漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
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訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2014年11月

141-#1 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<142> Ⅰ李白詩1327 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5183

李白《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一》-#1(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)

 

 
 2014年11月30日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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141-#1 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<142> Ⅰ李白詩1327 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5183 
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27-#13 《此日足可惜贈張籍-13》韓愈(韓退之)ID <1242> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5194韓愈詩-27-#13 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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141-#1 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<142> Ⅰ李白詩1327 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5183

 

李白詩index- 9 730年開元十八年30歳 安陸から長安に遊ぶ。》

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

作地點:              終南山(京畿道 / 京兆府 / )

及地點:              金張館 (京畿道 京兆府 ) 別名:別館      

交遊人物:玉真公主           詩文提及

 

 

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)

秋坐金張館,繁陰晝不開。

公主の別館は、古の金氏と張氏、二氏の邸宅に比すべきこの公主別館に逗留しているところへ、折からの秋の空が搔き曇り、昼になっても鬱陶しく、長雨となった。

空煙迷雨色,蕭颯望中來。

空には中天に煙雲がかかり、雨色を迷わしていたのであるが、果然、蕭颯として雨が降り注ぐのを眺めるのであった。

翳翳昏墊苦,沈沈憂恨催。

そこで、もやもやして、暗くて、湿気が多くなるのに閉口し、沈々とした気分は続き、憂恨の念が催してきたのである。

 

清秋何以慰,白酒盈吾杯。

吟詠思管樂,此人已成灰。

獨酌聊自勉,誰貴經綸才。

彈劍謝公子,無魚良可哀。

 

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

秋 金張の館に坐し,繁陰 晝 開かず。

空煙 雨色を迷い,蕭颯として 望中より來る。

翳翳【えいえい】として昏墊【こんてん】苦,沈沈として憂恨 催す。

 

清秋 何を以て慰めん,白酒 吾が杯に盈つ。

吟詠 管樂を思い,此の人 已に灰に成る。

獨酌 聊【いささ】か 自ら勉む,誰か貴ばん 經綸の才。

劍を彈じて 公子に謝す,魚無きは 良【まこと】に哀しむ可し。

 

華山道教 

『玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一』 現代語訳と訳註解説

(本文)

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

秋坐金張館,繁陰晝不開。

空煙迷雨色,蕭颯望中來。

翳翳昏墊苦,沈沈憂恨催。

 

(下し文)

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

秋 金張の館に坐し,繁陰 晝 開かず。

空煙 雨色を迷い,蕭颯として 望中より來る。

翳翳【えいえい】として昏墊【こんてん】苦,沈沈として憂恨 催す。

 

(現代語訳)

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)

公主の別館は、古の金氏と張氏、二氏の邸宅に比すべきこの公主別館に逗留しているところへ、折からの秋の空が搔き曇り、昼になっても鬱陶しく、長雨となった。

空には中天に煙雲がかかり、雨色を迷わしていたのであるが、果然、蕭颯として雨が降り注ぐのを眺めるのであった。

そこで、もやもやして、暗くて、湿気が多くなるのに閉口し、沈々とした気分は続き、憂恨の念が催してきたのである。

楊貴妃清華池002 

(訳注)

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)

この詩は李白が玉真公主別館に滞在する間に、長雨に遭い、申し訳なく感じていたので、この詩を賦して、張説の息子張(求職を訴えていた)に贈ったもの。

玉真公主は睿宗のむすめ、字は持盈【じえい】、大極元年、出家して道士となった人である。この詩はその玉真公主に献じたものである。魏顥の言に倚れば李白は事あるごとに公主に献じていたという。

衛尉 宮殿の門内に役所あり衛士と屯兵とを掌る。丞(輔佐)一人。属官には、国事、散召を掌る公車司馬(官車で召された人を送迎また宮中を夜間巡視する宮殿の司馬門の役所を掌る武官)、衛士(宿衛の士)、旅蕡三令丞(戎と盾とをもち王車を護衛する三人の令、長と丞、衛士三人の丞)、また諸屯の衛候(見張役)、司馬二十二人(宮殿の外門を総称して司馬門といいまた単に司馬ともいう。その近衛兵)。

張卿 張? - 至徳2載(757年))は、唐代玄宗朝に仕えた政治家。名宰相とされる張説の次子であり、玄宗の娘婿であったが、安史の乱の際、安禄山に仕えたため、処刑された。兄に張均、弟に張がいる

 

秋坐金張館,繁陰晝不開。

公主の別館は、古の金氏と張氏、二氏の邸宅に比すべきこの公主別館に逗留しているところへ、折からの秋の空が搔き曇り、昼になっても鬱陶しく、長雨となった。

金張館 古の金氏と張氏、二氏の邸宅に比すべき玉真公主の別館。

晝不開 空が晴れることが無くなる。昼になっても鬱陶しくて心がひらかない。

 

空煙迷雨色,蕭颯望中來。

空には中天に煙雲がかかり、雨色を迷わしていたのであるが、果然、蕭颯として雨が降り注ぐのを眺めるのであった。

 

翳翳昏墊苦,沈沈憂恨催。

そこで、もやもやして、暗くて、湿気が多くなるのに閉口し、沈々とした気分は続き、憂恨の念が催してきたのである。

昏墊 暗くて、湿気が多くなる。

憂恨 () 1.猶愎恨。 固執, 乖戾。 2.憂愁怨恨。 南朝梁沈約《從軍行》「惜哉征夫子, 憂恨良獨多。」

141 《玉真仙人詞》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<141> Ⅰ李白詩1326 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5178

李白《玉真仙人詞》 中嶽である嵩山の中にある少室石闕銘の山に行かれたのであれば、仙女の女王である西王母が大歓迎で応対してくれ、早いうちに仙道を修得されることでしょう。

 
 2014年11月29日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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141 《玉真仙人詞》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<141> Ⅰ李白詩1326 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5178 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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27-#12 《此日足可惜贈張籍-12》韓愈(韓退之)ID <1241> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5189 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-10-4奉節-2《客堂 -#4》 杜甫index-15 杜甫<876> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5190 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor《花間集序 (4)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-729--() 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5192 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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141 《玉真仙人詞》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<141> Ⅰ李白詩1326 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5178

 

 

李白詩index- 9 730年開元十八年30歳 安陸から長安に遊ぶ。》李白

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六七              文體:    五言古詩

詩題:    玉真仙人詞

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳             

少室山 (都畿道 河南府 少室山)       

交遊人物:玉真公主           書信往來

 

 

玉真仙人詞

(玉真公主であった仙人にこの詞を献ずる)

玉真之仙人,時往太華峰。

玉真の仙人は、公主であられたお方であるのに道士になられた、時々、長安を発って華山の絶頂に赴かれるという。

清晨鳴天鼓,飆欻騰雙龍。

晴れ渡った清々しい夜明け時に道教の歯を鳴らして行う「天鼓の法」が行われ、やがて身を躍らして雙竜にまたがり、飄忽として天空を飛行された。

弄電不輟手,行雲本無蹤。

手に電光を弄してしばらく止まれず、そうしてその行方は、雲が流れるまま行かれ、後を残すことはなかった。

幾時入少室,王母應相逢。

それが、中嶽である嵩山の中にある少室石闕銘の山に行かれたのであれば、仙女の女王である西王母が大歓迎で応対してくれ、早いうちに仙道を修得されることでしょう。

 

(玉真仙人の詞)

玉真の仙人,時に太華峰に往く。

清晨 天鼓を鳴らし,飆欻【ひょうこつ】雙龍を騰【のぼ】らしむ。

電を弄して手を輟【や】めず,行雲 本と蹤無し。

幾時か少室に入って,王母 應に相い逢うべきか。

 華山道教

 

『玉真仙人詞』 現代語訳と訳註解説

(本文)

玉真仙人詞

玉真之仙人,時往太華峰。

清晨鳴天鼓,飆欻騰雙龍。

弄電不輟手,行雲本無蹤。

幾時入少室,王母應相逢。

 

 

(下し文)

(玉真仙人の詞)

玉真の仙人,時に太華峰に往く。

清晨 天鼓を鳴らし,飆欻【ひょうこつ】雙龍を騰【のぼ】らしむ。

電を弄して手を輟【や】めず,行雲 本と蹤無し。

幾時か少室に入って,王母 應に相い逢うべきか。

 

(現代語訳)

(玉真公主であった仙人にこの詞を献ずる)

玉真の仙人は、公主であられたお方であるのに道士になられた、時々、長安を発って華山の絶頂に赴かれるという。

晴れ渡った清々しい夜明け時に道教の歯を鳴らして行う「天鼓の法」が行われ、やがて身を躍らして雙竜にまたがり、飄忽として天空を飛行された。

手に電光を弄してしばらく止まれず、そうしてその行方は、雲が流れるまま行かれ、後を残すことはなかった。

それが、中嶽である嵩山の中にある少室石闕銘の山に行かれたのであれば、仙女の女王である西王母が大歓迎で応対してくれ、早いうちに仙道を修得されることでしょう。

花蕊夫人002 

(訳注)

玉真仙人詞

(玉真公主であった仙人にこの詞を献ずる)

玉真公主は睿宗のむすめ、字は持盈【じえい】、大極元年、出家して道士となった人である。この詩はその玉真公主に献じたものである。魏顥の言に倚れば李白は事あるごとに公主に献じていたという。

 

玉真之仙人,時往太華峰。

玉真の仙人は、公主であられたお方であるのに道士になられた、時々、長安を発って華山の絶頂に赴かれるという。

○太華峰 五岳の一つ華山のこと。華山は、中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。韓愈《晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和》「南伐旋師太華東,天書夜到冊元功。」《晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <847  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3219韓愈詩-219

韓愈《華山女》(現在の陝西省華陰県にある山)に住む少女が、女道士となって、大変人気があったが、彼の女を取りまく信者たちの熱狂ぶりや、彼の女に妙な興味をいだく好き者たちの行動をえがいて、その愚かさを諷刺した。

華山女 韓退之(韓愈)詩<113-1>Ⅱ中唐詩553 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1778

 

清晨鳴天鼓,飆欻騰雙龍。

晴れ渡った清々しい夜明け時に道教の歯を鳴らして行う「天鼓の法」が行われ、やがて身を躍らして雙竜にまたがり、飄忽として天空を飛行された。

○天鼓 夜明け時に道教の経典を唱え、歯を鳴らして行う「天鼓の法」というもの。

 

弄電不輟手,行雲本無蹤。

手に電光を弄してしばらく止まれず、そうしてその行方は、雲が流れるまま行かれ、後を残すことはなかった。

 

幾時入少室,王母應相逢。

それが、中嶽である嵩山の中にある少室石闕銘の山に行かれたのであれば、仙女の女王である西王母が大歓迎で応対してくれ、早いうちに仙道を修得されることでしょう。

○少室 嵩山三闕銘(すうざんさんけつめい)の少室石闕銘のこと。中国の後漢代、元初5118)年から延光2123)年にかけて建てられた嵩山太室石闕銘・嵩山少室石闕銘・嵩山開母廟石闕銘の総称。隷書が公式書体であった漢代にあって、極めて珍しい篆書による金石文である。

○王母 中国で古くから信仰された女仙、女神。姓は楊、名は回。 九霊太妙亀山金母、太霊九光亀台金母、瑶池金母、王母娘娘などともいう。 王母は祖母の謂いであり、西王母とは、西方の崑崙山上に住する女性の尊称である。
函谷関002 

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李白《邠()歌行上新平長史兄粲》-#3これは人生のことであり、前に栄華を極めたものが、後には枯落するというもので、翻覆というものは常ならんもので、自分も今不遇の境遇にあるから、貴兄との義兄弟のよしみで、餘光を借りるを許して、どうか引き立ててもらいたいと思っている。

 
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年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    ()歌行上新平長史兄粲

作地點:              邠州(京畿道 / 邠州 / 邠州)

及地點:             

邠州 (京畿道 邠州 邠州) 別名:桂陽、新平、豳         

邠谷 (京畿道 邠州 邠州)    

交遊人物:李粲    當地交遊(京畿道 邠州 邠州)

 

 

()歌行上新平長史兄粲

(新平郡の長史である族兄の李粲というものに贈ったもの)

邠谷稍稍振庭柯,涇水浩浩揚湍波。

秋の季節もいい時季に、身は依然として、邠州の谷間に寓居しているが、庭には木樹は、葉が落ちつくして枝だけがにょきにょきと交差している。涇水は漲って早瀬の波をうって流れている。

哀鴻酸嘶暮聲急,愁雲蒼慘寒氣多。

その時、大雁は夕暮れにあたって悲しい声を残して飛んでゆく、雲は愁いを重ねる様に深く立ち込めて、そぞろに寒さを覚える。

憶昨去家此為客,荷花初紅柳條碧。

前日、家を去って、この地に来たので、その時は蓮の花が初めて紅の花を咲かせ、柳の枝葉が青く繁っていた。

(邠【ひん】歌行、新平の長史 兄粲【けいさん】に上【たてまつ】る)

邠谷 稍稍として 庭柯を振い,涇水 浩浩として 湍波を揚ぐ。

哀鴻【あいこう】酸嘶【さんせい】暮聲 急なり,愁雲 蒼慘 寒氣多し。

憶う 昨 去家をって此に客と為り,荷花 初めて紅にして 柳條 碧なり。

 

-#2

中宵出飲三百杯,明朝歸揖二千石。

ここに滞在している間、夜ごと,市中に出て宵の間に三百杯の酒を呑み、翌朝になれば、この州の長史である貴兄に会釈し、普通に仕事をこなしたのである。

寧知流寓變光輝,胡霜蕭颯繞客衣。

而も、この地に流寓している間に、太陽と月の輝きが変動し、北の国境の先の異民族地に霜が降り雪が降り、寒風が吹きつけるようになって、旅人の衣を廻るようになった。

寒灰寂寞憑誰暖,落葉飄揚何處歸。

火桶もすぐに灰になり、部屋は悲惨な状態になってしまう、誰も火を継ぎ足したり、暖かくしてくれる人があろうか、落ち葉は突風に吹かれて、飄颻として何処へ飛んでゆくのだろうか、帰って来ることはない。

-#2

中宵【ちゅうしょう】出でて 飲む 三百杯,明朝歸って 揖【ゆう】す 二千石。

寧ろ知らん 流寓 光輝を變じ,胡霜 蕭颯 客衣を繞るを。

寒灰 寂寞として 誰に憑ってか暖めん,落葉 飄揚として 何處にか歸る。
 

-#3

吾兄行樂窮曛旭,滿堂有美顏如玉。

このように、時節の移り変わりは、どうしようもないことで、我々は貴兄に薦めるのは、だからこそ、朝に、夕に行楽を極めることがよろしいと思うし、珠のように麗しい妓女たちがこの奥座敷にはいっぱいいるのだからなおさらであろう。

趙女長歌入綵雲,燕醉舞嬌紅燭。

趙の女は歌が上手で、その歌声は仙郷の彩雲まで届くし、燕の姫妓が酔うて踊るさまは紅燭に映じてとても艶めかしく見える。

狐裘獸炭酌流霞,壯士悲吟寧見嗟。

そこで秋の終わりになったので、狐裘の暖かい着物を着こんで、獸炭で酒を温めて流霞の盃を浮かべて痛飲すべく、壯士の悲吟をまねて、長嗟するにも及ばない。

前榮後枯相翻覆,何惜餘光及棣華。

これは人生のことであり、前に栄華を極めたものが、後には枯落するというもので、翻覆というものは常ならんもので、自分も今不遇の境遇にあるから、貴兄との義兄弟のよしみで、餘光を借りるを許して、どうか引き立ててもらいたいと思っている。

-#3

吾が兄 行樂 曛旭を窮めよ,滿堂 美有り 顏 玉の如し。

趙の女 長歌して 綵雲に入り,燕の 醉舞して 紅燭嬌なり。

狐裘 獸炭 流霞を酌み,壯士 悲吟 寧ろ 嗟せらる。

前榮後枯 相い翻覆し,何ぞ惜まん 餘光の棣華に及ぶを。

邠州亰兆府00 

 

『邠()歌行上新平長史兄粲』 現代語訳と訳註解説

(本文) -3

吾兄行樂窮曛旭,滿堂有美顏如玉。

趙女長歌入綵雲,燕醉舞嬌紅燭。

狐裘獸炭酌流霞,壯士悲吟寧見嗟。

前榮後枯相翻覆,何惜餘光及棣華。

 

(下し文) -3

吾が兄 行樂 曛旭を窮めよ,滿堂 美有り 顏 玉の如し。

趙の女 長歌して 綵雲に入り,燕の 醉舞して 紅燭嬌なり。

狐裘 獸炭 流霞を酌み,壯士 悲吟 寧ろ 嗟せらる。

前榮後枯 相い翻覆し,何ぞ惜まん 餘光の棣華に及ぶを。

 

(現代語訳)

このように、時節の移り変わりは、どうしようもないことで、我々は貴兄に薦めるのは、だからこそ、朝に、夕に行楽を極めることがよろしいと思うし、珠のように麗しい妓女たちがこの奥座敷にはいっぱいいるのだからなおさらであろう。

趙の女は歌が上手で、その歌声は仙郷の彩雲まで届くし、燕の姫妓が酔うて踊るさまは紅燭に映じてとても艶めかしく見える。

そこで秋の終わりになったので、狐裘の暖かい着物を着こんで、獸炭で酒を温めて流霞の盃を浮かべて痛飲すべく、壯士の悲吟をまねて、長嗟するにも及ばない。

これは人生のことであり、前に栄華を極めたものが、後には枯落するというもので、翻覆というものは常ならんもので、自分も今不遇の境遇にあるから、貴兄との義兄弟のよしみで、餘光を借りるを許して、どうか引き立ててもらいたいと思っている。

 

華州から秦州同谷成都00 (訳注) -#2

()歌行上新平長史兄粲

(新平郡の長史である族兄の李粲というものに贈ったもの)

○邠() 周の先祖公劉が初めて都としたところ。邠州は、いにしえの豳国、西魏、豳州を置き、後周、隋の時も個の名称であった。唐開元十三年、邠州とし、天寶三載、新平郡とした。

○長史 州の佐職で、今でいえば県の理事官程度のものである。

 

吾兄行樂窮曛旭,滿堂有美顏如玉。

このように、時節の移り変わりは、どうしようもないことで、我々は貴兄に薦めるのは、だからこそ、朝に、夕に行楽を極めることがよろしいと思うし、珠のように麗しい妓女たちがこの奥座敷にはいっぱいいるのだからなおさらであろう。

○曛旭 朝に、夕に。

 

趙女長歌入綵雲,燕醉舞嬌紅燭。

趙の女は歌が上手で、その歌声は仙郷の彩雲まで届くし、燕の姫妓が酔うて踊るさまは紅燭に映じてとても艶めかしく見える。

○趙 現在の山西省と河北省の一部を指す。 戦国七雄の1つの趙国。

○燕 戦国七雄の一つ。河北省北部、現在の北京を中心とする土地を支配した。首都は薊(けい)で、現在の北京にあたる。

 

狐裘獸炭酌流霞,壯士悲吟寧見嗟。

そこで秋の終わりになったので、狐裘の暖かい着物を着こんで、獸炭で酒を温めて流霞の盃を浮かべて痛飲すべく、壯士の悲吟をまねて、長嗟するにも及ばない。

○獸炭 ① 粉炭をねって獣の形に作ったたどん。 活性炭の一種。獣の血・肉・骨などを乾留して作った黒色の炭素質の物質の総称。吸着剤として,薬用または脱臭・脱色用に用いる。骨炭・血炭など。

○流霞 李白『遊泰山.六首其一』「遺我流霞盃」(我に流霞【りゅうか】の盃を遺る。)

 

前榮後枯相翻覆,何惜餘光及棣華。

これは人生のことであり、前に栄華を極めたものが、後には枯落するというもので、翻覆というものは常ならんもので、自分も今不遇の境遇にあるから、貴兄との義兄弟のよしみで、餘光を借りるを許して、どうか引き立ててもらいたいと思っている。

○餘光 ① あとまで残る光。 先人の名声が,のちにまで影響を与えること。余徳。おかげ。

○棣華 兄弟愛の美しさを詠うもの、「常棣」じょうていの冒頭にある「常棣の華」のことです。『詩経』小雅・鹿鳴之什「常棣之華、鄂不、凡今之人、莫如兄弟」
李白図102 

140-#2 《邠(豳)歌行上新平長史兄粲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<140-#2> Ⅰ李白詩1326 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5178

李白《邠()歌行上新平長史兄粲》-#2 ここに滞在している間、夜ごと,市中に出て宵の間に三百杯の酒を呑み、翌朝になれば、この州の長史である貴兄に会釈し、普通に仕事をこなしたのである。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    ()歌行上新平長史兄粲

作地點:              邠州(京畿道 / 邠州 / 邠州)

及地點:             

邠州 (京畿道 邠州 邠州) 別名:桂陽、新平、豳         

邠谷 (京畿道 邠州 邠州)    

交遊人物:李粲    當地交遊(京畿道 邠州 邠州)

 

 

()歌行上新平長史兄粲

(新平郡の長史である族兄の李粲というものに贈ったもの)

邠谷稍稍振庭柯,涇水浩浩揚湍波。

秋の季節もいい時季に、身は依然として、邠州の谷間に寓居しているが、庭には木樹は、葉が落ちつくして枝だけがにょきにょきと交差している。涇水は漲って早瀬の波をうって流れている。

哀鴻酸嘶暮聲急,愁雲蒼慘寒氣多。

その時、大雁は夕暮れにあたって悲しい声を残して飛んでゆく、雲は愁いを重ねる様に深く立ち込めて、そぞろに寒さを覚える。

憶昨去家此為客,荷花初紅柳條碧。

前日、家を去って、この地に来たので、その時は蓮の花が初めて紅の花を咲かせ、柳の枝葉が青く繁っていた。

(邠【ひん】歌行、新平の長史 兄粲【けいさん】に上【たてまつ】る)

邠谷 稍稍として 庭柯を振い,涇水 浩浩として 湍波を揚ぐ。

哀鴻【あいこう】酸嘶【さんせい】暮聲 急なり,愁雲 蒼慘 寒氣多し。

憶う 昨 去家をって此に客と為り,荷花 初めて紅にして 柳條 碧なり。

 

-#2

中宵出飲三百杯,明朝歸揖二千石。

ここに滞在している間、夜ごと,市中に出て宵の間に三百杯の酒を呑み、翌朝になれば、この州の長史である貴兄に会釈し、普通に仕事をこなしたのである。

寧知流寓變光輝,胡霜蕭颯繞客衣。

而も、この地に流寓している間に、太陽と月の輝きが変動し、北の国境の先の異民族地に霜が降り雪が降り、寒風が吹きつけるようになって、旅人の衣を廻るようになった。

寒灰寂寞憑誰暖,落葉飄揚何處歸。

火桶もすぐに灰になり、部屋は悲惨な状態になってしまう、誰も火を継ぎ足したり、暖かくしてくれる人があろうか、落ち葉は突風に吹かれて、飄颻として何処へ飛んでゆくのだろうか、帰って来ることはない。

-#2

中宵【ちゅうしょう】出でて 飲む 三百杯,明朝歸って 揖【ゆう】す 二千石。

寧ろ知らん 流寓 光輝を變じ,胡霜 蕭颯 客衣を繞るを。

寒灰 寂寞として 誰に憑ってか暖めん,落葉 飄揚として 何處にか歸る。

 

-#3

吾兄行樂窮曛旭,滿堂有美顏如玉。

趙女長歌入綵雲,燕醉舞嬌紅燭。

狐裘獸炭酌流霞,壯士悲吟寧見嗟。

前榮後枯相翻覆,何惜餘光及棣華。

 

 

-#3

吾が兄 行樂 曛旭を窮めよ,滿堂 美有り 顏 玉の如し。

趙の女 長歌して 綵雲に入り,燕の 醉舞して 紅燭嬌なり。

狐裘 獸炭 流霞を酌み,壯士 悲吟 寧ろ 嗟せらる。

前榮後枯 相い翻覆し,何ぞ惜まん 餘光の棣華に及ぶを。

 

華州から秦州同谷成都00

『邠()歌行上新平長史兄粲』 現代語訳と訳註解説

(本文) -#2

中宵出飲三百杯,明朝歸揖二千石。

寧知流寓變光輝,胡霜蕭颯繞客衣。

寒灰寂寞憑誰暖,落葉飄揚何處歸。

 

