漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

2015年02月

190 《巻24-35 寄遠,十一首之七》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <190> Ⅰ李白詩1414 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5618

李白《巻24-35 寄遠,十一首之七》妾(わたし)はいま舂陵の東に居て、君(あなた)は漢江の島にいって居て、たがいに去ること、すでに遠くなっています。眺めやれば、百里の間、花光、地にたれて、その間を人が往来して、草一つ生えない白道となって居ます。かくの如く、人の往来は頻繁であるが、われ等二人は、互に相会することができないでいます。

 
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190 《巻24-35 寄遠,十一首之七》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <190> Ⅰ李白詩1414 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5618 
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190 《巻24-35 寄遠,十一首之七》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <190> Ⅰ李白詩1414 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5618

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    寄遠,十一首之七

及地點:棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵(山南東道北部図4)(李白足跡図6      

 

 

寄遠,十一首之七

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の七)

妾在舂陵東,君居漢江島。

妾(わたし)はいま舂陵の東に居て、君(あなた)は漢江の島にいって居て、たがいに去ること、すでに遠くなっています。

一日望花光,往來成白道。

眺めやれば、百里の間、花光、地にたれて、その間を人が往来して、草一つ生えない白道となって居ます。かくの如く、人の往来は頻繁であるが、われ等二人は、互に相会することができないでいます。

一為雲雨別,此地生秋草。

一たび、翻雲覆雨の別れをしてからずっと、春が過ぎ、草も秋のいろになりました。

秋草秋蛾飛,相思愁落暉。

その秋草の上には秋蛾が飛んで居て卵を産み付け越冬の準備をします。相思の情は、落日の際に於て、愈々夜長になって痛切におもうのです。

何由一相見,滅燭解羅衣。

そんな理由で、如何にして、再び相いまみえるを得れるのでしょうか、あなたさまと深閨の中、燈火を消してわたしの蘿衣を解いて楽しき夢を見たいのです。

 

(寄遠,十一首の七)

妾 舂陵の東に在り,君 漢江の島に居り。

一日 花光に望み,往來 白道を成す。

一たび為す 雲雨の別,此の地 秋草生ず。

秋草 秋蛾飛び,相思 落暉に愁う。

何に由って一たび相い見,燭を滅して羅衣を解く。

李白の足跡0000 

 

『寄遠,十一首之七』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄遠,十一首之七

妾在舂陵東,君居漢江島。

一日望花光,往來成白道。

一為雲雨別,此地生秋草。

秋草秋蛾飛,相思愁落暉。

何由一相見,滅燭解羅衣。


(含異文)

妾在舂陵東,君居漢江島。

一日望花光,往來成白道【日日採蘼蕪,上山成白道】。

一為雲雨別,此地生秋草。

秋草秋蛾飛,相思愁落暉。

何由一相見,滅燭解羅衣【一本無此二句。「落暉」下有「昔時攜手去,今日流淚歸。遙知不得意,玉箸點羅衣」四句。】。


(下し文)
(寄遠,十一首の七)

妾 舂陵の東に在り,君 漢江の島に居り。

一日 花光に望み,往來 白道を成す。

一たび為す 雲雨の別,此の地 秋草生ず。

秋草 秋蛾飛び,相思 落暉に愁う。

何に由って一たび相い見,燭を滅して羅衣を解く。

(現代語訳)
(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の七)

妾(わたし)はいま舂陵の東に居て、君(あなた)は漢江の島にいって居て、たがいに去ること、すでに遠くなっています。

眺めやれば、百里の間、花光、地にたれて、その間を人が往来して、草一つ生えない白道となって居ます。かくの如く、人の往来は頻繁であるが、われ等二人は、互に相会することができないでいます。

一たび、翻雲覆雨の別れをしてからずっと、春が過ぎ、草も秋のいろになりました。

その秋草の上には秋蛾が飛んで居て卵を産み付け越冬の準備をします。相思の情は、落日の際に於て、愈々夜長になって痛切におもうのです。

そんな理由で、如何にして、再び相いまみえるを得れるのでしょうか、あなたさまと深閨の中、燈火を消してわたしの蘿衣を解いて楽しき夢を見たいのです。



(訳注)

寄遠,十一首之七

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の七)

この詩は、男目線の女から男に寄せた詩というスタンスで、その内容は、六朝からの格別新しくもないものであり、すべて、艶語、隠語を含んだものであって、誰が読んでも、わかり易いから、決して、陳套と思われないものである。

山南東道北部唐州随州01 

妾在舂陵東,君居漢江島。

妾(わたし)はいま舂陵の東に居て、君(あなた)は漢江の島にいって居て、たがいに去ること、すでに遠くなっています。

舂陵 【しょうりょう】(山南東道北部図4)(李白足跡図6

漢江島 襄陽の大堤

大堤曲

漢水臨襄陽。花開大堤暖。佳期大堤下。淚向南云滿。

春風無復情。吹我夢魂散。不見眼中人。天長音信斷。

李白53大堤曲

 

一日望花光,往來成白道。

眺めやれば、百里の間、花光、地にたれて、その間を人が往来して、草一つ生えない白道となって居ます。かくの如く、人の往来は頻繁であるが、われ等二人は、互に相会することができないでいます。

白道 道路の内のよく通る部分が白く際立っているところをいう。火の河(怒りを表す)と水の河(貪欲を表す)の間にある、極楽浄土に通じる白い道とされ、極楽往生を願う信心にたとえられる。

 

一為雲雨別,此地生秋草。

一たび、翻雲覆雨の別れをしてからずっと、春が過ぎ、草も秋のいろになりました。

 

秋草秋蛾飛,相思愁落暉。

その秋草の上には秋蛾が飛んで居て卵を産み付け越冬の準備をします。相思の情は、落日の際に於て、愈々夜長になって痛切におもうのです。

秋蛾 旧暦7 月から 月にかけて出現して秋の蛾が卵越冬する。

 

何由一相見,滅燭解羅衣。

そんな理由で、如何にして、再び相いまみえるを得れるのでしょうか、あなたさまと深閨の中、燈火を消してわたしの蘿衣を解いて楽しき夢を見たいのです。

滅燭解羅衣 、燈火を消してわたしの蘿衣を解いて楽しき夢を見たい。

南朝樂府

子夜四時歌之三 

開窗秋月光,滅燭解羅裳

含笑帷幌裏,舉體蘭蕙香。
 嚢陽一帯00

189 《巻24-34 寄遠,十一首之六》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <189> Ⅰ李白詩1413 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5613

李白《巻24-34 寄遠,十一首之六》その流れている波は、終に海に向って去り、落ち付く先もあるが、われは、わが思う人を見んとするも、到底その便宜さへも無い。されば、止むを得ず、一点の涙を以て、遙かに花の如き彼の人に寄せて、おのが心の苦を察しで貰おうと思うのみである。

 

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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189 《巻24-34 寄遠,十一首之六》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <189> Ⅰ李白詩1413 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5613

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    寄遠,十一首之六

 

 

寄遠,十一首之六

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の六)

陽臺隔楚水,春草生黃河。

巫山の陽臺は楚水を隔て、千里望むを断え、わが思ふ人のところへ往くよすがもなく、今しも、春になって、綠の草は、黄河の岸上に生じた。

相思無日夜,浩蕩若流波。

わが相思の念は、日として、夜として、生じないことはなく、浩蕩として、流れている波の如くである。

流波向海去,欲見終無因。

その流れている波は、終に海に向って去り、落ち付く先もあるが、われは、わが思う人を見んとするも、到底その便宜さへも無い。

遙將一點淚,遠寄如花人。

されば、止むを得ず、一点の涙を以て、遙かに花の如き彼の人に寄せて、おのが心の苦を察しで貰おうと思うのみである。

 

(寄遠,十一首の六)

陽臺 楚水を隔て,春草 黃河に生ず。

相思 日夜無く,浩蕩として 流波の若し。

流波 海に向って去り,見んと欲するも終に因無し。

遙に一點の淚を將って,遠く寄す 花の如き人。

蜀中転々圖巫山十二峰003 

 

『寄遠,十一首之六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄遠,十一首之六

陽臺隔楚水,春草生黃河。

相思無日夜,浩蕩若流波。

流波向海去,欲見終無因。

遙將一點淚,遠寄如花人。


(含異文)

陽臺隔楚水,春草生黃河【陰雲隔楚水,轉蓬落渭河】。

相思無日夜,浩蕩若流波。

流波向海去,欲見終無因【定繞珠江濱】。

遙將一點淚,遠寄如花人。


(下し文)
(寄遠,十一首の六)

陽臺 楚水を隔て,春草 黃河に生ず。

相思 日夜無く,浩蕩として 流波の若し。

流波 海に向って去り,見んと欲するも終に因無し。

遙に一點の淚を將って,遠く寄す 花の如き人。

(現代語訳)
(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の六)

巫山の陽臺は楚水を隔て、千里望むを断え、わが思ふ人のところへ往くよすがもなく、今しも、春になって、綠の草は、黄河の岸上に生じた。

わが相思の念は、日として、夜として、生じないことはなく、浩蕩として、流れている波の如くである。

その流れている波は、終に海に向って去り、落ち付く先もあるが、われは、わが思う人を見んとするも、到底その便宜さへも無い。

されば、止むを得ず、一点の涙を以て、遙かに花の如き彼の人に寄せて、おのが心の苦を察しで貰おうと思うのみである。



(訳注)

寄遠,十一首之六

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の六)

 

陽臺隔楚水,春草生黃河。

巫山の陽臺は楚水を隔て、千里望むを断え、わが思ふ人のところへ往くよすがもなく、今しも、春になって、綠の草は、黄河の岸上に生じた。

陽臺 「宋玉《高唐賦》「昔者楚襄王與宋玉遊於雲夢之台,望高之觀,其上獨有雲氣」(昔、楚の襄王と宋玉 雲夢之台に遊び,高の觀に望む,其の上、獨り雲氣有る。)

古風,五十九首之五十八

我行巫山渚,尋古登陽臺。

天空綵雲滅,地遠清風來。

神女去已久,襄王安在哉。

荒淫竟淪替,樵牧徒悲哀。

楚水 長江中流域

黃河 黄河とは、中国の北部を流れ、渤海へと注ぐ川。全長約5,464kmで、中国では長江に次いで2番目に長く、世界では6番目の長さである。なお、河という漢字は本来固有名詞であり、中国で「河」と書いたときは黄河を指す。これに対し、「江」と書いたときは長江を指す

 

相思無日夜,浩蕩若流波。

わが相思の念は、日として、夜として、生じないことはなく、浩蕩として、流れている波の如くである。

浩蕩 広広として大きなさま。

 

流波向海去,欲見終無因。

その流れている波は、終に海に向って去り、落ち付く先もあるが、われは、わが思う人を見んとするも、到底その便宜さへも無い。

 

遙將一點淚,遠寄如花人。

されば、止むを得ず、一点の涙を以て、遙かに花の如き彼の人に寄せて、おのが心の苦を察しで貰おうと思うのみである。

如花人 絶色の美人。

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李白《巻24-33 寄遠,十一首之五》巫山の南でのことも思い出すが遠い日の事となった、その時は、花が咲き誇って日差しに照らされてパッと明るく、大江の流れも暖かくなり、春水も緑に澄んでいた。あれこれ迷って決心できないままに、いまだにたびだつことができないでいる、そうして、南の空の雲をみあげるたびに、涙がすぐにもこみあげてくる。

 

 
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188 《巻24-33 寄遠,十一首之五》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <188> Ⅰ李白詩1412 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5608

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    寄遠,十一首之五

及地點:              巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

 

 

寄遠,十一首之五

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の五)

遠憶巫山陽,花明淥江暖。

巫山の南でのことも思い出すが遠い日の事となった、その時は、花が咲き誇って日差しに照らされてパッと明るく、大江の流れも暖かくなり、春水も緑に澄んでいた。

躊躇未得往,淚向南雲滿。

あれこれ迷って決心できないままに、いまだにたびだつことができないでいる、そうして、南の空の雲をみあげるたびに、涙がすぐにもこみあげてくる。

春風復無情,吹我夢魂斷。

ことしも春風が吹いてくると、また、わたしはつれなくなってくる、遠くから吹いてくるとわたしの慕情の夢を冷ましてしまう。
不見眼中人,天長音信短。

目の前でみていたあの人は、もう見ることができない。遠い空のかなたへ隔ててしまって、あの人の便りも途絶えてしまった。

 

(遠きに寄す,十一首の)

遠きに憶う 巫山の陽,花明くして 江の暖に淥す。

躊躇す 未だ往くを得ず,涙は南雲に向って満つ。

春風 復た 情 無く、我が 夢魂を吹いて散ず。

見えず 眼中の人、天 長【とお】くにして 音信 断つ。

 

 巫山十二峰002

『寄遠,十一首之五』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄遠,十一首之五

遠憶巫山陽,花明淥江暖。

躊躇未得往,淚向南雲滿。

春風復無情,吹我夢魂斷。

不見眼中人,天長音信短。


(下し文)
(遠きに寄す,十一首の五)

遠きに憶う 巫山の陽,花明くして 江の暖にす。

躊躇す 未だ往くを得ず,涙は南雲に向って満つ。

春風 復た 情 無く、我が 夢魂を吹いて散ず。

見えず 眼中の人、天 長【とお】くにして 音信 断つ。

(現代語訳)
(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の五)

巫山の南でのことも思い出すが遠い日の事となった、その時は、花が咲き誇って日差しに照らされてパッと明るく、大江の流れも暖かくなり、春水も緑に澄んでいた。

あれこれ迷って決心できないままに、いまだにたびだつことができないでいる、そうして、南の空の雲をみあげるたびに、涙がすぐにもこみあげてくる。

ことしも春風が吹いてくると、また、わたしはつれなくなってくる、遠くから吹いてくるとわたしの慕情の夢を冷ましてしまう。
目の前でみていたあの人は、もう見ることができない。遠い空のかなたへ隔ててしまって、あの人の便りも途絶えてしまった。



(訳注)

寄遠,十一首之五

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の五)

 

遠憶巫山陽,花明淥江暖。

巫山の南でのことも思い出すが遠い日の事となった、その時は、花が咲き誇って日差しに照らされてパッと明るく、大江の流れも暖かくなり、春水も緑に澄んでいた。

巫山陽 巫山の南側のふもと、長江の北岸。

淥 春水の流れの色。

江暖 長江の春景色。

 

躊躇未得往,淚向南雲滿。

あれこれ迷って決心できないままに、いまだにたびだつことができないでいる、そうして、南の空の雲をみあげるたびに、涙がすぐにもこみあげてくる。

躊躇 あれこれ迷って決心できないこと。ためらうこと。

 

春風復無情,吹我夢魂斷。

ことしも春風が吹いてくると、また、わたしはつれなくなってくる、遠くから吹いてくるとわたしの慕情の夢を冷ましてしまう。
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<!--[endif]-->

 

不見眼中人,天長音信短。

目の前でみていたあの人は、もう見ることができない。遠い空のかなたへ隔ててしまって、あの人の便りも途絶えてしまった。

 

 

 

 

李白の生活ぶりは次の詩も象徴的だ。
 襄陽には遊女のいる歓楽街があった。襄陽を見るときこのことを外すわけにはいかない。



五言古詩 大堤曲

漢水臨襄陽。花開大堤暖。
佳期大堤下。淚向南云滿。
春風無復情。吹我夢魂散。
不見眼中人。天長音信斷。


漢江の水は、襄陽のまちに沿って流れゆく。町はずれの大堤の色町は、花が満開、なにかと暖かくする。
この大堤の下で逢うことを約束したのに来てくれない、
南の空の雲をみると、涙がすぐにもこみあげてくる。
春風も、わたしにはつれなく吹いて、慕情の夢を冷ましてしまう。
恋しいあの人の面影は、もう見えない。遠い空のかなた、あの人の便りも途絶えてしまった。


○大堤曲 『楽府詩集』#48「清商曲辞、西曲歌」。襄陽歌から派生したものとされる。 ・襄陽 湖北省、漢江にのぞむ町。 ○大境 嚢陽の南郊外にあり、行楽の土地。遊女が住んでいた。○漢水 襄陽の街を北西から、南東に廻るように流れている。大堤からすると南は下流の方角になり、江南からの人ということになる。あるいは、李白が色町の女性と別れた時に作ったのかもしれない。 ○佳期 男女の逢う約束。あいびきの時。○南雲 晋の陸機の「親(肉親)を憶う賦」に「南雲を指して、まごころを寄せ、帰風を望みて誠をいたす」とあり、故郷の肉親を思うと解釈されることが多いが、恋人を思う気持ちを詠っている。


 大堤で逢う約束を破られ、故郷の空へ向かって涙する女性というなら、最終句にもっていかないと理解できない。「いとしい人からの便りも途絶えた」を最終句にしているのは李白の心情だからと考えるほうが、自然体の纏まりがいい。

 李白は大堤の女性と別れたのである。
 儒教や仏教を基本に考える人ならば、故郷にいる肉親を思い、涙を浮かべることになるが、そうではない。女性観について良くも悪くも「楽府」故事を借りているのである。この短い詩の中で、多量の情報を提供し、そして見事に集約している。李白の秀作である。
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漢水は 嚢陽に臨【のぞ】み、花開いて 大堤暖かなり。
佳期 大堤の下【もと】、涙は南雲に向って満つ。
春風 復た 情 無く、我が 夢魂を吹いて散ず
眼中の人を見えず、天 長【とおく】にして 音信 断つ。
李白31歳 

187 《巻24-32 寄遠,十一首之四》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <187> Ⅰ李白詩1411 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5603

李白《巻24-32 寄遠,十一首之四》春去り、夏来たり、やがて、その夏も過ぎかかつて、蓮の花も大分末になり、人をして、意くだけしめるばかり。相思の余、惜気もなく、夢を見つづけ、魂は日夜、陽臺に向うのみである

 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 孟郊張籍     
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    寄遠,十一首之四

及地點:              湖陽 (山南東道 唐州 湖陽)              

 

 

寄遠,十一首之四

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の四)

玉箸落春鏡,坐愁湖陽水。

玉の箸と見まごう涙は、春鏡に落ち、湖陽の水の渺茫たるを想って、坐ろに心を愁へしめる。

聞與陰麗華,風煙接鄰里。

その湖陽は、陰麗筆の故郷たる新野と相去ること遠からず、閬里相隣って居る。わが意中の人は、湖陽に居るので、われも、彼の光武帝が陰麗華を得て、その初志を達した様に成りたいと、常に心に念じて居る。

青春已復過,白日忽相催。

おもへば、青春の時代は、すでに過ぎ去り、白日は遠慮なく、しきりに相い促す。

但恐荷花晚,令人意已摧。

それから、春去り、夏来たり、やがて、その夏も過ぎかかつて、蓮の花も大分末になり、人をして、意くだけしめるばかり。

相思不惜夢,日夜向陽臺。

相思の余、惜気もなく、夢を見つづけ、魂は日夜、陽臺に向うのみである。

(寄遠,十一首の四)

玉箸、春鏡に落つ、坐ろに愁う 湖陽の水。

聞く陰麗華と、風煙、郷里に接す。

青春すでに復た過ぐ、白日忽ち相い催す。

但だ恐る、荷花晩く、人をして意すでに摧けしむ。

相思、夢を惜ます、日夜、陽臺に向ふ。

 

 

『寄遠,十一首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄遠,十一首之四

玉箸落春鏡,坐愁湖陽水。

聞與陰麗華,風煙接鄰里。

青春已復過,白日忽相催。

但恐荷花晚,令人意已摧。

相思不惜夢,日夜向陽臺。


(含異文)

玉箸落春鏡【玉筋落春鏡】,坐愁湖陽水。

聞與陰麗華,風煙接鄰里。

青春已復過,白日忽相催。

但恐荷花晚【但恐飛花晚】,令人意已摧。

相思不惜夢,日夜向陽臺。


(下し文)
(寄遠,十一首の四)

玉箸、春鏡に落つ、坐ろに愁う 湖陽の水。

聞く陰麗華と、風煙、郷里に接す。

青春すでに復た過ぐ、白日忽ち相い催す。

但だ恐る、荷花晩く、人をして意すでに摧けしむ。

相思、夢を惜ます、日夜、陽臺に向ふ。

(現代語訳)
(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の四)

玉の箸と見まごう涙は、春鏡に落ち、湖陽の水の渺茫たるを想って、坐ろに心を愁へしめる。

その湖陽は、陰麗筆の故郷たる新野と相去ること遠からず、閬里相隣って居る。わが意中の人は、湖陽に居るので、われも、彼の光武帝が陰麗華を得て、その初志を達した様に成りたいと、常に心に念じて居る。

おもへば、青春の時代は、すでに過ぎ去り、白日は遠慮なく、しきりに相い促す。

それから、春去り、夏来たり、やがて、その夏も過ぎかかつて、蓮の花も大分末になり、人をして、意くだけしめるばかり。

相思の余、惜気もなく、夢を見つづけ、魂は日夜、陽臺に向うのみである。

安陸・南陽・嚢陽 李白00
(訳注)

寄遠,十一首之四

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の四)

 

玉箸落春鏡,坐愁湖陽水。

玉の箸と見まごう涙は、春鏡に落ち、湖陽の水の渺茫たるを想って、坐ろに心を愁へしめる。

玉箸 涕が珠の雫として流れ落ちることをいう。白帖「甄后、面白く、涙雙垂すれば、玉箸の如し」とある。

ある。

坐愁 漢の無名氏『西門行』「何能坐愁拂鬱、當復待來茲。」(何んぞ能く坐し愁えて鬱を拂いて、當に復た來茲を待んや。)どうして座ったままでくよくよし悶々と苦悩したとしてまさに来年まで待たなければいけないなんてことはあるまいに。

西門行 漢の無名氏 詩<81-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1350

湖陵 本と漢の旧県、唐の時、唐州淮安郡に隷属していた。

 

聞與陰麗華,風煙接鄰里。

その湖陽は、陰麗筆の故郷たる新野と相去ること遠からず、閬里相隣って居る。わが意中の人は、湖陽に居るので、われも、彼の光武帝が陰麗華を得て、その初志を達した様に成りたいと、常に心に念じて居る。

陰麗華 漢の光武帝の后妃のこと。南陽新野の人。後漢の光武帝の皇后で明帝の母。諡は烈。異母兄に陰識、同母弟に陰興、陰訢、陰就がいる。 劉秀と同じ南陽郡の新野県出身の豪族陰氏の娘で、近隣でも評判の美女として、挙兵前の光武帝もあこがれるほどであったという。更始1年に劉秀に嫁いだ。 建武1年に劉秀が即位すると貴人として洛陽に迎えられた。

