漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

2014年12月

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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ずいぶん回復してきました。(12/10)
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156 《巻02-13 行路難三首 其一 》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <156> Ⅰ李白詩1352 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5308

李白《巻02-13 行路難三首其一 》(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)

 
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年:-731年開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  行路難,三首之一

 

 

行路難,三首之一

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)

金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。

金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万斛もたたえている。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
停杯投箸不能食,拔劍四顧心茫然。

人の世はいかに豪奢を尽くしても、思うが儘にはいかないことは仕方がないので、盃を交わしていても、杯をおき、喰う気にならず箸をおく。果ては、癇癪を起こして、剣を抜き、四方の霊に問うてみても、心は茫然としている。
欲渡黃河冰塞川,將登太行雪滿山。

それに、今までのように黄河を渡ろうとしても、あいにく、氷にふさがれて渡ることができないし、太行山に登ろうとすれば、積もった雪がいっぱいで、到底いかれないというようなことである。
閒來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。

そこで、世の中のことを打ち棄てて、かの太公望が渭水のほとりでした様に、奇麗で静かな緑の谷川で釣糸を垂れて、心のどかにしていようとするが、その間に見る夢は、浮世の事を断念したつもりでも、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
行路難,行路難,多岐路,今安在。

これから生きる行路はまことに困難で、どの行路も困難なものだ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。今は容易に行ける行路はないのだ。

長風破浪會有時,直掛雲帆濟滄海。

結局、雲帆を掛け、滄海をわたり、長風に乗じてはるか万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来る。その時には、理想の仙界に向かっている。
(行路難,三首の一)

金樽の清酒 斗十千,玉盤の珍羞【ちんしゅう】 直【あたい】 萬錢【ばんぜん】。

杯を停め箸を投じて 食う能わず,劒を拔いて四顧し心 茫然【ぼうぜん】。

黄河を渡らんと欲すれば冰は川を塞ぐ,太行に登らんと將れば雪は山に滿。

閑來【かんらい】 釣を垂る 碧溪【へきけい】の上,忽ち復 舟に乘じて日邊を夢む。

行路 難! 行路 難!  岐路 多し 今 安くにか在る。

長風 浪を破る 會ず時 有り,直ちに雲帆【うんぱん】を挂【か】けて 滄海【そうかい】に濟【わた】らん。

 

(含異文)

金樽清酒斗十千,玉盤珍饈直萬錢。

停杯投箸不能食,拔劍四顧心茫然。

欲渡黃河冰塞川,將登太行雪滿山【將登太行雪暗天】。

閒來垂釣碧溪上【閒來垂釣坐溪上】,忽復乘舟夢日邊。

行路難,行路難,多岐路,今安在。

長風破浪會有時,直掛雲帆濟蒼海。

 

華山道教
『行路難,三首之一』 現代語訳と訳註解説

(本文)

行路難,三首之一

金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。

停杯投箸不能食,拔劍四顧心茫然。

欲渡黃河冰塞川,將登太行雪滿山。

閒來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。

行路難,行路難,多岐路,今安在。

長風破浪會有時,直掛雲帆濟滄海。

 

(下し文)

(行路難,三首の一)

金樽の清酒 斗十千,玉盤の珍羞【ちんしゅう】 直【あたい】 萬錢【ばんぜん】。

杯を停め箸を投じて 食う能わず,劒を拔いて四顧し心 茫然【ぼうぜん】。

黄河を渡らんと欲すれば冰は川を塞ぐ,太行に登らんと將れば雪は山に滿。

閑來【かんらい】 釣を垂る 碧溪【へきけい】の上,忽ち復 舟に乘じて日邊を夢む。

行路 難! 行路 難!  岐路 多し 今 安くにか在る。

長風 浪を破る 會ず時 有り,直ちに雲帆【うんぱん】を挂【か】けて 滄海【そうかい】に濟【わた】らん。

 

(現代語訳)

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)

金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万斛もたたえている。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
人の世はいかに豪奢を尽くしても、思うが儘にはいかないことは仕方がないので、盃を交わしていても、杯をおき、喰う気にならず箸をおく。果ては、癇癪を起こして、剣を抜き、四方の霊に問うてみても、心は茫然としている。
それに、今までのように黄河を渡ろうとしても、あいにく、氷にふさがれて渡ることができないし、太行山に登ろうとすれば、積もった雪がいっぱいで、到底いかれないというようなことである。
そこで、世の中のことを打ち棄てて、かの太公望が渭水のほとりでした様に、奇麗で静かな緑の谷川で釣糸を垂れて、心のどかにしていようとするが、その間に見る夢は、浮世の事を断念したつもりでも、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
これから生きる行路はまことに困難で、どの行路も困難なものだ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。今は容易に行ける行路はないのだ。

結局、雲帆を掛け、滄海をわたり、長風に乗じてはるか万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来る。その時には、理想の仙界に向かっている。
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(訳注)

行路難,三首之一

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)

行路難 もとは漢代の歌謡。のち晋の袁山松という人がその音調を改変し新らしい歌詞をつくり、一時流行した。六朝の飽照の楽府に「擬行路難」十八首がある。 「行路難」はみずからの人生行路の困難を詠う。「行路難し 行路は難し、岐路多くして、今安にか在る」と悲鳴をあげながらも、「長風浪を破る 会に時有るべし」と将来に期待を寄せたい李白は三首つくった。

 

金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。
金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万斛もたたえている。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
斗十干 一斗一万銭。高い上等の酒。曹植の詩「美酒斗十干」にもとづく。
李白《將進酒》「陳王昔時宴平樂,斗酒十千恣歡謔。」(陳王の曹植は平楽観で宴を開いたとき。 陳王・曹植は斗酒を大金で手に入れ、よろこびたわむれることをほしいままにした。)
・陳王 三国時代魏の曹植のこと。 ・昔時 むかし。 ・平樂 平楽観。『名都篇』で詠う宮殿の名で、後漢の明帝の造営になる。(当時の)首都・洛陽にあった遊戯場。或いは、長安の未央宮にあった。・斗酒十千 斗酒で一万銭。曹植楽府詩、「一斗一万銭」。 ・斗酒 両義あり。わずかな酒。また、多くの酒。 ・斗 ます。少しばかりの量。少量の酒。多くの酒。 ・十千 一万。 ・恣 ほしいままにする。わがまま。勝手きままにふるまう。 ・歡謔 かんぎゃく よろこびたわむれる。

王維の『少年行』に新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。
 (紀 頌之のブログ6月11王維 少年行参照

珍羞 めずらしいごちそう。○直 値と同じ。


停杯投箸不能食,拔劒四顧心茫然。
人の世はいかに豪奢を尽くしても、思うが儘にはいかないことは仕方がないので、盃を交わしていても、杯をおき、喰う気にならず箸をおく。果ては、癇癪を起こして、剣を抜き、四方の霊に問うてみても、心は茫然としている。
停杯 気持ちがのらない度いつの間にか酒を辞めている状態。

拔劒四顧 剣を抜いて四方の霊に問いただしてみる。


欲渡黄河冰塞川,將登太行雪滿山。
それに、今までのように黄河を渡ろうとしても、あいにく、氷にふさがれて渡ることができないし、太行山に登ろうとすれば、積もった雪がいっぱいで、到底いかれないというようなことである。
太行 山の名。太行山脈(たいこうさんみゃく)は中国北部にある山地。山西省、河南省、河北省の三つの省の境界部分に位置する。太行山脈は東の華北平野と西の山西高原(黄土高原の最東端)の間に、北東から南西へ400kmにわたり伸びており、平均標高は1,500mから2,000mである。最高峰は河北省張家口市の小五台山で、標高2,882m。山脈の東にある標高1,000mほどの蒼岩山は自然の奇峰や歴史ある楼閣などの多い風景区となっている。山西省・山東省の地名は、この太行山脈の西・東にあることに由来する。


閑來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。
そこで、世の中のことを打ち棄てて、かの太公望が渭水のほとりでした様に、奇麗で静かな緑の谷川で釣糸を垂れて、心のどかにしていようとするが、その間に見る夢は、浮世の事を断念したつもりでも、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
日辺 太陽の側と、天子の側という意味と、ここでは兼ねている。



行路難,行路難,多岐路,今安在
これから生きる行路はまことに困難で、どの行路も困難なものだ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。今は容易に行ける行路はないのだ。
多岐路 わかれみちが多いために逃げた羊を追うことができず、とうとう羊を亡ってしまった。ヘボ学者はそれと同様、多すぎる資料をもてあまして決断に迷い、いたずらに年をとってしまう、という故事がある。「列子」にみえる。ここは岐路から岐路へ、岐路が多い迷路のようだということ。
今安在 迷路のどこにいるのか。



長風破浪會有時,直挂雲帆濟滄海。
結局、雲帆を掛け、滄海をわたり、長風に乗じてはるか万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来る。その時には、理想の仙界に向かっている。
滄海 東方の仙界、蓬莱・方丈・瀛州に向かい海。あおうなばら。

155-#4 《巻02-04 梁甫吟 -#4》(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <155-#4> Ⅰ李白詩1358 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5338

李白《巻02-04 梁甫吟 -#4(改訂)Iそもそも、雲は龍にしたがい、風は虎に随うというもの、龍虎はかならず風雲に出会って活躍するはずなのであり、太公望のよう人は、牛の屠殺と釣三昧から一躍、風雲感会を得てその能力を発揮した。今の世の君主が動揺不安の境遇にあるとき、わたしこそが、それを安定させる人であるのだから、その時機が到来するのを自信を持って待っているのだ。

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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155-#4 《巻02-04 梁甫吟 -#4(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <155-#4> Ⅰ李白詩1358 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5338

 

 

年:731       開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  梁甫吟

及地點:        梁父山 (河南道 兗州梁父山) 別名:梁甫山         

淇縣 (河北道南部 衛州 衛縣) 別名:朝歌   

棘津 (河北道北部 安東都護府 延津州)      

高陽 (河北道南部 瀛洲 高陽)            



梁甫吟 1
(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

長嘯梁甫吟。 何時見陽春。 
ああここに有志の士がいる、いずれの時に明主に遭遇し、大いに用いられ、持っている志を伸ばせるのか、ここにいにしえの英雄、諸葛亮を学び、大声を発して梁甫吟をながく、ながく吟じてみるのも、やむを得ない始末だからだ。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。 
君は知っているだろう。むかし呂尚という人がいたが、はじめは朝歌の牛殺しのおじいさんであったが、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の老衰の身をもって、西方にきて、渭水のほとりで十年にわたって釣りをしていて文王と出会ったのをた。 
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。 
風采と云えば、白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかせると用いられたのである。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。 
それまで「三千六百回の鉤」十年もの長い間、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむところとなり、これを認められたのである。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。 
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしないもので、はじめは、世間のふつうの人といささか似ているということであったのだ。

#2
君不見高陽酒徒起草中。長揖山東隆准公。 
君は知っているだろう。酈食其というものが高陽の里に居て、大酒のみであったので誰も相手にされなかったが、ひとたび、荒草の中から身をおこし、沛公に謁見する。
入門不拜騁雄辯。兩女輟洗來趨風。 
門を入っても最敬礼をしないままに、そして雄弁に沛公を説き伏せた。感服した挙句には、沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公に厚く礼をなすにいたった。
東下齊城七十二。指揮楚漢如旋蓬。 
酈食其は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
おちぶれていた独りよがりの頑固者、狂客と呼ばれ、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。 
わたしは、竜鱗を攀じて、賢明な君主に謁見し、その知遇を得ようと企てたが、雷公が、妨害を試み、恐ろしく凄まじい響きを発し、ガラゴロゴロと天鼓を頻りにうちならしたのだ。
#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。 
天帝のおそばには、飾り立て輝くきゅう玉女が大勢ならび、投壷のゲームをやっていた。半日のあいだ、壷に投げこむ矢がはずれるたびに、天帝が大いに笑い、イナズマの閃光があったのだ。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。 
かくて、ピカッと光っては、忽ち暗闇となり、暴風雨がまきおこる。天に通じる御門は九重にとざされ、通りぬけることができなくなった。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。 
天帝の居られる九重の門は固く閉ざされたので、ひたいをぶっつけて門をたたくと、門番がおこった。それからくもりではない太陽の光も、わたくしの真心を照らし出してはくれなくなった。
杞國無事憂天傾。貐磨牙競人肉。 
むかし、杞の国の人は、何事も起らないのに、天の傾くことを憂えた。わたしも、また、杞憂をいだかざるを得ない。竊寙(せつゆ)という怪獣が、牙をみがいて、われ先に人の肉を食おうとしているというのだ。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

