漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2014年06月

21 《古風五十九首之二十一》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳270古風,五十九首之二十一郢客吟白雪, <21> Ⅰ李白詩1171 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4403

(此の詩は知音の難きことを慨し、兼ねて、高才世に受け入れられないことを悲しんで作ったものである。)楚の都、郢の街中に来ている客人が、よく、最高の調をもって知られる「白雪」の曲を吟ずるのであるが、その歌は余韻嫋嫋として、青天に飛び上がり、とこしえにその響きを絶えさせないというのである。

 
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Index-22

製作年:  743  天寶二年  43

卷別: 巻一  卷一六一 

文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二十一 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

古風,五十九首之二十一 

(此の詩は知音の難きことを慨し、兼ねて、高才世に受け入れられないことを悲しんで作ったものである。)

郢客吟白雪,遺響飛青天。 

楚の都、郢の街中に来ている客人が、よく、最高の調をもって知られる「白雪」の曲を吟ずるのであるが、その歌は余韻嫋嫋として、青天に飛び上がり、とこしえにその響きを絶えさせないというのである。

徒勞歌此曲,舉世誰為傳。 

しかし、その曲が高尚なだけに、世にこれを解する者はいないのである、だからいくら骨を折って、これを歌ったところで、誰に伝わるわけでなく、到底、無駄なことである。

試為巴人唱,和者乃數千。 

これに反して、試みに巴の人の曲を詠えば、その曲が卑しいだけに大勢にもてはやされ、和する者は数千の多きに及んだのである。

吞聲何足道,歎息空淒然。 

此れは昔から流伝している故事であるが、人間のことは、すべてこの通り、なんでも卑しいものでなければ、通らないので、声を呑んで泣いたところで、仕方がないから、ただ凄然として、嘆息するのみである。

 

(古風,五十九首の二十一

郢客【えいかく】白雪を吟ずれば,遺響 青天に飛ぶ。

徒勞 此の曲を歌う,舉世 誰が為に傳えん。

試みに巴人の唱を為せば,和する者 乃ち數千。

聲を吞む 何ぞ道うに足らん,歎息 空しく淒然。 

太白山00 

 

『古風,五十九首之二十一』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之二十一 

郢客吟白雪,遺響飛青天。 

徒勞歌此曲,舉世誰為傳。 

試為巴人唱,和者乃數千。 

吞聲何足道,歎息空淒然。 

 

(下し文)

(古風,五十九首の二十一

郢客【えいかく】白雪を吟ずれば,遺響 青天に飛ぶ。

徒勞 此の曲を歌う,舉世 誰が為に傳えん。

試みに巴人の唱を為せば,和する者 乃ち數千。

聲を吞む 何ぞ道うに足らん,歎息 空しく淒然。 

 

(現代語訳)

(此の詩は知音の難きことを慨し、兼ねて、高才世に受け入れられないことを悲しんで作ったものである。)

楚の都、郢の街中に来ている客人が、よく、最高の調をもって知られる「白雪」の曲を吟ずるのであるが、その歌は余韻嫋嫋として、青天に飛び上がり、とこしえにその響きを絶えさせないというのである。

しかし、その曲が高尚なだけに、世にこれを解する者はいないのである、だからいくら骨を折って、これを歌ったところで、誰に伝わるわけでなく、到底、無駄なことである。

これに反して、試みに巴の人の曲を詠えば、その曲が卑しいだけに大勢にもてはやされ、和する者は数千の多きに及んだのである。

此れは昔から流伝している故事であるが、人間のことは、すべてこの通り、なんでも卑しいものでなければ、通らないので、声を呑んで泣いたところで、仕方がないから、ただ凄然として、嘆息するのみである。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之二十一 

(此の詩は知音の難きことを慨し、兼ねて、高才世に受け入れられないことを悲しんで作ったものである。)

 

郢客吟白雪,遺響飛青天。 

楚の都、郢の街中に来ている客人が、よく、最高の調をもって知られる「白雪」の曲を吟ずるのであるが、その歌は余韻嫋嫋として、青天に飛び上がり、とこしえにその響きを絶えさせないというのである。

○郢客 宋玉の對楚王間に「客に郢に歌うもの有り。その始めを下里巴人という。その陽阿薤蕗を爲や、国中属して和する者数十人。引商刻羽、泛してもって流徴すれば国中属して和する者数人にすぎざるのみ。これその曲彌よ高くして共和彌よ寡し」とある。郢は楚の都。・對郢客(?-前174年),朝宗室,西楚王,《史》作劉郢。其父楚元王劉交是漢高祖劉邦的弟弟。前178年,其父劉交死后,劉郢継位。一共在位四年。前174年,劉郢去世,謚號夷,他儿子戊嗣位,即七国之乱的楚王

吟白雪 古琴曲吟『白雪』曲。中國十大琵琶曲文曲中代表作品之一中国著名十大古曲之一。

○遺響 余韻。

 

徒勞歌此曲,舉世誰為傳。 

しかし、その曲が高尚なだけに、世にこれを解する者はいないのである、だからいくら骨を折って、これを歌ったところで、誰に伝わるわけでなく、到底、無駄なことである。

 

試為巴人唱,和者乃數千。 

これに反して、試みに巴の人の曲を詠えば、その曲が卑しいだけに大勢にもてはやされ、和する者は数千の多きに及んだのである。

 

吞聲何足道,歎息空淒然。 

此れは昔から流伝している故事であるが、人間のことは、すべてこの通り、なんでも卑しいものでなければ、通らないので、声を呑んで泣いたところで、仕方がないから、ただ凄然として、嘆息するのみである。
李白図102 

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安期生は、一度去った後「秦の始皇帝が使者を遣わして、いくら尋ねてもわからず、東海は蒼蒼として、ただ煙霧の立ち込めるのに任せ、何処にいるか知る由もなかった」と同じく、私としても、この世を辞せし後は、たとえ帝王が捜されたとしても見つかるはずもなく区々たる親友の交誼など特に問うまでもないことなのである。

 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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Index-23-1 744年天寶三年44365古風,五十九首之二十昔我遊齊都,

製作年:  744  天寶三年  44 

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二十 

及地點:  臨淄 (河南道 青州 臨淄) 別名:齊都     

華不注山 (河南道 齊州 華不注山) 別名:華不注峰     

 

 

古風,五十九首之二十 #1

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

昔我遊齊都,登華不注峰。

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

含笑凌倒景,欣然願相從。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

かくして一たび天にしまえばいつ帰るともわからないから、暫時 暇を盗んで、親友に暇乞いをしてから、これと語り合おうとすれば、再三涙にむせび、言葉も出ないのである。

勗君青松心,努力保霜雪。

そうしていうには、君はつとめて堅強なる心を保有し、かの丘に生える松が霜と雪にたゆまぬように努力して養生することがよいのである。

世路多險艱,白日欺紅顏。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である

分手各千里,去去何時還。

ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

世復幾時,倏如飄風度。

さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。

 

空聞紫金經,白首愁相誤。

折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

このように思い悩んでから、忽然として大悟し、そこで自ら大笑いして言うには、いましも沈吟して別れを惜しむは、畢竟、「誰がためにするのか、まったく人間離れをするものではない」という。

