努力して霜雪を保てよ。

世路 險艱多く,白日 紅顏を欺く。

分手をてば各の千里,去去 何れの時か還らん。

世に在り 復た幾時ぞ,倏として 飄風の度るが如し。

 

空しく聞く 紫金經を,白首 相い誤るを愁う。

己を撫して忽ち自ら笑う,沈吟 誰が為めの故ぞ。

名利 徒らに煎熬【せんごう】,安んぞ余が步みを閒にするを得ん。

終に赤玉の舄【くつ】を留め,東 蓬萊の路に上る。

秦帝 如し我を求めなば,蒼蒼として但だ煙霧のみ。

泰山の夕日02 

 

『古風,五十九首之二十』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之二十

昔我遊齊都,登華不注峰。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

 

(下し文)

古風,五十九首の二十

昔 我 齊都に遊び,華 不注の峰に登る。

茲の山 何ぞ峻秀,綠翠 芙蓉の如し。

蕭颯たる 古仙人,了に知る是れ赤松なるを。

予に一の白鹿を借し,自ら兩の青龍を挾む。

笑を含んで倒景を凌ぎ,欣然として相い從わんことを願う。

 

(現代語訳)

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。

 太白山00

 

(訳注)

古風,五十九首之二十 

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

 

昔我遊齊都,登華不注峰。

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

○齊都 済南市は中華人民共和国山東省に位置する副省級市。山東省の西部に位置し、省都として省内の通商、政治、文化の中心としての地位を占める。市中を黄河が流れ、南には泰山が控えている。人口のほとんどは漢族であるが、満族や回族なども居住している。 言語は北京語に近いが声調がひどく訛る山東方言がある。740年、孔巣父ら5人の道士と徂徠山(現山東省)に集まり、「竹渓六逸」と呼ばれることもあった。

○華不注峰 中国五岳の一。陝西(せんせい)省の南,秦嶺(しんれい)山脈の東端にある名山。海抜1997メートル。双峰が突き出した険しい山が「華不注山」、頂上の丸いのが「鵲山」である。陝西省華陰県,秦嶺東部の山。黄土高原を南流してきた黄河が東方へ90度転換,渭河と合流する地域にある。東岳泰山,中岳嵩山(すうざん)などとならび中国五岳の一つで,西岳,小秦嶺ともいう。東,西,南,北,中の5峰をはじめ,花コウ岩を主とする山峰が発達した断層山地で,最高は南峰落雁峰の1997m。〈華山は天下の雄たり〉の称がある。山中には寺観が大小30余あり,道教の山となってきた。【

 

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

 

蕭颯古仙人,了知是赤松。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

○赤松 赤松子:神農のころの雨師(雨の神)水玉(水精。水晶)を服用し、それを神農にも教えた。  自焼することで火によって尸解したという。西王母の石室に宿り風雨とともに山を上り下りした。  炎帝(神農)の末娘が赤松子を追ってきて仙人になり、二人とも姿を消した。黄帝の曾孫の高辛氏の時代に再び雨師になった。

 

借予一白鹿,自挾兩青龍。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

白鹿 仙人ののるもの。

青竜 伝説上の神獣、四神(四象)の1つ。東方青竜。蒼竜(そうりゅう)ともいう。福建省では青虎(せいこ)に置き換わっている。「青」の原義は緑色植物の色であり、本来は緑色をしているとされる。東方を守護する。長い舌を出した竜の形とされる。青は五行説では東方の色とされる。また、青竜の季節は春とされている。天文学上は、二十八宿の東方七宿に対応する。東方七宿(角宿・亢宿・氐宿・房宿・心宿・尾宿・箕宿)をつなげて竜の姿に見立てたことに由来する。

道教における人格神化した名前では、東海青龍王敖広と呼ばれる。清瀧権現の善女龍王は中国・青龍寺に飛来したという。

杜甫『寄張十二山人彪三十韻』

時來故舊少,亂後別離頻。世祖修高廟,文公賞從臣。

商山猶入楚,渭水不離秦。存想青龍秘,騎行白鹿馴。

耕岩非穀口,結草即河濱。

時来たって故旧少なく 乱後別離頻りなり

世祖高廟を修む 文公従臣を賞す

商山猶お楚にガる 洞水秦を離れず

想いを存す青竜の秘なるに 騎行す白鹿の馴るるに

巌に耕すは谷口に非ず 草を結ぶは即ち河浜

四皓の隠れた商山、太公望の釣りを垂れた渭水、みな我が唐に帰した。あなたの隠居の地は回復されている。

道家としての想いは青竜が斎室を守るという道教の秘密を知っており、君はまさに馴れたる白鹿にのってあるくのである。

あなたが漢の鄭子真のように巌石のもとに退耕しようとする場所は長安ちかくの谷口ではない、君が草を結んで庵をつくろうとする処は「神仙伝」にいう河上公の洛陽に遠からざる黄河のほとりであるであろう。

寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1484 杜甫詩 700- 459

 

含笑凌倒景,欣然願相從。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。
 

李白図102 

19 《古風五十九首之十九》Index-35Ⅳ-10 756年至德元年年;56歳730古風,五十九首之十九西嶽蓮花山, <19> Ⅰ李白詩1167 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4383

西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。玉女のまっしろな手に今を盛りに咲く千葉の蓮の花を捧げ、そして、歩みも軽げに空中を飛行していた。虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。

 
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製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題:古風,五十九首之十九

 

 

古風,五十九首之十九

西岳蓮花山。 迢迢見明星。

素手把芙蓉。 虛步躡太清。

霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。

 

邀我登云台。 高揖衛叔卿。

恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。

俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。

流血涂野草。 豺狼盡冠纓。

西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
玉女のまっしろな手に今を盛りに咲く千葉の蓮の花を捧げ、そして、歩みも軽げに空中を飛行していた。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
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<!--[endif]-->

わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。
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<!--[endif]-->

 

古風,五十九首の十九

西のかた 蓮花山に上れば、迢迢として 明星を見る。

素手 芙蓉を把り、虚歩して 太晴を躡【ふ】む。

霓裳【げいしょう】 広帯を曳き、諷払 天に昇り行く。

 

我を邀【むか】えて雲台に登り、高く揖す 衛叔卿【えいしゅくけい】。

恍恍として 之と与に去り、鴻に駕して紫冥を凌ぐ。

俯して洛陽の川を視れば、茫茫として胡兵を走らす。

流血 野草に涂【まみ】れ。 豺狼【さいろう】盡く冠纓【かんえい】。

 

華山000 

古風,五十九首之十九』 現代語訳と訳註

(本文) 古風,五十九首の十九

西岳蓮花山。 迢迢見明星。

素手把芙蓉。 虛步躡太清。

霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。

 

邀我登云台。 高揖衛叔卿。

恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。

俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。

流血涂野草。 豺狼盡冠纓。

 

(下し文)

古風,五十九首の十九

西のかた 蓮花山に上れば、迢迢として 明星を見る。

素手 芙蓉を把り、虚歩して 太晴を躡【ふ】む。

霓裳【げいしょう】 広帯を曳き、諷払 天に昇り行く。

我を邀【むか】えて雲台に登り、高く揖す 衛叔卿【えいしゅくけい】。

恍恍として 之と与に去り、鴻に駕して紫冥を凌ぐ。

俯して洛陽の川を視れば、茫茫として胡兵を走らす。

流血 野草に涂【まみ】れ。 豺狼【さいろう】盡く冠纓【かんえい】。

 

(現代語訳)

西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
玉女のまっしろな手に今を盛りに咲く千葉の蓮の花を捧げ、そして、歩みも軽げに空中を飛行していた。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。
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(訳注)

古風五十九首之十九

李白の思想哲學を考察する上で、最も基礎的な文献として指摘・言及される作品は古風五十九首である。

修僻技法の側面とりわけ、隠喩やその延長線上にある諷喩においても、大きな成果をあげているものと考えられ、その表現手法そのものが、李白の発想上の特色なのである。

を明らかにする手掛りになるように思われるのである。

この李白を理解するためには、彼の代表的な連作である古風五十九首を一首づつ丁寧に読んでいく必要がある。この作品群に対する彼の作詩態度を探っていって、その後に、時系列に他の作品を読んでいくことが大切なのである。李白を理解する、早道であり、基本的な学習法である。一千首前後有り、長詩もあるので、毎日8句~10句程度で進める。できる事なら、それを数回繰り返して読み、螺旋階段を上るように理解が高められるということなのである。

 

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。

泰山の道観 

西岳蓮花山。 迢迢見明星。
西嶽の最高峰に蓮花山があり、はるばると攀じ登っていくと明星玉女や西玉母に遭った。
○蓮花山 華山の最高峰。華山(西嶽;2,160m陝西省渭南市華陰市)

嵩山(中嶽;1,440m河南省鄭州市登封市)、

泰山(東嶽;1,545m山東省泰安市泰山区)、

衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、

恒山(北嶽;2,016,m山西省大同市渾源県)とともに五嶽の一つにかぞえられ、中国大陸の西方をつかさどる山の神とされている。陝西省と山西省の境、黄河の曲り角にある。蓮花山の頂には池があり、千枚の花びらのある蓮の花を生じ、それをのむと羽がはえて自由に空をとぶ仙人になれるという。

陝西省と山西省の境、黄河の曲り角にある。蓮花山の頂には池があり、千枚の花びらのある蓮の花を生じ、それをのむと羽がはえて自由に空をとぶ仙人になれるという。華山(かざん、ホワシャン)は、中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。
 
○迢迢 はるかなさま。李白「長相思」につかう。

○明星 もと華山にすんでいた明星の玉女という女の仙人。

素手把芙蓉。 虛步躡太清。
玉女のまっしろな手に今を盛りに咲く千葉の蓮の花を捧げ、そして、歩みも軽げに空中を飛行していた。
○素手 しろい手。○芙蓉 蓮の異名。○虚歩 空中歩行。○太清 大空。

霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
○霓裳 虹の裾。

○諷払 ひらりひらり。裳と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風を切って飛行する形容。

邀我登云台。 高揖衛叔卿。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
○雲台 崋山の東北にそびえる峰。

○高揖 手を高くあげる敬礼。

○衛叔卿 中叫という所の人で、雲母をのんで仙人になった。漢の武帝は仙道を好んだ。武帝が殿上に閑居していると、突然、一人の男が雲の車にのり、白い鹿にその車をひかせて天からおりて来た。仙道を好む武帝に厚遇されると思い来たのだった。童子のような顔色で、羽の衣をき、星の冠をかむっていた。武帝は誰かとたずねると、「わたしは中山の衛叔卿だ。」と答えた。皇帝は「中山の人ならば、朕の臣じゃ。近う寄れ、苦しゅうないぞ。」邸重な礼で迎えられると期待していた衛叔卿は失望し、黙然としてこたえず、たちまち所在をくらましてしまったという。

恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
○恍恍 うっとり、夢見心地。

○鴻 雁の一種。大きな鳥。○繋冥 天。

俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
○俯視 見下ろす。高いところから下を見下ろす。

○洛陽川 河南省の洛陽のあたりの平地。川は、河川以外にその平地をさすことがある。○茫茫 ひろびろと広大なさま。

○胡兵 えびすの兵。安禄山の反乱軍。玄宗の天宝十四戟(七五五年)十一月、叛旗をひるがえした安禄山の大軍は、いまの北京から出発して長安に向い、破竹の勢いで各地を席捲し、同年十二月には、はやくも東都洛陽を陥落した。

流血涂野草。 豺狼盡冠纓。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。
○豺狼 山犬と狼。

○冠浬 かんむりのひも。
李白図102 

18-#4 《古風五十九首之十八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳582古風,五十九首之十八天津三月時, <18-#4> Ⅰ李白詩1171 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4403

成功してもその身を引退しないでいると、むかしからあやまちをすることが多いものだ。秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかってしうちをされた。かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。
18-#4 《古風五十九首之十八》Index-32-7 753年天寶十二年53582古風,五十九首之十八天津三月時, <18-#4> Ⅰ李白詩1171 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4403

 


 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十八 

作地點: 洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽

及地點:  天津橋 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛橋     

上陽宮 (都畿道 河南府 洛陽)     

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

 

 

古風,五十九首之十八 #1

天津三月時,千門桃與李。

朝為斷腸花,暮逐東流水。

前水復後水,古今相續流。

新人非舊人,年年橋上遊。

(劉廷芝の公子行のイメージを借りて「道」を詠い、世情をうたう。)

洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。
そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。
花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。

橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。
#2

雞鳴海色動,謁帝羅公侯。

月落西上陽,餘輝半城樓。

衣冠照雲日,朝下散皇州。

鞍馬如飛龍,黃金絡馬頭。

鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。
やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。

鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。

#3

行人皆辟易,志氣橫嵩丘。

入門上高堂,列鼎錯珍饈。

香風引趙舞,清管隨齊謳。

七十紫鴛鴦,雙雙戲庭幽。

道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。

門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえている。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出している。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でている。

七十羽の紫のつがいのおしどりである宮女たちは、それぞれつがいになって、庭の茂みの奥の茂みでたわむれている。
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#4

行樂爭晝夜,自言度千秋。

功成身不退,自古多愆尤。

黃犬空歎息,綠珠成釁讎。

何如鴟夷子,散髮棹扁舟。

野外において昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。 

成功してもその身を引退しないでいると、むかしからあやまちをすることが多いものだ。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかってしうちをされた。
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。
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(古風,五十九首の十八) #1

天津 三月の時、千門 桃と李と。』

朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』

前水 復た後水、古今 相競いで流る。

新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。

#2

鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。

月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。

衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』

鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』

#3

行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。

門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。

香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。

七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』

#4

行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。

功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。

黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。

何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。

 

安史の乱当時の勢力図

『古風,五十九首之十八』 現代語訳と訳註

(本文) #4

行樂爭晝夜,自言度千秋。功成身不退,自古多愆尤。

黃犬空歎息,綠珠成釁讎。何如鴟夷子,散髮棹扁舟。

 

(下し文) #4

行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。

功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。

黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。

何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。

 

 

(現代語訳)

野外において昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。 

成功してもその身を引退しないでいると、むかしからあやまちをすることが多いものだ。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかってしうちをされた。
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。

 

(訳注) #4

古風,五十九首之十八 #3

古風 第十八であるが、古風での道教の詩としてはここまでである。はじめと終りとに栄華の無常をい、中ごろではそのはかない栄華に得々たる権力者たちを心憎いまでに描写して効果を深めてゐる。しかしこの無常感は、仏教のそれとは全く異なる老荘の説に基づくものである。咸陽の市に黄犬を牽いた得意の時を過ぎて、刑場に就く李斯と対照されている鴟夷子は越王勾践の相だった范蠡(はんれい)であるが、李斯を以て当時の李林甫、楊国忠にたとえたものとすれば、呉を亡したのち髪を散らし、姓名を変じて斉に赴いた無欲の范蠡は李白の理想とする姿にほかならない。李白のもっとも言いたかったものではなかろうか

太白山001

行樂爭晝夜、自言度千秋。
野外において昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。 

○行楽爭晝夜 野外において昼夜わかたず性的行為をする光景を詠っている。


功成身不退、自古多愆尤。
成功してもその身を引退しないでいると、むかしからあやまちをすることが多いものだ。
退 引退。范蠡は、斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得た。そのあと引退し悠々自適の生活をした。

愆尤 けんゆう  あやまち。失敗。

黃犬空嘆息、綠珠成讎。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかってしうちをされた。
黃犬 このブログ 襄陽歌 李白49に示す。「咸陽市中歎黄犬、何如月下傾金罍。」咸陽の町のまん中で「黄色い犬をつれて免狩りしたかった」などと嘆いた秦の李斯のさいごを思うと、たとえ出世しなくとも、月の下で、黄金の杯を傾けているほうが、どれだけよいことか。 ・歎黄犬:李斯の故事をいう。

綠珠 晋の石崇は、富を集め豪奪な生活をした人だが、綠珠という女を愛していた。彼女は美しく、色っぽく、上手に笛を吹いた。孫秀という男が人を遣わして綠珠をしつこく求めた。石崇は立腹して言った。緑珠はわたしの愛人だ、と。恨んだ孫秀は、超王倫に告げ口をして石崇を殺そうとした。綠珠は樓から身を投げて自殺し、崇の親兄妻子はみな穀書された。「晋書」にある話。

 仲たがいのあだ、うらみ。

 讐と同じ。

 

何如鴟夷子、散發棹扁舟。』
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。
鴟夷子 越王勾践は呉王夫差と戦って会稽山で和を請うた。その後二十年、嘗胆の苦しみを経て、氾蠡の助けを得て軍隊を訓練し、呉と戦って会稽の恥をそそいだ。越が呉を滅ぼすと、汚轟は越を去った。小舟に乗り、江湖に浮かび、姓名を変じて斉の国におもむき、怨夷子皮と名のった。鴎夷とは馬の革でつくった袋である。呉の功臣伍子背が呉王夫差に死を命ぜられた上、死体は線夷につつまれて揚子江に投げこまれた。泡轟は賢いから、自分もぐずぐずしていたら、そんな目にあっただろうという意味で、こういう皮肉な名前をつけたのである。

散髪 役人のかむる冠で髪を拘束しないこと。

范蠡(はんれい 生没年不詳)は、中国春秋時代の越の政治家、軍人。氏は范、諱は蠡、字は少伯。越王勾践に仕え、勾践を春秋五覇に数えられるまでに押し上げた最大の立役者。
范蠡は夫差の軍に一旦敗れた時に、夫差を堕落させるために絶世の美女施夷光(西施(せいし))を密かに送り込んでいた。思惑通り夫差は施夷光に溺れて傲慢になった。夫差を滅ぼした後、范蠡は施夷光を伴って斉へ逃げた。
 
越を脱出した范蠡は、斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得た。范蠡の名を聞いた斉は范蠡を宰相にしたいと迎えに来るが、范蠡は名が上がり過ぎるのは不幸の元だと財産を全て他人に分け与えて去った。斉を去った范蠡は、かつての曹の国都で、今は宋領となっている定陶(山東省陶県)に移り、陶朱公と名乗った。ここでも商売で大成功して、巨万の富を得た。老いてからは子供に店を譲って悠々自適の暮らしを送ったと言う。陶朱公の名前は後世、大商人の代名詞となった(陶朱の富の故事)。このことについては、史記の「貨殖列伝」に描かれている

李白図102

18-#3 《古風五十九首之十八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳582<18-#3> Ⅰ李白詩1170 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4398

かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出している。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でている。七十羽の紫のつがいのおしどりである宮女たちは、それぞれつがいになって、庭の茂みの奥の茂みでたわむれている。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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18-#3 《古風五十九首之十八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳582<18-#3> Ⅰ李白詩1170 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4398 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログindex-14廣徳2年764-91 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三》 杜甫<763> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4400 杜甫詩1500-763-1051/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-388《竹枝二首其二》孫光憲(48)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-571-14-(388) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4402 
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製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十八 

作地點: 洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽

及地點:  天津橋 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛橋     

上陽宮 (都畿道 河南府 洛陽)     

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

 

 

古風,五十九首之十八 #1

(劉廷芝の公子行のイメージを借りて「道」を詠い、世情をうたう。)

天津三月時,千門桃與李。

洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。
朝為斷腸花,暮逐東流水。

そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。
前水復後水,古今相續流。

花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。
新人非舊人,年年橋上遊。

橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。
#2

雞鳴海色動,謁帝羅公侯。

鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。
月落西上陽,餘輝半城樓。

月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。
衣冠照雲日,朝下散皇州。

やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。
鞍馬如飛龍,黃金絡馬頭。

鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。

#3

行人皆辟易,志氣橫嵩丘。

道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。

入門上高堂,列鼎錯珍饈。

門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえている。
香風引趙舞,清管隨齊謳。

かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出している。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でている。

七十紫鴛鴦,雙雙戲庭幽。

七十羽の紫のつがいのおしどりである宮女たちは、それぞれつがいになって、庭の茂みの奥の茂みでたわむれている。
#4

行樂爭晝夜,自言度千秋。功成身不退,自古多愆尤。

黃犬空歎息,綠珠成釁讎。何如鴟夷子,散髮棹扁舟。

 

(古風,五十九首の十八) #1

天津 三月の時、千門 桃と李と。』

朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』

前水 復た後水、古今 相競いで流る。

新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。

#2

鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。

月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。

衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』

鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』

#3

行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。

門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。

香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。

七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』

#4

行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。

功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。

黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。

何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。

 李白図102

 

『古風,五十九首之十八』 現代語訳と訳註

(本文) #3

行人皆辟易,志氣橫嵩丘。入門上高堂,列鼎錯珍饈。

香風引趙舞,清管隨齊謳。七十紫鴛鴦,雙雙戲庭幽。

 

 

(下し文) #3

行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。

門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。

香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。

七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』

 

 

(現代語訳)

道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。

門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえている。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出している。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でている。

七十羽の紫のつがいのおしどりである宮女たちは、それぞれつがいになって、庭の茂みの奥の茂みでたわむれている。
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(訳注)

古風,五十九首之十八 #3

古風 第十八であるが、古風での道教の詩としてはここまでである。はじめと終りとに栄華の無常をい、中ごろではそのはかない栄華に得々たる権力者たちを心憎いまでに描写して効果を深めてゐる。しかしこの無常感は、仏教のそれとは全く異なる老荘の説に基づくものである。咸陽の市に黄犬を牽いた得意の時を過ぎて、刑場に就く李斯と対照されている鴟夷子は越王勾践の相だった范蠡(はんれい)であるが、李斯を以て当時の李林甫、楊国忠にたとえたものとすれば、呉を亡したのち髪を散らし、姓名を変じて斉に赴いた無欲の范蠡は李白の理想とする姿にほかならない。李白のもっとも言いたかったものではなかろうか

touRAKUYOjou600 

行人皆辟易、志氣橫嵩丘。
道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。

嵩丘 洛陽の近くにある嵩山。道教の総寺観があった。嵩山(すうざん、ピンイン:song-shan)は、中国河南省登封市にある山岳群。五岳の1つ(中岳)に数えられる。最高峰は太室山の標高1,440m。古代から山岳信仰の場として有名で、北魏時代からは少林寺などの道教、仏教の道場が建立された。また、唐代には副都であった洛陽から近い事から、政府との結びつきが強く、ここを本拠地としていた潘師正、普寂、慧安などの道士、僧侶らが皇帝の崇敬を受け、道教、禅宗はそれぞれ自派を拡大した。

 

入門上高堂、列鼎錯珍羞。
門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえている。
 足が三本ある一種の鍋。

珍羞 珍しい御馳走 


香風引趙舞、清管隨齊謳。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出している。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でている。

○趙舞 。長安の繁栄のさまを詠じた『長安古意』、『唐詩選』にも収められている。盧照鄰「羅襦寶帶為君解、燕歌趙舞為君開。」(羅襦寶帶は、 君が為に解き、燕の歌 趙の舞 君が為に開く。)

○清管 清らかな笛の音。

○齊謳 斉の国の歌姫の歌。


七十紫鴛鴦、雙雙戲庭幽。』
七十羽の紫のつがいのおしどりである宮女たちは、それぞれつがいになって、庭の茂みの奥の茂みでたわむれている。
七十紫鴛鴦 楽府古辞「鷄鳴曲」(漢時代の民謡)の中に、「鴛鴦七十二羽、羅列自成行」(鴛鴦が七十二羽、二羽ずつつがいになって、きれいにならんでいる)という意味の詩句が見える。鴛おしどりのオス。鴦おしどりの雌。




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鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。

 
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製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十八 

作地點: 洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽

及地點:  天津橋 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛橋     

上陽宮 (都畿道 河南府 洛陽)     

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

 

 

古風,五十九首之十八 #1

天津三月時,千門桃與李。

朝為斷腸花,暮逐東流水。

前水復後水,古今相續流。

新人非舊人,年年橋上遊。

(劉廷芝の公子行のイメージを借りて「道」を詠い、世情をうたう。)

洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。
そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。
花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。

橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。
#2

雞鳴海色動,謁帝羅公侯。

月落西上陽,餘輝半城樓。

衣冠照雲日,朝下散皇州。

鞍馬如飛龍,黃金絡馬頭。

鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。
やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。

鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。

#3

行人皆辟易,志氣橫嵩丘。入門上高堂,列鼎錯珍饈。

香風引趙舞,清管隨齊謳。七十紫鴛鴦,雙雙戲庭幽。

#4

行樂爭晝夜,自言度千秋。功成身不退,自古多愆尤。

黃犬空歎息,綠珠成釁讎。何如鴟夷子,散髮棹扁舟。

 

(古風,五十九首の十八) #1

天津 三月の時、千門 桃と李と。』

朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』

前水 復た後水、古今 相競いで流る。

新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。

#2

鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。

月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。

衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』

鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』

#3

行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。

門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。

香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。

七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』

#4

行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。

功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。

黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。

何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。

 

 

『古風,五十九首之十八』 現代語訳と訳註

(本文)#2

雞鳴海色動,謁帝羅公侯。月落西上陽,餘輝半城樓。

衣冠照雲日,朝下散皇州。鞍馬如飛龍,黃金絡馬頭。

 

(下し文) #2

鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。

月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。

衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』

鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』

 