また、騶虞という仁獣は、生きている草の茎さえ折らないように、注意ぶかく歩いているというのに、朝廷には悪人がはびこり、善人は消極的である。これはわたしなら、飛びまわる手長猿を片手でつかみながら、片手で斑の虎をなぐり殺すことさえできるというものだ。
 
#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。 
つまり、貧窮と疏賤に打ち勝ち、莒国の焦原が登ったという絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、えらそうなそぶりをするものだ。

世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。 
しかるに、世間の人は、わたしが世に出ず引き込んでいるのを見るとつまらぬやつだと、鴻の鳥羽の毛より軽いと見くびって、真の精神を解しているのではないのである。むかし、斉国の力自慢では南山でもおしのけるという公孫接等と言う三人の壮士がいたが、妬まれて僅か、二桃のために命を失った。
齊相殺之費二桃。楚弄兵無劇孟。 
かれらは、節義を砥礪するため、時の斉の宰相である妟子に憎まれて、わずか二つの桃のために命を失ったが、これは辞世を見る事をしなかったためである。また、呉楚七国の乱に際し、呉楚の方では、劇孟という任侠者で、立派で勇壮な人物を味方にしなかった。
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。 
その楚呉の乱の征伐に出かけた周亜夫は、劇孟を用いなかった楚呉の国では到底七国の反乱を胎児出来る事は無かろうと大いに笑ったという。国の政治を司るものの不勉強というのもの、私を登用しない今日の政治も同じである。だから、こうして「簗甫吟」を吟じていても、ここに至れば、声はまことに悲壮となることを禁じ得ないのである。
張公兩龍劍。 神物合有時。 
むかし張公のもっていた二つの宝剣が、別別に失われたにもかかわらず、二頭の竜となってあらわれ、一つになったという故事もある。非常にすぐれたものは、その働き場所を得るには、時期というものが合わなければならないし、何時かは明主と遭遇するということに相違ないと確信しているのだ。
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。

そもそも、雲は龍にしたがい、風は虎に随うというもの、龍虎はかならず風雲に出会って活躍するはずなのであり、太公望のよう人は、牛の屠殺と釣三昧から一躍、風雲感会を得てその能力を発揮した。今の世の君主が動揺不安の境遇にあるとき、わたしこそが、それを安定させる人であるのだから、その時機が到来するのを自信を持って待っているのだ。

梁甫吟#1

長嘯す梁甫吟、何れの時か陽春を見ん。

君見ずや 朝歌の屠叟【とそう】棘津【きょくしん】を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。

寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。

広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。

大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2

君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。

門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。

東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。

狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。

我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇【ほうこう】 天鼓を震う。
#3

帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。

倏燦【しゅくしゃく】 晦冥【かいめい】 風雨を起す、

閶闔【しょうこう】の九門 通ず可からず。

額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。

杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。

騶虞【すうぐ】は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4

足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。

世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。

斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。

亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。

張公の両竜剣、神物 合するに時有り。

風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。

杜甫 体系 地図459同谷紀行
現代語訳と訳註
(
本文)#4

側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。 
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。 
齊相殺之費二桃。
楚弄兵無劇孟。 
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。 
張公兩龍劍。 神物合有時。 
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。


(下し文)
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。


(現代語訳)
つまり、貧窮と疏賤に打ち勝ち、莒国の焦原が登ったという絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、えらそうなそぶりをするものだ。

しかるに、世間の人は、わたしが世に出ず引き込んでいるのを見るとつまらぬやつだと、鴻の鳥羽の毛より軽いと見くびって、真の精神を解しているのではないのである。むかし、斉国の力自慢では南山でもおしのけるという公孫接等と言う三人の壮士がいたが、妬まれて僅か、二桃のために命を失った。
かれらは、節義を砥礪するため、時の斉の宰相である妟子に憎まれて、わずか二つの桃のために命を失ったが、これは辞世を見る事をしなかったためである。また、呉楚七国の乱に際し、呉楚の方では、劇孟という任侠者で、立派で勇壮な人物を味方にしなかった。
その楚呉の乱の征伐に出かけた周亜夫は、劇孟を用いなかった楚呉の国では到底七国の反乱を胎児出来る事は無かろうと大いに笑ったという。国の政治を司るものの不勉強というのもの、私を登用しない今日の政治も同じである。だから、こうして「簗甫吟」を吟じていても、ここに至れば、声はまことに悲壮となることを禁じ得ないのである。
むかし張公のもっていた二つの宝剣が、別別に失われたにもかかわらず、二頭の竜となってあらわれ、一つになったという故事もある。非常にすぐれたものは、その働き場所を得るには、時期というものが合わなければならないし、何時かは明主と遭遇するということに相違ないと確信しているのだ。
そもそも、雲は龍にしたがい、風は虎に随うというもの、龍虎はかならず風雲に出会って活躍するはずなのであり、太公望のよう人は、牛の屠殺と釣三昧から一躍、風雲感会を得てその能力を発揮した。今の世の君主が動揺不安の境遇にあるとき、わたしこそが、それを安定させる人であるのだから、その時機が到来するのを自信を持って待っているのだ。


yoshu&choan736
(訳注) #4
梁甫吟
 

(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

梁甫吟は楽府題の古い題の一つ。相和歌楚調曲に梁父吟行とあって、その由来は戦国の武侯が好んで詠ったものといわれる。梁甫は、梁父とも書き、むかしの斉の国、いまの山東省の、泰山のふもとにある、570mの小さな山の名である。そこは、古代の迷信では、死者のたましいの帰る場所とされていた。「梁甫吟」はもともと、葬いの歌であったという。また、骨子(孔子の弟子)の作ったものであるという。骨子が泰山のふもとに耕していたところ、天が大雪をふらし、凍ること旬日、帰ることができず、その父母を思って、巣山歌を作ったと、「琴挽」という本に見える、それが「梁甫吟」の起源であるという。現在「楽府詩集」に収められている一首は、「三国志」の立役者である諸葛亮(孔明)の作と伝えられている。それは次の歌である。
諸葛亮(孔明)「梁甫吟」
歩出斉城門  遥望蕩陰里
里中有三墳  塁塁正相似
問是誰家墓  田疆古冶子
力能排南山  文能絶地紀
一朝被讒言  二桃殺三士
誰能為此謀  国相斉晏子
下し文
歩して斉の城門を出で  遥に蕩陰の里を望む 
里中に三墳有り  塁塁として正に相似たり
問う是れ誰が家の墓ぞ  田疆古冶氏
力を能く南山を排し  文を能く地紀を絶つ
一朝 讒言を被りて  二桃 三士を殺す
誰か能く此の謀を為せる  国相斉の晏子なり

現代訳
梁甫の歌;
斉の城門を歩いて出て、遠くに蕩陰(地名)の村を眺めるとそこにお墓が三基ある 並んで立っていて、よく似ていた。
これはどちらのお墓ですかと聞いてみた。
これが有名な公孫接・田開彊・古冶子のお墓です。
三人は南山を動かすほど力が強く、大地の四隅を繋ぐ紐を切るほど学問もできる人たちでした
ところが、ひとたび、讒言を言われ、二つの桃でもって三人を殺してしまった。
誰がこんなはかりごとをしたのですか? それは斉の宰相の晏嬰です

これは、詭計をもちいて人を殺した、斉の量子の故事をうたったものである。「力排南山三壯士。齊相殺之費二桃」参照。李白のこの詩は、その故事をふくみつつ、主題を少しかえ、不遇の志士の時機到来を待つ気持をうたいあげる。

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

 

側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。 
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。

つまり、貧窮と疏賤に打ち勝ち、莒国の焦原が登ったという絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、えらそうなそぶりをするものだ。
○焦原 尸子「莒国に焦原というもの有り、廣さ五十歩、百仭の渓に臨み、莒国敢て近ずくなり。」また、太平寰記に「焦原は莒縣の南三十六里に在り、俗に横山という」とあり、こういったところを指すものである。莒県は中華人民共和国山東省日照市に位置する県。沭河が北から南へ流れている。

智者可巻 知恵ある者は、政治が道をはずれ、筋の通らぬ時代には、自己の才能や知恵をふところに巻きこんで、世に出ない。「論語」の「衛の霊公」に「君子なる哉、蘧伯玉。邦に道あれば則ち仕え、邦に道なければ則ち巻きて懐(いだ)く可し」とある。

 

世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。

世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。

しかるに、世間の人は、わたしが世に出ず引き込んでいるのを見るとつまらぬやつだと、鴻の鳥羽の毛より軽いと見くびって、真の精神を解しているのではないのである。むかし、斉国の力自慢では南山でもおしのけるという公孫接等と言う三人の壮士がいた。
力排南山三壯士 諸葛亮(諸葛孔明)『梁甫吟』#1で全文掲載 説明は以下が詳しい。
力能排南山  文能絶地紀
一朝被讒言  二桃殺三士
誰能為此謀  国相斉晏子
力を能く南山を排し  文を能く地紀を絶つ
一朝 讒言を被りて  二桃 三士を殺す
誰か能く此の謀を為せる  国相斉の晏子なり

「二桃もて三士を殺す」「妟子春秋」に見える故事。春秋時代の斉の景公の部下に、公孫接・田開疆・古冶子という三人の勇士がいた。力が非常に強く、虎をなぐり殺した。ある日、斉の国の大臣である量子(曇嬰)が彼らの前を通りすぎたが、三人は起ち上ろうともしない。妟子は景公にお目通りして言った。「かれらは勇気とカの持主ですが、礼節を知りません。君臣上下の分別がありません。これを放っておくと危険ですから、殺してしまうべきです。」国王は同意したが、三人の勇士を刺殺することのできる者はいない。妟子は一計を案じた。かれは国王の名によって、二つの桃を三人に送りとどけ、各自の能力をくらべあって、能力の大きい者が桃を食わないかと言った。まず公孫接が言うには「按は、第一にいのししを打ち殺し、第二に虎の子をも打ち殺した。この接の能力などは、十分に桃を食うねうちがある。人と同じには見てもろうまい。」桃をつかんで起ち上った。次に田閉彊が言った。「わたしは、武器をとって敵の大軍をしりぞけること二度。この開彊の能力などは、十分に桃を食うねうちがあり、人と同じには見てもろうまい。」やはり、桃をつかんで起ち上った。さいごに古冶子が言った。「わたしは、かつて主君に従って黄河をわたったとき、大きなスッポンが三頭立の馬車の左の副馬にくらいつき、黄河の中流に柱のように突立っている砥柱山の流れに引きずりこんだ。この冶は、流れに逆らうこと百歩、流れに順うこと九里、大スッポンをつかまえて殺し、左手で副馬の尾をあやつり、右手にスッポンの頭をひっさげ、おどりあがって岸に出た。人びとがみな、河伯(黄河の神様)だと言うので、この冶がよく見ると、それは大スッポンの首だった。この冶の能力などは、やはり桃を食うねうちがあり、人と同じには見てもろうまい。お二方、どうして桃をかさえないのか。」公孫接と田開彊が言った。「われわれの勇はあなたに及ばない。能力もあなたに及ばない。桃を取ってゆずらないのは欲が深い。そして又、死なないのは勇気がない。」二人とも、その桃をかえし、自分の手で首をしめて死んだ。古冶子は言った。「二人が死んだのに、冶がひとり生きているのは不仁である。人に恥をかかせながら、自分だけが誇っているのは、不義である。そうした自分の行為を遺憾に思いながら死なないのは勇気がない。」これまた、その桃をかえし、自分の手で首をしめて死んだ。景公は、三人を鄭重に葬った。