名利徒煎熬,安得閒余步。

このような愚痴な了見も出るので、世間におれば、名利のために煮られたり、炒られたりして終始忙しく駆け回らねばならない。どうして私が足並みを静かにしようかと、そんなことは少しも自分に役がない。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

遠游に出かけて翻然高挙、かの赤松子に随って、ゆっくりと仙術の修行をなそうと思うので、かの安期生が赤玉の靴を留めて、遙かに東、蓬莱山にいったとおなじく、わたしもまた遺跡を人間に留めたまま立ち去ろうとするのである。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

安期生は、一度去った後「秦の始皇帝が使者を遣わして、いくら尋ねてもわからず、東海は蒼蒼として、ただ煙霧の立ち込めるのに任せ、何処にいるか知る由もなかった」と同じく、私としても、この世を辞せし後は、たとえ帝王が捜されたとしても見つかるはずもなく区々たる親友の交誼など特に問うまでもないことなのである。

 

古風,五十九首の二十

昔 我 齊都に遊び,華 不注の峰に登る。

茲の山 何ぞ峻秀,綠翠 芙蓉の如し。

蕭颯たる 古仙人,了に知る是れ赤松なるを。

予に一の白鹿を借し,自ら兩の青龍を挾む。

笑を含んで倒景を凌ぎ,欣然として相い從わんことを願う。

 

泣いて親友と別れ,語らんと欲して再三 咽ぶ。

君が青松の心を勗め,努力して霜雪を保てよ。

世路 險艱多く,白日 紅顏を欺く。

分手をてば各の千里,去去 何れの時か還らん。

世に在り 復た幾時ぞ,倏として 飄風の度るが如し。

 

空しく聞く 紫金經を,白首 相い誤るを愁う。

己を撫して忽ち自ら笑う,沈吟 誰が為めの故ぞ。

名利 徒らに煎熬【せんごう】,安んぞ余が步みを閒にするを得ん。

終に赤玉の舄【くつ】を留め,東 蓬萊の路に上る。

秦帝 如し我を求めなば,蒼蒼として但だ煙霧のみ。

 

太白山001

『古風,五十九首之二十』 現代語訳と訳註

(本文)

 

(下し文)

空しく聞く 紫金經を,白首 相い誤るを愁う。

己を撫して忽ち自ら笑う,沈吟 誰が為めの故ぞ。

名利 徒らに煎熬【せんごう】,安んぞ余が步みを閒にするを得ん。

終に赤玉の舄【くつ】を留め,東 蓬萊の路に上る。

秦帝 如し我を求めなば,蒼蒼として但だ煙霧のみ。

 

(現代語訳)

折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

このように思い悩んでから、忽然として大悟し、そこで自ら大笑いして言うには、いましも沈吟して別れを惜しむは、畢竟、「誰がためにするのか、まったく人間離れをするものではない」という。

このような愚痴な了見も出るので、世間におれば、名利のために煮られたり、炒られたりして終始忙しく駆け回らねばならない。どうして私が足並みを静かにしようかと、そんなことは少しも自分に役がない。

遠游に出かけて翻然高挙、かの赤松子に随って、ゆっくりと仙術の修行をなそうと思うので、かの安期生が赤玉の靴を留めて、遙かに東、蓬莱山にいったとおなじく、わたしもまた遺跡を人間に留めたまま立ち去ろうとするのである。

安期生は、一度去った後「秦の始皇帝が使者を遣わして、いくら尋ねてもわからず、東海は蒼蒼として、ただ煙霧の立ち込めるのに任せ、何処にいるか知る由もなかった」と同じく、私としても、この世を辞せし後は、たとえ帝王が捜されたとしても見つかるはずもなく区々たる親友の交誼など特に問うまでもないことなのである。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之二十 

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

李白図102 

空聞紫金經,白首愁相誤。

折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

○紫金經 紫金:赤銅(しゃくどう)の異称。古くは「黄治」や「黄白」とも呼ばれた金丹は、不老不死の効果を持つ薬の製造と服薬により仙人になることを目指すという点から、道教と密接に関連していた。後漢時代に左慈という人物が神人から授かった「金丹仙経」をごく少数の集団を経て伝えられたという。

 

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

このように思い悩んでから、忽然として大悟し、そこで自ら大笑いして言うには、いましも沈吟して別れを惜しむは、畢竟、「誰がためにするのか、まったく人間離れをするものではない」という。

 

名利徒煎熬,安得閒余步。

このような愚痴な了見も出るので、世間におれば、名利のために煮られたり、炒られたりして終始忙しく駆け回らねばならない。どうして私が足並みを静かにしようかと、そんなことは少しも自分に役がない。

 

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

遠游に出かけて翻然高挙、かの赤松子に随って、ゆっくりと仙術の修行をなそうと思うので、かの安期生が赤玉の靴を留めて、遙かに東、蓬莱山にいったとおなじく、わたしもまた遺跡を人間に留めたまま立ち去ろうとするのである。

○赤玉舄 安期生が赤玉の靴。『列仙伝』 の安期先生も 「赤玉の. 暮」 をのこ し、 『神仙伝』 の茄子訓も棺中にくつを一つのこ していった。 安期先生瑯邪の阜郷(山東省)の人で、秦始皇帝(BC259BC210)が巡遊したとき三日三晩共に語らい、赤玉くつ一足を返礼し、蓬莱山に愚老を捜すように書面を残して去る

○蓬萊路 古代中国で東の海上(海中)にある仙人が住むといわれていた仙境の1つ。道教の流れを汲む神仙思想のなかで説かれるものである。

 

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

安期生は、一度去った後「秦の始皇帝が使者を遣わして、いくら尋ねてもわからず、東海は蒼蒼として、ただ煙霧の立ち込めるのに任せ、何処にいるか知る由もなかった」と同じく、私としても、この世を辞せし後は、たとえ帝王が捜されたとしても見つかるはずもなく区々たる親友の交誼など特に問うまでもないことなのである。

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顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要であるここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

 
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Index-23-1 744年天寶三年44365古風,五十九首之二十昔我遊齊都,

製作年:  744  天寶三年  44 

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二十 

及地點:  臨淄 (河南道 青州 臨淄) 別名:齊都     

華不注山 (河南道 齊州 華不注山) 別名:華不注峰     

 

 

古風,五十九首之二十 #1

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

昔我遊齊都,登華不注峰。

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

含笑凌倒景,欣然願相從。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

かくして一たび天にしまえばいつ帰るともわからないから、暫時 暇を盗んで、親友に暇乞いをしてから、これと語り合おうとすれば、再三涙にむせび、言葉も出ないのである。

勗君青松心,努力保霜雪。

そうしていうには、君はつとめて堅強なる心を保有し、かの丘に生える松が霜と雪にたゆまぬように努力して養生することがよいのである。

世路多險艱,白日欺紅顏。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である

分手各千里,去去何時還。

ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

在世復幾時,倏如飄風度。

さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。

 

空聞紫金經,白首愁相誤。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

古風,五十九首の二十

昔 我 齊都に遊び,華 不注の峰に登る。

茲の山 何ぞ峻秀,綠翠 芙蓉の如し。

蕭颯たる 古仙人,了に知る是れ赤松なるを。

予に一の白鹿を借し,自ら兩の青龍を挾む。

笑を含んで倒景を凌ぎ,欣然として相い從わんことを願う。

 

