漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
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2014年12月

156 《巻02-13 行路難三首 其一 》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <156> Ⅰ李白詩1352 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5308

李白《巻02-13 行路難三首其一 》(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)

 
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156 《巻02-13 行路難三首 其一 》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <156> Ⅰ李白詩1352 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5308

 

 

年:-731年開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  行路難,三首之一

 

 

行路難,三首之一

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)

金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。

金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万斛もたたえている。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
停杯投箸不能食,拔劍四顧心茫然。

人の世はいかに豪奢を尽くしても、思うが儘にはいかないことは仕方がないので、盃を交わしていても、杯をおき、喰う気にならず箸をおく。果ては、癇癪を起こして、剣を抜き、四方の霊に問うてみても、心は茫然としている。
欲渡黃河冰塞川,將登太行雪滿山。

それに、今までのように黄河を渡ろうとしても、あいにく、氷にふさがれて渡ることができないし、太行山に登ろうとすれば、積もった雪がいっぱいで、到底いかれないというようなことである。
閒來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。

そこで、世の中のことを打ち棄てて、かの太公望が渭水のほとりでした様に、奇麗で静かな緑の谷川で釣糸を垂れて、心のどかにしていようとするが、その間に見る夢は、浮世の事を断念したつもりでも、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
行路難,行路難,多岐路,今安在。

これから生きる行路はまことに困難で、どの行路も困難なものだ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。今は容易に行ける行路はないのだ。

長風破浪會有時,直掛雲帆濟滄海。

結局、雲帆を掛け、滄海をわたり、長風に乗じてはるか万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来る。その時には、理想の仙界に向かっている。
(行路難,三首の一)

金樽の清酒 斗十千,玉盤の珍羞【ちんしゅう】 直【あたい】 萬錢【ばんぜん】。

杯を停め箸を投じて 食う能わず,劒を拔いて四顧し心 茫然【ぼうぜん】。

黄河を渡らんと欲すれば冰は川を塞ぐ,太行に登らんと將れば雪は山に滿。

閑來【かんらい】 釣を垂る 碧溪【へきけい】の上,忽ち復 舟に乘じて日邊を夢む。

行路 難! 行路 難!  岐路 多し 今 安くにか在る。

長風 浪を破る 會ず時 有り,直ちに雲帆【うんぱん】を挂【か】けて 滄海【そうかい】に濟【わた】らん。

 

(含異文)

金樽清酒斗十千,玉盤珍饈直萬錢。

停杯投箸不能食,拔劍四顧心茫然。

欲渡黃河冰塞川,將登太行雪滿山【將登太行雪暗天】。

閒來垂釣碧溪上【閒來垂釣坐溪上】,忽復乘舟夢日邊。

行路難,行路難,多岐路,今安在。

長風破浪會有時,直掛雲帆濟蒼海。

 

華山道教
『行路難,三首之一』 現代語訳と訳註解説

(本文)

行路難,三首之一

金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。

停杯投箸不能食,拔劍四顧心茫然。

欲渡黃河冰塞川,將登太行雪滿山。

閒來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。

行路難,行路難,多岐路,今安在。

長風破浪會有時,直掛雲帆濟滄海。

 

(下し文)

(行路難,三首の一)

金樽の清酒 斗十千,玉盤の珍羞【ちんしゅう】 直【あたい】 萬錢【ばんぜん】。

杯を停め箸を投じて 食う能わず,劒を拔いて四顧し心 茫然【ぼうぜん】。

黄河を渡らんと欲すれば冰は川を塞ぐ,太行に登らんと將れば雪は山に滿。

閑來【かんらい】 釣を垂る 碧溪【へきけい】の上,忽ち復 舟に乘じて日邊を夢む。

行路 難! 行路 難!  岐路 多し 今 安くにか在る。

長風 浪を破る 會ず時 有り,直ちに雲帆【うんぱん】を挂【か】けて 滄海【そうかい】に濟【わた】らん。

 

(現代語訳)

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)

金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万斛もたたえている。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
人の世はいかに豪奢を尽くしても、思うが儘にはいかないことは仕方がないので、盃を交わしていても、杯をおき、喰う気にならず箸をおく。果ては、癇癪を起こして、剣を抜き、四方の霊に問うてみても、心は茫然としている。
それに、今までのように黄河を渡ろうとしても、あいにく、氷にふさがれて渡ることができないし、太行山に登ろうとすれば、積もった雪がいっぱいで、到底いかれないというようなことである。
そこで、世の中のことを打ち棄てて、かの太公望が渭水のほとりでした様に、奇麗で静かな緑の谷川で釣糸を垂れて、心のどかにしていようとするが、その間に見る夢は、浮世の事を断念したつもりでも、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
これから生きる行路はまことに困難で、どの行路も困難なものだ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。今は容易に行ける行路はないのだ。

結局、雲帆を掛け、滄海をわたり、長風に乗じてはるか万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来る。その時には、理想の仙界に向かっている。
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(訳注)

行路難,三首之一

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)

行路難 もとは漢代の歌謡。のち晋の袁山松という人がその音調を改変し新らしい歌詞をつくり、一時流行した。六朝の飽照の楽府に「擬行路難」十八首がある。 「行路難」はみずからの人生行路の困難を詠う。「行路難し 行路は難し、岐路多くして、今安にか在る」と悲鳴をあげながらも、「長風浪を破る 会に時有るべし」と将来に期待を寄せたい李白は三首つくった。

 

金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。
金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万斛もたたえている。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
斗十干 一斗一万銭。高い上等の酒。曹植の詩「美酒斗十干」にもとづく。
李白《將進酒》「陳王昔時宴平樂,斗酒十千恣歡謔。」(陳王の曹植は平楽観で宴を開いたとき。 陳王・曹植は斗酒を大金で手に入れ、よろこびたわむれることをほしいままにした。)
・陳王 三国時代魏の曹植のこと。 ・昔時 むかし。 ・平樂 平楽観。『名都篇』で詠う宮殿の名で、後漢の明帝の造営になる。(当時の)首都・洛陽にあった遊戯場。或いは、長安の未央宮にあった。・斗酒十千 斗酒で一万銭。曹植楽府詩、「一斗一万銭」。 ・斗酒 両義あり。わずかな酒。また、多くの酒。 ・斗 ます。少しばかりの量。少量の酒。多くの酒。 ・十千 一万。 ・恣 ほしいままにする。わがまま。勝手きままにふるまう。 ・歡謔 かんぎゃく よろこびたわむれる。

王維の『少年行』に新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。
 (紀 頌之のブログ6月11王維 少年行参照

珍羞 めずらしいごちそう。○直 値と同じ。


停杯投箸不能食,拔劒四顧心茫然。
人の世はいかに豪奢を尽くしても、思うが儘にはいかないことは仕方がないので、盃を交わしていても、杯をおき、喰う気にならず箸をおく。果ては、癇癪を起こして、剣を抜き、四方の霊に問うてみても、心は茫然としている。
停杯 気持ちがのらない度いつの間にか酒を辞めている状態。

拔劒四顧 剣を抜いて四方の霊に問いただしてみる。


欲渡黄河冰塞川,將登太行雪滿山。
それに、今までのように黄河を渡ろうとしても、あいにく、氷にふさがれて渡ることができないし、太行山に登ろうとすれば、積もった雪がいっぱいで、到底いかれないというようなことである。
太行 山の名。太行山脈(たいこうさんみゃく)は中国北部にある山地。山西省、河南省、河北省の三つの省の境界部分に位置する。太行山脈は東の華北平野と西の山西高原(黄土高原の最東端)の間に、北東から南西へ400kmにわたり伸びており、平均標高は1,500mから2,000mである。最高峰は河北省張家口市の小五台山で、標高2,882m。山脈の東にある標高1,000mほどの蒼岩山は自然の奇峰や歴史ある楼閣などの多い風景区となっている。山西省・山東省の地名は、この太行山脈の西・東にあることに由来する。


閑來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。
そこで、世の中のことを打ち棄てて、かの太公望が渭水のほとりでした様に、奇麗で静かな緑の谷川で釣糸を垂れて、心のどかにしていようとするが、その間に見る夢は、浮世の事を断念したつもりでも、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
日辺 太陽の側と、天子の側という意味と、ここでは兼ねている。



行路難,行路難,多岐路,今安在
これから生きる行路はまことに困難で、どの行路も困難なものだ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。今は容易に行ける行路はないのだ。
多岐路 わかれみちが多いために逃げた羊を追うことができず、とうとう羊を亡ってしまった。ヘボ学者はそれと同様、多すぎる資料をもてあまして決断に迷い、いたずらに年をとってしまう、という故事がある。「列子」にみえる。ここは岐路から岐路へ、岐路が多い迷路のようだということ。
今安在 迷路のどこにいるのか。



長風破浪會有時,直挂雲帆濟滄海。
結局、雲帆を掛け、滄海をわたり、長風に乗じてはるか万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来る。その時には、理想の仙界に向かっている。
滄海 東方の仙界、蓬莱・方丈・瀛州に向かい海。あおうなばら。

155-#4 《巻02-04 梁甫吟 -#4》(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <155-#4> Ⅰ李白詩1358 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5338

李白《巻02-04 梁甫吟 -#4(改訂)Iそもそも、雲は龍にしたがい、風は虎に随うというもの、龍虎はかならず風雲に出会って活躍するはずなのであり、太公望のよう人は、牛の屠殺と釣三昧から一躍、風雲感会を得てその能力を発揮した。今の世の君主が動揺不安の境遇にあるとき、わたしこそが、それを安定させる人であるのだから、その時機が到来するのを自信を持って待っているのだ。

 
 2014年12月29日の紀頌之5つのブログ 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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155-#4 《巻02-04 梁甫吟 -#4(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <155-#4> Ⅰ李白詩1358 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5338

 

 

年:731       開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  梁甫吟

及地點:        梁父山 (河南道 兗州梁父山) 別名:梁甫山         

淇縣 (河北道南部 衛州 衛縣) 別名:朝歌   

棘津 (河北道北部 安東都護府 延津州)      

高陽 (河北道南部 瀛洲 高陽)            



梁甫吟 1
(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

長嘯梁甫吟。 何時見陽春。 
ああここに有志の士がいる、いずれの時に明主に遭遇し、大いに用いられ、持っている志を伸ばせるのか、ここにいにしえの英雄、諸葛亮を学び、大声を発して梁甫吟をながく、ながく吟じてみるのも、やむを得ない始末だからだ。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。 
君は知っているだろう。むかし呂尚という人がいたが、はじめは朝歌の牛殺しのおじいさんであったが、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の老衰の身をもって、西方にきて、渭水のほとりで十年にわたって釣りをしていて文王と出会ったのをた。 
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。 
風采と云えば、白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかせると用いられたのである。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。 
それまで「三千六百回の鉤」十年もの長い間、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむところとなり、これを認められたのである。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。 
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしないもので、はじめは、世間のふつうの人といささか似ているということであったのだ。

#2
君不見高陽酒徒起草中。長揖山東隆准公。 
君は知っているだろう。酈食其というものが高陽の里に居て、大酒のみであったので誰も相手にされなかったが、ひとたび、荒草の中から身をおこし、沛公に謁見する。
入門不拜騁雄辯。兩女輟洗來趨風。 
門を入っても最敬礼をしないままに、そして雄弁に沛公を説き伏せた。感服した挙句には、沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公に厚く礼をなすにいたった。
東下齊城七十二。指揮楚漢如旋蓬。 
酈食其は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
おちぶれていた独りよがりの頑固者、狂客と呼ばれ、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。 
わたしは、竜鱗を攀じて、賢明な君主に謁見し、その知遇を得ようと企てたが、雷公が、妨害を試み、恐ろしく凄まじい響きを発し、ガラゴロゴロと天鼓を頻りにうちならしたのだ。
#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。 
天帝のおそばには、飾り立て輝くきゅう玉女が大勢ならび、投壷のゲームをやっていた。半日のあいだ、壷に投げこむ矢がはずれるたびに、天帝が大いに笑い、イナズマの閃光があったのだ。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。 
かくて、ピカッと光っては、忽ち暗闇となり、暴風雨がまきおこる。天に通じる御門は九重にとざされ、通りぬけることができなくなった。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。 
天帝の居られる九重の門は固く閉ざされたので、ひたいをぶっつけて門をたたくと、門番がおこった。それからくもりではない太陽の光も、わたくしの真心を照らし出してはくれなくなった。
杞國無事憂天傾。貐磨牙競人肉。 
むかし、杞の国の人は、何事も起らないのに、天の傾くことを憂えた。わたしも、また、杞憂をいだかざるを得ない。竊寙(せつゆ)という怪獣が、牙をみがいて、われ先に人の肉を食おうとしているというのだ。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

また、騶虞という仁獣は、生きている草の茎さえ折らないように、注意ぶかく歩いているというのに、朝廷には悪人がはびこり、善人は消極的である。これはわたしなら、飛びまわる手長猿を片手でつかみながら、片手で斑の虎をなぐり殺すことさえできるというものだ。
 
#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。 
つまり、貧窮と疏賤に打ち勝ち、莒国の焦原が登ったという絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、えらそうなそぶりをするものだ。

世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。 
しかるに、世間の人は、わたしが世に出ず引き込んでいるのを見るとつまらぬやつだと、鴻の鳥羽の毛より軽いと見くびって、真の精神を解しているのではないのである。むかし、斉国の力自慢では南山でもおしのけるという公孫接等と言う三人の壮士がいたが、妬まれて僅か、二桃のために命を失った。
齊相殺之費二桃。楚弄兵無劇孟。 
かれらは、節義を砥礪するため、時の斉の宰相である妟子に憎まれて、わずか二つの桃のために命を失ったが、これは辞世を見る事をしなかったためである。また、呉楚七国の乱に際し、呉楚の方では、劇孟という任侠者で、立派で勇壮な人物を味方にしなかった。
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。 
その楚呉の乱の征伐に出かけた周亜夫は、劇孟を用いなかった楚呉の国では到底七国の反乱を胎児出来る事は無かろうと大いに笑ったという。国の政治を司るものの不勉強というのもの、私を登用しない今日の政治も同じである。だから、こうして「簗甫吟」を吟じていても、ここに至れば、声はまことに悲壮となることを禁じ得ないのである。
張公兩龍劍。 神物合有時。 
むかし張公のもっていた二つの宝剣が、別別に失われたにもかかわらず、二頭の竜となってあらわれ、一つになったという故事もある。非常にすぐれたものは、その働き場所を得るには、時期というものが合わなければならないし、何時かは明主と遭遇するということに相違ないと確信しているのだ。
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。

そもそも、雲は龍にしたがい、風は虎に随うというもの、龍虎はかならず風雲に出会って活躍するはずなのであり、太公望のよう人は、牛の屠殺と釣三昧から一躍、風雲感会を得てその能力を発揮した。今の世の君主が動揺不安の境遇にあるとき、わたしこそが、それを安定させる人であるのだから、その時機が到来するのを自信を持って待っているのだ。

梁甫吟#1

長嘯す梁甫吟、何れの時か陽春を見ん。

君見ずや 朝歌の屠叟【とそう】棘津【きょくしん】を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。

寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。

広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。

大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2

君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。

門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。

東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。

狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。

我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇【ほうこう】 天鼓を震う。
#3

帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。

倏燦【しゅくしゃく】 晦冥【かいめい】 風雨を起す、

閶闔【しょうこう】の九門 通ず可からず。

額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。

杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。

騶虞【すうぐ】は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4

足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。

世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。

斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。

亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。

張公の両竜剣、神物 合するに時有り。

風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。

杜甫 体系 地図459同谷紀行
現代語訳と訳註
(
本文)#4

側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。 
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。 
齊相殺之費二桃。
楚弄兵無劇孟。 
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。 
張公兩龍劍。 神物合有時。 
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。


(下し文)
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。


(現代語訳)
つまり、貧窮と疏賤に打ち勝ち、莒国の焦原が登ったという絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、えらそうなそぶりをするものだ。

しかるに、世間の人は、わたしが世に出ず引き込んでいるのを見るとつまらぬやつだと、鴻の鳥羽の毛より軽いと見くびって、真の精神を解しているのではないのである。むかし、斉国の力自慢では南山でもおしのけるという公孫接等と言う三人の壮士がいたが、妬まれて僅か、二桃のために命を失った。
かれらは、節義を砥礪するため、時の斉の宰相である妟子に憎まれて、わずか二つの桃のために命を失ったが、これは辞世を見る事をしなかったためである。また、呉楚七国の乱に際し、呉楚の方では、劇孟という任侠者で、立派で勇壮な人物を味方にしなかった。
その楚呉の乱の征伐に出かけた周亜夫は、劇孟を用いなかった楚呉の国では到底七国の反乱を胎児出来る事は無かろうと大いに笑ったという。国の政治を司るものの不勉強というのもの、私を登用しない今日の政治も同じである。だから、こうして「簗甫吟」を吟じていても、ここに至れば、声はまことに悲壮となることを禁じ得ないのである。
むかし張公のもっていた二つの宝剣が、別別に失われたにもかかわらず、二頭の竜となってあらわれ、一つになったという故事もある。非常にすぐれたものは、その働き場所を得るには、時期というものが合わなければならないし、何時かは明主と遭遇するということに相違ないと確信しているのだ。
そもそも、雲は龍にしたがい、風は虎に随うというもの、龍虎はかならず風雲に出会って活躍するはずなのであり、太公望のよう人は、牛の屠殺と釣三昧から一躍、風雲感会を得てその能力を発揮した。今の世の君主が動揺不安の境遇にあるとき、わたしこそが、それを安定させる人であるのだから、その時機が到来するのを自信を持って待っているのだ。


yoshu&choan736
(訳注) #4
梁甫吟
 

(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

梁甫吟は楽府題の古い題の一つ。相和歌楚調曲に梁父吟行とあって、その由来は戦国の武侯が好んで詠ったものといわれる。梁甫は、梁父とも書き、むかしの斉の国、いまの山東省の、泰山のふもとにある、570mの小さな山の名である。そこは、古代の迷信では、死者のたましいの帰る場所とされていた。「梁甫吟」はもともと、葬いの歌であったという。また、骨子(孔子の弟子)の作ったものであるという。骨子が泰山のふもとに耕していたところ、天が大雪をふらし、凍ること旬日、帰ることができず、その父母を思って、巣山歌を作ったと、「琴挽」という本に見える、それが「梁甫吟」の起源であるという。現在「楽府詩集」に収められている一首は、「三国志」の立役者である諸葛亮(孔明)の作と伝えられている。それは次の歌である。
諸葛亮(孔明)「梁甫吟」
歩出斉城門  遥望蕩陰里
里中有三墳  塁塁正相似
問是誰家墓  田疆古冶子
力能排南山  文能絶地紀
一朝被讒言  二桃殺三士
誰能為此謀  国相斉晏子
下し文
歩して斉の城門を出で  遥に蕩陰の里を望む 
里中に三墳有り  塁塁として正に相似たり
問う是れ誰が家の墓ぞ  田疆古冶氏
力を能く南山を排し  文を能く地紀を絶つ
一朝 讒言を被りて  二桃 三士を殺す
誰か能く此の謀を為せる  国相斉の晏子なり

現代訳
梁甫の歌;
斉の城門を歩いて出て、遠くに蕩陰(地名)の村を眺めるとそこにお墓が三基ある 並んで立っていて、よく似ていた。
これはどちらのお墓ですかと聞いてみた。
これが有名な公孫接・田開彊・古冶子のお墓です。
三人は南山を動かすほど力が強く、大地の四隅を繋ぐ紐を切るほど学問もできる人たちでした
ところが、ひとたび、讒言を言われ、二つの桃でもって三人を殺してしまった。
誰がこんなはかりごとをしたのですか? それは斉の宰相の晏嬰です

これは、詭計をもちいて人を殺した、斉の量子の故事をうたったものである。「力排南山三壯士。齊相殺之費二桃」参照。李白のこの詩は、その故事をふくみつつ、主題を少しかえ、不遇の志士の時機到来を待つ気持をうたいあげる。

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

 

側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。 
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。

つまり、貧窮と疏賤に打ち勝ち、莒国の焦原が登ったという絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、えらそうなそぶりをするものだ。
○焦原 尸子「莒国に焦原というもの有り、廣さ五十歩、百仭の渓に臨み、莒国敢て近ずくなり。」また、太平寰記に「焦原は莒縣の南三十六里に在り、俗に横山という」とあり、こういったところを指すものである。莒県は中華人民共和国山東省日照市に位置する県。沭河が北から南へ流れている。

智者可巻 知恵ある者は、政治が道をはずれ、筋の通らぬ時代には、自己の才能や知恵をふところに巻きこんで、世に出ない。「論語」の「衛の霊公」に「君子なる哉、蘧伯玉。邦に道あれば則ち仕え、邦に道なければ則ち巻きて懐(いだ)く可し」とある。

 

世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。

世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。

しかるに、世間の人は、わたしが世に出ず引き込んでいるのを見るとつまらぬやつだと、鴻の鳥羽の毛より軽いと見くびって、真の精神を解しているのではないのである。むかし、斉国の力自慢では南山でもおしのけるという公孫接等と言う三人の壮士がいた。
力排南山三壯士 諸葛亮(諸葛孔明)『梁甫吟』#1で全文掲載 説明は以下が詳しい。
力能排南山  文能絶地紀
一朝被讒言  二桃殺三士
誰能為此謀  国相斉晏子
力を能く南山を排し  文を能く地紀を絶つ
一朝 讒言を被りて  二桃 三士を殺す
誰か能く此の謀を為せる  国相斉の晏子なり

「二桃もて三士を殺す」「妟子春秋」に見える故事。春秋時代の斉の景公の部下に、公孫接・田開疆・古冶子という三人の勇士がいた。力が非常に強く、虎をなぐり殺した。ある日、斉の国の大臣である量子(曇嬰)が彼らの前を通りすぎたが、三人は起ち上ろうともしない。妟子は景公にお目通りして言った。「かれらは勇気とカの持主ですが、礼節を知りません。君臣上下の分別がありません。これを放っておくと危険ですから、殺してしまうべきです。」国王は同意したが、三人の勇士を刺殺することのできる者はいない。妟子は一計を案じた。かれは国王の名によって、二つの桃を三人に送りとどけ、各自の能力をくらべあって、能力の大きい者が桃を食わないかと言った。まず公孫接が言うには「按は、第一にいのししを打ち殺し、第二に虎の子をも打ち殺した。この接の能力などは、十分に桃を食うねうちがある。人と同じには見てもろうまい。」桃をつかんで起ち上った。次に田閉彊が言った。「わたしは、武器をとって敵の大軍をしりぞけること二度。この開彊の能力などは、十分に桃を食うねうちがあり、人と同じには見てもろうまい。」やはり、桃をつかんで起ち上った。さいごに古冶子が言った。「わたしは、かつて主君に従って黄河をわたったとき、大きなスッポンが三頭立の馬車の左の副馬にくらいつき、黄河の中流に柱のように突立っている砥柱山の流れに引きずりこんだ。この冶は、流れに逆らうこと百歩、流れに順うこと九里、大スッポンをつかまえて殺し、左手で副馬の尾をあやつり、右手にスッポンの頭をひっさげ、おどりあがって岸に出た。人びとがみな、河伯(黄河の神様)だと言うので、この冶がよく見ると、それは大スッポンの首だった。この冶の能力などは、やはり桃を食うねうちがあり、人と同じには見てもろうまい。お二方、どうして桃をかさえないのか。」公孫接と田開彊が言った。「われわれの勇はあなたに及ばない。能力もあなたに及ばない。桃を取ってゆずらないのは欲が深い。そして又、死なないのは勇気がない。」二人とも、その桃をかえし、自分の手で首をしめて死んだ。古冶子は言った。「二人が死んだのに、冶がひとり生きているのは不仁である。人に恥をかかせながら、自分だけが誇っているのは、不義である。そうした自分の行為を遺憾に思いながら死なないのは勇気がない。」これまた、その桃をかえし、自分の手で首をしめて死んだ。景公は、三人を鄭重に葬った。


齊相殺之費二桃。楚弄兵無劇孟。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。

かれらは、節義を砥礪するため、時の斉の宰相である妟子に憎まれて、わずか二つの桃のために命を失ったが、これは辞世を見る事をしなかったためである。また、呉楚七国の乱に際し、呉楚の方では、劇孟という任侠者で、立派で勇壮な人物を味方にしなかった。
楚弄兵無劇孟。 漢の景帝三年(紀元前154年)、呉楚等七国が反乱を起したとき、景帝は大将軍の竇嬰、太尉の周亞夫を派遣して鎮圧させた。周亞夫は東方にむかい河南に至ろうとしたとき、当時の有名な侠客であった劇孟を味方に得た。東天は喜んで言った。「呉や楚は天下を争うような大事を企てながら、劇孟を求めない。わたしは、かれらが何もできないことを知るだけだ。」「漢書」に見える話であるが、強大であった呉楚の分断作戦と補給路を断つことで戦意を失わせ、内部分解させた。
 
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。 
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。

その楚呉の乱の征伐に出かけた周亜夫は、劇孟を用いなかった楚呉の国では到底七国の反乱を胎児出来る事は無かろうと大いに笑ったという。国の政治を司るものの不勉強というのもの、私を登用しない今日の政治も同じである。だから、こうして「簗甫吟」を吟じていても、ここに至れば、声はまことに悲壮となることを禁じ得ないのである。
〇咍 せせら笑う。


張公兩龍劍。 神物合有時。 
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。

むかし張公のもっていた二つの宝剣が、別別に失われたにもかかわらず、二頭の竜となってあらわれ、一つになったという故事もある。非常にすぐれたものは、その働き場所を得るには、時期というものが合わなければならないし、何時かは明主と遭遇するということに相違ないと確信しているのだ。
張公両竜剣 竜泉、太阿という二つの宝剣が、豫章と豐城とで出土し、張華と雷煥の二人が、おのおのその一刀を待ったと伝えられる。その後、張華が誅せられ、剣のありかを失った。雷煥が亡くなったのち、子の雷華が剣を持って旅をし、延平津に通りかかった時、剣が突然、腰間から躍り出て水中におちた。人を水にもぐらせてさがしたが、剣は見つからず、しかし、長さ数丈の二頭の竜を見たという。


風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。 
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。
そもそも、雲は龍にしたがい、風は虎に随うというもの、龍虎はかならず風雲に出会って活躍するはずなのであり、太公望のよう人は、牛の屠殺と釣三昧から一躍、風雲感会を得てその能力を発揮した。今の世の君主が動揺不安の境遇にあるとき、わたしこそが、それを安定させる人であるのだから、その時機が到来するのを自信を持って待っているのだ。
風雲感會 「易経」に「竜は雲に従い、虎は風に従う」とある。竜虎が風雲に出会うように、英雄が時を得て、めざましく活躍すること。

○屠釣 牛殺しや釣をしていた男。太公望をさす。

○大人 ここではおそらく君主をさす。

○幌帆 「書経」や「易経」に見える言葉、(机隈・離礁)と意味は同じく、動揺して不安なありさま。 

155-#3 《巻02-04 梁甫吟 -#3》(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <155-#3> Ⅰ李白詩1357 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5333

李白《巻02-04 梁甫吟 -#3(改訂)天帝の居られる九重の門は固く閉ざされたので、ひたいをぶっつけて門をたたくと、門番がおこった。それからくもりではない太陽の光も、わたくしの真心を照らし出してはくれなくなった。

 
 2014年12月28日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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155-#3 《巻02-04 梁甫吟 -#3(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <155-#3> Ⅰ李白詩1357 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5333

 


年:731       開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  梁甫吟

及地點:        梁父山 (河南道 兗州梁父山) 別名:梁甫山         

淇縣 (河北道南部 衛州 衛縣) 別名:朝歌   

棘津 (河北道北部 安東都護府 延津州)      

高陽 (河北道南部 瀛洲 高陽)            



梁甫吟 1
(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

長嘯梁甫吟。 何時見陽春。 
ああここに有志の士がいる、いずれの時に明主に遭遇し、大いに用いられ、持っている志を伸ばせるのか、ここにいにしえの英雄、諸葛亮を学び、大声を発して梁甫吟をながく、ながく吟じてみるのも、やむを得ない始末だからだ。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。 
君は知っているだろう。むかし呂尚という人がいたが、はじめは朝歌の牛殺しのおじいさんであったが、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の老衰の身をもって、西方にきて、渭水のほとりで十年にわたって釣りをしていて文王と出会ったのをた。 
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。 
風采と云えば、白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかせると用いられたのである。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。 
それまで「三千六百回の鉤」十年もの長い間、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむところとなり、これを認められたのである。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。 
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしないもので、はじめは、世間のふつうの人といささか似ているということであったのだ。

#2
君不見高陽酒徒起草中。長揖山東隆准公。 
君は知っているだろう。酈食其というものが高陽の里に居て、大酒のみであったので誰も相手にされなかったが、ひとたび、荒草の中から身をおこし、沛公に謁見する。
入門不拜騁雄辯。兩女輟洗來趨風。 
門を入っても最敬礼をしないままに、そして雄弁に沛公を説き伏せた。感服した挙句には、沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公に厚く礼をなすにいたった。
東下齊城七十二。指揮楚漢如旋蓬。 
酈食其は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
おちぶれていた独りよがりの頑固者、狂客と呼ばれ、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。 
わたしは、竜鱗を攀じて、賢明な君主に謁見し、その知遇を得ようと企てたが、雷公が、妨害を試み、恐ろしく凄まじい響きを発し、ガラゴロゴロと天鼓を頻りにうちならしたのだ。
#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。 
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。 
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。 
杞國無事憂天傾。
貐磨牙競人肉。 
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。 
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。 
齊相殺之費二桃。
楚弄兵無劇孟。 
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。 
張公兩龍劍。 神物合有時。 
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。


梁甫吟#1

長嘯す梁甫吟、何れの時か陽春を見ん。

君見ずや 朝歌の屠叟【とそう】棘津【きょくしん】を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。

寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。

広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。

大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2

君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。

門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。

東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。

狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。

我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇【ほうこう】 天鼓を震う。
#3

帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。

倏燦【しゅくしゃく】 晦冥【かいめい】 風雨を起す、

閶闔【しょうこう】の九門 通ず可からず。

額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。

杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。

騶虞【すうぐ】は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4

足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。

世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。

斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。

亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。

張公の両竜剣、神物 合するに時有り。

風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。

嚢陽一帯
現代語訳と訳註
(
本文)#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。 
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。 
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。 
杞國無事憂天傾。
貐磨牙競人肉。 
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。


(下し文) #3
#3

帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。

倏燦【しゅくしゃく】 晦冥【かいめい】 風雨を起す、

閶闔【しょうこう】の九門 通ず可からず。

額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。

杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。

騶虞【すうぐ】は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。


(現代語訳)
天帝のおそばには、飾り立て輝くきゅう玉女が大勢ならび、投壷のゲームをやっていた。半日のあいだ、壷に投げこむ矢がはずれるたびに、天帝が大いに笑い、イナズマの閃光があったのだ。
かくて、ピカッと光っては、忽ち暗闇となり、暴風雨がまきおこる。天に通じる御門は九重にとざされ、通りぬけることができなくなった。
天帝の居られる九重の門は固く閉ざされたので、ひたいをぶっつけて門をたたくと、門番がおこった。それからくもりではない太陽の光も、わたくしの真心を照らし出してはくれなくなった。
むかし、杞の国の人は、何事も起らないのに、天の傾くことを憂えた。わたしも、また、杞憂をいだかざるを得ない。竊寙(せつゆ)という怪獣が、牙をみがいて、われ先に人の肉を食おうとしているというのだ。
また、騶虞という仁獣は、生きている草の茎さえ折らないように、注意ぶかく歩いているというのに、朝廷には悪人がはびこり、善人は消極的である。これはわたしなら、飛びまわる手長猿を片手でつかみながら、片手で斑の虎をなぐり殺すことさえできるというものだ。

終南山06 
(訳注) #3
梁甫吟 

(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

梁甫吟は楽府題の古い題の一つ。相和歌楚調曲に梁父吟行とあって、その由来は戦国の武侯が好んで詠ったものといわれる。梁甫は、梁父とも書き、むかしの斉の国、いまの山東省の、泰山のふもとにある、570mの小さな山の名である。そこは、古代の迷信では、死者のたましいの帰る場所とされていた。「梁甫吟」はもともと、葬いの歌であったという。また、骨子(孔子の弟子)の作ったものであるという。骨子が泰山のふもとに耕していたところ、天が大雪をふらし、凍ること旬日、帰ることができず、その父母を思って、巣山歌を作ったと、「琴挽」という本に見える、それが「梁甫吟」の起源であるという。現在「楽府詩集」に収められている一首は、「三国志」の立役者である諸葛亮(孔明)の作と伝えられている。