齊相殺之費二桃。楚弄兵無劇孟。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。

かれらは、節義を砥礪するため、時の斉の宰相である妟子に憎まれて、わずか二つの桃のために命を失ったが、これは辞世を見る事をしなかったためである。また、呉楚七国の乱に際し、呉楚の方では、劇孟という任侠者で、立派で勇壮な人物を味方にしなかった。
楚弄兵無劇孟。 漢の景帝三年(紀元前154年)、呉楚等七国が反乱を起したとき、景帝は大将軍の竇嬰、太尉の周亞夫を派遣して鎮圧させた。周亞夫は東方にむかい河南に至ろうとしたとき、当時の有名な侠客であった劇孟を味方に得た。東天は喜んで言った。「呉や楚は天下を争うような大事を企てながら、劇孟を求めない。わたしは、かれらが何もできないことを知るだけだ。」「漢書」に見える話であるが、強大であった呉楚の分断作戦と補給路を断つことで戦意を失わせ、内部分解させた。
 
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。 
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。

その楚呉の乱の征伐に出かけた周亜夫は、劇孟を用いなかった楚呉の国では到底七国の反乱を胎児出来る事は無かろうと大いに笑ったという。国の政治を司るものの不勉強というのもの、私を登用しない今日の政治も同じである。だから、こうして「簗甫吟」を吟じていても、ここに至れば、声はまことに悲壮となることを禁じ得ないのである。
〇咍 せせら笑う。


張公兩龍劍。 神物合有時。 
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。

むかし張公のもっていた二つの宝剣が、別別に失われたにもかかわらず、二頭の竜となってあらわれ、一つになったという故事もある。非常にすぐれたものは、その働き場所を得るには、時期というものが合わなければならないし、何時かは明主と遭遇するということに相違ないと確信しているのだ。
張公両竜剣 竜泉、太阿という二つの宝剣が、豫章と豐城とで出土し、張華と雷煥の二人が、おのおのその一刀を待ったと伝えられる。その後、張華が誅せられ、剣のありかを失った。雷煥が亡くなったのち、子の雷華が剣を持って旅をし、延平津に通りかかった時、剣が突然、腰間から躍り出て水中におちた。人を水にもぐらせてさがしたが、剣は見つからず、しかし、長さ数丈の二頭の竜を見たという。


風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。 
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。
そもそも、雲は龍にしたがい、風は虎に随うというもの、龍虎はかならず風雲に出会って活躍するはずなのであり、太公望のよう人は、牛の屠殺と釣三昧から一躍、風雲感会を得てその能力を発揮した。今の世の君主が動揺不安の境遇にあるとき、わたしこそが、それを安定させる人であるのだから、その時機が到来するのを自信を持って待っているのだ。
風雲感會 「易経」に「竜は雲に従い、虎は風に従う」とある。竜虎が風雲に出会うように、英雄が時を得て、めざましく活躍すること。

○屠釣 牛殺しや釣をしていた男。太公望をさす。

○大人 ここではおそらく君主をさす。

○幌帆 「書経」や「易経」に見える言葉、(机隈・離礁)と意味は同じく、動揺して不安なありさま。 

155-#3 《巻02-04 梁甫吟 -#3》(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <155-#3> Ⅰ李白詩1357 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5333

李白《巻02-04 梁甫吟 -#3(改訂)天帝の居られる九重の門は固く閉ざされたので、ひたいをぶっつけて門をたたくと、門番がおこった。それからくもりではない太陽の光も、わたくしの真心を照らし出してはくれなくなった。

 
 2014年12月28日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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155-#3 《巻02-04 梁甫吟 -#3(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <155-#3> Ⅰ李白詩1357 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5333

 


年:731       開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  梁甫吟

及地點:        梁父山 (河南道 兗州梁父山) 別名:梁甫山         

淇縣 (河北道南部 衛州 衛縣) 別名:朝歌   

棘津 (河北道北部 安東都護府 延津州)      

高陽 (河北道南部 瀛洲 高陽)            



梁甫吟 1
(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

長嘯梁甫吟。 何時見陽春。 
ああここに有志の士がいる、いずれの時に明主に遭遇し、大いに用いられ、持っている志を伸ばせるのか、ここにいにしえの英雄、諸葛亮を学び、大声を発して梁甫吟をながく、ながく吟じてみるのも、やむを得ない始末だからだ。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。 
君は知っているだろう。むかし呂尚という人がいたが、はじめは朝歌の牛殺しのおじいさんであったが、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の老衰の身をもって、西方にきて、渭水のほとりで十年にわたって釣りをしていて文王と出会ったのをた。 
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。 
風采と云えば、白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかせると用いられたのである。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。 
それまで「三千六百回の鉤」十年もの長い間、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむところとなり、これを認められたのである。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。 
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしないもので、はじめは、世間のふつうの人といささか似ているということであったのだ。

#2
君不見高陽酒徒起草中。長揖山東隆准公。 
君は知っているだろう。酈食其というものが高陽の里に居て、大酒のみであったので誰も相手にされなかったが、ひとたび、荒草の中から身をおこし、沛公に謁見する。
入門不拜騁雄辯。兩女輟洗來趨風。 
門を入っても最敬礼をしないままに、そして雄弁に沛公を説き伏せた。感服した挙句には、沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公に厚く礼をなすにいたった。
東下齊城七十二。指揮楚漢如旋蓬。 
酈食其は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
おちぶれていた独りよがりの頑固者、狂客と呼ばれ、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。 
わたしは、竜鱗を攀じて、賢明な君主に謁見し、その知遇を得ようと企てたが、雷公が、妨害を試み、恐ろしく凄まじい響きを発し、ガラゴロゴロと天鼓を頻りにうちならしたのだ。
#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。 
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。 
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。 
杞國無事憂天傾。
貐磨牙競人肉。 
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。 
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。 
齊相殺之費二桃。
楚弄兵無劇孟。 
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。 
張公兩龍劍。 神物合有時。 
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。


梁甫吟#1

長嘯す梁甫吟、何れの時か陽春を見ん。

君見ずや 朝歌の屠叟【とそう】棘津【きょくしん】を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。

寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。

広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。

大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2

君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。

門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。

東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。

狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。

我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇【ほうこう】 天鼓を震う。
#3

帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。

倏燦【しゅくしゃく】 晦冥【かいめい】 風雨を起す、

閶闔【しょうこう】の九門 通ず可からず。

額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。

杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。

騶虞【すうぐ】は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4

足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。

世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。

斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。

亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。

張公の両竜剣、神物 合するに時有り。

風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。

嚢陽一帯
現代語訳と訳註
(
本文)#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。 
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。 
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。 
杞國無事憂天傾。
貐磨牙競人肉。 
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。


(下し文) #3
#3

帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。

倏燦【しゅくしゃく】 晦冥【かいめい】 風雨を起す、

閶闔【しょうこう】の九門 通ず可からず。

額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。

杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。

騶虞【すうぐ】は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。


(現代語訳)
天帝のおそばには、飾り立て輝くきゅう玉女が大勢ならび、投壷のゲームをやっていた。半日のあいだ、壷に投げこむ矢がはずれるたびに、天帝が大いに笑い、イナズマの閃光があったのだ。
かくて、ピカッと光っては、忽ち暗闇となり、暴風雨がまきおこる。天に通じる御門は九重にとざされ、通りぬけることができなくなった。
天帝の居られる九重の門は固く閉ざされたので、ひたいをぶっつけて門をたたくと、門番がおこった。それからくもりではない太陽の光も、わたくしの真心を照らし出してはくれなくなった。
むかし、杞の国の人は、何事も起らないのに、天の傾くことを憂えた。わたしも、また、杞憂をいだかざるを得ない。竊寙(せつゆ)という怪獣が、牙をみがいて、われ先に人の肉を食おうとしているというのだ。
また、騶虞という仁獣は、生きている草の茎さえ折らないように、注意ぶかく歩いているというのに、朝廷には悪人がはびこり、善人は消極的である。これはわたしなら、飛びまわる手長猿を片手でつかみながら、片手で斑の虎をなぐり殺すことさえできるというものだ。

終南山06 
(訳注) #3
梁甫吟 

(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

梁甫吟は楽府題の古い題の一つ。相和歌楚調曲に梁父吟行とあって、その由来は戦国の武侯が好んで詠ったものといわれる。梁甫は、梁父とも書き、むかしの斉の国、いまの山東省の、泰山のふもとにある、570mの小さな山の名である。そこは、古代の迷信では、死者のたましいの帰る場所とされていた。「梁甫吟」はもともと、葬いの歌であったという。また、骨子(孔子の弟子)の作ったものであるという。骨子が泰山のふもとに耕していたところ、天が大雪をふらし、凍ること旬日、帰ることができず、その父母を思って、巣山歌を作ったと、「琴挽」という本に見える、それが「梁甫吟」の起源であるという。現在「楽府詩集」に収められている一首は、「三国志」の立役者である諸葛亮(孔明)の作と伝えられている。

 

帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。 
天帝のおそばには、飾り立て輝くきゅう玉女が大勢ならび、投壷のゲームをやっていた。半日のあいだ、壷に投げこむ矢がはずれるたびに、天帝が大いに笑い、イナズマの閃光があったのだ。
帝努授壷多玉女 帝は上帝(玄宗のこと)、天の神。天上と仙境と宮廷を同じ表現でいう。投壺は、矢を壷に投げこむ遊戯。壷矢 投げ矢の壷とその矢。矢を壺に投げ入れて勝負をする遊戯の道具。「神異経」に「東王公が玉女と投壺をしてあそんだ。千二百本の矢を投じたが、矢が壷にうまく入ると天はすすりなき、はずれると天が笑った」とある。また、むかしの人は、雨のふらないときに、いなずまが光ると、天が笑った、と考えた『春秋左氏伝』にも見える非常に古いゲームである。『礼記』および『大戴礼記』に投壺篇があり、投壺の儀礼、壺と矢の寸法、席から壺までの距離などを細かく規定している。


三時 一昼夜が十二時。昼の一日が六時だから、三時は半日(現在の六時間)に当る。


倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。 
かくて、ピカッと光っては、忽ち暗闇となり、暴風雨がまきおこる。天に通じる御門は九重にとざされ、通りぬけることができなくなった。
倏爍 極めて短い時間、光がひらめく。

○晦瞑 くらい。

閶闔 天の門。

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以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。 
天帝の居られる九重の門は固く閉ざされたので、ひたいをぶっつけて門をたたくと、門番がおこった。それからくもりではない太陽の光も、わたくしの真心を照らし出してはくれなくなった。
閽者 門番。


杞國無事憂天傾。貐磨牙競人肉。 
むかし、杞の国の人は、何事も起らないのに、天の傾くことを憂えた。わたしも、また、杞憂をいだかざるを得ない。竊寙(せつゆ)という怪獣が、牙をみがいて、われ先に人の肉を食おうとしているというのだ。
杷国無事憂天傾「列子」に見える故事。杞という国のある人が、天がもし崩れおちるなら、身の置きどころがないと、無用の心配をし、夜も眠れず食欲もなくなった。つまり、神経疾患になった。こういった取りこし苦労を「杞憂」という語源である。

「山海経」に見える怪獣。少咸という山に獣がすみ、そのかたちは牛のごとく、体は赤く、顔は人、足は馬、名を竊寙(せつゆ)という。なき声は赤子のようで、こいつは人を食う。貐はすなわち竊寙である。


騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。 
また、騶虞という仁獣は、生きている草の茎さえ折らないように、注意ぶかく歩いているというのに、朝廷には悪人がはびこり、善人は消極的である。これはわたしなら、飛びまわる手長猿を片手でつかみながら、片手で斑の虎をなぐり殺すことさえできるというものだ。
騶虞 白い虎。体に黒いもようがあり、尾は胴体より長い。生きた動物を食わず、生えている草をふみつけない。想像上の仁獣である。「詩経国風上」騶虞はなさけあるけものとされ、仁徳のある君主の期待をもつ者として登場する。