(下し文) -#2

中宵【ちゅうしょう】出でて 飲む 三百杯,明朝歸って 揖【ゆう】す 二千石。

寧ろ知らん 流寓 光輝を變じ,胡霜 蕭颯 客衣を繞るを。

寒灰 寂寞として 誰に憑ってか暖めん,落葉 飄揚として 何處にか歸る。

 

(現代語訳)

ここに滞在している間、夜ごと,市中に出て宵の間に三百杯の酒を呑み、翌朝になれば、この州の長史である貴兄に会釈し、普通に仕事をこなしたのである。

而も、この地に流寓している間に、太陽と月の輝きが変動し、北の国境の先の異民族地に霜が降り雪が降り、寒風が吹きつけるようになって、旅人の衣を廻るようになった。

火桶もすぐに灰になり、部屋は悲惨な状態になってしまう、誰も火を継ぎ足したり、暖かくしてくれる人があろうか、落ち葉は突風に吹かれて、飄颻として何処へ飛んでゆくのだろうか、帰って来ることはない。

邠州亰兆府00 

 (訳注) -#2

()歌行上新平長史兄粲

(新平郡の長史である族兄の李粲というものに贈ったもの)

() 周の先祖公劉が初めて都としたところ。邠州は、いにしえの豳国、西魏、豳州を置き、後周、隋の時も個の名称であった。唐開元十三年、邠州とし、天寶三載、新平郡とした。

長史 州の佐職で、今でいえば県の理事官程度のものである。

 

 

中宵出飲三百杯,明朝歸揖二千石。

ここに滞在している間、夜ごと,市中に出て宵の間に三百杯の酒を呑み、翌朝になれば、この州の長史である貴兄に会釈し、普通に仕事をこなしたのである。

○三百杯、二千石 一回の飲酒の席では、三百杯飲む。李白將進酒會須一飮三百杯後漢・経学家の鄭玄は、袁紹が催した送別の宴席で、三百杯を飲んで酔わなかったという。

李白月下獨酌四首 其四《月下獨酌四首 其四》「窮愁千萬端,美酒三百杯。」李白と道教48襄陽歌「百年三萬六千日,一日須傾三百杯」

李延年は協律都尉に任命されて二千石の印綬を帯び、武帝と寝起きを共にするほど寵愛された。

 

寧知流寓變光輝,胡霜蕭颯繞客衣。

而も、この地に流寓している間に、太陽と月の輝きが変動し、北の国境の先の異民族地に霜が降り雪が降り、寒風が吹きつけるようになって、旅人の衣を廻るようになった。

 

寒灰寂寞憑誰暖,落葉飄揚何處歸。

火桶もすぐに灰になり、部屋は悲惨な状態になってしまう、誰も火を継ぎ足したり、暖かくしてくれる人があろうか、落ち葉は突風に吹かれて、飄颻として何処へ飛んでゆくのだろうか、帰って来ることはない。
芍薬001 

140-#1 《邠(豳)歌行上新平長史兄粲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<140-#1> Ⅰ李白詩1325 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5173

李白《邠()歌行上新平長史兄粲》-#1 秋の季節もいい時季に、身は依然として、邠州の谷間に寓居しているが、庭には木樹は、葉が落ちつくして枝だけがにょきにょきと交差している。涇水は漲って早瀬の波をうって流れている。

 
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140-#1 《邠()歌行上新平長史兄粲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<140-#1> Ⅰ李白詩1325 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5173

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    ()歌行上新平長史兄粲

作地點:              邠州(京畿道 / 邠州 / 邠州)

及地點:             

邠州 (京畿道 邠州 邠州) 別名:桂陽、新平、豳         

邠谷 (京畿道 邠州 邠州)    

交遊人物:李粲    當地交遊(京畿道 邠州 邠州)

 

 

()歌行上新平長史兄粲

(新平郡の長史である族兄の李粲というものに贈ったもの)

邠谷稍稍振庭柯,涇水浩浩揚湍波。

秋の季節もいい時季に、身は依然として、邠州の谷間に寓居しているが、庭には木樹は、葉が落ちつくして枝だけがにょきにょきと交差している。涇水は漲って早瀬の波をうって流れている。

哀鴻酸嘶暮聲急,愁雲蒼慘寒氣多。

その時、大雁は夕暮れにあたって悲しい声を残して飛んでゆく、雲は愁いを重ねる様に深く立ち込めて、そぞろに寒さを覚える。

憶昨去家此為客,荷花初紅柳條碧。

前日、家を去って、この地に来たので、その時は蓮の花が初めて紅の花を咲かせ、柳の枝葉が青く繁っていた。

(邠【ひん】歌行、新平の長史 兄粲【けいさん】に上【たてまつ】る)

邠谷 稍稍として 庭柯を振い,涇水 浩浩として 湍波を揚ぐ。

哀鴻【あいこう】酸嘶【さんせい】暮聲 急なり,愁雲 蒼慘 寒氣多し。

憶う 昨 去家をって此に客と為り,荷花 初めて紅にして 柳條 碧なり。

 

-#2

中宵出飲三百杯,明朝歸揖二千石。

寧知流寓變光輝,胡霜蕭颯繞客衣。

寒灰寂寞憑誰暖,落葉飄揚何處歸。

 

-#3

吾兄行樂窮曛旭,滿堂有美顏如玉。

趙女長歌入綵雲,燕醉舞嬌紅燭。

狐裘獸炭酌流霞,壯士悲吟寧見嗟。

前榮後枯相翻覆,何惜餘光及棣華。

 

 

-#2

中宵【ちゅうしょう】出でて 飲む 三百杯,明朝歸って 揖【ゆう】す 二千石。

寧ろ知らん 流寓 光輝を變じ,胡霜 蕭颯 客衣を繞るを。

寒灰 寂寞として 誰に憑ってか暖めん,落葉 飄揚として 何處にか歸る。

吾が兄 行樂 曛旭を窮めよ,滿堂 美有り 顏 玉の如し。

趙の女 長歌して 綵雲に入り,燕の 醉舞して 紅燭嬌なり。

狐裘 獸炭 流霞を酌み,壯士 悲吟 寧ろ 嗟せらる。

前榮後枯 相い翻覆し,何ぞ惜まん 餘光の棣華に及ぶを。

 

 

『邠()歌行上新平長史兄粲』 現代語訳と訳註解説

(本文)

()歌行上新平長史兄粲

邠谷稍稍振庭柯,涇水浩浩揚湍波。

哀鴻酸嘶暮聲急,愁雲蒼慘寒氣多。

憶昨去家此為客,荷花初紅柳條碧。

 

 

(下し文)

(邠【ひん】歌行、新平の長史 兄粲【けいさん】に上【たてまつ】る)

邠谷 稍稍として 庭柯を振い,涇水 浩浩として 湍波を揚ぐ。

哀鴻【あいこう】酸嘶【さんせい】暮聲 急なり,愁雲 蒼慘 寒氣多し。

憶う 昨 去家をって此に客と為り,荷花 初めて紅にして 柳條 碧なり。

 

(現代語訳)

(新平郡の長史である族兄の李粲というものに贈ったもの)

秋の季節もいい時季に、身は依然として、邠州の谷間に寓居しているが、庭には木樹は、葉が落ちつくして枝だけがにょきにょきと交差している。涇水は漲って早瀬の波をうって流れている。

その時、大雁は夕暮れにあたって悲しい声を残して飛んでゆく、雲は愁いを重ねる様に深く立ち込めて、そぞろに寒さを覚える。

前日、家を去って、この地に来たので、その時は蓮の花が初めて紅の花を咲かせ、柳の枝葉が青く繁っていた。

 

華州から秦州同谷成都00

(訳注)

()歌行上新平長史兄粲

(新平郡の長史である族兄の李粲というものに贈ったもの)

() 周の先祖公劉が初めて都としたところ。邠州は、いにしえの豳国、西魏、豳州を置き、後周、隋の時も個の名称であった。唐開元十三年、邠州とし、天寶三載、新平郡とした。

長史 州の佐職で、今でいえば県の理事官程度のものである。

 

邠谷稍稍振庭柯,涇水浩浩揚湍波。

秋の季節もいい時季に、身は依然として、邠州の谷間に寓居しているが、庭には木樹は、葉が落ちつくして枝だけがにょきにょきと交差している。涇水は漲って早瀬の波をうって流れている。

邠谷 邠州の谷間。

稍稍振庭柯 庭には木樹は、葉が落ちつくして枝だけがにょきにょきと交差している。

涇水 陝西省中部の渭河(渭水)の支流,涇河ともいう。寧夏回族自治区と甘粛省の境界,六盤(りくばん)山系に発し,南東へ流れ,渭河盆地の中央付近で渭河と合流する。全長約450km。黄土高原をへるため土砂が多く水はにごり,〈涇渭〉として本流の澄んだ渭河と対比される。秦代に東方の洛河とを結ぶ鄭国渠(ていこくきよ)が開かれ,また,漢の武帝時代には渭河に直結する白渠も開削されるなど,早くから灌漑に利用されてきた。

揚湍波 早瀬の波をうって流れている。

 

哀鴻酸嘶暮聲急,愁雲蒼慘寒氣多。

その時、大雁は夕暮れにあたって悲しい声を残して飛んでゆく、雲は愁いを重ねる様に深く立ち込めて、そぞろに寒さを覚える。

鴻 大雁。

酸嘶 悲しい声を残して飛んでゆく。


 

憶昨去家此為客,荷花初紅柳條碧。

前日、家を去って、この地に来たので、その時は蓮の花が初めて紅の花を咲かせ、柳の枝葉が青く繁っていた。

荷花初紅 蓮の花が初めて紅の花を咲かせる。

柳條碧 柳の枝葉が青く繁っていた。
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139 《鳳臺曲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <139> Ⅰ李白詩1324 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5168

李白《鳳臺曲》 聞くところによれば、かつて秦の穆公の娘の弄玉はたくみに玉簫を吹いて、鳳凰のまねたという。それより前のころに、仙子である蕭史に出会ったのであるが、その時に一目ぼれしたという。

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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139 《鳳臺曲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <139> Ⅰ李白詩1324 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5168 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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27-#8 《此日足可惜贈張籍-8》韓愈(韓退之)ID <1237> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5169韓愈詩-27-#8 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-9 《引水》 杜甫index-15 杜甫<872> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5170 杜甫詩1500-872-1205/2500766年大暦元年55歲-9 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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139 《鳳臺曲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <139> Ⅰ李白詩1324 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5168

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    鳳臺曲

作地點:              岐山(縣)(京畿道 / 岐州 / 岐山)

及地點:鳳女臺 (京畿道 岐州 岐山) 別名:鳳臺         

 

 

鳳臺曲

(弄玉のことを詠う。)

嘗聞秦帝女,傳得鳳凰聲。

聞くところによれば、かつて秦の穆公の娘の弄玉はたくみに玉簫を吹いて、鳳凰のまねたという。

是日逢仙子,當時別有情。

それより前のころに、仙子である蕭史に出会ったのであるが、その時に一目ぼれしたという。

人吹綵簫去,天借綠雲迎。

こうして二人は飾って綺麗な簫玉を吹いて、仙界に上った。天は綠雲をお迎えに出してきて、これを借りて昇ったのだ。

曲在身不返,空餘弄玉名。

かくて、玉簫の曲は、今に至って伝わっているが、人は再び帰ることはなく、ただ、弄玉という名前だけを余しているのだ。

 

鳳臺曲

嘗て聞く秦帝の女,鳳凰の聲を傳え得たり。

是の日 仙子に逢う,當時 別に情有り。

人は綵簫を吹いて去り,天は綠雲を借して迎う。

曲在れども 身返らず,空しく餘す弄玉の名。

 

 

鳳凰曲

嬴女吹玉簫,吟弄天上春。

青鸞不獨去,更有攜手人。

影滅彩雲斷,遺聲落西秦。

(蕭史弄玉二人が鳳凰に乗って仙界に上ったということからこの詩を作った。)

秦の穆公の娘の弄玉は玉簫を吹くことを学び、だんだん上手になって、此れを吹くことによって天上に春が満ちたような思いがする。

こうして、仕舞に鳳凰に乗じて仙界に昇ったが、ひとりで去ったのではなく、その夫、蕭史と手を携えていったのである。

それから、その影が見えなくなり、五色の彩雲も消えてしまったが、その玉簫の遺聲だけはこの西秦の地、岐山におちて鳳女臺として今に伝える。

 

 (鳳凰曲)

嬴女【えいじょ】玉簫を吹き,吟弄す 天上の春。

青鸞 獨り去らず,更に手を攜える人有り。

影は滅して 彩雲斷え,遺聲 西秦に落つ。

 

李白の足跡003 

『鳳臺曲』 現代語訳と訳註解説

(本文)

鳳臺曲

嘗聞秦帝女,傳得鳳凰聲。

是日逢仙子,當時別有情。

人吹綵簫去,天借綠雲迎。

曲在身不返,空餘弄玉名。

 

(含異文)

嘗聞秦帝女,傳得鳳凰聲。

是日逢仙子,當時別有情。

人吹綵簫去,天借綠雲迎。

曲在身不返【心在身不返】,空餘弄玉名。

 

(下し文)

鳳臺曲

嘗て聞く秦帝の女,鳳凰の聲を傳え得たり。

是の日 仙子に逢う,當時 別に情有り。

人は綵簫を吹いて去り,天は綠雲を借して迎う。

曲在れども 身返らず,空しく餘す弄玉の名。

 

(現代語訳)

(弄玉のことを詠う。)

聞くところによれば、かつて秦の穆公の娘の弄玉はたくみに玉簫を吹いて、鳳凰のまねたという。

それより前のころに、仙子である蕭史に出会ったのであるが、その時に一目ぼれしたという。

こうして二人は飾って綺麗な簫玉を吹いて、仙界に上った。天は綠雲をお迎えに出してきて、これを借りて昇ったのだ。

かくて、玉簫の曲は、今に至って伝わっているが、人は再び帰ることはなく、ただ、弄玉という名前だけを余しているのだ。

 

巫山十二峰002 

(訳注)

鳳臺曲

(弄玉のことを詠う。)

秦の穆王の弄玉と蕭史は二人道を得、鳳凰に乗って飛び去った。

蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。江淹「畫作秦王女乘鸞向煙霧。」とある。

漢の劉向《列仙傳・卷上・蕭史》「蕭史善吹簫,作鳳鳴。秦穆公以女弄玉妻之,作鳳樓,教弄玉吹簫,感鳳來集,弄玉乘鳳、蕭史乘龍,夫婦同仙去。 「弄玉」是秦穆公的女兒,她長得非常漂亮,而且很喜歡音樂,是一個吹簫高手。」(蕭史 善く簫を吹き,鳳鳴く作る。秦の穆公は以て女【むすめ】弄玉を之の妻とす,鳳樓を作り,弄玉に簫を吹くを教え,感じて鳳 來り集り,弄玉 鳳に乘り、蕭史 龍に乘る,夫婦 同に仙に去る。 「弄玉」是れ秦の穆公の女兒なり,她長 非常漂亮を得て,而して且つ音樂を喜歡する很【あらそ】う,是れ一個 簫を吹く高手なり。)

○鳳臺曲 楽府詩集に梁の武帝、上雲楽七曲を製していて其一を鳳臺曲としている。李白はこれに擬した。

 

嘗聞秦帝女,傳得鳳凰聲。

聞くところによれば、かつて秦の穆公の娘の弄玉はたくみに玉簫を吹いて、鳳凰のまねたという。

秦帝女 秦帝は、秦の穆公のこと。秦帝女 穆公の娘、弄玉。

 

是日逢仙子,當時別有情。

それより前のころに、仙子である蕭史に出会ったのであるが、その時に一目ぼれしたという。

仙子 蕭史のこと。

別有情 情思纏綿たるものがあったこと。たがいに一目ぼれをした。

 

人吹綵簫去,天借綠雲迎。

こうして二人は飾って綺麗な簫玉を吹いて、仙界に上った。天は綠雲をお迎えに出してきて、これを借りて昇ったのだ。

綠雲迎 途中まで蕭史は龍に乗り、弄玉は鳳凰に乗っていき、途中から綠雲を借りて二人で乗り換えて行った。

 

曲在身不返,空餘弄玉名。

かくて、玉簫の曲は、今に至って伝わっているが、人は再び帰ることはなく、ただ、弄玉という名前だけを余しているのだ。
岳陽樓詩人0051 

138 《鳳凰曲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <138> Ⅰ李白詩1323 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5163

李白《鳳凰曲》(蕭史弄玉二人が鳳凰に乗って仙界に上ったということからこの詩を作った。)その影が見えなくなり、五色の彩雲も消えてしまったが、その玉簫の遺聲だけはこの西秦の地、岐山におちて鳳女臺として今に伝える。

 

 
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138 《鳳凰曲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <138> Ⅰ李白詩1323 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5163

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    鳳凰曲

作地點:              岐山(縣)(京畿道 / 岐州 / 岐山)

及地點:              鳳女臺 (京畿道 岐州 岐山) 別名:鳳臺         

 

 

鳳凰曲

(蕭史弄玉二人が鳳凰に乗って仙界に上ったということからこの詩を作った。)

嬴女吹玉簫,吟弄天上春。

秦の穆公の娘の弄玉は玉簫を吹くことを学び、だんだん上手になって、此れを吹くことによって天上に春が満ちたような思いがする。

青鸞不獨去,更有攜手人。

こうして、仕舞に鳳凰に乗じて仙界に昇ったが、ひとりで去ったのではなく、その夫、蕭史と手を携えていったのである。

影滅彩雲斷,遺聲落西秦。

それから、その影が見えなくなり、五色の彩雲も消えてしまったが、その玉簫の遺聲だけはこの西秦の地、岐山におちて鳳女臺として今に伝える。

 

 (鳳凰曲)

嬴女【えいじょ】玉簫を吹き,吟弄す 天上の春。

青鸞 獨り去らず,更に手を攜える人有り。

影は滅して 彩雲斷え,遺聲 西秦に落つ。

bijo01 

 

『鳳凰曲』 現代語訳と訳註解説

(本文)

鳳凰曲

嬴女吹玉簫,吟弄天上春。

青鸞不獨去,更有攜手人。

影滅彩雲斷,遺聲落西秦。

 

(下し文)

(鳳凰曲)

嬴女【えいじょ】玉簫を吹き,吟弄す 天上の春。

青鸞 獨り去らず,更に手を攜える人有り。

影は滅して 彩雲斷え,遺聲 西秦に落つ。

 

(現代語訳)

(蕭史弄玉二人が鳳凰に乗って仙界に上ったということからこの詩を作った。)

秦の穆公の娘の弄玉は玉簫を吹くことを学び、だんだん上手になって、此れを吹くことによって天上に春が満ちたような思いがする。

こうして、仕舞に鳳凰に乗じて仙界に昇ったが、ひとりで去ったのではなく、その夫、蕭史と手を携えていったのである。

それから、その影が見えなくなり、五色の彩雲も消えてしまったが、その玉簫の遺聲だけはこの西秦の地、岐山におちて鳳女臺として今に伝える。

 

(訳注)

鳳凰曲

(蕭史弄玉二人が鳳凰に乗って仙界に上ったということからこの詩を作った。)

教坊曲の基本になったもの。漢の劉向《列仙傳・卷上・蕭史》「蕭史善吹簫,作鳳鳴。秦穆公以女弄玉妻之,作鳳樓,教弄玉吹簫,感鳳來集,弄玉乘鳳、蕭史乘龍,夫婦同仙去。 「弄玉」是秦穆公的女兒,她長得非常漂亮,而且很喜歡音樂,是一個吹簫高手。」(蕭史 善く簫を吹き,鳳鳴く作る。秦の穆公は以て女【むすめ】弄玉を之の妻とす,鳳樓を作り,弄玉に簫を吹くを教え,感じて鳳 來り集り,弄玉 鳳に乘り、蕭史 龍に乘る,夫婦 同に仙に去る。 「弄玉」是れ秦の穆公の女兒なり,她長 非常漂亮を得て,而して且つ音樂を喜歡する很【あらそ】う,是れ一個 簫を吹く高手なり。)

 

嬴女吹玉簫,吟弄天上春。

秦の穆公の娘の弄玉は玉簫を吹くことを学び、だんだん上手になって、此れを吹くことによって天上に春が満ちたような思いがする。

○嬴女 嬴は秦の姓、善吹とは秦の穆公の娘の弄玉をいう。蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。

杜甫『鄭駙馬宅宴洞中』

主家陰洞細煙霧,留客夏簟青瑯玕。

春酒杯濃琥珀薄,冰漿碗碧瑪瑙寒。

悞疑茅屋過江麓,已入風磴霾雲端。

自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

秦の穆公に女があり弄玉といったが、弄玉は簫の名人の蕭史を愛した。穆公は之を妻わしたところ、二人は日々楼上に於て簫を吹き鳳の鳴くが如くであったが、ある日鳳がやって来てその屋に止まり、夫妻はともにその鳳に随って飛び去った。秦楼とは弄玉のすむ楼をいい、臨晋公主の居楼に比する。

 

青鸞不獨去,更有攜手人。

こうして、仕舞に鳳凰に乗じて仙界に昇ったが、ひとりで去ったのではなく、その夫、蕭史と手を携えていったのである。

○青鸞 希望を持った鳳凰。

 

影滅彩雲斷,遺聲落西秦。

それから、その影が見えなくなり、五色の彩雲も消えてしまったが、その玉簫の遺聲だけはこの西秦の地、岐山におちて鳳女臺として今に伝える。

○西秦 岐山、鳳女臺、別名を鳳臺という地点のこと。

 

 太白山00

 

 

 

 

 

 

 

 

○共乘雙飛鸞 秦の穆王の弄玉と蕭史は二人道を得、鳳凰に乗って飛び去った。

蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。江淹「畫作秦王女乘鸞向煙霧。」とある。

『玉臺観二首其一』にものべる。

弄玉之を喜ぶ:秦の穆公の女の弄玉を妻にした。鳳樓を作り,弄玉に吹簫を教えた,鳳と感ぜられ來集す,弄玉は鳳に乘り、蕭史は龍に乘って,夫婦同じく仙に去る。

 ... 秦穆王有一女,名弄玉,善吹,一日梦一英俊青年戴羽冠、披氅、,由天而降,自称为华山之主,要娶弄玉。

 

 李白図102

 

 

玉台觀 二首 之一

中天積翠玉台遙,上帝高居絳節朝。

遂有馮夷來擊鼓,始知嬴女善吹簫。

江光隱見黿鼉窟,石勢參差烏鵲橋。

更肯紅顏生羽翼,便應黃發老漁樵。

(玉台観 二首其の一)

中天 積翠 玉台逢かなり、上帝の高居 経節朝す。

遂に馮夷【ひょうい】の来たって鼓を撃つ有り、始めて知る嬴女【えいじょ】の善く寮を吹くを。

江光 隠見す黿鼉【げんだ】の窟、石勢 参差たり烏鵲橋【うじゃくきょう】。

更に肯て 紅顔羽翼を生ぜんや、便ち 応に黄髪 漁樵に老ゆべし。

(滕王のたてた玉台観の佇まいを述べる。)

山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていて、空の真ん中に届かんばかり高く玉台観がはるかにみえる。ここは上帝の住居せられる高地であって、もろもろの仙官が経節をたてて参朝にくる。

いろいろなやつがくるが遂には「洛神賦」にいう馮夷という河伯が来て太鼓をうつし、また弄玉のような仙女が上手に簫を吹くというのもここ玉臺観なればこそとはじめて知られるのである。

この山に立つ観の上からみわたすと江の水のてるところ黿鼉の窟が見えがくれしたりしている、石が互い違いにならんで七夕の日に烏鵲が造ったという橋にもみまがうようにみえる。

自分はすこし慾張ったことをいうが、更にもし自分が紅顔であって羽翼がからだに生えるようになることができぬものだろうか。できるというのなら、甘んじてこの黄髪の老体をもってこの山間の漁礁とまじって隠遁してゆくであろう。

137 《秦女卷衣》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <137> Ⅰ李白詩1322 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5158