風煙接鄰里 新野(襄陽と南陽の中間)より東に100里、湖陵に至る、「道里遠近、百里に及ばす」故にこう云う。」

 

青春已復過,白日忽相催。

おもへば、青春の時代は、すでに過ぎ去り、白日は遠慮なく、しきりに相い促す。

 

但恐荷花晚,令人意已摧。

それから、春去り、夏来たり、やがて、その夏も過ぎかかつて、蓮の花も大分末になり、人をして、意くだけしめるばかり。

 

相思不惜夢,日夜向陽臺。

相思の余、惜気もなく、夢を見つづけ、魂は日夜、陽臺に向うのみである。

瑤臺 玉で飾った美しい御殿。玉のうてな。玉楼。台は四方が展望できる高館。《楚辭離騷》「望瑤臺之偃蹇兮, 見有娥之佚女。」(瑤臺の偃蹇たるを望み,有娥の佚女を見る。)唐·李白·清平調三首之一:「若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。」(若し群玉 山頭にて見るに非ずんば,會らず瑤臺月下に向いて逢わん。)

寄遠,十一首之三

本作一行書,殷勤道相憶。

一行復一行,滿紙情何極。

瑤臺有黃鶴,為報青樓人。

朱顏凋落盡,白髮一何新。

自知未應還,離居經三春。

桃李今若為,當窗發光彩。

莫使香風飄,留與紅芳待。
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李白《巻24-31 寄遠,十一首之三  -#2その香風をして、無暗に吹かしめることなく、せめては、その紅の花を留めて置いて、わが歸った時に見せる様にして呉れろと、こう云ってもらいたい。

 
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四               文體: 五言古詩

詩題:    寄遠,十一首之三

 

 

寄遠,十一首之三

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の三)

本作一行書,殷勤道相憶。

はじめて、短い手紙を書いて、相憶うの意を慇懃に述べようとした。

一行復一行,滿紙情何極。

すると、一行又一行、いくら書いても、書き切れず、紙一ぱいに成っても、この情は、窮極するところがない。

瑤臺有黃鶴,為報青樓人。

瑤臺に居る黄鶴よ、どうか我がために青楼に居る人に言伝をして呉れたまえ。

 

朱顏凋落盡,白髮一何新。

われは、朱顔すでに凋落し尽くしてきている、それで、白髪は新に生えて、頭に雪を戴くばかりとなっている。

自知未應還,離居經三春。

われが、何時、そちらに還るべきかわからず、しかも、離居して、すでに三年を経過した。

桃李今若為,當窗發光彩。

あの桃李の樹は、どうなっているのか、今ごろは、定めて花を開き、窓にあたって光彩を発して居るであろう。

莫使香風飄,留與紅芳待。

その香風をして、無暗に吹かしめることなく、せめては、その紅の花を留めて置いて、わが歸った時に見せる様にして呉れろと、こう云ってもらいたい。

 

(寄遠,十一首之三)

本と一行の書を作し,殷勤 相い憶うを道う。

一行 復た一行,滿紙 情 何ぞ極まれん。

瑤臺に黃鶴有り,為に報ぜよ 青樓の人。

 

朱顏 凋落し盡し,白髮 一に何ぞ新なる。

自ら知る 未だ應に還るべからざるを,離居 三春を經たり。

桃李 今 若為【いかん】,窗に當って光彩を發す。

香風をして飄えら使むる莫れ,紅芳に留與して待つ。

李白図102 

 

『寄遠,十一首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

朱顏凋落盡,白髮一何新。

自知未應還,離居經三春。

桃李今若為,當窗發光彩。

莫使香風飄,留與紅芳待。


(下し文)
朱顏 凋落し盡し,白髮 一に何ぞ新なる。

自ら知る 未だ應に還るべからざるを,離居 三春を經たり。

桃李 今 若為【いかん】,窗に當って光彩を發す。

香風をして飄えら使むる莫れ,紅芳に留與して待つ。

(現代語訳)
われは、朱顔すでに凋落し尽くしてきている、それで、白髪は新に生えて、頭に雪を戴くばかりとなっている。

われが、何時、そちらに還るべきかわからず、しかも、離居して、すでに三年を経過した。

あの桃李の樹は、どうなっているのか、今ごろは、定めて花を開き、窓にあたって光彩を発して居るであろう。

その香風をして、無暗に吹かしめることなく、せめては、その紅の花を留めて置いて、わが歸った時に見せる様にして呉れろと、こう云ってもらいたい。



(訳注)

寄遠,十一首之三 #2

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の三)

 

朱顏凋落盡,白髮一何新。

われは、朱顔すでに凋落し尽くしてきている、それで、白髪は新に生えて、頭に雪を戴くばかりとなっている。

 

自知未應還,離居經三春。

われが、何時、そちらに還るべきかわからず、しかも、離居して、すでに三年を経過した。

離居 離れて住むこと。また、その住居。

 

桃李今若為,當窗發光彩。

あの桃李の樹は、どうなっているのか、今ごろは、定めて花を開き、窓にあたって光彩を発して居るであらろう。

 

莫使香風飄,留與紅芳待。

その香風をして、無暗に吹かしめることなく、せめては、その紅の花を留めて置いて、わが歸った時に見せる様にして呉れろと、こう云ってもらいたい。

紅芳 江淹《銅爵妓》瑤色行應罷。紅芳幾為樂。
李白31歳 

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李白《巻24-31 寄遠,十一首之三  -#1(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の三)はじめて、短い手紙を書いて、相憶うの意を慇懃に述べようとした。すると、一行又一行、いくら書いても、書き切れず、紙一ぱいに成っても、この情は、窮極するところがない。

 

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四               文體:              五言古詩

詩題:    寄遠,十一首之三

 

 

寄遠,十一首之三

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の三)

本作一行書,殷勤道相憶。

はじめて、短い手紙を書いて、相憶うの意を慇懃に述べようとした。

一行復一行,滿紙情何極。

すると、一行又一行、いくら書いても、書き切れず、紙一ぱいに成っても、この情は、窮極するところがない。

瑤臺有黃鶴,為報青樓人。

瑤臺に居る黄鶴よ、どうか我がために青楼に居る人に言伝をして呉れたまえ。

 

朱顏凋落盡,白髮一何新。

自知未應還,離居經三春。

桃李今若為,當窗發光彩。

莫使香風飄,留與紅芳待。

 

(寄遠,十一首之三)

本と一行の書を作し,殷勤 相い憶うを道う。

一行 復た一行,滿紙 情 何ぞ極まれん。

瑤臺に黃鶴有り,為に報ぜよ 青樓の人。

 

朱顏 凋落し盡し,白髮 一に何ぞ新なる。

自ら知る 未だ應に還るべからざるを,離居 三春を經たり。

桃李 今 若為【いかん】,窗に當って光彩を發す。

香風をして飄えら使むる莫れ,紅芳に留與して待つ。

 

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『寄遠,十一首之三』 現代語訳と訳註解説
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本文)

寄遠,十一首之三

本作一行書,殷勤道相憶。

一行復一行,滿紙情何極。

瑤臺有黃鶴,為報青樓人。


(下し文)
(寄遠,十一首之三)

本と一行の書を作し,殷勤 相い憶うを道う。

一行 復た一行,滿紙 情 何ぞ極まれん。

瑤臺に黃鶴有り,為に報ぜよ 青樓の人。

(現代語訳)
(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の三)

はじめて、短い手紙を書いて、相憶うの意を慇懃に述べようとした。

すると、一行又一行、いくら書いても、書き切れず、紙一ぱいに成っても、この情は、窮極するところがない。

瑤臺に居る黄鶴よ、どうか我がために青楼に居る人に言伝をして呉れたまえ。



(訳注)

寄遠,十一首之三

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の三)

 

本作一行書,殷勤道相憶。

はじめて、短い手紙を書いて、相憶うの意を慇懃に述べようとした。

一行書 短い手紙。

慇懃 1 真心がこもっていて、礼儀正しいこと。また、そのさま。ねんごろ。2 非常に親しく交わること。

 

一行復一行,滿紙情何極。

すると、一行又一行、いくら書いても、書き切れず、紙一ぱいに成っても、この情は、窮極するところがない。

 

瑤臺有黃鶴,為報青樓人。

瑤臺に居る黄鶴よ、どうか我がために青楼に居る人に言伝をして呉れたまえ。

瑤臺 玉で飾った美しい御殿。玉のうてな。玉楼。台は四方が展望できる高館。《楚辭離騷》「望瑤臺之偃蹇兮, 見有娥之佚女。」(瑤臺の偃蹇たるを望み,有娥の佚女を見る。)唐·李白·清平調三首之一:「若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。」(若し群玉 山頭にて見るに非ずんば,會らず瑤臺月下に向いて逢わん。)

黃鶴 仙人と黄色い鶴に関する黄鶴伝説 『列異伝』に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。

青樓 「南史」に、斉の武帝は、興光楼上に青い漆をぬり、世人これを青楼とよんだ、とある。

武帝(ぶてい、440 - 493年)は、斉の第2代皇帝。姓は蕭、諱は賾。高帝蕭道成の長子。 父の死で即位する。即位後は国力増強に力を注ぎ、大規模な検地を実施した。あまりに厳しい検地であったため、逆に農民の反発を招くこととなってしまったこともあったが、反乱自体は微弱なものに過ぎず、検地は結果的に大成功したという。また戸籍を整理したり、貴族の利権を削減して皇帝権力の強化に務めるなどの政治手腕を見せた。このため、武帝は南朝における名君の一人として讃えられている。
李白31歳 

185 《巻24-30 寄遠,十一首之二》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <185> Ⅰ李白詩1408 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5588

李白《巻24-30 寄遠,十一首之二》 意中の人の近状、かくの如きを想像して、われも相思の情に堪えず、そこで、短い手紙を書いて、二羽並んで空を飛ぶ雁に託して、あなたの所へ届けさせたいと思っているのだ。

 

 
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37-(1) 《巻02-21 駑驥 -#1》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1321> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5589 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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185 《巻24-30 寄遠,十一首之二》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年3143首 <185> Ⅰ李白詩1408 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5588

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    寄遠,十一首之二

作地點:              目前尚無資料

 

 

寄遠,十一首之二

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の二)

青樓何所在,乃在碧雲中。

わが思う人の居る青楼は、どこに在るかといえば、晴れた日の碧雲の中に聾えて居る。

寶鏡掛秋水,羅衣輕春風。

そして、その室内には、寶鏡皎皎として、秋水の如く、身には薄い羅衣を著けて、軽く春風に翻る。

新妝坐落日,悵望金屏空。

新妝正に成りし後、夕陽の輝く欄干にもたれているが、金屏風の中に人なきを見て、惆悵の極み、自ら心が傷ましくなってくる。

念此送短書,願因雙飛鴻。

意中の人の近状、かくの如きを想像して、われも相思の情に堪えず、そこで、短い手紙を書いて、二羽並んで空を飛ぶ雁に託して、あなたの所へ届けさせたいと思っているのだ。

 

(遠きに寄す,十一首の二)

青樓 何れの所にか在る,乃ち碧雲の中に在る。

寶鏡 秋水に掛り,羅衣 春風に輕し。

新妝 落日に坐し,悵望 金屏空し。

此を念うて短書を送る,願わくば雙飛 鴻に因らん。

 

李白図102 

『寄遠,十一首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄遠,十一首之二

青樓何所在,乃在碧雲中。

寶鏡掛秋水,羅衣輕春風。

新妝坐落日,悵望金屏空。

念此送短書,願因雙飛鴻。

 

(含異文)

青樓何所在,乃在碧雲中。

寶鏡掛秋水【寶鏡掛秋月】,羅衣輕春風。

新妝坐落日,悵望金屏空【悵望錦屏空】。

念此送短書【剪綵送短書】,願因雙飛鴻。


(下し文)
(遠きに寄す,十一首の二)

青樓 何れの所にか在る,乃ち碧雲の中に在る。

寶鏡 秋水に掛り,羅衣 春風に輕し。

新妝 落日に坐し,悵望 金屏空し。

此を念うて短書を送る,願わくば雙飛 鴻に因らん。

(現代語訳)
(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の二)

わが思う人の居る青楼は、どこに在るかといえば、晴れた日の碧雲の中に聾えて居る。

そして、その室内には、寶鏡皎皎として、秋水の如く、身には薄い羅衣を著けて、軽く春風に翻る。

新妝正に成りし後、夕陽の輝く欄干にもたれているが、金屏風の中に人なきを見て、惆悵の極み、自ら心が傷ましくなってくる。

意中の人の近状、かくの如きを想像して、われも相思の情に堪えず、そこで、短い手紙を書いて、二羽並んで空を飛ぶ雁に託して、あなたの所へ届けさせたいと思っているのだ。



(訳注)

寄遠,十一首之二

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の二)

 

巫山十二峰002 

青樓何所在,乃在碧雲中。

わが思う人の居る青楼は、どこに在るかといえば、晴れた日の碧雲の中に聾えて居る。

碧雲 晴れた日の雲。

 

寶鏡掛秋水,羅衣輕春風。

そして、その室内には、寶鏡皎皎として、秋水の如く、身には薄い羅衣を著けて、軽く春風に翻る。

掛秋水 その澄澈なるか形容して云う。

 

新妝坐落日,悵望金屏空。

新妝正に成りし後、夕陽の輝く欄干にもたれているが、金屏風の中に人なきを見て、惆悵の極み、自ら心が傷ましくなってくる。

 

 

念此送短書,願因雙飛鴻。

意中の人の近状、かくの如きを想像して、われも相思の情に堪えず、そこで、短い手紙を書いて、二羽並んで空を飛ぶ雁に託して、あなたの所へ届けさせたいと思っているのだ。

短書 文選、《李都尉(從軍)陵》江淹、「袖中有短書,願寄雙飛燕。」(袖中に短書有り,願わくば雙飛の燕に寄せん。)袖の中に持つ短い手紙をは、どうか二羽並んで飛ぶ燕にことづけ(妻に送り届け)たいと思う。

李都尉(從軍)

蹲酒送往人,蹄蹶在親宴。

日暮浮雲滋,握手淚如霰。

悠悠清川水,嘉紡得所薦,

而我在萬里,結髮不相見。

袖中有短書,願寄雙飛燕。

李白31歳 

184 《巻24-29 寄遠,十一首之一》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <184> Ⅰ李白詩1407 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5583

李白《巻24-29 寄遠,十一首之一》秦人と楚人とは、南北に遠く離れて、その心も、自然異なっているから、決して和合することもなく、皎皎としてその差別は明白である。しかし、あなたとは一心同体であり、千里の遠きにあっても、心は通じ合っているということだ。

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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184 《巻24-29 寄遠,十一首之一》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <184> Ⅰ李白詩1407 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5583

 

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    寄遠,十一首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

寄遠,十一首之一

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の一)

三鳥別王母,銜書來見過。

西王母には、大鶩、小鶩、青鳥という三羽の猛禽が仕えていたが別れて、手紙を口に加えてくるのを見届けた。

腸斷若剪弦,其如愁思何。

そこでその手紙を受けて、開いて見るとはらわたが断たれること、それが琴の絃を断ち切るように、愁思をつきることができるのだろうか。どうすることもできないだろう。

遙知玉窗裡,纖手弄雲和。

おもえばはるか遠くのあなたの棲む玉窓の内で、細い手に雲和の琴箏を弄していることであろう。

奏曲有深意,青松交女蘿。

琴曲を奏でるにしても、それには深い意味があって、青松の幹に女蘿が這いまとわりついている。そして己が身はつれなく、さびしく、独り空閨を守ってひたすら歎き詫びているだろう。

寫水山井中,同泉豈殊波。

今山際の井戸に水を注ぐと、若し同じ泉であるならば、その清冽の度も同じですっかり混一して、決して異なった波を起すことなどないのである。

秦心與楚恨,皎皎為誰多。

秦人と楚人とは、南北に遠く離れて、その心も、自然異なっているから、決して和合することもなく、皎皎としてその差別は明白である。しかし、あなたとは一心同体であり、千里の遠きにあっても、心は通じ合っているということだ。

 

(遠きに寄す,十一首之一)

三鳥 王母に別れ,書を銜んで來って過ぎらる。

腸斷って弦を剪るが若く,其れ愁思を如何【いかん】。

遙かに知る 玉窗の裡,纖手 雲和を弄するを。

曲を奏して深意有り,青松 女蘿に交る。

水を寫ぐ山井の中,同泉 豈に殊波ならんや。

秦心と楚恨と,皎皎 誰が為に多きを。

戦国七雄001 

 

『寄遠,十一首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄遠,十一首之一

三鳥別王母,銜書來見過。

腸斷若剪弦,其如愁思何。

遙知玉窗裡,纖手弄雲和。

奏曲有深意,青松交女蘿。

寫水山井中,同泉豈殊波。

秦心與楚恨,皎皎為誰多。


(下し文)
(遠きに寄す,十一首之一)

三鳥 王母に別れ,書を銜んで來って過ぎらる。

腸斷って弦を剪るが若く,其れ愁思を如何【いかん】。

遙かに知る 玉窗の裡,纖手 雲和を弄するを。

曲を奏して深意有り,青松 女蘿に交る。

水を寫ぐ山井の中,同泉 豈に殊波ならんや。

秦心と楚恨と,皎皎 誰が為に多きを。

(現代語訳)
(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の一)

西王母には、大鶩、小鶩、青鳥という三羽の猛禽が仕えていたが別れて、手紙を口に加えてくるのを見届けた。

そこでその手紙を受けて、開いて見るとはらわたが断たれること、それが琴の絃を断ち切るように、愁思をつきることができるのだろうか。どうすることもできないだろう。

おもえばはるか遠くのあなたの棲む玉窓の内で、細い手に雲和の琴箏を弄していることであろう。

琴曲を奏でるにしても、それには深い意味があって、青松の幹に女蘿が這いまとわりついている。そして己が身はつれなく、さびしく、独り空閨を守ってひたすら歎き詫びているだろう。

今山際の井戸に水を注ぐと、若し同じ泉であるならば、その清冽の度も同じですっかり混一して、決して異なった波を起すことなどないのである。

秦人と楚人とは、南北に遠く離れて、その心も、自然異なっているから、決して和合することもなく、皎皎としてその差別は明白である。しかし、あなたとは一心同体であり、千里の遠きにあっても、心は通じ合っているということだ。

後漢三国州図001
(訳注)

寄遠,十一首之一

(この詩は遠くにいる人に寄せる意をつづる十一の一)

 

三鳥別王母,銜書來見過。

西王母には、大鶩、小鶩、青鳥という三羽の猛禽が仕えていたが別れて、手紙を口に加えてくるのを見届けた。

三鳥 西王母には、大鶩、小鶩、青鳥という三羽の猛禽が仕えており、王母のために獣を捕らえて食事に差し出すことを役目としていた。《山海經大荒西經》:有三青鳥, 赤首黑目, 一名曰大 一名少 一名曰青鳥。「又西二百二十里,曰三危之山,三青鳥居之。是山也,廣員百里。」翩翩たる三羽の青鳥は、変わった毛色で愛らしい姿だ、朝には西王母の使いを勤め、夕にはねぐらの三危山に帰る。

 

腸斷若剪弦,其如愁思何。

そこでその手紙を受けて、開いて見るとはらわたが断たれること、それが琴の絃を断ち切るように、愁思を尽きることができるのだろうか。どうすることもできないだろう。

剪弦 琴の絃を断ち切る。

 

遙知玉窗裡,纖手弄雲和。

おもえばはるか遠くのあなたの棲む玉窓の内で、細い手に雲和の琴箏を弄していることであろう。

雲和 琴材を出す山の名。転じて、琴の称、雲龢【うんわ】。琴は、古代の弦楽器。ここでは、ギターや三味線のように斜めにいだく形式のものを指す。『周禮・春官宗伯第三』に「孤竹之管,雲和之琴瑟,雲門之舞」とある。

 

奏曲有深意,青松交女蘿。

琴曲を奏でるにしても、それには深い意味があって、青松の幹に女蘿が這いまとわりついている。そして己が身はつれなく、さびしく、独り空閨を守ってひたすら歎き詫びているだろう。

女蘿 地衣類の植物。松蘿ともいう。ひげのかずら。《楚辞九歌山鬼篇》「若有人兮山之阿,被薜荔兮。」 李白『春歸終南山松龕舊隱』

我來南山陽,事事不異昔。

卻尋溪中水,還望巖下石。

薔薇緣東窗,女蘿繞北壁。

別來能幾日,草木長數尺。

且復命酒樽,獨酌陶永夕。

178 《巻22-10 春歸終山松龕舊隱》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <178> Ⅰ李白詩1398 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5538

 

寫水山井中,同泉豈殊波。

今山際の井戸に水を注ぐと、若し同じ泉であるならば、その清冽の度も同じですっかり混一して、決して異なった波を起すことなどないのである。

 

秦心與楚恨,皎皎為誰多。

秦人と楚人とは、南北に遠く離れて、その心も、自然異なっているから、決して和合することもなく、皎皎としてその差別は明白である。しかし、あなたとは一心同体であり、千里の遠きにあっても、心は通じ合っているということだ。
李白31歳 

183 《巻24-21 嵩山采菖蒲者 》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <183> Ⅰ李白詩1406 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5578

李白《巻24-21 嵩山采菖蒲者 (李白が嵩山にいた時に、菖蒲を採るものを見つけて、漢の武帝の故事を思い出して作った詩。)むかしの神仙のものは、古めかしく貌奇なものであり、両耳は下がって肩に持たれる位である。嵩山に於いて、漢の武帝に遭い、いろいろ不老長寿を説いたのは、多分、九疑の仙人であったろう。

 

 
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183 《巻24-21 嵩山采菖蒲者 》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <183> Ⅰ李白詩1406 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5578 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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36-(1) 《巻05-30 答孟郊 -1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元十四年31歲<1319> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5579 
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183 《巻24-21 嵩山采菖蒲者 Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <183> Ⅰ李白詩1406 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5578

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    嵩山採菖蒲者

作地點: 嵩山(都畿道 / 河南府 / 嵩山)

及地點: 嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高      

九疑山 (江南西道 無第二級行政層級 九疑山) 別名:蒼梧山     

金城 (京畿道 京兆府 金城) 別名:興平         

 

 

嵩山採菖蒲者

(李白が嵩山にいた時に、菖蒲を採るものを見つけて、漢の武帝の故事を思い出して作った詩。)