 

帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。 
天帝のおそばには、飾り立て輝くきゅう玉女が大勢ならび、投壷のゲームをやっていた。半日のあいだ、壷に投げこむ矢がはずれるたびに、天帝が大いに笑い、イナズマの閃光があったのだ。
帝努授壷多玉女 帝は上帝(玄宗のこと)、天の神。天上と仙境と宮廷を同じ表現でいう。投壺は、矢を壷に投げこむ遊戯。壷矢 投げ矢の壷とその矢。矢を壺に投げ入れて勝負をする遊戯の道具。「神異経」に「東王公が玉女と投壺をしてあそんだ。千二百本の矢を投じたが、矢が壷にうまく入ると天はすすりなき、はずれると天が笑った」とある。また、むかしの人は、雨のふらないときに、いなずまが光ると、天が笑った、と考えた『春秋左氏伝』にも見える非常に古いゲームである。『礼記』および『大戴礼記』に投壺篇があり、投壺の儀礼、壺と矢の寸法、席から壺までの距離などを細かく規定している。


三時 一昼夜が十二時。昼の一日が六時だから、三時は半日(現在の六時間)に当る。


倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。 
かくて、ピカッと光っては、忽ち暗闇となり、暴風雨がまきおこる。天に通じる御門は九重にとざされ、通りぬけることができなくなった。
倏爍 極めて短い時間、光がひらめく。

○晦瞑 くらい。

閶闔 天の門。

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以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。 
天帝の居られる九重の門は固く閉ざされたので、ひたいをぶっつけて門をたたくと、門番がおこった。それからくもりではない太陽の光も、わたくしの真心を照らし出してはくれなくなった。
閽者 門番。


杞國無事憂天傾。貐磨牙競人肉。 
むかし、杞の国の人は、何事も起らないのに、天の傾くことを憂えた。わたしも、また、杞憂をいだかざるを得ない。竊寙(せつゆ)という怪獣が、牙をみがいて、われ先に人の肉を食おうとしているというのだ。
杷国無事憂天傾「列子」に見える故事。杞という国のある人が、天がもし崩れおちるなら、身の置きどころがないと、無用の心配をし、夜も眠れず食欲もなくなった。つまり、神経疾患になった。こういった取りこし苦労を「杞憂」という語源である。

「山海経」に見える怪獣。少咸という山に獣がすみ、そのかたちは牛のごとく、体は赤く、顔は人、足は馬、名を竊寙(せつゆ)という。なき声は赤子のようで、こいつは人を食う。貐はすなわち竊寙である。


騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。 
また、騶虞という仁獣は、生きている草の茎さえ折らないように、注意ぶかく歩いているというのに、朝廷には悪人がはびこり、善人は消極的である。これはわたしなら、飛びまわる手長猿を片手でつかみながら、片手で斑の虎をなぐり殺すことさえできるというものだ。
騶虞 白い虎。体に黒いもようがあり、尾は胴体より長い。生きた動物を食わず、生えている草をふみつけない。想像上の仁獣である。「詩経国風上」騶虞はなさけあるけものとされ、仁徳のある君主の期待をもつ者として登場する。

○手技飛操持彫虎 猿と虎と戦うことを比喩して、貧窮と疎賤の二つに対して常にたたかい、これにうちかつことだという。儒教の言葉、故事である。

焦原 山東省の莒(きょ)県の南三十六里のところに、横山と呼ばれる大きな岩があり、それが焦原である。広さ五十歩、百幅(幅は、両手を左右にひろげた幅)の深さの谷川に臨み、非常に危険な場所である。莒の国でも、これに近づこうとする者がいなかったが、一人の勇者があらわれ、後向きに歩いて崖のはしで足のかかとをそろえた。世にたたえられたが、そもそも正義ということは、この焦原のように高いものだ。そして賢者は、正義のためには、どんなに危険をおかしてでも、足のかかとを焦原の石の上にそろえるようなことをやってのけ、しかも、少しも苦痛を言わない。儒教の一節。


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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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年:731       開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  梁甫吟

及地點:        梁父山 (河南道 兗州梁父山) 別名:梁甫山         

淇縣 (河北道南部 衛州 衛縣) 別名:朝歌   

棘津 (河北道北部 安東都護府 延津州)      

高陽 (河北道南部 瀛洲 高陽)            



梁甫吟 1
(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

長嘯梁甫吟。 何時見陽春。 
ああここに有志の士がいる、いずれの時に明主に遭遇し、大いに用いられ、持っている志を伸ばせるのか、ここにいにしえの英雄、諸葛亮を学び、大声を発して梁甫吟をながく、ながく吟じてみるのも、やむを得ない始末だからだ。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。 
君は知っているだろう。むかし呂尚という人がいたが、はじめは朝歌の牛殺しのおじいさんであったが、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の老衰の身をもって、西方にきて、渭水のほとりで十年にわたって釣りをしていて文王と出会ったのをた。 
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。 
風采と云えば、白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかせると用いられたのである。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。 
それまで「三千六百回の鉤」十年もの長い間、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむところとなり、これを認められたのである。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。 
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしないもので、はじめは、世間のふつうの人といささか似ているということであったのだ。

#2
君不見高陽酒徒起草中。長揖山東隆准公。 
君は知っているだろう。酈食其というものが高陽の里に居て、大酒のみであったので誰も相手にされなかったが、ひとたび、荒草の中から身をおこし、沛公に謁見する。
入門不拜騁雄辯。兩女輟洗來趨風。 
門を入っても最敬礼をしないままに、そして雄弁に沛公を説き伏せた。感服した挙句には、沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公に厚く礼をなすにいたった。
東下齊城七十二。指揮楚漢如旋蓬。 
酈食其は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
おちぶれていた独りよがりの頑固者、狂客と呼ばれ、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。 
わたしは、竜鱗を攀じて、賢明な君主に謁見し、その知遇を得ようと企てたが、雷公が、妨害を試み、恐ろしく凄まじい響きを発し、ガラゴロゴロと天鼓を頻りにうちならしたのだ。
#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。 
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。 
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。 
杞國無事憂天傾。
貐磨牙競人肉。 
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。 
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。 
齊相殺之費二桃。
楚弄兵無劇孟。 
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。 
張公兩龍劍。 神物合有時。 
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。


梁甫吟#1

長嘯す梁甫吟、何れの時か陽春を見ん。

君見ずや 朝歌の屠叟【とそう】棘津【きょくしん】を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。

寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。

広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。

大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2

君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。

門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。

東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。

狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。

我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇【ほうこう】 天鼓を震う。
#3

帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。

倏燦【しゅくしゃく】 晦冥【かいめい】 風雨を起す、

閶闔【しょうこう】の九門 通ず可からず。

額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。

杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。

騶虞【すうぐ】は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4

足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。

世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。

斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。

亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。

張公の両竜剣、神物 合するに時有り。

風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。

嚢陽一帯
現代語訳と訳註
(
本文) #2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。 
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。 
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。 
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。


(下し文)
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。

門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。

東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。

狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。

我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇【ほうこう】 天鼓を震う。

 

(現代語訳)
君は知っているだろう。酈食其というものが高陽の里に居て、大酒のみであったので誰も相手にされなかったが、ひとたび、荒草の中から身をおこし、沛公に謁見する。
門を入っても最敬礼をしないままに、そして雄弁に沛公を説き伏せた。感服した挙句には、沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公に厚く礼をなすにいたった。
酈食其は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
おちぶれていた独りよがりの頑固者、狂客と呼ばれ、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
わたしは、竜鱗を攀じて、賢明な君主に謁見し、その知遇を得ようと企てたが、雷公が、妨害を試み、恐ろしく凄まじい響きを発し、ガラゴロゴロと天鼓を頻りにうちならしたのだ。

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(訳注)#2
梁甫吟 

(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

梁甫吟は楽府題の古い題の一つ。相和歌楚調曲に梁父吟行とあって、その由来は戦国の武侯が好んで詠ったものといわれる。梁甫は、梁父とも書き、むかしの斉の国、いまの山東省の、泰山のふもとにある、570mの小さな山の名である。そこは、古代の迷信では、死者のたましいの帰る場所とされていた。「梁甫吟」はもともと、葬いの歌であったという。また、骨子(孔子の弟子)の作ったものであるという。骨子が泰山のふもとに耕していたところ、天が大雪をふらし、凍ること旬日、帰ることができず、その父母を思って、巣山歌を作ったと、「琴挽」という本に見える、それが「梁甫吟」の起源であるという。現在「楽府詩集」に収められている一首は、「三国志」の立役者である諸葛亮(孔明)の作と伝えられている。

 

君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。 
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
君は知っているだろう。酈食其というものが高陽の里に居て、大酒のみであったので誰も相手にされなかったが、ひとたび、荒草の中から身をおこし、沛公に謁見する。
高陽酒徒 高陽は地名。いまの河南省杞県の西。陳留県に属した。酒徒は酒のみ。高陽の呑み助とは、漢の酈食其(れきいき)のことで、陳留県高陽郷の人である。読書を好んだ。(酈生の生は、読書人に対する呼び方。)家が貧しくて、おちぶれ、仕事がなくて衣食に困った。県中の人がみな、かれを狂生と呼んだ。沛公(のちの漢の高祖)が軍をひきいて陳留の郊外を攻略したとき、沛公の旗本の騎士で、たまたま酈生と同じ村の青年がいた。その青年に会って酈生は言った。「おまえが沛公にお目通りしたらこのように申しあげろ。臣の村に、酈生という者がおります。年は六十あまり、身のたけ八尺、人びとはみな彼を狂生と呼んでいますが、彼みずからは、わたしは狂生ではないと、申しております、と。」騎士は酈生におしえられたとおりに言った。沛公は高陽の宿舎まで来て、使を出して酈生を招いた。酈生が来て、入って謁見すると、沛公はちょうど、床几に足を投げ出して坐り、二人の女に足を洗わせていたが、そのままで酈生と面会した。酈生は部屋に入り、両手を組み合わせて会釈しただけで、ひざまずく拝礼はしなかった。そして言った。「足下は秦を助けて諸侯を攻めようとされるのか。それとも、諸侯をひきいて秦を破ろうとされるのか。」沛公は罵って言った。「小僧め。そもそも天下の者がみな、秦のために長い間くるしめられた。だから諸侯が連合して秦を攻めている。それにどうして、秦を助けて諸侯を攻めるなどと申すのか。」酈生は言った。「徒党をあつめ、義兵をあわせて、必ず無道の秦を課しょうとされるなら、足を投げ出したまま年長者に面会するのはよろしくありません。」沛公は足を洗うのをやめ、起ち上って着物をつくろい、酈生を上座にまねいて、あやまった。酈生はそこでむかし戦国時代に、列国が南北または東西に結んで、強国に対抗したり同盟したりした、いわゆる六国の合縦連衡の話をした。沛公は喜び鄭生に食をたまい、「では、どうした計略をたてるのか」ときいた。酈生は、強い秦をうちやぶるには、まず、天下の要害であり、交通の要処である保留を攻略すべきであると進言し、先導してそこを降伏させた。沛公は、酈生に広野君という号を与えた。酈生は遊説の士となり、馳せまわって諸侯の国に使した。漢の三年に、漢王(沛公)は酈生をつかわして斉王の田広に説かせ、酈生は、車の横木にもたれて安坐しながら、斉の七十余城を降服させた。酈生がはじめて沛公に謁見した時のことは、次のようにも伝わっている。酈生が会いに来たとき、沛公はちょうど足を洗っていたが、取次にきた門番に「どんな男か」とたずねた。「一見したところ、儒者のような身なりをしております」と門番がこたえた。沛公は言った。「おれはいま天下を相手に仕事をしているのだ。儒者などに会う暇はない。」門番が出ていって、その旨をつたえると、酈生は目をいからし、剣の柄に手をかけ、門番をどなりつけた。「おれは高陽の酒徒だ。儒者などではない。」門番は腰をぬかして沛公に報告した。「客は天下の壮士です。」かくして酈生は沛公に謁見することができた。○草中 草がぼうぼうと等見た野原の中。民間、在野。

○長揖 両手を前でくみあわせて上から下へ腹の辺までさげる。敬礼の一種であるが、王に対する最敬礼でなく、軽い会釈にすぎない。

山東隆準公 のちに漢の高祖となる沛公すなわち劉邦をさす。沛の豊邑(いまの江蘇省豊県)の人である。豊県は、山東省にちかい。「史記」の高祖本紀に、高祖は生れつき「隆準にして竜顔」とある。隆は高い。準は、音がセツ、鼻柱のこと、隆準公は、鼻の高いおやじさん。
高適の詩(2)塞上聞吹笛  田家春望 参照


入門不拜騁雄辯。兩女輟洗來趨風。 
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
門を入っても最敬礼をしないままに、そして雄弁に沛公を説き伏せた。感服した挙句には、沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公に厚く礼をなすにいたった。
 身体をかがめ、手のあたりまで頭をさげる、おじぎ。

 走らせる。雄弁に語ることの意。

両女輯洗来趨風 沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公のきげんをとったのだ。。

趨風 風のように走りまわる。


東下齊城七十二。指揮楚漢如旋蓬。 
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
酈食其は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
東下斉城七十二 漢王(沛公)の三年の秋、楚の項羽は漢を撃って賛陽(河南)を攻め落した。漢の軍は退却して河南の肇県と洛陽の間に立てこもった。一方、沛公の部将である韓信が、東の方で斉の国を攻めていた。酈生はこのとき、沛公に進言し、斉を漢の東方の同盟国とするために斉王の田広を説得する案を出した。沛公は同意した。酈生は斉におもむき、田広に会って言った。「王は、天下の帰一するところを知っておられますか」「知らぬ」「王が天下の帰一するところを知っておられるなら、斉の国をたもてましょうが、もし知っておられないなら、斉の国はたもてないでしょう」「天下はどこに帰一するだろうか」「漢王に帰一しましょう」「どういう根拠で、そう言うのか。」酈生はそこで、雄弁をふるって天下の形勢を論じ、楚の項王の不徳をのべ、漢の沛公の人徳をのぺ、「後れて漢に帰服する国が先ず亡びましょう。王がはやく漢王に降服されるなら、斉の国はたもてましょうが、もし漢に降らなければ、たちまち危険滅亡がやって来ましょう」とまくしたてた。田広は酈生のことばを信じ、斉の七十二城をあけわたした。韓信はそれをきくと、軍隊を動かして斉を掌った。漢軍の来襲をきいた斉玉田広は、だまされたと知り、酈生に向い、「汝が漢軍の侵入をとめたら、わしは汝を生かしておくが、さもなければ、汝を煮殺してしまうぞ」と言った。野生「大事業をなす者は、細かい事はどうでもよい。わたしは、おまえごときのために前言を変えはせぬ。」斉王はついに、酈生を煮殺し、兵をひきいて東方に逃げた。「史記」酈生陸質列伝。

旋蓬 風にふかれて飛びまわるヨモギの穂
 
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
おちぶれていた独りよがりの頑固者、狂客と呼ばれ、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
狂客 きちがい扱いにされた余計者。一つのことに夢中になって他の意見を取り入れない頑固者。杜甫も狂夫とつかう。

落魄おちぶれる。「史記」弥生の伝に「家貧にして落塊、以て衣食の業を為す無し」とあるのを用いた。


我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。 
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。
わたしは、竜鱗を攀じて、賢明な君主に謁見し、その知遇を得ようと企てたが、雷公が、妨害を試み、恐ろしく凄まじい響きを発し、ガラゴロゴロと天鼓を頻りにうちならしたのだ。
攣竜 竜のうろこにすがる。君主の知遇を得ること。

明主 賢明な君主。玄宗をさす。

○砰訇 大きな音。

天鼓 かみなり。星の名前。天から鼓が降った夢を見て身ごもった母から生まれた少年「天鼓」は、本当に天から降った鼓を打って妙なる音を響かせた。話を聞いた帝に鼓を召されることになったので、惜しんで山に隠れ、見つけられて川に沈められたが、鼓は鳴りやまなかった。父が呼ばれて打つと鼓は鳴り、川辺で管弦講によって弔うと天鼓の霊が現れて舞を舞うという。宇宙は大きく、空は澄み渡り、心も澄み渡る。清らかな世界という意味。

155-#1 《巻02-04 梁甫吟 -#1》(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <155-#1> Ⅰ李白詩1355 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5323

李白《巻02-04 梁甫吟 -#1(改訂)(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)ああここに有志の士がいる、いずれの時に明主に遭遇し、大いに用いられ、持っている志を伸ばせるのか、ここにいにしえの英雄、諸葛亮を学び、大声を発して梁甫吟をながく、ながく吟じてみるのも、やむを得ない始末だからだ。


155-#1 《巻02-04 梁甫吟 -#1(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <155-#1> Ⅰ李白詩1355 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5323

 

年:731       開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  梁甫吟

及地點:        梁父山 (河南道 兗州梁父山) 別名:梁甫山         

淇縣 (河北道南部 衛州 衛縣) 別名:朝歌   

棘津 (河北道北部 安東都護府 延津州)      

高陽 (河北道南部 瀛洲 高陽)            


梁甫吟 1
(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

長嘯梁甫吟。 何時見陽春。 
ああここに有志の士がいる、いずれの時に明主に遭遇し、大いに用いられ、持っている志を伸ばせるのか、ここにいにしえの英雄、諸葛亮を学び、大声を発して梁甫吟をながく、ながく吟じてみるのも、やむを得ない始末だからだ。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。 
君は知っているだろう。むかし呂尚という人がいたが、はじめは朝歌の牛殺しのおじいさんであったが、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の老衰の身をもって、西方にきて、渭水のほとりで十年にわたって釣りをしていて文王と出会ったのをた。 
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。 
風采と云えば、白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかせると用いられたのである。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。 
それまで「三千六百回の鉤」十年もの長い間、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむところとなり、これを認められたのである。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。 
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしないもので、はじめは、世間のふつうの人といささか似ているということであったのだ。

#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。 
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。 
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。 
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。

#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。 
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。 
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。 
杞國無事憂天傾。
貐磨牙競人肉。 
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。 
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。 
齊相殺之費二桃。
楚弄兵無劇孟。 
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。 
張公兩龍劍。 神物合有時。 
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。


梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟、何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟【とそう】棘津【きょくしん】を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。

寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇【ほうこう】 天鼓を震う。
#3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦【しゅくしゃく】 晦冥【かいめい】 風雨を起す、
閶闔【しょうこう】の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞【すうぐ】は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。

李白図102 

現代語訳と訳註
(
本文)
 1
長嘯梁甫吟。 何時見陽春。 
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。 
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。 
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。 
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。


(下し文) 梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。


(現代語訳)
(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

ああここに有志の士がいる、いずれの時に明主に遭遇し、大いに用いられ、持っている志を伸ばせるのか、ここにいにしえの英雄、諸葛亮を学び、大声を発して梁甫吟をながく、ながく吟じてみるのも、やむを得ない始末だからだ。
君は知っているだろう。むかし呂尚という人がいたが、はじめは朝歌の牛殺しのおじいさんであったが、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の老衰の身をもって、西方にきて、渭水のほとりで十年にわたって釣りをしていて文王と出会ったのをた。 
それまで「三千六百回の鉤」十年もの長い間、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむところとなり、これを認められたのである。
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしないもので、はじめは、世間のふつうの人といささか似ているということであったのだ。


(訳注)
梁甫吟
 

(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

梁甫吟は楽府題の古い題の一つ。相和歌楚調曲に梁父吟行とあって、その由来は戦国の武侯が好んで詠ったものといわれる。梁甫は、梁父とも書き、むかしの斉の国、いまの山東省の、泰山のふもとにある、570mの小さな山の名である。そこは、古代の迷信では、死者のたましいの帰る場所とされていた。「梁甫吟」はもともと、葬いの歌であったという。また、骨子(孔子の弟子)の作ったものであるという。骨子が泰山のふもとに耕していたところ、天が大雪をふらし、凍ること旬日、帰ることができず、その父母を思って、巣山歌を作ったと、「琴挽」という本に見える、それが「梁甫吟」の起源であるという。現在「楽府詩集」に収められている一首は、「三国志」の立役者である諸葛亮(孔明)の作と伝えられている。それは次の歌である。
諸葛亮(孔明)「梁甫吟」
歩出斉城門  遥望蕩陰里
里中有三墳  塁塁正相似
問是誰家墓  田疆古冶子
力能排南山  文能絶地紀
一朝被讒言  二桃殺三士
誰能為此謀  国相斉晏子
下し文
歩して斉の城門を出で  遥に蕩陰の里を望む 
里中に三墳有り  塁塁として正に相似たり
問う是れ誰が家の墓ぞ  田疆古冶氏
力を能く南山を排し  文を能く地紀を絶つ
一朝 讒言を被りて  二桃 三士を殺す
誰か能く此の謀を為せる  国相斉の晏子なり

現代訳
梁甫の歌;
斉の城門を歩いて出て、遠くに蕩陰(地名)の村を眺めるとそこにお墓が三基ある 並んで立っていて、よく似ていた。
これはどちらのお墓ですかと聞いてみた。
これが有名な公孫接・田開彊・古冶子のお墓です。
三人は南山を動かすほど力が強く、大地の四隅を繋ぐ紐を切るほど学問もできる人たちでした
ところが、ひとたび、讒言を言われ、二つの桃でもって三人を殺してしまった。
誰がこんなはかりごとをしたのですか? それは斉の宰相の晏嬰です

これは、詭計をもちいて人を殺した、斉の量子の故事をうたったものである。「力排南山三壯士。齊相殺之費二桃」参照。李白のこの詩は、その故事をふくみつつ、主題を少しかえ、不遇の志士の時機到来を待つ気持をうたいあげる。

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643


長嘯梁甫吟。 何時見陽春。 
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
ああここに有志の士がいる、いずれの時に明主に遭遇し、大いに用いられ、持っている志を伸ばせるのか、ここにいにしえの英雄、諸葛亮を学び、大声を発して梁甫吟をながく、ながく吟じてみるのも、やむを得ない始末だからだ。
長哺 長く、すみきった声を出して詩歌を吟じる。

陽春 陽気のみちみちた春。春という季節は、万物をはぐくみ育てる、それにも似た君主の慈愛恩恵を、暗に意味する。《楚辞、九弁》「無衣裘以御冬兮,恐溘死不得見乎陽春。」“(衣裘の以て冬を御【ふせ】ぐ無く,恐らくは溘死【こうし】して陽春を見るを得ざらんことを。)身には衣や毛衣の冬の寒さをふせぐものがなく、急に死んで、来る年の陽春を見ることができないかも知れぬと心配をするのである。”という句が、君主から放逐されて絶望の意中を述べたところに見える。

九辯 第六・七・八段 まとめ 宋玉  <00-#26>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 655 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2259


君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。 
君見ずや 朝歌の屠叟【とそう】棘津【きょくしん】を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
君は知っているだろう。むかし呂尚という人がいたが、はじめは朝歌の牛殺しのおじいさんであったが、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の老衰の身をもって、西方にきて、渭水のほとりで十年にわたって釣りをしていて文王と出会ったのをた。 
朝歌屠叟 朝歌は地名。大むかし、殷の時代のみやこ、河南省にあった。屠叟は、屠牛(牛殺し)のじいさん。朝歌の牛殺しのじじいとは、周の太公望、呂尚のことである。伝説によると、かれはかつて朝歌において牛殺しをしていたことがあり、棘津(河南省延津県)においては行商人をしていたし、橎渓(いまの駅西省宝鶏県の東南にあり、源は南山から出、北に流れて渭水に入る)では魚を釣っていた。八十歳のときに、はじめて周の文王に出遇った。文王は立ちどころにその人物を見抜き、この人こそ自分の父の大公が、かねがね望んでいた軍師である、だから太公望と呼ぶといって連れて帰り、非常に重くかれを用いた。かれは、文王の子の武王をたすけて駿を討ち、天下を定め、斉の国の始祖となった。

渭浜 渭水のほとり。太公望が渭水で釣りをしていた文王との故事に基づく。


寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。 
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
風采と云えば、白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかせると用いられたのである。
壮気 意気さかんに。

経論 天下をおさめ人民をすくう方策。


廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。 
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
それまで「三千六百回の鉤」十年もの長い間、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむところとなり、これを認められたのである。
三千六百鉤 鉤はつりばり。一年は三百六十日、十年で三千六百日。毎日釣り糸を垂れると、十年で三千六百鉤となる。太公望は八十歳のときから渭水のほとりで釣りをし、九十歳のときに文王に遇った、その間の十年間(一説では、七十から八十までの間)釣りをしていたことをさす。また、清の沈徳潜の説では、三千六百鈎は、天下をことごとく釣ることで、文王を釣り出したという意味に解する。

風期風塵、または、風采に同じ。人品。びとがら。

 しらぬうちに。しらず、しらず。

文王 文王(未詳- 紀元前1152年-紀元前1056年 寿命 97才)は、中国の周朝の始祖。姓は姫、諱は昌。父季歴と母太任の子。周王朝の創始者である武王の父にあたる。文王は商に仕えて、三公(特に重要な三人の諸侯)の地位にあり、父である季歴の死後に周の地を受け継ぎ、岐山のふもとより本拠地を灃河(渭河の支流である。湖南省の澧水とは字が異なる。)の西岸の豊邑(正しくは豐邑。後の長安の近く)に移し、仁政を行ってこの地を豊かにしていた。


大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。 
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしないもので、はじめは、世間のふつうの人といささか似ているということであったのだ。
虎変 「易経」に「大人虎変」とあるのに基づく。虎の毛皮のもようの鮮やかなように、非凡な大人物は、あざやかに変化する。「君子豹変」も出典は同じく、現在使われるような惑い意味ではなく、本来は、君子が過を改めて善にうつることの際立って著しいことを意味する。「大人」というのは「君子」よりも、一枚上の人物。

当年 当時。

頗似 いささか似ている。頻はいささか。(顔は少であり甚ではない。)

尋常 ふつう。なみ。

 
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李白《巻02-03 蜀道難 #5(改訂) 要するに、蜀の地を穏やかに治めることは、今日のようなやり方ではいけないのだ、だから、蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。

 
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154-#5 《巻02-03 蜀道難 #5(改訂) Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <154-#5> Ⅰ李白詩1354 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5318

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  蜀道難

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:        蜀道 (劍南道北部益州 成都)      

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰         

峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)  

青泥嶺 (山南西道 興州 長舉)      

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)      

 

 

蜀道難 #1

(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)

噫吁戲危乎高哉!蜀道之難難於上青天。

ああ、何と危うく、高いことか。蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。

蠶叢及魚鳧,開國何茫然。

蜀王の蚕叢、さらには魚鳧、かれらの開国の世に何と遠くたどり着くことができなくことか。
爾來四萬八千不與秦塞通人煙。

それ以来、はるかに四万八千年、長安地方とは、人家の煙も通じないままだった。
西當太白有鳥道,可以橫峨眉

西のかた太白山には、鳥しか通えないような高く険しい道があるが、どうして峨眉山のまでも、ずいと横切って進めることができよう。
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#2

地崩山摧壯士死,然後天梯石棧相鉤連。

その地は、食の君主が、五人の力士を遣わして、秦の五美女を迎えた時に、大地が崩れ、高山がくだけ、五人の壮士たちが圧死したという大事件がおこり、その後で、天の梯子のような山道や、岩壁に渡した桟道が、やっとつながるようになったので、これが即ち桟道である。
上有六龍回日之高標,下有衝波逆折之回川。

その桟道の険を詳しく言えば、上のほうに有るのは、六竜の引く太陽神の車も後戻りして、迂回するような、さらに高く突き出た峰、下のほうに有るのは、早瀬の波がぶつかりあう波頭が逆巻きつつ、蛇行して流れ去る激流の峡谷の川がある。
黃鶴之飛尚不得過,猿猱欲度愁攀援。

つまり、高い所は、天の高嶺で、低い所は、地底のようなところであるから、一飛び千里といわれる黄鶴の翼を以て飛ぼうとしても、越えてしまうのは、なお不可能だろう、猿が渡ろうとしても、よじのぼることさえできなくて考え込んでしまうだろう程のものであるから、人に逢ってはなお更難関ということなのだ。
青泥何盤盤,百步九折縈巖巒。

それに加えて、青泥の嶺の山道は、何と曲りくねって続くことか。百歩のうちに九度も折れ曲り、やがてその嶺頂の昇り、岩山をめぐって進むということだ。
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#3

捫參歷井仰脅息,以手撫膺坐長歎。

やがて嶺頂に上れば、秦蜀の分野となる参井の二星はすぐ近くにあって、参の星座を手でさぐり、井の星座を踏みしめるようにして、そこをすり抜けてゆく。そして疲れて、天を仰いで苦しい息をつき、挙句の果てに、わが手で胸をさすりつつ、腰をおろして長いため息をつくことになる。
問君西遊何時還?畏途巉巖不可攀。

蜀に行くことの困難はこの通りであり、一度西に向かう旅に出たなら、何時になったら還れるのかと君にたずねたところでどうしよもないというものだ。こんな恐ろしい旅路のゴツゴツとそびえる山岩高峻の道は、どうしてよじ登ることさえなどできないというものだ。
但見悲鳥號古木,雄飛雌從繞林間。

その間に見れば、悲しげな声を出して啼く鳥が、樹齢もすぐには分か来ほどの古木で鳴いている、雄が飛べば、雌が後を追って、餌を林冲にあさり、めぐってゆく。

又聞子規啼夜月,愁空山。

また聞けば、ホトトギスが一斉に夜半の月光に啼き、何にもない山中はたちまちに愁える景色ばかりになるのである。
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#4

蜀道之難難於上青天,使人聽此凋朱顏。

「蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。」人がこの言葉を聴くだけで、人は張りのある若き紅顔も凋ましてしまうことだろう。
連峰去天不盈尺,枯松倒掛倚壁。

更に進めば、連なる峰々は、天から一尺にも足りぬ高さでそびえたち、枯れた松の木が、まるで逆さに掛かったように、絶壁によりかかって生えている。

飛湍瀑流爭喧豗,崖轉石萬壑雷。

更に進むと、飛び散るしぶきの急流と、落ちかかる瀑布の流れは、たがいに豪濁音を争っている、絶壁にぶつかり、岩石を転がして、すべての谷々に雷鳴がとどろきわたっているのだ。
其險也如此,嗟爾遠道之人胡為乎來哉!