 

(現代語訳)

鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。
やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。

鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之十八 #2

古風 第十八であるが、古風での道教の詩としてはここまでである。はじめと終りとに栄華の無常をい、中ごろではそのはかない栄華に得々たる権力者たちを心憎いまでに描写して効果を深めてゐる。しかしこの無常感は、仏教のそれとは全く異なる老荘の説に基づくものである。咸陽の市に黄犬を牽いた得意の時を過ぎて、刑場に就く李斯と対照されている鴟夷子は越王勾践の相だった范蠡(はんれい)であるが、李斯を以て当時の李林甫、楊国忠にたとえたものとすれば、呉を亡したのち髪を散らし、姓名を変じて斉に赴いた無欲の范蠡は李白の理想とする姿にほかならない。李白のもっとも言いたかったものではなかろうか

 

雞鳴海色動、謁帝羅公侯。
鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。
海色 夜明け前のほのぐらい色。○謁帝 朝の朝礼。夜明けに集合。


月落西上陽、余輝半城樓。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。
○西上陽 洛陽の宮城の西南隅に上陽宮があり、さらにその西側に上陽宮という宮殿があった。

touRAKUYOjou600
 唐時代 洛陽城図 参照
 
衣冠照云日、朝下散皇州。
やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。
衣冠 衣冠をつけた人。朝廷の吏官。○皇州 帝都のこと。


鞍馬如飛龍、黃金絡馬頭。』
鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。

 


李白図102 

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そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十八 

作地點: 洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽

及地點:  天津橋 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛橋     

上陽宮 (都畿道 河南府 洛陽)     

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

 

 

古風,五十九首之十八 #1

(劉廷芝の公子行のイメージを借りて「道」を詠い、世情をうたう。)

天津三月時,千門桃與李。

洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。

朝為斷腸花,暮逐東流水。

そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。

前水復後水,古今相續流。

花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。

新人非舊人,年年橋上遊。

橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。

#2

雞鳴海色動,謁帝羅公侯。月落西上陽,餘輝半城樓。

衣冠照雲日,朝下散皇州。鞍馬如飛龍,黃金絡馬頭。

#3

行人皆辟易,志氣橫嵩丘。入門上高堂,列鼎錯珍饈。

香風引趙舞,清管隨齊謳。七十紫鴛鴦,雙雙戲庭幽。

#4

行樂爭晝夜,自言度千秋。功成身不退,自古多愆尤。

黃犬空歎息,綠珠成釁讎。何如鴟夷子,散髮棹扁舟。

紅梅0021 

(古風,五十九首の十八) #1

天津 三月の時、千門 桃と李と。』

朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』

前水 復た後水、古今 相競いで流る。

新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。

#2

鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。

月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。

衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』

鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』

#3

行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。

門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。

香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。

七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』

#4

行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。

功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。

黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。

何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。

 

 

『古風,五十九首之十八』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之十八 #1

天津三月時,千門桃與李。朝為斷腸花,暮逐東流水。

前水復後水,古今相續流。新人非舊人,年年橋上遊。

 

 

(下し文)

(古風,五十九首の十八) #1

天津 三月の時、千門 桃と李と。』

朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』

前水 復た後水、古今 相競いで流る。

新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。

 

(現代語訳)

(劉廷芝の公子行のイメージを借りて「道」を詠い、世情をうたう。)

洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。
そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。
花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。

橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。
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(訳注)

古風,五十九首之十八 #1

古風 第十八であるが、古風での道教の詩としてはここまでである。はじめと終りとに栄華の無常をい、中ごろではそのはかない栄華に得々たる権力者たちを心憎いまでに描写して効果を深めてゐる。しかしこの無常感は、仏教のそれとは全く異なる老荘の説に基づくものである。咸陽の市に黄犬を牽いた得意の時を過ぎて、刑場に就く李斯と対照されている鴟夷子は越王勾践の相だった范蠡(はんれい)であるが、李斯を以て当時の李林甫、楊国忠にたとえたものとすれば、呉を亡したのち髪を散らし、姓名を変じて斉に赴いた無欲の范蠡は李白の理想とする姿にほかならない。李白のもっとも言いたかったものではなかろうか

 

天津三月時、千門桃與李。』
洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。
天津 橋の名。唐の東のみやこ洛陽をめぐって洛水が流れ、その川にかかっている。初唐の詩人劉廷芝の「公子行」は、「天津橋下陽春の水、天津橋上兼葦の子」という詞句で始まっており、李白はその詩の出だしのイメージを借りている。参照。劉廷芝の詩は「怨詩」である。

〇千門 宮殿には多くの門があり、迷路のように門戸が連続している。千門万戸という表現は李白の得意とするところ。


朝為斷腸花、暮逐東流水。』
そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。
断腸花 真っ赤な花の咲き誇っているさまをいう。李白が断腸という語を使用するとき、女心、嫉妬、焦燥の気持ちを表す際に多い。李白「春思」「清平調詞其三」にある。○東流 東が下流で流れ去る、消えていくことをします。

 

前水復后水、古今相續流。
花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。
前水復后水 水は次から次へと、上流から下流へと流れていくのが「道」理である。この聯と次の聯は道教の真理「道」についての表現である。


新人非舊人、年年橋上游。
橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。
 往来すること。交流する。

touRAKUYOjou600 

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顧みれば崑崙山に攀じ登り、仙術に使う瓊蕊の花を摘み取って、それと一緒に精魄を煉りあげれば、虚無の道であり、こんな世俗に居続けるのはつまらないことであると思うのだ。

 
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製作年:  747  天寶六年  47

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十七 

作地點: 婺州(江南東道 / 婺州 / 婺州

寫及地點:  金華 (江南東道 婺州 金華)     

崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)     

 

 

古風,五十九首之十七 

(金華山中で羊を放牧しながら、神仙となった黄初平への憧れ、仙人の術業を学びたいと詠う。)

金華牧羊兒,乃是紫煙客。

黄初平はもと金華山の山中へ羊を放牧して居たものであったが、道を学んで紫煙にまたがる神仙となった。

我願從之遊,未去髮已白。

我はこの人にしたがって教えを受けたいと思っているが、まだこの地を去らぬうちにこんな様に白髪頭になってしまった。

不知繁華子,擾擾何所迫。

それにつけても一刻も早く、世俗に暇乞いをして、早くそこに行きたいと思っている、

崑山採瓊蕊,可以煉精魄。

顧みれば崑崙山に攀じ登り、仙術に使う瓊蕊の花を摘み取って、それと一緒に精魄を煉りあげれば、虚無の道であり、こんな世俗に居続けるのはつまらないことであると思うのだ。

 

(古風,五十九首の十七) 

金華 牧羊の兒,乃ち是れ紫煙の客。

我 之に從って遊ばんことを願えども,未だ去らざるは 髮已に白きことなり。

知らず 繁華の子,擾擾として 何所れにか迫らん。

崑山 瓊蕊を採り,以って精魄を煉る可し。

 

太白山00 

『古風,五十九首之十七』 現代語訳と訳註

(本文)

金華牧羊兒,乃是紫煙客。

我願從之遊,未去髮已白。

不知繁華子,擾擾何所迫。

崑山採瓊蕊,可以煉精魄。

 

(下し文)

(古風,五十九首の十七) 

金華 牧羊の兒,乃ち是れ紫煙の客。

我 之に從って遊ばんことを願えども,未だ去らざるは 髮已に白きことなり。

知らず 繁華の子,擾擾として 何所れにか迫らん。

崑山 瓊蕊を採り,以って精魄を煉る可し。

 

(現代語訳)

(金華山中で羊を放牧しながら、神仙となった黄初平への憧れ、仙人の術業を学びたいと詠う。)

黄初平はもと金華山の山中へ羊を放牧して居たものであったが、道を学んで紫煙にまたがる神仙となった。

我はこの人にしたがって教えを受けたいと思っているが、まだこの地を去らぬうちにこんな様に白髪頭になってしまった。

それにつけても一刻も早く、世俗に暇乞いをして、早くそこに行きたいと思っている、

顧みれば崑崙山に攀じ登り、仙術に使う瓊蕊の花を摘み取って、それと一緒に精魄を煉りあげれば、虚無の道であり、こんな世俗に居続けるのはつまらないことであると思うのだ。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之十七

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(金華山中で羊を牧しながら、神仙となった黄初平への憧れ、仙人の術業を学びたいと詠う。)

 黄初平に憧れているうちに白髪頭になってしまった、世上はなぜこうも忙しないのか、崑崙山に行けば仙人になれるのに、といった内容。

 

 

金華牧羊兒,乃是紫煙客。

黄初平はもと金華山の山中へ羊を放牧して居たものであったが、道を学んで紫煙にまたがる神仙となった。

○牧羊兒 黄初平のこと。黄初平(こう・しょへい、328-386年?)、晋代中国の仙人。「黄」は「皇」と書く場合がある。黄大仙(道教系寺院)に本尊として祀られる。[は牧羊を生業としていたが、ある時、道士に見込まれて何処ともなく行ってしまった。40年間行方不明の後に、兄が黄初平を見つける。兄が、昔飼っていた羊の所在を聞くと、路傍の羊の石の所へ行き、黄初平が仙術をかけると石が本物の羊に戻ったという。

 

我願從之遊,未去髮已白。

我はこの人にしたがって教えを受けたいと思っているが、まだこの地を去らぬうちにこんな様に白髪頭になってしまった。

 

不知繁華子,擾擾何所迫。

それにつけても一刻も早く、世俗に暇乞いをして、早くそこに行きたいと思っている、

○繁華 人が多く集まり、にぎわっていること。また、そのさま。

○擾擾 ごたごたと乱れているさま。騒がしいさま。

 

崑山採瓊蕊,可以煉精魄。

顧みれば崑崙山に攀じ登り、仙術に使う瓊蕊の花を摘み取って、それと一緒に精魄を煉りあげれば、虚無の道であり、こんな世俗に居続けるのはつまらないことであると思うのだ。

○崑崙山 中国古代の伝説上の山岳。崑崙山・崑崙丘・崑崙虚ともいう。中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるとされた。仙界とも呼ばれ、八仙がいるとされる。 崑崙奴とは、アフリカ系黒人に対しての呼び名であるが、伎楽の崑崙〔くろん〕面の名称も、そもそもは黒人のことをさした。

○精魄 仙術である金丹を練ること。道教の道士が金石を砕いて練って作ったという不老不死の薬。
 

16 《古風五十九首之十六》Index-10Ⅱ― 6-731年開元十九年31歳100古風,五十九首之十六寶劍雙蛟龍, <16> Ⅰ李白詩1166 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4378

宝剣の二竿、もと蛟龍の精であった、刃の匂いは雪白の蓮の花がはじめてみずから出たことと比較する。精光は天地に射しこんできて、ややもすれば雷のように飛び出してきてとても触れることなどできない。この二剣はもとの金匣から別れて去ってしまい、一つは飛んでいき一つは沈んで行って互にあいしたがって一緒になることはなくなった。


16 《古風五十九首之十六》Index-10Ⅱ― 6-731年開元十九年31100古風,五十九首之十六寶劍雙蛟龍, <16> Ⅰ李白詩1166 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4378

 

 

製作年:731  開元十九年  31

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十六 

 

 

古風,五十九首之十六

(この篇は宝剣、蛟龍に託して、自分の才能を理解する人が少なくて風塵に埋没していることを詠う。)

寶劍雙蛟龍,雪花照芙蓉。

宝剣の二竿、もと蛟龍の精であった、刃の匂いは雪白の蓮の花がはじめてみずから出たことと比較する。

精光射天地,雷騰不可衝。

精光は天地に射しこんできて、ややもすれば雷のように飛び出してきてとても触れることなどできない。

一去別金匣,飛沈失相從。

この二剣はもとの金匣から別れて去ってしまい、一つは飛んでいき一つは沈んで行って互にあいしたがって一緒になることはなくなった。

風胡滅已久,所以潛其鋒。

風胡子は楚王に答えて弁別したが、この人が死んでしまうと、既に久しく、楚王の様な人がいないので剣はその鉾をひそめて隠れているという。

水深萬丈,楚山邈千重。

それでその一振りは万状の深さのある呉水の流れの底深くに沈み、他の一振りは楚山の千重の奥深き所に引き込んでしまった。
雌雄終不隔,神物會當逢。 

しかしこの剣はもともと雌雄一対のもので、決して相い隔たつべからざるものでありし、その上、精霊の憑依している神仏というものであるから、何時かはどこかでこの二剣は互いに一緒になることであろう。

 

古風,五十九首之十六

寶劍【ほうけん】雙 蛟龍,雪花 芙蓉を照す。

精光 天地を 射り,雷騰 衝く可からず。

一たび去って金匣【きんこう】に別れ,飛沈 相い從うを失う。

風胡 滅して已に久し,其の鋒を潛むる所以なり。

水 深さ萬丈なり,楚山 邈として千重たり。

雌雄 終に隔てず,神物 會【かなら】ず當に逢うべし。 

 

 

『古風,五十九首之十六』 現代語訳と訳註

(本文)

寶劍雙蛟龍,雪花照芙蓉。

精光射天地,雷騰不可衝。

一去別金匣,飛沈失相從。

風胡滅已久,所以潛其鋒。

水深萬丈,楚山邈千重。

雌雄終不隔,神物會當逢。 

 

(下し文)

古風,五十九首之十六

寶劍【ほうけん】雙 蛟龍,雪花 芙蓉を照す。

精光 天地を 射り,雷騰 衝く可からず。

一たび去って金匣【きんこう】に別れ,飛沈 相い從うを失う。

風胡 滅して已に久し,其の鋒を潛むる所以なり。

水 深さ萬丈なり,楚山 邈として千重たり。

雌雄 終に隔てず,神物 會【かなら】ず當に逢うべし。  

 

(現代語訳)

(この篇は宝剣、蛟龍に託して、自分の才能を理解する人が少なくて風塵に埋没していることを詠う。)

宝剣の二竿、もと蛟龍の精であった、刃の匂いは雪白の蓮の花がはじめてみずから出たことと比較する。

精光は天地に射しこんできて、ややもすれば雷のように飛び出してきてとても触れることなどできない。

この二剣はもとの金匣から別れて去ってしまい、一つは飛んでいき一つは沈んで行って互にあいしたがって一緒になることはなくなった。

風胡子は楚王に答えて弁別したが、この人が死んでしまうと、既に久しく、楚王の様な人がいないので剣はその鉾をひそめて隠れているという。

それでその一振りは万状の深さのある呉水の流れの底深くに沈み、他の一振りは楚山の千重の奥深き所に引き込んでしまった。

しかしこの剣はもともと雌雄一対のもので、決して相い隔たつべからざるものでありし、その上、精霊の憑依している神仏というものであるから、何時かはどこかでこの二剣は互いに一緒になることであろう。 

李白図102 

(訳注)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(この篇は超越性をもってい宝剣、蛟龍に託して、自分の才能を理解する人が少なくて風塵に埋没していることを詠う。)

単なる武器を越えた超越性をもっている太阿剣で、楚の王がこの剣をもって超人的に多くの敵を斬ったということではなくて、剣を麾ふった、指揮したにすぎないにもかかわらず敵は大敗した。

漢の高祖が秦(蛇)を滅ぼし漢王朝を興したことを象徴的に表しているのが泰阿剣である。

 

寶劍雙蛟龍,雪花照芙蓉。

宝剣の二竿、もと蛟龍の精であった、刃の匂いは雪白の蓮の花がはじめてみずから出たことと比較する。

○雙蛟龍 蛟と龍の剣。宝剣には 龍淵と龍泉があり、泰阿と太阿がある。龍淵と龍泉は(りょうえん)『越絶書』 楚王が風胡子に命じ、呉の干将と越の欧冶子に造らせた三振りの剣である。その有様を見ると、高山に登って深淵に臨んでいるのようであったことから、その名がつけられた。 

 

精光射天地,雷騰不可衝。

精光は天地に射しこんできて、ややもすれば雷のように飛び出してきてとても触れることなどできない。

 

一去別金匣,飛沈失相從。

この二剣はもとの金匣から別れて去ってしまい、一つは飛んでいき一つは沈んで行って互にあいしたがって一緒になることはなくなった。

○金匣 剣を納めるはこ。

 

風胡滅已久,所以潛其鋒。

風胡子は楚王に答えて弁別したが、この人が死んでしまうと、既に久しく、楚王の様な人がいないので剣はその鉾をひそめて隠れているという。

○風胡子 剣の鑑定士。楚の国の風胡子は泰阿(太阿)ほか三つの鉄剣を作らせた。

 

水深萬丈,楚山邈千重。

それでその一振りは万状の深さのある呉水の流れの底深くに沈み、他の一振りは楚山の千重の奥深き所に引き込んでしまった。

水 長江下流域、江南。

楚山 湖北省西部, 武当山東南,漢江西岸にある山のことをいうが、ここは楚の国にある山という意味。現在の湖南省・湖北省を指す。楚 (春秋) ? - 紀元前223年) - 春秋時代の強国で、戦国七雄の1つでもある。 秦末に陳勝が建てた国(紀元前209年)。

 

雌雄終不隔,神物會當逢。 

しかしこの剣はもともと雌雄一対のもので、決して相い隔たつべからざるものでありし、その上、精霊の憑依している神仏というものであるから、何時かはどこかでこの二剣は互いに一緒になることであろう。
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製作年:  731開元十九年  31

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十五 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

及地點:  黃金臺 (河北道南部 易州 易縣) 別名:金臺、燕臺     

 

 

古風,五十九首之十五

(燕の昭王の金台の故事では英士が集まったが今では育てようとする者がいないので志を遂げられないものが多いと詠う)

燕昭延郭隗,遂築黃金臺。

むかし燕の昭王は、どうしたら天下の士を得られるかと言って郭隗に相談したところ、「まず隗より始めよ」自分をまず用いなさいといったので、郭隗を厚く礼を為した、これに続いて、ついには黄金台まできずいてその上に千金を置き、士の遠く来たるものはこれをもって歓迎するという意を示し、天下の英才をまねいた。

劇辛方趙至,鄒衍復齊來。

こうして志を抱くものをて歓迎したので、王を慕って、他国からやってきた。劇辛は、趙からやって来た。鄒衍も、つづいて斉からやって来た。

奈何青雲士,棄我如塵埃。

ところが、なんということだ、青雲の上に立身出世したものどもがとったことは、われわれを塵や挨のように棄ててかえりみなかったというではないか

珠玉買歌笑,糟糠養賢才。

珠玉を美人の歌や笑いのために惜しまず買うが、糠や糟でもって賢才を養おうと思っているのか。

方知黃鶴舉,千里獨徘徊。 

いまこそ十分に理解した、黄い鶴が舞いあがるように崇高な志をもつ者は、千里をひとりで飛びまわるものなのだ。

(古風,五十九首の十五)
燕昭 郭隗を延き、遂()くて 黄金台を築けり。
劇辛は 万に趙より至り、鄒衍も 復た斉より来れり。
奈何ぞ 青雲の士、我を棄つること 塵挨の如くなるや。
珠玉もて 歌笑を買い、糟糠もて 賢才を養う。
方に知る 黄鶴の挙りて、千里に 独り徘徊するを。

 

 

『古風,五十九首之十五』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之十五

燕昭延郭隗,遂築黃金臺。

劇辛方趙至,鄒衍復齊來。

奈何青雲士,棄我如塵埃。

珠玉買歌笑,糟糠養賢才。

方知黃鶴舉,千里獨徘徊。 

 

(下し文)

その十五

燕昭 郭隗を延き、遂()くて 黄金台を築けり。

劇辛は 万に趙より至り、鄒衍も 復た斉より来れり。

奈何ぞ 青雲の士、我を棄つること 塵挨の如くなるや。

珠玉もて 歌笑を買い、糟糠もて 賢才を養う。

方に知る 黄鶴の挙りて、千里に 独り徘徊するを。

 

(現代語訳)

(燕の昭王の金台の故事では英士が集まったが今では育てようとする者がいないので志を遂げられないものが多いと詠う)

むかし燕の昭王は、どうしたら天下の士を得られるかと言って郭隗に相談したところ、「まず隗より始めよ」自分をまず用いなさいといったので、郭隗を厚く礼を為した、これに続いて、ついには黄金台まできずいてその上に千金を置き、士の遠く来たるものはこれをもって歓迎するという意を示し、天下の英才をまねいた。
こうして志を抱くものをて歓迎したので、王を慕って、他国からやってきた。劇辛は、趙からやって来た。鄒衍も、つづいて斉からやって来た。
ところが、なんということだ、青雲の上に立身出世したものどもがとったことは、われわれを塵や挨のように棄ててかえりみなかったというではないか
珠玉を美人の歌や笑いのために惜しまず買うが、糠や糟でもって賢才を養おうと思っているのか。
いまこそ十分に理解した、黄い鶴が舞いあがるように崇高な志をもつ者は、千里をひとりで飛びまわるものなのだ。
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李白図102 

(訳注)

古風,五十九首之十五

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(燕の昭王の金台の故事では英士が集まったが今では育てようとする者がいないので志を遂げられないものが多いと詠う)

この詩は戦国時代の燕の昭王の金台の故事を主とし、今しも、士を養成する人がいないから、せっかくの英才もその志を達成することが出来ず、高く舞い上がって立ち去るほかないという意を述べ、自己の不遇を礼として気概している。

 

燕昭延郭隗、遂築黄金臺。
むかし燕の昭王は、どうしたら天下の士を得られるかと言って郭隗に相談したところ、「まず隗より始めよ」自分をまず用いなさいといったので、郭隗を厚く礼を為した、これに続いて、ついには黄金台まできずいてその上に千金を置き、士の遠く来たるものはこれをもって歓迎するという意を示し、天下の英才をまねいた。
燕昭 戦国時代の燕の昭王。

郭隗 昭王の臣、「先ず隗より始めよ」の故事で有名。昭王は、一時とはいえ燕を亡国に追い込んだ斉を深く憎み、いつか復讐したいと願っていた。しかし当時の斉は秦と並んで最強国であり、燕の国力では非常に難しい問題であった。昭王は人材を集めることを願い、どうしたら人材が来てくれるかを家臣の郭隗に聞いた。郭隗の返答は「まず私を優遇してください。さすれば郭隗程度でもあのようにしてくれるのだから、もっと優れた人物はもっと優遇してくれるに違いないと思って人材が集まってきます。」と答え、昭王はこれを容れて郭隗を師と仰ぎ、特別に宮殿を造って郭隗に与えた。これは後世に「まず隗より始めよ」として有名な逸話になった。郭隗の言う通りに、燕には名将楽毅は魏の国から、鄒衍は斉の国から、劇辛は趙の国から、蘇秦の弟蘇代など、続々と人材が集まってきた。また、時期は不明であるが、昭王は不老不死の仙人を求めて東方の海上に人を派遣したという。これらの人材を使い、昭王は燕の改革・再建を進めた。○黄金台 易水の東南にあって、昭王が、千金を台の上に置き、天下の士を招いたという。

劇辛方趙至、鄒衍復斉來。
こうして志を抱くものをて歓迎したので、王を慕って、他国からやってきた。劇辛は、趙からやって来た。鄒衍も、つづいて斉からやって来た。
鄒衍。[前305ころ~前240](すうえん) 中国の戦国時代の陰陽家。斉の稷下の学士の一人。「騶衍」とも。史記に記され、稷下の学士の中での代表的な地位にあったことが分かる。その後燕の昭王の師となり、また趙に赴き平原君の信頼を得た。このことから孟子よりややあとの時代の人物であると推測されている。『漢書』芸文志には鄒衍の著作として『鄒子』49篇と『鄒子終始』56篇が挙げられているが、いずれも伝わらない。しかしその学説の大略は『史記』孟子荀卿列伝に紹介されており、儒家、特に孟子の影響を受けながら五行説を唱えたと考えられている 

奈何青雲士、棄我如塵挨。
ところが、なんということだ、青雲の上に立身出世したものどもがとったことは、われわれを塵や挨のように棄ててかえりみなかったというではないか
青雲士 立身出世してしまった人。

珠玉買歌笑、糟糠養賢才。
珠玉を美人の歌や笑いのために惜しまず買うが、糠や糟でもって賢才を養おうと思っているのか。

方知黄鶴擧、千里濁徘徊。
いまこそ十分に理解した、黄い鶴が舞いあがるように崇高な志をもつ者は、千里をひとりで飛びまわるものなのだ。
方知 いまこそ十分に、理解できる。

○黄鶴 黄鶴伝説 『列異伝』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。

黄鶴楼送孟浩然之広陵  李白15

 

燕昭延郭隗,遂築黃金臺。

劇辛方趙至,鄒衍復齊來。

奈何青雲士,棄我如塵埃。

珠玉買歌笑,糟糠養賢才。

方知黃鶴舉,千里獨徘徊。  

江夏黄鶴楼関連図 

Index-28 《古風五十九首之十四》Index-28Ⅳ-3 749年天寶八年49歳526-#3古風,五十九首之十四胡關饒風沙, <Index-28> Ⅰ李白詩1164 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4368

両軍合わせて三十六万人もの兵士が死に、百万を超える人びとが流すかなしみのなみだは雨のようだ。家族のかなしみをすべて背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑を営んでいけるというのだろうか。

