漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2014年10月

119 《越女詞,五首之三》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <119> Ⅰ李白詩1299 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5043

李白《越女詞,五首之三》(その二の詩と真逆のはにかんだ採蓮の娘たちを詠う)

 
 2014年10月31日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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22―(5) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1212> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5044 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-61-2 《草堂逸詩拾遺。狂歌行贈四兄【短歌行贈四兄】》 杜甫index-15 杜甫<861-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5045 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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119 《越女詞,五首之三》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <119> Ⅰ李白詩1299 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5043

 
 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

寫作年紀:      26

卷別:  卷一八四        文體:  五言

李太白集 巻二十四     

詩題:  越女詞,五首之三【《越中書》所見也。】

及地點:        若耶溪 (江南東道越州 會稽) 別名:耶溪、若溪、浣紗溪     

 

 

越女詞,五首之三【《越中書》所見也。】

耶溪採蓮女,見客棹歌迴。

笑入荷花去,佯羞不出來。

(その二の詩と真逆のはにかんだ採蓮の娘たちを詠う)越女の詞,五首の三

若耶渓頭でハスの実をつむ娘たちは、旅人を見つけると舟歌を唄いながら舟をあちらへこいで遠ざかる。
そうして、にっこり笑ってハスの花の影にかくれ、はずかしそうに、思わせぶりに、しなを作って、なかなか出て来ない。

 (越女の詞,五首の三【《越中書》見る所なり。】)

耶渓 採蓮の女、客を見て 棹歌してる。
笑って荷花に入って去り、佯【いつわ】り羞【はじ】て 出で来らず。

 

南池江 採蓮002 

『越女詞,五首之三』【《越中書》所見也。】 現代語訳と訳註解説

(本文)

越女詞,五首之三【《越中書》所見也。】

耶溪採蓮女,見客棹歌迴。

笑入荷花去,佯羞不出來。

 

(下し文)

(越女詞,五首之三【《越中書》所見也。】)

耶渓 採蓮の女、客を見て 棹歌してる。
笑って荷花に入って去り、佯【いつわ】り羞【はじ】て 出で来らず。

 

 

(現代語訳)

(その二の詩と真逆のはにかんだ採蓮の娘たちを詠う)越女の詞,五首の三

若耶渓頭でハスの実をつむ娘たちは、旅人を見つけると舟歌を唄いながら舟をあちらへこいで遠ざかる。
そうして、にっこり笑ってハスの花の影にかくれ、はずかしそうに、思わせぶりに、しなを作って、なかなか出て来ない。
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(訳注)

越女詞,五首之三【《越中書》所見也。】

(その二の詩と真逆のはにかんだ採蓮の娘たちを詠う)

 

耶溪採蓮女,見客棹歌迴。
若耶渓頭でハスの実をつむ娘たちは、旅人を見つけると舟歌を唄いながら舟をあちらへこいで遠ざかる。
耶渓 若耶渓の略。若耶溪 現在、平水江という名の川である。大禹陵前の湖水から会稽山の東側を流れる平水江から引いた運河があり、西側の南池江と繋がっている。それが、嘗て若耶溪と称されていた川である。

採蓮 ハスの実をつみとる。

○客 たびびと。 

棹歌 舟うた。

 かえる。 迴・巡るだと行ったり来たりする。

李白 『採蓮曲』(採蓮のおんなを男目線で詠う)

若耶溪傍採蓮女,笑隔荷花共人語。

日照新妝水底明,風飄香袂空中舉。

岸上誰家遊冶郎,三三五五映垂楊。

紫騮嘶入落花去,見此踟躕空斷腸。

若耶【じゃくや】渓の傍り 採蓮の女、笑って荷花【かか】を隔てて人と共に語る。

日は新粧を照らして水底明らかに、風は香袖を飄して空中に挙がる。

岸上  誰が家の遊冶郎【ゆうやろう】ぞ、三三、五五、垂楊に映ず。

紫騮【しりゅう】落花に嘶【いなな】きて入りて去り、此れを見て踟蹰【ちちゅう】して空しく断腸。
99 採蓮曲》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <99> Ⅰ李白詩1271 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4903 がある。


笑入荷花去,佯羞不出來。
そうして、にっこり笑ってハスの花の影にかくれ、はずかしそうに、思わせぶりに、しなを作って、なかなか出て来ない。
○荷花 ハスの花。

○佯羞 はずかしそうに、思わせぶりに、しなを作って。

118 《越女詞,五首之二【《越中書》所見也。】》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <118> Ⅰ李白詩1298 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5038

李白《越女詞,五首之二》(越の女は細身の美人で、この地方の船頭屋の娼妓娘の風俗を映し出して詠う。)

 
 2014年10月30日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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118 《越女詞,五首之二【《越中書》所見也。】》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <118> Ⅰ李白詩1298 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5038 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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22ー(4)§3 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1211> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5039韓愈詩-22ー(4) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-61 《狂歌行贈四兄【短歌行贈四兄】》草堂逸詩拾遺。 杜甫index-15 杜甫<861> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5040 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-516《臨江仙二首,其一》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-699-20-(516) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5042 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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118 《越女詞,五首之二【《越中書》所見也。】》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <118> Ⅰ李白詩1298 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5038

 

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:    開元十四年

寫作時間:      726

寫作年紀:      26

卷別:  卷一八四        文體:  五言

詩題:  越女詞,五首之二【《越中書》所見也。】

 

 

越女詞,五首之二

兒多白皙,好為蕩舟劇。

賣眼擲春心,折花調行客。

(越の女は細身の美人で、この地方の船頭屋の娼妓娘の風俗を映し出して詠う。)

呉の娼妓娘らは、いずれも色白が多く、好んで舟をゆさぶることで、戯れて男の目を引き、遊びをする。
色目をつかって、もえたつ色好みの春心をなげつけてその気にさせるのだ、花を折りとって旅人をからかう。

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(越女の詞 其の二)

呉児 多くは白皙【はくせき】、好んで 蕩舟の劇れを為す。

眼を売って 春心を擲【なげう】ち、花を折って 行客【こうかく】を調す。

 

 

bijo04越女詞,五首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文)

越女詞,五首之二

兒多白皙,好為蕩舟劇。

賣眼擲春心,折花調行客。

 

 

(下し文)

(越女の詞 其の二)

呉児 多くは白皙【はくせき】、好んで 蕩舟の劇れを為す。

眼を売って 春心を擲【なげう】ち、花を折って 行客【こうかく】を調す。

 

(現代語訳)

(越の女は細身の美人で、この地方の船頭屋の娼妓娘の風俗を映し出して詠う。)

呉の娘女らは、いずれも色白が多く、好んで舟をゆさぶることで、戯れて男の目を引き、遊びをする。
色目をつかって、もえたつ色好みの春心をなげつけてその気にさせるのだ、花を折りとって旅人をからかう。

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(訳注)

越女詞,五首之二

(越の女は細身の美人で、この地方の船頭屋の娼妓娘の風俗を映し出して詠う。)

越(えつ、紀元前600年頃 - 紀元前334年)は、春秋時代に中国浙江省の辺りにあった国。首都は会稽(現在の浙江省紹興市)。後に漢民族形成の中核となった黄河流域の都市国家群の周辺民族とは別の、長江流域の百越に属する民族を主体に建設されたと言われる。越は楚、呉など長江文明を築いた流れを汲むと考えられており、稲作や銅の生成で栄えた。

隣国の呉とたびたび抗争し、紀元前515年、楚に遠征した呉王闔閭の留守を狙って越王の允常[3]は呉を攻め、呉領内を荒らしまわった。更に混乱に乗じて実弟の公子夫概が兄に対して謀反を起こすなど、闔閭の立場が大いに揺らぐ事となり闔閭は越を憎んだ。やがて紀元前496年に允常が死去して、太子の勾践が父の後を継いで即位した。その報せを受けた闔閭が越を攻めたが敗死した。

闔閭の後を継いだ次男の夫差が報復の準備を整えつつある事を憂えた勾践は、先手を打って仕掛けたが逆に大敗し、越は滅亡寸前にまでなったが勾践が謝罪したために滅亡は免れる。謝罪後、勾践は呉で使用人として労働を命じられたりしたが、范蠡の助けを借り、越は呉への復讐心から着実に力を蓄えてゆき、呉が伍子胥を殺害し夫差が中原に諸侯を集めて会盟を結びに行っている隙を突いて呉を攻め、呉に大打撃を与え、紀元前473年には呉を滅ぼした。呉を滅ぼした勾践は、越の都を現在の山東省の琅邪に遷し(江蘇省連雲港との説もある)、更に諸侯と会盟して中原の覇者となった。

勾践は讒言によって腹心の文種を粛清した。これを聞いた范蠡は勾践の猜疑心を知り尽くしていたために、既に斉に逃亡しており、陶朱公と称して富豪となっていた。紀元前465年、勾践は死去した。

 

呉兒多白皙,好爲蕩舟劇。 

呉の娘女らは、いずれも色白が多く、好んで舟をゆさぶることで、戯れて男の目を引き、遊びをする。
呉児 呉は今の江蘇省一帯。児は、大都会のあか抜けている雰囲気を示す。江戸吉原の芸妓にあたる。

白哲 皮膚の白いこと。

蕩舟 舟をゆさぶってひきつける。

 たわむれ。誘い込む。

 

賣眼擲春心,折花調行客。 
色目をつかって、もえたつ色好みの春心をなげつけてその気にさせるのだ、花を折りとって旅人をからかう。
売眼 色目をつかう、ウィンクする。

 なげつける。

春心 色好みの心。

調 からかう。「ちょっと寄って遊んでいかない?」とウィンクしたり、花を折って投げつけたり、色町での誘い。これだけの短い句の中で見事に表現している。
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越女の詞 其の二
(下し文)
(越女の詞 其の二)

呉児 多くは白皙【はくせき】、好んで 蕩舟の劇れを為す。

眼を売って 春心を擲【なげう】ち、花を折って 行客【こうかく】を調す。
李白の足跡003 

117 《越女詞,五首之一【《越中書》所見也。】》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <117> Ⅰ李白詩1297 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5033

李白《越女詞,五首之一》(越の女は細身の美人で、この地方の女の風俗を映し出して詠う。)長干の色街に住む呉の妓女らは容貌絶麗であり、眉と目が新月よりもなまめかしく、あでやかである。

 
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117 《越女詞,五首之一【《越中書》所見也。】》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <117> Ⅰ李白詩1297 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5033

 

 

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:  卷一八四        文體:  五言

李太白集 巻二十四

詩題:  越女詞,五首之一【《越中書》所見也。】

及地點:       

長干 (江南東道 潤州 江寧)        

 

 

越女詞,五首之一

長干兒女,眉目豔新月。

屐上足如霜,不著鴉頭襪。

(越の女は細身の美人で、この地方の女の風俗を映し出して詠う。)

長干の色街に住む呉の妓女らは容貌絶麗であり、眉と目が新月よりもなまめかしく、あでやかである。
そして、靴のうえの足は霜のように白く、もう「鴉頭」という名の足袋を履いていなくてもうす絹をつけように素足が美しい、それが見る人の心を悩ませるのである。
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 (越女詞,五首の一)

長干の兒女,眉目 新月より豔なり。

屐上【げきじょう】足 霜の如し,鴉頭の襪を著けず。

a謝霊運永嘉ルート02 

 

『越女詞,五首之一』 現代語訳と訳註解説

(本文)

越女詞,五首之一

長干兒女,眉目豔新月。

屐上足如霜,不著鴉頭襪。

 

(下し文)

(越女詞,五首の一)

長干の兒女,眉目 新月より豔なり。

屐上【げきじょう】足 霜の如し,鴉頭の襪を著けず。

 

(現代語訳)

(越の女は細身の美人で、この地方の女の風俗を映し出して詠う。)

長干の色街に住む呉の妓女らは容貌絶麗であり、眉と目が新月よりもなまめかしく、あでやかである。
そして、靴のうえの足は霜のように白く、もう「鴉頭」という名の足袋を履いていなくてもうす絹をつけように素足が美しい、それが見る人の心を悩ませるのである。
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<!--[endif]-->

南池江 採蓮002 

(訳注)

越女詞,五首之一

(越の女は細身の美人で、この地方の女の風俗を映し出して詠う。)

【《越中書》所見也。】(《越中書》に見る所なり。)

越 現浙江省方面。戦国時代 越の国があった。


長干呉兒女、眉目艶新月。
長干の色街に住む呉の妓女らは容貌絶麗であり、眉と目が新月よりもなまめかしく、あでやかである。
長干 長干は今の南京の南にある小さな町。出稼ぎの商人たちの居住した町。江蘇省南京の南にある町。水運によって開けた町で、色町もあった。そのことを指す。

100-#3 《長干行,二首之一 #3》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <100-#3> Ⅰ李白詩1274 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4918

101 《長干行,二首之二 -#3》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <103> Ⅰ李白詩1277 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4933

呉児 呉は今の江蘇省一帯。児は、大都会のあか抜けている雰囲気を示す。江戸吉原の芸妓にあたる。

李白『對酒』

蒲萄酒,金叵羅,吳姬十五細馬馱。

青黛畫眉紅錦靴,道字不正嬌唱歌。

玳瑁筵中懷裡醉,芙蓉帳底奈君何。

115 《對酒》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <115> Ⅰ李白詩1295 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5023

○艶新月 新月後最初に出る月であったので、「朏(みかづき・ひ)」という文字で表されることもある。三日月には異称が多く、初月(ういづき)・若月(わかづき)・眉月(まゆづき)など(・・他多数)とも呼ばれる。異称の多くは最初に見える月だということや、その形からの連想である。もっとも印象深い月である。その様な眉月よりも女の眉は艶やかだということ。


屐上足如霜、不着鴉頭襪。

そして、靴のうえの足は霜のように白く、もう「鴉頭」という名の足袋を履いていなくてもうす絹をつけように素足が美しい、それが見る人の心を悩ませるのである。
 木靴に下駄の歯をつけたようなもの。女用は先が丸く、男用は角だった。

鴉頭襪 あとうべつ 襪はくつした。纏足用に巻きつけた靴下のようなもの。女の子は45歳になると纏足をした。黒い帯状のものを巻きつけて大きくならないようにしたもの。カラスの首から頭のほっそりと引き締まったラインのことを指す。足が小さいほど身売りの値段に差がついた。古来南京の色町では行われていたが、流行先進地であった端を発し、晩唐以降大流行した。清朝から禁止令が出ても構わず、続けられて現中国まで実在した。
李白図102 

 

116 《贈段七娘》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <116> Ⅰ李白詩1296 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5028

今は千杯の清酒を呑んだ後でも注がれた酒を断ることが無いほどの乱れた生活になっている、それでも満面の紅妝であるため、依然として、接遇した男はその魅力に悩殺されるという。

 
 2014年10月28日の紀頌之5つのブログ 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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116 《贈段七娘》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <116> Ⅰ李白詩1296 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5028

 

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:    卷一八四              文體:    七言

詩題:    贈段七娘

李太白集 巻二十四

作地點:              江寧(江南東道 / 潤州 / 江寧)

交遊人物:段七娘

 

 

贈段七娘

(段七娘に贈る。)

羅襪凌波生網塵,那能得計訪情親。

艶めかしいうす絹の足袋は波をもしのぐ様に歩いて来て細やかな塵を発てている。彼女は教坊に入っていてそこから出たこともないというだけに、どんな計画でもって情けを受ける情夫を訪うのだろうか。

千杯綠酒何辭醉,一面紅妝惱殺人。

それがどうだろう、冶郎豪客の相手をすることになり、棄てられ、今は千杯の清酒を呑んだ後でも注がれた酒を断ることが無いほどの乱れた生活になっている、それでも満面の紅妝であるため、依然として、接遇した男はその魅力に悩殺されるという。

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(段七娘に贈る

羅襪【らべつ】波を凌いで 網塵を生じ,那ぞ能く計を得て 情親を訪【と】わん。

千杯の綠酒 何ぞ醉いを辭せん,一面の紅妝には 人を惱殺す。

 

 

『贈段七娘』 現代語訳と訳註解説

(本文)

贈段七娘

羅襪凌波生網塵,那能得計訪情親。

千杯綠酒何辭醉,一面紅妝惱殺人。

 

(下し文)

(段七娘に贈る)    

羅襪【らべつ】波を凌いで 網塵を生じ,那ぞ能く計を得て 情親を訪【と】わん。

千杯の綠酒 何ぞ醉いを辭せん,一面の紅妝には 人を惱殺す。

 

(現代語訳)

(段七娘に贈る。)

艶めかしいうす絹の足袋は波をもしのぐ様に歩いて来て細やかな塵を発てている。彼女は教坊に入っていてそこから出たこともないというだけに、どんな計画でもって情けを受ける情夫を訪うのだろうか。

それがどうだろう、冶郎豪客の相手をすることになり、棄てられ、今は千杯の清酒を呑んだ後でも注がれた酒を断ることが無いほどの乱れた生活になっている、それでも満面の紅妝であるため、依然として、接遇した男はその魅力に悩殺されるという。

bijo04 

(訳注)

贈段七娘

(段七娘に贈る。)

南京の女妓であったことだけがわかっている人物である。この詩は、李白の天才的な感覚の持ち主であることを示した詩のひとつであることは間違いない。

 

羅襪凌波生網塵,那能得計訪情親。

艶めかしいうす絹の足袋は波をもしのぐ様に歩いて来て細やかな塵を発てている。彼女は教坊に入っていてそこから出たこともないというだけに、どんな計画でもって情けを受ける情夫を訪うのだろうか。

羅襪 うす絹の足袋。曹植『洛神賦』「凌波微歩、羅襪生塵。」(凌波 微かに歩き、羅襪 塵を生ず。)

網塵 細やかな塵。

訪情親 情けを受ける情夫を訪うということ。

 

千杯綠酒何辭醉,一面紅妝惱殺人。

それがどうだろう、冶郎豪客の相手をすることになり、棄てられ、今は千杯の清酒を呑んだ後でも注がれた酒を断ることが無いほどの乱れた生活になっている、それでも満面の紅妝であるため、依然として、接遇した男はその魅力に悩殺されるという。

115 《對酒》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <115> Ⅰ李白詩1295 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5023

李白《對酒》(南京において行楽酒宴に列した時に呉の細身の美人について詠ったもの。)葡萄酒は槽中に満ちて、これを酌むには黄金の小さな盃がある。呉の姫は十五、小さい駿馬に乗ってやってきた。

 
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115 《對酒》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <115> Ⅰ李白詩1295 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5023 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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115 《對酒》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <115> Ⅰ李白詩1295 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5023

 

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:    卷一八四              文體:    雜言古詩

詩題:    對酒

作地點:              江寧(江南東道 / 潤州 / 江寧)

 

 

對酒

(南京において行楽酒宴に列した時に呉の細身の美人について詠ったもの。)

蒲萄酒,金叵羅,吳姬十五細馬馱。

葡萄酒は槽中に満ちて、これを酌むには黄金の小さな盃がある。呉の姫は十五、小さい駿馬に乗ってやってきた。

青黛畫眉紅錦靴,道字不正嬌唱歌。

靑黛でもって眉を画いている、それに、紅錦で作った靴を履いている。この姫は文字を正しく覚えていないが、歌を覚えていて詠うことがとても上手なのだ。

玳瑁筵中懷裡醉,芙蓉帳底奈君何。

玳瑁の筵の敷き詰められた宴会に出ていて人の懐近くに座って酔ったようで、その風情はとても愛すべきものであり、芙蓉の帳底に入ればどうなるかわからないと思われるのだ。

 

bijo04(酒に對す)

蒲萄の酒,金の叵羅【はら】,吳姬十五 細馬馱す。

青黛は眉を畫き 紅錦の靴,字を道う正しからず 唱歌嬌なり。

玳瑁【たいまい】筵中 懷裡に醉う,芙蓉の帳底 君を奈何【いかん】。

 

 

『對酒』 現代語訳と訳註解説

(本文)

對酒

蒲萄酒,金叵羅,吳姬十五細馬馱。

青黛畫眉紅錦靴,道字不正嬌唱歌。

玳瑁筵中懷裡醉,芙蓉帳底奈君何。

 

(下し文)

(酒に對す)

蒲萄の酒,金の叵羅【はら】,吳姬十五 細馬馱す。

青黛は眉を畫き 紅錦の靴,字を道う正しからず 唱歌嬌なり。

玳瑁【たいまい】筵中 懷裡に醉う,芙蓉の帳底 君を奈何【いかん】。

 

(現代語訳)

(南京において行楽酒宴に列した時に呉の細身の美人について詠ったもの。)

葡萄酒は槽中に満ちて、これを酌むには黄金の小さな盃がある。呉の姫は十五、小さい駿馬に乗ってやってきた。

靑黛でもって眉を画いている、それに、紅錦で作った靴を履いている。この姫は文字を正しく覚えていないが、歌を覚えていて詠うことがとても上手なのだ。

玳瑁の筵の敷き詰められた宴会に出ていて人の懐近くに座って酔ったようで、その風情はとても愛すべきものであり、芙蓉の帳底に入ればどうなるかわからないと思われるのだ。

 

foo025 

(訳注)

對酒

(南京において行楽酒宴に列した時に呉の細身の美人について詠ったもの。)

 

蒲萄酒,金叵羅,吳姬十五細馬馱。

葡萄酒は槽中に満ちて、これを酌むには黄金の小さな盃がある。呉の姫は十五、小さい駿馬に乗ってやってきた。

蒲萄酒 《史記》によると、中国の葡萄の栽培とワインの製造は、漢の時代からすでに始まった。しかし、現代で製造されているものと、まったくルーツの違うものである。中国では最南西部雲南省の紅河ハニ族イ族自治州弥勒県がワイン生産の中心である。