泣いて親友と別れ,語らんと欲して再三 咽ぶ。

君が青松の心を勗め,努力して霜雪を保てよ。

世路 險艱多く,白日 紅顏を欺く。

分手をてば各の千里,去去 何れの時か還らん。

世に在り 復た幾時ぞ,倏として 飄風の度るが如し。

 

空しく聞く 紫金經を,白首 相い誤るを愁う。

己を撫して忽ち自ら笑う,沈吟 誰が為めの故ぞ。

名利 徒らに煎熬【せんごう】,安んぞ余が步みを閒にするを得ん。

終に赤玉の舄【くつ】を留め,東 蓬萊の路に上る。

秦帝 如し我を求めなば,蒼蒼として但だ煙霧のみ。

太白山00 

 

『古風,五十九首之二十』 現代語訳と訳註

(本文) #2

泣與親友別,欲語再三咽。

勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。

分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

 

(下し文)

泣いて親友と別れ,語らんと欲して再三 咽ぶ。

君が青松の心を勗め,努力して霜雪を保てよ。

世路 險艱多く,白日 紅顏を欺く。

分手をてば各の千里,去去 何れの時か還らん。

世に在り 復た幾時ぞ,倏として 飄風の度るが如し。

 

(現代語訳)

かくして一たび天にしまえばいつ帰るともわからないから、暫時 暇を盗んで、親友に暇乞いをしてから、これと語り合おうとすれば、再三涙にむせび、言葉も出ないのである。

そうしていうには、君はつとめて堅強なる心を保有し、かの丘に生える松が霜と雪にたゆまぬように努力して養生することがよいのである。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である

ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。

安史の乱当時の勢力図 

(訳注)

古風,五十九首之二十 

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

 

泣與親友別,欲語再三咽。

かくして一たび天にしまえばいつ帰るともわからないから、暫時 暇を盗んで、親友に暇乞いをしてから、これと語り合おうとすれば、再三涙にむせび、言葉も出ないのである。

 

勗君青松心,努力保霜雪。

そうしていうには、君はつとめて堅強なる心を保有し、かの丘に生える松が霜と雪にたゆまぬように努力して養生することがよいのである。

 

世路多險艱,白日欺紅顏。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である

 

分手各千里,去去何時還。

ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

 

在世復幾時,倏如飄風度。

さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。

○飄風 急に激しく吹く風。つむじかぜ。はやて。《「老子」23章から》「故飄風不終朝 驟雨不終日」飄風は朝を終えず驟雨は日を終えず。

つむじ風が朝の間じゅう吹きつづけることはないし、にわか雨が一日じゅう降りつづけることもない。不自然な出来事は長くは続かないというたとえ。
李白図102 

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(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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Index-23-1 744年天寶三年44365古風,五十九首之二十昔我遊齊都,

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卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二十 

及地點:  臨淄 (河南道 青州 臨淄) 別名:齊都     

華不注山 (河南道 齊州 華不注山) 別名:華不注峰     

 

 

古風,五十九首之二十 #1

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

昔我遊齊都,登華不注峰。

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

含笑凌倒景,欣然願相從。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。

分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

 #3

空聞紫金經,白首愁相誤。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

古風,五十九首の二十

昔 我 齊都に遊び,華 不注の峰に登る。

茲の山 何ぞ峻秀,綠翠 芙蓉の如し。

蕭颯たる 古仙人,了に知る是れ赤松なるを。

予に一の白鹿を借し,自ら兩の青龍を挾む。

笑を含んで倒景を凌ぎ,欣然として相い從わんことを願う。

 

泣いて親友と別れ,語らんと欲して再三 咽ぶ。

君が青松の心を勗め,努力して霜雪を保てよ。

世路 險艱多く,白日 紅顏を欺く。

分手をてば各の千里,去去 何れの時か還らん。

世に在り 復た幾時ぞ,倏として 飄風の度るが如し。

 

空しく聞く 紫金經を,白首 相い誤るを愁う。

己を撫して忽ち自ら笑う,沈吟 誰が為めの故ぞ。

名利 徒らに煎熬【せんごう】,安んぞ余が步みを閒にするを得ん。

終に赤玉の舄【くつ】を留め,東 蓬萊の路に上る。

秦帝 如し我を求めなば,蒼蒼として但だ煙霧のみ。

泰山の夕日02 

 

『古風,五十九首之二十』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之二十

昔我遊齊都,登華不注峰。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

 

(下し文)

古風,五十九首の二十

昔 我 齊都に遊び,華 不注の峰に登る。

茲の山 何ぞ峻秀,綠翠 芙蓉の如し。

蕭颯たる 古仙人,了に知る是れ赤松なるを。

予に一の白鹿を借し,自ら兩の青龍を挾む。

笑を含んで倒景を凌ぎ,欣然として相い從わんことを願う。

 

(現代語訳)

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。

 太白山00

 

(訳注)

古風,五十九首之二十 

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

 

昔我遊齊都,登華不注峰。

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

○齊都 済南市は中華人民共和国山東省に位置する副省級市。山東省の西部に位置し、省都として省内の通商、政治、文化の中心としての地位を占める。市中を黄河が流れ、南には泰山が控えている。人口のほとんどは漢族であるが、満族や回族なども居住している。 言語は北京語に近いが声調がひどく訛る山東方言がある。740年、孔巣父ら5人の道士と徂徠山(現山東省)に集まり、「竹渓六逸」と呼ばれることもあった。

○華不注峰 中国五岳の一。陝西(せんせい)省の南,秦嶺(しんれい)山脈の東端にある名山。海抜1997メートル。双峰が突き出した険しい山が「華不注山」、頂上の丸いのが「鵲山」である。陝西省華陰県,秦嶺東部の山。黄土高原を南流してきた黄河が東方へ90度転換,渭河と合流する地域にある。東岳泰山,中岳嵩山(すうざん)などとならび中国五岳の一つで,西岳,小秦嶺ともいう。東,西,南,北,中の5峰をはじめ,花コウ岩を主とする山峰が発達した断層山地で,最高は南峰落雁峰の1997m。〈華山は天下の雄たり〉の称がある。山中には寺観が大小30余あり,道教の山となってきた。【

 

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

 

蕭颯古仙人,了知是赤松。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

○赤松 赤松子:神農のころの雨師(雨の神)水玉(水精。水晶)を服用し、それを神農にも教えた。  自焼することで火によって尸解したという。西王母の石室に宿り風雨とともに山を上り下りした。  炎帝(神農)の末娘が赤松子を追ってきて仙人になり、二人とも姿を消した。黄帝の曾孫の高辛氏の時代に再び雨師になった。

 

借予一白鹿,自挾兩青龍。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

白鹿 仙人ののるもの。

青竜 伝説上の神獣、四神(四象)の1つ。東方青竜。蒼竜(そうりゅう)ともいう。福建省では青虎(せいこ)に置き換わっている。「青」の原義は緑色植物の色であり、本来は緑色をしているとされる。東方を守護する。長い舌を出した竜の形とされる。青は五行説では東方の色とされる。また、青竜の季節は春とされている。天文学上は、二十八宿の東方七宿に対応する。東方七宿(角宿・亢宿・氐宿・房宿・心宿・尾宿・箕宿)をつなげて竜の姿に見立てたことに由来する。