 
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Index-28 《古風五十九首之十四》Index-28-3 749年天寶八年49526-#3古風,五十九首之十四胡關饒風沙, <Index-28> Ⅰ李白詩1164 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4368

 

 

 

古風,五十九首之十四  1

西域と南蛮異民族に対して敗北が続いていたこと、士卒が征戎に苦しんでいたこと、749年天宝8載、哥舒翰の石堡城を打ち破った時の事を詠う。

胡關饒風沙,蕭索竟終古。

辺境にある関所塞は砂漠で風と砂塵が常に多く蕭索として寂しげな景色が広がって未開の地で殺風景である。それは大昔から今も同じ状態なのだ。

木落秋草黃,登高望戎虜。

木の葉が落ちて秋もふかまり、草の黄ばむころになった、小高い丘にのぼり、はるか先の胡の方をながめた。

荒城空大漠,邊邑無遺堵。

荒れはてた城郭があり、ほかには何もない大きな砂漠があるのだ。国境の村々には、垣根すら跡形なく残っていない。

白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。」

白骨が千年もの霜を過ごしても、累々と横たわっている。山は高く嶮しいが、藪や叢に蔽われてしまっている。』

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#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。

どうして、毎年のように戦争が絶えないというのはなぜなのか、この辺境に侵略して陵虐を引きおこしたのか、とたずねてみると、だいたい、「天驕子」とうぬぼれる匈奴は武力を悪用し、毒毒しくするからである。

赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

こうした事実を踏まえてわれわれのすぐれた皇帝は、烈火にお怒りになった。そこで軍隊をうごかし、進軍太鼓をたたいて攻撃するのである。

陽和變殺氣,發卒騷中土。」

こうして西域は麗らかな、長閑な生活が、殺伐たる空気に変わった。兵卒をつぎつぎとくり出し、兵車で砂塵は上がり、国中は大騒動になった。』
#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。 

両軍合わせて三十六万人もの兵士が死に、百万を超える人びとが流すかなしみのなみだは雨のようだ。

且悲就行役,安得營農圃。 

家族のかなしみをすべて背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑を営んでいけるというのだろうか。

不見征戍兒,豈知關山苦。 

見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。

李牧今不在,邊人飼豺虎。 

李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。

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(古風,五十九首之十四  1

胡関 風沙靡く、粛索 責に終古。

木落ちて 秋草黄ばみ、高きに登りて 戎虜を望む。

荒城は 空しく大漠、辺邑に 遺堵無し。

白骨 千霜に横たわり、嵯峨として 榛葬に顧わる。」

 

借問す 誰か陵虐す、天騎 威武を毒す。

我が聖皇を赫怒せしめ、師を労して 輩鼓を事とす。

陽和は 殺気に変じ、卒を発して中土を騒がしむ。」

 

三十六万人、哀哀として、涙 雨の如し。

且つ悲しんで、行役に就く、安くんぞ農圃を営むを得ん。

征戊の児を見ずんば、豈 関山の苦しみを知らんや。

李牧 今在らず、辺入 豺虎の飼となる。

 

安史期のアジアssH 

『古風,五十九首之十四』 現代語訳と訳註

(本文)

胡關饒風沙,蕭索竟終古。 

木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。 

白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。」 

 

胡關饒風沙,蕭索竟終古。

木落秋草黃,登高望戎虜。

荒城空大漠,邊邑無遺堵。

白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

借問誰凌虐,天驕毒威武。

赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

三十六萬人,哀哀淚如雨。

且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。

【案:一本此下有以下四句:爭鋒徒死節,秉鉞皆庸豎。戰士死蒿萊,將軍獲圭組。】

李牧今不在,邊人飼豺虎。 

 

(下し文)

三十六万人、哀哀として、涙 雨の如し。

且つ悲しんで、行役に就く、安くんぞ農圃を営むを得ん。

征戊の児を見ずんば、豈 関山の苦しみを知らんや。

李牧 今在らず、辺入 豺虎の飼となる。 

 

(現代語訳)

両軍合わせて三十六万人もの兵士が死に、百万を超える人びとが流すかなしみのなみだは雨のようだ。

家族のかなしみをすべて背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑を営んでいけるというのだろうか。
見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。

李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。
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(訳注)

古風,五十九首之十四  #2

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

十四 (西域と南蛮異民族に対して敗北が続いていたこと、士卒が征戎に苦しんでいたこと、749年天宝8載、哥舒翰の石堡城を打ち破った時の事を詠う。

この詩は、玄宗皇帝の749年天宝8載、哥舒翰の石堡城を打ち破った時の事、その年まで、天宝6載(747年)、王忠嗣が軍を進めなかった罪で弾劾された。天宝7載(748年)、青海地方に城を築いて吐蕃を破り、青海に近づかせなかった。西域と南蛮異民族に対して敗北が続いていたこと、士卒が征戎に苦しんでいたことを詠っている。

李白図102 

三十六萬人、哀哀淚如雨。
両軍合わせて三十六万人もの兵士が死に、百万を超える人びとが流すかなしみのなみだは雨のようだ。

○三十六萬人 吐蕃と唐との戦で死んだ人を象徴的に詩的表現と考える。于仲通(693年-755年),名向,字仲通,是中国唐朝河北道阳(今天津市蓟县)人,寄籍南道新政。他和国忠勾,得任度使,天宝十751年),率兵攻打南,在南(今云南省姚安)大兵六万。国忠掩盖他的败绩,推荐于仲通京兆尹,后来被官。有《于向集》


且悲就行役、安得營農圃。
家族のかなしみをすべて背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑を営んでいけるというのだろうか。
安得 安は何と同じ。前の聯句は対句を無視して強調され、この聯に受けて、且悲:安得と強調している。
行役 国境守備などの兵役。

農圃 田畑、果樹園。


不見征戍兒、豈知關山苦。
見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。
不見 君不見・・・と同じ。 

関山 関は関所、塞。国境の山山。


李牧今不在、邊人飼豺虎。』
李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。
○李牧 (り ぼく、生年不明―紀元前229年)は中国春秋戦国時代の趙国の武将。『史記』「廉頗蘭相如列伝」において司馬遷は李牧を、「守戦の名将」としている。は趙の北方、代の雁門に駐屯する国境軍の長官で、国境防衛のために独自の地方軍政を許されていた。警戒を密にし、烽火台を多く設け、間諜を多く放つなどとともに兵士を厚遇していた。 匈奴の執拗な攻撃に対しては、徹底的な防衛・篭城の戦法を取ることで、大きな損害を受けずに安定的に国境を守備した。



安史の乱当時の勢力図


もぎせかブログ館ウイグルと沖縄 より  

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こうして西域は麗らかな、長閑な生活が、殺伐たる空気に変わった。兵卒をつぎつぎとくり出し、兵車で砂塵は上がり、国中は大騒動になった。』

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製作年:  749  天寶八年  49

卷別:巻一  卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十四 

 

 

古風,五十九首之十四  1

西域と南蛮異民族に対して敗北が続いていたこと、士卒が征戎に苦しんでいたこと、749年天宝8載、哥舒翰の石堡城を打ち破った時の事を詠う。

胡關饒風沙,蕭索竟終古。

辺境にある関所塞は砂漠で風と砂塵が常に多く蕭索として寂しげな景色が広がって未開の地で殺風景である。それは大昔から今も同じ状態なのだ。

木落秋草黃,登高望戎虜。

木の葉が落ちて秋もふかまり、草の黄ばむころになった、小高い丘にのぼり、はるか先の胡の方をながめた。

荒城空大漠,邊邑無遺堵。

荒れはてた城郭があり、ほかには何もない大きな砂漠があるのだ。国境の村々には、垣根すら跡形なく残っていない。

白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。」

白骨が千年もの霜を過ごしても、累々と横たわっている。山は高く嶮しいが、藪や叢に蔽われてしまっている。』

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#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。

どうして、毎年のように戦争が絶えないというのはなぜなのか、この辺境に侵略して陵虐を引きおこしたのか、とたずねてみると、だいたい、「天驕子」とうぬぼれる匈奴は武力を悪用し、毒毒しくするからである。

赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

こうした事実を踏まえてわれわれのすぐれた皇帝は、烈火にお怒りになった。そこで軍隊をうごかし、進軍太鼓をたたいて攻撃するのである。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

こうして西域は麗らかな、長閑な生活が、殺伐たる空気に変わった。兵卒をつぎつぎとくり出し、兵車で砂塵は上がり、国中は大騒動になった。』#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。 

且悲就行役,安得營農圃。 

不見征戍兒,豈知關山苦。 

李牧今不在,邊人飼豺虎。」 

 

(古風,五十九首之十四  1

胡関 風沙靡く、粛索 責に終古。

木落ちて 秋草黄ばみ、高きに登りて 戎虜を望む。

荒城は 空しく大漠、辺邑に 遺堵無し。

白骨 千霜に横たわり、嵯峨として 榛葬に顧わる。」

 

借問す 誰か陵虐す、天騎 威武を毒す。

我が聖皇を赫怒せしめ、師を労して 輩鼓を事とす。

陽和は 殺気に変じ、卒を発して中土を騒がしむ。」

 

三十六万人、哀哀として、涙 雨の如し。

且つ悲しんで、行役に就く、安くんぞ農圃を営むを得ん。

征戊の児を見ずんば、豈 関山の苦しみを知らんや。

李牧 今在らず、辺入 豺虎の飼となる。

 

 

『古風,五十九首之十四』 現代語訳と訳註

(本文)

胡關饒風沙,蕭索竟終古。 

木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。 

白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。」 

 

胡關饒風沙,蕭索竟終古。

木落秋草黃,登高望戎虜。

荒城空大漠,邊邑無遺堵。

白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

借問誰凌虐,天驕毒威武。

赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

三十六萬人,哀哀淚如雨。

且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。

【案:一本此下有以下四句:爭鋒徒死節,秉鉞皆庸豎。戰士死蒿萊,將軍獲圭組。】

李牧今不在,邊人飼豺虎。 

 

(下し文)

借問す 誰か陵虐す、天騎 威武を毒す。

我が聖皇を赫怒せしめ、師を労して 輩鼓を事とす。

陽和は 殺気に変じ、卒を発して中土を騒がしむ。」

 

(現代語訳)

どうして、毎年のように戦争が絶えないというのはなぜなのか、この辺境に侵略して陵虐を引きおこしたのか、とたずねてみると、だいたい、「天驕子」とうぬぼれる匈奴は武力を悪用し、毒毒しくするからである。
こうした事実を踏まえてわれわれのすぐれた皇帝は、烈火にお怒りになった。そこで軍隊をうごかし、進軍太鼓をたたいて攻撃するのである。

こうして西域は麗らかな、長閑な生活が、殺伐たる空気に変わった。兵卒をつぎつぎとくり出し、兵車で砂塵は上がり、国中は大騒動になった。』
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(訳注)

古風,五十九首之十四  #2

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

十四 (西域と南蛮異民族に対して敗北が続いていたこと、士卒が征戎に苦しんでいたこと、749年天宝8載、哥舒翰の石堡城を打ち破った時の事を詠う。

この詩は、玄宗皇帝の749年天宝8載、哥舒翰の石堡城を打ち破った時の事、その年まで、天宝6載(747年)、王忠嗣が軍を進めなかった罪で弾劾された。天宝7載(748年)、青海地方に城を築いて吐蕃を破り、青海に近づかせなかった。西域と南蛮異民族に対して敗北が続いていたこと、士卒が征戎に苦しんでいたことを詠っている。

天宝8載(749年)、隴右節度使として、王忠嗣が左遷される原因となった吐蕃の石堡城の攻略を命じられる。隴右・河西・朔方・河東及び突厥の兵合わせて10万を率いて攻め込んだ。石堡城は難攻不落であったが、数万の兵を失いつつも落城させた。

 

借問誰凌虐、天驕毒威武。
どうして、毎年のように戦争が絶えないというのはなぜなのか、この辺境に侵略して陵虐を引きおこしたのか、とたずねてみると、だいたい、「天驕子」とうぬぼれる匈奴は武力を悪用し、毒毒しくするからである。
天驕 えびすの王の単子が漢に僕をよこして「えびすは天の驕子である」と言った。驕子は我儘息子のこと。*遊牧・騎馬民族は常に牧草地を移動して生活をする。侵略も移動のうちである。略奪により、安定させる。定住しないで草原のテントで寝る、自然との一体感がきわめておおきく彼らからすると天の誇高き息子と自惚れた訳ではなかった。漢民族は、世界の中心、天の中心にあると思っているのに対して、天の息子が漢民族化するわけはない。漢書の匈奴伝に「胡は、天の驕子なり」とみえる、えびすは天の“いたずら坊や”であるといっている。

杜甫『留花門』

北門天驕子,飽肉氣勇決。

高秋馬肥健,挾矢射漢月。

自古以爲患,詩人厭薄伐。

修德使其來,羈縻固不

胡爲傾國至,出入暗金闕。』留花門 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1004 杜甫特集700- 299


赫怒我聖皇、勞師事鼙鼓。
こうした事実を踏まえてわれわれのすぐれた皇帝は、烈火にお怒りになった。そこで軍隊をうごかし、進軍太鼓をたたいて攻撃するのである。
聖皇 神聖なる皇帝。唐の玄宗をさす。

労師 玄宗の738年開元26年にチベットに大挙攻めいって以来、唐と吐蕃(チベット)の間に戦争はたえなかった。北方・北西は、契丹、奚、突蕨と、西、南西に吐蕃、ペルシャと戦った。

鼙鼓 進軍太鼓。戦車が基本の戦いのため。

 

陽和變殺氣、發卒騷中土。』
こうして西域は麗らかな、長閑な生活が、殺伐たる空気に変わった。兵卒をつぎつぎとくり出し、兵車で砂塵は上がり、国中は大騒動になった。』
陽和 うららかな、のどかな生活。

中土 中国全土。基本的には漢民族の領土。特に吐蕃が南から、突厥が北から、西域(:隴右道)を完全に侵略されうばわれることになるのである。

安史の乱当時の勢力図


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西域と南蛮異民族に対して敗北が続いていたこと、士卒が征戎に苦しんでいたこと、749年天宝8載、哥舒翰の石堡城を打ち破った時の事を詠う。


 
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Index-28 《古風五十九首之十四》Index-28-3 749年天寶八年49526-#1古風,五十九首之十四胡關饒風沙, <Index-28> Ⅰ李白詩1162 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4358

 

 

製作年:  749  天寶八年  49

卷別:巻一  卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十四 

 

 

古風,五十九首之十四  1

西域と南蛮異民族に対して敗北が続いていたこと、士卒が征戎に苦しんでいたこと、749年天宝8載、哥舒翰の石堡城を打ち破った時の事を詠う。

胡關饒風沙,蕭索竟終古。

辺境にある関所塞は砂漠で風と砂塵が常に多く蕭索として寂しげな景色が広がって未開の地で殺風景である。それは大昔から今も同じ状態なのだ。

木落秋草黃,登高望戎虜。

木の葉が落ちて秋もふかまり、草の黄ばむころになった、小高い丘にのぼり、はるか先の胡の方をながめた。

荒城空大漠,邊邑無遺堵。

荒れはてた城郭があり、ほかには何もない大きな砂漠があるのだ。国境の村々には、垣根すら跡形なく残っていない。

白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。」

白骨が千年もの霜を過ごしても、累々と横たわっている。山は高く嶮しいが、藪や叢に蔽われてしまっている。』

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#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。

赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。」

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。 

且悲就行役,安得營農圃。 

不見征戍兒,豈知關山苦。 

李牧今不在,邊人飼豺虎。」 

 

(古風,五十九首之十四  1

胡関 風沙靡く、粛索 責に終古。

木落ちて 秋草黄ばみ、高きに登りて 戎虜を望む。

荒城は 空しく大漠、辺邑に 遺堵無し。

白骨 千霜に横たわり、嵯峨として 榛葬に顧わる。」

 

借問す 誰か陵虐す、天騎 威武を毒す。

我が聖皇を赫怒せしめ、師を労して 輩鼓を事とす。

陽和は 殺気に変じ、卒を発して中土を騒がしむ。」

 

三十六万人、哀哀として、涙 雨の如し。

且つ悲しんで、行役に就く、安くんぞ農圃を営むを得ん。

征戊の児を見ずんば、豈 関山の苦しみを知らんや。

李牧 今在らず、辺入 豺虎の飼となる。

 

banri03 

『古風,五十九首之十四』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之十四  1

胡關饒風沙,蕭索竟終古。 

木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。 

白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。」 

 

(異文)

胡關饒風沙,蕭索竟終古。

木落秋草黃,登高望戎虜。

荒城空大漠,邊邑無遺堵。

白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

借問誰凌虐,天驕毒威武。

赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

三十六萬人,哀哀淚如雨。

且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。

【案:一本此下有以下四句:爭鋒徒死節,秉鉞皆庸豎。戰士死蒿萊,將軍獲圭組。】

李牧今不在,邊人飼豺虎。 

 

(下し文)

(古風,五十九首之十四  1

胡関 風沙靡く、粛索 責に終古。

木落ちて 秋草黄ばみ、高きに登りて 戎虜を望む。

荒城は 空しく大漠、辺邑に 遺堵無し。

白骨 千霜に横たわり、嵯峨として 榛葬に顧わる。」

 

(現代語訳)

西域と南蛮異民族に対して敗北が続いていたこと、士卒が征戎に苦しんでいたこと、749年天宝8載、哥舒翰の石堡城を打ち破った時の事を詠う。

辺境にある関所塞は砂漠で風と砂塵が常に多く蕭索として寂しげな景色が広がって未開の地で殺風景である。それは大昔から今も同じ状態なのだ。
木の葉が落ちて秋もふかまり、草の黄ばむころになった、小高い丘にのぼり、はるか先の胡の方をながめた。
荒れはてた城郭があり、ほかには何もない大きな砂漠があるのだ。国境の村々には、垣根すら跡形なく残っていない。
白骨が千年もの霜を過ごしても、累々と横たわっている。山は高く嶮しいが、藪や叢に蔽われてしまっている。』
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(訳注)

古風,五十九首之十四  1

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

十四 (西域と南蛮異民族に対して敗北が続いていたこと、士卒が征戎に苦しんでいたこと、749年天宝8載、哥舒翰の石堡城を打ち破った時の事を詠う。

この詩は、玄宗皇帝の749年天宝8載、哥舒翰の石堡城を打ち破った時の事、その年まで、天宝6載(747年)、王忠嗣が軍を進めなかった罪で弾劾された。天宝7載(748年)、青海地方に城を築いて吐蕃を破り、青海に近づかせなかった。西域と南蛮異民族に対して敗北が続いていたこと、士卒が征戎に苦しんでいたことを詠っている。

天宝8載(749年)、隴右節度使として、王忠嗣が左遷される原因となった吐蕃の石堡城の攻略を命じられる。隴右・河西・朔方・河東及び突厥の兵合わせて10万を率いて攻め込んだ。石堡城は難攻不落であったが、数万の兵を失いつつも落城させた。

雁門関、別名を西陘関 

胡關饒風沙、蕭索竟終古。
辺境にある関所塞は砂漠で風と砂塵が常に多く蕭索として寂しげな景色が広がって未開の地で殺風景である。それは大昔から今も同じ状態なのだ。
胡関 胡地への関所。胡は、中国西域、北方の異民族。農耕民族に対して、遊牧・騎馬民族。

粛索。ものさびしく、ひっそりしているさま。


木落秋草黃、登高望戎虜。
木の葉が落ちて秋もふかまり、草の黄ばむころになった、小高い丘にのぼり、はるか先の胡の方をながめた。
木落 そのものでなく木の葉が落ちること、詩の慣用語。

終古 いつまでも、永久に。

戎虜 えびす。胡地。異民族との国境地点。


荒城空大漠、邊邑無遺堵。
荒れはてた城郭があり、ほかには何もない大きな砂漠があるのだ。国境の村々には、垣根すら跡形なく残っていない。
大漠 大砂漠。

辺邑 国境の村。

遺堵 のこった垣根。


白骨橫千霜、嵯峨蔽榛莽。』
白骨が千年もの霜を過ごしても、累々と横たわっている。山は高く嶮しいが、藪や叢に蔽われてしまっている。』
千霜 千年のこと。千「□」と千につく語は詩の印象を強めす。例えば、春だと咲き誇る春が千年であり、秋だと、草花が枯れていくさびしい秋が千年となる。ここでは、句の初めに、白骨があり、千霜と冷たくあたり一面広々と霜の白と白骨の白が続く。

嵯峨 山が高くけわしい。

榛莽 やぶや雑草。
長安と西域 地図01 

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(嚴君平は社会教育的な才あるにもかかわらず、生活の為と占い業をしたが、世間の方も、賢人である君平をただ一通りの賣卜者としてこれにあたっていた。その陰で、心静かに老子の注解を出筆していた。)

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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製作年: Index-32-7 753年天寶十二年53581

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十三 

 

 

13巻一
古風,五十九首之十三

(嚴君平は社会教育的な才あるにもかかわらず、生活の為と占い業をしたが、世間の方も、賢人である君平をただ一通りの賣卜者としてこれにあたっていた。その陰で、心静かに老子の注解を出筆していた。)

君平既棄世。世亦棄君平。

嚴君平は社会教育的な色彩をもつものとしての才あるにもかかわらず、占い業に隠れていたことで、君平のほうから世を捨てたというのであるが、ただ一通りの賣卜者としてこれにあたっていたところをみると、世間の方からも、また賢人である「君平」を捨てたのである。

觀變窮太易。探元化群生。

君平は宇宙の変を観て、深奥なる易理を極めることであり、老子の精髄たる玄を探って、一般人民を調化しようという大抱負をもっていた。

寂寞綴道論。空帘閉幽情。

そこで、賣卜は生活費を得ればそれで事足りるとし、その余暇は簾を垂れて幽情を養い、心静かに老子の注解を出筆していたのである。

騶虞不虛來。鸑鷟有時鳴。

まことに君平は詩経に言う「騶虞」のごとき仁獣、鸑鷟のような瑞鳥に比すべきもので、ほとんど聖賢といってもよい人物なのである。そもそも、「騶虞」は無意味にこの世に出て來るものではなく、鸑鷟も、しかるべきときに限って鳴くので、天が君平を生じさせたのも、決して偶然ではないのに、このようにみずからをすて、また世に棄てられたというのは、なんと情けないことではなかろうか。

安知天漢上。白日懸高名。

この世間では君平を知らないが、銀河のある天上では、さながら白日が高くかかっているように、君平の名は知られていたのだ。

海客去已久。誰人測沈冥

しかし、海上の人が、銀河に行ったということで、君平がえらい人だということがようやくわかってしまったのであるが、今日、海客が去ってしって随分経過してしまうと、誰も、この沈深玄黙の中に潜める君平の真価を計り知ることが出来ないのだ。

 

(古風,五十九首の十三)

君平 既に世を棄て、世も亦た君平を棄つ。

變を觀て太易を窮め、元をって群生を化す。

寂寞 道論を綴り、空帘【くうれん】 幽情を閉ざす。

騶虞【しゅうぐ】は虛しく來らず、鸑鷟【がくぞく】は時有って鳴く。

安んぞ知らん 天漢の上。 白日 高名を懸くる。

海客 去って已に久し、誰人か 沈冥を測らむ。

 

 

『古風,五十九首之十三』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之十三

君平既棄世,世亦棄君平。

觀變窮太易,探元化群生。

寂寞綴道論,空帘閉幽情。

騶虞不虛來,鸑鷟有時鳴。

安知天漢上,白日懸高名。

海客去已久,誰人測沈冥。

 

(下し文)

(古風,五十九首の十三)

君平 既に世を棄て、世も亦た君平を棄つ。

變を觀て太易を窮め、元をって群生を化す。

寂寞 道論を綴り、空帘【くうれん】 幽情を閉ざす。

騶虞【しゅうぐ】は虛しく來らず、鸑鷟【がくぞく】は時有って鳴く。

安んぞ知らん 天漢の上。 白日 高名を懸くる。

海客 去って已に久し、誰人か 沈冥を測らむ。

 

(現代語訳)

(嚴君平は社会教育的な才あるにもかかわらず、生活の為と占い業をしたが、世間の方も、賢人である君平をただ一通りの賣卜者としてこれにあたっていた。その陰で、心静かに老子の注解を出筆していた。)

嚴君平は社会教育的な色彩をもつものとしての才あるにもかかわらず、占い業に隠れていたことで、君平のほうから世を捨てたというのであるが、ただ一通りの賣卜者としてこれにあたっていたところをみると、世間の方からも、また賢人である「君平」を捨てたのである。

君平は宇宙の変を観て、深奥なる易理を極めることであり、老子の精髄たる玄を探って、一般人民を調化しようという大抱負をもっていた。

そこで、賣卜は生活費を得ればそれで事足りるとし、その余暇は簾を垂れて幽情を養い、心静かに老子の注解を出筆していたのである。

まことに君平は詩経に言う「騶虞」のごとき仁獣、鸑鷟のような瑞鳥に比すべきもので、ほとんど聖賢といってもよい人物なのである。そもそも、「騶虞」は無意味にこの世に出て來るものではなく、鸑鷟も、しかるべきときに限って鳴くので、天が君平を生じさせたのも、決して偶然ではないのに、このようにみずからをすて、また世に棄てられたというのは、なんと情けないことではなかろうか。