叵羅 盃の類。北齊書祖珽傳「神武宴寮屬於坐、失叵羅、岇対竇太后令飲酒者皆脱帽、於珽髻上得之。」とあり、「叵羅乃爲酒器。」とされる。

吳姬十五 十五歳は嫁に行くべき最良の年齢であり、芸妓の熟れ時である。

細馬 サラブレッドの様に春のが早い細身の馬、駿馬。

 

青黛畫眉紅錦靴,道字不正嬌唱歌。

靑黛でもって眉を画いている、それに、紅錦で作った靴を履いている。この姫は文字を正しく覚えていないが、歌を覚えていて詠うことがとても上手なのだ。

青黛 ① 濃い青色。 青い眉墨(まゆずみ)。また,それでかいた眉。 俳優が月代(さかやき)などを青くするために用いる顔料。

 

玳瑁筵中懷裡醉,芙蓉帳底奈君何。

玳瑁の筵の敷き詰められた宴会に出ていて人の懐近くに座って酔ったようで、その風情はとても愛すべきものであり、芙蓉の帳底に入ればどうなるかわからないと思われるのだ。

玳瑁筵 数㌢角の玳瑁の板を糸で繋いで筵を作る。非常に高価なものであるため、高貴なものの宴に使用された。

芙蓉帳 芙蓉の花で染めた幄。芙蓉の花模様のある戸張のある閨の中。その中での底とは、寝牀の中にいることをいう。庾信『燈賦』「 掩芙蓉之行張」

白居易『長恨歌』「雲鬢花顏金步搖,芙蓉暖度春宵。」やわらかな髪、花のような顔、歩みにつれて金のかんざしが揺れる。芙蓉模様のとばりは暖かく、春の宵を過ごす。

114 《陌上贈美人【小放歌行】》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <114> Ⅰ李白詩1294 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5018

李白《陌上贈美人【小放歌行】》車の中の芸妓美人は、遊侠の貴公子を見つけ、にっこり笑い、真珠のすだれをまくりあげ、はるかむこうの紅い楼閣をゆびさして、あれがわたしの家だからきっと覚えていてくださいと言ったのだ。

 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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114 《陌上贈美人【小放歌行】》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <114> Ⅰ李白詩1294 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5018

 

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:  卷一八四        文體:  七言

李太白集 巻二十四
詩題:  陌上贈美人【小放歌行】

作地點:        江寧(江南東道 / 潤州 / 江寧)

 

 

陌上贈美人【小放歌行】

(大通りで出会った妓優の美人を見かけてひやかして贈る詩)
〔【小放歌行】普段自由に外に出られないものが、ちょっとだけの自由を味わうのを歌にしてみたという意味の詩題になる。〕

駿馬驕行踏落花,垂鞭直拂五雲車。

美人の色香は馬まで元気にしているのだろう、いきりたって進んで行き、この風流な散り落ちる花の絨毯を踏みしだいて行く。馭者はむちを垂らしていたのを、一目見ようと寄ってくるものを避けるため、美しい西王母と見まごう五雲の馬車をさっと打ち払った。

美人一笑褰珠箔,遙指紅樓是妾家。

車の中の芸妓美人は、遊侠の貴公子を見つけ、にっこり笑い、真珠のすだれをまくりあげ、はるかむこうの紅い楼閣をゆびさして、あれがわたしの家だからきっと覚えていてくださいと言ったのだ。

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(陌上の美人に贈る)

駿馬 驕【おご】り 行いて、落花を踏む。鞭を垂れて 直ちに拂う、五雲の車。
美人一笑 珠箔を褰【かか】げ、 遙かに紅樓を指す 是れ妾が家。

 

李白の足跡003 

 

『陌上贈美人』【小放歌行】 現代語訳と訳註解説

(本文)

陌上贈美人【小放歌行】

駿馬驕行踏落花,垂鞭直拂五雲車。

美人一笑褰珠箔,遙指紅樓是妾家。

 

(下し文)

(陌上の美人に贈る)

駿馬 驕【おご】り 行いて、落花を踏む。鞭を垂れて 直ちに拂う、五雲の車。

美人一笑 珠箔を褰【かか】げ、 遙かに紅樓を指す 是れ妾が家。

 

(現代語訳)

(大通りで出会った妓優の美人を見かけてひやかして贈る詩)
〔【小放歌行】普段自由に外に出られないものが、ちょっとだけの自由を味わうのを歌にしてみたという意味の詩題になる。〕

美人の色香は馬まで元気にしているのだろう、いきりたって進んで行き、この風流な散り落ちる花の絨毯を踏みしだいて行く。馭者はむちを垂らしていたのを、一目見ようと寄ってくるものを避けるため、美しい西王母と見まごう五雲の馬車をさっと打ち払った。
車の中の芸妓美人は、遊侠の貴公子を見つけ、にっこり笑い、真珠のすだれをまくりあげ、はるかむこうの紅い楼閣をゆびさして、あれがわたしの家だからきっと覚えていてくださいと言ったのだ。
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a謝霊運永嘉ルート02(訳注)

陌上贈美人
(大通りで出会った妓優の美人を見かけてひやかして贈る詩)

○陌 大道。 南京は揚州に次いで交通の要衝で陸水駅の最も大きな拠点で、当時、長安、洛陽、揚州に次いで唐四大歓楽街があった。芸妓の数が位置といわれるくらい最も多かった。この南京から揚州に掛けての花街の風習は後世にをもたらした。その代表格が、唐時代からこの街から広まった纏足である。この時代に大道を行き交うことは、通常の芸妓では不可能で、官妓の妓優が長官の命令でどこかにさしむけられての道中であろう。

【小放歌行】普段自由に外に出られないものが、ちょっとだけの自由を味わうのを歌にしてみたという意味の詩題になる。


駿馬驕行踏落花。垂鞭直拂五雲車。
美人の色香は馬まで元気にしているのだろう、いきりたって進んで行き、この風流な散り落ちる花の絨毯を踏みしだいて行く。馭者はむちを垂らしていたのを、一目見ようと寄ってくるものを避けるため、美しい西王母と見まごう五雲の馬車をさっと打ち払った。
○駿馬 元気なりっはな馬。 

○驕 馬がいきりたって、人のいうことをきかない。

散った花をしばらくそのままにして楽しむのが風流とされる。王維「田園楽」にみえる。

〇五雲車 伝説では、五色の雲で出来た仙人の乗る馬車。 


美人一笑褰珠箔。遙指紅樓是妾家。
車の中の芸妓美人は、遊侠の貴公子を見つけ、にっこり笑い、真珠のすだれをまくりあげ、はるかむこうの紅い楼閣をゆびさして、あれがわたしの家だからきっと覚えていてくださいと言ったのだ。
○褰 まくりあげる。

○珠箔 真珠のすだれ。 

○紅楼 朱塗の高殿。 

○妾 女の一人称。

美人一笑 美人一笑千金、一笑傾国の美人

113 《秋夕旅懷》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <113> Ⅰ李白詩1293 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5013

涼風がさわやかに初秋の海を渡って來ると、我が故郷「蒪鱸」への思いが強くなるがそれを吹き拂って旅を進める。連山は、ここを去って、果てしなく続いているし、江の流れは、滔々として一たび行けば、復た帰ることはない。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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113 《秋夕旅懷》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <113> Ⅰ李白詩1293 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5013 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
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21-(6)§4-2 《上兵部李侍郎書 -6》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1206> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5014 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-56 《懷錦水居止,二首之二》 杜甫index-15 杜甫<856> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5015 杜甫詩1500-856-1174/2500765年永泰元年54歲-56 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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113 《秋夕旅懷》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <113> Ⅰ李白詩1293 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5013

 

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    秋夕旅懷

作地點:揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

 

 

秋夕旅懷

(揚州でに旅の空、秋に関して詠う)

涼風度秋海,吹我思飛。

涼風がさわやかに初秋の海を渡って來ると、我が故郷「蒪鱸」への思いが強くなるがそれを吹き拂って旅を進める。

連山去無際,流水何時歸。

連山は、ここを去って、果てしなく続いているし、江の流れは、滔々として一たび行けば、復た帰ることはない。

目極浮雲色,心斷明月暉。

見渡す限り、天は浮雲が広がってきて灰色一色に変わってゆく、ほの暗く、夕闇が迫ると空は晴れてきて、名月が光をあげてくると、こころにある断腸の思いが増す。

芳草歇柔豔,白露催寒衣。

菊や木犀、秋草の香りは秋が深まって、柔艶の色を失いはじめ、白露は天に満ちてくると人々は、冬用の着物を用意し、変わってゆく。

夢長銀漢落,覺罷天星稀。

秋は、夜が長くなってゆくと、夢も長く見るようになり、銀河は低く落ちる頃となり、眠りから覚める明方には星の数も稀になってゆく。

含悲想舊國,泣下誰能揮。

こうして悲しみを含んで、故郷を思うと、涙はとめどなく流れおちる、この涙をは誰が拭い去れるというのか。

 

(秋の夕べ旅で懷う)

涼風 秋海を度り,我が思に吹いて飛ぶ。

連山 去って際無く,流水 何れの時か歸らん。

目は極わむ 浮雲の色,心は斷ゆむ 明月の暉。

芳草 柔豔を歇め,白露 寒衣を催す。

夢は長くして 銀漢落ち,覺め罷んで 天星稀れなり。

悲しみを含んで 舊國を想う,泣下って 誰か能く揮わん。

 

a謝霊運永嘉ルート02 

秋夕旅懷』 現代語訳と訳註解説

(本文)

秋夕旅懷

涼風度秋海,吹我思飛。

連山去無際,流水何時歸。

目極浮雲色,心斷明月暉。

芳草歇柔豔,白露催寒衣。

夢長銀漢落,覺罷天星稀。

含悲想舊國,泣下誰能揮。

 

 

(下し文)

(秋の夕べ旅で懷う)

涼風 秋海を度り,我が思に吹いて飛ぶ。

連山 去って際無く,流水 何れの時か歸らん。

目は極わむ 浮雲の色,心は斷ゆむ 明月の暉。

芳草 柔豔を歇め,白露 寒衣を催す。

夢は長くして 銀漢落ち,覺め罷んで 天星稀れなり。

悲しみを含んで 舊國を想う,泣下って 誰か能く揮わん。

 

(現代語訳)

(揚州でに旅の空、秋に関して詠う)

涼風がさわやかに初秋の海を渡って來ると、我が故郷「蒪鱸」への思いが強くなるがそれを吹き拂って旅を進める。

連山は、ここを去って、果てしなく続いているし、江の流れは、滔々として一たび行けば、復た帰ることはない。

見渡す限り、天は浮雲が広がってきて灰色一色に変わってゆく、ほの暗く、夕闇が迫ると空は晴れてきて、名月が光をあげてくると、こころにある断腸の思いが増す。

菊や木犀、秋草の香りは秋が深まって、柔艶の色を失いはじめ、白露は天に満ちてくると人々は、冬用の着物を用意し、変わってゆく。

秋は、夜が長くなってゆくと、夢も長く見るようになり、銀河は低く落ちる頃となり、眠りから覚める明方には星の数も稀になってゆく。

こうして悲しみを含んで、故郷を思うと、涙はとめどなく流れおちる、この涙をは誰が拭い去れるというのか。

 

 

(訳注)

秋夕旅懷

(揚州でに旅の空、秋に関して詠う)

 

涼風度秋海,吹我思飛。

涼風がさわやかに初秋の海を渡って來ると、我が故郷「蒪鱸」への思いが強くなるがそれを吹き拂って旅を進める。

思 晋の張翰が、秋風が吹きはじめると、故郷の「蒪羹・鱸膾」「蒪鱸」の料理が食べたくて退官して郷里に帰った故事にもとづく言葉。晋書・文苑・張翰』「翰因見秋風起,乃思呉中菰菜、蓴羹、鱸魚膾,曰:『人生貴得適志,何能羈宦數千里以要名爵乎!』遂命駕而歸。」とある。

 

連山去無際,流水何時歸。

連山は、ここを去って、果てしなく続いているし、江の流れは、滔々として一たび行けば、復た帰ることはない。

○去無際 長江に沿って連山ははてしなくつづく。

 

目極浮雲色,心斷明月暉。

見渡す限り、天は浮雲が広がってきて灰色一色に変わってゆく、ほの暗く、夕闇が迫ると空は晴れてきて、名月が光をあげてくると、こころにある断腸の思いが増す。

○明月 仲秋の明月。

 

芳草歇柔豔,白露催寒衣。

菊や木犀、秋草の香りは秋が深まって、柔艶の色を失いはじめ、白露は天に満ちてくると人々は、冬用の着物を用意し、変わってゆく。

○歇柔豔 秋が深まって、柔艶の色を失いはじめること。

○催寒衣 中國古代では、秋の風物詩、擣衣/搗衣【とうい】をはじめる。砧(きぬた)で衣を打つこと。

李白『子夜呉歌其三 秋』「長安一片月、万戸擣衣声。秋風吹不尽、総是玉関情。何日平胡虜、良人罷遠征。」(長安 一片の月、万戸衣を擣つの声。秋風 吹いて尽きず、総て是れ玉関【ぎょくかん】の情。何【いず】れの日か胡虜【こりょ】を平らげ、良人遠征を罷【や】めん。)

李白24 子夜呉歌其三 秋 25 冬

 謝惠連 『擣衣』 
衡紀無淹度,晷運倐如催。白露滋園菊,秋風落庭槐。
肅肅莎雞羽,烈烈寒螿啼。夕陰結空
,宵月皓中閨。
美人戒裳服,端飾相招攜。簪玉出北房,鳴金步南階。
高砧響發,楹長杵聲哀。微芳起兩袖,輕汗染雙題。
紈素既已成,君子行未歸。裁用笥中刀,縫為萬里衣。
盈篋自余手,幽緘候君開。腰帶準疇昔,不知今是非。

杜甫『擣衣』

亦知戍不返,秋至拭清砧。

已近苦寒月,況經長別心。

寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。

用盡閨中力,君聽空外音。

搗衣(擣衣) 杜甫 <295> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩 700- 415

 

夢長銀漢落,覺罷天星稀。

秋は、夜が長くなってゆくと、夢も長く見るようになり、銀河は低く落ちる頃となり、眠りから覚める明方には星の数も稀になってゆく。

○銀漢 【ぎんかん】天の川。銀河。天漢。《季 秋》あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

 

含悲想舊國,泣下誰能揮。

こうして悲しみを含んで、故郷を思うと、涙はとめどなく流れおちる、この涙をは誰が拭い去れるというのか。

○舊國 故郷。
李白図102 

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(王右軍を務められた王羲之の書が高値が付けられているにもかかわらず、たった数羽の鵝を手に入れるため、注文された老子道経「黄庭経」を写した。俗塵が考えればもったいない話で、会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、仙道の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごしたと詠う)

 
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襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:    卷一八一              文體:    五言古詩

李太白集 巻二十一

詩題:    王右軍

及地點:山陰 (江南東道 越州 山陰)              

 

 

王右軍

(王右軍を務められた王羲之の書が高値が付けられているにもかかわらず、たった数羽の鵝を手に入れるため、注文された老子道経「黄庭経」を写した。俗塵が考えればもったいない話で、会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、仙道の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごしたと詠う)

右軍本清真,瀟灑出風塵。

王右軍の人となり、清白・潔白  真率  清廉であり、すっきりとあか抜けしていて、洒落ている風貌でいて隠遁者として、この塵埃から出たのだ。

山陰過羽客,愛此好鵝賓。

会稽の北あたりの山陰地方において、道士に遭遇し、その鵝を欲しいと言うと、道士は、これに「黄庭経」を書にしてくれればと要請したのである。

掃素寫道經,筆精妙入神。

王羲之は注文通り、白い帛を拂って、老子道経「黄庭経」を写したが、この書は、古今稀なる能書であるから、その出来栄えは神妙で神がかり的なものであったという。

書罷籠鵝去,何曾別主人。

王羲之は書き終ると、さっさと鵝を籠に入れて、それを携えて帰り、主人の道士に挨拶すること忘れたという、王羲之の書には高い値がついていたのに、鵝を手にすることしか考えないという、何とこれほど清白真率の極みというべきものがあるであろうか。

(王右軍)

右軍 本と清真なり,瀟灑にして風塵を出づ。

山陰 羽客を過ぐれば,此の鵝を好むの賓を愛す。

素を掃うて 道經を寫し,筆精 妙 神に入る。

書し 罷んで 鵝を籠にして去る,何んぞ曾て 主人と別れんや。

 

李白の足跡003 

『王右軍』 現代語訳と訳註解説

(本文)

王右軍

右軍本清真,瀟灑出風塵。

山陰過羽客,愛此好鵝賓。

掃素寫道經,筆精妙入神。

書罷籠鵝去,何曾別主人。

 

(含異文)

右軍本清真,瀟灑出風塵【瀟灑在風塵】。

山陰過羽客,愛此好鵝賓。

掃素寫道經,筆精妙入神。

書罷籠鵝去,何曾別主人。

 

(下し文)

(王右軍)

右軍 本と清真なり,瀟灑にして風塵を出づ。

山陰 羽客を過ぐれば,此の鵝を好むの賓を愛す。

素を掃うて 道經を寫し,筆精 妙 神に入る。

書し 罷んで 鵝を籠にして去る,何んぞ曾て 主人と別れんや。

 

(現代語訳)

(王右軍を務められた王羲之の書が高値が付けられているにもかかわらず、たった数羽の鵝を手に入れるため、注文された老子道経「黄庭経」を写した。俗塵が考えればもったいない話で、会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、仙道の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごしたと詠う)

王右軍の人となり、清白・潔白 真率 清廉であり、すっきりとあか抜けしていて、洒落ている風貌でいて隠遁者として、この塵埃から出たのだ。

会稽の北あたりの山陰地方において、道士に遭遇し、その鵝を欲しいと言うと、道士は、これに「黄庭経」を書にしてくれればと要請したのである。

王羲之は注文通り、白い帛を拂って、老子道経「黄庭経」を写したが、この書は、古今稀なる能書であるから、その出来栄えは神妙で神がかり的なものであったという。

王羲之は書き終ると、さっさと鵝を籠に入れて、それを携えて帰り、主人の道士に挨拶すること忘れたという、王羲之の書には高い値がついていたのに、鵝を手にすることしか考えないという、何とこれほど清白真率の極みというべきものがあるであろうか。

 

呉越の地図

(訳注)

王右軍

(王右軍を務められた王羲之の書が高値が付けられているにもかかわらず、たった数羽の鵝を手に入れるため、注文された老子道経「黄庭経」を写した。俗塵が考えればもったいない話で、会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、仙道の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごしたと詠う)

王右軍 王羲之の王右軍王 羲之(おう ぎし、303 - 361年)のこと。中国東晋の政治家・書家。字は逸少。右軍将軍となったことから世に王右軍とも呼ばれる。本籍は琅邪郡臨沂(現在の山東省臨沂市)。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の出身である。

王羲之は魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の家に生まれ、東晋建国の元勲であった同族の王導や王敦らから一族期待の若者として将来を嘱望されていた[8]。東晋の有力者である郗鑒の目にとまりその女婿となり、またもう一人の有力者であった征西将軍・庾亮からは、彼の幕僚に請われて就任し、その人格と識見を称えられた。その後も羲之は朝廷の高官から高く評価され、たびたび中央の要職に任命されたが、羲之はそのたびに就任を固辞した。友人の揚州刺史・殷浩による懇願を受け、ようやく護軍将軍に就任するも、しばらくして地方転出を請い、右軍将軍・会稽内史(会稽郡の長官、現在の浙江省紹興市付近)となった。

羲之は会稽に赴任すると、山水に恵まれた土地柄を気に入り、次第に詩、酒、音楽にふける清談の風に染まっていき、ここを終焉の地と定め、当地に隠棲中の謝安や孫綽・許詢・支遁ら名士たちとの交遊を楽しんだ。一方で会稽一帯が飢饉に見舞われた時は、中央への租税の減免を要請するなど、地方行政にも力を注いでいる。

354年、かねてより羲之と不仲であった王述(琅邪王氏と遠縁筋の太原王氏出身)が会稽内史を管轄する揚州刺史となる。王羲之は王述の下になることを恥じ、会稽郡を揚州の行政機構からはずすよう要請したが却下された。王述が会稽郡にさまざまな圧力をかけてくると、これに嫌気が差した王羲之は、翌355年、病気を理由に官を辞して隠遁する。官を辞した王羲之はその後も会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、仙道の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごしたという。

 

右軍本清真,瀟灑出風塵。

王右軍の人となり、清白・潔白 真率 清廉であり、すっきりとあか抜けしていて、洒落ている風貌でいて隠遁者として、この塵埃から出たのだ。

清真 清白・潔白 真率 清廉・堅気 利口の意。

瀟灑/瀟洒 【しょうしゃ】すっきりとあか抜けしているさま。俗っぽくなくしゃれているさま。

 

山陰過羽客,愛此好鵝賓。

会稽の北あたりの山陰地方において、道士に遭遇し、その鵝を欲しいと言うと、道士は、これに「黄庭経」を書にしてくれればと要請したのである。

《晉書·王羲之傳》會稽有一個孤老太太養了一隻好鵝,・・・・・山陰有一道士,養好鵝,羲之往觀焉,意甚悅,固求市之。道士雲:'為寫道德經,當舉群相贈耳。'羲之欣然寫畢,籠鵝而歸,甚以為樂。(會稽に一個の孤老太太有り一隻の鵝を好んで養了す,・・・・・山陰に一道士有り,好鵝を養う,羲之往いて觀る,意 甚だ悅び,固く之を市わむことを求む。道士云う:'為に道德經を寫さば,當に群を舉げて相い贈るべしと。'羲之 欣然として寫し畢り,鵝を籠にして歸り,甚だ以って樂しみと為す。)