李白《秦女卷衣》天子のためにはこの身を惜しまぬ覚悟をしており、楚の昭王の夫人が、使者が命符を持参していなかったことによって、大水にも動かず水死したというような信義をもっており、また、馮婕妤が、熊が檻から飛び出した時、身を以て聖躬をかばったというように、天子の恩為ばかり思っているのです。

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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137 《秦女卷衣》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <137> Ⅰ李白詩1322 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5158

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136 《長相思》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <136> Ⅰ李白詩1321 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5153

李白《長相思》そして、とばりを巻き上げて、月を見上げて、空しく長嘆の声を発してみる。なぜなら、寵愛を失った妃嬪であっても牡丹の花のように美しさをたもっているけれど、月とおなじように、遠く雲端を隔てて天涯におかれているからである。

 
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136 《長相思》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <136> Ⅰ李白詩1321 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5153 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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136 《長相思》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <136> Ⅰ李白詩1321 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5153

 

729年・開元十七年・29

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙,月明欲素愁不眠。

趙瑟初停鳳凰柱,蜀琴欲奏鴛鴦弦。

此曲有意無人傳,願隨春風寄燕然。

憶君迢迢隔青天,昔日橫波目。【昔時橫波目】。

今成流淚泉。

不信妾腸斷,歸來看取明鏡前。

 

731年・開元十九年・31

長相思【寄遠】,二首之二

美人在時花滿堂,美人去後空餘床。

床中繡被卷不寢,至今三載猶聞香。

香亦竟不滅,人亦竟不來。

相思黃葉落,白露點青苔。

芍薬001

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六二              文體:    樂府

詩題:    長相思

作地點:              終南山(京畿道 / 京兆府 / )

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

 

 

長相思

(寵愛を失っても、あの方のことを思い続けるしかないと詠う。)

長相思,在長安,絡緯秋啼金井闌。

あの人のことを長く思い続けている妃嬪は、長安に在る。秋も深く金の飾りを鏤めた井戸端のあたりでは蟋蟀がしきりに機織りの様な声を立てて啼いている。

微霜淒淒簟色寒,孤燈不明思欲

夜間、薄霜が降りて冷え冷えとし、“もしか”と思い寝牀に敷いていた簟の色さえ寒々としている。この時に当たり、半分消えかかったような孤燈をとってかかげて、絶えぬ愁いの意を抱き続けている。

卷帷望月空長歎,美人如花隔雲端。

そして、とばりを巻き上げて、月を見上げて、空しく長嘆の声を発してみる。なぜなら、寵愛を失った妃嬪であっても牡丹の花のように美しさをたもっているけれど、月とおなじように、遠く雲端を隔てて天涯におかれているからである。

上有青冥之長天,下有淥水之波瀾。

上には、蒼蒼とした仙郷のごとく天は何処までも続き、下には、澄み切った水の上に波瀾を生じて広げる。

天長路遠魂飛苦,夢魂不到關山難。

このように天は長く、道は遠いために、魂が飛んでゆくことは苦しく、夢中の魂すら飛んでゆくことは難しい。

長相思,摧心肝。

そこで、ずっと長く思い続けるしかなく、それが心も体も砕くことになっても思い続けるのだ。

 

(長相思)

長相思,長安に在り,絡緯 秋啼く 金井闌。

微霜 淒淒 簟色寒し,孤燈 明らかならず 思いえんと欲す

帷を卷き 月を望んで空しく長歎し,美人 花の如く雲端を隔つ。

上には青冥の長天有り,下には淥水の波瀾有り。

天長く 路遠くして 魂 飛ぶこと苦なり,夢魂 到らず 關山難し。

長相思,心肝を摧く。

 

皇城001 

『長相思』 現代語訳と訳註解説

(本文)

長相思

長相思,在長安,絡緯秋啼金井闌。

微霜淒淒簟色寒,孤燈不明思欲

卷帷望月空長歎,美人如花隔雲端。

上有青冥之長天,下有淥水之波瀾。

天長路遠魂飛苦,夢魂不到關山難。

長相思,摧心肝。

 

(下し文)

(長相思)

長相思,長安に在り,絡緯 秋啼く 金井闌。

微霜 淒淒 簟色寒し,孤燈 明らかならず 思いえんと欲す。

帷を卷き 月を望んで空しく長歎し,美人 花の如く雲端を隔つ。

上には青冥の長天有り,下には淥水の波瀾有り。

天長く 路遠くして 魂 飛ぶこと苦なり,夢魂 到らず 關山難し。

長相思,心肝を摧く。

 

(現代語訳)

(寵愛を失っても、あの方のことを思い続けるしかないと詠う。)

あの人のことを長く思い続けている妃嬪は、長安に在る。秋も深く金の飾りを鏤めた井戸端のあたりでは蟋蟀がしきりに機織りの様な声を立てて啼いている。

夜間、薄霜が降りて冷え冷えとし、“もしか”と思い寝牀に敷いていた簟の色さえ寒々としている。この時に当たり、半分消えかかったような孤燈をとってかかげて、絶えぬ愁いの意を抱き続けている。

そして、とばりを巻き上げて、月を見上げて、空しく長嘆の声を発してみる。なぜなら、寵愛を失った妃嬪であっても牡丹の花のように美しさをたもっているけれど、月とおなじように、遠く雲端を隔てて天涯におかれているからである。

上には、蒼蒼とした仙郷のごとく天は何処までも続き、下には、澄み切った水の上に波瀾を生じて広げる。

このように天は長く、道は遠いために、魂が飛んでゆくことは苦しく、夢中の魂すら飛んでゆくことは難しい。

そこで、ずっと長く思い続けるしかなく、それが心も体も砕くことになっても思い続けるのだ。

 

 

(訳注)

長相思

(寵愛を失っても、あの方のことを思い続けるしかないと詠う。)

〔久遠の辞、行人久寿戍、書を寄せて思うところをおくる。夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるという女の気持ちを詠う。〕

漢の無名氏《古詩十九首之十八首》

客從遠方來,遺我一端綺。

相去萬餘里,故人心尚爾。

文彩雙鴛鴦,裁為合歡被。

著以長相思,緣以結不解。

以膠投漆中,誰能別離此?

客遠方より乗り、我に一端の綺を遣る。

相去ること萬餘里なるも、故人の心 尚ほ爾り。

文彩は雙鴛鴦、裁ちて合歓の被と為す。

著するに長相思を以てし、縁とるに結不解を以てす。

膠を以て漆中に投ぜば、誰か能く此を別離せん。

 

長相思,在長安,絡緯秋啼金井闌。

あの人のことを長く思い続けている妃嬪は、長安に在る。秋も深く金の飾りを鏤めた井戸端のあたりでは蟋蟀がしきりに機織りの様な声を立てて啼いている。

絡緯 虫の名で別に、莎雞、促織、蟋蟀、がある。絡緯はの鳴き声が機織りの様な声を立てて啼くことからの用語。

金井闌 後宮であろうか、高貴なところにある井戸端。擣衣、砧も意識させる。

 

微霜淒淒簟色寒,孤燈不明思欲

夜間、薄霜が降りて冷え冷えとし、“もしか”と思い寝牀に敷いていた簟の色さえ寒々としている。この時に当たり、半分消えかかったような孤燈をとってかかげて、絶えぬ愁いの意を抱き続けている。

 細く割った竹や籐(とう)で編んだむしろ寝牀のシーツ。水紋の模様で編みこむものが高級品。夏の敷物。《季 夏》

和凝『山花子二首 其二』

銀字笙寒調正長,水紋簟冷畫屏涼。

玉腕重金扼臂,澹梳粧。

幾度試香纖手暖,一迴嘗酒絳脣光。

佯弄紅絲蠅拂子,打檀郎。

 

卷帷望月空長歎,美人如花隔雲端。

そして、とばりを巻き上げて、月を見上げて、空しく長嘆の声を発してみる。なぜなら、寵愛を失った妃嬪であっても牡丹の花のように美しさをたもっているけれど、月とおなじように、遠く雲端を隔てて天涯におかれているからである。

美人 皇后以外の126人の妃嬪(四妃、九嬪、婕妤9人、美人9人、才人9人、宝林9人、御女27人、采女27人)が「礼記」、「内職」にみえる。芸妓をいう場合もある。

 

上有青冥之長天,下有淥水之波瀾。

上には、蒼蒼とした仙郷のごとく天は何処までも続き、下には、澄み切った水の上に波瀾を生じて広げる。

 

天長路遠魂飛苦,夢魂不到關山難。

このように天は長く、道は遠いために、魂が飛んでゆくことは苦しく、夢中の魂すら飛んでゆくことは難しい。

 

長相思,摧心肝。

そこで、ずっと長く思い続けるしかなく、それが心も体も砕くことになっても思い続けるのだ。
楊貴妃清華池002 

135 《感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八〕》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <135> Ⅰ李白詩1320 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5148

李白《感興,六首之六農夫としては、嘉穀が雑草と異なっている点を見分けもしないで、嘉穀は、折角穂を出してもそのまま捨て置かれ、格別保護されない。


 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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135 《感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八〕》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <135> Ⅰ李白詩1320 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5148 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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135

《感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八〕》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <135> Ⅰ李白詩1320 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5148

 

 

Index-

9

Ⅱ― 4-729年開元十七年29

4

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

131

76

1

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙,

巻五

132

77

2

安州應城玉女湯作【《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」】

神女歿幽境,

巻二十一

133

78

3

擬古,十二首之十一

涉江弄秋水,

巻二十三

134

79

4

感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八

嘉穀隱豐草,

巻二十三

 

 

年:729年開元十七年29

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八

 

 

感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八

嘉穀隱豐草,草深苗且稀。

農夫既不異,孤穗將安歸。

常恐委疇隴,忽與秋蓬飛。

烏得薦宗廟,為君生光輝。

 

(感興,六首の六〔集本八首,感興,八首の八〕)

嘉穀 豐草に隱れ,草深くして 苗 且【しば】らく稀なり。

農夫 既に異ならず,孤穗 將に安にか歸せん。

常に恐る 疇隴【ちゅうりょう】委し,忽ち 秋蓬と飛ぶを。

烏んぞ得ん 宗廟に薦め,君が為に光輝を生ずるを。

 

 

『感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八』 現代語訳と訳註解説

(本文)

感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八〕

嘉穀隱豐草,草深苗且稀。

農夫既不異,孤穗將安歸。

常恐委疇隴,忽與秋蓬飛。

烏得薦宗廟,為君生光輝。

 

(下し文)

(感興,六首の六〔集本八首,感興,八首の八〕)

嘉穀 豐草に隱れ,草深くして 苗 且【しば】らく稀なり。

農夫 既に異ならず,孤穗 將に安にか歸せん。

常に恐る 疇隴【ちゅうりょう】委し,忽ち 秋蓬と飛ぶを。

烏んぞ得ん 宗廟に薦め,君が為に光輝を生ずるを。

 

(現代語訳)

(古に託して自己の感慨をのべたもの。)

稲を植えたのち、折角の嘉穀は、勢いの良い雑草の中に隠れてしまい、草は深くして、苗は、しばらく稀になってしまった。

しかし、農夫としては、嘉穀が雑草と異なっている点を見分けもしないで、嘉穀は、折角穂を出してもそのまま捨て置かれ、格別保護されない。

そういうこともあって、心配することがあるのは、田畑にゆだねていることと、そして、それが枯れれば秋蓬と一緒になって飛び去るのではないかとことである。

これはどうにかして、この嘉穀を宗廟に薦め君王のために、光輝を生ずるように致したいものだ。

 

八女茶 畑 

(訳注)

感興,六首之六〔集本八首,感興,八首之八〕

(古に託して自己の感慨をのべたもの。)

 

嘉穀隱豐草,草深苗且稀。

稲を植えたのち、折角の嘉穀は、勢いの良い雑草の中に隠れてしまい、草は深くして、苗は、しばらく稀になってしまった。

嘉穀 よい穀物。特に、稲のこと。ここでは、実った稲を刈り取った稲から再び稲が出てきたものをいう。

豐草 勢いの良い雑草がいっぱい生えている。《詩経・大雅》生民之什「茀厥豐草、種之黃茂。」(厥の豊草を茀【おさ】め 之が黄茂【くわうも】を種ゆ)

 

農夫既不異,孤穗將安歸。

しかし、農夫としては、嘉穀が雑草と異なっている点を見分けもしないで、嘉穀は、折角穂を出してもそのまま捨て置かれ、格別保護されない。

 

常恐委疇隴,忽與秋蓬飛。

そういうこともあって、心配することがあるのは、田畑にゆだねていることと、そして、それが枯れれば秋蓬と一緒になって飛び去るのではないかとことである。

疇隴 ①畑のうね。「隴」は、小高い長い丘。「黍稷委疇隴、農夫安所獲黍稷疇隴に委てられ、農夫いづんぞ獲る所あらん」〔曹植・贈丁儀〕. ②田畑。

贈丁儀 曹植 魏詩<36>#1文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1901

 

烏得薦宗廟,為君生光輝。

これはどうにかして、この嘉穀を宗廟に薦め君王のために、光輝を生ずるように致したいものだ。
nat0022 

134 《擬古,十二首之十一》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <134> Ⅰ李白詩1317 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5133

(古詩をまねて自分の思いをのべたもの)十二首の十一  自分の一方的な恋する気持ちかもしれないが会いたいということに理由なんかないのだ、だけど、涼風の前に立って、悵望仰望するばかりなのである。

 

 
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134 《擬古,十二首之十一》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <134> Ⅰ李白詩1317 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5133 
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134 《擬古,十二首之十一》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <134> Ⅰ李白詩1317 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5133

 

 

 

Index-

9

Ⅱ― 4-729年開元十七年29

4

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

131

76

1

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙

巻五

132

77

2

安州應城玉女湯作【案:《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」】

神女歿幽境,

巻二十一

133

78

3

擬古,十二首之十一

涉江弄秋水,

巻二十三

134

79

4

感興,六首之六

嘉穀隱豐草,

巻二十三

 

 

年:729年開元十七年29

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    擬古,十二首之十一

 

 

擬古,十二首之十一

涉江弄秋水,愛此荷花鮮。

攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳人綵雲裡,欲贈隔遠天。

相思無由見,悵望涼風前。

(古詩をまねて自分の思いをのべたもの)十二首の十一

長江を渉る秋水がゆったりと流れてゆくだけ、水辺の蓮の花が今を盛りと咲いていて、まことに愛すべきものである。

蓮の柄を引き上げると葉の上にできた水珠をもてあそぶ、コロコロとしきりに動いていると、どうも丸い玉にはならないようだ。

美人の芸妓と約束をしていたので、仙郷の彩雲の里にきてみたが、天の事だけにはたしてうまくいくかどうかはわからない。

自分の一方的な恋する気持ちかもしれないが会いたいということに理由なんかないのだ、だけど、涼風の前に立って、悵望仰望するばかりなのである。

(古に擬す,十二首の十一)

江を涉って 秋水を弄し,此の荷花の鮮なるを愛す。

荷を攀じて其の珠を弄し,蕩漾 圓を成さず。

佳人 綵雲の裡,贈らんと欲するも 遠天を隔つ。

相思 見るに由し無し,悵望す 涼風の前に。

bijo05 

 

『擬古,十二首之十一』 現代語訳と訳註解説

(本文)

擬古,十二首之十一

涉江弄秋水,愛此荷花鮮。

攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

佳人綵雲裡,欲贈隔遠天。

相思無由見,悵望涼風前。

 

(含異文)

涉江弄秋水,愛此荷花鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。佳人綵雲裡,欲贈隔遠天。相思無由見,悵望涼風前。【案:案:又〈折荷有贈〉云:涉江玩秋水,愛此紅蕖鮮。攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。佳期彩雲重,欲贈隔遠天。相思無由見,惆悵涼風前。】

 

 (下し文)

(古に擬す,十二首の十一)

江を涉って 秋水を弄し,此の荷花の鮮なるを愛す。

荷を攀じて其の珠を弄し,蕩漾 圓を成さず。

佳人 綵雲の裡,贈らんと欲するも 遠天を隔つ。

相思 見るに由し無し,悵望す 涼風の前に。

 

(現代語訳)

(古詩をまねて自分の思いをのべたもの)十二首の十一

長江を渉る秋水がゆったりと流れてゆくだけ、水辺の蓮の花が今を盛りと咲いていて、まことに愛すべきものである。

蓮の柄を引き上げると葉の上にできた水珠をもてあそぶ、コロコロとしきりに動いていると、どうも丸い玉にはならないようだ。

美人の芸妓と約束をしていたので、仙郷の彩雲の里にきてみたが、天の事だけにはたしてうまくいくかどうかはわからない。

自分の一方的な恋する気持ちかもしれないが会いたいということに理由なんかないのだ、だけど、涼風の前に立って、悵望仰望するばかりなのである。

 

(訳注)

擬古,十二首之十一

(古詩をまねて自分の思いをのべたもの)十二首の十一

 

涉江弄秋水,愛此荷花鮮。

長江を渉る秋水がゆったりと流れてゆくだけ、水辺の蓮の花が今を盛りと咲いていて、まことに愛すべきものである。

○荷花鮮 長江下流域の港には大きな歓楽街があり、蓮の花は妓女を思わせるものである。その歓楽街は仙郷に見立てて詠われることが多かった。

 

攀荷弄其珠,蕩漾不成圓。

蓮の柄を引き上げると葉の上にできた水珠をもてあそぶ、コロコロとしきりに動いていると、どうも丸い玉にはならないようだ。

○其珠 蓮の葉の上にできた水珠。

○蕩漾 水の動くさま。

 

佳人綵雲裡,欲贈隔遠天。

美人の芸妓と約束をしていたので、仙郷の彩雲の里にきてみたが、天の事だけにはたしてうまくいくかどうかはわからない。

○佳人 美人の芸妓

 

相思無由見,悵望涼風前。

自分の一方的な恋する気持ちかもしれないが会いたいということに理由なんかないのだ、だけど、涼風の前に立って、悵望仰望するばかりなのである。

○相思 恋する気持ちを抱くこと。

漢の無名氏《古詩十九首之十八首》

客從遠方來,遺我一端綺。

相去萬餘里,故人心尚爾。

文彩雙鴛鴦,裁為合歡被。

著以長相思,緣以結不解。

以膠投漆中,誰能別離此?

客遠方より乗り、我に一端の綺を遣る。

相去ること萬餘里なるも、故人の心 尚ほ爾り。

文彩は雙鴛鴦、裁ちて合歓の被と為す。

著するに長相思を以てし、縁とるに結不解を以てす。

膠を以て漆中に投ぜば、誰か能く此を別離せん。

 

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙,月明欲素愁不眠。

趙瑟初停鳳凰柱,蜀琴欲奏鴛鴦弦。

此曲有意無人傳,願隨春風寄燕然。

憶君迢迢隔青天,昔日橫波目。【昔時橫波目】。

今成流淚泉。

不信妾腸斷,歸來看取明鏡前。

日色 已に盡きて 花は煙を含む,月明 素ならんと欲して愁て眠らず。

趙瑟 初めて停む鳳凰の柱,蜀琴 奏せんと欲す 鴛鴦の弦。

此曲 意有れども人の傳うる無し,願くば 春風に隨って燕然に寄せん。

君を憶えば迢迢として青天を隔ち,昔日 橫波の目。

今は流淚の泉と成る。

妾の腸斷つを信ぜざれば,歸り來って明鏡の前へ看取せよ。

 白紵舞001

133-3 《安州應城玉女湯作-3》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <133-3> Ⅰ李白詩1318 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5138

李白《安州應城玉女湯作-3長江の流れは、多くの支流を集めて朝宗して東流するけれど、仙郷のある東海の大海に赴けば微涓の水を運んでいるということなのだ。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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Index-

9

Ⅱ― 4-729年開元十七年29

4

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

131

76

1

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙

巻五

132

77

2

安州應城玉女湯作【案:《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」】

神女歿幽境,

巻二十一

133

78

3

擬古,十二首之十一

涉江弄秋水,

巻二十三

134

79

4

感興,六首之六

嘉穀隱豐草,

巻二十三

 

年:729年開元十七年29

卷別:    卷一八一              文體:    五言古詩

詩題:    安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:             

應城 (淮南道 安州 應城)    

玉女湯 (淮南道 安州 應城) 別名:玉女泉     

宋玉田 (江南西道 岳州 巴陵)           

 

 

安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕-1

(淮南道 安州に應城縣ある玉女湯で作詩する。)

神女歿幽境,湯池流大川。

昔、神女は丹を練って、この幽静の仙郷に入っていたが、その後には湯の池がみなぎって、そこから流れ出て大川になるのである。

陰陽結炎炭,造化開靈泉。

この地の玉女は、陰と陽の二気でもって炭焔が万物を溶解させ、造と化はここに霊泉を開いたのである。

地底爍朱火,沙傍歊素煙。

地底には赤い炎が燃え盛り、沙傍には白い煙が熱して湧き上がる。

安州應城玉女湯の作〔《荊州記》に云う:「常に玉女有り車に乘じて此の泉に投ず。」〕

神女 幽境に歿し,湯池 大川に流る。

陰陽 炎炭を結び,造化 靈泉を開く。

地底 朱火爍し,沙傍 素煙歊【あぶ】る。

-2

沸珠躍明月,皎鏡函空天。

湧いてきて珠玉となれば、仲秋の名月を躍らせるほどであり、清明鏡というべく平らかにして清く、大空を涵すのである。

氣浮蘭芳滿,色漲桃花然。

温泉の蒸気が浮き上がって来れば、蘭の香りが自然に辺りに充満して、その漲った景色は桃の花が燃え出たようである。

精覽萬殊入,潛行七澤連。

それを詳細に観覧すれば、この温泉は、深く万物の根底に侵入し、また、潜行して、伏流するのは七澤に連なっているのである。

愈疾功莫尚,變盈道乃全。

利用する人の万病を治癒するという効能は、他に比較するものがないし、病気が満足できるほどに好転するのは、この地の「道」というものがすべての事に備わっているのである。

-3

濯濯氣清泚,晞髮弄潺湲。

この地は綺麗洗われており禿山状態であるものの清らかな水がわき出る、髪を心行くまで洗い流し、乾かせばいいのだ。

散下楚王國,分澆宋玉田。

そしてこの水は、瀰漫して楚王の国に流れ出て、宋玉がもらった雲夢の田圃に灌いでいる。

可以奉巡幸,奈何隔窮偏。

そしてこの地は、聖天子の行幸を迎えても充分良い所であるわけだが、そうならないのは、いかんせん、国の中心から偏った遠隔の地にあるということである。

獨隨朝宗水,赴海輸微涓。

長江の流れは、多くの支流を集めて朝宗して東流するけれど、仙郷のある東海の大海に赴けば微涓の水を運んでいるということなのだ。

 

濯濯として 清泚【せいせい】を氣し,髮を晞【かわ】かして 潺湲【せんえん】を弄す。

楚王の國に散下し,宋玉の田に分澆す。

以て巡幸に奉ず可く,奈何せん 窮偏を隔つるを。

獨り朝宗の水に隨い,海に赴いて微涓を輸【いた】す。

 

 

『安州應城玉女湯作』 現代語訳と訳註解説

(本文)-3

-3

濯濯氣清泚,晞髮弄潺湲。

散下楚王國,分澆宋玉田。

可以奉巡幸,奈何隔窮偏。

獨隨朝宗水,赴海輸微涓。

 

(下し文) -3

濯濯として 清泚【せいせい】を氣し,髮を晞【かわ】かして 潺湲【せんえん】を弄す。

楚王の國に散下し,宋玉の田に分澆す。

以て巡幸に奉ず可く,奈何せん 窮偏を隔つるを。

獨り朝宗の水に隨い,海に赴いて微涓を輸【いた】す。

 

(現代語訳)

この地は綺麗洗われており禿山状態であるものの清らかな水がわき出る、髪を心行くまで洗い流し、乾かせばいいのだ。

そしてこの水は、瀰漫して楚王の国に流れ出て、宋玉がもらった雲夢の田圃に灌いでいる。

そしてこの地は、聖天子の行幸を迎えても充分良い所であるわけだが、そうならないのは、いかんせん、国の中心から偏った遠隔の地にあるということである。

長江の流れは、多くの支流を集めて朝宗して東流するけれど、仙郷のある東海の大海に赴けば微涓の水を運んでいるということなのだ。

李白図102 

(訳注) -3

安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕

(淮南道 安州に應城縣ある玉女湯で作詩する。)

安州 淮南道 安州に應城縣あり、荊州記に「玉女泉は湖廣徳安府應城縣西五十五里にあり、その泉熱沸、野老相伝う、玉女、丹を練る。」とある。

 

濯濯氣清泚,晞髮弄潺湲。

この地は綺麗洗われており禿山状態であるものの清らかな水がわき出る、髪を心行くまで洗い流し、乾かせばいいのだ。

濯濯 洗う濯足足を洗う.濯濯禿げ山のさま.(山が)草木がなくはげている.