○手技飛操持彫虎 猿と虎と戦うことを比喩して、貧窮と疎賤の二つに対して常にたたかい、これにうちかつことだという。儒教の言葉、故事である。

焦原 山東省の莒(きょ)県の南三十六里のところに、横山と呼ばれる大きな岩があり、それが焦原である。広さ五十歩、百幅(幅は、両手を左右にひろげた幅)の深さの谷川に臨み、非常に危険な場所である。莒の国でも、これに近づこうとする者がいなかったが、一人の勇者があらわれ、後向きに歩いて崖のはしで足のかかとをそろえた。世にたたえられたが、そもそも正義ということは、この焦原のように高いものだ。そして賢者は、正義のためには、どんなに危険をおかしてでも、足のかかとを焦原の石の上にそろえるようなことをやってのけ、しかも、少しも苦痛を言わない。儒教の一節。


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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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年:731       開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  梁甫吟

及地點:        梁父山 (河南道 兗州梁父山) 別名:梁甫山         

淇縣 (河北道南部 衛州 衛縣) 別名:朝歌   

棘津 (河北道北部 安東都護府 延津州)      

高陽 (河北道南部 瀛洲 高陽)            



梁甫吟 1
(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

長嘯梁甫吟。 何時見陽春。 
ああここに有志の士がいる、いずれの時に明主に遭遇し、大いに用いられ、持っている志を伸ばせるのか、ここにいにしえの英雄、諸葛亮を学び、大声を発して梁甫吟をながく、ながく吟じてみるのも、やむを得ない始末だからだ。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。 
君は知っているだろう。むかし呂尚という人がいたが、はじめは朝歌の牛殺しのおじいさんであったが、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の老衰の身をもって、西方にきて、渭水のほとりで十年にわたって釣りをしていて文王と出会ったのをた。 
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。 
風采と云えば、白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかせると用いられたのである。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。 
それまで「三千六百回の鉤」十年もの長い間、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむところとなり、これを認められたのである。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。 
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしないもので、はじめは、世間のふつうの人といささか似ているということであったのだ。

#2
君不見高陽酒徒起草中。長揖山東隆准公。 
君は知っているだろう。酈食其というものが高陽の里に居て、大酒のみであったので誰も相手にされなかったが、ひとたび、荒草の中から身をおこし、沛公に謁見する。
入門不拜騁雄辯。兩女輟洗來趨風。 
門を入っても最敬礼をしないままに、そして雄弁に沛公を説き伏せた。感服した挙句には、沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公に厚く礼をなすにいたった。
東下齊城七十二。指揮楚漢如旋蓬。 
酈食其は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
おちぶれていた独りよがりの頑固者、狂客と呼ばれ、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。 
わたしは、竜鱗を攀じて、賢明な君主に謁見し、その知遇を得ようと企てたが、雷公が、妨害を試み、恐ろしく凄まじい響きを発し、ガラゴロゴロと天鼓を頻りにうちならしたのだ。
#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。 
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。 
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。 
杞國無事憂天傾。
貐磨牙競人肉。 
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。 
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。 
齊相殺之費二桃。
楚弄兵無劇孟。 
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。 
張公兩龍劍。 神物合有時。 
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。


梁甫吟#1

長嘯す梁甫吟、何れの時か陽春を見ん。

君見ずや 朝歌の屠叟【とそう】棘津【きょくしん】を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。

寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。

広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。

大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2

君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。

門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。

東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。

狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。

我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇【ほうこう】 天鼓を震う。
#3

帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。

倏燦【しゅくしゃく】 晦冥【かいめい】 風雨を起す、

閶闔【しょうこう】の九門 通ず可からず。

額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。

杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。

騶虞【すうぐ】は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4

足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。

世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。

斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。

亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。

張公の両竜剣、神物 合するに時有り。

風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。

嚢陽一帯
現代語訳と訳註
(
本文) #2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。 
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。 
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。 
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。


(下し文)
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。

門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。

東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。

狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。

我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇【ほうこう】 天鼓を震う。

 

(現代語訳)
君は知っているだろう。酈食其というものが高陽の里に居て、大酒のみであったので誰も相手にされなかったが、ひとたび、荒草の中から身をおこし、沛公に謁見する。
門を入っても最敬礼をしないままに、そして雄弁に沛公を説き伏せた。感服した挙句には、沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公に厚く礼をなすにいたった。
酈食其は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
おちぶれていた独りよがりの頑固者、狂客と呼ばれ、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
わたしは、竜鱗を攀じて、賢明な君主に謁見し、その知遇を得ようと企てたが、雷公が、妨害を試み、恐ろしく凄まじい響きを発し、ガラゴロゴロと天鼓を頻りにうちならしたのだ。

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(訳注)#2
梁甫吟 

(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

梁甫吟は楽府題の古い題の一つ。相和歌楚調曲に梁父吟行とあって、その由来は戦国の武侯が好んで詠ったものといわれる。梁甫は、梁父とも書き、むかしの斉の国、いまの山東省の、泰山のふもとにある、570mの小さな山の名である。そこは、古代の迷信では、死者のたましいの帰る場所とされていた。「梁甫吟」はもともと、葬いの歌であったという。また、骨子(孔子の弟子)の作ったものであるという。骨子が泰山のふもとに耕していたところ、天が大雪をふらし、凍ること旬日、帰ることができず、その父母を思って、巣山歌を作ったと、「琴挽」という本に見える、それが「梁甫吟」の起源であるという。現在「楽府詩集」に収められている一首は、「三国志」の立役者である諸葛亮(孔明)の作と伝えられている。

 

君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。 
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
君は知っているだろう。酈食其というものが高陽の里に居て、大酒のみであったので誰も相手にされなかったが、ひとたび、荒草の中から身をおこし、沛公に謁見する。
高陽酒徒 高陽は地名。いまの河南省杞県の西。陳留県に属した。酒徒は酒のみ。高陽の呑み助とは、漢の酈食其(れきいき)のことで、陳留県高陽郷の人である。読書を好んだ。(酈生の生は、読書人に対する呼び方。)家が貧しくて、おちぶれ、仕事がなくて衣食に困った。県中の人がみな、かれを狂生と呼んだ。沛公(のちの漢の高祖)が軍をひきいて陳留の郊外を攻略したとき、沛公の旗本の騎士で、たまたま酈生と同じ村の青年がいた。その青年に会って酈生は言った。「おまえが沛公にお目通りしたらこのように申しあげろ。臣の村に、酈生という者がおります。年は六十あまり、身のたけ八尺、人びとはみな彼を狂生と呼んでいますが、彼みずからは、わたしは狂生ではないと、申しております、と。」騎士は酈生におしえられたとおりに言った。沛公は高陽の宿舎まで来て、使を出して酈生を招いた。酈生が来て、入って謁見すると、沛公はちょうど、床几に足を投げ出して坐り、二人の女に足を洗わせていたが、そのままで酈生と面会した。酈生は部屋に入り、両手を組み合わせて会釈しただけで、ひざまずく拝礼はしなかった。そして言った。「足下は秦を助けて諸侯を攻めようとされるのか。それとも、諸侯をひきいて秦を破ろうとされるのか。」沛公は罵って言った。「小僧め。そもそも天下の者がみな、秦のために長い間くるしめられた。だから諸侯が連合して秦を攻めている。それにどうして、秦を助けて諸侯を攻めるなどと申すのか。」酈生は言った。「徒党をあつめ、義兵をあわせて、必ず無道の秦を課しょうとされるなら、足を投げ出したまま年長者に面会するのはよろしくありません。」沛公は足を洗うのをやめ、起ち上って着物をつくろい、酈生を上座にまねいて、あやまった。酈生はそこでむかし戦国時代に、列国が南北または東西に結んで、強国に対抗したり同盟したりした、いわゆる六国の合縦連衡の話をした。沛公は喜び鄭生に食をたまい、「では、どうした計略をたてるのか」ときいた。酈生は、強い秦をうちやぶるには、まず、天下の要害であり、交通の要処である保留を攻略すべきであると進言し、先導してそこを降伏させた。沛公は、酈生に広野君という号を与えた。酈生は遊説の士となり、馳せまわって諸侯の国に使した。漢の三年に、漢王(沛公)は酈生をつかわして斉王の田広に説かせ、酈生は、車の横木にもたれて安坐しながら、斉の七十余城を降服させた。酈生がはじめて沛公に謁見した時のことは、次のようにも伝わっている。酈生が会いに来たとき、沛公はちょうど足を洗っていたが、取次にきた門番に「どんな男か」とたずねた。「一見したところ、儒者のような身なりをしております」と門番がこたえた。沛公は言った。「おれはいま天下を相手に仕事をしているのだ。儒者などに会う暇はない。」門番が出ていって、その旨をつたえると、酈生は目をいからし、剣の柄に手をかけ、門番をどなりつけた。「おれは高陽の酒徒だ。儒者などではない。」門番は腰をぬかして沛公に報告した。「客は天下の壮士です。」かくして酈生は沛公に謁見することができた。○草中 草がぼうぼうと等見た野原の中。民間、在野。

○長揖 両手を前でくみあわせて上から下へ腹の辺までさげる。敬礼の一種であるが、王に対する最敬礼でなく、軽い会釈にすぎない。

山東隆準公 のちに漢の高祖となる沛公すなわち劉邦をさす。沛の豊邑(いまの江蘇省豊県)の人である。豊県は、山東省にちかい。「史記」の高祖本紀に、高祖は生れつき「隆準にして竜顔」とある。隆は高い。準は、音がセツ、鼻柱のこと、隆準公は、鼻の高いおやじさん。
高適の詩(2)塞上聞吹笛  田家春望 参照


入門不拜騁雄辯。兩女輟洗來趨風。 
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
門を入っても最敬礼をしないままに、そして雄弁に沛公を説き伏せた。感服した挙句には、沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公に厚く礼をなすにいたった。
 身体をかがめ、手のあたりまで頭をさげる、おじぎ。

 走らせる。雄弁に語ることの意。

両女輯洗来趨風 沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公のきげんをとったのだ。。

趨風 風のように走りまわる。


東下齊城七十二。指揮楚漢如旋蓬。 
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
酈食其は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
東下斉城七十二 漢王(沛公)の三年の秋、楚の項羽は漢を撃って賛陽(河南)を攻め落した。漢の軍は退却して河南の肇県と洛陽の間に立てこもった。一方、沛公の部将である韓信が、東の方で斉の国を攻めていた。酈生はこのとき、沛公に進言し、斉を漢の東方の同盟国とするために斉王の田広を説得する案を出した。沛公は同意した。酈生は斉におもむき、田広に会って言った。「王は、天下の帰一するところを知っておられますか」「知らぬ」「王が天下の帰一するところを知っておられるなら、斉の国をたもてましょうが、もし知っておられないなら、斉の国はたもてないでしょう」「天下はどこに帰一するだろうか」「漢王に帰一しましょう」「どういう根拠で、そう言うのか。」酈生はそこで、雄弁をふるって天下の形勢を論じ、楚の項王の不徳をのべ、漢の沛公の人徳をのぺ、「後れて漢に帰服する国が先ず亡びましょう。王がはやく漢王に降服されるなら、斉の国はたもてましょうが、もし漢に降らなければ、たちまち危険滅亡がやって来ましょう」とまくしたてた。田広は酈生のことばを信じ、斉の七十二城をあけわたした。韓信はそれをきくと、軍隊を動かして斉を掌った。漢軍の来襲をきいた斉玉田広は、だまされたと知り、酈生に向い、「汝が漢軍の侵入をとめたら、わしは汝を生かしておくが、さもなければ、汝を煮殺してしまうぞ」と言った。野生「大事業をなす者は、細かい事はどうでもよい。わたしは、おまえごときのために前言を変えはせぬ。」斉王はついに、酈生を煮殺し、兵をひきいて東方に逃げた。「史記」酈生陸質列伝。