その険阻は極まれるその道は、これほどまでのものなのだ。ああ君よ、遠き道をゆく旅人があるというのは、どういうことだろうか、不思議な事である。
劍閣崢嶸而崔嵬。

剣門山の閣道は、崢嶸で崔嵬として草木もなく高く険しすぎる。#5

一夫當關,萬夫莫開。

左思が《蜀都賦》で述べた様に「一人の男が、関所を守れば、万人が攻めても、開きはしない。」ということだ。
所守或匪親,化為狼與豺。

蜀の北門というべき剣閣は朝廷でもよほど気を付けねば、守るその男が、皇族の血筋の者であればよいのだが、この地方を支配したものが狼や山犬のような、反逆者にならぬとも限らない。

朝避猛虎,夕避長蛇。

実際には、それでなくとも、夜明けには、吐蕃という猛虎のようなやからを避け、ゆうべには、回紇という大蛇のようなやからを避けるという場所である。

磨牙吮血,殺人如麻。

かれらは、牙を磨ぎ、血をすすって、手当り次第に、人々を殺すことが何でもないように行うやつらなのだ。
錦城雖云樂,不如早還家。

山のかなたをくだると 〝錦城″ は、人情豊かな楽しい所だと言われるが、それはとんでもないことで、道路は険艱であるうえに、険悪な事態に遭遇することになるので、いっそ、早く我が家に戻ったほうがよい。
蜀道之難難於上青天,

要するに、蜀の地を穏やかに治めることは、今日のようなやり方ではいけないのだ、だから、蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。

側身西望長咨嗟。

身をよじって西のかたを望み、長く嘆息するばかりだ。
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(蜀道難) #1

噫吁戲【ああ】 危いか 高い哉、蜀道の難きは 青天に上るよりも難し。

蚕叢と魚鳧【ぎょふ】と、開國 何ぞ茫然たる。

爾來 四萬八千歳、秦塞と人煙を通ぜず。

西のかた太白に當りて鳥道有り、以て 峨眉の頂を橫絶すべし。

#2

地崩れ山摧けて壯士死す、然る后 天梯 石棧 相ひ鉤連す。

上には六龍回日の高標有り、下には沖波逆折の回川有り。

黄鶴の飛ぶこと 尚過ぐるを得ず、猿柔度らんと欲して攀縁を愁ふ。

青泥 何ぞ盤盤たる、百歩九折 岩巒を巡る。

#3

參を捫【さぐ】り井を歴て仰いで脅息し、手を以て膺【むね】を撫し 坐して長嘆す。

君に問ふ 西游して何れの時にか還ると、畏途の巉岩 攀づ可からず。

但だ見る 悲鳥古木に號ぶを、雄は飛び雌は從って 林間を繞る。

又聞く 子規夜月に啼いて、空山を愁ふるを。

#4

蜀道の難きは、青天に上るよりも難し、人をして此を聽いて朱顏を凋ばしむ。

連峰天を去ること尺に盈たず、枯松倒しまに挂【か】かって絶壁に倚る。

飛湍 瀑流 爭って喧豗【けんかい】たり、崖を撃ち石を轉じて萬壑雷【とどろ】く。

其の險や此くの若し、嗟【ああ】爾遠道の人胡為【なんすれ】ぞ來れるや。    

劍閣は崢嶸として崔嵬たり。

#5

一夫 關に當たれば、萬夫も開く莫し。

守る所 或は親に匪ざれば、化して 狼と豺と為る。

朝には 猛虎を避け、夕には 長蛇を避く。

牙を磨き 血を吮【す】い、人を殺すこと麻の如し。

錦城 樂しと云ふと雖も、早く家に還るに如かず。

蜀道の難きは。青天に上るよりも難し。

身を側てて西望し 長く咨嗟す。

杜甫 体系 地図459同谷紀行


『蜀道難』 現代語訳と訳註解説

(本文)5

一夫當關,萬夫莫開。

所守或匪親,化為狼與豺。

朝避猛虎,夕避長蛇。

磨牙吮血,殺人如麻。

錦城雖云樂,不如早還家。

蜀道之難難於上青天,側身西望長咨嗟。

 

(下し文) #5

一夫 關に當たれば、萬夫も開く莫し。

守る所 或は親に匪ざれば、化して 狼と豺と為る。

朝には 猛虎を避け、夕には 長蛇を避く。

牙を磨き 血を吮【す】い、錦城 樂しと云ふと雖も。

早く家に還るに如かず、蜀道の難きは。

青天に上るよりも難し、身を側てて西望し 長く咨嗟す。

 

(現代語訳)

左思が《蜀都賦》で述べた様に「一人の男が、関所を守れば、万人が攻めても、開きはしない。」ということだ。
蜀の北門というべき剣閣は朝廷でもよほど気を付けねば、守るその男が、皇族の血筋の者であればよいのだが、この地方を支配したものが狼や山犬のような、反逆者にならぬとも限らない。

実際には、それでなくとも、夜明けには、吐蕃という猛虎のようなやからを避け、ゆうべには、回紇という大蛇のようなやからを避けるという場所である。

かれらは、牙を磨ぎ、血をすすって、手当り次第に、人々を殺すことが何でもないように行うやつらなのだ。
山のかなたをくだると 〝錦城″ は、人情豊かな楽しい所だと言われるが、それはとんでもないことで、道路は険艱であるうえに、険悪な事態に遭遇することになるので、いっそ、早く我が家に戻ったほうがよい。
要するに、蜀の地を穏やかに治めることは、今日のようなやり方ではいけないのだ、だから、蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。

身をよじって西のかたを望み、長く嘆息するばかりだ。
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yoshu&choan736(訳注)

蜀道難 #5

(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)

蜀道難は楽府題相和歌瑟調三十八曲の一つ。銅梁玉塁の険を詠うもので、世道の危険、人心の険峨を謗るものである。李白の詩もこれに沿っている。これだけ険阻であるから、天子の意向が届きにくいため、天子に敵対することが多いのである


一夫當關、萬夫莫開。
一夫 關に當たれば、萬夫も開く莫し。

左思が《蜀都賦》で述べた様に「一人の男が、関所を守れば、万人が攻めても、開きはしない。」ということだ。
一夫当関 剣閣を詠う慣用句。左思《蜀都賦》「一夫守隘、萬夫莫開」とあり、これに基づいたもの。

 

所守或匪親、化為狼與豺。
守る所 或は親に匪ざれば、化して 狼と豺と為る。

蜀の北門というべき剣閣は朝廷でもよほど気を付けねば、守るその男が、皇族の血筋の者であればよいのだが、この地方を支配したものが狼や山犬のような、反逆者にならぬとも限らない。

 

朝避猛虎、夕避長蛇。 
朝には 猛虎を避け、夕には 長蛇を避く。

実際には、それでなくとも、夜明けには、吐蕃という猛虎のようなやからを避け、ゆうべには、回紇という大蛇のようなやからを避けるという場所である。


磨牙吮血、殺人如麻。 
牙を磨き 血を吮【す】い、人を殺すこと麻の如し。

かれらは、牙を磨ぎ、血をすすって、手当り次第に、人々を殺すことが何でもないように行うやつらなのだ。
  吸う・すする。音は「ゼン・セン」「ジュン・シュン」 の二系統がある。

殺人如麻  手あたり次第に人を殺す。「如麻」は、多く入り乱れるさま。


錦城雖云樂、不如早還家。 
錦城 樂しと云ふと雖も、早く家に還るに如かず。

山のかなたをくだると 〝錦城″ は、人情豊かな楽しい所だと言われるが、それはとんでもないことで、道路は険艱であるうえに、険悪な事態に遭遇することになるので、いっそ、早く我が家に戻ったほうがよい。
錦城  成都の美称。「錦官城」ともいう。昔、成都の南部地区に錦を扱う官署(少城)が置かれていたための呼称。蜀は錦の名産地だった。


蜀道之難、難于上青天。 
蜀道の難きは。青天に上るよりも難し。

要するに、蜀の地を穏やかに治めることは、今日のようなやり方ではいけないのだ、だから、蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。


側身西望長咨嗟。』 
身を側てて西望し 長く咨嗟す。

身をよじって西のかたを望み、長く嘆息するばかりだ。
○側身  体の向きを変える。身をよじる、振りかえる。

長咨嗟 長く嘆息する。
蜀の山001 

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李白《巻02-03 蜀道難 #4その険阻は極まれるその道は、これほどまでのものなのだ。ああ君よ、遠き道をゆく旅人があるというのは、どういうことだろうか、不思議な事である。

 
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年:731年開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  蜀道難

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:        蜀道 (劍南道北部益州 成都)      

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰         

峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)  

青泥嶺 (山南西道 興州 長舉)      

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)      

 

 

蜀道難 #1

(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)

噫吁戲危乎高哉!蜀道之難難於上青天。

ああ、何と危うく、高いことか。蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。

蠶叢及魚鳧,開國何茫然。

蜀王の蚕叢、さらには魚鳧、かれらの開国の世に何と遠くたどり着くことができなくことか。
爾來四萬八千不與秦塞通人煙。

それ以来、はるかに四万八千年、長安地方とは、人家の煙も通じないままだった。
西當太白有鳥道,可以橫峨眉

西のかた太白山には、鳥しか通えないような高く険しい道があるが、どうして峨眉山のまでも、ずいと横切って進めることができよう。
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#2

地崩山摧壯士死,然後天梯石棧相鉤連。

その地は、食の君主が、五人の力士を遣わして、秦の五美女を迎えた時に、大地が崩れ、高山がくだけ、五人の壮士たちが圧死したという大事件がおこり、その後で、天の梯子のような山道や、岩壁に渡した桟道が、やっとつながるようになったので、これが即ち桟道である。
上有六龍回日之高標,下有衝波逆折之回川。

その桟道の険を詳しく言えば、上のほうに有るのは、六竜の引く太陽神の車も後戻りして、迂回するような、さらに高く突き出た峰、下のほうに有るのは、早瀬の波がぶつかりあう波頭が逆巻きつつ、蛇行して流れ去る激流の峡谷の川がある。
黃鶴之飛尚不得過,猿猱欲度愁攀援。

つまり、高い所は、天の高嶺で、低い所は、地底のようなところであるから、一飛び千里といわれる黄鶴の翼を以て飛ぼうとしても、越えてしまうのは、なお不可能だろう、猿が渡ろうとしても、よじのぼることさえできなくて考え込んでしまうだろう程のものであるから、人に逢ってはなお更難関ということなのだ。
青泥何盤盤,百步九折縈巖巒。

それに加えて、青泥の嶺の山道は、何と曲りくねって続くことか。百歩のうちに九度も折れ曲り、やがてその嶺頂の昇り、岩山をめぐって進むということだ。
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#3

捫參歷井仰脅息,以手撫膺坐長歎。

やがて嶺頂に上れば、秦蜀の分野となる参井の二星はすぐ近くにあって、参の星座を手でさぐり、井の星座を踏みしめるようにして、そこをすり抜けてゆく。そして疲れて、天を仰いで苦しい息をつき、挙句の果てに、わが手で胸をさすりつつ、腰をおろして長いため息をつくことになる。
問君西遊何時還?畏途巉巖不可攀。

蜀に行くことの困難はこの通りであり、一度西に向かう旅に出たなら、何時になったら還れるのかと君にたずねたところでどうしよもないというものだ。こんな恐ろしい旅路のゴツゴツとそびえる山岩高峻の道は、どうしてよじ登ることさえなどできないというものだ。
但見悲鳥號古木,雄飛雌從繞林間。

その間に見れば、悲しげな声を出して啼く鳥が、樹齢もすぐには分か来ほどの古木で鳴いている、雄が飛べば、雌が後を追って、餌を林冲にあさり、めぐってゆく。

又聞子規啼夜月,愁空山。

また聞けば、ホトトギスが一斉に夜半の月光に啼き、何にもない山中はたちまちに愁える景色ばかりになるのである。
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#4

蜀道之難難於上青天,使人聽此凋朱顏。

「蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。」人がこの言葉を聴くだけで、人は張りのある若き紅顔も凋ましてしまうことだろう。
連峰去天不盈尺,枯松倒掛倚壁。

更に進めば、連なる峰々は、天から一尺にも足りぬ高さでそびえたち、枯れた松の木が、まるで逆さに掛かったように、絶壁によりかかって生えている。

飛湍瀑流爭喧豗,崖轉石萬壑雷。

更に進むと、飛び散るしぶきの急流と、落ちかかる瀑布の流れは、たがいに豪濁音を争っている、絶壁にぶつかり、岩石を転がして、すべての谷々に雷鳴がとどろきわたっているのだ。
其險也如此,嗟爾遠道之人胡為乎來哉!

その険阻は極まれるその道は、これほどまでのものなのだ。ああ君よ、遠き道をゆく旅人があるというのは、どういうことだろうか、不思議な事である。
劍閣崢嶸而崔嵬。

剣門山の閣道は、崢嶸で崔嵬として草木もなく高く険しすぎる。#5

一夫當關,萬夫莫開。

所守或匪親,化為狼與豺。

朝避猛虎,夕避長蛇。

磨牙吮血,殺人如麻。

錦城雖云樂,不如早還家。

蜀道之難難於上青天,側身西望長咨嗟。

 

(蜀道難) #1

噫吁戲【ああ】 危いか 高い哉、蜀道の難きは 青天に上るよりも難し。

蚕叢と魚鳧【ぎょふ】と、開國 何ぞ茫然たる。

爾來 四萬八千歳、秦塞と人煙を通ぜず。

西のかた太白に當りて鳥道有り、以て 峨眉の頂を橫絶すべし。

#2

地崩れ山摧けて壯士死す、然る后 天梯 石棧 相ひ鉤連す。

上には六龍回日の高標有り、下には沖波逆折の回川有り。

黄鶴の飛ぶこと 尚過ぐるを得ず、猿柔度らんと欲して攀縁を愁ふ。

青泥 何ぞ盤盤たる、百歩九折 岩巒を巡る。

#3

參を捫【さぐ】り井を歴て仰いで脅息し、手を以て膺【むね】を撫し 坐して長嘆す。

君に問ふ 西游して何れの時にか還ると、畏途の巉岩 攀づ可からず。

但だ見る 悲鳥古木に號ぶを、雄は飛び雌は從って 林間を繞る。

又聞く 子規夜月に啼いて、空山を愁ふるを。

#4

蜀道の難きは、青天に上るよりも難し、人をして此を聽いて朱顏を凋ばしむ。

連峰天を去ること尺に盈たず、枯松倒しまに挂【か】かって絶壁に倚る。

飛湍 瀑流 爭って喧豗【けんかい】たり、崖を撃ち石を轉じて萬壑雷【とどろ】く。

其の險や此くの若し、嗟【ああ】爾遠道の人胡為【なんすれ】ぞ來れるや。    

劍閣は崢嶸として崔嵬たり。

#5

一夫 關に當たれば、萬夫も開く莫し。

守る所 或は親に匪ざれば、化して 狼と豺と為る。

朝には 猛虎を避け、夕には 長蛇を避く。

牙を磨き 血を吮【す】い、人を殺すこと麻の如し。

錦城 樂しと云ふと雖も、早く家に還るに如かず。

蜀道の難きは。青天に上るよりも難し。

身を側てて西望し 長く咨嗟す。

 

nat0001
『蜀道難』 現代語訳と訳註解説

(本文)#4

蜀道之難難於上青天,使人聽此凋朱顏。

連峰去天不盈尺,枯松倒掛倚壁。

飛湍瀑流爭喧豗,崖轉石萬壑雷。

其險也如此,嗟爾遠道之人胡為乎來哉!劍閣崢嶸而崔嵬。

 

(下し文)

蜀道の難きは、青天に上るよりも難し、人をして此を聽いて朱顏を凋ばしむ。

連峰天を去ること尺に盈たず、枯松倒しまに挂【か】かって絶壁に倚る。

飛湍 瀑流 爭って喧豗【けんかい】たり、崖を撃ち石を轉じて萬壑雷【とどろ】く。

其の險や此くの若し、嗟【ああ】爾遠道の人胡為【なんすれ】ぞ來れるや。    

劍閣は崢嶸として崔嵬たり。

 

(現代語訳)

「蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。」人がこの言葉を聴くだけで、人は張りのある若き紅顔も凋ましてしまうことだろう。
更に進めば、連なる峰々は、天から一尺にも足りぬ高さでそびえたち、枯れた松の木が、まるで逆さに掛かったように、絶壁によりかかって生えている。

更に進むと、飛び散るしぶきの急流と、落ちかかる瀑布の流れは、たがいに豪濁音を争っている、絶壁にぶつかり、岩石を転がして、すべての谷々に雷鳴がとどろきわたっているのだ。
その険阻は極まれるその道は、これほどまでのものなのだ。ああ君よ、遠き道をゆく旅人があるというのは、どういうことだろうか、不思議な事である。
剣門山の閣道は、崢嶸で崔嵬として草木もなく高く険しすぎる。

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(訳注) 

蜀道難 #4

(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)

蜀道難は楽府題相和歌瑟調三十八曲の一つ。銅梁玉塁の険を詠うもので、世道の危険、人心の険峨を謗るものである。李白の詩もこれに沿っている。これだけ険阻であるから、天子の意向が届きにくいため、天子に敵対することが多いのである


蜀道之難難于上青天、使人聽此凋朱顏。 
蜀道の難きは、青天に上るよりも難し、人をして此を聽いて朱顏を凋ばしむ。

「蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。」人がこの言葉を聴くだけで、人は張りのある若き紅顔も凋ましてしまうことだろう。
朱顔  血色のよい顔。紅顔。

 

連峰去天不盈尺、枯松倒挂倚壁。 
連峰天を去ること尺に盈たず、枯松倒しまに挂【か】かって絶壁に倚る。

更に進めば、連なる峰々は、天から一尺にも足りぬ高さでそびえたち、枯れた松の木が、まるで逆さに掛かったように、絶壁によりかかって生えている。


飛湍瀑流爭喧豗、崖轉石萬壑雷。 
飛湍 瀑流 爭って喧豗【けんかい】たり、崖を撃ち石を轉じて萬壑雷【とどろ】く。

更に進むと、飛び散るしぶきの急流と、落ちかかる瀑布の流れは、たがいに豪濁音を争っている、絶壁にぶつかり、岩石を転がして、すべての谷々に雷鳴がとどろきわたっているのだ。
飛溝 しぶきをあげて飛びちる激流。

○暴流 滝。瀑布が落ち流れる轟音。

  水が岩壁に音をたててぶつかること。

喧豗 さわがしさ。水が出すすべての音が集まったやかましさをいう。

萬壑  無数の谷間。
 
其險也如此、嗟爾遠道之人胡為乎來哉。 
其の險や此くの若し、嗟【ああ】爾遠道の人胡為【なんすれ】ぞ來れるや。    

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  ああ。感嘆詞。

○爾  「汝」 の類語。

 どうして。疑問反語。原因を問いただす。「何」 の類語。

 

劍閣崢嶸而崔嵬。 
劍閣は崢嶸として崔嵬たり。

剣門山の閣道は、崢嶸で崔嵬として草木もなく高く険しすぎる。
剣閣 剣門山(蜀道の中の最も険岨な山。四川省東北部)の閣道(桟道)。現在の四川省剣閣県の東北の、大剣山・小剣山の間、約一五キロの山々に設置された。唐代にはここに剣門関が置かれていた。

崢嶸而崔嵬 - 高く険しいさま。・崢嶸 山など高く嶮しいさま。歳月の積み重なるさま。寒気の厳しいさま。 ・崔嵬 石や岩がごろごろしているさま。高くそばだって草木がない山。
蜀の山001 

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154-#3 《巻02-03 蜀道難 #3Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <154-#3> Ⅰ李白詩1352 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5308

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  蜀道難

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:        蜀道 (劍南道北部益州 成都)      

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰         

峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)  

青泥嶺 (山南西道 興州 長舉)      

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)      

 

 

蜀道難 #1

(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)

噫吁戲危乎高哉!蜀道之難難於上青天。

ああ、何と危うく、高いことか。蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。

蠶叢及魚鳧,開國何茫然。

蜀王の蚕叢、さらには魚鳧、かれらの開国の世に何と遠くたどり着くことができなくことか。
爾來四萬八千不與秦塞通人煙。

それ以来、はるかに四万八千年、長安地方とは、人家の煙も通じないままだった。
西當太白有鳥道,可以橫峨眉

西のかた太白山には、鳥しか通えないような高く険しい道があるが、どうして峨眉山のまでも、ずいと横切って進めることができよう。
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<!--[endif]-->

#2

地崩山摧壯士死,然後天梯石棧相鉤連。

その地は、食の君主が、五人の力士を遣わして、秦の五美女を迎えた時に、大地が崩れ、高山がくだけ、五人の壮士たちが圧死したという大事件がおこり、その後で、天の梯子のような山道や、岩壁に渡した桟道が、やっとつながるようになったので、これが即ち桟道である。
上有六龍回日之高標,下有衝波逆折之回川。

その桟道の険を詳しく言えば、上のほうに有るのは、六竜の引く太陽神の車も後戻りして、迂回するような、さらに高く突き出た峰、下のほうに有るのは、早瀬の波がぶつかりあう波頭が逆巻きつつ、蛇行して流れ去る激流の峡谷の川がある。
黃鶴之飛尚不得過,猿猱欲度愁攀援。

つまり、高い所は、天の高嶺で、低い所は、地底のようなところであるから、一飛び千里といわれる黄鶴の翼を以て飛ぼうとしても、越えてしまうのは、なお不可能だろう、猿が渡ろうとしても、よじのぼることさえできなくて考え込んでしまうだろう程のものであるから、人に逢ってはなお更難関ということなのだ。
青泥何盤盤,百步九折縈巖巒。

それに加えて、青泥の嶺の山道は、何と曲りくねって続くことか。百歩のうちに九度も折れ曲り、やがてその嶺頂の昇り、岩山をめぐって進むということだ。
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#3

捫參歷井仰脅息,以手撫膺坐長歎。

やがて嶺頂に上れば、秦蜀の分野となる参井の二星はすぐ近くにあって、参の星座を手でさぐり、井の星座を踏みしめるようにして、そこをすり抜けてゆく。そして疲れて、天を仰いで苦しい息をつき、挙句の果てに、わが手で胸をさすりつつ、腰をおろして長いため息をつくことになる。
問君西遊何時還?畏途巉巖不可攀。

蜀に行くことの困難はこの通りであり、一度西に向かう旅に出たなら、何時になったら還れるのかと君にたずねたところでどうしよもないというものだ。こんな恐ろしい旅路のゴツゴツとそびえる山岩高峻の道は、どうしてよじ登ることさえなどできないというものだ。
但見悲鳥號古木,雄飛雌從繞林間。

その間に見れば、悲しげな声を出して啼く鳥が、樹齢もすぐには分か来ほどの古木で鳴いている、雄が飛べば、雌が後を追って、餌を林冲にあさり、めぐってゆく。

又聞子規啼夜月,愁空山。

また聞けば、ホトトギスが一斉に夜半の月光に啼き、何にもない山中はたちまちに愁える景色ばかりになるのである。
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<!--[endif]-->

#4

蜀道之難難於上青天,使人聽此凋朱顏。

連峰去天不盈尺,枯松倒掛倚壁。

飛湍瀑流爭喧豗,崖轉石萬壑雷。

其險也如此,嗟爾遠道之人胡為乎來哉!劍閣崢嶸而崔嵬。

#5

一夫當關,萬夫莫開。

所守或匪親,化為狼與豺。

朝避猛虎,夕避長蛇。

磨牙吮血,殺人如麻。

錦城雖云樂,不如早還家。

蜀道之難難於上青天,側身西望長咨嗟。

 

(蜀道難) #1

噫吁戲【ああ】 危いか 高い哉、蜀道の難きは 青天に上るよりも難し。

蚕叢と魚鳧【ぎょふ】と、開國 何ぞ茫然たる。

爾來 四萬八千歳、秦塞と人煙を通ぜず。

西のかた太白に當りて鳥道有り、以て 峨眉の頂を橫絶すべし。

#2

地崩れ山摧けて壯士死す、然る后 天梯 石棧 相ひ鉤連す。

上には六龍回日の高標有り、下には沖波逆折の回川有り。

黄鶴の飛ぶこと 尚過ぐるを得ず、猿柔度らんと欲して攀縁を愁ふ。

青泥 何ぞ盤盤たる、百歩九折 岩巒を巡る。

#3

參を捫【さぐ】り井を歴て仰いで脅息し、手を以て膺【むね】を撫し 坐して長嘆す。

君に問ふ 西游して何れの時にか還ると、畏途の巉岩 攀づ可からず。

但だ見る 悲鳥古木に號ぶを、雄は飛び雌は從って 林間を繞る。

又聞く 子規夜月に啼いて、空山を愁ふるを。

#4

蜀道の難きは、青天に上るよりも難し、人をして此を聽いて朱顏を凋ばしむ。

連峰天を去ること尺に盈たず、枯松倒しまに挂【か】かって絶壁に倚る。

飛湍 瀑流 爭って喧豗【けんかい】たり、崖を撃ち石を轉じて萬壑雷【とどろ】く。

其の險や此くの若し、嗟【ああ】爾遠道の人胡為【なんすれ】ぞ來れるや。    

劍閣は崢嶸として崔嵬たり。

#5

一夫 關に當たれば、萬夫も開く莫し。

守る所 或は親に匪ざれば、化して 狼と豺と為る。

朝には 猛虎を避け、夕には 長蛇を避く。

牙を磨き 血を吮【す】い、人を殺すこと麻の如し。

錦城 樂しと云ふと雖も、早く家に還るに如かず。

蜀道の難きは。青天に上るよりも難し。

身を側てて西望し 長く咨嗟す。

 

蜀の山001
『蜀道難』 現代語訳と訳註解説

(本文)#3

捫參歷井仰脅息,以手撫膺坐長歎。

問君西遊何時還?畏途巉巖不可攀。

但見悲鳥號古木,雄飛雌從繞林間。

又聞子規啼夜月,愁空山。

 

(下し文)#3

參を捫【さぐ】り井を歴て仰いで脅息し、手を以て膺【むね】を撫し 坐して長嘆す。

君に問ふ 西游して何れの時にか還ると、畏途の巉岩 攀づ可からず。

但だ見る 悲鳥古木に號ぶを、雄は飛び雌は從って 林間を繞る。

又聞く 子規夜月に啼いて、空山を愁ふるを。

 

(現代語訳)

やがて嶺頂に上れば、秦蜀の分野となる参井の二星はすぐ近くにあって、参の星座を手でさぐり、井の星座を踏みしめるようにして、そこをすり抜けてゆく。そして疲れて、天を仰いで苦しい息をつき、挙句の果てに、わが手で胸をさすりつつ、腰をおろして長いため息をつくことになる。
蜀に行くことの困難はこの通りであり、一度西に向かう旅に出たなら、何時になったら還れるのかと君にたずねたところでどうしよもないというものだ。こんな恐ろしい旅路のゴツゴツとそびえる山岩高峻の道は、どうしてよじ登ることさえなどできないというものだ。
その間に見れば、悲しげな声を出して啼く鳥が、樹齢もすぐには分か来ほどの古木で鳴いている、雄が飛べば、雌が後を追って、餌を林冲にあさり、めぐってゆく。

また聞けば、ホトトギスが一斉に夜半の月光に啼き、何にもない山中はたちまちに愁える景色ばかりになるのである。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->李白図102
<!--[endif]-->

(訳注)

蜀道難 #3

(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)

蜀道難は楽府題相和歌瑟調三十八曲の一つ。銅梁玉塁の険を詠うもので、世道の危険、人心の険峨を謗るものである。李白の詩もこれに沿っている。これだけ険阻であるから、天子の意向が届きにくいため、天子に敵対することが多いのである

 

捫參歷井仰脅息。以手撫膺坐長嘆。
參を捫【さぐ】り井を歴て仰いで脅息し、手を以て膺【むね】を撫し 坐して長嘆す。

やがて嶺頂に上れば、秦蜀の分野となる参井の二星はすぐ近くにあって、参の星座を手でさぐり、井の星座を踏みしめるようにして、そこをすり抜けてゆく。そして疲れて、天を仰いで苦しい息をつき、挙句の果てに、わが手で胸をさすりつつ、腰をおろして長いため息をつくことになる。
椚参歴井  参の星座(蜀の上空)を椚で、井の星座(秦〔長安地方〕の上空)を歩みすぎる。山道が高いので、手や足が星座に届きそうだ、という表現。

脅息  (山が高く峻しく空気が薄いので)呼吸が苦しげなさま。また、緊張や悲しみで息がつけない時にも用いる。脅は収縮する、・させるの意。
 

問君西游何時還。畏途巉巌不可攀。
君に問ふ 西游して何れの時にか還ると、畏途の巉岩 攀づ可からず。

問君西遊何時還【問君西遊何當還】【征人西遊何時還】【征人西遊何當還】?畏途巉巖不可攀。

蜀に行くことの困難はこの通りであり、一度西に向かう旅に出たなら、何時になったら還れるのかと君にたずねたところでどうしよもないというものだ。こんな恐ろしい旅路のゴツゴツとそびえる山岩高峻の道は、どうしてよじ登ることさえなどできないというものだ。
畏途 人を畏れさせるような険しい途。

巉巌  ゴツゴツとそびえる山岩高峻のさま。
 
但見悲鳥號古木。雄飛雌從繞林間。 
但だ見る 悲鳥古木に號ぶを、雄は飛び雌は從って 林間を繞る。

但見悲鳥號古木【但見悲鳥號枯木】,雄飛雌從繞林間【雄飛呼雌繞林間】【雄飛從雌繞林間】。

その間に見れば、悲しげな声を出して啼く鳥が、樹齢もすぐには分か来ほどの古木で鳴いている、雄が飛べば、雌が後を追って、餌を林冲にあさり、めぐってゆく。

○雄飛雌從 雉子班の古辞に「雉子高飛止、黃鵠高飛已千里、雄來飛、從雌覛。」とあるに基づく。


又聞子規啼夜月。愁空山。 
又聞く 子規夜月に啼いて、空山を愁ふるを。

また聞けば、ホトトギスが一斉に夜半の月光に啼き、何にもない山中はたちまちに愁える景色ばかりになるのである。
子規 ホトトギス。「杜鵑鳥」ともかく。蜀の地方に多い。「望帝、道を究め、西山に處ってかくれ、化して杜鵑となる。」

参考

宣城見杜鵑花 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-244-350

河内詩二首其二(湖中) 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 127

杜鵑行 杜甫 成都(2)浣花渓の草堂(2 -16-2)  <379 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1835 杜甫詩1000-379-558/1500

石鏡 杜甫 <431  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2100 杜甫詩1000-431-614/1500

766年大暦元年55-2-3 《杜鵑 -#3》 杜甫index-15 杜甫<865ー#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5100
nat0002 

154-#2 《巻02-03 蜀道難 #2》(改訂) Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <154-#2> Ⅰ李白詩1351 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5303

李白《巻02-03 蜀道難 #2(改訂)その地は、食の君主が、五人の力士を遣わして、秦の五美女を迎えた時に、大地が崩れ、高山がくだけ、五人の壮士たちが圧死したという大事件がおこり、その後で、天の梯子のような山道や、岩壁に渡した桟道が、やっとつながるようになったので、これが即ち桟道である。

 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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年:731年開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  蜀道難

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:        蜀道 (劍南道北部益州 成都)      

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰         

峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)  

青泥嶺 (山南西道 興州 長舉)      

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)      

 

 

蜀道難 #1

(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)

噫吁戲危乎高哉!蜀道之難難於上青天。

ああ、何と危うく、高いことか。蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。

蠶叢及魚鳧,開國何茫然。

蜀王の蚕叢、さらには魚鳧、かれらの開国の世に何と遠くたどり着くことができなくことか。
爾來四萬八千不與秦塞通人煙。

それ以来、はるかに四万八千年、長安地方とは、人家の煙も通じないままだった。
西當太白有鳥道,可以橫峨眉

西のかた太白山には、鳥しか通えないような高く険しい道があるが、どうして峨眉山のまでも、ずいと横切って進めることができよう。
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#2

地崩山摧壯士死,然後天梯石棧相鉤連。

その地は、食の君主が、五人の力士を遣わして、秦の五美女を迎えた時に、大地が崩れ、高山がくだけ、五人の壮士たちが圧死したという大事件がおこり、その後で、天の梯子のような山道や、岩壁に渡した桟道が、やっとつながるようになったので、これが即ち桟道である。
上有六龍回日之高標,下有衝波逆折之回川。

その桟道の険を詳しく言えば、上のほうに有るのは、六竜の引く太陽神の車も後戻りして、迂回するような、さらに高く突き出た峰、下のほうに有るのは、早瀬の波がぶつかりあう波頭が逆巻きつつ、蛇行して流れ去る激流の峡谷の川がある。
黃鶴之飛尚不得過,猿猱欲度愁攀援。

つまり、高い所は、天の高嶺で、低い所は、地底のようなところであるから、一飛び千里といわれる黄鶴の翼を以て飛ぼうとしても、越えてしまうのは、なお不可能だろう、猿が渡ろうとしても、よじのぼることさえできなくて考え込んでしまうだろう程のものであるから、人に逢ってはなお更難関ということなのだ。
青泥何盤盤,百步九折縈巖巒。

それに加えて、青泥の嶺の山道は、何と曲りくねって続くことか。百歩のうちに九度も折れ曲り、やがてその嶺頂の昇り、岩山をめぐって進むということだ。
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#3

捫參歷井仰脅息,以手撫膺坐長歎。

問君西遊何時還?畏途巉巖不可攀。

但見悲鳥號古木,雄飛雌從繞林間。

又聞子規啼夜月,愁空山。

#4

蜀道之難難於上青天,使人聽此凋朱顏。

連峰去天不盈尺,枯松倒掛倚壁。

飛湍瀑流爭喧豗,崖轉石萬壑雷。

其險也如此,嗟爾遠道之人胡為乎來哉!劍閣崢嶸而崔嵬。

#5

一夫當關,萬夫莫開。

所守或匪親,化為狼與豺。

朝避猛虎,夕避長蛇。

磨牙吮血,殺人如麻。

錦城雖云樂,不如早還家。

蜀道之難難於上青天,側身西望長咨嗟。

 