清泚 ここは淸なり。清らかな水がわき出る。

晞髮 かみをかわかす。

潺湲【せんえん】 1 さらさらと水の流れるさま。2 涙がしきりに流れるさま。

 

散下楚王國,分澆宋玉田。

そしてこの水は、瀰漫して楚王の国に流れ出て、宋玉がもらった雲夢の田圃に灌いでいる。

楚 中国の王朝名、地名。地名としての楚は、現在の湖南省・湖北省を指す。•楚 (春秋) ? - 紀元前223年) - 春秋時代の強国で、戦国七雄の1つでもある。

宋玉 戦国時代,楚(そ)の文人。楚王に仕え,のち落魄の生涯を送ったといわれるが,生没年・伝記ともに未詳。屈原の弟子で,「九弁」(「楚辞章句」所収)「高唐賦」「神女賦」「対楚王問」などの作者とされる。

 

可以奉巡幸,奈何隔窮偏。

そしてこの地は、聖天子の行幸を迎えても充分良い所であるわけだが、そうならないのは、いかんせん、国の中心から偏った遠隔の地にあるということである。

 

獨隨朝宗水,赴海輸微涓。

長江の流れは、多くの支流を集めて朝宗して東流するけれど、仙郷のある東海の大海に赴けば微涓の水を運んでいるということなのだ。

朝宗 1 《「朝」は春に、「宗」は夏に天子に謁見する意》古代中国で、諸侯が天子に拝謁すること。2 多くの河川がみな海に流れ入ること。3 権威あるものに寄り従うこと。

微涓 小さな水流,ちょろちょろ流れる水。涓涓水がちょろちょろ流れるさま.涓埃。ささやかな,僅かばかりの。
巫山十二峰003 

133-2 《安州應城玉女湯作-2》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <133-2> Ⅰ李白詩1317 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5133

李白《安州應城玉女湯作-2温泉の蒸気が浮き上がって来れば、蘭の香りが自然に辺りに充満して、その漲った景色は桃の花が燃え出たようである。それを詳細に観覧すれば、この温泉は、深く万物の根底に侵入し、また、潜行して、伏流するのは七澤に連なっているのである。

 

 
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Index-

9

Ⅱ― 4-729年開元十七年29

4

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

131

76

1

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙

巻五

132

77

2

安州應城玉女湯作【案:《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」】

神女歿幽境,

巻二十一

133

78

3

擬古,十二首之十一

涉江弄秋水,

巻二十三

134

79

4

感興,六首之六

嘉穀隱豐草,

巻二十三

 

年:729年開元十七年29

卷別:    卷一八一              文體:    五言古詩

詩題:    安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:             

應城 (淮南道 安州 應城)    

玉女湯 (淮南道 安州 應城) 別名:玉女泉     

宋玉田 (江南西道 岳州 巴陵)           

 

 

安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕-1

(淮南道 安州に應城縣ある玉女湯で作詩する。)

神女歿幽境,湯池流大川。

昔、神女は丹を練って、この幽静の仙郷に入っていたが、その後には湯の池がみなぎって、そこから流れ出て大川になるのである。

陰陽結炎炭,造化開靈泉。

この地の玉女は、陰と陽の二気でもって炭焔が万物を溶解させ、造と化はここに霊泉を開いたのである。

地底爍朱火,沙傍歊素煙。

地底には赤い炎が燃え盛り、沙傍には白い煙が熱して湧き上がる。

安州應城玉女湯の作〔《荊州記》に云う:「常に玉女有り車に乘じて此の泉に投ず。」〕

神女 幽境に歿し,湯池 大川に流る。

陰陽 炎炭を結び,造化 靈泉を開く。

地底 朱火爍し,沙傍 素煙歊【あぶ】る。

-2

沸珠躍明月,皎鏡函空天。

湧いてきて珠玉となれば、仲秋の名月を躍らせるほどであり、清明鏡というべく平らかにして清く、大空を涵すのである。

氣浮蘭芳滿,色漲桃花然。

温泉の蒸気が浮き上がって来れば、蘭の香りが自然に辺りに充満して、その漲った景色は桃の花が燃え出たようである。

精覽萬殊入,潛行七澤連。

それを詳細に観覧すれば、この温泉は、深く万物の根底に侵入し、また、潜行して、伏流するのは七澤に連なっているのである。

愈疾功莫尚,變盈道乃全。

利用する人の万病を治癒するという効能は、他に比較するものがないし、病気が満足できるほどに好転するのは、この地の「道」というものがすべての事に備わっているのである。

-3

濯濯氣清泚,晞髮弄潺湲。

散下楚王國,分澆宋玉田。

可以奉巡幸,奈何隔窮偏。

獨隨朝宗水,赴海輸微涓。

bijo02

 

『安州應城玉女湯作』 現代語訳と訳註解説

(本文)-2

沸珠躍明月,皎鏡函空天。

氣浮蘭芳滿,色漲桃花然。

精覽萬殊入,潛行七澤連。

愈疾功莫尚,變盈道乃全。

 

(下し文)

沸珠 明月に躍り,皎鏡 空天を函【ひた】す。

氣浮んで蘭芳に滿ち,色漲って桃花 然【も】ゆ。

精覽 萬殊入り,潛行 七澤 連なる。

疾を愈やして 功 尚【たかく】する莫し,變盈して 道 乃ち 全うす。

 

 

(現代語訳)

湧いてきて珠玉となれば、仲秋の名月を躍らせるほどであり、清明鏡というべく平らかにして清く、大空を涵すのである。

温泉の蒸気が浮き上がって来れば、蘭の香りが自然に辺りに充満して、その漲った景色は桃の花が燃え出たようである。

それを詳細に観覧すれば、この温泉は、深く万物の根底に侵入し、また、潜行して、伏流するのは七澤に連なっているのである。

利用する人の万病を治癒するという効能は、他に比較するものがないし、病気が満足できるほどに好転するのは、この地の「道」というものがすべての事に備わっているのである。

 


(訳注) -2

安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕

(淮南道 安州に應城縣ある玉女湯で作詩する。)

安州 淮南道 安州に應城縣あり、荊州記に「玉女泉は湖廣徳安府應城縣西五十五里にあり、その泉熱沸、野老相伝う、玉女、丹を練る。」とある。

安陸・南陽・嚢陽 李白00 

沸珠躍明月,皎鏡函空天。

湧いてきて珠玉となれば、仲秋の名月を躍らせるほどであり、清明鏡というべく平らかにして清く、大空を涵すのである。

皎鏡 月の光が白く見える鏡の様なさま。また、白くて清らかな鏡。清明鏡。

 

氣浮蘭芳滿,色漲桃花然。

温泉の蒸気が浮き上がって来れば、蘭の香りが自然に辺りに充満して、その漲った景色は桃の花が燃え出たようである。

 

精覽萬殊入,潛行七澤連。

それを詳細に観覧すれば、この温泉は、深く万物の根底に侵入し、また、潜行して、伏流するのは七澤に連なっているのである。

萬殊 深く万物の根底、根源。

七澤 楚に七澤有り。雲夢澤など、古代中国で湖北省の武漢一帯にあったとされる大湿地。のち,長江と漢水が沖積して平原となった。武漢付近に散在する湖沼はその跡。

 

愈疾功莫尚,變盈道乃全。

利用する人の万病を治癒するという効能は、他に比較するものがないし、病気が満足できるほどに好転するのは、この地の「道」というものがすべての事に備わっているのである。

愈疾 利用する人の万病を治癒する。

變盈 病気が満足できるほどに好転する。道教の思想と温泉によってもたらせるものが満たされるというほどの意味。

道乃全 「道」、仙人となることを究極の理想、それがすべての事である。

道(タオ)とは宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。道の字は辶(しんにょう)が終わりを、首が始まりを示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を表している。この道(タオ)と一体となる修行のために錬丹術を用いて、不老不死の霊薬、丹を錬り、仙人となることを究極の理想とする。それは1つの道に成ろうとしている。
武漢005 

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李白《安州應城玉女湯作【《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」】-1昔、神女は丹を練って、この幽静の仙郷に入っていたが、その後には湯の池がみなぎって、そこから流れ出て大川になるのである。

 

 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:729年開元十七年29

卷別:    卷一八一              文體:    五言古詩

詩題:    安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:             

應城 (淮南道 安州 應城)    

玉女湯 (淮南道 安州 應城) 別名:玉女泉     

宋玉田 (江南西道 岳州 巴陵)           

 

 

安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕-1

(淮南道 安州に應城縣ある玉女湯で作詩する。)

神女歿幽境,湯池流大川。

昔、神女は丹を練って、この幽静の仙郷に入っていたが、その後には湯の池がみなぎって、そこから流れ出て大川になるのである。

陰陽結炎炭,造化開靈泉。

この地の玉女は、陰と陽の二気でもって炭焔が万物を溶解させ、造と化はここに霊泉を開いたのである。

地底爍朱火,沙傍歊素煙。

地底には赤い炎が燃え盛り、沙傍には白い煙が熱して湧き上がる。

安州應城玉女湯の作〔《荊州記》に云う:「常に玉女有り車に乘じて此の泉に投ず。」〕

神女 幽境に歿し,湯池 大川に流る。

陰陽 炎炭を結び,造化 靈泉を開く。

地底 朱火爍し,沙傍 素煙歊【あぶ】る。

-2

沸珠躍明月,皎鏡函空天。

氣浮蘭芳滿,色漲桃花然。

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-3

濯濯氣清泚,晞髮弄潺湲。

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『安州應城玉女湯作』 現代語訳と訳註解説

(本文)

安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕

神女歿幽境,湯池流大川。

陰陽結炎炭,造化開靈泉。

地底爍朱火,沙傍歊素煙。

 

(下し文)

安州應城玉女湯の作〔《荊州記》に云う:「常に玉女有り車に乘じて此の泉に投ず。」〕

神女 幽境に歿し,湯池 大川に流る。

陰陽 炎炭を結び,造化 靈泉を開く。

地底 朱火爍し,沙傍 素煙歊【あぶ】る。

 

(現代語訳)

(淮南道 安州に應城縣ある玉女湯で作詩する。)

昔、神女は丹を練って、この幽静の仙郷に入っていたが、その後には湯の池がみなぎって、そこから流れ出て大川になるのである。

この地の玉女は、陰と陽の二気でもって炭焔が万物を溶解させ、造と化はここに霊泉を開いたのである。

地底には赤い炎が燃え盛り、沙傍には白い煙が熱して湧き上がる。

 

(訳注)

安州應城玉女湯作〔《荊州記》云:「(常)有玉女乘車投此泉。」〕

(淮南道 安州に應城縣ある玉女湯で作詩する。)

安州 淮南道 安州に應城縣あり、荊州記に「玉女泉は湖廣徳安府應城縣西五十五里にあり、その泉熱沸、野老相伝う、玉女、丹を練る。」とある。

 

神女歿幽境,湯池流大川。

昔、神女は丹を練って、この幽静の仙郷に入っていたが、その後には湯の池がみなぎって、そこから流れ出て大川になるのである。

幽境 世俗を離れた静かな所。

この二句は神女は西王母、湯池は崑崙山をいう。西王母は、中国で古くから信仰された女仙、女神。姓は楊、名は回。 九霊太妙亀山金母、太霊九光亀台金母、瑶池金母、王母娘娘などともいう。 王母は祖母の謂いであり、西王母とは、西方の崑崙山上に住する女性の尊称である。崑崙とは、中国古代の伝説上の山岳。崑崙山・崑崙丘・崑崙虚ともいう。中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるとされた。仙界とも呼ばれ、八仙がいるとされる。

 

陰陽結炎炭,造化開靈泉。

この地の玉女は、陰と陽の二気でもって炭焔が万物を溶解させ、造と化はここに霊泉を開いたのである。

陰陽 中国の思想に端を発し、森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から陰(いん)と陽(よう)の二つのカテゴリに分類する思想。陰と陽とは互いに対立する属性を持った二つの気であり、万物の生成消滅と言った変化はこの二気によって起こるとされる

造化 1 天地万物を創造し育てること。また、それをなす者。造物主。2 造物主によってつくられたもの。自然。

 

地底爍朱火,沙傍歊素煙。

地底には赤い炎が燃え盛り、沙傍には白い煙が熱して湧き上がる。

爍朱火 赤い炎が燃え盛る。

歊素煙 白い煙を吹きだす。白い煙が熱して湧き上がる。

132 《長相思【寄遠】,二首之一》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <132> Ⅰ李白詩1315 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5123

李白《長相思二首之一》(久遠の辞、行人久寿戍、書を寄せて思うところをおくる。夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるという女の気持ちを詠う。)

 
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132 《長相思【寄遠】,二首之一》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <132> Ⅰ李白詩1315 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5123 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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132 《長相思【寄遠】,二首之一》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <132> Ⅰ李白詩1315 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5123

 

 

729年 開元十七年 29

76

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙,

730年 開元十八年 30

81

長相思

長相思,

731年 開元十九年 31

115

長相思【寄遠】,二首之二

美人在時花滿堂,

 

 

 

年:729年開元十七年29

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    長相思【寄遠】,二首之一

 

 

長相思【寄遠】,二首之一

(久遠の辞、行人久寿戍、書を寄せて思うところをおくる。夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるという女の気持ちを詠う。)

日色已盡花含煙,月明欲素愁不眠。

夕日の影は、既に薄らぎ、花は薄靄を含んでほの暗く、一日中重い尽くしても、猶お足らないままに、夜になって、月が白くさえわたるころになってもまだ眠りにつかないのです。

趙瑟初停鳳凰柱,蜀琴欲奏鴛鴦弦。

この愁いを除くため、まず、趙の瑟琴を爪弾くが柱には、鳳凰の累鈿模様があり、次に蜀の琴には鴛鴦の絃でもって演奏したいと思っているのです。

此曲有意無人傳,願隨春風寄燕然。

この瑟の曲の意味はあなたにはわかるだけで、ほかのだれにも伝わらないのです。だから、東南風の春風にしたがって、北の守りに行っている夫のいる燕然山のほうにむかって、鳳凰の比翼となり、鴛鴦の双棲となりたいと願う気持ちを送りたいのです。

憶君迢迢隔青天,昔日橫波目。

それなのに、あなたは、迢迢としてそこまで広がる晴天を隔てていていつ帰るかわからない。昔と、同じように瑟琴をひいて、鳳凰のように寄り添い、鴛鴦のように契を交わし、演奏しながらあなたに、流し目を送ったのが昨日のようです。

今成流淚泉。

その目に今は、涙がいずみのように流れ落ちてしまっています。

不信妾腸斷,歸來看取明鏡前。

妾が常に断腸の思いでいること信じてもらえないならば、ここに帰って来たときに明鏡の前の涙の痕を確認できるから、その時は妾の気持ちを理解して可愛がってください。

 

(長相思,二首之一)

日色 已に盡きて 花は煙を含む,月明 素ならんと欲して愁て眠らず。

趙瑟 初めて停む鳳凰の柱,蜀琴 奏せんと欲す 鴛鴦の弦。

此曲 意有れども人の傳うる無し,願くば 春風に隨って燕然に寄せん。

君を憶えば迢迢として青天を隔ち,昔日 橫波の目。

今は流淚の泉と成る。

妾の腸斷つを信ぜざれば,歸り來って明鏡の前へ看取せよ。

花蕊原画00 

 

『長相思,二首之一』 現代語訳と訳註解説

(本文)

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙,月明欲素愁不眠。

趙瑟初停鳳凰柱,蜀琴欲奏鴛鴦弦。

此曲有意無人傳,願隨春風寄燕然。

憶君迢迢隔青天,昔日橫波目。【昔時橫波目】。

今成流淚泉。

不信妾腸斷,歸來看取明鏡前。

 

(下し文)

(長相思,二首之一)

日色 已に盡きて 花は煙を含む,月明 素ならんと欲して愁て眠らず。

趙瑟 初めて停む鳳凰の柱,蜀琴 奏せんと欲す 鴛鴦の弦。

此曲 意有れども人の傳うる無し,願くば 春風に隨って燕然に寄せん。

君を憶えば迢迢として青天を隔ち,昔日 橫波の目。

今は流淚の泉と成る。

妾の腸斷つを信ぜざれば,歸り來って明鏡の前へ看取せよ。

 

(現代語訳)

(久遠の辞、行人久寿戍、書を寄せて思うところをおくる。夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるという女の気持ちを詠う。)

夕日の影は、既に薄らぎ、花は薄靄を含んでほの暗く、一日中重い尽くしても、猶お足らないままに、夜になって、月が白くさえわたるころになってもまだ眠りにつかないのです。

この愁いを除くため、まず、趙の瑟琴を爪弾くが柱には、鳳凰の累鈿模様があり、次に蜀の琴には鴛鴦の絃でもって演奏したいと思っているのです。

この瑟の曲の意味はあなたにはわかるだけで、ほかのだれにも伝わらないのです。だから、東南風の春風にしたがって、北の守りに行っている夫のいる燕然山のほうにむかって、鳳凰の比翼となり、鴛鴦の双棲となりたいと願う気持ちを送りたいのです。

それなのに、あなたは、迢迢としてそこまで広がる晴天を隔てていていつ帰るかわからない。昔と、同じように瑟琴をひいて、鳳凰のように寄り添い、鴛鴦のように契を交わし、演奏しながらあなたに、流し目を送ったのが昨日のようです。

その目に今は、涙がいずみのように流れ落ちてしまっています。

妾が常に断腸の思いでいること信じてもらえないならば、ここに帰って来たときに明鏡の前の涙の痕を確認できるから、その時は妾の気持ちを理解して可愛がってください。

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(訳注)

長相思【寄遠】,二首之一

(久遠の辞、行人久寿戍、書を寄せて思うところをおくる。夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるという女の気持ちを詠う。)

漢の無名氏《古詩十九首之十八首》

客從遠方來,遺我一端綺。

相去萬餘里,故人心尚爾。

文彩雙鴛鴦,裁為合歡被。

著以長相思,緣以結不解。

以膠投漆中,誰能別離此?

客遠方より乗り、我に一端の綺を遣る。

相去ること萬餘里なるも、故人の心 尚ほ爾り。

文彩は雙鴛鴦、裁ちて合歓の被と為す。

著するに長相思を以てし、縁とるに結不解を以てす。

膠を以て漆中に投ぜば、誰か能く此を別離せん。、

 

日色已盡花含煙,月明欲素愁不眠。

夕日の影は、既に薄らぎ、花は薄靄を含んでほの暗く、一日中重い尽くしても、猶お足らないままに、夜になって、月が白くさえわたるころになってもまだ眠りにつかないのです。

月明欲素愁不眠 明月は昇りはじめは赤みを帯び、真上に来るころには城に変わり西に降りる頃は城の平坦なものに変化する。ここは月がそうして変化するのを眠らないで見ているということをいう。

 

趙瑟初停鳳凰柱,蜀琴欲奏鴛鴦弦。

この愁いを除くため、まず、趙の瑟琴を爪弾くが柱には、鳳凰の累鈿模様があり、次に蜀の琴には鴛鴦の絃でもって演奏したいと思っているのです。

趙瑟 趙の指瑟で絃の数が五十四本と多い。戰國時趙國に流行した楽器である。鳳凰柱 鳳凰の累鈿模様。あるいは、鳳凰の曲かもしれない。

蜀琴 漢 蜀郡漢 蜀郡 相如がつくった琴。卓文君のの逸話にあるように鴛鴦の様な夫婦であることを意味する。

鴛鴦弦 雌雄をあらわす絃と張り方と配色でこの名称となる。あるいは、鴛鴦の曲かもしれないが、夫唱婦随ということを北の国境に行っている夫に伝えたいということ。

 

此曲有意無人傳,願隨春風寄燕然。

この瑟の曲の意味はあなたにはわかるだけで、ほかのだれにも伝わらないのです。だから、東南風の春風にしたがって、北の守りに行っている夫のいる燕然山のほうにむかって、鳳凰の比翼となり、鴛鴦の双棲となりたいと願う気持ちを送りたいのです。

燕然 李広利弐師将軍率いる漢軍が 燕然山で塹壕を掘り、塁壁を築いて野営していたある夜、匈奴の軍は突然おし寄せたという北の匈奴と戦う最前線をいう。

 

憶君迢迢隔青天,昔日橫波目。

それなのに、あなたは、迢迢としてそこまで広がる晴天を隔てていていつ帰るかわからない。昔と、同じように瑟琴をひいて、鳳凰のように寄り添い、鴛鴦のように契を交わし、演奏しながらあなたに、流し目を送ったのが昨日のようです。

橫波目 色目を使うこと。ながしめ。

 

今成流淚泉。

その目に今は、涙がいずみのように流れ落ちてしまっています。

 

不信妾腸斷,歸來看取明鏡前。

妾が常に断腸の思いでいること信じてもらえないならば、ここに帰って来たときに明鏡の前の涙の痕を確認できるから、その時は妾の気持ちを理解して可愛がってください。

131 《感興,六首之五》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 西國有美女,<131> Ⅰ李白詩1314 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5118

李白《感興,六首之五(西施という美女が呉の国を傾国させたというが、それだけでなく高節の君主と忠誠心を保った下臣団ということも欠かせないことだ。良い君主を得て素晴らしい政治をしたいものだと詠う)

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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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131 《感興,六首之五》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 西國有美女,<131> Ⅰ李白詩1314 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5118 
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26-#3 《病中贈張十八 -3》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1227> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5119 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-3-4 《客居 -#4》 杜甫index-15 杜甫<866ー#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5120 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-532《酒泉子四首,其三》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-715-20-(532) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5122 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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131 《感興,六首之五Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28 7首 西國有美女,<131> Ⅰ李白詩1314 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5118

 

李太白集 巻二十三 感興,八首

 感興,六首

 

 

感興,六首(八首)

 

 

感興,六首之一

天帝女,

 

757年至德二年57

 

 

感興,六首之

洛浦有宓妃,

 

未編年

 

 

感興,六首之

裂素持作書,

 

未編年

 

 

感興,六首之

十五遊神仙

 

744年天寶三年 44

134

75

感興,六首之五〔集本八首〕

西國有美女

巻二十三

728年開元十六年28

 

79

感興,六首之六

嘉穀隱豐草

 

729年開元十七年29

 

李太白集 巻二十三 感興,八首

757年至德二年   57 感興,八首之一 (天帝女)

未編年       感興,八首之二 (洛浦有宓妃

未編年       感興,八首之三 (裂素持作書)

未編年       感興,八首之四 (芙蓉嬌綠波)

744年天寶三年 44 感興,八首之五 (十五遊神仙

728年開元十六年28 感興,八首之六 (西國有美女

未編年       感興,八首之七 (朅來荊山客

729年開元十七年29 感興,八首之八 (嘉穀隱豐草

 

 

年:728年 開元十六年 28 

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    感興,六首之五

李太白集 巻二十三 感興,八首之六

 

感興,六首之五〔感興,八首之六〕

(西施という美女が呉の国を傾国させたというが、それだけでなく高節の君主と忠誠心を保った下臣団ということも欠かせないことだ。良い君主を得て素晴らしい政治をしたいものだと詠う)

西國有美女,結樓青雲端。

西施は国に於いて、一番の美女である、国の命運を荷って国を離れた敵国の世界の高楼で出会うのである。

蛾眉豔曉月,一笑傾城歡。

蛾眉のようなうつくしい眉で、名残の月の様な色気を振りまく。それは一度微笑みをすれば皇帝を虜にし国を傾けたことで、みんなを喜ばせた。

高節不可奪,炯心如凝丹。

その国の君主はゆるぎない気高い節操というものは奪い取ることなどできないものであったし、また諸の家臣にもかがやける忠誠心というものは丹紅が純粋に凝り固まったようなものがあったのである。