神仙多古貌,雙耳下垂肩。

むかしの神仙のものは、古めかしく貌奇なものであり、両耳は下がって肩に持たれる位である。

嵩嶽逢漢武,疑是九疑仙。

嵩山に於いて、漢の武帝に遭い、いろいろ不老長寿を説いたのは、多分、九疑の仙人であったろう。

我來採菖蒲,服食可延年。

そこで、自分も今、菖蒲を採取し、これを服食し、齢を延べて長生するつもりだと言っていたのだ。

言終忽不見,滅影入雲煙。

だが、そう言い終わると、忽ち見えなくなり、影を滅して雲煙の中に入ったが、この人は、けだし有道者の流れで、菖蒲を服して、天晴、見事に昇天する。

帝竟莫悟,終歸茂陵田。

しかし、九疑の仙人は、あれほどまでに武帝を諭したのに、武帝はそれを悟ることが出来ず、菖蒲を服しても、悶を覚えて不快だといい、やがて中止したものだから、ついに仙を得ず、人並みの死にざまであったし、果ては茂陵に葬られたということだ。

(嵩山に菖蒲を採る者)

神仙 古貌多し,雙耳 下って肩に垂る。

嵩嶽に漢武に逢い,疑うらくは是れ九疑の仙。

我れ來って菖蒲を採り,服食 年を延ぶ可し。

言終って忽ち見えず,影を滅して雲煙に入る。

帝にすも竟に悟る莫し,終に歸す茂陵の田。

 

 

『嵩山採菖蒲者』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

嵩山採菖蒲者

神仙多古貌,雙耳下垂肩。

嵩嶽逢漢武,疑是九疑仙。

我來採菖蒲,服食可延年。

言終忽不見,滅影入雲煙。

帝竟莫悟,終歸茂陵田。


(下し文)
(嵩山に菖蒲を採る者)

神仙 古貌多し,雙耳 下って肩に垂る。

嵩嶽に漢武に逢い,疑うらくは是れ九疑の仙。

我れ來って菖蒲を採り,服食 年を延ぶ可し。

言終って忽ち見えず,影を滅して雲煙に入る。

帝にすも竟に悟る莫し,終に歸す茂陵の田

(現代語訳)
(李白が嵩山にいた時に、菖蒲を採るものを見つけて、漢の武帝の故事を思い出して作った詩。)

むかしの神仙のものは、古めかしく貌奇なものであり、両耳は下がって肩に持たれる位である。

嵩山に於いて、漢の武帝に遭い、いろいろ不老長寿を説いたのは、多分、九疑の仙人であったろう。

そこで、自分も今、菖蒲を採取し、これを服食し、齢を延べて長生するつもりだと言っていたのだ。

だが、そう言い終わると、忽ち見えなくなり、影を滅して雲煙の中に入ったが、この人は、けだし有道者の流れで、菖蒲を服して、天晴、見事に昇天する。

しかし、九疑の仙人は、あれほどまでに武帝を諭したのに、武帝はそれを悟ることが出来ず、菖蒲を服しても、悶を覚えて不快だといい、やがて中止したものだから、ついに仙を得ず、人並みの死にざまであったし、果ては茂陵に葬られたということだ。



(訳注)

嵩山採菖蒲者

(李白が嵩山にいた時に、菖蒲を採るものを見つけて、漢の武帝の故事を思い出して作った詩。)

 

神仙多古貌,雙耳下垂肩。

むかしの神仙のものは、古めかしく貌奇なものであり、両耳は下がって肩に持たれる位である。

古貌 貌奇で古めかしいこと。仙人スタイル。

 

嵩嶽逢漢武,疑是九疑仙。

嵩山に於いて、漢の武帝に遭い、いろいろ不老長寿を説いたのは、多分、九疑の仙人であったろう。

嵩嶽逢漢武 《神仙傳·王興》: 昔漢武帝元封二年上嵩山,登大愚石室,起道宮,使董奉君東方朔等,斎潔思神,至夜,忽見仙人長二丈余,耳下垂至肩,武帝禮而問之,仙人曰:「吾九疑仙人也,聞中嶽有石上菖蒲,一寸九節,服之可以長生,故來采之。」忽然不見,武帝顧謂侍臣曰:「彼非欲學道服食者,必是中嶽之神,以此教朕耳。」乃采菖蒲服之,且二年,而武帝性好熱食,服菖蒲每熱者,輒煩悶不快,乃止。時從官多皆服之,然莫能持久,唯王興聞仙人使武帝常服菖蒲,乃采服之,不息,遂得長生。魏武帝時猶在,其鄰裏老小皆雲傳世見之,視興常如五十許人,其強健,日行三百裏,後不知所之。

九疑仙 舜が蒼梧の野で死去して零陵の九疑山に葬られたという伝説になり、その時に、二妃がこれを追って追いつかず、途中で溺れたというのは、だれもが信ずることができない伝説なのである。二妃の素晴らしさが後追いの伝説に変わった。

 

我來採菖蒲,服食可延年。

そこで、自分も今、菖蒲を採取し、これを服食し、齢を延べて長生するつもりだと言っていたのだ。

 

言終忽不見,滅影入雲煙。

だが、そう言い終わると、忽ち見えなくなり、影を滅して雲煙の中に入ったが、この人は、けだし有道者の流れで、菖蒲を服して、天晴、見事に昇天する。

滅影 天晴、見事に昇天する。

 

帝竟莫悟,終歸茂陵田。

しかし、九疑の仙人は、あれほどまでに武帝を諭したのに、武帝はそれを悟ることが出来ず、菖蒲を服しても、悶を覚えて不快だといい、やがて中止したものだから、ついに仙を得ず、人並みの死にざまであったし、果ては茂陵に葬られたということだ。

茂陵 前漢の武帝の墓。長安 (現在の西安) の北西,渭 () 水をへだてた丘陵上にある。この付近には文帝,宣帝を除く前漢9帝の陵があり,茂陵はそのなかの最大の陵で方台状をなし,方約 250m,高さ 36m

渭北高原の前漢陵墓中最も西辺にあり,かつ最も規模が大きい。陵は東西231m,南北約234m,高さ46.5mの方形台状である。四周に東西430m,南北414mの土壁をめぐらし四方に門闕をもつ。陵の西北に李夫人墓があるほか,東方には衛青・霍去病(かくきよへい)墓が北寄りに,霍光(かくこう)墓ほか十数基の陪冢(ばいちよう)が南寄りに,それぞれほぼ東西に列をなし,始皇陵と同じく陵が東向きであった可能性がある。

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胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6. 潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

 

幷序

其地北倚馬嶺,連峰嵩丘,南瞻鹿臺,極目汝海。

その地は北の方、馬嶺山によって、峰巒は遠く嵩山に連なってゆき、南の方には、鹿臺山を眺められ、汝水のあたりまでもみわたせる。

雲巖映鬱,有佳致焉。

雲と巌は互いに映じあって、その景致はすこぶる良い景色を見る事が出来る。

白從之遊,故有此作。

李白は元丹邱にしたがって、この別業に遊び、興を感じてこの詩を作った。

(元丹丘の潁陽山居に題す 并びに序)-1

丹丘 潁陽に家し,新に別業を卜す。

其地 北は馬嶺に倚り,峰を嵩丘に連ね,南は鹿臺を瞻【み】,目を汝海に極む,雲巖 映鬱【えいうつ】,佳致有り。

白 之に從って遊ぶ,故に此の作有り。

 

題元丹丘潁陽山居 -2

仙遊渡潁水,訪隱同元君。

神仙の道に入るために、遙か穎水をわたり、元丹邱に同行して隠遁の場所を訪ねた。

忽遺蒼生望,獨與洪崖群。

こうして、蒼生でいるときの嘱望を忘れ、世間の事を忘れ、ひとり、洪崖一輩の仙人と伍せんとしている。

卜地初晦跡,興言且成文。

元丹邱はこの地を山居の場所として、別業を卜して、はじめて跡を晦まし、朝から夕までこのすばらしい景色に見惚れて、言を発すれば、自然の内に文章を成すことができる。

卻顧北山斷,前瞻南嶺分。

試みに別業を眺めているとはいえ、後ろを顧みれば北の方には、馬嶺山は断崖を見せ、南のかた、南嶺、鹿臺山がまえにみえるのである。

(元丹丘の潁陽山居に題す)

仙遊 潁水を渡り,隱を訪うて元君と同じ。

忽ち蒼生の望を遺れ,獨り洪崖と群す。

地を卜して初めて跡を晦まし,興言をして且つ文を成す。

卻って顧れば北山の斷,前に瞻れば南嶺分る。

3

遙通汝海月,不隔嵩丘雲。

遙かに汝水の月に通じ、嵩山の雲は、遠慮なく飛んでくる。

之子合逸趣,而我欽清芬。

元丹邱は、逸趣に合致したといって、大いに喜んでいるし、我もまた彼の作を見て、その清く芳しき趣きを欽慕するところなのだ。

舉跡倚松石,談笑迷朝曛。

そこで、一緒にここに来たって、足を移して松石に倚り、談笑して朝暮を忘れるくらいである。

益願狎青鳥,拂衣棲江濆。

しかし、渓山の眺めだけでは、まだ十分ではないから、靑鳥に狎れ、衣を払って、大江岸に棲み、さらに江湖の楽しみをほしいままにしたいと思っている。

 

遙かに汝海の月に通じ,嵩丘の雲を隔てず。

之の子 逸趣に合し,而して我 清芬欽す。

跡を舉げて松石に倚り,談笑して朝曛【ちょうくん】に迷う。

終に願う 青鳥に狎【な】れ,衣を拂って江濆に棲まん。

洛陽 函谷関 嵩山005 

 

『題元丹丘潁陽山居』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
3

遙通汝海月,不隔嵩丘雲。

之子合逸趣,而我欽清芬。

舉跡倚松石,談笑迷朝曛。

益願狎青鳥,拂衣棲江濆。



(下し文)
遙かに汝海の月に通じ,嵩丘の雲を隔てず。

之の子 逸趣に合し,而して我 清芬欽す。

跡を舉げて松石に倚り,談笑して朝曛【ちょうくん】に迷う。

終に願う 青鳥に狎【な】れ,衣を拂って江濆に棲まん。


(現代語訳)
遙かに汝水の月に通じ、嵩山の雲は、遠慮なく飛んでくる。

元丹邱は、逸趣に合致したといって、大いに喜んでいるし、我もまた彼の作を見て、その清く芳しき趣きを欽慕するところなのだ。

そこで、一緒にここに来たって、足を移して松石に倚り、談笑して朝暮を忘れるくらいである。

しかし、渓山の眺めだけでは、まだ十分ではないから、靑鳥に狎れ、衣を払って、大江岸に棲み、さらに江湖の楽しみをほしいままにしたいと思っている。


(訳注)3

題元丹丘潁陽山居 -3

(元丹邱の穎陽の山居の題す)

潁陽 都畿道 河南府 潁陽。

 

遙通汝海月,不隔嵩丘雲。

遙かに汝水の月に通じ、嵩山の雲は、遠慮なく飛んでくる。

 

之子合逸趣,而我欽清芬。

元丹邱は、逸趣に合致したといって、大いに喜んでいるし、我もまた彼の作を見て、その清く芳しき趣きを欽慕するところなのだ。

清芬 清く芳しき趣き。

 

舉跡倚松石,談笑迷朝曛。

そこで、一緒にここに来たって、足を移して松石に倚り、談笑して朝暮を忘れるくらいである。

迷朝曛 朝暮を忘れるくらい。

 

益願狎青鳥,拂衣棲江濆。

しかし、渓山の眺めだけでは、まだ十分ではないから、靑鳥に狎れ、衣を払って、大江岸に棲み、さらに江湖の楽しみをほしいままにしたいと思っている。

狎青鳥 西王母には大黎、小黎、青鳥という三羽の猛禽が従っており、王母の求めに応じて獲物を捕らえ、食事としてささげる。翩翩たる三羽の青鳥は、変わった毛色で愛らしい姿だ、朝には西王母の使いを勤め、夕にはねぐらの三危山に帰る。
李白31歳 

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182-#2 《巻24-03 題元丹丘潁陽山居 并序-#2》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <182-#2> Ⅰ李白詩1404 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5568

李白《巻24-03 題元丹丘潁陽山居 并序-2神仙の道に入るために、遙か穎水をわたり、元丹邱に同行して隠遁の場所を訪ねた。こうして、蒼生でいるときの嘱望を忘れ、世間の事を忘れ、ひとり、洪崖一輩の仙人と伍せんとしている。

 

 
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胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6. 潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

 

幷序

其地北倚馬嶺,連峰嵩丘,南瞻鹿臺,極目汝海。

その地は北の方、馬嶺山によって、峰巒は遠く嵩山に連なってゆき、南の方には、鹿臺山を眺められ、汝水のあたりまでもみわたせる。

雲巖映鬱,有佳致焉。

雲と巌は互いに映じあって、その景致はすこぶる良い景色を見る事が出来る。

白從之遊,故有此作。

李白は元丹邱にしたがって、この別業に遊び、興を感じてこの詩を作った。

 

題元丹丘潁陽山居 -2

仙遊渡潁水,訪隱同元君。

神仙の道に入るために、遙か穎水をわたり、元丹邱に同行して隠遁の場所を訪ねた。

忽遺蒼生望,獨與洪崖群。

こうして、蒼生でいるときの嘱望を忘れ、世間の事を忘れ、ひとり、洪崖一輩の仙人と伍せんとしている。

卜地初晦跡,興言且成文。

元丹邱はこの地を山居の場所として、別業を卜して、はじめて跡を晦まし、朝から夕までこのすばらしい景色に見惚れて、言を発すれば、自然の内に文章を成すことができる。

卻顧北山斷,前瞻南嶺分。

試みに別業を眺めているとはいえ、後ろを顧みれば北の方には、馬嶺山は断崖を見せ、南のかた、南嶺、鹿臺山がまえにみえるのである。

3

遙通汝海月,不隔嵩丘雲。

之子合逸趣,而我欽清芬。

舉跡倚松石,談笑迷朝曛。

益願狎青鳥,拂衣棲江濆。

 

(元丹丘の潁陽山居に題す 并びに序)-1

丹丘 潁陽に家し,新に別業を卜す。

其地 北は馬嶺に倚り,峰を嵩丘に連ね,南は鹿臺を瞻【み】,目を汝海に極む,雲巖 映鬱【えいうつ】,佳致有り。

白 之に從って遊ぶ,故に此の作有り。

(元丹丘の潁陽山居に題す)

仙遊 潁水を渡り,隱を訪うて元君と同じ。

忽ち蒼生の望を遺れ,獨り洪崖と群す。

地を卜して初めて跡を晦まし,興言をして且つ文を成す。

卻って顧れば北山の斷,前に瞻れば南嶺分る。

 

遙かに汝海の月に通じ,嵩丘の雲を隔てず。

之の子 逸趣に合し,而して我 清芬欽す。

跡を舉げて松石に倚り,談笑して朝曛【ちょうくん】に迷う。

終に願う 青鳥に狎【な】れ,衣を拂って江濆に棲まん。

河南省中南部 陸渾00 

 

『題元丹丘潁陽山居』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

題元丹丘潁陽山居 -2

仙遊渡潁水,訪隱同元君。

忽遺蒼生望,獨與洪崖群。

卜地初晦跡,興言且成文。

卻顧北山斷,前瞻南嶺分。


(下し文)
(元丹丘の潁陽山居に題す)

仙遊 潁水を渡り,隱を訪うて元君と同じ。

忽ち蒼生の望を遺れ,獨り洪崖と群す。

地を卜して初めて跡を晦まし,興言をして且つ文を成す。

卻って顧れば北山の斷,前に瞻れば南嶺分る。

(現代語訳)
神仙の道に入るために、遙か穎水をわたり、元丹邱に同行して隠遁の場所を訪ねた。

こうして、蒼生でいるときの嘱望を忘れ、世間の事を忘れ、ひとり、洪崖一輩の仙人と伍せんとしている。

元丹邱はこの地を山居の場所として、別業を卜して、はじめて跡を晦まし、朝から夕までこのすばらしい景色に見惚れて、言を発すれば、自然の内に文章を成すことができる。

試みに別業を眺めているとはいえ、後ろを顧みれば北の方には、馬嶺山は断崖を見せ、南のかた、南嶺、鹿臺山がまえにみえるのである。


(訳注)

題元丹丘潁陽山居 -#2

(元丹邱の穎陽の山居の題す)

潁陽 都畿道 河南府 潁陽。

洛陽 函谷関 嵩山005 

 

仙遊渡潁水,訪隱同元君。

神仙の道に入るために、遙か穎水をわたり、元丹邱に同行して隠遁の場所を訪ねた。

 

忽遺蒼生望,獨與洪崖群。

こうして、蒼生でいるときの嘱望を忘れ、世間の事を忘れ、ひとり、洪崖一輩の仙人と伍せんとしている。

蒼生望 蒼生でいるときの嘱望。資治通鑑「謝安, 自布衣時, 人以公輔期之, 至謂安石不出, 當如蒼生何?

洪崖群 洪涯は 三皇の時の伎人である。後に登仙した。大いなる断崖の隠棲の地において、洪崖のように隠遁するものがたくさんいる。

 

卜地初晦跡,興言且成文。

元丹邱はこの地を山居の場所として、別業を卜して、はじめて跡を晦まし、朝から夕までこのすばらしい景色に見惚れて、言を発すれば、自然の内に文章を成すことができる。

 

卻顧北山斷,前瞻南嶺分。

試みに別業を眺めているとはいえ、後ろを顧みれば北の方には、馬嶺山は断崖を見せ、南のかた、南嶺、鹿臺山がまえにみえるのである。

顧北山斷,前瞻南嶺分 序の「其地北倚馬嶺,連峰嵩丘,南瞻鹿臺,極目汝海」(北は馬嶺に倚り,峰を嵩丘に連ね,南は鹿臺を瞻【み】,目を汝海に極む

182-#1 《巻24-03 題元丹丘潁陽山居 并序-#1》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <182-#1> Ⅰ李白詩1403 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5563

李白《巻24-03 題元丹丘潁陽山居 并序-1元丹邱が河南府穎陽縣に家居し、新たに別業を卜築した。その地は北の方、馬嶺山によって、峰巒は遠く嵩山に連なってゆき、南の方には、鹿臺山を眺められ、汝水のあたりまでもみわたせる。

 

 

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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182-1 《巻24-03 題元丹丘潁陽山居 并序-1Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <182-1> Ⅰ李白詩1403 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5563

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    題元丹丘潁陽山居

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

及地點:潁陽 (都畿道 河南府 潁陽)              

交遊人物:元丹丘               當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)

 

 

題元丹丘潁陽山居 并序-1

(元丹邱の穎陽の山居の題す、並びに序文)

丹丘家於潁陽,新卜別業。

元丹邱が河南府穎陽縣に家居し、新たに別業を卜築した。

其地北倚馬嶺,連峰嵩丘,南瞻鹿臺,極目汝海。

その地は北の方、馬嶺山によって、峰巒は遠く嵩山に連なってゆき、南の方には、鹿臺山を眺められ、汝水のあたりまでもみわたせる。

雲巖映鬱,有佳致焉。

雲と巌は互いに映じあって、その景致はすこぶる良い景色を見る事が出来る。

白從之遊,故有此作。

李白は元丹邱にしたがって、この別業に遊び、興を感じてこの詩を作った。

洛陽 函谷関 嵩山005 

題元丹丘潁陽山居 -2

仙遊渡潁水,訪隱同元君。

忽遺蒼生望,獨與洪崖群。

卜地初晦跡,興言且成文。

卻顧北山斷,前瞻南嶺分。

3

遙通汝海月,不隔嵩丘雲。

之子合逸趣,而我欽清芬。

舉跡倚松石,談笑迷朝曛。

益願狎青鳥,拂衣棲江濆。

 

(元丹丘の潁陽山居に題す 并びに序)-1

丹丘 潁陽に家し,新に別業を卜す。

其地 北は馬嶺に倚り,峰を嵩丘に連ね,南は鹿臺を瞻【み】,目を汝海に極む,雲巖 映鬱【えいうつ】,佳致有り。

白 之に從って遊ぶ,故に此の作有り。

(元丹丘の潁陽山居に題す)

仙遊 潁水を渡り,隱を訪うて元君と同じ。

忽ち蒼生の望を遺れ,獨り洪崖と群す。

地を卜して初めて跡を晦まし,興言をして且つ文を成す。

卻って顧れば北山の斷,前に瞻れば南嶺分る。

 

遙かに汝海の月に通じ,嵩丘の雲を隔てず。

之の子 逸趣に合し,而して我 清芬欽す。

跡を舉げて松石に倚り,談笑して朝曛【ちょうくん】に迷う。

終に願う 青鳥に狎【な】れ,衣を拂って江濆に棲まん。

 河南省中南部 陸渾00

 

『題元丹丘潁陽山居 并序』-1 現代語訳と訳註解説
(
本文)

題元丹丘潁陽山居 并序-1

丹丘家於潁陽,新卜別業。

其地北倚馬嶺,連峰嵩丘,南瞻鹿臺,極目汝海,雲巖映鬱,有佳致焉。

白從之遊,故有此作。


(下し文)
(元丹丘の潁陽山居に題す 并びに序) -1
丹丘家於潁陽,新卜別業。

其地北倚馬嶺,連峰嵩丘,南瞻鹿臺,極目汝海,雲巖映鬱,有佳致焉。

白從之遊,故有此作。


(現代語訳)
(元丹邱の穎陽の山居の題す、並びに序文)

元丹邱が河南府穎陽縣に家居し、新たに別業を卜築した。

その地は北の方、馬嶺山によって、峰巒は遠く嵩山に連なってゆき、南の方には、鹿臺山を眺められ、汝水のあたりまでもみわたせる。

雲と巌は互いに映じあって、その景致はすこぶる良い景色を見る事が出来る。

李白は元丹邱にしたがって、この別業に遊び、興を感じてこの詩を作った。


(訳注)

題元丹丘潁陽山居 并序-1

(元丹邱の穎陽の山居の題す、並びに序文)

潁陽 都畿道 河南府 潁陽

 

丹丘家於潁陽,新卜別業。

元丹邱が河南府穎陽縣に家居し、新たに別業を卜築した。

別業  別の職業。他の仕事。 〔「業」は屋敷の意〕 別荘。

 

其地北倚馬嶺,連峰嵩丘,南瞻鹿臺,極目汝海。

その地は北の方、馬嶺山によって、峰巒は遠く嵩山に連なってゆき、南の方には、鹿臺山を眺められ、汝水のあたりまでもみわたせる。

馬嶺 甘肅慶陽縣西北七十五里。接環縣界。〔寰宇記〕馬嶺山。俗名箭括嶺。河南府密縣の南十五里。渭水の水源。

嵩丘 嵩山。河南省登封市にある山岳群である。五岳の1つの中岳

鹿臺 鹿臺山。在南陽府汝州北二十里, 有臺狀若蹲鹿。

汝海 河南省の嵩県から淮水に流れる汝水をいう。

 