道教における人格神化した名前では、東海青龍王敖広と呼ばれる。清瀧権現の善女龍王は中国・青龍寺に飛来したという。

杜甫『寄張十二山人彪三十韻』

時來故舊少,亂後別離頻。世祖修高廟,文公賞從臣。

商山猶入楚,渭水不離秦。存想青龍秘,騎行白鹿馴。

耕岩非穀口,結草即河濱。

時来たって故旧少なく 乱後別離頻りなり

世祖高廟を修む 文公従臣を賞す

商山猶お楚にガる 洞水秦を離れず

想いを存す青竜の秘なるに 騎行す白鹿の馴るるに

巌に耕すは谷口に非ず 草を結ぶは即ち河浜

四皓の隠れた商山、太公望の釣りを垂れた渭水、みな我が唐に帰した。あなたの隠居の地は回復されている。

道家としての想いは青竜が斎室を守るという道教の秘密を知っており、君はまさに馴れたる白鹿にのってあるくのである。

あなたが漢の鄭子真のように巌石のもとに退耕しようとする場所は長安ちかくの谷口ではない、君が草を結んで庵をつくろうとする処は「神仙伝」にいう河上公の洛陽に遠からざる黄河のほとりであるであろう。

寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1484 杜甫詩 700- 459

 

含笑凌倒景,欣然願相從。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。
 

李白図102 

19 《古風五十九首之十九》Index-35Ⅳ-10 756年至德元年年;56歳730古風,五十九首之十九西嶽蓮花山, <19> Ⅰ李白詩1167 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4383

西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。玉女のまっしろな手に今を盛りに咲く千葉の蓮の花を捧げ、そして、歩みも軽げに空中を飛行していた。虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。

 
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製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題:古風,五十九首之十九

 

 

古風,五十九首之十九

西岳蓮花山。 迢迢見明星。

素手把芙蓉。 虛步躡太清。

霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。

 

邀我登云台。 高揖衛叔卿。

恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。

俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。

流血涂野草。 豺狼盡冠纓。

西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
玉女のまっしろな手に今を盛りに咲く千葉の蓮の花を捧げ、そして、歩みも軽げに空中を飛行していた。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
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<!--[endif]-->

わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。
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<!--[endif]-->

 

古風,五十九首の十九

西のかた 蓮花山に上れば、迢迢として 明星を見る。

素手 芙蓉を把り、虚歩して 太晴を躡【ふ】む。

霓裳【げいしょう】 広帯を曳き、諷払 天に昇り行く。

 

我を邀【むか】えて雲台に登り、高く揖す 衛叔卿【えいしゅくけい】。

恍恍として 之と与に去り、鴻に駕して紫冥を凌ぐ。

俯して洛陽の川を視れば、茫茫として胡兵を走らす。

流血 野草に涂【まみ】れ。 豺狼【さいろう】盡く冠纓【かんえい】。

 

華山000 

古風,五十九首之十九』 現代語訳と訳註

(本文) 古風,五十九首の十九

西岳蓮花山。 迢迢見明星。

素手把芙蓉。 虛步躡太清。

霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。

 

邀我登云台。 高揖衛叔卿。

恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。

俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。

流血涂野草。 豺狼盡冠纓。

 

(下し文)

古風,五十九首の十九

西のかた 蓮花山に上れば、迢迢として 明星を見る。

素手 芙蓉を把り、虚歩して 太晴を躡【ふ】む。

霓裳【げいしょう】 広帯を曳き、諷払 天に昇り行く。

我を邀【むか】えて雲台に登り、高く揖す 衛叔卿【えいしゅくけい】。

恍恍として 之と与に去り、鴻に駕して紫冥を凌ぐ。

俯して洛陽の川を視れば、茫茫として胡兵を走らす。

流血 野草に涂【まみ】れ。 豺狼【さいろう】盡く冠纓【かんえい】。

 

(現代語訳)

西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
玉女のまっしろな手に今を盛りに咲く千葉の蓮の花を捧げ、そして、歩みも軽げに空中を飛行していた。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。
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(訳注)

古風五十九首之十九

李白の思想哲學を考察する上で、最も基礎的な文献として指摘・言及される作品は古風五十九首である。

修僻技法の側面とりわけ、隠喩やその延長線上にある諷喩においても、大きな成果をあげているものと考えられ、その表現手法そのものが、李白の発想上の特色なのである。

を明らかにする手掛りになるように思われるのである。

この李白を理解するためには、彼の代表的な連作である古風五十九首を一首づつ丁寧に読んでいく必要がある。この作品群に対する彼の作詩態度を探っていって、その後に、時系列に他の作品を読んでいくことが大切なのである。李白を理解する、早道であり、基本的な学習法である。一千首前後有り、長詩もあるので、毎日8句~10句程度で進める。できる事なら、それを数回繰り返して読み、螺旋階段を上るように理解が高められるということなのである。

 

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。

泰山の道観 

西岳蓮花山。 迢迢見明星。
西嶽の最高峰に蓮花山があり、はるばると攀じ登っていくと明星玉女や西玉母に遭った。
○蓮花山 華山の最高峰。華山(西嶽;2,160m陝西省渭南市華陰市)

嵩山(中嶽;1,440m河南省鄭州市登封市)、

泰山(東嶽;1,545m山東省泰安市泰山区)、

衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、

恒山(北嶽;2,016,m山西省大同市渾源県)とともに五嶽の一つにかぞえられ、中国大陸の西方をつかさどる山の神とされている。陝西省と山西省の境、黄河の曲り角にある。蓮花山の頂には池があり、千枚の花びらのある蓮の花を生じ、それをのむと羽がはえて自由に空をとぶ仙人になれるという。

陝西省と山西省の境、黄河の曲り角にある。蓮花山の頂には池があり、千枚の花びらのある蓮の花を生じ、それをのむと羽がはえて自由に空をとぶ仙人になれるという。華山(かざん、ホワシャン)は、中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。
 
○迢迢 はるかなさま。李白「長相思」につかう。

○明星 もと華山にすんでいた明星の玉女という女の仙人。

素手把芙蓉。 虛步躡太清。
玉女のまっしろな手に今を盛りに咲く千葉の蓮の花を捧げ、そして、歩みも軽げに空中を飛行していた。
○素手 しろい手。○芙蓉 蓮の異名。○虚歩 空中歩行。○太清 大空。

霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
○霓裳 虹の裾。

○諷払 ひらりひらり。裳と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風を切って飛行する形容。

邀我登云台。 高揖衛叔卿。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
○雲台 崋山の東北にそびえる峰。

○高揖 手を高くあげる敬礼。

○衛叔卿 中叫という所の人で、雲母をのんで仙人になった。漢の武帝は仙道を好んだ。武帝が殿上に閑居していると、突然、一人の男が雲の車にのり、白い鹿にその車をひかせて天からおりて来た。仙道を好む武帝に厚遇されると思い来たのだった。童子のような顔色で、羽の衣をき、星の冠をかむっていた。武帝は誰かとたずねると、「わたしは中山の衛叔卿だ。」と答えた。皇帝は「中山の人ならば、朕の臣じゃ。近う寄れ、苦しゅうないぞ。」邸重な礼で迎えられると期待していた衛叔卿は失望し、黙然としてこたえず、たちまち所在をくらましてしまったという。

恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
○恍恍 うっとり、夢見心地。

○鴻 雁の一種。大きな鳥。○繋冥 天。

俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
○俯視 見下ろす。高いところから下を見下ろす。

○洛陽川 河南省の洛陽のあたりの平地。川は、河川以外にその平地をさすことがある。○茫茫 ひろびろと広大なさま。

○胡兵 えびすの兵。安禄山の反乱軍。玄宗の天宝十四戟(七五五年)十一月、叛旗をひるがえした安禄山の大軍は、いまの北京から出発して長安に向い、破竹の勢いで各地を席捲し、同年十二月には、はやくも東都洛陽を陥落した。

流血涂野草。 豺狼盡冠纓。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。
○豺狼 山犬と狼。

○冠浬 かんむりのひも。
李白図102 

18-#4 《古風五十九首之十八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳582古風,五十九首之十八天津三月時, <18-#4> Ⅰ李白詩1171 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4403

成功してもその身を引退しないでいると、むかしからあやまちをすることが多いものだ。秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかってしうちをされた。かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。
18-#4 《古風五十九首之十八》Index-32-7 753年天寶十二年53582古風,五十九首之十八天津三月時, <18-#4> Ⅰ李白詩1171 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4403

 


 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十八 

作地點: 洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽

及地點:  天津橋 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛橋     

上陽宮 (都畿道 河南府 洛陽)     

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

 

 

古風,五十九首之十八 #1

天津三月時,千門桃與李。

朝為斷腸花,暮逐東流水。

前水復後水,古今相續流。

新人非舊人,年年橋上遊。

(劉廷芝の公子行のイメージを借りて「道」を詠い、世情をうたう。)

洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。
そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。
花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。

橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。
#2

雞鳴海色動,謁帝羅公侯。

月落西上陽,餘輝半城樓。

衣冠照雲日,朝下散皇州。

鞍馬如飛龍,黃金絡馬頭。

鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。
やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。

鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。

#3

行人皆辟易,志氣橫嵩丘。

入門上高堂,列鼎錯珍饈。

香風引趙舞,清管隨齊謳。

七十紫鴛鴦,雙雙戲庭幽。

道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。

門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえている。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出している。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でている。

七十羽の紫のつがいのおしどりである宮女たちは、それぞれつがいになって、庭の茂みの奥の茂みでたわむれている。
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#4

行樂爭晝夜,自言度千秋。

功成身不退,自古多愆尤。

黃犬空歎息,綠珠成釁讎。

何如鴟夷子,散髮棹扁舟。

野外において昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。 

成功してもその身を引退しないでいると、むかしからあやまちをすることが多いものだ。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかってしうちをされた。
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。
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(古風,五十九首の十八) #1

天津 三月の時、千門 桃と李と。』

朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』

前水 復た後水、古今 相競いで流る。

新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。

#2

鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。

月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。

衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』

鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』

#3

行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。

門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。

香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。

七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』

#4

行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。

功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。

黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。

何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。

 

安史の乱当時の勢力図

『古風,五十九首之十八』 現代語訳と訳註

(本文) #4

行樂爭晝夜,自言度千秋。功成身不退,自古多愆尤。

黃犬空歎息,綠珠成釁讎。何如鴟夷子,散髮棹扁舟。

 

(下し文) #4

行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。

功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。

黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。

何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。

 

 

(現代語訳)

野外において昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。 

成功してもその身を引退しないでいると、むかしからあやまちをすることが多いものだ。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかってしうちをされた。
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。

 

(訳注) #4

古風,五十九首之十八 #3

古風 第十八であるが、古風での道教の詩としてはここまでである。はじめと終りとに栄華の無常をい、中ごろではそのはかない栄華に得々たる権力者たちを心憎いまでに描写して効果を深めてゐる。しかしこの無常感は、仏教のそれとは全く異なる老荘の説に基づくものである。咸陽の市に黄犬を牽いた得意の時を過ぎて、刑場に就く李斯と対照されている鴟夷子は越王勾践の相だった范蠡(はんれい)であるが、李斯を以て当時の李林甫、楊国忠にたとえたものとすれば、呉を亡したのち髪を散らし、姓名を変じて斉に赴いた無欲の范蠡は李白の理想とする姿にほかならない。李白のもっとも言いたかったものではなかろうか

太白山001

行樂爭晝夜、自言度千秋。
野外において昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。 

○行楽爭晝夜 野外において昼夜わかたず性的行為をする光景を詠っている。


功成身不退、自古多愆尤。
成功してもその身を引退しないでいると、むかしからあやまちをすることが多いものだ。
退 引退。范蠡は、斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得た。そのあと引退し悠々自適の生活をした。

愆尤 けんゆう  あやまち。失敗。

黃犬空嘆息、綠珠成讎。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかってしうちをされた。
黃犬 このブログ 襄陽歌 李白49に示す。「咸陽市中歎黄犬、何如月下傾金罍。」咸陽の町のまん中で「黄色い犬をつれて免狩りしたかった」などと嘆いた秦の李斯のさいごを思うと、たとえ出世しなくとも、月の下で、黄金の杯を傾けているほうが、どれだけよいことか。 ・歎黄犬:李斯の故事をいう。

綠珠 晋の石崇は、富を集め豪奪な生活をした人だが、綠珠という女を愛していた。彼女は美しく、色っぽく、上手に笛を吹いた。孫秀という男が人を遣わして綠珠をしつこく求めた。石崇は立腹して言った。緑珠はわたしの愛人だ、と。恨んだ孫秀は、超王倫に告げ口をして石崇を殺そうとした。綠珠は樓から身を投げて自殺し、崇の親兄妻子はみな穀書された。「晋書」にある話。

 仲たがいのあだ、うらみ。

 讐と同じ。

 

何如鴟夷子、散發棹扁舟。』
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。
鴟夷子 越王勾践は呉王夫差と戦って会稽山で和を請うた。その後二十年、嘗胆の苦しみを経て、氾蠡の助けを得て軍隊を訓練し、呉と戦って会稽の恥をそそいだ。越が呉を滅ぼすと、汚轟は越を去った。小舟に乗り、江湖に浮かび、姓名を変じて斉の国におもむき、怨夷子皮と名のった。鴎夷とは馬の革でつくった袋である。呉の功臣伍子背が呉王夫差に死を命ぜられた上、死体は線夷につつまれて揚子江に投げこまれた。泡轟は賢いから、自分もぐずぐずしていたら、そんな目にあっただろうという意味で、こういう皮肉な名前をつけたのである。

散髪 役人のかむる冠で髪を拘束しないこと。

范蠡(はんれい 生没年不詳)は、中国春秋時代の越の政治家、軍人。氏は范、諱は蠡、字は少伯。越王勾践に仕え、勾践を春秋五覇に数えられるまでに押し上げた最大の立役者。
范蠡は夫差の軍に一旦敗れた時に、夫差を堕落させるために絶世の美女施夷光(西施(せいし))を密かに送り込んでいた。思惑通り夫差は施夷光に溺れて傲慢になった。夫差を滅ぼした後、范蠡は施夷光を伴って斉へ逃げた。
 