常恐彩色晚,不為人所觀。

常に心していることは、優雅な宴、悦楽の世界にひたることを遅くまで続けることである。そして、頽廃の生活を見せる事の無いようにすることである。

安得配君子,共乘雙飛鸞。

どうにかして良い天子に恵まれ家臣となることができるかということであり、それが満たされれば、鳳凰鸞が二つ並んで仙郷を飛ぶように素晴らしいよとなることだろう。

 

(感興,六首の五)

西國には 美女有あり,樓を結ぶ 青雲の端。

蛾眉は曉月を豔にし,一笑は城を傾けて歡ぶ。

高節 奪う可からず,炯心如凝丹。

常に恐る 彩色晚くして,人の觀る所と為らざるを。

安んぞ得ん 君子に配し,共に乘ず 雙飛の鸞。

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『感興,六首之五』 現代語訳と訳註解説

(本文)

感興,六首之五〔感興,八首之六〕

西國有美女,結樓青雲端。

蛾眉豔曉月,一笑傾城歡。

高節不可奪,炯心如凝丹。

常恐彩色晚,不為人所觀。

安得配君子,共乘雙飛鸞。

 

(下し文)

(感興,六首の五)

西國には 美女有あり,樓を結ぶ 青雲の端。

蛾眉は曉月を豔にし,一笑は城を傾けて歡ぶ。

高節 奪う可からず,炯心如凝丹。

常に恐る 彩色晚くして,人の觀る所と為らざるを。

安んぞ得ん 君子に配し,共に乘ず 雙飛の鸞。

 

(現代語訳)

(西施という美女が呉の国を傾国させたというが、それだけでなく高節の君主と忠誠心を保った下臣団ということも欠かせないことだ。良い君主を得て素晴らしい政治をしたいものだと詠う)

西施は国に於いて、一番の美女である、国の命運を荷って国を離れた敵国の世界の高楼で出会うのである。

蛾眉のようなうつくしい眉で、名残の月の様な色気を振りまく。それは一度微笑みをすれば皇帝を虜にし国を傾けたことで、みんなを喜ばせた。

その国の君主はゆるぎない気高い節操というものは奪い取ることなどできないものであったし、また諸の家臣にもかがやける忠誠心というものは丹紅が純粋に凝り固まったようなものがあったのである。

常に心していることは、優雅な宴、悦楽の世界にひたることを遅くまで続けることである。そして、頽廃の生活を見せる事の無いようにすることである。

どうにかして良い天子に恵まれ家臣となることができるかということであり、それが満たされれば、鳳凰鸞が二つ並んで仙郷を飛ぶように素晴らしいよとなることだろう。

bijo01 

(訳注)

感興,六首之五〔感興,八首之六〕

(西施という美女が呉の国を傾国させたというが、それだけでなく高節の君主と忠誠心を保った下臣団ということも欠かせないことだ。良い君主を得て素晴らしい政治をしたいものだと詠う)

 

 

西國有美女,結樓青雲端。

西施は国に於いて、一番の美女である、国の命運を荷って国を離れた敵国の世界の高楼で出会うのである。

青雲端 晴天の端。俗世を離れた仙郷の世界。

樓 姑蘇台のことで五層の建造物であった。

 

蛾眉豔曉月,一笑傾城歡。

蛾眉のようなうつくしい眉で、名残の月の様な色気を振りまく。それは一度微笑みをすれば皇帝を虜にし国を傾けたことで、みんなを喜ばせた。

一顧傾人城再顧傾人國(一顧すれば人の城を傾け再顧すれば人の国を傾く)」『漢書』にある「北方に佳人あり、絶世にして独り立つ。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く。寧んぞ傾城と傾国とを知らざらんや。佳人再び得難し(北の地方に世にも稀な美女がいる。一度振り向けば城を滅ぼし、再び振り向けば国を滅ぼす。城や国を滅ぼすことが重大なことだとは知っているが、あれほどの美人は二度と得られないだろう)」とある。

 

高節不可奪,炯心如凝丹。

その国の君主はゆるぎない気高い節操というものは奪い取ることなどできないものであったし、また諸の家臣にもかがやける忠誠心というものは丹紅が純粋に凝り固まったようなものがあったのである。

高節 気高い節操。堅い信念。

炯心 忠的心;光明的心地。

 

常恐彩色晚,不為人所觀。

常に心していることは、優雅な宴、悦楽の世界にひたることを遅くまで続けることである。そして、頽廃の生活を見せる事の無いようにすることである。

 

安得配君子,共乘雙飛鸞。

どうにかして良い天子に恵まれ家臣となることができるかということであり、それが満たされれば、鳳凰鸞が二つ並んで仙郷を飛ぶように素晴らしいよとなることだろう。

 

 

本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。

 現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施>>>西施と呼ばれるようになった。

 紀元前5世紀、越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されてたといわれている。

 

 この時の越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。

 呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。

 次は美女軍団が呉の国王を狂わせた。

 十八史略には、西施のきわめて美しかったこと、彼女にまつわるエピソードが記されている。西施は、呉王 夫差の寵姫となったが、あるとき胸の病となり、故郷の村に帰ってきた。西施は、痛む胸を手でおさえ、苦しみに眉をひそめて歩いた。それがかえって色香を引出し、村人の目を引いた。そのときに村に評判の醜女がいて、西施のまねた行動をした。それは、異様な姿に映り、かえって村人に嫌われた。これを「西施捧心」と表され、実もないのに真似をしても無駄なことだということだが、日本では、「これだけやっていますが、自分の力だけでなく、真似をしただけですよ」という謙遜の意味に使用されることが多い。

 このようにまれな美しさをそなえた西施は、呉王 夫差を虜(とりこ)にした。夫差は、西施のために八景を築き、その中でともに遊んだ。それぞれの風景の中には、所々に、席がもうけられ、優雅な宴(うたげ)がもよおされた。夏には、西施とともに船を浮かべ、西施が水浴すると、呉王 夫差は、その美しい肢体に見入った。こうして、夫差は悦楽の世界にひたり、政治も軍事も、そして民さえ忘れてしまい、傾国が始まったのである。

 

 越の策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。

呉が滅びた後の生涯は不明だが、勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。

 

 その後、長江で蛤がよく獲れるようになり、人々は西施の舌だと噂しあった。この事から、中国では蛤のことを西施の舌とも呼ぶようになった。また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もある。

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130

《黃鶴樓送孟浩然之廣陵 》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28 7首 故人西辭黃鶴樓,<130> Ⅰ李白詩1313 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5113

 

 

Index-

8

Ⅱ― 3-728年開元十六年28

7

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

128

69

1

古風,五十九首之二十六

碧荷生幽泉,

巻一

129

70

2

古風,五十九首之二十七

燕趙有秀色,

巻一

130

71

3

古風,五十九首之五十二

青春流驚湍,

巻一

131

72

4

秋思

春陽如昨日,

巻五

132

73

5

贈僧行融

梁有湯惠休,

巻十一

133

74

6

黃鶴送孟浩然之廣陵

故人西辭黃鶴樓,

巻十四

134

75

7

感興,六首之五〔集本八首〕

西國有美女,

巻二十三

 

 

年:728年開元十六年28

卷別:  卷一七四        文體:  七言

李太白集 巻十四

詩題:  黃鶴樓送孟浩然之廣陵

作地點:        江夏(江南西道 / 鄂州 / 江夏)

及地點:       

黃鶴樓 (江南西道 鄂州 江夏)      

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海   

交遊人物:孟浩然        當地交遊(淮南道 揚州揚州)

 

黃鶴樓送孟浩然之廣陵

(黄鶴楼で送別の筵を開き、孟浩然が広陵にゆくのを見送る。)

故人西辭黃鶴樓,煙花三月下揚州。

いましも、わたしの親しき友、孟浩然が、ここ街の西方、武昌の黄鶴楼を立ち去って、春景色にがすんで、牡丹咲き誇る弥生三月、揚州へと下って行くということで、楼頭の別れの酒を傾けたのである。

孤帆遠影碧山盡,唯見長江天際流。

孟浩然は一槽の帆かけ舟に乗ったが、東風、追い風に乗って遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れは漫漫、天を浸している。

(黄鶴樓にて、孟浩然の廣陵に之くを送る)
故人 西に辞す 黄鶴楼、烟花 三月 揚州に下る。
孤帆の遠影 碧空に尽き、唯見る 長江の天際に流るるを。

 

 

武漢01 

『黃鶴樓送孟浩然之廣陵』現代語訳と訳註解説

(本文)

黃鶴樓送孟浩然之廣陵

故人西辭黃鶴樓,煙花三月下揚州。

孤帆遠影碧山盡,唯見長江天際流。

 

 

(下し文)

(黄鶴樓にて、孟浩然の廣陵に之くを送る)
故人 西に辞す 黄鶴楼、烟花 三月 揚州に下る。
孤帆の遠影 碧空に尽き、唯見る 長江の天際に流るるを。

 

(現代語訳)

(黄鶴楼で送別の筵を開き、孟浩然が広陵にゆくのを見送る。)

いましも、わたしの親しき友、孟浩然が、ここ街の西方、武昌の黄鶴楼を立ち去って、春景色にがすんで、牡丹咲き誇る弥生三月、揚州へと下って行くということで、楼頭の別れの酒を傾けたのである。
孟浩然は一槽の帆かけ舟に乗ったが、東風、追い風に乗って遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れは漫漫、天を浸している。

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(訳注)

黄鶴樓送孟浩然之廣陵
(黄鶴楼で送別の筵を開き、孟浩然が広陵にゆくのを見送る。)

黄鶴楼 江夏(現在の湖北省武漢市武昌地区)の黄鶴(鵠)磯に在った楼の名。(現在は蛇山の山上に再建)。仙人と黄色い鶴に関する黄鶴伝説 『列異伝』に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。
孟浩然 盛唐の詩人。689740。李白より11歳ほど年長の友人。襄陽(湖北省襄樊市)の出身。王維・韋応物・柳宗元と並んで、唐代の代表的な自然詩人とされる。
広陵 揚州(江蘇省揚州市)の古名。

この詩は、李白二十八歳の作、通説であるが、異説もある。

武漢02 

故人西辭黃鶴樓,煙花三月下揚州。

いましも、わたしの親しき友、孟浩然が、ここ街の西方、武昌の黄鶴楼を立ち去って、春景色にがすんで、牡丹咲き誇る弥生三月、揚州へと下って行くということで、楼頭の別れの酒を傾けたのである。
故人 以前からの、親しい友人。
辞 別れをつげる。辞去する。
烟花三月 烟は煙。春かすみにつつまれ燃えるような牡丹の花々の咲き誇る三月。
揚州 大運河が長江と交わる交通の要所。唐代では江南随一の繁華をきわめたところ。

 

孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。
孟浩然は一槽の帆かけ舟に乗ったが、東風、追い風に乗って遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れは漫漫、天を浸している。
弧帆 一つだけの帆影。
○碧空 碧玉のように青い空。
天際 天空の果て。
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李商隠『無 題』

萬里風波一葉舟、憶歸初罷更夷猶。

碧江地没元相引、黄鶴沙邊亦少留。

益徳冤魂終報主、阿童高義鎮横秋。

人生豈得長無謂、懐古思郷共白頭。

(無 題)

万里の風波 一葉の舟、帰る を 憶い 初めて罷むも更に夷猶(いゆう)

碧江 地に没して 元と相(あい)引き、黄鶴 沙辺 亦(また)少しく留(とどむ)。

益徳の冤魂(えんこん) 終(つい)に主に報い、阿童(あどう)の高義(こうぎ) 鎮(つね)に秋に横たわる。

人生 豈(あに) 長(とこしえ)に謂われ無き を 待んや、古(いにしえ)を懐い 郷を思いて共に白頭。

無題(萬里風波一葉舟)  李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 125
 
武漢005李白の足跡003

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李白《贈僧行融》#2 近々わたしは、東越、会稽の方に行こうと思っている、謝安と同じように芸妓を携えて白雲と明月の高樓に昇って詩を賦すから、それを待っていてほしい。

 
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年:728年開元十六年28

卷別:    卷一七一              文體:    五言古詩

詩題:    贈僧行融

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

及地點:             

峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)    

旃檀閣 (都畿道 河南府 伊闕)           

鸚鵡洲 (淮南道 沔州 漢陽)              

白樓亭 (江南東道 越州 山陰)           

 

 

贈僧行融 #1

(昔の高僧と詩人のように行融上人にこの詩を贈る)

梁有湯惠休,常從鮑照遊。

六朝南朝梁に湯惠休という僧侶で詩人がいた。常々鮑照に從って遊び、鮑照の詩集の中に贈答の詩が残っている。

峨眉史懷一,獨映陳公出。

近頃の事では、峨眉山に懷一上人という高僧詩人あいて、その人も一人、初唐の陳子昂とともに世間に知られている。

二道人,結交鳳與麟。

湯惠休と史懷一という共に、卓絶している僧侶であり、この者たちとの交際をすることは鳳凰か麒麟と交わるといわれた鮑照や陳子昂と交際する事であり、詩人と高僧というものは少なからず縁が深いということである

融亦俊發,吾知有英骨。

ここには行融という高僧がいて才知のすぐれた人でしかも発信力があるひとである。私はこの人が英骨ある人であるということも知っている。

#2

海若不隱珠,驪龍吐明月。

その光彩燦然としていることは、海若が真珠を持っていて、それは自然に光を放つものであるということ、また、黒い龍がのど元から明月の珠を吐き出したようなものであるということなのだ。

大海乘虛舟,隨波任安流。

高僧との交流は、何も摘んでない軽すぎて不安定な舟で大海に漕ぎ出したとしても、安流にしたがって、浪のまにまに下って行けばいいということである。

賦詩旃檀閣,縱酒鸚鵡洲。

そうして多くの詩人と高僧たちは大江に出て、龍門石窟の香山寺旃檀閣において詩を賦しているのである。今の我々は、こうして、漢江が長江に合流する鸚鵡洲の歓楽街にいるわけで、いにしえの禰衡が酒をほしいままにしたということを偲んで酒をたらふく飲むということをするのである。

待我適東越,相攜上白樓。

それで、近々わたしは、東越、会稽の方に行こうと思っている、謝安と同じように芸妓を携えて白雲と明月の高樓に昇って詩を賦すから、それを待っていてほしい。

 

 (僧行融に贈る) #1

梁に 湯惠休 有り,常に鮑照に從って遊ぶ。

峨眉の史懷一,獨り陳公に映じて出づ。

 二道人,交りを結ぶ 鳳と麟と。

行融 亦た俊發,吾知る 英骨有るを。

#2

海若 珠を隱さず,驪龍 明月を吐く。

大海 虛舟に乘じ,波に隨って安流に任す。

詩を賦す 旃檀閣,酒を縱まにす 鸚鵡洲。

我を待て 東越に適き,相い攜えて白樓に上るを。

 

李白図102 

『贈僧行融』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

海若不隱珠,驪龍吐明月。

大海乘虛舟,隨波任安流。

賦詩旃檀閣,縱酒鸚鵡洲。

待我適東越,相攜上白樓。

 

(下し文)

海若 珠を隱さず,驪龍 明月を吐く。

大海 虛舟に乘じ,波に隨って安流に任す。

詩を賦す 旃檀閣,酒を縱まにす 鸚鵡洲。

我を待て 東越に適き,相い攜えて白樓に上るを。

 

(現代語訳)

その光彩燦然としていることは、海若が真珠を持っていて、それは自然に光を放つものであるということ、また、黒い龍がのど元から明月の珠を吐き出したようなものであるということなのだ。

高僧との交流は、何も摘んでない軽すぎて不安定な舟で大海に漕ぎ出したとしても、安流にしたがって、浪のまにまに下って行けばいいということである。

そうして多くの詩人と高僧たちは大江に出て、龍門石窟の香山寺旃檀閣において詩を賦しているのである。今の我々は、こうして、漢江が長江に合流する鸚鵡洲の歓楽街にいるわけで、いにしえの禰衡が酒をほしいままにしたということを偲んで酒をたらふく飲むということをするのである。

それで、近々わたしは、東越、会稽の方に行こうと思っている、謝安と同じように芸妓を携えて白雲と明月の高樓に昇って詩を賦すから、それを待っていてほしい。

武漢03 

(訳注)#2

贈僧行融 

(昔の高僧と詩人のように行融上人にこの詩を贈る)

六朝南朝梁の湯惠休と鮑照遊んだように、史懷一と陳子昂のように、詩人と高僧の交わりは鳳凰か麒麟と交わることで、俊發してよい詩を賦すことができそれ遺したものだ。禰衡がほおむられた鸚鵡洲でこれを弔うために同じようにまず酒を呑もう、その後自分は謝安のように東越に行って芸妓を携えて良い詩を作るからそれまで待っていてくれというものである。

 

 

海若不隱珠,驪龍吐明月。

その光彩燦然としていることは、海若が真珠を持っていて、それは自然に光を放つものであるということ、また、黒い龍がのど元から明月の珠を吐き出したようなものであるということなのだ。

海若 海の神。

驪龍 長崎の龍踊りの龍が玉を追いかける「玉追い」を思い浮かべれは理解できる。

 

大海乘虛舟,隨波任安流。

高僧との交流は、何も摘んでない軽すぎて不安定な舟で大海に漕ぎ出したとしても、安流にしたがって、浪のまにまに下って行けばいいということである。

虛舟 舟に何も摘んでない舟。軽すぎて不安定なことをいう。

 

賦詩旃檀閣,縱酒鸚鵡洲。

そうして多くの詩人と高僧たちは大江に出て、龍門石窟の香山寺旃檀閣において詩を賦しているのである。今の我々は、こうして、漢江が長江に合流する鸚鵡洲の歓楽街にいるわけで、いにしえの禰衡が酒をほしいままにしたということを偲んで酒をたらふく飲むということをするのである。

旃檀閣 龍門石窟の西山石窟の対岸にある、丘の上の寺香山寺の中にあるもの。沈佺期《寄題羅浮軒轅先生所居》「旃檀曉閣金輿度,鸚鵡晴林采眊分。」沈佺期が香山寺に遊んだ時に作ったものとされる。

鸚鵡洲 黄祖は禰衡をはじめ高く評価したが、次第に禰衡が傲慢な態度をとるようになったため、遂に堪忍袋の緒が切れた。そのため部下に禰衡の処刑を命じ、その部下も禰衡を恨んでいたので、早速殺してしまった。禰衡は死の直前まで黄祖を罵り続けた。黄祖は禰衡を殺したことを後に悔いたという。 彼の死後、黄射は彼の遺体を鸚鵡洲という地(現湖北省武漢市)に埋葬した。

魚玄機の詩に『江行 二首 其二』「煙花已入鸕鶿港,畫舸猶沿鸚鵡洲。」

春がすみのなかを、すでに鸕鶿の港へきているようだ。私の乗った奇麗なお船は、依然として鸚鵡洲に沿って航行している。

・煙花(えんか) 花がすみ。春の景色。

・鸕鶿 鵜のとり。中國古代より鵜飼が行われていた様でその港ではなかろうか。この二句は対句を意識しているため想像で描く風景であろう。

江行 二首 其二 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-93-29-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2012

李白『自漢陽病酒帰寄王明府』 (漢陽より酒に病んで帰り王明府に寄す)

願掃鸚鵡洲     願わくは鸚鵡洲を掃い。

与君酔百場     君と与に百場を酔わん。

嘯起白雲飛七沢   白雲を嘯起して七沢に飛ばし。

歌吟緑水動三湘   緑水に歌吟して三湘を動かさん。

莫惜連船沽美酒   惜む莫れ 船を連ねて美酒を沽い。

千金一擲買春芳   千金一擲して 春芳を買うことを。

 

待我適東越,相攜上白樓。

それで、近々わたしは、東越、会稽の方に行こうと思っている、謝安と同じように芸妓を携えて白雲と明月の高樓に昇って詩を賦すから、それを待っていてほしい。

白樓 会稽東山の山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。謝安の芸妓を携えて東山始寧の別荘の南に楼があり、そこで漢の謝安の故事、朝廷の誘いに乗らず始寧の芸妓を携えて遊んだことにならい、芸妓を待っていたが来なかったときの感情を歌ったものである
『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』
攜妓東山去。 春光半道催。
遙看若桃李。 雙入鏡中開。
 
姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。

送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287
○漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。府城臥竜山南にあった白樓亭のこと。『会稽志卷第九』山府城の卧山府に其麓に治据されていた。山陰陽經雲种山、また別名として重山は越大夫の种所葬られた太平御种山の名としたである。山南道で旧と傳えられる白楼亭は今の址は関連性からいうと不確かであるが、山頂にある城隍祠ああって、其の西南の越王台の下にある。

李白『贈僧崖公』「手秉玉麈尾, 如登白樓亭。

会稽記 「浙江又東北、重山を径す、西山の上に白楼亭あり。」とある。
武漢005 

129―#1 李白《贈僧行融》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 梁有湯惠休,<129> Ⅰ李白詩1311 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5103

李白《贈僧行融》#1六朝南朝梁に湯惠休という僧侶で詩人がいた。常々鮑照に從って遊び、鮑照の詩集の中に贈答の詩が残っている。

 

 
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129―#1 李白《贈僧行融》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28 7首 梁有湯惠休,<129> Ⅰ李白詩1311 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5103

 

 

年:728年開元十六年28

卷別:    卷一七一              文體:    五言古詩

詩題:    贈僧行融

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

及地點:             

峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)    

旃檀閣 (都畿道 河南府 伊闕)           

鸚鵡洲 (淮南道 沔州 漢陽)              

白樓亭 (江南東道 越州 山陰)           

 

 

贈僧行融 #1

(昔の高僧と詩人のように行融上人にこの詩を贈る)
梁有湯惠休,常從鮑照遊。

六朝南朝梁に湯惠休という僧侶で詩人がいた。常々鮑照に從って遊び、鮑照の詩集の中に贈答の詩が残っている。
峨眉史懷一,獨映陳公出。

近頃の事では、峨眉山に懷一上人という高僧詩人あいて、その人も一人、初唐の陳子昂とともに世間に知られている。

二道人,結交鳳與麟。

湯惠休と史懷一という共に、卓絶している僧侶であり、この者たちとの交際をすることは鳳凰か麒麟と交わるといわれた鮑照や陳子昂と交際する事であり、詩人と高僧というものは少なからず縁が深いということである

行融亦俊發,吾知有英骨。

ここには行融という高僧がいて才知のすぐれた人でしかも発信力があるひとである。私はこの人が英骨ある人であるということも知っている。

#2

海若不隱珠,驪龍吐明月。

大海乘虛舟,隨波任安流。

賦詩旃檀閣,縱酒鸚鵡洲。

待我適東越,相攜上白樓。

 

(僧行融に贈る) #1

梁に 湯惠休 有り,常に鮑照に從って遊ぶ。

峨眉の史懷一,獨り陳公に映じて出づ。

 二道人,交りを結ぶ 鳳と麟と。

行融 亦た俊發,吾知る 英骨有るを。

#2

海若 珠を隱さず,驪龍 明月を吐く。

大海 虛舟に乘じ,波に隨って安流に任す。

詩を賦す 旃檀閣,酒を縱まにす 鸚鵡洲。

我を待て 東越に適き,相い攜えて白樓に上るを。

 

武漢02 

 

『贈僧行融』 現代語訳と訳註解説

(本文)

贈僧行融 #1

梁有湯惠休,常從鮑照遊。

峨眉史懷一,獨映陳公出。

二道人,結交鳳與麟。

行融亦俊發,吾知有英骨。

 

 

(下し文)

(僧行融に贈る) #1

梁に 湯惠休 有り,常に鮑照に從って遊ぶ。

峨眉の史懷一,獨り陳公に映じて出づ。

 二道人,交りを結ぶ 鳳と麟と。

行融 亦た俊發,吾知る 英骨有るを。

 

(現代語訳)

(昔の高僧と詩人のように行融上人にこの詩を贈る)

六朝南朝梁に湯惠休という僧侶で詩人がいた。常々鮑照に從って遊び、鮑照の詩集の中に贈答の詩が残っている。

近頃の事では、峨眉山に懷一上人という高僧詩人あいて、その人も一人、初唐の陳子昂とともに世間に知られている。

湯惠休と史懷一という共に、卓絶している僧侶であり、この者たちとの交際をすることは鳳凰か麒麟と交わるといわれた鮑照や陳子昂と交際する事であり、詩人と高僧というものは少なからず縁が深いということである