雲巖映鬱,有佳致焉。

雲と巌は互いに映じあって、その景致はすこぶる良い景色を見る事が出来る。

 

白從之遊,故有此作。

李白は元丹邱にしたがって、この別業に遊び、興を感じてこの詩を作った。
李白31歳 

181 《巻24-02 題元丹丘山居》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <181> Ⅰ李白詩1402 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5558

李白《巻24-02 題元丹丘山居》それから、逸興酣になるときには松風颯颯として、襟袖を清くして、石潭水澄んで潺湲の声は心と耳と、二つながら洗い注ぐようである。朝廷に召されても、許由と同じように耳を洗って隠遁しているのである。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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181 《巻24-02 題元丹丘山居》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <181> Ⅰ李白詩1402 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5558

 

元丹丘 《李太白集 巻六 巻06-08 元丹丘歌》元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

李白はこの年、秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6. 潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    題元丹丘山居

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

及地點:              元丹丘潁陽山居 (都畿道 河南府 潁陽)           

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

交遊人物:元丹丘              當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)

 

 

題元丹丘山居

(元丹邱の山中幽居に題したもの)

故人棲東山,自愛丘壑美。

信頼のおける友は隠棲する東山に住んでいるが、そこは岡や谷が美しい景色なので愛したのだ。

青春臥空林,白日猶不起。

その友である元丹邱は最も盛んな青年期であるにもかかわらず、空林の中に独臥し、白昼でも起きることが無いのである。

松風清襟袖,石潭洗心耳。

それから、逸興酣になるときには松風颯颯として、襟袖を清くして、石潭水澄んで潺湲の声は心と耳と、二つながら洗い注ぐようである。朝廷に召されても、許由と同じように耳を洗って隠遁しているのである。

羨君無紛喧,高枕碧霞裡。

これについて、最も羨ましいことで、さらに浮世の事に全く関係ないとして、碧霞の裏に高枕しており、優游しているのである。

 

(元丹丘の山居に題す)

故人 東山に棲み,自ら丘壑の美を愛す。

青春 空林に臥し,白日 猶お起たず。

松風 襟袖を清うす,石潭 心耳を洗う。

羨む 君が紛喧 無く,高枕す 碧霞の裡に。

 

洛陽 函谷関 嵩山005 

『題元丹丘山居』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

題元丹丘山居

故人棲東山,自愛丘壑美。

青春臥空林,白日猶不起。

松風清襟袖,石潭洗心耳。

羨君無紛喧,高枕碧霞裡。



(下し文)


(現代語訳)
(元丹邱の山中幽居に題したもの)

信頼のおける友は隠棲する東山に住んでいるが、そこは岡や谷が美しい景色なので愛したのだ。

その友である元丹邱は最も盛んな青年期であるにもかかわらず、空林の中に独臥し、白昼でも起きることが無いのである。

それから、逸興酣になるときには松風颯颯として、襟袖を清くして、石潭水澄んで潺湲の声は心と耳と、二つながら洗い注ぐようである。朝廷に召されても、許由と同じように耳を洗って隠遁しているのである。

これについて、最も羨ましいことで、さらに浮世の事に全く関係ないとして、碧霞の裏に高枕しており、優游しているのである。


(訳注)

題元丹丘山居

(元丹邱の山中幽居に題したもの)

 

故人棲東山,自愛丘壑美。

信頼のおける友は隠棲する東山に住んでいるが、そこは岡や谷が美しい景色なので愛したのだ。

 

青春臥空林,白日猶不起。

その友である元丹邱は最も盛んな青年期であるにもかかわらず、空林の中に独臥し、白昼でも起きることが無いのである。

青春 最も盛んな青年期である。

ここまでの四句は山居の様子、隠棲生活の様子をいう。

 

松風清襟袖,石潭洗心耳。

それから、逸興酣になるときには松風颯颯として、襟袖を清くして、石潭水澄んで潺湲の声は心と耳と、二つながら洗い注ぐようである。朝廷に召されても、許由と同じように耳を洗って隠遁しているのである。

洗心耳 許由と巣父の故事による。許由は、中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者である。伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。さらに堯帝が高い地位をもって許由に報いようとすると、許由は潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすいだという。

それを見聞きしていたやはり伝説の高士として知られる巣父は、まさに牛にその川の水を飲ませようとしていたが、「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。

この二句は元丹邱の思い、理念を述べている。

 

羨君無紛喧,高枕碧霞裡。

これについて、最も羨ましいことで、さらに浮世の事に全く関係ないとして、碧霞の裏に高枕しており、優游しているのである。

紛喧 世事の煩わしきこと。
李白31歳 

180 《巻23-10 擬古十二首其七》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <180> Ⅰ李白詩1401 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5553

李白《巻23-10  擬古十二首其七》世路は今しも、人を苦しめる太行山脈の嶮絶なみちを行く、車は進まず、これを廻らんとしているが、はてさて、どこに落ち着こうというのだろうか。

 

 
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180 《巻23-10  擬古十二首其七》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <180> Ⅰ李白詩1401 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5553

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    擬古,十二首之七

及地點:              崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)    

麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣     

 

 

擬古,十二首之七

(古詩の体に擬したと称して、自己の感慨を寄せたものである。)

世路今太行,迴車竟何託。

世路は今しも、人を苦しめる太行山脈の嶮絶なみちを行く、車は進まず、これを廻らんとしているが、はてさて、どこに落ち着こうというのだろうか。

萬族皆凋枯,遂無少可樂。

万物万人どんな民族であっても、決して常住できるものがなく、凋み枯れるもので、見て此処に到れば、少しも楽しむことが無い

曠野多白骨,幽魂共銷鑠。

廣い野辺に進めば、白骨が多く散乱し、幽魂も、ともに銷鑠して、心霊の不滅というのもあてにはならない。

榮貴當及時,春華宜照灼。

そうはいっても、栄華富貴である時には時に及んで、行楽するものである、それも少年のころは、春の花が咲き誇るの中でよろしくやるのも良かろうというものだ。

人非崑山玉,安得長璀錯。

崑崙山に産する玉ならばその質は、貞固にしていつまでも璀璨としているのであるが、人生は、そういうわけにもいかないで、その盛んである時が何時までも続くということは無かろう。

身沒期不朽,榮名在麟閣。

もし、その身を没するも、不朽になろうと思っているのであれば、一廉の大功をたてて栄名をえて、そして、麒麟閣上にその形を描かれるようになればよいのでこのほかには名案もない。

 

(古に擬す,十二首の七)

世路 今は太行,車を迴して竟に何れにか託する。

萬族 皆 凋枯,遂に少しも樂しむ可き無し。

曠野 白骨多く,幽魂 共に銷鑠【しょうしゃく】。

榮貴 當に時に及ぶべし,春華 宜しく照灼すべし。

人は崑山の玉に非ず,安んぞ長く璀錯【さいさく】を得ん。

身 沒して 不朽を期す,榮名 麟閣に在り。

 

 李白の足跡003

『擬古,十二首之七』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

擬古,十二首之七

世路今太行,迴車竟何託。

萬族皆凋枯,遂無少可樂。

曠野多白骨,幽魂共銷鑠。

榮貴當及時,春華宜照灼。

人非崑山玉,安得長錯。

身沒期不朽,榮名在麟閣。


(下し文)
(古に擬す,十二首の七)

世路 今は太行,車を迴して竟に何れにか託する。

萬族 皆 凋枯,遂に少しも樂しむ可き無し。

曠野 白骨多く,幽魂 共に銷鑠【しょうしゃく】。

榮貴 當に時に及ぶべし,春華 宜しく照灼すべし。

人は崑山の玉に非ず,安んぞ長く錯【さいさく】を得ん。

身 沒して 不朽を期す,榮名 麟閣に在り。

(現代語訳)
(古詩の体に擬したと称して、自己の感慨を寄せたものである。)

世路は今しも、人を苦しめる太行山脈の嶮絶なみちを行く、車は進まず、これを廻らんとしているが、はてさて、どこに落ち着こうというのだろうか。

万物万人どんな民族であっても、決して常住できるものがなく、凋み枯れるもので、見て此処に到れば、少しも楽しむことが無い

廣い野辺に進めば、白骨が多く散乱し、幽魂も、ともに銷鑠して、心霊の不滅というのもあてにはならない。

そうはいっても、栄華富貴である時には時に及んで、行楽するものである、それも少年のころは、春の花が咲き誇るの中でよろしくやるのも良かろうというものだ。

崑崙山に産する玉ならばその質は、貞固にしていつまでも璀璨としているのであるが、人生は、そういうわけにもいかないで、その盛んである時が何時までも続くということは無かろう。

もし、その身を没するも、不朽になろうと思っているのであれば、一廉の大功をたてて栄名をえて、そして、麒麟閣上にその形を描かれるようになればよいのでこのほかには名案もない。


(訳注)

擬古,十二首之七

(古詩の体に擬したと称して、自己の感慨を寄せたものである。)

 

世路今太行,迴車竟何託。

世路は今しも、人を苦しめる太行山脈の嶮絶なみちを行く、車は進まず、これを廻らんとしているが、はてさて、どこに落ち着こうというのだろうか。

太行 太行山脈。

曹操『苦寒行』「北上太行山,艱哉何巍巍!」袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。 

苦寒行 漢詩<94-1>Ⅱ李白に影響を与えた詩814 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2618

李白『北上行』「北上何所苦,北上緣太行。」北への避難をすることは、どうして人を苦しめるのか、北へ向かっていくことは 太行山に沿って行かねばならないのだ。

北上行 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -303

竟何託・萬族 はてさて、どこに落ち着こうというのだろうか。陶淵明 《詠貧士》詩其一「萬族各有託、孤雲獨無依。」(萬族各おの託する有るに、孤雲獨り依る無し。)どんなものでも頼りとするものがいるのに、孤雲は一人ぼっちでよるべがない、ぼんやりと空中に消え、再び姿を見せることはない。

 

萬族皆凋枯,遂無少可樂。

万物万人どんな民族であっても、決して常住できるものがなく、凋み枯れるもので、見て此処に到れば、少しも楽しむことが無い

萬族 万物万人あらゆる民族。

 

曠野多白骨,幽魂共銷鑠。

廣い野辺に進めば、白骨が多く散乱し、幽魂も、ともに銷鑠して、心霊の不滅というのもあてにはならない。

白骨 越冬が出来ず、太行山の氷雪を冒して進む行役の苦難をいう。

銷鑠 銷鑠縮栗(しょうしゃくしゅくりつ)」.意気消沈してしまい、小さくなって恐れおののくこと。

 

榮貴當及時,春華宜照灼。

そうはいっても、栄華富貴である時には時に及んで、行楽するものである、それも少年のころは、春の花が咲き誇るの中でよろしくやるのも良かろうというものだ。

春華 少年期を喩えて云う。蘇武(蘇子卿)「努力愛春華, 莫忘歡樂時。」(努力して  春華を 愛し,歡樂の時を  忘るる莫(なか)れ。)つとめて人生の華やいだ時期を大切にして、生きていってほしい。楽しく過ごしたあの時期を忘れないでほしい。

照灼 花が咲く中で日に照らされる。ということで、少年は華やかに、派手に行楽をするもの後いうほどの意。

 

人非崑山玉,安得長璀錯。

崑崙山に産する玉ならばその質は、貞固にしていつまでも璀璨としているのであるが、人生は、そういうわけにもいかないで、その盛んである時が何時までも続くということは無かろう。

崑山玉 中国の西方,青海付近にあると考えられた伝説的霊山。昆侖山とも記す。黄河の水源で,玉を産するといわれる。天帝の下都,虎身九尾で人面虎爪の神陸吾が主宰。戦国時代以降神仙説と結合し,9階層からなり高さ1万1千里,上に登れば不死となる理想郷とされた。

璀錯 璀璨としていること。

 

身沒期不朽,榮名在麟閣。

もし、その身を没するも、不朽になろうと思っているのであれば、一廉の大功をたてて栄名をえて、そして、麒麟閣上にその形を描かれるようになればよいのでこのほかには名案もない。

麒麟閣 宣帝は戎狄が定まって皆、賓服し、股肱の臣の美を思い、功臣を人に図画させて麒麟閣に絵諸させた。 麒麟閣は未央宮にある。麒麟閣には十一臣が描かれた。 容貌に官爵、姓名を記した。
李白31歳 

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李白《巻22-11 冬夜醉宿龍門覺起言志 -2我独りいかなるものなれば、今しも、龍門山下に客となって、空しく嘆息しているのである。富貴は未だ帰すべからず、この心中の憂いは、誰によって取り除くことができるのだろうか。

 

 
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八二              文體:    五言古詩

詩題:    冬夜醉宿龍門覺起言志

作地點:              伊闕(都畿道 / 河南府 / 伊闕)

及地點:              伊闕 (都畿道 河南府 伊闕) 別名:龍門山、闕口         

 

 

冬夜醉宿龍門覺起言志

(冬の夜、酔うて龍門山に宿し、醒めて起きた時、その志を述べたもの)

醉來寶劍,旅憩高堂眠。

酔っぱらってその揚げ句、宝剣を解き棄て、旅中の高堂で憩うて眠ってしまった。

中夜忽驚覺,起立明燈前。

中夜に忽ち驚いて、目が覚めて明燈の前に起立した。

開軒聊直望,曉雪河冰壯。

試みに軒の窓を開けて正面より眺めてみた。暁の雪、紛々として、河はびっしりと氷がはっている、その景色はいかにも淒壮である。

哀哀歌苦寒,鬱鬱獨惆悵。

そこで哀哀として、魏の武帝の苦寒行を歌い、鬱々として、ひとり心に思い悩んだ。

版築臣,李斯鷹犬人。

おもえば、傅説は、土工の人足であったし、李斯は、上蔡門外の鷹や犬を据えて、遊猟に耽って居たのだ。

 

欻起匡社稷,寧復長艱辛。

二人とも、忽然として起ち、各々その君のために社稷を一匡したくらいで、けっしていつまでも艱辛を歎いてはいなかった。

而我胡為者,歎息龍門下。

しかるに、我独りいかなるものなれば、今しも、龍門山下に客となって、空しく嘆息しているのである。

富貴未可期,殷憂向誰寫。

富貴は未だ帰すべからず、この心中の憂いは、誰によって取り除くことができるのだろうか。

去去淚滿襟,舉聲梁甫吟。

ここを去ろうとすれば、涙が自然に流れてきて、襟を満たし、やがて声をあげて「梁甫吟」の一曲を歌うのである。

青雲當自致,何必求知音。

青雲の上には、高い志を持った自らのその身を致すべきであり、独力でやってのけるのが第一であり、何もかならずしも、知恩の友を求めてその人にすがっていこうという了見ではいけないのである。

 

(冬夜 醉うて龍門に宿し覺めて起きて志を言う)

醉い來って寶劍を,旅憩して高堂に眠る。

中夜 忽ち驚いて覺め,明燈前に起立す。

軒を開いて聊か直望,曉雪 河冰壯なり。

哀哀として苦寒を歌い,鬱鬱として獨り惆悵。

版築の臣,李斯は鷹犬の人。

 

欻ち起って 社稷を匡し,寧ろ復た長く艱辛せん。

而して我 胡ん為る者ぞ,歎息す 龍門の下。

富貴 未だ期すからず,殷憂 誰に向って寫【のぞ】かん。

去去 淚 襟に滿ち,聲を舉ぐ梁甫吟。

青雲 當に自ら致し,何ぞ必らずしも知音を求めん。

洛陽 函谷関 嵩山005

 

『冬夜醉宿龍門覺起言志』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

欻起匡社稷,寧復長艱辛。

而我胡為者,歎息龍門下。

富貴未可期,殷憂向誰寫。

去去淚滿襟,舉聲梁甫吟。

青雲當自致,何必求知音。


(下し文)
ち起って 社稷を匡し,寧ろ復た長く艱辛せん。

而して我 胡ん為る者ぞ,歎息す 龍門の下。

富貴 未だ期すからず,殷憂 誰に向って寫【のぞ】かん。

去去 淚 襟に滿ち,聲を舉ぐ梁甫吟。

青雲 當に自ら致し,何ぞ必らずしも知音を求めん。

(現代語訳)
二人とも、忽然として起ち、各々その君のために社稷を一匡したくらいで、けっしていつまでも艱辛を歎いてはいなかった。

しかるに、我独りいかなるものなれば、今しも、龍門山下に客となって、空しく嘆息しているのである。

富貴は未だ帰すべからず、この心中の憂いは、誰によって取り除くことができるのだろうか。

ここを去ろうとすれば、涙が自然に流れてきて、襟を満たし、やがて声をあげて「梁甫吟」の一曲を歌うのである。

青雲の上には、高い志を持った自らのその身を致すべきであり、独力でやってのけるのが第一であり、何もかならずしも、知恩の友を求めてその人にすがっていこうという了見ではいけないのである。



(訳注)

冬夜醉宿龍門覺起言志

(冬の夜、酔うて龍門山に宿し、醒めて起きた時、その志を述べたもの)

龍門 都畿道河南府関塞山あり、俗に龍門という。南山伊闕、洛陽の西南伊闕口という。

 

欻起匡社稷,寧復長艱辛。

二人とも、忽然として起ち、各々その君のために社稷を一匡したくらいで、けっしていつまでも艱辛を歎いてはいなかった。

 たちまち。忽然として。

 ただす。

社稷 。① 古代中国で、天子や諸侯が祭った土地の神(社)と五穀の神(稷)。② 朝廷または国家。

 

而我胡為者,歎息龍門下。

しかるに、我独りいかなるものなれば、今しも、龍門山下に客となって、空しく嘆息しているのである。

 

富貴未可期,殷憂向誰寫。

富貴は未だ帰すべからず、この心中の憂いは、誰によって取り除くことができるのだろうか。

殷憂 心中の憂い。

向誰寫 誰によって取り除くことができるのだろうか。

 

去去淚滿襟,舉聲梁甫吟。

ここを去ろうとすれば、涙が自然に流れてきて、襟を満たし、やがて声をあげて「梁甫吟」の一曲を歌うのである。

梁甫吟 別記。

 

青雲當自致,何必求知音。

青雲の上には、高い志を持った自らのその身を致すべきであり、独力でやってのけるのが第一であり、何もかならずしも、知恩の友を求めてその人にすがっていこうという了見ではいけないのである。

知音 、『列子(湯問)』などの故事に由来する。 中国春秋時代、伯牙(はくが)という琴の名手がいた。 友人の鐘子期(しょうしき)が死に、伯牙は自分の琴の音をよく理解してくれる者がいなくなったと嘆き、琴の弦を切って二度と弾かなかった。 そこから、自分を知ってくれる友人を云うようになった。

 

梁甫吟

梁甫吟は楽府題の古い題の一つ。相和歌楚調曲に梁父吟行とあって、その由来は戦国の武侯が好んで詠ったものといわれる。梁甫は、梁父とも書き、むかしの斉の国、いまの山東省の、泰山のふもとにある、570mの小さな山の名である。そこは、古代の迷信では、死者のたましいの帰る場所とされていた。「梁甫吟」はもともと、葬いの歌であったという。また、骨子(孔子の弟子)の作ったものであるという。骨子が泰山のふもとに耕していたところ、天が大雪をふらし、凍ること旬日、帰ることができず、その父母を思って、巣山歌を作ったと、「琴挽」という本に見える、それが「梁甫吟」の起源であるという。現在「楽府詩集」に収められている一首は、「三国志」の立役者である諸葛亮(孔明)の作と伝えられている。それは次の歌である。
諸葛亮(孔明)「梁甫吟」
歩出斉城門  遥望蕩陰里
里中有三墳  塁塁正相似
問是誰家墓  田疆古冶子
力能排南山  文能絶地紀
一朝被讒言  二桃殺三士
誰能為此謀  国相斉晏子
下し文
歩して斉の城門を出で  遥に蕩陰の里を望む 
里中に三墳有り  塁塁として正に相似たり
問う是れ誰が家の墓ぞ  田疆古冶氏
力を能く南山を排し  文を能く地紀を絶つ
一朝 讒言を被りて  二桃 三士を殺す
誰か能く此の謀を為せる  国相斉の晏子なり

現代訳
梁甫の歌;
斉の城門を歩いて出て、遠くに蕩陰(地名)の村を眺めるとそこにお墓が三基ある 並んで立っていて、よく似ていた。
これはどちらのお墓ですかと聞いてみた。
これが有名な公孫接・田開彊・古冶子のお墓です。
三人は南山を動かすほど力が強く、大地の四隅を繋ぐ紐を切るほど学問もできる人たちでした
ところが、ひとたび、讒言を言われ、二つの桃でもって三人を殺してしまった。
誰がこんなはかりごとをしたのですか? それは斉の宰相の晏嬰です

これは、詭計をもちいて人を殺した、斉の量子の故事をうたったものである。「力排南山三壯士。齊相殺之費二桃」参照。李白のこの詩は、その故事をふくみつつ、主題を少しかえ、不遇の志士の時機到来を待つ気持をうたいあげる。

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

李白《梁甫吟》
(呂尚に学び、諸葛亮を学んで、梁甫吟を詠う)

1

長嘯梁甫吟。 何時見陽春。

君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。

寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。

廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。

大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。

#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。 
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。 
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。 
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。

#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。 
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。 
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。 
杞國無事憂天傾。
貐磨牙競人肉。 
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。 
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。 
齊相殺之費二桃。
楚弄兵無劇孟。 
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。 
張公兩龍劍。 神物合有時。 
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。


梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟、何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟【とそう】棘津【きょくしん】を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。

寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇【ほうこう】 天鼓を震う。
#3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦【しゅくしゃく】 晦冥【かいめい】 風雨を起す、
閶闔【しょうこう】の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞【すうぐ】は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。

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李白31歳 

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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八二              文體:    五言古詩

詩題:    冬夜醉宿龍門覺起言志

作地點:              伊闕(都畿道 / 河南府 / 伊闕)

及地點:              伊闕 (都畿道 河南府 伊闕) 別名:龍門山、闕口         

 

 

冬夜醉宿龍門覺起言志

(冬の夜、酔うて龍門山に宿し、醒めて起きた時、その志を述べたもの)

醉來寶劍,旅憩高堂眠。

酔っぱらってその揚げ句、宝剣を解き棄て、旅中の高堂で憩うて眠ってしまった。

中夜忽驚覺,起立明燈前。

中夜に忽ち驚いて、目が覚めて明燈の前に起立した。

開軒聊直望,曉雪河冰壯。

試みに軒の窓を開けて正面より眺めてみた。暁の雪、紛々として、河はびっしりと氷がはっている、その景色はいかにも淒壮である。

哀哀歌苦寒,鬱鬱獨惆悵。

そこで哀哀として、魏の武帝の苦寒行を歌い、鬱々として、ひとり心に思い悩んだ。

版築臣,李斯鷹犬人。

おもえば、傅説は、土工の人足であったし、李斯は、上蔡門外の鷹や犬を据えて、遊猟に耽って居たのだ。

 