この世間では君平を知らないが、銀河のある天上では、さながら白日が高くかかっているように、君平の名は知られていたのだ。

しかし、海上の人が、銀河に行ったということで、君平がえらい人だということがようやくわかってしまったのであるが、今日、海客が去ってしって随分経過してしまうと、誰も、この沈深玄黙の中に潜める君平の真価を計り知ることが出来ないのだ。

 

(訳注)

古風,五十九首之十三

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

詠史詩

十三(嚴君平は社会教育的な才あるにもかかわらず、生活の為と占い業をしたが、世間の方も、賢人である君平をただ一通りの賣卜者としてこれにあたっていた。その陰で、心静かに老子の注解を出筆していた。)

十二(世間からはなれて隠棲していても強い個性をもって光っている厳子陵という人のように生きたい)

 

 

君平既棄世,世亦棄君平。

嚴君平は社会教育的な色彩をもつものとしての才あるにもかかわらず、占い業に隠れていたことで、君平のほうから世を捨てたというのであるが、ただ一通りの賣卜者としてこれにあたっていたところをみると、世間の方からも、また賢人である「君平」を捨てたのである。

「君平」は漢の厳遵(げんじゅん、字は君平)のことで、蜀の成都の市場で卜筮をして暮らしていました。易断をして人に法を説き善に導きましたが、みずからを養うに足るときは店を閉じたといいます。

厳君平は一方で「ト筮は賤業」であると認めなから,他方では「ト筮」によって,子には「孝行」,弟には「梯順」。臣には「忠義」を説き,衆人を恵むことができると述べている。卜筮によって衆人を孝や順や忠に導いたといわれることは、いちじるしく民衆的または社会教育的な色彩をもつものとして注意される。それは、現実の政治に絶望した彼らに、たんに個人的に逃避するのではなく、みずからの理想によって民衆を教化しようという考えがあったのではなかろうか。

 

觀變窮太易,探元化群生。

君平は宇宙の変を観て、深奥なる易理を極めることであり、老子の精髄たる玄を探って、一般人民を調化しようという大抱負をもっていた。

太易 『列子』(天瑞篇第二章)列子言。 昔者。聖人因陰陽以統天地。夫有形者生於無形。則天地安従生。 故曰。「有太易。有太初。有太始。有太素」。太易者。未見氣也。 太初者。氣之始也。太始者。形之始也。太素者。質之始也。氣形質具。而未相離。故曰渾淪。渾淪者。言萬物相渾淪。(列子に言う。むかし、聖人は陰陽に因って天地を統【す】ぶ。 夫れ有形は無より生ずれば、 則ち天地は安くよりか生ずるや。 故に曰(いわ)く。 「太易有り。 太初有り。 太始有り。太素有と。 太易は、未だ氣を見ざるなり。 太初は、氣の始めなり。 太始は、形の始めなり。 太素は、質の始めなり。 氣形質具わるも、未だ相い離れず。 故に渾淪という。 渾淪とは、萬物が相い渾淪として、 未だ相い離れざるを言うなり。)

 

寂寞綴道論,空帘閉幽情。

そこで、賣卜は生活費を得ればそれで事足りるとし、その余暇は簾を垂れて幽情を養い、心静かに老子の注解を出筆していたのである。

道論 老子の注解。

 

騶虞不虛來,鸑鷟有時鳴。

まことに君平は詩経に言う「騶虞」のごとき仁獣、鸑鷟のような瑞鳥に比すべきもので、ほとんど聖賢といってもよい人物なのである。そもそも、「騶虞」は無意味にこの世に出て來るものではなく、鸑鷟も、しかるべきときに限って鳴くので、天が君平を生じさせたのも、決して偶然ではないのに、このようにみずからをすて、また世に棄てられたというのは、なんと情けないことではなかろうか。

騶虞 騶とは馬車に乗る人です。虞とは葬儀の仕上げのことで、親族が死者の埋葬を終えて家に帰り、死者の霊を安んずるために行う儀式です。即ち騶虞とは馬車に乗った死者が埋葬のために家に帰るという意味になり、斉の襄公に殺された桓公の悲しい帰国であることが分かります。『詩経、召南、騶虞』「彼茁者葭 壹發五豝,于嗟乎騶虞。」(そこらに生えた葦の草、取るに足らない大豚が従う(荘公)ああ馬車に乗った物言わぬご帰還)

鸑鷟 鳳凰。『国·周語上』:“ 周之也,鸑鷟於岐山。” 昭注:“三君云:鸑鷟,鳳凰名也。『詩経』に云う:鳳凰鳴くなり,于彼高其れは岐山の脊に在らん?

 

安知天漢上,白日懸高名。

この世間では君平を知らないが、銀河のある天上では、さながら白日が高くかかっているように、君平の名は知られていたのだ。

○天漢/河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。

 

海客去已久,誰人測沈冥。

しかし、海上の人が、銀河に行ったということで、君平がえらい人だということがようやくわかってしまったのであるが、今日、海客が去ってしって随分経過してしまうと、誰も、この沈深玄黙の中に潜める君平の真価を計り知ることが出来ないのだ。

○海客 海上の人。東に位置する国には海客が流れ着き、西に位置する国には山客が流れ着くといわれる。

○沈冥 静かで奥深いこと。人目につかずひっそりとしていること。また,そのさま。沈深玄黙の中に潜めること。

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強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。

 
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Index-

22

Ⅲ― 2-743年天寶二年43

94

ID

No.

詩題

詩文初句

269

1

古風,五十九首之十二

松柏本孤直,

270

2

古風,五十九首之二十一

郢客吟白雪,

271

3

古風,五十九首之三十九

登高望四海,

272

4

古風,五十九首之四十四

綠蘿紛葳蕤,

273

5

古風,五十九首之四十七

桃花開東園,

274

6

古風,五十九首之四十九

美人出南國,

275

7

古風,五十九首之五十

宋國梧臺東,

276

8

古風,五十九首之五十六

越客採明珠,

 

 李白図102

 

製作年:  743  天寶二年  43

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十二 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

及地點: 富春山 (江南東道 睦州 桐廬) 別名:嚴陵山     

 

 

古風,五十九首之十二  

松柏本孤直,難為桃李顏。

昭昭嚴子陵,垂釣滄波間。

身將客星隱,心與浮雲閒。

長揖萬乘君,還歸富春山。

清風灑六合,邈然不可攀。

使我長歎息,冥棲巖石間。 

(世間からはなれて隠棲していても強い個性をもって光っている厳子陵という人のように生きたい)

松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ
わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 
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古風五十九首 の十二
松柏 本 孤直、桃李の顔を為し難し。
昭昭たり 厳子陵、釣を垂る 滄波の間。
身は客星と将に隠れ、心は浮雲と与に閑なり。
万乗の君に長揖して、還帰す 富春山。
清風 六合に灑ぎ、邈然(ばくぜん)として 攀()ずべからず
我をして 長く嘆息し、巌石の間に冥棲せしむ

 

 

『古風,五十九首之十二  』 現代語訳と訳註

(本文)

松柏本孤直,難為桃李顏。

昭昭嚴子陵,垂釣滄波間。

身將客星隱,心與浮雲閒。

長揖萬乘君,還歸富春山。

清風灑六合,邈然不可攀。

使我長歎息,冥棲巖石間。 

 

(下し文)

古風五十九首 其の十二

松柏 本 孤直、桃李の顔を為し難し。

昭昭たり 厳子陵、釣を垂る 滄波の間。

身は客星と将に隠れ、心は浮雲と与に閑なり。

万乗の君に長揖して、還帰す 富春山。

清風 六合に灑ぎ、邈然(ばくぜん)として 攀()ずべからず

我をして 長く嘆息し、巌石の間に冥棲せしむ

 

(現代語訳)

(世間からはなれて隠棲していても強い個性をもって光っている厳子陵という人のように生きたい)

松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ
わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 
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(訳注)

古風,五十九首之十二

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(世間からはなれて隠棲していても強い個性をもって光っている厳子陵という人のように生きたい)

 

松柏本孤直、難為桃李顏。
松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
 かお。かおいろ。かおだち。体面。いろどり、色彩。額。


昭昭嚴子陵、垂釣滄波間。
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
昭昭 きわめてあきらか。強い個性をもって光っている。

厳子陵 漢の厳光(紀元前39 - 41年)。「後漢書」の伝記によると次のとおりである。厳光、字は子陵、会稽の飴桃、すなわち今の漸江省紹興市の東方にある飴桃県の人である。年少のころから名高く、のちの光武帝とは同学で机をならべた仲だった。光武帝が即位すると、かれは姓名をかえ、身をかくした。光武帝点かれのすぐれた能力を思い、その居所をさがさせた。のち斉の国で、一人の男が羊の皮衣をきて沼で釣をしているという報告があった。帝はそれが厳光にちがいないと思った。上等の安楽車を用意させ、使を派遣してかれをまねく。かれは三べん辞退してからやっと来る。宿舎にベッドがあてがわれ、御馳走が出る。帝はすぐに会いにゆく。厳光は横になったまま起きあがらない。帝はいった、「子陵よ、わたしもついに、きみだけは家来にできないよ。」そこでかれをつれてかえり、書生時代のように議論して数日に及んだが、一緒にねそべっていると、厳光は足を帝の腹の上にのせる。翌日、天文をつかさどる役人が上奏した。「客星、御座を犯すこと甚だ急なり。」帝は笑っていった、「朕が旧友の厳子陵といっしょにねそべっていただけのことだ。」諌議大夫という位を授けたが、かれは身を屈めて受けることをしなかった。やがて富春山にこもり、田を耕した。後世の人はかれが釣をしていた場所を厳陵瀬と名づけたという。厳光が釣りをしていた場所(桐盧県の南、富春江の湖畔)は「厳陵瀬」と名づけられた。釣臺は東西に一つずつあり、高さはそれぞれ数丈、その下には羊裘軒・客星館・招隠堂があった。北宋の政治家・范仲淹は厳光の祠堂を修復し、「厳先生祠堂記」を撰写しその中で「雲山蒼蒼、江水泱泱。先生之風、山高水長」と厳光の高尚な気風を賞賛した。

○滄波  東海神仙三山の浮ぶ海のあおあおとした波のこと。
 

身將客星隱、心與浮云閑。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
客星 一定の所に常には見えず、一時的に現われる星。彗星・新星など。

 のどか、おおきい。静か。のんびり。さく。しきり。
 

長揖萬乘君、還歸富春山。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
長揖 ちょうゆう、敬礼の一種。組みあわせた両手を上からずっと下の方までさげる。

万乗 一万の兵事。転じて、それを統帥する天子のこと。天下。君といっしょで万乗の光武帝。

富春山 浙江省桐盧県銭塘江中流域にあり、一名を厳陵山という。「一統志」に「清麗奇絶にして、錦峰繍嶺と号す。乃ち漢の厳子陵隠釣の処。前は大江に臨み、上に東西二釣台あり」と記されている。謝霊運『富春渚詩』 「宵濟漁浦潭。旦及富春郭。定山緬雲霧。赤亭無淹薄。溯流觸驚急。臨圻阻參錯。亮乏伯昏分。險過呂梁壑。」(宵に漁浦の潭【ふち】を濟【わた】り、旦に富春の郭に及【いた】る。定山は雲霧に緬【はる】かに、赤亭には淹薄【とま】ること無く。流れを遡りて驚急に触れ、圻に臨み參錯【でいり】に阻【はば】まる。亮に伯昏の分に乏しく、険は呂梁の壑に過ぎぬ。)わたしは夕方、漁浦の渡し場から船出した。夜どおし船旅をして、明け方、富春の街に着いた。分水嶺の定山はまだまだ雲霧の向こうで遙かに遠い、富陽の花街の赤亭に泊まることはしない。流れは急でそれをさかのぼる巌にせっそく接触したり、驚くような目に何度もあう、船を接岸できそうな岸へ寄せようとするのだが水流の出入りによってなかなか寄せられない。私はあきらかに物に動じないことという心構えにはとぼしいものである、嶮しいといっても黄河随一の難関、呂梁幕府のある谷ほどのものではないので経過していく。
富春渚 #1 謝霊運<14> 詩集 376

 

清風灑六合、邈然不可攀。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ
六合 上下四方、すなわち、世界、宇宙。

邈然 はるかなさま。


使我長嘆息、冥棲巌石間。
わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 
冥棲 ひっそりしたところに黙然と修業してくらす。
呉越の地図 

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黄河の流れは当たり前のこととしてはるか東の海にむかって走り、太陽は西方の海に落ちる。孔子が言うように、すぎゆく川の流れも、光矢のようにはやく流れる時間も、たちまちのことであり、人を待ってはくれない。青春の顔かたちはわたしの所から去って変わってしまった。頭はすでに秋霜のような白髪哀しくも変わってしまった。

 
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Index-20 《古風五十九首之十一》Ⅱ― 16-741年開元二十九年41237古風,五十九首之十齊有倜儻生, <Index-20> Ⅰ李白詩1159 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4343

 

 

Index-

20

Ⅱ― 16-741年開元二十九年41

14

ID

No.

詩題

詩文初句

237

1

古風,五十九首之十

齊有倜儻生,

238

2

古風,五十九首之十一

黃河走東溟,

239

3

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

仙人十五愛吹笙,

240

4

搗衣篇

閨裡佳人年十餘,

241

5

東魯見狄博通

去年別我向何處,

242

6

秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

木落識秋,

243

7

贈從弟冽

楚人不識鳳,

244

8

別魯頌

誰道泰山高,

245

9

送薛九被讒去魯

宋人不辨玉,

246

10

送魯郡劉長史遷弘農長史

魯國一杯水,

247

11

魯郡堯祠送張十四遊河北

猛虎伏尺草,

248

12

早秋單父南樓酬竇公衡

白露見日滅,

249

13

答友人贈烏紗帽

領得烏紗帽,

250

14

詠鄰女東窗海石榴

魯女東窗下,

 

 

製作年:  741  開元二十九年  41

卷別: 巻一 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十一 

 

 

古風,五十九首之十一 

(人生今をいかに生きるか、去って行く日は、時は取り戻せない)

黃河走東溟,白日落西海。

黄河の流れは当たり前のこととしてはるか東の海にむかって走り、太陽は西方の海に落ちる。

逝川與流光,飄忽不相待。

孔子が言うように、すぎゆく川の流れも、光矢のようにはやく流れる時間も、たちまちのことであり、人を待ってはくれない。

春容捨我去,秋髮已衰改。

青春の顔かたちはわたしの所から去って変わってしまった。頭はすでに秋霜のような白髪哀しくも変わってしまった。

人生非寒松,年貌豈長在。

人間の生命は、寒い冬がきても葉を落さない松の木のようにはいかないのだ。年齢と容貌は、長く同じところにいてくれないのだ。

吾當乘雲螭,吸景駐光彩。

わたしは、幸運の竜の背に乗って日月の光を吸いとり、流れる五色の光矢時間をひきとめたいと思う。

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古風五十九首 の十一

黃河は 東溟に走り、 白日は西海に落つ。

逝川【せいせん】と 流光と、 飄忽として 相待たず。

春容 我を舍てて去り、 秋髪 已に衰改す。

人生は 寒松に非ず、年貌【ねんぼう】豈に長えに在らんや。

吾 当に雲螭【うんち】に乗じ、景を吸うて 光彩を駐むべし。

太白山001 

 

『古風,五十九首之十一』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之十一 

黃河走東溟,白日落西海。

逝川與流光,飄忽不相待。

春容捨我去,秋髮已衰改。

人生非寒松,年貌豈長在。

吾當乘雲螭,吸景駐光彩。

【誰能學天飛,三秀與君採】

 

 

(下し文)

古風五十九首 古風其の十一

黃河は 東溟に走り、 白日は西海に落つ。

逝川と 流光と、 飄忽として 相待たず。

春容 我を舍てて去り、 秋髪 已に衰改す。

人生は 寒松に非ず、年貌 豈に長えに在らんや。

吾 当に雲螭に乗じ、景を吸うて 光彩を駐むべし。

 

(現代語訳)

(人生今をいかに生きるか、去って行く日は、時は取り戻せない)

黄河の流れは当たり前のこととしてはるか東の海にむかって走り、太陽は西方の海に落ちる。
孔子が言うように、すぎゆく川の流れも、光矢のようにはやく流れる時間も、たちまちのことであり、人を待ってはくれない。
青春の顔かたちはわたしの所から去って変わってしまった。頭はすでに秋霜のような白髪哀しくも変わってしまった。
人間の生命は、寒い冬がきても葉を落さない松の木のようにはいかないのだ。年齢と容貌は、長く同じところにいてくれないのだ。

わたしは、幸運の竜の背に乗って日月の光を吸いとり、流れる五色の光矢時間をひきとめたいと思う。
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(訳注)

古風,五十九首之十一 

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(人生今をいかに生きるか、去って行く日は、時は取り戻せない)

 

黃河走東溟、白日落西海。
黄河の流れは当たり前のこととしてはるか東の海にむかって走り、太陽は西方の海に落ちる。
○黄河 中国の北部を流れ、渤海へと注ぐ川。全長約5,464kmで、中国では長江に次いで2番目に長く、世界では6番目の長さである。なお、河という漢字は本来固有名詞であり、中国で「河」と書いたときは黄河を指す。これに対し、「江」と書いたときは長江を指す。

東溟 はるか東の海。東流は常識。東海の蒼海に泛ぶ神仙三山を意識する

西海 日の入りを意識する。中国人は大地の四方に海があると意識していた。青海と砂漠、天竺の向こうには大海がある。中国人の宇宙観であり、道教の教えでもある。


逝川與流光、飄忽不相待。
孔子が言うように、すぎゆく川の流れも、光矢のようにはやく流れる時間も、たちまちのことであり、人を待ってはくれない。
逝川 流れゆく川。むかし孔子が川のほとりに立って流れゆく水を見て言った。論語・子罕』に「子在川上曰:逝者如斯夫!不舎昼夜。」「逝く者は斯の如き夫、昼夜を舎かず。」に基づく。

流光 1 年月がたつこと。光陰の移り行くこと。「五年の―に転輪の疾()き趣を解し得たる婆さんは」〈漱石・草枕〉2 流れ出る光。また、光の流れること。3 水の流れにうつる月光。ここでは光矢のようにはやく流れさる時間。

飄忽 急なさま。たちまち。非常に速いこと。


春容舍我去、秋髪已衰改。
青春の顔かたちはわたしの所から去って変わってしまった。頭はすでに秋霜のような白髪哀しくも変わってしまった。
春容 青春の日の容貌。青春の顔かたち。

秋髪 晩年の白髪。
 

人生非寒松、年貌豈長在。
人間の生命は、寒い冬がきても葉を落さない松の木のようにはいかないのだ。年齢と容貌は、長く同じところにいてくれないのだ。
寒松 寒い冬がきても葉を落さない松の木。

年貌 年齢と容貌。

 
吾當乘云螭。吸景駐光彩。
わたしは、幸運の竜の背に乗って日月の光を吸いとり、流れる五色の光矢時間をひきとめたいと思う。
雲螭 螭竜の一種。螭は額に角を持たない龍のことを言う。龍から角を取った感じだ。山や沢に棲む小さな龍で、色は赤や白、あるいは蒼色のものがいる。螭はとりわけ岩や木陰などの湿った場所を好むという。そして小さな虫や動物を食べて生きている。人目に触れる場所にはあまり出没しないという。螭が湿った場所を好むのか、螭が棲む場所を湿らせるのかはよく分からないが、螭がいなくなったためにその場所から湿気がなくなったという話も残されているという。仙界の幸運のいきもの。○吸景 日月の景を吸う。景は、ひかり。

光彩 ひかり。

李白図102 

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仲秋の名月は真珠が満足の行く大きさになって初めて海底から出てくるものである。そしてそれはある朝にはすべての物から注目される光輝をはなつということになるのだ。かつて、秦の軍隊を追っ払ってすぐれた名声をとどろかせ、後世の人はその威光が後世になっても消えないで光っているから仰いでいるのである。

 
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20

Ⅱ― 16-741年開元二十九年41

14

ID

No.

詩題

詩文初句

237

1

古風,五十九首之十

齊有倜儻生,

238

2

古風,五十九首之十一

黃河走東溟,

239

3

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

仙人十五愛吹笙,

240

4

搗衣篇

閨裡佳人年十餘,

241

5

東魯見狄博通

去年別我向何處,

242

6

秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

木落識秋,

243

7

贈從弟冽

楚人不識鳳,

244

8

別魯頌

誰道泰山高,

245

9

送薛九被讒去魯

宋人不辨玉,

246

10

送魯郡劉長史遷弘農長史

魯國一杯水,

247

11

魯郡堯祠送張十四遊河北

猛虎伏尺草,

248

12

早秋單父南樓酬竇公衡

白露見日滅,

249

13

答友人贈烏紗帽

領得烏紗帽,

250

14

詠鄰女東窗海石榴

魯女東窗下,

 

製作年:  741  開元二十九年  41

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十 

 

 

古風,五十九首之十

(自分が目標とするのは魯中連であって、自分も彼のように後世になっても光り輝ける人間になりたいと詠う。)

齊有倜儻生,魯連特高妙。

斉の国には志が大きく、人にすぐれ、独立自由である人を多く輩出している、その中でもずばぬけているのは魯仲連である。

明月出海底,一朝開光曜。

仲秋の名月は真珠が満足の行く大きさになって初めて海底から出てくるものである。そしてそれはある朝にはすべての物から注目される光輝をはなつということになるのだ。

卻秦振英聲,後世仰末照。

かつて、秦の軍隊を追っ払ってすぐれた名声をとどろかせ、後世の人はその威光が後世になっても消えないで光っているから仰いでいるのである。

意輕千金贈,顧向平原笑。

千金の贈物をされることすら全く問題にせず、平原君の方をふりむいて一笑に付した。

吾亦澹蕩人,拂衣可同調。 

物事にこだわらないたちはわたしも同様である。だから、思いきって、かれと意気投合しょうとおもうのだ。

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古風 其の十

斉に倜儻てきとうの生有り、魯連ろれん 特に高妙。

明月 海底より出で、一朝 光曜こうようを開く。

秦を却しりぞけて 英声を振い、後世 末照を仰ぐ。

意 千金の贈りものを軽んじ、顧みて平原に向って笑う。

吾も亦た 澹蕩たんとうの人、衣を払って 調を同じゅうすべし。

太白山001 

 

『古風,五十九首之十』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之十

齊有倜儻生,魯連特高妙。

明月出海底,一朝開光曜。

卻秦振英聲,後世仰末照。

意輕千金贈,顧向平原笑。

吾亦澹蕩人,拂衣可同調。 

 

(下し文)

古風 其の十

斉に倜儻てきとうの生有り、魯連ろれん 特に高妙。

明月 海底より出で、一朝 光曜こうようを開く。

秦を却しりぞけて 英声を振い、後世 末照を仰ぐ。

意 千金の贈りものを軽んじ、顧みて平原に向って笑う。

吾も亦た 澹蕩たんとうの人、衣を払って 調を同じゅうすべし。

 

(現代語訳)

(自分が目標とするのは魯中連であって、自分も彼のように後世になっても光り輝ける人間になりたいと詠う。)

斉の国には志が大きく、人にすぐれ、独立自由である人を多く輩出している、その中でもずばぬけているのは魯仲連である。
仲秋の名月は真珠が満足の行く大きさになって初めて海底から出てくるものである。そしてそれはある朝にはすべての物から注目される光輝をはなつということになるのだ。
かつて、秦の軍隊を追っ払ってすぐれた名声をとどろかせ、後世の人はその威光が後世になっても消えないで光っているから仰いでいるのである。
千金の贈物をされることすら全く問題にせず、平原君の方をふりむいて一笑に付した。
物事にこだわらないたちはわたしも同様である。だから、思いきって、かれと意気投合しょうとおもうのだ。

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(訳注)

古風,五十九首之十

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(自分が目標とするのは魯中連であって、自分も彼のように後世になっても光り輝ける人間になりたいと詠う。)

 

齊有倜儻生、魯連特高妙。
斉の国には志が大きく、人にすぐれ、独立自由である人を多く輩出している、その中でもずばぬけているのは魯仲連である。
 今の山東省にあった紀元前の国。昔、周のはじめ、有名な太公望がそこに封ぜられ、又、桓公のようなすぐれた君主の出た土地で、傑物が少なくない。

倜儻 志が大きく、人にすぐれ、独立自由であること。倜【てき】すぐれていて、拘束されないこと。儻【とう】 志が大きくてぬきんでていること。「倜儻不羈。」

 先生の略。

魯連 魯仲連の略称。戦国時代の斉の国の人で、義侠の士として有名である。伝記は「史記」の列伝に見える。つね日ごろ、人とはちがった大志を抱き、仕官せず職にもつかなかった。たまたま趙の国に遊んでいた時、紀元前二四七年、秦の軍隊が趙の邯鄲(いまの河北省にある)を包囲した。魯仲連は、秦に降伏することに断乎反対して、題の平原君を助けた。同時に、魏の国の王子信陵君もまた、兵を率いて秦を攻撃したので、秦は退却し、趙は救われた。郡部の包囲が解かれたのち、平原君は魯仲連に領地を与えようとした。魯仲連は辞退した。平原君はそこで千金をおくろうとした。魯仲連は笑って言った。「天下に貴ばれる士たる者は、人のために患を排し、難をとき、紛乱を解して、しかも何も受取らないものです。もしも報酬を受取るなら、それは商人です。」何も受け取らないで立去り、生涯ふたたび現われなかった。