旋蓬 風にふかれて飛びまわるヨモギの穂
 
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
おちぶれていた独りよがりの頑固者、狂客と呼ばれ、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
狂客 きちがい扱いにされた余計者。一つのことに夢中になって他の意見を取り入れない頑固者。杜甫も狂夫とつかう。

落魄おちぶれる。「史記」弥生の伝に「家貧にして落塊、以て衣食の業を為す無し」とあるのを用いた。


我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。 
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。
わたしは、竜鱗を攀じて、賢明な君主に謁見し、その知遇を得ようと企てたが、雷公が、妨害を試み、恐ろしく凄まじい響きを発し、ガラゴロゴロと天鼓を頻りにうちならしたのだ。
攣竜 竜のうろこにすがる。君主の知遇を得ること。

明主 賢明な君主。玄宗をさす。

○砰訇 大きな音。

天鼓 かみなり。星の名前。天から鼓が降った夢を見て身ごもった母から生まれた少年「天鼓」は、本当に天から降った鼓を打って妙なる音を響かせた。話を聞いた帝に鼓を召されることになったので、惜しんで山に隠れ、見つけられて川に沈められたが、鼓は鳴りやまなかった。父が呼ばれて打つと鼓は鳴り、川辺で管弦講によって弔うと天鼓の霊が現れて舞を舞うという。宇宙は大きく、空は澄み渡り、心も澄み渡る。清らかな世界という意味。

155-#1 《巻02-04 梁甫吟 -#1》(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <155-#1> Ⅰ李白詩1355 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5323

李白《巻02-04 梁甫吟 -#1(改訂)(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)ああここに有志の士がいる、いずれの時に明主に遭遇し、大いに用いられ、持っている志を伸ばせるのか、ここにいにしえの英雄、諸葛亮を学び、大声を発して梁甫吟をながく、ながく吟じてみるのも、やむを得ない始末だからだ。


155-#1 《巻02-04 梁甫吟 -#1(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <155-#1> Ⅰ李白詩1355 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5323

 

年:731       開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  梁甫吟

及地點:        梁父山 (河南道 兗州梁父山) 別名:梁甫山         

淇縣 (河北道南部 衛州 衛縣) 別名:朝歌   

棘津 (河北道北部 安東都護府 延津州)      

高陽 (河北道南部 瀛洲 高陽)            


梁甫吟 1
(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

長嘯梁甫吟。 何時見陽春。 
ああここに有志の士がいる、いずれの時に明主に遭遇し、大いに用いられ、持っている志を伸ばせるのか、ここにいにしえの英雄、諸葛亮を学び、大声を発して梁甫吟をながく、ながく吟じてみるのも、やむを得ない始末だからだ。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。 
君は知っているだろう。むかし呂尚という人がいたが、はじめは朝歌の牛殺しのおじいさんであったが、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の老衰の身をもって、西方にきて、渭水のほとりで十年にわたって釣りをしていて文王と出会ったのをた。 
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。 
風采と云えば、白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかせると用いられたのである。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。 
それまで「三千六百回の鉤」十年もの長い間、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむところとなり、これを認められたのである。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。 
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしないもので、はじめは、世間のふつうの人といささか似ているということであったのだ。

#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。 
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。 
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。 
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。

#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。 
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。 
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。 
杞國無事憂天傾。
貐磨牙競人肉。 
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。 
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。 
齊相殺之費二桃。
楚弄兵無劇孟。 
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。 
張公兩龍劍。 神物合有時。 
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。


梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟、何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟【とそう】棘津【きょくしん】を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。

寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇【ほうこう】 天鼓を震う。
#3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦【しゅくしゃく】 晦冥【かいめい】 風雨を起す、
閶闔【しょうこう】の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞【すうぐ】は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。

李白図102 

現代語訳と訳註
(
本文)
 1
長嘯梁甫吟。 何時見陽春。 
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。 
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。 
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。 
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。


(下し文) 梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。


(現代語訳)
(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

ああここに有志の士がいる、いずれの時に明主に遭遇し、大いに用いられ、持っている志を伸ばせるのか、ここにいにしえの英雄、諸葛亮を学び、大声を発して梁甫吟をながく、ながく吟じてみるのも、やむを得ない始末だからだ。
君は知っているだろう。むかし呂尚という人がいたが、はじめは朝歌の牛殺しのおじいさんであったが、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の老衰の身をもって、西方にきて、渭水のほとりで十年にわたって釣りをしていて文王と出会ったのをた。 
それまで「三千六百回の鉤」十年もの長い間、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむところとなり、これを認められたのである。
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしないもので、はじめは、世間のふつうの人といささか似ているということであったのだ。


(訳注)
梁甫吟
 

(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

梁甫吟は楽府題の古い題の一つ。相和歌楚調曲に梁父吟行とあって、その由来は戦国の武侯が好んで詠ったものといわれる。梁甫は、梁父とも書き、むかしの斉の国、いまの山東省の、泰山のふもとにある、570mの小さな山の名である。そこは、古代の迷信では、死者のたましいの帰る場所とされていた。「梁甫吟」はもともと、葬いの歌であったという。また、骨子(孔子の弟子)の作ったものであるという。骨子が泰山のふもとに耕していたところ、天が大雪をふらし、凍ること旬日、帰ることができず、その父母を思って、巣山歌を作ったと、「琴挽」という本に見える、それが「梁甫吟」の起源であるという。現在「楽府詩集」に収められている一首は、「三国志」の立役者である諸葛亮(孔明)の作と伝えられている。それは次の歌である。
諸葛亮(孔明)「梁甫吟」
歩出斉城門  遥望蕩陰里
里中有三墳  塁塁正相似
問是誰家墓  田疆古冶子
力能排南山  文能絶地紀
一朝被讒言  二桃殺三士
誰能為此謀  国相斉晏子
下し文
歩して斉の城門を出で  遥に蕩陰の里を望む 
里中に三墳有り  塁塁として正に相似たり
問う是れ誰が家の墓ぞ  田疆古冶氏
力を能く南山を排し  文を能く地紀を絶つ
一朝 讒言を被りて  二桃 三士を殺す
誰か能く此の謀を為せる  国相斉の晏子なり

現代訳
梁甫の歌;
斉の城門を歩いて出て、遠くに蕩陰(地名)の村を眺めるとそこにお墓が三基ある 並んで立っていて、よく似ていた。
これはどちらのお墓ですかと聞いてみた。
これが有名な公孫接・田開彊・古冶子のお墓です。
三人は南山を動かすほど力が強く、大地の四隅を繋ぐ紐を切るほど学問もできる人たちでした
ところが、ひとたび、讒言を言われ、二つの桃でもって三人を殺してしまった。
誰がこんなはかりごとをしたのですか? それは斉の宰相の晏嬰です

これは、詭計をもちいて人を殺した、斉の量子の故事をうたったものである。「力排南山三壯士。齊相殺之費二桃」参照。李白のこの詩は、その故事をふくみつつ、主題を少しかえ、不遇の志士の時機到来を待つ気持をうたいあげる。

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643


長嘯梁甫吟。 何時見陽春。 
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
ああここに有志の士がいる、いずれの時に明主に遭遇し、大いに用いられ、持っている志を伸ばせるのか、ここにいにしえの英雄、諸葛亮を学び、大声を発して梁甫吟をながく、ながく吟じてみるのも、やむを得ない始末だからだ。
長哺 長く、すみきった声を出して詩歌を吟じる。

陽春 陽気のみちみちた春。春という季節は、万物をはぐくみ育てる、それにも似た君主の慈愛恩恵を、暗に意味する。《楚辞、九弁》「無衣裘以御冬兮,恐溘死不得見乎陽春。」“(衣裘の以て冬を御【ふせ】ぐ無く,恐らくは溘死【こうし】して陽春を見るを得ざらんことを。)身には衣や毛衣の冬の寒さをふせぐものがなく、急に死んで、来る年の陽春を見ることができないかも知れぬと心配をするのである。”という句が、君主から放逐されて絶望の意中を述べたところに見える。

九辯 第六・七・八段 まとめ 宋玉  <00-#26>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 655 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2259


君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。 
君見ずや 朝歌の屠叟【とそう】棘津【きょくしん】を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
君は知っているだろう。むかし呂尚という人がいたが、はじめは朝歌の牛殺しのおじいさんであったが、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の老衰の身をもって、西方にきて、渭水のほとりで十年にわたって釣りをしていて文王と出会ったのをた。 
朝歌屠叟 朝歌は地名。大むかし、殷の時代のみやこ、河南省にあった。屠叟は、屠牛(牛殺し)のじいさん。朝歌の牛殺しのじじいとは、周の太公望、呂尚のことである。伝説によると、かれはかつて朝歌において牛殺しをしていたことがあり、棘津(河南省延津県)においては行商人をしていたし、橎渓(いまの駅西省宝鶏県の東南にあり、源は南山から出、北に流れて渭水に入る)では魚を釣っていた。八十歳のときに、はじめて周の文王に出遇った。文王は立ちどころにその人物を見抜き、この人こそ自分の父の大公が、かねがね望んでいた軍師である、だから太公望と呼ぶといって連れて帰り、非常に重くかれを用いた。かれは、文王の子の武王をたすけて駿を討ち、天下を定め、斉の国の始祖となった。

渭浜 渭水のほとり。太公望が渭水で釣りをしていた文王との故事に基づく。


寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。 
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
風采と云えば、白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかせると用いられたのである。
壮気 意気さかんに。

経論 天下をおさめ人民をすくう方策。


廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。 
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
それまで「三千六百回の鉤」十年もの長い間、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむところとなり、これを認められたのである。
三千六百鉤 鉤はつりばり。一年は三百六十日、十年で三千六百日。毎日釣り糸を垂れると、十年で三千六百鉤となる。太公望は八十歳のときから渭水のほとりで釣りをし、九十歳のときに文王に遇った、その間の十年間(一説では、七十から八十までの間)釣りをしていたことをさす。また、清の沈徳潜の説では、三千六百鈎は、天下をことごとく釣ることで、文王を釣り出したという意味に解する。

風期風塵、または、風采に同じ。人品。びとがら。

 しらぬうちに。しらず、しらず。

文王 文王(未詳- 紀元前1152年-紀元前1056年 寿命 97才)は、中国の周朝の始祖。姓は姫、諱は昌。父季歴と母太任の子。周王朝の創始者である武王の父にあたる。文王は商に仕えて、三公(特に重要な三人の諸侯)の地位にあり、父である季歴の死後に周の地を受け継ぎ、岐山のふもとより本拠地を灃河(渭河の支流である。湖南省の澧水とは字が異なる。)の西岸の豊邑(正しくは豐邑。後の長安の近く)に移し、仁政を行ってこの地を豊かにしていた。


大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。 
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしないもので、はじめは、世間のふつうの人といささか似ているということであったのだ。
虎変 「易経」に「大人虎変」とあるのに基づく。虎の毛皮のもようの鮮やかなように、非凡な大人物は、あざやかに変化する。「君子豹変」も出典は同じく、現在使われるような惑い意味ではなく、本来は、君子が過を改めて善にうつることの際立って著しいことを意味する。「大人」というのは「君子」よりも、一枚上の人物。

当年 当時。

頗似 いささか似ている。頻はいささか。(顔は少であり甚ではない。)

尋常 ふつう。なみ。

 
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李白《巻02-03 蜀道難 #5(改訂) 要するに、蜀の地を穏やかに治めることは、今日のようなやり方ではいけないのだ、だから、蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。

 
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154-#5 《巻02-03 蜀道難 #5(改訂) Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <154-#5> Ⅰ李白詩1354 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5318

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  蜀道難

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:        蜀道 (劍南道北部益州 成都)      

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰         

峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)  

青泥嶺 (山南西道 興州 長舉)      

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)      

 

 