欻起匡社稷,寧復長艱辛。

而我胡為者,歎息龍門下。

富貴未可期,殷憂向誰寫。

去去淚滿襟,舉聲梁甫吟。

青雲當自致,何必求知音。

 

(冬夜 醉うて龍門に宿し覺めて起きて志を言う)

醉い來って寶劍を,旅憩して高堂に眠る。

中夜 忽ち驚いて覺め,明燈前に起立す。

軒を開いて聊か直望,曉雪 河冰壯なり。

哀哀として苦寒を歌い,鬱鬱として獨り惆悵。

版築の臣,李斯は鷹犬の人。

 

欻ち起って 社稷を匡し,寧ろ復た長く艱辛せん。

而して我 胡ん為る者ぞ,歎息す 龍門の下。

富貴 未だ期すからず,殷憂 誰に向って寫【のぞ】かん。

去去 淚 襟に滿ち,聲を舉ぐ梁甫吟。

青雲 當に自ら致し,何ぞ必らずしも知音を求めん。

洛陽 函谷関 嵩山005 

 

『冬夜醉宿龍門覺起言志』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

冬夜醉宿龍門覺起言志

醉來寶劍,旅憩高堂眠。

中夜忽驚覺,起立明燈前。

開軒聊直望,曉雪河冰壯。

哀哀歌苦寒,鬱鬱獨惆悵。

版築臣,李斯鷹犬人。


(下し文)
(冬夜 醉うて龍門に宿し覺めて起きて志を言う)

醉い來って寶劍をし,旅憩して高堂に眠る。

中夜 忽ち驚いて覺め,明燈前に起立す。

軒を開いて聊か直望,曉雪 河冰壯なり。

哀哀として苦寒を歌い,鬱鬱として獨り惆悵。

は版築の臣,李斯は鷹犬の人

(現代語訳)
(冬の夜、酔うて龍門山に宿し、醒めて起きた時、その志を述べたもの)

酔っぱらってその揚げ句、宝剣を解き棄て、旅中の高堂で憩うて眠ってしまった。

中夜に忽ち驚いて、目が覚めて明燈の前に起立した。

試みに軒の窓を開けて正面より眺めてみた。暁の雪、紛々として、河はびっしりと氷がはっている、その景色はいかにも淒壮である。

そこで哀哀として、魏の武帝の苦寒行を歌い、鬱々として、ひとり心に思い悩んだ。

おもえば、傅説は、土工の人足であったし、李斯は、上蔡門外の鷹や犬を据えて、遊猟に耽って居たのだ。


河南省中南部 陸渾00
(訳注)

冬夜醉宿龍門覺起言志

(冬の夜、酔うて龍門山に宿し、醒めて起きた時、その志を述べたもの)

龍門 都畿道河南府関塞山あり、俗に龍門という。南山伊闕、洛陽の西南伊闕口という。

 

醉來寶劍,旅憩高堂眠。

酔っぱらってその揚げ句、宝剣を解き棄て、旅中の高堂で憩うて眠ってしまった。

 

中夜忽驚覺,起立明燈前。

中夜に忽ち驚いて、目が覚めて明燈の前に起立した。

 

開軒聊直望,曉雪河冰壯。

試みに軒の窓を開けて正面より眺めてみた。暁の雪、紛々として、河はびっしりと氷がはっている、その景色はいかにも淒壮である。

直望 正面より眺めてみる。

 

哀哀歌苦寒,鬱鬱獨惆悵。

そこで哀哀として、魏の武帝の苦寒行を歌い、鬱々として、ひとり心に思い悩んだ。

歌苦寒 魏の武帝、曹操《苦寒行》「北上太行山,艱哉何巍巍!」(北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。)とある。

《曹操詩苦寒行》袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。

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版築臣,李斯鷹犬人。

おもえば、傅説は、土工の人足であったし、李斯は、上蔡門外の鷹や犬を据えて、遊猟に耽って居たのだ。

 殷(いん)の高宗の大臣。刑人とともに道を補修していたところを高宗に見いだされて宰相となり殷の中興に寄与したという。

李斯 秦代の宰相。字は通古[1]。子は李由ら。法家にその思想的基盤を置き、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。若い頃は小役人として楚に仕えていた。李斯は厠で人の糞尿を食らい人の姿を見て逃げ出すネズミと、兵糧庫の中で人の姿におびえずのうのうと兵糧を食うネズミを見て、「人が居る環境だけで人の賢さなど価値が決まってしまうのか」と嘆き、儒家の荀子の門を叩いた。同門に韓の公子・韓非がおり、共に荀子から学び、秦に入って呂不韋の食客となり、呂不韋からその才能を絶賛され推薦を受けて、秦王政(後の始皇帝)に仕えて、その近侍になった。
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李白《巻22-10 春歸終南山松龕舊隱》(春になって終南山の南の松の木と枝が屋根のように覆いかぶさった以前隠棲していたところに帰ってきてみて、今この時を心たのしもうと詠う。

 
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年:-731年開元十九年31

卷別:  卷一八二        文體:  五言古詩

詩題:  春歸終南山松龕舊隱

作地點:        終南山(京畿道 / 無第二級行政層級 / 終南山)

及地點:        終南山 (京畿道 無第二級行政層級終南山) 別名:南山、秦山         

 

 

春歸終南山松龕舊隱

(春になって終南山の南の松の木と枝が屋根のように覆いかぶさった以前隠棲していたところに帰ってきてみて、今この時を心たのしもうと詠う。

我來南山陽,事事不異昔。

自分が終南山の南の松の木と枝が屋根のように覆いかぶさった以前隠棲していたところに帰ってきてみると、何に事も昔と変わっていなかった。ここは、長安の喧騒を離れた絶境であるから、変遷というものがないのだろう。
卻尋溪中水,還望巖下石。

そこで、ひとえに谷川の流れを求め、またぞろ、巌下の石を眺めても同じように変わっていないのである。
薔薇緣東窗,女蘿繞北壁。

隠棲していた家はさすがに古ぼけていて、荒廃したように見え、野バラは伸びて、東の窓に這いあがり、女羅は北の壁に巻きついている。
別來能幾日,草木長數尺。

この家を離れてから 幾ばくの日を経ているだけに、草木は数尺も伸びているのである。

且復命酒樽,獨酌陶永夕。

そこで、例によって、いまをたのしむため、まずは酒樽でも持ってこさせ、独酌で この永い夕べをうち寛がろうというものである。

 

(春 終南山の松龕【しょうがん】旧隠に帰る)
我  南山の陽に来きたる、事事  昔に異ならず。
却て渓中の水を尋ね、還た巌下の石を望む。
薔薇【しょうび】 東窓に縁【よ】り、女羅  北壁に繞る。
別来  能く幾日ぞ、草木  長ずること数尺。
且つ復た酒樽を命じ、独酌  永夕【えいせき】を陶【たのし】まん。

choan9ryo 

 

『春歸終南山松龕舊隱』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

春歸終南山松龕舊隱

我來南山陽,事事不異昔。

卻尋溪中水,還望巖下石。

薔薇緣東窗,女蘿繞北壁。

別來能幾日,草木長數尺。

且復命酒樽,獨酌陶永夕。


(下し文)
(春 終南山の松龕【しょうがん】旧隠に帰る)

我  南山の陽に来きたる、事事  昔に異ならず。

却て渓中の水を尋ね、還た巌下の石を望む。

薔薇【しょうび】 東窓に縁【よ】り、女羅  北壁に繞る。

別来  能く幾日ぞ、草木  長ずること数尺。

且つ復た酒樽を命じ、独酌  永夕【えいせき】を陶【たのし】まん。


(現代語訳)
(春になって終南山の南の松の木と枝が屋根のように覆いかぶさった以前隠棲していたところに帰ってきてみて、今この時を心たのしもうと詠う。

自分が終南山の南の松の木と枝が屋根のように覆いかぶさった以前隠棲していたところに帰ってきてみると、何に事も昔と変わっていなかった。ここは、長安の喧騒を離れた絶境であるから、変遷というものがないのだろう。
そこで、ひとえに谷川の流れを求め、またぞろ、巌下の石を眺めても同じように変わっていないのである。
隠棲していた家はさすがに古ぼけていて、荒廃したように見え、野バラは伸びて、東の窓に這いあがり、女羅は北の壁に巻きついている。
この家を離れてから 幾ばくの日を経ているだけに、草木は数尺も伸びているのである。

そこで、例によって、いまをたのしむため、まずは酒樽でも持ってこさせ、独酌で この永い夕べをうち寛がろうというものである。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 (訳注)

春歸終南山松龕舊隱

(春になって終南山の南の松の木と枝が屋根のように覆いかぶさった以前隠棲していたところに帰ってきてみて、今この時を心たのしもうと詠う。

 晩秋から春にかけての北辺の長旅だったが、求職の進展はなかった。事情はなにも変わらず、館にはバラや女羅(ひかげかずら)や草はあるじなしでも成長していた。酒樽をもってこさせて一人酒をたのしむ。久しぶりの棲家で詠った。

この詩は、陶淵明《歸去來辭》の縮本というべきものである。

終南山 終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、20002900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高20002900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。

松龕舊隱 松の木と枝が屋根のように覆いかぶさった以前隠棲していたところ。

 

我來南山陽、事事不異昔。
自分が終南山の南の松の木と枝が屋根のように覆いかぶさった以前隠棲していたところに帰ってきてみると、何に事も昔と変わっていなかった。ここは、長安の喧騒を離れた絶境であるから、変遷というものがないのだろう。
南山 終南山のこと。

 日の当たるところ。川なら北岸、山は南斜面側、南山麓。

 

卻尋溪中水、還望岩下石。

そこで、ひとえに谷川の流れを求め、またぞろ、巌下の石を眺めても同じように変わっていないのである。
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薔薇緣東窗、女蘿繞北壁。
隠棲していた家はさすがに古ぼけていて、荒廃したように見え、野バラは伸びて、東の窓に這いあがり、女羅は北の壁に巻きついている。
 まとう、這いあがる。

東窗 日当たりが良いのでバラが窓を覆い尽くしている様子をいう。

女蘿 地衣類の植物。松蘿ともいう。ひげのかずら。《楚辞九歌山鬼篇》「若有人兮山之阿,被薜荔兮

繞北壁 北側は蔓が目立って巻き付いている様子をいう。

 

別來能幾日、草木長數尺。
この家を離れてから 幾ばくの日を経ているだけに、草木は数尺も伸びているのである。

 

且復命酒樽、獨酌陶永夕。

そこで、例によって、いまをたのしむため、まずは酒樽でも持ってこさせ、独酌で この永い夕べをうち寛がろうというものである。

陶 うち寛がること。暢びる。


○韻 昔、石、壁、尺、夕。

(春 終南山の松龕【しょうがん】旧隠に帰る)
我  南山の陽に来きたる、事事  昔に異ならず。
却て渓中の水を尋ね、還た巌下の石を望む。
薔薇【しょうび】 東窓に縁【よ】り、女羅  北壁に繞る。
別来  能く幾日ぞ、草木  長ずること数尺。
且つ復た酒樽を命じ、独酌  永夕【えいせき】を陶【たのし】まん。

 

陶淵明《歸去來辭》

「さあ故郷へ帰ろう。

故郷の田園は今や荒れ果てようとしている。

どうして帰らずにいられよう。」

歸去來兮,田園將蕪胡不歸?既自以心為形役,奚惆悵而獨悲?

悟已往之不諫,知來者之可追;實迷途其未遠,覺今是而昨非。

 

舟遙遙以輕颺,風飄飄而吹衣。問征夫以前路,恨晨光之熹微。

乃瞻衡宇,載欣載奔。僮僕歡迎,稚子候門。三徑就荒,松菊猶存。

攜幼入室,有酒盈罇。引壺觴以自酌,眄庭柯以怡顏。

倚南窗以寄傲,審容膝之易安。園日涉以成趣,門雖設而常關。

策扶老以流憩,時矯首而遐觀。雲無心以出岫,鳥倦飛而知還。

景翳翳以將入,撫孤松而盤桓。

 

歸去來兮,請息交以游。世與我而相違,復駕言兮焉求?悅親戚之情話,樂琴書以消憂。農人告余以春及,將有事於西疇。或命巾車,或棹孤舟。既窈窕以尋壑,亦崎嶇而經丘。木欣欣以向榮,泉涓涓而始流。羨萬物之得時,感吾生之行休。

 

已矣乎!寓形宇復幾時?曷不委心任去留?胡為乎遑遑欲何之?富貴非吾願,帝不可期。懷良辰以孤往,或植杖而耘耔。登東皋以舒嘯,臨清流而賦詩。聊乘化以歸盡,樂夫天命復奚疑?
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李白《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -4》 昔、阮籍も、平生酒に沈湎していながらも、ここに登って「時無英雄、使豎子成名。」(時に、英雄なく、豎子をして名を成さしむ)といかにも偉そうに言ったが、これは、狂言の言に過ぎず、公平な言い分ではないのだ。

 

 
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177-4 《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -4Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <177-4> Ⅰ李白詩1397 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5533

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八○              文體:    五言古詩

詩題:    登廣武古戰場懷古

作地點:              廣武山(都畿道 / 河南府 / 廣武山)

及地點:              廣武山 (都畿道 河南府 廣武山)       

戦国七雄001 

 

登廣武古戰場懷古#1

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

呼吸八千人,橫行起江東。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

2

赤精斬白帝,叱吒入關中。

ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。

兩龍不並躍,五緯與天同。

しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。

楚滅無英圖,漢興有成功。

楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。
按劍清八極,歸酣歌大風。

高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。

3

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

その昔、漢楚戦争のとき、高祖が項羽とともに、ここ廣武城に臨み、兵を連ねて雌雄を決しようとした。

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。

戰爭有古跡,壁壘層穹。

その楚漢戦争の古跡は今も残っていて、塁壁は天の半ばにまで高く連なって崩れかけている。

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。

廣武は山河の形勝に富んだところで、猛虎は洞谷壑峡の間に嘯き、飢鷹は天高く秋空に鳴いている。

4

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

翔りゆく雲は暁に陣形を連ね調えたかと怪しまれ、今残っている殺気は、廣武城にかかる長い虹よりもかがやいている。

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

元来、撥亂反正の大業は、豪聖の君に限ることで、その心事は区々たる俗儒にはわからないことなのだ。

沈湎呼豎子,狂言非至公。

昔、阮籍も、平生酒に沈湎していながらも、ここに登って「時無英雄、使豎子成名。」(時に、英雄なく、豎子をして名を成さしむ)といかにも偉そうに言ったが、これは、狂言の言に過ぎず、公平な言い分ではないのだ。

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

私は、黄河のほとりに立ち、手を敲きながら、かの阮籍の狂愚を笑うのである。

 

武の古戰場に登りて懷古す)#1

秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。

項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。

呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。

2

赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。

兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。

楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。

劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う。

3

伊れ昔 廣武に臨み,兵を連ねて雌雄を決す。

我に分つ 一杯の羹【あつもの】を,太皇は乃ち汝の翁。

戰爭 古跡有り,壁壘【へきるい】 層穹【そうきゅう】に【くず】る

猛虎 洞壑に嘯き,飢鷹 秋空に鳴く。

4

翔雲 曉陣を列し,殺氣 長虹赫たり。

撥亂 豪聖に屬し,俗儒 安んぞ通す可けんや。

沈湎 豎子を呼び,狂言 至公にら非ず。

掌を撫す 黃河の曲,嗤嗤たり 阮嗣宗。

河南省中南部 陸渾00 

 

『登廣武古戰場懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
4

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

沈湎呼豎子,狂言非至公。

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。


(下し文)4

翔雲 曉陣を列し,殺氣 長虹赫たり。

撥亂 豪聖に屬し,俗儒 安んぞ通す可けんや。

沈湎 豎子を呼び,狂言 至公にら非ず。

掌を撫す 黃河の曲,嗤嗤たり 阮嗣宗。

(現代語訳)
翔りゆく雲は暁に陣形を連ね調えたかと怪しまれ、今残っている殺気は、廣武城にかかる長い虹よりもかがやいている。

元来、撥亂反正の大業は、豪聖の君に限ることで、その心事は区々たる俗儒にはわからないことなのだ。

昔、阮籍も、平生酒に沈湎していながらも、ここに登って「時無英雄、使豎子成名。」(時に、英雄なく、豎子をして名を成さしむ)といかにも偉そうに言ったが、これは、狂言の言に過ぎず、公平な言い分ではないのだ。

私は、黄河のほとりに立ち、手を敲きながら、かの阮籍の狂愚を笑うのである。


洛陽 函谷関 嵩山005
(訳注) 4

登廣武古戰場懷古 

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

廣武 (河南地図10)都畿道河南府滎陽縣に廣武城がある。城は山上にあり、漢が築いた。劉邦が絶澗に臨んで対語し、劉邦は項羽の十罪を責めた時、項羽の射たやがむねのささり重症をおった。西征記に「三皇山あり、或は三室山という、各々山上に城あり、東に東廣武城、西を西廣武城と云い、この間、絶澗をへだつ、漢祖、項籍と語る處。」とある。

 

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

翔りゆく雲は暁に陣形を連ね調えたかと怪しまれ、今残っている殺気は、廣武城にかかる長い虹よりもかがやいている。

 

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

元来、撥亂反正の大業は、豪聖の君に限ることで、その心事は区々たる俗儒にはわからないことなのだ。

 

沈湎呼豎子,狂言非至公。

昔、阮籍も、平生酒に沈湎していながらも、ここに登って「時無英雄、使豎子成名。」(時に、英雄なく、豎子をして名を成さしむ)といかにも偉そうに言ったが、これは、狂言の言に過ぎず、公平な言い分ではないのだ。

沈湎 しずみおぼれること。特に、酒色にふけってすさんだ生活を送ること。魏の末期に、偽善と詐術が横行する世間を嫌い、距離を置くため、大酒を飲み清談を行ない、礼教を無視した行動をした阮籍のことを言う。

呼豎子 「豎子」=「孺子」は、漢高祖の謀臣、張良(子房)のことを指す。張良は亡命中に、黄石公という老人が橋の下に落とした履を拾いに行かされて、「はいはい」と拾いに行った。その外柔らかにして内剛なる性質を知った黄老人は「孺子、可教。」(孺子、教うべし。)小僧、どうやら教えてやる甲斐がありそうじゃな。と言って、その後少し紆余曲折があった後に、張良に自らの用兵の術を教えた。

阮籍は竹林の七賢の筆頭扱いの阮籍である。白眼視や嗜酒、能嘯で名高いが、彼は時に自ら車を駆り、道窮まって泣いたといい、暢ばすことのできぬ志があったひとであったのである。廣武城に登り、劉邦と項羽の楚漢の戦いの跡を見渡したとき、「時無英雄、使豎子成名。」(時に英雄無く、豎子をして名を成さしむ。)そのときには英雄というべき者がいなかったのだ、だから小僧っ子に名声を成さしめてしまったのだ。と嘆じたという。(晋書巻49「阮籍等伝」)

 

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

私は、黄河のほとりに立ち、手を敲きながら、かの阮籍の狂愚を笑うのである。

阮嗣宗 阮籍(げん せき、210年(建安15年) - 263年(景元4年))は、中国三国時代の人物。字(あざな)を嗣宗、兗州陳留郡尉氏の人。竹林の七賢の指導者的人物である。父は建安七子の一人である阮瑀。甥の阮咸も竹林の七賢の一人である。子は阮渾。兄は阮煕。魏の末期に、偽善と詐術が横行する世間を嫌い、距離を置くため、大酒を飲み清談を行ない、礼教を無視した行動をしたと言われている。俗物が来ると白眼で対し、気に入りの人物には青眼で対した。
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李白《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -3項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八○              文體:    五言古詩

詩題:    登廣武古戰場懷古

作地點:              廣武山(都畿道 / 河南府 / 廣武山)

及地點:              廣武山 (都畿道 河南府 廣武山)       

 

 

登廣武古戰場懷古#1

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

呼吸八千人,橫行起江東。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

2

赤精斬白帝,叱吒入關中。

ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。

兩龍不並躍,五緯與天同。

しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。

楚滅無英圖,漢興有成功。

楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。
按劍清八極,歸酣歌大風。

高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。

3

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

その昔、漢楚戦争のとき、高祖が項羽とともに、ここ廣武城に臨み、兵を連ねて雌雄を決しようとした。

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。

戰爭有古跡,壁壘層穹。

その楚漢戦争の古跡は今も残っていて、塁壁は天の半ばにまで高く連なって崩れかけている。

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。

廣武は山河の形勝に富んだところで、猛虎は洞谷壑峡の間に嘯き、飢鷹は天高く秋空に鳴いている。

4

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

沈湎呼豎子,狂言非至公。

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

(含異文)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。項王氣蓋世,紫電明雙瞳。呼吸八千人,橫行起江東。

赤精斬白帝,叱吒入關中。兩龍不並躍,五緯與天同。楚滅無英圖,漢興有成功。按劍清八極,歸酣歌大風。

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。分我一杯羹,太皇乃汝翁。戰爭有古跡,壁壘層穹。猛虎嘯洞壑【猛虎吟洞壑】,飢鷹鳴秋空【飢鷹獵秋空】。

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。撥亂屬豪聖,俗儒安可通。沈湎呼豎子,狂言非至公。撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

武の古戰場に登りて懷古す)#1

秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。

項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。

呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。

2

赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。

兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。

楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。

劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う。

3

伊れ昔 廣武に臨み,兵を連ねて雌雄を決す。

我に分つ 一杯の羹【あつもの】を,太皇は乃ち汝の翁。

戰爭 古跡有り,壁壘【へきるい】 層穹【そうきゅう】に【くず】る

猛虎 洞壑に嘯き,飢鷹 秋空に鳴く。

4

翔雲 曉陣を列し,殺氣 長虹赫たり。

撥亂 豪聖に屬し,俗儒 安んぞ通す可けんや。

沈湎 豎子を呼び,狂言 至公にら非ず。

掌を撫す 黃河の曲,嗤嗤たり 阮嗣宗。

 河南省中南部 陸渾00

 