明月出海底、一朝開光曜。
仲秋の名月は真珠が満足の行く大きさになって初めて海底から出てくるものである。そしてそれはある朝にはすべての物から注目される光輝をはなつということになるのだ。
明月 明月は仲秋の名月、八月の十五日の月。すべてを満足するであろうということをあらわす。月中には桂の樹があり、また兎がすむと伝説される。兎は、愛の妙薬を臼でついている。夜光の珠。夜光の珠も闇に置けば光彩を放つが白日に曝せば『魅力』を失う。

○海底 「神農本草経」に「珊瑚は海底の盤石の上に生ず一歳にして黄、三歳にして赤し。海人先ず鉄網を作りて水底に沈むれば中を貫いて生ず。網を絞りて之を出す。時を失して取らざれは則ち腐る。」とある。な玉輪 鉄網の二句には奥に隠された意味があると思われる。例えば西晋の傅玄(217278)の雑詩の句「明月常には盈つるあたわず。」という月が女性の容姿の喩えであるように、恐らく「顧免初生魄」は、少くとも、愁いを知りそめた乙女の顔、そしてその瞳への聯想をいざなうように作られている。また、熟せば赤くなる珊瑚、だがまだ枝を生じないから網でひきあげられてはいない。


卻秦振英聲、後世仰末照。
かつて、秦の軍隊を追っ払ってすぐれた名声をとどろかせ、後世の人はその威光が後世になっても消えないで光っているから仰いでいるのである。
 秦(紀元前778 - 紀元前206年)は、中国の王朝。周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在し、紀元前221年に中国を統一したが、紀元前206年に滅亡した。統一から滅亡までの期間(紀元前221 - 紀元前206年)を秦代と呼ぶ。国姓は嬴。統一時の首都は咸陽。なお、中国では、4世紀頃まで朝鮮半島南部にあった三韓の一つの辰韓も、秦と表記することがある。

末照 余光。その威光が後世になっても消えないで光っていること。


意輕千金贈、顧向平原笑。
千金の贈物をされることすら全く問題にせず、平原君の方をふりむいて一笑に付した。
平原 (未詳- 紀元前251年)は、中国戦国時代の趙の公子で政治家。氏は趙、諱は勝。武霊王の子、恵文王の弟。食客を集めて兄恵文王、続いて甥孝成王を補佐した。戦国四君の一人。人士を好み食客を数千人集めていた。その中には公孫竜や鄒衍などもいた。紀元前251年、死去。子孫が平原君を継ぐが、秦により趙が滅亡した際に共に滅ぼされた。


吾亦澹蕩人、拂衣可同調。

物事にこだわらないたちはわたしも同様である。だから、思いきって、かれと意気投合しょうとおもうのだ。
澹蕩 あっさりして、物事にこだわらないこと。

払衣 上衣をぱっとはねあげてすっくとたちあがること。決然と別れを告げるときに用いることば。

同調 調子が合う。
李白図102 

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心の富んでいて尊敬できる人というものは、このように位が高かったのにそれを捨てて、美味しい瓜を作るということで、甘い言葉に惑わされない人である。同じ瓜を売ってもあくせくして損得勘定だけの行動をするなんていかに愚かなことだろうか。

 
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Index-24 《古風五十九首之九》Index-24-2 745年天寶四年45419古風,五十九首之九莊周夢蝴蝶, <Index-24> Ⅰ李白詩1157 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4333

 

 

9 巻一 古風,五十九首之九

製作年:  745  天寶四年  45

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之九 

 

古風,五十九首之九  

(隠遁してまどわされないで生きてゆく)

莊周夢蝴蝶,蝴蝶為莊周。

荘周はあるとき自由に空を舞う蝴蝶になった夢をみた、さめてみるとその蝴蝶がまた荘周となって一体化していた。

一體更變易,萬事良悠悠。

万物は本来一体であるのであって、交互に姿をかえるということだけなのだ。万事はまことに、精神的な自由を求めて悠々自適な生活が理想の生き方をするということがよいことなのである

乃知蓬萊水,復作清淺流。

このことはすなわち、麻姑という女の仙人が言った蓬莱山を浮かべている東海の水が浅くなって砂塵を巻いたということは知っているが、また、それが斉物論によって泥が一体化することで清く浅い流れになろうとすることも理解できる。

青門種瓜人,舊日東陵侯。

隠遁した素晴らしい人は長安の青城門の郊外で五色の瓜を作った人である。昔は位の高い「東陵侯」という人であった。

富貴故如此,營營何所求 

心の富んでいて尊敬できる人というものは、このように位が高かったのにそれを捨てて、美味しい瓜を作るということで、甘い言葉に惑わされない人である。同じ瓜を売ってもあくせくして損得勘定だけの行動をするなんていかに愚かなことだろうか。

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(古風,五十九首の九)

荘周胡蝶を夢み、、胡蝶は荘周となる。

一体たがひに変易し、万事まことに悠悠たり。

すなはち知る蓬莱の水の、また清浅の流れとなるを。

青門に瓜を種うるの人は、旧日の東陵侯なり。

富貴はもとよりかくのごとし、営々なんの求むるところぞ。

 

 

『古風,五十九首之九』 現代語訳と訳註

(本文)

莊周夢蝴蝶,蝴蝶為莊周。

一體更變易,萬事良悠悠。

乃知蓬萊水,復作清淺流。

青門種瓜人,舊日東陵侯。

富貴故如此,營營何所求。 

 

 

(下し文)

荘周胡蝶を夢み、、胡蝶は荘周となる。

一体たがひに変易し、万事まことに悠悠たり。

すなはち知る蓬莱の水の、また清浅の流れとなるを。

青門に瓜を種うるの人は、旧日の東陵侯なり。

富貴はもとよりかくのごとし、営々なんの求むるところぞ。

 

(現代語訳)

(隠遁してまどわされないで生きてゆく)

荘周はあるとき自由に空を舞う蝴蝶になった夢をみた、さめてみるとその蝴蝶がまた荘周となって一体化していた。
万物は本来一体であるのであって、交互に姿をかえるということだけなのだ。万事はまことに、精神的な自由を求めて悠々自適な生活が理想の生き方をするということがよいことなのである
このことはすなわち、麻姑という女の仙人が言った蓬莱山を浮かべている東海の水が浅くなって砂塵を巻いたということは知っているが、また、それが斉物論によって泥が一体化することで清く浅い流れになろうとすることも理解できる。
隠遁した素晴らしい人は長安の青城門の郊外で五色の瓜を作った人である。昔は位の高い「東陵侯」という人であった。

心の富んでいて尊敬できる人というものは、このように位が高かったのにそれを捨てて、美味しい瓜を作るということで、甘い言葉に惑わされない人である。同じ瓜を売ってもあくせくして損得勘定だけの行動をするなんていかに愚かなことだろうか。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->長安付近図00
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(訳注)

古風,五十九首之九  

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

莊周夢蝴蝶,蝴蝶為庄周。
荘周はあるとき自由に空を舞う蝴蝶になった夢をみた、さめてみるとその蝴蝶がまた荘周となって一体化していた。
荘周 紀元前四世紀の人。いまの河南省に生れた。哲学者。「荘子」の著者。○夢蝴蝶 「荘子」の「斉物論」篇に見える話。あるとき荘周が夢のなかで蝴蝶になった。ひらひらと空を舞う蝴蝶。かれはすっかりいい気持になり、自分が荘周であることをわすれてしまった。ところが、ふと目がさめてみると、まぎれもなく、荘周にかえっている。かれは考えた。荘周が夢をみて蝴蝶となったのか、それとも、蝴蝶が夢をみて荘周になっているのだろうか。荘周と蝴蝶とは、はっきりと区別される。すると、これは「物の変化」ということであろうか。つまり、荘子は、人間と蝴蝶、夢と現実を区別する常識的な分別を問題にせず、渾沌とした世界の中で自由にたのしむことをよしと考えたのである。

荘周 「夢蝴蝶」 昔者荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。
自喩適志与。不知周也。
俄然覚、則蘧蘧然周也。
 
不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。
周与胡蝶、則必有分矣。
此之謂物化。
(蝴蝶を夢む) 昔者荘周夢に胡蝶と為る。栩栩然として胡蝶なり。 自ら喩しみて志に適えるかな。周たるを知らざるなり。俄然として覚むれば、則ち蘧々然として周なり。 知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。 周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化と謂う。

以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。 自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か私にはわからない。 荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである。


一體更變易,萬事良悠悠
万物は本来一体であるのであって、交互に姿をかえるということだけなのだ。万事はまことに、精神的な自由を求めて悠々自適な生活が理想の生き方をするということがよいことなのである
一体更変易 万物は本来一つであるということを明らかにするのが、荘子の斉物論である。世の中のあらゆる現象は、もともと一体であるものが、いろいろに姿をかえているのである。斉物論とは、中国古代の哲学書《荘子》の篇名。また荘子の哲学の中核をなす論である。現実世界の根源にあってそれを支えている〈道〉の絶対性のもとでは,現実世界における万物の多様性や価値観の相違などのあらゆる差別相が止揚されて意味をもたなくなること,したがって道の在り方に目覚め道と一体となることによって,個が個としての価値を完全に回復し,何ものにもとらわれない境地に到達できるという論をいう。

悠悠 無限に運動するさまをいうが、この語も荘子の斉物論てきひょうげんである。精神的な自由を求めて悠々自適な生活が理想の生き方をするというもの。伝統的な儒教の考えでは、『周易正義』が引く『易緯乾鑿度』の「易は一名にして三義を含む」という「変易」「不易」「簡易」道教的には陰陽一体ということになる。


乃知蓬萊水,復作清淺流。
このことはすなわち、麻姑という女の仙人が言った蓬莱山を浮かべている東海の水が浅くなって砂塵を巻いたということは知っているが、また、それが斉物論によって泥が一体化することで清く浅い流れになろうとすることも理解できる。
蓬莱水 蓬莱というのは、東海の中にあるといわれる仙人の島。麻姑という女の仙人が言った。「東の海が三遍干上って桑畑にかわったのを見たが、先ごろ蓬莱島に行ってみると、水が以前の半分の浅さになってしまっている。またもや陸地になるのだろうか。」王遠という者が嘆いて言った。「聖人はみな言っている、海の中もゆくゆくは砂塵をまきあげるのだと。」『神仙伝・巻二』「王遠」・巻七「麻姑」「麻姑謂王方平曰:自接侍以來、見東海三變爲桑田、向到蓬莱、水乃淺於往者、(略) 半也、豈復爲陵陸乎。方平乃曰:東海行復揚塵耳。」麻姑は語った。「お目に掛かりましてより、早くも東海が三たび桑田に変ずるのをこの目で見ました。先ごろ蓬莱に参りましたが、これまた水は昔の大海の時よりも、ほぼ半分ほどに浅くなっていました。やがては陸地になってしまうことでしょう」と。王遠も嘆息して言った。「海中にも土埃が立つとか、聖人も仰せられた」と。

 

青門種瓜人。 舊日東陵侯。
隠遁した素晴らしい人は長安の青城門の郊外で五色の瓜を作った人である。昔は位の高い「東陵侯」という人であった。
青門 長安城の東がわ、南から数えた第一の門を新開門という。青い色であったから通称を青城門、または青門といった。下図 曲江の東にある門
<!--[if !vml]-->mapchina00201安城の図 東南側は陵墓と瓜畑が広がっていた。
種瓜人 広陵の人、
青門の瓜売りは五色の瓜を杜陵につくっていたこと、官を辞して瓜をたくさん栽培したことをいう。泰の東陵侯に封じられていた卲平は秦が滅びると布衣(庶民)の身となり、長安の門の東で瓜を栽培し、それが美味だったので「東陵の瓜」と称された。

卲平 東陵の瓜は五色であったことは次に示す。

「曰:邵平故秦東陵侯,秦滅後,為布衣,種瓜長安城東。種瓜有五色,甚美,故世謂之東陵瓜,又云青門瓜」。魏・阮籍も卲平の東陵の瓜は五色をふまえて「詠懐詩」(『文選』巻二三)其六に「昔聞く東陵の瓜、近く青門の外に在りと。……五色 朝日に輝き、嘉賓 四面に会す」とする。

陶淵明『飮酒二十首 其一』

衰榮無定在, 彼此更共之。

邵生瓜田中, 寧似東陵時。

寒暑有代謝, 人道毎如茲。

達人解其會, 逝將不復疑。

忽與一觴酒, 日夕歡相持。

(飮酒二十首 其の一)

衰榮 定在 無く, 彼此 更【こもご】も 之【これ】を 共にす。

邵生 瓜田の中は, 寧【いづく】んぞ  東陵の時に 似んや。

寒暑 代謝 有り, 人道 毎【つね】に茲【か】くの如し。

達人 其の會を 解して, 逝【ここ】に將に 復た 疑はざらん。

忽として 一觴の酒と 與にし,日夕に 歡びて相ひ持す。

孟浩然『南山下與老圃期種瓜』

樵牧南山近,林閭北郭

先人留素業,老圃作鄰家。

不種千株橘,惟資五色瓜

邵平能就我,開徑剪蓬麻。

南の山の下で老圃に瓜を種える期。

樵牧 南山に近く、林閭 北郭に(とお)し。

先人 富農を留め、老圃 鄰家と作()る。

千株の橘を種えず、惟だ 五色の瓜を資()る。

邵平 能く我に就きて、径を開き 蓬麻を剪るか。

南山下與老圃期種瓜 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -317

 

富貴故如此。 營營何所求。
心の富んでいて尊敬できる人というものは、このように位が高かったのにそれを捨てて、美味しい瓜を作るということで、甘い言葉に惑わされない人である。同じ瓜を売ってもあくせくして損得勘定だけの行動をするなんていかに愚かなことだろうか。
富貴 ふうき 富んでいて尊いこと。富んでいて尊敬できる人。

営営 あくせくとはたらいて利益を追求すること。損得勘定により行動をすること。
李白図102
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多くの賦は絶賛され、天子に献上するまでになったが、その時には自身の身体はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていたうろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、世間知らず、状況の判断もできないというのでは本当にためいきが出る。そのことだけでみれば、あの軽薄な貴公子たちの仲間からも物笑いの種になってしまうというものだ。

 
 2014年6月10日の紀頌之5つのブログ 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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Index-

32

-7 753年天寶十二年53

60

ID

No.

詩題

詩文初句

579

1

古風,五十九首之二

蟾蜍薄太清,

580

2

古風,五十九首之八

咸陽二三月,

581

3

古風,五十九首之十三

君平既棄世,

582

4

古風,五十九首之十八

天津三月時,

583

5

古風,五十九首之二十五

世道日交喪,

584

6

古風,五十九首之二十八

容顏若飛電,

585

7

古風,五十九首之二十九

三季分戰國,

586

8

古風,五十九首之三十

玄風變太古,

587

9

古風,五十九首之三十一

鄭客西入關,

588

10

古風,五十九首之三十二

蓐收肅金氣,

589

11

古風,五十九首之三十六

抱玉入楚國,

590

12

古風,五十九首之四十六

一百四十年,

591

13

古風,五十九首之五十一

殷后亂天紀,

592

14

古風,五十九首之五十三

戰國何紛紛,

593

15

古風,五十九首之五十四

倚劍登高臺,

594

16

遠別離

遠別離,

595

17

古朗月行

小時不識月,

 

 

製作年: 753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之八 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

及地點:  咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

 

 

古風,五十九首之八

咸陽二三月,宮柳黃金枝。

綠幘誰家子,賣珠輕薄兒。

日暮醉酒歸,白馬驕且馳。

(春の盛りには貴公子が我が物顔で闊歩するが、本当に勉強するものは世間のことには無頓着なもの、しかし「太玄経」を作った揚雄ほど熱心過ぎるのもこまったものだ)

長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。
銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣董偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。

古風五十九首の八

咸陽 二三月、宮柳 黃金の枝。

綠幘【りょくさく】誰が家の子、珠を賣る 輕薄兒。

日暮 酒に醉うて歸る、白馬 驕って且た馳す。

 

意氣人所仰,冶遊方及時。

子雲不曉事,晚獻長楊辭。

賦達身已老,草玄鬢若絲。

投閣良可歎,但為此輩嗤。 

貴公子のさかんな意気は、街の人びとがみな見上げ、ふりかえる。この時期、行楽や芸者遊びも無礼法だし、時節もいいのだ。
それにつけても揚子雲先生の場合は世間の事に通じなさすぎたようだ。勉学に励んで晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
多くの賦は絶賛され、天子に献上するまでになったが、その時には自身の身体はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた

うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、世間知らず、状況の判断もできないというのでは本当にためいきが出る。そのことだけでみれば、あの軽薄な貴公子たちの仲間からも物笑いの種になってしまうというものだ。
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意氣 人の仰ぐ所、冶游【やゆう】方【まさ】 に時に及ぶ。

子云 事を曉【さと】らず、晚に獻ず 長楊の辭。

賦 達して 身已に老い、玄を草して 鬢 絲の若し。

閣より投ずること 良に嘆ず可し、但だ此の輩に嗤 【わら】わる。

 

 

『古風,五十九首之八』 現代語訳と訳註

(本文)

意氣人所仰。 冶游方及時。

子云不曉事。 晚獻長楊辭。

賦達身已老。 草玄鬢若絲。

投閣良可嘆。 但為此輩嗤。

 

 

(下し文)

意氣 人の仰ぐ所、冶游【やゆう】方【まさ】 に時に及ぶ。

子云 事を曉【さと】らず、晚に獻ず 長楊の辭。

賦 達して 身已に老い、玄を草して 鬢 絲の若し。

閣より投ずること 良に嘆ず可し、但だ此の輩に嗤 【わら】わる。

 

(現代語訳)

貴公子のさかんな意気は、街の人びとがみな見上げ、ふりかえる。この時期、行楽や芸者遊びも無礼法だし、時節もいいのだ。
それにつけても揚子雲先生の場合は世間の事に通じなさすぎたようだ。勉学に励んで晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
多くの賦は絶賛され、天子に献上するまでになったが、その時には自身の身体はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた

うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、世間知らず、状況の判断もできないというのでは本当にためいきが出る。そのことだけでみれば、あの軽薄な貴公子たちの仲間からも物笑いの種になってしまうというものだ。
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(訳注)

古風,五十九首之八

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。

(長安をにあった時にこの山に遊んだ744年天寶三年44歳の時の詩である。)

李白index- 32 《753年天寶十二年53歳 梁苑にいて、秋、曹南から宜城、黄山から当塗で年越》1103 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4063

I

意氣人所仰、冶游方及時。
貴公子のさかんな意気は、街の人びとがみな見上げ、ふりかえる。この時期、行楽や芸者遊びも無礼法だし、時節もいいのだ。
冶遊 行楽や芸者遊び。心がとろけるような楽しい遊び。

○方及時 方は無礼講というほどの意味で時は時節、この時期だけだというほどの意味。 


子云不曉事、晚獻長楊辭。
それにつけても揚子雲先生の場合は世間の事に通じなさすぎたようだ。勉学に励んで晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
子雲 漢の文人。揚雄、あざなは子雲。前漢の末期、紀元前一世紀、蜀(四川)の成都の人。学問だけが好きで、それ以外の欲望は全くなく、財産もあまりなかったが満足していた。ドモリで議論ができなかったので、よく読書し、沈思黙考した。成帝の時、承明宮に召されて、甘泉、河東、長楊、羽猟の四つの賦を奏上した。かれの著書はすべて古典の模倣で、「易」に似せて「太玄経」を作り、「論語に似せて「法言」を作った。かれは晩年、ある事件の巻き添えで、疑われて逮捕されようとしたとき、天禄閣という建物の中で書物調べに没頭していたので、驚きあわてて閣上から飛び降りて、あやうく死にかけた。
不暁事 世間の事に通じない。

 晩年。

楊辭 天子に献上する「長楊の辞」のこと。


賦達身已老、草玄鬢若絲。
多くの賦は絶賛され、天子に献上するまでになったが、その時には自身の身体はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた
 韻文の一体。漢の時代の流行。

玄楊 子雲、雄の著書「太玄経」。


投閣良可嘆、但為此輩嗤。
うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、世間知らず、状況の判断もできないというのでは本当にためいきが出る。そのことだけでみれば、あの軽薄な貴公子たちの仲間からも物笑いの種になってしまうというものだ。
投閣 天禄閣上から身を投げた。○此輩 緑幘さくの軽薄児をさす。 

儒教の貫いて痩せ細ったと同じこと、死んでしまっては何にもならない。世間のことぉ知らなくて、芸者遊びのひとつも知らないで、年を取ってしまった。李白はここでも儒教批判を述べている。

 

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(春の盛りには貴公子が我が物顔で闊歩するが、本当に勉強するものは世間のことには無頓着なもの、しかし「太玄経」を作った揚雄ほど熱心過ぎるのもこまったものだ)長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。

 
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Index-32 #1 《古風五十九首之八》Index-32-7 753年天寶十二年53歳 梁苑にいて、秋、曹南から宜城、黄山から当塗で年越580古風,五十九首之八咸陽二三月, <Index-32 #1> Ⅰ李白詩1155 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4323

 

 

Index-

32

-7 753年天寶十二年53

60

ID

No.