(蜀道難) #1

噫吁戲【ああ】 危いか 高い哉、蜀道の難きは 青天に上るよりも難し。

蚕叢と魚鳧【ぎょふ】と、開國 何ぞ茫然たる。

爾來 四萬八千歳、秦塞と人煙を通ぜず。

西のかた太白に當りて鳥道有り、以て 峨眉の頂を橫絶すべし。

#2

地崩れ山摧けて壯士死す、然る后 天梯 石棧 相ひ鉤連す。

上には六龍回日の高標有り、下には沖波逆折の回川有り。

黄鶴の飛ぶこと 尚過ぐるを得ず、猿柔度らんと欲して攀縁を愁ふ。

青泥 何ぞ盤盤たる、百歩九折 岩巒を巡る。

#3

參を捫【さぐ】り井を歴て仰いで脅息し、手を以て膺【むね】を撫し 坐して長嘆す。

君に問ふ 西游して何れの時にか還ると、畏途の巉岩 攀づ可からず。

但だ見る 悲鳥古木に號ぶを、雄は飛び雌は從って 林間を繞る。

又聞く 子規夜月に啼いて、空山を愁ふるを。

#4

蜀道の難きは、青天に上るよりも難し、人をして此を聽いて朱顏を凋ばしむ。

連峰天を去ること尺に盈たず、枯松倒しまに挂【か】かって絶壁に倚る。

飛湍 瀑流 爭って喧豗【けんかい】たり、崖を撃ち石を轉じて萬壑雷【とどろ】く。

其の險や此くの若し、嗟【ああ】爾遠道の人胡為【なんすれ】ぞ來れるや。    

劍閣は崢嶸として崔嵬たり。

#5

一夫 關に當たれば、萬夫も開く莫し。

守る所 或は親に匪ざれば、化して 狼と豺と為る。

朝には 猛虎を避け、夕には 長蛇を避く。

牙を磨き 血を吮【す】い、人を殺すこと麻の如し。

錦城 樂しと云ふと雖も、早く家に還るに如かず。

蜀道の難きは。青天に上るよりも難し。

身を側てて西望し 長く咨嗟す。

 

李白図102
『蜀道難』 現代語訳と訳註解説

(本文)
#2

地崩山摧壯士死,然後天梯石棧相鉤連。

上有六龍回日之高標,下有衝波逆折之回川。

黃鶴之飛尚不得過,猿猱欲度愁攀援。

青泥何盤盤,百步九折縈巖巒。 

 

(下し文) #2

地崩れ山摧けて壯士死す、然る后 天梯 石棧 相ひ鉤連す。

上には六龍回日の高標有り、下には沖波逆折の回川有り。

黄鶴の飛ぶこと 尚過ぐるを得ず、猿柔度らんと欲して攀縁を愁ふ。

青泥 何ぞ盤盤たる、百歩九折 岩巒を巡(めぐ)る。

 

 

(現代語訳)

その地は、食の君主が、五人の力士を遣わして、秦の五美女を迎えた時に、大地が崩れ、高山がくだけ、五人の壮士たちが圧死したという大事件がおこり、その後で、天の梯子のような山道や、岩壁に渡した桟道が、やっとつながるようになったので、これが即ち桟道である。
その桟道の険を詳しく言えば、上のほうに有るのは、六竜の引く太陽神の車も後戻りして、迂回するような、さらに高く突き出た峰、下のほうに有るのは、早瀬の波がぶつかりあう波頭が逆巻きつつ、蛇行して流れ去る激流の峡谷の川がある。
つまり、高い所は、天の高嶺で、低い所は、地底のようなところであるから、一飛び千里といわれる黄鶴の翼を以て飛ぼうとしても、越えてしまうのは、なお不可能だろう、猿が渡ろうとしても、よじのぼることさえできなくて考え込んでしまうだろう程のものであるから、人に逢ってはなお更難関ということなのだ。

それに加えて、青泥の嶺の山道は、何と曲りくねって続くことか。百歩のうちに九度も折れ曲り、やがてその嶺頂の昇り、岩山をめぐって進むということだ。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->杜甫 体系 地図459同谷紀行
<!--[endif]-->

(訳注)

蜀道難 #2

(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)

蜀道難は楽府題相和歌瑟調三十八曲の一つ。銅梁玉塁の険を詠うもので、世道の危険、人心の険峨を謗るものである。李白の詩もこれに沿っている。これだけ険阻であるから、天子の意向が届きにくいため、てんしにてきたいすることがおおいのである

 

地崩山摧壯士死。 然后天梯石棧相鉤連。
地崩れ山摧けて壯士死す、然る后 天梯 石棧 相ひ鉤連す。

その地は、食の君主が、五人の力士を遣わして、秦の五美女を迎えた時に、大地が崩れ、高山がくだけ、五人の壮士たちが圧死したという大事件がおこり、その後で、天の梯子のような山道や、岩壁に渡した桟道が、やっとつながるようになったので、これが即ち桟道である。
地崩山擢壮士死   『華陽国志』(巻三「蜀志」)の伝説を詠ったもの。秦の恵王は、蜀王が好色なのを知って五人の美女を送った。蜀は五人の壮丁(壮士)を遣わして美女を迎えた。梓潼(剣門関の南西約80km)まで戻ってきたとき、大蛇が洞穴に入るのを見かけた。一人がその尾を引っぱったが動かず、五人で掛け声をかけて引っはると、山が崩れ、五人の壮士、五人の美女、お供のものたちも、みな圧死し、山も五つの嶺に分かれた(要旨)。《華陽国志 巻三 蜀志》 「惠王知蜀王好色,許嫁五女於蜀。蜀遣五丁迎之。還到梓潼,見一大蛇。入穴中。一人攬其尾,掣之,不禁。至五人相助,大呼蛇。山崩,〔同〕。時壓殺五人及秦五女,并將從;而山分為五嶺。直。頂上有平石。蜀王痛傷,乃登之。因命曰五婦冢山。川平石上為望婦堠。作思妻臺。今其山,或名五丁冢。

天梯 天までとどく梯子のような階段。高く険しい山道に喩える。

石桟 岩壁に刻みを作り木材を差し込みそれに板材を張っていく桟橋上のものをいう。

鉤連 (鉤で引っかけるように)つながる、つなげる。

 

上有六龍回日之高標。下有沖波逆折之囘川。 
上には六龍回日の高標有り、下には沖波逆折の回川有り。

その桟道の険を詳しく言えば、上のほうに有るのは、六竜の引く太陽神の車も後戻りして、迂回するような、さらに高く突き出た峰、下のほうに有るのは、早瀬の波がぶつかりあう波頭が逆巻きつつ、蛇行して流れ去る激流の峡谷の川がある。
○六龍回日之高標 義和が六龍を馭し、日車を馳せてくると蜀道の高山の絶頂にさえぎられて全甫に進むことが出来ず、そこで、別路を採り、蜀道の高い山を¥に触れぬようにして西の方に行くという意味である。・六竜 太陽神の乗る、六頭立ての竜の引く車。義和という御者がそれを御して大空を東から西にめぐる、という神話に基づく。(『初学記』巻一所引の『准南子』「天文訓」など)。・回日之高標 太陽神の龍車が迂回しなければならないような高い山の峰。蜀都賦:「羲和假道於峻歧,陽鳥迴翼乎高標。」


黃鶴之飛尚不得過。 猿猱欲度愁攀緣。
黄鶴の飛ぶこと 尚過ぐるを得ず、猿柔度らんと欲して攀縁を愁ふ。

つまり、高い所は、天の高嶺で、低い所は、地底のようなところであるから、一飛び千里といわれる黄鶴の翼を以て飛ぼうとしても、越えてしまうのは、なお不可能だろう、猿が渡ろうとしても、よじのぼることさえできなくて考え込んでしまうだろう程のものであるから、人に逢ってはなお更難関ということなのだ。
猿猱 手の長めのサルの類。

○攀緣 よじのぼる。


青泥何盤盤。  百步九折縈巌巒。
青泥 何ぞ盤盤たる、百歩九折 岩巒を巡(めぐ)る。

それに加えて、青泥の嶺の山道は、何と曲りくねって続くことか。百歩のうちに九度も折れ曲り、やがてその嶺頂の昇り、岩山をめぐって進むということだ。
青泥 蜀道の途中の険しい嶺の名。雨や霧が多く、旅人が泥土に苦しむので、この名がある。現在の甘粛省南部の徽県と陳西省北部の略陽県の中間。杜甫の成都紀行にもこのあたりのことを詠うものがある。

盤盤  (山道が)重なりめぐるさま。

巌巒  岩山や尾根。

154 《巻02-03 蜀道難》(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <154> Ⅰ李白詩1350 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5298

李白《巻02-03 蜀道難》(改訂)(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)ああ、何と危うく、高いことか。蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。

 

 
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154 《巻02-03 蜀道難》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <154> Ⅰ李白詩1350 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5298

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  蜀道難

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:        蜀道 (劍南道北部益州 成都)      

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰         

峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)  

青泥嶺 (山南西道 興州 長舉)      

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)      

 

 

蜀道難 #1

(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)

噫吁戲危乎高哉!蜀道之難難於上青天。

ああ、何と危うく、高いことか。蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。

蠶叢及魚鳧,開國何茫然。

蜀王の蚕叢、さらには魚鳧、かれらの開国の世に何と遠くたどり着くことができなくことか。
爾來四萬八千不與秦塞通人煙。

それ以来、はるかに四万八千年、長安地方とは、人家の煙も通じないままだった。
西當太白有鳥道,可以橫峨眉

西のかた太白山には、鳥しか通えないような高く険しい道があるが、どうして峨眉山のまでも、ずいと横切って進めることができよう。
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#2

地崩山摧壯士死,然後天梯石棧相鉤連。

上有六龍回日之高標,下有衝波逆折之回川。

黃鶴之飛尚不得過,猿猱欲度愁攀援。

青泥何盤盤,百步九折縈巖巒。

#3

捫參歷井仰脅息,以手撫膺坐長歎。

問君西遊何時還?畏途巉巖不可攀。

但見悲鳥號古木,雄飛雌從繞林間。

又聞子規啼夜月,愁空山。

#4

蜀道之難難於上青天,使人聽此凋朱顏。

連峰去天不盈尺,枯松倒掛倚壁。

飛湍瀑流爭喧豗,崖轉石萬壑雷。

其險也如此,嗟爾遠道之人胡為乎來哉!劍閣崢嶸而崔嵬。

#5

一夫當關,萬夫莫開。

所守或匪親,化為狼與豺。

朝避猛虎,夕避長蛇。

磨牙吮血,殺人如麻。

錦城雖云樂,不如早還家。

蜀道之難難於上青天,側身西望長咨嗟。

 

(蜀道難) #1

噫吁戲【ああ】 危いか 高い哉、蜀道の難きは 青天に上るよりも難し。

蚕叢と魚鳧【ぎょふ】と、開國 何ぞ茫然たる。

爾來 四萬八千歳、秦塞と人煙を通ぜず。

西のかた太白に當りて鳥道有り、以て 峨眉の頂を橫絶すべし。

#2

地崩れ山摧けて壯士死す、然る后 天梯 石棧 相ひ鉤連す。

上には六龍回日の高標有り、下には沖波逆折の回川有り。

黄鶴の飛ぶこと 尚過ぐるを得ず、猿柔度らんと欲して攀縁を愁ふ。

青泥 何ぞ盤盤たる、百歩九折 岩巒を巡る。

#3

參を捫【さぐ】り井を歴て仰いで脅息し、手を以て膺【むね】を撫し 坐して長嘆す。

君に問ふ 西游して何れの時にか還ると、畏途の巉岩 攀づ可からず。

但だ見る 悲鳥古木に號ぶを、雄は飛び雌は從って 林間を繞る。

又聞く 子規夜月に啼いて、空山を愁ふるを。

#4

蜀道の難きは、青天に上るよりも難し、人をして此を聽いて朱顏を凋ばしむ。

連峰天を去ること尺に盈たず、枯松倒しまに挂【か】かって絶壁に倚る。

飛湍 瀑流 爭って喧豗【けんかい】たり、崖を撃ち石を轉じて萬壑雷【とどろ】く。

其の險や此くの若し、嗟【ああ】爾遠道の人胡為【なんすれ】ぞ來れるや。    

劍閣は崢嶸として崔嵬たり。

#5

一夫 關に當たれば、萬夫も開く莫し。

守る所 或は親に匪ざれば、化して 狼と豺と為る。

朝には 猛虎を避け、夕には 長蛇を避く。

牙を磨き 血を吮【す】い、人を殺すこと麻の如し。

錦城 樂しと云ふと雖も、早く家に還るに如かず。

蜀道の難きは。青天に上るよりも難し。

身を側てて西望し 長く咨嗟す。

扶風雍州長安003 

 

『蜀道難』 現代語訳と訳註解説

(本文)

蜀道難 #1

噫吁戲危乎高哉!蜀道之難難於上青天。

蠶叢及魚鳧,開國何茫然。

爾來四萬八千不與秦塞通人煙。

西當太白有鳥道,可以橫峨眉

 

(下し文)

(蜀道難) #1

噫吁戲【ああ】 危いか 高い哉、蜀道の難きは 青天に上るよりも難し。

蚕叢と魚鳧【ぎょふ】と、開國 何ぞ茫然たる。

爾來 四萬八千歳、秦塞と人煙を通ぜず。

西のかた太白に當りて鳥道有り、以て 峨眉の頂を橫絶すべし。

 

(現代語訳)

(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)

ああ、何と危うく、高いことか。蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。

蜀王の蚕叢、さらには魚鳧、かれらの開国の世に何と遠くたどり着くことができなくことか。
それ以来、はるかに四万八千年、長安地方とは、人家の煙も通じないままだった。
西のかた太白山には、鳥しか通えないような高く険しい道があるが、どうして峨眉山のまでも、ずいと横切って進めることができよう。
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終南山06 

(訳注)

蜀道難

(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)

蜀道難は楽府題相和歌瑟調三十八曲の一つ。銅梁玉塁の険を詠うもので、世道の危険、人心の険峨を謗るものである。李白の詩もこれに沿っている。これだけ険阻であるから、天子の意向が届きにくいため、てんしにてきたいすることがおおいのである

 

噫吁戲危乎高哉。蜀道之難、難于上青天。 

ああ、何と危うく、高いことか。蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。

噫吁戲 古代蜀の驚畏する語。普通の,嗚呼と同じ。


蠶叢及魚鳧。 開國何茫然。 
蜀王の蚕叢、さらには魚鳧、かれらの開国の世に何と遠くたどり着くことができなくことか。
噫吁戲  感嘆詞「ああ」「おお」などに相当する。蜀地方の方言とされる。○蠶叢及魚鳧  伝説中の、古代のどう蜀国における二人の君主の名。

○茫然-ぼんやり広がって見定めがたいさま。
 
爾來四萬八千。 不與秦塞通人煙。 
それ以来、はるかに四万八千年、長安地方とは、人家の煙も通じないままだった。
爾来 それ以来。〇四万八千歳 揚雄の『蜀王本紀』(『文選』巻四「三都賦」への西晋の劉達住所引)に、「どう蜀王の先、蚕叢・柏蓬・魚長・蒲沢∴開明と名づく。……開明従り上りて蚕叢に到るまで、三万四千歳を積む」とある。

秦塞 長安地方の塞。ここでは広く長安地方のまちや村をいう。


西當太白有鳥道。 可以橫峨眉 
西のかた太白山には、鳥しか通えないような高く険しい道があるが、どうして峨眉山のまでも、ずいと横切って進めることができよう。
○太白 長安の西方約100kmの山(3767m)。秦嶺山脈の主峰の一つ。

○鳥道 鳥だけが通れるような険岨な山道。

○何以 どのようにして。

○峨眉 成都の西南西約220kmにある山(3098m)でここから西、北西に至るまで6000m級の山が連なっている。その連峰の中で蜀を象徴する名山として、ここに引いたもの。長安から蜀に入り際に蜀を包み込むように見えることから述べているのであり、進んで行く山道とは、関連しない。

153 《巻23-29 感遇,四首之二》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <153> Ⅰ李白詩1338 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5238

李白《巻23-29 感遇,四首之二》その時に感じ、思ったこと、その二(陶潜の愛した菊花は本来、香りもよく菊酒にして楽しめるものである、しかし、このまま枯れ果てるのか、それ本来の力を発揮できるときに、登用されない自分も同じように枯れ果てるというのだろうかと詠う)

 

 
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153 《巻23-29 感遇,四首之二》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <153> Ⅰ李白詩1338 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5238

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    感遇,四首之二

 

 

*750年天寶九年50

感遇,四首之一

吾愛王子晉,得道伊洛濱。

金骨既不毀,玉顏長自春。

可憐浮丘公,猗靡與情親。

舉首白日間,分明謝時人。

二仙去已遠,夢想空殷勤。

 

*730年開元十八年30

感遇,四首之二

その時に感じ、思ったこと、その二(陶潜の愛した菊花は本来、香りもよく菊酒にして楽しめるものである、しかし、このまま枯れ果てるのか、それ本来の力を発揮できるときに、登用されない自分も同じように枯れ果てるというのだろうかと詠う)

可歎東籬菊,莖疏葉且微。

東籬に菊の花が咲き並んでいるが茎もまばらで、葉も少ししかなく、随分痩せ衰えている。

雖言異蘭蕙,亦自有芳菲。

蘭蕙とは異なっているとはいうものの、また、そんな花からでも芳香があってきわめて愛すべきものなのだ。

未泛盈樽酒,徒霑清露輝。

ただ今、樽一杯の酒などないのでその菊花を浮かべることなどできないし、いたずらに清らかに輝ける白露に沾うだけで、寂しい限りだ。

當榮君不採,飄落欲何依。

この花の盛りの時にとらなければ陶潜と同じ東籬なのに「飲酒」の詩も歌えず、このまま飄落してしまうので、どうしようもなく、何を頼りにしたらよいのだろうか。

 

(感遇,四首之二)

歎す可し 東籬の菊,莖は疏にして葉 且らく微なり。

蘭蕙に異なりと言うと雖も,亦た自ら芳菲有り。

未だ 盈樽の酒を泛べず,徒らに清露の輝に霑う。

榮に當って君は採らずと,飄落 何れにか依らんと欲す。

 

*743年天寶二年43

感遇,四首之三

昔余聞姮娥,竊藥駐雲髮。

不自嬌玉顏,方希鍊金骨。

飛去身莫返,含笑坐明月。

紫宮誇蛾眉,隨手會凋歇。

 

*743年天寶二年43

感遇,四首之四

宋玉事楚王,立身本高潔。

巫山賦綵雲,郢路歌白雪。

舉國莫能和,巴人皆卷舌。

一感登徒言,恩情遂中

 

晩菊001 

『感遇,四首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文)

感遇,四首之二

可歎東籬菊,莖疏葉且微。

雖言異蘭蕙,亦自有芳菲。

未泛盈樽酒,徒霑清露輝。

當榮君不採,飄落欲何依。

 

(下し文)

(感遇,四首之二)

歎す可し 東籬の菊,莖は疏にして葉 且らく微なり。

蘭蕙に異なりと言うと雖も,亦た自ら芳菲有り。

未だ 盈樽の酒を泛べず,徒らに清露の輝に霑う。

榮に當って君は採らずと,飄落 何れにか依らんと欲す。
 

(現代語訳)

その時に感じ、思ったこと、その二(陶潜の愛した菊花は本来、香りもよく菊酒にして楽しめるものである、しかし、このまま枯れ果てるのか、それ本来の力を発揮できるときに、登用されない自分も同じように枯れ果てるというのだろうかと詠う)

東籬に菊の花が咲き並んでいるが茎もまばらで、葉も少ししかなく、随分痩せ衰えている。

蘭蕙とは異なっているとはいうものの、また、そんな花からでも芳香があってきわめて愛すべきものなのだ。

ただ今、樽一杯の酒などないのでその菊花を浮かべることなどできないし、いたずらに清らかに輝ける白露に沾うだけで、寂しい限りだ。

この花の盛りの時にとらなければ陶潜と同じ東籬なのに「飲酒」の詩も歌えず、このまま飄落してしまうので、どうしようもなく、何を頼りにしたらよいのだろうか。

李白図102 

 

(訳注)

感遇,四首之二

その時に感じ、思ったこと、その二(陶潜の愛した菊花は本来、香りもよく菊酒にして楽しめるものである、しかし、このまま枯れ果てるのか、それ本来の力を発揮できるときに、登用されない自分も同じように枯れ果てるというのだろうかと詠う)

 

可歎東籬菊,莖疏葉且微。

東籬に菊の花が咲き並んでいるが茎もまばらで、葉も少ししかなく、随分痩せ衰えている。

東籬菊 陶潜《飲酒》其五「採菊東籬下,悠然見南山。」をおもいうかべる。

 

雖言異蘭蕙,亦自有芳菲。

蘭蕙とは異なっているとはいうものの、また、そんな花からでも芳香があってきわめて愛すべきものなのだ。

 

未泛盈樽酒,徒霑清露輝。

ただ今、樽一杯の酒などないのでその菊花を浮かべることなどできないし、いたずらに清らかに輝ける白露に沾うだけで、寂しい限りだ。

未泛 菊酒が出来ない。

 

當榮君不採,飄落欲何依。

この花の盛りの時にとらなければ陶潜と同じ東籬なのに「飲酒」の詩も歌えず、このまま飄落してしまうので、どうしようもなく、何を頼りにしたらよいのだろうか。

當榮 菊の花の盛んになる時にあたってという意味。

君不採 陶潜《飲酒》其五「採菊東籬下,悠然見南山。」

《飲酒》

結廬在人境,而無車馬喧。

問君何能爾?心遠地自偏。

採菊東籬下,悠然見南山。

山氣日夕佳,飛鳥相與還。

此中有真意,欲辯已忘言。

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Index-

10

Ⅱ― 5-730年開元十八年30

19

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

135

80

1

古風,五十九首之三十八

孤蘭生幽園,

巻一

136

81

2

長相思

長相思,

巻五

137

82

3

秦女卷衣

天子居未央,

巻四

138

83

4

鳳凰曲

嬴女吹玉簫,

巻五

139

84

5

鳳臺曲

嘗聞秦帝女,

巻五

140

85

6

邠歌行上新平長史兄粲

邠谷稍稍振庭柯,

巻六

141

86

7

玉真仙人詞

玉真之仙人,

巻七

142

87

8

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

秋坐金張館,

巻八

143

88

9

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二

苦雨思白日,

巻八

144

89

10

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

漢道昔云季,

巻八

145

90

11

贈裴十四

朝見裴叔則,

巻八

146

91

12

贈新平少年

韓信在淮陰,

巻八

147

92

13

秋山寄衛尉張卿及王徵君

何以折相贈,

巻十二

148

93

14

夜別張五

吾多張公子,

巻十四

149

94

15

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

河伯見海若,

巻十八

150

95

16

登太白峯 

西上太白峰,

巻二十

151

96

17

登新平樓

去國登茲樓,

巻二十

152

97

18

擬古,十二首之二

高樓入青天,

巻二十三

153

98

19

感遇,四首之二

可歎東籬菊,

巻二十三

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    擬古,十二首之二

 

 

 

擬古,十二首之二

(美人は賢者に比較して、不遇であり、孤寂の感に堪えない情致を述べたもので、李白自身を不遇としている。)

高樓入青天,下有白玉堂。

ここの高楼は髙く、青空に届くほどである、その下には、白玉で表座敷を飾ってある。

明月看欲墮,當窗懸清光。

今日は中秋の明月であったがもう西のかたに落ちようとしているが、月は表座敷の窓にあたって、清光を懸けている。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。

秋の夜長を華やかにしてくれた一人の美人は、うすい衣をつけていて、そのころもには夜露に濡れて素肌が透き通って見える。

含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

感情を持って弾いてくれることは素晴らしく、今度は、古曲の「百上桑」の曲を爪弾き始めた。

 

弦聲何激烈,風捲繞飛梁。

行人皆躑躅,棲鳥起迴翔。

但寫妾意苦,莫辭此曲傷。

願逢同心者,飛作紫鴛鴦。

 

(擬古,十二首之二)

高樓 青天に入り,下に白玉の堂に有り。

明月 看て墮ちんと欲す,窗に當って清光を懸く。

遙夜 一美人,羅衣 秋霜に霑う。

情を含んで柔瑟を弄し,彈じて陌上桑を作す。

 

弦聲 何ぞ激烈なる,風捲いて 飛梁を繞る。

行人 皆 躑躅,棲鳥 起きて迴翔す。

但だ妾が意の苦なるを寫し,此の曲の傷むを辭する莫れ。

願わくば同心の者に逢い,飛んで紫鴛鴦と作らん。

 

 

『擬古,十二首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文) 23-05 -#1

擬古,十二首之二

高樓入青天,下有白玉堂。

明月看欲墮,當窗懸清光。

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。

含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

 

(下し文)

(擬古,十二首之二)

高樓 青天に入り,下に白玉の堂に有り。

明月 看て墮ちんと欲す,窗に當って清光を懸く。

遙夜 一美人,羅衣 秋霜に霑う。

情を含んで柔瑟を弄し,彈じて陌上桑を作す。

 

(現代語訳)

(美人は賢者に比較して、不遇であり、孤寂の感に堪えない情致を述べたもので、李白自身を不遇としている。)

ここの高楼は髙く、青空に届くほどである、その下には、白玉で表座敷を飾ってある。

今日は中秋の明月であったがもう西のかたに落ちようとしているが、月は表座敷の窓にあたって、清光を懸けている。

秋の夜長を華やかにしてくれた一人の美人は、うすい衣をつけていて、そのころもには夜露に濡れて素肌が透き通って見える。

感情を持って弾いてくれることは素晴らしく、今度は、古曲の「百上桑」の曲を爪弾き始めた。

 

 

(訳注)

(巻23-05擬古,十二首之二

(美人は賢者に比較して、不遇であり、孤寂の感に堪えない情致を述べたもので、李白自身を不遇としている。)

 

高樓入青天,下有白玉堂。

ここの高楼は髙く、青空に届くほどである、その下には、白玉で表座敷を飾ってある。

白玉堂 貴族の豪華な邸宅、飲酒歌舞の華やかな生活をいう。《古樂府六首其二》「黄金爲君門,白玉爲君堂」君の家は黄金で門を作り、白玉で表座敷を飾ってある。

《古樂府六首其二,淸調曲.相逢行》。:「相逢狭路間,道隘不容車。不知何年少,挾轂問君家。君家誠易知,易知復難忘。黄金爲君門,白玉爲君堂;堂上置尊酒,使作邯鄲倡。中庭生桂樹,華燈何煌煌。兄弟兩三人,中子爲侍郞。五日一來歸,道上自生光。黃金絡馬頭,觀者盈道傍。入門時左顧,但見雙駑鴦。鴛鴦七十二,羅列自成行。音聲何,鶴鳴東西廂。大婦織綺羅,中婦織流黃。小婦無所為, 挾琴上高堂。 丈夫且徐徐, 調絃 未央。

 

明月看欲墮,當窗懸清光。

今日は中秋の明月であったがもう西のかたに落ちようとしているが、月は表座敷のの窓にあたって、清光を懸けている。

 

遙夜一美人,羅衣霑秋霜。

秋の夜長を華やかにしてくれた一人の美人は、うすい衣をつけていて、そのころもには夜露に濡れて素肌が透き通って見える。

 

含情弄柔瑟,彈作陌上桑。

感情を持って弾いてくれることは素晴らしく、今度は、古曲の「百上桑」の曲を爪弾き始めた。

陌上桑

漢の無名氏《陌上桑》 がある。

#1

日出東南隅,照我秦氏樓。秦氏有好女,自名為羅敷。

羅敷喜蠶桑,採桑城南隅。青絲為籠係,桂枝為籠鉤。

頭上倭墮髻,耳中明月珠。

#2

緗綺為下裙,紫綺為上襦。行者見羅敷,下擔捋髭須。

少年見羅敷,帽著頭。耕者忘其犁,鋤者忘其鋤。

來歸相怨怒,但坐觀羅敷。

#3

使君從南來,五馬立踟躕。使君遣吏往,問是誰家姝。

“秦氏有好女,自名為羅敷。”

“羅敷年幾何?”

“二十尚不足,十五頗有餘。”

“使君謝羅敷,寧可共載不?”