『登廣武古戰場懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
3

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

戰爭有古跡,壁壘層穹。

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。


(下し文) 3

伊れ昔 廣武に臨み,兵を連ねて雌雄を決す。

我に分つ 一杯の羹【あつもの】を,太皇は乃ち汝の翁。

戰爭 古跡有り,壁壘【へきるい】 層穹【そうきゅう】に【くず】る。

猛虎 洞壑に嘯き,飢鷹 秋空に鳴く。

(現代語訳)
その昔、漢楚戦争のとき、高祖が項羽とともに、ここ廣武城に臨み、兵を連ねて雌雄を決しようとした。

項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。

その楚漢戦争の古跡は今も残っていて、塁壁は天の半ばにまで高く連なって崩れかけている。

廣武は山河の形勝に富んだところで、猛虎は洞谷壑峡の間に嘯き、飢鷹は天高く秋空に鳴いている。


洛陽 函谷関 嵩山005
(訳注) 3

登廣武古戰場懷古 -3

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

廣武 (河南地図10)都畿道河南府滎陽縣に廣武城がある。城は山上にあり、漢が築いた。劉邦が絶澗に臨んで対語し、劉邦は項羽の十罪を責めた時、項羽の射たやがむねのささり重症をおった。西征記に「三皇山あり、或は三室山という、各々山上に城あり、東に東廣武城、西を西廣武城と云い、この間、絶澗をへだつ、漢祖、項籍と語る處。」とある。
 

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

その昔、漢楚戦争のとき、高祖が項羽とともに、ここ廣武城に臨み、兵を連ねて雌雄を決しようとした。

 

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。

分我一杯羹 項羽本紀「項羽はすでに東海地方を平定して西にむかい、広武山に臨んで漢と相 対して陣をしいた。たがいに守備して対峙すること数ヵ月であった。 このときにあたって、彭越はしばしば梁の地で反抗し、楚の糧食を絶 った。項羽はこれを憂慮し、高い俎板をつくって太公をその上に磔にし、 漢王劉邦に告げた。「いま、早急に降服しなければ、太公を烹殺してしまうぞ」漢王劉邦は言った。「わしは項羽とともに北面して懐王の命を受けたが、そのとき『兄弟 となることを約束しよう』と言った。 してみれば、わが父はすなわち おまえの父だ。どうしてもおまえの父を烹殺すというのなら、ぜひ、 わしにも一杯の羹をくれ」項羽は怒って、本当に太公を殺そうとした。項伯が言った。「天下がどう定まるかは、まだわかりません。かつまた、天下を取ろうとするものは、家族のことなどかえりみません。太公を殺しても益 はなく、かえってむだに漢王を怒らせて、当方の禍を増すにすぎませ ん」項羽はこの意見にしたがった。楚と漢は相対峙してなかなか決戦しなかった。若者は兵役に苦しみ、老弱は陸上・水上の輸送に疲れはてた。項羽が漢王劉邦に言った。「天下は匈々としてさわぎ乱れること数年になるが、それは、ただわれら両人のためだ。ひとつ、挑戦して雌雄を決しようではないか。いたずらに天下の民の父子を苦しめるようなことはやめよう」漢王劉邦は笑ってことわって言った。「わしは、むしろ智でたたかうのであって、力ではたたかわ ない」劉邦は項羽を責めて言った。

 

戰爭有古跡,壁壘層穹。

その楚漢戦争の古跡は今も残っていて、塁壁は天の半ばにまで高く連なって崩れかけている。

 

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。

廣武は山河の形勝に富んだところで、猛虎は洞谷壑峡の間に嘯き、飢鷹は天高く秋空に鳴いている。

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李白《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -2楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。

 

 
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八○              文體:    五言古詩

詩題:    登廣武古戰場懷古

作地點:              廣武山(都畿道 / 河南府 / 廣武山)

及地點:              廣武山 (都畿道 河南府 廣武山)       

 

 

登廣武古戰場懷古#1

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

呼吸八千人,橫行起江東。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

2

赤精斬白帝,叱吒入關中。

ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。

兩龍不並躍,五緯與天同。

しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。

楚滅無英圖,漢興有成功。

楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。
按劍清八極,歸酣歌大風。

高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。

3

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

戰爭有古跡,壁壘層穹。

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。

4

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

沈湎呼豎子,狂言非至公。

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

(含異文)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。項王氣蓋世,紫電明雙瞳。呼吸八千人,橫行起江東。赤精斬白帝,叱吒入關中。兩龍不並躍,五緯與天同。楚滅無英圖,漢興有成功。按劍清八極,歸酣歌大風。伊昔臨廣武,連兵決雌雄。分我一杯羹,太皇乃汝翁。戰爭有古跡,壁壘層穹。猛虎嘯洞壑【猛虎吟洞壑】,飢鷹鳴秋空【飢鷹獵秋空】。翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。撥亂屬豪聖,俗儒安可通。沈湎呼豎子,狂言非至公。撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

武の古戰場に登りて懷古す)#1

秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。

項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。

呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。

2

赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。

兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。

楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。

劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う。
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 洛陽 函谷関 嵩山005

『登廣武古戰場懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
2

赤精斬白帝,叱吒入關中。

兩龍不並躍,五緯與天同。

楚滅無英圖,漢興有成功。

按劍清八極,歸酣歌大風。


(下し文)
赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。

兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。

楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。

劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う

(現代語訳)
ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。

しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。

楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。
高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。


(訳注) 2

登廣武古戰場懷古 -2

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

廣武 (河南地図10)都畿道河南府滎陽縣に廣武城がある。城は山上にあり、漢が築いた。劉邦が絶澗に臨んで対語し、劉邦は項羽の十罪を責めた時、項羽の射たやがむねのささり重症をおった。西征記に「三皇山あり、或は三室山という、各々山上に城あり、東に東廣武城、西を西廣武城と云い、この間、絶澗をへだつ、漢祖、項籍と語る處。」とある。 

河南省中南部 陸渾00 

赤精斬白帝,叱吒入關中。

ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。

赤精 高祖劉邦は、赤龍に感じて生まれる。自ら赤精という。《漢書哀帝紀》:待詔夏賀良等言赤精子之讖。” 顏師古注引應劭して曰く:高祖感赤龍而生, 自謂赤帝之精。

斬白帝 白帝の子が赤帝の子に斬られて、乏しい人がその理由を高祖にはなすと、高祖が喜んだ。それより先に、劉邦が自分で大蛇を斬り殺している。「白帝の子が赤帝の子に斬られて」と言われた。劉邦は自分が赤帝の子だと思っているから、五行説から、赤が黒を征服し、黄が赤を征服する。劉邦が喜んだのは、「赤が黒を征服し」の方だ。秦の色は黒だから、秦の旗の色は黒。だから、劉邦はこの言葉を聞いて、秦を征服するのは自分だと確信して喜んだ。劉邦軍の旗の色は赤。漢の色は赤、火の徳を持つとされる。漢のから政権を奪った魏の色は黄、土の徳を持つとされる。

叱吒 【叱咤】 怒気をあらわして大声でしかること。しかりつけること。 しっ‐せき【叱責】 しかりせめること。

關中 函谷関の西側の地域を指す。現在の中国陝西省渭水盆地の西安を中心とした一帯である。春秋戦国時代の秦の領地であり、その後の前漢や唐もこの地に首都を置いた。

 

兩龍不並躍,五緯與天同。

しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。

五緯 五星のこと。張平子(張衡)《西京賦》「自我高祖之始入也,五緯相汁以旅於東井。」(我が高祖の始めて入りし自り,五緯【ごい】相い汁【あ】いて以て于東井【とうせい】に旅【つらな】る。(帝都の計画) 我が高祖が始めて雍の地に入られると、この地を五つの星の配列に相い応じて東井の星座のようにならべる。

張平子(張衡)《西京賦》(8)(帝都の計画)#3-1 文選 賦<114―(8)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1045 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3773

 

楚滅無英圖,漢興有成功。

楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。

 

按劍清八極,歸酣歌大風。

高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。

八極 八方と同じ、ここでは天下。李白は江陵で当時の道教教団、最高指導者の司馬承禎(しばしょうてい)と会っている。司馬承禎は玄宗皇帝から幾度も宮中に召され、法籙(ほうろく・道教の免許)を授けるほどに信頼された人物だ。司馬承禎は南岳衡山(こうざん)での祭儀に参加するため湖南に行く途中で、江陵にさしかかったのだった。すでに高齢に達していた司馬承禎に李白は詩を呈し、道教について教えを乞うた。司馬承禎が李白を「仙風道骨あり、神とともに八極の表に遊ぶべし」と褒めた。

大風 高祖 大風歌「大風起兮雲飛揚云云」とある。

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李白《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -1(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

 

 
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八○              文體:    五言古詩

詩題:    登廣武古戰場懷古

作地點:              廣武山(都畿道 / 河南府 / 廣武山)

及地點:              廣武山 (都畿道 河南府 廣武山)       

 

 

登廣武古戰場懷古#1

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

呼吸八千人,橫行起江東。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

2

赤精斬白帝,叱吒入關中。

兩龍不並躍,五緯與天同。

楚滅無英圖,漢興有成功。

按劍清八極,歸酣歌大風。

3

伊昔臨廣武,連兵決雌雄。

分我一杯羹,太皇乃汝翁。

戰爭有古跡,壁壘層穹。

猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。

4

翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。

撥亂屬豪聖,俗儒安可通。

沈湎呼豎子,狂言非至公。

撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

(含異文)

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。項王氣蓋世,紫電明雙瞳。呼吸八千人,橫行起江東。赤精斬白帝,叱吒入關中。兩龍不並躍,五緯與天同。楚滅無英圖,漢興有成功。按劍清八極,歸酣歌大風。伊昔臨廣武,連兵決雌雄。分我一杯羹,太皇乃汝翁。戰爭有古跡,壁壘層穹。猛虎嘯洞壑【猛虎吟洞壑】,飢鷹鳴秋空【飢鷹獵秋空】。翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。撥亂屬豪聖,俗儒安可通。沈湎呼豎子,狂言非至公。撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。

 

武の古戰場に登りて懷古す)#1

秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。

項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。

呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。

2

赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。

兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。

楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。

劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->河南省中南部 陸渾00
<!--[endif]-->

『登廣武古戰場懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

登廣武古戰場懷古#1

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

呼吸八千人,橫行起江東。


(下し文)

武の古戰場に登りて懷古す)#1

秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。

項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。

呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。


(現代語訳)
(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

洛陽 函谷関 嵩山005
(訳注)

登廣武古戰場懷古 -1

(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)

 

秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。

むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。

秦鹿 秦國の帝位をしめす。鹿を馬といわせた秦の支配が終わったこと。趙高が宮中に「珍しい馬がおります」と鹿を連れて来た。 胡亥は「丞相はどうかしたのか、これは鹿ではないか」と言ったが、「これは馬です」と趙高が答え、群臣にどう見えるか聞いた。趙高の権勢を恐れる者は馬と言い、屈しない者は鹿と言った。趙高はその場はちょっとした余興ということで納めたが、後日、鹿だと答えた官吏を、軒並み捕らえて処刑した。


 

項王氣蓋世,紫電明雙瞳。

中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。

氣蓋世 項羽の垓下歌「力拔山兮氣蓋世」とあり、項羽は自分がまだ意気盛んだと言っている。

雙瞳 重瞳、項羽本紀「羽もまた重瞳子」とある。重瞳(ちょうどう)とは、一つの眼玉に、瞳が二つある眼のこと。とくに、中国の貴人の身体的特徴として表現されることが多い。たとえば、伝説上の聖王である舜は重瞳だったという。また、資治通鑑などの史書によれば、項羽も重瞳だったという。

明らかな異相であるが、王の権威付けのためか、特に古代中国の王には重瞳にかぎらず、常人とは異なった身体的特徴をしていることが多い。たとえば、文王は四乳といって乳首が四つあったといわれ、禹は三漏といって耳の穴が三つあったという伝承が残っている。

 

呼吸八千人,橫行起江東。

そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。

八千人 項羽本紀「天之亡我。我何渡為。且籍与江東子弟八千人渡江而西。」(天の我を亡す、我何ぞ渡るを為さん。 且つ籍、与に江東の子弟八千人、江を渡りて西す。)

籍(こう せき、紀元前232 - 紀元前202年)は、秦末期の楚の武将。秦に対する造反軍の中核となり秦を滅ぼし、一時“西楚の覇王”(在位紀元前206 - 紀元前202年)と号した。その後、天下を劉邦と争い(楚漢戦争)、当初は圧倒的に優勢であったが人心を得ず、次第に劣勢となって敗死した。

姓は項、名は籍、字が羽である。[1]以下、一般に知られている項羽(こうう)の名で記す。項羽は楚の将軍であった項燕の孫であり、項氏は代々楚の将軍を務めた家柄であった。項羽は両親を早くに亡くしたため叔父の項梁に養われていた。

秦末期、陳勝・呉広の乱が起きると、項羽は項梁に従って会稽郡役所に乗り込み、郡守である殷通をだまし討ちした後に襲いかかってきた殷通の部下数十名を一人で皆殺しにし、会稽の役人たちは項羽の強さに平伏、項梁は会稽郡守となって造反軍に参加した。
李白31歳 

176 《巻19-21 春日游羅敷潭 》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <176> Ⅰ李白詩1388 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5488

李白《巻19-21 春日游羅敷潭 何時まで経っても興が尽きることが無く何時までもその地にとどまることになり、日は、華山から西に続く山の峰に沈んでゆくので帰り道を急ぐことになる。

 

 

176 《巻19-21 春日游羅敷潭 Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <176> Ⅰ李白詩1388 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5488

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一七九              文體:    五言律詩

詩題:    春日遊羅敷潭

作地點:華州(京畿道 / 華州 / 華州)

及地點:羅敷潭 (京畿道 華州 華州)              

 

 

春日遊羅敷潭

(華州の漢の蘿敷の所縁の湖の淵で春の日に遊ぶ)

行歌入谷口,路盡無人躋。

湖のほとりを歩行しつつ詩を歌うと、やがて谷の入り口より奥に入って行くと、道は尽きて昇ってゆく人がいなくなる。

攀崖度壑,弄水尋迴溪。

景色が素晴らしい谷ということで、断崖を攀じ登り、壑をわたって、流水を弄して、曲がり曲った峡谷をたずねあるいた。

雲從石上起,客到花間迷。

雲は石場より湧きあがり、客は花間に分け入るけれど路を迷ってしまう。

淹留未盡興,日落群峰西。

何時まで経っても興が尽きることが無く何時までもその地にとどまることになり、日は、華山から西に続く山の峰に沈んでゆくので帰り道を急ぐことになる。

 

(春日 羅敷潭に遊ぶ)

行歌して谷口に入り,路 盡きて人の躋る無し。

崖を攀じて壑をり,水を弄して迴溪を尋ぬ。

雲は石上從り起り,客は花間に到って迷う。

淹留 未だ興を盡さず,日は落つ 群峰の西。

 

李白の足跡003 

『春日遊羅敷潭』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

春日遊羅敷潭

行歌入谷口,路盡無人躋。

攀崖度壑,弄水尋迴溪。

雲從石上起,客到花間迷。

淹留未盡興,日落群峰西。


(下し文)

(春日 羅敷潭に遊ぶ)

行歌して谷口に入り,路 盡きて人の躋る無し。

崖を攀じて壑を度り,水を弄して迴溪を尋ぬ。

雲は石上從り起り,客は花間に到って迷う。

淹留 未だ興を盡さず,日は落つ 群峰の西。

(現代語訳)
(華州の漢の蘿敷の所縁の湖の淵で春の日に遊ぶ)

湖のほとりを歩行しつつ詩を歌うと、やがて谷の入り口より奥に入って行くと、道は尽きて昇ってゆく人がいなくなる。

景色が素晴らしい谷ということで、断崖を攀じ登り、壑をわたって、流水を弄して、曲がり曲った峡谷をたずねあるいた。

雲は石場より湧きあがり、客は花間に分け入るけれど路を迷ってしまう。

何時まで経っても興が尽きることが無く何時までもその地にとどまることになり、日は、華山から西に続く山の峰に沈んでゆくので帰り道を急ぐことになる。


(訳注) 《巻19-21 春日游羅敷潭

春日遊羅敷潭

(華州の漢の蘿敷の所縁の湖の淵で春の日に遊ぶ)

羅敷潭 京畿道 華州 華州、北泉湖。

陌上桑行 古詩・漢の無名氏

陌上桑は道のほとりの桑の意である。別の題名を「艶歌羅敷行」ともいい、王台新詠(巻二 には「日出東南隅行」とある。

「日出東南隅,照我秦氏樓。秦氏有好女,自名為羅敷。」(日は東南隅に出でて、我が案氏の榎を照らす。秦氏に好女有り、自ら名つけて羅敦と為す。

東南の隅から出た朝日が昇る晩春のことである。まずわが秦氏の高殿を照らしている。その秦氏に美しいむすめがいる。その名を自ら羅敷という。

陌上桑行 古詩・漢の無名氏 魏詩<55-#5> 女性詩706 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2078

日出東南隅行
柏梁冠南山,桂宮燿北泉。
晨風拂幨幌,朝日照閨軒。
美人臥屏席,懷蘭秀瑤璠。
皎潔秋松氣,淑德春景暄。

漢の柏梁台とは今のこの国の建業の南山での天子の冠である。桂宮の天子の歓楽の御殿は北泉湖に影を落としている。

日出東南隅行 謝霊運(康楽) 詩<68>Ⅱ李白に影響を与えた詩490 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1287

Ta唐 長安近郊圖  新02 

行歌入谷口,路盡無人躋。

湖のほとりを歩行しつつ詩を歌うと、やがて谷の入り口より奥に入って行くと、道は尽きて昇ってゆく人がいなくなる。

行歌 歩行しつつ詩を歌うこと。

 のぼる。

 

攀崖度壑,弄水尋迴溪。

景色が素晴らしい谷ということで、断崖を攀じ登り、壑をわたって、流水を弄して、曲がり曲った峡谷をたずねあるいた。

迴溪 曲がり曲った峡谷。

 

雲從石上起,客到花間迷。

雲は石場より湧きあがり、客は花間に分け入るけれど路を迷ってしまう。

 

淹留未盡興,日落群峰西。

何時まで経っても興が尽きることが無く何時までもその地にとどまることになり、日は、華山から西に続く山の峰に沈んでゆくので帰り道を急ぐことになる。

淹留 その地にとどまる

175-#2 《巻18-13 酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈 -#2》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <175-#2> Ⅰ李白詩1392 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5508

李白《巻18-13 酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈 -2風水の便を得て、愈々世間に乗り出すなら、私としても、隠者のまねなどせずに、これまで手にしていた釣竿を投げ捨て、かの大中の道を助け、見事に功績をあげてみせるというものである。

 

 
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175-2 《巻18-13 酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈 -2Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <175-2> Ⅰ李白詩1392 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5508

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈

作地點:              坊州( / 坊州 / 坊州)

及地點:              坊州 ( 坊州 坊州)    

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都         

交遊人物:王嵩    書信往來( 坊州 坊州)

閻正字   書信往來

 

 

酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈

(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)

遊子東南來,自宛適京國。

自分は、遊子の身を以て、初めに、東南より来たって、南陽を経て長安にたどり着いた。

飄然無心雲,倏忽復西北。

例えば、無心の雲一片、飄然として、倏忽の間に西北に向って飛び去ったようなものだ。

訪戴昔未偶,尋嵇此相得。

ここに王君と知り合ったが、例えば、昔の王子猷が戴安道を訪れて、その時には逢わなかったように柔然はたがいにまみえることは稀であったが、この頃は、嵆康が石安と親しく、逢いたいと思えば、いつでも出かけるように、頻りに親炙することが出来て、まことに喜ばしい。

愁顏發新歡,終宴敘前識。

そこで、愁顔にも新歡を発してどうやら愉快のなったように見え、宴席の間に於いては、つねに、従前のことを述べて、たがいに打ち興じていた。

閻公漢庭舊,沈鬱富才力。

閻公は漢庭の旧臣であって、豊富なる才力は、その人物を自然沈鬱にしてしまうのであった。

175-2 《巻18-13 酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈 -2

價重銅龍樓,聲高重門側。

太子正字として銅龍門樓をでて聲価は愈々重く、やがて、その名は九重の門を入って帝宮にまで響き渡っているのである。

寧期此相遇,華館陪遊息。

その閻公がはからずも王司馬に遭い、華館において宴をひらいたとのことである。

積雪明遠峰,寒城鎖春色。

おりしも、積雪は遠峰に明らかに見えているし、寒城は春の盛りかと見まごう花が咲き誇るかと思えるような雪景色で春が来るのを閉ざしている。

主人蒼生望,假我青雲翼。

その景色を見てこの詩を作って私に贈られたが、王司馬は民衆の望みを負うておられる人で願わくば、私に青雲の翼を借りて仕官の手助けをしてほしいとおもっている。

風水如見資,投竿佐皇極。

こうして、風水の便を得て、愈々世間に乗り出すなら、私としても、隠者のまねなどせずに、これまで手にしていた釣竿を投げ捨て、かの大中の道を助け、見事に功績をあげてみせるというものである。

 

(坊州の王司馬と閻正字と雪に對して贈らるるに酬ゆ)

遊子 東南より來り,宛自り京國に適く。

飄然たる無心の雲,倏忽 復た西北。

戴を訪うて昔 未だ偶せず,嵇を尋ねて此に相い得たり。

愁顏 新歡を發し,終宴 前識を敘す。

閻公 漢庭の舊,沈鬱 才力に富む。

 

價は重し銅龍の樓,聲は高し重門の側。

寧ろ期せんや此に相い遇い,華館 遊息に陪するを。

積雪 遠峰明らかに,寒城 春色を鎖す。

主人 蒼生の望,我に青雲の翼を假す。

風水如し資せられるれば,竿を投じて皇極を佐けん。

李白の足跡003 

 

『酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

價重銅龍樓,聲高重門側。

寧期此相遇,華館陪遊息。

積雪明遠峰,寒城鎖春色。

主人蒼生望,假我青雲翼。

風水如見資,投竿佐皇極。


(下し文)
價は重し銅龍の樓,聲は高し重門の側。

寧ろ期せんや此に相い遇い,華館 遊息に陪するを。

積雪 遠峰明らかに,寒城 春色を鎖す。

主人 蒼生の望,我に青雲の翼を假す。

風水如し資せられるれば,竿を投じて皇極を佐けん。

(現代語訳)
太子正字として銅龍門樓をでて聲価は愈々重く、やがて、その名は九重の門を入って帝宮にまで響き渡っているのである。

その閻公がはからずも王司馬に遭い、華館において宴をひらいたとのことである。

おりしも、積雪は遠峰に明らかに見えているし、寒城は春の盛りかと見まごう花が咲き誇るかと思えるような雪景色で春が来るのを閉ざしている。

その景色を見てこの詩を作って私に贈られたが、王司馬は民衆の望みを負うておられる人で願わくば、私に青雲の翼を借りて仕官の手助けをしてほしいとおもっている。

こうして、風水の便を得て、愈々世間に乗り出すなら、私としても、隠者のまねなどせずに、これまで手にしていた釣竿を投げ捨て、かの大中の道を助け、見事に功績をあげてみせるというものである。

終南山06
(訳注)

酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈

(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)

 

價重銅龍樓,聲高重門側。

太子正字として銅龍門樓をでて聲価は愈々重く、やがて、その名は九重の門を入って帝宮にまで響き渡っているのである。

價重 名声の価は愈々重いということ。

銅龍樓 漢太子宮門の名。 門樓の上に銅龍を飾って有る。 亦た帝王の宮闕とされた時もある。

聲高重門 九重の門を入って帝宮にまで響き渡っている。重門は九重の門、帝宮の門。

 

寧期此相遇,華館陪遊息。

その閻公がはからずも王司馬に遭い、華館において宴をひらいたとのことである。

閻行(エンカウ)(生没年未詳)漢犍為太守・列侯、字は彦明。金城の人。韓遂の女婿。後に「閻豔」と改名する《張既伝》。

 

積雪明遠峰,寒城鎖春色。

おりしも、積雪は遠峰に明らかに見えているし、寒城は春の盛りかと見まごう花が咲き誇るかと思えるような雪景色で春が来るのを閉ざしている。

 

主人蒼生望,假我青雲翼。

その景色を見てこの詩を作って私に贈られたが、王司馬は民衆の望みを負うておられる人で願わくば、私に青雲の翼を借りて仕官の手助けをしてほしいとおもっている。

 

風水如見資,投竿佐皇極。

こうして、風水の便を得て、愈々世間に乗り出すなら、私としても、隠者のまねなどせずに、これまで手にしていた釣竿を投げ捨て、かの大中の道を助け、見事に功績をあげてみせるというものである。

皇極 尚書の洪範に建用皇極とあって、孔安國の伝に「皇は大なり、極は中なり、おおよそ事を立つるには当に大中の道を用うべし。」とある。

《尚書·洪范》:“次五曰建用皇極。 ”孔安國傳:“皇,大;極,中也。凡立事當用大中之道。”.