 

掃素寫道經,筆精妙入神。

王羲之は注文通り、白い帛を拂って、老子道経「黄庭経」を写したが、この書は、古今稀なる能書であるから、その出来栄えは神妙で神がかり的なものであったという。

◍この二句について 晋の書家。王羲之(最高峰の書家)は当時から非常に有名だったので、その書はなかなか手に入れるのが困難であった。山陰(いまの浙江省紹興県)にいた一人の道士は、王羲之が白い鵞鳥を好んで飼うことを知り、一群の鵞をおくって「黄庭経」を書かせた。

王羲之の書の中では『蘭亭序』・『楽毅論』・『十七帖』・『集王聖教序』が特に有名である。他に『黄庭経』・『喪乱帖』・『孔侍中帖』・『興福寺断碑』などが見られるが、そのうちの『黄庭経』を書いてもらうためにこの地の道士たちが、王羲之が大変好きであった、白鵝(あひる)をたくさん送って書いてもらったことに基づく。

道經 老子道経「黄庭経」のこと。

筆精 筆使いが巧妙なこと。江淹『別賦』「雖淵雲之墨妙,嚴樂之筆精。 金閨之諸,蘭臺之群英。賦有凌雲之稱,辯有雕龍之聲。誰能摹暫離之狀,寫永訣之情者乎?」とあるに基づいている。

妙入神 神妙で神がかり的なものである。

 

書罷籠鵝去,何曾別主人。

王羲之は書き終ると、さっさと鵝を籠に入れて、それを携えて帰り、主人の道士に挨拶すること忘れたという、王羲之の書には高い値がついていたのに、鵝を手にすることしか考えないという、何とこれほど清白真率の極みというべきものがあるであろうか。
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111-2 《西施》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <111-2> Ⅰ李白詩1291 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5003

越王句踐は、呉王に献上する美女を国中から選び出し、絶世の妖艶な西施が其撰に当たり峨眉をあげて、呉関に入ることになった。西施は呉王夫差に愛されて、提攜して館娃宮に淹流し、そこはまるで、天上の仙郷のようであり、その跡の杳渺であって、だれにもまねができるものではなかった。

 
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111-2 《西施》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <111-2> Ⅰ李白詩1291 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5003 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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1112 《西施》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <1112> Ⅰ李白詩1291 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5003

 

 

本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。

 現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施>>>西施と呼ばれるようになった。

 紀元前5世紀、越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されてたといわれている。

 この時の越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。
 呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:  卷一八一        文體:  五言古詩

詩題:  西施

及地點:       

苧蘿山 (江南東道 越州 諸)     

館娃宮 (江南東道 蘇州 蘇州)     

 

 

西施

(春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだ西施について詠った懐古詩である。)

西施越溪女,出自苧蘿山。

西施は越溪の娘で苧蘿山の麓で生まれた。

秀色掩今古,荷花羞玉顏。

その秀色は、今古を掩うほどで、他に比べるものがないほであるという、蓮の花でさえ、その娘の玉顏に対すれば、自然に羞じて、その花を落してしまうという。

浣紗弄碧水,自與清波閒。

西施は、はじめ碧水に臨んで、紗を浣うことを業とし、身は清波と谷間の閒に貧苦の境にいた。

 

皓齒信難開,沈吟碧雲間。

紗を浣うのに娘らがあつまっても口を開いて白い歯を出し笑うことが無く、希望がないので、碧雲の間を望んで沈吟しているだけだった。

句踐徵豔,揚蛾入關。

越王句踐は、呉王に献上する美女を国中から選び出し、絶世の妖艶な西施が其撰に当たり峨眉をあげて、呉関に入ることになった。

提攜館娃宮,杳渺詎可攀。

西施は呉王夫差に愛されて、提攜して館娃宮に淹流し、そこはまるで、天上の仙郷のようであり、その跡の杳渺であって、だれにもまねができるものではなかった。

一破夫差國,千秋竟不還。

西施はその色香でもって、越王夫差の心を惑わし、越国は亡びたのであり、その後はどうなったかといえば、「千秋竟に還らず」で再興されることはなく、その末路は、よくわからない。

 

 (西施)

西施は越溪の女,苧蘿山より出づ。

秀色 今古を掩い,荷花 玉顏を羞づ。

紗を浣うて 碧水を弄し,自ら清波と閒なり。

皓齒 信に開き難く,沈吟す 碧雲の間。

句踐 豔を徵し蛾を揚げて 關に入る

提攜す 館娃宮,杳渺 詎ぞ攀ずべけんや。

一たび 夫差の國を破り,千秋 竟に還らず。

 

oushokun01 

『西施』 現代語訳と訳註解説

(本文)

皓齒信難開,沈吟碧雲間。

句踐徵豔,揚蛾入關。

提攜館娃宮,杳渺詎可攀。

一破夫差國,千秋竟不還。

 

(下し文)

皓齒 信に開き難く,沈吟す 碧雲の間。

句踐 豔を徵し,蛾を揚げて 關に入る。

提攜す 館娃宮,杳渺 詎ぞ攀ずべけんや。

一たび 夫差の國を破り,千秋 竟に還らず。

 

(現代語訳)

紗を浣うのに娘らがあつまっても口を開いて白い歯を出し笑うことが無く、希望がないので、碧雲の間を望んで沈吟しているだけだった。

越王句踐は、呉王に献上する美女を国中から選び出し、絶世の妖艶な西施が其撰に当たり峨眉をあげて、呉関に入ることになった。

西施は呉王夫差に愛されて、提攜して館娃宮に淹流し、そこはまるで、天上の仙郷のようであり、その跡の杳渺であって、だれにもまねができるものではなかった。

西施はその色香でもって、越王夫差の心を惑わし、越国は亡びたのであり、その後はどうなったかといえば、「千秋竟に還らず」で再興されることはなく、その末路は、よくわからない。

白紵舞001 

(訳注)

西施

(春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)で生まれだ西施について詠った懐古詩である。)

 

皓齒信難開,沈吟碧雲間。

紗を浣うのに娘らがあつまっても口を開いて白い歯を出し笑うことが無く、希望がないので、碧雲の間を望んで沈吟しているだけだった。

沈吟 ① 考えこむこと。② 静かに低く吟ずること。

 

句踐徵豔,揚蛾入關。

越王句踐は、呉王に献上する美女を国中から選び出し、絶世の妖艶な西施が其撰に当たり峨眉をあげて、呉関に入ることになった。

關 越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。

 

提攜館娃宮,杳渺詎可攀。

西施は呉王夫差に愛されて、提攜して館娃宮に淹流し、そこはまるで、天上の仙郷のようであり、その跡の杳渺であって、だれにもまねができるものではなかった。

館娃宮 宮殿名。春秋時代、呉王夫差が硯石(ケンセキ)山に築き、西施(セイシ)を住まわせた宮殿。江蘇(コウソ)省蘇州市の南西、霊巌(レイガン)山の上に遺跡がある。

杳渺 遠くはるかで,かすかなさま。

 

一破夫差國,千秋竟不還。

西施はその色香でもって、越王夫差の心を惑わし、越国は亡びたのであり、その後はどうなったかといえば、「千秋竟に還らず」で再興されることはなく、その末路は、よくわからない。
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西施は越溪の娘で苧蘿山の麓で生まれた。その秀色は、今古を掩うほどで、他に比べるものがないほであるという、蓮の花でさえ、その娘の玉顏に対すれば、自然に羞じて、その花を落してしまうという。

 
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本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。

 現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施>>>西施と呼ばれるようになった。

 紀元前5世紀、越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されてたといわれている。

 この時の越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。
 呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。
 次は美女軍団が呉の国王を狂わせた。
 十八史略には、西施のきわめて美しかったこと、彼女にまつわるエピソードが記されている。西施は、呉王 夫差の寵姫となったが、あるとき胸の病となり、故郷の村に帰ってきた。西施は、痛む胸を手でおさえ、苦しみに眉をひそめて歩いた。それがかえって色香を引出し、村人の目を引いた。そのときに村に評判の醜女がいて、西施のまねた行動をした。それは、異様な姿に映り、かえって村人に嫌われた。これを「西施捧心」と表され、実もないのに真似をしても無駄なことだということだが、日本では、「これだけやっていますが、自分の力だけでなく、真似をしただけですよ」という謙遜の意味に使用されることが多い。

 このようにまれな美しさをそなえた西施は、呉王 夫差を虜(とりこ)にした。夫差は、西施のために八景を築き、その中でともに遊んだ。それぞれの風景の中には、所々に、席がもうけられ、優雅な宴(うたげ)がもよおされた。夏には、西施とともに船を浮かべ、西施が水浴すると、呉王夫差は、その美しい肢体に見入った。こうして、夫差は悦楽の世界にひたり、政治も軍事も、そして民さえ忘れてしまい、傾国が始まったのである。


 越の策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。

呉が滅びた後の生涯は不明だが、勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。


 その後、長江で蛤がよく獲れるようになり、人々は西施の舌だと噂しあった。この事から、中国では蛤のことを西施の舌とも呼ぶようになった。また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もある。

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:  卷一八一        文體:  五言古詩

詩題:  西施

及地點:       

苧蘿山 (江南東道 越州 諸)     

館娃宮 (江南東道 蘇州 蘇州)     

 

 

西施

(春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだ西施について詠った懐古詩である。)

西施越溪女,出自苧蘿山。

西施は越溪の娘で苧蘿山の麓で生まれた。

秀色掩今古,荷花羞玉顏。

その秀色は、今古を掩うほどで、他に比べるものがないほであるという、蓮の花でさえ、その娘の玉顏に対すれば、自然に羞じて、その花を落してしまうという。

浣紗弄碧水,自與清波閒。

西施は、はじめ碧水に臨んで、紗を浣うことを業とし、身は清波と谷間の閒に貧苦の境にいた。

 

皓齒信難開,沈吟碧雲間。

句踐徵豔,揚蛾入關。

提攜館娃宮,杳渺詎可攀。

一破夫差國,千秋竟不還。

 

 (西施)

西施は越溪の女,苧蘿山より出づ。

秀色 今古を掩い,荷花 玉顏を羞づ。

紗を浣うて 碧水を弄し,自ら清波と閒なり。

皓齒 信に開き難く,沈吟す 碧雲の間。

句踐 豔を徵し蛾を揚げて 關に入る

提攜す 館娃宮,杳渺 詎ぞ攀ずべけんや。

一たび 夫差の國を破り,千秋 竟に還らず。

 

白紵舞001 

『西施』 現代語訳と訳註解説

(本文)

西施

西施越溪女,出自苧蘿山。

秀色掩今古,荷花羞玉顏。

浣紗弄碧水,自與清波閒。

 

(下し文)

(西施)

西施は越溪の女,苧蘿山より出づ。

秀色 今古を掩い,荷花 玉顏を羞づ。

紗を浣うて 碧水を弄し,自ら清波と閒なり。

 

(現代語訳)

(春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだ西施について詠った懐古詩である。)

西施は越溪の娘で苧蘿山の麓で生まれた。

その秀色は、今古を掩うほどで、他に比べるものがないほであるという、蓮の花でさえ、その娘の玉顏に対すれば、自然に羞じて、その花を落してしまうという。

西施は、はじめ碧水に臨んで、紗を浣うことを業とし、身は清波と谷間の閒に貧苦の境にいた。

 

a謝霊運永嘉ルート02 

(訳注)

西施

(春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだ西施について詠った懐古詩である。)

謝靈運『東陽溪中贈答二首』 その(2)

可憐誰家郎。緣流乘素舸。

但問情若為。月就雲中墮。

憐れむ 可【べ】し  誰【た】が家の 郎【ろう】ぞ,淥流【ろくりゅう】に 素舸【こぶね】に 乘る。

但 問う  情 若為【いか】にと,月は雲中に就いて墮【お】つ。

そこにいいおとこがいるがどこの家の若者だ、清らかな流れに一人で白い小舟に乗っている。

越王勾践が船に乗ってここを通過した時と同じように質問する「情をなせるだろうか?」と、月に喩えていうとそれは雲の中に落ちていくというものだ。

王維《西施詠》

豔色天下重,西施寧久微。

朝仍越溪女,暮作宮妃。

賤日豈殊眾,貴來方悟稀。

邀人傅香粉,不自著羅衣。

君寵益嬌態,君憐無是非。

當時浣紗伴,莫得同車歸。

持謝鄰家子,效顰安可希。

南池江 採蓮002 

 

西施越溪女,出自苧蘿山。

西施は越溪の娘で苧蘿山の麓で生まれた。

越溪女 呉越春秋「越王使相者於國中、得苧蘿山鬻薪之女。曰西施鄭旦。」中国四大美人と呼ばれるのは以下の女性たちである。1.西施(春秋時代)2.王昭君(漢)3.貂蝉(後漢)4.楊貴妃(唐)ただし、このほかに卓文君(漢)を加え、王昭君を除くこともある。また虞美人(秦末)を加え、貂蝉を除くこともある。

苧蘿山 苧蘿山は浙江諸縣の南五裡にる。

 

秀色掩今古,荷花羞玉顏。

その秀色は、今古を掩うほどで、他に比べるものがないほであるという、蓮の花でさえ、その娘の玉顏に対すれば、自然に羞じて、その花を落してしまうという。

 

浣紗弄碧水,自與清波閒。

西施は、はじめ碧水に臨んで、紗を浣うことを業とし、身は清波と谷間の閒に貧苦の境にいた。

浣紗 絹を織って染め付けた布地を川で晒す、水の冷たい時に色の定着がよくなることで、春先の年中行事であり、谷間の石の上に並べて干されること、春の風物詩であることを意味する。秋は採蓮、採菱も若い娘の素足が風物詩である。李白は春秋の風物詩をおおくうたっている。
李白図102 

110 《夜下征虜亭【《丹陽記》,亭是晉太安中征虜將軍謝安所立,因以為名。】》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <110> Ⅰ李白詩1289 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4993

李白《夜下征虜亭》(揚州より江を下って、金陵に向かったが、夜、征虜亭に赴く途中で作った。)

 
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21-(2)§2-1 《上兵部李侍郎書 -2》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1202> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4994韓愈詩-21-(2)§2-1 
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110 《夜下征虜亭【《丹陽記》,亭是晉太安中征虜將軍謝安所立,因以為名。】》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <110> Ⅰ李白詩1289 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4993

 

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:  卷一八一        文體:  五言

李太白集 巻二十一

詩題:  夜下征虜亭【《丹陽記》,亭是晉太安中征虜將軍謝安所立,因以為名。】

作地點:        江寧(江南東道 / 潤州 / 江寧)

及地點:        征虜亭 (江南東道潤州 江寧)      

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海   

 

 

夜下征虜亭

船下廣陵去,月明征虜亭。

山花如繡頰,江火似流螢。

(揚州より江を下って、金陵に向かったが、夜、征虜亭に赴く途中で作った。)

 

船は揚州広陵から長江を下って金陵にむかってゆくのだが、おりしも、月が明るく岸の上の征虜亨を照らしているのでよくわかる。
江上、岸の山花は、彩るのは紅をさした頬のようである。 江上の漁火は、流れる螢を思わせるものである。

(夜 征虜亭を下る)
船は広陵に下りて去り、月は明らかなり 征虜亭。
山花 綉頬の如く、江火 流螢に似る。

李白の足跡003 

 

『夜下征虜亭』 現代語訳と訳註解説

(本文)

夜下征虜亭

船下廣陵去,月明征虜亭。

山花如繡頰,江火似流螢。

 

(下し文)

(夜 征虜亭を下る)

船は広陵に下りて去り、月は明らかなり 征虜亭。

山花 綉頬の如く、江火 流螢に似る。

 

(現代語訳)

(揚州より江を下って、金陵に向かったが、夜、征虜亭に赴く途中で作った。)

 

船は揚州広陵から長江を下って金陵にむかってゆくのだが、おりしも、月が明るく岸の上の征虜亨を照らしているのでよくわかる。
江上、岸の山花は、彩るのは紅をさした頬のようである。 江上の漁火は、流れる螢を思わせるものである。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

(訳注)

夜下征虜亭

(揚州より江を下って、金陵に向かったが、夜、征虜亭に赴く途中で作った。)

 

船下廣陵去、月明征虜亭。
船は揚州広陵から長江を下って金陵にむかってゆくのだが、おりしも、月が明るく岸の上の征虜亨を照らしているのでよくわかる。
○征虜亭 いまの江蘇省南京市(金陵、石頭塢)にあった。東晋の太元年問に、征虜将軍の謝安がこの亭を建てた。 

○広陵 いまの江蘇省江都県。揚州市に近い。


山花如綉頬、江火似流螢。
江上、岸の山花は、彩るのは紅をさした頬のようである。 江上の漁火は、流れる螢を思わせるものである。
○綉頬 化粧した顔。綉は繍と同じく、色糸のぬいとり。 

○江火 江上に見える。船の火、漁火。

 

a謝霊運永嘉ルート02 

 

 

 

夜下征虜亭

船下廣陵去、月明征虜亭。
山花如綉頬、江火似流螢。

船は廣陵を去って長江を下って金陵にむかってゆく。月が明るく岸の上の征虜亨を照らしている。岸の花は、紅をさした頬のよう。 江上の漁火は、流れる螢を思わせる。


(夜 征虜亭を下る)
船は広陵に下りて去り、月は明らかなり 征虜亭。
山花 綉頬の如く、江火 流螢に似る。

 

109-#2 《秋日登揚州西靈塔》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <109-#2> Ⅰ李白詩1288 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4988

赤玉で飾った軒端をかすめて鳥は飛びかう、夕焼けの空は、斗栱の下、四方に張った幔幕の向こうに拡がっている。宝塔から見る目は旅路の見える限りをみつめるのである、そして心は、去りゆく船の帆影を高めていてそれを追いかける。

 
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年:726年開元十四年26

卷別:    卷一八○              文體:    五言古詩

詩題:    秋日登揚州西靈塔

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:              西靈塔 (淮南道 揚州 揚州)              

 

 

秋日登揚州西靈塔

(この詩は726年開元十四年の秋に揚州の西靈塔に登って眺めて思い衝くことをのべたもの。)

寶塔凌蒼蒼,登攀覽四荒。

揚州の西靈塔は蒼蒼たる大空を凌いでいるし、西靈塔に登って眺めて見ると、四方の遠い先の四荒仙人の仙郷まで見える。

頂高元氣合,標出海雲長。

この塔の頂が高いことで、人の元気と結合してくるし、雲海を下に見るほどの標高で飛びぬけている。

萬象分空界,三天接畫梁。

宇宙間の万象は、空界を分割して、天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住していて、塔頂の画梁に接している。

水搖金影,日動火珠光。

塔の日陰は水に映し、金に輝く日差しがなみにゆれていて、太陽は時の移ろいで塔を廻っているので、塔頂の火銖の環が光とともに動いているようだ。

 

鳥拂瓊簾度,霞連繡栱張。

目隨征路斷,心逐去帆揚。

露浴梧楸白,霜催橘柚黃。

玉毫如可見,於此照迷方。

 

(秋日登揚州西靈塔)

寶塔は蒼蒼を凌ぎ,登攀して四荒を覽る。

頂 高くして元氣合し,標 出でて海雲長くす。

萬象 空界を分ち,三天 畫梁に接す。

水は金影を搖かし日は火珠の光を動かす。

 

鳥は瓊簾【けいれん】を拂うて度り,霞は繡栱【しゅうきょう】に連って張る。

目は征路に隨って斷え,心は去帆を逐うて揚がる。

露に浴して梧楸白く,霜は催して橘柚黃なり。

玉毫 如【も】し見る可けんば,於此にいて迷方を照ぜん。

a謝霊運永嘉ルート02 

 

『秋日登揚州西靈塔』 現代語訳と訳註

(本文)

秋日登揚州西靈塔

寶塔凌蒼蒼,登攀覽四荒。

頂高元氣合,標出海雲長。

萬象分空界,三天接畫梁。

水搖金影,日動火珠光。

 

(下し文)

(秋日登揚州西靈塔)

寶塔は蒼蒼を凌ぎ,登攀して四荒を覽る。

頂 高くして元氣合し,標 出でて海雲長くす。

萬象 空界を分ち,三天 畫梁に接す。

水は金の影を搖かし,日は火珠の光を動かす。

 

(現代語訳)

(この詩は726年開元十四年の秋に揚州の西靈塔に登って眺めて思い衝くことをのべたもの。)

揚州の西靈塔は蒼蒼たる大空を凌いでいるし、西靈塔に登って眺めて見ると、四方の遠い先の四荒仙人の仙郷まで見える。

この塔の頂が高いことで、人の元気と結合してくるし、雲海を下に見るほどの標高で飛びぬけている。

宇宙間の万象は、空界を分割して、天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住していて、塔頂の画梁に接している。

塔の日陰は水に映し、金に輝く日差しがなみにゆれていて、太陽は時の移ろいで塔を廻っているので、塔頂の火銖の環が光とともに動いているようだ。

揚州西靈塔01

 

(訳注)

秋日登揚州西靈塔

(この詩は726年開元十四年の秋に揚州の西靈塔に登って眺めて思い衝くことをのべたもの。)

○揚州大明寺の栖霊塔は、揚州市街の北西部に位置する。栖霊塔と揚州市街との間に広がっているのが痩西湖風景区である。
 

寶塔凌蒼蒼,登攀覽四荒。

揚州の西靈塔は蒼蒼たる大空を凌いでいるし、西靈塔に登って眺めて見ると、四方の遠い先の四荒仙人の仙郷まで見える。

四荒 四方の胡の国。四裔:四方の遠い最果ての先(四荒八極)。ここでは北方の觚竹、南方の北戸、西方の西王母、東方の日下という仙人を指す。

 