ここには行融という高僧がいて才知のすぐれた人でしかも発信力があるひとである。私はこの人が英骨ある人であるということも知っている。

 

 

(訳注)

贈僧行融 #1

(昔の高僧と詩人のように行融上人にこの詩を贈る)

六朝南朝梁の湯惠休と鮑照遊んだように、史懷一と陳子昂のように、詩人と高僧の交わりは鳳凰か麒麟と交わることで、俊發してよい詩を賦すことができそれ遺したものだ。禰衡がほおむられた鸚鵡洲でこれを弔うために同じようにまず酒を呑もう、その後自分は謝安のように東越に行って芸妓を携えて良い詩を作るからそれまで待っていてくれというものである。

 

梁有湯惠休,常從鮑照遊。

六朝南朝梁に湯惠休という僧侶で詩人がいた。常々鮑照に從って遊び、鮑照の詩集の中に贈答の詩が残っている。

湯惠休 南朝宋の詩人。生卒年不詳。若くして僧侶となる。“惠休上人”とよばれる。因善于寫詩被徐湛之賞識。孝武帝劉駿430919日-464712日),の命により其のとき還俗している,官位としては揚州從事史に至る。鐘嶸《詩品》作の中に“齊惠休上人”,などを作ったとされるが、 湯惠休の詩、今存するのは11首である,《怨詩行》が最も著名なものである,詩風は民歌てきな氣息に富んだものである。

南朝宋420 - 479年)は、中国南北朝時代の南朝の王朝。周代の諸侯国の宋や趙匡胤が建てた宋などと区別するために、帝室の姓を冠し劉宋(りゅうそう)とも呼ばれる。首都は建康(現在の南京)。

鮑照 鮑照は、中国南北朝時代、宋の詩人。字は明遠。本籍地はもと上党郡、後に東海郡に移る。最後の官職である「前軍参軍」にちなみ、後世「鮑参軍」と呼ばれる。宋の文帝の元嘉年間を代表する詩人として、同時期に活躍した山水詩人の謝霊運・顔延之と併称して「元嘉三大家」の1人に数えられる。妹の鮑令暉も詩人として知られる。

 

峨眉史懷一,獨映陳公出。

近頃の事では、峨眉山に懷一上人という高僧詩人あいて、その人も一人、初唐の陳子昂とともに世間に知られている。

史懷一 不詳の人物で道人とあるが、盧藏用の《陳氏別傳》には「友人趙貞固、鳳閣舍人陸餘慶、殿中侍禦史畢構、監察禦史王無競、亳州長史房融、右史崔泰之、處士太原郭襲徵、道人史懷一,皆寒の交を篤うす。」とある。また、崔顥『贈懷一上人』「法師東南秀,世實豪家子。削發十二年,誦經峨眉裏。」とあるから、峨嵋山の寺にいたことのある僧侶であろう。

陳公 陳子昂。[661702]中国、初唐の詩人。梓州射洪(しゃこう・四川省)の人。字(あざな)は伯玉。則天武后に認められ、右拾遺に任ぜられたが、官を辞してのち、誣告(ぶこく)にあって獄死。詩では漢魏への復古を唱えた。詩の代表作は「修竹篇」「感遇」。著「陳伯玉文集」。

 

二道人,結交鳳與麟。

湯惠休と史懷一という共に、卓絶している僧侶であり、この者たちとの交際をすることは鳳凰か麒麟と交わるといわれた鮑照や陳子昂と交際する事であり、詩人と高僧というものは少なからず縁が深いということである

 

行融亦俊發,吾知有英骨。

ここには行融という高僧がいて才知のすぐれた人でしかも発信力があるひとである。私はこの人が英骨ある人であるということも知っている。

行融 不明の高僧。

俊發 才知のすぐれた人でしかも発信力がある。

・俊:才知がとび抜けてすぐれている。才知のすぐれた人。「俊傑・俊才・俊秀・俊敏・俊髦(しゅんぼう)/英俊」

・発:1 矢や弾を放つ。2 出かける。たつ。3 外部や世間に向けて出す。「4 外に現れ出る。生ずる。生じさせる。5 物事を始める。行動を起こす。事が起こる。6 隠れていたものなどを明るみに出す。7 外に向かって伸び広がる。8 (「撥」の代用字)はねかえす。はね上げる。9 (「溌」の代用字)とびはねる。「活発」10 (「醗」の代用字)かもす。「発酵」
武漢005 

128 《秋思》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 春陽如昨日,<128> Ⅰ李白詩1310 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5098

李白《秋思》(秋の寂しげな思いを述べたもの)長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

 
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128 《秋思》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 春陽如昨日,<128> Ⅰ李白詩1310 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5098 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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128 《秋思》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28 7首 春陽如昨日,<128> Ⅰ李白詩1310 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5098

 

 

Index-

8

Ⅱ― 3-728年開元十六年28

7

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

128

69

1

古風,五十九首之二十六

碧荷生幽泉,

巻一

129

70

2

古風,五十九首之二十七

燕趙有秀色,

巻一

130

71

3

古風,五十九首之五十二

青春流驚湍,

巻一

131

72

4

秋思

春陽如昨日,

巻五

132

73

5

贈僧行融

梁有湯惠休,

巻十一

133

74

6

黃鶴樓送孟浩然之廣陵

故人西辭黃鶴樓,

巻十四

134

75

7

感興,六首之五〔集本八首,二首與古風同,前已附註,不重錄。〕

西國有美女,

巻二十三

 

年:       728年開元十六年28

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    秋思

 

 

191        巻五                   

秋思

春陽如昨日,碧樹鳴黃鸝。

蕪然蕙草暮,颯爾涼風吹。

天秋木葉下,月冷莎雞悲。

坐愁群芳歇,白露凋華滋。

(秋の寂しげな思いを述べたもの)

長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

しめやかに、蕙草の香りは蕪然として既に移ろい、涼風が颯颯として吹いて、香りを運んでくる。

そして、秋は天高く澄みわたり、落葉が雨の如く、はらはらと散り落ちていて、夜になって月は冷ややかに照りキリギリスの声が悲しげに聞こえる。

そうして秋は深まって、群芳はすでに散り果て、白露は花を凋ませて、霜露の花は滋るのである。

 

(秋思)

春陽 昨日の如く,碧樹に黃鸝を鳴かしむ。

蕪然たる蕙草は暮,颯爾として涼風は吹く。

天は秋にして木葉下り,月は冷やかにして 莎雞 悲しむ。

坐ろに愁う 群芳歇み,白露 華を凋まして滋きを。

 

192        巻五                    李白43743年天寶二年作

春思

燕草如碧絲。 秦桑低綠枝。

 當君懷歸日。 是妾斷腸時。

春風不相識。 何事入羅幃。

                                         

193        巻五                    李白43743年天寶二年作

秋思

燕支黃葉落。 ( 燕支一作閼氏 ) 妾望白登台。 ( 白一作自 )

海上碧云斷。 ( 海上一作月出 ) 單于秋色來。 ( 單于一作蟬聲 ) 胡兵沙塞合。 漢使玉關回。 征客無歸日。 空悲蕙草摧。

 

 

 

『秋思』 現代語訳と訳註解説

(本文)

秋思

春陽如昨日,碧樹鳴黃鸝。

蕪然蕙草暮,颯爾涼風吹。

天秋木葉下,月冷莎雞悲。

坐愁群芳歇,白露凋華滋。

 

(下し文)

(秋思)

春陽 昨日の如く,碧樹に黃鸝を鳴かしむ。

蕪然たる蕙草は暮,颯爾として涼風は吹く。

天は秋にして木葉下り,月は冷やかにして 莎雞 悲しむ。

坐ろに愁う 群芳歇み,白露 華を凋まして滋きを。

 

(現代語訳)

(秋の寂しげな思いを述べたもの)

長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

しめやかに、蕙草の香りは蕪然として既に移ろい、涼風が颯颯として吹いて、香りを運んでくる。

そして、秋は天高く澄みわたり、落葉が雨の如く、はらはらと散り落ちていて、夜になって月は冷ややかに照りキリギリスの声が悲しげに聞こえる。

そうして秋は深まって、群芳はすでに散り果て、白露は花を凋ませて、霜露の花は滋るのである。

 

 

(訳注)

秋思

(秋の寂しげな思いを述べたもの)

琴操商調 秋思 樂府

春陽如昨日  碧樹鳴黃
蕪然蕙草暮  颯爾涼風
天秋木葉下  月冷莎雞
坐愁群芳歇  白露凋華

○○△●●  ●●○○○

○○●●●  ●●△△△

○○●●●  ●△○○○

●○○○●  ●●○△○

 

春陽如昨日,碧樹鳴黃鸝。

長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

黃鸝 高麗鶯。杜甫『大雲寺贊公房四首其一』「黃鸝度結構,紫鴿下罘

大雲寺贊公房四首其一#2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 165#2

 

蕪然蕙草暮,颯爾涼風吹。

しめやかに、蕙草の香りは蕪然として既に移ろい、涼風が颯颯として吹いて、香りを運んでくる。

蕪然 草木が有れ茂れるさま。

 

天秋木葉下,月冷莎雞悲。

そして、秋は天高く澄みわたり、落葉が雨の如く、はらはらと散り落ちていて、夜になって月は冷ややかに照りキリギリスの声が悲しげに聞こえる。

木葉下 岸の木の葉が頻りに散っている。《楚辞·九歌·湘夫人》嫋嫋兮秋,洞庭波兮木葉下。

莎雞 キリギリス。

 

坐愁群芳歇,白露凋華滋。

そうして秋は深まって、群芳はすでに散り果て、白露は花を凋ませて、霜露の花は滋るのである。

群芳歇 

白露凋華滋 白露は花を凋ませて、霜露の花は滋る。

127 《南軒松》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 <127> Ⅰ李白詩1307 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5083

李白《南軒松》いよいよ、成長し、直立数千尺になれば、雲霽を凌ぐようである。(長寿はめでたいことである。)

 
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127 《南軒松》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27 6首 <127> Ⅰ李白詩1307 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5083

 

 

Index-

7

Ⅱ― 2-727年開元十五年27

6

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

122

63

1

靜夜思(静夜思)

床前看月光,

巻五

123

64

2

白毫子歌

淮南小山白毫子,

卷六

124

65

3

寄弄月溪山人

嘗聞龐德公,

巻十二

125

66

4

山中問答(山中答俗人)

問余何意棲碧山,

巻十八

126

67

5

峴山懷古

訪古登峴首,

巻二十一

127

68

6

南軒松

南軒有孤松,

巻二十三

 

 

 

安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    南軒松

 

 

南軒松

(清廉で節操を変えない松を、この詩のお相手の長寿を祝って作ったもの)

南軒有孤松,柯葉自綿冪。

我家の南側の軒にちかくに一本松があって、その枝葉は稠密にして重なり合うくらいである。

清風無閒時,瀟灑終日夕。

清風は、絶えず吹きすさび、朝夕、きわめて瀟灑である。

陰生古苔綠,色染秋煙碧。

その木陰には、苔が次第に古くなって、緑の色は細やかに、その葉の色は、秋煙を深緑に染まっているばかりである。

何當凌雲霄,直上數千尺。

いよいよ、成長し、直立数千尺になれば、雲霽を凌ぐようである。(長寿はめでたいことである。)

 

(南軒の松)

南軒に孤松有り,柯葉 自ら綿冪【めんぺき】。

清風 閒なる時無く,瀟灑 日夕を終る。

陰は古苔の綠を生じ,色は秋煙の碧に染る。

何か當に雲霄を凌ぎ,直ちに上ること 數千尺ならん。

 

 

『南軒松』 現代語訳と訳註解説

(本文)

南軒松

南軒有孤松,柯葉自綿冪。

清風無閒時,瀟灑終日夕。

陰生古苔綠,色染秋煙碧。

何當凌雲霄,直上數千尺。

 

 

(下し文)

(南軒の松)

南軒に孤松有り,柯葉 自ら綿冪【めんぺき】。

清風 閒なる時無く,瀟灑 日夕を終る。

陰は古苔の綠を生じ,色は秋煙の碧に染る。

何か當に雲霄を凌ぎ,直ちに上ること 數千尺ならん。

 

(現代語訳)

(清廉で節操を変えない松を、この詩のお相手の長寿を祝って作ったもの)

我家の南側の軒にちかくに一本松があって、その枝葉は稠密にして重なり合うくらいである。

清風は、絶えず吹きすさび、朝夕、きわめて瀟灑である。

その木陰には、苔が次第に古くなって、緑の色は細やかに、その葉の色は、秋煙を深緑に染まっているばかりである。

いよいよ、成長し、直立数千尺になれば、雲霽を凌ぐようである。(長寿はめでたいことである。)

 

(訳注)

南軒松

(清廉で節操を変えない松を、この詩のお相手の長寿を祝って作ったもの)

 

南軒有孤松,柯葉自綿冪。

我家の南側の軒にちかくに一本松があって、その枝葉は稠密にして重なり合うくらいである。

柯葉 幹枝、葉。

綿冪 稠密にして重なり合うこと。

 

清風無閒時,瀟灑終日夕。

清風は、絶えず吹きすさび、朝夕、きわめて瀟灑である。

 

陰生古苔綠,色染秋煙碧。

その木陰には、苔が次第に古くなって、緑の色は細やかに、その葉の色は、秋煙を深緑に染まっているばかりである。

 

何當凌雲霄,直上數千尺。

いよいよ、成長し、直立数千尺になれば、雲霽を凌ぐようである。(長寿はめでたいことである。)

雲霄 おおぞら。

126 《峴山懷古》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<126> Ⅰ李白詩1308 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5088

李白《峴山懷古》古き時代のことを尋ねてみるためこの峴山の頂に昇り、高い所によって、襄陽の街、その一帯を眺めまわした。天は晴れ渡って遠くの峰まで見通せ、漢水の水は、秋を経て酷く感じ、漁梁洲の砂浜は一望空濶である。

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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126 《峴山懷古》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<126> Ⅰ李白詩1308 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5088 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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24-7 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1221> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5089 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-2-1 《杜鵑 -#1》 杜甫index-15 杜甫<865ー#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5090 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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126 《峴山懷古》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<126> Ⅰ李白詩1308 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5088

 

 

安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一八一              文體:    五言律詩

李太白集 巻二十一

詩題:    峴山懷古

作地點:              峴山(山南東道 / 襄州 / 峴山)

及地點:             

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山     

襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

 

 

峴山懷古

(峴山に昇り、羊祜の日を見てこれを弔った)

訪古登峴首,憑高眺襄中。

古き時代のことを尋ねてみるためこの峴山の頂に昇り、高い所によって、襄陽の街、その一帯を眺めまわした。

天清遠峰出,水落寒沙空。

天は晴れ渡って遠くの峰まで見通せ、漢水の水は、秋を経て酷く感じ、漁梁洲の砂浜は一望空濶である。

弄珠見遊女,醉酒懷山公。

大堤の街の珠を佩びたるものは、遊女であることを知ってはいるものの、酒に酔えば、この地においては高陽池における、尊敬する山簡をおもうのである。

感歎發秋興,長松鳴夜風。

こうして、感嘆して、秋興を発すれば、夜の風が颯颯として長松に鳴り響き、まことに、凄愴の思いに堪えられないのである。

 

(峴山懷古)

古えを訪うて 峴首に登り,高きに憑って 襄中を眺む。

天清くして 遠峰に出で,水落ちて 寒沙空し。

珠を弄して 遊女を見,酒の醉うて 山公を懷う。

感歎 秋興を發し,長松 夜風に鳴る。

嚢陽一帯00 

 

『峴山懷古』 現代語訳と訳註解説

(本文)

峴山懷古

訪古登峴首,憑高眺襄中。

天清遠峰出,水落寒沙空。

弄珠見遊女,醉酒懷山公。

感歎發秋興,長松鳴夜風。

 

(含異文)

訪古登峴首,憑高眺襄中。天清遠峰出,水落寒沙空。弄珠見遊女,醉酒懷山公【醉月懷山公】。感歎發秋興,長松鳴夜風。

 

(下し文)

(峴山懷古)

古えを訪うて 峴首に登り,高きに憑って 襄中を眺む。

天清くして 遠峰に出で,水落ちて 寒沙空し。

珠を弄して 遊女を見,酒の醉うて 山公を懷う。

感歎 秋興を發し,長松 夜風に鳴る。

 

(現代語訳)

(峴山に昇り、羊祜の日を見てこれを弔った)

古き時代のことを尋ねてみるためこの峴山の頂に昇り、高い所によって、襄陽の街、その一帯を眺めまわした。

天は晴れ渡って遠くの峰まで見通せ、漢水の水は、秋を経て酷く感じ、漁梁洲の砂浜は一望空濶である。

大堤の街の珠を佩びたるものは、遊女であることを知ってはいるものの、酒に酔えば、この地においては高陽池における、尊敬する山簡をおもうのである。

こうして、感嘆して、秋興を発すれば、夜の風が颯颯として長松に鳴り響き、まことに、凄愴の思いに堪えられないのである。

 

 

(訳注)

峴山懷古

(峴山に昇り、羊祜の日を見てこれを弔った)

○峴山 襄陽城の南十里にある。孫堅が襄陽を攻撃したとき、黄祖(あるいは呂公)はこの山に潜んで孫堅を射殺した。この山に羊祜碑、漢武壇があり、近くに、山間の高陽池、などがある。三国志の舞台。・関羽水淹七軍の地。・樊城。・魚梁洲。・襄陽城。・解佩渚。・沈碑潭。・諸葛亮故居。・万山。・望楚山。古檀渓。襄水。峴山。・墮淚碑。峴首亭。・羊杜祠。・習家池(高揚)。・鹿門山。鹿門寺。「襄陽」「襄中」「峴山」「峴首」「刑襄」「堕涙碑」「羊公石」「山公楼」「習家池」「高陽池」「大堤」「鹿門」「洞湖」などある。

雲夢の沢(うんぼうのたく)湖北省の湿地帯。関羽水淹七軍の地 湿原はひろがっている。諸葛亮、十六歳の時、叔父が殺されてからは、襄陽北西の隆中で晴耕雨読の日を送りながら、襄陽士人、後漢では一流の名門である崔州平、徐庶、遊学仲間の石韜、孟建、らと交わる。

・峴山から南に八百歩、西に坂道を下って百歩のところに習家の養魚池がある。漢の侍中であった習郁が范蠡の『養魚法』に倣ったもので、中には釣り用の台が一つ設けられている。(習郁は)臨終のとき「我を養魚池の近くに埋葬してくれ」と息子に遺言した。池の傍らに高い堤があり、ずらっと竹や長楸が植えられ、芙蓉が水面を覆っている。これこそ酒宴の名所であろう。山季倫(山簡)はこの地で遊ぶたび、泥酔せずに帰ることはなく、いつも「これは我にとっての高陽池なのだ」と言っていた。

 

訪古登峴首,憑高眺襄中。

古き時代のことを尋ねてみるためこの峴山の頂に昇り、高い所によって、襄陽の街、その一帯を眺めまわした。

峴首 峴山の頂。孟浩然『登峴山亭,寄晉陵張少府』「峴首風湍急,雲帆若鳥飛。憑軒試一問,張翰欲來歸。」(下し文) (峴山の亭に登る。晋陵の張少府に寄せる。)峴首 風湍 急にして,雲帆 鳥の飛ぶが若し。軒に憑()りて試みに一たび問わん,張翰 來り歸らんと欲するか。

峴山に登り峴首亭にいってみると、晋の張翰少府の気持ちがよくわかりこの詩を寄せる。

峴山の鼻先にある峴首亭にいるが、川の流れと急な風が吹いていて、舟の雲帆ままるで都営が飛んでいくように見える。

亭の欄干に寄りかかったところで、あなたにちょっと一言聞いてみるけど、晋の張翰少府が、秋風が吹いたら、鱠を食べないと自分の人生ではないといって官を辞して呉の郷里に帰ったけれどあなたも帰ろうと思っているのではないのか。

襄中 襄陽の街、その一帯。

 

天清遠峰出,水落寒沙空。

天は晴れ渡って遠くの峰まで見通せ、漢水の水は、秋を経て酷く感じ、漁梁洲の砂浜は一望空濶である。

水 漢水。

沙 漁梁洲の砂浜。

 

弄珠見遊女,醉酒懷山公。

大堤の街の珠を佩びたるものは、遊女であることを知ってはいるものの、酒に酔えば、この地においては高陽池における、尊敬する山簡をおもうのである。

遊女 襄陽には、大堤の歓楽街がある。

山公 荊の地方長官だった山簡が被っていたことで有名。

山簡は竹林の七賢人である山濤の息子だが、それよりなにより酔ってこの白接蘺を前後反対に被り

町なかで馬に乗ったほどの「酔っぱらい」ぶりで名高い。              

「山公」と言えば酔っぱらいの代名詞であり、李白はしばしば自分をこの山簡に例えている。 

 

○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 

「山公」
李白と道教48襄陽歌 ⅰ

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感歎發秋興,長松鳴夜風。

こうして、感嘆して、秋興を発すれば、夜の風が颯颯として長松に鳴り響き、まことに、凄愴の思いに堪えられないのである。

 

「峴山の詩」孟浩然 与諸子登峴山 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -305

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田園作 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -315

田家元日 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -315

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夏日辮玉法師茅齋 孟浩然 「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -327

 

安陸・南陽・嚢陽 李白00 

 

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安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:  卷一七八        文體:  七言句(古詩)

李太白集 巻十八

詩題:  山中問答(山中答俗人)

作地點:安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:壽山 (淮南道 安州 安陸)  

 

 

山中問答(山中答俗人)
問余何意棲碧山,笑而不答心自閒。
わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
桃花流水窅然去,別有天地非人間。

「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。 

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<!--[endif]-->

山中問答

問余何意棲碧山,笑而不答心自閒。

桃花流水窅然去,別有天地非人間。

(山中の問答)〔山中俗人に答う〕
余に問う 何の意ぞ 碧山に棲む,笑って 答えず 心 自ら なり。
桃花の流水 窅然として去る,別に天地の人間に 非ざる有り。

巫山十二峰002 

 

『山中問答』 現代語訳と訳註解説

(本文)

山中問答

問余何意棲碧山,笑而不答心自閒。

桃花流水窅然去,別有天地非人間。

 

(含異文)

問余何意棲碧山【問余何事棲碧山】,笑而不答心自閒。

桃花流水窅然去,別有天地非人間。

 

(下し文)

(山中の問答)

余に問う 何の意ぞ 碧山に棲む,笑って 答えず 心 自ら 閒なり。

桃花の流水 窅然として去る,別に天地の人間に 非ざる有り。

 

(現代語訳)

(青山の内に棲んでいる私と君との問答)

わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。 
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->李白の足跡003
<!--[endif]-->

(訳注)

山中問答(山中答俗人)
(青山の内に棲んでいる私と俗人の君との問答)

山に入って脱俗的な生活をするということに対する当時の文化人の姿勢が窺われる。陶淵明の生活などに対する憧れのようなものがあることを古来よりの問答形式をとっていること、具体的に転句結句の「桃花流水窅然去」である。厳密に言えば七言古詩である。

問余何意棲碧,笑而不答心自

桃花流水窅然去,別有天地非人

●○△●○●○  ●○△●○●○

○○○●△○●  ●●○●○○△

 

問余何意棲碧山,笑而不答心自閒。

わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
何意  どういう訳で。なぜ。 

・棲  すむ。本来は、鳥のすみか。 

碧山 :緑の色濃い山奥。白兆山、湖北省安陸県にあり、李白は嘗てここで過ごしたことがある実在の山をあげる解説も多いが、ここでは具体的な場所と見ない方がよい。 

棲碧山 隠遁生活をすること。この語もって、湖北の安陸にある白兆山に住むとするとされるが、「隠遁生活をする」ことにあこがれを持ち

李白 84 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰

の詩で見るように結婚をして住んだ形跡があるものの、間もなくこの地から旅立って、他の地で隠遁している。李白の神仙思想から言ってもここは一般的な場所と考えるべきである 

笑而 笑って…(する)。 

不答 返事をしない。返事の答えはしないものの、詩の後半が答の思いとなっている。 

自閑 自ずと落ち着いている。自閑は隠遁者の基本中の基本である。おのずと静かでのんびりすること、尋ねられても答えない、会いに行ってもあえないというのが基本である。
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<!--[endif]-->