詩題

詩文初句

579

1

古風,五十九首之二

蟾蜍薄太清,

580

2

古風,五十九首之八

咸陽二三月,

581

3

古風,五十九首之十三

君平既棄世,

582

4

古風,五十九首之十八

天津三月時,

583

5

古風,五十九首之二十五

世道日交喪,

584

6

古風,五十九首之二十八

容顏若飛電,

585

7

古風,五十九首之二十九

三季分戰國,

586

8

古風,五十九首之三十

玄風變太古,

587

9

古風,五十九首之三十一

鄭客西入關,

588

10

古風,五十九首之三十二

蓐收肅金氣,

589

11

古風,五十九首之三十六

抱玉入楚國,

590

12

古風,五十九首之四十六

一百四十年,

591

13

古風,五十九首之五十一

殷后亂天紀,

592

14

古風,五十九首之五十三

戰國何紛紛,

593

15

古風,五十九首之五十四

倚劍登高臺,

594

16

遠別離

遠別離,

595

17

古朗月行

小時不識月,

 

 

年: 753  天寶十二年  53

寫作時間:

寫作年紀: 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之八 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

及地點:  咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

 

古風,五十九首之八

咸陽二三月,宮柳黃金枝。

綠幘誰家子,賣珠輕薄兒。

日暮醉酒歸,白馬驕且馳。

(春の盛りには貴公子が我が物顔で闊歩するが、本当に勉強するものは世間のことには無頓着なもの、しかし「太玄経」を作った揚雄ほど熱心過ぎるのもこまったものだ)

長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。
銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣董偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。

古風五十九首の八

咸陽 二三月、宮柳 黃金の枝。

綠幘【りょくさく】誰が家の子、珠を賣る 輕薄兒。

日暮 酒に醉うて歸る、白馬 驕って且た馳す。

 

意氣人所仰,冶遊方及時。

子雲不曉事,晚獻長楊辭。

賦達身已老,草玄鬢若絲。

投閣良可歎,但為此輩嗤。 

意氣 人の仰ぐ所、冶游【やゆう】方【まさ】 に時に及ぶ。

子云 事を曉【さと】らず、晚に獻ず 長楊の辭。

賦 達して 身已に老い、玄を草して 鬢 絲の若し。

閣より投ずること 良に嘆ず可し、但だ此の輩に嗤 【わら】わる。

 

『古風,五十九首之八』 現代語訳と訳註

(本文)

古風五十九首之八

咸陽二三月。 宮柳黃金枝。

綠幘誰家子。 賣珠輕薄兒。

日暮醉酒歸。 白馬驕且馳。

 

 

(下し文)

古風五十九首の八

咸陽 二三月、宮柳 黃金の枝。

綠幘【りょくさく】誰が家の子、珠を賣る 輕薄兒。

日暮 酒に醉うて歸る、白馬 驕って且た馳す。

 

(現代語訳)

(春の盛りには貴公子が我が物顔で闊歩するが、本当に勉強するものは世間のことには無頓着なもの、しかし「太玄経」を作った揚雄ほど熱心過ぎるのもこまったものだ)

長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。
銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣董偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。

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(訳注)

咸陽二三月、宮柳黃金枝。
長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、二月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。
咸陽 秦の都。長安の対岸にある。この詩は、実際には唐の都、長安の風俗をうたっている。詩人は唐を秦、長安を咸陽とよく詠う。李白31歳の作品『少年行』が基礎にある。ここでいう秦は、貴族が棲む山の手にあたる五陵があったあたりを指す。

五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。

五陵の若者は 金市の東、繁華街、銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く。一面に舞い散る花を踏み散らし  どこへ遊びに出かけるのか。にぎやかに笑いながら、碧眼の胡姫の酒場へ行こうというのか
貴公子たちは、悪ふざけをして歩く二月、三月は科挙の合格発表があると無礼講で各屋敷は解放される。貴公子の天下になることをいっている。

王維『少年行四首』 其一   

新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。 
〇二三月 春たけなわな頃である。この表現は野山に万幕を張って行楽を楽しむ季節であることをいう。

○宮柳 宮殿のそばの柳。

黃金枝 新芽の明るい緑に日がさすと黄金に見える。この時期だけのものである。柳は女性の柳腰を連想させ、春心が浮き立つことをいう。「柳腰」「細腰」は美人のこと。
 
 

綠幘誰家子、賣珠輕薄兒。
銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣董偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
綠幘 幘;幅は頭巾。みどりのずきん。漢の董偃の故事。「漢書」に見える話。董偃は母とともに真珠を売って歩いていたが、年十三のとき、漢の武帝の姨であり、竇太主、陳皇后の母でもある館陶公主の邸に出入し、美貌な少年であったので公主の寵愛を得て董君と呼ばれた。そののち公主に従って帝に御目見えしたとき、かれは、綠の頭巾をかむり、腕ぬきをつけて罷り出た。公主は「館陶公主の料理番、臣偃」と紹介し、かれは平伏した。帝はかれに衣冠をたまわった。やがて無礼講がはじまったが、以後かれは武帝の寵愛をも受けるようになり、噂は天下にひろまった。のちに東方朔がその僭越な態度を弾劾した(『漢書』東方朔伝)。


日暮醉酒歸、白馬驕且馳
昼は昼で大騒ぎ、夜になれば酒に酔って帰ってくる、白馬に乗って、驕り高ぶって、そして街中を疾走してゆく。
李白 17少年行  杜甫「少年行」とイメージが似ている。

「少年行」というのは楽府(がふ)の雑曲の題で、当時はやっていた。盛唐の詩人の多くが同題の詩を作っている。王維21歳、李白31歳、二人は長安で杜甫51歳は成都であった。
  
李白は太白山に登り、夢地希望を胸に都生活をする。そこで、遊侠の若者を楽府詩で詠う。

年少は少年と同じ、日本でいう少年は童。金位置の東寄りに居酒屋があってイラン人の女性がお相手をしていた。長安は、このころ世界一の大都市であった、シルクロードの起点でもあるが、唐王朝はペルシャの一部まで領土を拡大していた。五陵の若者というのは、五つの陵墓を中心に陵園都市が形成され、繁華を誇った。このころは少し荒廃していたようであるが、李白は漢代のイメージで歌っている。それと、貴族の住居地区という意味も兼ねている。
金市というのは下の関係図に示す、西の金光門をさし、次の句の銀の鞍との対比を意図している。

長安五陵と五行思想のの位置関係図
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 唐の時代「胡姫」はペルシャ(イラン系)の紅毛金髪、碧眼、白皙の女性を示していた。
 ○韻 東、風、中。

少年行      
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。

五陵の年少(ねんしょう)金市(きんし)の東
銀鞍(ぎんあん)白馬春風(しゅんぷう)を度(わた)
落花(らっか)踏み尽くして  何処(いずこ)にか遊ぶ
笑って入る胡姫(こき)酒肆(しゅし)の中

唐は西に伸びきった領土を有していた。建国当初は、富を得ていたが次第に負担が勝るようになる。
<!--[if !vml]-->安史期のアジア5s<!--[endif]-->

 

 

少 年 行
貴族の子弟が酒屋において倣慢ちきに酒をのむさまをうたう。(762)宝応元年、杜甫51歳の成都での作品。李白や、王維の同名の作品は楽府、音楽に合わせて歌うように詩を読むものであるが、杜甫のこの詩は詩言絶句である。


馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。

馬にうちのったどこの家のわかものかしらぬが、きざはしのそばで馬からおりてどっかと椅子に腰かけた。それから大ざっぱな様子でどこのだれとも名のらず、「あれをくれ」というて銀のさかがめを指ざしして酒をもとめてのんでいる。

○少年行 少年のことをよんだうた。  ○白面郎 かおのしろいわかもの。  ○階 さかやのきざはし。  〇人牀 他人の家のいす。○不通姓氏 だれそれと姓名をなのらぬ。  ○麤豪 細慎ならぬことをいう。人も無げな大ざっぱなふるまい。  ○指点 あれと指ざしする。○銀瓶 銀でこしらえたさかがめ。

王維の「少年行四首」は四場面の劇のような構成になっています。時代は漢を借りている。

少年行四首 其一   

新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。 
 
新豊の美酒は 一斗で一万銭、咸陽、都の遊侠気どりは多い若者。
出逢と意気盛んで大いに飲もうと、馬を繋いだ高楼の しだれ柳の陰のあたりで


新豊美酒斗十千:新豊の美酒は 一斗で一万銭 
 ・「新豊」の街は長安の東にあり、美酒の産地。「咸陽」は秦の都だったところで、漢代には都長安の貴族の住む住宅都市。

咸陽遊侠多少年:都に多い若者は 遊侠気どりで闊歩する
相逢意気為君飲:出逢っては  大いに飲もうと意気が合い

繋馬高楼垂柳辺:馬を繋いだ高楼の しだれ柳の陰のあたりで  
 ・王維は都の若者が意気揚々と馬に乗って酒楼に乗り込むようすを描く。繋いではいけない場所、高楼のほとりの柳の木に馬をつないだという言葉足らずという余韻を残している。

○韻 千、年、辺

新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。

少年の行(うた)四首 其の一
新豊(しんぽう)の美酒は斗に十千(じゅっせん)
咸陽(かんよう)の遊侠(ゆうきょう)は少年多し
相逢(あいあ)える意気よ 君が為に飲まん
馬を繋げり 高楼の垂柳(すいりゅう)の辺(ほとり)
-----------------------------------

2場面 出陣の心意気を詠う。

少年行四首 其二    
出身仕漢羽林郎、初随驃騎戦漁陽。
孰知不向辺庭苦、縦死猶聞侠骨香。 


官職に就き 漢に仕えて羽林郎
驃騎将軍に従い 漁陽に出陣する
辺境の戦に出たいが 行けぬ苦しみは誰にもわかるまい
たとえ死んでも  勇者の誉れだけは顕わすのだ


出身仕漢羽林郎:官職に就き 漢に仕えて羽林郎
 ・「出身」というのは世に出ることですが、唐代では官吏になること。「羽林郎」(うりんろう)は漢の武官名で関中(都のある地域)の六郡の良家の子弟から選ばれる名誉の職のこと。

初随驃騎戦漁陽:驃騎将軍に従い 漁陽に出陣する
  ・ 驃騎将軍霍去病(かくきょへい)に従って漁陽(ぎょよう・北京の近所)に出陣してきましたが、最前線に出してもらえない。

孰知不向辺庭苦:辺境の戦に出たいが 行けぬ苦しみは誰にもわかるまい

縦死猶聞侠骨香:たとえ死んでも  勇者の誉れだけは顕わすのだ
・この苦しみは誰にもわかるまい。死んでもいいから勇者の誉れを顕わしたいのだと元気一杯。
○韻 郎、陽、香

出身仕漢羽林郎、初随驃騎戦漁陽。
孰知不向辺庭苦、縦死猶聞侠骨香。

少年行四首 其の二
出身(しゅっしん)して漢に仕える羽林郎
初めて驃騎(ひょうき)に随って漁陽に戦う
(たれ)か知らん 辺庭に向かわざるの苦しみを
(たと)い死すとも猶お侠骨の香を聞かしめん

-------------------------------


第三場面は、最前線の戦を詠う。「単于」は匈奴(きょうど)の王ですが、漢の宣帝のころ、匈奴は五つの集団に分裂して、五人の単于が立って互いに攻め合っていた。これらの「五単于」をつぎつぎにやっつけたという勇壮な場面。場面は劇的に集約され、音楽に合わせて詠いながら、演舞をした。


年行四首 其三 
少年行四首 其三    
一身能擘両彫弧、虜騎千重只似無。
偏坐金鞍調白羽、紛紛射殺五単于。

二人張りの強弓を   立てつづけに引き絞る
千万の夷狄の騎馬も いないに等しい
鞍の上で身をよじり  白羽の矢を繰り出して
つぎつぎと  五人の単于を射殺(いころ)した

 

少年行四首 其三: 
一身能擘両彫弧:二人張りの強弓を   立てつづけに引き絞る
虜騎千重只似無:千万の夷狄の騎馬も いないに等しい
偏坐金鞍調白羽:鞍の上で身をよじり  白羽の矢を繰り出して
紛紛射殺五単于:つぎつぎと  五人の単于を射殺(いころ)した

○韻 弧、無、于

一身能擘両彫弧、虜騎千重只似無。
偏坐金鞍調白羽、紛紛射殺五単于。

少年行四首 其の三
一身能()く擘()ける両彫弧(りょうちょうこ)
虜騎(りょき)の千重(せんじゅう) 只無きに似る
金鞍(きんあん)に偏坐して白羽(はくう)を調し
紛紛として射殺せり五単于(ごぜんう)

----------------------------

 最終場面は都に凱旋して戦勝の祝宴があり、戦功が論ぜられる。

少年行四首 其四   
漢家君臣歓宴終、高議雲台論戦功。
天子臨軒賜侯印、将軍佩出明光宮。


漢の君臣は 戦勝の祝宴を終え、雲台宮で議して 戦功を論ずる
天子は出御して 諸侯の印を賜わり、将軍は印綬を帯びて 明光宮を退出する


漢家君臣歓宴終:漢の君臣は 戦勝の祝宴を終え

高議雲台論戦功:雲台宮で議して 戦功を論ずる

天子臨軒賜侯印:天子は出御して 諸侯の印を賜わり
 ・最後に天子がお出ましになって封爵の褒美が与えられます。

将軍佩出明光宮:将軍は印綬を帯びて 明光宮を退出する
 ・将軍たちは封侯の印綬を帯びて明光宮を出ていく。最終場面は宴席で詠れるのにふさわしい。

○韻 終、功、宮
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安期生さがして首をのばして遠くを望んでみたが、それまで聞こえてきた天上の調が、流れ星が消えていくように聞こえてこなくなった。わたしの願いは、安期生から神仙草をいただいて食べることであり、共に不老長寿となって生命は天とならび帰服することにあるのである。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 #2 《古風五十九首之七》Index-21Ⅲ― 1-742年天寶元年42歳 <Index-21 #2> Ⅰ李白詩1154 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4318

 

李白図102 

古風,五十九首之七 a-#1

客有鶴上仙,飛飛凌太清。

揚言碧雲裡,自道安期名。

兩兩白玉童,雙吹紫鸞笙。

(不老長寿の仙人の安期生にいただいた神仙草を食べ、不老長寿となって生命は天とならび帰服したという思いを詠う。)

五種の鶴の背にのった各仙人がそろって、大空を飛びまわって老子を神とする太清境までおりこえて行こうとしている。
東のあおい空に湧き立つように浮かぶ雲の中から名のりをあげて、わたしは安期生と呼ばれているものであると言われる。
左右の両脇にに、白玉のように美しいお顔の童子をお伴にして、ともに紫檀で鸞のかたちの笙を合奏している。

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<!--[endif]-->

去影忽不見,回風送天聲。

舉首遠望之,飄然若流星。

願餐金光草,壽與天齊傾。

ところが安期生はで傳説の通りたちまち、姿は見えなくなり、向かい風が吹いてくると今度は手紙ではなく、天上の音楽を送ってきた。
安期生さがして首をのばして遠くを望んでみたが、それまで聞こえてきた天上の調が、流れ星が消えていくように聞こえてこなくなった。
わたしの願いは、安期生から神仙草をいただいて食べることであり、共に不老長寿となって生命は天とならび帰服することにあるのである。
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古風,五十九首の七 a-#1

客に鶴上の仙有り、飛飛として 太清を凌ぐ。

揚言す 碧雲の裏、自ら道う 安期の名。

両両 白玉の童、雙んで吹く 紫鸞の笙。

 a-#2

去影 忽ち見えず、回風 天声を送る。

首を挙げて 遠く之を望めば、諷然として 流星の若し。

願わくは金光 草を餐し、寿 天と斉しく傾かん。

 

(異文)b-#1

五鶴西北來,飛飛凌太清。

仙人綠雲上,自道安期名。

兩兩白玉童,雙吹紫鸞笙。

B-#2

去影忽不見,回風送天聲。

我欲一問之,飄然若流星。

願餐金光草,壽與天齊傾。

 

b-#1

五鶴 西北より來り,飛飛として 太清を凌ぐ。

仙人 綠雲に上り,自ら道う 安期の名。

両両 白玉の童、雙んで吹く 紫鸞の笙。

b-#2

去影 忽ち見えず、回風 天声を送る。

我 一たび之を問わんと欲し,諷然として 流星の若し。

願わくは金光 草を餐し、寿 天と斉しく傾かん。

 

 

(異文)c-#1

客有鶴上仙,飛飛凌太清。

揚言碧雲裡,自道安期名。

兩兩白玉童,雙吹紫鸞笙。

c-#2

飄然下倒影,倏忽無留形。

遺我金光草,服之四體輕。

將隨赤松去,對博坐蓬瀛。

c-#1

客に鶴上の仙有り、飛飛として 太清を凌ぐ。

揚言す 碧雲の裏、自ら道う 安期の名。

両両 白玉の童、雙んで吹く 紫鸞の笙。

c-#2

飄然として 倒影下り、倏 忽ち留まる形無く。

我 金光 草を遺し、之を服して 四體輕し。

將て 赤松去るに隨わん,博に對し 蓬瀛に坐す。

 

五行関係図

『古風,五十九首之七』 現代語訳と訳註

(本文)

去影忽不見,回風送天聲。

舉首遠望之,飄然若流星。

願餐金光草,壽與天齊傾。

 

(下し文)  a-#2

去影 忽ち見えず、回風 天声を送る。

首を挙げて 遠く之を望めば、諷然として 流星の若し。

願わくは金光 草を餐し、寿 天と斉しく傾かん。

 

(現代語訳)

(不老長寿の仙人の安期生にいただいた神仙草を食べ、不老長寿となって生命は天とならび帰服したという思いを詠う。)

ところが安期生はで傳説の通りたちまち、姿は見えなくなり、向かい風が吹いてくると今度は手紙ではなく、天上の音楽を送ってきた。
安期生さがして首をのばして遠くを望んでみたが、それまで聞こえてきた天上の調が、流れ星が消えていくように聞こえてこなくなった。
わたしの願いは、安期生から神仙草をいただいて食べることであり、共に不老長寿となって生命は天とならび帰服することにあるのである。
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<!--[endif]-->

太白山001 

(訳注)

古風,五十九首之七 a-#2

(不老長寿の仙人の安期生にいただいた神仙草を食べ、不老長寿となって生命は天とならび帰服したという思いを詠う。)

 

去影忽不見、囘風迭天聾。
ところが安期生はで傳説の通りたちまち、姿は見えなくなり、向かい風が吹いてくると今度は手紙ではなく、天上の音楽を送ってきた。
囘風 向かい風。上句の「去」の対語としての「囘」は帰ることで天からこちらへ送ってくれた調べとなる。回風はつむじ風。『楚辞、九章、囘風』「悲囘風之揺蕙兮,心冤結而内傷。 物有微而隕性兮、声有隠而先倡。 終長夜之曼曼兮、掩此哀而不去。 寧溘死而流亡兮、不忍此心之常愁。」の 「囘風」「聾有」に基づくものである。

天声 天上の音楽。道教音楽・舞踏・建築・彫塑・文学芸術が全面的に発展した。南北朝の時代には、道観の建設に伴って、道像を彫塑して奉じるようになった。隋・唐の時代には、宮観建築芸術の発展に伴って、道教の彫塑・絵画芸術も盛んになった。唐の玄宗は全国の道観に老子像を造ることを命じ、敦煌の道教の壁画は今に至るまで伝わっている。唐の玄宗の作った道教音楽《霓裳羽衣曲》などは非常に高い芸術性を備えていた。唐代には道士や仙人を題材にした伝奇小説が書かれ、詩人は仙を求め、道を慕って詩を編み、道教文学というジャンルが成立した。道教の文学芸術が盛んになったことは道教の宗教性を少なからず向上させ、中国伝統の思想文化を道教の精神と融合させた。
 
拳首遠望之、諷然若流星。
安期生さがして首をのばして遠くを望んでみたが、それまで聞こえてきた天上の調が、流れ星が消えていくように聞こえてこなくなった。
 そらんじる。天上の音楽のこと。  

然若 しかり・・・・ごとく

 

願餐金光草、壽興天斉傾。
わたしの願いは、安期生から神仙草をいただいて食べることであり、共に不老長寿となって生命は天とならび帰服することにあるのである。
金光草 金明草ともいい、葉は芭蕉のようであり、花は正黄色、光を放っているという。神仙草。これを食べると長寿になるとされる。《廣異記》謝元卿東岳夫人の棲んでいた所にあったという。叶如芭蕉,花光可以曰:此金光草也。食之化形靈,元寿与天。」
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日本ではよく見かける。
 せい齊 ととのえる。ならべる。 ・さい齋つつしむ。神仏へのそなえもの。学問をするところ。(1) (程度や形が)よくそろった,ばらつきのない.(2) (あるべきものが)そろった,漏れのない
 心を傾ける。帰服する。

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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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Index-21 #1 《古風五十九首之七》Index-21Ⅲ― 1-742年天寶元年42歳 <Index-21 #1> Ⅰ李白詩1153 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4313 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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年:742  天寶元年  42

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之七 

 

 

古風,五十九首之七 a-#1

客有鶴上仙,飛飛凌太清。

揚言碧雲裡,自道安期名。

兩兩白玉童,雙吹紫鸞笙。

(不老長寿の仙人の安期生に導かれて一緒に天で過ごしたいという思いを詠う。)

五種の鶴の背にのった各仙人がそろって、大空を飛びまわって老子を神とする太清境までおりこえて行こうとしている。
東のあおい空に湧き立つように浮かぶ雲の中から名のりをあげて、わたしは安期生と呼ばれているものであると言われる。
左右の両脇にに、白玉のように美しいお顔の童子をお伴にして、ともに紫檀で鸞のかたちの笙を合奏している。

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去影忽不見,回風送天聲。

舉首遠望之,飄然若流星。

願餐金光草,壽與天齊傾。

古風,五十九首の七 a-#1

客に鶴上の仙有り、飛飛として 太清を凌ぐ。

揚言す 碧雲の裏、自ら道う 安期の名。

両両 白玉の童、雙んで吹く 紫鸞の笙。

 a-#2

去影 忽ち見えず、回風 天声を送る。

首を挙げて 遠く之を望めば、諷然として 流星の若し。

願わくは金光 草を餐し、寿 天と斉しく傾かん。

 

(異文)b-#1

五鶴西北來,飛飛凌太清。

仙人綠雲上,自道安期名。

兩兩白玉童,雙吹紫鸞笙。

B-#2

去影忽不見,回風送天聲。

我欲一問之,飄然若流星。

願餐金光草,壽與天齊傾。

 

b-#1

五鶴 西北より來り,飛飛として 太清を凌ぐ。

仙人 綠雲に上り,自ら道う 安期の名。

両両 白玉の童、雙んで吹く 紫鸞の笙。

b-#2

去影 忽ち見えず、回風 天声を送る。

我 一たび之を問わんと欲し,諷然として 流星の若し。

願わくは金光 草を餐し、寿 天と斉しく傾かん。

 

 

(異文)c-#1

客有鶴上仙,飛飛凌太清。

揚言碧雲裡,自道安期名。

兩兩白玉童,雙吹紫鸞笙。

c-#2

飄然下倒影,倏忽無留形。

遺我金光草,服之四體輕。

將隨赤松去,對博坐蓬瀛。

c-#1

客に鶴上の仙有り、飛飛として 太清を凌ぐ。

揚言す 碧雲の裏、自ら道う 安期の名。

両両 白玉の童、雙んで吹く 紫鸞の笙。

c-#2

飄然として 倒影下り、倏 忽ち留まる形無く。

我 金光 草を遺し、之を服して 四體輕し。

將て 赤松去るに隨わん,博に對し 蓬瀛に坐す。

 

李白図102 

『古風,五十九首之七』 現代語訳と訳註

(本文) 古風,五十九首之七 a-#1

客有鶴上仙,飛飛凌太清。

揚言碧雲裡,自道安期名。

兩兩白玉童,雙吹紫鸞笙。

 

(下し文)

古風,五十九首の七 a-#1

客に鶴上の仙有り、飛飛として 太清を凌ぐ。

揚言す 碧雲の裏、自ら道う 安期の名。

両両 白玉の童、雙んで吹く 紫鸞の笙。

 

(現代語訳)

(不老長寿の仙人の安期生に導かれて一緒に天で過ごしたいという思いを詠う。)

五種の鶴の背にのった各仙人がそろって、大空を飛びまわって老子を神とする太清境までおりこえて行こうとしている。
東のあおい空に湧き立つように浮かぶ雲の中から名のりをあげて、わたしは安期生と呼ばれているものであると言われる。
左右の両脇にに、白玉のように美しいお顔の童子をお伴にして、ともに紫檀で鸞のかたちの笙を合奏している。

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(訳注)

古風,五十九首之七 a-#1

 

客有鶴上仙、飛飛凌太清。
五種の鶴の背にのった各仙人がそろって、大空を飛びまわって老子を神とする太清境までおりこえて行こうとしている。
鶴上仙 鶴と仙人は道教における神仙郷に向かう交通手段であり、仙藥服用による効果としている。宣訳は道教の修行を積んだものが仙人と出会って教授されるものである。異文では「五鶴西北來,飛飛凌太清。」となっていて五種の鶴によって導かれるとする。五行思想による各色について以下に示す。

1.:白鶴 王子喬が白鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。

  伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。伊川(いせん)、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公(ふきゅうこう)に誘われ中岳嵩山(すうざん)に入り、帰らなくなった。

  それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。

  その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。

  そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。

2.:黄鶴伝説 『列異伝』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。

3.:青鶴がたわむれていたといわれることから青鶴洞とも呼ばれていた。青鶴洞は神仙が住むところといわれるほど景観が美しく、漢陽と呼ばれていた

4.:赤松子 セキショウシ  中国神話、道教で、炎帝神農(えんていしんのう)の時代に雨師(うし)(雨の神)だったとされている最古の神仙の一人。帝嚳高辛(ていこくこうしん)の時代にも雨師となり、後には南岳衡山(こうざん)を治めたという伝承もある。   『列仙伝』によれば、水玉(水晶)を薬として服用しており、その方法を神農に教え、火の中に入って体を焼く神通力を持ち、しばしば風雨に乗って崑崙山(こんろんさん)に上り、西王母(せいおうぼ)の石室で泊った。また、神農の娘の炎帝女は 赤松子に学んで仙人になり鶴に乗って天に昇ったという。

  ここで、火の中に入ったとされていることから、赤松子は火解(かかい)して仙人になたっともいわれるが、『淮南子(えなんじ)』では特別な呼吸法によって仙人になったとされている。金華山(浙江省)には赤松子の石室があり、ここで彼は赤石脂という金丹の材料を服したという伝説もある。

  漢は火徳によって天下を治めたとされ、赤色が尊ばれたことから、赤松子は漢の守護者のようにも考えられた。

○赤松子 黄帝の八代前、神農の時代の雨師(雨の神、または雨乞い)。自分の体を焼いて仙人となった尸解仙とされ、後世では仙人の代名詞となり劉邦の家臣張良も彼について言及している。そこでは、赤松子と同一視され、黄色い石の化身と言われ、そのため黄石公と称される。張子房に太公望が記した兵法書を授けたとされるものだ

孟浩然『寄天臺道士』

海上求仙客,三山望幾時。

焚香宿華頂,裛露采靈芝。

屢躡莓苔滑,將尋汗漫期。

倘因松子去,長與世人辭。

5.:玄宗は道教を重んじこの時代に国教とした。蓬莱山にすむ鶴は玄宗をもじって黒鶴によりゆきつくとされた。。

凌 のりこえる。

太清 天上にある世界「太清境」をいう。道家でいわゆる三清境の一つ。聖人は玉清境に登り、真人は上清境に登り、仙人は太清境に登る。三清(さんちん・さんせい)とは最高神である上合虚道君応号元始天尊、右に霊宝天尊、左に道徳天尊(太上老君)を配した3神のことである。三清境に住み、玉清には元始天尊が、上清には霊宝天尊が、太清には太上老君がそれぞれ宮殿を構えていると言われている。6世紀以降、それまで最高神として扱われていた道家の創始者・太上老君を三身一体の一部として組み入れ、元始天尊をリーダーとして道教の最高神として祭られるようになった。
元始天尊 三清の中央に位置する神。三清界の玉京(玉清)という場所に住むという。上合虚道君応号元始天尊 玉清元始天尊、玉清とも呼ぶ。道と万物の創造神であると言われ、道士の信仰が熱い。
霊宝天尊 別名太上道君。三清界の上清境に住むので上清、上清天尊とも呼ばれる。
太上老君 別名道徳天尊。三清の1人で道家の創始者(老子を神格化)。三清境の太清に宮殿を構えることから太清とも呼ばれる。