頂高元氣合,標出海雲長。

この塔の頂が高いことで、人の元気と結合してくるし、雲海を下に見るほどの標高で飛びぬけている。

 

萬象分空界,三天接畫梁。

宇宙間の万象は、空界を分割して、天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住していて、塔頂の画梁に接している。

三天 道教では仙人の居るところ、天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住し、この三天のことも「三清」と呼ぶ。道観(道教寺院)にはしばしば「三清殿」と称する三清を祀る建物がある。

三天 仏教者の三界のこと。三界は、欲界・色界・無色界の三つの総称。三有ともいう。凡夫が生死を繰り返しながら輪廻する世界を3つに分けたもの。なお、仏陀はこの三界での輪廻から解脱している。

欲界 淫欲と食欲の2つの欲望にとらわれた有情の住む処。六欲天から人間界を含み、無間地獄までの世界をいう。

色界 欲界の2つの欲望は超越したが、物質的条件(色)にとらわれた有情が住む処。この色界は禅定の段階によって、4つ(四禅天)に分けられ、またそれを細かく18天に分ける。

無色界 欲望も物質的条件も超越し、ただ精神作用にのみ住む世界であり、禅定に住している世界。

『法華経』譬喩品に「三界は安きことなく、なお、火宅のごとし」というのは、迷いと苦しみのこの世界を、燃えさかる家にたとえたもの。

「三界に家なし」とは、この世界が安住の地でないことを意味し、後には女性の不安定な地位を表す諺になった。

 

水搖金影,日動火珠光。

塔の日陰は水に映し、金に輝く日差しがなみにゆれていて、太陽は時の移ろいで塔を廻っているので、塔頂の火銖の環が光とともに動いているようだ。

火珠 宝塔の頂に焔とリングの飾りをつける。

揚州西靈塔 

108 《金陵酒肆留別》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <108> Ⅰ李白詩1280 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4948

(詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。)

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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108 《金陵酒肆留別》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <108> Ⅰ李白詩1280 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4948

 

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:  卷一七四        文體:  七言古詩

詩題:  金陵酒肆留別

作地點:        江寧(江南東道 / 潤州 / 江寧)

及地點:        江寧 (江南東道 潤州江寧) 別名:金陵     

 

 

金陵酒肆留別

(詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。)

風吹柳花滿店香,吳姬壓酒喚客嘗。

風は柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし、酒場は香ばしい匂いで満ちる。呉の美女が酒をしぼって客を呼び 味見をさせてくれる。

金陵子弟來相送,欲行不行各盡觴。

金陵の若者たちが集まって別れの宴を開いてくれ、行こうとするが立ち去りがたく、心ゆくまで杯をくみかわす。

請君試問東流水,別意與之誰短長。

どうか諸君、東に流れる長江の水に尋ねてくれ、別れのつらさとこの水は、どちらが深く長いかと。

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<!--[endif]-->

(金陵の酒肆にて留別す)

風は柳花を吹きて  満店香ばし、呉姫【ごき】は酒を圧して  客を喚びて嘗【な】めしむ。

金陵の子弟  来りて相い送り、行かんと欲して行かず  各々觴【さかずき】を尽くす。

請う君  試みに問え  東流の水に、別意と之と  誰か長短なるやと。

 

a謝霊運永嘉ルート02李白の足跡003 

『金陵酒肆留別』 現代語訳と訳註

(本文)

金陵酒肆留別

風吹柳花滿店香,吳姬壓酒喚客嘗。

金陵子弟來相送,欲行不行各盡觴。

請君試問東流水,別意與之誰短長。

 

(含異文)

風吹柳花滿店香【白門柳花滿店香】,吳姬壓酒喚客嘗【吳姬壓酒勸客嘗】【吳姬壓酒使客嘗】。

金陵子弟來相送,欲行不行各盡觴。

請君試問東流水【請君問取東流水】,別意與之誰短長。

 

(下し文)

(金陵の酒肆にて留別す)

風は柳花を吹きて  満店香ばし、呉姫【ごき】は酒を圧して  客を喚びて嘗【な】めしむ。

金陵の子弟  来りて相い送り、行かんと欲して行かず  各々觴【さかずき】を尽くす。

請う君  試みに問え  東流の水に、別意と之と  誰か長短なるやと。

 

(現代語訳)

(詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。)

風は柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし、酒場は香ばしい匂いで満ちる。呉の美女が酒をしぼって客を呼び 味見をさせてくれる。
金陵の若者たちが集まって別れの宴を開いてくれ、行こうとするが立ち去りがたく、心ゆくまで杯をくみかわす。
どうか諸君、東に流れる長江の水に尋ねてくれ、別れのつらさとこの水は、どちらが深く長いかと。

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<!--[endif]-->

(訳注)

金陵酒肆留別

(詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。

李白は秋から翌年の春にかけて、金陵の街で過ごし、地元の知識人や若い詩人たちと交流した。半年近く滞在した後、726年開元十四年、暮春に舟を出し、さらに東へ進む。

天門から北へ流れていた長江が東へ向きを変えると、舟はやがて江寧(こうねい・江蘇省南京市)の渡津(としん)に着く。江寧郡城は六朝の古都建康(けんこう)の跡である。雅名を金陵(きんりょう)といい、李白はほとんどの詩に「金陵」の雅名を用いている。金陵の渡津は古都の南郊を流れる秦淮河(しんわいか)の河口にあり、長干里(ちょうかんり)と横塘(おうとう)の歓楽地がある。そして酒旗高楼が林立している。

金陵 古くから長江流域・華南の中心地で、かつては三国・呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳(以上の6朝を総称して六朝)、十国の南唐や明といった王朝や南京国民政府の首都であった。中国四大古都の一つ。14世紀から15世紀にかけて、世界最大の都市であった。2010年の都市的地域の人口は355万人であり、世界第92位である。

金陵は南京の別名である。また清朝のころには江寧と呼ばれたことから略称は「寧」である。夏はとても暑く、重慶、武漢と並ぶ中国三大ボイラー(三大火炉)の一つと言われている

酒肆 居酒屋。

 

風吹柳花滿店香,吳姬壓酒喚客嘗。

風は柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし、酒場は香ばしい匂いで満ちる。呉の美女が酒をしぼって客を呼び 味見をさせてくれる。
柳花 柳絮のわた花。

吳姬 呉の女妓。蘇州、揚州の妓女、ここでは酒屋の女。

壓酒 新しく作った熟したての酒をしぼってつくったもの。

 

金陵子弟來相送,欲行不行各盡觴。

金陵の若者たちが集まって別れの宴を開いてくれ、行こうとするが立ち去りがたく、心ゆくまで杯をくみかわす。
子弟 わかもの。

盡觴 盃を飲み干す。

 

請君試問東流水,別意與之誰短長。

どうか諸君、東に流れる長江の水に尋ねてくれ、別れのつらさとこの水は、どちらが深く長いかと。
東流 東西南北からの支流から合流した流れはすべてを集めて東流する、長江をいう。〔朝宗 【ちょうそう】1 《「朝」は春に、「宗」は夏に天子に謁見する意》古代中国で、諸侯が天子に拝謁すること。2 多くの河川がみな海に流れ入ること。3 権威あるものに寄り従うこと。中國の河川は東流して海に入るということで、常識という意味になり、西南北の三方から支流が長江に合流して、東流するのである。「「詩経」(沔水)に、「沔たる彼の流水は、海に朝宗す」とあり、その鄭箋に、諸侯が春に天子にまみえることを朝といい、夏まみえることを宗という、とみえる。ここは諸侯が天子に帰する如く衆水が海に帰することをいう。」
三峡 巫山十二峰001 

107 《口號〔口號留別金陵諸公〕》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》<107> Ⅰ李白詩1279 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4943

東西南北からの支流から合流した流れはすべてを集めて東流する長江のながれは尽きることなく朝宗している、まさに、別離の情もはてしないものである。

 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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20-(20) §10《上宰相書 -(20)》韓愈(韓退之)ID 793年貞元9年 26歳<1198> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4974韓愈詩-20-(20) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor19-503《菩薩蠻三首,其一》十巻 毛熙震Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-686-19-(503) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4977 
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襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。

年:       開元十四年

寫作時間:           726

寫作年紀:           26

卷別:    卷一七四              文體:    五言

李太白集 巻十四

詩題:    口號〔口號留別金陵諸公〕

作地點:              江寧(江南東道 / 潤州 / 江寧)

及地點:              江寧 (江南東道 潤州 江寧) 別名:金陵   

天門から北へ流れていた長江が東へ向きを変えると、舟はやがて江寧(こうねい・江蘇省南京市)の渡津(としん)に着く。江寧郡城は六朝の古都建康(けんこう)の跡である。雅名を金陵(きんりょう)といい、李白はほとんどの詩に「金陵」の雅名を用いている。金陵の渡津は古都の南郊を流れる秦淮河(しんわいか)の河口にあり、長干里(ちょうかんり)と横塘(おうとう)の歓楽地がある。そして酒旗高楼が林立している。

      

 李白は秋から翌年の春にかけて、金陵の街で過ごし、地元の知識人や若い詩人たちと交流した。半年近く滞在した後、726年開元十四年、暮春に舟を出し、さらに東へ進む。詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。 

 

口號〔口號留別金陵諸公〕

食出野田美,酒臨遠水傾。

東流若未盡,應見別離情。

(剡中に赴くにあたって金陵の諸公に留別するに、本心を推察できるような話しぶりをする)

この筵宴、肴核とするところはすべて野田から出た菜蔬のものであり、その味わいは、きわめて淡泊で、美味である。そして、遠水に臨んで、酒を傾けているのである。

東西南北からの支流から合流した流れはすべてを集めて東流する長江のながれは尽きることなく朝宗している、まさに、別離の情もはてしないものである。

 

(口號) 〔口號 金陵の諸公に留別す〕

食は野田を出でて美なり,酒は遠水に臨んで傾く。

東流 若し未だ盡きざらば,應に見るべし 別離の情。

a謝霊運永嘉ルート02 

『口號』 現代語訳と訳註

(本文)

口號〔口號留別金陵諸公〕

食出野田美,酒臨遠水傾。

東流若未盡,應見別離情。

 

(下し文)

(口號) 〔口號 金陵の諸公に留別す〕

食は野田を出でて美なり,酒は遠水に臨んで傾く。

東流 若し未だ盡きざらば,應に見るべし 別離の情。

 

(現代語訳)

(剡中に赴くにあたって金陵の諸公に留別するに、本心を推察できるような話しぶりをする)

この筵宴、肴核とするところはすべて野田から出た菜蔬のものであり、その味わいは、きわめて淡泊で、美味である。そして、遠水に臨んで、酒を傾けているのである。

東西南北からの支流から合流した流れはすべてを集めて東流する長江のながれは尽きることなく朝宗している、まさに、別離の情もはてしないものである。

 

 李白の足跡003

(訳注)

口號〔口號留別金陵諸公〕

(剡中に赴くにあたって金陵の諸公に留別するに、本心を推察できるような話しぶりをする)

口號 口占 ① 言い方から察せられる本心。相手が本心を推察できるような話しぶり。 《口裏》 「相手の-から大体のことは察せられる」 人の言葉を聞いて,それで吉凶を占うこと。

金陵 古くから長江流域・華南の中心地で、かつては三国・呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳(以上の6朝を総称して六朝)、十国の南唐や明といった王朝や南京国民政府の首都であった。中国四大古都の一つ。14世紀から15世紀にかけて、世界最大の都市であった。2010年の都市的地域の人口は355万人であり、世界第92位である。

金陵は南京の別名である。また清朝のころには江寧と呼ばれたことから略称は「寧」である。夏はとても暑く、重慶、武漢と並ぶ中国三大ボイラー(三大火炉)の一つと言われている

 

食出野田美,酒臨遠水傾。

この筵宴、肴核とするところはすべて野田から出た菜蔬のものであり、その味わいは、きわめて淡泊で、美味である。そして、遠水に臨んで、酒を傾けているのである。

遠水 長江のはるか遠く見えるところまでをいう。

 

東流若未盡,應見別離情。

東西南北からの支流から合流した流れはすべてを集めて東流する長江のながれは尽きることなく朝宗している、まさに、別離の情もはてしないものである。

東流 東西南北からの支流から合流した流れはすべてを集めて東流する、長江をいう。〔朝宗 【ちょうそう】1 《「朝」は春に、「宗」は夏に天子に謁見する意》古代中国で、諸侯が天子に拝謁すること。2 多くの河川がみな海に流れ入ること。3 権威あるものに寄り従うこと。中國の河川は東流して海に入るということで、常識という意味になり、西南北の三方から支流が長江に合流して、東流するのである。「「詩経」(沔水)に、「沔たる彼の流水は、海に朝宗す」とあり、その鄭箋に、諸侯が春に天子にまみえることを朝といい、夏まみえることを宗という、とみえる。ここは諸侯が天子に帰する如く衆水が海に帰することをいう。」
南池江 採蓮002 

106 《別儲邕之剡中》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <106> Ⅰ李白詩1278 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4938

剡中への通路は、何処なのかと尋ねたら、東南にむかって越を指し、その方向に進めばよいと教えてくれた。舟は、ここ広陵より出発し、運河、水路を遠く行けば、会稽に入るのである。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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106 《別儲邕之剡中》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <106> Ⅰ李白詩1278 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4938 
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106 《別儲邕之剡中》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <106> Ⅰ李白詩1278 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4938

 

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:    卷一七四              文體:    五言律詩

詩題:    別儲邕之剡中

李太白集 巻十四             

作地點:              剡縣(江南東道 / 越州 / 剡縣)

及地點:             

剡縣 (江南東道 越州 剡縣) 別名:剡中       

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海    

會稽 (江南東道 越州 會稽) 別名:山陰       

天姥山 (江南東道 越州 剡縣)         

交遊人物:儲邕

 李白は秋から翌年の春にかけて、金陵の街で過ごし、地元の知識人や若い詩人たちと交流した。半年近く滞在した後、726年開元十四年、暮春に舟を出し、さらに東へ進む。詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。 

 

別儲邕之剡中

(李白が剡中に赴く際、儲邕に留別したもの。)

借問剡中道,東南指越

剡中への通路は、何処なのかと尋ねたら、東南にむかって越を指し、その方向に進めばよいと教えてくれた。

舟從廣陵去,水入會稽長。

舟は、ここ広陵より出発し、運河、水路を遠く行けば、会稽に入るのである。

竹色溪下綠,荷花鏡裡香。

その間の景色には、溪下に竹林が茂り、綠の色に染まる中をすすみ、鏡のような水面に蓮の花が、今を盛りに咲いていて、そこを抜けてくる風は香りを運んでくる。

辭君向天姥,拂石臥秋霜。

そういうことで、私は、君に辞し、これより剡中に向かうとしよう、やがて、天姥山に分け入って、石を拂い、秋霜の冷たい所に偃臥し、道観に仙術を学ぶつもりである。

 

(儲邕に別れて剡中に之く)

借問す 剡中の道,東南 越

舟は 廣陵より去り,水は會稽に入って長し。

竹色 溪下に綠に,荷花 鏡裡に香し。

君に辭して向天姥にい,石を拂って秋霜に臥せん。

 

李白の足跡003

『別儲邕之剡中』 現代語訳と訳註

(本文)

別儲邕之剡中

借問剡中道,東南指越

舟從廣陵去,水入會稽長。

竹色溪下綠,荷花鏡裡香。

辭君向天姥,拂石臥秋霜。

 

 

(下し文)

(儲邕に別れて剡中に之く)

借問す 剡中の道,東南 越を指す。

舟は 廣陵より去り,水は會稽に入って長し。

竹色 溪下に綠に,荷花 鏡裡に香し。

君に辭して向天姥にい,石を拂って秋霜に臥せん。

 

(現代語訳)

(李白が剡中に赴く際、儲邕に留別したもの。)

剡中への通路は、何処なのかと尋ねたら、東南にむかって越を指し、その方向に進めばよいと教えてくれた。

舟は、ここ広陵より出発し、運河、水路を遠く行けば、会稽に入るのである。

その間の景色には、溪下に竹林が茂り、綠の色に染まる中をすすみ、鏡のような水面に蓮の花が、今を盛りに咲いていて、そこを抜けてくる風は香りを運んでくる。

そういうことで、私は、君に辞し、これより剡中に向かうとしよう、やがて、天姥山に分け入って、石を拂い、秋霜の冷たい所に偃臥し、道観に仙術を学ぶつもりである。

南池江 採蓮002 

 

(訳注)

別儲邕之剡中

(李白が剡中に赴く際、儲邕に留別したもの。)

剡中 越州会稽郡剡縣浙江省嵊県。

○儲邕 李白の友人。伝記不詳

送儲邕之武昌
黄鶴西樓月、長江萬里情。
春風三十度、空憶武昌城。
送爾難為別、銜杯惜未傾。
湖連張欒地、山逐汎舟行。
諾謂楚人重、詩傳謝朓清。
滄浪吾有曲、寄入悼歌聾。
友と別れた黄鶴がいる西の方の高楼に月がかかる、長江のながれははるか万里のわが思い。あれから、春風は三十度めぐってきた、それにしても武昌城をむなしくも遠く憶いだす。私の思いで多き地へ旅立つ君を送ること、この別れのひとときはことさらに辛い、杯をロにもっていくが、名残り惜しさになかなか杯を傾けられない。船路に広がる江湖は、演奏させたという黄帝の徳をしめす咸池の楽洞庭湖の平野がひろびろと連なっている、長江に沿った山々は、君の船旅を逐うかのように、どこまでもその姿を見せてくれる。楚の人は古くから「黄金百斤より一諾を得る」といわれ、信義を重んじ、詩歌について、謝朓の「清廉」が伝統になっている。仙境をおもわせる清らかな水、青々とした波、私には歌う曲がある、いまこれを送りとどけて、去りゆく君の船歌の聲に加えてください。

 

借問剡中道,東南指越

剡中への通路は、何処なのかと尋ねたら、東南にむかって越を指し、その方向に進めばよいと教えてくれた。

 

舟從廣陵去,水入會稽長。

舟は、ここ広陵より出発し、運河、水路を遠く行けば、会稽に入るのである。

 

竹色溪下綠,荷花鏡裡香。

その間の景色には、溪下に竹林が茂り、綠の色に染まる中をすすみ、鏡のような水面に蓮の花が、今を盛りに咲いていて、そこを抜けてくる風は香りを運んでくる。

 

辭君向天姥,拂石臥秋霜。

そういうことで、私は、君に辞し、これより剡中に向かうとしよう、やがて、天姥山に分け入って、石を拂い、秋霜の冷たい所に偃臥し、道観に仙術を学ぶつもりである。

○天姥 天姥山が道教の七十二福地の十六福地にあたる山だった. 浙江省嵊県。・天姥 山の名。浙江省新昌県の南部にある、主峰「撥雲尖」は標高817m。『太平寰宇記』(江南道八「越州、剡県」所引)の『後呉録』によれば、この山に登ると天姥(天上の老女)の歌う声が聞こえる、と伝えられる。

a謝霊運永嘉ルート02 

105 《廣陵贈別》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <105> Ⅰ李白詩1277 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4933

ようやく君に追いついたので枝が茂った楊柳の下に馬をつないだ。そして、大道の傍らで道祖神を祭って道中の安全を祈るために盃を含んで旅の安全を祈念した。長江の流れは澄み切った水で、渺渺として大空と接している。海上においては、春の山がはるか遠くに連なっている。

 
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20-(18)§9―1 《上宰相書 -(18)》韓愈(韓退之)ID 793年貞元9年 26歳<1196> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4964 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor19-501《酒泉子二首,其一》十巻 毛熙震Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-684-19-(501) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4967 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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105 《廣陵贈別》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <105> Ⅰ李白詩1277 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4933

 

 

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年:726年開元十四年26

卷別:    卷一七四              文體:    五言律詩

詩題:    廣陵贈別

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:              揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

 李白は秋から翌年の春にかけて、金陵の街で過ごし、地元の知識人や若い詩人たちと交流した。半年近く滞在した後、726年開元十四年、暮春に舟を出し、さらに東へ進む。詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。

 

廣陵贈別

(この詩は、広陵に於いて遠行する行人に贈ったもの)

玉瓶沽美酒,數里送君還。

白磁の輝く酒瓶に美酒を買って満たす、そして、此の酒を携えて、数里の道を歩いてゆき、君を送別するためである。

繫馬垂楊下,銜杯大道間。

ようやく君に追いついたので枝が茂った楊柳の下に馬をつないだ。そして、大道の傍らで道祖神を祭って道中の安全を祈るために盃を含んで旅の安全を祈念した。

天邊看淥水,海上見青山。

長江の流れは澄み切った水で、渺渺として大空と接している。海上においては、春の山がはるか遠くに連なっている。

興罷各分袂,何須醉別顏。

酒も尽き、興も尽きるとそれぞれに袂を分けることにするけれど、どういう

(廣陵にて贈別す)

玉瓶 美酒を沽い,數里 君の還るを送る。

馬を垂楊の下に繫ぎ,杯を大道の間に銜む。

天邊 淥水を看て,海上 青山を見る。

興を罷んで各の袂を分ち,何ぞ醉別の顏を須いん。

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『廣陵贈別』 現代語訳と訳註

(本文)

廣陵贈別

玉瓶沽美酒,數里送君還。

繫馬垂楊下,銜杯大道間。

天邊看淥水,海上見青山。

興罷各分袂,何須醉別顏。

 

 

(下し文)

(廣陵にて贈別す)