越を脱出した范蠡は、斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得た。范蠡の名を聞いた斉は范蠡を宰相にしたいと迎えに来るが、范蠡は名が上がり過ぎるのは不幸の元だと財産を全て他人に分け与えて去った。斉を去った范蠡は、かつての曹の国都で、今は宋領となっている定陶(山東省陶県)に移り、陶朱公と名乗った。ここでも商売で大成功して、巨万の富を得た。老いてからは子供に店を譲って悠々自適の暮らしを送ったと言う。陶朱公の名前は後世、大商人の代名詞となった(陶朱の富の故事)。このことについては、史記の「貨殖列伝」に描かれている

李白図102

18-#3 《古風五十九首之十八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳582<18-#3> Ⅰ李白詩1170 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4398

かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出している。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でている。七十羽の紫のつがいのおしどりである宮女たちは、それぞれつがいになって、庭の茂みの奥の茂みでたわむれている。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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18-#3 《古風五十九首之十八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳582<18-#3> Ⅰ李白詩1170 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4398 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログindex-14廣徳2年764-91 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三》 杜甫<763> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4400 杜甫詩1500-763-1051/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-388《竹枝二首其二》孫光憲(48)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-571-14-(388) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4402 
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製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十八 

作地點: 洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽

及地點:  天津橋 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛橋     

上陽宮 (都畿道 河南府 洛陽)     

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

 

 

古風,五十九首之十八 #1

(劉廷芝の公子行のイメージを借りて「道」を詠い、世情をうたう。)

天津三月時,千門桃與李。

洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。
朝為斷腸花,暮逐東流水。

そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。
前水復後水,古今相續流。

花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。
新人非舊人,年年橋上遊。

橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。
#2

雞鳴海色動,謁帝羅公侯。

鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。
月落西上陽,餘輝半城樓。

月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。
衣冠照雲日,朝下散皇州。

やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。
鞍馬如飛龍,黃金絡馬頭。

鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。

#3

行人皆辟易,志氣橫嵩丘。

道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。

入門上高堂,列鼎錯珍饈。

門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえている。
香風引趙舞,清管隨齊謳。

かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出している。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でている。

七十紫鴛鴦,雙雙戲庭幽。

七十羽の紫のつがいのおしどりである宮女たちは、それぞれつがいになって、庭の茂みの奥の茂みでたわむれている。
#4

行樂爭晝夜,自言度千秋。功成身不退,自古多愆尤。

黃犬空歎息,綠珠成釁讎。何如鴟夷子,散髮棹扁舟。

 

(古風,五十九首の十八) #1

天津 三月の時、千門 桃と李と。』

朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』

前水 復た後水、古今 相競いで流る。

新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。

#2

鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。

月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。

衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』

鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』

#3

行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。

門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。

香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。

七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』

#4

行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。

功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。

黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。

何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。

 李白図102

 

『古風,五十九首之十八』 現代語訳と訳註

(本文) #3

行人皆辟易,志氣橫嵩丘。入門上高堂,列鼎錯珍饈。

香風引趙舞,清管隨齊謳。七十紫鴛鴦,雙雙戲庭幽。

 

 

(下し文) #3

行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。

門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。

香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。

七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』

 

 

(現代語訳)

道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。

門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえている。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出している。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でている。

七十羽の紫のつがいのおしどりである宮女たちは、それぞれつがいになって、庭の茂みの奥の茂みでたわむれている。
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(訳注)

古風,五十九首之十八 #3

古風 第十八であるが、古風での道教の詩としてはここまでである。はじめと終りとに栄華の無常をい、中ごろではそのはかない栄華に得々たる権力者たちを心憎いまでに描写して効果を深めてゐる。しかしこの無常感は、仏教のそれとは全く異なる老荘の説に基づくものである。咸陽の市に黄犬を牽いた得意の時を過ぎて、刑場に就く李斯と対照されている鴟夷子は越王勾践の相だった范蠡(はんれい)であるが、李斯を以て当時の李林甫、楊国忠にたとえたものとすれば、呉を亡したのち髪を散らし、姓名を変じて斉に赴いた無欲の范蠡は李白の理想とする姿にほかならない。李白のもっとも言いたかったものではなかろうか

touRAKUYOjou600 

行人皆辟易、志氣橫嵩丘。
道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。

嵩丘 洛陽の近くにある嵩山。道教の総寺観があった。嵩山(すうざん、ピンイン:song-shan)は、中国河南省登封市にある山岳群。五岳の1つ(中岳)に数えられる。最高峰は太室山の標高1,440m。古代から山岳信仰の場として有名で、北魏時代からは少林寺などの道教、仏教の道場が建立された。また、唐代には副都であった洛陽から近い事から、政府との結びつきが強く、ここを本拠地としていた潘師正、普寂、慧安などの道士、僧侶らが皇帝の崇敬を受け、道教、禅宗はそれぞれ自派を拡大した。

 

入門上高堂、列鼎錯珍羞。
門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえている。
 足が三本ある一種の鍋。

珍羞 珍しい御馳走 


香風引趙舞、清管隨齊謳。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出している。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でている。

○趙舞 。長安の繁栄のさまを詠じた『長安古意』、『唐詩選』にも収められている。盧照鄰「羅襦寶帶為君解、燕歌趙舞為君開。」(羅襦寶帶は、 君が為に解き、燕の歌 趙の舞 君が為に開く。)

○清管 清らかな笛の音。

○齊謳 斉の国の歌姫の歌。


七十紫鴛鴦、雙雙戲庭幽。』
七十羽の紫のつがいのおしどりである宮女たちは、それぞれつがいになって、庭の茂みの奥の茂みでたわむれている。
七十紫鴛鴦 楽府古辞「鷄鳴曲」(漢時代の民謡)の中に、「鴛鴦七十二羽、羅列自成行」(鴛鴦が七十二羽、二羽ずつつがいになって、きれいにならんでいる)という意味の詩句が見える。鴛おしどりのオス。鴦おしどりの雌。




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鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。

 
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製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十八 

作地點: 洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽

及地點:  天津橋 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛橋     

上陽宮 (都畿道 河南府 洛陽)     

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

 

 

古風,五十九首之十八 #1

天津三月時,千門桃與李。

朝為斷腸花,暮逐東流水。

前水復後水,古今相續流。

新人非舊人,年年橋上遊。

(劉廷芝の公子行のイメージを借りて「道」を詠い、世情をうたう。)

洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。
そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。
花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。

橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。
#2

雞鳴海色動,謁帝羅公侯。

月落西上陽,餘輝半城樓。

衣冠照雲日,朝下散皇州。

鞍馬如飛龍,黃金絡馬頭。

鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。
やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。

鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。

#3

行人皆辟易,志氣橫嵩丘。入門上高堂,列鼎錯珍饈。

香風引趙舞,清管隨齊謳。七十紫鴛鴦,雙雙戲庭幽。

#4

行樂爭晝夜,自言度千秋。功成身不退,自古多愆尤。

黃犬空歎息,綠珠成釁讎。何如鴟夷子,散髮棹扁舟。

 

(古風,五十九首の十八) #1

天津 三月の時、千門 桃と李と。』

朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』

前水 復た後水、古今 相競いで流る。

新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。

#2

鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。

月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。

衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』

鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』

#3

行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。

門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。

香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。

七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』

#4

行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。

功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。

黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。

何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。

 