蜀道難 #1

(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)

噫吁戲危乎高哉!蜀道之難難於上青天。

ああ、何と危うく、高いことか。蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。

蠶叢及魚鳧,開國何茫然。

蜀王の蚕叢、さらには魚鳧、かれらの開国の世に何と遠くたどり着くことができなくことか。
爾來四萬八千不與秦塞通人煙。

それ以来、はるかに四万八千年、長安地方とは、人家の煙も通じないままだった。
西當太白有鳥道,可以橫峨眉

西のかた太白山には、鳥しか通えないような高く険しい道があるが、どうして峨眉山のまでも、ずいと横切って進めることができよう。
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#2

地崩山摧壯士死,然後天梯石棧相鉤連。

その地は、食の君主が、五人の力士を遣わして、秦の五美女を迎えた時に、大地が崩れ、高山がくだけ、五人の壮士たちが圧死したという大事件がおこり、その後で、天の梯子のような山道や、岩壁に渡した桟道が、やっとつながるようになったので、これが即ち桟道である。
上有六龍回日之高標,下有衝波逆折之回川。

その桟道の険を詳しく言えば、上のほうに有るのは、六竜の引く太陽神の車も後戻りして、迂回するような、さらに高く突き出た峰、下のほうに有るのは、早瀬の波がぶつかりあう波頭が逆巻きつつ、蛇行して流れ去る激流の峡谷の川がある。
黃鶴之飛尚不得過,猿猱欲度愁攀援。

つまり、高い所は、天の高嶺で、低い所は、地底のようなところであるから、一飛び千里といわれる黄鶴の翼を以て飛ぼうとしても、越えてしまうのは、なお不可能だろう、猿が渡ろうとしても、よじのぼることさえできなくて考え込んでしまうだろう程のものであるから、人に逢ってはなお更難関ということなのだ。
青泥何盤盤,百步九折縈巖巒。

それに加えて、青泥の嶺の山道は、何と曲りくねって続くことか。百歩のうちに九度も折れ曲り、やがてその嶺頂の昇り、岩山をめぐって進むということだ。
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#3

捫參歷井仰脅息,以手撫膺坐長歎。

やがて嶺頂に上れば、秦蜀の分野となる参井の二星はすぐ近くにあって、参の星座を手でさぐり、井の星座を踏みしめるようにして、そこをすり抜けてゆく。そして疲れて、天を仰いで苦しい息をつき、挙句の果てに、わが手で胸をさすりつつ、腰をおろして長いため息をつくことになる。
問君西遊何時還?畏途巉巖不可攀。

蜀に行くことの困難はこの通りであり、一度西に向かう旅に出たなら、何時になったら還れるのかと君にたずねたところでどうしよもないというものだ。こんな恐ろしい旅路のゴツゴツとそびえる山岩高峻の道は、どうしてよじ登ることさえなどできないというものだ。
但見悲鳥號古木,雄飛雌從繞林間。

その間に見れば、悲しげな声を出して啼く鳥が、樹齢もすぐには分か来ほどの古木で鳴いている、雄が飛べば、雌が後を追って、餌を林冲にあさり、めぐってゆく。

又聞子規啼夜月,愁空山。

また聞けば、ホトトギスが一斉に夜半の月光に啼き、何にもない山中はたちまちに愁える景色ばかりになるのである。
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#4

蜀道之難難於上青天,使人聽此凋朱顏。

「蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。」人がこの言葉を聴くだけで、人は張りのある若き紅顔も凋ましてしまうことだろう。
連峰去天不盈尺,枯松倒掛倚壁。

更に進めば、連なる峰々は、天から一尺にも足りぬ高さでそびえたち、枯れた松の木が、まるで逆さに掛かったように、絶壁によりかかって生えている。

飛湍瀑流爭喧豗,崖轉石萬壑雷。

更に進むと、飛び散るしぶきの急流と、落ちかかる瀑布の流れは、たがいに豪濁音を争っている、絶壁にぶつかり、岩石を転がして、すべての谷々に雷鳴がとどろきわたっているのだ。
其險也如此,嗟爾遠道之人胡為乎來哉!

その険阻は極まれるその道は、これほどまでのものなのだ。ああ君よ、遠き道をゆく旅人があるというのは、どういうことだろうか、不思議な事である。
劍閣崢嶸而崔嵬。

剣門山の閣道は、崢嶸で崔嵬として草木もなく高く険しすぎる。#5

一夫當關,萬夫莫開。

左思が《蜀都賦》で述べた様に「一人の男が、関所を守れば、万人が攻めても、開きはしない。」ということだ。
所守或匪親,化為狼與豺。

蜀の北門というべき剣閣は朝廷でもよほど気を付けねば、守るその男が、皇族の血筋の者であればよいのだが、この地方を支配したものが狼や山犬のような、反逆者にならぬとも限らない。

朝避猛虎,夕避長蛇。

実際には、それでなくとも、夜明けには、吐蕃という猛虎のようなやからを避け、ゆうべには、回紇という大蛇のようなやからを避けるという場所である。

磨牙吮血,殺人如麻。

かれらは、牙を磨ぎ、血をすすって、手当り次第に、人々を殺すことが何でもないように行うやつらなのだ。
錦城雖云樂,不如早還家。

山のかなたをくだると 〝錦城″ は、人情豊かな楽しい所だと言われるが、それはとんでもないことで、道路は険艱であるうえに、険悪な事態に遭遇することになるので、いっそ、早く我が家に戻ったほうがよい。
蜀道之難難於上青天,

要するに、蜀の地を穏やかに治めることは、今日のようなやり方ではいけないのだ、だから、蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。

側身西望長咨嗟。

身をよじって西のかたを望み、長く嘆息するばかりだ。
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(蜀道難) #1

噫吁戲【ああ】 危いか 高い哉、蜀道の難きは 青天に上るよりも難し。

蚕叢と魚鳧【ぎょふ】と、開國 何ぞ茫然たる。

爾來 四萬八千歳、秦塞と人煙を通ぜず。

西のかた太白に當りて鳥道有り、以て 峨眉の頂を橫絶すべし。

#2

地崩れ山摧けて壯士死す、然る后 天梯 石棧 相ひ鉤連す。

上には六龍回日の高標有り、下には沖波逆折の回川有り。

黄鶴の飛ぶこと 尚過ぐるを得ず、猿柔度らんと欲して攀縁を愁ふ。

青泥 何ぞ盤盤たる、百歩九折 岩巒を巡る。

#3

參を捫【さぐ】り井を歴て仰いで脅息し、手を以て膺【むね】を撫し 坐して長嘆す。

君に問ふ 西游して何れの時にか還ると、畏途の巉岩 攀づ可からず。

但だ見る 悲鳥古木に號ぶを、雄は飛び雌は從って 林間を繞る。

又聞く 子規夜月に啼いて、空山を愁ふるを。

#4

蜀道の難きは、青天に上るよりも難し、人をして此を聽いて朱顏を凋ばしむ。

連峰天を去ること尺に盈たず、枯松倒しまに挂【か】かって絶壁に倚る。

飛湍 瀑流 爭って喧豗【けんかい】たり、崖を撃ち石を轉じて萬壑雷【とどろ】く。

其の險や此くの若し、嗟【ああ】爾遠道の人胡為【なんすれ】ぞ來れるや。    

劍閣は崢嶸として崔嵬たり。

#5

一夫 關に當たれば、萬夫も開く莫し。

守る所 或は親に匪ざれば、化して 狼と豺と為る。

朝には 猛虎を避け、夕には 長蛇を避く。

牙を磨き 血を吮【す】い、人を殺すこと麻の如し。

錦城 樂しと云ふと雖も、早く家に還るに如かず。

蜀道の難きは。青天に上るよりも難し。

身を側てて西望し 長く咨嗟す。

杜甫 体系 地図459同谷紀行


『蜀道難』 現代語訳と訳註解説

(本文)5

一夫當關,萬夫莫開。

所守或匪親,化為狼與豺。

朝避猛虎,夕避長蛇。

磨牙吮血,殺人如麻。

錦城雖云樂,不如早還家。

蜀道之難難於上青天,側身西望長咨嗟。

 

(下し文) #5

一夫 關に當たれば、萬夫も開く莫し。

守る所 或は親に匪ざれば、化して 狼と豺と為る。

朝には 猛虎を避け、夕には 長蛇を避く。

牙を磨き 血を吮【す】い、錦城 樂しと云ふと雖も。

早く家に還るに如かず、蜀道の難きは。

青天に上るよりも難し、身を側てて西望し 長く咨嗟す。

 

(現代語訳)

左思が《蜀都賦》で述べた様に「一人の男が、関所を守れば、万人が攻めても、開きはしない。」ということだ。
蜀の北門というべき剣閣は朝廷でもよほど気を付けねば、守るその男が、皇族の血筋の者であればよいのだが、この地方を支配したものが狼や山犬のような、反逆者にならぬとも限らない。

実際には、それでなくとも、夜明けには、吐蕃という猛虎のようなやからを避け、ゆうべには、回紇という大蛇のようなやからを避けるという場所である。

かれらは、牙を磨ぎ、血をすすって、手当り次第に、人々を殺すことが何でもないように行うやつらなのだ。
山のかなたをくだると 〝錦城″ は、人情豊かな楽しい所だと言われるが、それはとんでもないことで、道路は険艱であるうえに、険悪な事態に遭遇することになるので、いっそ、早く我が家に戻ったほうがよい。
要するに、蜀の地を穏やかに治めることは、今日のようなやり方ではいけないのだ、だから、蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。

身をよじって西のかたを望み、長く嘆息するばかりだ。
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yoshu&choan736(訳注)

蜀道難 #5

(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)

蜀道難は楽府題相和歌瑟調三十八曲の一つ。銅梁玉塁の険を詠うもので、世道の危険、人心の険峨を謗るものである。李白の詩もこれに沿っている。これだけ険阻であるから、天子の意向が届きにくいため、天子に敵対することが多いのである


一夫當關、萬夫莫開。
一夫 關に當たれば、萬夫も開く莫し。

左思が《蜀都賦》で述べた様に「一人の男が、関所を守れば、万人が攻めても、開きはしない。」ということだ。
一夫当関 剣閣を詠う慣用句。左思《蜀都賦》「一夫守隘、萬夫莫開」とあり、これに基づいたもの。

 

所守或匪親、化為狼與豺。
守る所 或は親に匪ざれば、化して 狼と豺と為る。

蜀の北門というべき剣閣は朝廷でもよほど気を付けねば、守るその男が、皇族の血筋の者であればよいのだが、この地方を支配したものが狼や山犬のような、反逆者にならぬとも限らない。

 

朝避猛虎、夕避長蛇。 
朝には 猛虎を避け、夕には 長蛇を避く。

実際には、それでなくとも、夜明けには、吐蕃という猛虎のようなやからを避け、ゆうべには、回紇という大蛇のようなやからを避けるという場所である。


磨牙吮血、殺人如麻。 
牙を磨き 血を吮【す】い、人を殺すこと麻の如し。

かれらは、牙を磨ぎ、血をすすって、手当り次第に、人々を殺すことが何でもないように行うやつらなのだ。
  吸う・すする。音は「ゼン・セン」「ジュン・シュン」 の二系統がある。

殺人如麻  手あたり次第に人を殺す。「如麻」は、多く入り乱れるさま。


錦城雖云樂、不如早還家。 
錦城 樂しと云ふと雖も、早く家に還るに如かず。

山のかなたをくだると 〝錦城″ は、人情豊かな楽しい所だと言われるが、それはとんでもないことで、道路は険艱であるうえに、険悪な事態に遭遇することになるので、いっそ、早く我が家に戻ったほうがよい。
錦城  成都の美称。「錦官城」ともいう。昔、成都の南部地区に錦を扱う官署(少城)が置かれていたための呼称。蜀は錦の名産地だった。


蜀道之難、難于上青天。 
蜀道の難きは。青天に上るよりも難し。

要するに、蜀の地を穏やかに治めることは、今日のようなやり方ではいけないのだ、だから、蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。