玉瓶 美酒を沽い,數里 君の還るを送る。

馬を垂楊の下に繫ぎ,杯を大道の間に銜む。

天邊 淥水を看て,海上 青山を見る。

興を罷んで各の袂を分ち,何ぞ醉別の顏を須いん。

 

(現代語訳)

(この詩は、広陵に於いて遠行する行人に贈ったもの)

白磁の輝く酒瓶に美酒を買って満たす、そして、此の酒を携えて、数里の道を歩いてゆき、君を送別するためである。

ようやく君に追いついたので枝が茂った楊柳の下に馬をつないだ。そして、大道の傍らで道祖神を祭って道中の安全を祈るために盃を含んで旅の安全を祈念した。

長江の流れは澄み切った水で、渺渺として大空と接している。海上においては、春の山がはるか遠くに連なっている。

酒も尽き、興も尽きるとそれぞれに袂を分けることにするけれど、どういうわけか、無理によって、無理に別れの悲しげな顔をしてすることが必要なのだろうか。

a謝霊運永嘉ルート02 

(訳注)

廣陵贈別

(この詩は、広陵に於いて遠行する行人に贈ったもの)

廣陵 広陵は江蘇省江都県の東北。魏志によれば225年黄初六年文帝広陵の故城に幸し、江に臨んで兵を観した。時に戊卒十余万、旌旗数百里におよんだ。帝が馬上に於て賦したのがこの詩であると。意は千戈を廃して敵を帰服させようとするにあるものである。

廣陵散 漢代の大型琴曲。別名「廣陵止息」。安徽省壽縣境の民間樂曲。琴、箏、笙、築等の樂器で演奏,現存するもっとも古い琴曲である。

宿桐廬江寄廣陵舊遊

山暝聽猿愁,滄江急夜流。

風鳴兩岸葉,月照一孤舟。

建德非吾土,維揚憶舊遊。

還將兩行涙,遙寄海西頭。

(桐廬江に宿して 廣陵の舊遊に寄す)

山 暝【くらく】して 猿愁を聽き,滄江【そうこう】 急ぎて夜に流る。

風は鳴る 兩岸の葉,月は照らす 一孤舟【しゅう】。

建德【けんとく】は 吾が土【と】に非ず,維揚【いよう】は 舊遊を憶ふ。

還【また】 兩行の涙を將【もっ】て,遙かに 海西【かいせい】の頭【ほとり】に寄す。

 

玉瓶沽美酒,數里送君還。

白磁の輝く酒瓶に美酒を買って満たす、そして、此の酒を携えて、数里の道を歩いてゆき、君を送別するためである。

 売る・買うという意味。量り売りの酒を買う。

 

繫馬垂楊下,銜杯大道間。

ようやく君に追いついたので枝が茂った楊柳の下に馬をつないだ。そして、大道の傍らで道祖神を祭って道中の安全を祈るために盃を含んで旅の安全を祈念した。

銜杯大道間 大通りの道端に万幕を張って道祖神を祭って酒の宴をするという意味。

祖道 旅立ちのとき、道祖神を祭って道中の安全を祈ること。また、旅立つ者を送る宴。

 

天邊看淥水,海上見青山。

長江の流れは澄み切った水で、渺渺として大空と接している。海上においては、春の山がはるか遠くに連なっている。

淥水 春の雪解け水が澄みきっている。

青山 春の山

 

興罷各分袂,何須醉別顏。

酒も尽き、興も尽きるとそれぞれに袂を分けることにするけれど、どういうわけか、無理によって、無理に別れの悲しげな顔をしてすることが必要なのだろうか。

李白図102 

104-#2 《淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <104-#2> Ⅰ李白詩1282 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4958

故郷蜀の城門は遙天のほかは見るものはないが、郷里に通ずる駅路は遠山に隔てられている。そうはいっても、朝には司馬相如の琴台を思ううかべ、夕べには揚雄の故宅を心に思って時には夜夢にこれを見るという有様である。

 
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104-#2 《淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <104-#2> Ⅰ李白詩1282 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4958 
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104-#2 《淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <104-#2> Ⅰ李白詩1282 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4958

 

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104 《淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <104> Ⅰ李白詩1281 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4953

會には、一つの浮浪雲が浮かんでいる。飄々として遠くへ行く旅人のようである。旅人である自分も、まさしく雲のようである。私も故郷を出たものの、功業いまだ就業してはいない、歳月はしばしば奔り迫り過ぎ去ってゆく。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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104 《淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <104> Ⅰ李白詩1281 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4953 
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20-(16)§8-1 《上宰相書 -(16)》韓愈(韓退之)ID 793年貞元9年 26歳<1194> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4954韓愈詩-20-(16)§8-1 
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104 《淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <104> Ⅰ李白詩1281 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4953

 

 

Index-

6

Ⅱ― 1-726年開元十四年26

21

ID

No.

詩題

詩文初句

 

98

39

1

楊叛兒

君歌楊叛兒,

巻三

99

40

2

採蓮曲

若耶溪傍採蓮女,

巻三

100

41

3

長干行,二首之一

妾髮初覆額,

巻三

101

42

4

長干行,二首之二

憶妾深閨裡

巻三

102

43

5

淥水曲

淥水明秋月,

巻五

103

44

6

估客行【估客樂】

海客乘天風,

巻五

104

45

7

淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤

會一浮雲,

巻十二

105

46

8

廣陵贈別

玉瓶沽美酒,

巻十四

106

47

9

別儲邕之剡中

借問剡中道,

巻十四

107

48

10

口號【口號留別金陵諸公】

食出野田美,

巻十四

108

49

11

金陵酒肆留別

風吹柳花滿店香,

巻十四

109

50

12

秋日登揚州西靈塔

寶塔凌蒼蒼,

巻二十

110

51

13

夜下征虜亭

船下廣陵去,

巻二十一

111

52

14

西施

西施越溪女,

巻二十一

112

53

15

王右軍

右軍本清真,

巻二十一

113

54

16

秋夕旅懷

涼風度秋海,

巻二十三

114

55

17

陌上贈美人【小放歌行】

駿馬驕行踏落花,

巻二十四

115

56

18

對酒

蒲萄酒,

巻二十四

116

57

19

贈段七娘

羅襪凌波生網塵,

巻二十四

117

58

20

越女詞,五首之一

長干兒女,

巻二十四

118

59

21

越女詞,五首之二

兒多白皙,

巻二十四

119

60

22

越女詞,五首之三

耶溪采蓮女。

巻二十四

120

61

23

越女詞,五首之四

東陽素足女。

巻二十四

121

62

24

越女詞,五首之五

鏡湖水如月。

巻二十四

 

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

李太白集 巻十二

詩題:    淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:             

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海    

蘇州 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:郡、           

會稽 (江南東道 越州 會稽) 別名:山陰       

琴臺 (劍南道北部 益州 成都)         

草玄堂 (劍南道北部 益州 成都) 別名:子雲宅           

交遊人物:趙蕤    書信:(劍南道北部 梓州 )

 

 

淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤 #1

(李白が淮南に遊んでいるとき、病気になり、その時の様子を蜀の旧友である趙蕤によせたもの。)

會一浮雲,飄如遠行客。

會には、一つの浮浪雲が浮かんでいる。飄々として遠くへ行く旅人のようである。旅人である自分も、まさしく雲のようである。

功業莫從就,光屢奔迫。

私も故郷を出たものの、功業いまだ就業してはいない、歳月はしばしば奔り迫り過ぎ去ってゆく。

良圖俄棄損,衰疾乃綿劇。

折角よい計画であっても、にわかに打ち棄てることになってしまうし、衰疾こもごも犯して容易に全治しようもない。

古琴藏虛匣,長劍掛空壁。

こうして、古琴は虛匣に納めたきりになっており、長劍は空壁に掛けたまま、琴も弾かず剣をぬぐうこともできない状態が続いている。

楚冠懷鍾儀,越吟比莊舃。

楚の冠は、鍾儀が南音をあやつり、莊舃が越吟を為したことのようで、さすがに故郷の事は忘れてしまったところだ。

#2

國門遙天外,路遠山隔。

朝憶相如臺,夜夢子雲宅。

旅情初結緝,秋氣方寂歷。

風入松下清,露出草間白。

故人不可見,幽夢誰與適。

寄書西飛鴻,贈爾慰離析。

 

(淮南にて病いに臥し、懷を書して蜀中の趙徵君 蕤【ずい】に寄す) #1

會 一の浮雲,飄として遠行の客の如し。

功業 從って就る莫く,光 屢ば奔迫。

良圖 俄に棄損し,衰疾 乃ち 綿劇。

古琴 虛匣【きょこう】に藏し,長劍 空壁に掛く。

楚冠 鍾儀を懷い,越吟 莊舃【そうせき】に比す。

#2

國門 遙天の外,路 遠山隔つ。

朝に相如の臺を憶い,夜は子雲の宅を夢む。

旅情 初めて結緝【けつしゅう】す,秋氣 方に寂歷【せきれき】たり。

風は松下に清く入る,露は出草間に白く。

故人 見る可からず,幽夢 誰と與にか適かん。

書を寄す 西飛の鴻,爾に贈って 離析を慰む。

 

a謝霊運永嘉ルート02

『淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤』 現代語訳と訳註

(本文)

淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤 #1

會一浮雲,飄如遠行客。

功業莫從就,光屢奔迫。

良圖俄棄損,衰疾乃綿劇。

古琴藏虛匣,長劍掛空壁。

楚冠懷鍾儀,越吟比莊舃。

 

(含異文)

會一浮雲,飄如遠行客【萬里無主人,一身獨為客】。

功業莫從就,光屢奔迫。

良圖俄棄損,衰疾乃綿劇。

古琴藏虛匣,長劍掛空壁。

楚冠懷鍾儀【楚懷懷鍾儀】【楚冠奏鍾儀】【楚懷奏鍾儀】,越吟比莊舃。

國門遙天外,路遠山隔【臥來恨已久,興發思逾積】。

 

(下し文)

(淮南にて病いに臥し、懷を書して蜀中の趙徵君 蕤【ずい】に寄す) #1

會 一の浮雲,飄として遠行の客の如し。

功業 從って就る莫く,光 屢ば奔迫。

良圖 俄に棄損し,衰疾 乃ち 綿劇。

古琴 虛匣【きょこう】に藏し,長劍 空壁に掛く。

楚冠 鍾儀を懷い,越吟 莊舃【そうせき】に比す。

 

(現代語訳)

(李白が淮南に遊んでいるとき、病気になり、その時の様子を蜀の旧友である趙蕤によせたもの。)

會には、一つの浮浪雲が浮かんでいる。飄々として遠くへ行く旅人のようである。旅人である自分も、まさしく雲のようである。

私も故郷を出たものの、功業いまだ就業してはいない、歳月はしばしば奔り迫り過ぎ去ってゆく。

折角よい計画であっても、にわかに打ち棄てることになってしまうし、衰疾こもごも犯して容易に全治しようもない。

こうして、古琴は虛匣に納めたきりになっており、長劍は空壁に掛けたまま、琴も弾かず剣をぬぐうこともできない状態が続いている。

楚の冠は、鍾儀が南音をあやつり、莊舃が越吟を為したことのようで、さすがに故郷の事は忘れてしまったところだ。

南池江 採蓮002 

 

(訳注)

淮南臥病書懷寄蜀中趙徵君蕤 #1

(李白が淮南に遊んでいるとき、病気になり、その時の様子を蜀の旧友である趙蕤によせたもの。)

淮南 江蘇・安徽(あんき)両省の江北部を中心とした地域名。北緯33゜を東西に流れる淮水の南の意で淮北と対して使われる。淮水を境に北は黄土の乾燥地で,淮南以南のモンスーン地帯と著しい違いがある。

趙徵君蕤 趙蕤は鹽亭の人、梓州淒縣長平山安昌巌に隠れ、六経諸家を学び、長短經十巻を著した。又数学に強く、蘇娗は西蜀の人材を進めるに、趙蕋の術数、李白の文章といったという。

 

會一浮雲,飄如遠行客。

會には、一つの浮浪雲が浮かんでいる。飄々として遠くへ行く旅人のようである。旅人である自分も、まさしく雲のようである。

會 地をいう,現在の江蘇省。

 

功業莫從就,光屢奔迫。

私も故郷を出たものの、功業いまだ就業してはいない、歳月はしばしば奔り迫り過ぎ去ってゆく。

 

良圖俄棄損,衰疾乃綿劇。

折角よい計画であっても、にわかに打ち棄てることになってしまうし、衰疾こもごも犯して容易に全治しようもない。

 

古琴藏虛匣,長劍掛空壁。

こうして、古琴は虛匣に納めたきりになっており、長劍は空壁に掛けたまま、琴も弾かず剣をぬぐうこともできない状態が続いている。

 

楚冠懷鍾儀,越吟比莊舃。

楚の冠は、鍾儀が南音をあやつり、莊舃が越吟を為したことのようで、さすがに故郷の事は忘れてしまったところだ。

鍾儀 《楚の鍾儀は晋に捕らわれた後も、自国の冠をつけていたという「春秋左伝」成公9年の故事から》他国に捕らわれた楚の国の人。転じて、他国に捕らえられ望郷の思いをいだく人。そしゅう【楚囚】。

莊舃 荘舃が越の詩を吟じたように故郷への想いはつのる

103 《估客行【估客樂】》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <103> Ⅰ李白詩1275 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4923

舟行商人は天風に乘って、船に帆を張り、勢いよく、喜び勇んで遠くに行商に行ってしまった。

 
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103 《估客行【估客樂】》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <103> Ⅰ李白詩1275 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4923 
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103 《估客行【估客樂】》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <103> Ⅰ李白詩1275 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4923

 

 

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年:726年開元十四年26

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    估客行〔估客樂〕

作地點:              揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海

 

 

估客行

(揚州でみた舟行商人のことを詠じたもの)

海客乘天風,將船遠行役。

舟行商人は天風に乘って、船に帆を張り、勢いよく、喜び勇んで遠くに行商に行ってしまった。

譬如雲中鳥,一去無蹤跡。

まるで雲の中へ飛んでいる鳥のように、ひとたび飛んで行ってしまったらその蹤跡は杳として分からない。

(估客行)

海客 天風に乘り、船を將って遠く行役す。 

たと】えば 雲中の鳥の如し、 一去して 蹤跡【しょうせき】無し。

 

南池江 採蓮002 

『估客行』 現代語訳と訳註

(本文)

估客行

海客乘天風,將船遠行役。

譬如雲中鳥,一去無蹤跡。

 

(下し文)

(估客行) 

海客 天風に乘り、船を將って遠く行役す。 

たと】えば 雲中の鳥の如し、 一去して 蹤跡【しょうせき】無し。

 

(現代語訳)

(揚州でみた舟行商人のことを詠じたもの)

舟行商人は天風に乘って、船に帆を張り、勢いよく、喜び勇んで遠くに行商に行ってしまった。

まるで雲の中へ飛んでいる鳥のように、ひとたび飛んで行ってしまったらその蹤跡は杳として分からない。

李白図102

(訳注)

估客行 〔估客樂〕

(揚州でみた舟行商人のことを詠じたもの)

〔估客樂〕六朝期、江南地方において行われた曲名で舟行商人のことを詠じたもの

估客 旅商人。 ○行 うた。

作地點:揚州 江蘇省にかつて存在した州。現在の揚州市に相当する。揚州 (江蘇省) -江蘇省に南北朝時代、陳により短期間設置された州。妓女の街としての揚州は大都市の妓女の生活も、長安により近かった。揚州は娼妓の都市としてたいへん有名なところであり、ひとたび夜になると、「妓楼の上に、常に赤い絹の被いで包んだ夜燈が無数にともされ空中に輝いた。九里三十歩の広さの街は、真珠、素翠などさまざまな飾りで満ち溢れ、はるか遠い仙境のようだった」(『太平広記』巻二七三)という。この繁華の情景は妓館の多さ、遊廓の繁栄ぶりをよく物語っている。ここは長安の平康里とひじょうによく似ており、妓女たちの生活も長安とほぼ同じだったと思われる。

 

海客乘天風。 將船遠行役。 

舟行商人は天風に乘って、船に帆を張り、勢いよく、喜び勇んで遠くに行商に行ってしまった。

○海客 船に乗る人。

○行役 用事で旅行すること。 

 

譬如雲中鳥。 一去無蹤跡。

まるで雲の中へ飛んでいる鳥のように、ひとたび飛んで行ってしまったらその蹤跡は杳として分からない。

○蹤跡 あしあと。ゆくえ。

 

a謝霊運永嘉ルート02 

 

 

 

 

 

海客乘天風。 將船遠行役。 

譬如雲中鳥。 一去無蹤跡。

 

行商人は 天風に乘って、船で遠くに行商する。

まるで雲の中へ飛んでいる鳥のようだ、 ひとたび飛んで行ってしまったらどこに行ったか分からない。

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年:726年開元十四年26

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    淥水曲

 

 

淥水曲

淥水明秋月,南湖採白蘋。

荷花嬌欲語,愁殺蕩舟人。

(女子が南湖の白蘋を采るにあたって荷花に媚びて語らんとするのを見て、妬ましげな心を生じたいという趣を詠ったもの)

清らかな水に 秋の日が明るく差し込み、天は晴れ、風は静かな日で、南湖に 白蘋を采りにでかけて花を摘む。

蓮の花は真っ盛りで、あでやかに嬌なまめかしく物言いたげであり、舟を漕いできた男は、女たちにこれ以上堪えられないと愁いの念を起した。

 

李白図102 

『淥水曲』 現代語訳と訳註

(本文)

淥水曲

淥水明秋月,南湖採白蘋。

荷花嬌欲語,愁殺蕩舟人。

(含異文)

淥水明秋月【淥水明秋日】,南湖採白蘋。

荷花嬌欲語,愁殺蕩舟人。

 

(下し文)

(淥水曲りょくすいきょく)

淥水秋日に明らかに、南湖  白蘋を採る。

荷花  嬌として語らんと欲す、愁殺【しゅうさつ】す 蕩舟【とうしゅう】の人。

 

(現代語訳)

(女子が南湖の白蘋を采るにあたって荷花に媚びて語らんとするのを見て、妬ましげな心を生じたいという趣を詠ったもの)

清らかな水に 秋の日が明るく差し込み、天は晴れ、風は静かな日で、南湖に 白蘋を采りにでかけて花を摘む。

蓮の花は真っ盛りで、あでやかに嬌なまめかしく物言いたげであり、舟を漕いできた男は、女たちにこれ以上堪えられないと愁いの念を起した。

 

南池江 採蓮002 

(訳注)

淥水曲          

(女子が南湖の白蘋を采るにあたって荷花に媚びて語らんとするのを見て、妬ましげな心を生じたいという趣を詠ったもの)

淥水 澄んだ川や湖。詩の趣旨は「採蓮曲」と同じ。

淥水曲 古代の琴曲。

 

淥水明秋日、南湖採白蘋。

清らかな水に 秋の日が明るく差し込み、天は晴れ、風は静かな日で、南湖に 白蘋を采りにでかけて花を摘む。

南湖 という湖は江南のどこかにあるもので特定はげきないようだ。

白蘋 水草の名。四葉菜、田字草ともいう。根は水底から生え、葉は水面に浮き、五月ごろ白い花が咲く。白蘋摘みがはじまるころには、蓮の花も咲いている。

 

 

荷花嬌欲語、愁殺蕩舟人。

蓮の花は真っ盛りで、あでやかに嬌なまめかしく物言いたげであり、舟を漕いできた男は、女たちにこれ以上堪えられないと愁いの念を起した。

愁殺 殺はこれ以上なというような助詞として用いられている。前の句に「荷花:蓮の花があでやかで艶めかしく物言いたげ」な思いに対して、「船を動かす娘たちのこれ以上耐えられない思い」を対比させている。この詩の主張はここにある。これを理解するためには西施の物語を知っておかないといけない。

a謝霊運永嘉ルート02a謝霊運永嘉ルート02 

 越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた西施(施夷光)は谷川で洗濯をしている素足姿を見出されてたといわれている。策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。

 「あでやかな物言いたげな」は西施たちを意味し、同じように白蘋を取る娘たちも白い素足を出している。娘らには、何も魂胆はないけれど見ている作者に呉の国王のように心を動かされてしまう。若い娘らの魅力を詠ったものである。(当時は肌は白くて少し太めの足がよかったようだ)