#4

羅敷前置辭:“使君一何愚!使君自有婦,羅敷自有夫。”

“東方千餘騎,夫婿居上頭。何用識夫婿?白馬從驪駒;

青絲係馬尾,黃金絡馬頭;

#5

腰中鹿盧劍,可直千萬餘。十五府小吏,二十朝大夫,

三十侍中郎,四十專城居。為人潔白晰,鬑鬑頗有須。

盈盈公府步,冉冉府中趨。坐中數千人,皆言夫婿殊。”

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151 《卷20-11 登新平樓》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <151> Ⅰ李白詩1347 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5283

李白《卷20-11 登新平樓》見渡す限り、蒼蒼であってそれが幾万里の先まで続く、この荒涼はてしない景色を見ていて、誰をも愁いの淵に陥れてしまうのである。

 

 
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151 《卷20-11 登新平樓》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <151> Ⅰ李白詩1347 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5283

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一八○               文體:              五言律詩

詩題:    登新平樓

作地點:              新平(京畿道 / 邠州 / 新平)

 

 

登新平樓

(新平の城楼に登って詠う。)

去國登茲樓,懷歸傷暮秋。

故郷の国を去ってここの城郭の高楼に登ってみると、故郷に帰りたい気持ちが浮かんでくるが、悲愁の秋も暮れようとするときだから傷心にならざるをえないのだ。

天長落日遠,水淨寒波流。

天は長く晴れ渡り、夕日は遠く落ちてゆく、涇水の水は清くして、西風が寒波を運んでくる。

秦雲起嶺樹,胡雁飛沙洲。

秦地の雲は、山脈の樹木のあいだからおこってきて、胡の空から飛んできた雁が中州の砂浜の間を飛んでいる。

蒼蒼幾萬里,目極令人愁。

見渡す限り、蒼蒼であってそれが幾万里の先まで続く、この荒涼はてしない景色を見ていて、誰をも愁いの淵に陥れてしまうのである。

 

(新平の樓に登る)

國を去って茲の樓に登り,歸るを懷うて暮秋を傷む。

天は長くして落日遠く,水は淨くして寒波流る。

秦雲 嶺樹に起り,胡雁 沙洲に飛ぶ。

蒼蒼として 幾萬里あり,目 極まって 人をして愁えしむ。

扶風雍州長安003 

 

『登新平樓』 現代語訳と訳註解説

(本文)

登新平樓

去國登茲樓,懷歸傷暮秋。

天長落日遠,水淨寒波流。

秦雲起嶺樹,胡雁飛沙洲。

蒼蒼幾萬里,目極令人愁。

 

(下し文)

(新平の樓に登る)

國を去って茲の樓に登り,歸るを懷うて暮秋を傷む。

天は長くして落日遠く,水は淨くして寒波流る。

秦雲 嶺樹に起り,胡雁 沙洲に飛ぶ。

蒼蒼として 幾萬里あり,目 極まって 人をして愁えしむ。

 

(現代語訳)

(新平の城楼に登って詠う。)

故郷の国を去ってここの城郭の高楼に登ってみると、故郷に帰りたい気持ちが浮かんでくるが、悲愁の秋も暮れようとするときだから傷心にならざるをえないのだ。

天は長く晴れ渡り、夕日は遠く落ちてゆく、涇水の水は清くして、西風が寒波を運んでくる。

秦地の雲は、山脈の樹木のあいだからおこってきて、胡の空から飛んできた雁が中州の砂浜の間を飛んでいる。

見渡す限り、蒼蒼であってそれが幾万里の先まで続く、この荒涼はてしない景色を見ていて、誰をも愁いの淵に陥れてしまうのである。

 

杜甫乱前後の図003鳳翔 

(訳注)

登新平樓

(新平の城楼に登って詠う。)

新平(邠() 周の先祖公劉が初めて都としたところ。邠州は、いにしえの豳国、西魏、豳州を置き、後周、隋の時も個の名称であった。唐開元十三年、邠州とし、天寶三載、新平郡とした。

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去國登茲樓,懷歸傷暮秋。

故郷の国を去ってここの城郭の高楼に登ってみると、故郷に帰りたい気持ちが浮かんでくるが、悲愁の秋も暮れようとするときだから傷心にならざるをえないのだ。

 

天長落日遠,水淨寒波流。

天は長く晴れ渡り、夕日は遠く落ちてゆく、涇水の水は清くして、西風が寒波を運んでくる。

水淨 晴天続きで涇水の水が清い流れである。

寒波流 晩秋の西からの寒波が押し寄せる。

 

秦雲起嶺樹,胡雁飛沙洲。

秦地の雲は、山脈の樹木のあいだからおこってきて、胡の空から飛んできた雁が中州の砂浜の間を飛んでいる。

秦雲起嶺樹 南の長安の街を見守ってきた秦嶺山脈の木々の間から湧き立つ雲。古代、雲は木々の谷間の岩場の洞窟から湧き立つと考えられていた。

胡雁飛沙洲 涇水は北西から長安方向へ流れ渭水に合流する。したがって胡の会コツから雁が南下してくることをいう。涇水の沙汀の間から飛んでくる。

 

蒼蒼幾萬里,目極令人愁。

見渡す限り、蒼蒼であってそれが幾万里の先まで続く、この荒涼はてしない景色を見ていて、誰をも愁いの淵に陥れてしまうのである。
banri03 

150李白《巻20-09 登太白峯》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<150> Ⅰ李白詩1335 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5223

150李白《巻20-09 登太白峯》こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。

 

 
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150李白《巻20-09 登太白峯》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<150> Ⅰ李白詩1335 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5223

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:  卷一八○        文體:  五言古詩

詩題:  登太白峰

作地點:        太白山(京畿道 / 岐州 / 太白山)

及地點:        太白山 (京畿道 岐州太白山) 別名:太白峰         

武功 (京畿道 京兆府 武功)        

 

 

登太白峰

(夜、太白山に登って作ったもの)

西上太白峰,夕陽窮登攀。

秦嶺山脈中の西にある、一番高峰の太白山に上ろうとする。夕日がかかるころ懸命になって登攀する。

太白與我語,為我開天關。

空に太白星が爛然として天にかかり、我がために天関を開くというように見える。

願乘泠風去,直出浮雲間。

願わくば、清冷な風に乗って、直ちに浮雲の間より出て、一っ跳びで山頂にたどり着きたいと思ったのである。

舉手可近月,前行若無山。

山頂では、手をあげれば、月に届くほど近くなったようで、前行すれば辺りには山が無いようである。

一別武功去,何時復見還。

こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。

 

(太白峰に登る)

西のかた太白峰に上り、夕陽  登攀【とうはん】を窮む。

太白  我と語り、我が為に天関を開く。

願わくば泠風に乗じて去り、直ちに浮雲の間を出でん。

手を挙げれば月に近づく可く、前行 山無きが若し。

一たび別れて武功に去り、何れの時か  復た更に還【かえ】らん。

太白山00 

 

『登太白峰』 現代語訳と訳註解説

(本文)

登太白峰

西上太白峰,夕陽窮登攀。

太白與我語,為我開天關。

願乘泠風去,直出浮雲間。

舉手可近月,前行若無山。

一別武功去,何時復見還。

 

(下し文)

(太白峰に登る)

西のかた太白峰に上り、夕陽  登攀【とうはん】を窮む。

太白  我と語り、我が為に天関を開く。

願わくば泠風に乗じて去り、直ちに浮雲の間を出でん。

手を挙げれば月に近づく可く、前行 山無きが若し。

一たび別れて武功に去り、何れの時か  復た更に還【かえ】らん。

 

(現代語訳)

(夜、太白山に登って作ったもの)

秦嶺山脈中の西にある、一番高峰の太白山に上ろうとする。夕日がかかるころ懸命になって登攀する。

空に太白星が爛然として天にかかり、我がために天関を開くというように見える。

願わくば、清冷な風に乗って、直ちに浮雲の間より出て、一っ跳びで山頂にたどり着きたいと思ったのである。

山頂では、手をあげれば、月に届くほど近くなったようで、前行すれば辺りには山が無いようである。

こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。

 

yoshu&choan736 

(訳注)

登太白峰

(太白峰に登る)

(夜、太白山に登って作ったもの)

・太白峰 太白山のこと。長安の西方80kmにある3767m、陝西省武功県、の南にある山の名。標高もあり、山頂には年中積雪がある。 五嶽より圧倒的に高い。古来、五嶽を基本として地方を9つに分けて考えられていた世界観からすれば太白山はその世界を外れた天に続く山とされていたのだろう。  陝西省関中道郿縣の南にあり、上に洞窟がある。道教でいう第十一洞天の霊場である。

古風,五十九首之五

太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。

我來逢真人,長跪問寶訣。粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

Index-23 Ⅲ-1-364 《古風,五十九首之五》Ⅲ-1 744年天寶三年44歳 364Index-23> Ⅰ李白詩1149 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4293

・終南太一 終南山は南山、秦嶺ともいう。長安の正面、渭水の南にあり。太一は終南山から秦嶺山脈中の一番高峰の太白山とする。「終南山は泰嶺山脈の全体の名と見ると、太一山はその山脈中の一山、武功県の太白山なりといぅ(『読史方輿紀要』)。陝西省南部を東西によこぎる断層山脈。平均標高20003000m,最高峰の太白山(3767m)をはじめ,《詩経》にみえる終南山(2604m),玉泉山(1291m)などの山峰がある。渭河と漢水の分水嶺をなし,北側は急峻な断層崖のため,古来,渭水盆地では〈南山〉と称し〈九州の名阻,天下の険峻〉とよんだ。

 

西上太白峰,夕陽窮登攀。

西のかた太白峰に上り、夕陽  登攀【とうはん】を窮む。

秦嶺山脈中の西にある、一番高峰の太白山に上ろうとする。夕日がかかるころ懸命になって登攀する。

 

太白與我語,為我開天關。

太白  我と語り、我が為に天関を開く。

空に太白星が爛然として天にかかり、我がために天関を開くというように見える。

 

願乘泠風去,直出浮雲間。

願わくば泠風に乗じて去り、直ちに浮雲の間を出でん。

願わくば、清冷な風に乗って、直ちに浮雲の間より出て、一っ跳びで山頂にたどり着きたいと思ったのである。

 

舉手可近月,前行若無山。

手を挙げれば月に近づく可く、前行 山無きが若し。

山頂では、手をあげれば、月に届くほど近くなったようで、前行すれば辺りには山が無いようである。

 

一別武功去,何時復見還。

一たび別れて武功に去り、何れの時か  復た更に還【かえ】らん。

こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。

武功 陝西省咸陽市に位置する県。太白山の登山口の街。

 

149-4 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (4)》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <149-4> Ⅰ李白詩1345 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5273

李白《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (4)しかし、古の紫芝を採った商山の四皓であるとか、纓を洗ったという滄浪の歌を聞いて感心した屈原という人は、今日見る事が出来ないけれど、この地において君一人で、一人さびしく過ぎてゆかれたのである。

 

 
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149-4 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (4)Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <149-4> Ⅰ李白詩1345 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5273

 

 

年:30年開元十八年30

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

翠微寺 (京畿道 京兆府 長安) 別名:翠微宮  

子午谷 (京畿道、山南西道 無第二級行政層級 子午谷)              

石門 (山南西道 梁州 褒城)              

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

交遊人物:崔叔封              書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,

太宗皇帝金沙泉見寄 -#1

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

河伯見海若,傲然誇秋水。

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

小物昧遠圖,寧知通方士。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

地古寒雲深,巖高長風起。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。

#2

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

それから君が初めに翠微峰に上り、次に、また、金沙の泉に休息された

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

山に登るに苔を踏みしだき、その上に降りている朝の霜は、実になめらかな出会ったし、泉に憩うとき、波を弄び、そこに夕日と上る月の影は団円なのである。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

そうして、そこにある大巌の下を流れる水を掬って飲み、蔦蔓を引っ張って結びとめて、谷間に火を起こし煙を立ててそこに宿泊された。

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

#3

早行子午關,卻登山路遠。

翌朝はやく、子午道の關所に赴こうとし、遠い山道をとぼとぼと歩いていくことになる。

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

そして、旅籠についてから、琴を掻き鳴らし、朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声を聴き、また燈火を吹き消して、夜が明けぬ前に起きて飯を食らうのである。

人煙無明異,鳥道往返。

この辺は寂しい所であるから、人煙は朝夕の区別なく、何処にも見えないし、獣地にも満たない鳥の道には人が通ることはない。

攀崖倒青天,下視白日晚。

そんなことだから、がけを攀じ登って、青天が倒れ落ちるかと危ぶまれ、そこから下を覗いて見れば、白日もしだいにくれていくところである。

#4

既過石門隱,還唱石潭歌。

既に石門の隠者を訪ねたが、そこではまた、石潭歌を繰り返し唱えた。

涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

雪が積もっている間を渉って、紫芝などの仙草を摘み、冠の纓をあらって清波を懐かしく思うのである。

此人不可見,此地君自過。

しかし、古の紫芝を採った商山の四皓であるとか、纓を洗ったという滄浪の歌を聞いて感心した屈原という人は、今日見る事が出来ないけれど、この地において君一人で、一人さびしく過ぎてゆかれたのである。

為余謝風泉,其如幽意何。

そうであれば、終南山の山中のこの幽意をだれが賛賞するというのか、そんな人はいないはずだが、やがて、私が行くことになるから、君が先に行って、その風流な金沙泉に挨拶をしておいてほしい。

 

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

 

初め翠微の嶺に登り,復た金沙の泉に憩う。

苔を踐んで 朝霜滑かに,波を弄して夕月圓かなり。

彼の石下の流れを飲み,蘿を結んで溪煙に宿す。

鼎湖 淥水を夢み,龍駕 空しく茫然たり。

 

早に子午の關を行き,卻って山路の遠きに登る。

琴を拂って霜猿を聽き,燭を滅して乃ち星飯。

人煙 明異無く,鳥道 往返をつ。

崖を攀じて青天を倒し,白日も晚きを下に視る。

 

既に石門の隱を過ぎ,還た石潭の歌を唱う。

雪を涉って紫芳を搴り,纓を濯って清波を想う。

此人 見る可からず,此の地 君 自ら過ぐ。

余が為に風泉を謝せよ,其れ幽意を如何【いか】ん。

yoshu&choan736 

 

『答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄』 現代語訳と訳註解説

(本文) #4

既過石門隱,還唱石潭歌。

涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

此人不可見,此地君自過。

為余謝風泉,其如幽意何。

 

(含異文)

既過石門隱【既遇石門隱】,還唱石潭歌【還聞石潭歌】。涉雪搴紫芳【涉雪採紫莖】,濯纓想清波【濯纓掬清波】。

此人不可見,此地君自過。為余謝風泉,其如幽意何。

 

(下し文)

既に石門の隱を過ぎ,還た石潭の歌を唱う。

雪を涉って紫芳を搴り,纓を濯って清波を想う。

此人 見る可からず,此の地 君 自ら過ぐ。

余が為に風泉を謝せよ,其れ幽意を如何【いか】ん。

 

(現代語訳)

既に石門の隠者を訪ねたが、そこではまた、石潭歌を繰り返し唱えた。

雪が積もっている間を渉って、紫芝などの仙草を摘み、冠の纓をあらって清波を懐かしく思うのである。

しかし、古の紫芝を採った商山の四皓であるとか、纓を洗ったという滄浪の歌を聞いて感心した屈原という人は、今日見る事が出来ないけれど、この地において君一人で、一人さびしく過ぎてゆかれたのである。

そうであれば、終南山の山中のこの幽意をだれが賛賞するというのか、そんな人はいないはずだが、やがて、私が行くことになるから、君が先に行って、その風流な金沙泉に挨拶をしておいてほしい。

終南山06 

(訳注) #4

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

崔叔封 不明の人物であるが、時期的に考えて、道教つながりの人であろう。

 

既過石門隱,還唱石潭歌。

既に石門の隠者を訪ねたが、そこではまた、石潭歌を繰り返し唱えた。

石門 いまの山東省曲阜県の東北、泗水の岸にあった。

夜宿石門詩 謝霊運(康楽) 詩<39#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩421 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1080

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涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

雪が積もっている間を渉って、紫芝などの仙草を摘み、冠の纓をあらって清波を懐かしく思うのである。

紫芳 紫芝 []【植】マンネンタケ.紫芳草。靈芝などの仙草。・商山四皓。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・甪里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。画題とされる。また、・龐德公 東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。

清波 陝西省漢水の上流の嶓冢山から流れ出る川をおもい、澄み切って綺麗な流れということで、きれいなものの比較対象として使われる。隠遁者がきれいな心の持ち主であること、長安のひと山越えて終南山、漢水のきれいな水に入っていきたいうこと。『孟子・離婁上』「孟子曰:…有孺子歌曰:『滄浪之水淸兮,可以濯我纓。滄浪之水濁兮,可以濯我足。』孔子曰:『小子聽之。淸斯濯纓,濁斯濯足矣,自取之也。』…。」この部分に基づいて、屈原が『楚辭』「漁父」で取り込んで歌い上げている。「漁父莞爾而笑,鼓枻而去。 乃歌曰: 『滄浪之水淸兮,可以濯我纓,滄浪之水濁兮,可以濯我足。』 遂去,不復與言。」

滄浪の水が澄めば、わたしの(一番大切で尊貴な)冠のヒモ(纓)を洗ったらいいのであって、滄浪の水が濁れば、わたしの(体の部分で一番穢れている)足を洗ったらいい。

 

此人不可見,此地君自過。

しかし、古の紫芝を採った商山の四皓であるとか、纓を洗ったという滄浪の歌を聞いて感心した屈原という人は、今日見る事が出来ないけれど、この地において君一人で、一人さびしく過ぎてゆかれたのである。

 

為余謝風泉,其如幽意何。

そうであれば、終南山の山中のこの幽意をだれが賛賞するというのか、そんな人はいないはずだが、やがて、私が行くことになるから、君が先に行って、その風流な金沙泉に挨拶をしておいてほしい。
華山道教 

149-3 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (3)》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <149-3> Ⅰ李白詩1344 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5268

李白《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (3)そんなことだから、がけを攀じ登って、青天が倒れ落ちるかと危ぶまれ、そこから下を覗いて見れば、白日もしだいにくれていくところである。

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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149-3 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (3)》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <149-3> Ⅰ李白詩1344 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5268 
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 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:30年開元十八年30

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

翠微寺 (京畿道 京兆府 長安) 別名:翠微宮  

子午谷 (京畿道、山南西道 無第二級行政層級 子午谷)              

石門 (山南西道 梁州 褒城)              

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

交遊人物:崔叔封              書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,

太宗皇帝金沙泉見寄 -#1

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

河伯見海若,傲然誇秋水。

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

小物昧遠圖,寧知通方士。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

地古寒雲深,巖高長風起。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。

#2

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

それから君が初めに翠微峰に上り、次に、また、金沙の泉に休息された

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

山に登るに苔を踏みしだき、その上に降りている朝の霜は、実になめらかな出会ったし、泉に憩うとき、波を弄び、そこに夕日と上る月の影は団円なのである。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

そうして、そこにある大巌の下を流れる水を掬って飲み、蔦蔓を引っ張って結びとめて、谷間に火を起こし煙を立ててそこに宿泊された。

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

#3

早行子午關,卻登山路遠。

翌朝はやく、子午道の關所に赴こうとし、遠い山道をとぼとぼと歩いていくことになる。

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

そして、旅籠についてから、琴を掻き鳴らし、朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声を聴き、また燈火を吹き消して、夜が明けぬ前に起きて飯を食らうのである。

人煙無明異,鳥道往返。

この辺は寂しい所であるから、人煙は朝夕の区別なく、何処にも見えないし、獣地にも満たない鳥の道には人が通ることはない。

攀崖倒青天,下視白日晚。

そんなことだから、がけを攀じ登って、青天が倒れ落ちるかと危ぶまれ、そこから下を覗いて見れば、白日もしだいにくれていくところである。

#4

既過石門隱,還唱石潭歌。

涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

此人不可見,此地君自過。

為余謝風泉,其如幽意何。

 

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

 

初め翠微の嶺に登り,復た金沙の泉に憩う。

苔を踐んで 朝霜滑かに,波を弄して夕月圓かなり。

彼の石下の流れを飲み,蘿を結んで溪煙に宿す。

鼎湖 淥水を夢み,龍駕 空しく茫然たり。

 

早に子午の關を行き,卻って山路の遠きに登る。

琴を拂って霜猿を聽き,燭を滅して乃ち星飯。

人煙 明異無く,鳥道 往返をつ。

崖を攀じて青天を倒し,白日も晚きを下に視る。

 

既に石門の隱を過ぎ,還た石潭の歌を唱う。

雪を涉って紫芳を搴り,纓を濯って清波を想う。

此人 見る可からず,此の地 君 自ら過ぐ。

余が為に風泉を謝せよ,其れ幽意を如何【いか】ん。

 

 yoshu&choan736

『答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄』 現代語訳と訳註解説

(本文) #3

早行子午關,卻登山路遠。

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

人煙無明異,鳥道往返。

攀崖倒青天,下視白日晚。

 

(含異文)

早行子午關【早行子午間】【早行子午峰】,卻登山路遠【卻歎山路遠】【頗識關路遠】。拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

人煙無明異【人煙無同異】,鳥道往返。攀崖倒青天,下視白日晚。

 

(下し文)

早に子午の關を行き,卻って山路の遠きに登る。

琴を拂って霜猿を聽き,燭を滅して乃ち星飯。

人煙 明異無く,鳥道 往返をつ。

崖を攀じて青天を倒し,白日も晚きを下に視る。

 

(現代語訳)

翌朝はやく、子午道の關所に赴こうとし、遠い山道をとぼとぼと歩いていくことになる。

そして、旅籠についてから、琴を掻き鳴らし、朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声を聴き、また燈火を吹き消して、夜が明けぬ前に起きて飯を食らうのである。

この辺は寂しい所であるから、人煙は朝夕の区別なく、何処にも見えないし、獣地にも満たない鳥の道には人が通ることはない。

そんなことだから、がけを攀じ登って、青天が倒れ落ちるかと危ぶまれ、そこから下を覗いて見れば、白日もしだいにくれていくところである。

 

 秦州同谷成都紀行地図

(訳注) #3

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

崔叔封 不明の人物であるが、時期的に考えて、道教つながりの人であろう。

 

早行子午關,卻登山路遠。

早に子午の關を行き,卻って山路の遠きに登る。

翌朝はやく、子午道の關所に赴こうとし、遠い山道をとぼとぼと歩いていくことになる。

子午關 古代中国人は北を子と呼ぶ、南を午という。子午谷は秦嶺山脈の南北を貫く桟道で子午谷と呼ばれた。子午谷の北入り口は今の西安市長安区にあり、南入り口は洋県町から約30キロ離れた龍亭鎮にあり、全長約420キロ。三国末期、魏延が出した「子午谷の計」が利用する桟道がこの道路である。

 

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

琴を拂って霜猿を聽き,燭を滅して乃ち星飯。

そして、旅籠についてから、琴を掻き鳴らし、朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声を聴き、また燈火を吹き消して、夜が明けぬ前に起きて飯を食らうのである。

霜猿 朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声

星飯 朝霜ふる寒さに泣き叫ぶ猿の声

 

人煙無明異,鳥道往返。

人煙 明異無く,鳥道 往返をつ。

この辺は寂しい所であるから、人煙は朝夕の区別なく、何処にも見えないし、獣地にも満たない鳥の道には人が通ることはない。

 

攀崖倒青天,下視白日晚。

崖を攀じて青天を倒し,白日も晚きを下に視る。

そんなことだから、がけを攀じ登って、青天が倒れ落ちるかと危ぶまれ、そこから下を覗いて見れば、白日もしだいにくれていくところである。

149-2 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (2)》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<149-2> Ⅰ李白詩1343 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5263

李白《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (2)そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

 

 
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149-2 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (2)Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<149-2> Ⅰ李白詩1343 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5263

 

 

年:30年開元十八年30

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

翠微寺 (京畿道 京兆府 長安) 別名:翠微宮  

子午谷 (京畿道、山南西道 無第二級行政層級 子午谷)              

石門 (山南西道 梁州 褒城)              

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

交遊人物:崔叔封              書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,

太宗皇帝金沙泉見寄 -#1

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

河伯見海若,傲然誇秋水。

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

小物昧遠圖,寧知通方士。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

地古寒雲深,巖高長風起。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。

#2

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

それから君が初めに翠微峰に上り、次に、また、金沙の泉に休息された

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

山に登るに苔を踏みしだき、その上に降りている朝の霜は、実になめらかな出会ったし、泉に憩うとき、波を弄び、そこに夕日と上る月の影は団円なのである。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

そうして、そこにある大巌の下を流れる水を掬って飲み、蔦蔓を引っ張って結びとめて、谷間に火を起こし煙を立ててそこに宿泊された。

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

#3

早行子午關,卻登山路遠。

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

人煙無明異,鳥道往返。

攀崖倒青天,下視白日晚。

#4

既過石門隱,還唱石潭歌。

涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

此人不可見,此地君自過。

為余謝風泉,其如幽意何。

 

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

 

初め翠微の嶺に登り,復た金沙の泉に憩う。

苔を踐んで 朝霜滑かに,波を弄して夕月圓かなり。

彼の石下の流れを飲み,蘿を結んで溪煙に宿す。

鼎湖 淥水を夢み,龍駕 空しく茫然たり。

 

早に子午の關を行き,卻って山路の遠きに登る。

琴を拂って霜猿を聽き,燭を滅して乃ち星飯。

人煙 明異無く,鳥道 往返をつ。

崖を攀じて青天を倒し,白日も晚きを下に視る。

 

既に石門の隱を過ぎ,還た石潭の歌を唱う。

雪を涉って紫芳を搴り,纓を濯って清波を想う。

此人 見る可からず,此の地 君 自ら過ぐ。

余が為に風泉を謝せよ,其れ幽意を如何【いか】ん。

 

華山道教 

『答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄』 現代語訳と訳註解説

(本文)

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

 

(含異文)

初登翠微嶺,復憩金沙泉。踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。鼎湖夢淥水,龍駕空茫然【龍駕何茫然】。

 

(下し文)

初め翠微の嶺に登り,復た金沙の泉に憩う。

苔を踐んで 朝霜滑かに,波を弄して夕月圓かなり。

彼の石下の流れを飲み,蘿を結んで溪煙に宿す。

鼎湖 淥水を夢み,龍駕 空しく茫然たり。

 

(現代語訳)

それから君が初めに翠微峰に上り、次に、また、金沙の泉に休息された

山に登るに苔を踏みしだき、その上に降りている朝の霜は、実になめらかな出会ったし、泉に憩うとき、波を弄び、そこに夕日と上る月の影は団円なのである。

そうして、そこにある大巌の下を流れる水を掬って飲み、蔦蔓を引っ張って結びとめて、谷間に火を起こし煙を立ててそこに宿泊された。

そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

 yoshu&choan736

(訳注)

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

崔叔封 不明の人物であるが、時期的に考えて、道教つながりの人であろう。

 

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

初め翠微の嶺に登り,復た金沙の泉に憩う。

それから君が初めに翠微峰に上り、次に、また、金沙の泉に休息された

翠微嶺 翠微寺のある峰

金沙泉。水が澄み金沙のように見える泉。仙郷を言いあらわす。

 

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

苔を踐んで 朝霜滑かに,波を弄して夕月圓かなり。

山に登るに苔を踏みしだき、その上に降りている朝の霜は、実になめらかな出会ったし、泉に憩うとき、波を弄び、そこに夕日と上る月の影は団円なのである。

夕月圓 日と上る月の影は団円なのである。

 

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

彼の石下の流れを飲み,蘿を結んで溪煙に宿す。

そうして、そこにある大巌の下を流れる水を掬って飲み、蔦蔓を引っ張って結びとめて、谷間に火を起こし煙を立ててそこに宿泊された。

 

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

鼎湖 淥水を夢み,龍駕 空しく茫然たり。

そこは昔、唐の太宗が崩御されたところであるから、その澄み切った水を飲めば、鼎湖の昔に帰り、そして、鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天すれば、あとになって尋ねることが出来ずに、ただ空しく茫然とするだけになろうというものである。

龍駕空茫然 黄帝昇天のこと。黄帝は首山の銅を採って、荊山の麓で鼎を鋳造した。鼎が完成すると、一匹の竜が髯を垂らして迎えに下り、黄帝はそれに乗って昇天した。臣下たちは悉く竜の髯をつかまえ、帝の弓にぶら下がって、帝について昇天しようとしたところ、竜の髯が抜け、弓も落ちてしまったので、臣下たちはついてゆくことができず、帝を仰いで泣き叫んだ。

伝説によれば薨去の際に衣服と冠だけを残して昇天したといわれ、「衣冠塚」と呼ばれる。 陵は黄陵県の城北に位置している。

函谷関長安地図座標005李白図102 

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李白《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (1)何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

 

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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年:30年開元十八年30

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

翠微寺 (京畿道 京兆府 長安) 別名:翠微宮  

子午谷 (京畿道、山南西道 無第二級行政層級 子午谷)              

石門 (山南西道 梁州 褒城)              

鼎湖 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

交遊人物:崔叔封              書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

河伯見海若,傲然誇秋水。

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

小物昧遠圖,寧知通方士。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

地古寒雲深,巖高長風起。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。 

初登翠微嶺,復憩金沙泉。

踐苔朝霜滑,弄波夕月圓。

飲彼石下流,結蘿宿溪煙。

鼎湖夢淥水,龍駕空茫然。

 

早行子午關,卻登山路遠。

拂琴聽霜猿,滅燭乃星飯。

人煙無明異,鳥道往返。

攀崖倒青天,下視白日晚。

 

既過石門隱,還唱石潭歌。

涉雪搴紫芳,濯纓想清波。

此人不可見,此地君自過。

為余謝風泉,其如幽意何。

 

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

終南山06 

 

『答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄』 現代語訳と訳註解説

(本文)

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

河伯見海若,傲然誇秋水。

小物昧遠圖,寧知通方士。

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

地古寒雲深,巖高長風起。

 

(下し文)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

 

(現代語訳)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。

yoshu&choan736 

(訳注)

答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺の,太宗皇帝の金沙泉に遊びて寄せらるるに答う)

(長安の崔少府叔封が,終南の翠微寺に到り、寺の中にある名跡である太宗皇帝金沙泉に遊んで、詩を寄せてくれたのでそれに答えて作ったもの)

崔叔封 不明の人物であるが、時期的に考えて、道教つながりの人であろう。

少府 後漢での少府は、宮中の御物、衣服、珍宝、御膳を担当すると注釈されている。秩禄は中二千石。丞は1人である。属官には以下のものがあり、中常侍等の宦官の各職官に加え、侍中、尚書令、御史中丞等のような政務の中枢をつかさどる職官が係属されている。以下、括弧内は秩禄で、人数の書いていないものは定員無しである。

終南 終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、20002900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高20002900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。

翠微寺 終南翠微宮。《元和郡縣誌》「元和郡縣誌·關道·京兆府:太和宮在(長安)縣南五十五里終南山太和谷武德八年造貞觀十年廢二十一年以時熱公卿重請修築於是使將作大匠閻立德繕理焉改為翠微宮今廢為寺。」(關道、京兆府太和宮は長安縣の南五十五里の終南山の太和谷に在り、武德八年造られ、貞觀十年に廢す。二十一年、時熱するを以って、公卿重ねて修築を請う。是に於て將作大匠閻立德を使て、繕理せしめ、改めて翠微宮と為す。今、廢して寺と為す。)

司馬相如 《上林賦 》(9#4-1 文選 賦<110-#4-19分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩914 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3118 9#4-1

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#1>Ⅱ中唐詩377 紀頌之の漢詩ブログ1210

 

河伯見海若,傲然誇秋水。

河伯 海若を見,傲然として秋水を誇る。

河伯が北海若にあい、その初め、秋水の時に至り、黄河が大変広くなったというので、その広大な流れを自慢したということが荘子に見える。

《莊子外篇秋水第十七》「秋水時至,百川灌河。涇流之大,兩涘渚崖之間,不辯牛馬。於是焉河伯欣然自喜, 以天下之美為盡在己。順流而東行,至於北海,東面而視,不見水端。於是焉河伯始旋其面目,望洋向若而嘆曰:「野語有之曰:『聞道百,以為莫己若者。』我之謂也。且夫我嘗聞少仲尼之聞而輕伯夷之義者,始吾弗信。今我睹子之難窮也,吾非至於子之門則殆矣,吾長見笑於大方之家。」

北海若曰:「井蛙不可以語於海者,拘於虛也夏蟲不可以語於冰者,篤於時也曲士不可以語於道者,束於教也。今爾出於崖涘,觀於大海,乃知爾丑,爾將可與語大理矣。

 

小物昧遠圖,寧知通方士。

小物 遠圖に昧く,寧ろ通方の士を知らんや。

元来、小物はその見識も狭く低くして、遠圖に暗いから、どうしてその道に通じた人士の胸中を理解したのであろうか。

遠圖 遠大なはかりごと。百年先・二百年先の将来を見据えたはかりごと。

通方士 その道に通じた人士。

 

多君紫霄意,獨往蒼山裡。

君が紫霄の意を多とす,獨り蒼山の裡に往く。

何はともあれ、見聞はよろしく広くしておくためにも、都にくすぶっていても仕方がない、だから君は青天に遊ぶという志を持ち続けることを重んずるといって,ひとり蒼山の隠里に行かれたのである。

 ほめる。おもんずる。ありがたいとする。いさお。軍功。ただ。まさに。

 

地古寒雲深,巖高長風起。

地は古くして寒雲深く,巖 高く長風起る。

終南山一帯の地は古くから寒雲深く隠遁の地とされていて、大岩があり長風颯颯として起り、風流な気持ちも維持できるのである。
函谷関長安地図座標005 

147 《夜別張五》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<148> Ⅰ李白詩1333 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5213

李白《夜別張五》錦帯をほどいて、腰に佩びたる寶剣の一振りである龍泉剣を君に贈って、留別のきねんとして、千觴を傾けて存分に酔った。

 
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147 《夜別張五》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<148> Ⅰ李白詩1333 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5213

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一七四              文體:    五言律詩

詩題:    夜別張五

交遊人物:張    當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

夜別張五

(酒を呑みかわし、夜、張五に留別するために作った)

吾多張公子,別酌酣高堂。

わたしは張公子という人物を尊重する。ここで別れを為すにおいて高堂において、酒を酌み交わした

聽歌舞銀燭,把酒輕羅裳。

歌を謡い始めると、起ちあがって、銀燭の前で踊り出し、酒樽を手に取れば、白色の羅裳を軽く翻した。

橫笛弄秋月,琵琶彈陌桑。

並んでいる妓女たちが横笛を秋月の前で吹いてくれ、琵琶で陌上桑の古曲を弾じてくれるのを聞くほどに興が昂って行く。

龍泉解錦帶,為爾傾千觴。

そうなると、錦帯をほどいて、腰に佩びたる寶剣の一振りである龍泉剣を君に贈って、留別のきねんとして、千觴を傾けて存分に酔った。

 

(夜 張五に別る)

吾は多とす張公子,別酌 高堂に酣【たけなわ】なり。

歌を聽いて銀燭を舞わしめ,酒を把って羅裳を輕んず。

橫笛 秋月を弄し,琵琶 陌桑を彈ず。

龍泉 錦帶を解き,爾の為に千觴を傾く。

 

終南山06 

『夜別張五』 現代語訳と訳註解説

(本文)

夜別張五

吾多張公子,別酌酣高堂。

聽歌舞銀燭,把酒輕羅裳。

橫笛弄秋月,琵琶彈陌桑。

龍泉解錦帶,為爾傾千觴。

 

(下し文)

(夜 張五に別る)

吾は多とす張公子,別酌 高堂に酣【たけなわ】なり。

歌を聽いて銀燭を舞わしめ,酒を把って羅裳を輕んず。

橫笛 秋月を弄し,琵琶 陌桑を彈ず。

龍泉 錦帶を解き,爾の為に千觴を傾く。

 

(現代語訳)

(酒を呑みかわし、夜、張五に留別するために作った)

わたしは張公子という人物を尊重する。ここで別れを為すにおいて高堂において、酒を酌み交わした

歌を謡い始めると、起ちあがって、銀燭の前で踊り出し、酒樽を手に取れば、白色の羅裳を軽く翻した。

並んでいる妓女たちが横笛を秋月の前で吹いてくれ、琵琶で陌上桑の古曲を弾じてくれるのを聞くほどに興が昂って行く。

そうなると、錦帯をほどいて、腰に佩びたる寶剣の一振りである龍泉剣を君に贈って、留別のきねんとして、千觴を傾けて存分に酔った。

杜甫乱前後の図003鳳翔 

(訳注)

夜別張五

(酒を呑みかわし、夜、張五に留別するために作った)

 

吾多張公子,別酌酣高堂。

わたしは張公子という人物を尊重する。ここで別れを為すにおいて高堂において、酒を酌み交わした

 尊重すること。

 

聽歌舞銀燭,把酒輕羅裳。

歌を謡い始めると、起ちあがって、銀燭の前で踊り出し、酒樽を手に取れば、白色の羅裳を軽く翻した。

 