 

『古風,五十九首之十八』 現代語訳と訳註

(本文)#2

雞鳴海色動,謁帝羅公侯。月落西上陽,餘輝半城樓。

衣冠照雲日,朝下散皇州。鞍馬如飛龍,黃金絡馬頭。

 

(下し文) #2

鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。

月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。

衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』

鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』

 

 

(現代語訳)

鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。
やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。

鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之十八 #2

古風 第十八であるが、古風での道教の詩としてはここまでである。はじめと終りとに栄華の無常をい、中ごろではそのはかない栄華に得々たる権力者たちを心憎いまでに描写して効果を深めてゐる。しかしこの無常感は、仏教のそれとは全く異なる老荘の説に基づくものである。咸陽の市に黄犬を牽いた得意の時を過ぎて、刑場に就く李斯と対照されている鴟夷子は越王勾践の相だった范蠡(はんれい)であるが、李斯を以て当時の李林甫、楊国忠にたとえたものとすれば、呉を亡したのち髪を散らし、姓名を変じて斉に赴いた無欲の范蠡は李白の理想とする姿にほかならない。李白のもっとも言いたかったものではなかろうか

 

雞鳴海色動、謁帝羅公侯。
鶏が鳴いて夜のとばりの明け始め、日が昇前に整列し、朝礼で天子に公侯たちが居ならんで拝謁する。
海色 夜明け前のほのぐらい色。○謁帝 朝の朝礼。夜明けに集合。


月落西上陽、余輝半城樓。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしている。
○西上陽 洛陽の宮城の西南隅に上陽宮があり、さらにその西側に上陽宮という宮殿があった。

touRAKUYOjou600
 唐時代 洛陽城図 参照
 
衣冠照云日、朝下散皇州。
やがて、朝日に、朝廷の吏官の冠が彩雲に照らされてでてくる。そして朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。
衣冠 衣冠をつけた人。朝廷の吏官。○皇州 帝都のこと。


鞍馬如飛龍、黃金絡馬頭。』
鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。

 


李白図102 

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そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十八 

作地點: 洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽

及地點:  天津橋 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛橋     

上陽宮 (都畿道 河南府 洛陽)     

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

 

 

古風,五十九首之十八 #1

(劉廷芝の公子行のイメージを借りて「道」を詠い、世情をうたう。)

天津三月時,千門桃與李。

洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。

朝為斷腸花,暮逐東流水。

そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。

前水復後水,古今相續流。

花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。

新人非舊人,年年橋上遊。

橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。

#2

雞鳴海色動,謁帝羅公侯。月落西上陽,餘輝半城樓。

衣冠照雲日,朝下散皇州。鞍馬如飛龍,黃金絡馬頭。

#3

行人皆辟易,志氣橫嵩丘。入門上高堂,列鼎錯珍饈。

香風引趙舞,清管隨齊謳。七十紫鴛鴦,雙雙戲庭幽。

#4

行樂爭晝夜,自言度千秋。功成身不退,自古多愆尤。

黃犬空歎息,綠珠成釁讎。何如鴟夷子,散髮棹扁舟。

紅梅0021 

(古風,五十九首の十八) #1

天津 三月の時、千門 桃と李と。』

朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』

前水 復た後水、古今 相競いで流る。

新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。

#2

鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。

月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。

衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』

鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』

#3

行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。

門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。

香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。

七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』

#4

行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。

功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。

黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。

何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。

 

 

『古風,五十九首之十八』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之十八 #1

天津三月時,千門桃與李。朝為斷腸花,暮逐東流水。

前水復後水,古今相續流。新人非舊人,年年橋上遊。

 

 

(下し文)

(古風,五十九首の十八) #1

天津 三月の時、千門 桃と李と。』

朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』

前水 復た後水、古今 相競いで流る。

新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。

 

(現代語訳)

(劉廷芝の公子行のイメージを借りて「道」を詠い、世情をうたう。)

洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。
そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。
花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。

橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。
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(訳注)

古風,五十九首之十八 #1

古風 第十八であるが、古風での道教の詩としてはここまでである。はじめと終りとに栄華の無常をい、中ごろではそのはかない栄華に得々たる権力者たちを心憎いまでに描写して効果を深めてゐる。しかしこの無常感は、仏教のそれとは全く異なる老荘の説に基づくものである。咸陽の市に黄犬を牽いた得意の時を過ぎて、刑場に就く李斯と対照されている鴟夷子は越王勾践の相だった范蠡(はんれい)であるが、李斯を以て当時の李林甫、楊国忠にたとえたものとすれば、呉を亡したのち髪を散らし、姓名を変じて斉に赴いた無欲の范蠡は李白の理想とする姿にほかならない。李白のもっとも言いたかったものではなかろうか

 

天津三月時、千門桃與李。』
洛陽の名高き天津橋の上から見わたすと、時は弥生三月、千門万戸たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲きみだれている。
天津 橋の名。唐の東のみやこ洛陽をめぐって洛水が流れ、その川にかかっている。初唐の詩人劉廷芝の「公子行」は、「天津橋下陽春の水、天津橋上兼葦の子」という詞句で始まっており、李白はその詩の出だしのイメージを借りている。参照。劉廷芝の詩は「怨詩」である。

〇千門 宮殿には多くの門があり、迷路のように門戸が連続している。千門万戸という表現は李白の得意とするところ。


朝為斷腸花、暮逐東流水。』
そもそも、桃李は麗しい花で朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆさぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、散ってしまって天津橋下の春の水を遂って東に向って流れてゆく。
断腸花 真っ赤な花の咲き誇っているさまをいう。李白が断腸という語を使用するとき、女心、嫉妬、焦燥の気持ちを表す際に多い。李白「春思」「清平調詞其三」にある。○東流 東が下流で流れ去る、消えていくことをします。

 

前水復后水、古今相續流。
花は儚いものであるが、橋下の水は水の後に水がと次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくというのが「道」である。
前水復后水 水は次から次へと、上流から下流へと流れていくのが「道」理である。この聯と次の聯は道教の真理「道」についての表現である。


新人非舊人、年年橋上游。
橋下の水がそうであるように、橋の上をとおる人達も、昔の人とは違う人というように顔ぶれが違うものだ。去年の人は一昨年の人とは違うし、毎年毎年、橋の上で人々があそんで往来してゆくのだ。
 往来すること。交流する。

touRAKUYOjou600 

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顧みれば崑崙山に攀じ登り、仙術に使う瓊蕊の花を摘み取って、それと一緒に精魄を煉りあげれば、虚無の道であり、こんな世俗に居続けるのはつまらないことであると思うのだ。

 
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17 《古風五十九首之十七》Index-26-1 747年天寶六年47465古風,五十九首之十七金華牧羊兒, <17> Ⅰ李白詩1165 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4373

 

 

製作年:  747  天寶六年  47

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十七 

作地點: 婺州(江南東道 / 婺州 / 婺州

寫及地點:  金華 (江南東道 婺州 金華)     

崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)     

 

 

古風,五十九首之十七 

(金華山中で羊を放牧しながら、神仙となった黄初平への憧れ、仙人の術業を学びたいと詠う。)