この三天のことも「三清」と呼ぶ。道観(道教寺院)にはしばしば「三清殿」と称する三清を祀る建物がある。

  ⇒清真 すっきりとして、ありのままなことで、清は清浄であり、真は天真である。「清真を貴ぶ」とは、宇宙と人生の根源的な不滅の真理を道(タオ)とする道教を貴んだことではある。いずれも道家の貴ぶ所。唐の王室の姓は李であり、老子は李耳と同姓であるとして、それを以て之を尊び、道教を盛んにした。
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揚言碧雲裏、自道安期名。
東のあおい空に湧き立つように浮かぶ雲の中から名のりをあげて、わたしは安期生と呼ばれているものであると言った。
揚言 名乗りを上げる。

碧雲 東のあおい空に湧き立つように浮かぶ雲。青雲。道教に傾倒した李白は青い色にこの文字を多用する。儒教は五行思想の「青」「赤」「黄」「白」「黒(玄)」道教では(靑を)紅、緑、紫、紺をくわえた九色を尊ぶ考え方が魏・南北朝の頃から、隋・唐に確定された。李白は道教思想に基づき貴い色として使用している。

安期 仙人の名。安期生。「列仙伝」秦の瑯琊の人。秦が天下を統一したころ、山東の琅琊(ロウヤ)の阜郷の地に、安期生が、あらゆる病に効くという粉薬を鬻いで、東海のほとりの各地を行商していた。その村に現れるのは数年に一度、時には十年に一度ほどであった。村の老人は八度か九度しか見たことがないというが、不思議なことにその間、安期生は少しも年をとっていないのであった。さらにその老人も、幼いころ、その当時の老人たちが若いころにも安期生が行商に来ていたことを聞いたという。何百年も活動していたことになる。その噂を聞いて、秦の始皇帝が巡遊の途次に、阜郷の村で会見を求めた。始皇帝と安期生は三日三晩語り合い、皇帝、そのひととなりを大変慕って、黄金の錦帛を賜うこと数万枚に及んだのであった。「これによって郷里の地に落ち着いて「タオ」のことを究められよ」、というのが始皇帝の思いであったが、しかしながら安期生は、しばらくするとその黄金の璧を郷里のひとびとに遺贈すると、また何処とも知れぬ地へ行商に出かけてしまった。始皇帝に対しては、書状と赤玉の舃(セキ。履きもの)をひ左足用と右足用を贈り、その意に謝したといい、その書状に曰く、

「後千歳来求我于蓬莱山下。(後千歳、来たりて我を蓬莱山下に求めよ。)年後に、またやってきて、東の海のかなたにある仙界――蓬莱山のふもとで、わしを探してみなされい。

「千年後か。それはまた何と遙かな・・・」始皇帝は、使者数人を東シナの海に遣わしたが、

「未至蓬莱山、輙風波而還。(いまだ蓬莱山に至らざるに、すなわち風波にあいて還りくる。)蓬莱山まで行き着けずに、そのまま風と波に追い返されて、帰ってきたのであった。

そこでいたしかたなく始皇帝は、阜郷の村に安期生を祀る祠を建てさせ、村人たちに千年の後を忘れないようにさせたという。

 

兩兩白玉童。雙吹紫鸞笙。
左右の両脇にに、白玉のように美しいお顔の童子をお伴にして、ともに紫檀で鸞のかたちの笙を合奏している。
白玉童 白玉のような清らかな顔の童子。

紫鸞笙 王子喬という仙人は笙の名手であったが、かれの笙は紫檀で鳳翼にかたどって製ってあった。鸞は、鳳凰の一種。李白は黄色と紫色の語を最もよく使った。どちらも道教を理解するうえで重要な意味を持つものである。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->太白山00
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ここの兵士らにはおそろしい虎の絵を軍服に描いた服や、やまどりの尾を冠にかざった帽子にしらみがわく、それでも兵士の心や魂は、ひらひらする軍旗やさしものをおっかけて、たえず揺れ動かされる。その戦がたとえ苦戦していたところを勝ったとしても、論功行賞がもらえるわけでなし、忠義のまごころをいだいていても、発揮することはとても難しい。

 
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年: 749  天寶八年  49

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之六 

地點: 雁門關 (河東道 代州 雁門關)     

 

古風,五十九首之六 #1

(辺塞をまもるものは故郷を離れて辛いが漢の飛将軍といわれた李広は、白髪頭になるまで三つの国境をかけめぐったのだ

代馬不思越,越禽不戀燕。

北境の代州の馬は、南国の越へいきたいとは思わないだろう。越の国の禽は、北国の燕を恋しくはおもわないだろう。

情性有所習,土風固其然。

感情や性質というものも、習慣によってつちかわれるものであり、それは、土地の環境風土がもともとそうさせるのだ。

昔別雁門關,今戍龍庭前。

ところが、むかし万里の長城に近く、北の国境である雁門の関所で、守備隊の兵士は故郷をはなれ、いまは更に北上し、匈奴の祭儀竜庭の前のまもりにつかされている。

(古風,五十九首の六)

代馬は越を思はず、越禽は燕を恋はず。 
情性習ふ所あり、土風もとよりそれ然らむ。
昔は鴈門の関に別れ、今は龍庭の前に戍【まも】る。 
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#2

驚沙亂海日,飛雪迷胡天。

砂嵐ではまいあがる砂ぽこりは青海に日の光を散乱させ見えなくなるし、吹雪の時にも、匈奴、西域の空に乱れ飛ぶとどこへ行くのか全く分からない。

蟣蝨生虎鶴,心魂逐旌旃。

ここの兵士らにはおそろしい虎の絵を軍服に描いた服や、やまどりの尾を冠にかざった帽子にしらみがわく、それでも兵士の心や魂は、ひらひらする軍旗やさしものをおっかけて、たえず揺れ動かされる。

苦戰功不賞,忠誠難可宣。

誰憐李飛將,白首沒三邊。

その戦がたとえ苦戦していたところを勝ったとしても、論功行賞がもらえるわけでなし、忠義のまごころをいだいていても、発揮することはとても難しい。

驚沙【けいさ】海日を乱し、飛雪胡天に迷ふ、
蟣虱【キシツ】  虎鶡 【コカツ)に生じ、心魂 旌旃【セイセン】を逐 ()ふ。
苦戦すれども功 賞せられず、忠誠宣【よろこ】ぶべきこと難し。
誰か憐れむ李飛将、白首にして三辺に没するを。 

長安と西域 地図01 

 

『古風,五十九首之六』 現代語訳と訳註

(本文)

#2

驚沙亂海日,飛雪迷胡天。

蟣蝨生虎鶴,心魂逐旌旃。

苦戰功不賞,忠誠難可宣。

誰憐李飛將,白首沒三邊。

 

 (下し文)

驚沙【けいさ】海日を乱し、飛雪胡天に迷ふ、

蟣虱【キシツ】  虎鶡 【コカツ)に生じ、心魂 旌旃【セイセン】を逐 ()ふ。

苦戦すれども功 賞せられず、忠誠宣【よろこ】ぶべきこと難し。

誰か憐れむ李飛将、白首にして三辺に没するを。 

 

(現代語訳)

(辺塞をまもるものは故郷を離れて辛いが漢の飛将軍といわれた李広は、白髪頭になるまで三つの国境をかけめぐったのだ)

砂嵐ではまいあがる砂ぽこりは青海に日の光を散乱させ見えなくなるし、吹雪の時にも、匈奴、西域の空に乱れ飛ぶとどこへ行くのか全く分からない。

ここの兵士らにはおそろしい虎の絵を軍服に描いた服や、やまどりの尾を冠にかざった帽子にしらみがわく、それでも兵士の心や魂は、ひらひらする軍旗やさしものをおっかけて、たえず揺れ動かされる。
その戦がたとえ苦戦していたところを勝ったとしても、論功行賞がもらえるわけでなし、忠義のまごころをいだいていても、発揮することはとても難しい。

太白山001

(訳注)

古風,五十九首之五#2

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。

(辺塞をまもるものは故郷を離れて辛いが漢の飛将軍といわれた李広は、白髪頭になるまで三つの国境をかけめぐったのだ)

李白index- 28 《749年天寶八年49歳 春、兗州に帰り、金郷・単父に遊び、梁苑に帰って年越し》李白詩 全詩<李白index- 28> Ⅰ李白詩1099 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4043

749年天寶八年49歳 春、兗州に帰り、金郷・単父に遊び、梁苑に帰って年越した。

 

驚沙亂海日。 飛雪迷胡天。
砂嵐ではまいあがる砂ぽこりは青海に日の光を散乱させ見えなくなるし、吹雪の時にも、匈奴、西域の空に乱れ飛ぶとどこへ行くのか全く分からない。
驚沙 騒ぎ立つ砂塵。砂嵐。

海日 海の太陽。この場合、海は、砂漠の中にある大きな湖、青海(ココノール)のこと。青海湖(せいかいこ, 拼音: Qīnghǎi Hú チンハイフー、現代モンゴル語:Хөхнуур フフ・ノール、蒙古文語:[Köke Naɣur]ココ・ノール、チベット語:མཚོ་སྔོན་ mtsho sngon po;Tso Ngonpoツォ・ゴンポ)は中華人民共和国青海省にある湖。「チンハイこ」とも読まれる。中国最大の湖であり、地球上でも米国ユタ州のグレートソルト湖に次いで2番目に大きな内陸塩湖である。欧米ではココ・ノール(Kokonor)の名で知られている。

○胡天 異民族の国の空。匈奴、ウイグルのそら。


蟣虱生虎鶡。 心魂逐旌旃。
ここの兵士らにはおそろしい虎の絵を軍服に描いた服や、やまどりの尾を冠にかざった帽子にしらみがわく、それでも兵士の心や魂は、ひらひらする軍旗やさしものをおっかけて、たえず揺れ動かされる。
蟣虱 しらみ。

虎鶡 虎とやまどり。鶡は、きじの一種で、喧嘩を好み相手を殺すまで闘いをやめない猛烈な鳥である。後漢の時、近衛兵は、おそろしい虎の絵を軍服にえがき、やまどりの尾を冠にかざった。そこで、虎鶡といえば、兵隊の装束をさす。「隠几蕭條戴鶡冠。」(几【き】に隠【よ】り蕭條として鶡冠【かつかん】を戴く。漢のころに書かれたとされる「鶡冠子」【かつかんし】という書があって、その内容は老子の教えをもととして法家の議論を交えるものだという

旌旃 軍旗とさしもの。曲った柄の旗さしもの。


苦戰功不賞。 忠誠難可宣。
その戦がたとえ苦戦していたところを勝ったとしても、論功行賞がもらえるわけでなし、忠義のまごころをいだいていても、発揮することはとても難しい。
 論功行賞。


誰憐李飛將。 白首沒三邊。
飛将軍といわれた李広は、白髪頭になるまで三つの国境をかけめぐり、ついにそこで駄目になったけれども、誰がかれを哀れにおもっているであろうか。
李飛将 漢の時代の名将、李広のこと。かれは生涯、北の国境を守り、匈奴と戦うこと大小七十余回、敵を殺し、又は捕虜にすること多く、匈奴から「漢の飛将軍」と称され、大いに恐れられた。生涯不遇で、大名に封ぜられなかった。おまけに、最後にはちょっとした作戦の失敗を咎められ、憤慨して自殺した。弓の名人で、虎かと思った一心で、石に矢を射立てたという逸話がある。なお、中島敦の小説の主人公「李陵」は、李広の孫に当る。また、李白は李広の子孫だと自称しているが、これは事実ではない。しかし、李白が李広を慕っていたことは、まちがいない。

 必ずしも死ぬことでなく、捕虜になることも没である。

三邊 幽州(河北)と井州(山西)と涼州(甘粛)と、匈奴にたいする三つの国境の要処。
李白図102 

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北境の代州の馬は、南国の越へいきたいとは思わないだろう。越の国の禽は、北国の燕を恋しくはおもわないだろう。感情や性質というものも、習慣によってつちかわれるものであり、それは、土地の環境風土がもともとそうさせるのだ。



Index-28 #1 《古風五十九首之六》Index-28 Ⅳ-3-525 749年天寶八年49歳 <Index-28 #1> Ⅰ李白詩1151 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4303

 

 

年: 749  天寶八年  49

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之六 

地點: 雁門關 (河東道 代州 雁門關)     

 

古風,五十九首之六 #1

(辺塞をまもるものは故郷を離れて辛いが漢の飛将軍といわれた李広は、白髪頭になるまで三つの国境をかけめぐったのだ

代馬不思越,越禽不戀燕。

北境の代州の馬は、南国の越へいきたいとは思わないだろう。越の国の禽は、北国の燕を恋しくはおもわないだろう。

情性有所習,土風固其然。

感情や性質というものも、習慣によってつちかわれるものであり、それは、土地の環境風土がもともとそうさせるのだ。

昔別雁門關,今戍龍庭前。

ところが、むかし万里の長城に近く、北の国境である雁門の関所で、守備隊の兵士は故郷をはなれ、いまは更に北上し、匈奴の祭儀竜庭の前のまもりにつかされている。

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#2

驚沙亂海日,飛雪迷胡天。

蟣蝨生虎鶴,心魂逐旌旃。

苦戰功不賞,忠誠難可宣。

誰憐李飛將,白首沒三邊。

(古風,五十九首の六)

代馬は越を思はず、越禽は燕を恋はず。 
情性習ふ所あり、土風もとよりそれ然らむ。
昔は鴈門の関に別れ、今は龍庭の前に戍【まも】る。 
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驚沙【けいさ】海日を乱し、飛雪胡天に迷ふ、
蟣虱【キシツ】  虎鶡 【コカツ)に生じ、心魂 旌旃【セイセン】を逐 ()ふ。
苦戦すれども功 賞せられず、忠誠宣【よろこ】ぶべきこと難し。
誰か憐れむ李飛将、白首にして三辺に没するを。 

 

 

『古風,五十九首之六』 現代語訳と訳註

(本文) 古風,五十九首之六 #1

代馬不思越,越禽不戀燕。

情性有所習,土風固其然。

昔別雁門關,今戍龍庭前。

 

(下し文)

(古風,五十九首の六)

代馬は越を思はず、越禽は燕を恋はず。 

情性習ふ所あり、土風もとよりそれ然らむ。

昔は鴈門の関に別れ、今は龍庭の前に戍【まも】る。 

 

(現代語訳)

(辺塞をまもるものは故郷を離れて辛いが漢の飛将軍といわれた李広は、白髪頭になるまで三つの国境をかけめぐったのだ

北境の代州の馬は、南国の越へいきたいとは思わないだろう。越の国の禽は、北国の燕を恋しくはおもわないだろう。
感情や性質というものも、習慣によってつちかわれるものであり、それは、土地の環境風土がもともとそうさせるのだ。
ところが、むかし万里の長城に近く、北の国境である雁門の関所で、守備隊の兵士は故郷をはなれ、いまは更に北上し、匈奴の祭儀竜庭の前のまもりにつかされている。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

 (訳注)

古風,五十九首之五

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。

(辺塞をまもるものは故郷を離れて辛いが漢の飛将軍といわれた李広は、白髪頭になるまで三つの国境をかけめぐったのだ)

李白index- 28 《749年天寶八年49歳 春、兗州に帰り、金郷・単父に遊び、梁苑に帰って年越し》李白詩 全詩<李白index- 28> Ⅰ李白詩1099 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4043

749年天寶八年49歳 春、兗州に帰り、金郷・単父に遊び、梁苑に帰って年越した。

李白図102 

代馬不思越、越禽不戀燕。
北境の代州の馬は、南国の越へいきたいとは思わないだろう。越の国の禽は、北国の燕を恋しくはおもわないだろう。
 山西省北部。大同市と太原市の中間あたりにある州。

 浙江省方面。戦国越の国

 走る獣の総称。鳥獣の総称。 

 河北省方面。


情性有所習、土風固其然。【土風其固然】
感情や性質というものも、習慣によってつちかわれるものであり、それは、土地の環境風土がもともとそうさせるのだ。
情性 感情や性。

士風 土地の環境。


昔別雁門關。 今戍龍庭前。
ところが、むかし万里の長城に近く、北の国境である雁門の関所で、守備隊の兵士は故郷をはなれ、いまは更に北上し、匈奴の祭儀竜庭の前のまもりにつかされている。
雁門関 38、雁門関(がんもんかん):また西ケイ関ともいう。山西省代県の西北20キロにあり。寧武関、偏頭関と合わせ"三関"という。

<!--[if !vml]-->雁門関、別名を西陘関<!--[endif]-->

 雁門関  雁門関(がんもんかん)は、別名を西陘関と言い、中国山西省の北部、代県の西北、雁門山(別名勾注山)中にある、古来からの関所である。北方の異民族の侵入に対する、中国側の防衛拠点であり、数多くの戦いが繰り広げられてきた。2001年に全国重点文物保護単位に指定された。

 雁門関のある雁門山は、東西の峰が対峙している様が門のようであり、そこを渡りの途上の雁が飛び抜けていくことから、雁門の名がある。中国の歴史を通じて、雁門関は、北方の異民族の南下に対する、中国側の防衛拠点としての役割を担ってきた。戦国時代末期に、趙の武将李牧がこの地に拠って匈奴の侵入を防いだのを初め、漢代には匈奴や鮮卑、南北朝時代から隋唐にかけては突厥や回鶻(ウイグル)、沙陀、五代から宋代にかけては契丹などの民族の中原への侵入路となり、激しい攻防戦が繰り広げられてきた。統計によれば、雁門関周辺で起きた戦いは大小1,700回を数えるとされる。

雁門関は北魏の時代には東陘関と西陘関が両置されていたが、唐代より西陘関が雁門関と呼ばれるようになった。

龍庭 匈奴の王の単子が天をまつるところ。そこは砂漠地帯である。匈奴の祭儀竜庭で、毎朝、日の神を祀り、単于が政を告げる。(竜庭は、五月の戌日、大集会、蘢城で、祖先、大地、鬼神をまつる。 九月の戌 、鮮卑、高車、契丹族も同じ祭天を行う。
呉越の地図 

 
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Index-23 《古風五十九首之五》Ⅲ-2 744年天寶三年44歳 364Index-23> Ⅰ李白詩1150 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4298

 

 

Index-23        -1 744年天寶三年44

5巻一 古風,五十九首之五

(翰林供奉として長安にあった時にこの山に遊んだ744年天寶三年44歳の時の詩である。)

#1

太白何蒼蒼,星辰上森列。

太白山は、なんとおごそかなあお色をしているのだ。ここでは多くの星、きらめく星たちが上にきらめき、森然とならんでいる。

去天三百里,邈爾與世

天上から山頂まで、わずかに三百里という言いつたえがある。はるか遠くにあり、俗世間からとは遮断されている。

中有綠髮翁,披雲卧松雪。

その山中には黒々とした髪の翁がいる。雲を着物としてまとい、松に積もる雪を枕にして寝ている。 

不笑亦不語,冥棲在岩穴。

笑わないし、語りもしない、ひっそりと雲を湧かせる洞窟の中に棲んでいるのだ。

古風,五十九首の五

#1

太白 何んぞ蒼蒼たる、星辰 上に森列す。

天を去る 三百里、邈爾【ばくじ】として世とつ。

中に綠髪の翁有り、雲をかぶりて松雪に臥す。

笑わず 亦 語らず、冥棲【めいせい】して 岩穴にあり。

 

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。

わたしは道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその人に会いに来たのだ、長く両ひざをついてお辞儀をして、悟りと奥義についてたずねる。

粲然玉齒,授以練葯

にこやかに笑をうかべ、玉のような歯なみをみせて、仙薬の作り方を教えてくれるのである。

銘骨傳其語,竦身已電滅。

骨の髄にまでこの言葉をおぼえこもうとしていたら、突然、翁は身をすくめてしまったと思うと、電撃のようにきえ去っていく。

仰望不可及,蒼然五情熱。

あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、およびもつかないのである。すると春の草木が萌えいでるように喜、怒、哀、楽、怨のあらゆる感情が胸をたぎらせてきたのだ。

吾將營丹砂,永世與人別。

わたしは今後、丹砂をつくることに専念し、永久に世間の人に別れをつげることにしようと思っているのだ。

 

我來って 真人に逢い、長跪【ちょうき】して寶訣【ほうけつ】を問う。

粲然として 玉齒【ぎょくし】をき、授くるに煉藥【れんやく】を以てす。

骨に銘じて其語を傳うるに、身を竦めて已に電の滅ゆ。

仰て 望むも及ぶべからず、蒼然として五情 熱す。

吾 將に 丹砂【たんしゃ】を營み、永く世人と別れんとす。

 

太白山00 

『古風,五十九首之五』 現代語訳と訳註

(本文) #2

我來逢真人,長跪問寶訣。

粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。

仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

 

(下し文)

我來って 真人に逢い、長跪【ちょうき】して寶訣【ほうけつ】を問う。

粲然として 玉齒【ぎょくし】をき、授くるに煉藥【れんやく】のを以てす。

骨に銘じて其語を傳うるに、身を竦めて已に電の滅ゆ。

仰て 望むも及ぶべからず、蒼然として五情 熱す。

吾 將に 丹砂【たんしゃ】を營み、永く世人と別れんとす。

 

(現代語訳)

(翰林供奉として長安にあった時にこの山に遊んだ744年天寶三年44歳の時の詩である。)

わたしは道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその人に会いに来たのだ、長く両ひざをついてお辞儀をして、悟りと奥義についてたずねる。

にこやかに笑をうかべ、玉のような歯なみをみせて、仙薬の作り方を教えてくれるのである。
骨の髄にまでこの言葉をおぼえこもうとしていたら、突然、翁は身をすくめてしまったと思うと、電撃のようにきえ去っていく。

あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、およびもつかないのである。すると春の草木が萌えいでるように喜、怒、哀、楽、怨のあらゆる感情が胸をたぎらせてきたのだ。
わたしは今後、丹砂をつくることに専念し、永久に世間の人に別れをつげることにしようと思っているのだ。

 

(訳注)

古風,五十九首之五

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。

(翰林供奉として長安にあった時にこの山に遊んだ744年天寶三年44歳の時の詩である。)

李白index- 23Ⅲ-1 《744年 高力士に讒言され首都追放。四方遊歴を再開する。》李白詩 全詩<李白index- 23> Ⅰ李白詩1094 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4018

 

我來逢真人、長跪問寶訣。
わたしは道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその人に会いに来たのだ、長く両ひざをついてお辞儀をして、悟りと奥義についてたずねる。
真人 道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだ人。

長跪 ちょうき 長く両ひざをついてお辞儀をする姿勢をとること。

寶訣 ほうけつ 修行をして体得した悟りとか奥義。

 

粲然玉齒、授以煉藥
にこやかに笑をうかべ、玉のような歯なみをみせて、仙薬の作り方を教えてくれるのである。
粲然 にこやかに笑うさま。あざやかなさま。

煉藥 仙薬を練ること。・丹砂:水銀と硫黄の化合した赤色の土を何回もねり上げる・金丹:黄金となり、それを飲むと仙人になれるという。覚醒状態にさせる薬。


銘骨傳其語、竦身已電滅。
骨の髄にまでこの言葉をおぼえこもうとしていたら、突然、翁は身をすくめてしまったと思うと、電撃のようにきえ去っていく。
竦身已電滅 仙人は、上はよく身を雲霄にそばだて、下はよく形を川海にひそめる、という。

 

仰望不可及、蒼然五情熱。
あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、およびもつかないのである。すると春の草木が萌えいでるように喜、怒、哀、楽、怨のあらゆる感情が胸をたぎらせてきたのだ。
蒼然 春の草木が萌え出るさま。

五情 喜び・怒。・哀しみ・楽しみ・怨みの五つの感情。

 

吾將營丹砂、永與世人別。
わたしは今後、丹砂をつくることに専念し、永久に世間の人に別れをつげることにしようと思っているのだ。

○丹砂 水銀と硫黄の化合した赤色の土を何回もねり上げる・金丹:黄金となり、それを飲むと仙人になれるという。覚醒状態にさせる薬。

五嶽 中国の五つの名山。東嶽(泰山1024m・山東省)南嶽(衡山1290m・湖南省)西嶽(華山2160m・陝西省)北嶽(恒山2017m・山西省)中嶽(嵩山1440m・河南省)
泰山の夕日02 

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Index-23  -1 744年天寶三年44

5巻一 古風,五十九首之五

#1

(翰林供奉として長安にあった時にこの山に遊んだ744年天寶三年44歳の時の詩である。)

太白何蒼蒼,星辰上森列。

太白山は、なんとおごそかなあお色をしているのだ。ここでは多くの星、きらめく星たちが上にきらめき、森然とならんでいる。

去天三百里,邈爾與世

天上から山頂まで、わずかに三百里という言いつたえがある。はるか遠くにあり、俗世間からとは遮断されている。

中有綠髮翁,披雲卧松雪。

その山中には黒々とした髪の翁がいる。雲を着物としてまとい、松に積もる雪を枕にして寝ている。 

不笑亦不語,冥棲在岩穴。

笑わないし、語りもしない、ひっそりと雲を湧かせる洞窟の中に棲んでいるのだ。

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。

粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。

仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

 