側身西望長咨嗟。』 
身を側てて西望し 長く咨嗟す。

身をよじって西のかたを望み、長く嘆息するばかりだ。
○側身  体の向きを変える。身をよじる、振りかえる。

長咨嗟 長く嘆息する。
蜀の山001 

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李白《巻02-03 蜀道難 #4その険阻は極まれるその道は、これほどまでのものなのだ。ああ君よ、遠き道をゆく旅人があるというのは、どういうことだろうか、不思議な事である。

 
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年:731年開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  蜀道難

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:        蜀道 (劍南道北部益州 成都)      

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰         

峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)  

青泥嶺 (山南西道 興州 長舉)      

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)      

 

 

蜀道難 #1

(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)

噫吁戲危乎高哉!蜀道之難難於上青天。

ああ、何と危うく、高いことか。蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。

蠶叢及魚鳧,開國何茫然。

蜀王の蚕叢、さらには魚鳧、かれらの開国の世に何と遠くたどり着くことができなくことか。
爾來四萬八千不與秦塞通人煙。

それ以来、はるかに四万八千年、長安地方とは、人家の煙も通じないままだった。
西當太白有鳥道,可以橫峨眉

西のかた太白山には、鳥しか通えないような高く険しい道があるが、どうして峨眉山のまでも、ずいと横切って進めることができよう。
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#2

地崩山摧壯士死,然後天梯石棧相鉤連。

その地は、食の君主が、五人の力士を遣わして、秦の五美女を迎えた時に、大地が崩れ、高山がくだけ、五人の壮士たちが圧死したという大事件がおこり、その後で、天の梯子のような山道や、岩壁に渡した桟道が、やっとつながるようになったので、これが即ち桟道である。
上有六龍回日之高標,下有衝波逆折之回川。

その桟道の険を詳しく言えば、上のほうに有るのは、六竜の引く太陽神の車も後戻りして、迂回するような、さらに高く突き出た峰、下のほうに有るのは、早瀬の波がぶつかりあう波頭が逆巻きつつ、蛇行して流れ去る激流の峡谷の川がある。
黃鶴之飛尚不得過,猿猱欲度愁攀援。

つまり、高い所は、天の高嶺で、低い所は、地底のようなところであるから、一飛び千里といわれる黄鶴の翼を以て飛ぼうとしても、越えてしまうのは、なお不可能だろう、猿が渡ろうとしても、よじのぼることさえできなくて考え込んでしまうだろう程のものであるから、人に逢ってはなお更難関ということなのだ。
青泥何盤盤,百步九折縈巖巒。

それに加えて、青泥の嶺の山道は、何と曲りくねって続くことか。百歩のうちに九度も折れ曲り、やがてその嶺頂の昇り、岩山をめぐって進むということだ。
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#3

捫參歷井仰脅息,以手撫膺坐長歎。

やがて嶺頂に上れば、秦蜀の分野となる参井の二星はすぐ近くにあって、参の星座を手でさぐり、井の星座を踏みしめるようにして、そこをすり抜けてゆく。そして疲れて、天を仰いで苦しい息をつき、挙句の果てに、わが手で胸をさすりつつ、腰をおろして長いため息をつくことになる。
問君西遊何時還?畏途巉巖不可攀。

蜀に行くことの困難はこの通りであり、一度西に向かう旅に出たなら、何時になったら還れるのかと君にたずねたところでどうしよもないというものだ。こんな恐ろしい旅路のゴツゴツとそびえる山岩高峻の道は、どうしてよじ登ることさえなどできないというものだ。
但見悲鳥號古木,雄飛雌從繞林間。

その間に見れば、悲しげな声を出して啼く鳥が、樹齢もすぐには分か来ほどの古木で鳴いている、雄が飛べば、雌が後を追って、餌を林冲にあさり、めぐってゆく。

又聞子規啼夜月,愁空山。

また聞けば、ホトトギスが一斉に夜半の月光に啼き、何にもない山中はたちまちに愁える景色ばかりになるのである。
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#4

蜀道之難難於上青天,使人聽此凋朱顏。

「蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。」人がこの言葉を聴くだけで、人は張りのある若き紅顔も凋ましてしまうことだろう。
連峰去天不盈尺,枯松倒掛倚壁。

更に進めば、連なる峰々は、天から一尺にも足りぬ高さでそびえたち、枯れた松の木が、まるで逆さに掛かったように、絶壁によりかかって生えている。

飛湍瀑流爭喧豗,崖轉石萬壑雷。

更に進むと、飛び散るしぶきの急流と、落ちかかる瀑布の流れは、たがいに豪濁音を争っている、絶壁にぶつかり、岩石を転がして、すべての谷々に雷鳴がとどろきわたっているのだ。
其險也如此,嗟爾遠道之人胡為乎來哉!

その険阻は極まれるその道は、これほどまでのものなのだ。ああ君よ、遠き道をゆく旅人があるというのは、どういうことだろうか、不思議な事である。
劍閣崢嶸而崔嵬。

剣門山の閣道は、崢嶸で崔嵬として草木もなく高く険しすぎる。#5

一夫當關,萬夫莫開。

所守或匪親,化為狼與豺。

朝避猛虎,夕避長蛇。

磨牙吮血,殺人如麻。

錦城雖云樂,不如早還家。

蜀道之難難於上青天,側身西望長咨嗟。

 

(蜀道難) #1

噫吁戲【ああ】 危いか 高い哉、蜀道の難きは 青天に上るよりも難し。

蚕叢と魚鳧【ぎょふ】と、開國 何ぞ茫然たる。

爾來 四萬八千歳、秦塞と人煙を通ぜず。

西のかた太白に當りて鳥道有り、以て 峨眉の頂を橫絶すべし。

#2

地崩れ山摧けて壯士死す、然る后 天梯 石棧 相ひ鉤連す。

上には六龍回日の高標有り、下には沖波逆折の回川有り。

黄鶴の飛ぶこと 尚過ぐるを得ず、猿柔度らんと欲して攀縁を愁ふ。

青泥 何ぞ盤盤たる、百歩九折 岩巒を巡る。

#3

參を捫【さぐ】り井を歴て仰いで脅息し、手を以て膺【むね】を撫し 坐して長嘆す。

君に問ふ 西游して何れの時にか還ると、畏途の巉岩 攀づ可からず。

但だ見る 悲鳥古木に號ぶを、雄は飛び雌は從って 林間を繞る。

又聞く 子規夜月に啼いて、空山を愁ふるを。

#4

蜀道の難きは、青天に上るよりも難し、人をして此を聽いて朱顏を凋ばしむ。

連峰天を去ること尺に盈たず、枯松倒しまに挂【か】かって絶壁に倚る。

飛湍 瀑流 爭って喧豗【けんかい】たり、崖を撃ち石を轉じて萬壑雷【とどろ】く。

其の險や此くの若し、嗟【ああ】爾遠道の人胡為【なんすれ】ぞ來れるや。    

劍閣は崢嶸として崔嵬たり。

#5

一夫 關に當たれば、萬夫も開く莫し。

守る所 或は親に匪ざれば、化して 狼と豺と為る。

朝には 猛虎を避け、夕には 長蛇を避く。

牙を磨き 血を吮【す】い、人を殺すこと麻の如し。

錦城 樂しと云ふと雖も、早く家に還るに如かず。

蜀道の難きは。青天に上るよりも難し。

身を側てて西望し 長く咨嗟す。

 

nat0001
『蜀道難』 現代語訳と訳註解説

(本文)#4

蜀道之難難於上青天,使人聽此凋朱顏。

連峰去天不盈尺,枯松倒掛倚壁。

飛湍瀑流爭喧豗,崖轉石萬壑雷。

其險也如此,嗟爾遠道之人胡為乎來哉!劍閣崢嶸而崔嵬。

 

(下し文)

蜀道の難きは、青天に上るよりも難し、人をして此を聽いて朱顏を凋ばしむ。

連峰天を去ること尺に盈たず、枯松倒しまに挂【か】かって絶壁に倚る。

飛湍 瀑流 爭って喧豗【けんかい】たり、崖を撃ち石を轉じて萬壑雷【とどろ】く。

其の險や此くの若し、嗟【ああ】爾遠道の人胡為【なんすれ】ぞ來れるや。    

劍閣は崢嶸として崔嵬たり。

 

(現代語訳)

「蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。」人がこの言葉を聴くだけで、人は張りのある若き紅顔も凋ましてしまうことだろう。
更に進めば、連なる峰々は、天から一尺にも足りぬ高さでそびえたち、枯れた松の木が、まるで逆さに掛かったように、絶壁によりかかって生えている。

更に進むと、飛び散るしぶきの急流と、落ちかかる瀑布の流れは、たがいに豪濁音を争っている、絶壁にぶつかり、岩石を転がして、すべての谷々に雷鳴がとどろきわたっているのだ。
その険阻は極まれるその道は、これほどまでのものなのだ。ああ君よ、遠き道をゆく旅人があるというのは、どういうことだろうか、不思議な事である。
剣門山の閣道は、崢嶸で崔嵬として草木もなく高く険しすぎる。

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(訳注) 

蜀道難 #4

(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)

蜀道難は楽府題相和歌瑟調三十八曲の一つ。銅梁玉塁の険を詠うもので、世道の危険、人心の険峨を謗るものである。李白の詩もこれに沿っている。これだけ険阻であるから、天子の意向が届きにくいため、天子に敵対することが多いのである


蜀道之難難于上青天、使人聽此凋朱顏。 
蜀道の難きは、青天に上るよりも難し、人をして此を聽いて朱顏を凋ばしむ。

「蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。」人がこの言葉を聴くだけで、人は張りのある若き紅顔も凋ましてしまうことだろう。
朱顔  血色のよい顔。紅顔。

 

連峰去天不盈尺、枯松倒挂倚壁。 
連峰天を去ること尺に盈たず、枯松倒しまに挂【か】かって絶壁に倚る。

更に進めば、連なる峰々は、天から一尺にも足りぬ高さでそびえたち、枯れた松の木が、まるで逆さに掛かったように、絶壁によりかかって生えている。


飛湍瀑流爭喧豗、崖轉石萬壑雷。 
飛湍 瀑流 爭って喧豗【けんかい】たり、崖を撃ち石を轉じて萬壑雷【とどろ】く。

更に進むと、飛び散るしぶきの急流と、落ちかかる瀑布の流れは、たがいに豪濁音を争っている、絶壁にぶつかり、岩石を転がして、すべての谷々に雷鳴がとどろきわたっているのだ。
飛溝 しぶきをあげて飛びちる激流。

○暴流 滝。瀑布が落ち流れる轟音。

  水が岩壁に音をたててぶつかること。

喧豗 さわがしさ。水が出すすべての音が集まったやかましさをいう。

萬壑  無数の谷間。
 
其險也如此、嗟爾遠道之人胡為乎來哉。 
其の險や此くの若し、嗟【ああ】爾遠道の人胡為【なんすれ】ぞ來れるや。    

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  ああ。感嘆詞。

○爾  「汝」 の類語。

 どうして。疑問反語。原因を問いただす。「何」 の類語。

 

劍閣崢嶸而崔嵬。 
劍閣は崢嶸として崔嵬たり。

剣門山の閣道は、崢嶸で崔嵬として草木もなく高く険しすぎる。
剣閣 剣門山(蜀道の中の最も険岨な山。四川省東北部)の閣道(桟道)。現在の四川省剣閣県の東北の、大剣山・小剣山の間、約一五キロの山々に設置された。唐代にはここに剣門関が置かれていた。

崢嶸而崔嵬 - 高く険しいさま。・崢嶸 山など高く嶮しいさま。歳月の積み重なるさま。寒気の厳しいさま。 ・崔嵬 石や岩がごろごろしているさま。高くそばだって草木がない山。
蜀の山001 

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154-#3 《巻02-03 蜀道難 #3Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <154-#3> Ⅰ李白詩1352 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5308