175 -#1《巻18-13 酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈》-#1Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <175-#1> Ⅰ李白詩1387 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5483

李白《巻18-13 酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈》(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)

自分は、遊子の身を以て、初めに、東南より来たって、南陽を経て長安にたどり着いた。

 
 2015年2月5日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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175 -#1《巻18-13 酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈》-#1Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <175-#1> Ⅰ李白詩1387 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5483 
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175 -#1《巻18-13 酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈》-#1Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <175-#1> Ⅰ李白詩1387 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5483

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一七八              文體:    五言古詩

詩題:    酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈

作地點:              坊州( / 坊州 / 坊州)

及地點:              坊州 ( 坊州 坊州)    

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都         

交遊人物:王嵩    書信往來( 坊州 坊州)

閻正字   書信往來

 

 

酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈

(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)

遊子東南來,自宛適京國。

自分は、遊子の身を以て、初めに、東南より来たって、南陽を経て長安にたどり着いた。

飄然無心雲,倏忽復西北。

例えば、無心の雲一片、飄然として、倏忽の間に西北に向って飛び去ったようなものだ。

訪戴昔未偶,尋嵇此相得。

ここに王君と知り合ったが、例えば、昔の王子猷が戴安道を訪れて、その時には逢わなかったように柔然はたがいにまみえることは稀であったが、この頃は、嵆康が石安と親しく、逢いたいと思えば、いつでも出かけるように、頻りに親炙することが出来て、まことに喜ばしい。

愁顏發新歡,終宴敘前識。

そこで、愁顔にも新歡を発してどうやら愉快のなったように見え、宴席の間に於いては、つねに、従前のことを述べて、たがいに打ち興じていた。

閻公漢庭舊,沈鬱富才力。

閻公は漢庭の旧臣であって、豊富なる才力は、その人物を自然沈鬱にしてしまうのであった。

 

價重銅龍樓,聲高重門側。

寧期此相遇,華館陪遊息。

積雪明遠峰,寒城鎖春色。

主人蒼生望,假我青雲翼。

風水如見資,投竿佐皇極。

 

(坊州の王司馬と閻正字と雪に對して贈らるるに酬ゆ)

遊子 東南より來り,宛自り京國に適く。

飄然たる無心の雲,倏忽 復た西北。

戴を訪うて昔 未だ偶せず,嵇を尋ねて此に相い得たり。

愁顏 新歡を發し,終宴 前識を敘す。

閻公 漢庭の舊,沈鬱 才力に富む。

 

價は重し銅龍の樓,聲は高し重門の側。

寧ろ期せんや此に相い遇い,華館 遊息に陪するを。

積雪 遠峰明らかに,寒城 春色を鎖す。

主人 蒼生の望,我に青雲の翼を假す。

風水如し資せられるれば,竿を投じて皇極を佐けん。

 

李白の足跡003 

『酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈

遊子東南來,自宛適京國。

飄然無心雲,倏忽復西北。

訪戴昔未偶,尋嵇此相得。

愁顏發新歡,終宴敘前識。

閻公漢庭舊,沈鬱富才力。



(下し文)
(坊州の王司馬と閻正字と雪に對して贈らるるに酬ゆ)

遊子 東南より來り,宛自り京國に適く。

飄然たる無心の雲,倏忽 復た西北。

戴を訪うて昔 未だ偶せず,嵇を尋ねて此に相い得たり。

愁顏 新歡を發し,終宴 前識を敘す。

閻公 漢庭の舊,沈鬱 才力に富む。

(現代語訳)
(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)

自分は、遊子の身を以て、初めに、東南より来たって、南陽を経て長安にたどり着いた。

例えば、無心の雲一片、飄然として、倏忽の間に西北に向って飛び去ったようなものだ。

ここに王君と知り合ったが、例えば、昔の王子猷が戴安道を訪れて、その時には逢わなかったように柔然はたがいにまみえることは稀であったが、この頃は、嵆康が石安と親しく、逢いたいと思えば、いつでも出かけるように、頻りに親炙することが出来て、まことに喜ばしい。

そこで、愁顔にも新歡を発してどうやら愉快のなったように見え、宴席の間に於いては、つねに、従前のことを述べて、たがいに打ち興じていた。

閻公は漢庭の旧臣であって、豊富なる才力は、その人物を自然沈鬱にしてしまうのであった。


戦国七雄001
(訳注)

酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈

(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)

 

遊子東南來,自宛適京國。

自分は、遊子の身を以て、初めに、東南より来たって、南陽を経て長安にたどり着いた。

 秦のとき、宛縣とし、隋以降南陽縣とした。

適京國 長安にたどり着いた。

 

飄然無心雲,倏忽復西北。

例えば、無心の雲一片、飄然として、倏忽の間に西北に向って飛び去ったようなものだ。

 

訪戴昔未偶,尋嵇此相得。

ここに王君と知り合ったが、例えば、昔の王子猷が戴安道を訪れて、その時には逢わなかったように柔然はたがいにまみえることは稀であったが、この頃は、嵆康が石安と親しく、逢いたいと思えば、いつでも出かけるように、頻りに親炙することが出来て、まことに喜ばしい。

訪戴 王子猷が雪の夜、小舟に乗じて戴安道を訪ねた。

王子猷居山陰,夜大雪,眠覺,開室,命杓酒。 四望皎然,因起徬徨,詠左思招隱詩。忽憶戴安道。時戴在剡, 即便夜乘小舟就之。 經宿方至,造門不前而返。人問其故, 王曰:「 無本乘興而行,興盡而返,何必見戴?」

むかし、王子猷は山陰というところに住んでいた。生活のための日々の仕事に縛られることなく、ただ花鳥風月に心を寄せて多くの年月を暮らしていた。何かのことを思い立ったら(すぐ動かないと)いらいらするたちで、情趣を大事にする人なので、ある大雪が降った日に,雪が止んで、素晴らしく美しい月光が煌々と照らす夜、一人でこの光景を起きて見ているうちに、その趣を一人で味わうだけでは我慢できなくなったのであろうか、心の欲求のまま高瀬舟に乗って(おそらく家臣に棹を操らせ)友人の戴安道を訪れていった。家までの道は遠いので、夜も明け月も傾いてしまったのを、残念に思ったのであろう、このような理由でやって来たとも言わずに、そのまま門のところから引き歸していった。なぜ、そんなことをしたのかと聞く人があったので、「一緒に月を見ようとやってきたのだけれど、友人に逢う必要があるだろうか(いや月も風景も変わってしまい、趣がなくなっていた)」風流を大事にする心の深さは、このことでよくわかることであろう。戴安道は剡縣という所に住んでいた。王子猷の年来の友である。同じように風流を理解する人であったそうだ。

尋嵇 嵆康の親友であった呂安は、兄の呂巽が自分の妻と私通した事が原因で諍いを起こし、兄を告発しようとしたところ、身の危険を感じた呂巽によって先に親不孝の罪で訴えられた。この時嵆康は呂安を弁護しようとしたが、鍾会は以前から嵆康に怨恨があり、この機会に嵆康と呂安の言動を風俗を乱す行いだと司馬昭に讒言した。このため、先に仕官を拒否したことと共に罪状に挙げられ、嵆康と呂安は死罪となった。

 

愁顏發新歡,終宴敘前識。

そこで、愁顔にも新歡を発してどうやら愉快のなったように見え、宴席の間に於いては、つねに、従前のことを述べて、たがいに打ち興じていた。

 

閻公漢庭舊,沈鬱富才力。

閻公は漢庭の旧臣であって、豊富なる才力は、その人物を自然沈鬱にしてしまうのであった。

閻行(エンカウ)(生没年未詳)漢犍為太守・列侯、字は彦明。金城の人。韓遂の女婿。後に「閻豔」と改名する《張既伝》。若いころから勇名を馳せ、初めは小将として韓遂に付き従った。建安年間(一九六~二二〇)の初め、韓遂と馬騰が攻撃しあったとき、馬騰の子馬超にも勇名があったが、閻行は馬超を突き刺し、矛が折れてしまうと、その柄で馬超のうなじを殴り、殺す寸前だった《張既伝》。

 

174 《巻17-07 送友人入蜀》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <174> Ⅰ李白詩1386 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5478

李白《巻17-07 送友人入蜀》(友人が左遷されて蜀の地に往くのを送って詠う) 君は今、左遷されて遠く蜀の地に赴くということで、人の語るのを聞くと、下の初句に通ずる道は、崎嶇高低があってなかなか行きにくいという。

 

 
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174 《巻17-07 送友人入蜀》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <174> Ⅰ李白詩1386 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5478 
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34-04§3-1 《讀巻03-09 與孟東野書 -4》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1303> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5499 
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174 《巻17-07 送友人入蜀》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <174> Ⅰ李白詩1386 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5478

 

 

年:開元十九年31

卷別:    卷一七七              文體:    五言律詩

詩題:    送友人入蜀

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              成都 (劍南道北部 益州 成都) 別名:蜀         

 

 

送友人入蜀

(友人が左遷されて蜀の地に往くのを送って詠う)

蠶叢路,崎嶇不易行。

君は今、左遷されて遠く蜀の地に赴くということで、人の語るのを聞くと、下の初句に通ずる道は、崎嶇高低があってなかなか行きにくいという。

山從人面起,雲傍馬頭生。

顔をあげてみれば高い山突兀として、ただちに行人の面前に聳え、伏して見ると白雲もうもうとして乗っている馬の頭の辺りに生ずるくらいであるという。

芳樹籠秦棧,春流繞蜀城。

顔をあげてみれば高い山突兀として、ただちに行人の面前に聳え、伏して見ると白雲もうもうとして乗っている馬の頭の辺りに生ずるくらいであるという。

升沈應已定,不必問君平。

しかし、人生というものは、昇沈栄辱に至っては前もって、天の数が決められているから、あの有名な易者の嚴君平に問うて進路を決めることなどないのである。

 

(友人の蜀に入るを送る)

見るならく 蠶叢の路,崎嶇として行き易からず。

山は人面從り起り,雲は馬頭に傍うて生ず。

芳樹 秦棧を籠め,春流 蜀城を繞る。

升沈 應に已に定まるべし,必ずしも君平に問わず。

李白図102 

『送友人入蜀』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送友人入蜀

蠶叢路,崎嶇不易行。

山從人面起,雲傍馬頭生。

芳樹籠秦棧,春流繞蜀城。

升沈應已定,不必問君平。


(下し文)
(友人の蜀に入るを送る)

見るならく 蠶叢の路,崎嶇として行き易からず。

山は人面從り起り,雲は馬頭に傍うて生ず。

芳樹 秦棧を籠め,春流 蜀城を繞る。

升沈 應に已に定まるべし,必ずしも君平に問わず。

(現代語訳)
(友人が左遷されて蜀の地に往くのを送って詠う)

君は今、左遷されて遠く蜀の地に赴くということで、人の語るのを聞くと、下の初句に通ずる道は、崎嶇高低があってなかなか行きにくいという。

顔をあげてみれば高い山突兀として、ただちに行人の面前に聳え、伏して見ると白雲もうもうとして乗っている馬の頭の辺りに生ずるくらいであるという。

顔をあげてみれば高い山突兀として、ただちに行人の面前に聳え、伏して見ると白雲もうもうとして乗っている馬の頭の辺りに生ずるくらいであるという。

しかし、人生というものは、昇沈栄辱に至っては前もって、天の数が決められているから、あの有名な易者の嚴君平に問うて進路を決めることなどないのである。

古桟道0001
(訳注) 《巻17-07 送友人入蜀》

送友人入蜀

(友人が左遷されて蜀の地に往くのを送って詠う)

 

蠶叢路,崎嶇不易行。

君は今、左遷されて遠く蜀の地に赴くということで、人の語るのを聞くと、下の初句に通ずる道は、崎嶇高低があってなかなか行きにくいという。

 見聞するということ。ここでは聞くところによるとと同様に使われている。

蠶叢路 紀元前2100年頃、中国四川地方に縦目王・蠶叢が支配する幻の国・華陽国があった。そこは一年中花が咲き乱れ、国民は皆健康で不老不死の桃源郷と思われていた。

崎嶇 凸凹と蛇行。

 

山從人面起,雲傍馬頭生。

顔をあげてみれば高い山突兀として、ただちに行人の面前に聳え、伏して見ると白雲もうもうとして乗っている馬の頭の辺りに生ずるくらいであるという。

 

芳樹籠秦棧,春流繞蜀城。

その道には芳樹が鬱蒼としていて、秦時代以来、籠掛けた桟道があり、成都盆地は春の豊かな水が錦官城をめぐっている豊かなところである。

芳樹 籠秦棧,春流繞蜀城 

 

升沈應已定,不必問君平。

しかし、人生というものは、昇沈栄辱に至っては前もって、天の数が決められているから、あの有名な易者の嚴君平に問うて進路を決めることなどないのである。

升沈 人生の浮き沈み。人生の昇沈栄辱。

君平 君平」は漢の厳遵(げんじゅん、字は君平)のことで、蜀の成都の市場で卜筮をして暮らしていた。易断をして人に法を説き善に導きましたが、みずからを養うに足るときは店を閉じたという。

 

厳君平は一方で「ト筮は賤業」であると認めなから,他方では「ト筮」によって,子には「孝行」,弟には「梯順」。臣には「忠義」を説き,衆人を恵むことができると述べている。卜筮によって衆人を孝や順や忠に導いたといわれることは、いちじるしく民衆的または社会教育的な色彩をもつものとして注意される。それは、現実の政治に絶望した彼らに、たんに個人的に逃避するのではなく、みずからの理想によって民衆を教化しようという考えがあったのではなかろうか。

(嚴君平は社会教育的な才あるにもかかわらず、生活の為と占い業をしたが、世間の方も、賢人である君平をただ一通りの賣卜者としてこれにあたっていた。その陰で、心静かに老子の注解を出筆していた。)

李白『古風,五十九首之十三』

君平既棄世,世亦棄君平。

觀變窮太易,探元化群生。

寂寞綴道論,空帘閉幽情。

騶虞不虛來,鸑鷟有時鳴。

安知天漢上,白日懸高名。

海客去已久,誰人測沈冥。

(古風,五十九首の十三)

君平 既に世を棄て、世も亦た君平を棄つ。

變を觀て太易を窮め、元をって群生を化す。

寂寞 道論を綴り、空帘【くうれん】 幽情を閉ざす。

騶虞【しゅうぐ】は虛しく來らず、鸑鷟【がくぞく】は時有って鳴く。

安んぞ知らん 天漢の上。 白日 高名を懸くる。

海客 去って已に久し、誰人か 沈冥を測らむ。

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李白《巻14-07 留別王司馬嵩 -#2》かの李斯を学び、鷹を呼んで上蔡東門を過ぎ、心のどかに平郊に狩をしたいと思うし、また、王孟に擬して畚を売り、仙人に賺されて嵩山の天辺に登ろうとするのである。それで、君には、他日、私を訪れてくれるならば、琴の音を導として丘中を尋ねられたらよかろうと思う。

 

 
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一七四              文體:    五言古詩

詩題:    留別王司馬嵩

作地點:              坊州( / 坊州 / 坊州)

及地點:              上蔡 (河南道 豫州 上蔡)    

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

交遊人物:王嵩    當地交遊( 坊州 坊州)

 

 

《巻14-07 留別王司馬嵩 -1

留別王司馬嵩 -#1

(李白が長安を去るにあたって、王嵩に留別したもの。)

魯連賣談笑,豈是顧千金。

魯仲連は談笑を売り物にして、秦から趙を救い名声を博し、平原君から領地をあたえられるというのを辞退し、千金を顧みる事は無かった。
陶朱雖相越,本有五湖心。

陶朱公は、はじめ、范蠡と称して、越王句踐のもとに宰相であったが、本来、五湖に泛ぶ心あって、やがて謁を去ってしまった。達人というもの功を為しても、富貴に眷恋するものではない。

余亦南陽子,時為梁甫吟。

自分は、南陽躬耕の人であった諸葛孔明を学び、龍畝の間にあって梁甫吟を為している。

蒼山容偃蹇,白日惜侵。

青山の間にこの驕傲の身を容れ、そして時を待って、白日のくずれゆくを惜しんでいたのである。

《巻14-07 留別王司馬嵩 -#2》

願一佐明主,功成還舊林。

願うところは、一たび起って、聖明の君主を補佐して、一角の功名を立て、それから旧山に帰るというその一事にある。

西來何所為,孤劍託知音。

しかし西の長安の方から来たけれど此れと言ったことなど何もできていない、孤剣をもって信頼のおける友人に託して心事を明らかにするという所である。

鳥愛碧山遠,魚遊滄海深。

鳥は碧山の遠きを愛し、魚は蒼海の深きに遊ぶという、今自分の住むべきところを探しているのだ。

呼鷹過上蔡,賣畚向嵩岑。

こうして、かの李斯を学び、鷹を呼んで上蔡東門を過ぎ、心のどかに平郊に狩をしたいと思うし、また、王孟に擬して畚を売り、仙人に賺されて嵩山の天辺に登ろうとするのである。

他日閒相訪,丘中有素琴。

それで、君には、他日、私を訪れてくれるならば、琴の音を導として丘中を尋ねられたらよかろうと思う。

 

(王司馬嵩に留別す)

魯連は談笑を賣り,豈に是れ千金を顧。みんや

陶朱は越に相たりと雖も,本と五湖の心有り。

余も亦た南陽の子,時に梁甫吟を為す。

蒼山 偃蹇を容れ,白日 侵を惜む

 

願わくば一たび明主を佐【たす】け,功 成って舊林に還らん。

西來 何の為す所,孤劍 知音に託す。

鳥は碧山の遠きを愛し,魚は滄海の深きに遊ぶ。

鷹を呼んで上蔡を過ぎ,畚【ふご】を賣って嵩岑に向う。

他日 閒に相い訪わば,丘中に素琴有り。

 

 

(含異文)

魯連賣談笑,豈是顧千金。陶朱雖相越,本有五湖心。余亦南陽子,時為梁甫吟。蒼山容偃蹇,白日惜侵。願一佐明主,功成還舊林。西來何所為,孤劍託知音。鳥愛碧山遠,魚遊滄海深【魚遊江海深】。呼鷹過上蔡,賣畚向嵩岑。他日閒相訪,丘中有素琴。

 

 

《巻14-07 留別王司馬嵩 -#2》

『留別王司馬嵩』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

願一佐明主,功成還舊林。

西來何所為,孤劍託知音。

鳥愛碧山遠,魚遊滄海深。

呼鷹過上蔡,賣畚向嵩岑。

他日閒相訪,丘中有素琴。


(下し文)
願わくば一たび明主を佐【たす】け,功 成って舊林に還らん。

西來 何の為す所,孤劍 知音に託す。

鳥は碧山の遠きを愛し,魚は滄海の深きに遊ぶ。

鷹を呼んで上蔡を過ぎ,畚【ふご】を賣って嵩岑に向う。

他日 閒に相い訪わば,丘中に素琴有り。

(現代語訳)
願うところは、一たび起って、聖明の君主を補佐して、一角の功名を立て、それから旧山に帰るというその一事にある。

しかし西の長安の方から来たけれど此れと言ったことなど何もできていない、孤剣をもって信頼のおける友人に託して心事を明らかにするという所である。

鳥は碧山の遠きを愛し、魚は蒼海の深きに遊ぶという、今自分の住むべきところを探しているのだ。

こうして、かの李斯を学び、鷹を呼んで上蔡東門を過ぎ、心のどかに平郊に狩をしたいと思うし、また、王孟に擬して畚を売り、仙人に賺されて嵩山の天辺に登ろうとするのである。

それで、君には、他日、私を訪れてくれるならば、琴の音を導として丘中を尋ねられたらよかろうと思う。


(訳注) 《巻14-07 留別王司馬嵩 -#2》

 

願一佐明主,功成還舊林。

願うところは、一たび起って、聖明の君主を補佐して、一角の功名を立て、それから旧山に帰るというその一事にある。

 

西來何所為,孤劍託知音。

しかし西の長安の方から来たけれど此れと言ったことなど何もできていない、孤剣をもって信頼のおける友人に託して心事を明らかにするという所である。

 

鳥愛碧山遠,魚遊滄海深。

鳥は碧山の遠きを愛し、魚は蒼海の深きに遊ぶという、今自分の住むべきところを探しているのだ。

 

呼鷹過上蔡,賣畚向嵩岑。

こうして、かの李斯を学び、鷹を呼んで上蔡東門を過ぎ、心のどかに平郊に狩をしたいと思うし、また、王孟に擬して畚を売り、仙人に賺されて嵩山の天辺に登ろうとするのである。

上蔡 李斯のこと。 李 斯(り し、? - 紀元前208年)は、中国秦代の宰相。字は通古[1]。子は李由ら。法家にその思想的基盤を置き、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。