桃花流水窅然去,別有天地非人間。

「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。 
桃花 モモの花。ここでは、モモの花びら。「桃花」は陶淵明の『桃花源記』や『桃花源詩』を聯想させるための語句である。 

流水 流れゆく川の流れ。 

杳然 ようぜん はるかなさま。 ・ さる。 

別有天地 別な所に世界がある。 

非人間 俗世間とは違う。この浮き世とは違う世の中。

 ・人間 じんかん 俗世間。


○韻 山、閑、間。   この詩は、陶淵明の詩のイメージを借りつつも陶淵明を李白自身が乗り越えたことを示す作品と解釈する。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->a謝霊運永嘉ルート02
<!--[endif]-->

道教は老荘の学説と、神仙説と、天師道との三種の要素が混合して成立した宗致である。老荘の教は周知の如く、孔子孟子の儒教に対する反動思想として起ったものである。
これは仁義・礼節によって修身冶平天下を計る儒教への反動として、虚静、人為的な工作を避け天地の常道に則った生活によって、理想社会の出現を期待する。特に神仙説は、より具体的な形、東方の海上に存在する三神山(瀛州、方壷、蓬莱)ならびに西方極遠の地に存在する西王母の国を現在する理想国とした。ここには神仙が居住し、耕さず努めず、気を吸ひ、霞を食べ、仙薬を服し、金丹を煉()って、身を養って不老長生である、闘争もなければ犯法者もない。かかる神仙との交通によって、同じく神仙と化し延寿を計り得るのであって、これ以外には施すべき手段はなく、これ以外の地上の営みはすべて徒為(むだ)であるとなすに至る。これらのことは、詩人の詩に多く取り上げられた。
徳に李白は若い時ほど、神仙思想にあこがれ、いんとんせいかつにあこがれてきた。

124-2 《寄弄月溪吳山人》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<124-2> Ⅰ李白詩1306 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5078

李白《寄弄月溪山人》むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

 
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124-2 《寄弄月溪吳山人》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<124-2> Ⅰ李白詩1306 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5078

 

 

安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    寄弄月溪山人

及地點:             

鹿門山 (山南東道 襄州 襄陽) 別名:鹿門     

襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

交遊人物:山人             

 

 

寄弄月溪山人

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

終身棲鹿門,不入襄陽市。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

夫君弄明月,滅景清淮裡。

そうした意味で、君も清淮の里の中でその景色を滅っする明月を弄びつつ、決して塵間にでることはなかった。

高蹤邈難追,可與古人比。

その高潔な蹤跡は邈然として追尋することは難しいのであり、ただ、この詩でこれまで述べた龐德公に比較されるべき人であろう。

清揚杳莫睹,白雲空望美。

君の風貌は杳然として見る事が難しく、白雲を臨んで、空しくその美なることを想像してみるだけのことである。

待我辭人間,攜手訪松子。

我々はやがて神仙の道を学ぶため、世間一般の人間社会を辞して、手を携えて赤松子を尋ねることができる日まで待ってもらいたいとおもっているのである。

 

 (弄月溪の山人に)

嘗て聞く 龐德公,家は住す 洞湖の水。

終身 鹿門に棲み,襄陽の市に入らず。

夫君 明月を弄し,景を滅す 清淮の裡。

高蹤 邈【ばく】として追い難く,古人と比す可し。

清揚 杳として睹る莫く,白雲 空しく美を望む。

待て人間を辭すと我し,手を攜えて松子を訪うを。

嚢陽一帯00 

 

『寄弄月溪山人』 現代語訳と訳註解説

(本文)

寄弄月溪山人

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

終身棲鹿門,不入襄陽市。

夫君弄明月,滅景清淮裡。

高蹤邈難追,可與古人比。

清揚杳莫睹,白雲空望美。

待我辭人間,攜手訪松子。

 

 

(下し文)

(弄月溪の山人に寄す)

嘗て聞く 龐德公,家は住す 洞湖の水。

終身 鹿門に棲み,襄陽の市に入らず。

夫君 明月を弄し,景を滅す 清淮の裡。

高蹤 邈【ばく】として追い難く,古人と比す可し。

清揚 杳として睹る莫く,白雲 空しく美を望む。

待て人間を辭すと我し,手を攜えて松子を訪うを。

 

(現代語訳)

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

そうした意味で、君も清淮の里の中でその景色を滅っする明月を弄びつつ、決して塵間にでることはなかった。

その高潔な蹤跡は邈然として追尋することは難しいのであり、ただ、この詩でこれまで述べた龐德公に比較されるべき人であろう。

君の風貌は杳然として見る事が難しく、白雲を臨んで、空しくその美なることを想像してみるだけのことである。

我々はやがて神仙の道を学ぶため、世間一般の人間社会を辞して、手を携えて赤松子を尋ねることができる日まで待ってもらいたいとおもっているのである。

 

(訳注)

寄弄月溪山人

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

 

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

○龐德公 東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。

洞湖水 洞湖とは襄陽の鹿門山の居のことをいう。山簡とともに高陽池で飲み続け、戯れて云ったことが、襄陽の池は酔って飲む酒を「洞湖の水」である。

山簡公:山簡(さん かん、生没年未詳)は三国時代の魏および西晋の襄陽の刺史である。字は季倫。父親は竹林の七賢の一人、山濤。

 

終身棲鹿門,不入襄陽市。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

○鹿門山 鹿門山は旧名を蘇嶺山という。建武年間(2556年)、襄陽侯の習郁が山中に祠を建立し、神の出入り口を挟んで鹿の石像を二つ彫った。それを俗に「鹿門廟」と呼び、廟のあることから山の名が付けられた。

襄陽市 孟浩然『登安陽城樓』「縣城南面漢江流,江漲開成南雍州。」(縣城の南面に 漢江流る,江を漲らせて成を開く 南雍の州。)襄陽城の南の城壁に向かって漢水の江が流れていく。川はその水を満々とたたえてこの南の襄陽の街を開いている。

○安陽城 西には太行山脈がそびえ、そこから流れる漳河(しょうが、海河水系衛河の支流)が河北省邯鄲市との境を流れる。中国七大古都(北京、南京、杭州、西安、洛陽、開封、安陽)の一つである。約三千三百年前の商代後期の都で中国古代王朝の一つである殷の時代の遺跡「殷墟」があり、ヒエログリフ、楔形文字と並び世界三大古代文字の一つに数えられる甲骨文字が大量に出土している。

○縣城 襄陽城。○江漲 春の雪解け水が満々と水を湛えていること。別には、嶂と造るものがある。その場合安陽城の北側を流れる漳河のことを指すのか。○開成 世の人知を開発し、事業を完成すること。○雍州 湖北省襄陽。九州の一つ。古代王朝の安陽ということ。

 

夫君弄明月,滅景清淮裡。

そうした意味で、君も清淮の里の中でその景色を滅っする明月を弄びつつ、決して塵間にでることはなかった。

 

高蹤邈難追,可與古人比。

その高潔な蹤跡は邈然として追尋することは難しいのであり、ただ、この詩でこれまで述べた龐德公に比較されるべき人であろう。

 

清揚杳莫睹,白雲空望美。

君の風貌は杳然として見る事が難しく、白雲を臨んで、空しくその美なることを想像してみるだけのことである。

清揚 眉目のあいだをいう風貌

 

待我辭人間,攜手訪松子。

我々はやがて神仙の道を学ぶため、世間一般の人間社会を辞して、手を携えて赤松子を尋ねることができる日まで待ってもらいたいとおもっているのである。

松子 赤松子のこと。赤松子とは、黄帝の八代前、神農の時代の雨師(雨の神、または雨乞い)。自分の体を焼いて仙人となった尸解仙とされ、後世では仙人の代名詞となり劉邦の家臣張良も彼について言及している。そこでは、赤松子と同一視され、黄色い石の化身と言われ、そのため黄石公と称される。張子房に太公望が記した兵法書を授けたとされるものだ。

 

 

 

孟浩然《登鹿門山懐古》

清曉因興來,乘流越江峴。

沙禽近方識,浦樹遙莫辨。

漸至鹿門山,山明翠微淺。

岩潭多屈曲,舟楫屢回轉。

昔聞龐德公,采藥遂不返。

#2

金澗餌芝朮,石床臥苔蘚。

紛吾感耆舊,結攬事攀踐。

隱跡今尚存,高風邈已遠。

白雲何時去,丹桂空偃蹇。

探討意未窮,回艇夕陽晚。

(鹿門山に登り古えを懐かしむ)#1

清暁 興来るに因り、流れに乗りて江峴を越ゆ。

沙禽 近づきて方に識り、浦樹 遙かに辨ずる莫し

漸く鹿門山に至れば、山明らかにして翠微浅し。

岩潭 屈曲多く、舟楫 屡々回り転ず。

昔聞く 龐徳公、業を採りて遂に返らずと。

#2

金澗に芝朮(しじゅつ)を養ひ、石床 苔蘇に臥す。

紛として 吾 耆舊(ききゅう)に感じ、攬を結びて攀踐(はんせん)を事とす。

隠跡 今尚は存するも、高風 邈(ばく)として已に遠し。

白雲 何れの時にか去らん、丹桂 空しく偃蹇(えんけん)たり。

探討 意未だ窮まらず、艇を回らす 夕陽の晩。

 

鹿門山に登り古えを懐かしむ

初夏の清々しい明け方、風興の気分によってここに来ている。漢水の流れに乗って峴山が川を越えて見る。

砂浜にいる水鳥に近づくとこちらを向いて気が付いたようだ。入り江の奥の樹林は遙か遠くにあり、瓣別することができない。

しばらく山の道を進んでゆくと鹿門山にいたるのだけれど、山に日の光が射していて、山の中腹の浅いところが見える。

大岩と淵で、川は折れ曲がりが多い、舟の楫をしばしば使って舳先をめくらして進む。

ここには昔、後漢の龐徳公の有名な故事がある。薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかったというものだ。

 

黄金に輝く谷川の透きとった水際に貴重な薬草を育てている。その岩壁には緑の苔がびっしり生えている。

わたしの心の中では複雑なものがある。「襄陽耆舊記」の龐德公のように生きたいとは思っている。もう一方では、家族からも期待されている頭髪を束ねて結い直し、官位に付き上り詰めるということも考えるのである。

確かに、龐德公が隠棲された史蹟は今なお残っているのであるが、『高士』の風はぼんやりとして来て今や遠くなりつつあるのだ。

龐德公の隠棲という雰囲気を残した白雲がいつしかきえさって、その丹桂遺跡はその場所に空しく広がっているだけなのである。

鹿門山のあちこちを奥深く隅々までさぐり調べたのだがその気持ちはいまだ窮まってはいない。今すぐ隠棲するわけではないので夕日が落ちて暮れてきているなかで、船を廻して帰ろうと思う。

孟浩然 登鹿門山懐古 #2 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -320

盛唐詩 夜歸鹿門山歌 孟浩然<41> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -348

李白と道教48襄陽歌 ⅰ

 

寄天臺道士

海上求仙客,三山望幾時。

焚香宿華頂,裛露采靈芝。

屢躡莓苔滑,將尋汗漫期。

倘因松子去,長與世人辭。

(天臺の道士に寄せる)

海上に仙客を求め、三山 望むこと幾時ぞ。

香を焚きて華頂に宿し、露に裛ひて靈芝を采る。

屢しば踐む莓苔の滑なるを、將に尋ねんとす汗漫の期。

儻し松子に因りて去らば、長く世人と辭せん。

始皇帝の命を受け徐福らが海上に神仙を求めて旅立った、その三神山を望んでから一体どれくらいの年月がたったのだろう。

しかし、海上に神薬を求める道などなく、天台山において香を焚いて華頂峰に宿泊し自然と同化している。そして、露に潤いながら霊芝を摘み取るのである。

しばしば、苔生した滑りやすい滝上の石橋を渡るのである。そして、広大無辺で計り知れないひろい神仙的世界で過ごす約束を果たしに行くのである。

もしもそれがかなうなら、赤松子に連れて行ってもらって、この人間世界から永遠にお別れをすることできるということなのだ。

盛唐詩 寄天台道士 孟浩然<27> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -334

 

124-1 《寄弄月溪吳山人》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<124-1> Ⅰ李白詩1305 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5073

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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    寄弄月溪山人

及地點:             

鹿門山 (山南東道 襄州 襄陽別名:鹿門     

襄州 (山南東道 襄州 襄州別名:襄陽         

交遊人物:山人             

 

 

寄弄月溪山人

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

終身棲鹿門,不入襄陽市。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

夫君弄明月,滅景清淮裡。

高蹤邈難追,可與古人比。

清揚杳莫睹,白雲空望美。

待我辭人間,攜手訪松子。

 

 (弄月溪の山人に)

嘗て聞く 龐德公,家は住す 洞湖の水。

終身 鹿門に棲み,襄陽の市に入らず。

夫君 明月を弄し,景を滅す 清淮の裡。

高蹤 邈【ばく】として追い難く,古人と比す可し。

清揚 杳として睹る莫く,白雲 空しく美を望む。

待て人間を辭すと我し,手を攜えて松子を訪うを。

嚢陽一帯00 

 

『寄弄月溪山人』 現代語訳と訳註解説

(本文)

寄弄月溪山人

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

終身棲鹿門,不入襄陽市。

夫君弄明月,滅景清淮裡。

高蹤邈難追,可與古人比。

清揚杳莫睹,白雲空望美。

待我辭人間,攜手訪松子。

 

 

(下し文)

(弄月溪の山人に寄す)

嘗て聞く 龐德公,家は住す 洞湖の水。

終身 鹿門に棲み,襄陽の市に入らず。

夫君 明月を弄し,景を滅す 清淮の裡。

高蹤 邈【ばく】として追い難く,古人と比す可し。

清揚 杳として睹る莫く,白雲 空しく美を望む。

待て人間を辭すと我し,手を攜えて松子を訪うを。

 

(現代語訳)

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

嚢陽一帯00

 

(訳注)

寄弄月溪山人

(弄月溪に隠遁していた山人に送った詩であるが、道士に関する資料は残されていないことが多いので不明。)

 

嘗聞龐德公,家住洞湖水。

むかし、薬草を取りに山に入ったが帰ってこなかった漢末の人龐德公は、鹿門山に棲み、山公と同じように襄陽の高陽池で「洞湖の水」という酒をのんだ。

○龐德公 東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。

洞湖水 洞湖とは襄陽の鹿門山の居のことをいう。山簡とともに高陽池で飲み続け、戯れて云ったことが、襄陽の池は酔って飲む酒を「洞湖の水」である。

山簡公:山簡(さん かん、生没年未詳)は三国時代の魏および西晋の襄陽の刺史である。字は季倫。父親は竹林の七賢の一人、山濤。

 

終身棲鹿門,不入襄陽市。

終身、鹿門山に棲んで、すぐ近くに上陽の歓楽街があるというのに市街地にさえ入らなかった。

○鹿門山 鹿門山は旧名を蘇嶺山という。建武年間(2556年)、襄陽侯の習郁が山中に祠を建立し、神の出入り口を挟んで鹿の石像を二つ彫った。それを俗に「鹿門廟」と呼び、廟のあることから山の名が付けられた。

襄陽市 孟浩然『登安陽城樓』「縣城南面漢江流,江漲開成南雍州。」(縣城の南面に 漢江流る,江を漲らせて成を開く 南雍の州。)襄陽城の南の城壁に向かって漢水の江が流れていく。川はその水を満々とたたえてこの南の襄陽の街を開いている。

○安陽城 西には太行山脈がそびえ、そこから流れる漳河(しょうが、海河水系衛河の支流)が河北省邯鄲市との境を流れる。中国七大古都(北京、南京、杭州、西安、洛陽、開封、安陽)の一つである。約三千三百年前の商代後期の都で中国古代王朝の一つである殷の時代の遺跡「殷墟」があり、ヒエログリフ、楔形文字と並び世界三大古代文字の一つに数えられる甲骨文字が大量に出土している。

○縣城 襄陽城。○江漲 春の雪解け水が満々と水を湛えていること。別には、嶂と造るものがある。その場合安陽城の北側を流れる漳河のことを指すのか。○開成 世の人知を開発し、事業を完成すること。○雍州 湖北省襄陽。九州の一つ。古代王朝の安陽ということ。

安陸・南陽・嚢陽 李白00 

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李白《白毫子歌》#2 八公の徒は、手を携えて淮南王とともに、五色の彩雲に乗じて羽化登仙し、そこには空しく桂樹が名残をとどめているだけであるが、こうしてここで修行しても無論、八公子に逢うことはできないということでは、私の仙道の修行も前途多難で非常に嘆き悲しむというものであるが、何時かは浮世の外に超脱したいと思うところである。

 
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123-

#2 《白毫子歌》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<123-#2> Ⅰ李白詩1304 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5068

 

 

安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一六六              文體:    雜言古詩

李太白集 巻六

詩題:    白毫子歌

寫作地點:安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

白毫子歌

(神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、淮南王の君臣が仙去したことを思慕する意をのべたもの)#1

淮南小山白毫子,乃在淮南小山裡。

白毫子というのは、淮南王に昵近していた小山の仲間の一人で、その文藻を以て世に知られているが、後には淮南の小山の裡というところに、隠遁して仙道を学んでいた。

夜臥松下雲,朝餐石中髓。

夜には、松下にいて白雲に臥して、朝には石中の髓を食らって仙道を成就した。

小山連綿向江開,碧峰巉巖綠水迴。

その小山というのは、山勢が連綿として、淮水に面して開くように向っている。碧峰巉巖、突兀として聳え、その麓を奇麗に澄んだ水が廻っている。

余配白毫子,獨酌流霞杯。

私は、神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、その山に分け入って、一人、仙家の酒を酌注いだ流霞の杯を傾けるのである。

#2

拂花弄琴坐青苔,綠蘿樹下春風來。

こうして、花を拂って、琴を爪弾いて楽しみ、青苔の修行台の上に坐っていると、緑の葉をつけて樹木にまといついている蔦羅が茂る木の下でいて、春風が吹き抜ける。

南窗蕭颯松聲起,憑崖一聽清心耳。

南側に窓のまえには蕭颯とした松聲が起こっていて、それを崖に倚りかかってすずやかな声をきいていると、まるで浮世を離れているようである。

可得見,未得親。

白毫子、その人は見るべきところを得ようとするが、未だに親しむことができないのである。

八公攜手五雲去,空餘桂樹愁殺人。

そもそも八公の徒は、手を携えて淮南王とともに、五色の彩雲に乗じて羽化登仙し、そこには空しく桂樹が名残をとどめているだけであるが、こうしてここで修行しても無論、八公子に逢うことはできないということでは、私の仙道の修行も前途多難で非常に嘆き悲しむというものであるが、何時かは浮世の外に超脱したいと思うところである。

 

 (白毫子の歌)

淮南の小山 白毫子,乃ち淮南小山の裡に在り。

夜には松下の雲に臥し,朝には石中の髓を餐す。

小山は連綿とし 江に向って開き,碧峰は巉巖とし 綠水迴る。

余は白毫子に配し,獨り流霞の杯を酌む。

#2

花を拂い 琴を弄して 青苔に坐せば,綠蘿 樹下 春風來る。

南窗 蕭颯として松聲起り,崖に憑って 一たび聽けば 心耳を清す。

見るを得可し,未だ親しむを得ず。

八公 手を攜えて五雲に去り,空しく桂樹を餘して人を愁殺す。

 

keirin01 

『白毫子歌』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

拂花弄琴坐青苔,綠蘿樹下春風來。

南窗蕭颯松聲起,憑崖一聽清心耳。

可得見,未得親。

八公攜手五雲去,空餘桂樹愁殺人。

 

(下し文)  #2

花を拂い 琴を弄して 青苔に坐せば,綠蘿 樹下 春風來る。

南窗 蕭颯として松聲起り,崖に憑って 一たび聽けば 心耳を清す。

見るを得可し,未だ親しむを得ず。

八公 手を攜えて五雲に去り,空しく桂樹を餘して人を愁殺す。

 

(現代語訳)

こうして、花を拂って、琴を爪弾いて楽しみ、青苔の修行台の上に坐っていると、緑の葉をつけて樹木にまといついている蔦羅が茂る木の下でいて、春風が吹き抜ける。

南側に窓のまえには蕭颯とした松聲が起こっていて、それを崖に倚りかかってすずやかな声をきいていると、まるで浮世を離れているようである。

白毫子、その人は見るべきところを得ようとするが、未だに親しむことができないのである。

そもそも八公の徒は、手を携えて淮南王とともに、五色の彩雲に乗じて羽化登仙し、そこには空しく桂樹が名残をとどめているだけであるが、こうしてここで修行しても無論、八公子に逢うことはできないということでは、私の仙道の修行も前途多難で非常に嘆き悲しむというものであるが、何時かは浮世の外に超脱したいと思うところである。

 

 

(訳注) #2

拂花弄琴坐青苔,綠蘿樹下春風來。

こうして、花を拂って、琴を爪弾いて楽しみ、青苔の修行台の上に坐っていると、緑の葉をつけて樹木にまといついている蔦羅が茂る木の下でいて、春風が吹き抜ける。

 

南窗蕭颯松聲起,憑崖一聽清心耳。

南側に窓のまえには蕭颯とした松聲が起こっていて、それを崖に倚りかかってすずやかな声をきいていると、まるで浮世を離れているようである。

 

可得見,未得親。

白毫子、その人は見るべきところを得ようとするが、未だに親しむことができないのである。

 

八公攜手五雲去,空餘桂樹愁殺人。

そもそも八公の徒は、手を携えて淮南王とともに、五色の彩雲に乗じて羽化登仙し、そこには空しく桂樹が名残をとどめているだけであるが、こうしてここで修行しても無論、八公子に逢うことはできないということでは、私の仙道の修行も前途多難で非常に嘆き悲しむというものであるが、何時かは浮世の外に超脱したいと思うところである。

八公の徒 淮南王は謀反によって自死したのではなく、天に昇って仙人になったのだという感懐が淮南の世人のあいだあった。昇仙幻想なのである。

 後漢の王充の『論衡』にも綴られている。「淮南王は食客を好んだので、道士や方士が次々に集まり、奇方異術の蘊蓄をかたむけ、王またそれを会得して道(タオ)を悟り、家族もろともに昇仙していった」ということである。昇仙譚が後漢の時代に伝わるほどに、死後の淮南王については神仙めく噂が付きまとっていたということである。実際にも、干宝の『捜神記』にも葛洪の『神仙伝』にも、八公の手引きによって淮南王が羽化登仙した不思議な経緯が綴られている。

 これが何を意味しているかといえば、『淮南子』の執筆編集にもそうした神仙陰陽道を加味されたということなのだ。

愁殺【しゅうさつ】)非常に嘆き悲しむこと。また、非常に嘆き悲しませること。

春秋戦国勢力図 

123 《白毫子歌》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 <123> Ⅰ李白詩1303 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5063

李白《白毫子歌》#1 (神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、淮南王の君臣が仙去したことを思慕する意をのべたもの)#1

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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123 《白毫子歌》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 <123> Ⅰ李白詩1303 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5063 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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24-2 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1216> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5064韓愈詩-24-2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-1-1 《別蔡十四著作 -#1》 杜甫index-15 杜甫<864-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5065 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-521《南鄉子十首,其四》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-704-20-(521) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5067 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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123 《白毫子歌》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27 6首 <123> Ⅰ李白詩1303 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5063

 

 

安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一六六              文體:    雜言古詩

李太白集 巻六

詩題:    白毫子歌

寫作地點:安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

白毫子歌

(神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、淮南王の君臣が仙去したことを思慕する意をのべたもの)#1

淮南小山白毫子,乃在淮南小山裡。

白毫子というのは、淮南王に昵近していた小山の仲間の一人で、その文藻を以て世に知られているが、後には淮南の小山の裡というところに、隠遁して仙道を学んでいた。

夜臥松下雲,朝餐石中髓。

夜には、松下にいて白雲に臥して、朝には石中の髓を食らって仙道を成就した。

小山連綿向江開,碧峰巉巖綠水迴。

その小山というのは、山勢が連綿として、淮水に面して開くように向っている。碧峰巉巖、突兀として聳え、その麓を奇麗に澄んだ水が廻っている。

余配白毫子,獨酌流霞杯。

私は、神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、その山に分け入って、一人、仙家の酒を酌注いだ流霞の杯を傾けるのである。