橫笛弄秋月,琵琶彈陌桑。

並んでいる妓女たちが横笛を秋月の前で吹いてくれ、琵琶で陌上桑の古曲を弾じてくれるのを聞くほどに興が昂って行く。

琵琶 中国に伝播したのは前漢の頃で、当初は「西方の琴(弦楽器)」を意味する「胡琴」の名称で呼ばれた(宋代以降現在までに胡琴と呼称される楽器はまったく別のもの)。やがてウイグル語のバルバットが漢語に音訳された「琵琶」が呼称として定着した。唐時代の琵琶は現在の日本の楽琵琶とほぼ同じ形をしており、音楽理論が整備される中で、調弦法も多数定められ、様々な合奏にも用いられ、記譜法も確立し、宮廷音楽から民間音楽まで、合奏、独奏、歌唱の伴奏と広く愛好された。

陌桑 陌上桑、琵琶の曲名。

 

龍泉解錦帶,為爾傾千觴。

そうなると、錦帯をほどいて、腰に佩びたる寶剣の一振りである龍泉剣を君に贈って、留別のきねんとして、千觴を傾けて存分に酔った。

龍泉 龍泉と太阿、二振りの寶剣のことで、。龍泉(りょうせん) ◇『晋書』「張華伝」 雷煥と張華が手に入れた二振りの宝剣のうちの一つ。斗牛の間が毎夜紫色に光るので、張華が尋ねると、占星術に長けた雷煥は宝剣の精だと言う。張華は雷煥に宝剣の捜索を依頼。雷煥は二本の宝剣を見つけ、一方を自分で持ち、他方を張華に贈った。

太阿(たいあ) ◇『晋書』「張華伝」 雷煥と張華が手に入れた二振りの宝剣のうちの一つ。張華が没するとその剣は行方不明になるが、雷煥の剣は息子雷華が受け継ぐ。しかし、その剣もある時、 腰からひとりでに飛び出して川に沈む。見ると水底に剣はなく、二匹の龍が見えたという。
李白図102 

146 《秋山寄衛尉張卿及王徵君》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<146> Ⅰ李白詩1340 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5248

李白《秋山寄衛尉張卿及王徵君》ここでお二人の所へ行こうと思っても翌朝出発することしかできない。だから、二人を思う時には、陸機・左思の「招隱詩」でも吟ずるしかないのである。

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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146 《秋山寄衛尉張卿及王徵君》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<146> Ⅰ李白詩1340 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5248 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(再)-1溫庭筠11《菩薩蠻十四首 其十一》溫庭筠66首巻一11-〈11〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5252 
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146 《秋山寄衛尉張卿及王徵君》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<146> Ⅰ李白詩1340 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5248

 

 

年:-730年開元十八年30

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    秋山寄衛尉張卿及王徵君

及地點:剡溪 (江南東道 越州 剡縣)              

山陰 (江南東道 越州 山陰)              

 

 

秋山寄衛尉張卿及王徵君

(李白が、長安近郊の隠遁者を訪ね、秋、そのどこかわからぬ山中にこもったときのことをうたったものを衛尉である張卿、及び王徵君に寄せた。)

何以折相贈,白花青桂枝。

山中には白い花の咲く青桂樹があるから、これを折って遙か先の君に贈りたいと思う。

月華若夜雪,見此令人思。

今宵の月は花のように明るく、万地にまるで雪が降り積もっているかのようであり、これを見ればわが友を思うのである。

雖然剡溪興,不異山陰時。

昔、王徽之は山陰に在って、雪夜の月に、その友を思い出し、わざわざ、剡渓を遡ったというが、自分もこの雪夜を見て同じように風流の興をもったのである。

明發懷二子,空吟招隱詩。

ところが、ここでお二人の所へ行こうと思っても翌朝出発することしかできない。だから、二人を思う時には、陸機・左思の「招隱詩」でも吟ずるしかないのである。

 

(秋山 衛尉張卿及び王徵君に寄す)

何を以て折って相い贈らん,白花 青桂の枝。

月華 夜雪の若く,此を見れば人をして思わしむ。

然かく剡溪の興と雖も,山陰の時に異ならず。

明發 二子を懷わば,空しく吟ぜん 招隱の詩。

 

 終南山06

『秋山寄衛尉張卿及王徵君』 現代語訳と訳註解説

(本文)

秋山寄衛尉張卿及王徵君

何以折相贈,白花青桂枝。

月華若夜雪,見此令人思。

雖然剡溪興,不異山陰時。

明發懷二子,空吟招隱詩。

 

(下し文)

 (秋山 衛尉張卿及び王徵君に寄す)

何を以て折って相い贈らん,白花 青桂の枝。

月華 夜雪の若く,此を見れば人をして思わしむ。

然かく剡溪の興と雖も,山陰の時に異ならず。

明發 二子を懷わば,空しく吟ぜん 招隱の詩。

 

(現代語訳)

(李白が、長安近郊の隠遁者を訪ね、秋、そのどこかわからぬ山中にこもったときのことをうたったものを衛尉である張卿、及び王徵君に寄せた。)

山中には白い花の咲く青桂樹があるから、これを折って遙か先の君に贈りたいと思う。

今宵の月は花のように明るく、万地にまるで雪が降り積もっているかのようであり、これを見ればわが友を思うのである。

昔、王徽之は山陰に在って、雪夜の月に、その友を思い出し、わざわざ、剡渓を遡ったというが、自分もこの雪夜を見て同じように風流の興をもったのである。

ところが、ここでお二人の所へ行こうと思っても翌朝出発することしかできない。だから、二人を思う時には、陸機・左思の「招隱詩」でも吟ずるしかないのである。

 

華山道教 

(訳注)

秋山寄衛尉張卿及王徵君

(李白が、長安近郊の隠遁者を訪ね、秋、そのどこかわからぬ山中にこもったときのことをうたったものを衛尉である張卿、及び王徵君に寄せた。)

衛尉 宮殿の門内に役所あり衛士と屯兵とを掌る。丞(輔佐)一人。属官には、国事、散召を掌る公車司馬(官車で召された人を送迎また宮中を夜間巡視する宮殿の司馬門の役所を掌る武官)、衛士(宿衛の士)、旅蕡三令丞(戎と盾とをもち王車を護衛する三人の令、長と丞、衛士三人の丞)、また諸屯の衛候(見張役)、司馬二十二人(宮殿の外門を総称して司馬門といいまた単に司馬ともいう。その近衛兵)。

張卿 張? - 至徳2載(757年))は、唐代玄宗朝に仕えた政治家。名宰相とされる張説の次子であり、玄宗の娘婿であったが、安史の乱の際、安禄山に仕えたため、処刑された。兄に張均、弟に張がいる。

王徵 王徽之 王徽之とは? (?~388 中国,東晋(しん)の人。字(あざな)は子猷。王羲之(おうぎし)の第五子。官は黄門侍郎に至る。会稽の山陰に隠居し,風流を好み,特に竹を愛した。

 

何以折相贈,白花青桂枝。

山中には白い花の咲く青桂樹があるから、これを折って遙か先の君に贈りたいと思う。

青桂 仙郷に植えてある青桂樹のこと。

 

月華若夜雪,見此令人思。

今宵の月は花のように明るく、万地にまるで雪が降り積もっているかのようであり、これを見ればわが友を思うのである。

月華 月色、月光。月の光が明るく照らされるている様子。

 

雖然剡溪興,不異山陰時。

昔、王徽之は山陰に在って、雪夜の月に、その友を思い出し、わざわざ、剡渓を遡ったというが、自分もこの雪夜を見て同じように風流の興をもったのである。

剡溪 浙江省剡県。町の南に剡渓があり、両岸の景色がうつくしく、六朝時代にはことに人びとに愛貸された。謝霊運、王羲之に李白自身を映したのであろう。

李白《秋浦歌十七首 其六》

李白の詩の中でまともに解釈されていない詩のひとつである。さらっと読んで行ってもすぐ解釈できるが、何か引っかかる詩なのである。裏の裏の意味があるのか、暗号なのか、不思議な詩なのである。

秋浦歌十七首 其六

愁作秋浦客。 強看秋浦花。

山川如剡縣。 風日似長沙。

愁えて秋浦の客と作り、強いて秋浦の花を看()る。

山川は 剡県の如く、風日は 長沙に似るに。

秋浦歌十七首 其六  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集250/350

 

明發懷二子,空吟招隱詩。

ところが、ここでお二人の所へ行こうと思っても翌朝出発することしかできない。だから、二人を思う時には、陸機・左思の「招隱詩」でも吟ずるしかないのである。

招隱詩 隠遁者を尋ねもとめて、隠棲したい旨を詠うもので、文選に左思の招隱詩二首、陸機の一首、期待できぬ富貴を望まず、隠者を尋ね行き隠遁したいことをいう詩である。

 

陸機:陸 機は、中国三国時代から西晋の文学者・政治家・武将。字は士衡。呉の四姓の一つである陸氏の出身。祖父は陸遜。父は陸抗。子は陸蔚、陸夏。 本籍は呉郡呉県。ただし家は呉の都建業の南や、祖父の封地であった華亭等にあったようである。 七尺もの身の丈を持ち、その声は鐘のように響きわたったという。

陸機 招隱詩

明發心不夷,振衣聊躑欲安之,幽人在浚谷。

朝採南澗藻,夕息西山足。輕條象雲構,密葉成翠幄。

激楚佇蘭林,回芳薄秀木。山溜何泠泠,飛泉漱鳴玉。

哀音附靈波,響赴曾曲。至樂非有假,安事澆醇樸?

富貴難圖,駕從所欲。

左思:西晋の文学者。字は太沖。斉国臨淄の人。門閥の後ろ盾のない寒門の出身であり、官途は不遇だったが、文才に優れ、代表作「三都賦」は「洛陽の紙価を高からしむ」の故事の由来となった。妹の左芬も詩文の才能があり、司馬炎の後宮の女官となった。

左思 招隱詩其一.

杖策招隱士,荒塗橫古今。巖穴無結構,丘中有鳴琴。

白雪停陰岡,丹葩曜陽林。石泉漱瓊瑤,纖鱗亦浮沈。

非必絲與竹,山水有清音。何事待嘯歌,灌木自悲吟。

秋菊兼糇糧,幽蘭閒重襟。躊躇足力煩,聊欲投吾簪。

招隱詩 其二.

經始東山廬。果下自成榛。 前有寒泉井。聊可瑩心神。

峭蒨青蔥間。竹柏得其真。 弱葉棲霜雪。飛榮流餘津。

爵服無常玩。好惡有屈伸。 結綬生纏牽。彈冠去埃塵。

惠連非吾屈。首陽非吾仁。 相與觀所尚。逍遙撰良辰。

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李白《贈新平少年》-#2いつの日か、韓信のようによき出会いがあって、風雲を嘯吒できる日が来るのだろうか、けだものを捕獲したり、強禽を撃てるだけの本閭を発揮できることになるだろうか。

 

 
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年:730年開元十八年30

卷別:  卷一六八            文體:  五言古詩

詩題:  贈新平少年

作地點:            邠州(京畿道 / 邠州 / 邠州)

及地點:            邠州 (京畿道 邠州 邠州) 別名:桂陽、新平、豳             

淮陰 (淮南道 楚州 淮陰)            

 

 

贈新平少年

(新平の才能ある青年に贈る。)

韓信在淮陰,少年相欺凌。

韓信は淮陰にあった時は、青年の頃であったが、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、遊侠無頼の生活に終始していた。

屈體若無骨,壯心有所憑。

自分の体を屈して、ほとんど骨なしの弱弱しいやつに見えたが、胸中には壮心を持ち続け、「韓信の股くぐり」という屈辱にもよく耐えぬいたのである。

一遭龍顏君,嘯吒從此興。

はたせるかな、ひとたび龍顏の君である漢の高祖劉邦に出会うや、風雲を嘯吒して、これより劉邦の覇権を決定づける働きをした。

千金答漂母,萬古共嗟稱。

そこで、千金を以て一般の恩義のある「漂母」に報いたのであるが、それはまことに美事として、その時より、万世に嗟称されることとなった。

 

而我竟何為,寒苦坐相仍。

韓信はそういう風で、我らもいずれそうなるであろうが、自分はそんなわけにはいかなくて、ただ寒苦のために攻められるのである。

長風入短袂,兩手如懷冰。

それで、短い袖の着物を着ているだけだから、吹きさらしの長風は袖口からも自由に入り、両手を突っ込んで我慢しても氷を抱き込んでいるかのようである。

故友不相恤,新交寧見矜。

旧交のある友人たちもそれを見ても一向にかまってくれず、手を出さず、付き合いが新しいものはなお更、あはれと思うこともないのである。

摧殘檻中虎,羈紲韝上鷹。

虎が檻に捕えられて、元気が衰えていることや、鷹が弓に掛けに縛られ、体の自由がきかないということである。

何時騰風雲,搏擊申所能。

いつの日か、韓信のようによき出会いがあって、風雲を嘯吒できる日が来るのだろうか、けだものを捕獲したり、強禽を撃てるだけの本閭を発揮できることになるだろうか。

 

(新平の少年に贈る)

韓信は淮陰に在り,少年 相い欺凌【ぎりょう】す。

體を屈して骨無きが若し,壯心 憑る所有り。

一たび、龍顏の君に遭い,嘯吒 此れ從り興る。

千金 漂母に答え,萬古 共に嗟稱す。

 

而かも 我れ竟に何ん為れぞ,寒苦 坐ろに相い仍る。

長風 短袂に入り,兩手 冰を懷くが如し。

故友 相い恤【あわれ】まず,新交 寧ろ矜【あわ】れ見【ま】れむや。

摧殘す 檻中の虎,羈紲【はせつ】す 韝上の鷹。

何れの時か 風雲を騰げ,搏擊【はぐげき】能くする所を申べん。

 

華州から秦州同谷成都00

『贈新平少年』 現代語訳と訳註解説

(本文)

而我竟何為,寒苦坐相仍。

長風入短袂,兩手如懷冰。

故友不相恤,新交寧見矜。

摧殘檻中虎,羈紲韝上鷹。

何時騰風雲,搏擊申所能。

 

(下し文)

而かも 我れ竟に何ん為れぞ,寒苦 坐ろに相い仍る。

長風 短袂に入り,兩手 冰を懷くが如し。

故友 相い恤【あわれ】まず,新交 寧ろ矜【あわ】れ見【ま】れむや。

摧殘す 檻中の虎,羈紲【はせつ】す 韝上の鷹。

何れの時か 風雲を騰げ,搏擊【はぐげき】能くする所を申べん。

 

(現代語訳)

韓信はそういう風で、我らもいずれそうなるであろうが、自分はそんなわけにはいかなくて、ただ寒苦のために攻められるのである。

それで、短い袖の着物を着ているだけだから、吹きさらしの長風は袖口からも自由に入り、両手を突っ込んで我慢しても氷を抱き込んでいるかのようである。

旧交のある友人たちもそれを見ても一向にかまってくれず、手を出さず、付き合いが新しいものはなお更、あはれと思うこともないのである。

虎が檻に捕えられて、元気が衰えていることや、鷹が弓に掛けに縛られ、体の自由がきかないということである。

いつの日か、韓信のようによき出会いがあって、風雲を嘯吒できる日が来るのだろうか、けだものを捕獲したり、強禽を撃てるだけの本閭を発揮できることになるだろうか。

 

扶風雍州長安003

(訳注)

贈新平少年

(新平の少年に贈る)

(新平の才能ある青年に贈る。)

新平 京畿道邠州、別名としては桂陽、新平、豳である。邠() 周の先祖公劉が初めて都としたところ。邠州は、いにしえの豳国、西魏、豳州を置き、後周、隋の時も個の名称であった。唐開元十三年、邠州とし、天寶三載、新平郡とした。
(k-20

 

而我竟何為,寒苦坐相仍。

而かも 我れ竟に何ん為れぞ,寒苦 坐ろに相い仍る。

韓信はそういう風で、我らもいずれそうなるであろうが、自分はそんなわけにはいかなくて、ただ寒苦のために攻められるのである。

 

長風入短袂,兩手如懷冰。

長風 短袂に入り,兩手 冰を懷くが如し。

それで、短い袖の着物を着ているだけだから、吹きさらしの長風は袖口からも自由に入り、両手を突っ込んで我慢しても氷を抱き込んでいるかのようである。

 

故友不相恤,新交寧見矜。

故友 相い恤【あわれ】まず,新交 寧ろ矜【あわ】れ見【ま】れむや。

旧交のある友人たちもそれを見ても一向にかまってくれず、手を出さず、付き合いが新しいものはなお更、あはれと思うこともないのである。

 

摧殘檻中虎,羈紲韝上鷹。

摧殘す 檻中の虎,羈紲【はせつ】す 韝上の鷹。

虎が檻に捕えられて、元気が衰えていることや、鷹が弓に掛けに縛られ、体の自由がきかないということである。

 

何時騰風雲,搏擊申所能。

何れの時か 風雲を騰げ,搏擊【はぐげき】能くする所を申べん。

いつの日か、韓信のようによき出会いがあって、風雲を嘯吒できる日が来るのだろうか、けだものを捕獲したり、強禽を撃てるだけの本閭を発揮できることになるだろうか。

騰風雲 この詩の三聯目の韓信が劉邦に出会って「一遭龍顏君,嘯吒從此興」と能力を発揮できたことを受けて、李白も良い君主にめぐり会えて能力を発揮したいということである。

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李白《贈新平少年》韓信は淮陰にあった時は、青年の頃であったが、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、遊侠無頼の生活に終始していた。自分の体を屈して、ほとんど骨なしの弱弱しいやつに見えたが、胸中には壮心を持ち続け、「韓信の股くぐり」という屈辱にもよく耐えぬいたのである。

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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年:730年開元十八年30

卷別:  卷一六八            文體:  五言古詩

詩題:  贈新平少年

作地點:            邠州(京畿道 / 邠州 / 邠州)

及地點:            邠州 (京畿道 邠州 邠州) 別名:桂陽、新平、豳             

淮陰 (淮南道 楚州 淮陰)            

 

 

贈新平少年

(新平の才能ある青年に贈る。)

韓信在淮陰,少年相欺凌。

韓信は淮陰にあった時は、青年の頃であったが、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、遊侠無頼の生活に終始していた。

屈體若無骨,壯心有所憑。

自分の体を屈して、ほとんど骨なしの弱弱しいやつに見えたが、胸中には壮心を持ち続け、「韓信の股くぐり」という屈辱にもよく耐えぬいたのである。

一遭龍顏君,嘯吒從此興。

はたせるかな、ひとたび龍顏の君である漢の高祖劉邦に出会うや、風雲を嘯吒して、これより劉邦の覇権を決定づける働きをした。

千金答漂母,萬古共嗟稱。

そこで、千金を以て一般の恩義のある「漂母」に報いたのであるが、それはまことに美事として、その時より、万世に嗟称されることとなった。

 

而我竟何為,寒苦坐相仍。

長風入短袂,兩手如懷冰。

故友不相恤,新交寧見矜。

摧殘檻中虎,羈紲韝上鷹。

何時騰風雲,搏擊申所能。

 

(新平の少年に贈る)

韓信は淮陰に在り,少年 相い欺凌【ぎりょう】す。

體を屈して骨無きが若し,壯心 憑る所有り。

一たび、龍顏の君に遭い,嘯吒 此れ從り興る。

千金 漂母に答え,萬古 共に嗟稱す。

 

而かも 我れ竟に何ん為れぞ,寒苦 坐ろに相い仍る。

長風 短袂に入り,兩手 冰を懷くが如し。

故友 相い恤【あわれ】まず,新交 寧ろ矜【あわ】れ見【ま】れむや。

摧殘す 檻中の虎,羈紲【はせつ】す 韝上の鷹。

何れの時か 風雲を騰げ,搏擊【はぐげき】能くする所を申べん。

 

李白の足跡003 

『贈新平少年』 現代語訳と訳註解説

(本文)

贈新平少年

韓信在淮陰,少年相欺凌。

屈體若無骨,壯心有所憑。

一遭龍顏君,嘯吒從此興。

千金答漂母,萬古共嗟稱。

 

(下し文)

(新平の少年に贈る)

韓信は淮陰に在り,少年 相い欺凌【ぎりょう】す。

體を屈して骨無きが若し,壯心 憑る所有り。

一たび、龍顏の君に遭い,嘯吒 此れ從り興る。

千金 漂母に答え,萬古 共に嗟稱す。

 

(現代語訳)

(新平の才能ある青年に贈る。)

韓信は淮陰にあった時は、青年の頃であったが、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、遊侠無頼の生活に終始していた。

自分の体を屈して、ほとんど骨なしの弱弱しいやつに見えたが、胸中には壮心を持ち続け、「韓信の股くぐり」という屈辱にもよく耐えぬいたのである。

はたせるかな、ひとたび龍顏の君である漢の高祖劉邦に出会うや、風雲を嘯吒して、これより劉邦の覇権を決定づける働きをした。

そこで、千金を以て一般の恩義のある「漂母」に報いたのであるが、それはまことに美事として、その時より、万世に嗟称されることとなった。

三峡 巫山十二峰001 

(訳注)

贈新平少年

(新平の少年に贈る)

(新平の才能ある青年に贈る。)

新平 京畿道邠州、別名としては桂陽、新平、豳である。邠() 周の先祖公劉が初めて都としたところ。邠州は、いにしえの豳国、西魏、豳州を置き、後周、隋の時も個の名称であった。唐開元十三年、邠州とし、天寶三載、新平郡とした。

()歌行上新平長史兄粲

邠谷稍稍振庭柯,涇水浩浩揚湍波。哀鴻酸嘶暮聲急,愁雲蒼慘寒氣多。

憶昨去家此為客,荷花初紅柳條碧。中宵出飲三百杯,明朝歸揖二千石。

寧知流寓變光輝,胡霜蕭颯繞客衣。寒灰寂寞憑誰暖,落葉飄揚何處歸。

吾兄行樂窮曛旭,滿堂有美顏如玉。趙女長歌入綵雲,燕醉舞嬌紅燭。

狐裘獸炭酌流霞,壯士悲吟寧見嗟。前榮後枯相翻覆,何惜餘光及棣華。

(邠【ひん】歌行、新平の長史 兄粲【けいさん】に上【たてまつ】る)

邠谷 稍稍として 庭柯を振い,涇水 浩浩として 湍波を揚ぐ。

哀鴻【あいこう】酸嘶【さんせい】暮聲 急なり,愁雲 蒼慘 寒氣多し。

憶う 昨 去家をって此に客と為り,荷花 初めて紅にして 柳條 碧なり。

中宵【ちゅうしょう】出でて 飲む 三百杯,明朝歸って 揖【ゆう】す 二千石。

寧ろ知らん 流寓 光輝を變じ,胡霜 蕭颯 客衣を繞るを。

寒灰 寂寞として 誰に憑ってか暖めん,落葉 飄揚として 何處にか歸る。

吾が兄 行樂 曛旭を窮めよ,滿堂 美有り 顏 玉の如し。

趙の女 長歌して 綵雲に入り,燕の 醉舞して 紅燭嬌なり。

狐裘 獸炭 流霞を酌み,壯士 悲吟 寧ろ 嗟せらる。

前榮後枯 相い翻覆し,何ぞ惜まん 餘光の棣華に及ぶを。

 

140-#3 《邠()歌行上新平長史兄粲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<140-#3> Ⅰ李白詩1327 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5183

少年 青年のこと。

「少年行」というのは楽府(がふ)の雑曲の題で、盛唐の詩人の多くが同題の詩を作っていますが、王維の四首は21歳、科挙に及第し、張九齢の部下として仕事についた頃、琴の名手で、絵をかき、詩もうまい、その上美男子であった。得意満面で、詠われたものであろう。

四首は四場面の劇構成になっている。

王維「少年行四首」は四場面の劇のような構成になっている。時代は漢。

少年行四首 其一   

新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  

相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。 

少年行四首 其二    

出身仕漢羽林郎、初随驃騎戦漁陽。

孰知不向辺庭苦、縦死猶聞侠骨香。 

少年行四首 其三    

一身能擘両彫弧、虜騎千重只似無。

偏坐金鞍調白羽、紛紛射殺五単于。

少年行四首 其四   

漢家君臣歓宴終、高議雲台論戦功。

天子臨軒賜侯印、将軍佩出明光宮。

 

杜甫《少年行》

貴族の子弟が酒屋において倣慢ちきに酒をのむさまをうたう。(762)宝応元年、杜甫51歳の成都での作品。李白や、王維の同名の作品は楽府、音楽に合わせて歌うように詩を読むものであるが、杜甫のこの詩は七言絶句である。

少年行

馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。

不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。

少年行二首  杜甫51歳の成都での作品

1

莫笑田家老瓦盆、自從盛酒長兇孫。

傾銀注玉驚人眼、共酔終同臥竹根。

(2)

災燕養雛渾欲去、江花結子也無多。

黄衫年少來宜敷、不見堂前東慙波。

 

李白31歳の作品

 少年行      

五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。

落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。

五陵の若者は 金市の東、繁華街、銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く。

一面に舞い散る花を踏み散らし  どこへ遊びに出かけるのか

にぎやかに笑いながら、碧眼の胡姫の酒場へ行こうというのか

 

年少は少年と同じ、日本でいう少年は童。金位置の東寄りに居酒屋があってイラン人の女性がお相手をしていた。長安は、このころ世界一の大都市であった、シルクロードの起点でもあるが、唐王朝はペルシャの一部まで領土を拡大していた。五陵の若者というのは、五つの陵墓を中心に陵園都市が形成され、繁華を誇った。このころは少し荒廃していたようであるが、李白は漢代のイメージで歌っている。それと、貴族の住居地区という意味も兼ねている。

李白 17少年行

 

韓信在淮陰,少年相欺凌。

韓信は淮陰に在り,少年 相い欺凌【ぎりょう】す。

韓信は淮陰にあった時は、青年の頃であったが、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、遊侠無頼の生活に終始していた。

韓信 秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決定付けた。張良・蕭何と共に漢の三傑の一人。 なお、同時代に戦国時代の韓の王族出身の、同じく韓信という名の人物がおり、劉邦によって韓王に封じられているが、こちらは韓王信と呼んで区別される。

 

屈體若無骨,壯心有所憑。

體を屈して骨無きが若し,壯心 憑る所有り。

自分の体を屈して、ほとんど骨なしの弱弱しいやつに見えたが、胸中には壮心を持ち続け、「韓信の股くぐり」という屈辱にもよく耐えぬいたのである。

屈體若無骨,壯心有所憑 「韓信の股くぐり」韓信の股くぐりとは、将来に大志を抱く者は、屈辱にもよく耐えるというたとえ。

淮陰 淮陰(現:江蘇省淮安市)の出身。貧乏で品行も悪かったために職に就けず、他人の家に上がり込んでは居候するという遊侠無頼の生活に終始していた。

欺凌 貧乏で品行も悪く、遊侠無頼の生活に終始していたことをいう。

 

 

一遭龍顏君,嘯吒從此興。

一たび、龍顏の君に遭い,嘯吒 此れ從り興る。

はたせるかな、ひとたび龍顏の君である漢の高祖劉邦に出会うや、風雲を嘯吒して、これより劉邦の覇権を決定づける働きをした。

龍顏君 劉邦の容姿は鼻が高く、立派な髭をしており、いわゆる龍顔、顔が長くて鼻が突き出ている顔をしていたという。また太股に72の黒子があった、72とは1360日を五行思想の5で割った数で、当時ではかなりの吉数である。・劉邦:前漢の初代皇帝。沛県の亭長(亭とは当時一定距離ごとに置かれていた宿舎のこと)であったが、反秦連合に参加した後に秦の都咸陽を陥落させ、一時は関中を支配下に入れた。その後項羽によって西方の漢中へ左遷され漢王となる。その後に東進して垓下に項羽を討ち、前漢を興した。正式には廟号が太祖、諡号が高皇帝であるが、通常は高祖と呼ばれることが多い。

 

千金答漂母,萬古共嗟稱。

千金 漂母に答え,萬古 共に嗟稱す。

そこで、千金を以て一般の恩義のある「漂母」に報いたのであるが、それはまことに美事として、その時より、万世に嗟称されることとなった。

漂母 史記、韓信の故事。淮陰にいたころ貧乏だった。人の家に居候ばかりして、嫌われていた。ある日、綿晒しに来たおばあさんが、釣りをしていた韓信を植えている様子を見て、食事をとらせた。綿晒しが終わるまで、数十日食事をさせてくれた。漂は綿をさらすこと。

李白《淮陰書懷寄王宗成》「暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。」淮陰書懷寄王宗成 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-199

李白《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首其二》「飢從漂母食。閑綴羽陵簡。」李白32 玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二

145 《贈裴十四》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<145> Ⅰ李白詩1330 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5198

李白《贈裴十四》それでも、かれは山に登るかと云えば、翠微の六合目あたりを徘徊し、仙界に向かうわけでもないし、誰一人として心の内を知る者はいないし、何処へ行くのかわからないから仕方がないと思っていたら、浮雲の如く、飄として、西の方へ行こうとしている。こんな男は吾輩の気にいった人であると思っているところだ。

 

 
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145 《贈裴十四》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<145> Ⅰ李白詩1330 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5198

 

 

年:730年開元十八年30

卷別: 卷一六八      文體: 雜言古詩

詩題: 贈裴十四

作地點:      目前尚無資料

交遊人物:裴光庭     書信往來(京畿道 京兆府長安)

 

 

贈裴十四

(裴十四にこの詩を贈る)

朝見裴叔則,朗如行玉山。

魏の「玉人」と称された裴楷という清談の人がいたが、ある朝時にその人に対すれば、仙山の玉山の上を行くようで、その日一日が、何処となく朗らかで、輝かしい光に照らされるといわれたものである。

黃河落天走東海,萬里寫入胸懷間。

裴十四という人は極めて豪放磊落のひとで、それはちょうど、黄河が西の天から東に向かって落ちてくるような勢いで、そのまま万里の長きにわたって東海に走って行くのをその胸の中の間に入れたようなものである。

身騎白黿不敢度,金高南山買君顧。

そして、その身は、黄河の主というべき白黿にまたがって、川を渡るのかというって渡らず、何処に行くのか、それほどの地元に影響力のあるものであるから、金を終南山の高さまで積み上げて、地方の節度使など自分の幕府に引き入れようとするのである。

徘徊六合無相知,飄若浮雲且西去。

それでも、かれは山に登るかと云えば、翠微の六合目あたりを徘徊し、仙界に向かうわけでもないし、誰一人として心の内を知る者はいないし、何処へ行くのかわからないから仕方がないと思っていたら、浮雲の如く、飄として、西の方へ行こうとしている。こんな男は吾輩の気にいった人であると思っているところだ。

 

(裴十四に贈る)

朝に裴叔則を見て,朗として玉山を行くが如し。

黃河 天より落ちて東海に走り,萬里 寫【そそ】いで胸懷の間に入る。

身は白黿【はくげん】に騎して敢えて度らず,金は南山より高く 君の顧るを買う。

六合に徘徊して相知無し,飄として浮雲の且く西に去るが若し。

終南山06

 

『贈裴十四』 現代語訳と訳註解説

(本文)

贈裴十四

朝見裴叔則,朗如行玉山。

黃河落天走東海,萬里寫入胸懷間。

身騎白黿不敢度,金高南山買君顧。

徘徊六合無相知,飄若浮雲且西去。

 

(下し文)

(裴十四に贈る)

朝に裴叔則を見て,朗として玉山を行くが如し。

黃河 天より落ちて東海に走り,萬里 寫【そそ】いで胸懷の間に入る。

身は白黿【はくげん】に騎して敢えて度らず,金は南山より高く 君の顧るを買う。

六合に徘徊して相知無し,飄として浮雲の且く西に去るが若し。

 

(現代語訳)

(裴十四にこの詩を贈る)

魏の「玉人」と称された裴楷という清談の人がいたが、ある朝時にその人に対すれば、仙山の玉山の上を行くようで、その日一日が、何処となく朗らかで、輝かしい光に照らされるといわれたものである。

裴十四という人は極めて豪放磊落のひとで、それはちょうど、黄河が西の天から東に向かって落ちてくるような勢いで、そのまま万里の長きにわたって東海に走って行くのをその胸の中の間に入れたようなものである。

そして、その身は、黄河の主というべき白黿にまたがって、川を渡るのかというって渡らず、何処に行くのか、それほどの地元に影響力のあるものであるから、金を終南山の高さまで積み上げて、地方の節度使など自分の幕府に引き入れようとするのである。

それでも、かれは山に登るかと云えば、翠微の六合目あたりを徘徊し、仙界に向かうわけでもないし、誰一人として心の内を知る者はいないし、何処へ行くのかわからないから仕方がないと思っていたら、浮雲の如く、飄として、西の方へ行こうとしている。こんな男は吾輩の気にいった人であると思っているところだ。