古風,五十九首の五

#1

太白 何んぞ蒼蒼たる、星辰 上に森列す。

天を去る 三百里、邈爾【ばくじ】として世とつ。

中に綠髪の翁有り、雲をかぶりて松雪に臥す。

笑わず 亦 語らず、冥棲【めいせい】して 岩穴にあり。

#2

我來って 真人に逢い、長跪【ちょうき】して寶訣【ほうけつ】を問う。

粲然として 玉齒【ぎょくし】をき、授くるに煉藥【れんやく】を以てす。

骨に銘じて其語を傳うるに、身を竦めて已に電の滅ゆ。

仰て 望むも及ぶべからず、蒼然として五情 熱す。

吾 將に 丹砂【たんしゃ】を營み、永く世人と別れんとす。

 

 

『古風,五十九首之五』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五

#1

太白何蒼蒼,星辰上森列。

去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。

不笑亦不語,冥棲在岩穴。

 

(下し文)

古風,五十九首の五  #1

太白 何んぞ蒼蒼たる、星辰 上に森列す。

天を去る 三百里、邈爾【ばくじ】として世とつ。

中に綠髪の翁有り、雲をかぶりて松雪に臥す。

笑わず 亦 語らず、冥棲【めいせい】して 岩穴にあり。

 

(現代語訳)

(翰林供奉として長安にあった時にこの山に遊んだ744年天寶三年44歳の時の詩である。)

太白山は、なんとおごそかなあお色をしているのだ。ここでは多くの星、きらめく星たちが上にきらめき、森然とならんでいる。
天上から山頂まで、わずかに三百里という言いつたえがある。はるか遠くにあり、俗世間からとは遮断されている。
その山中には黒々とした髪の翁がいる。雲を着物としてまとい、松に積もる雪を枕にして寝ている。 
笑わないし、語りもしない、ひっそりと雲を湧かせる洞窟の中に棲んでいるのだ。
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(訳注)

古風,五十九首之五

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。

(翰林供奉として長安にあった時にこの山に遊んだ744年天寶三年44歳の時の詩である。)

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太白山001 

太白何蒼蒼、星辰上森列。
太白山は、なんとおごそかなあお色をしているのだ。ここでは多くの星、きらめく星たちが上にきらめき、森然とならんでいる。
太白山 長安の西方80kmにある3767m、陝西省武功県、の南にある山の名。標高もあり、山頂には年中積雪がある。 五嶽より圧倒的に高い。古来、五嶽を基本のして地方を9つに分けて考えられていた世界観からすれば太白山はその世界を外れた天に続く山とされていたのだろう。  陝西省関中道郿縣の南にあり、上に洞窟がある。道教でいう第十一洞天の霊場である。

登太白峯  李白 20
西上太白峯、夕陽窮登攀。
太白与我語、為我開天関。
願乗泠風去、直出浮雲間。
挙手可近月、前行若無山。
一別武功去、何時復更還。
西方登は太白峰、夕陽は山擧に窮めた。
太白星は我に語りかけ、私のために天空の門を開いた。
爽やかな風に乗り、すぐにも出たい雲のあいだを。
手を挙げれば月に近づき、前にすすめば遮るものも無いかのように。
ひとたび去る武功の地、いつまた帰ってこられるのか。

李白16 登太白峯 

○蒼蒼 山があおあおとしている、そのようす。

星辰 星も辰も、ほし。

○森列 いかめしくならぶ。

 

去天三百里、邈爾與世
天上から山頂まで、わずかに三百里という言いつたえがある。はるか遠くにあり、俗世間からとは遮断されている。
去天三百里 三秦記「武功太白去天三百」(武功の太白、天を去ること三百里)という言いつたえとしている。

邈爾 ばくじ はるか遠くにあること。

 

中有綠髪翁、披云臥松雪。
その山中には黒々とした髪の翁がいる。雲を着物としてまとい、松に積もる雪を枕にして寝ている。 
 着物としてきる。 

云 雲。云は古来文字。

 

不笑亦不語、冥棲在岩穴。
笑わないし、語りもしない、ひっそりと雲を湧かせる洞窟の中に棲んでいるのだ。
冥棲 ひっそりとしたところに棲む。

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大樓の山に登り、両手を広げ天に向い、仙人のいる方向にまっすぐと望むのである。そうしたら仙人は鸞鶴の羽と背に乗って自由に天海を飛びわるのだけれど、その影は見えるものではないのである。又、風に乗り、雲に乗るので、車の輪をめぐらせて帰って来ることなど絶対にない。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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4巻一

古風五十九首之四#1

(道を究め、徳を身に着けることは簡単にできるものではなく、いろんな経験をしないで仙人にであってもすべてのことが吸収できるものではない。見聞を広めたら韓眾のような仙人に教えを乞いたい)その四

鳳飛九千仞,五章備綵珍。

鳳凰は鳥の中の王で、一度羽を広げて飛べば九千仭の高さにあがって行き、衆鳥を見下ろしているという。そしてその翅は五色の燦然として輝くめずらしい彩色をそなえているというのである。

銜書且虛歸,空入周與秦。

鳳凰は聖人である、徳のある帝王が位にいる時だけ、出現するというのであり、嘗て書を口に銜えて飛び下ってきたという、その書には、殷帝の無道な行為について、やがて聖人がこの無道を直し人民を救済すると書いてあり、この書を人間に伝えるだけして、ただちに帰ったという。周や秦が天下を統一したけれど、その徳が格別なものでないならば、再びまいもどってもそこに留まることはないのである。

歷四海,所居未得鄰。

天空を横絶して地の果ての四海をめぐって、徳が今はなくても必ずその隣にあるというような格好で落ち着いて居る場所を見つけられずに終わるのである。

吾營紫河車,千載落風塵。

鳳凰の聖でもってしても、人間のしかるべき時にであうということがないというのであるから、私が今日、この世において苦しんでいることなど当然のことである。そこで私は、王液を練り、これを服用して、この世の塵や汚れを永遠に払い落として、理想とする仙郷に逍遥したいと志したのである。

藥物祕海嶽,採鉛青溪濱。

元来、仙界の薬物は遙か東海の蒼海の中に泛ぶ三山の間に秘めてあるものであるから、わたしは天下に浪遊し、まず、清渓の砂浜に赴いて、鉛を採取しようとおもうのである。

古風五十九首の四

#1

鳳は九千仞を飛び,五は綵珍を備うを章す。

書を銜んで且つ虛しく歸り,周と秦とに空しく入る。

四海を歷,居ろ所 未だ鄰を得ず。

吾 紫河の車を營み,千載 風塵を落す。

藥物 海嶽に祕し,鉛を採る青溪の濱に。

#2

時登大樓山,舉手望仙真。

そうした時に、大樓の山に登り、両手を広げ天に向い、仙人のいる方向にまっすぐと望むのである。

羽駕滅去影,飆車迴輪。

そうしたら仙人は鸞鶴の羽と背に乗って自由に天海を飛びわるのだけれど、その影は見えるものではないのである。又、風に乗り、雲に乗るので、車の輪をめぐらせて帰って来ることなど絶対にない。

尚恐丹液遲,志願不及申。

こうして仙人にも遭えず、教えを乞うこともなく、当然、丹液を練ることも遅くなってしまうと心配するのである。空を飛ぶことに有頂天になり、仙郷に入る志も願いも達成することも及ばないということである。

徒霜鏡中髮,羞彼鶴上人。

そうして、やがて鏡の中の時分は頭に霜を置く、白髪頭になっていて、黄鶴に乗って現れる達成した人々に会うと恥ずかしいことであると思うのである。

桃李何處開,此花非我春。

賢人があつまるという桃李の咲くところは何処なのだろうか、元来、桃李は世俗の者たちが春を楽しむ花ではあるが、それが仙郷の春があるというわけではないのだから、私は、どうしても桃李をさがしもとめるものではないのである。

唯應清都境,長與韓眾親。 

ただ、わたしはどうにかして、清都という天上、仙界の都に至って、韓眾というべき仙人と長く親しむことで道を学びたいと思うのである。

#2

時に大樓の山に登り,手を舉げて仙真を望む。

羽駕 去影を滅し,飆車 迴輪をつ。

尚お 丹液 遲くするを恐れ,志願 申ぶるに及ばず。

徒らに鏡中の髮を霜にして,彼の鶴上の人に羞ず。

桃李 何の處にか開き,此の花 我が春に非らず。

唯だ應に 清都の境なり,長く韓眾と親しむべし。 

太白山001 

 

『古風五十九首之四』 現代語訳と訳註

(本文) 古風五十九首之四  #2

時登大樓山,舉手望仙真。

羽駕滅去影,飆車迴輪。

尚恐丹液遲,志願不及申。

徒霜鏡中髮,羞彼鶴上人。

桃李何處開,此花非我春。

唯應清都境,長與韓眾親。 

 

(下し文) #2

時に大樓の山に登り,手を舉げて仙真を望む。

羽駕 去影を滅し,飆車 迴輪をつ。

尚お 丹液 遲くするを恐れ,志願 申ぶるに及ばず。

徒らに鏡中の髮を霜にして,彼の鶴上の人に羞ず。

桃李 何の處にか開き,此の花 我が春に非らず。

唯だ應に 清都の境なり,長く韓眾と親しむべし。 

 

(現代語訳)

そうした時に、大樓の山に登り、両手を広げ天に向い、仙人のいる方向にまっすぐと望むのである。

そうしたら仙人は鸞鶴の羽と背に乗って自由に天海を飛びわるのだけれど、その影は見えるものではないのである。又、風に乗り、雲に乗るので、車の輪をめぐらせて帰って来ることなど絶対にない。

こうして仙人にも遭えず、教えを乞うこともなく、当然、丹液を練ることも遅くなってしまうと心配するのである。空を飛ぶことに有頂天になり、仙郷に入る志も願いも達成することも及ばないということである。

そうして、やがて鏡の中の時分は頭に霜を置く、白髪頭になっていて、黄鶴に乗って現れる達成した人々に会うと恥ずかしいことであると思うのである。

賢人があつまるという桃李の咲くところは何処なのだろうか、元来、桃李は世俗の者たちが春を楽しむ花ではあるが、それが仙郷の春があるというわけではないのだから、私は、どうしても桃李をさがしもとめるものではないのである。

ただ、わたしはどうにかして、清都という天上、仙界の都に至って、韓眾というべき仙人と長く親しむことで道を学びたいと思うのである。

 

李白図102 

(訳注) #2

(道を究め、徳を身に着けることは簡単にできるものではなく、いろんな経験をしないで仙人にであってもすべてのことが吸収できるものではない。見聞を広めたら韓眾のような仙人に教えを乞いたい)その四

 

時登 大樓山,舉手 望仙真。

そうした時に、大樓の山に登り、両手を広げ天に向い、仙人のいる方向にまっすぐと望むのである。

大樓山 太白山のこと。長安の街に対して華山から秦嶺山脈の西の端の山として一番高く聳える秦嶺山脈を楼閣として上るべき山と考えている。『登太白峯』「挙手可近月、前行若無山。」李白16 登太白峯 希望に燃えて太白山に上る。

仙真 仙人のいる方向にまっすぐと

 

羽駕 滅去影,飆車 迴輪。

そうしたら仙人は鸞鶴の羽と背に乗って自由に天海を飛びわるのだけれど、その影は見えるものではないのである。又、風に乗り、雲に乗るので、車の輪をめぐらせて帰って来ることなど絶対にない。

羽駕 黄鶴伝説に基づく。

飆車 風に乗り、雲に乗ること。

 

尚恐 丹液遲,志願 不及申。

こうして仙人にも遭えず、教えを乞うこともなく、当然、丹液を練ることも遅くなってしまうと心配するのである。空を飛ぶことに有頂天になり、仙郷に入る志も願いも達成することも及ばないということである。

丹液 丹液、金丹の製造法は「丹砂」(硫化水銀)、「汞」(水銀)、「鉛」などの薬物を調合して鼎炉にて火にかけて焼煉するものである。煉丹術ないしその萌芽は漢代に登場し、『抱朴子』を著した西晋・東晋の葛洪らによって金丹道として確立し、他の神仙方術とともにいつしか道教の一部とみなされるようになった。

 

徒霜 鏡中髮,羞 彼鶴 上人。

そうして、やがて鏡の中の時分は頭に霜を置く、白髪頭になっていて、黄鶴に乗って現れる達成した人々に会うと恥ずかしいことであると思うのである。

彼鶴 黄鶴伝説に基づく。

上人 智徳を備えた僧への敬称。

 

桃李 何處開,此花 非我春。

賢人があつまるという桃李の咲くところは何処なのだろうか、元来、桃李は世俗の者たちが春を楽しむ花ではあるが、それが仙郷の春があるというわけではないのだから、私は、どうしても桃李をさがしもとめるものではないのである。

桃李 桃李は世俗の者たちが春を愉しむ花。李白『』「會桃李之芳園,序天倫之樂事。」(桃李の芳園に 會し,天倫の樂事を 序す。)桃李の花の香しきかおりはこの庭園に集まってくる、親戚同士の楽しい宴席のことを申し述べる。

春夜桃李園宴序李白116

 

唯應 清都境,長與 韓眾親。 

ただ、わたしはどうにかして、清都という天上、仙界の都に至って、韓眾というべき仙人と長く親しむことで道を学びたいと思うのである。

清都 列子「王實以為清都、紫微、鈞天、廣樂,帝之所居。」(清都、紫微、鈞天、康楽殿は帝のいるところ)

韓眾 仙人の名。《楚辭》卷五《遠遊》 「奇傅之託辰星兮,羨韓眾之得一。」(傅の辰星に託するを奇とし,韓眾の一を得たるを羨やむ。)いにしえの殷の伝説が星に身を寄せることを優れたことと思い、仙人韓眾が万物の本体である道を会得したことを羨むのである。

 

 

 

 

(異文)

鳳飛九千仞,五章備綵珍。

銜書且虛歸,空入周與秦。

歷四海,所居未得鄰。

吾營紫河車,千載落風塵。

藥物祕海嶽,採鉛青溪濱。

時登大樓山,舉手望仙真【舉首望仙真】。

羽駕滅去影,飆車迴輪。

尚恐丹液遲,志願不及申。

徒霜鏡中髮,羞彼鶴上人。

桃李何處開,此花非我春。

唯應清都境,長與韓眾親。 

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(道を究め、徳を身に着けることは簡単にできるものではなく、いろんな経験をしないで仙人にであってもすべてのことが吸収できるものではない。見聞を広めたら韓眾のような仙人に教えを乞いたい)その四

        
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李白の思想哲學を考察する上で、最も基礎的な文献として指摘・言及される作品は古風五十九首である。

修僻技法の側面とりわけ、隠喩やその延長線上にある諷喩においても、大きな成果をあげているものと考えられ、その表現手法そのものが、李白の発想上の特色なのである。

を明らかにする手掛りになるように思われるのである。

この李白を理解するためには、彼の代表的な連作である古風五十九首を一首づつ丁寧に読んでいく必要がある。この作品群に対する彼の作詩態度を探っていって、その後に、時系列に他の作品を読んでいくことが大切なのである。李白を理解する、早道であり、基本的な学習法である。一千首前後有り、長詩もあるので、毎日8句~10句程度で進める。できる事なら、それを数回繰り返して読み、螺旋階段を上るように理解が高められるということなのである。

 

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。宋本は通計五十九篇であり、おおむねこの本をテキストとして進める。

 

年: 754  天寶十三年  54

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之四 

作地點: 秋浦(江南西道  宣州 秋浦

及地點: 清溪 (江南西道 宣州 秋浦) 別名:青溪

      大樓山 (江南西道 宣州 秋浦)     

754年天寶十三年54歳 当塗から金陵、越中、広陵で魏万と遇す金陵、江南で遊ぶ秋浦で年越

 

4巻一

古風五十九首之四 #1

(道を究め、徳を身に着けることは簡単にできるものではなく、いろんな経験をしないで仙人にであってもすべてのことが吸収できるものではない。見聞を広めたら韓眾のような仙人に教えを乞いたい)その四

鳳飛九千仞,五章備綵珍。

鳳凰は鳥の中の王で、一度羽を広げて飛べば九千仭の高さにあがって行き、衆鳥を見下ろしているという。そしてその翅は五色の燦然として輝くめずらしい彩色をそなえているというのである。

銜書且虛歸,空入周與秦。

鳳凰は聖人である、徳のある帝王が位にいる時だけ、出現するというのであり、嘗て書を口に銜えて飛び下ってきたという、その書には、殷帝の無道な行為について、やがて聖人がこの無道を直し人民を救済すると書いてあり、この書を人間に伝えるだけして、ただちに帰ったという。周や秦が天下を統一したけれど、その徳が格別なものでないならば、再びまいもどってもそこに留まることはないのである。

歷四海,所居未得鄰。

天空を横絶して地の果ての四海をめぐって、徳が今はなくても必ずその隣にあるというような格好で落ち着いて居る場所を見つけられずに終わるのである。

吾營紫河車,千載落風塵。

鳳凰の聖でもってしても、人間のしかるべき時にであうということがないというのであるから、私が今日、この世において苦しんでいることなど当然のことである。そこで私は、王液を練り、これを服用して、この世の塵や汚れを永遠に払い落として、理想とする仙郷に逍遥したいと志したのである。

藥物祕海嶽,採鉛青溪濱。

元来、仙界の薬物は遙か東海の蒼海の中に泛ぶ三山の間に秘めてあるものであるから、わたしは天下に浪遊し、まず、清渓の砂浜に赴いて、鉛を採取しようとおもうのである。

#2

時登大樓山,舉手望仙真。

羽駕滅去影,飆車迴輪。

尚恐丹液遲,志願不及申。

徒霜鏡中髮,羞彼鶴上人。

桃李何處開,此花非我春。

唯應清都境,長與韓眾親。 

 

古風五十九首の四

#1

鳳は九千仞を飛び,五は綵珍を備うを章す。

書を銜んで且つ虛しく歸り,周と秦とに空しく入る。

四海を歷,居ろ所 未だ鄰を得ず。

吾 紫河の車を營み,千載 風塵を落す。

藥物 海嶽に祕し,鉛を採る青溪の濱に。

#2

時に大樓の山に登り,手を舉げて仙真を望む。

羽駕 去影を滅し,飆車 迴輪をつ。

尚お 丹液 遲くするを恐れ,志願 申ぶるに及ばず。

徒らに鏡中の髮を霜にして,彼の鶴上の人に羞ず。

桃李 何の處にか開き,此の花 我が春に非らず。

唯だ應に 清都の境なり,長く韓眾と親しむべし。 

 

李白図102 

『古風五十九首之四』 現代語訳と訳註

(本文) 古風五十九首之四

#1

鳳飛九千仞,五章備綵珍。

銜書且虛歸,空入周與秦。

歷四海,所居未得鄰。

吾營紫河車,千載落風塵。

藥物祕海嶽,採鉛青溪濱。 

 

(下し文)

古風五十九首の四

#1

鳳は九千仞を飛び,五は綵珍を備うを章す。

書を銜んで且つ虛しく歸り,周と秦とに空しく入る。

し四海を歷て,居ろ所 未だ鄰を得ず。

吾 紫河の車を營み,千載 風塵を落す。

藥物 海嶽に祕し,鉛を採る青溪の濱に。

 

(現代語訳)

(道を究め、徳を身に着けることは簡単にできるものではなく、いろんな経験をしないで仙人にであってもすべてのことが吸収できるものではない。見聞を広めたら韓眾のような仙人に教えを乞いたい)その四

鳳凰は鳥の中の王で、一度羽を広げて飛べば九千仭の高さにあがって行き、衆鳥を見下ろしているという。そしてその翅は五色の燦然として輝くめずらしい彩色をそなえているというのである。

鳳凰は聖人である、徳のある帝王が位にいる時だけ、出現するというのであり、嘗て書を口に銜えて飛び下ってきたという、その書には、殷帝の無道な行為について、やがて聖人がこの無道を直し人民を救済すると書いてあり、この書を人間に伝えるだけして、ただちに帰ったという。周や秦が天下を統一したけれど、その徳が格別なものでないならば、再びまいもどってもそこに留まることはないのである。

天空を横絶して地の果ての四海をめぐって、徳が今はなくても必ずその隣にあるというような格好で落ち着いて居る場所を見つけられずに終わるのである。

鳳凰の聖でもってしても、人間のしかるべき時にであうということがないというのであるから、私が今日、この世において苦しんでいることなど当然のことである。そこで私は、王液を練り、これを服用して、この世の塵や汚れを永遠に払い落として、理想とする仙郷に逍遥したいと志したのである。

元来、仙界の薬物は遙か東海の蒼海の中に泛ぶ三山の間に秘めてあるものであるから、わたしは天下に浪遊し、まず、清渓の砂浜に赴いて、鉛を採取しようとおもうのである。

 

 漢文委員会紀頌之タイトル002李白1000

(訳注) 古風五十九首之四  #1

(道を究め、徳を身に着けることは簡単にできるものではなく、いろんな経験をしないで仙人にであってもすべてのことが吸収できるものではない。見聞を広めたら韓眾のような仙人に教えを乞いたい)その四

 

 

鳳飛 九千仞,五章 備綵珍。

鳳凰は鳥の中の王で、一度羽を広げて飛べば九千仭の高さにあがって行き、衆鳥を見下ろしているという。そしてその翅は五色の燦然として輝くめずらしい彩色をそなえているというのである。

○鳳飛九千仞 “衆鳥を見下ろしている”という意味で『孟子』尽心上、「揚子法言」学行篇に、孔子が泰山に登って天下を小としたとあるがこれに基づいている。千仞之山:円石を千仞の山に転ず。《「孫子」兵勢から》勢いが盛んで抑えようがないことのたとえ。

○五章 五色の燦然として輝く(めずらしい彩色)。

 

銜書 且虛歸,空入 周與秦。

鳳凰は聖人である、徳のある帝王が位にいる時だけ、出現するというのであり、嘗て書を口に銜えて飛び下ってきたという、その書には、殷帝の無道な行為について、やがて聖人がこの無道を直し人民を救済すると書いてあり、この書を人間に伝えるだけして、ただちに帰ったという。周や秦が天下を統一したけれど、その徳が格別なものでないならば、再びまいもどってもそこに留まることはないのである。

○銜書 「鳳凰銜書」天子の使者が命令の書かれた文書を持ってくること。 「鳳凰」は聖天子が出現する時に現れるとされる想像上の鳥。 「銜」は口にくわえるという意味。 鳳凰が勅書を口にくわえて持ってくるという意味からきた言葉。『焦氏易林注卷三』

○且虛歸 「鳳凰銜書」を携えて人間に渡したらたちまち帰って行ったというほどの意。

○空入 その中に入っても空しい、空っぽであるという意。

○周與秦 周国と秦国。

 

 歷四海,所居 未得鄰。

天空を横絶して地の果ての四海をめぐって、徳が今はなくても必ずその隣にあるというような格好で落ち着いて居る場所を見つけられずに終わるのである。

○橫 空を二つに切り裂くように横に飛ぶこと。

歷四海 天下の地は東西南北、その行き着くところは崖にあっていてそのさいきには大海があるということで、そこまですべての地を訪ね歩いたということ。

 

吾營 紫河車,千載 落風塵。

鳳凰の聖でもってしても、人間のしかるべき時にであうということがないというのであるから、私が今日、この世において苦しんでいることなど当然のことである。そこで私は、王液を練り、これを服用して、この世の塵や汚れを永遠に払い落として、理想とする仙郷に逍遥したいと志したのである。

紫河車 1.胎盤。2.一斗の水を煮詰めてその中から九両の聖石を抽出したものを垞女といい、そのままに詰めたものを玉液といい、次に紫になったものを紫河車といい、それはさらに、白のもの、青のもの、赤に変化していくのであるから、仙藥ということである。

落風塵 この世の塵や汚れを永遠に払い落とすこと。

 

藥物 祕海嶽,採鉛 青溪濱。

元来、仙界の薬物は遙か東海の蒼海の中に泛ぶ三山の間に秘めてあるものであるから、わたしは天下に浪遊し、まず、清渓の砂浜に赴いて、鉛を採取しようとおもうのである。

海嶽 東海の蒼海の先に神仙三山(蓬莱・瀛州・方丈)がある。

採鉛 丹液、丹薬、を練るその基本は鉛である。不老不死の薬。仙薬。「黄治」や「黄白」金丹は、不老不死の効果を持つ薬の製造と服薬により仙人になることを目指すという点から、道教と密接に関連している。煉丹の主な方法には、原料の鉱物を釜の中で加熱する「火法」と鉱物を水溶液や懸濁液にする「水法」とがある。典型的な金丹の製造法は「丹砂」(硫化水銀)、「汞」(水銀)、「鉛」などの薬物を調合して鼎炉にて火にかけて焼煉するものである。煉丹術ないしその萌芽は漢代に登場し、『抱朴子』を著した西晋・東晋の葛洪らによって金丹道として確立し、他の神仙方術とともにいつしか道教の一部とみなされるようになった。

青溪濱 丹砂のある渓谷。人知れず奥まった所にある渓谷の砂浜にある、丹沙。

DCF00208 

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