金華牧羊兒,乃是紫煙客。

黄初平はもと金華山の山中へ羊を放牧して居たものであったが、道を学んで紫煙にまたがる神仙となった。

我願從之遊,未去髮已白。

我はこの人にしたがって教えを受けたいと思っているが、まだこの地を去らぬうちにこんな様に白髪頭になってしまった。

不知繁華子,擾擾何所迫。

それにつけても一刻も早く、世俗に暇乞いをして、早くそこに行きたいと思っている、

崑山採瓊蕊,可以煉精魄。

顧みれば崑崙山に攀じ登り、仙術に使う瓊蕊の花を摘み取って、それと一緒に精魄を煉りあげれば、虚無の道であり、こんな世俗に居続けるのはつまらないことであると思うのだ。

 

(古風,五十九首の十七) 

金華 牧羊の兒,乃ち是れ紫煙の客。

我 之に從って遊ばんことを願えども,未だ去らざるは 髮已に白きことなり。

知らず 繁華の子,擾擾として 何所れにか迫らん。

崑山 瓊蕊を採り,以って精魄を煉る可し。

 

太白山00 

『古風,五十九首之十七』 現代語訳と訳註

(本文)

金華牧羊兒,乃是紫煙客。

我願從之遊,未去髮已白。

不知繁華子,擾擾何所迫。

崑山採瓊蕊,可以煉精魄。

 

(下し文)

(古風,五十九首の十七) 

金華 牧羊の兒,乃ち是れ紫煙の客。

我 之に從って遊ばんことを願えども,未だ去らざるは 髮已に白きことなり。

知らず 繁華の子,擾擾として 何所れにか迫らん。

崑山 瓊蕊を採り,以って精魄を煉る可し。

 

(現代語訳)

(金華山中で羊を放牧しながら、神仙となった黄初平への憧れ、仙人の術業を学びたいと詠う。)

黄初平はもと金華山の山中へ羊を放牧して居たものであったが、道を学んで紫煙にまたがる神仙となった。

我はこの人にしたがって教えを受けたいと思っているが、まだこの地を去らぬうちにこんな様に白髪頭になってしまった。

それにつけても一刻も早く、世俗に暇乞いをして、早くそこに行きたいと思っている、

顧みれば崑崙山に攀じ登り、仙術に使う瓊蕊の花を摘み取って、それと一緒に精魄を煉りあげれば、虚無の道であり、こんな世俗に居続けるのはつまらないことであると思うのだ。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之十七

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(金華山中で羊を牧しながら、神仙となった黄初平への憧れ、仙人の術業を学びたいと詠う。)

 黄初平に憧れているうちに白髪頭になってしまった、世上はなぜこうも忙しないのか、崑崙山に行けば仙人になれるのに、といった内容。

 

 

金華牧羊兒,乃是紫煙客。

黄初平はもと金華山の山中へ羊を放牧して居たものであったが、道を学んで紫煙にまたがる神仙となった。

○牧羊兒 黄初平のこと。黄初平(こう・しょへい、328-386年?)、晋代中国の仙人。「黄」は「皇」と書く場合がある。黄大仙(道教系寺院)に本尊として祀られる。[は牧羊を生業としていたが、ある時、道士に見込まれて何処ともなく行ってしまった。40年間行方不明の後に、兄が黄初平を見つける。兄が、昔飼っていた羊の所在を聞くと、路傍の羊の石の所へ行き、黄初平が仙術をかけると石が本物の羊に戻ったという。

 

我願從之遊,未去髮已白。

我はこの人にしたがって教えを受けたいと思っているが、まだこの地を去らぬうちにこんな様に白髪頭になってしまった。

 

不知繁華子,擾擾何所迫。

それにつけても一刻も早く、世俗に暇乞いをして、早くそこに行きたいと思っている、

○繁華 人が多く集まり、にぎわっていること。また、そのさま。

○擾擾 ごたごたと乱れているさま。騒がしいさま。

 

崑山採瓊蕊,可以煉精魄。

顧みれば崑崙山に攀じ登り、仙術に使う瓊蕊の花を摘み取って、それと一緒に精魄を煉りあげれば、虚無の道であり、こんな世俗に居続けるのはつまらないことであると思うのだ。

○崑崙山 中国古代の伝説上の山岳。崑崙山・崑崙丘・崑崙虚ともいう。中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるとされた。仙界とも呼ばれ、八仙がいるとされる。 崑崙奴とは、アフリカ系黒人に対しての呼び名であるが、伎楽の崑崙〔くろん〕面の名称も、そもそもは黒人のことをさした。

○精魄 仙術である金丹を練ること。道教の道士が金石を砕いて練って作ったという不老不死の薬。
 

16 《古風五十九首之十六》Index-10Ⅱ― 6-731年開元十九年31歳100古風,五十九首之十六寶劍雙蛟龍, <16> Ⅰ李白詩1166 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4378

宝剣の二竿、もと蛟龍の精であった、刃の匂いは雪白の蓮の花がはじめてみずから出たことと比較する。精光は天地に射しこんできて、ややもすれば雷のように飛び出してきてとても触れることなどできない。この二剣はもとの金匣から別れて去ってしまい、一つは飛んでいき一つは沈んで行って互にあいしたがって一緒になることはなくなった。


16 《古風五十九首之十六》Index-10Ⅱ― 6-731年開元十九年31100古風,五十九首之十六寶劍雙蛟龍, <16> Ⅰ李白詩1166 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4378

 

 

製作年:731  開元十九年  31

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十六 

 

 

古風,五十九首之十六

(この篇は宝剣、蛟龍に託して、自分の才能を理解する人が少なくて風塵に埋没していることを詠う。)

寶劍雙蛟龍,雪花照芙蓉。

宝剣の二竿、もと蛟龍の精であった、刃の匂いは雪白の蓮の花がはじめてみずから出たことと比較する。

精光射天地,雷騰不可衝。

精光は天地に射しこんできて、ややもすれば雷のように飛び出してきてとても触れることなどできない。

一去別金匣,飛沈失相從。

この二剣はもとの金匣から別れて去ってしまい、一つは飛んでいき一つは沈んで行って互にあいしたがって一緒になることはなくなった。

風胡滅已久,所以潛其鋒。

風胡子は楚王に答えて弁別したが、この人が死んでしまうと、既に久しく、楚王の様な人がいないので剣はその鉾をひそめて隠れているという。

水深萬丈,楚山邈千重。

それでその一振りは万状の深さのある呉水の流れの底深くに沈み、他の一振りは楚山の千重の奥深き所に引き込んでしまった。
雌雄終不隔,神物會當逢。 

しかしこの剣はもともと雌雄一対のもので、決して相い隔たつべからざるものでありし、その上、精霊の憑依している神仏というものであるから、何時かはどこかでこの二剣は互いに一緒になることであろう。

 

古風,五十九首之十六

寶劍【ほうけん】雙 蛟龍,雪花 芙蓉を照す。

精光 天地を 射り,雷騰 衝く可からず。

一たび去って金匣【きんこう】に別れ,飛沈 相い從うを失う。

風胡 滅して已に久し,其の鋒を潛むる所以なり。

水 深さ萬丈なり,楚山 邈として千重たり。

雌雄 終に隔てず,神物 會【かなら】ず當に逢うべし。