李白の足跡003 

(訳注)

贈裴十四

(裴十四にこの詩を贈る)

【解説】道教の友人の一人であろう。李白が師としていた司馬承禎が白雲を称していたので、白黿に乗ると表現し、隠遁するかと云えば、そうでもないとする自由人である。こうして送った詩は、道士の間で広がり、やがて、「一芸に秀でる」ものとなって朝廷に上ることにつながってゆく。

 

朝見裴叔則,朗如行玉山。

魏の「玉人」と称された裴楷という清談の人がいたが、ある朝時にその人に対すれば、仙山の玉山の上を行くようで、その日一日が、何処となく朗らかで、輝かしい光に照らされるといわれたものである。

裴叔則 裴楷(237291)河東聞喜の著姓。字は叔則。魏の尚書令裴潜の甥。冀州刺史裴徽の子。 博識で、特に『老子』・『周易』に通じ、清談では王戎と並称され、容姿と人品から“玉人”と称された。武帝のとき中書令・侍中に至り、子は楊駿の婿とされたが、畢に楊駿を認めず不和なままで、恵帝即位のとき太子少師とされた。 俸給すべてを一族に施し、梁王・趙王から毎年数百万銭を借りたという。

玉山 群玉山のこと。不老不死の仙女、西王母の住むという伝説上の仙山。

清平調詞三首 其一 「云想衣裳花想容、春風拂檻露華濃。若非群玉山頭見、會向瑤台月下逢。」(雲には衣裳を想い、春風 檻を払って花には容を想う、露華濃やかなり。若し 群玉山頭に見るに非ずんは、会ず 環台の月下に向いて逢わん。)

雲は艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる。春風のような愛撫により、後宮での夜の華やかな露はなまめかしい。

ああ、こんな素晴らしい美人には、あの西王母の「群玉山」のほとりで見られなければ、五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるだろう。

 

黃河落天走東海,萬里寫入胸懷間。

裴十四という人は極めて豪放磊落のひとで、それはちょうど、黄河が西の天から東に向かって落ちてくるような勢いで、そのまま万里の長きにわたって東海に走って行くのをその胸の中の間に入れたようなものである。

 

身騎白黿不敢度,金高南山買君顧。

そして、その身は、黄河の主というべき白黿にまたがって、川を渡るのかというって渡らず、何処に行くのか、それほどの地元に影響力のあるものであるから、金を終南山の高さまで積み上げて、地方の節度使など自分の幕府に引き入れようとするのである。

白黿 白い大きなスッポン亀。《楚辭九歌河伯》「乘白黿逐文魚, 與女游兮河之渚; 流澌紛兮將來下。」(白黿に乘りて文,女と兮河の渚に游べば、流澌は紛として將に來り下らんとす。)

【解説】節度使の幕僚は公式に任命されたものであるが、任命は私的な人選によるので、身分の保証はなかった。節度使が死んだ場合(転任のときも同じことであるが)、後任の節度使は、前任者の幕僚を引き継ぐ義務はない。むしろ自分の人選によって新たに幕僚を任じ、幕府を構成しようとする。もとの幕僚は失業するわけだが、文句は言えないのであって、この点が科挙を経て正式に任命された役人と違うところである。ここでいうのは、その地元に影響力のあるものを雇用するということ。

 

徘徊六合無相知,飄若浮雲且西去。

それでも、かれは山に登るかと云えば、翠微の六合目あたりを徘徊し、仙界に向かうわけでもないし、誰一人として心の内を知る者はいないし、何処へ行くのかわからないから仕方がないと思っていたら、浮雲の如く、飄として、西の方へ行こうとしている。こんな男は吾輩の気にいった人であると思っているところだ。

華山道教 

 

 

司馬承禎が白雲を称していた。司馬承禎は、天台山に住んでいた。721年に玄宗皇帝から宮中に迎え入れられ、帝に親しく法籙(道士としての資格)を授けた。天台山に桐柏観と王屋山に陽台観を、そして五嶽に真君祠を建立したのは承禎の進言によるという。737年に道士を諫議大夫という大役に任命し、741年には崇玄学という道教の学校を設置し、その卒業生が科挙の及第者と同等に官吏となれるようにしたなど、政治に道教が深く関わるようになったのは、玄宗に対する承禎の影響力を物語る。山肌が火のように赤く、形が城のように見える赤城山には、18の洞窟があり、仏教と道教の神がまつられ、なかでも玉京洞は、道教の神仙が住むとされている李白『送賀賓客帰越』:

 

李白と玉真公主との関係をひらいたのは、恐らく司馬承禎である。承禎は、字を子微といった。開元10年代の後半ぐらいであろうが、道教を以て玄宗に召されたひとである。その時、王屋山(山西省陽城県)にいたが、玄宗の妹、玉真公は玄宗の命によってここへ王屋山に使したことがある。この承禎(貞一先生)と李白とが江陵(荊州)で会ったことは、その「大鵬賦」の序にのべている。

 

 ただし周知の如く、秘書監であり、道士の資格者賀知章が彼の「蜀道難」に感嘆して、これを「謫仙人」と呼び、玄宗に推薦したといふのも重要なファクターである。

要するに承禎、玉真公主や呉筠等の道教関係の側と、賀知章との推薦が同時期に行われて、李白は翰林に入ることを得たのである。そして、玄宗が道教に傾倒していたこと、宮廷詩人はいないような状態であった。王維がいたが、張説、張九齢の派閥で、10年くらい涼州などに飛ばされ長安に帰ってきていたが、李林保などとの折り合いが悪く、半官半隠で、輞川荘の経営を本格化し始めたころである。

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李白《讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -#3こうなった上では、互いに助け合って人脈に推薦し合い、古の「管鮑の交わり」をして、千年の世にその名が残り知れ渡っているようにそれより勝る付き合いをして行かねばならんと思っている。

 

 
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年:730年開元十八年30

卷別: 卷一六八      文體: 五言古詩

詩題: 讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

作地點:      長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:      長安 (京畿道 京兆府長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都

臥龍岡 (山南東道 鄧州 南陽)  

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都       

交遊人物:崔叔封     書信往來(京畿道 京兆府長安)

 

------------------------------------------- 

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

漢道昔云季,群雄方戰爭。

霸圖各未立,割據資豪英。

赤伏起運,臥龍得孔明。

-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

魚水三顧合,風雲四海生。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

何人先見許,但有崔州平。

-3

余亦草間人,頗懷拯物情。

晚途子玉,華髮同衰榮。

託意在經濟,結交為弟兄。

毋令管與鮑,千載獨知名。

-------------------------------------------  

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

漢道昔云季,群雄方戰爭。

昔、漢道、まさに衰え、その運もしだいに衰退していったときに、群雄は戦争を事として居たのである。

霸圖各未立,割據資豪英。

群雄それぞれ霸図を建てようと画策していたが、どれもうまくいかなかった、諸方に割拠して、もっぱら豪英の士によって、その勢いを張っていた。

赤伏起運,臥龍得孔明。

この時、劉備は『赤伏符』の祥をもって帝王道をはじめとし、後漢の天子と同じ血をひくことから、王朝の衰運を挽回しようとし、臥龍という称で荊州に隠遁していた諸葛亮を得た。

-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

その諸葛亮が南陽に引き籠っていたころは、「梁甫吟」を吟じて、隴畝の間を躬耕していたのである。

魚水三顧合,風雲四海生。

劉備は、三度これを草盧に尋ね顧みて魚水の遇合を為し、四海の風雲はここから生まれてくるのである。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

こうして、諸葛亮は、岷江を中央に広がる沃野の地である巴蜀一体を平定し、はじめて漢の帝基を定めて、やがて咸陽、長安を克服しようという壮志を抱いていたのである。

何人先見許,但有崔州平。

諸葛亮は、大人物であるが、その初めは、誰も彼の才能を許すものはなかった。ただ、崔州平だけが大人物になるだろうと思っていたのである。

-3

余亦草間人,頗懷拯物情。

では、私李白はといえば、草莽の志士である。羣物を救済しようとする志望を抱いているにもかかわらず、それを許して取り上げられることが無いままでいる。

晚途子玉,華髮同衰榮。

ごく最近になって、はじめて崔子玉といわれる貴殿に出会いその思い一致したのであるが、それは、共に白髪頭になるまで、栄枯盛衰を共にしようということであった。

託意在經濟,結交為弟兄。

ともに、国家の経済に託すことで意見が一致したところで、兄弟となる契りを結んだ。

毋令管與鮑,千載獨知名。

こうなった上では、互いに助け合って人脈に推薦し合い、古の「管鮑の交わり」をして、千年の世にその名が残り知れ渡っているようにそれより勝る付き合いをして行かねばならんと思っている。

 

(諸葛武侯傳を讀み,懷を書して長安の崔少府叔封・昆季に贈)-1

漢道 昔 云【ここ】に季【すえ】,群雄 方に戰爭。

霸圖 各の未だ立たず,割據 豪英に資す。

赤伏 運をし,臥龍 孔明を得たり。

-2

其の南陽の時に當って,隴畝【りょうほ】躬 自ら耕す。

魚水 三顧して合し,風雲 四海に生ず。

武侯 岷蜀に立ち,壯志 咸京を吞む。

何人を先づ許る見【さ】る,但し崔州平有るのみ。

-3

余も亦た草間の人,頗る懷く物を拯【すく】うの情。

晚途 子玉に華髮 衰榮を同じゅうす。

意を託するは經濟に在り,交を結んで弟兄と為す。

管と鮑とをして,千載 獨り名を知ら令むる毋【な】かれ。

華州から秦州同谷成都00 

 

『讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季』 現代語訳と訳註解説

(本文) -3

余亦草間人,頗懷拯物情。

晚途子玉,華髮同衰榮。

託意在經濟,結交為弟兄。

毋令管與鮑,千載獨知名。

 

(下し文) -3

余も亦た草間の人,頗る懷く物を拯【すく】うの情。

晚途 子玉にい,華髮 衰榮を同じゅうす。

意を託するは經濟に在り,交を結んで弟兄と為す。

管と鮑とをして,千載 獨り名を知ら令むる毋【な】かれ。

 

(現代語訳)

では、私李白はといえば、草莽の志士である。羣物を救済しようとする志望を抱いているにもかかわらず、それを許して取り上げられることが無いままでいる。

ごく最近になって、はじめて崔子玉といわれる貴殿に出会いその思い一致したのであるが、それは、共に白髪頭になるまで、栄枯盛衰を共にしようということであった。

ともに、国家の経済に託すことで意見が一致したところで、兄弟となる契りを結んだ。

こうなった上では、互いに助け合って人脈に推薦し合い、古の「管鮑の交わり」をして、千年の世にその名が残り知れ渡っているようにそれより勝る付き合いをして行かねばならんと思っている。

武漢03 

(訳注) -3

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

 

余亦草間人,頗懷拯物情。

では、私李白はといえば、草莽の志士である。羣物を救済しようとする志望を抱いているにもかかわらず、それを許して取り上げられることが無いままでいる。

草間人 草莽の志士。草莽:① くさむら。田舎。②民間。在野。世間。

 

晚途子玉,華髮同衰榮。

ごく最近になって、はじめて崔子玉といわれる貴殿に出会いその思い一致したのであるが、それは、共に白髪頭になるまで、栄枯盛衰を共にしようということであった。

子玉 崔子玉のこと、崔瑗,字を子玉という。東漢の書法家である,涿郡安平(今屬河北省)の人。「四殺」という座右の銘としていた。それは、人は欲を持つことで自分を殺し、財産を残すことで子孫を殺す。 政治を間違うと民を殺し、 学問教育を間違うと天下を殺す。と同じ姓であったのでこう呼んだが、書が上手かったのであろう。

 

託意在經濟,結交為弟兄。

ともに、国家の経済に託すことで意見が一致したところで、兄弟となる契りを結んだ。

 

毋令管與鮑,千載獨知名。

こうなった上では、互いに助け合って人脈に推薦し合い、古の「管鮑の交わり」をして、千年の世にその名が残り知れ渡っているようにそれより勝る付き合いをして行かねばならんと思っている。

管與鮑 管鮑の交わりのこと。管鮑の管は管仲、鮑は鮑叔を指し、この言葉は管仲と鮑叔の間の友情をうたったもの。それをよく物語っているのが、「史記」管晏列伝に記されている、宰相となった管仲が語っった言葉である。
李白図102 

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李白《讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -#2その諸葛亮が南陽に引き籠っていたころは、「梁甫吟」を吟じて、隴畝の間を躬耕していたのである。劉備は、三度これを草盧に尋ね顧みて魚水の遇合を為し、四海の風雲はここから生まれてくるのである。


 
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諸葛亮は荊州で弟と共に晴耕雨読の生活に入り、好んで「梁父吟」を歌っていたという。この時期には自らを管仲・楽毅に比していたが、当時の人間でこれを認める者はいなかった。ただ親友の(崔州平 太尉・崔烈の子、崔均の弟)や徐庶だけがそれを認めていたという。また、この時期に地元の名士・黄承彦の娘を娶ったようである。これは裴松之注に引く『襄陽記』に見える話で、黄承彦は「私の娘は色が黒くて醜いが、才能は君に娶わせるに足る」と言い、諸葛亮はこれを受け入れた。周囲ではこれを笑って「孔明の嫁選びを真似てはいけない」と囃し立てたという。これ以降、不器量の娘を進んで選ぶことを「孔明の嫁選び」と呼ぶようになった。

 

舅の黄承彦の妻は襄陽の豪族蔡瑁の長姉であり、蔡瑁の次姉は劉表の妻であるため、蔡瑁・劉表は義理の叔父に当たる。また、諸葛亮の長姉は蒯祺の妻、次姉は龐徳公の息子の妻であり、龐徳公の甥の龐統も親戚である。

 

三顧の礼

この頃華北では、建安5年(200年)に曹操が袁紹を打ち破って覇権を手中にし、南進の機会を窺っていた。劉備は袁紹の陣営を離れて劉表を頼り、荊州北部・新野(河南省南陽市新野県)に居城を貰っていた。

諸葛亮は晴耕雨読の毎日を送っていたが、友人の徐庶が劉備の下に出入りして、諸葛亮のことを劉備に話した。人材を求める劉備は徐庶に諸葛亮を連れてきてくれるように頼んだが、徐庶は「諸葛亮は私が呼んだくらいで来るような人物ではない」と言ったため、劉備は3度諸葛亮の家に足を運び、やっと幕下に迎えることができた。これが有名な「三顧の礼」である。裴松之の注によると、『襄陽記』には、劉備が人物鑑定家として有名な司馬徽を訪ね、司馬徽は「時勢を識るは俊傑にあり」として「伏竜」と「鳳雛」、すなわち諸葛亮と龐統とを薦めたという話が載る。また『魏略』には、諸葛亮の方から劉備を訪ねたという話が載っていたという。その後に裴松之自身の案語として、「「出師表」には明らかに劉備が諸葛亮を訪ねたと書いてある。それなのにこんな異説を立てるとは、実にわけの分らぬ話である」とある。

 

この時、諸葛亮は劉備に対していわゆる「天下三分の計」を披露し、曹操・孫権と当たることを避けてまず荊州・益州を領有し、その後に天下を争うべきだと勧めた。これを聞いた劉備は諸葛亮の見識に惚れ込み、諸葛亮は劉備に仕えることを承諾した。これを孔明の出廬と呼ぶ。

 

 

年:730年開元十八年30

卷別: 卷一六八      文體: 五言古詩

詩題: 讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

作地點:      長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:      長安 (京畿道 京兆府長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都

臥龍岡 (山南東道 鄧州 南陽)  

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都       

交遊人物:崔叔封     書信往來(京畿道 京兆府長安)

 

 

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

漢道昔云季,群雄方戰爭。

霸圖各未立,割據資豪英。

赤伏起運,臥龍得孔明。

-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

魚水三顧合,風雲四海生。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

何人先見許,但有崔州平。

-3

余亦草間人,頗懷拯物情。

晚途子玉,華髮同衰榮。

託意在經濟,結交為弟兄。

毋令管與鮑,千載獨知名。

 

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

漢道昔云季,群雄方戰爭。

昔、漢道、まさに衰え、その運もしだいに衰退していったときに、群雄は戦争を事として居たのである。

霸圖各未立,割據資豪英。

群雄それぞれ霸図を建てようと画策していたが、どれもうまくいかなかった、諸方に割拠して、もっぱら豪英の士によって、その勢いを張っていた。

赤伏起運,臥龍得孔明。

この時、劉備は『赤伏符』の祥をもって帝王道をはじめとし、後漢の天子と同じ血をひくことから、王朝の衰運を挽回しようとし、臥龍という称で荊州に隠遁していた諸葛亮を得た。

-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

その諸葛亮が南陽に引き籠っていたころは、「梁甫吟」を吟じて、隴畝の間を躬耕していたのである。

魚水三顧合,風雲四海生。

劉備は、三度これを草盧に尋ね顧みて魚水の遇合を為し、四海の風雲はここから生まれてくるのである。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

こうして、諸葛亮は、岷江を中央に広がる沃野の地である巴蜀一体を平定し、はじめて漢の帝基を定めて、やがて咸陽、長安を克服しようという壮志を抱いていたのである。

何人先見許,但有崔州平。

諸葛亮は、大人物であるが、その初めは、誰も彼の才能を許すものはなかった。ただ、崔州平だけが大人物になるだろうと思っていたのである。

 

(諸葛武侯傳を讀み,懷を書して長安の崔少府叔封・昆季に贈)-1

漢道 昔 云【ここ】に季【すえ】,群雄 方に戰爭。

霸圖 各の未だ立たず,割據 豪英に資す。

赤伏 運をし,臥龍 孔明を得たり。

-2

其の南陽の時に當って,隴畝【りょうほ】躬 自ら耕す。

魚水 三顧して合し,風雲 四海に生ず。

武侯 岷蜀に立ち,壯志 咸京を吞む。

何人を先づ許る見【さ】る,但し崔州平有るのみ。

-3

余も亦た草間の人,頗る懷く物を拯【すく】うの情。

晚途 子玉に華髮 衰榮を同じゅうす。

意を託するは經濟に在り,交を結んで弟兄と為す。

管と鮑とをして,千載 獨り名を知ら令むる毋【な】かれ。

嚢陽一帯00 

 

『讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季』 現代語訳と訳註解説

(本文)-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

魚水三顧合,風雲四海生。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

何人先見許,但有崔州平。

 

(下し文)-2

其の南陽の時に當って,隴畝【りょうほ】躬 自ら耕す。

魚水 三顧して合し,風雲 四海に生ず。

武侯 岷蜀に立ち,壯志 咸京を吞む。

何人を先づ許る見【さ】る,但し崔州平有るのみ。

 

(現代語訳)

その諸葛亮が南陽に引き籠っていたころは、「梁甫吟」を吟じて、隴畝の間を躬耕していたのである。

劉備は、三度これを草盧に尋ね顧みて魚水の遇合を為し、四海の風雲はここから生まれてくるのである。

こうして、諸葛亮は、岷江を中央に広がる沃野の地である巴蜀一体を平定し、はじめて漢の帝基を定めて、やがて咸陽、長安を克服しようという壮志を抱いていたのである。

諸葛亮は、大人物であるが、その初めは、誰も彼の才能を許すものはなかった。ただ、崔州平だけが大人物になるだろうと思っていたのである。

 

 

(訳注) -2

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

 

當其南陽時,隴畝躬自耕。

その諸葛亮が南陽に引き籠っていたころは、「梁甫吟」を吟じて、隴畝の間を躬耕していたのである。

南陽・隴畝・躬自耕 これらは、以下の詩と解説に詳しく述べている。

諸葛亮《梁甫吟》梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

李白《梁甫吟》梁甫吟 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -298

 

魚水三顧合,風雲四海生。

劉備は、三度これを草盧に尋ね顧みて魚水の遇合を為し、四海の風雲はここから生まれてくるのである。

魚水 魚水之契:魚と水がきりはなせない関係にあるように親密な交際。

三顧 劉備は3度諸葛亮の家に足を運び、やっと幕下に迎えることができた。これが有名な「三顧の礼」である。この時、諸葛亮は劉備に対していわゆる「天下三分の計」を披露し、曹操・孫権と当たることを避けてまず荊州・益州を領有し、その後に天下を争うべきだと勧めた。

 

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

こうして、諸葛亮は、岷江を中央に広がる沃野の地である巴蜀一体を平定し、はじめて漢の帝基を定めて、やがて咸陽、長安を克服しようという壮志を抱いていたのである。

岷蜀 岷江を中央に広がる沃野の地である巴蜀一体。

壯志 雄大な志を立てる.勇壮な感情と偉大な志で胸をいっぱいにする.

咸京 咸陽、長安。

 

何人先見許,但有崔州平。

諸葛亮は、大人物であるが、その初めは、誰も彼の才能を許すものはなかった。ただ、崔州平だけが大人物になるだろうと思っていたのである。

崔州平 博陵の人。大尉崔烈の子、崔鈞の弟《諸葛亮伝》。諸葛亮・徐庶らとともに荊州に遊学した。諸葛亮はみずからを管仲・楽毅になぞらえていたが、崔州平はその通りだと思っていた《諸葛亮伝》。

李白図102 

この頃華北では、建安5年(200年)に曹操が袁紹を打ち破って覇権を手中にし、南進の機会を窺っていた。劉備は袁紹の陣営を離れて劉表を頼り、荊州北部・新野(河南省南陽市新野県)に居城を貰っていた。

諸葛亮は晴耕雨読の毎日を送っていたが、友人の徐庶が劉備の下に出入りして、諸葛亮のことを劉備に話した。人材を求める劉備は徐庶に諸葛亮を連れてきてくれるように頼んだが、徐庶は「諸葛亮は私が呼んだくらいで来るような人物ではない」と言ったため、劉備は3度諸葛亮の家に足を運び、やっと幕下に迎えることができた。これが有名な「三顧の礼」である。裴松之の注によると、『襄陽記』には、劉備が人物鑑定家として有名な司馬徽を訪ね、司馬徽は「時勢を識るは俊傑にあり」として「伏竜」と「鳳雛」、すなわち諸葛亮と龐統とを薦めたという話が載る。また『魏略』には、諸葛亮の方から劉備を訪ねたという話が載っていたという。その後に裴松之自身の案語として、「「出師表」には明らかに劉備が諸葛亮を訪ねたと書いてある。それなのにこんな異説を立てるとは、実にわけの分らぬ話である」とある。

この時、諸葛亮は劉備に対していわゆる「天下三分の計」を披露し、曹操・孫権と当たることを避けてまず荊州・益州を領有し、その後に天下を争うべきだと勧めた。これを聞いた劉備は諸葛亮の見識に惚れ込み、諸葛亮は劉備に仕えることを承諾した。これを孔明の出廬と呼ぶ。

143-1 《讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -#1》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<143-1> Ⅰ李白詩1334 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5218

李白143-1 《讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -#1諸葛亮は荊州で弟と共に晴耕雨読の生活に入り、好んで「梁父吟」を歌っていたという。この時期には自らを管仲・楽毅に比していたが、当時の人間でこれを認める者はいなかった。

 
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143-1 《讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -#1Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<143-1> Ⅰ李白詩1334 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5218

 

後漢は2世紀以後、幼い皇帝がつづいた。覇気のない皇帝が多かった。これは前漢の末期と同じで、外戚や宦官が権力を握るようなったのも同じであった。とくに後漢は宦官が力をもって宮廷を牛耳った。官僚と宦官化共に権勢を爭った。宦官におもねって出世しようとする官僚もいたが、かれらの専権に抵抗して後漢の政治をまっとうな姿にしようとする理想家肌の官僚たちもかなりいた。こういう官僚のことを「清流」といい、清流官僚たちは宦官を批判し、世論もかれらの味方をした。

 

 

年:730年開元十八年30

卷別: 卷一六八      文體: 五言古詩

詩題: 讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

作地點:      長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:      長安 (京畿道 京兆府長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都

臥龍岡 (山南東道 鄧州 南陽)  

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都       

交遊人物:崔叔封     書信往來(京畿道 京兆府長安)

 

 

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

漢道昔云季,群雄方戰爭。

霸圖各未立,割據資豪英。

赤伏起運,臥龍得孔明。

-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

魚水三顧合,風雲四海生。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

何人先見許,但有崔州平。

-3

余亦草間人,頗懷拯物情。

晚途子玉,華髮同衰榮。

託意在經濟,結交為弟兄。

毋令管與鮑,千載獨知名。

 

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

漢道昔云季,群雄方戰爭。

昔、漢道、まさに衰え、その運もしだいに衰退していったときに、群雄は戦争を事として居たのである。

霸圖各未立,割據資豪英。

群雄それぞれ霸図を建てようと画策していたが、どれもうまくいかなかった、諸方に割拠して、もっぱら豪英の士によって、その勢いを張っていた。

赤伏起運,臥龍得孔明。

この時、劉備は『赤伏符』の祥をもって帝王道をはじめとし、後漢の天子と同じ血をひくことから、王朝の衰運を挽回しようとし、臥龍という称で荊州に隠遁していた諸葛亮を得た。

 

(諸葛武侯傳を讀み,懷を書して長安の崔少府叔封・昆季に贈)-1

漢道 昔 云【ここ】に季【すえ】,群雄 方に戰爭。

霸圖 各の未だ立たず,割據 豪英に資す。

赤伏 運をし,臥龍 孔明を得たり。

-2

其の南陽の時に當って,隴畝【りょうほ】躬 自ら耕す。

魚水 三顧して合し,風雲 四海に生ず。

武侯 岷蜀に立ち,壯志 咸京を吞む。

何人を先づ許る見【さ】る,但し崔州平有るのみ。

-3

余も亦た草間の人,頗る懷く物を拯【すく】うの情。

晚途 子玉に華髮 衰榮を同じゅうす。

意を託するは經濟に在り,交を結んで弟兄と為す。

管と鮑とをして,千載 獨り名を知ら令むる毋【な】かれ。

 

 

『讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季』 現代語訳と訳註解説

(本文)-1

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

漢道昔云季,群雄方戰爭。

霸圖各未立,割據資豪英。

赤伏起運,臥龍得孔明。

 

(下し文)

(諸葛武侯傳を讀み,懷を書して長安の崔少府叔封・昆季に贈)-1

漢道 昔 云【ここ】に季【すえ】,群雄 方に戰爭。

霸圖 各の未だ立たず,割據 豪英に資す。

赤伏 運を起し,臥龍 孔明を得たり。

 

(現代語訳)

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

昔、漢道、まさに衰え、その運もしだいに衰退していったときに、群雄は戦争を事として居たのである。

この時、劉備は『赤伏符』の祥をもって帝王道をはじめとし、後漢の天子と同じ血をひくことから、王朝の衰運を挽回しようとし、臥龍という称で荊州に隠遁していた諸葛亮を得た。

 

嚢陽一帯00 

(訳注)

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

 

漢道昔云季,群雄方戰爭。

昔、漢道、まさに衰え、その運もしだいに衰退していったときに、群雄は戦争を事として居たのである。

漢道昔云季 漢道は衰える。皇帝の権威はゆるみ。政治は徳からはずれた。衆には不満がくすぶり。民は暗き黄巾に集まった。武烈あかるく。龍の飛翔を越え。 天衡を渡り。霊威を輝かせ。

 

霸圖各未立,割據資豪英。

群雄それぞれ霸図を建てようと画策していたが、どれもうまくいかなかった、諸方に割拠して、もっぱら豪英の士によって、その勢いを張っていた。

 

赤伏起運,臥龍得孔明。

この時、劉備は『赤伏符』の祥をもって帝王道をはじめとし、後漢の天子と同じ血をひくことから、王朝の衰運を挽回しようとし、臥龍という称で荊州に隠遁していた諸葛亮を得た。

赤伏 (『後漢書』列伝12)。“その根拠は『赤伏符』中の「王梁、衛を主【つかさど】って玄武と作る」という讖文であり、劉秀はこれを「野王は衛のうつる所、玄武は水神の名、司空は水土の官」と解釈した。”とある。
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142-3 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二 -#3》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<142-3> Ⅰ李白詩1333 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5213

李白《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二 -#3こうして、この世において思う存分功業を成し遂げ、衣を払って去り、かの滄州のほとりに逍遥して仙郷を味わいたいと思っておるところで、その辺りをお含み頂、ご登用の御助力をいただきたいものである。

 
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142-3 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二 -#3》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<142-3> Ⅰ李白詩1333 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5213 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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27-#17 《此日足可惜贈張籍-17》韓愈(韓退之)ID <1246> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5214韓愈詩-27-#17 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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142-3 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二 -#3Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<142-3> Ⅰ李白詩1333 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5213

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

作地點:              終南山(京畿道 / 京兆府 / )

及地點:金張館 (京畿道 京兆府 ) 別名:別館      

丹徒 (江南東道 潤州 丹徒)              

交遊人物:玉真公主           詩文提及

 

 

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

苦雨思白日,浮雲何由卷。

連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

稷契和天人,陰陽乃驕蹇。

農耕の神様である后稷や契の伝説の時代は天地と家臣とも、上手く馴染んでいたが、今日の世は陰陽二気は、勝手に驕り、昂って、このような天候不順、長雨を降らしている。

秋霖劇倒井,昏霧橫巘。

秋霖の勢いは、凄まじいもので、井戸を逆さまにしたよりも激しい程で、暗い霧の中で、嶮しい峰巒まで横たわり、覆い尽くしている。

欲往咫尺塗,遂成山川限。

そこで、極近いところへ行こうと思っても、幾重の山川がこれが限って遮っていて、容易に行くことができない。

-#2

潀潀奔溜聞,浩浩驚波轉。

雨水は道路にあふれ、ごうごうとため池から水があふれ、潀潀と水音を高くする、そして、一面水面となり、風が吹き、浩々と大波が寄せてくる。

泥沙塞中途,牛馬不可辨。

それから流れ来る水は土石流となり、行く手を遮り、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位で、洪水の水は広々とたたえている。

飢從漂母食,閒綴羽陵簡。

私は、玉真公主の別館に逗留しているので、丁度、韓信の故事の漂泊する老婆に数十日食事をさせてくれたことと同様にお世話になっている、外がこんな様子であるから、格別用があるわけではないので、暇に任せてかの羽陵の蠧書虫に食われた本を綴りなおす

園家逢秋蔬,藜藿不滿眼。

いまは農家では秋野菜の収穫期であるのに、此処での食膳にでてくるものとして藜と豆の葉の類位で、それさえも充分ではないのだ。

蠨蛸結思幽,蟋蟀傷褊淺。

室中には足高蜘蛛がでてきて網をかけた上で静かにしていて、愁いをひくコオロギの声も門庭の狭さを際立たせるようなもので心が痛む。

-#3

廚灶無青煙,刀機生綠蘚。

何にせよ、公主の別館は人の出入りがなく、食物さえ碌に調理できないから、調理場の釜戸には青煙が上ることなく、包丁もまな板も用いずしてそのまま放置したままで、その上に苔を生じているほどだ。

投箸解鷫鷞,換酒醉北堂。

此れではどうにも仕方がない、端をなげうって食をやめ、身に着けている鷫鷞裘を解き、これを司馬相如のように売って酒を買い、北堂に坐して痛飲し、憂さを晴らした。

丹徒布衣者,慷慨未可量。

昔、南朝宋の劉穆之は丹徒の布衣であって、初めは貧困で怒り嘆くこともあったが、自分たちも今、この通りで、胸も張り裂けんばかりの気持ちでいる。

何時黃金盤,一斛薦檳榔。

何時になったら劉穆之のようにふきになって一斛の檳榔を黄金の大盤に盛り付けて、恥をかかされた者たちを見返すことができるだろうか。

功成拂衣去,搖曳滄洲傍。

こうして、この世において思う存分功業を成し遂げ、衣を払って去り、かの滄州のほとりに逍遥して仙郷を味わいたいと思っておるところで、その辺りをお含み頂、ご登用の御助力をいただきたいものである。

 

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の二)

苦雨【くう】 白日【はくじつ】を思う、浮雲  何に由【よ】ってか巻かん。

稷【しょく】 契【せつ】 天人を和し、陰陽 仍【な】お驕蹇【きょうけん】たり。

秋霖【しゅうりん】 劇【はげ】しく井を倒【さかしま】にし、昏霧 絶巘【ぜつけん】に横たわる。

咫尺【しせき】の塗【みち】を往かんと欲するも、遂に山川【さんせん】の限りを成()す。

-#2

潨潨【そうそう】として奔溜【ほんりゅう】瀉【そそ】ぎ、浩浩として驚波転ず。

泥沙【でいさ】 中途を塞ぎ、牛馬  (べん)ず可からず。

飢えて漂母に従って食し、閑【かん】に  羽林【うりん】の簡【かん】を 綴る。

園家【えんか】 秋蔬【しゅうそ】に逢うに、藜藿【れいかく】 眼に満たず。

蠨蛸【しょうしょう】 思幽【しゆう】を結び、蟋蟀【しつしゅつ】 褊浅【へんせん】を傷(いた)む。

 