 李白に限らず、舟に乗って白蘋(浮き草)を採る娘たちを眺めるのは、とても素敵なひとときだったであろう。

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20-#2 《古風五十九首之二十》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳365古風,五十九首之二十昔我遊齊都, <20-#2>
20-#3 《古風五十九首之二十》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳365古風,五十九首之二十昔我遊齊都, <20-#3>
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22 《古風五十九首之二十二》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳366古風,五十九首之二十二秦水別隴首, <22> 
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34 《古風五十九首之三十四》-#1 Index-30Ⅳ-5 751年天寶十年51歳554古風,五十九首之三十四羽檄如流星, <34> 
34-#2 《古風五十九首之三十四》Index-30Ⅳ-5 751年天寶十年51歳554古風,五十九首之三十四羽檄如流星, <34-#2>
34-#3 《古風五十九首之三十四》Index-30Ⅳ-5 751年天寶十年51歳554古風,五十九首之三十四羽檄如流星, <34-#3>
35ー#1 《古風五十九首之三十五》Index-29Ⅳ-4 750年天寶九年50歳538古風,五十九首之三十五醜女來效顰, <35ー#1>
35ー#2 《古風五十九首之三十五》Index-29Ⅳ-4 750年天寶九年50歳538古風,五十九首之三十五醜女來效顰, <35ー#2> 
36 《古風五十九首之三十六》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <36> 
37-#1 古風五十九首之三十七Index-26Ⅳ-1 747年天寶六年47歳466古風,五十九首之三十七 燕臣昔慟哭, <37> 
37-#2 古風五十九首之三十七Index-26Ⅳ-1 747年天寶六年47歳466古風,五十九首之三十七燕臣昔慟哭, <37-#2> 
38 《古風,五十九首之三十八》Index-9Ⅱ― 5-730年開元十八年30歳80古風,五十九首之三十八(孤蘭生幽園) <38> 
39 《古風五十九首之三十九》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳271古風,五十九首之三十九登高望四海, <39>
40 《古風五十九首之四十》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳367古風,五十九首之四十 鳳飢不啄粟, <40>
41 《古風五十九首之四十一》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳420 <41> 
41-#2 《古風五十九首之四十一》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳421古風,五十九首之四十一朝弄紫沂海, <41-#2>
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44 《古風五十九首之四十四》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳272古風,五十九首之四十四綠蘿紛葳蕤, <44>
45 《古風五十九首之四十五》Index-36Ⅳ-11 757年至德二年57歳756古風,五十九首之四十五八荒馳驚飆, <45>
46 《古風五十九首之四十六》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳590古風,五十九首之四十六一百四十年, <46>
47 《古風五十九首之四十七》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳273古風,五十九首之四十七桃花開東園, <47> 
48 《古風五十九首之四十八》Index-26Ⅳ-1 747年天寶六年47歳467古風,五十九首之四十八秦皇按寶劍, <48> 
49 《古風五十九首之四十九》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳274古風,五十九首之四十九美人出南國, <49> 
50 《古風五十九首之五十》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳275古風,五十九首之五十宋國梧臺東, <50>
51 《古風五十九首之五十一》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳591古風,五十九首之五十一殷后亂天紀, <51>
52 《古風,五十九首之五十二》Index-7Ⅱ― 3-728年開元十六年28歳69古風,五十九首之二十六碧荷生幽泉, <52> 
53 《古風五十九首之五十三》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳592古風,五十九首之五十三戰國何紛紛, <53> 
54 《古風五十九首之五十四》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳592古風,五十九首之五十三戰國何紛紛, <54> 
55 《古風,五十九首之五十五》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳370古風,五十九首之五十五齊瑟彈東吟, <55> 
56 《古風,五十九首之五十六》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳276古風,五十九首之五十六越客採明珠, <56> 
57 《古風,五十九首之五十七》Index-39Ⅴ-2 760年上元元年60歳874江夏送倩公歸漢東彼美漢東國, <57> 
58 《古風,五十九首之五十八》Index-38Ⅴ-1 759年乾元二年59歳832古風,五十九首之五十八我到巫山渚, <58> 
59 -#1《古風五十九首之五十九》Index-36Ⅳ-11 757年至德二年57歳757古風,五十九首之五十九惻惻泣路岐, <59> 
59-#2 《古風五十九首之五十九》Index-36Ⅳ-11 757年至德二年57歳757古風,五十九首之五十九惻惻泣路岐, <59-#2>

李白の足跡

李白図102
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すでに、商人の妻になっているので、美人たちのようなことはできない、だから、こうして増水した水を心配し、それから、風が吹いたら愁い、始終くよくよして一生を過ごしていくのだと思っている。

 
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726年開元十四年26

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

 

作地點:        江寧(江南東道 / 潤州 / 江寧)

及地點:       

長干 (江南東道 潤州 江寧)        

望夫石 (淮南道 濠州 塗山) 別名:望夫臺   

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘   

灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)      

長風沙 (淮南道 舒州 舒州)

 

長干行,二首之一 #1

妾髮初覆額,折花門前劇。

郎騎竹馬來,遶床弄青梅。

同居長干里,兩小無嫌猜。

十四為君婦,羞顏未嘗開。

低頭向暗壁,千喚不一回。

(長江下流の商人船頭の妻の生活、男女の愛を詠う。)

私の髪がやっと額を覆うようになってきた頃、何の憂いもなく、門前のあたりで花を摘んで遊んでいた。
我が夫もそのころは竹馬に乗ってやってきて、寝床のまわりを回っては青い梅の実をもてあそんでいたのだ。
何せ、同じように長干の里にいて、幼い二人とも何の疑いもなく、仲睦まじかったのである。
14
歳であなたの妻になり、恥ずかしさで、はにかんで笑顔も作れないままだった。

うなだれて壁に向かっては、千度呼ばれても、一度も振り向かないでいた。

#2

十五始展眉,願同塵與灰。

常存抱柱信,豈上望夫臺?

十六君遠行,瞿塘灩澦堆。

五月不可觸,猿聲天上哀。

門前遲行跡,一一生綠苔。

15歳でやっと眉をほころばせて笑うことができるようになり、ともに寄り添い灰になるまで一緒にいたいと願うようになった。

あなたの愛は尾生の抱柱の信のように堅固でしたから、わたしが望夫臺に上って夫の帰りを待ちわびるようになろうとは思いもしなかった。
16
歳になったとき、あなたは遠くへ旅立ち、長江の難所である瞿塘峡、灔澦堆の方にいったのだ。
5月の増水期にはとても近づくことも出来ないところで、そこには野猿がいて、その泣き声だけが大空に悲しそうに響きわたるという。
新居の門前には、あなたが旅立ちの時、行ったり、戻ったりしていたその足跡の上には、いまは一つ一つと青いコケが生えてきている。

その苔が深くびっしりと生えていて、とても払いきれるものではない、そこに枯れ葉が落ちはじめて、早くも秋風が吹いている。

#3

苔深不能掃,落葉秋風早。

八月蝴蝶來,雙飛西園草。

感此傷妾心,坐愁紅顏老。

早晚下三巴,預將書報家。

相迎不道遠,直至長風沙。

その苔が深くびっしりと生えていて、とても払いきれるものではない、そこに枯れ葉が落ちはじめて、早くも秋風が吹いている。

仲秋の八月には、つがいの蝶が飛んできて、二羽ならんで西の庭園の草花の上を仲良く並んで飛び回る。

それを見るとおもわず心にあなたを思い、私の心は痛み、若妻の紅顏が老いゆくのをむなしく悲しむばかりなのだ。

いったいいつになったら三巴の長江を下って帰えってくるのだろうか、そのときはあらかじめ我が家に手紙で知らせてほしいのだ。
夫のための迎えをするのに、遠いと思うことなどないし、このまままっすぐに、長風沙まででもいこうとするのだ。
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<!--[endif]-->

(長干行,二首 其の一)
妾が髮初めて額を覆ふとき、花を折って門前に劇【たはむ】る。』
郎は竹馬に騎って來り、床を遶りて青梅を弄す。
同じく長干の里に居り、兩つながら小【おさな】くして嫌猜無し。
十四 君が婦と為り、羞顏 未だ嘗て開かず。
頭を低れて暗壁に向ひ、千喚に一も回(めぐ)らさず。
#2

十五 始めて眉を展べ、願はくは塵と灰とを同じゅうせん。
常に抱柱の信を存し、豈に望夫臺に上らんや。
 
十六 君遠く行く、瞿塘 艶澦堆。
五月 觸るべからず、猿鳴 天上に哀し。
門前 遲行の跡、一一 綠苔を生ず。』
#3
苔深くして掃ふ能はず、落葉 秋風早し
八月 蝴蝶來り、雙び飛ぶ西園の草
此に感じて妾が心を傷ましめ、坐【そぞろ】に愁ふ紅顏の老ゆるを。』
早晩三巴を下らん、預【あらかじ】め書を將って家に報ぜよ
相ひ迎ふるに遠きを道【い】はず、直ちに至らん長風沙』
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

 

長干行,二首之二

憶妾深閨裡,煙塵不曾識。

嫁與長干人,沙頭候風色。

五月南風興,思君下巴陵。

八月西風起,想君發揚子。

(長江下流の商人船頭の妻の生活、男女の愛を詠う。)二首の二

昔は奥の閨の中で籠ってばかりいて、浮世の辛苦は全く知らなかった。

ところが、長干の人の所に嫁いできてから、夫がいつも舟で商売に出ているから、舟が着く沙頭に出て、天気の様子を見ては、夫の身を案じたのだ。

真夏の五月になって、南からの風が強く起りだすと、夫が巴陵を下って長江を帰れば追い風であるからと心配する。

秋、八月になると強い西風が吹くと、夫が、揚子の辺りを出発してくれたらいいなとおもうのである。

 

去來悲如何,見少別離多。

湘潭幾日到,妾夢越風波。

昨夜狂風度,吹折江頭樹。

淼淼暗無邊,行人在何處。

北客真王公,朱衣滿江中。

この風があって帰ってこられず、妻はどれだけ悲しいことか、帰ってきて、相見る事が出来るというのは稀であって、多くは、すぐに舟で出かけて仕舞うので、多くの時は別離しているのである。

今でも、夫は、長江を遡り、洞庭湖に入り、湘江のある潭州には何時ごろ到着されるのか、妻の夢は、はるばる風波を越えて、湘潭に行くことである。

ところが、昨夜、狂ったように強風が吹き、江頭の樹木を吹き倒し、折り尽くした。

長江の波は大波が淼淼として、その上、真っ暗で行くべき方向が分からなかった。船旅の人たちはてんぷくしてどこにいったのであろうか。

たまたま北客が名馬に乗じて長干に来たって、多くの美人を呼び集めた。

日暮來投宿,數朝不肯東。

好乘浮雲驄,佳期蘭渚東。

鴛鴦綠蒲上,翡翠錦屏中。

自憐十五餘,顏色桃花紅。

那作商人婦,愁水復愁風。

日暮れには大勢の人がこの街の宿に投宿した。数多くの人がこの朝になっても東にむかうことができなかった。

もしうまく浮浪雲の乗っていくことが出来れば、逢瀬の約束の日を蘭渚の東において出会い、酒盛りをすることが出来るだろう。

江を眺めれば綠蒲の上には鴛鴦がみえるし、部屋内の錦屏の中には翡翠が描かれ、そこに美人たちが騒いでいる。

その光景を見れば、夫と一緒に居れない自分は十五を過ぎたばかりで、桃花に似た紅色の顔立ちであるから、嫁に来ていなければあの北客の宴の美人たちに負けない。

すでに、商人の妻になっているので、美人たちのようなことはできない、だから、こうして増水した水を心配し、それから、風が吹いたら愁い、始終くよくよして一生を過ごしていくのだと思っている。

 

(長干行,二首の二)

憶う妾が 深閨の裡,煙塵 曾って識らず。

長干の人に嫁與して,沙頭 風色を候す。

五月 南風興れば,君が巴陵を下るを思う。

八月 西風起れば,君が揚子を發せしを想う。

 

去來 悲しみ如何【いかん】,見ること少くして別離は多くす。

湘潭 幾日か到らん,妾が夢は風波を越ゆ。

昨夜 狂風度り,吹き折る江頭の樹。

淼淼【びゅうびゅう】として暗きこと邊無し,行人 何處にか在る。

北客は真王公なり,朱衣 江中に滿つ。

 

日暮れて投宿に來る,數ば朝に 肯えて東せず。

好し 浮雲の驄に乘じ,佳期 蘭渚の東。

鴛鴦は 綠蒲の上,翡翠は 錦屏の中。

自ら憐れむ十五の餘,顏色 桃花紅なり。

那ぞ商人の婦と作って,水を愁い 復た風を愁う。

李白図102 

 

『長干行』 現代語訳と訳註

(本文)

長干行,二首之二 #3

日暮來投宿,數朝不肯東。

好乘浮雲驄,佳期蘭渚東。

鴛鴦綠蒲上,翡翠錦屏中。

自憐十五餘,顏色桃花紅。

那作商人婦,愁水復愁風。

 

(下し文)

日暮れて投宿に來る,數ば朝に 肯えて東せず。

好し 浮雲の驄に乘じ,佳期 蘭渚の東。

鴛鴦は 綠蒲の上,翡翠は 錦屏の中。

自ら憐れむ十五の餘,顏色 桃花紅なり。

那ぞ商人の婦と作って,水を愁い 復た風を愁う。

 

(現代語訳)

日暮れには大勢の人がこの街の宿に投宿した。数多くの人がこの朝になっても東にむかうことができなかった。

もしうまく浮浪雲の乗っていくことが出来れば、逢瀬の約束の日を蘭渚の東において出会い、酒盛りをすることが出来るだろう。

江を眺めれば綠蒲の上には鴛鴦がみえるし、部屋内の錦屏の中には翡翠が描かれ、そこに美人たちが騒いでいる。

その光景を見れば、夫と一緒に居れない自分は十五を過ぎたばかりで、桃花に似た紅色の顔立ちであるから、嫁に来ていなければあの北客の宴の美人たちに負けない。

すでに、商人の妻になっているので、美人たちのようなことはできない、だから、こうして増水した水を心配し、それから、風が吹いたら愁い、始終くよくよして一生を過ごしていくのだと思っている。

三峡 巫山十二峰001 

 

(訳注)

長干行,二首之二

(長江下流の商人船頭の妻の生活、男女の愛を詠う。)二首の二

行は、うた。長干は今の南京の南にある小さな町。出稼ぎの商人たちの居住した町。
楽府「雑曲歌辞」長江下流の商人船頭の妻の生活を詠う。男女の愛を歌ったもので、六朝時代の楽府、風俗歌を下敷きにしている。

 

日暮來投宿,數朝不肯東。

日暮れには大勢の人がこの街の宿に投宿した。数多くの人がこの朝になっても東にむかうことができなかった。

 

好乘浮雲驄,佳期蘭渚東。

もしうまく浮浪雲の乗っていくことが出来れば、逢瀬の約束の日を蘭渚の東において出会い、酒盛りをすることが出来るだろう。

浮雲驄 漢文帝、良馬九匹 文帝自代還。有良馬九匹。皆天下之駿馬也。一名浮雲。一名赤電。一名絶群。一名逸驃。一名紫鷰騮。一名綠螭驄。一名龍子。一名麟駒。一名絶塵。號為九逸。有來宣能御。代王號為王良。倶還代邸。漢の文帝は代王時代に天下の名馬九匹を所有していた。「浮雲」「赤電」「絶群」「逸驃」「紫鷰騮」「綠螭驄」「龍子」「麟駒」「絶塵」という名前であった。ここは、男たちが天候によって旅に出られないことをいう。

佳期 逢瀬の約束の日。

蘭渚東 蘭は蘭房、蘭閨など妓女の部屋などを意味するし、東は美人、春の意味。

 

鴛鴦綠蒲上,翡翠錦屏中。

江を眺めれば綠蒲の上には鴛鴦がみえるし、部屋内の錦屏の中には翡翠が描かれ、そこに美人たちが騒いでいる。

鴛鴦 おしどり。妻が一人で居ることに悲哀を感じさせる。

綠蒲 鴛鴦は砂浜にツガイでいるものであるが、ここは陸上を意味する座敷の宴会のこと。

翡翠 カワセミの雄は赤の羽、雌は翠の羽で、帷帳、屏風をかざる。

 

自憐十五餘,顏色桃花紅。

その光景を見れば、夫と一緒に居れない自分は十五を過ぎたばかりで、桃花に似た紅色の顔立ちであるから、嫁に来ていなければあの北客の宴の美人たちに負けない。

 

那作商人婦,愁水復愁風。

すでに、商人の妻になっているので、美人たちのようなことはできない、だから、こうして増水した水を心配し、それから、風が吹いたら愁い、始終くよくよして一生を過ごしていくのだと思っている。

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この風があって帰ってこられず、妻はどれだけ悲しいことか、帰ってきて、相見る事が出来るというのは稀であって、多くは、すぐに舟で出かけて仕舞うので、多くの時は別離しているのである。

 
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 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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101 《長干行,二首之二 -#2》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <102> Ⅰ李白詩1276 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4928

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  

長干行,二首之二

(長江下流の商人船頭の妻の生活、男女の愛を詠う。)二首の二

憶妾深閨裡,煙塵不曾識。

昔は奥の閨の中で籠ってばかりいて、浮世の辛苦は全く知らなかった。

嫁與長干人,沙頭候風色。

ところが、長干の人の所に嫁いできてから、夫がいつも舟で商売に出ているから、舟が着く沙頭に出て、天気の様子を見ては、夫の身を案じたのだ。

五月南風興,思君下巴陵。

真夏の五月になって、南からの風が強く起りだすと、夫が巴陵を下って長江を帰れば追い風であるからと心配する。

八月西風起,想君發揚子。

秋、八月になると強い西風が吹くと、夫が、揚子の辺りを出発してくれたらいいなとおもうのである。

 

去來悲如何,見少別離多。

この風があって帰ってこられず、妻はどれだけ悲しいことか、帰ってきて、相見る事が出来るというのは稀であって、多くは、すぐに舟で出かけて仕舞うので、多くの時は別離しているのである。

湘潭幾日到,妾夢越風波。

今でも、夫は、長江を遡り、洞庭湖に入り、湘江のある潭州には何時ごろ到着されるのか、妻の夢は、はるばる風波を越えて、湘潭に行くことである。

昨夜狂風度,吹折江頭樹。

ところが、昨夜、狂ったように強風が吹き、江頭の樹木を吹き倒し、折り尽くした。

淼淼暗無邊,行人在何處。

長江の波は大波が淼淼として、その上、真っ暗で行くべき方向が分からなかった。船旅の人たちはてんぷくしてどこにいったのであろうか。

北客真王公,朱衣滿江中。

たまたま北客が名馬に乗じて長干に来たって、多くの美人を呼び集めた。

日暮來投宿,數朝不肯東。

好乘浮雲驄,佳期蘭渚東。

鴛鴦綠蒲上,翡翠錦屏中。

自憐十五餘,顏色桃花紅。

那作商人婦,愁水復愁風。

 

(長干行,二首の二)

憶う妾が 深閨の裡,煙塵 曾って識らず。

長干の人に嫁與して,沙頭 風色を候す。

五月 南風興れば,君が巴陵を下るを思う。

八月 西風起れば,君が揚子を發せしを想う。

 

去來 悲しみ如何【いかん】,見ること少くして別離は多くす。

湘潭 幾日か到らん,妾が夢は風波を越ゆ。

昨夜 狂風度り,吹き折る江頭の樹。

淼淼【びゅうびゅう】として暗きこと邊無し,行人 何處にか在る。

北客は真王公なり,朱衣 江中に滿つ。

 

日暮れて投宿に來る,數ば朝に 肯えて東せず。

好し 浮雲の驄に乘じ,佳期 蘭渚の東。

鴛鴦は 綠蒲の上,翡翠は 錦屏の中。

自ら憐れむ十五の餘,顏色 桃花紅なり。

那ぞ商人の婦と作って,水を愁い 復た風を愁う。

 

三峡 巫山十二峰001 

『長干行』 現代語訳と訳註

(本文)

去來悲如何,見少別離多。

湘潭幾日到,妾夢越風波。

昨夜狂風度,吹折江頭樹。

淼淼暗無邊,行人在何處。

北客真王公,朱衣滿江中。

 

 

(下し文)

去來 悲しみ如何【いかん】,見ること少くして別離は多くす。

湘潭 幾日か到らん,妾が夢は風波を越ゆ。

昨夜 狂風度り,吹き折る江頭の樹。

淼淼【びゅうびゅう】として暗きこと邊無し,行人 何處にか在る。

北客は真王公なり,朱衣 滿江の中。

 

(現代語訳)

この風があって帰ってこられず、妻はどれだけ悲しいことか、帰ってきて、相見る事が出来るというのは稀であって、多くは、すぐに舟で出かけて仕舞うので、多くの時は別離しているのである。

今でも、夫は、長江を遡り、洞庭湖に入り、湘江のある潭州には何時ごろ到着されるのか、妻の夢は、はるばる風波を越えて、湘潭に行くことである。

ところが、昨夜、狂ったように強風が吹き、江頭の樹木を吹き倒し、折り尽くした。

長江の波は大波が淼淼として、その上、真っ暗で行くべき方向が分からなかった。船旅の人たちはてんぷくしてどこにいったのであろうか。

たまたま北客が名馬に乗じて長干に来たって、多くの美人を呼び集めた。

南池江 採蓮002 

(訳注)

長干行,二首之二

(長江下流の商人船頭の妻の生活、男女の愛を詠う。)二首の二

行は、うた。長干は今の南京の南にある小さな町。出稼ぎの商人たちの居住した町。
楽府「雑曲歌辞」長江下流の商人船頭の妻の生活を詠う。男女の愛を歌ったもので、六朝時代の楽府、風俗歌を下敷きにしている。

 

去來悲如何,見少別離多。

この風があって帰ってこられず、妻はどれだけ悲しいことか、帰ってきて、相見る事が出来るというのは稀であって、多くは、すぐに舟で出かけて仕舞うので、多くの時は別離しているのである。

 

湘潭幾日到,妾夢越風波。

今でも、夫は、長江を遡り、洞庭湖に入り、湘江のある潭州には何時ごろ到着されるのか、妻の夢は、はるばる風波を越えて、湘潭に行くことである。

湘潭 洞庭湖に入り、湘江のある潭州

潭州 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 41

 

昨夜狂風度,吹折江頭樹。

ところが、昨夜、狂ったように強風が吹き、江頭の樹木を吹き倒し、折り尽くした。

 

淼淼暗無邊,行人在何處。

長江の波は大波が淼淼として、その上、真っ暗で行くべき方向が分からなかった。船旅の人たちはてんぷくしてどこにいったのであろうか。

淼淼 水面が果てしなく広がっているさま。淼漫。

 

北客真王公,朱衣滿江中。

たまたま北客が名馬に乗じて長干に来たって、多くの美人を呼び集めた。

朱衣 朱色の衣服。四位・五位の官人が着用した。あけごろもの女妓。ここでは、しけで長宿する場合芸妓と遊ぶ。

 