楚の北部にある上蔡(現在の河南省駐馬店市上蔡県)の人。

若い頃は小役人として楚に仕えていた。李斯は厠で人の糞尿を食らい人の姿を見て逃げ出すネズミと、兵糧庫の中で人の姿におびえずのうのうと兵糧を食うネズミを見て、「人が居る環境だけで人の賢さなど価値が決まってしまうのか」と嘆き、儒家の荀子の門を叩いた。同門に韓の公子・韓非がおり、共に荀子から学び、秦に入って呂不韋の食客となり、呂不韋からその才能を絶賛され推薦を受けて、秦王政(後の始皇帝)に仕えて、その近侍になった。

李斯は政の命令で他国に潜入し、各国の王族と将軍の間の離間を行い功績を立てて、客卿(他国出身の大臣)となった。

紀元前237年、順調に出世していた李斯だが、この頃に嫪(ろうあい)という他国出身者が反乱を起こしたために、国内で他国出身者の評判が悪くなり、やがて他国人の追放令(逐客令)が出た。このままでは困る李斯は、手紙を政に出して追放令の撤回を求めた。この「諫逐客書」は実に理路整然とした名文で、後に文選にも収録されているほどである。政もこの名文に説得されて追放令の撤回を決めた。

実力者の呂不韋が自決した後に、ますます政の信頼が厚くなった李斯だが、その地位を脅かす者がやって来た。かつての同門であった韓非である。政はその前に韓非の著作である『韓非子』を読んで、「この作者と親しく出来るのなら、死んでも悔いは無い。」と言う程に傾倒していたので、もしこのまま韓非が登用されてしまえば自分の地位は非常に危うくなる、と考えた李斯は政に韓非の讒言を吹き込んで投獄させて、獄中にいる韓非に毒を渡して有無を言わせずに逸早く死に追い詰めてしまった。

こうして、ライバルを蹴落とした李斯は、秦の富国強兵の政策を積極的に献策を行い、紀元前221年に遂に秦は中国を統一し、政は始皇帝となった。

秦の統一後に始皇帝は丞相の王綰、御史大夫の馮劫ら重臣から、周の制度である封建制を採り入れ、始皇帝の公子達を各地の王として封じるようにとの進言があった。だが、李斯はそれに猛反対して、周が何故滅んだかの理由を具体的に述べて、なお一層強い郡県制への移行を説いた。また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

紀元前210年の秋7月に、始皇帝が巡幸途中で死去し、李斯は趙高と共に偽詔を作って、胡亥を即位させ二世皇帝として、元の太子扶蘇を自決させた(一説では李斯は趙高に恫喝されて、止むなく胡亥の帝位をしぶしぶ認めたといわれる)。

偉大な始皇帝が死んだ事で基盤が揺れてしまった秦帝国に対して、翌年についに陳勝・呉広の乱を初めとして反乱が続発し、国内は大混乱になった。この時になっても二世皇帝は遊び呆けて、宮廷の外の状況を知らない有様だった。李斯はこれを何とか諌めようとしたが、これを逆手に取った趙高の策略で二世皇帝の不興を買い、李斯は追い詰められてゆくことになった。

紀元前208年、李斯は右丞相馮去疾と将軍馮劫と共に阿房宮の造営などの圧迫政策を止めるように二世皇帝に告げたが断られ、馮去疾と馮劫は自害した。それからも再三二世皇帝に申し入れをしたが、かえって二世皇帝の怒りを買い趙高に讒言され捕らえれ、趙高に執拗な拷問を受けた。拷問に耐えられず趙高が捏(で)っち上げた罪(楚の項梁の軍勢に討ち取られた李斯の長男で三川郡の太守の李由が生前楚軍と内通していたという罪)を認めてしまい、市で腰斬に処された。その時に李斯は共に曳き立てられた次男(名は不詳)に対して「わしは以前にお前と故郷の上蔡で黄色い猟犬を連れて来て、兎狩りをよくやっておったが、またやりたい夢はもう適わんのう…」と無念そうに述べたという。やがて李斯の一族は全て殺された。なお李斯の息子は始皇帝の皇女を娶り、彼の娘は始皇帝の公子に嫁いでいたと伝わる。

李斯は法家理論の完成者韓非に対して、法家の実務の完成者とされる。李斯は韓非を謀殺した事や偽詔で扶蘇を殺した事、他にも儒者を徹底的に弾圧した焚書坑儒に深く関わったため、後世の評判は非常に悪いが、秦の中国統一において最も大きな役割を果たしていた。司馬遷も、史記において李斯が道を誤らなければその功績は周公、召公に比肩したであろうとしている。

賣畚向嵩岑 王孟の故事。王莽が幼い時は貧賤であった。魚を畚で売って歩いた。仙人に賺されて嵩山の天辺に登り、その身を渓山の間に分け入り、幽居を卜したという。

 

他日閒相訪,丘中有素琴。

それで、君には、他日、私を訪れてくれるならば、琴の音を導として丘中を尋ねられたらよかろうと思う。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一七四              文體:    五言古詩

詩題:    留別王司馬嵩

作地點:              坊州( / 坊州 / 坊州)

及地點:              上蔡 (河南道 豫州 上蔡)    

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

交遊人物:王嵩    當地交遊( 坊州 坊州)

 

 

《巻14-07 留別王司馬嵩 -1

留別王司馬嵩 -#1

(李白が長安を去るにあたって、王嵩に留別したもの。)

魯連賣談笑,豈是顧千金。

魯仲連は談笑を売り物にして、秦から趙を救い名声を博し、平原君から領地をあたえられるというのを辞退し、千金を顧みる事は無かった。
陶朱雖相越,本有五湖心。

陶朱公は、はじめ、范蠡と称して、越王句踐のもとに宰相であったが、本来、五湖に泛ぶ心あって、やがて謁を去ってしまった。達人というもの功を為しても、富貴に眷恋するものではない。

余亦南陽子,時為梁甫吟。

自分は、南陽躬耕の人であった諸葛孔明を学び、龍畝の間にあって梁甫吟を為している。

蒼山容偃蹇,白日惜侵。

青山の間にこの驕傲の身を容れ、そして時を待って、白日のくずれゆくを惜しんでいたのである。

 -#2

願一佐明主,功成還舊林。

西來何所為,孤劍託知音。

鳥愛碧山遠,魚遊滄海深。

呼鷹過上蔡,賣畚向嵩岑。

他日閒相訪,丘中有素琴。

 

(王司馬嵩に留別す)

魯連は談笑を賣り,豈に是れ千金を顧。みんや

陶朱は越に相たりと雖も,本と五湖の心有り。

余も亦た南陽の子,時に梁甫吟を為す。

蒼山 偃蹇を容れ,白日 侵を惜む

 

願わくば一たび明主を佐【たす】け,功 成って舊林に還らん。

西來 何の為す所,孤劍 知音に託す。

鳥は碧山の遠きを愛し,魚は滄海の深きに遊ぶ。

鷹を呼んで上蔡を過ぎ,畚【ふご】を賣って嵩岑に向う。

他日 閒に相い訪わば,丘中に素琴有り。

 

 

詩文(含異文)     魯連賣談笑,豈是顧千金。陶朱雖相越,本有五湖心。余亦南陽子,時為梁甫吟。蒼山容偃蹇,白日惜侵。願一佐明主,功成還舊林。西來何所為,孤劍託知音。鳥愛碧山遠,魚遊滄海深【魚遊江海深】。呼鷹過上蔡,賣畚向嵩岑。他日閒相訪,丘中有素琴。

 

 

《巻14-07 留別王司馬嵩 -1

『留別王司馬嵩』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

留別王司馬嵩 -#1

魯連賣談笑,豈是顧千金。

陶朱雖相越,本有五湖心。

余亦南陽子,時為梁甫吟。

蒼山容偃蹇,白日惜侵。


(下し文)
(王司馬嵩に留別す)

魯連は談笑を賣り,豈に是れ千金を顧。みんや

陶朱は越に相たりと雖も,本と五湖の心有り。

余も亦た南陽の子,時に梁甫吟を為す。

蒼山 偃蹇を容れ,白日 侵を惜む

(現代語訳)
(李白が長安を去るにあたって、王嵩に留別したもの。)

魯仲連は談笑を売り物にして、秦から趙を救い名声を博し、平原君から領地をあたえられるというのを辞退し、千金を顧みる事は無かった。
陶朱公は、はじめ、范蠡と称して、越王句踐のもとに宰相であったが、本来、五湖に泛ぶ心あって、やがて謁を去ってしまった。達人というもの功を為しても、富貴に眷恋するものではない。

自分は、南陽躬耕の人であった諸葛孔明を学び、龍畝の間にあって梁甫吟を為している。

青山の間にこの驕傲の身を容れ、そして時を待って、白日のくずれゆくを惜しんでいたのである。


(訳注) 《巻14-07 留別王司馬嵩 -1

留別王司馬嵩 -#1

(李白が長安を去るにあたって、王嵩に留別したもの。)

王司馬嵩 王嵩が司馬というだけで、何の司馬かわかっていない。漢の時代には軍事を統括する名誉役職名でもあった。時代によっては太尉とも。((大)司馬、御史大夫、丞相もしくは太尉、司空、司徒をもって三公と称する。

 

魯連賣談笑,豈是顧千金。

魯仲連は談笑を売り物にして、秦から趙を救い名声を博し、平原君から領地をあたえられるというのを辞退し、笑って千金を顧みる事は無かった。

魯連賣談笑 魯仲連は、趙の邯鄲(いまの河北省にある)を包囲した。魯仲連は、談笑して秦に降伏することに断乎反対して、題の平原君を助け秦軍をしりぞけた。

魯仲連(約西元前305年~西元前245年)戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。・延州 季札(きさつ、生没年不詳)は、中国春秋時代の呉で活躍した政治家。姓は姫。呉の初代王寿夢の少子。清廉賢哲を以って知られ、延陵の季子として知られる。

戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。秦が趙を囲んだ時、魏の使いが秦の昭王を尊んで帝と称するように趙に説いた。仲連時に趙にいて、使いを責めて帰し、秦軍をして恐れて十五里退かせた。田単が斉の王に申し上げて爵を賜わろうとしたが、仲連は海辺の地に逃がれた。戦国時代の斉の国の人で、義侠の士として有名である。伝記は「史記」の列伝に見える。つね日ごろ、人とはちがった大志を抱き、仕官せず職にもつかなかった。たまたま趙の国に遊んでいた時、紀元前二四七年、秦の軍隊が趙の邯鄲(いまの河北省にある)を包囲した。魯仲連は、秦に降伏することに断乎反対して、題の平原君を助けた。同時に、魏の国の王子信陵君もまた、兵を率いて秦を攻撃したので、秦は退却し、趙は救われた。郡部の包囲が解かれたのち、平原君は魯仲連に領地を与えようとした。魯仲連は辞退した。平原君はそこで千金をおくろうとした。魯仲連は笑って言った。「天下に貴ばれる士たる者は、人のために患を排し、難をとき、紛乱を解して、しかも何も受取らないものです。もしも報酬を受取るなら、それは商人です。」何も受け取らないで立去り、生涯ふたたび現われなかった李白『古風五十九首 其十』

孟浩然《述祖徳詩 二首 其一》#1

達人貴自我、高情蜀天雲。

兼抱済物性、而不纓垢氛。

段生藩魏國、展季救魯人。

弦高犒晉師、仲連却秦軍。

臨組乍不緤、對珪寧肯分。

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<8> 述祖徳詩 二首(2)其一 詩集 365

 

陶朱雖相越,本有五湖心。

陶朱公は、はじめ、范蠡と称して、越王句踐のもとに宰相であったが、本来、五湖に泛ぶ心あって、やがて謁を去ってしまった。達人というもの功を為しても、富貴に眷恋するものではない。

陶朱 越玉句践を助げて呉を滅した(前473年)。後范蟸は五湖(太湖)に浮かんで越を去り野に隠れ、名を鴟夷子皮と変えて産を成し、自ら陶の朱公と号した。

 

余亦南陽子,時為梁甫吟。

自分は、南陽躬耕の人であった諸葛孔明を学び、龍畝の間にあって梁甫吟を為している。

南陽子 南陽躬耕の人であった諸葛孔明。

梁甫吟 梁甫吟 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -298

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

嚢陽一帯 

蒼山容偃蹇,白日惜侵。

青山の間にこの驕傲の身を容れ、そして時を待って、白日のくずれゆくを惜しんでいたのである。

偃蹇 驕傲おごりたかぶること。また、そのさま。
a謝霊運永嘉ルート02 

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李白《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(3)かくいう私も、また、仙家の紫書をつたえてくださるのなら、骨に銘じ、一心になって仙術を学びたいと思うのである。煉師に置かれてもどうぞ私の思いをわかっていただきたいと思うのであります。

 

 
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172-4 《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(3)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <172-4> Ⅰ李白詩1387 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5483

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈嵩山焦鍊師

 

作地點:              嵩山(都畿道 / 河南府 / 嵩山)

及地點:              嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高      

少室山 (都畿道 河南府 少室山)       

交遊人物:焦鍊師              書信往來(都畿道 河南府 嵩山)

 

 

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(0)

(0)贈嵩山焦鍊師 并序

(嵩山に隠遁している焦という徳の高いにこの詩 并びに序文を贈る)

嵩丘有神人焦鍊師者,不知何許婦人也,又云生於齊梁時。

嵩山に神仙のひとである焦鍊師がいる、何処で生まれたのか生母が誰なのかのもわからないのであり、また、齊梁の時代に生れたともいう。

其年貌可稱五六十,常胎息穀,居少室廬,遊行若飛,倏忽萬里。

その年貌を見ると五六十歳と称すべく、平生、胎息を為し、また穀物を絶ち、少室山中の草盧におり、遊行すればその速くゆくのは飛び様であり、忽ちの間に、万里を行ってしまうという。

世或傳其入東海,登蓬萊,竟莫能測其往也。

世間では、あるいは傳えて、東海に入って、蓬莱山に登ったこともあるといい、ついにその行くところを測ることができない。

余訪道少室,盡登三十六峰,聞風有寄,灑翰遙贈。

予は、神仙の道を少室山中に尋ねようとし、ことごとく三十六峰に登った。その時、焦鍊師の道士修業の徳高く思精であることを伝聞していることにより、これに詩を寄せんとし、紙に書きつけて、遙かに贈った。

 

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(1)

(1)贈嵩山焦鍊師

(嵩山に隠遁している焦という徳の高いにこの詩 并びに序文を贈る)

二室凌青天,三花含紫煙。

大室山、少室山の二山は、嶷峨として青天を凌いでいる。一年に三回花をつける貝多樹は、仙界の紫煙をふくんでいる。

中有蓬海客,宛疑麻姑仙。

この間に住む焦煉師は、蓬莱から来た客であって、宛として麻姑山にいる仙人と疑われる。

道在喧莫染,跡高想已綿。

煉師の道は儼然として存在し、浮世の塵囂も、これを汚すことなく、その足音高くして、玄想が絶えない。

時餐金鵝蕊,屢讀青苔篇。

時にあっては、桂花の蕊を食らい、しばしば靑苔の様な色紙に書かれた道家の秘訣を読みふけっていた。

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(2)

八極恣遊憩,九垓長周旋。

八絃に外に八極の表に遊憩をほしいままにし、九天も外にある九垓のほとりに立って長しえにのんびりとめぐりあるく。

下瓢酌潁水,舞鶴來伊川。

そこには、許由と巣父の故事にいう耳を洗ったし、弾いてきた牛に飲ませなかった高潔の隠士の理想の姿をうんできた穎水があり、仙界へ載せて行ってくれる鶴が舞い踊る渭水のほとりにやってくる。

還歸空山上,獨拂秋霞眠。

やがて、また空けていた東の太室山に帰り、ひとり秋霞を払って、そこに静かに眠る。

蘿月掛朝鏡,松風鳴夜弦。

朝、羅にかかる名残月は皓然として鏡の様であり、夜になれば、吹きすさぶ松風は瑟瑟として絃を爪弾いた琴の音のように響き渡る。

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(3)

 (3)

潛光隱嵩嶽,鍊魄棲雲幄。

煉師は、光をひそめて嵩山の中に隠遁し、錬魄の術を修得し、蜘蛛のとばりの中で隠棲している。

霓裳何飄颻,鳳吹轉綿邈。

そこでしょうの笛を吹き細く長く響きにあわせて、天女の長い布で舞い踊る「霓裳羽衣」のなんとひらひらとゆれ美しいことだろうか。

願同西王母,下顧東方朔。

こうして、煉師は、西王母と相伴って、漢の宮殿に下り、東方朔の桃を盗むところを顧みようとして許されていたように仙人として認められているのである。

紫書儻可傳,銘骨誓相學。

かくいう私も、また、仙家の紫書をつたえてくださるのなら、骨に銘じ、一心になって仙術を学びたいと思うのである。煉師に置かれてもどうぞ私の思いをわかっていただきたいと思うのであります。

 

 (0)(嵩山の焦鍊師に贈る 并びに序)

嵩丘に神人焦鍊師という者有り,何許【いずこ】の婦人なるを知らざるなり,又た云う齊梁の時に生る、と。

其の年貌 五六十と稱すべく,常に胎息して穀をち,少室の廬に居り,遊行飛ぶが若く,倏忽【しゅくこつ】萬里。

世 或いは其の東海に入り,蓬萊に登るを傳う,竟に能く測其の往くを莫きなり。

余 道を少室に訪い,盡く三十六峰に登り,風を聞いて寄する有り,翰を灑いで遙かに贈る。

 

(1) (嵩山の焦鍊師に贈る)

二室 青天を凌ぎ,三花 紫煙を含む。

中に蓬海の客有り,宛として麻姑の仙かと疑う。

道 在り 喧 染む 莫し,跡 高く 想い 已に綿たり。

時に金鵝【きんが】の蕊を餐し,屢しば青苔の篇を讀む。

(2)

八極 遊憩を恣にし,九垓 長く周旋す。

瓢を下して潁水を酌み,鶴を舞わして伊川に來る。

還た歸る 空山の上,獨り秋霞を拂うて眠る。

蘿月 朝鏡を掛け,松風 夜弦を鳴らす。

(3)

光を潛めて 嵩嶽に隱れ,魄を鍊って 雲幄【うんあく】に棲む。

霓裳【げいしょう】何ぞ飄颻たらん,鳳吹 轉【うた】た綿邈【めんぼく】。

願わくば西王母に同じく,下に東方朔を顧りみん。

紫書 儻【も】し傳う可くんば,骨に銘じて誓って相い學ばん。

洛陽 函谷関 嵩山005 

 

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(3)

『贈嵩山焦煉師 并序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

潛光隱嵩嶽,鍊魄棲雲幄。

霓裳何飄颻,鳳吹轉綿邈。

願同西王母,下顧東方朔。

紫書儻可傳,銘骨誓相學。


(下し文) (3)

光を潛めて 嵩嶽に隱れ,魄を鍊って 雲幄【うんあく】に棲む。

霓裳【げいしょう】何ぞ飄颻たらん,鳳吹 轉【うた】た綿邈【めんぼく】。

願わくば西王母に同じく,下に東方朔を顧りみん。

紫書 儻【も】し傳う可くんば,骨に銘じて誓って相い學ばん。

(現代語訳)
煉師は、光をひそめて嵩山の中に隠遁し、錬魄の術を修得し、蜘蛛のとばりの中で隠棲している。

そこでしょうの笛を吹き細く長く響きにあわせて、天女の長い布で舞い踊る「霓裳羽衣」のなんとひらひらとゆれ美しいことだろうか。

こうして、煉師は、西王母と相伴って、漢の宮殿に下り、東方朔の桃を盗むところを顧みようとして許されていたように仙人として認められているのである。

かくいう私も、また、仙家の紫書をつたえてくださるのなら、骨に銘じ、一心になって仙術を学びたいと思うのである。煉師に置かれてもどうぞ私の思いをわかっていただきたいと思うのであります。



(訳注)

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(3)

 

潛光隱嵩嶽,鍊魄棲雲幄。

煉師は、光をひそめて嵩山の中に隠遁し、錬魄の術を修得し、蜘蛛のとばりの中で隠棲している。

鍊魄 道家修鍊魂魄之術で三洞四輔の四輔(「三洞」を補足するもので、4部に纏められたものの一つ)。「四輔」の太清部は金丹の術関連の書が纏められている。古くは「黄治」や「黄白」とも呼ばれた金丹は、不老不死の効果を持つ薬の製造と服薬により仙人になることを目指すものという。

雲幄 仙界、隠遁の様子を高めるものの表現。

 

霓裳何飄颻,鳳吹轉綿邈。

そこでしょうの笛を吹き細く長く響きにあわせて、天女の長い布で舞い踊る「霓裳羽衣」のなんとひらひらとゆれ美しいことだろうか。

○霓裳羽衣 【げいしょううい】開元、天宝時代に盛んに行われた大人数の舞い踊りの楽曲。羽衣を付けて踊る。

鳳吹 笙を吹く

 

願同西王母,下顧東方朔。

こうして、煉師は、西王母と相伴って、漢の宮殿に下り、東方朔の桃を盗むところを顧みようとして許されていたように仙人として認められているのである。

西王母・東方朔 漢の武帝のために西王母が植えた三千年に一度しかならない桃の実を三つも盗んだ。西王母は盗むことを承知の上で見守っていた。《博物志》卷八. 「漢武帝好仙道,祭祀名山大澤,以求神仙之道。時西王母遣使乘白鹿告帝當來乃供帳九華殿以待之。七月七日夜漏七刻,王母乘紫雲車而至……有三青鳥,如烏大,使侍母旁。時設九微燈。帝東面西向,王母索七桃,大如彈丸,以五枚與帝母食二枚。帝食桃輒以核著膝前,母曰:「取此核將何為?」帝曰:「此桃甘美,欲種之。」母笑曰:「此桃三千年一生實。」唯帝與母對坐,其從者皆不得進,時東方朔竊從殿南廂朱鳥?中窺母,母顧之,謂帝曰:「此窺?小兒嘗三來,盜吾此桃。」帝乃大怪之。由此世人謂方朔神仙也。」

 

紫書儻可傳,銘骨誓相學。

かくいう私も、また、仙家の紫書をつたえてくださるのなら、骨に銘じ、一心になって仙術を学びたいと思うのである。煉師に置かれてもどうぞ私の思いをわかっていただきたいと思うのであります。

紫書 仙書のことで、三洞四輔の書。「三洞」とは、洞真経・洞玄経・洞神経の3つであり、元々はそれぞれ上清経・霊宝経・三皇経(三皇文)ことをいい、「四輔」は「三洞」を補足するもので、4部に纏められたものをいう。
李白31歳 

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