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:  卷一六二        文體:  樂府

詩題:  蜀道難

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:        蜀道 (劍南道北部益州 成都)      

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰         

峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)  

青泥嶺 (山南西道 興州 長舉)      

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)      

 

 

蜀道難 #1

(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)

噫吁戲危乎高哉!蜀道之難難於上青天。

ああ、何と危うく、高いことか。蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。

蠶叢及魚鳧,開國何茫然。

蜀王の蚕叢、さらには魚鳧、かれらの開国の世に何と遠くたどり着くことができなくことか。
爾來四萬八千不與秦塞通人煙。

それ以来、はるかに四万八千年、長安地方とは、人家の煙も通じないままだった。
西當太白有鳥道,可以橫峨眉

西のかた太白山には、鳥しか通えないような高く険しい道があるが、どうして峨眉山のまでも、ずいと横切って進めることができよう。
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#2

地崩山摧壯士死,然後天梯石棧相鉤連。

その地は、食の君主が、五人の力士を遣わして、秦の五美女を迎えた時に、大地が崩れ、高山がくだけ、五人の壮士たちが圧死したという大事件がおこり、その後で、天の梯子のような山道や、岩壁に渡した桟道が、やっとつながるようになったので、これが即ち桟道である。
上有六龍回日之高標,下有衝波逆折之回川。

その桟道の険を詳しく言えば、上のほうに有るのは、六竜の引く太陽神の車も後戻りして、迂回するような、さらに高く突き出た峰、下のほうに有るのは、早瀬の波がぶつかりあう波頭が逆巻きつつ、蛇行して流れ去る激流の峡谷の川がある。
黃鶴之飛尚不得過,猿猱欲度愁攀援。

つまり、高い所は、天の高嶺で、低い所は、地底のようなところであるから、一飛び千里といわれる黄鶴の翼を以て飛ぼうとしても、越えてしまうのは、なお不可能だろう、猿が渡ろうとしても、よじのぼることさえできなくて考え込んでしまうだろう程のものであるから、人に逢ってはなお更難関ということなのだ。
青泥何盤盤,百步九折縈巖巒。

それに加えて、青泥の嶺の山道は、何と曲りくねって続くことか。百歩のうちに九度も折れ曲り、やがてその嶺頂の昇り、岩山をめぐって進むということだ。
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#3

捫參歷井仰脅息,以手撫膺坐長歎。

やがて嶺頂に上れば、秦蜀の分野となる参井の二星はすぐ近くにあって、参の星座を手でさぐり、井の星座を踏みしめるようにして、そこをすり抜けてゆく。そして疲れて、天を仰いで苦しい息をつき、挙句の果てに、わが手で胸をさすりつつ、腰をおろして長いため息をつくことになる。
問君西遊何時還?畏途巉巖不可攀。

蜀に行くことの困難はこの通りであり、一度西に向かう旅に出たなら、何時になったら還れるのかと君にたずねたところでどうしよもないというものだ。こんな恐ろしい旅路のゴツゴツとそびえる山岩高峻の道は、どうしてよじ登ることさえなどできないというものだ。
但見悲鳥號古木,雄飛雌從繞林間。

その間に見れば、悲しげな声を出して啼く鳥が、樹齢もすぐには分か来ほどの古木で鳴いている、雄が飛べば、雌が後を追って、餌を林冲にあさり、めぐってゆく。

又聞子規啼夜月,愁空山。

また聞けば、ホトトギスが一斉に夜半の月光に啼き、何にもない山中はたちまちに愁える景色ばかりになるのである。
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#4

蜀道之難難於上青天,使人聽此凋朱顏。

連峰去天不盈尺,枯松倒掛倚壁。

飛湍瀑流爭喧豗,崖轉石萬壑雷。

其險也如此,嗟爾遠道之人胡為乎來哉!劍閣崢嶸而崔嵬。

#5

一夫當關,萬夫莫開。

所守或匪親,化為狼與豺。

朝避猛虎,夕避長蛇。

磨牙吮血,殺人如麻。

錦城雖云樂,不如早還家。

蜀道之難難於上青天,側身西望長咨嗟。

 

(蜀道難) #1

噫吁戲【ああ】 危いか 高い哉、蜀道の難きは 青天に上るよりも難し。

蚕叢と魚鳧【ぎょふ】と、開國 何ぞ茫然たる。

爾來 四萬八千歳、秦塞と人煙を通ぜず。

西のかた太白に當りて鳥道有り、以て 峨眉の頂を橫絶すべし。

#2

地崩れ山摧けて壯士死す、然る后 天梯 石棧 相ひ鉤連す。

上には六龍回日の高標有り、下には沖波逆折の回川有り。

黄鶴の飛ぶこと 尚過ぐるを得ず、猿柔度らんと欲して攀縁を愁ふ。

青泥 何ぞ盤盤たる、百歩九折 岩巒を巡る。

#3

參を捫【さぐ】り井を歴て仰いで脅息し、手を以て膺【むね】を撫し 坐して長嘆す。

君に問ふ 西游して何れの時にか還ると、畏途の巉岩 攀づ可からず。

但だ見る 悲鳥古木に號ぶを、雄は飛び雌は從って 林間を繞る。

又聞く 子規夜月に啼いて、空山を愁ふるを。

#4

蜀道の難きは、青天に上るよりも難し、人をして此を聽いて朱顏を凋ばしむ。

連峰天を去ること尺に盈たず、枯松倒しまに挂【か】かって絶壁に倚る。

飛湍 瀑流 爭って喧豗【けんかい】たり、崖を撃ち石を轉じて萬壑雷【とどろ】く。

其の險や此くの若し、嗟【ああ】爾遠道の人胡為【なんすれ】ぞ來れるや。    

劍閣は崢嶸として崔嵬たり。

#5

一夫 關に當たれば、萬夫も開く莫し。

守る所 或は親に匪ざれば、化して 狼と豺と為る。

朝には 猛虎を避け、夕には 長蛇を避く。

牙を磨き 血を吮【す】い、人を殺すこと麻の如し。

錦城 樂しと云ふと雖も、早く家に還るに如かず。

蜀道の難きは。青天に上るよりも難し。

身を側てて西望し 長く咨嗟す。

 

蜀の山001
『蜀道難』 現代語訳と訳註解説

(本文)#3

捫參歷井仰脅息,以手撫膺坐長歎。

問君西遊何時還?畏途巉巖不可攀。

但見悲鳥號古木,雄飛雌從繞林間。

又聞子規啼夜月,愁空山。

 

(下し文)#3

參を捫【さぐ】り井を歴て仰いで脅息し、手を以て膺【むね】を撫し 坐して長嘆す。

君に問ふ 西游して何れの時にか還ると、畏途の巉岩 攀づ可からず。

但だ見る 悲鳥古木に號ぶを、雄は飛び雌は從って 林間を繞る。

又聞く 子規夜月に啼いて、空山を愁ふるを。

 

(現代語訳)

やがて嶺頂に上れば、秦蜀の分野となる参井の二星はすぐ近くにあって、参の星座を手でさぐり、井の星座を踏みしめるようにして、そこをすり抜けてゆく。そして疲れて、天を仰いで苦しい息をつき、挙句の果てに、わが手で胸をさすりつつ、腰をおろして長いため息をつくことになる。
蜀に行くことの困難はこの通りであり、一度西に向かう旅に出たなら、何時になったら還れるのかと君にたずねたところでどうしよもないというものだ。こんな恐ろしい旅路のゴツゴツとそびえる山岩高峻の道は、どうしてよじ登ることさえなどできないというものだ。
その間に見れば、悲しげな声を出して啼く鳥が、樹齢もすぐには分か来ほどの古木で鳴いている、雄が飛べば、雌が後を追って、餌を林冲にあさり、めぐってゆく。

また聞けば、ホトトギスが一斉に夜半の月光に啼き、何にもない山中はたちまちに愁える景色ばかりになるのである。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->李白図102
<!--[endif]-->

(訳注)

蜀道難 #3

(蜀への道の難しさ。長安から蜀へ向かう蜀道についてあらゆる方面から、険艱を詳述して賦としている。)

蜀道難は楽府題相和歌瑟調三十八曲の一つ。銅梁玉塁の険を詠うもので、世道の危険、人心の険峨を謗るものである。李白の詩もこれに沿っている。これだけ険阻であるから、天子の意向が届きにくいため、天子に敵対することが多いのである

 

捫參歷井仰脅息。以手撫膺坐長嘆。
參を捫【さぐ】り井を歴て仰いで脅息し、手を以て膺【むね】を撫し 坐して長嘆す。

やがて嶺頂に上れば、秦蜀の分野となる参井の二星はすぐ近くにあって、参の星座を手でさぐり、井の星座を踏みしめるようにして、そこをすり抜けてゆく。そして疲れて、天を仰いで苦しい息をつき、挙句の果てに、わが手で胸をさすりつつ、腰をおろして長いため息をつくことになる。
椚参歴井  参の星座(蜀の上空)を椚で、井の星座(秦〔長安地方〕の上空)を歩みすぎる。山道が高いので、手や足が星座に届きそうだ、という表現。

脅息  (山が高く峻しく空気が薄いので)呼吸が苦しげなさま。また、緊張や悲しみで息がつけない時にも用いる。脅は収縮する、・させるの意。
 

問君西游何時還。畏途巉巌不可攀。
君に問ふ 西游して何れの時にか還ると、畏途の巉岩 攀づ可からず。

問君西遊何時還【問君西遊何當還】【征人西遊何時還】【征人西遊何當還】?畏途巉巖不可攀。

蜀に行くことの困難はこの通りであり、一度西に向かう旅に出たなら、何時になったら還れるのかと君にたずねたところでどうしよもないというものだ。こんな恐ろしい旅路のゴツゴツとそびえる山岩高峻の道は、どうしてよじ登ることさえなどできないというものだ。
畏途 人を畏れさせるような険しい途。

巉巌  ゴツゴツとそびえる山岩高峻のさま。
 
但見悲鳥號古木。雄飛雌從繞林間。 
但だ見る 悲鳥古木に號ぶを、雄は飛び雌は從って 林間を繞る。

但見悲鳥號古木【但見悲鳥號枯木】,雄飛雌從繞林間【雄飛呼雌繞林間】【雄飛從雌繞林間】。

その間に見れば、悲しげな声を出して啼く鳥が、樹齢もすぐには分か来ほどの古木で鳴いている、雄が飛べば、雌が後を追って、餌を林冲にあさり、めぐってゆく。

○雄飛雌從 雉子班の古辞に「雉子高飛止、黃鵠高飛已千里、雄來飛、從雌覛。」とあるに基づく。


又聞子規啼夜月。愁空山。 
又聞く 子規夜月に啼いて、空山を愁ふるを。

また聞けば、ホトトギスが一斉に夜半の月光に啼き、何にもない山中はたちまちに愁える景色ばかりになるのである。
子規 ホトトギス。「杜鵑鳥」ともかく。蜀の地方に多い。「望帝、道を究め、西山に處ってかくれ、化して杜鵑となる。」

参考

宣城見杜鵑花 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-244-350

河内詩二首其二(湖中) 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 127

杜鵑行 杜甫 成都(2)浣花渓の草堂(2 -16-2)  <379 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1835 杜甫詩1000-379-558/1500

石鏡 杜甫 <431  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2100 杜甫詩1000-431-614/1500

766年大暦元年55-2-3 《杜鵑 -#3》 杜甫index-15 杜甫<865ー#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5100
nat0002 

154-#2 《巻02-03 蜀道難 #2》(改訂) Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <154-#2> Ⅰ李白詩1351 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5303

李白《巻02-03 蜀道難 #2(改訂)その地は、食の君主が、五人の力士を遣わして、秦の五美女を迎えた時に、大地が崩れ、高山がくだけ、五人の壮士たちが圧死したという大事件がおこり、その後で、天の梯子のような山道や、岩壁に渡した桟道が、やっとつながるようになったので、これが即ち桟道である。

 
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