-#3

厨竃【ちゅうそう】青烟【せいえん】無く、刀机【とうき】 緑蘚を生ず。

筯【はし】投じて鷫霜【しゅくそう】を解き、酒に換えて北堂に酔う。

丹徒【たんと】布衣の者、慷慨  未だ量【はか】る可からず。

何【いずれ】の時か 黄金の盤、一斛【いっこく】の檳榔【びんろう】を薦めん。

功成【な】らば衣を払って去り、滄洲の傍らに揺裔【ようえい】せん。

 

李白の足跡003 

『玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文) -#3

廚灶無青煙,刀機生綠蘚。

投箸解鷫鷞,換酒醉北堂。

丹徒布衣者,慷慨未可量。

何時黃金盤,一斛薦檳榔。

功成拂衣去,搖曳滄洲傍。

 

(下し文) -#3

厨竃【ちゅうそう】青烟【せいえん】無く、刀机【とうき】 緑蘚を生ず。

筯【はし】投じて鷫霜【しゅくそう】を解き、酒に換えて北堂に酔う。

丹徒【たんと】布衣の者、慷慨  未だ量【はか】る可からず。

何【いずれ】の時か 黄金の盤、一斛【いっこく】の檳榔【びんろう】を薦めん。

功成【な】らば衣を払って去り、滄洲の傍らに揺裔【ようえい】せん。

 

(現代語訳)

何にせよ、公主の別館は人の出入りがなく、食物さえ碌に調理できないから、調理場の釜戸には青煙が上ることなく、包丁もまな板も用いずしてそのまま放置したままで、その上に苔を生じているほどだ。

此れではどうにも仕方がない、端をなげうって食をやめ、身に着けている鷫鷞裘を解き、これを司馬相如のように売って酒を買い、北堂に坐して痛飲し、憂さを晴らした。

昔、南朝宋の劉穆之は丹徒の布衣であって、初めは貧困で怒り嘆くこともあったが、自分たちも今、この通りで、胸も張り裂けんばかりの気持ちでいる。

何時になったら劉穆之のようにふきになって一斛の檳榔を黄金の大盤に盛り付けて、恥をかかされた者たちを見返すことができるだろうか。

こうして、この世において思う存分功業を成し遂げ、衣を払って去り、かの滄州のほとりに逍遥して仙郷を味わいたいと思っておるところで、その辺りをお含み頂、ご登用の御助力をいただきたいものである。

 

(訳注) -#3

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

この詩は李白が玉真公主別館に滞在する間に、長雨に遭い、申し訳なく感じていたので、この詩を賦して、張説の息子張(求職を訴えていた)に贈ったもの。

玉真公主は睿宗のむすめ、字は持盈【じえい】、大極元年、出家して道士となった人である。この詩はその玉真公主に献じたものである。魏顥の言に倚れば李白は事あるごとに公主に献じていたという。

 

廚灶無青煙,刀機生綠蘚。

何にせよ、公主の別館は人の出入りがなく、食物さえ碌に調理できないから、調理場の釜戸には青煙が上ることなく、包丁もまな板も用いずしてそのまま放置したままで、その上に苔を生じているほどだ。

 

投箸解鷫鷞,換酒醉北堂。

此れではどうにも仕方がない、端をなげうって食をやめ、身に着けている鷫鷞裘を解き、これを司馬相如のように売って酒を買い、北堂に坐して痛飲し、憂さを晴らした。

投箸 《行路難 三首 其一》「金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。停杯投箸不能食,拔劒四顧心茫然。」(金樽の清酒 斗十千,玉盤の珍羞【ちんしゅう】 直【あたい】 萬錢【ばんぜん】。杯を停め箸を投じて 食う能わず,劒を拔いて四顧し心 茫然。)
金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万銭もする。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。そうやって盃を交わしていても、杯をおき、箸をおく。食べてはいられない気持ちなのだ。気分を変えるため、剣を抜き、四方の霊に問うてみるが、心は茫然としてとりとめない。

行路難 三首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183

鷫鷞 西方の神鳥。「五方の神鳥なり。東方發明、南方焦明、西方鷫鷞、北方幽昌、中央鳳皇なり」とある。鷫鷞はまた雁に似た鳥や、飛鼠のこともいう。司馬相如が鷫鷞裘を作り、それを売り酒を買った。

 

丹徒布衣者,慷慨未可量。

昔、南朝宋の劉穆之は丹徒の布衣であって、初めは貧困で怒り嘆くこともあったが、自分たちも今、この通りで、胸も張り裂けんばかりの気持ちでいる。

丹徒布衣 南朝宋の劉穆之の故事で、劉穆之が丹徒(たんと・江蘇省鎮江市)に住んで無冠であった。妻の兄の家に行って飲食をし侮辱を受る。のちに宋の武帝に仕えて丹陽(江蘇省丹陽県)の長官になったとき、妻の兄弟を招いてご馳走し、最後に檳榔一斛を金の皿に盛って供し、かつての屈辱を晴らした。

慷慨 1 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。2 意気が盛んなこと。

 

何時黃金盤,一斛薦檳榔。

何時になったら劉穆之のようにふきになって一斛の檳榔を黄金の大盤に盛り付けて、恥をかかされた者たちを見返すことができるだろうか。

檳榔 檳榔酒のことで、檳榔の実を搾った汁液を発酵させた酒。仙郷の酒を表すことで、美味のものをそろえることをいう。

《南史.劉穆之傳》記載:「穆之少時,家貧誕節,不修拘檢。好往妻兄家乞食,多見辱, 不以為恥。其妻江嗣女,甚明識,每禁不令往江氏。後有慶會,屬令勿來。穆之猶往,食畢求檳榔。

 

功成拂衣去,搖曳滄洲傍。

こうして、この世において思う存分功業を成し遂げ、衣を払って去り、かの滄州のほとりに逍遥して仙郷を味わいたいと思っておるところで、その辺りをお含み頂、ご登用の御助力をいただきたいものである。

滄洲 実際の地名というよりは、水辺の土地をいい、隠者の住むところを象徴する。前聯の「海行」がかかる。謝眺『之宣城、出新林浦、向版橋』『文選』巻二七に「既懽懐禄情、復協滄州趣」(禄を得たいという心情にもかない、また隠遁したいという心にもかなうのだ)とある。李白『夜泊黄山聞殷十四呉吟』「朝来果是滄州逸、酤酒提盤飯霜栗。」『春日獨酌 二首 其二』「我有紫霞想、緬懷滄洲間。
巫山十二峰002 

142-2 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二 -#2》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<142-2> Ⅰ李白詩1332 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5208

李白《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二 -#2それから流れ来る水は土石流となり、行く手を遮り、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位で、洪水の水は広々とたたえている。

 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

作地點:              終南山(京畿道 / 京兆府 / )

及地點:金張館 (京畿道 京兆府 ) 別名:別館      

丹徒 (江南東道 潤州 丹徒)              

交遊人物:玉真公主           詩文提及

 

 

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

苦雨思白日,浮雲何由卷。

連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

稷契和天人,陰陽乃驕蹇。

農耕の神様である后稷や契の伝説の時代は天地と家臣とも、上手く馴染んでいたが、今日の世は陰陽二気は、勝手に驕り、昂って、このような天候不順、長雨を降らしている。

秋霖劇倒井,昏霧橫巘。

秋霖の勢いは、凄まじいもので、井戸を逆さまにしたよりも激しい程で、暗い霧の中で、嶮しい峰巒まで横たわり、覆い尽くしている。

欲往咫尺塗,遂成山川限。

そこで、極近いところへ行こうと思っても、幾重の山川がこれが限って遮っていて、容易に行くことができない。

-#2

潀潀奔溜聞,浩浩驚波轉。

雨水は道路にあふれ、ごうごうとため池から水があふれ、潀潀と水音を高くする、そして、一面水面となり、風が吹き、浩々と大波が寄せてくる。

泥沙塞中途,牛馬不可辨。

それから流れ来る水は土石流となり、行く手を遮り、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位で、洪水の水は広々とたたえている。

飢從漂母食,閒綴羽陵簡。

私は、玉真公主の別館に逗留しているので、丁度、韓信の故事の漂泊する老婆に数十日食事をさせてくれたことと同様にお世話になっている、外がこんな様子であるから、格別用があるわけではないので、暇に任せてかの羽陵の蠧書虫に食われた本を綴りなおす

園家逢秋蔬,藜藿不滿眼。

いまは農家では秋野菜の収穫期であるのに、此処での食膳にでてくるものとして藜と豆の葉の類位で、それさえも充分ではないのだ。

蠨蛸結思幽,蟋蟀傷褊淺。

室中には足高蜘蛛がでてきて網をかけた上で静かにしていて、愁いをひくコオロギの声も門庭の狭さを際立たせるようなもので心が痛む。

-#3

廚灶無青煙,刀機生綠蘚。

投箸解鷫鷞,換酒醉北堂。

丹徒布衣者,慷慨未可量。

何時黃金盤,一斛薦檳榔。

功成拂衣去,搖曳滄洲傍。

 

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の二)

苦雨【くう】 白日【はくじつ】を思う、浮雲  何に由【よ】ってか巻かん。

稷【しょく】 契【せつ】 天人を和し、陰陽 仍【な】お驕蹇【きょうけん】たり。

秋霖【しゅうりん】 劇【はげ】しく井を倒【さかしま】にし、昏霧 絶巘【ぜつけん】に横たわる。

咫尺【しせき】の塗【みち】を往かんと欲するも、遂に山川【さんせん】の限りを成()す。

-#2

潨潨【そうそう】として奔溜【ほんりゅう】瀉【そそ】ぎ、浩浩として驚波転ず。

泥沙【でいさ】 中途を塞ぎ、牛馬  (べん)ず可からず。

飢えて漂母に従って食し、閑【かん】に  羽林【うりん】の簡【かん】を 綴る。

園家【えんか】 秋蔬【しゅうそ】に逢うに、藜藿【れいかく】 眼に満たず。

蠨蛸【しょうしょう】 思幽【しゆう】を結び、蟋蟀【しつしゅつ】 褊浅【へんせん】を傷(いた)む。

 

-#3

厨竃【ちゅうそう】青烟【せいえん】無く、刀机【とうき】 緑蘚を生ず。

筯【はし】投じて鷫霜【しゅくそう】を解き、酒に換えて北堂に酔う。

丹徒【たんと】布衣の者、慷慨  未だ量【はか】る可からず。

何【いずれ】の時か 黄金の盤、一斛【いっこく】の檳榔【びんろう】を薦めん。

功成【な】らば衣を払って去り、滄洲の傍らに揺裔【ようえい】せん。

 

函谷関長安地図座標005

 

『玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文)

潀潀奔溜聞,浩浩驚波轉。

泥沙塞中途,牛馬不可辨。

飢從漂母食,閒綴羽陵簡。

園家逢秋蔬,藜藿不滿眼。

蠨蛸結思幽,蟋蟀傷褊淺。

 

(下し文) #2

潨潨【そうそう】として奔溜【ほんりゅう】瀉【そそ】ぎ、浩浩として驚波転ず。

泥沙【でいさ】 中途を塞ぎ、牛馬  (べん)ず可からず。

飢えて漂母に従って食し、閑【かん】に  羽林【うりん】の簡【かん】を 綴る。

園家【えんか】 秋蔬【しゅうそ】に逢うに、藜藿【れいかく】 眼に満たず。

蠨蛸【しょうしょう】 思幽【しゆう】を結び、蟋蟀【しつしゅつ】 褊浅【へんせん】を傷(いた)む。

 

 (現代語訳)

雨水は道路にあふれ、ごうごうとため池から水があふれ、潀潀と水音を高くする、そして、一面水面となり、風が吹き、浩々と大波が寄せてくる。

それから流れ来る水は土石流となり、行く手を遮り、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位で、洪水の水は広々とたたえている。

私は、玉真公主の別館に逗留しているので、丁度、韓信の故事の漂泊する老婆に数十日食事をさせてくれたことと同様にお世話になっている、外がこんな様子であるから、格別用があるわけではないので、暇に任せてかの羽陵の蠧書虫に食われた本を綴りなおす

いまは農家では秋野菜の収穫期であるのに、此処での食膳にでてくるものとして藜と豆の葉の類位で、それさえも充分ではないのだ。

室中には足高蜘蛛がでてきて網をかけた上で静かにしていて、愁いをひくコオロギの声も門庭の狭さを際立たせるようなもので心が痛む。

長安付近図00 

(訳注) -#2

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

この詩は李白が玉真公主別館に滞在する間に、長雨に遭い、申し訳なく感じていたので、この詩を賦して、張説の息子張(求職を訴えていた)に贈ったもの。

玉真公主は睿宗のむすめ、字は持盈【じえい】、大極元年、出家して道士となった人である。この詩はその玉真公主に献じたものである。魏顥の言に倚れば李白は事あるごとに公主に献じていたという。

 

 

潀潀奔溜聞,浩浩驚波轉。

雨水は道路にあふれ、ごうごうとため池から水があふれ、潀潀と水音を高くする、そして、一面水面となり、風が吹き、浩々と大波が寄せてくる。

潀潀 水があつまる、ぶつかって音が出るさま。

奔溜 ため池から水があふれでる。

 

泥沙塞中途,牛馬不可辨。

それから流れ来る水は土石流となり、行く手を遮り、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位で、洪水の水は広々とたたえている。

牛馬不可辨 荘子「秋水時至、百川灌河。渓流之大、両涘渚崖之間、不弁牛馬。於是、河伯欣然自喜、以天下之美為尽在己、順流而東、行至於北海。東面而視、不見水端。」

秋の季節が来て、多くの川が(黄)河に流れ込み、水かさが増えた河幅は広がって、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位である。そこで、黄河の神である河伯(かはく)は喜びを抑えきれず、自分は天下の美観全てを集め尽していると考え、流れに従って東へ、北海までやってきた。そこで東方に視線を向けると、海はその果てが見えない程である。

 

飢從漂母食,閒綴羽陵簡。

私は、玉真公主の別館に逗留しているので、丁度、韓信の故事の漂泊する老婆に数十日食事をさせてくれたことと同様にお世話になっている、外がこんな様子であるから、格別用があるわけではないので、暇に任せてかの羽陵の蠧書虫に食われた本を綴りなおす

漂母 《洗濯をする老女が、貧窮の若い韓信に食事を恵み与えたという「史記」淮陰侯伝の故事から》食を恵む老女。史記、韓信の故事。淮陰にいたころ貧乏だった。人の家に居候ばかりして、嫌われていた。ある日、綿晒しに来たおばあさんが、釣りをしていた韓信を植えている様子を見て、食事をとらせた。綿晒しが終わるまで、数十日食事をさせてくれた。漂は綿をさらすこと。

羽陵 《穆天子傳》「天子東遊,次雀梁,蠹書于暴羽陵。」(天子東遊して,雀梁に次し,蠹書を羽陵に暴す。)ほんをむしが喰ってばらけている。竹簡を綴る糸を蟲が喰う。

 

園家逢秋蔬,藜藿不滿眼。

いまは農家では秋野菜の収穫期であるのに、此処での食膳にでてくるものとして藜と豆の葉の類位で、それさえも充分ではないのだ。

藜藿 藜と豆の葉。

 

蠨蛸結思幽,蟋蟀傷褊淺。

室中には足高蜘蛛がでてきて網をかけた上で静かにしていて、愁いをひくコオロギの声も門庭の狭さを際立たせるようなもので心が痛む。

蠨蛸 足高蜘蛛。

結思幽 網をかけた上で静かにしている。

蟋蟀 愁いをひくコオロギの声。

傷褊淺 門庭の狭さを際立たせるようなもので心を痛める。
李白図102 

143 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<143> Ⅰ李白詩1328 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5188

李白《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二》連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

 
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143 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<143> Ⅰ李白詩1328 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5188

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

作地點:              終南山(京畿道 / 京兆府 / )

及地點:金張館 (京畿道 京兆府 ) 別名:別館      

丹徒 (江南東道 潤州 丹徒)              

交遊人物:玉真公主           詩文提及

 

 

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

苦雨思白日,浮雲何由卷。

連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

稷契和天人,陰陽乃驕蹇。

農耕の神様である后稷や契の伝説の時代は天地と家臣とも、上手く馴染んでいたが、今日の世は陰陽二気は、勝手に驕り、昂って、このような天候不順、長雨を降らしている。

秋霖劇倒井,昏霧橫巘。

秋霖の勢いは、凄まじいもので、井戸を逆さまにしたよりも激しい程で、暗い霧の中で、嶮しい峰巒まで横たわり、覆い尽くしている。

欲往咫尺塗,遂成山川限。

そこで、極近いところへ行こうと思っても、幾重の山川がこれが限って遮っていて、容易に行くことができない。

-#2

潀潀奔溜聞,浩浩驚波轉。

泥沙塞中途,牛馬不可辨。

飢從漂母食,閒綴羽陵簡。

園家逢秋蔬,藜藿不滿眼。

蠨蛸結思幽,蟋蟀傷褊淺。

-#3

廚灶無青煙,刀機生綠蘚。

投箸解鷫鷞,換酒醉北堂。

丹徒布衣者,慷慨未可量。

何時黃金盤,一斛薦檳榔。

功成拂衣去,搖曳滄洲傍。

 

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の二)

苦雨【くう】 白日【はくじつ】を思う、浮雲  何に由【よ】ってか巻かん。

稷【しょく】 契【せつ】 天人を和し、陰陽 仍【な】お驕蹇【きょうけん】たり。

秋霖【しゅうりん】 劇【はげ】しく井を倒【さかしま】にし、昏霧 絶巘【ぜつけん】に横たわる。

咫尺【しせき】の塗【みち】を往かんと欲するも、遂に山川【さんせん】の限りを成()す。

-#2

潨潨【そうそう】として奔溜【ほんりゅう】瀉【そそ】ぎ、浩浩として驚波転ず。

泥沙【でいさ】 中途を塞ぎ、牛馬  (べん)ず可からず。

飢えて漂母に従って食し、閑【かん】に  羽林【うりん】の簡【かん】を 綴る。

園家【えんか】 秋蔬【しゅうそ】に逢うに、藜藿【れいかく】 眼に満たず。

蠨蛸【しょうしょう】 思幽【しゆう】を結び、蟋蟀【しつしゅつ】 褊浅【へんせん】を傷(いた)む。

 

-#3

厨竃【ちゅうそう】青烟【せいえん】無く、刀机【とうき】 緑蘚を生ず。

筯【はし】投じて鷫霜【しゅくそう】を解き、酒に換えて北堂に酔う。

丹徒【たんと】布衣の者、慷慨  未だ量【はか】る可からず。

何【いずれ】の時か 黄金の盤、一斛【いっこく】の檳榔【びんろう】を薦めん。

功成【な】らば衣を払って去り、滄洲の傍らに揺裔【ようえい】せん。

華山道教 

 

『玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文)

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

苦雨思白日,浮雲何由卷。

稷契和天人,陰陽乃驕蹇。

秋霖劇倒井,昏霧橫巘。

欲往咫尺塗,遂成山川限。

 

(下し文)

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の二)

苦雨【くう】 白日【はくじつ】を思う、浮雲  何に由【よ】ってか巻かん。

稷【しょく】 契【せつ】 天人を和し、陰陽 仍【な】お驕蹇【きょうけん】たり。

秋霖【しゅうりん】 劇【はげ】しく井を倒【さかしま】にし、昏霧 絶巘【ぜつけん】に横たわる。

咫尺【しせき】の塗【みち】を往かんと欲するも、遂に山川【さんせん】の限りを成()す。

 

(現代語訳)

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

農耕の神様である后稷や契の伝説の時代は天地と家臣とも、上手く馴染んでいたが、今日の世は陰陽二気は、勝手に驕り、昂って、このような天候不順、長雨を降らしている。

秋霖の勢いは、凄まじいもので、井戸を逆さまにしたよりも激しい程で、暗い霧の中で、嶮しい峰巒まで横たわり、覆い尽くしている。

そこで、極近いところへ行こうと思っても、幾重の山川がこれが限って遮っていて、容易に行くことができない。

杜甫乱前後の図003鳳翔 

(訳注)

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

この詩は李白が玉真公主別館に滞在する間に、長雨に遭い、申し訳なく感じていたので、この詩を賦して、張説の息子張(求職を訴えていた)に贈ったもの。

玉真公主は睿宗のむすめ、字は持盈【じえい】、大極元年、出家して道士となった人である。この詩はその玉真公主に献じたものである。魏顥の言に倚れば李白は事あるごとに公主に献じていたという。

 

苦雨思白日,浮雲何由卷。

苦雨【くう】 白日【はくじつ】を思う、浮雲  何に由【よ】ってか巻かん。

連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

 

稷契和天人,陰陽乃驕蹇。

稷【しょく】 契【せつ】天人を和し、陰陽 仍【な】お驕蹇【きょうけん】たり。

農耕の神様である后稷や契の伝説の時代は天地と家臣とも、上手く馴染んでいたが、今日の世は陰陽二気は、勝手に驕り、昂って、このような天候不順、長雨を降らしている。

稷契 后稷と契の伝説。

・后稷(こうしょく)は、伝説上の周王朝の姫姓の祖先。中国の農業の神として信仰されている。姓は姫、諱は弃、または稷。不窋の父。『史記』周本紀によれば、帝嚳の元妃(正妃)であった姜原が、野に出て巨人の足跡を踏んで妊娠し、1年して子を産んだ。姜原はその赤子を道に捨てたが牛馬が踏もうとせず、林に捨てようとしたがたまたま山林に人出が多かったため捨てられず、氷の上に捨てたが飛鳥が赤子を暖めたので、不思議に思って子を育てる事にした。弃と名づけられた。弃は棄と同じ意味の字である。『山海経』大荒西経によると、帝俊(帝嚳の異名とみなす説が有力)の子とされる。弃は成長すると、農耕を好み、麻や菽を植えて喜んだ。帝の舜に仕え、農師をつとめた。また后稷の官をつとめ、邰に封ぜられて、后稷と号した。

・契(せつ、生没年不詳)は、殷王朝の始祖といわれる伝説上の人物。子契ともいう。有娀氏の娘で、帝嚳の次妃であった簡狄が水浴びをしている時、ツバメの卵を食べたために生まれた。また、帝堯の時代に生まれたともいう。契は、帝尭・帝舜・帝禹に仕えた。契は、大きくなった後に禹の黄河治水を援けた。帝舜は契の業績を評価し、契を司徒にした上、商の地に封じて、子という姓を与えた。ただし、詩経では、帝堯が商の地に封じたとも書かれている。

 

秋霖劇倒井,昏霧橫巘。

秋霖【しゅうりん】 劇【はげ】しく井を倒【さかしま】にし、昏霧 絶巘【ぜつけん】に横たわる。

秋霖の勢いは、凄まじいもので、井戸を逆さまにしたよりも激しい程で、暗い霧の中で、嶮しい峰巒まで横たわり、覆い尽くしている。

秋霖 しとしとと何時までも降り続く雨を霖雨といい、秋の長雨(秋雨)のことを「秋霖」という。秋の季語。 「霖」は三日以上降り続く雨で四日目からをいう。

 

欲往咫尺塗,遂成山川限。

咫尺【しせき】の塗【みち】を往かんと欲するも、遂に山川【さんせん】の限りを成()す。

そこで、極近いところへ行こうと思っても、幾重の山川がこれが限って遮っていて、容易に行くことができない。

141-#2 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<141-#2> Ⅰ李白詩1330 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5198

李白《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一》-#2酔いが増すほどに、昂然として、古の管仲楽毅を思い出して、教えを乞いながら、吟詠したいと思うけれど、これらの人はみんな死後既に久しく、既に灰となっていないのである。

 

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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李白詩index- 9 730年開元十八年30歳 安陸から長安に遊ぶ。》

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

作地點:              終南山(京畿道 / 京兆府 / )

及地點:              金張館 (京畿道 京兆府 ) 別名:別館      

交遊人物:玉真公主           詩文提及

 

 

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)

秋坐金張館,繁陰晝不開。

公主の別館は、古の金氏と張氏、二氏の邸宅に比すべきこの公主別館に逗留しているところへ、折からの秋の空が搔き曇り、昼になっても鬱陶しく、長雨となった。

空煙迷雨色,蕭颯望中來。

空には中天に煙雲がかかり、雨色を迷わしていたのであるが、果然、蕭颯として雨が降り注ぐのを眺めるのであった。

翳翳昏墊苦,沈沈憂恨催。

そこで、もやもやして、暗くて、湿気が多くなるのに閉口し、沈々とした気分は続き、憂恨の念が催してきたのである。

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

秋 金張の館に坐し,繁陰 晝 開かず。

空煙 雨色を迷い,蕭颯として 望中より來る。

翳翳【えいえい】として昏墊【こんてん】苦,沈沈として憂恨 催す。

 

清秋何以慰,白酒盈吾杯。

ただでさえ清秋というのは、悲愁であり、さびしい折である、そこへこの雨であるからやりきれない、何を以って、わがこころを慰められるのであろうか、それには白酒を酌むよりほかにはない。

吟詠思管樂,此人已成灰。

酔いが増すほどに、昂然として、古の管仲楽毅を思い出して、教えを乞いながら、吟詠したいと思うけれど、これらの人はみんな死後既に久しく、既に灰となっていないのである。

獨酌聊自勉,誰貴經綸才。

だから、一人で酌をして飲むしかなく、いささかでも自分で自分に勤めて気を取り直すのであり、今の世では、経綸の才を貴ぶものはなく、誰も自分の真価を認めてくれるものがいないのである。

彈劍謝公子,無魚良可哀。

そうして、仕方がないので、古の馮驩を学び、劍を彈じて、張卿に謝し、食なき魚なき今の境涯、まことにつまらないから、どうか幾重にもお引き立てを賜ることをよろしく願いたいと思っている。

 

清秋 何を以て慰めん,白酒 吾が杯に盈つ。

吟詠 管樂を思い,此の人 已に灰に成る。

獨酌 聊【いささ】か 自ら勉む,誰か貴ばん 經綸の才。

劍を彈じて 公子に謝す,魚無きは 良【まこと】に哀しむ可し。

 

華山道教 

『玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一』 現代語訳と訳註解説

(本文)-#2

清秋何以慰,白酒盈吾杯。

吟詠思管樂,此人已成灰。

獨酌聊自勉,誰貴經綸才。

彈劍謝公子,無魚良可哀。

 

(下し文)

清秋 何を以て慰めん,白酒 吾が杯に盈つ。

吟詠 管樂を思い,此の人 已に灰に成る。

獨酌 聊【いささ】か 自ら勉む,誰か貴ばん 經綸の才。

劍を彈じて 公子に謝す,魚無きは 良【まこと】に哀しむ可し。

 

(現代語訳)

ただでさえ清秋というのは、悲愁であり、さびしい折である、そこへこの雨であるからやりきれない、何を以って、わがこころを慰められるのであろうか、それには白酒を酌むよりほかにはない。

酔いが増すほどに、昂然として、古の管仲楽毅を思い出して、教えを乞いながら、吟詠したいと思うけれど、これらの人はみんな死後既に久しく、既に灰となっていないのである。

だから、一人で酌をして飲むしかなく、いささかでも自分で自分に勤めて気を取り直すのであり、今の世では、経綸の才を貴ぶものはなく、誰も自分の真価を認めてくれるものがいないのである。

そうして、仕方がないので、古の馮驩を学び、劍を彈じて、張卿に謝し、食なき魚なき今の境涯、まことにつまらないから、どうか幾重にもお引き立てを賜ることをよろしく願いたいと思っている。

泰山の道観 

(訳注)#2

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)

この詩は李白が玉真公主別館に滞在する間に、長雨に遭い、申し訳なく感じていたので、この詩を賦して、張説の息子張(求職を訴えていた)に贈ったもの。

玉真公主は睿宗のむすめ、字は持盈【じえい】、大極元年、出家して道士となった人である。この詩はその玉真公主に献じたものである。魏顥の言に倚れば李白は事あるごとに公主に献じていたという。

衛尉 宮殿の門内に役所あり衛士と屯兵とを掌る。丞(輔佐)一人。属官には、国事、散召を掌る公車司馬(官車で召された人を送迎また宮中を夜間巡視する宮殿の司馬門の役所を掌る武官)、衛士(宿衛の士)、旅蕡三令丞(戎と盾とをもち王車を護衛する三人の令、長と丞、衛士三人の丞)、また諸屯の衛候(見張役)、司馬二十二人(宮殿の外門を総称して司馬門といいまた単に司馬ともいう。その近衛兵)。

張卿 張? - 至徳2載(757年))は、唐代玄宗朝に仕えた政治家。名宰相とされる張説の次子であり、玄宗の娘婿であったが、安史の乱の際、安禄山に仕えたため、処刑された。兄に張均、弟に張がいる

 

清秋何以慰,白酒盈吾杯。

清秋 何を以て慰めん,白酒 吾が杯に盈つ。

ただでさえ清秋というのは、悲愁であり、さびしい折である、そこへこの雨であるからやりきれない、何を以って、わがこころを慰められるのであろうか、それには白酒を酌むよりほかにはない。

○清秋 悲愁:宋玉『九辨』「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰」、魏 武帝『苦寒行』「北上太行山,艱哉何巍巍! 羊腸阪詰屈,車輪為之摧。 樹木何蕭瑟,北風聲正悲!」とある。これ以降、蕭瑟、悲愁、惆悵がセットのように使われる。特に宋玉『九辨』は「悲秋」感情のバイブルのようなものである。

九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304

白酒 儒者は清酒、道家は濁り酒を飲む。白眼視。阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩

 

吟詠思管樂,此人已成灰。

吟詠 管樂を思い,此の人 已に灰に成る。

酔いが増すほどに、昂然として、古の管仲楽毅を思い出して、教えを乞いながら、吟詠したいと思うけれど、これらの人はみんな死後既に久しく、既に灰となっていないのである。

吟詠管樂 梁甫吟を吟詠すること。諸葛亮が自らを管仲と楽毅に比して、いた。「梁甫吟」を嘯いていた。管仲は管夷吾(かん いご)で、中国の春秋時代における斉の政治家である。桓公に仕え、覇者に押し上げた。楽毅の先祖は魏の文侯に仕えた楽羊であり、楽羊は文侯の命令により中山国(燕と斉と趙が接する所にあった小国。現在の河北省保定市の周辺。)を滅ぼし、その功により中山の首都霊寿に封じられた。

梁甫吟 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -298

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

 

獨酌聊自勉,誰貴經綸才。

獨酌 聊【いささ】か 自ら勉む,誰か貴ばん 經綸の才。

だから、一人で酌をして飲むしかなく、いささかでも自分で自分に勤めて気を取り直すのであり、今の世では、経綸の才を貴ぶものはなく、誰も自分の真価を認めてくれるものがいないのである。

○經綸 国家を治めととのえること。また,その方策。

 

彈劍謝公子,無魚良可哀。

劍を彈じて 公子に謝す,魚無きは 良【まこと】に哀しむ可し。

そうして、仕方がないので、古の馮驩を学び、劍を彈じて、張卿に謝し、食なき魚なき今の境涯、まことにつまらないから、どうか幾重にもお引き立てを賜ることをよろしく願いたいと思っている。

○彈劍 劍を彈じて馮驩を学ぶ。李白《行路難 三首 其二》「彈劍作歌奏苦聲,曳裾王門不稱情。」(剣を弾じ歌を作()して苦声(くせい)を奏(そう)し、裾(すそ)を王門に曳きて  情に称(かな)わず。)馮驩は剣を弾いて作詩した歌を唄い宰相の孟嘗君に聞かせて聞き入れられた、いくら弁舌が上手くても漢の鄒陽は王に仕えて話す真意がすぐには思うように伝わらなかった。

・馮驩 すうかん斉の宰相孟嘗君に仕えた政治家。孟嘗君の食客として迎えられ、下級宿舎に泊まらせられた。馮驩は剣を叩きながら「我が長剣よ、帰ろうか、食う魚なし」という歌を歌い出した。それを聞いた孟嘗君は中級宿舎に泊まらせた。すると馮驩はまた剣を叩きながら「我が長剣よ、帰ろうか、外にも出ようも御輿がない」という歌を歌い出した。詳しくはウィキペディア「馮驩」「斉の宰相と馮驩」参照。

行路難 三首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白184
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