 

 

 

潭州 李商隠
潭州官舎暮樓空、今古無端人望中。
湘涙浅深滋竹色、楚歌重畳怨蘭叢。
陶公戦艦空灘雨、賈傅承塵破廟風。
目断故園人不至、松醪一酔與誰同。潭州の役所、夕闇せまるころ楼台は誰もいなくて静かなたたずまい、今と昔、いつもどおり何の変りもなくされていることが世間の人々が寄せる信頼や、尊敬の念をもたせているのです湘水のほとりで劉蕡に流した涙は、むかし舜帝の死に泣いた二人の妃、その涙を写すまだらの竹が、雨に濡れて鮮やかに浮かび上がっているし、楚の国を追われた屈原が悲しみを托した蘭の茂みに繰り返し怨みの風が吹き付ける。この地でかつて陶侃(とうかん)は、戦艦を建造して勝利を収めたが、その岩のある急流に今はただ雨が降り注いでいる。この地にかつて賈誼は太傅として流され、死の影に怯えて鵩鳥の賦を作ったが、その崩れかけた廟に今は風が吹き寄せているのだ。
ふるさとの故郷の田園に目を凝らしても何も見えず、待つ人の座主はかえって来る気配もない。松の酒で酔いながら劉蕡のことを偲びたかったけれど、誰とこの酒酌み交わそうというのか。

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昔は奥の閨の中で籠ってばかりいて、浮世の辛苦は全く知らなかった。ところが、長干の人の所に嫁いできてから、夫がいつも舟で商売に出ているから、舟が着く沙頭に出て、天気の様子を見ては、夫の身を案じたのだ。

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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長干行,二首之二

(長江下流の商人船頭の妻の生活、男女の愛を詠う。)二首の二

憶妾深閨裡,煙塵不曾識。

昔は奥の閨の中で籠ってばかりいて、浮世の辛苦は全く知らなかった。

嫁與長干人,沙頭候風色。

ところが、長干の人の所に嫁いできてから、夫がいつも舟で商売に出ているから、舟が着く沙頭に出て、天気の様子を見ては、夫の身を案じたのだ。

五月南風興,思君下巴陵。

真夏の五月になって、南からの風が強く起りだすと、夫が巴陵を下って長江を帰れば追い風であるからと心配する。

八月西風起,想君發揚子。

秋、八月になると強い西風が吹くと、夫が、揚子の辺りを出発してくれたらいいなとおもうのである。

 

去來悲如何,見少別離多。

湘潭幾日到,妾夢越風波。

昨夜狂風度,吹折江頭樹。

淼淼暗無邊,行人在何處。

北客真王公,朱衣滿江中。

 

日暮來投宿,數朝不肯東。

好乘浮雲驄,佳期蘭渚東。

鴛鴦綠蒲上,翡翠錦屏中。

自憐十五餘,顏色桃花紅。

那作商人婦,愁水復愁風。

 

(長干行,二首の二)

憶う妾が 深閨の裡,煙塵 曾って識らず。

長干の人に嫁與して,沙頭 風色を候す。

五月 南風興れば,君が巴陵を下るを思う。

八月 西風起れば,君が揚子を發せしを想う。

 

去來悲如何,見少別離多。

湘潭幾日到,妾夢越風波。

昨夜狂風度,吹折江頭樹。

淼淼暗無邊,行人在何處。

北客真王公,朱衣滿江中。

 

日暮來投宿,數朝不肯東。

好乘浮雲驄,佳期蘭渚東。

鴛鴦綠蒲上,翡翠錦屏中。

自憐十五餘,顏色桃花紅。

那作商人婦,愁水復愁風。

 

李白図102 

『長干行』 現代語訳と訳註

(本文)

長干行,二首之二

憶妾深閨裡,煙塵不曾識。

嫁與長干人,沙頭候風色。

五月南風興,思君下巴陵。

八月西風起,想君發揚子。

 

(下し文)

(長干行,二首の二)

憶う妾が 深閨の裡,煙塵 曾って識らず。

長干の人に嫁與して,沙頭 風色を候す。

五月 南風興れば,君が巴陵を下るを思う。

八月 西風起れば,君が揚子を發せしを想う。

 

 

(現代語訳)

(長江下流の商人船頭の妻の生活、男女の愛を詠う。)二首の二

昔は奥の閨の中で籠ってばかりいて、浮世の辛苦は全く知らなかった。

ところが、長干の人の所に嫁いできてから、夫がいつも舟で商売に出ているから、舟が着く沙頭に出て、天気の様子を見ては、夫の身を案じたのだ。

真夏の五月になって、南からの風が強く起りだすと、夫が巴陵を下って長江を帰れば追い風であるからと心配する。

秋、八月になると強い西風が吹くと、夫が、揚子の辺りを出発してくれたらいいなとおもうのである。

 

a謝霊運永嘉ルート02 

(訳注)

長干行,二首之二

(長江下流の商人船頭の妻の生活、男女の愛を詠う。)二首の二

行は、うた。長干は今の南京の南にある小さな町。出稼ぎの商人たちの居住した町。
楽府「雑曲歌辞」長江下流の商人船頭の妻の生活を詠う。男女の愛を歌ったもので、六朝時代の楽府、風俗歌を下敷きにしている。

 

憶妾深閨裡,煙塵不曾識。

昔は奥の閨の中で籠ってばかりいて、浮世の辛苦は全く知らなかった。

煙塵 浮世の辛苦のこと。

 

嫁與長干人,沙頭候風色。

ところが、長干の人の所に嫁いできてから、夫がいつも舟で商売に出ているから、舟が着く沙頭に出て、天気の様子を見ては、夫の身を案じたのだ。

候風色 風向きや空の色を注意してみる。

 

五月南風興,思君下巴陵。

真夏の五月になって、南からの風が強く起りだすと、夫が巴陵を下って長江を帰れば追い風であるからと心配する。

五月南風 真夏の五月になって、南からの風が強く吹きはじめる。

巴陵 西晋が成立すると280年(太康元年)には巴陵県が、291年(元康元年)には巴陵郡へと改編されている。隋代になると新た ... されている. 岳州は中華民国まで踏襲され、1913年に岳州巴陵県を岳陽県と改称している。1983年に地級市に昇格し現在に至っている。

 

八月西風起,想君發揚子。

秋、八月になると強い西風が吹くと、夫が、揚子の辺りを出発してくれたらいいなとおもうのである。

揚子 この時代には長江のこと。

南池江 採蓮002

100-#3 《長干行,二首之一 #3》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <100-#3> Ⅰ李白詩1274 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4918

いったいいつになったら三巴の長江を下って帰えってくるのだろうか、そのときはあらかじめ我が家に手紙で知らせてほしいのだ。夫のための迎えをするのに、遠いと思うことなどないし、このまままっすぐに、長風沙まででもいこうとするのだ。

 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-37 《題忠州龍興寺所居院壁》 杜甫index-15 杜甫<837> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4920 杜甫詩1500-837-1155/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ519 韓昌黎集 巻五  《鎮州初歸》(韓退之) 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4921 (10/06) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor19-492《南歌子二首其二》巻九 毛熙震Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-675-19-(492) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4922 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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100-#3 《長干行,二首之一 #3》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <100-#3> Ⅰ李白詩1274 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4918

 

 

726年開元十四年26

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

 

作地點:        江寧(江南東道 / 潤州 / 江寧)

及地點:       

長干 (江南東道 潤州 江寧)        

望夫石 (淮南道 濠州 塗山) 別名:望夫臺   

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘   

灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)      

長風沙 (淮南道 舒州 舒州)

 

 

長干行,二首之一 #1

(長江下流の商人船頭の妻の生活、男女の愛を詠う。)

妾髮初覆額,折花門前劇。

私の髪がやっと額を覆うようになってきた頃、何の憂いもなく、門前のあたりで花を摘んで遊んでいた。

郎騎竹馬來,遶床弄青梅。

我が夫もそのころは竹馬に乗ってやってきて、寝床のまわりを回っては青い梅の実をもてあそんでいたのだ。

同居長干里,兩小無嫌猜。

何せ、同じように長干の里にいて、幼い二人とも何の疑いもなく、仲睦まじかったのである。

十四為君婦,羞顏未嘗開。

14歳であなたの妻になり、恥ずかしさで、はにかんで笑顔も作れないままだった。

低頭向暗壁,千喚不一回。

うなだれて壁に向かっては、千度呼ばれても、一度も振り向かないでいた。

#2

十五始展眉,願同塵與灰。

15歳でやっと眉をほころばせて笑うことができるようになり、ともに寄り添い灰になるまで一緒にいたいと願うようになった。

常存抱柱信,豈上望夫臺?

あなたの愛は尾生の抱柱の信のように堅固でしたから、わたしが望夫臺に上って夫の帰りを待ちわびるようになろうとは思いもしなかった。

十六君遠行,瞿塘灩澦堆。

16歳になったとき、あなたは遠くへ旅立ち、長江の難所である瞿塘峡、灔澦堆の方にいったのだ。

五月不可觸,猿聲天上哀。

5月の増水期にはとても近づくことも出来ないところで、そこには野猿がいて、その泣き声だけが大空に悲しそうに響きわたるという。

門前遲行跡,一一生綠苔。

新居の門前には、あなたが旅立ちの時、行ったり、戻ったりしていたその足跡の上には、いまは一つ一つと青いコケが生えてきている。



#3

苔深不能掃,落葉秋風早。

その苔が深くびっしりと生えていて、とても払いきれるものではない、そこに枯れ葉が落ちはじめて、早くも秋風が吹いている。

八月蝴蝶來,雙飛西園草。

仲秋の八月には、つがいの蝶が飛んできて、二羽ならんで西の庭園の草花の上を仲良く並んで飛び回る。

感此傷妾心,坐愁紅顏老。

それを見るとおもわず心にあなたを思い、私の心は痛み、若妻の紅顏が老いゆくのをむなしく悲しむばかりなのだ。

早晚下三巴,預將書報家。

いったいいつになったら三巴の長江を下って帰えってくるのだろうか、そのときはあらかじめ我が家に手紙で知らせてほしいのだ。

相迎不道遠,直至長風沙。

夫のための迎えをするのに、遠いと思うことなどないし、このまままっすぐに、長風沙まででもいこうとするのだ。 

(長干行,二首 其の一)
妾が髮初めて額を覆ふとき、花を折って門前に劇【たはむ】る。』
郎は竹馬に騎って來り、床を遶りて青梅を弄す。
同じく長干の里に居り、兩つながら小【おさな】くして嫌猜無し。
十四 君が婦と為り、羞顏 未だ嘗て開かず。
頭を低れて暗壁に向ひ、千喚に一も回(めぐ)らさず。
#2

十五 始めて眉を展べ、願はくは塵と灰とを同じゅうせん。
常に抱柱の信を存し、豈に望夫臺に上らんや。
 
十六 君遠く行く、瞿塘 艶澦堆。
五月 觸るべからず、猿鳴 天上に哀し。
門前 遲行の跡、一一 綠苔を生ず。』
#3
苔深くして掃ふ能はず、落葉 秋風早し
八月 蝴蝶來り、雙び飛ぶ西園の草
此に感じて妾が心を傷ましめ、坐【そぞろ】に愁ふ紅顏の老ゆるを。』
早晩三巴を下らん、預【あらかじ】め書を將って家に報ぜよ
相ひ迎ふるに遠きを道【い】はず、直ちに至らん長風沙』
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<!--[endif]-->

長干行,二首之二

憶妾深閨裡,煙塵不曾識。

嫁與長干人,沙頭候風色。

五月南風興,思君下巴陵。

八月西風起,想君發揚子。

去來悲如何,見少別離多。

湘潭幾日到,妾夢越風波。

昨夜狂風度,吹折江頭樹。

淼淼暗無邊,行人在何處。

北客真王公,朱衣滿江中。

日暮來投宿,數朝不肯東。

好乘浮雲驄,佳期蘭渚東。

鴛鴦綠蒲上,翡翠錦屏中。

自憐十五餘,顏色桃花紅。

那作商人婦,愁水復愁風。

 

巫山十二峰002 

『長干行,二首之一』#2 現代語訳と訳註

(本文)

苔深不能掃,落葉秋風早。

八月蝴蝶來,雙飛西園草。

感此傷妾心,坐愁紅顏老。

早晚下三巴,預將書報家。

相迎不道遠,直至長風沙。

 

(下し文)

苔深くして掃ふ能はず、落葉 秋風早し

八月 蝴蝶來り、雙び飛ぶ西園の草

此に感じて妾が心を傷ましめ、坐【そぞろ】に愁ふ紅顏の老ゆるを。』

早晩三巴を下らん、預【あらかじ】め書を將って家に報ぜよ

相ひ迎ふるに遠きを道【い】はず、直ちに至らん長風沙』

 

(現代語訳)

その苔が深くびっしりと生えていて、とても払いきれるものではない、そこに枯れ葉が落ちはじめて、早くも秋風が吹いている。

仲秋の八月には、つがいの蝶が飛んできて、二羽ならんで西の庭園の草花の上を仲良く並んで飛び回る。

それを見るとおもわず心にあなたを思い、私の心は痛み、若妻の紅顏が老いゆくのをむなしく悲しむばかりなのだ。

いったいいつになったら三巴の長江を下って帰えってくるのだろうか、そのときはあらかじめ我が家に手紙で知らせてほしいのだ。
夫のための迎えをするのに、遠いと思うことなどないし、このまままっすぐに、長風沙まででもいこうとするのだ。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->巫山十二峰003
<!--[endif]-->

(訳注)#3

長干行

(長江下流の商人船頭の妻の生活、男女の愛を詠う。)

行は、うた。長干は今の南京の南にある小さな町。出稼ぎの商人たちの居住した町。
楽府「雑曲歌辞」長江下流の商人船頭の妻の生活を詠う。男女の愛を歌ったもので、六朝時代の楽府、風俗歌を下敷きにしている。

 

苔深不能掃、落葉秋風早。 
その苔が深くびっしりと生えていて、とても払いきれるものではない、そこに枯れ葉が落ちはじめて、早くも秋風が吹いている。

 

八月胡蝶來。 雙飛西園草。
仲秋の八月には、つがいの蝶が飛んできて、二羽ならんで西の庭園の草花の上を仲良く並んで飛び回る。

胡蝶 胡蝶の夢(こちょうのゆめ)は、中国の戦国時代の宋国(現在の河南省)に生まれた思想家で、道教の始祖の1人とされる人物の荘子(荘周)による説話である。荘子の考えが顕著に表れている説話として、またその代表作として一般的にもよく知られている。
雙飛西園草 荘子の謂う自由な境地をあらわす。夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話である。この説話は「無為自然」「一切斉同」の荘子の考え方がよく現れているものとして有名である。「無為自然」を荘子の言葉でいえば「逍遥遊」となり、それは目的意識に縛られない自由な境地のことであり、その境地に達すれば自然と融和して自由な生き方ができると荘子は説く。

 

感此傷妾心、坐愁紅顏老。 』
それを見るとおもわず心にあなたを思い、私の心は痛み、若妻の紅顏が老いゆくのをむなしく悲しむばかりなのだ。


早晚下三巴、預將書報家。 
いったいいつになったら三巴の長江を下って帰えってくるのだろうか、そのときはあらかじめ我が家に手紙で知らせてほしいのだ。
三巴 巴郡・巴東・巴西の絃称で、今の四川省の東部にあたる。


相迎不道遠、直至長風沙。』
夫のための迎えをするのに、遠いと思うことなどないし、このまままっすぐに、長風沙まででもいこうとするのだ。
長風沙 安徽省安慶氏の長江沿いの地南京からは350kmくらい上流地点。

李白図102 

100-#2 《長干行,二首之一 #2》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <100-#2> Ⅰ李白詩1273 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4913

新居の門前には、あなたが旅立ちの時、行ったり、戻ったりしていたその足跡の上には、いまは一つ一つと青いコケが生えてきている。その苔が深くびっしりと生えていて、とても払いきれるものではない、そこに枯れ葉が落ちはじめて、早くも秋風が吹いている。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-36 《禹廟〔此忠州臨江縣禹祠也。〕》 杜甫index-15 杜甫<836> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4915 杜甫詩1500-836-1154/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor19-491《南歌子二首其一》巻九 毛熙震Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-674-19-(491) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4917 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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100-#2 《長干行,二首之一 #2》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <100-#2> Ⅰ李白詩1273 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4913

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726年開元十四年26

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

 

作地點:        江寧(江南東道 / 潤州 / 江寧)

及地點:       

長干 (江南東道 潤州 江寧)        

望夫石 (淮南道 濠州 塗山) 別名:望夫臺   

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘   

灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)      

長風沙 (淮南道 舒州 舒州)

 

 

長干行,二首之一 #1

(長江下流の商人船頭の妻の生活、男女の愛を詠う。)

妾髮初覆額,折花門前劇。

私の髪がやっと額を覆うようになってきた頃、何の憂いもなく、門前のあたりで花を摘んで遊んでいた。

郎騎竹馬來,遶床弄青梅。

我が夫もそのころは竹馬に乗ってやってきて、寝床のまわりを回っては青い梅の実をもてあそんでいたのだ。

同居長干里,兩小無嫌猜。

何せ、同じように長干の里にいて、幼い二人とも何の疑いもなく、仲睦まじかったのである。

十四為君婦,羞顏未嘗開。

14歳であなたの妻になり、恥ずかしさで、はにかんで笑顔も作れないままだった。

低頭向暗壁,千喚不一回。

うなだれて壁に向かっては、千度呼ばれても、一度も振り向かないでいた。

#2

十五始展眉,願同塵與灰。

15歳でやっと眉をほころばせて笑うことができるようになり、ともに寄り添い灰になるまで一緒にいたいと願うようになった。

常存抱柱信,豈上望夫臺?

あなたの愛は尾生の抱柱の信のように堅固でしたから、わたしが望夫臺に上って夫の帰りを待ちわびるようになろうとは思いもしなかった。

十六君遠行,瞿塘灩澦堆。

16歳になったとき、あなたは遠くへ旅立ち、長江の難所である瞿塘峡、灔澦堆の方にいったのだ。

五月不可觸,猿聲天上哀

5月の増水期にはとても近づくことも出来ないところで、そこには野猿がいて、その泣き声だけが大空に悲しそうに響きわたるという。

門前遲行跡,一一生綠苔。

新居の門前には、あなたが旅立ちの時、行ったり、戻ったりしていたその足跡の上には、いまは一つ一つと青いコケが生えてきている。



#3

苔深不能掃,落葉秋風早。

八月蝴蝶來,雙飛西園草。

感此傷妾心,坐愁紅顏老。

早晚下三巴,預將書報家。

相迎不道遠,直至長風沙。

 

(長干行)
妾が髮初めて額を覆ふとき、花を折って門前に劇【たはむ】る。』
郎は竹馬に騎って來り、床を遶りて青梅を弄す。
同じく長干の里に居り、兩つながら小【おさな】くして嫌猜無し。
十四 君が婦と為り、羞顏 未だ嘗て開かず。
頭を低れて暗壁に向ひ、千喚に一も回(めぐ)らさず。
#2

十五 始めて眉を展べ、願はくは塵と灰とを同じゅうせん。
常に抱柱の信を存し、豈に望夫臺に上らんや。
 
十六 君遠く行く、瞿塘 艶澦堆。
五月 觸るべからず、猿鳴 天上に哀し。
門前 遲行の跡、一一 綠苔を生ず。』
#5
苔深くして掃ふ能はず、落葉 秋風早し
八月 蝴蝶來り、雙び飛ぶ西園の草
此に感じて妾が心を傷ましめ、坐【そぞろ】に愁ふ紅顏の老ゆるを。』

早晩三巴を下らん、預【あらかじ】め書を將って家に報ぜよ
相ひ迎ふるに遠きを道【い】はず、直ちに至らん長風沙』
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長干行,二首之二

憶妾深閨裡,煙塵不曾識。

嫁與長干人,沙頭候風色。

五月南風興,思君下巴陵。

八月西風起,想君發揚子。

去來悲如何,見少別離多。

湘潭幾日到,妾夢越風波。

昨夜狂風度,吹折江頭樹。

淼淼暗無邊,行人在何處。

北客真王公,朱衣滿江中。

日暮來投宿,數朝不肯東。

好乘浮雲驄,佳期蘭渚東。

鴛鴦綠蒲上,翡翠錦屏中。

自憐十五餘,顏色桃花紅。

那作商人婦,愁水復愁風。

 

巫山十二峰003 

『長干行,二首之一』#2 現代語訳と訳註

(本文) #2

十五始展眉,願同塵與灰。

常存抱柱信,豈上望夫臺?