#2

拂花弄琴坐青苔,綠蘿樹下春風來。

南窗蕭颯松聲起,憑崖一聽清心耳。

可得見,未得親。

八公攜手五雲去,空餘桂樹愁殺人。

 

 (白毫子の歌)

淮南の小山 白毫子,乃ち淮南小山の裡に在り。

夜には松下の雲に臥し,朝には石中の髓を餐す。

小山は連綿とし 江に向って開き,碧峰は巉巖とし 綠水迴る。

余は白毫子に配し,獨り流霞の杯を酌む。

#2

拂花弄琴坐青苔,綠蘿樹下春風來。

南窗蕭颯松聲起,憑崖一聽清心耳。

可得見,未得親。

八公攜手五雲去,空餘桂樹愁殺人。

 

巫山十二峰002 

『白毫子歌』 現代語訳と訳註解説

(本文)

白毫子歌

淮南小山白毫子,乃在淮南小山裡。

夜臥松下雲,朝餐石中髓。

小山連綿向江開,碧峰巉巖綠水迴。

余配白毫子,獨酌流霞杯。

 

(下し文)

(白毫子の歌)

淮南の小山 白毫子,乃ち淮南小山の裡に在り。

夜には松下の雲に臥し,朝には石中の髓を餐す。

小山は連綿とし 江に向って開き,碧峰は巉巖とし 綠水迴る。

余は白毫子に配し,獨り流霞の杯を酌む。

 

(現代語訳)

(神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、淮南王の君臣が仙去したことを思慕する意をのべたもの)#1

白毫子というのは、淮南王に昵近していた小山の仲間の一人で、その文藻を以て世に知られているが、後には淮南の小山の裡というところに、隠遁して仙道を学んでいた。

夜には、松下にいて白雲に臥して、朝には石中の髓を食らって仙道を成就した。

その小山というのは、山勢が連綿として、淮水に面して開くように向っている。碧峰巉巖、突兀として聳え、その麓を奇麗に澄んだ水が廻っている。

私は、神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、その山に分け入って、一人、仙家の酒を酌注いだ流霞の杯を傾けるのである。

呉越の地図 

(訳注)#1

白毫子歌

(神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、淮南王の君臣が仙去したことを思慕する意をのべたもの)

 

淮南小山白毫子,乃在淮南小山裡。

白毫子というのは、淮南王に昵近していた小山の仲間の一人で、その文藻を以て世に知られているが、後には淮南の小山の裡というところに、隠遁して仙道を学んでいた。

 

夜臥松下雲,朝餐石中髓。

夜には、松下にいて白雲に臥して、朝には石中の髓を食らって仙道を成就した。

石中髓 《太平廣記》卷九《神仙傳》:王烈独之太行山中,忽崩圮,殷殷如雷声,烈不知何等,往之,乃山破石裂数百丈,两畔皆是青石,石中有一穴口,径,中有青泥流出如髓。烈取泥丸之,臾成石, 如投蜡之状,随手凝。

王烈独り太行山中を之く,忽ち山崩れ圮けるを聞く,殷殷として雷声の如し,烈 何等知らず,乃ち山破れ石裂け数百丈を観る,两畔 皆 是れ青石,石中 一穴口に有り,径,中に青泥流出して髓の如き有る。烈 取って泥丸を之う,臾 石と成る, 如投蜡之状,随手凝。)

 

 

小山連綿向江開,碧峰巉巖綠水迴。

その小山というのは、山勢が連綿として、淮水に面して開くように向っている。碧峰巉巖、突兀として聳え、その麓を奇麗に澄んだ水が廻っている。

連綿 途絶えずに長く続くさま。

 

余配白毫子,獨酌流霞杯。

私は、神道の道に志があり、白毫子の後を継ごうということで、その山に分け入って、一人、仙家の酒を酌注いだ流霞の杯を傾けるのである。

流霞杯 《論衡校釋》卷七〈道虛〉~325~「曼都曰:有仙人數人,將我上天,離月數里而止。口饑欲食,仙人輒飲我以流霞一杯。」(曼都曰く:仙人數人有り,我を將て天に上る,月を離れて數里して止る。口饑えて食んと欲す,仙人輒ち我に飲ましむるに流霞一杯をて以す。)
泰山の道観 

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李白《靜夜思》庭を見て、ゆっくりと頭をあげると月が山の端の上にあるのを眺めやる。こんな月を見ると故郷の峨嵋山にかかる月を思い出すと頭をうなだれてしまうのだ。

 
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安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一六五              文體:    樂府
李太白集 巻五 

詩題:    靜夜思

 

 

靜夜思

床前看月光,疑是地上霜。

舉頭望山月,低頭思故

(明月が昇ると静かな物思いにふける夜が始まる)

月が昇ると寝牀にまで名月の光が射しこんでくる、庭を清く照らすのが、地上に霜を降らせたのかと見間違えてしまうほど素晴らしい月夜である。

庭を見て、ゆっくりと頭をあげると月が山の端の上にあるのを眺めやる。こんな月を見ると故郷の峨嵋山にかかる月を思い出すと頭をうなだれてしまうのだ。

 

(bijo04靜夜の思い)

床前に月光を看る,疑うらくは是れ 地上の霜。

頭を舉げて山月を望み,頭を低れて故思う

 

 

『靜夜思』 現代語訳と訳註解説

(本文)

靜夜思

床前看月光,疑是地上霜。

舉頭望山月,低頭思故

 

(下し文)

(靜夜の思い)

床前に月光を看る,疑うらくは是れ 地上の霜。

頭を舉げて山月を望み,頭を低れて故を思う。

 

(現代語訳)

(明月が昇ると静かな物思いにふける夜が始まる)

月が昇ると寝牀にまで名月の光が射しこんでくる、庭を清く照らすのが、地上に霜を降らせたのかと見間違えてしまうほど素晴らしい月夜である。

庭を見て、ゆっくりと頭をあげると月が山の端の上にあるのを眺めやる。こんな月を見ると故郷の峨嵋山にかかる月を思い出すと頭をうなだれてしまうのだ。

 

 

(訳注)

靜夜思

(明月が昇ると静かな物思いにふける夜が始まる)

六朝からは始まった楽府で、最も簡単なものである。

漢詩の古体の一。巷間から採集し、保存した歌謡、およびそれを模して作られた詩の一体。長句・短句の交錯する自由な詩形により、祭儀から日常生活に至る広範囲な題材を扱い、多くは楽器に合わせて歌った詩の題目・形式をまねて作った、伴奏を伴わない詩。唐代に流行。

 

床前看月光,疑是地上霜。

月が昇ると寝牀にまで名月の光が射しこんでくる、庭を清く照らすのが、地上に霜を降らせたのかと見間違えてしまうほど素晴らしい月夜である。

床前 ベッド先。ベッドの前。ベッドの上。 

疑是 疑うには。疑うことには。疑はしいことには。本来は、動詞、形容詞。 ・是:名詞(句)の後に附く。それ故、「疑是地上霜」は、「『疑』ふことには『地上霜』である」になり、「疑」の部分の読みは名詞化して、伝統的に「『疑ふ』らく」としている。漢語語法に合致した正確な読みである。 

地上霜 地上に降りた霜。月光に照らされているところの表現描写である。この二句は、清らかな名月であることをいう。

 

舉頭望山月,低頭思故

庭を見て、ゆっくりと頭をあげると月が山の端の上にあるのを眺めやる。こんな月を見ると故郷の峨嵋山にかかる月を思い出すと頭をうなだれてしまうのだ。

○山月 山の端に出た月。この月が故郷を思い出す月であった。山の端のシルエットは女性の寝姿といわれる。《峨眉山月歌》を思い浮かべ、故郷を思うのである。
李白の足跡003 

峨眉山月歌

峨眉山月半輪秋,影入平羌江水流。

夜發清溪向三峽,思君不見下渝州。

(峨眉山にかかる名残の月を見ての詩)

はじめ、夜になって舟に乗った時に、峨眉山にかかる秋の上半輪の名残の秋月は、月のひかりは平羌の江水に反対に映ってきらきらと流れゆく。
さらに夜中にも両岸の絶壁の高く天を遮り、清渓駅を出発、船をすすめ、三峡にむかうけれど、あの美しい君の眉の様な月をもっと見続けていたいと思うが、船が下ると山の端に隠れてる間に船は渝州にくだり到着した。

(峨眉山月の歌)

峨眉 山月  半輪の秋、影は平羌【へいきょう】の江水に入って流る。

夜  清渓【せいけい】を発して三峡に向かえば、君を思えども見えず  渝州【ゆしゅう】に下る。

76 《峨眉山月歌》ndex-4 1-4 724年開元十二年24歳から 岷山で小鳥と暮らし、峨嵋山で遊ぶ 24歳 3 首 <76> Ⅰ李白詩1241 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4753

121 《越女詞,五首之五》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <121> Ⅰ李白詩1301 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5053

李白(若耶渓から流れてくる鏡湖の水は澄みきって真白な月を映す、若耶溪の娘たちも色白であると詠う)越女の詞,五首の五

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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121 《越女詞,五首之五》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <121> Ⅰ李白詩1301 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5053

 

 

年:726年開元十四年26

卷別:  卷一八四        文體:  五言

詩題:  越女詞,五首之五【《越中書》所見也。】

及地點:       

若耶溪 (江南東道 越州 會稽) 別名:耶溪、若溪、浣紗溪     

鑑湖 (江南東道 越州 會稽) 別名:鏡湖     

 

越女詞,五首之五

(若耶渓から流れてくる鏡湖の水は澄みきって真白な月を映す、若耶溪の娘たちも色白であると詠う)鏡湖水如月,耶溪女似雪。

鏡湖は水は澄み切っていて月が映ると月光の鏡の中の美人の顏をうつしているようだ,若耶溪にあつまったむすめたちも雪のように色白である。
新妝蕩新波,光景兩奇

初々しい化粧姿は船上でゆれれば、すがすがしい波がうつってゆく,その光景はどちらも比べがたく素晴らしいというだけだ。

 

(越女の詞,五首の五)

鏡湖 水 如月のごとく,耶溪 女 雪のごとし。
新妝 新波に蕩ゆらめき,光景 兩つながら奇絶。

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李白図102 

『越女詞,五首之五』 現代語訳と訳註解説

(本文)

越女詞,五首之五

鏡湖水如月,耶溪女似雪。

新妝蕩新波,光景兩奇

 

(下し文)

 (越女の詞,五首の五)

鏡湖 水 如月のごとく,耶溪 女 雪のごとし。
新妝 新波に蕩ゆらめき,光景 兩つながら奇絶。
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(現代語訳)

(若耶渓から流れてくる鏡湖の水は澄みきって真白な月を映す、若耶溪の娘たちも色白であると詠う)越女の詞,五首の五

鏡湖は水は澄み切っていて月が映ると月光の鏡の中の美人の顏をうつしているようだ,若耶溪にあつまったむすめたちも雪のように色白である。
初々しい化粧姿は船上でゆれれば、すがすがしい波がうつってゆく,その光景はどちらも比べがたく素晴らしいというだけだ。

 

(訳注)

越女詞,五首之五
(若耶渓から流れてくる鏡湖の水は澄みきって真白な月を映す、若耶溪の娘たちも色白であると詠う)越女の詞,五首の五

 

鏡湖水如月,耶溪女似雪。
鏡湖は水は澄み切っていて月が映ると月光の鏡の中の美人の顏をうつしているようだ,若耶溪にあつまったむすめたちも雪のように色白である。
○鏡湖 浙江省の会稽・山陰両県のさかいにある湖。李白が朝廷に上がって間もなく賀知章が官を辞して、玄宗皇帝から鏡湖を賜わった。長く宮仕えをしたご褒美である。

鏡湖:

浙江省紹興県の南。鑑湖、長湖、太湖、慶湖ともいう。開元中に秘書監賀知章に鏡湖溪一曲を賜う。賀監湖。宋代に田地となる。

 安徽省の撫湖市には有名な鏡湖があるが、別のもの。

○耶渓 若耶渓の略。若耶溪 現在、平水江という名の川である。大禹陵前の湖水から会稽山の東側を流れる平水江から引いた運河があり、西側の南池江と繋がっている。それが、嘗て若耶溪と称されていた川である。


新妝蕩新波,光景兩奇絶。

初々しい化粧姿は船上でゆれれば、すがすがしい波がうつってゆく,その光景はどちらも比べがたく素晴らしいというだけだ。

○蕩 水のゆれうごくさま。

○奇絶 すばらしくめずらしい。船上での情事で上で揺れるのと、それによって波が立っていることをいう。


(越女の詞,五首の五)

鏡湖 水 如月のごとく,耶溪 女 雪のごとし。
新妝 新波に蕩ゆらめき,光景 兩つながら奇絶。
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<!--[endif]-->

 

『子夜呉歌其二』 夏

鏡湖三百里、函萏発荷花。    

五月西施採、人看隘若耶。    

囘舟不待月、帰去越王家。

 

子夜呉歌(しやごか)  其の二 夏

鏡湖 三百里、函萏(かんたん)  荷花(かか)を発(ひら)く。

五月  西施が採()るや、人は看る 若耶に隘るを。

舟を囘(めぐ)らして月を待たず、帰り去る  越王の家。

 

『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』

攜妓東山去。 春光半道催。

遙看若桃李。 雙入鏡中開。

姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り

妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。

(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。

おいの良が謝安のように二人妓女と会稽に逝くのを送り出すときに、たわむれにこの詩を作って贈るもである。

芸者をつれて、むかし謝安が遊んだように東山に出かけるが、春の日の光は途中で人をせきたてることだろう。

きっと、二人の妓女が赤い桃花と白い李花がさいているのようだろう、そして、二人の妓女は鏡湖の中に入って、舟を浮かべ宴は、はなやかに開かれているだろう、わたしは、はるかに長江流れからこの地から見ているのだ。

 

 

『登單父陶少府半月台』 
陶公有逸興,不與常人俱。

築台像半月,回向高城隅。

置酒望白雲,商飆起寒梧。

秋山入遠海,桑柘羅平蕪。

水色淥且明,令人思鏡湖。

終當過江去,愛此暫踟躕。
陶公は趣向に長ておられる、とても一般の文人官僚と一緒にされるものではない。
高楼の台地を半月の形に築きあげられた。廻って見たり、正面から見たりして高楼の隅々まで行った。
この半月型の台地に酒をもってきて大空の白雲を眺めていたい。秋の西風、吹き上げる大風、青桐はすっかり葉を落として立っている。
すっかり秋の気配の山というのははるか遠い海原に入っていくことだ。桑と山ぐわの葉があり、雑草がどこまでも被っているのだ
水面にうつるのは清らかな緑色でありその上明るく輝いている。これは誰が見ても賀知章翁の鏡湖と見まごうはずである。
しかしこうしてみていると江南を流浪してそうして長安方面にはもう帰りたくない、暫くはこの地を愛しているので、ここを離れるのにためらいがある。


送賀賓客帰越       
鏡湖流水漾清波、狂客帰舟逸興多。
天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって面白いことでしょう
山陰道士如相見、応写黄庭換白鵝。

越の会稽地方の道士にきっと出会うと思う、そうしたら、ちょうどよい。立派な黄庭経を書き写して白鵝(あひる)と換えることに応じたらよいのです。


天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって面白いことでしょう
越の会稽地方の道士にきっと出会うと思う、そうしたら、ちょうどよい。立派な黄庭経を書き写して白鵝(あひる)と換えることに応じたらよいのです。



其の一
   離別家鄕歳月多,近來人事半消磨。
   唯有門前鏡湖水,春風不改舊時波。

   少小家を離れ老大にして回かえる、鄕音きょうおん改まる無く鬢毛摧すたる
   兒じ童相い見て相い識しらず,笑ひて問う「客 何いづれの處ところ從より來(きた)る」と?


 其の二

   離別家鄕歳月多,近來人事半消磨。
   唯有門前鏡湖水,春風不改舊時波。

   家鄕を離別して歳月多く,近來人事に半ば消磨す。
   唯だ門前に鏡湖の水有りて,春風改めず舊時の波を。

 

回鄕偶書 其二
帰郷したおり、たまたまできたもの。その2
離別家鄕歳月多,近來人事半消磨。
故郷を離れてから歳月は多く(経った)、近頃は、俗世界の人間関係に、半ばうんざりしてきて消耗している。
唯有門前鏡湖水,春風不改舊時波。

ただ、(郷里の家の)門前の鏡湖の水(面)だけは、春風に、昔と変わることなく波を立てている。


帰郷したおり、たまたまできたもの。その2
故郷を離れてから歳月は多く(経った)、近頃は、俗世界の人間関係に、半ばうんざりしてきて消耗している。
ただ、(郷里の家の)門前の鏡湖の水(面)だけは、春風に、昔と変わることなく波を立てている。




其の二
家鄕を離別して歳月多く,近來人事に半ば消磨す。
唯だ門前に鏡湖の水有りて,春風改めず舊時の波を。

 

55moon 

 

李白 《越女詞,五首

 

 

越女詞,五首之一

長干兒女,眉目豔新月。

屐上足如霜,不著鴉頭襪。

(越の女は細身の美人で、この地方の女の風俗を映し出して詠う。)

長干の色街に住む呉の妓女らは容貌絶麗であり、眉と目が新月よりもなまめかしく、あでやかである。
そして、靴のうえの足は霜のように白く、もう「鴉頭」という名の足袋を履いていなくてもうす絹をつけように素足が美しい、それが見る人の心を悩ませるのである。
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 (越女詞,五首の一)

長干の兒女,眉目 新月より豔なり。

屐上【げきじょう】足 霜の如し,鴉頭の襪を著けず。

 

 

越女詞,五首之二

兒多白皙,好為蕩舟劇。

賣眼擲春心,折花調行客。

(越の女は細身の美人で、この地方の船頭屋の娼妓娘の風俗を映し出して詠う。)

呉の娼妓娘らは、いずれも色白が多く、好んで舟をゆさぶることで、戯れて男の目を引き、遊びをする。
色目をつかって、もえたつ色好みの春心をなげつけてその気にさせるのだ、花を折りとって旅人をからかう。

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(越女の詞 其の二)

呉児 多くは白皙【はくせき】、好んで 蕩舟の劇れを為す。

眼を売って 春心を擲【なげう】ち、花を折って 行客【こうかく】を調す。

 

 

越女詞,五首之三【《越中書》所見也。】

耶溪採蓮女,見客棹歌迴。

笑入荷花去,佯羞不出來。

(その二の詩と真逆のはにかんだ採蓮の娘たちを詠う)越女の詞,五首の三

若耶渓頭でハスの実をつむ娘たちは、旅人を見つけると舟歌を唄いながら舟をあちらへこいで遠ざかる。
そうして、にっこり笑ってハスの花の影にかくれ、はずかしそうに、思わせぶりに、しなを作って、なかなか出て来ない。

 (越女の詞,五首の三【《越中書》見る所なり。】)

耶渓 採蓮の女、客を見て 棹歌してる。
笑って荷花に入って去り、佯【いつわ】り羞【はじ】て 出で来らず。

 

 

越女詞,五首之四

東陽素足女,會稽素舸郎。

相看月未墮,白地斷肝腸。

(謝靈運の『東陽溪中贈答二首』の詩を現地で体験して詠う。)

東陽生まれと称する素足の女と、会稽の白木の舟の船頭とが顔を見あわせている。
名残月が沈まないので互いに語り合い、見つめ合っているのだ、それは、あからさまに、心も体も別れることが分かっているから名残惜しんでいるのさ。

 

 (越女の詞,五首の四)

東陽 素足の女,会稽 素の郎。
相看て 月 末だ墜ちず,白地に 肝腸を断つ。

 

 

越女詞,五首之五

鏡湖水如月,耶溪女似雪。

新妝蕩新波,光景兩奇

(若耶渓から流れてくる鏡湖の水は澄みきって真白な月を映す、若耶溪の娘たちも色白であると詠う)越女の詞,五首の五

鏡湖は水は澄み切っていて月が映ると月光の鏡の中の美人の顏をうつしているようだ,若耶溪にあつまったむすめたちも雪のように色白である。
初々しい化粧姿は船上でゆれれば、すがすがしい波がうつってゆく,その光景はどちらも比べがたく素晴らしいというだけだ。

 

(越女の詞,五首の五)

鏡湖 水 如月のごとく,耶溪 女 雪のごとし。
新妝 新波に蕩ゆらめき,光景 兩つながら奇絶。

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李白《越女詞,五首之四》(謝靈運の『東陽溪中贈答二首』の詩を現地で体験して詠う。)東陽生まれと称する素足の女と、会稽の白木の舟の船頭とが顔を見あわせている。

 
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襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 

年:726年開元十四年26

卷別:  卷一八四        文體:  五言

詩題:  越女詞,五首之四【案:《越中書》所見也。】

及地點:       

東陽 (江南東道 婺州 東陽)        

會稽 (江南東道 越州 會稽) 別名:山陰     

 

 

越女詞,五首之四

(謝靈運の『東陽溪中贈答二首』の詩を現地で体験して詠う。)

東陽素足女,會稽素舸郎。

東陽生まれと称する素足の女と、会稽の白木の舟の船頭とが顔を見あわせている。

相看月未墮,白地斷肝腸。

名残月が沈まないので互いに語り合い、見つめ合っているのだ、それは、あからさまに、心も体も別れることが分かっているから名残惜しんでいるのさ。

 

 (越女の詞,五首の四)

東陽 素足の女,会稽 素の郎。
相看て 月 末だ墜ちず,白地に 肝腸を断つ。

 

moon5411 

『越女詞,五首之四』 現代語訳と訳註解説

(本文)

越女詞,五首之四

東陽素足女,會稽素舸郎。

相看月未墮,白地斷肝腸。

 

(下し文)

(越女の詞,五首の四)

東陽 素足の女,会稽 素の郎。
相看て 月 末だ墜ちず,白地に 肝腸を断つ。

 

(現代語訳)

(謝靈運の『東陽溪中贈答二首』の詩を現地で体験して詠う。)

東陽生まれと称する素足の女と、会稽の白木の舟の船頭とが顔を見あわせている。
名残月が沈まないので互いに語り合い、見つめ合っているのだ、それは、あからさまに、心も体も別れることが分かっているから名残惜しんでいるのさ。

 

(訳注)

越女詞 五首 其四
(謝靈運の『東陽溪中贈答二首』の詩を現地で体験して詠う。)

 

東陽素足女,會稽素舸郎。
東陽生まれと称する素足の女と、会稽の白木の舟の船頭とが顔を見あわせている。
○東陽 いまの浙江省東陽県。会稽山脈の南方にある。○素足女 この地方は美人の多い子で有名。素足の女は、楚の国の王を籠絡した女性西施が其ふっくらとした艶的の魅力により語の句に警告させその出発殿のすあしのおんなであった。○会稽 いまの浙江省紹興。会稽山脈の北端にある。○素舸 白木の舟。○郎 若い男。

謝靈運      *385433年 南朝の宋の詩人。

『東陽溪中贈答二首』

之一 

可憐誰家婦。緣流洗素足。

明月在雲間。迢迢不可得。

東陽の谿中 答え贈る の一

可憐【かれん】なるは 誰【た】が家の 婦【おんな】ぞ,淥流【ろくりゅう】に 素足を 洗ふ。

明月  雲間に在り,迢迢【ちょうちょう】として  得 可【べ】からず。

之二

可憐誰家郎。緣流乘素舸。

但問情若為。月就雲中墮。

憐れむ 可【べ】し  誰【た】が家の 郎【ろう】ぞ,淥流【ろくりゅう】に 素舸【こぶね】に 乘る。

但 問う  情 若為【いか】にと,月は雲中に就いて墮【お】つ。

東陽溪中贈答二首その(1) 謝霊運(康楽) 詩<40#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩422 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1083

 

相看月未墮,白地斷肝腸。

名残月が沈まないので互いに語り合い、見つめ合っているのだ、それは、あからさまに、心も体も別れることが分かっているから名残惜しんでいるのさ。

〇月未墮 名残月、二十日過ぎの月をいう。

○白地 口語の「平白地」の略。わけもなく、いわれなく。あからさま。

○肝腸 きもとはらわた

○韻 郎、腸。
李白図102 

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