十六君遠行,瞿塘灩澦堆。

五月不可觸,猿聲天上哀。

門前遲行跡,一一生綠苔。

 

(下し文) #2

十五 始めて眉を展べ、願はくは塵と灰とを同じゅうせん。

常に抱柱の信を存し、豈に望夫臺に上らんや。

 十六 君遠く行く、瞿塘 艶澦堆。

五月 觸るべからず、猿鳴 天上に哀し。

門前 遲行の跡、一一 綠苔を生ず。』

 

 

(現代語訳)

15歳でやっと眉をほころばせて笑うことができるようになり、ともに寄り添い灰になるまで一緒にいたいと願うようになった。

あなたの愛は尾生の抱柱の信のように堅固でしたから、わたしが望夫臺に上って夫の帰りを待ちわびるようになろうとは思いもしなかった。
16
歳になったとき、あなたは遠くへ旅立ち、長江の難所である瞿塘峡、灔澦堆の方にいったのだ。
5月の増水期にはとても近づくことも出来ないところで、そこには野猿がいて、その泣き声だけが大空に悲しそうに響きわたるという。
新居の門前には、あなたが旅立ちの時、行ったり、戻ったりしていたその足跡の上には、いまは一つ一つと青いコケが生えてきている。

その苔が深くびっしりと生えていて、とても払いきれるものではない、そこに枯れ葉が落ちはじめて、早くも秋風が吹いている。

巫山十二峰002 

(訳注) #2

長干行

(長江下流の商人船頭の妻の生活、男女の愛を詠う。)

行は、うた。長干は今の南京の南にある小さな町。出稼ぎの商人たちの居住した町。
楽府「雑曲歌辞」長江下流の商人船頭の妻の生活を詠う。男女の愛を歌ったもので、六朝時代の楽府、風俗歌を下敷きにしている。

 

十五始展眉。 愿同塵與灰。 
15歳でやっと眉をほころばせて笑うことができるようになり、ともに寄り添い灰になるまで一緒にいたいと願うようになった。

 

常存抱柱信。 豈上望夫台。
あなたの愛は尾生の抱柱の信のように堅固でしたから、わたしが望夫臺に上って夫の帰りを待ちわびるようになろうとは思いもしなかった。
抱柱信 むかし尾生という男が、橋の下で女とあう約束をした。女はいくら待っても来ない。突然、洪水がおしよせてきた。尾生は約束の場所を離れて信を失うことを願わず、橋の柱を抱いて溺死した。「荘子」(死んでも約束を守る固い信義)

望夫台 山の名。ある人が家を離れて久しく、かれの妻は山の上で夫を待ち望んで、ついに石のかたまりになったという。中国各地に今でも望夫台、望夫石、望夫山という名称の山が残っている。

61 《望夫石》Ⅰ―1 715年開元三年15歳 剣術を好み賦を作る <61> Ⅰ李白詩1225 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4673


十六君遠行、瞿塘灩澦堆。
16歳になったとき、あなたは遠くへ旅立ち、長江の難所である瞿塘峡、灔澦堆の方にいったのだ。
瞿塘 長江の三峡の一つ。絶壁が両岸にせまり流れのはげしく危険なところ

○灩澦堆 瞿塘峡に横たわる大きな暗礁。亀のような形をしている。


五月不可觸。猿聲天上哀。
5月の増水期にはとても近づくことも出来ないところで、そこには野猿がいて、その泣き声だけが大空に悲しそうに響きわたるという。
五月不可觸 五月の増水期には水嵩が上がり大岩が隠れてしまい危険で近づけない。


門前遲行跡、一一生綠苔。』
新居の門前には、あなたが旅立ちの時、行ったり、戻ったりしていたその足跡の上には、いまは一つ一つと青いコケが生えてきている。


苔深不能掃、落葉秋風早。 
その苔が深くびっしりと生えていて、とても払いきれるものではない、そこに枯れ葉が落ちはじめて、早くも秋風が吹いている。
巫山十二峰004 

100 《長干行,二首之一》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》<100> Ⅰ李白詩1272 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4908

我が夫もそのころは竹馬に乗ってやってきて、寝床のまわりを回っては青い梅の実をもてあそんでいたのだ。何せ、同じように長干の里にいて、幼い二人とも何の疑いもなく、仲睦まじかったのである。

 
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100

《長干行,二首之一》李白index- 6 726年開元十四年26歳》<100> Ⅰ李白詩1272 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4908

 

 

726年開元十四年26

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

 

作地點:        江寧(江南東道 / 潤州 / 江寧)

及地點:       

長干 (江南東道 潤州 江寧)        

望夫石 (淮南道 濠州 塗山) 別名:望夫臺   

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘   

灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)      

長風沙 (淮南道 舒州 舒州)

 

 

長干行,二首之一 #1

(長江下流の商人船頭の妻の生活、男女の愛を詠う。)

妾髮初覆額,折花門前劇。

私の髪がやっと額を覆うようになってきた頃、何の憂いもなく、門前のあたりで花を摘んで遊んでいた。

郎騎竹馬來,遶床弄青梅。

我が夫もそのころは竹馬に乗ってやってきて、寝床のまわりを回っては青い梅の実をもてあそんでいたのだ。

同居長干里,兩小無嫌猜。

何せ、同じように長干の里にいて、幼い二人とも何の疑いもなく、仲睦まじかったのである。

十四為君婦,羞顏未嘗開。

14歳であなたの妻になり、恥ずかしさで、はにかんで笑顔も作れないままだった。

低頭向暗壁,千喚不一回。

うなだれて壁に向かっては、千度呼ばれても、一度も振り向かないでいた。

#2

十五始展眉,願同塵與灰。

常存抱柱信,豈上望夫臺?

十六君遠行,瞿塘灩澦堆。

五月不可觸,猿聲天上哀。

門前遲行跡,一一生綠苔。

#3

苔深不能掃,落葉秋風早。

八月蝴蝶來,雙飛西園草。

感此傷妾心,坐愁紅顏老。

早晚下三巴,預將書報家。

相迎不道遠,直至長風沙。

 

(長干行)
妾が髮初めて額を覆ふとき、花を折って門前に劇【たはむ】る。』
郎は竹馬に騎って來り、床を遶りて青梅を弄す。
同じく長干の里に居り、兩つながら小【おさな】くして嫌猜無し。
十四 君が婦と為り、羞顏 未だ嘗て開かず。
頭を低れて暗壁に向ひ、千喚に一も回(めぐ)らさず。
#2

十五 始めて眉を展べ、願はくは塵と灰とを同じゅうせん。
常に抱柱の信を存し、豈に望夫臺に上らんや。
 
十六 君遠く行く、瞿塘 艶澦堆。
五月 觸るべからず、猿鳴 天上に哀し。
門前 遲行の跡、一一 綠苔を生ず。』
#5
苔深くして掃ふ能はず、落葉 秋風早し
八月 蝴蝶來り、雙び飛ぶ西園の草
此に感じて妾が心を傷ましめ、坐【そぞろ】に愁ふ紅顏の老ゆるを。』

早晩三巴を下らん、預【あらかじ】め書を將って家に報ぜよ
相ひ迎ふるに遠きを道【い】はず、直ちに至らん長風沙』
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

長干行,二首之二

憶妾深閨裡,煙塵不曾識。

嫁與長干人,沙頭候風色。

五月南風興,思君下巴陵。

八月西風起,想君發揚子。

去來悲如何,見少別離多。

湘潭幾日到,妾夢越風波。

昨夜狂風度,吹折江頭樹。

淼淼暗無邊,行人在何處。

北客真王公,朱衣滿江中。

日暮來投宿,數朝不肯東。

好乘浮雲驄,佳期蘭渚東。

鴛鴦綠蒲上,翡翠錦屏中。

自憐十五餘,顏色桃花紅。

那作商人婦,愁水復愁風。

 

三峡 巫山十二峰001『長干行』 現代語訳と訳註

(本文)

長干行,二首之一 #1

妾髮初覆額,折花門前劇。

郎騎竹馬來,遶床弄青梅。

同居長干里,兩小無嫌猜。

十四為君婦,羞顏未嘗開。

低頭向暗壁,千喚不一回。 

 

(下し文)

(長干行)

妾が髮初めて額を覆ふとき、花を折って門前に劇【たはむ】る。』

郎は竹馬に騎って來り、床を遶りて青梅を弄す。

同じく長干の里に居り、兩つながら小【おさな】くして嫌猜無し。

十四 君が婦と為り、羞顏 未だ嘗て開かず。

頭を低れて暗壁に向ひ、千喚に一も回(めぐ)らさず。

 

(現代語訳)

(長江下流の商人船頭の妻の生活、男女の愛を詠う。)

私の髪がやっと額を覆うようになってきた頃、何の憂いもなく、門前のあたりで花を摘んで遊んでいた。
我が夫もそのころは竹馬に乗ってやってきて、寝床のまわりを回っては青い梅の実をもてあそんでいたのだ。
何せ、同じように長干の里にいて、幼い二人とも何の疑いもなく、仲睦まじかったのである。
14
歳であなたの妻になり、恥ずかしさで、はにかんで笑顔も作れないままだった。

うなだれて壁に向かっては、千度呼ばれても、一度も振り向かないでいた。

a謝霊運永嘉ルート02 

(訳注)

長干行

(長江下流の商人船頭の妻の生活、男女の愛を詠う。)

行は、うた。長干は今の南京の南にある小さな町。出稼ぎの商人たちの居住した町。
楽府「雑曲歌辞」長江下流の商人船頭の妻の生活を詠う。男女の愛を歌ったもので、六朝時代の楽府、風俗歌を下敷きにしている。

 

妾發初覆額。 折花門前劇。』
私の髪がやっと額を覆うようになってきた頃、何の憂いもなく、門前のあたりで花を摘んで遊んでいた。
 女の一人称。

 あそびたわむれる。

 

郎騎竹馬來。 繞床弄青梅。
我が夫もそのころは竹馬に乗ってやってきて、寝床のまわりを回っては青い梅の実をもてあそんでいたのだ。
 男の二人称。

竹馬 中国の竹馬は、一本の竹にまたがって走る。馬のたてがみをあらわす房が端についており、片端は地にひきずって走る。

青梅・繞床 男女の性行為を示唆する。からまる。性行為という意識を持たないで遊びでしていた。(おいしゃさんごっこ)


同居長干里。兩小無嫌猜。
何せ、同じように長干の里にいて、幼い二人とも何の疑いもなく、仲睦まじかったのである。
嫌猜 こだわり。嫌も、猜も、うたがうこと。性に対する表現。


十四為君婦。羞顏未嘗開。
14歳であなたの妻になり、恥ずかしさで、はにかんで笑顔も作れないままだった。


低頭向暗壁。千喚不一回。 
うなだれて壁に向かっては、千度呼ばれても、一度も振り向かないでいた。
李白図102 

99 《採蓮曲》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <99> Ⅰ李白詩1271 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4903

空が晴れ渡っているので、日差しは強く新妝を照らしていてその影が水の底まではっきりと映り、そこに風が吹いて来て、蓮の香りに加えて女のたもとを翻し、空中に舞上り、女のかおりもとどいてくる。

 
 2014年10月3日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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99 《採蓮曲》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <99> Ⅰ李白詩1271 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4903 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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99 《採蓮曲》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <99> Ⅰ李白詩1271 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4903

 

 

襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:    卷一六三              文體:    樂府

李太白集 巻三

詩題:    採蓮曲

及地點:若耶溪 (江南東道 越州 會稽) 別名:耶溪、若溪、浣紗溪         

 

 

採蓮曲

(江南の若い女が蓮を取りつつ戯れている様子を詠じた詩)

若耶溪傍採蓮女,笑隔荷花共人語。

蓮の名所と知られている若耶溪の辺りには、若い女が多く集まって蓮の花を取っているが、それぞれが蓮の葉影の深い所にいて蓮の花を隔てて話をしている。

日照新妝水底明,風飄香袂空中舉。

空が晴れ渡っているので、日差しは強く新妝を照らしていてその影が水の底まではっきりと映り、そこに風が吹いて来て、蓮の香りに加えて女のたもとを翻し、空中に舞上り、女のかおりもとどいてくる。

岸上誰家遊冶郎,三三五五映垂楊。

岸の上には放蕩者たちが三々五々と群れをなして、柳の間にいるが、いずれもたくましい馬に乗っている。

紫騮嘶入落花去,見此踟躕空斷腸。

やがて、馬が嘶いて落花の間に入って、向うへ去る時、ふと采蓮の女を垣間見たので、頻りに最近は女旱で心を悩ましているのに、ただ、うろうろしているだけなのだ。

 

(採蓮曲)

若耶【じゃくや】渓の傍り 採蓮の女、笑って荷花【かか】を隔てて人と共に語る。
日は新粧を照らして水底明らかに、風は香袖を飄して空中に挙がる。
岸上  誰が家の遊冶郎【ゆうやろう】ぞ、三三、五五、垂楊に映ず。
紫騮【しりゅう】落花に嘶【いなな】きて入りて去り、此れを見て踟蹰【ちちゅう】して空しく断腸。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->南池江 採蓮002
<!--[endif]-->

 

『採蓮曲』 現代語訳と訳註

(本文)

採蓮曲

若耶溪傍採蓮女,笑隔荷花共人語。

日照新妝水底明,風飄香袂空中舉。

岸上誰家遊冶郎,三三五五映垂楊。

紫騮嘶入落花去,見此踟躕空斷腸。

 

(含異文)

若耶溪傍採蓮女,笑隔荷花共人語。

日照新妝水底明,風飄香袂空中舉【風飄香袖空中舉】。

岸上誰家遊冶郎,三三五五映垂楊。

紫騮嘶入落花去,見此踟躕空斷腸。

 

(下し文)

(採蓮曲)

若耶【じゃくや】渓の傍り 採蓮の女、笑って荷花【かか】を隔てて人と共に語る。

日は新粧を照らして水底明らかに、風は香袖を飄して空中に挙がる。

岸上  誰が家の遊冶郎【ゆうやろう】ぞ、三三、五五、垂楊に映ず。

紫騮【しりゅう】落花に嘶【いなな】きて入りて去り、此れを見て踟蹰【ちちゅう】して空しく断腸。

 

(現代語訳)

(江南の若い女が蓮を取りつつ戯れている様子を詠じた詩)

蓮の名所と知られている若耶溪の辺りには、若い女が多く集まって蓮の花を取っているが、それぞれが蓮の葉影の深い所にいて蓮の花を隔てて話をしている。

空が晴れ渡っているので、日差しは強く新妝を照らしていてその影が水の底まではっきりと映り、そこに風が吹いて来て、蓮の香りに加えて女のたもとを翻し、空中に舞上り、女のかおりもとどいてくる。

岸の上には放蕩者たちが三々五々と群れをなして、柳の間にいるが、いずれもたくましい馬に乗っている。

やがて、馬が嘶いて落花の間に入って、向うへ去る時、ふと采蓮の女を垣間見たので、頻りに最近は女旱で心を悩ましているのに、ただ、うろうろしているだけなのだ。

 

呉越の地図 

(訳注)

採蓮曲

(江南の若い女が蓮を取りつつ戯れている様子を詠じた詩)

本来、「採蓮曲」というのは蓮の根を採る秋の労働歌だが、李白はそれを越の美女西施(せいし)が紗を洗い、蓮の花を採った事に柳絮(りゅうじょ)の舞う晩春の艶情の歌に変化させている、李白の真骨頂というべきもののひとつである。

 

若耶溪傍採蓮女,笑隔荷花共人語。

蓮の名所と知られている若耶溪の辺りには、若い女が多く集まって蓮の花を取っているが、それぞれが蓮の葉影の深い所にいて蓮の花を隔てて話をしている。

若耶溪 現在、平水江という名の川である。大禹陵前の湖水から会稽山の東側を流れる平水江から引いた運河があり、西側の南池江と繋がっている。それが、嘗て若耶溪と称されていた川である。

 

日照新妝水底明,風飄香袂空中舉。

空が晴れ渡っているので、日差しは強く新妝を照らしていてその影が水の底まではっきりと映り、そこに風が吹いて来て、蓮の香りに加えて女のたもとを翻し、空中に舞上り、女のかおりもとどいてくる。

新妝 若い女、顔に新たなお化粧を施した顔。

 

岸上誰家遊冶郎,三三五五映垂楊。

岸の上には放蕩者たちが三々五々と群れをなして、柳の間にいるが、いずれもたくましい馬に乗っている。

遊冶郎 酒色におぼれて、身持ちの悪い男。放蕩者。道楽者。

 

紫騮嘶入落花去,見此踟躕空斷腸。

やがて、赤毛の駿馬が嘶いて落花の間に入って、向うへ去る時、ふと采蓮の女を垣間見たので、頻りに最近は女旱で心を悩ましているのに、ただ、うろうろしているだけなのだ。

紫騮 赤毛の馬、説文に「騮は赤馬、黒毛の尾あり」とあり、爾雅の註に「赤色黒鬣」とある。紫は、つまり赤の濃いものである。鄭玄の毛詩箋に「赤身黒鬣を騮という。」とある。李白は以下の詩に紫騮について述べている。

《巻三20採蓮曲》「紫騮嘶入落花去。 見此踟躕空斷腸。

《巻五12紫騮馬》「紫騮行且嘶。 雙翻碧玉蹄。 臨流不肯渡。 似惜錦障泥。

《巻十七27宣城送劉副使入秦》「昔贈紫騮駒。 今傾白玉卮。 同歡萬斛酒。 未足解相思。」

踟躕 ①うろうろして先に進まないさま。徘徊はいかい②ためらう。決めかねる。③連なるさま。

斷腸 最近は女旱であること。

98 《楊叛兒》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <98> Ⅰ李白詩1270 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4898

(楊叛兒の古辞に依傍して、それをさらに解釈的に鋪張して、その意義を明白にした詩である。)

 
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(長江を下るとき、先に別れをした同僚か後輩、女妓に当てて叙したもの)長江の流れに乗って、呉楚方面に向おうとし、危なっかしいけど、筏のように大きな30m余りの大船である。

 
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97 《江行寄遠 李白 3index-5 1-5 725年開元十三年25歳<97> Ⅰ李白詩1266 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4878

 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  25 20 首 

 

 

年:725年開元十三年25

卷別: 卷一八一  文體: 五言古詩 

詩題: 江行寄遠 

 

 

江行寄遠

(長江を下るとき、先に別れをした同僚か後輩、女妓に当てて叙したもの)

刳木出楚,危槎百餘尺。 

長江の流れに乗って、呉楚方面に向おうとし、危なっかしいけど、筏のように大きな30m余りの大船である。

疾風吹片帆,日暮千里隔。 

こうして、疾風が、片帆を吹けば、舟の進みは早く、日暮には朝から千里隔てたところまで行くことだろう。

別時酒猶在,已為異客。 

別れの酒を酌み交わした時の名残は依然としてあるけれど、この身は既に異郷の地に、旅客となっているのだ。

思君不可得,愁見江水碧。 

しかしどんなに君のことを思ってみても、互いが逢うことはできないのである。ただ愁いて、この長江の水と蜀の川の水は同じ緑に澄んだ水を互いに見るということなのだ。

 

(江行して遠くに寄す)

刳木【こぼく】して呉楚に出づ、危槎【きさ】  百余尺。

疾風  片帆を吹き、日暮  千里を隔つ。

別時の酒  猶お在り、已に異郷の客と為る。

君を思えども得可からず、愁えて見る  江水の碧。

 

『江行寄遠』 現代語訳と訳註

(本文)

江行寄遠

刳木出楚,危槎百餘尺。 

疾風吹片帆,日暮千里隔。 

別時酒猶在,已為異客。 

思君不可得,愁見江水碧。 

 

 

(下し文)

(江行して遠くに寄す)

刳木【こぼく】して呉楚に出づ、危槎【きさ】  百余尺。

疾風  片帆を吹き、日暮  千里を隔つ。

別時の酒  猶お在り、已に異郷の客と為る。

君を思えども得可からず、愁えて見る  江水の碧。

 

(現代語訳)

(長江を下るとき、先に別れをした同僚か後輩、女妓に当てて叙したもの)

長江の流れに乗って、呉楚方面に向おうとし、危なっかしいけど、筏のように大きな30m余りの大船である。

こうして、疾風が、片帆を吹けば、舟の進みは早く、日暮には朝から千里隔てたところまで行くことだろう。

別れの酒を酌み交わした時の名残は依然としてあるけれど、この身は既に異郷の地に、旅客となっているのだ。

しかしどんなに君のことを思ってみても、互いが逢うことはできないのである。ただ愁いて、この長江の水と蜀の川の水は同じ緑に澄んだ水を互いに見るということなのだ。

三峡 巫山十二峰001 

(訳注)

江行寄遠

(長江を下るとき、先に別れをした同僚か後輩、女妓に当てて叙したもの)

 

刳木出楚,危槎百餘尺。 

長江の流れに乗って、呉楚方面に向おうとし、危なっかしいけど、筏のように大きな30m余りの大船である。

刳木 刳り舟を造ること。唐代では船旅の準備をする意味である。

危槎 筏のように大きなもの。おそらく泛ぶ面の高さが少し低い形の船とおもわれる。

百餘尺 30m余。李白は父親から長さ30mの小舟を用意してもらったのだ。

 

疾風吹片帆,日暮千里隔。 

こうして、疾風が、片帆を吹けば、舟の進みは早く、日暮には朝から千里隔てたところまで行くことだろう。

千里 三百里を過ぎれば千里という表現方法。どんなに順調でも150km程度の移動しかできないはずで、それでも時速20㎞である。

 

別時酒猶在,已為異客。 

別れの酒を酌み交わした時の名残は依然としてあるけれど、この身は既に異郷の地に、旅客となっているのだ。

 

思君不可得,愁見江水碧。 

しかしどんなに君のことを思ってみても、互いが逢うことはできないのである。ただ愁いて、この長江の水と蜀の川の水は同じ緑に澄んだ水を互いに見るということなのだ。

見江水碧 今、まさに、ここの水は緑で澄み切っていて、依然として蜀の錦江の色と同じである。君が見ている蜀江の水とここの水は繋がっていて同じ水を見ている。

李白《荊門浮舟望蜀江》

春水月峽來,浮舟望安極。 

正是桃花流,依然錦江色。 

江色綠且明,茫茫與天平。 

逶迤巴山盡,搖曳楚雲行。

雪照聚沙雁,花飛出谷鶯。 

芳洲卻已轉,碧樹森森迎。 

流目浦煙夕,揚帆海月生。 

江陵識遙火,應到渚宮城。

94-#2 《荊門浮舟望蜀江 -2index-5 1-5 725年開元十三年25歳 <94-#2> Ⅰ李白詩1264 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4868
岳陽樓詩人0051 李白図102

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